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「官僚」たちからの尋問 - 一橋大学経済学研究科

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「官僚」たちからの尋問 - 一橋大学経済学研究科
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第 9章
「官 僚 」たちからの尋 問
「官 僚 」たちは、納 得 した風 ではなかったが、
私 は、黙 って、ホワイトボードにグラフを書 い
たと思 う。
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2 週 間 前 の月 曜 日 のことだった。
講 義 準 備 などに忙 しくて研 究 室 を出 たのが、夜 の 8 時 過 ぎになったと
思 う。いつものようにキャンパスの裏 門 から帰 ろうとして、門 の近 くで後 頭
部 を強 打 されたところまでは覚 えているが、その後 の記 憶 がない。
目 が覚 めてみると、私 のベッドの周 りには、数 人 の男 たちが立 っていた。
彼 らは、「誰 なのか」と問 うても、「答 えられない」としかいわない。「あなた
の経 済 政 策 に関 する言 動 に、重 大 な疑 義 が生 じているので尋 問 する」
というのが、彼 らの目 的 だった。
しかし、私 がいくら問 うても、彼 らがそうできる権 限 や根 拠 は、示 してくれ
なかった。私 は、大 いに苛 立 った。ただ、「あなたの家 族 も、あなたの職 場
も、あなたがここにいることについて、何 も心 配 していないので、安 心 しなさ
い」と、妙 な慰 め方 をしてくれた。
私 は、根 負 けした。
彼 らのいう「疑 義 」について、彼 らが尋 問 し、私 が弁 明 しなければなら
なくなった。彼 らは、疑 義 の内 容 について、数 枚 のメモを私 に渡 した。疑
義 の論 点 はいくつもあって、それぞれの項 目 について、明 日 から5日 間 に
わたって、毎 日 、午 前 ・午 後 に尋 問 を受 けることになった。
彼 らの横 柄 な態 度 にはめずらしく、「申 し訳 ないが」と恐 縮 気 味 に、
「ある事 情 で、わずかな朝 食 が出 るだけだから」といわれた。私 は、「ある
事 情 」について質 問 する気 力 さえ失 われていた。
ただし、いくつかのことだけは、私 の要 求 を受 け入 れてくれた。
メモを見 ると、尋 問 の内 容 は、理 論 的 なことだけでなく、実 証 的 なこと
にも及 んでいた。理 論 的 なことは、頭 に入 っていることで十 分 に応 じる自
信 があったが、弁 明 に必 要 なデータがすべて頭 に入 っているわけではな
かった。
もちろん、彼 らは、外 部 との交 信 を禁 じたので、インターネットでデータベ
ースにアクセスすることもできなかった。そこで、私 のクラウドの ID とパスワー
ドを教 え、データの入 っているディレクトリーの内 容 をすべてダウンロードして、
標 準 的 なソフトウェアーを備 えたパソコンで使 えるようにしてほしいと希 望 し
たら、受 け入 れてくれた。また、ホワイトボードの使 用 も許 された。
私 は、身 分 をいっさい明 らかにしてくれない彼 らを、どのように呼 ぶべき
か迷 った。しかし、ある直 観 から、括 弧 付 きで「官 僚 」と呼 ぶことにした。
私 のいう「官 僚 」は、かならずしも行 政 府 に働 いている人 々を意 味 するわ
けではない。
むしろ、「官 僚 」は、その人 間 の気 質 的 なもので、みずから勉 強 してロ
ジックを身 に着 けることも、みずから苦 労 してデータを得 ることもしないくせに、
ドアタマがいいものだから、耳 学 問 で手 に入 れた、わずかな「ロジック」と
「データ」の上 に、とんでもない空 想 を組 み立 てることを得 意 とする種 族 を
指 している。
私 の直 観 が正 しいことはすぐに明 らかになった。男 たちは、まさに、そうし
た「官 僚 」たちだった。
朝 に一 食 しか出 されなかったので、私 は、かなり疲 労 困 憊 気 味 で記
憶 力 や判 断 力 が落 ちていて、「官 僚 」たちとのやり取 りを正 確 に覚 えてい
るわけではない。ただ、いくつかの議 論 は、今 でも鮮 明 に記 憶 に残 ってい
