Comments
Description
Transcript
こちら(PDF) - JSPS海外学術動向ポータルサイト
カントリーレポート 2015年度版 ミャンマー連邦共和国の高等教育基礎事情 バンコク研究連絡センター 2016 年 3 月 目 次 第I章 ミヤンマー連邦共和国の概要 第 II 章 『教育基本法』制定から『国民教育法改正法』へ 29 第 III 章 ミヤンマーから日本への留学生 64 参考文献 2 67 第I章 ミャンマー連邦共和国の概要 1.概況 1.1 一般的事項 (1)国 名:ミャンマー連邦共和国(Republic of the Union of Myanmar 以下、ミャン マー) (2)面 積:676,578km²(世界 40 位 (3)人 口:5,148 万人(図 1)(2015 年 5 月 29 日現在)1 (4)首 都:ネーピードー (Nay pyi Taw) (5)言 語:ミャンマー語、シャン語、カレン語、英語 (6) 宗 日本の 1.8 倍) 教:仏教(89.4%)、キリスト教(4.9%)、イスラム教(3.9%)、ヒンドゥー 教(0.5%)など 1.2 基礎的経済指標(2014 年)2 単位 2013 年 2014 年 実質 GDP 成長率 % 8.3 7.69 名目 GDP 総額 100 万 US$ 62,802(図 3) 62,802(図 3) 1人当たり名目 GDP US$ 869 1,221 <GDP> (図 2) (図 2) <消費者物価指数> 5.9(年平均) 消費者物価上昇率 % 5.71(年平均) (2014 年 4-10 月の 平均値より算出) 消費者物価指数 <失業率> 1817.85 118.61 (1995 年=100) (2005 年=100) % 4.0 <国際収支> 経営収支 (国際収支ベース) 貿易収支 (国際収支ベース) 外貨準備高 為替レート(期中平均値、対 ドルレート) 100 万 US$ -3,090 -1,640 100 万 US$ -2,556 -3,005 100 万 US$ 該当なし 該当なし チャット 2 962.5334 984 通貨供給量伸び率 % 33.6 輸出額 100 万 US$ 11,204 対日輸出額 100 万 US$ 513 輸入額 100 万 US$ 13,760 対日輸入額 100 万 US$ 1,296 直接投資受入額 100 万 US$ 4,107.05 22,487 (図 4) 780 (図 4) 24,313 (図 5) 1,303 (図 5) 4,365 2.歴史 11 世紀半ば、ビルマ族による最初の統一王朝であるパガン朝(1044~1287 年)がエーヤワ ディー川中流域で誕生した。パガン王朝は、上座仏教や文字、技術などを先進民族である モン族から受け入れた。 13 世紀にモンゴル軍の侵略によりパガン朝が滅亡し、シャン族が支配するアバ朝(1364~ 1555 年)やモン族が支配するペグー朝(1287~ 1539 年)などが誕生し、分立時代となった。 16 世紀中頃までは分裂の時代が続いたが、その後、ビルマ族の王朝であるタウングー朝 (1531~ 1752 年)が再び統一を果たした。しかし、王位継承争いや周辺民族の侵略により、 王朝は衰退し、1752 年にモン族によって亡ぼされた。また、その年にアラウンパヤーがモ ン族に勝利して、コンバウン朝(1752~ 1885 年)を成立させる。コンバウン朝はアバ・ダガ ン(のちのヤンゴン)やペグーなどを次々に攻略し、勢力を拡大させていった。 19 世紀前半、インドのアッサムを征服し、カチャール王朝まで勢力拡大を狙ったが、カ チャール王朝はイギリスを保護国としていたために、イギリスとの第一次ビルマ戦争(1824 ~26 年)が勃発した。この戦争にビルマ側が敗北し、1826 年のヤンダボ条約において征服し たインド領の権利を放棄することが決められた。しかし、ビルマ側はこの条件を無視した ため、第二次ビルマ戦争(1852 年)が起こり、国土の半分近くを失った。そして、第三次ビル マ戦争(1885~86 年)によりコンバウン朝は滅亡した。この年からビルマはイギリスの支配下 に置かれることとなった。 ビルマの対イギリス独立運動は第一次世界大戦中に始まり、1937 年にバー・モウ氏を中 心としたビルマ人の政権が誕生し、独立に向けた動きが本格化した。 1942 年には、アウン・サン氏がビルマ独立義勇軍を率いてイギリス軍と独立をかけた戦 いを開始した。1943 年、日本軍の力を借り、イギリス軍に勝利を収めた。そして、バー・ モウ氏を大統領とするビルマ国が建国された。しかし、日本の敗戦が濃厚となったため、 アウン・サン氏が率いるビルマ国軍はビルマ国の存続のためにイギリス側が提案した独立 3 保持を受け入れ、ビルマ国と日本軍に対してクーデターを引き起こした。このクーデター は成功したが、再びイギリスの支配下に置かれることとなった。 クーデターを起こした中心人物であるウー・ヌー氏がイギリスとの交渉を続け、1948 年、 イギリスの支配から独立し、ビルマ連邦共和国が建国された。 1954 年には、 『日本ビルマ平和条約』が結ばれ、日本との正式な国交が開始した。その後、 議会制民主主義を導入するが国内政治は安定せず、1962 年ネ・ウィン将軍率いる国軍がク ーデターを起こし、一党支配の社会主義国となった。その後、国軍が政権を掌握し、軍事 政権が続いていく。ビルマ国は 1974 年~1988 年までビルマ連邦社会主義共和国という名称 であった。その後 1989 年にミャンマー連邦に改称された。 2010 年 11 月に行われた大統領選挙で民政の代表であるテインセイン氏が勝利し、翌 2011 年 3 月にテインセイン氏が大統領に就任し、約 50 年の軍事政権に幕を下ろした。これを機 に、アウンサンスーチー氏の自宅軟禁が解除され、国際的な民主化へ向けた動きが始まっ た。 3 4 3.内政 1988 年、全国的な民主化要求デモにより 26 年間続いた社会主義政権が崩壊したが、国軍 がデモを鎮圧するとともに国家法秩序回復評議会(SLORC:State Law and Order Restoration Council)を組織し政権を掌握した(1997 年、SLORC は国家平和開発評議会(SPDC:State Peace and Development Council)に改組)。 1990 年は軍政主導体制が確立された年である。この年の 5 月に総選挙が実施され、野党 である国民民主連盟(NLD:National League for Democracy)が圧勝した。しかし軍事政権に よりこの選挙結果は無効化され、これに反対する勢力は次々に逮捕された。このような SLORC の態度に国際世論は批判の目を向け、西洋諸国は 1988 年から経済援助の凍結を行っ ている。SLORC は経済的回復のためにも国際世論の改善が必要だと考え、自由公平な総選 挙を実施すると国内外にアピールした。だが、実際には野党指導者の拘束や立候補権剥奪 といった行為が行われており、アウンサンスーチー氏は拘束された一人である。さらに、 メディアに向けて反対勢力の批判を行い、軍事政権に対する批判を弾圧した。総選挙が近 づき、国外に対して選挙の自由公平さをアピールするために、外国人記者の入国を許可し た。そのため、総選挙当日は自由公平な選挙が行われた。1990 年 5 月に実施された選挙の 結果は上述の通り、野党 NLD が 485 議席の 80%にあたる 392 議席を獲得する大勝利であっ た。しかし、軍事政権から NLD への政権移譲は行われず、軍事政権による弾圧が強化され ることとなった。5 1994 年 7 月にタイのバンコクで開催された ASEAN 外相会議に参加した。この参加をき 4 っかけにシンガポールやタイなどとの外交関係が向上した。シンガポールは官僚や財界人 合わせて約 50 人でミャンマーの観光設備、通信事業などを視察し、積極的な支援基金を示 した。タイはミャンマーを議長国ゲストとして ASEAN に招待するなど関係強化に向けて積 極的であった。特に注目的なことが天然ガス・パイプライン敷設の合意であった。この締 結によって、タイは将来的なエネルギー源を確保し、ミャンマーは外貨を確保できた。6 1995 年 7 月、アウンサンスーチー氏が 6 年に及ぶ自宅軟禁から無条件解放がなされ、国 際的な注目が集まった。この解放は突然の出来事で国内外に大きな驚きと喜びをもたらし た。解放後、スーチー氏は慎重な姿勢を見せ、SLORC との対話を呼び掛けただけであった。 その後も目立った活動はなく、対話への呼びかけを続けた。しかし、SLORC はこの要求に は応えず、軍事政権が変わることはなかった。一方、少数民族問題に関しては解決を迎え ようとしていた。まず、3 月と 8 月にカレンニー民族進歩党と新モン州党がそれぞれ停戦協 定を結んだ。残るはカレン民族同盟のみとなり、内部分裂をきっかけに国軍が本拠地を制 圧し、勢力が衰退していった。そして、12 月に代表者が SLORC との交渉を開始し、解決へ の目途がたてられた。7 2000 年、経済における低迷が改善されない中、さらに SLORC の軍事政権が国際社会から の孤立化を強めていた。また、スーチー氏率いる NLD は軍政に対して次の一手を見つけら れないでいた。こうした閉塞的な状況から脱却すべく、8 月にスーチー氏は軍政に対する抗 議として未許可の地方旅行に出発した。1998 年にも同様の外出をしており、軍政によって 強制帰還されているが、2000 年においても 10 日後に軍政によって強制帰還され、自宅軟禁 とされた。この出来事は国際社会で取り上げられ、強烈な批判を受けることとなった。そ のため、軍政はスーチー氏の自宅軟禁をすぐに解放した。10 月には水面下でスーチー氏と 軍政が接触していることが明らかとなった。しかし、具体的な内容は一切明らかにされな かった。そしてこの頃、少数民族問題が再び浮上してきた。一時は和平協定締結が締結さ れたが、武力闘争などが始まり、関係の悪化が報告された。8 2003 年 8 月、キン・ニュン首相(当時)が民主化に向けた 7 段階の「民主化ロードマッ プ」(表1)を発表し、その第一段階として、憲法の基本原則を決定するため国民会議を開催 する旨表明した。2004 年 5 月,1993 年から 1996 年にかけて断続的に開催された国民会議 が約 8 年ぶりに再開された。ここで問題となったのが、前回の会議で示された憲法制定の 「6つの目的」(表2)である。これは軍部が国政に積極的に関与することを示すものであり、 NLD はこれを規定しないことを提案したが軍政側は明確な回答を避けることで終わってし まった。9 5 表1 表2 民主化ロードマップ 憲法制定の「6つの目的」 (1993 年 1 月発表) (1)憲法制定のための国民会議の再開 (2)真の民主国家確立に向けた段階的方策の実施 (1)連邦の分断の回避 (3)新憲法制定 (2)国家統一の分断の回避 (4)新憲法の定ための国民投票実施 (3)国家主権の永続 (5)新憲法に基づく自由かつ公平な国会議員選挙 (4)真の複数政党制民主主義の促進 (6)国会開催 (5)普遍的な正義、自由、公平の原則 (7)近代的、発展的、民主的国家の建設 の推進 (6)国軍の政治参加 (出典) アジア経済研究所『アジア動向年報 2005』 p.449 , 2004. 2005 年 11 月 7 日、ミャンマー政府は、首都機能をヤンゴンからピンマナ県(ヤンゴン市 の北方約 300km)に移転する旨発表した。2006 年 3 月頃までに政府機関は概ね移転を終了 し、移転先はネーピードー市と命名された。10 2006 年 10 月、新憲法の基本原則全 15 章が提出され、国民会議で審議された。国民会議 は 1996 年以来、8 年におよぶ長期中断を経て、7 段階の民主化ロードマップの実施を目的 に再開された。国民会議は 2004 年 5 月~7 月、2005 年 2 月~3 月、2005 年 12 月~2006 年 1 月、2006 年 10 月~12 月と断続的に開催された。11 2007 年 9 月、長期中断と休会を繰り返した制憲国民会議が 14 年半を経て、終了した。こ れほど長期化した原因は NLD のボイコットや軍政が展望を見いだせていなかったためであ る。このような不安定の状態の中、15 章におよぶ新憲法原則を決定したのはミャンマーに 民主化を期待する国際社会の世論であった。また、全国的な僧侶のデモが発生していた。 治安当局による制圧で、邦人 1 名を含む多数の死傷者を出した。12 2008 年 5 月サイクロン・ナルギスがミャンマー南西部を直撃し、死者約 85,000 名、行方 不明者約 54,000 名が発生した。2008 年 5 月に新憲法草案採択のための国民投票が予定され ていた。国連はミャンマー政府に対して、サイクロン被害の救済を最優先させるため、国 民投票の延期を求めた。しかし、ミャンマー政府はこの助言を無視し、新憲法草案採択の ための国民投票を 10 日に強行した(一部地域は 24 日に実施)。その結果は投票率 99%、賛 成率 93%で新憲法が可決された。これを受け、5 月 29 日に新憲法を布告した。 採択された新憲法は、全 15 章から成り、 『国家原則』、 『国家構成』、 『国家元首』、 『立法』、 『行政』、 『司法』、 『国軍』、 『国民、国民の権利・義務』、 『選挙』、 『政党』、 『非常事態』、 『憲 法改正』、『国旗、国標、国家および首都』、『経過規定』、 『総則』の 15 章である。この新憲 法の重要な点は、国軍の政治関与に関する条項が組み込まれていたことである。13 6 制定された『ミャンマー連邦共和国憲法』では大統領を国家元首とする共和制と小数民族 に限定的な自治を認める連邦制を基本としている。連邦議会は、民族代表院(上院)と人 民代表院(下院)の二院制で、それぞれ議席の4分の1が軍人代表議席となっている。 •上院(民族代表院) 定数 224(選挙議席 168,軍人代表議席 56) •下院(国民代表院) 定数 440(選挙議席 330,軍人代表議席 110)14 民主化を目指した憲法にも関わらず、非民主化であるとして国内外から批判があがった。 2009 年に大きな変化はなかったものの、来年へ向けた準備の年であった。前年 2008 年に 新憲法が国民投票によって制定され、2010 年に総選挙が行われることが決定していたから である。軍政は新政権を樹立し、1990 年総選挙の大敗を挽回しようと決意を固めていた。 一方、NLD は 2010 年の総選挙に参加することは、1990 年の結果を水に流すことを意味し ており、次の総選挙に向けて慎重な話し合いが行われた。その話し合いの結果、NLD 中央 執行委員会は『シュエゴンダイン宣言』を発表した。この宣言は、(1)NLD 幹部を含む全て の政治犯の無条件釈放、(2)新憲法の非民主的条項の改正、(3)国際監視の下での包括的、自 由、公正な選挙の実施を求めたものである。NLD は 1990 年の結果を無駄にしないため、2010 年の総選挙をボイコットする意思を示していたが、この宣言を条件とした参加を表明した。 15 2010 年 11 月 7 日、20 年ぶりの総選挙が実施された。20 年前の 1990 年総選挙と 2010 年 の 2010 年総選挙を比べて、いくつか改定された点がある(表 3)。1990 年には一院制の人民 議会しか存在せず、また地方議会も設置されていなかった。一方、2010 年には人民代表院 と民族代表院の二院から構成され、14 の地域・州議会が設置された。有権者数は 21,000,000 人から 29,000,000 人へと増加した。参加政党数は 93 から 37 へと大幅に減少した。立候補 者は約 2,300 人から約 3,000 人に増えた。 表3 2010 年と 1990 年の総選挙の概要 2010 年 1990 年 選挙区総数 1,171 492 参加政党数 37 93 有権者数(概数)(人) 29,000,000 21,000,000 立候補者数(人) 3,069 2,296 投票率(%) 人民代表院 77.3 民族代表院 76.8 14 の地域・州議会 76.6 72.59 (出典)アジア経済研究所『アジア動向年報 2011』 p.399, 2011 7 選挙結果は国軍が全面的にバックアップする連邦団結発展党(USDP: Union Solidarity and Development Party)が大勝利をおさめた。NLD は総選挙をボイコットしたため民主主義勢力 はいずれも小政党だけであった。選挙管理委員会は総選挙の実施結果を発表している(表 4)。 この結果、USDP は連邦議会において全議席の 79%にあたる 388 議席を獲得し、地域・州 議会では同 75%にあたる 495 議席を獲得する大勝利であった。USDP の当選率は約 80%であ った。 