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4710KB - 京都精華大学

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4710KB - 京都精華大学
−216−
京都精華大学紀要 第二十六号
−217−
)
マンガ に見る聴覚情報の視覚的記録
小松 正史・吉村 和真
・
1 共同研究の動機と目的
本稿は,
「五感環境学」という立場から「音環境」の調査・保存を進めるほか,アニメのキ
ャラクタがもたらす聴覚イメージの考察など,精力的に研究テーマを広げようとする小松正史
と,思想史・まんが研究の立場から,「マンガを読む」という行為が日常的経験になるに伴い,
それが人々の認識や感覚にいかなる影響を与えてきたかを考察する吉村和真による共同研究,
そのはじめの一歩である。
本論を展開するにあたり,大元の問題関心,およびその考察のための素材と方法などについ
て,本章の担当である吉村が述べることにしたい。
私たちは普段,「五感」と呼ばれる感知システムによって,何事かを,見・聞き・匂い・触
−
−
れ・味わっている,と思っている。しかもその場合,感覚器官が自律的=「先天的」に機能し
ている,と。もちろん,医学的・生物学見地からすれば,それは部分的に正しい。しかしなが
ら,視点を変えれば,それらの感覚は必ずしも個人の「自由に」行われ得るのではなく,特定
の歴史的・社会的コンテクストに規制された限定的=「後天的」な部分を含むことが見えてく
る。たとえば,文字学の碩学・白川静の膨大な研究成果は,呪的儀礼の世界に住む人々にとっ
ての山々はあくまで呪術や信仰の対象であって,現在の私たちが何気なく美しいとか雄大だと
眺めてしまうような,単なる「景観」ではないことを教示してくれたし,一連の社会史や国民
国家論,フェミニズム,カルチュラル・スタディーズなどの議論は,個人の価値観や嗜好が,
どれほど特定の地理的・社会的・文化的・経済的な諸条件に規制されたものであるかを,実に
さまざまな素材から語ってくれている(その多くは,「近代と前近代における断絶」という結
論に辿り着くことになるが)。
ここで,そのような「後天的」な感知の在り方を考える参考例であり,問題関心において本
稿と近しい先行研究として,山口仲美『犬は「びよ」と鳴いていた―日本語は擬音語・擬態語
が面白い―』(光文社,2002年)を紹介しよう。
山口は,『ちんちん千鳥のなく声は―日本人が聴いた鳥の声―』(大修館書店,1
989年)以来,
−218−
マンガに見る聴覚情報の視覚的記録
京都精華大学紀要 第二十六号
−219−
身近にいる動物の鳴き声を写す言葉の歴史と構造を考察する中で,擬音語・擬態語が日本語の
なさい)と聞こえるように鳴くと翌日は晴れなんです。「のりとりおけ」(=糊をとっておき
特色を成していることを指摘した,この分野の先駆者にして第一人者である。本書は,その擬
なさい)と聞こえると,雨なんです。実際は,区別がつかなかったでしょうけど,当時の人
音語・擬態語の一般的特色を導入部である第一部に置き,第二部で犬や猫,鼠,牛,馬といっ
が梟の声を聞いて楽しんでいたことは分かる。つまり,梟が日常的なレベルで人々に関心を
た動物の鳴き声の来歴と特徴を豊富な出典から解き明かす,10年以上にわたる著者の研究成果
もたられていた。ところが,現在はどうかといいますと,梟の声なんか聞きたくったって耳
を圧縮して柔軟な語り口で整理したものである。
に出来ない。梟の存在から遠く引き離された現在の文化のありようが浮かび上がってきます。
まずは,その山口の研究動機に関する部分を取りあげる。
また,猿の声。『常陸国風土記』では,猿の声を「ココ」と聞いています。でも,猿を見
世物にしはじめた室町時代からは,猿の声は「キャッキャッ」と写すようになっています。
私が,一番最初にひっかかったのは,平安時代の『大鏡』に出てくる犬の声です。「ひよ」
これは,猿の声が変わったわけではないんです。「ココ」は,猿が食べ物を食べている時の
って書いてある。頭注にも,「犬の声か」と記してあるだけなんです。私たちは,犬の声は
満足そうな声を写したもの。
「キャッキャッ」は,猿が恐怖心を抱いた時に出す鳴き声を写
「わん」だとばかり思っていますから,
「ひよ」と書かれていても,にわかには信じられない。
したものなんです。「ココ」から「キャッキャッ」に変化したところには,猿と人間との付
なまじ意味なんか分かると思い込んでいる言葉だけに,余計に信じられない。雛じゃあるま
き合いの文化史が浮かび上がってきます。3)
いし,「ひよ」なんて犬が鳴くかって思う。でも,気になる。これが,私が擬音語・擬態語
に興味をもったきっかけでした。
少々長い引用が続いたが,同書の問題関心と考察意図はおわかりいただけたであろう。すな
調べてみますと,江戸時代まで日本人は犬の声を,
「びよ」とか「びょう」と聞いていた
わち,文字として表記された「ひよ」や「ココ」などは,いわば当時の人々の聴覚の「痕跡」
んですね。犬の声の出ている『大鏡』の写本には,濁点がありません。というより,昔は濁
であり,その「痕跡」を追うことで,当時の生活空間の一端を回復し,延いては現在の生活空
音を清音ときちんと区別して表記しないから,清音で読むのか濁音で読むのか分からない。
間の歴史性を相対化しようというわけである。文字によって留められた声を研究対象とするあ
ですから,校訂者も「ひよ」と清音のまま記しておいたのでしょう。当時の実際の発音を再
たり,ウォルター・
・オング『声の文化と文字の文化』(桜井直文他訳,藤原書店,1
991年)
現するとしたら,「びよ」にした方がいいですね。ここで,私は悟った。昔の擬音語・擬態
などの議論に通じる部分もあるが,本稿の問題関心もこれに近しい。ただ,議論のための材料
語は,現代語と違って調べて見ない限り分からない。そして調べてみると,意外な事実が次々
と方法が異なる。その材料とはマンガであり,方法とはサウンドマップの作成と分析である。
2)
に明るみに出る。
方法となるサウンドマップについては次章担当の小松に委ねるとして,ここで,材料となる
マンガについて紹介する。そのうえで,なぜ小松と吉村が共同作業を行うに至ったかについて,
山口が「ひっかかった」のは,自分の常識では「信じられない」犬の鳴き声であった。初発
説明を加えることにしたい。
の研究動機であるこの「違和感」を手がかりに,山口は継続的・体系的に考察対象を広げてい
現代日本において,最も頻繁に擬音語・擬態語が用いられる表現形式の一つは,マンガであ
く。ここでは具体的記述に立ち入らないが,その際に山口の射程となったのは,日本における
ろう。そこには多種多様な擬音語・擬態語が飛び交う様子を目にするはずである。これらのマ
時代的変化である。とはいえ現在でも,たとえばアメリカでは犬の鳴き声を「わん」ではなく
ンガにおいて視覚化された音を,マンガ・コラムニストの夏目房之介は『マンガの読み方』(宝
「バウワウ」と表記することを想起すれば,地理的にも音の聴取りに対する認識の変化が存在
島社,1995年)の中で,もはや擬音語・擬態語・擬情語を包括する用語である「オノマトペ」
することは明らかであり,この種の研究が比較文化論としても活用できることが伺える。
の範疇には収まらないという理由から,別の造語として「音喩」と名付けた4)。
そして,続く山口の観点を知るとき,このような擬音語・擬態語の研究は,単なる言葉の歴
同書ではこの音喩の具体例や効果が述べられているが,現代日本に生きる私たちの思想や価
史ではなく,「文化史」的考察として興味深いものに仕上がってくる。
値観がどれだけマンガから影響を受けているのかを知りたい私にとって,音喩は格好の素材で
ある。現実世界では瞬時に消えゆく運命でありながら私たちの聴覚に記憶される「音」たちは,
こういうことを追求しますと,文化史が見えてくる。例えば,江戸時代では梟が身近にい
画と文字の組み合わせによって視覚的に記録されるマンガにおいて,どのように描出され変換
たから梟の鳴き声で明日の天気を占ったりしている。「のりすりおけ」(=糊を摺って用意し
されるのか。たとえば図−1の「シーン」という音喩について考えるならば,いつどこに登場
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マンガに見る聴覚情報の視覚的記録
京都精華大学紀要 第二十六号
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身近にいる動物の鳴き声を写す言葉の歴史と構造を考察する中で,擬音語・擬態語が日本語の
なさい)と聞こえるように鳴くと翌日は晴れなんです。「のりとりおけ」(=糊をとっておき
特色を成していることを指摘した,この分野の先駆者にして第一人者である。本書は,その擬
なさい)と聞こえると,雨なんです。実際は,区別がつかなかったでしょうけど,当時の人
音語・擬態語の一般的特色を導入部である第一部に置き,第二部で犬や猫,鼠,牛,馬といっ
が梟の声を聞いて楽しんでいたことは分かる。つまり,梟が日常的なレベルで人々に関心を
た動物の鳴き声の来歴と特徴を豊富な出典から解き明かす,10年以上にわたる著者の研究成果
もたられていた。ところが,現在はどうかといいますと,梟の声なんか聞きたくったって耳
を圧縮して柔軟な語り口で整理したものである。
に出来ない。梟の存在から遠く引き離された現在の文化のありようが浮かび上がってきます。
まずは,その山口の研究動機に関する部分を取りあげる。
また,猿の声。『常陸国風土記』では,猿の声を「ココ」と聞いています。でも,猿を見
世物にしはじめた室町時代からは,猿の声は「キャッキャッ」と写すようになっています。
私が,一番最初にひっかかったのは,平安時代の『大鏡』に出てくる犬の声です。「ひよ」
これは,猿の声が変わったわけではないんです。「ココ」は,猿が食べ物を食べている時の
って書いてある。頭注にも,「犬の声か」と記してあるだけなんです。私たちは,犬の声は
満足そうな声を写したもの。
「キャッキャッ」は,猿が恐怖心を抱いた時に出す鳴き声を写
「わん」だとばかり思っていますから,
「ひよ」と書かれていても,にわかには信じられない。
したものなんです。「ココ」から「キャッキャッ」に変化したところには,猿と人間との付
なまじ意味なんか分かると思い込んでいる言葉だけに,余計に信じられない。雛じゃあるま
き合いの文化史が浮かび上がってきます。3)
いし,「ひよ」なんて犬が鳴くかって思う。でも,気になる。これが,私が擬音語・擬態語
に興味をもったきっかけでした。
少々長い引用が続いたが,同書の問題関心と考察意図はおわかりいただけたであろう。すな
調べてみますと,江戸時代まで日本人は犬の声を,
「びよ」とか「びょう」と聞いていた
わち,文字として表記された「ひよ」や「ココ」などは,いわば当時の人々の聴覚の「痕跡」
んですね。犬の声の出ている『大鏡』の写本には,濁点がありません。というより,昔は濁
であり,その「痕跡」を追うことで,当時の生活空間の一端を回復し,延いては現在の生活空
音を清音ときちんと区別して表記しないから,清音で読むのか濁音で読むのか分からない。
間の歴史性を相対化しようというわけである。文字によって留められた声を研究対象とするあ
ですから,校訂者も「ひよ」と清音のまま記しておいたのでしょう。当時の実際の発音を再
たり,ウォルター・
・オング『声の文化と文字の文化』(桜井直文他訳,藤原書店,1
991年)
現するとしたら,「びよ」にした方がいいですね。ここで,私は悟った。昔の擬音語・擬態
などの議論に通じる部分もあるが,本稿の問題関心もこれに近しい。ただ,議論のための材料
語は,現代語と違って調べて見ない限り分からない。そして調べてみると,意外な事実が次々
と方法が異なる。その材料とはマンガであり,方法とはサウンドマップの作成と分析である。
2)
に明るみに出る。
方法となるサウンドマップについては次章担当の小松に委ねるとして,ここで,材料となる
マンガについて紹介する。そのうえで,なぜ小松と吉村が共同作業を行うに至ったかについて,
山口が「ひっかかった」のは,自分の常識では「信じられない」犬の鳴き声であった。初発
説明を加えることにしたい。
の研究動機であるこの「違和感」を手がかりに,山口は継続的・体系的に考察対象を広げてい