る。
<なぜ、「成 長 率 >金 利 」がいけないんだ!>
私 の前 には、机 を挟 んで 3 人 の男 が座 っていた。机 の上 には、お願 い
していたノートパソコンも置 いてあった。私 の背 面 には、ホワイトボードがあり、
赤 と黒 のボード用 マーカーが数 本 ずつ備 えられていた。
1人 の「官 僚 」(仮 に、X と呼 ぶ)は、私 が、増 税 や財 政 削 減 などの緊
縮 政 策 を主 張 していることについて、強 い嫌 悪 感 を持 っていた。彼 の思
考 方 法 には、複 雑 な襞 がありそうにみえて、いたって単 純 であった。
X:名 目 GDP を分 母 に、国 債 の名 目 残 高 を分 子 にとって、
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国 債 名 目 残 高 /名 目 GDP
その比 率 を求 めても、
名 目 GDP 成 長 率 >名 目 金 利
ならば、たとえ、分 子 の元 利 返 済 額 が雪 だるま式 に増 えていっても、
分 母 の名 目 GDP が拡 大 するテンポの方 が早 い。
その結 果 、国 債 残 高 /名 目 GDP の値 は縮 小 していって、少 々の
財 政 赤 字 ぐらいはどうにかなる。
さらに、現 在 の金 融 緩 和 政 策 は、物 価 上 昇 で名 目 GDP の成 長
率 を高 める一 方 で、名 目 金 利 はゼロに抑 えられている。日 本 政 府
は、日 銀 とともに総 力 を挙 げて、
名 目 成 長 率 >名 目 金 利
の実 現 にまっしぐらなのに、こんなタイミングで「緊 縮 政 策 」とは、どう
いうつもりだ、お前 は!
「官 僚 」X は、そうまくしたてながら私 に詰 め寄 った。
消 耗 させられるやり取 りがいくつもあった。結 局 、私 が主 張 したことは、
長 期 的 に、
名 目 成 長 率 >名 目 金 利
を実 現 してしまうと、マクロ経 済 は、「かなり惨 めな状 況 」に陥 るということだ
った。
私 は、議 論 を進 めるにあたって、まずは物 価 の影 響 を脇 において、名
目 成 長 率 と名 目 金 利 の比 較 を、実 質 成 長 率 と実 質 金 利 の比 較 に置
き換 えた。
「官 僚 」X は、「そんな置 き換 えで俺 たちをごまかすつもりか」とくってかか
ってきた。
今 は、長 期 の関 係 を議 論 しているので、
名 目 成 長 率 =実 質 成 長 率 +現 在 のインフレ率
名 目 金 利 =実 質 金 利 +将 来 のインフレ率
が成 り立 っていて、現 在 のインフレ率 と将 来 のインフレ率 がほぼ同 じ水 準
にあれば、「名 目 成 長 率 と名 目 金 利 の差 は、実 質 成 長 率 と実 質 金 利
の差 に置 き換 えることができる」と説 明 した。
「官 僚 」たちは、納 得 した風 ではなかったが、私 は、黙 って、ホワイトボー
ドにグラフを書 いたと思 う。縦 軸 は、(「対 数 変 換 した」とはあえていわなか
ったが…)実 質 消 費 、横 軸 は、時 間 を表 したグラフを用 いた(図 9-1)。
すると、「官 僚 」X は、すかさず、「なぜ、実 質 GDP でなくて、実 質 消 費
なんだ」と聞 いてきた。私 は、「生 産 ではなくて、消 費 こそが、人 々の幸 福
を支 えるわけですので」と答 えた。「官 僚 」X は、反 論 したげだったが、黙 っ
ていた。
私 は、2 つのケースを説 明 した。
どちらも、2010 年 に年 2%の成 長 率 の成 長 軌 道 に乗 ると仮 定 した。成
長 軌 道 に乗 ると、実 質 GDP も、実 質 消 費 も、同 じ 2%で成 長 していく。ここ
では、2010 年 や 2%という数 字 に意 味 があるわけではなく、仮 置 きをしてい
るにすぎない。
第 1 のケースは、資 本 蓄 積 が緩 やかで、点 B のところで成 長 軌 道 に
乗 り、実 質 金 利 が年 4%。
第 2 のケースは、資 本 蓄 積 が旺 盛 で、点 A のところで成 長 軌 道 に乗
り、実 質 金 利 が年 2%。
「資 本 蓄 積 の度 合 いが高 いと、なぜ、成 長 軌 道 での実 質 金 利 が低
くなるんだ」という質 問 を受 けたと思 う。私 は、「通 常 、収 益 率 の高 いプロ