表 4 政党別議席数 政党名 英語略 議席数(連邦 構成比(連邦 議席数(地 構成比(地 議会) 議会) 域・州議会) 域・州議会) 連邦団結発展党 USDP 388 78.7% 495 74.9% シャン民族党 SNDP 21 4.3% 36 5.4% 国民統一党 NUP 17 3.4% 46 7.0% ラカイン民族発 RNDP 16 3.2% 19 2.9% 無所属 2 0.4% 4 0.6% 合計 493 100.0% 661 100.0% 展党 (出典) アジア経済研究所『アジア動向年報 2011』 p.401, 2011 総選挙から6日後、スーチー氏は 2003 年 5 月 30 日以来 7 年半ぶりに自宅軟禁から解放さ れた。16 2011 年 1 月総選挙の結果に基づく国会が召集され、2 月 4 日、副大統領 3 名が国会で選出 された。2011 年 3 月 3 名の副大統領のうち、テインセイン氏が大統領に選出され、これに より新政府が発足し(同時に国名も変更)、国家平和開発評議会(SPDC)から政権が委譲 された。17 2012 年 4 月 1 日、議会補欠選挙が開催され、スーチー氏率いる NLD が 45 議席中 43 議席 を獲得した。 2013 年 12 月テインセイン大統領は残り全ての政治犯に対し、恩赦を与えた旨発表した。 ミャンマーは、20 年以上続いた軍事政権から、民主化に向け活発に動き始めた。 2014 年はテインセイン政権がようやく安定期に入り、外国からの投資が本格化した年で あった。ASEAN 議長国の大役を無事成功させ、国際社会への復帰をアピールしたが、国内 の人権問題など課題は残されている状態である。18 8 2015 年 11 月 8 日現行憲法下における 2 度目の総選挙で野党 NLD が歴史的勝利をおさめ た。NLD は民族代表院で定数 224 議席の 60%にあたる 135 議席を、人民代表院で定数 440 議席の 58%にあたる 255 議席を獲得した。(図 6 赤の地域が NLD 議席獲得 り Democracy Reporting International (DRI)により作成) 図6 2015 年地区ごとの選挙結果 9 EU の支援によ 2016 年 2 月 1 日に招集される議会では、国軍司令官が指名する軍人議員を含めても NLD 単独で過半数を超える議席数を獲得した。大勝の理由は、独立の英雄であるアウン・サン 将軍を父に持つアウンサンスーチー氏の圧倒的人気、長期軍政下の弾圧により弱体化して いた NLD 党組織の復活と活発化、与党 USDP の政党組織としての弱さ、小選挙区制が選挙 制度における非比例性の高さが NLD にとって追い風となったこと、少数民族政党の伸び悩 みなどが指摘された。19 2016 年 3 月 30 日には、ティンチョー(Htin Kyaw)氏の大統領就任式が開かれ、半世紀ぶ りに文民政権が誕生した。当初アウンサンスーチー氏は外相、教育相、エネルギー相、大 統領府相を兼任することとなっていたが、教育相とエネルギー相のポストから退くことが 発表されており、教育相はミョーテインジー(Myo Thein Gyi)氏が任命されている。 4.対日関係 1954 年 11 月の平和条約締結以来、イギリス領期のビルマは日本と友好的な関係を築き、 特にネ・ウィンは親日的な政策をし、ビルマ社会主義計画党(BSPP:Burma Socialist Programme Party)時代の巨額の二国間援助に影響を及ぼしたともいわれている。 従来、日本は、ミャンマーに対する経済協力については、民主化及び人権状況の改善を 見守りつつ,民衆が直接恩恵を受ける基礎生活分野(ベーシック・ヒューマン・ニーズ) の案件を中心に検討の上実施することとしてきた。2011 年以降、政治犯の釈放、テインセ イン大統領とアウンサンスーチー氏との直接対話、少数民族武装勢力との停戦等の措置が ミャンマー政府によってとられた。2012 年 4 月 1 日の議会補欠選挙の結果、アウンサンス ーチー氏を含む幅広い関係者の政治参加が実現したこと等を踏まえ、2012 年 4 月に経済協 力方針を変更した。 新たな経済協力方針の下では、ミャンマーの民主化及び国民和解、持続的発展に向けて、 同国の幅広い分野における改革努力を後押しするため、引き続き改革の進捗を見守りつつ、 民主化と国民和解、経済改革の配当を広範な国民が実感できるよう、以下の分野を中心に 幅広い支援を実施することとしている。 •国民の生活向上のための支援(少数民族や貧困層支援,農業開発,地域開発を含む) •経済・社会を支える人材の能力向上や制度の整備のための支援(民主化推進のための 支援を含む) •持続的経済成長のために必要なインフラや制度の整備等の支援 文化交流では 2012 年、白石隆政策研究大学院大学学長を団長とし、日本語教育、文化財 保護、スポーツ、メディア、文化・芸術,食文化の各分野の有識者からなるミャンマー文 10 化・スポーツ交流ミッションがミャンマーを訪問し、今後のミャンマーとの文化・スポー ツ交流について指針となる政策提言を外務大臣に提出した。 二国間条約では、 『平和条約』 (1954 年 11 月締結)、 『賠償協定』 (1954 年 11 月締結)、 『経 済技術協力協定』(1963 年 3 月締結) 、『航空協定』(1972 年 2 月締結)、『投資協定』(2014 年 8 月締結)が取り決められている。 日本では東京都新宿区高田馬場に日本国内最大の在日ミャンマー・コミュニティ「リト ル・ヤンゴン」があり、ミャンマー料理店やミャンマー語教室などが集中し、在日ミャン マー人は、10,252 人(2014 年 12 月現在、外国人登録者数)で、一方、ミャンマーには日本 人 891 人(2013 年 10 月現在)が在留している。20 5.地方行政 5.1 行政区画(図 7) エーヤワヂィ地方域、ザガイン地方域、タニンダーリ地方域、バゴー地方域、マグウ ェ地方域、マンダレー地方域、ヤンゴン地方域の7つの地方域とカチン州、カヤー州、 カレン州、シャン州、チン州、モン州、ラカイン州の7つの州に分かれている。地方域 は、主ビルマ族が多く居住する地域の行政区分。州は、ビルマ族以外の少数民族が多く 居住する地域となっている。 図 7 ミャンマーの行政区画 11 5.2 主要都市 (1)ネーピードー ミャンマーの首都、ネーピードーは、ミャンマーのほぼ中央部でヤンゴンから北へ約 300km の内陸部に存在する。2003 年ピンマナの西数キロの軍用地だった場所にミャンマー の新行政首都が建設された。ミャンマー国家平和発展評議会は省庁・政府機関のヤンゴン からピンマナへの移転を 2005 年 11 月より開始し、2006 年初頭には大部分の政府庁舎が建 設された。 ネーピードーの人口は、約 100 万人に達したが行政都市のため、将来人口はそれほど増 加しないと予想される。また、ネーピードーには海外からの観光客を見越し、多くの高級 ホテルが立ち並ぶ地区や近代的な大きなショッピングモール、緊急時に滑走路として使用 することを想定しているとされる広い 20 車線の幹線道路や、東京ドーム 70 個分に相当す る大きさの国会議事堂も建設された。 (2)ヤンゴン ヤンゴン市は、1755 年にアラウンパヤー王によってダゴンからヤンゴンという名前に変 更された。「ヤン」は敵、「ゴン」は克服するで、全ての敵を克服したという意味である。 その後、イギリスとの戦争により 1824 年からビルマはイギリスにより占領され、ヤンゴン はイギリスの政治、商業の中心都市として発展した。 1885 年には全ビルマがイギリスにより完全に占領され、ヤンゴンはビルマの首都になっ た。ビルマ語名はヤンゴンで変わっていないが、1989 年までは英語呼称でラングーンと呼 ばれていた。 ヤンゴンは、エーヤワディー川のデルタ地帯に位置し、重要な交易地であり、米、チー ク材、石油、綿、鉱石の輸出拠点である。主な産業は精米、木材加工、石油精製、鉄鋼業 などである。 6.地理 国土面積は 67.7 万平方キロで日本の 1.8 倍に相当する。北緯 10 度から 28 度の間に位置 し、気候は熱帯モンスーンに属し南北に伸びる長い国土である。最北端の緯度は日本の奄 美大島と同程度である。地形は東部高知、西部山岳地帯、中央平原、及び沿岸地域に類型 することができる。陸では中国・タイ・ラオス・インド・バングラデシュと国境を接し、 境界線の総延長距離は約 4,600km に達する。 海側はアンダマン海とベンガル湾に面し、 海岸線の全長は約 2,000km である。21 6.1 気候 国土の大半が熱帯モンスーン地帯に属するが、気温や降水量は地域により差異が大き 12 い。ミャンマーの南に位置する最大都市ヤンゴンでは、雨季は 5 月後半から始まり、7~ 8 月にピークに達し、10 月に終わり、乾季に入る。この間、1日の平均気温は 26℃から 32℃である。乾季は、涼季と呼ばれる 11 月から 2 月前半までと、暑気と呼ばれる2月後 半から 5 月前半までの2つの季節に分けられる。暑気のピークは4月で、日中の最高気 温は 40℃に達し、夜も 28℃を下回らないことが多い。涼季は 11 月から1月にかけてピー クを迎え、日中は 30℃まで上がるが、朝と夜は 16℃から 18℃に下がって過ごしやすくな る。 一方北部に位置する第2の都市マンダレーでは、雨季でも雨が少なく 30℃を超える高温 が続く。涼季は朝と夜は 12℃以下にまで下がるが日中は 30℃を超えて1日の温度差が大 きくなる。暑気は日中 40℃を超えるような猛暑となり、朝も夜も涼しくはならない。22 6.2 自然環境 ミャンマーの中心から、西側にエイヤーワディー河が南北に流れている。北はミッチ ーナーから南はアンダマン海に向かって流れていて、その長さは日本最長の信濃川(全 長 367km)の 5.9 倍にあたる 2,170km におよび、流域面積は日本の国土面積を上回る 410,000km²である。下流域に9つの分流があり、広大なデルタ湿潤地帯を形成しミャンマ ー最大の米の生産地となっている。エイヤーワディー河流域は2つの地帯からなり、一 つは中部平原に広がる乾燥地帯で、年間降水量が東京の三分の二程度の 1,000mm 前後し か降らない。もう一つは中部平原の南端からデルタ全域にかけて広がる湿潤地帯で年間 降水量が 2,500mm を超え、地域によっては 4,000mm から 4,500mm に達する。南西のイン ド洋から湿った季節風が吹く 11 月から4月は晴天が続き、同じ雨季でも降水量は2つの 地域で大きく異なる。この違いは農業に影響を与え、乾燥地帯では少雨に適した畑作と 周辺の水源地から水を引く灌漑稲作が広がり、雨季に多量の雨に見舞われる湿潤地域で は山地部の森林特産物の産出とデルタ地帯での雨水を利用した天水稲作が中心となって いる。23 7.経済 1985 年度(1985 年 4 月~1986 年 3 月)の実質 GDP 成長率は 6.6%(暫定)と発表され、前年度 の 4.7%を上回った。これは鉱業と製造業の高い成長率が影響した結果である。鉱業は天然 ガスの増産が続き、また近年減少していた石油生産が回復したためである。製造業は石油 生産の回復により、石油化学工業が増産したためである。その一方で、輸出は不振であっ た。1985 年度の輸出額は暫定値で 398(100 万 US$)となり、対前年度比-5.8%に減少した。 この不振の主要原因として米とチーク材における輸出価格の下落が挙げられる。総輸出額 13 の 40%を占める米は輸出価格がトン当たり 178US$に減少した。1981 年度のトン当たり 299US$と比較すると大幅な減少である。総輸出額の 26%を占めるチーク材は立方トン当た り 64.6US$まで減少した。1981 年度は 77.3US$であった。こうした輸出の不振から外貨不足 が生じた。1980 年末の外貨準備高は 250(100 万 US$)であったが、1985 年度は 50(100 万 US$) まで下落した。外貨不足に加えて、対外債務残高は年々増加し、3,288(100 万 US$)となった。 経済の停滞による国家財政の圧迫を受け、11 月 3 日に廃貨法が発表された。この法は高額 紙幣所得者に所持金額の全てを銀行に提示、預金させ、不正所得やブラック・マネーを回 収することを目的としたものである。また、8,000 チャットを超える提示額には課税を課し ていたことから国家財政補填のための策という見方もできる。24 1990 年度(1990 年 4 月~1991 年 3 月)の実質 GDP 成長率は暫定 7.4%で、前年度-11.4%に 比べ回復を示した。これは農業・製造・建設の回復が影響した。総輸出額は前年度に比べ 62.0%増加し、総輸入額は 56.6%増加した。しかし、貿易収支は 270(100 万 US$)の赤字であ った。政府は開放経済体制への移行を進めており、世界銀行や国際通貨基金などと包括的 な財政政策について協議を続けているが、多くの問題点が含まれていた。25 1994 年度(1994 年 4 月~1995 年 3 月)の実質 GDP 成長率は 6.8%で前年度 5.9%に比べ順調 に伸びている。この年は経済回復が顕著な年であり、さらなる成長が見込まれた年であっ た。主な経済成長の要因は、GDP の 40%ほどを占める農業部門の成長である。米の生産量 は 17,440,000 トンであり、これは前年比 18%の増加である。また近隣諸国からの経済支援 もミャンマーの成長に影響している。1994 年に結ばれた契約は 32 件で、 投資総額は 1340(100 万 US$)であった。投資件数の割合はシンガポールが 21%で、次いでタイが 18%であった。 投資額の割合はホテル観光業が 41%で、次いで石油天然ガスが 30%であった。26 1996 年度(1996 年 4 月~1997 年 3 月)の実質 GDP 成長率は 6.1%で、前年度 9.8%に比べ減 少した。だが、1996 年 3 月は SLORC 政権の下で行われた経済計画である「短期4カ年計画」 が終了した年である。この計画は年平均成長率 8.2%を記録し、大成功だった。これは実質 GDP の 40%、雇用の 65%を占める農業部門での好調が影響を与えた。政府はこの計画が成 功したとして、経済運営に自信を深めた。そして、 「4 カ年計画」を引き継ぐ形で、 「5カ年 計画」が始められた。期間は 1996 年度~2001 年度の5年間である。以前に引き続き、一次 産業をベースとした工業化が目標とされた。27 2012 年 12 月、『改正外国投資法』が制定された。この法は、テインセイン政権が近隣諸 国と比べて遅れているインフラ整備をするために制定されたものである。インフラを改善 するには外資誘致が必須であると考え、1988 年に制定された外国投資法の改正に踏み切っ た。しかし、この法案を否定する保守派との意見対立が続き、2012 年 11 月にようやく成立 した。保守派との議論の争点となったのが、最低資本金であった。当初、旧法では 0.5(100 万 US$)であった最低値を 5(100 万 US$)まで引き上げたのだ。しかし、これでは一部の大企 14 業のみが恩恵を受ける形であったために、強い批判を受け、最終的には大統領権限で最低 資本金の制限が取り除かれた。28 2013 年度(2013 年 4 月~2014 年 3 月)のミャンマー経済は実質 GDP 成長率が 8.3%とな り、前年度の 7.3%を上回った。テイン・セイン政権は外資を牽引力とした安定的な経済成 長を目指す方針を示しており、2012 年に 24 年ぶりに『外国投資法』の改正を行ったことで、 日本企業を含め多くの外国資本を呼び込むことに成功しつつある。ミャンマーの民主化を 受け、米国 は 2012 年 11 月に宝石などを除きミャンマー産の禁輸措置を解除、EU は 2013 年 7 月にミャンマーへの一般特恵関税(GSP:Generalized System of Preferences)29の適用を 16 年ぶりに再開したことで、欧米向けの縫製品などの輸出も復調しつつある。30 IMF の統 計によると、2013 年のミャンマーの GDP は 56,400(100 万 US$)。一人当たりの GDP は 869US$であり、国際連合による基準に基づき、後発開発途上国(LDC)と位置づけられている。 近隣諸国と GDP を比較すると、タイは 13%、ベトナムは 40%程度である。また一人当た りの GDP は、タイは約 15%、ベトナムは約 60%である。また、天然ガス、水力発電、木 材、ヒスイ、鉱物、農作物、水産物といった資源が豊富であり、今後の経済発展の可能性 を秘めた国である。31 主要農産物で最も多いのが米で、総生産量は 2,877 万トンである。これは日本の約 3 倍に 値する。また、米は農地の 60%を占めている。次に多いのは、サトウキビで 965 万トンで ある。続いて、トウモロコシ、牛乳、鶏肉、豚肉となっている。