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一作目全文テキスト

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一作目全文テキスト
夏の……
ピピピピピピ…。
ベッド横のサイドテーブルに置いてある目覚まし時計を手探りで探して耳障りな音を止
める。
ソウはゆっくりと目を開いて時計に表示されている日付と時刻を確認した。
「八月一日の、午前七時半…」
呟いてから一つ大きなため息をついて、のっそりと起き上がる。
「おはよう……六十三回目の八月一日」
淡々とした声で呟いて、ソウはクローゼットから薄手の青いYシャツに七分丈の薄茶色
のズボンを履いた。着替えている最中に下のリビングから卵を焼くいい香りがして、ソウ
は今日の朝ごはんは何かな?など考えていた。
「おはようソウ。昨日はよく眠れた?」
一階のリビングへ行くと、ソウの母親であるシノが朝食の用意をしていた。
「うん。おかげさまで……今日は市立図書館に行ってこようと思うんだけど」
ふぁぁぁ。とあくびをしながら椅子に座ると、機を見計らったようにシノはテーブルに
スクランブルエッグとこんがりと焼けた食パンと差し出した。
「今日は、雨宮さんがいると思うから、これを持っていって頂戴?」
スクランブルエッグの皿の隣に置かれた少し小さめのバスケットの中にはおそらくシノ
の作った一口ゼリーやジャムが入っているんだろうな。と思いつつソウは分かった。と呟
いた。
朝食をとった後に白くて長い髪を洗面所で縛っていると、シノがリビングからひょっこ
りと顔を出していった。
「じゃぁ、私はお店のほうに行ってくるから、昼食までには帰ってきなさいね」
「うん」
ソウが頷いたのを確認すると、シノは家を出て行ってしまった。
ソウは手早く縛った髪の毛を帽子の中にしまいこむと、こげ茶色のショルダーバッグに
携帯電話と財布、そして家の鍵を持ってシノから渡されたバスケットを持って外出した。
ソウの家から歩いて三十分程のところにある市立図書館は、本の品揃えが良く、何度来
ても飽きる事の無いソウのお気に入りの場所のひとつである。
自動ドアを抜けた途端に体を包み込む冷気にソウは思わず息を吐いた。もともとあまり
外出をしないソウにとっては八月の午前中と言えど、蒸し返すような暑さは天敵だった。
一通り深呼吸をして息を落ち着かせると、ソウは再び歩き出した。向かった場所は人気
の少ない古書コーナー。
「……久しぶりだな。ソウ」
古書コーナーの奥。かなりマニアックな人しか知らなそうな読書スペースに座っていた
青年は、ソウを見て(ほんの少しだけ)口元を緩めた。
「お久しぶりです。ミズキさん。母からミズキさんに差し入れです」
ミズキと呼んだ青年にソウはバスケットを渡した。ミズキはそれを受け取って中身を確
認し、幸せそうに微笑む。
「毎回毎回シノさんには迷惑をかけるな。ありがとうございます。と伝えてくれ」
「はい。今日も、ミーティングルームを貸していただきたいのですが」
ソウがそう言うと、ミズキは
「構わない。鍵を借りてくるから読みたい本を選んでいてくれ」
と、言ってバスケットごと持って何処かに言ってしまった。
雨宮ミズキはソウにとって家族以外の数少ない理解者の一人だった。一番最初の邂逅も
この図書館で三年程前のことである。
『……うぅ…』
その日、如何してもソウは読みたい本があった。しかし、本棚の整理後であったのと、
年齢にしては低い身長のせいか手が届かなかった。その時、
『何か、お困りですか』
少し低い澄んだ声が掛かり、ソウはビックリして声の方向を向いた途端
『あ……』
帽子が、取れてしまったのだ。
長く白い髪がさらさらと肩に、背中に落ちていくのを声の主はビックリしたのか、息を
呑む音が聞こえた。
(見られてしまった…)
ソウはこの長く白い髪。そしてウサギのように赤い目にコンプレックスを抱いている。
まるで、「自分は人とは違うんだ」と思わざると得ないような容姿をソウは滅多に他人に
見せるようなことはしなかった。
しばらくの沈黙のあと、小さな布擦れのあとに、ぽんっと頭の上に大きすぎない手が乗
った。
それにびっくりして俯いていたソウは顔を上げ、目を見張った。
わしゃわしゃと頭を撫でる声の主は黄土色の髪に日に焼けていない肌。そして、何処ま
でも無感情に見えてしまう瞳は、ソウと同じ血を零したような赤だった。
灰色
それから、二人が仲良くなるまでには時間は掛からなかった。
同じような境遇にあったからか、はたまた二人が無類の読書家だったからかは分からな
いが、ソウ自身としてはそれなりに嬉しい出会いだった。ミズキはソウよりの二歳上の十
九歳で、町に在る大学で水についての研究をしているらしい。
「決まったか?」
十分後ぐらいにミズキが鍵を持ってソウの許へ戻ってきた。ソウは三冊ぐらいの本を大
事そうに抱えて頷く。
「……タイムトラベルか。ソウにしては随分と珍しいものを読むな」
「前に来たときから目を付けていたの」
「そうか」
ミズキはちょっとだけ笑って「ついて来い」と言って歩き出した。行き先は勿論ミーテ
ィングルームである。
ミーティングルームと言えど、実際は二階にある六畳半ぐらいの和室である。ちゃぶ台
と座布団が備え付けで置いてあって、あまりにも汚したりしなければ飲食物を持参して食
べる事も可能である。
「悪いな。今日は此処しか空いてなかったんだ」
そう言ってミズキが扉を開けた部屋は一番日あたりの良い部屋だった。ソウが暑さに弱
い事を知っているミズキだからこそ言える謝罪だ。
「いいの。いつも我儘を言ってごめんなさい」
「気にするな。困った時はお互い様。だろう」
いつもソウが来たときにミーティングルームを借りるのはソウが人目を気にせずに読書
が出来るように。というミズキなりの心遣いだった。同情したのかもしれないが、ソウに
とってこれはとても嬉しい事だった。
ミズキはちゃぶ台の上にミーティングルームの鍵と自販機で買ってきたのであろうペッ
トボトルのピーチティーを置いて言った。
「部屋の鍵は帰るときに受付に返しておいてくれればいい。ピーチティーは俺の奢りだ」
「ありがとうございます。ミズキさん」
ソウが端的に礼を言うと、ミズキは(また少しだけ)口元を緩めて、ひらひらと手を振
りながら階段を降りていった。
ミズキが見えなくなったのを確認すると、ソウは部屋の中に入って鍵を掛け、すぐに本
を読み始めた。時々、読むのに疲れてはピーチティーを飲んだり外を眺めたりしながら、
あっという間に三冊を読み上げた。
「……ふぅ」
ソウは小さく呟いて、読み終わった本の表紙を見た。タイムトラベルと名のついた話は、
一人の少女が偶然手に入れてしまった時計(この時計は時間を巻き戻すことの出来るもの)
を使って、後悔などの残らない人生を送る為に何度も何度も進んだ時間を巻き戻す話だっ
た。結果的に使いすぎにより時計は壊れ、時計に蓄積されていた時間自体が少女に戻って、
少女は死んでしまうという話だった。
「……なんで、時間を巻き戻したかったのかな…」
ソウは呟いて窓の外を見た。何一つ変わらない風景。何一つ変わらない日常。この町に
おける、ソウしか知らない秘密。
誰もが一度でも時間を巻き戻せたら。と思うことはある。しかし、ソウはもう巻き戻る
時間に疲れていた。
「あと、何回夏を繰り返せばいいのかな……?」
この町は、永遠に夏が終わらない。八月三十一日の次に来る日は、決まって八月一日な
のだ。そして、時間がループするたびに全ての住民の記憶はリセットされる。唯一リセッ
トさせないのが、ソウ一人なのだ。
ソウはその考えを振り払うように頭を左右にブンブンと振った。考えた所で何も変わら
ない。ふと壁に掛かっている時計を見るとお昼の一時十五分を示していた。
「家に、帰らなきゃ……」
小さく呟いて、ソウはミーティングルームを後にした。
昼時の家までの道は人通りも多く、何よりが蒸し焼きにされる鶏肉の気分が分かってし
まうほど図書館に訪れたときより暑かった。
「……暑い」
ソウは歩きながら呟いた。もう二十分程歩いているが家はまだまだ遠い。
「……あ 、」
今にも倒れてしまいそうなほどヨロヨロと歩いていたソウが見つけたのはアイスクリー
ム屋。しかもそんなに並んでいるわけではない。
(一つ食べながら帰っても、大丈夫だよね?)
心の中で何故か言い訳を言いつつ、定番商品(らしい)木苺とチーズケーキミックスと
いう味を買う。
コーンに綺麗に乗っている冷たい球体にソウは口をつけた。口の中に広がる木苺の甘酸
っぱさとひんやりとした食感。さっきまでの暑さが少し遠のいた気がした。
これ、意外と美味しいなぁ。と思いながらソウは再び歩き出した。心なしか買う前より
も少しだけ足取りは軽い。
「……♪~」
何故だか楽しくなってきたソウは鼻歌を歌い始めた。今にもスキップをしだしてしまい
そうなほどご機嫌なソウは、気付かなかった。
「きゃ!」
「うわぁ!」
前から人が歩いてきていた事に。
「いったぁ…だ、大丈夫ですか?」
互いに尻餅をついてしまったようで、ソウにぶつかってしまった少女が心配そうにソウ
を見る。しかし、ソウは返事をしなかった。正確には〈出来なかった〉
「み、見ないで!」
ソウの帽子は転んだ拍子に取れてしまい、白いポニーテイルが路行く人の目線を集めて
いた。
ソウは思わず蹲った。こんなに大勢の人に自分のコンプレックスを晒すなど、もともと
引っ込み思案のソウにはありえない失態である。
「……洋服。汚しちゃって御免なさい」
「……」
ぶつかった女の子がひどく申し訳なさそうな声で言った。しかし、ソウは反応できる精
神状態では、ない。
すると、その少女は急にソウの手を引いて立ち上がらせた。
「えっ」
その拍子にソウはこけそうになったが何とか体勢を整えて、少女を見、目を丸くした。
ソウよりも高くてすらっとした体系。大きなこげ茶色の瞳と、太陽の光をたくさん浴び
た向日葵のような色の髪の少女が真剣な顔をしていた。
「あたしの家。すぐそこなんです!良かったら寄っていって下さい!」
向日葵みたいな女の子に連れられてソウがやってきたのは、閑静な住宅街の一角にある
それなりに大きな家だった。
「上がってください。そのYシャツを洗うので」
少女はソウの手を引いて玄関に上がった。確かにソウの青いシャツは見事にアイスクリ
ームがぶちまけられていた。
「そこに座って、これに着替えてください」
リビングに通されると、綺麗に畳まれた洗濯ものの山から少女はTシャツを取りだして
ソウに渡した。……Tシャツには大きな文字で「ゾウリムシ」と書いてあるが、気にしな
いことにした。
「………あの。すいません。ここまでしていただいて」
ごうんごうんと音を立てて回っている洗濯機を横目で見て、ソウは少女に詫びた。
「いいんです。前見てなくて先にぶつかったのはあたしだし」
少女は眩しい笑顔で首をぶんぶんと振っていった。
「あたし。狭山カコって言います。あなたは?」
「……森原ソウです」
「ソウって言うんですね。素敵な名前です」
カコと名乗った少女はまた嬉しそうに微笑んだ。明るくて、天真爛漫に見える彼女をソ
ウは少しだけ羨ましく思った。
「……聞かないんですか?」
ソウはぽそりと呟いた。カコはそれに首を傾げて「何をですか?」と返す。
「私の容姿が人とは違うことを」
初対面の人がいつも一番初めにソウに問う質問だった。ソウ自身、カコの口からなかな
かその質問が出てこない事が少し不思議でもあった。
「じゃぁ、ソウさんはあたしにその質問をしてもらいたいですか?」
「え?」
まさかの質問返しにソウは驚いた。カコは不思議そうな顔をして言った。
「確かに何でかなって、思います。でも、それって人がむやみやたらと詮索していいこと
なのかなって。思うんです」
そう言ってカコは席を立つと、二つのコップと冷えた麦茶を持ってきて再び席に座った。
「自分のことだけ考えていたら相手は幸せにはなれませんよ。人への心配りは常に忘れな
いように。って姉によく言われてるんです」
そう言ってカコは照れくさそうに笑ってコップに麦茶を注いでソウの前に置いた。
「それに、ソウさんのその白い髪と赤い瞳がちょっぴり羨ましいです」
「羨ましい?」
カコの言葉を反芻してソウは怪訝そうな顔をした。この容姿を羨ましいといわれたのは
生まれて初めてだ。
「だって、ウサギさんみたいじゃないですか。身長も低めで、本当にお人形さんみたいで
す」
「で、でも……カコさんだって綺麗な向日葵みたいな色の髪の毛じゃあないですか。性格
も凄く明るくて、羨ましいです」
反論するようにソウが言うと、カコは静かに首を振った。
「あたし、あんまり友達いないんです:」
「………え?」
「あたしの家が昔からよく転校続きで、この町に来たのも三ヶ月ぐらい前だし、お姉ちゃ
んとも血が半分しか繋がってないし」
(………最後の部分って話してもいいことなのかな?)
何だか狭山家のディープな所に少し足を踏み込んでしまった気がする。とソウは思った。
「………ソウさん」
そんなことを考えているうちにカコがずいっとソウに顔を近付けたので、ソウは思わず
ひっくり返りそうになった。
「な、なんですか?」
「あたし、ソウさんとの出会いは運命だと思うんです」
そう言って、カコは何故か頭を下げて言った。
「お願いします。あたしと、友達になってくれませんか?」
一瞬。ソウにはカコの言った事が理解できなかった。
友達?トモダチ?TOMODACHI?
「あ、あの……カコさんのおっしゃる友達と言うのは、所謂学校の帰り路を一緒に帰った
り休日には一緒に遊んだり、時にはお泊り会をするようなあの友達ですか?」
「はい。その友達です」
何て甘美な響きだろう。とソウは思った。今までソウにとって友達と呼べるような友達
はいなかった。だからこそ、カコの言葉があまりにもソウには嬉しすぎた。
「……カコさん。私からもお願いします」
大きすぎる緊張と僅かな興奮を必死に抑えてソウは努めて静かな声で語りかけた。
「私の、友達になってくれませんか?」
カコはもの凄い勢いで顔を上げて言った。
「い、いいんですか?」
ソウは、ゆっくりと頷く。
「私も、カコさんと友達になりたいです」
「カコでいいよ!友達だもん!だから、あたしもソウって呼んでもいい?」
飛びつくように早口で喋ったカコにソウは笑いかけていった。
「勿論。寧ろソウって呼んで」
夕暮れに近づいた空が綺麗なこの日に、ソウはカコという素晴らしい友人が出来た。
『じゃあ、明日はララの前に九時半に集合ね』
「勿論。じゃあ。また明日」
そう言ってソウは玄関前にある家の電話の受話器を置いた。
カコと出会ってもう一週間ほど経つが、二人は出会った次の日から毎日何処かへ行って
遊んでいた。
「あら、ソウ。明日もカコちゃんと遊ぶの?」
夜の洗濯物を二階に干しに行こうとしていたシノに問いかけられて、ソウは頷いた。
「明日。中央通りにあるララっていうショッピングモールに行くことになったの。カコが
一緒に買い物しようって」
「良かったわね」
そう言って、何故かシノは少し寂しげに笑った。
「ねぇソウ。まだ外出するときに帽子がないと怖い?」
控えめに言われた言葉に、ソウは一瞬固まった。
「………帽子がないと、私は外出できないよ。人の目線はいつだって無遠慮に私を突き刺
してくるから」
「カコちゃんは、多分本当にソウのことを思ってくれてると思うわよ。三日前に遊びに来
たときの二人の顔見て、お母さん泣きそうになっちゃったんだから」
「え?」
ソウは首を傾げてシノを見た。確かに二日前、ソウはカコを自宅に招待してシノが作っ
てくれたお菓子を食べながら互いに通っている高校についての話をした。嬉しいことに、
二人は同じ高校二年生だったので、互いに授業の分からない所の話をした時に余計な説明
は不必要だった。
「あの時、二人とも他愛もない話をしているつもりだったと思うけど、二人ともすっごく
幸せそうな顔で話していたのよ。ソウが久しぶりに心から笑って違う人と話しているのを
見て、とってもお母さんは嬉しかったんだからね?」
「……ありがとう。お母さん」
そう言ってソウはちょっぴりと笑った。
「おはよ~。ソウはいつも早いね」
「カコだって、まだ九時半まで十分時間が有るけど?」
翌日の午前九時二十分。二人は既にララの南入り口にいた。
「今日は思いっきり夏服を買っちゃおう!」
「あ、明涼学園って夏休みは私服登校が許されているんだっけ?」
入り口を通り抜けて呑気に一階のお店をぶらぶらとしながらソウはカコに言った。
「そうだよ。明涼学園は夏期講習は夏用の制服で参加しないといけないけど、それ以外に
学校に来るときは制服でも私服でもオッケーなんだよ」
「へぇ~。星華高校はいつでも制服じゃないと駄目なんだよ」
ソウが呟くように言うと、カコはふぅん。と言った。
「でもまぁ、星華高校って公立の高校でしょ?明涼は私立の高校でかなり規則とかゆっる
ゆるなんだよ」
「例えば?」
「廊下をバイクが走っていくとか?」
「………え?」
ソウは一瞬カコの言葉が理解出来なかった。
「そんな、物語かドラマだけでありそうなことがあるの……?」
「最近はなくなってきたけどね。生徒会と風紀委員会が厳しい取締りをして、そういう感
じの〈学生として流石にどうかと思われる行為〉を働いたら、怖い部活動の制裁に遭うん
だって」
「怖い部活動……」
「隠密で動いていて、部員数は僅かの三人。だけど生徒会を含む全ての委員会。部活動。
そして理事会までをも牛耳っているっていう噂があるよ?」
「こ、怖い………」
生徒同士ならまだしも、大人まで支配する部活動って何だろう。ソウはその部活動の仕
事内容が気になって仕方がなかった。
「ねぇ。カコ」
「なぁに?」
カコがうーん。と色んな洋服を手に取りながら悩んでいる。
「その、部活動って、主にどんな活動をしているの?」
「確か、お悩み相談?」
「………」
「ちょっと、ソウ!頭の上に大きなはてなマークが見えるよ!」
そう言ってカコは洋服を何着かカゴの中に入れた。
「ソウも洋服買わないの?今、凄い可愛い奴も安くなってるよ?」
「う、うん」
その後は、一旦謎の部活動の話は置いておいてソウとカコは純粋に買い物を楽しんだ。
「いっぱい買ったねぇ~」
二人とも両手に二袋ぐらいの洋服を買って二階のフードコートにあるサラドアイスクリ
ーム店に入った。
「ご注文は如何いたしますか?」
店員さんに爽やかに言われてソウは、バニラビーンズ入りダブルバニラを(何がダブル
かをソウは良く分からなかった)カコは、チョコミントを頼んだ。
「美味しいね」
ぱくっと頬張りながらソウが言うと、カコも頷いた。
「うん。ソウのやつ一口頂戴?」
「いいよ。じゃあ、カコのも一口」
二人は互いに相手のアイスを一口食べて笑った。
「あ。妹さん?」
程よい温度の昼下がりを楽しみながら会話をしていたソウとカコの横に一人の男性が来
た。
「リュウトさん!」
「カコの知り合い?」
リュウトと呼ばれた青年はニカッと笑っていった。
「久しぶりだね」
「ソウ。紹介するね。お姉ちゃんと仲の良い長谷川リュウトさん。高校三年生であたしと
同じ明涼学園の生徒。リュウトさん。彼女はあたしの友達の森原ソウ。星華高校の二年生
です」
カコが簡単に説明すると、リュウトは頷いていった。
「星華高校!偏差値の高いトップクラスの進学校だよね?」
「は、はい……」
先ほどのアイスクリーム屋の店員よりも爽やかに問いかけられて、ソウは少しだけどぎ
まぎとしてしまう。
(な、何だろうこの感じ……顔が熱いよ)
短めに切られた黒髪や何処までも明るい光を宿した髪と同色の瞳。体育会系の部活なの
か、無駄な肉を感じさせないスマートで爽やかな青年だった。
「あ、出会いがしらにこんな質問をして不快にさせちゃったらすいませんなんですけど、
どうしてソウさんって室内でも帽子被っているんですか?」
ドストレートな質問に、ソウは心臓が一瞬止まったかと思うほどびっくりした。
「そ、そんなに気になることですか?」
何とか言葉を振り絞って言うと、リュウトは笑顔で「はい」と答えた。
「………リュウトさん。ソウには色々と悩みがあるんですよ」
「?」
口を開いたカコの言葉にリュウトは首を傾げた。カコは真剣な瞳でリュウトを真っ直ぐ
と見ている。
「カコ………」
「ソウは、生まれつき髪が白くて目が赤いんです。ウサギさんみたいに。小さい頃はその
ことで苛められてたって言っていました。ソウにとってのコンプレックスなんです」
出来ればそんなにペラペラと喋って欲しく無かったと思いつつ、しかし、自分から言い
出せなかった私に対する優しさなのだろう。とソウは全てを語ってくれたカコを見ながら
思った。
しかしリュウトは、
「それって、何か変なことなんかな?」
「?何が?」
「髪の毛が白くて、目が赤いのがコンプレックスだったとしても、隠す必要はあるのかな
って」
「なっ……」
カコは思わず絶句した。ソウもビックリして目を見開いている。
「オレは綺麗だと思うけどね」
「き、綺麗って……」
ソウは自分でも分かるほど顔が真っ赤になっていると思い、思わず俯いた。
そして、その瞬間を狙ったようにリュウトはソウの頭から帽子をふっと取り除いた。
「リュウトさん!」
カコが非難に近い声を上げるが、リュウトは探していた宝物を見つけたように無邪気に
笑い、目を輝かせていった。
「ほら、やっぱり綺麗だ」
「う、でも。私をきっと皆変な目で見るから……」
今にも消え入りそうな声で反論めいた事を言うと、リュウトはしゃがんでソウの顔を覗
きこむようにして言った。
「大丈夫。ソウさんを苛める人が来たらオレが守ってあげるよ」
カコと同じ、屈託のない笑顔にソウは思わず涙が出そうになった。
「リュウト。さん?」
「リュウトでいいよ。だから、オレにもカコと同じようにソウって呼ぶ権利を与えて欲し
いかな?」
少し首を傾げて言うリュウトに、ソウは頷くことしか出来なかった。
「………リュウトさんって、大胆な人ですね。お姉ちゃんからは慎重な人だって聞いてい
たから、ちょっと意外でした」
カコがいつの間にか買ってきていた林檎ジュースを飲みながら言った。良く見ると、同
じものをあと二つ買っている。おそらくソウとリュウトの分だろう。
「カコ……ありがとう。庇ってくれて」
ちょっと控えめにソウがお礼を言うと、カコはぶんぶんと首を左右に振る。
「全然大丈夫だよ。それにしても、ソウの髪の毛はやっぱり綺麗だよねぇ。羨ましい」
「本当。雪みたいだ」
リュウトも便乗して林檎ジュースを飲みながら言った。ソウは気恥ずかしくなって、林
檎ジュースをぶくぶくと泡立たせた。
「リュウトもカコもお世辞が上手だね……」
「人の悩みを聞いてお願いを叶える部活動に入ってるんだ。多少の社交辞令並みのことは
するけど、ソウに言ったのは全部事実だよ?」
またもや、さらりと言われた言葉にソウは律儀に顔を赤く染めた。
「リュウトさんって、何の部活に入っているんでしたっけ?」
「あれ?ツキネから聞いてない?」
カコの問いに、リュウトは笑顔で言う。
「執行部。ある種のお悩み相談室」
「………えぇぇぇ!」
急にカコが大きな声で叫んだ為か、店内の目線はいっきにこちらへと向けられた。
「カコっ。周りのお客さんが見てるよ……」
ソウが三人でしか聞き取れないぐらいの音量で囁くと、カコは我に返ったように、少し
だけ俯く。
しばらくして、お客さんの目線がばらばらになると、今度は小さな声でリュウトに詰め
寄った。
「執行部って、あの執行部ですか?」
「明涼に執行部は一つしかないよ?」
「カコ。そんなに有名な部活動なの?」
ジュースを全て飲み終えたソウが不思議そうに聞くと、カコは思い切り頷いていった。
「午前中に話した怖い部活動のことだよ。執行部。尋ねてきた生徒や先生のお願いを聞く
条件として相手に見返りを求める。執行部は請け負ったお願いを絶対に遂行する。そして、
依頼人には〈約束〉というものを取り付ける」
「〈 約束〉?」
「〈 約束〉は執行部のお願いを何か一つ聞いてもらうこと。〈約束〉の数が多ければ多い
ほど、オレたち執行部はその人に何かを無条件で要求する権利を持つ。ギブアンドテイク
の考え方の一つなんだぜ?」
「三人の一人がリュウトなんだ……」
ソウが感心したように言うと、リュウトはにんまりと笑って言った。
「ついでに、残りの二人のうちの一人。執行部部長はツキネだよ?」
「えぇ!」
またしてもカコはオーバーリアクションに、しかし声の大きさは落として驚いた。
「?カコの知り合い?」
ソウがカコを覗き込んで言うと、リュウトは言った。
「ツキネの本名は狭山ツキネ。カコの義理のお姉さんだよ」
「もうやだ。お姉ちゃんのバカ……」
カコは疲れたようにテーブルに突っ伏した。
その後は、執行部の話をもっとリュウトから聞いたり、カコと二人でゲームセンターで
遊んだりしてから、ソウは帰路に着いた。
「おかえりなさい。ソウ。今日は楽しかった?」
リビングへ行くと、シノが夕飯の用意をしていた。こんがりと焼けた魚の香りが食欲を
そそる。
「うん。カコのお姉さんと同じ部活に入っているリュウトって人と仲良くなったんだ。が
っしりした体格をしていたから体育会系の部活に入っているのかなと思ったんだけど、何
か変な部活に入っているんだって」
「変な部活?」
シノは軽く首を傾げた。ソウは頷いて言う。
「執行部?って言うらしくて、依頼人の願いを叶える代わりに〈約束〉を取り付けるギブ
アンドテイクの部活って言ってた」
「………最近の子はやる事が変わっているのね」
シノはソウの説明に苦笑いをしながらテーブルにご飯を夕食を並べた。ちなみに、今日
の森原家の夕食は鯵の開きに白米。そして具だくさんの味噌汁である。
プルルルルルル。
「あら、電話かしら」
「出てくるね」
ソウは居間に買ってきた洋服などを置いて受話器を取った。
「はい。森原です」
『あ、ソウ?狭山です』
カコからの電話にソウはちょっと驚いたのか、目を丸くして言った。
「どうしたのカコ。今日は家に帰ったらお姉ちゃんに問い詰めてやるぅ~。っていってた
のに」
『お姉ちゃんが部活動の関係で明後日まで家に帰らないってお父さんが言ってたの。だか
らお姉ちゃんにまだ聞き出せない』
何処となく悔しさに滲んだような声にソウはははっ。と苦笑いを漏らした。
「で、明日の遊ぶ予定についてのこと?確か中央広場に午後二時集合だよね?」
『あ、それは無しにして欲しいの』
「……え?」
『実はね、学校の友達に凄い情報通の子がいて、その子が執行部の部室の場所を教えてく
れたの』
何故だろう?とソウは思った。嫌な汗が伝う。
「えっと………つまりは?」
ソウは先ほどの言葉にカコが受話器越しににんまりと笑うのが分かった。
『…明日。明涼学園の校門前に午前十時に来て欲しいの。出来れば星華の制服で』
「何で?」
嫌な汗はどんどんと増し、ついにカコの口から予想していた言葉は発せられた。
『明日。執行部の部室に押し入るよ』
翌日……。
「おはよう!ソウ」
「……おはよう。カコ」
次の日の朝十時。ソウはカコの言うとおり明涼学園の校門前に来ていた。
「星華の制服ってセーラーなんだね」
「うん。明涼はブレザーなんだっけ?」
ソウは星華高校の制服であるセーラー服を纏っている。夏服なので水色のスカートに紺
色のスカーフで、全体的にキーホルダーなどをつけない至ってシンプルななりだ。
対するカコは明涼学園の制服である黒地に赤い二本線の入ったスカートに白い半袖ブラ
ウス。首には暗い赤地に黒でチェック柄になっているネクタイをつけていた。持っている
ものも、ストラップなどがじゃらじゃらと付いていてソウとは凄く対照的だった。
「え。っと……カコは本当にその『執行部』の部室に乗り込むつもりなの?」
ソウは昨日のカコとの電話越しに会話をあんまり信じたくなかった。しかし、カコは両
手を握って目の奥で炎を燃やしながら(少なくともソウにはそう見えた)言った。
「勿論!お姉ちゃんの目論みを今日こそ暴いてあげるの!」
そう言って、カコはソウの手を引いて校門を通り抜けた。
明涼学園は町一番のマンモス校なだけあって、外観同様学校内も広かった。カコに手を
引かれてソウは歩いていく……。
西側の階段を四階まで上り、右側の通路を歩く、そうして辿り着いた教室は『第三物置』
と書いてあった・
「………物置って書いてあるよ」
ソウが遠慮がちに言うと、カコは頷いていった。
「マナミなクラス一の情報通だもの。間違いはないわ」
そう言ってカコは一つ大きな深呼吸をすると、意を決したように扉を開いて言い放った。
「二年C組十二番の狭山カコよ!ここの部長。狭山ツキネを呼んで頂戴!」
「あれ?随分と話が早いねぇ」
「………へ?」
勢い良く開いた扉の先には、想像絶する風景が広がっていた。
左側の壁一面には鍵がついた本棚。真ん中には黒い木のテーブルに挟むようにして置か
れた革張りのソファ。右側の棚にはマグカップや食器に冷蔵庫。そして奥にはスクリーン
とパソコン。更には簡易ベットまで用意されていた。
(…………現代版秘密基地?)