現代日本において,最も頻繁に擬音語・擬態語が用いられる表現形式の一つは,マンガであ
く。ここでは具体的記述に立ち入らないが,その際に山口の射程となったのは,日本における
ろう。そこには多種多様な擬音語・擬態語が飛び交う様子を目にするはずである。これらのマ
時代的変化である。とはいえ現在でも,たとえばアメリカでは犬の鳴き声を「わん」ではなく
ンガにおいて視覚化された音を,マンガ・コラムニストの夏目房之介は『マンガの読み方』(宝
「バウワウ」と表記することを想起すれば,地理的にも音の聴取りに対する認識の変化が存在
島社,1995年)の中で,もはや擬音語・擬態語・擬情語を包括する用語である「オノマトペ」
することは明らかであり,この種の研究が比較文化論としても活用できることが伺える。
の範疇には収まらないという理由から,別の造語として「音喩」と名付けた4)。
そして,続く山口の観点を知るとき,このような擬音語・擬態語の研究は,単なる言葉の歴
同書ではこの音喩の具体例や効果が述べられているが,現代日本に生きる私たちの思想や価
史ではなく,「文化史」的考察として興味深いものに仕上がってくる。
値観がどれだけマンガから影響を受けているのかを知りたい私にとって,音喩は格好の素材で
ある。現実世界では瞬時に消えゆく運命でありながら私たちの聴覚に記憶される「音」たちは,
こういうことを追求しますと,文化史が見えてくる。例えば,江戸時代では梟が身近にい
画と文字の組み合わせによって視覚的に記録されるマンガにおいて,どのように描出され変換
たから梟の鳴き声で明日の天気を占ったりしている。「のりすりおけ」(=糊を摺って用意し
されるのか。たとえば図−1の「シーン」という音喩について考えるならば,いつどこに登場
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マンガに見る聴覚情報の視覚的記録
京都精華大学紀要 第二十六号
し5),いつのまに私たちはこれを「音の無い音
−221−
2 サウンドマップによる環境情報の記録結果
の擬音語」として読み解き・共有してしまった
のか。また,日常生活において静けさを感じる
本章では音喩という概念が現実のなかでどのように人々の意識に浸透し認識されているのか
際,たしかに私たちの耳には「シーン」という
を潜在的に確かめるため,サウンドマップを作成する過程の中でどのような事実が浮かび上が
音が聞こえてこないか。あるいは,「音の無い
るのかを,実際の得られたデータをもとに探っていきたい。まずはじめの段階に,サウンドマ
状態」が,なぜ「シーン」であり,「ムーン」
ップの概念とその作成方法を中心に論じる。次に,サウンドマップづくり(心理実験)を行っ
や「ガーン」では代替不可能なのか。逆に,な
た結果を提示し,人がどのように環境世界に存在する聴覚情報(音環境)を視覚的に記録(=
変換)したのかを提示していきたい。
ぜショックを受けたときの音喩は「ガーン」な
のか。つまり,各音の場面に連動した音喩が存
図−1 「バンパイヤ②」(手塚治虫,1968)55頁
2.1 サウンドマップの定義
在するという仮説が成り立つのである。
まず,
「サウンドマップ(
)」の定義について述べる。日本では「音の地図」と訳さ
今回はまだ手探りの状態であるが,この種の問題群に取り組むことで,
「マンガを読む」こ
れており,聴覚情報から得られた印象を主観的に紙面等の2次元平面上に各人が表現しやすい
とに日常的に慣れ親しんでいる私たちの視野と聴野の領域を炙り出し,現代日本に住む私たち
媒体(図や文字等)で表記されたもので,全体の音環境の中で分節された音(これを音種とい
がいかなる歴史的・空間的制約の下に生きているのかを検討すること。これが本稿の片方を担
う)が聞こえてきた位置情報を付帯して表される。おもに環境教育や音の教育現場等で(音)
6)
当する,吉村の研究目的である 。
環境へ向けた意識啓発を目的として,ワークショップ活動を中心に実践されている。もともと
ところが,このような問いに至るとき,一つの大きな課題が浮上する。それは,音喩のみな
サウンドマップをワークショップに導入することを提唱したのは,カナダの作曲家であるマリ
らず,マンガ表現を分析するにあたって,先述の「後天的」な部分に関しては,従来の思想
ー・シェーファーであり,サウンドエデュケーションという著書でその方法論が述べられてい
「先天的」な部分,たとえば感覚器官
史・まんが研究の視座と方法7) で対応してきたのだが,
990年代初頭で,それ以降各種学校授業や,環境教
る10)。日本でこの方法論が導入されたのが1
そのものが持つ自律的機能によって感知される部分の内因的分析には,当然ながらそれが通用
育系ワークショップで他のサウンドエデュケーションと併用しながら活用されている。
しないのである。わかりやすく言えば,丸い描線が「かわいらしさ」を示す表現として用いら
2.2 サウンドマップの意義
れてきた「歴史や効果」については,表現論や文化史的考察から追跡できるのだが,ではなぜ
サウンドマップの意義について述べる。各感覚器官(五官)を通して入ってきた環境の感性
私たちが丸い描線を「かわいい」と感じてしまうのかという感性の「メカニズム」を理解する
情報は脳内である特定のイメージ(五感)に変換され,ある刺激に対して人は特定の想いや感
には,実験心理学や生理学,脳研究,認知論などの別の研究領域からのアプローチが必要にな
情,さらに複合的な印象を形成する。その過程は第1章で吉村が述べたとおり,各自のもつ先
るということだ。実のところ,このことは,すでに当の表現論の第一人者である夏目房之介が,
天的/後天的フィルターが違うため,被験者によって差異のある印象が必然的に生じることに
8)
であり,最近では解剖学者の養
なる。そうした「差異」こそがそれぞれのもつ環境観の現れであり,その違いをお互いがシェ
老孟司によって刺激的な問題提起がなされる9)など,今後のまんが研究において進展が期待さ
アすることにより,互いを尊重し合い,同時代の環境をともに生きているという,しなやかな
れるテーマでもある。
実感が形成されることになる。その分かち合いが音を介したワークショップ活動,すなわちサ
そして当然ながら,その「メカニズム」を専門に分析する側にもまた,「歴史や効果」を知
ウンドマップには有している。同時間帯同場所で複数の人々がサウンドマップを作成する場合,
ることの必要や欲求を抱えた者がいる。それが小松であった。つまるところ,本稿は,「五感
その違いが明確に分かり,参加者全員にフィードバックされるため,五感に意識を向けさせる
環境学」と「マンガを読むこと」の関係が切り結ぶ先天的/後天的フィルターの正体に迫りた
効果は絶大である。
いという,互いの必要と欲求が合致した小松と吉村による学際的挑戦である。
2.3 サウンドマップの作成方法
以上の動機と目的を踏まえ,これから具体的な考察を始める。なお,各章の執筆担当は,第
サウンドマップの作成方法は,まずサウンドマップ(音の地図)を作成する。これを「聴覚
2章と第4章が小松,第1章と第3章が吉村である。
の身体的記録(主観的記録)」と呼び,騒音計(
)や録音機材等の「機械的記
表現論の領分を明示したうえで今後の展望として提唱した点
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マンガに見る聴覚情報の視覚的記録
京都精華大学紀要 第二十六号
し5),いつのまに私たちはこれを「音の無い音
−221−
2 サウンドマップによる環境情報の記録結果
の擬音語」として読み解き・共有してしまった
のか。また,日常生活において静けさを感じる
本章では音喩という概念が現実のなかでどのように人々の意識に浸透し認識されているのか
際,たしかに私たちの耳には「シーン」という
を潜在的に確かめるため,サウンドマップを作成する過程の中でどのような事実が浮かび上が
音が聞こえてこないか。あるいは,「音の無い
るのかを,実際の得られたデータをもとに探っていきたい。まずはじめの段階に,サウンドマ
状態」が,なぜ「シーン」であり,「ムーン」
ップの概念とその作成方法を中心に論じる。次に,サウンドマップづくり(心理実験)を行っ
や「ガーン」では代替不可能なのか。逆に,な
た結果を提示し,人がどのように環境世界に存在する聴覚情報(音環境)を視覚的に記録(=
変換)したのかを提示していきたい。
ぜショックを受けたときの音喩は「ガーン」な
のか。つまり,各音の場面に連動した音喩が存
図−1 「バンパイヤ②」(手塚治虫,1968)55頁
2.1 サウンドマップの定義
在するという仮説が成り立つのである。
まず,
「サウンドマップ(
)」の定義について述べる。日本では「音の地図」と訳さ
今回はまだ手探りの状態であるが,この種の問題群に取り組むことで,
「マンガを読む」こ
れており,聴覚情報から得られた印象を主観的に紙面等の2次元平面上に各人が表現しやすい
とに日常的に慣れ親しんでいる私たちの視野と聴野の領域を炙り出し,現代日本に住む私たち
媒体(図や文字等)で表記されたもので,全体の音環境の中で分節された音(これを音種とい
がいかなる歴史的・空間的制約の下に生きているのかを検討すること。これが本稿の片方を担
う)が聞こえてきた位置情報を付帯して表される。おもに環境教育や音の教育現場等で(音)
6)
当する,吉村の研究目的である 。
環境へ向けた意識啓発を目的として,ワークショップ活動を中心に実践されている。もともと
ところが,このような問いに至るとき,一つの大きな課題が浮上する。それは,音喩のみな
サウンドマップをワークショップに導入することを提唱したのは,カナダの作曲家であるマリ
らず,マンガ表現を分析するにあたって,先述の「後天的」な部分に関しては,従来の思想
ー・シェーファーであり,サウンドエデュケーションという著書でその方法論が述べられてい
「先天的」な部分,たとえば感覚器官
史・まんが研究の視座と方法7) で対応してきたのだが,
990年代初頭で,それ以降各種学校授業や,環境教
る10)。日本でこの方法論が導入されたのが1
そのものが持つ自律的機能によって感知される部分の内因的分析には,当然ながらそれが通用
育系ワークショップで他のサウンドエデュケーションと併用しながら活用されている。
しないのである。わかりやすく言えば,丸い描線が「かわいらしさ」を示す表現として用いら
2.2 サウンドマップの意義
れてきた「歴史や効果」については,表現論や文化史的考察から追跡できるのだが,ではなぜ
サウンドマップの意義について述べる。各感覚器官(五官)を通して入ってきた環境の感性
私たちが丸い描線を「かわいい」と感じてしまうのかという感性の「メカニズム」を理解する
情報は脳内である特定のイメージ(五感)に変換され,ある刺激に対して人は特定の想いや感
には,実験心理学や生理学,脳研究,認知論などの別の研究領域からのアプローチが必要にな
情,さらに複合的な印象を形成する。その過程は第1章で吉村が述べたとおり,各自のもつ先
るということだ。実のところ,このことは,すでに当の表現論の第一人者である夏目房之介が,
天的/後天的フィルターが違うため,被験者によって差異のある印象が必然的に生じることに
8)
であり,最近では解剖学者の養
なる。そうした「差異」こそがそれぞれのもつ環境観の現れであり,その違いをお互いがシェ
老孟司によって刺激的な問題提起がなされる9)など,今後のまんが研究において進展が期待さ
アすることにより,互いを尊重し合い,同時代の環境をともに生きているという,しなやかな
れるテーマでもある。
実感が形成されることになる。その分かち合いが音を介したワークショップ活動,すなわちサ
そして当然ながら,その「メカニズム」を専門に分析する側にもまた,「歴史や効果」を知
ウンドマップには有している。同時間帯同場所で複数の人々がサウンドマップを作成する場合,
ることの必要や欲求を抱えた者がいる。それが小松であった。つまるところ,本稿は,「五感
その違いが明確に分かり,参加者全員にフィードバックされるため,五感に意識を向けさせる
環境学」と「マンガを読むこと」の関係が切り結ぶ先天的/後天的フィルターの正体に迫りた
効果は絶大である。
いという,互いの必要と欲求が合致した小松と吉村による学際的挑戦である。
