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Title
Author(s)
Citation
フロイトにおける道徳性発達の論理 −エディプス.コンプ
レックス概念の検討を中心に−
須川, 公央, Sukawa, Kimihiro
神奈川大学心理・教育研究論集, 26: 149-157
Date
2007-03-31
Type
Departmental Bulletin Paper
Rights
publisher
KANAGAWA University Repository
フロイ トにお ける道徳性発達 の論理
エデ ィプス ・コンプ レックス概念 の検討 を中心 に
須川
公央 (
東京大学大学院)
Lは思想 に所 々見 え隠れす る こう した 「父性 イ
は じめ に
デ オロギー」 を解 明す る方法論 的視座 の欠如 に
オイデ ィプスの毒 はいたる ところに蔓延 して
あ った と考 え られ よう。
い る。 そ して私 たちの知 らない うちに, オイデ
そ こで本稿 で は, こ う した<父 >を媒介 と し
ィプス的思考 はあ ま りに深 く私 たちの うちに根
た子 どもの道徳性 をめ ぐるメ タフ ォリカルな語
を下 ろ しているので,私 たちはその結果が何 な
りが,総 じてあ る一つの基本 モデル に準拠 して
の か , もはや分 か らな くな ってい る。社 会 の
い る と仮定 して,その メカニズ ムの解 明 を試 み
「オ イデ ィプス化」 はあ まね く広 まって しまっ
ようと思 う。 その基本 モデル こそ,精神分析 学
ているのだ。
が暴 き出 した主体化 の メカニズ ム,す なわち子
[
01
i
vi
e
r1
9
80=1
9
96:
2
6
9]
どもを道徳 的主体 た ら しめ ん とす る 「
エ デ ィプ
教育 とい う営み を広 く,子 どもの規範意識 -
ス ・コンプ レックス Od
i
p
u
s
k
o
mpl
e
x」 の こ とで
道徳性 の育成 を目指す作為一般 と して捉 える と
ある2)。
き,そ う した子 どもの教育 に不可欠 な契機 とし
て,<父 >の役割 が強調 され る とい うこ とは,
周知 の通 り,エデ ィプス ・コンプ レックスは,
ヽヽヽヽヽ
S.
フロイ トによって発見 された概念 であ る。母
従来の教育理論 な り,思想 な りに広 く散見 され
親 とナル システ ィツクな関係 を取 り結 んでいた
る ところである。昨今 の教育言説 を瞥見 してみ
子 どもに対 して,父親が去勢 の脅か しを掛 ける
て も,例 えば,今 日の豊 か な社会 における病理
こ とに よって,母親 に対 す る近親相姦的願望 を
ともい うべ き教育 困難性 を,親の規範性 (
父性 )
断念 させ る, と同時 にそ れ は,子 ど もの文 化
の衰退 として捉 え,家庭 内 における道徳 的権威
的 ・象徴 的社会- の参入 を促進 し,それが子 ど
の復権 を求 める ような 「
父性 の復権」論 , さ ら
もを して一個 の 自律 的 な道徳 的主体 として立 ち
には公 的機 関 と しての学校 に対 して も,最低 阪
上 げることになる, とい うものである。
の父的機 能 を積極的 に担保 させ る ような道徳教
さて仮 に, このエデ ィプスモ デルが,子 ども
育 ,宗教教育 の強化 な ど,父性 的 なメタフ ァー
が道徳性 を獲 得 す るための基本 モデ ル と して,
に よって語 られ る教 育言説 は枚挙 に暇が ないほ
先 に見 た ような 「
父性 イデ オロギー」 に彩 られ
どである
た教育言説 にその範型 を提供 してい る と理解す
。
ところが,宮揮康 人が指摘 す る ように, こう
るな らば,それ は まさに教育 とい う営みが,父
した子 どもの道徳 的情操 の決定的 な契機 を担 う
権 の行使 を通 じてエデ ィプス的 な道徳 的主体 の
とされ る<父 >の問題 が, これ まで教育学 にお
再生産 に寄与 してい る とい うこ とであ り, と り
いてほ とん ど主題化 されて こなか った と言 うと
もなお きずそれは, 冒頭 の引用文 において C.
オ
き1
)
,その指摘 が合意す るの は,教育言説 ない
リヴ イ工が憂慮 した事態,つ ま り社会 の 「オイ
-1
4
9-
神奈川大学心理 ・教育研究論集
第2
6号
デ イブス化」 とい う事態 に教育が加担 している
中心主義 的 なイデオロギー を体現 し,家父長制
とい うこ とに他 な らない。即 ち,教 育 は規範
の再生産 に寄与す る ものであ る と して, フェ ミ
的 -道徳 的主体 の, さらにはその主体 を産 出す
ニズ ムの理論 家 た ちか ら度 々断罪 され ることと
るため に行使 され る父権一般の再生産装置 とし
なった。
て,知 らず知 らずの うちにオイデ ィプスの毒 を
ところで, フロ イ トに よれ ば このエ デ ィプ
い た る所 に撒 き散 ら して い る とい うわ けで あ
ス ・コンプ レックス は,子 どもの道徳性 の発現
る。
に関わる重要 な契機 と して理解 されている。先
本稿 はこうした問題意識 の もと, S.
