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目 次 - 狭山ヶ丘高等学校

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目 次 - 狭山ヶ丘高等学校
藤 棚
狭山ヶ丘学園 学校通信
http://www.sayamagaoka-h.ed.jp/
目
次
第 121 号
先輩たちの勝因(H14.3.23 発行)
第 120 号
第 42 回卒業式辞(H14.3.3 発行)
第 119 号
中学生による集団殺人事件に思う(H14.2.1 発行)
第 118 号
アクセル全開
第 117 号
犯罪の多発に思う(H13.12.21 発行)
第 116 号
学習方法の革命的変革を(H13.12.1 発行)
第 115 号
冷凍(シバレ)いも物語(H13.11.1 発行)
第 114 号
神の正義と人間の正義(H13.10.1 発行)
第 113 号
戦争ではない
第 112 号
木の葉が光っていた(H13.9.1 発行)
第 111 号
悔いのない夏を(H13.7.7 発行)
第 110 号
総理の靖国神社参拝に対する私の考え(H13.6.30 発行)
第 109 号
山野の獣の跳梁と国民精神の衰弱(H13.5.30 発行)
第 108 号
校長式辞(H13.4.13 発行)
驀進を開始せよ(H14.1.10 発行)
犯罪だ(H13.9.18 発行)
平成14年3月23日
藤 棚
狭 山 ヶ 丘 学 園
第121号
学 校 通 信
http://www.sayamagaoka-h.ed.jp/
http://www.sayamagaoka-h.ed.jp/js/
先輩たちの勝因
校長
小川義男
驚くべき成果があがったものだ。本年度の卒業生、並びに一浪中だった先輩たちの為し遂げた
本年度大学入試での実績である。
先ず何よりも、野田君の東大合格をあげることができよう。東大突破は、本校着任以来の私の
夢であった。かって、「狭山ヶ丘は本当の進学校ではない、自称進学校だ」などと誹られたこと
もあったが、東大合格者が出た今日、そのようなそしりも、今は懐かしい思い出である。「野田
君、本当によくやってくれた。君がつけてくれた道をたどって、後輩たちは、これからは恐れる
ことなく世界最高の大学としての東大を目指すであろう。」野田君は、後輩たちのために、「自
分にできることであれは、何でもしてあげよう」と言ってくれている。私としても、そのような
場を作りたいので、諸君もそのつもりで精進してもらいたい。野田君は、慶応大学理工学部
に
も合格している。
早稲田大学には 15 名の合格者が出た。難関中の難関である政経学部 2
理工学部 1
社会科学部 3
を含めての 15 名である。
法学部 1
商学部 1
すでにお茶の水女子大にも合格者が出
ていたのだが、この原稿を書いているところに、東京工業大学合格の報が入った。上智大学の合
格者も 2 名に達した。医大には、本校の歴史初めて、3 人の合格者が出た。
国公立大学には、すでに述べた東大、東京工大、お茶大をはじめ、東京都立大に 4 名
学5名
横浜国立大学 1 名
埼玉大
東京学芸大学 1 名、山形大学 2 名その他、国公立大学全体の合格者
はこれまで判明しているだけで 27 名、おそらく 30 名を超えるものと思われる。
そのほかの主だった大学をあげると、学習院大 5
央大 24
津田塾大 2
同志社大 3 南山大 2
東京女子大 4
東京電気大 14
法政大 26 明治大 22
共立女子大 2
東京農大 15
明治薬科大 7
成蹊大 13
青山学院大 9 中
東京薬科大 4 東京理科大 11
立教大 8
立命館大 8 という実情
である。
中堅大学については、スペースの関係上割愛するが、たとえば東洋大学には 57 名が合格して
いる。看護系学部等への進学実績にもめざましいものがある。
四年制大学全体の合格者総数は、660 名に達している。
早稲田大学合格者 15 名のうち、ほとんどは現役生である。しかも彼らのほとんどは、予備校
に通っていない。すべて本校における指導と、彼ら自身の自学自習で、このように輝かしい成果
を達成したのである。
難関大学に合格した人々と接していて驚くのは、 彼らの素直さである。難関を突破した人ほ
ど、高校生というよりは中学生に近いような素直さを身につけている。何故なのか私にも分から
ないが、意固地な個性では、学問研究になじむことができないのであろう。つまらぬところで校
則を破り、教師や仲間に迷惑をかけている生徒は、このことをじっくり考えてみるべきであろう。
今ひとつ注目されるのは、「自習室効果」 である。早稲田の政経、法学、それに上智に合格し
た大橋君は、「自習室の主」であった。毎夜 8 時まで粘り抜く彼の集中力と持続力に、私は畏敬
の念を抱いたものである。その彼が自習室の、あのひたすらなアトモスフィアを形成して行った
ように私には思われてならない。卒業生の誰もが、「大橋に負けまい」と頑張った。彼らの後ろ
姿を見ていて私は、常々、「今年は何かが起きるぞ」と漏らしていた。私の教師としての勘は的
中したのである。
教訓がある。浪人した場合はともかく、在学中は予備校に通わない方がよい。
「学校のはしご」
は、弊害の方が多いからである。
先輩にできたことが諸君にできないはずがない。現二年はもとより、現一年生も、自習室に結
集せよ。あそこが戦闘エネルギーの泉源なのだ。場所が狭ければ、ほかの場所も開放する。聖域
であるだけに、私語は絶対に禁ずる。自習室での私語は、他人の学問を妨げるものだから、処分
の対象になると思え。
諸君と我々で力を合わせ、東大 5 人
狭山ヶ丘を築こうではないか。
早稲田 100 人を達成して、関東全域において恐れられる
平成14年3月3日
藤 棚
第120号
狭 山 ヶ 丘 学 園
学 校 通 信
http://www.sayamagaoka-h.ed.jp/
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第 42 回卒業式辞(要旨)
校長
小川義男
ただ今 473 名の諸君に卒業証書を授与致しました。この三年の間に、辛いこと、苦しいこと、
様々なことがあったでありましょう。しかし、そのような困難に耐え、諸君は晴れて本日の卒業
を迎えました。私は全教職員を代表し、諸君のこれまでのご努力に心から敬意と祝福の挨拶を送
ります。
この三年間、諸君は実に素晴らしい生徒でありました。吹奏楽部が全国大会で、前年度に引き
続き金賞を獲得したのは、諸君が一年の時であります。以来本校吹奏楽部は、全国トップクラス
のブラスバンドとして関東、全国に盛名を轟かせております。
卓球部は、文字通り「狭山ヶ丘に敵なし」の感を、県内及び関東全域に知らしめております。
オリンピック選手も出した本校水泳部の絶ゆる事のない活躍は、人も知る所であります。そのほ
か、各運動部、茶華道部を初めとする運動、文化各部の活躍には目覚ましいものがあります。諸
君のこのような実績を背景に、私は来年度、部活動の一層の活発化のため全力を尽くす決意であ
ります。
勉学の分野でも、諸君は輝かしい実績を残しました。私は、あの大きな自習室を満席にして学
び続けていた諸君の、ひたすらなる姿勢を思い出します。大学進学の実績は、本日なお中間報告
と言うべき段階でありますが、それですらすでに本年度の結果は、これまでの歴史を一新するも
のであります。県トップの進学校を目指すという本校年来の目標は、すでにその射程圏に入った
と言うべきでありましょう。これらの輝かしい成果を、泉下の創立者近藤ちよ先生は、どれほど
お喜びくださっていることでありましょうか。
大学、短大、専門学校、就職、そのいずれを選択するにせよ、私は、諸君がそれぞれの分野で
全力を尽くしてくださる事を期待します。
卒業に当たり、諸君に特にお願いしたいことがあります。それは、若く、賢く、力強い諸君の
エネルギーで、我が国にはびこる学歴社会の気風を爆砕して頂きたいということであります。18
歳の時のただ一回の試験で、人の生涯の大部分が決定されるという事ほど馬鹿げた話はありませ
ん。人権感覚が育ち、国民一人一人のプライドが高まっている今日、30 歳前の警察署長に 50 代
の部下が絶対服従するというようなエリート主義は、もはや時代に合わないのであります。大蔵
官僚や外務官僚の腐敗堕落ぶりを見てもこのことは明らかであります。
明治維新の際の五箇条のご誓文に、「官武一途庶民に至るまで、各々その志を遂げ、人心をし
て倦まざらしめんことを要す」とあります。官武一途庶民に至るまで、役人や軍人から名もなき
庶民に至るまで、すべての人々にその志を遂げさせ、国民の心が政治に飽き飽きしてしまうこと
がないようにしなさいという意味であります。今日の学歴社会、学閥優先主義が、この明治陛下
のご遺志に背くことは明らかであります。難関大学の内側と外側から、力を合わせてこの馬鹿げ
たアンシアンレジムをぶち倒して頂きたいのであります。
そのためには、国家公務員一級職試験を廃止することも一手でありましょう。企業が学歴より
実力を重視して採用試験を行うのも一つの方法であります。諸君と共に、どの大学で学んだかで
はなく、大学で何を学んだかが重視される日本と世界を築き上げて行きたいと思うのであります。
人生に挫折はつきものであります。挫折なき人生を考えることはできません。また人は、挫折