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図 9- 1: 実 質 消 費 の 軌 道
実 質 金 利 が 2%に向 かって低 下 していくにしたがって、2010 年 で
成 長 軌 道 に乗 るときに達 成 できる実 質 消 費 水 準 は、点 A に近 づい
ていきます。
対数変換した
X:それは結 構 なことじゃないか。それでは、
実質消費水準
実 質 成 長 率 (2%)>実 質 金 利 (1%)
となれば、点 A を上 回 るところで、成 長 軌 道 に乗 るんだな。
A
B
私 :それが、そうはいかないのです。
点 A は、2010 年 に成 長 軌 道 に乗 って達 成 することができる実 質
消 費 水 準 の最 高 値 なんです。
実 質 成 長 率 (2%)=実 質 金 利 (2%)
C
2010 年
ジェクトから投 資 を実 行 していくので、資 本 蓄 積 水 準 が高 まると、収 益
率 の低 いプロジェクトを実 行 せざるをえなくなって、実 質 金 利 も、その分 低
くなります」と答 えた。
X が「官 僚 」たちを代 表 して、私 に矢 継 ぎ早 に質 問 してきた。
私 :第 1 のケースは、
実 質 成 長 率 (2%)<実 質 金 利 (4%)、
第 2 のケースは、
実 質 成 長 率 (2%)=実 質 金 利 (2%)。
の場 合 に、2010 年 に達 成 できる実 質 消 費 水 準 が最 高 値 になりま
す。
経 済 学 者 は、そうした最 高 値 を実 現 できるマクロ経 済 環 境 を、
“黄 金 律 ”と呼 んでいます。
X:何 が“黄 金 律 ”だ!俺 たちをなめているのか!
お前 は、「金 利 が下 がっていくと、2010 年 に達 成 できる実 質 消
費 が増 加 する」といったではないか!
私 :そういわれても…
実 質 金 利 が実 質 成 長 率 2%を下 回 ると、2010 年 に達 成 できる
実 質 消 費 水 準 は、点 A の水 準 から逆 に低 下 していきます。
X:なぜ、そんなことが起 きるんだ。
私 :すでに収 益 率 の比 較 的 高 いプロジェクトがなくなっているにもか
かわらず、無 理 矢 理 に資 本 蓄 積 を進 めるので、全 体 として資 本 効
率 が悪 くなって、高 水 準 の消 費 を支 えることができなくなるわけで
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す。
私 がいいたいのは、
実 質 成 長 率 (2%)>実 質 金 利
という状 況 が長 く続 くと、経 済 全 体 の効 率 性 が著 しく低 下 した状 態
になるということだけです。
が成 り立 っているので、「官 僚 」X が主 張 するように、積 極 的 な金 融 緩 和
政 策 で名 目 金 利 をゼロにしつつ、将 来 のインフレ率 を高 めに誘 導 すれば、
実 質 金 利 をマイナスの水 準 にまで持 っていくことができる。
しかし、そうして実 現 した、
実 質 成 長 率 >実 質 金 利
その上 で、マクロ経 済 の「自 然 な状 態 」では、
のマクロ経 済 状 況 は、けっして芳 しいものではない。
すると、X は、妙 なことをいい始 めた。
実 質 成 長 率 (2%)<実 質 金 利
が実 現 しやすいことも述 べた。たとえば、点 C を出 発 点 とすると、より低 い
実 質 金 利 2%で点 A に到 達 するよりも、より高 い実 質 金 利 4%で点 B に
到 達 する可 能 性 が高 い。
その理 由 は、現 在 の高 い消 費 水 準 を我 慢 して資 本 をせっせと蓄 積
することに辛 抱 できなくなって(アリのようにはできなくて)、将 来 の高 い消 費
水 準 をあきらめて資 本 蓄 積 をそこそこの水 準 にとどめてしまう(キリギリスの
ようになる)からである。
また、
実 質 成 長 率 (2%)>実 質 金 利
X:お前 の議 論 を 100%認 めたとして、それでも、
実 質 成 長 率 >実 質 金 利
を目 指 せばいいじゃないか。
少 々資 本 効 率 が悪 くなったって、誰 がそんなことを気 にするもの
か。資 産 価 格 バブルだって、投 機 家 連 中 は大 歓 迎 だ。
それで、国 家 財 政 の問 題 も片 付 くんだから、どこが悪 いんだ!
