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Title 彙報 Author Publisher 慶應義塾大学藝文学会 Jtitle 藝文研究

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Title 彙報 Author Publisher 慶應義塾大学藝文学会 Jtitle 藝文研究
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彙報
慶應義塾大学藝文学会
藝文研究 (The geibun-kenkyu : journal of arts and letters). Vol.82, (2002. 6) ,p.80(289)- 115(254)
Journal Article
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00072643-00820001
-0115
葉報
平成13年度文学研究科修士論文題目及び要旨
国文学専攻
幸若舞曲「笈きかし」考
あんどう
みほ
安藤美穂
中世芸能の一つである幸若舞の中から,判官物に分類きれる「笈きかし」とい
う曲に着目し,同じく義経北国落ち謂を取り扱う『義経記j を始めとした諸テキ
ストとの比較,分析を通して,その伝承世界,伝承の担い手について考察した。
義経北国落ち謂に関しては,主に『義経記』を中心に先行研究が盛んに行われ,
特に修験の語りの反映が指摘されている。しかし,今回「笈きかし J の分析によ
って,修験のみならず,商人や職能民などのものと思われる語りが確認きれ,さ
らに舞々のような芸能集団が彼らと接触し,その語りを取りこんでいるといった
状況が明らかになった。「笈きかし j の舞台である加賀,能登,越中,越後の日
本海沿岸地域では,商品の道,信仰の道,伝承の道が重なりあい,中世記には相
当なる活況を呈していたであろうことが想像きれる。
くちなわたん
近世期における蛇語
いくた
えみ
生田恵美
近世期の奇談・怪談には蛇にまつわる話が多く登場する。それらの話(本論で
は仮に「蛇謂」と呼んだ)では,執着や恨みの念などから人が蛇に変わり,ある
いは逆に蛇が人に化けたりもする。またそれ以外にも,大蛇や蛇の崇り,異形の
蛇,あるいは単なる虫としての蛇など,様々な蛇謂があり,同ーの本の中にそれ
らが混在する形で収められていることもよくある。では,はたして近世期の人々
にとって「蛇J とはどのような生き物であったのか。仮名草子,浮世草子,仏教
説話集,日出本,読本,随筆,雑記などから蛇にまつわる話を抜き出し,話型によ
る分類を行って簡単な組筋をつけたものを資料編とした。本論編では資料編にも
とづいて,近世期における同一モチーフの話の変容や,近世以前の説話との比
較,本草学による当時の蛇に関する知識などをあわせて各話を概観し,近世期の
人々が「蛇」という生き物に対してどのようなイメージを持っていたのかを探っ
(
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)
た。
「国語科教科書に見る「宮沢賢治」」
葛西まり子
本論では国語科教科書を,文学研究の場とは異なった,多くの一般読者が手に
する広範囲なメディアとして位置付け,そのような場においてどのような作家像
が生み出されてきたのかということを,宮沢賢治を題材として論じた。第一章で
はまず,戦後の国語科教科書に掲載された童話や小説等といった賢治作品,ある
いは宮沢賢治について書かれた評伝,エッセイの類に関する調査を通して,教科
書の中の「宮沢賢治」を僻轍し,その流れを整理した。第二章では,教科書とい
うメディアにおいて「宮沢賢治j がどのようなイメージを伴って存在しているの
かを窺い知ることが出来る,評伝などの賢治作品以外のテクストに見られる賢治
像について調査,検討した。第三章では,特に近年目立ってきた,高等学校での
童話の採用のあり方に注目し,テクストの表象に沿い,詳しく検討した。このよ
うに教科書の中で多様化しつつある「宮沢賢治」について,総合的に論じた。
モガリ序論
一一蘇生説の可能性をめぐって一一
せきや
よしふみ
関谷吉史
モ方、リとは,人の臨終後,遺体を喪屋(靖宮)の中に安置して営まれた,
日本
上代の葬礼である。その目的については,最も有力な「蘇生」の他,死霊の鎮
圧,悪霊の排除などの説が示きれている。しかし,これまでのモガリ研究は,結
論先にありきで民俗事例を検証したらしきものが多く,上代文献の検討を中心に
据えたものは乏しい。モガリは「靖」字の訓として文献にみえるが,噴儀礼じた
いは奈良時代に入る頃には姿を消す。そこで本稿では,主に記紀や霊異記などの
文献を扱い,八世紀頃における粛の理解を中心的な課題として考察した(第三
章)。結論的にいえば,当時の殖に蘇生の要素は見当たらない。なお,第四章に
おいては,蘇生でなければ何が目的かという課題について弱冠の考察を加えた。
仮名貞観政要の研究
たかはし
よう
高橋陽子
『仮名員観政要j は鎌倉時代初期に成立した、漢籍『貞観政要』の和訳書であ
(
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る。この本は現在までほとんど研究きれることのない書物であった。
本論文では、
①『員観政要j 全体の中における『仮名員観政要j
②文学作品中に見られる『仮名員観政要j の引用
の 2 点から『仮名員観政要j の位置付け及ぴ存在意義を考察し,日本における漢
籍『貞観政要j 受容のー側面を明らかにすることを試みた。
調査の結果,分かった事は次の二つである。一つは、
『仮名員観政要j が関東
地方の武士階級に特に読まれ,政治を執る上で参考にされていたこと。もう一つ
は、関東他方で発生した早歌に f仮名員観政要j の引用が圧倒的に多い事であ
る。
以上より,『仮名員観政要j は特に関東地方の武士階級の人間に強い影響を与
えたことが判明した。彼らは「漢籍を和訳する j という手段を用いて積極的に漢
籍を受容し,政治や文学の世界に活かしたのである。
『厳島の本地j 考
てらにし
かおり
寺西香
中世から近世にかけて展開した本地物とよばれる作品群の中に f厳島の本地j
とよばれる作品がある。『熊野の本地j や f大乗畏沙門功徳経J 普生品をはじめ
とした様々な物語・説話などとの関連が指摘きれてきているが,実はそのような
物語・説話に取材しながらも多分に在地性を反映した内容であった。当本地の管
理者としては瀬戸内を中心に活躍をした熊野修験が想定きれるが,背景には厳島
の祭神が宗像三女神であること,厳島神社が龍宮とみなきれ,それによって龍女
との姉妹謂が生まれたことがあった。この龍女である足引宮に,やがて弁才天信
仰が重なっていくのである。
阿弥陀信仰と文芸
一一古活字版『阿弥陀胸割j を中心として一一
ょこやま
ひろこ
横山広子
慶長十九年(一六一四)の上演記録を持つ「阿弥陀胸割(むねわり) J は,浄
瑠璃操草創期の演目と考えられているが,その頃の正本は残存せず,慶安四年
(一六五ー)刊の京都草紙屋賀兵衛板が最古ときれてきた。しかし近年,慶長元
和頃と推定きれる古活字版が新たに発見きれた。
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本論では,新出古活字版の本文を検討するとともに,主に,「阿弥陀胸割」に
見られる,阿弥陀の身代りによる救済のモチーフを取り上げ,阿弥陀信仰と文芸
の関わりを論じることを目的とした。又,古活字版末尾に,日本浄土教で尊崇さ
れる存在であった善導の名が見られることに関し,「阿弥陀胸割j が浄土系唱導
で語られていた可能性についての考察を試みた。
尚,参考として巻末に,国文学研究資料館所蔵古活字版「阿弥陀胸割J の翻刻
を付した。
中国文学専攻
司馬遷における「宮j の位置付け
一一儒教との関わりを中心に一一
やすだ
たけお
保田健雄
