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ことぶき共同診療所だより 36号

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ことぶき共同診療所だより 36号
Web 版 第
36
号 2 0 1 3 年 1 2 月 2 0 日 発 行 〒231-0025 横浜市中区松影町 2-7-17 リバーハイツ石川町 1・2F
電話とファックス 045-651-2305(診療所) 045-305-4322(鍼灸院・資料室)
E-Mail [email protected]
http://kyoudouclinic.com 発 行:医 療 法 人 こ と ぶ き 共 同 診 療 所
目 次 2013年下半期 診療所を振り返る ·············
今年の
大運動会
診療室から
···················
沓澤 則子、長島 克政 ④ (32) − 不機嫌な患者さん − ··········
若 山 康 志 さ ん 、 や す ら か に 大平 鈴木 伸 ②
野本 清志 ⑤ 正巳、鳥潟 恭子、橋本 等、船崎 葉子 ⑥ 寿町関係資料室コレクション ···················
松本 一郎 ⑩ ‐ 【 2 】『 神 奈 川 県 匡 済 会 四 十 五 年 の あ ゆ み 』 ‐ 寿町を見学して ·······················
鈴木 慎、大和田 舞 ⑪ 職員自己紹介 ································
久松 由華 ⑭ 寿町地域ニュース・あらかると ('13 年 6 月∼11 月) ······
松本 一郎 ⑭ 診療所日誌 ('13 年 7 月∼11 月) ·······················
矢島 雅子 ⑮ 共 同 診 療 所 ・ 鍼 灸 院 ガ イ ド ································ ⑯ 1
こ と ぶ き 共 同 診 療 所 だ よ り
第 36 号
2013 年下半期 診療所を振り返る 【はじめに】
除 く ) 。まだ3か月 ほどですが、早 くも診 療
毎 回 書 いていてなんですが、あっという
所 や、寿 町 になじんでいただいているよう
間 に 2013 年 も終 わりに近 づいております。
です。また、秘 密 の情 報 筋 によるとかなり
今 年 は「じぇじぇじぇ」と言 いたくなるような
の歴 女 で、新 撰 組 などに非 常 に詳 しいと
猛 暑 で、その後 厳 しい残 暑 が続 いたの
の こと で、寿 の歴 史 好 きの おじさ んた ち と
ち、台 風 があれもこれもととおり過 ぎ、気
の歴 史 トークもそのうち見 られるのではな
がつくとあっという間 に寒 い冬 が来 てしま
いかと期 待 しております。今 後 も末 永 くよ
い、秋 の気 配 を感 じる間 もなかったような
ろしくお願 いします。
気 がします。もはや異 常 気 象 というより、
【デイケアメンバーの若 山 さんなくなる】
地 球 規 模 の変 動 期 に入 ったのかもしれ
この職 業 についていると、悲 しい別 れに
ないなあと個 人 的 には考 えております。
直 面 することが多 いのですが、今 回 もつ
そんな中 での診 療 所 の下 半 期 について
らい別 れがありました。当 院 のデイケアに
総 括 するのはいつ?「今 でしょ」ということ
通 っていた若 山 さんが 50 歳 という若 さで
で振 り返 ってみたいと思 います。
急 死 されたのです。当 初 は薬 物 依 存 症
【久 松 Drきたる:
ということで当 院 に来 院 されましたが、ア
毎 週 火 曜 日 (第 1週 をのぞく)】
ルコールのクロスアディクションもあり、こ
恒 常 的 に医 師 不 足 に悩 まされている
ちらのほうが問 題 となりました。ミーティン
当 診 療 所 ですが、今 回 、久 松 由 華 先 生
グへは頑 な拒 否 があり、やむなく抗 酒 剤
が来 てくださることになりました。久 松 先
の DOTsをやってもやはりお酒 はとまらず、
生 は、土 屋 先 生 の大 学 での同 僚 で、心
役 所 の CW と相 談 し、金 銭 管 理 を導 入
療 内 科 を専 門 とされています。地 元 横 浜
しました。その後 、スタッフから「若 山 さん、
の出 身 で、高 校 は寿 町 のすぐ近 くだった
デイにどうかしら」との推 薦 があり、当 院
とのことですが、寿 町 には(地 元 の人 にあり
のデイケアへ通 所 されることになりました。
が ち で す が ) ほとんど足 を踏 み入 れたことが
当 初 は表 情 も硬 かったのですが、持 ち
なかったとのことです。しかし、今 回 土 屋
前 の人 当 たりの良 さで急 速 にデイケアに
先 生 が声 をかけてくださったところ、8月 1
馴 染 んでいくと、表 情 も柔 らかくなりまし
2日 から毎 週 火 曜 日 に当 院 に勤 務 してく
た。それに伴 いアルコールの量 も完 全 断
ださることになりました ( た だ し 、 当 面 第 1 週 を
酒 とはいかないまでも順 調 に減 っていき
ました。日 常 生 活 にも変 化 がでて、当 初
2
2 0 1 3 年 1 2 月 2 0 日 は毎 日 同 じ服 をきていたのですが、おし
本 人 と連 絡 を取 っていたとのことで「今 度
ゃれ心 が復 活 し、カラフルな服 や、それ
こそがんばれそうだ」と語 っていたとのこと。
に合 う帽 子 をコーディネートして登 場 する
お母 さんが育 てている息 子 さんには「お
ようになりました。長 髪 を束 ね、さながら
父 さんは最 後 まであなたのことを気 に掛
TRF の サ ム の よ う な か っ こ よ さ を 呈 し て き
けていたよ」と伝 えていただけるようお願
ました。すっかり出 てしまったお腹 を気 に
いしました。ご冥 福 をお祈 りします(追 悼
し、「どうしたらお腹 がへっこみますか?」
