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東 野 圭 吾 『 魔 球 』 謎 と 倫 理 (上 )見 え な い 魔 球
魔球 (講談社文庫)/講談社
「だいたい俺たちは本当に甲子園に行ったのか?」
「甲子園に行ったのは、北岡と須田の二人だけじゃないのか?」
「あの二人以外は、別に俺たちでなくてもよかったんだ。ユニフォームを着てれば誰だってよ
かったんだよ。所詮付録さ。二人に連れて行ってもらった甲子園なんて、なんの感激もなかっ
たね」
チームのキャプテンだったキャッチャーの北岡明君が殺されたあと、野球部がまずやった事は新しいキャ
プテンを選出する事だった。
順当に行けば、というかまともに考えるならば、無名校を甲子園に導いたエースの須田武志キャプテンが
満場一致で誕生だろう。
しかし部員のほぼ全員がそれに反対した。反対の音頭をとったのは、肝心な場面で致命的なエラーを犯し
好投須田を敗戦投手にした張本人だった。
彼らの出した結論はこうだ。
「主将は須田以外の者。方針は、部員全員が楽しめるようなチーム作りをする、ということだ。全員野球で
勝つという方向だな。スターはいらない」
須田武志と北岡明の孤独はここに極まる。
よくスポーツ選手が「モットーは楽しむことです」とインタビューで爽やかに答えているシーンがテレビ
で映し出されるけど、あのシーンがとんでもない偉業を成し遂げたヒーローへの勝利者インタビューである
という事実は重要だと思う。
負けた方が同じセリフをいうことは許されない。あれは勝者のみに許された特権的謙遜なのだろう。敗者
があれを言っちゃったら単なる負け犬の遠吠えのはずだ。ましてや彼の働きによってしか全員野球どころか
甲子園というという土俵にすらあがれなかった彼らが、その栄光の遺産を自分の小狡さで台無しにすること
はどう考えても許されないだろう。
しかしそれが正論となって堂々とキャプテン選出の基本方針という世論になる場所で、一連の悲劇は最悪
の形で人間の前に現れたのだった。
ネタバレになるのではっきりは書けないけど、犯人の北岡明殺害の動機はこの「ぬるい民主主義」だっ
た。
そしてこの小説の重要なサブストーリーである、元東西電気社員芦原誠一の爆破テロ未遂事件の動機も、
会社の事故隠しと責任の芦原への押し付けで事態を丸く収めようとした「ぬるい民主主義」が根底にある。
さらには、重要証言を翻すことになり、結局恋人とも破局してその街から姿を消さざるをえなくなった開
陽高校教師手塚麻衣子と、それを守りきれなかった森川教諭。ここにも世間体から逃れられない「ぬるい民
主主義」が引き起こす悲劇がみえる。
小説のラストで読者は、須田武志の一連の行動が普通に考えれば非難に値するものであったと知ることに
なるのだが、それでもなおこの孤高の、人から同情を受けることと一切無縁な青年に同情することを禁じえ
ない、いや、同情されたくなくても、同情することを許して欲しいとさえ思えてくるのだ。それは須田武志
が徹底的にこの「ぬるい民主主義」を拒絶して生きてきた、そして生き抜いたその生き様への畏敬の念に他
ならない。
そして同時に読者は、結局ぬるい同情でしか須田武志と分かり合えない自分も発見してしまう。それでも
なお、彼のことをわかりたいと思う。彼のようには生きられないと思いつつ、彼に拒絶されるのはわかり
きっているのに、彼にこの自分のやるせない気持を分かってほしい。一読者として小説の登場人物の彼に伝
えたいと思ってしまう。
弟勇樹への武志の最後の手紙は涙なしには読めない。でもそんな涙を須田武志は微塵も受け付けてはくれ
ない。
戦場でみんなで解決はありえない。戦場で同情している暇はない。戦場で自己実現など噴飯ものである。
須田武志はきっとそう言うに違いない。
でも人はいうだろう。「ここは戦場なんかじゃない。グラウンドは戦場なんかじゃなくてスポーツの舞台
だ。生きることは楽しむことだ」と。
そこに再び須田武志の孤独が極まる。もし彼の人生が、ある生い立ちが彼に強いた戦争そのものだったと
したら、グラウンドが戦場でないわけはないのだ。その生い立ちをあらん限りの利他の精神で甘受し、最後
まで聖戦を貫いた彼の生き様は読者に不思議な読後感をもたらす。
それはなんというか心地の良い、完璧な敗北の潔さのようなものだ。
「兄貴は」
勇樹がぼんやりと窓の外を見ながらいった。「いつも一人だった」
終章の兄を尊敬してやまない弟の、万感の思いを込めた一言が印象的だ。
東 野 圭 吾 『 魔 球 』 謎 と 倫 理 (中 )別 の 世 界
東野圭吾の「謎」はすぐには見えない。
そして最後の真相のドンデン返しがいつもすごい。
ミステリは理屈なく作品を楽しめば言い訳ですが、「これが東野作品っぽさの秘密じゃないかな?」と自
分の思ったところを書いてみようかと思います。皆さんはどんなところなんだろ〜想像しつつ…。
例えば『魔球』の主人公で犯人の須田武志のこんなセリフがあります。バッテリーを組んでいた北岡明が
殺されて刑事が事情聴取する場面です。
「最近の北岡の様子で、何か変わったことだとか、目立ったとこだとか……思い出せないかな」
すると武志はちょっ怒ったような顔つきになって目をそらした。
「俺はあいつの恋人じゃないですからね。そんなに細かい様子まで観察しているわけじゃない」
