Comments
Description
Transcript
実務から見る憲法~具体的なマニュアルとしての憲法
2015 年 11 月 26 日 ロイヤリング議事 講師:弁護士 小林徹也先生 議事録作成者:前田 龍輝 「実務から見る憲法~具体的なマニュアルとしての憲法」 Ⅰ.はじめに 1990 年に大阪大学を卒業し、1994 年に弁護士登録をした。今は 52 歳で、弁護士 22 年 目である。 弁護士なってから 15 年ほどは、労働者側での労働事件を多く扱ってきた。中国残留孤児 国家賠償請求訴訟や、大阪空襲訴訟等、直接憲法が争点になるような、大きな事件にも関 わってきた。今は B 型肝炎訴訟やマイナンバー違憲訴訟を担当している。一方で離婚や交 通事故、破産などのごく普通の事件も担当している。 刑事事件もよく担当している。2011 年の 1 月には、裁判員裁判で初めて、近畿圏で初め て、全国で 5 番目の完全無罪判決を勝ち取った。しかし、この事件は検察官から控訴を受 け、控訴で破棄差し戻しとなった。これに上告したが、最高裁は控訴審判決を認め、一審 に差し戻しになった。つまり、もう一度の裁判員裁判が 3 月に行われ、ここで有罪判決が 出てしまった。今は、この判決に対して控訴をしている。面白かったのは、差戻し前一審 の裁判員裁判では 22 時間程度尋問が行われたが、差戻し後の裁判員裁判ではそれらをすべ てビデオで放映したため、居眠りしてしまうような裁判員がいたことである。 最近は、デモや行進をする人が警察に不当に妨害されたり、通行人とトラブルになった りするのを防ぐために、弁護士と書かれた腕章をつけて見守るという、見守り弁護団の活 動も行っている。 大学の時は、授業を熱心に聞いていたわけではなかった。弁護士になってからも、事件 に必要な範囲で勉強するだけなので、特定の法律について専門家であるというわけではな い。 講義の目的は、 「憲法とは何か」ということを、労働基本権や、私が扱った具体的な事例 を踏まえて説明することである。というのも、最近の日本では、憲法というと非常に抽象 的なもので、あたかもイデオロギーの話とみなされてしまうようになっているからである。 護憲を主張すれば左翼とみなされ、改憲を主張すれば右翼とみなされという風に、共通の 認識を土台とした、冷静な意見交換が出来ないような雰囲気になっている。しかし、憲法 も法律であり、一定の価値を実現するためのルールである。それを冷静に見つめなおして ほしい。 先程言ったように、私は実務家としての弁護士である。しかし、実務家というのは、目 の前に現れた具体的な事件について、事件をどのように解決するか目的を見定め、そのた めに出来るだけ合理的かつ法律的に解決することを立場とする人間である。だから、憲法 についても、具体的な手段、道具として見ることが適切ではないかと思っている。 Ⅱ.私が考えるところの憲法とは 講義の結論を先に述べると、日本国憲法というのは、個人の尊厳という一つの価値を実 現するための、具体的かつ現実的なマニュアル集であり、決して、理想郷を目指すような 抽象的なものではないと思っている。日本国憲法が実現しようとする目的は、例えば、天 皇制の国体の維持といったものではなく、あくまで 13 条に書かれている個人の尊厳である。 憲法は、 「我々」を出発点としているのではなく、 「私」 「一人一人」を出発点としている。 「私」を最高の価値あるものとして考え、「私」が幸せになるためには具体的にどのように していけばよいか決めていったものが、憲法というマニュアルである。SEALDs のデモ等 を見て感心するのは、「私」を出発点として、「私」が生きるためにはどうあるべきかと話 していることである。私はこの点に気づくのには多くの時間がかかったが、彼らはこの点 にいち早く気づき話しているのだと思い、感動して話を聞いている。 例えば、何万人かの集団がいたとする。この集団が、一人一人ができるだけ平等に、自 由に暮らすことを目的としたいと思った。