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うつ病患者の家族看護者が抱える社会的負担を 構成する要素の解明

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うつ病患者の家族看護者が抱える社会的負担を 構成する要素の解明
情報処理学会論文誌
Vol.55 No.7 1706–1715 (July 2014)
うつ病患者の家族看護者が抱える社会的負担を
構成する要素の解明
山下 直美1,a)
葛岡 英明2
平田 圭二3
工藤 喬4
受付日 2013年8月29日, 採録日 2014年4月4日
概要:本論文の目的はうつ病患者の家族看護者が直面する困難を明らかにし,家族看護者が生活の質を維
持するために必要な ICT 支援について提案を行うことである.そのため我々は,家族のうつ病患者を看護
した経験がある成人 15 名に対面インタビューを行い,分析を行った.その結果,家族看護者が抱える矛盾
や葛藤,家族看護者が自身のストレス軽減のために取っている方策,そして情報技術が彼らの日常生活に
果たしている機能が明らかになった.この調査結果に基づき,うつ病患者の家族看護者に対する ICT 支援
方法を検討した.
キーワード:うつ病,家族看護者,精神的負担,ICT 支援
Understanding the Social Burden of Family Caregivers Looking
After Depressed Family Members
Naomi Yamashita1,a)
Hideaki Kuzuoka2
Keiji Hirata3
Takashi Kudo4
Received: August 29, 2013, Accepted: April 4, 2014
Abstract: In this paper, we aim to uncover the challenges faced by family caregivers caring for a depressed
sufferer and consider ways to support their well-being with the use of technology. To understand the burden
of caregivers and how they handle their stress, we conducted in-depth interviews with 15 individuals who
have cared for a depressed family member. Through the interviews, we describe the multifaceted dilemma
they faced. Based on our findings, we suggest design implications for technologies to improve the wellness of
caregivers who are looking after depressed family members.
Keywords: Depression, family caregiver, stress, ICT support
1. はじめに
大うつ病(以後,うつ病)とは,仕事,睡眠,学習,摂
食,娯楽など,発症前は問題なくこなしていた活動に支障
を及ぼす精神疾患である [24].近年うつ病患者数は増加傾
1
2
3
4
a)
日本電信電話株式会社 NTT コミュニケーション科学基礎研究所
NTT Communication Science Laboratories, Souraku, Kyoto
619–0237, Japan
筑波大学大学院情報工学研究科
University of Tsukuba, Tsukuba, Ibaraki 305–8573, Japan
公立はこだて未来大学
Future University Hakodate, Hakodate, Hokkaido 041–8655,
Japan
大阪大学保健センター
Osaka University, Suita, Osaka 565–0871, Japan
[email protected]
c 2014 Information Processing Society of Japan
向にあり,その発症人口は世界中で 35 億人にものぼると
いわれている.WHO によるとうつ病は 2030 年には世界
経済や社会に負担を来す最大の健康障害になるともいわれ
ている [27].
これまで情報技術の分野(特に Human Computer Inter-
action)において様々な疾病の治療・看護支援のために技
術開発が進められてきたが [4],うつ病を対象とした研究事
例はいまだ少ない.また,うつ病を対象としたわずかな研
This work is based on an earlier work: Understanding the Conflicting Demands of Family Caregivers Caring for Depressed Family Members, in Proceedings of the
SIGCHI Conference on Human Factors in Computing Systems (CHI ’13) ACM (2013). http://doi.acm.org/10.1145/
2470654.2481365
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究事例も,患者に提供されるケアやサービスを充実させた
に用いられている DSM-IV-TR [1] によれば,大うつとは,
り [6], [9], [10],看護者の介護活動を支援することを目的と
深刻な抑うつ気分,あるいは興味や喜びの喪失が 2 週間以
しているものが大半である [8], [11], [21].うつ病患者の家
上継続する症状である.たいていの場合,大うつを発症し
族は患者から様々な影響を受けることが指摘されているに
た患者は社会活動に参加できない状態が 5 カ月以上も継続
もかかわらず [2], [18],家族の心身の健康に焦点を当てた
してしまう [13].大うつエピソードの間,患者はあらゆる
研究はほとんど存在しない.
社会活動をネガティブにとらえ,何か良くないことが起こ
大うつ患者を介護する家族(以後,家族看護者),特に
るのではないかという不安に苛まれる [13], [16].患者のそ
配偶者はうつ病によって生活が一変する.たとえば,夫が
のような何事に対しても否定的・悲観的な態度は,他者に
うつ病を発症し自宅に引きこもりがちになると,妻は家庭
も良くない影響を与えるため,ひいては人間関係を喪失す
での夫の扇動的な言動や無気力な態度に直面し振り回され
る事態に発展しやすい.
ることとなる [2], [16].しかしそのような場合でも,家族
これは家族との関係においても例外ではない.家族看護
看護者は患者の病状を悪化させまいと自分の感情を抑圧し
者は患者の無気力さ,苛立ち,暴言,自己中心的な振舞い
がちである.実際,うつ病患者を持つ家族向けのガイドラ
などによって,大きなストレスを受ける [2], [18].こうし
インでは,患者を非難も激励もしないことが勧められてい
たストレスは家庭としての機能を不全な状態に陥れる.事
る [24].
実,約 50%の家族看護者は家庭が不健全な状態にあると感
この問題をいっそう深刻にしているのは,患者の人間関
係にとどまらず家族看護者自身の人間関係もが希薄になっ
じており,医師はうつ病患者がいる家庭の 70%が不健全な
状態であると回答したと報告がされている [18].
