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5 通貨地域と基軸通貨の選択
5 通貨地域と基軸通貨の選択 5−1 先進工業諸国の経済規模とマクロ経済パフォーマンス 世界全体の中で、固定レート制または準固定レート制を採用している諸国の大半は、先進国通 貨を基軸通貨として選択している 21 。なかでも、アメリカ・ドルはグローバルな基軸通貨として の役割を果たし、ドイツ・マルクは西ヨーロッパ域内で基軸通貨の役割を担っている。それは基 本的には、グローバルなレベルではアメリカが、西ヨーロッパ域内ではドイツが、いずれも大き な経済規模をもち、それなりに良好なマクロ経済パフォーマンス(とくに低インフレ)を実現さ せてきたからである。 5−1−1 経済規模 表 4 は、先進工業諸国の相対的な経済規模を、名目GDP、貿易(輸出、輸入)、直接投資(対 外、対内)、外貨準備保有高、対外援助(ODA)など各種の指標でまとめたものである。 まず、先進工業諸国全体の名目GDP(現行価格、現行為替レート表示)に占めるアメリカの シェアをみると、1960 年には 50%を上回っていたのが傾向的に低下し、90 年代には約 34%の水 準にまで下っている。ただし、低下したとは言え、34%という数字は極めて大きく、アメリカは 依然として世界第 1 の経済大国である。先進諸国全体のGDPに占める日本のシェアは急速に拡 大し、1960 年の 5%から 93 年には 23%に上昇している。ドイツのシェアも、日本ほど急速では ないが、60 年の 8%から 93 年の 10%へと着実に上昇した。かつての基軸通貨国イギリスのシェ アは徐々に低下し、70 年代以降はフランスのシェアを、90 年代以降はイタリアのシェアを下回る ほどになった。 21 ただし、既に触れたように、南アフリカ・ランドはナミビア、スワジランドの、インド・ルピーはブータンの 地域的な基軸通貨として用いられている。ナミビアとスワジランドは南アフリカと密接な関係を持った国であり、 ブータンはインド経済に大きく依存し、その国際貿易の 90%以上が対インド取引である。 −40− 先進諸国全体の保有外貨準備に占める主要国のシェアをみると、アメリカのシェアは当初の高 い水準から傾向的に低下し、90 年代には、日本、ドイツのシェアを下回るほどになった。ドイツ のシェアは 60 年代から西ヨーロッパ域内では最大だったが、その後も安定的に推移している。日 本の外貨準備シェアは当初極めて低かったが、過去 30 年間に急激に上昇し、90 年代には世界第 1 となった。 先進諸国全体の貿易(輸出、輸入)に占めるシェアをみると、輸出では、アメリカのシェア低 下、日本のシェア拡大、ドイツのシェア高位安定を認めることができる。たしかに、アメリカの 輸出シェアは低下し、1990 年には一時的にドイツのシェアを下回ったが、近年は再度もち直し、 世界第 1 の輸出大国の地位を保持している。興味深い事実は輸入面でみられ、アメリカのシェア 低下は全く起きておらず、近年ではむしろ上昇さえしている。アメリカの輸入シェアは 90 年代に も 20%以上を記録し、他を抜きん出た高い水準にある。ドイツの輸入シェアは緩やかに上昇し、 西ヨーロッパ域内では突出した大きさになっているが(90 年代で 14%)、アメリカのシェアには はるかに及ばない。日本の輸入シェアも着実に上昇しているが、アメリカはおろか、ドイツの水 準にも達していない。 直接投資フロー(対外、対内)を見ると、年毎の振れが大きいが、アメリカのシェアが高いこ とが特徴的である。西ヨーロッパにおいてはドイツのシェアはそれほど上昇してはおらず、むし ろイギリスやフランスのシェアが高い。日本のシェアは対内直接投資で極めて低い。 日米シェアの逆転現象が最も顕著に見られるのは、政府開発援助(ODA)においてである。 アメリカのシェア下落を補うように日本のシェアが増大している。ドイツのODAシェアはさほ ど高くなく、一貫してフランスのシェアを下回っている。 以上まとめると、アメリカの相対的な経済規模は、戦後一貫して低下傾向にあるとは言え、依 然、世界最大のGDPと貿易、直接投資を誇っている。アメリカは、とくに輸入において高いシ ェアを維持しており、自国市場を海外の生産者に広く開放していることがわかる。アメリカの経 済規模の絶対的優位という状況が今後も続く限り、当面、基軸通貨としてのアメリカ・ドルの役 割は低下しそうもない。ドイツは、西ヨーロッパ域内で、60 年代から最大の経済規模を維持し、 それを背景に、活発な貿易活動を行ってきた。西ヨーロッパでドイツ・マルクが基軸通貨として 機能しているのは、GDPや貿易量でみた経済規模が域内で最大であることが有力な理由の 1 つ だろう。イギリス・ポンドやフランス・フランが西ヨーロッパ域内での基軸通貨に成長しえなか ったのは、何よりもまず経済規模の点でドイツを下回っていたからだといってよい(イギリスの 経済規模は時間とともに縮小してきた)。 日本の経済規模は、GDP,外貨準備、ODAなどの点で過去 30 年ほどの間に飛躍的な拡大を 示してきた。しかし、国際貿易とりわけ輸入の面ではまだ世界に占めるシェアが十分高いとは言 えない。日本円が世界のどの地域(とくに東アジア)でも基軸通貨としての役割を果たしていな −43− い有力な理由の 1 つは、日本市場が海外に対して十分開かれていないことにあると考えられる。 5−1−2 マクロ経済パフォーマンス 表 5 は、先進工業諸国のマクロ経済パフォーマンスを整理したものである。1975−94 年の期 間の経済成長率(実質GDPベース)、インフレ率(GDPデフレーター)、失業率、長期名目 金利の年平均値と分数値、ならびに経常収支、政府支出、財政収支、政府債務残高の対GDP 比の年平均値が報告されている。