さらに、宝石の産出量も 多く、世界のルビーの 90%を産出し、タイがそのほとんどを輸入している。サファイアも 品質の高さで有名である。 対日貿易額では、2013 年度、輸出 406(100 万 US$)、輸入 1,090(100 万 US$)となってお り、主要品目では、輸出は衣類、海産物、履物、輸入は自動車、機械類である。 2014 年度(2014 年 4 月~2015 年 3 月)の実質 GDP 成長率は 8.5%で、前年度の 8.3%を上回 った。この要因は経済の本格化が挙げられる。2014 年 1 月~12 月の一年間で直接投資は 217 件、約 8,500(100 万 US)であった。これは前年同期の約 2,700(100 万 US$)と比較し、大幅に 増加した。外国企業の国内参入を積極的に行われたことも要因として挙げられる。日本か らの直接投資では 414(100 万 US$)(1988 年以降 2015 年 3 月末までの累計)、2014 年度では 86(100 万 US$)となっている。32 8.観光産業 ミャンマーの交通事情は、日本に比べると道路整備状況、交通マナー、自動車整備状況 などどれを取り上げても整っていない。空路はヤンゴンを中心に主要都市を結ぶ路線が整 備されているが、ヤンゴン、マンダレー、バガン、ヘーホーを結ぶ幹線を除けば、毎日便 15 がある路線は少ない状況である。 鉄道の料金は、外国人料金が適用されるため割高である。鉄道は車両や路床が古く、早 急に整備を進める必要がある。 バス・タクシー等の公共交通機関では、定員オーバー、スピードの出し過ぎ、整備不良 を原因とする事故が多発している。 また、自家用車同士の交通事故が増加している。原因としては無免許運転、簡便なシス テムにより免許取得ができるようになったためと指摘されている。 このような交通面の不安を抱えながらも、観光産業が急速に発展している。2012 年は 106 万人の外国人観光客が訪れ、観光収入は 500(100 万 US$)にのぼった。2013 年は昨年の約2 倍となる 204 万人の観光客に、1,000(100 万 US$)の観光収入となった。そして、2014 年は 308 万人で約 1,800(100 万 US$)まで成長した。この観光産業のさらなる発展を目指して、政 府は 2013 年に「観光マスタープラン」を作成し、2020 年までに外国人訪問者数 750 万人、 観光収入 10,000(100 万 US$)の達成を目標とした。 この目標を達成させるため、新たな国際航空便の就航が増加している。さらに、ヤンゴ ン郊外の新国際空港の建設や既存の国際空港の改修が計画されている。交通の改善以外に も今後の観光客の増加を促進するために、2014 年にビザの電子申請システムが導入された。 これにより、入国手続きが簡素化され、さらなる海外からの観光客が期待される。33 9. 国民 9.1 人口 5,148 万人(2015 年 5 月(ミャンマー入国管理・人口省暫定発表)) 9.2 民族 ミャンマーは典型的な多民族国家で、バマー(ビルマ)族を筆頭に、シャン族、カレ ン(カイン)族、アラカン(ラカイン)族、モン族、チン族、カチン族、カヤー(カレン ニー)族、その他が存在し、全部合わせると 135 民族になるといわれている。(表 5)34 表 5 民族構成比率 民族 構成比(%) バマー(ビルマ)族 69.0 シャン族 8.3 カレン(カイン)族 6.2 アラカン(ラカイン)族 4.5 16 モン族 2.4 チン族 2.2 カチン族 1.4 カヤー(カレンニー)族 0.4 その他 5.6 (出典) 根本 敬『物語ビルマの歴史』中公新書 2014 年 1 月より作成。 9.3 言語 ミャンマーは多言語国家であるが、国語(公用語)は 1984 年の独立以来、ミャンマー (ビルマ)語と定められ、現在では全人口の 90%以上が用いる共通語である。母語が異 なる少数民族同士も、一般的に相互の意思疎通にはミャンマー語を用いる。ミャンマー 語は 6000 万人近い話者を持つ東南アジアの主要言語のひとつとなっている。母語は主要 8民族を言語系統に従って分類してみると、「チベット・ビルマ語派」に属する言語を使 う民族が6民族に及ぶ。バマー(ビルマ)族をはじめ、アラカン(ラカイン)族、カレ ン(カイン)族、カチン族、チン族、カヤー(カレンニー)族である。これら6民族が 互いに自分達の言語を使って意思疎通ができるわけではない。他の民族のシャン族は「タ イ諸語」に属し、モン族は「南アジア諸語」に属する。35 9.4 宗教 ミャンマーは多宗教国家で、人口の 90%が上座仏教徒で、次いでキリスト教徒、イス ラム教徒、精霊信仰、ヒンドゥー教徒である。2008 年承認の憲法では、上座仏教に「特 別に名誉ある宗教」としての地位を与えている。そのうえで、キリスト教、イスラム教、 精霊信仰、ヒンドゥー教をミャンマーに存在する宗教として名指しで公認し、また宗教 の政治利用の禁止をうたっている(表 6)。36 表 6 宗教構成比率 構成比(%) 上座仏教徒 89.40 キリスト教徒 4.94 イスラム教徒 3.99 精霊信仰 1.12 ヒンドゥー教徒 0.51 (出典) 根本 敬『物語ビルマの歴史』中公新書 2014 年 1 月 より作成 17 9.5 人名 家系に共通の姓はなく、必要な時には両親いずれかの名と自分の名が併用される。し たがって婚姻で女性の姓がかわることはない(夫婦別姓) 。また、名を付ける際には、そ の子が生まれた曜日によって頭文字を決める。命名は、ビルマの七曜制や月の名前、土 地の名前等から付けられることが多い。外国との交渉(旅券等の発行や移住時に姓や氏 の記入を求められる情況)で、便宜的に敬称や尊称や謙称を使って、苗字とする場合も ある(例:元国連の事務総長ウ・タントの「ウ」は敬称であった)。37 9.6 教育 ミャンマーの教育には、軍事政権の時代から始まった基礎教育制度がある。ミャンマ ーの基礎教育制度は、1990 年代末から 2000 年にかけて大きな改定が複数回された。その うちのひとつがイギリス植民地から長らく続く 10 年過程であったが、基礎教育課程が 2000 年から教育制度は 5・4・2 制の 11 年となっている。 ・初等教育 5 年(5 歳~10 歳) ・前期中等教育 4 年(11 歳~14 歳) ・後期中等教育 2 年(15 歳~16 歳) 義務教育が制定され、既に 2000 年度から小学課程の 5 年間に対して義務教育制度が実施 されている。また現在は、中学課程の 4 年間に対しても、将来義務化しようという動き がある。 進級および 11 年生修了については、各教科修了テスト及び学年末試験により児童生徒の 学力を評価する「学力継続評価制度」を実施している。留年者を多く出していた学年末 試験による進級制度は 1997 年度までに廃止された。大学入学試験については、11 年生卒 業と大学入試を兼ねた、ミャンマー試験委員会による「全国共通試験」が実施されてい る。 ミャンマーは仏教国であるため、一般的に親は教師に協力的であり、親子とも教師に 対し尊敬の念を持って接している。 貧しく学校に通えない子供たちのためには、寺院によるボランティア教育が存在する。 日本で言う所の、寺子屋制度が存在する。仏教徒が多数を占めるこの国では、18 世紀後 半には既に僧院学校が存在したと記録されており、学校教育制度が整備される以前より、 各地で僧院の設置とその中での教育の提供が行われてきた。38 寺小屋の小学校・中学校では学費やその他の費用がかからない上、寄付者から教科書、 ノート、鉛筆などの文房具が寄贈される。また、ミャンマー政府もこの制度を正規の学 校教育機関と認めている。 僧院長たる僧侶が寄付金等で経営をする学校としては、公立学校と同じで3つに分か 18 れており、僧院付属小学校、中学校、高等学校がある。僧院付属学校数はミャンマー全 国で 1,402 校(2009-2010 年)ある。僧院付属学校数とは、教育省に承認された宗教省の 僧院教育である。僧院長たる僧侶が寄付金等で経営している。これらの学校は、生活に 困窮している子供たちの就学を目的としており、学費は無料となっている。39 ミャンマーには、43,181 校の基礎教育機関が存在する。その内訳は、小学校は 30,015 校、中学校(前期中等教育)は 6,629 校、ミドルスクール(後期中等教育)は 3,742 校、 高校は 2,795 校である。また、識字率はミャンマーの成人識字率が 2013 年度調査で 95.13% に達した。2008 年時点の成人識字率は 91.9%で、5 年間で約 3%向上した。(図 8) ユネスコが発表したミャンマーの就学率統計によると、2005 年時点で小学校への就学 率は 99%に達している(図 9、図 10)。他方で、同年の中学校への就学率は 43%に留まって いる(図 11、図 12、図 13)。ちなみに、同年の高校への就学率は 33%に減少しており、年 齢が増加するにしたがって就学率は低くなる。この原因として、義務教育制度が導入さ れていないことが挙げられる。40 2016 年 2 月ミャンマー政府は、就学前の 0 年生のカリキュラムを新年度から改訂し、 今年 6 月に入学する児童から従来の 12 年制に加え、0 年生を充実させた計 13 年制の新教 育制度で教育することを教育制度調査分析局(CSER)の担当者が明らかにした。同担当 者は「これは教育制度を変えるものではなく、”考える力を育成できるようにした教育方 法”」と公表している。新カリキュラムでは以前のように暗記中心の指導方法ではなく、 音楽、体育、美術の授業も実施する。州と管区にあるすべての学校で同カリキュラムを 一斉に導入した。 10. 文化 10.1 世界遺産 ミャンマー中部のピュー遺跡群(Pyu Ancient Cities)が、2014 年にユネスコの世界遺産 に登録された。さらに、イラワジ川中流域の東岸の平野部一帯に面積 104Km2 に、大小さ まざまな仏教遺跡が林立している世界三大仏教遺跡の 1 つであるバガン(旧称パガン) の寺院群を登録したが、近代的な建材を利用して修復をしたため等の理由で登録は失敗 に終わった。41 10.2 祝祭日 仏教による祝日が中心となっている。(表 7) ミャンマーの祭りは、仏教やナッ信教との関わりを持っている。ミャンマーの暦は月の 満ち欠けを基礎とした太陰暦を利用して、祭りは季節の変わり目の満月の日に行われる。42 19 ・水祭り(ティンジャャン・ボェ)Water Festival ミャンマー暦の正月(日本の 4 月)の中頃 3 日間。 バガン朝時代に、この時期に出兵する兵士たちの安全を祈って、娘たちが木の葉に水を浸 して兵士にかけたことが始まりだと言われている。その後、豊作を願う雨乞い祭りとなり、 現在は未婚の女性が好きな男性に愛を表現する方法として水をかけるという意味を持つよ うになった。 若者はトラックに乗り町を走り回り、道端の小屋からは若い女性たちがホースで水をかけ る。人々は、この祭りで古い年の汚れを落とし、新年の始まりを祝福しあう。 ・水掛祭り(カソン・ボェ) Kason Fullmoon Day ミャンマー暦の第二月(日本の 5 月頃)は、乾季の終わりに当たりもっとも乾燥している時期 で、この満月の日に釈迦が菩提樹の下で悟りを開いた日とされている。この時、釈迦は羊 の乳で煮たお粥が捧げられたことから、今でもこの日の朝、僧侶たちには羊の乳のお粥が 捧げられる。 水掛祭りは、乾ききったこの聖なる菩提樹の木に、感謝の意を込めて水をかける祭りであ る。このときにまた、水の少なくなった池や沼の魚を捕獲して水の多いところに放す風習 がある。 ・雨安居結祭(ワーゾー・ボェ) Waso Fullmoon Day(Beginning of Buddhist Lent) ミャンマー暦の第四月(日本の 7 月頃)の満月の日。 雨安居に入る雨安居結祭が行われる。この祭りの次の日から、僧侶たちは外出が禁止され る。これは昔、釈迦が各地を遊行し説教していたときに、一人の僧侶が「雨期になると自 然界の生物は活動を止め巣ごもりをするのに、我ら僧侶のみが各地を巡り歩いて、稲穂を 傷つけ、草木を踏みにじり、幼虫を踏み殺している」と批判したことから始まったと言わ れている。 ミャンマー国民にとり格別宗教的意味合いの深い日であり、この日の翌日から約 3 か月間 の雨安居の期間は、結婚などの祝い事、旅行、引っ越しなどができないこととなっている。 ・灯祭り(タディンジュ・ボェ) Tadinkyut Fullmoon Day (End of Buddhist Lent) ミャンマー暦の第 7 月(日本の 10 月頃)の満月の日。 雨安居があける日。また、釈迦が天から降りてきた日でもあるため、それを記念して仏の 足下を照らすという意味では仏前ではもちろん、パゴダや家の紋に火を灯す。 普段世話になっている親、先生に感謝に意を込めて贈り物をする日である。 ・第2の灯祭り(ダザウンモン・ボェ) Thasaungdaing Festival Day ミャンマー暦の第 8 月(日本の 11 月頃)の満月の日。灯明祭。 20 この日には、パゴダに無数のろうそくが立てられ、自分たちに成り代わって仏に仕えてい る僧侶たちに対して贈り物がなされる。寺院では贈り物をする人で混雑し、贈り物が山の ように積まれる。このように、贈り物をすれば、災害などから身を守ってくれると信じら れている。 また、シッタンダ太子が出家をしたときに、マーヤ夫人が着替えの袈裟を一晩で織り上げ たという逸話に基づき仏増に献上する袈裟の機織りコンテストが各地で開催される。 ・もちつき祭り(タマネー・ボェ) ミャンマー暦の第 11 月(日本の 2 月頃)の満月の日。もちつき祭りが開催される。 収穫したもち米を蒸して、それにごま油、落花生油、塩、こしょうなどを加えてこねあわ せて、もちを作り、托鉢の僧侶に捧げたり、パゴダに供えられたり、または近所の家々に 配布される。 ・収穫祭(ダバウン・モェ) Tabaung Fullmoon Day ミャンマー暦の第 12 月(日本の 3 月頃) 各地で収穫を祝って催し物があり、僧侶への贈り物が捧げられる。 表7 祝祭日 祝祭日 内 容 1月4日 独立記念日(1948 年 1 月 4 日の独立を記念) 2 月 12 日 ユニオンデー(1947 年 2 月 12 日の各民族間のパンロン合意を記念) 3月2日 小作農の日 3 月 13 日 タバウンの満月 (パゴダを作る祭) 3 月 27 日 国軍記念日(1945 年 3 月 27 日のビルマ国軍対日蜂起を記念) 4 月 13 日 - 4 月 16 日 水祭り (ビルマの新年を祝う) 4 月 17 日 ビルマの新年 5月1日 労働節 5 月 11 日 カゾンの満月(仏陀の誕生・入滅・悟りを菩提樹に水をかけて祝う) 7月9日 雨安居(仏教徒受難節始日) 7 月 19 日 殉教者の日(1947 年 7 月 19 日のアウン・サンらの暗殺を記念) 10 月 6 日 仏教徒受難節終日 10 月 - 11 月 ディーワーリー 11 月 4 日 ダザウンダインの満月(ランタンの祭り) 11 月 14 日 国慶日(1920 年 11 月 14 日のビルマ最初の学生ストを記念) 12 月 19 日 カレンの新年 (カレン族の新年) 12 月 25 日 クリスマス 11 月 - 1 月 イード (イスラム教徒の祭日) 21 (出典) 日本貿易振興機構(ジェトロ)HP、https://ja.wikipedia.org/wiki/ミャンマー (百万人) 図1 人口の推移 52 51 50 49 48 47 46 45 44 43 001 年 46.8 2002 年 2003 年 2004 年 2005 年 2006 年 2007 年 2008 年 2009 年 2010 年 2011 年 2012 年 2013 年 2014 年 2015 年 47.15 47.46 47.74 48.03 48.34 48.65 48.98 49.33 49.71 50.11 50.54 50.98 51.41 51.48 (%) 図2 実質GDP成長率 16 14 12 10 8 6 4 2 0 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年 2010年 2011年 2012年 2013年 2014年 2014 年は実績推定値 2005 年 13.57 2006 年 13.08 2007 年 11.99 2008 年 3.60 2009 年 2010 年 5.14 5.35 2011 年 5.91 2012 年 7.30 2013 年 8.25 2014 年 7.69 IMF World Economic Outlook Database(2015 年 4 月号) 22 図3 名目GDP総額 (100万US$) 70,000 60,000 50,000 40,000 30,000 20,000 10,000 0 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年 