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持続可能な発展 — 包括的解決のあり方 —

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持続可能な発展 — 包括的解決のあり方 —
日本国際経済学会 第 63 回全国大会
(2004 年 10 月 9 日・10 日:慶応義塾大学三田キャンパス)
—
持続可能な発展
包括的解決のあり方 —
枇杷木
賢生
東京国際大学・国際関係学部
はじめに
2 1 世 紀 の 人 類 が 直 面 す る 最 も 重 要 な 課 題 の ひ と つ に "SUSTAINABLE
DEVELOPMENT"、すなわち「持続可能な発展」があることは未だ「知る人ぞ知る」
の段階で、特に日本社会において人口に膾炙しているとは言いがたい。持続可能な
発展という概念は、第38回国連総会(1983年)のイニシアティブで設置され
た「環境と発展に関する世界委員会」が 3 年がかりの検討を経て、「将来世代の欲
求充足能力を損なわないように、現在世代が欲求を満たしていくような発展」とい
う意味の定義を行ったが、「その定義が十分でない」とか、
「将来世代の欲求は今の
我々には分からない」とか、「将来世代の能力は未知数だ」とか、不毛な言いがか
りの議論も多い。また、我田引水か早とちりによって、持続可能な発展を単に環境
保全問題と見なした研究あるいは枝葉末節に拘泥した研究も多い。さらに、
"DEVELOPMENT"を意図的に「開発」と邦訳して、民衆一般の自立心や自律性に基
づく望ましい「発展」のあり方を無視・軽視した官僚や支配者気取りの発想が蔓延
しているのも事実である。
持続可能な発展は、「地球環境との調和に基づく全人類的な子孫繁栄」の課題であ
り、広義における「環境保全と社会経済発展との両立」の課題であることは言うま
でもない。したがって、持続可能な発展は、全人類の強固な意志、地球大の公共精
神および永い未来に向けた弛まぬ努力、などによる行動様式や生活様式の根本的変
革なしには達成不可能な課題である。また、同じような意志、精神、努力に基づい
た「地球人道」(Global Humanity)とも呼ぶべき全人類的な相互の助け合い、および
世界的な「平和文化」(Culture of Peace)の生成なしには達成不可能な極度に難しい
課題と言っても過言ではない。つまり、持続可能な発展は地球人道や平和文化の課
題との相互不可分、相互助長の関係のもとに成り立つ課題であることから、これら
1
重要三課題には同時・整合的に取り組む必要がある。おおまかな考え方をすれば、
この重要三課題に21世紀の全ての重要課題がほぼ集約されるからである。
しかしながら、重要三課題の同時・整合的な解決・達成に当たって心しなければな
らないことは、それら課題をもともと惹起したばかりでなく、それらの解決・達成
を阻む強力な思想とその実践論理、すなわち、市場原理主義(「市場」)とその一部
でもある強者の論理(絶対競争の論理)が現代世界に君臨しているという事実であ
る。このジレンマの中での重要課題解決に当たっては、世界全体としての大局的ア
プローチおよび各社会における実状に密着した「草の根」的アプローチの双方から
多様な社会特定文化(「文化」)の健全化と豊饒化を促進する取り組みが基本的に重
要であると筆者は考える。つまり、全重要課題の潜在的な解決可能性の要(かなめ)
に「文化」、特にその健全化と豊饒化の必要性が存在するという考え方である。し
たがって、各社会および全世界における「文化」の健全化・豊饒化の努力が、全課
題の同時・整合的な解決には不可欠であるとする仮説を小論で試みることになる。
この仮説は、人間性の回復、人格形成の促進、人間能力の増強、などの総合的人間
発展の促進が必要であり、その基盤となる「文化」の健全化・豊饒化が地球的課題
の包括的・整合的な解決のために不可欠であるという考え方を表す。それは、また、
「文化」の豊饒化、総合的人間発展、および重要三課題の解決が同時進行でなけれ
ばならないことを示唆する。つまり、ここでの仮説における同時進行の考え方が、
多様な「文化」の健全化・豊饒化の方向性、並びに、それぞれの社会における「長
期」将来志向の強化、人類社会全体における自発的連帯の強化、などの方向性を支
持する。さらに、重要三課題の同時・整合的解決に向けた小論の仮説は、個々人と
全人類における思考時空(思考枠)の向上をともなう「長期」将来志向の強化、人
格・精神性の向上、人的資本形成の増加、などを各社会および全世界の努力・協力
の中で図っていくことが、多様な「文化」をできるだけ自然かつ効果的に健全化・
豊饒化させ、同時に、健康・活力・実り・長寿を求める人間的特性および総合的人
間発展(人間性の向上)を是とする全人類的願望への貢献につながるとする考え方
にもなる。
多様な「文化」の健全化と豊饒化に努力を集中しながら、それぞれの社会において
思考枠の向上をともなう「長期」将来志向、人格形成、人的資本形成、すなわち総
合的人間発展を図ることは、地球人道の考え方に好意的な雰囲気・環境を助長し、
全人類的な平和文化の構築に寄与し、さらに、全世界的な持続可能な発展への道を
開くような「善循環」を導くと考えられる。同時に、現今のグローバル化時代にお
ける重要三課題の同時・整合的解決という努力目標は、時間・空間を含む個々人や
全人類の思考枠を拡大し、多様な「文化」の健全化・豊饒化努力を恒常化させるよ
うな役割も果すと思われる。つまり、「文化」の豊饒化および個々人や全人類にお
ける思考枠の向上は、短期かつ性急な変化を意図する市場原理主義(「市場」)の社
会特定文化(「文化」)と地球環境(「環境」)に向けた凄まじい破壊力を牽制しなが
2
ら相対化する平衡力・対抗軸として、また、地球的重要課題の有効な整合的解決の
方策として重要な役割を担うということである。
以下では、まず、第一節で包括的な概念としての社会特定文化(「文化」)が荒廃を
きたす場合に生ずる「長期」の社会的病弊、すなわち「不信感の罠」について論じ、
第二節で本論における「文化」、「市場」および「環境」の定義を提示する。次に、
第三節では「文化」の豊饒化による「市場」の相対化および市場機能の健全化を論
じる。第四節では持続可能な発展、平和文化および地球人道の定義を明らかにし、
第五節でそれら重要課題と多様な「文化」との関係を論じる。続いて、第六節で1
7—18世紀の啓蒙主義運動に対置される「新啓蒙主義運動」の必要性を訴え、第
七節で現実世界の不公平性、不安定性および破壊的・暴走的傾向を論じる。さらに、
第八節では持続可能な発展の一般理論としての長期理論枠組を説明し、発展の必
要・十分条件を提示し、「文化」の豊饒化、総合的人間発展、社会経済発展の善循
環を論じ、社会的諸価値における相互作用と「文化」の豊饒化のかかわりを論拠付
ける。最後に、今日の経済学の問題点を鳥瞰し、経済グローバル化の人間性破壊活
動に言及し、本論が提唱する仮説の意味を総括する。
1
社会特定文化の荒廃:
「不信感の罠」
「不信感の罠」:説明と定義
ここでの社会特定文化(「文化」
)という全体論的・包括的定義については次節に譲
るが、まず、そのような「文化」の著しい荒廃あるいは崩壊が当該社会におよぼす
「長期」的な影響を意味する「不信感の罠」という概念の説明を行っておきたい
[Hiwaki, 2003]。「不信感の罠」はここでの造語であるが、これは「文化」の荒廃・
崩壊に起因する社会の「長期」的不活性の状態を指し、政府のいかなる短期的な政
策も意図する方向で社会とその構成員一般を活性化できない状態を意味する。つま
り、「不信感の罠」は、「文化」の崩壊にともなう人間性の徹底的退廃や社会の組織
的機能不全を示唆する。換言すれば、「文化」が社会構成員、組織・団体、制度、
価値観、アイデンティティー、など社会の基本要素に対して持っているダイナミッ
クで整合的な統合機能を喪失するほどに荒廃した場合、当該社会は「不信感の罠」
に陥るという考え方になる。
本論は社会統合に関する重要な「文化」機能を想定し、その統合機能自体は社会の
求心力に基づくとする。また、その求心力は、自然人・法人から成る社会構成員の
相互信頼に依拠すると考える。すなわち、健全な「文化」は、一般民衆と政府、雇
用者と被用者、消費者と生産者、貸し手と借り手、旧世代と新世代、などの間にあ
る暗黙の信頼感や連帯感、あるいは補完性の承認に基づく多様な関係の創造と維持
3
に深く関わっていると考える。なかでも信頼感や連帯感というものは、「長期」の
調和的かつ整合的な社会構成員一般の相互作用にもとづいて培われる建設的な人
間的・社会的感情(情操・モラル)を代表するものであり、そのような相互作用の
維持・向上こそ健全な「文化」の重要な役割であると考える。
したがって、「文化」によって育まれてきた相互信頼関係に重大な損傷をこうむる
事態になれば、社会構成員全体の共有・共通財産としての「文化」は、その重要な
役割を喪失することになり、「文化」自体が健全性を失うことにつながる。相互信
頼性の喪失によって、社会構成員一般は極端に消極的、防衛的、反抗的あるいは否
定的な態度・行動に走ることになり、人間性の退廃を余儀無くされる。また、人間
性の退廃・退嬰化は「文化」の荒廃を加速することにもなる。さらに、そのような
態度・行動や人間性の廃退は、政府によるいかなる「短期」政策も無効にし、社会
関係を継続的に破壊しながら、社会を「長期」的な活性喪失の病弊に追いこみ、そ
れらの悪循環が続くなかで、当該社会は「不信感の罠」に陥ると考えられる。
「不信感の罠」はケインズ学派の「流動性の罠」より遥かに重大で危険な社会経済
状態を指すことは言うまでもない。「流動性の罠」の場合、短期的な金融緩和政策
の類いは全く役立たないとされるが、経済活性化のための短期的な財政政策の選択
肢は否定されていない。換言すれば、「流動性の罠」は短期の金融政策に関するか
ぎりにおいて、極端な困難性を示唆する概念であるが、それ以上でもそれ以下でも
ない。しかしながら、「不信感の罠」の場合にはいかなる「短期」の政策も危機的
なまでに衰弱した社会活性を回復させ得ないという考え方を示す概念である。ここ
で断って置きたいことは、経済学での用語としての長期と短期がそれぞれ資本スト
ックにおける変化の有・無にその基準を置くのに対して、本論で用いる「長期」と
「短期」(カッコ付きで表示)は、それぞれ社会価値体系における重大な変化の有・
無を基準として考えるということである。
社会構成員に本来備わっている相互信頼・相互関心や社会への帰属意識(社会の求
心力)は、通常、社会内部での健全な人間関係や社会経済活動に不可欠のものであ
るが、「不信感の罠」は信頼感や求心力がこうむる破滅的損傷に伴って生ずる現象
と考えることもできる。したがって、一旦、「不信感の罠」に陥ると、それが社会
の不活性と人間性の退廃を内包するがゆえに、その基本的な脱出策としては、全社
会を挙げた「長期」の努力による社会構成員間の多種多様な信頼関係の再構築しか
ない。すなわち、社会特定文化(「文化」)に対する社会集団と個々人の弛まぬ健全
化・豊饒化の努力が求められるということと同じ意味である。
相互信頼性の破綻と社会活性の崩壊
