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アメリカ領サモア、ウツメア村出土土器の混和材

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アメリカ領サモア、ウツメア村出土土器の混和材
 〈論 文〉
アメリカ領サモア、ウツメア村出土土器の混和材
丸 山 清 志
1.はじめに
太平洋の東部に広がるポリネシアでは、先史時代の終末期には物質文化の要素から土器が抜
け落ちていた。紀元前1000年頃に、トンガ・サモアを中心とする西ポリネシアに、最初に植
民した人類は、メラネシアで発生したラピタ式土器をポリネシア最古層の文化要素として持ち
込んでいたが、紀元後に入ると土器からは、特徴的な文様がなくなり、ポリネシア無文土器
とよばれる土器に変わっていた。サモア・トンガの西ポリネシアからの移住の波が、紀元後に
なってから到達した東ポリネシアでは、マルケサス諸島とクック諸島から数片の無文土器が発
見されているのみであり、東ポリネシア最古層の文化を表しているとされる。
サモアの先史時代にはラピタ式土器からポリネシア無文土器への変化、そして土器の生産・
使用の消滅という文化史編年上の画期的様相がみられる。ラピタ式土器はメラネシアからの移
住、無文土器は東ポリネシアへの移住、土器の消失はヨーロッパ人との接触直前の文化へのつ
ながりをあらわすものである。しかし、ラピタ式土器の発見は偶発的・単発的なものである
る
し、ポリネシア無文土器の消滅時期についても論議が多い。
、ポリネシア無文土器の消滅時期についても論議が多い。
も論議が多い。
論議が多い。
土器による文化様相時期の画分にはより、年代をともなう事例の蓄積はなお必要とされる
が、本稿ではツツイラ島ウツメア村の発掘で出土した、土器の遺存状況と胎土分析の結果を他
の出土例・分析例と比較する。
2.サモアにおける土器使用の年代観
サモア諸島は南緯10度と20度の間に位置し、西にフィジー諸島、トンガ諸島、東にクック
諸島がある。主要な大きい島は西からサヴァイイ島、ウポル島、ツツイラ島、そしてオフ、オ
ロセガ、タウからなるマヌア群島である。現在サヴァイイ島とウポル島は独立国のサモア国で
あり、ツツイラ島以東はアメリカ領サモアを構成する。すべて火山島であり、サモア国のウポ
ル島・サヴァイイ島では島の中央脊梁山地からのびる緩斜面が発達して、なだらかな地形がみ
られるが、アメリカ領サモアではツツイラ島の西部でゆるやかな地形がみられるほかは、海岸
低地と急峻な山地からなる。
─1─
サモア諸島の考古学の基礎は1960年代にニュージーランドのチームが現在のサモア国でお
こなった踏査・発掘によって築かれた(Green and Davidson 1974)
。この調査ではポリネシ
ア無文土器を産する遺跡が発掘されるとともに、ウポル島西端に位置するムリファヌアでの
埠頭建設工事で浚渫された、海底土壌中から発見されたラピタ式土器が記録された(Green
1974a:170)
170)
。ムリファヌア遺跡の年代は紀元前1000年前後とされる(Green and Leach
1989)
。サモア諸島内でのラピタ式土器の発見はこのムリファヌアの事例のみである。そのほ
かの遺跡出土の土器はすべてポリネシア無文土器である。
グリーンは、ウポル島のサソアッア村の SU-Sa-3遺跡5層および4層の状況から、細粒砂混
和薄手土器から粗粒砂混和厚手土器への変遷をみとめ、無文土器は紀元前300年頃に始まり、
紀元前1世紀から後1世紀にかけて細粒砂混和薄手から粗粒砂混和厚手へ変化し、紀元後3
−6世紀に土器製作が終息したという(Green 1974b:248)
248)
。またマヌア諸島オフ島のトアガ
遺跡出土の土器もすべて無文土器であるが、薄手の土器の石灰質の混和材、厚手の土器に粗粒
の玄武岩が含まれ、薄手土器が徐々に減少してくことが追認されている(Hunt and Erkelens
1993:129
:129
129, 147)
。
