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戦前から戦後、現代までの児童サービスの変 戦前から戦後

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戦前から戦後、現代までの児童サービスの変 戦前から戦後
戦前から戦後、現代までの児童サービスの変動
戦前から戦後、現代までの児童サービスの変 動
松井
第1章
翠
はじめに
児童サービスというと、真っ先にイメージ出来るのは、戦前よりも戦後の児童サービス
であろう。今や児童サービスは公共図書館のサービスの1つとして当然なものだとされて
いる。
しかしそれにも関わらず、児童サービスの研究はそれ程にもなされていない現状である
と思われる。実際に汐崎が「全体として公共図書館の児童サービス分野においては見かる
べ き 研 究 成 果 は 多 く な い 」 (1) と 述 べ て い て 、 戦 後 (1945~2007年 ) に つ い て 、 児 童 サ ー ビ
スを 5 つに時代区分し、児童サービス発展の経緯を具体的に述べ、分析するという本格的
な研究を試みている。一方、戦前の児童サービスについての本格的な研究は乏しいような
ので本研究で試みることにした。
ま ず 、 児 童 図 書 館 の 誕 生 に つ い て 『 図 書 館 情 報 学 ハ ン ド ブ ッ ク 』 (2) の “ 児 童 図 書 館 ” の
“歴史”の項目で述べられていたもの見たところ、「日本で初めて児童室を設置した公共
図 書 館 は 山 口 県 立 図 書 館 (1902( 明 治35) 年 設 置 、1903年 開 館 ) で あ る 。 当 初 か ら 全 開
架 、 無 料 で あ っ た 」 、 そ し て 「 …1908年 に は 東 京 市 立 ( 現 在 は 都 立 ) 日 比 谷 図 書 館 が 開 設
され、児童室を設けてサービスを開始した。…大正から昭和期にかけて、東京の公共図書
館は優れた児童サービスを展開した。…東京市立図書館のサービスが、戦前の児童サービ
スの典型であったといえよう」とある。
日 本 の 公 共 図 書 館 で 初 め て 積 極 的 に 児 童 サ ー ビ ス が 行 わ れ た1903年 か ら 約 100 年 間 経 過
したことを機に児童サービスを全体的に分析しようと思った。また戦争以前にもこのよう
な児童サービスの発展期があったことをもっと強調し、研究する価値があるのではないか
と感じた。そこで、戦前の児童サービスがどのようなものであったかを児童サービスの背
景、理念・姿勢、活動を中心に調査し、戦後と比較するというのを目的とし、本研究を行
った。
第2章
先行文献について
本章では児童サービス・児童図書館についての先行文献を幾つかレビューする。
(1) 本 研 究 に 最 も 近 い 文 献 と し て 、 汐 崎 の 『 児 童 サ ー ビ ス の 歴 史 ― 戦 後 日 本 の 公 共 図 書 館
における児童サービスの発展―』がある。この文献は 4 つの章から成立し、第 1 章では現
在の児童サービスについての定義や現状、児童サービスの理念の形成について述べられて
い る 。 第 2 章 で は 戦 後 (1945年 ) か ら2007年 ま で を 児 童 図 書 館 員 の 意 識 の 動 き を 重 視 し
て、 5 つの時代区分をしている。第3章では各 5 時代区分ごとに発展経緯を述べている。
1
最後に第4章で結びとしている。この文献では文献調査の他にインタビュー調査、統計調
査も行っている。
そ こ で 汐 崎 が 行 っ た 時 代 区 分 を 紹 介 し よ う 。 (3)
汐 崎 の 第 1 期 〈1945~1952年 〉 で は こ の 時 期 を 「 発 展 前 期 」 と 名 付 け て い て 、 復 興 の 中
で児童の生活や文化の法律制定を含め、文化教育活動における準備期であった。法律の例
として、図書館法や児童憲章がある。
汐 崎 の 第 2 期 〈1953~1964年 〉 で は 児 童 サ ー ビ ス を 公 共 図 書 館 の 中 の 独 立 し た サ ー ビ ス
と考えた団体である「児童図書館研究会」が設立した。まだ児童サービスがあまり普及し
ていない時代において、児童図書館研究会の活動と結果は図書館界・社会に影響をもたら
した。
汐 崎 の 第 3 期 〈1965~1985年 〉 で は 2 つ の 重 要 な 契 機 と し て 日 野 市 立 図 書 館 の 活 動 と 石
井 桃 子 の 『 子 ど も の 図 書 館 』 刊 行 を 挙 げ て い る 。1965年 以 降 、 「 概 ね20年 に わ た っ て 飛 躍
的 な 発 展 を 遂 げ る 」 (4) と し て い る 。 児 童 サ ー ビ ス へ の 姿 勢 が 大 き く 変 化 し た 時 期 で あ っ
た。
汐 崎 の 第 4 期 〈1986~1999年 〉 で は 国 際 児 童 図 書 評 議 会 ( International Board on Boo
ks for Young People : 以 下 I B B Y と い う ) 東 京 大 会 と 国 際 図 書 館 連 盟 ( International
Federation of Library Associations and Institutions : 以 下 I F L A と い う ) 東 京 大 会 が 開 催
された。この2つの大会は国際的なレベルのものであり、公共図書館の視野が広まった時
期である。また、その背景では日本の社会問題であると同時に公共図書館でも問題となっ
ている少子化、子どもの読書離れが深刻化しているようだ。
汐 崎 の 第 5 期 〈2000~2007年 〉 で は2000年 に 「 子 ど も 読 書 年 」 と さ れ て 、 図 書 館 界 を 越
えた団体も「子供の読書推進」に取り組んでいる現在だとしている。
本研究でもこのような要領で独自の時代区分を考察する。
(2)1957 年 に 出 版 さ れ た 『 日 本 の 児 童 図 書 館 :1957・ そ の 貧 し さ の 現 状 』 (5) の 中 の 居 石 の
研 究 で は 、 明 治20年 頃 か ら 昭 和31(1956) 年 ま で を 戦 前 2 区 分 ・ 戦 後 1 区 分 に 時 代 区 分
し、各時代区分ごとにその経緯や設置された図書館を具体的にリストアップしている。そ
して最後には多数の図書館人のインタビューをもとに戦後・戦前の比較から戦後の発達面
の 分 析 や1956年 当 時 の 児 童 サ ー ビ ス に お け る 問 題 点 の 分 析 を 行 い 、 今 後 の 児 童 サ ー ビ ス の
あり方を述べている。戦前よりも戦後の方を中心にした文献であると言える。
(3) 明 治 か ら 現 在 ま で (1900頃 ~2000年 ) の 約 100 年 間 の 児 童 図 書 館 史 を 述 べ た 児 童 図 書
館 研 究 会 の 『 児 童 図 書 館 の あ ゆ み 』 (6) が あ る 。 こ の 文 献 で は 明 治 期 か ら 現 在 ま で の 網 羅 的
な文献調査が行われているようだ。その付録に戦後からの年表が添えられている。汐崎の
ように特段に時代区分はされていないようだが、戦前から戦中、戦後の児童図書館の歴史
の一環がこの一冊でつかむことが出来る。
(4) テ キ ス ト 的 文 献 で 児 童 サ ー ビ ス の 歴 史 に つ い て 紹 介 し て い る も の が 幾 つ か あ る が 、 そ
2
の中の2冊を挙げてみよう。
辰巳の『児童サービス論』では日本における児童図書館の歩みとして明治期・大正期・
昭 和 前 半 期 ・ 昭 和 後 半 期 と 4 つ に 区 分 し て 述 べ て い る 。 (7) ま た 、 児 童 観 の 変 遷 に つ い て も
辰巳は、「それぞれの時代、社会の児童観は、児童文化、児童文学などの中にあらわれる
児 童 観 と 切 っ て も 切 れ な い 関 係 を も っ て い る 」 (8) と 、 児 童 観 に つ い て も 児 童 図 書 館 の 歴 史
と同様に、明治期・大正期・昭和前半期・昭和後半期と 4 つに区分して述べている。
小 河 内 の 『 青 少 年 の 読 書 と 資 料 』 (9) で は 戦 前 か ら 戦 後 、 現 在 ま で の 児 童 室 ( コ ー ナ ー )
設置の歴史と戦後の読書運動の動きの2つから児童図書館史を述べている。
(5) 学 術 論 文 か ら 2 つ 挙 げ て み よ う 。
「図書館雑誌」の清水の『東京の児童図書館史点描』
(10)
では東京の日比谷図書館を中
心に明治時代から昭和前期の児童図書館の発展について述べている。この文献で注目する
ことは、「児童図書館は益より害多し」と考えていた図書館人の意見が紹介されているこ
とである。
「図書館界」の小河内の『児童図書館』
(11)
では2ページに渡り、戦後日本の児童図書
館 に つ い て 2 つ に 時 代 区 分 し 述 べ て い る 。 戦 後 直 後 か ら 昭 和28年 ま で を 第 1 期 、 昭 和29年
以 降 ( ~ 昭 和42年 当 論 文 掲 載 ) を 第 2 期 と し て い る 。 第 1 期 は 児 童 図 書 館 の 停 滞 期 で あ
り、第2期は文庫活動・児童サービス発展の為の団体活動が盛んになり、小河内は「日本
の児童図書館への道にもようやく光がさしはじめた」時期であると述べている。
以上が本研究に取り組むにあたり、参照した代表的な文献である。
第3章
本研究にあたって
本研究では児童サービスの範囲を公共図書館(主に公立図書館)児童室(コーナー)の
活動を中心にしたいと思う。児童サービス活動には他に児童サービス関係の組織(児童図
書館研究会等)の活動や文庫活動もあるのだが、本研究では公共図書館児童室の活動・理
念を重視していくことで何か発見が得られるのではないかと考えた。
また本研究の範囲とする期間は、初めて公立図書館に年齢制限もなく自由に開架を利用
出 来 る 児 童 室 が 開 設 さ れ た1903年 か ら 100 年 間 に し た い と 思 い 、2003年 ま で と す る 。 そ の
間で公共図書館児童室(コーナー)、社会環境、児童観の変動を見ていく。しかし戦中は
軍事主義・国家主義であった国の圧力に負け、児童書統制・思想統制があり図書館員でな
く国の思想で図書館が動かされてきたようなものだったこと、また当時の児童サービスの
活動・理念について記述された文献が乏しいこと(当時の図書館員の方にインタビューす
