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Bulletin4月号PDFファイル
平成3年4月16日第三種郵便物認可 平成20年4月15日発行(隔月15日発行)第23巻 第1号 通巻208号
Bulletin 208
2008 年 4 月号
COLONNADE
里山の自然に囲まれた美術館
絵本作家 いわむらかずお
氏
2
玲子 氏
4
ものづくりにおける地産地消を見なおす
フリーランスライター 山本
文化について
元早稲田大学理工学部建築学科教授 穂積
時の流れは、いよいよ環境建築
環境省大臣官房長 小林
信夫
5
光氏
6
FORUM
心を掴みとる住宅設計:遊空間設計室 高野 保光 氏
会員であることの誇り
JIAで人脈を拡げたい
8
渡辺武信設計室 渡辺
武信 10
中澤建築設計事務所 中澤
克秀 11
藤吉秀樹建築計画事務所 藤吉
秀樹 12
アントニン・レーモンドの建築を訪ねて
2007年度 JIAトーク第1、2 回
陶器二三雄建築研究所 陶器
これからの建築界とCPD セミナー
建築相談の要点
旧富士銀行本店
距離を創る
二三雄 13
住宅生産研究所 中田
正二 14
藤建築事務所 藤島
茂夫 15
三菱地所設計 須藤
首都大学東京都市環境科学研究科建築学科専攻 深澤
川場村世田谷区健康村訪問記
たまき 氏 17
アルコ建築設計事務所 柿崎
活動を始めて1 年半
豊治 18
山下設計 藤沼
改正法問題のこれから
啓 16
梓設計 関
傑 19
洋之 20
BACKYARD
私の城南地域活動
小林 道夫 21
「JIA広報通信」へGO
日本設計 近藤
支部ダイジェスト ― 12月
剛啓 22
22
シネマレコメンド「ブレードランナー」
編集後記
ken-ken
河辺 近 23
23
社団法人 日本建築家協会
関東甲信越支部
The Japan Institute of Architects
東京都渋谷区神宮前2-3-18 JIA館[〒150-0001]
Tel: 03-3408-8291 Fax: 03-3408-8294
http://www.jia-kanto.org/members
第三種郵便物認可 Bulletin 2008年4月15日発行
建築の向うから
里山の自然に囲まれた美術館
絵本作家
―― 「いわむらかずお絵本の丘美術館」の活動と建築
いわむらかずお 氏
「ここは町一番の場所ですよ」と馬頭町 (現、那珂川町)
た。建築が私たちの活動の意図をしっかり表現して欲し
の人たちが案内してくれたのは、日光や那須の山々を見
いと思ったからだ。友人で大学の後輩でもある野沢正光
晴らす美しい丘だった。那珂川に向かって岬のように突
さんにお願いすることにした。彼が普段から環境にも強
き出た丘には、雑木林、草はら、桑畑、竹やぶ、植林地
い関心を持ち活動していることや、私の絵本や美術館の
などがあり、南と北の谷には小川が流れ、田んぼやため
計画に理解を示してくれていたことがその理由だった。
池があった。そして、うれしいことに北隣の丘には牛の
彼なら、単なる設計者としてだけではなく活動のパート
いる農場があった。二つの丘に私たちが求めていた里山
ナーとして参加してくれるに違いないと期待した。
を構成する要素がほぼ揃っていた。「ここに絵本美術館
建築プランは、私の絵本の世界のイメージと重なるこ
を建てよう」私たちがそう決心したのは、1995 年の春
と、地元の木材を使うこと、自然の景観にとけ込むこと、
のことだった。
環境に配慮することなどが当初から話し合われた。何回
私たちが計画したのは、建物があるだけではない里山
も一緒に現地に出掛け、意見交換し、図面を書き直し、
の自然に囲まれた美術館だった。里山をまるごと美術館
プランは具体化していった。丘の斜面は削らず地形をそ
に。つまり、絵本の世界とその舞台である里山の自然が
のまま生かす。全体をいくつかの建物が集合した小さな
ともに体験できる場所をつくろうと考えたのだ。そして
集落のようなイメージにする。原画の展示室、収蔵庫の
フィールドには、いのちの営みの中心「食」、そのまた中
外壁は防火上コンクリートにする。OM ソーラーシステ
心である「農」を体験できる農場が欲しいと願った。
ムを採用する。館内全て車椅子で移動できるようにする。
私は絵本作家として仕事を始めて5年目の 1 9 7 5 年、
東京を離れ栃木県に移り住んだ。私にとっての原風景で
眺望を生かし、生きものたちを観察しやすいように建物
の南側にデッキを付ける。
もある里山の自然のなかで、家族と暮らしながら絵本を
木材は地元の材木店が町内の山から杉を切り出し製材
描いていこうと思ったのだ。以来、雑木林に暮す野ねず
してくれることになった。切り倒したところを見ますか
み一家を描いた『1 4 ひきのシリーズ』など、身近な自
という材木店からの連絡で、私たちは山に出掛けた。途
然からたくさんのことを得て絵本を描いてきた。私の絵
中で車を降りて薄暗い杉林のなかの坂道を上っていくと、
本と自然は切り離すことが出来ないものになっていった
のだ。
しかし、近年、私の大事な読者である子供たちが自然
体験からどんどん遠ざかっていくようになった。作者で
ある私が、里山に暮らしどんなに自然を描いても、自然
体験の少ない子供たちには充分に伝わらないのではない
か。子供の時代に、自然から感じ取ることや多様な生き
ものたちに出会う体験は、人の成長に欠かせない大切な
糧になるに違いない。芸術も科学も哲学や宗教もその出
発点で自然から多くを感じ学び取ってきたのではないの
か。
計画の早い段階から建築家に加わってもらうことにし
いわむらかずお絵本の丘美術館――外観
2
Bulletin 2008 年 4 月号
第三種郵便物認可 Bulletin 2008年4月15日発行
建築の向こうから
急に明るい場所に出た。太い杉が何本も斜面に横たわっ
てみた。すると「いいですよ」という返事。というわけ
ていた。樹齢 90 年、私の両親が生まれる前に芽を出し、
で、五種類の木のテーブルとベンチが並んだティールー
あの戦争の時代を生き抜いてきたこの杉が、いま山を下
ムは、さながら木の展示室になった。五種類の木を言い
り私たちの美術館になるのかと思うと愛おしくなって思
当てられる人はほとんどいないが、来館者はお茶を飲み
わず抱きしめた。
ながら木肌の感触を楽しんでいる。
床材は那須の唐松を使った。当初、木が暴れて困った
2003 年、展示室の隣にアトリエ棟が完成した。小さ
が、しばらくしてすっかり落ち着いた。塗装は柿渋にし
な集落のような建物群にもう一棟加わったわけだ。集落
た。スタッフがまめに塗りつづけたことで、今では渋が
が少しずつ大きくなる、野沢さんの当初からのイメージ
木にしみ込んで黒みをおび、深い味わいを出している。
がひとつ実現した。仕事場の他に寝泊まりできる居住空
傾斜地をそのまま生かしたことで、ティールームが玄
間も備えた。この丘からもっと絵本を生み出すために、
関ホールや展示室から一段下がって位置している。その
ここに滞在する時間を増やそうと考えたのだ。真夜中や
段差をつなげ車椅子が楽に行き来できるようにスロープ
早朝のえほんの丘も知りたいと思った。美術館と同じよ
を付けた。限られた予算のなかで館の中心につなぎのた
うに広い窓とデッキを付け、生きものが現われたらすぐ
めに大きなスペースを取るのは痛かったが、開館してみ
観察できるようにした。実際、この建物が出来たことで、
ると障害者や高齢者の車椅子、あかちゃんの乳母車など
生きものたちに出会う機会がずっと増えた。夕暮れのア
が思ったより多く、スロープは生きた空間になった。車
トリエの前でイノシシの大群に出会ったり、垣根をくぐ
椅子の人たちのためだけでなく、来館者が展示室からテ
って野ウサギが庭に入ってきたり、合併浄化槽の排水の
ィールームへと向かう気分転換の空間であったり、帰路
小さな池に、いろいろな鳥たちがきて水浴びしたりして
につくときは、余韻を楽しむように出口へと向かう空間
いる。
にもなった。体の不自由な人たちにとって快適な空間は、
健常者にとっても心地よいのだ。
ティールームのテーブルとベンチは、木曽の家具工房
絵本、自然、子供をキーワードに、さまざまな活動を
続けてきたが、この4月、美術館は開館 10 周年を迎え
た。子供たちの自然体験の重要性はますます多くの人た
に依頼した。打ち合わせに木曽に出掛け、工房の人の案
ちが指摘するようになった。特にこの国の「食」と「農」
内で資材置き場に行き木を見せてもらった。ミズナラ、
は環境、食料自給、後継者などさまざまな問題を含みな
クリ、サクラ、トチ、クルミ、みんな日本の山の木だ。
がら深刻な状況に追い込まれつつあり、一人ひとりが自
どの木も個性的で表情がありとても魅力的だった。どれ
らの対応を迫られている。今、農場の使われなくなった
を選ぶか決めかね、思い切って「五種類全部!」と言っ
母屋を改修して農場イベントに活用し、えほんの丘の活
動を盛り上げようと、N P O 法人立ち上げの準備が友人
たちを中心に進められている。もちろん、野沢さんもそ
の重要な一員として参加し、母屋改修プランなどを練っ
ている。建築家が設計だけではなく、活動そのものに深
く関わり続けてくれているのは心強い。
交通の便が悪いにも関わらず、遠くから訪ねてくる人
が多く、来館者の滞在時間は長い。展示を見て、草はら
でお弁当を広げ、農場まで歩いて、また館内に戻ってと、
半日ここで過ごす子供連れの家族に出会うと、なんだか
私も幸せな気分になる。建築が絵本や里山の自然と一体
となって居心地のいい空間を作り出し、私たちの美術館
活動を支えてくれている。
〈絵本作家〉
いわむらかずお絵本の丘美術館――お店
Bulletin 2008 年 4 月号 3
建築の向こうから
第三種郵便物認可 Bulletin 2008年4月15日発行
ものづくりにおける
地産地消を見なおす
フリーランス
ライター
山本 玲子 氏
私はフリーランスライターとして建築やインテリアなど
影響を与え、別の格差を生むことにもつながりました。
デザインに関わる取材を行なっています。最近、取材を
私は、その時、東京では食べられないという米で作った
通じてよく思い浮かぶのが「地産地消」という言葉です。
絶品のおむすびの味が忘れられず、地産地消という言葉
元々食生活に関する提言として生まれた言葉ですが、
と共に胸に刻んだのです。
様々なものづくりの局面においても、地域の素材や技術
を使うことが見なおされているように感じます。
地産地消は農作物に限りません。年明けに近代土木遺
産について調べる機会がありました。明治に日本が近代
例えば、最近印象に残ったのは、今年2月に行なわれ
化を進めるため、海外から設計者を招いてダムや橋を建
た「セタガヤーン プロジェクト」です。衣服造形家の
設したわけですが、驚いたのはそれらが西洋技術だけで
眞田岳彦氏が世田谷文化生活情報センターと連携して同
作られたのではないということでした。その地域の職人
区のビルの屋上で綿花を育て、それを紡いでニットを編
がプライドと情熱をかけて伝統的な建築技術を生かし、
み、土や木などで染めて作品を作りました。同氏はこの
とりわけ材料については現地の木材や石が使われたので
プロセスを通じて日常の中にある喜びや、ものづくりか
す。材料の輸送手段や費用の問題もあったのでしょうが、
ら育まれる“豊潤な心”を示そうとしました。記憶にも
地元の材料を使うということは景観にも大きく関わりま