てしまうことである [2], [26].社会的な偏見を恐れ,友人
このような人間関係上の問題は家族看護者と患者の間だ
関係が損なわれることを恐れるため,親友にさえ自らの感
けではなく,家族看護者と社会との関係にも見ることがで
情を打ち明けることをためらい,結果として交友関係が
きる.うつ病は適切な治療によって治癒することができる
疎遠になってしまいやすい [15].そうした苦難や喪失感に
とされ [20],誰でもかかりうる病気として広く認知されるよ
よって,家族看護者自身もうつ病になってしまうことがあ
うになったが,いまだにこの病気に対して強い偏見(social
る [2].そうなると患者にもさらに悪影響を与えることにな
stigma:社会的不名誉.以後,本論文では単に「スティグ
りかねない.家庭内で悪循環に陥ってしまうことを未然に
マ」とも書く)が帰せられているのが現状である.その結
防ぐために,家族看護者にかかる負荷の実際を理解し,そ
果,家族看護者は精神科・心療内科と連絡をとったり,適
の知見に基づいて彼らの負担を軽減することが重要である.
切な看護のためのトレーニングを受けない傾向がある.我
そこで本研究では,うつ病患者の家族看護者の精神的・
が国の文化は特に,痛みや苦痛を見せないことを美徳とす
社会的負担を軽減し彼らの生活の質を向上させる方法を考
るため,問題が深刻化しやすいことを主張する研究もある.
案するために,うつ病患者の家族看護者が抱える困難を抽
このような背景によって,患者だけではなく,家族看護者
出することを目的とした.具体的には,15 人の家族看護
までも他者に病気のことを話すことをためらってしまい,
者を対象に,以下の調査項目に関してインタビューするこ
それによって社会的に孤立してしまうのである [2].
とによってうつ病患者の家族看護者が抱える困難を抽出
した:
• 家族看護者がうつ病の看護においてどのような困難に
直面しているのか.彼ら特有のニーズは何か.
2.2 看護の負担
家族看護者は社会的に孤立することによって,看護や自
分の身の回りの負担によるストレスを自身で抱え込んでし
• 家族看護者はそれらの困難にどう向き合いどう対処し
まう傾向が強い [22].したがって,家族看護者のストレス
ているのか.その中で情報技術はどのような役割を果
を一時的にでも開放できる場を提供することが重要なので
たしているのか.
ある [25].
• 家族看護者のニーズを満たす情報技術とはどのような
うつ病が家族看護者に負担を強いるもう 1 つの要因は,
ものか.また,彼らが日常生活の中で行っている対処
寛解期の患者に特徴的に見られる気分の波である [24].基
法を促進・支援する情報技術とはどのようなものか.
本的な気分の波は,朝方気分が落ち込み,夕方に改善する
本論文では,インタビューの分析結果について述べ,家
というものである [20].さらに問題なのは,うつ病が再発
族看護者の負担を軽減させる技術的な可能性について議論
しやすい病気であるということである.ひとたび再発する
する.
2. 背景
2.1 大うつと社会的ひきこもり
精神疾患を分類・診断するための手引き書として一般的
c 2014 Information Processing Society of Japan
とその後の再発率は著しく向上し,2 回目の再発率は 70%,
その次の再発率は 90%となる [19].このような気分の波や
再発は,家族看護者を混乱させ,不安を増大させる.
このように,うつ病患者の家族看護者は大きな負担を強
いられることになる.過度な精神的負荷は家族看護者の寿
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命を短くするという報告もある.したがって,家族看護者
の負荷軽減は重要な課題である [14].
3. 調査方法*1
3.1 参加者
2.3 健康管理技術
本調査では,現在うつ病の家族を看護している,あるい
前述のように家族看護者の負荷やストレスの軽減が必要
は過去 2 年以内に看護したことのある成人 15 名(女性 11
とされているにもかかわらず,ヘルスケアに関する HCI
名,男性 4 名,平均年齢 41.9 歳)にインタビューを実施し
研究のほとんどは患者の治療や介護をより効果的・効率的
た [28].参加者はすべて,大うつと診断された家族の主た
に行う方法に焦点を当てている.精神性疾患に関する HCI
る看護者であった.11 名は患者の配偶者,2 名は兄弟,残
研究では,オンラインセラピーやオンラインマニュアルの
りの 2 名は患者の父親,または娘であった.1 人を除いて
充実化など,従来の治療やサービスに対するアクセスを
全員,患者と同居していた.インタビューは大阪で 10 件,
向上させる研究が中心である [4], [6], [7], [10].たとえば,
東京で 5 件実施した.
Doherty らは,患者が認知行動療法の過程で脱落してしま
いやすいことに注目し,オンラインの認知行動療法で患者
3.2 データ収集
の疲弊を軽減する手法を提案した [9].さらに Brosnan ら
我々は家族看護者のプライバシに留意した結果,医療機
は,うつ病にかかった若者が,認知行動療法に前向きに取
関経由ではなくマーケティング会社を介してインタビュー
り組めるようにエンターテインメント性を取り入れたシス
対象者を探すこととした.マーケティング会社は約 220 万
テム開発に関する研究を行っている [3].
人の登録者の中から本調査の条件に合致し協力する意思の
ヘルスケアに関する HCI 研究をより広く調査すると,看
ある者を 15 名選抜した(図 1).
