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2015 年 7 月 8 日 NPO 法人 APAST 筒井哲郎 つまらない仕事

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2015 年 7 月 8 日 NPO 法人 APAST 筒井哲郎 つまらない仕事
APAST Essay 010A
2015 年 7 月 8 日
NPO 法人 APAST
筒井哲郎
つまらない仕事
まえがき
6月19日 (金) 午後に、 青森地方裁判所で六ヶ所再処理工場差止訴訟の法廷弁論があり、
海渡弁護士が火山の危険性について述べた。 その後、 18時から20時までの間、 青森市内の
集会所で訴訟団主催の講演会があり、 海渡弁護士およびプラント技術者の会の川井さんと私の3
人が原子力施設の危険性や規制の問題点について講演した (注1)。 翌20日 (土) は、 午前
中訴訟団の総会があり、午後団長の山田さんに案内してもらい、東京から出かけた技術者3人 (川
井、 糸永、 筒井) は、 レンタカーで六ヶ所再処理工場の周辺を見学した。 そして、 その晩は六ヶ
所村にある市原クラブという、 遠方からやって来る長期滞在労働者向けの宿に泊まった。 3日目
の21日 (日) は、 六ヶ所村から太平洋岸を北上して、 東通村小田野沢の海岸へ出た。 南の方
に東北電力の東通原発が、 北の方に建設中の東京電力東通原発を遠望できるはずであったが、
濃い霧が海の方から押し寄せてきたために見ることができなかった。 その後、 西に向かって峠越
えをして恐山の山頂を見学し、 午後 2 時過ぎに大湊駅を発車するローカル線で八戸へ向かい、
その日のうちに新幹線で帰京した。
六ヶ所村の核燃料再生工場は、 ガラス固化設備のトラブルで長年停止している。 そして、 再
稼働は 1 寸延ばしに延期されている。 そこで働いている人びとの士気はどうなのか、 ということが
前から気になっていた。 そして、 福井県敦賀市の高速増殖炉 「もんじゅ」 もトラブルで長年停止
したままである。 福島第一原発の事故現場の後始末作業も、 難航している。 他方、 原子力業
界は 「人材育成」 を叫んでいる。 果たして現役の職業人が生きがいをもって働く職場がこの業界
に築けるのであろうか。 この点について現在の感想を述べてみたい。
1. 再処理工場の技術者と作業者
再処理工場のまわりの道路をほぼ2周し、 そのあと整然とした研究所群と管理職員たちが住む
真新しい住宅やサービス施設が並ぶ住宅街を抜け、 その外れの外洋と尾鮫沼を結ぶ川の岸に
立つホテル市原クラブへ入った。 電力会社から3年ほどの任期で出向してくる人たちのマンション
が並ぶ真新しい住宅街や研究所群は、 きれいだけれども人影がまったくなくてさびしかった。
夕方、 ホテル市原クラブ六ヶ所店へ入ると、 空き地が駐車場になっていて、 現場へ通う下請工
事会社作業員たちの乗用車やボックスカーが10台ほど停まっていた。 チェックイン ・ カウンター
にいる受付の人は男性ひとりだけであった。
「名前が 『市原クラブ』 というのは、 千葉県の市原市と関係があるんですか?」
「はい、 本店は市原市の姉ケ崎駅前にあります。 食事は本店で調理したものを運んでいますか
ら、 千葉県の食材を使っています」
「そうですか。 わたしは姉ヶ崎のコンビナートの中で働いたことがあるので、 そういうときはよく利
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用していました」
部屋は8畳の畳部屋が60室あるそうだ。 それぞれの部屋は、 定員2名で、 トイレ ・ 洗面所は
共用のものが2箇所、 食堂 ・ 浴室は共同でかなりの広さがある。 ちょうど、 1960年ころの学生
寮や独身寮のようなしつらえである。 今は工場が停止中で、 遠方から来る作業員も少ないらしく、
利用者は20~30人程度と見受けられた。 したがって、 部屋は8畳を一人でゆっくり占領できた。
食堂で見かけた作業員たちは30歳前後の元気のよい人たちで、 いかにも腕一本で渡り歩いてい
るという感じであった。
六ヶ所再処理工場を塀の外から
六ヶ所再処理工場は、 1984年に電気事業連合会が青森県と六ヶ所村に受け入れを要請した
