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誤解だらけの放射線ニュース(平成24年2月、新潟県五泉市で講演)

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誤解だらけの放射線ニュース(平成24年2月、新潟県五泉市で講演)
今 月 の 特 集 毎日新聞社生活報道部 編集委員
誤解だらけの放射能ニュース
はじめに
ただ今ご紹介いただきました毎日新聞社の小島です。
小島 正美氏
私は、生活報道部に二十年以上在籍し、主に健康、医療、そして食の安全について担当
しています。それらのテーマに関する取材を通して考えていることについてお話したいと
思っています。最近は、特にテレビや新聞などのメディアが発信する情報が、その情報を
受ける視聴者や購読者層にどのように届いているのかということに、私は非常に関心を持
っています。さらに、私が所属しているメディアの内部から見た情報伝達のゆがみについ
ても少しお話します。本日、お話する内容自体は重々しい話ではありませんので気軽に聞
いていただきたいと思います。そして、皆さまがメディアから発信されるさまざまな情報
に触れた時、今日の私のお話を参考にお考えいただければ幸いです。
ニュースは全体像の一部分が切り取られて伝えられる
最初に、メディア情報のゆがみについてお話します。皆さんもご記憶のことと思います
が、昨年十二月十九日、北朝鮮の金正日氏の訃報がテレビで伝えられた時、北朝鮮の国民
が泣いている映像が何度も流れました。この映像を見た日本の皆さんは、
「北朝鮮の権力
者によるやらせに違いない」と、まるで日本とは無縁のような印象を持った方が多かった
のではないかと思います。しかし、実は日本でも同じようなことが起きているのではない
か、と い う 一 例 を 紹 介 し ま す 。
ここで皆さんには記者になっていただきます。そして特派員としてイラン、イラク、エ
ジプトへ行ったと仮定してください。さっそく皆さんがエジプトに行ってみると、広場に
反政府運動の人たちが集まっていて「政府を倒せ」と言っている様子が目に入ります。と
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の第一 の 基 本 で す 。
こ ろ が、 そ の 広 場 か ら 離 れ た ス ー パ ー マ ー ケ ッ ト へ 行 っ て
みると、みんな普通に買い物をしているし、学校に行って
みても子どもたちが普通に授業を受けているのです。つま
り、エジプト全体でみれば、九十九%の国民は普通の生活
しているのですが、残り一%はこうやって広場に集まって
反政府運動をやっているのです。
こ ん な 時、 特 派 員 で あ る 皆 さ ん は 何 を ど の よ う に 報 道 す
るでしょうか。実際、現地の特派員は特異的な現象である
一%の国民による反政府運動を取り上げて報道するもので
す。
こ れ が、 情 報 を 伝 え る 時 に 起 き る ゆ が み の 第 一 歩 と 言 え
ます。これはもう宿命的なことかもしれませんが、情報を
受け取る側には、全体像のほんの一部分しか伝わらないと
いうことです。その一部を見たからといって、全体像が分
かったと考えてはいけません。これがニュースを見るとき
何か海外で災害や反政府デモなどがあったときに、日本のテレビ局のスタジオから「現
地ではどうなっているか伝えてください」とか「今、エジプトはどんな様子かレポートし
てください」といったやりとりを聞くことがあります。しかし、よく考えてみれば分かる
ように、特派員が一人でエジプトへ行って、エジプト全体の様子を漏れなく伝えることは
不可能なことです。いろんな人がいて、いろんな考え方を持つ人がいるにもかかわらず、
それらをいちいち聞いているわけにもいきません。結局、エジプト全体の様子を取材する
のは不可能なので、とりあえず特異的な目立つ部分だけを報道しているということなので
す。その一部が確かなポイントをつかまえていれば良いのですが、しばしば目立つ現象だ
けや、その記者の価値観、ニュース観に合ったもの、また日本の世論に合致したものだけ
が報道 さ れ が ち で す 。
実は、放射能に関するニュースでも同じようなことが言えます。例えば、特派員として
福島に行ったとします、福島に行ってみるとマスクをしている子どもたちと、マスクをし
ていない子どもたちがいます。保護者においても、子どもへの被ばくが心配だと言って線
量計で測定する不安そうな保護者もいれば、普通に遊んでいる親子もいます。現地のスー
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パーマーケットに行けば、普段どおりスーパーで買い物をしている人もいれば、デモに参
加するまではいかなくても放射線被ばくが心配だと言って、市民学習会に参加している姿
も見えます。こういったいろいろな状況が確認できる中で、記者はどんな情報を選択し報
道する か と い う こ と で す 。
このように、自分が記者になったつもりで考えてみると分かるのですが、ニュースを伝
える時は一度に全体を伝えることはできませんので、ある一面を切り取って伝えようとす
るのです。先ほどのマスクの話で言えば、これまで報道されてきた内容は、子どもたちが
マスクをしてお母さんたちは心配そうに見守っているというものが圧倒的に多いと思いま
す。これが、記者による情報の切り取り方だということなのです。
切り取り方にはパターンがあります。不安そうな母親と大丈夫な母親がいれば、まず記
者たちは不安そうな母親を選びます。危険だという学者と大丈夫だという学者がいれば、
いまの状況では危険だと警告する学者の方が選ばれやすい。これがニュースの切り取り方
の法則 の よ う な も の で す 。
その実例を紹介しましょう。昨年の夏、ある新聞社による福島の状況に関する記事の見
出しに「内部被ばくの不安切実」と、いかにも福島の食品や農産物が大きく汚染されてい
るかのような表現が出ていました。不安だという声が強調されているわけです。
この記事を見た人は、きっと福島の農産物は放射性物質に相当に汚染されているという
印象を持ったと思います。また、これを読んだ人たちは「福島に住むお母さんたちは、子
どもたちの内部被ばくが心配なので、福島でとれた肉や野菜を避けている」と思うことで
しょう。しかし、これは全体のごく一面を切り取っただけの情報です。一部の人たちが心
配だと言っているのですが、多くの人たちは普通に食べているのが現状です。現実に福島
県の農産物の汚染は言われているほどひどくありません。家庭で食べる食事に含まれる放
射性セシウムの量は一キログラムあたり一ベクレル以下が大半です。
しかし、実際に記事に出てくるのは危ないという話だけです。しかもこの記事には、専
門家による「大丈夫、心配いらない」というコメントの後に、ある大学の元助教授が十五
歳未満の子どもや妊産婦は、汚染された食品を口にすると免疫が落ちて、がんになるなど
のさまざまな健康被害につながることから、線量の高低にかかわらず口にすべきではない
と言っているのです。さらに、この記事を読み進めていくと、高校生の女の子が「私は子
どもを産めるのかな」というつぶやきも入れながら記事が構成されています。
この記事を読んだ人は、おそらく福島産の食品を敬遠するのではないでしょうか。こう
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いう不安を強調する記事やニュースが毎日のように流れているわけですから、不安な感情
が全国的に広まっていっても不思議ではありません。つまり、マスメディアが一部分でし
