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加藤和英 - J

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加藤和英 - J
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玉田芳史著
『民主化の虚像と実像
―タイ現代政治変動のメカニズム』
加藤和英
本書は、膨大なタイ語資料を駆使した緻密
な実証研究であり、タイ政治を長期的な視野
から考察しながら、民主化がどのように進ん
できたのか、1990 年代の政治変動の複雑な局
1)
面を詳細に分析し、論じている力作である 。
本 書 は、 ま ず 1992 年 5 月 流 血 事 件 以 後、
はしがき
1 章 タイ政治の民主化をどう眺めるか
第 1 部 1992 年 5 月事件
2 章 大規模集会⿉理由と影響
3 章 軍の政治力低下⿉理由と過程
第 2 部 政治改革論と新憲法
タイ政治研究の通説になった都市中間層の台
4 章 1997 年憲法の起草と政治的意味
頭と民主化の深化を結びつける中間層主導説
5 章 2000 年上院議員選挙⿉なぜ公務員議
に疑問を呈し、その根拠となった 92 年 5 月
事件の検証から始め、軍の政治力低下の理由
と過程を明らかにしている。そして 1990 年
会の再現なのか
6 章 2001 年総選挙⿉政治はどう変わった
のか
代半ばになって登場した政治改革論およびそ
終章 タイ政治の民主化
の成果として「人民の憲法」と賞賛された
あとがき
1997 年憲法が、民主化を一層促進したとの
参考文献
一般的理解にも疑問を呈し、これらの政治的
索引
意味を検証した上で、その後実施された二つ
の総選挙(2000 年上院議員選挙、2001 年下院議
1 章で、著者は、民主化理論や民主化に関
員選挙)がタイ政治の民主化にどのような意
する先行研究を概観した後、1980 年代まで
味合いをもつのか、明らかにしている。これ
のタイ政治研究において通説であった官僚政
らの分析を通して著者は、民主化過程の解釈
体(bureaucratic polity)論は分析よりも批判の
の不十分さに起因する民主化の「虚像」を浮
道具になっていたこと、さらに 1992 年を境
き彫りにし、民主化にあたって消極派を慰撫
として登場する中間層による民主化主導説が
することが重要であったとする「実像」を描
過大評価されていることを指摘する。そして
き出している。
タイ政治の民主化を見るための視座として、
このような本書の全体の構成は次の通りで
ある(紙幅の関係から節については省略)。
民主化の実現を図ろうとする勢力の動向のみ
ならず、それに抵抗する勢力を宥める動向を
考察する必要性を提起している。
103
2 章から 3 章までが、タイ政治に民主化を
章は 97 年憲法に基づくタイ政治史上初の上
定着させる重要な契機となった 1992 年 5 月
院議員選挙について、上院が「公務員議会」
流血事件の「実像」を論じている章である。
として民主化の阻害要因の一つして批判に晒
著者は、2 章において中間層=民主勢力とい
されていたにもかかわらず、公務員経験者が
う定式が定着したのは、①善悪の対立とされ
多数を占める議会が再現したことの政治的意
た事件が国王によって喧嘩両成敗として収拾
味を論じている。そして 6 章では 2001 年下
されたこと、②事件後流血の責任問題が議論
院議員選挙で政治改革の主眼であった買票の
されるなかで軍のみならず民主化勢力であっ
一掃、政党を重視する選挙、閣内における首
たチャムローンに対する批判が高まったこ
相の強い指導力と政権の安定性などが実現し
と、そして③チャムローンほかの役割が相対
た一方で、小選挙区議員を排除した組閣や政
化されるなかで、マス・メディアによって
権党のタイ・ラック・タイ党が個人商店型の
「中間層多数説」が「中間層主導説」へと転
政党であり党首個人に過度に依存しているこ
換され、依然として少数派である中間層が民
との問題点を明らかにし、政権の安定と政治