ことから始まり、 93年に着工、 さまざまな欠陥が露呈して試運転が開始できなかったが、 2006
年にアクティブ試験を開始した。 07年にガラス固化体製造設備の使用を開始したが、 トラブル続
発で停止したまま、 今日まで稼働を停止している。 11年の福島第一原発事故以来、 新しい規
制基準の適合性審査を受ける必要が出てきて、 現在その審査手続きを遂行中である。 しかし、
ガラス固化体製造装置の代替設備は未完成であり、 新規制基準の審査手続きはいつまでかかる
かわからない。 市民による差止訴訟は25年間継続しており、 その間に担当裁判長が10名ほど
交代していて、 現在の裁判長は今年4月から新たに担当しているそうである。
この工場の従業員数は2011年度末で1442人いたとのことである (注2)。 そのうち、 意思決
定をする幹部社員は東電その他の電力会社から3年契約で出向しており、 単身赴任者が多いと
いう。 作業現場技術者はじょじょに地元雇用の人びとが増えて、 現在は半々だそうである。
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現在稼働していない工場の中で、 1400人もの人たちがどのような働き方をしているのであろう
か。 新しい規制基準に適合させるために、 若干の補強工事などをしているであろうが、 長期滞
在作業者のホテルでの様子から見ると、 それほど活発に改造工事を行っている様子ではない。
少し想像してみよう。
わたしの経験では初めてのむずかしい工場であっても、 基本計画に2年、 詳細設計に2年、
建設に2~3年あれば、 たいがいのプロジェクトは完成する。 しかるに上記の歴史をみると、 着
工から試運転まで13年かかっている。 そしてものの本によるとその間にプロジェクトリーダーは何
代か交代しているという。 われわれの常識では、一つのプロジェクトを完遂するには、責任者は「先
発完投」 を貫かなければまともな仕事はできない。 しかも建設工事に13年もかけていては、 士
気が保てない。 そもそも、 自分の仕事が大きな存在意義を背負っているという自覚があれば、
早く実現しなければという熱意が生まれるはずだがその自覚がない。 一つの仕事に緊張が続くの
は2年程度であろう。 このプロジェクトの遂行過程にすでに弛緩した心理を感じる。
では、 現在の中堅社員はどのような心理状態であろうか。 たとえば、 1984年の計画開始時に
大学卒業 (22歳) で入社した人は、 現在51歳の管理職であるはずだ。 また、 2007年に大学
卒業 (22歳) で入社した社員は現在30歳の中堅社員のはずである。 はえぬきの管理職員は自
分たちが設計建設してきた装置が途中で頓挫したまま現在は動かず、 いずれ動くようになった時
点には自分たちは退職しているだろう、 という予測をもっている。 現在30歳の中堅社員は、 先
輩方が計画し建設した設備の事故処理、 後始末を入社以来10年近くやっていて、 いつ再稼働
できるかの見通しもなく、 本格的な設計や建設に参加できない。 そういう職場に技術職として勤
務していたら、 自分を成長させる機会がなくて焦るか、 または無気力になるであろう。
このように、 日本の大企業のように終身雇用 ・ 年功序列を前提とした人事体制を組んでいるとこ
ろでは人材のロスが生じる。 一般民間企業は終身雇用を廃止しつつあるが、 行政官庁や東電の
ような独占企業では依然としてその原則を崩していない。 日本原燃という半官半民の企業は、 こ
の両者の延長線上にある。 短期間の期限付き出向 (つまり仕事優先ではなくて、 企業内組織上
のキャリア ・ パス優先) の人事政策に順応している人たちは、 仕事に入れ込むよりは困難を回避
する方に処世の知恵を働かせるであろう。 中心的技術者たちがこのように士気を保てない環境で
無為に過ごしていれば、 その指示の下に働く多くの現場作業員は、 さらに無為に過ごすことにな
ろう。 現在動いていない設備に日々1400人が勤務しているという事実だけでも驚きである。
2. もんじゅの点検漏れ
日本原子力研究開発機構は2013年2月7日に、 「内規に反し、 計 9847 個の機器で点検を先
送りしていた」 と発表していた。 その中には、 非常用ディーゼル機器やナトリウムの電磁流量計
など、 安全上重要な機器5基が含まれており、 1月31日には 「最重要機器についてはすべて点