フロイ ト
述 した ように,子 どもは まず始 め に異性 の親 に
(
Si
gmundFr
e
ud1
85
6-1
9
3
9)のエデ ィプス ・コン
対 して強 い性 的愛着 を抱 くようになる。 しか し
プ レックス論 お よび超 自我概念 を発達論 的観点
そ う した異性 の親 に対す る近親相姦 的 な願望 は
か ら検討 しつつ,それ らに対す るフェ ミニズム
叶 うことな く,最終的 には父親 による禁止 -
か らの批判 を交 えなが ら, フロイ トにお けるエ
い わゆ る去勢 の脅 か し -
デ ィプス的主体化 モデル3) の再考 を試み ること
られ るこ とになる。以後 ,父親 による近親相姦
に よって断念 させ
,「道徳 の権
に したい。本稿全体 の議論 を通 して確認 される
的願望 の禁止 は,潜伏期 を通 じて
の は,エデ ィプス ・コンプ レックスの発見 によ
化」[
Fr
e
ud1
9
3
3=1
9
71:
4
3
6]たる 「
超 自我 Ube
r
i
c
h」
り 「父性 イデ オロギ ー」 の メカニズ ム を暴 き
と して子 どもの うちに内面化 され るこ とになる
出 した フロイ トの理論 が,図 らず してそ う した
とい うのである4)0
,
「父性 イデ オ ロギ ー」 に加 担 して しまってい る
とい う事態である。
しか しなが ら我 々は, こう したエ デ ィプス ・
コンプ レックスの発現 と終結 に至 る一連 の プロ
1. フ ロ イ トに お け る道 徳 性 発 達 の起 源 と
して の エ デ ィプ ス期
セスが ,そ もそ もの理論 化 の出発 点 にお いて,
父親 と息子 の関係 をモデル として構築 された と
い う事実 を思 い起 こさねばな らない。 フロイ ト
数 あ る精神 分析 学 理論 の 中で も,エ デ ィプ
は後 に, このエ デ ィプス ・コ ンプ レックスが女
ス ・コ ンプ レックス ほ ど多 くの 人 を魅 了 し続
児 の場合 に も適用 で きる と して,その理論 的拡
け,同時 に数 々の批判 に さらされて きた理論 は
張 を試 み るのであるが,その理論 的帰結 は男性
他 にはない と言 って も過言 で は ないで あ ろ う。
優位 の下,女性 の道徳 的劣等性 を強調 す る とい
その理論 は今 なお検討 の余地 を残 された もの と
うまさに男性 中心的 な偏 向 を特徴 とす る もの と
して,精神分析学 は言 うに及ばず,文化人類学,
なって しまった。女児 の場合 は,そ もそ も去勢
社会学, フェ ミニズ ム とい った隣接諸科学 をも
され るべ き男根 が備 わってい ない。 ゆえに去勢
巻 き込 んだ形 で,諸科学 における理論 的テーマ
の威嚇 (-近親相姦 的願望 の禁止)は効力 を持 た
の一つであ り続 けてい る。 と りわけ精神分析学
ず, したが って欲動 の禁止 的審級 であ る超 自我
,「大
の形成 も男児 と比べ て相対 的 に困難であ る とい
とフェ ミニズ ムの関係 で言 えば,例 えば
部分 の フェ ミニズ ムは, フロイ トを敵 と見 な し
うのである。
ている。 -- 精神分析 は, ブルジ ョア的,家父
以下で は, フロイ トのエ デ ィプス ・コンプ レ
長制的 な現状 を正 当化 す る ものであ り, フロイ
ックスの発生 か ら解消 までの プロセス を男児の
ト自身が身 をもって,それ ら性 質 を例証 してい
場合 と女児 の場合 とに分 け なが ら考察 し,その
る と考 え られてい るのだ。
」[
Mi
t
c
he
l
l1
97
4=1
9
77
男性 中心主義 的偏 向 を明 らか に しつつ,男児 と
:5] とい う 上 ミッチ ェルの一文 に象徴 され るよ
女児 の道徳性獲得 までの プロセス とその非対称
うに,精神分析 学 -
的性格 を明 らか に してい くことに したい。
と りわけそのエ デ ィプ
ス ・コンプ レックス論 -
は,父権 的 -男性
-1
5
0-
フロイ トにおける道徳性発達の論理
1.1 エデ ィプス ・コンプ レックスの終結 か ら
超 自我形成へ -
デ イブスの三つ巴の世界へ と身 を投 じてい くの
男児の場合 -
であるが,先 に見 た母親 に対す る近親相姦的願
フロイ トがエデ ィプス ・コンプ レックスの典
望 は叶 え られることな く,その願望 はす ぐさま
型例 として示 した論文 「ある五歳児の恐怖症分
断 ち切 られ るこ とになる。 自慰 に夢 中にな り,
析 」(
1
909)は,男児 にお けるエデ ィプス ・コン
母親 に対 して排他的 な性愛願望 を抱 いていた男
プ レックス を理解す る上で,極めて格好 の素材
児 に対 して,母親 ない し父親 は 「
男児がい うこ
を我 々に提供 して くれる。少年ハ ンスの母親 に
とを開かず に もてあそんでいる性器 を奪 い取 っ
対する近親相姦的愛着,馬 に投影 された父親像,
て しまう」 [
i
bi
d.