新しいと思いますが、この頃「中国製冷凍ギョーザ」が
す。近代土木遺産の多くは使われなくなった今でも、周
世間を騒がせました。経済の範囲が大きくふくれあがり、
辺地域の風景になじんで美しい景観を保ち、訪れるファ
作り手や材料の所在がどんどん消費者から離れていく中
ンが絶えないとか。釈迦に説法ですが、そこにしかない
で起きた象徴的な事件でした。奇しくも同じタイミング
景観や建築を考える際、まず材料から見なおすというこ
に、眞田氏のプロジェクトは自分達が暮らす地域に目を
とがあってもよいのかもしれません。
向け、自分自身や顔の見える人の手によってモノが作ら
さらに広い範囲で地産地消を捉えると、それはメード
れていくという身近な地産地消の喜びと安らぎを示した
インジャパンということになります。昨年末から年明け
のです。プロジェクトには1年半以上もかかったそうで
にかけて、全国のニットやシャツ、デニムなどの繊維メ
すが、改めてものづくりと何かを考え直す機会となりま
ーカーを 20 社以上取材しました。江戸時代頃から綿栽
した。
培が盛んになり、その地で糸を紡ぎ、染め、織るという
「セタガヤーン プロジェ
クト」の会場(世田谷
文化生活情報センター)
一貫生産の拠点が全国に形成されました。ここ2、30 年
で海外に生産が移り、各産地にとって苦しい状況が続い
ていますが、0.1 ミリのズレも瞬時に見抜く職人の高度
な技術や、肌触りや色などのこだわりと誇りは今なお健
そもそも私が地産地消という言葉と出会ったのは、5 年
在です。彼らが語ったのは「本当によいモノを作るには
ほど前です。福岡市で出版活動をしている方が九州の生
時間と手間がかかる」ということでした。
産者を一軒一軒回り、農作物や加工品を集めて市内で売
地産地消とは、決して外からのモノをシャットアウト
るという、地元食品のセレクトショップのような取り組
することではないと思います。ただ、身近にこんなによ
みを取材したのです。発達した交通網や優れた配送シス
いモノがあるということを再認識し、それが消費の選択
テムによって全国どこのスーパーに行っても同じモノが
肢の一つに並ぶことで、人々の生活がより豊かなものに
買えるというのは便利な反面、少なからず地域の産業に
なるのではないかと考えるのです。〈フリーランスライター〉
4
Bulletin 2008 年 4 月号
第三種郵便物認可 Bulletin 2008年4月15日発行
仕事
文化について
穂積 信夫
「建築文化」という雑誌があります。
化に合った家を作ったのではありません。合うような家
あるグループで共有される言語、しぐさ、倫理観など
を選んだのです。その家や街には建築家が介在していま
を「文化」といい、文化を共有する人たちが「民族」で
す。その時の建築家の役割は何なのでしょうか。よく、
ある、と司馬遼太郎は言っています。多くの人々が同じ
小説は作家が創り上げた世界に読者を誘い込み、揺さぶ
ようにふるまう毎日の動作に、ある水準の教養がにじん
りをかけていく作業だと言います。そういう言い方をす
でいる姿をいうのでしょう。だから、「建築文化」は、
るならば、建築は建築家が自分が想うような「文化」に
「建築という文化」ではなく、「建築」という入れ物と、
住み手を誘い込み、揺さぶりをかけていく作業だといえ
その中でふるまう生活の「文化」というふうに読み解き
ましょう。
たいのです。建築の中には、そのようにふるまうことが
ところがこのごろは、建築家が想うような「文化」に住
当たり前のように、少年少女時代からしつけられたわき
み手を誘い込もうとしても、そうはいきません。それは、
まえのある生活があって、それらをひっくるめたものが、
家を建ててからあと、次から次と入ってくる「物」が夢
その民族の文化なのだと思うのです。
を壊します。これはもう、住み手の「文化」圏なのです。
村上陽一郎は、その「わきまえ」を「規矩」とよび、
人のことを言うまえに、自分の身の回りにどんな物が
「自分ひとりに課したものでありながら、社会との協働
あるのか、書き出そうとしましたが、止めました。とて
関係の中で変化し、世代を継いで受け渡されるもの」と
も書けるような数ではないのです。これらは戸棚に納っ
言っています。親の腕の中で育まれている間に、親の時
ていませんから、部屋の中に溢れています。せっかく設
代の規矩がしつけを通して浸透し、生まれる前の余香が、
計した正方形の空間は、これでもうめちゃくちゃです。
自分ではそれと気づかないのに重なり合っているのです。
ごたごたしているというだけでなく、物の形やデザイン
こうした「わきまえ」と「わがまま」のせめぎ合いの
が、選んだつもりでも変なものがあるからです。家だけ
舞台が「家」であり、生活の道具がさまざまな「物」な
でなく、中にある物を見ただけで、住み手の「文化」が
のです。両者のせめぎ合いといっても、経済的な制約が
判ると言われては、ただもう赤面するしかありません。
ありますから思
江戸時代には、家と物や着物には、ある種の調和があ
うようにはいか
りました。しかし、生活は不便だったでしょう。今は
ないのですが、
「文明」が進んで便利になりました。この便利さを捨て
それでも家や部
て、簡素な美意識を目指すのは容易なことではありませ
屋を見回わせば、
ん。「わきまえ」よりは、便利なものならどんなもので
その人の良しと
も安易に取り込もうとする、「わがまま」が強くなりま
する着地点はだ
した。
いたい分ります。
そして、それが
ティールサッシュをアルミに替えないようにといったと
その人の「文化」
きに、そんなことよりこの醜い机や掛け時計が部屋を駄
なのです。
目にしている、あの壁には夕陽で輝くビー玉の時計があ
とはいえ、住
人がその人の文
自宅の居間でくつろぐ私
今井兼次設計の大多喜町役場の保存運動で、美しいス
ったはずだと言われた池原さんの顔が忘れられません。
〈元早稲田大学理工学部建築学科教授〉
写真:新建築社
Bulletin 2008 年 4 月号 5
第三種郵便物認可 Bulletin 2008年4月15日発行
特集
時の流れは、いよいよ環境建築
環境省大臣官房長
小林 光 氏
人類社会の舵が切られつつある
け得るチャンスがある。2007 年 7月の独・ハイリゲン
人類史を将来振り返ったら、2 0 0 7 年から 1 2 年の頃
ダムでのG8サミットでは、安倍総理 (当時) が 2 0 5 0
は、人間と環境との関係が一大転機を迎えた節目であっ
年での半減の主張を行ない、真剣な考慮の対象とされる
た、と評価されているはずだ。
べき、との位置づけを得た。さらに、 2 0 0 7 年末には、
地球の自然の悪化はもはや誰の目にも明らかである。
気候変動枠組み条約の第 13 回締約国会議がインドネシ
ブッシュ米大統領も、科学的な懐疑の余地を理由にコミ
アで開かれ、 2013 年以降の世界全体の温暖化対策の在
ットを避けてきた従来のスタンスから転向せざるを得な
り方に関する国際的な検討作業に対して、米国はもとよ
くなった。科学的な予測力も高まった。 2 0 0 7 年 1 1 月
り、中国やインドなども参加するとの決定がなされるに
にまとめられた IPCC(気候変動に関する政府間パネル。国
至った。現行の京都議定書は、地球を歴史的に汚してき
連の下に世界の関係科学者を網羅する組織)の第四次レポー
た先進諸国に限って削減義務を課すものだが、次のステ
トは、地球は間違いなく温暖化しつつあり、その原因は
ップからの対策では、途上国も参加し、実行を分担する
人為にあることがほぼ確実である、とした。さらに、そ
との期待が持てる。この国際交渉では、2013 年から実
のスピードは加速化している。対策のよろしきを得ず、
行に移されるべき世界の対策に関して、2009 年には結
かつ地球気候が人為によって容易に損なわれるような最
論を出すスケジュールが決められている。
悪ケースでは、 21 世紀末には、 20 世紀末比で 6℃以上
2 0 2 0 年、あるいは、2 5 年や 3 0 年といった中期的、
の極端な温暖化もあるという。3℃を超える温暖化では、
具体的な目標期間内における許容排出量や統一的な削減
人類の生活や経済にとって良いような影響は全く帳消し
行動メニューと、2050 年における世界排出量半減とい
にされ、悪影響が世界を覆うことになるが、他方で、対
う長期の努力目標とが、おそらく、新たな国際約束とし
策のよろしきを得れば、気温上昇幅を2℃程度に収める
て、2009年にはその姿を現すのではないか。
ことも可能だ、ともされている。ちなみに、同レポート
ここ数年で、先進国はもとより、人類全体に対しても、
では、2000 年時点での温室効果ガス濃度を将来とも増
地球の環境容量の中で暮らしを立て、発展していくよう
やさず一定に保った場合、つまり、たった今、世界全体
に、との箍 (たが) がはまることになる、とも言える。
での二酸化炭素などの排出量を半減させることによって、
地球の法 (のり) を守って人類が暮らすようになる。人
人為の排出量を、地球の自然が吸い取ってくれる範囲内
類史を画する、一大転機である。2 0 0 8 年、2 0 0 9 年と
にまで減らすことができた場合には、2 1 世紀末の気温
掛けて、我々は、来るべき二酸化炭素半減社会の姿を描
上昇は、20 世紀末に比べて 0.6 ℃程度となるとの計算も
き、そこへ至る国内外での政策を真面目に構想する時を
示している。
迎えた、と言えよう。
世界のコンセンサスは、この排出半減をターゲットに
二酸化炭素半減の中、環境建築に対し高まる期待と
することに向かいつつある。半減をまずは少しでも早く
重くなる役割
実現し、その後も補足的な削減を進められれば、二酸化
二酸化炭素は、石油、石炭、天然ガスなどの化石燃料
炭素濃度は低いレベルで上昇を止め、したがって、気温
の使用に伴い不可避的に生じる。排出半減という高い目
上昇も、その悪影響も少なくて済ませられる。その実現
標のクリアーには、生産設備、家庭の利便設備、交通手
タイミングとしては、2050 年が、これまたコンセンサ
段など一切合財のインフラ的な設備、固定資本を、省エ
スとなりつつある。これに成功すれば、3℃の上昇を避
ネ型、あるいは自然エネルギー活用型のものへと変えて
6
Bulletin 2008 年 4 月号
第三種郵便物認可 Bulletin 2008年4月15日発行
特集
いくことが必須となる。こうした中、これら固定資本の
いこと、建築家の果たすべき役割への期待、設備メーカ
作り変えが特に難しく、しかし、行なえば効果が高くて、
ーなどへの注文などなどを、実地経験に即してお話しさ
政策としての期待が高い対象が、事務所ビルや住居など
せてもらった。二つ目には、環境行動委員会主催のシン
である。小口だが数は多く、その排出量の合計では、工
ポジウムではパネリストとして、エコハウスの普及策な
場からの排出量にほぼ匹敵する(正確には、その 9割近
どを他の方々と討議させていただいた。
くに相当)。
筆者は、建築は専門外であるが、京都議定書づくりや
環境省では、建築家協会環境行動委員会の中村委員長、
善養寺委員を中央環境審議会に御参画いただくことなど
その後の国内政策づくりを担当した際に、住居や事務所
を通じ、建築専門家の意見の政策への反映を図ってきた。
が今後の長期的な対策強化の高いハードルとなることを
例えば、学校については、それ自体の対策効果はもとよ
肌身に感じた。そこで、実家に住む老親の同居要請に応
り、エコハウス普及に向けた国民教育の拠点にもなると