ソウは首を傾げながら心の中で思った。
「今ね。ツキネとリュウトは依頼執行中なんだ。ちょっと遅くなると思うから座ってて」
部屋に一人だけいた少年はそう言って右の棚から茶葉の缶をだした。おそらくお茶でも
淹れるのだろう。
「あ、あの。貴方は誰ですか?」
カコが虚を突かれてちょっとどぎまぎしながら尋ねると、少年は笑っていった。
くれじま
「僕?僕は暮島 ハルっていうんだ。執行部の一人。主に工作員と諜報部担当って所かな?」
そう言って、コンロに火を点けて上に水の入った薬缶を載せた。その間に素早くパソコ
ンを起動させる。一つ一つの動きは素早く無駄の無いものだ。とソウは思った。
「ほら、お客さんでしょう?早く座って。紅茶はアールグレイしかないんだけど文句は言
わないでね。ツキネがいつもこれしか飲まないんだ。砂糖とミルクは各自で淹れてね。机
の上には置いてるから」
まるで独り言のように喋りながらパソコンをいじる。みるとおそらく接待用なのだろう
ソファに挟まれた机の上には白い陶器の瓶が置いてあった。
「ハル・さんですか?用意がいいんですね」
カコが感心したようにソファに座りながら言う。ハルは不意に立ち上がると、いつの間
にか沸騰していた薬缶を持ってポットの中にお湯を注ぐ。注ぐたびにふわりと溢れる上質
な茶葉の香りに、ソウは小さな声で呟いた。
「この茶葉……。南区のモリワールっていうお店で売ってる茶葉と同じ香りがする」
すると、ハルは驚いたように目を丸くして言った。
「正解。星華高校の人か……良く知ってるね」
ハルはお盆にポットと二つのカップとソーサー。そしてお茶請けであろうクッキーの入
ったお皿を載せて、二人の座るソファまで持ってきた。テーブルに置き、ソウとカコの目
の前で紅茶をカップの注ぐ仕草は紳士的。というか、優雅で何処か上流階級の人間を思わ
せる気品があった。
「ねぇ。君の名前は?」
大きな猫のようなハルの瞳が不思議そうにソウを見つめる。いやらしさは全くない。寧
ろ知的好奇心をそそられたような純粋な色の瞳だった。
「森原……ソウです」
「じゃぁ、ソウちゃん。どうしてこの茶葉がモリワールのものだって分かったの?」
「わ、私のお母さんが、モリワールで働いているんです」
まず、人と話すことに慣れていないソウはおどおどしながら答えた。すると、ハルは首
を傾げて言った
「お母さんのお名前は?」
何でこんな事情聴取みたいなことをされているんだろう。ソウはそう思いながらも答え
た。
「森原。シノです」
「………え?シノさんのお子さん?」
ハルは只驚いたようでちょっと呆然としていた。
「ハルさん?ソウのお母さんとはお知り合いなんですか?」
カコが訝しげに言うと、ハルはとって変わって急に嬉々とした顔で喋り始めた。
「知り合いも何もないよ!シノさんは本当に僕の恩人だよ。一ヶ月ぐらい前にね。僕がこ
っそりツキネが大事に取っておいた紅茶缶を飲んじゃったことがあったんだけどねぇ」
それってどうなんだろう。とソウは思ったがあえて言わないでおいた。
「カコちゃんは分かると思うけどツキネは三度の飯より紅茶と茶菓子を愛するタイプじゃ
ない?もう逆鱗に触れたのも同様でツキネはカンカンに怒っちゃってね。『その紅茶缶よ
りも美味しい紅茶の茶葉を一時間以内に探してこないと八つ裂きにするぞ』って脅されち
ゃって」
「ね、ねぇカコ。カコのお姉ちゃんってそんなに怖いの?」
ソウがあまりにも気になってカコに尋ねると、カコは非常に申し訳なさそうな顔をして
言った。
「うん……。普段は物静かで温厚なんだけど、紅茶のことになると止まらなくて、もとも
と上に立って引っ張っていくタイプの人間だから空回りすると凄くって。何とか流ってい
う体術も習っていて、その気になれば普通の男性を十人ぐらいボコボコに出来る」
「何とか流じゃなくて桜嵐流ね」
ちゃっかりハルが訂正して再び話し出した。
「僕もまだ命が惜しいからね。何とか探したんだけど、町の外から取り寄せた蝶一級品の
紅茶缶だったからなかなか上回るものがなくて。そんな時に出会ったのがシノさんなんだ
よ」
ハルが途方にくれていたとき、声を掛けたのがシノだったらしい。モリワールの茶葉が
一級品であるかどうかは分からないが、これでよければ貰ってくれとハルに渡したらしい。
「一か八か帰ってツキネにシノさんから頂いた茶葉で紅茶と淹れたところ、ツキネは泣い
て絶賛してね。それで僕は何とか一命を取り留めた訳なんだ」
やれやれとでも言いたげに肩を竦めてみせたハルにカコとソウは笑った。
「良かったです。お母さんが誰かの役に立てていて」
ソウは紅茶に口を付けた。モリワールの紅茶はソウもよく家で飲んでいるが、違う場所
で違う人に淹れて貰うと、また少し味わいが違う気がした。
約三十分。もともと緩い性格のハルとは話がしやすかったのか、カコもソウも他愛もな
い話をしてツキネとリュウトが帰ってくるのを待っていた。
「でねー。その時のお姉ちゃんの反応があまりにも面白くって…」
すっかり上機嫌になったカコが茶菓子をバリバリと食べながら言う。カコの周りには食
べ零しが酷かった。
「………部室が騒がしいと思ったら、やはりお前か。カコ」
急に後ろから掛かった少し低い声に三人が振り返ると、明涼の男子用の制服を纏った二
人の少年がいた。
「おかえり。ツキネにリュウト。お客さんが来てるよ」
ハルが呑気にパソコンのキーボードを叩きながら言うと、リュウトは目を丸くして言っ
た。
「ハルが他人にお茶を出すなんて珍しい。……明日は台風だ!」
「台風どころで済むか。各地で異常気象多発。それこそ地球崩壊のプレリュードだろう?」
「二人とも僕に対する評価が酷いんじゃないかなぁ」
ハルが苦笑いをして言うと、長い黒髪を無造作に縛ったような風体のツキネが「はぁ」
とため息を吐いた。
「事実だ。猫のように気まぐれなお前が人の為に無条件で何かをするとは思えない」
「お姉ちゃん!いや、狭山ツキネ!説明しなさい。『執行部』の目的は何なの?」
急に椅子から立ち上がり(その際に食べカスが床に零れた)カコは右手を腰に、左手の
人差し指を真っ直ぐにツキネに向けて言い放った。………明らかに楽しんでいるのは言う
までもない。
「話すも何も、この部活は依頼人の願いを聞き入れる代わりにそれ相応の約束。つまり利
子をもらう部活動だ。他には何もない」
ツキネはそう言ってスタスタとカコの横を素通りしてハルの隣からコンピュータの画面
を見て言った。
「〈 奴ら〉の動きはどうだ?」
「問題ないよ。おそらく僕たちが手を打っていることには気付いていない」
「ならば問題はないな」
二人の会話を見ながら、ソウはちょっとだけリュウトの服の袖を引っ張って言った。
「本当にそんな内容の部活をしているの?」
「そうなんだ。元来はツキネのただの夢だったんだけど、ハルが色んな手を使って実現し
ちゃったって話」
「………所でカコ。その子は誰だ?リュウトとも仲が良さそうだが、星華高校の人か?」
ツキネが訝しむような目をソウに向けてきた。眉間には軽く皺が寄っていて、ソウはツ
キネとカコはあまり似ていないなと場違いに思った。
「森原ソウ。あたしが執行部に押し入るのを手伝ってくれた友達」
「………ハル?」
ツキネが隣のハルを見た。ハルは少し申し訳なさそうな顔をして言った。
「どうやらね。部室の存在がばれたのは野崎マナミのせいと見て間違いはないと思うよ。
野崎さんは僕のことをあんまり好いていないし、元々は利害の一致の延長線上に位置する
関係だもの」
「そうか……。では、それ相応の罰を野崎マナミには受けて貰うしかないな。データベー
スから野崎マナミにとって不利益となりそうな情報を探せ」
「了解」
ハルはツキネの言葉ににんまりと笑うと再びキーボードを叩き始めた。
「ちょ、ちょっと待って!マナミに何するの!」
話の流れ的に良くない方向に進んでいるのを悟ったのか、カコが慌ててツキネに言うと、
ツキネは淡々とした口調で言った。
「野崎マナミはハルを中心として構成される学園情報主義者の一人だ。相手の意思に反す
る情報の漏洩は情報主義第七目『如何ナル時デモ情報ヲ無闇ニ漏洩スル事ヲ禁ズル』第九
目『相手ニトッテ不利益トナル情報ハ相手ノ許可ヲ得タ上デ発信スル 』。 これに違反する。
情報主義十戒に違反したものとして、野崎マナミへ罰を与える」
「……へ?」
カコの頭の上には大きなはてなマークが浮かんでいた。しかし、状況がもっと理解出来
ないのはソウである。
(ええと、カコに執行部の部室の場所を教えてくれた野崎マナミさんは明涼学園の情報主
義者の一人で、カコに教えた情報が執行部にとって不利益な情報だったから、情報十戒?
に違反するものとして、罰を与えようとしているってこと?)
意味が分からない。と言うか、情報主義者とは何だ?
「この学園は約一万人に近い生徒数を誇っている。だけど、人数が多いとその分治安は乱
れやすい。だから同じような考え方を持った人たちで委員会や部活とは違う組織を作るん
だよ」
リュウトがソウに軽く補足説明を始めた。
「情報主義者はそれなりに力のある組織でね。世の中は情報が一番強いと思っている人た
ちが集まって作ったネットワークみたいなもんなんだ。互いに持っている情報を交換し、
どちらにとっても有益な情報が得られるようにする仕組みがある」
「でも、情報主義者のネットワークは時として強大すぎる情報が入ってくることがあるん
だ。入ってくるだけならまだしも、その情報を悪用して何かをしでかそうとする人も出て
きたりする。それを取り締まる為に、情報十戒があるんだ」
ハルが話しながらいい情報を見つけたのか、子供のように目を光らせた。
「いいネタはっけーん。これをだしにしよっと」
「や、止めてください!」
思い出したようにカコが叫ぶ。ツキネはそんなカコに一瞥もくれずに言った。
「野崎マナミがこういうような目に遭うのは、お前のせいなんだぞ?カコ。お前が執行部
のことをむやみやたらと捜索しようとしなければ野崎マナミは情報を無断で流す事もしな
かっただろう。お前の好奇心が生んだ罰だ」
酷く冷たい声音でそう言ったツキネに、カコは興奮したように言う。
「あたしが、こんな事をしなければマナミが罰をつけることにはならなかったなら、あた
しが代わりに罰を受けます……だから、マナミには何もしないで」
今にも消え入りそうなカコの声にソウはなんと言っていいのか分からず、只呆然と立ち
尽くしていた。
「………情報主義者の組織における情報十戒は絶対だ。野崎マナミが犯した罪は消えない。
しかし、それでも罰を取り除きたいと言うならば…………狭山カコ。森原ソウ。執行部に
入れ」
「「 ………はい? 」
」
ソウとカコの声はいい具合にハモった。ソウが、ビックリしてツキネを見ると、ツキネ
はさも当然とでも言いたげな顔をしていた。
「普段。執行部は依頼人としか関係を持たない。アポイントを取るのも食堂や中にわなど
の普通の場所だ。あるかないかすら謎に包まれた執行部の部室の場所を知ったんだ。只で
帰すわけには行かない」
「だから、執行部に入れということですか?」
ソウが少し控えめな口調で言うと、ツキネは頷いた。
「で、でもお姉ちゃん。あたしは言いとしても、ソウは星華の生徒なんだよ?違う学校の
部活に入っても大丈夫なもんなのかなぁ?」
「確かに、カコの言い分は正しい。ソウは星華の生徒で、執行部は明涼学園にしかない特
別な部活だ。しかし……」
ツキネはあくどい笑みを浮かべて言った。
「転入手続きを行えば、問題はない」
「………明涼委員会?」
明涼の生徒では無いソウですら知っている名前だ。学園側の最高組織。ここで予算の配
分や成績会議など、浅い話から深い話まで全てが話される。理事長が明涼委員会の最高席
に着き、その周りを教頭や主任が固めているのだ。
「執行部を舐めないで欲しいな。たかが一公立高校から生徒を一人引き抜く事など、造作
も無い」
完全に悪役の笑みを浮かべて笑うツキネに正直ソウとカコは引き気味だった。
「で、どうするの?執行部に入るの?入らないの?」
ハルの場違いに明るい声に、ソウは、少しだけ口角を吊り上げていった。
「入ります。執行部」
ソウは星華が嫌いだった訳ではない。しかし、何となくだがこの個性的な面子揃いの部
活動をやっていける気がしたのだった。
その後はとりあえずツキネやハル。リュウトと携帯のアドレスを交換して、この日は解
散となった。正確には、
『自分はハルと一緒に明涼委員会にソウの転校手続きを行わせるように説得してくる。カ
コとソウは今日は執行任務が無いから帰ってもいいぞ』
というツキネの言葉からだった。リュウトもやる事が無いらしく、三人で今度はクレー
プを食べに行かないかと誘われたが、色々あって疲れたソウは一足先に買えることにした。
「………あ」
千切れちぎれに浮かぶ真っ白な綿飴のような雲を眺めながら、ソウは動かしていた足を
止めて立ち止まった。
目の前には市立図書館。カコと友達になった八月一日に訪れて以来、あまり来ていなか
った場所だ。
「……ミズキさん。元気かな?」
生憎今日は手土産は無いが、まぁちょっと逢うだけならいいだろうと思って、ソウは市
立図書館の自動ドアを潜り抜けた。
「………随分と久しぶりだな。ソウ」
ミズキはいつも通りあの人気の少ない古書コーナーで読書をしていた。しかし、珍しい
ことに、ミズキの隣にはソウと同じぐらいの歳の眼鏡を掛けた少女がいた。
「ミズキさんのお知り合いですか?」
ソウが首を傾げて尋ねると、ミズキは少し笑って言った。
「島田スイ。私立明涼学園の二年A組の生徒だ。俺と同類。といったところか」
同類。不思議な言い方をするなぁと思いつつ、ソウはスイと呼ばれた少女を見た。
「あ、貴女がソウさん?ミズキから話はよく聞いてるわ。ウチは島田スイ。スイって呼ん
で欲しいな」
真っ黒な髪に同色の瞳。理知的だが、何処か好奇心に溢れた瞳が印象的だった。何より
も、差し出された手が好印象だった。
「森原ソウです。よろしくお願いします」
「礼儀正しいんだね。ウチはそこらへんがてんで緩いから、なっかなか上手くいかなくっ
てさぁ~」
カコよりも砕けた感じに喋るスイにすぐにソウは打ち解ける事が出来そうだと思った。
しかし、
「じゃぁ、ウチはこれから塾なんで、おいとましますね~」
「塾に通ってるんですか?」
ソウが聞くと、スイはふぅ。っと息をついて言った。
「親が厳しくてね。何とかAクラスまでこれたけど、授業についていくのもぎりぎりなん
ですわ。んじゃ、機会が許せばまた会いましょ~」
そう言ってひらひらと手を振りながらスイは去っていった。
「………スイさんって、変わってますね」
ソウが呟くようにいうと、ミズキは眠そうな顔で言った。
「ああいう奴なんだ。基本やっている事に悪気は無いし、元来自由な性格だからな。束縛
だとか、制約を受けるようなことが苦手なタイプなんだ」
ふぁふぁと大きな欠伸を一つして、「そういえば」とミズキは呟く。
「急にどうしたんだ?律儀なソウが手土産を忘れて来るなんて」
「いえ。只、最近ミズキさんに会っていないなぁ。って思いましてやって来た次第です」
「そうか」
簡潔にそう言うと、ミズキは向かい側の椅子をソウに勧めた。ソウもその言葉に甘えて
座る。
「まぁ、ここまで顔を出さないのは体調を崩した時かよっぽど外せない用事があった時ぐ
らいだからな。何かあったのか?」
「実はですね……」
ソウは最近あった話を大雑把に話した。それでも長くなってしまうのだから、ソウとし
ては大切なことなんだろう。と改めて再認識すると共に、適当に聞き流しているようにも
見えるミズキがしっかりと要所ごとに相槌を打ってくれるのも嬉しかった。
「………ソウは、今幸せなんだな」
概要を説明し終えた後にミズキの掛けた言葉である。ソウはその言葉にゆっくりと、し
かし力強く頷いた。
「時には、幸せだった思い出は辛いときを乗り越える為の武器となる。来るべき辛いとき
のためにしっかりと備えておくんだな」
「来るべき辛いとき?」
ソウは首を傾げた。何故ミズキは未来のことのような話をするのだろう?
しかし、ミズキは深く説明する訳でもなく、曖昧に笑って誤魔化した。
それから約三十分ほどどうでもよさそうな話をして(ソウにとってミズキとするどうで
もいい話には何かしらの意味があった)帰路に着くと、リビングには大きな荷物がたくさ
ん置いてあった。
「お母さん……」
「あら、お帰りなさい。ソウ」
「これ、何?」
荷物を指さして言うと、シノは笑っていった。
「ソウ。明日から明涼学園の特待生になるんでしょ?一時間ぐらい前に明涼学園の先生っ
て名乗る人が来て、教科書一式と制服を置いていったのよ」
「……話が早すぎるよ」
改めて執行部の権力の強大さにソウは気付かされた。ミズキと他愛も無い話をしている
間に明涼委員会に話を通してきてしまうのだから、特にツキネとハルは只者ではないのだ
ろう。
プルルルル。
何とも味気ない音を立てて携帯がメールを着信した。宛先はツキネからである。
『明日の九時半に明涼学園の制服を着て部室に集合。執行内容は全員が部室に揃い次第伝
える』
絵文字も無ければ文字の色が変わっているわけでもない。白と黒だけのメールの文面を
見て、ソウはちょっとだけ息をついた。そんなソウの様子を見たシノが苦笑いをする。
「またカコちゃんから?」
「違うよ。部長さんから、九時半に制服を着て部室に来いって」
すると、シノはよほど驚いたのか一度動きを止めてソウを見た。
「……もう、部活にも入ったの?」
「入ったというか……強制入部?そんな感じなんだけど、何となくやっていけそうな感じ
がしたから」
ぽちぽちと「了解しました」という言葉を打ち込んで送信する。
「………ミウちゃんの事から、立ち直る機会になるといいわね」
良心から掛けた言葉なのだろうが、一瞬だけソウの呼吸が止まった。
「…うん」
シノの言葉に対するソウの反応は、ツキネからのメール同様に味気ないものであった。
バスに揺られて約十五分。ソウは明涼学園の校門前にいた。昨日とは違う心情である。
昨日はカコの付き添いとして、今日は新しい明涼学園の生徒として校門の前になっている
のだ。
「…よしっ」
意を決してソウは校門を潜り抜けた。校舎の階段を上り、『第三物置』と書かれた部屋
の扉を叩く。
「はぁい」
返事があり、扉を開くと既にカコ以外の三人が待っていた。
「ソウか随分と早いな」
時刻はまた九時にもなっていない。
「ツキネたちも早いね」
ソウが後ろ手に扉を閉めながら言うと、ツキネは笑っていった。
「今日は、執行部にとって運命の日だからな」
「運命の日?」
後ろ髪を簡単にアップにしたような髪形のツキネは意味深に笑った。見ればリュウトは
しきりに左側の棚を弄っているし、ハルはコンピュータから目を逸らそうとしない。
「……遅れてすいませんっ」
ガラッ。と扉を開けて入って来たカコにようやくハルとリュウトは顔を上げた。
「全員揃ったな。では、これから執行内容を伝える」
カコが扉を閉めたのを確認すると、ツキネはよく響く声で高らかに宣言した。
「まずは、ハル。スクリーンに概要を映してくれ」
「了解」
ツキネの指示にハルは頷いてパソコンの映像をスクリーンに映し出した。機を見計らっ
たようにリュウトが部屋の電気を落とす。
「……今回の執行任務は執行部の存続に関わる重要な任務だ。やる事は一つ。『カウンセ
リング部』を事実的に抹消することだ」
「え!カウンセリング部を!」
カコが思わず声を荒げる。
「カウンセリング部?」
「人の悩みを聞いて無償で手伝う部活だよ。やっていることは執行部と殆ど同じだけど、
対照的な違いが一つだけあって、カウンセリング部は依頼を見返りを求めずに行うボラン
ティア団体。それに対して執行部は依頼に対して何かしらを見返りを求める所謂ビジネス
としての団体って訳だ」
ハルの分かりやすい説明にソウは成る程。と頷いた。そこで、新たな疑問が生まれる。
「ツキネ。どうして潰す必要があるの?」
「そうだよお姉ちゃん。全学年全クラスから支持率の高い部活動を抹消したら、今度こそ
明涼委員会は黙ってはいないと思うけど」
「だからこそ、潰す必要がある」
リュウトの何処と無く決意のようなものが滲む言葉にソウもカコも首を傾げることしか
出来なかった。
「………ともかく、質問は内容を説明し終えてから時間があったら聞く。今回の作戦はこ
うだ。まずあらかじめ仕掛けておいた盗撮機でカウンセリング部部室の様子を窺う。こち
らがGOサインを出したら、ソウ。お前にカウンセリング目的という名目で奴らの部室に
入ってもらう」
「私?」
ソウは思わず自分を指さした。ツキネは頷いて言う。
「自分たち三人は既に明涼委員会から執行部としてマークされている。カコも自分の妹と
して危険扱いされている可能性もあるし、何より危なっかしい。ソウが一番適任だと判断
した」
そう言ってツキネは再びスクリーンを見た。
「初めは温和に交渉してくれ。もし無理そうだと判断したら、自分たち四人で奴らの部室
に奇襲を掛ける。物は破壊してもいい。しかし、極力人間には攻撃するな。あくまでも相
手に恐怖感を煽らせる事が目的だからな」
そう言って、ツキネはハルに「スクリーンの電源を落としていいぞ」と言った。スクリ
ーンが暗くなり、リュウトが再び部屋の明かりを点けた所で、ツキネはソウとカコを見て
言った。
「時間が余ったので質問を許可する。何か質問は?」
「どうしてカウンセリング部を抹消する必要があるの?」
カコが間髪入れずに言うと、ツキネは少し目を細めて言った。
「現実を見るために。だ」
「現実を見るため?」
ツキネの言葉にソウは首を傾げた。現実。とは一体何なのだろう?
