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カリブ海クルーズ 11 日間

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カリブ海クルーズ 11 日間
カリブ海クルーズ 11 日間
Explore・of・the・Seas
2011 年 2 月 18 日∼28 日
船について
Explore・of・the・Seas (ボイジャークラス客船データ)
総トン数:13.8 万t 全長:310m 全幅:48m 乗客定員:3114 名
乗組員:1181 名 巡航速度:23.7 ノット(45 ㎞/h) 船籍:バハマ
旅行概要
8 泊 9 日の船旅
全行程では 2 月 18 日∼29 日の 11 日間、 成田・ニューヨーク間は JAL
ニューヨーク、ケープリバティー港∼大西洋クルージング 72 時間(船内イベントを楽しむ)
カリブ諸島 4 箇所に寄港(プエルトリコ、バージン諸島、ドミニカ、ハイチ…プライベートビーチ)
68 時間かけてニューヨークに帰港。
ランクアップ
念願のクルーズは、以外に早く実現できた。「何時かはカリブに」と優先順位は高かったが、のんび
りとした船旅は、まだずっと先の事と思っていたのだ。しかし新聞掲載の「羽田発カリブ海クルーズ」
に、見事に引き込まれ、気がつけば勢いで申し込んでいた。
(実際は成田利用に予定変更)
本格的なクルーズはもちろん初めてだし、基本料金は安いように思ったが、空港税、燃油サーチャー
ジ、各寄港税、船内チップ一括料金等を合わせて、7 万円ほどが加算され、何度か気持ちもぐらついた。
「ええいっ、この際!」と勢いのまま突っ走った格好だった。さらに、海側窓付きの部屋にランクアッ
プも加えた。1 人 25000 円の上乗せは、8 泊を堪能するには必須だと思った。
船に乗っている間、何するの?
1
イベント
目的地・カリブ諸島との往復で6日間、どうやって過ごすのかとの説明は、旅のしおりでは不十分な
気がした。最近BSテレビでクルーズ特集「世界の船旅」を随分見るが、それについて常々夫が感想を
次のように述べていた。
「外国船はお客が楽しんでいる姿をよく映すが、日本の船では、お客を映さない。日本人は楽しむのが
まだ上手くないのかな、映りもいまいちだし…。
」と。
今回は 3000 人の乗客に対して、日本人は私たちのグループ 42 名だけのようだった。私たち夫婦は、
外国船の旅を楽しむことを心がけた。船内イベントを楽しむことは勿論、外国人との会話や、会話が上
手くできなくても、一緒にダンスや音楽を楽しんだ。曲がりなりにもとか、下手の横好きという言い方
もあるけれど、リズムは心をはずませ、音楽は共通語となって、笑顔満載、楽しさを共有できた。
大きなイベントにはダンスショー、アイススケートショー、各種コンサートやトークショー(これは
聞き取りが困難だったが)など素晴らしいものがあった。プチイベントは、それぞれの場所で、色々な
コンサートがあった。私たちの一番のお気に入りは、カリプソバンドで、時間があるたびにかぶりつき
で、ノリノリの手拍子で体を揺らした。キーボードはハンサムで、笑顔がさわやかだった。ボーカルは、
いかつい顔に似合わず甘い声で素敵だった。私は、手に入れたミニマスカラをならして、バンドからの
注目も集めたりした。
また、始めのうちにはダンスのレッスンがあり、ショーのスター、トムとマリア自らが指導してくれ
たので、うっとり気分で参加した。トムは、デカプリオ似のハンサムだし、マリアもお稽古時は真面目
で気取らない雰囲気だったが、ステージではきらきら輝いていた。レッスンのおかげで私たち夫婦は、
チャチャチャが少し踊れるようになったけれど、ルンバは攻略できなかった。その代わりサルサとディ
スコとプールデッキでのラインダンスは謳歌した。とても楽しかった。
カラオケ大会もあると知り、覗いてみた。レベルが低そうだったので、夫はビートルズナンバーをリ
クエストしたが、あいにく無かった。もし“A
hard day’s night”でも歌えば、入賞間違いなしだ
った、かな?
