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第57号 - 臨床パストラル教育研究センター

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第57号 - 臨床パストラル教育研究センター
第 57 号
特定非営利活動法人
発行人:W.キッペス
2012. 10.20
発行所:臨床パストラル教育研究センター
〒158-0095 東京都世田谷区瀬田 1-28-2
TEL 03-3700-3425/FAX 03-3700-3427
e-mail:[email protected]
http://pastoralcare.jp
人 と向 き合 うこと
東北大学大学院文学研究科(宗教学)
森田敬史
積極的ではなくなり,いつしか仏教者に対して,
死との結びつきだけを強調する傾向が目立ち
始めた。そんな時代に,仏教者として病院に勤
務していた筆者が,日々の参与観察をもとに,
人と向き合うことについて私見を述べる。
勤務していた病棟の基本姿勢は,一宗一派
に偏らない超宗派の活動であり,病棟スタッフと
して常駐している仏教者1名以外に,地元仏教
者の有志がボランティアとして関わりをもってい
た。筆者は,宗教的行為(病棟における勤行や
仏教行事,枕経に近いお別れ会など)を執り行
うこと以外は,専門的な医療や看護,福祉の資
格を有していないため,食事の配膳や外出の
同行など雑務中心の身の回りのお世話を通じ
て,関係性を構築していた。適時訪室を重ね,
関係性を深めていきながら,患者(あるいは家
族)との会話(主に聴き手)を繰り返しながら関
わりをもっていた。しかし,この何気ない身の回
りのお世話が実は重要で,それがあるが故に,
関係性を深めていきやすいことを,現場での実
践を通して強く学ぶこととなった。患者や家族
の様々な訴えに対して仏教者としての心構え
の中で,筆者自身がその考えに共感し,できる
だけ実践の中で取り入れるように心がけていた
ものが,田宮仁氏が『「ビハーラ」の提唱と展開
淑徳大学総合福祉学部研究叢書㉕ (学文社)』
(2007)の中で挙げている仏教者屑籠論である。
それは,言葉の通りで,患者や家族が吐き出す
不安や恐怖,悩みなどを全て受け入れる“クズ
スピリチュアルケアは,研究者の数ほど定義
づけがなされていると言われるほど,多様な側
面をもっている。特に欧米諸国から導入された
この概念に対して,日本人がしっかり納得でき
るように規定することはできないのではないだ
ろうか。日本国内で,この概念を扱うことの難し
さは,ある程度の時間が経過した現在であって
も,上記のような状態であることが物語っている。
仏教的背景をもつターミナルケア施設に仏教
者として5年あまり勤務した筆者の経験から,現
場ではむしろそれを規定することよりも大事なこ
とがあるのではないかと強く感じた。
また,医療従事者が医療行為をするように,
目に見える形で,このスピリチュアルケアとは始
められないというか,始まらないわけである。
徐々に,対象となる患者や家族に対してなされ
るわけであり,ここからあそこまでで完結したと
いう類いのものではないことは,この概念を扱う
上で,十分留意する必要がある。複雑な理論を
抜きにして,スピリチュアルケアを捉える場合,
一つの見方として,神仏などの超越的存在を介
すること,そしてその存在を介するケア対象者
とケア提供者の関係性が重要になってくるので
はないだろうか。すなわち,スピリチュアルケア
成立のためには,人と真正面から同じ目線で向
き合うことが前提となる。
わが国において,仏教が人の生死に深く関
わってきた歴史があるが,時代が下って,人々
は生きている間に仏教者と関わることについて
1
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カゴ”のごとく,患者の話を聞き,それにより患
者自身が自分の心の整理をしやすくなるように,
お手伝いをすることである。もともと,クズカゴは
部屋の片隅にあるもので,部屋の真ん中に置
かれることは少ない。我々も常日頃,クズカゴと
いうものを必要とするわけではなく,ゴミが発生
し,それを処理するために必要とするものであ
る。同様に,仏教者に提案されたのは,その存
在を主張することなく,心の蟠り,もやもや感,
悩みに至るまで諸々の感情を吐き出してもらい
やすい立場をとるということである。ここで,特に
都合が良いのは,クズカゴが必要時に自分の
傍に来てくれることではないかと思う。それが宗
教者の役割であろうと思われる。つまり,患者や
家族が一番話を聴いてもらいたいというタイミン
グを見計らい,適時耳を傾けるということが望ま
れているのではないか。患者や家族にとって,
生と死が交錯するターミナルケア施設である以
上,時間が限られていること,そしてその時間
は一時一時が貴重なものであるわけで,その瞬
間を逃すと,次の機会はもう巡ってこない可能
性が高いのである。そのため,うまくタイミングを
見計らわないと,そこで関わりが終わってしまう
ことになりかねない。そうならないためにも,日
頃より自分自身の感性を磨き,常にその信号を
キャッチするアンテナを張っておかなければな
らない。
また,ここには当然のように,そのタイミングを
捉える感覚もさることながら,そのタイミングを出
してもらえるような信頼関係を築いておくことが
求められる。信頼関係を築くためには,やはり
一人の人間として同じ目線で向き合うように心
がけることが必要となる。ここに先述した何気な
い関わりが関連してくるのである。日本人の宗
教性を考慮すると,仏教者(宗教者)というだけ
で,構えられる可能性があるため,宗教者のエ
ッセンスを醸し出しながら人と人との関わりを重
要視し,融通を利かせながら関わっていくこと
が望まれる。筆者の目安として,関わり始めて
から少し時間が経過した頃に,患者や家族から
の「そう言えば,お坊さんだったんですね」とい
う一言が理想の関係性ではないかと考えている。
すなわち,直接的な宗教的行為だけではなく,
病棟の理念にもあるように〈見守り〉がなされる
雰囲気作りとして,患者自身(あるいは家族自
身)がその人そのもので〈在れる〉という保障が
なされる仏教がそこには機能していたと推察さ
れる。看取りの場ということを考えた時に,科学
的には証明することが難しい“場の雰囲気”を
作り出すには,“病棟に仏教者(あるいは仏教)
がとけこんでいる”ことが大切な要素となる。
結局のところ,同じ生命(いのち)をいただい
た一人の人間として,人がもって生まれた寿命
を全うすることができるように,(どこかで仏教者
としての雰囲気を醸しながら)寄り添うことしかで
きないのではないだろうか。いくら篤信的であ
っても,いくら宗教や信仰に精通していても,い
くら宗教者という専門家であっても,究極的に
は誰も死を迎えた経験がないわけである。関わ
る人と関わられる人を含めて誰しもが思い通り
にならない生老病死における四苦に直面し,そ
してその時点で,その思い通りにならないこと
に対して,悩んだり苦しんだり,または悲しんだ
りする可能性が高いわけである。そうであるなら,
同じ人間としてしっかり向き合い,その思い通り
にならないことに対して,何かストンとそれぞれ
自身の中で納得ではないが,気づきをもたらす
お手伝いをすることが求められるのではないだ
ろうか。それが結果として,スピリチュアルケアと
呼ばれるアプローチではないかと考えている。
ターミナルケアの現場において,よく使われる
言葉の一つに,“患者さんらしさ”や“その人の
立場に立って”ということが挙げられるが,完全
にその立場に立つことは無理なことである。当
然ではあるが,関わる者が患者や家族に成り替
わることができないわけである。だからこそ,基
本的なスタイルとして,ご本人それぞれが心の
整理を行っていく必要があり,寄り添う者はその
お手伝いしかできないのが実際なのである。そ
のために,ご本人と向き合い,自分を開放しな
ければ,当然相手も開かれないわけである。臨
床場面においては,患者や家族の立場に可能
な限り近づくように,宗教者として,その雰囲気
を少し醸し出しながら一人ひとりと向き合うことし
かできないわけである。
2
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QOL
Quality of Life
生命の質
ウァルデマール・キッペス
はじめに
私事だが、今年の 8 月~10 月までの間、
医療関係の施設に予想外に多く出入りした。
ホームドクターをはじめ、心臓内科、歯科、眼
科、外科、泌尿器科、整形外科、大学病院と
リハビリ施設まで。その際、待合室の読み物
や 疾 病 の 治 療 の 説 明 書 に あ っ た 「 QOL
Lebensqualität 生命の質」の文字に目が留
まった。検査入院や手術入院の際、自分自
身のことを含め、患者の「QOL とは果たして