護者の介護活動の支援を目的とした研究も多数見つけるこ
通常,このような家族看護者に対する調査を実施する場
とができる.たとえば,患者の活動を遠隔からモニタする
合は,精神科医を通して,その患者の家族看護者を紹介し
システムやデバイス技術 [11],あるいは他の看護者との協
てもらうのが一般的である.しかし,そうした場合,患者
調を支援する技術 [5], [26] などがある.しかしながら,こ
からの同意を得ることが必須となり,そのことによって家
れらは看護者の生活を改善することを目的としたものでは
族看護者は患者に気を使って,本音が話せなくなってしま
なく,患者の看護を改善することを目的としている.こう
う可能性がある.これに対して,マーケティング会社を介
した技術によって,たしかに患者の看護の効果を向上させ
して家族看護者を選抜する方法では,インタビュープロセ
られるかもしれないが,多くの場合,看護者の負荷を増加
スに患者が介在しないため,患者本人にインタビューのこ
させてしまうということに注意しなければならない [26].
とを話すか否かは家族看護者自身にゆだねられる.この方
一方,看護者の負荷を軽減することに着目した研究は少
法によって,筆者らは家族看護者が日々の生活についてよ
ない [8], [21].これらの研究は,認知症の両親や重病の乳
り話しやすくなると期待した.
幼児など慢性疾患を抱えた家族看護者の負荷軽減を目指し
インタビューは,マーケティング会社に所属するインタ
ているが,いずれも社会的・精神的な支援を受けることの
ビューの専門家(以下インタビュアと呼ぶ)に依頼した.
必要性を主張している点で共通している.そうした研究の
インタビュアは特に本研究分野の専門家ではないが,様々
多くは,ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)的
なプロジェクトに参加してきた,プロフェッショナルのイ
な遠隔コミュニケーションツールを利活用することを勧め
ンタビュアである.家族看護者と直接対話したのはインタ
ている.
ビュアのみであり,家族看護者を特定できるような個人情
これらの研究は,いわゆる患者を看護する家族に対する
社会的な支援の有効性を示したが,うつ病患者の家族看護
者を支援する場合にはそう単純ではない.本論文において
示すとおり,うつ病患者の家族看護者の多くは,親しい友
人や家族(両親)に,病気に関して話したがらず,むしろ
古い友人や面識のない人たちに話しているのである.
うつ病患者の家族看護者の社会的・感情的なストレスを
緩和するシステムをデザインするためには,そのストレス
の本質,そして家族看護者のニーズや他者との社会的関係
性に関する要求について,理解しなければならない.本研
図 1
究は,これらのことを明らかにし,その知見に基づいて,
Fig. 1 Research framework.
家族看護者の生活の質を向上させることができる情報技術
に対する示唆を与えることで,この分野に貢献する.
c 2014 Information Processing Society of Japan
*1
本研究のフレームワーク
本調査は第 1 著者の所属機関における倫理審査委員会の承認を受
けた上で実施している(承認番号:H25-019)
.
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表 1 患者の症状に関する家族看護者の見解
Table 1 Interviewee perceptions of sufferer condition.
3.3 家族看護者から見た患者の状態
家族看護者には,インタビューに先立って患者の生活ス
図 2
インタビュールーム
Fig. 2 Interview room.
報はマーケティング会社によって管理された.
研究者とインタビュアの間で本プロジェクトの目的を共
有し,家族看護者の選抜条件,インタビュー方法とインタ
タイルや入院歴・通院歴と服薬状況について,アンケート
に回答してもらった.また,患者がうつ病の急性期にあっ
たときの症状の重篤度を推察するために,家族看護者には
当時の患者の状態を思い起こし,DSM-IV-TR と簡易抑う
つ尺度(QIDS-J *2 )にも回答してもらった.
ビュー内容を決めるために,綿密な打ち合わせを複数回
表 1 に示すとおり,家族看護者から見た急性期における
行った.家族看護者の選抜に際しては,マーケティング会
患者の DSM-IV-TR の見解値はいずれも,うつ病と判定さ
社登録者に対して実施したウェブによる調査結果と電話確
れる最低値(5)を上回っていた.うつ病の重篤度を診断
認によって候補者を絞った.自分自身がうつ病であると診
する QUIDS-J の中央値は 19 で,重篤であると判定される
断された家族看護者は対象から除外した.インタビュー内
値(15)を上回っていた.
容は,まず研究者が精神科医の助言を受けつつ,半構造化
患者の年齢は 30 歳∼47 歳(平均 40.7 歳,標準偏差 5.6
インタビューの草稿を作成した.次にインタビュアが,家
歳)であった.患者の大半は男性(11 名)で,既婚者(13
族看護者から談話が引き出しやすくなるように,草稿を再
名)であった.すべての患者はうつ病になる前は有職者で
構成した.
あり,12 名は家族の主たる稼ぎ手であった.うつ病を発症
インタビューでは,家族看護者の経験談について聞き出
するまでは仕事をしていたが,急性期には会社を休まなけ
した.具体的には,看護におけるストレスやその対処方
ればならなかった.インタビューの時点で 14 名はすでに
法,発病の前後における患者との接し方の変化,それにと
復職していたが,そのうち 5 名の患者がうつ病の再発によ
もなったコミュニケーションメディア利用の変化,家族看
る再度の休職を経験していた.なお,1 名を除いて全員が
護者の社会的な交流における変化,看護のストレスを誰に
定期的に医師の診察を受けており,毎日抗うつ剤を飲んで
打ち明けたのか,なぜその人物を選んだのか,その人物と
いた.
のコミュニケーションにはどのようなメディアを利用した
か,等について聞き出した.