「現実って何さ。カウンセリング部のほうが生徒からの信頼が厚いから、お姉ちゃんはそ
れが気に食わないだけでしょ?そんな理由で部活を一つ抹消するなんて間違っているよ」
カコはよほど腹が立っているのか、じっとりとツキネを睨みつけて言った。その様子に
ツキネは少しため息を吐いて、吐き捨てるように言う。
「半分は血が繋がっている自分の妹なのに、お前は現実を知らないんだな。生ぬるい環境
で暮らしていたのが手にとって分かるようだよ」
「何ですって!」
一触即発のような気まずい雰囲気になっていたのを「まぁまぁ」とリュウトは宥めるよ
うに割り入った。
「カコちゃんもツキネも少し落ち着いて。ツキネは念願のことなんだから。カコちゃんも
ツキネのことを少しは分かってあげて欲しいな」
柔らかい声そう言ったリュウトにカコは渋々といった様子で頷いた。
「……ハル」
「用意は出来てるよ。三人分。で構わないんだよね?」
ツキネの先の言葉を知っているとでも言いたげにハルはそう言った。ツキネが無言で頷
くとハルはコンピュータの前から立ち上がって左の棚から何やら黒い棒を三本取出して、
ツキネ。リュウト。カコの三人に渡した。
「そこの腕章をソウ以外は付けて。ソウは制服のポケットにでも隠し持っておいて欲しい
な」
ワインレッドの下地に金糸で執行部と書かれた腕章はあまりにも威厳のあるものだった。
ソウがポケットにしまうと、ツキネはソウとカコを順に見て言った。
「指揮は自分がとる。気に食わなくても、この任務が終わるまでは自分の指示に従え」
午後一時十三分。
ソウは一人でカウンセリング部の部室に来ていた。制服の胸ポケットには小さな盗聴器
が入っている。
『いいかソウ。難しいかもしれないが、この仕事はソウにしか出来ない仕事だ。検討を祈
る』
ツキネの言葉は重く責任を感じるものであったが、ソウはそれを少しばかり心地よく感
じた。自分が今、誰かに必要とされているということを肌で痛感したのだった。
大きく深呼吸を一つして、ソウはカウンセリング部の部室の扉をノックした。
「はい。少々お待ちください」
中から声がして十数秒後。扉が開く。
「遅れてすいません。カウンセリング部へようこそ。相談ごとですか?」
出てきた青年にソウはおずおず。といった感じで「はい…」と呟くように言った。
「では中へどうぞ」
中へ通されると、中には約十人ぐらいのおそらく部員であろう人たちが何やら談笑など
をしていた。
「こちらへおかけください」
男性が指し示したのは執行部の部室にあるものと同じようなソファ。ソウは大人しく座
ると、目の前に緑茶が出された。
「初めまして。ボクはカウンセリング部の部長をしています。三年D組の青沼といいます。
ご相談内容をお聞かせ願いますか?」
いかにも人当たりの良さそうな笑みを浮かべていったカウンセリング部部長の顔をしっ
かりと見据えて、ソウははっきりとした声で言った。
「私がここへ来たのは相談ではありません。交渉です」
「交渉?」
青沼。と名乗った彼は一瞬きょとんとした顔をしたが、理解したのか続きを促してきた。
「何における交渉ですか?」
「この、カウンセリング部を廃部にしていただく為の交渉です」
その言葉に、青沼は苦笑いをした。
「……随分と大胆な交渉ですね。残念ながら、それは出来ません」
「何故ですか?」
「中高生という多感な時期には必ずと言っていいほど悩みは付き物です。その悩みを共有
し、少しでもその人たちの役に立ちたい。と思うのが一般的なものではないでしょうか?」
「その役に立ちたい。とは、如何いう意味を兼ねて言っているのですか?」
ソウの言葉に青沼は至極当然とでも言いたげに言った。
「勿論。その悩みを軽減してあげるのです。それがカウンセリング部の活動意義ですから」
ソウは、確かにカウンセリング部の話は悪い事ではない。と思った。悩みを聞き、少し
でも相手のためとなるように努力をする部活。端から見ればいい部活だ。そう、「端から
見れば 」。
「では、交渉は決裂。ということで構いませんか?」
ソウは淡々とした表情で言った。青沼は首を竦めると微笑して言う。
「そういうことになり……」
最後にます。とでも言いたかったのだろうが、青沼の言葉は最後まで紡ぐ前に掻き消さ
れた。
……ドアを蹴破る。爆音によって。
扉があった場所に佇む四つの影を見て、カウンセリング部の部員たちは一様に驚いてい
た。
足を軽く上げている(おそらく扉を蹴破った張本人であろう)男子用制服に身を包んだ
生徒。狭山ツキネはニヤリと不敵に笑って言った。
「交渉は決裂。……これよりプランBへと移行する」
その言葉よりすぐに他の三人は動き出した。リュウトとカコは手渡されていた苦労棒で
次々と部室内にあるものを叩き割っていく。
「な、何なんだ君たちは!」
おそらく部顧問であろう中年男性が四人の左肩につけられた腕章を見てサッと青ざめた。
「自分たちは執行部。カウンセリング部の悪事を暴きに来た」
「や、やれぇ!」
男性の声が掛け声だったのか、部員たちが一斉に部長であるツキネの動きを止めようと
手を伸ばしてきた。
しかし、ツキネはいとも簡単にかわすどころか彼女よりも屈強な男子生徒にまで鳩尾に
パンチを入れていた。
「やはり、一般の生徒は弱いな……」
好戦的な目で次々と部員をなぎ倒していくツキネをソウは純粋に凄いと思った。
「ソウ。お疲れ様」
こつん。と頭を軽く小突かれてビックリして我に返ると、横に腕章を付けたハルがいた。
「今は執行部としての仕事だから、腕章をつけて」
「う、うん」
ハルの言葉に慌ててソウは腕章をつけた。そして、何もせずに三人が戦っているのを見
ているハルを見て言う。
「ハルは戦わないの?」
「僕の仕事はこれから。ソウも手伝って欲しいな」
そう言ってハルは、まだリュウトとカコが壊していない電気機器。カウンセリング部の
パソコンを起動させて胸ポケットから黒いUSBメモリをつないで画面を開いた。
「ソウには、作業が終わるまで見張り役をして欲しいんだ。これを預けておくから」
そう言ってハルが渡したのはあの黒棒だった。
「これって、何?」
作業に集中しているハルに控えめに尋ねると、ハルはパソコンから目を逸らさずに言っ
た。
「振る勢いが強ければ強いほどに効果抜群な棒だよ。誰かが襲って来たら、それで思いっ
きり殴ってね」
「わ、分かった」
ソウは試しに、といっては失礼だが、ツキネに半殺しにされている部員の一人に勢いを
つけて殴ってみた。
「えいっ」
ちょっと振り上げただけなのに凄い音を立ててその部員の後頭部に直撃した。殴られた
部員は「ぐふっ」と情けない声を出して倒れた。
「す、凄い」
単純にソウが感動してると、カコがソウの許へ急いでやって来た。
「ソウ!大丈夫だった?」
見ればカコの棒には少しだけ赤い何かが付着している。ソウは思わず苦笑いしながら
「大丈夫…」とカコに伝えた。
「はい解読完了。ツキネ。もういいよ」
ハルの言葉にツキネもリュウトも動きを止めた。そうしてツキネはハルの許へなぎ倒し
た男子たちを避けて行くとパソコンの画面を見て苦虫を噛み潰したような顔をして言った。
「………やはり、な。ハル。トランシーバーを全校放送に繋げ。そして明涼ネットワーク
から学園内全ての電子機器にそのデータをアップロードするんだ」
「はいはい」
軽いノリでそう言ってカタカタとキーボードを叩く。その姿をカコとソウは不思議そう
に見ていた。
「はじまるよ」
いつの間にか二人の後ろに来ていたリュウトがニヤリと笑っていった。
『生徒諸君。よく聞いて欲しい』
ツキネはポケットから出したトランシーバーに向かって喋りだした。しかし、その声は
何故か学園内全ての部屋の設置されているアナウンス用のスピーカーから流れ出た。
『自分は執行部部長の狭山だ。これより、カウンセリング部に隠された闇を全校生徒に伝
えようと思う』
「闇?」
カコはリュウトを見た。リュウトは「しー」と口元に指をあてた。
『執行部とカウンセリング部であれば勿論カウンセリング部のほうが支持率が高いことも
知っている。しかし、聞いた悩みを悪用していると誰が知っていたことか!』
滔々と語るツキネの言葉に補助をするようにテレビやパソコンなどの電子機器全てに同
じ図が映し出された。
『カウンセリング部は相談に来た人の悩みを漏洩するだけでなく、それを使って金儲けを
していた!無償で働いてくれる代わりに人権は保障されていなかった!』
モニターに映し出された図面は何かの資料であった。そこには氏名。悩み事。そして儲
かったお金として少量のものから莫大なまでの金額が提示されているものまであった。
『生徒諸君!現実をしかと見据えろ!見返りを求めないものなど、この世にはないのだ』
叫ぶようにそう言うと、ツキネは乱暴にトランシーバーの電源を切って愕然としている
カウンセリング部部長をみて言った。
「お前らカウンセリング部のしていた罪は重い。しかし、自分たちの目的はその罪を白日
の下へ曝すこと。後に罰は明涼委員会から下るだろう」
そう言って、ハル、ソウ、リュウト、カコの順に見てからほんの少しだけ口元を』緩め
た。
「執行完了だ。もう帰ろうか」
「あーあ。カウンセリング部はやっぱり執行部に潰されちゃったかぁ~」
少女が一人。ベットの上でごろごろと転がりながら独り言のように言った。
「まぁ、所詮捨て駒だし?女王がこれから如何いう手を打ってくるかは、次に期待しよっ
と」
少女は枕の下から一枚の写真を取り出した。写真には色鮮やかに一人の少女が映し出さ
れている。
「待っていてね。女王。貴女の罪でいつか貴女が啼くことになるのが唯一の楽しみだから」
少女は写真を見ながら純粋無垢な笑みを浮かべていた。
結論から言うならば、カウンセリング部は廃部となった。執行部の摘発によりカウンセ
リング部の闇であった部分があの後ぼろぼろと出てきたらしい。
「何はともあれ。上手くいって良かったねぇ~」
第三物置と書かれた執行部の部室の簡易ベットの上でハルがうーん。と伸びをしながら
言う。まるで猫のような仕草をするハルにツキネは少し目を細めて言った。
「これで依頼人の願いを執行出来たな。依頼人には今日中にでもメールを送っておいてく
れ」
「了解」
ツキネとハルのやり取りをみていたカコが耳打ちをするようにリュウトに話しかけた。
「お姉ちゃんとハルさんって、付き合っているんですか?」
「ぶっ」
よほど驚いたのか、リュウトは飲んでいた紅茶を軽く吹きだした。
「りゅ、リュウト大丈夫?」
ソウがティッシュを差し出すとリュウトが「ありがと」と言って受け取る。
「それは無いよ。ああ見えてもツキネは恋愛をしたことがないし、ハルがまず恋愛に興味
を持つことなんてあるはずもないから」
「何で?」
ソウが首を傾いで言う。
「ハルは元々恋愛感情が無いんだと思うんだ。だって、自分を大切に……」
「何を話しているんだ?」
急にツキネから声を掛けられてリュウトの肩はビクンと跳ねた。
「な、何でもないよ!」
慌ててリュウトが言うと、ツキネはそうか。と呟いて言った。
「久しぶりのヤマだったからな。執行完了記念ということで、全員でカキ氷でも食べに行
くか」
「カキ氷!」
「全員で!」
順にカコ。ソウの順番で嬉しげに言う。
「勿論。今回の摘発の礼として明涼委員会から頂いた賞金でな」
普通に考えればブラック企業のような部活動だが、ソウはこの瞬間。この部活に入って
良かったと思っていた。
それからは日付が進むのはソウにはあまりにも早く感じられた。執行部としての仕事を
したり、全員で何処かへ遊びに行ったり(基本は駄菓子屋さんやショッピングモール。時
には全員で映画を見に行ったりもした )
、 八月下旬に差し掛かって来ると、ソウがカコに
勉強を教えたりと、今まで感じたことが無いほど充実した夏休みをソウは送っていた。
そして、あっという間に時は過ぎて八月三十一日。
今日は全員で遊園地へ来ていた。
「遊園地なんて久しぶり!」
先陣を切って歩いていたカコが嬉しげに笑っていった。ここ最近は二学期に向けての用
意(つまりは夏休みの宿題を終わらせること)と執行部の依頼が立て続けにあって、なん
とか全員で遊べる日を夏休みの最後に確保出来たのだった。
「皆は何乗りたいの?」
リュウトの他愛もなさそうな言葉にすかさず反応したのはハルとカコ。
「あたしはお化け屋敷に入りたいです!遊園地といえばお化け屋敷でしょう!」
「僕はジェットコースターがいいかな?お化け屋敷よりもジェットコースターのほうが楽
しいもん」
存外。ハル子供っぽかったのをソウは最近知った。他の全員もそうなのだ。皆明るくて
気丈に振舞っているように見えて、やや幼さが垣間見える面があったりする。
「夏休みの最後に遊ぶ機会を設ける事が出来て良かったな」
何処か親のように笑いながらツキネが言う。ソウはその言葉に少し寂しくなった。
(夏休み。最後の日………)
ソウだけが知っている。この素晴らしい日の次には何も無いということを。只時間が無
情にも遡り、夜寝てから朝起きてみると八月一日に戻っているだけなのだ。
「ソウ?そんな暗い顔をしてどうしたの?」
多少ネガティブな事を考えていたのが顔に出ていたのか、リュウトが心配そうにソウの
顔を覗き込む。
「う、ううん。何でも無いよ」
ソウは思考を悟られないようにリュウトに微笑んで見せた。
「見えて来たよ!」
先ほどよりも半オクターブ程高い声でカコが言う。顔を上げてみると観覧車やジェット
コースターが遠目にも見えた。
ソウは先ほどの暗い思考を追い払うように首を振った。どうせ最後になってしまうなら、
最後の最後まで全員で楽しい思い出を作ろう。そう心に誓って
*
********
はっと目を覚ますと枕は何故かしっとりと濡れていた。
「な、んで……?」
思わず目元に触れる。すると枕の濡れた理由が自分が涙を零していることにソウは気付
いた。
「あ。れ?遊園地……」
自室のベットの上で寝ていたソウがいつものように目を向けると、時計は八月一日の午
前八時を示していた。
「八月三十一日は……」
どうなったんだっけ?
ソウは寝ぼけた思考回路をフル回転させて六十三回目の八月三十一日を思い出す。
(確か、多数決で一番初めに何のアトラクションに乗るかを決めたんだよね?で、まずは
無難にコーヒーカップに乗ろうってなって、で観覧車に乗ってジェットコースターに乗っ
てお化け屋敷に入って……あれ?)
最後は?
ソウは首を傾げた。確か最後にショーを見て帰ろうってなって、ショーを見て…。この
先が思い出せない。見終わってからそのまま帰ったかすらも全体的に霞が掛かったように
曖昧だった。
「ソウー!早く起きないと学校に遅れちゃうわよー」
下からしたシノの声にソウは更に首を傾げた。
「学校って、今日は星華は登校日じゃないよ~」
下に向かって叫び返すと、シノからはありえないような言葉が返ってきた。
「星華?貴女の高校は明涼学園でしょ?今日は執行部の仕事があるから九時前には学校に
行かなくちゃいけないって、昨日の夜言っていたじゃない」
ソウは一瞬言葉を失った。今、母はなんと言った?
「………変わってる?」
今までには、過去の六十二回では無かった事である。六十三回目のループを転機に何か
が変わったのだろうか?
「ソウ。急がないと本当に遅れるわよ~」
「分かった。今行く!」
ソウはとりあえず叫んでクローゼットを開いた。中にはきちんとハンガーに掛けられた
明涼の制服がかかっている。
ソウは大きく一息吐いた。考えていたって仕方が無い。まずは行動あるのみだ。
ソウは電光石火の勢いで着替えてリビングへ降りていった。
この後。何度か夏を繰り返して分かった事がある。
一つ。六十三回目以降の夏は六十三回目で起きた事に少しずつ上書きがされるタイプで夏
が繰り返されている。
二つ。相変わらず。夏が繰り返されている事を知っているのはソウだけである。
六十三回目の夏でソウたち執行部が執行したカウンセリング部の廃部はきっちりとされ
ており、その後の夏で執行部として関わった人々との関係は残っているようだ。
しかし、何回夏を繰り返しても分からない事も出てきた。
「………最後は、どうなったんだろう?」
ぽそりと呟いた言葉を聞き逃さなかったのか、ミズキが聞いてくる。
「どうしたんだソウ?読みかけの本でもあるのか?」
六十九回目の夏。八月十二日の昼下がり。執行部で大きな仕事を一つ単独で(といって
も情報などはハルから仕入れてくるが)やり遂げたソウは、久しぶりに図書館を訪れてい
た。
「ううん。何でもないです」
ソウは慌てて首を振って否定した。するとミズキは「そうか…」と呟いて、質問をする
ために止めていた手を再び動かし始めた。
「ミズキさんも、こんな所で油を売っていてもいいんですか?ちゃんと仕事しないと怒ら
れるんじゃないですか?」
ミズキは、ソウのほうを向いて筆を動かしていた右手を止めた。何故か六十六回目の夏
からミズキは水彩画にはまっていて、(それもかなり)ソウが図書館に訪れたときはミー
ティングルームで何処からか持ってきた画布とパレット。絵の具をふんだんに使って楽し
そうに(時々真剣に)絵を描いている。
「時間はいつだって無限にあるわけではない。自分にとって有意義な事をするべきだ」
群青色の絵の具をパレットからとってするりと塗る。確かに、ミズキはそれなりに絵が
上手であった。しかし、
「今日も、青い絵しか描かないんですね」
ミズキの絵はどんな絵を描いても青系の色をふんだんに使っていた。水にちなんだ絵を
描く事が多く、ソウは青くない絵を見たことが無かった。
「墓。だからな」
出来上がった深い水底を思わせる絵をミズキは満足そうに眺めると、右下に黄緑色でイ
ニシャルを入れた。
「墓?」
ソウは誰の?と言いたくなったが、止めた。何となく答えが返ってくる気がしなかった
からである。
「ずっと昔に、水に沈んだ人がいた。必死に手を伸ばしたが、それでもとどかない人だっ
た」
ふと、ミズキが寂しげな目をして言った。ソウはこんなミズキの目は見たことがないと
思った。
「彼女には未来があった。希望も、大切な、将来を歩んでいくはずだった人もいた。だが、
運命とは残酷だな。彼女と彼女の幼馴染の男は、とあることで競わなくてはならなくなっ
た」
そこまで話して、ミズキは言葉を切って言った。
「続き。聞きたいか?」
ミズキの問いにソウは控えめに頷いた。
「内容は簡単。底なしの水に潜るんだ。深く深く潜って先に音を挙げたほうが負け。この
水と言うのは、何か特殊なものでな。水の中では息が出来る。何処まで行っても、それは
変わらないが代償として何処までも潜り続けなければならない。男と彼女は延々と潜り続
け、最後に彼女は男の為に音を挙げることを決意した」
「それは、単に勝ち負けを争うだけのものでは無いのですか?」
ソウは呟くようにいうと、ミズキは描かれた絵を、いや。その奥に描いた何かを見つめ
ながら言った。
「勝ち負けを争うだけではない。負けを認めた時点で、敗者は底の無い水を永遠に沈むこ
とになる。言わば死ぬと言う事と同意義だ。彼女は男の為に死ぬ事を決意した。だから、
男は永遠に忘れる事が出来ないんだ。暗い。終わりの無い水底に沈んでいく彼女の広がっ
た黒髪や、優しげに弧を描いた口元。そして一抹の後悔の残る瞳を」
そこまで話して、ミズキはソウを見た。もう寂しげな瞳はしていない。
「ソウは、さっき最後はどうなったんだろう。といっただろう?だから、俺の取っておき
の親から聞いた好きそうな話をしてみたんだが」
「………はい?」
ソウは首を傾いだ。
「青い絵を描くのは、その彼女のお墓だからじゃないんですか?」
「当たり前だ。単純に青が好きなだけで、その気になれば違う絵を描くさ」
………ミズキのあっけらかんとした態度にソウは軽く肩を落とした。
翌々日。
「か、可愛い」
ソウは部室にてカコやツキネのアルバムを見ながら感動していた。
「か、可愛いなどいうな……」
ツキネはソウの反応が少し照れ臭いのか、少し目を逸らしていった。
きっかけは昨日のカコの何気ない一言から始まった。
『明日。皆一人ずつ幼かった頃のアルバムを持ってきませんか?』
理由を聞いたら単純明快。ただ見たいと言うだけだったが、予想以上に面白い話の種と
なった。
「へぇ~。たまにはこういうのもいいねぇ!」
リュウトがカコのアルバムをめくりながら言う。
「………リュウトは何も変わらないな」
ツキネも満更ではなさそうに少し口元を緩めて笑っていた。
「………」
「カコ。どうしたの?」
言い出した張本人であるカコは、ハルのアルバムを見て固まっていた。
「か、可愛すぎる………」
あまりにも小さく呟かれた言葉にハルはよほどビックリしたのか、目を丸くして言った。
「…カコちゃん。目が腐ったの?」
かなり心配そうに顔を覗きこんで言うと、カコは真っ赤な顔で反論するように言った。
「何でそんなこと言うんですか!」
「だって、僕なんかに可愛いなんて似合わないでしょ?ソウちゃんの方が十分に可愛いよ」
ハルは見ていたソウのアルバムをカコの目の前に広げる。確かに、ソウは昔から笑い方
などがあまり変わっていないようだ。
「た、確かにソウも可愛いですね……」
「俺も見たい!」
「よ、良ければ自分にも見せてくれないか?」
カコの言葉に気になったのか、リュウトとツキネもソウのアルバムを覗き込んだ。
「うわぁ~可愛いね!」
惜しみない、純粋なリュウトの言葉に、ソウは一瞬鼓動が跳ねた気がした。
(な、何?今の……)
頬が否応無しに赤くなるのを感じる。ソウは気恥ずかしくなって少し俯いた。
「あれ?この写真。変だね」
再びソウが顔を上げたのはハルの何気ない一言だった。
その写真とは、ソウの母シノが胎児で大きくなったお腹を抱えている写真だった。どう
やら家で撮影されたものらしいそれは、端から見るとわが子の誕生を待ち望んでいる母親
のようにしか見えなかった
「何処が変なんですか?」
カコが理解できないようにその例の写真を覗き込む。
「だってほら。この写真のカレンダーの年って、僕らが生まれる一年前だよね?お腹の大
きさから考えても出産間近だろうけど、ソウちゃんだったらソウちゃんが僕らの一歳年上
の十九歳ってことになっちゃうんだ」
「………それ。私のお兄さん」
ソウが呟くと一番オーバーなリアクションを見せたのは意外にもツキネだった。
「ソウ!お前には兄がいるのか!」
「ううん。正確には『いるはずだった』の」
「?如何いうことだ?」
リュウトが首を傾げる。カコも同様に首を傾げていた。
「多分。それは生まれてくるはずだったお兄ちゃんがお腹の中にいた頃の写真。でもお兄
ちゃんは……」
「多分。流産しちゃった。とかかな?」
ハルが控えめに聞いてくる。ソウはその言葉に無言で肯定した。
「……ソウのお兄ちゃんってことは、やっぱりソウに外見はそっくりだったのかな?」
カコが少し考えを巡らせるように天井を眺める。
と、その時。
「すいませーん」
何処と無く間延びした何となく聞いたことのある声と、ノックがなされた。
五人は慌ててアルバムを机の中にしまって、扉を開くと、制服をそれなりに着崩した。
ソウは見たことのある少女が立っていた。
「スイ!」
「あれ!ソウだ!久しぶり!」
立っていたのはずっと前に図書館でミズキと一緒に出会った眼鏡の少女。スイだった。
「えぇと。初めまして執行部の皆さん!風紀委員の代表としてやってきました。二年F組
の島田スイです」
スイは執行部の面々に向かって笑顔で挨拶をした。その姿が好印象の映ったのか、ツキ
ネは正面のソファの腰掛けて言う。
「丁寧な挨拶ありがとう。自分が執行部の部長である狭山ツキネだ。風紀委員の評判は
常々と窺っている」
まるで商談のようだ。とソウは思いながらスイの目の前に紅茶を差し出す。スイは「あ
りがとね。ソウ」と笑って紅茶を一口飲んだ。
「島田さんは風紀委員の何かしらの役職に就いているんですか?」
ツキネの隣に立ったカコが問いかけると、スイはハキハキと喋り出した。
「ええ。風紀委員は規模がそれなりに大きな委員会ですからね。ウチは違反取締りを主と
して風紀委員副委員長をやっています」
「風紀委員で副委員長ってのは、凄いね」
リュウトが素直に感心した眼差しをスイに向ける。
明涼学園の風紀委員会と言うものは、学園を一つの国と例えたときに警察のような仕事
に近い。実際、町一番の生徒数を誇る明涼学園は校風の緩さもあって、何かしらとよろし
くない素行を行う生徒も多い。その内容も様々なので、明涼委員会直属の風紀委員会は数
多くの部署に分かれている。
「約百人を越える委員会の副部長の座に二年にして就くとは、恐れ入る」
ツキネが軽く会釈をしてそう言うと、少し真剣な目つきになって言った。
「それで、島田スイさん。貴女が此処を訪れた理由は依頼ですか?」
スイはそのツキネの反応が少し面白かったのか、口元に軽く弧を描いて言った。
「明涼委員会からのお達しです。今回は特例として執行部と風紀委員会で連携してとある
案件に取り組んで頂く事になりました」
「案件?」
今まで口を挟まなかったハルが訝しむようにスイを見る。スイはそんなハルと目を合わ
せてにこりと笑った。
「あれ。お久しぶりですね。ハルさん」
「………久しぶりも何も、一週間前に会ったばかりだよ」
ハルはちょっとため息をついて言った。
「……ハルさん。スイさんと何かあったんですか?」
カコが一抹の好奇心を瞳に宿して聞くと、ハルはちょっと笑って言った。
「風紀委員と情報主義者の組織も手を組んでとある案件に当たることになってね。僕は執
るばたけ
行部が忙しいから瑠畑 さんに頼んだんだけど……もしかして同じ内容?」
嫌そうな顔をしてハルが尋ねると、いっそ清々しい笑顔でスイは頷いていった。
「はい。二週間ほど前から起きている。『夜の女王』についてです」
「『 夜の女王』?聞いたことが無いぞ」
ツキネは訳の分からないものに直面した人間にありがちな眉間に皺を寄せて見せた。
「明涼委員会からの決定で、知っているのは風紀委員会と情報組合。そして執行部だけで
す」
「どんな内容?」
リュウトが壁に背中を預けながら言うと、スイは少し忌まわしげに言った。
「『 夜の女王』と名乗る人物から犯行予告が届くんです。最近は毎日のように明涼委員会
に」
「どんな内容なの?」
先ほどよりも少しだけ砕けた口調でカコが尋ねると、スイは首を振った。
「詳しくは何も。しかし、夜の女王の襲撃で負傷した生徒も数名出ています」
「人を襲ったの?」
「犯行予告では表記されていなかったそうです」
スイの淡々とした喋りを聞きながらソウは何となく今回の任務はあまり関わらないほう
がいいと思っていた。それは今まで隠れていた秘密が露見してしまうような危うさを直感
的に感じたからである。
「………ねぇ。スイちゃん」
パソコンから目を逸らさずに今まで口を挟んでこなかったハルが言う。
「何ですか?」
「さっきの話によれば、夜の女王はから予告状はもう何回か届いているんだよね?」
スイは無言で頷く。
「そして、夜の女王は名の通り、夜の学園内にしか現れない」
「……何がいいたいんだ。ハル」
ツキネがハルを睨むようにして言うと、ハルはつまらなそうにスイを見て言った。
「学園内には風紀委員会が設置した大きなものから超最小。肉眼では見ることの出来ない
死角に配置された監査カメラがあるでしょう?夜の女王は映ってないの?」
すると、スイは一瞬驚いた顔をしたが、うって変わって嬉しそうな顔をして言った。
「……そのことは、風紀委員会だけに伝わる企業秘密なんですが…。流石ハルさん。情報
組織から得た情報ですか?」
「そんな感じかな?」
そう言って、またハルはパソコンに視線を戻した。
その様子を注意深くソウは見ながらこのループの中で一番変わっているのはハルかもし
れない。と思った。
『ハルさんって、凄く変わってない?』
これは、六十五回目の夏に女子三人で洋服を買いに言ったときの話である。
『まぁ、それもそうだな……』
カコの問いにツキネはさも当然とでも言いたげに言った。
『ハルの家も少々特別だからな。血は争えなかったんだろうが。恐らくハルの頭の中を占
めているのは、大半が知識欲だ』
『知識欲?』
ソウは、ワンピースを手に取りながら首を傾いだ。
『あいつとリュウトとは古い付き合いだからな、リュウトは後先を顧みずに行動する。所
謂猪突猛進のタイプだが、ハルは逆に慎重。というよりかは、手に入れたデータベースか
ら相手の行動パターンなどを導き出し、確実に息の根を一発で止めるタイプだ』
『ひょ、表現が凄いね。お姉ちゃん』
流石にこのときはカコですら引き笑いをしていたが、ツキネも少し困ったように呟いた。
『ハルは人一倍物事に対して「知りたい」という欲求が高い。だからかもしれないが、目
の前に自分の知らない事があったら、リュウトよりも落ち着きが無いかもしれない』
『え?リュウトよりも無いって……相当じゃない?』
ソウも口を突っ込むと、ツキネはやっと選んだのであろう何着かの服を持ってレジへ向
かいながら言った。
『リュウトは邁進するが、いざと言うときにしっかりと進んでいいかどうかを判断する。
つまりは、重要な分岐点に来たときにしっかりと悩む事が出来る。しかし、ハルは反対だ。
分岐点に来たときこそ普段の冷静な判断力が欠けやすい。ある意味、ハルのほうが扱いが
ややこしい。という点では凄く変わっている。ということだろう』
また、この話をミズキにしたこともある。
『まぁ、俺はそういう奴がいてもいいとは思うけどな。でも、情報が全てじゃないだろ
う?』
『え?』
『誤って真実に手を伸ばし、パンドラの匣を空けたが為に自らの崩壊を招いた奴なんてた
くさんいるだろうに』
確かに、真新しい情報を手に入れたときのハルはいつだって生き生きとしていた。
(でも、最近は笑わない)
ソウが見る限りでは、ループの回数を重ねるごとにハルは情報と距離を置くようになり、
新しい情報でうきうきしたような表情をする事が徐々に少なくなっていった。
「勿論。その証拠となる映像が残っています。古いものですと、九日ほど前。最近のもの
ですと、本日のものが」
「本日?」
リュウトが疑問に思ったのか反芻すると、スイは笑って「ええ」と言った。
「映像をダビングして持って来ましたから、よろしければ見ますか?」
スイは懐から取り出したDVDを掲げて自慢げに笑った。
DVDには、夜の学園の校舎内が映し出されていた。
「これは、本日の午前二時ほどに撮影されたものです。被害者は一年D組の石田くん。ど
うやら彼は、学校に忘れ物をしたのと同時に学園内の合宿所で行われている『怪談研究会』
の合宿に参加していたようです」
スイの言葉どおり、一人の男の子が廊下を歩いていた。すると、前方から一人の少女が
現れたようだ。
『?誰ですか。貴女は』
石田は少し怪訝そうな顔をして尋ねると、少女は何事も無かったかのように通り過ぎよ
うとしたが、不意に着ていた服のポケットから短剣を取り出して石田を切りつけてきた。
『う、わぁぁ!』
石田は驚いて思わず尻餅をついたようで、少女は笑って喉の奥で鈴を転がしたような澄
んだ声で囁く。
『ごめんね?名も知らない少年A。でも、こういうのはおおごとにしたほうが面白いんだ
よって、ゆーちゃんが言ってたから』
少女は天使のように微笑んで石田の左肩に短剣を突き刺した。
『ぎゃぁぁぁぁ!』
途端に、映像越しでも分かるほどの断末魔が響く。やがて、痛みに気を失ったのか、悲
鳴は消えた。
少女は満足げに笑って、小型カメラ……レンズ越しにソウ達に向かって言い放った。
『待っていてね女王!貴女のその忘却の彼方に置いてきた罪を、あたしが思い出させてあ
げるから!』
そう言って少女は意気揚々と歩いていった。少女の特徴的すぎる緑色の髪が瞼の裏に焼
きついていた。
「…………なんか、凄い人なんだね。夜の女王って」
カコが映像を見終わった後に無意識的に呟いた。
「夜の女王の言う女王って、一体何者だと思う?」
スイがカコの言葉に少し重ねるようにして言った。
「それを言うなら、ゆーちゃんって誰だ?」
ツキネがいつもの真剣な顔をして言った。
皆が皆。思い思いの疑問を抱えつつも、その場はお開きになった。
「ソウ」
薄暗くなってきた校舎を歩いていたソウは呼び止められて振り向いた。
「リュウト。どうしたの」
ソウを呼んだリュウトは、ゆっくりとソウに歩み寄っていった。
「今日。何処かに行かない?」
「え?この時間から?」
時刻はもう五時半を回っている。普通な帰らなくてはならない時間であろう。
「うん。実は、遊園地のチケットが二枚あって……」
その時、ソウの胸が一瞬高鳴った。
(私、もしかして二人で遊びに行こうって言われてる?)
意識しだすと当然のように頬が赤みを帯びる。
「あ、別に無理に行こうって言ってるんじゃなくて!もし、遊びに行けるのであれば、ち
ょっとどうかなって……」
何処と無くいつもと少し雰囲気の違うリュウト。緊張しているのか語尾は弱くなってい
るし、目線も下へ向いている。
「……うん。いいよ。私でよければ」
ソウの口からはある意味条件反射のように了承の言葉が零れ落ちていた。
「ほ、本当にいいのか!」
リュウトの瞳が無邪気にパッと光を纏う。その様子にソウは眩しげに少し目を細めた。
思い切り力を込めて頷くと、すぐに手を取られた。
「じゃぁ、すぐ行こう!いっぱい見て欲しいものがあるんだ」
手を引かれてやって来たのは、綺麗にライトアップされた遊園地。そして、六十三回目
の夏の最終日に皆で来た遊園地であった。
「凄く久しぶり………」
ソウの口から漏れ出た言葉にリュウトは笑った。
「今回は二人だけだけど、今度は執行部の皆で来たいね!あのジェットコースターとかさ、
皆で乗ったら楽しいだろうなぁ」
その言葉にソウは少しだけ目を寂しげに曇らせる。
「ど、どうしたのソウ?急に泣きそうな顔をして」
リュウトはすぐにソウの変化に気づいたのか、少し気遣うように声を掛ける。
「ううん。なんでもないよ」
ソウだけが知っている事実なのだ。此処にずっと前に皆で遊びに来たことも、ジェット
コースターに乗ったことも。
ソウは頭を振った。ネガティブなことを考えるのはよそう。
「ねぇリュウト、今日は何に乗るの?」
遊園地の中に入ってリュウトに手を引かれること早五分。ソウが尋ねると、リュウトは
笑って言った。
「ソウは何に乗りたい?」
向日葵が咲いたような笑顔に一瞬見惚れそうになったのを押さえ込んで、ソウは「な、
何でもいいよ…」と絞り出した。
「そっか。じゃぁ、あれに乗ろう!」
リュウトが指さしたのは水中トンネルの中を走る潜水艦のような乗り物だった。どうや
ら海が近い事もあって、トンネルの中には魚がたくさんいるようだ。
「あんまり見たことが無いような魚も見れるんだって」
ソウの手を引いて楽しげに喋るリュウトにソウもつられて笑顔になった。
それからは、殆どリュウトに連れまわされるような形で遊園地を楽しんだ。乗るものの
大半もリュウトの要望により乗ったが、ソウは悪い感情を抱かなかった。むしろ、心の奥
底が熱くなるような、それでいて甘い感情を味わっていた。
「ふぅ。たくさん乗ったね!」
ベンチに腰掛けてソウは笑った。時刻は既に八時を回っているが、ソウにとってはどう
でも良かった。
「あ、俺少し飲み物買ってくるから、ソウは待っていて!」
リュウトが走って人ごみの中に消える。その様子を見送って、ソウは少し疲れたように
瞼を伏せた。
******
燃える会場。人々の阿鼻叫喚の声。ソウは、必死に届かなくなりそうな後姿に手を伸ば
した。しかし、無残にもその後姿は燃え盛る炎の中に消えていった。
ふと、違うほうに目を遣ると、大切な仲間が炎に包まれながらもソウを見て笑っていた。
ゆっくりと開かれた口は、確かに『生きろ』と最期に紡いでいた。
******
はっと、目を覚ますと先ほどの遊園地。時間を確認するとリュウトが飲み物を買いに行
ってから五分も経っていなかった。
「ゆ、め?」
酷く怖い夢を見た気がする。大切なものが、一瞬のうちに劫火に包まれて消える夢だ。
「ソウ!遅れてごめん!」
リュウトが顔全面に汗をかきながら二つの清涼飲料水を買って戻ってきた。
「おかえり。リュウト」
ソウは無理にでも笑顔を作って言った。どうやら上手く笑えていたようで、リュウトは
気にせずに飲み物を渡して言った。
「ソウ。実は、これ………」
ゆっくりとリュウトが後ろ手に持っていたものをソウに差し出した。それは、小ぶりな
薄ピンクの花がたくさん入った花束だった。
どくん。とソウの心臓が今日一番に跳ね上がった。無意識に少しだけ息が上がる。
「これって……」
ソウはゆっくりと視線をピンクの花からリュウトに向けた。リュウトは少しだけ頬を赤
くして、しかししっかりとソウを見て言った。
「ソウ。俺、ソウの事が好きなんだ。も、もしよければ、付き合って欲しい……かな」
その途端にソウは頬は瞬時に紅潮したのが分かった。「好き 」。 なんて甘美で柔らかい
響きなのだろうか。
「そ、れで。出来ればすぐに返事が欲しいというか……
ちょっとだけ、目線を逸らしてしまったリュウトの言葉にソウも負けず劣らず緊張して
言った。
「わ、私でいいのであれば……」
「ほ、ほんとうに!」
ソウの言葉に存外リュウトは驚いたのか、辺り一帯に響いてしまうような声で言った。
案の定、大勢の目を集めることになり、二人は気まずげに少し俯いたがやはり乗り物が大
切なようで人々は散り散りになっていった。
「ありがとう。ソウ。凄く嬉しいよ」
熱いねつの篭った瞳で言われて、ソウも嬉しげに頷いた。
(あぁ。これを恋っていうのかな?)