何だろうか」と熟考する機会が充分あった。
ば“life”とは、一人ひとりが個別にもつ生で
あり、自分を生きる/活かすベースは個に
備わるものだからです。自分を生きるため
に、自分を活かすために必要なものは各
人違っており、『自分はどう在りたいのか』
『自分にとって生きるとは』『自分を生かす
ものとは』・・などを自分自身に問う中で、
はじめて Quality of life を生きた言葉として
一人ひとりが意味をもって発することがで
きるのです。そのような内的な動き無くして、
言葉だけの概念に止まれば、ただの決まり
文句(飾り)になってしまいます。QOL とい
う言葉の概念を個々の存在に引き戻し、
独自の意味を与える(見出す)ことが大事
だと思います。」
◆ QOL の定義
医療機関での読み物においては QOL を
五体満足、日常の生活を自分でできることの
よ う に捉 えて い る印 象を受け た 。わ たしは
QOL を
身体的、知的、社会的、心理的/精神
的および心・霊・魂の機能状態を示すも
の、だと定義する。
QOL は五体満足1かどうかだけではなく、生
きる意味や目標、ひとりの人間としての価値
や、尊敬され、必要とされる人間としての繋が
り(絆)をどの程度もっているかを示すものだ
と捉えている。
ある方が QOL に関して以下のように述べ
ています。
わたくしもこのような考え方に賛成です。
◆ 自己の QOLー実践
待つ時間 1
殊に心の QOL は個人が担う日常の課題で
ある。入院中、健康状態の変化は別として、
自己の QOL を考えてみる機会があった。わ
たしにとって”未定の中での待つ時間”は整
理する必要がある一番の課題になった。とい
うのは、大学病院での第一回目の検査は合
計 4 時間であったが、実際の検査にかかる時
間はその4分の1であり、その他の時間は待
合室で待っていた。その待ち時間を有効に
使うには工夫が必要であった。わたしは各科
ごとに掲示されているポスターから基本的な
知識を学ぶ時間~メモを取る~として有意義
に過ごすことができた。
掲示物を読んで考えたことの例をいくつか
以下に挙げてみる。
・「Pneumonologie 呼吸器科」のドイツ語は特
に意味深かった。「Pneumonologie」という
「QOL を定義するとき、言葉上の定義だけ
では不十分です。だからと言って、内容そ
のものの定義はさらに困難です。なぜなら
1
国語的に古くから用いられているのは「四肢(しし=
手足)+頭部(とうぶ)」です。仏教が元になっていま
す。実際には「肘(ひじ elbow)と膝(ひざ)と額(ひ
たい)
」ですが……東洋医学では「筋(すじ)
・脈(みゃ
く)・肉・骨・皮」とされています。つまり五体満足は
手足に欠けるところのない状態をいいます。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_deta
il/q1111742461
3
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いう名称の、ラテン語とギリシャ語、その文化
を理解することを大切にした学校であった。
そのおかげで医療用語の語源を把握するた
めに大いに助けとなった。
医療機関で待ち時間が長いのはよくあるこ
とである。その時間を消極的に過ごすか生産
的に過ごすかは自己に任されている。わたし
は待合室にある読み物を退屈しのぎのため
に仕方なく読もうとは思わない。関心のない、
自分に必要でないニュースや記事などを内
面的な空間に無理やり詰め込むことはしたく
ない。初日に受けたいくつかの基本的な検査
には4時間以上かかったが、退屈せずに勉
強になったことは内面的な充実感を与えた。
言語はギリシャ語の「πνεύμων プネ
ウモーン 肺 → πνεύμα プネウ
マ 息、霊=スピリット」と「λόγος ロゴス
教え、科学」であり、スピリチュアルケアとの
深い関連に驚くとともに、面白いと思った。
肺を活かさせるスピリット。
・「Diagnostik und Therapie 診断と治療」とい
うポスターによって、さらに刺激を受けた。
というのは、診断ができても必ずしも治療
法があるとは言えない。例えば、がんという
診断ができてもがんの治療法は簡単には
手に入らない。「死亡」という診断ができて
も、「死への療法」はない。スピリチュアルケ
アについて考えた場合は尚のことだと気づ
いた。治療どころか、正確な診断すらでき
ないこともあるからである。
・医療機器を観察しながら「機器そのものは
物質に移植(植込み)されている知性、理
解力、知能 implanted intelligence」である
と考えた。
待つ時間 2
心臓弁膜の手術検査の際、11 時~17 時ま
で自分の順番がくるのを病室で待っていたが、
17 時頃、「今日はできず、明日になる」という
連絡があり、それまで絶食だったため、やっと
昼食を取ることができた。この時の待ち時間
は、ほとんどを病室の前のベランダで過ごし、
読書したり、林(自然)をゆっくり味わって観察
し、内面的な落ち着きを得た。いらいらせず
にその「無意義な時間」を「有意義な時間」と
して工夫することができた。
翌日にも二つの治療があり、そのため食事
は 21 時までできなかったが、その日もいらい
らせずに過ごすことができた。
ちなみに、スピリチュアルケアにおいては、
診断機器はなく、聴く耳、みる目、理解する
心しかない。そこが一般の医療とは根本的に
異なっていることに新たに気づいた。医療上、
機械によって得たデータは治療の基礎になり
得るが、絶対的なものではない。例えば今回、
ペースメーカーを埋め込んでもらう時、二人
の医師がわたしに「この手術をもう何千回以
上行った」と自信をもって言った。しかし実際
は、機械が正常に機能していたにも拘わらず
手術はスムーズに行かなかった。
スピリチュアルケアの場合は同じような病・
闘い・問題(例:許すこと)で苦しんでいる方と
いくら出会っても、機械的(マニュアル的)な
関わりによって得られるデータも、論拠となる
ような規則的な結果も生じてこない。「心・霊・
魂の病」を診断し、治療を示唆してくれる機
械はないからである。
余談であるが、わたしの母校は
「Humanistisches Gymnasium 人間的な学び
を中心としたギムナジウム(中、高等学校)」と
待つ時間 3
次の日のスケジュールはほとんど未定、す
なわち教えてもらえなかったので、非常にい
らいらした。その状況で自然を観察し、味わう
ことはなかなかできなかった。
ペースメーカーを埋め込んでもらう前夜の
飲食は禁止だった。翌日の自分の番が午前
中であることを希望したが、12 時になっても
何の連絡もなかった。やっと「13 時」と言われ
たが、14 時になっても連絡がなかったので非
常にいらいらし、怒ってしまった。15 時によう
やく手術室に運ばれ、心が静かになった。手
術は 1 時間で終わると聞いていたが 3 時間掛
4
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かった。4 時間後に病室に戻り、食事は夜9
時になった。
その日、待ち時間を有効に過ごすことがで
きず、反省している。自分の信条からも援助
(コツ)を得られなかった。与えられた状況を
生産的に、内面性を向上させるように利用す
る課題(宿題)が残っていると感じた。
次々に新しい出生前診断の検査が登場する
と予想できる。出生前診断は今から 50 年前
に始まったが、それ以前の妊娠には“信頼”
がベースにあった。妊婦はドイツ語で「よき希
望 Guter Hoffnung」と呼ばれ、それは「赤ち
ゃんの健康を信頼している/いた」という意味
である。日本語の「子供を授かる」という表現
も同様であろう。
信頼なくして、わたしたち人間は生きられ
ない。不信の中で、寝ること、起きること、もの
を使うこと、車に乗ることなどは不可能になる。
“出生前診断”は妊娠を“不信=信頼できな
い”状態に置いてしまう恐れがある。現在まだ
高額の新出生前診断を高齢妊婦でなくても
妊婦の多くが今後受けると予想できる。出生
前診断は親になろうとしている方々に“安心”
を与えると同時に解決のできない実存的な問
題と対峙させるかもしれない。「ハンディキャッ
プのある子供との生活が可能だろうか」「将来、
堕胎したことを後悔しないだろうか」など。結
論から言えば、より多くを知ることは、より多く
の知らないことに直面する。解決に苦悩する
事柄が生み出される可能性があると言える。3
◆ 医学・医療における QOL
医学・医療そのものはより良い QOL を目指
している機能だと捉えているが、必ずしもそう
ではない。入院患者の身体的な機能をリハビ
リしてくれる過程において”もの扱い”されて
いると感じる時があるからだ。また、状況(都
合)によって「健康の基準値」が変動すること
もある。昨年の福島原発事故の後、放射線の