意外な反応だった。
「しか彼は君の女房役だったろう?例えばリードの仕方なんかに、その時の心境なんかが反映されたりする
んじゃないかと想像するんだが」
刑事の台詞に、彼は小さく吐息をついた。
「心境でリードされちゃたまらないな」
高間は一瞬返す言葉を失い、この天才と呼ばれる若者の目を見つめた。彼の目は、何か全く別の世界を見
ているように感じられた。
東野圭吾『魔球』より
ミステリ面白いところはいろいろありますが、私は日常世界にどっぷりつかった読者が、登場人物の(多く
は犯人の)何か全く別の世界に触れて、自分が無意識に当たり前と思っていたことが、「あ、そうじゃなかっ
たな」と思える瞬間が好きです。
単に犯人が分かっただけじゃなくて、それまで見えていなかった何か全く別の世界が、すぅっと目の前に
広がって、自分の社会常識みたいなものが揺さぶられたり、壊されたりする快感かも。
『魔球』でいうと、(上)で書いた「ぬるい民主主義」の世界が普段私が暮らしてる普通の世界。一方須田武
志君が生きているような厳しい何か全く別の世界にはその世界の論理的なオキテみたいのがあって、「あ
あ、その世界で生きていれば、そうじゃない世界とぶつかるところで犯罪も起きるかもな」とそれまで見え
ていなかった世界が一気に前景にせり出してくる。
今回の『魔球』に続いてこのブログで取り上げる他の作品も、それぞれこの何か全く別の世界が意外など
んでん返しとなって、ゆっきーの日常世界を揺さぶります。
ちょっと見てみますと…
■『放課後』の見えない女子高生
「ほんの小さなきっかけで先生のことを見直し好意を持つ人がいるのなら、当然その逆もある。つまりほん
の些細なことから、先生を憎むということもあるのではないか・・・と」
「当然あるでしょうね」
女子高というのはそういうことの繰り返しだと思っている。
「ではそのことが殺人事件に結びつく可能性はどうですか?あると思いますか?」
大谷は真剣な眼差しで聞いてくる。難しすぎる問題だ。だが私は思ったままを答えた。
「ある、と思います」
「なるほど」
大谷は思い入ったように薄く目を閉じだ。
東野圭吾『放課後』より
この女子高生の些細な世界が見えないと真相が見えてこない。
あとは…
■『同級生』見えない恋
そんなあり得ない恋もあるのか、が見えてこないと意外な犯人が想像もできない。
■『さまよう刀』の見えない少年
少年法に守られた不可視の空間がポイント
■『赤い指』の見えない家族の絆(きずな)
何かのふりを必死に演じるその演技空間が見えないと赤い指の意味が見えてこない
■『パラレルワールド•ラブストーリー』の見えない別世界
好きになった女性自分のものにするためのパラレルワールド(まさに全く別の世界)はなぜ必要だったか。
■『悪意』の見えない過去
自分の現実に生きた過去すらも作り変えてしまいたいという情熱とは何か
と、犯人や結末が分かっただけじゃなくて、それぞれ見えなかった何か全く別の世界の価値空間が見える
瞬間「謎」が解けて、自分の小さな道徳観や倫理観が激しく揺さぶられる。「ああ、こんな世界もある
な」って、犯罪者の世界を理解してしまうちょとあぶない自分がいる(笑)。
お話にすぎない探偵小説内部空間が、その外部(私の生きてる世界)と交錯する中で出てくる倫理的問題(犯
罪者を理解したり共鳴•共感したりしてしまう)部分が病みつきに(^_^;)。
それがゆっきーの東野作品にハマる理由です。
次回は『魔球』(下)です。
東 野 圭 吾 『 魔 球 』 謎 と 倫 理 (下 )地 獄 の よ う な 欺 瞞 的 空 間 の 拒 絶
『魔球』の結末は偽装自殺した甲子園投手須田武志が犯人だったという幕で終わる。
自分の豪速球を唯一捕球することができ、自分の孤高をそっと見守ってくれる理解者でもあった捕手の北
岡明を殺害したのは、須田武志だったのだ。
須田武志は決して北岡明が嫌いだったわけではない。しかし、北岡の「ぬるい民主主義」にはこんな違和
感を刑事に表明している。
「彼は主将としてはどうだったのだろう」と高間は訊いてみた。
「よくやっていたんじゃないかな。少し真面目すぎるところもありましたが」
「真面目すぎるって?」
武志は首を少し横に傾けた。
「一人一人の意見を尊重しすぎるんですよ。そんなことしてちゃ、
キリがないのに」
須田の才能を認め、須田武志の能力なくしては甲子園出場など叶わないことは百も承知していた北岡だ
が、北岡は才能のない部員を含めた最大多数の最大幸福を常に理想としていた。
そんな北岡の主将としての行動を須田武志は、多分無駄としか考えていなかっただろう。須田にとって
は「全員野球」など弱者の言い訳にすぎなかったのだと思う。
イソップ童話で葡萄を手にできない狐が「あれは酸っぱいぶどうだ」といじけているうちはまだいい。し
かし、どうやったって須田に叶わない自分たちを直視するのに耐えられず、スポーツは勝ち負けよりも全員
で楽しむものだという種類の、自分の弱者としての真実から目を逸らす醜悪な嘘を須田は許せなかったに違
いない。
そんなプライドもない弱者たちの「一人一人の意見を尊重」しようとする北岡には苛立ちを感じていて不
思議はなかった。
北岡への苛立ちは、どうせ打ち明けても同情することしかできはしない、そして肩を故障した弱い須田武