2.3 サウンドマップの作成方法
以上の動機と目的を踏まえ,これから具体的な考察を始める。なお,各章の執筆担当は,第
サウンドマップの作成方法は,まずサウンドマップ(音の地図)を作成する。これを「聴覚
2章と第4章が小松,第1章と第3章が吉村である。
の身体的記録(主観的記録)」と呼び,騒音計(
)や録音機材等の「機械的記
表現論の領分を明示したうえで今後の展望として提唱した点
−222−
マンガに見る聴覚情報の視覚的記録
表−1 音のリスト表
京都精華大学紀要 第二十六号
−223−
録(客観的記録)」と区
ら得られる表現が明確に掴み取れるという最大の利点を実大実験は有している。仮に実験室で
別して扱うことにしてい
こうした心理実験を行うと,被験者に閉空間で発生する限定的で拘束された心理的バイアスが
る11)。教室の外に出た学
かかりやすくなり,録音された環境音を再生する段になると,音のもつ方角の位置情報の再現
生たちは自分が気に入っ
が困難になる欠点がある。また,実験室では,特定の(限定/抽出された)音環境に限って音
た場所に座り,配布され
喩化されることになり,現実環境での微細かつダイナミックな音のエッセンスが十分に生かさ
た厚紙の中心に×をつけ,
れない難しさがある。また現在,サウンドデジタルアーカイブの開発研究を同時並行的に行っ
自分が座っている場所の
ており13),現実の音環境をリアルに分類するための軸や尺度の開発が音種分類のための基礎的
方向と連動させる。そし
資料の模索が急務なため,こうした実験方法を採用した。
て,聞こえた音を図化(記
2.5 心理実験の方法とデータの整理法
号化)し,方向を考えな
表−2 音種分類一覧
今回,特徴的なサウンドマップの代表例
がら紙面上で表現する
を示すとともに,音のリスト表を,先行研
(前から聞こえた音は上
究で考案された音種分類一覧(表−2)を
面,後ろから聞こえた音
参照に14),大・中・小分類の順にまとめ,
は下面など)。だいたい5
表には小分類した同一音種のカテゴリと連
分を目処に作業を終える
動した擬音語・擬態語を五十音順に並べ,
と,書いた図や記号に連
提示した。五十音順に並べた理由は,被験
動する「音のリスト表(凡
者の音の聴き方を「意味」的なものでなく,
例一覧)」を紙面に付記す
「音韻」的に把握し,音韻的に共通した音
る(表−1)。その際作
の成り立ちが,どのように意味づけ(音の
成者は,聞こえた音を環
名前づけ=音種化)されているのかを明確
境から分節し,ある特定
にするためである。また抽出された音喩は,
の言葉で音環境を抽出/
そのまま素材的に提示することを試みた。
区別することになる(区別された音の種類のことを「音種」と呼称する12))。
この理由は,サウンドデジタルアーカイブ
本章で取り上げるサウンドマップ作成の事例は,2003年5月∼6月のワークショップ系の実
で連動が可能な音環境のリスト化に向けた
習授業時間内に学生を対象に行ったもので,京都精華大学と花園大学で実施された計13回分の
基礎作業を行うためである。今回のサウン
データをまとめたものである。全データ数が163(そのうち音喩で表現されたものが85,音喩
ドマップ作成とリスト作成は,参加者の感
で表現された音種の総数は785であった)。
性を最大限に発揮させることを重視してい
2.4サウンドマップを用いた心理実験
るため,強制的・統制的な聴取方法を執ら
ここで本稿で実施した心理実験の方法論の整合性について論じてみたい。今回行った実験の
なかった。そして,表現方法も各自で自由
種類は,実大実験(現場実験)と呼ばれるもので,実験条件が統制された実験室実験とは一線
に行わせるように促し,音喩の説明や音喩
を画している。現場で聞こえる実際の音環境を対象とすることで,実験室内でメディアを介し
による音の視覚化の方法は予示しなかった。
て二次的に生成される音環境情報ではない生の音情報が受け止めれられ,リアルな音の世界か
この理由は,参加者が音喩に対してどれほ
−222−
マンガに見る聴覚情報の視覚的記録
表−1 音のリスト表
京都精華大学紀要 第二十六号
−223−
録(客観的記録)」と区
ら得られる表現が明確に掴み取れるという最大の利点を実大実験は有している。仮に実験室で
別して扱うことにしてい
こうした心理実験を行うと,被験者に閉空間で発生する限定的で拘束された心理的バイアスが
る11)。教室の外に出た学
かかりやすくなり,録音された環境音を再生する段になると,音のもつ方角の位置情報の再現
生たちは自分が気に入っ
が困難になる欠点がある。また,実験室では,特定の(限定/抽出された)音環境に限って音
た場所に座り,配布され
喩化されることになり,現実環境での微細かつダイナミックな音のエッセンスが十分に生かさ
た厚紙の中心に×をつけ,
れない難しさがある。また現在,サウンドデジタルアーカイブの開発研究を同時並行的に行っ
自分が座っている場所の
ており13),現実の音環境をリアルに分類するための軸や尺度の開発が音種分類のための基礎的
方向と連動させる。そし
資料の模索が急務なため,こうした実験方法を採用した。
て,聞こえた音を図化(記
2.5 心理実験の方法とデータの整理法
号化)し,方向を考えな
表−2 音種分類一覧
今回,特徴的なサウンドマップの代表例
がら紙面上で表現する
を示すとともに,音のリスト表を,先行研
(前から聞こえた音は上
究で考案された音種分類一覧(表−2)を
面,後ろから聞こえた音
参照に14),大・中・小分類の順にまとめ,
は下面など)。だいたい5
表には小分類した同一音種のカテゴリと連
分を目処に作業を終える
動した擬音語・擬態語を五十音順に並べ,
と,書いた図や記号に連
提示した。五十音順に並べた理由は,被験
動する「音のリスト表(凡
者の音の聴き方を「意味」的なものでなく,
例一覧)」を紙面に付記す
「音韻」的に把握し,音韻的に共通した音
る(表−1)。その際作
の成り立ちが,どのように意味づけ(音の
成者は,聞こえた音を環
名前づけ=音種化)されているのかを明確
境から分節し,ある特定
にするためである。また抽出された音喩は,
の言葉で音環境を抽出/
そのまま素材的に提示することを試みた。
区別することになる(区別された音の種類のことを「音種」と呼称する12))。
この理由は,サウンドデジタルアーカイブ
本章で取り上げるサウンドマップ作成の事例は,2003年5月∼6月のワークショップ系の実
で連動が可能な音環境のリスト化に向けた
習授業時間内に学生を対象に行ったもので,京都精華大学と花園大学で実施された計13回分の
基礎作業を行うためである。今回のサウン
データをまとめたものである。全データ数が163(そのうち音喩で表現されたものが85,音喩
ドマップ作成とリスト作成は,参加者の感
で表現された音種の総数は785であった)。
性を最大限に発揮させることを重視してい
2.4サウンドマップを用いた心理実験
るため,強制的・統制的な聴取方法を執ら
ここで本稿で実施した心理実験の方法論の整合性について論じてみたい。今回行った実験の
なかった。そして,表現方法も各自で自由
種類は,実大実験(現場実験)と呼ばれるもので,実験条件が統制された実験室実験とは一線
に行わせるように促し,音喩の説明や音喩
を画している。現場で聞こえる実際の音環境を対象とすることで,実験室内でメディアを介し
による音の視覚化の方法は予示しなかった。
て二次的に生成される音環境情報ではない生の音情報が受け止めれられ,リアルな音の世界か
この理由は,参加者が音喩に対してどれほ
−224−
マンガに見る聴覚情報の視覚的記録
京都精華大学紀要 第二十六号
−225−
ど潜在的に影響を受けているのか,また,音喩を無意識の領域でどのように捉えているかを知
る必要があったからである。音喩に関する予示的な情報を伝えなくても音喩がリストに表れる
場合,参加者のもつ音喩から受ける影響力の大きさ,つまり環境音を音喩化するための認識が
存在していることが確認ができることになる。
2.6 結果
2.6.1 サウンドマップの記述特徴
被験者は音環境を視覚化するさい,まず全体の音環境から特定の音環境を分節し,その音環
境に対してひとつ(場合によっては複数)の音種を特定化する。その後,被験者にとってやり
図−5 サウンドマップの一例(4/6)
図−6 サウンドマップの一例(5/6)
やすい方法で「視覚化」する。音を何らかの形態で記録・視覚化する行為は,未経験者にはか
図−5は,音源の図化と音喩・音種の表現
なり困難を窮める作業である。その条件を見据えながら,サウンドマップのなかに見る音環境
が併用され,両者が独立した形態となってい
の視覚化について,具体的なサンプルを交えながら概観していきたい。
る。両者は吹き出しで区切られており,マン
図−2は,文字そのもので音環境を表現している。音種や音喩を「意味」として用いている
ガの図像的表現に影響された可能性が考えら
というよりは,むしろ音あ
れる。
るいは音源の空間的広がり
図−6と図−7は,ほとんど音喩のみで音
を表現しているような例で
源が表現されている。音源と音喩がそれぞれ
ある。文字を意味だけでな
図−7 サウンドマップの一例(6/6)
独立しているというよりも併存・融合してい
く図像的にも応用して表現
る状態が見られ,多くの被験者がこの形態のサウンドマップを作成している。プロトタイプの
している様子が伺える。
形として捉えることができる。
図−3は,音喩や音種を
2.6.2 五十音順の音喩分類
媒介とせず,音環境のみを
音リストに記述された音喩を,記述された音種で分類した後,各分類項ごとに五十音順に並
そのまま図化(図示)させ
べ替えた。五十音順の音喩分類表を表−3∼9に示す。全体的な特徴としては,特定の音喩に
ている。人の声を吹き出し
対し,共通した音源名(音種)がつけられているものが多い。多種多様な被験者がいるにも関
風に表現しており,吹き出
わらず,特定の音源(音種)に対し共通した音喩を使用している。この特徴は音種に関わりな
図−2 サウンドマップの一例(1/6)
図−3 サウンドマップの一例(2/6)
しの形状を変えていること
く,同一の傾向がある。
で,複数の人の声のブロックの違いをうまく
交通音については,普通車自動二輪ともに接頭語に「バ」「ブ」が,接尾語に「ル」
「ロ」
表現している。
「ン」などのエンジン音を模写する語が多用されている。普通車と自動二輪との違いは,普通
図−4は,音源を図と音喩によって表現し
車は「ガーガー」「ブー」「ブーブーブォー」などのように,音喩の語尾を長音化[ー]する傾
ている。音喩表現は図−2のような文字の図
向にある一方で,自動二輪では「ガロロロロ」「バババ」「ブススス」「ブルルル」「ブロロロ」
化というよりも,文字は文字として音喩その
「ボロロロロ」などのように,語尾の反復を多用するものが多い。電車(道路以外の交通音)
ものを等価に伝えているような表現で,音源
は「ガタ」「ゴト」「ゴトン」などの車輪の軋みを表現する語が多用されている。また,こうし
の図化による表現の方が強く表れている例で
た語を複合・反復している表現も多く,「ガタンガタン」が4人,「ガタンゴトン」が5人いた。
ある。
図−4 サウンドマップの一例(3/6)
−224−
マンガに見る聴覚情報の視覚的記録
京都精華大学紀要 第二十六号
−225−
ど潜在的に影響を受けているのか,また,音喩を無意識の領域でどのように捉えているかを知
る必要があったからである。音喩に関する予示的な情報を伝えなくても音喩がリストに表れる
場合,参加者のもつ音喩から受ける影響力の大きさ,つまり環境音を音喩化するための認識が
存在していることが確認ができることになる。
2.6 結果
2.6.1 サウンドマップの記述特徴
被験者は音環境を視覚化するさい,まず全体の音環境から特定の音環境を分節し,その音環
境に対してひとつ(場合によっては複数)の音種を特定化する。その後,被験者にとってやり
図−5 サウンドマップの一例(4/6)
図−6 サウンドマップの一例(5/6)
やすい方法で「視覚化」する。音を何らかの形態で記録・視覚化する行為は,未経験者にはか
図−5は,音源の図化と音喩・音種の表現
なり困難を窮める作業である。その条件を見据えながら,サウンドマップのなかに見る音環境
が併用され,両者が独立した形態となってい
