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女子×おっさん - タテ書き小説ネット
女子×おっさん TAKAHASHI !18禁要素を含みます。本作品は18歳未満の方が閲覧してはいけません! タテ書き小説ネット[R18指定] Byナイトランタン http://pdfnovels.net/ 注意事項 このPDFファイルは﹁ノクターンノベルズ﹂﹁ムーンライトノ ベルズ﹂﹁ミッドナイトノベルズ﹂で掲載中の小説を﹁タテ書き小 説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。 この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また は当社に無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範囲を超え る形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致します。小 説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。 ︻小説タイトル︼ 女子×おっさん ︻Nコード︼ N6756CD ︻作者名︼ TAKAHASHI ︻あらすじ︼ 目覚めると私︱三枝里季の意識は知らないおっさんの身体の中に 居候状態になっていた。しかもここ異世界。でもおっさんは何だか かわいいし、まずは自分の体探しから。︵第1章︶ 可愛いおっさんとイチャイチャしよう!と思ったが、おっさんが乙 女的思考でヘタレてる。︵第2章︶ 迷宮都市へと向かう道中の私とおっさんのいろいろ︵第2.5章︶ 迷宮都市でのイチャイチャ同棲生活と思いきや、なんだか妙に周囲 1 が騒がしい。それにつられておっさんはまたも悩み始める。︵第3 章︶ 私とおっさんのイチャラブの日常︵第4章︶ 世界を隔てる扉は閉じられた。私はこちら。彼はあちら。私の在る べき場所とはどこだろう。︵最終章︶ *印の話はお下品、あからさまな描写が含まれますのでご注意くだ さい。 2 目覚める女子*︵前書き︶ 異世界ものが好きなので書きました。 3 目覚める女子* 目が覚め、身体を起こすとそこは知らない部屋だった。 硬くスプリングが効いていないベッドに、シンプルというよりは味 気ないデザインの木の箪笥。そして学生が授業で作ったような簡素 な木の卓と椅子。 今日日、どんな安いビジネスホテルでもこんなクソみたいな寝床を 提供したら、クレームの嵐だろうに。 というか、RPGかなんかの宿屋みたいだな。あれか?コンセプト 系ラブホテルか? そして私はあれか。こんなクソみたいな寝床にまた誰か連れ込んだ か連れ込まれたかしたのか。 私もいい歳なのだし、セックス覚えたてのガキみたいに誰彼構わず なんてやめた方がいいのだが、どうもお酒が入ると箍が外れやすく なるらしい。 はぁ、と自分に呆れてため息をつく。 じゃぁ、お酒を控えろって話だが、結局ほんの少しでも飲み始める とそんなことはどうでもよくなるのだ。 はぁ、ともう一度自分の軽率さにため息をつく。 それで今回はどんな人を連れ込んだのかと自分の横を見てみたが、 誰も居なかった。 もう一度、部屋を見渡し、人の気配がない事を確認してまたひとつ ため息。 4 置いていかれたか・・・・・・ 一夜でも共にしたのだから何か声掛けていけよ、などと正体の知れ ない同衾の相手へブツブツ文句をたれていると、ふと違和感があっ た。 その違和感を目の前へ持ち上げてみる。 それは私の手だった。 それは私の手のはずだ。 確かに女にしては大きかったが、それなりに細く長い指であった私 の手は、今、目の前では厚く固い掌に太くゴツい指になっている。 飲み過ぎて浮腫んでるってレベルじゃねぇぞ。 まるで男の手︱︱︱︱︱︱ 違和感が悪寒になって一瞬にして全身へ巡った。 反射的に下半身に掛かっていたシーツに引き剥がし、その下から現 れたモノを見て、思わず声を出した。 ﹁朝勃ちんこ・・・・・・﹂ 5 感情の乗っていない平坦な声が出た。 というのも、剥いだシーツの下から現れたのは太く大きな男性器が、 よくある生理現象であるところの朝勃ちで緩く立ち上がった様だっ たのだが、なんかその頼りなさげな様に妙に冷静になってしまった のだ。 滑稽だと思う。 軽口も出るってものだ。 朝勃ち様のお陰で落ち着きを取り戻した私は考える。 私はどうしてここにいるのか。 さっき発した声は低く少し掠れた男の声だった。 私の身体はどうなっているのか。 そもそもここはどこなのか。 考えても答えは出ない。 出ないが、結論は出せる。 ま、なるようになるだろ。 自分の身に起きている事も些細などうってことない事柄なのだ。 大事なのは自分であるということ。 生きていても死んでいても、ここが何処だろうと、身体が誰であろ うと、私が私ーー三枝里季であるということさえ分かれば、私は揺 らぐ事などないのだ。 6 目覚めるおっさん さて、これからどうしようか。 ベッドの上に胡座を掻きながら、思案していると身体の中でもう一 つの意識が浮上するのを感じた。瞬間、この身体の元々の持ち主が 目覚めたのだと理解した。 なるほど、私はこの身体に間借りさせていただいているのか。 身体の支配権が覚醒し始めた持ち主の意識へ移っていく。 そして右手が私の意識とは別にゆっくりと動き、頭をかいた。髪の 毛は硬くゴワゴワしている。 さらにふぁっ、と欠伸をひとつ。 触感があるのに自分の意識に関係なく身体が勝手に動くというのは、 なかなか稀有な体験で私の気分は高揚する。 目覚め身体の持ち主ーー彼はベッドからゆっくりと下りた。 低血圧なのか?朝に弱いのかもしれない。 そして身支度を始めるのか、部屋の隅の壁に掛かっている鏡に向か った。 鏡はいつも私が見ている曇りもなく歪みなく反射するものとは違い、 金属の表面をただ磨いたようなものだった。細かい傷や歪みがあっ たものの寝癖を直す程度には事足りるだろう。 鏡に映り込んだ彼の顔は眉間に皺がより、不機嫌極まりなかった。 しかし、それでも ﹃おぉ。すごいタイプ﹄ 7 襟足がスッキリとした赤胴色の髪。 意志の強さを感じさせる太く凛々しい眉。 その下にある目は鋭い三白眼。 一文字に結ばれた口と不精ヒゲ。 感嘆の声を漏らしてしまうほど、タイプど真ん中のおっさんだった。 いやぁ、いいおっさんの中に入ったなぁ。 彼の顔の眉間の皺がさらに深くなり、チッと舌打ちをするとイライ ラした声を出した。 ﹁やっぱり何か入ってんな。﹂ 何か、というのは私のことだな。 私が彼の意識が目覚めることが分かった様に彼にも私の意識が身体 の中に居ることがわかるのだろう。 ﹁いつの間に入ったんだ?言葉を話すタイプなのか?クソッ、めん どくせぇな。﹂ 私に問うのではなく自問のようだったが、その言葉の中の一つに私 は関心を寄せた。 言葉を話す、と言うことは。 ﹃あれ?おっさん聞こえてるの?いえーい、おっさん聞こえてるー ?﹄ ﹁・・・・・・おっさん言うなっ!!﹂ ﹃あ、気にしてんだ?ゴメンね。でもおっさんでもいいのに。私は その方がタイプだ。﹄ ﹁・・・お前、何だ?淫魔か?﹂ ﹃淫魔!ここには淫魔なんているんだ。すごいな。お相手してみた いね。﹄ へぇー、なんて適当な返事をしていると彼がまたチッと舌打ちをし 8 て、何やらブツブツ言い出した。 すると突然、身体が淡い光を出し始めた。 ﹃あ?何これ。んー?なんかすごい癒される気がする。すげーきも ちいー﹄ その光を出している間、ほんわりと温かい何かで包まれている様で、 例えるならコタツに入り込んで、ぬくぬくじんわりと全身を温めら れる気持ち良さがあった。 ﹁・・・魔物じゃないのか?まさか高位の魔族か?﹂ ﹃終わり?もう一回やってくれてもいいよ﹄ ﹁うるせー!黙ってろっ!﹂ 強請る私に彼が怒鳴る。不測の事態に直面しているという事は分か るが、そんなに取り乱すなよ。 ﹃おい、おっさん落ち着けよ。冗談にそんな怒るな。それに怒鳴ら なくても聞こえるから。﹄ 私が普通に、声を発するイメージで出した言葉はまるで念話のよう に彼にしか聞こえない。しかし彼は声を出している。誰かに聞きつ けられて気色悪く思われるのはおっさん、お前なんだぞ。 彼はチッと盛大な舌打ちをしたがだまってくれたので、私は続けた。 ﹃おっさんの知り合いに博識な奴はいないのか?私にもこの状況は よく分からない事態だから、見解を伺いたいんだが。﹄ 私の言葉に彼は、その発想はなかったみたいな顔をして早速、部屋 を出ていこうとした。 ﹃なぁ、おっさん。服は着ない習慣なのか?﹄ ﹁・・・・・・﹂ 一歩、廊下に足を踏み出した瞬間に尋ねると彼は無言で部屋に戻り、 服を身に付け始めた。耳が熱く感じるのは、彼が耳まで真っ赤にし 9 て照れているからだろう。 その顔を想像して、私は笑った。 ﹃おっさん、かわいいな﹄ ﹁・・・・・・うるせー﹂ 勢いのない反論に、私の直面している事態は悪いものではないと確 信した。 10 おっさんの博識な仲間 ここはやはり宿屋だったようだ。 長い廊下と両側の壁に等間隔で配置されている扉。他の部屋も一人 部屋なのだろうか。 彼は泊まっていた部屋の隣の扉を強くノックした。ここに彼の博識 な知り合いがいるのだろう。 ﹁エヴァンいるか?俺だ。﹂ 彼が扉の向こうへ声をかけると一拍置いて、扉が開き、のんびりと した声が聞こえた。 ﹁お休みの日に珍しいですね。﹂ 現れたのは薄い黄緑色の髪の美青年だった。浮かべた柔和な笑みと 雰囲気に大抵の女性は好意的な印象を持つだろう。 しかし私はそこではなく、柔らかそうな髪の間から見える彼の耳に 意識が向かっていた。 彼の耳は上の部分が長く尖っていたのだ。 もしかしてエルフ?初めて見た。 普遍的なファンタジーの設定に違わず、美形だ。 ﹁ちょっと面倒な事になっちまって。少しいいか?﹂ ﹁はい、どうぞ。・・・あれ?何か入ってますね。何をしたんです か、ガーウェン?﹂ ﹁何もしてねーよ。してねーから面倒なんだよ。﹂ 部屋の中にあった粗末な造りの椅子にドカッと座りながら彼︱︱ガ ーウェンはうんざりした声を出した。 エヴァンがベッドへ腰掛けるのを見ながらガーウェンは今朝からの 事を簡単に説明する。 私はその間、黙ってエヴァンを観察していた。 11 エヴァンは信用できるのか。 私が知りたい知識を持っているのか。 目覚めてからここまでの周囲の状況、ガーウェン達の言動から私に 起こった事態は大体推測できる。 ﹁聖浄化魔法が効かない魔物ですか?うーん、聞いたことありませ んねぇ。それに入っているモノからは魔物や魔族が必ず発している 魔性が感じられませんし。﹂ ﹁じゃあなんだってんだよ。どうすりゃこいつを追い出せる?﹂ ﹁分かりません。私の師匠なら引っ張り出すことが出来るかもしれ ませんが・・・﹂ 続いているガーウェンとエヴァンの議論は堂々巡りになってきてい る。 待っていても私が知りたい事は聞けないようだ。 ﹃︱︱︱おっさんとエヴァンはどういう関係なんだ?﹄ 私が疑問を発するとガーウェンは言いかけていた言葉を止め、小さ く唸った。 威嚇する獣のようだ。 ﹁なぜそれをお前に教えなきゃならない?﹂ ﹁ガーウェンなに︱︱﹂ 突然のことにエヴァンが声を上げるのをガーウェンは片手を上げて 制する。 ﹃・・・・・・じゃぁ、質問を変える。ガーウェンは彼を、エヴァ ンを信用しているか?﹄ ﹁・・・・・・﹂ 返答がないのはエヴァンを信用していないという訳ではなく、なぜ そんな質問をするのかと警戒をしているからだろう。 12 ﹃私の推測を確定するために彼と話したいんだよ。だが、彼と彼の 持つ知識が信用に足るかどうかによって結論と今後の行動が変わる。 ﹄ ﹁俺はお前を信用してねーぞ。﹂ ﹃おっさんの事は別にいいけど、私がおっさんの身体を間借りして いることは事実だろ。これを解消するには彼と話す必要がある。﹄ ガーウェンはしばらく沈黙していたが、小さく舌打ちをしてから話 し始めた。 ﹁エヴァンは俺がガキの頃からの付き合いだ。エルフだからな、こ う見えて歳は行っている。冒険者としても腕は確かで、経験も知識 も申し分ねーよ。知識収集癖があるんじゃねーかってくらいよく識 ってる。﹂ ﹃そうか。ガーウェンはエヴァンを信用してるんだな﹄ ﹁ああ、そうだ。﹂ 躊躇いなく肯定された言葉の強さに私は笑った。ガーウェンは言葉 に感情が表れるタイプらしい。嘘もきっとすぐ分かるだろう。 ﹃じゃあ、身体を貸してもらうよ﹄ ﹁は?﹂ マヌケな声を出すガーウェンから身体の支配権を奪う。 先ほど目覚めたガーウェンが私から支配権を奪った感覚の逆をすれ ばいいから簡単だ。 私は器用な方なので一度見たことはたいていすぐ出来たりする。 意識と全身の感覚がピッタリ合う。 指先まで私の意識下にある。 視線を前に向けるとエヴァンが心配そうな顔で私、ガーウェンを見 つめていた。 第一声は努めて穏やかに発した。 13 ﹁初めまして、エヴァン。私はガーウェンの中で間借りさせてもら っている、名前をリキと言う者だ。﹂ 私はニッコリと笑いながら、驚愕しているエヴァンが落ち着くのを 待つ。 突然、正体の知れないやつに話しかけられたらそらビックリするわ な。それに自分の知り合いの身体を使うんだから、引くのもわかる。 しかし、さすが年の功だけあってさして時間もかからず、エヴァン 落ち着いてきたようだ。 ﹁・・・あ、あなたは・・・﹂ ﹁リキ、と呼んでくれ。いくつか質問があるのだが、聞いてもいい か?﹂ ﹁あ、は、はい。﹂ エヴァンは真っ直ぐに私を見つめているが、眉は困ったように八の 字になっている。 私は笑みを絶やさぬように気を付けながら、彼の視線を受け止めた。 ﹁この世界に異世界人が訪れたことはあるか?﹂ 14 おっさんの博識な仲間︵後書き︶ おっさん、おっさんと呼んでますが、年齢をいくつにするか決めか ねています。 15 天使と魂 ﹁異世界人、ですか﹂ 私の突拍子もない質問を確認するように繰り返すエヴァン。 一度、視線を頭上に彷徨わせた後、また私を真っ直ぐに見つめてき た。 ﹁異世界人が来訪したと聞いたことはありませんがーー﹂ 続く彼の言葉を待つ。 ﹁天使が落ちてくることはあります。﹂ 天使、ね。 異世界人と天使は全く別物のように感じるが、エヴァンが続けて挙 げるだけの理由があるはずだ。 ﹁天使と異世界が繋がると?﹂ 私の質問にエヴァンは満足そうな笑顔をみせた。彼が期待した質問 を返せたようだ。 ﹁はい。その落ちてきた天使は天使などではなく別の世界から渡っ てきた人間だと言う学士がいたのです。﹂ 天使を崇める教会に粛清されましたけど、とエヴァンは苦笑する。 どこの世界にも似たようなことがあるんだな。 ﹁天使はどんな姿なんだ?﹂ ﹁天使の容姿は様々なようですが、共通しているのは人族のような 体形で、見たことのない素材の服を着て、使い方の分からない道具 を持っているところだそうです。﹂ なるほどね。 ﹁では、次の質問。この世界に魂という概念があるか。﹂ と、質問するとエヴァンはますます嬉しそうな顔をし、身を乗り出 16 すようにこちらへ寄ってきた。 ﹁あります。私達の身体は3つのモノで構成されていると言われて います。生物の根幹である魂。それを収める体。そして魂と体を繋 ぐマナ。どれが欠けても生物として成立しないのです。﹂ エヴァンの声に段々と熱が篭っていくのが分かる。 ﹁先ほど、天使の話はしましたね。実は落ちてきた天使はいずれも 抜け殻だったそうです。魂が無かったのです。天上界から地上へ落 ちた際、衝撃で魂と体を繋ぐマナが解けてしまったからではないか と言われています。魂は器である体が無いと状態を保てません。肉 体を離れた魂はいずれは消えゆく運命なのです。そして魂が消えた 体も徐々に朽ち果てるのみ・・・。その儚さが、それこそが!生物 の美しさではないのでしょうか!そもそもマナ理論が初めて議論に 挙がったのは今から500年前、マナ研究者であったレオドラナル ドが︱︱︱︱︱﹂ ・・・・・・やべぇ。エヴァンスイッチオンしちゃってるよ。いつ の間にか立ち上がってるし。 もうどうでも良いことを舞台に立つ演者のように身振り手振り交え て話すエヴァン。実に生き生きとした顔をしている。 ﹁・・・ガーウェン助けて。どうすればいいの﹂ ﹁あ?おっ?お!!声が出せる!つかお前、俺の身体、勝手に使っ てんじゃねー!!﹂ ﹁エヴァンと話したいって言っただろ。こうしなきゃ話せないよ。 それよりエヴァンをどうにかして﹂ ﹁・・・クソッ!俺は納得してねーからな。おいっ!エヴァン!! 正気に戻れ!!﹂ 見えない観客へ熱弁を振るうエヴァン独演会を止めるため、ガーウ ェンが怒鳴りながらエヴァンの脛を蹴りつける。蹴りつけられた脛 を押させながら、ぐああっ!とエヴァンが床を転げ回る。 ﹁容赦ないねぇ。おっさん。﹂ 17 ﹁だから、おっさんって呼ぶな。んで?エヴァンと話してどういう 結論になったんだ?俺から出て行く方法が分かったのか?﹂ ガーウェンと私は今、ひとつの身体を使って話している。周りから 見たら一人芝居をしてるように見えるだろう。あんまり見られたく ないな。 ﹁ああ、そうだな。まず、エヴァン、大丈夫か?エヴァンにも聞い て貰いたいんだが。﹂ ぐぐぐ、と唸るエヴァンの腕を取り立たせ、ベッドへ座らせる。 ﹁リキさん、ですよね?ありがとうございます。これぐらいなら魔 法ですぐ治療できますから、大丈夫ですよ。﹂ ﹁そうか、魔法か。魔法は便利だな。﹂ ﹁はい。魔法は便利です。お話を聞かせてもらえますか?﹂ 私にニコニコと笑顔を向けているエヴァンだが、先ほどの私との会 話から、私の正体に見当がついているだろう。しかし、私に語らせ てくれるらしい。有り難いことだ。 ﹁では、私の事を話そう。﹂ 椅子に座り、そう切り出すと身体の中のガーウェンが緊張するのを 感じた。 ﹁私は、この世界で言うところの天使と呼ばれるものだ。詳しく言 えば天使の中身、魂だ。しかし、その実態は異世界からやってきた 異世界人の魂だよ。﹂ 18 今はまだ目覚めない女子 ﹁それは確かなのか?﹂ ガーウェンが真剣な声で問う。真面目な調子の声は低くて少し掠れ ていてゾクゾクする。鳴かせたいなぁ、なんて今は私も同じ声だっ たわ。 ﹁天使が異世界人と言うのは私の推測だけど、私が異世界人と言う のは確実だよ。私はこの世界とは違う世界から来た。来た理由や原 因は分からないが、こちらへ来た時に魂が身体から出てしまったの だろう。世界を渡った衝撃でな。そして器を出た魂は丁度良い具合 におっさんの身体へ納まった。たぶん身体の適性かマナの波長が合 ったのだと思う。ま、偶然だな。﹂ 私がそう言うとガーウェンはまた低く唸った。彼の癖なのかもしれ ない。 ﹁そんなんで納得できるか。﹂ ﹁・・・では、リキさんの体が何処かにあるはずですね。何処かは 分かりますか?﹂ 私の話を顎に手をあて、吟味していたエヴァンがガーウェンの主張 を無視する形で私へ問いかけた。たぶん先ほどのことを根に持って いるのだろう。 ﹁いや、見当もつかない。が、何となくだが、遠くはない気がする。 上手く言えないが、私と繋がっている何かを感じるんだ。しかし、 繋がっているものが弱々しくて、辿ることが難しい。﹂ ﹁その繋がっているものがマナですよ。リキさんの魂と身体がまだ 完全には離れていない証拠です。私がマナを強くするサポートをし ます。身体が何処にあるか、感じ取りやすくなると思いますよ。﹂ ﹁本当か。ありがとう、エヴァン。﹂ ﹁いえいえ。本来ならリキさんが入っているガーウェンがそのサポ 19 ートを行うと精度がかなり上がって位置も特定し易くなるのですが、 ガーウェンは細かいマナ操作が下手くそですから、期待出来ません しね。﹂ ﹁エヴァン・・・てめぇ・・・!﹂ にっこりと綺麗な笑みを浮かべているが、下手くそ、の部分を強調 するように言うエヴァンは先ほどの事を確実に根に持っているのだ ろう。そして簡単に煽られるおっさん。 笑顔で威圧するエヴァンと唸りながら威嚇するガーウェン。 縄張りを主張する野良猫のようなフーーッ!とかギャニャーーッ! という鳴き声が聞こえてきそうだ。 ちょっと鬱陶しくなってきたので、ガーウェンの支配権を切ってや った。これでガーウェンの声は私にしか聞こえない。 ﹁悪いな、おっさん。少し待っててくれ。終わったらすぐ返す﹂ 一応、詫びを入れたが、内側ではガーウェンの罵詈雑言が飛んでい る。一先ず、放っておこう。 進めてくれと視線で促すと、エヴァンは一つ頷き、 ﹁手を重ねて下さい。私が一時的にマナを貸出し、それを使ってリ キさんの魂と身体を繋ぐマナを強くします。あまり長くは出来ませ ん。その間に出来るだけ多くの情報を感じとって下さい。﹂ と、右手を私へ差し出した。 重ねたエヴァンの手から私へ温かく力のある何かが流れ込んでくる。 これがマナなのだろう。 エヴァンから受け取ったマナを集め、はっきりしない感覚の切れ端 を補強するように繋いでいく。 そして私の身体へ繋がっている糸のように細いマナを徐々に太くし ながら、マナが導く先へ意識を集中させる。 突如、私の意識が向こう側、身体の方へものすごい勢いで引き寄せ 20 られた。 そのあまりの速さに私は意識を飛ばした。 ****** 意識を取り戻した私は瞼の重さに驚いた。徹夜二日目の朝方よりも 瞼が重い。 いや、それどころか全身が重く、感覚も鈍く、指先をほんの少しも 動かすことが出来ない。 なんとか瞼を上げ、隙間から視線だけを動かして、ぼんやりとした 視界の中、周囲を確認する。 私は懐かしの自分の身体にいるようだ。 薄暗く静かな何処かに座らされている。視線の先に自分の手足が確 認出来た。うん、今のところ無事だな。きちんと服も着ているよう だ。 徐々にはっきりとしてきた視界に、ここがベッドの上であると分か った。 やたらとデカくふかふかと柔らかいベッドに手触りの滑らかなシー ツ、そしてベッドを囲うように下げられたレースの天蓋。極めつけ は私の周りを飾り付けるように散りばめられた色取り取りの花びら。 ・・・・・・これはあれですかね。 予想出来た状況は不愉快極まりなかったが、視点を変えれば森や山 に放置され、野生動物に食い散らかされるよりは良いとも言える。 不意に、意識が遠ざかる感覚がした。 21 そろそろ帰る時間のようだ。 もう一度、自分の身体に視線を向ける。 投げ出され、ピクリとも動かない手足。 すぐ来るから。迎えに来るから。 しばらく辛抱してくれな? そして意識が遠ざかると共に、視界は閉ざされた。 22 気付いたおっさん 意識がガーウェンの中へ戻ると、周囲の明るさに思わず顔をしかめ た。 ﹁リキさん?大丈夫ですか?﹂ エヴァンが心配そうにこちらを覗き込んでいる。 ﹁ああ、大丈夫。ありがとう、エヴァン。・・・おっさんもありが とう。﹂ ﹁おぉ!声が出る!﹂ エヴァンに笑顔を向けながら、切っていた支配権をガーウェンと共 有にする。案の定、ガーウェンから文句が飛んできた。 ﹁てめぇ、ふざけんな!!俺の体を好き勝手すんな!何で俺の体の 主導権がお前なんだよ!つか上手いこと俺の意識を操作してんじゃ ねー!!﹂ ﹁悪いな。私の身体が心配だったからな。お陰で身体の居場所も大 体分かった。﹂ ﹁大体、かよ・・・﹂ ﹁むしろ大体でも居場所が絞れるのは凄い事なんですよ、ガーウェ ン。希薄になったマナを辿ると言うことはとても難しいんです。そ れで、身体は何処ら辺にあるか分かりましたか?﹂ エヴァンの問いかけに部屋全体へ朝の煌めく陽の光を入れている窓 を指差した。 ﹁この方向に。距離はあまり離れていない・・・徒歩で6日から1 0日ぐらいの間かな。﹂ ﹁東、ですか。村も大きな街もありますねぇ・・・﹂ ﹁候補は死ぬほどあるぞ、おい﹂ ﹁いや、候補は絞ることが出来ると思うぞ。かなりの金持ちらしき 23 家の寝室に置かれていたからな。﹂ 呆れたような声を出すガーウェンへ軽い調子で答えると、場の空気 が止まった。 ﹁えぇと、それは・・・﹂ エヴァンが恐る恐る問うてくる。 ﹁たぶん、コレクション扱いされてるんだと思う。レースの天蓋付 きベッドに飾り付けられていたしな。もしくは遊び道具として置い てーーー﹂ ﹁いいですっ!言わなくていいです!﹂ 何故かエヴァンが酷く傷付いたような顔で泣きそうな声をあげた。 ﹁リキさんの身体、早く見つけましょう!私たちも丁度、東へ行く 予定だったんです。ここから6∼10日の間に行ける街にお金持ち はそう多くはないです。カダラストかソーリュート。リキさんの身 体があるとしたら、どちらかだと思います。﹂ ね、ガーウェン早く行きましょう?!と半ば懇願するようなエヴァ ンに私の方が気後れしてしまう。本来なら私が頼むべき立場なのだ が、エヴァンのこの必死さはなんだろう。 ﹁・・・・・・行かねーとは言ってねーだろ。こいつの身体が見つ かれば俺だってこんなややこしいことから解放されるからな。﹂ べ、別にアンタの身体の為じゃないんだからね!ということですね、 わかります。 ﹁ガーウェン、エヴァン、ありがとう。これからよろしく。﹂ と感謝を込めて伝えると、エヴァンは気遣うような笑みを浮かべ、 ガーウェンはフンッと鼻をならすだけだった。 私の話がひと段落して、そろそろ朝食を食べに行こうとなった時、 エヴァンが ﹁そうだ、ガーウェン。リキさんが居る間、あなたの全裸で寝る癖、 24 止めて下さいね。﹂ と言いだした。 ﹁はぁ?なんでそんなこと言われなきゃなんねんだよ。﹂ ﹁女子が一緒に居るんですから当たり前のことです。それともあな たは女子に全裸を披露して喜ぶ最低野郎なんですか。﹂ ﹁んだと!てめぇ!俺にそんな趣味はねー!!つか女子が一緒って・ ・・は?一緒・・・?女子・・・・・・﹂ エヴァンの煽りに怒っていたガーウェンだったが、途中から勢いが なくなり、次第にソワソワし始めた。 何事かと思っていたら、ガーウェンが絞り出す様な声で尋ねた。 ﹁お前・・・リキ、お前、お、おんな、なのか・・・?﹂ ﹁そうだが?﹂ 気付かなかったのか。おっさんのことタイプって言わなかったっけ。 即答で肯定すると、ガーウェンが頭を抱えて唸り出した。 ﹁お、お前・・・朝、その、俺の体・・・﹂ ﹁ああ、そういうことか。気にすることはないぞ、おっさん。男の 生理現象なんだろ?朝勃ちっていうのは。﹂ ﹁朝だっ・・・!アホかてめぇ!女がそんな言葉使うんじゃねー! !﹂ 頭を抱えながらギャーギャーと騒ぐおっさんはきっとまた耳まで真 っ赤にしているのだろう。 エロ耐性の低いおっさん。かわいいじゃねーか。 25 中にいるコイツ︵前書き︶ おっさん視点の話です。彼は若干、脳筋です。 いつもより長くなってしまいました。 26 中にいるコイツ 俺の体の中にいるのは異世界から来た人族の魂らしい。 最初はアンデッド系の思念体に取り憑かれでもしたのかと思ったが、 高い知性を感じる話し方と内容で高位の魔族かもしれないと思った。 しかしエヴァンにそれはあり得ないと言われた。そんな筈はないだ ろ。だったら何でこんなにも俺の体の操作が上手いんだ?俺の体な のに!魔族的な力で操っているに違いない! 宿屋の一階にある食堂で朝飯を食う。安めの宿泊費にしては上々な うまさだ。 向かいの席に座ったエヴァンがこの世界のことや今いる街のことな ど色々、延々、一方的に話している。 うっとうしさを感じるが、エヴァンは俺に話しているのではなく、 俺の中にいる異世界人の魂︱︱リキに話しているのだ。 朝、エヴァンと話していたリキの様子からリキはかなり頭が良いの だろう。エヴァンはそんなリキを気に入ったみたいだった。 そういやいつもエヴァンは ﹁ガーウェンとロードはアホ過ぎて話が通じません。﹂ とか何とか言っているから、話が通じる相手が現れたのが嬉しいの だろう。 つか俺をロードのアホと一緒にすんな! エヴァンの部屋から出ると、リキは自分から、今後は俺の身体を出 来るだけ使わないと言った。リキが俺の身体を使い過ぎると俺の魂 に不具合があるかもしれないから、らしい。 そして応えられないけど、聞いているからこの世界の事を教えれく 27 れ、とエヴァンに言ったのだ。 そこからエヴァンは張り切って、ムダにたくわえた知識を披露して いる。 うっとうしいエヴァンの話を無視しながら俺は黙々と飯を食ってい るが、俺の内側ではリキが﹃へぇー﹄とか﹃なるほど﹄とか関心し た声をあげている。 ﹃エヴァンの話を聞くに私の身体を保管してくれている奴はよっぽ どの金持ちかもしれないな﹄ 一人で納得するようなリキの呟きに息が詰まった。 リキはさっきほんの少しだけ自分の身体に戻ったのだという。そこ に 飾り付けられ 寝室 だ。 て置かれていたらしい。 で見たと言った事を合わせると、考えられることは限られてくる。 リキの身体は 女 そして、リキは 魂が入っておらず、動かない女を寝台に飾るなんて行為、反吐がで る。 しかし貴族の変態共にはあり得ない話ではない。 奴らは自分より低い身分の者を、人間どころか生き物としても認識 していない。たぶんリキの身体も収集物の一部なんだろう。そして、 おそらく、リキが言ったように玩具にされている。 ﹃おっさん、この世界には家紋というのはあるか?﹄ ﹁家紋?﹂ リキに尋ねられ、思わず繰り返す。 ﹁家紋ですか。家紋を持てるのは上位の貴族だけですよ。しかも家 紋は国によって記録、管理されているはずですから、勝手に使用し たりすると首が飛びます。﹂ ﹃そうか。では私の身体を保管しているのはその上位の貴族だと思 われるな。﹄ ﹁・・・﹂ 28 ﹃レースの天蓋を見たと言っただろう?そこに紋のような模様が編 んであったんだ。テレビで、いや、故郷で同じような意匠の天蓋を 見たことがあってな。ま、身体が上手く動かなくて詳しく見えなか ったが。﹄ ﹁・・・天蓋に家紋のような模様があったそうだ。よく見えなかっ たみてーだけど。﹂ ﹁そうですか。東方面で紋持ちの貴族はカダラストに邸を構えるド ラト領主・ジングスタ侯爵と迷宮都市ソーリュートの管理長・クナ 侯爵だけです。カダラストはここから4日、ソーリュートはそこか らさらに10日ほどになります。ガーウェン、朝食を食べたら冒険 者ギルドへ行きましょう。カダラスト行きの商隊護衛の依頼があっ たら受けてしまいましょう。﹂ あんだけ喋っていたのにエヴァンはもう朝飯を食い終わっていて、 すぐに荷物を取って来ますと慌しく二階へ上がって行った。 ﹃そんなに急いで行かなくても良いんだけどなぁ。休みだったんだ ろ?出発は数日後でもいいけど。﹄ リキがのんびりとした声を出した。 リキは変態貴族に好き勝手にされているかもしれない自分の身体の 事をどう考えているのだろう。 エヴァンはそういうことに関して潔癖なところがあるから、出来る だけ早くリキの身体を救いたいのだろう。 俺だってクソ貴族のそういう行為には腹が立っている。 だが、リキ自身はどうなんだ?気にしている素振りすらない。 ﹁・・・・・・自分の身体が心配じゃないのか?﹂ 疑問を口に出してすぐ後悔した。心配じゃない筈がないだろ。返っ てきたリキの声は穏やかだった。 ﹃もちろん心配だよ。でもああやって保管されていれば、魔物や賊 に襲われて死ぬ危険性が低くなるだろう?﹄ どこか楽しそうにも感じる声音だ。 29 ﹃身体があったとしても、死ぬ時は死ぬんだ。それは魂だけの今だ って何ら変わりはないだろう?死ぬ時は死ぬ。大事なのはどうやっ て生きたか、だ。私は大丈夫。私は生きている限り私だからな。例 え魂が消えてしまうとしてもその消える一瞬まで、全て私の人生だ ったと自信を持って言う。﹄ ﹁・・・お前、いくつだよ・・・歴戦の戦士みたいな言い分だな・・ ・﹂ ﹃ははは!歴戦の戦士か。それは光栄だな!﹄ リキが本当に嬉しそうに笑った。 こうして聞いているとリキの声は女の声だ。なぜ、女だと気付かな かったのだろう。 ﹃まぁ、今はこうしておっさんと一緒にいるから不安が和らいでる のは確かだな。﹄ ありがとう、と急に言われた感謝の言葉に自然と顔が熱くなる。何 も言えなくなって唸っていると、リキが続けた。 ﹃魂が消えてしまう一瞬までこのまま一緒に居られるなら、それこ そ私の人生の全てを賭けてもいいと思う程、私はお前を気に入って るんだよ。ガーウェン。﹄ 口説き文句のような言葉に耳まで熱くなってきて、絶対顔が赤くな っているから思わずテーブルに突っ伏した。 かわいいな、とリキがクスクス笑う声に無性に腹が立った。 俺はそのままエヴァンが戻ってくるまでテーブルに突っ伏していた。 30 中にいるコイツ︵後書き︶ ロードに関しては次話で少し触れられます。 31 冒険者ギルドへ︵前書き︶ リキ視点へ戻ります。 32 冒険者ギルドへ 朝食を終えるとエヴァンの提案に従い、冒険者ギルドへ行くことし た。私としては急ぐ必要はないと思っていたのだが、エヴァンが譲 らなかった。エヴァンは私の身体が置かれている状況に我慢が成ら ないらしい。ガーウェンもエヴァンに賛同しているようなので、ま ぁ、ここは乗っておこう。優しいな、二人とも。 ガーウェンとエヴァン、そしてもう一人、獣人のロードという男の 三人でパーティを組んで冒険者をしているらしい。そのロードはと いうと所用で同じ宿には泊まっていないとのことだ。 ちなみにロードに関して二人に聞いたところ、エヴァンからは﹁あ のアホは放っておいていいです。﹂、ガーウェンからは﹁あのアホ は無視しろ。﹂と言われた。ロード=アホとメモを取っておく。 普段は五つの迷宮を中心に発展した都市、ソーリュートを拠点にし ているのだが、今回はたまたま知り合いの行商隊に依頼され、護衛 としてこの街に来て居たのだと言う。 宿屋からギルドへ向かう道すがらの景観はとても興味深かった。多 くの建物はヨーロッパの古き良き街並みの様にレンガ作りで、石畳 には時折、馬車が走っているのだが、そこにいる者たちが雑多なの だ。ガーウェンの様な人族、エヴァンの様なエルフ、獣が二足歩行 しているタイプの獣人、人族にケモミミ・尻尾が付いているタイプ の獣人、爬虫類のような鱗で覆われ、顔もそのままトカゲの様な屈 強な男性、背は低いが全身の筋肉が盛り上がっている髭面のおっさ ん、人混みを縫うように飛んでいく薄い緑色の翅を持つ妖精の集団。 そして何よりも色が溢れている。赤や青といった私の感覚では奇抜 な髪色は寧ろ普遍的であり、紫、銀、緑も大勢いる。自然色でどピ 33 ンクとか生物的に挑戦的過ぎるだろ。 地味な色の街並みに対して、色鮮やかな人々。 ﹃すごいな・・・。こんなに鮮やかで沢山の種族が居るのか。﹄ ﹁ここは港街だからな。色んな種族が集まって来てんだよ。﹂ ﹁珍しいですか?世界にはもっと沢山の種族がいますよ。閉鎖的な 性格でどこに住んでいるのかさえ分からない種族もいますし、10 0種以上はいると言われています。﹂ すごいな、異世界。種族の坩堝か。 冒険者ギルドは槍を掲げた女性の像が中央にある四角い広場の一辺 に位置していた。淡い黄色の建物で三角の屋根と四角い塔から記憶 にある教会に似ていると感じた。 観音開きの扉を開け中に入ると、正面にカウンターが見えた。 ﹁まずは左手にある掲示板から依頼を探しましょうか。そして正面 のカウンターで受けましょう。﹂ エヴァンがさり気なくギルドのシステムを説明してくれる。 扉の左側の壁は大きな掲示板になっており、各種依頼に加え、ギル ドからのお知らせ等の紙も貼ってあった。イメージしていた冒険者 ギルドと大体変わらず感心する。 ガーウェンとエヴァンが身を屈めるように掲示板に貼ってある依頼 票を覗きこんだ。 ﹁・・・丁度いいのはないな。﹂ ﹁そうですね・・・。早くて3日後ですか。﹂ エヴァンがはぁとため息をついた。 まぁ、そうそう都合良くいくわけじゃないからな。 ﹃気にするな。その3日後の依頼にすればいいんだから。それで問 題は無いよ。﹄ 目に見えて落ち込むガーウェンとエヴァンを慰めようとしているそ の時、後ろから声をかけられた。 34 ﹁あらぁ?ガウィちゃんとエヴちゃんじゃぁなぁい?﹂ 間延びした妙に甘ったるい女性の声が聞こえた途端、ガーウェンと エヴァンが同時に舌打ちをした。 ﹁あらあらぁ?無視してるのぉ?やぁん、アフィ悲しいわぁ。ガウ ィちゃぁん、エヴちゃぁん、ねぇねぇ﹂ 後ろから聞こえる声は無視していた二人だったが、そのうち腕を掴 まれグラグラと揺すられるに至り、我慢出来なくなったガーウェン が怒鳴った。 ﹁やめろ!うっとうしい!﹂ 振り向いて見た声の主は美少女エルフだった。 肩で切り揃えられた流れるような銀髪に白い肌。潤んだ緑の瞳。 ほんのり色づいた頬と唇。そこに添えられた微笑。 完璧なまでの美しさだった。 ﹃これはすごい。圧倒的だな。﹄ しかしその美少女を前にしてエヴァンは彼女からガーウェンを庇う 様に立ち塞がった。 ﹁寄らないで下さい、アフィーリア。貴方が寄ると穢れます。﹂ ﹁あらぁ?エヴちゃんがガウィちゃんを庇ってるわぁ。何故かしら ぁ?・・・あらぁ?﹂ 何故か少し上擦っているエヴァンの酷い言い様にもアフィーリアと 呼ばれた少女は楽しそうに笑っている。 ﹁ガウィちゃん、何だか面白いモノを飼っているのねぇ﹂ 先程と変わらない笑顔であったのに少し細められた目に何故か恐怖 を感じた。 35 冒険者ギルドへ︵後書き︶ ロードはアホ。 そのアホの子はまだ出てきません。 36 勘には従う事にしている ﹁飼ってるとか言うな!コイツは、ちげーよ。そんなんじゃねーよ。 色々あって、その、あれだ・・・ま、守ってんだよ。﹂ アフィーリアの挑発的な台詞にガーウェンがすぐに反論したのだが、 視線をうろうろと彷徨わせ、しどろもどろになっている。しかも、 ﹁守ってる﹂と言った自分の言葉に照れている。 照れるくらいなら言うなよ。かわいいじゃねぇか、おい。 色々 聞かせてくれるよねぇ?﹂ ﹁ふぅん?ガウィちゃんがそんな風に言うなんてぇ、よっぽどだと 思うけどぉ。ねぇ、アフィにその 笑顔で詰め寄られてエヴァンとガーウェンは目に見えて狼狽えてい た。 こうして二人とアフィーリアのやり取りを見てると、弟と姉の様な 力関係だと感じる。弟の全てを知っていて、何かあると﹁私がアン タのおしめを替えたんだからね!﹂で片付けようとする肝っ玉の強 い姉とその姉に頭の上がらない弟。 ﹃・・・信用出来るなら別に話しても構わないぞ?﹄ ガーウェン達はこの人には逆らえない気がするし。 見た目は15、6歳の少女なのだが、多分、年齢的にも能力的にも 二人よりかなり上なのだろう。そんな格上の人を味方に引き込めれ ば、今後、何か起こった場合の対処方法の幅が広がることは確実だ。 私の身体を取り戻すことが出来ても出来なくてもガーウェン達に掛 かる迷惑を軽減する事が出来るかもしれない。 ・・・いや、本音を言えば、私の勘がこの人を蔑ろにしてはいけな いと警告している。この人はヤバい。敵に回してはいけないタイプ だ! 37 ﹁・・・リキが話してもいいと言ってる。エヴァンもいいな?﹂ しばらく逡巡していたガーウェンだったが、私の申し出通り、アフ ィーリアに私の事情を話す事を決めたようだ。 ﹁・・・・・・リキさんがそう言うのなら私も構いません。それに ここで話さないと後で面倒なことになりそうですし。﹂ 渋々ながらエヴァンも了承した。今、アフィーリアを相手にする面 倒よりも、彼女をあしらい、蚊帳の外にすることで起こる後々の面 倒の方が確実に大変だと言うことだろう。 そのアフィーリアは仲間に入れた事に喜び、手を合わせ、やったぁ、 と可愛らしく飛び跳ねている。 その様子を見ながらガーウェンに囁いた。 ﹃おっさん、悪いんだが、身体を貸してくれないか?﹄ ﹁何かあるのか?﹂ 自然とガーウェンも小声になる。 ﹃この人には自分でしっかり挨拶をしておかなければならないと私 の勘が言っている。﹄ ﹁・・・お前の勘は優秀だな・・・﹂ ﹃私の勘は野生動物並みだと言われている。﹄ 私の冗談に、ふっとガーウェンが笑った気配がした。そして慌てて 誤魔化すようにわざとらしい咳払いをしている。 ああ、くそ、顔が見たい。寧ろ抱きしめたい。 私は私自身で思っているよりもこのおっさんに夢中になりつつある ようだ。 そんな風にガーウェンと話していると、アフィーリアを呼ぶ声がし た。 ﹁アフィ、何を騒いでいる。なんだ、エヴァンとガーウェンじゃな いか。﹂ ﹁あぁん、マリちゃぁん!マリちゃんも仲間に入れてもらおー!﹂ はしゃぐアフィーリアの後ろからゆったりと歩み寄る女性の腕にア フィーリアが甘える様に絡みついた。驚く事に現れた彼女の歩行、 38 動作には音がしなかった。この女性もヤバいと直感した。 彼女も美人だった。 キリッとした眉と目が褐色の顔に配置良く並んでいる。瞳は金色で 縦に細長い瞳孔が彼女が人族ではない事を示していた。 彼女は獣人だった。全体的な毛色が黄色で所々黒色が混じっている。 そして頭上に同じ色合いの丸いケモミミ。虎のようだと思った。 間近で見た初めての獣人に私は堪らず叫んだ。 ﹃おっぱいでけえええええええええええええええええええ!!!!﹄ 私がこの世界に来てから一番のテンションになった瞬間だった。 39 二人のヤバい女性*︵前書き︶ リキさんのテンションが高く少し下品です。 そしてまだ登場しないロードが酷い言われ様です。 40 二人のヤバい女性* ﹃おっぱいでけえええええええええええええええええええ!!!!﹄ 獣人云々よりも彼女の胸についている巨大な塊に私は驚愕した。 ﹁ぶっ!が、がほっ!げほっげほっ!﹂ 私の叫びにガーウェンが咽せた。 ﹃すげぇ!あんなでけぇおっぱい初めて見た!スイカじゃねーか! 巨乳どころじゃねぇ爆乳だ!あれだとどんな長さのちんこでもバッ チリ挟めそうだな!な、おっさん!﹂ ﹁げほっ、アホかてめぇ!だから女がそんなこと言うんじゃねーよ !!﹂ 嬉々として叫ぶ私にガーウェンが咳き込みながらも抗議の声を負け じと叫ぶ。続けてばか、アホ、黙れと罵倒される。なんだよそれか わいいな。 ﹁どうしたんだ、ガーウェンは。混乱毒でもくらってるのか?﹂ 獣人の女性が冷静な声でエヴァンに問う。 今のガーウェンは周りから見たら、急に咽せて、何やら叫び罵倒し 出すという状態であり、異常があると思われるのも仕方がない。 ﹁・・・いえ、ちょっと訳がありまして。﹂ ﹁そうか。それよりロードはどうした。﹂ ﹁ロードは、その、娼館に・・・﹂ エヴァンが何故かチラリとガーウェンを見ながらもごもごと答えた。 つかロード、所用ってセックスかよ。 ﹁そうなのか。しかしあいつの性交は力任せだから人族の女には辛 かろうに。穴に突っ込んで腰を振っていればいいと思っているから な。﹂ ﹁ダメねぇ、ロードちゃん。技巧のギの字もないのならその辺のス ライムにちんこ突っ込んだらいーのにぃ!﹂ 41 ﹁ちょっ!なんでこんな場所でそんなこと言えるんですか?!せめ て隅に移動して話して下さいよ!!﹂ ﹁なんで明け透けな女しかいねーんだよおおおおお!!!﹂ 露骨な言い方に頭を抱え唸るガーウェンとそれを指差して爆笑して いる美少女エルフ、この状況にも動じず颯爽と場を移動する爆乳獣 人、そしてはぁ、と苦労を滲ませ深いため息をつく美青年エルフ。 この世界、随分面白くなってきたぜ! 掲示板の正面、扉を入って右側はテーブルと椅子が十数組置いてあ った。ここは依頼達成へ向けて作戦会議を開いたり、軽食を取った りと多目的に使われる場所で、大多数が拠点を持たず旅をしながら 生計を立てている冒険者の便利な憩いの場なのだそうだ。 そこの隅でテーブルを囲み、これまでの事情を二人に話す事にした。 と、その前に。 ﹃おっさん、身体を貸してくれ。﹄ ﹁・・・・・・勝手にしろ﹂ ガーウェンが不機嫌なのは、先程の私の﹁おっぱいでけぇ﹂などと いう発言により他の者たちへ痴態を見せてしまったことを拗ねてい るからだ。 ﹃あははは。機嫌直してくれよ、おっさん。そう素っ気なくされる と好きになっちゃうよ?﹄ ﹁すっ?!ばっ!なにっ!﹂ ちょっと何言ってるか分からないガーウェンから身体を貸してもら った。設定は共有よりも私優先にしておこう。 そしてこちらを見ている彼女たちへニッコリと笑いかけた。 ﹁初めまして。私はリキと言います。今はガーウェンの中に居候さ せて貰っています。迷惑をお掛けするかもしれませんが、どうぞ宜 しくお願いします。﹂ それからゆっくりと深く︱︱額がテーブルへ付く程深く礼をする。 42 顔を上げると、ニコニコ笑うアフィーリアと視線が合った。 ﹁うふふ。随分と丁寧な挨拶なのねぇ。礼儀正しいのアフィは好き よぉ﹂ ﹁ありがとうございます。﹂ タイミングを見計らってエヴァンが両名を紹介してくれる。エヴァ ンの仲介スキルは素晴らしいな。 ﹁リキさん、紹介しますね。こちらのエルフがアフィーリア。魔法 師としては最高レベルの腕前の冒険者です。こう見えて私より歳上 です。﹂ ﹁アフィちゃんって呼んでねぇ!﹂ リッちゃんって呼んでいーい?と楽しそうにしているので肯定して おく。触らぬ神に祟りなし、である。 ﹁こちらのワータイガーはマリエッタ。拳士です。殴り合いで彼女 に勝てる者はほとんどいません。アフィーリアとコンビで冒険者を しているんですよ。彼女たちは冒険者の中でも有名人です。﹂ 虎のような獣人はワータイガーと言うらしい。 拳士というだけあってマリエッタの身体、そして特に腕の筋肉が鍛 えられている。 あれで殴られたら骨が砕ける、絶対。 ﹁マリでいい。よろしく、リキ。﹂ 射抜くような強い視線と簡素な挨拶に笑顔で頷いた。 43 美少女エルフの趣味*︵前書き︶ アフィーリアは通常営業です。 44 美少女エルフの趣味* 話は進み、私の身体を保管している奴に話題がいくとアフィーリア が可愛らしく首を傾げた。 ﹁うぅん、クナちゃんは融通が利かない堅物だからぁ、そぉゆう事 は出来ないんだよぉ。あるとしたらジングスタ侯爵だねぇ。﹂ 思わぬところから候補が絞れた。 ﹁アフィーリア、貴女、クナ侯爵と親交があるんですか?﹂ ﹁だってぇ、クナちゃんの初めてのヒトはアフィだもん♡﹂ えへ♡とウインクしながらペロリと小さく舌を出してポーズを決め るアフィーリア。 何という爆弾発言。まさかクナ侯爵もこんな場所で初体験の相手を、 しかもその相手本人からバラされるとは思っていないだろう。 ﹁・・・貴女またそれですか・・・﹂ エヴァンががっくりとテーブルに項垂れた。 ﹁また、とは?﹂ ﹃やめろ、聞くな!﹄ ガーウェンの忠告が聞こえないマリエッタが私の質問に答えてくれ た。 ﹁アフィは童貞と寝るのが趣味なんだ。迷宮都市の男共はほぼ全て アフィが初めての相手だな。﹂ なんですと。見た目美少女エルフの趣味が童貞狩りとは! ﹁へぇ、それはすごい!あ、てことはガーウェンとエヴァンも?﹂ ﹃ばか!リキ!!﹄ ﹁エヴちゃんは違うよぉ。エヴちゃんは寝てくれなかったのぉ。で もガウィちゃんは可愛かったよぉ。もう必死でぇ﹂ ﹃アフィーリアアアアアア!!!!てめぇえええ!!!!ふざけん な!!殺す!!!﹂ 45 自身の初体験話暴露にガーウェンは必死で叫ぶが、残念ながらそれ は私にしか聞こえない。 ﹁アフィのおっぱいにかぶりついちゃってぇ﹂ ﹃ああああああああああああああああああ!!!!!!﹄ 私の内側でガーウェンが死ぬ程悶えているのが分かるのだろう、ア フィーリアの顔はニヤニヤと実に悪い顔をしている。 ﹁そうか、ガーウェンはおっぱいが好きなのか。そういや私のおっ ぱいも良く見てるな。﹂ マリエッタが真面目な調子で参加してくるが、その顔はやはりニヤ ニヤとしていた。 二人からの攻撃にガーウェンはもうそろそろ限界だろう。さっきか ら訳の分からない叫び声しか聞こえない。 ﹁まぁまぁお二人ともお手柔らかに。ガーウェンがそろそろ泣きそ うですよ。︱︱︱︱それで、おっぱいの話詳しく!﹂ ﹃リキ!!!!てめぇええええ!!!﹄ 私のイメージ内のガーウェンは今、頭を抱え叫び、物凄い勢いで床 を転げ回っている。 その様を思って、私もニヤニヤと悪い笑みを浮べた。 ****** アフィーリア、マリエッタとの会話では二つの収穫があった。 一つは、私の身体が在ると思われる場所の候補が絞れたことだ。ア フィーリアの証言から家紋を持つ上位貴族・ジングスタ侯爵が疑わ れるのだ。彼はカダラストの邸宅に住んでいるため、そこへ行くこ とが現在の第一目標となった。 そして二つめは、そのカダラストへ向かう商隊の護衛依頼を受ける ことが出来たことである。しかも今日、出発という。 46 この護衛依頼は依頼主が希望していたよりも依頼を受ける冒険者が 少なく困っていたのだそうだ。出発予定時刻が差し迫ってきており、 どうにか参加冒険者を集めようと、もともと依頼を受けていたアフ ィーリアとマリエッタが冒険者ギルドへ赴き、勧誘を行うことにし たらしい。 ガーウェン達は渡りに船と即決でその依頼への参加を決めた。正面 にあったカウンターで手続きをすると早速、エヴァンはロードを連 れて来るためとギルドから出て行った。 私達も出発の準備をしなくては。 ﹁おっさん、そろそろ身体を返すよ。準備の時間が必要だろ?なぁ、 おっさん?﹂ 冒険者としての旅に関しては私は何もわからないため、ガーウェン に任せた方がいい。 