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アビエイ事件 (常設仲裁裁判所裁定 2009 年 7 月 22 日)

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アビエイ事件 (常設仲裁裁判所裁定 2009 年 7 月 22 日)
Kobe University Repository : Kernel
Title
アビエイ事件(常設仲裁裁判所裁定2009年7月22日
)(Abyei case, Final Award of the Permanent Court of
Arbitration, 22 July 2009)
Author(s)
玉田, 大
Citation
神戸法学年報 / Kobe annals of law and politics,26:139168
Issue date
2010
Resource Type
Departmental Bulletin Paper / 紀要論文
Resource Version
publisher
DOI
URL
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81004438
Create Date: 2017-03-30
神戸法学年報 第26号(2010)
アビエイ事件
(常設仲裁裁判所裁定 2009年7月22日)
玉 田 大
アビエイ事件
アビエイ事件
(常設仲裁裁判所裁定 2009 年 7 月 22 日)
玉 田 大
一.判旨 1
第1章 手続経緯(paras. 1−96)
2008 年 7 月 7 日、 ス ー ダ ン 政 府(the Governement of Sudan : GoS) と
ス ー ダ ン 人 民 解 放 運 動・ 軍(the Sudan People’s Liberation Movement/
Army : SPLM/A)は、アビエイ地区の境界画定に関する仲裁合意に署名
した。本件紛争の争点は、2005 年1月9日に締結された包括和平合意(the
Comprehensive Peace Agreement:CPA)に基づいて設立されたアビエイ
境界委員会(the Abyei Boudaries Commission : ABC)の専門家(ABC 専
門家)が、各種文書上の任務を逸脱した(exceeded their mandate2)か否か
という点である。各種文書とは、CPA、2004 年5月 26 日のアビエイ紛争の
解決に関する議定書 3(以下、アビエイ議定書)、アビエイ議定書付属文書、
1. In the Matter of an Arbitration before a Tribunal Constituted in Accordance
with Article 5 of the Arbitration Agreement between the Government of Sudan
and the Sudan People’s Liberation Movement/Army on Delimiting Abyei Area
and the Permanent Court of Arbitration Optional Rules for Arbitrating Disputes
between Two Parties of which Only One is a State. Final Award of 22 July 2009.
なお、本件の訴訟資料は、提出書面と口頭陳述記録を含め、全て常設仲裁裁判所
(the Permanent Court of Arbitration)のサイト上に公開されている(http : //www.
pca - cpa. org/showpage. asp?pag_id=1306)。 2. 仲裁廷の審理において、“excess of mandate” が権限踰越(excess of jurisdiction,
excess of power)と同一か否かが争点となるため、本稿では「任務逸脱」と訳出する。
3. The Protocol signed on May 26, 2004 on the Resolution of Abyei Conflict(Abyei
Protocol).
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ABC 付託事項 4、ABC 手続規則である。仲裁合意 1. 1 条において当事者は、
仲裁合意及び PCA(常設仲裁裁判所)選択規則 5 に基づき、終結的で拘束力
を有する仲裁に紛争を付託することに合意した。仲裁合意2条において以
下の問題が仲裁に付託されている。⒜ 1905 年にコルドファン(Kordofan)
に移されたンゴック・ディンカ(Ngok Dinka)族の9首長国地域を画定
し、線引きを行う(demarcate)という任務を ABC 専門家が逸脱したか否
か。⒝ 逸脱がなかったと判断する場合、仲裁廷はその旨を宣言し、ABC
報告書の完全・即時の履行のための判決を下さなければならない。⒞ 逸脱
があったと判断する場合、仲裁廷はその旨を宣言し、当事者の申立に基づ
いて、ディンカ族9首長国地域の境界線を地図上で画定しなければならな
い。なお、仲裁人として、GoS がアル・ハサウネ(Al-Khasawheh)判事と
ハフナー(Gerhard Hafner)教授を任命し、SPLM/A がリースマン(W.
Michael Reisman)教授とシュウェーベル(Stephen M. Schwebel)判事を
任命した。第5仲裁人兼仲裁長として、PCA 事務局長がデュピュイ(PierreMarie Dupuy)教授を任命した(paras. 1−16)。
GoS は以下の判示を求めた。⒜ ABC 専門家は任務を逸脱した。⒝ 係争
地域の境界線は、バハルエルアラブ(Bahr el-Arab)川を北辺とする境界
線、あるいは独立時のコルドファン境界線である。他方、SPLM/A は以下
の判示を求めた。⒜ ABC 専門家は任務を逸脱していない。⒝ 係争地域の境
界線は ABC 報告書で画定された線であり、完全に、直ちに両当事者によっ
て履行されなければならない。⒞ 任務逸脱があった場合、係争地域の境界
線は、南はコルドファンとバハルエルガザル(Bahr el-Ghazal)の現境界
線、北は北緯 10 度 35 分線であり、西はコルドファンとダルフールの現境界
線、東は東経 32 度 15 分線 6 である。⒟ 仲裁裁定は終結的で拘束力を有する
4. ABC’s terms of reference.
5. The PCA Optional Rules for Arbitrating Disputes between Two Parties of
Which Only One is a State(PCA Rules).
6. 東経 32 度 15 分(32°15')とあるが、東経 29 度 32 分 15 秒(29°32' 15" East)の誤り。
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アビエイ事件
(paras. 36−39)。
第2章 導入(paras. 95−135)
両当事者は、「アビエイ地区」
(Abyei Area)が「1905 年にコルドファン
に移されたディンカ族の 9 首長国地区」である点について 2004 年に合意し
たが、この定式(Formula)の適用から導かれるアビエイ地区の境界線につ
いては合意しておらず、この点が本件紛争の核心である(para. 95)。1956
年の国勢調査によれば、スーダンでは、アラブ系住民が北スーダンに、ア
フリカ系住民が南スーダンに居住しており、人口の 12 % のディンカ族が南
スーダンの最大集団である。人口の 70 % がイスラム教徒であり、残りは
主に南スーダンにおり、25 % が土着宗教、5% がキリスト教徒である。北
スーダンではイスラム教徒が多数派であり、アラビア語が支配的である。南
スーダンでは、SPLM/A 政党が南スーダン立法議会(the Sourhern Sudan
Legislative Assembly)で多数議席を占める。南北スーダンの間にあるアビ
エイ地区には3つの油田があり、2005−2007 年の収益は 18 億ドルと見積も
られている。ディンカ族の 25 部族の1つであるンゴック・ディンカ(Ngok
Dinka)氏族は推定で 30 万人おり、9つの首長国(chiefdoms)に分かれる。
現在のアビエイ・タウンはディンカ族の政治・経済の中心である(paras. 96
−107)。
1956 年1月1日のスーダン独立の直後、南北スーダン間で内戦が勃発し、
ミセリヤ(Misseriya)族は北スーダンに、ンゴック・ディンカ族は南スー
ダンについて参戦した。1972 年のアディス・アベバ合意によって内戦が終
結したが、権力闘争や資源・宗教対立から 1983 年には第二次内戦が勃発し、
アビエイ地区が内戦の中心地となった。2004 年5月 26 日に本件当事者間で
アビエイ議定書(Abyei Protocol)が署名され、その 1. 1. 2 節では、アビエ
イ地区は「1905 年にコルドファンに移されたンゴック・ディンカ族の9首
長国地域」と定められた。また、同地区は特別行政区とされ、住民の選出す
る地域行政理事会(local executive council)の管理に服する。議定書 5. 1 節
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では、アビエイ地区の境界画定のために ABC の設立が定められた。2004 年
7
12 月 17 日、当事者はアビエイ付属書(Abyei Appendix)