の視覚化について,具体的なサンプルを交えながら概観していきたい。
る。両者は吹き出しで区切られており,マン
図−2は,文字そのもので音環境を表現している。音種や音喩を「意味」として用いている
ガの図像的表現に影響された可能性が考えら
というよりは,むしろ音あ
れる。
るいは音源の空間的広がり
図−6と図−7は,ほとんど音喩のみで音
を表現しているような例で
源が表現されている。音源と音喩がそれぞれ
ある。文字を意味だけでな
図−7 サウンドマップの一例(6/6)
独立しているというよりも併存・融合してい
く図像的にも応用して表現
る状態が見られ,多くの被験者がこの形態のサウンドマップを作成している。プロトタイプの
している様子が伺える。
形として捉えることができる。
図−3は,音喩や音種を
2.6.2 五十音順の音喩分類
媒介とせず,音環境のみを
音リストに記述された音喩を,記述された音種で分類した後,各分類項ごとに五十音順に並
そのまま図化(図示)させ
べ替えた。五十音順の音喩分類表を表−3∼9に示す。全体的な特徴としては,特定の音喩に
ている。人の声を吹き出し
対し,共通した音源名(音種)がつけられているものが多い。多種多様な被験者がいるにも関
風に表現しており,吹き出
わらず,特定の音源(音種)に対し共通した音喩を使用している。この特徴は音種に関わりな
図−2 サウンドマップの一例(1/6)
図−3 サウンドマップの一例(2/6)
しの形状を変えていること
く,同一の傾向がある。
で,複数の人の声のブロックの違いをうまく
交通音については,普通車自動二輪ともに接頭語に「バ」「ブ」が,接尾語に「ル」
「ロ」
表現している。
「ン」などのエンジン音を模写する語が多用されている。普通車と自動二輪との違いは,普通
図−4は,音源を図と音喩によって表現し
車は「ガーガー」「ブー」「ブーブーブォー」などのように,音喩の語尾を長音化[ー]する傾
ている。音喩表現は図−2のような文字の図
向にある一方で,自動二輪では「ガロロロロ」「バババ」「ブススス」「ブルルル」「ブロロロ」
化というよりも,文字は文字として音喩その
「ボロロロロ」などのように,語尾の反復を多用するものが多い。電車(道路以外の交通音)
ものを等価に伝えているような表現で,音源
は「ガタ」「ゴト」「ゴトン」などの車輪の軋みを表現する語が多用されている。また,こうし
の図化による表現の方が強く表れている例で
た語を複合・反復している表現も多く,「ガタンガタン」が4人,「ガタンゴトン」が5人いた。
ある。
図−4 サウンドマップの一例(3/6)
−226−
マンガに見る聴覚情報の視覚的記録
表−3 五十音順の音喩分類表(1/7)
表−4 五十音順の音喩分類表(2/7)
表−5 五十音順の音喩分類表(3/7)
表−6 五十音順の音喩分類表(4/7)
京都精華大学紀要 第二十六号
表−7 五十音順の音喩分類表(5/7)
表−9 五十音順の音喩分類表(7/7)
−227−
表−8 五十音順の音喩分類表(6/7)
無原動交通音交通音(自転車関連音)については,「カ
タ」「ガタ」「カチャ」が反復する語型が多く,自転車に付
帯するパーツの揺れを表現するような音韻がみられる。ま
た,「チャリッサー」といった創作系音喩が当該被験者特
有の環境観を示している。音をそのまま音喩化するという
よりも,音の状態を「擬情語化」しているような表現と考
えられる。
サイン音(警告信号音・機能的記号音)については,交
通関連から述べてみたい。踏切に関してはすべての音種で
「カン」が反復され,バック警告音に関しては「ピッ」
「ピ
ー」「プーッ」が反復され,ブザー音の認識に共通した音
韻の当てはめ方が伺える。電話関連に関しては,携帯電話
のバイブ音が「ブー」の反復系が多く,小刻みな振動音の
響きが伺える。学校関連に関しては,学内に設置されてい
るインターホンのサイン音に特徴があり,「ピーンポーン」
が12人,長音系を省略したり,ヴァリエーションのある音
種を含めると計16人に上り,サイン音に関しては共通した
−226−
マンガに見る聴覚情報の視覚的記録
表−3 五十音順の音喩分類表(1/7)
表−4 五十音順の音喩分類表(2/7)
表−5 五十音順の音喩分類表(3/7)
表−6 五十音順の音喩分類表(4/7)
京都精華大学紀要 第二十六号
表−7 五十音順の音喩分類表(5/7)
表−9 五十音順の音喩分類表(7/7)
−227−
表−8 五十音順の音喩分類表(6/7)
無原動交通音交通音(自転車関連音)については,「カ
タ」「ガタ」「カチャ」が反復する語型が多く,自転車に付
帯するパーツの揺れを表現するような音韻がみられる。ま
た,「チャリッサー」といった創作系音喩が当該被験者特
有の環境観を示している。音をそのまま音喩化するという
よりも,音の状態を「擬情語化」しているような表現と考
えられる。
サイン音(警告信号音・機能的記号音)については,交
通関連から述べてみたい。踏切に関してはすべての音種で
「カン」が反復され,バック警告音に関しては「ピッ」
「ピ
ー」「プーッ」が反復され,ブザー音の認識に共通した音
韻の当てはめ方が伺える。電話関連に関しては,携帯電話
のバイブ音が「ブー」の反復系が多く,小刻みな振動音の
響きが伺える。学校関連に関しては,学内に設置されてい
るインターホンのサイン音に特徴があり,「ピーンポーン」
が12人,長音系を省略したり,ヴァリエーションのある音
種を含めると計16人に上り,サイン音に関しては共通した
−228−
マンガに見る聴覚情報の視覚的記録
京都精華大学紀要 第二十六号
−229−
特定の認識のあることが伺える。
スズメは「チュンチュン」,小鳥は「ピヨピヨ」,ウグイスは「ホーホケキョ」のような,ステ
機械器具音については,各種電動モーター音から述べてみたい。
「ウォーン」
「ゴー」「ゴォ
レオタイプ的な記述が多い。ただし鳥の種類を音種に反映させている被験者は少なく,ふだん
ォォォォ」「ゴーッ」「ピー」「ブォー」「ボー」「ボォォー」など,持続音的表現を呈する語尾
の生活の中で鳥に関心を向けている傾向が少ないことが予測される。その他動物に関しては,
が長音化する音喩が散見される。自動ドア開閉音に関しては,語尾が「ン」で終了している音
鳥と同様に動物の種類ごとに分かれており,ネコは「ニャー」
,イヌは「ワンワン」という典
喩が多く,ドアが開閉現象をひとつの区切りとして表現していると考えられる。工事音に関し
型的な音喩の使い方がされている。
ては,「ガガガガ」「ドドドドドド」など,同一文字が反復されている表現が多く,連続した道
不特定音については,被験者自身音種づけができなかったものと,
「シーン」のような状態
具使用の形態が伺える。
音ものに分かれる。音源を特定する作業は視覚などの聴覚以外の感覚情報に委ねられることも
生活音(人が直接出す音種)については,声から述べてみたい。ヴァラエティの多い音喩を
多く,音源が認知できない状況で音が聞こえると,
「?」のような不特定音にされることが多い。
表現する結果となったが,表現形態としては,直接的(聞こえた現実の声の音をそのまま表現
「シーン」は無音状態の音環境を示しており,これもステレオタイプ型の音喩表現といってよ
する)声と,間接的(声の状態をそのまま表現する)声の二つに分かれてる。後者の例で特徴
かろう。
的なものは「ガヤガヤ」
「ザワザワ」
「ペチャクチャ」
「ワイワイ」などがある。足音に関しては,
2.6.3 音を観察したときの感想
ノーマルなヴァージョンとして,「パタパタ」「ペタペタ」が多い。また,靴底と床の素材によ
音の視覚化を行う際の被験者の認識プロセスを知るために,自由記述で感想を書かせた。特
って表現される音喩に違いがある。ハイヒールなら「カツカツ」「コツコツ」,雨で床が濡れて
徴ある記述を下記に記す。
いる状態なら「キュッキュッ」,砂状の床なら「ザッザッ」「ジャリジャリ」が挙げられた。声
・歩く音がその人の体重や靴によって全く違う音になるのがおもしろいと思った。全く一緒の
以外の人為発生音に関しては,その多くは身体付帯物によるもので,鍵が揺れる「ジャラジャ
音の人はいないんだろうなぁ。
ラ」が代表的な例である。また,手持ちのビニール袋が擦れる音も多く,「カサカサ」「ガサガ
・絵で描くとなると記憶や視覚に頼ってしまう。長続きする音もあれば瞬間的な音もあるので
サ」で表現されている。道具使用音に関しては,椅子や手持ちの傘が何かに当たった音が大半
表現するのは難しかったです。それでも音というのはとても興味深いものだと改めて感じま
を占め,その多くが「カ行」,特に「カ」を接頭に始まる擬音語・擬態語が多い特徴をもつ。
した。
固定器具使用音についてはドアや扉などの音源が多く,カ行から始まる音喩が多い。ドアの開
閉は「バタン」が典型となっている。楽器に関しては,すべて管楽器(笛やラッパ)が挙げら
れており,「パ行」で始まる音喩である。管楽器は持続音に特徴があるため,語尾を長音化
[ー]する傾向にある。運搬器具使用音に関しては,手押し車やワゴンが挙げられており,
「カ
タカタ」「カラカラ」「ガラガラ」のような反復語型が多用されている。
・音を文字にすることで,いかにふだんから視覚情報として音を感じているのかを考えさせら
れた。
・すごくおもしろかったです!!あたしはマンガをよく読むのでその影響がすごくあったです。
音を感じるってステキです。
・ふだん聞いている音とかもあるのに,聞き取って記号化するとどう書いていいのかわからな
人為系自然音については,風から述べてみたい。ほとんどが葉擦れ音(木々のそよぎ)で占
い音とかありました。靴音等,微妙に音が人の履いている靴や歩き方で違う感じがして興味
められており「カサカサ」「サラサラ」のような記述が見受けられる。接頭語が撥音系の語句
深かった。
が見られ,葉に当たる風を表現したものとして捉えることができる。水に関しては,流水音
・音を聞き取ることはできても,音を文字にするのはとても難しかったです。
(持続音)系と水滴音(断続音)系に分かれる。持続音系では「サー」「ザー」などの「サ行」
・今回の音の調査で,ザワザワといつも聞こえていた音を1つひとつ分けてみると,こんなに
から始まる音喩が多く,語尾を長音化[ー]し,「サーサー」「ザーザー」などの反復語型が多
たくさんの音が混じり合って,いつも聞いている音に成り立っているんだなとわかった。と
用されている。断続音系では「チャポチャポ」
「ピチャピチャ」
「ボツボツ」などの「タ行」
「ハ
にかく音の多さに驚いた。
行」で始まる音喩が多く,語尾は長音化しない終止形で止められており,反復語も多い。水音
は,川・雨・水の音源に関わらず,音の音響的特徴に依拠した表現方法が見られる。鳥に関し
ては,鳥の種類ごとに,特徴的な擬音語・擬態語がみられる。カラスは「カー」「カーカー」,
・静かなところだといろいろ聞こえたけど,音のあるところでするといろいろ混ざって分かり
にくかった。
−228−
マンガに見る聴覚情報の視覚的記録
京都精華大学紀要 第二十六号
−229−
特定の認識のあることが伺える。
スズメは「チュンチュン」,小鳥は「ピヨピヨ」,ウグイスは「ホーホケキョ」のような,ステ
機械器具音については,各種電動モーター音から述べてみたい。
「ウォーン」
「ゴー」「ゴォ
レオタイプ的な記述が多い。ただし鳥の種類を音種に反映させている被験者は少なく,ふだん
ォォォォ」「ゴーッ」「ピー」「ブォー」「ボー」「ボォォー」など,持続音的表現を呈する語尾
の生活の中で鳥に関心を向けている傾向が少ないことが予測される。その他動物に関しては,
が長音化する音喩が散見される。自動ドア開閉音に関しては,語尾が「ン」で終了している音
鳥と同様に動物の種類ごとに分かれており,ネコは「ニャー」
,イヌは「ワンワン」という典
喩が多く,ドアが開閉現象をひとつの区切りとして表現していると考えられる。工事音に関し
型的な音喩の使い方がされている。
ては,「ガガガガ」「ドドドドドド」など,同一文字が反復されている表現が多く,連続した道
不特定音については,被験者自身音種づけができなかったものと,
「シーン」のような状態
具使用の形態が伺える。
音ものに分かれる。音源を特定する作業は視覚などの聴覚以外の感覚情報に委ねられることも
生活音(人が直接出す音種)については,声から述べてみたい。ヴァラエティの多い音喩を
多く,音源が認知できない状況で音が聞こえると,