胸が締め付けられるほど苦しいのに熱くて切なくて、ちょっぴり甘酸っぱい。まるでレ
モンパイを食べた時のような感情をソウは至福と味わっていた。
その後はリュウトと一緒に遊園地内のレストランで夕食を食べて(代金はリュウトが払
うと言ったが、ソウが割り勘でなければ嫌だと言ったので割り勘になった)夜九時半ぐら
いに二人は別れて帰路に着くことになった。
その後は何処からか話を仕入れて来たのか、次の日にすぐハルに突っ込まれて執行部公
認のカップルとなり、何故かミズキもそれを知っていて「リア充。っていうんだろ?」と
絵筆を止めずに言われた時は思わず紅茶を噴き出してしまった。(行儀が悪いがあまりに
も突然の事でびっくりしたから仕方がないとソウは思っている)
時々、風紀委員と一緒に『夜の女王』に関する聞き込みや更には夜の校舎への張り込み
をしつつもソウはいつも通りの楽しい日々を送っていた。
しかし、八月十八日。とある問題が起こった。
「た、大変です!」
午後一時。今日は何の任務も入っている訳ではなく、お昼ご飯を食べた執行部の面々は
暖かな日差しの中でうつらうつらとしていた。
が、その雰囲気は風紀委員と打ち合わせに行っていたカコの切羽詰った声に一瞬でかき
消された。
「うるさいぞカコ。一体何があったんだ」
安眠を妨害された為か、少し腹立たしげに言うツキネにカコは顔を真っ青にして言った。
「す、スイちゃんが言われたらしいんだけど、夏休みまでに『夜の女王』の案件を解決し
なければ執行部を廃部にするって、明涼委員会が……」
その台詞に穏やかだった雰囲気は一瞬のうちに崩れ落ち、張り詰めたぴりぴりとした緊
張感が漂い始めた。
「な、何で?」
ソウが思わずリュウトの服を裾を引っ張りながらいうと、リュウトも狼狽した様子で、
「わ、分からないよ」と言った。
「ツキネ。どうする?明涼委員会に直訴に行く?」
ハルが少し厳しい目付きで言うと、ツキネは少し黙っていたが覚悟を決めたように口を
開いた。
「そうしよう。こちらがしっかりと納得のいく条件を提示してもらわなければ、理不尽に
も程がある」
過半数が私服だったので部室のクローゼットの中に入っている制服に着替え。左肩に腕
章をつけると、重い空気を纏ったまま五人は明涼委員会の許へ向かった。
目の前にあるワインレッドの塗装がされた木目の美しい扉は相当場違いに見える頑丈な
鍵が掛かっていた。
「ここが、明涼委員会本部……」
カコが扉を見上げて言う。心なしか声が少し強張っている。
「鍵が掛かっているけれど、どうすんの?」
ガチャガチャと扉を開けようとしていたリュウトがツキネを見て言った。
「問題はない。明涼委員会の鍵は入手している」
そう言ってツキネは制服のポケットから鍵を取り出した。鍵穴に入れて、右方向に一回
転回すと、がちゃりと音を立てて扉は開く。
「………やはり。来ると思っていたよ。執行部」
中に入った五人を待っていたのは、四角く並べられたテーブルに座る十人ほどの大人だ
った。
リュウトが後ろ手に扉を閉めたのを確認すると、ツキネは気丈に言った。
「お久しぶりです明涼委員会のお偉い方々。自分たちが此処に来た意味は、お分かりです
よね?」
「風紀委員には伝えておいた。『夜の女王』と名乗る人物からの犯行を阻止せよ。といっ
た案件のことね?」
中央の左から三番目に座った男性(ソウは少し前にあった全校集会で、この男性が生徒
主事の犬飼先生であると知っている)が惚けるように言った。
「そのこともありますが、その案件を夏休みまでに解決出来なければ執行部を廃部にする
といった話です!」
カコが血が上ったように言うと、真ん中に座っていた明涼委員会委員長。理事長である
た ま き じょうじ
玉木譲二 が重々しく口を開いた。
「それは決定事項である。もう覆す事は出来ない」
「やっぱり、執行部は目の上のたんこぶだったって、訳だね」
ハルが冷めた目でそう言うとソウはハルに「如何いうこと?」と尋ねた。
「明涼委員会からすれば、元々執行部が明涼委員会非公認の部活であるのと同時にカウン
セリング部や有力な部活を潰したり、やりたい放題しているのが気に食わないんでしょ?
僕がいるっていうのに、失礼しちゃうよね」
ハルがあからさまにやれやれと肩を竦める仕草をすると、末端のほうに座っていた男性
が口を開いた。
「君がいくら暮島の姓を関しているからといって、図に乗るんじゃないぞ」
「………本来ならばこういう風にコンタクトも無しに明涼委員会本部に入ること自体停学
ごとなのを特別にお咎め無しにしているんだ 。」
玉木は五人の顔をしかと見据えて言った。
「犯行を阻止し、夜の女王なる人物を捕らえることが出来れば廃部になんぞしない。それ
だけだ」
明涼委員会本部から追い出された執行部の面子は暗い面持ちで廊下を歩いていた。
「………赦さない」
ポツリと一番最後を歩いていたハルが言った言葉を聞き逃さなかったソウは何かと思っ
て振り返ると、ハルは暗い炎を宿した瞳で呟いた。
「この空間を守るためなら何だって利用してやる」
その言葉にソウは確信した。ハルは出会った六十三回目の夏から少しずつ変化していた。
そして今、彼は執行部を守るために何かアクションを起こそうとしているのだ。
暗い室内。実際真夜中でパソコンを弄っているほうも不思議かもしれないが風紀委員会
に乗り込む時間がこの時間帯しかなかったから仕方が無い。
「。ねぇ。それって楽しいの?」
一度だけ、画面越しに聞いたことのある鈴を転がしたような声がして振り返ると案の定、
ハルの後ろには緑色の髪の毛が特徴的な少女。『夜の女王』が無邪気な笑みを携えて立っ
ていた。
「さぁ?少なくとも、前よりは喜びを感じなくなったのが最近感じたことかな?」
そう言ってハルはUSBメモリを抜いて電源を落とした。
「君は、執行部の人だよね?夜中に風紀委員会本部でメインコンピュータをいじる必要っ
て、何?」
首を傾げて言う夜の女王には明涼委員会を悩ませる凶悪性を感じさせない。むしろ、自
分よりもかなり幼く見えてしまう。
「う~ん。僕はそれなりに執行部の為に意味のあることをしているつもりだし、君。夜の
女王を捕まえる為の足取りが欲しかったからね」
ハルはそう言って立ち上がると、前のカウンセリング部に乗り込むときに使った黒い棒
を取り出した。
「それで、あたしを捕まえようと?」
「捕まえられるとは思ってないさ。だけど、0に近い存在である君から1でも情報を搾り
出せればいいかなぁって思って」
そう言うと、少女…夜の女王はきょとん。とした顔をしたがすぐにニッコリとわらって
言う。
「流石暮島少年。事実上世界の情報を管理する『ティーリング機構 』。 その主である総帥。
暮島秋音の孫なだけあるね」
「………君は、一体何なんだろうね?」
「さぁね。それを知る為に来たんじゃないの?」
雲を掴むような問答に夜の女王は懐から短剣を取り出した。
「長話もメンドクサイから、さっさとけりつけちゃおうか?」
すると、ハルも棒をしっかりと握り締めて言った。
「一つだけ、どうしても聞きたいことがあるんだけど」
「何?」
ブンと風切音を立てて振り下ろされた短剣をハルはぎりぎりの所でかわして言う。
「君が言っていた。『女王』って一体誰?その人の罪を思い知らせる事が、君の目的なん
でしょう?」
すると、一瞬夜の女王は止まって言った。
「そうだね。でも、そうして欲しいってゆーちゃんに言われたの」
「その。ゆーちゃんって人も気になるかな?」
「ゆーちゃんはね、みーちゃんの双子の弟なの。二人はね、ずっと一緒に手をつないで生
きてきたんだけど、みーちゃんと仲の良くなった子がね、ゆーちゃんにお願いしてあたし
にこの役をして欲しいって、『適任』なんだって」
そう言って、急に夜の女王はハルから距離を置いた。
「?どうしたの」
「喋りすぎちゃったから、帰る。また会おうか。暮島少年」
何処までも自由奔放に笑って、夜の女王は風紀委員会本部から出て行った。
八月三十一日。この日を、ソウはきっと忘れない。
明涼委員会から言い渡されて、執行部は目に血走ったような形相で必死に捜索した。し
かし、夜の女王の方からも音沙汰が無く、何の進展も見込めない状況に陥っていた。
「そ、ソウ!手紙が来たよ!」
カコがお昼時に持ってきた手紙は、綺麗な青い判が捺してあり、それは間違いなく風紀
委員の紋章だった。
ソウ意外の全員が出払っていた為、ソウは一人でその手紙を開いた。
『ソウへ。
今日の夜中の十一時に学校の時計塔まで来てください。夜の女王の足取りをつかめたの
で、貴女にだけお伝えしようと思います。
風紀委員。スイより』
手紙というにはあまりにも短い内容。しかし読んだ途端ソウは行かなければ行けない。
という使命感となにやら不吉な予感を感じていた。
夜の学園は相当暗い。しかし、夜の九時半頃にシノに寝る。と伝えて二階に上がったソ
ウは、こっそりと隠していた革靴を履いて窓から飛び降りた。
「いてっ」
着地には失敗したが外傷も無ければ打ち身などもしなかったようだ。ソウはこういう無
謀さも執行部で身についたものだと思っている。執行部は元々書類系の仕事から肉体労働
極まりないような壮絶な任務もある。
「体力が、ついたのかな?」
独りごちてソウは近くのバス停まで走り出した。学園方面まで行くバスは九時十三分が
最終である。
何とか滑り込みで乗る事の出来たソウは一番後ろの座席に座った。
「………ふぅ」
思わずため息を吐く。親にばれなかっただろうか?そんな心配をしていると、ソウの座
っている(五人掛けの)席の逆方向に座っている青年がくすくすと笑いながらソウを見て
いた。
「え、えと………」
前と比べれば落ち着いたが人見知りのソウは少しどぎまぎとしていると、青年はにこに
こしながら言った。
「あぁ。気にしなくてもいいよ?何でそんなに息が上がっているのかなぁって。気になっ
ただけだし」
青年は珍しいものを見るような目をして言った。それはソウの奇異な外見に向けられた
ものではなく、ソウの奇異な行動に向けられたものというのは、一目瞭然だった。何より
……
「僕も君と同類みたいなもんだからね」
銀色の肩につくぐらいの髪の毛に、青い瞳。顔は誰かにとてもよく似ている気がする。
「で、こんな深夜バスみたいなのに乗って、君は何処へ行くの?」
気さくにほいほい話し掛けて来る青年は、決してソウの近くへは寄ろうとはしない。少
し、そのことを不思議に思いながらも、ソウは青年の問いにしっかりと答えた。
「明涼学園です。知り合いの子に学園で午後十一時に会おうって言われて」
「夜中に会いたい。だなんで随分と風変わりな友達だね」
青年はけさけさと笑って言う。その後も、青年からの一方的な質問にソウは時々たじた
じとなりながら答えるだけであった。
『次は、明涼学園。正門前。次は、明涼学園。正門前です』
無機質女性のアナウンスの声が流れて、ソウは立ち上がった。
「じゃぁ、お先に失礼します」
「うん。バイバイ」
ひらひらと手を振る青年にソウはぺこりと頭を下げ、前の降車口へ向かおうとした時、
「ねぇきみ。真実が必ずしも正しいわけでは無いんだよ」
急に語られた言葉に振り返ると、青年は窓の外を見ながら独り言のように喋っていたが、
ソウはそれが間違いなく自分自身に向けられたものだと分かった。
「優しい嘘に包まれているほうが楽な事だっていっぱいあるんだ。君は僕の兄さんにそっ
くりだよ。心の何処かでそれを知ってはもう後戻りが出来なくなる。ということを知って
いるのに、それでも知ろうとする」
青年は一度言葉を区切った。バスは、もう止まっていた。
「憶えておくといい。必ずしも真実が幸せとは限らない」
「………失礼します」
ソウはバスを降りた。
明涼学園は常に高い水準でのセキュリティ力を誇っているが、一箇所だけ、必ず開いて
いる場所がある。
西校舎二階にある非常ドアである。高いセキュリティ力を逆手に取られ、もし学園内に
閉じ込められてしまった時に絶対に逃げる事が可能な場所が無くてなならない。そういう
意味から西校舎二階の非常ドアだけは鍵が掛かっていなければセキュリティシステムに引
っ掛かることは無いのだ。
一階から二階へ上がり、校舎へと侵入する。そして、手紙のほうにも書いてあった部屋。
南校舎の四階。第二理科室へと向かう。
廊下を極力足音を立てないように歩いていたソウは、何故南校舎の第二理科室をスイは
選んだのだろう。ということについて考えていた。西校舎の二階の非常階段が開いている
というのは、一般生徒ならば知らない事だが、ソウはこのことを、執行部の緊急マニュア
ルで知っていたし、スイも風紀委員の一人として学園内の警備情報は網羅していたのであ
ろう。だが、
(何で、南校舎の理科室なんだろう……)
西校舎にも理科室はある。だが、スイはあえて南校舎の理科室を選んだ。何故か、その
ことがソウは不思議で仕方が無かった。
午後十一時。ソウが理科室の扉を引くと、いとも簡単に扉は開いた。中へ入ると、少女
の後ろ姿が月に照らされて逆光となって見える。
「スイ………」
ソウが呼びかけると、スイは振り返らずに応えた。
「やっぱり、来てくれたんだね。ソウ」
「教えて。夜の女王の居場所を」
ソウが少し言葉に力を込めて言うと、スイは振り返った。ソウは、心臓を掴まれたよう
な感覚に襲われる。
「夜の女王」
「そうだよ。この姿は馴染みが無いからね」
緑色の髪が風に靡いて、スイ。夜の女王は笑って言う。
「初めまして女王。ウチが夜の女王こと、島田スイです」
ずるずる。と夜の女王は何かを引き摺ってきた。真っ黒な大きい袋である。
「な、にこれ?」
ソウが袋を見て言うとスイは笑っていった。
「プレゼントだよ。ウチから女王に向けての。気に入ってくれるといいんだけど」
そう言って、スイは袋を逆さまにした。どさどさっ。と音を立てて中身が堕ちる。ソウ
は思わず口元を手で覆った。
「み、皆………」
袋の中から出てきたのは、執行部の大切な仲間たちだった。皆至るところから血を流し、
もはや虫の息といっても過言ではなかった。
「よ、かった…だいじよ、ぶか?……ソウ」
ツキネが弱弱しく笑って言った。
「ツキネのほうが、大丈夫じゃないよ」
ソウの両目からは大粒の涙が零れはじめた。
「自分は、ま、だ………ましなほうだ………。カコは、もう…」
その吐息のような呟きにソウはカコを見た。カコはまるで寝ているような安らかな顔を
して、逝っていた。
「か、こ」
ソウは再び周りを見渡す。リュウトもハルも、目を開くことをしなかった。
「ソウ………き、てくれ」
ツキネに呼ばれていくと、ツキネは絶え絶えに『い・き・ろ』と口を動かし、一度だけ
笑って目を閉じた。
そのツキネの顔は、リュウトに告白されたあの日、夢で見た炎に包まれながらも笑った
仲間の顔にそっくりだった。
「………思い出してくれたカナ?女王。貴女が六十三回目からのずっとのループのなかで、
『八月三十一日に執行部の仲間を見殺しにして生き残ってきた』という罪を」
両手を大仰に広げて夜の女王。スイは笑う。
「ウチの役目はこれでおしまい。ばいばい女王 。」
そう言って、スイはアルコールランプを零した。手に取ったマッチに火をつけて、パッ
と手を離す。
途端に燃え始めた教室を悠然と去っていったスイには目もくれず。ソウは目の前にある
惨状を瞼の裏に焼き付けていた。
(これが、今まで私が目を背けてきた真実)
ふとその時、先ほどまでバスに一緒に乗っていた青年の言葉を思い出した
『憶えておくといい。必ずしも真実が幸せとは限らない』
ソウはゆっくりと目を閉じた。願わくば、この後目が覚めないことを祈りながら。
ぴぴぴぴぴ。
鳴ったアラーム音を止めることなくソウは目を覚ました。
「………七十回目の、八月一日」
そう零しただけでも涙が溢れてくる。
(私が、今まで皆を殺してきた)
八月三十一日の記憶が無いのは全て自己防衛のため。きっと記憶があったら耐えられな
かった。
「………図書館に、行こう」
今は執行部の面々に会いたくは無い。今日は気兼ねなく話すことの出来るミズキの所に
行こうと、ソウは思った。
午前九時半。図書館が開いて間もない時間にソウは此処を訪れた。
「久しぶりだな。ソウ」
いつもと変わらぬ朴訥とした表情で本のページを捲るミズキを見て、ソウは少しだけ安
心した。
「………久しぶりです。ミズキさん」
そう言うと、ミズキはふと何か思い立ったように歩き出した。
「ミズキさん?何処へ行くんですか?」
「…………ソウ。閲覧禁止の本棚があったら、お前は見たいと思うか?」
「え?」
ミズキは立ち止まってソウを見る。いつもと同じ、感情を映し出さない瞳は何処か違う
色を帯びている気がした。
「見たいなら見せてやってもいい。《その問題》は、お前一人が悩みきれるような代物じ
ゃない」
そう言ってミズキは再び歩き出した。
「ま、待ってください!」
ソウも慌ててミズキの後を追い始めた。
二階に上がって、中央エレベーターに二人で乗り込むと、ミズキは首から提げていた鍵
のついたネックレスを取り出した。
「それは、何ですか?」
「閲覧禁止区域へ行ける唯一の鍵だ」
そう言って、階数ボタンの一番上にある鍵穴に入れて躊躇いも無く回す。
『………ようこそ。市立図書館地下階。通称『閲覧禁止の本棚』へ。此処で見たこと、聞
いたことは他言無用となっておりますので、お見知りおきを』
「………ミズキさん。怖いです」
ソウが呟いてミズキを見ると、ミズキは淡々とした口調で言う。
「さっきも言ったが、これから足を踏み込むのは閲覧禁止の本棚だからな。元々後悔して
いけない資料を置いている」
ぴーんぽーん。
間の抜けた音が響いて扉が開く。扉の先はただただ膨大な資料が山積みにされた部屋だ
った。
「………これが、閲覧禁止の本棚?」
まるで、本棚というよりかは、使わなくなったものを無造作に詰め込む物置のようにも
見える。
エレベーターから降りたミズキは少し面白そうな顔をして言った。
「………なぁソウ。この地下階には一体どれだけの蔵書数があると思う?」
「え?」
急な問いかけにソウは思わず素っ頓狂な声を上げた。
「わ、分からないです」
「じゃぁ、地下階ではなく一般公開されているものは?」
次々と投げられた問いにソウは少しどぎまぎとする。ミズキは一体何を意図して言って
いるのだろうか?