司馬遷の言語と行為の関係に対する考え方を見るとほぼ孔子の考え方を踏襲し
ていることがわかる。つまり,彼も言葉の価値を認めつつも,言葉が表すものが
言葉ではないことから感ぜられる言葉の果敢無き、そしてその結果として行為を
重視することが必要であることを感じていた。「立言j を大切にすることを説き
ながら,一方,人物を評価する際には,その人物の言葉よりも実際の行為を重視
したことにそれは表れている。
ただし、漢代に生きた司馬遷をとりまく言語観は孔子の言語観よりも,より一
層言語を軽視し行為を重視するという傾向が進んでいた。これは漢代に作られ
たとされる f礼記』「中庸篇J ならぴに『周易j 「繋辞伝J などからうかがい知る
ことができょう。
新時期文学におけるメディアの役割
一一王朔・池荊の例から一一
よしかわ
たっお
吉川龍生
文化大革命終結後のいわゆる「新時期文学」において,テレビ・ VCD ・イン
ターネットなどの新たなメディアを背景に,その人気が「~熱(ブーム) J と呼
ばれる社会現象にまでなった作家に,玉朔と池荊がいる。本稿では,「メディア
環境j と「読者J に注目して二作家を考察することで,「新時期文学J における
メディアの役割を考察した。
その結果,新たなメディアの登場による表現手段の多様化が,小説だけでは完
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結した世界を形成しない映像作品などと補完関係にある作品の出現を促したこと
や,読者の反感を招きがちな王朔も,共感を呼ぶことの多い池荊も,読者の晴好
に合った話題を提供するメテe ィアの操作によって,そのブームが形成きれたこと
などが明らかになった。そして,新時期文学におけるメディアは,市場経済化が
進む中,文壇に自律的な読者像を提供する役割を果たし,中国文壇や中国社会の
諸問題とも密接に関係していると結論づけた。(純文字数: 392文字)
英米文学専攻
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大沼由布
西暦200年頃にギリシア語で書かれた The
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Aristotle に描かれる幾つかの「東洋の驚異」は, 13世紀フランスの百科辞典
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historiale に採録きれ,それが14世紀に Man­
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Aristotle の古英語版・中英語版・ラテン語版と,中英語版 Han­
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のうち 4 ヴァージョンを取り上げ,二作品に共通する 4 つの
「東洋の驚異J (黄金と宝石,
3 本の角がはえた獣,犬頭人,神託を告げる 2 本の
樹)におけるヴ、アージョン間・作品聞の記述の差異を,。eculum historiale を含
む他の中世の書物にも言及しつつ分析した。それらのモチーフの受容と変容か
ら訳者や編纂者の文学意識・ジャンル意識が浮かび上がり,当時の文学観の一
端を伺うことができる。
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みつくに
高浪三国
サルガッソー海とは,西インド諸島とアゾレス諸島の聞に位置し,一面海藻で
覆われた非常に遭難しやすい海域のことである。通称「船の墓場J と呼ばれる。
「サルガッソー」という言葉は,「立ち往生し,抜け出せなくなった状況J の比喰
として使われるが,
1930年代作家である Nathanael West は,
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t (1939)の中で,映画の都市ハリウッドを“A S
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してしまった状態と,安っぽい夢を見きせて大衆を一時的に無力状態に閉じ込め
ておく映画の効力を描写した。彼の他の作品にも,映画の他,新聞やラジオとい
った 1930年代の主幹マス・メテP ィアが頻繁に登場する。 West の作品のキーワー
ドとは,まさしくマス・メディアという大衆の心理に入り込もうとするものであ
る。
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なおこ
和気直子
エリノア・オックスの主張する,「多くの言語的特徴,特に nonreferential i
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<lexical とジェンダー・アイデンティティの関係は必然的なものではなく,言語
的特徴によって直接標示きれた情緒的・認識的態度,言語行為,又は言語活動を
媒介することによって,間接的にジェンダーを構築する」という概念を更に発展
させることを試みた。オックスは,言語的特徴のみについて論じており,また,
言語行為や言語活動による標示範囲についてあいまいである。しかし,異なる社
会的アイデンティティが言語使用によって標示きれ,区別きれるためには,媒介
きれる言語行為や言語活動が,スピーチ・イベントにおける複数の言語的特徴だ
けでなく,スピーチ・イベントに関する「非言語的特徴」との相互作用によって
「かなりの標示範囲が狭められる」ことによって,それらの言語行為や言語活動
が定義付けているジェンダー,及びその他のアイデンティティを特定する必要が
ある,と考えられる。
仏文学専攻
ゴダール試論:「転回」と『映画史』
かむた
みなお
梶田道夫
本論は『映画史J (ヴ、イデオ, 1998年)をめぐる考察を通じて,「後期ゴダー
ルJ の「聞い」にアプローチする。
まず, f ヒア&ゼア・こことよそ』( 1975年)を分析し,そこに刻まれていると
想定きれる「転回J の諸側面を整理し,それらを同時期の f映画史』の構想とつ
きあわせる( 1975年のカンヌ映画祭で言及)。
次に『映画史』自体の分析を行い,「転回j の諸側面がいかに反復・深化きれ
ているかを具体的に見ることで、「後期」という「聞い J の一貫性を確認する。
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レチフ・ド・ラ・プルトンヌ f父の生涯j における自己と他者
一一父親と息子・農村と都会の対比について一一
くりやま
あっし
栗山淳史
本論ではレ争フの代表作のひとつ,『父の生涯j を取りあげ,父親の伝記と作
家の生涯との関係について考察している。第 1 章では,レチフの名前について論
じ作家が祖先と故郷に対して求めていた繋がりが,作品執筆の契機となったこ
とについて言及している。次の章では,作品と同時代人との関わりについて述
べ,『父の生涯j が当時のエリート達の求めるものを提供し,作家が農村と都会
の間でどちらにも帰属できずに創作活動をしていたことを明らかにする。第 3 章
では,伝記の基盤である様々な対比の構造を分析し,一見農村を賛美している作
品が,実際は都会への憧憶が主題であることに関して論じている。最終章では,
父と息子の関係について考察し,レチフが創作活動を親の架空の恋愛と結び付け
ることによって父との一体化を試み,書くという行為によって自己同一性を,き
らには生きることを求めていたと結論している。
モーリス・プランショー一来るべきコミュニズム
郷間雅俊
作家モーリス・プランショは, 20世紀フランス文学において特異な存在であ
る。数々の謎めいた小説作品に加え,その難解にして明噺な批評作品は,第 2 次
大戦後の混迷する思想界にたえず大きなインパクトを与え続けた。とりわけ J.
