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今日は今まで作ってきているものを順番に紹介 してい

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今日は今まで作ってきているものを順番に紹介 してい
1
インタラクティヴィティ(相互作用)
展覧会を東京芸大に移る前に教えていた慶応大学
のキャンパスにあるギャラリーでアメリカからも
今日は今まで作ってきているものを順番に紹介
していこうと思います。
「インタラクティヴィティ」、「ネットワーク」
とカタカナが多いのですが、
「インタラクティヴィ
作品を集めてやったのですが、そのときに作った
作品です。これは本をテーマにしながら、コンピ
ュータと本の関係を考えてみるための基本的な作
品だと思っています。
ティ」は日本語では「相互作用」と訳されます。
「インター」とは何かと何かをつなぐものです。
例えば「インターフェース」とか「インターナシ
ョナル」とか。
「インターナショナル」は国と国を
つなぐということです。
「インタラクティヴ」とは、アクティヴィティ
とアクティヴィティの間をつなぐということです。
我々が対象に対して何かを働きかけると、相手か
らも働きかけが返ってくるということですが、こ
れの反対語に「インターパッシヴ」といって完全
に受け身な状態があるのではないかと思います。
例えば、人と話をしているときには人間どうし
図1《Beyond Pages》
の関係はインタラクティヴな関係ですが、コンピ
「ブック」はもともとリーフから成り立ってい
ュータではインタラクティヴな関係ではなかなか
て、紙のリーフを束ねたわけです。紙を束ねて両
使えませんでした。非常に原始的な意味ですが、
側からブナの木(beech)の板で挟んだそうで、
電卓に数字を打ち込むと電卓の窓に数字が出る。
その複数形が「ブック」の語源だと言われていま
これは今では当り前ですが、これを実現するのに
す。もとは版画のように1枚ずつ刷っていて、その
大変時間がかかっているのです。
紙が構成要素になっていました。その構成要素を1
古いコンピュータのマニュアルを読むと、
「イン
枚ずつめくっていくことが基本だったので、この
タラクティヴ・コンピュータ・ターミナル」と書
作品では、本の物質的な意味の機能的側面、すな
いてあるのですが、キーボードを押すと数字が画
わち、ページをめくるという部分をお見せしたよ
面に表示されるだけです。これだけでそんな呼ば
うなかたちで実現しました。
れ方をしていた時代もあったのです。ただ、僕が
この作品は、中にコンピュータが入っていて、
これからお話しするのはそういう情報理論の範囲
天井にプロジェクターがついていて机の上に映像
ではなく、意味論的な意味でインタラクティヴに
を投影しています。机の下に「デジタイザー・タ
人間とコンピュータの間がつながったときに、そ
ブレット」と言われる、磁気を使ってペンの位置
こにはある種の意味が生まれるかどうかというこ
をチェックする装置があります。それでいろいろ
とです。
コントロールできるようになっていて、投影され
たイメージとデジタイザー・タブレットの位置が
《Beyond Pages》
合うように作ってあるので、ペンで触れるとペー
ジがめくれるかのような感じがします。そんなこ
今日は全部で四つの作品をお見せしたいと思い
ます。これは《Beyond Pages》という作品です
(図1)
。これを一番最初に展示したのは1995年で、
「The Future of the Book of the Future」という
とをコンピュータにやらせる必要はないのですが、
そういうものを一度作ってみると、これが本だと
いうことがすぐわかるわけです。
ページには、文字で「林檎」と書いてあってリ
2
ンゴの絵がある、いわゆる絵本のようになってい
作品だと思います。
ます。絵本だと、単純に次にページをめくってい
くとナシのページがあり、次にミカンのページが
「知識」と「知恵」
あるとそれで終わってしまいますが、この作品で
はコンピュータでないとできないことをしたかっ
たわけです。
例えば、昆虫採集をするとき、森に入っていっ
て知らない動物がいて、家に帰ってから「あの動
例えば、リンゴに触れるとページがめくられ、
物は何だったんだろう」と調べる場合と、すでに
リンゴがコンピュータに食べられてしまいます。
図鑑を見ていて、この昆虫に出会いたいと思って
そういうことは本来本の上では起こりえません。
それを見つけにいく場合があります。例えば、モ
音を伴って動きがあるということはできなかった
ンシロチョウであれば「春の何月ごろの暖かい日
ことだったので、そういうことをやってみたので
のキャベツ畑にいる」などという生態まであらか
す。
じめ誰かが調べているものがあって、それを見つ
「リンゴ」と言うと、誰でも頭の中にリンゴの
概念を思い浮かべます。
「リンゴ」という言葉とリ
けにいくわけです。これら両者ではかかわり方に
大きな違いがあると思いませんか。
ンゴの概念はつながっているわけです。ところが、
今までの学校の在り方は後者なのです。日本史
この作品ではリンゴに触れると、今まで体験した
にしても、
「いい国(1192年)つくろう頼朝さん」
ことのないようなリンゴの変化が起こります。そ
とか言ってわけもわからず年号を覚えてしまった
うすると、それは本来はリンゴではありません。
り、知識を頭にぶち込むことが勉強の中心的な課
でも、自分の知っているリンゴではないのですが、
題になっていたと思います。しかし、もっと大事
それも「リンゴ」という概念の範疇として受け入
なのことは、知恵を使ってそういう知識を獲得し
れざるをえないような体験をすることになります。
ていった人たちがいるということです。特にコン
なぜかというと、それは自分がやったからなの
ピュータを含めた新しい環境が生まれてくるとき