ツツイラ島西部南岸のタフナ平野では、パヴァッイアッイ村で火山灰層の下位に限定できる
層位から土器が出土しており、土器包含層の年代を紀元後240−640年に限定できた(Addison
et al. 2006:9-13)。土器を出土した発掘地点は、内陸から海岸に向かった溶岩流でできた平地
上にあり、現在の海岸から3㎞の位置にある。土器の混和材は島の岩盤起源であり、1点のみ
が細粒砂で、ほかはすべて粗粒砂である(Addison et al. 2006:12)
。
また、同じウポル島の SU-Va-4遺跡の F-1層出土の細粒砂混和薄手土器では口縁部直下にく
びれが設けられるなど、単純な丸底浅鉢からなる他の無文土器にくらべ、よりラピタ式土器に
近い、形態的特徴を有することが指摘されている(伊藤 2003:71)
:71)
71)
。サモアの土器は伊藤に
よって、ラピタ式土器→細粒砂混和薄手土器古段階→細粒砂混和薄手土器新段階→粗粒砂混和
厚手土器という4段階の変遷に整理されているが(伊藤 2003:72)
:72)
72)
、実際にはいくつかのタ
イプが同一層に混在していることもあり、遺跡層位ごとの様相としてとらえられ、各段階に実
年代はあたえられていない。
土器使用の持続性についての別の見解は、クラークによって、ツツイラ島北岸のアオア村
の発掘資料から示された。土器は紀元後1000年を過ぎて非常に少なくなるが、紀元後1300−
1600年頃まで局所的に土器の使用が続いていたとする(Clark and Michlovic 1996:167)
:167)
167)
。
3.ウツメア村の発掘調査と出土土器
土器はツツイラ島東部の南岸にあるウツメア村での発掘調査から出土した(丸山
土器はツツイラ島東部の南岸にあるウツメア村での発掘調査から出土した(丸山 2007)
。
─2─
ウツメア村は南に開ける海岸低地で、北側には急峻な崖が迫り、オロ山頂へとつづく。ウツメ
ア村背面の崖上にはスターマウンドと呼ばれるハト狩りに用いられた星型の石積みが数基散在
するのみで、居住域として利用された形跡はない。西隣のアウアシ村の背面にあたる部分では
山地上の集落が営まれていた。
ウツメア村の平地部では、海岸に近い前面に広場・住居が集中し、後背する崖際は粗放な園
ウツメア村の平地部では、海岸に近い前面に広場・住居が集中し、後背する崖際は粗放な園
芸農地として利用されており、バナナなどの有用植物と非利用樹種が混在している。地表面で
確認される遺構は、園芸農地内にあり、住居址1基と井戸1基が確認された。また、豚の飼育
に使われたと考えられる石積み壁が断続的に断崖に沿って築かれていた。
発掘区画は住居址の範囲に設けた。住居址は縁を30∼50㎝ほどの石に囲まれ楕円形で、内
発掘区画は住居址の範囲に設けた。住居址は縁を30∼50㎝ほどの石に囲まれ楕円形で、内
㎝ほどの石に囲まれ楕円形で、内
ほどの石に囲まれ楕円形で、内
側は周囲より30㎝ほど高くなっている。床面には1㎝以下に砕いたサンゴを敷き詰められ
㎝ほど高くなっている。床面には1㎝以下に砕いたサンゴを敷き詰められ
ほど高くなっている。床面には1㎝以下に砕いたサンゴを敷き詰められ
㎝以下に砕いたサンゴを敷き詰められ
以下に砕いたサンゴを敷き詰められ
ている。発掘坑は1m四方のユニットを基準とし、住居址に東西に3m南北1mで設定した
m四方のユニットを基準とし、住居址に東西に3m南北1mで設定した
四方のユニットを基準とし、住居址に東西に3m南北1mで設定した
m南北1mで設定した
南北1mで設定した
mで設定した
で設定した
(TP1・2・3)
。出土遺物と土壌サンプルは層位と10㎝ごとのレベルで記録した。
㎝ごとのレベルで記録した。
ごとのレベルで記録した。
第1層は住居の床面に敷かれていたサンゴを上部に含む黒色土である。第2層は下位に向
第1層は住居の床面に敷かれていたサンゴを上部に含む黒色土である。第2層は下位に向
かって漸移的に明るく変化する黒褐色度である。第2層上面掘り込まれている小穴が2基確認