そうそう
デリダや M. フーコー, G. ドクルーズなどの鋒々たる人物らが,いずれもその思
想の形成過程において幾分かを彼の仕事に負っているのである。
しかしながらプランショはまた,きわめて 20世紀的なアンガジュマンの作家で
もあった。しかもその政治ジャーナリズムにおける活動は,大戦中の「転向J を
挟み、戦前は極右の反ユダヤナショナリズム,戦後はリベラルでコスモポリタン
なコミュニズムという変遷・曲折をへたものだった。本論が目的とするのはした
がって,この特異な人物がいかにして,戦前の保守主義を否定しつつ,現在なお
アクチュアルなコミュニズムを要請するにいたったかを明らかにすることであ
る。
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出来事を書くこと,書くことによる出来事
一一マルグリット・テ’ュラスの小説における文学経験の諸相一一
むらいし
あきこ
村石麻子
本稿は,マルグリット・デュラスの小説 f アパン・サパナダヴイッド』を中心
に,『破壊した,と彼女は言う』と f愛J とを織り交ぜながら, 68年 5 月の出来
事の意味を読み解く試みである。読みの方策としては現代思想よりむしろ,その
源流にある聖書思想に依拠するものとする。
第 1 章ではこの小説の黙示録的モチーフを拾いながら,デュラスがなぜレアリ
スムの手法を避けたのか,また 68年において革命の意味するところは何であった
かを考える。続く第 2 章では,物語の筋書を詳細に追いながら, 68年的な内的革
命のプロセスを追う。そして第 3 章では,デュラスの伝記的事実を拾いながら,
「デュラスの黙示録70年版」の明かしえぬ意味と接近を試みる。恐かれたかのよ
うに繰り返される「子供」のイメージからは,彼女の切なる声,人間という種の
更新~の,祈りにも似た切なる声を聴取できるのではないだろうか。
平成 12年度(追加)
マルセル・ブルーストと二本の線
「失われた時を求めて」における隠喰と二重構造についての研究
おおつり
みやこ
大辻都
マルセル・ブルースト『失われた時を求めて j の小説構造,テーマ,文体それ
ぞれに共通してみられる「二本線J の形態についての研究。導入では,作品中に
現れる地勢(的)描写を対象とし,ブルーストが方法意識として意図的に用いた
隠喰表現を分析する。それらの表現から浮かび上がる二本線(対象そのもののレ
ベルと隠喰により変形きれたレベル)を洗い出し,これらの二本線が類似による
中継を経ながら差異として留まるさまを提示する。この形態を核に,第二章では
物語の中で語られる「隠轍的方法J と文体との結ぴっきについて,第三章では小
説のライトモチーフと「二本線J の関係について,第四章では二つの方向へ引き
裂かれながらも接合する作品構造と「二本線J の関係について探る。きらに第五
章では,このような「二本線J 構造を導く,作者ブルーストの自我,あるいはヴ
イジョンの問題として,薄暗き,または表と裏の概念についてが考察きれる。
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荻野剛史
ブルーストは 1895年にシャルダンについてのエッセイを執筆している。そこに
は若き作家の画家への称賛がみられるが,ブルーストのシャルダン愛好は生涯続
くものであった。ところが,ブルーストはこの試論以降シャルダンについて多く
のことを語っていない。この奇妙きを解読しつつ,シャルダンがブルーストにと
って重要な画家であったことを確認するのが本論文のねらいである。論文は三部
で構成され,第一部では,ブルーストがシャルダン論を執筆して以降シャルダン
の絵画を実際に観に行った形跡がないことを浮き彫りにする。第二部では,シャ
ルダン論におけるブルーストのシャルダン観を洗い出すと同時に,その絵画観が
『失われた時を求めて j の画家エルスチールに適用されていることを証明する。
第三部では『失われた時を求めて J の中にシャルダンがどのように登場するのか
をみて,最後に,ブルーストにおけるシャルダンの位置付けを探ることになる。
モンテーニュ『エセ- j における「理性」
こさか
みち
小坂美知子
本論は,西欧の近代化の発端である 16世紀ルネサンスにおいて「理性」という
概念がどのように認識されていたのかを探り,それが近代化の方向性にどのよう
な影響を与えたのかを探ることを目指したものである。その手段として, 16世紀
フランスの思想家,
ミシェネ・ド・モンテーニュの『エセーj を取り上げ,この
作品においてモンテーニュが「理性」という概念をどのように扱っているかを,
第 2 巻第 12章「レーモン・スボンの弁護J に的を絞って分析した。筆者はまず,
キリスト教における「理性」の扱われ方を古代教父時代から 16世紀まで追い,モ
ンテーニュ自身の思想、の変遷を一通り追った後で,問題の章の構成分析を行っ
た。モンテーニュが人聞の理性の不確かきを,きまざまな動物の例や古代ギリシ
ャ作品からの引用をもって段階的に示し,それに過度の信頼を置くことへの危険
性を繰り返し強調している構図が明らかになった。
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さとう
だいすけ
佐藤大輔
本論文は,シャルル・フーリエの『愛の新世界』をもとに,未だほとんど手っ
かずの食思想,「ガストロゾフィー j の理論を解読整理し,その意義を問うもの
(
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である。
まず,フーリエの理論の根幹をなす 12 からなる情念が整理きれ,そのうち「系
列情念j の重要性が再確認される。そして,これらがいかに「ガストロゾフィ
ー」の理論へと適用きれているかが考察される。次いで「食欲」,「ごちそう J,
「消化j といった 3 つの対象に作用し,過剰を制度化する総合知である「ガスト
ロゾフィー」理論そのものが検討される。最後に,同じ「聖性」に分類きれるパ
ラレルなシステム,「ガストロゾフィー」と「アムール」との関係性が関われる。
そして,「アムールj と同様に,フーリエの「ガストロゾフィー」が,「物質的な
ものj を「精神的なもの」へと転化きせる「調和」の場として,フーリエの理論
のなかで重要な位置を占めていることが明らかにきれる。
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ふりさき
藤崎寿一郎
本論文の主題は,カトリック作家フランソワ・モーリヤックに捨けるキリスト
教政治参画の問題を,“近代”と“反近代”というこつの意識の確執を通して考
察することにあった。
ヴ、アレリーと小説
~虚構の枠組みと表現の可能性をめぐって~
もり
ゆか
森由佳
ヴ、アレリーは,若い時期から小説に対する嫌悪を隠さなかった。そのため,彼
と小説というジャンルとの関係は専らネガティヴなものとしてとらえられてき
た。だが,その一方で,ヴアレリーが自ら小説なりコントなりと呼ぶいくつかの
試みを残していること,そしてカイエには時に,作られるべき自身の小説に対す
る一種の使命感すら垣間見られること,をどのように考えるべきなのだろうか。
本論文はこの矛盾に発し,第一に,とりわけ対照的なスタンダールとフローベー
ルに対するヴアレリーの評価や,彼によって韻文の対立項としての散文に閉じ込
められた小説や哲学や歴史といった諸領域の境界の暖昧きとともに,ヴァレリー
の小説批判の再検討を試みることによって,第二に彼自身の試み,とりわけ 1920
年代の彼をひきつけたらしいコントという形態の試みである Histoires
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を,それらが夢と覚醒の狭間といフ彼流の夢物語であることに注目しつつ検討す
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)
ることによって,ヴァレリーと小説の関係を違う角度からとらえなおそうとする
ものである。
独文学専攻
蛇表象研究
一中世フランス・ドイツにおけるメリュジーヌ表象とメリュジーヌ型説
話の基底構造ー
しみず
けい
清水恵
本論文は,将来の蛇表象研究の基礎として, 14世紀末から 15世紀中葉にかけて