の中でこそ本当の人間味を獲得するものなのであります。「涙と共に冷たいパンを囓ったことの
ある者でなければ、友とし語るに足りない」と語った先人があります。
私もこれまで、幾たびとなく挫折を味わってきました。しかし私は、挫折とは新しい可能性の
出現であると確信しております。転んだときには泣き崩れるのではなく、それを新しい可能性の
出現と心得てにやりと不敵に笑い、立ちあがった瞬間には、次の可能性へと向かって歩き出す姿
勢を確立して頂きたいのであります。
人生には引き潮の時と満ち潮の時があります。満ち潮だけの人生がないように、引き潮だけの
人生もありません。失敗続きの時期が続こうとも、必ず潮の満ちてくる時があるものです。次に
大きな潮が迎えに来ることを確信し、自らの内面蓄積に努めることが大切であります。時代は絶
対に才ある者を見捨てたりはしません。一見不運に見えるのは、諸君の努力が足りないからなの
であります。
今ひとつ、孤独に耐える心を育ててください。賛美歌に、「世の友我らを捨て去るときも」と
いう一節があります。友人や世間は大切なものではありますが、すべてではありません。しばら
くは、孤独と孤立の中に生きるという心構えも大切なのであります。
戦後の大宰相吉田茂の愛した言葉に、「呑舟の魚は支流に遊ばず」というのがあります。舟を
呑み込むような巨大な魚は、川の支流で泳いだりはしないという意味であります。すべてはこれ
からという諸君ではありますが、自らを呑舟の魚になぞらえ、誇り高くひとときの孤独に耐え抜
いて頂きたいのであります。
本日は、入間市長木下博様を初め、多数のご来賓のご来駕を忝のうしております。ご多忙の中
ご列席下さり、卒業生の前途に祝福を賜りましたことに、深く感謝申し上げます。
保護者の皆様、ご覧の通りお子さまは見事に成長した姿でご卒業なさいました。ここに謹んで
お返し申し上げます。極めて、極めて優秀な彼らであります。国家の指導者として、必ずや皆様
と国民の期待に、応えてくれるでありましょう。おめでとうございます。また校長として、三年
間のご協力に、深く感謝申し上げます。
名残は尽きませんが、卒業生諸君、いよいよ別れの時となりました。最後に一言、諸君、親を
大切にしてください。親は、今は元気であっても、やがて年老い、衰え、諸君より先に世を去っ
て行くものであります。昨今、国家による介護の名の下に、施設に老人の世話を委せる気風が専
らでありますが、他人が行き届いた世話を老人に施せるものではありません。親の老後に対する
第一の責任は、その子供にあるのであります。子が親を大切にする気風は、やがて国民の伝統と
なり、将来諸君の子供が老人となったときにも、彼らを守ってくれるでありましょう。親を大切
にし、諸君自身はしばらく、「若さとは未熟さである」と心得て、これからの人生を生きて行っ
てください。
最後に、拙い歌一首を贈って別れの言葉と致します。
「あなたが先
私は後」という心君忘れずば
諸君
君栄えなむ
いつまでもお元気で
平成14年2月1日
藤 棚
狭 山 ヶ 丘 学 園
第119号
学 校 通 信
http://www.sayamagaoka-h.ed.jp/
中学生による集団殺人事件に思う
校長
小川義男
何とも寒々とした事件が起こったものである。卒業式を控えたこの時期に取り上げるのが適当
かどうか、いささか迷うが、事が事なので、保護者の皆様、生徒諸君と共に考えてみたい。
被害者が浮浪者なので、ともすれば問題が浮浪者の人権問題にすり替えられやすい。だが、浮
浪者の人権も「定住者」のそれと同じように尊重されなくてはならないのは当然すぎるほど当然
のことである。問題はそんな事ではない。悲しいのは、被害を目撃しながら、浮浪者仲間が反撃
したり、警察に通報できなかったことである。これまでの様々な苦労の中で、そのような気力を
失っていたのであろうか。思えば胸が痛む。生活保護法による保護の手が、手厚くさしのべられ
ているはずの我が国で、浮浪者の数が増えつつあるのはなぜなのだろうか。しかし、このことは
また別な機会に深く考えてみよう。
この中学二年生たちは、図書館で注意されたことを恨んで、繰り返しての攻撃に及んだのだと
いう。「殺すつもりはなかった」と、泣きながら「反省している」とのことであるが、そうでは
あるまい。刑法には「未必の故意」という概念がある。確定的に殺す意思はなかったにしても、
「こんな事をしたら死ぬかも知れない。でも死んだら死んでも構わない。」そう思ったときには、
故意の存在を認定するのが、未必の故意である。この中学生たちには、少なくとも未必の故意を
認定することができるのではあるまいか。
私が憂慮するのは、この犯罪集団が、自分たちは「少年」であり、決して厳しく処断されるこ
とはないという事実を認識しながら犯行に及んだのではないかという点である。ひとりの少年は、
14 歳に達していないというので逮捕もされず、自宅に通報されたにとどまった。我が刑法では、
「14 歳に満たない者の行為は罰しない。」(刑法 41 条)とされている。人を集団で殺害し、家族
と一緒に晩飯を食っているなど、我々の感覚に照らして違和感はあるが、逮捕しなかった警察の
姿勢は基本的に正しいのである。
他の中学生や、これに加担した高校生はそうではない。彼らは刑事責任年齢に達しているから
逮捕されて当然なのである。だが、刑事責任はあっても、その罪責は、「少年法」に、十重二十
重(トエハタエ)に守られて、常識の限度を超えるほど軽減される結果となる。
少年法 51 条は、18 歳に満たない者を死刑に処することを禁じている。それどころか、18 歳、19
歳の者についても、それがどれほど凶悪な犯罪者であっても、死刑に処せられることは先ずない。
1988 年に、「女子高校生輪姦、殺害、コンクリート詰め事件」というのがあった。まじめで美
しい、加害集団と何の関わりもない女子高校生を 41 日にわたって監禁し、集団で辱め抜いた後、
殺害してコンクリート詰めにし、河原に捨てたという事件である。本人の無念、親たちの悲嘆を
思えば、今も髪逆立つの思いがある。しかしこの主犯は、犯行当時 19 歳であったが、その判決
は、なんと懲役 17 年であった。このような犯罪者に限り自己本位だから、刑務所の中では模範
囚として振る舞う。今から 10 年も前にすでに出獄しているのではあるまいか。
この犯人を、法の許す死刑に処していたら、その後の少年凶悪犯罪は、相当程度未然に防げて
いたのではないかと私は思う。「犯人の更生」に目を奪われた裁判官の精神衰弱こそ、その後の
少年犯罪を生んだ本当の犯人ではないかと、つい考えたくなってしまうのである。
「我々は何をしても絶対に死刑にはならぬ。罰せられても少年院に、一二年も行けばよい。」
と確信したことが、少年の凶悪犯罪を生んでいるとすれば、その意味で、この加害者もまた被害
者であると私は思うのである。罰すべき者を厳しく処断さえしていれば、このような犯罪を思い
とどまらせることができたかも知れないからである。
問題はもう一つある。少年法 61 条が、犯人の氏名、年齢、職業、住居、容貌等の公表を禁じ
ていることである。私は高等学校を預かる者として、殺人の前歴ある者を入学させることはでき
ない。しかし私に、それを判断、選定できる手段はないのである。その氏名は被害者の家族にす
ら知らせられない。現実には発覚するであろうが、「人権尊重」もここに極まれりと言うべきで
はないだろうか。
私は、恐喝、強盗、殺人等の凶悪犯罪については、少年法 61 条の適用は除外すべきであると
思う。犯人の人権も尊いが、凶悪犯人に対する国民の「知る権利」も無視されてはならないから
である。
さらに私は、恐喝を超える犯罪、市民に著しい恐怖を与える犯罪については、少年法そのもの
の適用を排除すべきだと思う。犯人の更生も大切だが、それと並んで犯罪の多発を防ぐ「一般予
防的効果」も刑罰の重大な使命だからである。
少年犯罪の圧倒的多数は窃盗だが、この段階の少年に対しては、温かく接しなくてはならぬ。
しかし「人殺し」となると話は違ってくる。少年法の適用を除外し、一般刑法に委(ユダ)ねる
としても、殺人に対する科刑は「死刑、又は無期もしくは 3 年以上の懲役」と幅が広い。一般刑
法で、少年犯罪の情状に十分対処できるのである。
犯罪少年の在籍中学の校長が、報道陣に、「これからは人権尊重の教育をさらに進めて、この
ようなことのないように努力する。」と語っていた。しかし、事は「人権尊重教育」などという
問題であろうか。何とも、ずれた感覚のように私には思われてならない。この校長は、「人権尊
重」などという、どこからも反対されない、従って彼個人は絶対に安全であるせりふを繰り返す
のではなく、この種犯罪に対する満腔の怒りと、彼自身の執務姿勢に対する痛烈な自責の念をこ
そ語るべきだったのではないだろうか。
少年たちは「泣いて反省している」そうである。その気持ちが分からなくはないが、人を殺し
ておいて泣いて反省するというのも、私には白々しく思えてならないのである。
平成14年1月10日
藤 棚
狭 山 ヶ 丘 学 園
第118号
学 校 通 信
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アクセル全開
驀進を開始せよ
校長
小川義男
吉本隆明という思想家がいる。彼が新左翼のカリスマだったこともあり、学生時代の私はこの