「え、ずっと前に見た検索機能による結果で言うのであれば、確か、百万本以上はあった
かなと………」
ソウの必死の応答にミズキは振り返ることなく、ホッチキス止めになった資料をぱらぱ
らと捲りながら言った。
「現時点での一般公開が可能な蔵書数は百二十六万三千七百二十九冊。そして、一般公開
が不可能な……所謂閲覧禁止書に分類されるものが六百三十二万九千七百三十三冊。倍以
上の閲覧禁止書を市立図書館は保有している」
そう言って、ミズキ捲っていた資料のようなものをソウに渡した。
「わっ。何ですか?これ………」
恐らくワープロで打たれたものであろうそれには、一番最初のページに『永遠に繰り返
される夏における考察』と書かれていた。
「これって………」
ぱらぱらと斜め読み程度に見ながら言うと、ミズキは少し眉間に皺を寄せて
「貸してやる。だが、その存在をばれないようにしろ。あと」
一度言葉を区切って言う。
「文章のパラパラ読みだけは絶対にするな。俺が赦さん」
「…………ミズキさんは、知っていたんですか?」
何を。とミズキは聞かなかった。ただ、否定もしなかった。
「言葉にすることが赦されない事柄だ。だが、俺はそれを知っていたし、ソウがそのこと
で悩んでいるのも知っていた。それを渡そうと思ったきっかけはスイだな」
「スイ………」
瞼の裏に焼き付いている。緑色の髪の少女。無邪気で残酷で、ソウが欺いていた事実を
罪と呼んだ。
「スイだけじゃない。この町にはソウが知らないだけでこの事を知っている奴は大勢いる。
今度もし機会が赦せば一人。居場所を知っている奴に会わせてやる」
そう言って、ミズキは踵を返してエレベーターに乗った。
「戻るぞ。セキュリティが万全で無いとは言えど、流石に俺以外が侵入した事がばれると
お前が大目玉喰らう」
ソウを少し名残惜しげにエレベーターに乗り込んだ。途端にエレベーターは上昇を始め
る。
「ありがとうございます……ミズキさん」
ソウが純粋な感謝の言葉を贈ると、ミズキは「そうか」と呟いただけだった。
この後すぐに図書館から出たソウは心機一転とした様子で歩いていた。
(もっと調べなきゃ……この町について)
その決意はある種の使命感となってソウを突き動かしていた。
「あ、の……ちょっといい?」
橋の下を歩いていたときの事である。後ろから声を掛けられて振り返ると、不思議な青
年が佇んでいた。
「帰り道が、分からなくなっちゃって……」
少し遅めの口調で言う青年の外見は真っ白な髪に真っ赤な目。………男女の差異におけ
る身体的な特徴を差し置けば、ソウと全く同じだった。
「あ、あなたの名前は?あと、住所も教えていただければ家が特定できるかも知れません」
ソウが、何とか平静を保って言うと、青年はひとしきり悩んだ後「キリヤ」と呟いた。
「キリヤさんですか?出来れば苗字も教えていただきたいんですけど……」
すると、キリヤはまたひとしきり悩んで、今度は悲しげな顔で首を左右に振った。
「え?」
ソウが首を傾げると、キリヤは少し狼狽した様子で言った。
「な、名前は分かるけど……苗字は分からない」
「住所は?」
再びソウが尋ねるとキリヤは同様に首を振った。
「………じゃあ、一回私の家に来ますか?」
「え?」
ソウは我ながらにいい事をしているなぁと思いながら思いの外はきはきとした口調で言
った。
「今日はお母さんが家に居ますから、回覧板とか見ればキリヤさんの家が特定できるかも
しれません」
「い、いいの?」
キリヤの目が心なしか少しだけ輝いたのを見て、ソウは力強く頷いた。
家に帰ってから回覧板を見るも、キリヤの家探しは相当難航した。
「う~ん」
ソウがタウンページなど関係の無さそうなものまで徹底的に調べていると、横からおず
おずとキリヤが口を挟んだ。
「あの…ソウさん?何だか申し訳ないからもういいよ」
「駄目です!困っている人を放置するなんて執行部の一員として許せませんから!」
「じゃぁ、見つかるまで居候したらどうかしら?」
急にした第三者の声にソウとキリヤが振り返ると、冷たい麦茶を二つ。お盆に載せてや
ってきたシノがニコニコしながら言った。
「別にいいわよ。キリヤくん。元々この家はそれなりに広いし、一人増えたところで家計
的には何にも問題は無いわ」
麦茶をことり。と置いてシノはソウを見た。
「どうかしら。ソウ。お母さん的には名案だと思うのよ。家を探しながらソウの部活に一
緒に行ったりして……狭山さんとか暮島くん。あと、長谷川くんに協力してもらえば」
「で、でも……」
ソウは一瞬躊躇った。執行部の人たちも巻き込んでしまっていいのであろうか。
「ソウは、さっき『執行部の一員として許せない』って言ったでしょう?執行部の一員と
してやるのであれば、当然。執行部の人たちには協力してもらったほうがはやいのじゃな
い?」
ここまでシノが話して、ソウはかなりシノがキリヤを居候させてあげたい(またはさせ
たい)のだと分かった。ソウよりも柔軟な思考回路をしているシノは、どうしても。とい
うことは合理化してでも絶対に譲らないしたたかさがあった。
「……分かった。私は別にいいけれど、キリヤさんはどうしますか?」
「え?」
キリヤは瞬間。きょとんとした顔をしたが、すぐに内容を理解したのかソウが家に誘っ
た時同様に少し控えめに「いいの?」と聞いてきた。
「私は別に構いませんよ」
するとキリヤはう~ん。とひとしきり悩んだ結果。
「じゃぁ、お言葉に甘えて……」
と呟いた。
「………と、いう流れで来たの」
ソウの後に続いて執行部の部室に入って来たキリヤにメンバーは訝しげな目を向けたの
で、ソウが事情を説明したあとである。
「へぇ~家を忘れちゃうっていうのは、記憶障害なのかな?健忘症の類?キリヤくん」
ハルが(今日は珍しくパソコンをいじっていない)キリヤに尋ねると、キリヤは悩む仕
草をしてからゆっくりと首を左右に振った。
「分からない」
「成程。状況は把握した。つまり、キリヤの家探しを手伝って欲しい。ということなんだ
な?」
ツキネが探るようにソウに言うとソウも頷いて言った。
「そう。キリヤの家の場所を一緒に調べてもらいたくて………」
「ソウの頼みなら全然大丈夫だよ!一緒に探そう!」
リュウトがいつものように大輪の笑顔でソウに言い放つのを見て、ハルが嫌ににやにや
しながら
「リア充だねぇ~。羨ましい限りだよ」
「ハルは好きな人がいるのか?」
呟いた言葉をツキネに不思議そうに聞き返されていた。
「それにしても、キリヤさんって、ソウと同じなんですね」
今まで口を出してこなかったカコが言う。同じとは恐らく髪や目をさして言ったのであ
ろう。
「うん。やっぱり、変なのかな?」
キリヤが少し首を傾げて言う。表情の変化が乏しい為か、本当にそう思っているのかが
不思議で仕方が無い。
「いえ!全然!寧ろキリヤさんらしいです」
反対にカコは少し頬を赤らめて慌てた様子で言った。ソウはその様子が何だかあまりに
も対照的で少し噴き出してしまった。
その後は、いつもと同じようにハルのネットワークや色々な資料などを探しつつ、また
執行部としては人数が増えたようなもので楽しく思っているのか、全員で遊びに行くも多
かった。
「………ソウ。今日は何処に行くの?」
居候として認められたキリヤはシノから「キリヤくんの方がお兄さんなんだから、ソウ
のことは、呼び捨てでいいのよ?」と言われた為か、敬語抜きで聞いてくる。勿論ソウも
キリヤには敬語抜きで話すが。
「今日はね。カコと一緒に遊ぶんだ。他の三人は急に夏休みに出された課題研究を今日一
日で終わらせるって言ってた」
「カコと?」
キリヤはそう呟いて足を止めた。
「?キリヤ。どうしたの?」
「………僕。カコに嫌われてるのかな?」
初めて会ったときと比べると表情の変化がわかりやすくなったキリヤは少し寂しげに顔
を曇らせて言った。
「何で?」
「だ、だってカコはいつも僕と話すときは顔を赤くするしまくし立てるようにしゃべるん
だ」
そう言ってキリヤは俯いてしまった。
「……カコに、会いたくないの?」
「そういうわけじゃないんだ。単純に、どう思われているのかが怖い」
ソウは歩くのをやめてしまったキリヤを見上げて一つ息を吐くと、キリヤの手を取って
いった。温度の低い手だった。
「まだ。カコとの待ち合わせ時間に余裕があるの。キリヤに私の友人を会わせてあげるね」
「…で、俺のところに来たと」
ミズキはいつものように絵を書いていた。(いつものように青い絵である)
「何か……お守りみたいになっちゃうんですけど、キリヤのこと三時間ぐらいお願いでき
ますか?」
ミズキはソウの言葉を聞いてキリヤを一瞥すると
「別に、構わない」
と言った。
「ありがとうごさいます」
ソウは淡々と頭を下げると、キリヤのほうを向いて言った。
「じゃぁ、キリヤ。ミズキさんとちょっと一緒に居て。多分キリヤの好奇心を満たしてく
れるものが図書館にはあると思うから」
「本を読んでもいいの?」
キリヤが尋ねると、ソウは頷いて続ける。
「カコと遊び終わったら迎えに来るから、敷地よりも外に出ないでね?」
そう言ってソウはキリヤを図書館に置いてカコの許へ急いだ。
「おはよ~ソウ!」
すっかり昼下がりの時刻だが、カコはソウを視認するとブンブンと手を振りながら笑っ
て言った。
「ごめんねカコ。待った?」
待ち合わせ時間にはまだ十分ほどの余裕があるが念のため聞くとカコは首をゆっくりと
左右に振って言う。
「ううん。あたしも洋服選んでて遅れるかと思ったし」
カコが遅れると思うなんて随分と珍しい。とソウは心の中で思った。
カコは姉であるツキネよりも用心深いわけではない。しかし、約束や決まりごとを守る
―此処では待ち合わせ時間のことだが―という点に関してはツキネと同じぐらいの慎重さ
を持ちあわせていた。
「そういえば、今日はキリヤさん。居ないんだね?」
カコが不思議そうに辺りを見回す。
「うん。キリヤは今日は図書館に行ってみたいって言ってたから」
正確にはカコに会うのが少し怖いと言うことだが、多少の差異だから問題は無いだろう。
と思ってソウが嘘を吐くとカコは少しだけ寂しげな表情をした。
「そっかぁ……残念だな」
何が残念なのだろう?とソウは思ったがあえて突っ込まない事にした。
その後は何事も無かったかのように二人で遊んだ。ゲームの射的をしたり(これはカコ
が強かった)三択問題をしたり(こちらはソウのほうが正解数が圧倒的に多かった)プリ
クラを撮ったり、気がつくと二時半になっていたので二人はクレープ屋さんで少し早めの
おやつを食べることにした。
「あ、そうだカコ」
ソウはカコが二人分のクレープを買ってきて椅子に座ったの見て、ふと思い出したよう
に言った。
「カコってキリヤのことどう思っているの?」
「ふぇ?」
何とも素っ頓狂な声を上げてクレープにかぶりつこうとしていたカコは手を止めた。
「何かね。キリヤって意外とぼーっとしているようで人のこと見てるなぁって思ったの。
で、キリヤがカコが自分と話すときは何かどぎまぎしているのが気になるんだって」
「そ、そうなんだ………」
そう言ってカコは少し頬を朱に染めて俯いた。
「?どうしたの?」
「………まだ、キリヤさんには言わないでね」
カコが消え入りそうな声で呟いたのを聞いてソウは少し神妙な面持ちになって頷いた。
「あたし………キリヤさんのことが好きなの」
「へぇ………えぇ!」
あまり大きな声で叫ばなかったことが幸いとなり、店内全ての人に注視されることは無
かったが、ソウとしてはそれどころでは無かった。
「で、あたし。キリヤさんが目の前に居るとどきどきしちゃって喋っていても頭の仲が真
っ白で何を話していいか分からなくて」
「それでどぎまぎしちゃうんだ…」
なるほど。とソウは思った。よくよく考えればソウもリュウトに告白されるまでは漠然
とリュウトのことが好きだったから普通に接することが出来たのかもしれない。
「で、キリヤさんっていつもソウと行動してるから、今日も来るかなぁって、思ったんだ
けど……」
「だから洋服選んで遅れるかと思ったんだ…」
よくよく見ればカコは遊ぶことを考えた上で動きやすさを損なわない最大限のおめかし
をしてきたのであろう。そんな配慮が窺えるような服装だった。
「ぜ、絶対まだ内緒にしてね?言っちゃヤダよ?」
「うん。分かってるよ」
ソウはしっかりと頷いた。問題はキリヤがいつカコの気持ちに気づくのか。そしてカコ
がいつキリヤのその気持ちを伝えるかだが。
「そういえば、キリヤさんって今日は図書館に居るんだっけ?」
「うん。友人の人が図書館の司書のアルバイトしていてね。その人に預けてきた」
心の内を暴露して幾分かすっきりしたのか、カコはクレープを再び頬張りながら言った。
「キリヤさんって、本当にソウに似ていると思うんだよね。物事の飲み込みが速いとこと
か、時々突飛なことをしたりだとか」
「似ているといわれても、よく分からないけどね」
ソウもクレープを齧って曖昧に笑った。実際、まだまだキリヤのことは分からないこと
だらけなのだから。
「あ、でも………」
ぽつりと呟いてソウは思った。
「キリヤって、凄い子供みたいだなって初めは思ったんだ」
「子供?」
カコが不思議そうに反芻する。ソウは頷いて言葉を重ねた。
「子供というか、まだ幼児って感じ?言葉も途切れ途切れだし、感情の起伏が全然見えな
いの。でも、なんか凄い勢いで物事を吸収するし、言葉も最近はかなり流暢になったと思
う」
「元々身体能力は高そうだったけどね」
カコの何気ない言葉にソウは「確かに」と短く肯定した。キリヤは執行部の誰よりも身
長が高い。しかし太っているわけではなく、どちらかと言うと痩せ気味の体格であり、陸
上部とかに入っていたら何だかモテていそうである。
「頑張ってね。カコ。応援してる」
何を。はあえて言わなかったがカコは恥ずかしげにはにかんで「ありがと」とソウに言
った。
その後もう少し遊んでいつものようにカコと「また明日ね」と言葉を交わして別れたソ
ウはそのまま図書館へと急いだ。
コンコン。
「ミズキさん。ソウです」
そう言って入ると、部屋にはぐっすりと眠る水木とその傍らで黙々と山積みになってい
る本に耽るキリヤがいた。
「キリヤ?ミズキさんは寝ちゃったの?」
ソウが尋ねると、キリヤは本から顔を上げてこくりと首を上下に動かした。
「初めの方は僕と喋ったり、絵を描いたり、お薦めの本だって何冊か持って来てくれたり、
……あとは難しい話を一緒にしたりしたんだけど。途中で「飽きた」って寝ちゃった」
「それはそれは……」
何とも気まぐれなミズキさんらしい。とソウは思った。
「ついでに、何となく気になったから聞くけど、難しい話ってどんな話?」
「…自分の認識する世界と他人の認識する世界の誤差による互いの見解?これを哲学って
いうのかな?」
ソウがカコと楽しい時間を過ごしていたときにキリヤはミズキとなんともまぁ有意義な
時間を過ごしていたわけである。
「ん………ソウか?」
もぞ。と身じろぎをして、ミズキは眩しげに目を細めながら言った。ミズキはそれなり
に中性的て端整な顔立ちをしている為か、何処と無く胸元まで開いたワイシャツの隙間か
ら見える真っ白な肌が目に毒なのは言わない。
「ただいま帰りましたミズキさん。キリヤをありがとうございます」
「構わない。また遊びに来いキリヤ」
まだ眠いのかとろんとした瞳でキリヤとソウを見て言ったミズキにキリヤは頷いて、
「またね。ミズキ」
と言った。
心外だった。とソウは思う。
「どうしたのソウ。手、止まってるけど」
それなりに長い間ぼーっとしていたのか、シノが不思議そうに聞いてくる。
「あ、ううん。何でもないよ」
そう言ってソウは再び箸を動かし始めた。キリヤは家に帰るなり直に夕食を食べ、既に
風呂から上がった状態である。
「今日。キリヤをミズキさんに会わせたんだけどね。何か二人とも気があったみたいで、
凄く仲良くなってたからちょっとびっくりしたなぁと思って」
「そうだったの?キリヤくん」
シノがおかずの無くなった皿を片付けながらテレビの前に居座るキリヤに問いかける。
キリヤはしばらくの間チャンネルをぐるぐると回していたがやっと決まったようで、随分
と昔によく見ていた教育テレビにチャンネルを固定した。
「うん。何かね、ミズキのことを、僕は知っている気がするんだ」
「あら、そうだったの」
シノは軽く流しただけだったが、ソウからすればそれはそれは不思議な事だった。
(キリヤって、自分の名前以外憶えていなかったのに?)
もし少しずつ記憶が戻っているのであれば嬉しい限りだ。
「何だか、ミズキの瞳は青い寂しさを湛えているんだよね」
どこか独白にも聞こえる言葉をぽつりぽつりとキリヤは呟く。相変わらず視線はテレビ
画面に釘付けだが、何処と無くいつもと違う様子が気になったソウは、早々に食事を済ま
せ、呟き続けるキリヤの隣に座った。
「キリヤ?」
「だって、ミズキは、あの時。泣いていた。僕は直接見てなかったけど、ミズキの根底に
はあの人がずっといるから………終わらない夏が、ミズキの心の闇を…」
そこまで言って、キリヤはふと我に返ったようにソウを見た。ソウは驚愕に目を見開い
ていた。
「ソウ?」
キリヤが心配そうにソウの顔を覗きこむと、ソウはキリヤの手を掴んで自分の部屋へと
駆け上がった。
「ソウ?一体どうしたの?」
ソウがキリヤを部屋に押し込めた後で、キリヤが窺うように聞いてきた。
「さっき、終わらない夏って言ったよね?」
ソウが真剣味を帯びた口調で言うと、キリヤは寂しげに目を細めて言った。
「…うん。ミズキにあってちょっとだけ思い出した。この世界は、永遠に終わらない夏に
閉じ込められている」
「脱出方法は無いの?」
ソウが一段とキリヤに詰め寄って聞くと、キリヤは静かに首を振った。
「ソウは、この話をミズキ以外の誰かに話したことある?執行部の皆とか」
「え?」
まさかの質問返しにソウは思いの外狼狽した。
「は、話せないよ……。特に、執行部の皆には」
「何で?」
「何でって……」
ソウの語尾が少しずつ弱くなっていく。しかし、ソウにとっては執行部の四人に話すな
ど、考えても居なかったことなのだ。なんせ、彼らは何度もソウの為に命を落としてきた
のだから…。
「ソウは、前に言ったよね」
「?」
キリヤの何だか突拍子に思える言動にソウは不思議げにキリヤを見上げた。
「執行部って言うのは、人のお願いを叶えると同時にその人に見返りを求める部活動。ソ
ウは執行部の部員だけど、お願いをする権利ってあると思うよ」
「で、でも、私は何か支払える見返りがないから…」
「あるよ」
キリヤはソウの前にしゃがんで、泣いてる子供に親が目線を合わせて諭すように言った。
「だって、ソウは仲間なんでしょ?ソウの悩みが無くなることが、皆にとっての一番いい
見返りになるんじゃないかな?」
そう言ってキリヤはソウの左手を取って両手で包み込んだ。
「僕は執行部の一員じゃないけれど、僕も手伝うよ。この夏から、ソウが抜け出したいと
願うのならば。だって……」
僕は、ソウが大切だから。と呟いたキリヤを見つめて、ソウの瞳からは大粒の涙が溢れ
た。
「ありがとう………。キリヤ。私、もう一人で悩まないよ」
握られた左手を、ソウはしっかりと握り返した。
その日の夜のことである。
「………?」
何か、物音を感じ取ったキリヤはむくりと起き上がった。そのまま素足で歩いていき、
玄関脇においてある電話の受話器をとる。
「……もしもし?」
『………』
受話器から何も音はしない。しかし、確かにその向こう側には人がいる。
「……あのね。ソウが、ついに決心したみたいだよ」
『………』
「これが、僕の役目だって、分かってるよ。でもね、どちらが、ソウにとっての幸せかは、
僕は分からないんだ」
『………』
「……うん。僕は、僕が出来ることを精一杯するよ。君には感謝してる。だって、ソウに
会わせてくれたから」
『………』
「だから、僕が今度は君の願いを叶えられる努力をするよ。君はまだ此処に来ることは出
来ないもんね」
『……』
「……じゃあね。近いうちにまた会うと思うけど」
がちゃん。
電話は、切られた。
次の日。ソウはキリヤに背中を押されて思い切って執行部の皆に胸の内を打ち明けた。
「冗談だろ?」とからかう人は誰も居ず、只ソウが詰まりながらも必死にしゃべるのを誰
も途中で中断するような行為をとったものは居なかった。
「……ソウ」
話終えたソウにゆっくりと声を掛けたのはツキネである。一歩一歩しっかりとした足取
りでゆっくりとソウに歩み寄ると、
「…………え?」
ゆっくりと、ソウの顔を覆うように抱きしめた。それはまるで母親が愛しの我が子を抱
きしめるような、優しさと慈愛に満ちていた。
「ありがとう。ずっと、悩んでいたのを教えてくれて」
「つ、ツキネ」
ソウは少しだけ身を捩ってツキネの見た。ツキネは目を閉じていたが、何処と無く満ち
足りた表情を浮かべていた。
しかし、すぐにツキネは身を翻して、ハル。リュウト。カコの心にしっかりと響くよう
に言った。
「これからは今まで同様。キリヤの家の捜索を続けつつ、ソウの言う『永遠に繰り返す夏』
について調べるぞ!」
「「「はい!」」」
ツキネの言葉に三人は勢いよく頷いた。
「皆…いいの?」
ソウの戸惑いが浮かんだ表情を見て、カコは笑顔でソウの両手を握って言った。
「困ったときはお互い様。だって、あたしたちみんな。友達でしょ?」
何の屈託も無くそう言い放ったカコにハルとリュウトはうんうん。と何度も頷いて言っ
た。
「やっぱりソウちゃんはやせ我慢をしすぎじゃないかな?僕らは執行部の仲間だけど、ソ
ウちゃんの言い分が正しいのであれば、僕らはずぅーっと友達な訳だしさ」
「一人で悩むなんて辛いことは無いよ。もっとソウに早く頼って欲しかったな」
「ひゅ~。かっこいいこと言うね。リュウト」
「お前たちはどんなテンションなんだ……」
「まぁまぁ。お姉ちゃんもそんなこと言わないで」
何度も自分のせいで死んでいる。そのことを聞いた上でもこのように軽口を叩き合える。
この友達をソウは改めて凄いと思った。
「ね?ソウ。言っても何も問題は無いでしょう?」
いつの間にか隣にやってきたキリヤがソウに笑いかけた。
「……うんっ」
ソウの両目からは透明な水滴が零れていたが、ソウは気にしないで満面の笑顔を浮かべ
た。
「………で、終わらない夏だよね?」
軽く全員で菓子をつまんだ後、いつものようにパソコンの前に座ったハルが再確認する
ように聞いてきた。
「うん。パソコンで出るものなの?」
「さぁ?でも、一応調べてみる価値はあるかなぁって思って」
終わらない夏と検索してみる。そのハルの後ろから五人がぎゅうぎゅうに詰めて覗き込
んだ。
「う~ん。やっぱり書籍名とかの方が多いね」
リュウトがスクロールされていく画面をじーっと見つめながら言った。
「なにか、情報は無いのか?ソウ」
画面から視線を離したツキネがソウを見て言う。
「確か………あぁ!」
ソウはそこで重大資料があることに気づいた。
「ミズキさんから借りた資料!」
「ミズキさんって、よくソウが話している市立図書館の司書さん?」
カコが少し首を傾いで聞いてくる。それに応じたのはソウではなくキリヤだったが。
「うん。ミズキはソウの古い付き合いの人なんだって。ミズキ自身かなりの読書家で、人
並み以上は本を読んでるよ」
「資料って、何?ソウちゃん」
一度画面をスクロールさせていく手を止めてハルが尋ねる。ソウは慌てたように言った。
「ミズキさんに八月の初めに『永遠に繰り返される夏における考察』っていう資料を借り
て……」
そこでふと、ソウはミズキの言葉を思い出した。
『貸してやる。だが、その存在をばれないようにしろ』
「……貸してやる。だが、その存在をばれないようにしろ。って言われました」
「何でその友人さんはソウに貸してくれたんだろうね?」
リュウトが不思議そうに聞いてくる。
「分からない。でも、ミズキさんは私がそのことで悩んでいるのを知っている。ともいっ
てたの」
「じゃあ、どうして存在がばれちゃいけないのかな?」
次なる問いはカコから投げられたものだが、ソウではなく何故かツキネが応えた。
「恐らくそれは、『閲覧禁止分類』に所属する資料じゃないのか?」
ツキネの正答にソウは目を丸くして言った。
「そうなの。ミズキさんは『閲覧禁止の本棚』からそれを私に渡してくれた。どうしてツ
キネは閲覧禁止分類があることを知っているの?」
するとツキネは頭をがしがしと掻き毟りながら言った。
「いや……大した理由は無いのだが、小さい頃に誰かに教えて貰ったんだ。自分の母がか
なりの読書家でな。小さい頃にあの図書館にはよく手を引かれてついて行ったもんだ」
「初めて知ったよ…」
ハルも目を丸くしている。
「で、どんな人だったの?」
カコがなにやら興味深々に聞くと、ツキネは静かに首を振って言った。
「黒い服を着た男の人だった。それしか憶えてはいないんだ」
次の日。六人は市立図書館に着ていた。
「ミズキさんって言うのは、何処に居るの?」
六人でまとまって本棚の迷路を通りながら行く。
「古書コーナーにいつもは居るよ。ミズキはいつも本を読んでいるか絵を描いている」
角を左に曲がり、古書コーナーにいつものようにミズキは居た。ゆらりとした動作で振
り向き、六人を視認すると、嘆息する。
「……今日は、随分と大人数だな。図書館ツアーでもするのか?」
「ミズキさん。お話があります」
そう言って、ソウは一歩前にでてショルダーバックから紙の束。―あの資料を取り出し
た。
「彼らは、私の大切な友達です。私の協力をしてくれると言う彼らに、この資料を見せて
も大丈夫かどうかを聞きに来ました」
ミズキは何も言わずにしばらくソウの顔を見ていたが、やがてほんの少しだけ頬を緩め
ると言った。
「別に、その程度のことならば構わない」
そう言って、取り出したのは黒いタッチパネル式の携帯電話。
「?」
六人が一体何をするのだろう。と思っていると、ミズキは何処かに電話をかけはじめた。
「もしもし?久しぶりだな……。あぁ、しばらくそちらの家に滞在させてもらうつもりだ。
おそらくまだあいつは来ないだろう?………は?弟?知るか。適当に放置しておく。じゃ、
三日後にそっちに行く」
そう言って、一方的に電話を切る。
「………おい。暮島ハル」
「はい?」
ミズキのフルネームでの問いかけにハルはいたって普通に答えた。赤い、血を零したよ
うな瞳がハルを見据えるとこう言った。
「情報通のお前に聞く。今年のミカグラ祭はいつだ?」
「えぇと……確か八月十七日だったと思うけれど?」
「………そうか」
そう言って携帯電話をしまったミズキはいつものように淡々とした口調で言った。
「資料は破いたり汚したりするなよ。あと、おそらくこの古書コーナーにも何かしらヒン
トが落ちているだろうな」
そう言って背を向けて歩き出した。だが、ふと思い出したように止まって、振り返ると
このような言葉を残して言った。
「三日後。何日か分の洋服を持って来い。俺の知り合いで、『永遠に繰り返される夏』に
ついて詳しい奴の家に連れて行ってやる」
「ミズキさんって、なんだか不思議な人なんだね」
カコがソウの前の席に座って言った。
ミズキが何処かに行ってしまった後、六人は読書スペースに腰掛けて資料を見始めた。
といっても、資料は一つしかないので結果的に皆で頭をくっつけあってみる事になったの
だが。
「へぇ~。これって面白い考察が多いねぇ~」
間延びした声でハルが言う。確かに、書き綴られている考察の数々は筋の通っているも
のもあれば、いや、絶対に嘘でしょ。と思えるようなものまであるが、どれも目から鱗が
落ちるような内容のものばかりだった。
「確かに、この宇宙人説なんて俺は面白いと思う!」
「自分はこちらの町が丸々一つ夏を繰り返す為の実験場所となっている。というのが説得
力があると思うぞ」
など、他にも過去にあった惨殺で残された魂の執念がうんたらかんたらなどと、いかに
も宗教的なものまであった。
「あれ?これだけ赤で丸がついてる?」
最初に発見したのはキリヤだった。一時間以上経過して、ほどほどに全員が疲れ始めた
頃である。どれどれと他の皆が見ると、確かにその部分だけ赤丸がついていた。
「なになに?『時を司る妖怪。マミの仕業による無限ループ』?」
カコが題名を朗読すると、他の五人も首を傾げた。
「マミなんて妖怪。聞いたこと無い」
「僕。聞いたこと無い」
「俺もだよ?」
「右に同じく」
「聞いたこと無いですよ?というかハルさん。右に同じくって、如何いう意味ですか?」
「お前ら。朗読してやるから静かにしろ」
いっきにがやがやし始めたのを一言で黙らせたツキネは、資料のその部分を宣言どおり
朗読し始めた。
「ナニナニ……。この町は昔。大きすぎるほどの森に覆われていた。そこは『時忘れの森』
と呼ばれ、マミを初めとする多くの妖怪のテリトリーであった。その当時は時忘れの森を
囲うように七つの郷があり、村の住人達は時忘れの森にある美味しい果実やよく効く薬草。
そして美しい湧き水などをあやかる代わりに、秋の奉納祭には時忘れの森にある古びた祭
壇にその年収穫したものを少しずつ献上することにより、利害の関係が保たれていた」
皆が皆。黙って昔話を聞くような感覚でツキネの声を聞いていた。
「しかし、いつの時代も争いは絶えないもので、七つの郷は連携して暮らしていたが、遠
方の国から彼らの住む国に宣戦布告があった。この森と郷は国境付近に近い為か、すぐに
戦禍に見舞われることとなった」
「戦争……?」
さが
ソウは思わず身震いをした。いつの時代も人々が争うのは人間の性なのかも知れないが、
ソウからすればそれは到底理解に困るものでしかないのだ。
「七つの郷は結束して何とかその火を時忘れの森に入れないように最善を尽くした。しか
し、どんな努力もむなしく、ついにその業の火は森へと持ち込まれ、森は一瞬のうちに焼
け野原へと変わった。郷の者が絶望に打ちひしがれたその時である。突如として火は収束
し、森は元に戻り、遠方の国からやってきた戦士たちは遥か前方まで飛ばされた。つまり
は、時間が何時間も巻き戻ったのである」
「すげー。ファンタジーみたいだ」
リュウトはこのような内容が好きなのか、子供のように目をキラキラさせながら聞いて
いた。他の四人も表情にこそあまり出ていないがすっかりこの話に夢中になっていた。
「この後、兵士たちがやってくるまでの間に、郷の者たちは櫓を組み、相手側の攻撃を受
けないように塀を作り、見事な策略を以ってして僅か千人で約三倍ほどの屈強な兵士を撃
退したそうだ。………その後、ここでは話を書きはしないが五王の話(興味のある者は人
間妖怪昔話などを参照にして欲しい)など、人間と妖怪の関係は幾度となく亀裂が入るこ
とがあった。そして、今日の繰り返される夏は、時忘れの森の妖怪である。マミの仕業に
よるものではないかと私は考える」
ツキネは読み上げると、小さく息を吐いて言った。
「自分の母親にこの五王の話は聞いたことがある」
「「「「「え!」」」
」」
さまざまな音程での驚嘆の声が響く。ツキネは少し煩わしそうに目を細めたがきょろき
ょろと周りを見回して言った。
「確か、その人間妖怪昔話はこの古書コーナーにあったはずだ」
「あと、妖怪図鑑みたいなのもミズキが古書コーナーにあるって言ってた」
ツキネのキリヤの言葉に皆は一斉に蜘蛛の子を散らしたように散り散りになった。
十数分後……。
「あった!人間妖怪昔話!」
本棚の隙間から声を上げたのはハルである。そのあとカコからも「妖怪図鑑ありまし
た!」という達成感のある声が響いてきた。
早速集まると、ハルは見つけてきたそれをツキネに渡した。ツキネも、もう分かってい
るのか、五王の話のページを開くと、再び皆に言い聞かせるように朗読を始めた。
「太古昔。その頃の妖怪は人間を支配していた。妖怪による全ての活動に対して、人間の
多くが西洋の奴隷のように扱われていた。妖怪は寿命が長い上にその人間が持ち得ない力
を持ってして人間を家畜同然に扱っていた。人間はそのように扱われる事に不満や苛立ち
を感じ、人間としての尊厳を手に入れるために多くの妖怪と戦っていた。しかし、思った
以上に戦果を挙げることは出来ず、人間の多くはもう疲弊していた。そんなある時、五人
の少年少女が妖怪に立ち向かっていくということがあった」
「妖怪が人間を支配する時代か……なんだか怖いね」
カコの何気ない一言にソウはこくこくと頷いた。
しゅりょく
「五人の少年少女は類稀なる 珠 力 と呼ばれる力を用いて、妖怪の総大将であるマミと対
面した。人間は少年少女がマミを打ち倒してくれると信じて疑わなかった。しかし、少年
少女たちはマミを倒すことは出来なかった。出来なかったのではない。しなかったのだ。
五人は大勢の人々に批判を受けることとなった。しかし、彼らは『自分たちは妖怪を倒す
為にこの力を得たのではない。妖怪と共存した世界を創るためにこの力を得たのだ』と。
人間にも感情はある。数々の人間の業を詫びると共にもう一度、一緒に暮らしていける世
界が創れるのではないのかと彼らは思ったそうである。この後、何日にも続く討議の結果。
人間と妖怪が共存できる世界が創られていくという事が宣言され、人々は喜び、その五人
の少年少女たちを五王と呼ぶことにしたのである」
「人間と妖怪は必ずしも共存して生きていた訳では無いんだ…」
抑揚に欠けたキリヤの呟きにリュウトは「そうだね」と小さく同意した。
「で、カコちゃんが見つけてくれた妖怪図鑑に、マミの名前は載っているのかな?」
ハルが横から覗き見るような体勢で言うと、カコは慎重にこくんと頷いて言った。
「説明部分を読みますね。『マミとは時を司る妖であり、その外見は真っ黒な狸のようで
ある。人語を理解する事が出来、主に妖怪と人とを繫ぐ奏上役を代々担っていた。正確は
穏やかで、人間が必要以上に干渉してこなければ、マミも同様に必要以上には干渉しない。
只、無断でテリトリーを荒らしたりするとかなり怒り、その人間にとっての苦痛な時期を
何度も繰り返すようなことをすることもある。また、マミは力の強い妖怪であるが為に人
間に化けるも可能であり、変身時の外見的特徴を挙げるのであれば、黒い髪に白い肌。そ
して紅いガラス球のような瞳が挙げられる 』」
「マミと言う妖怪は確か、時忘れの森に住んでいるんだよな?」
ツキネがハルに確認すると、ハルは首を上下に動かした。
「そうだね。少なくとも閲覧禁止資料の中にはそう書いてあったね」
「もしこれが本当にこのマミって言う妖怪の仕業だったら……」
カコは妖怪図鑑を握る手に力を込めた。リュウトも真剣な瞳で見つめている。