えて旧宅を建て替える時に、いわばフルコースのエコハ
期待されるので、そのエコ改修を進めている。庁舎の設
ウスづくりを決意した。エコハウスの問題点や可能性を
計者を、価格競争で選ぶのをやめ、環境対策の技術や知
自ら見極めようという考えからであった。
識経験を持つ者をプロポーザル形式で選び、優れた環境
取り入れた 50 を越える対策や設備、それらの費用対
建築を増やすことなどを期待して、「環境配慮契約法」
効果、さらには家として肝心な住み心地などを含め、そ
が 2007 年に制定され、多数の専門家の参加協力をいた
の顛末、功罪などは、すでに木楽舎という版元から『エ
だいて、その実施にかかわる基本方針やマニュアルも決
コハウス私論』という肩の凝らない書物(ソトコト新書4)
められた。さらに、個々の建築の環境性能の向上に加え、
として、上梓させていただいた。詳しいことに御関心の
都市全体を扱う環境政策の開発にも努めている。市街地
向きにはそちらを御参照いただくこととして、その環境
における緑地や植栽が有する冷熱など、環境上の効果の
上の効果だけを紹介すれば、メルクマールとなる、建て
把握と活用、交差点などの風況改善や大量公共交通機関
替え前比 50 %の削減成果は、幸いに達成できた。都会
の活用などが、従来にも増して真剣に取り組まれるよう
の狭隘敷地に建てる住居であっても、今ある技術を集中
になっている。
導入すれば、二酸化炭素半減社会のインフラになるもの
国土交通省とも連携し、既存住宅のエコ改修に関する
ができる、と言えよう。エコハウスを巡る課題としては、
ローン残高に応じた所得税控除や固定資産税の減額とい
したがって、技術開発や改善ももちろん必要あるが、今
った、エコハウス普及に関する新たな支援措置を新
やそれにとどまることなく、一歩進めて、効果ある普及
2008 年度から行なうべく、租税特別措置の改正法案が
策が望まれる。
国会に諮られる。また、エネルギー特別会計を通じた補
建築家協会では、エコハウスやエコビルを普及するこ
助なども充実すべく予算案が審議される。新年度予算案
とに関して、2007 年度には、その主催する「環境の世
には、二酸化炭素半減社会にあって具体化が望まれる理
紀と建築家」をテーマにした JIA 建築家大会 2007 東京
想の建築や都市の姿を詳細にシミュレーションしてみよ
の行事の中で、数々の取組をしてくださった。例えば、
う、との研究費も、環境行動委員会からの強い後押しで
この行事の機会をとらえて、エコハウスなどの環境建築
盛り込まれている。さらに、2008 年度における改正の
の事例を全国的に集大成した『環境建築ガイドブック』
検討が進んでいる温暖化対策推進法では、二酸化炭素の
が、建築家協会環境行動委員会の編集で出版された。大
排出の少ない都市に向けた計画的な取組みが法的に位置
変にありがたいことである。
づけられる可能性が高まっている。
筆者も、エコハウスの施主として、二つの行事に参加
以上のように、ここ2、3年を展望すると、環境建築
した。一つは、関東甲信越支部の住宅部会が、新宿のオ
が政策的に大きく花開く時を迎えたと言えよう。それが
ゾンにて一般向けに久しく開催しているセミナーの講師
シナジー的なウネリとなっていくよう、関係の皆様の奮
としてである。施主予備軍の一般の方々を相手に、拙宅
起を期待したい。
エコハウスの内容、施主として気をつけなければならな
〈環境省大臣官房長〉
Bulletin 2008 年 4 月号 7
第三種郵便物認可 Bulletin 2008年4月15日発行
覗いてみました「他人の流儀」
■本号から新たに始まるコーナーです。「独自のスタイルで活躍中の方にお話を伺い、その秘訣を探り出そう!」という企画です。
話を聞いてみたい、あるいは興味あるテーマなどがありましたら編集委員会までお知らせ下さい。
心を掴みとる住宅設計
遊空間設計室 高野 保光 氏
だけでなく、舞台裏(収納などの機能など)を用意する
ことも大切です。
●設計の進め方、デザインのポイントについて
教えてください
聞き手:
高野保光 氏
Bulletin 編集委員
初めに私がラフスケッチから 1 / 1 0 0 スケッチと粘土
模型を作りスタッフに手渡します。CAD 化した図面の
上に、今度はひたすら赤で線をひき、スタッフとのやり
■高野氏は栃木の豊かな自然のなかで幼少期を過ごし、日大
の建築学科に入学、卒業後は大学の助手となりスペースデザ
とりを繰り返しながらまとめていきます。
物を創るときは固定して考えず、常に視点を変えるよ
インの世界でも活動されました。その後建築家として独立し、
う心掛けています。彫刻のような立体造形をやってきま
高い勝率で住宅コンペの仕事を勝ちとりながら、今ではコン
したから、すでに頭にあるものを形にするのではなく、
ペに参加しなくても依頼者が絶えません。住まい手の要望を
バランス良く取り入れ、身体感覚を持ったリアリティのある
空間でありながら、造形的にも美しい住宅をつくりあげるバ
自分がかたちにしたものを見ながらさらに新しいものを
発見していくという行為の一つとして粘土模型をよく作
ランス感覚にすぐれた建築家として活躍中です。
ります。設計やデザインの質は、回りの環境や気分によ
■遊空間設計室 代表 高野 保光 氏(たかの やすみつ)
っても大きく変わります。意図的に環境を変えることで、
1956 年栃木県さくら市生まれ。1979 年 日本大学生産工学
単調になりがちな設計に変化をつけることができるので
部建築工学科卒業。日本大学生産工学部助手、1991 年 遊空
はないかと思います。例えば設計する順番や場所、時間
間設計室を設立。
新制作スペースデザイン部7 年連続入選、新作家賞2回。
FOREST MORE木の国日本の家デザインコンペ2003最優秀
賞、2004 年優秀賞。2004 年「杉並の家」で「まちなみ住宅」
100選 (社)日本建築士会連合会会長賞など、受賞多数。
を変えてみるなど、観察という行為や設計をする環境を
デザインすることも大切なことなのではないでしょうか。
●最近の施主について、どう思われますか?
最近は建築家に御任せという形はほとんど皆無で、自
分たちも積極的に家づくりに関わろうという意識の施主
●手掛けていらっしゃる仕事について教えて下さい
今は年間約 8 ∼ 10 軒の住宅を手掛けています。内訳
は 4∼5割が施主から直接の依頼、4∼ 5割がプロデュ
や、自分や家族の自己表現としての住まいづくりを考え
ている建主も増えています。そして以前より男性がより
住宅に関心を持つようになりました。
ース会社の紹介、後の1∼2割は住宅コンペという状況
です。
●住宅設計における、こだわりやテーマとは?
建築家である前に一人の生活者として、対等の立場で
施主に接し住宅を考えるように心掛けています。そこで
クライアントと共に身体に近いところで家を作り上げる
ことができればと思っています。
そこに住む家族が毎日元気に生活できるための舞台、
日々の生活に小さな喜びや発見があるような暮らしの楽
しみを生む、シンプルで、美しい光と影がある空間作り
を大切にしたいと考えています。もちろん生活の表舞台
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Bulletin 2008 年 4 月号
薬師町の家
第三種郵便物認可 Bulletin 2008年4月15日発行
事務所風景
覗いてみました「他人の流儀」
私の場合、施主には必
の作風やコスト、人柄との相性で選ばれますし、得意分
ずオープンハウスに来て
野やテイストの違いなどで建築家のすみわけも比較的バ
もらうようにしています。
ランスよく出来ているように思います。
空間の捉え方、明るさと
コンペを中心としたところでは、建主がまだ建築家を
広さの感覚、材料やデザ
誰にするか決めかねている場合や、ハウスメーカーにす
インなど、施主の判断さ
るか建築家にするか決めかねている状態も少なくありま
れていたことが「これも
せん。他と比較して決めたい、安心が欲しい、という感覚
悪くないですね」というように、実際に空間に立ってい
ただいて理屈だけでない何かを感じ取ってもらうことが、
でシステムを利用する傾向があるのではないでしょうか。
私は参加したことはありませんがネットコンペもあり
身体性から離れた情報をたくさん持ってやってくる建主
ますね。プラン提案が無料というものもあるようですが、
に対して有効な一つの手段になると考えています。
設計という行為はかなり時間とコストがかかるものです。
●プロデュース会社のコンペに42回参加され
建築家の地位の向上という意味でも何かしっかりとした
約半分勝利、と伺いました。
ルールづくりが必要なのではないでしょうか。ネット上
コンペで勝つポイントは何でしょうか?
に無料でプランが氾濫するという形は好ましいとは思え
そうですね……。私の場合、コンペであっても普段の
ません。プロデュース会社の登場により、設計依頼のチ
提案のスタイルとまったく同じようにやっています。毎
ャンネルが増えたと考える建築家も少なくないでしょう
回、毎回、自分のスタイルまで変えて無理して依頼主の
し、建築家の敷居を下げたことはまず間違いないでしょ
希望に合せても、その後の設計で自分が苦しくなるし、
う。直接建築家に頼みづらい人にとって、しっかりとし
うまくいかなくなると思うのです。もちろん勝つつもり
た窓口があり、各建築家の作風、特徴や人柄などをよく
で臨んでいますが、たとえコンペに負けても、自分の意
知るコーディネーターがいるプロデユース会社は、小さ
図が伝わればそれでいいと考えています。
なアトリエ事務所を直接訪れるよりもずっと入り易く、
要望書は読み込みますが、そのまま反映するのではな
く、要望を踏まえそれ以上のプロとしてのプラスαの提
案ができるように心掛けています。
コンペの場合は図面や模型を持ち帰って検討すること
安心感があるのだと思います。
プロデュース会社も我々建築家も淘汰されながらも今
後も共存していくのではないでしょうか。我々がきちん
とした倫理観をもって、プロデュース会社を選ぶことが
ができるので、プレゼン時の必要以上のインパクトや説
まず大切だと思います。
明は必要ないと考えています。プレゼン時の印象は悪か
●今後の活動について教えてください
ったのに、結果的には選ばれたケースもありました。プ
やはり住宅設計を中心にやっていきたいですね。機会
レゼン時のパフォーマンスより実直な姿勢とその意図が
があれば、小さな住居群をまとめて設計するとか、小規
伝わる図面や模型をしっかり作ることが大切なのかなと
模な美術館とか、思いっきり造形的なものとかにも挑戦
思います。
してみたいなとは思っています。
計画内容というより、相性による理由やコスト設定の
違いによって選ばれないケースもあるし、建築空間の良
■インタビューを終えて
し悪しの勝負でもありませんし、コンペの勝ち負けには
お話を伺って、今後住宅を手掛ける建築家には、
あまりこだわらず、すぐに割り切って次に進むことも大
・生活者の視点に立ち住まい手の希望に耳を傾ける
切ですね。
・円滑なコミュニケーション・十分な技術とノウハウ
●住宅コンペやプロデュース会社について、
・独自の美的感覚を操るバランス感覚、
どのように思われますか?
プロデュース会社は建主の好みや需要に応じて建築家
をコーディネートするところです。建主の好みと建築家
が必要だと感じました。
まずは粘土をこねることから始めてみますか?