しかしガーウェンは私達三人にからかわれた後、ずっと黙って拗ね ている。 ﹁気配まで全て代わるとはな。﹂ 脈絡の無いマリエッタの言葉に首を傾げた。 ﹁リキがガーウェンの身体を使うと気配も代わるんだ。ガーウェン とは全く違う気配だ。身体の動かし方も違う。本当に別人になった ようだ。﹂ ﹁アフィもビックリっ!今までで一度だけ一つの身体に魂が二つっ ていうの見たことあるけどぉ、リッちゃんみたいに宿主の身体を動 かしたり出来なかったよぉ。リッちゃんはそれどころか自分の身体 のように不自然なく動かしちゃうんだもん。たぶんマナ操作能力が ものすごぉく高いんだと思うよぉ。﹂ ﹁そうなのか?自分ではよく分からないな。﹂ 散々、一緒にガーウェンで遊んだので二人との会話はだいぶ砕けて いる。 ﹁このままガウィちゃんの身体を乗っ取れそうだよぉ!あ、そぉし 47 たらリッちゃんは童貞になるんだから、やぁん!アフィ天才!ねぇ、 リッちゃん?アフィと寝よぉ?﹂ ぶっ飛んだ思考を披露しながら、アフィーリアが私︱︱身体はガー ウェンのだが︱︱の腕に絡みついた。 ﹃ばかか!アフィーリア!ふざけんな!﹄ 黙っていられなくなったガーウェンが怒鳴る。これは分かる。人の 身体、乗っ取りなよ!とか、しかも自分がセックスしたいからとか 正気の沙汰じゃない。 さすがアフィーリア。見た目を裏切る性への奔放さ。 ﹁いや、その気は全くないよ。他人の身体で生きたくはないな。﹂ ときっぱりと拒否すると、えぇ∼残念と口を尖らせるアフィーリア は一体どこまで本気なのか気になった。 48 美少女エルフの趣味*︵後書き︶ エヴァンは冒険者ギルドを出るとため息を付いた。 ﹁どうして私の周りの女性はあんなのばっかりなんだろ・・﹂ エヴァンは密かにリキに期待していたのだ。自分の知り合いには居 ない知的さで、周りへ配慮も出来る女性だったからだ。リキが身体 を取り戻したら、もっと親密になりたいとさえ思っていた。 しかしアフィーリア、マリエッタと一緒になって喜々としてガーウ ェンをからかう様子を見て、ああこの人も二人と同類なんだと落胆 した。 ﹁知的で控え目で奥ゆかしい女性なんて、伝説上の生き物なんだ・・ ・。﹂ 婚期が訪れない事に悲哀を滲ませている彼だが、その理由が自分の 理想女性の条件がクソ程多い為だとはまだ気づいてはいない。 49 突如、理解した女子 アフィーリア達とはギルド前で別れた。彼女達は依頼主へガーウェ ン達の事を報告しに行くのだ。また集合場所で、と二人に手を振っ た。 ガーウェンに身体を返し、一息つく。ガーウェンからは不機嫌な雰 囲気が漂っていた。 ﹃からかい過ぎたな、悪かったよ、おっさん。久々に楽しかったか ら調子に乗った。﹄ 素直に謝るとため息を返された。 ﹁・・・別に。あいつらと気が合ったんなら良かったじゃねーか。﹂ ﹃そうだな。彼女達は個性的で楽しいな。これからの目処も立った し、感謝だな。﹄ その後、ガーウェンは何も話さず店を幾つか回り、旅に必要な物を 買っていった。 暫くすると、見覚えのある道へ出た。宿屋へ向かう道だと分かった。 緩やかに登る坂。空はよく晴れている。 ふとガーウェンが呟くように言った。 ﹁・・・お前は俺の身体を本当は自由に使えるんだろ。変な事に使 わなきゃ自由に使ってもいい。﹂ ﹃その申し出は嬉しいけど、遠慮しとく 。前も言ったように私がおっさんの身体を使い過ぎると、おっさん 自身の魂に不都合があるかもしれないからな。こんだけ良くして貰 ってるのにそんな事になったら申し訳ないよ。﹄ ﹁だが、身体が自由になんねぇのは不安じゃねーのか?﹂ 私が身体の不自由さに感じる不安を軽減しようと考えてくれている。 しかし私が身体を自由にするという事は、つまり今度はガーウェン 50 が不自由さを感じるということじゃないのか。 ﹃・・・それじゃぁ、おっさんに迷惑がかかる﹄ ﹁あぁ?迷惑とかそんなんはどうでもいーんだよ。こんな風になっ てんのはお前のせいじゃねーんだし、変なとこで遠慮すんな。﹂ 私の所為ではないのは確かだが、ガーウェンに迷惑を掛けているの も事実なのだ。 ﹃・・・おっさんさ、お人好しだって言われない?﹄ ﹁・・・・・・・・・言われねー﹂ 不自然に空いた間に笑ってしまった。 そんなんじゃ誤魔化されないよ。 私はガーウェンの右手だけ動かして、彼の頭を数度、優しく撫でた。 ガーウェンは勝手に動いた右手に少し驚いたようだが、特に何も言 わず好きにさせてくれた。 ﹃アンタって本当に優しいな。・・・あー。もうダメかも。そうい うとこ、︱︱︱﹄ だらりと右手が落ちる。 ﹁リキ?どうした?﹂ 気遣うガーウェンの優しい声に息が詰まった。 視線を合わせることが出来ない。 触れることが出来ない。 そんな今、言葉の続きを告げることは躊躇われた。 ﹃・・・大丈夫。ありがとう、ガーウェン。﹄ 当たり障りない言葉を返すだけで精一杯だった。 そういうとこ、好きだよ それは既に友愛の意味ではないと私は理解した。 51 ****** ﹁そんで三回ぐらいヤった後かなぁ?その子が目隠しプレイがした いっつーから、俺もそーゆーの嫌いじゃないし、いいよってしてみ たんスよ。したら何かさっきまでの子と具合がぜんっぜんっ!違う んスよ!あれっと思ったんスけど、まぁいっかなーって。それから 三回ぐらいヤって、そろそろ違うプレイしよーって目隠しの布取っ たら!なんと!めちゃババァになってたんス・・・。俺とヤってた 娘が、俺とヤるのキツくなってきたからって目隠しで誤魔化して他 の女と交代してたんスよ!!しかもババァ!ヒドくねぇ?ヒドいっ スよね?!まぁ、そのあと二回したけど。したら今度はそのババァ が俺をヒモで縛りたいって言ってきて!まぁ、俺そーゆーのも嫌い じゃないし?いいよってやってみたら、なんと!そのまま外にぶん 投げられたんスよ!ヒドくねぇ?ヒドいっスよね?!せめてパンツ は履かせて欲しいっスよね!それからエヴァンさんが来てくれるま でそのままだったんスよ!おかげで身体中砂まみれ!﹂ 商隊護衛として街を出発してから半日、ずっとこの調子である。 集合場所にエヴァンと一緒に現れたロードと言う名の獣人は現れた 直後からこんなテンションで喋り続けている。 ガーウェンとエヴァンは大半を無視しているが。 私が ﹁あたし、恋、しちゃったのかな・・・﹂ とか 52 ﹁すき、だなんて言えないよぉ・・・!﹂ なんて生温かい乙女的思考に浸っていた所へ投下された爆弾だった ため、正気を取り戻すには十分過ぎる威力であった。危うくファン お互いの存在を意識して気 タジック♡レ・ン・ア・イ小説になる所を回避出来たのは彼のおか げである。 ただ私とガーウェンの間に流れていた まで霧散させたことは許さない。絶対。 まずいながらも今の距離感に照れ臭さと充実感を抱いている穏やか な空気 ﹁そーいや、ガーウェンさん!身体の中に女がいるって聞いたんス けど、本当っスか?!どこにいるんスか?腹の中?﹂ ロードがガーウェンの腹を覗き込むように近づいて来る。頭の上に 付いている少し垂れた耳がピコピコ動いている。 ﹁ちょっとロード!狭いんですから尾を振らないで下さい!痛いん ですよ!﹂ ロードの隣に座って荷車を引く馬?のような生き物を操作していた エヴァンが怒っている。太くてフサフサしている尾がバシバシ、エ ヴァンに当たっていた。 ロードは犬のような獣人だった。クリーム色の毛色で良く言えば人 懐っこそう、悪く言えばアホそうな瞳をしている。 パーティの中では最年少の二十三歳だそうだ。 しかし隣に居るのになんでそんなでけぇ声で話してんの?耳がキン キンするんだけど。 ﹁こんちはー!俺、ロード!よろしく∼!ねぇねぇ名前は何ていう の?いくつなの?ねぇ!おっぱい大っきい?!!﹂ ﹁﹃ロード、うるせーんだよ!!﹄﹂ 奇しくも、私とガーウェンの怒声はシンクロした。 53 突如、理解した女子︵後書き︶ シリアスブレイカー・ロードの戦いはこれからだ! 54 初めての野営 日が暮れ始めて商隊一行は野営準備に入った。護衛の冒険者達が街 道の傍にある森へ入り、周辺の調査や野営に必要な物資調達を行い、 商人たちが野営地で夜越しの準備である。 ﹃そういや、私は野宿をしたことが無いな﹄ なんとなく呟いた私に薪を拾いながらガーウェンが尋ねた。 ﹁なんだ、お前。旅をしたことが無いのか?﹂ ﹃旅はよくしたんだが、いつも宿を取っていたし。私の世界はこち らの世界とは違って交通手段が発達していたから都市間の移動に然 程、時間を有しないんだよ。だからこうして旅の途中を道上で過ご すというのが余りないんだ。勿論、出来るだけ金を掛けずってこと でやる人達もいたけど。﹄ ﹁ふぅん?よく分かんねーけど、楽に旅が出来んのはいいな。﹂ ﹃そうだな。速さで言えば圧倒的だしな。歩けば一ヶ月かかる距離 も半日で移動出来るし。﹄ ﹁それはすげーな!転移が気軽に使えるみたいなもんか?﹂ 私の世界とこちらの世界の違いについて話すと意外にもガーウェン は興味深そうに聞いてくれた。 薪を拾うついでなのか木の根元に生えていた草にガーウェンが手を 伸ばした。 ふと、なんとなく予感があった。 ﹃おっさん、後ろ﹄ 私の言葉に咄嗟に振り返ったガーウェンの視線の先にいたのは、少 し驚いたような顔のマリエッタだった。しかしすぐにニヤリと犬歯 を見せて笑った。 ﹁ガーウェン、腕を上げたか?私の接近に気付くとはな。﹂ 55 ﹁・・・マリ、お前なぁ。いつも言うが、わざと気配消して後ろか ら近づくのやめろよ。趣味悪りぃぞ。﹂ マリエッタのこのイタズラは初犯ではないらしい。そのマリエッタ の手には大きい鳩のような鳥が二羽と透明な角を持つ鹿が一頭抱え られていた。 これらの獲物は夕飯になるようだ。 マリエッタが獰猛そうな笑顔のまま言った。 ﹁森のあまり深くない所にグレイウルフの群れがいる。小規模だが 好戦的な奴がリーダーのようで襲ってくる。二匹は殺ったが、他は 逃げられた。放っておくと面倒だから殲滅するぞ。﹂ ﹁そうか。分かった。﹂ ﹁私はこの事を旦那に報告しに行ってから合流する。手は足りるか ?﹂ ﹁大丈夫だろ。ロードを呼んだら誰かしら連れてくるはずだしな。﹂ 気負う様子もなく軽い調子でマリエッタに返すガーウェン。 ちなみにマリエッタの言う﹁旦那﹂とは依頼主の商人のことだ。マ リエッタは知り合い以外の人の名を覚えるのが苦手でいつも﹁旦那﹂ で済ますのだ。 マリエッタはガーウェンが集めていた薪を受け取ると音も立てず森 の中へ走って行った。ガーウェンはそれを見送ってから懐から出し た小さな笛を吹いた。しかし笛は鳴らず、空気の抜ける音しかしな かった。 犬笛、だろうか?ロードを呼ぶと言っていたし、そうだろうと予想 を付ける。 話を聞いたところによると、獣人の特性は私が似ていると感じた動 物の特性とほぼ同じようだ。例えばマリエッタは虎に似ているが、 やはり虎のように力が強く、跳躍力に優れているという特性を持つ。 なのでロードも犬のように可聴域が広いという特性があるのであろ う。 56 ﹃おっさん、その笛でグレイウルフ?とかいう奴も寄って来たりし ないのか?﹄ ウルフというからには犬と近しい特性を持つはずだから、反応する んじゃないのか? ﹁いや、大丈夫だ。合図を知らなきゃただ音が鳴ってるのと同じだ からな。しかし、お前、この笛が何なのか知ってんのか?﹂ ガーウェンが感心したように言った。 ﹃人間の可聴域を超えた音を出せる笛だろ。犬笛と呼んでた。﹄ ﹁は?カチョー?なんだよ、それ﹂ ﹃あー。人が聞こえない音を出す笛、な。特定の種族には聞こえる んだろ?ロードとか﹄ ﹁そうだ。精霊の笛といって獣人や精霊魔法を使う者に音で合図を 送れる。﹂ あれ?思っていたのとちょっと違う。 精霊魔法っていうのは初耳だ。 ﹁すぐにロードが合流するだろうが、今から狼共を始末しにいくぞ。 ﹂ とガーウェンが楽しそうに腰の左側に帯いている剣の柄頭を撫でた。 ﹃・・・ああ。﹄ 森の奥へ躊躇いもせず入っていくガーウェンの弾んだ足取りに、私 は静かに覚悟を決めた。 この先には異世界の洗礼が待っているはずだ。 57 初めての野営︵後書き︶ 犬笛については実用性を考えると人間にも聞こえる範囲の音で吹く 方が良いそうですが、そこは﹁異世界の犬笛だから﹂ということで 勘弁して下さい。 58 狼狩り︵前書き︶ ○注意○ 残酷な描写が少しあります。 狼との戦闘です。 苦手な方はご注意ください。 59 狼狩り 私は肉が好きだしよく食べる。肉なら豚、牛、馬、羊となんでも好 きだ。旅行先ではワニやカンガルーの肉も食べた。美味しかった。 しかしそれでも生き物を殺すことに抵抗があるのは確かだった。偽 善と言われても仕方ないのだが、やはり目の前で生き物が死ぬ、ま してや自らの手で殺すという事に忌避を感じる。 そもそも動物と魔獣は生き物として根本的に違うらしいのだが、私 にはまだ見分けがつかない。 いや、なんだかんだ言っても結局、私自身には接点が無かった事過 ぎて覚悟が足りないだけなのだ。 もし、自分の身体を取り戻せたら、その後はガーウェンについて行 きたい、一緒にいたいと頼むつもりなのだが、そうなると今回の様 な事へ覚悟と慣れが必要なはずだ。その良い機会だと考えることに しよう。 しかしそうは思っていてもため息を付きそうになり、奥歯を噛み締 め堪えた。 ガーウェンの気を削ぎたくない。 ガーウェンは今、文字通り飛ぶように森の中を疾走していた。 ︻身体強化︼という全身の筋肉の強化と視覚、聴覚といった感覚の 強化を行うスキルを発動させているらしい。 スキルについてはよく分からなかったため、後でガーウェンに聞く ことにする。 凄い速さで木々を避けながら走って行く。 暫く行くと私に予感があった。 ﹃いる。待ち伏せされてる気がする﹄ 60 ガーウェンが立ち止まり、木を背に身を屈めた。鼻をスンッと鳴ら すと唸った。 ﹁・・・そうだな。少し先に獣の臭いが溜まってる。﹂ 嗅覚も強化されているのだろうか。 ﹁お前、さっきのマリの時もそうだったが、なんで分かったんだ?﹂ ﹃なんとなく、だ。マリやおっさんのような経験と技術じゃないの は確かだな。私は前からそういうのを当てるのが上手いんだよ。﹄ 私の家系、特に女系は同じように勘が鋭い人が多いから、何かある かもしれないが知る術はない。 ﹁たぶん︻危機察知︼とか︻直感︼みたいなスキルでも持ってるん だろうな。﹂ ﹃そんな曖昧なものまでスキルにあるのか。﹄ 便利なのかよく分からん。 ﹁居ると分かりゃあ、怖くはない。このまま突っ込むぞ!﹂ 言うや否やガーウェンは木の陰から飛び出した。 一拍置いて獣の吼える声が響いた。 グレイウルフの群れと接触したのだ。 ****** ガーウェンが狼の横っ腹を蹴り飛ばした。鈍い打撃音と共に吹っ飛 んだ狼は立木に激しく打ち付けられ、そのまま動かなくなった。 狼は連携しながら素早い動きで襲い掛かってきたのだか、それに対 したガーウェンは圧倒的であった。 狼に匹敵するスピードと力強い剣技。そして長い手足から繰り出さ れる打撃。 61 十数匹はいた狼は既にもういない。 蹴り飛ばし、動かなくなった狼の首にガーウェンは剣を突き立てた。 止めを刺したのだろう。 辺りにはガーウェンが仕留めた多くの狼の死体と濃い血の臭いが充 満していた。 想像していたより悲惨な現場だったが、予想していたよりは冷静で いられた。しかしこの濃すぎる血の臭いだけは不快感が禁じ得ない。 突然、辺りの空気を突風が吹き飛ばした。一気に臭いが薄くなる。 はぁ、と息を吐いた。知らず息を詰めていたようだ。 風が通り過ぎた後、ガサガサと枝が揺れた。 ﹁ガーウェンさんみっけー!!﹂ ﹁おせぇよ。もう終わっちまったぞ。﹂ ﹁すみません。あっちの方にも集団がいたんですよ。ボスがいたよ うでロードが苦戦したんです。マリが来たらすぐ終わりましたけど。 ﹂ ﹁聞いて下さい!ひでぇんスよ、エヴァンさんってば!俺にやらせ て見てるばっかなんスよ!?ピンチでも手ぇ貸してくれねーし!! 俺、死にかけたんスよ!﹂ 現れたのはロードとエヴァンだった。死にかけたと言っている割り にロードは楽しそうで、尻尾もブンブンと振られている。 エヴァンが聞き慣れない言語で何か呟き、右手を前に突き出した。 するとまた突風が吹き荒れた。 ﹁臭いはだいたい散ったでしょう。あとは死体の処理ですね。あれ、 魔核回収してないんですか。﹂ ﹁この数は一人じゃ面倒だろ。お前ら手伝え。﹂ ﹁そうですね。ロード手伝いなさい。﹂ エヴァンが当然の様にロードに命令すると、 ﹁何で俺だけなんスか?!﹂ と文句を言いながらも、尾をブンブン振りながら従っていた。 62 ﹃おっさん、魔核とは何だ?﹄ ﹁あ?ああ。魔核ってのは魔獣の元になる石のことだな。魔石とも 呼ばれる。純度によって魔獣の強さと価値が変わってくる。純度が 高ければ魔獣は強く価値も高い、低ければ弱く価値も低いってな具 合だな。魔法具や武器、防具にも使われる。狼共の魔核は純度が低 いが、こんだけありゃ夕飯代ぐらいにはなんだろ。﹂ ﹃そうか。これで稼ぐのは大変なんだな。﹄ ガーウェンと話している内にロードが全ての魔核を回収し終えたよ うだ。寄って来たロードの頭をイイコイイコと撫でてやるとロード は間抜けな顔をした。ガーウェンが﹁リキがやった﹂と言うとひど く嬉しそうに笑い、またブンブンと尾を振ったのだった。 ﹁では燃やしますね。﹂ エヴァンが狼の死体に手をかざし、呟くと燃え上がった。炎は狼の 死体と飛び散った血液だけを燃やし、草木には燃え移らないという 不思議な仕様だった。 全てが燃え尽きるまで見守った後、私達は野営地へと帰ったのだっ た。 63 月のカケラ 芯まで燃えた薪が崩れて落ち、その拍子に炎が小さく爆ぜた。 夜をほんのりと明るくしている焚き火の側でガーウェンは番をして いた。護衛の冒険者と商隊の使用人達の有志で寝ずの番を持ち回り でするのだ。 焚き火を丸く囲う様に張られたテントで一行は休息を取り、さらに それらを囲う様に荷車四台と馬竜︵フォルムは馬だが蛇の様に鱗が ある騎獣︶が等間隔に配置されていた。 しんと静かな辺りにパチパチと薪が燃える音だけが聞こえていた。 ガーウェンが薪と共に干草を一枚焚き火へ焼べた。この干草は燃や すとミントの様なすっと鼻に抜ける匂いがし、魔獣を遠ざける効果 があるのだという。 干草の匂いと炎の暖かさが心地良く眠くなってきた。 考えてみれば異世界へ来て初めての夜だ。 たった一日しか経っていないのだ。 たった一日なのに濃密な時間だった。 ふぅと深く息を吐く。 ﹁俺に付き合うことはねぇぞ。寝てろ。﹂ あー、ガーウェンの声は心地良いなぁ。そういや、ガーウェンと出 会ってからも︵厳密にはまだ出会っていないけど︶一日しか経って いないのか。 なのになぜこんなにも安心出来るのか。 出会うことが運命であったようだ。 ・・・・・・ああ、うん、眠くて思考がロマンティックしてます、 すみません。 ﹃・・・眠るのが惜しい・・・﹄ ﹁何が惜しいんだ?﹂ 64 声音が優しく柔らかい。ふわふわとした意識を包み込むようで、さ らに眠気が加速する。だんだんと意識が沈んでいく。 ﹃・・・あー・・・ガーウェンと・・・﹄ もっと話したい 側にいたい 触りたい 好きだって言いたい キスしたい キスしたい ふわふわ、思考が、ふわふわ ﹃・・・ガーウェンと・・・エロいこと、したい・・・・・・﹄ 睡魔に抗えず、遠退く意識の彼方で誰かが叫ぶ声が聞こえた気がし た。 ****** 不意に、意識が浮上した。 ﹁ガーウェン、ブツブツうるさいですよ。迷惑なんですから気を付 けて下さい。﹂ ﹁・・・すまん﹂ ﹁交代ですから、早く寝て下さい。疲れてるんですよ、貴方は。﹂ ﹁ああ・・・ちょっと出てくる。すぐ戻る。﹂ 私の意識が眠っている間にガーウェンは見張り番を終えたようだ。 次の当番であるエヴァンと入れ違うように焚き火の前から離れた。 65 そしてそのままテントへ入らず、森の方へ足を進めた。 寝る前にトイレにでも行くのだろう。 空はまだ闇夜を纏い、星が瞬いていた。月が夜空の真ん中、一番高 い所で煌々と輝いていた。この世界の月は碧色であった。 森へ分け入って行くと月の光が枝に遮られているため薄暗くなって いたが、所々枝が薄い所は碧い光が地面まで注ぎ、その光の中で妖 精が踊っている。 ﹃うわぁー本当にここは異世界なんだなあ﹄ 幻想的な光景を見て、口を衝いて出たのはそんな言葉だった。 自分の情緒への表現力の無さというか、語彙力の無さにガッカリす る。 ﹁ふっ、もう少しで着くぞ。﹂ ガーウェンの声に少し笑いが籠っている。 どこにと聞く前に、木々が途切れ開けた場所へ出た。遮るものが無 くなり、碧色の光が一層輝いて感じた。 ﹃おぉ!﹄ 小川が流れていた。流れる川の揺らぎに合わせる様に月光がキラキ ラと水面を跳ねている。 ﹁星の川が地上に続いてるみてぇだろ?﹂ ガーウェンが得意気に指差したのは夜空だった。 瞬く星々の集まりが蛇行するように夜空を横切っている。 星の川 なのか。 天の川だ。故郷と似た景色に嬉しくなる。 この世界でも天の川は ガーウェンも案外ロマンチストだな。サプライズが成功して喜んで いるおっさんとか、すげぇかわいいな。 ﹃ふふっ、そうだな。凄く綺麗だな﹄ ガーウェンが川縁へ向かう。 輝きに目を細めながら川へ近付くと川底にも光るものが沈んでいる ことに気が付いた。 66 ﹃光っているのはなんだ?石?﹄ ﹁ん、ちょっと待ってろ。﹂ ガーウェンは川縁で身を屈めて川の浅瀬にあった緑色に光る石を拾 い上げた。そして透かし見る様に顔の前に掲げた。 ﹃月みたいな色だ﹄ ﹁夜の間だけ月の様な色の光を出すから月の欠片って呼ばれてる。 この辺の川にはどこにでも落ちてるから珍しくはねぇんだけどな。﹂ ﹃へぇ。この石が川の中にあるから余計に川が光ってみえるのか﹄ ﹁・・・・・・あのさ・・・リキ、お前、魔獣を殺したのは初めて だったんじゃないか?﹂ 掲げた石を見つめていると、ガーウェンがそう聞いてきた。ここへ 連れて来たのはこの事を話す為なのだろうか。 そうだと肯定しても良かったのだが、どうせなら全て聞いてもらっ たほうがいいかもしれない。 ﹃魔獣を殺す所か魔獣に会うのも初めてだったよ﹄ ﹁あー、だよな。野宿したことねぇって言ってたしそうじゃねぇか と思った。﹂ ﹃そもそも私の世界には魔獣は居なかったからな。私は生き物を自 分で殺した経験がない。﹄ ﹁・・・なんだよ、言えよ、そういう事は。・・・その、なんだ。・ ・・すまん。﹂ ﹃ふふふっ、なんでおっさんが謝る?ただの文化の違いだろ。生活 文化が違うんだから必要な事だって違ってくる。この世界では安全 に生活する為に魔獣狩りが必要なんだろ?だったら私もそれに慣れ とかないとな。﹄ ﹁慣れるって、お前、故郷の世界に戻らないのか?﹂ ガーウェンが驚いた様に言う。 ﹃戻れない、かもな。こちらへ来た方法が分からないから、戻る方 法が分かるとは思えないよ。﹄ ﹁・・・・・・﹂ 67 元の世界に戻れないかもしれないというのは既に考え至っていた。 でもま、それでも中々楽しそうだし、構わないんだけど。 その時、ガーウェン達と一緒だったら楽しさは確実だな! ﹃もし身体が戻っても、おっ︱︱︱﹄ ﹁俺達と居ればいいだろ。﹂ もし身体が戻っても、おっさん達と一緒にいさせてとお願いしよう とすると、先にガーウェンから言われてしまった。 ﹁身体が戻ってからも俺を頼ればいいだろ。﹂ おっさん、かっこいー!などとは茶化さない。 素直に嬉しかったのだ。 ﹃ああ。頼りにしてるよ、ガーウェン﹄ これは、おっさんに惚れざるを得ないな。 68 領都・カダラスト︵前書き︶ ガーウェン視点です。 69 領都・カダラスト ﹃戻れない、かもな。こちらへ来た方法が分からないから、戻る方 法が分かるとは思えないよ。﹄ 考えもつかなかった。 だが言われてみればその可能性が高い気がする。 自分の故郷へ二度と帰れない。自分の家族や友人に二度と会えない。 それは言い知れない苦しさがあるんじゃないか? しかしリキはそんな感情を見せない。 グレイウルフを狩った時もそうだ。 初めての魔獣狩り、しかも生き物を殺した経験の無い女があの現場 に恐怖や不快感を感じない訳が無い。 それでもリキは最後まで悲鳴一つ上げずにいた。 泣き言でも俺に対する文句でもいいから言えば良いのに。信用され ていないのだろうか。 ・・・まぁ、俺も、お前を信用してねぇとか言ったが・・・ リキは今、どんな事を考えているのだろうか。 最近良くそんな事を考える。 ****** 丘を登り切るとカダラストの外門が見えた。あと半刻もすればカダ ラストに到着するだろう。港街を出発して四日。初日のグレイウル 70 フの群れを殲滅した以外、トラブルも無く順調に旅は進んだ。 あそこにリキの身体があるのだろうか。 ﹃あれがカダラスト?領都と言う割に案外こじんまりとしてるな。﹄ リキが呟いた。リキはかなりの都市に住んでいたらしい。 リキと故郷の世界について話をする様になると、リキは貴族かなん かの姫なんじゃないかと思うようになった。話す言葉に教養を感じ るし、やたらと落ち着いているし、観察力もあり鋭い。それと同時 に周りに気を遣う余裕と素直に感謝を示せる器の大きさを持ち合わ せる。 もしかして俺達が一緒に居られないぐらい高貴な身分なんじゃなか ろうか。 ﹃あれは何をしてるんだ?﹄ あれ、と言われ前を注視する。俺達の一つ前の荷馬車から青年が外 門へ向けて走り出したところだった。 ﹁あれは先触れだ。カダラストへ入るのに必要な証書とかを持って 先に手続きをしとくんだ。少しでも門の外で待つ時間を減らしたい からな。﹂ ﹃なるほどな。どの世界でもお役所は待ち時間が長いってことか。﹄ ﹁はは、そういうことだ。﹂ リキの心底うんざりと、実感のこもった言い方に笑ってしまう。 ふと隣からロードが俺をじーーっと見ているのに気付いた。 ﹁何だよ。﹂ ﹁・・・・・・ガーウェンさん、ズルい・・・﹂ ﹁あ?﹂ ポツリと呟いたロードの言葉を聞き返したのは間違いだった。 ﹁ガーウェンさんズルいっスよ!!リキちゃんと何話してんスか! 何楽しそうにしてんスか!俺も混ぜて下さいよぉおお!!!俺もリ キちゃんと話してぇスよぉおおお!!!﹂ バカでけぇ声でアホらしい事を叫ぶバカには一発くれてやった。 71 今回の依頼主は良心的な奴で良かった。業突くな商人だと依頼報酬 を払う時になってなんだかんだと渋る奴もいるのだが、今回はそん なこともなく、むしろ急な依頼に対応してくれたからと報酬に色を 付けてくれたぐらいだ。 ﹁宿を取ってから、情報収集を始めましょう。﹂ エヴァンが張り切っている。多めの報酬を受け取ってかなり機嫌が いい。 ﹁えぇー!その前にメシ食いたいっスよ∼。俺、腹減ってると勃た ないんぐげぇっ!!﹂ ロードの台詞は途中で不細工な呻き声に変わった。マリが後ろから ロードの首に腕を回し、締め上げたからだ。 ﹁ぐっえ、マ・・・マリ姐さんの、お、・・・おっぱい、がっ、う へ・・・へへ﹂ 締められ苦しみながらも、密着しているマリの胸の感触に気持ちの 悪い笑みを浮かべるロード。 ﹁やだぁ、ロードちゃん、きもぉい!えぇい!﹂ ﹁ごふっ!!!﹂ 軽い掛け声と共にアフィーリアから繰り出された拳がロードの腹に 決まるとドゴンッ!と恐ろしい衝撃音が響いた。 ・・・ロードはもう駄目だ。 カダラストに入ってからリキの声を聞かない。 ﹁・・・リキ?﹂ 声を掛けるが反応がない。変わらず気配は身体の中にあるから、こ こにいるのだろうがどうしたのか。 ﹁リキ、どうした?﹂ ﹃・・・・・・私の身体が、どこにあるか分からなくなった﹄ 初めて聞くリキの沈んだ声に、胸の辺りが苦しくなった。 ﹁どういうことだ?身体がどこにあるか分からないって。今まで分 72 かったんだろ?いつから分からなくなったんだ?﹂ ﹁ガウィちゃん、そんなに聞いたらリッちゃんが大変だよぉ。まず はご飯でも食べながら話を聞こぉー!いくよぉ∼!﹂ リキを問い詰める様な言い方の俺を遮り、グイグイと俺の腕を引っ 張りながらアフィーリアが歩き出した。 リキは何も話さない。 泣き出しそうなリキの顔を思い浮かべて、その顔は全て俺の想像だ と言うことに舌打ちをしたくなった。 リキがどんな気持ちでいるか。 同じ身体にいながらそれが分からなくて、どうしようもない苦しさ に襲われた。 73 一進一退一進 カダラストに到着した時とほぼ同時に私の魂と身体を結ぶ繋がりが 辿れなくなった。 もしかしたら身体に何か、はっきりと言えば生死に関わる事が起こ ったのかと思ったが、なんとなくそうではない気がした。 その感覚は上手く言えないのだが、一番しっくりくる言い方をする なら、 ﹃ケータイの電波が圏外になってるって感じかな。﹄ ﹁はぁ?﹂ ガーウェンが酷く間抜けな声を上げた。 身体の場所が分からなくなったと言ったあと詳細を説明する為、皆 で食事処へ移動した。ちょうど夕飯の時間だったし、アフィーリア が言うにはこういう食堂や酒場には噂が集まりやすいため情報収集 にはもってこいの場所なのだとのこと。そしてもう一つ、周囲が騒 がしい方が案外、内緒話をしやすいそうなのだ。 さすがアフィーリアと言いたいところだが、そのアフィーリアは話 には参加せず、周囲を見渡して今宵の相手を物色中だ。 ﹁リキさんは何と言ってるんですか?﹂ ﹁けーたい?のでんぱ?がどうの・・・。リキ、ちゃんと説明しろ。 全く分からん﹂ ﹃んー、居場所を示す信号が何かによって妨害されているから、そ の信号を受け取れなくて居場所が分からなくなってるって事。無事 な気はするんだけどな。﹄ ﹁つまり何かに妨害されて居場所を掴めないってことか?﹂ 隣でロードが頬に料理を詰めながら何やら言っているが無視しよう。 ﹃ま、そうだな。﹄ 74 ﹁妨害かぁ。もしかしたら魔法阻害系の結界が張られてるのかもぉ。 そういう結界の中にはマナの動きも阻害するのもあるからねぇ。﹂ 視線は周囲へ向けたままアフィーリアが言う。 聞いていたのか。 ﹁魂の入っていない身体は神殿に届け出ないといけないだろ。神殿 で隔離されているんじゃないか?﹂ それまで静かに大盛りの料理を食べていたマリエッタがモゴモゴし ながら疑問を挙げた。 ﹁それもあるかも知れませんね。本来なら神殿に保護されるべきで すから、天使は。﹂ ﹁なんだい、あんた達も天使様の噂を聞いたのかい?﹂ 突如、私達の会話に入り込んできた者がいた。はっとしてそちらを 見ると、そこには人の良さそうな食堂の女将がいた。 ****** 宿屋の部屋でガーウェンが一人、酒を飲んでいる。 食堂の女将に話を聞いた後からずっと機嫌が悪く、何か怒っている ようだった。 その女将の話をまとめるとこうだ。 ジングスタ侯爵の次男坊近辺で最近、天使様を見たと噂を聞くよう になった。 その次男坊は今、人を避けるようにカダラストから二日半ほど離れ た別邸へ行っている。 75 次男坊は人となりを聞けば聞くほどどうしようもない男だと言うこ とが分かった。 女の使用人に片っ端から手を付けて孕ませたとか奴隷を買って三日 で抱き潰したとか、出るわ出るわ屑の所業。 ああ、こいつなら魂のない女をコレクション扱いするわというのが 私達の共通認識として確定された。 おそらく次男坊の噂の天使様は私の身体で間違いないだろう。 カダラストへ来て一日も経たずしてまた旅立つことになりそうだ。 カンッ 空になったコップがテーブルに叩きつけられる様に置かれ、音をた てた。残っていた酒が跳ね、ガーウェンのズボンを濡らす。 ガーウェンがチッと舌打ちをした。 ﹃おっさん、荒れてるな﹄ ﹁・・・悪い。俺がキレるのはお門違いだって分かってんだけど、 腹が立って仕方ねぇ。侯爵の息子だか知らねぇが、ぜってぇぶっ飛 ばす!﹂ どうやら屑の次男坊にキレているらしい。 確かに次男坊に関連する事柄には胸糞悪いものが多かったしな。 ﹁リキの身体に何かしてたらぜってぇ許さねぇ。殺す。﹂ ﹃ふふ、何だ、私の為に怒ってくれていたのか?﹄ 普段と違い、照れることなく恥ずかしい台詞を言うガーウェンをか らかおうとしたのだが、 ﹁違ぇよ。お前の為じゃねぇ。俺が嫌なんだよ。他の奴がお前に何 かしてるんじゃないかって考えるだけで腹が立つんだよ!﹂ え、なにそれ。告白? 続けられた言葉にこちらの方が照れる。 いつもの照れて耳まで真っ赤なおっさんはどこ行った! ﹃おっさん、あんた・・・﹄ 76 そこで思い出した。 食堂から出た所でエヴァンに言われたことを。 ガーウェンは夕食と共に果実酒を二杯ほど飲んでいた。 この世界の酒はあちらの世界に比べるとあまり種類がなく、果実酒 やリキュール、エールが主なのだそうだが、一般庶民が飲んでいる のは総じてアルコール度数が低い。 果実酒とリキュールはだいぶ水で薄められ、さらにそれに果汁など を加えて店に出す。 私からしてみれば、女子大生が飲むヤツか!とツッコミを入れたい くらい甘いアルコールしかない。かろうじてマシなのはエールなの だが、ガーウェンはエールが苦手なのだそうで口にしてない。女子 か。 夕食を終えると一同は解散となった。それぞれ街へ出て侯爵次男に ついて情報収集を行う事になったからだ。しかし、 ﹁ガーウェン、貴方は先に行って宿を取って置いて下さいね。﹂ ﹁なぜだ。人が多い方が情報収集はやりやすいだろうが﹂ ﹁貴方、お酒飲んだでしょう。第一、リキさんが中に居るんですか ら配慮して下さいよ。﹂ ﹁・・・﹂ ﹁はぁ。リキさん、ガーウェンの事に宜しくお願いしますね﹂ じゃあ、と去るエヴァン達を見送りながら、私に気を使ってくれた のかなと思った。ガーウェンの飲酒量は私の感覚で酒を飲んだとい う程ではなかったからだ。 だから宿屋の部屋でまた飲み始めるガーウェンを止めなかったのだ。 だって飲んでるのジュースみたいな果実酒だし。 しかし今ならエヴァンの真意が分かる。 ﹃おっさん、あんた、酒弱いのか・・・﹄ ﹁俺は酒弱くねぇよ。﹂ 77 私の言葉にガーウェンがムッとした声を出す。 エヴァン、ちゃんとはっきり言ってくれよ。まさかこのおっさんが 果実酒で酔うとは思ってなかったんだよ。 ﹃おっさん、酔ってんだろ?もうお終いにしろ。﹄ ﹁俺は酔ってねーよ!だいたいリキは︱︱︱︱︱︱﹂ ガーウェンの怒りの矛先が私へと向いて来た。 いつにない饒舌なおっさんの説教に適当な相槌をつきながら、付き 合うしか選択肢がない事にため息をついた。 78 一進一退一進︵後書き︶ なんだい、あんた達も天使様の噂を聞いたのかい? 侯爵邸に天使様が囲われているって? 私はクビになった元使用人の腹いせの嘘だと思うけどねぇ。 ジングスタ侯爵様は神殿贔屓だから、もし天使様が本当にいたとし ても囲うなんてことしないよ。 ・・・ここだけの話、今、侯爵様は御嫡男のレイドナンド様と王都 へ行っているんだけどね、最近、侯爵様の御屋敷の使用人がよくク ビになってたんだよ。 なんでも次男のカミーロ様の命らしいんだよ。 それを聞いて私はピンと来たね。 噂の天使様って言うのはカミーロ様の女なんだって! カミーロ様は元々色狂いの気がある人だからね、侯爵様がいらっし ゃらない事を良い事に女を邸に囲っていて、天使様だと語るほどハ マってるのさ、きっと。 その証拠にそろそろ侯爵様がお帰りになるとなったらカミーロ様は 別邸へ行ってしまった! 侯爵様に見つかってはいけないことがあると考えるのが普通だろ? カミーロ様は顔は良いんだけどねぇ・・・ えっ?別邸はどこかって? ここから南へ二日半ほど行くと海が見える小山があってね、良いと こだよ。 カミーロ様は二日前にカダラストを出立されたからそろそろ着くん じゃないかい? 懐かしいねぇ。 私はその山の麓の町出身なんだよ。 私がうら若き町娘の頃、若きジングスタ侯爵と侯爵夫人様が滞在さ 79 れて、町へもいらっしゃったことがあってねぇ、そりゃあもう︱︱ ︱︱︱︱ 80 夜を越えて︵前書き︶ この話で第一章は終わりです。 次話から第二章ですが、次回更新は7月19日になります。 81 夜を越えて だいたいリキは分かりにくいんだよ。何も言わねぇくせに物分りが 良すぎなんだよ。もっと何でも、愚痴でも文句でもいいから言えば いいだろ。俺に気なんか使わなくてもいいんだよ。周りなんか見ん な。お前が一番、キツイ状況じゃねーか。自分のことだけでいいん だよ。辛いとか不安とか隠すなよ。何でも言え。なんでも言って欲 しいんだよ。一番近くにいるのにお前が分からないのが嫌なんだよ。 とでも思っている 酔ったおっさんが切々と語り、それに﹃おお﹄とか﹃ああ﹄という 不幸に耐える健気な女 適当な返事を返しながら小一時間経った。 ガーウェンは私の事を のだろうか。辛さを隠し、明るく振舞っているとか不安を上手く口 に出来ないとかそんな設定を付けられている気がする。 そんな複雑な感情は残念ながら持ち合わせていないのだが。 ﹁ああっ!くそ!身体がない奴を慰めるのはどうやったらいいか分 んねー!﹂ あれ、これずっと慰められてたの? ﹃あー、ありがとう。おっさんの気持ちは良く伝わっ・・・﹄ ﹁リキ、お前、どんな顔なんだよ。﹂ ﹃あぁ?﹄ 話を聞けよ。しかもなんで急にその話題だよ。 ﹁顔が分んねぇと上手く慰められねーんだよ。お前、どんな姿なん だ﹂ 私の姿伝えたって特に変わらないと思うのだが、酔っ払い理論には 関係がないようだ。 しかし自分の顔の説明というのはなかなか難しい。 ﹃あー。顔は普通だろ。髪と目は黒だな。黄色・・・じゃなくてガ 82 ーウェンの様な人族で肌の色が淡い黄色掛かった白色だ。﹄ あちらの世界とこちらの世界の姿が同じとは限らないし、拾い主に 改造されているという事もあるが、それを言うとまたガーウェンが 不機嫌になりそうな気がしてやめておいた。 ﹁・・・・・・﹂ ﹃・・・おっさん?﹄ ﹁よく分んねぇ﹂ ﹃・・・だろうな・・・﹄ おい何がしてぇんだよ、このおっさんは。 酔っ払いの鬱陶しさは時空を越えるな! ﹁よし!右手を貸してやる。﹂ ﹃は?﹄ ほら、とガーウェンが左手を前に出した。意図の読めない言動に呆 れた声が出てしまう。 ﹁だから右手貸してやるって。手ぇ出せよ。﹂ 良く分からないがガーウェンの右手を動かして前に出してみると、 左手がその手を掴んだ。 ぎゅうと右手が強く握られる。 合わせた両手を額に付け、しばらくしてガーウェンは力強く言った。 ﹁俺はお前の味方だ。﹂ 目付きが悪く強面のおっさんの強引さと優しさに愛しさが募り、私 も手を握り返した。 ただおっさん、アンタ明日、恥ずかしさで転がり回るんじゃねーの? ぎゅうぎゅうと手を握り合いながらたわい無い話をしていたところ、 私は特に意識せず左手のひら︵ガーウェンが主導権を持つ︶をマッ サージしていたらしい。 ﹁いっ・・・!﹂ というガーウェンの声で気付いた。 ﹃悪い。痛かったか?﹄ 83 ﹁い、いや。そこまで痛い訳じゃねぇんだけど・・・﹂ ﹃痛気持ちくないか?﹄ ﹁ぐ、ぅん・・・﹂ グリグリと母指球を押すとガーウェンが唸った。その声がちょっと エロい。 ﹃マッサージしてやろうか?﹄ その時の私は確実に下心満載のゲスい顔をしていたことだろう。 ****** ﹁ふっ・・・あー・・・んん・・・﹂ ﹃・・・気持ちいい?﹄ ガーウェンが吐息と共に、ああ、と頷いた。 足の付け根、股関節をゆっくりと動かし大きく開いた。 ﹁あー・・・﹂ ガーウェンの緩んだ声がエロくて可愛い。 手のひら、足の裏から始まり、足、腕、首や肩周り、腰と自らの手 が届く範囲は全て揉みほぐしていった。 鍛えられた筋肉を揉むのが死ぬ程楽しい。 しかしやり過ぎは良くないので程々に。 この世界ではマッサージやストレッチは浸透していないらしい。 簡単なマッサージでも医療行為の側面が大きく、気軽に受けれるも のではないし、ストレッチもそれぞれ個人が適当に行う程度だ。 全身をほぐし終えるとストレッチを開始する。その頃にはガーウェ ンはマッサージの気持ち良さと酔いも相まって眠気に翻弄されてい 84 た。 先ほどからあー、とかうー、とか言う声しか上げない。 ガーウェンの意識が浮上したり沈み込んだりを繰り返している。だ がもうそろそろで寝入ってしまうだろう。 ベッドに横になるとふう、とガーウェンが息をついた。私は右手だ け動かしてガーウェンの頭を撫でている。 ﹁・・・リキ﹂ ﹃ん?﹄ 吐き出される息と共に名を呼ばれる。 ﹁・・・早く・・・﹂ ガーウェンの意識が深く沈んでいく。 それと平行するかの様に見失っていたはずの感覚が急速に強くなっ ていくのを感じていた。 ﹁・・・早く会いてぇな・・・﹂ ガーウェンの呟きに私は答える事は出来なかった。 85 夜を越えて︵後書き︶ 目覚めるとやたらスッキリとした気分だった。身体が軽い。 昨日何かやったか? 記憶を辿り、昨夜の事に行き着くと瞬時に羞恥で顔が熱くなった。 俺は何をリキに言ってんだ! このクソ酔っ払い! しね俺!いやいっそ死にてえ!! 頭を抱えてベッドの上を転げ回る。 記憶を無くしたい。 もうどんな風にリキと接したらいいか・・・。 そこで気付く。違和感のない身体の違和感に。 右手を見つめる。 自分の身体だった。自分だけの身体。 名を呼ぼうとしたが、声は掠れ、音にならなかった。 気配はほんの少しも残っていない。 昨日までが夢に思えるほど、少しも。 何も言わず、アイツは消えた。 86 目覚めた女子︵前書き︶ 第二章開始です。 それに伴いタグを追加、あらすじを変更しています。 第二章も宜しくお願いします。 87 目覚めた女子 始めは聴覚だった。遠くで何かの音がする。 次は視覚だった。淡いオレンジ色の光がぼんやりと見える。 それからはあっと言う間だった。 あっと言う間に全ての感覚が戻ってきた。 手の先から足の先まで全ての感覚が魂と繋がる。 ここがどこか分からないため注意しながら、視線だけで周囲を伺っ た。 大きなベッド。 手触りの良いシーツ。 ベッドを囲んでいる薄い布の天蓋。 異世界初日にマナを辿りみえた家紋の様な模様は天蓋に付いていな かった。しかしここがあの時にみた身体の居場所と違う所かどうか は判断できない。 あの時にまともに使えたのは視覚だけだったし、しかも使えたと言 っても首を動かす事が出来なかった為、視野が狭くたいした情報は 得られなかったのだ。 周囲に人の気配がなかった為、起き上がった。 顔や髪、身体に触れて確認する。 あちらの世界の姿と変わらない気がする。髪の毛も黒のままだし長 さもほとんど変わらない。 ただ着ている服がやたらフリルが付いた膝丈のピンクのドレスなの は見なかったことにしよう。フランス人形が着ていそうなこのドレ スは成人済みの年齢だと正直、かなり恥ずかしい。 背を振り返ると柔らかいクッションが何個も置かれており、私はそ 88 こに埋もれるようにいたらしい。 部屋を見回す。部屋の四隅にある間接照明がオレンジ色の光を放っ ていた。 ベッドを壁際に置くこの部屋はかなり広い。壁には美しい婦女の絵 画、金の模様細工の壺が飾られ、この部屋をいっそう豪華に見せて いる。しかし唯一あった出窓にはこの場にはそぐわない木板が打ち 付けられてあった。閉じ込めて逃がさないという意思の現れのよう だと思った。 破って出て行ってやろうとも考えたが、どうも身体が重く感じるの だ。 ああ、そうか。4日も寝てれば筋力が低下してるか。今がいつか分 からないから日数は何とも言えないが。 何にせよ、ここから出るためには体力の回復と情報が必要だ。 情報を引き出せる良いカモを見つけないとな。 うんと一人頷いていると、部屋の外が騒がしくなった。ベッドの上 からは部屋の扉は見えないが、多分その外からの声だろう。 私は音を立てないように元の位置へ横になった。と同時にバンッと 扉が勢い良く開く音が部屋中に響いた。 部屋へ入ってくる複数の足音と言い争う声。 ﹁カミーロ様お願いです!もうこの様なことはお止めになって下さ い!﹂ ﹁俺に意見を言う気か!アンドレイ!たかが騎士風情が侯爵次男の 俺に楯突くな!!俺は何もしていない!拾った人形で遊んでいるだ けだ!﹂ ﹁カミーロ様!あの方は天使なのですよ!?﹂ ﹁うるさい!!出て行け!﹂ アンドレイと呼ばれた男はそれでも何度ももう一人の男に懇願して いたが、最後には部屋を追い出された。 廊下とを隔てる扉が閉まってしまうと途端に部屋に静けさが満ちた。 ﹁・・・て、天使など居るか。ただの人形だ。天使なんか・・・﹂ 89 ブツブツ独り言が聞こえる。何かに怯えているように震えた声だっ た。 先ほどの二人の言葉を反芻する。 侯爵次男。カミーロ。天使。人形。 なるほど。やはり私の身体を拾っていたのは侯爵次男だったのか。 カミーロがベッドへ寄り、天蓋を捲った。 ブロンドの髪に少し垂れた目の美青年が現れた。おとぎ話に出てく る王子様のような甘さと凛々しさが混在する美形だった。 だがしかし屑である。 カミーロは私をじっとりとした目で見ていた。対する私は薄目で彼 を見ている。 ﹁神殿などにやるか。俺のものだ。俺だけの・・・・・・﹂ そう呟くと彼はベッドに上がり、私に近づいて来た。 ああ、この雰囲気はヤバイな。 逃げ出したい気持ちを抑え込み、耐える覚悟を決める。 今、この男を突き飛ばし、逃げる事は可能だろう。しかしこの男は 腐っても侯爵次男なのだ。手を出せば穏便に済ますことは出来なく なる。 そんな状態でガーウェン達と合流すれば、どんな面倒が彼らに襲い かかるか分からない。 ガーウェン達は構わないと言うと思うが、私が嫌なのだ。 異世界から来たと胡散臭い事を言う魂だけの私を守ろうとしてくれ た。 ならば私も彼らを守りたい。私が耐える事でそれが出来るのなら、 どんな事にも耐えよう。 衣擦れの音が近づいてくる。 静かに小さく息を吐く。 覚悟はもう決まった。 90 耐えると決めたのだが*︵前書き︶ ○注意○ 冒頭からエッチな表現があります。 ご注意下さい。 91 耐えると決めたのだが* グチュグチュという卑猥な水音と男の喘ぎ声が近くで聞こえている。 私は少々混乱していた。 なんかちょっと思っていたのと違うのだが。 近づいて来たカミーロは私から少し距離を取ったところで止まった。 魂が戻っていることに気が付かれたかとも思ったのだが、そういう 雰囲気は感じない。 彼は徐にそこでズボンと下着を脱ぎ、下半身を露出させた。その時 には既に彼の呼吸は荒くなりつつあり、露わになった陰部は硬さを 持ち始めているようだった。 そして彼は膝立ちになり、自らの陰部を擦り始めた。 急に始まったオナニーショーに呆気に取られたが、彼は見られてい る若くは見せていることで快感を得るタイプの変態なのだろうと納 得した。 春先に湧き出るように現れる露出狂的変態と同じ嗜好なのだろう。 彼の手が自分の陰茎を擦るたび、緩くウェーブがかかったブロンド が揺れる。頬は上気し、薄く開いた口からは吐息と共に喘ぎ声がも れる。その淫乱な姿は見るものの欲情を掻き立てるだろう。 だがしかし屑である。 見ている分には眼福極まりないのだが、残念ながら屑なのである。 この行為は彼の前戯的なものなのだろうか。 ﹁うぅっ、あっ、ん﹂ 陰部を擦る手の動きが早くなる。彼から切羽詰まった声が上がった。 終わりが近いのだろう。 ﹁う、あっ!・・・あ、あ﹂ 92 一際高い喘ぎ声を上げて彼は絶頂を迎え、射精した。 私のすねに。 どろりとした液体が肌を伝う感覚に鳥肌が立ちそうになる。思わず コイツを殴り飛ばしそうになるのを奥歯を噛み締め耐えた。 このクソ変態がっ!ぶっかけが本命の嗜好か?! 射精し終えた彼は息を整えながら、ゆっくりと私に寄る。 そして︱︱︱︱︱︱ そして、私のすねに付いている自らが出した精液をペロペロと舐め だした。 天使様、申し訳ありません お許し下さい お許し下さい、天使様 そんな事をうわ言のように何度も繰り返しながら恍惚とした表情で 自分の精液を舐めている。 なんだ、コイツ。 先ほどは天使などいないと言っていたくせに今はその天使に許しを 乞うているし。 ペロペロと私のすねを舐め回しているが、他の所には全く見向きも しない。ただただ精液がかかったすねだけをペロペロしているのだ。 高度な変態過ぎて意味が分からない。 何かのプレイ? 有り体に言えば私の身体はダッチワイフにされているのだと予想し 93 ていたのだが、それはないようだ。しかしはっきり言ってこちらの 方が変態性が増している。 四つん這いになり、頭を下げてすねに顔を寄せているカミーロ。自 然と尻が上がった格好になる。 精液を舐めている内にまた興奮してしまったようで、彼の息子が立 ち上がっている。 迷うことなく彼は息子を擦り上げた。ふぅふぅと息を荒くしながら もすねを舐め、息子を擦り上げる。 その内、絶頂に至り精液をまたすねへぶっかける。そしてペロペロ 舐め出す。 それを三セットは行った。 これなんていう永久機関。 カミーロが満足して行為を終える頃には私はすっかり飽きていて、 眠気にうつらうつらしていた。 彼がベッドから降りる気配を感じて、そちらを見れば、彼は背を向 けて脱いだ服を身につけていた。そしてチラリと私に目をやるだけ で何も言わず部屋を出て行った。 彼は本音では私を天使だと思っているのではなかろうか。どこかこ の行為に背徳さと罪深さを感じ、怯えているような節がある。 