です。そこにインタラクティヴィティの非常に大
には、1年単位でいろいろなものの状況が変わって
きな問題があります。自分が体験したことによっ
きます。
「インタラクティヴ・コンピュータ・ター
て、その体験を受け入れなくてはいけない。受け
ミナル」というものが全く違った概念で使われて
入れることによって意味解釈の作用が広がったり、
いたように、それが何であるのかについて知る、
変化したりすることが起こるのではないかという
理解するといった場合、今の世の中は事典を作っ
ことです。
ていると追いつかないのです。
この作品は、ドイツのカールスルーエのZKM
(芸術とメディアテクノロジー・センター)という
例えば、一昨日も調べものをしていたら、
「MD
が付いたヴィデオカメラが発売された」とあって、
メディアを扱う大きな研究センターのメディアミ
「なんだこれは」という感じでした。つまり、磁気
ュージアムに常設展示されています。非常にわか
メディアとカメラの関係など、もうどうでもよく
りやすい作品なので受けがいいです。それで、
「子
なっているのです。ヴィデオカメラといえば、そ
どもでもわかっていいですね」と言われるのです
れはヴィデオテープで収録するはずのものだった
が、僕は考え方によっては子どもにとって危険で
のに、フロッピーディスクのようなもので収録で
はないかと思っています。もちろんゲームなどの
きるようになるわけです。こんなことは、もっと
方がはるかに危険かもしれないのですが、リンゴ
ヒエラルキーの高いレベルで理解しないと意味が
の概念について一見教えているようでありながら、
ないことで、まるであちこちからボールの球が飛
実はそうでないものを教えているのですから。こ
んでくる野球場のような状態にいると思うのです。
れは、インタラクティヴィティの問題や意味につ
ですから、大事なことは知識ではなく、知恵の方
いて、
「知」ということについて考えるには面白い
です。
3
そこで、例えばこういうことをしてみるのです。
森の写真で、近づくと赤い丸がきて、そこに例え
ばナナフシがいるのですが、何か赤い丸が現れる
とそこに何かがいることが示唆されます。
これは非常に微妙な問題なのですが、これをマ
ルチメディアの業界の人たちは単なる「オーサリ
ング」だと思っているわけです。
「オーサリング」
とは、ナビゲーションをしてそこにたどり着くこ
とが目的になるようなことです。この場合でいえ
ば「はい、ナナフシですよ」というように、まる
で図鑑を引くようなCD-ROMマルチメディアタイ
トルを作ればいいと思っているのです。しかし、
実はそうではなく、赤い丸が現れるということは
そこに何かがあると注意を促しているわけです。
それは「知識」ではなく「知恵」を教えている
のだと思うのです。こういうところに何かがいる
のだと。例えば、赤丸のほかにも、青丸が現れる
とナメクジがいるとか、色によってどのような生
態の動物がいるかがナビゲートされたりすると、
これは一つの知識を伝えるためのものではなくて
知恵を伝える、そちらに引き寄せていくための道
具として使えると思います。そこにコンピュータ
を使う上で大きな転換点があるのではないでしょ
うか。今のほとんどのコンピュータを使っている
人たちは、獲得した知識にどうやってたどり着く
かということしか考えていないことに問題がある
わけで、僕が今コンピュータを使ってやろうとし
ていることは「知恵」の側のことです。
《小さな魚》
そういう意味でいい事例があります。これは去
年、ZKMに1年間滞在していたときにコンピュー
タ・ミュージックの作曲家と会って、彼と意気投
合して作った作品です(図2)
。その作曲家は古川
さんという日本人です。でも、ドイツに20年ほど
いたので、内面的にはほとんどドイツ人です。す
でにCD-ROMのパッケージになっていて、ドイツ
では発売されています。ドイツで発売されている
のにタイトルは日本語だという面白いものですが、
15個の作品が入っています。
図2《鸚鵡》(《小さな魚》より)
画面上の図形の位置をポインタで動かすことができ、それに
応じて音が変化する。
4
おうむ
これは、その中の一つ、《鸚鵡》という作品で
って、画像を用いた楽譜がはやりましたが、それ
す。これも何かをすると何かが起こるから、コン
のアクティヴなヴァージョンになっています。し
ピュータが何らかのかたちで反応を返してくれる
かも、結局これは楽譜であると同時に楽器でもあ
という意味で面白いわけですが、当たったときの
ります。そのため、アクティヴ・スコア・ミュー
変化の仕方がものによって違い、やってみないと
ジックなどと一時期は言っていました。つまり、
わかりません。あるところではそれが音楽に聞こ
音に対して視覚が加わったことで時間を先取りし
えたり、あるところからは音楽ではなく聞こえた
て考えることができるというものです。
りします。
インタラクティヴィティの場合にとても大事な
15個とも違ったアイディアで、作曲家がいろい
ことは、これから自分が起こそうとするアクショ
ろ苦心して作ったわけですが、そのアイディアと
ンによって対象がどのように変化するかをある程
は彼の考えている音楽の核になるアルゴリズムの
度予測できるということです。つまり、扱おうと
ようなものです。ですから、一つの作品の中でど
思っている対称の持っているアイコンの意味、意
んなにいじくりまわしても根本にある音楽の質の
味論的にいうと「意味コード」ということになり
ようなものが全然変わらないのです。例えば、あ
ますが、それは文化的なものに多くをよっていま
る作品では、どうやってもマイルス・デイヴィス
す。簡単にいえば星型のアイコンに当たったら、
のようになるのです。要するに、全音階は出てい
きっと星のような音がするだろうと思うというこ
なくて・・・。そこが非常に面白いところで、そ
とです。
の中でもちろんうまいへたはあると思いますが、
つまり、見た途端にそれが頭の中に思い浮かん
やっているときに「あ、これは面白い」とか、
