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負け組の性転換:魚類における双方向性転換の数理モデル
負け組の性転換:魚類における双方向性転換の数理モデル 澤田紘太(総研大・先導研) 、山口幸(神奈川大・工) 、巌佐庸(九州大・理) 魚類をはじめとするさまざまな生物が、性転換、すなわち個体の性を一生のうちに変化 させる能力を持つ。性転換については、生理学・分子生物学的にメカニズムを解明する研 究だけでなく、その進化・適応的意義を解明する進化生態学的な研究も多く行われている。 ある個体にとっての雄と雌の相対的な有利さは、周囲の個体が雄と雌のどちらになってい るかによって影響される。したがって、性転換を含む性の進化を考えるには、ゲーム理論 を用いた分析が有効である。 性転換の適応的意義に関するもっとも有力な仮説は、体長有利性説と呼ばれるものであ る。たとえば、ハレムを作り一夫多妻で繁殖する魚を考える。大きく強い雄がたくさんの 雌を独占できるとすると、大きい個体は雄になれば高い繁殖成功を得られるが、小さい個 体は、たとえ雄になったとしても、ハレム雄になれずほとんど繁殖できないだろう。雌の 繁殖成功(産卵数)も体サイズに影響されるが、雄ほどその影響は強くないだろう。した がって、小さなうちは雌として繁殖し、大きくなってから雄に性転換する個体(雌性先熟) が、もっとも生涯繁殖成功を高められる。逆に、雄の繁殖成功が体サイズと独立になるシ ステムの場合には、雌の繁殖成功のほうが体サイズの影響を強く受けるので、雄から雌へ の性転換(雄性先熟)が有利になるだろう。 このように、体長有利性説は性転換の有無と方向が、配偶システムによって決まると予 測する。この予測は多くの研究によって支持されている。しかしその一方で、雄性先熟か 雌性先熟かという単純な枠組みに当てはまらない、多様な性転換戦略が存在することも、 わかってきている。そのなかには、ハレム雄になるよりも小さなサイズで雄に性転換して しまう独身性転換、雄の消失時にハレム内で最大の雌ではなくより小さい雌が性転換する という報告などがある。これらの現象が実証研究で報告されるのと並行して、体長有利性 説の修正によってそれを説明しようという数理的研究も行われてきた。性転換の進化生態 学は、理論研究と実証研究が密接に関連しながら発展してきた分野といえるだろう。 それにもかかわらず、多くの魚類で報告されている現象である双 方向性転換については、未だ数理的研究が存在しない。魚類の双方 向性転換とは、基本的に雌性先熟の魚類において、まれに雄から雌 に戻る個体がいるというものである。また双方向性転換が報告され ている魚類は、一部のハゼ類を除きハレム制の一夫多妻である。こ 双方向性転換魚 オキナワベニハゼ の現象は、体長有利性説の観点から、以下のように説明できる。何 らかの要因で複数の雄が 1 つのハレムに共存したとき、そのうち小さい雄は社会的に劣位 になってしまい、ハレム雄として繁殖することはできない。そこで、雌に戻って自ら産卵 することで繁殖を続けるのが適応的になる。この説明は実証研究ともよく一致し、おおむ ね正しいと認められているが、数理的に表現されていないため、量的な議論を行うことが できない。 そこで本研究では、雄のグループ間移動に伴う性転換について、数理モデルを用いて検 討した。その際に着目したのは、劣位化した雄の意思決定である。飼育実験では、劣位化 雄は雌になるしか、優位雄の攻撃を避ける方法がないだろう。しかし野外では、劣位化雄 は必ずしも雌に性転換しなくても、自分が優位雄になれるような他のグループに移動する という選択肢が残されている。一夫多妻種ではハレム雄は非常に高い繁殖成功を得られる のに、なぜその選択肢を採らず、雌に戻す雄が存在するのだろうか。これまでの研究では、 低移動力と低密度の、2 つの要因が指摘されている。移動力が低く、グループ間の移動に伴 うリスクが非常に大きい種では、雄は命がけで移動するよりも、同じ場所で雌に戻るほう がよいかもしれない。あるいは低密度の個体群では、雄はたとえ移動しても、得られる雌 の数は少なくなるので、雌に戻るほうが相対的に有利になるだろう。本研究では、この 2 つの要因が、劣位化雄の意思決定に与える影響を検討した。また、魚類の社会的優劣はサ イズに強く依存するので、雄は自身の体サイズに依存した意思決定戦略を持つと仮定した。 