しかしそれを凌駕する支配欲と性欲の為、私を天使とは認められな いのだ。私を天使と認めてしまえば神殿へ渡さなければならないし、 彼の卑劣な行為は罪に問われることとなるからだ。 彼の特殊な性癖も私の身体への欲情と罪への怯えがせめぎ合った結 果なのではなかろうか。そして今はまだ怯えの方が優勢であるため、 すねから上には触れることが出来ないのではないか。 では、欲情が勝ってしまったら? その時は今度こそ性人形にされてしまうだろう。 94 やれる事は全てやろう。 出来るだけ早くここから脱出すべきだ。 95 準備は大事︵前書き︶ 申し訳ないのですが、次話から更新を三日に一回にさせて頂きます。 宜しくお願いします。 96 準備は大事 カミーロの気配が部屋から遠ざかるのを確認して、私はベッドから 降りた。 足、いやすねがベトベトして気持ち悪いが、それよりも確認するこ とがある。 足を床に下ろすと柔らかい毛足の絨毯が敷き詰められており、裸足 に気持ちが良かった。 立ち上がり、ゆっくりと歩いてみる。 まず確認すべきは私の身体の体力や筋力である。ここから出て逃げ 切れるまでの体力は最低でも必要だ。 歩行は出来たには出来たのだが、足が少ししか上がらずすり足のよ うになってしまった。これはなかなか前途多難だ。 ベッドの周りを行ったり来たり歩いていると部屋の外、廊下の先か ら人の気配が近づいて来るのを感じた。 身体に戻ってから妙に気配に敏感になっている。いや敏感になって るというレベルではない。気配から体型、性別、おおよその年齢な どの情報が頭の中に浮かんでくるのだ。 元の世界でも気配には聡い方だったが、それとは比べものにならな い。はっきり言って異常だ。 私の身体に何が起こっているのかと考えるより先に思い付いた。 ﹁これがスキルか?﹂ と言ったつもりが声は掠れていて何を言ったか分からず驚いた。 そうか、声を出すのも要訓練か。 ベッドへ戻り、クッションに埋もれる様に横たわった。 この柔らかクッション、癖になりそうだ。 97 近づいて来る気配を探る。 身長は165cmぐらい。痩せ型の少女。十代半ば。 右足を少し引き摺りながら、給仕が使うようなワゴンを押している。 ワゴンの上には水が入ったポットとタライ、タオルが数枚乗ってい るっていやいやちょっと待て!情報分かり過ぎだろ! なんで生物じゃないものまで気配を探れる?気配察知って有効なの は生物だけじゃないのか? ハッとして部屋の中の気配を探ってみた。 もちろん私以外の生物の気配は無い。無いが、ここからは見えない はずの扉も部屋に置かれている調度品の位置も正確に把握出来る。 何のスキルか分からないが汎用性高過ぎる。 これを使いこなせると脱出が楽になるぞ! よく分からないが使えそうな能力の発現にウキウキする。特殊能力 開花はロマンだよな! 少女の気配が部屋の前で止まった。カタンと小さな音が鳴り、扉が 開いた。カタカタとワゴンが動く音と独特なリズムの足音。 ベッドの横にワゴンを置き、少女は天蓋を支柱に括り付けた。 少女は明るい茶色の髪の毛を後ろで一つに結っており、丈の長い黒 いワンピースに真っ白なエプロンを着けている。 メイドだろう。フリルやレースの付いていないシンプルなデザイン に好感が持てる。 ぜひ私のドレスと交換してほしいぐらいだ。 少女は私の姿を確認すると跪いた。 祈るように両手を一度組んでから、右の手の甲に口付け、そこを自 分の額に付ける。 見たことのない拝礼方法だ。この世界では普遍的な仕方なのだろう か。 少女は立ち上がるとポットの水をタライへ注いだ。そこへタオルを 浸してからきつく絞る。 98 もしかして私の身体を拭いてくれるのか? ﹁天使様、失礼致します。﹂ 少女が私に向かい一礼してから、足を拭いてくれる。 ありがたい!そこすげぇ気持ち悪かったんだよ! 足を重点的に優しく拭いてくれた後は、新しいタオルへ替え、顔や 腕を拭いてくれる。 はぁスッキリして気持ち良い。 私の身体を拭きながら少女は涙ぐんでいた。 ﹁天使様、おかわいそうに。こんな・・・こんな酷い事をされて・・ ・。私がこんな足じゃなかったら連れて逃げれるのに。許して下さ い、天使様。﹂ グズグズと鼻を啜りながら少女は続ける。 ﹁アンドレイ様もアンドレイ様だわ。お父様が大神官様でいらっし ゃるのにあの卑劣な男のこの様な仕業を許しているなんて。﹂ 一通り拭き終わると今度は髪を梳かしとくれた。ほぼ同じ体格の私 の身体を起こし、丁寧に髪を梳く。終わるとまたゆっくりとクッシ ョンへ横たえられる。 ﹁天使様。この様な事しか出来ない私を許して下さい。・・・夕方 には髪を洗いに来ます。失礼致します。﹂ 少女は深々と礼をし、来た時と同じ様にワゴンを押して部屋を出て 行った。 ベッドに起き上がると私は髪を触った。髪や肌の調子がすこぶる良 いのは彼女の献身的な世話のお陰だったのか。ありがたい! そうだ。全身も確認しておこう。 ****** 99 私は部屋の中を探索していた。歩行訓練と体力改善の為である。 部屋にはウォークインクローゼットがあり、その中には今着ている ドレスと同じような、フリルとレースをふんだんに使った明るい色 のドレスばかり入っていてゾッとした。 あの馬鹿坊ちゃんは私を子供とでも思っているのか?思っているな らそれはそれでクソロリコン野郎って事になるが。 先程確認した自分の全身を思い出す。 特に異常はなかったのだが、無かったのだ。 全身のムダ毛が。 綺麗に剃られていたのだった。 もちろん陰毛も。 欧米では陰毛を剃る事は割と普通のことらしいが、今までで一番シ ョックを受けている私がいる。 クソ!絶対あの変態王子の趣味だろ!アイツとは嗜好が合わねぇ! ぜってぇ逃げてやる、と決意を込め、部屋を歩き回る私であった。 100 計画も大事 私が自分の身体へ戻ってから三日目である。 一日のスケジュールが決まっていた為、日の経過が分かり易かった のだ。 日付が変わる頃、カミーロがやって来て訳の分からないプレイをす る。 朝になるとメイドが来て、身体を清めてくれる。 夕方、メイドが髪を洗ってくれる。 そして夜、カミーロが来る。 ほぼ決まった時間に進行していた。 部屋を訪れる人はメイドとカミーロだけだったので、空いた時間は 訓練に努めることが出来た。現在、体力は申し分ないため、スキル ︵だと思われる能力︶の修練に充てている。コツコツ練習するのが 好きなのでつい夢中になって空いた時間は全て練習に費やしていた 為だいぶスキルの使用が上手くなっていた。 魂が入っていない身体だけの時はどうやら食事は取らなかったらし いと気付いたのはメイドが食事を用意するようなことがなかったた めだ。しかし今はお腹もすくので、こっそり部屋を抜け出しては厨 房に忍び込み、食料を頂いている。もちろん昼間は無理なのでカミ ーロが帰った後から早朝、メイドが部屋にやって来るまでの僅かな 間に行動している。その為か自分の気配を消し、暗闇に同化すると いう技も習得したほどだ。 いやー楽しい!私はコツを掴むのが上手い方なのでやればやるだけ どんどん上手くなっていく。案外この生活にも慣れてきて、楽しい。 しかしそれも今日でお終いだ。 101 今日か明日にはガーウェン達が麓の町へ着くはずだ。 明日の早朝、私はここから脱出する。 朝の清めを終えたメイドが帰った後、逃走の際に使えそうな物を探 してウォークインクローゼットの中を物色することにした。取り敢 えずこの何処ぞの魔法少女の様なドレスだけは勘弁してほしいので 他の衣服を探す。 ﹁一番マシなのがこれか﹂ 見つけたのはエメラルドグリーンのイブニングドレスだった。胸元 が大きく開いたデザインだったが、他のドレスに比べれば地味な部 類だ。いやこのドレスも普段着と比較するなら十分派手過ぎるのだ が、背に腹はかえられん。 リボンが大量に付いたやたら重量のある真っ赤なドレスや色鮮やか な羽が何枚も付いた鳥が寄って来そうなドレスとかこんなもん貴族 の集まりでも浮くんじゃないのか? このドレスを選んだ奴とは趣味が合わない事を確信する。 ﹁使えるもんねぇな。﹂ とため息をついているとこの部屋に近づいてくる気配を感じた。 メイドやカミーロではない。 腰に帯剣している。騎士のようだ。 カミーロは腐っても侯爵次男な為、護衛を連れていたのだが、その 護衛はジングスタ侯爵の私兵であった。つまり主はジングスタ侯爵 のはずなのだが、カミーロに従い、こんな所までやって来ている。 しかも悪事の片棒を担ぐ形で。騎士達がどんな思惑でカミーロに従 っているのかが一番わからない。 ベッドの定位置へ戻り、騎士を待つ。 暫くして気配は部屋の前に到着した。 102 入ってきた騎士はベッドの横まで来ると、メイドが毎回行う拝礼を した。やはりこの拝礼の仕方はポピュラーなんだな。単なる礼儀的 なものか宗教的な意味合いなのかは分からないが。 しかし騎士はそのまま跪いたままで手を組んでいる。 ﹁・・・天使様、どうすればよいのですか?カミーロ様を止めるこ とが出来ないのです。カミーロ様の暴走をどうすることも出来ない。 神殿の者にも手を出してしまった・・・。いずれ神殿にも全て知ら れてしまうでしょう。父上に知られてしまったら私は・・・。どう したら・・・。侯爵様がここの異常に気付かない訳が無い。どうし たらいいんだ・・・﹂ この声には聞き覚えがある。カミーロと言い争いをしていた騎士だ。 まるで懺悔の様だと思ったが、彼はずっと﹁どうしたらいいんだ﹂ としか言わない。カミーロの行為を悪事と思うならすることは決ま ってくるはずだろうに。 彼は﹁どうしたらいいんだ﹂と悩む振りをして結局はもう決めてい るのだろう。何もしないということを。 私は静かに起き上がり、俯き懺悔の様な言い訳を繰り返す騎士の前、 ベッドの縁に座った。 予定ではここの奴らとは接触せずに消えようと考えていたのだが、 ちょっと気になることがあった。 自己満足の懺悔が終わり彼が顔を上げる。 自分を見下ろす私と視線が合うと彼は﹁ひっ﹂と引きつった悲鳴を あげた。口がパクパクと開閉を繰り返し、やっと聞こえたのは酷く 小さな震えた声だった。 ﹁てん、し、さ、ま﹂ 103 顔の血の気が引いて真っ青な彼の様子に、よしそれに乗っかろうと 思った。 ﹁名は﹂ 出来るだけ威厳たっぷりを意識して。 私が声を発すると彼は見て分かるほどに身体を跳ねさせた。 ﹁お前の名は何という﹂ ゆったりとした口調で彼に問うとガチガチと歯が鳴る音がする程に 震え出した。 やべぇちょっと楽しくなってきた! ﹁私には名乗れぬと言うのか﹂ 意識的に目を細め、声を低く出すと彼は可哀想なくらい慌てて、聞 いてもいない事まで喋りだしたのだった。 104 計画も大事︵後書き︶ 真っ黒な瞳に射抜かれた時、罪からは逃れられないのだと分かった。 ﹁わ、私はアンドレイ・リーカンと申し、ます。あの人・・・ワ、 ズワド神官を寄越したのは、あ、貴女様でしたか・・・や、はり彼 を捕らえたのはいけなかったのだ・・・﹂ 目の前の少女から感じるのは言い様のない威圧感であり、自然と身 体が震え出してしまう。声も同じように震え、上擦ってしまった。 ﹁お前は神殿の理に背いた﹂ 薄っすらと笑みを浮かべた少女の言葉に汗が吹き出る。 ﹁お前は主への忠義に背いた﹂ 呼吸が上手く紡げない。苦しい。 視界が回る。しかし少女から視線を逸らすことは許されないと分か っている。 ﹁お前は己の正義に背いた﹂ 蔑む様に見下ろす視線と慈愛に溢れた微笑みに恐怖が募る。 ﹁お前に挽回の機会をやろう﹂ 少女から発せられる言葉一つ一つに打ちのめされる。 105 ﹁神はお前を罰するだろう﹂ ﹁主はお前を許さないだろう﹂ ﹁だが、私はお前に挽回の機会をやろう﹂ 罪を犯した私に少女、いや天使様から導きの言葉がかけられる。 ﹁お前はお前自身に証明するのだ。 自分の中にまだ正義の火が灯っていることを。 お前を信じるお前自身に報いるがいい。 お前の正義を再び掲げるのだ。﹂ 天使様はニヤリと獰猛な笑みを浮かべた。 圧倒的な支配者の笑みだと感じた。 ﹁私に協力しろ、アンドレイ・リーカン﹂ 彼女こそが正義そのものなのだと、震えた。 106 協力者も時には大事 暗闇に紛れながら地下への階段を下っていた。前を歩くアンドレイ の足音と腰に下げた剣が鳴る音だけが響いていた。時折、アンドレ イが私を気にする様に振り向く。気配が薄く足音も出さない私が着 いて来ているか不安なのだろう。 階段が終わると淀み湿った空気が漂っていた。通路の真っ直ぐ奥か ら灯りが漏れている。その灯りの方へ歩みを進めた。 そこは牢だった。 三面と天井、床を石造りの壁で囲まれ、通路と面している一面だけ が黒い金属製の檻だった。 牢の中では初老の男性が灯りの下で本を読んでいたが、私達に気付 くと視線だけをこちらへ向けた。 ﹁アンドレイ殿、罪と向き合う覚悟はできたのですか﹂ 男性から辛辣な言葉が飛ぶ。アンドレイは彼と視線を合わせないた めにか俯いていた。 ﹁あなたがワズワド神官ですね?﹂ 私がそう尋ねると彼は初めて私に気付いたようで驚いた顔をした。 ﹁そう、ですが・・・貴女は・・・﹂ そこまで言うと、ワズワドはアンドレイへ視線を向け、ひどく悲し そうな顔をした。 彼はアンドレイが自分の意志で罪と向き合う事を信じていたのだろ う。そして自らを犠牲にしてまで決意するのをここで待っていたの だ。 アンドレイに聞いたところワズワドは父親の旧友らしい。友人の息 子には自ら道を正してほしいと思うことは普通だろう。 だが私はアンドレイに自分の意志で選択をさせた訳ではない。彼を 追い詰め、怯えに付け込み私に都合の良い選択肢を選ばざるを得な 107 い状況にしたのだ。 アンドレイは自らでは決断しなかった。それが彼には分かったのだ ろう。 すまないね。おじいさん。その献身さは好きだけど私にも都合があ るんだ。 ﹁私は大切な者たちを守りたいのです。﹂ 私が望むものはそれだけなのだ。 ワズワドは私の側に寄って来ると探るようにジッと見ていたが、少 しして深く頷いた。 ﹁よく頑張りましたね。私も協力致しましょう。﹂ 小さく囁くように言われた労りの言葉と慈しみの溢れた微笑みに、 この老人は聖職者足る人物だと思った。 ****** 真っ白な塀の上には鏃のように先が尖った鉄柵が付いていた。館を ぐるりと囲んでいるこの塀には侵入を防ぐ術が掛けられているらし い。白い壁には近寄るとスキルの一部が使用出来なくなったり魔法 の威力が弱まるというマナの動きを阻害する術が施され、上部の鉄 柵には触れた者に電撃が与えられるという撃退魔法が掛かっている と言うことだ。 見上げた空は雲一つない青空で塀の向こうへ続いている。 良い脱出日和だ、うん。 深く息を吸うと濃い緑の香りがする。草や花が好き放題に生えてい ても美しさを感じる庭だった。 その庭には塀の近くに大きな木が一本だけ生えていた。塀よりも高 108 くそびえ立つその木は記念樹なのだという。この別邸を建てた時、 ジングスタ侯爵の父が子供たちの健やかな成長を願い、植えたそう だ。 ポンポンと軽く幹を叩く。 これから少しお世話になりますね。 後ろを振り向くと館の二階の窓にメイドが立っているのが見えた。 ずっと世話をしていてくれたあの少女だ。 朝の清めの時、私は彼女と初めて会話した。今まで世話してくれて いた事への感謝と別れの挨拶をすると彼女は涙を流して喜んだ。そ して跪き、拝まれてしまった。 私は天使様ではないのでその全身全霊の敬愛には苦笑いしか返せな かったが。 手を振ると遠慮がちに小さく手を振り返された。 予感がする。時間がきたようだ。 ﹁そ、そこで何をしている・・・!﹂ 館から庭へと続くバルコニーから叫び声が聞こえた。そちらを向く とカミーロが寝間着のまま庭に飛び出して来ていた。 ﹁そこで・・・なにを・・・﹂ 彼は私を見ると黙ってしまった。顔は真っ青になり、全身が震えて いる。しかし口元は歪められ、容姿に似つかわしくない人を馬鹿に したような笑みを作っていた。彼はその笑みが標準装備なのだ。 そんなに恐怖に怯えるくらいなら悪事を働くなよ。 カミーロを見据えると気圧された様にふらりとよろめいた。 ・・・私、そんなに怖い顔してるか? ﹁た、魂が戻ったのか。お前の名を言ってみろ。﹂ ニヤけた腹の立つ笑みを浮かべながら後退り、上擦った声で命令す るという器用な事をやってのけるカミーロ。 臆病なのかなんなのか。思わず笑ってしまった。 ﹁な!何を笑っている?!俺を、俺はっ﹂ 109 ﹁はははは!もういいよ。私にお前の権力の効果はないんだよ。残 念だったな。ああ、そうか。お前のじゃなかったな。お前の親父の 権力だった。お前にあるのは親父の権力を笠に着て威張る卑しさだ けだったな。﹂ ﹁貴様っ・・・!誰かっ!誰かコイツを捕らえろ!逃げられると思 うなよ、お前!﹂ 怒りからなのか恐怖からなのか声が震えている。 ﹁お前が私を?矮小なお前が捕らえられる訳がないだろう。お前の 卑劣は今日でお終いだ。﹂ ﹁何を・・・っ﹂ カミーロが声を荒げた時、館の中から慌てた様子の足音が近づいて 来るのが聞こえた。 110 最後は思いっ切りが大事 バルコニーに駆け込んで来た騎士が叫んだ。 ﹁今、表門に神殿騎士が!カミーロ様を出せと!﹂ ﹁っ!!﹂ ﹁神官を引き渡せと言っています!﹂ 館の表側の騒がしさがここにも微かに聞こえてくる。 ﹁お終いの時間だと言ったろ?﹂ 芝居かかった私の台詞にカミーロは腰が抜けたようで地面に崩れ落 ちた。 ここから逃亡しても安全だとは言い切れないと私は考えた。追っ手 がかかり、今後の生活が脅かされる可能性は十分あるはずだと。そ の可能性をゼロに近づける為には第一にカミーロの排除が必要だっ た。しかし魂が戻った時点でただの人族の女である私が単独で訴え 出ても、カミーロには圧倒的な地位と財力があるため握り潰される のがオチだろう。 そこで私が目を付けたのは神殿である。この国で貴族とは別の権力 を持っている神殿は、貴族と持ちつ持たれつの一方でお互いを出し 抜こうとする関係でもあるそうなのだ。 私はアンドレイに己を含むカミーロ達の悪事を洗いざらい告白した 手紙を麓の町にある神殿の支部へ送るように言った。 ジングスタ侯爵は神殿贔屓と言うだけあり、侯爵領内のある程度の 大きさの町には神殿の支部があるのだ。 その手紙の主たる悪事はワズワド神官の拉致監禁である。 過去の悪事は直ぐには証明出来ないだろう。しかしワズワド神官へ の犯罪行為は現在進行形である。いくら侯爵次男と言えど現行犯で は言い逃れは出来まい。 111 それにしても神殿騎士の動きが早かったのは、もしかしたらカミー ロ達へすでに疑惑があったからではないかと思う。 しかしカミーロへの罰は国外追放ぐらいだろう。そこも腐っても侯 爵次男だということだ。 ただカミーロに加担していた騎士達はどうなるかは分からない。そ れは主であるジングスタ侯爵が決める事だ。まぁ、カミーロと共に 女性達へ蛮行を行っていたそうだからそれ相応の罰は受けるはずだ。 ﹁因果応報という言葉ぐらいは知っているだろう﹂ 座り込むカミーロを見下ろしたが、彼は俯き地面に向かいブツブツ と言っていた。よく聞けば、﹁俺はわるくない﹂となんとも呆れた 事を繰り返し呟いていたのだった。 表側の喧騒が大きくなった。時折、怒声のような声も聞こえる。乱 闘にでもなっているのだろうか。 その時、ドオォンッという爆発音と共に館が揺れた。 カミーロ達の意識が館へ向く。 その一瞬のうちにスキル︻身体強化︼を使用し、木の幹を垂直に駆 け上がった。そして塀を越えた高さのところで強く枝を蹴り、塀に 向かって飛んだ。 背後から二度目の爆発音が聞こえる。 塀に近付くにつれてマナの動きが阻害され、スキルが切れてしまっ たが、十分な勢いがあるからたぶん大丈夫だろう。 空中で身体を半回転させ仰向けになり、そのまま上体を反らしなが ら鉄柵の上を跳ぶ。 高跳びの背面跳びの要領だ。 腰が越えたところで、足を曲げ後転する。早く体勢を整えないと頭 112 から地面に着地することになる。 バランスを取りながら足から落ちていく。 そして膝を使い、衝撃を逃がしながら着地した。 立ち上がり、身体を確認してみるが、特に異常はない。こちらの世 界では基礎的な体力や身体能力もかなり上がっている気がする。 塀の向こうから再び爆発音が聞こえた。 ﹁あのおじいさん、派手にやり過ぎじゃねぇか?﹂ 脱出するために私から注意を逸らす役割なのだが、おじいさんの鬱 憤晴らしのような気もしないでもない。 おじいさんの牢のカギはカミーロが持っていた為、まずは私がカミ ーロの注意を逸らす役割として時間を稼ぐ。その間にアンドレイが おじいさんを助け出す。今度はおじいさんが撹乱行動をして、カミ ーロの注意を引き付け、私は脱出する。 時間が無いしぶっつけ本番の作戦だったが、何とかなるもんだな。 ﹁まぁ、まだこれからだけど﹂ 山の麓にある町へ向かい、山の中に私は飛び込んだ。 ****** あー、やっぱりなー。 すれ違う人達の視線にうんざりする。 町の手前で隠し持っていたエメラルドグリーンのドレスに着替えた。 町で目立たない様にと考えて地味目のドレスを選んだはずなのだが、 町中でドレスという時点で目立たないはずがなかった。 113 ・・・町の外で日が暮れるまで隠れていようかな。 人目を避けるため路地へ入った時、行く手を遮られた。 ﹁お嬢ちゃん、どこいくの?﹂ 現れたのはニヤニヤと卑下た笑みを浮かべた雰囲気からも柄の悪さ が分かる男だった。気付くと後ろにも二人、男がいた。振り向くと 長髪の男が私の胸の辺り見て口笛を吹いた。 ﹁なんだよ、上玉じゃんか。﹂ 面倒な奴らに絡まれてしまったな。 しかしここで彼らといざこざを起こすわけにはいかなかったので、 笑みを作った。 ﹁今は人を探しているんだ。悪いが後にしてくれないか。﹂ 私がにこやかに対応した事に顔を見合わせた男達だが、すぐにまた ニヤニヤと笑った。 ﹁そうか。なら俺達が手伝ってやるよ。なぁ!﹂ 声を掛けられた長髪達も口々に肯定の声を上げる。そして徐に近寄 って来て肩に手を回そうとする。 あーめんどくせぇ。よし、逃げよう。 ︻身体強化︼を使用して一気に駆け抜けようとした時、強化された 聴覚が聞き覚えのある声を捉えた。 肩に回ってきていた男の手を躱して一瞬で距離を取った。 ﹁なっ?!てめぇ!﹂ ﹁人探しの前に飯を食いに行こうか﹂ 色めき立つ男達の声と足音を背中に聞きながら、私は走り出した。 目的地は近い。 聞こえてくる声を辿り、着いたのは酒場だった。店から聞こえてく る喧騒の中に知っている声をいくつか聞き取ると、自然と笑みが出 てしまう。躊躇う事なく店に入った。 私が店に入ると、騒がしかった店内が徐々に静かになっていった。 皆の視線が私に集まっている。 114 そりゃそうか。酒場に場違いなドレスの女が急に来たら引くわな。 白けさせて悪かった、という意味を込めて笑顔を向けると、入口近 くにいた兄ちゃんが驚いたようで持っていた酒をブチまけていた。 なんか少しショックである。 店内を見渡すと奥に赤胴色の髪を見つけた。 がっしりとした背中をこちらに向けている。 私は逸る気持ちを抑えて彼に向かって歩き出した。 115 リキ1︵前書き︶ 本日は二話投稿しています。お気をつけ下さい。 二人の初遭遇をヒロイン︵おっさん︶視点でお送り致します。 116 リキ1 日が暮れ出し、だんだんと薄暗くなる裏路地に身を潜める様にリキ と二人立っていた。リキは目立つドレスを隠す為、白いローブを着 ている。このローブはアフィーリアの物で、奴とリキはほぼ同じ体 型だった。 ・・・まぁ、明らかに違う所があるが。 薄暗い路地でそのローブとリキの白い肌が浮き出るように見える。 髪の黒さがそれをまた際立たせている。 ﹁ふふ、どうした?おっさん。﹂ 見ていたのがバレてしまい、リキに小さく笑われた。黒い瞳が細め られ、艶やかな黒髪が揺れた。 蠱惑的、という言葉が脳裏を過ぎる。 ﹁・・・騙された﹂ 想像していたリキの姿とだいぶ違くて、勝手だがそう思った。 侯爵次男がいるという侯爵別邸の山の麓町・リンドに着いたはいい が、これからどうすればいいか決めかねていた。まさか正面から侯 爵邸へ行くわけにはいかない。︵俺は行こうとしたが、エヴァン達 に阻止された︶ とりあえず作戦会議!と半ば強引にアフィーリアが選んだ酒場に連 れ込まれた。 ﹁うわっ。すごいお姫様がいる!﹂ 店の入口の方を振り返っていたロードがそんな声を上げたのはそれ からしばらくしてからだった。俺もつられて振り向こうとしたが、 それよりも早く誰かが隣に立った為、その人物を見上げた。 117 目が合うとニッコリと微笑まれ、息を飲んだ。 この場には合っていない鮮やかな碧色のドレスを着た腰まである黒 髪に濡れた黒い瞳が珍しい少女だった。 黒髪に黒い目。 どこかで聞いたことがある気がする。俺が思い出すより少女の言葉 の方が先だった。 ﹁よぉ、おっさん。ただいま。﹂ ーーおっさん。 最近、俺の近くで俺の事をそう呼ぶのは一人しかいない。 ﹁・・・リ、・・・・・・﹂ 名前を呼ぼうとしたが、甲高い声に遮られた。 ﹁きゃー!リッちゃあん!無事だったんだぁ!!﹂ ﹁リキ良く帰ってきたな!﹂ アフィーリアとマリが勢い良くリキに抱きついた。 ﹁リキちゃん?!リキちゃんなの?!!なに、すご!お姫様だった の?!!﹂ ﹁リキさん?!えっ本当ですか?大丈夫でしたか!﹂ ロードとエヴァンが次々にリキに話しかける。出遅れてしまった。 ﹁おう!皆、ただいま。無事戻ったよ。﹂ アフィーリアとマリに揉みくちゃにされながら、軽い調子でリキが 言った。 ﹁どうやってここが分かったんですか?﹂ どさくさに紛れてリキに抱きつこうとするロードを押さえつけなが らエヴァンが聞く。 ﹁リ・・・﹂ ﹁おい!女!てめぇ逃げてんじゃねぇよ!﹂ どこにいたのか、どうやってここまで来たのか、本当に無事なのか、 リキへの質問が多くあって名を呼ぼうとした時、若い男達が割り込 んできた。一気に頭に血が上った。 118 どいつもこいつも!俺がリキと話せねぇじゃねぇか! 男達の前に立ち塞がり、怒気を込めて睨みつける。男達はたじろい だようだった。 ﹁おっさん・・・﹂ リキの呟く声が聞こえ、ドキッとする。そうだ、俺の顔はなぜか女 子供を怯えさせるのだった。 ・・・リキを怖がらせてしまった。 恐る恐るリキの方に視線をやると、リキは目を見開き、ポカンと口 を開けていた。 ﹁おっさん、アンタ、案外デカいんだな﹂ ﹁あぁ?﹂ 間の抜けたリキの言葉に、思わず変な声が出たが、そう言われて改 めてリキの姿を見た。 俺より頭一つ分も小さい。大体アフィーリアと同じ背丈だろう。こ ちらを見上げる瞳は同じ黒色の睫毛に縁取られていた。肌はエルフ のような白さではなく、リキが言っていたように少し黄色がかって いる。 そして大きく開いたドレスの胸元には柔らかそうな丸みで作られた 谷間がっていや待て、見るな。マリほどではないが充分な質量って 何を考えてる、俺!左胸に小さなホクロが見えていてそれが欲情を 煽るとか考えるな! 思考を切り替えるべく乱入してきた男達へ視線を戻す。が、奴らは なぜか青ざめた顔でリキを見ていた。 いや違った。視線を追うとアフィーリアが満面の笑みで小さく手を 振っていた。 ・・・・・・またコイツか。 ﹁久しぶりぃ∼♡﹂ ﹁﹁﹁ひぃっ!﹂﹂﹂ それだけで男達は悲鳴を上げて我先にと逃げ出して行った。先程ま での怒りを忘れ同情の気持ちでいっぱいになる。 119 ﹁彼らのお陰で皆を見つける事が出来たから、お礼を言いたかった のにな。﹂ リキが残念そうに言うのをアフィーリアが聞きつけ、やたら爽やか な笑顔を見せた。 ﹁あらぁ、そうなのぉ?アフィが知り合いだからお礼言っとくよぉ !﹂ ﹁さすがアフィ。とまぁ、冗談はここまでにしてちょっと場所を変 えないか?これでは目立ち過ぎるようだ。﹂ これ、とリキはドレスの裾を揺らしてみせた。 ﹁なんだってそんな格好なんだよ。﹂ 目立つに決まってんだろと責めるように言うとリキは眉尻を下げ、 苦笑した。 ﹁手に入れられる衣類の中ではこれが一番地味だったんだよ。他は もっと凄かったんだ。﹂ その言葉で思い出した。リキは侯爵次男に収集物扱いされていたん だった。会ったことのない野郎への憎悪感で拳に力が入る。 ﹁・・・そうですね。ここでは人目を集めてしまっています。場所 を変えましょう。﹂ 気を利かせたエヴァンの号令でその場を後にする事になった。 120 リキ2︵前書き︶ 本日は二話投稿しています。お気をつけ下さい。 攻められるヒロイン︵おっさん︶視点です。 121 リキ2 アフィーリアとマリはリキの替えの衣類を、エヴァンは身を隠す宿 の調達、ロードは情報収集といった具合にそれぞれ担当に分かれ、 町中へ散った。 俺は万が一追っ手が来た時の為に護衛としてリキに付いた。アフィ ーリアとマリがなぜかニヤニヤと笑っていたのは気に入らないが、 リキも俺がいいと言ったからやましい所は一つもない。 人目を避けるため裏路地の暗がりに潜む。驚く事にリキは気配を消 すのが上手く、聞くとやったら出来たなどと言っていて呆れた。 リキがふぁと欠伸を一つして、頭を軽く振っていた。疲れているの かもしれない。少し迷ったが、リキの腰を抱き寄せた。 ﹁・・・疲れてんだろ。寄りかかってろよ。﹂ 腕を回した腰の細さに顔が熱くなるが今更突き放す事は出来ない。 いや違う。ただ単に動けなくなっている。これはヤバイ。 艶やかなリキの黒髪が腕を撫でる様に流れ、背筋にゾクゾクとした モノが走った。思わずギュッとリキを抱く腕に力が入ると、さらに リキの身体が俺に密着して、ローブ越しでも胸の部分が柔らかいの が分かる。とてつもなく良い匂いがふわりと香ってーーー これはかなりヤバイ! ﹁なに恐い顔してんだよ。﹂ クスクスとリキの笑い声が耳をくすぐる。見下ろすと黒い瞳が細め られ、ニヤッとからかうような笑みと目が合った。 こういう顔を見るとやっぱりコイツはリキなんだと思う。 口調とさっぱりとした性格がマリと似ているので勝手な想像でリキ は大柄な筋骨隆々、戦士タイプの女だと思っていた。しかし目の前 に現れた本当のリキは、華奢で可憐でそれこそまるで姫のようだと 122 思った。想像との余りの違いに全くの別人な気がして落ち着かなか った。 しかし魂だけの時と口調は変わらず、いつも余裕で冷静で、たまに 人をからかって笑う、そんなところは一緒でやっぱりコイツがリキ だと理解した。 ﹁せっかく二人きりなんだ。そんな顔すんなよ。﹂ ぐい、とリキの右腕が俺の首に絡んで引き寄せられた。リキと鼻先 同士が触れるくらいの近さになり、不自然なくらい目が泳いでしま う。 ﹁わわわ悪かったなっ。う生まれつきこんな顔だ!﹂ 咄嗟に出てしまった悪態にもリキは楽しそうな笑みを浮かべていて、 ﹁そうなのか。じゃあ、﹂ ﹁その顔、良く、見せてよ﹂ リキの囁きが吐息と共に唇にかかり、一気に耳まで燃えるように熱 くなる。 ﹁・・・なぁ、ガーウェン・・・﹂ 自分の名がこんなにも甘さを含んで囁かれた事などない。ゾクゾク と熱が下半身に溜まる。待てここは町中だ。 クソ!こんな小娘ごときに翻弄されるのは腹が立つ! と熱を苛立ちに変換して誤魔化そうとする。しかし今、口を動かし たらリキの唇と触れてしまいそうだから唸ることしか出来ない。 なにが楽しいのかリキが笑った。 その甘い息と一緒に柔らかな感触が口を掠めていく。触れるか触れ ないか絶妙な距離なのに甘さと熱ばかり感じる。 いっそ余裕めいた笑みをつくるその口に噛み付いて甘さと熱を堪能 したい気持ちになる。 123 ﹁ごほんっ。﹂ わざとらしい下手くそな咳払いが背後から聞こえた瞬間、リキから 離れ距離を取った。その速さは俺史上最速だったと思う。 ちらりと背後を見ればエヴァンがひどく冷めた目でこちらを見てい た。 ﹁町中でイチャつかないで下さい。﹂ ﹁い、イチャついてねーよ!﹂ ﹁宿を取ってきたのでイチャつくならそこでして下さいむしろ爆発 しろ。﹂ ﹁だから!イチャついてな、っておいリキ笑ってんじゃねー!﹂ なぜか殺気が漂うエヴァンに冷や汗がでるが、同じ当事者のはずの リキが肩を震わせて笑っている様子に人目を避けている事も忘れ、 怒鳴った。 ****** シャワーの音が微かに聞こえる部屋の中を訳もなくウロウロしてし まう。 宿の部屋に入って早々、リキがシャワーを浴びにいってしまったの だ。そういう意味ではないと分かってはいても、女がシャワーを浴 びるのを待つというのは、どうも落ち着かない。それに先程の甘い 感覚が後を引いているのか何というか、少し期待している所もある。 ﹃やっほぉー!アフィだよぉ﹄ という声とノックは同時だった。ノックの意味ねぇだろと思うが、 あの頭ん中花畑のエルフには何を言ってもそれこそ意味がないのだ った。 124 ドアを開けると袋を渡された。 ﹁リッちゃんの着替えだよぉ!コッチは明日の分でぇ。コレの使い 方は分かるでしょ?﹂ コレ、と腕輪を渡される。 ﹁これ・・・いいのか?﹂ この腕輪は認識阻害の術がかけられているアフィの秘蔵品のはずだ。 腕輪にマナを通すと装備者の姿を誤認させることの出来る珍しい術 式が組み込まれたかなり高価な一品だ。 ﹁うん。リッちゃんはいい子だから。﹂ アフィーリアは身内贔屓であり、リキはかなり気に入られているの だろう。 ﹁・・・助かる﹂ ﹁うん!それとリッちゃん、結構な大立ち回りしたみたいだから無 理させないんだよ?﹂ それだけ言うとアフィーリアは去って行った。こうしていればマシ な奴なんだが。 渡された着替えを見る。 ・・・・・・ちょっと待て。これどうやって渡せばいいんだ? 125 柄にもなく︵前書き︶ リキ視点に戻ります。 126 柄にもなく エヴァンが用意してくれた宿にローブのフードで顔を隠しながら辿 り着き、追っ手の気配が無いことを確認して部屋の扉を閉めるとや っと一息つけた。 早速、ローブを脱ぎ、ドレスにも手をかけるとガーウェンが酷く慌 てた。 ﹁山を駆け下りてきたから結構、汚れててな。シャワーを浴びさせ てくれ。﹂ 汗はドレスを着替える時に一応拭ったのだが、十分でないのは当た り前なので、早く汗を流したいのだ。 ガーウェンはそんなとこで脱ぐなとか着替えがないとか言っていた が、そんなことよりもこの気持ち悪さを解消させたいので、仕方な い、妥協することにした。 ﹁わかったよ。風呂場で脱ぐよ。別にいいだろーに、減るもんじゃ ねぇんだし。﹂ ﹁お前が言う言葉じゃねぇだろ、それ!﹂ ガーウェンの良いツッコミを背中で聞きながらシャワー室へ向かっ た。 この世界にも入浴の習慣はあるらしいのだが、個人の家に浴槽を持 てるのはかなりのお金持ちであり、一般庶民は銭湯のような大衆浴 場に行く。だが一年通して湿度の低い気候らしく日常的にはだいた いシャワーで事足りるとのことで、この宿も例にもれず、シャワー のみである。 ﹁湯船に浸かりたかったなぁ。﹂ 疲れを取るには湯船に浸かるという日本人的思考でシャワーだけで は何となく疲れが取れない気がするが、さっぱりすると身が軽くな 127 った気になるのもまた事実だった。 すると遠慮がちに浴室の扉が薄く開いた。 ﹁・・・着替え、ここに置いとく。アフィーリアが選んだから安心 しろ﹂ 不機嫌そうなガーウェンの声が聞こえて、吹き出しそうになった。 彼はあれで怒っているのではなく酷く照れているのだ。 ﹁ありがとう﹂ と声をかけると小さく﹁・・・おう﹂と返事がくる。ぶっきらぼう の割に律儀な奴だ。 自分の身体でガーウェンに会うと、その身体の大きさに驚いた。頭 一つ分、多分2m近いのではないか。というかこの世界の人達の平 均身長が高いのだろう。小さいと感じていたアフィがまさか私と同 じくらいの背丈とは。 ガーウェンの場合は身長はもちろんだが、全身に付いた筋肉の厚み でさらに大きく感じられる。それに加えて目つきの鋭さ。全身から でる威圧感が半端なかった。 思い出すと笑ってしまう。恐さは全くなかった。ただただ可愛いと 思ったのだった。 まぁ、これは惚れた弱みってやつかもしれない。 タオルで髪と身体の水滴を拭う。 先程置かれた着替えを手に取ると、意外とさらりとした手触りのシ ンプルなデザインのネグリジェだった。胸元は開いているが、スカ ート部は膝下までの長さでふんわりとした袖も付いている。 ﹁んー?これは?﹂ 着替えと一緒に瓶があった。片手に乗るほどの大きさで、振るとタ プタプと液体が揺れる音がする。 蓋を開け、匂いを嗅ぐとオリーブオイルに似ているような匂いがし た。なんだこれ。 128 ﹁あ。ああ、なるほど・・・﹂ さっきガーウェンが﹁アフィが選んだ﹂と言っていたのを思い出し、 この液体の用途に予想がついた。 ありがたいようなそうじゃないような微妙な気分になりながら、ネ グリジェを着てタオルを片手に浴室を出た。 ﹁ちゃんと服着てるだろうな。﹂ ベッドに腰掛けているガーウェンが顔を向こうへ背け、怒っている ような調子でそんなことを聞いてくる。 ﹁着てるよ。見られてもいいんだけどな、私は。﹂ ﹁ばかか。慎みを持てよ。﹂ 人にばかと言うおっさんに慎みを説かれるとは思わなんだ。 ﹁慎みか。ガーウェン以外には見せる気はないからその辺は慎んで るだろ。﹂ ガーウェンがその言葉の意味に辿り着く前に、彼に近付き、膝の上 に乗り上げるように抱きついた。 ﹁なっ!お、おいっ!!﹂ 私の行動に驚き、声を荒げるものの拒絶の意思は感じられない。そ れどころか私の身体を支えようと手が身体に添えられ、膝の上で落 ち着く頃には遠慮がちに腕が背へ回されたのだった。 ﹁あー今日は疲れたなあ﹂ ガーウェンの肩に頭を凭れさせ、私は特に何もやってないので疲れ てはいなかったが、わざとらしくそんな事を言えば、労うように背 中をぽんぽん、と軽く叩かれた。 息を深く吸うとガーウェンの匂いがする。 ガーウェンの身体の中に居た時は意識しなかった彼の体臭や体温、 鼓動を感じ、柄にもなく泣きそうになった。 129 好きだよ ﹁・・・悪かった。﹂ そう呟いたガーウェンの声は落ち込んだ空気を含んでいた。しかし その謝罪が何に対するものなのか分からず、肩に預けていた頭を持 ち上げ、ガーウェンを見た。 その真剣な眼差しに首を傾げる。そんな真摯に謝罪される事があっ たか? 私の疑問を感じたのだろうガーウェンが言葉を足した。 ﹁直ぐに助けに行けなくて悪かった。﹂ ﹁気にするな。あんな馬鹿坊ちゃんでも貴族だからな、容易く出来 なかったのは当たり前だ。﹂ 助けに行く と 責められるのは覚悟していると真摯に見つめてくるが、それは責め る様な事ではないはずだ。むしろ貴族が相手でも 考えてくれた事が嬉しい。 ﹁・・・お前は派手にやったらしいじゃねぇか。﹂ ﹁派手?あー、あれは私じゃないよ。知り合った人が協力してくれ て、その人がやったんだ。私は特に何もしてない。﹂ ﹁知り合った人って・・・。大丈夫なのかよ。信用出来んのか、そ いつ。﹂ ﹁大丈夫だろ。話した限りだが、教養があって思慮深い人だったし。 話も面白くて、あんな時じゃなかったら、もっと話したかったよ。﹂ 鉄格子の向こうにいた老人を思い出す。短い時間ながら彼からは神 殿やこの世界の宗教について話を聞いた。牢にいるのに茶まで用意 し出した時はこの老人の豪胆さに呆れたものだ。その時のふてぶて しい老人の笑顔を思い出して笑いが込み上げてきた。 ﹁・・・・・・﹂ ふと見るとガーウェンは眉を眉間に寄せ、口をへの字にしていた。 130 濃い赤茶色の瞳は私を鋭く睨むように細められている。 今は見たまま通り、不機嫌なのだろう。 ﹁どうした?恐い顔して﹂ ﹁・・・・・・別に﹂ チッと舌打ちをして横を向いてしまった。よく分からないが機嫌を 損ねてしまったらしい。 どうしたら機嫌が直るか考えてみたが全く分からなかったので、何 となくガーウェンの首に腕を回して身体を寄せてみた。 みるみるガーウェンの首から顔、耳と順に赤くなっていくのを至近 距離で見てしまった。 ああ、可愛いな。 そういえばガーウェンのこのツンとし雰囲気は実家に居た猫に似て いる。 新入りの猫を可愛がると離れてはいるが私から見える位置に寝そべ り、﹁別に気にしてませんから﹂と言う様にツンと明後日の方向を 向いている。撫でてやると私には目もくれないが尻尾はゆっくりパ タンと振られ、その内気持ち良さに負けて﹁もっと撫でて∼﹂と強 請ってくるのだった。 その猫も赤毛だったことを思い出し、私の中ではガーウェンは強面 の猫のイメージになることとなった。 ガーウェンの背後へ回した手で赤毛を梳くように撫でる。硬くてゴ ワゴワしているが、触り心地は悪くはない。ガーウェンが﹁ぐぅぅ﹂ と唸り出した。それも猫のようで笑ってしまう。 横を向いているのでガーウェンの左耳が見えている。その耳をなぞ る様に触れると、鋭さはそのままだが存分に照れを含んだ瞳で私を 見た。 ﹁だ、だ、だから、つつ慎みを・・・・・・﹂ ﹁好きだよ。﹂ 説得力のない震えた彼の言葉を遮り、私の中で一番大きな気持ちを 131 言った。 言われた言葉の意味が変わらないといったようにポカンと口を開け たガーウェンに静かに言葉を付け足していく。 ﹁ガーウェンが好きだよ。﹂ ﹁会いたかった。早く会いたかった。﹂ ﹁ガーウェンが待っていてくれるかもしれないと思ったから私は冷 静でいられた。﹂ ﹁ありがとう。﹂ ﹁・・・・・・本当に会いたかった。﹂ ﹁・・・・・・ずっとこうして触れたかったよ。﹂ ガーウェンの額にキスを落とす。チュッと軽やかな音が部屋に響い た。 背に回された腕に力がこもった気がした。 ﹁・・・・・・お、﹂ と聞こえたきり、ガーウェンは口の中でもごもご言葉を噛み、結局、 何を言いたかったのか分からなかった。 しかし相変わらず私を見ている鋭い瞳の奥にチリチリと欲情の炎が 灯り始めているのを感じ取り、 ﹁好きだよ、ガーウェン。﹂ 再び愛を告げると共にガーウェンの唇へとキスをするのだった。 132 夜を迎えて*︵前書き︶ チュッチュッしてます。 133 夜を迎えて* ガーウェンの顔中にキスを降らせ、その合間に私と彼の事を話す。 自分達の事、いままでの事、これからの事。 ガーウェンはキスのくすぐったさやリップ音に慣れていないようで 時折、身をよじっていたが、もう既にお馴染みになった怒った様な 照れ顔のまま私からのキスを受け入れていた。 まぁ、今は受け入れてくれているという事実だけで良しとしよう。 ﹁お前、二十三歳だったのかよ!?ロードと同い年じゃねぇか・・・ !﹂ ﹁そういうおっさんも三十四歳だったとは。案外、おっさんじゃな かったんだな。﹂ ﹁おっさんって言うな。十代かと思ってたぜ。外見の成長が遅い種 族なのか?﹂ ﹁別に遅くはないよ。顔が薄くて童顔だからそう見えるだけだ。﹂ ﹁・・・確かに成長が遅いってわけじゃねぇよな。﹂ チラッと私の胸元へ視線が向けられる。 そういやガーウェンはおっぱい教信者だったな。 ﹁触ってもいいぞ?﹂ ﹁ば、ばかか!触るかっ!﹂ ﹁ふーん?﹂ からかうと途端に吠えられてしまった。唸り声をあげる口の側にキ スをする。そのまま唇で頬をなぞる様に移動し、赤くなっているガ ーウェンの耳に辿り着く。 耳朶を甘噛みしながら、耳に吹き込むように囁いた。 ﹁・・・私は触って欲しいよ、ガーウェンに。﹂ ﹁ぐぅっ!﹂ 134 ガーウェンは耳が弱い。耳を食んだり、耳元で囁くと、ぐぅとかう ぐぐとかいう謎の鳴き声をあげた。音にも敏感なようでわざと音を 立てて耳を舐めると甘い吐息をもらすほどだった。 ﹁ふっ、ん﹂ ガーウェンの耳の中をクチュクチュと音を立てながら舌で犯す。背 中に回っているガーウェンの腕に力が入り、腹が密着するほど抱き 寄せらせた。私の尻の下ではガーウェンの下部がズボンを押し上げ、 昂ぶっているのを感じる。 ﹁・・・好きだよ・・・﹂ 首から肩へ続く、盛り上がった筋肉に舌を這わせた。 ﹁ま、まままま待てっ!﹂ ﹁・・・あぁ?﹂ 今まで行為を受け入れていたガーウェンが突然、私の両肩を掴み、 距離を取るように引き離した。 ﹁やめろっ!あ、じゃなくて、その、今は風呂入ってねぇから汚ね ぇし、いや違う、そうじゃなくてその、なんだ、だから・・・﹂ 言葉を探すガーウェンの慌てぶりにゆっくりでいいからと頷いて見 せると、一度視線を下に向け、深く息を付いてから真っ直ぐに私を 見た。 ﹁お前は今日、やっと帰ってこれたんだろ。結構な無茶したんじゃ ねぇのか?さっきも辛そうだったろ。疲れてるはずなんだよ。疲れ を感じてねぇっていうならそれは身体が興奮し過ぎてマヒしてる状 態だ。休まないとすぐぶっ壊れる。﹂ そして今度は力強く抱き寄せられる。 ﹁・・・それに、お前が今までクソ貴族にどんな扱いを受けてたか・ ・・言いたくねぇだろうけどよ、俺は・・・﹂ 語尾は小さくて、聞き取り辛かったが理解できた。 私の身体の事を気遣ってくれてるのだろう。そういや忘れていたが、 数時間前に侯爵邸を脱出して来たばかりだった。ガーウェンが私の 135 身体と心の疲労を心配するのも当たり前かもしれない。 思えばこの異世界に来てからガーウェンには迷惑をかけ通しだ。こ こで我を通してまたガーウェンに迷惑をかけるのは本意ではない。 ﹁・・・それもそうだな。まぁ、おっさんの気遣いに免じて今日は 勘弁してやるよ。﹂ と冗談めかして言うとやっとガーウェンから力が抜け、私を離した。 二人で顔を見合わせてどちらともなく笑い出した。 ﹁んで、これどうすんの?﹂ これ、とガーウェンの下部に視線を送る。未だに昂っているのは分 かっている。 ﹁・・・見んなよ。あー、ちょっと便所にーーーー﹂ ﹁よし!手伝ってやるよ。﹂ ﹁・・・・・・・・・は?﹂ ガーウェンの間抜けな顔に楽しくなり、私はニッコリと笑った。私 はまだ遊び足りない、もといガーウェンに触れ足りない。 ﹁それを落ち着かせるのを手伝ってやるって言ってんの。私も手伝 えばさらに迅速な処理が可能ですよ、お兄さん。﹂ ﹁手伝うって、お前、さっき、勘弁してやるって!﹂ 私の無理ある論法にガーウェンが反論するが、 ﹁私は手伝うだけだって。セックスはしないし、ガーウェンだって する気はないんだろ?﹂ と問えば﹁する気が無い訳じゃねぇんだけど、今はその﹂とボソボ ソ言っていたので、ダメ押しに、 ﹁それにガーウェンと離れたくないんだよ。﹂ と耳元で囁き、耳朶を噛めばガーウェンは結局、了承してしまうの だった。 136 ****** ﹁ん、ふっ・・・は・・・﹂ 深いキスにガーウェンと私の吐息が混ざった。どちらのものか分か らない唾液がガーウェンの顎を伝っている。 ガーウェンのモノをズボンの上から揉む様に触りながら執拗に口の 中を犯した。 ガーウェンは深いキスに敏感だった。 舌を吸い上げ、唾液を啜り、生々しい水音が響くそのたびにズボン を押し上げているガーウェンの下部が跳ねる。その反応が可愛くて 上顎を舐め上げ、歯をなぞった。 途端にガーウェンから鼻に抜けるような声が上がった。 ﹁んっ!ぁ・・・﹂ 深くなる私からのキスに応えるガーウェンのぎこちなさにもしかし てキスはイヤかと聞いたら、 ﹁こんなエロいキ・・・スはしねぇんだよ、普通・・・﹂ と目元を赤く染めながら返された。 おっさんがそんな顔しても可愛いくねぇよと言いたいところだった が、残念ながらむちゃくちゃ可愛いかった。その顔だけで背筋に快 感が走り、加虐心が湧き上がるほどの可愛さだった。 めちゃくちゃに壊したい気持ちとめちゃくちゃに甘やかしたい気持 ちが心の中に吹き荒れる。 その嵐に押される様に私はガーウェンのズボンのベルトに手をかけ た。 ﹁まままま待て!!﹂ ﹁またそれかよ。つかズボンの中グチャグチャじゃねぇか。もう脱 いだ方がいいんじゃねぇの?﹂ ﹁うるせー言うな!お前がいちいちエロいから悪りぃんだよ!﹂ 137 私の手を捕まえながらガーウェンが吠える。 そんなエロいか?前戯じゃないか。 ﹁だいたいなんでキスだけでこんな気持ちいいんだよ・・・﹂ ブツブツと呟いたガーウェンの言葉にゾクゾクくる。そんなこと言 われたらもっと気持ち良くしてあげたくなってしまうではないか。 そうだ。アフィから貰ったあの小瓶を使ってみよう。それでガーウ ェンをグチャグチャにしよう! 我ながら名案が浮かび、鼻歌でも歌い出したい気分でガーウェンの 膝の上から下りる。 ﹁リ、リキ・・・?﹂ ガーウェンが不安気な声で私を呼んだ。見ると私を伺う様な目をし ていて、私の機嫌が悪くなったのではと不安になっているのだと分 かった。 その視線にニッコリと笑って、それから躊躇い無く一息でネグリジ ェを脱いだ。 ﹁リ・・・!!﹂ 声が途中で途切れる。しかしガーウェンは私から目を逸らすことは しなかった。 乱れた髪を手櫛で直しながら、ガーウェンへ寄る。ガーウェンの喉 が上下するのが見えて、私の身体は彼を興奮させることが出来たの だと嬉しく思う。 ﹁脱ぐだろ?﹂ お前も。 もちろん有無は言わせない。 ﹁お前・・・なんでパ・・・ンツ履いてねぇんだよ・・・!﹂ ガーウェンが手で顔を隠しながら言った。若干、呆れた雰囲気も感 じられる。 ﹁え?着替えにはパンツなんてなかったぞ。というか馬鹿坊ちゃん の所でもパンツはなかったから、この世界ではパンツは履かない文 138 化なのかと思ってたんだが。