3.4 データ分析
家族看護者に対するインタビューに要した時間は 1 人あ
インタビューは,家族看護者の自宅,自宅付近の喫茶店,
専用のインタビュー室を候補としたが,家族看護者の要望
たり 2 時間から 2 時間半であった.インタビューの会話は
により,専用のインタビュー室をレンタルして,そのなか
すべて録音し,トランスクリプトの作成に利用した.
データ分析にはグラウンデッド・セオリー・アプローチ
で行った.
スタジオはインタビュー室とモニタ室が隣接した構成と
を採用した [12].グラウンデッドセオリーアプローチは,
なっていた(図 2).インタビュアと家族看護者を撮影す
インタビューや観察から得られた定性的なデータを手掛か
るビデオカメラは,インタビューの邪魔にならないように
りに社会現象の解明および理論の構築を目指した分析手法
隠蔽されていた.インタビュアが複数人いることによっ
である.本手法を用いることによって,たとえば既存の情
て,家族看護者に余計なプレッシャがかかることを避ける
報システムがユーザの生活にどのような影響を及ぼしてい
ために,直接対面するインタビュアは 1 名だけとした.も
るかを理解し,そこからユーザのニーズを洗い出したり支
う 1 名のインタビュアは補助要員となり,モニタ室でイン
援方法を検討することが可能である.
タビューを観察し,質問項目に抜けがないかどうかを確認
グラウンデッドセオリーアプローチの大まかな手順とし
した.このとき,研究者もモニタ室で観察し,家族看護者
ては,まず得られたデータをできる限り客観的に細分化
に対して追加の質問が生じた場合には紙に書きとめ,イン
し,次に細分化された文に対して抽象度の低い概念・テー
タビュアが一時的にモニタ室に戻った際に手渡した.
マ(ラベル)を付与し,その後,似たラベルを統合するこ
とによって上位概念(テーマ・カテゴリ)を形成する.こ
*2
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http://counsellingresource.com/lib/quizzes/depressiontesting/qids-depression/
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れらの作業はオープンコーディングと呼ばれている.これ
し,何に対しても否定的・悲観的にとらえたり,忘れっぽ
らのテーマを,場所や時間的な前後関係の情報をもとに関
くなったり,時には攻撃的になった.こうした症状が,発
連付けし,社会現象を説明する理論を構築する.
病前の患者のもともとの性格と異なるとき,発症後の患者
本研究では,得られたインタビューデータに対して,ま
の言動が家族看護者の予想・期待する患者の言動と大きく
ず筆者らのうち 2 名が文章化されたインタビューをランダ
乖離することになる.
ムに 5 件選び,そこからさらに特徴的な発言を選び,オー
1) うつ病患者の気分の波と再発
プン・コーディングを行い,ラベル付与・カテゴリ分類を
うつ病患者の気分の波や再発は,家族看護者を一喜一憂
行い,うつ病に関連の深い思考,感情,振舞い,現象など
させ,翻弄させる要因となっていた.患者の症状に改善の
(以下テーマと呼ぶ)を絞り込んだ.次にそれらのテーマ
兆しが見られると,このまま直るのではないかと大いに期
を 2 名の間で突き合わせ,残り 10 件のインタビューでも
待はするものの,多くの場合そうした期待は裏切られるこ
それらテーマが有効であることを検証した.
とになった.以下に,家族看護者の発言を引用する.括弧
4. 分析結果
インタビューの結果,家族看護者の精神的および社会的
内には家族看護者に付与した番号と,患者との関係を示
した.
[大阪 2,兄弟] 弟の気分の波には本当に振り回されまし
ストレスに関して次の 3 つのテーマが見い出された(図 3)
.
たね.やっと良くなって仕事に復帰できたと思って喜
具体的には,(1) 期待と現実の乖離,(2) 第三者と心の内を
んでいたのに,また症状が出てくると,またかと思っ
共有したい気持ちと身内の病気を秘匿したい気持ちのジレ
てすごく落胆しましたね.
ンマ,(3) 患者のことをもっと理解して再発防止に努めたい
2) 記憶力の低下
という気持ちとつらい看護を忘れて現実逃避してしまいた
インタビューに参加した家族看護者の多くは,患者の記
いという気持ちのジレンマである.(1) がうつ病患者の家
憶が急激に低下してしまったことを口にした.家族看護者
族看護者に共通するストレスの構成要因であるのに対し,
は患者の記憶低下に苛立ちをおぼえ,しばしば患者と「言っ
(2),(3) はストレスを軽減することを阻害する要因である.
た,言わない」の口論をしたという.こうした口論を避け,
記憶力の低下を補うために,多くの家族看護者は,患者と
4.1 期待と現実の乖離
今回のインタビューにおいて,すべての家族看護者が,
話し合ったことを書き留めるようになった.たとえばスケ
ジュールや重要な事項をカレンダやホワイトボード,ポス
患者の言動が発症前のものとは異なり,自分の予想や期待
トイットに書き留める家庭や,情報技術を利用する家庭な
と異なることに対する困惑や苦悩を口にした.本節では,
どが見られた.
家族がうつ病患者を看護することにともなうストレスの 3
[東京 4,夫婦] 昔は,メールを送るとすぐに返信する
つの側面について述べる.また,そうした問題の緩和に有
マメな人でした.病気になってから,メールをよく見
効と思われる情報技術の利用に関しても報告する.
忘れたり,返事をし忘れたりするようになりました.