2010年 2011年 2012年 2013年 2014年 2005 年 13833 2006 年 16736 2007 年 23291 2008 年 34550 2009 年 2010 年 38065 49628 2011 年 56170 2012 年 55759 2013 年 56759 2014 年 62802 図4 対日輸出額 (100万US$) 900 800 700 600 500 400 300 200 100 0 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年 2010年 2011年 2012年 2013年 2014年 2005 年 184.845 2006 年 225.611 2007 年 269.196 2008 年 288.631 2009 年 2010 年 309.495 353.402 23 2011 年 538.691 2012 年 612.251 2013 年 687.983 2014 年 779.556 図5 対日輸入額 (100万US$) 1,600 1,400 1,200 1,000 800 600 400 200 0 2005年 2005 年 2006年 2006 年 100.971 114.081 2007年 2007 年 2008年 2008 年 193.983 207.248 2009年 2009 年 2010年 2010 年 222.065 290.474 2011年 2012年 2011 年 2013年 2012 年 557.68 1384.45 2014年 2013 年 2014 年 1161.48 1303.44 図8 識字率(15歳~24歳)の推移 100% 90% 80% 70% 60% 50% 40% 30% 20% 10% 1983年 1984年 1985年 1986年 1987年 1988年 1989年 1990年 1991年 1992年 1993年 1994年 1995年 1996年 1997年 1998年 1999年 2000年 2001年 2002年 2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年 2010年 2011年 2012年 0% 1983 年 1984 年 1985 年 1986 年 1987 年 1988 年 1989 年 1990 年 1991 年 1992 年 1993 年 1994 年 1995 年 1996 年 1997 年 1998 年 84.9% 85.5% 86.0% 86.6% 87.2% 87.8% 88.3% 88.9% 89.5% 90.0% 90.6% 91.2% 91.7% 92.3% 92.9% 93.5% 1999 年 2000 年 2001 年 2002 年 2003 年 2004 年 2005 年 2006 年 2007 年 2008 年 2009 年 2010 年 2011 年 2012 年 2013 年 94.0% 94.6% 94.7% 94.8% 95.0% 95.1% 95.2% 95.3% 95.4% 95.6% 95.7% 95.8% 95.9% 96.0% 96.1% 24 図9 初等教育児童数 (100万人) 5.20 5.10 5.00 4.90 4.80 4.70 4.60 2010年 2009年 2008年 2007年 2006年 2005年 2004年 2003年 2002年 2001年 2000年 1999年 4.50 1999 年 2000 年 2001 年 2002 年 2003 年 2004 年 2005 年 2006 年 2007 年 2008 年 2009 年 2010 年 4.733 4.858 4.782 4.779 4.889 4.933 4.948 4.969 5.014 5.11 5.095 5.126 図10 初等就学率推移 100% 90% 80% 70% 60% 50% 40% 30% 20% 10% 1995 年 94.0% 1996 年 94.7% 1997 年 95.5% 1998 年 96.3% 1999 年 97.0% 2000 年 97.5% 2001 年 97.9% 2002 年 99.2% 25 2003 年 99.4% 2004 年 99.6% 2005 年 100% 2006 年 99.1% 2007 年 99.3% 2008 年 99.4% 2010年 2009年 2008年 2007年 2006年 2005年 2004年 2003年 2002年 2001年 2000年 1999年 1998年 1997年 1996年 1995年 0% 2009 年 98.3% 2010 年 99.1% 図11 中等教育教員数 (人) 90,000 80,000 70,000 60,000 50,000 40,000 30,000 20,000 10,000 2010年 2009年 2008年 2007年 2006年 2005年 2004年 2003年 2002年 2001年 2000年 1999年 0 1999 年 2000 年 2001 年 2002 年 2003 年 2004 年 2005 年 2006 年 2007 年 2008 年 2009 年 2010 年 68,358 71,155 74,696 76,150 73,062 77,004 78,144 79,837 81,943 82,001 82,204 83,703 図12 養成訓練を受けた教員割合 100% 90% 80% 70% 60% 50% 40% 30% 20% 10% 2010年 2009年 2008年 2007年 2006年 2004年 1999 年 2000 年 2001 年 2002 年 2003 年 2004 年 2005 年 2006 年 2007 年 2008 年 2009 年 2010 年 59.6% 62.7% 60.4% 72.5% 73.7% 76.4% 76.0% 98.3% 99.0% 99.0% 98.9% 99.9% 26 2005年 2003年 2002年 2001年 2000年 1999年 0% 図13 中等教育生徒数 (100万人) 3.00 2.50 2.00 1.50 1.00 0.50 2010年 2009年 2008年 2007年 2006年 2005年 2004年 2003年 2002年 2001年 2000年 1999年 0.00 1999 年 2000 年 2001 年 2002 年 2003 年 2004 年 2005 年 2006 年 2007 年 2008 年 2009 年 2010 年 2.059 2.268 2.302 2.373 2.383 2.544 2.586 2.696 2.686 2.829 2.813 2.852 出典 図 1 IMF、ミャンマー入国管理・人口省暫定発表値 図 2 JETRO HP 図 3 JETRO HP 図 4 JETRO HP 図 5 JETRO HP 図6 http://www.mmtimes.com/index.php/national-news/17816-pyithu-hluttaw-results-interactive-map. html 図 7 http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120510/231869/ 図 8 世界銀行HP 図 9 世界銀行HP 図 10 世界銀行HP 図 11 世界銀行HP 図 12 世界銀行HP 図 13 世界銀行HP 27 脚注 1 2015 年 5 月 29 日時点、出所:ミャンマー入国管理・人口省暫定発表 http://www.jetro.go.jp/world/asia/mm/stat_01/ 3 根本 敬『物語ビルマの歴史』中公新書 2014 年 1 月 4 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC 5 『アジア動向年報』アジア経済研究所 1991 年 pp.484-486, p.488. 6 『アジア動向年報』アジア経済研究所 1995 年 pp.413-415. 7 『アジア動向年報』アジア経済研究所 1996 年 pp.444-452. 8 『アジア動向年報』アジア経済研究所 2001 年 pp.414-418. 9 『アジア動向年報』アジア経済研究所 2005 年 pp.449-451. 10 『アジア動向年報』アジア経済研究所 2006 年 pp.447-448. 11 『アジア動向年報』アジア経済研究所 2007 年 pp.435-436. 12 『アジア動向年報』アジア経済研究所 2008 年 pp.423-424. 13 『アジア動向年報』アジア経済研究所 2009 年 pp.413-416 14 http://www.mm.emb-japan.go.jp/profile/japanese/ 15 『アジア動向年報』アジア経済研究所 2010 年 pp.407-408. 16 『アジア動向年報』アジア経済研究所 2011 年 pp.399-403. 17 『アジア動向年報』アジア経済研究所 2012 年 pp.416-418. 18 『アジア動向年報』アジア経済研究所 2015 年 p.488. 19 http://www.ide.go.jp/Japanese/Research/Region/Asia/Radar/201601_osada.html 20 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E3%83%9F%E3%83%A3%E3%83%B3% E3%83%9E%E3%83%BC%E4%BA%BA 21 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC 22 根本 敬『物語ビルマの歴史』中公新書 2014 年 1 月 p.13. 23 根本 敬『物語ビルマの歴史』中公新書 2014 年 1 月 p.14. 24 『アジア動向年報』アジア経済研究所 1986 年 p.420. 25 『アジア動向年報』アジア経済研究所 1991 年 pp.488. 26 『アジア動向年報』アジア経済研究所 1995 年 pp.417-418. 27 『アジア動向年報』アジア経済研究所 1997 年 pp.430-434. 28 『アジア動向年報』アジア経済研究所 2013 年 pp.422-424. 29 開発途上国の輸出所得の増大、工業化と経済発展の促進を図るため,開発途上国から輸入され る一定の農水産品,鉱工業産品に対し、一般の関税率よりも低い税率(特恵税率)を適用する制 度です(外務省 HP より引用)。 30 ジェトロ世界貿易投資報告 2014 年度ミャンマー編(日本貿易振興機構)p.1. 31 ミャンマー・ルネッサンス 根本悦子・工藤年博編著(コモンズ)2013 年 4 月 p.62 32 ミャンマー統計局 33 『アジア動向年報』アジア経済研究所 2015 年 pp.497-498. 34 根本 敬『物語ビルマの歴史』中公新書 2014 年 1 月 p.16. 35 根本 敬『物語ビルマの歴史』中公新書 2014 年 1 月 p. 17. 36 根本 敬『物語ビルマの歴史』中公新書 2014 年 1 月 p. 20 37 根本 敬『物語ビルマの歴史』中公新書 2014 年 1 月 p. 13. 38 工藤年博編『ミャンマー軍事政権の行方』調査研究報告書 アジア経済研究所 2010 年 39 外務省 HP(諸外国・地域の学校情報) 40 外務省 HP(諸外国・地域の学校情報) ミャンマーの教育制度を 13 年制に改定 http://myanmarjapon.com/newsdigest/2016/02/16-001003.php 41 http://www.unesco.or.jp/isan/decides/ 公益社団法人日本ユネスコ協会連盟 42 ヤンゴン日本人会『2014 年版 ヤンゴン生活手帳』ヤンゴン生活手帳編集委員会、2014 年. 2 28 第Ⅱ章 『教育基本法』制定から『国民教育法改正法』へ ミャンマーにおいて私立大学の開学は無く(資料 1)、169 の大学(資料 2, 資料 3 参照)は全 て国立大学であり、12 の省庁が管轄している。教育省管轄の大学が最も多く 68 大学、引き 続き科学技術省 62 大学、保健省 15 大学、その他国防省、協同組合相等の管轄となってい る(資料 4 各省における大学の設置数・設置地域より)。 教育省管轄の大学としては、ヤンゴン大学、マンダレー大学の他、ヤンゴン経済大学、ヤ ンゴン外国語大学、マンダレー外国語大学、その他各地の総合大学、教育大学を含めた構成 となっている。教育省は国内の教育全般を所掌する 10 の局で構成され、高等教育に関して は上ミャンマー高等教育局(マンダレーを中心とした北部ミャンマーを管轄)と下ミャンマ ー高等教育局(ヤンゴンを中心とした南部ミャンマーを管轄)がそれぞれの地域を管轄して いたが1、2015 年 4 月に組織改編が行われ、高等教育局長が 1 名任命され、上下ミャンマー の高等教育局は高等教育局(マンダレー)と高等教育局(ヤンゴン)に名称変更となり、そ れぞれの局に学術担当・管理運営担当の副局長が各一名ずつ配置される体制となった。また 教育省次官が新設され、高等教育局長が兼任することとなった2。一方で科学技術省管轄の 大学は、ヤンゴン工科大学、マンダレー工科大学の他、工学系大学、コンピュータ大学とい った構成となっている。教育省管轄、科学技術省管轄の大学は、首都ネーピードーを除き全 ての州、管区に最低一つの大学が配置されている。その他の省庁管轄の大学については、ヤ ンゴン、マンダレー地区に集中しているが、林業省、農業灌漑省、国境省管轄の大学はそれ ぞれ 1 校のみであり、ネーピードーに設置されている。 ミャンマーにおいて教育を司る法律の改正は急務であり(高等教育法、基礎教育法の最終 改正は 1973 年まで遡る) 、これまでアジア開発銀行、Institute of International Education (IIE・米国)、JICA、教育省が実施した包括的教育セクターレビュー(Comprehensive Education Sector Review ・CESR)などの報告が継続的に行われてきた3。これらの動きを 受け、2014 年 2 月に作られた『国家教育法』草案がミャンマー国営新聞に同年 3 月に掲載 され、広く国民から意見を求めることとなった。その後、草案を基に 2014 年 9 月 30 日『教 育基本法』が制定された。この『教育基本法』は中央集権的な色彩が強いとして、学生団体 による大規模な抗議デモが起こり、複数回にわたる協議の結果、2015 年 2 月にミャンマー 連邦共和国政府と連邦議会代表、NNER、民主的教育活動推進委員会代表者により改正案が まとめられ、テインセイン大統領の署名により『国民教育法改正法』は制定された。 1. 『国家教育法』 下記は 2014 年 2 月の『国家教育法』草案の目次である。序文から 14 章の構成となってい 1 Institute of International Education (IIE) (2013), “Investing in the Future: Rebuilding Higher Education”, pp14. 2 2015 年 8 月の在ミャンマー日本大使館へのインタビュー。 山田大輔「ミャンマー国家教育法と今後の高等教育の展望」日本学術振興会バンコク研究連絡センター ニュースレター「バンコクの風」2015-16 Vol.2 特集、2015 年 11 月 3 29 る(資料 5)。 『国家教育法』(草案)目次 序文 第1章 名称および用語の定義 第2章 目標 第3章 教育の基本原則 第4章 教育の種類 第5章 基礎教育 第6章 高等教育 第7章 技術及び職業教育 第8章 ノンフォーマル教育(学校外での教育)と自主学習 第9章 教育の義務と権利 第 10 章 質の保証制度(Quality Assurance) 第 11 章 教育管理 第 12 章 財政(ファイナンス) 第 13 章 移行期間の規定 第 14 章 その他の規定 2. 『教育基本法』 2.1 『教育基本法』の構成 2014 年 9 月 30 日、評議会は『教育基本法』を制定した。草案通りの 14 章の構成となっ ている。(資料 6) 『教育基本法』の構成は、14 章から成る草案の『国家教育法』の構成と変わっていない が、草案から「国家教育委員会の設立、権利及び責務」の章が追加され、草案では独立した 章となっていた「序文」と「第 5 章 高等教育」は個別の章にはならなかった。 