﹂ ﹁んなわけあるか!クソッ、なんでどいつもこいつも変態なんだよ !﹂ ガーウェンが頭を抱えるが、どいつもこいつもってそれ私も含まれ てるか? 139 女子とおっさん*︵前書き︶ エッチな表現があります。 というかイチャイチャ、グチャグチャしてます。 140 女子とおっさん* 背後から衣擦れの音が聞こえている。 私は今、ベッドの上で壁に向かい体育座りをしている。もちろん全 裸である。 ネグリジェを脱ぎ捨て、私も脱いだのだからお前も脱ぐよな?とガ ーウェンに迫ったところ、思ったよりもすぐ了承されたのだが、そ の直後、 ﹁・・・お前が見てたら脱げねぇよ。頼むから後ろ向いてろ。﹂ と言い出し、現在の状態である。 服を脱いでいる所を見られるの恥ずかしいとかてめぇ女子か。思春 期の女子か。 全力でツッコミましたとも。 ﹁なぁ、まだ?服脱ぐのにいつまでかかってんだよ。﹂ ﹁う、うるせー。もう終わる。﹂ バサリと服が床に落ちた音と共にベッドが軋み、後ろからガーウェ ンが近づく音がした。 振り向くとガーウェンに抱きすくめられた。顔がガーウェンの鍛え られた厚い胸板に押し付けられ、ガーウェンの体温の高さと鼓動の 早さを感じる。 だがしかしそういうのいいから。いいから身体を見せろよ。 ﹁ガーウェン﹂ 私が動かないように抱きしめる彼の名を呼ぶと渋々といった様に私 を太い腕の中から解放した。 おお、すげぇ。 ガーウェンの身体を正面から見て惚れ惚れとする。 大きく迫り出した胸筋と割れた腹筋。戦う為に鍛えられた筋肉が全 141 身についている。 ﹁・・・そんなじっくり見んなよ。﹂ 弱々しい声にガーウェンの顔を見上げれば、真っ赤な顔で私を見て いた。視線がチラチラと上下しているので、胸でも見ているのだろ う。 ﹁おっさんも人のこと言えねぇだろ。まぁ、いいけど。さぁ、どう ぞ、横になれ。﹂ ガーウェンの肩を押してベッドに横になる様に促すと、若干の躊躇 いはあるものの従ってくれた。お互い全裸になったから羞恥心が薄 れたのかもしれない。 ﹁あ、そうそう。これなんだが・・・﹂ 謎の小瓶をガーウェンの前でタプタプと振って鳴らすと彼はまたわ たわたと慌て出した。 ﹁お前っ!なんで、そんなもん!﹂ ﹁着替えと一緒に入っていたんだよ。これはローションでいいんだ よな?﹂ ﹁あの万年発情女っ!余計な物は入れやがって!!﹂ 確かに、パンツは渡さずローションを差し入れるとか彼女の意図が 分かり易過ぎて私でも苦笑してしまう。彼女の思惑に乗るのは何と なく良い気はしないが、手回しが良い事に今回は感謝しよう。 ﹁まぁまぁ。ーーじゃあ、ガーウェン。気持ち良くしてやるから。﹂ アフィへの文句を吠えているガーウェンに四つん這いで寄りながら、 ニヤリと笑ってみせた。 横たわるガーウェンの太もも、付け根の辺りに座ると、ちょうど私 の腹の前でガーウェンの陰茎が立ち上がる位置となる。 その立ち上がったモノにアフィの差し入れローションをたっぷりと 垂らすと、ビクリとガーウェンの身体が揺れた。 ﹁ふふっ、冷たかったか?﹂ 142 不安と期待に濡れているように見えるガーウェンの瞳に笑いかけな がら、彼の昂ったモノを擦り上げた。 ﹁うぁっ!﹂ まずは手で包み込みながら竿の部分を根元からカリ首まで素早く何 度もスライドさせる。 グチュグチュと水音が大きく響いた。 ﹁う、あっ!・・・はぁっ!﹂ それから亀頭を優しく撫で回して、出っ張っている部分をなぞる。 ﹁ぐ、ぁっ!﹂ 快感に顔を歪ませ、呻き声とも喘ぎ声ともつかない声を上げるガー ウェンを見下ろし、私は感嘆のため息を付いた。 可愛い、可愛い。すげぇ可愛い。 無精髭で筋肉バキバキのおっさんに相応しくない言葉だが、私のガ ーウェンへ感じる感情を言葉にしたらこうなってしまう。 舌舐めずりをして、ガーウェンを攻め立てる。いっそう卑猥な水音 が部屋に響いた。 ガーウェンの身体に力が入り、腹筋が浮き出る。いつの間にか私の 太ももをガーウェンの大きな手が掴んでいて少し痛い。 ﹁ぐっ!﹂ ガーウェンが眉を寄せて、呻き声を上げる。 もうイきそうなのか?それはまだダメだよ。 ガーウェンを扱く手を止めると、荒く息を付く彼に鋭く睨まれた。 イきてぇ、って顔してる。 その顔に笑顔を向けながら、太ももを掴むガーウェンの手を取り、 私の胸へ導いた。大きな手が私の胸を掴むと同時に、ガーウェンは 腹筋だけで起き上がり、谷間に顔をうずめた。はぁはぁと呼吸が荒 い。 両手で胸を持ち上げるように揉みながら、左胸にあるホクロに何度 となくキスをしてくる。 ﹁ん・・・﹂ 143 気持ち良さに息を吐くと、ガーウェンの動きが止まった。そして私 を上目遣いでじいっと睨んできた。 挿れてぇ、って顔してる。 私も挿れてぇよ。だけどガーウェンが言い出した事だ。挿れてぇな らガーウェンからちゃんと言え。それに、 ﹁その顔そそるなぁ。可愛い。﹂ 挿れたい欲望と私を気遣う理性とこの状況への恥ずかしさがせめぎ 合って辛そうな顔。 そんな顔をされるともっと虐めたくなるって分かってねぇだろ、お っさん。 私とガーウェンの腹に挟まれている彼の陰部に手を伸ばし、亀頭を グリグリと強めに揉む。 ﹁ぐぁ!あ!あぁ!﹂ 突然の過ぎる快感にガーウェンは頭を仰け反らせながら抑えきれな かった喘ぎ声をあげた。 ﹁ふふふ、可愛い。ガーウェン可愛い。﹂ ﹁・・・・・・リキてめぇ、覚えてろよ・・・﹂ 晒されたガーウェンの首筋にキスを落とすと、恨み言を呟かれてし まった。弱々しくて全く威力がなかったが。 それ以上何か言う前にガーウェンの口を荒々しく塞いだ。舌を絡め 取り、吸い上げながらガーウェンの陰茎を擦り上げる。 ﹁んっ!んんっ!﹂ ﹁・・・ん、好きだよ。・・・可愛い。﹂ キスの合間に愛の告白を口内に吹き込むように告げる。 ﹁あ、ま、待て!﹂ ﹁待たない。﹂ ﹁いっ・・・!﹂ 羞恥から背けようとする顔を後ろ髪を掴み、やや乱暴に私の方へ向 けさせた。 ﹁・・・ちゃんとイき顔見せてよ。﹂ 144 いっそう硬さを増した陰茎をグチャグチャと音を立てながら扱いた。 ガーウェンの眉が切な気に寄り、細められた瞳は潤む。額に浮き出 た汗が顎を伝い、落ちる。ガーウェンの身体に力が入り、 ﹁ぐっ・・・!・・・あ、うぁ・・・!﹂ 抑えた喘ぎ声と私の手の中に吐精した。 145 優しさついでに 部屋は灯りを落としていたが、ベッド近くにある窓から入る碧色の 月明かりだけで十分な明るさだった。板戸を両開きにして窓を開け 放しているから時折、山からの涼しい風が通り心地が良い。 しかし先程までの行為の残り香も薄れてしまうのはなんだか惜しい。 窓の外へ目を向けると町の外れに小さな山があるのが見えた。その 小山の頂上に幾つか灯りが灯っており、そこが侯爵別邸なのだと分 かった。 窓縁へ寄りかかり、サイドテーブルに置いてあった酒を飲み干した。 ﹁・・・・・・ぬるい、甘い﹂ 思わず不満が口から出る。私自身、順応性の高い性質だと感じてい 生温い甘い酒 というのには絶対に慣れそうにない。不愉快 るし、元の世界との文化の違いなど殆ど許容出来ると思っていたが、 この さに顔を顰めていると、浴室のドアがカチャッと音を立てた。 その時、風が部屋に吹き込み、髪を大きくなびかせた。髪を右手で 押さえながら、髪を切ろうかと考える。シャンプーなどありもしな いこの世界で今のように腰辺りまでの長さだと今後ケアで苦労しそ うだ。アフィとか良いケア用品知らないかな。 ﹁・・・何してんだ、おっさん?突っ立ったままでいないでこっち に来なよ。﹂ そんな事を考えている間も私を見てドアの前からピクリとも動かな いガーウェンを見る。口が半開きでなぜだか惚けたような顔をして いた。心なしか月明かりの下でも顔が真っ赤になっている気がする。 先程、虐めすぎたから気まずく思っているのかもしれない。懐いた と思っていた猫に警戒されている様な寂しさを感じながら、もう一 度ガーウェンを呼んだ。 ﹁こっちにおいで、ガーウェン。﹂ 146 名前を呼ぶと一瞬視線を彷徨わせたが、ガーウェンはこちらにやっ て来て、ベッドの中ほど辺りに腰を下ろした。その微妙な距離に苦 笑してしまう。 ﹁そんなに離れるほど嫌だったのか?・・・悪かった。もう二度と しないよ。﹂ ﹁あっ、いや、そういう訳じゃ・・・その・・・・・・あぁクソッ !ど、どんな顔したらいいか分かんねぇんだよ!﹂ ガーウェンは私の落ち込んだ声に慌て、それからヤケクソ気味に心 情を吐露した。顔は私とは反対方向へ向いているが、首から耳まで 赤くなっているのが見えた。 ﹁なんでお前は余裕なんだよ・・・。俺ばっか緊張してんじゃねぇ か。なんだよ・・・﹂ ブツブツと文句を呟く声がする。その可愛らしい内容に笑ってしま う。 ﹁ははは、失礼だな。こう見えて案外、余裕じゃないんだよ。﹂ ガーウェンの隣へ座ると、すぐさま疑わし気な視線と言葉を掛けら れる。 ﹁嘘つけ。つかお前はいつも余裕綽々って顔してるだろ。神官みた いな薄ら笑いで。ほら、今みたいな顔だよ。﹂ ﹁んー?今、私どんな顔してるんだ?おっさんにあんまり良い印象 与えてないんだな、この顔は。﹂ 薄ら笑い をしている訳ではないのでどんな顔か想像が 右手で自分の頬をムニムニとつねってみる。 意識して つかないが、ガーウェンが嫌だと言うなら改善したい。 ﹁おっさんって言うな。・・・ぶっ!ははは!その顔の方が親しみ 易くて良いんじゃねぇか?﹂ 反対側の頬も吹き出しているガーウェンによってムニムニつねられ、 顔面が変形する。 しばらく私の顔の変形を楽しんだあと、ガーウェンは私の頬を両手 で挟むようにして言った。 147 ﹁・・・・・・あー赤くなってんな。悪い、面白くて調子に乗った。 ﹂ ﹁いや。楽しんでもらえて何よりです。﹂ ﹁拗ねんなよ。悪かったって﹂ 謝っているくせにガーウェンはニヤニヤとからかう瞳で私の顔を覗 き込んでいた。その勝ち誇った様な笑顔につられて笑うと、頬を挟 まれたまま上を向くように引かれた。 そして視界に影が落ちた瞬間、唇に柔らかいものが触れた。 キスされた、と分かった時には唇はすでに離れてしまっていた。 ﹁・・・あ・・・悪い。その、つい・・・﹂ 私から少し距離を取ったガーウェンが気まずそうに顔を逸らした。 その横顔にため息をつく。 ﹁・・・・・・ほら、全然、余裕じゃない。ガーウェンとキスする だけで心臓がこんなに早い。﹂ 白状して苦笑すると、ガーウェンは動きをピタリと止め、それから 頭を抱えてうぐぐぐと唸りだした。 ﹁お前、それ卑怯だろぉ・・・。なんで急に素直になんだよ。さっ きのエロいのと全然違ぇじゃねぇか﹂ ﹁えー?違わないだろ?素直というより私は正直なんだよ。思った ことは言うしやりたい事はやるし。﹂ ﹁アホか。お前みたいな分かりにくい奴が正直な訳ねぇだろ。じゃ ぁ、今、何考えてんのか言ってみろ。﹂ ﹁んー、今はもう一回キスしたいって考えてるなぁ。﹂ ﹁・・・分かった。お前は何か考えてそうで何も考えてねぇんだろ。 ﹂ じとっとした半眼でガーウェンに睨まれた。続けて、 ﹁その余裕そうな顔はただ単に能天気なだけなんだろ。﹂ と言われる。 ﹁能天気っていうのはそうかもしれないけど、色々考えているんだ けどな。・・・あ、そうだ、ガーウェンに言わなきゃいけない事が 148 あるんだ。﹂ ガーウェンに向き直り、姿勢を正す。 ﹁私がこの世界に来てからガーウェン達には本当に世話になった。 ありがとう。こうしてお礼を言うのが遅くなって申し訳ない。ガー ウェンには迷惑ばかりかけてすまなかった。﹂ 私はそう言って深く頭を下げた。 ﹁・・・私がこの世界で生きて行く事は大変だと思う。必要な知識 も技術も私は持っていない。・・・でも、﹂ ガーウェンを見る。真剣さが伝わるように真っ直ぐ瞳を見る。 ﹁でも、ガーウェンと一緒に居たいんだ。だから私をーーー﹂ ﹁なんだ、そんな事かよ!﹂ 私の一世一代の真剣な言葉を途中で遮り、ガーウェンが大きな声を 出した。見ると明から様にホッとした様な顔をしている。 ﹁改まって﹃世話になった﹄なんて言うから、俺はてっきり﹃自分 の世界に帰る﹄とか言い出すんじゃねぇかって思ったぜ!大体、誰 がお前を置いてくなんて言ったよ?俺だけじゃねぇ、エヴァン達だ ってお前を連れてく気満々でその準備してるぜ。﹂ ﹁あ・・・?そうなのか?私は足手まといにしかならないがいいか・ ・・?﹂ ﹁ばかか。誰もそんな事気にしてねぇよ。前にも言ったろ?身体が 戻ってからも俺を頼れって。﹂ 頭を撫でられ、ぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜられる。 ﹁・・・ありがとう、ガーウェン。優しいな。﹂ ﹁べ、別に優しくはねぇだろ。﹂ ﹁優しさついでにもう一回キスしてほしいんだけど?﹂ ﹁・・・・・・・・・﹂ しばらくして私の唇には控え目で優しい口づけがされたのだった。 149 優しさついでに︵後書き︶ 後日、女子三人 ﹁ガーウェンは女経験が少ないのか?﹂ ﹁え∼?そんな事はないと思うけどぉ。ねぇ、マリちゃん?﹂ ﹁ああ。ガーウェンも普通の男だからな、それなりの経験はあるだ ろ。もう少し若い時は頻繁に娼館に出入りしてた時期もあったしな。 なぜだ?﹂ ﹁うーん、それがさぁ、ちょっとキスしただけですぐヘロヘロにな っちゃったんだよ。聞いたらあんまりしたことないみたいな事言っ てたし。可愛かったからいいんだけど、演技だったのかな?﹂ ﹁あはは!ガウィちゃんはそんな器用な事出来ないよぉ!うふふ、 もぉ、リッちゃんどんなキスしたのぉ∼?アフィに教えてぇ∼♡﹂ ﹁んー?いや、普通のキスだったよ?﹂ ﹁えぇ∼?ほんとぉ∼?﹂ ﹁リキ、キスの経験が殆どないって事は今までセックスの相手が殆 ど娼婦って事なんだと思うぞ。﹂ ﹁ん?どういうこと?﹂ ﹁あぁなるほどぉ!リッちゃん、あのね、一部の冒険者の間では娼 婦を相手にする時はキスしないっていう習慣があるんだぁ。昔、貴 い身分の人が娼婦に口移しで毒を盛られたって逸話からそういう習 慣があるんだけど、もちろんそんな迷信みたいなの信じない人も多 いし、娼館側も娼婦の身分を保証してるから冒険者全ての習慣とは 言えないけどね。でもある程度腕のある冒険者は他人の恨みを多少 なりとも買ってるからねぇ。ガウィちゃんもそういう習慣にしてる んじゃないかなぁ?﹂ ﹁ふーん。つまりセックスの経験は多くてもキスの経験は少ないっ 150 て事か。﹂ ﹁そういう事だろうな。それにガーウェンは恋人がいたことも殆ど ないと思うぞ。﹂ ﹁そうそう!ガウィちゃんはあの顔でしょぉ?女の子が寄ってこな いの!稀に寄って来てもあの口下手に仏頂面だから上手くいかない んだよぉ。﹂ ﹁口下手に仏頂面。そこが可愛いところじゃないか。﹂ ﹁リキ、お前は変わってるんだ。﹂ ﹁リッちゃんは変わってるんだよぉ!﹂ 151 朝を迎えて 髪を優しく撫でられる気持ち良さに眠っていた意識が引き戻された。 ぼんやりとしたまま、すぐ側にあったいい匂いの温かい何かに顔を 擦り付けた。途端にぎゅっと身体を抱き込まれた。 そこで意識がだんだんと覚醒する。 温かい何かから顔を離し、見上げると赤茶色の瞳と視線がぶつかっ た。なぜだかひどく安心してホッと息をつく。 私はガーウェンに抱きしめられながら眠っていたらしい。 ﹁ガーウェン、おはよ﹂ ﹁・・・おう・・・・・・大丈夫か?﹂ ﹁んー・・・?﹂ 髪を梳く様に撫でられる気持ち良さに目を細めながら、何の事だろ うと考えていると昨夜の事を思い出した。 昨夜、さぁ寝ようという時に一悶着というか、ガーウェンが同じベ ッドで寝るのが恥ずかしいとかなんとか言い出した。今更、恥ずか しいもクソもねぇだろうが、と押し切り、しかし妥協してベッドの 端と端で寝ることとなった。 私は普段と同じ仰向けで、ガーウェンはこちらに背を向けて。 頑ななおっさんに﹃ぜってぇこっち向かせる!﹄と闘争心が滾った が、それは今すぐでなくてもいいかと思い直し、眠りについた。 しかしどうも夢見が悪かった。 目覚めれば内容も覚えていないような夢だったが、嫌な夢だったこ とは感覚で分かった。 二度は目が覚め、三度目はガーウェンに起こされた。うなされてい 152 たらしい。 ﹁リキ、大丈夫か?嫌な夢でも見たのか?﹂ ガーウェンが心配そうな顔で私を覗き込んでいた。太い指で前髪を 流され、そのまま頬を撫でられる。 ﹁ん・・・悪い、起こしたか?・・・もう大丈夫だよ。﹂ そう言うとガーウェンの眉間に皺がより、口がへの字に曲げられる。 怒っている様にも見えるが、無理してるんじゃないかって心配して いるのだろう。 ﹁大丈夫だよ。・・・あー、でも一つお願いしたいんだけど。﹂ ﹁おう。何でも言え。俺に出来ることなら何でもやる。﹂ ﹁・・・もっと近くに。ガーウェンに側にいてほしい。﹂ 頬を撫でる大きな手に擦り寄る。 まだ全てが手に入った訳ではないけど、一度、触れてしまえばもう 手放すことなど出来ない。それどころかもっと触れたい、もっと近 づきたいと貪欲さがふとした拍子に出て来そうになるほどだ。 それからガーウェンの腕が背に回され、私はガーウェンの腕の中で ゆっくりと眠りに落ちていったのだった。 ﹁大丈夫だ。おかげ様でよく眠れたよ、ありがとう。﹂ にっこりと笑って見せると、やっとガーウェンも小さく笑い、私の 額にキスを落とした。 恥ずかしがり屋のガーウェンにしてはあまりに自然で少し驚いたが、 私に慣れてくれたようで嬉しい。 ﹁口にはしてくれないのか?﹂ 意地悪に笑ってそう言うと、予想通り、顔を赤くし、視線をウロウ ロと彷徨わせた。でもこの方が彼らしいと思ってしまう。 ﹁・・・・・・ちゃんと目、瞑れよ・・・﹂ 私が反応する前にもうガーウェンの顔は触れるほど近づいていて、 153 反射的に目を瞑ると唇へチュ、と口づけをされた。 離れていく気配に目を開けると、顔を赤くしながらも得意気な笑顔 をしたガーウェンがいた。 ﹁嘘じゃねぇみたいだな。すげぇ早い。﹂ 昨夜、私が言った﹃ガーウェンとキスすると心臓が早くなる﹄とい うことを言っているのだと分かると、顔が熱くなった。 ﹁・・・・・・狡いよ、ガーウェン﹂ ﹁それは俺の台詞だ。・・・・・・そんな顔もするんだな。お前も かわいーー﹂ 続くガーウェンの言葉をキスをして防ぐ。 ﹁調子乗んな、おっさん。﹂ ﹁・・・お前もな。﹂ 窓の板戸の隙間から朝日が射し込む中、私とガーウェンは鼻先をく っつけたままじゃれあったのだった。 ****** 今後の作戦会議を裏路地に隠れるようにあった食堂で朝食を食べな がら行うこととなり、一同が集まっていた。 ワクワク であろう。 先程からアフィはガーウェンを見て、それから私を見て、キラキラ と輝く笑顔を見せている。その様を表すなら アフィが何に期待しているかは分かっている。私もアフィへにっこ りと笑顔を返した。 ﹁してないよ。﹂ ﹁・・・・・・え?﹂ 154 ﹁残念だけど、してないよ。﹂ ﹁・・・・・・・・・えええええ!?嘘でしょお!?だってガウィ ちゃん、体内のマナの循環が特に!下半身だけ!良くなってるんだ よ!それでヤってないってじゃあ、ナニしたっていうの?!まさか ガウィちゃん、リッちゃんと同じ部屋だったのに自慰なの?!リッ ちゃんをほっておいて自慰なのぉ?!!﹂ アフィの愕然といった言葉が響き渡った。隣のテーブルではガーウ ェンが朝食を盛大に吹き出し、エヴァンに怒鳴られている。 しかし体内のマナが見えるってアフィどんだけ高性能なんだよ。こ えぇよ。 ﹁ええええ!マジすか!?俺もてっきりヤったんだと思ったっスよ !だってガーウェンさんからはリキちゃんのいい匂いがするし、リ キちゃんは発情した女のいい匂、いだだだだだだだっ!!!﹂ 何やら言い出したロードにみなまで言わせまいとガーウェンがアイ アンクローを決めた。 ﹁勝手に嗅ぐんじゃねぇ・・・!二度と嗅ぐな、近づくな!﹂ ギチギチと音が聞こえるほどにロードの頭部を指先で締め上げなが ら、低い声で恫喝する。 ﹁割れるっ!ガーウェンさんっ!割れるからっ!!﹂ ﹁そんな事はどうでもいいの!黙って、ロードちゃん!﹂ 横からロードを蹴り飛ばし、ガーウェンに詰め寄るアフィは烈火の 如く怒っている。 ﹁ちょっとガウィちゃん、どういうことなの?リッちゃんのおっぱ い見て興奮してたくせに何もしなかったの?ニヤニヤして幸せオー ラ全開って感じだからヤったと思ったのに!せっかくあれだけお膳 立てしてあげたのに!あの香油、高かったんだから返して!﹂ ﹁ばっ!お前が勝手に余計な事したのに何言ってんだ!﹂ あのローション、じゃない香油高かったんだ。オリーブオイルみた いだったけど。 ギャーギャーと言い合う二人に収拾のつかない雰囲気が漂う前に割 155 って入ることにした。 ﹁まぁまぁ、アフィ。香油のお金は私がいずれ働いて返すよ。だか らあの香油を貰えないかな?昨日の夜も充分役に立ったし。﹂ 意味深にそんな事をアフィへ向けて言うと、アフィより先にガーウ ェンが反応し、私の口を大きな手で塞いだ。かなり焦っているのが 分かる。 ﹁言うな!ぜってぇ言うな!!﹂ ﹁えっ!なになにっ!どんな役に立ったの?!アフィにく・わ・し・ く教えてぇ∼♡﹂ ﹁俺にも!俺に教えてほしいっス!やべー!期待だけでちんこ勃っ てきたー!!﹂ ﹁・・・騒がしてすまんな、女将。これ、おかわり。﹂モグモグモ グモグ ﹁・・・・・・人目を忍んでここに集まっているって忘れているで しょ、貴方達。・・・もうやだ、この人達もうやだ・・・﹂ 食堂中の視線を集めながら騒ぐ三人とマイペースに飯を食うマリ、 苦労を一人で背負った様な絶望感漂うエヴァン。思い思いに生きる 彼らを見て、帰ってきて良かったと心底思った。 156 朝を迎えて︵後書き︶ 後日、男二人 ﹁エヴァン・・・ちょっといいか。﹂ ﹁なんです、ガーウェン。改まって、気持ち悪い。﹂ ﹁ちょっとした相談なんだが・・・あー、その・・・・・・だから・ ・・その・・・﹂ ﹁何の相談ですか?歯切れが悪過ぎですよ。はっきり言って下さい。 ﹂ ﹁お、おう・・・あのな・・・リキと、﹂ ﹁リキさんと?﹂ ﹁・・・・・・セッ・・・・・・クス、するにはどうしたらいい?﹂ ﹁・・・・・・・・・・・・・・・はぁ?﹂ ﹁だから!その・・・リキとせ、せ、セッ、﹂ ﹁それは分かったのでもういいです。どうしたらって、リキさんも 普通の人族なのでしょう?普通にしたらいいんじゃないですか?﹂ ﹁いやだから、俺とリキとは体格が違ぇだろ?普通にセッ・・・で きねぇだろが。﹂ ﹁はぁ?何言ってるんですか?確かに体格差はありますから、慣ら してからの方がリキさんへの負担は小さくなりますけど、出来ない なんて事ないでしょ。﹂ ﹁・・・ならす?ならすってどうやるんだ?﹂ ﹁は?﹂ ﹁え?﹂ ﹁ちょ、ちょっとガーウェンそれ本気で言ってます?今まで女性と した時はどうしてたんですか?﹂ ﹁え・・・娼館の女とは普通にしたと思うが・・・﹂ 157 ﹁だったら、いくらそれが仕事の方でも挿入する前には慣らしたで しょ?濡れてなかったら痛いですし。﹂ ﹁そうなのか・・・初めてだから痛がっていたと思っていた・・・﹂ ﹁・・・・・・貴方、どれだけ独りよがりなセックスしてきたんで すか﹂ 158 なんでもないけど嬉しい 町と街道を隔てる門は大きく開け放ってあり、そこを抜けて街道へ 向かう人々の顔には生き生きとした表情が浮かんでいた。門といっ てもカダラストのような高い外壁や重厚な金属製の扉があるわけで はなく、荷馬車が潜れる程度の木の門である。 門前からまっすぐ町の中央まで伸びる道の両脇には何台も馬車や馬 竜車が集まり、それらの荷車へ荷物を積み込む人足や商人、馬車に 乗るため待つ者、その待ち人を客にしようと出店が出ており賑わっ ている。 その喧噪の隅でローブのフードを目深にかぶり、ガーウェンの陰に 隠れながら馬車の出発を待っていた。 私達の最終目的地は迷宮都市・ソーリュートである。 ガーウェン達の拠点だからということもあるが、この世界では珍し い私の黒髪と黒い瞳の為でもある。ソーリュートは五つの迷宮を含 んだ大都市であり、迷宮の恩恵に預かろうと国中どころか大陸中か ら様々な種族が集まるため、私のような珍しい容姿でも注目される ことが少ないのだそうだ。 黒髪については海を挟んだ隣の大陸に魔人族という種族がいるらし いのだが、他種族との交わりによっての差異はあるものの、特徴は 黒髪・褐色の肌・血色の瞳なのだという。 黒髪に黒い瞳、白い肌と言うのはほぼ居ないらしい。 だから私はソーリュートにつくまでの道中はローブにフードの魔術 師スタイルでいることになっている。 ﹁ワズワド様っ!﹂ 聞き覚えのある名を呼ぶ声を喧噪の中から聞きつけた。 159 フードの端から行き交う人達を見ると、門を出ようとするローブを 着た老人とそれを追う年若い青年を見つけた。 ﹁ワズワド様!お願いですから、馬車で行きましょう!あんな事が あったのですからお体の事をお考えください!﹂ ﹁私はそんなに老いぼれておらんわ!大体、馬車とてタダでは乗れ んのだ。教義に節制を説いている身でありながら、気軽に金を使う な!﹂ ﹁カレン大神官にもすぐにワズワド様を連れて来るようにきつく言 われているんです!お願いしますよ、ワズワド様ぁ!﹂ 大きな荷物を担いで歩いて門を出ようとする老人とそれを縋るよう あれ なんだな。﹂ に引き留めている青年は、朝の騒がしい時間帯でもかなり目立つ。 ﹁やっぱりあのおじいさんはどこでも 思わずそう言ってクスッと笑ってしまった。 ﹁なんだ、あの神官と知り合いなのか?﹂ 私の呟きを聞き付けたガーウェンが肩越しに振り返り、怪訝そうな 声を出した。 ﹁なぜ神官だと分かった?﹂ ガーウェンの質問よりもそちらの方が気になる。 ﹁ん?あぁ、ローブを見りゃわかる。ローブの裾に金具が付いてる のが見えるか?﹂ ガーウェンの背から少し顔を出して、押し問答を続ける老人と青年 を見た。確かに老人と青年のローブの裾に金色に輝く金具が付いて いた。裾に付いている為、少し屈むだけで地面に引きずりそうだ。 ﹁あれは近くで見ると神殿の紋章が象られていて、ローブの端にあ れが付いているのはもれなく神殿関係者だ。﹂ ﹁ふーん、そうなのか。﹂ ﹁・・・んで、知り合いなのか?﹂ 今度から金具付きのローブを着ているやつには近づかない事にしよ う、と決めているとフードの中を覗き込まれた。 ﹁ああ。昨日の夜に少し話しただろう?逃げる時に協力してくれた 160 人がいるって。あのおじいさんの事だよ。﹂ と私が言うとガーウェンは三白眼を少し見開き、それからまた老人 たちへ視線を転じる。 彼らはどうやら歩いて旅立つことになったようなのだが、 ーーせめて荷物は私に背負わせて下さい! ーー何を言うか。私よりも貧弱な体をしているくせに。お前に背負 わせたら到着がもっと遅れるわい! 今度は荷物をどちらが背負うかで揉めているようだ。 ﹁・・・・・・なんだ、じいさんだったのかよ・・・﹂ ほっとしたような声に顔を上げると、口元に少し笑みを浮かべたガ ーウェンが私を見ていた。 ﹁おじいさんがどうかしたのか?﹂ その嬉しそうな様子に首を傾げて尋ねるが、さらに笑みを深くして、 ﹁なんでもねぇよ。﹂ とフードの上から頭を乱暴に撫でられた。 ﹁うわ、やめろ。髪の毛がモチャメチャになるだろー﹂ ﹁はは!なんだよ、モチャメチャって﹂ 私の抗議にガーウェンが笑い、さらに乱暴に撫でて頭をグラグラさ せてくるので私も笑ってしまった。 ﹁・・・・・・二人で盛り上がっているとこ悪いんスけど俺も居る からねっ!﹂ 隣で一緒に馬車の準備を待っていたロードが叫んだ。いつもは少し 垂れている耳とフサフサの尻尾がピンッと立ち上がっている。 ﹁おぉ、ロードいたのか。﹂ ﹁なんだお前。入ってくんなよ。﹂ ﹁ひでぇ!二人ともひでぇっスよ!﹂ ロードは軽い冗談にもいい反応を返してくるから面白くてからかっ 161 てしまう。 ﹁つかガーウェンさん、普段と違い過ぎっスよ!マジで幸せオーラ 全開ってかんじ!リキちゃんの事ほんとに好きなんぐふぉっ!!!﹂ 言葉の途中でガーウェンの拳がロードの腹に決まった。 ﹁てめぇ、それ以上言うんじゃねぇよ・・・!﹂ ロードを鋭く睨んでいるが、顔は赤い。 言葉の続きはいつかガーウェンから聞きたいな。いつになるか全く わかんねぇけど。 ****** ガタガタと揺れながら馬竜車は街道を進む。 街道は緩やかな坂となっており、坂の下には先程、出発したリンド という町とその奥に海が見えていてた。 これから向かうのはマニダーナという街で、本来、カダラストから ソーリュート方面へ行く時はまずその街を目指すのが一般的なルー トなのだそうだ。そしてリンドからマニダーナへは馬竜車で半日と 少しだという。 ﹁なんでも侯爵様の別邸で何かあったんだって∼。別邸へ向かう道 に神殿騎士様が大勢いて、そりゃ物々しい雰囲気だったんだよ。﹂ ﹁へー、そうだったんスかぁ。でも朝は特に何も騒がしい様子はな かったっスよ?﹂ ﹁ああ、そうだねぇ。やっぱり大したことじゃなかったんじゃない かい?﹂ 馬竜車に乗り合わせたおばちゃんとロードが和気藹々と話している。 162 この馬竜車は乗り合い制なので私達以外にも数人の乗客が乗り合わ せているのだ。 座席は三人掛けの椅子が向かい合うボックス席が四組あり、私とガ ーウェンは一番出入口に違い席に隣同士に、エヴァンとロードはも う片方の、出入口に違い席に座っていた。 アフィとマリは一緒には乗っていない。 アフィの提案で陽動を行う事になっているのだ。 私達がマニダーナへ出立する時と前後してアフィ達はカダラストへ 向かっている。 アフィが私のフリをして。 なんでも体内マナを操作し、特定の魔力を帯びさせると髪色や目の 色を変えることが出来るそうなのだが、エヴァンに聞くとそんなこ とが出来るのはアフィくらいらしい。 抜群のマナ操作能力と魔力生成能力。 ちなみにマナとは生き物全てが生まれながらにして体内に保有して いる力で、魔力とはそのマナに特定の属性を付与したものである。 私にも同じ事が出来たら人目を気にしなくていいのだが。アフィが 言うには私はマナ操作能力が高いらしいので、訓練次第では出来る かもしれない。 自分の手のひらをじっと見つめて、自らのマナの動きを感じるよう に集中する。 すると手のひらに大きな手が重ねられた。 あ、と思い、隣に座るおの大きな手の持ち主を見上げた。 ﹁ん?どうした?﹂ 私が手を繋ぎたいと催促しても、それに応えることが自然だという ようなガーウェンの態度に、 ﹁なんでもないよ。﹂ と大きな手を握り返しながら、笑みを向けた。 163 マニダーナ マニダーナは活気のある街であった。 馬竜車を降りると、長時間の移動で凝り固まった体を大きく伸ばす。 関節がギシギシと音を立てた。身体中が痛い。 もちろんリンドからマニダーナまでの道中で何回か休憩が取られて おり、その度に外の空気を吸ったり、軽く体を動かしていたのだが、 如何せん座席の質が悪いのだ。 ただ木板を張った座席。振動がダイレクトにくるから、尻が痛くて かなわない。 ﹁大丈夫か?﹂ ﹁尻が腫れそうだ。﹂ 荷物を背負ったガーウェンに声をかけられ、ため息をつきながらそ う返すと、ぶっ!と吹き出され、頭を撫でられた。 ﹁ふははは!しばらくこの街にいるから、次の移動の時に役立つ物 を探してやるよ。﹂ 私達はこの街に数日間滞在し、アフィ達の合流を待ちながらソーリ ュートへの長旅の準備をするのだ。 ﹁のんきに観光って訳にはいかねぇけど、どこか行きたいとこはあ るか?﹂ ﹁うーん。そうだなぁ・・・あ、風呂に入りたい﹂ 最近の一番の願いは風呂に入ることだ。 ﹁リキさんはお風呂が好きなんですか?﹂ エヴァンとロードがそれぞれ荷物を抱えながらやって来た。 ﹁ああ。私の故郷では日常的に入浴の習慣があって、私は毎日入っ てたんだ。﹂ ﹁うえー、毎日風呂って俺は無理だー。あの熱いのに浸かるなんて 出来ない!﹂ 164 ﹁私は好きですよ、熱い湯。リキさんも大衆浴場へ行けたらいいん ですけど、今の状況ではねぇ・・・。﹂ ああそうか。当たり前だが、大衆浴場ではローブを脱ぐ。この姿を 人目に晒すことはあまりよろしくない。 ﹁そうだよな・・・残念だが我慢するよ。﹂ そうは言ったもののやはり風呂に心が惹かれ、はぁと大きなため息 をついた。 ﹁風呂付きの宿に泊まればいいだろ。﹂ 思いがけないガーウェンの申し出に瞬間、飛びつきそうになったが、 ここは遠慮しなくてはならない。なぜなら風呂付き宿の宿泊料はも れなく高いのだ。 ﹁いや、そこまでしてもらうのは・・・。﹂ ﹁この街を出発すればまたしばらく風呂に入る機会がないんだぞ。 俺が出してやるから遠慮すんな。﹂ ﹁それいいっスね!遠慮はいらないっスよ!実はガーウェンさんが リキちゃんと一緒の部屋に泊まりたいだけなんスから!﹂ ﹁そうですね。リキさん、遠慮することはないですよ。ガーウェン はリキさんと同衾するいい口実が出来てラッキーと思っているんで すから。﹂ ﹁おい、お前ら、何言ってんだ﹂ 賛同するようで微妙にひどい言い様にガーウェンが威嚇のように唸 る。 ﹁ふふ、そうなのか?では、ガーウェンに甘えようかな。﹂ 私も一緒に泊まりたいし、と言って見上げるとガーウェンはニヤリ と得意気に笑って見せた。 ﹁・・・うわぁ、ガーウェンさんの満面の笑顔初めて見たっス。予 想以上に凶悪っスね。﹂ ﹁・・・腹が立つほどのニヤけ顔ですねしねばいいのに﹂ 165 ****** マニダーナに着いた時にはすでに夕暮れであったため素早く街中を 回り、滞在に必要な物を買っていった。 主に衣類であるが、私はそもそも買い物に時間をかけるのが嫌いな 質なので、適当に入った服屋で何枚か動きやすい服を買い、すぐに エヴァン達が待つ店に向かうことにした。 ﹁前に妹の買い物に連れて行かれたことがあったが、﹃どの色がい い﹄だの﹃どれが似合う﹄だのうんざりするほど時間がかかったぞ。 ﹂ 私の選んだ服が入った袋を抱えながらガーウェンがその時の事を思 い出したのか、苦々しい顔をしていた。 ﹁私も友達の買い物に付き合うとそんなもんだよ。でもそれはそれ で楽しかったけどな。というかガーウェンには妹がいるのか。﹂ ﹁ああ。歳は離れているがな。﹂ ﹁へぇ。あ、屋台が出てる。なんだあれ。クレープ?タコス?﹂ 腹の減る良い匂いをばら撒く屋台に気を取られて足を止めた私にガ ーウェンが笑う。 ﹁そんなにキョロキョロすんな。ぶつかるぞ。明日、また街を見に くればいいだろ。﹂ 自然に手を取られ引かれながら、ガーウェンのこの面倒見が良い所 は歳の離れた妹がいるからなのかと思った。 ﹁リキちゃん!ガーウェンさん!こっちこっち!﹂ 待ち合わせの食事処に入った途端、店の奥からロードの馬鹿デカイ 声が聞こえた。見ると満面の笑みでブンブンと手と尻尾を振ってい 166 る。 ﹁ロードうるせぇ。少し声を抑えろよ。﹂ 近づくとガーウェンがロードにお叱りの言葉を投げる。 ﹁すみません!あ、リキちゃん、ちょっと﹂ それを適当に受け流して、ロードは私をおいでおいで呼んだ。 四人掛けの卓に私とロード、エヴァンとガーウェンが隣同士で座る。 ﹁これね、アフィ姐さんからリキちゃんに渡すように頼まれてたや つなんだけど﹂ と袋を渡された。中を見ると細長い瓶に入った液体だった。 ﹁それ、髪の毛に使うのなんだけど、今、女子の間で人気のやつな んだよ!﹂ また謎の液体かとげんなりしそうになったが、ロードの言うことに は髪の毛のトリートメントのような物らしい。髪を洗った後に適量 付けて寝ると朝にはつるつるの手触りになるという夢の様な代物だ という。 ﹁それは嬉しいな。手入れが大変そうで髪を切ろうかと思うほどだ ったからな。﹂ ﹁良かった!リキちゃんの髪、綺麗だから長い方が絶対いいよ!﹂ ﹁ふふふ、そうか。﹂ 綺麗と言われて嫌がる女はいない。気分が良くなってロードの頭を イイコイイコと撫でてやる事にした。 なぜか刺すような視線を感じた。 ガーウェンを見ると、気の弱い人なら卒倒してしまうだろう凶悪な 眼つきでこちらを見ていた。 ﹁それとね・・・﹂ ガーウェンの視線を気にする素振りもなくロードが内緒話をするよ うに声を潜め、私の耳に顔を寄せてきた。ガーウェンの眉間の皺が 深くなり、眼光が鋭くなる。 ﹁これは俺から﹂ 小さな袋をテーブルの下から隠すように渡された。 167 ﹁ガーウェンさん、ムッツリスケベだからこの服で迫ればイチコロ だよ。﹂ ﹁・・・・・・それは下半身直撃か?﹂ ﹁もちろん!﹂ よし、ロード、褒めてやろう! わしわしと髪をかき混ぜるように撫でると、ぐるぐると獣が威嚇す るような唸り声がテーブルの向こうから聞こえた。 ﹁ロードもリキさんもそれぐらいにしてください。ガーウェンの唸 り声がうるさいんです。ガーウェンもロードを殺すのは想像の中だ けにして下さい。﹂ ﹁ちょっ!エヴァンさん、ひどいっス!ガーウェンさんもその今す ぐボコボコにしてぇって顔やめて!﹂ ガーウェンの射殺さんとする視線に戦々恐々といているロードの隣 で私は一人、ニヤニヤしているのだった。 今夜は逃げられんぞ!覚悟しておけ! 168 マニダーナ︵後書き︶ なかなか進まなくて申し訳ありません。 しばらくはゆっくり進行です。 169 似ているようで違う二人︵前書き︶ 今回は前半はリキ視点、後半はガーウェン視点なので、いつもより も長いです。 170 似ているようで違う二人 街灯が点々と灯る夜道をガーウェンと隣合って宿への道を歩いてい た。 ﹁・・・やけに機嫌がいいな、リキ。﹂ チラリと視線を向けられる。 ﹁ああ。今日はとても良い日だからな。移動は少し疲れたが、ロー ドにもエヴァンにもいい物を貰ったし、それに風呂に入れる!﹂ とガーウェンに笑みを返すと、フードを取られ、頭を撫でられた。 が、何故か寂しそうな表情をしている。 ﹁ロードからもなんか貰ったのか?エヴァンは本のようだが・・・﹂ 宿泊先が違うので店先でエヴァン達とは別れることとなった。その 別れ際、エヴァンから ﹁リキさんはこういうのに興味がありそうなので。﹂ と一冊の本を渡された。 題名は﹃マナ操作と魔力生成・基礎編﹄である。 女の子に本はないっスよ∼と呆れるロードを尻目に私は大喜びした。 ﹁ありがとう、エヴァン!嬉しい!﹂ ﹁いいえ。そんなに喜んでもらえると私も嬉しいですから。﹂ お礼を言って、エヴァンに笑顔を向けると、頭を撫でられた。 なぜだかこの世界に来てから頭をよく撫でられる。背的にちょうど 撫でやすいのだろうか。 しかしそれはガーウェンによってすぐに遮られたが。 ﹁男の独占欲はみっともないですよ。﹂ ﹁・・・うるせぇっ﹂ エヴァンの呆れるような言葉にガーウェンは赤くなりながら怒鳴っ ていた。 171 ﹁ロードからは服を貰ったんだ。部屋に行ったら見せてやるよ。﹂ 楽しみにしてて、と含んだ言い方をすればやはりガーウェンはどこ か寂しそうにしている。 ﹁・・・そうか・・・俺は何も・・・﹂ もしかして自分だけプレゼントを用意してなくて後ろめたさのよう なものを感じてしまったのだろうか。 ﹁ガーウェンは側にいてくれるだろ?それだけで十分だよ。﹂ ガーウェンの腰に腕を回して、身体を寄せる。そのまま上目遣いで ガーウェンを見上げると、顔が赤くなっているのが分かった。 ﹁ガーウェン、好きだよ。私の側にいてほしい。﹂ 本当は違う。﹃側にいてほしい﹄なんて穏やかな願望なんかじゃな い。 離す気などさらさらない。 逃す気など毛頭ない。 お前は私のモノだ。お前の全ては私のモノだ。 誰にも渡す気などない。 心に充満する独占欲を穏やかな笑みで隠し、私はガーウェンにキス を強請った。 ****** 宿の部屋に入るとなかなか上等な造りに、ガーウェンへの申し訳な さでいっぱいになったが、大きめの風呂を見たらすぐに忘れた。我 172 ながら現金な奴である。 ﹁大きいお風呂だ!﹂ テンションが上がる。やっぱりお風呂が大きいと嬉しいよな! ﹁ははは!なんだよ、お前。ガキかよ。﹂ ﹁失礼だな。子供心を忘れないと言ってほしいな。﹂ ﹁ふっ、あほか、言ってろよ。ほら、水張るからどいてろ。﹂ ガーウェンがタイル張りの浴槽の縁に手をかざすと、浴槽の底から 水がじわじわと湧き上がってきた。 ﹁ええっ!なんだそれ!﹂ 想定外の現象に驚愕の声をあげると、ガーウェンがまた笑った。 よく見るとガーウェンが翳した手の下には青色の丸い石がはまって いた。 ﹁ここにある魔石に水生成魔法が入ってて、これに魔力を使うと水 が出てくるんだ。﹂ ﹁へぇ、すごいな!でも、あれ?ただの水?﹂ 浴槽に溜まってきた水に手を付けると冷たい。 ﹁水を溜めてから温めるんだ。お湯を生成するのは複雑な魔法が必 要だから、難しいんだよ。こうして水が溜まったらーーー﹂ と言ってガーウェンが小さな袋を取り出し、開いて中を見せてくれ ると赤い石が幾つか入っていた。そしてそれを袋へ戻すとそのまま 水の中へ落とした。 ﹁この赤い石に魔力を通して中に入れると湯が沸くんだ。もういい ぞ。触ってみろ。﹂ ガーウェンの言葉通り、風呂はすでにいい湯加減になっている。 ﹁すごい便利だな!﹂ ﹁熱かったら別で水を用意してぬるめるんだが・・・どうだ?熱い か?﹂ ﹁いや。お風呂は熱いのが好きだからこのままでいいよ。﹂ ﹁そうか、俺もだ。一緒だな。﹂ さらりと髪を梳くように撫でられた。見るとガーウェンは少し迷っ 173 た素振りを見せ、それからゆっくりと近づいてくると口付けを落と した。そのまま頬を撫でられる。 ほんの少し触れて、また離れたが、私達は静かに見つめ合ったまま。 ﹁・・・疲れただろ?ゆっくり入ってこい。﹂ ﹁・・・・・・いやいや!今の流れは絶対、一緒に入るって流れだ ったろーが!﹂ ﹁え、流れってなんだ。いや、一緒に?あー・・・・・・そうだよ な、いやでも・・・﹂ 甘い雰囲気にそうなのだと思ったのに。 一緒に風呂に入ろう!と強請ったら意外にもガーウェンは悩んでい た。﹃ばかか!一人で入れ!﹄と言われると思っていたが、これは 押せばいけるか? ﹁いや・・・でも久しぶりの風呂だろ?ゆったり一番風呂に浸かっ てこいよ。﹂ 久しぶりの風呂。 ゆったり一番風呂。 くそっ!私のあほ!その魅惑のワードには逆らえん! 一番風呂、堪能してやる! ロードから渡された髪のトリートメントだという瓶のコルク栓を抜 くとふわりと花の香りがした。薔薇の香りに似ている気がする。 とろりとした液体を少し手に取ってみると、さらに花の香りが強く なった。しかし濃すぎるということはなく、心が落ち着く香りだっ た。 それを毛先を中心に髪全体に馴染ませていく。 一番風呂を堪能して部屋に戻ると、私の服装を見てガーウェンが複 174 雑そうな顔をした。 安心したような残念がるようなそんな顔だった。 私の格好はこの街で買った腰部分を紐で縛るゆったりとしたズボン とシャツであった。 ﹁もしかして昨日のネグリジェの方が好きだったか?﹂ ﹁べ、別に好きとかじゃねぇけど、その、に、似合ってたから・・・ ﹂ 好きなんじゃねぇか。 ﹁そうか。じゃあ、ガーウェンがお風呂に入っている間に着替えと いてやろう。だからほら、早く入っておいで。﹂ ﹁着替えなくていい!ふ、風呂には入ってくるけど、着替えなくて いいからな!﹂ 分かった分かったと手を振りガーウェンを浴室へ追いやった。 つまりそれって着替えてろってフリだろ? 髪を櫛で梳かしながら、ガーウェンの嗜好について考える。 昨日のネグリジェはシンプルでふんわりした感じだった。分類する なら清楚系だろう。 そういうのが好きなのだろうか? そういえば、とロードから貰った袋を開けてみる。ガーウェンと付 き合いが長いロードが選んだのならばガーウェンの好みの服である はずだ。 ・・・見たがよく分からなかったので着てみることにした。 腰の両脇にパンツの紐を蝶々結びにすると完成した。 ﹁おお、意外と可愛い。﹂ 袋の中を覗いたときはスケスケの布ばかり見えていたのでどんなエ ロ下着なのかと思ったが、着てみると案外そうでもなかった。 全体的に薄い碧色のネグリジェだった。 胸の部分はレースが編まれ隠されていて、胸の下あたりから肌が透 175 けるほど薄い布のスカートになっている。 パンツも前部分はレースで後ろに行くほど細くなり、所謂ティーバ ッグになっていた。 くるりと回るとふわっとスカートが広がる。 ガーウェンはこういうのが好きなのか。 どんな反応をするか早く見たい! 全然風呂から出てこない。 おっさんのくせにどんだけ長風呂だよ。 暇だからエヴァンから貰った本でも読んでよう。 ****** 碧い月光の中で舞う可愛らしい妖精のようだと思った。 久々の風呂を堪能して部屋に戻ると妖精がベッドで寝ていた。 ばさりとタオルを床に落とした音が部屋に響き、慌てて取り上げ、 ベッドで眠る妖精ーリキの気配を探った。 よかった。起きていないようだ。 ﹁ぐっ!﹂ ベッドに近づくとその姿に思わず呻き声をあげてしまった。 丸まって眠る彼女の穏やか寝顔。 白いシーツの上に散らばる黒い髪。 薄い布から透けて見える肌。 ほのかに香る花の香り。 176 特に下方からの眺めの破壊力がすごい。 隠す気が無いとしか思えない下着と尻から太もものラインが丸々見 えている。 ﹁これは、どういう、﹂ さっきリキは昨夜着ていた服に着替えると言ったのではなかったの か? なぜこんなエロい格好をしているんだ? そもそも俺は着替えなくていいと言わなかったか? 確かに少しは期待したが、どうしてこうなった! 心臓がドッドッドッとうるさいし、下腹部に熱が集まるのが辛い。 今近づいたらリキに何かしていまいそうだ。 しかし近づいてはいけないと思っているのに身体はリキにどんどん 近づいて行く。 ﹁リキ・・・・・・?﹂ 控え目に声をかけても彼女は眠ったままだった。 寝顔はその扇情的な姿とは対照的で穏やかであどけなかった。 思えばリキにはそんな部分が多くあった。 普段、穏やかな笑みを浮かべて冷静な態度でいるが、たまに子供の ように良くはしゃぐ。 臆せずなんでも言うくせに、辛い時はただ﹁大丈夫﹂と笑う。 誰にでも笑顔を向けよく懐くが、自惚れてしまうほど俺だけを一途 に見つめてくる。 酷くエロいキスをしてきたくせに、手を握るだけで幸せそうに笑う。 俺を好きだと言う割に、嫉妬や独占欲を感じさせない。 目が離せない。彼女に惹かれて仕方がない。 彼女を手に入れたい。彼女を俺の物にしたい。 しかし同時に疑念も湧く。 なぜ俺なのか。俺でいいのか。 俺が触れてもいいのか。 177 無防備に眠る華奢で小さな娘を見る。 俺が触れたら必ず彼女を傷付けてしまうんじゃないか。 それぐらい俺とリキは何もかも違う。 ロードやエヴァンだったらと考え、カッと頭に血が上る。 だめだ。他の男がリキに見つめられたり、リキの柔らかい髪に触れ たりする事を想像するだけで殺意が湧く。 浅ましい独占欲だ。 リキの顔にかかる髪を払い、頬を撫でてやると手に擦り寄ってきた。 その滑らかの触り心地に昨夜の情事が否が応にも思い起こされ、慌 てて手を引く。 結局、怯えているだけなのだ。独占欲も欲望もあるくせに、リキを 傷付け、嫌われるのが怖いのだ。 ﹁はっ、ばかか俺は。﹂ 今夜は寝れそうにない。 178 二人で一緒に*︵前書き︶ エッチ表現があります。 ペロペロしてます。 後半はヒロイン︵おっさん︶を温かく見守りください。 179 二人で一緒に* しまった!寝落ちしたっ!! ガバッと起き上がると、部屋の中は静かで薄暗かった。ガーウェン が風呂から上がるのを待っているうちに寝てしまったようだ。 そのガーウェンはというと私の隣でぐうぐう寝ていた。 おい、おっさん。無防備に寝てんじゃねぇよ。というか女がこんな 格好してんだから襲えよ! ぐうぐううるさいガーウェンの鼻を理不尽な怒りを込めてつまんで やる。 ふとガーウェンからアルコールの濃い臭いがしているのを感じた。 ﹁こいつ、襲う勇気がないから酒飲んで誤魔化したな。﹂ ワイルドな見た目に反して奥手なこのおっさんの事だ。そうに違い ない。 ガーウェンを見ると規則正しく上下する厚い胸板がシャツの上から でも分かり、思わずニヤリと悪い笑みをうかべてしまった。 その胸板をするりと撫で、筋肉の割れ目をなぞるように腹筋まで辿 り着く。シャツの裾から手を入れ、直に割れた腹筋を感じると心は 決まった。 よし、襲おう。 ****** 180 ガーウェンのズボンの紐を解き、下着と一緒にずらそうとしたが彼 の身体はやたらと重い。スキル︻身体強化︼を使用してようやくズ ボンを足から抜き取った時には少し息が上がっていた。 今後の為にも、鍛える事を考えよう。 今は一先ず置いておくが。 ﹁すごい身体だな。﹂ 昨夜も思ったが、戦う為に鍛えられた綺麗な身体だ。太ももも硬く て太い。 その太ももを持って、足を開き、その間に身体を滑り込ませた。 足の付け根辺りにはへにゃりとしたガーウェンの陰茎がいた。 それをペロリと舐めてみると、ガーウェンは﹁ふぅ﹂と小さな息を はいた。 だめだ。にやける。すげぇ可愛い。 へにゃりとした陰茎を口に含み、あむあむと甘噛みしているとだん だんと大きくなり、そのうち口に入りきらなくなるほどに成長した。 ﹁やっぱ、でけぇな。これ入るかな。