に署名し、ABC
の構成方法に合意した。また、ABC の作成する報告書は「最終的で当事者
を拘束する」
(final and binding on the Parties)と定められた。2005 年1月
9日、両当事者は包括和平合意(CPA)に署名し、アビエイ議定書を含む
6つの議定書上の義務を確認した。2005 年3月 10 日から 12 日に ABC 付託
事項(terms of reference)が作成され、ABC の権限、任務、機構等が定め
られた(paras. 108−121)。
2005 年7月 14 日、ABC 専門家報告書(ABC Expert’s Report)がスーダ
ン大統領に提出された。その結論は以下のとおりである。第1に、バハルエ
ルガザルからコルドファンへ移された地区の明確な画定境界線は 1905 年に
は存在しなかった。第2に、当該移転地区がバハルエルアラブ川の南にある
という GoS の考えは誤りである。第3に、ンゴック・ディンカ族とミセリア
族の境界線がケイラク(Keilak)湖からムグラド(Muglad)に伸びるとい
うンゴック族の主張には根拠がない。これに加えて、報告書の「最終的で拘
束力を有する決定」は以下のとおりである。1)1956 年時点におけるコルド
ファン = バハルエルガザル境界線から北緯 10 度 10 分まで、及びダルフール
との境界線から上部ナイールとの境界線までについて、ンゴック族は正統な
支配的権利を有する。2)北緯 10 度 10 分から 10 度 35 分までは、ンゴック族
とミセリヤ族は分離占有(isolated occupation)と使用権を共有する。3)
分有地帯について両当事者は同等の権利を主張したため、ゴズ(Goz)高原
を分割し、北部境界線を北緯 10 度 22 分 30 秒線とするのが合理的で衡平であ
る。西部境界線は、1956 年に定められたコルドファン = ダルフール境界線で
あり、南部境界線は、1956 年に定められたコルドファン = バハルエルガザ
ル = 上部ナイル境界線である。東部境界線は、コルドファン = 上部ナイル境
7. 正 式 に は、「 ア ビ エ イ 境 界 委 員 会 了 解 」
(Understanding on Abyei Boundaries
Commission)である(para. 115)。
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界線を伸ばし、東経 29 度 32 分 15 秒線に沿って北緯 10 度 22 分 30 秒までの線
である。4)
(略)、5)ンゴック族とミセリヤ族は、上記境界線の北側と南
側の土地を使用する二次権利(secondary rights)を保持する。この報告書
が送付されると、両当事者間には、ABC 専門家が任務を逸脱したか否かに
関する意見対立が生じた。両者は、2008 年6月8日にアビエイ・ロードマッ
プ 8 に署名し、当該問題を仲裁に付託し、仲裁廷の判決を遵守・履行するこ
とを約した上で、7月7日に仲裁合意に署名した(paras. 122−135)。
第3章 当事者の主張(paras. 136−394)
A. 任務逸脱(paras. 137−224)
第1に、任務逸脱(excess of mandate)について、GoS はこれを権限踰
越(excess of jurisdiction, excess of power, excès de pouvoir)と同視し、
手続規則の重大な違反を含むと主張した。他方、SPLM/A は、本件の「任
務」は特定されており、任務逸脱は権限踰越よりも狭く、請求事項外の
(ultra petita)決定に限られるという(paras. 137−140)。
第2に、手続的な任務逸脱について、⒜ GoS は、付託事項(terms of
reference)と手続規則の重要性から、手続的違反は任務逸脱に含まれると
いう。他方、SPLM/A は次のように主張する。ABC の「任務」は境界画定
であり、手続的条件や手続的権利は含まれない。また、ABC は特殊な(sui
generis)機関であり、ABC 専門家に審議遂行の自由を与える手続を有する。
ABC 専門家は「国際仲裁の実務家ではなく、仲裁諸原則に依拠した手続行
為規則に服さない」。さらに、手続的根拠に基づく判決無効を主張する場合
には、重大な侵害を示さなければならない。⒝ ABC 専門家の証拠収集に関
して、GoS は自国への通知を欠く証拠収集は公正手続権の侵害であり、基
8. Abyei Road Map(the Road Map for Return of IDPs and Implementation of
Abyei Protocol).
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本的な手続規則の重大な違背は任務逸脱であるという。他方、SPLM/A は、
手続上、ABC 専門家が通知なく会合を持つことは認められており、また、
手続違反があったとしても「基本的な手続規則の重大な違背」ではなく、
GoS 側に損害がないと主張した。⒞ GoS は、ABC 専門家が ABC のコンセン
サスを経ずに決定を行った点について任務の明白な違反を主張した。他方、
SPLM/A は、手続規則 14 節はコンセンサスを得る努力義務を定めるに過ぎ
ず、仮に違反があっても重大な違反ではないと主張した(paras. 141−163)。
第3に、実体的な任務逸脱について、⒜ GoS は、次の理由で ABC 専門
家が任務を誤って解釈・適用したという。まず、明らかに許容し得ない正
当化理由を用いている点であり、次に、アビエイ地区以外の権利をンゴッ
ク・ディンカ族に認め、請求外の(ultra petita)決定をしている点であり、
最後に、諮問事項に答えず、請求に満たない(infra petita)決定をしている
点である。他方、SPLM/A は次のように主張する。ABC 専門家は従来か
らの土地使用の権利に影響を与えないようにしただけであり、請求外の決
定ではない。また、請求脱漏決定ついては、ABC 専門家の解釈に対する実
体的な不同意であり、このような法又は解釈の誤りから任務逸脱は生じな
い。⒝ GoS は、1905 年にコルドファンに「移された」
(transferred)という
部分が判断されていない点につき、ABC 専門家の任務逸脱を主張した。他
方、SPLM/A は境界線の画定という任務を ABC 専門家は果たしていると主
張した。⒞ GoS は、ABC 専門家が付託された問題を変形したと主張したが、
SPLM/A は、この主張は ABC 専門家の理由付けに対する実体的な不同意で
あると主張した。⒟ GoS は、ABC 専門家が決定的期日(1905 年)を無視し
たと主張したが、SPLM/A は、証拠上の困難さから、ABC 専門家は 1905 年
前後の資料を用いる必要があったと主張した。⒠ GoS は、境界線の画定を
任務とする ABC 専門家が二次的な放牧権を認めた点は任務逸脱であると主
張した。他方、SPLM/A は、ABC 専門家は誤解を避けるために既存の伝統
的な権利に言及したに過ぎず、また、仮に任務逸脱があったとしても、この
判断部分は残りの部分から分離可能であると主張した(paras. 164−191)。
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アビエイ事件
第4に、任務遂行上の義務基準の違反について、⒜ GoS は、法の一般原
則として、紛争の解決を任務とする判断機関(panel)が理由を述べないこ
とは任務逸脱であると主張した。他方、SPLM/A はそうした義務基準は任
務逸脱に含まれないと主張した。⒝ 理由欠如に関して、GoS は ABC 専門家
が境界線の北緯等の決定において理由を欠くと主張した。他方、SPLM/A
は、ABC 専門家には理由義務が課されない、判断が無効とされるのは例外
である、ABC 報告書は理由基準を満たす、と主張した。⒞ GoS は、ABC 専
門家が衡平に基づいて判断を下した点で任務逸脱であると主張した。他方、
SPLM/A は、ABC 専門家は法原則に則って判断しており、衡平と善には依
拠していないと主張した。⒟ GoS は、ゴズ分割判断に適用された法原則の
内容が明らかでないと主張したが、SPLM/A は明らかにされていると反論
した。⒠ GoS によれば、ABC 専門家は、CPA 規定を考慮して油田をアビ
エイ地区内に入れる形で境界線を引いており、任務逸脱であると主張した。
他方、SPLM/A は東部境界の決定的な線は存在していなかったのであり、
ABC 専門家は不公平な判断をしていないと反論した(paras. 192−216)。
第5に、任務逸脱の主張の受理可能性に関して SPLM/A は次の点を主張
した。⒜ GoS は ABC 報告書が終結的で拘束力を有する点に同意しており、
異議申立権を放棄した。⒝ ABC は裁定機関(an adjudicative body)とし
て行動し、裁定的決定(an adjudicative decision)を下しているため、終結
性の原則及び既判力原則が ABC 報告書に適用される。国際的な司法決定の
終結性と有効性の推定原則により、決定や判決は例外的な状況でしか覆され
ない(paras. 217−224)。
B. アビエイ地区の境界画定(paras. 225−394)
第1に、任務逸脱がある場合、新しく境界線を引き直すか、あるいは無
効部分以外を引き直すのかについて当事者の見解が分かれた(paras. 228−
231)。第2に、アビエイ地区に関する法文書の解釈において、当事者は「領
域的解釈」
( 領域の移転と解する)と「民族的解釈」
( 部族全体の移転と解す
