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横浜国立大学グリークラブOB合唱団機関誌 第24号-2011年1月発行-

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横浜国立大学グリークラブOB合唱団機関誌 第24号-2011年1月発行-
潮
音 OB
横浜国立大学グリークラブOB合唱団機関誌
第24号-2011年1月発行-
第10回定期演奏会 2010 年 10 月 17 日 ミューザ川崎シンフォニーホール
1
目
次
ページ
1.巻 頭 言
村上
處直
2
2.実りの多かった定期演奏会
飛永悠佑輝
3
3.歌う歓び
佐藤美保子
5
4.第10回定演を終わって
石川
節
6
5.第10回記念定演プロジェクト
小泉
進
8
6.演奏会プログラムの表紙デザインを担当して
永井
善和
11
7.チケット係を担当して
小柳
敏男
13
8.第10回定期演奏会を終わって
高田
信昭
15
9.なんだかなあー(第 10 回定演を振り返って)
川添
鉄也
18
10.「曲の出だし」で思うこと
布川
明
20
11.私たちの声は客席に聞こえているのだろうか
小瀬村春雄
21
12.あふれる思いはあるのだが・・・
高橋登美雄
23
13.アラカルトの功罪
神野
清彦
24
14.さあ、初心に戻って第 11 回定期演奏会をめざそう!
丸山
隆司
25
15.第10回定演の二つの思い
竹内
哲夫
26
16.第10回定期演奏会に参加して
露木
聰
28
17.第10回定期演奏会に参加して
中林
清
29
今後の声づくりを考える
2
ページ
18.ケルビーニのレクイエムの演奏に参加させて戴いて、
妹尾
晋哉
31
19.最高のステージ
吉田
潤
34
20.定期演奏会に参加させていただいて
坂本
宏明
35
21.我が合唱人生を顧みる
高橋
真一
39
22.ド・レ・ミは資産運用?
渡辺
勲
41
23.捻(ひね)くれ者のイタリヤ旅行
高山
峻一
43
24.クロアチアの旅
椎橋
信夫
46
25.第十回定期演奏会を終えて…番外編
江上
侑雄
49
26.長男の結婚式
堀田
啓一
52
27.椙本、池澤両君に捧げる鎮魂歌
鳥山
利
53
28.小田切さんと久保君
堀田
啓一
55
29.編集後記
編集委員会
56
ヘルシンキとプラハ
≪写真ページ≫
第10回定演
ページ
リハーサル・第2ステージ
4
第 1 ステージ
27
アンコールステージ
34
打上げ会スナップ
36
1
巻
頭
言
昭和35年卒 T-2
村上 處直
第十回定期演奏会が無事成功裏に終わり、関係者皆様方のご苦労に感謝いたします。
本当にご苦労様でした。ケルビーニのレクイエムを管弦楽団の伴奏で演奏でき、聴衆の
多くの方からお褒めの言葉をいただき、またステージで音に包まれて歌っている団員も、
満足していました。オケ合わせの時、練習場の音環境の悪さから、少し心配していまし
たが、合唱団もオーケストラも「本番」に強いと感じました。またミューザ川崎は演奏
者と聴衆者の関係が近く感じられ、優れたホールだと思います。その代わり、団員一人
ひとりがかなり詳細に観察されているようです。私は1988年から横浜国大の教授と
なりましたが、1993年に東京の事務所に神野さんが私の事務所の家具購入の件で訪
ねて来られ、その時、グリー現役の顧問をやる件と、OB 合唱団のことを話されたこと
がグリーとの関係の再開でした。災害問題の仕事の関係から数多くの番組を手伝いまし
たが、常に現場を見てから出演するように心がけたことから、常に自分の時間がない人
生でした。そのためOB合唱団に参加することなど考えられませんでした。しかし始め
ての工学部教授会に出席したときに、会議室の片隅に、昔お世話になったピアノ・ベヒ
シュタインが置いてあり、教授達が居なくなった会議室で、ピアノを開けほとんど鍵盤
の象牙が剥げ落ちているピアノを弾いたところ、とにかくきれいな音がでた事から、ピ
アノ修復の活動を始めていたので、グリーの先輩達の力が必要なことから OB 合唱団に
も遠慮しがちに参加することにしました。今でも時間不足の団員で、皆さんにご迷惑を
かけていますが、その私がなぜか OB 会会長に押され、それゆえに無理してもステージ
に立つことが出来、結果としては極めて幸せな時間を持つことが出来ています。また、
ステージ終了後出口で聴衆に挨拶をする関係から、何十年もご無沙汰していた方々とお
会いすることが出来、それが交流の再開に繋がったりしています。国大グリーに居たこ
とから、高校の OB 合唱団にも関係するようになり、人生を楽しんでいます。
合唱団の活動が無くして OB 会の活動は考えられませんが、グリー関係者が元気に豊
かな人生を送ることが出来るように、ゴルフなどいろいろな活動を含めて、皆さんが親
睦を深めていかれることを望んでいます。そのためには誰か旗振り役が必要で、そのよ
うな人材輩出の手助けが出来ればと考えています。
先日(12月5日)広大グリーOB 合唱団の忘年会に招かれ出席しました。広大現役
グリーが今年の団員が集まらず、結果廃部となり OB 合唱団も来年1月9日の広島演奏
会を最後に解散(?)しようと言うので、初めて参加しました。幸い我が国大グリーは
50人近くの団員が居り、現役が居なくなる問題はしばらくないかもしれませんが、こ
の問題はグリーOB 会が心して現役を育てていかなければならない課題だと考えていま
す。現在も演奏会やフェスタなどを通じて努力がなされていますが、より組織的に気配
りする必要があるのではないでしょうか。
2
実りの多かった定期演奏会
常任指揮者
飛永 悠佑輝
演奏会お疲れ様でした。第 1 ステージが終わって皆さんホッとされて、疲れが一気に
出てしまったのではないでしょうか。第 2 ステージは少し集中力が欠けていたように舞
台上では感じました。皆さんがいつも通りに歌ってもらえると信じていましたので、そ
んなに焦るようなことはありませんでしたが、もし第 2 ステージの方が先であったら、
いつも以上に上手く歌えていたかなぁ、ちょっと残念だったなぁという気持ちもしまし
た。私も第 1 ステージが終わって力が抜け、もうひとつ集中出来ていなかったのかも知
れません。でも、いつも通りとても味わいのある演奏が出来ていたと思います。
オーケストラとの共演は、大変意義深いものでした。演奏会までに何度もオーケスト
ラの練習に行かせて頂き、彼らとの意思の疎通も十分出来ていましたし、一生懸命取り
組んでくれる姿はとても嬉しく思っていました。前回のプロオケの時と違い、私の音楽
を彼らとゆっくり練習することが出来、満足しています。細部ではプロオケの方に軍配
が上がる処もあるかと思いますが、全体では今回の方が良い出来であり、合唱との絡み
もすべて上手くいっていましたので、本当に良かったと思います。もし、これから先ま
たケルレクをやれる機会が訪れた時には、もっと深い音楽が出来ることと信じています。
ぜひ、又やりましょう。
合同演奏は平成年代が抜けてしまったことが唯一悔やまれますが、これも一つの試練
であり良い経験になったと思います。一つの OB として全世代が纏まって演奏出来るこ
とが最終的な目標です。今後も諦めることなく誘い続け、平成ステージというものが無
くても一緒に参加という形を常に考えておかないといけないと思います。幸い、今回私
に近い年代の人が数名演奏会直前から参加してくれました。皆忙しい世代ですが、そん
な中でも声をかければ出てくれる人がいるという事が分かったので、これからも頑張っ
て声をかけていこうと思います。
合同演奏のレベルは初期の定期演奏会から比べると格段に良くなっていると思いま
す。私が大勢の合唱の指揮をすることに大分慣れてきたことと、皆さんが良く聞いて合
わせることが出来るようになってきたことが、演奏を向上させたのだと思います。現役
と共に、これだけの大合唱が出来るのがこの団のとても貴重なことだと思います。
これからも、良い歌を選び良い声で、良く纏まった合唱を作っていきましょう。こん
なにやりがいのある合唱団はなかなか無いですね。健康に気をつけられて、一緒に頑張
りましょう。
最後に、昨年 2 月にお亡くなりになった小田切先生ですが、私は本当に可愛がって頂
きました。私が学生指揮者の時に振った、
『ギルガメシュ叙事詩』を「あれは良かった
ね、またやりなよ」などと仰って頂いたり、私が音楽の道に進もうとして悩んでいた頃
3
に、「いつでも家にいらして下さい」と声をかけて下さいました。お言葉に甘えて、一
度お伺いさせて頂きました。お話はいつも通り冗談交じりの世間話のようなものでした
が、少し気持ちが楽になりました。昨年暮れから練習の終わりに潮音歌を歌っています
が、最初の時に私が涙を堪えていたのをご存知でしたか。あまりにも先生らしい言葉と
身にしみるような歌詞の流れに感極まってしまいました。
ご冥福をお祈りします。どうぞ安らかに。
リハーサルにて
第2ステージ
4
歌 う 歓 び
ピアニスト
佐藤 美保子
記念すべき第 10 回定期演奏会お疲れ様でございました。
国大オケとのレクイエムの格調高い演奏。2 ステアラカルトはお馴染の作品。最後は 3
世代の共演。歌い手、聞き手ともに、この様な贅沢な楽しみ方が出来るのは最高なこと
だと思います。皆様各々が努力され作り上げられた演奏会。演奏の出来は、不思議と悪
い所ばかり覚えていませんか。しかし良い所が沢山あるはず!
聴衆はきっと心満たされたことと思います。
演奏会を通じていつも感じること。
。。皆様が素敵に年齢を重ねていらっしゃることに感
激いたします。また同じ時間を皆様と共有できることに、有難い気持ちでいっぱいです。
さて。
。。ここ数年私は、女声・混声合唱団でアカペラを歌う機会が多くなりました。
小中学校の校内合唱コンクールでは、ほとんど伴奏担当でしたので、合唱経験は全くと
言ってよいほどありませんでした。
その後、桐朋時代にピアノ科必修の合唱授業が 2 年間あり、ここで合唱の楽しさに触れ
ました。当時のご指導は田中信昭先生、先生の授業は準備体操を念入りに行い、体の力
を抜くことを意識しての“お粥体操”は楽しいものでした。ちなみに合唱曲はすべて三
善先生の作品であったと記憶しています。さすがにピアノ科生徒ですので音程はバッチ
リ!?だったと思いますが、きっと声は浅い発声だったでしょう。
それから十数年後の今、再び歌う楽しさ、歓びを感じています。
最後に。。。過日、お葉書で初めて知りました小田切先生の訃報に、驚きと悲しみを深
くいたしました。私は小田切先生とは、短い期間のお付き合いではありましたが、
“樹
木頌”の初演という素晴らしい経験をさせて頂くことが出来ました。先生がお元気でい
らした頃、現役定演開演前に必ず楽屋にいらして下さり、楽しいジョークを飛ばし、緊
張感をほぐして下さいました。また、フェアウェルコンサートでは、卒団生に色紙を下
さるのが恒例でした。それは名前の一文字ずつ取って詩を書いて下さるものでした。当
時有難いことに私にも色紙をいただきました。皆様に是非ご紹介したいと思います。
心やさしく
ほほえみ忘れず
道ひと筋に進もう
美しい音を求めて
遠い芸術の道を
小田切清光
颯爽と進もう
佐藤美保子様
心新たに芸術の道を邁進したいと思います。
ご冥福をお祈りいたします。
5
第10回定演を終わって
昭和36年卒 T-1
石川
節
第 10 回定演が無事終わった。合唱団員の皆さん、横浜国立大学管弦楽団の皆さん、
現役グリーの皆さん、そして飛永、佐藤両先生、有難うございました。プロジェクトチ
ームの皆さんにも改めてお礼申し上げます。またボイストレーナーの田中、吉原両先生
の日頃のご指導にも感謝申し上げます。 私自身はお呼びしたお客様に恥ずかしくない
演奏をお聞かせできたとの満足感を感じており、アンケートを見る限りお客様の満足感
も伝わって来てほっとしています。
第 10 回定演の基本構想がどのように固まっていったかは、潮音 OB 23 号(2010 年
5 月発刊)に寄稿した「第 10 回定演の選曲」で詳述しましたのでここでは要点だけを
述べますが、まず 2009 年 5 月 2 日のリーダー会議で、第 1 部は団員の多くが再演を願
望していたケルビーニのレクイエムをオーケストラとの共演で演奏することを決定し
ました。そして共演を打診していた横浜国立大学管弦楽団から 2010 年 10 月または 11
月であれば共演可能という回答を得たことから会場探しに着手し 2009 年 6 月 3 日に行
われたみなとみらい大ホールの抽選(2010 年 11 月分)には漏れましたが、運よくキャ
ンセルの出たミューザ川崎の 10 月 17 日を確保することができ基本的な枠組みが整い
ました。「レクイエム」の演奏参加はオープン形式で行うこととし、オールグリー、オ
ール国大的なイベントとするため、現役グリー、平成 OB にも参加を呼びかけました。
そして第 2 部はその勢いのままワンステージの中で現役から平成 OB、OB 合唱団の単
独演奏そして合同演奏をナレーションで有機的につなぎ全体を一体化して全員参加を
アピールするという構想をたてました。しかし「レクイエム」の演奏時間が 45 分を超
えることから、第 2 部の演奏時間を 45 分程度に抑える必要があり、各グループの演奏
時間を普段より短く設定することにしました。第 2 部での OB 合唱団の単独演奏曲目に
ついては 2009 年の年初に提案を受けその後プロジェクトを進めていた北大 OB のクラ
ーククラブとの JC の日取りが 2010 年 4 月 10 日と決定したため、この JC のレパート
リーを更に磨いて上演することとし、練習時間のかなりの部分をレクイエムと若干チャ
レンジングな新曲である合同演奏の「ラマンチャの男」2 曲に重点配分することとしま
した。ここまでが「第 10 回定演の選曲」に記述した経緯です。
ところが 2010 年 5 月になって平成 OB が参加できないことが判明し、構想は修正を
余儀なくされました。「レクイエム」演奏への影響は軽微と考えられましたが、第 2 部
の組替えが必要となりました。対策として平成 OB の単独ステージに割当てていた演奏
時間を現役グリーと OB 合唱団に配分し夫々演奏曲を追加しました。そして第 2 部を
OB 合唱団、現役グリー、合同演奏の 3 つの独立ステージ構成に組替えることとしまし
た。ナレーションについては立ち位置変更の間をつなぐ当初の機能は不要となりました
6
が、第 1 部の荘重な雰囲気からの転換を図るためグループの紹介を兼ねて実施を継続す
ることとしました。合同演奏の 2 曲は平成 OB のレパートリーで、OB としては平成を
かなり頼りにしていたこともあり、平成の欠場により OB に練習の負担が増えた事は否
めません。
さて未修正版の CD を聞いた印象ですが、
「レクイエム」は上手く歌えたと思います。
成功の理由は練習の成果というに尽きると思います。この選曲がもっぱら団員の希望に
基づいていることから歌う方は気持ちよくても聴く方はどうなんだろうという点を最
も懸念していましたが、オケの好演や電子掲示版の助けもあってお客様を退屈させない
で済んだようです。これに対して休憩後の OB 単独ステージは第 1 ステージの高揚の反
動でしょうか、呼吸が浅くなりエネルギー不足で、練習の成果を 100%は出せなかった
ような気がします。出だしがそろわないのとフレーズの最後まで音を保持することがで
きず尻つぼみになってしまうのが気になりました。アインザッツについては先日の定演
反省会で曲名アナウンスがないと次に何を歌うのか自信がなく、それがアインザッツの
欠如につながっているのではないかとの指摘がありびっくりしました。これまで暗譜が
できれば指揮を見られる、指揮を見られれば声は揃うと信じてやってきましたが、それ
以前の問題があったとは。確かに 3~4 小節目からは揃ってくるのでこの指摘は案外当
たっているのかもしれません。広く皆さんのご意見を伺った上で歌い出しの練習方法や
本番での音取りの方法などを改善したいと思います。
第 3 ステージの現役の演奏ですがいつもながら若々しい声には魅了されます。低音の
響きがやや不足ですが高音部のハーモニーは透明で力感があります。第 4 ステージの合
同演奏曲「Dulcinea」と「Impossible Dream」は、
「Impossible Dream(見果てぬ夢)
」
が合唱の楽しさをどこまでも追及したいという現役グリー、平成 OB、OB 合唱団の 3
世代の共通のキーワードでもあるということで選曲しましたが、OB にとってはややチ
ャレンジングであったかなとの印象です。自在に歌いこなすところまではいきませんで
した。ところでボイストレーナーの吉原先生が合同演奏は OB と現役の声が適度に混じ
りあって大変良いサウンドになっていたとほめてくれました。合同演奏の狙いの 1 つが
実証されたことに自信を持ちました。現役にとってあるいは負担になるかもしれません
が合同演奏は今後も続けたいと思っています。アナウンスについては会場をなごませる点では
