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平和祈念公園 ピクニック林間広場 大きな休憩舎 整備提案書

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平和祈念公園 ピクニック林間広場 大きな休憩舎 整備提案書
平和祈念公園 ピクニック林間広場
大きな休憩舎 整備提案書
沖縄県 南部土木事務所
1. 平和祈念公園について
(1) 公園概要
平和祈念公園は沖縄戦終焉の地、糸満市摩文仁に位置します。琉球政府時代に着
手された公園整備は本土復帰後、都市公園として本格的な整備が始まりました。約
47ha の敷地には、沖縄戦の記録写真や遺品などを展示した「沖縄県平和祈念資料
館」や沖縄戦で亡くられた方々の氏名を刻んだ「平和の礎 ( いしじ )」
、戦没者の鎮
魂と永遠の平和を祈る「平和祈念像」、そして、
「国立沖縄戦没者墓苑」をはじめ各
府県の慰霊塔などが建立されています。開園以来、国内外の観光客をはじめ、慰霊団、
修学旅行生などが多く来園する公園であり、休日には広い芝生でのピクニックやレ
クリエーションの場として、多くの家族連れで賑わいを見せます。
(2) 利用者数
平成 25,26 年度の平均値で確認すると、本公園の利用者数は 97.9 万人 / 年 1) で
1) 指定管理者カウント、慰
県営公園の中では、比較的利用者の多い公園となっています。そして、平成 26 年
日の来園者は含まず
(H26.1~12) で確認すると、本公園の来園者は概ね下図のような構成となってると推
域客数と来園率から算出し、
定されます。最も多いのは国内旅行者の 49.7 万人で、
続いて修学旅行生が 31.5 万人、
霊の日及び那覇マラソン当
2) 推定値は各構成要素の入
来園者総数から差し引くこ
とで、県内利用者数を算定
し て い る。 よ っ て、 数 字 等
海外旅行者が 8.0 万人となっています。県内利用者は、6.3 万人と想定され、その内、 は目安である。
来園者総数:指定管理者カ
2.2 万人が遠足等の学校行事の一環として本公園に来園しています 2)。
ウ ン ト、 修 学 旅 行: 観 光
3)
今後の動向としては、入域観光客にしめるリピーター率の上昇 (H26:83.8%) に伴
う戦跡地参拝活動の選択減少
4)
による国内観光客の来園減少や少子化等による修学
5)
旅行生の減少 、海外旅行客の増加等が考えられます。
要 覧 H26(p26) × 戦 略 的 リ
ピーター創造事業報告書
H25.3(p91)、 国 内 旅 行 者:
観 光 要 覧 H26(p8) × レ ン
タカープローブデータを用
いた観光交通特性調査 /( 一
社 ) 沖縄しまたて協会 ( 表
県営公園年間利用者数
平和祈念公園来園者の構成
( 平成 25,26 年度平均値 )
( 平成 26 年推定値 )
名護城公園
(9.0 万人 )
6)、 海 外 旅 行 者: 観 光 要 覧
H26(p8) × 外 国 人 観 光 客 実
態調査報告書 H26(p14)
県内利用者
3) 観光要覧 H26(p12) より
(6.3 万人 /7%)
4) 戦略的リピーター創造事
海外旅行者
業 報 告 書 H25.3(p20) よ り
(8.0 万人 /8%)
(62.2 万人 )
バンナ公園 ( 石垣市 )
修学旅行生
沖縄県総合運動公園
(91.4 万人 )
(31.5 万人 /33%)
浦添大公園 (23.9 万人 )
首里城公園 (243.5 万人 )
奥武山公園
(62.4 万人 ) 海軍壕公園 (6.0 万人 )
平和祈年公園 (97.9 万人 )
国内旅行者
(49.7 万人 /52%)
/ 来沖回数が増えると戦跡
地参拝活動の実施率が低下
5) ( 一社 ) 日本旅行協会国内
旅行の現状と課題認識より
https://www.jata-net.or.jp/