かない「不安」を面的に拡大させているのです。
他にも同じようなテレビニュースがあります。この四月から食品に含まれる放射性セシ
ウムの新たな基準値が施行され、今よりもさらに厳格化されますが、不安に思っている特
定のお母さんにスポットを当てて、厳格化されてもなお不安であることを取り上げるニュ
ースがあります。そして、そのニュースでは「赤ちゃんが食べる離乳食は大人が食べる野
菜でつくる。だから赤ちゃんだけ基準値を厳しくしてもだめではないか。大人は百ベクレ
ルで大丈夫であっても、百ベクレルの離乳食を基準値五十ベクレルの赤ちゃんに与えれば、
その赤ちゃんは基準値を超えて被ばくしてしまう」と特定の母親の声を強調して報道する
のです。その背景には、弱者の声、不安だと心配する市民の声を代弁するのがマスコミの
役割であるといったパターン思考、記者の使命感(正義感)のようなものもあるのでしょ
うが、そのパターンが極端になると情報がゆがんでしまうわけです。ここで知っておくべ
きことは、記者たちが意図的に不安を煽ろうと思って報じているわけではないということ
です。それでも結果的に不安が拡大してゆくというところにメディアに内在した不安拡大
メカニ ズ ム が 存 在 す る と い う こ と で す 。
このように、先ほどのマスクの話もエジプトの話も、メ
デ ィ ア に よ る 取 り 上 げ 方 は 基 本 的 に 皆 同 じ で、 あ る 一 面 だ
けを取 り 上 げ て い る の で す 。
メディアと社会心理学の結びつき
そ れ で は、 メ デ ィ ア が 群 衆 に い る 一 部 の 人 だ け を 取 り 上
げ た 時 に、 そ の ニ ュ ー ス や 映 像 は ど う い う 作 用 を も た ら す
で し ょ う か。 先 ほ ど の 北 朝 鮮 の 人 た ち が 悲 し み 泣 い て い る
映像を流すことによって、金正日氏の訃報を悲しみ、金正
日 氏 は 素 晴 ら し い 方 で あ る と い う 心 理 が、 悲 し ん で い な か
ったその他の国民にも伝播していくという効果が得られる
のです 。
こ れ に つ い て は、 社 会 心 理 学 の 世 界 に お い て も 実 験 に よ
って証明されています。例えば、群衆の中にいる私が、何
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かの影響によって不安になる時、どんな状況であればより強く不安になるかというと、自
分以外の人が不安になっている時ですね。その不安になる人の数が私の周囲に増えていけ
ばいくほど、当然、自分が不安になる度合いは大きくなります。このように、次から次へ
と不安になる人が増えていくことによって、最終的には全員が不安になるのです。
不安や悲しみの映像を流す効果は、このように他者への伝播を狙ったものなのです。
誰でもそうでしょうが、人は意外に周囲の影響を受けやすいのです。こんな実験結果が
あります。最近の流行歌や演歌、韓国のKポップなど、いろいろな種類の曲を並べて、一
人ひとりに「あなたはどの曲が好きですか」と聞きます。すると、それぞれが勝手に好き
な曲を答えますので、選ぶ曲目もバラバラになります。つまり、周囲の人たちの情報がな
いと、人は周囲の好みに影響されずに自由に自分で選びます。
ところが、例えばAという曲とBという曲があるとして、
「Aという曲は、他の皆さん
も大好きだと言っているヒット曲です。一方のBという曲は、それほど皆さんに人気はな
いみたいですね」と知らせた上で聞かせてみると、多くの人は「大ヒットしているAとい
う曲の方がいい曲かも」と思うようになるのです。この実験によって、人間は周囲の人の
考え方に影響されるということが分かります。実際の話ですが、一足す一が二であるにも
かかわらず、自分以外のすべての人が三と答えているのを見ると、なぜか自分も三と言っ
てしまう人がいるのです。人の心理は、他人の心理の影響を受けるということです。
これをマスコミと世論に置き換えてみると次のようなことがいえます。リスク情報にせ
よ、原発の事故情報にせよ、ある特定の現象の一面を切り取った情報をメディアが繰り返
し発信することによって、世論が一定の方向に形成されていくということです。つまり、
北朝鮮でのやらせ映像に近い報道も、原発に伴う不安を強調する報道も、ウイルスが伝染
していくように人の心理を通じて、部分的な不安が面的な不安に拡大していくという点で
は同じ効果を持っているのではないかと思うのです。
そういえば最近、テレビ番組を見ていると、画面の隅に小さな小窓があって、テレビに
映っているものと同じ映像を見ているタレントの表情が映し出されていることがあります
(資料①)。このような仕掛けは、昔はありませんでした。実は、この仕掛けは学問的な裏
付けがあって採用されています。この小窓に出てくるタレントは、びっくりして口を開け
ている顔や、泣いている顔、笑っている顔などが頻繁に映されます。この小窓を映し出す
ことによって、どんな効果が得られるのでしょうか。例えば、タレントがびっくりしてい
る顔が映し出されたとすると、テレビ局としては、この場面では視聴者にびっくりして欲
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しいということを伝えているのです。人間は、
周囲の人が泣いているのを見ていると、本当
に涙が出てくることが社会心理学の実験で分
かっています。自分は泣いていなくても、テ
レビに映っている小窓でタレントが泣いてい
るのを見ると、なぜか自分も泣けてくるとい
う体験を私自身も持っています。テレビ番組
の制作サイドは、こういった伝播効果を狙っ
てこの小窓を表示しています。
ニュースを誇張して書く記者心理とは
新聞で読むニュース記事も、テレビほどで
はないと思いますが、その内容によって少し
ずつ読者の心理に変化を与える効果がありま
す。地域で起きている些細な現象について、
あたかも全域で起きているかのような報道をすることによって、例えば放射能に対する不
安というものが、ウイルスに感染したかのように点のような状態から面となって拡がって
いくようなイメージです。このような状況になる理由の一つには、メディアが不安を増幅
させるような報道の仕方をしていることが考えられます。
これはとても重要なことだと考えています。私もメディア側の立場にいながらも、
「な
ぜそうなるのかな」と不思議に思って記事を書いているのですが、
メディアの中にいると、
少し誇張して記事を書かないと、自分の記事がニュースとして採用されないという現実も
あるの で す 。
ここでもう一回、皆さんには記者になったつもりでお話を聞いていただきたいと思いま
す。先ほどのある大学の元助教授を取材したとして次のような話を聞いたとしましょう。
「 放 射 能 に 関 し て 最 も 恐 ろ し い の は、 食 品 や 空 気 か ら 体 内 に 放 射 性 物 質 が 入 る 内 部 被 ば く
なのです。一度、放射性物質が体内に入ると、あらゆる臓器に対して放射線を出します。
私は、チェルノブイリへ行って甲状腺がんになった子どもたちの治療をしましたが、彼ら
の悲劇、苦しみをよく知っています。それに比べて、がんの研究施設にいる放射線の専門
家 は、 個 々 人 の 被 害 の 状 況 を 見 ず に 統 計 的 な 話 ば か り し ま す ね 」
。この話は非常に具体的
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資料①
でイメージがわきますね。がんになった子どもを治療したということを聞けば、この学者
はとて も 立 派 な 人 だ と い う 印 象 も 出 て き ま す 。