] と去勢の脅か しをかけること
そ してその馬 に噛 まれる とい う幻想が示す父親
によって,男児 に去勢不安 を呼 び起 こ し,母親
か らの去勢の脅か し, さらには 自らも父親 と同
に対 す る近親相 姦 的願望 を諦 め させ よ う とす
じような男根 を獲得 した と幻想す ることによっ
る。即 ち,「
去勢 コンプ レックス (
Kas
t
r
at
i
ons
-
て,その去勢不安 を解消 してい くとい う少年ハ
kompl
e
x)
」 の発生である。 さらに,男児の去勢
ンスの馬恐怖症 に始 まるこの一連 の症状が示す
コ ンプ レックス は ,「女 の子 の性 器部 を見 て,
のは,エデ ィプス ・コンプ レックスが如何 に し
自分 とよ く似 た子 どもであ りなが らペニスが な
て生起 し,そ して消過 してい くのか とい うエデ
い」 [
Fr
e
ud1
924=1
970:31
2] とい う事実 を認 め
ィプス ・コンプ レックスの生成論 その もの と言
ざるおえない とき,一層深刻 な もの となるので
えよう。
ある。
後 にフロイ トは, この過程 をい くらか図式的
さて フロイ トによれば,男児 は 自らに降 りか
な形で理論化 したが, もはや検討 され尽 くして
かるこうした去勢不安 に対 して,次のいずれか
しまった感 もあるこのプロセス を,簡略化す る
の方法 によって,その不安 を解消 しようと試み
ことを臆せず にまとめる とすれば,それは以下
る とされる。 まず一つ は能動的方法 と呼ばれる
の ようになる。
ものであ り, これは 「自分 を父親 と同一視す る
まずエデ ィプス ・コンプ レックス開始の第一
こ とに よって,父 親 と同 じよ うに母 親 と接 」
段 階 目として挙 げ られるのが,それ を生起 させ
[
i
bi
d.
] し, 自らも父親の ようになることによっ
るに最大の原 因 ともい うべ き,母親への近親相
て,父親か らの去勢 の脅か しを克服 しようとす
姦的願望の萌芽である。 口唇期 ,そ して肛 門期
る ものであ る。 「この場合 は,やがて父親 を邪
に続 く男根期 において,男児の部分欲動 は性器
i
bi
d.
]ので,エデ ィ
魔者 と感 じるようになる」 [
(
男根)
優位 の下 に統合 され,それがエデ ィプス
プス ・コンプ レックスはさらに強化 されて しま
構造-の参入 を準備す る。性器 に快感 を感 じる
うことになる。 フロイ トが記載 した もう一つの
この段 階 において,男児 は 「
母親 を身体的に所
方法 とは,受動 的方法 と呼 ばれ る ものであ り,
有 したい と欲 し, 自分が誇 りを持 って所有 して
先 の能動的方法 とは逆 に, 自らを母親 に同一視
いる男性器 を母親 に示す ことによって,母親 を
す るこ とに よって ,「母親 にかわ って 自分が父
誘惑 しようとす る」 [
Fr
e
ud1
9
4
0=1
9
8
3:1
9
4]の
i
bi
d.
]である。
親か ら愛 され ようとす る もの」 [
であるが,それが男児 を して母親への近親相姦
母親 に同一視す る とい うことは, 自らを男根 を
的願望 と,その裏面 としての父親へ の嫉妬の感
持 たない者 と規定す ることで もあるので,去勢
情 を醸成す ることになる。異性 の親- の性愛 ,
不安その ものが回避で きるとい うわけである。
そ して同性 の親への憎 しみに特徴づ け られたこ
こ う して男児 は,去勢不安 を解消 しようと,
の男根期 は,同時 にエデ ィプス ・コンプ レック
いず れかの方法 を選ぶ ことになるのであ るが,
スが生起する時期で もある5)0
フロイ トは,その両手段 ともに男根 を失 うこと
か くして男児 は,<父 -母 一子 >か ら成 るエ
-
になるとい う点で,結局 は失敗 に終わると言 う。
15 1 -
第2
6号
神奈川大学心理 ・教育研究論集
とい うの も,前者の場合 は最後 まで父親 と対峠
て,その形成 はエデ ィプス期 とい う特定の一段
す ることになるので,結局 は父親 に敵 うことな
階においてのみ達成 されるのではな く,規範意
く,最終的には去勢 され処罰 されて しまう結果
識の発達 に伴 って,欲動の支配す る快楽原則 か
をもた らし,そ して後者の場合 には,男根 を持
ら法の支配す る現実原則-の移行 とい う長い道
たない母親の位置 に据 わろうとす ることによっ
程 を経 て徐 々に確立 されてい くことになるので
て,男根 その物 を持つ ことを断念せ ざるおえな
ある。
くなるか らである。
では, こうした去勢不安 は一体 どの ように し
1.