membership/info-japan/
research/03_1st.html
2016
(3) 利用者の来園特性
下図は、月毎の来園手段別、来園曜日別の利用者数を表したものです。バスで来
園される方は、団体ツアーの一環で来園していると推定されますが、平日、休日と
もに 5~6 月及び 10~12 月にピークを迎えていることが分かります。このような特
徴は、修学旅行の入域ピークにも共通する 6) ものであり、本公園には多くの修学旅
6) 観光要覧 H26(p27) より
行生が、ある一定の期間に集中して来園していることが推測できます。
また、クルマでの来園を確認すると、平日は年間を通して低水位であるのに対し、
休日は 4~6 月や 11 月頃にピークを迎えることが分かります。このことから、
行楽シー
ズンにレクリエーション等を目的に来園されている方が多いと考えられます。
(人/日)
平和祈念公園 月ごと日平均来園者数
5,000
( 平成 26 年 )
4,000
平日バス
3,000
休日クルマ
2,000
1,000
0
修学旅行の様子
休日バス
平日クルマ
1
2
3
4
5
6
7
8
9
11 12 ( 月 )
10
休日の様子
(4) 園内での利用エリア
団体ツアーを実施している県内旅行代理店等へのヒアリング調査 7) によれば、修
7) 平和祈念公園活性化検討
学旅行や平和学習ツアーでの公園滞在時間は 30 分〜1時間程度であり、その間に
事務所にて実施
業務委託 (H27-1)/ 南部土木
本公園の主要施設を徒歩にて案内している状況です。そのため、広大な本公園では
施設間の移動にも時間を要し、「礎」や「資料館」をメーンに案内し、余裕がある旅
程の場合、「祈念堂」や「慰霊塔」を案内しているようです。
また、時間の制約がそれほどない個人客においても、園内を徒歩で散策すること
は負担が大きく、指定管理者が運営するガイド付き園内バス 8) を利用して「慰霊塔」
などにも訪れていることは想定されますが、バス運行ルートや来園目的等からも、 8) 園内バス
団体ツアー等と同様に公園南側のゾーンを利用していることが考えられます。
一方で、県内利用者は遊具のある「子供の広場」や「多目的レクリエーション広場」
、
原っぱのある「ピクニック林間広場」や「多目的テラス広場」などの公園北側のゾー
ンを遠足等や家族連れでのピクニック等に利用しているようです。
県外客利用エリア
県内客利用エリア
園内バス運行ルート
北
広場
供の
◯子
念堂
和祈
丘
●平
和の
●平
霊塔
●平
料館
念資
和祈
礎
和の
●平
広場
林間
ック
クニ
◯ピ
県慰
●各
場
ン広
ショ
エー
クリ
◯レ
広場
ラス
◯テ
火
和の
●平
2016
平和祈念公園の遠足等の利用について
本公園の遠足等での利用は、平成 25 年度には 21,363 人 (165 団体 ) で、平成 26 年度に
9)
は 23,126 人 (174)、平成 27 年度には 30,019 人 (214) と、利用者、団体数ともに増加傾向
9) 指定管理者調べ
にあります。そして、その構成は、保育園や幼稚園、小学生の利用が多くなっています。
また、平成 27 年度の遠足等利用エリアを確認すると、児童遊具のある「子供の広場」が
最も多く、14,546 人 / 年であり、次いで広い原っぱのある「多目的テラス広場」、「多目的レ
クリエーション広場」となり、公園北側のゾーン ( レクリエーションゾーン ) に遠足等利用の
87% が集中しています。
さらに、平成 28 年度には、
「多目的レクリエーション広場」への幼児遊具の追加整備や、
「子
供の広場」の全面リニューアル整備なども実施中であり、今後は公園北側ゾーンのさらなる
利活用が見込まれています。
(人)
中学・高校
幼稚園以
小学校
30,000
その他
20,000
165 団体
174
多目的広場
(1,209 人 )
214
式典広場
(1,806 人 )
10,000
0