男を馬鹿にしていた。しかし最近、「吉本隆明戦後を語る」という著書を読んで、その学殖の深
さに驚いた。マルクシズムに傾倒する以前に、彼はキリスト教をはじめとして広範な文学、哲学
にわたり研鑽を深めていたのである。著書の中で、彼が自らの読書遍歴、研究過程などを振り返
るのに接し、私には、とても太刀打ちできる相手ではないと思った。
ところが、その吉本が、キエルケゴールに接したときに、同じようなことを感じたという。キ
エルケゴールは、キルケゴールドと発音されている場合もあるが、「憂愁の哲理」で有名な哲学
者である。そのキエルケゴールのキリスト教研究に接して、吉本も、「これはどうにも太刀打ち
のしようがない」と感じたらしいのである。上には上があるものだ。
我が国最高の政治学者と言われる丸山真男の本に接したときにも、同じような感じを持った。
「現代政治の思想と行動」で有名になった東大教授であるが、その本籍は日本思想の研究にある。
彼の研究歴を探索すると、凡人の及ぶ勉強ぶりではない。まさに天才的な学者だったのであろう。
このような偉人、巨人たちの足どりに比べて自らの青春を振り返るとき、私はまことに慚愧に
耐えない。世代は私より遙かに上の人たちではあるが、この人々と同じ1日 24 時間を数十年に
わたって経過してきながら、それをどのように費やしてきたかを思うと痛恨の念を禁ずることが
できないのである。
もっとも、丸山は偉大な政治学者ではあったが、その「政治行動」は間違いだらけであった。
彼は東大総長の南原氏などと並んで「全面講和論」を主張した。当時ソ連が全盛の時代であり、
ソ連を含めたすべての「連合国」と講和条約を結ぶことは、絶対に不可能な情勢であった。それ
は、ソ連(現ロシア)が今日なお、北方領土を返還していないという一事を見ても明らかである。
全面講和の主張は、アメリカによる軍事占領が長引くことを意味した。当時は「反米論」「社
会主義革命論」全盛の時代だったから、全面講和は、結果として左翼グループに奉仕する理念で
しかなかった。宰相吉田茂は、南原を「曲学阿世の徒」とののしったが、大筋において吉田の主
張は正しかったと言えよう。阿世とは世におもねるという意味である。
丸山は、「60 年安保」に際して改定反対の立場を取った。60 年の「安保闘争」は、戦後最大の
騒乱とも言えるような政治運動であったが、それは改定の趣旨に対する誤解に発するものであっ
た。改定はそれまでの日米安全保障条約を、より従属的要素の少ないものにしようとするものだ
ったからである。
「安保改定」は、原案通り国会を通過したのだが、丸山や清水幾太郎たちは、これをファッシ
ョ化の表れととらえ、「今や問題は安保改定の是非ではなく、議会制民主主義かファシズムかと
いう問題に変わった」と叫び立てた。時代錯誤もいいところだったと言えよう。警察官職務執行
法の改正に当たっても彼らは、「デートもできない警職法」などと宣伝した。どうだろう、その
後町々村々に デートは、その姿を消したろうか。60 年の安保改定を境に、議会制デモクラシー
は滅び去り、ファシズムの嵐が吹きすさんでいるだろうか。
結局、偉大な学者といえども、常にその政治行動が偉大だということではないということなの
であろう。しかし、政治行動の当否を以て政治学者の価値を判断してはならない。その行動の抜
きがたい誤謬(ゴ ビュウ)にも関わらず、丸山真男の学者としての偉大さが少しでもゆらぐもの
ではないからである。学者は政治には素人である。素人なのに、玄人であるかのような錯覚に陥
った所に丸山真男の悲劇があった。これは政治学者に限らず、学者一般が陥りやすい危険である。
生徒諸君は、吉本にも丸山にも劣ることのない研究を積み重ねていく可能性を持っている。諸
君には未来がある。私にはそれがない。いや、あってもそれは著しく局限されている。それだけ
に私は、諸君が熾烈に苛烈に学び続けてくださることを切望するのである。
受験勉強を、単なる入試突破の手段ととらえてはならない。学問には底深い基礎力が必須の前
提となる。しかもその基礎は、極めて幅広いものでなければならない。入試などあろうとなかろ
うと、諸君はその基礎力を養い続けて行かなければならない。しかし幸いにも、そのプロセスに
大学入試がある。これを突破することを足がかりに学ぶことができるのである。三年生よ、自ら
を信じて燃焼せよ。二年生よ、一月に入った。もう全面攻撃を開始すべき時である。一年生よ、
まだ相当の時間がある。教科学習の傍ら、読書の手を抜くな。
青春は短い。アクセルを全開して驀進を開始せよ。我々教師も諸君と共に、明日に向かって歩
き始めるであろう。
平成13年12月21日
藤 棚
狭 山 ヶ 丘 学 園
第117号
学 校 通 信
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犯罪の多発に思う
校長
小川義男
今年の刑法犯は、過去最悪だった昨年に比べて 12.6%も上回る 2,528,983 件を記録した。逆に
検挙率は 4%減って、20.2%に落ち込んだ。結局、犯罪を犯しても、5 人に 4 人は検挙されないこ
とになる。この事実は、さらに犯罪を誘発するであろう。
外国人の犯罪検挙数は 16,871 件
そのうち凶悪犯の検挙件数は 281 件、昨年より 24.3%増え
ている。外国人犯罪の半数は、中国人によるものとのことである。
刑法犯で検挙された少年は、昨年より 7%増え 126,137 人で、殺人を犯した 13 歳以下の少年は 10
人に上る。
今や世界一安全であると言われた我が国の治安情勢は一変しつつある。一体何が、このような
情勢の悪化を生み出したのであろうか。
ひとつには、明治以来最悪と言われる学校教育の荒廃をあげることができるであろう。戦後五
十年を費やして、我々はどうやら次の世代を育成することに失敗したらしいのである。「このよ
うな人間になれ」と教えることを恐れ、現代の大人は子供に、「君、どう思う?」と繰り返して
きた。高校生くらいになってからならともかく、小学校低学年の頃からこれをやるのだから、子
供はたまったものではない。蒔かぬ種は生えぬと言うが、そんな状態でどんなにカウンセラーを
増やしても、少人数学級を実現しても、問題は決して解決できないのである。
発達段階によって、大人が介入すべき範囲は少しずつ変わってくるが、教育には、導くと言う
姿勢が厳存することを忘れてはならない。教育は、導き導かれる関係であって、師弟間には、常
に一定の緊張関係の存在が求められるのである。
高校生は大人である。「彼らはすでに子供ではない。本当にしっかりしている。」と痛感させ
られることが多い。大人ではあるが、諸君は未だ十分に成熟しているわけではない。非行に走る
生徒など、本校では論外だが、しかしなお、師弟関係は一定の緊張関係を前提として存在できる
間柄であることを、理解してほしいのである。
犯罪多発のもう一つの原因として、犯罪者の人権に対する過度の尊重が考えられる。昨日も、
バイク窃盗犯検挙のため格闘していて、警察官が殉職したらしい。犯人の抵抗を受けて殺された
警官は極めて多い。拳銃を持っていながら、それが役に立たないほどがんじがらめにされている
ことが、警察官の殉職を多くしている。凶悪犯と見たら、直ちに拳銃を擬し、ホールドアップを
かける。抵抗したら射殺しても構わない。これだけで、警察官の殉職は激減するし、凶悪犯に対
する抑止効果も出よう。しかし、「人権尊重」の気風がそれを許さない。結果として、罪もない
多数の人々が、どれほど凶悪犯に殺されようと、「人権」さえ尊重されれば、それで良いではな
いか、ということなのであろうか。
警察官にも家族がある。若い警官には、これから生きねばならぬ限りなく尊い人生もある。そ
れを極端に法で締め付け、治安だけは維持せよと言うのでは、手足を縛って海に放り込み、「泳
げ、泳げ」と鞭励するに等しい。
悪質なマスメディア、特に低級マンガ、低級ゲーム、悪質ビデオや DVD の存在も見落とすこ
とができない。これらはすべて、「表現の自由」を理由に野放しにされているのだが、文化の低
級さの点では、我が国は、あるいは世界一なのではあるまいか。
テレクラ、出会い系サイトによる被害も後を絶たない。殺された者も少なくないし、陰に隠れ
ている恐喝事件などは、想像を超えるほどのものであろうと思う。これらすべてが、「営業の自
由」の名の下に放置されているのである。
外国人、特に中国人の犯罪は目に余る。中国の権力者は、教科書問題で我が国に難癖をつけた
り、最近では、反テロ支援のため自衛隊を派遣したことまで批判している。派遣は日本の憲法に
違反すると言うのである。合憲性の判断は、いかなる国家にとっても、断じて国内問題である。
平時における、これほどの内政干渉は、古今東西にわたって世界史の経験したことのないもので
あろう。
それほど偉そうな口をたたくのなら、せめて自国からの「犯罪の輸出」くらい取り締まったら
どうか。また政府としても、いつまでも周辺諸国の顔色をうかがうのではなく、これら「不良外
国人」の潜入を断固として取り締まるべきだと思うのである。
この一年を振り返って、しみじみ為政者をはじめとする、国民精神全体が衰弱していることを
痛感する。我が国の明日を担う生徒諸君には、この刑法犯増加、検挙率の低下が、未来にいかな
る影響を及ぼすものかに、思いを致してほしいのである。このままなら、日本は亡びるのではあ
るまいか。