「こ
で、鳴らしてみたら本当にお星さまのような音が
れは面白くないじゃないか」とずっと判断し続け
したり、しなかったりということで意味解釈の発
ている。
「もう少しこうだったらいいのに」とうま
生現場がそこにあるということだと思うのです。
くいかなかったりするわけです。
この作品はそういう意味で非常に面白いのですが、
そのときに自分の中に、作曲家が考えたあるイ
メージと遊んでいる側の間で、あるインタラクシ
遊んでいるうちに次に起こることがだんだんわか
ってくるようになります。
ョンが起こっているということです。目の前で画
何か物事を考えるというときに、普通はいろい
像と音が変化し、そこで直接的な関係性、インタ
ろな情報を受けて、例えば本を読んでそれからゆ
ラクティヴィティがあるけれども、実は音楽家が
っくり考えます。自分が体験してからある時間を
考えている音楽性と僕たちがそれを追いかけてい
とって客観的にそれを考えることができるように
くときの、音楽家と僕たちのインタラクションが
なったときのことを、
「考える」というのだと思い
もう少し上のレベルで起こっているのだと思うの
ます。しかし、《小さな魚》で遊んでいるときは
です。そこの関係がとても面白い作品だと思いま
非常に短い、0.5秒ほど考えるという「考える」が
す。
あるのではないか。脳みその中で使っている場所
作っているときに僕はどうしても画面の方を見
がもしかしたら違うのかもしれませんが、このよ
てしまって、画面の上の構成がこうなった方が面
うなマイクロシンキング・プロセスというものを
白いなどと考えてしまうのですが、音楽をやって
考えてみています。そのようなことが、こういう
いる彼の方は、自分の音楽の方が中心になってし
インタラクティヴな環境の中では大事になってい
まうから画面の面白さなどは全然関係ないのです。
るような気がします。
これは見ているとあと1秒後にこういう音が出
このような作品を1998年の夏ごろに作ったので
るのではないかということがわかります。つまり
すが、それから作品を増やしていくときには「マ
楽譜なわけです。視覚的なスコアです。これは
クロ・マインド・ディレクター」というソフトウ
1950∼60年代にこういう動きが現代音楽の中にあ
ェアを使いました。お互いにプログラミングする
5
わけなのですが、相手のコードを読んで書き直す
僕は、いわゆるコンテンポラリー・アートの場
のに嫌気がさしてきて、とても一緒にやっていら
にいるとは思っていないのです。むしろ、これか
れないという気がしてきました。それで、プロの
ら何が起こるかわからないけれども、ここに新し
プログラマーに入ってもらったのです。彼は「オ
い現場があるということを面白がってくれる人が
ブジェクト指向」という考え方を取り入れたプロ
もっと増えてほしいと思っています。
グラミングができるので、それでとてもプログラ
ムがすっきりしました。
《インプレッシング・ヴェロシティ》
彼にとっては表層はどうでもいいわけです。裏
側の機能がまともに動けばいいということで、オ
次に展開しようと思っている作品は、《インプ
ブジェクトとボールも、動いていなければオブジ
レッシング・ヴェロシティ》というものです(図
ェクトかボールかはわからないわけです。でも、
3)
。これもZKMで今行われている展覧会に展示さ
インターフェースをデザインする側からすると、
れています。全体は「ネット・コンディション」
そこに置いてあるオブジェクトとボールは機能が
という展覧会で、67点も作品が出ている中の一つ
別なので、デザインも変えた方がいいという問題
なのですが、僕のものが一番大きい作品です。
があります。このように同じアプリケーションを
めぐって、立場が違うとこのように変わってくる
という話です。
僕は、一般的にコンピュータの楽しそうなソフ
トを作っていると思われがちですが、それは間違
ってはいません。こういう新しい技術を使った場
合、誰もがコンピュータは使いにくいものである、
難しいものであるという概念が先立っているので、
誰もコンピュータを使った作品に触れようとして
くれないという状況があるからです。
そういう意味で、僕はその中にある新しい表現
の可能性を実際に手に触れられるものにして、そ
の可能性を見せていこうと思っています。まず、
来てくれた人が触ってくれないと意味がありませ
図3《インプレッシング・ヴェロシティ》列車
ん。非常にヨーロッパ的なアートの現場では、あ
るアイディアがあって、それを絵画にしたりオブ
作品のテーマは、速度の感覚を視覚に置き換え
ジェに置き換えたりする人がアーティストなのだ
たらどうなるだろうかということです。例えば絶
と思われがちですが、僕たちが今直面している状
叫マシンなどといってジェットコースターに乗る
況では、完結したアイディアをコンピュータの中
のがはやっていますが、結局日常では味わえない
に作り出すことには意味がないわけです。
速度感覚を味わって一種の仮死体験、
「死ぬかもし
むしろ、コンピュータと人がインタラクティヴ
れない」というようなことを喜んでいるわけです。
に関係性を持てたときにそうしたアイディアが浮
しかし、そのように完全にガードされた世界では
き上がってくればいいわけですから、一見わかり
脳みそ内の危険度はたいしたことはないと思うの
やすく楽しそうに見えますが、その奥にもう少し
です。そこで、もっと危険なものを作ってみよう
深い人間の知を獲得する構造や知的世界とかいう
と思ったのが始まりです。
ものがあるということに気がついてほしいと思っ
てこういうものを作っているのです。
それは見ているものがゆがむという体験です。
速度を測る道具に加速度計がありますが、これは
6
速度の変化を測る機械です。それをヴィデオカメ
くりに作ってあって箱全体がユラユラ揺れて、ま
ラに取りつけます。そうすると、ヴィデオカメラ
るで飛行機が動いているかのように感じられるも
が移動した加速度がとれるわけです。もともとの