文 の掲 載 あります)。
と気 にして漢 方 薬 を試 したりしました。ま
た、身 体 の健 康 も気 にして、自 ら肝 臓 を
きちんと見 てもらいたいということで総 合
病 院 でみてもらい、「大 丈 夫 」とのお墨 付
きをもらいました。「将 来 的 には母 親 に預
けている息 子 を引 き取 るんだ」と夢 を語 る
ようになりました。金 銭 管 理 でたまったお
金 でパソコンを買 い、youtube でロックを
聴 くなど健 康 的 な部 分 が増 えてきていま
した。私 も、これは順 調 ではと思 っていま
した。しかし、その矢 先 、スリップし、連 続
飲 酒 に入 ってしまったのです。金 銭 管 理
をしていたのでそれほど飲 めないはずで
したが、寿 町 の「絆 」の深 さが災 いし、ど
こからかアルコールが調 達 される日 が続
きました。「明 日 こそはアルコールを抜 い
てきてね」と伝 えてもむなしく、翌 日 も泥
酔 状 態 が続 きました。「大 切 な友 人 なら
アルコールを飲 ませないようにお願 いしま
す」という張 り紙 をはるも無 効 で、「これは
そろそろ入 院 させねば」と思 っていたとこ
ろ見 守 りにいったスタッフからメールが入
りました。部 屋 で亡 くなっていたとのことで
した。よくなりかけていただけに非 常 に残
念 に感 じました。
翌 日 、役 所 から連 絡 を受 けたご両 親 が
わざわざ診 療 所 にいらっしゃいました。ご
【看 護 ・福 祉 ・医 学 生 ・研 修 医 、
寿 町 に見 学 ・実 習 に】
当 院 ではこれまでも寿 町 のことを知 って
もらったり、将 来 的 にあわよくば来 ていた
だけるのではないかと期 待 し、また、私 が
学 生 時 代 、あちこちに実 習 に行 きまくり
大 変 勉 強 になった体 験 から実 習 を積 極
的 に受 け入 れてきました。今 年 も、研 修
医 、看 護 師 を中 心 に受 け入 れてきました
が、8 月 には夏 休 みを利 用 して国 際 学
生 連 盟 に属 する医 学 生 が 7 名 寿 町 を訪
れ、ことぶき介 護 実 習 、アルクミーティン
グ見 学 、私 のお話 、夜 の懇 親 会 を行 い
ました。さらに実 習 後 、立 派 な報 告 集 を
届 けてくれました(一 部 は本 誌 に掲 載 )。ま
た 、 10 月 か ら 最 近 で は 日 本 赤 十 字 大
学 ・神 奈 川 県 立 保 健 福 祉 大 学 の学 生 さ
んや、東 邦 大 学 看 護 学 部 の学 生 さんが
見 学 ・実 習 をしたりと、にぎやかな状 態 と
なっております。
かつて、自 分 も現 場 を見 学 させてもら
い勉 強 になった恩 を「倍 返 し」しなくては
と思 いつつ、将 来 寿 の医 療 を担 ってくだ
さる方 が現 れることを願 っています。心 を
こめて「お・も・て・な・し」をしていきたいと
思 います。
(医 師 鈴 木 伸 )
3
こ と ぶ き 共 同 診 療 所 だ よ り
第 36 号
今年の
大運動会
いつもお世話になっている沓澤さんと永島さん。当日の突然の原稿依
頼でしたが、すぐに快諾していただき、ありがとうございました。今
後ともよろしくお願いします。(編集部) 第 13 回 こ と ぶ き 共 同 診 療 所 大 運 動 会
に 参 加 し て 訪 問 看 護 ス テ ー シ ョン コ ス モ ス 寿
沓澤 則子
10 月 11 日 、 秋 晴 れ の 強 い 日 差 し の も
と、ことぶき共 同 診 療 所 大 運 動 会 が行 わ
れました。
私 は、寿 町 で働 き始 めた 6 年 前 から、
飴 を食 べて真 っ白 になった顔 、逃 げま
どう玉 入 れの籠 、真 剣 勝 負 の綱 引 き、篠
笛 の演 奏 、どれも見 ていて楽 しかったで
す。煩 雑 な仕 事 を抜 け出 して気 持 ちの
良 い和 やかな時 間 を過 ごすことができま
した。ありがとうございました。来 年 も楽 し
みにしています。
○●○
運 動 会 に参 加 させていただいています。
初 参 加 の時 は「診 療 所 の運 動 会 」と聞 い
素 晴 ら し い 運 動 会 で し た て、デイケアの方 と職 員 の方 との小 さい
ことぶき介 護 永 島 克 政
運 動 会 だとばかり思 っていましたが、参
快 晴 の中 、運 動 会 を迎 える事 が出 来 ま
加 機 関 が多 い大 運 動 会 で驚 きました。
した。私 は 5 年 連 続 5 回 目 の参 加 となっ
仮 想 競 争 での鈴 木 先 生 の女 子 高 生 姿
たのですが、毎 年 この秋 の運 動 会 を楽 し
が印 象 に残 っています。その頃 は数 人 の
みにしておりました。今 年 は事 前 準 備 の
利 用 者 さんと参 加 していましたが、年 々
段 階 でアルクの方 々がライン引 きや、
少 なくなり、今 年 はAさんと私 の 2 人 でし
色 々な事 を手 伝 って下 さり、大 変 助 かり
た。6 年 前 は車 いす競 争 で私 を乗 せて
ました。
押 してくれたり、綱 引 きで尻 もちをついて
競 技 では、どの種 目 も白 熱 したレース
笑 っていたAさんですが、このところは車
になり、大 変 盛 り上 がりました。私 も含 め
いすでの参 加 です。今 年 は運 動 会 の競
てですが、童 心 にかえって、青 空 の下 、
技 にはめずらしい伝 言 競 争 がありました。
広 いグラウンドで皆 と一 緒 に運 動 会 が出
「ヒラヤマサンがヒマラヤで・・・」、ボール
来 る喜 びに感 謝 して、また来 年 皆 と吉 浜
運 び競 争 など車 椅 子 でも楽 しめる競 技
町 公 園 で綱 引 きなどの真 剣 勝 負 をした
がたくさんありました。そしてAさんはなに
いと思 います。
よりもアルクのメンバーさんに会 うのを楽 し
運 営 に携 わって下 さったこと共 のスタッ
みにしています。アルク席 の真 ん中 でタ