「でも……。本当に妖怪なんているのかなぁ」
先ほどまであまり具体性の無さそうなやる気に燃えていた四人を現実に引き戻したのは、
何気ないソウの一言だった。
「だって、妖怪なんて誰も見たことは無いでしょう?確かに、此処は盆地だから八月のお
盆の時期とかは幽霊が出やすいよぉ~とか言うけど、確証がないの」
「あるよ」
ソウの現実論をぶち破ったのはキリヤだった。
「ハルが今年は十七日にあるっていったお祭り」
「………ミカグラ祭のこと?」
カコが首を傾げる。ソウも、祭り名は聞いたことこそあれど、如何いう内容のお祭りか
を知らなかった。
「でも、ミカグラ祭って妖怪に関係があるお祭りなんだよ?昔に人間の愚行に耐えかねた
凄く強い妖怪が町ごと滅ぼそうとした事があったんだって。その時に一人の青年が人柱に
なると誓ってその妖怪に舞を披露して見せたら、妖怪が感動しちゃってね。その妖怪はそ
の青年を眷属の一人とする代わりに町を滅ぼさないでくれた。という逸話があったりする
らしいよ?」
情報通であるハルがここぞとばかりに披露すると、周りからは感嘆の吐息が零れた。
「あの……すこしよろしいでしょうか?」
ふと、遠くからした声に振り向くと、本棚の端から、髪の毛を高い位置で二本に縛った
少女が佇んでいた。
「はい。なんでしょうか?」
リュウトがいつもの爽やか過ぎる笑顔で問いかけると、少女は言いにくそうに、しかし
言った。
「非常に申し訳ないのですが……もうとうに閉館時間を回っています」
三日後……。
執行部プラスキリヤの面々は、ミズキに言われたとおり、着替え用の服や下着を何枚も
持ってきた。旅行鞄は極力小さくて使い勝手の良いものを全員選んだようで、全員あまり
大荷物では無かった。
「遅いね~。ミズキさん」
カコが肩を回しながら言う。実際。待ち合わせの時刻からかれこれ十分が経過しそうで
ある。
「遅くなったな」
抑揚の少ない、しかし抑揚が無くても聞きやすい全員で振り向くと、白いワイシャツに
黒のズボン。赤いネクタイを縛った何とも夏には不向きな服装をしたミズキがやって来た。
「ミズキさん。でしたっけ?暑くないんですか?」
リュウトが唖然とした表情で言うと、ミズキは少し肩を竦めた。
「総会は正装にて参加するのが儀礼で、これでも脱いできたほうだ」
一体夏にどれだけ厚着をするのだろう。会議中に熱中症患者が続出するだろうな。と恐
らく大半の人は思ったであろう。
「で、行くのか?」
服を用意しておけなどと言っておきながら、ミズキは不思議そうに問いかけてきた。そ
れに代表してソウは頷く。
「夏がループしている事に関して、詳しい人の所へ連れて行ってください」
ソウのはっきりとした口調や意志の篭った眼差しにミズキは少し眩しげに目を細めて言
った。
「少し歩く。ついて来い」
三十分後……。
恐らくキリヤ以外の全員がミズキの言う少しが半端ではないほどの過酷な道のりだった
ということを嫌というほど感じる羽目になった。
「ねぇ。ソウちゃん。ミズキさんは、忍者かなにかなの?」
暑さと疲労で意識が朦朧としたような表情をしながら、呟いたハルにソウは「分かりま
せん…」と掠れきった声で応えた。
何故か今、一群が通っているのは民家と民家の間である。ミズキは手ぶらな為か、普通
に通っているが、この間というものが猫がやっと通れるぐらいのもので、足場も殆ど無く、
人間が通るような道では到底無かった。
「皆。大丈夫?」
ミズキの後ろを歩いていたキリヤが全員に声を掛ける。キリヤは並外れた体力の為か、
まったく疲れている様子は無かった。
「だ、大丈夫だ。問題は無い……」
ツキネが何とか見栄を張ろうと、一歩前に踏み出た。しかし、やはり足取りはおぼつか
ない。
「キリヤさん……疲れてないんですか?」
執行部の中でも一番体格の良いリュウトですらヘトヘトになっているというのに、キリ
ヤはこてんと首を傾げて言った。
「疲れる?何それ?」
「………人語が通じない」
カコはあちゃーとでも言いたげに額を押さえた。底なしの体力は疲れることすら知らな
いとは。
「おい。あと五分ぐらいで着くから、急げ」
そんな苦労も知らずして、ミズキが呑気に声を上げた。
「ミズキさん…。その人って、こんな場所に住んでいるんですか?」
再び歩き出した全員の心の内をまとめたかのようにカコが尋ねると、ミズキは頷いて言
った。
「元々、極力人との関わりを避けて生きている奴だ。滅多なことでもない限り、あいつを
街中で見かけることは、まず無い」
狭い(寧ろ狭すぎると言ってもいいかもしれない)道を通り抜けると、何とか人が横に
二人ほど並べそうな道へ出た。真っ直ぐに歩いていった先には、二階建ての小さな家がぽ
つんと立っていた。
「ここ。か?」
ツキネがその家を見上げて言う。確かに此処しか玄関が無いのであれば、まず人が入っ
てくるのは―それまでの道を通ってくるのが不可能であろう。
しかし、家を囲むブロックを積み上げた塀の横に飾られている『藤堂』と描かれた石が
あまりにも普通の一軒家の雰囲気を醸し出していた。
「とりあえず。入れ」
ミズキが木で出来た扉を開いて言う。全員が庭に入ると、庭は予想以上に大きなものだ
った。
「なんか、お泊まり会をしに来た気分になってるんだけど」
リュウトの独り言に、全員が同意せざる得ないような状況である。
「おい。イズミ。来たぞ」
ミズキはずかずかと歩いていって、縁側でうつ伏せになってすやすやと寝息をたててい
る男性に声を掛けた。
男性はミズキに呼ばれたことで目が覚めたのか、少しぼぉーっとした瞳で六人をみると
へにゃりと笑っていった。
「初めまして。ミズキから話は聞いてるよ。僕の名前は藤堂イズミ。よろしく」
黒い薄手の着物を纏った男性はそう名乗り、「よいしょ」と言って縁側に置いてあった
下駄を履いて重い荷物を持って此処までやってきた皆を労った。
「ひとまずお疲れ様。僕は人と関わりを持つのが苦手だからこういう所に住んでいるけど、
此処に来るまで疲れたでしょ?玄関から上がって。冷たい麦茶を用意するよ」
柔和な笑みを浮かべられて、全員は少しびっくりした。こんな人の良さそうな男性が人
と関わりを持つのが苦手。というのが少し信じられなかったのである。
「麦茶……」
しかし、キリヤはそのことよりも麦茶が大切なようで、一人だけすたすたと表口に回り
始めた。それを見て、他の五人も唐突な喉の渇きに襲われ、表口に回ったのは言うまでも
無い。
玄関で靴を綺麗に並べてリビングへ案内されると、広い和室に、本棚や何故か蓄音機な
どが並んでいて、テレビなどの文明の利器はキッチンにあるガスコンロや電子レンジ。そ
して備え付けの電話にラジオ程度しかなかった。
「何だか、凄い新鮮な感じがするな…」
荷物を壁際にまとめて置いておき、皆で大きな長方形のちゃぶ台を囲むように座ってか
ら、一番初めに口を開いたツキネの正直な感想だった。
「僕たちは日頃。数々の電子機器などに囲まれて暮らしているからね。こういう、少し情
報に頼らずに生きている感じも、たまにはいいかもしれない」
机に頬杖をついて、横一列に綺麗に並べられたこげ茶色の小さな植木鉢を眺めながらハ
ルはツキネの言葉に遠巻きに同意した。それは恐らく、他の全員も思っていることであり、
街中の目まぐるしさのない。何処か時間の流れがゆっくりと感じるこの空間を皆好ましく
思ったのかもしれない。
「ごめんね。遅くなっちゃって」
植木鉢と同じ色のお盆を持って、イズミと名乗った男性は入って来た。お盆の上には同
じ種類のコップが八つ。茶色い麦茶をゆらゆらと揺らしながら入っている。
「あ、手伝います」
ソウが気を利かせて、お盆からコップを二つずつ取ってちゃぶ台の上に置いた。イズミ
はまたゆるく笑って、「ありがとう」と言った。
「じゃあ、改めまして。僕はさっきも言いましたが、藤堂イズミっていいます。一応電気
は引いていますが、殆どは自給自足で暮らしてます」
「食料とかは、どうするの?」
いつの間にか麦茶を飲み干したキリヤが不思議そうに尋ねる。
「普段は、裏にある畑で取れた野菜とかを使ってるよ。お米とか、味噌とかは電話で友人
たちに頼んで買ってきてもらうことが多いかな?」
まるで田舎の人のようだとソウは思った。しかし、イズミの満ち足りたような笑顔を見
て、きっとイズミは現状に満足しているんだろう。とも思った。
「………イズミ。そいつらは、永遠に繰り返される夏について詳しいお前の話が聞きたい
そうだ。話してやったらどうだ?」
恐らくイズミのものなのであろうと思われる紺色の浴衣に着替えたミズキが縁側で横に
なって言った。その様子をみたイズミが少し苦笑いをしてぽつりと呟く。
「相変わらず、めんどくさがりな所は変わらないんだね。ミズキだって総会に参加してい
るんだから、話してあげればいいのに」
「俺はこの地方の出身ではない」
「それを言ったら、僕だって違うさ」
何だかよく分からない問答をイズミとミズキがしていると、カコが「あ、あの!」と口
を挟んだ。
「イズミさんは、この夏がループする事実を知っているんですよね?」
カコは少し緊張しているのか、たどたどしい口調で聞くと、イズミは黙って頷いた。
「教えてください。夏が繰り返される原因は、時を司るという妖怪。マミのことなんです
か?」
それを言うと、イズミは何故かきょとんとした顔でカコを見て、そのあとミズキを見た。
背を向けているミズキにイズミは問いかける。
「ミズキ。もう話しているなら、僕のところに連れてくる必要ってあったの?」
「話してない。閲覧禁止の棚から引っ張り出してきたヤツにおおよそかいてあったんだろ
う」
ミズキのぶっきらぼうな言い方にイズミは納得したようにしきりに頷き、六人を順に見
て言った。
「夏が繰り返されているのを知っていたのは、誰?」
優しげな声でされた問いに、おずおずと手を挙げたのはソウであった。するとイズミは
ソウを何か、大切なものを見るような眼差して見て呟いた。
「そうか。君だったんだ……」
「…。私のことを知っているんですか?」
静かに問いかけると、イズミは首を一度、縦に振った。
「僕が……正確にはミズキが。かな?とっても大切な人がいてね。その人が、君の話をよ
くするんだよ」
ソウは首を傾げた。少なくとも、イズミの話を誰かからソウは聞いた事が無い。それを
分かっているのか、イズミも深く語ろうとはしなかった。
「狭山カコさん。君が言ったとおり、このループはマミよる仕業のものだよ。只、どうし
てマミがループを行っているかは、分からない。マミ自身。元々、怒り狂うようなことが
無ければずっとループさせるようなことはしないとおもうんだ」
「………そのマミには、どうしたら会える?」
キリヤが、少しだけ決意の滲むような声で言った。
「マミは、多分時忘れの森に居るよ。今は改名して、忘れずの森って呼ばれているけどね」
「忘れずの森って……」
リュウトは思い当たる節があるように呟いた。
「この町の中心部に位置する。小さな森のことだ。小さいけれど緑が鬱蒼と茂っていて、
真昼でも逆に夜に感じてしまうほどの」
「何で、町の中心部の位置しているんだ?」
ツキネがリュウトの独り言に突っ込みを入れた。ソウもカコも、キリヤもそれに同意し
たように頷く。応えたのはリュウトではなく、ハルだった。
「この町って、元々三十年前ぐらいに出来た比較的新しい町だって知ってた?」
「え!そうなんですか?」
カコが予想以上にオーバーなリアクションを取った。ハルは頷いて滔々と語りだす。
「何かね、もともと盆地で、だけど町を造る前は忘れずの森がすごーく広範囲に広がって
いたんだって。で、森を切り拓いて立地条件の良くて、人間が住みやすいこの土地を町に
したんだよ」
って、書いてあった。とハルは少しだけ首を竦めた。
「………そう言えば、ずっと昔に七つの郷があった話では、森に戦火が入ってしまったと
きにマミが時間を巻き戻した。という記述があったな」
ツキネが思い出したように、右手を顎にやりながら言った。
「ということは?」
カコがイマイチ意味が分からないようにソウを見た。
「人間が勝手に森を伐採して、そこに町を造ったことにマミは怒っている。ということ?」
ソウが少し自信なさげに言うと、キリヤも同意して言った。
「昔は、もっと人間と妖怪の関係は密接だった。だから、人間も妖怪も互いに尊重しあっ
ていたけれど、時代が進むに連れて人間が妖怪のことを忘れちゃった。きっと昔の人達だ
ったら、ちゃんと妖怪たちと相談してから考えると思う」
ぽんぽんと出てくる考察や仮説を聞きながら、何故かイズミは悲しげな顔をしていた。
ちりりん。
二日後の昼下がり。涼しげな風鈴の音がした。結局、前の日は夕方まで話して、イズミ
が作ってくれた美味しいご飯を全員で食べて、お風呂に入って何も考えずに寝てしまった
のだ。
早朝にツキネはお邪魔したことを詫び、帰ると言ったが、イズミが「せっかくだから何
日か泊まっていったら?」という申し出にカコやらハルやらが賛成して、最大でも五日間。
藤堂宅に留まることになった。
「涼しいね」
「うん」
縁側に足を投げ出した。カコがソウに話しかけた。出された美味しいそうめんを食べた
後に、執行部三年であるツキネ、ハル、リュウト。そしてキリヤは近くの川までイズミと
一緒に夕食を釣りに行ってしまった。よって二人は留守番として、何もない穏やかな昼下
がりを堪能していた。
「こんな日が、ずっと続けばいいのにな」
「うん」
カコが空を見上げたのでソウも一緒に見上げた。何処までも蒼く透明に澄んだ空に綿菓
子のように白い雲がぽつりぽつりと流れていく。緩やかな時間の流れを感じさせる空に、
ソウは小さくため息を吐いた。
「ねぇ。ソウは今まで繰り返されてきた夏を全部覚えているんだよね?今まで、私達が作
った思い出とか、全部憶えているんだよね?」
「うん」
空を見上げながら、繰り返される問答。ふと、カコは俯いて言った。
「また、八月最後の日が終わったら、ソウ以外の皆はこの思い出を忘れちゃうんだね」
ソウは、ゆっくりと視線を下ろして、カコを見た。カコの肩は、小刻みに震えていた。
「嫌。だなぁ………こんなに穏やかで素敵な日も、皆で今までたくさん遊んだことも、全
部忘れちゃうなんて……」
ぱたり。空を切り取ったような透明な雫が、カコの両目から溢れ、地面にぽたぽたとし
みを作った。
「カコ……」
ソウはカコに呼びかけて言った。
「皆で、この夏の外側に行こう」
泣きじゃくるカコの左手の甲に両手を重ね、ソウは穏やかな、決意に滲んだ声で言った。
「全員で、この夏の向こう側へ行こう。秋とか、冬とか、たくさん違う世界を皆で楽しも
う」
カコの涙は止まらなかった。しかし、ソウの言葉にカコは何度も何度も頷いた。
ソウは、カコが泣き止むまで、重ねた両手を離そうとしなかった。
「……ミカグラ祭?そういえばそんなこともありますね」
夕方。五人が釣ってきた大小様々な大きさの魚を皆で突付きつつ、カコがのんびりとし
た口調で言った。
「そう。確か、今日の夜だったから、皆、行っておいでよ」
後片付けは、僕がしとくよ。と付け足して、イズミは笑った。
「ミカグラ祭自体も元々、妖怪に関係のあるお祭りだったよね?確か、前にハルが言って
いたような……」
リュウトは記憶が曖昧なのか、自信なさげに言うと、ハルは頷いた。
「そう。前にも話したけど、人間の愚行に耐えかねた強い妖怪が多くの人間を殺そうとし
たんだけど、一人の青年が舞を舞い、眷属となる代償として人間を殺さないことを約束し
たのが始まりらしいけど…。あ、このサラダ美味しい。ツキネが作ったんだっけ?」
イズミの家ではほとんどどが自給自足であるためか、野菜など生鮮食品は基本無添加で、
何の飾り気もない素朴な味がしていた。
「じゃあイズミさん。後片付けはお願いしてもいいですか?」
ツキネが言うと、イズミは大きく頷いた。そして、ふと思い立ったように笑って付け足
す。
「この家はほとんど和服しかないんだ。もし良かったら、着物を着ていくといい」
こうしたイズミの提案により、六人は着物。または浴衣に着替えることとなった。
蛇足かもしれないが、柄はカコが水色に黄色の向日葵が描かれている柄。リュウトは緑
色で柄なし。ハルは黒に灰色で少ない量でとんぼが描かれている。キリヤは紺色に白で縦
縞。ツキネは淡い紫色の生地に濃い紫で蝶の柄。ソウは桃色の下地に白や薄いピンクで大
小様々な大きさの花が描かれていた。
「うんうん。似合っているね」
自分の着付けにしきりに満足したようにうんうんと頷くイズミを横目で見て、ソウは自
らの姿を省みた。着物を(正確には浴衣だが)着るのは恐らく七五三以来であろう。
「ミカグラ祭は別名水神祭。舞台で踊っているのがその青年を模した舞になっているのだ
けれど、間違えても舞台に上ってはいけないよ」
「?それは、舞の邪魔になってしまうから?」
玄関まで見送られた最後にイズミに掛けられた言葉にソウは疑問を隠せなかった。から
んからんと先に五人は行ってしまったようで、下駄の音だけが夏闇に響いている。イズミ
は何でもない。と首を振って言った。
「言葉にすることが赦されない事柄なんだ。でも、舞の舞台に上がった人は今の舞の踊り
子以外いないよ」
イズミは優しく笑って言う。
「ほら、早く行かないと、皆に置いていかれてしまうよ」
「あ、ありがとうございます!」
ソウは急いで茶色の下駄を履くと、こけないように気をつけながら走り出した。
「うわぁ~。凄い人!」
ミカグラ祭にやってきた一同は大通りを挟んで並ぶ屋台にすぐに夢中になった。先ほど
夕食を食べたが、ここまで来ると、もう一度好きなものを口にしたいのが心情であり……。
「僕。チョコバナナ買ってくる!」
「ズルイですハルさん!私はもちろん林檎飴が食べたいです」
「僕、から揚げ食べたい」
「俺はやきそばかなぁ~」
皆が皆思い思いに散ろうとして、
「おいお前ら。迷子になりたいのか?」
低く判決を下されるような声に、四人は一瞬にして硬直する。ツキネはやれやれと嘆息
すると、しょうがないとでも言いたげに呟いた。
「……十時までには帰ってくるようにとイズミさんには言われている。八時半になったら
舞を踊る舞台の前に全員来い。それまでは自由時間だ」
こうして自由を得たとでも言わんばかりに駆け出していった四人を見ながら、ソウは少
し唖然とした表情をしていた。
「どうしたソウ。祭りは初めてか?」
ソウ同様、一歩も動こうとしないツキネが微笑しながら言う。ソウは黙って頷いて呟き
のように喋る。
「お祭り自体は、苦手だったの……人がたくさんいる場所に行かないと行けないから。で
も、今はもう、大丈夫」
「慣れていない。ということか」
そう言ってツキネは急に歩き出し、近くのお店で八個入りのたこ焼きを買ってきてソウ
に差し出した。
「ほれ」
器用に箸でまあるいそれを掴むと、ツキネは箸をソウの口元まで持ってきた。
「え、えぇ?」
「ほら早く。こういうのはな。あったかいうちに食べるのが美味しいんだ」
ソウはツキネに急かされて思い切ってたこ焼きを頬張った。
「お、いい食いっぷり」
ツキネがにやりと笑う。ソウはもぐもぐと咀嚼し、ごくんと嚥下したあとに、呟くよう
に言った。
「美味しい……」
「だろう?根拠があるのかどうかは知らんが、祭りで食べるものはたこ焼きにしても焼そ
ばにしても、勿論甘いものも美味しく感じるんだ」
ツキネはたこ焼きを手渡す。ソウはそれが冷えてしまわないうちにぱくぱくと急いで口
の中に詰め込んだ。
「自分も祭りはあまり好きでは無かった。祭り以外でも、人が大勢いるところでは『自分
はいつも一人だ』という孤独感に苛まれていたからな」
そう言ってツキネは踵を返した。多分、これから八時半までは好きなことをスルのであ
ろう。
ソウは食べ終わってしまったたこ焼きの容器を見つめた。そして、その容器を廃棄して、
人が溢れる雑踏の中に入っていった。
「あれまソウちゃん。一人?」
次は何をしようかな。とぶらぶらと道を歩いていたソウに声を掛けたのはハルであった。
なにやら人がたくさんいる屋台の前にしゃがみこんでいる。
「ハル?何やってるの?」
気になったソウが問いかけると、ハルはさも当然とでも言いたげな顔をした。
「何って、金魚すくいだよ」
覗きこむと赤いひれを優雅に揺らめかせる金魚がたくさんいた。
「うわぁ……」
「この棒を使って、金魚をお椀の中に入れるんだよ。入れた金魚は持って帰ってもいいの」
ぱたぱたと皮が健在な棒を振ってハルは言った。
「か、可愛い……」
ソウは思わず頬を緩めた。動物、とりわけ魚がソウは好きだが、生憎金魚すくいの才能
は無いらしく、本当に小さい頃は何度も何度も挑戦したが一匹もとることが出来なかった
のが、苦い思い出である。
「…あそうだ。ソウちゃん。金魚何匹欲しい?」
「え?」
「とってあげるよ」
まるでソウの心の内を読み取ったかのようなタイミングで話されたソウは、「じゃあこ
れとこれ」と、少し大きめの金魚と普通の金魚を指さした。
「よしきた」
ハルは水面を滑らせるように棒を水の中に入れ、あっという間に二匹釣ってしまった。
「す、凄い……」
ソウは感嘆とともにその言葉を漏らす。ハルは水と一緒に袋に入れてもらった金魚をソ
ウに渡した。
「はい。ソウちゃんにあげるよ」
「え、でもこれはハルが釣ったやつなのに?」
少し見上げて疑問を口にすると、ハルは少し困ったように言った。
「金魚すくいは好きなんだけど。動物はあまり好きではないんんだよ。普段はツキネにあ
げるけど、今日は特別にソウちゃんにあげるよ」
そう言って、人並みから少し離れたベンチに二人で腰掛けた。
「いつもお祭りに来るときは、ツキネと回るんだけどね。今日は僕がすっかり遊ぶ事に夢
中になっちゃって、おおよそツキネはいつものように射的をやっているんだろうと思うけ
どね」
何処か懐かしげな目をして語るハルがソウは少し気になった。
「ハル。ツキネとは、如何いう関係なの?」
「幼馴染の一人。僕とツキネとリュウトは幼稚園から同じなんだ」
ハルは急にソウを見て微笑して言う。
「僕はね、ずっと言っていないけど、ツキネのことが大好きなんだ」
「………。何となく、そう思ってました」
少なくとも、六十三回目の夏と比べれば。とソウは付け足さなかった。ハルは椅子の背
もたれに寄りかかって呆れたような口調で滔々と語る。
「でも、僕がツキネのことが好きだからと言って、ツキネに僕のことを好きになって欲し
いだなんて厚かましいことは思ってないよ?」
やっぱり。とソウは思った。ハルは普通と価値観とは少しズレた価値観を持っている。
誰だって好きな人の子とをずっと一方通行で思っていることは出来ない。だから、相手に
も愛して欲しいと願うのだろう。
「それは、厚かましいことではないと思うよ」
「いや、僕にとっては十分に厚かましいことだ。だって、ツキネを好きになったのは僕だ
から。告白して、相手に好きになってもらうって言うのは僕は傲慢だと思っている。一方
通行な恋を無理矢理両思いにするのは、只のエゴでしかないでしょう?」
ハルはそう言って立ち上がった。
「じゃあ。僕はこれからヨーヨーすくいでもしてくるよ。リュウトは多分焼きそば屋の前
とかにいると思うよ?」
ハルはにんまりと笑って去っていった。後に残ったのは二匹の金魚が入った袋と、座っ
たまま動かないソウだけだった。
再び雑踏の中を歩きながらハルからもらった金魚を見つめてみる。ゆらゆらと尾ひれを
揺らして回る姿にソウは少し嘆息した。
金魚は、自分たちの世界が狭いことを知らない。ソウは執行部の皆やキリヤの夏が繰り
返していることを知らなければ―狭い世界で暮らしていることを知らなければ、幸せだっ
たのかもしれない。
「ソ~ウッ!」
後ろから肩を誰かに叩かれた。びっくりして振り向くと、いたずらを成功させたような
笑顔でカコが立っていた。
「カコ?どうしたの。林檎飴は買えたの?」
ソウが不思議げに聞くと、カコは懐から「じゃーん!」という効果音付きに林檎飴を二
つだした。人工的に着色されたそれは、綺麗な色でぐるぐるまいた棒付きの飴のように美
味しそうに見えた。
「はい。一個はソウの分ね」
そう言ってカコは持っていた一つをソウに握らせる。ソウは目を手渡された飴のように
真ん丸にしてカコを見る。
「いいの?」
「うん。何かその飴見たときにさ。ソウの目を思い出しちゃって」
照れ臭そうに少し頭に手を置いて「たはは」と笑う。そして、包み紙を開けて、大きく
一口。舐める。
「赤くて丸いものって、素敵なものが多いと思うんだ」
「例えば?」
ソウの問いにカコは少しう~ん。と唸って思いついたように目を輝かせた。
「夕日とか!ソウの瞳もそうだけど、夕日とかは凄く優しいよね」
「夕日色の……」
未だに包み紙を剥がさずにじっとそれを見つめるソウにカコは笑いかけた。
「だから、ソウの瞳はとっても優しい色なんだよ。あたしが小学生ぐらいのときに読んだ
お話にね。如何して夕日は赤いの?ってあるの」
懐かしげに林檎飴を見て目を細めるカコの話を、ソウは静かに聞いていた。喧騒の中で
も、二人の間には自然と穏やかな雰囲気が漂っていた。
「それはね。お日様が優しいから。皆が遊びつかれて帰ってくるときにお日様が『今日も
一日お疲れ様』って言ってくれるの。あったかい色に染まって、『明日もまた頑張ろうね』
っていってくれるの」
カコは再び林檎飴を舐めた。今度は小さく、舌だけ出してゆっくりと。
「少し大人に近づいた今でも、その話を思い出して、その度に『そうだな』っておもうん
だよ」
いつもの元気溌剌とした様子とは打って変わった穏やかな口調に耳を澄ませながら、ソ
ウも林檎飴の包みを解いた。
「ソウ!」
八時二十分頃。ツキネに言われたとおりの舞台の前まで行くと、リュウトが前の方のス
ペースで焼きそばを食べていた。
「リュウト!」
ソウも少し早足になって駆け寄る。しかし、あと少しという位置まで来て、小石に躓い
てしまった。
「あっ…」
もはや突然のこと過ぎて悲鳴も上がらない。次に来るであろう衝撃を覚悟したときだっ
た。
「大丈夫?」
ふありと抱きかかえられる感触。ソウはこけるわけではなく、直前に伸ばされたリュウ
トの手によって支えられていた。
「あ、ありがとう。リュウト」
こけたことも、体勢的にも少し恥ずかしいのか、ソウは頬を林檎のように染めて言う。
リュウトはニカッと笑って「どういたしまして」と呟いた。
「リュウトは、今まで何をしてたの?」
何とか体勢を立て直して見上げるように言うと、リュウトはさらりと言った。
「さっきまでは、いろんな的屋を回ってたよ。………あ!」
リュウトは急に叫んで、懐からンなにかを取り出した。それは…。
「キレイ…」
蒼い色の指輪だった。華奢なソウの指の薬指にぴったりそうなサイズだ。
「俺から、ソウに」
リュウトは微笑んでソウの左手の薬指に指輪を嵌めた。
「こ、これって………」
左手の薬指への指輪は婚姻の証。ソウは今日のなかで一番びっくりした目でリュウトを
見上げた。熱で上気した頬と同じぐらい、リュウトも顔を真っ赤にしていた。
「急な話だから、無理なのは分かっている。でも、考えて欲しいんだ」
真摯な瞳がソウを射抜く。ソウは目を逸らさずにしっかりとリュウトを見つめて、ゆっ
くりと頷いた。
「考えさせて……」
掠れ入った声で言うと、リュウトは嬉しげに「うん」と笑った。
ガタガタ。ガッタン。
急に舞台から大きな音がしてソウたちは二人の世界から帰ってきた。慌てて舞台を向く
と、舞台で踊っていた人の左手を誰かが掴んでいる。長身に、白髪の青年―キリヤである。
「キリヤ!」
ソウはざわめきの中から伝わるように叫んだ。何故か、不吉な予感が脳裏をよぎる。思
い出した言葉は、祭りに向かう直前にイズミに言われた言葉である。
『ミカグラ祭は別名水神祭。舞台で踊っているのがその青年を模した舞になっているのだ
けれど、間違えても舞台には上ってはいけないよ』
『?それは、舞の邪魔になってしまうから?』
『言葉にすることが赦されない事柄なんだ。でも、舞の舞台に上がった人は今の舞の踊り
子以外いないよ』
しかし、そのような追憶も束の間、幾重にも着物を重ね着した踊り子を手を掴んだまま
キリヤは走り出してしまった。
「お、追いかけないと」
会場は既にパニック状態である。ソウはなんとか切り替えてリュウトと共にキリヤの後
を追った。
雑木林に入ってすぐの場所にキリヤと踊り子はいた。キリヤは踊り子の白く細い両手首
を押さえており、踊り子は白と黒の模様が描かれた面(陰陽の面。というらしい)の為か、
どんな表情をしているか全然分からなかった。
「………イズミが、ソウに舞台に上がってはいけないって入っていた理由が、分かった気
がするんだ」
何処と無く感情が見え隠れする口調にソウは訝しげに思いながらも成り行きを見守って
いた。
「君が、踊り子だなんて思いもしなかったんだ。ねぇ」
後ろからがさがさと音がする。振り返ると、ツキネ。ハル。カコが息を切らしながら来
ていた。しかし、キリヤは気にせずにその言葉を告げる。
「ミズキ」
言葉に呼応したかのように陰陽の面がゆっくりと剥がれ落ちる。出てきた素顔は、ソウ
にとっては馴染み深い、あの無表情だった。
「………放せキリヤ。俺の役目は、あそこで踊ることだ」
低い声に、キリヤはそっと手を放す。よほど強い力で握っていたのか、軽く痕がついて
いた。
「………何故気づいた?」
襟元を直しながら尋ねるミズキにキリヤは慎重に言葉を選びながら言った。
「ソウとイズミの話を盗み聞きしてた訳じゃないんだ。ただ、耳がそれなりにいいから聞
こえてきてしまった」
申し訳無さそうにキリヤは顔を歪める。
「イズミは、舞台に上がったことのある踊り子は、今の踊り子だけって言っていた」
「………どういうことだ?」
話の筋が掴めないのか、ツキネが首を傾げるとハルは分かったのか手を叩いた。
「あ!………れ?おかしくない?イズミさんの話を真に受けるのであれば、ミズキさんし
か踊り子として舞台に立ったことがないって話になるよ」
「あ………」
ソウは目を瞠った。このミカグラ祭は百年以上も前からこの町伝統の祭りとして言い伝
えられてきた祭りである。しかし、『何故、十九歳のミズキしか踊り子として昇った事が
ないのか 』。
「な、んでだ?」
リュウトの意味を知り、愕然とした表情でミズキを見ている。
「ねえ。キリヤさん。何でなの?」
カコが震える声で尋ねると、キリヤは額に玉のような汗を浮かべながら言った。
「僕だったら、二つの仮説を立てる。一つ目はミズキの名前が継がれているということ、
その祭司の家の子供を踊り子であるミズキとして育てる。そうすれば、事実上、舞台の踊
り子は『雨宮ミズキ』だけ。もう一つは…………ミズキが百年以上。生きているという仮
説」
苦虫を潰したような表情で話すキリヤを見て、ミズキは鼻で笑うように言った。
「仮説はあっている。だが、あっている仮説は後者。俺が百年以上生きている。という仮
説のほうだ」
空気がピキリと音を立てて凍りつく。ミズキは作業のように語りだした。
「ミカグラ祭の由来は知ってるな?一人の子が舞を舞い、感心した妖怪がその子を眷属と
する代わりに人間を殺さなかった。という話。俺は……正確には俺の弟と俺は元々その妖
怪の怒りを静めるために人柱として差し出された子供だった」
人柱……ソウは聞いたことがある。人間を生贄として差し出して神様や妖怪の怒りを静
めるものだ。
「幸い。その妖怪は俺たちに同情してくれてな。俺と弟は肉体が壊れない限りは永遠の命
を手にすることとなった」
「………ミズキさん」
ふと、雑木林の向こうからした声に全員が振り向くと、そこには黒子の姿をした人が立
っていた。視界が開けるように開けられているのであろう横長に広い穴からは蒼い…何処
かでソウが見たことがあるような瞳が見ていた。
「戻ってください。客人たちが待っています」
「………あぁ。すぐ戻る」
黒子にそう告げると、黒子は安心したのかすぐに踵を返して行ってしまった。ミズキは
仮面を拾って、「あぁそうだ」と六人を見た。
「時間が無いぞ。マミは待ってはくれない。早くマミを見つけなければ今度こそ終わりだ」
とまるで自分に言い聞かせるように言って黒子と同じ方向に歩いていってしまった。
次の日。
「え?忘れずの森に行きたい?」
朝食と食べている時の話である。ツキネの提案にイズミは目を丸くして言った。
「忘れずの森は昼間でも夜よりも暗い森だよ?行って、帰ってこれなくなるって言うのが
オチになっちゃうかもしれないよ?」
「忘れずの森は、中央公園の近くだよな。公園の管理局の管轄内に入っているって聞いた
ことが俺はあるよ?」
リュウトが納豆のがしがしとかき混ぜながら言う。イズミはひんやりと冷えた緑茶を啜
りながら言った。
「公園管理局はあんまり手出ししてないんだ。なんせあそこはほとんど原生林みたいなも
のだから。必要以上に手出しすると県の委員会からお達しが来ちゃうらしいよ」
「でも、入ることは出来るんですよね?」
カコが真剣な瞳をして言うと、イズミは大きく頷いた。
「勿論。でも、気をつけてね?あそこで迷子になって帰ってこれなかったなんて話はざら
じゃないから」
イズミの話を聞いて少し危機感を覚えた一同は両手いっぱいに非常食と水を持った。あ
と、もし野宿するとなってしまったらように寝袋と薄手の羽織。一人一つはランプまたは
懐中電灯を持って、万全な準備を午前中のうちに整え、午後から忘れずの森へ突入するこ
とになった。
「……本当に、いいのかな?」
午後十一時、ゆっくりと仮眠をリビングでとるリュウト。ハル。ツキネ。カコを見なが
ら呟いたソウにキリヤは首を傾げながら問いかけた。
「何か、心配なことがあるの?」
ソウは少し目を伏せて言う。
「こんなに、執行部の皆を巻き込んでいる。キリヤも、ミズキさんやイズミさんも」
「……それって、何か駄目なの?」
あまりに突飛な問いかけにソウは一瞬意味が理解できずに硬直する。キリヤは不思議そ
うに言う。
「僕は、巻き込まれた?ことをソウのせいだとは思ってないよ。それは多分。みんなそう
だよ。巻き込んで欲しくて巻き込まれたんだよ」
キリヤはソウ目を窺うようにして言う。
「きっと、僕らは皆ソウが好きなんだよ。君の役に立ちたいと、みんなが思っているんだ」
「でも、忘れずの森でマミを見つけることが出来なかったら?」
「その時はその時だよ」
そう言って、キリヤはソウの右手を左手で取り、そっとソウ自身の胸に当てた。自分の
右手は自分の胸に当てる。
「ソウのように憶えている人も、僕らのように忘れてしまう人も。ここで憶えている。ど
れだけ夏を繰り返しても、その欠片は心にしっかりと足跡を残している。だから……」
心配しなくていいんだよ?