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る)に分かれ、⒜ 文言及び文法的解釈、⒝ 条文の目的、⒞ アビエイ議定
書の起草過程についてそれぞれ根拠を提示した(paras. 232−269)。第3に、
コルドファン = バハルエルガザル境界線の関連性について当事者は異なる見
解を示し、⒜ バハルエルアラブ川が明瞭な地区境界線であったか否か、⒝
1905 年以降の境界の記述について、それぞれ根拠を提示した(paras. 270−
303)。第4に、1905 年時点のンゴック・ディンカ族9首長国の位置につい
て当事者は異なる見解を示し、⒜ 1905 年以前の位置、⒝ 1905 年以降の位
置、⒞ 1905 年以降の人口統計的、文化的、環境的証拠の関連性、⒟ 1905 年
以降の口承伝統に基づく証人証拠の証明価値、⒠ SPLM/A の「民族地図」
の証明価値について、それぞれ根拠を提示した(paras. 304−394)。
第4章 裁判所の分析(paras. 395−769)
A. 仲裁合意における仲裁の任務(paras. 395−435)
第 1 に、 仲 裁 廷 は ABC 委 員 会 の 任 務 逸 脱 を 審 査 し( 仲 裁 合 意 2 条 ⒜
項)、仮に逸脱があった場合には自ら境界画定を行う(2条 ⒞ 項)という
二段階審査が求められている(paras. 395−397)。第2に、仲裁合意2条
⒞ 項では、仲裁に新しい(de novo)証拠審査が求められるが、同 ⒜ 項で
は、仲裁の任務は制限されており、ABC 専門家の事実又は法判断の「当
否」
(correctness)に関する実体的決定は求められていない。国際法判例
上、原審が「正しいか間違っているか」
(right or wrong)を決定する上訴
(appeal)は、権限踰越の審査と明確に区別される。厳密には ABC は裁定機
関でないため、権限踰越を規律する法原則は適用されないが、判例法を修正
した形で任務逸脱の解釈が導かれる。国際判例では、原審の無効確認は例外
的な場合に限定されている。適用法規や仲裁人の資質の点で、本仲裁廷は法
的任務を有しており、科学的判断を行う ABC 専門家とは異なる(paras. 398
−411)。第3に、仲裁合意の解釈から、ABC 報告書の部分的無効の認定
は可能であり、「法と実行の一般原則」
( 仲裁合意3条)からも部分的無効
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アビエイ事件
(partial nulllity)が認められる(paras. 412−424)。第4に、適用法に関し
ては、「法と実行の一般原則」の適用が求められている。当事者の選んだ紛
争解決方法(PCA、国際法専門家である仲裁人等)からみて、国際法の適
用が求められるが、国際法は適用法の一部である(paras. 425−435)。
B. 予備問題:手続的違反(paras. 436−451)
第1に、GoS は ABC 専門家の手続違反による任務逸脱を主張したが、関
連文書上の手続規則は任務の固有の構成要素ではない。仲裁の審査対象は請
求外の決定(decisions ultra petita)という実体的な問題であり、手続違反の
審査は認められない。また、本件の手続的不正規性は重大なものではない
(paras. 436−443)。
第2に、SPLM/A は仲裁の審査権限に対する抗弁を提起した。権利放棄
に関しては、GoS が ABC 報告書に当初から反論しており、権利放棄は見ら
れない。また、禁反言に関しては、仲裁合意2条で仲裁の審査権限を認め
ており、SPLM/A は禁反言を主張し得ない。さらに、SPLM/A は、裁定機
関たる ABC の報告書は既判事項だと主張するが、報告書の性質に関わらず、
仲裁合意によって「終結的で拘束力がある」とされた問題を再検討すること
が認められる(paras. 444−451)。
C. ABC の性質決定(paras. 452−485)
ABC は仲裁廷でも国際仲裁廷でもなく、準仲介的役割を有する。第1
に、ABC は「国境委員会」
(boundary commission)と呼ばれるが、一般に
国境委員会は多様であり、事実認定から完全な裁定まで幅広い(paras. 456
−462)。第2に、ABC が特殊な機関である点について争いはない。構成要
員、手続枠組み、手続の不正規性において、ABC は裁定機関と異なる点も
あるが、類似点もある。また、スーダン和平プロセスにおいて、ABC の
境界線画定は CPA の実施に必要な段階である(paras. 463−474)。第3に、
ABC は事実認定権限を付与されているが、伝統的な審査(inquiry)機関と
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異なり、「終結的で拘束力を有する」最終的な裁定を下す権限が認められて
い る(paras. 475−482)。 以 上 よ り、ABC は「 事 実 認 定 機 能 」
(fact-finding
function)に加えて「決定権限」
(decision-making powers)を有しており、
国際法を適用しないものの、終結的で拘束力ある結果を用いて紛争を解決す
る決定に到達することが求められていた(paras. 483−485)。
D. A
BC 専 門 家 の 任 務 解 釈・ 遂 行 の 審 査 に お け る 適 用 基 準 た る 合 理 性
(paras. 486−536)
第1に、国際判例上、管轄権を規律する文書を誤って解釈した場合には任
務逸脱となる。本件では、仲裁合意2条により、任務の「解釈」及び「遂
行」のいずれにも合理性基準の適用が求められる。ABC 専門家は自らの任
務を「解釈」する権限(authority)を有するため、解釈が合理的である限
り、本仲裁廷は ABC 専門家の解釈を尊重しなければならない。また、判例
では、権限踰越の判断に際して「明白な違反」基準が用いられており(ICJ
仲裁判決事件)、本件仲裁合意でも同基準が用いられる(paras. 487−510)。
第2に、任務の「解釈」と異なり、任務の「遂行」も審査対象となる。ただ
し、原審の判断が明らかに間違っていることを理由とする審査に関して、国
際判例は一貫しておらず、本件仲裁の審査権限には含まれない。他方、仲裁
廷は、ABC 専門家の決定に適切な理由が付されているか否かを審査し得る。
ABC の設置経緯と和平プロセス上の役割からして、ABC 専門家の判断には
理由を付すことが義務付けられており、理由の欠如は任務に不可欠な義務の
違反であり、任務逸脱となる。理由義務の基準は、結論に至った方法を読み
手が理解するのに十分な説明が付されていることである(paras. 511−535)。
以上より、合理性基準(standard of reasonableness)に基づいて、ABC 専
門家の任務の解釈を審査し、任務逸脱の有無を審査する(para. 536)。
E. ABC による Formula 解釈の合理性の評価(paras. 537−672)
第1に、Formula の解釈に関して、GoS は「領域」を重視した解釈を示し、
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アビエイ事件
SPLM/A は「民族」を重視した解釈を示した(paras. 544−557)。第2に、
GoS の主張した行政区画が明瞭でなかったことから、ABC 専門家は移転の
「民族的」側面を重視し、ンゴック・ディンカ族の土地占有及び土地権(land
rights)に依拠した任務の解釈を行った(paras. 558−570)。第3に、仲裁
廷は ABC 専門家の任務解釈の合理性を審査するものであり、正否の審査は
仲裁廷の任務外である。なお、審査において条約法条約の解釈規則を用いる
(paras. 571−573)。第4に、Formula の文法的解釈という点では、ABC 専
門家の解釈は不合理ではない。また、趣旨及び目的に関しては、文脈的文書
(contextual instruments)
(アビエイ議定書等)に照らして解釈する必要があ
る。この場合、「領域的」解釈だとンゴック・ディンカ族の共同体を分断す
る危険があり、アビエイ議定書で想定されるアビエイ住民投票の主たる目
的を損なう恐れがある。従って、ABC 専門家の「民族的」解釈は不合理で
はなく、この点はアビエイ議定書の形成過程からも確認される(paras. 574
−615)。第5に、1905 年時点における行政境界線は不明瞭であり(特にバ
ハルエルアラブ川の位置に関する混乱と不明瞭性)、実効的な行政は欠如し
ていた。また、1905 年の移転の根拠は行政的便宜(首長を介した間接統治)
であり、ンゴック・ディンカ族を一体のものとして保護する目的を有してい
た。これらの要因に鑑みて、ABC 専門家による民族的解釈は不合理ではな
かった(paras. 616−649)。第6に、2008 年の一連の合意(アビエイ・ロー
ドマップ 9、アビエイ了解メモランダム 10、仲裁合意)は「後に生じた慣行」
(条約法条約 31 条3項 ⒟ )として CPA 解釈に資するものであり、Formula
の民族的解釈の合理性を根拠づけている(paras. 650−659)。第7に、ABC
専門家は移転の決定的期日である 1905 年を適切に考慮した判断を行い、任
務の時間的側面を尊重しているため、合理的に行動している(paras. 660−
9. The Road Map for Return of IDPs and Implementation of Abyei Protocol,
Khartoum, June 8, 2008(the “Abyei Road Map”).