志をやっと自分たちと同レベルだと認識して同じ狐同士醜悪な仲間意識を持とうとするであろうチームメイ
トや顧問にひた隠しにしてきた自分の右肩の故障を、約束を破って北岡が顧問に無断で相談したことで頂点
に達する。
「武志君は、当然北岡君にも約束させただろう。絶対に右腕の故障のことをしゃべるなとね。だから、北岡
君が森川先生に相談に行ったと知ったときにはショックだっただろう。しかしね---」
高間は言葉を切り、勇樹の顔をじっと見つめた。
「武志君はそんなことで殺意を抱くような、低級な人間ではないよ。(中略)この事件は君の兄さんの強烈な
個性を象徴していると思う。彼はね、約束を守らなかった相手に対しては、なんらかの報復が必要だと考え
ていたんじゃないだろうか。(中略)そして今回は北岡君の愛犬を刺すことで、報復しようとした。」
「そうなんだ。武志君の狙いは犬の方にあったんだ。多分犬を刺して、すぐに逃げようとしたのだと思う。
だが北岡君は黙っていなかった。彼を追うと、取っ組み合いになったんだ。そしてそのはずみで、武志君の
小刀が北岡君の腹を刺してしまったんだ。」
「犬の方が先に刺されていたということは、事件当初から分かっていた。その理由についていろいろ推論が
出たけれど、どれもしっくりいくものではなかった。でもこの説明なら分かるだろ」
これが真相である。
「別の世界」に生きる須田武志は、こうして「ぬるい民主主義」の世界との間に決定的な亀裂を生じさせて
しまった。
しかし、須田武志が顧問に説得され、プロ契約をして不幸な母親に楽をさせてやる夢も捨て、人当たりの
良い顔で後輩の指導をするような「ぬるい民主主義」の住人に成り下がる姿を私は見たくない。
内部世界に飼い殺されることを当然のように拒否し、外部世界に自らを放り出し死んで行く須田武志は少
なくとも「酸っぱい葡萄の狐」にはない誇りがある。
「兄貴は」
勇樹がぼんやりと窓の外を見ながらいった。「いつも一人だった」
須田武志はほとんど地獄のような欺瞞的空間を拒否できる人間だった。
その内部空間でしか生きられない自分を自覚している弟の勇樹にとって、兄はいつまでも最高の誇りで
あったのだ。
東野圭吾『魔球』謎と倫理 地獄のような欺瞞的空間の拒絶
了 (o^—^)ノ
東 野 圭 吾 『 放 課 後 』 謎 と 倫 理 (上 )見 え な い 女 子 高 生
放課後 (講談社文庫)/講談社
校内の更衣室で生徒指導の教師が青酸中毒で死んでいた。先生を2人だけの旅行に誘う問
題児、頭脳明晰の美少女・剣道部の主将、先生をナンパするアーチェリー部の主将――犯人
候補は続々登場する。そして、運動会の仮装行列で第2の殺人が……。乱歩賞受賞の青春推
理。
前回取り上げた幻の傑作『魔球』で乱歩賞に落ちちゃった東野さんが翌年捲土重来を期して送り込んだ作
品がこの『放課後』です。
舞台は前作と同じ高校。ただし今度は女子高だ。登場人物は当然女子高生。犯罪を犯すのも女子高生。そ
して語り手は男性教師。追い詰める警察は当然男性刑事。これがこの作品の性格を決定づけています。
つまり、見えない女子高生におじさん達が挑むわけだ。
語り手役の数学教師前島教諭は、教師として教室で数学だけつつがなく教え、生徒とそれ以外の面倒な関
わりを持たないことを信条としている。そんな前島は生徒から『マシン』だと言われてる。
でも一人、この教師を男性として深く好きになった女生徒がいる。それはこのマシンが自分でも気が付か
ないうちにさり気なくこの女生徒に見せた、本物の、上辺だけ理解あるふりをした教師には伝えることので
きない人間らしい側面だった。
そんなエピソードを事情聴取の過程で聞いた大谷刑事は前島教諭にこう語りかける。
「ほんの小さなきっかけで先生のことを見直し好意を持つ人がいるのなら、当然その逆もある。つまりほん
の些細なことから、先生を憎むということもあるのではないか・・・と」
「当然あるでしょうね」
女子高というのはそういうことの繰り返しだと思っている。
「ではそのことが殺人事件に結びつく可能性はどうですか?あると思いますか?」
大谷は真剣な眼差しで聞いてくる。難しすぎる問題だ。だが私は思ったままを答えた。
「ある、と思います」
「なるほど」
大谷は思い入ったように薄く目を閉じだ。
この小説のとても印象的な場面です。
選考過程ではかなり揉めたようでこんな逸話があります。
「『放課後』の犯人が連続殺人に踏み込むに至った動機をつまびらかに述べると、正体が露見してしまうの
で、ここでは「学校」ならではの独特のものだった、とのみ述べておこう。
独特なものゆえ、乱歩賞選考時には動機が議論の的となった。選考委員五名中四名が言及し、そのいずれも
が「動機や小道具の使い方などの点で、疑問がないわけではない」(小林久三)「説得力に乏しい」(土屋隆
夫)「推理小説では最も大切な動機が、なんとしてもおかしい」(伴野朗)「惜しむらくは動機が弱い」(山村正
夫)といった否定的な評価であった」
『僕たちの好きな東野圭吾』別冊宝島編集部
でも、この小説そのものが「動機への疑問」「動機への弱さ」「頭の硬い人にとっての動機の説得力の無
さ」「動機の普通の意味でのおかしさ」という、女子高生の深層心理を読めない、見えない教師や刑事たち
が翻弄される小説なのだからわざとそう書いているように思えるのですが…。
さて、その動機とは何なのでしょうか?