フランス・ドイツで成立した『メリュジーヌ物語』の蛇女メリュジーヌに焦点を
絞り,表象文化論の立場からメリュジーヌ表象を考察したものである。
物語においてメリュジーヌは,人聞の騎士と結ぼれて繁栄をもたらすが,蛇の
姿で水浴をしているところを夫に見られかつ蛇女であることを罵られ,人間世界
から姿を消す。その性質は古代のウロポロスや大地母神の影響を残すものであ
り,錬金術では「ーにして全なるものJ である「メルクリウスの蛇J とされてい
る。メリュジーヌが人間世界に築いた城や町は, hortus conclusus としての「マ
リアの園」と等置きれ得る一種の異界である。彼女のこのような魔術的な力の源
泉は水によるもので,タブー化きれた水浴は神話的儀礼行為,すなわち死と再生
の行為としても理解できる。彼女の周期的な水浴行為は,神話的原初における聖
性を帯びた存在との類縁性を強〈示唆しているものである。
次に,
リュジニャン家の年代記として『メリュジーヌ物語j が書かれた事実に
着目し,歴史上実際にリュジニャン家の統治した地域が物語の記述とほぼ一致す
ることを指摘した。
さらに V. Propp の理論を用いて f メリュジーヌ物語j を構造的に分析した結
果,「タブーJ と「タブーの侵犯」とが対になって枠を成し,その枠の中に一つ
の物語が内包きれている,いわゆる枠物語的な構造であることを示した。そして
ギリシア・ローマ神話をはじめとしてインド,ケルト,オセアニア,アジア等30
以上のメリュジーヌ型説話を構造的に分析・分類し,「水の性質J 「タブーJ 「繁
栄」「タブーの侵犯J 「別れJ が最も重要な説話素であることを証明した。これら
の説話素は全て「水」によって魔術的な力の再生を図る儀礼的行為と関連してお
り,説話の構造からもメリュジーヌ表象の聖性を帯ぴた水・原水との関係性を裏
付けることができた。
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たかはし
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高橋優
ノヴァーリスの思想、を,時間論,空間論との関連から解明することを目的と
し,彼が時間,空間についてどのように考察していたのかを多角的に分析した。
当時の時空論は,外的なものである空間は内的な時間秩序に従うとする哲学的時
空論と,時間は空間移動によって初めて生じるものであり,時間は空間を前提と
すると考える自然科学的時空論に二分きれる。ノヴァーリスは,時間にも空間に
も優位性を与えず,両者の混在の場としての「現在J に注目することにより,自
然科学と哲学の調和を図った。さらにノヴァーリスの関心は,時間的,空間的に
離れたものを現前化(Vergegenw~rtigung)きせ,現在という瞬間を充実きせ
る,という方向に向かう。従って,小説「ハインリヒ・フォン・オフターデイン
ゲン」の中で描かれている客観的時間・空間の消滅は,彼が理想、としていた現在
の絶対化の表現に他ならないという結論を導いた。従来,ノヴ、アーリスの時間・
空間論は,彼の哲学研究との関連からのみ論じられることが多く,
リヴァーリス
は外的なものである空間よりも内的な時間に重きを置いていたと考えられていた
が,彼の自然科学,詩学等に関する考察,及ぴ文学作品を分析した結果,彼が必
ずしも時間を絶対視してはおらず,彼の関心はあくまでも時間と空間の調和の場
である現在に他ならないと結論づけた。
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たえ
山田多恵子
ノ守ウル・ツエラーンは 1960年のゲオルク・ビューヒナー賞受賞記念講演 f子午
線j を,ビューヒナ一作品に直接言及することから始めている。拙稿は『子午
線j を中心に,ツエラーンにおけるビューヒナー受容を明らかにすることをその
目的とする。具体的にはビューヒナーの美学理論,またレン、ソ,
リュシールとい
うビューヒナーの二人の登場人物に照らしつつ,ツエラーンのビューヒナ一理解
が辿られる(
I,II 章)。またツエラーンが
f子午線j において,自らのビュー
ヒナー解釈を独自の詩論へと接続してゆく過程が探られる( III 章)。加えて補遺
では倒立のレンツの表象を手がかりに,ツエラーンの遺稿詩『リチェルカーレ j
の分析が試みられている。
-104-
(
2
6
5
)
会員業績
2001年 4 月一·2002年 3 月
国文学
石川
透
・ f縁起・本地物解題図録j ,古典資料研究会, 2001年 5 月
•
r室町物語影印叢刊4 ・酒呑童子伊吹山系j ,三弥井書店, 2001年 6 月
・『室町物語影印叢刊5 ・狭衣の草子j ,三弥井書店, 2001年 9 月
・『落窪物語の変容j ,三弥井書店, 2001年12 月
•
r室町物語影印叢刊 6 ・熊野の本地j ,三弥井書店, 2001年12 月
・ f奈良絵本の基礎的研究j ,科研費成果報告書, 2002年 3 月
・『室町物語影印叢刊 7 ・鉢かづき j ,三弥井書店, 2002年 3 月
・「物語研究 3 ー熊野の本地-Jr聖筆j 第73号,書道研究聖筆会, 2001年 4 月
・「物語研究 4 -羅生門-Jr聖筆j 第74号,書道研究聖筆会, 2001年 5 月
・「丹緑奈良絵『党天国 J r蛤の草紙j 紹介」『古典資料研究j 第 3 号,古典資料
研究会, 2001年 6 月
・「慶謄義塾図書館蔵 f扇の草紙j 解題・翻刻・影印」(大口裕子と共)『古典資
料研究j 第 3 号,古典資料研究会, 2001年 6 月
・「物語研究 5 一文正草子一J r聖筆j 第75号,書道研究聖筆会, 2001年 6 月
・「太宰府天満宮の物語草子(六)一宇津保物語一J 『飛梅』第 119号,太宰府天
満宮社務所, 2001年 6 月
・「物語研究 6 ー祇園精舎一」『聖筆』第 76号,書道研究聖筆会, 2001年 7 月
・「物語研究 7 ーともなが-Jr聖筆j 第 77号,書道研究聖筆会, 2001年 8 月
・「慶慮義塾図書館蔵『大仏供養物語j 解題・翻刻」『三回国文j 第34号,慶謄
義塾大学三回国文の会, 2001年 9 月
・「物語研究 8 ー俵藤太一」『聖筆j 第 78 号,書道研究聖筆会, 2001年 9 月
・「太宰府天満宮の物語草子(七)ー狭衣物語一」『飛梅j 第 120号,太宰府天満
宮社務所, 2001年 9 月
・「 f花鳥風月の物語j 古写本の意義一附翻刻・影印一」『古代中世文学論考』第
6 集,新典社, 2001年10 月
・「物語研究 9 -玉藻前一J r聖筆』第79号,書道研究聖筆会, 2001年10 月
・「物語研究10一変化あらそひ-J 『聖筆j 第80号,書道研究聖筆会, 2001年 11
月
(
2
6
6
)
・「中世万葉一筒井つの歌-」『万葉旅行J 2001年,慶謄義塾大学国文学専攻,
2001 年 11 月
・「横型奈良絵本の製作時期」『古典資料研究』第 4 号,古典資料研究会, 2001
年 12 月
・「慶謄義塾図書館蔵『伊勢物語注j 解題・翻刻」(丸山愉佳子と共)『古典資料
研究j 第 4 号,古典資料研究会, 2001年12 月
・「物語研究11一大ゑつ-Jr聖筆j 第81号,書道研究聖筆会, 2001年 12 月
・「太宰府天満宮の物語草子(八)ー鳴門中将物語一」『飛梅』第 121号,太宰府
天満宮社務所, 2002年 1 月
・「物語研究12-剣の巻-」『聖筆』第82号,書道研究聖筆会, 2002年 1 月
・「物語研究13ー伊吹童子-Jr聖筆』第83号,書道研究聖筆会, 2002年 2 月
・「御伽草子の世界 1 -『落窪の草子』『住吉物語』-J f三色旗J 第647号,慶謄
義塾大学通信教育部, 2002年 2 月
・「大福帳反故紙の物語記事」『むろまち j 第 6 集,室町の会, 2002年 3 月
・「慶慮義塾図書館蔵『有善女物語j 解題・翻刻」 f三回国文j 第 35号,慶嬉義
塾大学三田国文の会, 2002年 3 月
・「『善光寺知来縁起』翻刻 J r むろまち』第 6 集,室町の会, 2002年 3 月
・「御伽草子の世界 2- r小町の草子』『鉢かづき J -J 『三色旗』第648号,慶
慮義塾大学通信教育部, 2002年 3 月