平成13年12月1日
藤 棚
狭 山 ヶ 丘 学 園
第116号
学 校 通 信
http://www.sayamagaoka-h.ed.jp/
学習方法の革命的変革を
校長
小川義男
晩秋が平地をも訪れ、舗装路が落ち葉に埋め尽くされる頃となった。三年生は最後の追い込み
に全力を尽くしておられることと思う。成果が思うように上がらずいらいらしている人もあるこ
とだろう。しかし焦るな。成果が上がろうがあがるまいが諸君は若い。若さとは可能性だ。諸君
は無限の可能性を蔵している。挫折をおそれるな。挫折は新しい可能性の出現と心得よ。恐れず
戦いに挑め。真に恐るべきは戦って後の敗北ではなく、戦わずして敗れることなのだ。
我々は英検重視のポリシーを見直すべき時期にさしかかっているのかも知れない。英検のほか
に TOEFL と TOEIC のふたつがある。前者は Test of English as a Foreign Language(外国語として
の英語検定試験)
後者は Test of English for International Communication(国際交流のための英語検
定試験)である。トフルは、主としてアメリカ留学を希望する人々を対象とする試験だが、トイ
クは文字通りの実用英語である。ビジネス界が重視するのもトイクであると聞く。
私が驚いたのは、このトイク学習を目指すコンピューター教材の見事さである。膨大なものな
ので簡単に説明することはできぬが、一例を挙げてみよう。
先ず試験官が英文を朗読し、生徒はパソコン上でその回答をインプットする仕組みになってい
る。四肢択一である。聴き取れぬ場合は、Sentence というところをクリックすると、英文が表示
される。それでなお分からなければ、「解説」という所をクリックする。今度はその英文の意味
内容が、微に入り細を穿って(ウガッテ)解説される。
このソフトの素晴らしさについて述べたいことはまだまだあるのだが、先に進もう。私は、断
然パソコンを 80 台ほど導入する決意を固めた。教師がつき、このソフトで各自に自学自習させ
れば、トイクに挑戦する実力が身につくばかりでなく、外国人と交流する力が飛躍的に増大しよ
う。ひとりひとりが力に会わせて学習し、その成果もパソコン上で確認することができるのだか
ら、学習意欲も大いに増進しようというものである。
実は、このような学習ソフトは英語だけではないらしい。歴史、地理をはじめ、高等学校のあ
らゆる教材についてソフトが作られているらしいのである。これらを自習の際に使うばかりでな
く、正規の授業でも活用すれば、学力は著しく向上することであろう。学習方法の革命的変革が
迫られているのである。
従来高等学校の授業は、講義式の一斉画一型ものが多かった。この急激な変化の時代にあって、
もっとも変革が遅れていたのは、高等学校における授業形態であるかも知れない。これは、高校
教師が大学時代に受けた「講義形式」をそのまま高等学校に持ち込んだという、明治以来の沿革
に基づくものである。
しかし効率的に見て、それには限界があるし、時代の進展に遅れている。ドリル形式を取り入
れた自学自習方式、パソコンソフトを大幅に取り入れた授業形態の変革などが求められていると
思うのである。
生徒諸君の学習方法にも旧態依然たるものが少なくない。机に向かって、ただ黙然と座ってい
れば力がつくというものではない。自らの弱点を省察(セイサツ)し、いかにすればその弱点を短時
間に、効果的に克服できるかを考えなくてはならぬ。自分が自分の先生になるのである。
新しい学習指導要領が導入される。学習内容が三割削減されているという代物(シロモノ)である。
極端な場合、高校三年間に英語 2 単位を学習すれば卒業できる。「極限の選択制」が採用されて
いるのである。国民の学力の急激な低下が予想される。高等学校は、実質的に高等学校たる内容
を有するものとそうでないものとに二分され兼ねないのである。
このままでは、中学時代と同様、高等学校でも、
「実力は予備校で」との結果になりかねない。
学習塾全盛、予備校全盛の傾向に拍車がかかる。
そのような時代であれば、なおのこと、自ら学び、自ら実力を蓄えるという姿勢を確立しなけ
ればならぬ。それに合わせて、学校も教師も、厳しく自己変革を遂げていかなければならない。
現在一部に導入している選択授業制も拡大する必要がある。これに合わせた施設設備、特に「大
きな教室と小さな教室」の必要も生じてくる。我が国教育は、今や革命的変革を迫られているの
である。
平成13年11月1日
藤 棚
狭 山 ヶ 丘 学 園
第115号
学 校 通 信
http://www.sayamagaoka-h.ed.jp/
冷凍(シバレ)いも物語
校長
小川義男
昭和 20 年(1945)は百年に一度という凶作であった。この年の 8 月 15 日に、日本は英米との
戦争に敗れたのだが、戦争による物資不足に凶作が重なり、冬を越すまでには相当数の餓死者が
出るだろうと言われていた。田植えの頃に雪が降ったし、晩秋になっても、稲の穂は頭を垂れず、
真っ直ぐに突っ立ったままだった。
十月末の北海道は寒い。畑は冷たく凍りついている。ある日曜日、父は「畑のしばれいもを 10
町歩(10 ヘクタール)分買ったから、拾いに行く。」というのである。父と姉、それに私と親戚
のおばさん、計 4 人で 4 キロ離れた現場に「しばれいも」を拾いに行った。 当時の北海道でも、
ジャガイモの栽培には、すでに「大農法」が用いられていた。芋掘りも、手で掘るのではなく、
馬に引かせたプラウ(鋤
スキ)で畑をほっくり返し、いもを露出させた上で拾うのである。当然
プラウの刃で切られる芋も出るし、半ば土をかぶったままのものは見捨てられてしまう。それが
晩秋の寒さで凍りつき、畑にこびりついている。それが「しばれいも」なのである。
タマネギの凍ったのも、ミカンの凍ったのも、味は落ちるが、何とか食うことができる。しか
し、いもの凍ったやつだけは、食うことができない。煮ても焼いても食えない代物なのである。
食糧難の時代ではあったが、凍った馬鈴薯に目を向ける者はいなかった。父はそれを、10 ヘク
タール分買い占めたというのである。
大きな籠を背負い、先に釘を打った棒きれでいもを突き刺す。二本の長い釘を打ち込み、反対
側に交差して突き出させてある。この鋭い二本の釘で、いもを突き刺して拾うのである。日中は
畑の土も暖まっているから、いもは面白いように取れた。こんと刺し、背中の籠の縁にたたきつ
けて中に落とす。見る間に籠は、凍ったいもで一杯になった。
私は、「こんなものをどうするのだろう。」と思いながら仕事を続けた。広大な畑のあちこち
に散らばって、父、姉、それにおばさんが、同じような仕事を続けている。半日で馬車に山盛り
になるくらいのいもが取れた。
この日あるを期していたらしく、父は初秋の頃、石狩川の岸辺で大量の葦を刈り取り乾燥させ
ていた。物置に何段もの棚を作り、その上に葦を並べると、彼はそこに「しばれいも」を広げた
のである。何段もの丈夫な棚がたわむほど大量のいもであった。北海道の冬は寒い。本州の人々
に想像できるような寒さではない。その寒さの中で、「しばれいも」は、さらにかちかちに凍っ
て冬を越した。
しかし北国にも春は訪れる。気温が暖まると共に、それまで凍っていたいもは、異臭を発して
とけ始めた。並大抵の臭いではない。「全部腐った。」とつぶやきながら、私は父の実験が失敗
に終わったと思った。
だが父は少しもたじろがない。すでに大量の四斗樽を買い込んでいて、この中に、その「腐っ
た」いもを入れろと私に命ずる。中学一年の私にとり、それは大変な仕事であったが、父の命令
とあれば嫌だというわけにもいかない。その指示のまま、何日もかかり、そのいもを四斗樽に移
した。そして満々と水を張った。
今度は、その水のすべてを毎日入れ換えなければならない。今のような水道の時代ではない。
ゴックン、ゴックンとポンプを押し、10 本近くの四斗樽すべてに水を満たさなければならない
のである。樽を傾けて、いもをこぼれさせず、水を捨てるだけでも楽な仕事ではなかった。それ
に「腐っている」のだから、臭いもすごい。
しかし、半月もするうちに、臭いは全くなくなり、水もきれいに澄んで来た。その報告を受け
た父は、むしろを庭先に並べ、その上に「しばれいも」を広げさせた。天日で乾燥させようとい
うわけである。雨の日の取り込みは大変であったが、そのうち、いもは、からからに乾燥してき
た。いつの間にか皮は取れてしまい、「実」だけが、もとの五分の一くらいの大きさになって乾
ききっていた。丁度ネズミ色の軽石のようであった。
完全に乾燥すると、父はそれを俵に詰め、物置にうずたかく積み上げた。
この「乾燥しばれいも」を食うときには、臼に入れて杵でつくのである。最初は、ぱさぱさ、
ころころと臼の中で逃げ回るが、根気よく真ん中の一カ所をついていると、いもはネズミ色の粉
になって落ち着いて来る。それをさらに根気よくついていると、非常にきれいな、しっとりした
粉末になるのである。
これを水でこねてフライパンに広げ焼いて食う。ただの澱粉と違い、いもの繊維が混じってい
るので絶妙な味がする。あるいは、冬から春にかけてのある種の発酵も、その味に関わっている
のかも知れない。
今振り返って、父が有していた生活力のたくましさ、賢さには一驚せざるを得ない。彼は一体
どこで、あのような生活の知恵を身につけたのであろうか。今日は豊かな時代である。だが、食