安全基準値が上げられたことは一般に知ら
れている。あるドイツの医師の著書(表紙)に
ある言葉はこうしたことを裏付けてくれる:「Es
ist besser, wenn Sie krank sind- für unser
Gesundheitssystem. Zur Not werden Sie für
krank erklärt. 厚生制度のためにわたしたち
が病気であることは有利です。必要に応じて
わたしたちは病者として認定されます。ドイツ
では数百万人が計画通りに間違った治療を
受けている。特に各種の予防治療、循環器
病、糖尿病やがんなどに対する治療では、副
作用によって重大な弊害を生じさせる薬や療
法が広がっている。」2
◆ ”出生前診断”について
最近、ワシントン大学の研究者によって、
母親の血液と父親の唾液から胎児の完全な
ゲノムが解読できるようになった。今年中にド
イツでは、胎児の 21 番目の染色体に異常が
あるかないか(ダウン症の原因は 21 番染色体
が 3 本あることが原因とされている)を検査で
きるテストを入手するという。この出生前診断
の確率は 98%とのことである。なお将来、
ある方からのお便り:「実は昨年、ダウン症
の息子を出産しました。高齢出産のため、と
自分を責める思いと、息子の未来を案じて、
精神的につらい日々を過ごしておりました。
…おかげさまをもちまして、息子は〇〇月〇
〇日に1歳になり、ゆっくりした成長過程では
ありますが、命に別条なく、スクスク育っており
ます。」
わたしの返事:「…息子さんのことをお伝え
してくださったことを感謝しています。…わた
しは何も言えないのですが、ご自分を責めな
いこと、“高齢出産”や“ダウン症”のことばを
使わない方が健全ではないかと思います。ご
自分が“高齢”4 ではないし、息子さんはダウ
ン症ではなく、ダウン症を持っている人という
2
3
Philosophie Magazin Nr.05/2012 11 頁参照
高齢というレッテルを自分で自分に貼る必要はない
という意味。
Dr. med. Gunter Frank „Schlechte Medizin Ein
Wutbuch 現代医学のひどさ -怒りの書-“ Knaus
2012
4
5
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だけです…」
ご返事:「息子はダウン症ではなく、ダウン
症を持っている人」。…物事の本質をしっかり
とらえていないと、すべてのことをはきちがえ
てしまい、正しい理解ができない、と教えてい
ただいたのに…私も…さまざまな学びと恵み
をいただきました。しかし、自分が当事者とな
って、悲嘆と不安にさいなまれる時に思うこと
は、私はスピリチュアルケアを他者のこととし
て、学んでいたのだ…。」
など思い出して力を戴き、神様傍に居てくだ
さいと祈りました。光の道を通り抜け再び生き
ることが出来ますようにと祈りました。 神を信
じる心を持てたことに感謝しています。今、少
し体調も良くなってメールを差し上げられまし
た。 今度の全国大会に少しの時間でも出席
できますようにと望んでいます。
◆ “自己の QOL” と”他者との共存”
自己の QOL は人生が思うとおりにならない
/ならなかったときにこそ自覚され易い。わた
しやあなたにとって QOL を決める基とは何
か?
ラ ビ Pinchas Horowitz ( 1730-1805
1771 年よりフランクフルト・アム・ マイン川
のラビとして任命された)は学生に「夜が
終わり、日が始まる瞬間を区別できる方法
があるだろうか」という問題を出した。一人
の学生は「ある距離感で犬と牛を区別でき
るときが夜明けの瞬間でしょうか」と尋ねた。
ラビは「いいえ」と答えた。「ヤシの木とイチ
ジクの木を区別できる瞬間でしょうか」とも
う一人の学生が聞くと、ラビは「いいえ、そ
れでもない。」と答えた。「それで夜明けは
いつだろうか」と学生が聞いてみると、ラビ
は次のように答えた。「わたしたちはある人
をみるとき、その人を自分の兄弟として発
見できる瞬間は夜明けです。これができな
い限りは夜です」とラビが答えた。6
QOL は他者と共に生きる中で考えると
き向上したり低下したりする。
手足のない乙武さんが言う。「障害者とほと
んど接点を持たずに過ごしてきた人が、突然、
『あなたのお子さんは、障害者です』という宣
告を受けたら、やはり育てていく勇気や自信
はないだろう。僕の母も、『もし、私も胎児診
断を受けていて、自分のお腹のなかにいる子
に手も足もないということが分かったら、正直
に言って、あなたを生んでいたかどうか自信
がない』という。
だからこそ、声を大にして言いたい。『障害
を持っていても、ボクは毎日が楽しいよ』。健
常者として生まれても、ふさぎこんだ暗い人
生を送る人もいる。そうかと思えば、手も足も
ないのに、毎日、ノー天気に生きている人間
もいる。関係ないのだ、障害なんて。」5
◆ 命にかかわる病気における QOL
ある方からの「それでも感謝」というメール
文を以下に紹介します。
…〇〇に先生が来て下さりお帰りになった
後、たくさんの悲しみ、苦しみが有りました。
最愛の母が〇月〇日旅立ちました。…母は
私を思い、私は母を精一杯看ていましたが、
〇〇歳で頂いた命を使い切った母はいつも
ありがとうと身近に居た方にも感謝しつつ、体
調の悪い私を気づかいながら光の道に向か
って行きました。
昨年の暮れから体調の悪くなった私は先
生の言葉、戴いた十字架、洗礼に与ったこと
この記事を作成している時、ある親戚から
何 年 か 振 り に 電 話 が あ っ た 。 最 後 に 「 ich
wünsche dir alles Gute an Leib und Seele あ
なたに体と魂のためにもよいことがありますよ
うに希望しつつ。」この挨拶は QOL が全人的
なものだと伝えてくれた。
Tomas Halik Nachtgedanken eines Beichtvaters
Herder 2012 263 頁
6
5
五体不満足 乙武洋匡著 269 頁後書き
6
10.20_2012 NL57
愛知県がんセンターにおける
スピリチュアルケア推進チームの現状
宮原久枝
・愛知県がんセンターについて
愛知県がんセンター中央病院は 1964 年
12 月に病院と研究所を併せ持つがんセン
ターとしては、国立がんセンターに次いで
2 番目の、自治体としては最初の本格的な
がんセンターとして発足し、創立 50 周年
として位置付けられています。緩和ケアチ
を迎えます。都道府県がん診療連携拠点病
愛知国際病院ホスピスのスタッフと愛知
院の指定を受け、がん対策の推進のため、
県がんセンターのスタッフと合同で月1
高度な診断・治療の実施に留まらず、専門
回の症例検討会を開催しています。新人研
技術者の養成や診断技術の普及にも役割
修や緩和ケアチームでの講師、
「スピリチ
を果たしてきました。現在の愛知県がんセ
ュアルケア」の講義をしています。
ンターは、愛知県がんセンター中央病院
生じるさまざまな身体的・精神的苦痛に対
・私ががん治療に臨床パストラルケアが
必要と思ったわけは
がんの臨床経過は、検査から始まり、診
断、初回治療、(治癒)再発、再発治療、
終末期、と死に至るまで非常に長い道のり
を辿ります。こうした経過のなかで、心理
的負担はどの時期においても出現する可
して、適切な緩和ケアが迅速に実施できる
能性があることから、常に心のケアを考え
ように、全病院的に取り組むことを目的と
ておく必要があります。検査時には私もが
した緩和ケアチームが結成されました。こ
んかもという不安感があり、診断時にはが
のチームの活動の拡大に伴い、この分野で
んになったショックや孤立感、疎外感など
さらに充実したケアを提供する中核とし
があります。初回治療時には治療に対する
て、緩和ケア部が 2003 年 4 月に設立され
不安感があり、治療終了後は再発への不安
ました。がんセンター中央病院には緩和ケ
があります。再発時、再発治療時には人に
ア部がおかれ、実働の役割としてその下に
頼らなくてはならないことへの苦痛があ
緩和ケアチームがあります。
り、終末期には見捨てられることへの不安
・スピリチュアルケア推進チームについ
て
スピリチュアルケア推進チームは 2007
などさまざまな心の痛みがあります。そし
年に発足しました。病院組織図では緩和ケ
ュアルな痛みがあることを痛感し、自身の
アチームを支援する院内サポートチーム
無力さに悩んでいた時に、出会ったのが臨
ームより相談依頼があれば出向し、相談に
あたっています。現在私は病棟勤務をして
いますが、患者家族との関わりの中でスピ
リチュアルケアをしています。また、チー
ムスタッフの質向上のために、県内にある
(名古屋市)、愛知県がんセンター研究所
(名古屋市)、愛知県がんセンター愛知病
院(岡崎市)、愛知県がんセンター尾張診