社会内での相互信頼性と求心力の喪失は社会構成員の相互依存関係の破綻を示唆
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することから、有形・無形両面および虚・実両面における社会経済活動に要する社
会、組織体、個々人のコストが厖大になることを意味する。資金の貸し手と借り手
を例にとれば、相互信頼の喪失は貸・借両者に大きなリスクとコストを課すことに
なる。すなわち、貸し手は借り手の忠実な返済を疑う一方で、借り手は最も必要な
時に貸し手が資金提供を渋るという事態に備えざるを得なくなる。そこで、貸し手
はいかなる貸付けに対しても法外に高い金利と高価な担保を要求することになり、
借り手は今の貸し手より信頼できる貸し手と少しでも低コストの資金を探す努力
を余儀無くされるが、調査コストの大幅な増加と徒労に終わる可能性が高い。
これを一般化して考えれば、貸し手と借り手の相互信頼の喪失は資金貸借の大幅な
収縮(信用の収縮)を意味する。広い意味では、信頼感の欠落によって、全社会の
金利コストの高騰とそれに連動する全社会的な不安感の高まりによる当事者個々
人の精神的コストの高騰が悪循環をもたらし、多種多様な将来計画や社会経済活動
が妨げられ、経済活性、社会活性、ひいては人間活性が長い将来にわたって衰微す
ることになる。すなわち、社会経済全般における活性の「長期」的衰退は重大な社
会的病弊である「不信感の罠」を示唆するのである。
雇用者と被用者の関係に例をとれば、相互信頼の喪失によって、それぞれの利害が
対立を深め、両者の「長期」的な協調と連帯の機会は長い将来にわたって否定され
ることになる。そのような利害対立の深刻化は、労使両者の衝突や訴訟を頻発させ、
生産性の低下と労働移動率の上昇などによって労使関係のコストを高騰させるこ
とになる。また、雇用関係が流動化・一時化するようになれば、人的資本の流動化
に止まらず、企業運営に重要な企業秘密、アイディア、計画、ノウハウ、技術など
の流出を招き、それらの保全対策を含めて運営コストの高騰も生じる。さらに、雇
用関係の流動化は、新規の設備投資や職場内での人的資本形成にとって特に重要と
考えられる雇用者と被用者それぞれの「長期」将来志向が大きく減退することにな
る。
このように、雇用者・被用者間における信頼感の喪失が一般化すれば、雇用関係の
流動化によって社会秩序の流動化・不安定化がもたらされ、社会、企業、個人の物
質的、金銭的、および精神的なコストが高騰する。特に、雇用者・被用者双方の「生
活の糧」を生成するという経済活動の現場における労使の相互不信は民衆一般の
「長期」将来志向を大きく損なうことにもなる。これは、社会構成員一般が社会や
他者を無視した現在志向と私利私欲のみに邁進することにつながる。このような私
利私欲の発露は所得や商品の苛酷な獲得競争に向かうため、社会構成員一般にほど
よい満足感をもたらす公平な所得分配の機会はもとより、社会内の効率的な資源配
分の機会も喪失することになる。
また、社会構成員一般の「長期」将来志向が著しく減退すれば、社会の共有・共通
財産として「長期」的に蓄積されてきた経験、知識、知恵、道徳規範、などの総合
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的健全性も急速に失われる。「長期」的な観点からは社会全体にとって極めて貴重
な価値を持つものも、目先の刹那的判断のなかで否定・廃棄される可能性につなが
る。このような状況下では、社会構成員の大多数が無関心・無批判や不満・不安・
不幸あるいは極端な政治不信・社会不信・人間不信などに陥ることにもなる。そこ
から派生する価値観、人生観などの不安定性は、職業、所得、生活の不確実性と相
俟って、社会経済の生産性や発展可能性に多大なるダメージをもたらすようになる。
そのような不安定性と不確実性の高まりによって、社会全体の安全性と秩序は流動
化を余儀無くされ、社会と個人の実質的・精神的コストは急速に増大し、社会活性
と人間活性が衰退する。このような状態も「不信感の罠」を示唆する。
三つ目の例は、生産者と消費者に関わるが、相互信頼の喪失によって生産と消費に
不安定性とコストの激増を招くことになる。生産者の側は消費者の利益を無視する
ような虚偽的ないし誇張的な宣伝活動を展開することになり、消費者一般は高い調
査コストを余儀無くされ、商品に対する頻繁な失望感からくる精神的コストも高ま
り、生産者への不信感が募る。そのような状況では消費者の側も、矛盾に満ちた、
気紛れな欲求と嗜好のシグナルを、場合によっては意図的に、発信することにもな
り、生産者一般の市場開拓や在庫調整のコスト、製品開発の試行錯誤にからむコス
トなどを高騰させることになり、生産者側の負担上昇に拍車がかかる。これらの行
動はいずれも物価を高騰させる要因になり、輸出競争力にも悪影響を与え、生産と
消費の収縮をもたらすことになる。
換言すれば、生産者と消費者の相互の信頼感が欠落すると、同じ社会の構成員とし
て本来なら信頼可能かつ安定的で、両者に利益をもたらすはずの相互関係の機会が
奪われることになる。さらに、相互信頼性の喪失によって、生産と消費の不毛で誤
った探求が際限なく続き、過度な資源搾取と自然・人間環境の悪化をともなう不可
逆的な資源の浪費と社会費用の高騰をもたらすことにもなる。このような状態は、
生産者間および消費者間に何時終わるとも知れない「優勝劣敗」の絶対競争を根付
かせ、生産者と消費者それぞれの中で少数の勝者と大多数の敗者のいがみ合いをエ
スカレートさせるが、それだけで治まることはない。当然のこととして社会秩序が
流動化し、社会費用と環境コストは際限なく増加し、「長期」的に社会経済活動が
衰退を続け、社会活性と人間活性が限り無く衰弱する可能性を孕むのである。この
状態も「不信感の罠」を暗示する。
以上の信頼性喪失の例は社会の経済的側面に的を絞ったものに過ぎないが、それら
何れもが示唆するところは人間の精神・社会・環境にかかわるコストの急増であり、
将来的な社会活性と人間活性に関する否定的で手におえない衰退のシナリオでも
ある。経済的側面以外の人間関係に範囲を広げれば、多数の様々な例が考えられる。
なかでも、政治家と有権者、政府機関と納税者、国家と地方、教師と生徒、親と子、
妻と夫、既婚者と未婚者、医者と患者、健常者と障害者、若者と老人、等々の相互
関係における信頼性の喪失というものが重大な結果を生む。それらの人間関係を結
6
び付ける相互信頼が失われることからひき起こされるあらゆる種類の社会問題が
経済的側面での信頼性喪失による問題群と相乗し合った場合には想像を絶する社
会的・人間的破綻をもたらすことは明白である。要するに、社会特定文化(「文化」)
によって支えられている相互信頼性は、当の「文化」の崩壊によって喪失を余儀無
くされることから、「不信感の罠」という現象が発生するわけである。
近代資本主義文明と「不信感の罠」
そのような恐ろしい現象は「近代」と呼ばれる時代の歴史を見渡せば、簡単に多く
の例を見つけることができる。なかでも、西欧列強の植民地争奪戦に始まるアフリ
カとアジアの植民地化に例を引けば、「文化」の荒廃・崩壊がもたらす「不信感の
罠」という具体的現象が明らかになる。現在、低開発国あるいは発展途上国とされ
る社会活性の乏しい国々は西欧列強によって意図的にそれぞれの社会特定文化
(「文化」)が破壊された共通の歴史を持っている。宗主国の植民地政策よる母国語
の剥奪と公用語(宗主国の国語)の押し付け、宗主国本位の経済政策による植民地
の自律的な生活基盤と生活様式の破壊、宗主国間の植民地争奪戦や合意に基づいた
従来の民族的な「文化」基盤を無視するような分断と国境区画整理、民族間・部族
間闘争の誘導と奨励、さらには宗主国による現地リーダー層からの将来リーダーの
選別、洗脳と近代化教育、植民地における従来の伝統、宗教、人的資本、などの徹
底的破壊、等々が多世代、場合によっては数世紀、にわたって実施されたことは周
知の通りである。
植民地主義に基づく社会特定文化(「文化」)に対する徹底的な攻撃や破壊行為によ
り、多くの「文化」が瀕死の重傷を負ったが、これに追い討ちをかけたのが第二次
世界大戦後のパックス・アメリカーナに基づく自由貿易体制あるいは経済グローバ
ル化という名の「文化」破壊活動である。これらの度重なる「文化」破壊によって、
低開発国あるいは発展途上国と呼ばれる旧植民地諸国は、ひとにぎりの特殊な例を
除いて、停滞を余儀無くされ、同時に、混乱と悲惨の度合いを深めてきた。また、
それらの国々における「文化」の荒廃と崩壊が人口爆発と貧困の悪循環を導いたこ
とも頷けよう。をこのグローバル化を指導・先導してきたのが市場原理主義(「市
場」)であり、
「自由貿易」の別名である「相互依存関係」の美名のもとに、世界を
少数の「持てる者」と大多数の「持たざる者」に分断してきたと言っても過言では
、すなわち「密
ない。その分断機能は、「市場」が内包する唯物論的な「強者の論理」
林の法則」とも呼ばれる「優勝劣敗」の自由絶対競争にある。
つまり、「市場」は世界の多様な「文化」を完膚なきまでに踏みにじることによっ
て、それぞれの「文化」が培ってきた社会本来の求心力や相互信頼性を破壊してき
たと考えられ、結果として「不信感の罠」という重大な病弊を多くの社会にもたら
しながら、全世界を不公平、不安定、不安全な状態に導いてきたと言えよう。換言
7
すれば、経済グローバル化を梃子にした「市場」の「文化」に対する破壊行為は、
「文化」の人間関係における触媒機能や社会統合機能および社会関係における欲望
抑制機能を瀕死の状態にまで追い込みながら、旧植民地諸国の社会・人間活性を破
綻させてきたという意味である。赤裸々な「強者の論理」を原動力とする「市場」
は何らかの口実(植民地主義、帝国主義、グロ− バル主義、国益主義、利潤極大化
主義)を設けながら、近代資本主義文明の受益者たる世界の「権力構造」を戦略的
に強化する制度・装置として機能してきたことは確かである。このような認識をは
じめ、以下での「文化」と「市場」を支柱にした世界展望に鑑み、次節では社会特
定文化(「文化」)、市場原理主義(「市場」)、および広義の地球環境(「環境」)を簡
単に定義し、「市場のパラドックス」も提示して置きたい。
2
「文化」、「市場」および「環境」
社会特定文化(「文化」)
小論のテーマについて考察を進めるにあたり、カッコ付きの文化(「文化」)、すな
わち包括的で一体的な社会特定文化をさす概念を明らかにしておく必要がある。こ
こでいう「文化」は、それぞれの社会集団が共有する時間・空間のなかで超長期・
多世代にわたってダイナミックに生成された包括的固有文化を意味する。すなわち、
「文化」は、それぞれの人間集団独自の理知的、情操的、精神的、人格的、身体的、
物質的、技術的、社会的、環境的、などの要素によって織り成されたものを指すの
みならず、それらを整合的に統合・包括して一体化を促進するような独自の求心力
や触媒・統合作用を含むものと考える[Hiwaki, 1999a, 1999b, 2000a, 2001c, 2002c]。
したがって、ここでの「文化」は文明との相互作用をも包含した広義かつ全体論的
(ホリスティック)な意味を有する。