私 :あなたのいうことは、悪 いことだらけですよ。
一 番 の問 題 は、
実 質 成 長 率 >実 質 金 利
の状 況 では、投 資 家 が、低 い金 利 に満 足 できなくなって、高 いキャピタル
ゲインの実 現 が求 められる結 果 、資 産 価 格 バブルが醸 成 しやすい市 場
環 境 にもなるということも言 い添 えた。
通常、
実 質 金 利 =名 目 金 利 ―将 来 のインフレ率
の状 態 が、非 常 に作 為 的 に作 られたもので、マクロ経 済 の「自 然 な
状 態 」から大 きくかけ離 れているということです。
そうした「不 自 然 な経 済 」は、砂 上 の楼 閣 のようなもので、いつ
か、かならず崩 れ落 ちます。資 産 価 格 バブルも、いずれは、かならず
崩 壊 します。
市 場 経 済 を主 軸 とするマクロ経 済 においては、資 本 を非 効 率 に
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使 っている「不 自 然 な状 態 」から脱 して、資 本 を効 率 的 に使 う「自
然 な状 態 」に復 帰 するように、調 整 メカニズムが、いつか、かならず
働 くわけです。
として認 めるわけですね。
X:お前 、何 をいうか。
80 年 代 後 半 の資 産 価 格 バブルだって、日 銀 が金 融 引 き締 めに
転 じたから、バブルが崩 壊 した。
日 銀 があのまま金 融 緩 和 を続 けていれば、「失 われた 10 年 」も、
「失 われた 20 年 」も、「15 年 のデフレ経 済 」もなかったはずだ。
Y:あなたは、「事 実 」さえもお認 めにならないわけですか。
ここにデータがあります。
日 銀 は、2013 年 3 月 から 2014 年 2 月 にかけて、長 期 国 債 の
保 有 残 高 を 91.3 兆 円 から 152.4 兆 円 へと 61.1 兆 円 も増 やして
いるんですよ。たった 1 年 間 で、1.7 倍 弱 まで引 き受 け能 力 を拡 大
させてきたわけです。
これは、「事 実 の問 題 」です。
私 :ここまでくると、見 解 の相 違 というしかありませんね。
私 のような研 究 者 には、ロジックとデータの裏 付 けのあることしか、
主 張 することができないわけですから…
堂 々と夢 を語 れるあなたがうらやましいかぎりです。
X:何 だと、貴 様 !
<日 銀 が輪 転 機 をガンガン回 して、国 債 を引 き受 ければいいだけでない
ですか!>
「ところで」と切 り出 す「官 僚 」(仮 に、Y と呼 ぶ)がいた。彼 のいい方 は、
「官 僚 」X に比 べれば、はるかにマイルドだった。
Y:成 長 率 と金 利 の問 題 は、あなたのいうように、「長 期 の問 題 」で、
どうしても仮 定 の話 ばかりになってしまいます。ここで結 論 を急 いても
仕 方 がないかもしれません。
しかし、あなたも、日 銀 が、今 般 の金 融 緩 和 政 策 で輪 転 機 をフ
ル稼 働 させて、国 債 引 き受 け能 力 を飛 躍 的 に高 めてきたことは、
「事 実 の問 題 」として認 めるわけですね。
やや下 品 な言 い方 ですが、日 銀 が輪 転 気 をガンガン回 せば、日
銀 の国 債 引 き受 け能 力 を自 在 に拡 大 できることは、「事 実 の問 題 」
私 :まったく認 めません。
私 :私 のパソコンにも、あなたと同 じデータが入 っています。
確 かに、その期 間 に日 銀 が保 有 する長 期 国 債 の残 高 は、61.1
兆 円 増 えました。
しかし、その長 期 国 債 購 入 の資 金 源 泉 をみると、日 銀 券 の発 行
増 は 2.6 兆 円 にすぎません。61.1 兆 円 のうち 53.8 兆 円 は、日 銀 が
準 備 預 金 で資 金 調 達 したものです。残 りの 4 兆 円 強 は、日 銀 が自
ら保 有 する短 期 国 債 を売 って資 金 を捻 出 しています。
確 かに、2.6 兆 円 の日 銀 券 は、輪 転 機 で刷 ったお札 ですが、長
期 国 債 購 入 原 資 のたった 4%にすぎません。
主 力 の資 金 源 だった準 備 預 金 について、さらに資 金 の源 を追 っ
ていくと、日 銀 に対 して長 期 国 債 を売 った民 間 銀 行 が、長 期 国 債
売 却 資 金 を準 備 預 金 に預 けたものです。
それでは、民 間 銀 行 が日 銀 の準 備 預 金 に預 けた資 金 は、そもそ
もは、誰 のものなのでしょうか。当 然 ながら、個 人 や企 業 が民 間 銀
行 の口 座 に預 けた資 金 です。