療所(一宮市)からなっています。2001
年 12 月には、がんの進行や治療に伴って
て、どんなによい薬でもどんなによい治療
でも取り除けない痛み、すなわちスピリチ
7
10.20_2012 NL57
床パストラルケアでした。臨床パストラル
センター中部ブロックの主な活動として、
ケアとは、スピリチュアルな痛みに寄り添
研修や講演会、スーパービジョンを企画し、
うことです。それにより、患者がその人ら
スピリチュアルケア推進チームのメンバ
しい生き方、希望を持てるような導きへと
ーや病院スタッフ、地域の病院、教会に参
つながり、家族も癒されるのではないかと
加を呼び掛けています。これまでのがんセ
思ったからです。
ンター中央病院の役割からも、単なる病院
近年、スピリチュアルな痛みという言葉
内の活動だけに留めず、地域に拡大するこ
も徐々に一般社会に認められ、スピリチュ
とで、愛知県における臨床パストラルケア
アルケアのニーズも高まる一方、臨床パス
の受け入れや理解といった、がん治療にお
トラルケアに対する(特に宗教性に対す
ける緩和ケアの推進に寄与することがで
る)誤解と偏見があり受け入れられにくい
きると考えています。
背景もあり、院内での普及・啓発活動に壁
を受け、臨床パストラルケアの理解や興味
・スピリチュアルケアの推進拡大のため
に
臨床パストラルケアは、医師、看護師を
はじめ、医療スタッフでも行う事はできま
が高まったと思います。実際、緩和ケアチ
す。しかし、基準看護や業務の効率化、病
ームのスタッフから「患者、家族がどのよ
院の経営状況等の中で働く姿や求められ
うに変わるのか、実践を観てみたい」とい
る役割や使命は働く病院において異なっ
う声も聞かれ、こうした意欲の高まりは、
てきます。そのため、私自身も基準看護を
今後の現場での実践に繋がる意義深いこ
貫くべく、効率的な看護を求められる一方
とだと思います。キッペス先生の講義を受
、臨床パストラル・カウンセラーとして一
けたスタッフの変容を目のあたりにした
人の患者に深く関わりたい気持ちもあり、
ことで、より臨床パストラルケアを「見え
相反する使命と信念の中で葛藤していま
る化」し、患者と家族はもちろんのこと、
す。この葛藤を解消するためには、看護師
医師や看護師以外の医療従事者への理解
と臨床パストラル・カウンセラーという 2
を深めて、がんセンター中央病院における
つの役割を明確にし、使い分けるとよいの
臨床パストラルケアの研修の意義やあり
ですが、現状ではなかなか困難な状況にあ
方を模索していきたいと強く思いました。
ります。やはり臨床パストラル・カウンセ
また、スピリチュアルケア推進チームが
ラーとしての能力を発揮するためにも、専
取り組んでいる症例検討会のメンバーか
門的な取り組みの必要性を感じます。臨床
ら、スピリチュアルケアのニーズの高まり
パストラル・カウンセラーという専門スタ
に伴い、更なる普及・啓発の必要性を訴え
ッフが置かれ、臨床パストラル教育研究セ
る声が強くなり、2010 年 5 月にパストラ
ンターの実習ができる施設に愛知県がん
ル教育研究センターの中部ブロックが再
センター中央病院がなりうるよう、私も日
発足しました。 臨床パストラル教育研究
々精進し努力していきたいと思います。
を感じていました。そんな時、緩和ケアチ
ームのスタッフがキッペス先生から講義
8
10.20_2012 NL57
「最後の授業
~ 愛とケアの人間学 ~」
長島正著、長島世津子編著(2011 年 丸善出版 \2,310)
臨床パストラル・カウンセラー
著者の長島正氏は、「ケアの人間学」を上智
大学及び社会人講座で講義されてこられた方で
す。本著は、学生への訣れの講義集、そして細
やかな愛情を持ってベターハーフと語り合うよう
な作品を編集されたものです。編著をされた長
島世津子様は、長島正氏のベターハーフである
奥様です。この本は、お二人の愛情と高い学識
のデュオの作品です。 末期がんを宣告され、
死を覚悟した著者は、最後の力を振り絞って教
壇に立ち、講義をしました。 それは、遺言でも
あり、今からの生き方を定めていくための希望で
もありました。本著は、病と共にそしてご夫婦二
人で生きられた長島氏の魂の書でもあります。
私は、大学入学時、デーケン先生の「死の哲
学」の授業を取ろうとしましたが、デーケン先生
の講義は大変な人気で、抽選で当たらなけれ
ば講義に参加することはできませんでした。案
の定、私はその抽選にはずれ、「仕方なく
(!?)」長島正先生の「生と死の哲学」を受講
しました。ゼミ形式や合宿で行われた長島氏の
授業でフランクルの「夜と霧」、「キューブラー・
ロスの「死ぬ瞬間」を徹底的に読みあいました。
そこで得た学問に対する知的な充実感は、今も
忘れられず、「デーケン先生の抽選にはずれて
よかった!!」とさえ思ったほどです。 名古屋
にて臨床パストラル教育研究センター全国大会
が行われた時に長島先生は座長として出席さ
れていました。今思えば、亡くなられる半年前で
した。長島先生とは約20年ぶりの偶然の出会
いでした。長島先生は私を覚えておられました。
丁度その時、私は臨床パストラル・カウンセラー
の資格認定された時で、故郷の名古屋で資格
認定書をもらう喜びと同時に恩師である長島先
生からも祝福されて認定書を受け取った喜びは
人生最高のものでした。
この本は、長島氏の「旅立つ人のこころ」、
「フランクル、生と死の思想に学ぶケアの思想」、
「キューブラー・ロス、いのちに寄り添うケアとそ
の旅立ち」をメインに編集されています。 その
中で、「旅立つ人のこころ」は、氏が癌を発症し
加 藤 理 人
てからの講義録です。その中
には、「共感はない」、「癌患
者にとっての今とは何か」、
「一人称の死のプロセス」、
「孤独感はなく、むしろ連帯感
が生まれた」、「支える力は、
自分からではなく、他者から
出て来る」、「食べることが苦行、どう感謝すれ
ばいいのか」、などの私の心を打つメッセージ
が要所にあり、立ち止まり、熟読し、黙想し、自
分の生活とどのようにつながるかを思い巡らし
ながらページをめくりました。
「フランクルの生と死の思想から」の中では、
「応答する存在としての人間」、「人生の意味」、
「苦悩を生きる」などを深く考察されています。
とくに、「人は誰も肩代わりできず、逃れるすべ
もない苦悩に直面した時、その苦渋のなかで苦
悩の意味とその苦悩を背負う自分の人生の意
味を問い、そしてその答えを見出さずにはおら
れない」と書かれている一文は、スピリチュアル
ケアに関心を持つ方なら深い感銘を覚えると思
います。
「キューブラー・ロス、いのちに寄り添うケアと
その旅立ち」の中では、キューブラー・ロスの生
い立ち、歴史的環境、そして、生涯忘れることで
きないユダヤ人女性やシュバイツァー博士との
出会いを通して、彼女のライフワークである、
「いのちの寄り添うケア」とは何かを考察されて
います。長島氏は、「人は決して独りで生まれる
のでも、独りで生きるものでもありません。生きる
力と生かす力、生きようとする人と生かそうとす
る人の、強い思いに結ばれた絆や関係性の中
で生きていく」とまとめておられます。
長島氏の生き様と思いが詰まっているこの
本は、スピリチュアルな観点がたくさんあり、ぜ
ひともスピリチュアルケアに関心がある方にお
奨めしたい本です。
尚、巻末に「友人たちの言葉」として臨床パス
トラル教育研究センターのキッペス氏が一文を
書いておられます。
9
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スピリチュアルケアの勉強室 16
スピリチュアルな事柄に対する自己確認
ウァルデマール・キッペス
病
んでおられる方、特に重病者や死に直面している患者のケアに携わる職務者は、ときに応じて
自分自身に立ち返ることが大切です。下記のすべての問いかけに対して明確な考え方を持っ
ていないとしても、自問自答する習慣を身に着けるとよいでしょう。それによって、患者とその家族の
内面的な状況を最少限度理解できる手助けになると思われます。ケアワーカーは当事者ではないが、
患者やその家族に対して適切な対応のできる援助者になることは可能です。
スピリチュアルケアの実施は、“自分自身へのスピリチュアルケアから始まる”という心構えが重要で
す。人間がスピリットを持っている以上、何かの信条、人間学や哲学を持っているはずです。それらの
表現方法は多様かつ自己流なので、まずは自分自身のオリジナルなスピリチュアリティについて少し
でも明確にできれば、他者のスピリチュアルな事柄を発見できるコツも得やすいでしょう。
スピリチュアルな事柄・問題をよりよく理解するために、下記の問いかけに答えようとする努力は有
意義です。そして自分の考え方を親友や同僚と分かち合えば、それらはさらに明確になり、病んでお
られる方々との出会いが良い方向に進むことになるでしょう。
6. あなたは自分の魂(=自分自身)をいつ、
どのように意識し相手にしていますか?