る方法も可能だが、本研究では文献調査のみで進めていきたい為)からこの時期は省略す
ることにする。
最後に独自の時代区分についてだが、戦前・戦後(戦中は省略)を 4 つに区分し比較す
る。汐崎は戦後を 5 つに時代区分して細かく調査しているのだが、本研究では戦前に多く
3
のページを費やしたいので戦前を深く、戦後は浅くというふうにする。参照の為に本研究
と汐崎の研究の比較表(表 1 )を下記に添えておく。
本研究
汐崎の研究
戦前
戦後
時代区分
戦前 2 区分、戦後 2 区分
戦後 5 区分
目的
理念と活動を取り上げ、各時代区
児童サービスの発展の経緯を各時
分ごとに調査し比較分析
代区分ごとに調査し分析
主に文献調査
文献・統計・インタビュー調査
時代区分で重
視する時期
調査方法
表1
第4章
本研究と汐崎の研究の比較表
本研究の手順・方法
本章では本研究の調査方法と議論展開について述べる。
(1) 調 査 方 法 に つ い て だ が 、 前 章 述 べ た よ う に 文 献 調 査 で あ る 。 調 査 対 象 は 主 に 児 童 図 書
館・児童サービス関係や公共図書館関係(その中から児童サービス関連の事柄を抽出す
る)の図書・雑誌である。また、児童サービスの理念を探る為に『図書館管理法改訂版』
(1912年 ) 、 『 図 書 館 小 識 』 (1915年 ) 、 『 中 小 都 市 に お け る 公 共 図 書 館 の 運 営 』 (1963
年)といったハンドブック・報告書のようなものにも触れてみる。文献へのアクセス方法
と し て は 、 図 書 の 方 は 戦 前 ・ 戦 後 と も デ ー タ ベ ー ス や OPAC で 検 索 可 能 だ が 、 問 題 と な る
のは雑誌論文の方で、戦前の検索がデータベースでは不可能である為困難である。故に、
雑誌論文は主に文献の巻末に掲載されている文献リストから参考となるものを探すように
する。この方法は検索不可能な雑誌論文に関わらず、一番信頼出来る方法である。
(2) 議 論 の 展 開 方 法 に つ い て だ が 、 次 章 の 第 5 章 で は 第 2 章 で レ ビ ュ ー し た 文 献 を 含 め 数
冊 の 児 童 サ ー ビ ス の 文 献 を 参 考 に 、 公 共 図 書 館 以 外 の 活 動 も 留 意 し な が ら1903年 か ら2003
年 ま で の 児 童 サ ー ビ ス 史 の 大 ま か な 流 れ を 述 べ る 。 第 6 章 で は 100 年 間 児 童 サ ー ビ ス 史 の
変動をより分かりやすく分析する為に、独自の時代区分を試み、更にその根拠を述べる。
第7章では第6章で考察した 4 つの時代区分ごとに児童サービスの背景(社会環境・児童
観等)、当時生まれた理念、行われていた活動の状況という 3 つに分け、述べていく。前
章でも述べたようにあくまでも戦後の方は、戦前の比較の対象として述べるので戦前ほど
深く取り上げない。最後に第 8 章では第 7 章の結果をもとに 4 つの時代を比較しどのよう
4
なことが言えるのか考察する。以上のように本研究を進めることにする。
第5章
児童サービス史の概要
本 章 で は 前 章 で 述 べ た 時 代 区 分 は 関 係 な く 、1903( 明 治36) 年 か ら2003( 平 成15) 年 ま
での児童サービスの流れを追って述べる。
ま ず 本 章 で の 主 な 参 考 文 献 を 紹 介 す る と 、 第 2 章 で 挙 げ た 汐 崎 (3) ・ 児 童 図 書 館 研 究 会
(6)
・ 辰 巳 (7) ・ 小 河 内 (9) の 4 つ の 文 献 と 赤 星 『 児 童 図 書 館 サ ー ビ ス 論 』
もの図書館の運営』
(13)
、伊香『児童サービス論』
(14)
(12)
、小河内『子ど
、堀川『児童サービス論』
(15)
の
計 8 つである。
1903年 以 前 の こ と に も 少 々 触 れ て お く 。1887( 明 治20) 年 に は 東 京 の 大 日 本 教 育 界 書 籍
館 に 小 学 部 が 、 ま た1902年 に は 私 立 大 橋 図 書 館 に 児 童 室 が 設 立 さ れ て い た の だ が 、 前 者 は
教 師 ・ 名 士 に よ る 教 育 団 体 か ら 成 り 、 児 童 に も 校 長 の 許 可 証 が 必 要 で あ っ た 。 後 者 は12歳
以上の児童しか利用出来なかった。
こ こ か ら 、 本 研 究 の 範 囲 に 入 る 。 明 治30年 代 、 日 本 で は 民 主 主 義 運 動 が 活 性 化 し て い
て 、 全 国 的 な 図 書 館 設 置 運 動 も そ の 1 つ で あ っ た 。 そ し て1899年 に 制 定 公 布 さ れ た 最 古 の
図書館単独法規である図書館令により公共図書館は法的根拠を与えられ、教育制度上の位
置 が 明 確 に さ れ た 。 そ の 中 で 、1903年 に 山 口 県 立 図 書 館 が 開 設 さ れ た 。 創 立 当 初 か ら 当 館
には児童室が設置されていて、これは公立図書館初めての試みであった。館長であった佐
野友三郎は「公共図書館発達の第 2 の要点は児童室とす」
(16)
と明記していたように、児
童サービスの先駆者であった。
そ の 後 児 童 室 は 、1905年 に 京 都 府 立 図 書 館 に 、1908年 に 東 京 市 立 日 比 谷 図 書 館 に 、1909
年 に 函 館 図 書 館 ・ 東 京 市 立 深 川 図 書 館 に 、 1911年 に 神 戸 市 立 図 書 館 に 、1912年 に 石 川 県 立
図書館に・・・というふうに山口県立図書館を先頭に増加した。
(17)
そ の 中 で と り わ け 児 童 サ ー ビ ス が 盛 ん で あ っ た の が 、1908( 明 治41) 年 に 開 設 さ れ た 東
京市立日比谷図書館であった。当初から児童に対してお話会や定期的な催しを開いたりと
児 童 サ ー ビ ス に 力 を 入 れ て い た 。1915( 大 正 4 ) 年 か ら 、 東 京 内 市 立 図 書 館 は 図 書 館 網 に
よって組織され、日比谷図書館長の今澤慈海を中心とし、更なる児童サービス発展に貢献
した。東京内市立図書館での児童サービスの発展は、まもなく全国の公共図書館に影響を
与えることとなった。
し か し 、 活 発 だ っ た 児 童 サ ー ビ ス を 含 む 図 書 館 活 動 も1923( 大 正12) 年 の 関 東 大 震 災 を
は じ め 、1928年 の 3.15 事 件 や 治 安 維 持 法 の 改 悪 ( 思 想 言 論 の 弾 圧 ) 等 か ら 勢 い を 失 っ て い
っ た 。 ま た1931( 昭 和 5 ) 年 の 満 州 事 変 と 同 年 に は 今 澤 慈 海 が 引 退 し 、 東 京 内 市 立 図 書 館
の 図 書 館 網 は 崩 れ た 。 更 に1938年 の 中 日 戦 争 を 背 景 に 、 児 童 に 対 す る 童 話 会 が
“軍事童話会”に、また児童図書に関しても検閲・出版統制が定められた。その後、太平
洋戦争が起こり、図書館経営はますます経費不足・人手不足に悩まされ、まずはじめに児
童 サ ー ビ ス が 閉 鎖 さ れ た 。 こ う し て1945( 昭 和20) 年 の ポ ツ ダ ム 宣 言 ま で 児 童 サ ー ビ ス を
含む図書館活動は停滞を余儀なくされた。
1945年 ポ ツ ダ ム 宣 言 に よ り 第 二 次 世 界 大 戦 が 終 わ る と 、 日 本 で は ア メ リ カ の 占 領 司 令 軍
5
GHQ が 米 国 の 図 書 館 理 論 を 日 本 に 提 示 す る 為 に 、 CIE 図 書 館 ( Civil Information and
Education Section = 民 間 情 報 教 育 部 ) を 設 置 し た 。 こ の CIE 図 書 館 で の 児 童 サ ー ビ ス は 戦
後の公共図書館児童サービスのモデルとなるものであった。しかしそうはあるものの、児
童 サ ー ビ ス を 含 む 図 書 館 活 動 は 停 滞 し て い た 。 そ う い う 状 況 の 中 で 、1947年 に 教 育 基 本
法 ・ 学 校 教 育 法 が 制 定 さ れ 、1950年 に 図 書 館 法 が 制 定 さ れ た 。
1951年 の 児 童 憲 章 制 定 に よ り 、 戦 前 の 児 童 観 が 変 化 し た 。 戦 前 ・ 戦 中 で は 大 正 デ モ ク ラ
シーを除き、児童は国家主義・軍事主義により国の為の“人材”と考えられていて、児童
の 意 志 ・ 自 由 ・ 権 利 が 全 く 保 障 さ れ て い な か っ た 。 し か し 戦 後1947年 の 児 童 福 祉 法 を 含
め、児童憲章では“児童を守る”という観念が芽生えはじめ、児童も大人と同様、1人の
人間として認められ、意志・自由・権利が保障されるようになった。
児 童 観 に 変 化 は あ っ た も の の 、1950年 代 も な お 公 共 図 書 館 の 児 童 サ ー ビ ス は 停 滞 し て い
た 。1955年 頃 に は エ ロ 本 ・ 悪 マ ン ガ 等 の 悪 書 か ら 児 童 を 守 る た め に 悪 書 追 放 運 動 が 始 ま っ
た。その中で母親と図書館員が力を合わせた児童の読書運動が行われていた。代表的な読
書 運 動 と し て 、1951( 昭 和26) 年 の 長 野 県 立 図 書 館 に よ る “ 長 野 PTA 母 親 文 庫 ” 、1960年
の 鹿 児 島 県 立 図 書 館 に よ る “ 母 と 子 の20分 間 読 書 運 動 ” や “ 親 子 読 書 運 動 ” で あ る 。 そ れ
以外に“悪書追放よりも児童の手近に良い本を!”という提唱の下に家庭・地域での文庫
活 動 が 行 わ れ た 。 こ の よ う な 児 童 の 読 書 環 境 を 守 ろ う と し た 母 親 の 思 い が1960年 以 降 の 公
共図書館発展の手助けになっていった。
そ れ に 加 え 、1950年 代 に は 児 童 サ ー ビ ス 発 展 の 為 に 2 つ の 団 体 が 組 織 さ れ た 。1953年 に
「 児 童 図 書 館 研 究 会 」 、1956年 に 「 日 本 図 書 館 協 会 公 共 図 書 館 部 会 児 童 図 書 館 分 科 会 」 が
設立された。前者は機関誌『こどもの図書館』の発行、講習会・学習会の開催、図書館員
の 資 質 の 向 上 、 児 童 サ ー ビ ス の 充 実 に 貢 献 し た 。 後 者 は1959年 か ら 毎 年 、 全 国 研 究 集 会 を
