...

第1章 概観

by user

on
Category: Documents
8

views

Report

Comments

Transcript

第1章 概観
第1章
1.
概観
正式国名
ミ ャ ン マ ー 連 邦 共 和 国 ( Republic of the Union of
Myanmar)。国旗は、 上から黄色、緑、赤に塗られた三色旗
の上に、白い大きな星印が描かれている。黄色は国民の団結、
緑は平和と豊かな自然環境、赤は勇気と決断力を示し、3 色
にまたがる白い星は、ミャンマーが地理的・民族的に一体と
なるという意味が込められている。
2.
ミャンマーの国旗
人口
約 6,367 万人(2012 年、IMF 推定値)。
3.
国土
面積は 68 万㎢(日本の約 1.8 倍)。インド、中国、ラオス、タイ、バングラデシュの
5 ヵ国と国境を接する。東南アジア大陸部では最も大きい。
4.
首都
ネーピードー(2006 年にヤンゴンより遷都)。日本との時差は 2 時間 30 分。
5.
気候
インドシナ半島の北西部に位置し、南北に約 2,100km、東西に約 900km であり、熱
帯性気候又は亜熱帯性気候によって多種多様な気候である。5 月から 10 月にかけてが
雨期、1月から4月にかけてが乾期。
6.
民族
ビルマ族が約 70%を占め、そのほかシャン族、カレン族、カチン族など 135 の少数
民族が居住。国民の約 9 割が敬虔な仏教徒である。
7.
歴史
ミャンマーの略史は以下のとおりである。特に、17世紀からの英国の支配の歴史は
その後のミャンマー経済・社会に多大な影響を与えた。
2
ミャンマーの歴史
年月
BC2世紀
BC2世紀
656年
1044年
1287年
1312年
1486年
1752年
1752年
1824年
1826年
1852年
1885年
1886年
1920年
1937年
1941年
1945年
1947年
1948年
1958年
1960年
1962年
1988年
1990年
1992年
1997年
2003年
2006年
2008年
2010年
2011年
2012年1月
2012年4月
2012年4月
2012年5月
2012年7月
略史
北方よりチベット・ビルマ族が南下を開始。
スリケストラを首都とするピュー王国が勃興。
ピュー王国は2∼4世紀に最盛期を迎えた後、徐々に勢力を減退、ついにこの年にスリケス
トラが瓦解。南部ではモン族の勢力が台頭。
開祖アノーラタ王(在位1044∼1077年)によりパガン王国が成立。
元朝中国軍の襲撃を受け、パガンが陥落。
パガン王国が滅亡。その後、アヴァを本拠とする勢力とバゴーを中心としたモン族の勢力と
の対立を主軸とする群雄割拠の経過期。
タウングーに結集したビルマ族が徐々に勢力を増し、この年に開祖ミンチェエンョー王(在
位1486∼1531年)によりタウングー王朝が成立。
タウングー王朝は第四代ナンダバイン王(1581∼1599年)の時代から衰亡に向かい、この
年に滅亡。
開祖アラウンパヤ王(在位1752∼1760年)によりコンバウン王朝が成立。
第一次英緬戦争が勃発。
第一次英緬戦争に敗退したミャンマーは、ヤンダボ平和条約を呑まされ、ラカイン、タニン
ダーリ、アッサムを英国に割譲。
第二次英緬戦争が勃発し、勝利した英国は平和条約の締結すら行わず、バゴーを含む中
部沿岸一帯を英国領に編入。
第三次英緬戦争が勃発。敗退したミャンマーは全土を失い、ティボー王は王妃とともにボン
ベイ(現ムンバイ)に追放。
英国はミャンマー全土を正式に植民地とし、過酷な統治を開始。これに対してミャンマー人
は種々の形で英国の統治に反抗し、1920年頃から民族解放闘争を激化。
学生運動が起こる。英国人が大学運営を独占する「ラングーン大学法」に反発。学生の要
求が通り以後の民族運動に影響。
1935年に成立した改正ビルマ統治法に基づきビルマはインドから分離され自治領となる。
ミャンマー国軍創設の第一歩となる「ビルマ独立軍」が日本軍による訓練を経て誕生し、日
本軍は「ビルマ独立軍」と共にミャンマーに侵攻して全土を占領。1943年8月1日にはバー・
モウ博士を首班とする文民政府が形式的に独立宣言。
日本軍が撤退したのに代わって英国軍が再来し、5月にはほぼ全土を制圧して、英国によ
る統治を再開。
英国のアトリー首相と交渉の末、1948年に独立する段取りを整えたアウン・サン将軍は、7
月19日、多数の閣僚と共にテロリストによって殺害。
1月4日、独立を達成し、初代首相にウ・ヌーが就任。