2 エデ ィプス ・コンプ レックスの終結 か ら
超 自我形成へ -
て解消 されるのだろ うか。 フロイ トに よれば,
それはエデ ィプス的欲望 -
女児の場合 -
母親へ の性愛 と
フロイ トの著作 をその時系列 に沿 って読み進
を放棄す ること, さらに
めてい くとき,我 々は,女児の性愛 とその リビ
は他律 的であった父親の権威 と禁止 を自らに同
ドー発達 に関す るフロイ トの議論が,極 めて錯
一化 す る こ とに よってのみ可 能で あ る とされ
綜 した理論 的変遷の もとに展 開 されていること
る。そ して, この父親の権威 と禁止の内在化 に
に気づ く。 とりわけその理論 的転 回点 として銘
よって成立す る もの こそ, フロイ トが 「
エデ ィ
記すべ き論文 「
解剖学的な性差の心的帰結の 2,
Freud
プ ス ・コ ン プ レ ッ ク ス の 継 承 者 」 [
3について」(
1
925)において, フロイ トは,男
1
940=1
9
83:208] と して記載 した道徳 的審級,
児 と女児 におけるエデ ィプス ・コンプ レックス
す なわち 「
超 自我 (
Ube
r
I
c
h)
」 に他 な らない。
の一連 のプロセスが,対称 的に進展す る とい う
父親へ の憎 しみ -
これ までの考 えを斥 けて,唯一,男女両性 にお
父親 または両親の権威が 自我 の中に取 り入
ける男性性器 の優位性 を強調 す るこ とに よ り,
r
I
c
hの核 となる
れ られ,それが超 自我 Ube
その リビ ドー発達の非対称性 を主張す るように
超 自我 は,父親の厳 しさをそっ くり受 け継 ぎ,
なる。男児,女児 ともに,各 々が所有す る性器
近親 相姦 に対 す る父親 の禁止命令 を永 続化
-
男児の場合 は男根,女児の場合 は陰核 と腫
に従 って,性器期体制がいわば対称 的に進
。
し, 自我が両親 に対す る リビ ドーの対象備給
-
を二度 と繰 り返 さない ようにす るのであ る。
展 ,確 立 されてい くので はない。両性 ともに,
エデ ィプス ・コンプ レックスに伴 う性欲動 の
その リビ ドー発達 は ,「唯一の性器,即 ち男性
一部 は非性化 され昇華 されるが, これは同一
性器 だけが役割 を演 じているのであって,要す
ヽヽヽヽ
る に,性 器優 位 で は な く,男根 優 位 で あ る」
化が行 われる過程 において起 こるのである。
[
Fr
e
ud1
9
2
4=1
9
7
0:
3
1
3]
[
Fr
e
ud1
9
2
3
b=1
9
8
4:
9
9] と言 うのである。
以下では, こうした男根優位 の もとに理論化
以上見 て きた ように,超 自我 の起源 は,両親
された女児 のエ デ ィプス ・コ ンプ レックス を,
に対す る愛 と憎 しみの感情 に彩 られたエデ ィプ
その発 生 か ら終結 まで の道筋 を子細 に辿 りつ
ス的欲望の挫折 に端 を発す る ものであるが,無
つ , 順 を追 って見 てい くことに しよう。
論,それは父親 による近親相姦的願望の禁止の
まず フロイ トによれば,エデ ィプス期以前の
み な らず , その後 の人生 にお け る様 々 な文 化
前 エデ ィプス期 において,「
小 さな女 の子 は小
的 ・社会的諸要求 によって も強化 されることに
Fr
e
ud1
9
3
3=1
9
7
1:
4
8
2
]あ り,「
小
さな男性で」 [
なる。超 自我 は 「
両親 に とって代 わ った人 々,
さな女児の性愛 はまった く男性 的な性格 を持 っ
つ ま り教育者,教師,いろいろな理想像 の影響
ている」 [
Fr
e
ud1
9
0
5
=1
9
6
9:
7
5] とされる。 とい
Fr
e
ud1
9
3
3=1
9
71:4
3
9] なが ら, さら
を受 け」 [
うの も, フロイ トによれば 「
女の子 の男根期 に
に堅 固 な もの と して確 立 され てい くの であ っ
Fr
e
ud1
9
3
3=1
9
7
1:
は,陰核が主導的な催情部」 [
-1
5
2-
フロイ トにおける道徳性発達の論理
ヽヽヽヽヽヽヽ
また惹起 され る。
482] であ る とされてお り, それ は男児 に とっ
[
Fr
e
ud1
9
2
5=1
9
6
9:
1
6
9]
ての男根 と同等 の機能 を有す る もの と して理解
されているか らである。
こうして女児 は,性愛 の対 象 を母親 か ら父親
しか し後 に,「
女児 は兄弟 や遊 び友達 の は っ
へ と向け変 えるのであるが,フロイ 吊 こよれば,
き りと目につ く,大 きな形 を したペニスに気付
その対 象転換 は容 易 にな され るわけで はない。
き,それが 自分 自身の小 さな陰 に隠 された器官
女児 は既 に去勢 されて しまっている とい う逃 れ
とは反対 に優秀 な ものであることをす ぐさま認
きれ ない現実 に対 して,「(
a)性生活全般へ の中
識 して,その時か ら女児 は男根 羨望 に陥 って し
止 の傾 向 ,(
b)
反抗 的 に男 らしさを強調す る方 向,
ま」 [
Fr
e
ud1
9
2
5=1
9
6
9
:
1
6
4] うことになる。 自ら
(
C)究極 的 な女 ら しさへ の萌 し」 [
Fr
e
ud1
931=
の性器 に対 す る劣等感 と男根 への羨望 ,それは
1
9
6
9:1
4
5] とい う三つの手段 のいずれか によっ
女児 を して, 自身 を本来 の性愛対象である母親
て,去勢不安 を解消 しようと試 み るこ とになる
か ら分かつ契機で もある。
が ,唯一 ,「第三 の発 達 [
究極 的 な女 ら しさへ
の萌 し]が は じめて,正常 な女性 としての終局
母親 か ら離反 させ る最 も強 い動機 と して,
形態 に通 じてい く」 [
i
bi
d.