検が終了した」 という報告書を原子力規制委員会に提出していた (注3)。 さらに、 2013年6月
21日に同機構は新たに4千個の未点検機器があったことを発表した (注4)。 都合約1万4千点
の点検放置項目があったというのである。 このことについて、 当時の鈴木篤之理事長は 「形式
的ミスはやむを得ない」 と発言したと報道されている (注5)。
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筆者が、 一般の石油プラントなどの現場と違う点として考えるのは、 点検が済んでいないのに
点検済みという事実と違う報告書を外部の監督官庁に提出し、 後で未点検の事実が発覚すると
いう、 組織としての機能不全である。 どんな会社でも、 書類には 「担当者-照査者-承認者」
という3人のハンコが押され、 少なくとも照査者も事実確認に出かけて確認することになっている。
少なくとも1万点の機器の検査報告をひとりだけの現場確認で済ませるということは考えられない。
新聞記者も同じ問題意識をもって書いている。
規制委の報告書によると、 もんじゅでは機器の点検業務は現場の担当者に任され、 組織として
点検状況を把握する仕組みがなかった。 現場作業員への聞き取りでは、 3 千~ 4 千個の機器の
点検をほぼ一人で担当するケースもあった。 また、 組織の体質の問題として、 現場と経営層の
意思疎通が不足していた (注 6)。
この記事ではいきなり経営層と現場作業員の2層が水と油のように分離していると説明している
が、 実際の活発な成績を上げている一般の職場では30代 ・ 40代の中間層が実力をもって走り
回り、 現場確認も書類づくりもすべてを統一的に処理している。 この種の安全点検は何も役所の
ために行うのではなくて、 操業した時に危険が発生しないかを確認するために行うのであって、
実務に精通した者であれば自分で点検結果を確認しなければ自分に危険が及ぶという心配をす
るはずである。
ここに見え隠れするのは、 中堅層が無気力になって、 自分がこの職場に滞在する任期のうちに
このプラントは動くことはないだろうとあきらめているのではないかということである。 仕事が完了す
る前に途中退場の予定を考えている者にまともな業務の完遂を求めるのは無理である。 また、 考
えられることは、 設備が強い放射能を帯びていて、 消耗品的に取り換えることができる臨時雇い
の作業員には現場機器の作業を行わせることができるけれども、 この職場に何年も連続勤務する
職員層には現場へ行かせられないという原子力施設が持つ本質的な阻害要因である。 そして、
第3には官僚的な職場によくある身分制度的階層である。 木村俊雄さんが東電を止めた動機は、
「お前そんな偉くなりたいのか、 でもなれねえよって低次元なことを言った東大出の上司がいて。
こんなレベルの低い人間たちが上司なんて」 ということだった (注7)。 ここには、 内発的な動機
が見られず、 肉体的に献身することを躊躇させる危険もあるし、 外側から来る不信醸成もあるし、
仕事をしたくなくなる理由はすべてそろっている。 そのような奴隷的職場に1400人を縛り付けて
おくこと自体が組織的な罪業であるし、 14000点の不作為は、 その環境に対する自然な抵抗な
のであろう。
3. 原発従事者の二層分離
福島第一原発事故の後始末の現場は、 2012年から13年にかけて4000人体制であった (東
電1000人、 協力会社以下3000人)。 2014年から15年にかけては、 協力会社の契約労働者
を倍増して、 7000人 (東電1000人、 協力会社以下6000人) になった。
東電のスタッフは、 放射線被ばくを避けるためにほとんど現場へ出ず、 現場で実務についてい
る人たちはほとんど短期契約の人たちである。 東電発表の被ばく量統計によると、 毎月700~
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六ヶ所再処理工場近くに最近施工された太陽光パネルのエネルギーファーム
800人が年間限度としている被ばく量 15mSv に達して退場している。 つまり、年間 1 万人ほどが、
被ばく限度に達して退場しているということである。
平時の原発の定期点検作業現場でも、 消耗品のように短期で使い捨てられる労働者たちが腹