﹂ 口元の涎を拭い、今更ながら考える。 体格差から考えるに最初は辛いかもしれない。しかし、まぁ、何事 も最初は辛いのは当たり前だろう。 それに期待の方が大きいのも事実だ。 早く自分の中に収めたい。 ﹁でも、今は、もう少し舐めたい、かな。﹂ 出っ張りツルツルした部分にキスを落としながら独り言ちた。 目を覚まさないガーウェンを良い事に更に足を大きく広げる。 太ももの内側の肌は白く、日に焼けた肌とのコントラストにひどく 181 欲情した。 白く柔らかい部分に噛みつこうとして、気付き止めた。私はどうや ら欲情や支配欲を噛みつきで表すらしいのだ。やられる方は痛いし 痕は残るしで大層嫌がられる。 あぶないあぶない。 大きく開いた足の付け根をお尻の方から丁寧に舐め上げる。 ﹁ん、ふ・・・﹂ ガーウェンが鼻に抜けるような声をあげた。 意外と関節部分には快感を感じるのだ。 膝の裏や脇、肘の内側や手首なんかも舐めると快感を感じる人は多 い。くすぐったさと紙一重だけど。 再びガーウェンの陰茎を口に含む。どこまで入るか試してみたが、 喉の奥に当たってもガーウェンは全て入らなかった。 苦しさで生理的な涙が滲む。 ﹁んんっ、んぐっ﹂ 舌と上顎でガーウェンを挟みながら頭を上下に動かし、入りきらな い下の部分は手で扱く。 ズチュッズチュッと卑猥な音が鳴る。 ﹁ぐ、うぅ、う﹂ 上下するほどにガーウェンの眉間にはシワが寄り、呻くような声を もらした。 ぷはぁ、とガーウェンを口から出し、一息ついた。また少し大きく なった気がする。 血管が所々浮き出し、唾液でてらてらと光っていた。すごくエロい。 亀頭のくびれた部分に舌を這わせ、なぞる。そして亀頭を口に含み、 チュパチュパと浅く出し入れを繰り返す。 先っぽからは先走りが出てきていて、それを唾液と一緒の飲み込む とゾクゾクと快感が背筋を走った。 ﹁ぐっ・・・あ、あぁ・・・うぁ・・・?﹂ 182 ガーウェンの頭が揺れ、瞼が震えるのが見えた。起きそう? 先っぽの割れ目にグリグリと舌を入れる。 ﹁う、あっ!あっ!・・・・・・あ?﹂ 薄く開いた赤茶色の瞳がしばし彷徨い、そして私を見つけた。 視線を逸らさず、見せつけるように舌を出して、ガーウェンのそそ り立つモノを下から上に舐め上げた。 瞳が大きく開かれる。 ﹁っ!!!お、お前っ!!何やって!うぁっ!!﹂ 言葉の途中でガーウェンの陰茎を喉の奥まで入れた。奥にガーウェ ンの柔らかい先端が届いて、苦しさに眉根が寄る。 ﹁んんっ、んんっ﹂ ﹁うぁ、リ、リキ、やめっ・・・﹂ 口の中でガーウェンがビクビクと跳ね、更に奥を刺激される。 だめだ、苦しい! ﹁ぷはっ!はぁはぁ・・・はぁ、ガーウェンの大きいから上手く出 来ない。﹂ 荒い息を整えながら四つん這いでガーウェンの顔へ寄り、唇へキス をする。 髪がさらさらとガーウェンの顔の横へ落ちると、花の香りがした。 ﹁お、お前なぁ・・・何やって・・・﹂ 呆れたような困惑したようなガーウェンの言葉に軽い調子で答える。 ﹁んー、それがさぁ、せっかくこんな恥ずかしい格好したのにどっ かのおっさんが襲ってこないからさ。好かれてると思ってたけど、 自惚れだったのかな?﹂ ﹁ぐうう!!・・・そんなことねぇ、と思う・・・﹂ ﹁さすがの私でも自分に魅力がないんじゃないかってショックで。﹂ ﹁・・・・・・無いわけじゃねぇから困ってんだ・・・﹂ ﹁何を困る事があるんだ?私達は同じ事を望んでると思うんだけど ?﹂ とガーウェンの唇を指でなぞった。ガーウェンは視線を彷徨わせな 183 がら、 ﹁そうかもしんねぇけど・・・・・・だけど、その・・・﹂ といつものようにモゴモゴと言葉を噛んだ。 お互い好意があって望みが同じだと分かっているのにどうしてこう も最後の一歩を躊躇うのか。 はぁとため息をついて、跨っていたガーウェンの腹の上から退く。 ﹁あ・・・リ、リキ・・・﹂ 私を追うようにガーウェンは起き上がったが、それ以上何も言えな いようだった。私を受け入れはしないのにどうしてそう縋るような 声を出すのか。 よく分からない。ガーウェンの気持ちを聞きたいけれど、思った以 上に彼は口下手なようだ。 ガーウェンは飼い主に怒られた犬のようにしゅんと俯いていて、強 面のおっさんが小さくなっている光景に少し笑ってしまった。 ﹁ガーウェン、腕貸せ。﹂ 置いてあったズボンと下着を投げ渡しながら言った。 ﹁腕枕したいから腕、貸せ。﹂ とんとんと枕元を叩けば、ガーウェンは慌ててズボンを履き、また ベッドに横たわった。髪をまとめて後ろへ流して、ガーウェンの太 い腕に頭を乗せると直ぐさま抱き込まれた。 しばらくしてガーウェンはぽつりと言った。 ﹁・・・・・・俺はきっとお前を傷付ける・・・﹂ 妙に確信的な言い方に首を傾げた。 ﹁傷付けるって例えばどんな?﹂ ﹁・・・お前とじゃ体格が違い過ぎるし、俺は力の加減が出来ねぇ し・・・。﹂ ﹁それは時間をかければ解決する問題じゃないか?力加減を練習し たりとか。﹂ 184 ﹁そ、それに女の喜ぶような物も分からないし。記念日もよく忘れ るし。髪型が変わったのも分からねぇし。服のセンスはねぇし。﹂ やけに具体的過ぎる内容に吹き出してしまった。 ﹁ぶっ、はははは!それ誰かに言われたのか?そんなこと気にする なよ、私は気にしないぞ。﹂ ﹁う・・・﹂ ﹁私はその﹃誰か﹄じゃない。ガーウェンが女の喜ぶような物も分 からなそうで、記念日もよく忘れそうで、髪型が変わったのも分か らなそうで、服のセンスもなさそうだって分かったけど、お前を選 んだんだよ。﹂ ガーウェンの身体に腕を回し、背中を優しく撫でた。 ﹁私はガーウェンがガーウェンだから好きになったんだよ。﹂ ぎゅうっと私を抱く腕に力がこもった。 ﹁そ、それに・・・その・・・俺は、その・・・・・・ヘタクソ、 らしいんだ・・・﹂ ﹁ヘタクソ?﹂ ﹁・・・・・・その、それでお前に失望されたら・・・﹂ 言い辛そうなガーウェンの言葉の意味が分かり、苦笑してしまった。 ﹁それも﹃誰か﹄に言われたのか?﹂ ﹁・・・・・・﹂ セックスがヘタクソだと過去の女に言われたのか。ガーウェンのセ ックスに対する躊躇いは自信のなさの現れだったのかな。 ﹁じゃあ、二人でお互いが気持ち良くなるように特訓すればいいよ。 ﹂ ﹁二人で特訓って・・・﹂ ﹁私は側にいてほしいって言ったろ?それは一緒に歩いて行こうっ て意味なんだよ。ガーウェンが出来ない事を私が手伝って、私じゃ 足りない物をガーウェンが補ってそうやって一緒に生きていこうっ てこと。セックスだって相手がいなきゃ出来ない事なんだから、一 緒に試していこうよ。﹂ 185 顔を上げると赤茶色の瞳と視線があった。ガーウェンは普段は見せ ない弱気な顔をしていた。 ﹁いいよ、下手でも。二人で何回もすれば、私達に合ったやり方が 見つかるよ。記念日を忘れたって、私が教えればいい。服のセンス がなくたって一緒に買いに行けばいいんだよ。それでたまにケンカ してまた仲直りして、そんな風にお前と一緒に生きて行きたいんだ。 ﹂ ガーウェンの顔が歪んだ。その泣き出しそうな顔を身体をずらして 胸に抱き込む。 ﹁ガーウェンも私とそんな風にいたいと思ってくれたらいいんだけ どな。﹂ ぎゅうっと痛いくらいガーウェンは抱きしめ返してきて、それとは 対照的に掠れる小さな声で呟いたのだった。 ﹁・・・・・・俺もそう思ってる﹂ 186 二人で一緒に*︵後書き︶ ﹁なぁ、さっきのプロポーズみたいだったよな?﹂ とリキがクスクスと笑った。俺はきっと情けない顔をしているから、 見られないように俯いたまま答えた。 ﹁・・・お前はすげぇな。﹂ ずれた答えだったが、それが本心だった。 思えばこの小さく細い身体に収められている揺るぎない強い心に惹 かれたのかもしれない。 ﹁そうだろ?私はすごいだろ﹂ 冗談めかしたリキの言葉に顔を上げると、黒い瞳で射抜かれた。 ﹁だから、お前は私の側にいろ。絶対に幸せにしてやる。﹂ 黒い艶やかな髪を揺らし、にこりと綺麗な笑顔を見せるリキに何も 言えなくなった。 ただ心臓がひたすらにうるさかった。 187 欲求不満の女子 喉元過ぎれば熱さを忘れるという諺があるが、欲求不満というのは 溜まっていく一方のようだ。 朝の爽やかな日差しが容赦なく降り注ぐベッドの上で、天井を睨み つけていた。 普段はそこまで性欲がある方ではないのだが、二晩もお預けを喰ら いモヤモヤというかムラムラというか、そういうものが身体の奥で 大きくなっている。 一言で表すならば、 ちょーセックスしてぇ・・・! しかし昨晩、恰好良く決めた手前、そう言い出すのは何か違う気が する。恰好つけず、押し切ってセックスすりゃあ良かった。 深いため息を付きながら起き上がった時、浴室の扉が開き、肩にタ オルをかけた上半身裸のガーウェンが現れた。やけに清々しい表情 をしている。 ﹁起きたのか。・・・どうした、調子悪いのか?﹂ 不機嫌な私の顔を覗きこんでくる鍛えられた肉体に一気に欲情が沸 き立つ。 くそおっさん、てめぇ、襲うぞ。 欲情の対象と原因の両頬を苛立ち任せでぎゅーっとつねってやった。 ﹁い、いふぇえ。なにしゅんらよ﹂ ガーウェンは困ったような顔をして文句を言っていたが、手を払う ことはしなかった。ふといつものガーウェンとの違いに気付いた。 ﹁あれ?お前、ヒゲ剃ったの?﹂ ﹁おー、剃った。﹂ 188 ﹁なんで?﹂ ﹁いや、別に意味はねぇけど・・・その、剃らない方が良かったか ?﹂ ﹁んー、ヒゲ有りも好きだったけど、これはこれで良いな!似合う よ。ヒゲ無いとだいぶ若く見えるのな。﹂ 無精髭を剃ったガーウェンは年齢より若く見えるようになっていた。 それに鋭い眼つきと無精髭で強面が厳つさを増していた前よりも印 象が柔らかくなったように感じる。 素直に褒めてやると、ガーウェンはひどく嬉しそうな笑みを浮かべ た。初めて見る飾らない笑顔だった。 ブンブンと勢い良く振られる尻尾の幻が見える気がする。 こんなに無邪気で幸せそうな笑顔を見てしまっては、今更﹁セック スしようぜ!﹂とは言えないではないか。 今まではなかった明らかな私への好意に心臓を揺さぶられる。 ﹁デレが急激過ぎませんか、ガーウェンさん。﹂ ﹁でれ?でれって何だ?どんな意味だ?﹂ 私の言葉に真剣な表情で首を傾げるガーウェン。 自分の変化に気付いてないのだろうか。 ﹁あー、うん。すげぇ可愛いってことだよ。﹂ ガーウェンの首に腕を回して、引き寄せ、キスをすると彼の顔が一 気に赤くなった。 ﹁好きだよ、ガーウェン。好き。﹂ 耳に吹き込む様に囁くと彼の身体がビクッと震えた。 ﹁・・・・・・・・・お、おれ、も、す、す、す﹂ 小さく低い声で真っ赤になりながらそう繰り返す可愛いおっさんに、 ﹁おっさんてめぇ、マジで今晩覚悟してろよ。ぜってぇヤる。逃が さねぇからな!﹂ と硬直する身体を強く抱きしめた。 恰好悪いとかどうでもいい!ガーウェンを手に入れたい! 189 ****** ﹁身体を鍛えようと思うんだ。﹂ 朝食のニョッキのようなものが入っているスープを食べながら、一 同に宣言する。しかしこのもちもち感いいね。 ﹁どうした?急に。﹂ ﹁何かあったんですか?﹂ 隣で朝から大盛りの料理を食べているガーウェンが聞いてくる。向 かいの席でエヴァンも首を傾げていた。 ﹁んー、ここからの旅路とこれからの生活を考えると体力をつけた 方がいいって思ったんだ。それに狩りや魔獣との戦闘も訓練すべき だと思うしな。﹂ という言葉にガーウェンがあからさまな不機嫌さを表した。 ﹁戦闘って・・・お前はそういうことはやらなくていい。﹂ 戦闘 その様子にロードが口を挟む。 ﹁ガーウェンさん、その言い方じゃ足りないっスよ!﹃俺が必ず守 るから、お前はそういうことはやらなくていいんだ﹄って言わない と。頭から否定されると反発しちゃうっスよー。﹂ なんとロードのくせにまともなことを言う。 期待を込めた笑顔でガーウェンを見つめると、その視線に気付いた のか耳まで真っ赤になり、それでも小さな声で ﹁お、俺が、ま、まもっ・・・﹂ とブツブツ言い出した。 やだもうすごい必死!可愛い! ﹁ぶふぁっ!!ガ、ガーウェンさんが、か、可愛くなってるっ!! ぶひゃひゃひゃひゃ!﹂ 190 謎の鳴き声を出してロードが腹を抱えて笑っている。 ﹁ああ?ロードてめぇ、何きめぇ事言ってんだよ。ふざけんな、殺 すぞ。﹂ ﹁えええええ!ガーウェンさんこえぇっス!つかなんで俺だけなの ?!リキちゃんもすげぇ笑ってたじゃん!!﹂ ﹁リ、リキは、べ、別にいいんだよ﹂ ﹁贔屓っス!横暴っス!﹂ テーブルを挟んでじゃれ始めた二人を窘めた。 ﹁お前ら、声がでかいぞ。少し抑えろ。﹂ 特に語気を強めたわけじゃなかったが、私がそう言うと二人はピタ リと静かになった。 ﹁・・・何でだろう。リキちゃんが言うことには従わないといけな い気がする。そういう圧力を感じる・・・﹂ ﹁なんだそれ﹂ ﹁いや、ロードの言う通りだ。なんて言うか、身体が自然と従うと いうか・・・﹂ だからなんだそれ。 ﹁もしかしたらリキさんは︻統率者︼系のスキルを持っているのか もしれませんね。﹂ 紅茶のカップに手を伸ばしながらエヴァンが感心したように言った。 ガーウェンもロードも﹁ああ、なるほど﹂と納得したような顔をし た。 ﹁︻統率者︼?どんなスキルなんだ?﹂ ﹁大まかに言うと集団の統率に向いたスキルです。珍しいスキルな ので詳細は知られていませんが、発する命令の拘束力が高いとか、 味方の士気を高めるとか、求心力があり人心の掌握に優れるスキル だと言われています。騎士団や傭兵団の団長クラスに保有者が数名 いるとも言われていますが、さっきも言った通り珍しいスキルなの で私も今までで一人しか会ったことがありません。そういえば、リ キさんはその人に雰囲気が似ていますね。﹂ 191 ﹁はぁ?!!似てねぇよ!あの戦闘狂とリキを一緒にすんな!!﹂ エヴァンの言葉に被せるようにガーウェンが怒鳴る。 ﹁へぇ、それは興味深いな。会ってみたいよ。﹂ ﹁だめだっ!・・・・・・あっ、わ、悪い・・・﹂ 急に向けられた怒声に驚いて身体を揺らすと、途端にしゅんとガー ウェンは落ち込んだ。その落差の激しさに苦笑しながら問うた。 ﹁なんでそんなに駄目なんだ?﹂ ﹁・・・・・・い、いや、その・・・﹂ ガーウェンの視線が行ったり来たりと忙しない。加えてボソボソと 小さな声で何か言っているようだが分からない。 ﹁んー?﹂ ﹁そうだ、リキさん、冒険者ギルドに登録しに行きましょうか。﹂ とエヴァンがガーウェンを華麗にスルーして言った。 ﹁ギルドカードがあった方が何かと便利ですし。それにこの街のギ ルドの裏に自由に使える訓練場があるので、ついでに身体を動かし に行きましょう。私が少し魔法を教えますよ。﹂ ﹁おお!魔法!﹂ 当たり前だが、生まれてこのかた魔法なんて見たことはないし、興 味は大いにある。それに実を言うと魔法使いという職業に憧れもあ ったりする。 ﹁おい、エヴァン。﹂ ガーウェンが低い声でエヴァンを呼ぶ。魔法を習う事もあまり良く 思わないようだ。そんなガーウェンにエヴァンはため息をひとつ付 いて、呆れた声で答えた。 ﹁危険な魔法は教えませんよ。・・・大体、リキさんの姿は目立つ から自衛出来るぐらいにならないとソーリュートでは逆に危険でし ょうに。貴方がいつも側に居れるわけではないでしょう。過保護も いい加減にしないと危険な目に会うのはリキさんなんですよ。﹂ その内容は考えていなかったようでガーウェンはぐううと唸って俯 いた。分かりやすく落ち込んでいる。その少し丸まった背中を撫で 192 ながら優しく語りかける。 ﹁心配してくれてありがとう。ガーウェンは優しいな。なぁ、ガー ウェンも一緒に行くだろ?ガーウェンにも色々、教えてもらいたい な。﹂ ちらりとガーウェンが私を窺うように見たので、 ﹁それに私には魔法使いが似合うと思わないか?﹂ と戯けて人差し指を振って見せると、やっと笑顔を見せてくれた。 193 欲求不満の女子︵後書き︶ ﹁完全に手懐けてますね。﹂ ﹁すげぇ、リキちゃんって︻猛獣使い︼なんじゃね?﹂ ﹁しかしガーウェンは鬱陶しいですね。リキさんの事となるとすぐ に落ち込むからさらに鬱陶しい。﹂ ﹁リキちゃんはガーウェンさんのどこに惚れたのかな。女の子の扱 いにも慣れてないし、気は利かないし面倒くさいし。﹂ ﹁本当ですね。﹂ ﹁・・・・・・お前ら、全部聞こえてんだよ・・・﹂ 194 粘着されるおっさんと無邪気な女子 ﹁俺が頼りないからか﹂ 冒険者ギルドへ向かう道すがら、隣を歩くガーウェンがぼそりと呟 いた。脈絡のないその言葉に彼を見上げると、私の視線に気付き﹁ しまった﹂という顔をした。 どうやら口に出すつもりはなかった言葉のようだ。 ガーウェンの言葉の意味をしばし考えて、思い至った。 ﹁違うよ。私が訓練するって言い出したのはガーウェンが頼りない からじゃないよ。﹂ そう言うとガーウェンは驚いた顔をした。なんで分かったのか、と いう表情だ。彼は自分の分かり易さを知った方がいい。 ガーウェンはどうやら自己評価が低いようだ。さらに女性関係に対 してはネガティブな思考に陥りやすい。 ﹁ガーウェンのことはいつも頼りにしてるよ。頼りにし過ぎて申し 訳ないぐらいだ。﹂ と付け加えると、ガーウェンは少し笑ったが、すぐに泣き出しそう な表情になった。 ﹁俺はお前に危ない事はしてほしくねぇんだよ。﹂ ﹁そうか。・・・ガーウェンは私の事を守ってくれるのか?﹂ ﹁当たり前だ。でもエヴァンが言うことも分かる。ソーリュートは でかい都市だし人も多いから面倒事も多い。お前に自衛手段があれ ば良いのは分かるんだ。でも・・・﹂ ﹁私はガーウェンの側にいたいからそう言ったんだよ。﹂ ガーウェンの手を取り、彼を見上げながら伝える。 ﹁ガーウェンは依頼次第で危険な所へ行くこともあるんだろ?その 時私は、ガーウェンを心配しながらただ待っているだけなんじゃな いかって考えたら嫌だったんだよ。ガーウェンの役に立ちたいし守 195 りたい。側にいたいし一緒に行きたい。﹂ 私を見下ろす赤茶色の瞳が揺れた。 ﹁一緒に生きて行きたいって言ったろ?私を置いていかないで連れ て行ってほしい。ガーウェンと離れたくないんだ。その為に私は強 くなりたいって思ったんだ。﹂ 腕を伸ばしてガーウェンの頬を撫でると、照れて顔を赤くしながら も満更でもないような笑みを浮かべていた。 ・・・まぁ、包み隠さず言うとどんな所にも着いて行ってお前を逃 がさねぇよという粘着宣言なのだが、ガーウェンはロマンチックな 告白を聞いたみたいに嬉しそうにしているから黙っておこう。 ﹁・・・・・・二人で盛り上がっているところ悪いんですけど、こ こ道の真ん中ですからね。﹂ エヴァンの冷めた声でガーウェンの雰囲気が一瞬で変わり、慌てた ように私から少し距離を取った。 若干の非難を込めてエヴァンを見ると、ひどく呆れた顔を返されて しまった。 ﹁リキさんも自重してくださいよ。百歩譲ってイチャつくのは構い ませんが、私の見えないところでやって下さい。﹂ 顔に﹁リア充爆発しろ﹂って書いてある。 ﹁エヴァンさんもっと言っちゃって!この人達どこでもイチャつく んスから!もうね、すごい胸焼け!それなのにセックスしてないん だから意味分かんない!!﹂ ロードがキャンキャンと吠え、言われた内容に顔を赤くしてガーウ ェンが反論する。 ﹁ば、ばかか!俺達はその、そう!身体を繋げるより先に心を繋げ る事をしてんだよ!﹂ ガーウェンが渾身のドヤ顔を決めた。 ロードが吹き出した。エヴァンも手で顔を隠し、肩を震わせている。 私が背中を優しく撫で、 196 ﹁ガーウェンは可愛いなあ﹂ としみじみ言うとガーウェンはぐううううううと唸った。 ****** リキがエヴァンに簡単な魔法の使い方を教えられているのを、訓練 場の少し離れた場所から見ていた。リキは魔法に興味があるらしく、 先ほどからキラキラした瞳でエヴァンの話に聞き入っている。 正直、面白くない。 しかし俺は魔法はたいして上手くないのでリキの先生になることは できない。 ﹁ぶっ!ガーウェンさん、﹃そんな可愛い顔で他の男を見つめるん じゃねぇ﹄って顔に書いてるっスよ!﹂ わかりやすっ!と隣にいるロードが笑った。 ﹁うるせー、悪いかよ。﹂ 不機嫌さを隠さずにそう言うとロードが驚いた顔をしたあと、また 笑った。 ﹁ガーウェンさんベタ惚れっスねぇ。そんな心配しなくてもリキち ゃんだってガーウェンさん一筋じゃないっスか。さっきも﹃希望の 就職先がある﹄って。それってつまり・・・く、ははは!熱烈アプ ローチっスよね!﹂ ロードの言葉に先ほどの事を思い出してかぁっと一気に顔が熱くな った。 冒険者ギルドへ着くと早速、リキの登録をした。手首に識別用の紋 197 様を魔力で刻むのだが、それを見たリキは、 ﹁バーコードみたいだな﹂ と言っていた。リキの世界に似たような紋様があるそうなのだ。 最近、こうしてリキが故郷の世界の事を語るのを聞くと不安に襲わ れる。 それで望郷の念に駆られ、元の世界に帰りたいと思ってしまったら。 リキは帰らないのではなく帰れないのだ。もし、帰る方法が見つか ったら。 俺は帰る方法なんて見つからなければいいと思ってしまっている。 本当に最低な野郎だ。 ﹁ギルドでは登録時に適性職業判断が出来ますけど、どうなさいま すか?﹂ と受付の女がリキに勧めている。 適性職業判断とはマナ保有量と適性魔力と性格で文字通り適性職業 を判断してくれるだいたいどこの冒険者ギルドにもあるシステムだ。 リキは特に興味ないようで断っていた。 ﹁んー、やりたい仕事ぐらい自分で見つけるから大丈夫だよ。それ に、﹂ リキが花が咲いたような笑顔で俺を見た。 ﹁希望の就職先はもう決まってるんだ。﹂ ﹁あらあらまぁ!そうですか!うふふ。やっぱりお嫁さんは憧れで すよねぇ。﹂ 受付の女も俺を見て意味深な笑みを浮かべている。 お嫁さん?就職先? ﹃さっきのプロポーズみたいだったよな?﹄ 突如、昨夜リキが言った言葉を思い出して一気に顔が熱くなった。 あれは俺を元気付ける為の冗談だったのでは? というか希望の就職先とは俺か?! 198 俺のよ、よよ嫁になりたいということか?!! ﹁あらあら。結構、脈ありじゃないですか?﹂ ﹁そうかな。そうだと嬉しいね。﹂ 真っ赤になり口をパクパクしている俺を見て、リキと受付の女がク スクスと笑った。その空気に耐えられなくなり、その場から逃げ出 したのだった。 ﹁・・・・・・聞いてんじゃねぇ﹂ ﹁聞こえたんスよ。リキちゃんも期待してんだしガーウェンさんも 男見せないと。﹂ ロードの言葉に昨夜の不甲斐ない自分を思い出し、落ち込んでしま った。 パァンと破裂音が聞こえて、ハッとリキ達を見た。魔法を成功させ たらしい。 リキは驚いた顔をして、それからエヴァンと顔を見合わせて笑った。 キラキラとした無邪気な笑顔だった。 ・・・クソ、面白くねぇ! リキは結局、一日中魔法の練習をしていたのだった。 199 熱の全て*︵前書き︶ エッチな表現があります。というかしてます。 リキさんは有言実行、初志貫徹です。 200 熱の全て* 夕飯を食い終わって部屋に戻るとリキは一目散に昨日エヴァンから 貰った本を手にした。 ﹁今日はガーウェンが一番風呂に入っていいぞ。ゆっくりつかって こいよ。﹂ パラパラとページを捲りながら、俺を見ずに言う。 ﹁・・・・・・おう、分かった﹂ 別に昨日のように﹁一緒に入ろう﹂と言われるのを期待してたわけ じゃない。断じてない。 リキは魔法に夢中のようで夕飯の最中もエヴァンにあれこれ質問し ていた。エヴァンの回答にうんうんと頷いている様子は見ていて微 笑ましいが、リキを取られた淋しさを感じた。 ﹁・・・ほっとかれて淋しいとか俺はガキかっての﹂ 風呂につかり天井を見上げて自分に呆れる。 リキはリキのやりたい事をやっているだけだ。俺がリキを求め過ぎ ているだけなんだ。 だが恐ろしい事にもうすでに俺はリキが側にいる生活以外考えられ ない。 リキより十歳以上も年上なのになんてどうしようもない奴なんだろ うか。 ガタンと浴室の扉が開く音がなり、リキが顔を出した。 ﹁なっ!ちょっ!おまっ!﹂ ﹁ガーウェンって長風呂なんだな。遅いから一緒に入りに来た。﹂ ペタペタと軽い足音をならし、リキが風呂場に入ってくる。細くて 白い身体が現れると視線を逸らしてしまった。 201 ﹁おおお俺、ああああがっ!﹂ ﹁ガーウェン、ちょっとお湯かけて﹂ 俺、上がるからと立ち上がろうとした絶妙なタイミングでリキがそ う言うから、思わずその通りにしてしまう。 髪を全部前にやり、背を丸めて座っている。 普段見えないうなじから背中、尻、足と全て見えていてゴクリと喉 がなった。 し、しまった。もう立ち上がれない。だって・・・下が元気になっ ちまった! 落ち着け!精神集中!一緒に風呂入るだけだ! ブツブツと己を叱咤激励しているとリキが湯に入ってきて、俺を背 に寄りかかった。 ﹁はぁ・・・気持ちいい・・・﹂ そんな艶かしい声だしてんじゃねぇ!! リキの肩越しに柔らかそうな胸や細い足が見えて慌てて視線を逸ら した。 それからピクリとも動けず、ぐぐぐと唸っているとリキが静かに言 った。 ﹁私が今朝言ったこと覚えてる?﹂ ﹁あ?えー・・・えっと・・・?﹂ ﹁ふふふ﹂ たぷんと湯が揺れ、リキが振り向いた。そして俺の首に腕を回し、 ﹁このままここでするのとベッドでするの、どっちがいい?﹂ 返事はリキの口の中に消えていった。 ****** 202 風呂でセックスした事なんてなかったので自信がなくてベッドを選 択した。 リキにベッドへ誘われながらキスを繰り返すとすぐに小さな舌や口 の中に夢中になってしまった。 何もかも甘いのだ。唾液も吐息も俺を呼ぶ声も。その全てを余すと ころなく飲み込もうとリキの唇を貪った。 そしていざって時に俺は恥を忍んで白状した。 ﹁俺はその・・・ならすってやった事なくて・・・﹂ ﹁ならす?・・・ああ、慣らすね。別に慣らさなくてもいいけど。・ ・・いやそうだな。やっぱ触って貰いたいかな。﹂ ﹁ど、どうすれば・・・﹂ ﹁ガーウェンは女の人のココには触った事は本当にねぇの?﹂ ココ、と手をリキの秘部へと導かれ、情けない事にビクンと身体が 跳ねた。 ﹁そそそその、ささ触るなって怒られて、女は皆そうなんだと・・・ ・・・﹂ 過去の女とのあれこれをリキに言うのは躊躇いがあったが、リキは 真剣に聞いてくれた。 ﹁なぁ、それって本当に恋人だったのか?﹂ ﹁・・・・・・俺はそう思ってたけど・・・﹂ 正直、思い出したくない。今はもう辛い思い出しか浮かばない。 俯いていた頭を優しく撫でられた。 ﹁ま、そういう嗜好の人もいるよ。気にすんな。私は全部ガーウェ ンに触ってほしいんだけど、いい?﹂ ﹁っ!!お、おう!﹂ クチュリと音がなりリキの秘部が俺の指を飲み込んだ。挿れるとそ の狭さと柔らかさに驚いた。 203 いやいや指一本でこれだけ狭いのにこんなの入んねぇだろ! こんなのとはもちろんギンギンに昂ぶっているコイツのことだ。触 ってもいないのに先走りを垂らす堪え性のないコイツのことだ。 ゆっくりと指を動かすとリキが息をはいた。 ﹁あっ・・・ん・・・﹂ ﹁痛い、か?﹂ ﹁いいや。ガーウェンの指が入ってるって思うとすげぇ興奮する。﹂ 頬を上気させ、潤んだ黒い瞳を細め、欲情を示すその表情にゾクゾ クと背筋を快感が走る。 ・・・もうすげぇ可愛い!めちゃくちゃエロ可愛い!! 挿れたらどんな顔をするのか、どんな声で鳴くのか想像するだけで もう出そうになる。 ・・・・・・いや、待て!まだ挿れてねぇから早まるな!落ち着け 俺! ****** じれってええええええええ!!! もっと指三本くらい挿れてぐっちゃぐちゃにしてくれよ!! むしろそのギンギンのちんこ挿れてぐっちゃぐちゃにしてくれよ!! これはこれで興奮するけどさ!じれってぇよ!! ﹁んんっ!﹂ 焦ったさに身をよじる。 そこじゃない。イイところをもっとガンガン突いてほしい。 ﹁ガーウェン・・・﹂ 204 私の胸の先端に執拗に吸い付いている彼を呼ぶと、上目遣いでこち らを見た。はぁはぁと荒い息が責め立てられていた先端にかかり、 それだけで身体の奥に痺れが走った。 ﹁ガーウェン、挿れてよ﹂ ﹁お、おう。﹂ と言ったガーウェンが一瞬視線を泳がしたのを見逃さなかった。 やっぱりセックスに躊躇いがあるのだろう。 よし、私が人肌脱ごう。 ﹁なぁ、今日は私が上でいいか?﹂ ﹁え、あ、ああ。﹂ 体勢を入れ替えるとガーウェンの立ち上がったモノが目に入った。 ﹁すげ。ガチガチじゃん。﹂ ﹁ぐ・・・言うなよ・・・﹂ 先からはとろりと液が垂れており、思わず吸い付いてしまった。ほ ろ苦い味が口に広がる。 ﹁うっ!お、おい、リキ!﹂ ﹁ん・・・ああ、すまん。美味しそうでつい。﹂ ﹁お、おいしそうって・・・﹂ バキバキに割れた腹筋に片手をついて腹に跨り、もう一方の手でガ ーウェンの陰茎を支えた。ふと思い付きガーウェンに尋ねた。 ﹁騎乗位はされた事あんの?﹂ ﹁あ?ま、まぁ。・・・いい思い出ねぇけど。﹂ ﹁おっさん、あんた女運ねぇんだな、きっと。﹂ 私みたいな奴に狙われるぐらいだしな。 私のアソコはズブッと一番太い所をなんなく飲み込んだ。正直、恥 ずかしいくらいびしょびしょだし処女って訳じゃないし、そんなも んだろ。 ﹁あ・・・あ・・・﹂ 205 腰を下げるたびゾクゾクと快感が背筋を上ってくる。 ふっと短く息をはいて、一気に腰を下げた。 ﹁んんっ!﹂ ﹁ぐっ!﹂ ドンッとガーウェンが最奥を突き上げた。反射的に中を絞り、ガー ウェンを締め上げてしまった。 やばい。これだけでかなり気持ちいい。 ガーウェンを見ると奥歯を噛み締め、射精感に耐えていた。 いいね、その顔。 身体を逸らし、ガーウェンの太ももに手をつき、大きく足を開いて 見せる。私とガーウェンの繋ぎ目がよく見えるようにだ。 ガーウェンの眼が鋭さを増しギラギラ輝く。 ﹁ほら、ちゃんと入ったろ?ここ、にガーウェンの、入ってるだろ。 ﹂ そのまま腰を上下し、出入りを見せつける。ズチュズチュと淫靡な 水音が部屋に充満した。 ガーウェンはもの凄く興奮しているようで、息が荒くなり、私の足 首を掴んでいる手に力が入っていた。 グリグリと腰を動かし、奥の自分のイイ所にガーウェンを擦り付け、 喘いだ。 ﹁あっあっ、こ、ここが、私の気持ち、イイとこっ、あっんんっ、 お、覚えて、あっ!﹂ 気持ち良くて中が締まるとガーウェンの先端がさらにイイ所を押し 上げ、仰け反った。 ぶるぶると震えがくる。 めちゃくちゃ気持ちいい。よっぽど興奮してんのか、身体の相性が いいのか。 ﹁っ!﹂ 余韻を逃がしていると突然ガーウェンが起き上がり、そのまま押し 206 倒された。勢いとガーウェンの体重でさらに奥へと昂りを押し込ま れ、その衝撃に叫んだ。 ﹁あああっ!!!﹂ なんつー力技だ。奥に捻じ込まれた脈打つ昂りもそうだが、身体が 軋むくらい抱き込まれ、苦しい。 ﹁ガ、ガーウェン、っ!あっ!だめっ!あっ!あっ!﹂ ﹁リ、キ!・・・はっ!・・・はっ!﹂ ﹁腕、緩めて﹂と訴える前に激しい律動が始まり、容赦なくイイ所 を抉ってくる。良過ぎてきつい。 突かれるたび脳が揺れ、びりびりと全身に快感が走り、仰け反った。 ﹁ガ、ウェン、キ、ツイからっ!ああっ!あっ!﹂ ﹁はっ!はっ・・・ふっ!リ、リキ、頼む・・・﹂ 耳元でガーウェンの荒い息と欲にまみれた声がする。 ﹁頼む・・・中に出させてくれ・・・!・・・全部っ、お前のイイ 所に全部かけたいっ!﹂ 切羽詰まった懇願。 変態じみた要求に自分の口の端が上がるのが分かった。 なにその台詞。すげぇ興奮すんだけど。 ﹁あっ!あっ!いいっ!いいよっ!全部かけて!﹂ さらに律動が激しくなる。 抑え込まれ、全身を揺すられ、ひたすら奥を抉られる。 ﹁はっ、はぁ!うぁっ、出る!・・・・・・ぐっ!!﹂ 足を抱えられ奥へ、最も奥へ熱の全てが叩き込まれた。 207 熱の全て*︵後書き︶ おっさんがうだうだ悩んでても結局、ラブラブになる不思議。 エロは頑張ってエロくなるように書いているのですが、エロいです か?足りてますか? 208 言っていないことと言わないこと* ふぁ、と欠伸が出た。 すげぇ疲れた。アソコがじんじんする。腕も痛い。 疲労に多少の痛みと不具合は所々あるものの清々しい達成感で気持 ち良く眠れそうだった。しかし、その前に。 ﹁・・・なんでそんなとこにいんの、ガーウェン。﹂ ベッドの足元に正座をしたガーウェンがいる。がっくりと項垂れ、 ひどく落ち込んでいた。 ガーウェンは私の中に全てを注いだあともしばらく私を抱き込んだ まま、荒い息をついていた。 ﹁ガーウェン、苦しい・・・﹂ 同じく荒い息をつきながら、いい加減苦しくなってそう言うと、ガ ーウェンは慌てて私から距離を取った。 勢いよく引き抜かれ、中からどろりと情事の残滓が溢れたのを感じ て思わず吐息をはいた。 ﹁あ、んっ・・・・・・﹂ ﹁っ!リ、リキ、あ・・・血が・・・﹂ ガーウェンの顔が蒼白になった。 ﹁お、お前、処女、だったーーー﹂ ﹁んなわけあるか。﹂ 愕然としたガーウェンの頭にズビシッと手刀を落とす。ガーウェン が頭を抱えて呻いた。 ﹁うぐぐぐぐ!﹂ ﹁お前が激しくするからだよ。次はもう少しゆっくりしような。﹂ ﹁あ、え・・・・・・﹂ 209 ガーウェンの顔が再び蒼白になった。 ﹁悪い!俺っ・・・・・・やっぱり、俺・・・﹂ そして彼は現在、絶賛反省・自己嫌悪の真っ最中なのである。 ﹁ガーウェン、寝ようぜー。﹂ ベッドを軽く叩き、ガーウェンを誘うが彼はしょんぼりした顔でこ ちらを見るだけで、そこから動かなかった。その可愛らしい様子に 笑ってしまう。 犬みてぇ。 何か が力を発したような気がした。ガーウェンは ﹁﹃ガーウェン、おいで﹄﹂ 私の中にある とはエヴァン達が言うところのスキル︻統率者︼である。 その力に引かれるようにそろそろと私の隣に寄って来た。 何か スキルというのは意識するのとしないのとでは能力の発揮にだいぶ 差があるのだそうだ。 私の場合︻統率者︼を保有しているかどうかはまだ確定していない のだが、︻統率者︼に連なるスキルを保有しているのは間違いない らしい。そのスキルを意識しながら言葉を発する事で今までよりも さらにスキルの効力が高まるということなのだ。 まぁ、あまりガーウェンに使いたくないスキルだけど今は仕方ない。 隣に来たガーウェンに手を伸ばすと、握られた。 ﹁・・・悪かった。嫌だったろ・・・﹂ ﹁ふふふ、嫌じゃないよ。好きな人とセックスして嫌なわけないだ ろ。・・・ほら、隣。隣に来てよ。﹂ 手を引けば、ゆっくりと隣に来て、私を抱きしめた。 ﹁私はものすごい気持ち良くてものすごい達成感があったけど。ガ ーウェンはどうだった?﹂ 210 ﹁俺は・・・俺もものすごい気持ち良くて・・・途中で暴走するく らい気持ち良くて。それにこんなに達成感があるのは初めてだった。 ﹂ ﹁ふふふ、そうか。私と一緒だな。﹂ ガーウェンの身体に顔を寄せ、目をつぶる。意識がふわふわして、 眠りへ落ちてゆく。 ﹁リキ・・・・・・ありがとうな。﹂ ガーウェンが小さく呟いた。それに何か返そうとして、だけど上手 く思考がまとまらなくてただ一番、言いたい事を口にした。 ﹁・・・・・・ガーウェン・・・愛してる・・・﹂ 遠くなる意識の中、小さな嗚咽が聞こえた気がした。 ****** バァアンッ!と部屋の扉が勢い良く開けられ、可愛らしい女の子の 声が響いた。 ﹁リッちゃあん!エヴちゃんから聞いたよぉー!魔法を習ってるん だってぇー?!アフィが先生になってあげるー!!﹂ ﹁ばっ!ばかアフィーリア!てめぇ、勝手に鍵開けて入って来てん じゃねぇええええ!!!!﹂ 騒がしさに目を開けると部屋の中は明るくなっており、すでに日が 昇っていると分かった。が、まだぼんやりとした意識のまま起き上 がった。 ﹁アフィ?おはよ、早いなぁ﹂ 確かアフィ達が合流するのはあと二、三日かかる予定だったような? アフィに視線を向けようとした途端にシーツを頭から被される。 211 何だと思ったが、そうだまだ私は全裸だった。 ﹁お前は動くなっ!﹂ ﹁あらあらぁ!!うふふふふふ。ガウィちゃんたらぁ、やっとヤる 事ヤったのねぇ。いやぁーん!リッちゃん!どうだった!?ガウィ ちゃんとラブラブエッチ出来た!??﹂ ﹁うるせぇえええ!!黙れアフィーリア!!出てけええええ!!!﹂ シーツの向こうでガーウェンとアフィが押し問答している声が聞こ える。 ﹁出来たよ。すげぇ幸せだった。﹂ 思った事をそのまま口に出すと、ピタリと二人の声が止まった。ど うしたのかとシーツから頭を出すと、ニヤニヤしたアフィと俯いて いるガーウェンが見えた。 ﹁あらあらぁ。うふふ。良かったねぇ。じゃあ、アフィは下で待っ てるから来てねぇ。皆で一緒にご飯食べよー﹂ アフィは手を振りながら跳ねるように部屋を出て行った。 扉が閉まってからベッドを降り、なぜか俯いたまま動かないガーウ ェンに寄る。 ﹁ガーウェン?どうし、うわっ!﹂ 顔を覗き込むと、がばっと抱き込まれた。 ﹁ガーウェン?﹂ 何も言わないガーウェンを再び呼ぶが、ただぎゅうっとさらに強く 抱きしめられただけだった。見えた耳が赤くなっていて私は首を傾 げた。 ﹁私はリキに戦い方を教えるぞ。﹂ ﹁お、おい!マリっ!﹂ マリが大きな肉が乗った大皿を引き寄せながら言うと、やはりガー ウェンは非難するような声を出した。マリはそれを気にする素振り 212 も見せず、肉にかぶりつく。 ﹁何考えてんだ、マリ。リキは素人だぞ。お前のしごきに耐えられ る訳がないだろ。﹂ ﹁もちろんまずは体力作りから始めるさ。だがリキは大丈夫だ。身 体の動かし方が上手いしマナ操作力も高い。すぐに物になるだろう よ。﹂ ﹁そうだとしても危険な事はさせたくねぇんだよ!﹂ ﹁ーーーーだいたい何でお前がリキのやりたい事に制限をかけるん だ?﹂ ﹁は・・・・・・﹂ ﹁リキがやりたいって言ってんだろ。いくらその理由がお前だとし ても、決めるのはリキだろ。心配するのはいいが、お前の考えを押 し付けるなよ。﹂ ﹁・・・・・・﹂ ガーウェンが唇を噛んで俯いた。 マリの意見も一理あると思っているのだ。結局は私が決めた事、私 の意志次第なのだ。しかし誰かを心配するという気持ちは理屈では ない。 出来れば危険から遠ざかって欲しい、安寧に暮らして欲しい。 誰もが大切な人へ思うことだ。 ガーウェンは私の事を大切に思ってくれている。若干、過保護だが それは明らかだ。 ﹁ガーウェン﹂ 落ち込んだガーウェンの背中に手を添えるとマリのお叱りが飛んで きた。 ﹁リキもだぞ。ガーウェンを甘やかすな。いちいち構うんじゃない。 ﹂ 相変わらず肉をモグモグしながら的確な事を言うマリに思わず苦笑 してしまう。 ﹁そうは言ってもなぁ。私はガーウェンが可愛くてしょうがないん 213 だよ。﹂ ﹁リキの趣味はよく分からんな。その図体のデカイ、やたらとメン ドクサイ思考のおっさんのどこが可愛いんだ。﹂ ﹁あはは!マリちゃん言いすぎよぉ。ガウィちゃんは可愛いわよぉ。 無理してワイルドぶってるとことかぁ。﹂ ﹁うぐぐ・・・・・・﹂ 妙な流れになってきてガーウェンが唸っている。それを見てマリが 鼻で笑った。 ﹁慰め合って、傷を舐め合っているだけの関係なら堕落するぞ、ガ ーウェン。お前はもう少し自分の人生とリキの人生を﹃両立﹄させ ろ。依存じゃなく共存だ。分かるな?﹂ ﹁マリ、それは後でいいだろ?やっとガーウェンを手に入れたんだ。 もう少し余韻に浸らせてくれよ。﹂ せっかくガーウェンを甘やかして甘やかして私なしでは生きていけ ない身体にしようと計画していたのにガーウェンの目が覚めてしま うではないか! 不満気な顔を作ってみせると、マリに獰猛な笑顔で返された。 ﹁リキ、お前の計画はお見通しだ。心配しなくてもガーウェンは既 にお前の術中だぞ。だからお前はこの世界で駆け上がる準備をしろ。 ﹂ ﹁私は駆け上がらなくていいんだけどなぁ。﹂ ﹁お、おい。どう言うことだ。意味がわかんねぇよ。﹂ ガーウェンが困惑している。無理もない。 私とマリとでさえ明確に交わした事はなかったのだ。しかしお互い 予感はあった。 ﹁つまり、リッちゃんは既に強いってことなんだよぉ。あ、エヴち ゃん、アフィにも紅茶ちょうだい。﹂ さらりとアフィが答えを出した。 214 言っていないことと言わないこと*︵後書き︶ ある女がいた。 女には相思相愛の恋人がいた。 その恋人は若く駆け出しの冒険者をしていた。 女には悩みがあった。 柄の悪い男に言い寄られていたのだ。 何度断っても言い寄ってくる男に女はうっかり﹁恋人がいる﹂と言 ってしまった。 その男は喧嘩っ早く、正直に恋人の事を教えると恋人の身が危ない。 そこで女は偽物の恋人を仕立てることにした。 女の知り合いに実力があり、女に慣れていない適任の男がおり、彼 を恋人だと紹介した。 偽の恋人は女を守り、男を追っ払った。 しかし何を勘違いしたのか偽の恋人は女を本当の恋人のように扱う ようになった。 女はその男からも逃げるように本当の恋人と共に誰も知らない土地 215 へ旅立っていったのだった。 この物語はある女の物語である。 そしてとある物語の一面である。 物語は登場人物それぞれの視点で見え方が変わってくるものだ。 恋人に仕立て上げられ道化となった男の物語もいずれ語られるかも しれない。 216 側に︵前書き︶ このお話で第二章はお終いです。 次回更新は9/24になります。 申し訳ありませんが、ご了承ください。 217 側に ﹁アフィ・・・それは言い過ぎだよ。﹂ まるで確実な事実のように言うから困ってしまった。 ﹁リキはロードより強いと思うぞ。﹂ とマリが言うと一斉に私へ視線が集まった。 ﹁えええええ!俺より?!強いの?!﹂ ﹁マリ、リキさんが困ってますよ。﹂ ロードは驚愕というようにイスを後ろに吹っ飛ばしながら立ち上が り、エヴァンは同情の目をしていた。 ﹁いいや、ロードより強い。修行すればエヴァン、直ぐにお前も抜 くぞ。﹂ マリがなぜか得意気に胸を張った。だぷんっ!と胸が揺れる。 ﹁出会った時から目をつけてたんだ。リキには私の技術の全てを仕 込むぞ!久々に出会った見込みのある奴だ。すぐに世界に名が知れ るようにしてやる!﹂ ﹁いやいや、それは過大評価だし、私はそうはなれないよ。﹂ マリの張り切り具合に苦笑してしまう。 しかしこうなることはマリに出会った時から予感があった。マリは 私の師匠と雰囲気が似ているのだ。 ﹁リキ、お前、生き物を殺した事はないって・・・・・・﹂ ﹁殺した事はないよ。動物をむやみに殺すと罪に問われるからな。﹂ 確かに私はガーウェンに﹁生き物を殺した経験がない﹂と言った。 それは事実だ。動物を相手にする必要性がなかったからだ。 対人の経験ならばある。さすがに殺すまではいかないけれど。 ガーウェンには言っていなかった。言わなくていい事だと思ったか らだ。しかし今、ガーウェンは傷付いた顔をしている。黙っていた 事に後悔が過った。 218 ﹁ガーウェン、お前もうかうかしてられんぞ。リキは魔法の適性も 高そうだからお前がうだうだ悩んでる間に置いていかれるぞ。﹂ ﹁・・・・・・﹂ ガーウェンが落ち込んでいる。 マリに言われた事、私が黙っていた事に衝撃を受けて沈んでいた。 マリを見ると、マリはひどく面倒くさそうな顔をして、私達を追い 払うように手を振った。 ガーウェンのフォローをしろということだろう。 ****** 街の西側には丘があり、頂上付近はマニダーナを一望できる公園に なっていた。そこにあったベンチにガーウェンを誘って、座った。 ガーウェンはここへ来る道中、落ち込んでいた気分が拗ねへシフト したようで仏頂面になっていた。 しかしそれでも繋いだ手をはらうことも、私を置いていなくなるこ ともせず、私の歩調に合わせ歩いてくれた。 自惚れがひどくなりそうだ。ニヤニヤしてしまう。 ﹁んで、どういうことだ。﹂ ﹁んー、何から話せばいいかなぁ﹂ 焦らす訳ではなくて本当に何から話せばいいのか迷ってしまう。 ﹁まず生き物を殺した経験がないのは本当だよ。動物を自分で仕留 めるような環境にいなかったし。人相手に戦った経験があるだけだ。 ﹂ ﹁お前が?人相手に?﹂ 219 ガーウェンが私を上から下まで見て、疑わしい視線になった。 ﹁昨日見ただろ、全部。中身も。﹂ と含んで言うとガーウェンの顔が一気に赤くなった。 ﹁ばっ、ばかか!誤魔化すなよ!﹂ ﹁ふふふ、照れんなよ。﹂ 可愛い反応に一頻り笑ってから、私は語り出した。 私の叔父が道場をやっていた。 小さい頃からそこに通っていた私は、生来の感の良さですぐに強く なった。男の子達相手でも負け無しだったのだ。 しかしそれは小学生の頃までだ。 体格の差が無かったそれまでとは違い、中学生になれば自然と男子 には敵わなくなった。 それに加え、私は筋肉が付きにくい体質だったのだ。 どんなに鍛えてもあまり筋肉が付かない。 今度は女子にも勝てない事が多くなった。 私は筋力がなくても最大限のパワーを出せるように、効率の良い筋 肉の動かし方、無駄の少ない身体の動かし方を求めるようになって いった。 ある師に師事し、それらがやっと形になった。また強くなれると思 った。 そんなとき私は事故に会い、足が動かなくなった。 ﹁それが二年前。その時にもう全部、辞めたんだ。でもリハビリの 為に効率の良い身体の動かし方だけはずっと反復してた。マリの動 きは私が目指した動きそのものだから、マリの方も私の動きに気付 いたんだと思う。﹂ ﹁なるほど、それでマリがお前を見込みのある奴だと言い出したの か。﹂ ﹁目をつけられたというか、見つかってしまったというか・・・マ 220 リは買い被り過ぎなんだよ。私は二年も前に武道を辞めたんだよ? 確かに足は動くようになったし、足りないものはスキルでカバー出 来るけど、そこまで戦えるはずない。﹂ マリの生き生きとした顔を思い出し、はぁとため息をついた。 本当に師匠にそっくりだ。強引に人を巻き込む事に躊躇いがなくて、 人を鍛える事に生き甲斐を感じてるとことか。 ガーウェンがさらりと私の髪を撫でた。 見ると困ったように苦笑している。 ﹁まぁ、なんつーか・・・マリは言い出したら聞かねぇから。﹂ ﹁私はガーウェンの役に立って、一緒に旅が出来るくらいでいいの に、マリのあの言い方じゃ私を英雄にでもする気じゃないのか。﹂ ﹁はは、そうかも知れないな。マリは他人をシゴくのが趣味だから、 英雄になるまでシゴかれるぞ。﹂ ﹁うわぁ、やっぱりかぁ・・・・・・もう諦めた事なのにな・・・﹂ 思わず暗い本音が出た。 幼い頃からやってきて、挫折もあったけれどそれなりに夢もあった。 それなのにそれを諦める理由は自分の意志ではなく、理不尽な理由 だったのだ。 他人に当たり散らして自暴自棄になって腐って荒れて、それでもど うにか諦めて納得して決意してやっとゆっくりと前に進もうとして いたそんな矢先、ここへ来た。 今更、また夢の続きをやれると言われても正直、複雑な心境だ。 ぐるぐると心の中を苦しかった日々の欠片が回る。 それは辛い練習の日々だったり、苦しいリハビリの日々だったり。 ﹁・・・・・・どうしたいか分からなくなってる。﹂ 小さく呟くとふわりとガーウェンに身体を抱き込まれた。厚い胸板 に顔を押し付けられると彼の体温が心地良かった。 ﹁・・・ガーウェン﹂ 221 ****** 名を呼ばれたが、リキを抱く腕に力を込めることで答えた。 俺はどこかでリキの強さや揺るぎなさは自分とは違う人種だからと か異世界人だからとか越えられない何かからきていると思っていた。 だから少しでもリキを自分に近づけたくて、自分の思う女、﹁守ら なければならない弱い女﹂というものに当てはめようとしていたの だ。 エヴァンやマリ達がリキに戦い方の手解きをするのが嫌だったのも リキが強くなったら俺からもっと離れてしまうと感じたからに他な らない。 リキを﹃普通の女﹄にして俺とリキの間にある何かを超えたかった。 そして俺が側にいてもいいんだと思いたかった。 しかしそんなものを押し付けなくてもリキは﹃普通の女﹄だった。 挫折しても、諦めず努力することを知っている。 どうしようもない事柄に屈してしまう悔しさも知っている。 それから立ち直り、前に進む強さもある。 人を気遣うことが出来て、優しくて、笑顔が可愛い。 そして俺を好きだと言う少し変わった﹃普通の女﹄だったのだ。 ﹁俺って本当にどうしようもない奴なんだな。﹂ リキが俺と一緒にいるために、過去へ複雑な心境があってももう一 度戦い方を習おうと思った時でさえ、俺は自分の気持ちばかりリキ に押し付けていた。 危険なことをしてほしくないなんてリキに言っておきながら、考え ていたことはリキを離したくない自分自身のことだけだったのだ。 222 ﹁どうしたんだ、急に。﹂ もぞもぞと身をよじり、リキが顔を上げ疑問の声を出した。 抱いた肩は細くて、手を添えた頭は小さかった。 ﹁リキ、お前は好きにしろ。﹂ 俺を見上げる黒い瞳が少し揺らいだ気がした。 ﹁それで俺が見ててやる。マリが無茶しないかお前が無理しないか 見ててやるよ。だからお前は自由にやっていい。お前は好きに生き ればいいんだ。﹂ ﹁見ててやるって、側にいてくれるってことか?﹂ リキが小さく笑って、小首を傾げた。 