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映画祭によるソーシャル・イノベーションの研究

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映画祭によるソーシャル・イノベーションの研究
早稲田大学大学院社会科学研究科 都市居住環境論
January 2011
映画祭によるソーシャル・イノベーションの研究
‐湯布院映画祭、釜山国際映画祭、東京国際映画祭の比較分析‐
A Study on Social Innovations of Film Festivals
-Comparative Studies of Yufuin Cinema Festival , Pusan International Film Festival
and Tokyo International Film Festival河
世拏、堀江
真理子、森
岳大
Sena HA, Mariko HORIE, Takehiro MORI
はじめに
本稿では、ソーシャル・イノベーションに必要な条件や環境とは何か、何がソーシャル・
イノベーションを推進する要素なのかといったことを、事例の比較分析を通じて考察して
いく。また、その際、映画祭によるソーシャル・イノベーションを事例として取り上げる。
というのも、映画祭はその規模から言って非常に地域への影響力の高いものであり、それ
ぞれの地域の伝統や文化、風土といったものが反映されるといったことが前提として想定
され、ソーシャル・イノベーションの研究に適していると思われるからである。
具体的に各事例の分析に入る前に、まずは、我々のイメージするソーシャル・イノベー
ションの類型について簡単に触れておきたい。その上で、今回、我々がどのようなソーシ
ャル・イノベーションを研究として取り上げ、どのように検証していくつもりなのかを明
らかにしておきたいと思う。
我々の考えるソーシャル・イノベーションとは、「ある社会状態AからA’へと移行する
過程全体」を指す。理論的分類としては以下の三つ。
まず、「古典的イノベーション」といわれるものである。これはイノベーションを起こす
契機が、内部矛盾や不満の蓄積などであり、イノベーションを意図する存在(リーダー)
が不在である点に特徴がある。すなわち、ある社会状態AからA’への移行が意図せずし
て行われるケースのことを意味する。これはしばしば暴力を伴うイノベーションであると
いえる。
それに対して、
「戦略的イノベーション」と定義されるものは、契機が新しい幸福、魅力、
目標、社会的ニーズといったもので、先導的リーダーや従来のネットワークなどが、戦略
的意思決定に基づき進めていくケースのことを指す。「古典的イノベーション」に比べて、
暴力的要素を緩和・排除することを意図して行われることが前提とされる。また、ここで
のソーシャル・イノベーションは、いかにしてそれに正当性(正統性)を付与できるかが
重要な要素となる。というのも、「戦略的イノベーション」の場合、決してリーダーだけで
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早稲田大学大学院社会科学研究科 都市居住環境論
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は進行せず、リーダーに賛同するフォロワーが生まれ、それが個人や組織を通じ、徐々に
支持を拡大する形で行われるものであるからだ。
これら二つの中間に位置するのが「偶発的イノベーション」であり、これは遊び心、流
行といった偶然の要素によって起こるイノベーションである。計画性や恣意性が低い点、
及び「古典的イノベーション」に比べ、イノベーションを引き起こす契機に必要度が低い
点の二つで上記二つの中間に位置すると言える。
(※これら三つのソーシャル・イノベーションの分類はあくまで、理論上の分類であり、
現実のソーシャル・イノベーションはそれぞれの領域が重なり合っている、すなわち、最
初は「古典的イノベーション」として始まったのが、いつの間にか「戦略的イノベーショ
ン」へと推移しているといったことが実際の社会的イノベーションの様相であることは留
意されたい。
)
本旨では、とくに戦略的ソーシャル・イノベーションに注目し、各事例の分析を試みた
い。というのも、本研究の目的は、あくまでソーシャル・イノベーションを推進する条件・
環境的要因を導出することにあるからだ。すなわち、人為的に(戦略的に)ソーシャル・
イノベーションを起こし、効果的・効率的にそれを促進するにはいかなる要素・条件が必
要かを調べ、よりよい社会の構築へ輝石を投じたいというのが、本旨の最大の目標である。
また、戦略的ソーシャル・イノベーションが目標とする、よりよい社会はどういうもの
か、すなわち、具体的に何をもってソーシャル・イノベーションが成功したといえるのか。
これについては、社会によって抱えている課題やバックグラウンドが違うため一概には言
えないが、ここではとりあえず、ソーシャル・キャピタルの総量の変化でもってその是非
を判断したいと思う。というのも、ある社会の構成目的がその社会全体としての効率的か
つ持続的な発展にある以上、映画祭によるソーシャル・イノベーションが上手く言ったか
どうかというのも、その映画祭がどれだけその社会の持続的な発展にプラスに働いたかで
判断されるべきであり、それは、結局、映画祭によってどれだけソーシャル・キャピタル
が増加したかということになる。
また、創造都市論の定義に習って、ソーシャル・キャピタルは、①ネットワーク、②関
係性、③互恵性の三つを備えていることを条件としたい。すなわち、人と人、あるいは組
織と組織の間に、ネットワークが介在し、そのネットワークは(シンボルや表象としての
それではなく)、それぞれにとって実質的・個別的に意味を持つつながりであり、かつその
関係性はそれぞれにとって互恵性を帯びている状態のことを、ソーシャル・キャピタルと
して定義したい。したがって、本旨で、ソーシャル・イノベーションが成功するというこ
とは、互恵的でかつ両者にとって個別的な意味をもつ関係が、映画祭に影響を受ける形で
増加するということであるとし、以下、各事例の分析に入っていきたい。
<参考文献>
・塩沢由典、小長谷一之編(2008)『まちづくりと創造都市‐基礎と応用‐』晃洋書房
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早稲田大学大学院社会科学研究科 都市居住環境論