ウ・ヌー首相は国軍トップのネ・ウィン将軍に政権を譲渡。これを受けたネ・ウィン将軍は暫
定首相となって、治安の回復と経済の安定に貢献。
ネ・ウィン暫定首相は約束通り総選挙を5月に実施し、再度ウ・ヌーが首相の座に返り咲く。
ネ・ウィン将軍は、3月2日にクーデターを決行し、政権を掌握。彼の独裁政権は、ビルマ社
会主義計画党(BSPP)の一党独裁体制を敷いて強権的政治を開始。
26年間のネ・ウィン体制に対して、国内各地で大規模な騒乱が発生。この混乱が深刻化す
る中、8月18日、無血クーデターが成功し、それまで国防大臣だったソー・マウン大将を議
長とする「国家法秩序回復評議会」(SLORC)が新政府となって、国軍が国家の全権力を
掌握。
5月27日に総選挙が行われ、反政府勢力である「国民民主連盟」(NLD)が圧勝したが、政
権移譲は不履行。その後、欧米諸国は種々の形で制裁を課す。
ソー・マウン大将が健康上の理由で辞職し、タン・シュエ議長が交代。
政権の最高機関の名称を「国家法秩序回復評議会」から「国家平和発展評議会」(SPDC)
に改め、政権を再編成。ASEAN加盟。
民主化を目指した「七段階のロードマップ」を発表。
大型サイクロンによる被害。ネーピードー(「王の住む土地」の意)への首都移転を公式発
表(10月10日)。
新憲法制定。2010年11月7日に総選挙を実施。
国名をミャンマー連邦共和国に変更し、国旗も変更(10月21日)。総選挙を実施(11月7
日)、連邦団結発展党(USDP)が8割の議席を獲得。
総選挙の結果に基づく国会が召集され、国家元首たる大統領にテイン・セイン首相が選
出。「国家平和発展評議会」(SPDC)政権はテイン・セイン新大統領の下に発足した新政府
に政権を移譲。
政治犯釈放、少数民族武装勢力との和平基本合意。
補欠選挙実施、アウン・サン・スー・チー氏の政界復帰。
EU経済制裁の1年間停止決定(EUからの投資が一時的に解禁)。
米国オバマ大統領が経済制裁の1年延長を発表。
米政府が米国企業によるミャンマーへの新規投資を解禁。
(出所)山口洋一(2011 年)歴史物語ミャンマー、カナリア書房
3
(補足1:英緬関係)
ミャンマーは、1885 年、第三次英緬戦争の翌年 1886 年に英国領インドに併合され、
英国はインド人の移住者を送り込んだ。
1886 年より 1890 年の 4 年間は、ミャンマーの様々な階層の人々が各地で蜂起した。
英国当局は、正規軍と憲兵を投入して弾圧した。特に、1887 年、チャールズ・クロス
ウェイト卿(Sir Charles Crosthwaite)がミャンマー全土を統治する首席弁務官に着任
すると、ゲリラに協力した村落は焼き払われ、再建を禁じられ、村長の一族は迫害を受
け、縁のない者を新たな村長とした。
英国は、1887 年にヤンゴン−ビエ間に鉄道を建設し、1890 年にはヤンゴン−マンダ
レー間に、さらに 1898 年にはミッチーナ、1907 年にはラシオ、パテイン、モーラミャ
インまでの支線が完成した。
エヤワデイ郵船会社(the Iravaddy Flotilla Commany)は航路を、また、道路も整
備され、軍事的な支配力を強化した。
英国は分割統治政策(policy of divide and rule)を積極的に進めた。統治形態として、
最上層を英国人が、その下の階層に流通業を主として行う中国人華僑や、地主や金貸し
のインド人が、さらに下の下級階層にはキリスト教に改宗させられたカレン族等の少数
民族が占め、多数を占めるビルマ族は最下層の農民と労働者になった。
また植民地軍の採用は、インド出身のパンジャブ族に加えて、少数民族のカレン族、
カチン族、チン族に限定し、ビルマ族とシャン族は除外された。
こうして、ミャンマーにおける民族間の対立はいまも続いていいるのである。
(出所)山口洋一(2011 年)歴史物語ミャンマー、カナリア書房
(補足2:日緬関係)
日本は、南方に活路を求めようと「南進論」を企図し、中国への補給ルートの一つで
あるミャンマー経由の「援蒋ルート」を寸断するため、対ミャンマー謀略工作として、
「南機関」を立ち上げた。鈴木敬司陸軍大佐は、日緬協会書記兼読売新聞特派員「南益
世」と名乗って、タキン党と接触し、アウン・サン、フラ・ミャインら30名の愛国青
年(後に、30人の志士)らを、1941 年6月より海南島の特別訓練施設で訓練を受け、
同年 12 月 28 日には、
「ビルマ独立軍」(Burma Independence Army)が設立された。
その後、日本軍とともにミャンマーに侵攻したビルマ独立軍は、1942 年 3 月 18 日に