のです。それの上のコックピットを取った下の足
アイディアは、自動車の前にヴィデオカメラと加
だけがZKMにあり、初めから装置としてアーティ
速度計がついていて、自動車の窓は全部真っ黒に
ストのために開放されていて、
「これを使って何か
してあって、運転手の目の前にだけディスプレイ
面白いものを作るやつはいないか」と言われてい
があり、そのヴィデオカメラからきた映像だけを
ました。それを使いたいといって借りたわけです。
見て運転手は運転をしなければいけない。ところ
加速度計のデータをそのままシミュレーショ
が、車が前に進んで加速度がつくと、そのスクリ
ーンの中心が運転手に向かって飛び出してくる、
というものでした。
実際に画面が飛び出すのは難しいので、コンピ
ュータを使って仮想のスクリーンを作り、それに
ヴィデオの映像をマッピングしておいて、仮想の
スクリーンのかたちをゆがめるのです。前にいく
とスクリーンが目の前に来て、目の前に来るから
画面の真ん中しか見えません。ですから、前に向
かうと遠くの風景が大きくなります。止めると、
風景がビューンと遠くに行ってしまうわけです。
1997年にブダペストに行って、機械を借りて実
験をしました。実際に車を使うわけにはいかなか
ったので、車にヴィデオカメラと加速度計をつけ
て、加速度計のデータを音声に変化させる回路を
図4《インプレッシング・ヴェロシティ》
シミュレーション・プラットフォーム
作り、ヴィデオカメラの音声チャネルに加速度計
のデータをレコーディングしました。後で、その
ン・プラットフォームに送り、電車がガタガタ揺
ヴィデオテープをスタジオで再生したときに、そ
れると上のシミュレーション・プラットフォーム
の音から加速度のデータを元にデコードして、そ
にいる人もガタガタ揺れます。それは3人乗りなの
れをコンピュータに入れて動かすということをし
ですが、真ん中に座っている人がレバーを動かす
ました。
と、100メートルほど離れた場所にいる電車が動
それをもとにZKMでもうワンステップ進め、一
いて、そしてコンピュータでゆがめられている映
般の人でも体験できるようにと今年作ったのがこ
像が目の前に映るというものです。ですから、実
の作品です。おもちゃの電車を使っています。会
際におもちゃの電車に乗って、さらにゆがめられ
場に行くと長さ12メートルのサーキットがあって、
た画像を見る体験ができるという装置です。
おもちゃの電車にヴィデオカメラと加速度計がつ
電車にマイクロホンがついているので、話す声
いていて、そのデータが無線機でコンピュータま
を聞くこともできます。そういう意味でいうと、
で行きます。
リリパットのように巨人と小人で話ができるとい
別の場所にシミュレーション・プラットフォー
う環境でもあります。
ムといわれるものがあります(図4)
。これは飛行
実際にはメガネをかけるので本当に立体的にな
機のパイロットが訓練するときに使うフライトシ
ります。しかし、
「これで車を運転しろ」というと
ミュレータのようなものです。よくテレビなどで
かなり難しいです。
見ることがあると思いますが、コックピットそっ
本当に車でやれば起きなかった問題ですが、模
7
型の電車を使ったことで観測者問題という問題が
《グローバル・インテリア》
浮かび上がってきてしまいました。これは、当初
の速度を問題にしたテーマと全く別のレベルの問
題で、問題が重層化しています。
この場合、画像がゆがまないで単にシミュレー
1996年に《グローバル・インテリア》というタ
イトルの作品をNTTと一緒に作りました。
「シェア
ド・ヴァーチャル・エンヴァイロメント(共有さ
ション・プラットフォームがあって遠くに電車が
れたバーチャル環境)
」と言われているのですが、
あったとすると、それはよくできたサイエンティ
いわゆるサイバースペースにコンピュータのネッ
フィックなシミュレーションになります。大阪万
トワークを介して複数の人が入ってきて同じサイ
博やつくば万博のころに行くと、飛行機のフライ
バースペースを共有する作品です。今この会場に
トシミュレータなどの模型を使ったシミュレータ
80人ほどいますが、80人でこの空間をシェアして
がありましたが、そういうものになってしまいま
いるわけで、それと同じような環境をコンピュー
す。
タの中に作ろうということです。
しかし、この作品の場合には速度の感覚をスク
《グローバル・インテリア》は複雑な作品です
リーンのかたちに変える、つまりデフォルメして
が、面白かったようで、オーストリアにあるリン
いるわけです。デフォルメというのはアートの技
ツという町で毎年開かれている「アルスエレクト
法で、非常に基本的なものだと思います。例えば
ロニカ」という歴史のあるメディア・アートのフ
葛飾北斎が富士山の絵を描くときに、実際よりも2
ェスティヴァルで、1996年にゴールデン・ニカと
倍くらい傾斜をきつく描きます。きつく描くこと
いう賞をもらって僕も非常に勇気づけられました。
で富士山を見たときの印象に合わせるわけです。
いろいろなものが入っている作品だったのです
北斎の絵の方がリアルに見えるのですが、実際に
が、最終的に僕が理解したのはヴァーチャリティ
北斎の絵を持っていって見比べると、実物があま
の問題です。要するに、コンピュータの中の世界
り低いので驚きます。
とコンピュータの外側の世界との関連性の在り方
そのようにアートというものは自分が受けた印
の問題と、またそれとは全く別のレベルで、ネッ
象を正確に他人に伝えるためにうそをつくわけで
トワークを介した人と人の間にメディアが挟まる
す。そういう意味でいうと、デフォルメとはリア
ことでどのような変化が起こるかという、コミュ
リティをつくるためにうそをつくということでし
ニケーション・メディアとしてのコンピュータの
ょう。この作品の場合には、スクリーンをゆがめ
問題との二つです。その両方の問題が一緒にその
る、デフォルメすることで速度(ヴェロシティ)
《グローバル・インテリア》という作品にはあっ
