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山本七平著『現人神の創作者たち』ちくま文庫(2007年 - ioj

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山本七平著『現人神の創作者たち』ちくま文庫(2007年 - ioj
山本七平著『現人神の創作者たち』ちくま文庫(2007年10月10日)を読んで
2010 年 12 月 1 日
連載の第1回分掲載:IOJ 会員 鈴木 弥栄男
「原子力のガラパゴス化」の解決には、背景にある「原子力の風土」にも目を向けなければなりません。我が国のエネルギー問題
新たなる展開を目指して(IOJ 代表・宮健三氏)-HP の巻頭言より引用
における政策の立ち遅れや、未だに根強い一般国民の原子力アレルギーといった問題を考える時、歴史を振り返ってみるという視
「原子力のガラパゴス化」の解決には、背景にある「原子力の風土」にも目を向けなければなりません。我が国のエネルギー問題
点が欠かせません。戦後、民主主義の導入に伴い、それまでの伝統を否定してきた事実は重大で、その結果、一般国民は、経済的
における政策の立ち遅れや、未だに根強い一般国民の原子力アレルギーといった問題を考える時、歴史を振り返ってみるという視
な繁栄は得たものの精神的基軸を失ってしまいました。確固たる信念を持てなくなり、いわゆる「空気」に左右されて状況判断を
点が欠かせません。戦後、民主主義の導入に伴い、それまでの伝統を否定してきた事実は重大で、その結果、一般国民は、経済的
しているだけに止まっています
な繁栄は得たものの精神的基軸を失ってしまいました。確固たる信念を持てなくなり、いわゆる「空気」に左右されて状況判断を
しているだけに止まっています
『空気と水の研究』を著した山本七平が『現人神の創作者たち』を更に書いている。その《戦後、民主主義の導
入に伴い、それまでの伝統を否定してきた事実は重大》なる意味を理解する手立てとして、幾つかの箇所を引用
し乍、逐次順を追って簡単に提供したい。でも十分に理解するためには是非とも購入され、通読をお薦めしたい。
本書は上巻と下巻とに分かれており、上巻の表紙裏側に《日本は抗い難い力に引きずられるように、破滅をも
たらした戦争に突き進んだ。戦後は「戦時下」の記憶を抹殺して高度成長を成し遂げたが、実は正体不明の呪縛
は清算されず、「まやかし」によってやり過ごしてきたのである。》とある。
**序章より引用(13 ページ分を2ページにまとめたので要領を得ていない点を了解願いたい。)**
戦時中のさまざまな手記、戦没学生の手紙を読むと、その背後にあるものは、自分ではどうにもできないある種
の「呪縛」である。
・・・・朱舜水という一中国人がもたらし、徳川幕府が官学とした儒学的正当主義と日本の
伝統とが習合して出来た一思想、日本思想史の数多い思想の中の一思想で朱子学の亜種ともいえる思想にすぎな
いと把握できたら、その瞬間にこの呪縛は消え、一思想としてこれを検討しえたはずである。
・・・・だがそれ
は戦前の問題ではないか、という人がいるかも知れない。だがその人は故吉田満氏の『戦中派の死生観』を読ま
れればよい。《・・・、戦争にかかわる一切のもの、自分自身を戦争に駆り立てた根源にある一切のものを、抹
殺したいと願った。そう願うのが当然と思われるほど、戦時下の経験は、忌まわしい記憶に満ちていた。日本人
は「戦争の中の自分」を抹殺するこの作業を、見事にやり遂げた、といっていい。戦後処理と平和への切り換え
という難事業をスムースに運ばれたのは、その一つの成果であった》と。
・・・・
・・・・終戦直後の新聞にあるものは、この「呪縛」の徹底的解明とそれによる克服ではなく、吉田氏の指摘す
る通り「まやかし」であった。
《戦中派世代が戦後史の中で一貫して担ってきた役割は、社会と経済の戦後の復
興から発展、高度成長への過程で、常に第一線に立って働くことであった。黙々と働きながら、我々はしかしそ
のことに満足していた訳ではない。自由、平和、人権の尊重、民主主義、友好外交、そうした美名のかげにある
実体は「まやかし」であり、戦後日本の出発には大きな欠落があることを、直感していた》と。
・・・・、少なくとも良心のある者は、自己の態度にまことに矛盾を感じながら、それを如何ともなし得ないと
いう、戦前にきわめてよく似た状態に落ち込んでおり、何か突発的な事件があればそれが露呈してくる。
・・・・