実はかなりの純度でエロちっくなものです。
それにしびれちゃう人は、とてもエッチな人ですこの作品のよき理解者でありましょう。
東 野 圭 吾 『 放 課 後 』 謎 と 倫 理 (下 )世 界 初 の 苦 悩 あ る い は 検 索 不 可 能 な 「 真 相 」 と は
何か
「のぞき ……」
私は茫然としながら、彼女の肩から手を離した。「それが動機か」
「先生たちから見れば、大したことないかもしれない。今頃の女子高生は買春するくらいだからって
いう意識があるものね。でも、それとこれとは全く違う。あたしだって、買春をしてやろうかなと
思った時期はあったけれど、無警戒なところをのぞかれたりするのは絶対にイヤ。それは心の中に、
土足で入って来られるようなものよ」
「しかし ……何も殺さなくても」
「そう?だけど、もしのぞかれた時、恵美がオナニーをしていたとしたら」
その言葉は、直接脳に響いたように鋭い感覚を私に与えた。
内容が衝撃的で一瞬思考停止状態になるので別の例を考えてみる。
親が子供の日記をこっそり盗み見たら、そこに買春の事実が書いてあった。親は子供を問い詰める
権利はありそうだ。しかし、日記を盗み見たということに対して子供は親に抗議する権利があるだろ
う。それがもしないのならば、 世界中の警察の違法捜査はすべて正当化されてしまう だろう。
苦し紛れの親にしてみたら 「売春なんやましいことをしていなければ、日記を見られたって別に痛
くも痒くもない、日記を見られて困るようなことをしているお前が悪い」 という論理かもしれない。
しかし恵美のしていたことは、犯罪でもないし、犯罪に発展する危険性もない。非難されるべきは
一方的に盗み見た方にある。
恵美の感じた思いは多分、レイプされたことを告訴する時のジレンマと似てるようにも見える。法
廷で二度レイプされることを覚悟で事実を明るみにすることはすべての女性にとって躊躇われるはず
だ。
でも少なくともレイプ告訴の場合には、被害者には「世間」の同情が集まるだろう。この場合の悲
劇は、恵美は悪くないにもかかわらず、事実を公にすれば同情を買うどころか好奇な嘲笑を買うこと
だろう。
そしてそっちこそが 「世間」の正体 だ。
法廷では裁判官が法律の条文と過去の判例を 検索 して量刑を課す。
精神科医やカウンセラーは、精神障害の診断と統計の手引き (DSM) - Wikipedia http://bit.ly/VUfdT1 を 検索 して病名を決定する。
だが、この時の恵美の苦しみは 検索 しても決して見つからない。データベースに登録されていない
からだ。そしてレイプが世間の人の同情を集めるのは、 検索 可能な形で感情のデータベースに登録さ
れているからだろう。
しかし、データベースに登録されている社会的に認知された苦しみが苦しみのすべてではない。そ
して、データベースに登録できない感情とは、苦しむに値しない苦しみというわけではない。
私はむしろこの データベースに登録できず、人から検索もされない苦しみ こそ人間にとって一番救
われるべき苦しみなんじゃないかと思う。
「 二学期が始まって、ある日恵美が電話をかけてきたわ。『今目の前に青酸ソーダがあります。飲ん
でもいいですか』って彼女は言ったの」
恵美は新学期が始まってからのぞきをされた教師たちに、授業中にも「あの夜のあられもない姿を
思い浮かべている目」で視姦され続けていたのだった。
読者はここに至って殺人の動機に慄然とする。なぜか?読者もまた、過去の判例を職業的に想起す
る法廷の裁判官や、マニュアルを参照するだけの治療を行う精神科医のように、犯人の犯罪をデータ
ベースの 検索 で読み解こうとしていた自分の無力を発見するからだ。
典型的な探偵小説マニアは、読みながら推理などしない。彼らはこれまでの読書体験に基づい
た、トリックを格納したデータベースを持っていて、それを検索するだけなのだ。
例えば、密室ミステリを読む時、「ドアのしたに隙間があった」という描写が出てくると、読
者は、自分が過去に読んだミステリから、ドアの隙間を利用した密室トリックを検索する。
飯城勇三『エラリー •クイーン論』
犯罪を犯す人間の動機、精神を病んでしまう人間の魂の姿は、 本来常に 「世界初の苦しみ」 なので
はないかと私は思う。
しかしこの苦しみは 「共感」 などという手垢のついた薄っぺらいツールで捉えられるようなシロモ
ノでは決してないのだ。
前島先生に犯罪の告白をした恵美の親友のケイは、恵美の苦しみに 「共感」 などしたのではない。
検索不可能な苦しみを 「共犯」 で引き受けたのだ。
検索不可能な「真相」に直面した時、もしその対象をそれでも理解したいと思ったら、その時人は
自分 相手の人生の共犯者 になることを覚悟せねばならないだろう。
果たして日記を盗み見る親に、子供の人生の共犯者になる覚悟があるのかどうか …。
社会化できない苦しみを目の当たりにした時、検索不可能な真相は他人事でない真実として発見者
の目の間に立ち現れる。
しかし大抵の人は、それを新しいデータとしてデータベースに登録してしまう。司直に委ねたりカ
ウンセラーに委ねたり。
そして言うまでもなく 検索可能 になったデータはもはや真実の姿を失っているのだ。
検索時代を生きる我々は、真実忘却、存在忘却の時代 (ハイデガー )を今日も生きている。
東野圭吾『放課後』謎と倫理 (下 )検索不可能な「真相」とは何か
了
(*v_v)
東 野 圭 吾 『 同 級 生 』 謎 と 倫 理 (上 )嘘 つ き な 西 原 壮 一
同級生 (講談社文庫)/講談社
宮前由希子は同級生西原荘一の子を身ごもったまま、そしてその愛が本物だったと信じた
まま事故死してしまった。西原荘一は自分が父親だと周囲に告白し、疑問が残る事故の真相
を探る。やがてある女教師が事故に深く関わっていたことを突き止めるが、彼女の絞殺体が
発見されるや、一転は容疑者にされてしまう。
(Amazon紹介文より)
『魔球』『放課後』ときましたので、初期傑作の締めくくりとして『同級生』を書かなくて
は(^^)。
舞台はまた高校です。今回は主人公の西原荘一の行動が全体を動かしているみたいです。
そこでまず主人公西原荘一のとった行動を中心にこの小説のストーリーをみてみよう。
1 事故死した恋人由希子が妊娠していたと通夜の席で聞く
2 野球部に仲間と共に不審な死を解明しようと誓う
3 そのために由希子の両親にあって話を聞こうとする
4 そんな大事な話を同級生にすぎない西原荘一にする訳がないと部員に言われる
5 俺が由希子の子供の父親であることを告白すれば問題ないはずだと宣言する
6 実際に由希子宅を訪問し、両親に謝罪する
7 学校では教師やクラスメートの白い目に耐える
8 その後由希子の死に関係する教師殺人事件の容疑者となるも真相解明に努力
9 事件解決
ここだけ取り出すと西原荘一という人間は、およそ考えられる限り最高度に「男らしい」人物です。出来
過ぎなくらいに嘘くさい完璧なキャラですが・・・
そうなんです!