ヤンゴン入りする。日本軍は軍政を敷き、南機関長鈴木大佐には帰国命令が発せられ、
南機関は自然消滅してしまった。ビルマ独立軍は、ビルマ国防軍(Burma Defence
Army)に再編成された。バー・モウ博士は憲法を制定し内閣を組閣し、1943 年 8 月 1
日に独立を宣言した。ビルマ国防軍は、ビルマ国軍(Burama National Army)と改名
された。
日本軍は 1944 年 3 月インパール作戦を実施するが失敗し、1945 年 3 月アウン・サン
将軍は日本軍に対して決起した。
(出所)山口洋一(2011 年)歴史物語ミャンマー、カナリア書房
4
8.省庁と閣僚
ミャンマーの改造内閣閣僚
番号
省名
大統領
副大統領
副大統領
英文名称
President
Vice-President
Vice-President
大統領、副大統領、大臣
U Thein Sein(留任)
U Nyan Htun(留任)
Dr. Sai Mauk Kham(留任)
(1) U Thein Nyunt(留任)
(2) U Soe Maung(留任)
(3) U Soe Thein(留任)
(4) U Aung Min(留任)
(5) U Tin Naing Thein(留任)
(6) U Hla Tun(留任)
1
大統領府
President Office
2
国防省
Ministry of Defense
Lt-Gen Wai Lwin(留任)
3
内務省
Ministry of Home Affairs
Lt-Gen Ko Ko(留任)
4
国境省
Ministry of Development of Border
Areas and National Races
Lt-Gen Thet Naing Win(留任)
5
外務省
Ministry of Foreign Affairs
U Wunna Maung Lwin(留任)
6
情報省
Ministry of Information
U Aung Kyi(留任)
7
文化省
Ministry of Culture
U Aye Myint Kyu(留任)
U Myint Hlaing(留任)
8
農業灌漑省
Ministry of Agriculture and Irrigation
9
環境保護・林業省
Ministry of Environmental Conservation
U Win Tun(留任)
and Forestry
10
財務省(2013年7月10日名称
Ministry of Finance
変更)
U Win Shein(留任)
11
建設省
Ministry of Construction
U Kyaw Lwin(留任)
12
国家計画・経済開発省
Ministry of National Planning and
Economic Development
Dr. Kan Zaw(留任)
13
商業省
通信・情報技術省(2012年
11月9日名称変更)
労働・雇用・社会保障省
(2012年11月9日名称変更)
16
社会福祉・救済・復興省
17
鉱山省
Ministry of Commerce
Ministry of Communication and
Information Technology
Ministry of Labour, Employment and
Social Security
Ministry of Social Welfare, Relief and
Resettlement
Ministry of Mines
18
畜水産・地方開発省(2013
年8月9日名称変更)
Ministry of Livestock, Fisheries and
Rural Development
U Ohn Myint(留任)
14
15
U Win Myint(留任)
U Myat Hein(留任)
U Aye Myint(2013年7月25日)
(前工業相)
Dr. Daw Myat Myat Ohn Khin(留任)
Dr. Myint Aung(留任)
19
協同組合省
Ministry of Cooperatives
U Kyaw Hsan(留任)
20
運輸省
Ministry of Transport
U Nyan Tun Aung(留任)
21
ホテル観光省
Ministry of Hotels & Tourism
U Htay Aung(留任)
22
スポーツ省
Ministry of Sports
U Tint Hsan(留任)
23