開催し、児童の本や読書に関する様々な問題を検討した。
1960年 代 に 入 り 、1963( 昭 和38) 年 に 日 本 図 書 館 協 会 は 『 中 小 都 市 に お け る 公 共 図 書 館
の運営』(以下『中小レポート』という)
(18)
を発表した。『中小レポート』は、公共図
書館が運営方法に行き詰まっている状況に対して、公共図書館、特に市民が直接接する機
会が最も多い中小図書館のあり方を明らかにして、活動を活性化させようというものであ
った。この中では、児童室(コーナー)の設置を強制してはいないものの、児童サービス
の重要性については説いていた。
そ し て1965( 昭 和40) 年 に は 、 『 中 小 レ ポ ー ト 』 の 実 務 担 当 を し て い た 東 京 都 日 野 市 立
図書館の館長前川恒雄が同館で『中小レポート』の実践を試みた。「いつでも、どこで
も、だれでも」をモットーとして全域に図書館サービスを広める為に移動図書館車をスタ
ートした。その中でも児童サービスを重視する為に図書の半分は児童図書であった。この
方法により日野市立図書館は大きな実績を残した。
1970( 昭 和45) 年 に は 日 本 図 書 館 協 会 は 『 中 小 レ ポ ー ト 』 と 日 野 市 立 図 書 館 の 実 証 を ま
とめた『市民の図書館』
(19)
を発表した。この冊子では『中小レポート』よりも具体的に
活動の理念や方針が示されていた。第3目標として①貸出し②児童サービス③全域サービ
スのように児童サービスが公共図書館の発展に重要だということが日野市立図書館の実証
により、ますます強調されたのだ。『中小レポート』では児童室が無くても児童サービス
6
が行われていればそれで良いとされていたのだが、『市民の図書館』では児童室は公共図
書 館 に と っ て 当 然 無 く て は な ら な い も の に な っ た 。 こ の 影 響 か ら1970年 代 は 公 共 図 書 館 に
とっても、児童サービスにとっても活動実績が著しく上がった時期であった。
1980年 代 以 降 は 全 国 的 に 児 童 サ ー ビ ス が 盛 ん に な っ た が 、 別 の 問 題 で 悩 ま さ れ る よ う に
なった。少子化、図書館離れ、活字離れ、読書離れが主な問題となって顕在化した。その
よ う な 背 景 の 中 で 、1986( 昭 和61) 年 に 東 京 で 国 際 的 な 大 会 が 2 度 行 わ れ た 。 1 つ は
IBBY 東 京 大 会 、 も う 一 方 は IFLA 東 京 大 会 で あ っ た 。 前 者 ・ 後 者 と も 各 国 か ら 集 ま っ た
図 書 館 員 が 出 題 さ れ る テ ー マ に つ い て 講 演 す る も の で あ っ た 。1986年 の 2 度 の 東 京 大 会 を
先頭に、それ以降国際的な動きが見られることとなった。
1994( 平 成 9 ) 年 に は 『 子 ど も の 権 利 条 約 』 批 准 、2000年 に は 『 こ ど も 読 書 年 』 を 記 念
し て 国 立 国 会 図 書 館 に 『 国 際 子 ど も 図 書 館 』 が 開 設 さ れ た 。 そ し て2001年 に は 『 子 ど も の
読書活動の推進に関する法律』が制定され、読書離れへの取り組みが一層展開していた。
以上、児童サービス史の大まかな流れを述べた。
第6章
時代区分と根拠
本章では第 4 章でも述べたように、本研究の目的である比較・分析をより分かりやすく
行う為に時代区分を行う。更にそのように区分する根拠を述べる。
(1) 考 察 し た 時 代 区 分 を 挙 げ て み る 。
公 立 図 書 館 に 初 め て 児 童 室 が 開 設 さ れ た1903( 明 治36) 年 か ら を 第 1 期 、 戦 前 の 児 童 サ
ービスのモデルとなった東京市立日比谷図書館を中心とした東京内市立図書館の発展期で
あ る1915( 大 正 4 ) 年 か ら を 第 2 期 、 戦 後 の 児 童 サ ー ビ ス 活 動 の 始 ま り で あ る1945( 昭 和
20) 年 か ら を 第 3 期 、 児 童 サ ー ビ ス が 大 い に 認 め ら れ 発 展 し た 契 機 で あ る1965( 昭 和40)
年からを第 4 期とする。
(2)4 つ 時 代 に つ い て 、 ど の よ う な 根 拠 が あ る の か を 時 代 ご と に 述 べ る 。
1903年 に 山 口 県 立 図 書 館 に 公 立 図 書 館 初 め て の 児 童 室 が 開 設 さ れ た 。 当 館 は 「 特 徴 的 な
のは創立当初から児童奉仕体制をとっていること」
(20)
というように当時では珍しい姿勢
の図書館であった。前章でも述べたように佐野友三郎は「公共図書館発達の第2の要点は
児童室とす」
(16)
と記述する程に児童サービスを重視していた。このように児童サービス
を 重 視 す る 理 念 が 誕 生 し た こ と か ら 、 佐 野 を 館 長 と す る 画 期 的 な 活 動 が 始 め ら れ た1903年
を第1期とする。
1915年 に 東 京 内 市 立 図 書 館 全19館 の 中 心 を 日 比 谷 図 書 館 と し て 図 書 館 網 が 組 織 さ れ た 。
これを機に日比谷図書館の館長であった今澤慈海を中心として、児童利用に対する全館無
料や全館に児童室(コーナー)設置を目標に掲げた。これにより開設当初から児童サービ
スが盛んだった日比谷図書館や深川図書館以外の東京内の全市立図書館でも児童利用の無
料化・児童室(コーナー)の設置に励んだ。この影響から全国的に児童サービスが普及し
7
た 。 こ の 状 況 に つ い て 是 枝 の 研 究 で は 、 「 東 京 図 書 館 の 児 童 サ ー ビ ス を 背 景 に 、1922年 の
文 部 省 調 査 で は 児 童 部 を も っ て い た 公 共 図 書 館 は 公 立 図 書 館 だ け で 44% 、 公 私 立 併 せ て も
37% 、 お よ そ 3 館 に 1 館 は 児 童 サ ー ビ ス を 行 う と い う 当 時 と し て は 高 い 普 及 率 を 示 し た 」
(21)
と あ る 。 こ れ ら の 契 機 と し て1915年 の 東 京 内 市 立 図 書 館 に お け る 図 書 館 網 の 成 立 が 、
日本の公共図書館の児童サービスの発展に関与していたと言えるだろう。従って、このよ
う な1915年 か ら1931年 ( 図 書 館 網 が 崩 れ 、 今 澤 が 館 長 を 退 任 し た 年 ) ま で を 第 2 期 と す
る。
1931年 か ら1945年 の ポ ツ ダ ム 宣 言 頃 ま で は 戦 争 が 激 化 し た 時 期 で あ っ た 。 こ の 時 期 は 第
2章でも述べた諸事情により、省略することにする。
1945年 に 戦 後 の 日 本 で は 、 ア メ リ カ の GHQ に よ っ て CIE 図 書 館 が 開 設 さ れ た 。 ア メ リ
カの児童サービス含む発達した図書館理論・経営の提示により、日本の公共図書館は道が
開 か れ た よ う に 思 わ れ た が 、 CIE 図 書 館 の 活 動 は 必 ず し も 公 共 図 書 館 の 活 動 と は 結 び つ か
ず、結果は失敗に終わった。それ以降、読書運動、悪書追放運動を背景に様々な文庫活
動、図書館活動が試みられた。しかし、その一方で児童室の設置状況や児童サービスはあ
ま り 改 善 さ れ な い ま ま で い た 。 『 図 書 館 白 書 1980 』 で 述 べ ら れ て い る よ う に 、1950年 の
図 書 館 法 制 定 以 降 の1951年 か ら1962年 ま で は 特 に 公 共 図 書 館 活 動 の 「 模 索 の 時 代 」 と 言 え
るだろう
(22)
。 従 っ て 、 ま だ 戦 争 直 後 で あ っ た1945年 か ら1964年 ( 『 中 小 レ ポ ー ト 』
(18)
の効果が出る前の時期)までを第3期とする。
1965年 に 『 中 小 レ ポ ー ト 』 を 実 証 す る 為 の 日 野 市 立 図 書 館 の 活 動 が 始 ま っ た 。 こ の 活 動
が成功した大きなポイントは児童サービス重視であり、この成功は戦後初めての画期的な
ものであったと言える。児童書の増加が貸出数の増加にも繋がり、全国的にも公共図書館
の発展には児童サービスが不可欠であると認められた。その他方では同年、石井桃子の
『子どもの図書館』刊行も児童サービスに影響を与えた。石井の児童図書館普及に対する
思いから出版された一冊の図書である。汐崎によると、この図書は後に文庫活動のきっか
け と な り 、 や が て は 図 書 館 運 動 に 、 そ し て 公 共 図 書 館 発 展 の 原 動 力 と な っ た よ う だ 。1965
年 以 降 で は1970年 に 『 中 小 レ ポ ー ト 』 に 日 野 市 立 図 書 館 の 実 証 を 加 え た 『 市 民 の 図 書 館 』
(17)
が発表され、同年の『図書館政策の課題と対策-東京都の公共図書館の振興施策-』
(23)
と共に『中小レポート』以上に児童サービスの位置付けが明確となった。このように
し て 児 童 室 ( コ ー ナ ー ) 設 置 率 は 、1965年 の 約 30% か ら1980年 代 に は 約 80% に 達 し 、 現 在
(2002年 ) で は 約 90% に 至 っ て い る 。
(24)
現在では、公共図書館に児童室(コーナー)が
設置されていることは当然のような状況となった。しかしそのような背景では、少子化、
図書館離れ、活字離れ、読書離れの問題が顕在化し、その問題に対する取り組みが盛んに
行われるようになった。例は前章に述べたと通りである。従って、児童サービスの著しい
発 展 と な っ た 契 機 で あ る1965年 か ら 児 童 サ ー ビ ス が 安 定 し 、 社 会 的 な 問 題 が 浮 き 彫 り に な
っ て い る 現 在 (2003年 ) を 第 4 期 と す る 。
以上、時代区分について述べた。
第7章
4 つの時代ごとの理念・活動
8
本章では、前章で試みた 4 つの時代区分ごとに、児童サービスについて具体的に述べ
る。児童サービスの背景、理念・姿勢、活動について注目していきたい。児童サービスの
背景では、児童観や社会環境について述べる。なお、児童観については第 2 章で紹介した
辰巳の文献を参照する。