された。その内、一基には木柱を支えていたと考えられる石が据えられていた。第3層は茶褐
色の砂層である。文化層は以上の3層からなり、第4層は白色砂で、遺物・炭化物の混入や遺
構は確認されなかった。第4層上面はほぼ水平にひろがり、地表からの深さは60㎝であった。
㎝であった。
であった。
動物遺存体はほとんどがサザエであった。人工遺物は土器片と玄武岩製の剥片と石斧であ
動物遺存体はほとんどがサザエであった。人工遺物は土器片と玄武岩製の剥片と石斧であ
る。土器片は67点が出土した。年代測定サンプルは堆積土中の炭化物粒子を各層から採取し
たもののうち、1点を測定の資料とした。試料(TKa-12362)は紀元後8世紀前後となった
(表1)
。採取された第3層レベル6は以下に述べるように、土器片の最も集中して分布してい
たところである。
TU4・5は TU1・2・3と後部の崖との中間に設定した。発掘区画は南北2m、東西1mであ
m、東西1mであ
、東西1mであ
mであ
であ
る。発掘範囲のほとんどが、ウムと呼ばれる調理のための地下炉の範囲にあたった。遺構内の
遺物は玄武岩薄片のみであり、土器片は出土しなかった。遺構の底部の炭木から17世紀前後
片は出土しなかった。遺構の底部の炭木から17世紀前後
は出土しなかった。遺構の底部の炭木から17世紀前後
の年代を得た(表1)
。
試料番号
発掘坑
層 位
位
位
レベル
Tka-12362
TU1
Layer 3
Level 6
Tka-12363
TU4
Level 7
測定年代 BP
δ13C(0/00)
330±100
−28.5
1200±100
表1 放射性炭素年代測定結果 * 誤差は標準偏差(one sgma)に相当。
─3─
−27.0
補正年代
1170±100
270±100
4.土器胎土の砂粒構成
土器片は4点が1・2層にあるほかは、すべて地表から30㎝以下の深さにあり、多くは第
3層に集中していた。肉眼で混和材の種類を Type 1:角礫を多く含むもの、Type 2:砂と
貝片を含むもの、Type 3:わずかに貝片とサンゴを含むもの、Type 4:混和材を認められな
いものの4グループに分類した。そして十分な大きさを持つ5点(Type 1から2点、Type 2
から1点、Type 3から2点、Type 4からは試料なし)を重鉱物分析と薄片観察の試料とした
(試料1−5)
。
重鉱物分析と薄片観察の結果ではa・b・cの3類に分けられた。a類は試料1で、砂粒を
重鉱物分析と薄片観察の結果ではa・b・cの3類に分けられた。a類は試料1で、砂粒を
a・b・cの3類に分けられた。a類は試料1で、砂粒を
・b・cの3類に分けられた。a類は試料1で、砂粒を
b・cの3類に分けられた。a類は試料1で、砂粒を
・cの3類に分けられた。a類は試料1で、砂粒を
cの3類に分けられた。a類は試料1で、砂粒を
の3類に分けられた。a類は試料1で、砂粒を
a類は試料1で、砂粒を
類は試料1で、砂粒を
ほとんど含まず、他の2類と異なりカンラン石を含まない。試料1は肉眼では Type 3にあて
はまり、サンゴ片があると思われた。b類は試料2と3で、カンラン石の多い重鉱物組成とサ
b類は試料2と3で、カンラン石の多い重鉱物組成とサ
類は試料2と3で、カンラン石の多い重鉱物組成とサ
ンゴ片を多く含むものである。肉眼では Type 2と3に別れて分類されており、Type 2と3に
わけたサンゴ片・貝片の量は質的な差にはなっていないようである。c類は粗粒の玄武岩片を
c類は粗粒の玄武岩片を
類は粗粒の玄武岩片を
多く含む。肉眼では Type 1で角礫を多く含むことが観察されたものである。Type 4は試料を
供さなかったが、Type 3の試料1が肉眼観察と異なり、サンゴ片等を含まずa類と判定され
a類と判定され
類と判定され
た。
肉眼観察で注目した特徴を、重鉱物分析の結果に対応させるとa類(=
肉眼観察で注目した特徴を、重鉱物分析の結果に対応させるとa類(=
a類(=
類(= Type 4)
、b類
b類
類
(= Type 2・3)
、c類(