工業省
Ministry of Industry
U Maung Myint(2013年7月25日)
(前労働・雇用・社会保障相)
24
鉄道省
Ministry of Rail Transportation
U Than Htay(2013年7月25日)
(前エネルギー相)
25
エネルギー省
Ministry of Energy
U Zeyar Aung(2013年7月25日)
(前鉄道相)
26
電力省
Ministry of Electric Power
U Khin Maung Soe(留任)
27
教育省
Ministry of Education
Dr. Mya Aye(留任)
28
保健省
Ministry of Health
Dr. Pe Thet Khin(留任)
29
宗教省
Ministry of Religious Affairs
Hsan Hsint(留任)
30
科学技術省
Ministry of Science and Technology
Dr. Ko Ko Oo(留任)
31
入国管理・人口省
Ministry of Immigration and Population U Khin Yi(留任)
(出所)ミャンマー大統領府「Myanmar Investment Guide」、ジェトロ 2013年10月2日付「通商弘報」より作成
5
副大臣
(1) U Thant Shin(留任)
(2) U Aung Thein(留任)
(3) Dr. Win Myint(2013年7月25日)
(前建設副大臣)
(1) Maj-Gen Kyaw Nyunt(留任)
(2) Brig. Gen Aung Thaw(留任)
(1) Maj-Gen Kyaw Zan Myint(留任)
(2) Police Maj-Gen Kyaw Kyaw Tun(留任)
Maj-Gen Maung Maung Ohn(2013年7月25日)
(1) U Thant Kyaw(留任)
(2) U Tin Oo Lwin(2013年8月13日)
(前・在シンガポール・ミャンマー大使)
(1) U Paik Htway(留任)
(2) U Ye Htut(留任)
(1) Daw Sandar Khin(留任)
(2) U Than Swe(留任)
(1) U Ohn Than(留任)
(2) U Khin Zaw(留任)
(1) U Aye Myint Maung(留任)
(2) Dr. Daw Thet Thet Zin(留任)
(1) Dr. Lin Aung(留任)
(2) Dr. Maung Maung Thein(留任)
(1) U Soe Tint(留任)
(2) Dr. Win Myint(留任)
(1) Dr. Daw Khin San Yi(留任)
(2) Daw Le Le Thein(2013年8月13日)
(前計画局長)
Dr. Pwint San(留任)
(1) U Win Than(留任)
(2) U Thaung Tin(留任)
(1) Daw Win Maw Tun(留任)
(2) U Htin Aung(2013年7月25日)
(1) U Phone Swe(留任)
(2) Daw Su Su Hlaing(留任)
U Than Tun Aung(留任)
(1) U Khin Maung Aye(留任)
(2) Dr. Aung Myat Oo(2013年8月13日)
(前陸軍獣医)
(3) U Tin Ngwe(2013年9月9日)
(前ネピドー委員会委員)
U Than Tun(留任)
(1) U Han Sein(留任)
(2) U Zin Yaw(2013年8月7日)
(前外務副大臣)
(1) Dr. Tin Shwe(留任)
(2) Dr. Sai Kyaw Ohn(2013年9月9日)
(国民代表院(下院)議員))
(1) U Thaung Htaik(留任)
(2) U Zaw Win(2013年7月29日)
(前陸軍准将)
(1) U Thein Aung(留任)
(2) U Myo Aung(留任)
(1) U Chan Maung(留任)
(2) U Myint Thein(2013年7月25日)
(前労働・雇用・社会保障副大臣)
(1) U Aung Htoo(留任)
(2) U Myint Zaw(2013年8月7日)
(前電力副大臣)
U Aung Than Oo(留任)
(1) Dr. Myo Myint(留任)
(2) Dr. San Lwin(2013年7月25日)
(前ヤンゴン経済大学長)