第1期[ 1903 ~ 1914 ]公立図書館児童室の誕生
(1)
児童サービスの背景
児童サービスが普及していなかった当時日本では、英米の児童図書館の存在を知り、興
味 を 持 っ た 図 書 館 人 が 現 れ 始 め た 。 公 立 図 書 館 に お け る 初 め て の 児 童 室 設 置 が1903年 に 山
口県立図書館で行われた。当館の館長佐野友三郎により、画期的な児童サービスの理論が
生み出された。しかし児童サービスを唱える図書館人にとって、当時の社会は決して都合
の 良 い 環 境 で は な か っ た 。 こ の 時 代 で は 、1980年 代 に 公 布 さ れ た “ 教 育 勅 語 ” に よ る “ 富
国強兵”というスローガンから、児童は国の“もの”扱いであり人間としての権利が認め
られておらず、また学校教育が児童の生活の大部分とされていた。更に教科書中心の学習
に束縛されていて、教師や一部の図書館人から図書館は児童にとって有害なものだとされ
ていた。
(25)
このような背景の中で当時どのようにして児童サービスが行われていたのか、文部省と
佐野の考えを主として述べる。
(2)
理念・姿勢
理念・姿勢に関する 4 つの文献を挙げよう。
1 つ 目 に 山 口 県 立 図 書 館 の 児 童 サ ー ビ ス が 行 わ れ る 以 前 の1900( 明 治33) 年 に 文 部 省 が
刊行した『図書館管理法』
(26)
である。これは図書館運営についての手引きであった。こ
の中では児童サービスについては何も触れられていないようだった。
2 つ 目 に1910年 に 発 表 さ れ た 文 部 大 臣 小 松 原 に よ る 『 図 書 館 施 設 に 関 す る 訓 令 』 ( 以 下
『小松原訓令』という)
(27)
では図書館設置における 7 項の注意事項を述べていて、その
中で第 4 項と第 7 項は児童に関する項目である。また、第 1 項にも一般公衆に加えて児童
のことを述べている。第 4 項では「…學校及家庭ト相待テ教育ノ効果ヲ收ムルコトニ務メ
或ハ學校ト聯絡シテ…或ハ家庭ニ對シテ…健全ナル良書ノ標準ヲ示シ以テ子弟ヲシテ幼時
ヨリ陋劣ナル書籍ヲ手ニセサルノ習慣ヲ養成セシムルヘシ」と、学校と家庭との関係を持
ち、児童に読書の習慣をつけさせるべきであると述べている。また第 7 項では図書館の設
備するものについて例を示しているようだが、その中の1つに「…成ルヘク兒童室、婦人
室…使丁室等ヲ設クルヲ便トス」とあり、強制ではないが児童室の必要性が述べられてい
9
る。第 1 項では追加程度ではあるが、「…一般公衆殊ニ靑年兒童ノ閲覽ニ供スヘキ雑誌類
ニ就キテハ十分取捨選擇ニ注意シ最モ健全ニシテ有益ナルモノヲ選ミテ閲覽用書目ヲ調製
スヘシ」と、特に青年・児童の雑誌類についての選択への注意を促している。これは余談
で あ る が 、 こ の 『 小 松 原 訓 令 』 が 発 表 さ れ る 1 年 前 ( 1909 年 ) に 小 松 原 文 部 大 臣 は 山 口 県
立図書館の児童室を訪問したようであり、その時を「あの長身を前屈みにして、児童がお
伽噺に読み入っているのを感興深げに見入っていた」と関係者が述べている
(28)
。小松原
文部大臣が、佐野の山口県立図書館で行っていた児童サービスに興味を持ち、児童に関す
る項目を訓令に提示したと考えても不思議でないと思う。
3 つ 目 に こ れ も 文 部 省 で あ る が1912年 に 改 訂 版 と し て 『 図 書 館 管 理 法 』
(29)
が再び刊
行された。この1つの理由は、先ほどの『小松原訓令』の影響であった。改訂前の『図書
館管理法』と大きく異なっていることは、“近世的圖書館ノ特徴”という場を設け、児童
閲覧室の設置と学校との聯絡の必要性を述べていることであろう。この“近世的圖書館ノ
特徴”とは欧米の図書館の特徴に基づいて掲げられた理念であるようだった。 5 項の中の
第 3 項目では、“兒童閲覽室”の説明が 9 行にわたってされている。その内容は、“児童
の為に特別に設ける閲覧室のことであり、周囲に児童用の図書を陳列し、児童に任意に選
ばせる。また、専門の児童図書館員が読書の指導はもちろん、図書の説明・談話・展覧説
明によって児童の読書における趣味を奨励することに努める”こととあり、現在の児童
室・児童サービスのあり方と対して差異はないようである。ただ、この文末では「但此閲
覽室ノ事ニ付テハ多少ノ異論モ之ナキニ非ズ猶研究ノ餘地アルベキナリ」とあり、ここで
も『小松原訓令』と同様、児童室設置について強制的ではない。
最後に、児童サービスの先駆者として佐野友三郎の文献がある。
文 献 の 紹 介 に 入 る 前 に 、 佐 野 の 説 明 を し よ う 。 佐 野 友 三 郎 [1864生 ~1920没 ] は1903年
以前は秋田県立図書館長を務めていたが、山口県立図書館開設と同時に当館長に就任し
た。彼はアメリカ図書館の偵察や英語文献から、児童サービスが発達していたアメリカの
図書館学を学び、それを日本で応用し、児童室設置以外に夜間開館・公開開架・巡回文
庫・図書の分類等、図書館経営におけるあらゆる面で業績を数多く残してきた
(30)
。
1915年 に ま と め ら れ た 『 通 俗 図 書 館 の 経 営 』 の 説 明 に 入 る 。 こ の “ 通 俗 図 書 館 ” と い う
ものは、現代でいう公共図書館のようなものである。まず第 1 章の「通俗図書館の意義」
の中で注目してみたい記述は「図書館は学校生徒に課外読み物、課外研究の便を与えて個
性の趣味と目的とを満足せしめ学校を出でたる者のために継続補習の機会を与う。」
(31)
である。当時教育界では、課外読み物を児童に与えることを有害と考えていたが、佐野は
反対の立場でいた。次に第 7 章の「小図書館建築法」の中では、「公共図書館発達の第2
の要点は児童室とす。」
(16)
と当時としては画期的な記述をしていて、この一文で佐野の
児童サービスに対する思いが理解出来る。
『通俗図書館の経営』の他に、学校教育界や図書館界の一部で児童が図書館に出入りす
ることさえ反対している人もいる現状に対して、反論した文献である『学校と図書館と』
(1906年 ) で は 欧 米 人 の 文 章 を 借 用 し て 、 そ の 根 拠 を 述 べ て い る 。 ま た 『 学 校 教 育 に お け
10
る 図 書 館 の 利 用 』 (1916年 ) で は 、 ア メ リ カ と 日 本 の 学 校 教 育 を 比 較 し て 、 ア メ リ カ で は
図書館を積極的に利用した教育だと称賛しているが、日本では教科書中心であり、これで
は児童の個性を否定していると批判している。佐野の文献についてはまだ児童サービスに
関する意味深い記述があるが、それらについては石井の『個人別図書館論選集佐野友三
郎』
(3)
(32)
を参照してもらいたい。
活動
佐野が実際どのような児童サービスを実践していたのかを述べている文献が乏しい為、
理念・姿勢の説明に比べて極少量になってしまうが、1つ貴重な文献を紹介しよう。佐々
木の『佐野友三郎の児童図書館論』
(30)
では、「山口県立図書館における児童奉仕の実
践 」 に つ い て 述 べ ら れ て い る 。 こ の 文 献 に よ る と 、1903年 当 初 の 開 館 案 内 で は 「 児 童 閲 覧
者のため児童に適切の読物若干冊を児童閲覧席に備置き掛員見込を以て児童相応の図書を
貸 し 付 く べ し 。 」 と 記 さ れ て い る よ う で あ る 。 ま た 対 象 年 齢 は 「12才 未 満 の 児 童 」 で あ
る。“読書指導”については「現実なる読衆の趣味を標準としこれに先だつこと数歩なる
図書を備え…」から読書指導にも力を入れていたことが分かる。“お話会”では「…標本
を備付ける、話をして聞かす、一部分の面白い所を読んで聞かせてその書物を読ませるよ
うにする。…」とあるようでこれを実践していたのではとある。“学校との提携”では
「図書館見学を行って」いて、「毎週一定の日をライブラリー・ディーとなし、一学級単
位に教師が引率して来館し、普通開館時間前(午前中)を利用し児童室にて、目録の使用
法、参考書の使用法を会得させるため利用指導を行っていた。」とある。以上、一文献の
調査しか出来なかったが、この文献からも児童に図書館への興味を持たせる活動を行って
いたということを察することが出来る。
弟 2 期[ 1915 ~ 1931 ] 戦前児童サービスの発展期
(1)
児童サービスの背景
明治期から大正期に移ると、国家主義に対する民主主義運動が始まり、自由を求める大
正デモクラシー時代に突入した。それに加えて、教育界でも児童の自主性・自主活動性・
個性の尊重を認める児童中心主義が現れた
(33)
。このことによって、教育界では児童の図
書館の出入りを禁じることは少なくなったに違いない。
このような背景の中で、「全国の公共図書館の児童サービスの発展の原動力」、「全国
の公共図書館の将来目標」
(34)
とされていた東京市立図書館がどのようにして児童サービ
スを行ってきたのかを述べる。ここでは、東京市立日比谷図書館の館長今澤慈海をはじめ
とする東京市立図書館での児童サービスの理論や活動に注目する。
(2) 理 念 ・ 姿 勢
11
今 澤 に 関 す る 文 献 の 紹 介 が 中 心 と な る の で 、 ま ず 彼 の 紹 介 を し よ う 。 今 澤 慈 海 [1882生
~1968没 ] は1913年 に 日 比 谷 図 書 館 勤 務 員 に 就 き 、 翌 年 (1914年 ) に は 日 比 谷 図 書 館 館 長
に 就 任 し た 。 更 に そ の 翌 年 (1915年 ) に は 東 京 内 の 市 立 図 書 館 に 図 書 館 網 ( 図 1) が 組 織 さ
れたことから日比谷図書館が中心となったので、館長の今澤は東京市立図書館の頭長とな
っ た 。 彼 を 中 心 に 児 童 サ ー ビ ス は 発 展 し た が 、1931年 に 日 比 谷 図 書 館 長 退 任 と な っ た 。
(35)
ここから、理念・姿勢の説明に入る。今澤については、赤星は今澤自身が記述したあら
ゆる文献から、彼の人物像や児童図書館の考え方を分析する研究
を行っているので、
(36)
それも参照する。
★日比谷図書館
・深川図書館
・両国図書館
・日本橋図館
・一橋図書館
・京橋図書館
・月島図書館
・外神田図書館
・三田図書館
・麻布図書館
・氷川図書館
・四谷図書館
・牛込図書館
・中和図書館
・本郷図書館
・台南図書館
・浅草図書館
・本所図書館
・小石川図書館
計19館
図1
1915 年の東京市立図書館の設置状況
※ 東 京 市 立 図 書 館 の 児 童 室 (1). 『 ど く し ょ の よ ろ こ び を