1
43] とされ るのであ
彼女が子 どもにち ゃん とした性器 を与 えてや
る。つ ま りこれは男根期 において小 さな男 の子
らなか った,つ ま り子 どもを女児 と して産 ん
であ った女児が, 自ら 「
′
トさな男性」 であ るこ
だ, とい う非難が浮かび上が って くるのであ
とを諦 めて,女性 であ る とい う事実 を受 け入れ
る。
[
Fr
e
ud1
9
31
=1
9
6
9:
1
4
7]
る とい う こ と を意 味 す る。 か く して女 児 は,
「
男根 羨望 (
Pe
ni
s
ne
i
d)
」 を断念 し,男根 の代 わ
こう した女児 による母親か らの分離 は,性愛
りとなる もの を新 たに 自らの内 に兄 いだ さねば
の対 象 を母 親 か ら父親へ と転換 す る こ と -
な らない。 この男根 にかわる新 たな代替物 , そ
女児 にお けるエデ ィプス ・コ ンプ レックスの生
れは子 どもである。
起-
もまた同時 に意味 している。先述 した よ
うに,男児 は父親 による去勢 の脅か しによって,
しか しい まや女児 の リビ ドーは -
母親へ の情愛 を断 ち切 り,エ デ ィプス ・コンプ
ペニ
ス -子 ど も とい う予 示 され た象徴 的 な方 程
レックス を解消 した。ところが女児 の場合 には,
式 にそ って, とい うこ とが で きるだ け だが
すで に去勢 されて しまってい る とい う事実,そ
-
してその事実 に対 す るコンプ レックスが,母親
女 はペ ニスへ の願望 を棄 てて,子供 を持 とう
一つの新 しい位置 に滑 りこんでい く。彼
へ の憎 しみの感情 ,そ して父親へ の愛情 とい う
とす る願望 にか え ようとし, この ような意 図
エデ ィプス的関係 を成立 させ るのである。
か ら父親 を愛 の対 象 とす る ようになる。母親
ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ
は嫉妬 の対象 とな り,女児 は小 さな一人の女
ヽヽヽヽヽヽヽヽ
になったのである。 [
Fr
e
ud1
9
2
5=1
9
6
9:
1
6
8]
女児 の場合 にはエデ ィプス ・コンプ レック
スは二次的 な形成物 である。去勢 コ ンプ レッ
クスの影 響 が これ に先行 して その準 備 をす
こ う して女児 は,父親 の寵児 た らん と して,
る。エ デ ィプス ・コンプ レックス と去勢 コン
エ デ ィプス的世界へ と足 を踏み入 れるのであ る
プ レックスの関係 については,両性 の間に根
ヽヽヽヽヽヽヽ
本 的 な対 立 が生 じて くる。男 児 のエ デ ィプ
ヽ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ
ス ・コ ンプ レックスは去勢 コンプ レックス に
ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽ
行 き当たって滅 びてい くのだが,女性 のそれ
ヽヽヽヽヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽ
は去勢 コ ンプ レ ックス に よって可能 とされ,
が,その帰結 は男児 のそれほ ど明 らか な もので
は ない。 とい うの も,「
女児 の場 合 には,エ デ
ィプス ・コンプ レックスが崩壊す るための動機
が ない」 [
i
bi
d.
1
69] とフロイ トが い うように,
男児 のエ デ ィプス ・コンプ レックスが去勢 コン
-1
5
3-
神奈川大学心理 ・教育研究論集
第2
6号
プ レックスによって解消 されたの に対 し,女児
ほな らないのですが,男 の子 にはその必要が な
のそれは,去勢 コンプ レックス に よって惹起 さ
いのです。
」[
Fr
e
ud1
9
3
3=1
9
71:
4
8
2] と述べ るよ
れ るため,エデ ィプス ・コンプ レックス を解消
うに,エ デ ィプス期 に入 る と,女児 は主要 な性
す る為 の動機が失 われて しまってい るか らであ
感帯 を陰核 か ら臆 に代 える こ とによって,性愛
る。
の対象 を母親 か ら父親へ と転換す るのである。
従 って,エデ ィプス ・コンプ レックスの継承
陰核 に代 わって臆へ と主要 な性感帯 を代 替 さ
者である 「
超 自我 も, われわれが男性 に要求す
せ るこの プロセス は,女児 における女性性 の発
るほ どには決 して峻厳 な もので も,非個性 的な
現 と重 な り合 うのであ るが,実際 には,女児 の
もので もな く,その情動的起源 か ら独立 した も
男根 羨望 お よび男児 の男根 に相 当す る とされ る
のではない」 [
i
bi
d1
6
9
f
.