・「物語研究14-戚陽宮-Jr聖筆』第84号,書道研究聖筆会, 2002年 3 月
・「太宰府天満宮の物語草子(九)→手勢物語闘疑抄-」『飛梅j 第 122号,太宰
府天満宮社務所, 2002年 3 月
・「落窪物語j 等四項目『チェスター・ピーテイ・ライブラリイ絵巻・絵巻解題
目録j ,勉誠出版, 2002年 3 月
かわかみしんいちろう
川上新一郎
・「古今和歌集版本書影集j,『斯道文庫論集J 第36輯, 2002年 2 月,
1-71 頁
ささきたかひろ
佐々木孝浩
・「西山慈寛j 『拾遺集口伝j の考察(二)」,『古典資料研究』第 3 号, 2001年 6
月, 23-26 頁
・「『新続古今和歌集j と蹴鞠」, f和歌文学大系月報』第 14号, 2001年 12 月,
-102-
3(
2
6
7
)
6頁
・「中世歌合諸本の研究(五)-『水無瀬釣殿当座六首歌合j ・附校本J,
r斯道文
庫論集j 第36輯, 2002年 2 月, 349-402 頁
はせがわただし
長谷川端
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2002年, 244-253 頁
ひがやみほ
飛ヶ谷美穂子
・「激石の愛蔵書J,
』まさか
r 図書』第630号, 2001年10 月, 26-31 頁
たつお
保坂達雄
・(共著)『神の言葉・人の言葉j ,武蔵野書院, 2001年, 214-248頁
・「天孫降臨神話の神々 J,
r歴史読本j 第47巻第 4 号, 2002年 2 月, 86-91 頁
・「采女一変容する伝統(続)-J,
第 11号, 2002年 3 月,
r東横学園女子短期大学女性文化研究所紀要j
1-19 頁
・「天孫神話の誕生一日向三代を読み解〈一J,
月,
r東横国文学j 第33号, 2002年 3
1-15頁
・(書評)山田直巳著『古代文学の主題と構想J,
2001年 11 月,
r 日本文学j 第50巻第 11号,
72-73 頁
・「シンポジウムを振り返って J,『古代文学j 第41号, 2002年 3 月, 136-137頁
中国文学
いけぎわ
しげこ
池沢滋子
・(共著)『蘇紙研究史j ,江蘇教育出版社, 2001 年, 100-214 頁
・「現代中国における七絃琴」,『中央大学論集j 第22号, 2001年 4 月, 61-75頁
・「蘇紙与棋J (中国語),『宋代文化研究j 第 10輯, 2001年 8 月,
5-15 頁
・「日本江戸時代的蘇紙研究J (中国語),『人文研究紀要j 第42号, 2001年10 月,
45-74 頁
・(書評) r蘇東波ーマルチ詩人一j ,『世界の文学j 第 105号(朝日出版社),
2001 年 7 月,
(
2
6
8
)
152-154 頁
ねんせい
念聖
呉
・(共著)『ゆとりを奪った「ゆとり教育JJ,
日本経済新聞社, 2001年, 210-238
頁
・「中国語辞書の可能補語情報について J,
r法政大学教養部紀要j 第 119号,
2002年 2 月, 201-217 頁
なかのひろや
中野裕也
・「台湾原住民文学散文に見るワリス・ノカンの創作活動J,『義文研究j 第80
号, 2001 年 6 月, 195-205 頁
ひょうの
かずえ
表野和江
・「「鼓吹j 考J.
r義文研究』第80号, 2001年 6 月, 67-85 頁
英米文学
H けがみ
ただひろ
池上忠弘
・(翻訳)「チョーサー
カンタベリ物語総序歌( 3 )」, f詩と散文J (永図書房)
第 69号, 2001 年 5 月, 58-61 頁
・(翻訳)「チョーサー
カンタベリ物語総序歌( 4 )」, f詩と散文j 第70号,
2001 年 11 月, 70-75 頁
・(書評)斎藤勇『チョーサ一一暖昧・悪戯・敬慶j ,『英語青年j 第 147巻第 1
号, 2001 年 4 月号, 56-57 頁
いなむら
ぜんじ
稲村善二
・(解説)「もうひとつの『上毛かるた』一英語版J,『錦野j 第 13号(群馬県立女
子大学発行), 2002年 2 月,
8-9 頁
••b き暑はるお
岩崎春雄
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nOldEnglish,,『杏林大学外国語学部紀要j 第 14号,
2002年 3 月,
おお守し
23-41 頁
ひきょ
大串尚代
・(共著)『アメリカ文学ミレニアム j ,南雲堂, 2001年,
-100 一
I 巻: 66-85頁
(
2
6
9
)
・(書評)大井浩二『センチメンタル・アメリカ J.
年 6 月,
r アメリカ学会会報J, 2
0
0
1
8頁
・(書評)風間賢二『ジヤンク・フィクション・ワールド J.
2001年 12 月 7 日付,
r週刊読書人J,
5面
・(解説)『フェミニズム喰わず嫌いのための 8 冊J ,『ことし読む本
ガイド 2002J,
かいほ
2001年12 月,
いち押し
196-98 頁
まきお
海保異夫
•
r文人たちのイギリス十八世紀j ,慶慮義塾大学出版会, 2001年
・(翻訳) w.s. モーム『夫が多すぎて j ,岩波書店, 2001年
・「スウィフトにとってアイルランドとは何か J,『海老津敏先生古希記念論文
集J, 2001年11 月, 420-427 頁
・(書評)杉本龍太郎・他『講座英文学史』第二巻, f英語教育j 第50巻第 10号,
2001年 12 月,
91-92 頁
勝目薫
・(共著)『日米映像文学は戦争をどうみたかj ,金星堂, 2002年, 311-322 頁
かわうち
けいと
河内恵子
・「十九世紀末の英国の危機意識と文学ープラム・ストーカーとオスカー・ワイ
ルドを中心に」,『三色旗』第648号, 2002年 3 月号, 18-25頁
たかみや
としゆき
高宮利行
.スタン・ナイト著『西洋書体の歴史一古典時代からルネサンスへj ,慶慮義塾
大学出版会, 2001年
・( A.S.G, Edwards と共著)
V
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0
2001年 7 月,
A NewM
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lMediumEunm,
112-115 頁
・「ジョン・ハリスー19世紀イギリスの愛妻家時代のファクシミリスト」『渡部
昇一先生古希記念論文集j 大修館書店, 2001年 7 月, 58-67頁
・( A.S.G. Edwards と共著)
A NewFragmento
fGoweisC
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TheModemLangnageReuewV
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.9
6
2001 年 10 月, 931-936 頁
・(書評)青柳いづみこ著『水の音楽ーオンディーヌとメリザンド j ,「図書新
(
2
7
0
)
-99-
聞 J 2555号
2001年 10 月 27 日,
4 頁
・『ローマ帝国からイギリス・ルネサンスへー慶謄義塾図書館稀観書展j 目録共
同執筆, 2001年12 月
er書物の歴史をたどる 19-25J 「書物との付き合い史 1 -22J ,「週刊朝日百科
『世界の文学JJ, 2001年 4 月 1 日ー 2001年 11 月 4 日
巽孝之
a)単行書
・『「2001年宇宙の旅」講義J /平凡社/2001年 5 月
・ 1 リンカーンの世紀一アメリカ大統領たちの文学思想史J /青土社/2002年 2
月
・(編訳)『サイボーグ・フェミニズム[増補版]ーダナ・ハラウェイ,サミュエ
ル・ディレイニー,ジェシカ・アマン夕、・サーモンスン J /水声社/2001年 8 月
・(共著)『夕、ニエル・キイス文庫 13ーダニエル・キイスの世界J /早川書房/
2001年 4 月
・(共著) r わたしのお気に入りアニメ J /エスクァイアマガジンジャパン/2001
年5 月
・(共著)『キネ旬ムック:フィルムメーカーズ16-リドリー・スコット J /キネ
マ旬報社/2001年 7 月
・(共著) rKAWDE 夢ムック文義別冊一円谷英二J /河出書房新社/2001年 8
月