要 するに、今 般 の金 融 緩 和 政 策 で起 きていることは、「日 銀 が輪
転 機 をガンガン回 していること」とほとんど関 係 がありません。
これまでは、個 人 や企 業 が民 間 銀 行 に預 けた資 金 で、民 間 銀
行 が長 期 国 債 を買 っていました。
ところが、今 般 の金 融 緩 和 政 策 では、民 間 銀 行 が、長 期 国 債 を
買 う代 わりに日 銀 の準 備 預 金 に預 けて、日 銀 が代 わって長 期 国 債
を購 入 しているわけです。
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ただ、今 般 の金 融 緩 和 政 策 の前 でも、後 でも、本 質 的 に変 わら
ないことは、長 期 国 債 を買 い支 えている原 資 の主 力 は、個 人 や企
業 がそもそも民 間 銀 行 に預 けた資 金 だということです。
これこそが、まさに「事 実 の問 題 」です。
Y:ここまでくると、見 解 の相 違 というしかありません。
それでは、輪 転 機 云 々は、仮 にレトリックとしておきましょう。
それでも、たとえば、仮 にということですが、長 期 国 債 がデフォール
トを起 こしたとしても、今 般 の金 融 緩 和 政 策 のおかげで、損 を被 るの
は、日 本 銀 行 だけで、民 間 銀 行 が損 失 を免 れているという点 では、
国 民 のためになっているわけです。
私 :それこそ、見 解 の相 違 だと思 います。
日 銀 が保 有 する長 期 国 債 が焦 げ付 くやいなや、日 銀 の準 備 預
金 が焦 げ付 くわけです。日 銀 の準 備 預 金 が焦 げ付 くやいなや、日
銀 の準 備 資 金 に資 金 を預 けている民 間 銀 行 の預 金 が焦 げ付 くわ
けです。
すると、民 間 銀 行 の預 金 に資 金 を預 けている個 人 や企 業 は、取
引 銀 行 に駆 け込 みますから、日 本 中 の民 間 銀 行 で取 り付 け騒 ぎに
陥 るでしょう。
さらに辛 いことには、日 銀 券 も、日 銀 の預 金 証 書 ですから、その
価 値 も著 しく低 下 します。
取 引 銀 行 の預 金 から日 銀 券 を、要 するに、お札 を引 き出 した
人 々は、即 座 に、価 値 のある物 に買 い替 えようとするので、物 価 は
高 騰 します。
今 般 の金 融 緩 和 状 況 を前 提 として、「仮 に長 期 国 債 がデフォー
ルトしても…」というようなことを想 定 するのは、あまりにも、無 責 任 だ
と思 います。
あなたの認 識 は、「『事 実 の問 題 』以 前 の問 題 」です。
Y:何 だと、貴 様 !
<〈定 常 〉に「非 定 常 」では、相 性 がとても悪 いんです…>
5 日 目 の午 前 中 、それまで一 度 も発 言 をしたことがなかった男 (仮 に Z
と呼 ぼう)が口 を開 いた。
Z:実 は、これまでの 4 日 間 、午 前 と午 後 のやり取 りのあと、毎 晩 、先
生 のいわれたロジックや、先 生 が引 き合 いに出 されたデータを咀 嚼 し
てみました。必 要 とあれば、マクロ経 済 学 の教 科 書 も読 み直 しました
し、実 際 のデータも直 接 見 てみました。
正 直 なところ、先 生 がいわれることを完 全 に理 解 しているという自
信 がありませんが、一 方 では、先 生 の議 論 の概 略 は、理 解 したとい
う自 信 もあるのです。
そこで、最 後 にひとつだけ、先 生 にお伺 いしたいことがあります。
なぜ、日 銀 が財 政 問 題 に加 担 することに、そこまで強 い反 対 意
見 を主 張 なさるのでしょうか。
私 :そうですね…
簡 単 に答 えるのが非 常 に難 しい問 題 ですが、答 える努 力 だけはし
てみましょう。
今 の日 本 経 済 は、全 体 の規 模 でいうと、縮 小 過 程 に入 って、人
口 一 人 当 たりの生 産 水 準 のところで、今 の高 い水 準 を維 持 しようと
する“定 常 状 態 ”に必 死 に適 応 しようとしているのだと思 います。
“定 常 状 態 ”への適 応 自 体 は、必 ずしも辛 いことばかりではなく、
個 人 の能 力 の開 花 も見 られますし、個 人 ごとに豊 かさや幸 福 を発
見 する契 機 もあるのだと思 います。
ただ、そうした中 で、国 家 債 務 だけが、どんどん膨 らんでいっている
わけです。
やや文 学 的 な言 い方 になっていますが、私 たちの経 済 社 会 は、
必 死 で〈定 常 〉に適 応 しようとしている一 方 で、国 家 債 務 膨 張 という
「非 定 常 」を抱 え込 んでしまっているわけです。