成功したと思いますがやや冗長に流れた面もあり、次回以降の参考にしたいと思います。
現在リーダー会議は第 11 回定演の構成と選曲作業に取り組んでいます。ご承知のと
おり日取りは 2012 年 5 月 12 日(土)に決定しました。次回の構成も平成 OB の参加
の有無が重要なポイントになると思われます。また現役グリーも時期的に 1 年生の参加
が見込めないところからどのような形での賛助出演があり得るか検討する必要があり
ますがこの賛助出演の責任を担うことになるのは現在の 1 年生です。両グループと緊密
に連絡をとりながら進めたいと思います。選曲その他に関するご意見ご提案は歓迎します。
パートリーダーを通じてお申し出ください。
7
第10回記念定演プロジェクト
昭和40年卒 B-2 小泉
進
第10回定期演奏会という当団にとって節目の大事な記念演奏会のプロジェクトチ
ーム長を務めさせて頂きましたが、皆様の多大なご支援ご協力のお陰で無事終了するこ
とが出来、先ずは深く感謝申し上げます。定演の詳しいことは当日の進行表やプログラ
ムに譲るとして、主にプロジェクトチームからみた特記的なことを総括しておきたいと
思います。
1.プロジェクトチーム
1月23日に第1回キックオフミーティングを行い、計10回のプロジェクト会議
を開催して推進してきましたが、基本的には今までの進め方に準拠してやりました。
チームのメンバーと主な役割は以下の通りです(順不同、敬称略)
。
石川節(技術)、瑞慶覧宏(招待者、現役対応)
、永井善和(デザイン)
、江上侑雄(ス
テージ)、三戸部信夫(会場確保、合宿)、坂井紀康(団会計)
、鈴木重方(印刷)
、真
方顕(フロント)、矢川一義(顧問)
、小柳敏男(チケット)
、木野恒雄(打ち上げ)
、
斎田宣伸(会計)、堀史治(途中から参加不可)
、小泉進(総括、記録)
、計14名
2.記念演奏会の構成・企画と予算
第10回を記念して念願のケルビーニの「レクイエム・ニ短調」全曲をオーケスト
ラ付きで歌おうという大方針のもとに、リーダー会議とも連係してステージ構成を検
討してきましたが、このところ定着していた平成卒OBグループの参加が今回は見込
めないことが5月になってから初めて分り大きな誤算となりましたが、現役時代にレ
クイエムを歌ったことのある年代層の応援出演や、愛唱曲主体のフェローメンバー勧
誘、昭和46~48年卒メンバーの新加入、等の援護と現役グリーの賛助出演で乗り
切る見通しがつき、安堵しました。
当初から会場と横国大現役オケの共演は決まっていましたが、予算的には下記の特
別出費が見込まれ、今までに第10回定演のために蓄えてきたOB合唱団会計から2
00万円の特別支援金をもらうことで団員の了解を得ました。
・オケ関係の特別出費
80万円
(出演謝礼、合同練習会場費、楽器移送費、交通費補助、指揮者オケ指導費、オ
ケ楽譜レンタル費、当日の飲食費、等)
・DVD+CD作成費
50万円
・レクイエム訳詩の電光表示費
20万円
・その他出演料補充、増席によるホール借用費増、など
70万円
定演会計は著作権代など未決のものもありますが、現状での最終予測ではトントン
か若干の黒字となりそうとのことで、大変良かったと思います。
8
3.プログラム
第10回用の作成方針を、①表紙はカラーに、②読み易いようにA4版に、③第1
回からの定演の概略経緯がわかるように、としました。表紙は永井さんに撮って頂い
た横浜港の夕景写真としました。
また、昨今の企業経営環境の一層の厳しさから特に広告取りが難しくなり、村上O
B会長と瑞慶覧団長の根気ある折衝で何とか Calbee 社のものは継続することが出来
ましたが、結局従来からご協力頂いている中田研究室のものとの2件のみとなりました。
4.チケットの発行と入場者数
今回ミューザ川崎シンフォニーホールの最大収容座席数1997席の内、ステージ
の真後ろ部を除いて1613席分のチケットを発行し、最終的な1540枚のチケッ
ト配布数に対する入場者が1361人となり入場者率も88%とほぼ前回並みの高
率となりましたので、集客は先ずは大成功と言えましょう。
5.練習会場及び合宿場の確保
ホーム練習場所を昨年7月から鶴見区豊岡小音楽室に切り替えて初めての定演と
なりましたが、学校側行事都合等で使えなかった時に東戸塚の特養老人ホーム「太陽
の国」を臨時的に無料で3回使わせて頂けたのは大変助かりました。
定演前の恒例の合宿は場所探しに苦心していたところ、グリーOBでもある関東学
院大学清教授の特別のご配慮を頂き、同大葉山セミナーハウスが借りられました。
オケとの合同練習も2回予定しましたが、幸い10/2は横国大教文ホールが借り
られたものの本番前日の10/16はあてがなく、またもや関東学院施設に厄介にな
らざるを得ないところでしたが、村上OB会長の機転で学長に直訴することとなり、
休日には開放しない横国大大学会館ホールの特別使用許可が下り、関係者一同喜んだ
ものです。これも10月末に大学ホームカミングデーが予定されており、現役とOB
の合同出演の練習にも充てたいとの願いが通じたものです。
6.出演者数(オーケストラ出演者 55 名を除く)
プログラムに載せた出演者名簿は予定者でしたが、実際には下記が実出演者数で総
出演者は116名となりました。
第1ステージ (レクイエム)
74+ 9(現役)
第2ステージ (愛唱曲)
73
第3ステージ (現役単独)
39(現役)
第4ステージ (合同演奏)
75+39(現役)
アンコール
77+39(現役) 計 116
7.定演当日にお手伝い頂いた方々
1)フロント・受付:鎌倉女子大合唱団員8名(譜めくり含む)
、横浜グリークラブ
3名
両団共、前回に引き続いてのご協力を頂きました。
9
2)ステージ・進行:横浜グリークラブ4名
今回特にオケ付きステージがあり楽器類を含め出入りの多い場面を混乱無く取り
仕切って頂き、時間内に終了出来ました。
3)アナウンサー:元NHKアナウンサー水野さん(第2,3,4ステージの冒頭に)
若干準備不足な点もあり司会者も戸惑っておられたようだったのは反省点です。
4)電光表示:アルゴン社(レクイエム訳詩の表示)
、斎田愛美さん(キュー出し)
業者選定は森田さんのご推奨によります。また国本静三神父(上智大講師)は同氏
による日本語対訳を使用することを快く許諾して下さり、斎田さんは団員のお父さんか
ら話を聞いて志願してくれたもので、当団初の試みを成功させてくれました。
5)DVD,CD,写真:ケー・エス・ワン社(打ち上げのビデオ、スナップ写真も)
3方向からのハイヴィジョンビデオカメラで撮影、CD録音も専用機器を持ち込み
で、更には写真撮影もサービスでやってくれました。DVDの完成が楽しみです。
8.招待者のご来場とご祝儀
招待状は56通(各2名)発送し58人の方が来て頂けるとの返信がありました
が、当日のご来場は48人でした。ご来場頂いた下記の方々より多額なご祝儀を頂き
ましたので、ここにご報告すると共に厚くお礼申し上げる次第です。
友松会、関西富丘会、丸山様、北大合唱団東京OB会、関東学院グリーOB会、横
浜グリークラブ、横浜さかえ男声合唱団、湘南男声合唱団、洋光台男声合唱団、横
浜並木男声合唱団、六声会合唱団、富丘会、相吉様、東北大男声OB合唱団、太陽
の国、コーロ・サモワール、中田相談役、佐藤様(佐藤美保子さんのご尊父)
、ケ
ー・エス・ワン社、小山様
(順不同)
9.打ち上げ
川崎駅ビル8階の「カメリアホール」にて開催しましたが、グリー及びオケの現役
出演者も多数参加してくれましたので、いつもは女っ気の少ない打ち上げも今回は様
相が一変し、多数の女子大生と若者で華やかなムードとなりました。総勢160人位
だったでしょうか。
木野さんの名司会で進行しましたが、諸氏の挨拶もそこそこに愛唱歌のハモリ合戦
の様相を呈し、飛永先生とオケ団員による飛び入りヴァイオリンデュオも出るなど、
大変盛り上がりました。こういう場ではアカペラコーラスは手軽に歌えて喜びを発散
出来るので、オケの皆さんには大変羨ましがられたようです。
10.終わりに
今回は第10回記念ということもあり、出来る範囲で新しい試みも取り入れ推進
してきましたが、オール横国大で定演を成功裏にやり遂げられたのは最大の収穫だっ
たと思います。現役グリーと現役オケとの今後の益々の協調と発展を祈ります。
次回の定演も2012年5月12日(土)
、同じミューザ川崎と決まりましたので、
今回の経験と反省点を活かしてより良い定演を目指し是非成功させたいものです。
10
演奏会プログラムの表紙デザインを担当して
昭和40年卒 T-1
永井 善和
今回、記念すべき第10回定演のチラシ、チケット、プログラムのデザインを担当
させていただくことになりました。従来は、いずれもブルー系のモノクロがベースでし
たが、記念ということで、カラー版で行くことがプロジェクトチームで決まりました。
カラー版は既に、北大とのジョイントで経験済みですが、定演では初めてのことです。
このデザイン案で行くと決めるまで、思いをめぐらす悩める時期は、意外とストレスの
溜まるものです。プロではないので凝ったデザインが出来るはずもなく、写真を使うこ
とをベースに考えることにしました。日頃から写真が好きで、時々大きく伸ばして額に
入れて楽しんでいる程度です。持てる原画の中から、縦の構図で、大きな表題文字や必
要な記述文字の配置も考えて選ぶのは趣味の世界そのもので、最終的には自分で決める
しかありません。銀塩でもデジタル写真でも良いのですが、画像処理の色々な手法を駆
使して取り組む必要があり、分からない事も多く、その都度、手法を習得するしかあり
ませんでした。
JPEG画像は加工すればするほど画像が荒れてきます。一方、加工し過ぎた画像も
味わいがあって面白い絵になることがあります(第7回定演のプログラム表紙など)
。
加工しても画像が荒れない手法もありますが、通常はJPEG画像で問題なく加工出来
ます。北大とのジョイントコンサートのチラシに、札幌時計台の画像を web から入手
し、加工して採用したのですが、余りにも画素密度が少なく、印刷所で再編集する際に
「もっとコントラストを」といったら、こんな低画素密度では無理ですと言われてしま
いました。そこで、ぼかしを多めに入れ雪模様を重ねて処理したことがあります。画像
の合成を良く使ったのはこの時です。ジョイントのチラシやプログラムの作成に当たっ
て、小泉さんから札幌と横浜のイメージアイデアをたくさん提案いただきました。当初
は鶴とカモメもデザインに取り入れましたが、最終的には雪と波に落付きました。デザ
イン本が市版されおり、いろいろなものがあります。思い切って使うには抵抗もあり、
余り使い過ぎるといやらしくなりますので、何となく採用するのが良い様です。またこ
の時のプログラム表紙に採用した札幌時計台写真は、横浜 34 が北海道の演奏旅行の折、
田所さんが撮った記念写真の背景をトリミングして使わせていただきました。
ほとんどの背景は写真がベースですが、やはり提供して頂くか、自分で撮りに行く以
外はありません。第10回定演のチラシやチケットやプログラムの背景写真は、担当に
決まってから自分で撮りに行きました。デザインの選定でプロジェクトメンバーに意見
を聴きましたが、矢川さんから「みなとみらい」か「ベイブリッジ」が良いのではとい
う提案をいただき、即、採用、良い画像を求めて横浜港に通いました。撮影時間によっ
ても、その時の天気や雲などの状況でも、善し悪しが変わりますので賭けみたいなもの
です。何度も通わなければ、これという画像が得られませんが、運良く3回で、今回使
11
用した画像のすべてを得ることが出来ました。
チラシの背景は大黒埠頭のベイブリッジの下から撮ったものです。マリンタワーの右
に夕日が沈む瞬間です。この時、雲が良い背景(こんな幸運はめったに無いのですが)
を作ってくれて、波間にもその夕日が長く輝き、船の航路跡もタイミング良く、印象的
な絵を作ってくれました。又、別の日はベイブリッジ下のスカイウォークという遊歩道
(今年末で廃止?)から、「みなとみらい」の夕景を撮りに出かけました。夕焼けが深
い色に染まりはじめ、ビルの明かりが徐々に増えてくる状況は、すばらしいものがあり
ます。特に観覧車が点灯して、ネオンカラーが絶え間なく変わって行く様子には見とれ
てしまいます。夕日が沈むタイミングと、ビルの明かりが点灯する一瞬の間で決まって
しまいます。デジカメの感度は相当高いのですが(ASA800 位が限度?)やはり三脚が
必要になります。こうして撮った「みなとみらいの夕景」がプログラムを飾りました。
カラーの表紙を更に印象深いものにするため、2つの画像を組み合わせて作り上げまし
た。合成したことで夕日は隠れてしまいました。波間に映った夕日の影が良い印象を与
えていましたので、もう少し工夫をすれば良かったと思っています。また、背景の厚い
雲が有効に効いて、観覧車の赤いリングと雲の切れ目の赤が強調され、印象に残る表紙
になりました。3回目に大黒埠頭突端の海つり公園まで足を伸ばし、海上からのベイブ
リッジを撮影しました。このときも左上から橋にかかる雲が重要な役割を果たしてくれ
ました。雲が無ければ採用しなかったと思います。裏表紙に団旗を採用することを考え
ていましたが、印刷所から「団旗は DIC の何番ですか?」と聞かれ答えられませんで
した。団旗作成のデザインを担当された神野さんに、お尋ねしたら、国大カラーが決ま
ったという情報と国大NEWSを送っていただきました。それによると YNU ブルーは
DIC641 ということが分かりましたが、団旗の色とは違った明るい色になっており、写
真とのバランスを考え、本物の団旗色との中間で DIC254 にすることにいたしました。
団旗の DIC ナンバーは現在も不明ですが、DIC433 か 434 位ではと思っております。
定期演奏会のチラシやプログラムの表紙は第6回定演、大阪演奏会、第7回定演、と
続き、北大とのジョイントコンサート、そして第 10 回の定演を担当しました。すべて
横浜に関係する写真がベースになっています。次の定演では全く違った視点からの表紙
が作られても良いのではと思います。そのために新しい感覚を持ったプロジェクトメン
バーでのデザインに期待しています。
デザイン担当として、印刷所に原稿を渡した後は校正のみで、出来上がった後は、色々
とクレームがついても、自分の感性を信じる意志が必要と思いました。演奏会が終わっ
てしまえば廃棄される運命ですので、作り上げるプロセスを楽しむことが一番だったと
思います。終わってしまえば露と消えるのも悪くないと思います。何故、デザイン担当
になったのか今でも不明です。 写真が好きなだけでセンスが良いとも思えないのです
が・・。受け入れていただいた方々に本当に感謝しています。有難うございました。
12
チケット係を担当して
昭和46年卒 T-2
小柳 敏男
第10回定期演奏会のチケット係を仰せつかり、担当させていただきました。至らな
い点が多々あったと思いますが、皆様のご支援ご協力をいただき誠にありがとうござい
ました。御礼を申し上げます。
第9回定演で初めてチケット担当となり永井さん、鈴木さんのアドバイスによりお力
を借りてやらせていただきましたが、今回は2度目で失敗は許されない。また10回の
記念的なコンサートのため前回をさらに上回る結果を出さなくてはと、気の引き締まる
思いでした。
特に注意したことは以下の点でした。①チケットをいかに公平にバランスよく配布す
るか。②チケットの追加、返却のニーズにいかにうまく対応し、皆さんの期待にこたえ
られるか且つ中央部に空席を作らないように対応していくかでした。
≪チケット組合せ≫
ここでチケット組合せの考えを述べさせていただきます。ミュー
ザ川崎の席の特徴は、ワインセラー型で、ステージと正対する従来型のホールと異なり
ます。ステージ真横の213席は別として3,4階席の斜め横4LB、3RBおよび4
階C席はともすれば敬遠される傾向が強いことは前回の結果でもある程度予想できま
した。ただし音響設計の良さで視覚的には別として音響的にはそれぞれが特徴を持ち満
足できる席といえます。
今回ステージ横242席と3,4階の斜め席のステージ寄り 30 席を特殊席(側面的
な視覚となる)として設定し、皆さんに均等な割合で配分させていただくようにさせて
いただきました。アンケートの結果1654枚となりステージ横も含め1613席を4
1席オーバーしましたが、1613枚のうち招待者用、オーケストラ席(ステージ横)
を除き1341席のうち211席が特殊席で割合は16%となり、これを皆さん均等に
配分させていただきました。16 枚を基本組合せとし、特殊席から 1 ペア含ませていた
だき残り 7 ペアはホール全体を前後に 7 ブロックに分けそれぞれのブロックから選び、
各ブロックも左右に 7 分割し右端、左端、中央部と均等に組み合わせるようにしました。
今回 16 枚セットが 59 組有りました。組合せをしていく中で最後の2組でバランスが