キリヤの最後の言葉は口で発されなかったもののソウの耳にはしっかりと聞こえた気が
した。
「暗いねぇ~」
夕飯としておにぎりをイズミから頂いた執行部とキリヤの面子は、深く生い茂るとき忘
れの森に来ていた。話の通り、辺りは真っ暗でところどころから漏れている木漏れ日が逆
に明暗をくっきりはっきりとさせていた。
「こんなに暗いとは思っていなかった」
キリヤも驚きを隠せないのか、何処と無く言葉に驚きが含まれていた。
「とりあえず。夜までは各自で探すとしよう。皆、無線機(電話)の電池残量には注意し
つつしっかりと電源は入れて置くように」
ツキネのしっかりとした呼びかけに一同はばらばらになった。
暗い森の中。ソウは自分でも意外としっかりとした足取りで歩いていた。何故か、この
場所に奇妙な安心感を憶える。何故だろうと思いつつも深く考えるつもりは無く、のんび
りとマミを探していた。
「マミって確か、狸みたいな外見なんだっけ?」
独り言のように呟いて立ち止まる。時間が何時だかは分からないがとりあえず球形を取
ることにして何処か休める場所がないかと首を巡らせると、少しだけ吹き抜けのようにな
った場所があった。相変わらず夜のような暗さだが、そこだけ少しだけ木漏れ日の量が多
い気がした。
ゆっくりと草の上に座って、まるでカーッペットのようだと思いつつ、ソウは少し横に
なってみた。案の定ふわふわの草のカーペットは寝心地は最高で、お昼寝をする分には寝
袋は必要ないなとソウは思いつつ目を閉じてみた。途端に体中を支配するのは睡眠欲。午
前中に寝ておけば良かったな。とソウはすこしばかし後悔しながらもゆっくりと眠りにつ
いた。
小一時間ぐらい寝たのであろうか。ソウが目を覚ますと目の前に二対のお月様が会った。
正確にはお月様のような金色の瞳だが。
「……あんた。良く寝れるな」
何処と無く呆れた声で呟く金色の瞳にソウは覚醒しきらない脳を必死に働かせて、言っ
た。
「もしかして、公園管理局の人?」
「……はぁ?寝ぼけてんのか?」
本気で意味が分からないとでも言いたげな顔をされて、ソウは少しムッとしてのろりと
した動作で起き上がった。
目の前には、とってもよくキリヤに似た青年が座っていた。しかし、決定的なキリヤと
の違いはその髪と瞳であろう。リュウトやツキネと同じ純黒の髪に黄金色に近い瞳。キリ
ヤと同じで正反対。という考えがソウ寝起きの脳に一瞬浮かんだが瞬く間に消えた。
「で、あんたはどうしてこんなところに寝てんだよ。幾ら忘れずの森が涼しいといえど風
邪引くぜ?」
「……朝は此処に来る為の用意をしてて寝れなくて。みんなと一旦ばらばらになったから、
少しだけ仮眠をしようと」
「ほぉ~」
青年は何故か感心したように言うと、きょろきょろと辺りを見回していった。
「此処にそんなに面白いものがあるとは、俺は思わねぇけどな。居たとしても野生動物か
妖怪のマミだろ?」
青年の口からさらりと出てきた単語にソウの眠気は一瞬のうちに吹き飛んで青年を見た。
「お、何か急用でもあんのか?俺。この森の地理には詳しいから抜け道教えてもいいぞ?」
「今、マミって言った?」
勘違い発言をする青年の言葉を遮ってソウが言うと、青年はこくりと頷いた。
「大昔はマミが統べていた森だ。今は、数えるぐらいにしかいないがな」
「見たこと。あるの?」
ソウはずいっ。と少年の白い端整な顔に自らの顔を近付けて言う。僅か十センチほどの
至近距離。青年は目を丸くしていた。
「教えて!マミって何処にいるの?私は……私達はマミに会わないといけないの」
「………あって、どうするつもりだ」
感情を図ることが出来ない瞳で青年は言う。何処と無く疑るような目をみたソウは、
「言葉を飾っては信用してもらえない」と直感的に思った。
「………あなたは、マミの能力も知ってる?」
「時間を操ることの出来る。ある意味神にしか為すことの出来ないことだ。しかし、マミ
自身がそれを好いているかどうかは別だがな」
「私は……マミに話しが会ってきたの」
「話?」
一瞬だけ、青年の目に不信感と好奇心が浮かんだが、瞬く間に霧散した。
「マミに、この永遠に続く夏のループを止めてもらう為に」
「…………あんたは、夏がループしているのはマミの仕業だと言いたいのか?」
少しの侮蔑の感情が含まれた瞳で青年は言う。ソウはゆっくりと頷く。
「マミにしかこんなこと出来ない。普通の人間だったら為しえない行為だもの」
はっきりとそう告げると、しばらく沈黙した青年はため息をついて言った。
「勘違いを訂正する。『決して、この夏のループはマミのせいではない』他に、これをや
っている奴がいる。生憎、そいつは何も知らない」
青年の言葉にソウな絶句した。
「そんな……」
へなへなとその場にへたり込む。また、振り出しに戻ってしまったのだ。
「何か、勘違いの激しい奴だな」
瀬尾念は少し引いたような目をソウに向けた。
「だって、一体マミ以外の誰がやっているっていうの?普通の人間に、こんなことは出来
ない」
「出来るさ」
青年の端的な声にソウは少年の方を見た。青年は満面の笑みを浮かべていて、何処と無
く不気味だと思った。
「教えてやろうか?この夏をループさせる張本人」
「知ってるの?」
「ああ。あまり会話をしたことはないけどな」
失われたと思われた希望が、一瞬のうちに返ってきた気分だった。ソウは背筋をしっか
りと伸ばして、青年と目線を合わせて言う。
「教えて。誰か、こんなことをしているの?」
「お前だよ。森原ソウ」
信じていた世界があっという間に音を立てて崩れていく。目の前が真っ暗になるような
衝撃の事実に、ソウは何の言葉も返せずにいた。
「知らなかったよな?何故、ミズキがお前とすぐに仲良くなったのかも。ミドリがお前の
ことを『女王』と呼んでいた理由も」
青年は笑みを崩さない。ソウは大きく目を見開いて、うわ言のように呟いた。
「嘘。私にそんな力はない」
「あるさ。それは先天的な能力。お前のばあさん。祖母がマミだったんだよ。人間の男と
恋に落ちてシノ。お前の母親を生んだ」
どんな言葉も青年には通じないのか。とソウは上手く回らない頭で思った。
「残念な話に、現実の世界は夏を境に壊れた。生き残ったお前がその能力を使って町ごと
再生させた。ま、正確には『再生させたように見えた』だけで、ここはある意味妄想の世
界に過ぎない」
両手を大仰に広げて語る青年は何処か自慢げだ。
「そんなの、物語上にしか存在しないような設定じゃないの?」
「いつまで目を背けているんだよ」
不意に、得意げに喋っていた青年の声のトーンが下がった。そのせいか、体感温度も五
度ほど低くなった気がする。
「疑問に思ったことは無かったのか?どうして自分だけ何十回も夏がループしていること
を知っているのか。回りの人間に分からないことが分かる。その時点で人外なんだって」
つらつらと語られる話は嘘なのか。真実なのか。ソウは分からなかった。だが、少年は
間違いなくソウに原因があると言っているのだ。
「大体、永遠に夏が繰り返されている時点で常人だったら記憶器官やら精神が崩壊するだ
ろ?変だと思わなかったのか?」
「………なんで」
「ん?」
もはや声となっているかどうかすら分からない呟きに青年は感づいたのか、意地の悪い
笑みを浮かべて首を傾げる。
「なんで、そんなこというの?私のおばあちゃんがマミだなんて、私は知らない。なんで
知ってるの?」
ゆっくりと言葉を選びながら話すソウに青年は鼻で笑うようにして言った。
「決まってるだろ?俺が……マミだからだよ」
不敵に笑う青年に、ソウは何の言葉も発することは出来なかった。
「名前………」
「あ?」
「名前は、なんて言うの?マミ。が名前じゃない。でしょう?」
ようやく(まだ言葉はカタコトだが)落ち着いてきたソウは青年に尋ねた。少年はめん
どくさそうに表情を歪める。
「名前は名乗るのが面倒だ。マミでいい」
ソウは一瞬。彼が名前を名乗りたくないのではないかと思ったが、言葉ぶりからすると
本当に名乗るのが面倒だと思っているだけに見えた。
「で、他に何か聞きたいことはあるか?」
同族だから、多少のことは応えてやるよ。傲慢な口ぶりでそう言うマミにソウは一瞬何
を聞きだすかを悩んだが、たっぷり三分後。一番聞きたかったことを尋ねる事にした。
「私は、マミの血を継いでいる」
「あぁ。大抵の人間は自分の不都合なことからは目を背けようとする習癖があるらしいが、
やっぱり同族の血を継いでいるだけあるな。物分りはいい」
「私の中の、マミの力が暴走しているの?」
上目遣いに尋ねると、マミは頬杖をついて笑い。「ああ」と言った。
「その暴走を、止めることは出来ないの?」
これが、ソウが一番尋ねたいことだった。自分のせいで何度も夏が繰り返す。という話
を鵜呑みにしたらその自分の中の力の暴走を止めればいい。そう思ったのだ。
しかし、マミは静かに首を振った。
「残念ながら、お前の中のマミの力は歯止めが効かない状態になっている。いわばブレー
キの掛からない鉄道と一緒だ。壊してしまうのが一番楽だが、それは人格形成の面におい
て酷くリスクを負う」
「どうにか、ならないの?」
ソウは懸命に問いただした。ゆっくりと、しっかりと一言一言噛みしめるように。
「一つだけ。ないことは無い」
マミは自信なさげに言った。
「俺のマミの力を使ってこの世界に現実の世界に繋がる道をつくる。もともとこの世界自
体も、暴走による副産物とはいえマミの力で構成された世界だから、上手く行けば……」
出られるかもしれない。その言葉に再びソウの瞳に光が戻ってくる。しかし、マミはあ
まりにも残酷な言葉を続けた。
「だが、出られるのはソウ。お前だけだ」
彼は、悪魔なのかもしれない。とソウは感じた。希望を持たせておいて一瞬で手の平を
返して絶望に突き落とす。ただ、マミは酷く申し訳なさそうな顔をして言った。
「言いたくなかったんだが、どうしてお前以外が八月の最終日に死ぬんだと思う?」
「…………何でだろう?」
ソウが執行部の全員が最終日に死んでしまうことを知ったのはスイに一件があってから
である。あまりにも『みんなに死んで欲しくない』という感情が強かったのかもしれない。
根本的な原因をソウは今まで考えたことがなかった。
マミは今度は笑わずに、諭すような口調で言った。
「八月三十一日。現実の世界ではその町に程近い沿岸で大きな地震が発生した。その地震
により町は壊滅状態。唯一の生存者がお前だからだ」
「地震…… 。」
「それぞ、津波の高さが尋常なないようなやつだ。お前が生き残ったのも本当に奇跡みた
いなもんだ」
ソウはマミの言葉を頼りに思考し始めた。八月の最後に地震があって、この世界では自
分以外が八月の最終日に死んでしまって。つまり……。
「八月の最後に私以外が死んじゃうから、みんなは死んじゃうの?」
「何かしらの死因でな。残念ながら死者の時間を巻き戻して生き返らせるのは生命の倫理
に反する。妖怪でも人間でも、死者を冒瀆することは赦されない」
そう言ってマミは頭をがしがしと掻いた。
「幸い。まだ時間はあるから、もう少し考えるんだな。八月の最終日までに決めた答えを
言いに来い。道を繫いでやる」
やけに尊大な態度でそういうと、マミは歩き出してしまった。ソウは何をするわけでも
なくただ呆然とその場に座っていた。
この後、他の所でもかなりの捜索が行われたらしいが、最終的に誰一人としてマミを見
つけることは出来なかったようだ。
「やっぱり、マミなんていないんじゃないか?」
帰り道。リュウトが呟くようにして言う。全員森の中を散策しすぎたためか、明日は重
度の筋肉痛になっていそうだ。
「それにしてもここまで難航するとはね」
ハルも疲れたような笑みを浮かべて言う。
「イズミには申し訳ないが、今日も一度とめてもらおう」
ツキネがとぼとぼと後ろの方を歩きながら言う。本当であればこのまま各々が家に帰る
予定であったが、それだけの余力は誰にも残されていなかった。唯一、キリヤだけは別格
のようだが。
六人で庭を抜けると、縁側でイズミとミズキが緑茶を飲んでいた。
「あれ?おかえり。遅かったね」
ミズキよりも早く全員の姿を視認したイズミが少し驚いたように言う。
「もう、疲れました……」
カコは足が限界なのか、適度に手入れのされている芝生の上に倒れた。よほど足が痛い
のであろう。
「忘れずの森まで行って来たのか?」
緑茶の隣にセットとして置いてあった水羊羹を口の中に放り込んでミズキは言う。ミカ
グラ祭の話をするつもりはないようだ。
「マミを探しに」
キリヤが呟くように言うと、ミズキはフッと笑った。
「マミって生き物はな。意外と繊細な奴が多くて滅多に人に姿を見せない。見ることが出
来た奴は幸せになるって言われているぐらいだ」
縁側に腰掛けて一息ついたソウは絶対嘘だと思った。少なくとも、キリヤに似ているあ
のマミは繊細どころかデリカシーの欠片もなさそうだった。
『幸い。まだ時間はあるから、もう少し考えるんだな。八月の最終日までに決めた答えを
言いに来い。道を繫いでやる』
極度の疲れに意識が遠のいていくソウの脳にその言葉が思い浮かんだ。この世界から抜
け出すならば、執行部の友達やキリヤにもう会えないかもしれない。しかし、この世界に
居続けるということは、ソウに永遠に苦しむことを要求していることに等しい。
どうして、こんなにも世界は理不尽に出来ているんだろう。ゆっくりと砂を含んだよう
に重くなる瞼にソウは眠気と戦うことを諦め、横になった。
やはり、多くのものが疲れていたようで、底なしの体力だろうと思われていたキリヤも
布団と引っ張り出してきてすぐに寝てしまった。
「あ~あ。これは大変だね」
「俺が庭で寝た奴を引き上げる。イズミは人数分の布団を居間に敷いてくれ」
「了解」
完全に夢の中へ旅立っていった子供たちを眺めていたミズキとイズミは手分けしていそ
いそと子供たちが風邪を引かない対策を取った。
「ふう。こんなもんかな?」
全員をしっかりと敷布団の上に寝かせてイズミはやりきったような表情を浮かべた。
「どれだけ発達段階にいてもまだこいつらは子供だな」
「味覚が小学生並みのミズキには言われたくないと思うけどね」
「五月蝿い」
ぴしゃりとミズキが言い放って二人は再び縁側に腰を下ろした。すっかりと日の暮れた
庭には蒼い幻想的な光の粒が舞っている。
「………。あいつは、しっかりと来れただろうか」
ふわふわと浮遊する光から目を逸らさずにミズキが言う。イズミはその言葉に苦笑いを
した。
「相変わらずミズキは彼のことが大好きだね。心配ないよ?一度キリヤとは連絡を取って
いるみたいだし、この世界には来れている」
「そうか」
相変わらず。素っ気無い態度。そんなミズキが唯一執着している彼は、今はこの場には
いない。だが、彼にもやるべきことがあるのだ。
「ミズキ。何度も言うようだけれど。彼には、もう記憶は無いよ?」
「知ってる。何度も言わせるな」
ミズキは不機嫌になったのか、言葉の端に棘が感じられる言い方だ。イズミは困ったよ
うに少し眉をハの字にした。
「あいつが、居てくれれば俺はそれでいい。また、最後まで一緒に居たいの願うことは変
なことか?」
「いいや。変なことではないさ。僕だって願わくば彼女とずっと一緒にいたかった」
でも、とイズミは悲しげに俯く。
「彼女はもう此処にはいない。僕が彼女を見失ってしまったから。彼女に僕はまだ会えな
い」
「………それを言うならば、あいつを見つけてくれたのは紛れも無いお前だろうイズミ。
その点においては感謝しきれないほど感謝してるよ」
淡々と、本当に感謝しているのかを疑いたくなるような口調で言うミズキにイズミはそ
っと笑った。
イズミの家から帰ることになった各々は笑顔であったが、ソウだけは一人で悶々と悩み
続けていた。自宅では来る日も来る日も目の前で幸せな風景が何度も何度も崩れ落ちる夢
を見て、その度に自ら上げた悲鳴で目を覚ますのだ。
しかし、ソウの家は構造上外に音が漏れにくいことと、家族全員(キリヤを含む)が異
常なほど睡眠が深いため、誰もソウの悲痛な叫びには気づかない。
「ソウ。今日は部活動。休みなさい」
朝食を並べ終えたシノがソウの顔をしっかりと見て言った。
三日三晩。悪夢を見るたびに飛び起きるソウはろくな休養を取ることが出来ず、精神的
なストレスの為か、まともな食事を食べることすらままならない状態までなっていた。
「でも、今日は書類の整理が…」
「僕がやっておくよ」
ソウの隣に座っていたキリヤが間髪いれずにそう言った。
キリヤは線が細いわりには人並み以上に食べる。しかし、最近はソウを気遣っているの
か、普通の量で食べることに我慢しているようだった。キリヤはご飯を流しこむように口
のなかに詰め込んで席を立った。
「きっと、今のソウをみんながみたら凄く心配すると思う」
黒いショルダーバックを手に取ってキリヤは中から小さな瓶をソウに手渡す。理科の実
験で使うヨウ素液が入っていそうな色のそれにはラベルはついていない。
「これは、なに?」
ソウは瓶を左右に揺らしてみた。ちゃぷん。とそれにあわせて半分以上入った液体が左
右に揺れる。
「アロマ……?って言ってた。柑橘類の香りだって」
キリヤの言葉を聞きながらソウは蓋を開いて鼻を近付けてみた。ふんわりと、蜜柑や檸
檬など。そういう系統の香りが鼻腔をくすぐる。
「……ありがとう。キリヤ」
ソウがキリヤを見上げて言うと、キリヤは淡く笑ってソウの頭を撫でた。その手つきは
まるで妹の体調を心配する兄のようであった。
「早くよくなってね。ソウ」
キリヤを玄関先まで見送ると、ソウは渡された茶色の小瓶をもって二階にある自室に上
がった。
「たしか……」
ソウはクローゼットの奥のほうに置いてあったアロマランプを取り出した。元々は普通
のスタンドライトとして購入して、後々シノに言われた時は非常に驚いたものである。
ベットの隣に置いてあるサイドテーブルにランプをのせて、その上に先ほどもらった香
油をいれた受け皿を置く。ベットに横になって上から薄手の毛布を被ったソウはランプの
電源をオンにした。
パチッ。と随分使っていなかったにも関わらず、電灯は橙色に発光した。程なくして柔
らかいアロマの香りが部屋に充満し始めた。ソウはゆっくりと瞼を落として、アロマって
リラクゼーション効果があるんだっけ。などといった他愛もないことを考えながら意識を
徐々に手放していった。
その眠り自体は決して深いものとはいえなかったが、アロマの効力もあってか、ソウは
悪夢に襲われて目を覚ますことはなかった。
午後二時頃。ソウがゆっくりと目を覚ますとベットの脇に青年が腰掛けていた。
黒い髪に白い肌。黄金色の瞳……マミである。
「……マミ?」
ソウが覚醒しきらない声で呼ぶとマミは振り向いた。先日の天上天下唯我独尊。傲慢な
表情ではない。悲しみや苛立ち。そんな感情が入り混じった複雑な表情をしていた。
「起きたか?」
「どうして、此処に居るの?」
ようやく頭が回転してきたソウはある事実に気づき、顔を青くした。
「ふ、不法侵入…」
マミはソウの言葉に一瞬きょとんとした顔をした。端整な顔立ちをしているためか、驚
いた顔は中々可愛い。とソウが思ったときにはマミは非常に呆れたような表情を貼り付け
ていた。
「お前なぁ…体調が悪いって聞いたから折角見舞いに来てやったのに、それはねぇだろ」
「でも、勝手に家に入ったんでしょ?」
「お前の家の住民が無用心なんだよ。チャイム鳴らしても誰も出てこないし、玄関の鍵は
開いているし。俺はちゃんと『お邪魔します』って言ってから入ったからな」
マミの言い分にソウは目を丸くした。妖怪にも常識があるなんて心外であった。
マミはソウがびっくりした表情をしているのを訝しげに見ていたが、ふと思い出したよ
うに立ち上がって部屋を出て行った。
ソウはマミの行動を不思議に思いながらものろりとした動作で起き上がった。香油は既
に切れていたのでランプの光を消して窓を開く。朝と比べると極度な睡眠不足からくる吐
き気と動機はかなり楽になっていた。
「………随分と、回復したんだな」
再び扉を開いて入って来たマミの左手にはコンビニの袋が。右手には何故かまな板と包
丁が握られていた。
「……何するの?」
「昼飯つくってやる。病人は大人しく横になってろ」
そう言って椅子に座ったマミはコンビニの袋から様々なものを取り出した。食パン。林
檎、蜜柑、苺、梨。市販のホイップクリーム。蜂蜜バター。味のない普通のサイダーや果
物の缶などが次々と出てくる。
マミはふとソウを見て言った。
「キッチンから、いくつかの器具を借りてもいいか?」
ソウがゆっくりと頷くのを確認するとマミは下からボウルを持ってきた。
ソウがじっと見つめている中でマミは果物の皮を剥きはじめた。椅子に座って、しかも
足を組んでいるが包丁さばきは見事で皮はきれいに繋がっていた。剥かれた皮は空っぽと
なったコンビニの袋の中へ消えて、丸い果実は一口サイズよりも少し小さめに切られてま
とめてボウルの中に投げられる。
無造作で適当に見えるようでそれなりに考えてやっている。ソウはマミのやっているこ
とに口を出さずに静かに見守っていた。
マミは食パンを二枚取り出すと、一枚一枚の片面ずつに蜂蜜バターを塗った。そうして
バターを塗った面に切ってボウルの中へ入れてあった果物を載せて、一枚だけその上から
市販のホイップクリームを綺麗に重ねる。あとは二枚の食パンをしっかりと重ねてマミは
出来上がったパンをソウの目の前に差し出した。
「味の保証は出来ないが」
「……ありがとう」
両手で受け取ったそれを思いっきり口いっぱいに頬張る。ホイップクリームは甘すぎず、
どちらかというと多く果物を使っているせいか味が後に引かないほんのり甘いパンだった。
「美味しいよ」
「そりゃよかった」
マミはニッと笑った。ソウはパンを食べ切って両手をあわせて言う。
「ご馳走様でした」
そして、マミの方向に向き直ってお礼の言葉を述べた。
「ありがとう。こんな昼食を作ってくれて」
「別にいい。体調はまだ完全じゃないんだろ?寝なくていいのか?」
マミの恐らく本気で心配した問いかけにソウは左右に首を振った。
「もう少し、あなたと話がしてみたい」
マミは何ともいえない表情でソウを見ていた。
「まだ、私には決められそうに無いの」
何を。とマミは聞かなかった。それもそのはず、この無理難題のような二つに一つの問
いかけを提示たのは紛れも無いマミなのだから。
「……。俺は、最終日までしっかり悩めばいい。と言った。時間は少ないかもしれないが、
あと三日ある」
「でも、三日後に私は決断を下さなければならない」
ソウは窓の外を見た。透き通るような水色の空にはぽつんぽつんと白い千切れ雲が浮か
んでいる。
「決められないよ。私は、どちらも諦めきれない……」
友達も、未来も。片方だけをソウは選ぶことが出来ない。何故ならソウが望むのは友達
と未来へ歩みだすことだから。
「………もう一度。寝たらどうだ?」
マミが何とも当たり障りの無い提案をしてくる。「それもそうかもしれない」と呟いた
ソウは再び横になって目を閉じる。
「………お休み。ソウ」
マミが小さく呟いて柔らかい手つきでソウの頭を撫でる。ソウはその仕草に安心したの
か、アロマを焚いたときよりも早く眠りについた。
再びソウが目覚めたのは午後五時だった。自らの横にはもうマミはいない。ふとサイド
テーブルを見ると、妙に丸っこい字で書置きがあった。
『ボウルを貸してくれてありがとう。お礼といっては何だが、リビングの冷蔵庫の中にフ
ルーツポンチを作って入れておいた。もし食べたければ食べてくれ』
何とも味気ない文字の羅列を見ながらソウは起き上がって一階へと降りた。
「おはよう。ソウ。具合は大丈夫?」
執行部の仕事が終わったのか、キリヤが帰ってきていた。
「うん。おかげさまで………。仕事任せちゃってごめんね?」
ソウが少し欠伸を堪えて言うと、キリヤは首を横に振った。
「ううん。ソウが元気になったなら何よりだよ。ところで……」
キリヤはテーブルの上においてあった銀色の丸いものを手に取って言った。
「これ、ソウが作ったの?」
中を覗いてみるとそれは書置きの内容であったフルーツポンチであった。おそらくパン
に全部挟むことが出来なかったフルーツを使ったのだろう。料理のことでは頭が回るんだ
な。とぼんやりと考えながらソウは言った。
「ううん。私じゃあないよ。お見舞いに来てくれた人が作ってくれたの」
「………ふ~ん」
キリヤの素っ気無い態度を見てソウは「あれ?」と思った。キリヤは食べることと寝る
ことに関しては一流だ。実際お昼にマミが作ってくれたパンは何度でも食べたいと思わせ
る味だったからこそ、このフルーツポンチも余りものとは言えど美味しいに決まっている
はず。
「ソウ……何か僕らに黙ってること無い?」
心臓を掴まれた気分だった。さっきまで汗を掻いていたのに一瞬のうちにそれは冷や汗
へと変貌した。
「な、何も無いよ?」
「本当に?」
キリヤがボウルを持ったままソウを見る。一番初めにあったときよりも無表情。何の感
情すら見受けられないほどに空虚な瞳はただじぃっとソウを見つめていた。
「ソウの悪い癖だよ。ソウは人に嘘をつくことが出来ないのに、自分で勝手に悲観して、
悩んで挫けて。周りの人がどれだけ心配してるか考えたことある?」
淡々と、ただ棒読みするように喋るキリヤにソウは何処と無くマミに対面したときと同
じ感覚を憶えた。
ソウは少し諦めたように息をついた。この瞳は、限りなく嘘を見抜く。嘘が嫌いで仕方
が無いのだ。
「分かった。話す。………マミにあったの」
「マミに?」
オーバーなリアクションを示す訳でもなく、ただ静かに問い返される。ソウは静かに頷
いた。
「この世界は、暴走した列車みたいなものなんだって。もう歯止めは利かない。マミは道
を繫ぐことが出来るって言ってた。でも、未来の世界へは私しかいけないんだって」
「………」
「私、ずっと執行部の皆やキリヤと一緒に居たい。でも、それと同じぐらいに先に進みた
いの」
「……それは、執行部の皆に話したの?」
夏がループしているという事実を執行部に話してみたらどうだと、それをソウに提案し
たのもキリヤだった。
「話せないよ……。私しか先に進めない。私は、皆と先に進みたいのに」
「ソウ」