それを実現しようとするときに、憲法を渡して、 このマニュアル通りに動けば、一人一人が自由かつ平等に暮らせるようになる。憲法とは そのようなものだと思っている。建物を建てるのに、設計図通りに動くのと同じである。 例えば、集団がどうやって物事を決めるのかについて、国会、内閣、司法という 3 つの 権力を設けるようにと書いてある。しかし、単に機関だけを設けても、どのような基準で 動けばよいのかが分からない。そこで、何を守るべきかについて、例えば人権規定等を置 いている。そして、憲法というマニュアル集は、それまでに何の蓄積もなく、戦後突然出 てきたわけではない。それまでに、色々な時代、色々な国で既にマニュアルが存在し、日 本が置かれた国際的状況、歴史的経緯等を考慮して、今の日本にはこういうマニュアル集 が必要だろうということで設けたものである。どこの場所にどのような建物を建てるかで 設計図が異なるように、敗戦という特定の時期に、日本人という特定の民族に合うもので なくてはいけなかった。誤解を恐れずに言えば、憲法に書いてあるから守るのではなく、 一人一人を大事にするために守らなくてはいけないことが、たまたま憲法に書かれている のである。そして、守ることによって実現される価値を知るためには、憲法の歴史的な背 景を知る必要がある。言い換えれば、マニュアルの読み方を知る必要がある。 憲法の全ての条文には、憲法の基本書に書かれているような小難しいことではなく、様々 な歴史的背景や物語の蓄積がある。もちろん、それを全て話すには 90 分の授業では足りな いから、労働分野等のいくつかの具体例で話していく。 憲法がマニュアルである以上、誰が作ったかはあまり関係ないように思う。車を作った のはアメリカ人だが、今はどこにでも普及しているように、役に立つものは利用すればい い。私は事件の中で否が応でも労働法等の法律を使ってきた。実務家で弁護士である私に とっては、労働法や憲法といった法律というのは、目の前の依頼者を救うための道具であ る。その人を救えないのなら、少なくとも実務家にとっては何の意味もない。法律が使え ないなら別の手段を考える、それだけのことである。法律家というのは、事実を法に当て はめて、結論を出している、という風に考えているかもしれない。しかし、少し乱暴な言 い方をすれば、そうではなく、まず結論を決めて、それから結論にあうように理屈を決め る。特に労働法や憲法の分野では、理屈ではどちらにもころがせるような事件が多く、裁 判官がどう考えているかという価値判断が非常に重要になる。裁判官は良くも悪くも中立 ではない。裁判官がどのような価値判断をもっており、そこにどう訴えるかは非常に重要 な問題である。 私が経験した事例を紹介する。当時 17 歳の少年が半身不随になるような大けがをし、会 社に対して損害賠償請求をした。会社に責任があることは明らかであったが、会社名義の 財産がほとんどなく、おおくの財産は会社の社長個人名義のものだった。裁判が進む中、 ある日裁判官から直接電話がかかってきて、 「この条文を使って、社長個人の責任を追及で きませんか。 」と言われた。この裁判官の価値判断としては、「この少年を救わなければな らない」ということがはっきりしていた。どうしても救わなければならないから、賠償金 が払われないという判決は許されなかったのである。 このように、裁判官が直接電話をしてきて、切り口や突き詰め方を提案してきたことが 何度かあった。もちろん、私が弁護士として優秀でなかったという側面もあるが、依頼者 を裁判所として救わなければならないという価値判断をしたのだと思う。 中国残留孤児国家賠償請求では、全国の 13 の地裁で裁判をした。各地域の弁護団は頻繁 に意見交換をしていたので、訴状や準備書面の内容はほぼ同じだった。ところが、賠償が 認められたのは神戸地裁のみだった。これも、法律構成の問題というより、残留孤児を救 わなければならないという価値判断を持ったのが神戸地裁の裁判官だけだったということ である。 実務家になって多くの事件を扱ってきて思ったのは、裁判所、特に最高裁ほど、良くも 悪くも政治的な判断をするところはない。