糧難時代が再びやって来ないという保障はない。先人の、生きるたくましさと賢さが懐かしく偲
ばれるのである。
平成13年10月1日
藤 棚
狭 山 ヶ 丘 学 園
第114号
学 校 通 信
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神の正義と人間の正義
校長
小川義男
今朝の新聞によると、ウサマビンラディンは、無差別殺人テロに関し、「自分は気づかなかっ
た」し、「私がそのような無差別テロを行うはずもない」と言っている。しかしこれは、少し前
に彼が言った、「アメリカはアラブに対して常に無差別テロを行っているではないか。」との発
言に矛盾している。このとき彼は明らかに、「アメリカの無差別テロ」を理由に、同時多発テロ
を正当化していたのだから、二つの発言に矛盾が存することは否定できないのである。
ラディンは今 40 歳、私から見ればまだ若者である。歴戦の半生を生きてきたとは言えまだま
だ経験が浅い。このような限界状況にあって色々と思い迷う事も多いのであろう。
それにして
も、無差別テロの震源と思われる人物が、その正当性を否定したという事実は、人類共通基盤と
してのヒューマニズムに、なお希望を抱かせるものである。ラディンさえ肯定できない無差別殺
人テロである。我が国民も、毅然として自由と人権を守る戦いに参加しなくてはなるまい。
しかしそれにしても、イスラムと民主主義諸国との葛藤には、サミエル・ハンチントンが指摘
する「文明の衝突」としての側面のあることを否定しがたい。思想的オリジンは、十字軍とイス
ラム諸国との永く不毛な戦いにまで遡るからである。
イスラエルのパレスティナでの建国には、明らかに無理がある。私はこの問題を調べていて驚
いた。イスラエルは、建国の正当性を、神に認められたという「事実」に求めているからである。
ユダヤ人たちがエジプトで奴隷生活を余儀なくされていた頃、族長アブラハムは、神から「カナ
ンの地」をユダヤ人に与えるとの約束をもらった。国連の決議はあったにせよ、パレスティナの
民を追い出して、そこに新しい国を設立することに正義があるとは思えないのだが、しかし媒介
項として神が登場して来るということになれば話は変わる。神が与えると言ったのだから、「神
の正義」の前に「人間の正義」など物の数ではないからである。
問題は「カナンの地」の内容である。驚くべき事に、この「カナンの地」には、イラン、イラ
ク、レバノン、ヨルダン、シリヤ、それにエジプトの一部までが含まれるというのである。アラ
ブの人々は、イスラエル国会の秘密の部屋には、この「カナン」の地図が貼られていると信じて
いると言う。まさかそんなことはないにしても、もしイスラエルが「カナンの地」全体の回復を
目指しているとすれば、中東に平和が訪れることなど永久に考えられないであろう。
実は「国境」も、決して正義の申し子というわけではない。暴力に次ぐ暴力の果てに、それぞ
れの国家が他国の侵犯を許さないものとして防備を確立した領域が、国家、国境にほかならない
からである。ヒトラーが、「持たざる国の持てる国に対する権利」として他国の国境を侵し、植
民地再分割戦争としての第二次世界大戦を開始したのは、このような背景に基づいていたのであ
る。
しかし、このようにして戦に次ぐ戦を繰り返していたのでは、地上に平和が訪れることなど永
久にない。多少の、それどころか相当の不都合が存在しようとも、とりあえずは現在の国境を尊
重し、互いにそれを侵すことは慎むという形で、人類は「ベターな安定」を目指そうと決意した
のである。「神の正義」に対比して、「人間の正義」と呼ぶ事ができようか。
「人間の正義」の本質には不正義、不当性を含むが、その間隙を埋めるものが先進国の後進国
に対する真心のこもった支援と言うことになるであろう。その意味で、後進国に対する先進国の
支援は、義務であって好意ではないと理解すべきであろう。
その「人間の正義」と「神の正義」が中東で激突し、そのことが、この度のような過激テロを
生み出すに至ったのである。テロとは断じて戦わなければならないが、パレスティナ問題の解決
に、我が国はもっと積極的でなければならない。アジア、アフリカの一員である我が国は、この
点で世界における最も重要な位置を占めているのではないだろうか。
ユダヤ教とキリスト教は同根のものである。どちらも旧約聖書をその教典としている。キリス
ト教は、これに加えてイエスの事績である新約聖書を教典とするわけであるが、エホバを神とす
る一神教である点では全く共通している。
イスラム教は、ムハマンドという預言者を通じて神が語ったコーランを教典とするが、アッラ
ーを神とする一神教である。
砂漠に生まれた一神教であるキリスト教
ユダヤ教
イスラム教は、互いにその神を守って譲
らず、相互に苛烈な葛藤を展開している。水豊かな農業国に生まれた我が国の「八百万の神々」
とは、全くその成立基盤を異(コト)にしている。
実は私は、マルクシズムも、その思想的な根はキリスト教であると考えている。このことにつ
いてはまた別な機会に論ずるが、排他的一神教相互の葛藤に接するごとに、人類に寛容性が定着
するのはいつのことであろうかと憂鬱になるのである。
生徒諸君は、日本史で大学を受験する人が多いと思う。文部科学省も個性化という名目で選択
科目の範囲を拡大し、極端な場合、英語 2 単位だけの学習で 3 年間の高等学校を卒業できるシス
テムを組んでいる。戦後文部省が強調して止まなかった「全人教育」は、一体どこに行ってしま
ったのであろうか。
今回のアフガニスタンをめぐるテロ、中東問題などを考えるにつけても、世界史の学習がどれ
ほど大切であるかが痛感される。受験に追われた狭い学習ではなく、視野を大きく拡大するよう、
広い範囲の学習が求められていると思うのである。それこそが、本当の「ゆとり学習」なのでは
ないだろうか。
平成13年9月18日
藤 棚
狭 山 ヶ 丘 学 園
第113号
学 校 通 信
http://www.sayamagaoka-h.ed.jp/
戦争ではない
犯罪だ
校長
小川義男
同時多発テロ事件に際してブッシュ大統領は、「これは戦争だ」と述べた。政治的発言ではあ
ろうが、厳密に言うならばこれは戦争ではない。戦争は国家間の戦いであり、関係当事国は、国
際法、特に戦時国際法の保護下に入る。非戦闘員への攻撃は原則として許されない。今回のテロ
は、攻撃者が姿を現していないという意味でも、非戦闘員への無差別攻撃であるという意味でも、
これは絶対に戦争ではない。犯罪である。
文明は、もともと人類に取り良いものだとのオプテミズムの上に成り立っている。悪意、卑劣
な攻撃に対抗できるものとしては形成されていない。今回のような自爆テロに限らず、浄水場に
「細菌弾」をほうりこむだけで、都市を収拾のつかぬ混乱に落とし込むことができる。原子力発
電所に対するテロ攻撃を考えただけでも、文明が悪意の攻撃の前に、どれほど脆いものであるか
を理解することができよう。「西部のならず者」も、決して後ろから撃ったりはしなかった。文
明を、このように脆い角度から攻撃することは、いかなる口実を設けようとも許されることでは
ないのである。
アメリカ国民が激高するのも、痛いほど共感できる。私個人としては、広島、長崎の恨みを忘
れることはできないが、アメリカには戦後、飢餓のまっただ中で助けられたという恩義がある。
今日の危険な国際環境の中で、日米同盟以外に国家の安全を維持する道がないことも熟知してい
る。そのアメリカ国民への、このたびの無差別大量殺人である。この犯罪者どもと戦うために、
我々が怒りと行動を米国民と共にしなければならないのは、理の当然だと言えよう。
国際社会との共同行動に、憲法上の制限を云々する声もある。だがこれは戦争ではなく犯罪と
の戦いである。憲法が規定する「国際紛争を解決する手段」としての武力行使とは質が異なる。
国家間の紛争ではなく、事が刑事問題であるという事実を忘れてはならない。兵站(ヘイタン)分野
における自衛隊の協力などは、当然過ぎるほど当然のことであろう。
国民の一部には、国際的共同行動への参加に異議を申し立てる動きもあるようである。私は、
このような化石的発言が今なお存在していることに驚く。我が国と国際社会の真の平和を守り通
すためには、過去にこだわらない弾力的な思考姿勢が求められていると思うのである。
テロに報復すれば逆効果だとの説があるが、これは正しくない。これまでいかなる種類のテロ
についても、必ずこれを支持したり、かくまったり、訓練したりする国家が存在した。富裕な個
人資金を提供する「篤志家」についても、その生活根拠たる国家を離れて資産を維持運営するこ
とは不可能であろう。徹底した対抗措置を実行すれば、テロは確実に根絶できるものなのである。
世の中に、どうすることもできないような超能力など存在するはずがない。
忘れてはならないことがある。パレスティナ問題である。この入間市に、「実は俺たちは四千
年前に、ここに住んでいたのだ。今度戻ってきたから、お前たちは出ていけ。残ってもいいが、
そのときは第三市民として我々に奉仕しろ」と言われたら、私なら銃を取って戦うであろう。イ
スラエルの建国には、それほどの無理があったのである。
しかし国際関係の処理には、正義、不正義以上に、現実主義的姿勢が尊重されなくてはならな
い。イスラエルに出ていけと要求することも、今となっては現実的ではない。中東で、それぞれ