4.1.1 うつ病家族から受ける影響
忘れ物も多いです.忘れやすいので,履歴を残すため
うつ病の症状によって,多くの患者は気分の波を経験
に,話した後にメールすることが増えました.あと,
集中力も持続しないみたいで.御遣いを頼んでも,1
つのメールに 3 つも書いてあると,1 個しか見なかっ
たり,他の 2 つを忘れたりするから,1 つのメールに
1 つずつ書いて,3 通メールを送る,という風にして
ました.開いて見て,開いて見て,というかんじで,3
つ頼んだってこととか,少しは記憶が持続するかなと
思って.
なかには,患者がテキストメッセージをきちんと読んだ
かどうかをはっきりさせるためのルール作りをした家庭も
あった.
[大阪 5,夫婦] 読んでも返事がないときは,読み忘れ
ているのか不安になるので,
「了解」だけでも読んだ
時点で返事するようにルールづけました.
3) ネガティブな反応
図 3 家族看護者の精神的ストレスを形成する要因
Fig. 3 Factors that shape emotional stress of family caregivers.
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家族看護者は,しばしば,想像を超えた患者のネガティ
ブな反応に困惑した.何事に対しても悲観的になってしま
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うことはうつ病の典型的な症状であるが,予想以上に後ろ
問がしたいです.できれば夫なしで,先生と一対一で,
向きな患者の反応に,家族看護者は時として戸惑うことが
本当のことを,真実を聞きたいです.でも,夫なしで
あった.
は予約も取れないですよね.でも夫がいたら,
「まだ
[大阪 4,夫婦] プレッシャーをかけてはいけないと思っ
治らないですよ」とか言えないですよね.夫が聞くと
てかけた言葉(
「あんまり頑張らないでいいよ」みたい
ガッカリしてまた悪くなってしまったら困るでしょ.
な言葉)に対して,
「あたしのことなんてどうでもい
患者の話を鵜呑みにする医師の診断方法に対して疑問を
いの」とネガティブに捉えて食ってかかってきたり.
そうした家族看護者の予想を超えた後ろ向きな反応は,
抱く家族看護者もいた.
[東京 1,夫婦] 一度夫に内緒でお医者さんに会いに行
家族看護者が患者と一緒にいないときの方が多く見られた
きました.そうしたら,夫が医者に自分の都合のいい
ようである.
ことしか言っていないことがわかったんです.飲酒の
4) 攻撃的な態度
ことも内緒にしてましたし.なんだか復職するか否か
家族看護者の中には,患者の人格変化とも思える攻撃的
な態度に戸惑った者もいた.
も本人の言いなりの印象で,こんなので本当に治るの
でしょうか.
[東京 5,夫婦] 前だったら子供とのゲームでわざと負
けてあげたりしていたのに,本気になって怒ったり,
子供がそばを通っただけで「うるさい!」と怒鳴った
り.以前はこんな人じゃなかったんです.
[大阪 6,夫婦] 普段はあまり波のない人なのに,状
4.2 共有と秘匿のジレンマ
前述したとおり,家族看護者はうつ病に起因した変化に
よって困惑し,ストレスを感じていた.どの家族看護者も
誰かに話すことによって自身のストレスを解消したがって
態が悪くなると独り言が増えて怒りやすくなります.
いた.その一方で,他の人(特に親友や親族)には知られ
ちょっとしたことで,ものすごく怒るんです.
(· · ·)
たくないという相反する欲求も持っていた.うつ病は治る
そんなとき,言い返す方がいいのか,はいはいと聞き
病とされていることから,大半の家族看護者は,患者が社
流せばいいのか,正直わかりません.
(· · ·)とにかく,
会復帰するまでの間,ほとんど誰にも心境を打ち明けない
落ち込んでもらっては困るので私は小さくなって我慢
まま耐え抜こうとした.
していました.
4.2.1 他者への告白の躊躇
家族看護者は,患者のそうした行動を理解できないこと,
インタビューによると,家族看護者が第三者に親族のう
特にそれが病気のせいなのかどうか,どのように対処すべ
つ病のことを告白できない理由の 1 つは,患者を傷つけた
きかが分からないことに対して不安を訴えていた.
くないと気遣ったためである.その結果,特に患者のこと
[東京 1,夫婦] ただのわがままなのか,うつの症状な
を知る友達に告白できないことが分かった.
のかわからないときがあります.ちょっとうつ風を
[大阪 5,夫婦] 近所の家族ぐるみの親友には,あまり
装っているだけのように思えるときもありますし.寛
相談すると夫の傷になることが気になって,なかなか
容になっていればいいのか,怒るべきなのか,わかり
言えませんでした.勝手な噂が立っても怖いし.
ません.
5) 主治医に対する期待と現実
それでも患者を知る友人に患者のことを話さなければな
らないときは,話す内容に気を遣っていることが分かった.
家族看護者は,患者の期待に反した言動に困惑するだけ
[大阪 1,親子] 悩んでいることは知っておいて欲しい
ではなく,患者を治療する立場の主治医に対しても当てに
んです.でも,いつもわんわん泣いてるとか,具体的
できない不安を訴えた.
な内容までは知られたくないです.
[大阪 1,親] 母の診察に一回付き添ったことがありま
[東京 1,夫婦] 調子良くなると,休職中でもスポーツジ
す.お医者さんは優しそうだったけど,ものすごく待
ムに通ったりとか,そんなことはさすがに夫の知り合
たされたわりに話は短くて,薬を貰うだけの印象でし
いには言えないですよね.職場の同僚の耳にでも入っ
た.いつ頃治りそうか聞きましたけど,医者にもわか
てしまったらなんて思うかと思うと.