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湯布院映画祭(森
岳大)
1.湯布院町の特徴
湯布院町は、大分県のほぼ中央の湯布院盆地に位置しており、人口約 1.1 万人、面積 128
平方キロメートル。日本有数の温泉地で、年間約 400 万人の観光客が訪れている。といっ
ても、歓楽型や一泊豪華主義型といった団体の観光客向けではなく、あくまで、クアオル
ト構想に基づく温泉保養地(癒しの空間)として名高い場所として知られている。
また、湯布院のまちづくりは住民主導で進められてきたところに特徴がある。すなわち、
行政の大規模開発計画などに地域住民が反対運動を展開する過程で蜜にまとまり、その中
で地域住民の身の丈にあった暮らしのまちづくりが進んできたというのが湯布院町の特色
といえる。
2.湯布院町の歴史
湯布院映画祭によるソーシャル・イノベーションを分析するとき、それがどのような歴
史的経緯の中で誕生してきたかを見るということは非常に重要な要素である。したがって、
以下では、湯布院映画祭誕生までのまちづくりの過程を見ていきたい。
まず、湯布院の住民主導型まちづくりの歴史の中で原点となったのが、1952 年の由布院
盆地ダムの計画発表である。これは、1950 年の国土総合開発法に基づく特定地域総合開発
計画によるダム建設の一環として推進された。戦後間もない当時、大規模インフラの開発
によって経済を立て直す動きが、国の方針として取られていたのである。
これに対する地域住民や自治体の反応は、賛否両論あり、主として町執行部、町議会と
青年団、農業団体などとの対立といった構造になっていた。結局、1955 年半ばに由布院盆
地ダムの計画は打ち切りになり、その後、反対運動時、青年団の団長として反対運動の中
核であった岩男頴一が町長になり、別府とは趣を異にする、健全な保養温泉地づくりがす
すめられることになる。すなわち、ここから湯布院における住民主導のまちづくりがスタ
ートしたといえる。
1960 年代になると、中谷健太郎、溝口薫平、志手康二ら若手旅館経営主により、その土
地の生活そのものが観光となるようにまちづくりを進めていこうという趣旨で、
「20 日会」
といった温泉観光振興会が組織される。これ以降、こういった若手のリーダーを中心に住
民主導型まちづくりが加速していく。
しかし、全国的には、高度経済成長に入ると、湯布院の近くにある別府温泉のような歓
楽型、一泊豪華主義型という団体客向けの観光が流行となってくる。湯布院には、そうい
った団体客に対応できるような大型施設もなく、だんだん廃れるばかり。
こういった状況に手を打つべく、1970 年 5 月、行政はゴルフ場建設計画を発表。当然、
これに反対する住民運動が起こり、1971 年、
「明日の湯布院を考える会」といった初の住民
組織が結成されるにいたる。また、衰退していく湯布院をどうにかしたいと考えた若手リ
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ーダー3 人は、50 日間に渡り、ドイツのバーデンヴォイラーなど有名温泉地の視察を実施。
緑豊かな田園の中でゆったりと温泉に浸りながら暮らしを楽しんでいる人々の姿を目の当
たりにする。その後、それを参考に、温泉保養地、癒しの空間としての湯布院をつくって
いこうということで、「クアオルト構想」が推進される。その過程には、自然保護条例の制
定(72.6)、サファリ・パーク誘致の反対運動(73.8~)などが挙げられる。
1975 年 4 月には九州中部地震が発生する。これにより、観光客は減少、また、九重レー
クサイドホテル一部倒壊などがあって、被害総額は 50 億円にも及ぶ。また、76 年には中小
旅館主の反乱による観光協会の分裂や、「明日の湯布院を考える会」の統率力低下→消滅と
いった形で、まちづくり活動の拡散と多様な展開が見られるようになってくる。
こういった危機的な状況の中で、なんとか町に活気をもたらし観光客を奪回しよう、ま
た、それぞれの想いやビジョンの共有化をはかろうということで、様々なイベントが企画・
実施される。その一環として行われたのが本旨で扱う湯布院映画祭である。
3.湯布院映画祭
湯布院映画祭は「映画館のない町に映画祭をつくろう」というスローガンの下、1976 年、
湯布院町の村おこしと大分市の映画ファングループが意気投合する形で始まった。日本で
一番古い映画祭である。毎年、8 月下旬の 5 日間に渡って行われており、今年で 35 回目を
迎える。
全員ボランティアによる実行委員会形式で、当初は 20 才前後の若者たちを中心にスター
トしたが、現在は当初からのリーダーが皆年を重ね、50 歳代から 10 代まで幅広い年齢層で
構成されている。また、実行委員のほとんどが町外に住んでいる人たちの集まりなので、
実行委員の食事の世話は町内の料理研究会の方々といった具合に、町内の住民が積極的に
参加・協力する形で進められている。
構成は、前夜祭、日本映画の特集、日本映画職人講座、交流会の 4 本柱となっており、
映画祭を通じた交流や、それによる文化・伝統の継承、あるいはまちづくりのビジョンの
共有化といったことを目的に行われている。
湯布院映画祭は、第一回の開催より、基本的に「実写の邦画のみを上映する」ことを理
念として掲げてきている。これは、湯布院映画祭の実行委員として実際にイベントの製作・
進行に携わった九州大学教授の児玉徹氏の言葉を借りれば、
「日本の持つ独特な文化的土壌
のもとに創作され世界に誇るべき創造性を内包した『日本映画』の灯火を絶やしてはなら
ないといった思いが貫かれている」
(ソーシャル・イノベーション『 地方都市と映画
第2
回:映画祭編』(2)湯布院映画祭の発する文化情報についてより)ことが背景にあるとい
える。そもそも、湯布院映画祭は、湯布院の持つ魅力をもっと外に発信しよう(あるいは
再確認しよう)という趣旨のもとで始められた。湯布院の持つ魅力とは、その地域に密着
した魅力、すなわち、普段、その土地で何気なく生活している中で育まれてきた伝統や歴
史、風土といったものにある。これは、湯布院映画祭がスタートした当時、別府温泉など
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で流行っていた、団体向けの、一泊豪華主義型温泉地としてのまちづくりとは全く異なる
発想である。こういった発想の違い、まちづくりにかける思いの違いが、映画祭を実際に
作っていく過程でも現れている点は印象的である。