政府債務残高については、1975 年と 94 年の値が示されてい る。 この表から、アメリカのマクロ経済パフォーマンスはドイツや日本より劣るとは言え、大幅 なインフレや財政赤字を起こすことなく、それなりに健全な金融・財政政策を採り、まずまず の成果を示してきたことがわかる。ドイツはアメリカ以上に反インフレ政策を維持し、財政赤 字と政府債務残高も抑制してきた。総政府支出で測った政府の規模はアメリカよりはるかに大 きいが、西ヨーロッパの中では小さい。日本のマクロ経済パフォーマンスは、ドイツをさらに 上回る優良なものである(ただし、標本に含まれていない 1973−74 年と 1994 年以降は良いと は言えない)。 アメリカ・ドルがグローバルな基軸通貨としての役割を果たしてきた要因は、アメリカの経 済規模が大きいことだけでなく、アメリカがそれなりに非インフレ的な金融政策を追求し、も って安定的なマクロ経済パフォーマンスを維持してきたからである。いくら世界経済に占める アメリカのウェイトが高くとも、過度にインフレ的な金融政策を採り続けていたとしたら、ア メリカ・ドルに対して為替を固定ないし安定化させる諸国はそれほど多数に上っていないはず である。発展途上国にとっては、アメリカのマクロ経済パフォーマンスは十分良好なものであ り、アメリカ・ドルのもつ価値の安定性という「国際公共財」を輸入するインセンティブが存 在したわけである。 ドイツ・マルクが西ヨーロッパにおいて基軸通貨としての役割を果たしてきたのは、域内での ドイツの経済規模が大きかっただけでなく、ドイツが反インフレ的な金融政策を維持してきたか らでもある。EMSのERM参加諸国は、ドイツの反インフレ的な金融政策を輸入するインセン ティブをもっていたといってよい。 日本のマクロ経済パフォーマンスは優良であるにも拘わらず、日本円は東アジアにおいてすら 基軸通貨としての役割を果たしていない。従って、日本円が基軸通貨として機能していない理由 は他に求められるべきである。しかし、逆に言えば、日本が優良なマクロ経済パフォーマンスを 維持し続蹴れば、それは、将来的に円が国際通貨としてより重要な役割を果たしうるポテンシャ ルを拡大することになる。 −44− 5−2 各国の経済的特性 それぞれの非基軸通貨国はどのような規準でみずからの属すべき通貨地域や基軸通貨(とくに 為替レート安定の対象としての基準通貨)を選択しているのだろうか。表 6 は、その問題を検討 する際に有用だと考えられるいくつかの経済指標を、世界各国についてまとめたものである。表 では、表 3 の結果に基づき、各国がどの通貨にみずからの為替レートを安定化させようとしてい るのかその通貨名を示した。次に、経済規模(ドル・ベースの名目GDPないしGNP)、1 人当 り所得、経済開放度(輸出、輸入の対GDP比)、主要 3 ヶ国およびフランスとの間の貿易シェア とODA供与シェアなどが示されている。最大の貿易相手国と最大のODA供与国の名前も具体 的に挙げられている。 5−2−1 経済規模・開放度・依存度 表 6 から、いくつかの事実を観察することができる22 。 第 1 に、経済規模が大きな国は変動レート制を採る傾向があり、経済規模と開放度の小さな国 は固定レート制を採る傾向がある。前者の例としては、先進工業国のアメリカ、日本、ドイツが 典型的であり 23 、発展途上諸国では、アジアのインド、中南米のブラジルなどが挙げられる。後 者の例としては、アジアの香港、シンガポール、中東のバーレーンやアラブ首長国連合、中南米 のバハマ、ベリーズなどが挙げられる。経済規模の大きな国は国内に膨大な非貿易財部門を内包 することから、自国通貨を他国通貨にペッグして金融政策の独立性を放棄するよりも、フロート 制を採って国内価格とマクロ経済安定化のための政策を自律的に運営する方が望ましい。これに 対して、経済規模が小さい開放的な小国は、海外の主要通貨に為替レートをペッグすることによ って、国内経済の大半を占める貿易財の価格を安定化させ、もってインフレをコントロールする ことができる。 第 2 に、1 人当り所得の低い発展途上国は常に固定ないし準固定レート制をとるとは限らない。 これらの諸国は、国内の金融市場、金融政策手段が未整備で、みずから完全に独立した金融政策 を採るよりも、海外の安定した主要通貨に対して為替レートを固定ないし安定させることによっ て非インフレ政策を輸入することが有利だと考えられるが、実際にはそうとは限らない。これら 諸国は、経常勘定・資本勘定における通貨の交換性を樹立していないケースも多く、通貨の交換 性を制限することによって内外の金融市場を分断できるため、どのような為替レート制度の下で も、ある程度の金融政策上の柔軟性を確保しうるのである。 22 表 6 に示された世界各国の経済的特性は、主として 1993 年のものである。1990 年代における各国の為替レー ト制度を決める要因は、80 年代(あるいは 70 年代)の各国の経済的特性だと考えられるが、ここでは、これら の特性は 80 年代から 90 年代にかけて大きく変化していないという想定の下で議論を進める。 23 ドイツは、EMSのERMに参加して西ヨーロッパ域内で通貨安定の取り決めを行っているが、アメリカ・ド ル、日本円に対してレートを変動させている。 −45− 第 3 に、特定の国への貿易依存度、ODA依存度の高い発展途上国は、その特定国の通貨地域 に属する傾向がある。西ヨーロッパ諸国の大半がドイツ・マルクに自国通貨を安定化させる政策 を採っている理由の 1 つは、ドイツへの貿易依存度が高いことである。