らんのだなぁ,と期待外れで遠いかんじがしました.
患者のことを告白できないもう 1 つの理由は,告白した
治療が患者中心であることに対して,不満や疎外感を口
ことによって見下されることを恐れたからである.うつ病
のする家族看護者もいた.
に関する社会的な偏見が存在することから,家族看護者は
[東京 4,夫婦] 病院の先生と一度会ってみたいです.い
うつ病に関して理解のない人に,患者のことについてあま
つ治るのか聞きたい.症状的には良くなって治ってき
り話をしたがらなかった.彼らは,相手が理解のある人物
てますか?とか,また悪くなりますか?この薬はいつ
か否かということについて非常に敏感であり,あまり自信
まで飲まなきゃいけないですか?私が何か気を付けな
がない場合には,話さないことを選んだ.以下の例は,う
きゃいけないことがありますか?とか,突っ込んだ質
つ病に対する他者の態度について,いかに後ろ向きに考え
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情報処理学会論文誌
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がちなのかということを示している.
[東京 5,夫婦] 夫の休職中,ママ友ランチは誘われても
行きませんでした.そんな気になれませんでしたね.
理解のない人に話しても仕方ないですし.
[東京 2,夫婦] 夫のことはずっと誰にも内緒にしてまし
のことや家の状態を書いていますが,知り合いには一
切教えてません.
ある家族看護者は,赤の他人に心情を話すことによって
自身のストレスを解消していた.
[東京 1,夫婦] 愚痴を聞いて貰うのは私にとってとて
た.知り合いでうつ病にかかった人がいるんですが,
も重要なことでした.だけど,難しいのは,親しい人
すごく攻撃的になってしまって,すごい迷惑を被った
ほど話しにくいってことです.私は誰かに吐き出した
ことがあるんです.うつ病というとそのイメージなの
くて,定期的に来る保険のセールスマンに聞いて貰っ
で,夫もそれと一緒と思われたくなくて.
たりしました.この人に言っても自分たちに何の影響
家族看護者はうつ病について他人に話したがらないだけ
ではなく,両親にさえも話したがらなかった.きちんと両
も与えないし支障ないと思って.大変ですねぇ,と共
感してくれるだけだけど,それが良かったです.
親に話した家族看護者は 2 名だけであった.心配をかけた
くないと両親のことを気遣うだけではなく,両親の勝手な
4.3 探究と逃避のジレンマ
憶測によって妙な判断をされてしまうのではないかという
4.3.1 探究したいという欲求
不安と,前述と同様の理由,すなわち患者に対する影響を
恐れ,両親にも話したがらなかったのである.
[東京 5,夫婦] いざというときに助けを頼まなければ
いけないかもしれないので,睡眠不足で体調崩して会
家族看護者は,患者の病気が早く治ることを望み,また
病気の再発を恐れた.そのため,うつ病の症状や治療,ど
のように患者と接するべきか,といったことについて,詳
しく知ろうとした.
社休んでるとだけ親に伝えました.親の世代は,うつ
[東京 4,夫婦] うつ,貧乏,自殺願望,子供 2 人といっ
病 = 心が弱いと思いやすいので.以前,夫が病気に
たキーワードでよくネットで検索しました.その人た
なる前,うつ病は遺伝するという話を親としたことが
ちがどうなっていくのか,どんな薬を使っているのか
あって,子供たちのことも考えると,とても言えない
と思いました.
知りたくて.そんな情報は本には載ってませんしね.
大半の家族看護者はうつ病に関する情報を集めるために
総じて,家族看護者はうつ病に関わる問題について,親
インターネットを活用していたが,サイトごとに別のこと
友や両親と話す機会があっても,プライドや患者に対する
が書かれていたために,情報の信頼性を疑問視する声が聞
気遣いによって,思いとどまっていたことが分かった.
かれた.
4.2.2 共有の実態
[東京 4,夫婦] ネットの情報の何をどこまで信じてい
家族看護者は親友や両親に打ち明けることができなかっ
いのか.完治すると書いてあるところもあれば一生治
たが,他者に話すことによって自身のストレスを解消した
らないと書いてあったり.本当の所を知りたいです.
いという欲求を持っていた.インタビューによれば,多く
なお,仕事に復帰した後は,再発することが心配なあま
の家族看護者は,似た境遇に置かれている旧友などを相談
り,患者が出勤している間の様子をモニタし続けたいと考
相手に選んでいた.
える人もいた.
[東京 3,夫婦] 友達で夫がうつ病の友人がいて,その
[東京 5,夫婦] 夫が会社に復帰してからの方が不安で
人にいつも愚痴を聞いて貰ってました.(· · ·) 遠いので
したね.特に復帰直後はメールを一日 10 回くらい送
主にメールを使ってましたが,互いに主人がいない時
りました.電車に乗れたかどうか,会社に無事到着し
間帯は電話で話すこともありました.会話内容は愚痴
たかどうか,昼ごはんはきちんと食べられたかどうか.
ばかり.ですが,似た状態で愚痴を言い合えて共感で
夫にストーカーかと言って怒られました.どうしても
きる連帯感は大きかったですね.友達の対応方法が参
気になって仕方がないときは,息子に電話をかけても
考になり,反省することもありました.
らったりもしました.