崩れ単独席が多かったり、3 枚組が多かったりと、直接的に 2 名の方に御迷惑をおかけ
しましたが次週迄に入れ替え、了解をいただきました。この場を借りてお詫び申し上げ
ます。次回もミューザですが、基本はペアでと考えていますが、通路の間の席数により
ペアが出来ない席がかなりあります。そのため 3 枚組、または単独席で対応せざるを得
ない部分がありますが、この点が次回も課題となります。なんとか組合せを調整し改善
すべき点と考えています。
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≪印刷≫
チケットはA4版にチケット 4 枚分が印刷されます。チケットデザイン印刷
後チケット番号を家庭用プリンターで印刷し、また印刷業者に持ち込み裁断しています。
今回業者から送られたチケットを見て驚きました。チケットの光沢紙に 4 か所ほどの折
れ皺があり、ほとんどすべての用紙の同じところに皺が寄っていました。機械で送ると
きに出来た皺と思います。皆さんへの配布まで時間が迫っていましたが、お客さんが折
れ皺のチケットを受け取った時に、定演のイメージが損なわれると判断し、永井さん、
小泉さんと相談し、永井さんの御英断で全部数印刷をやり直しました。なんとか配布ま
でに間に合いホッとした経緯がありました。次回は席番号データーを業者へ送り、番号
まで印刷を業者で出来ないか検討する余地があります。第 9 回の印刷業者は、不可能と
の返事でした。今回業者を変更したため、技術的な問題をクリアーでき可能になればと
思います。
≪チケット販売経過≫
チケット希望枚数合計は 1654 枚でした。当初配布予定はステ
ージ真横を含め 1613 枚でしたので、41 枚分は直前に増えた方に我慢をしていただき、
余裕が出来た段階で配布することにしました。定演 1 か月前までその状態が続きました。
皆さんに現在何枚不足とアナウンスしたことがもう少し売ろうと思っていた団員の皆
様の気持ちにブレーキがかかってしまったかと反省しています。定演 1 カ月前から返却
分が出始め、またオーケストラから 130 枚中 20 枚の有料席の返却等があり、中央部の
席が何席か余りました。これらはチケット交換に回し端部の席と交換しました。それで
も何枚か余った分は、当日売りで、優先順位をつけ前側、中央側からさばいていくよう
にしました。定演直前まで 54 人の団員の皆様から追加、返却をきめ細かく行っていた
だいたおかげで、確度の高い入場率に結びついたと感謝申し上げます。前日までに手元
に残ったチケットは当日売りに回しましたが、なんと 20 枚の当日売りを実現しました。
驚きとともに大変喜ばしいことだと思います。
≪入場者結果≫
チケットの販売枚数、入場者数は以下の通りです。
団員分
招待者等
予備
計
当初配布枚数
1316
293
最終配布枚数
1279
261
1540
入場結果数
1154
207
1361
90.2%
79.3%
88.4%
入場率
入場率内訳
4
1613
団員入場率 90.2%、 招待先
(当初配布計画より)
63.3%
O
B会一般(当初計画より)68%、大学招待 75%、オーケストラ 76.3%
全体入場率は 88.4%となりました。
団員の皆様には特に頑張っていただきありがとうございました。
今後この結果を踏まえ、皆さんがお気づきの御意見を出していただき、2012 年 5 月 12 日の
第 11 回定演に向けて役立たせていきたいと思いますのでよろしくお願い申し上げます。
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第10回定期演奏会を終わって
昭和34年卒
B-1
高田 信昭
“ピエロの嘆き“が余韻を残しながら終わり、第10回定期演奏会が無事終了した。
一年半にわたる練習のことなどを思い出しながら、達成感と反省の思いが入り交じった
気持ちでミューザ川崎をあとにした。
定演後の打ち上げではほとんどの人が演奏会の出来が良かったという意見であった
が、ここであらためて今回の演奏会を振り返り私なりの感想を述べてみたい。
まず第1ステージの“Cherubini の Requiem”は実質三年の練習をこなしたことで、自
信を持って歌えた演奏だったと思う。
Cherubini という一般にはあまり知られていない作曲家の作品ということで観客に
受け入れられるか心配であったが、ベートーヴェンからも名曲と評価された曲だけあっ
て、多くの方から良い演奏で感動したという評をいただくことが出来た。やはり名曲を
演奏するということが選曲にあたって一番大切だとつくづく感じさせられた。
国大現役の管弦楽団の演奏もリハーサル時には少し心配の点があったが、本番では弦
も良く鳴り、管も飛永さんの入りが遅れないようにという注意を良く守り、拍の最初に
きちんと鳴らしてくれていた。
彼らの演奏がわれわれの演奏を支えてくれ、また盛り上げてくれたことは間違いが無
い。何より大学の後輩たちと一緒に協演し、幸せを感じながら歌うことが出来たことを
感謝したい。
第2ステージの“愛唱曲”については反省すべき点のある演奏だったと思う。あまり良
い評価をいただけなかった北大とのジョイントコンサートでの演奏以降、練習回数が少
なかったのがその原因の第一であろう。
本番の前から、もっと歌いこめればと感じていたのでより残念の気持ちが強い。しか
し実際の演奏面では音楽が流れていて、いろいろなしくじりはあったが、楽しめる演奏
であったのは何よりであった。
これは愛唱曲というジャンルで観客が知っている曲が多く、それに場内が一緒に楽しも
うという感じに変わり歌う側にもそれが伝わりよい雰囲気になったと感じた。わが団を
応援してくださる方々の暖かい気持ちのおかげかもしれない
第3ステージの“現役グリーの合唱組曲”は演奏自体はすばらしいものであった。しか
し、木下牧子氏の曲は作詞者の高見順氏の深刻な想いを表現していたとは思えず、多く
の曲の中からこの曲を選んだこと自体が間違いだったように感じた。男声合唱としてし
かもアカペラで良く歌えていたのであるから、もっと良い曲を選んでいれば当日一番の
演奏になったかも知れないと惜しまれる。
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第4ステージの“合同演奏”についてはある意味ではお祭り的要素があるので演奏に
ついてとやかく言うことは避けたいが、多くの時間をかけた割には・・・という感じで
あった。
次に、演奏会の構成も含め全体としてお客さんに満足していただけたかという点につ
いて検証してみたい。
まずこれまで好評を博してきた“平成OBステージ“が今回彼らのスケジュール上の
理由で参加出来なかったが、それがわかった時点で、内容的に満足できる演奏会になる
かという心配があった。
しかし、国大オケとの協演、電子字幕の採用、プロの司会者をいれての楽しめるステ
ージ、それに現役との年令差を越えての合同演奏など、出来る限りのアイデアを出した
ことで第10回記念に相応しい演奏会になったと思う。
指揮者の飛永さんならびにピアニストの佐藤さんのご指導に対し感謝すると共に、団
員の皆さんの今までの努力に賛辞を送りたい。
そして何よりもプロジェクトマネージャーとして奉仕をしていただいた多くの方々
に感謝したい。
以上定演として成功した点を中心に述べてきたが、ここでOB合唱団の今後の活動に
つながる反省点について記したい。
私は常日頃、合唱の基礎は「良いハーモニーを目指す」
「タテの線をあわせる」
「メロ
ディーラインを出す」といった三つの要素が大切だと考えている。
今回の定演では、練習でやってきたことがそのまま表現できていてわが団の実力がそ
のまま現れていたと思う。しかし、合唱の基礎の三要素がクリヤーされているかという
と、不満足な点が多いことを認めなければならない。私がOB合唱団を初めて聴いたの
は7年前の第5回定演であるがそれ以降の6回の定演を振り返ってみても、歌った曲目
はそのたびに異なるがその演奏の実態はほとんど同じであり進歩しているとは云えな
いことに気がつく。
上手な合唱団を目指して少しづつでも進歩していこうと考えることが今必要だと強
く感じる。このことについて私は指揮者の飛永さんを非難しているのではない。団員の
合意で目指す方向を決め、それを指揮者にお願いして練習していく、そういったシステ
ムで向上を目指すべきではないだろうか。
今まで定演後“反省会”が開かれ団員のかたがたからいろいろな意見が出されてきた
が、それらはその後の練習につながっていないような気がする。又日ごろ団員の方々が
抱いている疑問点や改善案などもリーダーグループへ届いていないように思う。
多くの方が遠方から時間をかけて練習に参加しているのであるからその労力に見合
った楽しく上手な合唱を目指すことはごく自然の流れであろう。もっと楽しむために何
をなすべきかを考えることはそれほど難しいことでは無い。毎回練習に参加していれば
16
必ず何かを感ずるはずだし、こうして欲しいという希望が出てくるはずでそれを積極的
に自分のパートリーダーに伝えることで前進していくと思う。
こういうことを言うと「自分は良くわからないので今までどおりが良い」という言葉
が出てくるが、「今までどおり」というのが上述の通り何の進歩も望めない路線である
ことを考えていただきたい。
その意見は何も音楽に関することだけでなく、練習時間やヴォイス・トレーニングの
あり方、合唱祭等への参加の是非など団の運営上の問題や練習後の懇親会等開催の要望
などの意見でよい。団員が日ごろの練習を通じて感じていることがらを積極的に伝える
ことが大切である。
これらの意見が多く出され、団の運営が活性化することを期待したい。
一方で出された意見を運営面にどのように反映させるかについてはリーダー会議な
らびにマネージャー会議の責任であろう。
パートリーダーおよびマネージャー側も団員の方々が何を望んでいるのかを積極的
に知る努力をするべきと思う。
そしてパートリーダーやマネージャーは会議等でパート内の意見はどうなのかを絶
えず念頭に置き、出来るだけその意見に沿った形で団の運営を図るべきと考える。
OB合唱団は横国大グリークラブ出身者のみが参加でき、そして自ら運営する合唱団
という性格を有するのであるから、団員の積極的な参加が必要であると考える。
演奏会の反省が今後の問題に少し脱線したかもしれませんが、より楽しめる合唱団を
目指すひとつの提案と考えていただきたいと願っています。
団員の皆様の積極的な運営参加を期待します。
17
なんだかなあー(第 10 回定演を振り返って)
昭和46年卒 T-1
川添 鉄也
【私自身の取り組み】
今回は記念演奏会だったにもかかわらず、私はあまり熱の入った準備をしなかった。
前回は定年直後で、多くの人に声をかけ私としては珍しい十数名の友人が聞きにきてく
れた。今回は何もしなかった。前回の反動だったのか客集めに気が回らなかった。
同様に歌う方の取り組みも、あまり熱心ではなかった。メインのレクイエムを以前歌
っていて、しかも暗譜ではないので負担を感じなかったこと、最近定番になっているア
ラカルトステージも、多くは一度暗譜でステージに乗せていたから心配がなかった。唯
一の心配は、楽譜の不手際等で練習不足の感があった合同ステージだったが、直前には
これも何とか暗譜した。
【演奏会の出来栄え】
演奏会の評判は悪くなかった。それどころかここ数回の中でも良い分類に入るだろう。
それは、意外にもケルビーニが観客に好評だったことによる。クラシックの大曲で聞く
側にとって負担になるのではないかと危惧していたが、初めて導入した字幕スクリーン
が大好評で、また国大オケとの共演で花のあるステージとなったからだ。
一方、アラカルトステージは何時も通り知っている曲があり親しみを持って受け入れ
られた。そのように設定しているので予想通りの結果である。アラカルトにしたおかげ
で、選曲の縛りがなく曲を選ぶ範囲が広くなり世界の名曲を並べることができる半面、
何かまとまりのないステージという印象はぬぐいきれない。
お爺さんと孫世代の合唱という悪乗りのキャッチフレーズで終始した合同ステージ
も曲の良さと和やかな雰囲気で好評であった。
【物足りなさ】
さて、このように演奏会それ自体は良い出来だと思ったし、観客も満足してくれたよ
うだったのだが、そして自分自身も旨く歌えたのだが、もう一つ達成感が乏しい印象が
残ったのは何故だろうか。冒頭に述べたように、自分が何か集中しきれない状況がその
原因だろう。ではそんな状況はどうして生まれたのか。
平成 OB の不参加がかなり遅い時期に決まり、演奏会の最終形がなかなか決まらなか
ったこと、合同曲の仕上げが遅れ不安のままに合同練習を行い、ギリギリまで満足に歌
えなかったこと、なども寄与していると思うが、もう一つの理由として選曲の行き詰ま
り感が出始めたのではないかと考えている。といっても、私自身今回の選曲に不満があ
ったわけではない。状況の中でうまく纏まった選曲だと思う。
そこで行き詰まり感の原因を少し掘り下げてみたい。
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【今回の選曲】
一般に定演の選曲に当たっては自分たちが歌いたい骨のある曲と観客が親しみやす
いポピュラーな曲のバランスを配慮している。今回の場合、前者はケルビーニのレクイ
エムと決まっていたので、残りのステージに良く知られたメロディーや親しみやすい曲
を多く配した。状況が変化する中で、計画を修正しながら、差し迫る演奏会の演目に臨
機応変に対応して練習曲を決めるという進め方になった。中でも難航したのが合同曲で、
飛永先生が提案した「ラマンチャの男」は当初から上がった曲ではなかったが、他に決定
版がないところから、曲の難度、知名度、現役の経験等を踏まえたときに十分納得でき
るとして跳びついた形になった。
この選曲の結果を振り返ってみると、一応その意図も、結果として最終的に決まった
レパートリーも、本来の選曲方針に則ったものになっている。しかし、そのプロセスは
様々な制約に遮られながら、何とか妥協点を見つけて辿りついたものだ。基本方針に基
づき順序立てて組織的に行う選曲にはなっていない。もちろんそれを目指して選曲に取
り組んだが、現実の制限事項に左右され、十分納得がゆくまでの討議が出来ないまま結
論を出してきた。もう一つ充実感が得られない原因は、そんなところにあるのではない
か。
【合唱団の目指すもの】
そして今ひとつ、選曲の方針そのものの行き詰まりにも触れてみたい。
その前に、現 OB 合唱団が目指す合唱団像とはどんなものだろう。他の合唱団と異な
り、団員の資格は国大グリーの出身者で、参加する意思のあるものはすべて受け入れる。
メンバーは必ずしも同じ音楽的目標を持つわけではない。ある人は歌い甲斐のある芸術
性の高い曲を望み、ある人は易しい歌を楽しく歌うことを望む。またある人は歌はどう
でもよくて練習後の飲みニケーションが目的である。まるでバラバラである。
我々の拠り所は大学時代に同じグリークラブで一緒に合唱体験をしたことである。メ
ンタルハーモニーを培う土壌の中で育ち、合唱に取り組む姿勢についても、単なる仲良
しクラブではなく、夜遅くまで議論を交わすような情熱と真摯な態度を持ち続けてきた。
その伝統を守っていくことがこの団の生きる道だろうか。
また、合唱団の現状をみると、年齢層と技術レベルの問題がある。今や当団の老齢化
は明らかだ。それによる体力の衰え、声の艶、伸びの低下、記憶力の低下などが選曲に
対して考慮を強いる。技術レベルで気になるのはリズム感と音楽表現力の不足だ。練習
によって改善されると信じてやってきたが思うようにいかない。これに合わせた選曲と
いうことになると、
「面白い」曲を取り上げることはできなくなる。
今、一年半に一回の定演を中心にレパートリーを組んでいる。この見直しも含めて、
どんな歌を歌っていったらいいのか検討していく必要がある。悩みは多い。
そして若い団員確保、技術レベルの向上についても諦めるわけにはいかない。
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「曲の出だし」で思うこと
昭和42年卒 T-2
布川
明
演奏会で「曲の出だし」をピタッと決めるのはとても難しいことと思う。
定演で特にそれを感じたのは第2ステージの「早春賦」「Finlandia hymni 」などで、
何故か?それはピアノ伴奏がなくアカペラで始まる曲であるからである。
演奏を始める直前の体感的な動きを時系列でみると次のようになるのではないか。
「早春賦」を例に、実際にセカンドテナーを想定して追ってみよう。
1. 歌う曲「早春賦」から、早春のイメージの曲想を脳に浮かべる。
2. ピアノで叩いた各パートの音を聴き、その中からセカンドテナーは脳で「ファ」
(移
動度)の音を覚える。
3. 脳が覚えた音を声帯に「ファ」の音を出せと指示する。
4. 声帯を振動させる筋肉を使って「ファ」の音をだす。
演奏直前は、これらのことを瞬時に行い、その他にも歌詞は?、リズムは?、強弱は?