10. The Joint NCP - SPLM Understanding on Main Issues of the Abyei Arbitration
Agreement, June 21, 2008(the “Abyei Memorandum of Understanding”).
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664)。
以上より、ABC 専門家による民族的要素の重視は、Formula の文言、趣
旨及び目的、文脈の点において合理的であった。なお、バハルエルアラブ川
の位置が不明確であったことから、地方境界線をより重視する「領域的」解
釈も合理的に正当化され得る。ただし、合理的な解釈[領域的解釈]と異な
る別の合理的な解釈[民族的解釈]を採用したことは任務逸脱ではない。ま
た、同時代の資料の評価における誤りは、実体的過誤(substantive error)
に過ぎず、任務逸脱ではない(paras. 665−672)。
F. 任務遂行における理由記載の欠如(paras. 673−709)
仲裁廷の任務(仲裁合意2条 ⒜ )は、ABC 専門家の根拠づけを「正否テ
スト」で審査するものではなく、報告書を自らの判断に置き換えるものでも
ない。報告書の正当化の重要な要素について、読者が評価するのに十分な
理由付けが付されているか否かを審査するのが仲裁廷の任務である。第1
に、アビエイ地区の北側境界線に関して、ディンカ族の永住区域の北限と
して北緯 10 度 10 分線を採用した決定には十分な理由が付されている。ABC
専門家は、北限境界線を示す証拠の欠如に関して、最も弁護可能な線とし
てこの線を選択しており、その理由付けは「理解可能で完全なものである」
(comprehensible and complete)。他方、「共有権利」区域の北限として北緯
10 度 35 分線を引いた点に関しては十分な理由がない。北限境界線の重要性
に鑑みて、北緯 10 度 35 分線の選択については、10 度 10 分線と同様の理由付
けが期待される。ところが、ABC 専門家による正当化はゴズ高原の北限で
あるというに止まり、なぜ高原の北限がアビエイ地区の画定に関連すべき
かを示しておらず、「理由の付された正当化」
(a reasoned justification)とは
言えない(paras. 674−694)。第2に、アビエイ地区の南部境界線に関して、
ABC 報告書は 1956 年当時のコルドファン = バハルエルガザル = 上部ナイル
境界線を指示したが、この点に関して当事者間の争いはなく、任務逸脱も主
張していない(paras. 698−701)。第3に、アビエイ地区の東西側境界線に
150
アビエイ事件
ついて、ABC 報告書はほとんど議論しておらず、決定の理由付けは不十分
であり、任務逸脱がある。ただし、これは証拠の欠如に由来するものであ
り、専門家の判断を無効にするには十分ではない。第1に、東部境界線につ
いては、両当事者の主張がないことを理由として東経 29 度 32 分線が選ばれ
ており、十分な理由とは言えない。また、確定的でないと認定した証拠(ス
ケッチ・マップ)に依拠して決定を下しており、ABC 専門家の判断は矛盾
している。第2に、西部境界線については、1956 年のコルドファン = ダル
フール境界線を選んだ点について全く理由が付されていない(paras. 702−
709)。
G. 仲裁合意2条 ⒞ 項に基づくアビエイ地区の東側・西側境界線の仲裁によ
る決定(paras. 710−747)
北側境界線については、ABC 報告書の採用する北緯 10 度 10 分線を認め、
(共有権利地帯を定める)北緯 10 度 35 分線と北緯 10 度 22 分 30 秒線を無効と
する。次に、東西境界線については、仲裁合意2条 ⒞ 項により仲裁廷がこ
れを引く。なお、ABC 報告書と同様に、民族的解釈に依拠するが、証拠が
少ないため、仲裁廷は入手し得る最善の証拠(the best available evidence)
に依拠する。特に、人類学者 Howell 氏と Cunnison 教授による証拠に関し
て両当事者は問題視しておらず、仲裁廷の決定の中心となる(paras. 714−
719)。Howell 氏の見解によれば、ンゴック・ディンカ族の支配地区の東西
の限界は東経 27 度 50 分から 29 度である(paras. 720−722)。なお、Howell
氏の見解は 1905 年当時の状態を示すものではないが、GoS 側の証人である
Cunnison 教授が指摘するように、ンゴック・ディンカ族の居留地が継続性
を有していた点に鑑みて、最善・最良のデータである(paras. 723−725)。
また、Howell 氏以外の全ての著者も、バハル地方を参照してンゴック・ディ
ンカ族の居地を特定する点で共通しており、さらに Howell 氏による東西限
界線を補足する証拠が幾つかある(paras. 726−744)。以上より、本裁定の
付属地図1のとおりに東西境界線を画定する[以下、主文参照]。なお、本
151
神戸法学年報 第 26 号(2010)
件では、決定的証拠が欠如していることから、緯度線と経度線を用いた境界
画定が適切である(paras. 745−747)。
H. 仲裁の画定境界線は伝統的な放牧権に影響しない(paras. 748−766)
仲裁合意2条 ⒞ では、仲裁廷は地図上に境界線を引くことを求められて
いるが、伝統的な土地使用が優先する地域では、領域への主権的権利に加え
て地域生活の維持に不可欠なその他の結びつきも考慮事項となる(西サハラ
事件参照)。境界線の南北での土地使用に対する二次的権利を ABC 専門家が
認めたため、仲裁廷は伝統的権利について検討する(paras. 748−749)。ま
ず、CPA では、アビエイ地区の内外に居住するものの伝統的権利を特別に
保護するという当事者の意図が確認されている。特に、アビエイ議定書はミ
セリヤ族の放牧権の保護の必要性を認めており、これらの権利は仲裁廷の境
界線画定によって影響を受けない(paras. 750−752)。さらに、国際判例上、
境界線画定において主権の移転があっても、土地使用の伝統的権利を消滅さ
せるものとは解されない(paras. 753−765)。以上より、「ンゴック族とミセ
リヤ族が境界線の南北で土地使用の二次的権利を保持する」という ABC 専
門家の決定は、合理的であり、任務内であった(para. 766)。
I . 最終見解(paras. 767−769)
仲裁廷は紛争の平和的解決に資するよう最善を尽くしており、仲裁廷の任
務逸脱がどこからも主張され得ないことを確信する。また本仲裁裁定は終結
的であり、即時の履行が求められる。
第5章 主文(paras. 770−773)
⒜ 北部境界線: 1.「コルドファン = バハルエルガザル境界線から北緯 10
度 10 分までの領域に対して、ンゴック族が正統な支配的権利を有する」と
いう決定に関して、ABC 専門家は任務を逸脱していない。2. 北緯 10 度 10
分と 10 度 35 分の間の「二次的共有権利」地帯に関する決定に関して、ABC
152
アビエイ事件
専門家は任務を逸脱した。3. 1905 年にコルドファンに移転されたンゴッ
ク・ディンカ族の9首長国地区の北部境界線は、東経 27 度 50 分から東経 29
度までの間の北緯 10 度 10 分の線である。
⒝ 南部境界線: 1.「南部境界線は、1956 年1月1日に定められたコルド
ファン = バハルエルガザル = 上部ナイル境界線でなければならない」という
決定に関して、ABC 専門家は任務を逸脱していない。2. 従って、ABC 専
門家が確立した南部境界線は、以下の⒞項を条件として維持される。
⒞ 東部境界線: 1.「東部境界線は、東経 29 度 32 分 15 秒あたりを通るコ
ルドファン = 上部ナイル境界線が北緯 10 度 22 分 30 度線と交差するまでであ
る」という決定に関して、ABC 専門家は任務を逸脱した。2. 1905 年にコル
ドファンに移転されたンゴック・ディンカ族の9首長国地区の東部境界線は、
北緯 10 度 10 分から 1956 年1月1日に定められたコルドファン = 上部ナイル
境界線までの間の東経 29 度直線である。
⒟ 西部境界線: 1.「西部境界線は、1956 年1月1日に定められたコルド
ファン = ダルフール境界線である」という決定に関して、ABC 専門家は任
務を逸脱した。2. 1905 年にコルドファンから移転されたンゴック・ディン
カ族の9首長国地区の西部境界線は、北緯 10 度 10 分から 1956 年1月1日に