「文化」はその触媒・統合作用によって、個々人、家族、企業、非営利団体、宗教
団体、政府機関などから成る当該社会構成員を縦横に結び付ける働きをする。また、
「文化」はその当該社会における社会経済発展の中で、世代内の協調、世代間の連
帯、人間・社会・環境の相乗作用、などの相互作用を推進する役割も果す。さらに、
「文化」はその当該人間集団に共通の社会的特徴とアイデンティティーに加えて、
世界の全人間集団の中で独特の存在となるような特徴を付与する。同時に、
「文化」
は健康で活力に満ちた実り豊かで楽しい長寿を是認する一般的な人間特質(エト
ス)にこよなく適合するだけでなく、それを奨励するような傾向を有する。もっと
「文化」)とは、特定の社会における超「長期」
単純化していえば、社会特定文化(
の社会経済発展の過程のなかで個人的・集団的な経験、知識、知恵、精神、人格、
倫理、価値観、表現力、表現方法、などが多世代にわたって積み上げられて整合化・
一体化したものおよびそのプロセスのあり方を意味する[Hiwaki, 2002b]。
8
すなわち、健全な「文化」の構成要素の間には整合性確保への弛(たゆ)まぬ努力
が想定される。また、各々の「文化」は特定の人間集団と社会に対して積極的・建
設的であるがゆえに、整合可能な範囲で累積的に存続しながら、人々の生存、安寧、
福利向上をめざすものといえよう。つまり、「文化」は、その構成要素の蓄積過程
にあって、他「文化」からの影響も構成要素に与える影響の変化速度が当該社会集
団の許容範囲内にあれば、相乗効果を醸成しながら一体的整合性を確保し、豊饒化
するものと考えられる。また、それぞれの社会集団における生存、安寧、福利向上
をめざす「文化」機能のなかには、社会構成員の増加や洗練に伴って、経験、知識、
知恵、精神、倫理、表現力などの増進・向上を推進する作用が含まれる。したがっ
て、ここでいう「文化」は以下の一般的特質を合わせ持つと考えられる[Hiwaki, 2002b,
2002c]。
すなわち、社会特定文化(「文化」)は
(1) 共同体全体の利益に根ざす
(2) 「長期」的な信頼関係を醸成する
(3) 協力・連帯とそれにもとづく人間資質の向上を豊饒化の原動力・活力源
とする
(4) 主に内向・充実的な方向性を有する
(5) 長期蓄積にもとづく整合的・一体的ストック志向が強い
および
(6) 社会構成員全体の共通・共有財産としての存在および役割が中心となる。
それゆえに、健全な「文化」は本質的に自ら豊饒化する能力を内蔵し、「長期」的
な意味でその社会集団の生存、安寧、福利向上を助ける方法、手段、条件などを自
ら備えると考えられる。つまり、「文化」における豊饒化の過程は、その特定社会
における「長期」的な人格形成や人間能力の向上とともに、それらの整合的な相乗
効果と蓄積を幅広く代表しながら特定社会に比類なく適合し、一体化するという
「文化」の発展的善循環を意味するのである。これはとりもなおさず、各々の社会
だけが最も有効に活用できるような人間性(人格・精神)と広義の人的資本および
それらの「長期」的有効活用のあり方をそれぞれの「文化」が内包していることを
意味する。つまり、それぞれの人間集団が共有する人間性(人格・精神)と人的資
本ストックおよびそれらの相互・相乗作用にほぼ一致する独自の「文化」の触媒・
統合作用が存在すると考えられるため、世界全体としては多様で豊富な「文化」を
内包していることになる。
市場原理主義(「市場」)
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以上の「文化」は、市場原理主義、すなわち「市場」(しじょう)というカッコ付
きの概念と絶妙な対比を見せることになる。ここでの「市場」は、現今の経済グロ
ーバル化を推進している近代資本主義文明のドグマとイデオロギーを意味し、自由
市場、自由貿易、自由競争(絶対競争)を唱えながら、「市場」が決める価値を最
も重要な価値と規定し、財・サービス市場の世界的な拡大によって「市場」的価値
観に見合うような政治形態と人間行動の標準化を図ろうとする「弱肉強食」の原理
主義である[Hiwaki, 2002b, 2002c]。この「市場」は以下の一般的特質を合わせ持つ
と考えられる。
すなわち、市場原理主義(「市場」
)は
(1) 私的・個人的利益に根ざす
(2) 「短期」の金銭的・物質的関わりに限定される
(3) 飽くなき欲望の掘り起こしと利便性追求を是認するような自由・絶対競争
を拡大と支配の原動力とする
(4) 主に外向的・侵略的な方向性を有する
(5) 流動的・フロー的な志向が強い
および
(6) 私有財産中心の考え方を主張・墨守する。
したがって、ここでいう「市場」は、商品交換のための場所を表す通常の市場(い
ちば)、あるいは、アダム・スミスが「神の見えざる手」[Smith, 1776, 1937]と称し
た古典的な理論上の市場(しじょう)とは全く異なる意味で用いられ、前述したよ
うに、市場原理主義を意味することになる。また、小論における「市場」は近代資
本主義文明特定の思想・制度・装置・道具であるようなドグマ化された市場の原理、
価値観、イデオロギーを意味していることになる。つまり、「市場」は、理論上の
自由市場において需要と供給の相互作用から生じる理想的な商品価値ではなく、
「市場」が認める価値のみが世界の普遍的な価値であるとしてその他の価値を無視
する立場を取るものと考えられる。「市場」は、また、利潤極大化をめざすとされ
る生産者および効用極大化を意図するとされる消費者が市場での自由取引によっ
て「最大多数の最大幸福」をもたらすとする独特のドグマや欺瞞を代表することに
なる。
近代資本主義文明の重要な思想・制度・装置・道具としての「市場」は、程度の差
こそあれ、いかなる社会特定文化(「文化」)からも一方的に隔絶しているがゆえに、
人間味のない冷酷かつ非情な合理性・効率性の論理を貫くことになる。それだけで
なく、「市場」は常に資本主義社会の「強者」および強者のみを利する価値観によ
って維持・強化されている極端なイデオロギーであると考えられる。それゆえに、
その人間性(人格・精神)破壊の威力には凄まじいものがある。また。このような
「市場」のイデオロギーは、世界の「権力構造」の価値観として米国を中心とする
先進諸国政府の意向を代表し、それら政府の代弁者である国際通貨基金(IMF)、世
10
界銀行(IBRD)、国際貿易機関 (WTO)、などの国際機間によって強引なまでに推進
されてきたことから、多様な「文化」に対しても長い時間の流れの中で想像以上の
破壊力を発揮してきたと考えられる。
「市場」のパラドックス:「文化」と「環境」の破壊
近代資本主義文明は、その狂信的・イデオロギ− 的な展開の中で盲目性・独善性を
伴うようになり、また、啓蒙主義(思想革命)と産業革命を経験しながら、合理性・
効率性の追求に偏する世界的広域運動になってきたことは周知のとおりである
[Hiwaki, 2002d]。そのような運動は、人間を大自然の支配者と見なす宗教観念に裏
打ちされた近代資本主義文明(唯物論的な市場原理主義、科学万能主義、などを含
む)の歴史的勢いとその思想・制度・装置・道具を兼ねる「市場」によって、自然
との多様な関わりの中で生成・蓄積されながら人間生活に密着する多様な「文化」
を踏みにじってきたのである。また、「文化」と密接に関わる自然環境や人道的・
平和的・共存共栄的環境などを含む広義の地球環境(「環境」)[Hiwaki, 1998a, 2000a]
を破壊し、「弱者」の生活を不安定化・不安全化させてきたのである。ここでいう
「環境」は、その一般的特質において「文化」のそれと大方整合的であり、「市場」
のそれとは相容れないものである。
すなわち、広義の地球環境としての「環境」は、以下の特質を合わせ持つと考えら
れる[Hiwaki, 2002b, 2002c]。
(1)地球共同体全体の利益に根ざす
(2)超長期的・全体的な関わりの中で成り立っている
(3)蓄積されたストックの総体としての役割が大きい
および
(4)地球共同体の共有・共通財産としての存在および役割が中心となる。
「市場」は、その近視眼的な考え方や行動原理に基づいて人類の生活・生産基盤を
破壊するに止まらず、「市場」そのものの将来性・継続性を破壊するという重大な
逆説(パラドックス)と「自殺行為」を内包しながら、少なくとも、現在と将来の
人類世代を危険にさらしているといえよう[Hiwaki, 2002a, 2002c]。まず、
「市場」は
その運動・活動を継続するうえで必須の基盤となっている各社会の「文化」を荒廃・
破綻させるという重大なパラドックスである。さらに、「市場」は、その永続的運
動・活動にとって不可欠であるはずの「環境」、しかも人類の生活・生産基盤とし
ての「環境」、を無視し、あるいは「自由財」として酷使し、崩壊に導いていると
いうパラドックスである。
11
3
「文化」の豊饒化と健全な市場活動
「市場」と「文化」および「市場」と「環境」をそれぞれ上述のような対立関係の
みで捉えれば、我々人類の将来には全く光も希望もないというのに等しい。しかし
ながら、「市場」の特色というのは、善くも悪くも、ほかならぬ我々現代人の近代
化された精神的・思潮的・行動的傾向の反映にすぎない。なぜなら、市場原理主義
(「市場」)の考え方、行動パターンおよび生活様式が、特に先進諸国にあっては、
一般化、日常化しているからである。つまり、目先の自由、快楽、利便性などに利
己的欲望をつのらせるような傾向、およびそのような傾向にもとづく生活・生産・
行動様式が長い時間の流れのなかで奨励され、既成事実となって、誰もがあまり違
和感を持たないほどに価値体系や日常生活に浸透していると考えられる。
特に近代国家あるいは先進国と呼ばれる国々における一般的生活・行動様式の中で
は、好むと好まざるとに関わらず、「市場」を是とする近代的思潮によって、物質
の豊富さや便利さを利己的かつ際限なく渇望・追求するような条件付けが定着して
きたと考えられる。その結果あるいはその代償として、先進諸国の多様な「文化」
が不健全化し、生産・消費の経済活動と「環境」とのバランスは大きく崩れ、人々
は「短期」的・私利私欲的行動にますます偏りながら、発展途上国や低開発国の犠
牲にもかかわらず、物質中心の豊かさに安住し、また、溺れることになってしまっ
たと考えられる。このような行動や物質中心主義が、さらには、家族、地域社会な
どにおける親密な人間関係の崩壊をもたらし、人間性、精神生活、さらにはその基
盤となる「文化」を破綻させてきたのである。
裏返して考えれば、そのような価値観や生活様式を一気呵成(いっきかせい)に改
善するのは一種の「革命」に等しく、決しての望ましいことではない。しかしなが
ら、時間をかけて徐々に改善する途はまだ残されていると考えられよう。すなわち、
我々の思考枠向上と人格形成へのたゆまぬ努力、生き甲斐・やり甲斐などの再検討、
さらには、問題意識の質的向上、人生目標や社会目的の向上を目指すことなどによ
って、徐々にではあっても、「市場」と「文化」および「市場」と「環境」の対立
関係を改善していく可能性を筆者は強く主張したい。つまり、我々の思考・態度・
行動・生活における「長期」将来志向の強化を通して、我々の一側面である「市場」