キリヤはしゃがんでソウと目線を合わせた。
「僕は、それでも話すべきだと思う。僕もソウも、独りじゃないんだから」
「話して、どうするの?」
ソウは不貞腐れたような顔をして言った。キリヤは少し困ったように笑って言う。
「それからは皆で考えようよ。前にも言ったよね?ソウは独りで悩むのは向いてないって」
「そんなこと。言ったっけ?」
ソウがジトッとキリヤを見て言う。キリヤはまた、困ったように笑うだけだった。
次の日。八月三十日であるこの日にソウはキリヤの助言通り、全員にマミとあったこと。
自分がマミの血を引いていて、このループを作り出した原因だということ。未来に行くこ
とが出来るのがソウだけだということ。それらをしっかりと、ゆっくりと話した。
「……私は、どうしたらいいんだろう」
ソウの色のない呟きに一番初めに答えを返したのはカコであった。
「未来に、行くべきだとあたしは思うよ」
ソウは非常に傷ついたような瞳でカコを見た。
「何で?私、皆と離れたくないよ」
「それでも、人間は前を向かなくてはいけない」
そうでしょ?おねえちゃん。とカコはツキネを見て言った。ツキネも無言で頷く。
「苦しいことかもしれない。しかし、ソウにはソウの現実を自分は生きてもらいたいと思
うんだ」
「僕も同意見かな。僕らは先に進めなくてもソウちゃんには先に進む権利……義務がある。
それは、この崩壊してしまった町の人たちの為にもね」
ハルが腕組をして壁に背を預けた状態で言う。そして、横に立ち尽くしていたリュウト
に声を掛けた。
「リュウトはどうなの?愛しのソウちゃんの悩みに対して、君だったらどんな回答をだす
の?」
「俺は…………ソウには前に進んで欲しい。と思う」
ソウはリュウトの言葉に愕然とした。リュウトは少し俯いた状態で言葉を重ねる。
「現実には現実の良さがある。この世界は紛い物で、ソウには強く、向日葵みたいに生き
て欲しい」
「な、んで?」
ソウの両目からは、無意識に涙が流れた。
「ヤダよ。私、皆とサヨナラしたくない。何でそんなこと言うの?私のことが嫌いなの!」
パン。
随分と小気味良い音がして、ソウはそれが自分がカコに平手打ちをされたと気づくまで
に数十秒掛かった。
「誰が、ソウのこと嫌いなんて言ったの?」
ソウは叩かれた左頬を押さえながらカコを見た。カコは俯いて、小さく震えていた。
「あたしだって、嫌に決まってる。ソウはあたしの大切な友達だもん。ずっと一緒にいた
い。でも、それで本当にソウは幸せなの?」
カコはゆっくりと顔を上げた。いつもの花開いたような笑顔は無く、大粒の涙を目尻い
っぱいに浮かべていた。
「あたしだって、ソウとサヨナラしたくないよ!でも、あたしはそんな永遠に続く嘘から
目を背けて何度も何度も繰り返すのはもっと嫌だ」
カコはそう言ってソウと目を合わせて気丈に笑った。
「生きて。ソウ。あたしたちの分まで」
ソウは思わずカコに抱きついた。「カコ。カコ」とうわ言のように呟きながら泣いてい
た。カコも、ツキネも、ハルも、リュウトも、皆ソウと離れ離れになることが辛くて仕方
が無いのだ。でも、ソウの未来を想って、ソウが幸せになってくれると信じて、必死に背
中を押しているのだ。
涙で顔をぐっしゃぐしゃにしながらソウは途切れ途切れに言った。
「私、現実に戻るよ………皆の分を生きて、皆のこと一生忘れないから」
夕方。夜の帳が落ちる寸前まで五人は声をあげて泣いていた。
「………決まったのか」
八月三十一日の午後一時半。六人で他愛も無い話をしながらやってきた忘れずの森の最
奥にマミは佇んでいた。
マミの問いかけにソウは頷いて言葉を続けた。
「現実の世界に帰ります」
「………それで、いいんだな?」
マミは再確認するように聞いてくる。ソウはゆっくりと、しかし力強くもう一度頷いた。
マミはソウを見て小さく息を吐くと、頭をがしがしと掻いて言った。
「そうか……。じゃあ、道を繫ぐ用意をしてくるから、別れの挨拶でもしておくんだな」
そう言ってマミはその場から立ち去っていった。何処と無く癪に障るような言い方だっ
たが、ソウは何となくマミが最後に別れを惜しむ時間を作ってくれたのだろうと思った。
「ソウ。これ………」
カコがおずおずとソウにピンク色のラッピングがされた袋を渡してきた。
「何?これ」
「昨日。俺たちが作ったんだ。現実の世界に持っていけるかどうか分からないけど」
リュウトが横から覗き込むようにして言う。ソウは慎重にリボンを解いた。中身は
「う、わぁ」
小さな宝石のような石が嵌めこまれたネックレスだった。一番大きな石は、天を見上げ
る向日葵のような綺麗な黄色だ。
「受け取ってくれる?」
カコが窺うように言う。ソウは「ありがとう」と笑ってネックレスを首にかけた。
「ソウ。道の用意が出来たぞ」
ちょうどいいタイミングでマミが呼びに来て、一行はもう少し森の奥に入ると、園には
小さな社があった。社の鳥居の中が白く光っており、マミは指さして言った。
「あそこが道だ。あれを通ると、現実の世界に帰ることができる」
マミはそう言って道に向かって歩き出した。ソウもそれに習って歩き出す。
「忘れないでくれ。ソウ」
ツキネの切実な響きの篭った声にソウは立ち止まってツキネを見た。ツキネは儚げに微
笑んでいた。
「僕たちと過ごした日々を。僕たちが記憶の片隅に残してきた夏の欠片を」
ハルが言葉を受け継いだように喋る。
「楽しかったことも。辛かったことも全部。俺たちの軌跡なんだって」
リュウトは目一杯に涙を浮かべていた。
「此処でお別れになっちゃうけど、僕たちはきっとまたどこかで会える」
キリヤも笑っていた。少しだけ寂しそうに。しかし、しっかりとソウを見て。
カコが涙を流しながら、あの日、一番初めにあった時と同じ満面の笑み笑った。
「さよなら。ソウ。大好きだよ。忘れないで。きっとまた、出会える日が来るって信じて
る」
ぱたり。
ソウの左頬を涙が伝った。それを慌てて拭い、みんなに最高の笑顔で微笑む。
(泣いて終わりには、したくないから)
「ありがとうみんな!忘れない。絶対に忘れないよ」
泣かないように必死に笑っても、やっぱり涙は零れてきて、もはや泣いてるのか笑って
いるのかわからない状態でもソウは必死に言葉を続けた。
「また、違う世界できっと会えるよね!私は信じてるから!また、みんなと最高な夏が送
れるって信じてるから」
思いっきり手を振って、ソウは踵を返して歩き出した。
(もう後ろは、振り向かない)
みんなの想いも背負って、私は生きていくんだと。ソウは道を通り抜けた。
ガタガタ。ガラララ。
酷く耳に響く音がして、ソウは目を覚ました。
「先生。森原さんが目を覚ましました!」
近くに控えていたのであろう看護師の声が聞こえる。ぼんやりと周りを見回すと白い、
ベットやカーテンが置いてある。何とも味気ない病室だった。
(そっか……私。現実に戻ってきたんだ)
ぼんやりとそんなことを思いながら、胸元にあるものがあるかを確認する。
最後にみんなが手作りで作ってくれたネックレスは、首に掛かってなかった。
「やっぱり……」
言葉にした途端に涙が溢れる。この世界に彼らはいない。その事実が堪らなくソウの胸
を締め付けた。
「森原さん。実は貴女が意識不明だったときにずっとお見舞いに来てくれた子がいるの。
ミナトくんって言って。呼んでくるから、待っていてね」
ぱたぱたと足早に看護師が部屋を出て行ったのを確認してソウはのっそりと上半身を起
こした。体が非常に重い。一体私は何日寝ていたのか。
何気なく窓の外を眺める。もともと被災地から近かったのか、殺風景な瓦礫の山が広が
っていた。
コンコン。
ノックがされてガラガラと扉が開く。ソウが「看護師さんかな?」と思いつつ目を向け
て、そこに立っている人物を見て、時が止まったかと思った。
現れた人は、マミだったのだ。
二人の間に気まずい雰囲気が流れる。ソウの頭の中を何故やらどうしてやら疑問符が付
きそうな単語がぐるぐると回っているのを知らずしてマミはため息を吐いた。
「お前さ。道を全速力で走るのは別に構わないんだけど。もの落としてくなよ。あとで取
りに行った俺に感謝しろ」
「お、落しもの?」
ソウは訝しげに首を傾げた。生憎、何かを落とした憶えはない。
「自覚がないのか?相当な馬鹿だな」
ほらよ。と投げられたものをソウは慌てて両手で握り締めた。そっと指を開いて、思わ
ず絶句する。
「あいつらから貰った。大切なものだろう?」
あのネックレスだった。思わず何度もマミの顔とネックレスを交互に見る。
「あいつらと過ごした軌跡だ。忘れちゃ駄目だろ」
「うん……」
ソウはネックレスを握り締めたまま涙を零した。少しずつ、布団カバーに灰色のしみが
増えていく。
「約束したんだろ?あいつらの分も幸せになるって」
「うん………」
マミはゆっくりとソウに歩み寄り、泣きじゃくるソウの頭を優しく撫でた。
「だったら、その分幸せになる努力をしないとな」
「うん……」
そんな二人の病室を冬が近づいていたのを思わせる。少し肌寒い風が一陣。駆けていっ
た。
昨日はどうやら九月十四日だったようで、マミからは「約二週間眠り続けてたんだぞ」
と少し間延びした声で言われた。
「……ねぇ。マミ」
いつかと同じように病室のベットの隣で林檎の皮を剥いていたマミにソウが呼びかける
と、マミは手を止め、しっかりとソウを見て言った。
「俺の名前はミナト。マミは種族名だよ」
「ミナト………?」
マミの本当の名前を舌の上で転がしてみる。何処か懐かしい。不思議な響きだなと感じ
た。
「二週間眠ってたわけだからな。当然筋肉は落ちていると思うし、体力もほぼ0にちかい
だろう」
ほれ。と兎の形に切られた林檎を背中に刺さったフォークごと渡される。(余りにも兎
の出来がいいためか。なんだか食べることに少し罪悪感を感じた)頭から兎をしゃくしゃ
くと咀嚼する。うん美味しい。
「まずはリハビリだな。動けるようにならなければ何にも出来ないだろうし」
「………え?」
リハビリ?ソウは恐る恐るミナトを見ると、ミナトは少し意地悪ににやりと笑った。
「まぁ、もともとソウは体力がなかったからな。恐らく、二ヶ月ぐらい掛かるんじゃない
のか?」
ソウはミナトの言葉にがっくりと肩を落とした。現実はまだまだ始まったばかりである。
二ヵ月後。
ミナトの言うとおり、かなりリハビリを頑張ってもとの体よりも少しだけ筋肉が増えて
体力もついたソウは病院を退院して、『新しい家』にミナトと共にやってきた。
入り組んだ狭い道を進み、やっと辿り着いた場所は見覚えのある場所だった。誰にも気
づかれることのない家。藤堂家である。
「和泉。帰ってきたぞ」
柵を越えて縁側で寝息をたてていたイズミにミナトが言うと、イズミはゆっくりと目を
開き、ソウとミナトを交互に見た。
「お帰りミナト……。ソウちゃんはこの世界では初めまして。だね」
「イズミさん…?どうして」
ソウには意味が分からなかった。ミナトや(まだ会っていないが)ミズキは妖怪だから、
多分地震如きでは死なないだろうと思っていたが、まさかイズミも生きているとは思って
いなかったのだ。
「イズミではなくて僕は和泉だよ。ソウちゃんの世界にいた僕と、現実世界の僕とでは多
少存在が違う。君の世界で全員名前がカタカナで書かれていたのは、現実との区別をつけ
るためなんだよ」
ソウは記憶の糸を辿ってみた。確かに、誰一人として名前を漢字で書くものはいなかっ
た。
「だから、俺はミズキではなくて水樹。憶えておいてくれ」
居間の奥からした声に驚いて見てみると、ミズキが緑茶を持って出てきた。冷たくない。
温かい緑茶だ。
ミナトに手を引かれ、ソウは縁側に腰掛けた。差し出された湯のみを両手に収めると、
寒さに冷え切った手がじわじわと温まる。
「和泉さん………。水樹さん………」
ソウは確認するように言った。二人は黙って頷いてくれた。
「お帰り。ソウ」
その晩。ソウ、ミナト、和泉、水樹の四人で食卓を囲んだ。存在が違う。と言ってもや
はり和泉の料理は美味しく、水樹との会話は相変わらず素っ気無かった。
「そういえば、和泉さんも妖怪なの?」
夕食後にミナトがテーブルに持ってきてくれた蜜柑籠に積まれた蜜柑の皮を剥きながら
ソウは尋ねた。この家に着た時も思ったのだが、和泉も妖怪なのかもしれない。
「残念ながら和泉は、普通の人間だ」
本棚一杯に収納されている本を選びながら飾り気のない淡白な口調で水樹はさらリリと
言い放った。
「でも、地震後の唯一の生存者が私だってマ……ミナトは言ってた」
「ソウ。一瞬俺のことマミって言おうとしただろ」
横に座っていたミナトが頬を膨らませて言う。その仕草がなんだか木の実を頬一杯に詰
め込んだ縞栗鼠のようで、ソウは軽く吹き出してしまった。
「笑うな!」
「だって、栗鼠みたいだからつい……」
そんな二人のやり取りと微笑ましげに見ていた和泉が口を開く。
「そう。水樹の言うとおり、僕はただの人間だよ。唯一人間と違うところがあるとすれば、
珠力を僕は持っている」
「珠力…」
何処かで聞いたことのあるワードだと思い、反芻してみる。すると、本を選ぶのを諦め
たのかキッチンのコンロで湯を沸かし始めた水樹が補足した。
「市立図書館でマミについて調べたときがあっただろう?その際に、五王に関する物語を
読まなかったのか?」
その台詞のソウは思い出した。人間が妖怪に支配されていた時代、五人の少年少女たち
が珠力という特別な力を用いて、妖怪と人間が共存できる世界を創った話だ。
「………五王の他に、珠力が使えるのが和泉さんなの?」
「違う。五王の一人が和泉なんだよ」
ミナトがばっさりと切り捨てるように言う。―どうやらよほど勘違いが嫌いなようであ
る。ソウはミナトの言葉の意味をすぐさま理解できずに、しばらくぽかんとした顔をして
いたが、やがて頭の回転が追いついたようで呆然とした表情は次第に驚きの色に染まって
いった。
「……水樹さんもそうだけれど、和泉さんたちは何歳なの?」
驚いたのは五王の一人であったことではなく年齢であったようだ。和泉は「う~ん」と
悩む仕草をしてから自信なさげに言った。
「多分、四百は越えてると思う」
「俺は数えてない。面倒臭いからな」
「それはそれは……」
ミナトは和泉と水樹の言葉に呆れたような顔をして言った。
「ご高齢なことで」
「ミナトは何歳なの?」
ソウがミナトの顔を見て尋ねると、ミナトは悩むことをせずに間髪いれずに切り返した。
「十七歳」
「私と一緒……?」
かなりの年の差だ。ソウの開いた口は塞がらず、食器を下ろし始めた和泉が「こういう
ことにも慣れていかないとね」と笑った。
「久しぶりだね。『女王 』」
すっかりと雪が積もり辺り一面が銀世界となったある冬の日。ソウは忘れずの森を一人
で訪れていた。
深い意味はないが、四人での生活に慣れてきたソウはふと、忘れずの森はどうなってし
まったんだろうと思ったのだ。ミナトはよくソウが外出するときに、「しっかりと何処に
行くかと何時までには帰ってくるかを書置きするように」と耳が痛くなるほど言われてい
るが、ただ見に行って帰ってくるだけだったので書置きをしなかったのが悪かったのかも
しれない。
ソウの目の前には白と黒を基調としたコートを着込んだスイが立っていた。
「スイ……」
覇気なんてほとんど皆無に等しい声で呟くと、スイは無邪気に笑った。
「ウチはスイじゃない。ミドリ。緑色の緑だよ」
そうだった。心の中でそうは呟いた。マミの力により創られた世界は紛いもので、本物
じゃないから名前がカタカナなんだと。
「『 女王』……。今はソウだったね。自らの罪に気づいて、ミナトくんに連れ出してもら
ったんでしょ?」
満面の笑み。いっそ悪質だとソウは思ったが、言葉にするのはやめた。
「あなたも、妖怪なの?」
ソウの率直な問いかけに緑は笑みを深くして言った。
「先天的に髪の毛は緑色だったけどね。生きていた頃は人間だったけど、今は魔女なんだ」
「魔女…」
緑はまた笑った。少しだけ目を細めて。
「本当に、ソウは傲慢だよね。あれだけ何度も何度も多くの人を無意識に傷つけて殺して。
自分だけのうのうと助かっちゃうなんてさ」
ぐしゃりと、心臓を握られたような感覚にソウは襲われた。寒いにも関わらず、冷や汗
がどっと溢れ出る。
「今まで執行部の人とかキリヤくんとかに依存してきてさ、今度はミナトくんや和泉さん。
水樹に逃げるんでしょ?進歩のない人だね」
さくっ。さくっと軽快な足取りで緑はソウに近づいてきた。そして、ソウを見下ろして
天使のように微笑むが、瞳は底なし沼のようで暗くどろどろとした色をしていた。
「あの人をたくさん傷つけて。あの人が幸せになる権利も奪って、絶対に赦さないから」
「待ってくれ」
もう無理だと思った瞬間。現実の世界に戻ってきてから一番聞いた声がして、ソウはゆ
っくりと振り返った。その姿を黒いシルエットを見た途端。不覚にも肩の力が抜けた気が
した。
「ミナトくん……」
ミナトはゆっくりとした歩調で緑に歩み寄って苦しげに眉を寄せた。
「ごめん。緑」
ミナトの口から出た言葉は、あまりにも弱々しいもので、懇願に近い悲痛な声だった。
「彼を苦しめたのはソウじゃない。俺だ」
彼。それが緑とミナトにとって大切な人だと理解するまではあまり時間はかからなかっ
た。
「俺が、俺の為に彼…しぐれさんを傷つけた。ソウには何の関係もない。だから 、」
「嘘ばっかり」
ぼそりと言った緑の声は冷酷非情。ミナトを見る目は侮蔑と軽視に満ちていた。
「やっぱりマミ。嘘は苦手だね。全部。ソウが現実の世界で頑張って生きてくれるための
計らいだったって、知ってるよ?」
そう言って、緑はソウとミナトに背を向けて歩き出した。
「あ、そうそう」
五十メートルほど歩いて、後ろを振り返った緑は、ふっと鼻で笑って言う。
「ソウに、現実をみて生きろなんて絶対に無理だと思うよ。だって、自分のことしか考え
てない。悲劇のヒロインの面して、最大の悪役なんだから」
ぐさりぐさりと、緑の悪意に満ちた言葉が氷の刃となってソウの胸を刺す。耳を塞いで
しまいたかった。逃げてしまいたかった。
「だって、現実の……妖怪のみんなにもたくさん迷惑かけているんだから」
生きたって、無駄じゃない?
緑は真っ青になったソウの顔を面白そうに眺めて、再び踵を返した。
約二年後………。
町の復興はかなりハイペースで進み、少しずつ地震の爪跡を残しながらも町は元の姿に
戻り始めた。
七月三十日。の夜。ソウは寝巻きである緑色の着物を纏って、廊下の端にある大きな木
の柱に背を預け、庭に広がる青く発光する光を見ていた。
「ソウ。まだ起きていたのか」
廊下の向こう側からぎしぎしと音がする。ミナトは先ほど風呂から上がったのか、黒い
着物を着て髪の毛をタオルでがしがしと拭いていた。
「……夏が来るたびにね。みんなのことを思い出すの」
空疎な響きのする声で呟いたソウにミナトは少し目を細めた。
「おかしい。よね。もう二年も経つのに、去年の夏よりもみんなのことを鮮明におもいだ
すの」
ソウは窓を外を眺めたまま笑う。まるで弱い自分を攻め立てるように。
「私、みんなと約束したから、強く生きなくちゃいけないって思ってた」
ぐっ。とソウは首からさげたあのネックレスを左手で強く握った。ソウはお風呂に入る
ときと寝るとき以外で、このネックレスを外そうとはしなかった。
「確かに、私が作り出した世界は自己満足の世界だったかもしれない。でも、確かに私達
はそこに存在していたの」
ソウの両目から涙が零れるのをみて、ミナトはゆっくりとソウを抱きしめた。
「ソウ」
名前を呼ぶだけ。顔は見えないけれど、ソウはミナトと触れ合っていると得も言われぬ
安心感を憶えた。それは自分の中にあるパズルのかけたピースが見つかり、かっちりとそ
の場所に当てはまった感覚によく似ている。
「俺は、お前に強く生きろなんて言わない」
「……」
「でも、ソウ」
少しだけ、首に回されている腕に力が篭った気がして、ソウはたまらず思い切りミナト
を抱きしめた。ぼろぼろと涙が零れるが、気にしてはいられなかった。
「俺は、誰よりもソウの幸せを願っているよ」
ゆっくりと互いに相手から腕を解き、至近距離で見つめ合う。
ソウは嗚咽を零すことなく涙を流していた。
ミナトは、ただただ淡く寂しげに笑っていた。
二人は互いに何を言うわけでもなく、一度、小さく触れるだけのキスをした。
八月一日。午後一時十五分。
噴水の水が勢いよくあがる公園のベンチのソウは腰掛けていた。何をするわけでもなく、
ただ静かに溢れている水を眺めていると
「ここに、座ってもいいか?」
女性に声を掛けられた。黒い腰まで伸ばしたストレートの髪に同じ色の大きな切れ目。
全体的に凛とした雰囲気を纏っていて、ソウは「ツキネみたいだ」と思ってしまった。
「どうぞ」
ソウが少し端によけると女性は「すまない」と言って腰を下ろした。
「大切な人と待ち合わせを此処でしている。が、あちらがなかなかこないものでな」
女性が淡々とした口調で喋りだす。見た目から何となく人間関係が苦手そうだ。と思っ
たが口には出さずに「そうなんですか?」と相槌を打った。
「ああ。奴は基本約束ごとをしっかり守る奴なんだが、こんなに遅いのは始めてだ」
女性はやれやれ。といった口ぶりで話しているが、何処となくそこには少し嬉しげな響
きも含まれているとソウは思った。
「大切。なんですね。その人のことが」
「あなたに大切な人はいないのか?」
女性が不思議そうに尋ねてきてソウは返答に困ってしまった。
「………昔は、たくさんいました。でも今はもう、いないんです」
「……そうか。失礼なことを聞いたな。すまない」
女性が申し訳なさそうに少し俯いた。ソウは緩やかに首を振って言う。
「でも、約束したんです。『また何処かで会えるよね』って」
ソウの脳裏には目に涙をためながらも笑うカコの姿が思い出された。
「………あなたは、多くの人に必要とされているのだな」
女性は小さく口元に弧を描いて言った。そんな表情も少しツキネに似ている。
「きっと、あなたの幸せを望む人がいるのだろうな。その人のことを、忘れないでやって
ほしい」
そう言って女性は立ち上がった。
「お邪魔したな」
毅然と背筋を伸ばして歩いていった女性を眺めながら、ソウは小さく息を吐いた。あの
幸せだった頃には、もう戻れない。
少しばかり感傷的になっていると、横に誰かが立っている気配がした。
「………綺麗」
誰かの呟きを耳にしたソウは思わず顔を上げて、隣に佇んでいる人を見て、言葉を失っ
た。
「あ………」
横に立っている人は、大きな瞳。向日葵のような髪の少女であった。ソウが何も言えず
にただ呆然とその顔を見ていると、少女はハッとしたように少し慌てて言った。
「あ、すいません!白い髪とか凄い綺麗で、大人っぽいなぁって思って……その、思わず
見惚れてました」
たはは。と少し頭を掻きながら少女は言う。ソウは少し吹きだして少女に言った。
「あなた。年いくつ?」
「え?十九、です」
「そうなの?私も十九なの」
「えぇ?同い年ですか!」
少女がオーバーリアクションを取って、ソウはさらに笑った。少女は少し迷ったように
うろうろしていたが、ソウの横に座って言った。
「あ、あの!」
まだ少し緊張が抜けないのか、少女の声色は硬い。
「あたしと、友達になってくれませんか!」
あぁ。やっぱり。心の中でソウは呟いた。本当に、何も変わっていないのだ。
ソウは落ち着いて笑いかけ、少女に言った。
「勿論。寧ろ私からもお願いするわ。私と、友達になってくれない?」
左手を差し出して言うと、少女は嬉しそうに笑って言った。
「うん!あたしの名前は狭山佳子。あなたは?」
「森原湊。よろしくね。佳子」
佳子と手を握ってブンブンと振る。互いに笑っていると遠方から「おーい。佳子―」と
いう声が聞こえる。
「あ、月音お姉ちゃん!春さん。流人さん。霧哉さん!」
遠くからやってくる四つの人影に佳子は大仰に手を振る。
『良かったな。ソウ』
ふと、暑過ぎるほどの夏には心地よい風と共に声が聞こえた気がした。湊は振り返って
みる。その声は聞き覚えがあり、ずっと近くにいたような、そんな声だった。
湊は首を振った。もしかしたら幻なのかもしれない。
「来て湊!あたし達の友達を紹介するよ!」
ぼーっとしていたのか、佳子が湊の手を引いて走り出す。その際にコツンと、ネックレ
スの石が音を立てた。
あの繰り返した夏にもう戻れないけれど、またこうして出会えたのだから。
もう一度君たちとはじめよう。私が愛した最高の夏を。
END
あとがき
『未来へと進みたい。でもみんなとも離れたくない。そう思うことは…罪ですか?』
このたびは私めのつまらない想像にお付き合いありがとうございました。あとがきの冒
頭部分に書いた台詞がこの物語を書くきっかけとなりました。
物語を書くって意外と大変だなって今回思いました。なんせ骨組みをつくって肉付けを
したら適度な場所で肉付けが終わらないんですよ。あれも書きたいこれも書きたいってな
って、最終的には収集がつかなくなって諦める。(またはプロットを0に戻す)なんてこ
とが書いていると多々あるのですが、今回はしっかりと地に足が着きました。あーよかっ
た。
物語を書く上で夏っていう設定が大好きなんです。夏って暑いし、相当めんどくさいこ
ともあるんですけど、なんか……一番青春できる季節だなって感じてます。最終的にソウ
(湊)は再びみんなにあえてハッピーエンドで終わることが出来たんですか、私の中では
ハッピーエンドで終われなかった人たちもいて……。
今後その気になったらアナザーストーリーでも書いてみようと思います。(勿論今回の
ように公開するかどうかは別として)
あ、実は十九歳の湊は十七歳時と比べて色気は二十%増しになってます。ご想像にお任
せしますが、二年間の間で湊もそれなりに苦労したんですよ。ほんとに
何か最後の最後までぐだぐだですいません。
じゃあ、最後に一つ。
友人のWさん。お誕生日おめでとう!これからもこんな奴をよろしくお願いします
そして此処まで読んで下さった方々。本当にありがとうございます。機会が許せば、ま
た発表するかもしれませんので、そのときはまたおねがいします。
九月四日
吉永智江
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