定められたコルドファン = ダルフール境界線の間の東経 27 度 50 分直線を通
り、さらにコルドファン = ダルフール境界線を辿って、上記 ⒝ 項で確認さ
れた南部境界線と交差するまでである。
⒠ 放牧権その他の伝統的権利: 1.「ンゴック族とミセリヤ族は、境界線
の北と南において、既存の二次的な土地使用権を保持する」という決定に関
して、ABC 専門家は任務を逸脱していない。2. アビエイ地区の内部又は付
近で、既存の伝統的権利を行使することは影響を受けない。特に、ミセリ
ヤ族及び他の遊牧民族が放牧を行う権利(アビエイ議定書 1. 1. 3. 節で保証)
及びアビエイ地区を横断して移動する権利(本仲裁裁定で認められたもの)
を行使することは妨げられない。
なお、仲裁裁定に対して、アル・ハサウネ仲裁人の反対意見が付されている。
153
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資料① 境界線地図(仲裁裁定付属文書2)
http://www.pca-cpa.org/upload/files/Abyei%20Award%20Appendix%202.pdf
神戸法学年報 第 26 号(2010)
154
アビエイ事件
二.解説
1. 紛争の政治的背景
本件のアビエイ紛争は単なる境界紛争に止まるものではなく、その政治的
含意は極めて大きい。アル・ハサウネ判事(反対意見)が指摘するように、
本件は「通常の仲裁ではない 11」側面を有していた。第1に、アビエイ紛争
は「国境」紛争たる性質を有する。現在、アビエイ地区は特別行政地区であ
るが 12、2011 年1月9日に「アビエイ地区住民投票」と同時に「南部スーダ
ン独立住民投票」の実施が予定されている 13。従って、仮にアビエイ住民が
「南部編入」を選択した上で、南部スーダンが「独立」を選択した場合、ア
ビエイ地区の外延は南北スーダンの「国境」線と化すことになる 14。そのた
め、アビエイ地区の確定は将来の国境線を画定するという重要な政治的意義
を有する。第2に、アビエイ地区は豊富な油田地帯であるため、アビエイ紛
争は資源紛争たる性質をも有する。
以上の点を踏まえた上で本件の仲裁裁定を見直すと、その含意がより
明瞭となる。すなわち、原審である ABC 報告書においては、2つの油田
(Bamboo 油田と Heglig 2B 油田)がアビエイ地区内に含まれていたが、仲
裁裁定によってアビエイ東部境界線が西に移動させられたことにより、両油
田がアビエイ地区から除外される結果となった。これは、2つの住民投票の
11. Dissenting Opinion of Judge Awn Shawkat Al-Khasawneh, p.1.
12. スーダン包括和平合意(CPA)の第4章(アビエイ紛争の解決 the resolution
of the Abyei conflict)に お い て、 ア ビ エ イ 地 区 に は「 特 別 行 政 地 位 」
(special
administrative status)が与えられている(1. 2 項)。
13. 特別行政地区として北部スーダンに帰属するか、あるいは南部スーダン(バハ
ル・エル・ガザル州)に帰属するかを選択するための住民投票である。歴史的経緯
に鑑みて、アビエイ住民は南部帰属を選択すると解されている。なお、CPA によっ
て設置される南北境界臨時委員会(the Technical Ad - Hoc North - South Border
Committee)が最終的には南北境界線を線引きする作業を行うが、この作業が遅滞
している。
14. 仲裁廷もこの点を指摘している。Final Award of 22 July 2009, para. 428.
155
神戸法学年報 第 26 号(2010)
結果に関わらず、2油田に対する北側(GoS)の所有が認められることを意
味する 15。ABC 報告書に対して GoS が異論を唱えたのに対して、これを修正
した仲裁裁定に対しては、今度は SPLM/A が難色を示しているのは、上記
の背景を踏まえると理解しやすい。また、このような政治的背景を斟酌する
と、アル・ハサウネ判事(反対意見)が批判しているように、本件の仲裁廷
が結果指向的な判断を行ったという点も否定し得ない 16。
2. 無効原因論
上記の政治的背景とは対照的に、本件仲裁の審理は純粋な手続的問題に特
化している 17。特に、本件では原審(ABC 報告書)の無効審査が仲裁廷に付
託されており、伝統的な無効原因論が争われている。なお、本件仲裁は手続
的に特殊な性質を有している。第1に、訴訟当事者の一方が政府であり、他
・ ・ ・
方(SPLM/A)が非国家主体である点 18 に加えて、一国内の政府と反政府勢
力の間の仲裁となっている点である。第2に、原審である ABC 専門家が法
・
・
的機関ではなく、その報告書も法的判断を示したものではないという点であ
る(ただし、ABC 報告書には終結性と拘束力が認められており、この限り
で「裁定機関」たる性質を有する)。第3に、本件仲裁の判断基準が「法と
実行の一般原則」とされており、国際法以外の法原則が判断基準とされてい
る点である。
15. なお、CPA では富の配分規定が設けられており、油田収益はスーダンの南北で
折半される。それ故、油田が南北のいずれに所属したとしても、形式的には利益
均衡が維持されることになっている。
16. Dissenting Opinion of Judge Awn Shawkat Al - Khasawneh, p. 1.
17. 仲裁廷の裁定は、油田等の政治的背景には一切触れておらず、本件を純粋に手
続的な問題として処理している。Coalter G. LATHROP, “Government of Sudan
v. Sudan People’s Liberation Movement/Army(“Abyei Arbitration”)”, A. J. I. L.,
vol. 104(2010),p. 72.
18. この点は両当事者間で一致しており、本件では、常設仲裁裁判所(PCA)におけ
る「一方当事者のみが国家である紛争の仲裁のための選択規則」
(Permanent Court
of Arbitration Optional Rules for Arbitrating Disputes between Two Parties of
Which Only One is a State)が用いられている(仲裁裁定 paras. 3 and 407.)。
156
アビエイ事件
以上のように、本件仲裁は手続的には極めて特殊な性質を有するもので
あったが、他方で、国際法一般の議論に多くの示唆を与えるものであった。
第 1 に、国際裁判で伝統的に議論されてきた多くの論点に関して判断を示し
ている点である(具体的には、任務逸脱の判断基準としての合理性基準、部
分的無効の可能性、審査に対する抗弁として既判力や禁反言、理由義務の根
拠と内容、任務逸脱の認定、及び破棄自判の判断方法)。第2に、仲裁廷は、
ICJ、WTO、ICSID の判例を縦横無尽に参照しており、一般国際法との関連
性を意識している。それ故、本件裁定が国際法の統合(unification)に資す
ると評するものもある 19。
なお、本件の主たる争点である無効原因論とは、一定の事由(権限踰越、
判決理由欠如、根本的手続規則の重大な違反等)を根拠として判決の無効を
主張するものであり、ILC(国際法委員会)仲裁手続モデル規則及び ICSID
取消手続(ICSID 条約 53 条)に取り入れられ、ICJ による審理例も見られる
(スペイン王仲裁事件、仲裁判決事件)。無効原因論については、近年、新た
な動向が見られる。第1に、ジェノサイド条約適用事件(本案判決 2007 年)
において、ICJ は自らの権限踰越の可能性を否定した 20。第2に、ICSID にお
ける裁定取消事例が急増している。アビエイ仲裁では、ICJ と ICSID の判例
動向がいずれも検討対象とされており、興味深い判断が示されている。
3.「任務逸脱」の拡大解釈
本件では、原審である ABC 報告書の「任務逸脱」
(excess of mandate)の
審査が仲裁に求められた。一見すると、「任務逸脱」は「権限踰越」
(excès
de pouvoir)と同義に解し得るが、仲裁廷は両者を区別している。すなわ
19. Coalter G. LATHROP, supra note 17, p. 73 ; Timothy G. NELSON, “Annulment
of International Arbitration Awards : The Orinoco Steamship Case Sails On”, ASA
Bulletin, vol. 28(2010),p. 229.