例:自分の価値を考えたとき、自分の死を
考えたとき、他者が自分をどのように覚
えていて欲しいかを考えたとき
7. あなたの支え、どうしても持ち続けたい特
性、特徴は?
例:財産、努力すること、実直さ、協調性、
本(物)者であること
8. あなたが困難に直面したときに得たもの・
体験したことは?
例:自分自身の力、他者の助けが必要で
あること、他者からの理解/無理解、独
りぼっち、希望、忍耐、真の友人
9. あなたが人生に行き詰まったときの対応は?
例:成り行きに任せる、静けさをもつ、自己
反省、知識・体験のある人に相談、騒ぐ
ことや叫ぶこと、気分転換、八つ当たり
10. もし、今日あなたがターミナル(終末)な
状態にあると告げられたら?
例:パニックになる、落ち込む、平常の行動
をとる、自分に戻る、相談相手を探す
1. あなたは身体の健康をどのように保ちま
すか?
例:食生活のバランス、運動、働く時間と
休む時間のバランス
2. あなたは自分の知性をどのように磨きますか?
例:読書、数学(数独)、文章などを暗記す
る、文章や日記を書く、パズルを解く
3. あなたは自分の心理状態(感情と情緒)を
どのように整理し、人間関係を良好なもの
にしますか?
例:人間関係とコミュニケーションのトレー
ニング、感情を他者のせいではなく、自
分のものとして認めること
4. あなたは自分の心をどのように育てますか?
例:反省する、自分の意見・考えを持つ、
真実を語る、善悪の判断をし、自分の行
動のために責任を取る
5. あなたは自分の霊・スピリットをどのように
育みますか?
例:人生の意義・物事の意味や目的・出来
事の裏に含まれている動機・ねらいなど
を発見しようと努める
以上の問い掛け/状況を一度に考え、想像するよりも、一つか二つをゆっくりした気持ちで思案す
ればよい。もしこうした問いと関わることができなければスピリチュアルケアを提供することはできない
でしょう。なぜならば、患者と出会った際、無意識にこうした領域に入ることを防ごうとするからです。
10
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スピリチュアルケアの的確な援助者の教室
訪問記録の実例
会話記録(G:ゲスト、H:ホスト、K:看護師)
G がスーパーの出口に腰を下ろし、目の前の三輪自転車の車輪を所在無げに触っ
ていた。車輪に触っている動作には意味がないように見えた。高齢の G が、地面に腰
を着いた体勢から自力で立ち上がることは困難と見てとれ、介助しようと近寄った。
1H: 大丈夫ですか? 立ち上がるの、手伝
いましょうか?
1G: ああ、すみません。お願いします。
2H: 私が腰を持ち上げますから、(目の前の
自転車を指して)この自転車につかまって
立っても大丈夫ですか?(危険はありませ
んか?という意味)
2G: 大丈夫です。(しっかりした口調)
3H: では、ここにつかまってください。一、二、
三!で立ち上がりますよ。
3G: はい。(両足は地面に着き、両手が自
転車を掴んだ。)
4H: 一、二、三!
(ズボンの腰ベルトを持ち上げただけの介
助だが、G はあまりに軽かった。)
4G: (立ち上がるなり)ありがとうございます。
早く死にたい。今日の日にも死にたい。そ
ればかり考えている。
家の中は洗濯物が山になっている。履き替
えるパンツもなくて、食べる物もなくて買い
に来た。
女房は病気で、娘の家に行った。でも、わ
かるんですよ。俺と居るのがいやで出て行
ったんだ。独りでは何もできない。早く、今
日のうちにも死にたい。
毎日そればかりだ。毎日そればかり祈って
いるのに…。
(G のズボンは、何か月も洗濯していない
のかひどく汚れていた。)
食べることも何もかも自分でやらなきゃいけ
ないが、できなくて…、もう死んだ方がいい。
11
5H: ホームヘルパーに来てもらったらどうで
しょう?
5G: 人に頼んだら金がかかるんだろう?払
えるかどうか…。
6H: おとうさん、年金もらっていますか?
6G: もらってる。毎月その 10 万円で暮らして
いるんだ。
7H: それなら大丈夫! 介護保険適用で 1
割負担で頼めます。
掃除・洗濯・買い物・調理くらいなら、大し
た金額にならないですよ。
7G: そうですか? どうやって頼めばいい?
8H: ホームヘルパーを派遣してくれる事業
所に電話すれば、すぐにケアマネージャー
という人が来てくれます。その人に相談す
れば、一番良いように取り計らってくれます
よ。
8G: 民生委員の◎◎さんがすぐ近くにいる
から、その人ならわかるかな?
9H: 民生委員の方ならわかりますよ。相談し
てみるといいですよ。きっと力になってくれ
ますよ。
おとうさん、もう一人で苦労しなくていいで
すよ。
9G: (泣きだす)戦争で南方へ行って、そこ
から帰って子どもたちを育てたのに、息子
は○○に住んでいるが、帰ってこない。家
をやると言っても、「そんな家、要らない」と
言う。
娘はこの町で学校の先生している。病気の
女房を看ている。「俺も(娘の家に)行くと言
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あの路地を入ったところで、左にある酒屋
が民生委員の家だ。今から行ってみる。
12H: それがいいですよ。
ホームヘルパーに来てもらえたら、これか
らは楽に暮らせますね。
洗濯も料理もやってもらえますよ。美味し
い物を作ってもらってください。
12G: ああ、本当によかった…。ありがとう。
13H: いいえ、いいえ。
ところで、おとうさん、お身体は?