が人間性豊かな生活様式およびその基盤としての「文化」や「環境」に馴染むよう
に、生産と消費における市場活動を我々自身が意識的に誘導・改善していく余地は
まだ存在すると思われるからである。
このような方向性の追求に関して希望の光となるのは、豊かとはいえない物質生活
の中にあっても豊かな精神生活と健全な「文化」を優先し、「市場」の猛攻に耐え
ながら、独自の「文化」の維持に努めている多様な人間集団・社会もまだ存在する
ことである。これは、人類にとって不幸中の幸いと筆者は考える。人間集団それぞ
12
れの精神と物質に関わるほどよいバランスというものは、多様な社会それぞれにお
ける「文化」の健全性に依存すると思われるからである。健全な「文化」は、刺々
(とげとげ)しい競争関係よりも温もりある協力関係に重心をおき、それぞれの社
会を形成する人間集団内外の人間関係や「環境」との関係に文化的な触媒・潤滑作
用と統合・融合作用を提供しながら、人々の精神と肉体に適切なバランスを整える
ような働きをすると考えられる。つまり、社会を形成する人間集団の根源的なとこ
ろでは、集団内の協力による集団の自律、生存、安寧、福利が優先され、むやみな
競争をはじめ、闘争、略奪、利己的行動は極端・異端の類いであると考えられるか
らである。
この考えが正しければ、我々の生産と消費が多様な「文化」の尊重に根ざすだけで
なく、「文化」の健全化と豊饒化に貢献するような生産・消費活動のあり方および
そのための市場活動のあり方を模索することこそ我々の緊急かつ重要な関心事で
なければならない。
「文化」と調和するような市場活動を導く必要条件として、
「文
化」が正面から「市場」にその改善を要求できる力を持つ必要があり、そのために
は世界中の「文化」が再生・健全化・豊饒化されなければならない。つまり、「文
化」の再生・健全化・豊饒化のプロセスを我々が個々人として、また、社会集団と
して主体的・自律的に推進することになれば、我々の人格と能力が向上するととも
に、「長期」将来志向も強化されるようになり、そのような継続的努力のなかで我々
の市場活動は独自の「文化」基盤に調和し、多様な他「文化」とも調和できるよう
な態度・行動に改善が可能であると思われる[Hiwaki, 2002c]。
以上のような人間性・人間能力の向上と「文化」の豊饒化が同時進行するプロセス
において世界中の多様な「文化」と健全な市場活動との調和的でバランスのとれた
相互作用は、当然のことながら、相乗効果をともなって全ての人々と社会に恩恵を
もたらすことになる。なぜなら、多様で健全な「文化」のあり方と公正で健全な市
場機能のあり方は、それぞれ人類が造り出した貴重な共通・共有の相続財産である
ばかりでなく、これからの人間性や人間能力の向上および社会経済発展のための基
礎的な共有財産として、全人類の「共通善」、すなわち、平和文化、持続可能な発
展、および地球人道、を推進するための基盤を提供すると考えられるからである
[Hiwaki, 2002b, 2002c]。
4
重要三課題の考え方と定義
持続可能な発展 (Sustainable Development)
環 境 ・ 発 展 世 界 委 員 会 出 版 の Our Common Future( わ れ ら 共 有 の 未 来 )[World
Commission on Environment and Development, 1987]は、現在世代が将来世代のニーズ
13
充足を阻害しないような発展プロセスのあり方、すなわち資源利用、投資の方向性、
技術開発の志向性、および制度変化のあり方が現在ニーズだけでなく将来ニーズに
も 適 合 す る よ う な 発 展 プ ロ セ ス の あ り 方 を 持 続 可 能 な 発 展 (Sustainable
Development)としている。意訳すれば、持続可能な発展は地球環境(「環境」)の保
全と調和するような社会経済発展の全世界的プロセス と云うこともできよう
[Hiwaki, 1996, 1998a, 2000a]。そのように調和的な社会経済発展は、「短期」
・
「長期」
双方における人間ニーズのバランスおよびその中での物質的ニーズと精神的ニー
ズのバランスに調和するような社会発展と経済発展のバランス、を意味すると考え
られる[Hiwaki, 2002b]。また、ここでの「環境」は、前述したように、地球社会に
おける自然環境や文化・人道・平和環境を含む広義の環境を指すものとする。
つまり、持続可能な発展のここでの定義は、自制的で秩序ある「環境」利用の必然
性、現在と将来における全人類的ニーズに対する公正な配慮の必要性、およびバラ
ンスのとれた社会経済発展の重要性を強調するものである。このような社会経済発
展と「環境」保全の「長期」的両立の全世界的プロセスを主張する考え方は、「長
期」将来志向の強化にともなう人的資本形成の継続的増加と社会特定文化(「文化」
)
に裏打ちされた人的資本の加速的な役割拡大の重要性に加えて、後に考察するよう
に、多様な社会特定文化(「文化」
)の健全化・豊饒化の課題および思考枠の向上に
代表される総合的人間発展の課題とも密接な関わりにあることをここで予め明記
しておきたい。
平和文化 (Culture of Peace)
「平和文化」は、端的にいって、国内および国際における平和の構築と維持に必要
な全人類的文化基盤を指すと思われるが、「平和文化」(Culture of Peace)という表
現は前ユネスコ事務局長フェデリコ・メイヨール博士によって提唱されたものであ
る[Mayor, 1997; United Nation, 1998; Symonides, 1999]。筆者は、そのようなユネスコ
の平和運動に声援を送るものの、平和文化が近代資本主義文明の枠組の中で実現可
能とは思わない。平和というものは個々の人間集団および人類全体の共通善・全体
善を目的とするような協力関係を中心とし、集団内および集団間におけるダイナミ
ックかつ調和的・協力的な人間関係の必要性に基づいた弛まぬ努力、熱意、公共精
神などによって、はじめて可能性を帯びるような非常に難しい課題であると筆者は
考える[Hiwaki, 1999a, 1999b, 2000b, 2002b]。そのような協力関係と努力・熱意・公
共精神の今日的欠落はいうまでもなく、近代資本主義文明の考え方や価値観を力ま
かせに異質で多様な他者に押し付け、短期的・個人的利益に偏する「弱肉強食」の
競争を自他共に奨励し、敵対・敵視する他国を想定した各国の国富・国威高揚策を
是認しながら、片手間に構築できるような生易(なまやさ)しいものではない。
つまり、長続きする平和というのは、我々一人ひとりが個人的・社会全体的に精神・
14
肉体の一体的なバランスと調和に専心し、思考枠(思考時空)の向上と人格の形成
に勤(いそ)しむとともに、人類の共通善・全体善を目的とする協力関係に重心を
移すことなしに達成できるとは到底考えられない[Hiwaki, 1999b]。人々の思考、精
神、人格、能力、活力などは、それぞれの健全な「文化」に基礎付けられることに
よって最も効果的な向上・発展が望めることは言うまでもない。したがって、筆者
はここで平和文化を、仮にではあるが、人類の多様な社会特定文化(「文化」)の健
全化・豊饒化を前提とした人類全体の「長期」調和的存続への全幅の協力・協調努
力にもとづいて、全ての個人的、社会的、国際的な意味での平和構築と平和維持を
奨励・支持するような人類共通・共有の文化基盤およびその生成プロセスと定義し
ておきたい[Hiwaki, 2002b]。
地球人道
(Global Humanity)
1974年にノ—ベル経済学賞を受けたスウエ− デン人で社会経済学者のミュル
ダール(Gunnar Myrdal)は、1960年という早い時期の著作『福祉国家を超えて』
の中で「福祉世界」(Welfare World)を提唱した。その考え方の骨子は、地球上に生
を受けたすべての人間は生存という最低限の権利を享受すべきであるとする人類
社会の悪化予防政策の提唱であった[Okada, 1997]。その後の「市場」に先導された
経済グローバル化の加速は、世界中の人間生命の多くを極端に不安定化させながら、
生活や労働を非人間化・機械化してきた。同時にそれは、爆発的悪循環としての財・
利便性の増産とそれに見合うゴミの放出の気狂いじみた「イタチごっこ」をもたら
して、将来の不透明化・不安全化を加速し、世界中で未曾有の困窮と悲惨および人
格・精神性の破綻を引き起こしてきたいっても過言ではない。
したがって、今日においては生存のみの保証に止まらず、生存、保健および教育の
三位(さんみ)一体的人間ニーズに配慮するとともに、継続的かつ総合的な人間発
展を現今の闇雲(やみくも)な生産・消費・廃棄の拡大悪循環および世界的な貧富
格差の爆発的拡大に優先させるような新しい意味での福祉世界、すなわち地球人道
(Global Humanity)が望まれるわけである。このような訳で、世界全体の協力を大前
提に、人間性荒廃と社会秩序崩壊の予防策および人類発展の推進策としての地球人
道をここで提唱したい。つまり、ここでの地球人道は、人類全体の責任の下にすべ
ての人々を対象とした生存、保健および教育に関わる最低限の一体的保証を最低目
標とする地球規模での社会経済政策のあり方およびそのプロセスを意味する
[Hiwaki, 2002b]。地球人道は、当然のことながら、地球上のすべての自然人と法人
およびすべての政府機関の協力を必要とするが、それには、長期将来志向の強化と
人類の連帯をうながすようなそれぞれの思考枠向上および多様な「文化」の健全
化・豊饒化プロセスが要請される。
15
5
多様な「文化」と重要三課題
重要三課題の相互関係
地球上のすべての人々が、最低限ではあっても、三位一体的な人間ニーズを享受で
きる地球人道を達成するためには、バランスのとれた地球規模での社会経済発展
(持続可能な発展)だけでなく、全人類的努力による平和構築にむけた文化的基盤
の生成(平和文化)を必要とする。また、「環境」と調和する世界的な社会経済発
展のプロセス、すなわち、持続可能な発展を達成するためには、全人類の平和構築・
維持努力の共通基盤生成(平和文化)に加えて、三位一体的人間ニーズを全人類に
保証する世界的な努力・協力(地球人道)が必要になる。さらに、平和の構築と維
持に向けた世界的な文化基盤生成を意味する平和文化のためには、地球規模での永
続的人間発展プロセス(持続可能な発展)とともに、すべての人々に少なくとも最
低限の生存、保健、教育を保証する全人類の弛まぬ努力と協力(地球人道)が必要
になる。
したがって、重要三課題はそれぞれ相互支援・助長の条件を共有していると考えら
れる[Hiwaki, 2002b]。すなわち、多様な社会それぞれの内部的調和と対外的親善に
貢献するような平和文化は、持続可能な発展と地球人道に対する支援・助長条件と
なる。また、地球共同体と人類の持久的発展にむけた努力の結集を代表する持続可
能な発展は、地球人道と平和文化に必要な支援・助長条件を提供する。さらに、地
球上のすべての人々の生存、保健、教育に関わる最低限の保証を最低目標とする地
球人道は、持続可能な発展と平和文化に支援・助長条件を提供すると考えられる。