一方、がんの研究施設にいる専門家にも取材を試みて、以下のような話を聞いたとしま
しょう。その専門家は次のようなことを言いました。
「甲状腺がんというものは、ほとんどが良性のがんであり、それほど怖がるものではあ
りません。例えば、十代の青年が甲状腺がんになったとしても、十年後の生存率は約九十
七%と高いものです。甲状腺がんは検診によって見つけることができるがんですので、検
診を強化すれば、おのずと甲状腺がんは増えていきます。がんについては、このような客
観的な事実を押さえておくことが重要です。チェルノブイリ周辺の現在の自然環境は、人
間が住まなくなったこともあって多くの動物が生息しています。放射性物質によって森林
が汚染されたとはいっても、人間という外敵がいないので動物にとっては天国です。内部
被ばくについてですが、放射性物質にはその量が半分になるまでの期間、つまり半減期が
存在します。放射性セシウムの場合は、物理学的半減期は三十年ですが、体内に三十年間、
セシウムがとどまり続けることはありません。実際には、およそ三十日から百日くらいで
半分になります。乳児であれば九日間くらいで半分になり、体からどんどん排出されてい
くのです」。この話はとても科学的な事実を言っていることが分かりますね。
記者であるあなたは、この両者を取材し終えました。この両者の話を聞いて、いったい
どちらが記事になりやすいと思うでしょうか。記者は日々、こういった状況に身を置いて
記事を書いているのです。どちらが面白い記事になるかといえば、圧倒的に前者の元大学
助教授 の 話 だ と 思 い ま す 。
なぜかといえば、その元大学助教授の話は、具体的でおもしろく、ヒューマニズム精神
に訴え、学者の良心を感じさせるからです。ニュースは活字でも、テレビでも、ストーリ
ーを大事にします。記者はストーリーを紡ぐ職人といってもいいくらいですから、ストー
リーを語る人はニュースの素材にもってこいなのです。
ニュースを構成する三つの要件
これまでの話から、以下のような「ニュースの方程式」が成立するのではないかと思い
ます。単純に言えば、ニュースの三要素方程式です。その三つの要素は次のようなもので
す。一つ目は「特異的な現象」、二つ目は「物語」
、最後に「アクション」です(資料②次
ページ)。
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=
ニュースの( 伝播力 )
大きさ
「誤解だらけの放射能ニュース」
(エネルギーフォーラム新書)から抜粋
「 特 異 的 な 現 象 」 と は、 珍 し い 主 張 や 内 部
告発、少数派の意見によるデモなど特別な現
象を指します。例えば、先ほど申し上げたエ
ジプトの広場で起きているデモを取材するの
と同じです。
次の「物語」ですが、みんなに感動や共感
を得られるような人生を送っている人や、一
なのですが、この医者は原爆が投下された広島の方々は内部被ばくしており、その内部被
物語を重視する方程式は、テレビにも新聞にもあてはまります。例えば、ある医者の話
です。
Rするために、この三つの要件を満たそうと必死になり、いろんな材料を探しているわけ
ができないということなのです。だから、各企業はPR会社などを通じて、自社製品をP
の三つの要件が揃っていなければ、ニュースになりにくいので結果的に影響力を持つこと
くら科学的で正しい考え方を持っていたとしても、
「特異的な現象」
「物語」
「アクション」
時には、この三つの要件が揃っているかをチェックすれば良いということになります。い
この方程式は言い換えると、皆さんがメディアを通じて世の中に影響力を持とうとした
う話は、感動的な物語として語られ、記事にもなりやすいのが分かると思います。
先ほどお話した大学の元助教授がチェルノブイリへ行って子どもたちを治療してきたとい
ます。結局、この三つの要件が揃っているニュースは報道しやすいということなのです。
ことによって、そのアクション自体が映像になり、テレビ局等のメディアが報道してくれ
の送信など目立った行動(アクション)を指します。平均的な動きとは違うことを起こす
最後の「アクション」は、緊急記者会見やデモ、正義感から政府等に対する抗議メール
ね。
ドラマチックなものが受けるという意味です
感、おもしろさ、これが物語に伴う感情です。
語はおもしろさにもつながります。感動、共
そらく想像すればお分かりだと思います。物
が書きやすくなるということは、皆さんもお
の話には物語があります。物語があると記事
般人では体験できないような体験を持った人
資料②
・政府への抗議行動
・緊急記者会見など
・共感を得る生涯
・利他的な行動
・自己犠牲を伴う
ボランティアなど
・珍しい出来事や意見
・世間から注目される動き
・少数派のアピールなど
アクション
×
物 語
×
特異的な現象
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ニュースの大きさを決める方程式
ばくによっていろんな病気になっていると主張します。そして、自ら内部被ばくでいろい
ろな病気になった方たちのために、裁判で内部被ばくの重大さを訴えています。人々のた
めに懸命に努力している医者なので、非常に記事になりやすいのです。
そういう医師を記事として取り上げるのは少しもおかしくないのですが、その医師の物
語を重視して記事をつくっていくと、記事の内容が医師の主張だけに偏るゆがんだものに
なるということを自覚しないといけません。また読む側も、これは医師の物語であって、
科学的な事実やエビデンス(根拠)を語っているわけではないというリテラシー(情報の
読み解 き 方 ) を 持 っ て い な い と い け ま せ ん 。
実際に、この医師を紹介する記事を読んでみると、私の危惧する内容になっているので
す。記者はその医師の言い分をそのまま載せて、物語で放射能の恐ろしさを語っていくの
です。結果的に医師の言い分がそのまま記事になってしまいます。
一例を挙げると、「現在、福島で飛散している放射性物質は広島の原爆のものと同じだ
から、広島で心配された内部被ばくの危険性は、今後福島でも起きる」とその医者が言う
と、記者はその言葉をそのまま書いてしまうのです。要は、この医者が持っている物語に
沿って記事を書きますので、この医者のコメントがそのまま出てくるのです。私の目から
見ると、こういう記事はとても科学的とは言えませんが、こういう記事やニュースが多い
のが現 実 で す 。
このような記事を読んだ人たちは、「広島の原爆の時と同じ放射性物質が福島周辺に降
り注いでいるのか。原爆と同じということなら、福島の未来は暗い」といった印象を受け
るはずです。毎日宇宙から降り注いでいる自然放射線も、原爆や医療などで受ける人工放
射線も、身体への影響という点においては人工も自然もなく、皆同じですよと書いてある
のであれば話は分かります。しかし、実際にはそう書かれていないのです。先ほどの医者
は、原爆による影響だけを強調し過ぎているように思います。
このように、新聞記者やテレビ番組の制作者は、あらかじめ物語を作り、その物語に沿
って内容を構成しているのです。そこで、私たちが気をつけなければいけない事は、物語
はあくまでも物語であるということです。物語でリスクを語るような記事やテレビ番組に
接した時は、あくまでもリスクというものは科学的な検証結果という別の物差しをもって
見なければ、騙されてしまうという自覚が必要です。物語は、その人の姿勢や生き方であ
って、科学的な根拠とは別物だという視点を持つことが必要でしょう。
そういう目で記事を見ていくと、ほとんどの情報が物語であるということに気付きます。
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例えば、無農薬栽培の有機農法で果物を作りたいといって挑戦した人の話がテレビなど