すでに雄がいるハレムに、他の雄が侵入してきた状況を考える。侵入雄のサイズを、先 住雄のサイズをとし、大きい個体が優位になってハレム雄となり、小さい個体が期待適応 度に応じて性転換または移動を行うとする。もし雌に性転換すると、サイズの倍の産卵量 を持つ。またハレムに元からいる雌たちの産卵量の合計をとし、ハレム雄はその卵をすべ て受精させるとする。サイズの個体がランダムなハレムに侵入したときの期待適応度を 、移動してハレムに侵入を試みるまでの間に死んでしまう可能性をとすると、侵入の 結果は表 1 のように分類できる。それぞれの結果が生じる確率と、その際に侵入雄が得ら れる繁殖成功を掛け合わせたものの和が、侵入雄の期待繁殖成功となる。 表1 雄の大小 > 意思決定 侵入雄は 先住雄は 侵入雄の繁殖成功 1 − < 乗っ取り 移動 乗っ取り 性転換 再移動 そのまま + 性転換 そのまま 1 − > 1 − > > 1 − < 1 − ハレム雄のサイズ分布(確率密度分布)をとすると、は以下の式で表すことが できる。 = ∗ + , 1 − + ∗ max1 − , 1! > " ただし!, " = #0.5! = "とする。1 つ目の積分は侵入雄が勝利する場合であり、乗っ取 0! < " ったハレムに元々いる雌たちの産む卵に加えて、もし先住雄にとって性転換するほうが適 応的な場合には、その産む卵も受精させることができる。2 つ目の積分は侵入雄が負ける場 合であり、性転換して産卵するか、リスクを冒して再移動するか、適応度の高いほうを選 ぶ。動的最適化を用いて上記の式を解き、の値を求めた。それをもとに性転換した場 合の適応度と移動した場合の適応度1 − を比較し、各サイズの個体にとっての最 適な意思決定を求めた。 結果は、雄のサイズ分布によって大きく変化した。雄のサイズが一様に分布する場合に は、ある値よりも大きい個体が性転換し、小さい個体は移動する。一方で、雄のサイズが 大きいほうに偏った分布を示す場合には、相対的に小さい個体のみが性転換を行う(ただ し後述するように、他の変数によってはサイズに依らず全個体が性転換する場合もある)。 これは、小さいハレム雄が豊富にいるならば自分が小さくても移動先で勝てる可能性が高 いが、大きな雄が多ければその可能性は低くなるためであると理解できる。双方向性転換 を行う魚類は基本的に雌性先熟のため、ハレム雄は相対的に大きな個体が多いだろう。し たがって後者が現実的なので、以下ではその場合について考察する。 移動のコストが高い場合、もしくは雌たちの総産卵量が小さい場合には、劣位化雄は サイズに関わらず雌に性転換する。しかし、が低くかつが大きい場合には、小さい雄の みが性転換する。前述したように小さい雄の数はそもそも少ないので、この場合性転換は ほとんど見られないだろう。一方で、両方の値が中程度の場合には、中型以下の個体のみ 性転換する。すなわち、大型の個体は性転換せず移動するのが最適になる。 この結果から、低移動力(が大きい)と低密度(ハレムの雌数が減るためが小さい) は、どちらもほぼ全個体が性転換するという状況を作り出す。すなわち、どちらの要因も、 双方向性転換を進化させる要因としてはたらきうることがわかった。が大きい、すなわち 移動力が低い種では、たとえハレムに雌が多くても性転換が起こるが、が小さければ雌の 数が少なくならない限り性転換は起こらない。実際に、移動力が比較的高いホンソメワケ ベラやアカハラヤッコといった種では雌を除去してを小さくしないと雌への性転換が起 こらないのに対し、移動力が低いと思われるオキナワベニハゼやサラサゴンベでは雌除去 をしなくても性転換が観察できている。低移動力と低密度は、それぞれの種の遊泳能力に よって重要性が異なっているのかもしれない。 興味深いことに、中程度の移動力を持つ種では、たとえ総産卵量が高くても、中型以下 の個体が性転換を選ぶことが予測された。双方向性転換に関するこれまでの野外実験には、 近隣の雌をすべて除去する( = 0)ことで性転換を誘発させたものが多い。そのような状 況ではどの個体にとっても性転換が有利になる。しかし本研究によれば、サイズによる戦 略の違いが現れるのは ≠ 0の条件下である。そのため、雌を残した状態で、雄の意思決定 を研究する必要があるのではないだろうか。