20. 本件において、ICJ は管轄権決定権(ICJ 規程 36 条6項)を根拠として権限踰越を
否定した。この点に関しては、拙稿「国際裁判における既判力原則」国際法外交雑
誌 106 巻4号(2008 年)40−41 頁参照。
157
神戸法学年報 第 26 号(2010)
ち、「任務逸脱」を上位概念とした上で、これを「任務解釈」における逸脱
と「任務遂行」における逸脱に二分した(para. 486)。このような複雑な構
成がとられた理由として、次の点を指摘し得る。第1に、本件では事項的管
轄権の逸脱は直接的には問われていないため、仮に「任務逸脱」を事項的管
轄権の逸脱(=権限踰越)に限定して捉えた場合、ABC 報告書の「任務逸
脱」を認定するのは困難であった。第2に、そこで仲裁廷は、原審の理由欠
如を問うために、「任務逸脱」を拡大解釈している。すなわち、理由欠如は
「ABC の任務に不可分の義務の違反」とされ、「任務逸脱を構成し得る」と
解されているのである(para. 525.)。このように、アビエイ仲裁は、伝統的
な無効原因論を巧みに利用することにより、権限踰越(=任務解釈の逸脱)
と理由欠如(=任務遂行の逸脱)をいずれも「任務逸脱」の中に取り込んで
審査対象としているのである(表1参照)。
[表 1]
伝統的裁判(ILC, ICJ, ICSID)
アビエイ仲裁
無効原因(causes de nullité)
任務逸脱(excess of mandate)
前提
管轄権決定権、既判力、上訴との区
別、部分的無効あり、無効確認に限定
破毀・自判、上訴との区別、禁反言、既
判力、部分的無効あり。
対象
仲裁判決を仲裁・ICJ が審査
ABC 報告書(拘束性)
を仲裁が審査
権限踰越(excès de pouvoir)
: 明白
性基準。ICSID 条約 52 条1項 ⒝ 。
「任務解釈」
の逸脱: 合理性基準。アビエ
イ地区を定めたFormula の
「民族的」
解釈
は合理的。
「領域的」
解釈も同じく合理的
だが、
「民族的」
解釈の選択に任務逸脱は
ない。
理由欠如(défaut de motif)
:理由の
不十分性、矛盾、不明瞭性等を含
む。ICSID 条約 52 条1項 ⒠ では明
白性基準の適用なし。
「任務遂行」
の逸脱: 合理性基準。理解す
るのに十分な理由が付されているか否か
を審査。北境界線(10 度 10 分線)
には理
由あるが、共有権利区域の北限(10 度 35
分線)
には十分な理由なし。南は理由あ
り。東西境界線は理由欠如。
無効確認に限定。自判なし。無効確
審査
認は例外的(オリノコ汽船会社事件
結果
等)
。
部分的無効(破棄)
。北境界線はABCの
引いた北緯 10 度 10 分線。東西境界線は
破棄自判。伝統的放牧権は維持。
審査
内容
158
アビエイ事件
4. 任務逸脱の審査基準(合理性基準)
本件判断の中で注目すべきは、任務逸脱の審査基準として「合理性基準」
(reasonableness test)を採用した点である。以下、その基準の内容と問題
点を検討しよう。
第1に、合理性基準の根拠が問題となる。仲裁廷は、任務逸脱の審査が
「上訴」と異なることを理由として「正否基準」
(correctness test)を採用し
得ないことを強調するが、他方で、合理性基準の根拠については明らかにし
ていない。なお、この点で仲裁廷は次のように述べている。すなわち、任務
・
・
・
逸脱に関して参照可能な判例等が少ないことに鑑みて、「国際公法と国家法
システムにおいて適用可能な審査原則(principles of review)が『法と実行
の一般原則』
(仲裁合意3条)として関連性を有する」
(para. 401)
(傍点玉田)。
従って、仲裁廷の採用する合理性基準は国内法上の審査基準を取り込んだも
のと解される 21。
第2に、合理性基準が国際判例上の基準と同じか否かが問題となる。国際
判例上は明白性基準が採用されており、事項管轄権の範囲に関する「明白
な」解釈の誤りがない限り、原審の有効性が推定されてきたからである 22。
この点で仲裁廷は、ICJ 判決(仲裁判決事件 1991 年)で確立された「審査基
準[=明白性基準]から離れることについて、いかなる正当化も見出されな
い」と述べた上で、「ABC 専門家の判断が任務の不合理でない履行とみなさ
・
・
・
・
れ得るか否か、す なわち、任務の行使が、専門家に付与された権限の明白
な違反(a manifest breach)とみなされ得るか否かを審査する」
(傍点玉田)
と述べている(para. 510)。すなわち、仲裁廷によれば、合理性基準と明白
性基準は同一内容と捉えられている。
第3に、アビエイ仲裁廷によれば、合理性基準は「任務解釈」の逸脱審査
21. なお、仲裁廷は、米、英、独における行政訴訟(越権訴訟)の審査基準を検討し
ているが(para. 402)、特別な行政裁判所の存在を前提としたものとして限定的に
扱っている。
22. 拙稿「国際裁判における権限踰越論(一)」法学論叢 149 巻6号(2001 年)120 頁。
159
神戸法学年報 第 26 号(2010)
だけではなく、「任務遂行」の逸脱審査(判断理由の存否)においても用い
られる(para. 493)。しかしながら、この点は従来の無効原因論とは異なる。
例えば、ICSID 取消手続では、権限踰越と手続規則違反に関しては「明白な」
権限踰越や「重大な」離反という厳格な要件が設定されているが、理由欠如
の場合には厳格要件は設定されていない。換言すれば、アビエイ仲裁は、合
理性基準(=明白性基準)を理由欠如の審査場面にも適用することにより、
要件を厳格化していると言えよう(ただし、実際の理由欠如の審査では逆に
要件は緩やかに解されている)。
5.「任務解釈」の合理性審査
「任務解釈」に関して、アビエイ仲裁廷は ABC 専門家による Formula(ア
ビエイ地区を定めた定式)の解釈方法を問題とした。すなわち、Formula
については、①領域的解釈(territorial interpretation)
(GoS 側)と②民族
的解釈(tribal interpretation)
(SPLM 側)が対立していたが、②を採用し
た ABC 専門家の解釈手法が合理性基準を満たすか否かが問われたのである。
そもそも、①領域的解釈は境界線を行政区画として捉えるのに対して、②民
族的解釈は、生活空間としての民族的一体性等を重視する解釈であり、遊牧
民のような移動性住民の場合には居住地域を拡張する効果を有する(ンゴッ
ク・ディンカ族は半定住半遊牧)。この意味で、②を選択した ABC の判断は、
主に地理学者で構成される ABC 専門家の特性を示すものと言えよう。
上記の ABC の判断に対して、アビエイ仲裁廷は以下のように判断した。
第1に、仲裁廷は、②が不合理ではないとしつつ、他方で①も不合理とは
言えないと述べた上で、ABC 専門家が②を選択した点に関して「任務逸脱」
はないと結論付けた(paras. 671−672)。すなわち、仲裁廷によれば、複数
の「合理的な」解釈方法が同時に認められることになる。第2に、①と②の
・
・
・
・
・
・
いずれかがより望ましいと結論付ける可能性は残されているが 23、この点に
23. 唯 一、 ハ フ ナ ー(Hafner)判 事 は、「 領 域 的 解 釈 の 方 が よ り 正 し い(more
160
アビエイ事件
・
・
・
・
・
・
ついて仲裁廷は、仮に①がより望ましいとしても、それは同時代の資料の評
価における過誤(error)であり、ABC 報告書の判断が「任務逸脱になるこ
とはなく、単なる実体的な過誤(a mere substantive error)に止まる」と
いう(para. 672)。さらに、「実体的な過誤」の審査は仲裁廷の権限外である
と解されるため(paras. 512−517)、仮に②の選択が解釈上の誤りであった
としても、任務逸脱とは判断されないことになる。
6.「任務遂行」の合理性審査
次に、「任務遂行」における逸脱の審査(判断理由の有無)が問題となる
が、仲裁廷による理由欠如の判断を検討する前に、その前提となる判断につ
いて検討しておこう。
第1に、本件の原審 ABC 専門家は司法機関ではないため、そもそも理由
の記載が求められるか否かが問われるが、仲裁廷はこれを肯定した。その根
拠は、1つ目に ABC の審理手続の性質である。すなわち、ABC は「科学的
分析及び調査に基づく」報告を求められており(para. 521)、手続が対審性
(contradictory nature)を有するため、当事者の陳述内容を一切評価せずに
決定を下すことは通常はあり得ないという(para. 523)。このように、仲裁
廷は ABC が通常の裁判プロセスと類似する点を根拠として理由要請を導き
出している。2つ目は ABC 報告書の聴衆であり、スーダン和平プロセスに