でもよく取り上げられました。この人は、有機農法に九年間挑戦しましたが、その結果、
九年間は無収入になってしまいます。その間、労賃を稼ぐためにキャバレーで働きます。
苦労しながら挑戦を続けた結果、この人は無農薬の果物をつくることに成功するのです。
おそらく、こんな物語を聞けばきっと皆さんは素晴らしいと思うはずです。しかし、こ
れは物語としては素晴らしくても、この人が取り組んでいることは本当に農業のモデルに
なり得るかといえば私はならないと思います。九年間も無収入になってやっと完成した有
機農法によって得られた果実は、素晴らしい芸術、アートではあると思いますが、他の農
家にとって目指すべき普遍的なビジネスモデルではありません。この記事は、まさに物語
が中心になって構成されているのです。人は物語に弱いのです。ニュースを取り上げる記
者も、 物 語 に 弱 い の で す 。
他の事例を紹介します。極貧の中で数奇な運命をたどり、女手一つで育てられたピアニ
ストがいます。このピアニストの半生を振り返る番組がテレビで特集され、一躍有名にな
りました。私は、知人のピアニストにこの人の演奏力がどうか聞いてみましたが、
「本当
にこの人は演奏が上手なのか?」という評価でした。このピアニストが評価されている理
由の一つは、ピアノの演奏力よりも物語が素晴らしかったという一面があるのではないで
しょうか。もちろん、音楽は音や演奏だけで楽しむものではありませんので、奏者の物語
に酔いしれて聴いても良いでしょう。しかし、リスク情報に関する話の場合は、物語に酔
いしれ て は い け ま せ ん 。
さらに別の事例も紹介します。ある大学の先生が福島県に入り、
「もはや議論している
猶予はない。一刻も早く除染しなければならない」と言いました。この発言は、周囲に大
きな影響を与えたのですが、この発言を耳にした週刊誌の記者たちは「この先生は、自分
への放射線の影響を顧みず、身を削ってでも福島に住む人たちの命を守っている」という
美談として記事を書きました。確かに、一生懸命福島のために放射線と闘っているという
点では素晴らしい先生ではありますが、だからといってその先生の発言内容が科学的に信
頼できるかどうかということとは別物です。実際、
この先生が本にも書いているのですが、
尿中に含まれる六ベクレルのセシウムで膀胱がんが起きると言っているのです。しかし、
他の科学者にこの内容を尋ねてみると、この先生の言っていることはおかしいと言うので
す。なぜなら、セシウムによって被ばくした時の身体への影響は、年間〇・〇〇二五ミリ
シーベルトであるのに対し、普段私たちが口にするバナナやりんご、海藻などの食品中に
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含まれるカリウム四〇から出るベータ線・ガンマ線によっ
て被ばくした時の身体への影響は、〇・〇五一四ミリシー
ベルトと、セシウムの二十倍にもなります。よって、六ベ
クレルのセシウムによって膀胱がんになるのであれば、私
たちが食べている物によって膀胱がんが多発しなければお
かしいと言う科学者が圧倒的に多いのです。
記事を書く時には、このような科学的な事実に基づいて
検証することが大切なのですが、そういった記事はほとん
どみられません。むしろ、その先生が言った科学的に信頼
できないコメントをうのみにして記事を書いているだけで
す。私たちがメディア情報を目にした時には、その情報の
根 拠 は 何 か、 他 の 科 学 者 た ち は ど の よ う に 考 え て い る の か
ということについて、常に自分自身で検証することが求め
られます。
こうした物語中心の報道の裏には、記者たちの科学的な
知識の不足もあるでしょう。実際、大半の記者たちは放射能に関する専門知識を持った上
で取材に臨んでいるわけではありません。しかし、
専門知識がなくても物語なら書けます。
相手の言ったことをそのまま感動的なストーリーに仕立て上げるのは記者の得意技です。
物事の善し悪しが、悪人と善人という善悪二元論で切っていけば物語も有効でしょうが、
もはや善か悪かの単純な二項対立で書けば良いほど世の中の現象は単純ではありません。
こういう複雑なリスクの現象に対して、記者たちの記事の書き方があまりにも旧来のワン
パターンのままであり、新しい現象の分析や問題解決の処方箋に向いていないような気が
しています。では、物語やアクションなどを重視するリスク報道は結局、何をもたらすの
でしょうか。それは不安の拡大です。物語は科学的な情報や統計的な数値よりも、人の記
憶に残りやすい。現に、ジャンク情報の方が科学的な情報よりも記憶に残りやすいという
社会心 理 学 的 な 研 究 報 告 が あ り ま す 。
世間の不安に応える物語ニュースは結局、不安の拡大に寄与しているのでは、というの
が私の見方です。不安報道がさらなる不安を呼ぶ連鎖が起き、世論が不安一色となってい
くとい う 構 図 で す 。
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ニュースはいつも「主観的」
「ニュースの方程式」の意味することは何でしょうか。それは、ニュースに客観性はな
いとい う こ と で す 。
ニュース記事は、一見すると客観的な報道であるかのように見えますが、客観的な報道
はあり得ません。ニュースはいつも「主観的」です。もし、皆さんが記者になったことを
想像すればすぐにお分かりいただけると思うのですが、情報をいくらうまく記事にまとめ
ようとしても、それは事象全体のほんの一面でしかありません。だから私たちがニュース
記事を目にする時、どのような内容であっても、客観的な内容ではないということを念頭
に置き、仮にその内容に物語が出てきたとしても、それはあくまでも物語なのだと割り切
って読んでいくことが大事だということなのです。
それでも、その人の物語自体は客観的ではないか、という反論が来そうです。確かに物
語にうそ偽りがないということはありえます。しかし、その物語を選び取ったのは記者で
す。なぜ、その物語を選んだのか、その最初の視点で既に客観性は失われています。です
から、放射能リスクに不安を感じる母親を取り上げること自体がすでに主観的なニュース
の始ま り な の で す 。
それでは、どんな内容の報道が良いのでしょうか。それは「客観性」ではなくて「公平
性」です。公平な報道とは、例えば一方の意見を取り上げたら、もう一方の意見も取り上
げる。 こ れ が 「 公 平 」 な の で す 。
そういう意味で言えば、いろいろな読者、または視聴者に応えていくニュースは、永遠
に偏りが続くわけではありません。偏りばかりのニュースだといずれ売れなくなるからで
す。または偏った情報(または特定の分野に特化した情報)だけを気に入っている小さな
集団だけに読まれる読者数の少ないニュース媒体になっていくだけです。
ただし、現時点では放射能に関する限り、不安な人に応えるニーズの方が勝っていると
いうこ と で す 。
私が普段から非常に不思議に思っていることなのですが、放射能リスクに関して不安を
強調する記事に出てくる人は、決まって同じ顔ぶれであるということです。全国規模で数
えても、おそらく二十人はいないと思います。人数としては二十人以下なのに、その人た
ちが考えていることが全国へと広がっていきます。なぜ広まっていくかといえば、記者た
ちがこのような少数派の意見や話題を取り上げて記事にするからだと思います。言い換え
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れば、仮に少数派であってもテレビや新聞などのメディアで取り上げられることによって、