c類(
類(Type 1)に大きく整理できる。試料に供された5点以外は肉眼観察
に頼って分類した(表2)
。試料1のように化学分析ではa類となり、
a類となり、
類となり、Type 4に振り分けられ
るべきものが、Type 3と判断される場合もありうるが、Type 2と Type 3からなるb類のサ
b類のサ
類のサ
ンゴ片を含む土器が多数を占めることにはかわりがない。ほとんどの土器片が3層に含まれて
おり、胎土に違いを時代差として認識するのに十分なデータではない。レベルでもほとんどの
タイプがレベル4・5に集中している。玄武岩片を含む Type 1=a類が低位のみに集中して
a類が低位のみに集中して
類が低位のみに集中して
いるようであるが、他のタイプに比べて点数が少ない。他の層序化した土器出土遺跡での今後
の検証事項となるだろう。
試料番号
カンラン石
斜方輝石
単斜輝石
ジルコン
不透明鉱物
その他
合計
1
001
5
01
1
18
089
115
2
046
8
22
09
165
250
3
148
6
27
16
053
250
4
026
4
20
07
193
250
5
019
15
141
250
74
1
表2 重鉱物分析結果
─4─
分
含
性
土
向
粘
方
度
鉄
残
岩
サンゴ片
凝 灰
鉱
玄
赤 鉄
不透明鉱物
単斜輝石
石
カンラン石
斜 長
度
径
汰
量
大
体
岩 石 片
石 片
石 片
片
片
隙
料
鉱 物 片
物 片
物 片
片
片
孔
最
淘
全
試
砂粒の種類構成
1
2
赤褐色
白色混和材少量
+ 0 (+) (+)(+) × × + ◎
a
2
3
赤褐色
白色混和材少量
○ ○
2
+ +
△ + × × + ○
b
3
3
赤褐色
白色混和材少量
○ ○
1
△
△ +
(+) + △ △ △ + ◎
b
4
3
明褐色
小角礫多量混入
◎ ×
3
○
△ +
△
○ × × + ○
c
5
3
明褐色
小角礫多量混入
◎ ×
4
○
△ +
△
○ × × + ◎
c
量 比 ◎:多量 ○:中量 △:少量 +:微量 比 ◎:多量 ○:中量 △:少量 +:微量 比 ◎:多量 ○:中量 △:少量 +:微量 (+)
:きわめて微量
淘汰度 ○:良好 △:中程度 ×:不良
○:良好 △:中程度 ×:不良
○:良好 △:中程度 ×:不良
孔隙度 ○:多い △:中程度 ×:少ない
○:多い △:中程度 ×:少ない
○:多い △:中程度 ×:少ない
方向性 ○:強い △:中程度 ×:弱い
○:強い △:中程度 ×:弱い
○:強い △:中程度 ×:弱い
砂粒最大径の単位は㎜
㎜
層 位
位
位
レベル・遺構
Type 1
Type 2
Type 3
Type 4
小 計
計
計
1
小穴1
1
01
01
2
レベル1
1
01
01
02
2
レベル4
4
3(1)
=a
03
2・3
4・5層
1(4)=c
8(3)
=b
09
3
5層
3(5)=c
10(2)
=b
06
19
3
レベル6
6
2
15
01
09
27
3
レベル7
7
05
05
3
小穴5
5
01
01
6
31
13
17
67
小 計
計
計
類
量
量
号
表3 薄片観察結果
存
記 載
載
載
武 岩
色調
番
層
表4 肉眼観察による混和材タイプの層位・レベル分布����������
���������
(��������
�������
)内は試料番号
─5─
1.試料番号1(TU1 Level 4 赤褐色 白色混和材少量)
2.試料番号2(TU1 Level 5 赤褐色 白色混和材多量)
3.試料番号3(TU2 Level 4・5 明褐色 小角礫多量混入)
─6─
4.試料番号4(TU2 Level 4・5 赤褐色 白色混和材少量)
5.試料番号5(TU3 Level 5 明褐色 小角礫多量混入)
写真左列:土器片外面
写真右列:胎土薄片下方ポーラー
Pl:斜長石、
斜長石、Cpx:単斜輝石、
単斜輝石、Tf:凝灰岩、
凝灰岩、
Ba:玄武岩、
玄武岩、Co:サンゴ片
サンゴ片
─7─