の印象(インプレッション)をより強くする。あ
たので、《ナズル・アファー》という作品の場合
るいは違った方向にいっているのかは僕は正確に
には、もう少しきれいに切り離して、コミュニケ
言えませんが、あるかたちで伝えようとする装置
ーションの側の部分だけをテーマにしようと思っ
です。ですから、一つの考え方としてこれはアー
て作りました。
トと科学の境目がどこにあるのかを考える作品で
もあると思っています。これは先程の記号論的な
《ナズル・アファー》
意味や知性という問題とは別ですが。
《ナズル・アファー》は、1998年にアシスタン
トの川嶋君とドイツにいる間に作りました(図5)
。
僕は1年でしたが、彼は6か月間滞在して、その間
ずっと朝起きてプログラミングをして帰るという
生活を淡々としていました。
1998年の11月に展覧会をやって、ISDNの回線
8
を3本束ねたものを介して、ロッテルダムとZKM
場合には、これが逆になっています。どうやった
をつないだり、リンツや東京のICCとつないだり、
ら人に出会えるかがテーマになっています。
慶応大学とつないだりしました。慶応大学とつな
この作品には、大きなアイディアが二つありま
いだときには面白くて、慶応の学生がかなり悪ふ
す。一つはアバターが移動した跡に線が足跡のよ
ざけをしてドイツの方から同じナズル・アファー
うに残ります。誰かの足跡を見るとその人が何を
に入ってきている女の子を一生懸命ナンパしよう
していたかがわかります。この作品ではそれが空
としていました。絶対に会えるわけがないのに、
間の中に残っています。足跡というのをもう少し
ナンパしてどうするのか(笑)
。
メタフォリカルな意味でいうと、例えば経歴とい
皆さんもご存じかもしれませんが、この手の
うものがあります。今日のように講演会や展覧会
「シェアド・ヴァーチャル・エンヴァイロメント」
がある度に経歴を送ってくれと言われるのですが、
はいろいろなかたちで商用化されています。例え
それは私がどのような足跡を残してきたかにみん
ば、ウルティマ・オンラインもそれに近いですし、
なは興味があるということです。例えば本を出版
ソネットがやっているものでも新しいヴァージョ
していると、その本を読んだ人が出版社に問い合
ンでは確かペットが飼えるのです。
わせをして僕に連絡がくるということが起こりま
サイバースペースには僕たち自身は入れないの
す。つまり、本を書くということは社会的な意味
で、代わりの「アバター」というものをたてます。
でいうと、足跡をまいていくことになります。そ
相手もアバターで入ってくるので、アバターとア
のようなメタフォリカルな意味での足跡を実際に
バターがサイバースペースで出会って、そのアバ
目に見えるようにしたのがこの作品です。
ターを介してコミュニケーションすることになる
もう一つのアイディアは、普通のこの手の作品
わけです。この「アバター」はヒンズー教の中に
の場合にはアバターは実際に生きている人間の代
出てくる言葉で、神様が現実の世界に化身として
理人ですから、ゾウだったりマリオだったり何か
現れてくるときにそれをアバターと呼びます。
見たことのあるかたちをしているわけですが、こ
アバターにはいろいろなデザインがあります。
例えば、ウィンドウズの上で動いている有名なソ
の作品の場合は相手のアバターの中に入ることが
できるようにしたことです。
フトで「ドゥーム」というものがありますが、こ
二つのアバターがくっつくと、お互いのアバタ
れは兵士になっていて、とにかく敵が現れれば殺
ーのかたちが変わって黄色や赤などのまだら模様
すというものです。面白いのですが、サイバース
になります。僕が相手のアバターに入ると、相手
ペースの中にわざわざ入っているのに、相手を見
も僕のアバターの中に入ることになり、2人で作
つけたら殺すという構図です。つまり、会わない
った全く新しい空間がそこにできて、僕と相手し
ようにすることがゲームなわけです。僕の作品の
か中にはいないというようになります。人と会う
ということをメタファーとして考えて作りました。
この空間からは、2枚の板をオーバーラップさせる
と出られるようになっています。
自分がどうして社会の中に生まれてきたのかと
いうことについて考えることが結局は生きるとい
うことになると思いますが、社会の中ではみんな
がある役割を負って生きています。例えばお父さ
んであれば働いたり、子どもであれば学校に行か
なければいけなかったりします。しかし、サイバ
ースペースの中にはそれがありません。
図5《ナズル・アファー》
手前と奥に浮かぶ二つの球がアバター。
僕の作っているものとゲームの大きな違いは、
9
ゲームの場合にはすべきことがはっきりしていま
ではないかと思います。目の部屋では、二つのア
す。つまり、点数を稼ぐとか相手を殺して生き残
バターが、どこがどのような範囲で見えるかとい
るとか、基本的にゲームの原理は「戦って勝つ」
うアングルが見えるようになっています。
という人間誰もが持っている根本的なミームを刺
もう1本は今年に入ってから、ブダペストの
激しているだけですが、僕の場合は役割を探すと
CCC(文化交流センター)とオーストリアのリン
いうことを主題として考えています。
ツのアルスエレクトロニカ・センター、それと
この場合に全然知らない人どうしで、例えばリ
ZKMをつないだものです。ZKMだけが1台の端末
ンツとドイツがつながってやっているときに、
「ど
でほかは2台ずつ置いてあります。その5台の端末
うすれば出られるのだろう」とお互いに考えなが
がインターネットを専有して使っているのでイン
ら探すことが面白いのではないかと思っています。
ターネットといえるかどうかは疑問ですが、1MB
この作品には目、手、口の三つの部屋あります。
のATMでつながっていて、しかも1か月半つない
でおいてくれたという相当ぜいたくなプロジェク
トでした。
ヨーロッパはご存じのようにEUとして経済的な