世間に大きな影響を与えているということです。数が少ないから、影響力が小さいわけで
はありません。メディアの世界では、逆に数が少ないからこそ、ニュースとなって大きな
力を発揮するという逆説も成り立ちます。ですから、低い放射線量でも危険だという少数
派の声の方が広がっていっているという逆説が成り立つのではないでしょうか。
そのへんの事情は私の取材体験から言って、実感しています。どういうことかと言いま
すと、放射線の専門家が多く集まる学会などに行くと、大半の専門家は、マスコミは危険
をあおりすぎるといっています。また、「今くらいの放射能汚染なら、一部の地域を除き、
除染に多額の税金を使うのは無駄遣いだ。なぜマスコミは、もっとそのことを報道しない
のか」 と い う 話 を よ く 耳 に し ま す 。
つまり、放射線被ばくに詳しい専門家ほど冷静なのです。大半の専門家の見方がマスコ
ミによって世の中に伝えられていないという実情があるのです。多数の専門家の意見が世
間に伝わるわけではありません。それが「ニュースの方程式」の解です。私はこれまで何
十人もの専門家に話を聞きましたが、こと放射能リスクに関しては、
避難してでも福島(一
部を除き)を脱出すべきだと考える専門家は少ないのが現状です。しかし、そういう話は
ニュースになりにくい。ということは、いつまでたっても多数派の意見は世間に伝わらな
いというおかしなことが生じることになります。これが「ニュースの方程式」が語る帰結
なので し ょ う 。
このように、放射能リスクの場合は少数派の意見が拡大していくのですが、がんの治療
法についてであれば、記者たちは少数派の意見を取り上げることはあまりありません。医
療記事とリスク報道の差なのでしょうか。がん患者が求めるのは、科学的にしっかりした
治療法です。ですから、記者たちは少しでも、がん患者に応えようと記事を書くわけです
が、そのときに妙ないかがわしい内容の治療法を紹介することは非常にまれです。これは
自分自身の問題だと考えれば理解しやすいのではないでしょうか。
もし皆さんが、がんになり治療が必要になった時、例えばホメオパシーや玄米菜食がい
い、抗がん剤は使ってはいけない、などの少数派の意見を聞くか、それとも科学的根拠に
基づき、現代において最良と考えられる「標準治療」を受けるか、どちらを選択するでし
ょうか。おそらく、ほとんどの人たちは「標準治療」を受けると思うのです。がんの治療
法については、記者たちは少数派の意見を大々的に書いたりすることはないのです。いい
加減な記事を書くことによって、がんが治らなかったら困りますよね。しかし放射能リス
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クの問題については、危ないと訴える人たちのニーズに応えているわけです。たぶん、福
島にいる人たちのニーズは、東京にいる人たちのニーズと異なると思います。ニーズの差
が原因なのか、記者たちの思考が問題なのか、このあたりはしっかりと検証してみる価値
はある と 思 い ま す 。
安全・安心の幻影におびえる
これまでの話をまとめてみると、マスメディアは世論のニーズに応える形で不安を拡大
させているという構図です。恐ろしいのは、そういう構図に中央政府や自治体までが乗っ
かっていることです。牛乳から数ベクレルのセシウムが検出されるだけでその牛乳の取引
を停止する自治体が出ていますが、これなどは世論におびえる、もしくは世論のニーズに
応える 典 型 例 で す 。
世論といっても、本当に不安感情が渦巻いているわけではありません。メディアが部分
的な不安を取り上げるだろうという幻影のような、目に見えない世論です。本気で「この
程度のセシウムは心配ない」と言ってしまえば、幻影は消えてしまうかもしれないのに、
だれも幻影退治をする勇気を持ち合わせていないという構図が続いているような気がして
います 。
そういう空気の中で私が気になっているのが「安全・安
心」と い う 言 葉 遣 い で す 。
多くのメディアが「科学的には安全でも、安心できない」
と い う 切 り 口 で 報 じ て い ま す。 安 全・ 安 心 が ひ と つ の 概 念
として定着したかのような印象をもっています。概念が定
着 す る と 実 は 重 大 な 影 響 を 及 ぼ し 始 め ま す。 皆 が そ の 概 念
に 沿 っ て 行 動 し た り、 考 え た リ、 要 求 し た り す る よ う に な
るから で す 。
過去の歴史をさかのぼってみましょう。明治時代に「権
利 」 と い う 言 葉 が 生 ま れ ま し た。 江 戸 時 代 の 人 は も ち ろ ん
権 利 と い う 言 葉 を 知 り ま せ ん で し た の で、 権 利 と い う 概 念
で は 行 動 し ま せ ん で し た。 し か し、 明 治 時 代 に 入 っ て 権 利
という言葉の意味を知ると権利を主張し始めたのです。権
利を主張し、行動の全てが権利という概念で行われ、物事
27
28
が判断 さ れ て い く の で す 。
今回、それと同じようなことが「安全・安心」という言葉に生まれてしまったのだと思
います。マスコミは、「安全なのだろうけれども安心できない」という言い方を簡単にす
るよう に な っ て し ま い ま し た 。
この四月に施行される(講演当時)食品中の放射性セシウムの新規制値についても、同
じことが言えると思います。現在の暫定規制値でも十分に健康は守られているのですが、
国民の皆さんがその数値では安心できないのでさらに規制値を厳しくすると言っているよ
うに私には聞こえます。厚生労働省は、一般食品で五百ベクレルだった暫定規制値につい
て、この四月から五分の一となる百ベクレルへと下げることにしていますが、規制値を百
ベクレルへと下げた途端に、国民にとって実は安心できないレベルも百に下がるのです。
これを「安心のしきい値」と勝手に呼んでいますが、このしきい値という名のハードルが
どんどん低くなっているのです。基準値が百ベクレルになれば、今度は五十ベクレルでな
ければ安心できないと言い出す人たちが増えてくるのではないでしょうか。基準が五十ベ
クレルに下がったところで、今度は十ベクレルでなければ安心できないと言うでしょう。
厚生労働省が「より安心のために、基準値を厳しくしました」と文書で公言しているよう
では、 も う 救 い よ う が あ り ま せ ん 。
要するに、際限なく安心できないという情緒的な感情を国自体がどんどんつくり出して
いるわけです。行き着く果ては、一ベクレルでもあれば怖い、安心できないという空気で
す。既 に 、 そ う な り つ つ あ る と 思 い ま す 。
この状況は非常に深刻です。どうしたらいいのか、私もよく分かりません。ヨーロッパ
の人たちは、日本と同じように年間一ミリシーベルトを根拠に、一般食品であれば千二百
五十ベクレルまでと決めています。一方の日本は百ベクレルですよ。つまりヨーロッパの
十分の一以下です。それでも日本では安心できないと言っているのです。ヨーロッパの人
たちは、千二百五十ベクレルで十分に安全確保できると誰も騒いでいないのに、どうして
日本だけがこうなってしまったのでしょうか。それは、やはりメディアが「安全・安心」
を求める報道をすることによって世論を醸成したり、行政を動かしているからではないか
と思います。「安全・安心」に関して一つの概念が生まれてしまうと、なかなかそれを打
ち消す こ と が で き な い の で す 。
29
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世論の幻影に打ち勝つ方法は?