また、児玉氏も指摘しているように、湯布院映画祭は、はじめから終わりまで主客一体
型として進行されている点も特徴的である。すなわち、映画祭を通じてソトへ湯布院をP
Rしていくといった目的はあくまで副次的であり、最大の目的は住民意識の共有化をはか
る(住民たち自身で楽しむ)といったところにあるのだ。この点は、まちづくりのリーダ
ー的存在である中谷さんの話にも如実に反映されている。
「中谷氏の語るところによれば、NPO などの組織が地域にたくさんできてくると、そ
れぞれが見えない壁を作ってしまうという。そうした組織間の壁を打ち破っていくために
もドキュメント映画を同じスペースで鑑賞することで、新たな問題意識を共有化しやすく
する必要があるということだった。
」(古池、2007、P124)
以上のように、湯布院映画祭は、
(それによって湯布院の魅力を発信し、観光客を誘致し
ようという狙いは別にあったものの)主として住民主導のまちづくりを押し進めるカンフ
ル剤としての意義を持って今日まで続いてきている。これは、中谷さんの「観光というも
のは特別に観光のものとしてつくられるべきではないのです。その土地の暮らしそのもの
が、観光というものなのです。村の生活がゆたかで魅力があるものでなくて、その土地に
なんの魅力がありましょうか!」
(木谷、2004、P24)といった言葉にも現れているように、
湯布院のまちづくりが最初に自らの住む地域の豊かさ・伝統ありきで進められてきたこと
と表裏一体の関係であるといえよう。
4.その効果
こういったイベントを通じ、湯布院では年々、町内外あるいは世代間における互恵的か
つ個別的関係性の構が進展、拡大しているようである。また、湯布院映画祭などのイベン
トをマスコミがニュースとして取り上げることもあって、湯布院の観光客は年々上昇して
いく。1962 年には 38 万人しか来ていなかった観光客が、1981 年には 200 万人を突破する。
今では年間 400 万人の観光客が訪れる全国有数の温泉地として知られる。
しかし、考えてみれば、湯布院にはとくに大型のテーマパークが存在するわけでもない。
また、行政や大企業による大きなイベントが、湯布院で開催されるわけでもない。有名な
名所旧跡などが存在するわけでもない。また、住民たちのまちづくりにおける意識も、外
を第一に意識して進められるのではなく、まず、自分達の暮らしを豊かにする・伝統や風
土を守っていくといったことがあり、その上で、外から入ってくる人も歓迎するといった
スタイルである。そのような湯布院が年間 400 万人もの観光客を呼ぶ全国屈指の観光地に
まで成長したのはなぜであろうか。
これは、ごく単純な話で、実際に湯布院映画祭などのイベントを実行したりしていく過
程で、ソーシャル・キャピタルが蓄積されていったからである。上記で、ソーシャル・キ
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ャピタルは、
「人と人、あるいは組織と組織の間に、ネットワークが介在し、そのネットワ
ークは(シンボルや表象としてのそれではなく)、それぞれにとって実質的・個別的に意味
を持つつながりであり、かつその関係性はそれぞれにとって互恵性を帯びている状態」と
定義した。この中で特に重要なのは、“それぞれにとって実質的・個別的に意味を持つつな
がりである”という点である。すなわち、自分たちが生活するうえで暮らしやすい町をつ
くっていくといったビジョンをリーダーが掲げ、地域住民一人一人がそのビジョンに応じ
る形で活動を展開する中で、町内外で互恵的かつ個別的な関係構築の拡大がなされ、湯布
院を魅力的なまちに変えていった。湯布院映画祭はその部分的要素を占めていたといえよ
う。
<参考文献>
・木谷文弘(2004)『由布院の小さな奇跡』新潮社
・古池嘉和(2007)『観光地の賞味期限‐「暮らしと観光」の文化論』春風社
<ウェブリソース>
・ソーシャル・イノベーション『 地方都市と映画 第 2 回:映画祭編』
「湯布院映画祭 -その自律的な文化情報発信装置としての機能について」著者:児玉徹
http://cac.socialinnovation.jp/?eid=869869
・湯布院映画祭公式 HP http://www.d-b.ne.jp/yufuin-c/
釜山国際映画祭(河
世拏)
1.釜山の特徴
韓国の第二の都市である釜山は総面積 765.10 ㎢、総人口は約 360 万人である都市で
韓国の南東部に位置している。釜山は歴史的には日本との交易が行われた窓口であり、
韓国戦争時には臨時首都として国家防衛の機能を果たしてきた都市である。1960 年代
以降、釜山は輸出主導型の経済発展によって主要貿易が行われる港都市として位置づけ
られることになる。このような港を基盤として成長してきた釜山は韓国の代表的な商工
業都市であり南東臨海工業地帯の中心都市でもある。
しかし急速な人口増加や交通難・住宅難などの都市問題の深刻化の問題や輸出・輸入
の物量の継続的な増加によって港施設の拡充が求められている。このような問題解決の
ため総合的な長期開発計画が推進され、国際都市としての釜山を目指すことになる。釜
山国際映画祭はその計画の一部として位置でけられる。
2.釜山国際映画祭までの歴史
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韓国において文化の中心地は首都であるソウルにあるにもかかわらず釜山で国際映
画祭が出来上がったのは、釜山での開催の意見を共有する釜山の映画学者と評論家間の
協力と推進力から始まった。しかし、今まで理想として存在してきた映画祭を現実化す
るためには熱情よりは資本が必要であった。1994 年の釜山は 2002 年のアジアン大会
の開催に向けて姉妹関係を結んだアジア諸国との‘アジアンウィーク’という文化行事
の準備中であった。またその行事プログラムの一つとして‘映画祭’が企画されていた。
それを機に釜山評論家協会の主催によるアジアン大会に備える釜山映画文化の振興方
案に関するセミナーが開催され、釜山地域の映画界や政界、財界、行政側による‘映画
祭の必要性’に対する共感帯が形成され、釜山映画祭の開催に関する具体的な議論が行
われることになった。また釜山のパラダイスホテルからの 5 億ウォンの支援が示唆され
釜山国際映画祭の開催への準備が本格化された(後にホテル側からのスポンサー役割の
放棄によって財政問題が生じるが、釜山市側からの行政・財政的支援が約束され 1995
年に 3 億ウォンの支援を受けることになる)