2014 組合議会法 41 2014 年 9 月 30 制定の目次 第1章 名称および用語定義 第2章 国家教育の目的 第3章 国家教育の基本原則 第4章 国家教育委員会の設立、権利および責務 第5章 国家教育制度 第6章 学校の種類 30 第7章 カリキュラムの設定およびカリキュラム基準 第8章 教育の権利おおび義務 第9章 教員 第 10 章 品質審査および品質保証 第 11 章 教育管理 第 12 章 財政 第 13 章 移行期間 第 14 章 その他 2.2 2014 年 7 月 教育政策各関係者へのインタビュー: UNICEF ヤンゴン事務所、在ミャンマー日本大使館、Myanmar Water Engineering and Products Co.Ltd.、ヤンゴン工科大学、JICA ミャンマー事務所、ミャンマー教育省、ヤンゴ ン大学教育政策関係の各担当者にインタビューを実施した。 関係者の認識としては概ね以下の通りであった。 2014 年の教育政策については、18 のワーキンググループが主に海外留学経験者を中心と した幼児教育から高等教育までの委員に分かれ、高等教育政策のアクションプランが議論さ れた。ミャンマーの『教育基本法』は、法案が国会に提出、審議され、6 か月後の通常国会 終了後の成立を目指していた。 審議中のミャンマー高等教育政策に関して各大学が求めていることは、「大学の自治、学 問、財政、人事の自由」である。これまで、全ての大学は各省の付属機関であり、大学の自 治、人事予算の権限も各省庁に属していた。大学の教員は国家公務員であり、教育省、科学 技術省管轄の大学教員の人事権はそれぞれの省庁が持ち、全国規模の異動が行われている。 各大学は人事権を持っておらず、各省の命令に従う必要がある。また、国防省、林業省、農 業省管轄の大学は運営資金や人材配置、設備の面で優遇される傾向にあった4。これら多く の制約条件がある状況を打開するための教育政策が検討されている。 今後の方向性としては、各大学は各省から独立し、大学運営評議会の管理下に置かれ、大学 の自治を確立すること、大学評議会は「教育研究」を主導し、教育の質の保証を確保するこ と、があげられる。 大学が自治を確立する一方で、政府が予算を削減する可能性は避けられない。その場合、 大学の予算にかかる政府からの交付金等の制度はどうなるかは、まだ調整に時間を要するだ ろう。 4 上別府隆男「新生ミャンマーにおける高等教育改革の課題と可能性:ポリティクス、自治権と国際化」、 広島大学国際センター紀要 (5)、2015 年 3 月 31 2.3 2014 年 9 月 30 日『教育基本法』制定後の影響 2.3.1 学生の立場からの意見 2014 年 2 月 NNR(National Network Education Reform)は、ミャンマー中央政府の教育 への介入を減らすことを検討する会議開催の要望書を、アウンサンスーチー氏に提出し た。(資料 7) 2014 年 11 月『教育基本法』の制定が発表された後、この制定内容に反対する学生グ ループ代表(Kyaw Ko Ko 氏)たちの運動が始まった。(資料 8) 学生の『教育基本法』への反対理由は、学生の意見が反映されていない点や学生会の 組織の設置が認められていない点であった。2015 年 1 月には『教育基本法』に対する 「11 項目の要求」(要求事項については後述)が政府に対して提出された。2015 年 2 月現在も学生のデモは継続し、『教育基本法』の内容を再検討する必要性が指摘されて いる。 2.2.2 学識経験者の意見 2014 年 11 月 『教育基本法』を基礎とした教育の将来性について、5 名の有識者の 意見が発表された(資料 9)と同時に、将来の「職業訓練教育」の発展のための会議が開 催され議論された。(資料 10) また、2014 年 11 月 25 日には『教育基本法』に対する学識経験者・有識者 5 名によ る意見が公表された。(資料 11) 1. Ms.Edwina Betts First secretary, Australia 2 .Mr.Bertrand Bainvel Country Representative, UNICEF 3. Mr.James Stevens Education Specialist, World Bank 4. Mr.Jonathan Caseley International planning Expert, CESR 5. Mr.Korad de Bartoli Head of project, GIZ 2.2.3『教育基本法』に関するワークショップの意見 2014 年 12 月 16-18 日 『教育基本法』に関するワークショップが開催された。 このワークショップでは、『教育基本法』についての具体的な内容の議論はできなか った。具体的議論に至らなかった理由は、『教育基本法』の内容が明確に制定されてい なかったためであると指摘された(資料 12)。 32 3. 『教育基本法』以降の動向 3.1 2015 年 1 月 28 日「共同声明」(資料 13) ネーピードーにおいて、ミャンマー連邦共和国政府と国会代表、民主的教育活動推進委 員会の学生代表者の四者により発表された。NNER(教育制度改革全国ネットワーク)は、 政党関係者で構成されており、88 Peace and Open Society、学生組合、専門家、民族教育団 体、宗教団体や多くの市民社会組織で形成されている。共同声明の内容は以下のとおり。 ・2015 年 2 月 1 日ヤンゴン市で開催される第1回四者会議は、政府、国会、学生、 NNER(National Network for Education Reform)の代表者によるものである。 ・四者会議は、2015 年 1 月に学生代表者が提出した 11 項目の要求について協議し、解 決を目指す。 ・代表者は協議し、合意を図り、残っている協議事項は継続する。 ・学生は協議開始前にデモ活動を停止する。 3.2 2015 年 2 月 11 日「共同発表」(資料 14) ヤンゴン管区域、議会内会議室で、ミャンマー連邦共和国政府(U Hla Htun)と連邦議会 代表(U Thein Swe)、NNER(Dr.Thein Lwin)、民主的教育活動推進委員会代表(Aung Hmain San、Zeyar Lwin、KoPyae Phyo Kyaw)が、協議を行った。協議の結果、代表者により合意 に至った。 ・前提条件として、2 点について協議し合意した。 ・教育政策および法律、施行規則、関連法の起草には学生代表、教員代表を必ず参加さ せる。 ・民主的な教育を求めるデモ活動に参加した学生、支援者に対して処罰を行ってはなら ない。 ・11 項目の要求についての協議 ① 四者会議の代表者が『国民教育法関連法案』の起草をすること。 ② 『国民教育法』において、学生連盟、教職連盟の設立の自由、活動の自由の権利を 与え、それらの連盟の公的許可をすること。 ③ 『国民教育法』に含まれる国民教育委員会及び高等教育共同委員会の組織を廃止し、 33 Working Group を設置して、新改正条項を起草すること。 ④ 教育に関する自立的決定権に関して合意すること。 ⑤ 大学試験制度、大学入学制度改革をすること。 ⑥ 学生が自由に考え、自分自身で調査、研究を行い、学習することができる指導体制 へ移行すること。 ⑦ 少数民族の言語の自由、母語を基礎とする多言語教育制度へ移行すること。 ⑧ 障害のある子供を含む全ての児童・生徒の教育(inclusive education) を実施すること。 ⑨ 学生運動のために放校処分を受けた学生の復学する権利を与えること。 ⑩ 今後 5 カ年のうちに国家予算の 20%を教育予算に充て、毎年支出額を増大させる こと。 ⑪ 無償の義務教育制度を小学校課程のみならず中学校課程まで拡大すること。 3.3 2015 年 2 月 14 日「共同発表」(資料 15) ヤンゴン管区域、議会内会議室で、ミャンマー連邦共和国政府(U Hla Htun)と連邦議会 代表(U Thein Swe)、NNER(Dr.Thein Lwin)、民主的教育活動推進委員会代表(Aung Hmain San、、Paing Ye Thu、Pyae Phyo Kyaw)が、協議を行った。協議の結果、2015 年 2 月 15 日 に『国民教育法改正法案』を完成させることで合意した。 3.4 2015 年 6 月 25 日『国民教育法改正法』(2015 年議会法 38) (資料 16) 2015 年 2 月にミャンマー連邦共和国政府と連邦議会代表、NNER、民主的教育活動推進 委員会代表者により協議され、改正案がまとめられて連邦議会に提出された。テインセイ ン大統領の署名により『国民教育法改正法』は制定された。 34 資料 1 高等教育に関する提案 (2014 年 3 月 13 日) 出典:教育政策のワーキンググループより 大学、学位、カレッジは関係している各省が管轄する国立大学であるべきである。 国家的教育レベル向上のためには、近代的教育内容を実施すべきである。 国内/外私立大学(Private Institution)などの認可を提案する。 私的部門の役割で行動できる法律を制定することを提案する。 35 資料 2 大学のリスト (2014 年 12 月現在) List of Universities, Degree Colleges and Colleges under Respective Ministries Sr University, Degree College and College Region and State Ministry of Education 1 1 University of Yangon Yangon 2 2 Yangon Institute of Economics Yangon 3 3 Yangon Institute of Education Yangon 4 4 Mawlamyine University 5 5 Yangon University of Distance Education Yangon 6 6 Dagon University Yangon 7 7 Pathein University Ayeyarwady 8 8 Yangon University of Foreign Languages Yangon 9 9 Sittway University Rakhine 10 10 Taungoo University Bago(E) 11 11 Pyay University Bago(W) 12 12 Dawei University 13 13 University of East Yangon Yangon 14 14 West Yangon University Yangon 15 15 Hinthada University Ayeyarwady 16 16 Maubin University Ayeyarwady 17 17 Hpa-An University Kayin 18 18 Myeik University Taninthayi 19 19 Bago University Bago(E) 20 20 National management College Yangon 21 21 Taung Goke College Rakhine 22 22 University of Mandalay Mandalay 23 23 University of Taunggyi Shan(S) 24 24 Sagaing Institute of Education Sagaing 25 25 University of Magway Magway 26 26 University of Monywa Sagaing 27 27 Mandalay University of Foreign Languages Mandalay 28 28 University of Myitkyina Kachin 29 29 Monywa Institute of Economics Sagaing 30 30 Mandalay University of Distance Education Mandalay 31 31 Yadanabon University Mandalay 32 32 Meiktila University Mandalay Mon Taninthayi 36 33 33 Pakokku University Magway 34 34 Meiktila Institute of Economics Mandalay 35 35 Kyaukse University Mandalay 36 36 Panglong University Shan(S) 37 37 Kalay University Chin 38 38 Loikaw University Kayah 39 39 Lashio University Shan(N) 40 40 Kyaing Tong University Shan(S) 41 41 Banmaw University Kachin 42 42 Shwebo University Sagaing 43 43 Sagaing University Sagaing 44 44 Yenanchaung Degree College Magway 45 45 Myingyan Degree College Mandalay 46 46 Mohnyin Degree College Kachin 47 47 Mandalar College Mandalay 48 48 Yankin Education College Yangon 49 49 Myaungmya Education College Ayeyarwady 50 50 Mawlamyine Education College Mon 51 51 Kyaukphyu Education College Rakhine 52 52 Taungoo Education College Bago(E) 53 53 Bogalay Education College Ayeyarwady 54 54 Hpa-an Education College Kayin 55 55 Pyay Education College Bago(W) 56 56 Thingangyun Education College Yangon 57 57 Hlegu Education College Yangon 58 58 Dawei Education College Taninthayi 59 59 Pathein Education College Ayeyarwady 60 60 Taunggyi Education College Shan(S) 61 61 Myitkyina Education College Kachin 62 62 Sagaing Education College Sagaing 63 63 Magway Education College Magway 64 64 Meiktila Education College Mandalay 65 65 Mandalay Education College Mandalay 66 66 Monywa Education College Sagaing 67 67 Pakokku Education College Magway 68 68 Lashio Education College Shan(N) 37 Ministry of Health 69 1 University of Medicine(1) Yangon Yangon 70 2 University of Medicine(2) Yangon Yangon 71 3 University of Medicine, Mandalay Mandalay 72 4 University of Medicine, Magway Magway 73 5 University of Dental Medicine, Yangon Yangon 74 6 University of Nursing, Yangon Yangon 75 7 University of Medical Technology, Yangon Yangon 76 8 University of Pharmacy, Yangon Yangon 77 9 University of Community Health, Magway Magway 78 10 University of Dental Medicine, Mandalay Mandalay 79 11 University of Nursing, Mandalay Mandalay 80 12 University of Medical Technology, Mandalay Mandalay 81 13 University of Pharmacy, Mandalay Mandalay 82 14 University of Traditional Medicine Mandalay 83 15 University