そういう空気を消す方法はないのでしょうか。一つは専門家のアクションが有効だと思
います。例えば、私が印象に強く残っている例として、国立がん研究センターの嘉山孝正
理事長をはじめとした専門家の方々が挙げられるでしょう。この方々は原発事故があった
後、すぐに「風聞に惑わされてはいけません」という内容の記者会見を緊急に開いたので
す。五十人ほどの記者たちを前に、「私たちはがんの専門家なので、放射線とがんの関係
もよく分かっています。百ミリシーベルト以下であれば問題ありません。甲状腺のがんは、
良性のがんなので恐れるには足りません」と、五人の専門家が次々に出てきてデータを示
しながら記者たちに力強く訴えたのです。私もこの会見の場に同席しましたが、集まった
記者たちに対して根拠となるデータをもとに説明をしたのです。専門家が自信を持ってス
クラムを組み、根拠を示しながら記者たちに語りかける内容には大変説得力がありました。
その結果、ある新聞記事では見出しも「健康被害問題なし」となったのです。専門家の方々
が集団でしっかりと意見を発信すれば大きな効果があると思います。しかし、現実にはが
ん研究センターのような方々は、非常に少ないのが現状です。
この他、震災直後にさまざまな学会の方たちが声明を出しました。学会からの情報発信
も、世論を動かすには非常に効果を発揮したと思います。
ニュースが社会問題を引き起こしている
こういう動きを見ていますと、社会問題がニュースになっているのではなく、ニュース
が社会問題になっているのではないかということです。世の中ではいろんな現象が起きて
いるのですが、それが平等にニュースとして扱われているわけではありません。結果的に
は記者たちが取り上げた現象だけがニュースとなり、そのニュースが社会問題を引き起こ
しているのです。言い換えれば、報道されなければ世の中には何の影響力を持たないと言
えます。このことは、メディアの力がいかに大きいかということを表していると思います。
除染に多額の税金を費やすことに異議を唱える専門家は多いのですが、なかなかニュース
にはなりません。世論のニーズに合わないからです。そういう意味からも、記者の勝手な
言い分かもしれませんが、専門家たちはニュースに取り上げられるようなアクションをも
っと起こす必要があると思っています。黙っていては何も起きません。
くどいようですが、たとえば、テレビ局が制作した番組内容について、二人か三人の学
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者が異議を唱えたと仮定した時、おそらくそのテレビ局は数人の学者が来て抗議した程度
では誤りを認めないと思います。しかし、極端かもしれませんが、学者集団がテレビ局を
取り囲んでデモを起こしたりすれば、テレビ局の対応は大きく変わることでしょう。そう
いう点で、市民団体の人たちは行動力があると思います。行動力があるということは、先
ほどお話したニュースを構成する三つの要件のうちの一つ「アクション」を起こすことに
なり、それがニュースになるということです。しかし残念ながら、そういうアクションを
起こす 専 門 家 は 少 な い の が 現 状 で す 。
放射線被ばくのリスクは客観的視点をもとに比較する
それではここで、放射線被ばくに関する話題についてお話します。放射能リスクに関す
る情報を発信するときに大切なことは、できるだけイメージしやすい具体的なたとえ話を
使いながら発信すると伝わりやすいのでは、ということです。
たとえば、現在のセシウムのリスクがどれくらいかを伝えたい時は、一九四五年から八
〇年代にかけて行われた大気圏核実験によるセシウム一三七の放出量に触れるのが良いと
思います。一九六四年、セシウム一三七による日本人の体内汚染は六百ベクレル程度でし
た。その後、徐々に下がっていって、一九八五年には二十ベクレル、チェルノブイリ事故
の発生から一年後となる一九八七年には若干増えて六〇ベクレルとなりました。つまり、
私たちが知らない間に大気圏核実験によるセシウムを体内に取り込んでいたということに
なるのです。一九五〇年代に子ども時代を過ごした世代に健康被害は出ていません。東京
や福島の現在の被ばく線量は平均的に見れば当時より低いわけですから、あまり心配はい
らないということになるのではないかと思います。
私が住んでいる千葉県北部の公園の空間線量は、毎時〇・三マイクロシーベルトですの
で、一年間その公園にずっといたとすれば年間二・六ミリシーベルトの被ばく線量になり
ます。現に政府は私の住む地区を除染の対象区域に指定していますが、私は気にしていま
せん。取材のときにたまたま試しにセシウム一三四と一三七による内部被ばく線量につい
て、ホールボディカウンターという装置を使って測ってもらったところ、検出限界以下だ
ったのです。検出限界は、およそ一三〇ベクレルです。つまりセシウム由来の被ばく線量
は、一九六〇年代よりもはるかに少ないということが分かります。一方、カリウム由来の
内部被ばく線量は、セシウム由来よりもずっと大きく、千五百ベクレルもあったのです。
つまり、人工的な放射性物質であるセシウム由来の被ばく線量よりも、天然の放射性物質
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であるカリウム由来の被ばく線量の方が高いということです。
私たちは、日常、宇宙から降り注ぐ宇宙線のほか、大地・大気そして食品からの自然放
射線によって被ばくしています。その量は、年間で約一・五ミリシーベルトです。原子力
事故がなかったとしても、日本列島に私たちが生きている限り、自然に年間一・五ミリシ
ー ベ ル ト 被 ば く し て い る の で す( バ ッ ク グ ラ ウ ン ド 放 射 線 )
。そのうち、食品に含まれる
放射性物質を取り込むことによって内部被ばくする量は年間〇・四ミリシーベルトです。
つまり、放射性物質は人間の身体にも存在しているのです。体重六十キログラムの日本人
の場合、カリウム四〇や炭素一四などの放射性物質によって六千ベクレルから八千ベクレ
ルの放射能量があるのです。これを食品に含まれる放射能量に換算すると、約百ベクレル
程度の量を毎日取っているということになります。
国際放射線防護委員会(ICRP)勧告では、自然界から受ける被ばく線量と、レント
ゲンやCTスキャンによる診断やがん治療などによる医療現場で受ける被ばく線量を除く
被ばく線量の限度について、年間一ミリシーベルト以下としています。それでは、年間一
ミリシーベルトの量は、どれくらいのベクレルを取った時にそうなるのでしょうか。それ
は七万ベクレルです。なお、子どもの場合は五万ベクレルから七万ベクレル取れば一ミリ
シーベルトになると覚えておくと良いでしょう。例えば、お米から一キログラムあたり十
ベクレルの放射能量が検出されたとします。十ベクレルは、
先ほどの数字「七万ベクレル」
を十ベクレルで割ると七千となります。よって、そのお米を七千キログラム食べた時に初
めて一ミリシーベルトになるというレベルの数字です。つまり、七万という数字で割り算
をすれば、どれくらい食べると一ミリシーベルトになるのかが分かります。すると、先ほ
どの十ベクレルがいかに少ない数字であるか、お分かりいただけると思います。
こういう話をすると、それでも「原発からやってきた放射能の分は自然放射線に上乗せ
された分なので、その分だけは危険だ」と言えるはずだという反論が来ます。確かにそれ
は当たっていますが、大事なのは、その上乗せ分が健康に影響するほどの量なのかどうか
です。福島県の人たちが食べている食事からの内部被ばくは年間で〇・一ミリシーベルト
以下だと分かっています。外部被ばくについては、高くても年間一〇ミリシーベルト以下
がほと ん ど で す 。 こ の 量 を ど う 見 る か で す 。
宇宙飛行士は、宇宙に半年滞在して帰ってくると約百八十ミリシーベルトも放射線を受
けます。では、宇宙飛行士は自分ががんになると心配しているでしょうか。おそらく心配
していないと思います。それくらいなら許容範囲ということで宇宙に飛び出していってい
35
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ると考えるのが普通です。世界には、生涯の累積で五百ミリシーベルトも放射線を受けて