そこに中立という仮面を被っているから怖い。 「裁判所が言っているから仕方がない」ではなく、裁判所も世間の傾向等を見て判断を変 える。12 月に判決が出る夫婦別姓の問題にしても、どちらに転んでもどうとでも言えるも のである。結局、最高裁は政治的な判断を下すことになる。 Ⅲ.労働基本権について そのようなマニュアル集である憲法について、労働契約という場面を見る。 労働契約との比較対象として、売買契約について考える。例えば、私が持っているカバ ンを 100 万円で買いたいという人がいたとする。それに対して私が了解し、契約書を作成 し、今月末にカバンの引き渡しと引き換えに 100 万円を支払うという約束をした。ところ が、買主が、汚いから 100 万円では買えないと言ったときに、私が買主を訴えて、カバン を渡すから 100 万円支払えと主張すれば、当然私が勝つ。つまり、基本的にどのような合 意であっても、当事者が了解すれば、それに法的な効果を与える。これが私的自治の原則 であり、現代社会の基本である。 では、私的自治の原則が労働契約、雇用契約に当てはまるのか。労働契約というのは、 労働者が労働を提供し、それに対して使用者が対価としての賃金を支払うという契約であ る。私的自治の原則が当てはまるなら、売買契約と同様に契約の内容は自由のはずである。 例えば、1 日 15 時間働き、土日も働く、時給は 300 円、男女で時給を変える、といった契 約でも可能のはずである。嫌ならそのような契約をしなければいいし、当事者双方からの 解約も自由のはずである。労働者がストライキをすれば、使用者が債務不履行を原因とし て損害賠償を請求できるはずである。しかし、ご存知の通り、労働契約において、私的自 治の原則は、少なくとも表面上、法律的にはまかり通っていない。労働時間や賃金につい ては労働基準法で定められているし、男女差別も禁止されているし、自由な解雇も認めら れないし、正当な目的があればストライキができ、それに対して法的な責任追及もされな い。それはなぜか。この点の歴史的な背景を伝えたい。 先程言ったように、私的自治の原則には、基本的には絶対的な保護が法的に与えられる。 以下のようなことを言った人がいる。「労働契約というのは、労働者と使用者がお互いの自 由な意思で結んだものである。それならば、いずれかの意思でその契約を将来に向かって 終了させることは本来自由である。労働者が自由に辞めることができるなら、会社も自由 に解雇することができるだろう。 」これを言ったのは、10 年以上前に和解交渉をしていた時、 労働事件を担当する労働部の裁判官である。この発言についてどう思うか、一緒に考えた い。 私的自治の原則は、対等な当事者を前提としている。その当事者が自分の意思で決めた ものを守らせようというものである。近代市民社会が形成されて間もないころは、私的自 治の原則は意義あるものだった。例えば日本の民法は、社会関係の近代化等を目的として、 1896 年に制定された。当時は徒弟制や弟子入り等、使用者による労働者の身分的な支配が 成り立っていた。その時の民法は、使用者と労働者は対等であり、当事者の合意によって のみ拘束されると規定を置いた。近代化が遅れていた日本では、人と人が対等で、対等な 人間が契約によってのみ拘束されるという考え自体に意味があった。 しかし、歴史が進む中で様々な矛盾が発生した。明治政府が早急に近代化を進めるには、 資本を持つ使用者と、それを支える多くの労働者という構造が不可欠だった。そこで、財 閥に土地と資本を集中させ、労働者にはどのような過酷な条件でも働かせた。財産を持た ない労働者が、労働条件や賃金を交渉することなど不可能だった。資本家はどんどん裕福 になり、一方で労働者はどんどん貧しくなり、格差が広まっていった。そのような時代に、 労働者が組合を作ってストライキをするといったことは、債務不履行になるうえに治安維 持法等で取り締まられていた。