「?」のような不特定音にされることが多い。
表現する結果となったが,表現形態としては,直接的(聞こえた現実の声の音をそのまま表現
「シーン」は無音状態の音環境を示しており,これもステレオタイプ型の音喩表現といってよ
する)声と,間接的(声の状態をそのまま表現する)声の二つに分かれてる。後者の例で特徴
かろう。
的なものは「ガヤガヤ」
「ザワザワ」
「ペチャクチャ」
「ワイワイ」などがある。足音に関しては,
2.6.3 音を観察したときの感想
ノーマルなヴァージョンとして,「パタパタ」「ペタペタ」が多い。また,靴底と床の素材によ
音の視覚化を行う際の被験者の認識プロセスを知るために,自由記述で感想を書かせた。特
って表現される音喩に違いがある。ハイヒールなら「カツカツ」「コツコツ」,雨で床が濡れて
徴ある記述を下記に記す。
いる状態なら「キュッキュッ」,砂状の床なら「ザッザッ」「ジャリジャリ」が挙げられた。声
・歩く音がその人の体重や靴によって全く違う音になるのがおもしろいと思った。全く一緒の
以外の人為発生音に関しては,その多くは身体付帯物によるもので,鍵が揺れる「ジャラジャ
音の人はいないんだろうなぁ。
ラ」が代表的な例である。また,手持ちのビニール袋が擦れる音も多く,「カサカサ」「ガサガ
・絵で描くとなると記憶や視覚に頼ってしまう。長続きする音もあれば瞬間的な音もあるので
サ」で表現されている。道具使用音に関しては,椅子や手持ちの傘が何かに当たった音が大半
表現するのは難しかったです。それでも音というのはとても興味深いものだと改めて感じま
を占め,その多くが「カ行」,特に「カ」を接頭に始まる擬音語・擬態語が多い特徴をもつ。
した。
固定器具使用音についてはドアや扉などの音源が多く,カ行から始まる音喩が多い。ドアの開
閉は「バタン」が典型となっている。楽器に関しては,すべて管楽器(笛やラッパ)が挙げら
れており,「パ行」で始まる音喩である。管楽器は持続音に特徴があるため,語尾を長音化
[ー]する傾向にある。運搬器具使用音に関しては,手押し車やワゴンが挙げられており,
「カ
タカタ」「カラカラ」「ガラガラ」のような反復語型が多用されている。
・音を文字にすることで,いかにふだんから視覚情報として音を感じているのかを考えさせら
れた。
・すごくおもしろかったです!!あたしはマンガをよく読むのでその影響がすごくあったです。
音を感じるってステキです。
・ふだん聞いている音とかもあるのに,聞き取って記号化するとどう書いていいのかわからな
人為系自然音については,風から述べてみたい。ほとんどが葉擦れ音(木々のそよぎ)で占
い音とかありました。靴音等,微妙に音が人の履いている靴や歩き方で違う感じがして興味
められており「カサカサ」「サラサラ」のような記述が見受けられる。接頭語が撥音系の語句
深かった。
が見られ,葉に当たる風を表現したものとして捉えることができる。水に関しては,流水音
・音を聞き取ることはできても,音を文字にするのはとても難しかったです。
(持続音)系と水滴音(断続音)系に分かれる。持続音系では「サー」「ザー」などの「サ行」
・今回の音の調査で,ザワザワといつも聞こえていた音を1つひとつ分けてみると,こんなに
から始まる音喩が多く,語尾を長音化[ー]し,「サーサー」「ザーザー」などの反復語型が多
たくさんの音が混じり合って,いつも聞いている音に成り立っているんだなとわかった。と
用されている。断続音系では「チャポチャポ」
「ピチャピチャ」
「ボツボツ」などの「タ行」
「ハ
にかく音の多さに驚いた。
行」で始まる音喩が多く,語尾は長音化しない終止形で止められており,反復語も多い。水音
は,川・雨・水の音源に関わらず,音の音響的特徴に依拠した表現方法が見られる。鳥に関し
ては,鳥の種類ごとに,特徴的な擬音語・擬態語がみられる。カラスは「カー」「カーカー」,
・静かなところだといろいろ聞こえたけど,音のあるところでするといろいろ混ざって分かり
にくかった。
−230−
マンガに見る聴覚情報の視覚的記録
京都精華大学紀要 第二十六号
−231−
聴覚情報の視覚的記録に対する不慣れさと面白さを述べたものが多く,ふだんの生活のなか
係なのか。第2章のサウンドマップの結果は,興味深い形でそれを示唆してくれる。たとえば,
でいかに音を「聞き逃している」かが改めて認識された。マンガの影響を多大に受けている印
花園大学での実験実施日には雨が降っていた。そのため,ほとんどの被験者が雨の音を紙上に
象も見受けられ,無意識のうちにマンガから受ける影響が大きいという事実を改めて被験者は
記したのだが,そこに数多く見られた「サーサー」や「ザーザー」という文字がマンガの音喩
認識していた。音が複数で発生していたり曖昧な状態であると,視覚化が困難になる状況も見
として用いられた例は枚挙に暇がないし,
「チャポチャポ」や「ピチャピチャ」にしても,雨
受けられ,リアルな音環境を記述することの困難さが改めて浮き彫りにされた実験であった。
を含む水に関連する音喩としては常套手段である。
2.7 結果のまとめ
しかし,だからといって,直ちに音喩と私たちの聴覚の影響関係が詳らかになるわけではな
サウンドマップの作成は,各人の主観的な環境認識が端的に示される表現媒体として考えら
い。当然ながら,ことはそれほど単純ではないし,マンガもまた作り手と受け手の間に介在す
れる。サウンドマップの記述特徴に関しては,ほとんどの被験者が音源を直接図化する傾向が
るメディアである以上,そこに汎用性のある擬音語や擬態語が登場・定着しても何ら不思議で
みられ,その説明として図中に音喩や音種を記述している。人によってその表現にヴァリエー
はないからである。とはいえ,それでも私にとって興味深かったのは,実験を始める直前に
ションがあり,図だけを提示するパタン,図に音喩や音種を併存するパタン,音喩や音種のみ
「聞こえてくる音を書きなさい」としか指示していないにもかかわらず,被験者の大半が「○
を図的に表現するパタンと,音源の図化にも表現パタンの段階が明確にみられることがわかっ
○の音」という説明文ではなく,擬音語や擬態語を用いて表記したことであり,しかもそれら
た。また,音喩表現についての事前予示がないにも関わらず,過半数(52)の被験者がなん
の表記がほぼ既存の音喩の範囲に収まるものだったという事実である(中にはそのままマンガ
らかの音喩を使って音源を表現しており,音喩使用の一般性や容易性が浮き彫りになる結果が
で描いてきた被験者も複数いた)。もちろん今回の実験だけでまとめることなどできないが,
得られた。
これらの事実から垣間見えたのは,被験者たちの耳に聴こえる音たちは,もしかすると思いの
五十音順の音喩分類については,大きく分けて二種類が確認されるた。音を真似るやり方と,
ほか幅が狭いのではないかという仮説の存在である。もちろん,被験者独自の造語のような表
音が発生している環境をメンタルにリバイズして,心的表現に変換するやり方である。両者と
記も幾つか見られたが,マンガの音喩の領域から逸脱しているものは稀であった。その意味で
もに,ふだんの生活でポピュラーなものであり,今後の「音の言語化」
「音の視覚化」にとって,
は,私たちの聴覚を後天的に規制するフィルターとして,音喩にこだわることは実に有意義と
有効な表現手法であることが今回の実験によって示された。
思われた。
サウンドマップによる音喩表記の結果をみると,音環境を分類・表現する手法には音の音韻
では,そのマンガの音喩の領域とはいかなるものか。たとえば,第1章で挙げた『マンガの
的記録,つまり意味そのもので音源を直接表現するという,意味論的な音の定着を越えた素材
読み方』には,「ギョッ」などの手塚マンガに多用された心理的音や,「バウン」「ドギューン」
論的アプローチでまとめあげることが,一般者にとって理解しやすいことが示された。音をな
「ビーン」という「’
50∼’
60年代の劇画が発明した」拳銃発射音,さらには滝田ゆうが用いた
んらかの形態で「記録」するという行為は,未経験者にとってかなり難しい作業であるものの,
「トボッ」「シャッ」「ジウッ」という鰻の蒲焼を作る様子の生活音など,バラエティ豊かな音
音喩という「環境音の音韻化」の手法が有効性のある方法との認識を得た。
喩の種類と効果が説明されている15)。ただし,これらは大いに参考になるが,およそ独立した
このような共通認識のある言語的表現法を今後も模索/開発することが,音環境デザインに
単語レベルの解説に留まっており,その単語がストーリーの流れの中でいかなる効果を奏でる
とって有効な基礎的研究であり,マンガの制作の際に音の記述を導入する際にも応用できるも
ものかを知るためには,更なる考察が必要となる。それに何より,私が未知のものも含め,音
のではないかと考えている。今後,限られた場面で生起されるリアルな環境空間からの音を分
喩の領域はまだまだ広大である。よって,これから,同書に収録されておらず,なお且つスト
節化させるために,場所や時間帯を変えて,音喩を抽出し,各音種にうまく対応した音喩のヴ
ーリーの流れと絡めて論じるに適した事例を考察し,マンガの音喩の多種多様さとその効果の
ァリエーションを模索し,進めていきたい。
重要性や面白さの一端を提示したい。
材料となるマンガは,山松ゆうきちの図−8「男の純情」
(初出『ヤングコミック』1971年
3 マンガの音喩と効果―山松ゆうきちの雨を例に
音喩と私たちの聴覚は,いかなる影響関係を有しているのか。また,それはどれほど深い関
7月28日号,少年画報社)と図−9「親分」(初出『ヤングコミック』1971年5月26日号),い
ずれも山松ゆうきち『山松― ―』(青林工藝舎,2003年)に収録されて
いる。この山松は,正直なところ,一般的にはあまり有名ではないが,同誌のほかにも『ガロ』
−230−
マンガに見る聴覚情報の視覚的記録
京都精華大学紀要 第二十六号
−231−
聴覚情報の視覚的記録に対する不慣れさと面白さを述べたものが多く,ふだんの生活のなか
係なのか。第2章のサウンドマップの結果は,興味深い形でそれを示唆してくれる。たとえば,
でいかに音を「聞き逃している」かが改めて認識された。マンガの影響を多大に受けている印
花園大学での実験実施日には雨が降っていた。そのため,ほとんどの被験者が雨の音を紙上に
象も見受けられ,無意識のうちにマンガから受ける影響が大きいという事実を改めて被験者は
記したのだが,そこに数多く見られた「サーサー」や「ザーザー」という文字がマンガの音喩
認識していた。音が複数で発生していたり曖昧な状態であると,視覚化が困難になる状況も見
として用いられた例は枚挙に暇がないし,
「チャポチャポ」や「ピチャピチャ」にしても,雨
受けられ,リアルな音環境を記述することの困難さが改めて浮き彫りにされた実験であった。
を含む水に関連する音喩としては常套手段である。
2.7 結果のまとめ
しかし,だからといって,直ちに音喩と私たちの聴覚の影響関係が詳らかになるわけではな
サウンドマップの作成は,各人の主観的な環境認識が端的に示される表現媒体として考えら
い。当然ながら,ことはそれほど単純ではないし,マンガもまた作り手と受け手の間に介在す
れる。サウンドマップの記述特徴に関しては,ほとんどの被験者が音源を直接図化する傾向が
るメディアである以上,そこに汎用性のある擬音語や擬態語が登場・定着しても何ら不思議で
みられ,その説明として図中に音喩や音種を記述している。人によってその表現にヴァリエー
はないからである。とはいえ,それでも私にとって興味深かったのは,実験を始める直前に
ションがあり,図だけを提示するパタン,図に音喩や音種を併存するパタン,音喩や音種のみ
「聞こえてくる音を書きなさい」としか指示していないにもかかわらず,被験者の大半が「○
を図的に表現するパタンと,音源の図化にも表現パタンの段階が明確にみられることがわかっ
○の音」という説明文ではなく,擬音語や擬態語を用いて表記したことであり,しかもそれら
た。また,音喩表現についての事前予示がないにも関わらず,過半数(52)の被験者がなん
の表記がほぼ既存の音喩の範囲に収まるものだったという事実である(中にはそのままマンガ
らかの音喩を使って音源を表現しており,音喩使用の一般性や容易性が浮き彫りになる結果が
で描いてきた被験者も複数いた)。もちろん今回の実験だけでまとめることなどできないが,
得られた。