。
当時の釜山市長は釜山で国際映画祭が開催されてもソウルの映画界との連携が重要
であることを強調し、彼らに対する積極的な説得と協力の意見をアピールした。結果的
にはソウル市の劇場協会からの支援や、大手企業や有名映画人側からの支援をもらうこ
とになった。そして財源の最後のアイディアは釜山の‘市民’からの愛郷心であった。
釜山の企業だけでなく、釜山出身のソウルの企業側からの支援や後援で財源を確保した。
釜山国際映画祭はその志向と枠組みにおいて一つの重要な基本原則を持つことにな
った。それは釜山国際映画祭は‘アジア映画が中心になる映画祭’になることであった。
すでに長い歴史を持っている各国際映画祭と競争することは無意味なことであると判
断し、新しい映画祭として差別化された志向と意義が必要であった。そして世界の国際
映画祭の中でアジア映画に照明を当て積極的に発掘する映画祭がまだ不足であったこ
とが当時の状況でもあった。また、まだ世界に知られていない釜山という都市で開催さ
れる映画祭が、既存の映画祭が志向する話題作のワールドプリミーア上映がまだ不可能
な状態であることなどの当時の状況が反映されたものであるといえる。
アジア映画に焦点を当てる基本方針によって映画祭のセクションも分けられた。アジ
アの新作映画を紹介する‘アジア映画の窓’、アジア以外の地域の新作映画を紹介する
‘ワールドパノラーマ’注目されるその年の韓国映画を紹介する‘韓国映画パノラーマ’、
全世界のドキュメンタリやアニメ、短編映画を紹介する‘ワイルドアングル’が基本セ
クションになった。アジアの新人監督の新作映画を紹介する唯一の競争部門として‘新
しい潮流(new currents)’が設けられ、アジア映画の未来を‘新しい潮流’として強調
するものであった。各セクションの担当プログラマーは海外の各映画祭に参加し、釜山
という都市の紹介や釜山国際映画祭の開催の広報、映画の選定作業や作品の招請を行っ
た。
海を渡る世界的規模の映画祭のためには人力も必要で、内部運営の人力だけでなくボ
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ランティアが特に必要であった。釜山市民からのボランティア支援は釜山国際映画祭の
開催前から大きな活力になった。また当時の釜山には国際映画祭の規模に相当しり劇場
施設がまだなかった。しかし、釜山の繁華街の一つとして四つの劇場が集まっている南
捕洞(ナンポドン)があることで、映画の上映の場所が決められた。そして海の都市とし
ての釜山を強調するため、国際映画祭の開催と閉幕は釜山水営ヨート競技場で行われる
ことになった。これは釜山国際映画祭の3回目を迎えた 1998 年からはヨート競技場の
隣に位置する海雲臺(ヘウンデ)で開催・閉幕式が行われ、野外上映場やイベント施設も
設置されるなど、釜山国際映画祭の名所として南捕洞と海雲臺が位置づけられることに
なった(これは観客の動線を最適化したものとして実用的価値があると評価される)。
3.釜山国際映画祭の特徴
1996 年、アジア最大の国際映画祭を目指す釜山国際映画祭が開催された。1 回目の
31 カ国の参加で 169 作品の上映から始まった釜山国際映画祭は、15 回目を迎えた 2010
年には 67 カ国の参加 307 作品とインターナショナルプリミーア 154 作品に拡大された。
釜山国際映画祭は比較的に短い歴史の間成果を上げてきたということで、成功している
国際映画祭として評価されている。
その背景にあるのは、釜山国際映画祭の創設時から現在の運営までの基本方針として
‘アジア映画を中心にする映画祭’であることを徹底に持続してきたことである。すで
に上で述べたように、釜山国際映画祭の基本セクションでありメインセクションでもあ
る‘アジア映画の窓’は世界的に潜在的な競争力を持つアジア映画を紹介する場である。
また唯一の競争部分である‘新しい潮流’では、新しい傾向の映画を中心に紹介して広
報する効果をあげている。
また 2007 年からはアジア独立映画の発掘・支援するための公式プログラムとして
PPP(Pusan Promotion Plan)が採択された。PPP はアジア各国のプロジェクトが全世
界に参加する映画産業の関係者に出会い、共同制作の可能性を議論する場として将来性
のあるアジア監督の作品を紹介する主要市場としての機能をしている。この PPP を通
じたアジア作家主義映画に投資するプロモーションの場を設け、アジアの新人監督や巨
匠に現金支援をするシステムは今日の釜山国際映画祭の評価に一助していると思われ
る。
釜山国際映画祭のもう一つの基本方針としては、世界へ韓国映画を発信することであ
った。もちろん当時にも多数の韓国映画が海外映画祭に進出していたが、韓国という国
に対する認識が少ない当時の状況の中で韓国映画を論ずることは限界があった。また
1990 年代は韓国の映画界は変遷の時期を向かえた時代であり、以前とは違うストーリ
と映像の映画が登場し始め、独立映画界の制作活動も活発になり短編映画やドキュメン
タリの観客の幅も広がっていった。釜山国際映画祭はこのような韓国映画の現在を世界
に見せる場としての役割を担ってきた。1 回目の映画祭での韓国映画は上映作の約 1/3
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であったが、現在は主要監督の初期短編作やドキュメンタリが数多く招請され、これを
鼓舞するための最優秀韓国短編映画に授与される賞(ウンパ賞)と 1 万ドルの賞金が設け
られている。
4.釜山国際映画祭の波及効果
釜山国際映画祭は経済、文化、社会全般において大きな影響を及ぼしてきた。特に釜
山地域における生産や雇用創出の効果と韓国やアジアにおける映画産業の発達に寄与
してきたと評価されている。釜山の地域的な祭りの感覚から全国的、世界的な祭りとし
て位置づけられ、釜山という名を世界に知らせる契機にもなったといえる。釜山国際映
画祭の波及効果としては大きく経済的、社会的、文化的側面に分けられる。
釜山国際映画祭の経済的側面から見た波及効果としては、映画映像産業の発展契機が
設けられたことである。釜山国際映画祭が世界の映画人から注目される映画祭として成
長したことで釜山地域での映画撮影の依頼が多くなり、映画制作社や映像ベンチャーセ
ンターや映画専門学校が設立された。PPP の運営によって毎年平均 20 ヶ国の 100 以上
の投資・配給社から 300 人のプロデューサーが参加しており、PPP の成功的な開催と国