つまり、地球的重要課題である三者は密接に関連し合い、相互助長する関係として
だけではなく、それぞれが他の二者を必要とする関係にあるということである。こ
のような関係は、相互関連・助長・要請の条件によって形成されているが、これを
図で表すと、三者が重なり合って「共通の領域」を形成する関係になる。いま、図
1において、相互に重なり合う円形C、S、およびGは、それぞれ平和文化、持続可
能な発展、および地球人道を代表するものとしよう。また、それらが重なり合うこ
とによって形成された核の部分が「共通の領域」であり、それは記号Oで表される
ものとする。以上の関係、特にそこに形成される「共通の領域」が、それら重要三
課題の相互関連・助長・要請の条件を代表し、三課題の同時・整合的な解決・達成
を要求することにもなる[Hiwaki, 2002b]。
16
図1:重要三課題の相互関係
重要三課題の「共通領域」
前述の重要三課題における相互関連・助長・要請の重層的関係およびそれによって
形成される「共通領域」は、世界全体を包含する空間概念および人類史における過
去・現在・未来を包括する時間概念の必要性という三課題の共通項を示唆する。同
時にまた、重要三課題は人類共通の本源的な価値観を要請するという理由によって、
「共通の領域」を形成する。つまり、健康で活動的かつ実り豊かな長寿を志向する
生命個体(個々人)としての人間特性(共通価値)に加えて、総合的人間発展が包
含する思考枠の向上、人格・精神性の向上、人間能力の向上、自発的・友好的連帯
の強化、などを是とする人類の向上願望(共通価値)が「共通領域」に存在する。
重要三課題はその同時・整合的解決・達成のためにこれら共通の価値観の奨励・擁
護を必然的に要求すると考えられる。
それゆえに、それら地球的課題は多様な社会特定文化(「文化」)の一般的かつ共通
の特徴と密接に関係すると考えられるのである。しかしながら、個々の「文化」そ
のものが多様な歴史的、社会的、経済的、政治的、気候風土的、「環境」的な事情
や状況に直面しながら発展あるいは衰退してきたことから、全人類が全く同じ考え
方に同時的に到達することはあり得ない。生命個体(個々人)としての共通価値、
人類全体にかかわる共通価値、地球大の空間展望、人類史的な時間感覚、などには
それぞれの「文化」特有の取り組みの違いや優先順位の違いが生じてきたことは当
然といえよう。それらの取り組み方や優先順位についても、多様な「文化」の健全
化と豊饒化にむけた全世界的努力・協力が収斂効果をもたらすだけでなく、地球的
課題の同時・整合的解決にむけた「文化」間の協力・協調をもたらすような可能性
も高まると思われる。
そのような世界的努力・協力の必要性という共通認識は、地球的課題に対するいか
なる試みにあたっても重要であることは云うまでもない。同様に、非西洋諸「文化」
17
についての近代・現代における偏見や蔑視(近代資本主義文明以外を異端視・野蛮
視する独善的態度)というような悪弊の改善や撤回に向けた世界的努力・協力の必
要性という共通認識も重要であるといえる。人間を大自然の上に支配者として置く
ような考え方(人間は大自然のスチュワード・管財人)や自然を改善・克服できる
という人間のおごり(科学万能主義)、などを含む近代物質文明の特殊な価値観や
宗教観が、直接・間接に、「市場」の世界支配を助長しながら、加速的に多様な非
西洋「文化」や「環境」を破壊し、人類の存続さえ危険にさらしている現実を考え
れば、それら共通認識の重要性がことさら鮮明になろう。
重要三課題と多様な「文化」の相互作用
したがって、長期的・大局的視座で考えるなら、多様な「文化」の健全化・豊饒化
にむけた国際的な合意形成をはじめ、その健全化や豊饒化への個々の社会および世
界全体の努力・協力は同時進行でなければならないし、重要三課題の解決・達成へ
の世界的努力・協力も同時進行でなければならないと云うことになる。多様で健全
な「文化」の豊饒化によって、個々人としての幸福願望(健康で活動的かつ実り豊
かな長寿を希求する人間の一般特性)[Hiwaki, 1997, 1998c]および人類としての向上
願望(平和的生存、人格・精神価値の向上、自発的連帯強化、などへの願望)の達
成に貢献し、人間一般の思考枠の向上(世界的空間概念、人類史的時間概念、長期
将来志向の強化、などにむけた思考時空の拡大)をうながすことも可能になる。
このような考え方に立てば、多様な「文化」の健全化と豊饒化は重要三課題との関
連で図2のように表すことができよう。同図では、世界の多様な「文化」が重要三
課題を取り巻き、それらとの相互作用のなかで同時・整合的影響をあたえ得る位置
付けになる。つまり、矩形 D が多様な「文化」の健全化・豊饒化プロセスを一括し
て代表することになり、重要三課題、特にその「共通領域」との相互作用を示唆す
る[Hiwaki, 2002b]。すなわち、重要三課題を相互に結び付ける要因が、同時に、多
様な「文化」の健全化・豊饒化と密接に関わっている状態の図示ということになる。
ここでは、相互に重なり合う平和文化(C)、持続可能な発展(S)、および地球人道
(G)という重要課題(広い意味で近代資本主義文明の信奉と伝播が生み出した問
題群への反応・対応の課題)が、同時に、人類全体の多様な「文化」の健全化・豊
饒化プロセス(D)との不可欠な関わりにあり、そのプロセスこそがが重要三課題
の同時解決への可能性につながっていることを示唆する。
18
図2:多様な「文化」と重要三課題
つまり、ここでの論点は、地球規模での重要性を有するすべての課題(重要三課題)
が個々人の幸福願望に加えて、人類の向上願望に含まれる総合的人間発展、特に思
考枠の向上を必要とし、同時に、多様な「文化」の健全化と豊饒化に向けた世界的
な取り組みが要請されるということである。このような意味で、全世界的運動とし
ての「新啓蒙主義」が必然性を帯びてくるのである。すなわち、多様な「文化」の
健全化・豊饒化が世界的な努力・協力の中で促進される必要があり、そのためには
異なる「文化」に対する偏見や蔑視が払拭されなければならないし、何よりも地球
的重要課題の同時・整合的な解決・達成を強く希求するような人類の意志が生成さ
れなければならない。ここに、以下で提唱する新啓蒙主義運動の今日的意義がある
と筆者は考える[Hiwaki, 2002b]。
6
新啓蒙主義運動の意義
「市場」主導のグローバル化がもたらしている人類の深刻な苦境を打開するために
は、人類全体の並々ならぬ「長期」的努力が必要になることは言うまでもない。そ
の努力のあり方として、多様な「文化」の健全化と豊饒化を全世界的に推進するよ
うな新啓蒙主義運動が求められる。当然のことながら、新啓蒙主義運動は、17—
18世紀の西欧における啓蒙主義運動と対置して考える必要がある。基本的に西欧
の啓蒙主義運動は、封建時代の権威、宗教的ドグマ、社会的差別、などの先入観に
基づく従属的、非合理的かつ無批判的な人間の意識を解放しようとするものであっ
た。また、それは、無知で不明な人々を啓蒙し、すべての現象を自律性と合理性に
照らして考えるように仕向ける運動もであった。さらに、同運動は全ての人々が合
理的な人間として平等かつ同質であるとの基本的主張をも含むとされる [Mizuta,
1955]。
19
ここでは、経済学に関連深い啓蒙主義運動として際立った特徴を持つ「スコットラ
ンド啓蒙主義」が特に重要であると思われる。その最も大きな特徴は、経済活動に
おける歴史的、道徳的および制度的な枠組についての探究であったとされる
[Eatwell, 1991]。この探究によって、「私有財産」の歴史的正当性とともに、健全で
整合的な市場を意味する「神の見えざる手」(invisible hand)および社会的情操に裏
打ちされた「自己関心」
(self-interest)という考え方が導かれることになった。すな
わち、「スコットランド啓蒙主義」は、「私有財産」、「神の見えざる手」、「自己関
心」、などより成る政治経済学的な理論枠組の生成に貢献することとなった。同枠
組は、その他に分業と自由放任経済(政府介入から自由な経済活動)の概念を含む
ものでもあった。このような「スコットランド啓蒙主義」の経済活動に関する考え
はアダム・スミスの『国富論』を基礎に置く古典派経済学として昇華をみたが、後
の世代による社会特定文化(「文化」)や社会的情操を極力避ける単純化・歪曲化・
社会科学化・教義化にさらされることになり、市場原理主義(「市場」)の台頭に手
を貸すことにもなったと考えられる[Hiwaki, 2002a, 2002d]。
「市場」は、先入観やドグマとしての「自由競争市場」(実際には「強者」にとっ
て自由な市場)を特徴とする思想・制度・装置・道具であり、これが近代資本主義
文明の独善と自己是認の中で暴走することになったのである。現代におけるドグマ
化・イデオロギー化した「市場」の破壊力は凄まじく、人格・精神性だけでなく「文
化」や「環境」さえも破壊する絶大な暴力と化してしまった。このような「市場」
に対する対抗軸・平衡力として、全世界における多様な「文化」を健全化・豊饒化
に導くような新啓蒙主義運動がいま切実に求められるわけである。なぜなら、「文
化」の健全化と豊饒化を通して、それぞれの社会における人格形成、「人的資本」
形成、「長期」将来志向、などが自然かつ効果的に推進されやすく、「市場」離れが
加速するとともに健全な社会経済活動を推進する市場機能が実現されやすいと思
われるからである。
ここでいう新啓蒙主義運動は、「市場」の支配およびその政治経済学的ドグマを代
表する価値観からの人間解放運動に加えて、世界中の多様な「文化」の健全化・豊
饒化が意味するような総合的人間発展を促進する啓発・啓蒙運動である [Hiwaki,
2002b]。すなわち、同運動は、世界中の社会と個々人に関わる現実世界認識の啓発、
特に「市場」に感染した人類の退廃・幼児化現象に関わる認識の啓発とともに、そ
れぞれの「文化」の健全化・豊饒化にともなう人格・能力・思考枠の向上について
の啓発・啓蒙を意図する。また、利己的・短期的かつ物質偏重の生活様式を正当化・
奨励するような政治経済的ドグマ・イデオロギーの桎梏、異なる「文化」への偏見・
蔑視に見られる狭隘、人種差別や「弱者」排除はもとより多国籍企業等が実践する
雇用慣行としての国際的な人間差別、競争偏重の思想や行動、などから人間を解放
する運動でもある。
20
したがって、新啓蒙主義運動は、「長期」的・建設的・調和的な方向性を基本的に
包含する「文化」の健全化・豊饒化への努力を全世界的に鼓舞し、その努力を通し
て人類社会の調和・向上の能力(調和的な自己組織、自己保存、自己発展、などの
能力)を涵養・支援しながら、地球共同体の利益に根ざす公共精神や価値観の醸成
を継続的に奨励する運動でもある。このような新啓蒙主義運動の時代は、持続可能
な発展、平和文化および地球人道の新時代と重なり合い、共鳴・共振しながら、そ
れら重要三課題の同時・整合的解決・達成に至るまで継続される必要がある。
7
不公平で爆発的な現実世界
現代国際社会の危機的アンバランス
これまでも現実世界の不公平性、不安定性および不安全性にたびたび触れたが、こ
こでは不安定で爆発的な現実世界を簡単な図を用いて説明する[Hiwaki, 2003]。以下