当事者が形式的には対等であるということを前提にしてこ のような構造を続けていた結果、社会全体として困ったことになってきた。日本では貧し い労働者ばかりでものが売れないから、企業や政治家は市場、資源、土地や労働力等を外 国に求めた。 そこで、例えば、中国東北地方に満州国を建設し、現地の人たちを強制的に立ち退かせ た。ソ連の国境付近であるということを隠しながら、「満州国に行けば広大な土地がもらえ る」等と日本で大々的に宣伝をし、貧しい農家の次男や三男の人たちを中心に大量の日本 人が送り込まれた。当時は大きな市場も出来て企業は儲かるぞと思った日本人も多かった。 何年か前に「小さいおうち」という映画があった。その中でも、中国に入ってこれから忙 しくなるなあ、という会話をしている場面があったが、そう思う人も多かった。 少し本題からは外れるが、日本が敗戦する直前の 8 月 9 日、ソ連軍が満州国に攻め込ん できた。関東軍はソ連軍の攻撃を予測して先に逃げていたうえに、ソ連軍が追って来れな いように鉄道等を爆破していた。それを知る由もなかった、日本から送りこまれた人たち は、着の身一つで歩いて南下を始めた。逃亡中にソ連軍に殺されたり、中国人に襲われた りして多くの人が命を失った。また、12 月頃になると中国の東北地方は非常に冷え込むた め、子供を置き去りにしたり中国人に託す人もいた。そのような子供は労働力として使わ れ、また迫害を防ぐために日本人であることを隠すよう言われ続けた。この人たちは 1972 年の日中国交回復によって日本に帰国したが、何十年も中国にいたせいで日本語が話せず、 仕事もないので生活保護を受けざるをえない状況になった。これについて、そもそも中国 に置き去りにしたうえ、戦後も帰国を促さなかったがためにこのような状況になったとい うことで、中国残留孤児国家賠償請求が始まった。普通に法律の勉強をしていれば、この ような裁判に勝てるのかと思うかもしれない。しかし、先程も言ったように、13 地裁のう ち神戸地裁では、最終的に和解でなくなったものの、何億の賠償命令が出た。 話を戻すと、社会全体として困ったことになってきた、日本では貧しい労働者ばかりで ものが売れないから、企業や政治家は市場、資源、土地や労働力等を外国に求めた。しか し、一部の人たちの利益のために他国を支配しようとすれば抵抗にあうのは当然で、日本 は戦争に負けた。そして、日本国憲法が制定されることになった。当時の GHQ は、非常に 簡単に言えば、以下のように考えた。「日本では資本が集中して労働者が貧乏になり、国内 の購買力が落ちたから、戦争をして他国を占領しようとした。だから、軍事力をなくすだ けではなく、集中しすぎた資本は解体し、労働者の権利を向上させて、国内の購買力を上 げれば、他の国に戦争を仕掛けるようなことはなくなるだろう。そのためには、戦前のよ うな形式的な平等ではなく、日本国民全体が実質的に平等になるような仕組みが必要だ。 」 この考えは GHQ だけではなく、戦争に負けた当時の日本人にも受け入れられた。そこで、 憲法 25 条で、 「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と規定された。その うえで憲法は、この生存権を具体化するために、勤労の権利と義務を定め、勤労条件を法 律で定めると憲法に書いた。 この点のすごさを分かってほしい。売買契約では、値段の基準を法律で定めるといった ことは、憲法に書かれていない。労働契約については、賃金は、憲法がわざわざ法律で定 めると言っている。当事者が納得するならそれでいい、という風にはしません、というこ とである。歴史的な経験からすれば、労働者は放っておくと使用者に経済的に従属してし まう。だから保障なしには、人間らしい生活が保証されないという実態を認識したのであ る。誤解を恐れずに言えば、憲法というのは完全な自己責任を否定している。そのような 選択をせざるをえない状況で行った選択には、絶対的な効力を認めない。私はここを非常 に重要だと思っている。