内外の映画人の関心によって釜山での映画産業が造成された。釜山市政策開発部から釜
山市民を対象にした調査によると、釜山市民の 80%以上が映画祭は釜山地域の経済に
寄与しており、低迷している地域経済を復活される代替産業として映像産業が相応しい
という考えを持ったいるという(2009 年の第 14 回釜山国際映画祭の参加者を対象にし
た調査によると、生産誘発効果は全国的に 536 億ウォン、附加価値誘発効果は 268 億
ウォン、所得誘発効果は 105 億ウォンになるという)。映像産業都市として釜山を発展
させていくという市民的な共感帯が形成され、その環境造成においても釜山市側からの
行政的支援を行っている(宿泊、交通、撮影装備や施設提供、映像産業振興委員会の構
成、映画祭の専用映画館の PIFF ドゥレラウムの設置など)。
次に、釜山国際映画祭の社会的効果としては、釜山地域社会の構成員からの所属感お
よび共同体意識の形成されたことである。そして釜山という地域のアイデンティティを
持つことになった。釜山国際映画祭のような地域の文化祭は、地域住民に対して一つの
共同空間として地域共同体の発展に寄与する。特定の国際的規模の文化祭が自分たちが
住む地域で開催されることは自負心を強くし、結果的には愛郷心を持たせることになる。
実際の釜山国際映画祭において釜山市民からのボランティア支援が積極的に行われて
いることから、そのような愛郷心を見ることができる。地域住民からのボランティア労
働力は小さな規模の祭りでも大きな財政的成功を見出せる原動力になるものである。
最後の釜山国際映画祭の文化的効果としては、釜山国際映画祭が地域文化の拡大や活
性化に重要な役割をしていることである。地域住民への文化に接する機会を提供するこ
とで、地域住民は文化・芸術に関心を持ち地域文化を外に拡大させる役割をすることに
なる。これによって釜山という都市のイメージが外部に広げられ、釜山といえば映画・
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文化の都市として位置づけられ、ただの海がある観光地から、映画や文化を楽しめる世
界的な文化観光都市として強調することが可能になったといえる。
<ウェブリソース>
・PIFF 公式サイト;http://www.piff.org/intro/default.asp
東京国際映画祭(堀江
真理子)
1.東京国際映画祭の概要
東京国際映画祭とは財団法人日本映像国際振興協会(ユニジャパン)が主催し、毎年秋
に東京で行われる長編作品を対象とした映画祭である。国際映画製作者連盟が認定する国
際映画祭であり、アジアの映画祭の中で最も大規模なものの一つといえる。6 名の国際審査
委員が最優秀作品賞である「東京サクラグランプリ」を選出する「コンペティション」が
一番のメイン企画となっており、それに続きエンターテイメント性の高い話題作を集めた
「特別招待作品」、アジアの作品に注目する「アジアの風」、日本映画をクローズアップす
る「日本映画・ある視点」など 30 以上の企画が開催されている。
2010 年に 23 回目が開かれた本映画祭は、1985 年 5 月にその歴史が始まった。第 4 回ま
では隔年であったが、第 5 回からは毎年開催されている。開催時期としては、第1回のみ
が初夏だが、第2回以降は 9 月~11 月の間の秋開催となっている。開催期間は 10 日間ほど
である。会場に関しては、2003 年までは渋谷のみで行われていたが、2004 年~2008 年は
渋谷と六本木で、2009 年からは六本木のみ、というように変遷している。1994 年は平安遷
都 1200 年周年を記念して京都で行われた。
主催は上記の日本映像国際振興協会(ユニジャパン)で、第 23 回では共催として経済産
業省、東京都、文化庁、後援として総務省、外務省、環境省、官公庁などの行政団体が、
そしてスポンサーには日本を代表する大手企業が多く名を連ねている。チェアマンはギャ
ガコミュニケーションズの役員が務めている。
2.東京国際映画祭の評価
映画祭の成功は何をもって測るのかという議論には多様な回答があるだろう。本研究の
趣旨は映画祭とソーシャル・イノベーションの関係性を探ることなので、「できるだけ多く
の人を巻き込める力(ソーシャル・キャピタル)があるかどうか」という観点から考えよ
うと思う。結論を先取りしてしまうと、東京国際映画祭にはソーシャル・キャピタルが欠
けており、ソーシャル・イノベーションとして映画祭を評価するとすれば、うまくいって
いない事例として捉えられるだろう。具体的に、ここでは「コンペティション部門」「祭り
機能」
「映画祭のビジョン」の三点における課題を挙げたい。
(1)
「コンペティション部門」
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早稲田大学大学院社会科学研究科 都市居住環境論
January 2011
と(2)「祭り機能」に関しては、児玉徹の『日本映画祭の現状と課題に関する調査報告-
東京国際映画祭と湯布院映画祭に係る事例を機軸にとらえながら-』
(2009 年)の中から評
価を抜粋する。
(1)「コンペティション部門」
まず、映画業界に携わる人や映画に関心の高い人を引き付けられる力があるかどうかと
いうことに着目するために、コンペティション部門について考察する。コンペティション
部門とは、世界中から応募のあった作品を対象に事前審査を行って、いくつかの候補作品
に絞り込み、それら絞り込んだ候補作品を映画祭で上映して、世界各国から選りすぐられ
た審査員が、最高賞をはじめとして、監督賞、主演俳優賞などを決めていく賞レースであ
る。「国策型映画祭のソフトパワー機能を最も端的に担っている」(児玉 )ともいわれるこ
とから、コンペティション部門の機能が高く発揮されている映画祭は、映画業界や映画好
きを引き付ける力が大きいと言える。コンペティション部門の機能として、具体的に「権
威付与機能」と「商品価値付与機能」の2つを挙げることができる。
「権威付与機能」とは、
その映画祭で受賞した映画作品に携わる者は-監督や俳優は特に-、その映画祭から付与
された「権威」によって映画界におけるその後のキャリアの道が大きく開けてくることを
意味する。また「商品価値付与機能」とは、その映画作品が「商品」としての価値を高め
る機能で、劇場の興行成績や DVD の販売成績などの飛躍的な向上を生む。端的に言ってし
まえば、映画祭としてのブランド力やネームバリューがあるかどうか、ということになる。