・(共著)『自然と文学一環境論の視座から』/慶慮義塾大学出版会/2001年10 月
・(共著) r アメリカ!-幻想と現実』/研究社/2001年 10 月
・(共著)『辻仁成の貌』/KK ベストセラーズ/2001年11 月
・(共著)『アメリカ文学ミレニアム J /南雲堂/2001年12 月
・(共著) r21世紀文学の創造 3 一方法の官険』/岩波書店/2001年12 月
・(共著)『SF 入門 J /早川書房/2001年12 月
・(共著)『アエラムック 75一村上春樹がわかる J /朝日新聞社/2001年12 月
・(共著)『思想読本 5-20世紀日本の思想J /作品社/2002年 2 月
b)論文
・「く南北〉の創生」連載第 10 回(テディ・ベアは反復する)/「ユリイカ」/青土
-98-
(
2
7
1
)
社/2001年 4 月/24-36 頁
・「メタフィクションの青春」/「ちくま」/筑摩書房/2001年 4 月/14-15頁
・「く南北〉の創生J 連載第 11 回(一九O一年究極の旅)/「ユリイカ」/青土社/
2001年 5 月/30-42 頁
・「〈南北〉の創生J 連載第 12 回(リンカーンの世紀)/「ユリイカ」/青土社/
2001年 6 月/28-40 頁
・「ジヤンク・アメリカ」/「歴史読本J /新人物往来社/2001年 6 月/206-207
頁
・「現世界の終わりと新世界始まり告げる一映画「すべての美しい馬」考J /「東
京新聞」/2001年 6 月 29 日付夕刊/ 4 頁
・「天皇病の期限ー坂手洋二「天皇と接吻j と野田秀樹『パンドラの鐘JJ /「ユ
リイカ」/青土社/2001年 6 月臨時増刊/ 18-24 頁
・「ポオまたは伝奇状無意識J /「伝奇 M モンストルム」創刊号/学習研究社/
2001 年 7 月/204-207 頁
・「キュープリックの遺言ースピルパーグ監督 rA.1.J の余白を観る J /「週刊読
書人」/2001年 7 月 20 日付/ 1 頁
・「モロ一博士にお願い J /「撤石研究J 第 14号(特集・吾輩は猫である)/翰林
書房/ 2001 年 10 月/ 48-52 頁
・「フ。ログレ SF 史序説J /「SF マガジン J /早川書房/2001年 12 月(特集・音楽
SF への招待)/早川書房/27-32 頁
・「モピイ・ディックの世界J /「英語青年」/研究社/2002年 1 月(特集・白鯨
ウォッチング)/ 2-5 頁
・「忍者がニンジェットになるとき J /「ユリイヵ」/青土社/2001年12 月(特
集・山田風太郎)/ 102-103 頁
・「レイ・ブラッドペリーデータ・ボディの預言者J /「文学界」/文芸春秋/
2002年 2 月/ 139-141 頁
・「夢ほど現実的なものはない一『指輪物語j を映像化『ロード・オプ・ザ・リ
ングj 」/「朝日新聞J/2002年 3 月 3 日付/23 頁
・「ソープオペラ的想像力」/「isJ 第87号(特集・世界の大河ドラマの現在)/
ポーラ文化研究所/2002年 3 月/40-42 頁
c)書評
(
2
7
2
)
-97-
・(書評)高橋源一郎 I 日本文学盛衰史』/「すばる J /集英社/2001年 7 月/326
頁
・(書評)田近伸和『未来のアトム J /「福井新聞J /2001年 8 月 19 日付/ 8 頁
・(書評)長山靖生編 f懐かしい未来ー匙る明治・大正・昭和の未来小説J /「週
刊ポスト J /小学館/2001年 9 月 14 日/ 164 頁
・(書評)ウィリアム・ L ・ヒート=ムーン『水路アメリカ横断8500 キロ
西
へ! J /「北海道新聞」/2001年 9 月 30 日付/14 頁
・(書評)阿部和重『ニッポニアニッポン』/「すばる」/集英社/2001年 11 月/
391 頁
・(書評)辻仁成 f太陽待ち J /「すばる」/集英社/2001年12 月/327 頁
・(書評)ハーマン・メルヴィル『白鯨j /「南日本新聞 J/2001年12 月 12 日付夕
刊/ 5 頁(書評)ミシェル・ウエルベック『素粒子J /「文学界J /文芸春秋/
2001年 12 月/350-351 頁
・(書評)スティープン・キング『小説作法』/「北海道新聞 J /2001年 11 月 25 日
付/ 14 頁(書評)ピーター・コン『パール・パック伝』上下/「日本経済新聞 J/
2001年12 月 16 日付/23 頁
・(書評)ポール・オースター『ミスター・ヴァーティゴJ /「北海道新聞 J/
2002年 1 月 10 日付/ 12 頁
・(書評)町井登志夫『今池電波聖ゴミマリア J /「東京新聞J/2002年 1 月 20 日
付/11 頁
・(書評)パウロ・コエーリョ『愛蔵版アルケミスト J /「週刊ポスト J /小学
館/2002年 2 月 1 日号/ 176頁
・(書評)高橋源一郎『ゴヂラ j 『官能小説家J /「すばる」/集英社/2002年 3 月
号/324-325 貰
・(書評)
J.G ・バラード『コカイン・ナイト J /「図書新開J/2002年 3 月 9 日
付/ 4 頁
・(書評)ニール・スティーヴンスン『ダイヤモンド・エイジ J /「SF マガジ
ン」/早川書房/2002年 3 月/ 123 頁
・(書評)チャンネ・リー『最後の場所で』/「北海道新聞」 2002年 3 月 10 日付/
14 頁
d)解説
・(解説)ジョン・ウォーターズ監督 f セシル・ B
-96-
ザ・シネマ・ウォーズj プ
(
2
7
3
)
ログラムブック/プレノン・アッシュ/2001年 4 月/48-49 頁
.(解説)ジェフリー・ユージェニデス『へピトンボの季節に自殺した五人姉
妹J /ハヤカワ文庫 epi/2001年 6 月/319-329頁
・(解説)「ロード・ナラティヴの冒険J /ピリー・ポプ・ソーントン監督 fすべ
ての美しい馬j プログラムブック/ソニーピクチャーズ/2001年 6 月/ 8-9 頁
・(解説)「すばる」(特集*アメリカ文学の新鋭たち)/集英社/2000年 7 月
号/286-287 頁
.(解説)向山貴彦&富山香里『童話物語J /幻冬舎文庫/2001年 7 月/535-549
頁
・(解説)福井晴敏『月に繭地には果実j 上中下/幻冬舎/2001年 8 月/下巻
350-359 頁
・(解説)辻仁成『ワイルドフラワー J /集英社文庫/2001年10 月/406-414 頁
・(解説)佐藤信介監督『修羅雪姫j プログラムブック/『修羅雪姫j 製作委員
会/2002年 12 月/ 17 頁
へんみ
ようこ
辺見葉子
・「ケルトの角ある蛇」, f アジア遊学j 第28, 2001年 6 月, 102-104 頁
ほんだ
しゅんいち
本多俊一
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もりと
2001年,
267-277 頁
よしひき
森戸由久
・「英語辞書と語法J,『創価女子短期大学紀要』第 29号, 2001年 6 月, 73-87頁
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紀要J 第 30号, 2001年 12 月, 69-80 頁
仏文学
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2002年 3 月,
3 -15 頁
熊倉高聡
1 )単行書
.(共編著)『セルフ・エデュケーション時代-Practica lJ ,フィルムアート
社, 2001 年。
2 )論文
・「カフェはく脱資本主義〉的文化の温床たりうるか? J ,『建築雑誌j ,第 116巻
第 1476号, 2001 年 9 月号,
10-13 頁
・「オタク的主体は最もラデイカルなポストモダン的主体なのか? J,『ユリイ
カ j ,第33巻第 12号, 2001年10 月号, 126-134 頁
3 )その他(書評・解説など)
・(評論)「脱芸術/脱資本主義をめぐるノート 7 ー資本主義と社会主義の狭間
で端ぐキューパ」,
r10+ u ,第 24号, 2001年 7 月号
・(評論)「脱芸術/脱資本主義をめぐるノート 8 一川俣正:
方へJ,
rio+1J ,第25号,
I アートレス j の
2001年10 月号
・(書評)内野犠『メロドラマからパフォーマンスへJ.