フ、その他 関 係 者 の皆 様 、本 当 にありが
バコを吸 いながら、「Aちゃん元 気 か?」と、
とうございました。また来 年 もよろしくお願
声 をかけられて嬉 しそうでした。
いいたします。
4
2 0 1 3 年 1 2 月 2 0 日 不 機 嫌 な 患 者 さ ん 働 き始 めて間 もない頃 、いつも機 嫌 が悪 い患 者 さんがいました。慢 性 の心
不 全 で、通 院 、飲 み薬 でコントロールしていたのですが、むくみの状 態 を診 る
ために足 を触 っても「痛 い、触 るな」と怒 鳴 られていました。
その方 が、心 不 全 が悪 化 し、入 院 することになりました。入 院 して、注 射 薬
などを使 うと、症 状 は良 くなります。入 院 当 初 は、苦 しくて、何 かを言 うことも出
来 なかったのですが、改 善 するとともに、会 話 も出 来 るようになります。すると、
その方 が、非 常 に穏 やかになっているのです。それは、感 謝 の気 持 ち云 々と
いった感 じではなく、性 格 そのものが変 わったかのようでした。
退 院 後 、外 来 でも、その穏 やかな感 じは変 わりませんでした。おそらく、それ
までは ( 苦 し い と い う 意 識 は な く て も ) 苦 しくてイライラしていたのだと思 いました。
後 で知 った言 葉 ですが、心 と体 は密 接 に関 係 しているということを「心 身 相
関 」と い うよ うで す 。「精 神 的 な ス トレ ス が あると、体 の 不 調 とし て 現 れ る」とい う
ことで言 われことが多 いようですが、逆 のパターンもあるようです。
どこかに痛 みがあるとイライラする、といった経 験 は、誰 しもあると思 います。
「血 圧 が多 少 高 くても、あるいは血 糖 値 が多 少 高 くても、自 覚 症 状 はない」と
言 いますが、やはり、体 、あるいは心 に何 らかの影 響 を与 えているのだと思 い
ます。
最 近 はあまり怒 鳴 られませんが、不 機 嫌 な患 者 さんの時 は、体 の状 態 が少
しでも良 くなることで、ひょっとして穏 やかになることもあるかも、と思 いこむよう
にしています。もちろん「全 ての患 者 さんが、実 は穏 やかな人 である」といった
甘 い考 えはありませんが・・・。
(野 本 清 志 )
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こ と ぶ き 共 同 診 療 所 だ よ り
第 36 号
若山康志さん、やすらかに
若 山 さ ん を 偲 ん で アイロンをかけた洋 服 を着 てきた、おしゃ
れに気 を使 うようになったなど、本 来 の
若 山 さんは、2012 年 3 月 16 日 にデイ
若 山 さんの姿 が見 えてきています。私 に
ケアにやってきました。ご本 人 はお酒 を
とっては小 さなことに見 える出 来 事 にク
やめたいがやめられないとお話 をされて
ヨクヨして、他 人 の振 る舞 いや言 動 に傷
いました。記 録 を読 むと、最 初 の6ヶ月
ついて。でも、我 慢 しながら頑 張 る姿 が
程 はアルコールを抜 くことが出 来 ず生 活
印 象 に残 っています。時 折 「自 分 はこん
も乱 れ、デイへの参 加 も挫 折 をくり返 し
なに頑 張 っているのに何 故 、まわりは認
ていました。傍 目 にも、楽 しいとは程 遠
めてくれないのか」と不 満 をぶつけられる
い生 活 に見 えました。この頃 は、よくお
こともありましたが、 「なぜ若 山 さんはここ
部 屋 を訪 問 して若 山 さんとお話 をしてい
に通 っているの?」と問 うと、ハッとした
たことが印 象 に残 っています。アルコー
表 情 でいつもの若 山 さんに戻 って行 く。
ルが入 りながらも、お酒 をやめたいと話
こんなやり取 りが思 い出 されます。
す若 山 さんに、なかば呆 れつつも支 援 と
今 年 は、デイケアの一 泊 旅 行 で川 遊
訪 問 と面 談 を継 続 していたことを思 い出
びに行 ったり、頑 張 りが認 められ生 活 の
します。
幅 も広 がるなど若 山 さんの希 望 が叶 い
半 年 程 経 過 し、担 当 ケースワーカーに
始 めた年 でした。そして、家 族 のこと。特
よる生 活 費 の金 銭 管 理 とデイケア通 所 、
に事 情 があって会 えない息 子 さんにい
抗 酒 剤 DOTS、そして担 当 の鈴 木 先 生
つか会 えるように「自 分 は治 療 を頑 張
や診 療 所 スタッフ、デイケアの仲 間 との
る」と繰 り返 し話 していました。でも、
関 わりを含 む治 療 が進 む中 で生 活 が改
元 々思 いやりがあり、他 者 に優 しい若 山
善 して行 きました。この頃 の記 録 を読 む
さん。気 がつくと、お酒 を呑 むグループ
と布 団 乾 燥 機 を購 入 したり、カラオケ
に嵌 まり込 みお亡 くなりになってしまいま
BOX で歌 を 10 数 年 ぶりに歌 った、朝 起
した。2013 年 10 月 23 日 の朝 、私 が訪
きれるようにと目 覚 まし時 計 を購 入 したり
問 した時 には眠 っているようなお顔 で布
と、それまでとは明 らかに違 う立 ち直 りに
団 の上 に座 って冷 たくなっていました。
向 けた努 力 の跡 が見 て取 れます。
若 山 さんがどんな方 だったかを振 り返 る
この後 は、記 録 によるとスリップも減 り、
6
と、とても真 面 目 で、自 分 なりに精 一 杯
2 0 1 3 年 1 2 月 2 0 日 頑 張 った方 だったと思 います。そのこと
つ、こう、ゆっくりさ、丁 寧 に名 前 書 いて
をもっと生 きている内 にお伝 えしたかっ
いって。俺 、あこがれたの。こどもの頃 か
た。もっと応 援 してあげたかった。もっと
ら、自 分 のこどもが出 来 たらそういうのや
踏 み込 んで支 援 したかった。今 は、そん
ってやりたいなぁっておもってた。親 にな
なことを考 えています。前 の日 の朝 に訪