この点に着目して、TIFF のコンペティション部門である東京サクラグランプリの現況は
どうであろうか。児玉によれば東京国際映画祭のコンペティション部門には課題があると
いい、
「端的に言えば、優れた世界初上映作品が集まらない、よって映画祭の権威付与機能・
商品価値付与機能が定着しない、よってますます質の高い初上映作品が集まらなくなる、
という『負のスパイラル』である。」と分析している。この点は、2007 年の東京国際映画祭
の作品選定に係る総責任者・黒井和男氏による談話の中で、出品を要請したところ映画の
作り手から「ほかの映画祭に出品したい」「東京での受賞は欧米の商売につながらない」と
コメントがあったことが紹介されていることからも明らかである(朝日新聞 2007 年 10 月
31 日朝刊記事)。また、日本以外のアジア地域の映画の作り手はとくに、東京国際映画祭よ
りも釜山国際映画祭のコンペティション部門に出品させたい傾向もあるという(児玉)。
国策型の映画祭としてコンペティション部門の機能が低いことは、映画人の参加意欲が
低くなってしまうので致命的な欠点である。コンペティション部門における「負のスパイ
ラル」を絶たなければ、東京国際映画祭は、映画業界人や映画に関心の高い、一番狙うべ
き層のソーシャル・キャピタルをいつまでも得ることができないだろう。
(2)「祭りの場」としての映画祭
映画祭はその名に「祭」という文字がつくことから、祭りとしての賑わいが求められる。
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早稲田大学大学院社会科学研究科 都市居住環境論
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賑わいとは、その土地の住民を巻き込み、客を呼び込むことである。東京国際映画祭には
この「祭り機能」も欠けているとされている。児玉は「ゲストだけでなく一般参加者自身
が『ハレ(非日常)の舞台』の主役となるような祭りに必須の仕掛けがまったくなされて
いない」「そこに吸い寄せられてしまうというような『祭りの場』としての魅力・吸引力が
まったく感じられない」と述べている。
同じ東京を舞台とした大規模なイベントとして東京マラソンが挙げられるが、これは多
くの人を巻き込むという点において、東京国際映画祭に比べて成功している事例と言える
だろう。この二者の決定的な違いは、いかに賑わい、またいかに一般市民の参加欲求に訴
えかけられるかどうか、という「祭り機能」の差なのではないだろうか。
まずはその土地の住民が盛り上がり、そしてその土地以外の者も吸い付けるような祭り
本来としての賑わいが、東京国際映画祭には欠けているのだろう。
(3)「映画祭のビジョン」
釜山国際映画祭、湯布院映画祭と比較し、東京国際映画祭に欠けているものの一つとし
て、「映画祭のビジョン」を挙げられる。何を目指し、何のために、どうして始まったもの
なのか、という明確なビジョンを提示していない。公式ホームページ内では「世界の 2600
有余の国際映画祭の頂点に立つカンヌ、ヴェネチア、ベルリンに比肩し、世界四大映画祭
と評される国際映画祭を目指します」という記述はある。しかし、上述したように、コン
ペティション部門や祭りとしての機能があまり発揮されておらず、人を引き付ける力に乏
しいと評価されているこの映画祭が、このように大きな目標を立てることはいささか疑問
を感じる。釜山国際映画祭は「アジア最高の映画祭、アジア映画、韓国映画を世界へ発信」
という明確なビジョンがあり、成功を収めている。
「東京国際映画祭は『まずいおでん』だ。
あれこれ混ぜすぎて味の個性がない」(ニューズウィーク 2007 年 6 月 27 月号)というコ
メントもある。欧米の名だたる映画祭と比肩することに躍起になり色々なものを取り込み
すぎて中途半端になっているのかもしれない。身の丈に合った、具体的で明確なビジョン
を打ち出さなければ、人を引き付けるイベントは成功しにくいのかもしれない。
以上、三つの点から東京国際映画祭を考察してきた。映画業界人や映画に関心の高い人
を引き付ける「コンペティション部門」、その土地の住民や他地域の一般市民に参加欲求を
起こさせる「祭り機能」
、根本的に何を目指すのかを明確に打ち出さなくては方向性が定ま
らず成功が難しいであろう「ビジョン」、この三点に課題を抱えている東京国際映画祭は、
ソーシャル・キャピタルに乏しく、よってソーシャル・イノベーションとしては成功して
いない事例として結論付けることができるだろう。
<参考文献>
・児玉徹『日本映画祭の現状と課題に関する調査報告-東京国際映画祭と湯布院映画祭に
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早稲田大学大学院社会科学研究科 都市居住環境論
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係る事例を機軸にとらえながら-』
「芸術工学研究 10」九州芸術工科大学「芸術工学研究」
編集委員会,2009 年
・レジス・アルノー『東京国際映画祭がカンヌになれない理由』「ニューズウィーク日本版
2007 年 6 月 27 月号」阪急コミュニケーションズ
<参考インターネットページ>
・第 23 回東京国際映画祭公式 HP,http://www.tiff-jp.net/ja/
2011 年 1 月
おわりに
以上、三つの事例の比較より、改めてソーシャル・イノベーションに必要な条件とは何
かについて考えてみたい。
ソーシャル・イノベーションを成功させる、すなわち、ある社会のソーシャル・キャピ
タルを増加させ、持続可能な社会発展へと推進させていく要素は大きく、(1)想いの共有
化、(2)地域インセンティブ、(3)主客一体型展開の三つに分けられる。
(1)想いの共有化
ソーシャル・イノベーションに必要な条件の一つ目としては想いの共有化といったこと
があげられる。想いとは、普段、生活している空間に対して暗黙のうちに抱いている親し
みやイメージといったもので、それは、その地域の文化や伝統を反映する。すなわち、そ
の地域を構成する住民たちによって、地域の将来に対するイメージが過去の伝統や文化、
風土などによって裏打ちされた状態で、共有化できているかどうかがソーシャル・イノベ
ーションを進める鍵となる。
湯布院映画祭で言えば、住民主導のまちづくりといったこれまでの流れを踏まえ、“映画
館のない町に映画祭をつくろう(それによって住民自身で楽しもう!)”