r 図書新聞J, 2001年 9
月 15 日号
・(展評)「ゼロ地点の舞踊」(プブ・ド・ラ・マドレーヌ rLA DOLCEVITA
(甘い生活) J 展) , r 図書新聞J, 2002年 1 月 12 日号
・(対談)「芸術における経験とは何か」(川俣正の対談),『図書新聞J, 2002年
1 月 19 日号
・(展評)「瀧口の手,私の手J (『瀧口修造の造形的実験j 展) . r 図書新聞J,
2002年 2 月 9 日号
・(展評)「過視的超平面としてのニルヴァーナ J (森万里子『ピュアランド』
展),『図書新聞j, 2002年 3 月 9 日号
・(エッセー)「Feel
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(
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)
・(エッセー)「モードの死について」,・ rARTLETJ ,第 17号, 2002年 3 月号
すずき U ゅんじ
鈴木順二
・「ブルーストの観た日本」,『ユリイカ j 第33巻第 4 号, 2001年 4 月, 170-177
頁
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" 2000年 6 月
・「クラッシュする写真論一一アラン・フレシエールの描く『敏感な表面に向か
つて一一j ,『芸文研究』第80号, 2001年, 17-34 頁
たかやま
てつお
高山鉄男
・「堀辰雄と遠藤周作一神々との出会い J.
r三田文学j 第80巻第67号, 2001年11
月, 86-97 頁
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1 2001年 12 月, 53-65 頁
・「ブルーストとペイター」,月報 1 /『ウォルター・ぺイター全集j 第 1 巻,
2002年 2 月,
もり
森
4-6 頁
ひ守き
英樹
・「一フランス文学と漢文学との出会い(その四)一書誌〔 1 〕 J,『慶慮義塾大学
日吉紀要フランス語フランス文学j
N
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, 2001 年 3
月,
61-91 頁
・「一フランス文学と漢文学との出会い(その五)ー李白とフランス〔 2 〕 J,『慶
謄義塾大学日吉紀要フランス語フランス文学j
もり
森
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3
, 2001年 9
月, 15-47 頁
まさみ
昌己
・(翻訳)「ロベール・ド・ラ・シズランヌによるジョン・ラスキン論」, f慶慮
義塾大学日吉紀要フランス語フランス文学j 第 33号, 2001年 9 月,
(
2
7
6
)
-93-
100-77 頁
・(翻訳)「ロベール・ド・ラ・シズランヌによるジョン・ラスキン論J,『慶慮
義塾大学日吉紀要フランス語フランス文学j 第 34号, 2002年 3 月, 212-191 頁
ゃまだ
ただし
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直
・『「方法的制覇」の源流としての「鴨緑江Jーポール・ヴ、アレリーの文明・文化
論-J ,駿河台出版社, 2001 年 8 月 1 日
独文学
さか守ち
なおふみ
坂口尚史
・「ハインリヒ・マンの戯曲「権力への道」 J,『芸文研究』第81号, 2001年12 月,
189-200 頁
佐藤茂樹
・「遅れて来た啓蒙児童誌ーエンゲルハルトとメルケルの f新児童の友J-J,
f芸文研究』第81 号, 2001年 12 月,
143-159 頁
・「『このように言葉と姿形が同時にあること! j ーグリルパルツアー劇の台詞
と場面構成-J ,関東学院大学文学部『紀要j 第94号, 2001年12 月, 171-180 頁
・「ドイツ啓蒙期の児童書研究(
1)ーエアフルト版『子どものメルヘン集j
(1787)ー」,関東学院大学人文科学研究所『所報j 第25号, 2002年 3 月,
なかやま
申たか
中山
豊
・「ドイツ語の価値ー欧州言語年2001 に寄す-J,
月,
1-22 頁
r芸文研究』第80号, 2001年 6
91-106 頁
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121-137 頁
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1-11 頁
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-92-
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)
外国語教育,音声学
しげまつ
重松
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淳
・「韻律と干渉( 1)一「疑問J と「反語」を表わす韻律形式について」,『日本語
と日本語教育J 30号, 2002年 3 月
(
2
7
8
)
-91-
平成13年度文学部文学科卒業論文題自
国文学専攻
藤原茂樹担当
上代日本における馬文化の受容についてー駒語源説考
稲石陽平
出雲~永遠の古代都市からイメージきれるもの~
田中康博
日本人の微笑~ジャパニーズ・スマイルの意味するもの~
那波克哉
古代天皇制~神秘の大嘗祭~
福井雅弘
488番の歌の解釈をめぐって
藤田真理子
笑いーその演出をめぐって一
山形充規
岩松研吉郎担当
トイレの落書きについて
赤坂智洋
ナンセンスとはなにか一『天才バカボン j をめぐって一
佐伯
勇
義経と笛
吉平菜採
将門伝承の超人化の発展の理由
渡漣絵美子
補助動調「給ふ」の命令形「給へj の意味変化一敬意の摩滅を中心にー
渡辺剛啓
石川透担当
物語に描かれる絵
青木祐子
伊勢物語の恋
五十嵐彩恵
富士について
江口素子
戦国時代における呪術(陰陽道)の武将とその政治への影響
高橋秀幸
「鉢かづき J 比較研究一昔話と文芸作品
中野裕子
香論一文学作品中における「香り」の意義について一
福地明美
半骨考
松崎高明
関場武担当
「表現の自由j をめぐる今日的課題
秋田聡大
小学校用固定教科書
戎井望
アイヌの民族教育を考える一同化から共生へ一
金坂優子
-90 ー
(
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7
9
)
現代日本社会における青年期の自己実現ー挫折・葛藤と通過儀礼
川口陽徳
ナレッジアネジメント・知識共有を考える
草野
礼儀作法と敬語
駒木恵理子
章
三島由紀夫『仮面の告白』論
近藤裕子
社会の中の広告一時代性を反映させた広告たち一
粛藤晴香
戦前台湾における日本語教育
佐光友浩
落語について
佐藤由紀子
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)について
高野明子
オペラの担い手たち
高橋みのり
松本隆の作品分析
豊岡喜一郎
谷川俊太郎~絵本にみるナンセンスの世界~
中治幸子
トレーナー・主将として見た体育会バスケット部
西尾磨耶
f戯場訓蒙図葉j を読む
二宮佳子
平安朝の年中行事
針谷依里
文献から見る方言
贋瀬由紀
手塚治虫とブラック・ジャック
堀越智子
戦後「学生運動J と文学の関わりあいについて
三木恭吾
遠藤周作と神
三好陽子
近代文学の流れ
茂木誠治
近世文学における遊女の姿
山内沙世
松村友視担当
日輸の翼論一三つの路地ー
浅野麗
モノで気持ちは伝わるか一宮沢賢治の作品じおける自然と人の交感の契機ー
石井
唯
夏目激石の作品における水
石村京祐
『だれも知らない小きな国j における戦後児童文学の価値観の再建
伊藤きえこ
江園香織論「天涯孤独J な者たちの物語
井上聡子
近代日本演劇におけるヒロインの軌跡-「新しい女J から現代へ一
加藤
翠
村上春樹の「パス・ドラマJ-r世界の終わりとハードボイルド・ワンダーラン
ド J-
小森谷多伊子
『風立ちぬj 論
(
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)
清水聡
-89-
神話で読み解くうしおととらー神話と原型-
下地文武
谷崎、映画へ向かう
須山弘太郎
横光利ーのきししめすもの
成瀬靖子
ラフカデイオ・ハーンの再話と冥婚謹一アメリカに投げかけた日本像一
南日郁子
生きる勇気ー森鴎外『文づかひ j 試論一
村松真理
母性保護論争から見た与謝野晶子
渡遁愛
中国文学専攻
香港の母語教育
高橋しずか
中国第六世代映画監督について-張元を中心に
宮崎顕子
『紅楼夢j と王照鳳の人物像について
永井虹子
二丁拳銃に託したエモーション
荒城肇
「上海ベイピー」執筆という経験が作者衛慧にもたらした意味について
石本桜子
体制移行期におけるインドネシアの華人