を意識して最初の音「ファ」を出すのである。
演奏会でも最も緊張した場面であり、パートの全員が集中していないと絶対に出来な
いことで、一人でもちょっと遅れればモヤッとした感じになってしまう。
1の何を歌うかを忘れてしまうのは論外だが、2~4はいわゆる音感ともいわれるそ
の人それぞれの感覚的なものである。
感度は個人的に微妙な差があり、当然年齢的にも鈍ってきてしまうことが考えられる
が、これらのことを全員が出来てピタッと決まれば、始めよければ全てよしの通り最高
の演奏になること疑いなしである。
定演の反省会でも「曲の出だし」がはっきりしていないという発言が何人かあり、特
に最初に演奏する曲の場合、出だしの良否でこの曲の評価、ひいては演奏会の評価まで
決まってしまうかもしれないという意見もあった。
その通りだと思う。
「曲の出だし」はもっと大事なこととして練習していかなければと思う。
練習のときを思い出しても、出はいつもはっきりしていないことが多かった。
練習で出来ていないことは本番で出来るはずはないのである。
もうすこし集中して出を意識して最初の音を正確に出す訓練が必要と思う。
アカペラの曲の場合、演奏の前には必ず各パートが実際に声を出してから、すなわち
体感で確認してから歌いだすのがいいのかもしれない。
「曲の出だし」を皆が気を付けることで、もっと感動させる演奏が出来てくると思う。
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私たちの声はどう客席に聞こえているのだろうか
今後の声づくりを考える
昭和40年卒 B-1
小瀬村 春雄
私たちグリーOB合唱団の声はお客さんにどのように聞こえているのでしょうか。
第10回定演に寄せられたアンケートから探ってみた。
「品のある歌声なのに迫力もあって心に響きました」
(第2ステージ)
「力強いベースと美しいテナーのトーンが大変心に響く演奏でした」
(全体)
――ありがたいですね、お客さんは。良いところを見つけて、自身もこの時間を楽しん
で帰りたいと思っておられるのでしょう。われらにエールを送っているものと受け止
めたい。
「若いOBにもでてもらった方がよい、f の若さ、つやがほしい」
(2ステ)
「アカペラ部分で音が少し下がったのが気になった」
(1ステ)
――f での発声、p での発声、響きが上に乗らずにいたりしています。のどに力を加え、
閉めてしまったり、おなかの支えが意識できていなかったりしています。今後のボイ
ストレーニングなどで、筋肉の使い方を意識し、鍛錬していきましょう。
「全7曲、1,2,3,4迄は多少不安げでしたが、後になるほど上昇し、6,7は素
晴らしいと思いました」(第2ステージ)
「歌いだしが自信なさそう。Ring de Banjo は歌い込んでいるせいかこの辺りから調子
を取り戻した」(2ステ)
――暗譜の不完全から来ている。歌い出しに勢いがないばかりでなく、言葉に追われて
曲の持つ音楽表現に至らない。不安さが表に出てしまっていて、お客さんも楽しめな
い。暗譜の完成度を高めるにはどのような練習の進め方がこの先必要なのでしょうか。
「唄はすばらしいが英語の発音が気になる」
(4ステ)
「フィンランディアとベートーベンは詩と音楽が一致してすばらしかった。ニグロスピ
リチュアルは日本人には難しいですが、歌の意味が伝わってきませんでした」
(2ステ)
――Musical tone、響きのある声に言葉を乗せたい。言葉にとらわれ、しゃべるように
歌ってはならない。また、ミュージカルにおける歌唱も指揮者から指導を受けたので
すが、うまく出せませんでしたね。現役に埋め合わせてもらった感もします。
「OB のソフトな声と現役生ののびやかな声が良く溶け合っていた」
(4ステ)
「現役と合同は若い清涼感のある力強い声と熟年の深みのある声のコントラスト、ハー
モニーが何ともいえずほのぼのとした温かさを味あわせていただきました」
(4ステ)
――今回はこのような感想が多く見られました。世代を超えて、男声合唱というつなが
りの中で一つ舞台を作り出していく、われらの演奏会の特質です。互いに刺激しあい、
成長していけるものでありたい。2012 年 5 月の次回定演へ向けて声づくりの点でも
21
精進をはかりたい。
私は先日、こんな実験をしました。空のビール瓶の口に横から息を吹きかけ、音を鳴
らそうというものです。どのように息を吹きかけると音がよく鳴るのか、探ってみまし
た。あれこれしながらも見えてきたものがあります。少し整理してお伝えします。みな
さんも同じ実験をぜひなさってみてください。ペットボトルでも同じ結果が得られます。
初めに、「フー」という口でビンの口に横から息を吹きかけてみましょう。多少吹く
角度を変えたりして鳴りそうな位置を探ってみます。この場合は、音が多少鳴るように
も思いますが、一定の音を鳴らし続けることは困難でした。角度により音らしきものが
ぼそぼそとわずかに鳴るといったところです。息の強さを変えてもうまく鳴りません。
息の流れは、ビンの口に均一に当たることなく、口から出たとたん拡散しているように
思えます。
次には、「ホー」と息を吹きかけてみましょう。今度はそう苦労なくビンの中からボ
ーと音を鳴らすことができます。音が出るとうれしくなって何度も鳴らしてみたくなり
ます。遠くの港から船が出港していく時の音のようにも聞こえます。一定のピッチを持
った音のようです。一定の音が持続するよう、ホーの口の中の形をいろいろ工夫してみ
ました。口の中を大きめにした方がよさそうです。それほど強くない息を一定に吹き続
けると長くボーーーと鳴らすことができます。そうなると、自分のホーとビンのボーが
一体化してきて、まるで自分がボーと声を出しているようにも思えてきます。
なぜ、「フー」では鳴らなかったものが「ホー」では鳴るようになったのか。
フーの場合の口の中の形は、狭く、短いものです。細いところから出された息はさぞ
まっすぐ飛ぶように思いましたが、口から出たとたん拡散しているようです。一定の息
が当たらないことで、ビンの中にある気柱に一定の振動をあたえることができなかった
ということでしょう。
ホーの口の中の形はどうなっていたのでしょうか。一番よく鳴っている時のホーの口
の形をして、ホーと息を吐いたり、反対に吸ったりを繰り返してみてください。このと
きの自分の口の中の形が認識できると思います。吸ったときにおわかりになると思いま
すが、軟口蓋の辺りをひやりと空気が通っていくこと、のどの奥が比較的開いているこ
と、そして、結構深く腰の辺りまで息が落ちていくことなど、発見があると思います。
ホーの口では、開かれたのどの奥から安定したむらのない息がビンの口を通過して、ビ
ンの中の気柱に一定の振動をあたえ、共鳴することになります。
発声の原理がここにあると見ました。開かれたのどで、深い呼吸で、安定した息を送
り出すことで、わたしたちも自分の身体をよりよく鳴らしていきたいものだと思います。
次の定演へ向かって、われらがグリーOBの声づくりを一緒に考えていきましょう。
22
あふれる思いはあるのだが・・・
昭和43年卒 B-2
高橋 登美雄
定演直後にロビーで会話した方や、翌日のお礼の電話でも、
「お疲れさま。次回も声
をかけてくれよ」
「あれだけの大曲をよくやったね」
「現役との合同もそれぞれの味が出
ていてよかったよ」…の声。 お世辞半分でも、嬉しいですね。ホッとしました。
さて、編集委員から「この定演に対して、パートリーダーとして心がけたことや感想を
書いてほしい」との要望がありましたが、私が「自分自身に言い聞かせていること」を書
くことにしました。
私達は、合唱と言うジャンルの表現活動をしています。単なる自分達だけの「楽しみの
合唱」なら、楽しみに徹したい。でも立派なホールを使い、沢山のお客さんを集め、私た
ちの合唱に耳を傾けていただく場合は、
「楽譜にかじりつきの合唱は、失礼だ」と自分を戒
めています。
私がお手本と仰ぐのは、俳優さんです。何のドラマでもいい、涙を流す場面を想定して
ください。俳優さんの周囲には、監督、カメラ、照明、音響等々、沢山の方がいると思い
ます。それでも、俳優さんはその役に浸りきって場面を想定し、思いを集中して涙を流す
のです。ここには、台詞もありません。すごい感情表現です。
「プロだから当然だ」という方も多いでしょう。でも、アマでも近づきたいのです。
作詞家がいて、作曲家がいる以上、楽譜にこめられた思いを、歌い手なりに感じとって
表現することが常に求められているのではと思っているのです。歌詞をただ再現するので
なく、歌詞を通して「情景」や「思い」を表現できたらいいなと思っているのです。そし
て、それをお客さんに伝えたいのです。
今回の「ラ・マンチャの男」について言うなら、当初手書きの見にくい楽譜でしたが、
手にした以上、自宅でも電車の中でもリズム・音程・歌詞を何回も繰り返し、自分のモノ
にしようと努力しつつ練習に参加しようとしました。でないと、
「自分が率先して、失礼な
演奏会にしてしまう」と思いました。とはいえ、なかなか思い通りにいかないのです。
人は、加齢とともにガンコになると言われています。これは大事な「したたかさ」かも
しれません。同時に、表現活動には「しなやかさ」が必要です。特に音量が小さめで柔ら
かくレガートに表現することが、もっと自然にできるようになり
たいと思っています。
すべての活動のおおもとにある健康づくりにも努力しつつ、心
も体もしなやかさを保つためにも少し違うジャンルの合唱もした
いし、合唱以外の音楽・芸術をもっと楽しみたいと常々願ってい
ます。
23
アラカルトの功罪
昭和38年卒 B-2
神野 清彦
第 10 回の定期演奏会、珍しくピアニッシモで終わったアンコールに鳴りやまない拍
手の中で私はこれまでの定期演奏会を想い出していました。ひとつひとつにそれぞれの
思い出があり、打ち上げを含め、終演後はいつも満足感で満ちていました。
ただ、今回の定演は約一か月前の合宿頃から、合唱団全体と自分自身の仕上がり具合
に一抹の不安があり、何故かいつものように乗り切れない自分を感じながら本番を迎え
ました。しかし、全てのステージが終わった時、こうした思いは杞憂に過ぎなかったと
満足感をもって打ち上げの美酒に酔いました。
その後、CD編集のために演奏を何度も繰り返し聴く機会がありましたので、個人的
に感じたことを述べたいと思います。レクイエムは以前の経験にさらに積み重なった練
習もあり、私自身も自信を持って気持ち良く歌えましたが、実際の演奏も素晴らしかっ
たと思います。初めての試みの訳詞の電光表示も聴衆には好評だったようです。
第三ステージの「Dulcinea」
、
「The Impossible Dream」は演奏を聴く限り、心配し
ていた程の破綻はありませんでしたが、これは全く現役のお陰です。OB だけの練習時
を思い起こして頂ければ理解できます。
私が失望したのは第二ステージでした。ここ数年、愛唱曲を含めたアラカルトと呼ば
れるステージが恒例になりました。聴衆の皆さんに馴染みのある曲を「上手く」歌おう、
との目的は果たして達成されているでしょうか。今回の定演の演奏を聴いて、私は自分
の耳を疑いました。トップの金切り声、セカンドの「Honor! Honor!」の出だしのもた
つき、バリトンの不揃いなパートソロ、ベースにしても「O Ring, o ring…」は歌にな
っていません。確かに、聴衆に馴染みがある曲は聴く側にもほっとした安心感を与える
でしょうが、馴染みがあるだけに演奏の巧拙が分かりやすい。本当に感動を与えるため
には合唱の基本中の基本、揃ったパートの声、完全なハーモニー、完全なアインザッツ
を得ることにもっと練習を積むべきではなかったでしょうか。さらに、歌い手側のメン
タル面からいえば、言葉、曲想、リズムがそれぞれ異なったアラカルトのステージはそ
れぞれの曲への感情移入が追い付かず、中途半端な気持ちでの演奏になっているのでは
ないかと思われます。特に、高齢化の我が合唱団ではあらゆる面でのスピードが衰えて
います。今後の選曲時に指導陣のご配慮をお願いしたいと思います。
ともあれ、第 10 回の定演、総体的には成功といえるでしょう。特に、準備・運営に
当たったプロジェクトチームの皆さん、ご苦労様でした。これまでの経験を積み重ね、
改善に努めたマネージメントに敬服いたします。
24
さあ、初心に戻って第 11 回定期演奏会をめざそう!