が平和裡に住み分けていく寛容さを切望したいのである。
イスラエルは、建国以来、「イスラムの脅威」から国を守るためとは言いながら、軍事力に任
せて常にその支配領域を拡大してきた。昨今は特に強圧的姿勢が目立つ。
テロ犯罪を徹底的に追及する一方で、アジア、アフリカの一員である日本は、不退転の決意を
持ってパレスティナ問題解決のイニシアティブを取らなくてはならない。北朝鮮への「米 100 万
トン」は、邦貨にして 3 000 億円である。中国への ODA も 3000 億円に達する。これらすべてを
止めてでも、パレスティナ支援に全力を尽くすべきではないだろうか。 それも食べ物ではなく、
パレスティナの明日を担う青少年の教育のために支出するのである。彼らが、世界のどこに行っ
ても豊かに暮らせるだけの教育を施すことに成功した時、初めてパレスティナに、本当のデモク
ラシーが根付くのではあるまいか。
憲法の片々たる条章を盾に、テロ犯罪追求の手をゆるめるようなことがあってはならぬ。チェ
ンバレンに待つまでもなく、戦争はしばしば、
「平和主義者」の宥和的姿勢によって誘発された。
現段階で、テロリストとの話し合いを模索するなどは犯罪的だと言わなくてはならない。
しかしその一方で、赤貧洗うがごとき貧窮に喘ぐパレスティナの人々に、国運を傾けるくらい
の決意を持って、援助の手を差し伸べることも忘れてはならないと思うのである。
平成13年9月1日
藤 棚
狭 山 ヶ 丘 学 園
第112号
学 校 通 信
http://www.sayamagaoka-h.ed.jp/
木の葉が光っていた
校長
小川義男
イギリスにホーキング博士という天才的物理学者がいます。筋ジストロフィーで全身の筋肉を
冒され、身動きすることもままなりません。僅か指二本だけが動くので、それを使って話をする
装置が作られました。彼はこれを用いて講演や講義をしているのです。
よほど天才的な人物
らしく、本来ならコンピューターでも難しい膨大な計算を、その頭脳の中で行います。宇宙
生
神などについても、独特な哲学を持っている人物です。
人
ホーキング博士が来日し、講演を
行っていた際に、聴衆の一人が、
「この宇宙には、私たち人間と同じような水準に達している『文
明的な星』は幾つくらいあるのでしょうか。」と尋ねました。彼はためらう様子もなく、「およ
そ 200 万くらいでしょう」と答えました。
「それならば私たちは、どうしてそのような『文明人』に会うことができないのでしょうか。」
と質問者は続けました。彼は次のように答えました。「文明は生まれてしばらく経つと、必ず文
明自身の内部事情から崩壊します。それまでには相当の年月が経過しますが、宇宙そのものの有
する膨大な時間に比べると、文明の存在期間はほんの一瞬でしかありません。ですから、文明を
持つ星がどれほど沢山存在しても、それが同一瞬間に存在するということはあり得ないのです。
ですから、他の天体からの生命との遭遇などということは先ず考えられないのです。」
彼の言葉は、人類とは極めて寂しい生き物であると言うことを示しています。また文明の儚さ
をも鋭く指摘していると思います。
人類が今もっとも苦しんでいるのは公害の問題です。地球温暖化、大気汚染どころか、酸素そ
のものの絶対量すら次第に減少してきているのです。人口 12 億の中国の民衆
10 億のインドの
民衆等が、今日の我が国の人々のように自家用車を持つようになったとすれば、その汚染がどれ
ほど深刻なものになるか、およそ想像がつきましょう。しかも地球全体の人口は、目下爆発的な
増大傾向にあるのです。
かってはペスト
コレラ等の疫病が人口調節の役目を果たしていました。食糧不足で人口が調
節されたという一面もあります。農業
工業の急速な発達
医学の進歩の中で、疫病や食糧不足
で死ぬ人は激減したのですが、その結果人口は爆発的に増大するようになりました。かくして、
本来好ましい文明の発達が、結果的には人口爆発、公害を生み、人類自身や他の生命の存在その
ものをすら脅かすに至ったのです。
産業革命以来私たちは、「豊かなことは良いことだ」「便利なことは良いことだ」と考えて人
類史を押し進めてきました。しかし、今や文明が人類そのものの存在を脅かしているのです。こ
こに私たちは、西欧的哲学の行き詰まりを見ることができます。アジア的、アフリカ的思考方法
に思いを巡らすべき時が来ているのかも知れません。
ホーキング博士は、文明は今後 1000 年以内に崩壊するだろうと語っています。それを逃れる
ためには、他の星に逃げ出す以外に道はないと彼は言うのです。仮に他の天体への「集団移民」
が可能になるとしても、その「脱走」も文明の力によるしかないのですから、考えてみれば皮肉
な話です。
私が青年時代に教師を職業として選んだのは、教師には夏休みがあるからでした。もちろんそ
れだけではないのですが、考えてみればずいぶんと不謹慎な職業選択であったかも知れません。
私は、この長期休業を利用して、青年時代以来、いつも夏には放浪の旅に出ました。自家用車
を手に入れることができるようになって一層この傾向が強まりました。計画も予定も全くなしに
旅に出るのです。家を出てしばらく行った後、「さて、北へ行こうか南へ行こうか」と考えてハ
ンドルを切る喜びは表現のしようがありません。この調子で一昨年はイギリスを 20 日間彷徨っ
ていたのですから、大変なジプシー爺さんだと思います。
しかし今年は、全国規模での講演が沢山予定され、思うに任せませんでした。僅か五日間だけ
時間が取れましたので、京都
伊勢
広島
能登半島
黒部川周辺等を「流離いの旅」に出まし
た。黒部川を、宇奈月温泉からトロッコ電車の終点まで遡り、そこからさらに歩いて川縁から湧
き出る温泉に浸かって来ました。
折からの台風も去り、帰路は輝くような晴天になりました。深山幽谷と言いますが、山もこの
あたりになると本当に文明を遠ざかった感じで、いつまでもそこに留まっていたい誘惑に駆られ
ました。
ふと気づくと、木の葉の一枚一枚が陽光を反射してきらきらと輝いています。常緑樹のような
つやつやした葉っぱばかりでなく、楓や桜のようなごく普通の闊葉樹の葉がきらきらと輝くので
す。「汚れた雨」もこのあたりには届かないのか、「自然のままの木の葉はこれほどに美しいの
か」と息を呑みました。そして産業革命以来の近代文明が、大自然の前にはまことにみすぼらし
い存在に思えてならなかったのです。
ホーキング博士の言うように、人類の文明があと 1000 年しか生き延びられないとしても、こ
の自然の美しさだけは忘れたくないものだと私はしみじみ思いました。また、狭山ヶ丘の生徒諸
君にも、この「光る葉っぱ」を是非見せたいものだと思いました。
猛暑の夏も去り、朝夕はもう肌寒さを覚えることすらあります。四季折々の美しさに恵まれた
日本の何と素晴らしいことか。文明に限りがあり、人の人生にも終わりが訪れますが、例え束の
間にしても、その持つ美しさを見落としてはならないと思います。
美しい祖国
生の
そこに生きる心優しき人々、その人々との深い関わり合いの中で、「我(ワレ)人
朝ぼらけ(東北大学校歌より)」にある高校生諸君が、宇宙
して、この味わい深い秋を過ごされるよう希望します。
人類
文明に深く思いを致
平成13年7月7日
藤 棚
狭 山 ヶ 丘 学 園
第111号
学 校 通 信
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悔いのない夏を
校長
小川義男
高校生として迎える夏休みほど楽しいものはないと私は思います。自分自身を振り返っても、
高校生活三回の夏休みが、今も生き生きと心に蘇ってきます。貧しく成績も芳しくない私の高校
生活でしたが、焼けつくほど強烈だった真夏の太陽が、今も懐かしまれてなりません。
諸君も、この休みを前にして、色々と計画を立てておられることでしょう。人生に何度も訪れ
るものではない、この大切な期間を精一杯楽しんでください。
但し勉強も忘れないこと。楽しみは苦しみと共にでなければ存在できないものです。幸福とは、
大きな目当てを持ち、その実現に向かって努力するプロセスにのみ生ずる心情であると私は思い
ます。暑さの中に大いに努力することも忘れてはなりません。
ハイネの妻は大変な美貌であったとのことです。彼は、その妻の美しさを讃えて、「朝のよう
に美しい私の妻」と詠んでいます。諸君のほとんどは朝寝坊に違いありませんから、朝の美しさ
など知らないでしょう。しかし、夏休みの朝くらい、思い切って早朝に起きて、家の近くなどを
散歩してご覧なさい。汚れていない朝空の美しさ、まだ涼しさの残る風が諸君を虜にしてしまう
ことでしょう。つまらぬゲームや、もっとつまらぬテレビのトークショーなどにうつつを抜かし
て夜更かしするのでなく、「朝日と共に起きてきて
夕日と共に寝てしまう」ハメハメハ大王の
ような生活を、せめて夏休みくらいは楽しんでください。
山や海に出かけることも大切です。海に行ったときは、海独特の開放感や、そこに様々な人間
が蝟集することにも注意しなければなりませんが、山は特別に健康的であると私は思います。億
劫がらず、この夏は三千メートル級の山に挑戦なさってはいかがでしょうか。
しかし何と言っ
ても勉強は大切です。三年生は、楽しみはほんの数日と毎日の散歩程度に留めて、後は死んだ気
になって勉強に励んでください。夏を学び続けた者と遊び暮らした者の懸隔は、一通りのもので