〈聞き手:編集委員 倉島 和弥・湯浅剛〉
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第三種郵便物認可 Bulletin 2008年4月15日発行
「温故知新」
先達から学ぶ
会員であることの誇り
渡辺 武信
私は 1 9 7 2 年、3 4 歳で旧家協会(J A A)に入会して以
され、会館内の集まりが減った結果の悪循環である。
来 36 年、つまり人生の半分以上を会員として過ごした。
JIA は支援金などの曖昧な形ではなく会費を必要なだけ
入会時のことは本誌 200 号「“バーに居ろ”と宮脇さん
値上げし、建築家会館からの借り入れスペースを増やす
は言った」と題して書いた。私は本部理事2期 4年間の
べきで、必要なら家賃単価を上げてもいい。諸会合(会
他、支部幹事、住宅部会長、支部ニュース編集委員長、
館外で行なわれている地域会例会やブリッジの会など)
広報委員長、職責委員会委員、建築家会館取締役などを
を再び会館内に取り込むことによって、会合が終わった
コ キ
務めて、コキ使われつつ古希 になったが、今それを悔い
後の参加者の一部がバーで知り合うチャンスを拡大する
てはいない。むしろ役職を通じて先達はもちろん後輩も
ことが必要だ。
含む多くの優れた建築家の知己を得たことで報われたと
思っている。
会費値上げによって退会するような人は、アクティブ
会員ではないから退会されてもかまわないので、それで
いま懸念しているのはバーの閉鎖である。宮脇さんの
少数精鋭になったほうが会員であることの誇りを持てる
助言に従ってきた私としては居場所がないのだ。建築家
と思う。今の会員の中には JIA に具体的なメリットだけ
会館が“処士横議の場”という前川國男の提言で建設さ
を求めている人も少なからず居るらしいが、「組織に何
れたことを考えれば、バー部門は赤字でも全く差し支え
かしてもらう」ことより、「自分が組織のために何がで
なく、バーの閉鎖を議決した建築家会館の役員会は、株
きるか」を先に考える人こそ会員に相応しいので、そう
式会社の定款に明文化されているか否かに関わらず、実
すれば具体的なサービスの受益ではなく、会員であるこ
質的に背任行為をしている。これは支部の財政問題とも
との誇りというメリットが生まれる。それが職能団体と
関連する。バー閉鎖の一つの理由は利用率の低迷とされ
しての真の姿であろう。
ているが、それは支部の多くの活動が会館の外へ持ち出
〈渡辺武信設計室〉
「館の幻影・1、
四家族の共同住宅」
(大学院在籍中の1968
年に設計した処女作。
『都市住宅別冊・住宅
第4集』掲載。
本写真は筆者撮影)
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Bulletin 2008 年 4 月号
第三種郵便物認可 Bulletin 2008年4月15日発行
「温故知新」
抱負を語る
JIAで人脈を拡げたい
中澤 克秀
JIAのイメージ
型展のパーティーがありました。そこで知り合った 1 0
大学を卒業し就職した事務所の所長と先輩数人が、
人ほどで二次会に行きました。この席で JIA の中に住宅
JIAに所属していました。今から20年近く前です。
具体的に何をしているのか不明でしたが「建築家であ
るならJIAに入りなさい」と言われていました。
独立を機に入会するチャンスはあったのですが、当時
は会費が高い割りにメリットを感じられず入会を見送り
ました。
独立後、何か団体に所属して人脈を拡げたいと考えま
した。結果、友人に誘われ入会したのが青年経済人の集
部会というものが存在していることを知りました。その
ときの半数の人が、住宅部会に所属していたのです。
JIA の会費も安くなっていることを知り、その場で入会
の勢いとなりました。
その月の住宅部会の会合に出席し JIA の入会手続きも
進めました。 JIA に入って何があるのだろう?と不安を
抱いていましたが、緒先輩方と出会いその不安が吹き飛
びました。
まりの青年会議所 (JC)でした。個人経営者にとっては
入会して得たもの
場違いな所だったのですが、案外居心地がよく 10 年間
住宅部会では、建築からこだわりの人生観まで議論が
活動し 40 歳の卒業を迎えました。その間はお金と時間
尽きません。もちろん酒の席です(笑)。大学出たての頃、
を JC に費やしていたので(もちろん仕事はしていまし
事務所先輩を相手に酒を交わし議論をした思い出がよみ
た)、他に活動できる余裕はありませんでした。ところ
がえりました。建築論をさかなにするお酒は大変うまい。
が、卒業するとぽっかりと穴が開いたようになり、飲み
自身の活力にもなっていました。このことが JIA の人脈
仲間も減りました(笑)。次は建築の世界で、社会的貢献
の魅力だと気付きました。そして積極的に活動に参加し
や人脈を拡げたいと考えるようになっていました。
なければこの魅力は手に入りません。「J I A に入っても
入会のきっかけ
何もないよ」と言われたこともありますが、それは自分
ちょうどそんな時に、JIA に入るきっかけがあったの
次第です。何事も酒の席の勢いで決めてしまう私は、広
です。OZONE リビングデザインセンターが主催する模
報委員会にも所属することとなりました。「J I A にどっ
ぷり浸かるのは危険である」と JC 時代の経験から警戒
をしながらも、妻に「また JIA !怒」と言われない程度
にがんばりたいと思っています。
目指す設計と期待すること
私は、個人住宅の設計が主です。大学でライトの研究
をする南迫研究室 (工学院大学) に在籍したので、自然
と調和した有機的建築を信条としています。光や風が感
じられる、温かみのある空間創りを心がけています。家
づくりを通して建て主が自信を持って夢に立ち向かえ、
人にも環境にも優しい心が持てる「やさしさのくうかん」
「母と祖母の家」2007竣工。
木造との混構造でありなが
ら、打放しを強調した外観。
SE構法を生かした吹き抜け
空間、複雑な敷地形状にあ
わせて設計しました。
を作りたいと考えています。JIA の建築家の皆さんとお
近づきになり、作品と人なりから設計のヒントを得られ
ればいいなと期待しています。
〈中澤建築設計事務所〉
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第三種郵便物認可 Bulletin 2008年4月15日発行
委員会活動報告
アーバントリップ実行委員会
アントニン・レーモンドの
建築を訪ねて
――第55回アーバントリップ
藤吉 秀樹
朝 8 時 30 分予定通り日比谷をバスが出発。車中で三沢浩氏か
で主に仕上げている。1階と2階のホワイエには、レイモンド
ら、レイモンドは自分の考えに非常に厳格で、担当者が意に沿
のデザインによる本格的なフレスコ画が描かれている。まさに、
わない図面を書いてくると原図を破いてしまったことなど、興
この建物はレイモンドの建築思想を完璧に具現化した代表作で
味深いエピソードや解説を伺いつつ、一路群馬へと向かった。
ある。
インターを降り 15 分ほど走り高崎市街に入ると、左前方に一
次に高崎哲学堂(旧井上房一郎邸) を見学した。敷地の周り
目で群馬音楽センターだと分かるコンクリート折板構造で、エ
はマンションが建ち並んでおり、塀に囲われ緑に覆われた敷地
ッジの効いた、力強く美しい造形物が目に飛び込んできた。彫
に建っている。この建物はレイモンドと深い付き合いのあった
りが深くシャープな陰影、快晴の青空に白く反射した屋根と、
井上房一郎が、麻布にあったレイモンドの自邸を訪れた時に、
連続した折板のエッジが生み出す鋭いコントラストが、強烈な
その住宅に惚れ込み自邸をつくるにあたり、東西を反転し、ア
インパクトを放っている。レイモンドは常に建築は s i m p l e ,
トリエを和室に変更した他は、ほとんどそのまま再現した住宅
natural, economical, direct, honestでなければいけないという
だそうである。正門は閉じていたので裏門から入り、庭に廻り、
信念を持っており、これを「レイモンドの設計5原則」といい、
低く深い雨樋のない軒、連続する引き違い窓など外から見ると、
なによりその5原則にたったうえで、建物は力強くなければな
一見日本家屋そのままのように見える。しかし、中にはいると
らない、と事務所で常に言っていたそうである。私はこの考え
丸太にはさみ梁のシーザーストラスによる架構、天井に剥き出
は時代を超えて普遍的な原則だと思う。この建物は当時群馬の
しの空調ダクト、暖炉など西洋のものが混ざり合って作られて
資産家であった井上房一郎が、高崎にオーケストラを結成し、
いる。日本的空間や素材と、洋風の靴履きの生活を融合させた、
その本拠地としてこのホールの建設を行なったものである。井
レイモンドスタイルと呼ばれる住宅である。それは庭や自然と、
上の呼びかけで、ホールの建設費の約 1/3 が市民の寄付でまか
室内が繋がった一体の空間を作り上げている。
なわれたそうである。レーモンドは設計に当たり、次の三つの
次に、新座市に移動して立教大学聖パウロ礼拝堂を見学した。
原則を示したという。第一に市民の寄付を基にした建築である
レイモンドは当初のイメージでは純粋なシェル構造を想定して
から、無駄のない長寿命建築とすること。第二に民主主義に則
いたが、構造上の問題からビームに鉄骨を入れることになった
り、舞台と客席の一体化を図ること。第三には城址という敷地
ために、架構が巨大になってしまい、最後までレイモンドはこ
環境に配慮し、建物の高さを抑えること。それらの観点から、
の教会が気に入らなかったそうである。ステンドグラスのデザ
最大スパン 60 メートルのコンクリート折板構造を選択し、施
インはノエミ夫人が担当している。
工上仮枠の反復転用も考慮に入れ、各折板面は同一寸法に統一
最後に新キャンパス (設計:日建設計) を見学した。PC 圧
させた。フルメンバーのオーケストラ演奏を主としながら、オ
着工法に制震装置を組み込み、構造表しのスッキリとした現代
ペラ、バレー、歌舞伎までも完全な形で上演可能とし、バルコ
的な建築表現の美しい建物である。この現代的な建築もレイモ
ニー席も設けていない。ホールの内装も厳しい予算の中、レイ
ンドの建築思想が時代を超え、DNA として受け継がれている
モンドの原則に則ってデザインされ、音響的に設けた6ミリ厚
ことを、確信しつつ帰路についた。日本のモダニズム建築の原
のベニヤ板に、手作業で穴を開けた反射板とコンクリートだけ
点ともいえるレイモンドの建築を体験でき、モダニズムの本質
を見つめなおす有
意義な機会であっ
た。
〈藤吉秀樹
建築計画事務所〉
群馬音楽センター
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Bulletin 2008 年 4 月号
高崎哲学堂
立教大学聖パウロ礼拝堂
第三種郵便物認可 Bulletin 2008年4月15日発行
委員会活動報告
JIA トーク実行委員会
2007 年度 JIA トーク第 1、2 回
JIAトーク実行委員会
委員長
陶器 二三雄
――画家・上村淳之さんと彫刻家・船越桂さん
■ 2007 年度 JIA トーク第1回講演
の人物像から,近年のスフィンクスをテーマにした裸体彫像ま
上村淳之さん「自然と創作」
で,常に意欲的な制作を続け、世界を舞台に彫刻の具象表現の
上村淳之さんは現代の花鳥画の第一人者である.その画風は、
新たな可能性を切り開き,国際的にも高い評価を得ている。