そこにあるのは一体何であろうか。それは自己の伝統とそれに基づく自己の思想形成への無知である。そして戦
後の“進歩的人士”は、これに無知であることがそれから脱して、自らを「戦後の日本人でなくし」
、新しい「民
主日本」なるものへと転換する道であると信じていた。だが不思議なことに、明治の“進歩的人士”も同じよう
に考え、自らの歴史を抹殺し、それを恥ずべきものと見ることが、進歩への道と考えていた。
・・・・
-1-
“我々には歴史はありません。我々の歴史はいまやっと始まったばかりです。
”この抹殺は無知を生じる。そし
て無知は呪縛を決定的にするだけで、これから脱却する道ではない。明治は徳川時代を消した。と同時に明治を
招来した徳川時代の尊王思想の形成の歴史も消した。そのため、尊王思想は思想として清算されず、正体不明の
呪縛として残った。
・・・・
「一握りの軍国主義者が云々」といった「まやかし」を押し通したことは逆に、裏返
しの呪縛を決定的にしてしまった。
・・・・尊王思想は日本史においてはむしろ特異なイデオロギーであり、そ
れだけが我々の文化的・伝統的な拘束すなわち呪縛ではない。その背後には十三世紀以来の一つの伝統がある。
そして「宮永スパイ事件」における読売新聞の社説(1980 年 1 月 20 日付)は、皮肉なことに、貞永式目発布の
際、北条泰時が六波羅探題の重時に与えた手紙と発想が極めて似ており、その点ではこれまたまことに伝統的な
のだが、書いた本人は、それが日本の伝統に基づく発想だとは思っていない。問題は常にここに返ってくる。こ
の「思っていない」ことが、すなわち「何により自分はそういう発想をするのか」という自覚のないことが、私
のいう呪縛である。
・・・・
「・・・憲法が戦争を放棄し、戦力の保持を禁じてはいても、自衛権の行使は、自然
法に基づく国の普遍的な責務でもある。
」と。・・・・この社説を見ると、それ“筆者記:立法権に等しいもの”
をまるで新聞がもっているかの如き観がる。
・・・・では新聞は、そう主張できる正統性をもつのか。その正統
性は何を根拠にしているのか。これはある意味において正統性の恣意的な創出であり、独裁権の主張である。
《恣意的に正統性を創出し、オレの言葉が「法」だと言い切る独裁者は民主主義と裏腹の関係で出現し、民主主
義の社会でないと出現し得ない》という意味の田中美知太郎氏の定義が、そのまま当てはまるような状態が出現
した訳であるが・・・・
ここでもう一度吉田満氏の言葉を思い超してみよう。「・・・戦後生活の第一歩を踏み出そうとしたとき・・・
自分自身を戦争に駆り立てた根源にある一切のものを、抹殺したいと願った・・・」。それが氏のいわれる「ま
やかし」の基であり、この「抹殺」の成果である憲法と「まやかし」との関係で生まれてきたのが、上記の社説
の背後にあるものであり、それがすなわち、消したがゆえに把握できなくなった伝統の呪縛なのである。
戦後社会は、自らが一定の思想のもとに構築した社会でなく、戦後の「出来てしまった社会」である。この出来
てしまった秩序をそのまま認め、その統治権がいかなる正統性に基づいているかを問題にしないか、出来てしま
った後で何かの借り物の正統性を付与するという擬似正統主義、すなわち戦後と同じ状態の「まやかし」に基礎
をおくことは、実は、幕府なるものの伝統であった。
・・・・
この状態は、出来てしまった状態をそのまま固定して秩序化しても、基本的な名目的な体制の変革は行わない。
しかし実質的には情況に即応して変化しつつ対応して行くという行き方である。そしてこの基本は貞永元年から
明治まで、そしてある意味では現代まで変わっていない。徳川幕府もまた出来てしまったのであり、その出来た
という事実に基づいて戦国時代を凍結し固定化しただけであって、新しい原則に基づく新しい体制を作った訳で
はない。
・・・・
もし日本が当時の中国に対してごく自然な対等感を持っていれば、比較文化論的に両国を対比し、自己の伝統の
中に中国とは違う正統性を確立することが可能であったかも知れない。それが念頭にあったと思われる新井白石
のような人もいたが、一般的に言って幕府自身にその発想はなく、便宜主義的に朱子学を採用していればよいと
いうのが基本的態度であった。だが便宜的援用は逆に権威化を要請する。その権威化は相手を絶対化すること、
いわば中国を絶対化することによって、それを絶対化している自己を絶対化するという形にならざるを得ない。
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