おける ABC の政治的影響力の大きさに鑑みて、関係当事者は ABC 報告書の
判断根拠を知る権利を有するという。この点で仲裁廷は次のように述べてい
る。「ABC には、アビエイ地区の境界画定を行う責任が明示に与えられてい
たのであり、東西部分の境界画定に際して十分な理由を付すべきであるとい
う要請は、この責任の根幹部分であった。想起すべきは、ABC 専門家報告
書の『対象とする聴衆』
(the “target audience”)は、和平会議議長からアビ
エイの地方住民に至る、スーダン和平プロセスの多様な関係者であったとい
“correct”)」と主張していた(仲裁裁定 para. 666)。
161
神戸法学年報 第 26 号(2010)
う点である」
(para. 708)。このように、ABC 報告書の「聴衆」が広範に及ぶ
点を根拠として理由義務が導出されている。従来の国際判例では、判断機関
の「司法性」が理由記載義務と直接的に結び付けられていた点を考慮すれ
ば、仲裁廷の示した根拠はより本質的なものであると言えよう。
第2に、アビエイ仲裁廷は合理性基準の適用方法を明らかにした。すな
わち、「判決が[理由の]最低基準を満たすためには、裁判所がどのよう
にして拘束力ある結論に至ったのかを読み手が理解し得るのに十分な推論
(sufficient ratiocination)を含むべきである」という。さらに、理由欠如と
みなされるのは、「結論が何らの理由によっても根拠付けられていない場合
や、理由付けが一貫していない場合、あるいは理由が明らかに矛盾している
か軽薄である場合」であるという(para. 531)。ここで、仲裁廷は、ICJ と
ICSID 取消手続(ICSID 条約 52 条)の判例基準が「実質的に収斂している」
(para.531)と捉えた上で、上記の理由欠如の審査方法を明らかにしている。
ただし、関連する ICJ 判例が蓄積されていないことに鑑みれば、仲裁廷が主
に ICSID 判例に依拠したことは明らかである。
第3に、仲裁廷の採用した合理性基準と ICSID の裁定取消基準の異同が
問題となる。この点で、ICSID 判例は未だ収斂していないが、幾つかの点が
明らかになっている。第1に、仲裁廷の一連の理由から結論に至るまでの
推論が理解し得る場合には理由欠如とはならない(MINE 事件、CMS 事件、
Soufraki 事件)。第2に、理由付けは黙示的に含意されていてもよい(Wena
Hotel 事件、CMS 事件、MCI 事件、Azurix 事件)。実際に、「理由全体」
(the
reasoning as a whole)や「裁定全体」
(the Award as a whole)から黙示的
に示される内容も理由に含まれると判断されている 24。第3に、理由の「十
分性」や「適切性」の基準を適用し得るか否かに関しては判例が一致して
いない。以上の点を踏まえ、Soufraki 事件(2007 年)では理由欠如の類型
24. Azurix Corp. v. The Argentine Republic, ICSID Case No. ARB/01/12, Annulment
Proceeding, Decision on the Application for Annulment of the Argentine
Republic(1 September 2009),paras. 244, 364.
162
アビエイ事件
が4点に絞られている 25。①仲裁裁定に理由が完全に欠如(a total absence)
している場合(軽薄な理由の付与の場合を含む)、②解決にとって重要な特
定の論点について理由を全く記載していない場合(a total failure to state
reasons)、 ③ 矛 盾 し た 理 由(contradictory reasons)、 ④ 仲 裁 の 到 達 し た
結果を説明するには不十分又は不適切な理由(insufficient or inadequate
reasons)。アビエイ仲裁廷の採用した合理性基準(理解し得るのに十分な推
論の基準)は③と④の判断基準を採用したものと解される。
7. 理由欠如の審査内容
本件は、実際に理由の欠如を認定した点で稀有な事例である。しかも、
南部境界線を除く残りの全ての境界線について理由欠如を認定した。ま
ず、その判断内容を確認しておこう。①北部境界については、ABC 報告書
でゴズ高原北辺が唯一北緯 10 度 35 分線の根拠とされたが、「ゴズ高原への
言及だけでは理由の付された正当化とはならない」とし、「何故ゴズ高原の
北辺がアビエイ地区の境界に関連するのかは示されていない」と判断した
(paras. 691−692)。②東部境界線に関して、ABC 報告書は、東経 29 度 32
分 15 秒より東の領域について SPLM/A の請求がなかったことを根拠とした
が、仲裁廷は、「この簡潔な表現では、東部境界線の十分に理由の付された
正当化にはならない」とし、また、「これは一方当事者の立場を単に要約し
たに過ぎず、スーダン政府側の議論については沈黙したままである」という
(para. 704)。さらに仲裁廷によれば、ABC は SPLMM/A の提出したスケッ
チ・マップの証拠的価値を否認しつつ、実質的には当該マップに依拠した判
断を下しており、「矛盾している」と結論付けた(para. 705)。③西部境界線
に関して、ABC 報告書は 1956 年境界線を選択したが、仲裁廷は理由が完全
に欠如していると判断した(para. 706)。
25. Hussein Nuaman Soufraki v. The United Arab Emirates, ICSID Case No. ARB/02/7,
Decision of the Ad Hoc Committee on the Application for Annulment of Mr.
Soufraki(5 June 2007),para. 126.
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神戸法学年報 第 26 号(2010)
以上のように、仲裁廷は3つの境界部分について理由欠如を認定したが、
幾つかの点で問題が残る。第1に、北部境界線に関しては、ゴズ高原の北限
が民族間境界として機能する点を根拠として北緯 10 度 35 分線が選択された
という論理展開を報告書から読み取ることは可能であるため、「黙示的理由」
(ICSID 基準)が存在すると解することができる。第2に、にも関わらず、
仲裁廷のように「何故、ゴズ高原の北限を境界線として選択したのか」を問
うと、理由要請の無限遡行に陥る 26。第3に、理由付記に関する原審 ABC の
裁量を広く認める余地がある。例えば、賠償額の算定や境界線の緯度経度の
選択の場合、その決定理由に数学的な厳密さを要求することは困難である。
実際に、MTD 事件(ICSID)では、原告企業の寄与過失を理由として賠償
額が半減された点について、理由欠如が問題となった。本件特別委員会は、
仲裁廷が「評価の余地」
(margin of estimation)を有するとした上で、「損失
が平等に負担されることは稀なものではなく、この点に触れる国際裁判は算
定に関して何らの『詳細な説明』も与えないこともある 27」という。アビエ
イ事件では、原審 ABC はそもそも司法機関ではないことから、緯度経度の
設定に対して法的判断と同じレベルの厳密な理由付けを求めることはできな
いと言えよう。
以上のように、アビエイ仲裁廷による「任務遂行」の逸脱審査(=理由欠
如審査)では「十分な推論」基準が用いられており、原審の逸脱を容易に認
定し得るようになっている。理由欠如に関しては、ICSID 取消手続でも基準
を緩和させる傾向が見られるため、アビエイ仲裁が本件でこの判断傾向を
26. Soufraki 事件(2007 年)において、ICSID 特別委員会は次のように述べている。
「仲裁廷は、それ自体が理由である見解に理由を付す必要はない。そのようなこと
をしていると、無限に後退する理由のサイクルを始めることになる。全ての言葉
が説明されなければならない訳ではない」。Hussein Huaman Soufraki v. The United
Arab Emirates, ICSID Case No. ARB/02/7, Decision of the Ad Hoc Committee on
the Application for Annulment of Mr. Soufraki(5 June 2007),para. 131.
27. MTD Equity Sdn. Bhd. and MTD Chile S. A. v. Republic of Chile, ICSID Case No.
ARB/01/7, Decision on Annulment(21 March 2007),para. 101.