その他に、ナプキンアート教室、毎朝のストレッチなどに参加した。ストリートで、持参した剣玉を
披露してみたが、上手くはないのであまり受けなかった。図書館も覗いてみた。そこでは、ジグソーパ
ズルをしているおばさんがいた。借りることができるので、日光浴しながら読書している人も結構見か
けた。私が参加しなかった手芸教室や数独にチャレンジするイベントなどもあった。
終日クルージング続きでは、乗り遅れるという心配もないし、もっと夜遅くまで、遊び歩きたかった
けれど、部屋に戻れば、ぐっすりと眠ってしまった。真夜中に目覚めると丸窓から月が見えるし、朝に
は日の出も見えて、寝ていてもご機嫌だった。2 日目の朝以外はたいした揺れもなかった。
2
テーブルにて
3∼5 階のレストランは吹き抜けになっていて、突き抜けの柱が重厚な雰囲気を醸し出している。夕飯
は 3 階メインダイニング「マゼラン」で、一応席と時間が決まっている(別のレストランに行っても可)
。
朝食・昼食は 11 階のビュッフェレストランでも良いし、マゼランでも席は決まっておらず、順番にテ
ーブルに案内してもらう。当然、多国籍な席となる。メニューには、前菜・スープからデザートまで、
たくさんの料理が載っていて、読むのも選ぶのも大変だった。サラダは自分でサラダバーに行きチョイ
スしても良い。初めてその持ち帰ってくるサラダを見たとき、あまりのてんこ盛りに唖然とした。とに
かく量が大変多いので、食べきれるように気をつけて注文した。
最初の昼食でマゼランに行った時の事、ウェイターに案内されて席に着くと、すでに6人が席に付い
ていた。夫の左隣は白人の若い御夫婦、その隣は細身の黒人で 70 代くらいの母親とそっくりな娘。そ
して私の向かい側には白人のご夫婦が静かに座っていた。外国人の中に入り、会話のきっかけを考えて
いたが、夫が、日本語のメニューを隣の男の人に見せ、
「This is a
Japanese Menu.
」
というと、私の向かえに座っていた黒人女性が、
「Oh、very inter national!」
と言った。私が、向いに座っているご夫婦に曲がりなりにも英語で話しかけると、奥様のほうはチン
プンカンプンという表情をした。ご主人は少し英語が解り、
「自分たちは、カナダのケベック州から来たので、フランス語しかできない」
と言った。私はその御夫婦とお互い片言での会話を楽しみ、その後も何度も挨拶を交わした。
“Why don’t you dancing?”のおばさんのことも書いておきたい。
次の日、昼食のテーブルに着くと、大変にぎやかにおしゃべりしている親子、孫がいた。あまりにぺ
らぺらとしゃべっているので、夫が、自分が日本人で、あなた方のお話は解らない、少しゆっくり優し
い言葉で話してよ、というと、お母さんの勢いは弱まり、私たちのほうを向いてゆっくり話してくれた。
私たちの言葉も、しっかりと聴いてくれて、
「大丈夫、言っている事は分かるよ」
と、微笑んでくれた。美味しいものを食べながら会話をすると、すっかりお友達気分になれるのだった。
そのおしゃべり叔母さんとメインストリートですれ違ったとき、
“Why don’t you dancing?”と体を揺らしながら通り過ぎていった。どう返事をしようか考えたが、
“I’m going to …”と大きな声で答えた。夫が、その人のダンスを見たそうだが、本当に好きで楽しん
でいたそうだ。陽気なおばさんだった。
3
出会い
ジャグジーでジョーと
ジャグジーは、フィットネス室内に大きなものがひとつと屋外には 3 つあった。私は、青空ジャグジ
ーでカクテルを飲むのが、ちょっとした憧れだった。でも、カクテルは有料で、ソフトクリームは無料
なので、何度か無料のほうでその雰囲気を楽しんだ。
強い日差しをさえぎるための紗のテントがついているというのに、そのとき私は、サングラスに帽子
をかぶってジャグジーに浸かっていた。7∼8 人が穏やかな表情でのんびり寛いでいた。そこに日本人よ
りはすこし浅黒いが優しそうな男性が入ってきて、私の隣に座った。目が合ったので、にっこりすると
彼は
“You look like my Mother. She is a Korean. ”と言った。お母さんと、輪郭、口元が良く似ていると言
う。それからお互い名乗って、今回のクルージングの目的などを少し話した。それが“Joe”だった。楽し
そうに話している私たちふたりの姿を、信人さんがシャッターを切り、いい写真が撮れた。
“Joe”は簡単な名前なので、私はすれ違うたびに親しみを込めて
“Oh hi Joe!”と声をかけた。
ラウンジで、ジョーとその友達”Paul December”に会った時、夫は 2 人にビールをおごった。そし
て、日本から持っていったえびせんべいを部屋まで取りに戻り、それをつまみながら会話を楽しんだ。
ジョーは、父親がなくなったばかりであることや、母親(70 歳)は今でも英語に自信がないことなどを
話した。そして、私にお母さんを重ねているためなのか、私たちの話しを、目を見ながら食い入るよう
に熱心に聴いてくれた。私達のことを解ろうと一生懸命に聞いてくれて、うれしかった。一方、面白い
ファミリーネームのポールは、”I can’t drink”などといいながら、一本空けてしまった。勿論ジョーも
私たちも飲み干した。ちょっとした私のハーモニカ演奏も披露した。もっと話をしたかったが、スケー
トのショーが始まる時間になったので解散した。
アイスショー会場で、ポールとジョーから面白い楽器をプレゼントしてもらい、最終日に私たちから
は、愛用のヤマハの金色ミニハーモニカをプレゼントした。
そして、帰国後一番にジョーからのメールが来た。
カリブの島々などに、続く・・・
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