ったなぁ。」
問 した時 に、お酒 が入 った状 態 で悲 し
嬉 しそうに話 してくれた。
そうに「すいません」と謝 り、 自 分 を悔
息 子 を、家 族 を、とてもとても大 切 に思
いていたことを思 い出 します。その気 持
っていた。いつも、こどもを本 当 によくか
ちを援 助 に活 かせなかったことが後 悔 さ
わいがったと、きっぱり言 っていた。こど
れます。
もを海 に連 れて行 ったこと。こどもに、戦
(大 平 正 巳 )
隊 モノのおもちゃをプレゼントした話 。
お父 さんの若 山 さんは、自 分 の抱 える
若 山 さ ん へ 現 実 にたくさん悩 んでもいたけれど、大
切 なものがあって幸 せそうだった。
若 山 さんを初 めて見 たとき、「これはま
よく、こどもに会 いたいと言 っていた。
た、うちのデイケアにしては珍 しいタイプ
それはかなわなかったけれども、こどもを
の方 だなぁ」と思 った。
守 ってやりたいという強 い思 いや、大 人
ここ寿 町 には数 少 ない、本 気 でおしゃ
になっていく息 子 に伝 えたいこと、たくさ
れしている人 。例 えば、レモンイエローの
ん深 い思 いを抱 いていた。半 年 の短 い
パンツに白 いシャツを開 襟 にし、ネックレ
付 き合 いだったが、こどもと暮 らすという
スを見 せている。毎 朝 、トータルコーディ
夢 、もっとちゃんとサポートしてあげたか
ネートでにっこり笑 って挨 拶 してくれると
ったな。
「プロフェッショナル」なさわやかさ。さす
がだなーと思 った。
調 理 場 でスイカ切 るのを手 伝 ってもら
っていたら、ちゃっかりつまみ食 いしてい
実 年 齢 と違 い、一 見 ちゃらい若 者 、で
たな。いたずらっ子 、ちゃっかりした少 年
も、家 庭 を大 事 にしたかったのだという
みたいでもあり、そして愛 情 深 い若 山 さ
のがとても印 象 的 だった。
んだった。
デイケアで、前 の席 につき書 道 をやっ
ゆっくり、休 んでね。
ていたときのこと。
彼 は、ととのったきれいな字 を書 いた。
字 を書 くことについておしゃべりしている
と、「こどもが小 学 生 になるとき、学 校 の
(鳥 潟 恭 子 )
若 山 さ ん へ 用 意 で、いろいろなものにこどもの名 前
「自 分 の誕 生 日 は 10 月 3 日 でオヤジの
書 くでしょ。嬉 しかったなぁ。ひとつひと
誕 生 日 が 10 月 22 日 。だから 10 月 3
7
こ と ぶ き 共 同 診 療 所 だ よ り
第 36 号
日 位 か ら 酒 を や め て い っ て 、 22 日 に は
完 全 にやめようと思 っているんです」
若 山 さんが 9 月 頃 によく話 してくれた
言 葉 でした。
私 はデイケアのスタッフに入 るときには
診 療 所 のデイケアに通 ってこられる患
者 さん。みなさんそれぞれさまざまな事
情 をお持 ちの事 だと思 います。
そして現 在 は一 人 で暮 らしていらっし
ゃる方 がほとんどです。
調 理 を担 当 することが多 く、若 山 さんは
未 来 の自 分 の夢 を描 く方 もたくさんい
食 材 のお買 い物 の時 に、他 のメンバー
らっしゃいます。若 山 さんもいつか再 び
さんと共 に買 い物 担 当 をしてくれまし
自 分 の家 族 を持 ちたいということを、
た。
時 々つぶやいていらっしゃいました。
近 所 のスーパーまでの道 すがら、皆 さ
月 に一 回 の銭 湯 を楽 しみにしていた
んと話 をしながらのんびり歩 くのですが、
若 山 さん。造 形 で絵 を描 く時 にはとても
そんな時 に若 山 さんとも沢 山 の会 話 をし
丁 寧 に描 いていらっしゃった若 山 さん。
ました。
物 を運 ぶ時 など率 先 して運 んでくれた
5 月 のある日 、若 山 さんが「空 がきれい
若 山 さん。お抹 茶 の時 には神 妙 な面 持
だ。こんな日 は部 屋 にいたらもったいな
ちになっていた若 山 さん。結 構 食 通 だっ
いですね」とつぶやき、二 人 で 5 月 の空
た若 山 さん。おしゃれで、繊 細 で、人 の
を見 上 げたりしました。
いい若 山 さんでした。
肉 が好 きだった若 山 さん。買 い物 の時
に野 菜 炒 めの肉 を多 めに買 ったりもしま
そんな若 山 さんが 10 月 23 日 にお亡 く
なりになられました。50 歳 でした。
した。若 山 さんの体 調 が悪 い日 に肉 料
診 療 所 の職 員 として若 山 さんの突 然
理 だと「残 念 です」と本 当 にさみしそうに
の死 は悲 しみと共 に、悔 やまれることも
言 うこともありました。
あります。
デイケアの一 泊 旅 行 でのバーベキュー
では、お肉 を堪 能 し満 足 そうな表 情 の
若 山 さんがカメラに収 まっています。
若 山 さん。どうぞ、ゆっくりお休 みくださ
い。
美 味 いもので楽 しんでください。
デイケアに通 って約 1年 半 。通 所 を始
(橋 本 等 )
めた頃 はアルコールを抜 くことが目 標 の
一 つで、昼 夜 逆 転 状 態 の若 山 さんの生
若 山 さ ん の 思 い 出 活 を立 て直 すためにも、毎 朝 スタッフが
お迎 えに行 っていたことを思 い出 しま
す。
若 山 さんが亡 くなり、少 し時 間 が経 ち
ました。最 近 は、あまり「わかちゃん、○
何 度 もお酒 を飲 んでしまっては、振 出
○だったよね・・・」と懐 かしむ言 葉 も出
しに戻 る。そんなことを繰 り返 しながらも
なくなりました。それでもまだ、デイケアの
デイケアに通 っていました。
部 屋 には若 山 さんの死 で味 わった皆 さ
8
2 0 1 3 年 1 2 月 2 0 日 んの不 安 で哀 しい気 持 ちが其 処 ここに、
置 き去 りのままになっているような気 がし
ます。
若 山 さんは、優 しい人 でした。
「ありがとう、ごちそうさま、お疲 れ様 。お
いしかったです」。ごく当 たり前 の挨 拶 や
か?