昭和38年卒 T-1
丸山 隆司
今は亡き今富晋吾君の呼び掛けで横浜国立大学グリークラブ OB 合唱団発足の発起
人の一員として参加して以来、連続 10 回の定期演奏会で、OB 合唱団としての全ての
ステージ(合同演奏を含む)に参加できたのは、うれしいことであり幸運なことであった
と思っています。自分で動ける間は「歌う OB 会員」でいたい、それが私の生き甲斐で
あるとも思っています。
第 10 回の演奏会では、なんといっても「ケルビーニのレクイエム」のステージが充
実した出来であったことです。2 ステージ分もの時間立ちっぱなしで集中して歌い切っ
たという満足感で一杯でした。それだけに第 2 ステージが、体力的にもきつかったし、
集中できなかったと反省しています。
ここで、記念すべき第 1 回の演奏会をテープ、CD を聴きながら振り返ってみること
にしたいと思います。
第 1 回の演奏会は、OB 合唱団発足 3 年後に開催されました。第 1 ステージで男声合
唱組曲「木下杢太郎の詩から」を歌いました。作曲の多田武彦氏が、関東風のイントネ
ーションに改訂したり「柑子」を追加したりしてくださいました。自分が現役で歌った
時と所々でかわっているのに馴染むのが結構苦労であった思い出があります。第 1 回の
定期演奏会のために特別にお願いしたのかは、記憶がはっきりしませんが、多田武彦氏
を来賓としてお招きして、手直しをしたこの組曲の演奏を聴いて頂いたのは確かです。
第 2 ステージは、現役グリークラブが賛助出演してくれていて、男声合唱曲「永訣の
朝」を演奏しています。その演奏は、ハーモニーがきれいにそろっているし言葉も聴き
とりやすいと思いました。
第 3 ステージでは、シューベルトの「ミサ曲ト長調」を飛永先生のお力でアンサンブ
ル・フェニックスの弦楽合奏の伴奏、田中清隆先生など 3 人の方の独唱で、機会があれ
ば再演したいと思います。ソリストとの共演は、とても励みになったし、少しでも向上
していかなければと思ったのは確かです。
第 4 ステージは、「グリークラブアルバム(愛唱曲集)」で 6 曲を川添さん、清さん、
紺野さん、今富さんが 1 曲ずつ、飛永先生が 2 曲を指揮していますが、結構楽しく聴く
ことができました。お客さんの拍手の音もそう思っているようです。
第 1 回の定期演奏会には、OB 合唱団の夢や可能性が一杯詰まっているのを感じると
共に、現役には負けるけど、声や響きが若かったなあと感じて、懐かしくもありうれし
くもありました。
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第10回定演の二つの思い
昭和31年卒 T-2
竹内 哲夫
今回・第10回定期演奏会に於けるケルビーニの「レクイエム ニ単調」は、私個人
にとって、二つの特別な思い出に残るものがありました。一つは第4回定演(2002 年
3 月 23 日)での苦い経験の修復であり、もう一つはこれまで人生の大半をお世話にな
った故人への追悼であります。
先ず前者について、第4回定演は丁度私が入団して2回目の定演に当ります。何せ当
時は40年余りのブランクの後歌うことを再開した頃ですから、発声は云うにおよばず
音程も歌の随所で怪しいところがあったと思います。そこへこの難曲ですから、特に
“ Dies Irae ”は私にとっては正に難局でした。224節からの Andantino の1ペー
ジは、当時符読みで何回も練習重ねたつもりですが、結局マスターできないままステー
ジに上がり、かなりの部分声を出さないまま終わってしまったことが記憶に残っていま
す。個人的には真に悔いの残る第3ステージでした。
その後この悔いを何時かは晴らさねばならないと思うようになり、また団員の中から
も「もう一度挑戦したい」との声が聞こえて来ました。私としては何時の日かこの曲を
ステージで満足に歌い上げるために、団として組まれた練習スケヂュールとは別に早く
から自習を始め、歌詞全訳にも何回か目を通したものでした。例の悔いの残った“ Dies
Irae ”
、苦手の“ Offertorium ”は、その後単独ステージで発表する機会にも恵まれ、
結果的には暗譜に近い処まで持っていくことが出来ました。
当日歌い終えて練習の成果を十分感ずることが出来、また私の知人・友人からは総じ
てお褒めの言葉を頂きましたが、先日配布された CD を聴いて、聴衆と感動を共有出
来た演奏であったとの思いを深くした次第です。
さて後者についてですが、会社勤務の現役時代に公私に亘って大変お世話になった大
先輩から、入団して数年経過した或る時「君たちの演奏会を是非聴きに行きたい」と声
をかけられたことがありました。私がようやくパートの皆さんにあまり迷惑をかけずに
歌えるようになった、確か第7回定演(2006 年 6 月 7 日)からご夫妻に上席のチケッ
トをお送りしてきました。演奏の内容についてのご意見等あまり多くを語ることはあり
ませんでしたが、「年齢を越えて歌い続ける情熱の素晴らしさ」
、
「歌で結ばれた三世代
の絆の今日的な意義」等大変感動され、「本当にうらやましい!」との言葉を頂きまし
た。第9回定演(2009 年 6 月 7 日)終了後も、次回は何時か、そんなに先か?など云
われながら、丁度1年前に逝かれ一周忌を迎えた当日の第10回の定演でした。
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第1ステージで、管弦楽の導入部の演奏に続き「レークイエム エーテーーーエール
ナム
」と、その日を待ち焦がれていた故人に捧げるような気持で歌い始めようとは、
思ってもみなかったことです。一人聴きに来られた奥様には、ひそかに感じられるとこ
ろがあったご様子で、当日演奏会後丁重なお礼と感謝の言葉を頂きました。
第3回定演で歌い始めた当時から今回までを振り返ってみますと、毎回様々な思い出
が残っており、また多くの反省とそれを糧に練習を続けてきて、何とか周囲にも迷惑が
掛からないようなステージになったように思います。大先輩の背中を見ながら教えられ
た「常に高きを目指して進むことが大切」との思いもまた新たにした第10回定期演奏
会でした。
第10回定演 第1ステージ
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第10回定期演奏会に参加して
昭和46年卒 T-1
露木
聰
平成22年10月17日(日)の朝、小生は爽やかな目覚めをしました。 今年の4
月から、OB合唱団の第10回定期演奏会にフェローとして参加させて頂く為に、鶴見
まで練習に通いました。 ケルビーニの「レクイエム」は、以前の定演で唄った経験が
あるので、今回はフェローながら全ステージで唄わせて頂ける事になりました。 約 1
年3ヶ月振りの定演ステージで高揚した気持ちがありましたが、その反面第2ステージ
の「愛唱曲」のうち、特に外国語の「歌」に関しては、演奏会当日の午前のステージ練
習でもまだ「言葉」が暗譜出来ておらず、不安を残しておりました。
13:00の開場を、ステージ裏のモニターで見ながら、大勢のお客様が入って来ら
れるのを確認して、「小生がチケットをお渡し出来た方々(21名)にも感動を与えら
れる【演奏】をしなければ」と心を引き締めました。
13:30、第一ステージの開始です。 横浜国立大学管弦楽団の皆様の演奏を得て、
45分間の大曲“ケルビーニの「レクイエム」
”をしっかりと唄い切る事が出来ました。
ステージを降りる時、正直膝がガクガクしているのを感じましたが、それ以上に【唄い
切れた】という感動の思いの方が勝っておりました。 第二ステージも外国語の歌詞で
はかなり間違えもしましたが、「早春賦」
・
「中国地方の子守唄」など日本語の歌は思い
通りに唄えました。 第四ステージの合同曲 2 曲も、現役グリーメン達の澄んだ声に助
けられ、自分としても充分満足する出来映えで唄えたと思っております。
大勢の先輩の皆様・同期の仲間・後輩達と、ひとつのステージを創り上げる事が出来、
又多くの聴衆の皆様にも【感動】を与えられた事が、小生にとっては本当に嬉しい事で
演奏会プロジェクトのメンバーの皆様をはじめ、今回の第 10 回定期演奏会に
した。
関わって下さったすべての皆様に改めて御礼を申し上げたいと思います。 この様な素
晴しい機会を与えて下さった事に、心から感謝申し上げます。 有難うございました。
演奏会後に、ミューザ川崎までお越し下さったOB合唱団の大ファンの方や、学校関
係の同僚の先生方から、「素晴しい演奏会だった」というお褒めのハガキやアンケート
を頂き、改めて【合唱】の素晴しさを感じて頂けた事に、自分ながら感動しております。
40年振りに、数学科の同窓生達(男性 2 名と女性 5 名)と「ミニ同窓会」も開催する
事が出来、OB合唱団のファンを創る事も出来ました。 まだ、教師という仕事と「い
じめ撲滅運動」他の活動が忙しく、「OB合唱団」への完全復帰はもう少し先になりま
す。
しかし、次回の第 11 回定期演奏会(2012年 5 月 12 日)にも、又フェロー
団員として参加させて頂きたいと考えております。 横浜国立大学グリークラブOBと
いう【仲間の絆】を大切にして、これからの人生を頑張って生きて行きたいと考えてお
ります。
どうか宜しくお願い致します。
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- 感謝
-
第10回定期演奏会に参加して
昭和40年卒 T-2
中林
清
OB 合唱団に入って早や2年が経過しました。前回の第9回定期演奏会は直前の5月に
脳動脈瘤手術のため入院を余儀なくされ、参加できませんでしたので、今回が初参加と
なります。卒業後は歌といえばカラオケのみで、合唱とは無縁の生活を送っていました
ので、定期演奏会というステージに立つのは45年振りです。
レクイエムで約50分間立ち続けていたのが堪えまして、最後のステージは足が痛く
て痛くて...立っているのがやっと、倒れないように必死に踏ん張りながら歌いました。
終了直後は“疲れた~、終わった~”というのが正直な感想でした。打ち上げ懇親会の
席では疲労困憊、何かをするという気力もなく、元気な皆さんを見て己が体力のなさを
痛感させられました。私がだらしなさ過ぎるとは思いますが、私よりはるかに先輩の方々
の頑張りには頭が下がりました。
第一ステージのレクイエムですが、オーケストラの伴奏で歌ったのは初めての経験で
したが、こんなに気持ちよく歌えるものなのかと自分でも驚きました。楽譜をあまり見
ないで歌えたし、音響効果がよかったせいか、練習の時よりも声がよく出ているように
感じました。歌い終わった後は、疲れましたが充実感を感じました。
第二ステージは出だしを自信を持って出られなかったり、途中何箇所か間違えたりし
てしまいました。やはり緊張していたのかもしれません。でも精一杯歌うことができて
満足しています。「早春賦」や「Honor!Honor!」の出だしが不揃いでしたが、その一
端を私も担っていました。この場を借りてお詫びいたします。
第四ステージの合同曲は私にとっては苦手の曲で、練習の時点では満足に歌えなかっ
たし、バラバラだし、どうなることかと心配しましたが、どうにか本番に間に合ったと
いう感じでホッとしています。
出来栄えについてはいろいろなご意見・ご指摘があろうかと思います。私は難しいこ
とはわかりませんが、演奏会の CD を聴いた限りではまずまずよかったのではないかと
思っています。聴きに来てくれた友人たちも“素晴らしかったよ”と言ってくれました。
私も久し振りに充実感を味わうことができました。定演に参加させてもらって本当によ
かったと思っております。
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定演プロジェクトチームメンバーの方はもちろん、普段の団の運営、練習の段取り、
練習場所の手配、楽譜の用意、合唱団通信作成、練習用CD作成 etc.
..ご尽力くださっ
た皆様に心から感謝しております。有難うございました。
卒業後は合唱とは無縁だった私が OB 合唱団に入るとは私自身思ってもいませんでし
たが、2年前の夏、宮崎ゼミの同期で宮崎先生のお墓参りに行った時、元気のない私を
見兼ねたのか、B‐1 の坂井君が“練習に来ないか”と誘ってくれました。当時私は前立
腺がんのホルモン療法を長期間続けていた上、食道がんの放射線・抗がん剤治療が終わ
って間もなくの時で、体力的にも精神的にも落ち込んでいた時期でした。体力的にやっ
ていけるかどうか、声が出るかどうか、自信はありませんでしたが、幸い同期が大勢い
るので心強く思い、坂井君の誘いを受けました。
ところが、実際に練習に参加してみると、声は出ない、楽譜は読めない、音楽記号・
用語はわからない、練習後半になると声が嗄れて出ない、肩が凝る etc..
.練習が終わる
と、どっと疲れが出てくるなど散々な状態でした。当初は続けていけるかどうか不安で
したが、練習に参加しているうちに、いつしか声が嗄れることも、肩が凝ることもなく
なってきました。毎週土曜日の練習が私の生活の一つの核になり、それに伴い私の生活
にも張りが出てきました。
相変わらず T‐2としては高音が出ませんし、楽譜も満足に読めませんが、今は練習に
参加するのが楽しみになっています。
声が出ないのは練習を重ねるうちに少しは出るようになると信じて、そして楽譜が読
めないのは自宅での繰り返し練習でカバーすることで、少しでも皆さんのレベルに追い
つこう。今は枯木も山の賑わい的存在ですが、少しでも戦力になるべく努力していこう。
今はこういう心境です。今後ともよろしくお願いいたします。
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ケルビーニのレクイエムの演奏に参加させて戴いて、
昭和61年卒 T-1
妹尾 晋哉
第 10 回定期演奏会、ご盛会おめでとうございます。
第1ステージにフェロー出演させていただきまして、どうもありがとうございました。
機会を頂きましたので、練習と当日を通じて感じたことを少し書かせていただきます。
◎参加のきっかけ
きっかけは指揮者の飛永さんからのメールでした。 ケルビーニのレクイエムは私が
1 年生のときに年間を通して、“身体で”覚え、山根一夫先生の指揮により定演で歌っ
た懐かしいレパートリーです。大好きな曲ですので、是非歌いたいと思ったのですが定
演は半年先なので、直前練習等に出られる確信がなく躊躇してしまいました。 酷暑の
夏が過ぎた頃、同期のお楽しみカルテット練習仲間の岩松君を通じて、もう一度誘いを
頂きました。その翌日の朝、合宿参加中の飛永さんに電話が通じ、
「今日、来られる?
バス乗り場は・・・」と説明をいただき、合宿練習に参加することになりました。
◎逗子合宿への参加
バス停から強い日差しの中を歩いて汗だくになり、セミナーハウスに到着すると、練
習ホールのドアの向こうから、豊かな男声のハーモニーが聞えてきました。 汗が引く
のを待ちたいところでしたが、練習の時間が惜しいので、恥ずかしながら、着替えたT
シャツ姿で、練習場に入りました。 飛永さんが紹介して下さったので、トップテナー
の方に行くと、前の列に入れていただき、早速、合唱練習に参加させてもらいました。
大勢の男声合唱は20年振りなので、周りのトップの声に包まれて歌うと、とても興奮
しました。 懐かしい飛永さんの指揮で歌うのも、また、現役GLEE定演での演奏を
何度か拝聴した佐藤先生の生ピアノ伴奏で歌うことができるのも、嬉しい限りでした。
が、すぐに自分はトップの高い声が全然保てないことに気づきました。 そこで、まず
曲の感覚を思い出すことに集中して、自分なりにうたいました。 昼の休憩時に飛永さ
んから全曲通して45分程だと伺い、体力づくりから始めないと倒れてしまうのではな
いかと心配になったことを思い出します。(自分が1年生のときは、4曲を抜粋して演
奏していましたのでもう少し短かったです) 午後の練習では、全曲通して、合唱練習
をしてくださったので、これを録音して帰り、その後は車通勤の車中で、朝も夜もレク
イエム三昧の生活をして、新曲の習得に努めました。
◎オーケストラとの合同練習(横浜国大)
リハーサル練習のために、10年ぶりに国大を訪れてみると、第2食堂にコンビニが
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入っていたり、図書館の建物が建て代わっていたり、メインストリートの木々が大木に
なって道に覆い被さっていたりと、年月を経たことを実感しました。 また、自分達が
練習前にジョギング(私を含めて数名はダッシュ)していた辺りに、教文ホールなるも
のが出来ていて、そこに国大のオーケストラと合わせて集結することになりました。
自分達の学生時代には有得なかったような綺麗な音楽用の練習会場で、オーケストラ
がフロア席、合唱団が後ろの階段状の席を利用する形で収まりました。 純粋な国大現
役+OBで男声合唱とオーケストラの合同編成で演奏するのは、自分も全く初の体験で、
興奮しました。 普段合唱で見る飛永さんの指揮はオーケストラにも指示を出して、全
体をまとめていきます。 これまでピアノ伴奏に慣れてきていましたが、オーケストラ
では、部分部分で異なる音色の楽器が旋律を奏でていて、なるほど、この旋律は、こう
いう楽器の音色で表現していたのか、とうなずきながら、楽しみながら、テナーパート
を歌いました。 Pie Jesu の無伴奏合唱の後、管楽器が入るところで、合唱の音が下が
らず合っていたときはとても気持ち良かったです。
Sanctus では管楽器をはじめとしたオーケストラがファンファーレのように音をは
じけさせてくれるので、合唱の歌い方も頑張り過ぎなくてもよいのかなあと感じ、ピア
ノ伴奏のときとは違った雰囲気が新鮮でした。
本番前日のオーケストラ合わせは、大学会館ホールで行い、全曲を通して、確認しま
した。 自分が新曲として覚えた曲も楽譜をときどき外しながら歌えるようになってき
て、ようやくレクイエム全体を通した演奏、オーケストラとの演奏が自分にとって自然
になってきました。
◎コンサート当日
ミューザ川崎に入るのは初めてでしたが、まずロケーションの良さに驚きました。
リハーサル、発声練習ができるような大部屋の楽屋に入ると、発声練習では、懐かしい
田中先生のご指導をいただき、現役時代を思い出しながら、支えをつくりながら身体を
温めました。
田中先生には飴の差し入れを戴き、これを各パートにお渡しするのが、
最若手の私の役目となりましたが、配るタイミングが遅くなりすみませんでした。
ステージリハーサルでは、レクイエム以外のステージを客席で聴くことができました。
ホールで聴くラマンチャは練習のときよりもハーモニーが豊かに響いて、とても良いと
思いました。 実際にステージに立つとスペースに余裕があり、とても歌いやすい印象
をもちました。 また、オーケストラの低音が腹に響く感じがよかったです。
レクイエムの曲の中で、現役時代はオフェルトリウムが一番好きでしたが、今回はデ
ィーエスイーレに感動しました。 練習の際に日本語翻訳を戴いて、すさまじい歌詞に
驚きましたが、その内容と結びついた前半の激しさと中盤のエキゾチックで東洋的な旋
律がポリフォニーではいるところ、後半の美しい旋律につながるドラマチックな展開が