] とい うことにな り,超
陰核へ の快感 は完全 には失 われ るこ とはないの
自我 の解消 によって可能 とされ る文化 的 ・象徴
で,エデ ィプス期 の初期段 階 (
男根期 )にあ って
的社会への参入 も男児 と比 して相対 的 に困難 と
は,男児 ,女児共 に男性性 が優位 とされる こ と
されるのである。
になる7
)
。
しか し問題 は,男児 ,女児共 に男性性が優位
2.フロイ トにお けるジェンダー
-
とされてい るに もかかわ らず,男児 と女児 とで
ジェンダー非対称性 に関 す る
は,その男性性 に大 きな隔 た りが存在 す る とい
考察 -
う事実 であ る。つ ま りこれは,男児 の男根 と女
以上 の議論 を手掛 か りに, ここでは フロイ ト
児 の 陰核 との 間 に存 在 す る質 的 な差 を意 味 す
のエデ ィプス論 に見 られるジェ ンダー非対称性
る。 「
女 の子 の陰核 は,規範 的 な男根 か ら三重
に関 して検討 してい くことに したい。
に隔 て られてい る。
」[
Ko
f
ma
n1
9
8
0=2
0
0
0:1
91]
まず,エ デ ィプス期以前 の前エ デ ィプス期 に
とい う S.
コフマ ンの指摘 は, こう した事態 を見
おいて,男児お よび女児 ともにその リビ ドーは,
事 に言 い当 ててい るので あ って, とい うの も,
母親 に向け られ る とい うこ とは これ まで見 て き
男児 の男根 は規範 的 な男根 (
つ ま り父親の男根 )
た通 りである。 フロイ トに よれば, この時期 の
よ り一段 ,劣 ってい る とされ るの に対 し,女児
両者 は, もちろん解剖学的 には性差 は存在す る
の陰核 はその男児 の男根 か らもさらに一段 ,劣
のであ るが,心理学的 には末 だその性 は未分化
った もの とされるか らであ る
。
である とされる。 そ こで フロイ トが, この時期
従 ってそれ は ,「
男児 の場合 には この去勢 コ
における女児 と男児 の心理 的性 を表現す るため
ンプ レックスの影響 の残余 として,去勢 された
に用 いたのが 「
両性具有性 (
Bi
s
e
xual
i
t
a
t
)
」 とい
と認 め られ る女児 に対 す る,ある程度 の蔑視 の
う概念 である。 フロイ トは これ を,男児,女児
ような ものが見 られ る。 -- 女児 は 自分が去勢
共 に各 々における心理 ・社会的性 と しての 「
男
されている事実 を承認 し,そ うす るこ とに よっ
性 性 (Mannl
i
chkei
t)
」お よ び 「女 性 性
て男 児 の優 越 性 と自分 自身 の劣 等性 を も認 め
(
we
i
bl
i
c
hke
i
t
)
」が未 だ分化 されていない状態 を
る」 [
Fr
e
ud1
9
31
=1
9
6
9:1
4
3] ことに もな り,最
表現す るために用 いている6)。
初 の ジェ ンダー同一性 -
さて,エデ ィプス期 に突入す る と,その対象
の こと -
つ ま り両性具有性
は ここにおいて脆 くも崩 れ去 って,
関係 は若干変化 す るこ とになる。男児 はエ デ ィ
両者 の ジェンダーは非対称 的 に分化 し始 め るこ
プス期 において も母親 を自らの性愛対象 とす る
とになるのである。
の に対 し,女児の場合 は,父親へ とその対 象 を
しか し,そ もそ も事 の始 め として,女児 は 自
代 えるのである。 フロイ トが 「
女 の子 は時が経
らを去勢 されてい る者 と して認 め,その結果 と
つ につれ 自分 の性感帯 と対 象 を取 り換 えな くて
して男根 を羨望す るこ とな ど本 当 にあ り得 るの
ー1
5
4
フロイ トにおける道徳性発達の論理
だろ うか。 「
女性 のペニス羨望 ない し去勢 コン
以上, フロイ トのエデ ィプス ・コンプ レック
プ レックスなるフロイ トの考 えを裏書 きす る重
ス論 の検討 を通 じて確認 されたことは, まさに
要 な客観 的証拠 を,彼 は何一つ持 たないのだか
そのエ デ ィプス ・コ ンプ レ ックスが男女 の心
ら, これ らすべ てに投 げが ナられている主観性
理 ・社会的性差 -ジェ ンダー を非対称 的に分化
がいか に徹底 して フロイ ト自身の ものであ り,
させてい く,言 うなればその装置であるとい う
それ も強烈 な男性的偏見,い ささかはなはだ し
ことであった。そ して この非対称性 ゆえに,エ
い男性優位主義的偏見 に立つ主観 であるか には
デ ィプス期 に起源 を見 るフロイ トの道徳性の発
驚 くほかはない。
」[
Mi
l
l
e
t1
9
7
0=1
9
8
5:
3
21
] とい
覗 -超 自我形成 に関す る理論 は, こうした男性
うK.