いる人たちがいます。それでも、がんが増えているという証拠はありません。
さらに、同じ日本の中でも西日本の人たち(岐阜県などが一番高い)は、東日本に比べ
て、生涯で二〇から三〇ミリシーベルトも余分に放射線を受けている人たちがいます(資
料③)。それでも線量の高い西日本の人にがんが多いというデータはありません。つまり、
福島の一部の人たちが余分に受けている量は、東日本の人が西日本に引っ越したことで余
分に受ける量より少ないということです。こういう言い方で納得が得られるかどうか分か
りませんが、他の線量と比べることは大切だと思います。
ある女性作家が、福島事故の後に東京から西日本方面へ避難したという新聞記事があり
ましたが、これはどう見てもリスクを避けたことになりません。この記事には「子どもに
被ばくさせたくない。危ないかどうか分からないけど、分からないから避難した」という
コメントが記載されています。しかし、科学的にみれば事故が起きる前から東京よりも西
日本の方が自然放射線量は高いのです。つまり、この作家は放射線を避けるために避難し
たのに、今よりもっと放射線量が高い場所へ逃げてしまったということです。「分からな
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38
1.10
1.03
1.03
1.01
0.98
0.98
1.00
1.06
1.13
1.07
1.01
1.18
0.99
1.10
1.07
1.06
1.09
(ミリシーベルト/年)
1.10以上
1.00~1.09
0.89以下
0.90~0.99
1.07
1.08
1.02 1.06
1.08
1.17
1.03 1.16
宇宙、大地からの放射線と食物摂取
によって受ける放射線量
(ラドン等の吸入によるものを除く)
1.09
1.19
1.04
0.98
1.02
0.85
1.02
1.04
1.06
0.90
0.90 0.91
0.81
0.92
1.08
0.95
0.95
0.91
0.94
0.86
0.99
0.91
日本全体 0.99
0.89
全国の自然界からの放射線量
0.98
出典:資源エネルギー庁「原子力2010」
いから逃げる」という単純な予防原則を実践しても、本当の意味でのリスク回避とは言え
資料③
ないと思います。この事例は、リスクを考える時には全体のリスクを考えて、どんな行動
をとれば良いかを冷静に考える必要があるということを示唆しています。
放射能のリスクと心身への影響を考える場合には、精神的なストレスを考慮することも
大事でしょう。ロシア政府が、二〇一一年にチェルノブイリ事故から二十五年が経過した
事故の影響等について報告書をまとめています。報告書の中でロシア政府は、二十五年に
わたり事故の影響について分析した結果、放射線被ばくによる影響よりも精神的なストレ
スや、なれ親しんだ生活様式の破壊、経済活動の制限、事故に関連した物質的な損失によ
る影響の方が、はるかに大きな損害を人々に与えたことが明らかになったと報告していま
す。放射能リスクについては、科学的で正確な情報をもとに判断し、自分の行動指針へと
結び付けていくことが大事だと思います。 最後に、放射線被ばくに伴うがんリスクについてお話します。がんになる要因としてよ
く言われるのは、喫煙によるリスクです。お父さんがたばこを吸い、お母さんや子どもが
その煙を吸う受動喫煙によるがんリスクについて、資料④をご覧ください。国立がん研究
センターによると、放射線被ばくによるがんリスクを「一」とすると、野菜不足の相対リ
100〜200
ミリシーベルト
1.08倍
野菜不足(1.06倍)
受動喫煙(1.02倍〜1.03倍)
200〜500
ミリシーベルト
1.16倍
肥満(1.22倍) やせ(1.29倍)
運動不足(1.15倍〜1.19倍)
塩分の摂りすぎ(1.11倍〜1.15倍)
1000〜2000
ミリシーベルト
1.4倍
酒毎日2号以上(1.4倍)
2000ミリシーベルト
1.6倍
以上
喫煙者(1.6倍)
酒毎日3号以上(1.6倍)
「誤解だらけの放射能ニュース」
(エネルギーフォーラム新書)から抜粋
スクは一・〇六倍、運動不足が一・一五倍~一・一九倍、肥満が一・二二倍と、それらの
100ミ リ シ ー ベ ル ト
検証が難しい
未満
がんリスクは放射線被ばくによるリスクとほ
ぼ 同 程 度 と い う こ と が 分 か っ て い ま す。 野 菜
不 足 や 運 動 不 足、 肥 満 に つ い て あ ま り 気 に か
け な い 人 で も、 放 射 線 は 一 ミ リ シ ー ベ ル ト で
も気に か け る の で す 。
肥 満 に よ る リ ス ク は、 放 射 線 被 ば く に 換 算
資料④
すると二百~五百ミリシーベルトの放射線を
受けた時と同じくらいのリスクがあるにもか
か わ ら ず、 実 際 に は 放 射 線 被 ば く の 方 が 怖 い
と 思 っ て い る。 こ れ は、 リ ス ク を 客 観 的 な 視
点から見る目が足りないということになりま
がんの相対リスク 生活習慣因子(カッコ内はがんのリスク)
放射線の影響
す。 こ の よ う に 、 放 射 線 被 ば く に よ る リ ス ク
(国立がんセンターのデータから作成)
39
40
を 考 え る 時 は、 い ま 一 度 客 観 的 な 視 点 か ら 比
較する こ と が 必 要 で す 。
放射線と全部位の固形がんのリスクの比較
食に関するリスク
放射線のリスクを考えるときに大切なことは、私たちの生活の中で放射線リスクの大き
さがどれくらいかを冷静に判断することです。精神的なストレスも含めれば、健康被害を
もたらす要因は無数にあります。それらのリスクの重み付けを自分なりにすることが必要
だと思 い ま す 。
たとえば、食生活に関するリスクを見てみましょう。私たちが食べているお米にはカド
ミウムという発がん性物質が含まれていますので、ご飯を食べているだけでも、がんのリ
スクはゼロではありません。しかしながら、ごはんを食べている人がカドミウムを一緒に
摂取することによって、がんになるリスクを心配しているかといえば、そんな人は誰もい
ないはずです。また、海藻のひじきの中には発がん性の無機ヒ素が含まれているのですが、
日本人がひじきを食べている姿をヨーロッパ人が見れば、
「どうして日本人はこんなに危
険なひじきを食べているのか」という反応が返ってきます。イギリスは、ひじきに発がん
性物質が含まれていることを知っているので、日本からの輸入を禁止しています。しかし
日本では、昔からひじきを食べてきて何ともないのだから大丈夫と言って食べているので
す。慣れ親しんでいるとリスクは小さく見えるというのも不思議ですが、おそらく人のリ
スク判 断 は 体 感 的 な も の な の で し ょ う 。
また、ハンバーガー店で売っているフライドポテトやポテトチップの中には、アクリル
アミドという発がん性物質が含まれていることが分かっています。これについても、毎日
食べ続けていればがんになるリスクはあるのです。卵についても、一万個から二万個に一
個はサルモネラ菌が入っている可能性があり、食中毒を引き起こすリスクがあります。先
ほどのごはんやひじきの例もそうですが、普通に生活していても、身の回りには食品によ
るリスクが多く存在しています。リスク全体を考えていく中で、食のリスクによる身体へ
の影響、さらには放射線被ばくによるがんリスクを捉えてくことが重要ではないかと思い
ます。
急に話が飛びますが、リスクを判断する場合には、必ず「対照群」を考えるくせを身に
つけておくことが大切だと痛感しています。たとえば、ベストセラーとなった食に関する
書籍の中に、晩期のがんから生還した人が食べていた食事について書かれている部分があ
りました。ちょっと頭を働かせれば分かりますが、同じ食事をした人たちであっても、が
んが治らずに死んでいった人たちがいるはずです。その本では生きた人しか出てきません
41
42
が、実際は死んでいった人が生きた人の十倍も百倍もいると考えられます。つまり、比較
すべき対照群がない話は信用性に欠けるということを知っておくことが大事です。このよ
うなケースを検証するためには、同じようなレベルのがんの人を無作為に半分に分け、一