中山幸英
魯迅『野草』について
平井伸行
日本における不法就労者の人権と暮らし
鈴木幸代
日中間形語に見る中国文化一日本文化との比較
赤平恵里
英米文学専攻
松田隆美担当
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fDarwinism
瀬戸山紗絵
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田村純子
A. アーマー担当
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仏文学専攻
古屋健三担当
具象と抽象の狭間
渡辺怜史
ベケットの身体
厚味良治
アルベール・カミュ・その志向
一「異邦人J と「ペスト J を繋ぐ考察から一
阿部重明
『オーレリア』論夢の可能性について
小野
曜
ランボオについて
津村大造
詳解『武蔵野夫人j
竹内康雄
ポヴ、アリ一夫人における描写
牧野理一郎
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n「世界で一番平凡な作家の一人J
山本祥子
鷲見洋一担当
『告白』を読む
f愛と偶然の戯れj についての一試論
~台詞に託きれた思い~
伊藤
淳
梅垣
恵子
『恐るべき子供達』+ジャン・タルデュー『ドラの肖像j による演出プラン
小山田譲
ユートピアを探してポールとヴイルジニーの世界
近藤晃子
f牧神の午後j 解析-精神・肉体・美の革命を探る一
坂口夕麻
「啓蒙思想家のみたシナ文明」
田中佑典
ボーマルシェ「フィガロの結婚」に見る成長する女性としての伯爵夫人一18世紀
フランスの結婚観・家族観の変遷とともにー
森
有美
松田俊洋
ラクロ研究
立仙順朗担当
アール・ヌーヴ、ォーの視点から見る『ラ・パリジェンヌ j 像
星野倫美
ロラン・バルト「表徴の帝国」試論ーエクリチュールの園、日本一川崎きっき
「純な心j における身体感覚の幻想
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)
今井浩司
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通過儀礼としての書物ールネ・ドーマルと『類推の山 j
宇佐波奈々
浮かれ王子コクトー
岡本直子
新聞革命を起こした男、エミール・ド・ジラルダン~その先見性と実行力~
梶山麻子
武藤綾子
f ナジャ』におけるプルトンの矛盾
川口順二担当
「記号の戯れJ (“茶髪”の一考察)
上回経子
諸言語の母音から見るフランス語
浅川淑子
資格社会フランスの教育制度
岩崎綾子
新生児がことばを獲得するまで
小津
フランスにおける就学前教育
笹原理恵
「方言J と「共通語」の共存
能回幹也
『 17世紀フランスサロンにおけるプレシオジテについて j
福山亜希
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藤村美里
安生耳弘可Z
宮林寛担当
アルチュール・ランボーが書くところの「主観的な詩」、「客観的な詩j とは何か
鹿野耕平
佐藤千紗
ランボーと「幸福」
「英国文学史j スフィフト論ーイポリット・テーヌの科学と直感についてー
佐野元子
流転する詩-「イリュミナシオン j を読む一
深井陽介
「IlluminationsJ の“harmonie”についての研究
古川達也
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五味田泰
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について
第 3 の書について
高
清人
荻野安奈担当
中江兆民とルソーの思想、
黒 j畢賢一
フランス史における服飾の役割
伊藤倫子
上田敏 f海潮音』におけるフランス象徴詩移入
米井まや
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片木智年担当
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eraison)における諸問題を大江健三郎は『われらの時代j
にどのように反映きせたか。
太田
佳子
映画に表れるモード
大竹まどか
フランスの文化政策
北田智広
フランス映画とアメリカンジャズ
河内慎太郎
フランス民間伝承の中の殺人
佐藤圭太
星の王子きまーパラとの物語
森田真由
独文学専攻
和泉雅人担当
「神話における白鳥の表象と“Schwanritter”伝説の誕生j
曾田素子
大聖堂における空間表象論
浅沼美香
「近代ドイツユダヤ問題における啓蒙主義の破綻一解放運動の裏側-J
榎本恵子
力志向を越えて f 賢者ナータン j より
加藤成泰
散歩者の視線
小知和倫
クライストの『チリの地震J,
r決闘j における構造上の類似について
鈴木美香子
斉藤太郎先生担当
M. フケ- r ウンディーネ j における芸術性,及ぴ悲劇性とは
鈴木暢
中山豊担当
言語とナショナリズムーグローパリゼーションに伴フ言語的画一化への異論
木下芳記
宮下啓三担当
ヴ、イルへルム・プッシュ作品『猿のフィプス j と自伝
荒木絵里子
『若きウェルテルの悩みj における生と観念の問題について
上垣外孝弥
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eundGoethe の翻訳
笠原奈々絵
迷子のマルテ(※『マルテの手記j をテクストに論じたもの)
勝亦大輔
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f魔女のいる所』
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高津美也子
ドイツ人の見たサムライ
無意識との対話ーユング心理学と社会一
辻
朋季
藤島弥恵子
ミヒャエル・エンデとルイス・キャロル~ドイツメルヘンと英国ファンタジー
松本恵理子
ホフマン文学,民間メルヘン,バレエ作品の比較- r砂男 j 及び『くるみ割り人
形とネズミの王きま』を取り上げて一
宮川麻里
グリムのメルヘンを「描く J こと
望月里美
不条理と心
山本真照
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平成 13年度事文学会行事
0
4 月 18 日(水)委員会(春学期)
午後 12:
・
10 ~ 1: 0
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文学部会議室
6 月 13 日(水)研究発表会
司会
:松村友視(本塾教授)・中山
豊(本塾助教授)
香取智子
:唐十郎「ジョン・シルバー J における鏡
池田麻希子:『醒生姻縁伝J に描かれた妻妾たち
花崎美紀
:日本語談話データにみる fashions
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fspeaking の一考察
一日米における言語・非言語データの相同生を求めてー
津崎正行
:ハウプトマンの『ソアーナの異端者』における信仰の問題
関幸太郎
:アラン・フレシエールの写真論について
午後2:
0
40 ~ 6:
00三田メテ。ィアセンタ一地下一階
10 月 3 日(水)委員会(秋学期)
午後12: 10 ~ 1: 00文学部会議室
・
10 月 24 日(水)講演会(英米文学)
「カズオ・イシク’ロと語ろう」
講師:カズオ・イシグロ(作家)
司会:高宮利幸(本塾教授)
午後 1:
•
00 ~ 2: 30三回北館ホール
10 月 25 日(木)講演会(独文学)
「マルセル・バイヤー氏朗読会」
講師:マルセル・バイヤー(作家)
司会:ヨーゼフ・フュルンケース(本塾教授)
午後4:
・
30 ~ 6:
00三回北館ホール
11 月 12 日(月)講演会(中国文学)
「陳継儒と明清散文J
講師:陳平原(北京大学教授)
司会:関根謙(本塾教授)
通訳:植松公彦(本塾大学院生)
午後3:
・
00 ~ 5: 30三田研究棟一階 A 会議室
12 月 7 日(金)シンポジウム
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AV ホール
「グリムな世界」
司会:宮下啓三(本塾教授)
講師:関場武(本塾教授)
高宮利幸(本塾教授)
片木智年(本塾助教授)
松本佑子(作家)
午後2: 40 ~ 6: 00三田北館ホール
蕃文学会委員一覧(平成13年度)
本部委員
委員長
岡晴夫
事務長
河内恵子
編集
石川透
会計
杉野元子
庶務
片木智年・大串尚代
専攻委員
編集
企画
国文
藤原茂樹松村友視
中文
杉野元子山下輝彦
英文
河内恵子巽孝之
独文
斎藤太郎平田栄一朗
仏文
鷲見洋一荻野安奈
秘書
中川千帆
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