子供の広場
(14,546 人 )
レクリエーション広場
(4,163 人 )
平和の礎
(636 人 )
H25d
H26d
公園全体
(1,296 人 )
H27d
平和祈念公園 遠足等利用状況
平和祈念公園 遠足等利用エリア H27d
( 指定管理者調べ )
( 指定管理者調べ )
ピクニック林間広場
(989 人 )
テラス広場
(1,296 人 )
(5) 公園のゾーニング
本公園は4つのゾーンに分けられ、公園南側の霊域ゾーンから順に整備がなされ
てきました。公園の南側は「過去」や「戦争」
「鎮魂」
「死」を連想させるゾーンで
あるのに対し、北側は「未来」や「平和」
「希望」
「生」を意識させるゾーンとなっ
ており、その中央に「平和の火」や「礎」が配置されています。
②園路広場ゾーン
園路広場ゾーンは、東側の
霊域ゾーンと西側の摩文仁の
集落とに挟まれた南西側に細
長い形状をしたエリア。当該
エリアを縦断に走る南園路が
③平和ゾーン
平和ゾーンは、沖縄戦などで亡くなられた全ての人々の氏名を刻んだ記念碑で
ある「平和の礎」や慰霊祭の主会場となる式典会場、沖縄戦の歴史的教訓を正し
く次世代に伝える目的で設立された「平和祈念資料館」、全戦没者の追悼と世界平
和を願い、沖縄出身の芸術家である山田真山画伯が制作した平和祈念像が安置さ
れる「平和祈念堂」等からなるエリアである。
通り、その左右には小広場や
北
散 策 路 等 が 整 備 さ れ て お り、
②
広場は多目的広場として活用
されている。現在は、このゾー
ンのリノベーションを検討中。
①
③
④
④レクリエーションゾーン
レクリエーションゾーンは、平
成 7 年以降に機能を充実させるた
めに追加されたエリアである。当
該ゾーンは未来への希望を表現す
る場として、遊具が配置されてい
①霊域ゾーン
る「子供の広場」や「多目的レク
連合国軍の沖縄上陸に備え編成された帝国陸軍第 32 軍の司令部が置かれた首里が
リエーション広場」、自然観察など
1945 年 5 月下旬に陥落すると、司令部は摩文仁への撤退を余儀なくされた。その後も、
をしながら家族等で長時間滞在し
南下侵攻する連合国軍への抵抗は続けられたが、6 月 23 日未明に牛島司令官らが自決
てもらうことを想定した長閑な「ピ
し、軍としての組織的行動は終焉を迎えた。
クニック林間広場」、スポーツやレ
そんな最後の激戦地である摩文仁の丘には、戦没者の遺骨をまつるために国立戦没
クリエーションの他、野外コンサー
者墓苑をはじめ各府県や団体の慰霊塔が建立され、司令官らが自決したと言われる壕
ト等の利用も想定される「多目的
や司令部直属部隊である沖縄師範学校の生徒達で結成された鉄血勤皇隊の最後の地と
テラス広場」から構成されている。
して沖縄師範健児の塔もこのゾーンの西端に位置する。
2016
2. 平和祈念公園のこれから
(人)
戦後 70 年以上が過ぎ、沖縄観光のリゾートとしてのイメージ定着化や戦争関連
情報への関心の希薄化などが進み、平和祈念資料館やひめゆり平和祈念資料館への
入込客数は年々減少している現実があります 10)。また、体験者の高齢化に伴う、戦
争の語り部の減少という問題も生じています。
このように時間の経過とともに風化していく戦争の記憶は、戦争の悲惨さや無益
さを訪れる方々に感じていただくことで、" 戦争の無い状態 " である「平和」の尊さ
平和祈念
資料館
ひめゆり
資料館
H22
396,230
694,162
H23
391,632
673,799
H24
367,555
662,956
H25
375,411
660,374
H26
362,092
629,440
10) 糸満市観光振興基本計画
H28.3(p11) より
を国内外に発信してきた本公園においても避けられない問題となってきています。
よって今後は、平和施策関連部署や各種団体と協力しながら、記憶を風化させな
いことを第一とした公園整備を継続していく必要があります。