家族看護者は,患者を知らない人に対しては,安心して
[東京 4,夫婦](会社に復帰して 3 か月経過した)いま
病気に関する話をすることができたようである.自分の周
でも夫の状況は常に把握しておきたいです.もう二度
りで適用な人がいない家族看護者は,似た境遇に置かれて
とあの状態には戻りたくないので.子供たちもいます
いる他人のブログを読むことを心の支えにしていた.
しね.またいつ再発するかわからないし,気分の状態
[大阪 5,夫婦] 鬱のブログはよく読みました.これく
らいかかってるとか,生の声や対処法がわかって参考
になりました.本は症状知るには良いけど生々しさが
は知っておきたいです.
4.3.2 安寧のための現実逃避
家族看護者は,将来に対して不安になり,現状を改善す
足りないので共感というかんじにはなりにくいです.
る方法についてもっと知りたいと思う一方で,患者や病気
(· · ·) 自分自身もブログを書くようになりました.病気
のことをすべて忘れ去って自由になれる時間が欲しいとも
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感じていたようである.
[東京 4,夫婦] 夫は自殺願望があったので心配でした.
5.2 システム構築に対する示唆
本節では,インタビュー結果をふまえ,家族看護者のコ
でも毎日ゴロゴロして携帯ゲームばかりしているとイ
ミュニケーション環境(特に患者とのコミュニケーション)
ライラが募ってしまって,言ってはいけないと思いつ
を改善したり,自身のストレスを軽減する上で有効と思わ
つ,死にたければ死ねば?と言ってしまいました.こ
れる技術に対する示唆を述べる.
れではいけないと,実家に 1 週間くらい帰って貰って,
5.2.1 病状変化への適用に関する支援
その間に息抜きをしました.
それまで約束を忘れたことのないような人でさえ,うつ
[大阪 6,夫婦](夫の)仕事の愚痴を聞くと不安に思い
病になると記憶力が低下し [24],家族看護者と決めたはず
ました.会社でハミってるのではないかとか.私は心
の予定や約束事を忘れてしまうことがたびたび生じ,これ
配性なので,状況を知ってしまうと余計に不安になっ
によって衝突や喧嘩を引き起こしていた.この問題を回避
てしまうんです.選べるなら,知らない方の幸せをと
するために,ある家族看護者はテキストメッセージやス
りたいです.
マートホンのカレンダを利用していた.また,話した内容
総じて,家族看護者は患者の自殺を防止する方法や現状
をテキストメッセージで送信したりしていたこと.これら
を改善する上で有効な情報を知りたがっていたことがうか
のことから,重要な事柄については,口頭で話した内容を
がえる.しかしその一方で,不安を増加させるだけと思わ
簡単にテキストメッセージ化して患者と共有できるツール
れる情報からは目を背けたいと思っていることが分かった.
を提供すれば,こうした物忘れの問題を緩和できるであろ
5. 考察
5.1 本研究から得られた知見
う.予定に関しては,自動リマインダを送信できる機能が
あるとさらに効果的であろう.
5.2.2 共有する場の提供
本研究から,うつ病患者を看護する家族は様々な困難に
従来研究から,過度のストレスにさらされる家族看護者
直面していることが分かった(図 3)
.まず,患者がうつ病
が社会的なつながりを維持することは,自身の心身の健康
になる前の状態に基づいて期待したのとはまったく異なる
維持のために非常に重要であるといわれている.
言動をとってしまうことがあげられる.たとえば患者が極
これまでに,物理的・精神的に孤立した人々の社会的つ
度に物事を忘れやすくなってしまうこと,些細なことでも
ながりを改善するツールがいくつか提案されている.たと
ネガティブにとらえたり攻撃的になってしまうこと,そし
えば “digital family portraits” は,離れて暮らしている家
て気分の波である.さらに家族看護者は主治医とも満足に
族同士の社会的なつながりを向上させるためのツールであ
情報交換ができないことやアドバイスを受けられないこと
る [23].看護者の精神面のサポートでは,看護者と遠隔地
に落胆していた.
に住む看護者の家族とのコミュニケーションを支援する
このようにストレスのかかりやすい状況に置かれ,家族
ツールが Czaja らにより提案されている [8].Liu らは看護
看護者は現状を改善するための方策を必死に探していた.
者の負担・ストレス度を,看護者周辺のサポートグループ
多くの人が有用な情報を探したり,自分と似た境遇にある
と共有するシステムを提案している [21].
人のブログを探し,トラブルの対処法や将来の見通しの参
しかし本研究のインタビューに参加したうつ病の家族を
考にしようとした.しかしインターネット上に散乱する大
持つ看護者は,患者への影響などを考え,自身の感情を親
量のデータの中から自分たちと類似した家庭環境の家族を
友や両親に打ち明けることはほとんどなかった.したがっ
探すことは難しく,また矛盾する情報も多く,かえって混
て,ストレスレベルの可視化は,周囲からその原因を質問
乱のもとにもなることもあったようである.
されることにつながるので,看護者にとっては不都合であ
そのような中,家族看護者は悩みを共有し相談できる相
ると思われる.また,多くの家族看護者はつながりの薄い
手を欲していた.しかし,彼らは親友や両親を話し相手に
人々や同じ境遇にあるが患者とは知り合いではない人々と
は選ばず,同じようにうつ病の家族を持つ遠くの友人や旧
情報共有していたことから,両親や親友とのコミュニケー
友,あるいはほとんど接点のない赤の他人を選んでいた.
ション支援を行うのではなく,むしろつながりが薄くて境
彼らが親友や両親に会う機会がなかったわけではないが,
遇の似た人々と会話する場を提供することが効果的であ
そのような場合は,うつ病の家族については最小限の情報
ろう.