面だけでつながろうとしていますが、そのEUのプ
ロジェクトの助成金でやったものです。ですから、
異なった国々をつなぐことに対してEUは非常に理
解を示してくれています。
このヴァージョンでは、2人がくっついた後にそ
れが記憶されたメモリプレートができるようにな
っていて、何時何分にどこの人とどこの人が出会
図6《ナズル・アファー》口の部屋
キーボードで入力した文字が相手のアバターに向って飛んで
いく。
ったかというのが残るようになっています。もと
もとのアイディアでは、2人がくっついた後に1個
の球ができ、その球の中に入ると、いつ誰と誰が
口の部屋では、口から文字が出るようになってい
くっついたかというメモリが書かれているように
ます(図6)
。手の部屋では、ジェスチャーができ
なるつもりでしたが、開発しているときにそれで
るようになっています(図7)。これでどんなコ
は大変なことになるとわかったのです。
ミュニケーションができるのかという感じです
が、相手の人がやったことをまねすると面白いの
つまり、メモリプレートを無限に残しておくと、
基本的にコンピュータのメモリを食い尽くしてし
まうから、やはり何個目かで止めようということ
で、10個できたら最初の球が消えるようにしまし
た。そうすると、よく考えていただきたいのです
が、遊んでいるときに一番古いメモリの球の中に2
人がいるとします。そこで2人が出会ったとすると、
またそこに新しいメモリの球ができなければいけ
ないのですが、新しくできたメモリの球は一番古
いメモリの球の中にいるわけです。でも、新しい
メモリの球を作った途端に一番最初(古い)の球
が消えなければいけないわけですから、自分たち
図7《ナズル・アファー》手の部屋
アバターから白い突起を出してジェスチャーを行う。
の存在していた空間そのものが消えてしまうわけ
です。
10
このサイバースペースの中で存在を記述するた
事がないという状態でした。そこで働いている人
めには、ルートにある部分から全部のヒエラルキ
どうしのコミュニケーションがきちんととれてい
ーの線をたどっていって、そこに自分がいると記
ないと、こういうネットワークを使った作品は実
述されています。そのため、その一つ上のヒエラ
現不可能なのです。作品が技術的に動作するかど
ルキーが消えると自分自身の存在がなくなってし
うか以前に、サポートしてくれる人どうしのネッ
まうのです。しかし、このバグはプログラムのバ
トワークの方がはるかに重要であることが非常に
グではなく一種の論理のバグです。もしかすると、
よく学べました。
実は僕たちの世界でもそういうことが起こってい
るかもしれないと思うのです。
この世界は非常に整合性よくできていますが、
特にリンツとブダペストの間は非常に状態がよ
くて、川嶋君がバグを直して「新しいヴァージョ
ンを作った」とメールを書くと、3∼4分後には向
そのようなことが起こることがあって、それをオ
こう側から勝手にこちらのコンピュータに入って
カルティックな現象として僕たちが捉えているの
きてファイルをダウンロードしていたりします。
ではないかと思ってとても面白かったのです。こ
それを見て「おお、来てる来てる」と毎回非常に
うして僕たちが生活している世界に近い世界をコ
どきどきしました。
ンピュータ内部に作ってみると、いろいろなおか
皆さんのうちのどれだけの人がメールを使って
しな問題が起こってきます。これらの作品は展覧
いるかわかりませんが、メールというものはアシ
会で展示しなければならないので、何も知らない
ンクロナスといってお互いに同期しません。電話
人が入ってきてもすぐに遊べるように、危険なも
の場合には完全にシンクロナイズさせないと話が
のは全部外してあるのですが、この手の論理的な
できないのですが、メールのいいところはシンク
バグを解析するととても面白いケースがいろいろ
ロしないことです。メールを送っておくと、いつ
出てきます。
見てくれるかわかりません。1∼2日で返事がきた
り、非常にこまめにメールを見る人であれば20分
スタッフ間のコミュニケーションの重要性
後に返事がきたりします。要するに、相手または
自分がどれくらいの頻度でメールを読んでいるか
この作品を実現するためには、インターネット
に向けてネットワークをはっている管理者が必要
によってコミュニケーションの距離が違ってきま
す。
でした。ですから、最低限3人がこの作品を動かす
メールはまるで電話のように使うこともできれ
ために共同作業しなければならないのです。つま
ば、ハガキや封書のようにも使うこともできます。
り、ネットワークのプロトコルをそろえて、ここ
そういう意味で、メールを使っていると遠い人と
からあちらにネットをはるというような作業をし
近い人の距離感がよくわかります。仕事をしだす
なくてはいけないのです。
とものすごい量のメールがやり取りされますが、
この3人の共同作業は国が違うのですが、ブダペ
その仕事が終わってしまうとすっかり来なくなっ
ストとオーストリアのリンツでは割とうまくいき
てしまったりします。それがヴィジュアルに見え
ました。これはスタッフが若かったからだと思う
るので、メールはとても面白い道具だと思います。
のですが、30代前半の連中が「EUからお金を取
いずれにしろ、ネットワークの作品をやるには
ってきて1MBで1か月つなぎっぱなしだ、いくぞ」
作品がどうのこうの以前に、それを実現させよう
という感じで非常に盛り上がってやったのです。
と思っているネットワークの相手側の人や参加者
でも、ZKMの管理者は50代の非常に保守的なおじ
たちと緊密なコミュニケーションをとっていない
さんでいつまでたってもやってくれないのです。
限り成功しないというのは事実です。
リンツの人たちもZKMがなかなかやってくれない
のでいらいらしていました。メールを書いても返
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キャンパスのプロジェクト