からかうような、それでいて窺うような視線をしている。 唐突にリキが言ったことを思い出した。 ﹃ガーウェンが出来ない事を私が手伝って、私じゃ足りない物をガ ーウェンが補ってそうやって一緒に生きていこうってこと。﹄ 今、その意味が分かった。 ﹁・・・俺はお前の側にいたい。﹂ リキの弱さを俺が受け止めて、リキの強さが俺を助けて、そんな風 に一緒に生きていきたい。 ﹁側にいてよ。ガーウェンじゃないと嫌だよ。﹂ 甘えるような言い方にリキも俺に縋っているのだと感じた。 ﹁俺は自分勝手で不甲斐なくてどうしようもない奴だけど、お前の 側にいたいんだ。﹂ じっとリキの黒い瞳を見つめた。 ﹁だからリキ、お前も俺の側にいてほしい。﹂ 223 花が綻ぶような笑顔というのを初めて見た。 224 側に︵後書き︶ 次話からは2.5章としてソーリュートへの道中のあれこれを予定 しております。 いつものリキとガーウェンの視点だけでなく、他の面々から見た二 人の話もあります。 今後ともよろしくお願い致します。 225 道中∼教え子と鬱陶しいおっさん∼︵前書き︶ 2.5章として迷宮都市までの道中を小話的にお送りします。 それに伴い、あらすじ、タグを一部変更しました。 今後とも宜しくお願い致します。 今話はマリエッタ視点です。 226 道中∼教え子と鬱陶しいおっさん∼ 隣に身を屈めて気配を殺しているリキの耳に顔を寄せた。 こいつは気配の殺し方も上手い。 ﹁ここから真っ直ぐ40メトル、枝にいる鳥が見えるか﹂ 視線だけで方向を示す。 リキは目を少し細めてじっと前を見ていたが、小さく頷き、 ﹁見える。羽の赤い鳥だな。﹂ と囁き返した。 目も良いようだ。 ニヤリと笑ってリキに弓を渡す。 ﹁これであれを落とせ。弓は使ったことがあるか?﹂ ﹁・・・いいや。弦を引くだけで精一杯で矢は飛ばせなかった。﹂ リキは受け取った弓を珍しそうに眺めていた。リキのいた世界には スキルや魔法は存在していないかったと聞いたから、純粋な筋力だ けで弦を引くことはリキには無理だと予想はつく。 この細腕では木剣ですら持ち上がらない。 しかし今はスキルがある。 ﹁使い方はわかるな﹂ 一つ頷き、リキが弓を構えた。 なかなか様になっている。 弦をギリギリと引くと、リキの眉間に皺が寄った。そしていっぱい まで引くとピタリと止まる。 静かな呼吸。ぶれない弓。 いい。やはり私の目に狂いはなかった。 ニヤリと口の端を引き上げると同時に風が一瞬止み、リキが躊躇い なく矢を放った。 227 矢はタンッと見事に赤雉の首を射抜いた。 ﹁よし。よくやった。﹂ いいや、よくやったどころではない。 使い方を知っているだけでこんな上手く扱えるものか。 リキは自分の身体の制御が完璧なんだ。いや、完璧は言い過ぎた。 だが私の教え子の誰よりも上手く身体の制御をこなしている。 リキがじっと手を見ていた。矢を射るとき弦で切ったのか指に血が 滲んでいた。 ﹁ああ。皆、最初はそういうものさ。ついでに傷に効く薬草を取っ て行こう。﹂ リキの指に綺麗な布を巻いてやる。 これはガーウェンに嫌な顔をされるな。 リキに懸想して過保護にしているガーウェンはリキの怪我にうるさ い。少し前よりはだいぶマシになったが、やっぱり鬱陶しい。 ﹁ありがとう﹂ ふわっとリキが笑った。 思わず引き寄せ、胸に抱き込んだ。 可愛い。小さい。柔らかい。可愛い。 いい匂いのする頭にグリグリと頬ずりするとリキがふふっと可愛ら しく笑った。 射った赤雉を拾いに行くついでにリキに教える。 ﹁治癒魔法を使っても良いんだが、そうすると傷は治るが皮膚は厚 くはならない。手のひらを厚く鍛えるために剣士は剣だこをあえて 薬を塗り付けて治す。 ︻表皮異質化︼や︻表皮硬化︼などのスキルもあるが非常に珍しく、 先天的なスキルでこれから取得するのはほぼ不可能だ。 それにマナが抑制される状況下ではスキルは使用できない。騎士共 は最初に身体を鍛え抜かれ、剣技を叩き込まれる。どんな状況でも 228 主を護るためにな。スキルはオマケなのさ。﹂ 付かず離れず後ろを着いて来るリキを振り返った。 ﹁だが、お前は逆だ。筋力など鍛えなくていい。お前はスキルあり きで戦闘を組み立てるべきだ。それにその容姿も武器になるぞ。だ いたいの奴がお前を警戒すらしないだろう。そこをボッコボコにす るんだ。﹂ ﹁だがマナ使用抑制状態ではどうするんだ?﹂ 想定内の質問にふふんと笑って見せる。 ﹁いまアフィに結界魔法を習っているだろ?それを会得すれば解消 される。アフィからも聞いたと思うが、結界魔法は空間魔法と防御 魔法の相子のようなものだ。マナ抑制域内で自分の周りに結界を展 開すれば、その内部だけは干渉を受けない。習得が進めば受け付け ない干渉を拡大出来る。例えば音を遮断したり出来るらしいぞ。﹂ ﹁音の遮断はいいな。色々使えそうだ。でもそうだとしてもマナ抑 制域が展開される前に結界を張らなければならないだろ?﹂ ﹁そこはーーーー﹂ 言いながらリキの首を狙って手を伸ばそうと・・・しかし動き始め る一瞬前にリキは私の間合いの外へ飛び退いた。 相変わらず反応がいい。 ﹁そこはお前の︻直感︼だよ。﹂ ニヤリと笑って見せると、リキはいまいちよく分からないというよ うに首を傾げ、髪を揺らした。 ****** リキが真剣な表情で鹿の腹を割いている。 229 あの後、リキが自分で仕留めたものだ。 指を怪我していたので弓の使用をやめ、投げナイフでの仕留め方を 教えようと思ったのだがその必要はなかった。 リキと投げナイフの相性が抜群だったのだ。ナイフといっても手持 ちが私専用のダガーしかなかった為、リキにはかなり重いはずだが、 最大限に威力を出す効率の良い動きと︻身体強化︼で軽々と投擲し、 鹿の眉間に命中させた。 この分だと重槍も軽々投擲してしまうんじゃないか。 次の街でリキに合ったダガーと大きめのダガーを揃えてやろう。双 剣使いを目指すのもいい。 教え子の今後の教育方針を考えてニヤニヤしていると、リキの後ろ をうろうろするおっさんの姿が目に入った。あいつは自分もリキに 何かしら手解きをしたくて仕方ないのだ。 マニダーナを出立してからすぐにリキに関する役割が決まった。 私が戦い方、アフィが魔法を指導し、エヴァンがこの世界の常識を 教育、リキと戦闘スタイルが似ているロードは専ら模擬戦の相手に なっている。 つまりガーウェンだけ何もすることがない。 そのため、ガーウェンは構ってほしくて必要以上にリキの周りをう ろうろとしているのだ。しかしリキは夢中になると周りが見えなく なる質でそんなガーウェンに全く気づいていない。 声をかければいいものを見守る宣言を恰好良くしたようで、こちら に近づくことさえ躊躇っている。まったく鬱陶しい。 ﹁マリ、出来たよ﹂ いつの間にか鹿を解体し終えたリキが私を見上げて、嬉しそうに得 意気な笑顔をしている。 抱きしめて頭にグリグリと頬ずりすると離れた所から﹁あっ﹂と言 230 う声が聞こえた。ちらりと見るとガーウェンが悔しそうな顔でうぐ ぐぐと唸っている。 ばかめ!リキは私のモノだ! しかし焦ったような声を出したのは腕の中のリキだった。 ﹁マリ!血が付いてしまうよ!﹂ 見ると小さな手が血で汚れている。 ﹁あとは私がやっておくからリキは手を洗ってこい。﹂ リキが分かったと頷いて立ち上がると、後ろにいたガーウェンは慌 てて顔を逸らし、なぜか意味もなく肩を大きく回し出した。 俺は別にリキの事は気にしてませんよ、見てませんでしたよと言わ んばかりの態度だ。 なんて器の小さい男なんだ。 だがリキが私に戦い方を学ぶ気になったのは他ならぬこの器の小さ い男の為である。リキがここにいるのもこの男のおかげなのだ。 全くもってリキの趣味が理解出来ない。 チラチラとリキを窺っているガーウェンにはイラつくが、これ以上 鬱陶しい事になる前に餌を与える事にした。 ﹁リキ、待て。ほら、これ。﹂ 先ほどついでに採ってきた薬草と新しい布を渡してやる。 ﹁怪我に薬を塗り直してこい。・・・ガーウェン、リキの手当てを 手伝え。﹂ と言うと一気にガーウェンの顔が喜色に染まった。 おっさんの喜ぶ顔を見ても嬉しくない。 ま、リキも嬉しそうな顔をしているし、いいか。 ﹁怪我したのか?﹂ ﹁弓を引いたんだが、弦で切ってしまった。でもナイフでは獲物を 仕留められた!﹂ ﹁おう。随分と大物だったな。早く食いたいって顔に書いてるぞ。﹂ 231 ﹁ふふふ、バレたか。鹿は一度だけしか食べた事がないんだ。楽し みだ。﹂ 他愛のない会話でニコニコと笑い合う二人の背中を見送っていると 隣からため息が聞こえた。 ﹁はぁ∼ん。若いっていいねぇ∼。﹂ アフィが両手を頬にあて、うっとりとした表情をしている。 またアフィの若さ信仰が始まった。若さを奉るあまり、童貞喰いを 行うという狂気の信仰だ。 ﹁・・・・・・ガーウェンはロードと同族だったのか?ブンブン振 ってる尻尾の幻覚が見えるぞ。﹂ ﹁あはっ!ガウィちゃんはリッちゃんに懐いてるもんねぇ。﹂ 懐いてるというか甘えてるというか。 たぶんああ見えてガーウェンの元々の性格がが甘えたがりなのだろ う。リキもそれを良しとして受け入れているから、そういう意味で はお似合いだ。 ﹁姿は可憐で男の矜恃を損なわず、心は甘えさせてくれる大きな愛 に溢れる!リキちゃんの手腕は最高級ッスよ。ガーウェンさんぐら いなら楽勝で陥落ッス!﹂ ﹁リキ達を見てる暇が有ったら戦略をもっと考えろ。単調だからリ キに見抜かれるんだぞ。﹂ ロードが得意気に言うから鼻で笑ってそう返すと、ぐあっ!と叫び 声をあげ、胸を押さえて大げさにうずくまる。 傷付いているアピールだ。アホな奴め。 もちろん無視してアフィに問うた。 ﹁アフィ。リキはどうだ?﹂ それだけで心得たというようにアフィがにっこりと笑った。 ﹁マリちゃんじゃないけどぉ、アフィもリッちゃんに技術の全てを 仕込みたくなったよぉ。 マナ操作力は抜群だし、マナ保有量も最近出会った子達の中で群を 抜いて多いし、ほぼ全属性の魔力に適性が高い。逸材だよぉ。 232 理解力も応用力もあって教えるのが楽だしぃ。 異世界出身だから魔法に固定概念が無いっていうのもあると思うけ ど、柔軟な思考と想像力を持ってるから短縮魔法式や無詠唱魔法式 も会得できると思うよぉ。どっかの頭でっかちの弟子とは違って理 論がどうのとか言わないし!﹂ 後ろで﹃頭でっかちの弟子﹄がガシャンと何かを落とした音がした。 突然のとばっちりを受けて苦々しい顔をしていると見なくても分か る。 ﹁そうだな。視野が狭くて臨機応変が出来なくて短慮などっかのア ホ犬とも違ってリキは恐ろしく優秀すぎるからな。﹂ 足元でうぐぐと﹃アホ犬﹄が呻いている。 どいつもこいつも男共はなんて情けない。鍛え直してやる。 233 道中∼教え子と鬱陶しいおっさん∼︵後書き︶ 異世界単位や通貨を考えるのが苦手です。 ですので短絡的に 1メートル=1メトル と単位だけ変えました。 234 道中∼狂気か純愛か∼︵前書き︶ ガーウェン視点です。 いつも通り悩んでます。 235 道中∼狂気か純愛か∼ ﹁そんなんじゃ全然だめッスよ!ガーウェンさん!﹂ ロードが詰め寄ってきたので、その勢いに思わず後ずさった。 ﹁な、なにがだよ。﹂ ﹁女って言うのはね、はっきりとした言葉を求めているんスよ!﹃ 側にいてくれ﹄なんてそんなよく分からない言葉じゃだめなんスよ。 はっきり﹃恋人同士になろう﹄って言わないと!そーいう大事なこ とを言っとかないと後々、﹃あたし、あなたのなんなの・・・?﹄ とか﹃あなたの気持ちがわからないっ・・・!﹄とか言われるんス よ!? え?今までの関係で分かんないの?じゃあ今まではなんだったの? ってことを言うんだから!﹂ ﹁お、おう・・・﹂ 途中から明らかに私情が含まれているようでロードは拳を握り、吠 えている。 過去に何かあったのだろう。 マニダーナを出立してすぐにリキと俺の関係が変わったと目敏く見 抜いたロードは、俺にまとわりつき、詳細を聞きたがった。 あまりにもしつこく聞かれた為、省略しながらも教えたのだが、ど うも告白が良くなかったようだ。 俺としては自分の気持ちを伝えられたし、リキも喜んでいたし、そ の後もキ、キスだって、その・・・色々だってしたし、お互い同じ 気持ちだと確認したと思っていたのだが、間違っていたのだろうか。 だけどさっきロードが言った事も一理ある。﹃恋人になってほしい﹄ とはっきり言ったわけじゃないから、俺とリキの関係もはっきりと 決まっていないのではないのか? 236 ただ﹃側にいたい﹄﹃側にいてほしい﹄と確認しただけなのだ。 とそこまで考えてある事実に思い至り、愕然としてしまった。 ﹁俺・・・・・・リキに好きだって言ったことない・・・・・・﹂ 思わず恥ずかしい言葉が口から出てしまい、しまったと慌ててロー ドを見ると、奴も同じく愕然といった顔をしていた。 ﹁嘘でしょ・・・・・・さすがにガーウェンさんでもそれはねーわ !それこそはっきり言うべき言葉じゃん!それも言わないでヤるこ とヤってるってリキちゃんの好意を利用してるって思われちゃうよ。 ﹂ ガツンと頭を殴られたような気がした。 俺自身、心のどこかで思ってた事だからか目の前が暗くなるほどの 衝撃だった。 俺はリキの好意に甘えてる。 ****** 夜の番をロードと交代して寝床のある馬車へ向かう。 前を歩くリキが夜空を見上げていた。 リキは俺が夜の番をするとき、一緒に番をするようになった。今後 の旅で役立つようにと皆には言っていたが、 ﹁ガーウェンの側にも居られるし﹂ と小さな声で打ち明けられて、俺は舞い上がった。 237 リキは移動中にはエヴァンの授業を受けているし、休憩所に着いた らマリやアフィーリアがリキを離さないしで二人で居られる時間が なくて不満に思っていたから、そう言われて素直に喜んだ。 しかしリキは旅にも野宿にも慣れていないうえ、マリ達のしごきの 的にもなっている。疲れが溜まっているのは明白で、番の最中に船 を漕いでいることもあるほどだ。 俺は年長者、旅経験者としてリキを窘めるべきなのだ。休みを取る のも重要だと。 だが現実はリキを独占できる時間を捨てる事など出来なくて、リキ が申し出るままに一緒に番をしているのだ。 リキの好意を利用して、俺の独占欲を満たしている。 ﹁なんか悩んでるか?﹂ いつの間にかリキが目の前にいて、夜空のような瞳で俺を見上げて いた。 なんでもない、と言えなくて俯いてしまう。 自分が嫌になる。こんなところでも不甲斐ない。 ﹁少し歩かないか?﹂ にっこりと微笑まれ、手を差し出された。 年下の女に気を遣わせるなんて何やってんだ、俺は。 しかもそれが嬉しいと思うなんて。 夜営所から離れ、街道の脇に降りて行く。 ここいら一帯の街道の脇は広い草原だ。大体が膝ぐらいの草だが、 所々背の高い草が生えている。 ﹁あ、あそこに行こうよ。﹂ とリキが指差した先には岩があった。 寄ると俺の胸辺りまである大きな岩だったが、リキは音もなくふわ 238 りと飛び上がり、岩の上に降り立った。 後に続いて岩の上に上がると、リキが座って夜空を見上げ、楽しそ うな声を出した。 ﹁特等席だよ。﹂ リキの隣に座り、同じように空を見上げる。 瞬く星の川。いつだったかリキと見た気がする。 ﹁リキは空が好きなのか?﹂ 夜空だけでなく、晴れた青空や夕暮れの空もリキはよく見上げてい たのを思い出し、問うた。 ﹁んー。好きっていうか変わらないなぁって。﹂ ﹁変わらない?﹂ ﹁うん。世界が違っても空の景色だけは変わらないんだなって。﹂ 望郷を滲ませる声音に胸が苦しくなり、リキの肩を抱き寄せた。 だけどこれは故郷に帰れないリキを慰めるためではなく、リキを故 郷に帰したくない、俺の知らない事に思いを馳せないでほしいとい う身勝手な気持ちからだ。 本当にいつだって俺はどうしようもない男だ。身勝手な思いを押し 付けることしか出来ない。 ﹁・・・・・・・・・帰りたいか?﹂ やっと出せた声は喉が乾いて、掠れた情けない声だった。 どうか否定して欲しい。故郷を捨てると言って欲しい。 心の奥でそう考えていて、俺は自分自身を軽蔑した。 ﹁うん。帰りたいよ。﹂ しかしリキは明るい声でそう言った。 思わず肩を抱く手に力が入る。 やっぱりそうだよな。そうに決まってる。 そうは分かっていても息が詰まるほど胸が苦しい。 ﹁色々、中途半端にして投げ出してきたから整理して来たいね。あ と家族には別れの挨拶ぐらいしたいな。﹂ 239 クスリと笑うリキの声が聞こえた。 別れの、挨拶? ﹁・・・・・・あ、え・・・戻ってくる、のか?﹂ 無様にも声が上擦る。 ﹁あ、いや、もし、帰れるとしても、その、戻ってきて、くれるの か・・・?﹂ ﹁もちろん戻ってくるよ。もし戻って来れないなら最初から帰らな い。﹂ さっきとは違う意味で胸が苦しい。期待で心臓の鼓動が痛いくらい 早くて苦しい。 ﹁約束しただろ?﹃側にいる﹄って。﹂ ﹁だから泣きそうな顔すんな。﹂ 膝立ちになったリキにぐいっと頭を引かれ、胸に抱き込まれた。 穏やかな心音を感じて、情けないと分かっていても、リキに、十歳 も年下の小さな女の細い腰に縋るように抱きついてしまった。 ﹁もう少し私を信じてくれ。ガーウェンが思っているよりも遥かに 私はガーウェンが好きなんだよ。﹂ 優しく頭を撫でられながら、さらに優しく言われた。 俺の方がまるで女や子供のようだ。 しかしその優しい声に安心してしまい、リキの柔らかな胸にすり寄 った。 ﹁ぐっ・・・くそ!可愛い!ガーウェンすげぇ可愛い!好きだ。大 好き。可愛い!﹂ ぎゅうっと俺の顔を自らの胸に押し付けるように抱き、可愛い、好 きだと何度も言いながら、グリグリと頬擦りするリキ。 240 そういや知り合いのテイマーが自分のペットにこんな感じになって いたなと思い出して、なんだか微妙な気持ちになる。 突然、頬を挟まれ顔を上に向けられた。若干、力任せだったので呻 いてしまう。 ﹁うぐっ﹂ ﹁だめだ。やっぱだめだ、言っとく。﹂ 口に一度キスしてきてリキが続けた。 ﹁お前は私のモノだ。お前は私の側にいろ。 悩むのは別にいい。落ち込むのも別にいい。でもそれで私から離れ ようとするな。私を遠ざけようとするな。﹂ リキの瞳はギラギラ輝いていた。 リキの中にある俺に対する独占欲に気付いて、かぁっと顔が熱くな った。 普段からよく﹁好きだよ。﹂とは言われるが、俺に対する独占欲や 執着のようなものは全く感じなかったから、リキにはそういうもの がないのだと思っていた。 思っていたがーーー ﹁私から離れられると思うなよ、ガーウェン。﹂ その苛烈な感情が俺に向かっているのだと分かって、耳まで燃える ように熱くて、心臓が早くなり、息が苦しくなる。 感情を一言で言うなら、歓喜だろう。 俺自身そんな嗜好があったのかと困惑するほどの高揚感が渦巻いて いるのだ。 ﹁・・・・・・好きだよ。﹂ 口付けられ、吹き込まれる。それだけでゾクゾクと快感で背筋が震 えた。 ﹁あ・・・・・・お、おれも・・・﹂ 好きだと言いたいのに舌を吸われ、優しく食まれて吐息にしかなら ない。 241 口の端から溢れた唾液を丁寧に舐め上げられた時、息も絶え絶えな がらやっとリキに抗議できた。 ﹁・・・はぁ・・・あ、リキ、もうだめだ、もう・・・。﹂ リキを抱きたい! だけどこんな所で襲うなんて嫌だ! リキは俺の葛藤に絶対気付いているくせに、耳たぶを食んでくる。 そして囁いた。 ﹁ふふふ。・・・見られてるぞ。﹂ とっさに肩越しに夜営所を窺う。人影は見えないが、たぶん見てる。 視線を感じる! ﹁いつからだよ!?早く言えよ!!﹂ 素早くリキを抱き上げて、夜営所から死角になっている岩陰へ飛び 降りた。 ﹁うーん。最初からかな?﹂ ﹁ばか!﹂ 月は出ていたがそこまで明るい訳ではないし、夜営所からも離れて いるからはっきりと見えてはいないだろう。だがしかし。 ﹁なんで言わねーんだよ!﹂ ﹁宣伝だよ。ガーウェンは私のモノだって皆に教えてやってんの。﹂ ﹁ばか!お前な、そうっ・・・!!!﹂ しゅる、とリキの首元にあるリボンが解かれて、息を飲んだ。広げ られた襟元から谷間が見えてる。 ﹁お、あ、まて、こんなとこで、﹂ ﹁待てない。﹂ シャツのボタンが上から外され、胸がこぼれそうになってる。 ﹁あ、あ、あした、街に泊まるだろ、それで、﹂ ﹁それまで待てない。﹂ ﹁ああああ、ま、﹂ 242 ﹁ガーウェンを挿れたい。﹂ 月明かりに照らされる露わになったリキの肌と草と土の匂いが倒錯 的でゴクリと唾を飲み込んだ。 リキが手を差し出した。誘っている。 そしてこの手を取れば、苛烈に求められ、圧倒的に支配されるだろ う。 それでもいいかと思っているのが事実だった。 ﹁俺もついに変態の仲間入りか。﹂ と苦笑すると、 ﹁気にすんな。それでも全部、愛してやる。﹂ と勝ち誇ったようにリキが笑った。 不甲斐なくてどうしようもなくて頼りない俺だとしても、リキは俺 を愛してくれる。 そう確信して、満足感と安心感を感じながらリキの手を取り、抱き 寄せた。 243 道中∼狂気か純愛か∼︵後書き︶ 純愛です。 調教とかじゃないです。純愛です。 244 街∼フルコース! 1∼︵前書き︶ 本日は二話投稿です。その一話目です。ご注意ください。 長くなってしまったので二話に分けました。 リキ視点です。 245 街∼フルコース! 1∼ 今日は久々に宿に泊まる。 つまりお風呂に入れる! なかなか大きな街に着き、馬車から荷物を下ろす。これまでに何度 か行った行為だからだいぶ慣れたものだ。 鼻歌交じりに荷物をくくり直しているとガーウェンに覗き込まれた。 ﹁今、なに考えてるか当ててやろうか。風呂に入れる、だろ?﹂ と笑われてしまった。 仕方ないじゃないか!お風呂は心だよ!と力説しているとアフィに も笑われた。 ﹁リッちゃん、本当にお風呂好きねぇ。今日はやっぱお風呂付きの 部屋に泊まるのぉ?﹂ ﹁んー、街に泊まる度にお風呂付きに泊まるっていうのも勿体無い だろ?大衆浴場でアフィとマリと一緒にお風呂に入るのもありーー ー﹂ ﹁だめだ﹂ 言葉の途中で遮られてしまった。そう言った彼を見ると、思わず言 ってしまったらしく真っ赤な顔であうあうと口を開け閉めしていた。 ﹁あらあらぁ。ガウィちゃんったら独占欲丸出しねぇ。マリちゃん やアフィにも嫉妬するなんてぇ。﹂ ﹁そんなにリキと一緒に風呂に入りたいのか。ガーウェンも素直に なったものだなぁ。﹂ ニヤニヤとするアフィと、いつの間にかマリも参加してガーウェン をからかっていた。 ﹁ううううるせぇ!﹂ からかいにさらに真っ赤になりながら威力のない怒声をあげている。 246 否定はしないところがかなり可愛い。 最近、ガーウェンがさらに可愛くなった。というとマリやアフィに ﹁全くわからん﹂と言われるのだが、確実に可愛くなった。 何というか良い意味で力が抜けたというか、肩肘張らなくなったと いうか。自然体で素直になってきたのだ。 素直に感情を表すし、それにたまに甘えてくる。二人だけの時や眠 る時などガーウェンは私の背後から抱きついてきて、そして頭に擦 り寄ってくる。 それが堪らなく可愛い。 ﹁でもなぁ・・・﹂ ﹁気にするな、リキ。ガーウェンが望んでるんだからその通りにし てやれ。甘やかすのは得意だろ。﹂ ﹁それとこれとは別だよ。お金がかかることだからな。﹂ ﹁リキさんは贅沢が好きではないですからね。私も分かりますよ、 その気持ち。﹂ とエヴァンもしゃがんで荷物を整えながら、苦笑していた。 ﹁エヴちゃんのはただの貧乏性でしょお。やだぁー。﹂ ﹁ちょっと!アフィーリア!﹂ しゃがんだエヴァンの背に乗るようにアフィがじゃれついている。 最近知ったのだが、アフィとエヴァンは遠縁でもあるらしい。だか らかもしれないが、二人の関係は姉弟のようだ。 見た目は兄と妹だけど。 ﹁この街を出たらソーリュートまでは野宿かあっても小さい村だけ だから、風呂に入れるとしたら今夜だけだろうよ。食える時に食う。 入れる時に入る。旅で重要なのはそれなんだぞ。﹂ マリがうんうん頷きながら助言してくれてるようだが、だぷんだぷ ん揺れる胸に気が散って何言ってるか聞いてなかった。すまん。 私が黙っているのを悩んでいると勘違いしたのかガーウェンが私の 247 頭を優しく撫でた。 ﹁俺の懐事情は気にすんな。お前ぐらいならすぐに養える貯えはあ るからな。﹂ おお、それって。 ﹁きゃー!プロポーズ?!大胆∼!﹂ ﹁なっ!違っ!あ、いや、そのっ違っ﹂ ﹁ガーウェン、お前にしては男気溢れるプロポーズじゃないか。見 直したぞ。﹂ あーあ、またからかわれてる。よく考えずに口に出すから、お姉さ ん達の餌食になるんだよ。 でもそんな所も可愛いけど。 ****** なんだかんだ言いつつやはりお風呂の魅力は絶大で、今夜もお風呂 付きにガーウェンと泊まる事になった。ガーウェンも嬉しそうだっ たしこれでいいと思うのだが、申し訳なさが拭えない。 ﹁ガーウェンにお礼をしたいと思うんだけど何がいいかな。﹂ ﹁お礼?なんの礼だ?﹂ ﹁そうよぉ。寧ろガウィちゃんの望みを叶えてやったんだから、こ っちがお礼されるぐらいじゃなぁい?﹂ 真剣な質問だったのだが、すぐさまそう返された。 背後に大量の買い物袋、傍らにはイケメンの給仕を置いてケーキと 紅茶を楽しむ彼女たちには伝わらない質問だったようだ。 宿が決まるとすぐにアフィとマリに拉致され、街での買い物に付き 248 合わされた。 旅の途中なのに大量に荷物を増やしていいのかと思うが、アフィに は収納の魔法があるのだ。 厳密に言えば収納魔法ではなく空間魔法の一種であるのだか、アフ ィ曰く使い道がそれしかないからそう呼んでいるらしい。簡単に言 うと荷物を格納出来る異空間を作製する。 単純のようで複雑で難しい魔法なのだという。 しかしなぜそんな魔法がありながら抱えるほどの荷物を置いている のか。 ﹁だってこれが無いと買い物した気にならないじゃない!﹂ ・・・・・・それは何となく分かるけど。 紅茶を飲み干して、カップを置くと同時に給仕が再び紅茶を注いだ。 小休憩として立ち寄ったカフェは高級で個室で専用の給仕が付くと いうそれに見合ったサービスだ。 ﹁付き合ってる女の子にお金を払わせるなんて男としてダメよぉ。﹂ ナイフとフォークで優雅にケーキを食べて、アフィが宣った。 付き合った相手に全て任せるっていうのは好きじゃないんだよなぁ。 しばし思案して、先ほどの質問をこの二人に響くように変える。 ﹁お礼にかこつけてガーウェンとイチャイチャしたいんだけど、ど うしたらいいと思う?﹂ ﹁ガーウェンはむっつりだから分かり易いエロい衣装で迫ったほう がいいぞ。﹂ ﹁ガウィちゃんって普通の普遍的なセックスしか知らなそう!バリ エーションも少なそうだしぃ。﹂ 途端にワイワイはしゃぎだすお姉様達にこっそりとため息をついた。 ****** 249 今日泊まる部屋の前に着くとローブを脱いだ。やっと帰って来れた とため息が出る。 結局あれから更に盛り上がり、彼女達に解放されたのは日が暮れて からだったのだ。 ﹁ガーウェン、ただいまぁ﹂ 部屋の扉をノックして声をかけると、すぐに扉が開いた。 ﹁・・・おう。随分遅かっ・・・﹂ ガーウェンは私の姿を見て言葉を途切れさせ、そしてみるみる赤く なっていった。いい反応に疲労が吹っ飛んだ。 ﹁あ、おま、それ、﹂ ﹁ふふ。中に入ってもいい?﹂ と言うとガーウェンは慌てたように、私を部屋に迎え入れてくれた。 荷物を置いて振り向くとガーウェンは少し離れた所でチラチラと私 を見ていた。 ﹁お前、それ、どうしたんだよ?﹂ ﹁雰囲気を変えようと思って﹂ 私の髪はストレートだが、今は緩くウェーブがかかり、ふわふわし ている。そして服は清楚でシンプルな白い膝丈のワンピース。 三人で話している内にガーウェンは典型的なお嬢様タイプが好きそ うだと言うことになり、﹃深窓の令嬢﹄を目指してコーディネート したのだ。 ﹁へん、かな?﹂ 上目遣いで不安気な顔を作ると、 ﹁そんなことないっ!あ、いや、その、なんつーか・・・その、す ごく、にに似合ってる・・・すごくか、かわ、いい・・・﹂ 250 ガーウェンは真っ赤になり、たどたどしいながらも褒めてくれた。 気に入ってくれたようだ。 ﹁ふふふ・・・そうそう、今日はガーウェンに日頃の感謝を込めて ご奉仕しようと色々買ってきたんだ。﹂ そのお金はある条件でアフィとマリから貰ったものだが、割愛させ て頂く。 ﹁日頃の感謝って、俺は何もやってねぇだろ。・・・ご奉仕って何 すんだ?﹂ ﹁フルコースだよ。まずお風呂に入ろう!﹂ 251 街∼フルコース! 1∼︵後書き︶ 次話はエロ回です。 252 街∼フルコース! 2*∼︵前書き︶ 本日は二話投稿です。その二話目です。ご注意ください。 またエッチな表現があります。 253 街∼フルコース! 2*∼ ガーウェンをお風呂場の備え付けられていた椅子に座らせ、目の前 に立った。 ﹁髪から洗うね。﹂ ガーウェンの頭にお湯をかけて十分に濡らしたら、髪用の石鹸を泡 立てる。ちなみにこの世界には液体シャンプーはまだない。髪を洗 う時はこの様な髪用石鹸か粉シャンプーが主流である。 指の腹を使って側頭部から頭頂部、後頭部まで地肌を優しく揉むよ うに洗った。硬めの赤髪は根本が色濃くて毛先にいくほど明るさが 増す。 前髪も洗い、上げると普段は隠れている額が見えた。見慣れないガ ーウェンの姿にくすぐったさを感じる。 ﹁痒いところありませんかー?﹂ ﹁・・・・・・ん?あ、いや、大丈夫。﹂ 薄い反応に鉄板ネタも異世界では通じないのかと若干落胆しながら ガーウェンを見ると、彼はじっと前を見つめていた。 目の前にちょうどある私の胸をじっと見ていたのだ。 髪の毛洗ってるから揺れてるし、気になるよな。 ﹁触っていいんだよ?﹂ ﹁あっ?!い、いやお前が真剣にやってくれてんのに邪魔したら悪 いだろ。﹂ とか言いつつ、見下ろした太ももの間の太いモノも硬くなりつつあ るみたいだし、我慢しなくていいのに。 身体を隅から隅まで洗い終わる頃にはガーウェンの陰茎は完全に立 ち上がっていた。ガーウェンからはぁはぁと荒い息が聞こえる。 一度、出した方がいいか。 254 お互いの身体についた泡を丁寧に流し、そのまま跪く。 ガーウェンの顔を見上げながら、硬い陰茎に手を添えて根本にキス すると手の中のモノがビクッと跳ねた。 ﹁・・・・・・舐めてもいい?﹂ わざと聞くとガーウェンは恥じらいながら小さくコクンと頷いた。 その様がどうしようもないくらい可愛くて、ねちっこく攻めて、﹁ イかせて﹂と泣いて懇願するまで攻め抜いてやりたくなったのだが、 この後もフルコースは続くので仕方なく我慢する。 硬くて太い陰茎を咥え込んだ。 洗ったばかりなので味がしない。早くガーウェンの味を味わいたく て、手も使って攻め立てる。 ジュルジュル、ズチャズチャ 浴室は音が響くので、ガーウェンはかなり興奮しているようだった。 先からガーウェンの液が染み出てきて、その独特の味を感じると愛 おしい気持ちが溢れた。美味しく感じるのは愛だね、うん。 ﹁ん、んんっ﹂ ﹁・・・うっ、うぁ・・・ぁっ﹂ 喉の奥まで咥えて舌と上顎で挟んでシゴくとガーウェンの亀頭が喉 の奥を突いて、苦しくて涙が滲んだ。 ﹁ぐっ!・・・そ、れ、すげ・・・あぁっ!﹂ 出し入れを激しくしていくとガーウェンが叫ぶ。 ﹁うぁっ!も、出る・・・出るから!顔、離せっ・・・・・・うっ !リ、キ・・・っ!!﹂ ﹁んん!﹂ 口の中のモノが硬さを増し、ビクンッと大きく震えると熱の塊が飛 び出してきた。 すげぇ勢いだし、この量やばい!飲むのが追いつかないとか! ガーウェンの陰茎はまだ口の中で小刻みに跳ねて、全てを出し尽く そうとしていた。 255 しばらく待つと出切ったようで、ガーウェンを口から出した。 半分ぐらいしか飲めなかった。 残った半分は両手に受け取る。 ﹁ごめん。全部飲めなかった。﹂ ﹁ばばばばかっ!!そんなもん飲むな!!ぺっしろ、ぺっ!!﹂ と手をお湯で洗われ、すぐ口をすすぐように怒られてしまった。 ﹁ばか。腹壊したらどうする。﹂ ﹁私の世界の男達は精液を飲んでもらう事に至上の喜びを感じるみ たいだったが、ガーウェンは違ったのか。﹂ ﹁お前の世界の男共はとんだ変態だらけじゃねぇか。﹂ ﹁そう言われるとそうだな。私も愛する人の精液を飲み干したいと 思ってるから間違いなく変態、うわぁ!﹂ あははっと己の変態自慢をしていたら、突如ガーウェンに抱きつか れて、驚きで声が出た。 ぎゅうっと痛いくらい抱き締められる。 確かこの前にもこんな事があったなぁ。でも確かに私もたまに訳も なくガーウェンを抱き締めたくてたまらなくなる時があるし、気持 ちは分かる。 ﹁ガーウェン、湯船に入ろ?身体が冷えるよ。﹂ ****** 湯の中でセックスタイムに突入しそうだったが、この後がフルコー スのメインだよ!となんとか宥めて、お風呂を上がった。 ﹁さぁ、うつ伏せになって。マッサージしてあげるよ。﹂ 256 とベットの上にパンツ一枚のガーウェンを寝かせる。 ﹁マッサージなんて出来るのか?﹂ ﹁おう。得意なんだ。﹂ 昼間に買ってきたオイルの瓶を取り出した。この街に唯一あったマ ッサージ用のオイルだったが、ほんのりラベンダーのような香りが して、リラックスできそうなので気に入ったのだ。 マッサージオイルを手のひらに取ると、両手で挟んで温める。そう すると更に香りが立つ。 ﹁まず背中﹂ 腰の辺りに手を起き、温めるようにしばらく待つ。それから背骨に そうようにゆっくりと撫でるように揉んでゆく。 ある程度、背中が温まったら、足に移動した。 足の裏、特につちふまずと指の付け根辺りを少し力を入れて揉むと ガーウェンが呻いた。 ﹁い、いてぇ・・・けど気持ち良い﹂ ﹁ふふふ、もっと気持ち良くなるよ。﹂ 硬かった足裏が柔らかくなるまで丁寧に揉んだ後はふくらはぎ、太 ももと上がっていった。そしてもう片方の足も同様にマッサージし ていく。 ガーウェンの尻に跨り、再び腰をマッサージする頃にはガーウェン はあー、とかうー、と言う声しか出さなくなっていた。 体重を乗せて背中の筋肉を揉み解してゆく。 三角筋と僧帽筋、広背筋のラインが綺麗で見惚れた。 これが私のモノなのだと思うとゾクゾクと快感が走り、ニヤリと口 の端を上げてしまう。 気付くと項を舐め上げていた。 ﹁んっ・・・・・・おい。﹂ ﹁あ、悪い。ちょっと堪らなくなってしまって。﹂ ﹁へぇ・・・・・・なら、もういいな?﹂ ﹁うあっ!﹂ 257 突然、身体が揺れて、倒れる!と身構えるがぐるりと身体が反転し て、いつのまにかガーウェンと体勢が入れ替わっていた。 見上げたガーウェンの眼は隠しきれない欲情でギラついていて、 ﹁俺ももう堪らなくなっちまった・・・﹂ と低い声で囁かれ、首筋を舐められた。 ﹁あっ・・・ガーウェン、まだ途中だよ。﹂ ﹁続きはまた今度してくれ。な?﹂ ﹁ふふっ・・・・・・いいよ、それで。で、代わりにこれから何す るの?﹂ ガーウェンの首に腕を回して、そんな事を笑いながらわざと聞けば、 ガーウェンもニヤリと笑った。 ﹁風呂の中の続きがいい。﹂ ﹁んー、どんな風だったかなぁ。ふふふっ、ガーウェンが全部教え てくれるか?﹂ ﹁おう。教える。﹂ ﹁・・・・・・じゃあ、ガーウェンの好きにしていいよ﹂ そう言うとすぐに噛み付くようなキスをされ、それを合図に始まっ たのだった。 ****** ﹁あっ!あっ!んっ、ぁん!あっ!﹂ 嬌声が止められない。絶対明日は声が枯れる。 震える腕で身体を支えて伏せていた顔を上げ、肩越しに後ろから私 を攻め立てるガーウェンを見た。 私の視線に気付き、動きを止めたガーウェンが覆い被さるように寄 258 ってくる。 ﹁やっ、ああっ!﹂ 打ち込まれていたガーウェンのペニスが更に奥へ押し込まれ、鳴く。 肩を甘噛みしながらガーウェンが囁いた。 ﹁どうした?﹂ どうした、じゃねぇ。何回ヤんだよ。 はぁはぁと荒い息をつきながら、背後を睨み付けた。 ﹁体力差考えろよ。私はもう限界だぞ。﹂ ﹁悪い・・・・・・これで最後、な?﹂ それさっきも聞いたわ! 背中から私を抱き締めながら、ガーウェンが再び律動を始めた。 ﹁あっ!ガ、ウェン!やっ!﹂ ﹁ふっ・・・はっ・・・もう少しっ・・・﹂ 項から肩まで甘噛みされ、胸を揉まれ、ベッドに押し付けるように 腰を打ちつけられる。 やばい。またイかされる。 ﹁ああっ!だめっ、イッちゃう、やだぁ・・・!﹂ ﹁リ、キ・・・はっ・・・綺麗だ・・・﹂ 低く掠れた声で甘く囁かれた。 ふざけんな。その声、感じるんだよ! ﹁やっ!あっ!イくっ、ああ!・・・あ、あ、ああああん!んんっ !﹂ 仰け反って、嬌声を大きく上げて達してしまった。 ぎゅうっと中を締め上げると、ガーウェンは呻いて動きを止めた。 ペニスがビクビクと跳ねて、中に熱を吐き出しているのを感じた。 イかされるは四回目だ。流石にしんどい。 ガーウェンも出すのは三回目だ。フェラで一度出してるのにどんだ け出すのよ。 ﹁あぅ・・・ん・・・﹂ 259 硬くて太いモノがずるりと抜かれ、中にいっぱいに入っていたガー ウェンの精液が溢れて、太ももを伝って流れた。 ベッドが汚れると思ったが身体を動かすことが出来ず、そのまま倒 れる様に横になった。 ﹁はぁ、はぁ・・・限界・・・﹂ ﹁大丈夫か?今、身体拭いてやるから待ってろ。﹂ 一度、私を撫で、ガーウェンは風呂場へ向かったようだ。 疲れを感じない後ろ姿に、マッサージで絶倫スイッチでも押したの だろうかと思った。 だがセックスに苦手意識があったガーウェンがこんなに求めてくれ たというのは嬉しい。 嬉しいが・・・ほどほどにしろよな! 260 街∼フルコース! 2*∼︵後書き︶ 皆さんお忘れだと思いますが、ガーウェンはやれば出来る子です。 261 街∼惑わされる青年∼︵前書き︶ エヴァン視点です。 262 街∼惑わされる青年∼ 真剣な顔で﹁相談したい事がある﹂なんて言うからなんだと思った ら、 ﹁リキに何か贈りたいんだが、何がいい?﹂ と言い出して、いい歳こいて何言ってんだこのおっさんと呆れ返っ てしまった。 ﹁はぁ?馬鹿なんですか?そういう事は自分で決めてくださいよ。﹂ 苛立ちを隠さずそう言うと、すかさずロードが割って入って来た。 ﹁まぁまぁエヴァンさん。ガーウェンさんが女の子の気に入る気の 利いた物を選べるはずないんだから、仕方ないんスよ。﹂ ﹁ぐっ・・・!﹂ ﹁・・・・・・確かにどうしようもない物を贈ってから﹃リキに嫌 われた﹄とか泣き付かれるよりはマシですね。﹂ ﹁ほんとそれッス。﹂ ﹁ぐううう、お前らな・・・。﹂ 私とロードとで容赦ない言葉を浴びせる。最近、二人のイチャイチ ャで胸焼けしそうなのだから、これくらいは許して貰わなくては。 それにこれで怒って去ってくれたら、面倒くさそうな相談に乗らな くていいので嬉しい。 ﹁し、仕方ねぇだろ・・・。自信ねぇんだよ。﹂ しかし私達のからかいにもガーウェンは拗ねただけだった。 ロードと視線を交わす。 ーーーやはりガーウェンは変わった。 ガーウェンは実力も実績もあるのに、なぜか自分に自信が無いよう で他人に劣等感を感じることが多いようだった。しかもそれを隠す ため妙な意地を張ったり、ぶっきらぼうになったりで他人に誤解さ 263 れる事も多々あった。 しかし最近は自信のない自分自身を認め、上手く向き合う事が出来 てるようで、頑なさがなくなり、他人にも余裕を持って接している。 ガーウェンの変化は間違いなくリキという女性の影響だ。 彼女の穏やかで人当たりの良い性格がガーウェンにも伝播している のだろうーーと二人を深く知らぬ者はそう思うかもしれないが、実 情はそれとは少し違う。 好きな女性に贈り物一つ決められない情けないガーウェンにため息 をついた。 まぁ、どこぞの馬鹿女に強請られるまま物を贈って散財するより、 はるかに常識的な行動ともいえる。 ﹁・・・リキさんは実用的な物の方が喜ぶと思いますよ。﹂ ﹁実用的・・・﹂ 使える物 の方がいいと思います ﹁そうです。うーん、私が思い付くのは狩猟で使うナイフとか魔法 運用に関する本とかですけど。 ね。﹂ ﹁確かに!リキちゃん、宝飾品とかドレスとかには反応薄そーッス よね。でもやっぱ俺は贈るなら特別な物の方がいいと思うんスよ!﹂ とこの手の話題に強いロードが張り切り出した。 ﹁特別っていっても普段の生活からはちょっと離れた物でいいんス よ。例えばネックレスとかブローチ。普段使いも出来る派手過ぎる やつじゃないのがいいッスね。可愛くて何にでも合いそうだと高得 点ッス。あとはワンピースとか。ワンピースは何枚あっても困らな いからいいッスよ。リキちゃんが好きな色だといいけど、難しかっ たら白で襟や裾にレースが付いてるやつにすると間違いないッス。 あ、そうだリキちゃん、風呂好きだから風呂で使える物もいいッス ね!湯船に入れて使う香油とかもあったはず。あとはーーー﹂ ﹁わかった!もういい!﹂ 264 次から次へ際限なく提案してくるロードをガーウェンが焦って止め た。 これ以上は混乱が深まるだけだからだろう。 ﹁えーもういいんスか。あ、露店を見て回ったらどうスか?手頃な 値段のアクセサリーが沢山あるから、参考になると思うし!﹂ ****** ・・・・・・なぜ男三人で露店巡りをしなければならないのか。 ロードがいれば私は要らないだろうに。 はぁ、帰りたい。 露店が両側に並ぶ通りをガーウェンとロードの後を追いながら、何 度目かのため息をつく。 と、ガーウェンが何かに興味を惹かれたようでしゃがみ込んだ。後 ろから覗くと、緑光石を使ったアクセサリー等を売っている店のよ うだ。 緑光石、一般的には﹃月の欠片﹄と呼ばれ、ドラト全域の川辺で採 集できる緑色の光を常に発している石である。この石は夜になると 光を放つと思っている人も多いが、緑光石は常に光を発している。 日中は日の光により判別付きにくいためそういう認識になっている のだ。 花や動物などを象った木製の土台に細かな緑光石を貼り付けた髪留 めや腕輪が置かれている。不揃いな石粒を隙間なく並べた意匠に興 味を惹かれ、店員の若い女性に声をかけた。 ﹁これは貴女が作っているのですか?﹂ ﹁ひゃい!そそそうです!﹂ 265 女性は私に気付いていなかったようで大袈裟にびくんと身体を揺ら し、上擦った声を上げた。 ・・・無理もない。目の前では強面で巨体の男が可愛らしいアクセ サリーを睨み付けているのだ。注目せざるを得ない。 慌てて私を見た女性は少しほっとしたようだった。 私の顔は初対面の者には良い印象を与えやすいらしいのだ。ガーウ ェンと組むようになってからはそれが顕著だ。 ﹁それはすごい。色々な形がありますね。これも貴女が考えている のですか?﹂ ﹁い、いいえ。土台の木型は兄が彫っています。その上に砕いた月 の欠片を私が一つづつ貼り付けて・・・﹂ ﹁すげぇー!根気のいる作業だ!﹂ ロードが人懐っこい笑顔を向けると女性はやっと笑顔で答えた。 ﹁はい。こんなふうに凹凸が多くある形は更に根気が要ります。﹂ と手に取ったのは鳥の形のブローチだった。羽根が細かく彫られて いるため、貼り付けに時間がかかるのは容易に想像できる。 ﹁・・・今日はどのような物をお探しですか?﹂ 女性が意を決したようにガーウェンに話しかけた。じぃっと商品を 見つめるガーウェンが買い手だと察したようだ。 ﹁・・・・・・﹂ ガーウェンはちらりと女性を見て、また視線を下げる。不機嫌に見 えたのか女性が眉尻を下げ、泣きそうな顔をした。 だがしかしこう見えてガーウェンは照れているだけなのだ。 助け舟を出そうと口を開きかけると、小さな呟きが聞こえた。 ﹁・・・・・・髪が、綺麗な黒なんだ。だから、これを付けたら、 その・・・・・・﹂ これ、と髪留めを示して、照れながらモジモジしているおっさんに 戦慄が走った。 き、気持ち悪いっ! ﹁え・・・・・・あっ!髪が綺麗な黒だと本当に夜空と月のようで 266 すね!﹂ 女性の言葉にガーウェンはへらっと締まりのない顔を晒した。言い たい事が伝わったと喜んでいる。 明らかな喜色を示す巨体の男に女性はうんうん頷いている。たぶん ガーウェンのたどたどしさは不機嫌ではなく不慣れからきているの だと分かったからだろう。 ﹁なるほどなるほど・・・。ではこちらはどうですか?髪留めとは 違うのですが、今試作的に作っている物で・・・﹂ 売込みを真剣に聞くガーウェンにもう私の助力など必要ないと判断 して、この場を離れる事を決める。ふとロードを見れば、初めての お使いを頑張る子供を見守る親のような穏やかな視線でガーウェン を見ていた。 ・・・集合場所は決めてあるし放っておこう。 ****** 街にあった魔法具の店を覗くと見知った後ろ姿があった。数冊の本 を見比べているようだ。 ﹁リキさん、何か探してるんですか?﹂ 振り向いた彼女は私を見ると、途端に笑顔になった。 ・・・・・・ガーウェンではないが、この笑顔は可愛らしいと思う。 ﹁エヴァン、丁度良い所に来たな。読んだ本はあるか?﹂ と見比べていた本を指し示した。 ﹁これとこれは読みましたね。これは私が、こちらはアフィーリア が蔵書してますよ。﹂ ﹁そうか。ならこれを買うことにしよう!﹂ 267 嬉しそうなキラキラした顔で掲げた本の題名は﹃付与魔法と付加魔 法﹄である。 またそんな面倒そうな本を選んで・・・ ﹁これはさっきチラッと読んだが面白そうだぞ。﹂ ニコニコと笑う彼女に、この人の好みが理解出来ないのは今に始ま ったことじゃないと諦めのため息をついた。 ﹁そもそもなぜガーウェンなんですか?﹂ 買った本を抱えて軽やかに歩くリキに声をかけた。 ﹁いや非難や否定をしてる訳じゃないんです。ただの純粋な興味で す。﹂ ガーウェンは確かに良い奴だが、彼女が執着するほどの相手には思 えないのが本音なのだ。 そう、彼女はガーウェンに執着している。激しい独占欲や支配欲は 上手く隠蔽されているが、私には分かる。 私の質問に彼女は首を傾げた。 ﹁ガーウェンは可愛いだろ。﹂ 至極当然といった具合に返され、言葉に詰まる。その感覚が全くも って分からない。 ﹁ガーウェンは人に劣等感を感じやすいくせに人と居ることが好き だろ?人と居ることで傷付いたり落ち込んだりすることが多いのに、 人を構って優しくするんだ。たぶん人が好きなんだろうな。﹂ 目を細めて微笑みを浮かべながら彼女は続けた。 ﹁ガーウェンは不器用なくせに優しいから、大事なモノは全て守ろ うとするだろうね。全て守るなんて出来ないのにやろうとして、傷 付いて、でもどんどん大事なモノを増やして抱えていくんだよ、き っと。 そういう﹃愚か﹄な所が好き。﹂ ﹃愚か﹄だと言った彼女の声には慈しみや憧れが溢れていた。 268 それは私にも分かる。大事なモノ以外も抱えて生きていける﹃愚さ﹄ に憧れる気持ち。 私と彼女は似ている。取捨選択が得意で打算的なのだ。一番大事な モノが明確に決まっていて、それのためならば他の全てを犠牲にし てもいいと考えている。 ﹁エヴァンは好きな人が世界中に好かれるのと世界中に嫌われるの どっちがいい?﹂ 唐突に聞かれた質問にゾッとした。 ﹁好きな人が世界中に嫌われて誰からも見向きもされなくて、自分 だけがその人の側に居て、たった二人だけで生きていくとしたらど う思う?﹂ そんなの決まっている。 震えるほどの喜びを感じるに決まってる。 だがこれは真っ当な人間の考えではない。 彼女は俺に何を言わせたいのか。 ﹁欲しいモノを欲しいと言わないのはある意味では美徳かもしれな いけど、大事なモノを大事だと言わないのは、大馬鹿者だよ。﹂ クスクスと可愛らしく彼女が笑った。 ﹁だからいつまでも彼女の弟なんだよ。﹂ 睨み付けるように見た彼女は人々を惑わし破滅させる美しい魔物の ようだった。 269 街∼惑わされる青年∼︵後書き︶ 途中エヴァンの一人称が私から俺に変わっているのは仕様です。 ちなみにエヴァンは﹁初恋拗らせ系男子﹂です。 270 道中∼いくぜ!相棒!*∼︵前書き︶ リキとガーウェンがイチャイチャしてる所を目撃したロード視点で す。 ほぼ一話まるまるエッチな表現があります。 271 道中∼いくぜ!相棒!*∼ ﹁なんだよ、もー!﹂ 林に響く俺の声。でも誰も答えない。 ﹁リキちゃんの卑怯者ー!﹂ ガーウェンさんに聞かれたら殴られるかも。でも今はいないからい い。 旅では俺かリキちゃんが飯調達担当で、初めのうちは順番だったの に最近じゃ、戦って負けた方が狩りするってことにいつの間にか決 まっていた。それが始まってから飯調達はほとんど俺の担当に・・・ 。 でも今日は秘策があって勝てるっ!て意気込んでいたのに対戦が始 まった瞬間、リキちゃんは人差し指を立てた。 この人差し指を立てる仕草はリキちゃんが言うには﹁注目しろ!﹂ って合図らしい。 ﹁ずるいよ!リキちゃん!それ俺ダメなやつじゃん!!﹂ 俺はその合図を出されるとなぜか動けなくなってリキちゃんの指示 を待ってしまう。理由はわからないし、マリ姐さんはスキル︻統率 者︼の一部だろうって言うけど、他の皆には効かないし、よくわか んねぇ。 ﹁悪いな、ロード。今回の担当はロードにお願いしたいんだ。次は 私がやるから頼む。﹂ リキちゃんは眉尻が下がって、申し訳なさそうな顔をしてるけど、 じゃあこれしなくてもよかったじゃん!