これらの事実から垣間見えたのは,被験者たちの耳に聴こえる音たちは,もしかすると思いの
五十音順の音喩分類については,大きく分けて二種類が確認されるた。音を真似るやり方と,
ほか幅が狭いのではないかという仮説の存在である。もちろん,被験者独自の造語のような表
音が発生している環境をメンタルにリバイズして,心的表現に変換するやり方である。両者と
記も幾つか見られたが,マンガの音喩の領域から逸脱しているものは稀であった。その意味で
もに,ふだんの生活でポピュラーなものであり,今後の「音の言語化」
「音の視覚化」にとって,
は,私たちの聴覚を後天的に規制するフィルターとして,音喩にこだわることは実に有意義と
有効な表現手法であることが今回の実験によって示された。
思われた。
サウンドマップによる音喩表記の結果をみると,音環境を分類・表現する手法には音の音韻
では,そのマンガの音喩の領域とはいかなるものか。たとえば,第1章で挙げた『マンガの
的記録,つまり意味そのもので音源を直接表現するという,意味論的な音の定着を越えた素材
読み方』には,「ギョッ」などの手塚マンガに多用された心理的音や,「バウン」「ドギューン」
論的アプローチでまとめあげることが,一般者にとって理解しやすいことが示された。音をな
「ビーン」という「’
50∼’
60年代の劇画が発明した」拳銃発射音,さらには滝田ゆうが用いた
んらかの形態で「記録」するという行為は,未経験者にとってかなり難しい作業であるものの,
「トボッ」「シャッ」「ジウッ」という鰻の蒲焼を作る様子の生活音など,バラエティ豊かな音
音喩という「環境音の音韻化」の手法が有効性のある方法との認識を得た。
喩の種類と効果が説明されている15)。ただし,これらは大いに参考になるが,およそ独立した
このような共通認識のある言語的表現法を今後も模索/開発することが,音環境デザインに
単語レベルの解説に留まっており,その単語がストーリーの流れの中でいかなる効果を奏でる
とって有効な基礎的研究であり,マンガの制作の際に音の記述を導入する際にも応用できるも
ものかを知るためには,更なる考察が必要となる。それに何より,私が未知のものも含め,音
のではないかと考えている。今後,限られた場面で生起されるリアルな環境空間からの音を分
喩の領域はまだまだ広大である。よって,これから,同書に収録されておらず,なお且つスト
節化させるために,場所や時間帯を変えて,音喩を抽出し,各音種にうまく対応した音喩のヴ
ーリーの流れと絡めて論じるに適した事例を考察し,マンガの音喩の多種多様さとその効果の
ァリエーションを模索し,進めていきたい。
重要性や面白さの一端を提示したい。
材料となるマンガは,山松ゆうきちの図−8「男の純情」
(初出『ヤングコミック』1971年
3 マンガの音喩と効果―山松ゆうきちの雨を例に
音喩と私たちの聴覚は,いかなる影響関係を有しているのか。また,それはどれほど深い関
7月28日号,少年画報社)と図−9「親分」(初出『ヤングコミック』1971年5月26日号),い
ずれも山松ゆうきち『山松― ―』(青林工藝舎,2003年)に収録されて
いる。この山松は,正直なところ,一般的にはあまり有名ではないが,同誌のほかにも『ガロ』
−232−
マンガに見る聴覚情報の視覚的記録
京都精華大学紀要 第二十六号
−233−
(青林堂)や『週刊漫画
』(芳文社)な
な時間の流れや空間の広がりが醸し出されている17),と感知してしまう私たち読者の視覚・聴
ど,複数のマイナー青年・大人誌で主に短編
覚のメカニズムに注意すべきではないか,と言いたいのである。
を執筆してきた息の長い作家である。傍から
では,私が担当した実験日が雨だったことを活用するために,その山松が,マンガの中でど
見れば波乱万丈の市井の人間模様を,淡々と
のように雨を降らせていたか18) を点検しよう。
した視点から淡々と描くことで,呉智英など
図−8に登場する雨に関する音喩は,「ざかざん」「ばちばち」「あめあめ」「しょうしょう」
一部評論家にはきわめて高く評価されている。
の4種類。例によってすべてひらがなである。それぞれの意味を解説すると,「ざかざん」は
この山松の作風の特徴の一つは,ひらがな
激しく雨が降り注ぐ様子,「ばちばち」はその雨が地面を叩きつける様子,「あめあめ」は直線
による音喩を多用する点にある。たとえば通
で描かれるはずの雨を文字化したもの(一つだけ漢字の「雨」が混じっている),「しょうしょ
常のマンガではカタカナで表記される,ドア
う」は漢字で「蕭蕭」と書く,雨風を受け肌寒い中で寂しさを感じる様子,となるだろう。一
を閉じる「パタン」とか,パチンコ玉が出る
方の図−9は,「ざかざん」「ばしゃばしゃ」の2種類。前者の意味は図−8と同じ,後者は雨
「チーンジャラジャラ」などの音喩も,山松
に濡れた道の上を歩く様子と考えてよいだろう。つまり,雨が降る音喩に限れば,図−8では
のマンガでは「ぱたん」「ちーんぢゃらぢゃ
バラエティがあるのに対し,図−9では「ざかざん」の一つだけという違いがあることがわか
ら」という具合。もちろん,これはどちらが
る。
良いという話ではない。そうではなく,山松
この違いは何に由来するのか,また,それは音喩の効果とどう関わっているのか。それを解
く鍵となるのが,両者のストーリーの流れとの絡みである。図−8は,硬派で知られる主人公
がこのようなひらがなの音喩を自覚的に活用
16)
する
ことで,彼の作品には独特の情緒豊か
図−8 「男の純情」(山松ゆうきち・初出『ヤング・
コミック』1971年7月28日号,少年画報告社)263頁
の男がある女に恋してしまい,決意して手紙を渡すも突き返され,雨の降る中その女の家の前
に立ち尽くしている場面である。ここでは,
4種類の音喩が天候や物理的状況を示すだけでなく,
とりわけ「しょうしょう」は男のせつなく寂しい心理描写を表すなど,場面の臨場感を増幅す
る効果を持っている(ただ,「あめあめ」の解釈は難しい)。
これに対して図−9は,義理人情に厚い根っからのヤクザ者の主人公が,卑怯な仕打ちに倒
れた親分の仇討ちに出かけるものの,敵の銃撃にあっさりやられてしまう場面である。ここで
のポイントは,最終コマの「この物語は――結局 強いものが 勝つという話である――」と
いう,身も蓋もない言葉にある。通常の任侠ものであれば盛り上がるはずのラストシーンの仇
討ちが,何の見せ場もなく淡々と終わる。その間,何も変わらず,ただひたすら「ざかざん」
と降り続く雨は,個人の意志や行動ではどうにもならない厳然たる現実を諭すかのような効果
を持っている。人間の悲喜劇などとはまったく無関係に,ただひたすら「ざかざんざかざん」
と降り続く雨の中で,物語は終わるのだ。しかも,図−8では異なる音喩を自覚的に多用して
いるだけに,同じ音喩しか使用しない図−9の効果はなおさら際立って見える。
以上の考察からは,山松がいかに音喩を上手く活用する作家であるかとか,音喩の種類の多
さやその効果の奥深さなどが見えてくる。だが,本稿の文脈から留意しておきたいのは,図−
8と図−9で使用された雨の音喩が,前掲サウンドマップにはまったく登場していないという
図−9 「親分」(山松ゆうきち・初出『ヤング・コミック』1971年5月26日号)388−389頁
事実である。先述したように,山松はマイナー作家であり,私が担当した花園大学の学生たち
−232−
マンガに見る聴覚情報の視覚的記録
京都精華大学紀要 第二十六号
−233−
(青林堂)や『週刊漫画
』(芳文社)な
な時間の流れや空間の広がりが醸し出されている17),と感知してしまう私たち読者の視覚・聴
ど,複数のマイナー青年・大人誌で主に短編
覚のメカニズムに注意すべきではないか,と言いたいのである。
を執筆してきた息の長い作家である。傍から
では,私が担当した実験日が雨だったことを活用するために,その山松が,マンガの中でど
見れば波乱万丈の市井の人間模様を,淡々と
のように雨を降らせていたか18) を点検しよう。
した視点から淡々と描くことで,呉智英など
図−8に登場する雨に関する音喩は,「ざかざん」「ばちばち」「あめあめ」「しょうしょう」
一部評論家にはきわめて高く評価されている。
の4種類。例によってすべてひらがなである。それぞれの意味を解説すると,「ざかざん」は
この山松の作風の特徴の一つは,ひらがな
激しく雨が降り注ぐ様子,「ばちばち」はその雨が地面を叩きつける様子,「あめあめ」は直線
による音喩を多用する点にある。たとえば通
で描かれるはずの雨を文字化したもの(一つだけ漢字の「雨」が混じっている),「しょうしょ
常のマンガではカタカナで表記される,ドア
う」は漢字で「蕭蕭」と書く,雨風を受け肌寒い中で寂しさを感じる様子,となるだろう。一
を閉じる「パタン」とか,パチンコ玉が出る
方の図−9は,「ざかざん」「ばしゃばしゃ」の2種類。前者の意味は図−8と同じ,後者は雨
「チーンジャラジャラ」などの音喩も,山松
に濡れた道の上を歩く様子と考えてよいだろう。つまり,雨が降る音喩に限れば,図−8では
のマンガでは「ぱたん」「ちーんぢゃらぢゃ
バラエティがあるのに対し,図−9では「ざかざん」の一つだけという違いがあることがわか
ら」という具合。もちろん,これはどちらが
る。
良いという話ではない。そうではなく,山松
この違いは何に由来するのか,また,それは音喩の効果とどう関わっているのか。それを解
く鍵となるのが,両者のストーリーの流れとの絡みである。図−8は,硬派で知られる主人公
がこのようなひらがなの音喩を自覚的に活用
16)
する
ことで,彼の作品には独特の情緒豊か
図−8 「男の純情」(山松ゆうきち・初出『ヤング・
コミック』1971年7月28日号,少年画報告社)263頁
の男がある女に恋してしまい,決意して手紙を渡すも突き返され,雨の降る中その女の家の前
に立ち尽くしている場面である。ここでは,
4種類の音喩が天候や物理的状況を示すだけでなく,
とりわけ「しょうしょう」は男のせつなく寂しい心理描写を表すなど,場面の臨場感を増幅す
る効果を持っている(ただ,「あめあめ」の解釈は難しい)。
これに対して図−9は,義理人情に厚い根っからのヤクザ者の主人公が,卑怯な仕打ちに倒
れた親分の仇討ちに出かけるものの,敵の銃撃にあっさりやられてしまう場面である。ここで
のポイントは,最終コマの「この物語は――結局 強いものが 勝つという話である――」と
いう,身も蓋もない言葉にある。通常の任侠ものであれば盛り上がるはずのラストシーンの仇
討ちが,何の見せ場もなく淡々と終わる。その間,何も変わらず,ただひたすら「ざかざん」
と降り続く雨は,個人の意志や行動ではどうにもならない厳然たる現実を諭すかのような効果
を持っている。人間の悲喜劇などとはまったく無関係に,ただひたすら「ざかざんざかざん」
と降り続く雨の中で,物語は終わるのだ。しかも,図−8では異なる音喩を自覚的に多用して
いるだけに,同じ音喩しか使用しない図−9の効果はなおさら際立って見える。
以上の考察からは,山松がいかに音喩を上手く活用する作家であるかとか,音喩の種類の多
さやその効果の奥深さなどが見えてくる。だが,本稿の文脈から留意しておきたいのは,図−
8と図−9で使用された雨の音喩が,前掲サウンドマップにはまったく登場していないという
図−9 「親分」(山松ゆうきち・初出『ヤング・コミック』1971年5月26日号)388−389頁
事実である。先述したように,山松はマイナー作家であり,私が担当した花園大学の学生たち
−234−
マンガに見る聴覚情報の視覚的記録
京都精華大学紀要 第二十六号
−235−
は,残念ながらほとんど誰もその存在を知らなかった。だから山松マンガの音喩を知らないこ
作上の音環境を表記する「マンガ」から,共通点と差異を抽出することで,五感のメカニズム
とは仕方ないとしても,「しょうしょう」や「ざかざん」などは文学や歌詞にも使用されるれ
が明らかになる可能性がある。
っきとした擬音語である。それが皆無だったという事実は,何を意味するか。
(2)サウンドマップの可能性
ここでその答えを導くのは,早計に過ぎないだろう。ただ,これによって,聴覚と音喩の影
サウンドマップの作成結果から,音喩に関する予示的な情報を伝えなくても音喩がリストに
響関係に関する考察を進めるための,今後の一つの指針が見えてきた。それは,逆説的かもし