ち
川 遊 びのとき、橋 本 さん家 の玄 くんの
頭 を、そっと撫 ででいたのを見 ていまし
たよ。
見 られていることに気 が付 いて、照 れく
さそうに笑 っていましたね。
気 持 ちの良 い一 言 を、惜 しまず、恥 ず
もしもいつか、あなたの息 子 さんがあな
かしがらず言 ってくれる方 でした。それは
たのことを診 療 所 に聞 きにきたら、「お父
本 当 に嬉 しかった。
さんは、心 からあなたに会 いたがってい
「ああ、お母 さんのお腹 の中 から生 まれ
らした」と話 したいと、実 は心 の中 で思 っ
直 したい!」
ています。
ときどき、溜 息 を吐 き出 すようにそう言
そうそう、篠 笛 のプログラムの中 で、初
って。本 当 にそう思 っているような気 がし
めて「翼 をください」を歌 ったことを憶 え
て、その痛 さに「本 当 にそう思 ってるんだ
ていますか? 実 は、デイケアの中 で涙
ねぇ」とそのまま返 すしかないときがありま
したのは、あなた一 人 ではなかったで
した。
す。
若 山 さんは、息 子 さんの幸 せを願 う父
でもありました。同 時 に今 の自 分 を息 子
がどう思 っているのか、大 変 心 を痛 める
父 でもありました。
最 近 は、事 あるごとに、ご高 齢 のご両
親 に向 けて感 謝 の言 葉 を口 にされてい
ました。
それにしても若 山 さん、今 年 の夏 の稲
その「翼 をください」を今 度 のクリスマス
会 のときにみんなで歌 います。
あなたは、デイケアで楽 しい時 間 を過
ごしてくれていたのでしょうか?
私 たちの歌 を聞 いていてください。あな
たに届 いたら、嬉 しいです。
どうぞ、安 らかに。
(船 崎 葉 子 )
子 は、とても楽 しかったと思 いません
9
こ と ぶ き 共 同 診 療 所 だ よ り
第 36 号
寿 町 関 係 資 料 室 コ レ ク シ ョ ン 【 2 】 社 会 福 祉 法 人 神 奈 川 県 匡 済 会 『 神 奈 川 県 匡 済 会 四 十 五 年 の あ ゆ み 』 ( 1963 年 、 非 売 品 、 全 424 頁 ) 大 正 7 年 (1918 年 )8 月 4 日 。富 山 県 の水 橋 港 で、米 の積 み出 しに対 して、水 上 ノブを中 心 とし
た「おかか」達 が、「米 をよそにやらんといて」と訴 える事 件 が起 こる(NHK「その時 歴 史 が動 いた
第 267 回
格 差 への怒 り 政 府 を倒 す∼大 正 デモクラシーを生 んだ米 騒 動 ∼」、2006 年 )。第 一 次 世 界 大 戦 の影 響 で成 金 と
なった商 人 等 が、更 に儲 けを増 やそうと、米 投 機 ・買 占 めを行 った結 果 、米 の価 格 は高 騰 してい
て、市 民 に米 が渡 らない事 態 が起 きていた。それだけではなく、大 戦 の影 響 、資 本 主 義 の急 激 な
発 達 によって、高 インフレが起 こり、全 国 的 に貧 困 ・低 所 得 者 が広 がっていた。この事 件 を発 端 に、
全 国 的 に「米 騒 動 」と呼 ばれる暴 動 が起 こった。横 浜 では、8 月 16 日 の夜 、「横 浜 公 園 に人 が集
まりはじめ、警 察 の制 止 にもかかわらずデモに移 り、関 内 の太 田 派 出 所 を破 壊 、伊 勢 佐 木 町 方 面
にまでおしだし米 騒 動 が勃 発 した」(中 丸 和 伯 『神 奈 川 県 の歴 史 』山 川 出 版 社 、1973 年 )。
寺 内 内 閣 は、10 万 人 の軍 隊 を出 兵 し、市 民 を弾 圧 し多 くを殺 害 した。最 終 的 に、寺 内 内 閣 は
総 辞 職 した。
米 騒 動 当 時 、神 奈 川 県 は 8 月 14 日 から外 米 の廉 売 を行 った。8 月 21 日 には、有 吉 知 事 が、
横 浜 市 長 、横 浜 商 業 会 議 所 会 頭 らに呼 びかけ、「県 下 における細 民 生 活 の状 態 を調 査 し、その
救 済 方 法 を講 じ、これが実 行 を期 するを以 て目 的 」とする「社 団 法 人 神 奈 川 県 救 済 協 会 」を翌 年
1 月 に設 立 させた(12 月 に神 奈 川 県 匡 済 会 と改 称 )。匡 済 会 は、県 知 事 が呼 びかけているとはいえ、
資 本 主 義 社 会 における支 配 的 な階 級 (実 業 家 、資 産 家 )が主 導 して設 立 させた団 体 であった。例
えば、民 間 初 代 会 長 は、生 糸 貿 易 で財 をなした原 富 太 郎 (号 :三 溪 )である。原 は、本 牧 の三 渓 園
を作 った大 富 豪 として横 浜 で著 名 な人 物 である。
本 書 は、社 会 福 祉 法 人 神 奈 川 県 匡 済 会 の設 立 からの 45 年 間 の沿 革 を記 録 している。匡 済 会
は、現 在 「ホームレス自 立 支 援 施 設 はまかぜ」などを運 営 しているが、神 奈 川 県 内 の貧 困 ・低 所
得 者 対 策 の歴 史 においては、常 に極 めて重 要 な役 割 を果 たしてきた。
匡 済 会 は、低 所 得 労 働 者 のために、入 所 施 設 ・低 家 賃 アパートの労 働 者 合 宿 所 ・横 浜 社 会
館 ・川 崎 社 会 館 ・横 浜 新 興 倶 楽 部 、沖 仲 仕 休 憩 所 、公 設 市 場 、公 設 浴 場 、社 会 事 業 図 書 館 、
社 会 問 題 研 究 所 などを設 置 し、運 営 してきた。本 書 は、神 奈 川 の貧 困 対 策 史 や社 会 事 業 史 に
欠 かせない 1 冊 である。
10
(寿 町 関 係 資 料 室 松 本 一 郎 )
2 0 1 3 年 1 2 月 2 0 日 寿 町 を見 学 して
見 学 の 感 想 が輪 郭 を得 て来 たのだと考 えている。そんな
埼 玉 医 科 大 学 4年 鈴 木 慎
彼 らに何 かできないかと思 い活 動 をしている
わけなのだが、その私 の思 いも余 計 なお世
ドヤ街 に通 い始 めてはや3年 、釜 ヶ畸 、山
話 になってしまうことが多 々ある。そこである