5.まとめ
コクレンはツツイラ島西部のタフナ平野にあるツアラウタ Tualauta 採集の土器を分析して報
告している(Cochrane 2004)
。形態的特徴をふくめ11の属性をとりあげているが、肉眼観察
による混和材タイプの分類を、サンゴ礁起源の石灰質、地盤由来、両者の混合の3つにわけて
いる。ウツメア試料ではサンゴ礁のみのタイプはなく、かわりに砂粒の混入が少ないa類が
あった。遺存している薄片の大きさ・厚みとも、玄武岩片を含む試料のほうが大きい。
グリーンの年代観では早い時期に器壁が薄くて、細かい胎土の土器が優勢であり、厚くて粒
グリーンの年代観では早い時期に器壁が薄くて、細かい胎土の土器が優勢であり、厚くて粒
壁が薄くて、細かい胎土の土器が優勢であり、厚くて粒
が薄くて、細かい胎土の土器が優勢であり、厚くて粒
子の粗い土器は遅れて現われるとされる。ウツメアでは粗く厚い土器が下位で優勢となってい
るが、大部分が第3層に含まれ、レベル差でしかないので、既存の年代観への反証とはできな
い。
ツアラウタとパヴァッイアッイの土器片では口縁部の形態についての分析があるが、ともに
ツアラウタとパヴァッイアッイの土器片では口縁部の形態についての分析があるが、ともに
直立かやや外傾、また内湾するヴァリエーションを揃えるが、形態については、伊藤の年代観
で後期の様相である。ウツメア土器は口縁部の土器片はなく、パヴァッイアッイでは胎土の分
析が未報告である。ツアラウタでは実年代が測定されていない。
ウツメアの土器出土層位の年代は、パヴァッイアッイの年代下限である紀元7世紀より、や
や遅く8世紀となっている。アオア湾で示された紀元1000年以降まで届くことはない。TP4・
5では遺構内覆土と表土のいずれにも土器は含まれておらず、遺構の年代ははるかに遅い紀元
1700年前後である。ウツメア村の C14年代は2点のみで9世紀から17世紀にいたる年代に比
定される痕跡はまだない。しかし、紀元後第2千年期の中葉は山地性の居住が出現・持続して
いる時期である(Pearl 2004)
。ウツメア村の後背部にあたるオロ山腹の集落址では現在のと
ころ、土器片はみつかっておらず、他の山地遺跡でも未発見である。沿岸部に位置するウツメ
ア村やパヴァッイアッイと異なり、内陸の遺跡であるツツイラ島西部のタフナ平野や独立国サ
モアでも土器採集地点は山地部には入らず、山麓部下位にとどまっている。土器の出土が低地
に限定されていることが、紀元後第1千年紀が低地居住の有土器時代、紀元後第2千年紀が山
地居住の無土器時代と区分されることの反映と、現状ではとらえられる。土器の出土例、山地
遺跡とその年代も現在のところ事例がすくないままであるが、今後、集落の立地・機能と土器
の関連もサモア史の課題となるであろう。
試料4と5に含まれる玄武岩片は角礫状である。サモア諸島の土器の特徴として、意図的に
砕いた岩(玄武岩)が含まれることがあげられる(Dickinson 2000:216)
。調査者によって、
土器や混和材の表記が異なるが、サモアの土器の変遷で最終段階に位置する厚手粗粒土器の
「粗粒」
、あるいは島の岩に由来することをしめす「terrigenous(土地・土壌起源)
」が、普遍
的に玄武岩片であることで一致するならば、一般にポリネシアの島嶼間交流が終息するといわ
─8─
れる紀元後第2千年紀中葉ではなく、有土器時期である紀元後第1千年紀にサモア諸島はまず
土器製作という技術側面で、ホームランドからの文化的分岐をはじめていたことがしめされる
であろう。
【註】
放射性炭素年代測定と土器薄片分析および重鉱物分析はパリノサーヴェイ株式会社に依頼した。文
中の表2と3はパリノサーヴェイの報告書(2003)から転載した。表1は報告書データを表の体裁を
改変したものである。
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─ 10 ─
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