自分で決めたんだから自分で責任を持て、そのような自己責任論 では社会は到底上手くいかず、また格差が広まってしまうから合理的ではないということ を、歴史的な大実験から学んだのである。分かってほしいのは、憲法は、 「貧乏な人は可哀 そうだから、救ってあげよう」ということを言っているわけではないということである。 歴史的な経験から、そういうふうにしないと、お金持ちの人も含めて社会全体が機能しな くなる。生存権を規定することが、社会全体を維持するために合理的なのである。 もう 1 つ大事なことは、憲法は労働者の権利については明文で規定しているが、使用者 の権利を定めてはいない。労働者と使用者という観点から見ると、決して中立にはなって いない。もちろん、使用者を無視しているわけではなく、財産権や営業権を保障しており、 誰を雇うかや誰に賃金をいくら払うか等の自由を保障しているが、これらはいずれも勤労 権をはじめとした公共の福祉の制限を受ける。つまり、憲法は個人の尊厳、一人一人に最 高の 価値があるとし、その価値を守るためには、労働契約の場面においては、労働者側にそ れぐらいの力を与えなければ、最終的に個人の尊厳が守れないし、社会全体がうまくいか なくなる、そういう風に私は思っている。 ここまで言うと、先程の裁判官の発言、 「労働者がいつでも辞めれるのなら、使用者だっ ていつでも解雇自由である」 、このようなことを言う裁判官がいかに歴史的な事実を無視し ているかが分かると思う。このような考えをもつ裁判官は多くいる。司法試験では歴史的 な背景等を知らなくても、テクニックがあれば合格することが出来る。しかし、なぜ 1 つ 1 つの条文が存在するのかは、法律家として知っておくべきである。 なぜ、労働法の存在意義や基本原理をあえて講義で話しているかというと、憲法の趣旨 に真っ向から反発する動きが現に起きているからである。ブラック企業やブラックバイト 等は身近な言葉ではないだろうか。毎年もらうアンケートにも、自分もそういった経験が あるということが書いてある。そこでは「お前が悪いんだから責任をとれ」と言われ、無 理にシフトを入れられるといったことが起きている。そういう時に反論できるように、し っかり理解してもらえたら、と思う。また、例えば、労働時間の制約についても、ホワイ トカラーエグゼンプションといった、本人の合意があればなくしてしまおうという議論が あるが、これもやはり歴史的な経験を無視していると私は思う。 Ⅳ.労働者の従属性 貧しい人が増えているというのが、毎日のように新聞にとりあげられている。不満も募 る中、労働問題に強硬な発言をする政治家がいる。国内の不満から国民の目を背けるため に、領土問題や外交問題、国内の社会的弱者などに向けるというのは、いつの時代でも政 治家がやる常套手段である。政治家にとっては、これは非常に合理的な手段である。 また、派遣法の制定や適用範囲の拡大、非正規雇用者の増加も、これまで私が説明して きた憲法の趣旨に反しているのではないかと思う。派遣法が制定されたのは 1986 年頃だっ たが、それまでは派遣は職安法で違法だった。もともと憲法は派遣を認めていなかったの が合法化された。私が弁護士になった平成 6 年ごろは、労働事件で解雇事件といえば大抵 は勝っていたのが、90 年代後半から、条文が変わっていないのに負けることが増えてきた。 これも、やはり裁判所が政治的な影響を受けていることの表れだと思う。 今言ってきたことを、偏っていると思う人もいるかもしれない。労働者が可哀そうだか ら労働者の側に立って弁護するという思いももちろんあるが、私が言いたいのは、全体と して合理的かつ効率的に憲法の価値を実現しようと思うなら、ある場面では労働者側に肩 入れする方が、最終的には、社会全体が上手くいくだろう、ということである。 このような共通の土台がないと、議論をするのが難しい。労働者の従属性は、中々裁判 所に理解されない。セクハラやパワハラの事件も扱うが、労働者ははっきりと拒否できな いことが多い。経験された人もいるかもしれないが、女性が男性に肩を叩かれるのは嫌悪 感を抱きがちである。