何の事はない、嘘なのです。
明白な嘘はついてないけど、必要なことを言わずに自分の有利な方向に状況を持って行く種類の巧みな
嘘。
以前江戸川乱歩の「二銭銅貨」で引用した本(リンク
)のこんな感じに。
探偵小説と叙述トリック (ミネルヴァの梟は黄昏に飛びたつか?) (キイ・ライブラリー)/東京創元社
言い落としはコミュニケーションの消極的な必然性ではなく、目的化されたディスコミュ
ニケーションの、要するに積極的な欺瞞と隠蔽のために極めて有効な手段となる。
赤い服を緑だといえば明白な虚偽だ。しかし服の色を口にしなければ、たんなる語り落と
しにすぎない。話を聞いた者が、自分から赤い服を緑の服だと思い違えても私の責任ではな
い。何かを語り落とすだけで、語り手は聞き手を欺瞞することができる。あとから、意図的
に嘘をついたと非難されることもない。私は虚偽を語ったのではなく、それについて語るの
を忘れたにすぎない。誤解したのは聞き手の方なのだ。
笠井潔『探偵小説と叙述トリック』
面白いのは江戸川乱歩の「二銭銅貨」と違って、この騙しを読者は知っていて、作中の西原君の周りの人
たちがその嘘に翻弄されるという作り方になっていることです。
東野圭吾『同級生』謎と倫理(下)では、その辺りの作者がしかけた読者の読んだ時の印象の違いなどにつ
いて書いてみようと思います。
つづく(o^—^)ノ
東 野 圭 吾 『 同 級 生 』 謎 と 倫 理 (中 )『 ノ ル ウ ェ イ の 森 』 の 言 い 落 と し
前回、江戸川乱歩「二銭銅貨」の読者へも向けられた(対読者言い落とし)と違って『同級生』では作中人
物が、西原君の言い落としにやられてる(対作中人物言い落とし)と書きました。
ここで余談的(*)に、村上春樹『ノルウェイの森』の中の対作中人物言い落としを見てみましょう。
『ノルウェイの森』では、ふつうだったら三角関係になるはずの男女三人の関係が、三角関係になっ
ていない。何かを隠蔽するというか、真空化することによって三角関係にならない小説になってい
る。そこが実をいうとなかなか不思議なところなのだと思う。
あれは「僕」がいて直子がいて、そこに緑という女の子が登場してきて、「僕」が直子を捨てる話
ですよね。でも三角関係にはなっていない。ここにあるのは、どういう問題なのか。
(発言者:加藤 典洋)
村上春樹をめぐる冒険〈対話篇〉: 笠井 潔, 竹田 青嗣, 加藤 典洋: http://amzn.to/RQxgGI
故意になにか重大なこと言わないでおくわけですね。実際の『ノルウェイの森』の該当箇所をみてみま
しょう。
直子は僕の生活のことを知りたいと言った。僕は大学のテストのことを話し、それから永沢さんの
ことを話した。僕が直子に永沢さんの話をしたのはそれが初めてだった。彼の奇妙な人間性と独自の
思考システムと偏ったモラリティーについて正確に説明するのは至難の技だったが、直子は最後には
僕の言わんとすることをだいたい理解してくれた。僕は自分が彼と二人で女の子と盛り場に行くこと
は伏せておいた。ただあの寮において親しく付き合っている唯一の男はこういうユニークな人物なの
だと説明しただけだった。そのあいだレイコさんはギターを抱えて、もう一度さっきのフーガの練習
をしていた。彼女はあいかわらずちょっとした合間を見つけてはワインを飲んだりタバコをふかした
りしていた。
村上春樹『ノルウェイの森』
加藤氏の説明を引用します。
僕の言い方でいうと、レティサンス、故意の言い落としがここにある。
後で、最後近く、自分は緑を愛していた、たぶんそのことはもっと前にわかっていたはずなのだ、
ただその結論を回避していただけなのだ、と「僕」が語る箇所がありますが、そういうなら、このと
きすでに、「僕」は緑に惹かれはじめている、ただそのことは、小説の奥深く、見えない形で定置網
のように沈められている。つまり三角関係的葛藤が二十歳の主人公「僕」中にないのではない。しか
しそれは小説には現れない。それはないこととされている。そしてこのことは、たぶんこの小説に
とって本質的な意味をもっているという感じを受けます。
村上春樹をめぐる冒険〈対話篇〉: 笠井 潔, 竹田 青嗣, 加藤 典洋: http://amzn.to/RQxgGI
<言い落とし>が推理小説のみならず、純文学でも大きな仕掛けになっているようです。
というわけで今回は寄り道でしました(実は重大な寄り道なんですがそれはまた後ほど。文末の(*)をご参照
下さい)。
(下)で再び『同級生』に戻ります。
つづく(o^—^)ノ
(*)「探偵小説•カチンコ問題」の、なぜ村上春樹の「謎」は解かれないのか(人間の謎、ミステリの謎|【音
の風景第二別館】ゆきちゃんの創作の秘密ブログ http://amba.to/QDaLXB)にも関わってきますが、今は比較
だけとします。それとこの東野圭吾シリーズで『パラレルワールド•ラブストーリー』の三角関係について書
くときまたこの『ノルウェイの森』のこの部分を参照予定です。
東 野 圭 吾 『 同 級 生 』 謎 と 倫 理 (下 )作 中 人 物 の 自 意 識 に 回 収 さ れ る 嘘
ネタバレあり
西原荘一がなぜああいう嘘をつき続けていったのか。西原荘一本人の言葉を聞いてみよう。
緋絽子、と俺はもう一度呟いた。だが今度は声にならなかった。
俺は認めなければならない。今度の一連の出来事を通じて、わざと緋絽子を苦しめようとしていた
ことを。由希子の妊娠の相手が自分だと名乗り出たのも、殺人事件の容疑者にされたときもなお由希
子の恋人のふりをしたのも、緋絽子に見せつけるという目的を含んでのことだった。おまえのために
俺はこんなひどい目にあってるんだぞ、そういう見苦しい主張をしていたわけだ。何のことはない。
ふられた腹いせに嫌がらせをするのと、大差なかった。
『同級生』
えーーーーー (ノ ∀ ` )
ちょっと待ってよ、じゃあ妊娠させて中絶のために病院に行って事故死した由希子ちゃんのことはど
う考えてたのよ!?