気づけばマリ姐さんとアフ ィ姐さんがニヤニヤして見てるし、俺をいじめて楽しんでるんだ。 ﹁ロード、お願いだ。今日はガーウェンとイチャイチャしたいんだ。 272 ﹂ ﹁ 今日は っていっつもイチャイチャしてんじゃん!!﹂ ﹁頼む、ロード。お土産あげるから。﹂ ﹁お土産ってこの辺全部木ばっかりじゃん!﹂ と散々抵抗したけど結局、今日も俺が飯調達担当になったのだ。 ﹁もー皆してリキちゃんばっかり贔屓してー。﹂ もういいや。さっさと獲って帰ろ。そんで不貞寝してやる! だけどふと嗅ぎ慣れた匂いを感じた。自慢の鼻をクンクンしてみる。 まさかこの匂い!想像に胸が高鳴る。 こういう時のために鍛えている︻気配隠蔽︼を使いつつ、匂いの元 へ走った。 身を屈め、藪や木の幹に隠れて徐々に近付いていくと、音も聞こえ てきた。︻聞き耳︼を使うと・・・・・・やっぱり! 藪の裏側がちょうどいい身の潜め場所になっていて、草木の隙間か ら林の奥を覗き見た。見えたのは想像通りーー ガーウェンさんが木の幹に縋り付かせたリキちゃんを後ろから攻め ていたのだ。 うわあああああ!!!!ガーウェンさんが立ちバックしてるぅぅう ううう!!! 正常位がセックスだと思っていたようなガーウェンさんが立ちバッ クしてるぅぅうううう!!! とまぁ、それは置いといて、エロっ! 二人のセックスは見た目がかなりエロい! 273 全身筋肉の巨漢が白くて細い女の子を木の幹に縋り付かせて後ろか ら犯してるなんてイケナイ香りがしてエロい! しかもリキちゃんはほぼ全裸でガーウェンさんはズボンの前をくつ ろがせただけの姿で腰を動かしていて、その差にもイケナイ香りが! な、お前もそう思うだろ?相棒! 視線は二人を注視したまま、ゴソゴソとズボンをずらし半立ちの相 棒を取り出す。 そうかお前もそう思うか!やっぱりお前は俺の相棒だよ!棒だけに な! 半立ちの相棒を手で包み、優しく扱きながら、耳をピンッと立てて ︻聞き耳︼で音を拾おうと必死になる。 ﹁あっ!んん!ん、ああっ!﹂ リキちゃんの喘ぎ声の合間にグチュグチュといういやらしい水音と パンパンと肌を打つ音がする。ちょうど横から見ているのでガーウ ェンさんが腰を打ちつけるたびリキちゃんの胸が揺れるのもすげぇ いい。 ・・・・・・あー揉みてぇ。 ガーウェンさんがリキちゃんの背に覆い被さる様に寄り、ベロリと 背筋を舐めた。 ﹁や、あっ!﹂ リキちゃんの背中がしなり、ククッとガーウェンさんが喉を鳴らし て笑った。 ﹁ばか。そんな締めんなよ・・・出ちまうだろーが・・・。﹂ うわあああああ!!!!ガーウェンさんが余裕こいてるぅぅううう う!!! 昔、酔ったお姉さんに無理矢理、騎乗位されて半泣きになってたガ ーウェンさんが余裕こいてるぅぅうううう!!! 274 てゆうか、甘っ!ガーウェンさん声甘っ!!あんな甘い声も出せん のか。 俺、男だけど今の声、腰にゾクゾクきたわ。 相棒も先走りを出し始め、ヌチヌチと音が出ている。 リキちゃんが肩越しにガーウェンさんを振り返った。頬が赤くて切 な気な表情をしている。 ﹁ガーウェン・・・前からしたいよ・・・。﹂ ﹁後ろからは嫌いか?﹂ ﹁あっ!あん!・・・ガ、ガーウェンの顔見てイきたいよ・・・・・ ・。﹂ うおおおお!!!顔見ながらいっぱいイっていいよおおおお!!! そんな事言われたら前からしないと男が廃るよ!! ガーウェンさんも俺と同じ意見なようでズルリとちんこを抜いた、 ってうわぁ・・・あんな巨大なちんこよくリキちゃんにぶち込もう と思ったなぁ。 振り向いたリキちゃんがガーウェンさんの首に手を回し、顔を上に 向けてキスを強請ってる。 チュッと軽くキスされると、リキちゃんはふわっと微笑んだ。 ・・・か・・・可愛いっ!!くっそー!たまんねぇ!!!チュッチ ュしてぇえええ!! ガーウェンさんも再び同じ意見みたいで、噛み付くような激しいキ スを仕掛けてる。 ああ、ガーウェンさんがベロチュウしてるよ。舌食われそうって怯 えてたガーウェンさんが、こんなエロいセックスまでするようにな るなんて・・・・・・。 俺最後まで見届けるよ!ガーウェンさんの勇姿見届けるよ!!な、 275 相棒お前もそうだろ!? 相棒を見るとガチガチに硬くなってビクビク震えて頷いていた。 それでこそ俺の相棒だぜっ!! ﹁ちょっと待て。これ、着とけ。背中に傷付くかもしんねぇから﹂ リキちゃんがいつも着てる白いローブを肩にかけた。全裸にローブ って案外クるってことを今、知った。 ガーウェンさんがリキちゃんの背中を幹に押し付けるようにしなが ら抱えて、足を大きく広げさせる。その間もチュッチュッとキスが 交わされた。 そして広げられた足の間にガーウェンさんが腰を擦り付ける。 ﹁ん・・・・・・﹂ ﹁・・・挿れてもいいか?﹂ ﹁うん・・・・・・あっ﹂ 荒い息をつき、ゆっくりとガーウェンさんの腰がリキちゃんに近付 いていく。リキちゃんは小さな吐息をついてガーウェンさんにしが みついていた。 くそ、ガーウェンさんの太い腕が邪魔でリキちゃんのエッチな穴が 見えない!絶対、濡れてヒクヒクしてるはず!見たい! 身体を動かしてみたけど、やっぱり見えなかった。ぐぬぬ。 しごいている相棒が垂らした先走りでニチニチと音を立てた。リキ ちゃんの中はどんなかなぁ。・・・・・・いやよそう。想像だけで もガーウェンさんに殺される! ゆっくりと全てを納めたガーウェンさんはリキちゃんの肩に顔を埋 めて、深い息をついた。 ﹁ガーウェン・・・﹂ とリキちゃんが甘く蕩けるような声で囁いた。 ﹁ガーウェンの、奥に、一番奥に当たってるよぉ・・・・・・﹂ ぶるりと全身が震えた。 276 ・・・あぶねー!!!今、出そうだった!リキちゃんに煽られて出 ちゃいそうだった!あれ絶対狙ってるよ!ガーウェンさんを煽ろう としてる! 案の定、ガーウェンさんの顔が苦痛に歪んだ。射精感に耐えてるっ て分かる!頑張れ、ガーウェンさん! しかしリキちゃんの攻勢は止まらない。 ﹁ガーウェン・・・いっぱい、当ててよ。ガーウェンのいっぱい奥 に当てて・・・﹂ うおおおお!!!いっぱい当ててあげるよおおお!奥にいっぱい当 ててあげるからああああああ!!! 俺が相棒を扱く早さを早くするのと同時にガーウェンさんも堪らな ジュバ ジュバ ジュバ くなったのか、めちゃくちゃに腰を振り出した。 ジュバ かき回されるような激しい水音が聞こえる。 ﹁あっ!あっ!あぁっ!あっ!﹂ ﹁ふっ、ふっ・・・はっ・・・ぐっ・・・﹂ 二人と俺の呼吸も荒くなってくる。相棒の限界も近い。 ﹁あっ!あっ!だめぇ・・・気持ち、良すぎて、あっ!やあっ!﹂ ﹁はぁ、はぁ・・・いいか?・・・ちゃんと奥に、う・・・当たっ てるかっ・・・!﹂ リキちゃんがガクガクと首を縦に振る。 ﹁奥、当たってっ・・・イっちゃいそ、イっちゃう・・・!﹂ ﹁うぅっ・・・はっ、リキっ、俺も・・・い、イきそうだ・・・﹂ ﹁んっんっ、・・・一緒にっ・・・!﹂ はぁはぁ俺もイきそーだよぉ! ﹁・・・ぁんっ!・・・ガ、ウェン、イく・・・!イくぅっ!!あ 277 あっ!!﹂ ﹁うっ・・・!リキっ・・・はぁっ・・・﹂ くっ・・・あっ・・・ん・・・はぁはぁ ふぅ・・・・・・すげぇ出た。 葉っぱにぶっかけた俺の精液がぽたぽたと垂れて地面にシミを作っ ていた。溜まってたのかな。めちゃめちゃ出てる。 ガーウェンさん達を見ればまだチュッチュッ、イチャついていた。 二人の身体はまだぴったりとくっついていて、ガーウェンさんは当 然のようにリキちゃんの中に出してる。あれ、避妊してんのかな。 ああ、リキちゃんはアフィ姐さんに魔法教えてもらってるからその 辺の魔法も使えるのかな。 ﹁お前、あんま煽んな。余裕なくなるんだよ。﹂ なんだもん じゃねぇよ。余裕がねぇとお前に無茶しそうで恐 ﹁余裕なくなったガーウェンが好きなんだもん。﹂ ﹁ いんだよ。﹂ ﹁余裕あっても無茶するじゃん。﹂ ﹁そんなこと・・・・・・ねぇだろ。﹂ ﹁今だって、あんっ、また硬くなってる・・・んっ、一回だけって 言っただろ。﹂ ﹁・・・・・・悪い、これで最後、な?﹂ ﹁あっあんっ、もう!約束しただろ!・・・やっ、あっ約束・・・・ ・・もう・・・﹂ ﹁・・・・・・お前が煽るから悪い・・・・・・﹂ イチャイチャイチャイチャ また始まった行為の声を背中で聞きながら、俺はその場を後にした。 なんの躊躇いもなくリキちゃんに中出しするガーウェンさんと木の 葉っぱにぶっかけする俺の格差に冷静になってしまったのだ。 これ以上は俺が惨めになる。 俺は心を無にして飯の獲物を追うことした。 278 道中∼いくぜ!相棒!*∼︵後書き︶ その日のロードは流れるような作業で獲物を仕留めまくったとか 279 道中∼強さと弱さの狭間 1∼︵前書き︶ 戦闘回です。 そして次話に続きます。 さらにこのエピソードで第2.5章は終わりです。新章は迷宮都市 での同棲生活です。 280 道中∼強さと弱さの狭間 1∼ 始めは既視感のような妙な感覚だった。 唐突に思い付いた言葉から連想されたイメージが脳内に浮かんだよ うに感じた。しかしそれは違うとすぐに理解した。 脳内に強制的に映像が流れてくる。 視界からの情報と直接脳内に入り込む情報の齟齬に気分が悪くなる。 呻いて目を閉じると少し楽になった。 映像はどこかの林に潜む男達の様子だった。 これはなにか、と映像を注視すると情報が溢れるように浮かんでき た。 街道沿いの林、待ち伏せ 盗賊、男、三人、剣 紅い珠、魔法具、投擲、炎 十秒後に襲撃 ﹁止まれっ!この先に盗賊がいるっ!!﹂ 私の怒鳴り声にすぐ馬竜車が止まった。隣にいたアフィが声をかけ てくる。 ﹁リッちゃん?盗賊ってどういうこと?﹂ 脳内に浮かんでいた映像が途切れたため、やっと目を開けることが 281 できた。 ﹁この先、街道沿いの林の中に盗賊が待ち伏せしてる。﹂ 馬竜車を操っていたガーウェンとマリも荷台にやってきた。 ﹁どうした?﹂ ﹁リキちゃんがこの先に盗賊が待ち伏せしてるって。﹂ エヴァンとロードも困惑した顔をしている。 しかし私は直感していた。今見た映像は起こりうる未来なのだと。 ﹁盗賊が三人、待ち伏せしていて私達を襲う気だ。三人とも剣を持 見えた が、衝撃を加えると炎が上がる道具のようだ。﹂ っていて、一人は紅い珠みたいな魔道具を持っている。それを投げ る場面も ﹁・・・火炎珠ね、きっと。盗賊にしては随分と高価な物を持って るのねぇ。﹂ と言ってアフィは荷台を降りて行った。 ﹁そいつらの詳しい居場所は分かるか。﹂ ﹁ああ。ここからだいたい50メトルの街道脇の林に潜んでいる。 左側に二人、右側に一人だ。火炎珠とやらを持っているのは左側の 手前の奴だ。﹂ ﹁そうか。・・・アフィどうだ?﹂ 腕を組んで私の話を聞いていたマリが外のアフィを呼んだ。 ﹁見えたわ。ここから150メトル先に魔力力場が展開されてる。 見た のは足止め目的の奴ら。ほんっ おそらくマナ抑制場ね。盗賊が商隊か何かを襲ってるんだと思うわ。 そこが本命でリッちゃんが とに用意周到な盗賊さん達よねぇ。﹂ マナ抑制場はマナの働きに干渉する区域のことでその中ではよっぽ どの熟練者以外はスキルや魔法が使用出来ない。 アフィの報告に一同は確信した。 ただの盗賊ではない。 ﹁・・・マリ、どうしますか?﹂ マリへ皆の視線が集まった。マリは実力と経験から私達一行のリー ダー役となっているのだ。 282 ﹁もちろん助太刀するぞ。盗賊など蹴散らせ。﹂ ニヤリと笑うマリの金色の瞳がギラギラと輝いていた。 ﹁マリ姐さんならそう言うと思ったッスよ∼。﹂ とロードが呆れている。それもそうだ。只者でない盗賊に襲われて いる何者かが普通の商隊な訳がない。状況が把握出来ない今、迂闊 に手を出せばどんな面倒事が待っているか分からないのだ。そもそ も既に私という面倒事を抱えているため、本来なら避けるべき事案 なのだ。 しかしマリは﹃弱きを助け、強きを挫く﹄を地でいく。 ﹁まぁ、マリは見過ごすなんて出来ねぇよな。﹂ ﹁私はマリのそういうところ好きだよ。﹂ と言うと豊満な胸に抱きしめられてしまった。 あぷあぷと胸で溺れる。し、死ぬ! ﹁よし、反論はないな。まずは待ち伏せの野郎共を蹴散らすぞ。エ ヴァンは馬竜車を動かせ。アフィとロードは警戒。ガーウェンは右 側の一人を、私は左側だ。そしてリキ。﹂ 肩を掴まれ、引き剥がされる。 見上げるとマリの真剣な瞳が私を射抜いた。 ﹁これから何があっても私達がお前を支えてやる。だからお前は生 きるために躊躇うな。﹂ ﹁・・・・・・分かった。﹂ 重い意味の言葉に私も真剣にそう返すと、マリは一つ頷いたあと皆 に号令をかけた。 ﹁よし!任務開始!﹂ ﹁ガーウェン﹂ 荷車を降りたガーウェンに声をかけた。 ﹁どうした?不安か?﹂ 私を見てそう言う彼の方が不安気な表情をしている。 283 ﹁大丈夫だよ。気を付けてね、いってらっしゃい。﹂ 笑って見せるとガーウェンに頬を撫でられ、そしてそのまま口付け をされた。 ﹁あ﹂ と言ったのは私ではない。後ろにいるロードだ。 しかし私も同じように驚いている。ガーウェンは他の皆が居る時は 決して私に触れてこなかった。だが今、皆の前で触れるどころかキ スをされた。 ﹁・・・・・・いってくる。﹂ ボソリと言って微笑みを浮かべたガーウェンの顔と耳が赤い。 不意打ちでめちゃくちゃ可愛いとかなんなの。 ﹁・・・やだぁ、ガウィちゃんにキュンときちゃったわぁ﹂ ﹁俺もッス。なんか屈辱・・・﹂ ﹁え、普通に気持ち悪いでしょう?﹂ 後ろでコソコソ言ってる君たち。聞こえてるから!ガーウェンさん が恥ずかしさでプルプルしてるからやめて! ****** マリとガーウェンが待ち伏せている盗賊達に奇襲をかけに出発して から少ししてエヴァンが言った。 ﹁そろそろ私達も出発します。二人を拾い上げてそのまま現場に突 っ込みますから、掴まってて下さい!﹂ 手綱を振ると馬竜が大きく嘶き、荷車を引いて走り出した。ガラガ ラと車輪が土埃を上げる。 284 すぐにロードが叫んだ。 ﹁二人から合図がきたッス!合流可能!﹂ ﹁ではこのままの速度で行きます!﹂ 荷車から進行方向を見るとマリとガーウェンが待っていた。そこへ 速度を落とすことなく馬竜車が向かっていく。 ﹁ガーウェンさんは俺が引き上げるから、リキちゃんは座ってて﹂ とロードが荷台から身を乗り出し、手を伸ばした。咄嗟にロードの 服を掴む。 ガーウェンがスキルで強化した脚力で馬竜車と並行して走り、荷台 に向かって飛ぶ。それをロードが掴み、引き上げた。 ﹁重っ!ガーウェンさん重いッスよ!﹂ ﹁お前が軟弱なんだろ。﹂ 軽口を言い合うガーウェンとロードを余所に私はマリを見た。ロー ドの服の端を掴みながら見ていた彼女はふわりと飛び、馬竜車の速 度など関係ないように音もなく荷台に降り立ったのだ。 一瞬の無駄もないその完璧な動きにドキドキする。恰好良い! ﹁私、マリになら抱かれてもいい・・・﹂ ﹁はっ?!お、おいリキっ﹂ 私の言葉に慌てるガーウェンにマリがふふん、と得意気な笑みを浮 かべた。 見えた 紅い珠だった。これが ﹁さすがリキ。見る目がある。ーーアフィ、土産だ。﹂ とアフィに手渡したのは映像内に 火炎珠と呼ばれる魔道具なのだろう。 ﹁あらぁ?いいのぉ?こんな高価な物。﹂ ﹁ああ。お前なら誰よりも上手く使えるだろ。﹂ ﹁・・・・・・私もマリちゃんになら抱かれてもいいわぁ﹂ 再びマリがふふんと笑うと、だぷんと胸が揺れた。 ﹁あんたらふざけてないで準備して下さい!見えましたよ!!﹂ エヴァンが鋭く叫び、私達は一斉に馬竜車が向かう方に注目した。 285 複数の馬車が街道に止まっている。一番後ろの荷車は横倒しになっ ていた。そこに人影が見えた。 ロードが叫んだ。 ﹁まじかよ!?黒氷狼がいる!!﹂ 私には見えなかったが、ロードの鼻が魔獣の臭いを感じたらしい。 ﹁なるほどねぇ。スキルや魔法を使えない人達に魔獣を嗾けて嬲り 殺しにしたいのね。最低な趣味ねぇ!﹂ アフィが珍しく感情露わに吐き捨てるように言う。 ﹁アフィ、力場発生源は特定出来るか?﹂ ﹁ええ!林の中だけど精霊なら辿れるわ!﹂ ﹁よし。ロードは精霊の後を追い、力場発生源を破壊!﹂ ﹁了解ッス!!!﹂ マリの指示を聞くが早いかロードが馬竜車から飛び降り、林の中へ 駆けて行った。その後を小さな光の玉がすごい速さで追っていく。 ﹁リキはこの馬竜車に結界を張って安全地帯を作り、怪我人や一般 人を集めろ。エヴァンは治療とリキの援護。アフィは遊撃。そして 私とガーウェンは犬共の躾だ。﹂ 現場が近付く。何かが燃えている臭いがする。 横倒しになった馬車側の人影がこちらを見た。髭面の男だった。速 度を落とさず突っ込んでくる私達に驚いている。 水槍 よ! 貫け !﹄﹂ その男の下には組み敷かれた女性がいた。 ﹁﹃ 反応したのはエヴァンだった。一瞬のうちに水の槍を放つ。しかし 直後、私は︻直感︼する。 エヴァンの水槍はマナ抑制場内にいるあの男には届かない。 魔法の使用に必要なのは適切な属性の魔力量と形状と作用のイメー 286 ジである。 つなぎ エヴァンの水の槍を例に挙げれば、水属性の魔力と形状は槍、作用 は真っ直ぐに飛び、目標物を貫通することである。 そして呪文とは魔力をイメージ通りに具現化させるための である。言葉で発することによりイメージをより具体的にし、形 状と作用を固定しやすくするのだ。 裏を返せば、形状と作用のイメージを具体的に固定出来れば呪文な どは必要ないのだ。 イメージする。エヴァンの水槍を包む干渉を受け付けない防壁。 形状はエヴァンが放った水槍を一回り大きくした形。 作用はマナ抑制場を切り裂き、あの男を撃ち抜くこと。 撃ち抜く、と思い至り形状のイメージが一気に具体化する。 空気を切り裂く尖った先端と抵抗を軽減させる緩やかな曲線を持つ 弾丸。結界の弾丸だ。 水槍を包む結界の弾丸が展開される。 驚き、身体を浮かせた男の元へ、空間を切り裂き干渉を受け付けず、 迫ってゆく。 そして威力を保ったままの水槍が男の胴を貫いた。 287 道中∼強さと弱さの狭間 2∼︵前書き︶ また次話へ続きます。 次話はイチャイチャのはず。 288 道中∼強さと弱さの狭間 2∼ 水槍が男の胴を貫く瞬間、ガーウェンに引き寄せられ、視界を遮ら れた。見上げたが、彼は睨むように前を向いていてこちらを見なか った。 ﹁リッちゃん!結界を張って!﹂ アフィの声で馬竜車の周りに結界を展開した。 ﹁作戦通りいくぞ!突っ込め!!﹂ 速度を保ったまま倒れた馬車の脇を通り抜けた。少し離れた先に馬 車が何台も見える。その周りは乱戦のようだ。 ﹁っ!なんだてめぇら!﹂ 馬車を漁っていたのだろう盗賊達がこちらを見て叫び声を上げた。 黒い狼が数頭、馬竜車に向かって飛びかかってきた。 ﹁あいつらは私がやるわ!﹂ アフィが荷台から飛ぶ。とその瞬間、風の刃がばら撒かれ、狼と盗 賊を吹飛ばし切りつけていった。 ﹁ぐあっ!ここでは魔法は使えないはずじゃないのか?!﹂ ﹁あら、残念ねぇ。こんな陳腐な結界じゃ私の魔法は止められない のよ。あんた達がやったことを死ぬほど後悔して、そして死んだ方 がマシだと泣き叫んでも、死なせてあげないんだから!﹂ 巻き起こる風に掻き消されるようにいくつかの悲鳴が聞こえた気が した。 回り込む様にして馬竜車が止まった。 ﹁これ以上進めません!﹂ エヴァンが御者台から飛び降り、周囲にいた狼を切り捨てた。 289 ﹁上出来だ!行くぞ、ガーウェン!﹂ マリが風のように駆け、通りがかりに狼や盗賊を吹っ飛ばして行く。 荷物やら馬車やらも吹っ飛ばしてる気がする。 ガーウェンがマリを追うように駆ける。 チラリと心配気な視線を向けられたが、ガーウェンは何も言わず、 走り去った。 ﹁リキさん!怪我人を!﹂ エヴァンの声に任務遂行のため意識を切り替えた。 ****** 馬竜車の周りには怪我人と一般人が集まっていた。エヴァンと︻治 癒者︼だった冒険者の一人が重傷人の治療をしており、私と大した 怪我のない者が軽傷人の手当てを手伝っている。 襲われていた一行は複数の商人で隊を作っていたのだという。それ なりの冒険者の護衛も数名雇っていたのだが、マナ抑制場を展開さ れてはろくに対抗も出来ず盗賊と盗賊が連れていた黒氷狼に翻弄さ れるしかなかったそうだ。 ﹁てめぇらあああ!!ふざけやがってぇぇえええ!!﹂ 結界に向かって盗賊が剣を振り上げ、走ってきた。 ﹁ぐわああぁぁぁぁぁ・・・﹂ そして結界に弾かれ、転がりながら吹っ飛んでいく。 ﹁・・・あいつらも懲りねぇなぁ。﹂ 護衛の一人だった冒険者のおっさんが隣で呆れた声を出した。背中 290 を大きく切られ、瀕死だったが、保有していた︻身体活性化︼︻自 己回復︼という怪我や病気を癒すスキルを結界内では使用出来たの でかなり回復していた。 ﹁この結界は壊せねぇってのに。﹂ ﹁まぁあいつらだってこれで生きてる訳だし諦める訳にはいかない んだろ。﹂ と返すとおっさんは﹁引き際も肝心だと思うがなぁ﹂とのんびりと 言った。 この結界に入った当初はいつまた襲ってくるか分からない盗賊に怯 えていた面々だったが、先ほどのように何度かやって来た盗賊共を 跳ね返す結界の強固さを体感し、この結界内は絶対的安全地帯だと 理解したようで現在はのほほんとしている。 ﹁あの馬竜車が安全地帯だ!走れ!﹂ 鋭い声が聞こえた方を見ると護衛だった冒険者に先導された老夫婦 がこちらに走って来ていた。その後ろから狼が迫っている。 ﹁頑張って!もう少しよ!﹂ ﹁こっちだー!頑張れー!﹂ ﹁皆、なんでもいい!狼に投げろ!﹂ 動ける者達がわぁわぁと石や荷物や何かの破片などを投げだした。 結界外からの攻撃は全て受け付けない設定だが、結界内からの攻撃 は外に届くようにしている。 もちろん魔法はまだ結界外ではマナ抑制により使用出来ないので投 石が主である。ちなみにエヴァンの水槍のように私が結界で補助す れば魔法の使用も可能なのだが、その方法は結界魔法としては異端 らしく、他の人には見せないようにとエヴァン大先生からのお達し だ。 私も小石を手に取り、大きく振りかぶって・・・投げる! ガアァッ! 291 私が投げた石は見事、狼の顔面に命中し、その隙に老夫婦達は結界 内に到達出来た。 ﹁おお!お前すげぇな!魔法だけじゃねーんだな!﹂ とおっさんにバシバシと背中を叩かれ、よろけてしまった。おい、 おっさん、怪我どうした。 文句を付けようと顔を上げると、唐突に予感があった。 ーー林の中に行かなくてはいけない。 ﹁・・・・・・ちょっと出てくる。馬竜車から離れるなよ。﹂ ﹁おお。・・・ってお前が動いたら結界はどうなるんだ!?﹂ 一声かけて結界から出ると、おっさん達が慌て出したので、首を傾 げた。 ﹁どうなるんだってどうもならないが?﹂ ﹁いやいや!結界魔法は術者が結界内に居ないと維持出来ないんだ ろ!?﹂ そうなのか?ちゃんと維持されてるみたいだけど。 石を拾って結界に投げてみたが、境界でパシッと弾かれた。 ﹁大丈夫みたいだぞ。﹂ ﹁あ・・・大丈夫なのか・・・・・・ならいいわ。﹂ 気を付けろよーと言う軽い声に手を上げて応え、林の中に向かった。 ****** 気配を遮断し、︻直感︼が導くまま木々の間を縫って走る。スキル を意識すれば能力は劇的に違うというのを今更ながら実感する。私 はすでに︻直感︼を信用していた。 しばらく行くと声が聞こえた。 292 ﹁ガキを見つけたぞ!﹂ 瞬間、木の陰に身を屈めて、気配がある方を覗き見た。 ﹁面倒かけやがって、クソガキが。﹂ 苛立ったような獣人の男の足元には10歳前後の男の子が座り込ん でいた。少年の顔は蒼白で頬に殴られた様な跡があったが気丈にも 男を睨み上げていた。 ﹁本物か確認しろよ。﹂ 他に男が二人居たようだ。三人の男に囲まれ、少年の身体が震え出 す。しかし唇を噛み、睨み上げるのはやめない。 ﹁本物だろ。王紋入りの懐中時計を持ってた。﹂ ﹁ほぉ。じゃぁ、こいつを殺して撤退だな。﹂ 私は腰ベルトに備えてある二本のダガーを音もなく取り出した。マ リが私に買ってくれたものだ。 ﹁殺した証拠はどうすんだ?あ、その懐中時計でいいか。﹂ 静かに呼吸を繰り返しながら、マリの言葉を思い出していた。 ーーこれから何があっても私達がお前を支えてやる。だからお前は 生きるために躊躇うなーー 大丈夫。信じてる。 ﹁じゃ、さっさとやろうぜ。﹂ 男の持った剣が振り上げられたが、少年は力強い眼差しのまま。 大丈夫。信じてる。みんなも自分も! 私は獣人の男を狙い、全力でダガーを投擲した。 ****** リキに後ろ髪を引かれたが、マリの後を追って走った。時折、黒氷 293 狼や盗賊を切り倒し、生き残っている商隊の人々に声をかける。 ﹁大丈夫か!後ろに馬竜車がある。そこが安全地帯だ!そこに行け !﹂ リキの結界魔法はすでに一流だとアフィーリアが絶賛していた。そ れに国軍の騎士でも簡単に結界を壊せないだろうとも言っていたか ら、結界内に居れば安全なのだ。結界魔法は結界内に術者が居ない と維持出来ないからリキが結界外に出ることもない。 そうは分かっていてもこの言いようの無い不安感は何だろうか。 ﹁ガーウェン!犬共のボスがいたぞ!奴を倒す!﹂ マリが向かう先には他の狼より二回りは大きい黒氷狼が暴れていた。 そいつを相手にしていた商人のような格好の奴らに違和感を覚える。 動きがやけに統制されている。 違和感を探ろうとそいつらを睨む様に見たが、マリの声で意識を魔 獣に戻した。 ﹁大きな個体がボスだ!奴を先に倒すぞ!﹂ マリが跳ねるように狼と商人のような奴の間に割って入った。そし て一気に狼と距離を詰めると狼の顔面を殴りつける。そのまま脚で 前足を払おうと身を屈めるが、狼は一飛びで後ろへ引き下がり、そ れを躱した。 狼が数回顔を振り、マリを睨みつけグルグルと威嚇の唸り声をあげ た。 ﹁加勢するぞ。﹂ マリの乱入に呆然としていた商人のような奴らに声をかけると、ハ ッと俺を見て ﹁感謝するっ!﹂ と剣を構え直した。その構えには見覚えがあった。騎士になる為に 一番初めに習う騎士剣技の構えだ。 こいつら騎士か。となるとやけに統制が取れてるのも頷ける。 だが騎士が商人の姿で商隊に混じっているなんて面倒事の予感しか 294 しない。 思わず舌打ちしそうになったが、狼がマリに飛びかかったのを見て 咄嗟に叫ぶ。 ﹁横に回り込め!﹂ 狼の横へ走る俺の動きを理解し、反対側へ動くことができたのはこ いつらの指揮官らしい小楯と騎士剣を持った男だけだった。 マリは噛みつこうとした狼の牙を躱し、逆に鼻面を抱え込み、地面 へ引き倒した。 ﹁行儀の悪い犬だな!伏せてろ!!﹂ マリが瞳をギラつかせながら、吠えた。 その間に狼の側面に寄った俺は勢いと体重を乗せて剣を後ろ足に突 き刺した。 クソッ、浅い! 黒氷狼の皮は厚く、硬い。反対側の指揮官らしき男も苦戦している。 俺は足を振り上げ、そして踵を剣の柄頭に叩きつける。 ﹁オラァァアアアッ!!!!﹂ 踵部分に仕込んでいた金剛蟻の外殻と柄頭が当たりガキンッと音を 立て、剣が肉に喰い込む。狼がめちゃくちゃに暴れ出した。 ﹁引けっ!﹂ マリが叫んで引いた為、俺も剣を掴み、大きく飛び退いた。狼は素 早く立ち上がったが、やはり後ろ足を気にしている。 マリが猶予を与えず、再び肉迫する。 ﹁私とカッチェは彼女の援護!他の者は取り巻きを排除しろ!﹂ 優秀な指揮官らしくマリと俺の連携を見ただけで役割を決定したよ うだ。 周囲の奴らが﹁了解!﹂と言い、散らばる。 ﹁このまま押しきるぞ!!﹂ 狼の横っ面に拳を叩き込みながらマリが楽しそうに笑う。 狼を倒すのにそう時間はかからないだろう。 295 ****** 黒氷狼のボスの最後はやはりマリの一撃で迎えた。 俺と騎士二人が牽制を行い、マリの重い一撃を狼に喰らわせる。そ のうち狼の足は止まり、そうなると剣でもちまちまとダメージを与 えられる。 スキルがあれば剣でも大技を繰り出せるのだが、まだマナ抑制は続 いていた。 心臓の辺りにマリ渾身の一撃が打ち込まれ、狼は全身を震わせたあ と、ゆっくりと地に倒れた。 とその瞬間、身体が軽くなった感じがした。 ﹁なんだ。今更、マナ抑制が解消したのか。﹂ ロードはいつもタイミングが悪いな、とマリが呆れた声を出した。 ﹁・・・冒険者の方ですか?加勢して頂き、ありがとうございます。 本当に助かりました。﹂ 指揮官の男が人当たりの良さそうな笑みを浮かべて言った。 ﹁いや、いい。こういう時はお互い様だ。それよりお前達は・・・・ ・・﹂ ﹁隊長!!ガルシア様が居ません!!﹂ マリの言葉を遮り、取り巻きにいた若い男が叫んだ。目の前の男に 緊張が走る。 ﹁エリミオ。魔力はどうだ?手繰れるか?﹂ ﹁・・・・・・居ました!こっちです!!﹂ エリミオと呼ばれた女が林の中へ駆けて行く。おそらく探索系のス キルを発動したのだろう。その後を数人の男達が続く。 296 ﹁すみません。主の身に何かあったようで・・・。お礼は改めて﹂ 律儀に一礼した男も後を追って行った。 ﹁・・・ガーウェン、お前も行け。﹂ ﹁あ?なんでだよ。﹂ ﹁あいつらが何者が情報を集めろ。馬竜車の様子は私が見てくる。﹂ ﹁あ!おいっ!﹂ 俺の意見など聞かず、一瞬でマリの姿が消えた。 ﹁くそっ!!﹂ 大きく悪態をついて、しかし騎士達を追うべく、スキルを発動した。 すぐに騎士達には追いついた。 着いて来た俺をチラリと見た指揮官に、不機嫌さを隠さずに建前を 言う。 ﹁手は多い方が良いだろ。﹂ ﹁・・・・・・それはありがたい﹂ 絶対そう思ってねぇだろ。前の若い奴なんてあからさまに睨んでき てるしな! しかしこいつらは時間が惜しいようで俺の申し出を受け入れて、そ の場をまとめた。 くそっ!俺だって行きたくねぇんだよ! ﹁あそこです!ガルシア様、ご無事ですか?!﹂ 女の声が響くと同時に血の臭いに気付く。 嫌な予感がする。 ﹁ガルシア様!﹂ 騎士達が集まる中心には少年がいた。頬を痛々しく腫らしているが、 その他に怪我は無いようで、騎士達に疲労を滲ませた笑みを見せて いる。 周囲を見て、血の臭いの原因を理解した。男が三人事切れていたの 297 だ。獣人の男は目と首、後の二人は太ももと首。どれも急所を狙っ ている。 あの子供がやったのだろうか。 ﹁ガルシア様、ご無事で何よりです。﹂ 指揮官がホッとしたような声を出した。 ﹁うん。殺されそうになったところをあの人が助けてくれたんだ。﹂ あの人、と指差した木の陰には確かに人がいた。他に人の気配など なかったためか誰かの小さな悲鳴が聞こえた。 もしかしたらそれは俺の声だったかもしれない。 ﹁リキっ!!!﹂ 298 道中∼強さと弱さの狭間 3*∼︵前書き︶ この話で第2.5章道中小話はおしまいです。 次話からは第3章になります。 更新は10月21日になりますご了承ください。 299 道中∼強さと弱さの狭間 3*∼ ﹁リキっ!!!﹂ 気配もなく佇む見慣れたローブ姿に叫んで、駆け寄った。真っ白な ローブが所々、赤く染まっており、言いようのない感情に奥歯を噛 み締めた。 跪き、肩を掴んだ。 ﹁リキっ、お前!なんでここに!﹂ 小さな声が聞こえた。 ﹁ーーーーローブ﹂ 普段、聞いたことのないぼんやりとした声に息を飲む。 ﹁アフィから借りたローブを汚してしまった﹂ 感情の薄いぼんやりとした声。 恐る恐るフードを取ると、リキの黒髪が一房、前に落ちた。顔は普 段と変わらないように見えたが、血の気のない青白い頬に赤い点が 付いていて、なんだか無性に悲しくて手でそれを拭った。 そっとリキを抱き寄せる。リキの身体から血の臭いがして、強く目 を瞑る。 ﹁ガーウェン﹂ リキが俺の背中を撫でながら言った。 ﹁ガーウェン、怪我はないか?﹂ ばかか。こんな時でもお前は俺のことばっか考えてんのかよ。 何も言えず、ただ強く抱きしめた。 血の付いたローブを着せたままにするのは嫌で脱がせてやると、そ の下の服にも点々と赤いシミが付いていた。思わず顔を顰めた。 自分で歩けると言うリキを抱き上げて、振り向くと騎士共がこちら 300 を見ていた。 ﹁大丈夫なら戻るぞ。﹂ ﹁あ、そうだな・・・ガルシア様。﹂ ﹁え、ああ、うん。大丈夫だよ、自分で歩ける。﹂ なぜかチラチラと視線を感じる。若い騎士の男が俺とリキを見てい た。いやリキを見ている。 ﹁何見てんだよ。﹂ ﹁すす、すいませんっ!﹂ 不機嫌さを露わに睨みつけると、わたわたと慌てて顔を背けた。 ﹁チッ!俺達は戻るからな。﹂ 落ち着いた場所で早くリキを休ませたい。 ﹁あんな子供が歩いてるんだぞ?私も歩けるよ。﹂ ﹁あ?うるせぇ。お前は黙って抱かれてろ。﹂ ﹁・・・ふふ、ありがとう。﹂ とリキの腕が首に回り、甘えるようにすり寄って来た。 ****** 街道に出るとマリとアフィがすぐにやって来た。﹁ローブを汚して しまった﹂としょんぼりするリキにアフィーリアの方が泣きそうで、 ﹁いいの。リッちゃんが無事ならいいの。﹂ とリキを抱きしめた。マリはただ一言、 ﹁よくやった。﹂ と頭を撫でていた。 301 今夜はここで一夜を明かすことになった。体制を整えてから出発し た方がいいと判断したからだ。俺達もそれに付き添って行くことに なっている。 大所帯での夜営の準備が進められる中、リキは手伝いをさせてもら えず、手持ち無沙汰の様子で街道端に座っていた。どうも周囲の奴 らはリキを子供だと勘違いしているらしい。長い黒髪を二つに分け て編んだ髪型も童顔に拍車をかけているようだった。 リキを気にしながら、街道に散らばった破片などを片付けていると 声をかけられた。 ﹁彼女は魔人族なのかい?﹂ 番頭 だ 騎士達の指揮官だった。もっともこいつらは自分達を﹃大店の若旦 那と従業員﹄だと言いやがった。ちなみにこの指揮官は そうだ。 ﹁いや違うが・・・複雑な生まれなんだ。﹂ リキに関してはあまり情報を与えたくないので、そう濁した。 ﹁そうなのか。言いにくいだろう事を聞くんだけど・・・・・・も 番頭 を見ると真剣な目で俺を見ていた。誤魔化 しかして彼女はさっきのが初めて・・・﹂ そう言われて、 しは出来なそうだ。 ﹁・・・・・・そうだ。﹂ と重々しく言うと、彼は悲しそうな顔をした。 ﹁やはりそうか・・・・・・彼女に改めて若旦那の命を救ってくれ たお礼を言いたいのだけど・・・今はやめた方がいいだろうね。﹂ ﹁そうしてくれ。﹂ いくら相手が盗賊で殺さなければ自分が殺されるとしても人を殺す という行為は重い。俺も初めて人を殺めた時は夢に出てきたほどだ。 騎士も皆その覚悟を持って門を叩くのだが、中にはその重さに打ち のめされる奴もいる。 リキは、あの強く揺るがない心を持つ彼女はその重さとどう向き合 302 番頭 に気を取 うのか。願わくはそれを俺が支えたいと思うのはおこがましい事だ ろうか。 視線をリキがいた所へ戻すと彼女はいなかった。 られてる間にどこかに行ってしまったようだ。 周囲を見たが姿はなかった。 リキだって何か用があるだろうし、簡単な作業の手伝いを頼まれた のかもしれない。そう思うのだが、視線はリキの姿を探して彷徨う。 こういう所が過保護だと言われるのかもしれない。だが、リキの姿 が見えない事が不安で仕方ないのだ。今は特に。 ﹁ガウィちゃん﹂ リキを探してキョロキョロしているとアフィーリアに呼ばれた。見 るとマリも一緒だ。 ﹁リッちゃんならあっちにいるわ﹂ あっちと示したのは林だった。見つめるアフィーリアには寂し気な 表情が浮かんでいた。 光の力をかの者に ﹂ ﹁大丈夫よ。でもリッちゃんの力はガウィちゃんを護る為の力だか ら私達は入れないの。 アフィーリアが俺に付与魔法をかけたようだ。アフィーリアの周り からキラキラと輝く光の波が出ている。 ﹁力の波を視えるようにしたわ。ガウィちゃんなら入れるから、リ ッちゃんをよろしくね?﹂ ﹁これを持っていけ。﹂ マリから毛布、とパンと干し果物を渡された。 ﹁他の事はアフィ達がやるからリッちゃんを支えてあげて。﹂ ﹁・・・わかった。助かる。﹂ アフィーリアとマリに見送られながら、リキを探して林の中に向か った。 303 ****** 林の奥のキラキラ輝く方に向かうとリキはすぐに見つかった。木の 根元に膝を抱えて座っていたのだ。その周りを虹色に輝く光の半円 が囲っている。結界を張っているのだ。 人を拒絶しているようでリキに近づくのを一瞬、躊躇ったが、何と なくリキは俺を待っているような気がして光の中へ入った。 そしてピクリともしないリキを横抱きに抱き上げた。 ﹁あっ!﹂ リキが驚いて顔を上げ、やっと俺を見た。泣いていた様子はなくて 少しホッとする。 そのまま木の幹を背に地面に腰を下ろした。 ﹁お前が言ったんだろ。﹃私から離れるな﹄って。お前が離れてど うすんだよ。﹂ ﹁ガーウェン・・・・・・そうだね。ふふふ、そうだな、ごめんね。 ﹂ リキが小さく笑って俺の肩に凭れかかった。それに応えるように俺 もリキを抱く腕に力をこめた。 毛布を広げ、リキに巻くようにかけてやる。 ﹁飯は食えそうか?﹂ ﹁んー、お腹は空いてないんだよな。ガーウェン食べていいよ。﹂ リキはもともと少食で、リキ曰く﹁私は恐ろしく燃費がいいから少 しでいい﹂とのことだ。 ﹁いや俺も後でいい。﹂ 血色の良くなった頬を撫で、唇にキスを落とす。キスは恋人にもあ まりしたことがなかったが、こんなに充足感を感じるものとは知ら 304 なかった。最近は自然と出来るようになったと思う。 リキがほぅっとため息をついた。 ﹁ガーウェンといるとすごく落ち着く。安心する。﹂ そう言われると嬉しい。リキに必要とされていると思える。 ﹁・・・・・・驚くくらい冷静でいられたんだ。普段と同じ、変わ らないと思ったんだ。﹂ リキがじっと俺を見る。 ﹁でも今、やっと息を付けた。やっぱりどこか気を張っていたんだ な。ガーウェンが来てくれて良かった。﹂ ありがとう、と照れた様に言われ、愛おしさが募った。 ﹁あんまり格好悪いところは見せたくなかったんだけどなぁ。﹂ ﹁別に格好悪くねぇだろ。それに自慢じゃねぇけど、俺なんかお前 に格好悪いとこしか見せてねぇから気にすんなよ。﹂ ﹁ふふふ、ガーウェンは恰好良いよ。いや、可愛いかな?いつも可 愛い。﹂ ﹁・・・それ褒めてんのか?﹂ ﹁褒めてる褒めてる﹂ 笑いを含んだ軽い言い方にじとっとリキを見ると、 ﹁つまり大好きってこと。﹂ とキスを返された。 その言い方はズルい。俺が上手く誤魔化される言い方だ。案の定、 俺は舞い上がり、リキとのキスに夢中になった。 唇が離れてもお互いの呼気を吸い込む様な近さで俺達は見つめ合っ ていた。 ﹁なぁ、ガーウェン。今ここで抱いてほしいって言ったら嫌かな?﹂ リキにしては窺うような言い様に笑ってしまった。 ﹁嫌な訳ねぇだろ。﹂ そう言えばリキを初めて抱いたあと、リキを傷付けたと情けなく落 ち込む俺にリキも同じ事を言った。その時は俺を慰めるために気を 305 使わせたと思ったが。 ﹁好きな女に求められるのが嫌な訳ねぇだろ。﹂ リキが少し驚いた顔をして、それから本当に嬉しそうに笑った。 俺はリキの想いや伝えたい事をいつも一歩も二歩も遅れて理解する。 そんな自分自身に嫌気が差すが、それでもリキはとても幸せそうな 顔をするから堪らなくなってしまう。 大事にしたい。リキを大事にしたいと心から思う。 リキと俺はゆっくりと深く繋がった。 今まで余裕なく相手を貪るような行為ばかりだったが、こうしてゆ っくりと深く繋がると心まで深く繋がるような気がする。 ﹁あっ・・・ぅん・・・﹂ 腰を抱いて優しく引き寄せると、リキが甘く鳴く。 ﹁リキ・・・﹂ ﹁ん・・・あ、ガーウェン・・・﹂ 緩く揺すればぎゅうと繋がった部分を締められた。潤んだ黒い瞳が 細められ、薄く開いた口から熱い吐息が漏れている。 ﹁愛してる﹂ 気づくとそう言っていた。それは自然と零れた言葉だった。 おっさんが何言ってんだ。 顔が一気に熱くなる。何て取り繕うかと視線がうろうろし始める。 ばかか俺は。男がこんなこと言って、リキに呆れられたらーーーー ーー ﹁もう一回言って﹂ ひどく甘いリキの声に思わず視線を戻した。 嬉しそうででもどこか切なそうに俺を見つめている。 ﹁もう一回言って、ガーウェン﹂ ﹁あ・・・・・・あ、い、してる﹂ 306 ﹁うん、もう一回・・・﹂ ﹁あ、いしてる﹂ 何度も何度も強請るリキの瞳がキラキラと輝きだし、 ﹁嬉しいよ、すごく﹂ と心底幸せだというように笑った。 そうだ、他の﹃誰か﹄とリキは違う。 もう﹃誰か﹄とリキを比べるのはやめよう。 リキの望むことを聞けばいい。 リキが笑うことをすればいい。 リキが幸せだと俺も幸せになる。 ﹁リキ、お前を愛してる。﹂ 強くて弱い小さな身体を満たそうと何度も何度も注ぎ込んだ。 307 道中∼強さと弱さの狭間 3*∼︵後書き︶ ガルシア様に関するお話もあるのですが、本筋とはあまり関係がな いので、いずれ機会があったら書きたいです。 やることやってんのにゆっくり進んでいる二人を今後ともよろしく お願いします。 308 迷宮都市・ソーリュート︵前書き︶ 第三章です。 この章は迷宮都市での新生活が中心です。 新章開始に伴い、あらすじ、タグを追加しました。 今後ともリキとガーウェンをよろしくお願いします。 また今話の前半はソーリュートと迷宮についての説明です。 309 迷宮都市・ソーリュート 堅牢そうな高い石壁に跳ね上げ式の重厚な金属門が付いている。 その巨大な門を見上げるとマントのフードが落ちそうになり、慌て て押さえた。これはアフィのローブを汚してしまったためガーウェ ンが買ってくれた藍色のマントである。 フードを押さえながらも周囲をキョロキョロしているとガーウェン に笑われ、﹁余所見してるとぶつかるぞ。﹂と肩引き寄せられる。 門をくぐる道路は左側通行で、馬車など使役動物が引く荷車が走る 車線と広めの歩道で構成されている。 街に入る為の検問があったのだが、検問装置が横一列に並び、そこ に騎士が立っている様子はテーマパークの入り口のようだった。 検問装置には魔石がはまっており、冒険者ギルドや商人ギルドなど 各種ギルドに所属している者はギルドカードをそれにかざすと身分 が証明できる。証明出来ない者、ギルドに所属していない者は別の 入り口で審査されるのだ。 ﹁いってらっしゃい!﹂ どこかのテーマパークの良く教育された従業員のような笑顔と挨拶 で若い騎士に送り出された。微妙な気分になったが一先ず置いてお き、人混みの向こう、周囲に威圧感を振り撒くガーウェンと合流す べく向かった。 ともあれ私達は迷宮都市・ソーリュートに到着したのである。 迷宮都市・ソーリュートは正式名称をソーリュート地方管理区とい う。もともとソーリュートというのはこの辺一帯の地域の名称だっ たのだが、その地域にあった町や村が拡がり、迷宮を内包し、繋が っていき、このような巨大都市に成長したのだ。今はソーリュート 310 と言えばこの都市を指す。 迷宮都市という通称通り都市内外合わせて五つの迷宮を管理してお り、それらを主軸に発展している。 迷宮は大きく分けて三種類ある。 一つ目は人工迷宮である。読んで字のごとく人工的に創造された迷 宮のことである。大体は創造魔法という魔法で創造される。魔法で あるため展開者の設定次第では迷宮内のレベルが調整出来る為、修 行の場として使われる事が多い。 二つ目は半人工迷宮である。人工的な建物に強大な魔力が長期間充 満し続けると内部が変形し、迷宮化する。この迷宮は定常しないた め潜る度に地形が変わる。 三つ目は自然迷宮である。自然地形、森や山などに魔力が停滞して 魔獣が発生した場所である。この迷宮は手付かずの自然が迷宮とな っている。 ﹁南地区に行く定期馬車が出るらしい。急ぐぞ!﹂ ガーウェンが私の手を引いて走り出す。 ソーリュートは巨大都市である為、都市内の移動に定期馬車が使わ れるそうだ。 ソーリュート都市内部は五つの地区に分けられる。 今、私達がいるのは北地区、﹃ソーリュートの顔﹄と呼ばれる地区 である。ソーリュートを初めて訪れる者は必ず北門から入らなけれ ばならず、またレベルの低い冒険者やソーリュート内に住居がない 者も北門を通ることになっている。そのため観光に力を入れている 地区であるらしい。 この地区は﹃修練の塔﹄と﹃鍛練の塔﹄という初級∼中級者向の人 311 工迷宮を二つ担当している。 南地区はガーウェンやエヴァン、ロードが住居を構える地区であり、 これから私が暮らす地区でもある。 この地区は逢魔の森という自然迷宮と隣接している。この逢魔の森 は皇龍山という山の裾野に広がっており、とても広大で山に近づく ほど魔獣は大きく強くなっていく。 迷宮に入るには中級者以上必須である。 北門から外壁を辿り、内陸へ行くと東門がある。この門は北地区に ある二つの塔を踏破した上級者とソーリュート内に住居がある者、 遺 特別通行手形がある商人、職人のみが通行出来る。アフィ達四人は と呼ばれる迷宮の担当である。この ここから入っている。︵ガーウェンは私の付き添い︶ 遺跡 は特殊な迷宮で半人工迷宮であった地下遺跡に迷宮創造が趣味 門のある東地区は 跡 の魔術師が手を加え、階数を大幅に増やしたらしい。中級者∼上級 者以上向である。 西地区は海に面している海路の玄関口である。海岸線には白い砂浜 があり、上流階級の別荘地としても人気だ。 西地区には竜の住まう海中神殿が迷宮として存在する。海岸の端に 突き出た岬があり、その先端の階段から海の中の神殿に降りる。も っもと普段は海中にある為、中には入れない。一年の内、数ヶ月だ け海上に現れ、その時期はソーリュート全体でお祭り騒ぎとなるそ うだ。 竜はボスという訳ではなくただの友好的な住民であるらしい。ファ ンタジーの定番だし、機会があったらお会いしたい。 最後に中央区。ここはソーリュート管理区長・クナ侯爵の城や各種 官庁、上流階級の邸宅などがある地区だ。まぁ、私とは縁遠い地区 312 であろう。 ﹁南地区に着いたら、俺の部屋に荷物を置いて、それから買い物に 出るか。﹂ ﹁うん。楽しみだなぁ、どんな・・・・﹂ 定期馬車の隣の席でのんびりと言うガーウェンに答えようとして途 中で止まってしまった。馬車の窓から街並みの向こうに立つ二つの 塔が見えたからだった。 どちらもチェスの駒・ルークのような形だ。右側の塔の方が低い。 森 に ﹁低い方が﹃修練の塔﹄で高い方が﹃鍛練の塔﹄だ。生活が落ち着 いたらお前もあれに挑戦すればいい。塔をクリアしないと は入れないからな。﹂ 私の視線の先を追って理解したのかガーウェンがそう教えてくれた。 ﹁うん、頑張る。塔は難しいか?﹂ ﹁いやお前ならすぐにでもクリアするだろ。俺も一緒に行ってやる からな。﹂ ﹁やった!楽しみだ!﹂ この街の生活は楽しみな事が多すぎる。嬉しくて笑顔でガーウェン を見上げると、微笑みを返された。 ﹁ああ、楽しみだな。・・・それにやっと落ち着いて生活できるな。 ﹂ 繋いだ手を愛しそうに優しく撫でられた。 ﹁うん、そうだね。ふふふ。ガーウェン、これからもよろしくお願 いします。﹂ 笑ってペコリと頭を下げると、そのまま抱き寄せられた。 ﹁おう、こちらこそ﹂ 耳元で優しく囁き、すり寄ってくる。ガーウェンが幸せそうなのが とても嬉しい。 313 でもガーウェンは忘れていないだろうか。ここは馬車の中だ。向か い合った席のおば様方がニヤニヤしながら見ているのだ。いやむし ろ全ての乗客が温かい視線で私達を見ている。 ガーウェンがその視線に気付いて真っ赤になるのはもうすぐだと︻ 直感︼がなくてもそう分かった。 ****** 看板には﹃南風の吹く丘亭﹄という洒落た名前が掲げてあった。こ こがガーウェンの住む宿屋である。宿屋と言ってももう五年以上は ここに住んでいるそうだ。 ﹁ここの親父とは若い頃からの知り合いで、見た目は悪いが良い奴 だ。ドリスーー女将も世話焼きが過ぎる所もあるが、気立てが良い。 住んでる他の奴らも昔からの知り合いだから心配いらねぇからな。﹂ ガーウェンが扉を開けると、カランカランとドアベルが軽やかな音 を響かせた。 入ると喫茶店のような雰囲気で、コーヒーのような匂いがした。カ ウンターの奥にいたモジャモジャの髭面がガーウェンに向かって手 を上げた。彼がこの宿屋の親父だろう。 ﹁おお!ガーウェン!帰ってきたのか!﹂ ﹁よお、グディ。毛むくじゃらだから熊がいるのかと思ったぜ。﹂ ﹁うるせー!これはオシャレなんだよ!このワイルドさが分かんね ーかねぇ﹂ ガーウェンの後を追い、カウンターまで寄ると髭面グディにチラリ と見られた。不審そうな表情だ。 ﹁グディ、紹介したい奴がいるんーーー﹂ 314 ﹁パクり野郎じゃねぇか!!!﹂ カランカランと音が鳴ったと思った瞬間、でかい声が店中に響いた。 振り返ったガーウェンが扉から入ってきた男を見ると顔を険しくし た。 ﹁・・・・・・あ?パクり野郎はてめぇだろ。﹂ ﹁アァ!??んだとゴラァ!!俺様のスタイルをマネしてんのはて めぇだろうが!!﹂ 一気に剣呑な雰囲気になる両者だが、グディや男と一緒に入ってき た連中の呆れたような雰囲気を見るにこれは日常茶飯事なのだろう。 二人は放っておくことにして、 ﹁ガーウェンと言い争ってる奴は誰だ?﹂ グディに聞くと私を警戒しながらも答えてくれた。 ﹁あいつはガーダって奴で東を拠点にしてたんだが、数年前にこっ ちに来てな。ガーウェンと戦闘スタイルが似てるから﹃俺をマネて る!