ミレッ トの批判 にもあるように8),常 に男
(
男根 )を基準 とした価値体系 を議論 の中軸 に据
根 の在 ・不在 とい う観点か ら理論化 されている
えた うえで,女児 における超 自我 -道徳性 の劣
フロイ トのエデ ィプス論 は, まさに男根 中心主
等性 とい う帰結 を導 くのである。序章 において
義 と批判 されるにふ さわ しい理論体系 である と
提示 したフロイ トのエデ ィプス的主体化モデル
言 うことが出来 よう9)。
は,以上の ような男女 の非対称 的な リビ ドー発
この ように, フロイ トのエデ ィプス論 は,最
初のジェンダー同一性 -
両性具有性 …
を
達のプロセスにその基礎 を置いているが,父権
の行使 (
去勢 -快感原則の放棄)を通 じて再生産
主張することによって,その後の リビ ドー発達
される規範的-道徳的主体 とは,実 に男性主体
におけるジェ ンダーの対称的 な進展 を目論 んで
を指すのであって,逆 を言 えば,エデ ィプス的
いるかの ように見 えるのであるけれ ども,結局
主体化モデルは,女性 ない しは母親 を男性基準
は,その後の展 開において男性モデルが特権化
の周縁 に追いや ることによってのみ,その存立
されることによ り,男性 こそが存在論 的決定 を
が可能 になるのだ と言 えよう。
受 けるにふ さわ しい者 とされるのである。そ し
最後 に, フロイ トのエデ ィプス的主体化 モデ
て女性 は と言 えば,男性 とい う基準 ない しは規
ルが独 自の生物学 的決定論 -
範 体 系 の周縁 に追 い や られ る こ とに よって,
非所有 によって男女の心理的性差,はた また社
「
構造劣位者」(
山口昌男)としての地位 に乾 め ら
会的性差が決定す る とい う -
れることにもなろう。
る事実が明 らかになったい ま,我 々は, フロイ
さらに,父親お よび母親の地位 に関 して も同
男根 の所有 ・
に依拠 してい
トの理論 に家父長制社会一般 に見 られる "
父性
様 である。 これまでの検討 において確認 して き
イデオロギー"の構造論的 な解明の契機 を見 る
た ように,父親 は文化的 な現実原則 を表象す る
べ きなのであ ろ うか,あ るいは逆 に,"父性 イ
のに対 し,母親は といえば,子 どもがその文化
デオロギー" を強化す るもの として,それ ら言
的世界 に参入す るために超克 しなければな らな
説 に範型 を提供 している もの として理解す るべ
い諸 々の欲望 を表象 している者 とされることに
きなのであ ろ うか。 「フロイ トに よる女性 の道
なる。 したが って,男根 を所有す る男児 は,エ
徳性や客観性 についての評価 は,論理的に も経
デ ィプス ・コンプ レックスの解消 を経 て,文化
験 的に も弁護の余地が ない と結論 しなければな
的 ・象徴 的世界へ と参入す ることが可能である
らない。これ らの評価 は,これ まで公平無私で,
の に対 し,父親 による去勢の禁止 を内在化 しな
文化 に拘束 されない科学的な見解 として,間違
いが為 に超 自我の形成が未発達である とされる
って受 け取 られて きた因習的 な家父長制的価値
女児 は,エデ ィプス ・コンプ レックス解消 の動
や判断 に,大いに道具 として働 いているのであ
機 を失 っていることによ り,男児 と比 して,文
る。
」[
Sc
ha
f
e
r1
9
7
4:
2
6
7
f
.
] とい うR.
シェ-ファ
化 的 ・象徴 的世界- の参入が相対 的に困難であ
ーの一文がいみ じくも指摘す る通 り, さ しあた
る とされるのである。
りここでは後者の方 に軍配 をあげるのが安 当で
-1
5
5-
第2
6号
神奈川大学心理 ・教育研 究論集
あ る よ うに思 われ る。
【
註】
)宮樺 は 「
<父>殺 しの教育学」 (
2
0
01
) と題 さ
1
れた論文 において,<父 >とい う主題 が,発
達心理学,社 会学 といった教育学 とい う学問
領 域 の将外 で語 られ る事 は多 々 あ る に して
も,教育学 において主題化 されて きた ことは
001
a]。
極 めて稀 であ った と指摘 す る [
官揮 2
この点 に関す る富津の詳細 な文献考証 につい
て は , 以 下 の 論 文 を 参 照 の こ と [富 揮
2
0
01
b]。
2) 「
父親 の役割 に特権 を与 えるこ とは,エ デ ィ
プス的モデルのほ とん どすべ ての説明 に見 ら
れる。 さらにこれは,現代 の社会病理 に対す
る通俗 的 な診 断 手 に負 えないナル シシ
ズムの氾濫 は,権威 の喪失 と父親の不在が原
因なのだ とい う見解 の土 台 に もなって
」[
Be
nj
ami
n1
9
8
8-1
9
96:1
85
f
.
] とい う
いる。
J.
ベ ンジャミンの指摘 に もあるように,いわ
ゆる "父性 イデオロギー" 父性 的なメ
タファーによって語 られ る教育言説 も含めて
- の理論的典拠 として, しば しばフロイ ト
のエデ ィプスモデルが引 き合 いに出 されて き
た とい う事実 は, これ まで多 くの研究者 たち
c
f
.
によって指摘 されて きた ところで もある [
Mi
l
l
e
t1
9
7
0=1
9
8
5な ど]。
3) 本稿 で は,"エデ ィプス的主体化 モデ ル" と
い う用語 を,M.