しか話さなかった.これは,家族看護者が患者を気遣った
そのようなツールやシステムとして,ソーシャルネット
り,話したことによってかえって傷つけられてしまったり
ワーキングサービス(SNS)と匿名ブログの組合せが考え
することを恐れたためである.結局,家族看護者は,スト
られる.まず,本研究が示すとおり,匿名ブログは家族看
レスを自分の中に閉じ込め,いつか事態が改善することを
護者のストレス軽減に有効であると考えられる.たとえ匿
期待したのである.
名ブログが誰にも読まれなかったとしても,書くという行
為自体が,看護者の精神状態を改善させるセラピー効果を
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持つことが知られている [17].SNS は,そうしたブログを
合,その対象者によって効果が異なってくる可能性がある,
共有するのに有効であると考えられる.しかし本研究が示
今後,性別や家族的な役割が異なる場合の家族看護者の負
すとおり,匿名性に関しては注意を要する.ブログには個
担について調査を継続していく必要がある.
人情報が書かれていなかったとしても,日々の出来事が書
謝辞
本研究は JSPS 科研費 24650434 の助成を受けた
かれていれば,近い知り合いであればその内容から本人を
ものです.本論文に有益なコメントをしてくださった査読
特定することができてしまう.そこで,匿名性をさらに向
者の方々に深謝します.
上させるために,知り合いがブログを読めないようにする
方法が考えられる.そのために,たとえば,SNS が管理
参考文献
するソーシャルグラフを利用することが考えられる.ソー
[1]
シャルグラフを反転させ,患者の知り合いではない人々を
検出し,その人々しかブログを読めないようにすることに
[2]
よって,家族看護者がより安心して心情を書き込むことの
できる場を持つことができると考えられる.
5.2.3 探究する場の提供
[3]
「探究したいという欲求」の節に示したとおり(大阪 6
と東京 4)
,多くの家族看護者は同じような境遇にある人々
のブログを探していた.興味深いのは,単にうつ病の家族
[4]
を看護している人を探していただけではなく,同じ家族構
成,収入,症状の人を探していたということである.同じ
境遇にある人々とつながる場は,ストレス軽減だけでなく
患者に対する理解や対応方法も参考になることが多いと思
[5]
われる.そうした探究を支援するために,同じような境遇
にある人のブログを紹介する機能が有用であろう.また,
「役立つ」ボタンを設けて,良い情報を提供しているブログ
[6]
を推薦する機能も有用であろう.さらに,症状や事例とそ
の対処法を簡単に検索できるノウハウデータベースも有効
であろう.家族看護者のブログを時間軸上に並べれば,似
[7]
たような境遇の家族がそれを見ることによって,将来どの
ようなことや症状が発生しうるかということを予想する材
料にできるので,不安を軽減できる可能性がある.
[8]
一方で家族看護者は Web やブログの信頼性について懸
念を示していた.そこで,医師や専門機関が保証した信頼
できる Web ページを集めたリポジトリを作れば,情報の
[9]
信頼性を向上させることができるであろう.また,上述の
ノウハウデータベースに医師が医学的なコメントを付加す
ることによって,やはり信頼性を向上させることができる
[10]
であろう.
5.2.4 本研究の限界点および留意点
本研究によって得られた知見は,調査参加者の属性に偏
[11]
りがあったことから一般化に限界があると思われる.本研
究の調査に参加した家族看護者は大半が女性であり,一家
の大黒柱である夫がうつ病を発症したことによる負担を打
[12]
ち明けたものが多かった.しかしうつ病に関する統計デー
タによると,男性よりも女性の方がうつ病の発症率が高い.
[13]
これは,世の中に占めるうつ病患者の家族看護者は男性で
あることの方が多いことを示唆している.本研究において
このようなケースは 15 件中 2 件のみであった.したがっ
て,本研究で得られた知見をもとにシステム構築を行う場
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葛岡 英明 (正会員)
1992 年東京大学大学院工学系研究科
情報工学専攻博士課程修了.博士(工
学).同年筑波大学構造工学系講師.
現在,筑波大学大学院システム情報工
学研究科教授.CSCW,HRI,HCI の
研究に従事.
平田 圭二 (フェロー)
1987 年東京大学大学院工学系研究科
情報工学専門課程博士課程修了.工
学博士.同年 NTT 基礎研究所入所.
1990∼1993 年(財)新世代コンピュー
タ技術開発機構(ICOT)に出向.2011
年より公立はこだて未来大学教授.
1993 年音楽情報科学研究会初代主査.NTT ではビデオコ
ミュニケーションシステム t-Room プロジェクトを率いる.
2005∼2007 年および 2011∼2013 年本会理事.2010 年よ
りデジタルプラクティス誌編集委員長.現在,音楽情報学
に加え,うつ病家族看護者の ICT 支援およびスマートシ
ティの研究に従事.
工藤 喬
2001 年大阪大学大学院助教授.2006
年大阪大学医学部付属病院病院教授.
2013 年大阪大学保健センター教授.
医学博士.精神医学,神経科学の研究
に従事.
山下 直美 (正会員)
1999 年京都大学工学部情報工学科卒
業.2001 年京都大学大学院情報学研
究科数理工学専攻修士課程修了.同年
日本電信電話(株)コミュニケーショ
ン科学基礎研究所入所.博士(情報
学).CSCW,HCI の研究に従事.
c 2014 Information Processing Society of Japan
1715
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