方はこの本で紹介している食事をしてもらい、もう一方はその食事ではない生活をして、
一年や二年、追跡調査すれば正確なデータが得られると思うのですが、実際には比較対照
群がないわけですので、データとしては全く信頼性に欠けるということなのです。よって、
この食事を真似しても必ずしもがんが良くならないかもしれません。このようなリスクに
おける基本的な判断する目を持っていれば騙されないのです。
わが子を守るためにできること
最後になりますが、子どもを守るという視点でも、放射線被ばくによるリスクは、リス
ク全体のほんの一部だということも知っておくと良いと思います。現代の子どもたちが直
面しているリスクというのは、放射線以外にもさまざまな要因が存在していますので、リ
スク要因の優先順位をきちんと見極めることが大事だと思っています。
私の場合、子どものリスクとして一番問題だと考えているのは「苦痛」です。取材でい
ろんな教育学者と話しましたが、学業が振るわない、成績
が悪いと子どもは本当に自信を無くしていくのです。小学
校 の 場 合、 低 学 年 で は 余 り 気 に な ら な く て も、 小 学 五 年 生
や六年生になって自分の成績が悪いことを自覚すると、自
尊 心 が 無 く な り、 そ の 結 果、 何 と な く 自 分 の 居 場 所 が 無 く
なっていく、と先生方は言っています。その果てには、過
ちを犯したり非行になっていったりするのです。私は、こ
の事の方がはるかにリスクであり重要なことだと考えてい
ます。
そして、子どもを守るという点で重要と考えているのは、
子 ど も を 長 生 き さ せ る と い う こ と で す。 長 生 き の 秘 訣 に つ
いて、いろんな学者に長生きの秘訣について取材した結果、
どの学者も共通して言うのが腹八分に食べてカロリー制限
することである、と言っています。これについては、ねず
みや猿、線虫などを使った実験で検証されています。
43
44
腹八分といっても、やせる目的のダイエットとは違います。腹八分に食べると何が良い
のかといえば、いろんな種類の食べ物を栄養バランスよく少量ずつ食べるということです。
なぜ、腹八分に食べると長生きするのでしょうか。大変興味深いことに、腹八分に食べる
と寿命を長くする遺伝子が活発になり老化を促進する遺伝子が不活発になります。遺伝子
の働きは、環境によって変化することが動物実験で分かっているのです。
私が一番心配しているのは、若いお母さんたちが痩せているということです。二千五百
グラム未満の子どもたちは、低出生児として生まれてくるわけですが、その低出生児の出
生率は今、日本に一割もいるのです。先進国でみれば、日本だけが断トツに高いのです。
その理由は、若いお母さんたちが痩せようとするあまり、栄養バランスがいい食事をきち
んと食べていないからです。だからもう少し小太りぐらいになった状態で子どもを産んだ
方がいいと私は思います。小さい子どもを産むと何が悪いかといえば、大きくなってから
糖尿病や心筋梗塞、肥満になりやすいのです。これは、根拠となるデータがしっかりあり
ます。ですから、ヨーロッパの人たちは二千五百グラム未満で子どもを産まないように取
り組んでいるのです。だから、日本の一部の学者たちも言っているように、若いお母さん
たちが気をつけるべきは、放射線被ばくによる影響よりもバランスがとれた栄養をきちん
と摂取することだと思います。胎児への影響を考えた場合、栄養素の不足だけではなく、
ダイオキシンなどの化学物質によっても胎児の遺伝子は変化します。しかし、遺伝子に対
する影響の大きさからみれば、栄養素が不足することの方が圧倒的に高いという見方の方
が強いようです。このことは、専門家の先生方が学会でよく言っていることです。結局、
食品添加物や残留農薬が良くないとかそういう議論ではなくて、ちゃんと運動をして栄養
のバランスがとれた食事をとる、精神的ストレスを持たないということの方が非常に重要
なので す 。
皆さんの中にも、いろんなサプリメントをとったりすると思います。健康に良いとされ
るものにぱっと飛びついて食べていると思いますが、実は本当に効果があるのかよく分か
ってい な い と い う の が 現 状 で す 。
実際に、あるサプリメントに関する記事を書くために、複数のサプリメントメーカーに
対して「五年間にわたってこのサプリメントをとったことによって、健康になったという
データをください」と聞いたことがあったのですが、どのメーカーも「ありません」と言
います。つまり、根拠となるデータが無いのに売っているのです。しかし、メーカーの方
は続けてこう言ったのです。「私たちは、この商品を食品として売っているだけであって、
45
46
皆さんが健康にいいと思って飲んでいるだけなのです。だからデータはありません。宣伝
広告の 文 句 を よ く 見 て い た だ き た い の で す が 、
『元気になりたい人へ』
『美しくなりたい人
へ』と書いているだけであって、これを飲めば誰でも元気に美しくなれるとは書いておら
ず、 違 反 で は あ り ま せ ん 。 こ れ は 単 な る 食 品 で す よ 」
。私たち消費者は、このような商品
にも気 を つ け た 方 が い い と 思 い ま す 。
おわりに
最後の最後になりますが、世の中に数多く存在する情報に対して、私たちはどのように
対処すれば良いのか、三つの観点から説明して終わりたいと思います。
一つ目には、体験話、つまり物語を信用しないということです。体験話というのは、例
えば健康になれると言われている水を飲んだらがんが治ったという人がいたとしても、そ
の人はたまたま治っただけであって、もしかしたら同じ水を飲んで死んでしまう人が出る
かもしれないのです。体験話は余り信用できません。体験話とはつまり物語です。物語は
あくま で も 物 語 だ と い う こ と で す 。
二つ目には、メディアに出たからといって信頼性が高い情報とは限らないということで
す。記者たちは、世の中に何かを警告したいと思って記事を書いているだけであり、科学
的に優れた知識を持って記事を書いているわけではないということです。新聞記事に何か
根拠となるデータが書かれていて、そのデータが信頼できるかどうかを確かめたい場合に
は、そのデータが査読つきの科学雑誌で発表された論文かどうかを必ず聞いた方がいいと
思います。論文にもなっていないようなデータを信じることはやめた方が良いでしょう。
最後に、その情報について国がどんなことを言っているかを調べると良いでしょう。国
の各種委員会から発せられる情報は、少数意見ではなく多数の科学者による意見です。多
くの科学者の総意のような見方が国のホームページに掲載されていますので確認すると良
いと思います。確かに今は政府への信頼性が低下していますが、それでも多数の専門家へ
の信頼性がなくなったわけではありません。立派な科学者はたくさんいらっしゃいます。
専門家をもっと信用しても良いのではと思います。
本日は以上です。ご清聴ありがとうございました。
文責 広報部)
(本稿は、平成二十四年二月、新潟県五泉市において先生が講演された内容を要約し、
一部加 筆 し た も の で す
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講 師 略 歴
小 島 正 美(こじま まさみ)
○現 職 毎日新聞社 編集委員
○略 歴
1951年 愛知県生まれ
1974年 愛知県立大学卒
1974年 毎日新聞社に入社、サンデー毎日を経て
1975年から 長野支局、松本支局歴任
1987年 東京本社 生活家庭部
1995年 千葉支局 次長
1997年 生活家庭部 編集委員
2009年 生活報道部 編集委員
現在に至る
2000年から 東京理科大学非常勤講師
○主な担当
食の安全、環境、健康問題
○主な著書
「誤解だらけの『危ない話』」(エネルギーフォーラム)
「アルツハイマー病の誤解」(リヨン社)
「リスク眼力」
(北斗出版)
「正しいリスクの伝え方」(エネルギーフォーラム)
「誤解だらけの放射能ニュース」(エネルギーフォーラム新書)
など多数
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Fly UP