主化勢力として権威づけられたことにあると
の不安定要因について論じている。
論じている。そして事件後に市民社会論が台
最後の終章はこれまでの章の総括であり、
頭してきたのも、民主化の主役として中間層
1970 年代からのタイの民主化過程を振り返
による「乗っ取り」が起きたためと結論づけ
ると、鍵を握っていたのは積極派よりも消極
ている。次に 3 章において事件後、軍の政治
派であり、実際に生じたのは穏健な民主政治
力が低下したのは、軍への支持や信頼が喪失
であったと結論づけている。つまり消極派を
したためとの説明は正しくなく、事件後に強
慰撫することが民主化の「実像」であり、漸
い指導力を発揮しうる陸軍総司令官の登場を
進的な民主化が安定との両立を可能にしたと
抑止する軍内部の勢力分断的な人事異動が繰
いう。
り返されたことと、軍を不可欠な支持基盤と
以上のような内容をもつ本書の意義は、一
する首相がいなくなったことにあると論じて
言で言えば通説化した言説を安直に前提とし
いる。
て議論することの陥穽に対する警告であろ
4 章 か ら 6 章 ま で が、1990 年 代 半 ば に 高
う。この点を著者は民主化と市民社会論、民
まった政治改革論、その帰結しての 1997 年
主化と軍の政治力低下、あるいは民主化と民
憲法の制定とその効果について論じている章
主主義の定着などを安易に結びつけて議論す
である。著者は、4 章において政治改革論で
ることの危うさを緻密な分析によって示して
要求されたのは、農村部や弱者に対する配慮
いる。中間層の台頭による市民社会の形成が
ではなく農村部選出議員中心の政党政治に不
民主化を促進するとは必ずしも断言できな
満を抱く都市部住民に対する対応であったと
い。民主化が直ちに軍の政治力低下をもたら
して、清廉な政治と政権の安定と能率を求め
すわけではない。民主化が進むなかでエリー
ることに改革の主眼があったと論じている。
ト主義的な制度が構築されることさえある。
つまり都市部が国政における役割を取り戻す
本書の随所に見られる問題提起は極めて示唆
過程が 1997 年憲法の制定であったとする。5
的である。理論化と実証研究の齟齬をどのよ
104
アジア研究 Vol. 50, No. 4, October 2004
うに考えればよいかという問題提起でもあろ
していたことについては、本書において指摘
う。また本書がもつユニークさは民主化を推
されている通りである。各勢力内部において
進した勢力の役割ではなく、民主化に抵抗す
民主化をめぐって異なる意見が存在していた
る勢力に着目して論じている点にある。民主
ことは想像に難くない。政党政治家・軍部・
化に抵抗する勢力に対する慰撫が逆説的なが
中間層・学生団体・マス・メディアを夫々一
ら民主化にとって重要な意味合いをもってい
つの勢力として捉えるのではなく、各勢力内
たとの指摘は、権威主義体制の国々の民主化
部の諸勢力同士の関係や相互作用まで視野に
移行を促す政策論において看過できない論点
入れて考察しないと、より「実像」に近い民
の一つである。
主化の担い手は見えてこないであろう。
以下、本書で提起されているタイ政治の民
第二に、1992 年 5 月事件をタイ政治の民主
主化という課題について著者の議論を交えな
化という文脈からどのように評価すればよい
がら評者の卑見を述べておきたい。
か、という問題である。著者が述べているよ
第一に、タイ政治における民主化の担い手
うに軍が政治から退場する契機となったこと
は一体誰か、という基本的問題である。本書
に意味があることについては、異論を唱える
では民主化に消極的で抵抗する勢力を慰撫す
者はいないであろう。しかし、事件後、クー
ることが重要であると指摘されているが、そ
デター首謀者であるスチンダーの首相就任に
れでは誰が抵抗する勢力を慰撫したのであろ
反対する運動の中心的人物であったチャム
うか。本書では、1970 年代半ばに民主政治
ローンが失墜し、中間層を中心に据えた政治
に扉をこじ開けたのは学生であり、以降、
改革論が台頭してきた。軍の政治からの退場