、“湯布院の持つ魅
力をもっと外に発信しよう”、“湯布院映画祭を通じてビジョンの共有化をはかろう”とい
ったコンセプトの下で、映画祭が行われている。また、釜山国際映画祭では、
“アジア映画
が中心になる映画祭”、“世界へ韓国映画を発信する”、といった想いの共有があった。
一方、東京国際映画祭は、ホームページ内で「世界の 2600 有余の国際映画祭の頂点に立
つカンヌ、ヴェネチア、ベルリンに比肩し、世界四大映画祭と評される国際映画祭を目指
します」といった記述はあるが、それが関係する人全員の想いであるかは疑わしい。映画
監督や俳優は、映画祭で得られる「権威」を利用し、映画界におけるその後のキャリアを
築こうといった“思い”が強く存在し、また、映画会社は、受賞された映画作品が「商品」
としての価値を高め、劇場の興行成績や DVD の販売成績などの飛躍的な向上を生むことを
目的とし、映画祭に携わっている。加えて、児玉も指摘しているように、東京国際映画祭
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は「ゲストだけでなく一般参加者自身が『ハレ(非日常)の舞台』の主役となるような祭
りに必須の仕掛けがまったくなされていない」
。すなわち、運営側と参加者側でも想いの分
離が起こっている。これでは、なかなか、次回の参加あるいは映画祭を通じて東京といっ
たまち全体へ関心を抱くという方向へと発展しない。その結果、東京国際映画祭を通して、
ソーシャル・キャピタルが増すことはなく(一時的に増すことはあっても単発的なモノに
終わり)、ソーシャル・イノベーションは起こりにくいといえるのではないか。
つまり、東京国際映画祭では、いかにして「商品」を魅せるかということがテーマとな
っており、そこにやってくる人も映画祭を楽しむというよりは、「商品」や「知名度」につ
られてやってくるという人が多いのではないだろうか。経済的発展を重んじるあまり、場
所や内容における代替不可能性を消失し、参加者にとっては、どの場所であっても、どん
な内容であっても変わらなく等しいものと移る。こういった論理が一貫して、東京国際映
画祭を貫いているといえるのではないだろうか。
持続可能的な社会発展(=ソーシャル・キャピタルの増加によるソーシャル・イノベー
ション)といった場合、コンビニエンスであることよりも、代替不可能であるといったこ
とが重要になる(コンビニで言えば、あそこのお店の店員はかわいいからあの店に行こう
といった具合に)。そして、代替不可能性を帯びることで、初めて、地域の愛着や関心が生
まれ、この先どうするか、映画祭を通じて何を実現していきたいのかといったビジョンの
共有(想いの共存)が生まれてくるのである。
(2)地域インセンティブの存在
ソーシャル・イノベーションを成功させる上で必要な条件として欠かせないのが、地域
インセンティブの存在である。地域インセンティブとは、地域でソーシャル・イノベーシ
ョンを起こしていくきっかけを創る主体である。
湯布院映画祭は、住民主導のまちづくりの歴史の中からスタートしたので、当然、中谷
や溝口といった強力なリーダーが存在していた。また、行政による大規模開発の推進ある
いは九州中部地震の発生によるダメージ、観光協会の分裂といった課題が存在していたた
め、そういった強力なリーダーの下に、まとまりやすい状況にあった。結果、映画館がな
くても強力な推進力が存在し、実行委員会を組織し、映画祭の実現へと移すことができた。
また、釜山国際映画祭では、釜山での開催の意見を共有する釜山の映画学者と評論家間
の協力と推進力が存在し、釜山地域の映画界や政界、財界、行政による‘映画祭の必要
性’に対する共感帯が形成され、それに市民の“愛郷心”も加わり、実現へと至ること
ができた。また、釜山でも湯布院の場合同様に、急速な人口増加や交通難・住宅難など
の都市問題の深刻化の問題や輸出・輸入の物量の継続的な増加によって港施設の拡充と
いった課題が存在し、強力な推進力のもとに、地域がまとまりやすい状況にあったとい
える。一方、東京国際映画祭は、財団法人日本映像国際振興協会(ユニジャパン)主催の
もと、共催として経済産業省、東京都、文化庁、後援として総務省、外務省、環境省、官
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公庁などの行政団体が、スポンサーには日本を代表する大手企業が多く名を連ねるかたち
で行われるが、どの程度行政団体が関与しているかは甚だ疑問であり、また、行政団体や
各スポンサーが関与する形で、東京の住民全体を巻き込み、東京における一大祭りとして
機能を果たすようになっているとは、今のところ考えにくい。これは、そもそも、東京と
いうまちが(先に述べた経済的価値の追求が先行し)、全体としてどのようなビジョンを持
って進んでいるか見えにくく、東京国際映画祭の位置づけがはっきりしないといったこと
が原因として挙げられよう。すなわち、湯布院や釜山などと比べ、経済の集積地として展
開する東京では、そもそも推進力自体がバラバラに散在し、一つのビジョンの下にまとま
るといったことが難しい状況にある。それが、強力なイニシアティブの不在といった状況
を作り出しているのではないだろうか。
(3)主客一体型展開
最後に、主客一体型展開が挙げられる。これは、映画祭に携わる人(=ソーシャル・イ
ノベーションの進行に関わる個人)全体が、自分がその映画祭の成功(=ソーシャル・イ
ノベーションの進行)の一端を担っているといった主体性を持っているか否かを意味する。
つまり、関係者全員がその映画祭が行われる目的に対しての共有の理解を持った上で、主
体的に映画祭に参加できているか否かということである。
それでいうと、湯布院映画祭の場合は、全員ボランティアによる実行委員会形式がとら
れていたり、ドキュメント映画を同じスペースで鑑賞することで、新たな問題意識を共有
化しやすくする工夫がなされていたりと、関係者全員が映画祭開催の目的を理解し、自分
は映画祭の成功を担っている一人のメンバーとしての自覚を持っていた。それが、全体と