of Public Health, Yangon Yangon 84 Ministry of Science and Technology 1 Yangon Technological University Yangon 85 2 West Yangon Technological University Yangon 86 3 Mandalay Technological University Mandalay 87 4 Pyay Technological University Bago(W) 88 5 University of Computer Studies, Yangon Yangon 89 6 University of Computer Studies, Yangon (Bahan) Yangon 90 7 University of Computer Studies, Mandalay Mandalay 91 8 Myanmar Aerospace Engineering University Mandalay 92 9 Technological University (Myitkyina) Kachin 93 10 Technological University (Monywa) Sagaing 94 11 Technological University (Mandalay) Mandalay 95 12 Technological University (Meiktila) Mandalay 96 13 Technological University (Taunggyi) Shan(S) 97 14 Technological University (Magway) Magway 98 15 Technological University (Taungoo) Bago(E) 99 16 Technological University (Sittwe) Rakhine 100 17 Technological University (Thanlyin) Yangon 101 18 Technological University (Hinthada) Ayeyarwady 102 19 Technological University (Pathein) Ayeyarwady 103 20 Technological University (Mawlamyine) 38 Mon 104 21 Technological University (Dawei) Taninthayi 105 22 Technological University (Hpa-an) Kayin 106 23 Technological University (Hmawbi) Yangon 107 24 Technological University (Kyaukse) Mandalay 108 25 Technological University (Banmaw) Kachin 109 26 Technological University (Kalay) Chin 110 27 Technological University (Lashio) Shan(N) 111 28 Technological University (KyaingTong) Shan(E) 112 29 Technological University (Loikaw) Kayah 113 30 Technological University (Pakokku) Magway 114 31 Technological University (Myeik) Taninthayi 115 32 Technological University (Pinlon) Shan(S) 116 33 Technological University (Maubin) Ayeyarwady 117 34 Technological University (Yamaethin) Mandalay 118 35 Technological University (Sagaing) Sagaing 119 36 Technological University (Yatanarpon Cyber City) Mandalay 120 37 Government Technological College (Shwebo) Sagaing 121 38 Government Technological College (Mohnyin) Kachin 122 39 Government Technological College (Myingyan) Mandalay 123 40 Computer University (Myitkyina) Kachin 124 41 Computer University (Thahton) Mon 125 42 Computer University (Sittwe) Rakhine 126 43 Computer University (Taunggyi) Shan(S) 127 44 Computer University (Lashio) Shan(N) 128 45 Computer University (Monywa) Sagaing 129 46 Computer University (Myeik) Taninthayi 130 47 Computer University (Taungoo) Bago(E) 131 48 Computer University (Magway) Magway 132 49 Computer University (Mandalay) Mandalay 133 50 Computer University (Pathein) Ayeyarwady 134 51 Computer University ( Hpa-an) Kayin 135 52 Computer University (Pakokku) Magway 136 53 Computer University (Loikaw) Kayah 137 54 Computer University (Kyaingtong) Shan(E) 138 55 Computer University (Kalay) Chin 139 56 Computer University (Meikhtila) Mandalay 140 57 Computer University (Hinthada) Ayeyarwady 39 141 58 Computer University (Banmaw) Kachin 142 59 Computer University (Dawei) Taninthayi 143 60 Computer University (Pinlon) Shan(S) 144 61 Computer University (Maubin) Ayeyarwady 145 62 Computer University (Pyay) Bago(W) Ministry of Defence 146 1 National Defence College Nay Pyi Taw 147 2 Defence Serivices Academy Mandalay 148 3 Defence Services Medical Academy Yangon 149 4 Defence Services Technological Academy Mandalay 150 5 Military Institute of Nursing and Paramedical Science Yangon 151 6 Military Computer and Technological Institute Shan Ministry of Culture 152 1 National University of Arts and Culture (Yangon) Yangon 153 2 National University of Arts and Culture (Mandalay) Mandalay Ministry of Environmental Conservation and Forestry 154 1 University of Forestry Yezin Nay Pyi Taw Ministry of Agriculture and Irrigation 155 1 Yezin Agricultural University Nay Pyi Taw Ministry of Livestock, Fisheries and Rural Development 156 1 University of Veterinary Science Nay Pyi Taw Ministry of Co-operatives 157 1 University of Co-operative (Thanlyin) Yangon 158 2 University of Co-operative (Sagaing) Sagaing 159 3 Co-operative Colleges (Phaunggyi) Yangon 160 4 Co-operative Colleges (Mandalay) Mandalay 161 5 Lacquerware Technology College Mandalay Ministry of Religious Affairs 162 1 International Theravada Buddhist Missionary University Yangon 163 2 State Pariyatti Sasana University (Yangon) Yangon 164 3 State Pariyatti Sasana University (Mandalay) Mandalay Ministry of Border Affairs The University for Development of the National Races of 1 165 the Union Nationalities Youth Resource Development Degree 166 2 College, Yangon Nationalities Youth Resource Development Degree 167 3 College, Sagaing 40 Sagaing Yangon Sagaing Ministry of Transport 1 Myanmar Maritime University 168 169 2 Myanmar Mercantile Marine College 41 Yangon Yangon 資料 3 高等教育に関する提案 (2014 年 3 月 13 日) 出典:教育政策のワーキンググループより 大学・カレッジの地理的位置の検討 州や地域の学生達に平等に学べるチャンスを与えるために大学やカレッジが設立さ れた。 しかし、中には市内から離れている大学やカレッジがあり、寮がないことなどが学生達 にとって、とても不便であることが明確である。 提案: 学際的な大学(Interdisciplinary University) を地域に誘致し、あるいは研究分野ごとに 大学を総合化し、コミュニティの必要性(Community Needs)に貢献する科目を教える専 門大学に改革する。 42 資料 4 高等教育の分野 (2014 年 3 月 13 日) 出典:教育政策のワーキンググループより 高等教育分野 高等教育分野に下記の教育分野が含まれている。 文学.科学 医学 工学 農学 林学 コンピュータ 経済学 文化学 43 各省における大学の設置数、設置地域について カヤー カレン チン ザガイン テナセリ バゴ マグェー マンダレー モン ラカイン ヤンゴン シャン エヤワディ 合 計 4 1 2 1 7 3 5 5 2 11 6 2 3 12 7 6 6 68 15 5 2 2 2 4 4 4 4 11 2 2 6 8 6 62 2 1 1 省 1 教育 2 保健 科学技 3 術 4 国防 5 文化 6 林業 農業灌 7 漑 8 国境 協同組 9 合 1 宗教 0 畜水 1 産・農村 1 開発 1 運輸 2 合 計 ネーピード ー カチン 管区、州 1 2 1 1 6 2 1 1 1 1 1 1 2 2 5 1 2 3 1 3 2 2 2 9 3 4 3 14 7 9 4 出典:教育政策のワーキンググループ 44 11 34 4 5 35 15 12 16 9 資料 5 『国家教育法』の草案 (2014 年 2 月) 出典:教育政策のワーキンググループより 45 資料 6 『国家教育法』 2014 年 9 月 30 日制定 出典:教育政策のワーキンググループより 46 資料7 2014年2月21日 mizzima Daily NNR(National Network Education Reform)が、ミャンマー中央政府の政策介入を減らす ための会議開催を、アウンサンスーチー氏に提案した。 資料 8 2014 年 11 月 20 日 The Standard Time Daily 『教育基本法』制定時における反対グループ代表 Mr.Kyaw Ko Ko へのインタビュ ー。 この公開された『教育基本法』は学生の意見を反映していない内容であり、学生の意 見を反映させるために学生会の組織を設置することを希望する。 資料 9 2014 年 11 月 25 日 Light of Myanmar 『教育基本法』に関する教育の発展について学識経験者・有識者5名によるコメント である。 資料 10 2014 年 11 月 25 日 Light of Myanmar 職業訓練教育の発展のための会議が開催された。 資料 11 2014 年 11 月 25 日 Light of Myanmar 『教育基本法』に対して学識経験者・有識者の意見が公開された。 資料 12 2014 年 12 月 21 日 The Standard Time Daily 2014 年 12 月 16-18 日『教育基本法』のワークショップが開催された。 47 資料 13 (出典) 2015 年 1 月 28 日ネーピードーにおいて「共同声明」が発表された。 BURMA PARTNERSHIP http://www.burmapartnership.org/updates-national-education-law-student-protest/ 共同声明 ネピドー、2015 年 1 月 28 日 ミャンマー連邦共和国政府、国会の代表者、民主的教育活動推進委員会の学生代表者 は、2015 年 1 月 28 日 10 時 30 分から 15 時 15 分まで、ネピドー教育省の大会議室にお いて、双方和やかかつ率直に協議を行なった。双方の協議の結果、政府、国会の代表者 と民主的教育活動推進委員会 iの学生代表者らは以下の点について同意した。 (ア)政府、国会、学生と、教育改革のための全国ネットワーク National Network for Education Reform (NNER) iiの代表者が参加する、第 1 回四者会議を 2 月 1 日にヤンゴン 市において開始する。 (イ)四者会議においては、学生の代表者が提出した 11 項目について協議し、解決 を得ることをする。 (ウ)代表者は、建設的な協議を行い合意を得ることとする。また、残存した協議事 項については引き続き協議を続け、解決を得ることとする。 (エ)学生は、協議の開始日にデモ活動を停止する。 (9 人分署名) 48 資料 14 (出典) 2015 年 2 月 11 日「共同発表」 BURMA PARTNERSHIP http://www.burmapartnership.org/updates-national-education-law-student-protest/ 49 共同発表 2015 年 2 月 11 日 ヤンゴン管区議会内会議室 1. ミャンマー連邦共和国政府の代表者、連邦議会の代表者、教育改革のための全国ネット ワーク National Network for Education Reform (NNER)の代表者、および民主的教育活 動推進委員会の学生代表者は、2015 年 2 月 11 日 9 時 30 分から 16 時 40 分まで、ヤンゴ ン管区域議会内会議室において、和やかかつ率直に協議を行なった。協議の結果、政府、 議会、NNER、および民主的教育活動推進委員会の代表者は以下の点について合意した。 (ア) 前提条件 Pre-condition 中、残存した協議事項 2 点についての協議 (1) 教育政策および法律、施行規則、関連法の起草においては、学生の代表 者、教員の代表者の参加を必須とするという事項について、原則として 合意した。