13G: ああ、体はどこも・・・、だからなかなか
死ねなくてね…(苦笑する)。
14H: 健康が守られてよかったです。気をつ
けて帰ってくださいね。
ったら断られた。女房一人の世話で手一杯
なんだろうよ。俺の家には滅多に来ない。
10H: 立派な娘さんをお育てになったのです
ね。頑張った甲斐がありましたね。
先生はとても忙しいそうですから、なかなか
来られないのでしょう。
10G: この自転車も、娘が買ってくれたんだ。
前は、普通の自転車に乗っていて、年取っ
て転んだら危ないからって、三輪のこれを
買ってくれた。
11H: 忙しくて来られなくても、娘さんはお父
さんのことを思ってくれているのですね。
11G: ・・・(涙をぬぐって沈黙)・・・
さっそく、◎◎さんに相談してみる。うちは
▼ 訪問記録に対する▼
~~ 國枝 先生からのコメント ~~
今回のように、ボランティアとしてスピリチュ
アルケアに入る、専門職として担当すると言う
場面ではなく、生活の中でのふっとした出会
いの中で行われるスピリチュアルケアは、私
たちが常にスピリチュアルケア・マインドを持
つことの大切さを示してくれていると思います。
病院などの施設でゲストにお会いする時は、
さあはじめるぞ!と言う気持ちで、出会いを
始めることができます。ですから心の準備の
時を持つことができますが、生活の中で学ん
だスピリチュアルケアを生かそうというときには、
学んだことが身についていないととっさには
出てきません。
H は4G の「早く死にたい。今日の日にも死
にたい。そればかり考えている。」と言う言葉
に接しハッとしています。するとそれに引き続
いて「独りでは何もできない。」、「早く、今日
のう ち にも死 にたい 。」 、「毎日そ れ ばかり
だ。」、「毎日そればかり祈っているのに…。」、
「できなくて…、もう死んだ方がいい。」と G の
存在が揺さぶられている危機的なスピリチュ
アルキーワードが次々と出てきます。
12
スピリチュアルケアと言う観点から見るなら
ば、「死にたい」と言う叫びは、「孤独だ!」「生
きたい」「ここから抜け出したい」という必死な
訴えです。ですからそこに寄り添うと言うこと
になるのですが、出会いの場所はスーパー
の出口です。ですからとっさに出てきた言葉
が、「5H: ホームヘルパーに来てもらったら
どうでしょう?」なのでしょう。言ってしまえばこ
れは以降の言葉はケースワーカーとしての言
葉です。
この方の他者に関わる能力が十分あると予
測できるところは4H のカッコの中にあります。
H 自身にとって、「G はあまりに軽かった。」と
言う感触は、ある感情を刺激されたようにこの
記録から読み取れますが、自分の身体を他
者に協同させることができると言うことはこの
方の生きる力が十分あると言うことを示してい
るでしょう。だから H が「一、二、三!」と掛け
声をかけた時にすっと立てたのです。
この方の「痛み」の一部は「知的な痛み」な
のです。知らないと言うこと、学んでいないと
言うことが、この方の存在を困難にさせている
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のです。「今」この方に必要なことは、情報の
提供でした。この情報を得て G さんは生きる
力を回復します。しかし彼のスピリチュアルペ
インはそのまま残されています。それは家族
から遺棄されているという感覚です。それは9
G に現れていますが、この9G が4G の背景で
す。それに対して H は10,11で応えようと努
めていますが、G にとっては多すぎて受け取
りきれません。ですからここでは当面のことと
しての彼の「知的な痛み」に応えることで十分
なのです。アセスメントは特別な状況でのみ
必要なことではなく、このような街角で起こる
ことの中でも大切なことなのです。限られた時
間、限られた場所での出会いの中では何が
優先されるのかと言う選択力をつけることも、
スピリチュアルケアを提供するものとして大切
なことです。
この記録は、そうした点で隣人愛の実践記
録だと感じます。サマリア人がしたように、私
たちが常に生活の中で実践することを通して、
私たちのスピリットは成長します。それを示す
記録としてこの記録は大切だと思います。
~~ 木澤 先生からのコメント ~~
H が日常の中で周りの人を深い関心を持
って生活していることがうかがえる。
高齢者の G を温かい目で細かく観察し、優
しい心を持って援助し、寄り添おうとする心が
表出されている。
1H: 労りながら、具体的に H がしようとするこ
とを G に伝え、了承を得ている。援助の押
し売りにならない心使いが見られる。
1G: G は気持ちよく、H に自分をゆだねてい
る。
2H~4H: H は自分がしようとすることを適切
に相手に伝え,G の協力も頼んでいる。G も、
してくれることが明確だから、すぐ判断し答
えることが出来、協力できる態勢をとること
が出来る。
4G: 感謝すると同時に H の態度を信頼した
G は、辛い気持を一気に吐露した。
5H: 状況を理解した H は対策をすぐ提示し
て、生活面の解決を急いだのは良かった
が、その前に、少しでも良いから、スピリチ
ュアルな面にも理解を示し、現状で生きて
いく力をいくらかでも持てるように支えても
よかった。今までの妻、娘に対する全面依
存がホームヘルパーに移行するだけでは
「死にたい」という願望は薄れない。
13
6H: ヘルパーに依頼する具体的方法をやさ
しく明確に示して上げられたのはとてもよ
かった。G も自分の行動をイメージできた
ので、実行に移せる。
9H: 「おとうさん、もう一人で苦労しなくてい
いですよ」は G の琴線に触れた言葉となっ
た。
10H: 9G の「俺の家には滅多に来ない」に
対してポジティブな H の考えを提示したの
は良かった。
10G~11H: G の考えもポジティブに変わる。
娘に対する考えも被害者意識から脱出出
来るかもしれない。
11G: 「さっそく、◎◎さんに相談してみる」G
が行動に移せた。
12H: それを H が前向きな言葉が支えた。そ
して、体は健康なのでやれば出来るという
意識が生まれることを希望できる
路上でのほんのひと時のHとの出会いで、
G が大きな希望をもつことが出来たことは、ス
ピリチュアルケアが病床や施設の中にだけあ
るのではないことを明らかに示した良い記録
です。このような記録を取られたことに感謝し
たい。
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第 15 回臨床パストラル教育研究センター
全 国 大 会 に参 加 して
NPO 臨床パストラル教育研究センター副理事長
本年度の全国大会は南国鹿児島で初めて、
6 月 9 日と 10 日の両日開催された。日本各地
からは遠路でもあり、参加者数の減少が危惧さ
れていましたが、ほゞ例年並みの参加者があっ
たことは誠にうれしいことでした。まず実行委員
会の皆様のご努力に感謝致します。
第一日目は会員総会に引き続き、2題の基
調講演がなされた。まず、長谷川有史、熊谷敦
史両先生が「大災害に直面した医師の叫び~医
療の限界~」と題して話されたことは、東日本大
震災から1年半ほど経った時点でも当時の生々
しい医療現場の極限的状況を伝えられた。心
身共に疲弊した医療者自身が心の痛みを抱え
た患者であったという。その中で医療支援チー
ムによる傾聴と痛みの共有と寄り添いによって、
医療者の心に変化がもたらされた。「震災との
出会いは必然であり、起こってしまったことは変
えようがない。ならば胆を据えて事態に対応しよ
う」と活動された。講演者の
熱弁もあって、聴衆は強く
動かされ たと思う。次の基
調講演は「緩和ケアにおけ
るスピリチュアルケア~その
必要性と可能性~」と題し
て林章敏先生が話された。
日本人が終末期に大切にしたいと考えているこ
とにはスピリチュアルな内容が多いという。スピリ
チュアルな痛みを抱えているのである。スピリチ
ュアルケアが必要になるわけだが、「痛みを感じ
る前に普段からそれらのことが感じられるように
関わる医療者によるスピリチュアルコミュニケー
ション」が、「スピリチュアルケア以前に大切だと
述べられたことは重要だと思う。例えば帰り際に、
「今、何かお手伝いすることないですか?」とい
うように普段から自らの意思を簡単な言葉で伝
えることの重要性を述べられていた。
この二つの講演を受けて、参加者はそれぞれ
10名前後のグループに分かれてグループ討議
が行われた。参加者のアンケートによれば、とも
かく時間が短すぎて十分な話し合いというか分
かち合いが出来なかったという意見が多かった。
それでもこのグループ討議の意義は皆さんが認
14
吉田
彪
めていた。来年度以降の大会ではこのような点
を考慮したプログラムが組めると良いのだが。
第二日目はまずパストラル・カウンセラーや
パストラル・ケアワーカーの資格認定証の授与
式が行われたが、例年の如く喜びに溢れた認
定者たちに会場から多大の拍手が贈られ、達
成感と喜びを分かちあった。
次いで、グロネマイヤー・ライメル教授が「臨
死のアート ~最後まで人間らしく~」と題する
特別講演をされた。全ての先進国では人生の最
期が医療機関において身体的医療課題や経済
課題としてのみ取り扱われていて、患者個人の
不安、心と魂(スピリチュアル)の願望や慰めなど
は影が薄くなっている、と指摘された。 その結
果、臨死のアート(接し方)は人間味のない機械
的な医療技術で覆われてしまっていると指摘す
る。しかし今後、“臨死のアート”が浮上する可能
性はあり、それにはスピリチュアリティをよく理解
する医療者の役割が大きい
と述べた。 これらの点は、
林章敏先生が述べられた
日本におけるスピリチュア
ルケアの現状やその対応
の仕方とも共通する課題だ
と感じた。
二日目の午後には、一般演題として6題の口
頭発表があった。それぞれに極めて興味深い
発表で質疑応答も時間が足りないほど活発に
行われた。参加者のアンケートによれば、被災
地でスピリチュアルケアの実践をしているお二
人の発表やご自分の状況を「スピリチュアルセ
ルフケア」として発表された方の演題に特に感
銘を受けた方々が多かったようである。 いずれ
にせよここ数年、一般演題の「質」が年毎に上
がって来ていることは誠に喜ばしいことである。
総じて、この記念すべき第15回全国大会は
各講演や発表の内容が充実していただけでは
なく、その運営も申し分のないものであった。
改めてここで、実行委員会のメンバーならびに
多くの支援者の方々に対して心から感謝の拍
手をお贈りしたい。
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研 修 会 感 想
名古屋
愛知県がんセンター中央病院
2012 年7月12日 ~16日
科目Ⅰ:人間関係とコミュニケーション・傾聴
「聴くことは生活したり愛したりする
と同じように単なる技術ではなく一種の
『道』『Art,アート』である」というメッ
セージをここちよく受け取っています。
その技術が生活そのもの、ライフワーク
であること、それはつまり人間関係とコミ
ュニケーションであり実践しながら学び
互いに成熟し人となってゆく基本なのだ
と思いました。
講師の先生、シスター、そしてスタッフ
の方に感謝しています。とても良い学びの
ときをいただけたこと、ありがとうござい
ます。
(H.T.)