アイスランド、アイルラ ンド、スペインを除く全ての西ヨーロッパ諸国にとって、ドイツは輸出または輸入(ないしその 両者)で最大の貿易相手国になっている。東アジア、ラテン・アメリカの諸国が概ねアメリカ・ ドルに対して為替レートを安定化させる政策を採っている 1 つの有力な要因は、アメリカへの貿 易依存度とODA依存度が高いことが挙げられる。アフリカのCFAフラン圏諸国など、フラン ス・フランに対して為替レートを安定化させている諸国は、フランスの旧植民地であり、かつフ ランスへの貿易依存度、ODA依存度が高い。 その一方で、東アジア諸国にとって日本は重要な貿易相手国ならびにODA供与国となってい るが、円はそれらの基軸通貨として機能しているわけではない。その理由として、日本は多数の 諸国にとって主要な輸入先ではあるが、主要な輸出先になっているわけではないという点が挙げ られる。国内市場を海外に広く開放して輸入を拡大しなくては、海外諸国にとって日本円を基軸 通貨として選択するメリットが大きくならないのである。また、ODAは重要であるものの、そ れだけでは供与国通貨を基軸通貨にすることはできないことがわかる。 −46− 5−2−2 マクロ経済ショックの国際相関 第 3 章の 3−2 で検討した最適通貨地域の理論によれば、同種のマクロ経済ショックに見舞われ る諸国は 1 つの通貨地域を形成すべきである。そのような観点から、タミム・バユーミとバリー・ アイケングリーンは、西ヨーロッパ、東アジア、アメリカ大陸のそれぞれにおいて、各国の時系 列的なマクロ経済ショックを計測し、それらの間の国際相関の大きさを検討している(Bayoumi and Eichengreen[1994a,b])。表 7 は、彼らの計測結果をまとめたもので、その中の表 7aは 供給ショックの国際相関を、表 7bは需要ショックの国際相関を示している24 。 このうち、為替レート制度の影響を受けないと考えられる供給ショックの国際相関に注目する と、いくつかの興味深いパターンを見てとることができる。まず、西ヨーロッパにおいては、ド イツの供給ショックはデンマーク、ベルギー、オランダ、フランス、オーストリア、スイス等の 供給ショックと強い相関をもっている。実際、これら諸国の間の供給ショックの国際相関は強く、 通貨地域を形成して金融政策をひとつに絞る経済的根拠が存在することがわかる。ドイツとその 他の西ヨーロッパ諸国との間の供給ショックの国際相関はそれほど強くない。 次に、東アジアにおいては、日本、台湾、韓国の間の供給ショックの国際相関が大きい。また 香港、シンガポール、他のASEAN諸国(ただしフィリピンを除く)の間の供給ショックの国 際相関も大きい。このことは、日本と台湾、韓国がひとつの通貨地域を形成し、香港、シンガポ ール、ASEAN諸国がもうひとつの通貨地域を形成する経済学的な根拠が存在することを示し ている。 最後に、アメリカ大陸をみると、アメリカと供給ショックの上で強い正の相関をもつ中南米諸 国は存在しない。むしろ中南米諸国の間にお互いに強い国際相関をもつグループが存在している。 たとえば、ブラジル、アルゼンチン、ペルーなどがそれにあたる。中南米諸国が、アメリカ・ド ルに対して為替レートを安定化させる政策を採っているのは、そのことによって国内のマクロ経 済ショックの安定化が図れると考えているからではないことが示唆される。中南米諸国は、国内 マクロ経済の裁量的な安定化よりも、アメリカ・ドルに為替を固定ないし安定化することによる、 非インフレ政策へのコミットメントの信頼性の輸入の方を重視していると考えられるのである。 24 Bayoumi and Eichengreen[1994a,b]は、Blanchard−Quah の手法を用いて、実質産出量と物価のデー タから、供給ショックと需要ショックを特定している。供給ショックとは、経済の総供給曲線をシフトさせ、実 質産出量と物価の両者に長期的な影響を及ぼすショックであり、生産性ショック等を含む。需要ショックとは、 経済の総需要曲線をシフトさせ、実質産出量に長期的な影響を及ぼさないが、物価水準に長期的な影響を及ぼす ショックであり、金融・財政政策の変化等を含む。需要ショックは通貨・為替レート制度の影響を受けると考え られることから、より重要なショックは供給ショックである。 −53− 5−3 世界各国による通貨地域と基軸通貨の選択 世界各国がそれぞれの通貨地域と基軸通貨を選択するにあたり、基軸通貨国の経済規模や地理 的な近さが重要な要因であることがわかった。国際貿易フローを「万有引力モデル」で説明しよ うとする実証分析によれば、相手国の経済規模が大きいほど、そして地理的に近いほど輸出・輸 入が活発になることが知られている(Frankel and Wei[1993,1994])。世界の各国がある特定 の主要国と国際貿易を活発に行うようになれば、その国の通貨を国際通貨ひいては基軸通貨とし て利用するインセンティブが生まれることから、国際貿易の地域化が国際通貨の枠組みの地域化 を招く傾向をもつと思われる。それでは以下、各地域における通貨地域と基軸通貨の選択の理由 と背景をまとめておこう。 まず西ヨーロッパ諸国は、もともと、変動レート制移行後も域内での為替レート安定化を志向 しており、そのプロセスで経済規模が最大で、安定的なマクロ経済政策を追求してきたドイツの 通貨マルクが基軸通貨として選択されることになった。西ヨ−ロツパでは、産業構造の同質化と マクロ経済パーフォーマンスの収斂が進み、マクロ経済ショックの域内相関も高く、最適通貨地 域の条件がかなり満たされやすくなっている。そのため、各国にとって、為替レートをマルクに ペッグし、ブンデスバンクの金融政策を輸入して経済安定化を図ることのコストが高いものにな っていない。