かといってはっきりと拒否はできない。セクハラだと訴えても、裁 判所は「その時に嫌だと言ってないのだから、了解していたのだろう」といった判決が今 でも出る。 Ⅴ.法曹にとっての「想像力」の重要性 法の解釈というのは、その人が置かれた具体的な状況や立場をどれだけ重視するのか、 その価値判断で変わってくる。法律というのは、一定の価値を言葉で説得する技術だから、 もともとの価値判断をどういうものかということを出発点として理解しなければ、解釈は 上手くいかない。例えば、恵まれた環境の中で、努力する才能もあって成功した人間は、 どうしても自己責任を強調する傾向にあるのではないかと思う。頑張って一定の地位を築 いた両親のもとに生まれた子供は、やはり努力して目的を達成しようとする考えを持つこ とが多いと思う。努力しようと思っても環境も重要で、経済的に豊かなだけでは足りない。 私は父親が弁護士で、経済的にも余裕があったから弁護士になれたのだと思う。一定の勉 強をすれば何とかなるという価値観も小さいころから培われた。偶然、幸福な家庭に生ま れることが出来たのだと今では思っている。 しかし、格差が固定化され、いったん貧困になれば中々戻れない社会を皆さんが望むの か。そのような状態が、これから一人一人が幸せに生きていくうえで本当に合理的な状態 なのかを、法学部である以上は理屈で考えてほしい。 最近、ピケティという人物が書いた本によって、経済学者の間で議論が起こっている。 いわゆる、 「ピケティ論争」というものである。様々な統計等を駆使した結果、政策を放置 しておけば、貧富の格差はどんどん拡大し、絶対に縮まることはないという理論である。 お金持ちが資産をもって投資をしていく速さのほうが、労働者の賃金が上がる速さに勝っ ているから、貧富差は広がっていく、という理屈である。世界的に貧困の格差が重大な問 題になっている。先程からも言っているのは、貧しい人が可哀そうだから、そういうもの をなくしていこう、ということなのかどうか、ということである。自由競争である以上格 差は仕方がないと考える人もいるかもしれない。しかし、貧富差が拡大したときに、長期 的に見て貧しくない人にも影響が出ないのか、考えてほしい。憲法は、社会全体としてそ のような状態は合理的ではないのだと、私は考えている。 様々な課題を克服するために、法律家が出来ることは何かということについてお話しし たい。この点について、伊藤塾の伊藤真弁護士をお呼びして、お話を聞いたことがある。 その話は、10 年ぐらい前のことだが今でも覚えている。 「今の自分にとって、憲法は全然必 要ない。五体満足で、東大も出て社会的地位も持っている。そんな自分にとっては、憲法 なんかなくたって十分に生きていける。多数者は、憲法がなくても幸せに生きていける。 憲法が必要なのは、少数者や社会的弱者である。例えば、五体満足の私たちが気にも留め ないような道路の段差は、車椅子を使う人にとってはものすごく大きな障害となる。しか し車椅子を使う人は多数者ではないから、数の力で道を変えることはできない。憲法はそ のような社会的弱者を守ろうとしている。それは、可哀そうだからではなく、そうしない と社会全体が上手くいかないから。では、今憲法が必要ない者にとって、憲法はずっと必 要ではないのか。それは違う。事故にあって体が不自由になるか分からないし、障害を持 った子供が生まれるかもしれないし、経済的に失敗して貧しくなるかもしれないし、戦争 になって全てを失うかもしれない。そういう時に、憲法は我々の味方となる。しかし、今 は必要ない。ここを結び付けるのが、想像力である。 」 ここでいう想像力とは、空想するといったことではなく、自分が同様の立場に置かれた 時に、どのように感じるかを具体的に考え、実感する力である。例えば、日々の生活に困 らず、健康でほしいものは手に入る人が、食べたくても買えない、体が不自由でちょっと した段差も辛い、これを自分の出来事のように実感できるか。どれだけ実感できるかが、 法律家にとって非常に重要な資質だと思う。 