られます。今はインターネットの速度が遅いので、
3KB/秒でも動くようにしてありますが、もっと
次にお見せするのは、一昨日行った慶応大学の
速くなればもっといろいろなことができます。
プロジェクトです。慶応大学の藤沢キャンパスは
それから、いまだにテレビ電話はちっともはやり
アメリカのウィリアム・アンド・メアリー大学と
ませんが、最初にテレビ電話を見たときには相手
提携しています。また、中学・高校が同じキャン
の顔が見えるから面白いと僕でさえ思ったのです
パスの中にあるので、このプロジェクトでは中
が、実際に使ってみると相手の顔が見えるのでは
学・高校生たちに作品に触れさせました。
なく自分を露出しなければいけないことに急に気
これはその一環で、遠隔授業をしています。千
がつくのです。それで誰も買わないのです。
代倉先生というCADの専門家が、CADのソフト
でも、僕は可能性としてこのようなサイバースペ
ウェアを中学・高校生に使わせて、遊びながら
ースを中間に置けばいいと思うのです。自分の家
「コンピュータでこんなことができる」というのを
と相手の家が直接つながっていると思うからいや
やっています。そこでできあがった作品を《ナズ
になるので、別のサイバースペースがあって、お
ル・アファー》の世界の中に入れて、最終日に作
互いはアバターで出会うというテレビ電話があり
ったものを展覧会にしてサイバースペースの中で
うると思います。要するに、テレビ電話の中のサ
見ようということをやりました。サイバースペー
イバースペースでは部屋の隅にいってしまっても
スなのに、作品を見るのと同時に作品を見ている
いいわけです。面と向かって話してもいいし、あ
他の人も見られるというところがとても面白いと
るいはパラレルな方向を向いていて黒板に絵を描
思います。今までのCADの授業ならば、みんなが
くようなテレビ電話がたぶん出てくると思います。
最終的に作ったCADのオブジェクトをそれぞれが
それぞれのコンピュータの端末に表示し、それを
Question2
みんなが渡り歩きながら見ることになります。
インターネットの将来性を予感したので面白かっ
この場合に面白いのは、みんなが使っているコ
たと思います。
ンピュータはそのままで、中を渡り歩いていきな
がらみんなが作ったものが見えて、さらにみんな
一般的にインターネットのユーザー・インターフ
が動き回っているのも見えるという、あまりうま
ェースのことを「グラフィカル・ユーザー・イン
く言えませんが、何か非常に変なものでした。
ターフェース(GUI)
」というのですが、それはグ
ラフィックを使ったインターフェースで、テーブ
ルの上をそっくりシミュレーションしようとした
【質疑応答】
ものです。要するに、ドキュメントをどのように
扱うかを目的として作られています。
Question1
しかし、今のコンピュータは人と会うというイヴ
アバターの画像は3次元で表現できるかたちだと思
ェントを扱うようにはできていません。ですから、
うのですが、今後インターネットの世界でコミュニ
「スペーシャル・ユーザー・インターフェース」と
ケーションに利用できるのではないかと思いまし
いう名前で、ドキュメントではなくイヴェントを
た。3次元上のチャットの世界をイメージできたの
扱うという考え方でやったら面白いのではないか
ですが、そのような影響はありますか。
と思います。しかし、それをやろうと思ったら、
コンピュータ・サイエンスの学会へいって、これ
二つのアバターどうしがくっついたときには、完
がいかに面白いかと発表し続けなければいけない
全にキーボードでチャットのモードになるように
ので、それだけで一生かかる仕事です。でも、そ
なっています。お互いに文字を打つと相手側に送
ういう方向には向かっていくのではないかと思い
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ます。
ものを構成している。そのためには目の前にある
はずのデータを探しにいきますが、探しにいくの
Question3
に自分の目の前のデータのツリーがなくなってい
アバターどうしがくっついてしま模様になったと
るわけですから。
き、外からはどのように見えているのですか。
データというものは、僕たちがここにいるように
オブジェクトとして散乱しているのではなく、全
もとの球自体がジオデシックドームというか、正
部コネクションがはってあります。例えば、この
12面体をどんどん分割していった三角形のポリゴ
床の上にこの椅子があり、この椅子の上に僕のジ
ンで構成されているので完全な球ではないのです。
ャケットがあるというようにしか記述できないの
それが二つ合わさっているので、出ているところ
です。この床がなくなってしまったら、いくら椅
とへこんでいるところどうしで市松模様のように
子とジャケットがあっても見えなくなってしまう
見えます。それがお互いの動きによって外側も一
わけです。ですから、
「表示するものがない」とい
緒に動くようになっているので、グリグリと模様
う状態になり、メモリのポインタの行き先がなく
が変化します。見ていると非常に触覚的な感じが
なったというメッセージを残して落ちるでしょう。
します。
止まってしまう、ハングしてしまいます。
Question4
Question6
その球を見つけたときに、第三者が飛び込もうとし
て実際に衝突したときには何が起こるのですか。
サイバースペースを見ていると、昔見た「トロン」
という映画の世界にとても似ていると思いました。
経歴に「コンピュータ・グラフィックスとアニメー
入れません。壁に当たったときと同じような音が
ション制作、その後彫刻の制作を経て現在に至る」
します。プログラムに手を加えて、3人一緒に当た
と書いてありますが、そういった経緯について簡単
ると割れるというようなことはできるかもしれま
に教えて下さい。
せん。その辺で、サイバースペースの持っている
機能のルールはいくらでも変更可能です。その機