谷 、寿 町 に何 回 行 ったかも、もはや覚 えてい
程 度 の線 を引 きながら将 来 的 に彼 らのため
ない。三 日 坊 主 を信 条 に生 きてきた私 として
になることをしたいと考 えた。①彼 らの抱 えた
は、これほど継 続 して続 けられていることは、
問 題 を多 くの人 に共 有 する、②自 分 の人 生
はじめてに等 しい。大 学 に入 学 して3年 間 ド
に納 得 して死 んで欲 しいということの2つであ
ヤ街 に通 い続 けた私 が、今 考 えていることを
る。
寿 町 スタディーツアーの感 想 と言 う形 でまと
めたいと思 う。
①彼 らの抱 えた問 題 を多 くの人 に共 有 す
る。先 にも書 いた通 り、ドヤ街 は様 々な問
親 譲 りの無 鉄 砲 で子 供 の頃 から損 ばかり
題 が山 積 みである。感 染 症 、各 種 依 存
しているわけではないが、自 分 は坊 ちゃんで
症 、精 神 疾 患 、孤 独 死 、後 期 高 齢 化 、
あることは言 うまでもないと思 う。地 域 の開 業
就 労 、社 会 福 祉 制 度 、挙 げればきりがな
医 の息 子 として生 まれた私 は、父 や母 など
い。その状 況 は将 来 の日 本 の縮 図 だと言
の家 族 、そして地 域 の方 に愛 され何 不 自 由
われている。特 に後 期 高 齢 化 が進 み孤
ない生 活 を送 ってきた。そのパーソナリティー
独 死 が増 え社 会 福 祉 制 度 の見 直 しが必
を端 的 に表 すのであれば、お人 好 しの一 言
要 である点 は、みなさんも納 得 できるはず
につきる。正 直 、お人 好 しという自 分 の性 格
だ。それを多 くの人 に伝 え考 えてもらうこと
は好 きではない。そんな中 、IFMSA に入 り、
で将 来 の彼 らの生 活 が改 善 されるかもし
はじめてドヤ街 という場 所 に行 った。正 直 、
れない。それだけではなく、この問 題 を考
日 本 にこんなところがあるのかと驚 いた。真 っ
えることで将 来 の日 本 の問 題 解 決 、世 界
昼 間 から路 上 でおっちゃん達 は寝 そべり、
の問 題 解 決 のきっかけになりうると信 じて
酒 を飲 み、賭 け事 をして遊 び、炊 き出 しの列
いる。
に並 び、そしてまた寝 る。彼 らは本 当 に自 由
② 自 分 の人 生 に納 得 して死 んで欲 しい。
に見 えた。他 の人 と感 覚 がずれているのかも
私 が思 う良 い死 というのは死 ぬ瞬 間 に「あ
知 れないが、不 器 用 で無 骨 な彼 らの生 き方
一 良 い人 生 だった。」と思 いながら大 事 な
が魅 力 的 に感 じた。それは、今 までレールの
人 に看 取 られて死 ぬことである。それを1
上 を走 っているような人 生 だったからなのか
つの良 い死 の形 と定 義 するのであれば、
もしれない。彼 らとふれあうことで自 分 とは
重 要 な条 件 は人 生 に対 する「納 得 」と看
180 度 異 なった人 生 を見 ることで、今 まで曖
取 ってくれる「誰 か」の存 在 である。彼 らの
昧 だったやりたいことや自 らの存 在 というもの
中 には誰 にも看 取 られることなく自 分 の人
11
こ と ぶ き 共 同 診 療 所 だ よ り
第 36 号
生 に対 し懐 疑 しながら死 んでいく人 たち
い。
が多 くいる。彼 らの人 生 は今 ある日 本 の
最 後 に寿 町 に訪 問 するたびにお手 伝 いし
発 展 を肉 体 労 働 と言 う面 で支 え、現 在 の
てくださることぶき共 同 診 療 所 の鈴 木 伸 先
社 会 形 成 の礎 を築 いたといっても過 言 で
生 、毎 回 本 当 にありがとうございます。先 にド
ないそんな素 晴 らしい人 生 への誇 りを忘
ヤ街 に通 い始 めて3年 目 と書 いたが、その
れぬままに逝 って欲 しいと思 う。どのように、
期 間 は長 いようで短 い、他 の支 援 されている
寄 り添 っていくかはまだ答 えは出 ないが
方 に比 べたらまだ青 二 才 である。つまり3年
何 かしたいと思 っている。
間 ぐらいでは継 続 性 があるとは言 えない。そ
今 回 の寿 町 スタディーツアーを計 画 した背
して継 続 性 、これが私 の課 題 である。これか
景 には、上 に書 いたことを達 成 するためには
らも興 味 を持 ち活 動 し続 けていけるよう自 分
何 が必 要 か、そして、そのためにはどんなイ
自 身 に祈 る。まだ3年 目 なのだ、先 は長 い。
ベント構 成 にすれば良 いのか、そして、どうし
たら多 くの参 加 者 に満 足 してもらえるかを考
✩ ★ ✩
えて開 催 した。裏 目 標 は「彼 らの生 活 に寄 り
添 う」ということで、訪 問 ヘルパー同 行 と彼 ら
見 学 の 感 想 の大 好 物 かつ自 分 の大 好 物 のアルコールと
旭 川 医 科 大 学 医 学 部 2年 大 和 田 舞
それから生 じる問 題 を扱 うためにアルコール
依 存 症 のデイケアヘの見 学 とした。
私 は日 本 の中 でも比 較 的 中 間 層 より上 の
ヘルパー同 行 では利 用 者 さんの生 活 を垣
家 庭 で、家 族 や経 済 、健 康 面 で何 不 自 由
間 見 れたことはもちろん、「オレは、医 者 なん
なく暮 らし、また、自 分 と同 じような階 級 の人
か信 じられねぇ、出 て行 け!!」と怒 鳴 りつけ
たちに囲 まれた環 境 の中 で生 活 をしてきた
られたのは良 い思 い出 である。まだ、医 大 生
わけである。そんな私 にとってドヤ街 という場
なんだけどなと思 ったのだが。それだけ、この
所 は意 識 しなければ全 く縁 のない場 所 であ
人 の医 者 に対 する嫌 悪 感 が強 く、そうなった
った。しかし、将 来 医 療 者 となり自 分 の持 っ
きっかけが必 ずあったことを考 えると少 しむな
ている知 識 ・技 術 を社 会 に還 元 していきた
しく感 じた。このような人 にどのように医 療 ヘ
いと思 う中 で、「貧 困 」が私 にとって非 常 に