先程、私に電話してきた裁判官の話をしたが、その裁判官は、半身不随になってしまっ た少年が今後生活していくのにどれだけ苦労するかということに、思いを巡らせたのだと 思う。あるいは、中国残留孤児国家賠償請求で賠償を認めた裁判官、この人は後にヘイト スピーチの裁判でも、ヘイトスピーチをした側に高額の賠償を命じた人だが、自分が寒い 中置き去りにされ、異国の地で育ち、帰ってきても言葉が通じない、ということについて 多かれ少なかれ考えたのだと思う。 法律家にならなくても、この考えは非常に大事だと思う。異なる価値観の人と話してい て、どうしても話がかみ合わない、その時に馬鹿にしたり軽蔑したりするのではなく、「こ の人はどういう人生を送ってこのような価値観を持つに至ったのか」と考え、共通する価 値観や土台を探るべきである。これは決して抽象的な理念ではない。例えば、証人尋問の 時などにもこれが当てはまる。証人の価値判断の出発点を見極め、「その価値判断なら、そ のような結論には至らないだろう」と相手を説得できるかは、法律家として重要な資質で ある。 例えば、パリでもテロがあった。私たちからすれば、テロを起こす人は頭がおかしいの ではないかと思いがちである。しかし、そのような人は殺すしかないと私たちが考えてい る限りは、テロはなくならないのではないかと思う。なぜテロをするようになったのか、 どのような環境で育ち価値判断をするようになったのか疑似的に体験をし直せるかが、真 にテロをなくすためには効率的な手段の出発点だと思う。例えば、平和という言葉を使う 時、平和とは具体的にどのような状態を指すのか考えるべきである。私が考える平和とは、 朝起きて、子供を起こし、子供にご飯を食べさせ、子供を送り、事務所に行って仕事をこ なし、帰宅して、テレビを見る等して寝る、このような日々が続くことである。では、こ れを維持するために何をすればよいか。このように考えていくべきだと思う。同じ友人同 士、同じ日本人同士でさえ相手の価値判断を理解するのが難しいのに、テロをするような 人の価値判断を疑似体験するのはとても難しいが、これを追求しないとテロを防ぐための 効率的な手段は出来ないのではないかと思う。 私が今言っていることは、決して綺麗事や理想論ではない。憲法は、一人一人が大事だ という価値を言っているに過ぎない。一人一人が一番幸せになるために、どのような手段 で何を決め、どのような方法で実行すればそれが実現されるか、一番効率的かつ合理的な 方法は何かを説明しているのである。そして、一部の人たちや社会的弱者だけを幸せにす るものではなく、全員を幸せにするための具体的かつ現実的なマニュアルだと思う。長期 的に見れば、一部の人たちだけが幸せになることは不可能である。その時点だけを見れば お金持ちが幸せかもしれないが、その状態が継続することはない。その時点での社会的弱 者にも手を広げて救済しないと、全体としての国家が維持されない。憲法は、このような 歴史的認識のもと作られたものである。一人一人が幸せになりたいと思うのは、皆同じで 共通の土台である。目的が一緒ならば、次はその手段や合理性について話していくのがよ いと思う。 例えば、憲法 9 条や安全保障法制をめぐる議論が夏にあった。安全保障法制について賛 成する人は、 「憲法 9 条は非常に理想主義的、抽象的で、これを守っているだけでは今の国 際社会ではやっていけない。だから安全保障法制が必要である。そもそも世界中の国が全 て武器を捨てればいいというのは夢物語で、9 条は非現実的である。」と主張する。しかし、 最初に言ったように、憲法は理想郷を目指すものではない。憲法は 1945 年に敗戦し、日本 と交戦した欧米諸国は当然軍隊を持っていた、という国際的状況の中で作られたものであ る。この状況を出発点とし、日本が今後の国際社会で強かに生き残っていくのにはどのよ うな手段が合理的かつ効率的かと考えたのである。まずは国際社会に復帰するために、日 本は軍隊を持たない、その代わり他の面で国際社会に貢献していくと宣言したのである。 