の図3では、中心に有る「国際」円(West & Non-West Interaction)が欧米先進国に
代表される西洋世界と停滞国・発展途上国によって代表される非西洋世界のダイナ
ミックな相互作用を表し、その周りにある三つの円との正または負の相互作用も示
される。周辺の三つの円のうち、上方の「近代」円(Modern Civilization)が近代資
本主義文明の動態を、左下方の「文化」円(Diverse Holistic Cultures)が世界の多様
な社会特定文化の動態を、また、右下方の「市場」円(Market Fundamentalism)が
市場原理主義の動態をそれぞれ示すが、同時に、図 3 はそれぞれの間の正と負の相
互関係も表す。
21
図3:不公平で爆発的な相互作用
まず、欧米先進国諸国が非欧米諸国に対して支配的であることについては議論の余
地はなかろう。ただそれだけでなく、現代世界のなかで、後者はその存在を続ける
ために前者の近代資本主義文明を無理やり模倣させられてきたと言えよう。この現
実が近代資本主義文明の影響力を増強し、世界における幅広い応用力を後押しして
きた。これら影響力・応用力は、中心にある「国際」円から上方の「近代」円に向
かう矢印が正(+)の効果を伴うことを意味する。この近代資本主義文明への増強
効果は、中心の「国際」円にフィードバックし、支配・被支配の関係を激励し、不
公平な相互作用を強化する。これは「近代」円から「国際」円に向かう矢印が正(+)
の効果を持つことで表される。
同様に、中心の「国際」円における支配・被支配の相互作用が市場原理主義(「市
場」)を激励し、
「市場」の世界支配力を強化することになる。この影響は中心の「国
22
際」円から右下の「市場」円に向かう矢印での正(+)の効果で示される。強化さ
れた「市場」の世界支配力は中心の西洋・非西洋の相互作用にフィードバックして、
既存の資源配分や所得分配における不公平性を一層強化することにつながる。この
効果は「市場」円から「国際」円に向かう矢印の正(+)の記号で表される。しか
し、以上の正(+)の効果とは異なり、中心の「国際」円における支配・被支配の
相互作用は世界の多様な社会特定文化(「文化」
)を荒廃させることにつながるため、
「国際」円から「文化」円に向かう矢印は負(− )の効果を示す。この負の効果は
フィードバックして「国際」円での西洋世界と非西洋世界の相互作用のなかに違和
感、不満、憎悪などの分裂的要因を増幅することになるため、「文化」円から「国
際」円に向かう矢印は負(—)の効果を伴う。
上述の相互効果で増強された近代資本主義文明と市場原理主義(「市場」)は相互に
積極的かつ友好的な関わりを強化し、世界の問題・課題については一貫して欧米先
進国に有利な方向で協力してきたことから、双方向とも正(+)の効果で代表され
る。これに対して、近代資本主義文明と社会特定文化(「文化」)の相互作用におい
ては非友好的・敵対的に推移し、前者の独善性によって世界における価値観、考え
方、行動様式、などについて多様な「文化」が一方的に犠牲を強いられてきたこと
への反発を含めて、相互の敵意が増幅される関係にある。また、特に、国際関係や
国際問題については近代資本主義文明の独善性と独断性によって、多様な「文化」
が無視される場合が多く、両者の関係は双方向の負(—)の作用で代表される。同
様にというより、一層容赦のない相互作用が「市場」と「文化」の間に存在する。
前者が後者を踏みにじり、世界中の価値観や法制を独善的に標準化してきたことか
ら、両者の関係はこの上なく敵対的であり、双方向への効果は負(—)の記号によ
って表される。
格差と敵意のスパイラル
要するに、現代世界は、欧米先進国に代表される西洋世界とそれ以外の非西洋世界
との関係のなかで、不公平性の深刻化による「格差と敵意のスパイラル」が作動し、
爆発・分裂の危機を孕(はら)んでいると言うことである。その最も大きい原因は
欧米先進諸国がその歴史的な勢いと傲慢さのなかで世界の多様な「文化」を蔑(な
いがし)ろにしてきたことである。西洋世界は、近代資本主義文明の生成に当たっ
て多くを非西洋世界の多様な「文化」に学んだことを忘却しただけでなく、後者の
「文化」を無視・蔑視・破壊するような傍若無人の態度で非西洋世界に接してきた。
また、西洋世界と非西洋世界の不公平な関係を通して、前者が後者の天然資源、人
的資源、環境を数百年の長きにわたって利用・搾取するなかで、後者における「文
化」の荒廃と人心の退廃をもたらし、社会活性や人間活性を削ぎ、社会経済発展の
芽を摘む役割を果たしてきた。
23
さらに、西欧諸国は、相互間の戦争、貿易、外交、文化交流、だけでなく、ルネッ
サンス、宗教革命、啓蒙主義運動、産業革命、などを含む「長期」相互関係のなか
で徐々に形成された近代資本主義文明を、他文明からの影響もさることながら、西
欧諸国それぞれの「文化」に存在した一定の共通価値部分に基づいて育んだと考え
られる。西欧諸国は、そのような超「長期」のプロセスの中で生成された特殊な文
明を無理矢理あるいは一気呵成に非西洋諸国に押し付ける道を選んだことにより、
多様な「文化」を破壊してきた。このような一方的かつ不健全な関係は、近代資本
主義文明が内包する唯物論的な科学万能主義と市場原理主義(「市場」)の爆発的運
動によって、持続可能な発展、平和文化、地球人道などの膨大な課題を惹起し、二
極分化、不安定性、不安全性などの推進によって、それら課題解決へのわずかな希
望され阻む現代世界の状態を作り上げてきたことは周知の通りである。つまり、現
代世界は、全体として「不信感の罠」が示唆するような不安定・不安全・不活発な
状態に向かって邁進しているとも考えられる。
この迫りくうる危機・苦境を回避するために、図3におけるそれぞれの負(—)の
記号を正(+)の記号と置換するような「長期」で積極的な方策を考え、直ちに実
施に移す必要がある。言うまでも無く、全てを一度に改善することはできない。ま
ずは、市場原理主義(「市場」)とその「強者の論理」によって過激化している「格
差と敵意のスパイラル」という爆発的な現実世界のありようを直視するところから
始めるのが肝腎と思われる。究極的に世界を破壊・破滅へと導く「市場」の根源的
な脅威に対抗するためには、世界中の多様な社会特定文化(「文化」)を健全化・豊
饒化する全人類的努力が必要になる。ひとたび、「文化」の健全化・豊饒化の必要
性が全世界で認識されるようになれば、欧米諸国と非欧米諸国との関係は、既存の
不和・敵対意識を緩和する方向で世界的な生産増加を図り、資源配分と所得分配を
調整することになろう。
この方向性を追求するに当たって、近代資本主義文明は非欧米世界の多様な「文化」
に対して受容力を養い、適応力を強化させるような「長期」努力が必要になると思
われる。同文明がそのような方向性を持って進化することになれば、「市場」も多
様な「文化」に対するむき出しの敵対・破壊行動を控えざるを得なくなると思われ
る。何故なら、近代資本主義文明に依拠する世界の「権力構造」も、多様な「文化」
の健全化・豊饒化こそが世界中の市場活動を継続的に高度化・活発化する道である
ことを次第に認知・認識するようになるからである。その一つの結果として、近代
資本主義文明と多様な「文化」、「市場」と「文化」、それぞれの敵対関係は友好的
関係にさえ変容する可能性がある。そのような関係性の好転は、欧米諸国と非欧米
諸国の相互作用に健全かつ建設的な影響をもたらすことになり、世界中でそれぞれ
および全ての「文化」を健全化・豊饒化させる努力が活発化し、国際的な社会経済
活動の高度化と活発化につながっていく可能性は高まると考えられる。
このようなシナリオは楽観的に過ぎるかも知れないが、各社会および全世界におけ
24
る「文化」豊饒化への努力が根付くことによって、それぞれの社会の求心力や相互
信頼関係も強化され、人格形成、人的資本形成、社会経済発展などのにも拍車がか
かることは否めない。そのような努力のなかで、長らく「不信感の罠」にはまり込
んでいる社会がそれを克服しながら健全な発展への道を切り開く可能性も高まり、
その他の社会が「不信感の罠」を回避する手立ても強化されることになる。世界中
の全ての社会で「文化」の健全化と豊饒化への弛まぬ努力を続けるに当たっては、
それぞれの社会に期待するだけでなく、全世界的な努力・協力のなかで互いに励ま
し合って、その成果を絶えず確認していく必要がある。そのためにも、世界中の人々
や社会を「市場」のドグマやイデオロギーから解放し、多様な「文化」の健全化・
豊饒化を推進するような新啓蒙主義運動が必要になるのである。
8
長期理論枠組と「文化」の豊饒化
長期理論の基本式と集約式
持続可能な発展の一般理論を意図する長期理論枠組は、一つの完結した論理を代表
する五つの基本式によって成り立つ[Hiwaki, 1996, 1998a]。
T/r
T/r
T/r
T/r
T/r
=
=
=
=
=
C/V
(1)
1 — (S/V) (1.1)
1 — (I/V)
(1.2)
W/V
(2)
1 — (R/V) (2.1)
以上の基本式(1)および(2)の右辺における変数 C、W を代理変数 A で代表
し、基本式(1.1)、(1.2)および(2.1)の右辺における変数 S、I、R を代理変数 B
で代表すれば、以下の二式に集約できる[Hiwaki, 2002a, 2002b]。
T/r = A/V
T/r = 1 —
(B/V)
(1)
(2)
また、ここで、A/V と B/V の合計を1と想定すれば、すべての基本式はただ一
つの式、すなわち集約式(1)か(2)のどちらかでで表すことができる。
ここでは集約式(2)に基づいて考察を進めるが、その左辺における変数 T は、趨
勢時間選好率(趨時率)である。これは社会全体の価値観として「長期」将来志向
の程度を代表する。また、変数 r は、趨勢利子率(趨利率)を表すことから、同じ
25
社会における経済特定の価値観として「長期」将来志向の程度を代表する。したが
って、趨時率(T)と趨利率(r)は、社会特定文化(「文化」)の影響のもとで密接
に関連し合うことになる。理論上は、T の変化が先行して、r も変化するという前
提になるが、フィードバック効果も間接的ながら想定される。また、T と r は比率
(T/r)として表されるが、この「基本比率」の変化は社会の価値側面の動態とし
て「文化」の長期的なダイナミズム(当該「文化」の内的豊饒化だけでなく、他「文
化」との積極的・建設的な交流による「文化」の豊饒化を含むダイナミズム)を代
表する。
集約式(2)の右辺は社会の実質側面を代表し、その変数は長期的かつ実質的マク
ロ経済変数を表す。すなわち、代理変数 B は「長期」的に等価値(「長期」均衡条
件)となる総貯蓄(S)、総投資(I)および総資本所得(R)を個々に、または、一
括して代表し、変数 V は包括的な「長期」の総生産(総付加価値)で、一定期間に
おける生産物の総市場価値だけでなく、家事、物物交換、ボランタリー活動、など
全ての生産活動を含む概念である。比率としての B/V は、「長期」の貯蓄性向(S
/V)、投資性向(I/V)、および人的・物的資本の所得シェア(R/V)を個々に、