でも、〈定 常 〉と「非 定 常 」は、そもそも共 存 しえなくて、相 性 がとて
も悪 いんです。
一 昨 日 に、「官 僚 」X と、いや失 礼 、そこに座 っている方 と激 論 を
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交 わしたことに関 係 しますが、
実 質 成 長 率 >実 質 金 利
が成 立 するマクロ経 済 を目 指 すということは、本 来 は〈定 常 〉が自 然
な経 済 なのに、無 理 矢 理 に高 い経 済 成 長 を実 現 することで、「非
定 常 」の国 家 債 務 を強 引 に抑 え込 もうとする企 みなのですね。
私 たちは、マクロ経 済 の自 然 な姿 と向 き合 おうとしなくなった途 端
に、日 銀 の途 方 もない金 融 緩 和 によって、永 遠 の経 済 成 長 を夢 想
したり、日 銀 の無 限 の国 債 引 き受 け能 力 を妄 想 したりしてしまうわけ
です。
しかし、標 準 的 な経 済 学 のロジックを組 み立 てていくと、そのよう
な夢 想 や妄 想 の先 にあるのは、希 少 な資 源 の無 駄 使 いであり、金
融 市 場 の混 乱 であり、最 終 的 には、日 本 経 済 自 体 の破 綻 です。
Z:先 生 、どうか続 けてください。
私 :一 方 、私 は、自 分 たちの社 会 の適 応 能 力 を信 じています。
今 、国 家 債 務 がこれだけ積 み上 がっても、経 済 が落 ち着 いている
のは、何 も、金 融 政 策 や財 政 政 策 などのマクロ経 済 政 策 が功 を奏
しているからではなく、私 たちの社 会 に、巨 額 の国 家 債 務 問 題 を解
決 しようとする、静 かながらも、固 い意 思 があるからではないでしょう
か。
Z:先 生 、長 い時 間 、本 当 にありがとうございました。
私 は、午 後 、目 隠 しをされたまま、車 に乗 せられ、自 宅 の近 くで下 ろさ
れた。玄 関 の前 を掃 除 していた妻 が、私 の姿 を見 るなり、「パパ、本 当 に
痩 せてよかったね」と、大 変 に喜 んだ。
妻 の話 だと、月 曜 日 の夜 中 に、教 育 文 化 省 ・大 学 教 員 健 康 管 理
部 を名 乗 る「官 僚 」から電 話 があって、私 がメタボ検 診 の結 果 、急 遽 、
火 曜 日 から 6 日 間 の減 量 プログラムに参 加 することになったが、「ご心 配
なく」と伝 えたという。
妻 は、私 がそうしたプログラムに参 加 することをかねてから願 っていたの
で、私 のことをまったく心 配 しなかったそうだ。妻 は、妙 に気 を利 かせてくれ
て、大 学 にも休 講 届 を出 していた。
妻 の屈 託 のない笑 いに接 していると、この 1 週 間 に起 きたことを話 して
も、「それって、パパが書 いている『経 済 学 小 説 』のネタなの?」と聞 き返
されるだけだと思 った。
結 局 、妻 には、「教 育 文 化 省 も、大 学 教 員 健 康 管 理 部 も、聞 いた
ことがないけどなぁ…」というようなこと以 外 、何 も話 さなかった。
83
〈定 常 〉における「非 定 常 」?
表9-1:日本政府の財政状況
国 債 残 高 に対 する利
払 い費 の割 合 を名 目 金
利 とすると、名 目 GDP 成
長 率 (平 均 マイナス 0.3%)
「『官 僚 』たちからの尋 問 」の根 本 にある問 題 は、国 家 が抱 える債 務 、すな
は、常 に名 目 金 利 (平 均
わち、国 債 (公 債 )の残 高 が、経 済 全 体 の規 模 に比 べて急 速 に拡 大 してきた
1.6%)を下 回 ってきた。
現 象 である。
一 方 では、名 目 GDP に
名 目 GDP に対 する国 債 の名 目 残 高 の割 合 は、1980 年 代 平 均 で 37.6%
対 する基 礎 的 収 支 の割
だったものが、1990 年 代 には平 均 45.6%、21 世 紀 に入 って 2013 年 までに
合 は、マイナスの方 向 に
は 平 均 111 . 0 % ま で 高 ま っ た 。
平 均 3.1%にも達 している。
「官 僚 」X が、
その結 果 、名 目 GDP に
対 する国 債 残 高 の割 合
名 目 GDP 成 長 率 >名 目 金 利
は、急 激 に上 昇 してきた。
2013 年 時 点 では、なんと
の不 等 号 関 係 に執 拗 なまでにこだわったのも、仮 に、この関 係 が成 り立 たない
と、国 債 費 (元 利 返 済 分 )を除 いて、政 府 支 出 を上 回 る政 府 収 入 (主 として、
153.7%に達 した!