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アビエイ事件
柔軟に取り込んだことは容易に想像できる。しかしながら、そもそも ICSID
取消手続と本件アビエイ仲裁では適用基準が異なるため、上記の判断には問
題がある。前者の場合、明白性基準は権限踰越の審査にのみ適用され、理由
欠如の場合には適用されない。これに対して、アビエイ仲裁では、「任務解
釈」と「任務逸脱」のいずれについても「合理性基準」
(=明白性基準)が適
用される。従って、明白性基準と同一基準であるはずの「合理性基準」と
「十分な推論基準」を用いつつ、アビエイ仲裁廷が理由欠如を容易に認定し
た点には疑問が残る。また、理由の十分性の基準に関しては、ICSID の取消
判例においても採用されておらず、アビエイ仲裁の判断基準(十分な推論基
準)は原審の取消に有利に働き過ぎると評することができる。
8. 付随的な手続問題
本件において仲裁廷は、無効原因論に付随する手続的問題も多く扱ってい
るが、いずれの論点においても従来の国際判例を踏襲している。第1に、伝
統的な権限踰越論では、管轄権決定権を根拠として権限踰越を否認する主
張が広く展開されてきた。アビエイ仲裁廷は「管轄権決定権」という用語
を避け、ABC 専門家が「自らの任務を解釈する権限(authority)」を有する
と解したが(para. 497)、同時に管轄権決定権に関する国際判例を多数引用
しており(paras. 498−503)、「解釈権限」が管轄権決定権と同一視されてい
ることは明らかである。第2に、仲裁廷は、原審の終結性と審査の関係に
ついて国際判例を踏襲した。この点で、SPLM は、ABC 報告書が「終結的
で拘束力を有する」という点を根拠として、GoS が報告書への異議申立権を
放棄したと主張した(paras. 218−220)。さらに、SPLM は、ABC を司法的
機関と捉え、その報告書が既判力を有すると主張し、さらに「推定的終結
性の原則」
(the Principles of Presumptive Finality)が適用されると主張し
た(para. 223)。他方、仲裁廷は、「既判力」や「推定性」の議論には深入り
せず、両当事者が新たに合意して原審の取消審査を求めていることを理由と
して、原審の法的効力は問題とならないと判断した。この点は、国際判例
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神戸法学年報 第 26 号(2010)
で確立した判断と符合する。第3に、従来の無効原因論と異なり、本件で
は、任務逸脱の審査(無効確認)に加え、逸脱がある場合に仲裁廷による自
判が求められている(仲裁合意2条 ⒞ 項)。この点について、伝統的な無効
確認手続では、例外的な事例(オリノコ汽船会社事件)を除いて、審査対象
が無効確認に限定されていたため、本件仲裁の審査は、無効確認よりも、上
訴手続に接近したものとなっている。第4に、本件仲裁は、原審(ABC 報
告書)の部分的取消が可能であると判断したが、この点も国際判例に符合す
る。例えば、ICSID 判例では、取消事由に該当する部分について仲裁裁定が
取消されるため、残りの裁定部分は有効性を保持し続けることが確認されて
いる 28。
以上のように、本件仲裁による逸脱審理は、多くの部分で伝統的な権限踰
越論の理論構成および ICSID の手続枠組を踏襲している。ただし、破棄自
判が認められている点は大きく異なっており、仲裁廷が ABC の任務逸脱を
積極的に認定したのはこの点に大きく依存していたと考えられる。
9. 仲裁裁定の履行問題
本件仲裁の高度に政治的な背景を反映して、裁定前後から国際社会の関心
度は高かった。例えば、仲裁付託が合意された時点で、国連安全保障理事
会は裁定履行を要請していた。すなわち、安保理決議 1870(2009)は、「ア
ビエイ境界紛争の最終的解決のための仲裁廷の決定を当事者が遵守し、履
29
行することを要請(calls upon)
」した(本文第8項)
。また、本件仲裁に関
しては諸国家の支援も行われており、ノルウェー、オランダ、フランスが、
訴訟費用の支援基金に寄付を行っている(裁定 paras. 28−35)。他方、ア
28. Compania de Aguas del Aconquija S. A. and Vivendi Universal v. Argentine Republic,
ICSID Case No. ARB/97/3, Decision on Annulment(3 July 2002), para. 68 ; CMS
Gas Transmission Company v. Argentine Republic, ICSID Case No. ARB/01/8, Decision
of the Ad Hoc Committee on the Application for Annulment of the Argentine
Republic(25 September 2007),para. 99.
29. S/RES/1870(2009),20 May 2009.
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アビエイ事件
ビエイ仲裁裁定の履行は紆余曲折を経ており、現在も最終的な境界線引き
(demarcation)には至っていない。
仲裁裁定の直後、当事者である NCP(国民会議党)と SPLM(スーダン
人民解放運動)は裁定内容を受け入れることを表明した 30。国連事務総長特
別代表(Ashraf Qazi 氏)も、本件裁定は「いずれの側にとっても勝訴であ
る(win-win)」と発言しており 31、一般に本件仲裁裁定は好意的に受け止め
られた。他方、現地の境界線引き(demarcation)の段階に入り、裁定の実
施は難航し始める。裁定後の7月 31 日、南スーダン政府閣僚理事会は仲裁
裁定を受け入れることを表明したが、Higlig 油田の位置に関して争う姿勢を
32
見せた(Unity 州に属すると主張)
。その後、国連事務総長の報告書は、現
状を次のように説明している。裁定後、「大統領が境界画定委員会(Abyei
Border Demarcation Committee) を 設 置 し、 ア ビ エ イ 地 区 理 事 会(the
Abyei Area Administration and Council)を再設置したが、委員会審議と
審議方法に関して南北の委員間に見解対立が生じ、委員会作業は極端に遅延
している。この遅延は、境界画定プロセスに影響を与えるのみならず、軍
部隊の再配置と総選挙及び住民投票の実施にも影響を与える。常設仲裁裁
判所の決定が Higlig 油田をアビエイ地区の外にあるとみなした点は重要で
ある。SPLM は決定のこの点を承認したが、その後、1956 年1月1日時点
の境界線について異議を唱えており、Higlig は Unity 州に含まれると主張し
30. John R. Crook, “Abyei Arbitration-Final Award”, ASIL Insight, vol. 13, Issue
15( 2009), p. 1 ; Stephanie McCrummen, “Ruling Signals Compromise On
Border Dispute in Sudan”, Washington Post Foreign Service, Thursday, July
23, 2009. Available at[http : //www.washingtonpost. com/wp - dyn/content/
article/2009/07/22/AR2009072202063. html]; M. Mayom, “Sudan to Demarcate
Abyei Boundary in September”, Sudan Tribune, 29 July 2009, available at[http : //
www. sudantribune. com/spip. php? article31961].
31. Higlights of the Noon Briefing, July 22, 2009[http : //www. un. org/News/ossg/
hilites/hilites_arch_view. asp?HighID=1412]; Reuter, July 22, 2009, available at
[http : //www. reuters. com/article/latestCrisis/idUSLM277763].
32. “South Sudan cabinet approves Abyei ruling”, Sudan Tribune, 1 August 2009,
available at[http : //www. sudantribune. com/spip. php?article31992].
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神戸法学年報 第 26 号(2010)
た。Higlig 油田の戦略的重要性により、境界線画定作業がさらに困難となる
可能性もある 33」。同報告書では、「ミセリヤ首長は仲裁裁定のもとでの将来
の地位に懸念を表明しており、履行プロセスへの協力を拒否する可能性があ
る 34」ことも指摘されている(実際に、9月からミセリヤ族は境界画定委員
会への協力を拒否しており 35、9月中は画定作業が滞っていた)。
その後、2009 年 10 月初旬に画定委員会が現地に入り、11 月には画定作業
を開始したが 36、2010 年9月には、ミセリヤ族がアビエイ仲裁裁定を拒否す
ると表明した 37。さらに、2010 年9月時点で、SPLM 代表が境界画定委員会
の会合に出席しておらず、境界線画定作業は進んでいない 38。
33. S/2009/545, Report of the Secretary - General on the United Nations Mission in
the Sudan, 21 October 2009, para. 15.
34. S/2009/545, Report of the Secretary - General on the United Nations Mission in
the Sudan, 21 October 2009, para. 16.
35. UNMIS Media Monitoring Report(7 September 2009), available at[http://
unmis.unmissions. org/Default.aspx?tabid=4074]
36. UNMIS Media Monitoring Report(11 November 2009).
37. UNMIS Media Monitoring Report(7 September 2010).
38. UNMIS Media Monitoring Report(27 September 2010).
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