はありません。その人生全体に及ぼす影響は計り知れないものとなるでしょう。
「また説教か」、諸君のうんざりする顔が目に浮かびます。しかし、私のこの説教は、今諸君
が抱えている果てしもなく大きな可能性に対する老人の羨望に根ざしていることを理解してくだ
さい。私は羨ましがり、もはやその可能性が自分にないことを哀しみながら、それを有している
諸君に頑張ってくれと「説教して」いるのです。
三年生は、進路に悩むことも少なくないでしょう。高校生は、「自分は成績が良くないから」
とか、「あまり真面目な生徒ではないから」とかで、「先生に信用がない」と考えがちです。そ
れは絶対に正しくありません。私たちは、今諸君がどのような状況にあるかなどには、さしたる
関心を持っておりません。なぜならば、諸君の誰もが、等しく明日に向かって、無限の可能性を
有しているからです。進路に関して悩みがある場合は、遠慮なく担任の先生に相談してください。
進路に関する限り、直接私に連絡してくださって結構です。
一、二年の諸君も、受験がまだ先
だなどと考えないで勉強に力を注いでください。
諸君が悔いなき夏休み、充実した夏休みを過ごされるよう切望します。秋風立つ頃、また元気
な顔を見せてください。
平成13年6月30日
藤 棚
狭 山 ヶ 丘 学 園
第110号
学 校 通 信
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総理の靖国神社参拝に対する私の考え
校長
小川義男
八月十五日が近づく。日本が「米英支蘇」との戦争に敗れた日である。小泉内閣総理大臣は、
戦没者の霊を慰めるため、この日に靖国神社に参拝する意思を表明している。韓国、中国(当時
の支那)の人々は、これに強く反発している。我が国のマスメディアでは、朝日新聞が特に強く
反発している。
この後この問題は一層激しい論争を呼ぶであろう。高校生諸君の間でも、これを論じあうこと
は、国政に対する関心を強める上でも有益であろう。そのような論議を喚起するために、私もま
たここに自分の考えを明確にしておきたい。
私は、この学校に来る前、小学校の校長であった。まことに悲しい事だが、校長はしばしば生
徒の家の葬儀に出席しなくてはならない。そのような折り、葬儀の形式は様々である。キリスト
教もあれば仏教もある。仏教の中にも、浄土真宗もあれば創価学会もある。そのような折り、私
は、自分の宗教的礼拝形式にこだわるのではなく、それぞれの家の葬儀の形式に従ってお参りす
ることにしている。神道であれば手をたたくし、創価学会であればお題目を三唱する。浄土宗な
ら念仏を唱える。
回教やキリスト教のような一神教的風土の国々とは異なり、農業国である我が国には、「八百
万の神々」が「鎮座まします。」もともと我が民族は宗教にトレランスな民族だったのである。
葬儀に列席するに当たって、公立学校の校長がお供えする香典は、「校長交際費」から支出さ
れる。れっきとした公費である。しかしそれが、憲法 89 条に抵触するという話は聞いたことが
ない。
しかるに内閣総理大臣に限って、どうして公費を用いて慰霊を慰めることが許されないのか。
総理大臣は靖国神社に限らず、あらゆる場所にお参りする機会があろう。時にキリスト教会を訪
れて礼拝することもあろう。外国を訪れて無名戦士の墓にお参りすることもあろう。何故靖国神
社だけがいけないというのか。
それは、中国や韓国、それに朝日新聞などの主張するところによれば、靖国神社には東条英機
元首相を初めとする「A 級戦犯」が合祀されているかららしいのである。
五十年前の敗戦、戦争被害等様々な事情のある我が国だけに、反発そのものについては、私に
も理解できなくはない。だが、反対理由の一つに「A 級戦犯合祀」を持ち出されるに至っては、
猛然と闘志を燃やし、これに反撃せざるを得ない。なぜなら、「A 級戦犯」なるものを生み出し
た「東京軍事裁判」は、完全に非合法なリンチ「裁判」だったからである。「A 級戦犯合祀」を
理由に、総理の靖国参拝に反対する人々に私は尋ねたい。「あなたは、東京軍事裁判を合法的裁
判として肯定するのか」と。
6 月 26 日付の朝日新聞に、駿河台大学教授の杉原泰雄氏は、総理靖国参拝に反対する主張を
展開している。氏も法学者であるならば、私はあえてお尋ねしたい。「あなたは東京軍事裁判の
合法性を肯定するのか」と。もし肯定なさるのなら、それが法的にどのように成立し得るのかを
論証して頂きたい。
仮にポツダム宣言に正当性があるとしても、国際法で個人を裁くことはできない。被告たちに
殺人行為があったとしても、戦争による殺害である場合、それは戦時国際法によって違法性を免
れるのである。増して、「A 級戦犯」たちは、何ら刑法に抵触するような犯罪行為を行ったもの
ではない。彼らは合法的手続きに従って、国家行為に関与していったに過ぎないのである。
刑法に、「法律に罰条なきものはこれを罰せず」という確立した価値観がある。罪刑法定主義
と言われるものである。「戦犯」たちは、我が刑法のどの条章に抵触したというのか。国際法は
個人を裁くことはできない。国際条約も同様である。
東京軍事裁判に当たって、主席検事キーナンは、「この裁判の原告は文明である」と語った。
原告はこの世には実在しない「幽霊」だったのである。法的厳正さを貫くならば、そして、キー
ナンや裁判長ウェップが今も生きてこの世にありとするならば、彼らを絞首台に送ることも法的
には可能なのである。
東京軍事裁判は、白人を中心とする勢力が、初めて経験したアジア、アフリカの一員からの手
ひどい抵抗に対する復讐裁判である。我が国に落ち度があったことを私は否定しないが、それな
らば、アメリカ、イギリス、フランス、スペイン、ポルトガル、ロシアの積年にわたる植民地侵
害、迫害、残虐行為は、不問に付されたままでよいのか。
実は私も、東条英機一派の拙劣な戦争指導に対しては、今も抑え切れない怒りを抱いている。
東京裁判での被告としての戦い方も、ニュールンベルグ裁判におけるドイツ側被告の雄々しさに
比べて、まことに見劣りがする。連合国に言われるまでもなく、我々自身で、その戦争責任を追
及、総括して行かなければならないと思うのである。しかしそれは、あくまでも我々日本人自身
の問題である。外国人にとやかく言われる筋合いではない。
この裁判を通じ連合国は、ポツダム史観、東京裁判史観とも言うべき一方的歴史観を我々に押
しつけた。これに反発したインドのパル判事は、その著「日本無罪論」の中で、このことを厳し
く指摘している。ポツダム史観の徹底的克服なしに我が日本の本当の戦後は終わらないと私は思
うのである。
総理の靖国参拝に対する甲論乙駁が存在するのはよい。それこそがデモクラシーと言うもので
ある。しかし、その論拠に東京裁判を持ち出してくるとは何事か。
生徒諸君には、これをきっかけに、是非東京裁判の何たるかを学んでほしい。自国の歴史を謙
虚に反省することは限りなく大切であるが、列強のエゴイズムや復讐心を対象化した歴史観を、
五十年後まで持ち越し、外国の非難に三味線を弾くやからの跳梁を許すようでは、国家の明日が
危ぶまれるのである。
平成13年5月30日
藤 棚
狭 山 ヶ 丘 学 園
第109号
学 校 通 信
http://www.sayamagaoka-h.ed.jp/
山野の獣の跳梁と国民精神の衰弱
校長
小川義男
熊による被害が相次いでいる。七十を超える老人が山菜を取りに行っていて熊に殺された。中
には家の中に入ってきて、リンゴを二十個平らげたという熊もいる。出ていくときに二本足で立
ち、「左手」にリンゴを一個持っていたというから恐れ入る。北海道でも熊による被害が相次い
でいる。
秩父でも猪、鹿による被害は大変なものらしい。猪は筍をすっかり平らげてしまうのだそうで
ある。筍は地表から芽がほんの少し出たか出ないかというくらいの頃が一番うまい。猪は巧みに
これを発見し、掘り出して食うのである。彼らは筍のどの部分がうまいかを良く知っている。柔
らかいうまいところだけを食うのだそうである。残りは捨てて省みない。一本全部を食ってくれ
ればよいのだが、彼らはうまいところだけを食い散らかす。従って被害は大変な広範囲に及んで
しまうのである。
猪も鹿も、肉にして食えばなかなかうまい。ずどんと一発やって食ってしまえば良さそうなも
のだが、動物保護、自然保護という立場があってなかなかそうもいかない。彼らを殺すことは法
律でも禁じられているのである。
山梨県や長野県での猿の被害も大変なものらしい。結局作物を荒らされる農民の泣き寝入りに
終わってしまうのである。へそ曲がりの私など、動物保護と言えば農民も動物だが、保護しなく
て良いのかと言いたくなってしまう。
自然が大切なことは言うまでもない。この地球が人間だけの物でないことも至極当然である。
しかし私には、どこか少しおかしいように思えてならない。
最近、熊の被害が多発したような折りに、人間が彼らの生活環境を荒らしたから獣が人里に出
没するようになったのだという「識者の意見」が繰り返される。中には人間が熊の領分に入って
いっているのだから、殺されたって仕方がないのだという徹底した考えもある。
しかしこのような考えは間違いである。獣は常に生存可能の限界を超えて大量に生み出される。
しかし、外敵に遭遇したり、食べ物が不足したりして、その相当部分は死に絶えてしまう。この