(3) Dr. Zaw Min Aung(2013年7月25日)
(前科学技術副大臣)
(1) Dr. Win Myint(留任)
(2) Dr. Daw Thein Thein Htay(留任)
(3) Dr. Than Aung(2013年7月25日)
(前ネピドー委員会委員)
(1) Dr. Maung Maung Htay(留任)
(2) U Soe Win(留任)
(1) U Ba Shwe(2013年7月25日)
(前教育副大臣)
(2) Dr. Aung Kyaw Myat(2013年7月25日)
(前先端科学技術局長)
(1) U Kyaw Kyaw Win(留任)
(2) Brig. Gen Win Myint(留任)
9.ASEAN の中でのミャンマー
1967 年にインドネシア、マレーシア、タイ、フィリピン、シンガポールの 5 ヵ国で
発足した ASEAN は、その後 5 ヵ国が加盟し、2011 年時点の加盟国は 10 ヵ国、総人口
が 6.1 億人、名目 GDP が 2.18 兆ドルの規模になっている。名目 GDP は世界第 8 位の
イタリア(2.20 兆ドル)に相当する。2011 年のミャンマーは、人口で 5 位、名目 GDP
規模で8位、1 人あたり GDP ではともに10位と、規模や所得水準の点では相対的に
発展が遅れている。
図表 1 ASEAN 諸国の比較表(2011 年)
人口 面積
名目GDP 1人あたり所得
万人 1,000k㎡ 億ドル
ドル
527
0.7
2,598
49,271
43
6
164
38,534
2,855
331
2,879
10,085
6,408
513
3,457
5,395
24,103
1,911
8,465
3,512
9,586
300
2,248
2,345
8,932
349
1,227
1,374
629
237
83
1,320
1,510
181
129
853
6,242
677
514
824
60,834
4,505
21,764
3,578
シンガポール
ブルネイ
マレーシア
タイ
インドネシア
フィリピン
ベトナム
ラオス
カンボジア
ミャンマー
合計(平均)
【参考】
日本
12,790
中国
134,735
インド
120,692
EU(27カ国)
50,052
NAFTA(3カ国) 46,012
378
9,597
3,287
4,326
21,578
58,665
72,981
18,268
176,108
179,857
45,870
5,417
1,514
35,185
39,089
(出所)IMF、外務省より作成
10.外国直接投資状況
ミャンマーへの外国投資の産業別承認額累計(2013 年 8 月 31 日時点)では、金額ベ
ースでは電力が 44%、石油・ガスが 33%と上位2業種で 77%を占める。件数ベースで
は、製造業が 274 件と 45%、石油・ガスが 115 件 20%を占める。
また、ミャンマーへの外国投資の国別承認額累計では、金額ベースでは、中国が 32%、
タイが 23%、香港が 15%を占める。件数ベースでは、シンガポール 93 件、韓国 83 件、
タイ 66 件の順である。日本は、37 件、2.7 億ドルで 11 位である。
6
図表 2 業種別外国投資承認累計額(2013 年 8 月 31 日時点)
承認件数(件)
電力
石油・ガス
鉱業
製造業
ホテル・観光
不動産
牧畜・水産業
運輸・通信
工業団地
農業
建設
その他サービス業
承認額(百万ドル)
6
115
67
274
48
21
26
16
3
10
2
12
600
19,237
14,372
2,829
3,403
1,590
1,129
347
313
193
185
37
41
43,676
(出所)Directorate of Investment and Company Administration(DICA)
図表 3 国別外国投資承認累計額(2013 年 8 月 31 日時点)
国
承認件数(件)
中国
タイ
香港
韓国
英国
シンガポール
マレーシア
フランス
ベトナム
インド
日本
その他
50
66
57
83
60
93
46
2
6
9
37
91
600
承認額(百万ドル)
14,189
9,979
6,446
3,037
3,045
2,436
1,625
469
511
283
274
1,382
43,676
(出所)Directorate of Investment and Company Administration(DICA)
7
Fly UP