しての一体感や、新たな関係構築、すなわちソーシャル・キャピタルの構築へとつながっ
、あるいは“世
ていた。また、釜山国際映画祭でも、“アジア映画が中心になる映画祭”
界へ韓国映画を発信する”といった明確な目的意識のもと、実際、多くのボランティア
が運営に携わっている。また、釜山市政策開発部から釜山市民を対象にした調査結果に
見られるように、多くの市民が自分たちが映画祭に参加し、映画祭を盛り上げることで、
低迷する地域経済の活性化につながるといった意識をもっている。これらの点から見て、
釜山国際映画祭は主客一体型の側面が強いといえるだろう。一方、東京国際映画祭は、
児玉も指摘しているように、「一般参加者自身が『ハレ(非日常)の舞台』の主役となる
ような祭りに必須の仕掛けがまったくなされていない」。結果、参加する人は、そこで出展
される「商品」や「知名度」に引かれ参加するのであり、自分たちが映画祭に参加するこ
とがその映画祭の成功の必要条件と意識しているかどうかは疑わしい。また、上記に述べ
たように明確なビジョンの共有化がなされておらず、推進力が分散しているため、その場
に新たに参加する人が主体的になりにくい。その点で、東京国際映画祭は主客分離型の側
面が強い映画祭であるといえよう。
以上、事例の比較により、映画祭によるソーシャル・イノベーションを成功に導く条件
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として、主に三つの条件を導出した。これら三つの条件は独立して存在するものではなく、
それぞれがそれぞれを強化する関係にある。そして、これら三つの条件の相乗効果によっ
て、ソーシャル・キャピタルが増加し、ソーシャル・イノベーションを成功へと導いてい
く。
最後に、捕捉として、映画祭とソーシャルイノベーションという側面からまとめ、この
稿をしめくくりたいと思う。
まず、映画館で映画を鑑賞するという行為には、「空間」と「鑑賞」という2つのメカニ
ズムがあると考える。映画は、製作側でなければその作品を鑑賞するという受け身の立場
になることが多い。そういった意味で、映画は、広い開放的な空間での「動的な参加者」
よりも狭い閉鎖的な空間での「静的な参加者」の方が多くなる。同じ東京でのイベントと
して、東京マラソンと東京国際映画祭を比較してみても市民参加の質の違いは明らかであ
る。そのような「静的な参加者」が多い映画のソーシャルイノベーション機能として、こ
こでは①「問題意識の集中」、②「連帯感」、③「疑似体験」
、④「クリア化」の 4 点を挙げ
たい。
「空間」と「鑑賞」2つのメカニズムに共通して挙げられるのが①「問題意識の集中」
と②「連帯感」である。映画を鑑賞するという行為は「その映画を観ること」を目的に集
まった不特定多数の人びとが一つのスクリーンに意識を集中させるという①問題意識の集
中がある。そして、閉ざされた空間の中で多数の人びとが一つの映画に意識を集中させる
ことで②連帯感が生まれる。①と②の間には「感情伝播作用」が存在し、①と②の相互依
存の関係を強める作用をする。観客の意識が集中すると閉鎖的空間ゆえにその感情が伝播
し、その場の連帯感が生まれる。またその逆もある。この 2 点に関してはマラソンなどの
参加者それぞれが自分のペ-スで動く開放的空間での動的参加型イベントとは違う、閉鎖
的空間での静的参加型である映画の特徴的機能と言えるだろう。
続いて「鑑賞」メカニズムの機能として③「疑似体験」と④「クリア化」を挙げる。映画
は「こうだったらいいな」という世界や、あまり知られていない世界を③疑似体験するこ
とができる。それによって人は感情を揺さぶられ、日常生活の中には存在しなかった価値
を感じることができる。このように現実世界が非現実世界を生み出す側面もあるが、非現
実世界が現実世界に影響を及ぼす側面もある。様ざまな問題が複雑に絡み合った現実の世
界と反して、映画の世界はあるテーマに基づいきストーリーを短い時間で収める必要があ
る。そのため、映画は人が追い求める価値がとても明快に描かれている場合も多く、鑑賞
後に現実世界が④クリア化し、生きていく上でのヒントをもたらすことがある。
以上からまとめると、映画祭という手段は上記(1)(2)(3)の条件を満たしやすい
環境にあるといえる。というのも、①「問題意識の集中」
、②「連帯感」と(1)想いの共
有化、(2)地域インセンティブはリンクしているからだ。また、③擬似体験や④クリア化
といったことも、その地域の将来や文化、歴史を考えることにつながるならば、ソーシャ
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ル・イノベーションを引き起こす起爆剤としての機能が期待できる。したがって、問題は
(3)主客一体型展開がその映画祭を通じてなされているか否かに関わってくる。映画を
見るという行為自体はともすれば、ただ映画を鑑賞するものと提供するものというように、
関係を二分する可能性が考えられるからだ。ソーシャル・イノベーションとしての機能を
期待するならば、その映画祭に参加した人が、次回も(あるいは映画祭のやっていないと
きでも)その地域に足を運ぶようになるしくみが必要になってくる。そして、そのために
は、映画祭を通じてどれだけお互いに顔の見える関係構築が進んだか、そして、それによ
ってその地域に対する理解や愛着が生まれたかといったことが鍵になってくるだろう。
したがって、映画祭にその地域社会の維持可能な発展といったソーシャル・イノベーシ
ョンとしての機能を期待するならば、映画としての機能だけにとどまらず、「ゲストだけで
なく一般参加者自身が『ハレ(非日常)の舞台』の主役となるような祭りに必須の仕掛け」
づくりが必要であるといえよう。
「空間」「鑑賞」メカニズム(閉鎖的・静的参加)
問題意識の集中
感情伝播作用
連帯感
「鑑賞」メカニズム(静的参加)
疑似体験
and
クリア化
or
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