7- コ-の 「
従属化 -主体化
a
s
s
u
j
e
t
t
i
s
s
e
me
nt
」 に倣 って,父的権力 の内面
化(
-父親 による禁止の内在化)とそれに伴 う
欲動 の 自己監視装置 の構 築 を通 じて (-超 自
我形成 ), 自己 を自律 的 な一個 の道徳 的主体
として立 ち上 げるような機制一般 を意味す る
もの として用いることにする。
4) フロイ トによれば,超 自我 はエデ ィプス ・コ
ンプ レックスの解消 に伴 って発生す る とされ
ているが,それは同時 に, フロイ トの第二局
所論で言 う,エス, 自我 ,超 自我 とい う三つ
の審級 か ら成 る心 的装置の構造化 の過程 とも
対応 している とい うことをここで は銘記 して
お きたい。因み に, フロイ トは これ ら三つの
審級 を道徳的見地か ら次 の ように特徴づけて
い る。 「
衝動抑 制 ,つ ま り道徳 の見地 か らみ
る と,次の ように言 うことが出来 よう。エス
は まった く無道徳 であ り, 自我 は道徳的であ
るように努力 し,超 自我 は,過度 に道徳的で,
エス に似 て非常 に残酷 になる可能性がある。」
[
Fr
e
ud1
92
3
a=1
9
7
0:
2
9
5
f
.
]
。
ー 1
56
5) 一般 に, この男根期 とエデ ィプス期 は同一視
される向 きもあ るが,実際,両時期 は互い に
重 な り合い なが らも厳密 には峻別 され るべ き
o
e
di
palpha
s
e
)に
概念である。「エデ ィプス期 (
ついては,一部 の研究者 は発達段 階 にお ける
男根期 (2歳半か ら 6歳 まで)とまった く同 じ
意味で用 いてい るが,他 の研究者 は,男根期
が終 わ りに近づ き,構造 的 に も力動 的 に もエ
デ ィプス ・コンプ レックスが十分 に形成 され
た時期 を指す ため に使 い,男根期 とは区別 し
ている。
」[
Mo
o
r
e1
9
9
0=1
9
9
5:
31]。そこで本論
では,便宜 的 にエデ ィプス期 の初期段 階 を男
根期 と呼ぶ ことに したい。
6) 「
両性性 は女性性 と男性性 の形而上学 的対立
を無効 にす るが, この無効化 は一方 の性 ,す
なわち男性 の支配 に有利 に働 く。男性 は最初
の女性性 を克服す る必要 は全 くないか らであ
る。 どち らの性 も最初 は両性 的だ とい う先の
主張 に もかかわ らず,一方 の性 ,す なわち男
性が実際 には有利である。 どち らの性 に とっ
て も,支配 的な性感帯 は常 に六ニスであるか
」[
K。
f
ma
。1
9
8
0=2
0
0
0:1
8
5] とコフマ ン
らだ。
が言 うように,この両性具有性 とい う概念 は,
いわば 「疑似男性性」 であ る。 とい うの も,
フロイ トの両性具有性 とい う主張 に もかかわ
らず,男根期 に突入す れば両性 とも必ず男性
性が優位 となるか らである。従 って,両性具
有性 とは,そ こか ら男性性 と女性性 とが均等
に分化 してい くマ トリックスの ような もので
は決 してな くて,む しろそれは男性性 の前駆
形態 として考 え られるべ きであろう。
7) 「
次 の幼児 の性 的体 制 の段 階 (
男根 期 )で は,
男性性 はあ るが女性性 はない。 ここでの対立
は,男根所有 と被去勢がその内容 だか らであ
」[
Fr
e
ud1
923
b=1
98
4:1
01] とフロイ トが
る。
言 うように,男根期 (
エ デ ィプス期 初期 )は,
男性性 が優位 の時期 であ る。 「
真 の女性 的状
況が作 り出 され るのは,ペニスへ の願望が子
どもへ の願望 に取 り替 え られる ようになって
Fr
e
ud1
93
3=1
971:49
0]のエデ ィプス
か ら」 [
期後期 においてであ り,完全 に 「
男性性 と女
性性 とい う性 の両極性が成立す るのは,その
発達段 階が完了す る思春期 に至 った ときであ
Fr
e
ud1
9
2
3
b=1
9
8
4:
1
01] とされる。
る」 [
8) 「どう して フロイ トは 「
女 の子 にはペ ニスが
ない」 とい う記述 か ら 「
彼女 は 自分 の去勢 を
発見す る」 とい う記述 に移行 で きるのか。 こ
れは女 の子 の視点か,それ とも男 の子 の視点
か,幼児性欲論 の段 階 に固着 してい るフロイ
フロイ トにおける道徳性発達の論理
トの視 点 か 。
」[
Ko
f
ma
n1
9
8
0=2
0
0
0:2
51
f
.] 。 こ
の コ フマ ンの疑 問 も同様 に, フ ロ イ ト理 論 に
お け る男根 中心 主 義 を暗 に批 判 して い る もの
と考 え られ よ う。 もち ろ ん その答 え は ミ レ ッ
トに よれ ば, フロ イ ト自身 の主 観 的偏 見 に起
因 して い る とい うこ とにな る。
9) こ う した フ ロ イ トの男 根 中心 主 義 に対 して ,
エ ク リチ ュー ル ・フェ ミニ ンの理論 家 , L.
イ
リガ ラ イは,女 性 器 に由来 す る女性 の欲 望 表
現 を,男根 と同 じよ うな象 徴 的 レベ ル に まで
引 き上 げ る こ とに よって女性 性 の称 揚 を 目指
そ う とす る [
I
r
i
ga
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a
y1
9
7
4
/
7
7
/
8
4] 。
【
引用文 献 】
Be
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ankf
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ps
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