ことは、獣の「種としての健全性」を保つには役立つのだが、「生存する適者」は格別として、
死んでいく弱者は哀れである。しかし、このように過酷な淘汰を繰り返すことなしに、動物はそ
の種を存続させ続けることができないのであろう。生存可能数ぎりぎりまで増え続けるから、動
物は常に空き腹を抱えていることになる。人間も本来そのように作られていたはずだから、肥満
傾向が憂慮される最近の人類などは、実は種としての破滅を目前にしていると見られないことも
ない。
農場というものは自然界には存在しない物であった。今や高度の生産性を誇る農園の産物が動
物たちの身辺に溢れている。かってそれに近づくことは、獣たちにとり死を意味した。農民はた
ちどころに彼らを殺したからである。しかし今はそうではない。動物保護、自然保護という温か
い思想の故に、獣は農場を荒らたりしても、決して殺されることはない。筍、芋、リンゴ、ブド
ウ、柿 etc、食い物はいくらでもある。彼らの数は果てしなく増え続けるのである。どこまで増
え続けるか、彼らは人間がもうこれ以上生存し続けることができなくなる限界を超えて増え続け
るであろう。
人間が彼らの領分を侵したから、彼らが農場を荒らすようになったのではない。農場を荒らせ
ば食い物はいくらでも獲得できるから、彼らは人里を襲い、果てしなく増え続けるのである。
こんな当たり前のことが現代の人々には分からない。彼らは、我々が獣に優しくしてやれば、
彼らも我々に優しくしてくれると信じ込んでいる。獣にあるのは強弱の判断だけである。彼らに
とり、心優しい人間は弱者であるに過ぎない。
このあたりに私は国民精神の衰弱を見る。大人が子供を叱れない。若者は親や教師に言いたい
放題、やりたい放題に振る舞う。若者は、電車の中で足を踏まれた、視線が合ったと言って大人
を撲殺する。殴り殺しても刑務所には先ず絶対に送られない。送られてもほんの一年か二年であ
る。その肖像はおろか名前さえ世間には知られない。「たとえ犯罪を犯した若者であろうと、優
しくさえしてあげれば、必ずその行動を反省し立派な人間に育ってくれるはず」だからである。
それが分かっているから、一部の若者はさらに蛮行を繰り返す。真面目でおとなしい若者が犠
牲になることもある。かくして悪質な犯罪少年、悪質な犯罪成年の人権が過度に保護される反面、
健全な少年、真面目に働く大人たちの人権が脅かされているのである。山の獣さえコントロール
できない国民精神の衰弱、それが今や国家全体の治安をすら脅かしつつあるのである。
平成13年4月13日
藤 棚
第108号
狭 山 ヶ 丘 学 園
学 校 通 信
http://www.sayamagaoka-h.ed.jp/
校長式辞
校長
小川義男
ただ今 412 名の諸君の入学を許可致しました。今年の本校入学試験は、例年にも増して厳しい
ものでありました。その難関を突破され、晴れて本日の入学を迎えられたことに心からお慶びの
言葉を贈ります。おめでとうございました。
本校は、埼玉県西部地域における名門校として、今や押しも押されもせぬ存在になっておりま
す。昨年度の卒業生の進学実績は、本校の歴史にも例を見ないものであり、中には早稲田、慶応
の理工学部に合格しながら、なお高きを目指して浪人している人もおります。
進学実績の概要を申し上げますと、防衛大学 1
埼玉大 3
都立大 3 を初め国公立大には 24 人
の合格者を出しております。私立大学では、学習院4
関西学院3
院3
法政 18
6
早稲田 3
立教 5
中央 17
日大 24
東京理科 11
駒沢 7
専修 10
東京薬科大 1
東洋大学 57
東京女子 1
成蹊大 8
青山学
明治薬科大 1
立命館
慶応2
明治 15
日本女子 1
北里 1 等となっ
ております。また難関の看護医療系学校に 10 人の合格者を出しております。
これらの結果を見ても、本校に入学したということは、三年後ほぼ確実に大学に合格できると
いうことを意味します。 「遠くまで行こう」は、狭山ヶ丘に集うすべての人の合い言葉であり
ますが、我々は、この成果に甘んじることなく、さらに遠くを目指して前進しなければならない
のであります。新入生諸君の健闘を切望する所以(ユエン)であります。
本学園の創立者近藤ちよ先生は、今を遡る四十年前に本学園を創立されました。諸君が開式に
先立って行った「黙想」は、先生が創案なさった「自己観察教育」に根ざすものであります。藤
棚の正面のあたりに、先生の胸像が安置されておりますが、本校に入学した以上は、朝夕先生の
胸像に接し、創立者の遺徳を偲んで頂きたいのであります。
近藤ちよ先生は、生前「事に当たって意義を感ぜよ」ということを、特に強く指導なさいまし
た。これは現在、本校の校訓となっております。勉強ばかりでなく、部活動や生徒会活動、ボラ
ンティア活動や、日常の何気ない親切に至るまで、何事にも意義を感じて積極的に取り組む姿勢
を確立して下さるようお願い申し上げます。秀才がひしめく本校であるだけに、特に清掃作業に
は意義を感じ、熱意を持って取り組んで頂きたいのであります。
うに、狭山ヶ丘高等学校には本校独自の校則があります。
すべての集団がそうであるよ
本校は、細々とした規則を定め生徒
を締め上げるというような方針をとっておりません。「少ない規則を厳しく守らせる」これが本
校の基本姿勢であります。
制服は、生徒の日常に無用なお洒落競争を無くそうとするものであります。過日私が訪れたイ
ギリスの有名女子高校の校長は、本校生徒の制服を見て、これは本当に素晴らしいと語っており
ました。高校生は、お洒落などせずとも、そのまますっと立っているだけで十分に美しいのであ
ります。自然のままの自分の美しさを自覚し、エネルギーのすべてを学問と自己完成に向け集中
していってください。
本校は茶髪を厳重に禁止致します。これは極めて厳しいものであり、違反者は校内に入ること
を許しません。これまで、この点が緩やかであった中学校にいた人もあるかも知れませんが、本
校に入学した以上は絶対に改めて下さい。
白髪でもない若者が髪を染めるなどは、尋常なことではありません。永く染め続けることは、
生理的にも決して好ましいものではないと思います。白人が金髪を黒く染めたという話は聞いた
ことがありません。アジア人の一人として、漆黒の髪にプライドを持つ知性を諸君に期待したい
のであります。
冒頭にも申し上げましたが、諸君は極めて優秀な人たちであります。先天的能力として、諸君
程度に優秀であれば、素質に不足を来すというようなことはありません。「私は頭が悪い」その
ように主張する権利は、諸君にはないのであります。この先諸君に求められるもの、諸君を成功
に導くファクター、それはただ一つ努力あるのみでありましょう。
部活動で参加できなかった人々を除き、諸君のほとんどは一日八時間、五日間の英語予習ゼミ
に参加致しました。長時間の学習に見せた諸君の耐え抜く力のすごさに、指導しながら私は驚嘆
致しました。そのため、諸君はクラウンリーダー 1 の 13 レッスンのうち、9 レッスンを予習し
終わったのであります。三人の諸君はすでに二年生のリーダーに進んでおられます。おそらく百
人を超える諸君が、夏休み前に、高等学校三年間のリーダーを読み終わってしまうのではないか
と思います。
参加した人も参加しなかった人も、大学入試の中心科目である英語の実力をつけるため全力を
尽くしてください。
文系、理系いずれに進むにしても、偏った勉強をしてはなりません。砂山を造るにも、高く積
むためには、すそ野を広く積んでいかなければなりません。文系の人も数学を、理系の人も国語
をという姿勢を堅持して頂きたいのであります。
理科、数学の問題を解くにしても、国語の学力は絶対の前提になります。また、英語の難しさ
は最後には文章そのものの、思想そのものの難しさに変わってきます。その意味で学習の合間に、
読書に多くの時間を割くよう心がけてください。特に「文藝春秋」「正論」「諸君」「中央公論」
等の総合雑誌に目を通すことは大切であります。月に二本か三本、めぼしい論文を読み、友人と
の話題の質を高めるよう心がけてください。
昨今、学校は楽しいところでなければならないとの見解が専らであります。しかし、学校は遊
園地ではありません。確かに若さ溢れる諸君が集う学校は、楽しいところでありますが、それは、
苦しみと共にでなければ存在できない、そのような楽しさであることを理解して頂きたいのであ
ります。
保護者の皆様、お子さまは確かにお預かり致しました。私ども教職員一同、全力を尽くし、三
年後見事に成長した姿でお返しすることを約束致します。校則の遵守その他、ご批判もおありか
と思いますが、教職員の熱意に免じ、ご協力下さいますようお願い申し上げます。また、入学式
の後 PTA 理事の選出もございますが、教職員の熱意ある指導に報いる意味でも、是非ともご協
力下さいますようお願い申し上げます。
本日は、入間市長木下博氏を初め、県会議員斉藤正明様
県会議員田中龍夫様そのほか多くの
皆様のご来駕を忝のうしております。ご多忙の中、ご臨席賜り、入学生の前途に錦上花を添えて
くださいましたことに、深く感謝申し上げます。
さて、新入生諸君、狭山ヶ丘高等学校は、諸君のこれからの活躍に絶大な期待を寄せておりま
す。躍進狭山ヶ丘の新しい担い手として我々の戦列に加わってください。諸君、頑張りましょう。
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