「官 僚 」X や Y が、金 融
税 収 )によって、すなわち、プラスの基 礎 的 収 支 (プライマリー・バランス)で公
政 策 の途 方 もないトリック
債 の元 利 を返 済 し続 けなければならないからである。
を使 ってでも、国 債 残 高
すなわち、
の急 拡 大 を何 とか防 ごう
と思 った背 景 には、こうし
名 目 GDP 成 長 率 <名 目 金 利
た厳 しい日 本 の財 政 事
情 が控 えていたのである。
の場 合 、
以 下 では、「私 」が
基 礎 的 収 支 =政 府 収 入 ―(国 債 元 利 返 済 を除 いた)政 府 支 出 >0
「官 僚 」X の前 で展 開 した
ロジックを簡 単 に振 り返 っ
が成 り立 っていなければならない。
こうした視 点 から見 ると、日 本 財 政 の 21 世 紀 の現 況 は、きわめて厳 しい(表
9-1)。
ておきたい。
ただし、ここで示 してい
1980
1981
1982
1983
1984
1985
1986
1987
1988
1989
1980年代
平均
1990
1991
1992
1993
1994
1995
1996
1997
1998
1999
1990年代
平均
2000
2001
2002
2003
2004
2005
2006
2007
2008
2009
2010
2011
2012
2013
21世紀平
均
利払い費/
基礎的収
利払い費/ 名目GDP 公債残高 公債残高
支/名目
公債残高 成長率
-名目GDP /名目GDP
GDP
成長率
-0.036
0.074
0.103
-0.029
0.284
-0.021
0.075
0.066
0.009
0.311
-0.009
0.076
0.045
0.031
0.349
-0.010
0.075
0.044
0.031
0.380
-0.011
0.074
0.067
0.007
0.395
-0.004
0.072
0.072
0.000
0.407
0.001
0.068
0.036
0.032
0.424
0.002
0.065
0.059
0.006
0.419
0.007
0.063
0.071
-0.008
0.404
0.011
0.062
0.071
-0.009
0.387
-0.007
0.070
0.063
0.007
0.376
0.019
0.023
0.019
0.015
0.005
0.001
-0.009
0.000
0.003
-0.019
0.061
0.061
0.058
0.054
0.051
0.046
0.043
0.040
0.035
0.031
0.087
0.049
0.019
-0.002
0.027
0.019
0.022
0.010
-0.020
-0.009
-0.026
0.012
0.039
0.056
0.024
0.027
0.021
0.030
0.055
0.040
0.368
0.362
0.369
0.399
0.417
0.446
0.474
0.495
0.578
0.655
0.006
0.048
0.020
0.028
0.456
-0.021
-0.022
-0.027
-0.039
-0.038
-0.032
-0.022
-0.009
-0.011
-0.028
-0.048
-0.048
-0.047
-0.048
0.027
0.023
0.020
0.017
0.015
0.014
0.014
0.014
0.014
0.014
0.013
0.012
0.012
0.013
0.008
-0.017
-0.008
0.008
0.002
0.005
0.008
0.008
-0.046
-0.032
0.013
-0.014
0.003
0.027
0.019
0.040
0.028
0.009
0.013
0.009
0.006
0.006
0.060
0.046
0.000
0.026
0.009
-0.014
0.720
0.782
0.846
0.911
0.993
1.043
1.044
1.055
1.115
1.253
1.325
1.415
1.501
1.537
-0.031
0.016
-0.003
0.018
1.110
出典:財務省
く数 値 例 は、2010 年 という年 次 とか、貯 蓄 率 や成 長 率 の具 体 的 な数 字 に意
84
味 があるわけでなく、あくまで、仮 置 きの数 字 であることに注 意 してほしい。以 下
の数 値 例 は、あくまで、
第 1 のケースでは、貯 蓄 率 が 34%と相 対 的 に低 く、実 質 金 利 が 4%に達 し
ているので、実 質 成 長 率 2%が実 質 金 利 を下 回 っている。