僕は8ミリカメラを使ってアニメーションを作って
能の設定によって、その空間が面白いかどうか、
いました。どうしてそんなことを始めたかという
あるいは社会のようなものができるかどうかが決
と、1コマ1コマ違った絵が描いてあるにもかかわ
まってくると思います。空間の機能、空間がアフ
らず、それを上映するとそれが動くというアニメ
ォードするものをどのようにデザインするかはと
ーションの原理を理解したときに、ミッキーマウ
ても面白い問題だと思います。
スは最後までミッキーマウスで、鉄腕アトムは最
初から最後まで鉄腕アトムなのが面白くないと思
Question5
ったからです。
メモリーボールは10個目の次は最初の一つを消さな
つまり、テレビでやっているアニメーションは全
ければいけないというお話でしたが、その中に2人
部ドラマツルギーが優先しているわけで、重要な
いたときにはどうなるのですか。その論理矛盾は、
のはシナリオとキャラクターなのです。だとする
実際にコンピュータでやった場合にはどのような状
とアニメーションでなくてもいいわけで、根本原
態になるのでしょうか。
理は小説と変わりません。どうやって人を惹きつ
けていくか、あるいは物語をどうやって語るかと
自分が消えてしまい、表示しようがなくなります。
いう技術のうえでアニメーションを選択している
簡単にいうとソフトウェアが「落ちる」というこ
にすぎません。しかし、アニメーションという技
とです。つまり、コンピュータが目の前に見える
術そのものの中には、全く違った次元でもっと面
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白い可能性があると思ったのです。
クティヴだったのです。でも、30分間自分のやっ
鉄腕アトムが突然コーヒーカップになってもいい
たことを覚えておかなくてはいけなくて、パラメ
わけです。そんなアニメーションを作ってみよう
ータを変えて、その間にマンガを読んでいると、
と思って、高校生のときに手で300枚ほど描いた
絵が出てきたときには何をしたか忘れている(笑)
。
ものがあります。僕は最初にそういうことをして
以前名古屋空港に飛行機が墜落したことがありま
いるので、技術の中に眠っている可能性を引き出
したが、あれは、操縦士が上昇したり下降したり
してきて、実際に目に見えるものにするというこ
する指示を出してから機体が反応するまでに時間
とに興味があります。
がかかったために、上がっているのか下がってい
大学には行きましたが、本当はアニメーターをや
るのかわからなくなり、上げようとしたり下げよ
りたかったのです。でも、学校に入ったらいろい
うとしたりしているうちに墜落してしまったので
ろわけのわからないものを見せられて、知らない
す。フィードバックがリアルタイムでないと、そ
とばかみたいに言われて、それならと思って知っ
ういうループした状態が起こってしまうわけです。
たのですが、無駄でした(笑)
。アニメーションを
そういう時代でした。
していればよかったと思います。
それをやっているとイメージしか見られないので、
大学院のころにコンピュータ・アニメーションが
触れないということに非常にフラストレーション
出てきてとてもショックでした。1980年ころにア
がたまってきました。このままでは不健康になる
メリカン・センターでコンピュータ・グラフィッ
と思って彫刻を始めたのです。本当はそのとき二
クスのフィルム上映会があり、そのときにこれか
つの解決法があって、一つは自分が「トロン」の
らは技術の時代ではなく、それをどう表現してい
ように中に入るか、もう一つは中にあるものを外
くかという人の方が重要になるだろうと思いまし
に取り出すか。そのときに中に入る方を選んでい
た。そうしたら、たまたまそういう機会が大学を
たら、ヴァーチャル・リアリティのパイオニアに
出るころにありました。西武がお金を出してコン
なっていたと思いますが、僕は外に取り出す方を
ピュータ・グラフィクスの会社をやるというので、
やっていたのです。
たまたま友達が引き抜かれてそれと一緒に移動し
それも面白かったのは、数値制御の切削加工機を
ました。それが1982年です。
作っている工場の社長に手紙で、
「機械を貸してく
そのときに、4人で3億円使ったのです。その会社
れ」と頼んだら、円高で工場が暇だからとすんな
で買ったコンピュータは「VAX11/730」というも
り貸してくれました。それで1か月ほど借りて彫刻
のですが、今のコンピュータの100分の1くらいの
を作ったことがあります。
速度しかないのではないでしょうか。今では
それで展覧会をしたら、
「彫刻なんかをやるのに、
「MIPS(Millions Instruction Per Second:1秒あ
どうしてこんな面倒くさいことをするんだ」とか、
たり100万回の命令)
」などという単位は使わなく
あるいはかわいいとかきれいとか、いわゆる工芸
なりましたが、1MIPS以下のマシンでした。大体
品や民芸品を見る感覚でしか見てくれませんでし
パワーマッキントッシュあたりで100MIPSくら
た。ものを作るときに僕がコンピュータとどうい
いだったと思うので非常に遅いマシンでした。し
う対話をして、何が面白かったかを理解してくれ
かし、ユニックスマシンだったのです。だから、
る人は1∼2割しかいなくて、これはだめだと思い
今話題になっているリナックスと全く同じような
ました。
機能のOSが載っていました。
そこで、やはりインタラクティヴに何かする方に
当時、ほかのコンピュータはインタラクティヴで
移動したいと思って、それからインタラクティヴ
はなかったのですが、そのマシンはキーボードで
なものを作るようになったのです。
数字を打ち込むと30分後に絵が出るという、全く
リアルタイムではありませんでしたが、インタラ
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