(ただし、1992 年以降のイギリス、イタリアは、そのコストを極めて高いものと評 価した。) ヨーロッパの発展途上国や体制移行諸国のいくつかが為替をドイツ・マルクに安定化させてい るのは、基本的に、それらが西ヨーロッパに地理的に近く、西ヨーロッパへの貿易依存度が高い からである。国内インフレをコントロールしつつ西ヨーロッパとの経済的関係を強化することが 重要な目的と見なされていると考えられる。 中南米諸国は、アメリカと地理的に近接しており、貿易、投資、金融の面でアメリカへの経済 的依存度が高いことから、それらが最大の経済規模をもつアメリカの通貨ドルに対して為替を固 定ないし安定化しようとするのは当然のことだといえる。ただし、中南米諸国の場合には、アメ リカとのマクロ経済ショックの相関は決して高くないことから、アメリカの金融政策を利用した マクロ経済の安定化よりもその金融節度を輸入することが重要なインセンティブとして働いたと 考えられる。 為替レートをフランス・フランにペッグしているアフリカ諸国(CFAフラン圏諸国など)と フランスは、旧植民地と旧宗主国という関係にある。そのことを反映して、フランスはCFAフ ランとフランス・フランとの間の無制限交換性に応じるための資金援助を行っており、それによ りCFAフラン圏諸国の対フランスフラン・ペッグが可能になっている。しかも、それを担保す るために、フランス中央銀行はCFAフラン圏の中央銀行が節度ある金融政策を採るよう直接モ ニターしていると言われる。たしかに、これらアフリカ諸国のフランスに対する貿易依存度やO DA依存度は高いが、それだけがフランス・フランに為替を安定化させる理由になっているわけ −54− ではない。政治的な要因も無視することはできない。 中東諸国の多くは為替レートをアメリカ・ドルに対してペッグさせている。その大半は原油産 出国で、原油は国際市場で主としてドル建てで取引されていることから、それら諸国がドル・ペ ッグを採用するのも合理的な選択だと言って良い。 −55− 6 東アジアにおける円通貨圏の可能性 東アジア地域においては、国際通貨円の使用・保有はいまだ限られており、アメリカ・ドルが 依然として基軸通貨として機能している。東アジア地域はドル通貨圏に属していると言ってよい。 今後、日本円が地域的な基軸通貨になる条件、すなわち東アジアにおいて「円通貨圏」が形成さ れる可能性は存在するのだろうか。東アジアで「円通貨圏」が形成されるとすれば、東アジア各 国と日本との間で経済的統合がさらに深化する一方で、円が域内でますます頻繁に使用・保有さ れて国際化し、各国当局がアメリカ・ドルよりも円に対して為替レートを安定化させる政策を採 るようになることが必要である。 6−1 東アジア諸国の為替レート政策 これまでの東アジア各国の為替レート政策において、日本円がどのような役割を果たしてきた のかについて、ジェフリー・フランケルらは興味深い研究を行っている(Frankel〔1991〕,Frankel and Wei〔1993,1994〕)。フランケルらは、東アジア各国の為替レート(対スイスフラン・レー ト)がどの主要国通貨の為替レート(対スイスフラン・レート)と強くリンクしているのかを統 計的に検証することを試みた。通貨当局がその国の為替レートをある特定の(複数の)主要国通 貨(たとえばアメリカ・ドル)に対して安定化させる政策を採っているとすれば、回帰分析にお いて、その特定通貨(アメリカ・ドル)が統計的に有意な影響をもつことを示せるはずだ、とい う観点から検証を行ったわけである。 表 8 は、フランケルらの得た分析結果を整理したものである。これによれば、大半の東アジア 諸国(アジアNIEs、ASEAN諸国、中国)は、みずからの為替レートをアメリカ・ドルに 安定化させる為替政策を選択しており、為替レートの管理における円のウェイトは極めて限られ ている。しかし、急激なドル安・円高が起こる時期には、各国はドル・ペッグをルースなものに して対ドル・レートの切り上げを容認することから、短期的に円のウェイトが上昇することがあ り得る。あるいは、シンガポールなどは、為替レート管理における円のウェイトを徐々に高めて きたことがうかがえる。 このように、円の役割は部分的に高まりつつあるものの、東アジア各国の通貨当局は、円をレ ート安定化の対象通貨とはしておらず、依然として、アメリカ・ドルを基軸通貨とする為替政策 をとっている。その基本的な理由の第 1 は、東アジア各国にとって、アメリカを含むドル通貨圏 諸国との経済取引が今なお重要なことである。東アジア各国は北アメリカを魅力的な輸出市場と みなし、活発な資本取引、金融取引も行っている。それに加えて、域内諸国との経済取引も急速 に拡大させているが、これら域内諸国の大半は、アメリカ・ドルを基軸通貨と見なしている。そ のため、いずれの国にとっても、ドルを利用し続けることのインセンティブが高いのである。第 2は、アメリカの金融政策が(日本やドイツと比較してインフレ基調が強いとしても)過度に拡 張的ではなく、東アジアの各通貨当局は、対ドル・レートが安定した状況でマクロ経済運営を行 −56− うことにメリットを感じてきたことが挙げられる。第 3 に、アメリカの金融市場が良質のドル建 て金融資産・負債手段を提供しており、東アジア各国の輸出入業者、企業、投資家がそれに容易 にアクセスできる点が挙げられる。貿易金融、短期資金運用、資金調達をドル建てで行うことの 利便性が高いのである。加えて、アメリカの金融機関がドル・ベースでの国際金融網を形成し、 アジアの現地通貨とアメリカ・ドルの外貨取引が容易に行える体勢が整えられている点も無視で きない。 