表れることが示された。このことは,被験者の音喩から受ける影響力の大きさ,つまり環境音
れないが,マンガの中にたしかに存在しながら,サウンドマップには表記されない音喩につい
を音喩化するための認識が幅広く存在することを確認するものである。また,被験者の音の聴
て考えることである。すなわち,マンガ表現における音喩としては効果を持ちながら,日常生
き方は「意味/解釈」的なものでなく,
「音韻」的に把握している傾向が伺えた。この結果から,
活の中ではあまり意識されない言葉を摘出し,その「ズレ」に着目することで,聴覚と音喩の
抽出された音喩はそのまま素材的に提示することが可能であり,サウンドデジタルアーカイブ
影響関係を逆照射しようというねらいである。そのためには,より精度の高い実験の積み重ね
事業で音種(分節化された音環境の名前)を分類する場合に有効な方法であることがいえる。
と,音喩に関するより広範な史料収集・整理が必要となる。これに関しては,他日を期して根
(3)サウンドマップにみる聴取傾向
気強く取り組みたい。
サウンドマップの作成過程で,被験者は,特定の音喩に対し,共通した音源名(音種)をつ
ける傾向がみられる。そして,聴覚情報の視覚的記録に対する不慣れさを述べた感想が多く,
4 おわりに
ふだんの生活のなかでいかに音環境を聞き逃しているかが改めて認識された。中には,マンガ
の影響を多大に受けている音種も見受けられた。音が複数で発生していたり曖昧な状態である
本稿では,人間が聴覚情報を視覚的に記録する際に,先天的/後天的に生成された感知シス
と,視覚化が困難になる状況も見受けられ,リアルな音環境を記述することの困難さが改めて
テムがどのような拠によって機能しているのかを明らかにするために,「五感環境学」と「思
浮き彫りにされた。
想史・まんが研究」という立場の違う切り口から,学際的なアプローチを通して論じてきた。
(4)マンガのなかの音喩表現
もっとも,明確な結論を打ち出したというよりもむしろ,聴覚情報が音喩化された「具体的事
マンガに表現された音喩のなかには,サウンドマップにはまったく登場していないものが存
実」のさまざまなヴァリエーションを第一次的情報として取り上げ,直接的に解釈することに
在している。今回の事例でいえば,サウンドマップに表現された雨の記述に,山松がマンガで
重点をおいたため,具体的事例を明確に客体化させることは困難を窮めた。これは,音環境と
表現した雨の音「しょうしょう」や「ざかざん」などが見あたらないことが明らかになった。
いう無定型で不可視のメディアが意識/無意識の領域で解釈されることが多く,しかも音から
このことは,マンガ表現における音喩としては効果を持ちながら,日常生活の中では意識され
受ける個人差が大きいためである。
ない言葉が多数存在することを意味している。そのズレに着目することで,今後,聴覚と音喩
音環境の聴取という日常的/継続的な経験が人々の認識や感覚にいかなる影響を与えてきた
の影響関係を逆照射できる可能性がある。
かを考察することは,現状の音環境を分類/解析するための分解能の精度を上げ,同時にマン
ガという表現システムがいかに社会的/文化的コンテクストの影響を受けて存在しているかを
今回の考察を通して,両著者の専門を超越したグレーゾーン=際(きわ)の存在がおぼろげ
明らかにすることに結びつくと考えている。本稿で得られたまとめを下記にしるす。
ながら見え,両研究の発展にとって宿命的な命題である「学際」的挑戦の意味合いが,本論考
を通して明らかになってきた。今後とも両者の研究をクロスさせながら,音喩を人間の聴覚の
(1)五感と音喩とのかかわり
「痕跡」として捉え返すとともに,私たちの聴覚を基礎付けている「因子」としての音喩の側
我々が持ち合わせている「五感」と呼ばれる感知機構は,医学的・生物学見地から考察しう
面にも目を向け,作者と読者を媒介するメディアとしての音喩とマンガの役割,そして音環境
る「先天的」な自律系システムと,特定の歴史的・社会的コンテクストに規制された「後天的」
のアーカイブに有用な音喩を切り口にした音の分類体系化を引き続き行いたいと考えている。
な限定系システムによって機能している。この領域を聴覚の切り口から明らかにする所作とし
て,擬音語・擬態語(=音喩)によって,現実の音環境を表記する「サウンドマップ」と,創
−234−
マンガに見る聴覚情報の視覚的記録
京都精華大学紀要 第二十六号
−235−
は,残念ながらほとんど誰もその存在を知らなかった。だから山松マンガの音喩を知らないこ
作上の音環境を表記する「マンガ」から,共通点と差異を抽出することで,五感のメカニズム
とは仕方ないとしても,「しょうしょう」や「ざかざん」などは文学や歌詞にも使用されるれ
が明らかになる可能性がある。
っきとした擬音語である。それが皆無だったという事実は,何を意味するか。
(2)サウンドマップの可能性
ここでその答えを導くのは,早計に過ぎないだろう。ただ,これによって,聴覚と音喩の影
サウンドマップの作成結果から,音喩に関する予示的な情報を伝えなくても音喩がリストに
響関係に関する考察を進めるための,今後の一つの指針が見えてきた。それは,逆説的かもし
表れることが示された。このことは,被験者の音喩から受ける影響力の大きさ,つまり環境音
れないが,マンガの中にたしかに存在しながら,サウンドマップには表記されない音喩につい
を音喩化するための認識が幅広く存在することを確認するものである。また,被験者の音の聴
て考えることである。すなわち,マンガ表現における音喩としては効果を持ちながら,日常生
き方は「意味/解釈」的なものでなく,
「音韻」的に把握している傾向が伺えた。この結果から,
活の中ではあまり意識されない言葉を摘出し,その「ズレ」に着目することで,聴覚と音喩の
抽出された音喩はそのまま素材的に提示することが可能であり,サウンドデジタルアーカイブ
影響関係を逆照射しようというねらいである。そのためには,より精度の高い実験の積み重ね
事業で音種(分節化された音環境の名前)を分類する場合に有効な方法であることがいえる。
と,音喩に関するより広範な史料収集・整理が必要となる。これに関しては,他日を期して根
(3)サウンドマップにみる聴取傾向
気強く取り組みたい。
サウンドマップの作成過程で,被験者は,特定の音喩に対し,共通した音源名(音種)をつ
ける傾向がみられる。そして,聴覚情報の視覚的記録に対する不慣れさを述べた感想が多く,
4 おわりに
ふだんの生活のなかでいかに音環境を聞き逃しているかが改めて認識された。中には,マンガ
の影響を多大に受けている音種も見受けられた。音が複数で発生していたり曖昧な状態である
本稿では,人間が聴覚情報を視覚的に記録する際に,先天的/後天的に生成された感知シス
と,視覚化が困難になる状況も見受けられ,リアルな音環境を記述することの困難さが改めて
テムがどのような拠によって機能しているのかを明らかにするために,「五感環境学」と「思
浮き彫りにされた。
想史・まんが研究」という立場の違う切り口から,学際的なアプローチを通して論じてきた。
(4)マンガのなかの音喩表現
もっとも,明確な結論を打ち出したというよりもむしろ,聴覚情報が音喩化された「具体的事
マンガに表現された音喩のなかには,サウンドマップにはまったく登場していないものが存
実」のさまざまなヴァリエーションを第一次的情報として取り上げ,直接的に解釈することに
在している。今回の事例でいえば,サウンドマップに表現された雨の記述に,山松がマンガで
重点をおいたため,具体的事例を明確に客体化させることは困難を窮めた。これは,音環境と
表現した雨の音「しょうしょう」や「ざかざん」などが見あたらないことが明らかになった。
いう無定型で不可視のメディアが意識/無意識の領域で解釈されることが多く,しかも音から
このことは,マンガ表現における音喩としては効果を持ちながら,日常生活の中では意識され
受ける個人差が大きいためである。
ない言葉が多数存在することを意味している。そのズレに着目することで,今後,聴覚と音喩
音環境の聴取という日常的/継続的な経験が人々の認識や感覚にいかなる影響を与えてきた
の影響関係を逆照射できる可能性がある。
かを考察することは,現状の音環境を分類/解析するための分解能の精度を上げ,同時にマン
ガという表現システムがいかに社会的/文化的コンテクストの影響を受けて存在しているかを
今回の考察を通して,両著者の専門を超越したグレーゾーン=際(きわ)の存在がおぼろげ
明らかにすることに結びつくと考えている。本稿で得られたまとめを下記にしるす。
ながら見え,両研究の発展にとって宿命的な命題である「学際」的挑戦の意味合いが,本論考
を通して明らかになってきた。今後とも両者の研究をクロスさせながら,音喩を人間の聴覚の
(1)五感と音喩とのかかわり
「痕跡」として捉え返すとともに,私たちの聴覚を基礎付けている「因子」としての音喩の側
我々が持ち合わせている「五感」と呼ばれる感知機構は,医学的・生物学見地から考察しう
面にも目を向け,作者と読者を媒介するメディアとしての音喩とマンガの役割,そして音環境
る「先天的」な自律系システムと,特定の歴史的・社会的コンテクストに規制された「後天的」
のアーカイブに有用な音喩を切り口にした音の分類体系化を引き続き行いたいと考えている。
な限定系システムによって機能している。この領域を聴覚の切り口から明らかにする所作とし
て,擬音語・擬態語(=音喩)によって,現実の音環境を表記する「サウンドマップ」と,創
−236−
マンガに見る聴覚情報の視覚的記録
京都精華大学紀要 第二十六号
−237−
謝辞
ある『まんが』はどのように描いてきたのか,まんがと五感の関係を考える大特集。音楽や匂い,料
本研究調査を行うにあたり多大なご協力を戴いた京都精華大表現研究機構のスタッフ諸氏,
理の味などのお決まりの表現技法や作家による演出の違いを考察したり,作家インタビューやアンケ
ならびにサウンドマップの作成に協力を戴いた京都精華大学人文学部・花園大学文学部の学生
ートなどで,まんがにおける『五感』の表現について語りまくる,お腹いっぱいの5
2ページ」(裏表
諸氏に感謝する。なお本報告は,京都精華大学公募プロジェクトの成果の一部をまとめたもの
紙)。この中で聴覚や音喩に関わるものとしては,高木漢「
『聴覚』に注目 まんがは音楽をどう“聞
である。
かせる”か」や,作家の古屋兎丸と藤田貴美のインタビューがある。
7)ここで言う「思想史・まんが研究」の視座と方法に関しては,拙論 「方法としての『まんが研究』の
注)
模索―まんがと「学」の関係―」
(『日本思想史研究会会報』第17号所収,1999年)のほか,拙論「〈似
1)本稿では,便宜的に「マンガ」と「まんが」という二つの用語が登場する。前者は,ストーリーマン
顔絵〉の成立とまんが―顔を見ているのは誰か―」(ジャクリーヌ・ベルント編『マン美研―マンガの
ガ,後者はそのストーリーマンガに諷刺画や一コマものなどを加えた,より包括的な意味を込めてい
美/学的な次元への接近―』所収,醍醐書房,2002年)の以下の部分を参照していただきたい。
「私の
る。
問題関心の大元は,
『まんがを読む』という行為が日常的経験に移行する過程において,人々の物事の
2)山口仲美『犬は「びよ」と鳴いていた―日本語は擬音語・擬態語が 面白い―』(光文社,2002年)14
−15頁。
考え方や感じ方にいかなる影響を与えてきたのか,を知ることにある。そのための方法・領域が,思
想史研究ならびにマンガ評論・研究であり,本稿で目指すのは,この両者の生産的な接合である。/
3)同上,16−17頁。
この場合の『思想』とは,何も 深遠な『思想・哲学』という意味ではなく,日常における人々の生
4)別冊宝島『マンガの読み方』
(宝島社,1995年)所収,夏目房之介「擬音から『音喩』へ 日本文
活感覚や行動様式,またはそれを支える身振りや肌理にまで至る,感覚・感性そのものを指す。(中
化に立脚した『音喩』の豊穣な世界」。「マンガの擬音やその仲間は,じつに多様な発明と転用の結果,
略)そのような『思想』の在り方を規定する歴史・社会の連続と断絶に着目し,現在を生きる私たち
現在では擬音・擬態・擬情語=オノマトペという範疇をすら超えて,マンガの言葉の「多層化」「微分
にとってそれらがいかなる意味を持つのか考えること。あるいは,どのような『思想』を共有した存
化」[→.