(ふられた後 )それから俺のやけっぱちの日が流れた。俺は嫌なことを忘れようと野球に熱中し、練習
が終わってからもなかなか家に帰らなかった。世の中すべてに腹を立てていた。
そんな時宮前由希子が、俺の心の隙間に入ってきたのだった。
『同級生』
って …。おいおい ¤\( •
• )/¤
はっきり言ってこの真相は許せない!
東野圭吾シリーズを始める時に私はこう書きました。
ミステリ面白いところはいろいろありますが、私は日常世界にどっぷりつかった読者が、登場
人物の (多くは犯人の )何か全く別の世界 に触れて、自分が無意識に当たり前と思っていたこと
が、 「あ、そうじゃなかったな」 と思える瞬間が好きです。
単に犯人が分かっただけじゃなくて、それまで見えていなかった 何か全く別の世界 が、すぅっ
と目の前に広がって、自分の社会常識みたいなものが揺さぶられたり、壊されたりする快感か
も。
東野圭吾『魔球』謎と倫理 (中 )別の世界|【音の風景第二別館】ゆきちゃんの創作の秘密ブログ
http://amba.to/W5eTMH
東野圭吾作品にはこれを感じることが多いのですが、 『同級生』 にはまったく感じませんでした。
読んでる途中でも、この西原荘一ってヤな男だな〜と思いながら読んでたのですが、その真相を
知ってイヤ!にとどめが刺された (爆 )。
「二銭銅貨」 の怒りと違うのは、叙述トリックに騙された自分に戸惑いながらも、「うまくやられ
たな。ニヤリ (‾ ▽ ‾ )」という感触、つまり騙される自分も悪いな〜という思いがあったのですが、この
場合にはそれがありません。
徹底的に自分のためだけに嘘を突き通して捜査を混乱させた西原荘一みたいな人物をよくぞ東野圭
吾さんは書き上げたなあ、という敬意 (? )で、いちおー初期傑作群というくくりにしてるんですが、
『魔球』『放課後』とはちょっと違う思いです (笑 )。
この私の思いを一言でいうならば、表題の 作中人物の自意識に回収される嘘 ということになりま
す。
嘘には騙されても何か 何か全く別の世界 を垣間見せてくれるような嘘があるのだと思います。それ
は 作中人物の自意識に回収されない嘘 =読者に向けられた、読者を巻き込んだ嘘 と言い換えられると思
います。
それが 叙述トリックの可能性 じゃないかなと思うのですが、それについてはまた稿を改めたいと思
います。
東野圭吾『同級生』謎と倫理 (下 )自意識に回収される嘘
了
(o^ —^ )ノ
東 野 圭 吾 『 パ ラ レ ル ワ ー ル ド •ラ ブ ス ト ー リ ー 』 夏 目 漱 石 と 東 野 圭 吾
パラレルワールド・ラブストーリー (講談社文庫)/講談社
親友の恋人を手に入れるために、俺はいったい何をしたのだろうか。「本当の過去」を取
り戻すため、「記憶」と「真実」のはざまを辿る敦賀崇史。錯綜する世界の向こうに潜む
闇、一つの疑問が、さらなる謎を生む。精緻な伏線、意表をつく展開、ついに解き明かされ
る驚愕の真実とは!?傑作長編ミステリー。
(Amazon紹介文より)
『パラレルワールド・ラブストーリー』で描かれるのは奇想天外な世界です。
奇想天外なとは例えばこんな世界。
ある朝起きたらゆっきーは男になっていました(~.~)。
飛び起きてビングに行って「どうしよう、あたし朝起きたら男になっていた!」と騒ぐ私に「本当だ!こ
りゃ大変だ!」と騒ぐ家族。
ライトノベル向きの楽しいドタバタが見えてきます。
はたまた、「げ!いつからこうなっちゃったの?」と慌ててリビングに行って「あたし朝起きたら男に
なってた。どーしよー」と半泣きしてるのに、母親は「何バカなこと言ってるの、ユキオ(笑)は生まれた時
から男の子じゃないの」と平然言う。父は「バカな事言っていると学校に遅れるぞ」とか言っちゃって忙し
そうに新聞を斜め読みしてる。独り呆然と佇むわたし。
こっちは、みんなで共有するドタバタじゃなくて「え?うそ。そもそもあたしって誰なの?」みたいに視
線が孤独な個人の内面に行ったりするシリアスな小説向きかも。
今回の『パラレルワールド・ラブストーリー』は…?