さらに、「平和」とは " 生きることを保証する状態 " の意味も含有しますので、園
内のゾーニング等に配慮しながら、未来への希望や生きる喜び、豊かさを表現し、
過去への反省と鎮魂、慰霊と合わさることで、時代の流れにも揺るがない「平和」
のメッセージを発信できるのではないでしょうか。
3. 平和祈念公園ピクニック林間広場
ピクニック林間広場はレクリエーションゾーンに位置し、多目的レクリエーショ
ンゾーンと多目的テラス広場をつなぐ緩斜面の緑地帯です。広場の面積は約 1.0ha
あり、木漏れ日の中を家族や小グループで自然観察をしたりする長時間滞在型の当
該ゾーンの中では比較的静的な場所を目指すこととしています。
当該広場には、広場利用者にも「平和」を意識させることを目的として、平和の
礎の「EVERLASTING WAVES OF PEACE( 平和の波 永遠なれ )」というコンセプト 11)
11) 鉄の暴風の波濤が、平和
と緩やかな関連性を持たせ、在来種であるガジュマルやアコウを平和の火を中心と
折り返し行くコンセプト
の波となって、わだつみに
した円弧軸に沿って植栽する計画があります。
そのようなデザインコンセプトを取り入れることにより、利用エリアや目的が明
確に分かれてしまっている公園南側のゾーンと ( ①霊域ゾーン、②園路広場ゾーン、
③平和ゾーン ) と北側のゾーン ( ④レクリエーションゾーン ) とをつなぎ、過去と未
来、死と生、世代や時代を結ぶメッセージを発信することができると考えました。
植栽 20 年後のイメージ
円弧状に整然と配植された木々は、過去への反
省と未来への希望、生と死、静と動、光と影、
内と外、自然と人間とを結び、世代や時代を超
えて平和を発信します。
2016
4. 大きな休憩舎について
(1) 大きな休憩舎の整備目的
前述してきたように、ピクニック林間広場では、
「平和」を意識させる植栽計画等
によるエリア整備を行い、
さらなる利活用の増進を図ることとしています。現在でも、
当該エリア一帯は遠足や休日のレクリエーションなどに利用されていますが、より
「平和」を感じられる仕掛けとして、友達や仲間でゆったりとくつろぐことが可能な
大きな休憩舎を整備します。そこで共有する平和体験が、生きる喜びや豊かさを利
用者に与えてくれて、" 生きることを保証する状態 " である「平和」をより実感でき
るものになります。
(2) 大きな休憩舎の利用想定
大きな休憩舎は、以下の利用を想定しています。
①遠足等での昼食時の利用
②修学旅行等での平和学習による利用
③休日の家族連れのピクニック等での利用
(3) 大きな休憩舎の必須条件
大きな休憩舎は、以下を必須条件とします。
①日射を遮ること。雨を防ぐこと。
②小学生 ( 高学年 )150 名程度が同時に使用できること。
③ピクニック林間広場に植栽する樹木の風除け機能を併せ持つこと。
( 付帯工作物等で機能を担保する場合は、その限りではありません。)
(4) 大きな休憩舎の整備位置
大きな休憩舎は、樹木の風除け機能を併せ持つことから、ピクニック林間広場の
海側の場所を想定しています。( 付帯工作物等で機能を担保する場合は、その限りで
はありません。)
ピクニック林間広場
大きな休憩舎
整備想定範囲
潮風
(5) 整備スケジュール
大きな休憩舎整備
ピクニック林間広場
H28.8
H28.10
設計競技
H28.12
H29.2
H29.4
H29.6
整備
関係者調整+実施設計
大きな休憩舎との設計調整
H29.8
H29.10
H29.12
供用開始
整備
エリア整備 ( 植栽等 )
( 子供の広場整備 )
既設遊具リニューアル
供用開始
2016
平和と青春
私たち幾人かが、ここに、生きている自らの身を抱くことができた。そしてここに手記
を綴り「過去」をふり返る心を持つことができた。
「生きている」ということの何という有難さ!それにくらべて「死んでしまった」という
ことの、何という悲しさ、苦しさ、憤ろしさ!