または、一括して代表する。以上の他に、集約式(2)に表れないマクロ経済変数、
すなわち集約式(1)における代理変数 A によって代表される「長期」の消費(C)
と単純労働所得(W)がある。また、比率としての A/V は「長期」の消費性向(C
/V)および単純労働の所得シェア(W/V)を個々に、または、一括して代表す
る。
ここで断っておきたいことは、上記で示唆されるように、長期理論における概念と
変数は、単に「長期」というだけでなく、内容的にも通常の短期マクロ経済変数と
の違いが大きいことである。総生産についてはすでに指摘した通りであるが、人的
資本形成に関わる教育・訓練、自己学習、自助努力、などの費用は一切「長期」の
実質消費には含まれず、投資の一部となるため、ここでの資本概念は人的資本も含
むことなる。また、通常は人的資本の重要な部分と考えられる読み・書き・計算能
力のうち義務教育などによって国民一般が平均的に習得する能力部分は単純労働
に所属するものとし、それに派生する所得は単純労働所得の一部とする。その能力
部分を超える人的資本は実効人的資本(カッコ付きの「人的資本」)とし、その形
成は投資の一部、それに派生する所得は資本所得の一部となる。
したがって、実効人的資本(
「人的資本」)の定義が重要になる。その重要性は、た
だ単に新しい定義の導入というだけではなく、社会経済発展の高度化と「文化」の
健全化・豊饒化にともなって、その形成と役割が加速的に高まってバランスのとれ
た社会経済発展に貢献するという当理論の特質を代表すところにある。小論におけ
る「人的資本」は、職業技術、専門能力、知能・知性、思慮分別の能力、創意工夫
の才、集中力、持久・忍耐力、思考力、意志力、想像力、知識統合能力、分析能力、
長期展望能力、言語等表現能力、その他の「文化」関連能力、洞察力、先見性、慈
26
悲心、公共心、自制心、勇気や寛容の精神、心身の健全性、その他の建設的な人間・
人格特性、などを含む広義の考え方を代表する[Hiwaki, 2002b, 2002c]。
社会経済発展の必要・十分条件
発展の究極的なあり方として持続可能な発展が考えられるとすれば、そのような発
展がどのような条件のもとで継続できるかを明らかにする必要がある。いま、それ
ぞれの社会におけるバランスのとれた社会経済発展の延長線上に全世界的な持続
可能な発展があるとすれば、前出の基本式(1)すなわち、T/r= C/V、をもとに発
展の条件を抽出することができる。まず、同式の両辺を左辺で除して、
1 = (C/V)・1/(T/r)
を得る。つぎに、上式の右辺の T/r に C/V を代入すれば、
1 = (C/V)・1/(C/V)
となるが、1/(C/V)を「長期」乗数と考えて簡単な記号(Q)で代表すれば、
1 = (C/V)・Q
以上のようになるが、その両辺に V を乗ずることによって、「長期」国民総生産の
計算式、すなわち、
V = C・Q
を得る。
この式を変化率の表現(ここではイタリックで表現)に直せば、
V=C+Q
となる。すなわち、
「長期」国民総生産の拡大(V)としての「社会経済発展率」は「長
期」消費の変化率(C)プラス「長期」乗数(Q)で表される。また、人口の「長期」趨
勢的な変化を仮定すれば、上式 V = C・Q のそれぞれの変数を人口(N)で除した式
(V/N =C/N・Q/N)に直した上で変化率の式を求めればよい。また、同じような展
開によって、基本式(2)、すなわち、T/r = W/V、からも「長期」労働所得を軸に
した「長期」国民総生産の計算式が得られる。しかし、ここでは煩瑣を避けて、基
本的考え方を明らかにするために、変化率で表された社会経済発展の式(V=C+Q)
をもとに発展の必要条件と十分条件を説明したい。
同式(V = C+Q)において「長期」消費が増加するという条件(C)は「生活水準向上
の条件」を表し、発展の必要条件を意味する。これに対して、「長期」乗数(Q)が増
加するという条件(Q)は、Q=1/(C/V)=1/(T/r)の前提により、趨勢時間選好率(T)の「長
期」的な低下を必要とする。すなわち、趨時率(T)の低下という条件は「将来志向強
化の条件」を指し、これが発展の十分条件を意味する。つまり、発展の継続のため
には「生活水準向上の条件」と「将来志向強化の条件」が満たされなければならな
いということである。また、十分条件としての「将来志向強化の条件」は必要条件
としての「生活水準向上の条件」に影響を及ぼしながら、「量」よりも「質」、「物」
27
よりも「心」を重視するような長期消費への転換を促進する。したがって、発展の
必要条件と十分条件が共に満たされることによってバランスのとれた社会経済発
展が保証されることになり、「人的資本」集約的な生産と消費に向けて徐々に転換
が進み、「環境」破壊的な経済活動から脱却できるだけでなく、「文化」の豊饒化を
推進する発展が実現可能になる。
「文化」の豊饒化と社会経済発展
社会の価値側面と実質側面の相互作用は集約式(2)における循環運動として表す
ことができる。これは同時に、「文化」の豊饒化と社会経済発展の「善循環」を意
味する[Hiwaki, 2001b, 2002a, 2002b]。左辺における基本比率の変化は、前述の通り、
「文化」のダイナミズム(豊饒化)を代表する価値側面の動態であり、それにとも
なう総合的人間発展が右辺における実質側面のマクロ経済変数に変化を与えなが
ら、人間活動を高度化し、社会経済発展を促進し、さらなる「文化」の豊饒化につ
なげて行くような善循環の引き金となる。この善循環において最も重要な役割を担
うものは総合的な人間発展であるが、これは建設的な方向性をともなった知性や精
神性の涵養、人格形成、人的資本形成、思考枠の向上、などを含む人間性の高度化
を意味する[Hiwaki, 2002b]。
そのような人間性の高度化というものは、もちろん、健全で豊かな「文化」の基礎
付けによって最も自然かつ効果的に促進されると云えよう。なぜなら、人間性は何
らかの文化的背景・基盤なしには向上・高度化しがたいし、独自の言語、道徳規範、
精神的風土、知識・知恵の集積、創意工夫の環境、価値体系、などを提供する「文
化」の土台から孤立しては高度化不能と考えられるからである。また、人間生活の
健全で豊かな土台としての「文化」は、社会の求心力を保ち、社会構成員間の信頼
関係を育むことになり、人間発展をうながして思考枠を向上させ、他「文化」との
交流を豊かにし、自らのダイナミズムによってその豊饒化の継続を可能にすると思
われる。このような豊饒化の継続はさらなる人間性の高度化をうながし、社会経済
発展にも健全な方向性とバランスをもたらすと云える。
したがって、価値側面(T/r)と実質側面(1—B/V)との積極的・建設的な相
互作用は多面・多層的な善循環を展開し、「文化」の豊饒化、総合的人間発展、お
よびバランスのとれた社会経済発展を継続的に推進するダイナミックな運動とな
る。このような善循環は図4の価値側面と実質側面の相互作用として表すことがで
きる[Hiwaki, 1998b, 2001b, 2002a, 2002b]。まず、弛まぬ「文化」豊饒化に向けた努
力は、社会価値体系に建設的な変化をもたらし、民衆一般の思考枠向上を通して積
極的で健全な「長期」将来志向を強化することになる。この社会一般的な将来志向
の強化は趨勢時間選好率(T=「趨時率」
)の低下となって象徴的に表れる。これは
民衆一般における「現在時間選好」の低下と同義である。
28
このような社会一般的時間枠の変化は、社会価値体系全体の向上を示唆するととも
に、同社会内部の経済活動における時間枠にも整合的な影響を与えることになる。
この影響は矢印1によって示される。すなわち、「趨時率」(T)の変化に呼応して
趨勢利子率(r=「趨利率」)が低下する。この「趨利率」(r)の低下は経済特定の
将来志向の強化を意味する。「趨時率」から「趨利率」への影響を示す構図は、価
値側面の内部において社会一般価値が先導して経済特定価値に影響を与える作用
を強調するが、後で示すように、経済特定価値の社会一般価値にたいする影響は実
質側面を経由する間接的なフィードバック効果(善循環の一環)の形をとることに
なる。
図4:価値側面と実質側面の相互作用
社会一般における将来志向の強化は、もう一方で、実質側面に作用して、「文化」
の豊饒化、社会目的の向上、バランスのとれた社会経済発展、などを目指すような
行動を活性化させる。すなわち、第一義的には、社会全体の総貯蓄(S)や総投資
(I=人的・物的資本形成)を増加させ、両者の増加をうながしながらそれらと「長
期」的に整合・一致するような総資本所得(R)の増大をもたらすことになる。こ
れは矢印2によって表される。ここでの社会一般的な将来志向の強化をともなった
人的・物的資本形成の増加は総合的人間発展、「文化」の豊饒化、社会目的の向上、
などをもたらす可能性が高い。また、総貯蓄、総投資および総資本所得の長期・整
合的増加は、矢印3が示すように、総付加価値(V=総生産)の増加につながり、
この増加がバランスのとれた社会経済発展を示唆することになる。
人的・物的資本形成の長期的増加は、また、資本ストックの蓄積によって経済特定
29
の将来志向強化をうながすようなシグナルを送ることになり、矢印4によって示さ
れるように、「趨利率」(r)が低下し、その影響で「趨時率」(T)も低下する。こ
の間接的なフィードバック効果による社会一般の将来志向強化は矢印5で示唆さ
れる。前述の総貯蓄(S)、総投資(I)および総資本所得(R)の増加による総生産
(V)の拡大は、一方で、S、I および R にフィードバックしてそれぞれをさらに増
加させることになる。この作用は矢印6で示されるが、このフィードバック効果の
中で総投資の増加が、また、矢印4および矢印5を通した作用を価値側面(T/r)
におよぼす可能性については云うまでもない。
総生産拡大から投資へのフィードバック効果は、さらなる人格形成、能力強化、知
的・精神的発展、思考枠向上、などを含む総合的人間発展をうながし、「人的資本」
の強化を支援することになる。総付加価値(V)の拡大は、もう一方で、進行中の
「文化」の豊饒化に対する手段および豊饒化の正当性を強化することにつながる。
そのような「文化」のダイナミックスは社会一般の「長期」将来志向を強化するた
め、矢印7が示唆するように、「趨時率」(T)はますます低下することになる。こ
れが、善循環を再出発させ、さらなる「文化」の豊饒化、総合的人間発展、社会経
済発展、へとつなげて行くのである。つまり、このような善循環の中で、「文化」
の豊饒化は総合的な人間発展を推進し、思考枠を向上させ、生活水準および生活様
式を向上させながら、
「文化」そのものも豊かにして行くことになる。
社会的諸価値の相互作用
上述の通り、「文化」の豊饒化とバランスのとれた社会経済発展は、個々人と社会
集団における思考枠の向上およびその積極的・建設的な発露としての「長期」将来
志向の強化と密接に関わると考えられる。すなわち、社会における思考枠一般の継
続的向上は、相互信頼性や求心力とともに、長期における人間活力と社会活力の維
持・強化には不可欠の要因であることを示唆する。また、思考枠の向上は社会にお
ける共通目標、生活様式、人間価値、などの向上と相互作用の関係にあると考えら