156](参考例記 載の頁数:引用者注)一役かっている。その推移と用例は後に見ていくが,
在を『私たち』と呼べば,
『私たち』ではない人々の歴史や社会を風通しよく見つめ直すことができる
その前に我々は,もはやオノマトペという呼称すら逸脱するこれらのマンガの言葉たちを「音喩」と
か考えること。それが本稿で言うところの『思想史的考察』である」(97−98頁)。
いう造語で,あえて呼ぶことにしたい。とりあえずマンガの中に文字として描かれるこれら「音」た
ちを,一般の会話・文字言語の範疇と分けて考えたいからだ」(127頁)。
5)この「シーン」に関しては,手塚治虫が自ら開発したと述べている。「音ひとつしない場面に『シー
ン』と書くのは,じつはなにをかくそうぼくが始めたものだ。
(中略)/いままでは,だれもやったこ
8)夏目房之介「マンガ表現論の『限界』をめぐって」
(同上『マン美研―マンガの美/学的な次元への接
近』所収)6頁。
9)たとえば,養老孟司「マンガと認知―脳はどうマンガを読むか―」(日本マンガ学会会誌『マンガ研
究』
3
所収,2003年)。
とがないけれど,日本の長編漫画を海外へ輸出しようと思って,日本語がペラペラの外人に,ぼくの
10)
『サウンド・エデュケーション』(春秋社,1992年)。
漫画「冒険ルビ」を英訳してもらったことがある。/その外人はそうとう苦しんだあげく,どうにか
11)小松正史『視聴覚記録の技法・授業レジュメ(聴覚編)』(京都精華大学,2003年)。
セリフだけは翻訳することができた。
(中略)/とうとう音ならぬ音『シーン』では,お手あげになっ
12)小松正史「音環境のデジタルアーカイブ研究開発快適な環境創造のための景観設計に向けて
」(『京
てしまったそうである。/まさか,
「SILENT」と訳すわけにもいかなかったろう」
(手塚治虫
都精華大学紀要第』25号所収,2003年)。
『マンガの描き方―似顔絵から長編まで―』光文社,1977年,112頁)。実際,前掲『マンガの読み方』
13)同上。
では,この「シーン」が台湾の翻訳版では省略された例を挙げている(136頁)。とはいえ,史料に裏
14)同上。
付けられた考察はなく,実証的研究が待たれる。
15)前掲『マンガの読み方』126−137頁。
6)今回は聴覚に焦点を絞っているが,もちろん五感全体の研究を射程に入れている。また,五感とマン
16)山松が音喩の使用に自覚的であった別の例として,「ははは」という笑い声の隣に「葉歯波羽は8ハ」
ガの関係については,『別冊ぱふコミック・ファン』
1
5「巻頭特集 まんがと五感」(雑草社,2002
(山松ゆうきち『山松―
―』青林工藝舎,2003年,141頁)という言葉遊びを施
年)が参考になる。内容構成は,
「視覚,聴覚,嗅覚,味覚,触覚―これら五つの感覚を,視覚表現で
していたことも付言する。
−236−
マンガに見る聴覚情報の視覚的記録
京都精華大学紀要 第二十六号
−237−
謝辞
ある『まんが』はどのように描いてきたのか,まんがと五感の関係を考える大特集。音楽や匂い,料
本研究調査を行うにあたり多大なご協力を戴いた京都精華大表現研究機構のスタッフ諸氏,
理の味などのお決まりの表現技法や作家による演出の違いを考察したり,作家インタビューやアンケ
ならびにサウンドマップの作成に協力を戴いた京都精華大学人文学部・花園大学文学部の学生
ートなどで,まんがにおける『五感』の表現について語りまくる,お腹いっぱいの5
2ページ」(裏表
諸氏に感謝する。なお本報告は,京都精華大学公募プロジェクトの成果の一部をまとめたもの
紙)。この中で聴覚や音喩に関わるものとしては,高木漢「
『聴覚』に注目 まんがは音楽をどう“聞
である。
かせる”か」や,作家の古屋兎丸と藤田貴美のインタビューがある。
7)ここで言う「思想史・まんが研究」の視座と方法に関しては,拙論 「方法としての『まんが研究』の
注)
模索―まんがと「学」の関係―」
(『日本思想史研究会会報』第17号所収,1999年)のほか,拙論「〈似
1)本稿では,便宜的に「マンガ」と「まんが」という二つの用語が登場する。前者は,ストーリーマン
顔絵〉の成立とまんが―顔を見ているのは誰か―」(ジャクリーヌ・ベルント編『マン美研―マンガの
ガ,後者はそのストーリーマンガに諷刺画や一コマものなどを加えた,より包括的な意味を込めてい
美/学的な次元への接近―』所収,醍醐書房,2002年)の以下の部分を参照していただきたい。
「私の
る。
問題関心の大元は,
『まんがを読む』という行為が日常的経験に移行する過程において,人々の物事の
2)山口仲美『犬は「びよ」と鳴いていた―日本語は擬音語・擬態語が 面白い―』(光文社,2002年)14
−15頁。
考え方や感じ方にいかなる影響を与えてきたのか,を知ることにある。そのための方法・領域が,思
想史研究ならびにマンガ評論・研究であり,本稿で目指すのは,この両者の生産的な接合である。/
3)同上,16−17頁。
この場合の『思想』とは,何も 深遠な『思想・哲学』という意味ではなく,日常における人々の生
4)別冊宝島『マンガの読み方』
(宝島社,1995年)所収,夏目房之介「擬音から『音喩』へ 日本文
活感覚や行動様式,またはそれを支える身振りや肌理にまで至る,感覚・感性そのものを指す。(中
化に立脚した『音喩』の豊穣な世界」。「マンガの擬音やその仲間は,じつに多様な発明と転用の結果,
略)そのような『思想』の在り方を規定する歴史・社会の連続と断絶に着目し,現在を生きる私たち
現在では擬音・擬態・擬情語=オノマトペという範疇をすら超えて,マンガの言葉の「多層化」「微分
にとってそれらがいかなる意味を持つのか考えること。あるいは,どのような『思想』を共有した存
化」[→.
156](参考例記 載の頁数:引用者注)一役かっている。その推移と用例は後に見ていくが,
在を『私たち』と呼べば,
『私たち』ではない人々の歴史や社会を風通しよく見つめ直すことができる
その前に我々は,もはやオノマトペという呼称すら逸脱するこれらのマンガの言葉たちを「音喩」と
か考えること。それが本稿で言うところの『思想史的考察』である」(97−98頁)。
いう造語で,あえて呼ぶことにしたい。とりあえずマンガの中に文字として描かれるこれら「音」た
ちを,一般の会話・文字言語の範疇と分けて考えたいからだ」(127頁)。
5)この「シーン」に関しては,手塚治虫が自ら開発したと述べている。「音ひとつしない場面に『シー
ン』と書くのは,じつはなにをかくそうぼくが始めたものだ。
(中略)/いままでは,だれもやったこ
8)夏目房之介「マンガ表現論の『限界』をめぐって」
(同上『マン美研―マンガの美/学的な次元への接
近』所収)6頁。
9)たとえば,養老孟司「マンガと認知―脳はどうマンガを読むか―」(日本マンガ学会会誌『マンガ研
究』
3
所収,2003年)。
とがないけれど,日本の長編漫画を海外へ輸出しようと思って,日本語がペラペラの外人に,ぼくの
10)
『サウンド・エデュケーション』(春秋社,1992年)。
漫画「冒険ルビ」を英訳してもらったことがある。/その外人はそうとう苦しんだあげく,どうにか
11)小松正史『視聴覚記録の技法・授業レジュメ(聴覚編)』(京都精華大学,2003年)。
セリフだけは翻訳することができた。
(中略)/とうとう音ならぬ音『シーン』では,お手あげになっ
12)小松正史「音環境のデジタルアーカイブ研究開発快適な環境創造のための景観設計に向けて
」(『京
てしまったそうである。/まさか,
「SILENT」と訳すわけにもいかなかったろう」
(手塚治虫
都精華大学紀要第』25号所収,2003年)。
『マンガの描き方―似顔絵から長編まで―』光文社,1977年,112頁)。実際,前掲『マンガの読み方』
13)同上。
では,この「シーン」が台湾の翻訳版では省略された例を挙げている(136頁)。とはいえ,史料に裏
14)同上。
付けられた考察はなく,実証的研究が待たれる。
15)前掲『マンガの読み方』126−137頁。
6)今回は聴覚に焦点を絞っているが,もちろん五感全体の研究を射程に入れている。また,五感とマン
16)山松が音喩の使用に自覚的であった別の例として,「ははは」という笑い声の隣に「葉歯波羽は8ハ」
ガの関係については,『別冊ぱふコミック・ファン』
1
5「巻頭特集 まんがと五感」(雑草社,2002
(山松ゆうきち『山松―
―』青林工藝舎,2003年,141頁)という言葉遊びを施
年)が参考になる。内容構成は,
「視覚,聴覚,嗅覚,味覚,触覚―これら五つの感覚を,視覚表現で
していたことも付言する。
−238−
マンガに見る聴覚情報の視覚的記録
17)山松のコマ割りやネームが醸し出す「おはなし」の語り口を高く評価した文章として,大月隆寛「マ
ンガと文学の難儀な関係」(『週刊朝日百科:世界の文学』110号[テーマ編:劇画・コミックと文学],
2001年9月2日号所収)がある。
18)マンガにおける雨の降らせ方やその初期の例などに言及した文章に,宮本大人「ちゃんと雨を降らせ
ていたのは岩館真理子だった」
(初出『毎日新聞』夕刊コラム「マンガの居場所」1999年7月16日掲載
「作品の中で降る雨の効果」,夏目房之介編著『マンガの居場所』出版,2003年所収・改題)があ
る。
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