素晴らしく、終盤のラークリモーサ、ディーエスイーラの荘厳なユニゾン合唱では毎回
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涙が出そうになります。 そこから上昇音階で高まり、エンディングの合唱ハーモニー
とオーケストラで安らいだ雰囲気に包まれながら最後は厳かに曲が結ばれる。 この一
曲で力を使い果たして満足してしまいそうですが、すぐにオフェルトリウムの力強い前
奏が始まり、セカンド、ベース、トップの順で合唱が重なると、もうこの曲の雰囲気に
完全に入りこんでしまいます。 クワムオーリム・・・のテンポアップするところから
ベース系とテナー系の掛け合いが大好きな部分で、高音部をたっぷりとしたで声でエン
ディングまで歌えるとどんなに気持ち良いかと思うのですが、ここに辿り着く頃には、
声が持たなくて、気持ちだけという状態になってしまうことが多いです。 本番は、お
客さんが大勢入っている様子がわかり、少し力が入ってしまいましたが、自分なりに夢
中で、指揮を見ながら終曲のアニュスデイまで歌いきることができました。
◎演奏会後
レセプションは大きな立食パーティー会場で、OB合唱団と、現役GLEEと更に現
役オーケストラメンバーと、先生方、関係者、お客様、そして飛永さん世代の OB5名
(平本さん、吉田さん、坂本さん、蒲谷さん、私)が加わった形になりました。
酒宴もすすんだ頃に、飛永さんと現役オケメンバーのバイオリン競演が披露されて、
オケの女性陣と一緒に私も喜んで前列に移動して観させてもらいました。 そのあと、
懐かしい愛唱曲の“いざ立て”と自由の歌、みはるかす、と皆で大合唱できたのがとて
も嬉しかったです。
学生の頃から、「グリー生活で好きなことは?」と聞かれると、
コンサート後の酒席で皆と合唱する瞬間が一番好きだと、言い続けていましたので、ほ
ぼ20年ぶりに歓喜の瞬間を味わうことができて、とても幸せな気持ちになりました。
◎ありがとうございました
練習、本番を通して、いろいろと教えていただき、お世話をいただきましたトップの
(特にジャスト20年)先輩の方々、どうもありがとうございました。 同じグリーク
ラブの伝統が続いているからなのでしょうか、歌っているときには年齢や世代を意識す
ることなく、自然に中に入れてもらえたように感じていました。
自分より約20年以上先輩の方々が普段から練習を重ねて、記念すべき第10回の定
期演奏会を迎え、飛永さんの指揮によりOB+現役 GLEE+オーケストラの純横浜国大
編成で大曲のレクイエムを上演されたことは素晴らしいことだと思います。 そこに参
加させていただいた自分は、とても幸運に恵まれたと感じています。 自分の先輩方が
このような立派な活動をされていることを誇りに思います。また、自分達にも何かでき
るのではないか、自分はどのような形で音楽を楽しむ時間を増やしていこうか等、考え
るようになりました。 今は、やりたいことを少しずつ試していきたいと思っています。
男声合唱で歌う機会がまた訪れることを楽しみにしています。
OB 合唱団の皆様、飛永さん、本当にどうもありがとうございました。
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最高のステージ
昭和60年卒 B-1
吉田
潤
第 10 回定期演奏会に、出演させていただき本当にありがとうございました。心より
感謝の言葉を述べさせていただきます。卒業後、初めて OB 合唱団の練習に参加させて
いただきました。人数も多く、迫力もあり、先輩方は優しく、現役時代の練習を思い出
しました。同期の飛永君が指揮者として頑張っているのに、私たち前後の代の参加が少
ないということを知り、私もなかなか練習に参加することが出来ず、誠に申し訳ない次
第でございます。
飛永君は、昔から耳がとても良かったですが、今回も練習中に少し響きの違う声を出
したところ、すぐに指摘されてしまいました。飛永君が、ご高齢な先輩方の健康を気遣
いながら練習している姿に、感動を覚えました。
今回は、国大のオーケストラの演奏で歌うことが出来、OB 合唱団に属していなけれ
ば経験することも無いような素晴らしいホールで歌うことが出来、1400 名のお客様か
らは温かい拍手をいただき、演奏会に来てくれた知人達からは「初めて聞いた男声合唱
に魅了されました」と感謝され、良いことずくめの最高のステージでした。
これからも、諸先輩方のご健康が日々守られ、OB 合唱団の歩みの上に神様の豊かな
祝福が注がれますよう心よりお祈り申し上げます。
第10回定演 アンコールステージ
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定期演奏会に参加させていただいて
昭和60年卒 B-2
坂本 宏明
横国グリークラブを卒団してから、しばらくはまだ歌うことを続けてみたいと考えて
いた時期もあり、同期の仲間とも時々会う機会があった頃は「歌う」機会もありました
が、仕事が忙しくなり、仲間と集まる機会も減り、現役の定期演奏会に出かけても、誰
にも会えずといった状態が続いていた時に、指揮者の飛永氏より「ケルビーニのレクイ
エムをやるので参加しないか」というメールを頂戴しました。
現役当時は暗譜したとはいえ、25年以上のブランクはそう簡単には埋められそうも
なく、また練習参加にも不安を残しながら、夏前から顔を出させていただきました。予
想通り若手最右翼?で右も左もわからないまま久々の合唱に声を枯らしながら、練習参
加もままならない状態でしたが、なんとかご迷惑をかけない程度にステージ参加できた
ことはうれしく思っています。
40分以上のステージで、練習時、公演前は長いと思っておりましたが、本番はあっ
という間で、Pie Jesu や Agnus Dei あたりではもう終わってしまうと寂しく思った
ことを覚えています。
現役時代、定期演奏会では必ずミサやレクイエムをという山根先生のご指導に言葉の
理解や表現の難しさに手こずっていたことを思うと、声は多少落ちた分、高尚な精神に
少し手が届いたと勝手に自己評価をしています。貴重な機会を得たこと、お世話になっ
た合唱団の方々に感謝を申し上げたいと思います。
私事で恐縮ですが、諸先輩方とお話する中で、現在の私の勤務先である、県立横浜清
陵総合高等学校(旧清水ヶ丘高校、旧国大清水ヶ丘校舎、旧横浜高商)についてお話を
伺うことがありました。現在、かつての用地は、本校をはじめ、地域ケアプラザや清水
ヶ丘公園などに整備されており、当時をしのばせるものは、正門付近の土台と石の柵程
度で、ほとんど残っていません。横浜清陵総合高等学校は平成16年に旧清水ヶ丘・大
岡高校が統合再編された新しい学校ですが、既に創立7年を経て、先般創立5周年の記
念誌などを編集させていただいた過程で旧
高商時代の資料などがほとんど無いことが
わかりました。潮音の紙上でこんなお願いを
してよいのかわかりませんが、当時の様子な
どご存じの方はぜひお知らせをいただけれ
ば幸いです。また、お近くへお出かけの際は、
ご案内もさせていただきたいと思いますの
で、ぜひお知らせください。
現在の県立横浜清陵総合高等学校
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第10回定演打上げ会スナップ
(川崎BE カメリアホールにて)
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第10回定演打上げ会スナップ
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~ 続き ~
我が合唱人生を顧みる
昭和33年卒 T-2
高橋 真一
合唱曲を歌い続けて 60 年、自分でも信じ難い数字だ。そこで振り返って合唱人生で
巡り合ったこと感じたことをあれこれ思い出すままに綴ってみたい。
昭和 25 年、中 3 の時に教師から市内連合音楽会に混声合唱で出場するからと駆り出
され、はじめて歌った合唱曲が解放奴隷出身のアメリカの作曲家J・ブランド「懐かし
のヴァージニア(Carry me back to old Virginny)だった。哀愁に満ちたメロディーと
ハーモニーに魅せられ虜になってしまった。ちなみに同曲は作曲者没後ヴァージニア州
歌に指定されて広まった。
高校では迷うことなく合唱部に入り、授業の緊張感から解放されて放課後肩の凝らな
いポピュラーな名曲
シューマン「流浪の民」ベートーベン「歓喜の歌」ヘンデル「ハ
レルヤコーラス」J・シュトラウス「美しく青きドナウ」
「ウィーンの森の物語」等を
あきることなく繰り返し歌った。そのせいかコンクールにはあまり関心を示さなかった。
昭和 29 年大学に入って聴いたグリークラブの男声合唱ならではの重厚なハーモニー
に圧倒された。関東合唱コンクール 5 連覇を目指す実力に感服し早速入団して練習に参
加した。入団 1 年目から全日本合唱コンクールに出場できる幸運を喜び感謝しながら九
州小倉に向かった。自由曲のワーグナー「巡礼の合唱」を先輩達に負けまいと一生懸命
歌ったが、審査結果は、同志社グリークラブはともかくも伏兵の東北大男声の後塵を拝
す結果に終わり悔し涙を流した。
ところでこの年は紅葉ケ丘に素晴らしいホール県立音楽堂が落成し、杮落しにワーグ
ナー「歌の殿堂」をフェリス女子大学合唱団と、三宅洋一郎氏の指揮で協演した記憶が
鮮明に残っている。更にその翌年同じホールで第 2 回大学合唱協会演奏会が開かれたが、
作曲者清水脩氏の指揮を仰ぎ見ながら組曲「月光とピエロ」を合同演奏したことは一生
忘れられない思い出だ。最上級生になった昭和 32 年春カリフォルニア大学グリークラ
ブを横浜に迎え、関内の公園内にあったフライヤージム(米軍専用の体育館)で交歓演
奏会を開催したが、素晴らしいハーモニーを聞かせて呉れたうえ、イタリア民謡「五つ
のイタリアの山の歌」の楽譜をプレゼントされた。終演後ホテルニューグランドでの懇
親パーティは最高の盛り上がりを見せた。
山中湖や猪苗代湖の夏季合宿は合唱もだがそれ以上にメンタルハーモニーの育成に
役立ったと思う。
昭和27年春高校合唱部の先輩たちが現役生にも呼び掛けて発足させた湘南市民コ
ールは混声合唱団で、当初はだれでも気軽に歌える各国民謡等のアレンジ物を主にとり
あげていたが、だんだんそれにあきたらなくなって方向転換の機運が高まり、昭和35
年早稲田大学コールフリューゲルを育てた関屋晋氏を指揮者に迎え、コンクール入賞を
40
狙える合唱団の育成をお願いした。それから苦節十数年、昭和50年に全日本合唱コン
クール全国大会で金賞、カワイ賞、神戸市長賞のトリプル受賞という快挙を成し遂げた。
それが決め手となって翌年には藤沢市文化功労者表彰を受け、さらに神奈川文化賞まで
いただいた。目的を達成したとして昭和53年以降はコンクール出場は取りやめ,偶々
指揮者小澤征爾氏に見込まれて新日本フィルハーモニーと協演したドヴォルザーク「ス
ターバト・マーテル」の成功が契機となって、以後プロの指揮者やオーケストラとの協
演が増えていった。ベートーベン「第九」ヘンデル「メサイア」モーツァルト「レクイ
エム」ハイドン「天地創造」マーラー「千人交響曲」等枚挙に暇がない。
昭和54年、国際コンクール審査員を務めていた作曲家の湯山昭氏からヴァルナ国際
合唱コンクールに出場してみないかとお誘いを受け、最後のチャンスと出場を決意した。
ヴァルナはブルガリアの黒海沿岸にある風光明媚なリゾートで合唱とバレエのコンク
ールが隔年で開催されている。バレエでは森下洋子さんが先に金賞を受賞している。合
唱も負けまいと頑張った結果地元ブルガリアの合唱団に次いで第2位に入り、関屋晋氏
も最高指揮者賞を受賞して日本の合唱レベルの高さを実証することが出来嬉しかった。
この時の模様は新聞やNHKテレビ「スタジオ102」で紹介された。
昭和62年体調を崩して過密な湘南市民コールのスケジュールについていけなくな
り退団を余儀なくされ、以後体調回復を目指してリハビリに励んだ。年号が改まり「平
成」となった年に湘南男声合唱団が創立され誘われて入団し、久しぶりに男声合唱の響
きを楽しんだ。メンバーの中にフィンランドマニアがいて演奏旅行を思い立ち、現地の
男声合唱団のヴァークシン・ラウルヴェイコットの友人に働きかけて実現させた。平成
12年日フィ親善を掲げたコンサートは、多くの市民が集まり大喝采を浴びた。3年後
にそのお返しをと同合唱団を日本に招き藤沢で交歓演奏会を開き、翌日から江ノ島、鎌
倉、箱根を観光案内してまわった。そんなことから湘南男声のレパートリーには彼等か
らプレゼントされたフィンランドの作曲家のトイヴォ・クーラやレヴィ・マデトーヤの
作品が数多くみられるのが特徴だ。
当OB合唱団については、小生よりも団員諸氏の方が余程詳しいと思うので割愛させ
て頂きたい。
最後に現役時代の盟友保坂忠夫君が平成9年に早逝したため直後に入団した小生と
しては一緒に歌えないのが残念でならない。唯々、御冥福をお祈りするばかりである。
41
ド・レ・ミは資産運用?
昭和36年卒 T-1
渡辺
勲
「72 の法則」という言葉を耳にしたことがありますか? 証券分析或いは資産運用
の世界でよく使われる言葉ですが、一定の利回りのもとで、投資価値を 2 倍にするため
に何年必要かを教えてくれるものです。72 を運用利回りで割ればよいのです。例えば
2倍にするには運用利回りが4%なら 18 年かかる、6%なら 12 年、10%なら 7.2 年と
なります。
Excel を使えば確認できますが、電卓でも簡単に出来ます。例えば4%の場合、1.04
と最初に打ち込み、次に“x”、
“x”、
“=”と続けて押すと 1.0816 という数字がでま
す。これは 1.04 の2乗を示しますが、さらに続けて“=”を 3.4.5.6.7.-----17.18 と
口ずさみながら 18 になるまで 16 回押し続けると 2.0258165 となり、丁度2倍の数字に
なります。4x18=72 です。
ただ、現実の金利水準はゼロに近く、例えば運用利回りが 0.2%なら「72 の法則」を
使えば2倍にするのに 360 年かかり気の遠くなる話しです。インターネットで調べてみ
たのですが、
「72 の法則」は会計の父とも呼ばれるイタリアのルカ・パチョーリという
数学者が 1494 年に発表したとされているようです。この「72 の法則」も利回りが8%
前後のときに最も当てはまる話で、学習院大学の飯高茂教授によると、現在のように低
金利の場合は72を使うより69を使った方が相応しいようです。2%以下の場合は69が
当てはまるとのことです。
この「72 の法則」はインフレの怖さを知るのにも使えます。一定の割合でインフレ
が進んだ場合、お金の価値が半分になるのは、およそ何年後かを知ることができます。
インフレ率が 2%の場合、資金の運用益をゼロとしますと、お金の価値が半分になるに
は 72÷2=約 36 年ということになります。
次に、音階の話です。専門家の多いOB合唱団の諸氏はすでにご存知のことと思いま
すが、私が最近ある書物(「音律と音階の科学」小方厚著)を読んで改めて認識したこ
とですので、敢えて述べさせていただきます。
音の高低は周波数の違いによります。C(ド)の出す周波数に較べ1オクターブ上のC
(ド)の周波数は丁度2倍になっています。平均律の場合、基音のドからスタートし、
ド#、レ、レ#、ミ、ファ、ファ#, ソ、ソ#、ラ、ラ#、シ、ドと半音ずつ 12 回上
がると1オクターブ上のC(ド)になります。それぞれ半音毎の周波数は基音のドを1
とすれば、音が高くなるほど周波数は多くなり、ド#は 1.0595 、レは 1.1225、レ#は
1.1892,ミは 1.2599、ファは 1.3348、ファ#は 1.1412、ソは 1.4983 となっています。
この半音ごとの周波数の差は次頁の表に示すように同じではありません。比が一定とい
42
うことです。隣り合う 12 の半音の比はすべて同じであり、音階は 12 等分された等差級
数ではなく等比級数になっています。公比が2の 12 乗根、つまり 12√2=1.05946 の等
比級数になっているということです。音楽はデジタルから遠い世界のように思えますが、
こう考えると「音楽はデジタルだ」とも言えます。
我々が見かけるハープの形も単純な直線の三角形ではなく、優美な曲線になっていま
す。私もハープの形など、これまであまり気にもしていなかったのですが、ドレミが等
差級数でなく等比級数となっているためだったのかと改めて感心する次第です。
<平均律で基調のドの周波数を 1 とした場合の他の音階の周波数>
ド#
レ
レ#
ミ
ファ
ファ#
1.059
1.122
1.189
1.260
1.335
1.414
直下の音に対する差
0.059
0.063
0.067
0.071
0.075
0.079
直下の音に対する比
1.05946
1.05946
1.05946
1.05946
1.05946
1.05946
ソ
ソ#
ラ
ラ#
シ
ド
1.498
1.587
1.682
1.782
1.888
2.000
直下の音に対する差
0.084
0.089
0.094
0.100
0.106
0.112
直下の音に対する比
1.05946
1.05946
1.05946
1.05946
1.05946
1.05946
基音のドを1とした場
合
基音のドを1とした場
合
以上は平均律の理屈ですが、純正律の場合、基音のドの周波数を1とすればミの周波
数は 5/4(=1.25)、ソの周波数は 3/2(=1.5)となり、ド・ミ・ソの周波数の比が単純な
4:5:6 の数字になるので、和音の効果が高くなる理屈です。和音は周波数が単純な整
数比になるほど良く調和して聞こえるわけです。
ここで最初に説明した資産運用の理屈を平均律に当てはめて考えてみます。
12
√2
=1.05946-----ということは「5.946%で 12 年間複利で運用をすると2倍になる」とい
うことになります。ド・レ・ミと半音ずつ 5.946%の上昇を 12 回続けると周波数が2倍
の1オクターブ上のドになります。また、5.946%x12 =71.3 となり 72 に近く、
「72 の
法則」も当てはまります。
以上の理屈からすれば、ド・レ・ミと音階が上がっていく時は、
「差」感覚より「比」
感覚で歌うべきなのでしょう。よく「音が上がりきらない」と注意を受けることがあり
ますが、これは「差」感覚で歌っているからなのでしょうか。これからも、こんなこと
も意識しながら楽しく歌い続けたいと思います。
43
捻(ひね)くれ者のイタリヤ旅行
昭和35年卒 T-2
高山 峻一
2010年2月にイタリヤ縦断ツアーに参加し南からポンペイ、ナポリ、ローマ、フ
ィレンツェ、ピサ、ヴェネチア、ヴェローナ、ミラノを駆け足で廻った。ローマ以外は
初めてであったので改めて捻くれ者の視点で、旅行書には書いて無いと思われるイタリ
ヤ気質に付いて報じ、ポンペイ、ピサ、ヴェネチア、ヴェローナ、最後の審判、最後の
晩餐について紹介したい。又イタリヤ人の音楽性にも触れてみたい。
イタリヤ気質
今回の旅行で初めて知ったイタリヤ人の思考方法は「No problem」であった。最初の
遭遇は往路のアリタリア航空機内後部の給水所でクルーがペットボトルの栓を片手で