理想に燃えたわけではなく、このような手段をとらないと、国際社会に復帰できなかった のである。現に日本は国際社会に復帰し、高度成長を遂げた。 当時と今の国際社会における状況が全く異なっているのなら、9 条を改正すべきである。 だからまずは、今の状況が異なっているのかを議論すべきであるし、加えて 9 条を改正し、 安全保障法制をつくることが、一人一人が幸せになるのに合理的かどうか考えるべきであ る。もっと端的に言えば、右翼とか左翼とかいったイデオロギー的なことではなく、損な のか得なのかで考えるべきである。メリットでよく主張されるのが、抑止力である。しか し、そもそも理屈として納得できない。日本が戦争をする時にアメリカに手伝ってもらえ るようになるのならば、日本を攻めようとする国はアメリカの存在を考慮するだろうが、 安全保障法制は、アメリカが戦争をする時に日本はそれを援助できるという法律である。 抑止力という抽象的な言葉にとどまらず、どの国がどう考えるかまで考えてほしい。例え ば安全保障法制が成立したとして、中国は、日本がアメリカを味方につけたと考えるだろ うか?中国は、日本とアメリカが同盟を結んでいるという前提で軍事力を備えているはず である。他方で、中国は巨大な市場であり、日本の企業の多くも中国に進出している。そ のような状況の中、中国に刺激を与えてしまうような法律を作ることで、どのような得が もたらされるのだろうか。経済的に損することはあっても、何も得しないように私は思う。 安全保障法制が成立しても、自分には何の影響もないと考えるのも一つの考え方であると 思う。しかし、私は自分の子供の将来を具体的に考えている。企業に勤め始めてから中国 に転勤するかもしれない、そのようなときに中国と日本が険悪になっているのは嫌だと思 う。皆さんも法律家である以上、具体的な事実関係を確認し、それぞれのメリットとデメ リットを比較考慮し、目的にとって合理的かつ効率的かどうかを検討できるようになって ほしい。 先程、中国残留孤児国家賠償請求で、神戸地裁では勝ったことを紹介した。その後、東 京地裁では負けてしまったのだが、作家の瀬戸内寂聴が東京新聞に以下の文章を寄稿した。 「私たち、戦争の時代を生き、戦争の実態とそのむなしさを経験した者が、いくら話をし ても、戦後生まれの人たちに自分と同じように感じさせることは出来ない。それでも、人 間には想像力の可能性が与えられている。残留孤児の苦労を、帰国後の生活の苦しさを、 彼らと同じには分からないまでも、私たちは、自分を人間と思っているなら、想像力を奮 い立て、駆使して、彼らの辛さ、苦しさ、心のひもじさを理解しようと努力すべきであろ う。判決文を読み、こういう判決文を書ける人の想像力のなさに恐怖と絶望を覚え、身も 心も震え上がった。 」裁判官を含む私たち法律家にとって、法律というのは一定の価値判断 を実現するための、言葉による説得の技術である。ここを間違えないでほしい。その価値 判断を実現するのに、暴力やお金で実現する方法もあるかもしれない。しかし法律家は、 それを言葉による説得で実現しようとする人間である。それをするためには、相手の立場 にたって、相手がそのような価値判断を持つに至った経緯をどれだけ自分のものとして実 感できるかが重要な資質である。現代では価値判断の話と価値判断から出た手段の話とが 混合されている。好き勝手に議論するのではなく、共通する価値判断は何かで、その価値 判断を実現するためにその手段が本当に合理的かつ効率的なのか考えられるようになって ほしい。 Ⅵ.終わりに 今後皆さんが生きていく社会は大変だと思うが、法学を学んだものとして、私が紹介し た考えでものごとを考えられるようになってほしい。ただ、私が話してきたことは、色々 なところで得たものを私なりに噛み砕いたものである。中には、本と書いてあることと違 うといったこともあるかもしれない。私なりに考えたものであって、私が言ったから正し いというわけではない。皆さんには今後も、よく考えてほしい。 以上