伝統を踏まえながらの斬新な造形と繊細な色彩にある。奈良西
2008 年4月のニユーヨーク展 (Greenberg Van Doren
大寺近くの平城山丘陵の一万坪を超える自宅敷地内に、280 種
Gallery)を控え,厳しいスケジュールの合間をぬっての講演
1600 羽の鳥を飼育。鳥とともに暮らし、自然との対話から作
であった。
品を制作されている。三代にわたる日本画一家である。
「論理的に説明するのは苦手」との舟越さんでしたが,先ず過
日本画とくに花鳥画について。スライドで上村松園、松篁、
去の作品についての説明を制作の過程に沿って丁寧に話された。
そして自らの作品を示しつつ、日本画の特徴である余白の美を
半身像の少しずらした首、大理石で作った外斜視の目、像自身
解説された。自然との共生のなかで生まれたのが花鳥画であり、
のものでない手、近作であるスフインクスの耳、男と女の両具
中国の宋や元の時代に高い完成度を見た。その後日本に伝わり、
性など、自分の中では,作品に対する説明は後から生まれる、
豊かな自然のなかで独自の発展を遂げた。同じ鳥や花を描いて
造形が先と,それぞれの作品の制作時における、試行錯誤を余
も、西洋は生物の観察画や生態画の領域にとどまる。日本の花
すことなく丁寧に説明され、作家の内面性の一端を知ることと
鳥画のもつ余白の美、つまりモノが描かれていない虚の空間に
なった。
魅力がある。対象を再現するのでなく、作家の胸中にはぐくま
散文的であるがその折の話を少し紹介する。
れた世界を具現化することこそ芸術である。描いている事物、
半身像について
例えば鳥や魚と同じ目線で描く.西洋人はモノを観察するよう
頭部だけの彫刻だと,人物の感じや内面は出せても,その人
に上から見てしまい、東洋人の特質である水平から見た鳥や魚
が僕の近くに「居る」という距離感とか,触れられる感じとか、
の目になっていない。鳥の目になってイメージを作り上げる。
なにか気配みたいなものが、なかなか出てこないことに気づい
そこに自分の夢を託して具現化する。それが絵である。
た。首だけでなく,肩まである胸像にしてみても出てこない。
鳥の飼育について。1600 坪の禽舎 (きんしゃ) に 1600 羽
の鳥を飼っている。大切なのは十分な餌を確保すること。ミミ
ズやコオロギなど餌となる虫の養殖に成功した。人工の加工さ
それで,パッと見えたのが、ちょうどお臍の下あたりまでとい
う半身の肖像だった。
遠く見る静かな視線について
れた餌による鳥インフルエンザとは無縁である。鳥との生活の
少し外斜視ぎみの深みのある遠くを見るような視線は,実は
中で自然の摂理の不思議に触れることが多い。人工孵卵(ふら
自分自身の内面を見ている。一番遠くにある解りにくいものは,
ん) 器で暖め放しにすると、かえらなかったりする。親鳥が巣
もしかしたら自分自身ではないかと感じた。そのきっかけは、
を離れることを見越して、卵は少々冷えてもちゃんとかえるよ
ドイツロマン派の小説家ノヴァーリスの『青い花』のなかで、
うに出来ている。自然界で生命力のある鳥ほど生む卵は少なく、
5、6歳の主人公の女の子がスフィンクスに謎かけられる。「世
生存率の低い鳥ほど多くの卵を産み、最終的に,その中でいち
界を知ることは何ぞや!」と問われたとき少女が間髪を入れず
ばん生命力のある雛のみ成長する。優生の原理が明快にわかる。
に「自分を知ること!」と応えたことであった。
日本画は、西洋絵画の光と影で表現するのではなく、情感、
最後の質疑の中で,彫刻のもつ空間性についての問いに、
詩情を余白により表現するというお話や,鳥の生態を興味深く
「空間の中に,強い立体が存在することを強く意識して作って
お聞きし、人間と置き換えると,正に社会での散見する様々な
いる。そして置かれたことで、空間を緊張感で制圧するような
ことと似て、多くの教訓を学ぶこととなった。
ことが出来たらいい」との返答に作家としての強い意志を感じ、
■ 2007年度 JIA トーク第2回講演
また「今までいろんな彫刻家が石を敷き,現代の彫刻の道を作
舟越桂さん「私の彫刻について」
ってきた。私は,その道の先に前衛として新しい石を置くので
舟越桂さんは、楠を素材とした木彫半身像に大理石を染色し
はなく、今まで敷かれてきた石と石の間に新しい石を置き,後
た目をはめ込む手法で制作。遠くを見るまなざしに静かな佇ま
から来る人たちが歩きやすい道をつくりたい」との言葉に作家
いと、独自の静けさを醸し出している。初期の作品である着衣
としての哲学を学んだ。
〈(株)陶器二三建築研究所〉
Bulletin 2008 年 4 月号 13
第三種郵便物認可 Bulletin 2008年4月15日発行
委員会活動報告
交流委員会
これからの建築界とCPD セミナー
中田 正二
―― 建築確認申請に関する最新の動向
平成7 年度の建築界は、嵐が吹きすさぶような 1年でし
た。いや、まだ過去形で表現できない荒れ様で、この先
一体どうなることやら。
交流委員会
広報部会長
うな熱い話題が提供されることとなります。
また、確認申請においては、常に整合性のある図面の
提出を求められるところですが、漠然とした条件や種々
耐震偽装に端を発した建築界の不祥事は、制度改革の
の制約の中で、相互の調整や変更の中で、完全な整合の
大きなうねりとなって押し寄せてきました。6 月 2 0 日
取れた設計図を作成することは、実はそれほど容易くは
に施行された新しい建築確認制度によって、一時、建築
ないのです。
活動が麻痺状態となるほどの大騒ぎとなりました。その
「そこに配管を通すのだからそれを退けるか大きな穴
ための建築活動の低迷は、その後の経済活動にも影響す
を開けろ!」「お前、建物をぶっ壊すつもりか!」「そん
るほどになり、わが国の GDP を押し下げるほどの影響
な所へそんな物を持ってきたら格好悪いではないか、も
を及ぼし続けています。
っと薄っぺらにするか見えなくせい!」「この床は支え
8年度には、建築士の制度の改革も実施に移される準
られているようではなくて、宙に浮いているようにした
備が進められています。ここで、構造設計一級建築士と
い!」などといったやり取りの中から、専門家同士の議
設備設計一級建築士が新たに設けられることとなります
論を繰り返しながらまとまって行くのが、実は設計のプ
が、この中で、 JIA の会員のありようは一体どのような
ロセスなのです。その上で完璧な整合性を計るとなれば、
ことになってしまうのでしょうか。
もはや、コンピュータに頼らざるを得ない面もあるので
思えば、建築士の制度が施行されたのは昭和 25 年の
ことで、まだ、戦後の経済復興の緒についたばかりの、
はないでしょうか。
そのような見地で、ソフトメーカーを講師として、改
世の中は資材もままならず、まともな建築が建てられる
正建築基準法と CAD の対応状況・現状報告も予定され
ような状況でもない時代でした。その頃からすれば、建
ています。
設量の規模や建築技術の質的な中味においても法律など
来る6月には、一級建築士を取得後5年以上の専門業
の社会制度においても3桁も4桁も違いがあって、昔の
務に関する実務経験者を対象にした 3日ほどの講習会が
ままの建築士でよいわけがなかったのです。
催され、7月にはその考査が行なわれて、構造設計一級
そういうわけで、交流委員会、賛助Gグループ、情報
建築士と設備設計一級建築士が認定されるとの情報です。
開発部会の企画で、3月 13 日に CPD セミナー「建築確
一級建築士を取ったからとぼやぼやしていると、この世
認申請に関する最新の動向」が開催の運びとなりました。
界から退場を余儀なくされるかも知れないという厳しい
特別講習として、必須履修分野8単位の講習です。講師
世界となるのでしょう。正会員だけでなく賛助会員とし
陣は、国土交通省 関東地方整備局 住宅調整官 渋谷 浩
ても、このような建築界の動向によって、建築を支える
一 氏、社団法人 日本建築構造技術者協会理事 金箱 温
材料や技術に対して、どのような需要となって跳ね返っ
春 氏、財団法人 日本建築センター 構造判定部部長 塚
てくるか、直接売り上げにかかわることでもあります。
田市朗 氏ら、設計に携わる者として身につまされるよ
建築界の動向から目が話せません。 〈(株)住宅生産研究所〉
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Bulletin 2008 年 4 月号
第三種郵便物認可 Bulletin 2008年4月15日発行
委員会活動報告
建築相談委員会
建築相談の要点
首都建築相談室
国民生活センター
相談部顧問
藤島 茂夫
1. 相談内容と判断基準
2. 瑕疵判断と補修工事
1) 建築の相談を受けていますと、個人的な心理状態
1) 瑕疵判断は前述のように、客観性が必要で個人的
の悩み事から、建築の専門分野まで踏み込んだことまで、
私見は避けるほうがよいと思います。こちらの助言内容
多岐にわたって持ち込まれてきます。初対面での場合と、
は相談者にとって救いであり、その内容は、必ず相談者
再相談の場合では雰囲気も違ってきますが、相談にくる
から相手に伝わります。場合によっては裁判にも使われ
人は、深刻な問題と捉えて、心理的に不安定な状態の人
ることもあるからです。専門家としての発言、書面は常
が多いと思います。中には相談慣れしている人も多く、
に公開されているものと覚悟しておくことです。
複数の専門家を回わってからくる人もいて、相談を受け
ている建築家(士)の能力を試しに来たのではないかと
思われる方もいます。そのようなことを整理した上で、
本題に入る必要があります。
2) 本題に入った場合、まず、現象について出来る限
り正確に聞くことです。例えば、雨漏り、傾斜、ひび割
れ、などの現象とその位置(箇所)および発見時期など
です。
さらに、施工者、販売者の対応状況についても把握で
2) 瑕疵の特定ができた次は、瑕疵に対する補修の問
題です。また、その費用の算出です。
補修の問題は瑕疵の判断と違って、どちらかと言うと、
設計行為に当たります。よって、複数の方法が案として
想定されます。ただし、通常の新築建物の設計と違うと
ころは、争い事での設計であり、争点も絞られています。
ここで、重要なことは補修の目的ですが、契約目的物
の回復であり、補修だけではなく補強の場合もあります。
特に補強の場合は、法律を明確にしておくことです。す
きる材料を聞いておくことです。なお、この問題につい
なわち、「建築基準法」か「耐震改修促進に関する法律」
て現在係争中である場合は慎重にしなければなりません。
かです。通常の相談は建築基準法に基づく内容がほとん
場合によっては、相談をお断りすることも必要です。
どです。
3) 前記の情報をもとに、相談者に的確なアドバイス
ゆえに、耐震改修で認められた方法でも建築基準法で
をしなければなりません。その中で、瑕疵判断をしなけ
は認められていないものがあります。例えば、使用する
ればならないこともあります。この場合、重要なことは
材料が「法第 37 条の材料の品質」の条文で規制されて
個人的経験に基づくことではなく、法令、告示、日本建
いて、炭素繊維やエポキシ樹脂は建築基準法では補強を
築学会基準および仕様書などの客観的基準で判断し助言
目的にした部位には使用できない。このことを十分認識
することです。そうすることにより相談者とのトラブル
した上で、助言が必要です。施行令などでも特例のある
も少なくなると思います。
ものとないものがあり、精査してから助言することが肝