児 童 図 書 館 と 私
上 』
(55)
参
照 。
ま ず 、 東 京 市 立 図 書 館 で 図 書 館 網 が 組 織 さ れ た1915年 に 日 本 図 書 館 協 会 に よ り 刊 行 さ れ
た『図書館小識』を挙げる。この文献の内容は、復刻版の菅原の解説
(37)
によると、「い
まの公共図書館(ここでは普通図書館という)についてまず図書館の必要性から説きおこ
し、その創設、建築や用品、図書の選択から購入、整理、分館や各種文庫の活動、そして
児童図書館のこと学校図書館との連繋のこと、など運営の万般にわたって概説して」い
る、すなわち「必須の知識を網羅し解説したハンドブック」とのことである。また、この
文献は、「アメリカの例を学びながら積極的提言を試みて」いて、“兒童圖書館及兒童閲
覽室”の章でも欧米の状況を記しながら、日本の児童図書館での児童サービスの状況や目
的、運営方法について提示している。この“兒童圖書館及兒童閲覽室”では、赤星による
と
(36)
今澤が「同書の執筆に加わって」いて、この章は「ほぼ全般にわたって『兒童と図
書館』の内容と一致しており、今澤の筆になるものと推測される」ようだ。ちなみに『兒
童 と 図 書 館 』 と は 、 今 澤 が1912年 に 『 図 書 館 雑 誌 』 に 記 し た も の
館及兒童閲覽室”を見ていくと、まず冒頭
(39)
(38)
である。“兒童圖書
では児童図書館の発展状況について英米諸
国・ドイツ・日本について比較しながら説明している。英米諸国については「其設備管理
の方法に就きて常に研究を怠らず、今や公共圖書館に大なるものに於ては殆ど之を附設せ
ざるなく、其發達最も注目に値す。」とあり、児童室を設置していない公共図書館の方が
12
珍しく、児童サービスの著しい発展を遂げていることが分かる。ドイツについても「英米
に比して一籌を輸すと雖も…」と英米諸国ほど発展はしていないが、「近來漸く隆盛に向
かひ…」と発展の傾向にあることが分かる。しかし、日本については「反之、我國に於て
は未だ獨立の児童圖書館なく、只僅に普通圖書館の一室又は小學校内に附設するに過ぎ
ず。随ひて其設備經營に就きて工夫を費す者稀なるのみか、…未だ兒童圖書館の如何なる
ものなるかを識ることなく、又研究せんと試みることも爲さずして、輕々に其必要を否認
するが如き者あるは慨歎の至なり。」と児童室がほとんどなく、また児童図書館は重要だ
と考えている人が極僅かであり、児童図書館を頭ごなしに反対している人がいる状況を情
けないと嘆いていることが分かる。次に“兒童圖書館の目的”
(39)
として 6 つを挙げてい
る。 1 つ目に児童に有益な図書を提供し、有害・不適当な図書の閲覧を防ぐこと、 2 つ目
に高尚清新な知識・娯楽を会得させること、 3 つ目に幼児期から読書の習慣をつけさせ
て、成人になった後も知識向上の為に図書館を利用する人にすること、 4 つ目に父母の保
護が行き届かない児童が街中で悪戯しないように、またはやたらと徘徊することがないよ
うに図書館に児童を留めておくこと、 5 つ目に学校の教育で必要だと思われる図書を提供
し、教師の補助を務めること、 6 つ目に家庭の事情で学習する機会がない児童に対して読
書・学習面で特別な対応をすることである。
ま た 1918 ( 大 正 7 ) 年 に 今 澤 が 竹 貫 直 人 と 共 著 し た 『 児 童 図 書 館 の 研 究 』
(40)
が出版さ
れ た 。 復 刻 版 の 石 井 の 解 説 に よ る と 、 こ の 文 献 は イ ギ リ ス 人 の セ イ ア ー ズ ( Berwick
Sayers ) の 『 The Children’s Library 』 を 翻 訳 し 、 加 筆 し た も の で あ る 。 セ イ ア ー ズ に つ
い て の 研 究 と し て 、 阪 田 の 『W.C.Berwick Sayersと 児 童 図 書 館 』
(41)
があるので、セイアー
ズ に つ い て は こ の 文 献 を 主 に 参 照 す る 。 ま た 、 『 児 童 図 書 館 の 研 究 』 に つ い て は 1926 ( 大
正 15 ) 年 に 今 澤 が 出 版 し た 『 圖 書 館 經 營 の 理 論 及 實 際 』
(42)
に大部分が含まれている為、
後の『圖書館經營の理論及 實 際』の紹介の場で併せて説明することにする。
まず今澤と竹貫が文献を通し、見本としたセイアーズについて少々触れておく。「イギ
リスにおける児童図書館活動のパイオニア的存在」
阪田によると
(41)
(43)
と言われているセイアーズだが、
『 The Children’s Library 』 ( 1913 年 ) 、 『 A manual of children’s
libraries』 (1932 年 ) の 2 冊 の 児 童 図 書 館 に つ い て の 教 科 書 を 著 作 し て い る 。 『 The
Children’s Library 』 は 「 マ ニ ュ ア ル の 原 型 」 で あ り 、 そ の 後 の 『 A manual of
children’s libraries 』 は 「 そ れ ま で ( 英 米 諸 国 に お い て ) 散 発 的 に 出 版 さ れ て い た 文 献
を体系的にまとめ、児童図書館学の教科書として、学生に有用であったばかりでなく、詳
細で、即役に立つマニュアルとして現場の図書館員にとっても有益な書」であった。ま
た、文献を体系的にまとめただけでなく、セイアーズ自身の経験と観察も交えていて、
「セイアーズの才能と体験の産物である」ようだ。
こ の よ う な セ イ ア ー ズ の 著 作 し た 『 The Children’s Library 』 を 今 澤 と 竹 貫 が 「 セ イ ア
ーズ氏の『児童図書館』に其骨子を探り、卑見を点綴した」
究』である。赤星が述べるように
(36)
(44)
ものが『児童図書館の研
、セイアーズの考え方を土台にしつつ、日本での状
況、今澤や竹貫自身の考えを加筆しているようだ。
13
次に『圖書館經營の理論及 實 際』
(42)
の紹介をする。この文献に説明を集中させた理由
は、この文献が今澤の児童図書館についての考え方が最も明らかになるものであると考え
たからである。「セイアーズを土台として使ってはいるものの、それから自分の経験も加
味して、みずからの児童図書館論を展開している」
(36)
のである。
ま ず こ の 文 献 の 第 16 章 で 『 児 童 図 書 館 』 と 取 り 上 げ て い る 。 そ の 中 で 第 1 節 目 で は 前 に
述べた『図書館小識』の“兒童図書館及兒童閲覽室”の章の冒頭の内容
(39)
と似たことが
述べられているが、こちらの方ではもう少し具体的に述べられている。
第 2 節では赤星も述べるように
(36)
「 ( 児童図書館 ) 設置の論拠として ( 今澤 ) 自身の
児童図書館についての基本的な考えがまとめられ」ている。その論拠は 2 つある
(45)
。1
つ目に「吾人の生涯的教育上最も大切なることは、讀書力の養成と相俟って讀書の趣味習
慣の養成なり。此養成は一朝一夕にして爲されず、必ず兒童期より爲されざるべからず。
學校教育は…主として讀書力の涵養方面に集中せられ、生涯的教育上に最も必要なる讀書
の趣味習慣の養成方面に及び難し。」ということから「一面學校と協力して學校に於て此
方面の養成を爲すと同時に他面圖書館自體に於て此方面の涵養に力めざるべからずこと」
と述べている。これは学校教育では児童の読書力養成しか時間的に余裕がない為、児童の
読書の趣味・習慣の養成を行う場として児童図書館が必要だと述べているのだろう。 2 つ
目に「公共圖書館の藏書は、畢竟一種の教育的要具なれば、此等は老若男女の別なく、一
般公衆の爲に利用せしむべきもの」であるので「公共圖書館に於ては、兒童に對して門戸
と開放すると共に、兒童の能力相應の良書を備付け、良文學に對する兒童の読書趣味習慣
を涵養するを第一義とし、出來る丈け其組織を巧妙にして兒童に對して積極的に作業を爲
されざるべからず。」としている。これは、公共図書館は老若男女に差別がないこと同様
に、児童にも積極的に図書館を利用させる為に児童図書館が必要だとしているのだろう。
次に第 3 節では児童図書館の目的について述べられていて、赤星が述べる通り
(36)
『図
書館小識』で挙げられている 6 つの目的がそのまま述べられているが、これに加筆が少々
見られる。 4 つ目の父母の保護が行き届かない児童が街中で悪戯しないように、またはや
たらと徘徊することがないように図書館に児童を留めておくこと、 6 つ目の家庭の事情で
学習する機会がない児童に対して読書・学習面で特別な対応をすることの注意事項とし
て、児童図書館は「特殊境遇兒童」に対する施設ではなく「貧富に拘らず一般兒童」に対
しての「拘束なき修養所・娯樂場なること」なので過剰な対応はするべきでないとしてい
る
(45)
。
この文献で述べられている理念・姿勢については紹介したが、実際の貸出し、お話会等
の活動方法や実績については後に紹介する。
次に佐藤が『東京の近代図書館史』の中で『市立図書館と其事業』の「児童図書館の設
置論拠について」という文献を紹介している。「児童図書館の設置論拠について」は前に
述べた『圖書館經營の理論及 實 際』
(42)
の 第 16 章 『 児 童 図 書 館 』 、 第 2 節 で の 内 容 と 同 様
のことが述べられている他に、児童室の入館年齢についての今澤の考えが述べられている
ようだ。佐藤の引用から
(46)
紹介すると「児童室の入館年齢については諸説あり、吾人の
所見を以てあれば五歳以上の児童ならば、児童図書館の閲覧人の資格ありと信ず。何とな
14
れば知識は必ずしも文字を通してのみ得られるものにあらず、既に言語に解し、彩色は絵
本又はお話の手段によりて漸次読書趣味を誘発すべし。故に東京市立図書館に於ては児童
年齢の制限を設けていない。読書力は低級なる者に対してはお話会、即ち最良の児童文学
を語り聴かすの手段によらずべからず。又相当の読書力の発展せる少年少女に対してもお
話会は其効果多大なり。」と述べている。「この当時多くの公共図書館が児童室における
サービスの対象を小学校の高学年に限るとしていたという一般的な風潮」に対して、今澤
は五歳以上の児童ならば…と積極的に図書館を児童に利用させる姿勢でいた。
以上により、今澤が何故児童サービスを強調していたのかを概ね理解出来たところで、
次に活動や実績の説明に入る。
(2)
活動
こ こ で は 前 に 述 べ た 『 図 書 館 小 識 』 や 『 圖 書 館 經 營 の 理 論 及 實 際 』 に 加 え て 、1915年 頃