れる。このような意味での「文化」の豊饒化と人間活力・社会活力の同時的な共鳴・
共振プロセスは図5のように社会価値体系における多層的相互・相乗作用として表
される[Hiwaki, 2000b, 2001a, 2002b]。
同図の右側横軸(Ft)では将来計画の強化、左側横軸(Lt)では生命活力の強化、
上部縦軸(Ih)では人間能力の強化、下部縦軸(Is)では社会能力の強化が示される。
換言すれば、横軸の場合、右側に将来志向の強化(精神的・心理的な積極性の向上)、
左側に期待余命の延長(生物学上の人間生命の強化)、また、縦軸の場合、上部に
「人的資本」形成の増加(「文化」調和的な人間能力の強化)、下部に社会インフラ
形成の増加(「文化」調和的な社会機能の強化)が表されることになる。さらに単
純化して表現すれば、Ft は社会構成員の平均的な将来志向、Lt は同じく平均的な
30
寿命、Ih は広義の人的資本形成、および Is はハードとソフトの社会インフラ形成、
を示すことになる。
ここでの横軸の変数(Ft および Lt)は直接的な「短期」と「長期」の政策操作に
馴染まないが、縦軸の変数(Ih および Is)に対しては「長期」の政策が効を奏する
と考えられる。人的資本投資(Ih)および社会インフラ投資(Is)に対する政府の「長
期」整合的な政策によって、個々人の能力および社会の能力を整合的に強化しなが
ら、それらの相互・相乗作用によって「文化」の豊饒化と社会の活性化を整合的に
刺激することが可能であると思われる。また、その刺激によって個人的・集団的な
将来志向の強化(Ft)や健康で活力に満ちた長寿化(Lt)に向けて間接的影響を及
ぼすことも可能であると考えられる。
図5:価値体系の多層的相互・相乗作用
このような関わり方を図5における理論的プロセスに当てはめてみれば、まず、思
考枠の向上(理性・分別価値の増強)にかかわるプロセスが考えられ、第一象限に
おける右上がりの曲線 H によって表される。この曲線は平均的な社会構成員に対す
る個人的・集団的な人的資本投資の増加(Ih)と平均的な社会構成員における将来
志向の強化(Ft)との「長期」的な相互・相乗作用を示唆する。二つ目のプロセス
31
は、人間性の向上(人格・精神価値の増強)にかかわるプロセスで、第二象限にお
ける左上がりの曲線 X によって表される。この曲線は個人的・集団的な人的資本形
成の増加 (Ih) と平均的な社会構成員における期待余命の延長 (Lt) との長期的な相
互・相乗効果を示唆する。
三つ目は、生活様式の向上(生活・健康価値の増強)にかかわるプロセスで、第三
象限において左下がりに描かれているが原点から見れば右上がりになる曲線 Y に
よって表される。この曲線は、平均的期待余命の延長(Lt)と社会インフラ形成の
増加(Is)との「長期」的な相互・相乗効果を示唆する。四つ目のプロセスは、社
会における共通目標の向上(協力・調和価値の増強)にかかわるプロセスであり、
第四象限において右下がりに描かれているが原点から見れば左上がりになる曲線 Z
で表される。この曲線は、社会インフラ投資の増加(Is)と個人的・集団的な将来
志向の強化(Ft)との「長期」的な相互・相乗作用を示唆する。
五つ目で最後の理論的プロセスは、図4における全ての軸と全ての曲線を結ぶ全体
的な相互・相乗作用であり、バランスのとれた社会経済発展と「文化」の豊饒化を
下支えし、誘導する価値体系変化の総合的プロセスである。全ての軸と曲線とを結
ぶ矩形が拡大することによって、「文化」は豊饒化し、社会経済発展もバランスよ
く進展することが示唆される。つまり、将来計画の増加(Ft)、期待余命の延長(Lt)、
人間能力の強化(Ih)および社会能力の強化(Is)というそれぞれのプロセスが、
理性・分別価値の増強(H)、人格・精神価値の増強(X)、生活・健康価値の増強
(Y)および協力・調和価値の増強(Z)というそれぞれのプロセスと密接に関わ
りながら結びつくことによって、「文化」の豊饒化とバランスのとれた社会経済発
展が同時進行するという図式になる。
すなわち、図5における多元・多面的かつ同時・整合的展開は、「文化」の豊饒化
が推進する社会内の信頼関係の強化と社会求心力の向上によって人間活性と社会
活性を強化することになり、社会経済発展に健全な弾みをつけることにもなる。こ
の総合的でダイナミックなプロセスは、特に「人的資本」形成と社会インフラ形成
に関わる政府の「長期」政策とともに、世界的な新啓蒙主義運動の進展によって、
人格的・精神的な意味での人間性の向上と「長期」将来志向の強化を含んだ総合的
人間発展を着実に促進し、「文化」の豊饒化が「市場」を相対化しながら、持続可
能な発展、平和文化、および地球人道の同時・整合的解決に貢献することを示唆す
る。
おわりに
アダム・スミスによる古典派経済学の創始(『国富論』)から約240年を経た今日、
32
経済学は重大な岐路に直面していると筆者は痛切に感じる。その長い経済学の流れ
の中で経済学者は、好むと好まざるとにかかわらず、市場原理主義(「市場」)の生
成と暴走に加担してきたからである。また、創始者の次の世代あたりから、経済学
者の多くは疑似科学を志向し、経済学を「社会科学の女王」の地位に高めたという
自負から、次第に独善に堕し、「夜朗自大」に耽るようになったことも否めない。
「人はパンのみに生きるにあらず」という聖書の言葉にもかかわらず、経済学は世
の東西を問わず、唯物論的な学問展開に偏ってきた観も拭えない。結果として、今
日の経済学は、複雑な人間の経済行動よりも表面的な経済事象の「科学的」分析に
重点を置いたり、経済学そのものを「科学」したり、数理化できないものは徹底的
に捨象したりしてして自ら墓穴を掘っていると言える。経済学は、また、多様な社
会特定文化(「文化」)にその思考や行動の基礎を置く多様な人間集団や個々人から
限り無く懸け離れたモデルや空説作りに専念しながら、資源制約を伴う人間行動の
学問としての説明力と存在価値を衰退させてきたように思える。すなわち、魅力の
乏しい学問に成り下がったと言ってもよかろう。
つまり、そのような衰退や魅力の喪失は、経済学が市場原理主義(「市場」)や科学
万能主義に手を貸したり、人間が拠って立つ社会特定文化(「文化」)を無視・軽視
してきた酬いといえる。しかし、これから先の若者がが経済学を通して人類への貢
献を望むとすれば、人類の経済行動の社会的基盤となっている多様な「文化」を経
済学の中に取り込んみながらその学問的発展を図ることが不可欠といえる。それは
一つに、人文科学(Humanities または Liberal Arts)としての経済学に重心を移す
必要性を意味する。また、それは多様な「文化」の多様な価値観に立脚する経済学
として、多様な「文化」の中での共通価値を探求しながら、学問としての足場を固
めていく必要性も意味する。そのような新たな努力の中で、数世代あるいは100
年単位の「超長期」に視座を据えながら、短期や「短期」、長期や「長期」の問題・
課題に取り組む姿勢が必要になると思われる。
そのような視座に基づけば、現在進行中の経済グローバル化は、市場原理主義(
「市
場」)の先導によって地球規模での貿易・金融の自由化と絶対競争を押し進める運
動であると同時に、「市場」に依拠した通信革命によって地球規模での絶対競争的
な市場化を促進する運動であると考えられる。また、それは「市場」の価値観およ
びそれに基づく社会経済規律や行動規範を世界中の全ての社会に強要する運動で
もある。それにもかかわらず、その運動の推進主体は極めて漠然としたものであり、
その目的も地球規模での経済活動の活性化と資源配分の効率化という理論的抽象
性を超えるものではなく、「長期」的な人類全体の将来に関する展望・指針・方向
性は明らかでない。それどころか、経済グローバル化運動は「市場」が抱える重大
なパラドックスと自殺・自滅行為に先導されたものである。したがって、このよう
に「がむしゃら」な市場化・競争化の運動は、結果的に全ての責任を個々人、特に
増え続ける「弱者・敗者」一般に押し付ける一方的かつ暴走的な運動であり、無責
任で理不尽極まりないものと云える。
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つまり、進行中の経済グローバル化は、「強者の論理」に基づく「弱肉強食」の推
進によって全人類に絶えることのない永久競争(perpetual competition)への隷属化を
強要し、「弱者」や「敗者」に生存さえ保証しない非人道的な人間性破壊活動とい
うのがその突き詰まった正体と考えられる。大局的に見れば、経済グローバル化は
多様な社会特定文化(「文化」)の荒廃と人格・精神性の破壊をそれぞれの社会にも
たらしながら、人間生活を不公平化・不安定化・不安全化させる闇雲(やみくも)
な前進運動でもある[Hiwaki, 2002d]。すなわち、それぞれの社会が数百年あるいは
数千年という永い年月をかけながら積み上げてきた公共財・共有財産としての包括
的「文化」を踏みにじり、地球共同体の共有・共通財産と考えられる地球環境(
「環
境」)を破綻に追い込みながら、人類を滅亡の危機に陥れていると云っても過言で
はない。
そのような「文化」および「環境」に対する理不尽な破壊活動は、多様な生活様式
と人類存続に必要不可欠の基盤であるそれら公共財や共有財産を著しく傷つけ、破
壊しながら、飽くなき欲望の掘りおこしと利便性追求の誘惑によって人間性の退
廃・破綻を推進し、人間生活の安全や安定、さらには、人類の存続さえも脅威にさ
らしているのである。つまり、「市場」は、人間や社会に通常必要な調整時間のみ
ならず、物理的な地球時間をも無視した激しい競争と変化をもたらしながら、社会
経済活動の不安定化を加速して雇用・所得・生計の不安感をつのらせ、所得格差を
拡大して「弱者・敗者」の困窮と悲惨を増幅し、しかも、物事の生起・生成につい
ても制御不能な危険状態を作り出しているわけである[Hiwaki, 2002c]。
このような人類未曾有の危機に対して、それを克服・解決できる方策は極度に限ら
れているのが実状と考えられ、多くの有識者は前途を半ば諦めている可能性が高い。
その状況の中で、小論は、世界における多様な「文化」の健全化と豊饒化に向けた
社会それぞれの弛まぬ「長期」的努力を訴えるとともに、全世界的・全人類的な努
力・協力によって極度に偏った「市場」の価値観を払拭し、健全な「文化」の価値
観を啓発するような新啓蒙主義運動を敢えて提唱する。これは、取りもなおさず、
我々の価値体系、生活様式および行動パターンに対する問題提起であり、最も基本
的なレベルでの提案である。つまり、この提案は、重要三課題の同時・整合的解決
の必然性を示唆するに止まらず、全人類の存続と繁栄の展望(社会特定文化の豊饒
化と総合的人間発展)を基本に据えた上で、持続可能な発展、平和文化および地球
人道の重要三課題を同時・整合的に解決するための最も基本的な仮説の提唱を意図
するものである。したがって、この仮説はいわゆる「近代の超克」に一つの方向性
を示唆することにもなる。
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