4) JIA の相談は、首都圏相談室が組織として開催し、
要です。例えば、鉄筋コンクリート造で多い問題として、
会員の建築家が当番制で行なっています。相談の後、相
施行令第 79 条「鉄筋のかぶり厚さ」の問題があります。
談者が会への申し込みにより、現地調査、調査報告書の
第 7 9 条は 1 項と 2 項があり、1 項の特例が 2項です。
作成、コンサルタント契約を相談室の推薦を受けた建築
主に2項は「プレキャスト鉄筋コンクリート造の場合は、
家が、個人の責任において契約しています。この場合も、
1項は適用しない」ことです。また、2項には告示もあ
出来る限り判断基準と費用を明確にしておくことが重要
ります。その中では、エポキシ樹脂でのかぶり厚さ不足
です。
を補うことなどが認められています。しかし、現場で打
中には、現地調査を受けてから、内容と専門性を理由
設するコンクリートは1 項のみ適用となるのですが、そ
に明確に回答せずに、途中で他の会や他者へ相談者を回
のことを誤解している人も多くいます。その他、裁判で
すこともあると、相談者から聞いたこともありますが、
も瑕疵問題については長期間争われていますが、前述の
このようなことは、本会の場合は是非なくさなければな
ようなことが整理されていないことが多く、本会は一般
らないと思います。社会的信頼なくして相談(業務)は
相談者への助言であること、いつも客観性が求められて
成り立ちません。
いることを実感しています。
〈藤(トウ)建築事務所〉
Bulletin 2008 年 4 月号 15
第三種郵便物認可 Bulletin 2008年4月15日発行
委員会活動報告
保存問題委員会
旧富士銀行本店
保存問題委員会
委員
―― 見学会後記
はじめに
須藤 啓
ていた。
保存問題委員会のメンバーになってほぼ一年が経過し
特に、営業室が印象的である。発泡スチロールで型を
た。保存・復原の工事に携わった経験があることから委
取った壁一面のアルキャストのスクリーン、黒色つや消
員に推薦されたと理解しているが、各委員の「保存」に
しの花崗石壁面、全面光天井の採用、中央階段の鍛金に
対する思いは非常に熱く、深く、しかも複雑であり、毎
よる手摺など、丹念に作り込まれているのが良くわかる。
回考えさせられる。今回の見学会も、考えるための機会
また、上層の役員会議室ではテーブルや椅子だけでな
を十分に与えてくれたと思う。
く、カーペットまでもが竣工時から大切に使われてきた
旧富士銀行本店について
のだと聞き、当時のデザインの高い品質と銀行側の建築
保存問題委員会で、千代田地域会、再生部会とともに、
を大切にしてきたという建物への愛着の高さを感じた。
2007 年 12 月 20 日(木)、「旧富士銀行本店」の見学会を
設計者に聞く
行ない、20名が参加した。
当時の銀行といえば、広大な営業室に接客部門と事務
当時の設計者である中島昌信氏 (元三菱地所(株)専務取
部門がずらっと並んでいるのが典型的であったが、その
締役、現在(社)日本建築美術工芸協会会長) をお招きし、旧
威圧感の克服が課題であった。そこで、顧客サービスを
富士銀行本店の設計に関して伺った。
向上させるため、接客を主とする営業室を低層部に、ま
現在もみずほ銀行の店舗として営業中ではあるが、
2 0 0 9 年より建て替えが始まることが発表されている
た、執務を主とする事務部門を高層棟に配することにし
て、機能的にも形態的にも二つのブロックに分離するこ
とを試みたという。
(2007年3月19日・日経産業新聞)。
旧富士銀行本店は、1962 年(昭和 37 年) から本格的
に設計が開始された。1964 年の建築基準法改正で、31
この建築スタイルを見ると、その後邦銀本店建築に与
えた影響が大きいことがわかる。
mの高さ制限が廃止され
また、剛構造が主流であったこの時代、柔構造を採用
容積制度に移行したのを
しようとしても、柔構造超高層建築そのものがほとんど
受け、この建物は、高さ
存在せず、船の構造を参考にしたのだという。
さらに設計するに当たって、4 5 日間掛けて世界中の
6 6 . 7 m、1 6 階建ての超
銀行を視察したことなど、今で
高層建築とし計画される
はちょっと考えられない、うら
ことなり、1 9 6 6 年 8 月
低層営業室屋上庭園
(撮影:桐原武志)
に竣工した。
やましい話も伺った。中島氏の
最先端技術を取り入れた建築
話から、この建築に先進性を追
見学会に参加し、この建築には、当時最先端の技術が
い求めた情熱を強く感じた。
設計者:中島昌信氏
(撮影:桐原武志)
盛り込まれていることがわかった。高層棟の外装材は、
見学会を終えて
アルミ製ユニットカーテンウォールだが、すでにダブル
先人が精魂込めて作り上げた建築が、竣工 40 年ほど
スキン (二重サッシ) が採用されており、空調はもちろ
で姿を消していくという現実に直面し、複雑な心境であ
ん、場所によっては避難にも有効活用されていたことに
る。
は驚かされた。
今後さらに増えていくであろう「戦後建築の保存問題」
手作りの建築
への態度を明らかにすることが、保存問題委員会に対し
インテリアには、手作りのディテールがちりばめられ
求められていくことになろう。
16
Bulletin 2008 年 4 月号
〈(株)三菱地所設計〉
第三種郵便物認可 Bulletin 2008年4月15日発行
委員会活動報告
ハウジング・フィジックス・デザイン研究会
第5 回シンポジウム
距離を創る
深澤 たまき 氏
――エアウォールハウス/ ANNEX
去る9月 28 日(土)、INAX : GINZAにて講師に五十嵐淳氏、
ある「白い箱の集合体」にて直射の辛さを体感し、拡散光を
コメンテーターとして鈴木大隆氏を迎え、第 5 回ハウジン
感じられる空間に魅力を感じていたという。「Annex」は全体
グ・フィジックス・デザイン研究会が開催された。冬には流
が光壁となっており、ぼんやりと真綿の中にいるような温か
氷も届き、最低気温マイナス 20 度以下となる北海道サロマを
い不思議な空間となっている。鈴木氏も以前から光壁の工業
中心に活躍する建築家と、北海道建築を考え、環境基準を作
化を試みており、庇のない現在の住宅の強い光と、伝統住宅
りながら設計者とも仕事をしている環境研究者を招いての研
のような深い庇のある柔らかい光、その間の解として光壁の
究会である。
可能性を語った。
環境を考えたわけではない
ワンルームであること
五十嵐氏は最初にこういった。しかし、決して考えていな
五十嵐氏は人を感じながら意識しすぎない距離感のワンル
いわけではない。あくまでも環境については主題として考え
ームを創り出している。「矩形の森」ではあえて柱を置くこと
ていないが、北海道では環境は無視することはできないから
で、「 A n n e x 」では奥(上)に個の空間を配置し、間に
否応なく考えさせられるそうだ。「過去の設計を反復して考え
W C ・風呂・宙に浮いた床を置くことで生活に必要な適度な
ていく」という五十嵐氏は、経験上必要なまわりとの距離を
距離を創っている。また、「風の輪」ではレベルを変えること
常に考え、必要条件として環境を考えているようだ。
で個と公の空間を共存させ、「原野の回廊」では箱をずらすこ
バッファーゾーンを設ける
「矩形の森」、「トラス下の矩形」で南北に、「常呂土佐U邸」
でJ型にバッファーゾーンが置かれており、「Annex」はその
とで空間を分けている。北海道ならではの凍結深度のために1
メートル以上基礎を掘らなければいけないという事情から、
コスト的にも効率がいい半地下空間を利用したそうだ。
進化系として厚い外壁のバッファーゾーンがある。地吹雪の
バランス解
凄いサロマでは経験上バッファーゾーンが効くと感じており、
環境工学では一般的に使える基準化された解が求められる。
「Annex」では設計初期段階から外断熱+バッファーゾーンと
鈴木氏は五十嵐氏の一連の作品を見学し、討論の中で五十嵐
いう考えを持っていたそうだ。鈴木氏は、 1970 年代の北海道
氏の作品は一般解ではないが、「バランス解」と準えた。パネ
における使い方・機能が盛り込まれずに廃れていったサンル
リストである小泉氏もコスト・環境・構造・設計が並列に組
ーム・風除室に対し、五十嵐氏の創る生活の中にデザインされ
み立てられているという。最後に五十嵐氏は、これからも施
たバッファーゾーンにこれからの可能性を見出していた。
主といい関係を保ち、竣工後より使いこなした今のほうがい
「Annex」は熱だけではなく、直射に対してもバッファーゾ
い建築を創り続けていきたいと語った。「バランス解」は施主
ーンとして成り立っている。五十嵐氏は処女作で現事務所で
の生活、財政を考え、自身の経験から考える五十嵐氏ならで
はの解なのであると思う。五十嵐氏はこれからも施主に近い
立場で「バランス解」を創り続けていくのであろう。
設計提案として特別に考えるのではなく、当然のこととして
環境を考える姿勢はごく当たり前のようでなかなか難しいの
ではないか。研究会を行なって5回となり、設計者と環境工
学研究者との距離はそこにあるように感じていたが、五十嵐
氏、鈴木氏が一緒に行なった仕事をいつかみてみたいと強く
思う。
〈首都大学東京 都市環境科学研究科 建築学専攻〉
第5回シンポジウム風景
Bulletin 2008 年 4 月号 17
第三種郵便物認可 Bulletin 2008年4月15日発行
地域会活動報告
JIA 世田谷地域会
川場村世田谷区民健康村
訪問記
柿崎 豊治
緩やかな傾斜地が続く沼田から川場村への道筋に、養蚕農家らし
確保もかなり困難な作業なのですが、当時は、5 0 年先の次の葺
き切妻大屋根の民家と漆喰壁の蔵があちこちに見られる辺りから、
き替えのために茅場を育てて(放置しておいては良い茅場になら
川場村に入ったようです。「道の駅・川場田園プラザ」に立ち寄
ない)いたそうです。
ると、川場村の農産物が超特価で売られています。安いばかりで
と人間のリンクは今では危機に瀕しているわけですが、昔の人の
なく、新鮮でおいしそうなものばかりが所狭しと並べられていま
賢明さを改めて知る話でした。
自然の確保=住まいの確保、という自然
した。世田谷からやってきたという手打ちそば屋さんで昼食をと
ご案内いただいた谷田部氏によれば、村では今、一部茅場を復
り、川場村役場へ向かいました。JIA 世田谷地域会が世田谷区民
活させようとしているそうです。茅場を保全することで森の手入
健康村を訪問するということで、副村長の谷田部氏が村内を案内
れが行なわれるようになり、茅のみならず森全体の環境保全につ
してくださることになりました。
ながってゆく計画となるようです。そして子供たちにその茅を刈
谷田部氏は元世田谷区の職員で、世田谷区民村の開所当初から
ってもらい、その茅で屋根を葺いてもらうのですが、そうは言っ
の事情に通じておられる方で、当時のご苦労やエピソードなども
ても、2∼3坪程度の屋根を葺くのに 200m2 の茅を刈る必要が
交えていろいろとお話を伺うことが出来ました。
あるらしく、今のところミニ茅葺き屋根しか出来ていないのだそ
世田谷区民健康村には「なかのビレッジ」と「ふじやまビレッ
ジ」があり、二つは同時期に開館しているということでしたが、
その立地とコンセプトの違いから、それぞれ個性的な二つのビレ
ッジでした。
うですが、その体験を通して子供たちに伝えられるメッセージは、
実に豊かな内容をふくんでいると思いました。
50 年に一度の葺き替えの話を教えてくださったのは、「ふじや
まビレッジ」建設当時の林事務所の担当者であった白川克典氏で、