か ら1923年 ( 廃 刊 ) ま で の 東 京 市 立 図 書 館 の 活 動 ・ 実 績 を 記 録 し て い る 『 市 立 圖 書 館 と 其
事 業 』 や 大 正 元 年 か ら 戦 中 を 含 め た1945年 ま で に お け る 図 書 館 関 連 の 記 事 を 集 成 し て い る
『新聞集成図書館第三巻-大正・昭和戦前編』
(47)
の記事も紹介する。この期では多量の
記述を紹介していきたいと思うので、貸出し、お話会・その他催し、学校との聯絡という
ように 3 つに分けて説明していくことにする。
【貸出し】
『図書館小識』
(48)
や『圖書館經營の理論及 實 際』
(49)
では、赤星も述べるように「館
内貸出」(現代で言う館内閲覧)についてはこの 2 つの文献では似たような記述が見られ
るが、他方「館外貸出」については『圖書館經營の理論及実際』でしか述べられていない
ようだ。
館内貸出では“兒童圖書の貸附法”が 3 種類あり、“公開書架式”・“目録式”・“折
衷式”である。“公開書架式”は「兒童用圖書を開放せる書架の排列し、自由に閲覽しむ
る制」であり、これは現代の表現から言うと閉架が存在しなく、開架のみ配架方法である
と思われる。次に“目録式”は「書庫通常兒童室の一部を仕切り之に充つ、中に兒童用圖
書を収藏し、目録を備付け、兒童の希望選擇に應じて圖書を貸覽せしむる制」であり、児
童が目録から希望の図書を選択し、その図書を図書館員が手渡す方法である。これは児童
が直接図書に触れることなく、目録を媒体とするのが原則であるようだ。最後に“折衷
式”は“公開書架式”と“目録式”を折衷したものであり、「圖書の一部は…自由に閲覧
せしめ一部分は…兒童の希望に應じて閲覽せしむる制」である。今澤はこの3種類の中で
“折衷式”が最も安全な方法であるとしている。
他方、館外貸出は大人とほぼ貸出方法に大差はないと思われるが、児童に対しての注意
事項として、赤川の述べる通り
(36)
「
尋 常 4,5 年 以 上 に あ ら ざ れ ば 帯 出 証 票 を 交 付 せ ざ る
こと、濫読を防ぐ為に 1 週 1 冊以上の図書を貸与せざること」とある。これは「濫読は予
習復習や家庭の手伝いを妨げるおそれがある」為であるようだ。現在では当然の活動とし
15
て館外貸出があるが、是枝は「戦前の公共図書館は館内閲覧が中心で館外貸出は例外的取
り扱いをしていた」と述べている。
(21)
し か し 東 京 市 立 図 書 館 で は1915年 以 降 か ら 「 日 比
谷図書館の成人が有料である以外は、すべての図書館で無料で館外貸出を取り扱う」とし
て館外貸出が普及した。
(21)
また東京市立図書館において、館内外貸出以外にも“同盟貸附”と呼ばれる制度があっ
たようで、「或る圖書館にない書物でも御希望により、他館から取寄せて御覧にいれるこ
とも出來ます」と現代で言う「相互貸借」も行っていたらしい。
(50)
1908年 か ら1922年 ま で の 東 京 内 市 立 図 書 館 の 閲 覧 人 数 推 移 を 表 2 に 示 す 。
1908 ~ 1909 年
1911 ~ 1913 年
1915 年
1922 年
児童閲覧人数
4,698 人
16,537 人
234,699 人
336,777 人
合計閲覧人数
21,045 人
188,808 人
964,454 人
2,236,232 人
表2
東京内市立図書館の閲覧人数推移【
東京内市立図書館の閲覧人数推移 【 1908 ~ 1922 年】
※ 東 京 市 立 図 書 館 の 児 童 室 (1). 『 ど く し ょ の よ ろ こ び を
児 童 図 書 館 と 私
上 』
(55)
と 大 正
十 一 年 に 於 け る 東 京 市 立 図 書 館 の 概 況 ( 上 ) 『 市 立 図 書 館 と 其 事 業 』 5 号 ,1923,p6 ~ 12 を
参 照 。
【お話会・その他展覧会等】
まずはお話会について述べる。
お話会の目的を『圖書館經營の理論及 實 際』では
(51)
、1つ目の理由として読書力がま
だ低い幼児に対して読書の趣味習慣を養成すること、 2 つ目の理由として幼児、少年少女
問わず「お話は話手の表情によりて、要領を捉へ急所を突き、直接の感動を興ふる」もの
であるので、このことによって読書趣味を涵養することである。またお話会の方法につい
ては忠告として「其書かれたるままに之を暗誦し語り出さんとせば必ず失敗に終わるべ
し」と応用力や工夫が必要だと述べている。
お話会の児童の対象年齢と人数の注意としては、年齢に対しては「四五歳のものと、
十二三歳のものとを一堂に會せしめ、之を喜ばせしむる如き話を爲すことは不可能」であ
り、「五歳以下、九歳以下、十二歳以下、十六歳以下」というように区別する必要がある
と 述 べ て い る 。 人 数 に つ い て は 英 米 の も の を 見 本 と し て 、 お お よ そ20~50人 を 目 安 に す る
のが良いとしている。
次に展覧会について述べる。
(52)
まず展覧会の目的として「圖書との聯絡を保たしめ、兼て讀書趣味を誘發する」ことと
ある。日比谷図書館児童部でも「會て南洋人の生活に關する諸種の材料を借受け南洋展示
會を開催し」ていたようだ。注意として「此種の催の目的元よりと圖書の聯絡にありと雖
も、なるべく暗示の法則により、直接圖書を紹介することを避け間接法によるべきことな
16
り」と述べている。
お話会やその他催しについて、実際に東京市立図書館ではどのようなものが行われてい
た の か 例 を 挙 げ る と 、 『 市 立 圖 書 館 と 其 事 業 』 (1923年 )
(53)
より、外神田図書館では
1922年 2 月12日 に “ 兒 童 講 演 会 ” が 開 催 さ れ 、 「 安 倍 季 雄 氏 の … 面 白 き 講 演 の 後 童 謡 十 一
番七十餘名に兒童が代る代る出演し、來会者千五百名、会場に溢るる盛會で」あった。本
郷 図 書 館 で は 同 年10月15日 に “ 兒 童 娯 樂 會 ” と い う 「 日 頃 圖 書 館 を 愛 す る 兒 童 の 爲 に 娯 樂
會なる」ものを開催し、「お伽噺や講談或いは音楽に童謡等を演じて兒童をして有益に一
日を樂ましめた。集まれる兒童約二百許りで」あった。深川図書館では定期的に展覧会や
“騎士會”、“オ話ノ時間”というものが開催されていた。展覧会とは「兒童室閲覽人ヨ
リ随時自由画及童謡ヲ募集シ、童謡ノ優秀ナルモノヲ選出シテ清書シ内容ニ相應セル絵ヲ
配シテ自由画ト童謡ト共ニ毎月1回展覽ス」るものであった。これは俗に言う展覧会では
なく、児童を対象とする自由画とオリジナルの童謡をそれぞれ募集し、図書館員が集まっ
たものからその 2 つを組み合わせ、展示するイベントであった。“騎士會”とは「兒童室
閲覽人中ノ尋常三年以上ノ有志ヲ以テ組織シ、館員指導ノ下ニ兒童室内ノ諸設備、整理、
圖書ノ出納及一般兒童トノ聯絡ニ当ラシム」と児童に図書館員の仕事の一環を体験させる
ものであった。“オ話ノ時間”とは「お話会」のことだと思われる。「…殆ド毎日約三十
分間」というように力を入れていたことが分かる。
ま た 『 新 聞 集 成 』 の1918年 の 記 事
た體育法
(47)
では、「新しい考案の圖書館遊戯
智育を兼ね
-炎暑に怖れず太喜の兒童-」という見出しで「暑中休暇(夏期休暇)を利用
して、日比谷、一橋両市立圖書館に出入りする有志の兒童数十名を集め、…(図書館員)
の指導の下に閲覽方法、圖書取扱法、目録のつくり方、排列等数種の競技を行った」とあ
る。
【学校との聯絡】
『圖書館經營の理論及 實 際』では図書館と学校の協力必要の根拠として
(54)
「兒童の圖
書奨励に關し、最も多くの便宜と機會とを有する者は所詮學校敎師」であり、公共図書館
のみの努力だけでは全児童に対応することは不可能であると述べている。赤星の述べる通
り、日比谷図書館では実際に「小學校に“勧誘状”を發し學校との聯絡協力に努めおれ
り」とある。
そ の 他 、 小 河 内 が 『 東 京 図 書 館 の 児 童 室 (1) 』
(55)
で当時の東京市立図書館の活動について述べている。
第3期[
第3期 [ 1945 ~ 1964 年]
公共図書館の復興期
(1) 児 童 サ ー ビ ス の 背 景
17
、『資料
東京の児童図書館』
(56)
第二次世界大戦直後は児童にとっても決して豊かな環境ではなかった。それが原因か児
童 図 書 館 研 究 会 が 述 べ て い る よ う に 、 「1950年 、1951年 を ピ ー ク に 青 少 年 の 犯 罪 も 増 加
し、低年齢層の犯行が著しい傾向を示」
(57)
し、このことを解決しようと“子どもを守
る ” と い う 意 識 を 下 に1951年 に 児 童 憲 章 が 制 定 さ れ た 。 こ の 内 容 は 「 児 童 は 人 と し て 尊 ば
れる。児童は社会の一員として重んじられる。児童はよい環境のなかで育てられる。」
(57)
である。戦後から児童は一人の人間として認められるようになったと言えるだろう。
またそれとは別に、この頃から悪マンガやエロ本が本屋等に出回ることが問題視される
よ う に な り 、1955年 頃 か ら そ の よ う に 児 童 に と っ て の 悪 影 響 な 書 物 を 追 放 し よ う と い う 運
動が盛んになった。この頃は公共図書館自体の活動よりもどちらかと言うと、地域・家庭
の文庫活動の方が著しかったようだ。
公共図書館はと言うと、児童憲章により児童観が変わったことを機に児童サービスの見
方 も 多 少 変 わ っ た り 、 ア メ リ カ に よ る CIE 図 書 館 か ら の 児 童 サ ー ビ ス の 提 示 、1950年 に も
司書課程で“児童青少年に対する図書館奉仕”が必修科目へ、と戦後の児童サービスの道
も開けたように思われたのだが、実際の運営や実績とは必ずしも結びつかなかった。実際
に 公 共 図 書 館 児 童 部 門 内 で の 活 動 等 の 文 献 が 殆 ど 見 ら れ な い 。1957年 の 日 本 図 書 館 協 会 公
共図書館部会児童図書館分科会による全国の児童図書館調査では公共図書館の児童室(コ
ー ナ ー ) 設 置 状 況 ( 表 3 ) で は 児 童 室 ( コ ー ナ ー ) を 持 っ て い る 公 共 図 書 館 は 約 30% で あ
った。
年の『中小レポート』
(58)1963
(18)
が発表されるまで、戦後では画期的な理念は生
館数
百分比 %
まれなかった。
児童奉仕
児童室を有する館
実施館
(独立児童図書館も
213
29,3
含む)
児童図書のみ有する
館
305
児童図書も児童室もない館
42,1
103
14.,3
不明
104
14.3
計
725
100,0
表3