代表者には、利害関係者 Stakeholders、法学者、学生、教員 のすべてが適切な割合で参加し、協議を行ない準備をすることとする。 (2) 民主的教育を求めるデモ活動に参加したいかなる者に対しても、デモ活 動に関連する処罰を禁じるという事項について、民主的教育を求めるデ モ活動に参加した学生、および支援者に対して、デモ活動に関連する処 罰を行なってはならないという点で合意した。 (イ) 当初の要求事項 11 点に関する協議 (1) 教育政策および法律、施行規則、関連法の起草においては、学生の代表 者、教員の代表者が参加するということについて、原則として合意した。 国民教育法関連法案の起草においては、四者会議の代表者が協議し起草 することとする。施行規則および関連法を起草するための協議において は、NNER の代表者、民主的教育活動推進委員会の学生代表者を含む利 害関係者 Stakeholders、法学者、学生、教員のすべてが適切な割合で参 加し、協議を行なうこととする。 (2) 学生連盟、教員連盟を自由に設立し活動する権利、およびそれら連盟の 存在を公的に認可することについて、国民教育法において、学生連盟、 教職連盟を自由に設立し活動する権利、およびそれら連盟の存在の公的 認可を補足することで合意した。詳細な事項については、四者会議から 作業部会 Working Group を組織し、引き続き詳細な協議を行なうこと で合意した。 (3) 現在制定されている国民教育法に含まれている国民教育委員会、および 高等教育協同委員会の組織について、廃止することで原則として合意し た。国民教育委員会および高等教育協同委員会という言葉が含まれてい る条項すべてを廃止し、四者会議から作業部会 Working Group を組織 し、新しい改正条項を起草することで合意した。 (4) 地域ごと、および学校ごとに自由に管理を行なうことができる、教育に 関する自立的決定権に関して、原則として合意した。詳細な事項につい ては、四者会議から作業部会 Working Group を組織し、引き続き詳細 な協議を行ない、改正条項を起草することで合意した。 (5) 現在使われている試験制度、および大学入学許可制度の改革について、 原則として合意した。詳細な事項については、四者会議から作業部会 Working Group を組織し、引き続き協議を行ない、改正条項を起草する ことで合意した。 50 (6) 学生が自由に思考し、自分自身で研究、調査を行ない学習することがで きる教授制度への改革について、原則として合意した。詳細な事項につ いては、四者会議から作業部会 Working Group を組織し、引き続き協 議を行ない、改正条項を起草することで合意した。 (7) 少 数 民 族 の 言 語 の 自 由 、 お よ び 母 語 を 基 礎 と し た 多 言 語 教 育 制 度 (mother tongue based multi-lingual education)を国民教育法に加え て制定することについて、教授媒体 Medium of Instruction として実行 していくことで原則として合意した。詳細な事項については、四者会議 から作業部会 Working Group を組織し、引き続き協議を行ない、改正 条項を起草することで合意した。 (8) 身 体 障 害 者 を 含 む す べ て の 児 童 の た め の 、 万 人 が 対 象 と な る 教 育 (inclusive education)について、原則として合意した。詳細な事項に ついては、四者会議から作業部会 Working Group を組織し、引き続き 協議を行ない、改正条項を起草することで合意した。 (9) 学生運動のため放校処分を受けた学生の復学する権利について合意し た。関係省庁が引き続き必要事項を実行していく。 (10) 国家の教育のための投資を、5 年間のうちに、国家全体の歳出のうち、 最低でも 20%に届くようになるよう目標を置き、毎年支出額を増大させ るよう、法律の中に加えることで合意した。 (11) 無償の義務教育制度を小学校課程のみならず、中学校課程にまで拡大し 実施することについて、実行していくことで合意した。 2. 四者会議は、本日合意した事項について、成功裏に実施が終わるときまで一致協力して 行動していくことを約束する。 3. 四者会議は、民主的教育活動推進委員会に所属する、当該の学生グループについて責任 を負っているため、デモ活動を停止することが困難であることを認識している。 4. 同様に、管理当局が実施する試験の円滑な開催の可能性、およびその他の混乱が起こる 可能性について憂慮があることを認識している。 5. したがって、国民教育法改正法について、上下両院で討議している間は、四者会議は絶 えず直接協議に加わり、望ましくない状況にならないよう協力していくことで合意した。 6. 本日の協議の結果について、民主的教育活動推進委員会の学生が、デモ活動の前線に説 明を行なう。学生グループの考えを聞き、2015 年 2 月 14 日に開催する協議において提 出する。 政府代表 (サイン) 名: ウー・フラトゥン(U Hla Htun) 議会代表 (サイン) ウー・テインスェ(U Thein Swe) NNER 代表 (サイン) 名: テインルィン博士(Dr. Thein Lwin) 民主的教育活動推進委員会学生代表 (サイン) 名: アウンフマインサン (Aung Hmaing San) (サイン) 名: ゼーヤールィン (Zeyar Lwin) (サイン) 名: コウ・ピェピョウチョー (Ko Pyae Phyo Kyaw) 51 資料 15 2015 年 2 月 14 日「共同発表」 (出典) BURMA PARTNERSHIP http://www.burmapartnership.org/updates-national-education-law-student-protest/ 共同発表 2015 年 2 月 14 日 ヤンゴン管区議会内会議室 1. 国民教育法の改正に向け、ミャンマー連邦共和国政府の代表者、連邦議会の代表者、教 育改革のための全国ネットワーク National Network for Education Reform (NNER)の 代表者、および民主的教育活動推進委員会の学生代表者は、国民教育法改正法案を起草 するため、2015 年 2 月 14 日 9 時 30 分から 18 時 20 分まで、ヤンゴン管区域議会内会 議室において、和やかかつ率直に協議を行なった。 2. 2015 年 2 月 11 日の協議において得られた 11 の妥結事項に基づき、関係する作業グル ープ Working Group が提出する「国民教育法改正法案」を 2015 年 2 月 15 日に完成さ せることで合意した。 3. 「国民教育法改正法案」を、政府、議会、NNER、および民主的教育活動推進委員会の 学生代表者が議会に提出することを決定し、教育大臣を通じて議会に提出することで合 意した。 政府代表 (サイン) 名: ウー・フラトゥン(U Hla Htun) 議会代表 (サイン) ウー・テインスェ(U Thein Swe) 52 NNER 代表 (サイン) 名: テインルィン博士(Dr. Thein Lwin) 民主的教育活動推進委員会学生代表 (サイン) 名: アウンフマインサン (Aung Hmaing San) (サイン) 名: パインイェトゥ(Paing Ye Thu) (サイン) 名: ピェピョウチョー (Pyae Phyo Kyaw) 資料 16 2015 年 6 月 25 日『国民教育法改正法』(2015 年議会法 53 38) 54 55 (出典)『国民教育法改正法』より。 56 国民教育法改正法iii (2015 年議会法 38) (2015 年 6 月 25 日) 連邦議会はこの法律を制定した。 1. この法律を国民教育法改正法と称する。 2. 国民教育法第 2 条における、 (a) (c)項、(g)項、(s)項、(x)項、(z)項、および(ff)項を以下のように改める。 (c) 委員会とは本法律第 5 条により設立した国民教育政策委員会のことである。 (g) 国民教育とは、国家のあらゆる民族の言語、文学、文化、芸術、伝統および歴 史的遺産の精神を尊重、維持し発展させることができ、多面的な正しい思考を持ち、 自由に思考することができる、善良な人格を持つ人材を育むとともに、時代の必要 性に応じて国家を近代的発展に導くことができる教育のことである。 (s) 高等教育とは、基礎教育の最高学年またはそれと同等のレベルを修了した者に 対して、国民教育政策委員会が認定した学校が与える教育である。 (x) 特殊教育プログラムとは、身体障害者のための特別なプログラムに従って教育 を与えることができるよう、学校を設立し、適切な教授方法を用いて教育を与える ことである。 (z) 国民教育水準・品質保証査定委員会とは、国家において実行されている教育政 策、教育計画、教育の種類および各教育レベルの品質保証を査定するため、関係す る専門家で構成した組織である。 (ff) 大学委員会とは、当該大学の学長、副学長、それらと同等の地位にある人物、 学部長、学科長、学科に在籍する教授、管理業務および財務に携わる職員、教員が 選出した代表者、学生が選出した代表者、公衆に信頼され尊敬されている人物と専 門家を含む、当該大学の規定に従い組織された委員会である。 (b) (aa)項に含まれる、「国家教育委員会の」という表現を、「国民教育水準・品質保証 査定委員会の」という表現に置き換える。 (c) (ff)項の下に(gg)項として以下のように補則を設ける。 「(gg) 万人のための教育とは、身体障害者を含め、様々な理由により教育を受け る機会を得ることができなかった者が、学校教育、または学校外教育において教育 が受ける権利が得られるよう、機会を作り出すプログラムのことである。」 3. 国民教育法第 3 条、(g)項の下に(h)項、(i)項として以下のように補則を設ける。 「(h) 国民の生来の権利である教育を受ける権利を全ての国民が享受できるようにす る。」 「(i) 戦略、政策およびそれらの実行、企画、教育の発展計画、また、教育関連法、そ の他の方法についての情報を国民に伝える。」 4. 国民教育法第 4 条における、 (a) (a)項の上に(a)項、(b)項、(c)項として以下のように補則を設ける。 「(a) 国家内において、本法律および他の教育関連法に従い、教育の自由の権利を 保障する。」 「(b) 省および関連省庁は教育政策、関連する法律および細則を起草する際は、専 門家、教育に関係する民間組織、父母、教員が選出した代表者および学生が選出し た代表者の意見を仰ぐ。 」 「(c) 高等教育機関においては、教員連盟および学生連盟を、当該大学の規定に従 い、自由に設立し活動する権利がある。」 57 (b) (c)項を(f)項として以下のように置き換える。 「(f) すべての就学年齢の子供および若者が教育を受ける権利を享受できるように するため、身体障害者を含め、様々な理由で教育を受けることがなかった人々が、 全てのレベルで教育を受けられるよう、特殊教育プログラムまたは特別教育サービ スを含む、万人のための教育プログラムを設ける。」 (c) (h)項および(i)項を(k)項および(l)項として以下のように置き換える。 「(k) 大学入学に際しては、学習したい学問分野および大学を被教育者自身が選択 し申請する権利があり、大学入学資格を基礎教育高等学校卒業試験の成績のみによ り検査し決定するのではなく、当該大学の規定に従い検査し選抜する制度を設置す る。」 「(l) 学校は、宗教的、および政治的組織の干渉を受けない。」 (d) (m)項を(p)項として以下のように置き換える。 「中央統制を弱めた教育制度を実践する。」 (e) (a)項、(b)項、(d)項、(e)項、(f)項、(g)項、(j)項、(k)項および(l)項を、(d)項、(e)項、 (g)項、(h)項、(i)項、(j)項、(m)項、(n)項および(o)項として並べ直す。 5. 国民教育法第 4 章を以下のように置き換える。 第4章 国民教育政策委員会の設立と委員会の責務および権利 「5. (a)政府は、国民教育政策委員会を連邦議会の承認の下、以下のように設立しなけれ ばならない。 (1) 大統領が選出し任命する、公務員ではない学者 2 名 (2) 国民代表院iv議長が選出した学者 1 名 (3) 民族代表院v議長が選出した学者 1 名 (4) 省の代表者 2 名 (5) 基礎教育部門の学者 2 名 (6) 高等教育部門の学者 5 名 (7) 職業技術教育部門の学者 2 名 (8) 教員教育部門の学者 2 名 (9) 万人のための教育部門の学者 1 名 (10) カリキュラムの学者 2 名 (11) 法学者 1 名 (b) 委員会の議長および副議長は委員会のメンバーが選出しなければならない。 (c) 委員会の事務局長および副事務局長の職責は省の代表者に与え、委員会の事務事業 を行わせなければならない。 (d) 政府は必要であれば委員会を連邦議会の承認の下で再編することができる。 (e) 委員会の任期は通常 5 年とする。 6.委員会の責務と権利は以下の通りである。 (a) 国民教育の目標および教育関連政策を立案する。 (b) 国民教育の目標を実現させるため、必要な国民カリキュラム委員会、国民教育水 準・品質保証査定委員会、第 27 条に基づき組織した委員会、その他必要な委員会、評 議会および組織を設立し任務を遂行させる。 (c) 教育制度ならびに教育政策および計画の実施を査定し、指導する。 (d) 品質保証の基準制定のために政策を立案し指導を行う。 (e) 教育部門のため、連邦政府および地方政府から資金および支援を得るための交渉を 行う。 (f) 教育部門のため、国内外から資金および支援を得て使用するための政策立案を行う。 58 (g) 学校の開設、開設許可の一時停止および閉鎖に関する政策を立案する。 (h) 省および関連省庁がまとめた教育関連計画について調整を行う。 (i) 委員会はその活動について、連邦議会および政府に少なくとも 6 か月に一度報告を 提出する。 7. 委員会は大学、学位カレッジ、カレッジおよび高等専門学校viの独立した自己管理を 侵害することなく、政策関連事項についてのみ連携することによって、その発展と改善 を支援せねばならない。 8. 公務員ではない委員会のメンバーへの報酬および費用は、政府が設定し支払わねばな らない。 9. 委員会に関する事務業務は省が準備し実施しなければならない。 10. 委員会に関わる費用は省の資金から支払われねばならない。」 6. 国民教育法第 16 条、(c)項を以下のように置き換える。 「(c) (a)項に示された各教育段階修了のための習熟度の検査については、関係する教育 法の細則に規定する。」 7. 国民教育法第 20 条における、 (a) (c)項を以下のように置き換える。 「(c) 国家の全民族の言語、文学、文化、芸術、伝統および歴史的遺産の精神を尊 重し、全民族の発展および国家の近代的発展のために、必要な教員を育成する。 」 (b) (c)項の下に(d)項として以下のように補則を設ける。 「(d) 身体障害者に適切な教授方法で教育することができる教員を生み出すため の計画を策定し実行する。」 8. 国民教育法第 21 条における、 (a) (a)項に含まれる「初等教育」という表現を、 「基礎教育の初等教育」という表現に 置き換える。 (b) (b)項に含まれる「中等教育を修了した者が入学できる」という表現を、 「基礎教育 の中等教育を修了した者および同等のレベルを持つ者が入学できる」という表現に置き 換える。 (c) (c)項に含まれる「基礎教育の高校教育を修了した者が入学できる」という表現を、 「基礎教育の高校教育を修了した者および同等のレベルを持つ者が入学できる」という 表現に置き換える。 9. 国民教育法第 22 条を以下のように置き換える。 「22. 第 21 条に示された各教育課程において与えられる学位記または卒業証書の種類 および水準を、国民教育水準・品質保証査定委員会が検査する。」 10. 国民教育法第 24 条を以下のように置き換える。 「24. 職業技術教育に関連する学校および講座を、本法律および他の教育関連法に基 づく、管理権限を持つ学校および講座として設立されなければならない。」 11. 国民教育法第 27 条を以下のように置き換える。 「27. 委員会は高等教育に関する事項について、必要に応じて協議を行えるよう、適 切な人材により構成された、独立した委員会を設立することができる。」 12. 国民教育法第 28 条を以下のように置き換える。 「28. 高等教育を実施する学校は、 (a) 研究および学問の発展を優先しなければならない。 (b) 大学入学に際しては、学習したい学問分野および大学を被教育者自身が選択し申 請する権利があり、大学入学資格を基礎教育高等学校卒業試験の成績のみにより検査し 決定するのではなく、当該大学の規定に従い制定された大学入学制度を使用しなければ ならない。 (c) 大学の管理は、大学委員会が遂行しなければならない。 (d) 高等教育機関には、教育に関する業務を自由に管理する権利がなければならない。」 59 13. 国民教育法第 35 条を以下のように置き換える。 「35. 国内外に開設される基礎教育学校、訓練所、職業技術学校、高等教育水準にある 学校、大学、学位カレッジ、カレッジおよび高等専門学校は、本法律または現行の教育 法のいずれかに合致したものでなければならない。」 14. 国民教育法第 36 条を以下のように置き換える。 「36. 本法律および他の教育関連法に従って開設許可を得た学校は、各学校の水準に 沿って、修了証書、卒業証書、学位記および学位を授けることができる。」 15.国民教育法第 37 条を以下のように置き換える。 「37. 省および関連省庁は、 (a) 身体障害者が教育を受ける各レベルにおいて平等な教授、教育を受けるにあた り助けとなる器具の確保、適切な教授方法の調整と準備、障害のない学校環境の創 出を計画し実行せねばならない。 (b) 特殊教育プログラムに基づき教育を行う学校を開設するために準備を行わねばな らない。私設の社会福祉団体、および障害者団体がこれらの学校の開設を申請した 際は、本法律および他の教育関連法に従い、査定をしたうえで許可することができ る。」 16.国民教育法第 38 条を以下のように置き換える。 「38. 省および地方政府は、 (a) 移動労働者の子供および家族が無償の義務教育である基礎教育の初等教育の修了 することおよびその段階的な拡大を実現させるため、移動式学校の設立を設立でき るよう計画せねばならない。 (b) 低開発の、または、平和のない、または交通の便の悪い地域および自然災害に見 舞われた地域に、緊急措置として一時的な学校を設立する特別教育サービスを準備し なければならない。 (c) (a)項、(b)項の実施に当たっては、必要であれば他の組織と協力することができる。」 17.国民教育法第 39 条、第 41 条(a)項に含まれる「委員会」という表現を、「委員会が組 織した国民カリキュラム委員会」という表現に置き換える。 18.国民教育法第 39 条における、 (a) (g)項を以下のように置き換える。 「(g) カリキュラム基準に基づいたカリキュラムの開発を、地域vii、州ごとに行 う権利を有すること。」 (b) (h)項の下に(i)項、(j)項として以下のように補則を設ける。 「(i) 被教育者の全体的な発達を目的としたカリキュラムおよび教授方法の実現、 および被教育者の年齢に基づく基本的性質に合致したものとすること。 (j) 幼児教育、初等教育、中等教育、高校教育のカリキュラムはそれぞれに結 びつきがあるものとすること。」 19. 国民教育法第 40 条を以下のように置き換える。 「40. 委員会は、国家カリキュラム委員会を適切な専門家で組織し、その任務を決定 しなければならない。」 20.国民教育法第 41 条(b)項を以下のように置き換える。 「(b) 身体障害者を教育するための特殊教育プログラムのカリキュラムを、関連する 各教育分野の専門家と協議し、策定しなければならない。 」 21.国民教育法第 42 条(a)項を以下のように置き換える。 「(a) 国立学校とその他の学校の間で連絡を取り合い、移動して教授できるよう、規 定に従い支援を行わねばならない。 」 22.国民教育法第 43 条(b)項を以下のように置き換える。 「(b) 基礎教育レベルにおいては、各少数民族の言語を、ミャンマー語とともに教育言 語として併用することができる。」 60 23.国民教育法第 49 条の(a)項、(d)項、(f)項を以下のように置き換える。 「(a)教育について、本法律および他の教育関連法に基づいて支援しなければならない。 (d)卓越した学生、学習障害のある者および身体障害者が継続して教育を受けられるプ ログラムを実施しなければならない。外部からの支援プログラムを検査し承認すること ができる。 (f)教育に関する管理事項を本法律および他の教育関連法に基づき、自由に管理する権利 を持たなければならない。」 24.国民教育法第 50 条を以下のように置き換える。 「50.教員は、 (a) 国民の利益を損なわない限りにおいて自由に研究を行う権利を有する。 (b) 教育の発展のため、カリキュラムに合致した教授手法を自由に選ぶ権利を有する。 (c) 教授能力を向上させるため、国内外で引き続き教育を受ける機会を持つ。 (d) 自身の好きな学校または地域で教授できるよう、自由に申請する権利を有する。」 25.国民教育法第 53 条を以下のように置き換える。 「53.(a) 省および関連省庁は教員の責務と権利を設定しなければならない。 (b) 各教育レベルにおける学科すべてを尊重し、教授に当たる教員の間に差別が 生まれることのないようにしなければならない。 (c) 教員を任命するにあたって必要な手続きにおいて、身体障害を理由に差別が 行われることのないようにしなければならない。」 26.国民教育法第 11 章の表題である「教育の管理と監督」という表現を「教育管理」とい う表現に置き換える。 27.国民教育法第 56 条(a)項を以下のように置き換える。 「56. (a) 省、関連省庁および第 27 条に従って組織された委員会は、当該高等教育 機関を本法律および他の教育関連法に従って管理するものとする。」 28.国民教育法第 57 条における、 (a) (b)項および(d)項を以下のように置き換える。 「(b) その性格の特殊性により政府から個別の許可を得て、連邦人事院、内務省、防衛 省、辺境地域問題省および宗教省が開設した高等教育機関は関連省庁が法律に基づき管 理する。 (d) (b)項に示された高等教育機関を除く高等教育機関は、各校の教育および管理に関 する事項を行うため、大学委員会を各当該大学の規定に基づき組織する権利を有する。」 (b) (c)項に含まれる「高等教育協同委員会」という表現を「第 27 条に従って組織さ れた委員会」という表現に、また、 「大学、カレッジおよび高等専門学校」という表現 を「大学、学位カレッジ、カレッジおよび高等専門学校」という表現にそれぞれ置き 換える。 29.国民教育法第 58 条における、 (a) (b)項と(e)項を以下のように置き換える。 「(b) 政策、戦略およびそれらの実施計画、教育の発展計画、教育関連法、細則およ びその他の方法を起草する際には、父母、専門家、教育に関係する市民団体の代表 者、教員が選出した代表者および学生が選出した代表者の意見を仰ぎ、国民に広く 知らしめるよう、引き続き活動すること。 (e) 教育に充当された予算を財政上の規定に則り使用させること。」 (b) (f)項の下に(g)項として以下のように補則を設ける。 「(g) 教育課程を終える前に様々な理由で教育を受けることをやめた学生が、適切な 教育を受ける権利を再度得られるよう、必要な計画を設定する。」 (c) (g)項を廃止する。 30.国民教育法第 60 条を以下のように置き換える。 「60. 省は、所有する、または私立の学校に対し、専門家が参加した監督団体を組 61 織せねばならない。」 31.国民教育法第 62 条を以下のように置き換える。 「62. (a) 国家の教育予算が国家予算総額の 20%を占めるよう、目標を設定し実行 せねばならない。 (b) 学校または教育組織は、国内外の個人または合法的な団体から、支援金または寄 贈物資を査定の上で受け取ることができる。」 32.国民教育法第 63 条を以下のように置き換える。 「63. 学校または教育組織は、 (a) 資金運用に当たっては現行の財政上の規定に従い運用し、寄付者および一般の 人々に対して財務の透明性を確保するよう行動しなければならない。 (b) 第 62 条(b)項により、受け取った支援金または寄贈物資は教育部門の発展のために 適切に使用しなければならない。 (c)省または関連省庁による、規定に則った監査を受けなければならない。」 33.国民教育法第 64 条における、 (a) (b)項を以下のように置き換える。 「(b) 大学、学位カレッジおよびカレッジは、自校の基金を設立する権利を有する。 」 (b) (b)項の下に(c)項として以下のように補則を設ける。 「(c) 第 57 条(b)項に含まれる高等教育機関を除く、大学、学位カレッジおよびカ レッジは、自校のための年間予算の要求を教育省に提出しなければならない。」 34.国民教育法第 65 条(a)項を以下のように置き換える。 「(a) 委員会は自身が設立した委員会および組織のための年間予算の要求を省および 関連省庁を通じて連邦政府に提出しなければならない。」 35.国民教育法第 66 条を以下のように置き換える。 「66.(a) 本法律の制定以前より存在するすべての学校は、本法律の施行日から 5 年 以内に本法律に従った運営を開始していなければならない。 (b) 移行期間において様々な理由で教育を受ける権利を失った者については、引き続 き教育を受ける権利を得られるようにしなければならない。」 36.国民教育法第 68 条(b)項に含まれる、「国内の社会福祉、または宗教組織が」という表 現を、「国内の社会福祉団体または宗教団体が」という表現に置き換える。 ミャンマー連邦共和国憲法に則り署名する。 テインセイン 大統領 ミャンマー連邦共和国 62 2016 年 2 月 29 日現在、英語定訳なし。 在緬英語メディアを含め、英訳は Action Comimittee for Democratic Education(訳例: 「民主的教育のための行動委員会」)、Democratic Education Movement Committee(同: 「民主的教育運動委員会」)、Democratic Education Initiative Committee(同: 「民主的教育主導委員会」)など。訳稿では、原語に寄せて「推 進」として訳出した。 ii 教育制度改革全国ネットワーク ビルマ語名称は原紙になし。 当該団体によると思われる Facebook ページによると「教育制度改革全国ネットワーク」とあったので「全国ネットワ ーク」として訳出。参照: https://www.facebook.com/NNER.mmr/ 、2016 年 2 月 29 日閲 覧。 iii 既存訳では National Education を「国家教育」と訳していたが、National に相当する原 語は「国民」を意味するため、「国民教育」とする。 iv 下院の外務省訳。 v 上院の外務省訳。 vi 技術分野を学習・研究する学校。 vii (ミャンマーの行政区分における Region)の外務省訳。 i 63 第Ⅲ章 ミャンマーから日本への留学生 3.1 ミャンマー元日本留学生協会 MYANMAR ASSOCIATION OF JAPAN ALUMNI :MAJA 2015 年1月 MAJA Vice-President (教育担当) Dr. Myo Khin 氏にインタビューを実施した。 内容は以下の通りである。 ミャンマー元日本留学生協会(以下 MAJA)は、2001 年 12 月 10 日、 「ミャンマー連邦共 和国の国民の日」に 49 名の会員により設立された。設立時の会員の多くは、1943 年〜1945 年の第二次世界大戦中に日本に留学していた人たちであり、この会の設立後援者でもある。 この MAJA の設立目的は、以前日本で勉強・研究をしていたミャンマーの元留学生が相 互に連携を強めて人脈を作り、留学生の地位・ 向上を図る同窓会組織である。活動として は日本の大学と連携して日本語教育、ビジネスマン育成のための技術研修、経営研修の事 業を実施していた。 MAJA 設立以前は、何年もの間、公式の組織として認可されていなかったが、海外技術者 研修協会(AOTS(1))の制度のもと、元日本留学生は日本や近隣諸国に研修生を送る方針を 推進し、活動を継続していた。 2002 年 2 月 28 日、ミャンマー連邦政府内務省により MAJA が正式認可され、その後、会 員数は 822 名を超え、活動内容も拡大していった。 2009 年 11 月、ミャンマーのヤンゴンにおいて、第 1 回 ASEAN 元日本留学生評議会 (ASCOJA)(2)の総会が開催された。 2014 年末で 1500 人の留学生が日本で勉強・研究中である。 今後、日本の教育組織との連携、MOU を進めていきたいと考えている。 MAJA の主な活動内容である。 1. 年 2 回、日本留学試験(EJU)を実施。 2. 毎年 12 月、日本大使館とともに、日本語能力試験を実施。 3. 年 1 回、日本学生支援機構(JSASSO: Japan Student Services Organization)との 協同により、日本留学セミナーを開催。 4. 年 1 回、ミャンマーの人々を対象とした日本文化紹介イベントを開催。 5. 年 1 回、後援者のために、仏教の伝統に倣った表敬行事を開催。 6. 年 1 回、日本大使館とともに、日本語スピーチコンテストおよび日本文学翻訳 コンテスト(日本語からミャンマー語)を実施。 64 7. 月 1 回、定例理事会を開き、また必要に応じて臨時理事会を開催。 8. 毎年、中学生(男女各 3 名)を面接で選考し、日本の豊田市にホームステイお よび研修旅行に派遣。 9. 毎年、アスジャ・インターナショナル(Asia Japan Alumni)の奨学生を選考し、 日本の大学院修士課程に留学する制度。 10. ミャンマー語、日本語、英語のニュースレター(季刊)を発行。 2014 年 7 月 外務大臣よりこの 2001 年からの MAJA の活動、 外友好親善に対し表彰された。 (図 1) 図1 3.2 日本への留学生数 図 2 は MAJA 提供の 2012 年度 以降の日本への留学生数である。 図2 ミャンマーから日本への留学生数 単位:人 1600 ただし、この留学生数は在留資 1400 格の有効期限の年度(在留資格 の年月日まで日本に留学してい る)としているため 2016 年度ま での数値となっている。 1200 1000 800 600 400 200 0 年度 2012 2013 2014 2015 2016 不明 2012 2013 2014 2015 2016 不明 人数 5 65 1459 162 18 24 149 年度 脚注 「ATOS 同窓会」は、日本で研修をし、帰国した研修生が AOTS(現在 HIDA)研修の共通 (1) 体験を下に集まり、世界各地で自主的に組織した NGO である。2012 年8月現在では、43 カ国 71 箇所で結成され、自国の経済・産業発展、地域社会への貢献とともに日本および 諸外国との交友関係の進展に努めている。 出典:一般財団法人 (2) 海外産業人材育成協会 HP より抜粋 ASEAN Council of Japan Alumni: ASEAN 元日本留学生評議会 1974 年故福田元首相の呼びかけで始まった外務省招聘事業「東南アジア元日本留学生の 集い」で交流を深めた参加者たちが中心となり、1977 年 6 月に ASEAN 各国の元日本留 学生会の交流・連携を目的として ASCOJA が設立した。 現在の参加国は、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ、ブル ネイ、ミャンマー、カンボジア、ベトナム、ラオスの 10 カ国である。 出典:ASJA(Asia Japan Alumni )International HP より抜粋 66 参考文献 1. 工藤年博編『ミャンマー軍事政権の行方』アジア経済研究所、2010 年。 2. 田村克己・松田正彦編著『ミャンマーを知るための 60 章』明石書店、2013 年。 3. JICA (株)パデコ アイ・シー・ネット『ミャンマー国 教育セクター情報収集・確認調査フ ァイナルレポート』2013 年。 4. 根本悦子・工藤年博編著『ミャンマー・ルネッサンス』コモンズ、2013 年 5. JETRO 『世界貿易投資報告書2014 年度 ミャンマー編』2014 年。 6. 根本 敬『物語ビルマの歴史』中公新書、2014 年。 7. アジア経済研究所『アジア動向年報』1986 年から2015 年の各年。独立行政法人日本貿易振 興機構。 8. ヤンゴン日本人会『2014 年版 ヤンゴン生活手帳』ヤンゴン生活手帳編集委員会、2014 年。 9. 工藤年博編『ポスト軍政のミャンマー ―改革の実像―』アジア経済研究所、2015 年。 10.山田大輔『ミャンマー国家教育法と今後の高等教育の展望』日本学術振興会バンコク研究連 絡センターニュースレター「バンコクの風」2015-16 Vol.2特集、2015年11月。 11.ミャンマー国内の各新聞, 各雑誌。 67