6−2 東アジアにおける経済的統合の進展 東アジア地域においては、近年、貿易、直接投資の流れが活発になり、域内の経済的統合が大 きく進展してきた。 経済的統合の進展プロセスは、2 つの契機によってもたらされた。第 1 は、1980 年代前半まで に東アジア各国が輸出志向、外資導入という自由化路線を積極的に採用したことである。80 年代 前半には、アメリカで需要拡大が見られたが、既に輸出志向型の開発戦略に転換し、その成果を 挙げていたアジアNIEs諸国は対米輸出を急速に拡大させた。続くASEAN諸国も相次いで 輸出志向政策を確立させて、輸出を伸ばした。東アジア各国は、先進諸国(とくにアメリカ、日 本)から直接投資を導入し、工業製品輸出を強化し産業構造の高度化を図る政策を定着させたの である。こうした対外志向的な自由化政策の確立が、80 年代央以降、東アジア地域における経済 的相互依存を深化させる重要な契機となったのである。 第 2 は、1980 年代半ばに生じた大幅な円高が、日本からアジアNIEs、ASEAN諸国への 直接投資を促して、東アジア地域での経済的相互依存関係を強めたことである。すなわち、急激 な円高は、日本の製造業部門の国際価格競争力を大幅に低下させたことから、当初、多数の日本 企業によるアジアNIEsへの直接投資が活発になった。円高のもとで日本の輸出拡大に歯止め がかかるとともに、日本と国際市場で競合を始めていたアジアNIEsから、日本やその他先進 諸国への輸出が拡大した。しかし、1980 年代後半にはアジアNIEsでも為替の切り上げ、賃金 の上昇が起き、日本企業だけでなく、アジアNIEs企業もASEAN諸国や中国などに生産基 地を移転することになった。その結果、アジアNIEsとASEAN、中国との間にもかっぱつ な貿易リンケージが作り出され、後者の製品輸出の拡大と経済発展が促されることになった。近 年は、ASEAN間の直接投資も見られるようになり、東アジア域内で多角的な経済的相互依存 の網が拡がっている。円高を契機とする日本の対外直接投資・技術移転が、東アジア諸国を次々 と動態的な経済発展の連鎖のなかに巻き込み、重層的・雁行的な発展・成長と有機的な経済的結 合を展開させたのである。 東アジア諸国は、直接投資と国際貿易を相互に補完しあって拡大させる中で、お互いの経済的 相互依存関係を高めてきた。その中軸となった日本の直接投資と貿易の関係を「万有引力モデル」 で計量的に捉えると、たしかに両者の間に補完しあう関係を認めることができ、その傾向はとり −57− わけ機械産業において顕著である(Kawai〔1994〕,Kawai and Urata〔1995〕)。このことは、 直接投資が東アジア域内で工業製品とくに機械製品の国際分業関係を作り出して、活発な企業 内・産業内貿易を展開させてきたことを示唆している。 6−3 円の国際化の将来 6−3−1 東アジアにおける特殊要因 ドイツが西ヨーロッパで最大の経済規模(GDP、輸出、輸入、外貨準備保有等)を有し、健 全かつ非インフレ的な金融・財政政策の下で良好なマクロ・パフォーマンスを達成してきたよう に、日本も東アジアで最大の経済規模を有し、非インフレ政策を追求してきた。西ヨーロッパ域 内での経済的相互依存関係がドイツを中心に深化してきたように、東アジア域内でも、近年、日 本の直接投資、貿易、援助を中心に経済的相互依存関係が深化してきた。そのような状況で、日 本円が東アジアにおいて基軸通貨としての役割を果たしていないのは奇妙でもある。西ヨーロッ パと東アジアは、一体どこが異なるのだろうか。 西ヨーロッパは、戦後の出発点において、経済的に発展した先進工業諸国から成っていたが、 東アジアは日本を除き、全て発展途上諸国から成っていた。西ヨーロッパと東アジアは、ともに 経済復興のプロセスをドル通貨圏の中でドル資金と対米輸出を軸に開始した。西ヨーロッパ諸国 は、1950 年代央までに復興を成し遂げ、相次いで成長過程に入り、通貨の交換性を回復して域内 での貿易・資本取引を活発に拡大させた。とくに工業製品を中心に産業内貿易を拡大し、お互い の貿易決済通貨としてアメリカ・ドルから域内通貨へとシフトをはじめた。1970 年代に日・米・ 欧は全般的な変動為替レート制に入ったが、ヨーロッパ域内では為替レート安定化が追求され、 79 年にはEMSが発足することになった。その過程で、経済規模が大きく、マクロ・パフォーマ ンスの優れていたドイツの通貨マルクが域内で中心的な国際通貨として選択され、各国当局によ るレート安定化の対象となっていったのは自然なことだった。 それにひきかえ、東アジアでは、日本がいちはやく高度成長に入ったが、それ以外の発展途上 諸国は長らく経済的に停滞した状況にあった。日本の対東アジア貿易は当初、資源輸入、製品輸 出という典型的な垂直貿易(産業間貿易)であり、工業製品を中心とする産業内貿易は近年に至 るまで展開することはなかった。そのため、日本を中心とした貿易決済には主としてアメリカ・ ドルが使用され、円が使用される範囲は限られていた。東アジアの発展途上諸国は、ドル通貨圏 に属しており、そのことが、円通貨圏の形成に歯止めをかけてきたといってよい。 東アジアにおけるもうひとつの特徴は、かつての日本の統治下にあった諸国は、既に政治的な 植民地関係が清算されているにも拘わらず、日本が信頼されるアジアの経済大国とは見なされて いないことである。そのため、東アジア地域には、フランスとアフリカのCFAフラン圏諸国と の間のような通貨関係が形成される余地はありえない。域内で国際通貸としての円の役割が増大 するとすれば、それは市場の選択に委ねられるしかないが、そのことすら当面は難しそうである。 −58− 日本に対する政治的・軍事的な信頼感の欠如が、日本との貿易、直接投資、技術、援助資金の流 れの拡大にも拘わらず、円の国際化を遅らせる要因の 1 つになっていると思われる。しかし、そ うした政治的な要因は時間とともに薄れ、いずれは経済的な要因がアジアにおける円の国際化の 程度を決定するようになろう。 6−3−2 日本から見た円の国際化 円の国際化は、東アジアを中心に着実に進んできているが、それは日本経済の規模からみても、 あるいは西ヨーロッパにおけるドイツ・マルクの国際化の程度と比べても依然低水準にある。 東アジアにおける円の国際化が依然として低水準にある第 1 の理由は、日本の特異な輸出入貿 易の構造を反映して、貿易決済の円建て化がなかなか進まないことに求められる。すなわち、日 本の輸出の大宗がアメリカ向けであり、輸入の大宗一次産品・原燃料である。アメリカとの貿易 取引はドル建てでインボイスされる傾向にあり、一次産品・原燃料の貿易取引は国際商品市況を 基準としてドル建て(ないしポンド建て)で値決めされる取引慣行がある。その結果、日本の輸 出・輸入取引では円建て比率が低くなり、日本企業は東アジアとの貿易取引についても円建てに する誘因をさほど高めないわけである 25 。しかし、そのことは、後に述べるように、今後、日本 の貿易構造が変化して、対アジア取引で産業内(製品)貿易が拡大すれば、円建てインボイスが 拡大する余地が存在することを示唆する。実際そのような傾向は急速に進展しつつある。 円の国際化が十分進展しない第 2 の要因は、円ドル・レートの変動幅が大きく、非居住者にと って円を使用・保有することの為替リスクが大きいことである。とりわけ、非居住者からみて、 円建て債務をもつことのリスクが大きい。しかし、円ドル・レートの変動がもつ為替リスクをヘ ッジするメカニズムが整備されれば、この問題はさほど重要でなくなろう。円に関する先物・オ プション取引(デリバティブス)の拡大がそのひとつの手段である。あるいは、東アジア諸国に とって、日本からの円建て製品輸入が拡大したり、円建て資産の保有機会が増大すれば、円建て 債務を相殺させて為替リスクをヘッジすることができる。実際、日本企業の対アジア直接投資の 高まりに対応して、進出先との間で企業内貿易、産業内貿易が拡大し、円建て製品輸入の比率が 高まりつつある。また、東アジア各国当局は、円建て借款のもつ為替リスクに考慮して、円建て 資産を外貨準備として保有するようになっている。 円の国際化を阻害する第 3 の要因として、日本の金融・資本市場が十分な深さと厚みをもつほ どには成長しておらず、非居住者、居住者にとって使い勝手の悪いものになっているという点が 挙げられる。まず日本には、アメリカのBA(銀行引受貿易手形)市場、TB(短期国債)市場 25 それに加えて、日本の輸出メーカーは、輸出先の販売価格(現地通貨ないしドル建て)を安定的に維持して市 場シェアを確保しようとする傾向が強いことから、輸出を外貨建てでインボイスする誘因をもつことも指摘され ている。 −59− に匹敵する本格的な短期金融市場は形成されておらず、安全性、収益性、流動性の点ですぐれた、 標準化された円建て資産が大量かつ安定的に供給されるにはいたっていない。その結果、非居住 者にとって、輸出入貿易を円建てで効率的に行う機会や、調達した円を有利に資金運用する場が 限られているのである。東アジア諸国をはじめとする非居住者が円建てで様々な国際経済取引を 行うインセンティブをもつためには、円建て資産を低コストで便利な流動資産として保有でき、 円資金を低コストで調達できるようになることが必要である。また、資本市場の発展も十分でな く、日本の巨額の貯蓄が必ずしも収益性の高い投資機会に向けられてきたとも、非居住者による 日本での資金調達が効率的なかたちで行われてきたとも言いがたい。しかし、日本の金融・資本 市場はゆっくりとはしているが、様々な自由化が行われており、市場の厚みと深みが徐々に増し ている。それは、今後の円の国際的使用を拡大させる要因になるはずである。 第 4 に、日本の金融サービス業が十分な国際競争力をもっておらず、優れた海外金融機関網も 形成されていないことが挙げられる。効率的な金融・資本市場を背景に、国内金融機関の海外支 店網を通じて、居住者、非居住者に対して優良な金融サービスを提供できなければ、円は国際化 しえない。言い換えれば、東京が国際金融センターとなり、日本の金融機関が競争的で優良な金 融サービスを提供できなければ、円が国際通貨として世界に供給されることは困難である。日本 の金融機関は、現在、高度の金融技術、経験、ノウハウ、情報を蓄積しつつあるが、それをさら に積極的に進める必要がある。 6−3−3 アジアNIEsとASEANの選択 1980 年代央以降の大幅な円高は、日本を含む東アジア地域の経済的統合を促進する役割を果た した。すなわち、円レートの上昇は、日本企業によるアジアNIEs、ASEAN諸国、中国な どへの直接投資を活発にし、日本と東アジア経済との間の有機的な国際分業体制を深化させる役 割を果たしてきた。円高を契機とする日本の対外直接投資・技術移転が東アジア諸国を次々と成 長の連鎖の中に巻き込み、東アジアでの重層的・雁行的な発展と成長を可能にしてきたのである。 円高はまた、日本の製品輸入、とくに東アジア諸国からの工業製品輸入を活発にし、日本と東ア ジアの間での経済的統合を深化させてきた。 ここで強調すべきは、円高の下で、日本を含む東アジア地域の経済的統合が進んできたのは、 実はアジアNIEsやASEAN諸国がドル通貨圏に属してきたからだという点である。NIE s、ASEAN諸国は、ドル通貨圏に属することによって、円高のメリットを受け、急速な経済 発展を遂げてきたのである。