まわし床へ飛ばしてしまった。そして開口一番「No problem」であった。又行って見る
と栓は其の儘になっていた。次に出会ったのがヴェネチアのホテルのバーで、
「コーヒ
ーOK?」と聞くと「No problem」が返ってきた。これで成田出発が 5 時間も遅れても
平気、ドライブインの無料トイレは皆便座がはずしてあった事。ローマ空港が解除され
ればアイスランドの火山灰の中を真っ先に飛行した事,又報道によれば日本人のイタリ
ヤ観光客は年間 200 万人をピークに減り続け今は 100 万人を切ったと云う、これはリピ
ーターがいないからだと言う事が全て合点がいく。さらに驚いたことはNHKの高校講
座英語で米人女性講師が受験英語では[You are welcome]と言うところを「No problem」
と答えた。時代は変わった事を実感する。尚2010年9月新刊の岩波新書「グランド
ツアー」によると文豪ゲーテもイタリヤを旅行して同じ印象を持っていた。
ポンペイ
ポンペイは港町であった。従って長い航海を終えた船乗りは町の入り口にある公衆浴
場で身を清め、勇んで娼館へ駆けつけたのである。そこへ到る道標は石畳に彫られた男
根であった。
館への道標
ピサの斜塔と大聖堂
ピサ(PISA)
ピサの斜塔は高い塀に囲まれた大聖堂の敷地内にあり、鐘楼として建設されたが、傾
44
いたまま建ててしまったのである。まさに「No problem」の発露であろう。大聖堂には
ガリレオが等時性を発見したと言われる吊り下げ式の大蜀台を見ると感無量になる。わ
が団でイタリヤ語の曲を演奏した時、基本的な発音法を学んでいたので、現地ではピザ
と発音するのを確認しようと、大聖堂の入り口に若い婦警と中年の警官がいたので、婦
警に「チャオ! Do you speak English?」と問い掛けたら、
「Yes」と来たので、
「こ
の町はなんと発音するか」と聞いた。すると「ピサ」だと言う。驚いて「イタリヤ語で
は母音に挟まれたSはZ音に変わるのではないのか」と聞くと中年の警官が手帳を出し
それにPIZAと書き、PIZA(パイ)に間違えられるから「ピサ」と言うのだそう
である。ピサ人はピザが嫌いなのであった。これが正しい事は図らずも2010年7月
に東京ビッグサイトで催された「東京国際ブックフェアー」のイタリヤ出版物のブース
で若いミラノ出身のイタリヤ人女性スタッフから日本人女性通訳を通して教えられた。
ヴェネチア(ベニス)
かねてからヴェネチアの街の下水処理に関心があったので、日本に留学経験のある現
地人のガイドに聞いたら、「地下室に処理機械を入れて処理している。昔は垂れ流して
いた」と言う。ヴェネチアは松杭を隙間なく打ちその上にレンガを敷いて出来た町なの
で地下室が出来る筈が無い。予想通り垂れ流していたのである。帰国後「YAHOOは
てな」で調べると、イタリヤ政府は頭を抱えていると出ていた。水の都ベニスは下水の
都であった。エーリッヒ・フロムは彼の著作「人間における自由」で「真実は人を自由
にする」と書いた。だがこのヴェネチアの真実が人を自由にするとは思えない。
「弘法
も筆の誤り」だと判断する。2 月はカーニバルの季節なので仮面を付けて仮装した人を
街の到る所で見かけた。
ヴェローナ
此処はシェークスピアの「ロメオとジュリエット」の舞台である。シェークスピアは
来た事は無いとの事である。架空の場所を観光用に設けてある。これは熱海の「お宮の
松」スペインのラマンチャにある「ドン・キホーテの宿」と同じである。たまたま地元
テレビ局のロケがあったのでバルコニーのジュリエットが見られたのである。ここはダ
ンテの出身地だそうで 1 ブロック先の路地奥の広場に彼の立像があった。
仮面を付けて仮装した人
ジュリエットのバルコニー
45
最後の審判、 最後の晩餐
最後の審判はヴァチカンのシスチナ礼拝堂の天井に、最後の晩餐はミラノのサンタ
マリヤ
デッレ グラツィエ教会・修道院の食堂の壁に、それぞれミケランジェロ、レ
オナルドダヴィンチが描いた画である。
シスチナ礼拝堂は長年のロウソクの油煙で汚れていたのを 20 年掛けて修復したもの
である。最後の晩餐は第 2 次大戦の爆撃で建物は破壊されたが絵は残ったので建物ごと
復元し、絵も修復したのである。今は空調完備で、抽選で決めた 1 回 25 人を2重のエ
アロックを通過させて入場させて 15 分間隔で見学させいる。流石天才の作品はどこと
説明は出来ないが大きな存在感で迫ってくる。反対側の壁に弟子の作品が書かれている
がその差は歴然としている。天井画や壁画は現地へ行かなければ見ることが出来ないの
で関心が有ろうが無かろうが是非見る価値があると断言できる。どちらも撮影禁止であ
った。
イタリヤ人の音楽性
旅行中イタリヤ人が歌うのを聞いたのはヴェネチアとミラノであった。ヴェネチアは
云うまでも無くゴンドラの船頭である。30 分の体験中、狭い水路の橋の下で別のゴン
ドラの船頭が「カタリ」を朗々と歌っているのを聞いた。オペラ歌手張りの美声であっ
た。ミラノにはミラノスカラ座前の広場からミラノ大聖堂前へ抜けるアーケード街があ
る。中央は十字路になっている。そこの角店はマクドナルドであったが看板文字は色彩
規制でねずみ色であった。その十字路の真ん中に電子ピアノとスピーカーを据付けてプ
ロがクラシックからミュージカル迄演奏していた。驚いたことに通行人の白髪の老人が
ショパンのバラードの演奏時の譜めくりをしていた。演奏が途切れると、マクドナルド
から出てきた数人の若者の中の一人がアリヤの1節に声を張り上げた。パバロッテイを
思わせる声量でアーケード中に響かせていた。やはりイタリヤは西洋音楽の裾野が広い
と感心した。そして皆で楽しんでいるのである。
アーケード街と天井
歩道の飾り模様
46
クロアチアの旅
昭和32年卒 B-1
椎橋 信夫
先般、旧ユーゴスラビアのスロベニア、クロアチアとモンテネグロを旅して来た。
旅行記ではなく、二つの点でグリーと関わりがあったことを記して、ご一興に供したい。
(1)日本ではバルカンについてあまり知られておらず、今まで私もスロベニアやクロ
アチアの位置が正確には判らなかった。
クロアチアはアドリア海を挟んでイタリアと向かい合っており、スロベニアはその北側
に位置している。
日本ではその語感からチェコ、スロバキアと混同されて、そのあたりですかとよく聞
かれるが、実はずっと南で、間にはハンガリーやオーストリアが挟まっている。
チェコのあたりは北スラブ民族、バルカンは南スラブ民族であり、ルーツは同じであ
る。
バルカンの歴史はヨーロッパ史の縮図と思われるほど波乱に富んでいて、ざっとあげ
るだけでも、ギリシャ、ローマはもとより神聖ローマ帝国、ベネチア、ハプスブルグ、
オスマントルコ、ナポレオン、ヒットラー、チトー、最近のバルカン紛争と様々な人物
や歴史が登場してとても複雑であり、色々な文化の影響が残っている。
ローマ時代には広大な帝国の中央部にあたり、ディオクレティアヌス帝の宮殿がその
まま町になったスプリットなど、ローマの遺跡が沢山残っている。東西のキリスト教の
接点でもあり、カトリックの教会と東方正教会の教会とが混在している。
最近では何と言っても、わずか20年前に起こった凄惨なバルカン紛争の記憶が新し
く、今もその痕跡が残っている。
1943年にチトーが統一したユーゴスラビアは「南スラブ人の土地」という意味で
あるが、内実は「6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字」
があるほど複雑であった。彼の巧みな統治によって長く平和が続いたが、彼が死ぬと6
つの共和国が我先にと独立をめざし、民族浄化の嵐が吹き荒れて、内戦になってしまっ
た。
「アドリア海の真珠」と呼ばれる美しいドゥブロブニクも1991年にセルビアに海
と陸とから砲撃されて、大きく破壊された。大変な努力で元の姿に復元したそうだが、
観光客で賑わう一隅に戦災記念館があり、犠牲者の顔写真や砲撃を浴びる街の様子など
が掲示されている。
憎しみ合いの原因となったユーゴスラビアの複雑な言語、宗教、民族の成り立ちはな
かなか我々にはわかりにくい。「世界の他の紛争のように宗教が原因か」とスロベニア
で大学生に聞いてみたら「原因は宗教ではなく言語だ」という。
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バルカンの古くからの波乱に満ちた歴史をもっと知りたいと思い、アマゾンや図書館
などを当っているが、適切な本が見つからない。ご存知の方はご紹介頂きたい。
(2)クロアチアの街で突然素晴らしい男声合唱が聞こえてきて驚いたことが2度あっ
た。これはクラパ(Klapa)と呼ばれるこの地方の民族音楽の男声合唱グループで4人
から12人くらいの小編成のアカペラで、そろいの服装(黒のジャケットに黒ズボン、
白シャツの腹に真っ赤な太い帯と胸には同じ赤のポケットチーフ)でショッピングアー
ケードやローマの遺跡などで歌っている。
反響の良い古代ローマ宮殿の遺跡の中で歌っているとなかなか上手いし、かっこいい。
職業は別に持っているのか、お金を集めることはしない。一つのグループがCDを1枚
10ユーロで売っていたので買い求めた。どうやら日本では Klapa のCDは手に入ら
ないらしい。Dalmatian Traditional Songs というタイトルでダルマチア地方の民謡を
歌っている。
若いのびやかな歌声で、アンサンブルも良く気持ちよく聞ける。街頭で歌っているグ
ループとは思えないほど上手い。けれん味のない正統的な歌い方である。
国民性なのか長調が多くあまり哀調を帯びた曲はない。
ご興味のある方はCDをお貸ししますのでどうぞ。
歌っている傍へ行ってウボイを歌ってくれと頼んだが、初めのグループには「知って
はいるが急には歌えない」と言われ、次のグループでは「あれはもっと大勢で歌うもの
だからだめだ」と断られてしまった。若い人たちが小編成で歌う歌ではないのだろう。
帰国後、吉原さんと平野さんからウボイの歴史についての詳細な資料を頂いた。
その中で興味を引いたのは、資料の中に「ウボイがクロアチアの曲であることが判明し
たのは1965年各国の大学合唱団がニューヨークに集まったイベントで、関学グリー
が歌ったウボイにユーゴの合唱団が唱和したからである」という記述があったことであ
る。当時ニューヨークに行ったばかりの私はその音楽会を聞きに行って、関学グリーの
演奏を聴いている。
ステージでは関学はウボイを歌っていないので、多分交歓会で歌ったものであろう。
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45年前のなつかしい記憶が蘇えった。のびやかに明るく歌う他国の大学に比べて、
関学の一糸乱れぬステージマナーとあまりにも技巧的な演奏がとても異質で、世界を知
らなかった私には、これが日本の文化なのかとショックを受けたのを覚えている。
(3)クロアチアでは有名なドゥブロブニクなどの観光地を廻るのが定番だが、途中で
リエカという町に宿泊した。
どこかで聞いた名前と思われるだろうが、数年前ミューザ川崎で洗足学園と共演した
時のイベントの名前が「リエカ市と川崎市の姉妹都市提携30周年」コンサートであっ
た。相手がクロアチアという事でウボイを我々は歌った。以前合宿で利用した川崎青少
年センターの壁に友好都市としてのリエカの写真もあったが、クレーンの立ち並ぶ港の
殺風景な写真だった。
あの頃はリエカと聞いても地図のどこにあるのか、どんな町なのかぴんと来なかった
が、今回行って初めて「ああこういう所か」と思わず見回してしまった。
クロアチア最大の港湾都市で、アドリア海の海上交通を通じてイタリアやクロアチア
の各港と結び、陸上交通としては130キロ奥地の首都ザグレブや縦に長い南北の各地
を結ぶ、海陸の要衝である。人口15万くらいでクロアチア第3位の都市だが、ほかの
町はベネチアの影響下にあったのに、ここはザグレブと同じくハプスブルグ家の統治下
にあったためオーストリア風の威厳のある建物や雰囲気が残っている。
「ウボイ」の作曲者ザイツの出身地でもあり、歌劇場もあって音楽の盛んなところの
様である。観光スポットはあまりないが、静かで優雅な落ち着いた街である。
戦災から復興した新しい町川崎と中世から続くリエカには、港湾以外あまり共通点が
見られなかったが、何がこの2都市を結びつけたのか興味深い。
何はともあれ、紺碧のアドリア海と白い壁にオレンジ色の屋根のコントラスト、何層
にも重なる歴史の厚み、おいしいシーフードなど、クロアチアはいま日本人の間で、遅
れてやって来た人気スポットなのだそうである。
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第10回定期演奏会を終えて…番外編
ヘルシンキとプラハ
昭和40年卒 B-2
江上 侑雄
IAC2010(*1)と言うのが 9 月 25 日(土)~10 月 1 日(金)にプラハであった。私がメンバ
ーである HASTIC(*2)は展示・デモで毎年参加しています。定演直前で鞭が入っている
時で、心苦しく思いつつもこの魅力には勝てずひっそりと旅立ったのでした。
私は室内用無重力実験装置を製作して展示・実演することになっていて、頭の中では
簡単に出来上がるはずが、結構手間暇かかって、合宿・練習を欠席、出発当日の朝まで
徹夜という始末で、それでも何とか成田から正午に飛び立ちました。
格安航空券(追加料金込¥117,000)のフィンランド航空で、空席探索の結果、9 月 21
日出発 10 月 7 日帰着で余暇はオペラ三昧と決定。ヘルシンキ 4 泊、プラハ 11 泊、の
贅沢な時間を持って旅が出来ました。
躾けよく定演楽譜を持参、毎日見るつもりでした(→結局見ることなく帰国)。
9 月 21 日 19:00 頃ヘルシンキ中央
駅近くの HOTEL Arthur(¥36,000/4
泊)着、翌日 3 日間フリー切符(トラムと
バスが乗り放題¥5000)を購入してオ
ペラハウスを目指す。ヘルシンキ市民
は慎ましくわが身に照らし太っちょは
いない!!9 月 22 日 19:00 開演 AIDA
までトラムに乗って隅から隅まで路線
を試す。杖をついている人が目立つ。
日照が少ないためか。男女若いのも年
ヘルシンキ市街(正面が Arthur ホテル)
寄も…。ビール、ワインが安くておい
しい。
AIDA は当日購入 S 席(¥7000)は最
前列でオケ丸見え、約 60 人編成。合唱
のバスがものすごい。フィンランドイ
ムニ!テノールは 30 代イタリア人でこ
れもすごい。低音はバリトンかバスか
というぐらいで高音はトランペット。
女性歌手も立派。満足満足。トラムで
帰還。スーパーで生ハム、果物、ミニ
トマト、ビール、SW を購入、ホテルで
ヘルシンキオペラハウス
50
祝杯。ちょっとしょぼいがこれがベストでした(レストランは不味い)。
9 月 23 日は“白鳥”バレーでパス。9 月 24 日 CARMEN は売り切れ。残念。
9 月 25 日(土)16:25 プラハへ向けて離陸。30kg の展示用荷物を転がして超過料金€
11 を払って約 2 時間 30 分を低高度で飛翔。窓際席なので地形がよくわかる。プラハ空
港着。空港内カウンターの AAA タクシーに「HOTEL ROTT(*3)」を告げると、通常価格
600Ω(クラウン≑¥5)のところ 2 割引きで 480Ωでよいという。
しかも名刺に ROTT480
と書いて渡してくれる。約 40 分で到着。タクシーにメーターはなく、黙って 500Ω紙
幣を出すと、「600 だ」と言う。大した金額ではないので押し問答は止めて 600 払う。な
るほど、ガイドブックに「いい加減だから…」と書いてあった。部屋に荷物を置いてホテ
ルのレストランで勧められた“プラハ料理”を食す。ピルスナー1 杯、ワイン 2 杯、安
くてうまい。ペースは上々。
翌日 9 月 26 日(日)が展示設営本番。
展示設営は 20:00 過ぎに終了、会場を
出て HASTIC 仲間で晩餐。ビールとワ
インが美味で安い。ビールもワインも
¥200 位。ビールは 500cc、ワインは
350cc、でですよ。料理はイタリアもの
でした。美味。
9 月 28 日ボエーム、29 日カルメン、
30 日魔笛、10 月 1 日は展示最終日で撤
プラハでの HASTIC 展示ブースと筆者
収と仲間内御苦労さん会食でオペラは
パス。すべて S 席(¥5000)。舞台・衣装はヘルシンキもそうだったが立派で文句なし。
声がやや問題。ボエームとカルメンはまずまず。魔笛の女王は高音は立派だけど中低音
がさっぱり駄目で、バスはフィンランド対比で、こちらは大したことがなく、カルメン
も含めて歌手はやはりちょっと今一だなー、と感じた次第。
展示仕事が終了して翌日 10 月 2 日(土)は全員で市内観光。19:00 開演 AIDA 観劇。
跳ねて後、最後の晩餐。ビールとワイ
ンが美味しい。この日で皆さんとはお
別れ。
10 月 3 日(日)が私の観光初日。早速
オペラハウスへ行き、当日の
RUSALKA(チェコ人ドボルザーク作
曲)と火曜日 CARMEN を購入、財布に
しまう。月曜日はお休みとあって、国
民劇場をあたるがバレ―なのでパス。
前日は Cosi Fan Tutte なので迷うが
プラハオペラハウス(右手前の建物)
51
Rusalka を優先。
正午過ぎ、教会コ
ンサートで混声を
聞く。アカペラ
楽譜持ち老若男女
40 人位でハーモニ
ーがよろしい。ff は
なくせいぜい mf。
休憩はさんで 2 時
間。午後 3 時旧市
庁舎 12 聖人人形
飛び出し時計を頂
プラハ市内を流れるモルダウ川
楼で奏でるトラン
ペット 2 本を聴き
ながら見上げる。午後 4 時頃ゲットー(戦争中にチェコ人がユダヤ人を迫害した)を見物、
外へ出たところで財布が掏られていることに気が付く。オペラがパー。見事なものです。
午後 7 時過ぎまでかかって警察で盗難証明書をもらう。掏られたのは、日本円、カード、
オペラチケット等で、クラウンと、クレジットカード 1 枚が別のところに入れてあって
助かった。19:00 開演 RUSALKA を断念。火曜日 CARMEN を買い直して聴きに行
ったら、韓国人 6 人が主役を張って、こちらの方がはるかにまともでした。舞台挨拶は
李明博の嫁さんで、どうやら、韓国がお金を寄付してそのお礼に舞台をもらった模様。
銀座ライオン音楽ビアホールの歌手の方が相当上手と改めて感心しました。
ということで、定演にはリセットされた状態で臨みましたが、楽譜を持たせていただ
いたので、かなり歌えたように思います。
H22.11.30 記
(*1)International Aerospace Congress と言って、毎年世界中のどこかで開催する航空
宇宙学会大会。昨年は韓国大田、一昨年は福岡(大相撲と同じ会場)で毎年参加。
(*2)Hokkaido Aerospace Science and Technology Incubation Center で、NPO 法人。
北大、道工大、室工大、大学教官 OB、他好き者が個人会費で運営。小型ロケット、無
重力実験装置、小型人工衛星、などを各自てんでばらばらに開発していて、ロケットは
当団潮路会が見学ツアーで見に行った程で販売もしている。無重力実験装置は会長のロ
ケット先生と私が開発していて、ほぼ最終形をプラハで展示・実演。実は“売れました!”