第 2 のケースでは、貯 蓄 率 が 40%に上 昇 して、実 質 金 利 は 2%に低 下 し、
成 長 率 >利 子 率
実 質 成 長 率 に一 致 している。この場 合 、2010 年 の実 質 消 費 は、第 1 のケー
スに比 べて増 加 している。
の状 態 が、経 済 学 的 に見 て「不 自 然 な状 態 」であることを示 すのが目 的 であ
一 方 、「官 僚 」X が提 案 したケースは、貯 蓄 率 が 44%とさらに高 まって、実
質 金 利 が 1%まで低 下 し、実 質 成 長 率 (2%)の方 が、実 質 金 利 (1%)を上 回
る。
なお、議 論 の背 景 にある簡 単 な経 済 モデルの想 定 については、章 末 にまと
めている。
「私 」の議 論 には直 接 表 れてこないが、このモデルでは、資 本 蓄 積 の度 合
っている。しかし、2010 年 の実 質 消 費 は、第 2 のケースに比 べて、かえって低
下 する。
「私 」が用 意 した想 定 では、貯 蓄 率 が 40%になると、実 質 成 長 率 が 2%で
いが、貯 蓄 率 の高 低 で決 まっている。貯 蓄 率 が上 昇 して資 本 蓄 積 の度 合 い
実 質 金 利 に一 致 するとともに、2010 年 の実 質 消 費 が黄 金 律 水 準 に達 する。
が高 まると、実 質 金 利 は低 下 するとともに、2010 年 の実 質 消 費 は増 加 してい
その結 果 、貯 蓄 率 が 40%を上 回 って、実 質 成 長 率 が実 質 金 利 を超 えても、
く。
2010 年 の実 質 消 費 は、黄 金 律 水 準 に比 べてかえって低 下 する(図 9-2)。
85
貯 蓄 率 が 40%を超 えるケースについて、もう少 し詳 しく見 てみよう。
貯 蓄 率 が 40%を超 えて資 本 蓄 積 が促 されると、2010 年 の実 質 消 費 は減
少 するが、2010 年 の実 質 GDP は依 然 として上 昇 していく。しかし、資 本 蓄 積
の規 模 がいくら拡 大 しても、資 本 効 率 が落 ちているので、実 質 GDP はそれほ
ど増 加 せず、その結 果 、実 質 消 費 の増 加 に貢 献 しないのである(図 9-3)。
第 3章 の「ある経 営 者 との対 話 」の随 筆 部 分 で、以 下 の関 係 を説 明 した。
将 来 の消 費 ―現 在 の消 費 =純 設 備 投 資 (純 固 定 資 本 形 成 )
ここで注 意 してほしいのは、消 費 と投 資 の関 係 について、プラスの純 設 備 投
資 が将 来 の消 費 の改 善 を示 すのは、資 本 蓄 積 水 準 が黄 金 律 の水 準 を下 回
っている状 況 だけであるという点 である。マクロ経 済 が黄 金 律 を超 えて資 本 を
蓄 積 している場 合 、いくら資 本 設 備 を積 み上 げても、現 在 の消 費 に比 べて将
来 の消 費 がかえって減 少 してしまう。
と、
y  k 0.4
と表 すことができる。
貯蓄率を
s とすると、実 質 消 費 c は、
c  1  s  y
に等 しい。
2 0 1 0 年 に 成 長 軌 道 に 乗 る 際 の k2010 は 、 減 価 償 却 率 を 1 0 % 、 経 済 成 長 率
を 2%とすると、次 の関 係 を満 たす。
0.4
sk 2010
  0.10  0.02  k 2010
上 の 関 係 を 満 た す k2010 か ら 、 2 0 1 0 年 の 実 質 G D P
なお、「私 」が「官 僚 」Y に対 して展 開 した議 論 は、第 8 章 の「ある中 央 銀
行 総 裁 の請 願 」で説 明 したロジックとまったく同 じである。
求 めることができる。
0.4
y2010  k2010
c2010  1  s  y2010
○
注 意 :関 心 のない人 は、どうか読 み飛 ばしてください…
「私 」が「官 僚 」たちの前 で展 開 した経 済 モデルは、非 常 に標 準 的 な経 済
成 長 モデル(提 案 者 の経 済 学 者 の名 前 にちなんで、ソロー・モデルと呼 ばれて
いる)である。
以 下 では、人 口 が一 定 だと仮 定 する。また、すべての内 生 変 数 は、成 長 率
で標 準 化 しているとする。
想 定 されている生 産 関 数 は、実 質 GDP を
y 、実 質 資 本 ストックを k とする
y2010 と 実 質 消 費 c2010 を
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