「なかのビレッジ」は坂倉建築設計事務所の設計で、敷地のコン
現在川場村で進行中の、茅葺き民家施設を移築・新築するプロジ
ターに沿ってカーブしながら斜面に埋め込まれた3層の構成の宿
ェクトの現場を案内していただきました。県内および山形県から
泊棟が特徴的な建築です。当初は冬季を除き、子供たちの林間学
の移築民家を数棟連続的にレイアウトした計画は、かなり迫力あ
校などの利用を主体に計画されたというこの建築は、コンターに
る内容でした。
沿ってうねりながら伸びてゆく横穴(廊下)と風と光の通るタテ
最後に谷田部氏が案内してくださったのは、生品宿 (ナマシナシ
穴(光庭)との組み合わせで、ちょっとした洞穴体験をイメージ
ュク) という宿場で、街道筋に沿った宿場=タテマチと、直交し
させる建築で、囲炉裏を囲んでの談話室などもあり、子供達にと
て神社へ続く道=ヨコチョウとで構成された地区でした。
って非日常の魅力とスリルを味あわせてくれる建築です。屋根の
すでに宿場町としての歴史は閉じているけれども、川場村らし
上には土を被せているので、上空からの写真を見ると、宿泊棟部
い養蚕民家や土蔵、そして今は暗渠状になってはいるものの、か
分はまるで斜面の一部となっています。
つては生活の一部であった水路が多く残っている地区です。 加
「ふじやまビレッジ」は林・山田・中原設計同人の林雅子氏の
えてタテマチ筋のバイパスが出来た事によって、これまで町を断
設計で、茅葺の大屋根を思わせる豪快でシャープな印象の建築で
絶していた車交通から解放される状況となったことから、何とか
す。
往時の水路と民家のたたずまいを取り戻したいがどうしたら良い
「なかのビレッジ」が川場村の山や緑、地面などを取り込んで自
だろうかと思案する谷田部氏から、何か良い知恵はないでしょう
然の一部となっているのに対して、こちらは村内のあちこちに見
かと問いかけられて、「宿題」として地域会に持ち帰ることとな
られる民家の形を象徴的に取り入れることによって、村の風景の
りました。
一部となっています。いずれのビレッジも、休前日の予約は半年
先までいっぱいということでした。
宿泊先の「ふじやまビレッジ」での夕食後、近接の古民家にて
地域会 11 月例会が行なわれました。会場はなかなか見事な兜造
川場村の民家の屋根は、古いものは茅葺きの屋根であったらし
く、兜造りのものや小屋根のついたものなど美しい屋根でした。
現在では金属板葺きのものが多いけれども、やはり軒が深く、
りの古民家で、隣接する片品村から移築されたもので、石野高野
建築事務所により「ふじやまビレッジ」の管理棟として改築設計
されたものです。人数の割りには広い土間で、囲炉裏を囲んでの
この集落が長い年月をかけて形を作ってきた簡素な美しさを感じ
例会となり、川場村の感想や今回の法改正と国交省のこと、そし
させます。
て先日の JIA 大会のことなどに話題がすすみ、今大会で紹介され
茅葺屋根の時代には、屋根の葺き替えに対応するための「茅場
ていた他の地域会の活動が活発であるのに対して、世田谷地域会
(萱場?)」が存在していたようです。聞くところによれば、茅の
ももっとガンバラナクテハ、との認識で一致しました。今後、若
葺き替えというのは 50 年に一度くらいの周期で行なわれる一世
手をはじめ地域会参加者を増やして行く方策として、世田谷地域
一代の大仕事で、現代では専門の職人さんも数少なくなり、茅の
会をアピールするデモテープなどを作成しようという提案がなさ
ました。
例会を終えて外へ出ると、深々と冷え込んだ夜空に、まさに
「満天の星」が輝いていました。わずか 1日のツアーでしたが、
自然の中でリフレッシュしながら、大変収穫の多い体験となりま
した。
なかのビレッジ
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Bulletin 2008 年 4 月号
ふじやまビレッジ
古民家
〈アルコ建築設計事務所〉
第三種郵便物認可 Bulletin 2008年4月15日発行
地域会活動報告
JIA 中央地域会
活動を始めて 1 年半
―― 橋・街をたべる・子供たちとの連携
藤沼 傑
地域活動を充実するという JIA 本部方針に基づき、中央
ルを展示した他、中央地域会マップのたたき台を展示し
区では 2 0 0 6 年 夏 ご ろ か ら 地 域 活 動 を 始 め ま し た 。
ました。中央区には歴史的建造物から最新のブランド店
2 0 0 6 年 1 0 月には千代田区と連携し「江戸東京の路地
まで多様な建築資産がある他、都市の町並み、景観、さ
から街づくりを考える」と題して、岡本哲志氏をナビゲ
らには水辺空間まで豊かな空間の中に都市文化が花開い
ーターにお招きし、築地・銀座界隈の路地空間を実際に
ています。これら全てを自由気ままに「たべて」しまう
探検しました。その後千代田・中央区域での景観・保
という発想で、会員が気に入った味覚空間、建物空間、
存・街づくりに関して、吉田不曇氏 (中央区役所助役、
町並み空間、水辺空間を紹介していくマップをじっくり
現・副区長)、饗庭伸氏 (首都大学東京 COE 路地再生研究チ
作っていくことを最初の主な活動としています。
ーム)、岩井光男氏 (三菱地所設計副社長)、杉浦英一氏
このために、街をたべてから皆でおいしいものを食べ
(杉浦英一建築設計事務所) の自由なパネルディスカッショ
る会を開催することを考え、3ヶ月に 1回という少ない
頻度ですが、人形町、銀座、日本橋をたべてきました。
ンを開催しました。
後に中央地域会の代表となる杉浦氏は、この時三島由
いい年をした大人の軍団が勝手に建物を覗いていく姿は
紀夫の「橋づくし」に登場する7つの橋、三吉橋、築地
少し異様です。この他に、会員の作品見学も随時開催し
橋、入船橋、暁橋、境橋、備前橋の現状写真を見せなが
ています。
ら、川が高速道路になり、騒音により川沿いにあった自
宅を移転した自らの体験談を語りました。これに対して、
また、地域とのつながりは、城東小学校と空間ワーク
ショップを通じて先ずはこども達との連携を始めていま
吉田氏から、当時は SF 漫画に描かれている高速道路が
す。詳しくは別稿「 JIA 子ども『まち・たてもの・くら
縦横無尽に走る未来都市のイメージが格好良かったのだ
し』づくり学習」を参照してください。ワークショップ
という意見が印象に残っています。
では児童が本当に何か学んでいるのかと不安を感じてい
ました。城東祭を見学した時、体操服だった児童が立派
このような活動を経て、中央地域会は 2 0 0 7 年 1 月
な制服を着て保護者の方々に「これだよ、これ。これを
3 1 日に発足し、漸く 1年となりました。6月の J I A ア
作った」と自慢していました。この活動が児童の空間認
ーキテクツギャラリーに中央地域会会員4名の作品パネ
知に少しでも役立っていると実感した瞬間です。
〈(株)山下設計〉
三吉橋――昭和4年竣工当時(左)と現況(右)
築地橋(大正14年竣工)
入船橋(昭和4年竣工)
たべるマップ――6月アーキテクツ・ギャラリーにて
出来上がった4つの作品
建築家と児童
Bulletin 2008 年 4 月号 19
第三種郵便物認可 Bulletin 2008年4月15日発行
建築に関わる法改正
改正法問題のこれから
―― この先に何があるのか
関 洋之
はじめに
に構造と設備を専門とする新しい一級建築士が誕生する
昨年は建築基準法改正の混乱に終始した年でしたが、
ことになりそうです。そして来年の 6月までには、これ
年が明けても一向に収拾の気配がありません。執筆時点
(2月上旬) では、国土交通省から新たな対策が打ち出さ
らによる法適合チェックが始まります。
構造設計一級建築士
れていて、構造計算適合性判定の「原則2人審査」が緩
現在、一級建築士の登録者数は 32 万人を超えていま
和 (?) されて、一定規模以下の建物は1人で審査して
すが、このうち構造設計者は1万人弱と言われています。
良いことになったり、いつまで待っても出てこない大臣
国土交通省の調査では、建築物の申請件数は構造計算適
認定構造計算プログラムについて、先行するメーカーの
合性判定の対象となるものだけで年間7 万件、その他
バグ取りにコンソーシアムを組んで協力したりと、様々
(ルート1の許容応力度計算)を加えると年間 12 万件に
な取り組みが続いています。
これから先どうなるのか、私には全く予想がつきませ
んし、皆さんがこの文章を目にする時点では、すでに事
なります。この数字から一級建築士の資格を持たずに構
造設計に従事している構造設計者も、かなりの数に上る
と考えられます。
態が大きく変わっているかも知れません。国土交通省か
では新しい制度のスタート時点で、どのくらいの構造
ら更なる対策が出され、それによって混乱が収拾に向か
設計一級建築士が必要となるのでしょうか。難しい問題
っていることを祈るのみです。
ですが、今までの件数を維持するためには少なくとも
もう一つの法改正
5,000 人は必要ではないかと思います。一級建築士の構
さて、現在の混乱は耐震偽装問題に対して昨年 6 月
造設計者1万人弱の中から、講習と考査を経て高度な専
2 0 日に施行された「建築基準法等の一部改正 (平成 1 8
門能力を持つ者を選ぶわけですが、日本建築構造技術者
年 6 月 2 1 日公布)」によるもので、その中の「建築確
協会(JSCA)の建築構造士が 2,700 人程度であり、その
認・検査の厳格化」の運用が現在の事態を招いてるわけ
うち 7 2 %は 5 0 歳以上、さらに 2 9 %は 6 0 歳以上であ
です。ところが今回の耐震偽装問題に対しては、もう一
ることから、実務者の確保が問題になりそうです。
つの法改正がありました。「建築士法等の一部改正(平成
設備設計一級建築士
18 年 12 月 20 日公布)」で、今年の 12 月までに施行され
一級建築士のうち設備設計者は4,000人程度と言われ、
ることになっています。
このうち大部分は建築設備士の資格も取得しています。
この法改正は、建築士に定期講習の受講を義務付ける
構造設計者と同様に、講習と考査を経て設備設計一級建
など、「建築士の資質・能力の向上」を目指すとともに、
築士がスタートすると聞いていますが、実は 4,000 人の
建築設計の専門分化に対応しようというものです。すな
うち3,000人は60歳以上という話も聞こえてきます。
わち「構造設計一級建築士」と「設備設計一級建築士」
おわりに
を新たに設け、一定の建築物に対し、これらによる法適
数年前に「JIA 会員の平均年齢が、この 10 年間で 10
合チェックを義務づけるというものです。
今後のスケジュールはまだ決定されたわけではないよ
うですが、6月頃から講習会と考査を実施し、12 月まで
歳上がった」という報告を聞いたことがありましたが、
今回の法改正の問題を考えているうちに、「高齢化」と
いう別な問題が気になり始めました。
〈(株)梓設計執行役員〉
20
Bulletin 2008 年 4 月号
第三種郵便物認可 Bulletin 2008年4月15日発行
投稿
私の城南地域活動
小林 道夫
私は生涯を建築家として送りたいと願っていました。城
らすことに役立つと考えてのことです。もしブロック塀
南地域会の立ち上げを聞いたとき、我が意を得たりと早
が生垣にでも変われば、居住環境はもとより、大げさに
速参加したのですが、老齢のため現役の建築家たちと共
言えば地球温暖化防止を支援することにもなりましょう。
に行動することの困難さに気が付きました。そこで皆さ