。
小型人工衛星は一昨年打ち上がってビーコン電波受信に成功しています。
(*3) 行って分かったが旧市街にあって非常に有名なホテルでした。11 泊で¥98000、
朝食付きでしかも非常に良い朝食でした。私は約 1 時間かけての朝食フルコース。
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長男の結婚式
昭和47年卒 T-2
堀田 啓一
10 月の初めての定演のステージ、11 月の 4 人姉弟の末っ子長男の結婚式と、この秋
は感慨深い出来事が続いた。長男については、小さい頃のことが昨日のことのように瞼
に浮かぶ。
「今度は男の子らしいよ」
「早く見たいね」と語り合いながら、星月夜の道を
幼い長女、次女の手を引いて産院に向かった日。小学校の頃、障害のある三女の機能訓
練で一緒にスイミングスクールに通った日。当時まだ近所にあった銭湯に行った帰り道
に親子二人で焼き鳥を食べた日。そんな日々の中で、とりわけ思い出に残っているのは
「和室のさざめき」である。たった一つの小さな和室が我が家にあって、玄関からでは
なく、庭の方から誰にも知られず直接入れる。中学校の頃だっただろうか?夕食を済ま
せた長男の友達が一人また一人と集まってくる(家人は顔はもちろん、姿、形もわから
ない)。7 時頃は「ザワ」くらい、9 時頃になると「ザワ、ザワ、ザワ」そのうち「ザワ、
ザワ、ザワ・・・・」深夜を過ぎると潮が引くようにだんだん音が消えてきて最後はシ
ーンとなる。
妻はよくふすま越しに注意していたようであるが、私は「潮騒」のようなものだな、
と二階の片隅でうとうとしていた。時を経て結婚式。顔も名前も知らない長男の友人が
「あの頃のあの部屋はとても楽しかったです。お世話になりました」と思い出を語って
くれた。漫画を読んだり、ファミコンをしていたのだろうが、今思ってみれば、彼らに
とっての「グリークラブ」であった。「ザワ、ザワ、ザワ」はとてもハーモニーとは言
えないが、心の中ではハーモニーを奏でていたのだろう。当時、サラリーマンの「渦中」
にあってくたくたになっていた私は、まどろみの中で妻に内緒で学生時代のグリークラ
ブを懐かしんでいたのかもしれない。
・・・今年、式の準備で定演には来れませんでしたが、還暦のお祝いをいただいたフェ
スティバルには、婚約者と一緒に長男が来てくれました。私の歌っているところを見る
のは初めてであり、合唱とは縁のない世界にいる長男ですが、ひと言「人が何かに打ち
込んでいる姿ってやっぱりいいもんだね」とつぶやいていました。子供は親の後姿を見
て育つとよく言いますが、合唱はまれな前姿のようです。
「卒業」から約 40 年「潮騒」の頃からでも早や 20 年近く、今年の夏から OB 合唱団
の練習に参加させていただいています。長男の結婚でようやく長いトンネルを抜けたよ
うな感覚と、また新しい歌を覚えて歌えるという喜びが、今ない交ぜになって押し寄せ
ています。
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椙本、池澤両君に捧げる鎮魂歌
昭和35年卒 T-2
鳥山
利
私の家の八畳の和室の床の間の隣 飾り棚の前に碁盤と碁石が置いてある。私は囲碁
の趣味はないので良く知らないが、縦一尺五寸、横一尺四寸、厚さ五寸(約17㎝)の
ものが標準だそうだが、それより2.5㎝も厚い榧の木製で、囲碁をよく知っている人
からするとかなり良いものらしい。碁石も立派で、標準のものより少し大きめで厚みも
あり、白石は蛤特有のきめ細かな縞目の通ったもの、黒はもちろん那智黒。
この囲碁セットはもともと囲碁の趣味を持っていた椙本君('07.3 他界)のもので、
彼が亡くなる一年くらい前に長年の夢が叶って購入したものである。彼が亡くなった後、
それを形見として池澤君が奥様と共に椙本家を訪ねて頂いてきたものである。
しかし、その彼、池澤君も昨年 4 月に亡くなってしまった。その後、奥様から、どな
たかにその囲碁セットを使っていただきたいとのお話があり、同期で相談をした結果、
OB グリーの方々が拙宅に来訪されたとき楽しんでもらい、今は亡き両君を偲んでくれ
ればという思いから、現在は私のところに置いてある。
今回の定演で、ケルビーニのレクイエムを演奏することになった。私にとってもまた
椙本、池澤の両君にとっても、忘れられない演奏曲ではある。
我が OB 合唱団がこの曲を初演したのが、今から 8 年前の 2002 年 3 月 23 日 横浜
みなとみらい大ホールでの第 4 回定演であり、その時は神奈川フィルハーモニー管弦楽
団との共演により歌った。フルオーケストラの伴奏で歌うのは初めてで、それだけでも
ただただ嬉しかったのを覚えている。
しかもその時の定演のプロジェクトをマネージャーとして任されたのが池澤をリー
ダーとして椙本、鳥山の 3 人であった。第 4 回定演から初めて定演のマネージを年次に
まかされるようになった草分けで、このような大きなプロジェクトのマネージなんて初
めてで不安であったが、仕方なくお引き受けした次第である。現在のようにマネージャ
ーがたくさんいて、仕事も細分化してきめ細かな計画を立てて遂行しているのとは違い、
当時の事務局長の吉原さんや団長の神野さんのご指導を賜りながら、よちよち歩きで仕
事をしたのを覚えている。
第4回定演では、今のようなすべて指定席とはちがい、自由席で、受付で指定席交換
の方式をとっていたのである。しかも、前回の第3回定演で、みなとみらい大ホールを
満席にしたいという願いから、自由席券を満席はるかに超す数量の発券をした結果、入
場できなくてお帰りいただいたお客様が、50人を超すほどおられたという大失態をし
てしまったのである。そして、第4回では、その方々をご招待しなければならないとい
う命題もあった。前回のように、あふれてしまっては取り返しが付かないし、一方、ま
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た、ホールをできるだけたくさんの方々に入場していただきたいということはもちろん
である。
このような関係で、集客に関しては、その数量の把握に日々神経を使ったことを鮮明
に記憶している。今思い起こしても、マネージャー3人で練習日以外にも、頻繁に関内
駅近くの喫茶店等で会合を持ち、定演マネージ、特に集客について神経を使い検討を進
めてきたことを思い出す。
そのようなわけで、3人がそれぞれ当時を思い起こしながら、もし機会があれば、も
っと気楽な立場で一緒にレクイエムを歌いたいということを常々話しあっていた。幸い
団員への選曲のアンケートでも上位にあり、いつかは実現するであろうと思っていた。
それが、今回第 10 回定演で演奏することになったことはほんとに喜んでいいことで
はあるが、残念ながら共に歌いたかった二人は今はいない。
そこで、両君にこの鎮魂歌を捧げるために今回精一杯頑張って歌った。
自分自身、「ケルビーニ」のできは、今回の方がよかったように思う。何よりも良か
ったのは、国大の学生たちの管弦楽団と共演したことである。アマチュアではあるが、
その演奏が、大変優れているように感じた。我々学生時代は、ピアノがある家庭はほと
んどなく、自前の楽器を持つことなど本当に高嶺の花であった。しかし現在では、ピア
ノのある家庭はそう珍しいことではなく、小さい時から鼓笛隊や金管バンドで楽器に親
しむことのできる環境があり、羨ましい限りである。そのような環境に育った今時の学
生だからこそ、このような演奏ができるのであろうか。
前回はプロということもあって、保土ヶ谷公園の中にあるアートホールでたった一回
合わせをしただけだったので、本番の演奏もしっくりいっていなかった面もあったよう
だ。しかし、今回は事前の練習も回を重ねたせいか、合唱とオーケストラと息はぴった
り合っていたように思える演奏であった。
私は、気管支喘息を患い50歳で仕事を辞めてしまったが、58歳の時から OB 合唱
団に参加し、第一回定演から出演させていただいている。その頃は、まだ病が癒えてお
らず、やっとの思いで練習に参加し、団員の皆さんには大変迷惑をお掛けしていた。そ
れが今では、ヨコハマ34の活動を含め一年に百日を超す湯河原からの横浜通いである。
常々考えているが、こんな私が今のような健康になったのは、先ず、歌うことにより、
呼吸器官の活動を活発にするようになったこと。また、曲を覚え、歌詞を暗譜で歌うこ
とによる頭の訓練。そして、人前で演奏をすることで、良い姿勢を保ち、適度の緊張感
を味わうこと。そして、練習後の同期その他の気の合った仲間との酒宴。これ等全て心
と身体にいいことばかりであると確信している。
これからも体の続く限り、亡き二人の友人の分まで頑張れるよう、OB 合唱団の活動
に積極的に参加し、次回 2012 年 5 月 12 日の第 11 回定演を目指していきたいと思う。
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小田切さんと久保君
昭和47年卒 T-2
堀田 啓一
僭越ですが、46 年卒の川添様からのアドバイスもあり、47 年卒を代表して筆を執ら
せていただきました。今夏からの参加者としての投稿と本件の2つになり、皆様の紙幅
を狭めて誠に恐縮です。さて、この前のフェスティバルにおける「影法師とその仲間た
ち」の紹介の際の藤木君の挨拶にご記憶があれば幸いなのですが、47 年卒では卒業後
に早世した久保君が小田切さんともっとも深い親交がありました。二人の詩人は互いに
惹かれるものがあったのでしょう、練習後の南太田の中華園で、また横浜駅そばの川沿
いの喫茶店で親しく談笑していました。そんな光景を微笑ましく、少し羨ましく眺めて
いたことを思い出します。また私たちの輪の中に在る時は、いつも控えめに、はにかみ
ながら、決して声高になることはなく、暖かく生意気な学生を相手に対等の会話をして
いただきました。
そう、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」にある「イツモシズカニワラッテイル」方でした。
日常的な会話を楽しんでおられたようで、当時、グリーでは北原白秋、中原中也、草野
心平、大手拓次、八木重吉ほか多くの詩人の詩による歌を歌っていましたが、不思議と
詩そのものにかかわるお話を小田切さんからお聴きしたことがありません。そのような
形ではなく、私たちに語りかけることで詩の世界へと導いていただいたのでしょう。
「ほほえみ」。小田切さんその人が語りかけてくれます。
<ほほえみ>
作詞 小田切清光
さよならをいうまえに
約束しましょう また逢うことを
あなたのやさしいほほえみは
わたしのこころに消えないでしょう
木枯らしの吹く夜は
思い出すでしょう きらめく星に
あなたのあかるいほほえみは
わたしのこころに灯をともすでしょう
ほほえみとほほえみで
たのしみにしよう また逢える日を
あなたのきれいなほほえみは
わたしのこころに花と咲くでしょう
ほほえみをありがとう。
今頃、きっと久保君と二人で 40 年ぶりに「久しぶりだね」
「またお逢いできましたね」
と挨拶しながら、仲良く当時の続きを語り合っておられることと思います。
合掌
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編集後記
潮音OB24 号の編集に当たり、27 名の方から 28 件という多数の原稿を頂きまし
て、本当にありがとうございました。
今回の 24 号は、昨年 10 月 17 日開催の第 10 回定期演奏会を中心テーマに原稿を
募集致しまして、20 名の方から今回の定演に関連した原稿を頂きました。定演以外
では 7 名の方から合唱にまつわる話や紀行文などユニークな話題を提供して頂きま
した。また飛永先生他数名の方から、故小田切先生の思い出が寄せられました。
現在の編集委員のうちの 3 名は今回の定演PTのメンバーであったこともあり、
この潮音OB24 号の発行が終わって、ようやく定演プロジェクトの全過程が終了と
いうような感じとなりました。
定演関連では、第 10 回定演記念として演奏した、オーケストラとの共演「レク
イエム」の成功についてのものが多かったことは勿論ですが、技術面に関しても数
名の方から、発声やアインザッツ、暗譜の功罪などについてのご意見が寄せらてい
ます。またレクイエムに特別参加した若い 3 名の方の原稿も頂きました。
今回も多くの写真を挿入して、出来るだけ親しみ易い「潮音OB」に仕上げたつ
もりです。
これからも団員の皆様に、楽しく自 由な意見交換の場とし、色々な話題を提供し
て行きたいと思います。
次回の潮音OB25 号の発行は今年の秋頃を予定していますので、皆様からの沢山
の原稿をお待ちしています。
矢川 記
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潮音OB24号
発行日
:
2011年1月29日
発行元
:
横浜国立大学グリークラブ OB 合唱団 潮音 OB 編集委員会
編集委員:
矢川 一義、 小柳 敏男、 藤澤 秀夫、 鈴木 重方
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