まず、日本と国際的に競合する工業製品を生産するアジアNIEs にとっては、円高は、国際市場・日本市場における価格競争力の改善を意味し、 (同時に、当初は、 日本からの直接投資流入というメリットもあった)、景気拡大効果を生み出す。日本と国際的に競 合しうる工業製品を生産するに至っておらず、資源・原燃料輸出をも行っているASEAN諸国 にとっては、円高は、日本からの対内直接投資流入の増大と工業化の進展というプラスの効果と、 −60− 日本の景気低迷による資源・原燃料の対日輸出の低下というマイナスの効果をもたらすが、これ までのところプラスの効果が大きかったといってよい。したがって、今後もトレンドとしての円 高が持続するのであれば、東アジア諸国には、ドル通貨圏から離れて円通貨圏に移行するメリッ トはさほどない。しかし、アジアNIEs(とくに韓国、台湾)については、今後、経済発展が 一層進み、その産業構造が日本のそれとさらに類似したものになるにつれ、ドル通貨圏からゆる やかに離れて、対円レートをより考慮に入れた為替政策を採用するインセンティブが高まるもの と思われる。 第 1 に、日本とアジアNIEsとの間で産業内貿易が一段と活発になり、域内通貨を決済通貨 として使用する誘因が高まろう。その場合、たとえアジアNIEs(韓国、台湾)の通貨が資本 勘定で交換性を樹立させたとしても、経済規模が大きく金融節度の確保された日本の通貨円が決 済通貨として選択される可能性が高い。第 2 に、現状では、円ドル・レートの変動はアジアNI Esの景気変動を増幅させる効果をもつことから、彼らにとっても、アメリカ・ドルのみに対し て通貨価値を安定させる為替政策を採り続けることは望ましくない。アメリカ・ドルに加えて、 ある程度大きなウェイトをもつ円を含んだ通貨バスケットに対して為替レートを安定させること が望ましくなろう 26 。第 3 に、表 7 で見たように、日本とアジアNIEsとの間の供給ショック の国際相関は十分高く、両者の間の為替レートが安定化すべき経済的な根拠が存在する。ただし、 アジアNIEsにとって、アメリカとの経済取引は依然大きな規模であり続けると考えられるの で、ドルと円から成る通貨バスケットを国際的なニューメレアとする意義が高まろう。 これに対して、ASEAN諸国にとっては、ルースな形であるにせよ、ドル通貨圏から離れて 円に対して為替レートを安定化させるメリットはさしあたり大きくない。なぜならば、現状で、 円ドル・レートの変動はASEAN経済を大幅に不安定化するとは考えられないからである。既 に述べたように、円高は日本からの対内直接投資流入を拡大させて工業化の進展に寄与する。し かし、円安に振れたときには、日本からの直接投資が逆流出するわけでも、ASEAN諸国の工 業製品が国際市場・日本市場で価格競争力を失うわけでもない。そもそも、日本から直接投資の かたちでASEAN諸国に流出した生産分野は日本が比較優位を失った産業であり、一時的に円 安となっても、容易に日本に戻ってくる性質のものではないからである。それどころか、円安は 日本の景気を押し上げ、ASEAN諸国の対日輸出を拡大させる効果さえもとう。このように、 ASEAN経済は日本経済と競合的であるよりは、むしろ補完的な構造をもっていることから、 当面のところ、その為替政策の形成において円のウェイトを増大させる誘因はさほど大きくない のである。 ASEAN諸国にとって、より現実的な選択は、シンガポール、マレーシア、インドネシア(こ 26 そのような主張は関[1995]によって行われている。アジアNIEsが通貨を円に完全にペッグすると、円高 は景気後退を、円安は景気拡大を招くため望ましくない。景気変動を縮小するためには、アメリカ・ドルと円を 最適なかたちで組み合わせた通貨バスケットに為替レートを安定化させることが望ましい。 −61− れにタイを含めてよいかもしれない)が 1 つの通貨地域を形成することだろう。この地域の経済 的統合は、貿易・資本の流れを通じて強化されており、かつ労働移動もシンガポールを中心に高 まっている(Goto and Hamada〔1994〕)。金融政策の面でも、マネーサプライの相関が存在する。 さらに、表 7 で見たように、フィリピンを除くASEAN域内ではマクロ経済ショックの国際相 関が強く、とくにシンガポール、マレーシア、インドネシアの 3 ヶ国は共通の交易条件ショック に面しており(Kawai and Okumura〔1996〕)、金融政策を単一化することのコストはさほど高 くない。域内で単一通貨を導入して、各国が金融政策を共同で運営する方式が考えられよう。 最後に、中国も円高メリットを受けつつ、体制移行と経済発展を図ってきた国である。中国は、 国内に多様な産業部門(とくに非貿易財部門)を抱えた大国である。これまでのところ体制移行 のプロセスでは人民元をアメリカ・ドルに対して安定化させる為替政策をとってきたが、今後は ドルや円に完全にペッグするようになるとは思われない。経済改革が進み、マネーサプライ・コ ントロールを十分行う条件が整えば、ドルにも円にもペッグしないフロート制(ないし管理フロ ート制)の方向に動くものと考えられる。 −62− 7 まとめ−複数通貨体制の展望 世界の国際通貨の枠組みは、ドルをグローバルな基軸通貨とするシステムからドル、マルク、 円を中心とする複数通貨体制へ移行しつつある。 複数通貨体制とは、世界経済の中で重要な役割を果たす、アメリカ、ドイツ、日本などの通貨 (ドル、マルク、円)がいずれも主要な国際通貨として機能し、それらの間の関係がある程度対 称的になる国際通貨制度である。日本円は東アジアで基軸通貨としての役割を果たしていないこ とから、現状は、ドルとマルクから成る 2 極通貨体制(あるいは 2 極半)ということになるかも しれない。