いせのために、 核燃料プールの中にたばこの吸い殻やペンに始まり、 さまざまなものを落として
いくことが知られている。
「定検 (定期点検) をすごく短くした時があって、 1980年やそこらじゃないかな。 期間を短く
すればするほど元請けには報奨金が出たけど、 労働者にはお金がいかなくて、 きついだけになっ
た。 そういうとき、 配管とか炉の中とかに、 ペンとか机とか椅子とかはしごとか、 こんなもん普通
は落ちないだろうってもんがいろいろ落ちたって。 面白くないって全部ぶん投げたんだろって。
それからは報奨金制度はなくしたって」 (注8)
筆者は石油プラントの建設や定期点検の現場で働いたことが少なくない。 定期点検期間は2カ
月程度で終了するが、 一つの現場が終了すると別の現場に移る。 すると、 同じ監督や職人に出
くわすことがしばしばあった。 現場は違っても何十年来の顔なじみと一緒に仕事をするというのは
深い信頼感と安心感がある。 つまり、 元請け-工事会社監督-職人という三つの層が、 一見で
はない長年の知己になっている。 あるいは、 友達の友達として助けてくれる。 広い現場と多様な
職種を束ねるには多くの人びとの助けがなければ統一的な仕事ができない。 福島第一の現場に
おいて、 たとえば汚染水問題についても、 4年たった現在も同じトラブルを繰り返していて、 すっ
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きりした解決のめどがつかない。 熟練労働者が被ばく限度を超えて退場し、 職人層が一見の寄
せ集め労働者であるという。 いくら人数を増やしても、 水の層と上澄みの油の層が交わっていな
いで分離しているように見える。
4. 「人材育成」 の方向違い
原発の業界では、 ことあるたびに 「人材育成」 が叫ばれている。 大学の原子力工学科などに
学生が集まらなくなっているので、 廃炉の仕事が多くあるから若い技術者を 「育成」 しなければ、
とムラの消滅を年寄りたちが心配しているようである (注9)。 福島第一現場の後始末にせよ、 事
故を起こしていない原発の廃炉工程にせよ、 特殊な技術を要する仕事と捉えるのではなくて、 時
間をおいて放射線被ばくの影響を少なくすれば、 一般的な建設業界の人びとが淡々と処理でき
るような環境に近づくのであるから、 そのように仕事の計画を組み直す方向性が必要である。 今
のまま、 原子力の専門家を養成したところで、 「どうせ自分が定年になるまで完成しないし、 そも
そもこの仕事は先輩たちの後始末に過ぎない」 という、 専門技術者としてははなはだ士気の上が
らない職場に無理に縛り付けることにしかならないと予想される。
現場作業に手を下す職人層においてはなおさらである。 被ばく労働を一見の人びとと行って、
納得できる出来栄えを得られないうちに数カ月で退場しなければならない現場では、 腕に覚えの
あるまともな人材はやってこない。
原発は、 まともな職業人が働く場所ではない。
注 1. 核燃阻止1万人訴訟原告団講演会 「これでいいのか?新規制基準」
http://nakuso-gk.net/event.html#a31
注 2. Wikipedia 「日本原燃」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ 日本原燃
注 3. 「重要5機器、 未点検 もんじゅ、 『終了』 と報告」 『朝日新聞』、 2013年2月8日
注 4. 「点検放置、 新たに2千個 もんじゅ 規制委、 再調査へ」 『朝日新聞』、 2013年6月22日
注 5. 「もんじゅ点検違反 『形式ミス』 鈴木理事長発言規制委長が批判」 『朝日新聞』、 2012年12月20日
注 6. 「もんじゅ、 遠のく再開 準備中止命令 安全管理に批判」 『朝日新聞』、 2013年5月16日
注 7. 寺尾沙穂 『原発労働者』 講談社現代新書、 2015年、p.140
注 8. 寺尾、 前掲書、p.160
注 9. たとえば、日本学術会議総合工学委員会 「原子力総合シンポジウム 2015」 でも 「人材育成」
がひとつのキーワードになっている。
http://www.scj.go.jp/ja/event/pdf2/213-s-3-3.pdf
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