1980 年代までの民主化過程において消極的
をもたらしたチャムローンの役割が否定さ
であったのは地主と実業家であったという。
れ、議会政治のあり方に対する異議申し立て
しかし、1990 年代における民主化勢力につ
がなされるようになったことをどのように評
いては必ずしも明確な言及はなされておら
価すればよいのであろうか。アプリオリに 5
ず、中間層は民主政治の主体である政党政治
月事件を民主化運動と捉えてよいのかどうか
家を批判する勢力として捉えられている。ま
については検討の余地が残されているかもし
た 92 年 5 月事件において中間層は主役では
れない。
なく、メディアによって褒めそやされた結果
第三に、1990 年代後半の政治改革をどの
に過ぎないと論じている。とすれば 1990 年
ように評価すればよいか、という問題であ
代の民主化を進めたのは誰であろうか。
る。著者が述べているように都市部が国政に
評者は、特定の勢力が民主化の担い手と
おける主役を取り戻し、実業家を代議政治か
なったと言い切れない、歯切れの悪さにタイ
ら離反させなかったとすれば、都市部と農村
の民主化過程理解の難しさがあると考える。
部の政治権力をめぐる闘争に過ぎないことに
92 年 3 月下院議員選挙において首相の資格
なり、民主化とは無関係の「改革」であった
(下院議員であるべきかどうか)をめぐって政党
ことになる。また 2000 年上院議員選挙の結
間で政策論争が発生したように政党政治家は
果「公務員議会」が再現したとして、これが
一枚岩ではなかった。軍の内部に派閥が存在
政治改革に由来するものであるとするなら
書評/玉田芳史著『民主化の虚像と実像―タイ現代政治変動のメカニズム』
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ば、政党政治からの「後退」と言わざるを得
をとるわけではない。また勢力内部も必ずし
ない。しかし、上院の直接公選制度の導入が
も一枚岩とは言えない。政治の局面において
実現し、
「官僚政治」の象徴的な存在であっ
民主化を推進する役割を果たしたり果たさな
た上院の改革が実現したことの意味は相対化
かったりとその態度を変える場合もある。タ
されるべきではないであろう。確かに当選し
イ政治研究は一筋縄ではいかないほど複雑化
た上院議員には元官僚がかなり存在した事実
してきている。このようなタイ政治理解のた
はあるも、一方で、政党との関係をもつ議員
めには本書が果たしたような綿密な地域研究
や NGO 団体代表の当選も見過ごしてはなら
の蓄積がますます求められよう。このような
ないであろう。
意味から本書が民主化についての一般的、包
最後に、1970 年代以降、多様な主体がタ
イ政治に登場するようになった。クーデター
による後退を繰り返しながらも、もはや官僚
政体論では捉え切れない政党政治が基調と
なっていくなかで、都市部実業家、地方実業
家、都市部の中間層、農民、NGO さらには
マス・メディアなどがさまざまな形で政治に
影響を及ぼす存在となった。これら社会勢力
は、本書で指摘されている中間層の態度に見
括的な理論構築への新たな視点を提供するも
のとなることを期待したい。
(注)
1)
本書についてはすでに『国際政治』第 136 号(日
本国際政治学会、2004 年)に山本信人による「書評」
(145–148 ページ)ならびに『東南アジア ―歴史
と文化 33』
(東南アジア史学会、2004 年)に浅見
靖仁による「書評論文」
(146–156 ページ)がある。
(京都大学学術出版会、2003 年 7 月、A5 判、
viii+364 ページ、定価 4,000 円[本体]
)
(かとう・かずひで 九州国際大学国際商学部)
られるように必ずしも民主化に積極的な態度
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アジア研究 Vol. 50, No. 4, October 2004
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