アクセスさせていくかを考 えさせられる一 例 で
興 味 をひくトピックとなっていた。また、「貧
あったと思 う。
困 」といえば途 上 国 や海 外 のスラムなどのほ
アルク(アルコール依 存 症 向 けのデイケア)では
うが想 像 しやすいが、まずは身 近 にある国 内
アルコール依 存 症 の方 の病 気 に至 るまでの
からという姿 勢 で今 回 このツアーに参 加 し
過 程 と、そして彼 らの抱 える悩 みについて学
た。
ぶことができた。ミーティングの参 加 は2回 目
はじめに訪 れた「ことぶき介 護 」では訪 問 ヘ
なのだが、毎 回 異 なった人 々の思 いを聞 くこ
ルパーの方 に同 行 させていただき3人 のお
とができ、非 常 に考 えさせられる。普 段 から
部 屋 に上 がらせていただいた。その中 で最 も
アルコールを飲 む機 会 が多 いので、自 分 も
印 象 的 だったのが3人 目 の女 性 の方 だった。
お酒 との付 き合 い方 を考 えなければならな
この方 は、私 達 が部 屋 に上 がるなり体 中 の
12
2 0 1 3 年 1 2 月 2 0 日 痛 みを訴 えてきた。女 性 は父 親 を癌 で亡 くし
た。職 員 の方 に早 速 自 分 が抱 いた感 想 ・疑
ており、自 分 も同 じ病 気 で死 ぬのではないか
問 をぶつけてみた。医 者 の役 割 とは何 なの
と死 への恐 怖 を涙 声 で訴 えていた。部 屋 に
か。その方 いわく、病 気 であると診 断 をくだし、
はテレビが置 いてあるものの、体 が不 自 由 で
きっぱりアルコールを禁 止 し制 限 するというこ
自 由 に動 き回 ることができなければ、家 族 も
とであった。患 者 からすれば、医 者 から言 わ
いない孤 独 な時 間 が多 い。痛 みに耐 えなが
れたらさすがにと思 うらしい。家 族 にもできな
ら過 ごす 24 時 間 をこの女 性 は毎 日 どんな思
い、唯 一 医 者 にしかできない役 割 だ。実 際
いで過 ごしているのだろうかと感 じた。
にアルコール依 存 症 になった方 からの言 葉
次 に訪 れたアルクでは、「受 け入 れる」とい
というのは信 頼 性 と説 得 力 があった。また、
う議 題 でアルコール依 存 症 のかたが自 分 の
医 師 としてこのような施 設 の存 在 を知 ってお
思 いを語 る様 子 を見 学 させていただいた。し
き、医 療 で患 者 を抱 え込 むのではなく施 設
っとりした雰 囲 気 の中 で皆 さんが辛 かっただ
にすぐに送 ってほしいと言 われた。自 分 の利
ろう過 去 の話 を回 想 しながら話 してくださっ
益 ではなく、患 者 のことを考 え、最 も効 率 的
た。アルコール依 存 症 の方 で共 通 して聞 か
な方 法 をとるべきなのだと思 う。医 療 現 場 の
れたのがやはり、自 分 が病 気 であるということ
域 を超 えたチーム医 療 がそこにあった。
がはじめは受 け入 れがたかったということだっ
アルクでは医 者 の役 割 というものを深 く考
た。アルコールの摂 取 量 がどれくらいである
えさせられたわけだが、一 方 で共 同 診 療 所
かという差 であって、治 療 が必 要 であると実
の見 学 を始 め、鈴 木 伸 先 生 のお話 を聞 いて
感 しているひとは少 なかったのではと思 う。
抱 いた感 想 は、医 療 者 として可 能 性 を狭 め
今 の自 分 が病 気 であるということは今 までの
ないということだった。診 療 所 の職 員 さんの
自 分 の生 き方 を否 定 することなのかもしれな
雰 囲 気 は普 通 の病 院 ではなかった。堅 苦 し
い。幼 少 期 の話 を持 ち出 し、自 分 の人 生 は
くなく、活 き活 きとしていてなんだか楽 しそう
あの時 からおかしかったと回 想 するものも少
でもあった。鈴 木 先 生 のお話 は寿 町 の医 療
なくなかった。また、その人 達 にとってはアル
の話 だけでなく多 岐 にわたる包 括 的 な話 だ
コールが唯 一 の逃 げ道 であったのにそれを
った。私 みたいにまだ医 学 部 に入 りたてで、
取 り上 げられなければいけないのだ。その唯
将 来 医 者 になることがまだあまり実 感 できて
一 の逃 げ道 を医 者 が簡 単 に取 り上 げてしま
ない者 には確 かに医 者 とは何 かということを
っていいのか。アルコール依 存 症 で苦 しむ
学 ぶ義 務 もあると思 うが、医 者 や医 療 という
人 達 のために医 者 ができること、医 者 のいる
域 を超 えて自 分 にできることを追 求 していく
価 値 というものがわからなくなった。一 時 間 の
ことをいつか目 標 にしたいと感 じた。自 分 に
話 し合 いが終 わった後 、職 員 の方 にお話 を
とって医 療 というのはひとつの手 段 にすぎな
聞 く時 間 を頂 いた。元 アルコール依 存 症 の
い。社 会 に自 分 は何 を還 元 することができる
方 だとは一 見 信 じがたいほど明 るく親 切 な
のかもっと広 い視 野 で考 え、次 にその中 での
方 で私 達 の質 問 にも丁 寧 に答 えてくださっ
自 分 の役 割 を考 えて行 きたいと思 った。
IFMSA(国 際 医 学 生 連 盟 ) SCORP(人 権 と平 和 に関 する委 員 会 )LARF「報 告 書 」より転 載
13
こ と ぶ き 共 同 診 療 所 だ よ り
第 36 号
職員自己紹介
した。何 十 年 もたってついに自 分 が直 接
関 わらせていただくことになりました。ご縁
医師
久松 由華
なんでしょうか。
他 はどこで何 してるの?とよく聞 かれま
すが、隙 間 産 業 的 にあちこちで色 んな事
をしております(笑 )。日 替 わり週 替 わりで
平 成 25 年 8 月 より火 曜 日 (第 一 週 除
く)に診 療 をさせていただいております。
土 屋 洋 子 先 生 と大 学 病 院 でご一 緒 し
て以 来 、個 人 的 にも仲 良 くさせていただ
いてます。以 前 からこちらの活 動 につい