公共図書館の児童室(コーナー)設置状況
※ 日 本 図 書 館 協 会 『 日 本 の 児 童 図 書 館 1957 そ の 貧 し さ の 現 状 』 1958 ,p5
(2) 理 念 ・ 姿 勢
本研究おける第3期では戦後の公共図書館の復旧で余裕がなかったのか、当時の児童サ
ービスの理念について述べられている文献は殆ど見られない。その数少ない文献として、
18
日 本 図 書 館 協 会 公 共 図 書 館 部 会 児 童 図 書 館 分 科 会 が1959年 に 出 版 し た 『 こ ど も 図 書 館 の 手
引』
(59)
があるが、ここでは文庫活動の方法が詳しく述べられているが、公共図書館につ
いては特に重要な記述は見られなかった。
1963年 に な っ て よ う や く 『 中 小 レ ポ ー ト 』
(18)
により児童サービスを含む公共図書館の
画期的な理念が生まれた。このレポートでは公共図書館の本質的な機能とは「資料を求め
るあらゆる人々やグループに対し、効果的にかつ無料で資料を提供する…」
(60)
とあり、
児童・青少年に対しての図書館サービスも重要であると述べている。更に「児童・青少年
に対する図書館奉仕」の項目では「児童室の有無は必ずしも問わない。まずは奉仕活動が
行われていることである。」
(61)
とある。前に示した表 3 でも分かるように、児童サービ
スさえもやっていない公共図書館もあった為か、せめて児童サービスのみを重視したので
あろう。この『中小レポート』をきっかけに公共図書館はこれまでにもない発展を遂げ
る。
ま ず 第 4 期 の1965年 の 日 野 市 立 図 書 館 の 『 中 小 レ ポ ー ト 』 の 実 証 に よ り 、 児 童 サ ー ビ ス
の重要性がますます説かれることとなる。
(3) 活 動
実 際 の 公 共 図 書 館 の 活 動 に つ い て 、 児 童 図 書 館 研 究 会 は1954年 に 学 校 図 書 館 関 係 者 と 座
談会を開催して、「品川区の現状を議題とし、宿題を処理するのが児童図書館で、読み物
に集中するのが学校図書館という逆な機能である」
(62)
ことへの討論会や、学校図書館が
あれば児童図書館は不要だとする論を唱える人がいること等のように、公共図書館の児童
部と学校図書館との間で、公共図書館の児童部の位置づけ・役割が問われていたようだ。
ま た1955年 の 『 図 書 館 雑 誌 』 (49号 )
(63)
では、神戸図書館のある図書館員が 4 つの点
から児童室の貧しさを述べている。第1に「書架の番人、せいぜいのところ、子供たちの
監視、という立場」でしかない係員、第2に「部屋の中に子供たちを罐詰にした」ように
スペースに乏しい読書施設、第 3 に図書館以外の資料を買う予算・気持ちに乏しいこと、
第 4 に児童室自体が少なく、大部分の児童が登館に不便であることが挙げられている。予
算不足もある程度関係しているのではないかと思われた。
第 4 期 [ 1965 ~ 2003 年 ]戦前児童サービスの発展期
(1)
児童サービスの背景
1965年 に 『 中 小 レ ポ ー ト 』
(18)
の実証として、日野市立図書館が盛んな活動をして、そ
の 実 績 が1970年 の 『 市 民 の 図 書 館 』
(19)
でまとめられた。この『市民の図書館』と同年の
『図書館政策の課題と対策-東京都の公共図書館の振興施策-』
(23)
と第 3 期の文庫活動
によって、児童室の重要性はますます高まり、全国的に認識されるまでに至った。実績と
して汐崎の「公共図書館における児童サービス関係の統計
1953-2004」 ( 表 4 ) に よ る
と 、 児 童 室 ( コ ー ナ ー ) 設 置 率 は1965年 で は 約 35% 、1975年 で は 約 61% 、1985年 で は 約
19
80% 、1995年 で は 約 77% 、2000年 で は 89% … と 著 し く 発 展 し て い る 。
公共図書館数
1965 年
660
1975 年
940
1985 年
1,530
1995 年
2,203
2000 年
2,547
表4
児童室(コーナー)
(24)
児童室(コーナー)設置率%
229
34,7
577
61,4
1,235
80,7
1,685
76,5
2 ,268
98,0
公立図書館の児童室(コーナー)設置率の推移【 1965 ~ 2000 年】
※ 汐 崎 順 子 『 児 童 サ ー ビ ス の 歴 史 ― 戦 後 日 本 の 公 共 図 書 館 に お け る 児 童 サ ー ビ ス の 発 展
― 』 2007,p41 参 照 。
1980年 代 以 降 で は 、 児 童 室 ( コ ― ナ ー ) の “ 量 ” よ り “ 質 ” の 向 上 へ 、 ま た YA サ ー ビ
スや乳幼児サービスというような児童サービスの多様化に視点を変え始めた。しかしその
背景には汐崎が述べるように、少子化からの児童の減少、活字離れ、読書離れ、図書館離
れ 等 の 問 題 が 顕 在 化 し 始 め た 。 そ し て こ の よ う な 中 で 、 国 際 的 な 2 つ の 大 会 が1986年 に 開
催 さ れ る こ と に な っ た 。 こ の 内 の IBBY 東 京 大 会 は 、 “1986年 子 ど も の 本 世 界 大 会 ” と 称
さ れ て い て 、 “ な ぜ 書 く か 、 な ぜ 読 む か ” を メ イ ン ・ テ ー マ に ア ジ ア の 約50ヵ 国 の 人 々 が
参加していた。この大会において児童図書館協会は「アジアの参加者から、多様な言語の
存在、非識字者、児童図書出版の困難さがあげられたのに対し、日本を含むいわゆる先進
国からあげられた子どもの読書離れの発言に、地球規模での子どもをめぐる状況の縮図が
俯瞰できた」
(64)
と述べている。汐崎の述べるように、この大会をきっかけに児童の活字
離れ・読書離れの問題がマスコミを通じて社会に広く知れ渡っていった。
そ し て2000年 は “ 子 ど も 読 書 年 ” と 称 さ れ 、 子 ど も 読 書 年 実 行 委 員 会 ( 政 ・ 官 ・ 民 か ら
なる)や日本図書館協会による読書推進の為の催しが行われるようになった。
(2) 理 念 ・ 姿 勢
ま ず1970年 以 降 の 児 童 室 ( コ ― ナ ー ) の 著 し い 増 加 に 繋 が る 要 因 と な っ た 『 市 民 の 図 書
館』
(19)
や東京都における『図書館政策の課題と対策』
(23)
から見ていく。
前に述べた通り『市民の図書館』では、日野市立図書館の実践からより明確な目標付け
がされた。「いま、市立図書館は何をすべきか」の項目では、最重点目標として貸出、児
童サービス、全域サービスの 3 つを掲げている。児童サービス重視とは具体的に「児童の
読書要求にこたえ、徹底して児童にサービスすること」である。
(65)
この 3 つのサービス
重視により、公共図書館の発展は可能であるようだ。「児童サービスを広げるために」の
20
項目では理想の児童サービスについての詳細が述べられている。「児童は読書時間も多
く、読書意欲もあり、読書速度も早い。教育上からも課外読書は不可欠である。…しかも
現在のように子ども自身の意志で自由に利用できる社会施設の少ないわが国において、児
童図書館は、児童に市民意識を育てる社会教育の重要な場である」と児童室(コーナ
ー)・児童図書館の重要性を説いている。また、児童室(コーナー)について「図書館に
は必ず児童室を設ける」
(66)
とあり、『中小レポート』よりも児童室(コーナー)設置に
対する重要性が高い。また、児童室内には「お話しのためのコ-ナーを必ず設けたい」と
ある
(66)
。
次に東京都における『図書館政策の課題と対策』
(23)
では、東京都知事がプロジェクト
を立ち上げ、“くらしの中へ図書館を”とスローガンを掲げ、「都民が誰でも自由に気軽
に図書館に行き、学び楽しみ語りあえる図書館になる。このために、東京の区市立図書館
は、都民の求める資料の貸出しと児童サービスを当面の最重点施策とする」
(67)
とした。
この 2 つの報告により、公共図書館の児童室(コーナー)は急激に増えることになる。
そ し て2001年 に 文 部 省 に よ り 『 公 共 図 書 館 の 設 置 及 び 運 営 上 の 望 ま し い 基 準 』 が 告 示 さ
れた。中多の「児童図書館奉仕の現状と課題」
(68)
から引用にすると「利用者に応じた図
書館サービス」の面での望ましい基準は、「児童・青少年に対するサービスに充実に資す
るため、必要なスペースを確保するとともに児童・青少年用図書の収集・提示、児童・青
少年の読書活動を推進するための読み聞かせ等の実施、情報通信器具の整備等による新た
な図書館サービの提示、学校等の教育施設との連携の強化等に努めるものとする」とある
ようだ。全国を通して公共図書館のあり方、更に言うと児童サービスのあり方が告示され
たことに意義があると思われる。
(3) 活 動
こ こ で は1993年 に 文 部 省 が 出 版 し た 『 本 は と も だ ち - 公 立 図 書 館 の 児 童 サ ー ビ ス 実 践 事
例集-』を通して、児童サービス活動が盛んになった反面、児童の読書離れ・活字離れの
問題の顕在化、児童サービスの多様化の時期に、実際どのようなものが行われていたのか
2 つの例を挙げる。
まず 1 つ目に、千葉県浦安市立図書館における児童サービスの運営を紹介する。当館で
は「児童サービスを図書館サービスの“一部分”ではなく、“土台”である」
(69)
という
考えで児童サービスが行われている。このように児童サービスに力を入れてきたのだが、
1986( 昭 和61) 年 を ピ ー ク に 少 子 化 と 同 時 に 児 童 の 読 書 離 れ ・ 活 字 離 れ が 進 み 、 貸 出 し の
伸 び が 減 少 し た 。 そ れ ら の 対 策 と し て 、 文 庫 ・ 学 校 ・ 幼 稚 園 ・ PTA で ブ ッ ク ト ー ク を す る
こと、児童に使いやすい書架配置にすること、親に対して“子どもへの読み聞かせ講座”
を開催すること等を行っている。この結果、児童閲覧者数が減少していくことは食い止め
られてはいないが、児童の一人当りの閲覧冊数は増加したようだ。
2 つ目に、静岡県浜松市立図書館における児童サービスの運営を紹介する。ここでは児
童サービスの中の乳幼児サービスについて述べられている。「 3 歳~ 6 歳までの子どもの
21
いる母親を対象とした“母親と幼児の絵本講座”」では母親と子どもが一緒に「絵本の読
み聞かせとわらべうた遊びを体験し、その楽しさと重要性を認識してもらった上で、家庭
で実践してもらう」企画である。