建築家は人間の安住に意を尽くす使命を持っていると
んの邪魔にならずに地域の役に立つことをしようと思い、
思っています。今の建築家のおかれている状況では出来
道路沿いのブロック塀の調査をはじめました。
ることは限られています。些細なところから実行を積み
度重なる地震時にブロック塀の倒壊による死者の報道
上げて、庶民の支持を得ることが大切だと思います。そ
は誰もが知っていることです。建築の被害は職掌の範囲
れには昼間自由な時間の作りうる、リタイアした建築家
として、塀に対してなおざりな施工がたくさんあるので
にうってつけの仕事ではないでしょうか。散歩がてら出
はないか、まず私の居住区から始めようと思って(戸境
来ることです。
を除いて)上大崎3丁目(東京都品川区) の記録を終わっ
た段階です。この記録が広域に広がることは気の遠くな
建築基準法が今のような改正で 、文化国家など成立す
るはずがありません。
る時間を要することでしょうが、ある程度の地域をカバ
建築家の思想は様々で、いろいろな主張があって当然
ーした段階で町会や区役所あるいは社会福祉協議会やボ
ですが、志向は違ってもどの人も総合的にものを見て仕
ランティアに広げられれば、地震災害の一つを確実に減
事を完成させているはずです。専門分化してゆく社会の
中にあって、総合的にものを見る職種は建築家をおいて
他にありません。消費は美徳などと称して甘やかされて
成長した市民に、社会運動として広がっていくか、はな
はだ心もとありませんが、まず種を蒔くことから始めよ
うと実行に取り掛かったところです。
私は今でも建築家法の成立を願っている一人です。
●小林道夫の経歴:
1956年、小林設計事務所設立
1987年、関東甲信越支部幹事長
1989年、関東甲信越支部副支部長
2004年、JIA 25年賞受賞
上大崎3丁目調査図
Bulletin 2008 年 4 月号 21
第三種郵便物認可 Bulletin 2008年4月15日発行
広報からのお知らせ
詳細はJIA本部、関東甲信越支部HPなどをご覧ください
「JIA 広報通信」へ GO
供してください。各グループの広報担当の皆様にも PC からメー
――「日本建築家協会関東甲信越ブログ」を公開いたしました
ル投稿できるように準備中です。さらにご希望の方に、たとえば
ホームページワーキング主査・支部広報副委員長
新潟地震での活動などを現地から携帯電話で写真つきメールを投
近藤 剛啓
稿できるよう設定いたします。広報担当の方には近日ご案内いた
します。
「JIA報通信」へGO
一般会員の皆様へ
会員向けトップページの「JIA 広報通信」ボタンをクリックある
JIA 活動にぜひ参加してください。委員会、部会、地域会、イベ
いは、http://jia-kanto.seesaa.net/でダイレクトアクセスしてく
ントやセミナーに参加して、ぜひ「JIA 広報通信」に投稿をお願
ださい。
いします。
「JIA広報通信」運営のための目標とルール
広報委員会ではこの「JIA 広報通信」運営の目標とルールを以下
のように定めます。メール投稿、コメント投稿いただける方にも
ぜひご同意いただきよりよい運営をしていきたいと考えています。
よろしくお願いします。
目標 1. 会員相互の交流促進
2. JIA活動の一般社会への情報発信
3. これからの建築家へのメッセージ
ルール 1 .投稿者は実名とする
2. 誹謗中傷をしない
「メールマガジン」もあわせてどうぞ
現在配信しているメールマガジンのウイークリー版とマンスリ
ー版も併せて定期的にご覧ください。会員向けトップページより
メールアドレスをご登録いただくだけでご覧いただけます。
広報委員会メンバーによるブログ
2008年度の活動
「JIA広報通信」は、広報委員会メンバーが、支部の活動をリア
このブログ、メールマガジンの運営とともに、「会員向けホー
ルタイムで取材し、また建築界や一般社会の話題を拾い上げ、会
ムページ」、一般向けホームページ「建築家 online」の充実を図
員だけでなく一般の方にも見ていただけるブログです。
るため、情報提供が一段と便利になるようシステム構築を計画し
JIA委員会、部会、地域会など各グループの広報担当の皆様へ
ています。2008年度の広報委員会の活動もご期待ください。
部会、委員会、地域会など各グループの日ごろの活動や話題を提
〈(株)日本設計〉
支部ダイジェスト 12月
詳細はJIA本部、関東甲信越支部HPなどをご覧ください
NEWS
●
大阪府知事選挙および統一地方選挙の
行政関連
●
アンケート結果が公開(1月25日付け)
詳細は国土交通省HPなどをご覧下さい
建築士法改正に関して
平成 18 年 12 月 20 日に公布された新建築士法において、構造
公共施設の設計者選定方法などについて、大阪府知事選および
設計一級建築士制度および設備設計一級建築士制度が創設されま
統一地方選挙立候補者へ行なったアンケート結果が公開されてい
した。あわせて、建築技術教育普及センターから、構造設計一級
ます。
建築士制度および設備設計一級建築士制度の資格取得のための講
●
ARCASIA建築賞2007-2008の結果発表(1月13日付け)
優れた建築作品を認識し、アジアの住環境の発展と改革、そし
習の案内が出されました。
●
てアジアの精神への活力を鼓舞することを目的とするアルカシア
賞の結果が発表されました。
委員会・地域会・部会からのお知らせ
●
第 6 回 JIA関東甲信越支部大学院修士設計展2008募集中
大学院修士設計展実行委員会の企画・運営のもと、後進育成の
ための事業として関東甲信越支部に所在する大学院の修士設計作
品を対象とした「修士設計展」を昨年と同様に開催することにし
ました。3月31日(月) (必着) 締切になります。
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Bulletin 2008 年 4 月号
建築基準法、建築士法改正に関して
平成 19 年 12 月 19 日に社会資本整備審議会建築分科会で開催
された改正建築基準法の施工状況、改正建築士法の施工に向けた
検討などについての議事次第が支部HPより閲覧できます。
●
最近の建築確認件数などの状況について
2007 年 12 月までの建築確認件数などの状況が、国土交通省よ
り公開されています。(1月31日付)
第三種郵便物認可 Bulletin 2008年4月15日発行
シネマレコメンド
■ブレードランナー
清潔な未来都市のイメージ
を打ち破る
2019 年。人類は地球外に移住し、残った人々も密集し高層
化(400 階)した都市部で暮らし、宇宙開拓の前線では、遺伝
子工学より開発された、外見上は本物の人間と見分けがつかな
監督:リドリー・スコット
いレプリカントという人造人間が過酷な作業に従事していた。
配給:WB
レプリカントの男女6人が脱走、地球へ帰還し、ロサンゼルス
公開:1982年
に潜伏。絶えず酸性雨が降り注ぐ大都会でレプリカントを追い
詰めていくブレードランナー。
■昨年、仕事をしていると、FM から「ブレードランナー」の
SF 映画の金字塔として評される作品です。リドリー・スコ
ットは、ありがちだった清潔な未来都市のイメージを打ち破り、
テーマ曲が……。
何やら再上映があるとのこと、「えっ!」思わず大きな声を
出してしまいました。スタッフは不思議そうな顔をしていまし
テクノロジーとレトロや、東洋(特に日本)が入り混じる未来
都市を、鮮やかに描き出しました。
シド・ミードのデザイン、ヴァンゲリスの音楽、ハリソン・
たが、考えてみれば彼等が小学生時代の映画です。
ブレードランナーには五つのバージョンがあり、今回のファ
イナルカット版は、 25 周年を記念し、再び監督の指揮によっ
フォード、ダリル・ハンナ。若いエネルギーとそれぞれの思い
がたくさん詰まっている映画です。
〈河辺近[こうべ ちかし]/ken-ken (有) 代表取締役〉
て編集されました。
編集後記
■本業も委員会も駆け出しで、右も左もわかっていません。で
ニューアルして更なる成長が期待できます。
も、委員会活動の参加は、本当に光栄なことです。今年は忙し
■年度末に近く、来期計画や会議資料に忙殺されて、身動きが
いけど、きっと明るい☆年になると思います。
取れない日々が続いています。賛助会員の方で、支部広報委員
(M.I.)
(Ka.Ku.)
■友人Mは結婚で人生のリニューアル。Rさんは事務所移転
会への参加協力をお願いします。
でリニューアル。Bulletin もリニューアル! 思えば我々の仕
■ここ 10 年でもっとも寒いといわれた冬がようやくあけて、
事はいつだって人々のリニューアルのお手伝い。おめでとう、
あたたかくなってきました。偽装に明け暮れる世の中、悪い膿
オメデトウ!
を出して早く春がやってきて欲しいな。
(M.K.)
■やっと春めいてきたが建築界にも早く春を呼び込みたい!
(Hf.Ko.)
■1年ぶりに訪れたカンボジアは車が増え活気にあふれ、今や
(Ko.Ku.)
(K.N.)
■何かと暗い話題が多かった建築業界。春の訪れと共に、新年
度は希望に満ちた明るい話題をお届けできればと思います。
(N.T.)
■ふきのとう 眠りを覚ます 苦味かな (R.S.)
投資先として注目されている。立ち寄ったバンコクも垢抜けし
ていた。今、アジアの勢いが良い!そして日本は……(Hy.Ko.)
■2期4年間勤めた広報委員をこの春卒業。多くの方と知り合
■NHK夢の美術館世界の名建築 100 選を見る。クフのピラ
い、新鮮な刺激をもらい、多少なりとも Bulletin の発行に貢
ミッドから落水荘、桂離宮で始まり白川郷で終わる9時間。丁
献できたことに感謝。ありがとうございました。
寧で落ちついた演出NHKでしかできない番組。
■毎年ジンチョウゲの香りとともに春の到来を実感しています。
(Y.Ko.)
(N.Y.)
■五月が生まれ月ということもあり、春が近づくとわくわくと
春は新しい事に挑戦したくなる季節。Bulletin がリニューアル
元気が出てくる。成長の季節だが体型ばかり。ブルティンはリ
完了。さて僕は何をリニューアルしようかな? (T.Y.)
編集:
社団法人 日本建築家協会
発行人:
菊地 良一
関東甲信越支部広報委員会
発行所:
社団法人日本建築家協会 関東甲信越支部
委員長:
中村 高淑
〒150-0001東京都渋谷区神宮前2-3-18 JIA館
副委員長:近藤 剛啓・鈴木 利美
TEL 03-3408-8291(代) FAX 03-3408-8294
委員:
池元 真克・神田 雅子・久保 宏二・倉島 和弥・近藤 弘文
印刷:
サンデー印刷社
古池 廣行・中澤 克秀・山本 信治・湯浅 剛
編集長:
鈴木 利美
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副編集長:倉島 和弥
・(社)日本建築家協会 (JIA)
編集委員:池元 真克・神田 雅子・久保 宏二・中村 高淑・山本 信治
・建築家online(一般向け)http://www.jia-kanto.org
湯浅 剛・菊地 良一
デザイン:山口 尊敏
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http://www.jia-kanto.org/members
表紙デザイン:山本 信治/本文デザイン:神田 雅子
©社団法人 日本建築家協会 関東甲信越支部 2008
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