ドル、マルク、円が世界の輸出入貿易、国際資本移動、銀行間為替取引、外貨準備、 為替市場介入などにおいて使用・保有され、アメリカ、ドイツ、日本の金融政策が相互に強い影 響を及ぼしあうようになれば(そして現状はそれに近づいている)、複数通貨体制が形成されると 言ってよかろう。複数通貨体制の下では、アメリカといえども経常収支赤字をほぼ自動的にファ イナンスすることが難しくなるため、ドル・レートの下落を避けるために一定の「節度」が課せ られるようになる。各国がお互いに、より対称的なかたちで国際通貨制度のプレーヤーとしてか かわっていくことになるのである。 ドルと円、マルクとの間の対称性の高まりは 1980 年代に入ってみられることになった。第 1 に、ヨーロッパにおけるEMSの成功は、西ヨーロッパ諸国が次第にドル圏から離れ、ドイツ・ マルクを中心とした自律的な通貨圏を形成するようになったことを意味した。第 2 に、世界の貿 易、資本取引において、あるいは世界の通貨当局が保有する外貨準備の構成において、次第にド ルのウェイトが減少し、円やマルクのウェイトが高まることになった。第 3 に、これまでアメリ カ・ドルにペッグしていた発展途上国の多くがドル・ペッグから離れ、円やマルクを含む通貨バ スケットに対して安定化させるようになってきた。第 4 に、ドル・レートの管理のために、アメ リカ自身が頻繁に為替市場介入を行うようになった。これは、1978 年のドル防衛策の際にも見ら れたが、基本的には、85 年のプラザ合意、87 年のルーブル合意をきっかけに恒常化することにな った。 いまのところ、円は東アジアにおいてドルに匹敵する国際通貨に成長しているわけではなく、 地域的な基軸通貨としての役割を果たしているわけでもないが、日本とNIEs、ASEAN、 その他アジア諸国との間で、直接投資、輸出入貿易、国際貸借がさらに活発に行われるようにな れば、東アジア域内での円の国際通貨化は自ずと進もう。実際、急激な円高が生じると、アジア 諸国はドル・リンクを緩め、円レートに完全に連動しないまでもドルに対して切上げを許す措置 をとってきた。また外貨準備の構成についても、ドルのシェアを低下させ、円やマルクのシェア を増大させてきた。東アジア諸国は、為替リスクを伴う円建て対外債務(円借款など)を拡大さ せていることから、円資産を保有して為替リスクをヘッジするインセンティブも大きい。また、 日本の金融・資本市場の一層の整備と国際化の進展は、円の国際的な魅力を高めるはずである。 このことは、長期的には、円が東アジア地域において、ドルと並ぶ(さらにはそれに代位する) −63− 国際通貨へと成長する可能性をはらんでいることを示唆する。ただ、その場合、東アジア諸国(当 面のところアジアNIEs)は、円やドルを単独の基軸通貨として選択するというよりは、両者 のバスケットに対して為替レートを安定化する方向に進む可能性が高い。 円の国際通貨化は、必ずしも円がドルにとって代わるグローバルな基軸通貨になることを意味 するものではないが、それはドルと円、マルクとの間の対称性を高める役割を果たす。国際通貨 の枠組みは、ますます、ドル、マルク(またはECU)、円を中心とする複数通貨システムとして 機能することになることを意味する。国際通貨システムが複数通貨体制として機能するにつれ、 アメリカ、ドイツ、日本の主要 3 ヶ国が相互の間の為替レートを協調的に安定化させることが、 今までにも増して重要な課題になる。複数通貨体制は、絶えざる投機的通貨代替の波にさらされ、 必ずしも安定的だとは限らないため、プラザ合意やルーブル合意でみられた以上に協調的なマク ロ政策運営が要請されるのである。とりわけ、ドル価値の不安定化に備え、金融・財政面での国 際政策協調を推進する必要がある。日本は、それ自身、為替レート変動の影響を最も受けやすい 国の 1 つであることから、ドル、マルク、円の間のレートの協調的安定化に向けてリーダーシッ プをとることが望まれる。同時に、ドル安が行き過ぎて「ドル暴落」が生じる危険性を避けるた めにも、アメリカが真剣な政策調整に取り組むよう働きかけ、そのための監視の体制を強化する ことが必要になろう27 。 27 複数通貨体制を極限にまで押し進めた考え方としては、アメリカ、ドイツ、日本が相互の為替レートを安定化 させた上で、ドル、マルク、円が世界の基軸通貨としての役割を果たし、これら 3 ヶ国が共同でその他世界に対 する「n番目の地域」として機能することが考えられる(河合[1989])。世界経済の現状からすればこれはなか なか現実的ではないが、国際通貨システムの共同管理のひとつの理念タイプだといえる。 −64− 参考文献 1.石見徹『日本経済と国際金融』東京大学出版会、1995 年. 2.石見徹『国際通貨・金融システムの歴史 1870∼1990』 有斐閣、1995 年. 3.石見徹・河合正弘「基軸通貨と国際通貨システム(1)(2・完)」『経済学論集』第 56 巻第2 号,1990 年 7 月,73−10 頁;第 56 巻第 3 号,1990 年 10 月,83−110 頁 4.大野健一『国際通貨体制と経済安定』東洋経済新報社,1991 年. 5.勝悦子『円・ドル・マルクの経済学』東洋経済新報社,1994 年. 6.河合正弘「国際通貨システム−『n−1 問題』,国際通貨,クレディリティー」 『金融研究』 (日 本銀行金融研究所),第8巻第1号,1989 年3月,37−84 頁. 7.河合正弘「円の国際化」伊藤隆敏編『国際金融の現状』(有斐閣,1992 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