**************************
大変だったというのが正直な感想です。
なぜ大変だったのだろうとよく考えてみ
ると、自分のくせなどに面と向き合わなけ
ればならなかったからだと思います。
まず、自分自身に対する傾聴から始めな
ければなりませんでした。最初は目を外ら
したい気持になりましたが、
「良い」
「悪い」
と判断する気持を押さえる努力をして、事
実をありのまま見るということを学びま
した。努力はこれからも続けようと思いま
すが、「自分自身」と本物の関係になると
いう感覚を少しでも味わえたと思います。
ありがたいことに、先生やシスター、受
講生のみなさんがお互いを理解しようと
いう雰囲気だったので、そこではとても率
直な気持になりました。日常生活でもでき
る限り実践していきたいです。また、応答
のワークで相手を中心に、相手に力を見出
す受け答えの難しさと、できた時の喜びを
体験しました。
相手の中にも、自分の中にも存在する力
15
を発見し、その力によって自らを支えてい
くということは日常の中でも重要だと思
いました。まずは自分からそれができるよ
うな人間を目指したいと思います。
(O.K.)
**************************
はじめは、厳格な講師の先生についてい
くのがたいへんでした。 しばらく、自分
のペースでのほほんと生活するパターンが
身についていたので、父性的なキッペス先
生は、久々、私の大きな刺激になりました。
コミュニケーションのロールプレイを
する中で、自分のコミュニケーションの癖
や苦手な面が浮き彫りになり、自分の内面
を鏡で映し出される感じでとてもしんど
く感じました。しかし、それは自分の新た
な気付きとなったので、ありがたく思いま
した。
「反復」が相手を受けいれるのに、いか
にパワーがあるかがわかりました。実は以
前、「私は馬鹿である」という劣等感に悩
んでいました。多くの人は「そんなことな
いよ」と言ってなぐさめてくれたのですが、
人がどう感じようと、自分の基準では自分
が馬鹿だったので、それを受容してくれな
い周りのひとが本当に嫌でした。「本当に
自分のことを馬鹿だと思っているんだね」
と言ってくれた友人だけが、私の気持ちを
理解してくれていました。そのことを思い
出しました。「そうなんですね」と反復す
るより、相手が使った言葉をそのまま使っ
たり、自分の中で咀嚼した言葉を使ったり
するほうが相手に心が通じることもよく
わかりました。
最後に皆さんが書いてくれた長所が、と
10.20_2012 NL57
ても心に響きました。以前の私はとにかく
自己評価が低かったので、自己評価と他者
評価は、いつも天と地ほどかけ離れていま
したが、今はあまり自分を卑下することは
なくなったので、なんとなくこれが自分の
長所かな、なんて、自分で思っていること
が、本当にそのままノートに書いてあって、
あまりにも嬉しく、自然に涙がこぼれてき
ました。
今、病院の内科病棟で、ベッド周りの環
境整備をするボランティアをやっていま
す。高齢で病状も芳しくない方が多く、本
当に自分の意思なのか家族の勝手な意思
なのかはわかりませんが、点滴の管などが
身体につけられ「生きている」というより
は「生かされている」感じの方が多く、と
ても心が痛みます。魂の叫びをしたいのに、
それすら許されていないのではないか、と
いうことすら感じています。そんなとき、
何かをしてあげるのではなく、本当にただ
傍にいてあげることの方が、ほんの少しで
もその方のためになっているのではない
かと感じています。
研修を受け、まだ自分でうまく咀嚼でき
ていないところがあります。まず、人が、
受け取る存在、(神に)与えられた存在だ
とするなら、スピリチュアルな自分の内側
から起因する声、自分の core な部分、と
熊本
いうのは、これも本当は与えられているも
のではないかということ。これは私の言葉
になってしまい、もう少し拡大解釈したこ
とになるかもしれませんが、そもそも自由
意志というものはあるのか、ということで
す。もうひとつは、自分の core な部分が
自分の内側から起因していると仮定した
場合ですが、
「自己満足のために care して
あげるのではなく、相手のために care す
る」とき、その場合でも、「相手のために
care してあげたい」
という自分の自己満足
を満たすことが前提にあるのではないか
と思うのです。
「自分は相手を care しても
しなくてもどちらでもいいのですが、相手
に求められたらやります」という境地は、
本当にあるのかな、と思うのです。私はど
うしても、
「少しでもあなたのお役に立ち
たい」という自分の欲を満足させることか
ら脱却することができません。 「自分の
内から起因するものに従う」ということは、
私も今まで実践してきたことでした。今ま
では「ありのままの自分であり続ける」と
いう言葉で、このことを捉えていました。
それが「スピリチュアル」という言葉でま
とめることができ、これからも私はスピリ
チュアルな存在であり続けたいと思って
います。 5日間、本当にありがとうござ
いました。
(M.I.)
イエズスの聖心病院
2012 年9月13日 ~17日
科目Ⅲ:スピリットとスピリチュアル
パストラルケアは専門職である。このこ
とについて考えていました。私のパストラ
ルケアの出発点は「愛とは何か」、
「真に人
のためになることとは何なのか」です。
資格を取るとか専門職になるなどの周
りの研修生さん達とのギャップや、患者さ
んとの訪問時間を通して感じた無力感。良
い関係が築けても、全てを理解し、救うこ
とは出来ないこと。 分かってはいたつも
りでしたが、分かれる時の淋しそうな姿を
見 る と 「 一 体私 は 何をし て い る の だろ
う・・・」そう思うこともありました。 し
ばらく感想が書けずにいたのですが、そん
な日々の中2つの言葉が私の視点を開か
せてくれました。それは“人の苦しみをや
わらげてあげられる限り、生きている意味
16
10.20_2012 NL57
はある”(ヘレンケラー)と“最低の希望
は分かり合う努力をすること”
(水俣病の
石牟礼道子)でした。
パストラルケアの専門職がそういった
働きに値する職なのであれば私はなりた
いです。そういった人間になりたいです。
(O.M.)
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科目Ⅰ・Ⅱをご一緒したうちの6人で、
熊本イエズスの聖心病院で科目Ⅲ、初めて
のゲスト訪問をしました。
講師の先生方のあたたかいまなざしに
勇気づけられて、三日間の訪問、訪問記録
作成、検討会と無事終えました。 科目Ⅰ、
Ⅱで学んだことの上での実践です。
皆さんの訪問への集中が伝わってきま
す。 この半年前までは全くお互いに知ら
なかったメンバーで、熊本に集合し、スピ
リチュアルを大切にと思う研修を続けて
いることに不思議さを感じていました。
私は書くことがなかなかできなく、記録
には時間がかかりました。 お互いの会話
を書き留めるだけなのですが、またその間
の自分自身がどのような状態なのか分析
も難しいものでした。訪問も記録も回数を
重ねれば、もっと自分を見つめ直し、思い
をはっきりさせられるようになると思い
ます。
今回のゲスト訪問は、私にとっては素晴
らしい方への出会いが与えられ、人間の心
に触れる喜びがありました。
北海道
札幌キノルド館
自分が安心を常にまとっていられるよ
うな Spiritual を人間形成に励みたいと心
新たにして帰途につきました。 (O.Y.)
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私の実家のある熊本での研修だった。実
家に滞在しながら小学校の時に歩いた通
学路を通り、中学の通学で使った電車に乗
って聖心病院まで通いながら、自分の過去
をふり返る機会ともなった。
初めてのゲスト訪問で大変緊張してい
たが、こんな未経験者で自信のない私など
でも3日連続で訪問すると日に日に心を
開いてくださるのが分かり、3日目には先
の入院で友達になった人が今は元気にな
られて、買い物や炊事をしていると聞いて
羨ましいという感情があること、ホスピス
でばったり会った知り合いが最近見かけ
ないので亡くなられたのかもしれないと
心配されていること等を、私にも自分から
話して下さり、最後に「おたくのこともも
っと聞いてみたかった」とおっしゃったの
が印象的でした。
毎日訪問する意義を感じる一方で、講師
の先生の「基本は一期一会」ということば
がずっしり来ました。 一期一会において
ゲストの心を開いていただくには、私自身
がもっとほんものになり、スピリチュアリ
ティを研ぎすまし、相手に心を開きたいと
思わせる者にならなければならないと感
じました。
(O.M.)