そこはさすが東野圭吾さん。そのどちらでもありません。サスペンスタッチの夏目漱石。これが読み終
わった瞬間の私の読後感でした。
まずさっきの「ゆっきー朝起きたら男になっていた」ストーリーで言うと、お父さんとお母さんが、実は
娘は女だと知っているのに【示し合わせて昔から男だったと嘘をつき通そうとする共犯関係にある】とい
う、サスペンス的なスリルのあるひねりが入ってます。
記憶捏造の【共犯者】はバイテック社とバイテック社の付属研究機関MCA。主人公の敦賀崇史、親友の三
輪智彦、三角関係の要のヒロイン津野麻由子の三人が勤務する米国資本のある企業だ。
ここで俄然小説世界は厚みを増します。
バーチャルリアリティや記憶といった人間の本質に関わる事柄を莫大な予算を使って研究し、秘密裏に製
品化して収益をあげる国際企業。その研究員である三人。後輩の篠崎研究員はその極秘実験台となったため
に、自分の記憶に齟齬をきたしパニックに陥った果てパーティーの席上で暴れ出してしまい、その後行方不
明になる。
そして、親友の三輪智彦は何時の間にか米国に赴任してしまって敦賀崇史の前から姿を消している。さら
に奇妙なことに、親友のその赴任の事実に敦賀が気がつくのは、渡米後数ヶ月もたってからの事だったの
だ。
敦賀崇史が朝目覚めるといつものように横に寝ている女性は、確かに自分が以前から付き合っていた同じ
会社の研究員津野麻由子だ。でも、何かがおかしいと思わせる事が次々に起きる。麻由子にも会社の人間に
も敦賀崇史はその違和感をぶつけてみる。しかしみんなは一様に、崇史が感じているような違和感は存在し
ないと断言するのだ。
自分の記憶にも知らないうちに何か異常が起きている?主人公の敦賀崇史は不安で狂いそうになりながら
も、その謎を解明しようとしていく。
これが大まかなストーリーです。事実を隠蔽工作をしようとする企業とのスパイ小説みたいなスリリング
なやり取りで話はテンポよく進み、ページをめくるのがもどかしいほどです。
そして、この小説のもう一つの厚みが東野圭吾ならではの人間描写です。敦賀崇史はそのパラレルワール
ドの中で、津野麻由子を巡って激しい恋の葛藤を経験します。
津野麻由子は親友三輪智彦のかけがえのない恋人だ。敦賀はその麻由子にどうしても抑えきれない恋心を
抱いてしまう。そしてとうとう三輪もそのことを知ってしまい、麻由子にどちらを選ぶかを迫るのだ。しか
し麻由子はその時すでに敦賀に半ば強引に求められ、体を許していたのだった。
…と、明治の文豪夏目漱石の『こころ』のような緊迫した倫理劇がピタッとはまっているのです。
そこがこの作品をライトノベルや通俗シリアス劇と違ったものにしているポイントでしょう。
三人にとって生きて行く事すら辛い、それぞれの三角関係。『こころ』においてはKが自ら命を絶つ事で
事態は後戻りできない運命の歯車を回しました。
この小説では恐ろしいことに、彼らが携わっていた人間の記憶を改変してしまう技術が運命の歯車をもて
あそびます。
「嫌なこと、悲しいこと、辛いことを経験したことによる心の痛みを、すべて忘れるという方法で解決して
いいものだろうか。むしろ人間はそうした心の痛みを、一生抱えて生きていくべきではないのか」
最後に敦賀崇史は、その歯車を回す前にこうつぶやきます。そかしそれを聞いた津野麻由子の決断は…
人間の記憶が変わってしったとしても、この小説の中で唯一最後の最後まで変わらないものがあったかも
しれない。
それは『こころ』の中の先生が「お嬢さん」に抱いたような、敦賀崇史の津野麻由子への愛だった。この
どうしようもない愛を貫くために、敦賀崇史は三輪智彦との関係、そして彼らの生きる世界そのものを壊し
たのだ。
しかし、その愛は果たして変わらぬ真実の愛だと言えるだろうか。
それは漱石が『こころ』で描き切ったように、人間精神の根本にある業、エゴイズムと言えないだろう
か。
「俺は弱い人間だ」
彼女は目を伏せ、少しの間黙っていた。やがて顔を上げた彼女の睫は濡れていた。
「あたしもよ」
東野圭吾のパラレルワールドは、最終的に三人にどんな世界をもたらすのだろう。
つづく(o^—^)ノ
東 野 圭 吾 『 パ ラ レ ル ワ ー ル ド •ラ ブ ス ト ー リ ー 』 と 村 上 春 樹 の ハ ー ド ボ イ ル ド ワ ン
ダーランド
東野圭吾『パラレルワールド •ラブストーリー』謎と倫理 (中 )
村上春樹『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』との比較
夏目漱石を引っ張り出してみましたが、純文学の平行世界ものといえば有名なのは村上春樹のこの
作品でしょう。
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド /新潮社
舞台は近未来の情報戦争社会。この時代では、情報は厳重に保管されるばかりでな
く、いったん人間の脳を通過させて簡単にその情報が解読できないような暗号化を施す
ことがなされている。主人公はそうした情報のフィルタリングをおこうなうことを職業
としているが、ある日自分の意識の核を焼き切るプログラムを脳にインストールされて
しまう。
この 主人公が実際に生きる世界で非常事態に立ち向かうのが「ハードボイルド •ワン
ダーランド」だ。
一方 「世界の終わり」は焼き切られた意識の核が作り出す閉ざされた街だ。
主人公の意識はここに幽閉され、この虚偽の街から一緒に脱出しようという影や、街に住む優しい
図書館の女の子との交流の中に揺れ動く。
ざっと要約するとこんな感じでしょうか。
物語の終局は主人公がその街にとどまる事を決意する事で終わる。
いったんは影に「君の言う通りだ。ここは僕のいるべき場所じゃない」と言い、一緒に街の外に出
る (平行世界の外に出る )ことに同意する主人公だが、最終的には影に告げる。
「僕はここに残ろうと思うんだ」
影はまるで目の焦点を失ったようにぼんやりと僕の顔をみていた。
「よく考えたことなんだ」と僕は影に言った。
ゆっきーが泣く場面です (
︿
˃̣̣
̣̣
˂̣̣
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)
これを東野圭吾 『パラレルワールド •ラブストーリー』 と比較してみよう。
『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』 主人公のこの決断は、 『パラレルワールド •ラブス
トーリー』 の下記の心情に近い。
「嫌なこと、悲しいこと、辛いことを経験したことによる心の痛みを、すべて忘れるという方法
で解決していいものだろうか。むしろ人間はそうした心の痛みを、一生抱えて生きていくべきで
はないのか」
『パラレルワールド •ラブストーリー』
しかし最後の最後が違う。
『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』 では、影は一人もとの世界に戻り、 『パラレル
ワールド •ラブストーリー』 では二人一緒に違う世界に行くので、そこにあった 世界は消滅 するのであ
る。
だから 『パラレルワールド •ラブストーリー』 のラストはこうなる。
「俺は弱い人間だ」
彼女は目を伏せ、少しの間黙っていた。やがて顔を上げた彼女の睫は濡れていた。
「あたしもよ」
『パラレルワールド •ラブストーリー』
この違いは重大だ!