(70)
ま た そ の 他 に 「 お う ち で 読 ん で あ げ た い 150 冊 の 絵
本- 2 歳から 6 歳まで-」というパンフレットの作成や“えほんとわらべうたの会”を行
っている。その結果、乳幼児という早い時期から児童の読書を見守ることが出来るように
なったようだ。
第8章
4 つの時代の
つの時代 の 分析
本章では、前章で述べた 4 つの時代の背景、理念・姿勢、活動についてそれぞれ比較し
分析する。第 1 に背景の視点から、第 2 に理念・姿勢の視点から、第 3 に活動の視点か
ら、最後に総合的な視点から分析をする。
(1) 背 景 か ら の 比 較
この視点は言うまでもなく、最も 4 つの時代の変動を読み取りやすいと思う。ここでは
第 1 ・ 2 期(戦前)と第 3 ・ 4 期(戦後)から、児童観の変化と児童を取りまく図書館関
係の問題の変化との 2 点を比較してみる。
まず児童観の変化では、前者は社会の風潮であった国家主義・軍事主義から、児童は戦
争等の国の“人材”と見なされたり、学校教育が児童の生活の大部分とされ、常に教師等
の大人からの監視が多く、児童は1人の人間としての権利・自由が認められていなかっ
た 。 そ れ に 対 し 、 後 者 は 戦 争 直 後 に1947年 の 児 童 福 祉 法 制 定 と1951年 の 児 童 憲 章 制 定 に よ
り“子どもを守る”という意識が生まれ、児童は1人の人間としての権利・自由が認めら
れるようになった。
次に児童を取りまく図書館関係の問題の変化では、前者は教育界では児童にとって教科
書以外の課外読み物は有害であるという考えから、児童が課外読み物と接触しないように
と監視が厳しかったこと、また図書館界でも児童が濫読によって学習や家庭の手伝いに支
障が出ないようにすることが問題であった。他方、後者はファミコン等のテレビゲーム・
テレビ・マンガの普及により、児童の図書館離れ・読書離れ・活字離れが問題になった。
(2) 理 念 ・ 姿 勢 か ら の 比 較
第 1 ・ 2 ・ 3 ・ 4 期とも理念・姿勢にあまり変動は見られなく、児童サービスを重視し
ていたことが分かった。ただ、第 2 期では児童サービスがまだ日本で認められていなかっ
たこともあり、第 4 期のように著しい発展は見られなかっただろう。
発見したことは、日本児童サービスの先駆者なる戦前の図書館人の偉大さである。それ
は第 3 ・ 4 期(戦後)では第 1 ・ 2 期(戦前)で築かれた児童サービスの基盤が形作られ
22
ていた為、それを通して児童サービスの重要性を再認識出来たのであるが、第 1 ・ 2 期で
は、佐野友三郎がアメリカの図書館に実際に偵察に行ったり、今澤慈海・竹貫直人がイギ
リス人のセイアーズの記した『児童図書館の研究』
(40)
を翻訳・加筆したりと、日本型の
児童サービスを一から築いてきたことからである。
具体的に文献から、戦前から存在してきた児童サービスの基盤といえる理念・姿勢を挙
げよう。
1つ目に児童室設置について、第 4 期の『市民の図書館』
(19)
では「図書館には必ず児
童室を設ける」という姿勢があるが、他方第 1 期でも佐野により「公共図書館の第2の要
点を児童室とす」
(16)
と明記している。
2 つ目に児童の年齢対象についても、今や児童の年齢に対して差別がないのと同じで、
第 1 期 で は 佐 野 が 「 …12才 未 満 」
…」
(46)
(30)
、また第 2 期では今澤が「五歳以上の児童なれば
と明記している。
3 つ目に児童室・児童図書館の目的についても、第 1 期では佐野が「図書館は学校生徒
に課外読み物、課外研究の便を与えて個性の趣味と目的とを満足せしめ学校を出でたる者
のために継続補習の機会を与う。」
(31)
、また第 2 期では今澤による「公共圖書館に於て
は、兒童に對して門戸と開放すると共に、兒童の能力相應の良書を備付け、良文學に對す
る兒童の読書趣味習慣を涵養するを第一義とし…」
(45)
や『図書館小識』
(39)
の児童図書
館の目的としても、“高尚清新な知識・娯楽を会得させること”、“幼児期から読書の習
慣をつけさせて、成人になった後も知識向上の為に図書館を利用する人にすること”等の
記述があり、現代での児童室・児童図書館の目的として受け継がれている。
4 つ目に現代でも重要視されている学校と図書館との聯絡でも、第 1 期では佐野が「図
書館見学」として、「毎週一定の日をライブラリー・ディーとなし、一学級単位に教師が
引率して来館し、普通開館時間前(午前中)を利用し児童室にて、目録の使用法、参考書
の使用法を会得させるため利用指導を行っていた」
状”を發し學校との聯絡協力に努めおれり」
(36)
(30)
ことや、今澤も「小學校に“勧誘
と試みていたことが分かる。
このように戦前から受け継がれていた理念・姿勢がかなり多いことは注目すべきであ
る。
唯一異なると発見したことは、児童室・児童図書館の目的として第 2 期の『図書館小
識』
(39)
で児童の悪戯や無駄な徘徊を防ぐ為、学校や家庭で十分な学習をする機会がない
児童にとっての学習の場となる為というものが挙げられていることである。これは特に学
校や家庭で十分な学習をする機会がない児童にとっての学習の場となる為という方は、学
校に通えない児童、家庭の手伝いで忙しい児童が多く存在する戦前の社会背景と関連する
ものであると考えられる。
(3) 活 動 か ら の 比 較
理念・姿勢にあまり変化を感じないと同様、活動についても方法や言葉の表現に多少差
23
異は見られるものの、本質的には第 1 ・ 2 期(戦前)も第 3 ・4期(戦後)もあまり変化
がないことが分かった。
共通している活動を具体的に挙げよう。
1つ目に第 2 期で全ての東京市立図書館で行われていた「同盟貸附」
(50)
がある。「同
盟貸付」とは「或る圖書館にない書物でも御希望により、他館から取寄せて御覧にいれる
ことも出來ます」というものであり、現代の「相互貸借」のようなものであると思われ
る。
2つ目に第 2 期で東京市立深川図書館で行われていた定期的なイベントとして「騎士
會」がある。「騎士會」とは「兒童室閲覽人中ノ尋常三年以上ノ有志ヲ以テ組織シ、館員
指導ノ下ニ兒童室内ノ諸設備、整理、圖書ノ出納及一般兒童トノ聯絡ニ当ラシム」
(53)
と
いう現代でも重要とされている児童の図書館員の仕事体験であると思われる。
そして、「お話会」、「展覧会」についても戦前・戦後と方法はあまり変化がないと思
われる。
唯一異なると発見したことは、館外貸出についてである。第 1 ・ 2 期(戦前)では、是
枝が「戦前の公共図書館は館内閲覧が中心で館外貸出は例外的取り扱いをしていた」
(21)
と述べているように、館内閲覧が主流で館外貸出は普及していなかったことである。ま
た、特に児童に対する館外貸出では第 1 期はともかく、第 2 期では「濫読は予習復習や家
庭の手伝いを妨げるおそれがある」
(36)
為 、 注 意 事 項 と し て 「 尋 常 4,5 年 以 上 に あ ら ざ れ
ば帯出証票を交付せざること、濫読を防ぐ為に 1 週 1 冊以上の図書を貸与せざること」
(36)
であり、厳しい状態であった。
(4) 全 体 を 通 し て
第 1 期は先駆者佐野友三郎により優れた児童サービスが日本の公共図書館で始まった
が、政府があまり関心を持っていなかったり、児童に図書館は有害だという教育界からの
強い反発から図書館界が苦労した時期、第 2 期は今澤慈海ら東京市立図書館の優れた児童
サービスが行われ全国的に児童サービスが認められ始めたが、政府からの児童図書の検
閲・出版統制や戦争による図書館燃失や人手・経費不足からの児童室閉鎖より止むを得ず
停 滞 し た 時 期 、 第 3 期 は1947年 の 児 童 福 祉 法 制 定 と1951年 の 児 童 憲 章 制 定 に よ り 、 児 童 尊
重の意識が高まり児童サービス普及への努力は試みるものの、児童サービスはそれ程には
発 展 し な か っ た 時 期 、 第 4 期 は1963年 の 『 中 小 レ ポ ー ト 』
の 実 践 、1970年 の 『 市 民 の 図 書 館 』
(23)
(19)
(18)
、1965年 の 日 野 市 立 図 書 館
・東京都における『図書館政策の課題と対策』
といった流れから全国的に児童室設置率上昇と共に児童サービスが普及したが、その
背景では少子化・図書館離れ・活字離れ・読書離れという問題が顕在化してきた時期であ
る。社会環境・児童観の変動は大きいが、戦前から戦後、現代までを通して児童サービス
の土台となる理念・姿勢や基盤となる活動はほぼ一貫していることが分かった。
24
第9章
おわりに
本研究を通して、戦前の児童サービスの偉大さを思い知ることが出来た。戦後でも外国
の文献や実際の偵察はしていたとは思うが、児童サービスの基盤がいかに戦前から受け継
がれてきたのかが分かった。
日 本 で 本 格 的 な 児 童 サ ー ビ ス が 公 共 図 書 館 で 行 わ れ 始 め た1903( 明 治36) 年 か ら お よ そ
100 年 が 経 過 し た 現 代 だ か ら こ そ 、 こ の よ う な 研 究 を 行 う 価 値 が あ っ た と 信 じ た い も の で
あ る 。 ま た50年 経 過 し た 頃 に こ の よ う な 研 究 が 受 け 継 が れ て い る こ と を 望 む 。
◆ 参考・引用文献 ◆
(1)
汐崎順子.児童サービスの歴史:戦後日本の公立図書館おける児童サービスの発
展 . 東 京 、 創 元 社 、2007、 p1 .
(2)
図書館情報学ハンドブック編集委員会.図書館情報学ハンドブック.第 2 版、東
京 、 丸 善 、1999、p843.
(3)
汐崎順子.“第3章
戦 後 公 立 図 書 館 児 童 サ ー ビ ス の 転 換 期 ” . (1) と 同 様 、
p85-182 .
(4)
汐 崎 順 子 . (1) と 同 様 、 p68 .
(5)
居石正文.“児童図書館の歩み:公共図書館における児童奉仕の回顧と展望”.日
本 の 児 童 図 書 館1957: そ の 貧 し さ の 現 状 . 東 京 、 日 本 図 書 館 協 会 、1958、 p38-46 .
(6)
児 童 図 書 館 研 究 会 編 . 児 童 図 書 館 の あ ゆ み : 児 童 図 書 館 研 究 会50年 史 . 東 京 、 教 育
史 科 出 版 会 、2004、438p.
(7)
辰 巳 義 幸 . 児 童 サ ー ビ ス 論 . 東 京 、 東 京 書 籍 、1998、 p16-22 . ( 新 現 代 図 書 館 学 講
座 、12) .
(8)
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