私達は、私達が生きている限り、死んでしまった私達の學友、永遠に沖縄の野を、山を、
街をさまようであろう學友達の亡魂を背負い、その重みに堪えてゆかねばならぬ。その重
みは私達の作った歴史の重みでもある。( 中略 )
彼等は永遠に黙している。しかし彼等は永遠に語っているのだ、その聲を取りつぐのが
私達生かされたもののただ一つの義務であり願いである。
このような残酷な青春が、この國に再び訪れないように、私達はただ祈る。
昭和 28 年 5 月 外間守善 著 「沖縄健児隊」序に代えて より
( 前略 ) 私も、何かはじめて服を買った時のようなこそばゆい気持で、買ったばかりの制服
を脱いで半袖にきかえた。半袴は子供の寝着のように両側に紐がついていて、それを腰に
まわすようになっていた。戦闘帽をちょこんと頭に乗せてみた。なんだかそぐわない。照
れくさい気持ちがして、手にとってためつすがめつ眺めた。皆照れくさそうに、ズングリ
と飛び出ているはだかの腕や脛を気にしていた。それでも下級生は割と愉快げにはしゃい
でいた。「新垣二等兵、よく似合うぞ」などとお互いにからかい合っていた。それは怖ろし
い自分の運命を知らぬ若者達の和やかなたわむれだった。ましてや翌日敵が上陸するなど
とは、神ならぬ身の知る由もなかつた。こうして十四、五歳から二十歳前後迄の青少年達が、
一律に命令によって軍服を着せられ軍に編成されるという世界にも例のない事が、いとも
簡単に行われたのである。( 後略 )
大田昌秀 著「沖縄健児隊」より
平和祈念公園は、帝国陸軍第 32 軍司令部の直属部隊である沖縄師範学校などの生徒たち
で結成された鉄血勤皇隊 ( 師範隊:動員生徒数 386 人 戦死者 226 人 死亡率 58.5%、工業隊・
12)
通信隊:動員生徒数 97 人 戦死者 88 人 死亡率 90.7%
) の最後の地でもある。
生き残った元学徒らは、戦後数年後に回顧録を出版している。そこには、自分たちの置
12)「 戦 場 に 動 員 さ れ た 21
校の学徒隊」/ 沖縄県平和援
護男女参画課より
かれた変えようのない世の中と状況の中で、必死に生き抜く姿が描かれているとともに、
死んでしまった学友への想いが綴られている。
「たわいもない平和な青春時代を共に過ごせたはずの仲間や親兄弟が戦争によって、死ん
でいってしまった。
」もしかすると、その耐えがたい事実が、戦後 70 年以上が過ぎてなお、
平和の大切さを切に訴える戦争体験者の方々の原動力となっているのかもしれない。
平和な時代に生まれた多くの私たちには、この平和を保ち続けるために何ができるのだ
ろうか。それは、一人ひとりがまずは戦争の怖さを想像する努力をし、そして、平和な青
春を謳歌することなのではないだろうか。平和な青春を共に過ごした仲間とその記憶があ
れば、きっと、それを亡くした時のこともイメージできるはずだから。
2016
Fly UP