と思うのであった (´ー` )。
このラストの違いは、作風の違いのみならず純文学の「謎と倫理」、ミステリ小説の「謎と倫理」
の違いの核心だからだ。
続く
東 野 圭 吾 『 パ ラ レ ル ワ ー ル ド •ラ ブ ス ト ー リ ー 』 「 自 分 の 中 の 世 界 」 と 「 世 界 の 中
の自分」
人は「謎」に直面した時、本能的にその謎が生じた「原因」と「結果」との結びつきを解くことに意識を
向ける。
ところが、そうして解けた謎にいったんは納得しても、私たちはまた別の可能性を考えてしまう。
本当に謎は解けたんだろうか。解けたように見えて、もっと全然別の原因と結果を私は見逃しているので
はないだろうか。こうではない結果は絶対にありえないのだろうか。もしくは、自分がスッキリしたいから
一番お手軽な原因と結果を探し出して満足しているだけなんじゃないだろうか…。
読者はどこにいるのか--書物の中の私たち (河出ブックス)/河出書房新社
哲学者の黒崎宏は、因果関係は任意に設定されていると論じている。たとえば、家が倒壊
した。ところが、その原因は一つには決められないと言うのだ。家が倒壊した原因は「地震
のため」と答えることもできるし、「家のつくりが弱かったから」と答えることもできる
し、あるいは「地球に重力があったから」と答えることさえできるはずなのだ。すなわち
「原因」として何をあげるかは、客観的に決まっている訳ではない、ということを物語って
いる。「原因」として何を挙げるかは、基本的には、それに関わる人間の問題意識に依存す
るのである。」
(「カッコ」は黒崎宏『ウィトゲンシュタインから道元へ』)
石原千秋『読者はどこにいるのか--書物の中の私たち』より
ミステリ小説の「謎」の解明にスッキリしても、読み終わった後ふとその「解決」に「本当にそれで謎は
解けたんだろうか」と感じてしまう人は案外多いように思える。
おそらく純文学に慣れ親しんだ人にこの感想を持つ人が多いのではないだろうか。
東野圭吾『パラレルワールド•ラブストーリー』では、主人公の記憶の混乱の原因と真相が終盤で明らかに
なる。会社ぐるみの隠蔽工作と、親友の思惑、三角関係にあった彼女の板挟みの思いが交錯して悲劇は起き
た。
なぜ地震が起きたのかは、東野圭吾の鮮やかな手つきで見事に解き明かされるのだ。
しかし東野圭吾は一方で読者に対して「解けない謎」を置き土産として残して行く。最後の最後に自分の
記憶を記憶改変装置を使って作り変え、その堪え難い三角関係の起こした悲劇の苦しみから逃れることにし
た主人公のこの悲痛な独白がそれだ。
「嫌なこと、悲しいこと、辛いことを経験したことによる心の痛みを、すべて忘れるという方法で解
決していいものだろうか。むしろ人間はそうした心の痛みを、一生抱えて生きていくべきではないの
か」
『パラレルワールド•ラブストーリー』
これは、親友の彼女をとったとかいう三角関係の「道徳的」問題よりももっと深い、「倫理的」な問題
だ。
言い換えれば、主人公は「自分の中の世界」の問題には自分なりに筋道をつけられたのだが、もっと大き
な「世界の中の自分」の抱える「謎」には明確に自分を納得させられる「原因と結果」を見出せていないと
いうことになる。
純文学とミステリ小説に明確なジャンル分けの線を引くことはだんだん難しくなってきているし、そもそ
もそんな区分けはナンセンスなのかもしれない。
しかし、あえて図式化すれば、この『パラレルワールド•ラブストーリー』の倫理的置き土産のパンドラの
箱を開くことにこだわるのが純文学なのかもしれない。
「僕はここに残ろうと思うんだ」
影はまるで目の焦点を失ったようにぼんやりと僕の顔をみていた。
「よく考えたことなんだ」と僕は影に言った。
村上春樹『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』
『パラレルワールド•ラブストーリー』の主人公の過去の記憶は消滅し、その瞬間に世界は終わりを告
げ、「自分の中の世界」は完結する。
一方『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の主人公は薄れゆく記憶にこだわり「世界の中の
自分」と向き合う。
そして、読者の私たちは小説を閉じた後、なんとも言えない余韻に浸りながら、私自身が抱える「自分の
中の世界」と「世界の中の自分」の「謎」に思いをめぐらせるのだ。
東野圭吾『パラレルワールド•ラブストーリー』謎と倫理(下)「自分の中の世界」と「世界の中の自分」
了
(o^—^)ノ
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