てうかがっておりまして、この度 トライして
みることになりました。
自 分 は横 浜 育 ちで、小 学 校 時 代 は日
ノ出 町 駅 前 の塾 に通 い、中 高 は山 手 の
丘 にある学 校 に通 ってました。母 親 がカ
トリック教 会 に出 入 りしてた関 係 で、断 酒
会 のお手 伝 いをしたような事 を言 ってい
た記 憶 もあります。そんな感 じで、寿 町 の
ことは子 供 の頃 からなんとなく頭 にありま
6 社 の産 業 医 、青 年 海 外 協 力 隊 の顧 問
医 他 、大 学 病 院 や精 神 科 クリニックの外
来 にも出 没 しております。6年 前 に医 局
を辞 めたあと、依 頼 されるがまま受 けてた
らこういう形 態 になりました。
特 に人 間 愛 豊 富 なわけでもないフリー
ランス医 師 ですが、少 しでもお役 に立 て
れば幸 いです。色 々学 ばせていただきた
いと思 っていますので、ご指 導 ご鞭 撻 の
ほど、宜 しくお願 いします。
ちなみに実 は人 見 知 りなので、時 折 と
っつきにくい事 もあるかもしれませんが大
目 に見 てくださいね。
【国の貧困対策関係】8 月から始まった生活保護費削減に対する不服審査請求全国で広がる(9 月
末現在で 10,654 件)[8 月 ]/社会保障審議会生活保護基準部会再開、生活扶助以外の保護費の検討
等が始まる[10.4]/6 月に廃案になった生活保護改正案・生活困窮者自立支援法案が閣議決定
[10.15]【センター】寿町総合労働福祉会館建替え等についての住民説明会[10.22]また同施設再
整備事業についてのパブリックコメント募集[11/1-29]【介護】NPO 法人ことぶき介護 10 周年記
念パーティ[11.15]/マルキンストアー閉店後の店舗でデイサービスあすなろオープン[11.22
内覧会 12/1 オープン予定]【簡易宿泊所】豊荘改築後第二長生館オープン[7.8]/扇荘新館で火
災[8.19]/(仮称)山一ビル新築中(寿町 1-1-5)/(仮称)東会館新築中(寿町 3-9-6)/(仮称)扇町 4 丁目
簡易宿泊所新築予定 (扇町 4-12-2、12-3)/(仮称)長者町 1 丁目簡易宿泊所新築予定 (長者町 1-1-13) [11.20]【アルコールリハビリ】寿アルク 20 周年記念セミナー[11.2]【総菜店】丸光ショップ閉
店[10.25]【社協】県社協が困窮者支援を行う「かながわライフサポート事業」開始[8 月]【違法
貸しルーム】国土交通省、神奈川などで 191 件あると公表[9.25]【理容】新井屋(お好み焼き・
やきそば)閉店後の店舗に「理容朝日」が移転[6 月] ※ 寿町に関係する国の政策等も一部含まれます。 (寿町関係資料室 松本 一郎) 14
2 0 1 3 年 1 2 月 2 0 日 診 療 所 日 誌 7 月 今年も暑い夏です。身体にこたえ
ます。
7 月 3 日 越智医師講演会「ここ 15 年間の寿
町における精神障がい者の変遷」を職員聴き
に行く。
7 月 5 日 患者Oさん、脈拍 200。救急搬送。
その後病院になかなかつながらず。ヘルパー
さんの介護により受診体制が整う。
7 月 9 日 先月末高島屋にお買いものに行った
ターミナルのSさん、入院先の病院でなくな
る。ぎりぎりまで部屋で過ごしました。
7 月 10 日 DOTS に来ていたNさん。万引き
でつかまる。
7 月 12 日 「ことぶき共同診療所だより 35 号」
できる。
7 月 16 日 デイケアメンバー相次いでスリッ
プ。
7 月 17 日 夏の稲子に向け、れんげ荘の掃除へ。
7 月 31 日 巨漢の患者Mさん、部屋で動けなく
なっているも入院拒否。やっとのことで入院
するが、3 日後に退院となる。
デイケア、映画「風立ちぬ」見に行く。
8 月 デイケアメンバーさん、スリップ
続く
8 月 2 日∼3 日 デイケア、稲子でバーベキュ
ーと川遊び。
8 月 8 日 デイケアNさんスリップ中。1 日 30
回電話がある。
8 月 12 日 心療内科久松医師、第一週を除く毎
週火曜日診療開始。
8 月 22 日 医学部学生さん、見学。後日報告集
をくれる。
8 月 27 日 デイケアメンバーさん、泥酔。
8 月 29 日 患者Kさん、入院を促すが拒否。診
察の途中で逃亡。
9 月 入院の多い 9 月です。
‘‘1133 年
年 77 月
月 1111 月
月
いす対応。デイケアで受け入れ体制を整える。
9 月 21 日∼22 日 デイケア、稲子で稲刈り。
9 月 26 日 東邦大学看護学生、精神科実習の一
環でデイケアに一日参加。
10 月 デイのメンバーさんの飲酒がま
だまだ続いています。
10 月 4 日 高血圧のHさん、せん妄状態となり、
入院先への搬送途中で逃亡。
10 月 11 日 ことぶき共同診療所大運動会
DOTS に来ていたKさん、行方不明で捜索
願を出す。
10 月 15 日 行方不明になっていた患者Kさん、
山谷で保護される。
10 月 17 日 デイケアメンバーさん、他のメン
バーさんを巻き込みつつ飲酒中。
10 月 23 日 デイケア若山康志さん、部屋で亡
くなる。
10 月 24 日 若山さんのご両親が診療所へ見え
る。
10 月 25 日 神奈川県立保健福祉大学の学生が
見学。鈴木医師が「寿と医療」について説明。
10 月 29 日 デイケアで鈴木医師が「アルコー
ル依存症」の話をする。
11 月 通院患者さんの訃報の連絡が続
く。
11 月 6 日 弓野医師、診療日を水曜日午前に変
更。
11 月 14 日∼15 日 日赤看護大学学生さん、実
習の一環で寿へ。
11 月 15 日 昼休み、接遇研修を行う。
11 月 20 日 デイケアTさん、肉をのどに詰ま
らせるが大事には至らず。
11 月 21 日 寿福祉まつりにデイケアからも初
出店。
11 月 22 日 中区公園愛護会交流会で川崎さん
発表。
(矢島 雅子)
9 月 3 日 デイケアMさん退院。歩行困難で車
15
こ と ぶ き 共 同 診 療 所 だ よ り
16
第 36 号
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