(20 日はマリア院)
2012 年9月20日 ~ 24日
科目Ⅰ:人間関係とコミュニケーション・傾聴
私は人と関わって生きたいと望んでい
るのですが、相手の気持を汲みとるところ
が不得意なのでこの機会に少しでも何か
を求められたらとの期待を持って申し込
みました。
資料が届きました。予習は大切であるこ
とは良くわかりますが、課題に取りかかっ
てみると私にはとても理解するのに時間
がかかり頭に入らない。そのうちに眠くな
る。74 歳の年令のせいもあって、とても
17
10.20_2012 NL57
ました。今回の学びの中から、最後になっ
てはっきりと感じたことは、あせらずに自
分のペースで、自分でたりないと感ずると
ころを学び続けることが私の今の与えられ
ている使命だということ
でした。
私は自分では想像も
し てい な か っ た 沢 山 の
こ とに 気 付 か せ て頂 け
ました。このチャンスは
与えられたものでした。
5 日間 を 無 事 に 終 え る
ことが出来、お恵みに満たされた喜びの達
成感を味わわせて頂けました。講師、スタ
ッフ、研修生皆様全てに感謝の気持でいっ
ぱいです。又機会が与えられたら挑戦しよ
うという勇気をいただきました。 有難う
ございました。
(I.I.)
ついていけそうにない。途中でなげだした
い気持になり、挫折寸前の気持でした。膠
原病による体調管理中心の生活をしてい
る私にとって、5日間もの集中は、体がも
つだろうという不安も
ありました。無事終わっ
た今、この研修会は私に
とって意義あるもので
した。
私は人間としていただ
いた命を最後まで大切に
して生きたい。その為の
私の使命とは何か。悔いのない人生の締め
くくりの為に残された自分の使命を考えて
求めていました。今回の学びが一日一日進
められていくうちに、私はもやもやとした
すっきりしない自分の使命感にいらいらし
て、あせりがあったのだと気付かせて頂き
一日研修会
感想
★北九州ブロック
2012 年 8 月 26 日
以前から興味のあった「スピリチュア
ル」の部分を漠然としていたイメージから、
よりはっきりとイメージがつくようにな
りよかったと思います。自分の心の整理を
してから話を聞くことがとても大切であ
る、ということを改めて認識、考えさせら
れました。話というのはいつも突然に始ま
ることが多いので、日頃から少しでもスペ
ースを空けていられるよう自己管理を行
っていきたいです。
スピリチュアルケアを行うにあたって、
自分の感性がとても重要になってくるよ
うな感じがしました。スピリチュアルな部
分というのはとても深く、重い部分でもあ
るので、そのような話を聞くと本当に自分
が無力であると痛感する時があります。で
も、その無力さを感じることも大事なんだ
と思った時、少し自分が楽になったような
気がしました。研修を受けることで学ぶこ
18
とも多いのですが、自分が楽になるという
経験は初めてで参加してよかったと思っ
ています。
日々、看護記録を書くときに、プロセス
レコードで自分なりに行うようにしてい
ます。悪いことに目を向けがちですが、こ
れからはよかったと思う部分にも目を向
けていき、自分自身をあまり追い込まない
ようにしていきたいです。
今日はたいへん勉強になりました。次回
も参加出来ればと思っています。ありがと
うございました。
(S.O.)
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今回、この研修を受けて「心のケア」
「寄
り添う」「傾聴」について、改めて深める
事ができた。
傾聴するだけでは、スピリチュアルケア
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につながらない。また、問いかけるだけで
もだめで、その場でケアできるのではと考
える。ホストもゲストも同じ人間であり、
気持ちの揺れがあって当たり前。そういう
知識を知ることで、自分の心が楽になれる。
今まで、“感情の先取り”ばかりしてきた
ように思う。それがよいと思ってやってき
ていた。この研修でたくさん学んだこと、
何となく理解できたことを現場で生かせ
るようにしたい。人として成長し「生きて
きたようにしか人は死ねない」との言葉も
あるので、最後は笑って迎えたい。
この研修で学んだことを実際に、ケアや
現場で活かして、どうだったかを伝えられ
るようにしたい。
(K.M.)
「スピリチュアル」という言葉の意味が
よくつかめず悩んでいましたが、今日みな
さんの話や講義を聞いて、1つの言葉に絞
ることはなく、一人ひとり事例によって違
っていいのだということを感じました。ま
た、スピリチュアルな痛みを、時間・関
係・・自律を失う痛みと分けることで、分
かりやすく捉えられると感じました。
今日の事例で、ゲストが自分に前向きに
生きる姿に尊敬をあらわすと言われまし
たが、いつも利用者の方にそれをどう伝え
ようか悩んでいましたが、「自分自身の生
への感謝」であらわせると学んで良かった
です。ありがとうございました。
(M.H.)
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新 会 員 名 簿
新 B 会員
敬称略
田口 和宏
村瀬 道雄
三浦 博子
橋本 富美子
岩崎 和男
氏家 ゆり子
寄 付 者
大仲 麗香
敬称略
雙葉11期生(100)
中部1日研修会(1)
土屋 瑞枝(3)
内堀 賤子(13)
的場 孝子(3)
水尾 智佐子(3)
平塚 園枝(3)
林 理江(1)
長沢 道子(13)
森田 恭一郎(3)
曽我部 輝子(3)
柳下 徳子(3)
勝田 稔子(3)
北海道科目Ⅰ(12)
林 理江(3)
相知 裕子(3)
古畑 久美子(3)
平野 のぞみ(3)
坂元 美根子(3)
中庭 栞(1)
※ 2012 年 10 月 22 日現在
19
川瀬
丹下
小澤
笠井
酒井
近藤
洋子(3)
令子(5)
ミサヲ(53)
さと子(3)
多恵(3)
恵子(6)
小野
沼倉
渡邉
中村
梅津
高濱
( ) 内単位:千円
照子(10)
久枝(3)
禮子(5)
正敬(3)
敏子(3)
昌信(5)
10.20_2012 NL57
NPO 臨床パストラル教育研究センター
第 16 回
全国大会
日 時:2013 年
6月
開催のお知らせ
8日・9日
場 所:日本教育会館 東京都千代田区一ツ橋 2-6-2 03-3230-2831
テーマ:
「
癒しと治し 」
全国大会実行委員会(委員長:吉田
彪)
今から皆様のカレンダーに記入しておいてください!
~~ 編集後記 ~~
暑かった夏もやっと終わったかと思ったら、もう秋も半ばを過ぎ、紅葉の便りがだ
んだん南下してきました。皆様には暑い夏を無事乗り越えられたことと願っています。
さて、今号は種々の事情で発行が若干遅れましたことをお詫びしますが、充実した
内容のものをお届け出来たのではないかと思います。 まず、仏教者の立場から高山
先生がスピリチュアルケアに関する興味深い考え方を述べて下さっています。続いて、
キッペス先生が QOL の考え方に関する力作を書かれています。さらに、
「現場から」や
「読者から」の欄には会員からの興味深い文章を頂きました。
ここで編集委員会からのお願いなのですが、本誌に掲載された記事や内容につい
て、皆様の感想をお寄せください。あの記事は「面白かった」この記事は「詰らなか
った」
、
「下らなかった」などの反響を次号の本誌に掲載したいのです。忌憚のない感
想やご意見を頂くために場合によっては匿名で(もちろん、編集委員会には記名で投
稿願いますが)掲載することも考えますので、気軽にお寄せ下さい。今後引き続き、
毎号の記事についての感想・ご意見を頂きたいと思っていますので、一行でも二行で
も構いませんのでどうぞよろしくお願いいたします。
次号はもう新年号です。 第 16 回全国大会の詳細を掲載したいと思っております。
どうか上記開催日を皆様のカレンダーに記入しておいて下さいますようにお願い致
します。
(文責:吉田 彪)
本誌「スピリチュアルケア」の発行費用の一部は
中外製薬株式会社からのご寄付によるものです。
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