﹄とか言い出して、そのうち姿格好までマネしてるとかなんと か。殆ど言い掛かりだけどな。﹂ ﹁ふうん。﹂ ガーウェンがマネしているという男を眺める。まぁ確かに赤系統の 髪色だし、それにぱっと見、赤っぽいような髪色だし、たぶん日の 下だとなんとなく赤髪に見えなくもないと思う。 ﹁・・・・・・まぁ、指の本数は似てるな。﹂ ﹁ぶっ!そこかよ!﹂ 髪色以外に似ている所が見つからなくてそう言うと、グディは盛大 に吹き出した。 ﹁あはははは!あんた面白えな。はは、本数な!なるほどそりゃそ うだ。くくくくっ、んで、あんたは?ガーウェンの知り合いなのか ?﹂ ﹁私は・・・﹂ そういえばマント着たままだった。そりゃ不審がられるわな。それ に忘れていたが、この街に着いたらマントから解放されるのだった。 315 フードを落とし、マントを外した。 ﹁私はリキ。ガーウェンの恋人だよ。これから世話になる。よろし くな。﹂ グディにニコッと笑って愛想を振り撒いたのだが、当のグディはあ んぐりと口を開けて動かなくなった。第一印象は大事だと思い、と びきりの笑顔を作ったのだが良くなかったのか。 ﹁ガガガガガッ!﹂ あんぐりと開いた口から謎の音が。 え?グディってロボなの? ﹁ガガガガーウェン!!!おいお前!!どどどういうことだっ!! ここここい恋人っ!!?﹂ グディの大声に店中の視線が集まり、やはり皆あんぐりと口を開け た。 やっぱりここでも黒髪は珍しいのか、と首を傾げるとガーウェンが 隣に来てさらりと髪を撫でた。ガーウェンは私の髪を撫でるのが好 きらしいのだ。 ﹁うるせぇ。急になんだよ。﹂ ﹁う、あ、ガーウェン、その娘がお前の恋人だと・・・﹂ ﹁そうだ﹂ ﹁うそだろおおおおおおおっ??!!!!﹂ 肯定したガーウェンにグディが大袈裟に仰け反りながら驚いた。ガ ーウェンはその驚きように不機嫌になる。 ﹁なんでそんなに驚くんだよ。﹂ ﹁だってお前!!お前ってロリコンだったのか!!?﹂ ﹁ロリッ・・・!ちげぇよ!!!リキは成人してるから!!﹂ 真っ赤になって怒るガーウェンの言葉で再び私に視線が集まる。明 らかに疑わしいという表情の面々だ。ニコッと笑顔を返すと何人か はサッと視線を逸らした。ちょっと傷ついた。 ﹁・・・成人してるって17歳ぐらいか?﹂ ﹁二十三。﹂ 316 ﹁マジかよっ!!!ドリスっ!!ガーウェンがえらい別嬪連れて来 たぞ!!おい、ドリス!!﹂ ﹁おい、やめろ!早く鍵寄こせよ!!﹂ たぶん厨房だと思われる奥の部屋に大声で呼びかけるグディを阻止 しようとガーウェンはカウンターの上に身を乗り出すが、上手く躱 されている。 長くなりそうなので、カウンターの席に座ることにした。 いつになったらガーウェンの部屋に行けるのだろう。 317 迷宮都市・ソーリュート︵後書き︶ すぐ分かるソーリュート 北地区:初心者向。 東地区:上級者向。 西地区:海。 南地区:主な舞台。 中央区:城。 318 甘さ増加中 部屋に入るとすぐ左手はシャワー室とトイレのドアで、奥には大き めのベッドとテーブル、イスが一脚と乱雑に積まれた荷物があった がそれでも余裕のある広さで驚いた。 ﹁狭くて悪いな。﹂ すまなそうなガーウェンの声に背後を振り返り、彼の姿を見てなる ほどと納得した。 この世界の人々の平均身長は高めで何もかもそれに合わせるように 作ってあるため、私には何もかも大きめに感じる。しかし背が高く、 身体の厚いガーウェンにとってはそうでもないのだろう。 ﹁私には十分広いよ。驚いたくらいだ。﹂ とベッドの隣に立って見せると彼も気付いたようだった。 ﹁そうか。お前は小さいもんな。・・・こうして腕の中に収まるく らいだしな。﹂ 私をすっぽりと腕の中に抱き込み、ガーウェンが囁いた。見上げる と、頬が赤く染まった笑顔でガーウェンが私を見ていた。 ﹁愛してる、リキ。﹂ お、ガーウェンさんの甘々攻撃始まった。 ガーウェンは最近、真っ赤な顔して﹁愛してる﹂と良く言う。少し 前の﹁好きだ﹂と言うのにも吃っていたガーウェンからは考えられ ない事だ。 何か心境の変化でもあったのだろうか。 私は照れを含んだその甘さが大好きなので、何度も何度も強請って 強請って・・・ ﹁もう終わりだ、終わり!﹂ 羞恥で耳まで赤く染め、赤茶色の瞳を潤ませて叫ぶまで何度も言わ 319 せる。 ﹁もう少し、聞かせてよ。﹂ 首に縋り付いて、唇を啄ばみながら囁く。 ﹁ガーウェンに言われると本当に幸せになる。なぁ、もっと言って。 ﹂ と言葉を強請っているのにチュッチュ、とキスを仕掛けて中々言わ せないようにすると、ガーウェンの息が荒くなってきた。 ﹁・・・ばか・・・ん、ずりぃ・・・﹂ 下唇をねっとりと舐めるとガーウェンの身体が震えた。 ﹁お前が私をどう思ってるのか、教えて?﹂ ﹁・・・・・・身体の隅々にまで教えてやる・・・﹂ 覚悟しろよ、と被さるように抱き込まれ、そしてそのままベッドに 押し倒されーーーーー ﹃リキちゃーーーん!シーツ新しいのあるから持ってってーーー!﹄ 階下から建物全体を震わすような大声が響いた。 ﹁・・・・・・﹂ ﹁・・・・・・﹂ ベッドに押し倒された状態でしばしガーウェンと見つめ合う。 カーチャン って感じの女性だった。 あの大声は宿の女将、ドリスのものだ。彼女は恰幅の良い世話好き で肝っ玉の強そうなまさに ﹁・・・・・・シーツ取ってくるな。﹂ ﹁・・・・・・おう。﹂ 苦々しい顔をしているガーウェンに私も苦笑を返し、頬を撫でた。 ﹁続きは夜に、な?﹂ ﹁・・・忘れんなよ。﹂ ガーウェンはぎゅうっと一度だけ私を抱き締めてから立ち上がった。 ﹁じゃあ、少し部屋の掃除でもするか。﹂ ﹁私も手伝うよ。まずはシーツ取ってくる。﹂ 320 ﹁おう。任せた。﹂ ﹁おう。任せろ。﹂ 二人で顔を見合わせて、笑い合う。 これから二人で暮らす生活が始まる。毎日をこんな風に笑い合える 日々にしていきたい。 ****** 長くなりそうなドリスの世間話を上手く躱し、シーツを抱えて階段 を上がった。 ﹃南風が吹く丘亭﹄は一階が喫茶店とグディ一家の住居である。ち なみに先ほどは会えなかったが、二人には十三歳の息子がいるとの ことだ。 二階の客室は六部屋あり、現在は満室である。どの部屋の宿泊客と いうか入居者は三年以上滞在しているそうだ。 階段を上りきると廊下に出る。部屋は廊下を挟んで片側三部屋づつ で、ガーウェンの部屋は右側の一番奥だ。 廊下の中ほどで人の気配がしたため立ち止まるとガーウェンの向か のある巨体を見上げ、感嘆した。 い部屋のドアが開いた。のっそりとドアの上枠をくぐり出てきた 見覚え ガーウェンより二回りは大きく、どうなってるか分からないほど筋 肉が盛り上がっているのだが、重要なのはそこではない。彼の肌は 全身、赤黒い色でつるりとした頭には一本、三角の角が生えていた 321 のだ。 こいつは赤鬼だ!! 子供の頃、絵本で見たようなそのままの赤鬼スタイルに楽しくなる。 ﹁!﹂ 赤鬼さんがニコニコ笑って自分を見上げている私に気付き、ビクリ と身体を揺らした。非常に慌てている。 ﹁こんにちわ﹂ ﹁!!﹂ 視線をうろつかせ、ジリジリと部屋に戻っていく赤鬼さん。 ﹁どうぞ。﹂ ﹁!!!﹂ と廊下の端に寄り、道をあけてみせるとしばし逡巡した後、そろっ と部屋から出てきた。でかい図体なのに行動は小動物だ。 廊下を壁伝いにカニ歩きで歩いてくる赤鬼さんの可愛さにイタズラ 心が湧き立つ。すれ違う瞬間、声をかけた。 ﹁なぁ、名前は?﹂ ﹁!!!!ごごごごめんなさい!!!﹂ ビクンッと大袈裟に身体を跳ねさせ、なぜか謝罪を口にして駆け出 した。彼が走る度、ドスンドスンと揺れる。そのままの速度と音で 階段も降りたようだが、 ﹃ちょっとバードン!!あんたが走ると床が抜けるよ!加減しなっ !﹄ とすぐさまドリスに叱られる声が聞こえた。 ずいぶんと可愛い赤鬼さんだ。 ﹁どうかしたのか?﹂ ﹁赤鬼さんに名前を尋ねたら、逃げられた。﹂ ﹁バードンに会ったのか。あいつは人見知りが激しいから勘弁して やってくれ。特に女子供が苦手なんだよ。﹂ 322 ドアを開けて迎えてくれたガーウェンへにこやかに報告すると苦笑 された。 ﹁ガーウェンに結構、似てたな。﹂ ﹁あぁ?どの辺だよ﹂ ﹁視線の泳がせ方とか﹂ ﹁・・・・・・俺はあんなにヘタレじゃねぇし・・・﹂ 自分がヘタレだって自覚はあるんだな。 ﹁なかなか可愛いな﹂ あの壁際のカニ歩きも面白かったと笑うとガーウェンが低く唸り声 を上げ、 ﹁ぐぅぅ・・・バードンか。伏兵だった・・・﹂ と眉間を寄せ、真剣に悩む彼に笑ってしまった。 ﹁なんだ、ガーウェン。私がお前以外に惚れるとでも?﹂ ﹁ち、違っ、べ、別にそうは思ってねぇけど、その﹂ 分かっている。ガーウェンは自分に自信がないのだ。自分よりも他 の者が良く見えるから、私がそちらを選ぶのではと不安になる。 そんないじらしいガーウェンに愛しさが溢れる。ガーウェンを幸せ にしてあげたい。 ﹁おいで、ガーウェン。私がどれだけお前が好きか教えてやる。身 体の隅々にまでな。﹂ ニヤリと笑って手を差し出すと、ガーウェンは顔を赤くしながらも 私の手を取った。 ﹁・・・・・・続きは夜ってお前が言ったんだろ﹂ ﹁ガーウェンが可愛いのが悪い。﹂ ﹁かわ・・・・・・可愛いのはお前だろ﹂ ﹁じゃぁ、可愛い者同士お似合いだな?﹂ ﹁なんだよ、それ。意味分かんねぇ。﹂ 私を抱き上げて、ガーウェンはふわっと笑った。最近見せてくれる 本当に幸せそうな笑顔だ。 可愛い。 323 ﹁つまりお前を愛してるって事﹂ ﹁・・・・・・じゃぁ、俺たちはお似合いだな﹂ 自分よりも上にいる私にガーウェンは顎を少し上げて唇へのキスを 強請った。 赤茶色の瞳を覗き込み、望み通りキスを落とす。 窓からは穏やかな風が入り、置いてあった本のページをパラパラと めくった。 遠くから刻を教える鐘の音が聞こえる。 まるで自分達を祝福する鐘のようだ、とガーウェンなら思うんじゃ ないかなと考え、笑った。 324 甘さ増加中︵後書き︶ 一話の長さが安定してなくて申し訳ないです。 325 南風の吹く丘亭の人々 とりあえずイチャイチャしてから部屋の掃除をすることに。 といっても今回のガーウェンのように長期間部屋を空ける時はドリ スが時々部屋を掃除してくれるそうで、今も荷物を整理するだけで 終わった。 ﹁イスがもう一脚、必要だな。あとはタンスと鏡も必要だよな。あ とは・・・何か必要な物はあるか?﹂ ﹁うーん、思い付かないからあとは都度対応だな。﹂ ﹁よし。買い物に行く前に軽く腹ごしらえしてくか。﹂ ﹁おう!﹂ ガーウェンが差し出した手を自然に取ると、引き寄せられ、抱き締 められた。 さっきは一回だけだったから足りなかったのだろうか。 ﹁どうした?﹂ ﹁いや、お前が俺の部屋にいるのが照れるって言うか妙な気分で。﹂ ﹁ふふふっ。なんだよ、今更。﹂ ﹁そうだな。今更だよな。﹂ 新しく敷いたシーツの上でイチャイチャしたからすでによれてしま っているし、脱ぎ捨てた下着類は絡み合って籠の中だし、本当に今 更だ。 ﹁まぁ、これからは見飽きるくらい居てやるから、そんな気持ちも 今の内だよ。﹂ ﹁ふっ、そうか。﹂ とガーウェンは笑って私にキスを落とした。 今のは結婚を意識させる言葉だったんだけどな。 分かり難かったかな? 326 ううむ。ガーウェンにはもっと直接的な言葉で言った方がいいかも しれない。 ****** 手を繋いで一階に降りると、二人の男にものすごい注目された。片 方はバードンで何か食べているようだが、その皿とスプーンがやた らと小さく見える。 もう一人の男には見覚えがなく、首を傾げると、ガーウェンが嫌そ うな声を出した。 ﹁げ、お前帰って来てたのか。﹂ ﹁げとはなんだげとは。おーおー年甲斐もなく手なんか繋ぎやがっ て。若い美人を捕まえたからって調子に乗ってんじゃねぇぞ。﹂ と言って煙草をふかす無精髭の不健康そうなおっさんだが、からか うようなニヤニヤした笑みと優しい瞳でガーウェンとは気安い仲な のだと分かった。 ﹁う、うるせぇ!歳は関係ねぇだろ!﹂ ガーウェンは照れて怒鳴り、繋いだ手と私を隠すように自分の背の 後ろに回した。 ﹁おいおい。その美人ちゃん紹介してくれねーの?これから一つ屋 根の下に暮らすんだからさぁ﹂ ﹁うるせぇ。リキ、このうるせぇのは隣の部屋のルキアーノって奴 だが、女たらしのクソ野郎だから近づくんじゃねぇぞ。﹂ ﹁リキです。近づかないけどよろしくな、ルキアーノ﹂ ﹁・・・・・・ガーウェンの言うことをそんな素直に聞くなよ。お じさん傷つくよ﹂ 327 ガーウェンの背中から少し覗いて頭を下げるとルキアーノに苦笑い された。 ﹁バードンにはさっき会ったって言ったな。バードン、こいつが今 日から俺と住むリキだ。﹂ ﹁バードン、よろしくな。﹂ ﹁!・・・・・・バードン、です・・・﹂ にっこり笑ってバードンを見れば、ビクンと巨体を揺らし、視線を 右往左往させながら上擦った声で言った。 ﹁なぁ、バードン。なに食べてんの?美味しいそうだな。﹂ ﹁!!﹂ バードンの前に置いてある美味しそうな匂いをさせた料理を覗き見 た。近くに寄った私を彼は巨体を頑張って縮こませながらビクビク と窺っている。 ﹁何ていう料理?﹂ 大きな楕円形の皿にこんもりと盛られているピラフのようなご飯。 細かく切った野菜と貝やイカのような具がたくさん入っていて、バ ターの香りが湯気とともに立ち上っている。 海鮮ピラフって感じだな。 ﹁そ、それは、海鮮ピラフってやつで・・・・・・﹂ ﹁・・・・・・私もそれを頼もうかな。﹂ おどおどしたバードンがほんのさっき思い浮かべた料理の名と寸分 違わず言ったので、一瞬言葉に詰まってしまったが、なんとか表情 を崩さずいられた。 実はこういう事は多々ある。 私が話す日本語がこの世界の言葉に翻訳されて周囲に聞こえている というのは明確だったし、まぁそもそもなぜそのような現象が起き るのかという疑問は一旦置いておくとして、便利であるから気にし ていなかったのだが、たまに翻訳が気を利かせすぎる時がある。 328 先ほどの料理名のようなこの世界の固有名詞を私が﹁似てるな﹂と 感じた元の世界の固有名詞に変換してくれるようなのだ。 この街に向かう旅の途中、ガーウェンと果物を売っている露店を覗 いたことがあったのだが、そこにある片手大の黒い皮の丸い果物を 指して、 ﹁もうズッカが出てきてるのか。﹂ と言った。聞きなれぬ果物に私が興味を示したので、半玉買ってく れたのだが、割ったズッカは赤くみずみずしい果肉が詰まっており、 私はスイカみたいだと思った。 ﹁スイカはもう少し暑くなってからが旬だけどな。﹂ ﹁・・・・・・ズッカだよな?﹂ ズッカ と言っても スイカ と言っても他の人には ﹁ああ。スイカだが・・・嫌いだったか?﹂ それからは 同じ言葉に聞こえている。 そのことに不便はないのだが、見知った単語が不意に異世界人の口 から出てくる事にどうも違和感が拭えないのだった。 バードンの隣の席が空いていたので座ろうとすると、ガーウェンに 腕を引かれ、隣の卓へ移された。そしてグディに自分と私の料理を 注文し、当然のように私の隣の席に着く。 その姿をニヤニヤしながら面白そうに見ていたルキアーノが紫煙を 吐き出し、言った。 ﹁お嬢ちゃんは鬼族が怖くないのか?﹂ 鬼と言われ思い付くのはバードンなので彼を見ると、巨体をさらに 縮こませていた。 ﹁鬼族って言うのは知らないけど、バードンは怖くないよ。小動物 みたいだ。﹂ 329 ﹁ぶはっ!バードンが小動物か!くくくっ、お嬢ちゃん変わってん なぁ!﹂ ﹁リキはそういうやつなんだよ。バードンもそんなに怯えなくてい いからな。リキはお前を気に入っただけだ。何もしねぇよ。﹂ ガーウェンの言葉にちらりと私を見たバードンににっこり笑って見 せる。 ﹁仲良くしてくれな?﹂ ﹁・・・・・・は、はい。よろしくお願いします。﹂ まだ少しおどおどしているが、バードンは私と仲良くしてくれるよ うだ。 料理が来るまでしばし雑談で時間をつぶす。 私は事情で一家離散の憂き目に遭い、仕事を求めて流れ着いた街で ガーウェンと出会い、一目惚れしたという設定になっている。 ﹁やっぱり変わってんなぁ、お嬢ちゃん。ガーウェンに一目惚れな んて。﹂ ﹁あら、リキちゃんは良い娘よ!若いけどしっかりしているし、ガ ーウェンにはピッタリよ!﹂ ドンッ!と両手に持った皿をテーブルの上に置き、ドリスが大声を 張り上げた。目の前に置かれた海鮮ピラフからは熱々の湯気が上が っていた。 米がパラパラで美味しそう!それに良心的な量で良かった!バード ンのような大皿できたらどうしようかと思っていた。 ありがとうとドリスに笑顔を向けると、 ﹁たんと食べて大きくなりなさいね!﹂ と言われてしまった。答えずにただ笑顔でいるとドリスはうんうん と何かに納得して、仕事へ戻って行った。 ドリスはもしかして私の年齢を勘違いしているのでは? 隣の男の身体が震えているので、振り返った。 ﹁ぶ、くくく、ほら食え。大きくなれねぇぞ?﹂ 330 ﹁私の人種の中じゃ私は大きい方なんだからな。﹂ ニヤニヤと笑うガーウェンにむくれた顔をつくって見せる。 ﹁そう、むくれんなよ。ほら肉をやるから。﹂ ﹁あ、それは嬉しい﹂ ガーウェンの頼んだ料理は大きめのお肉がゴロゴロと入っているシ チューだった。そのお肉を一つ、私のお皿の上に乗せてくれる。よ く煮込まれていて柔らかそうだ。 ﹁おーおーイチャついてんなぁ、お前ら。それに思ったよりも自然 だな。﹂ 二人でいただきますと手を合わせるとルキアーノにからかわれた。 ﹃思ったよりも自然﹄とはどういうことだろうか? 海鮮ピラフをはふはふと食べながら、ルキアーノに視線を向ける。 ﹁グディから聞いた限りじゃガーウェンが一方的に入れ揚げてる印 象でな。どんな悪女に引っ掛かったのかと思ったが、ガーウェンも 自然に接しているし、信頼関係はあるようだな﹂ ﹁リキが俺を騙してるとでも思ったのか?そんなことは絶対にねぇ よ。こいつは俺には嘘はつかねぇ。﹂ 確かにガーウェンには嘘は付かない。言わない事はあるが嘘を言う ことはない。けどその他の人には嘘も付く。経歴詐称とかな。 ガーウェンの断言にルキアーノは呆れたようにため息をついた。 ﹁のめり込んでるな、お前。﹂ ﹁そういう事じゃねぇよ。﹂ ガーウェンの眉頭が寄り、眉間にシワを刻む。不機嫌な雰囲気が一 気に彼から溢れた。 ﹁ガーウェン。ルキアーノはお前を心配してるだけなんだよ。﹂ スプーンにピラフを乗せ、ガーウェンの口の前に差し出すと、彼は 反射的にパクリと食べた。不機嫌な顔をしながらもモグモグと咀嚼 するガーウェンの可愛さに自然と笑顔になってしまう。 ﹁ルキアーノ、大丈夫だよ。私が生きている限りガーウェンを幸せ にするつもりだから。﹂ 331 もう一度、ピラフを差し出す。再びモグモグするガーウェンにキュ ンキュンする。 可愛い。キスしたい。 ﹁大体、こんな可愛い奴を傷つけたりしないよ。まぁ、確かにガー ウェンの涙目は興奮するけど。﹂ ﹁ぶっ!がほっ!ごほごほっ!﹂ ﹁あ、ガーウェン大丈夫?﹂ 突然、咳き込むガーウェンの背中を優しくトントン叩いてあげつつ、 ドリスにグラスを頼む。 ﹁今、水来るからな。急がなくても、たくさんあげるからゆっくり 食べな﹂ ﹁そういう事じゃねぇよ!﹂ 涙目のガーウェンを覗き込んだら、なぜか怒鳴られた。思わず首を 傾げると、 ﹁はははは!お嬢ちゃん、あんたやっぱり変わってるわ!﹂ ひぃひぃと苦しそうな息をさせながらルキアーノに笑われてしまっ た。 何かにおかしな所があっただろうか、さらに首を捻った。 332 穏やかな夜*︵前書き︶ エッチな表現があります。 333 穏やかな夜* 迷宮都市・ソーリュートは眠らない。 なんでも迷宮は昼夜で難易度や出てくる魔物が異なり、得られるア イテムも違ってくるのだそうで、夜に迷宮に潜る人も多い。その為、 日が暮れても店が多く開いており、人通りも多い。 家に帰る人々と迷宮へ向かう人々が交差し、南中央通りは賑わって いた。 私は大衆浴場の前でガーウェンを待っていた。ガーウェンの部屋に はお風呂は付いていないので、普段は部屋からほど近いここを利用 するそうだ。 入口が面した通りは街灯で明るく、屋台から美味しそうな匂いが漂 ってきて行き交う人々を呼んでいた。 お風呂屋さんの前で風呂桶を抱えて立っていると昭和の名曲を思い 出すのだが、今は初夏で過ごしやすい気候であり、店内からは時折、 笑い声が聞こえるため、その歌のような物悲しい雰囲気はない。 こういう待ち合わせも悪くないのだが・・・ ﹁おい、お前、声かけろよ﹂ ﹁なんでだよ。お前がかけろよ﹂ 少し離れたところでちらちら視線を私に向けて若い男二人組がコソ コソと言い合っている。 気付かないとでも思っているのだろうか。 ああ、そうか。酒でも飲んで判断力が鈍っているのか。絡まれると 面倒そうだな。 その視線とだんだんと大きくなる声がいい加減鬱陶しくなって、移 動しようと思った時、ガーウェンが風呂屋から出てきた。 334 ﹁悪い。遅くなった。﹂ 濡れてぺちゃりとした髪の姿にほっとして笑う。 ﹁なんだ。男付きかよ!﹂ ﹁バ、バカ!聞こえるぞ﹂ 一際大きな男達の声にガーウェンが反応し、鋭い眼光で睨んだ。男 達はガーウェンの容貌と視線に小さな悲鳴を上げて、ぎこちなくあ たふたと立ち去って行った。 ﹁・・・悪い。待たせ過ぎたな。﹂ 男達が居なくなると先ほどの鋭さはどこへ行ったのか、ガーウェン は私を抱き込んで落ち込んだ声を出した。 ﹁気にするな。私の姿が珍しいだけだ。﹂ ガーウェンの背に腕を回すと、風呂上がりだからか彼の身体はポカ ポカと温かくて、思わず擦り寄ってしまう。早く素肌で抱き合いた いな。 ****** ﹁乾杯!﹂ 部屋に帰り、途中で買ってきたエールと果実酒で乾杯する。もちろ ん私がエールでガーウェンが果実酒だ。 グラスを煽り、半分ほど一気に飲んだ。 ﹁はぁー!やっぱエールは冷えてるのが一番だな!﹂ ﹁・・・相変わらず良い飲みっぷりだな、お前は﹂ ガーウェンがちびちび果実酒を舐めながら、呆れるように言う。 ﹁ガーウェンも飲んでみたら?おいしいかもよ。﹂ 335 ﹁そうかぁ?﹂ と嫌そうな言葉の割に顔がニヤけているのは、私が彼の腕に自分の 腕を絡め、擦り寄っているからだろうか。 昼間、イスをもう一脚買ってきたのにそれには座らず、自然とベッ ドの縁に二人くっついて座る状況に自分自身でもバカップルだなぁ、 と思う。 しかしもうどうしようもないのだ。 ガーウェンと二人きりで居れば、触れたくなって、そして触れてし まえばもっと、全部、隅々までと際限なく彼を求めてしまう。それ と共にガーウェンにも私を全て手に入れてほしいと思う。 支配したい気持ちと支配されたい気持ちが奇妙に調和している。 あ、ほらまたガーウェンがほしいと思ってる。 ﹁ふふっ。私がおいしい飲み方教えてやるよ。﹂ 立ち上がり、エールを口に含んでガーウェンに口付けた。薄く開い たガーウェンの口にゆっくりとエールを注いでいく。 ガーウェンの喉が鳴る音に愛しさが募る。 全て注ぎ終わると惜しい気持ちになったが、チュと音を立てて離れ た。 ﹁おいしかった?﹂ ﹁・・・・・・ん、まぁ、ちょっとおいしかった﹂ ﹁ちょっとかぁ。そっか﹂ エールの苦味が苦手なガーウェンは眉を寄せて、でも頬を染めて少 し拗ねたように言うから笑ってしまった。クスクス笑っていると、 腕を引かれ彼の膝の上に座らされた。 ﹁俺も飲ませてやる。﹂ ニヤリと悪戯っ子のような笑みを浮かべて、果実酒を煽り、私の口 を塞いだ。 ﹁ん、ふ・・・﹂ 336 甘ったるい匂いが鼻を抜けた。ガーウェンから注がれる甘い酒を夢 中になって飲み干していく。 軽く触れたままの唇が熱い。 ﹁どうだ?﹂ ガーウェンの甘く熱い吐息が吹き込まれ、それだけで快感に襲われ た。 ﹁甘い・・・すごく・・・﹂ ﹁・・・もっと欲しいだろ?﹂ ガーウェンの瞳が欲に揺れている。それなのに口元には余裕の笑み が浮かんで、私が強請るのを待っている。 ﹁・・・・・・欲しいよ、全部・・・・・・﹂ 欲しい。もちろんガーウェンの全部が。 すぐにお酒は飲み干してしまって、それからは唾液を交換する。 ベッドで横になり、お互いの陰部を触りながら、体液を求めて舌を 絡め合う。 ﹁は・・・ふぁ・・・あ・・・﹂ どちらのものか分からない荒い吐息と陰部からのいやらしい水音に 脳内が沸き立ちそうだ。 ﹁や、あっ!!﹂ 太い指がぐりっと私の内壁を擦り上げ、大きく喘いで仰け反った。 ﹁リキ、結界張れ・・・・・・ここ壁薄いんだよ・・・﹂ とガーウェンが荒い息をつきながら言った。 何を今更!日中には散々、あられもない声出したっつーのに! ﹁早く、言えよ﹂ ﹁悪い、う・・・夢中になった﹂ 私が撫で回すガーウェンの陰茎は血管が浮き出るほど硬くなり、先 からはトロトロと滑る先走りが溢れていた。と言う私もガーウェン 337 の手首まで濡らすほどびちゃびちゃなのだが。 ﹁まだ挿れてねぇのにイきそうだ。﹂ ガーウェンが切なそうで苦しそうな顔をした。その顔に胸が高鳴る。 ﹁ガーウェン、挿れて・・・﹂ 私の内側で暴れる太い指だけじゃ足りない。もっと深く、もっと奥 までガーウェンを感じたい。 ﹁奥に、挿れて・・・あっ・・・﹂ ぬちゃとガーウェンの指が出ていく感覚に内ももが震える。 私の足を持ち上げ、覆い被さるように態勢を変えたガーウェンを見 上げた。視線だけで﹁挿れてもいいか﹂と問われ、それに小さく頷 いて答える。 ガーウェンはゆっくりと腰を進めてきた。 奥にゆっくり押し入ってくる硬く大きな熱を感じて、嬌声を上げそ うになり手の甲を口に押し当てた。 結界は張ってあるので外に漏れることはないのだが、挿れただけで 気持ち良過ぎて声を上げるなんてかなり恥ずかしい。 私はここまで感度が良かっただろうか。ガーウェンとのセックスは 感じ過ぎる事が多いと思う。それで最初は主導権を取るものの最後 にはぐずぐずになってガーウェンに縋ってしまうのだった。 ﹁声、聞かせろよ﹂ ﹁あああっ!あっ!あっ!やっ!﹂ 大きな手が私の腰を掴んで昂りをドスンと奥に突き込み、そのまま 腰をぐりぐりと回す。その動きのあまりの快感に大きな声が出てし まう。 ﹁普段の、お前の、﹂ ﹁あっ!あ!・・・んん、ぁん!﹂ ずるりと昂りが引かれ、それから勢い良く奥を押し上げる。律動に 翻弄されながら、ガーウェンの言葉を聞く。 338 ﹁落ち着いた声っ、も、いいが﹂ ﹁あっ!やっ!やぁ!ん、んっ!ああ!﹂ 顔の横に付いてあるガーウェンの腕をつかんだ。 やっぱり気持ち良過ぎてどうしようもない! ﹁この高くて、可愛い声も好きだ﹂ ﹁あっ!あっ、や、あっ!ガ、ガーウェン!﹂ ﹁・・・イきそうか?﹂ うんうんと首を縦に振るが、律動は止まってくれない。それどころ か早くなった。 ﹁ま、待て、だめ、ま、待って!﹂ 厚い胸板をやっとのことで叩いて抗議をすると、律動は止まったが、 ガーウェンの瞳が不安で揺れ出した。 ﹁はぁ・・・はぁ・・・ガーウェン﹂ ﹁ん・・・悪い、やり過ぎたか?﹂ 名を呼ぶと途端にしゅんと落ち込むガーウェンの頭を笑って撫でた。 ﹁違うよ。ちゃんと掴んでて。﹂ と手を差し出す。ガーウェンが疑問を浮かべながらも指を絡ませ、 握ってくれた。 厚い手のひらをぎゅう、と握ると胸の奥が締め付けられ、苦しくな る。 私も不安なのだ。 当たり前だ。私も普通の人間なのだから。 ﹁お願い、ちゃんと掴んでて﹂ 恐怖と言っていい。ガーウェンと身体を繋げるたび、心を通わせる たび、ガーウェンを大切に思えば思うほど、怖くなる。 ﹁もうどこにも行きたくない・・・﹂ また理不尽に突然、世界を渡ってしまったら また愛する人達と理由もなく別れてしまったら 339 自分自身が揺るぎなければどこであろうと生きていけると思ってい たが、今はもう無理だと確信する。 この手を離しては生きていけない。 ガーウェンが私を抱きしめる。痛いくらい強く抱きしめてくれる。 ﹁リキ、愛してる﹂ 泣き出しそうなガーウェンの声になぜか笑ってしまった。たぶん彼 を心から愛しいと思ったからだろう。 ﹁うん。私も愛してるよ﹂ 側にいたい 側にいてほしい そう思うほどに苦しさは募るが、それでもお互いを求めることを止 めることは出来ない。 ならば覚悟だけは決めよう。 この先何があろうともガーウェンの側にいると。 何度も﹁愛してる﹂と言われ、何度も何度も身体の中に愛を注がれ、 意識を手放すその瞬間まで繋いだ手は強く握られていた。 340 騒がしい朝*︵前書き︶ 前半にエッチな表現があります。 朝からイチャイチャしてます。 341 騒がしい朝* 花の香りで目が覚める。 というのはまぁその、そういう意味もないことはないが、 リキを抱いて眠るようになってから目覚めはいつもこの香りだ。 抱いて こうしてリキを腕の中に抱いて眠るという意味だ。 リキの小さな頭を腕に乗せ、背中側から抱き込むのがいつもの態勢 だ。俺の前面とリキの背中がピッタリ合い、お互いの体温と心音が 徐々に溶け合っていくのを感じられるので好きなのだが、それは恥 ずかしいから言わない。 この花の香りはリキの髪から匂っている。 花のエキスが入った液体を髪の手入れに使っているからだ。その液 体はアフィーリアから貰ったはずだが、奴がこんな良い匂いを漂わ せていたことなど記憶にない。 使う奴が違うと匂いまで違くなるのだろうか。 ちょうど目の前にあるリキの後頭部に鼻をうめ、深く香りを吸い込 むと、穏やかで満ち足りた気持ちになる。つるつるの髪も気持ちが 良い。 リキからはまだゆったりとした寝息が聞こえた。 もう少しリキを抱いてまったりしていたかったが、そろそろシャワ ーを浴びた方が良いだろう。昨夜、リキとそういうことをしてその まま寝てしまったから、行為の残り香を感じる。 今日はいい天気のようだし、リキと洗濯でもするか。 身体を起こそうとして気付いた。前に回した俺の手をリキの両手が 包んでいたのだ。 342 途端にリキへの愛しさでいっぱいになる。 普段あまり見せないが、リキは怯えているようだった。 俺の手を掴む小さな手の力強さに、離れたくない、離さないでと縋 るような気持ちが籠っているのが分かる。少しでもリキの不安を和 らげたくて、だけど上手い言葉は言えず、ただ手を強く握り返して ﹁愛してる﹂と繰り返すことしか出来ない。 本当に自分の情けなさに呆れる。 名残惜しいが、ゆっくりと手を外した。 リキの頭の下にある腕を優しく抜くと、リキが寝返りをうち、仰向 けになった。 ﹁ぐっ・・・・・・﹂ 露わになった白い二つの丘とそこに散らばる小さな紅い印に思わず 呻き声が出た。 そういや昨日、調子に乗って付け過ぎたんだった。自分で付けてお きながらかなり欲情を煽られる。 抗えなくて左胸のホクロの側に吸い付き、さらに紅い印を増やした。 ﹁ぁん・・・﹂ リキが小さな声を上げて、身じろぐ様にさえ煽られ、燻りが恐ろし い速さで燃え上がっていく。 俺はこんなに性欲がある方だったろうか。過去の苦い経験から女と の交わりを避けて﹁そんなことしなくても生きていける﹂と思って いた時期もあるというのに今はどうだ。 いつもリキに触れたくて、触れてしまえばもっと深く、もっと奥ま で触れたくなってしまう。 丘の上の薄く色付いた先端を口に含んだ。 甘い、気がする。 弾力のあるそこを舌で弄ぶと、髪を梳くように撫でられた。上目遣 いにリキを窺うと、まだ寝ぼてけているのか半分閉じた目で俺を見 343 ていて、視線が合うとふにゃっと微笑んだ。 ﹁ガーウェンのえっち﹂ 起き抜けの少し掠れた声でそう可愛く言われたら、もう堪らない。 密かに寝起きのリキが一番可愛いんじゃないかと俺は思ってる。 ﹁えっちなのはどっちだよ。もうこんなに濡れてるぞ﹂ 意地悪く笑って、リキの秘部をなぞれば溢れ出た体液がベッドまで 伝っていた。まぁその大半は昨夜、俺がリキの中に残したものなの だが。リキもそれは分かってるはずだが、ふふふと可愛く笑って、 ﹁いじわる﹂ と甘えるように言うのだった。 そう言われるともっと意地悪したくなるのはなぜなのか。 リキに被さり、足を抱え大きく開くと、白濁した俺の残滓を零すリ キの秘部が露わになった。それにどうしようもなく興奮する。 ﹁もう。朝から・・・﹂ と言いつつリキの声にも欲情が滲んでいる。 ﹁まだ寝ててもいいんだぞ。﹂ ﹁寝てるところを襲うのか?﹂ クスクスと耳をくすぐる笑い声とともに細い腕が首に回された。 ﹁ああ、でもお前が寝てたら可愛い喘ぎ声が聞けねぇなぁ﹂ 囁きながら薄く開いた口に口付けを落とす。 ーーーーーーコンコン 控えめなノックが鳴り、舌打ちをした。無視しようとも思ったが、 再びノックが鳴る。 ﹁んだよ!朝っぱらから!﹂ ﹃すすすすみません!ゼルの親方が下に来てて!ガーウェンさんを 呼んで来いって!﹄ 苛立ち任せに扉に向かって怒鳴ると申し訳なさそうなケインの声が 344 返ってきた。 ケインはグディとドリスの息子だが、両親とは違って控えめで大人 しい性格だから、たまに断れず厄介事を運んでくる。 ケインが出した名前に深いため息を付く。 ゼルが相手ならどうしようもねぇよな。 ﹁・・・・・・分かった。準備してからいく・・・﹂ ﹃ありがとうございます!!﹄ バタバタと走り去る足音を聞き、再びため息を付いた。 ﹁まぁ、仕方ないよ﹂ リキが苦笑しながら、俺の頭をよしよしと撫でてくれる。 もう、いろいろどうしてくれんだよ! ****** ソーリュートに到着して三日が経っていた。リキをグディ達に紹介 してから、何かと理由を付けて知り合いが引っ切り無しに俺に会い に来るようになった。 分かりきったことだがリキを見るための陳腐な口実だ。放っておき たいのだが、世話になってる手前、そうも出来ない奴もいてうんざ りしている。 ﹁それでその﹃お嬢様﹄はまだか?﹂ 腕を組み、低い声で威圧するこの爺さんがその筆頭、ドワーフの鍛 冶師・ゼルである。 ゼルは一流の︻武器職人︼と︻防具職人︼であり、さらに︻鍛冶師・ 師範︼の肩書きを持つ南地区の職人共のまとめ役だ。 ﹁女は支度に時間がかかるもんだろ﹂ 345 ﹁はっ!お前が女を語る日が来るとはな!﹂ ﹁ぐ・・・﹂ 俺も金のない駆け出し冒険者の頃から何かと世話になってるので頭 が上がらない。 リキにはゆっくりでいいからと言い、俺は手早く支度をして一階に 降りた。 階段途中で見た店内の様子にげんなりする。 なんで朝っぱらからこんなに人がいるんだよ。どいつもこいつも知 った顔ばかりだ。 ﹁お前らもか・・・﹂ ﹁ガーウェンさん、どもッス!すげぇ盛り上がりッスねぇ。﹂ ﹁・・・分かりますよ、言いたいことは。私も正直ここまでとは思 っていませんでした。﹂ ロードとエヴァンが人の多さに縮こまるバードンと同じテーブルに いた。エヴァンから哀れみの視線を投げかけられ、ため息が出る。 ﹁ガーウェン﹂ と低いしゃがれた声で呼ばれた。振り向くとカウンターの座席にど っしりと座る爺さんがいた。灰色の長い顎髭と深く刻まれたシワは 年相応だが、盛り上がった筋肉と太い腕、鋭い眼光がこの爺さんの 未だ現役の荒い気性を表すようだった。 ﹁よう、ゼル。久しぶりだな。﹂ ﹁帰ってきとんるんなら挨拶しに来んかい!!﹂ ﹁・・・すまん﹂ ドデカい怒鳴り声に店が揺れた。カウンターの奥でグディが引きつ った顔をしている。 ﹁それでその﹃お嬢様﹄はまだか?﹂ ここで先の台詞へ繋がる。 346 その後は説教である。過去の耳の痛い出来事を指摘されて﹁お前は ちっとも成長しとらんっ!﹂と怒鳴られる。この歳になって悪戯が 見つかったガキのように立たされるとは。 ﹁あ、リキちゃんおはよー!﹂ ﹁おはよう、ロード。﹂ ロードのアホそうな声のあとに落ち着いた女の声が聞こえ、店内に どよめきが広がった。皆の視線が階段下にいるリキに集中している。 エヴァンとバードンとも挨拶を交わしたあとリキは騒がしい店内を 見渡し、そして俺を見つけるとふわっと微笑んだ。 ﹁マジかよ・・・﹂と誰かの呟きが聞こえた。 ﹁ガーウェン﹂ ニコニコ嬉しそうに俺の元にやって来たリキの肩を抱き寄せ、ゼル の前に連れて出る。 ﹁ゼルだ。俺が若い頃から世話になってる。︻鍛冶師・師範︼・・・ って分かんねぇか。まぁ鍛冶師共の親分みたいなもんだ。﹂ と言うとゼルの眉がピクリと動いたが、何も言われず密かにホッと した。 ﹁ガーウェンがいつもお世話になっております。恋人のリキです。 ガーウェン共々、よろしくお願い致します。﹂ リキが丁寧な自己紹介と微笑みを披露し、深く礼をするとゼルの眉 間のシワがさらに深くなった。 ﹁まさか本当に﹃お嬢様﹄だとはな﹂ リキを上から下まで見たゼルはなぜか不機嫌そうだ。 お嬢様って。 リキの今日の格好は襟元にリボンを結んだ真っ白なシャツを幅の広 いベルトで締め、細身のズボンと膝までの編み上げブーツで、まぁ 347 確かに遠乗りに出掛ける貴族のお嬢様のように見える。 髪は高い位置で一つに括っていて、そこは俺があげた﹃月の欠片﹄ で出来た花の髪飾りが留めてあった。よく似合っていてニヤニヤし てしまう。 ﹁リキは別に貴族とかじゃねぇよ﹂ ﹁今はそうでないかもしれないが高等教育を受けた﹃お嬢様﹄には 変わりないのだろう?﹂ 高等教育と言われ、リキを見るとリキも困ったような顔をしていた。 リキからの話ではリキの故郷は幼少時の教育が義務付けられている そうで、それに貧富の差、身分の差は関係ないそうなのだ。しかし この国では教育を受けられるのは貴族や金持ちだけであり、リキが 普通に披露する教養はそれだけで自分が貴族か金持ちだと言ってい ることと同じなのだ。 ﹁あーいや、その本当にお嬢様じゃねぇんだよ。そのだな・・・﹂ リキの特殊な事情を話さずに理解して貰うにはどうすればいいのか 分からなくてしどろもどろになってしまう。 ﹁貴族に囲われてたんだろ。﹂ 吐き捨てる様な言い方が背後から投げつけられた。侮蔑を感じる言 葉にカチンときて背後を睨みつけると、ガーダがムカつく薄ら笑い でリキを見ていた。 ﹁大方、お貴族様の愛妾だったんだろ?男に媚びるのが上手そーー ーー﹂ クソみたいな内容を全て聞く前に、近くにあった椅子を蹴り飛ばし た。 椅子は奴のいるテーブルまで吹っ飛んでいったが、忌々しい事に奴 には当たらなかった。 ﹁っぶねぇ!テメェやんのかコラッ!!!﹂ 皿やグラスの割れる音と怒号が交じる。 コイツは普段から俺に言い掛かりを付けてくるから気に食わなかっ 348 たが、今度という今度はダメだ。 リキを侮辱しやがった!ぜってぇ許さねぇ!!! 怒りに沸き立つ心と違って妙に頭は冷静で、どうしたらこのクソ野 郎を確実にぶっ殺せるか考えている。 ーおい!やめろ! ーガーウェン、落ち着け! 誰かの制止する声が聞こえるが、知ったことか! ﹁ガーウェン﹂ リキが俺を呼んだ。困ったような顔をしながら、俺の腕を引いてい る。 ﹁ガーウェン、駄目だよ。﹂ ﹁・・・・・・どいてろ﹂ ﹁私は気にしてないから。大丈夫だよ。﹂ カッと頭に血が上った。 お前はいつもそう言って耐えるだろうがっ! ﹁お前は気にしなくても俺が嫌なんだよ!!お前のこと何も知らね ぇくせに好き勝手言われんのが腹立つんだよ!!﹂ 指先が白むほど握られた手や側にいてと小さく囁く声を知らねぇく せに ﹁お前は家族と故郷を一度に奪われた時だって、クソ貴族に物みた いな扱いされた時だって、どんな辛い目にあっても耐えてきただろ ーが!狩りも野宿もしたことねぇのに必死でこの街まで来ただろー が!!そういうお前の覚悟も何もかも知らねぇ奴にお前を侮辱され たくねぇんだよ!!!﹂ 珍しいリキの驚く顔を見て、勢いで彼女に向って怒鳴ってしまった 349 と気付いた。 ﹁・・・・・・悪い。﹂ ﹁・・・ううん。いいよ。﹂ ふっと息をつき、リキを抱き寄せた。花の匂いが香って少し落ち着 く。 ﹁ふふっ、ガーウェンは私の事、よく見てくれてるんだな。﹂ 俺を見上げ、少し照れたように笑うリキに胸がざわめく。 見てるよ。お前を愛してるから。 待って、と制止するリキを無視して何度もキスを落とし、腕の中に 閉じ込めた後、周囲の様子が目に入った。 ・・・・・・そうだ。人がいたんだった・・・ 350 結局、目立つしかない 大勢の前で何度もキスした事に気付き、恥ずかしさで活動停止して いるガーウェンを始め、ガーウェンの叫んだ内容で私の事情を察し、 なんとなく気まずい雰囲気で静かになった一同の中でいち早く反応 したのはロードだった。 ﹁ガーウェンさん、俺、感動したッス!ガーウェンさんがリキちゃ んをあんなに想ってたなんて!予想以上ッス!!﹃お前は気にしな くても俺が嫌なんだよ!!﹄とか最高ッスね!﹂ ﹁やめろおおおおお繰り返すんじゃねえええええ!!!!﹂ ガーウェンは両手で顔を覆い、しゃがみ込み﹁うわああああ!!!﹂ と奇声を上げた。 ﹁ガーウェン、お前も男になったな・・・。﹂ ポンとガーウェンの肩に手を置き、態とらしく目頭を押さえて、グ ディが言う。 それからは多分、ガーウェンの知り合いだろう人達がニヤニヤしな がら次々にガーウェンに一声かけて行く。 ついでに私にも﹁ガーウェンと仲良くな﹂とか﹁色々あったみたい だが、頑張れよ﹂など友好的な言葉をくれた。 視線に気付き、そちらを向くとガーウェンと共に騒ぎの一端となっ たガーダが不貞腐れたような顔をして私を見ていた。私と視線が合 い、気まずそうに顔を逸らす様子に、彼もそこまで悪い奴じゃない のかもしれないと思った。 ガーダと彼の連れに寄り、声をかけた。 ﹁悪かったな。料理がぐちゃぐちゃになってしまった。﹂ 彼らのテーブルの上には割れた食器と食べかけだったろう食事が散 乱していた。 351 ﹁え、ああ、まぁいいよ。コイツも言い過ぎたしな。﹂ 気軽に話しかけた私に驚きつつ、彼の連れはそう返した。 ﹁お詫びにここは私が出しとくよ。﹂ ﹁いいのか?それは助かるが・・・﹂ ﹁いいんですよ。ガーウェンの過保護には少しお灸を据えた方がい いんですから。﹂ いつの間にかエヴァンが私の隣にいて、大げさに呆れた顔をしてい た。さりげなく私をフォローしに来てくれたのだろう。今は目線だ けで礼を言っておく。 ﹁そういうことだから、今回は水に流してくれないか?﹂ ガーダを見上げ、お願いすると彼は目に見えて慌て、なぜかあうあ う言い出した。 どうしたんだ、急に。 ﹁ガーダ?﹂ 名を呼び、首を傾げるとさらに彼は慌てたようで、 ﹁そそそそういう態度が男に媚びてるようにーーーー﹂ ﹁誰が誰に媚びてるんだ?﹂ 気配も音も無く突如現れ、ガーダの首に腕を回す人物にその場にい た全ての人が息を飲んだ。 ガーダよりある上背と鍛えられた腕、圧力を感じさせる胸。獲物を 見つけた猛獣のようにギラリと光る黄金の瞳。 当のガーダは目に見えて顔面が蒼白になっている。 ﹁おはよう、マリ。﹂ ﹁おう、リキ。なんだケンカか?﹂ 乱雑なテーブルをちらりと見て、普段と変わらないのんびりした言 い方で返したマリだが、身体から発せられる雰囲気はピリピリして いるのが分かる。 352 ﹁いや、ちょっとした行き違いだよ。ほら、私は見た目からして胡 散臭いだろ?皆が警戒するのは当たり前なんだけど、それでガーウ ェンが怒ってしまって。でももう行き違いは解消されたよ。﹂ ﹁まとめるとガーウェンの過保護が爆発したんです。﹂ エヴァンさん、身も蓋もねぇな。 しかしそれでマリは納得したようで、ガーダの首に回された腕は外 され、そのまま私の肩を抱いた。 ﹁そうか。ならいいが、リキ。女の過去をいちいち詮索する尻の穴 の小さい男には構うんじゃないぞ?﹂ ﹁ふふふ、分かったよ。﹂ マリも大概、過保護だと思うんだがな、と苦笑した。 マリに連れられ、ガーウェンの元に戻ると、まだ床に跪いて項垂れ ていた。いや、さらに重症になってる? ﹁そしてガーウェンさんが椅子を蹴り飛ばして、叫ぶんスよ!﹃お 前は気にしなくても俺が嫌なんだよ!!お前のこと何も知らねぇく せに好き勝手言われんのが腹立つんだよ!!﹄ってね!﹂ ﹁きゃあああああ!!!﹂ 先ほどのガーウェンの様子を演技付きでロードが語っているのをア フィがきゃあきゃあはしゃいで聞いている。 ・・・これはまさに公開処刑。 ﹁ロード、そろそろやめなさい。ガーウェンが塵になりますよ。﹂ さすがのエヴァンも哀れに思ったのか、助けになっているのか分か らない助けを出してくれた。 ﹁えぇー!いいじゃなぁい!あっ、リッちゃん、おはよー!・・・ やだ、その格好もいいわね・・・・・・﹂ おはよう、と返したがアフィは﹁シャツをベルトで締めることで女 の子らしいシルエットにしてるのね。ズボンが細身なのもスッキリ した印象になってる。襟のリボンが女の子っぽいけど、シャツと同 色だから可愛くなり過ぎないのね・・・動き易いけど、可愛らしい。 353 勉強になるわぁ﹂とブツブツ言い、聞いていないようだ。そんな大 層なものじゃないと思うけどな。 今だ俯き、うぐぐぐと唸っているガーウェンの頭を抱き、優しく撫 でた。 ﹁そんな恥ずかしがることじゃないよ。私はすごく嬉しかったし。﹂ と言うと、ガーウェンは上目遣いでチラリと私を見た。その不貞腐 れたような顔が可愛くて思わず笑ってしまう。 でもここでキスしたらまた活動停止するんだろうなぁ。 ﹁なんだ。ゼルが居たのにこの騒ぎなのか?﹂ カウンターの座席に座り、長い足を組みながらマリが店内を見渡す。 その視線に何人もギクリと身体を強張らせたようだ。 ﹁・・・・・・お前達、その娘と知り合いだったのか。﹂ あからさまな話題の転換だったが、マリは少し目を細めただけで、 ふんと鼻を鳴らした。 ﹁知り合いどころか、リキは私達の弟子だからな。﹂ ﹁・・・・・・弟子、だと?﹂ フルボッコ にするからね!﹂ ﹁そおよぉ!リッちゃんはアフィ達の愛弟子よぉ!ゼルちゃんもリ ッちゃんをいじめたら フルボッコ は私がたまたま使ったのをアフィが気に入り、 アフィが細い腕でシュッシュッとパンチを繰り出すマネをする。ち なみに 頻繁に使用するようになってしまったのだった。 ﹁ま、待て!お前達、二人ともか?アフィ、お前はもう弟子は取ら んと言っていたろう?!﹂ ﹁えー?そんな事、言ってないわよぉ。﹃次はルトちゃんより優秀 な子を弟子にする﹄とは言ったけど。﹂ ﹁そのルトルフは国内一の魔法師だろうが!﹂ ﹁それがなぁに?あ、サンドイッチ貰えるぅ?﹂ 怒鳴るゼルを気にする様子もなく、マリの横に座り、のほほんとサ 354 ンドイッチを注文しているアフィ。 ﹁仮にその娘がルトルフより優秀な魔法師だとして、マリ、お前は どういうことだ?宗家には連絡したのか?﹂ ﹁なぜ宗家に連絡せねばならない?私は師範だぞ。弟子ぐらい自ら の意志で取れる。それにリキには﹃甲拳流﹄だけを教えている訳じ ゃない。リキの動きを見れば分かるだろう。﹂ 怪訝な顔のゼルをマリは鬱陶しそうに見る。逆になぜ分からないん だと言わんばかりの態度だ。 ﹁簡単な事じゃない!マリちゃんが弟子に取るほどの逸材がルトち ゃんより優秀な魔法師だったって事よぉ。﹂ ガーウェンを引き上げていると、ゼルやマリ達との会話を聞いてい た全ての者が私を見ていた。とりあえず意味深な微笑みを返してみ る。 ﹁・・・・・・本当なのか・・・?﹂ ゼルが疑わしいといった表情をしている。他の面々も似たような感 情だろう。 ﹁嘘を言うとでも?ま、直ぐにリキの実力は分かるだろう。お前等 も見た目に騙されるんじゃないぞ。﹂ 面白そうにニヤリと笑うマリの言葉に周囲がざわついた。 ﹁はいはいっ!俺、戦ってみたいんですけど!﹂ その中でビシリッと手を上げ、快活な声を出したのは若い男だった。 キリッと真剣な顔をしている彼の頭には三角の耳がピクピク、後ろ では丸まった尻尾がブンブンと振られている。すごく和んだ。 ﹁ああ、残念ですが貴方は無理ですよ。リキさんはロードをフルボ ッコにする実力ですから、貴方は触れることすら出来ないでしょう。 ﹂ ﹁ええ!!ロード先輩をフルボッコ?!・・・・・・フルボッコっ て何ですか?﹂ ﹁全力でボッコボコということです。﹂ 355 ﹁ちょっ!エヴァンさん、説明しないでっ!先輩の威厳がぁ∼・・・ ﹂ 悲壮感漂うロードの声に周囲がドッとわいた。 ﹁今日はリキを﹃遺跡﹄に誘いに来たんだが、その様子だと﹃塔﹄ にも行っていないみたいだな。﹂ ﹁うん。﹃塔﹄にはガーウェンと明日行く予定なんだ。﹂ マリの言葉にガーウェンを仰ぎ見て、笑いかけると、彼もふわっと 笑みを返してくれる。 ﹁そうか。なら私達も行くか。﹂ ﹁あ?﹂ ﹁良いわねぇ。そうしよぉ。﹂ ﹁なら私も行きますよ。リキさんの魔法の使い方は勉強になります し。﹂ ﹁おいっ!お前ら!﹂ ﹁あ、じゃあ、俺も行くッスよ!面白そうだし!﹂ ﹁俺も!俺も御一緒させて下さい!!﹂ 一緒に行くと言うマリ達に便乗して、どんどん希望者が増えていく。 ロードの後輩やエヴァンの言葉に触発された魔法師など、多分、大 体は冷やかしだろうが、本当に行くなら大所帯だ。 ﹁そんな人数いたら邪魔だろ!﹃塔﹄は俺が連れてくからお前らは 後にしろよ!!﹂ ﹁ガーウェンさん、そんな事言ってリキちゃんと﹃塔﹄に行くのデ ート気分なんでしょー!﹂ イライラと怒鳴るガーウェンにロードがニヤニヤしながら余計な一 言を言って、殴られている。 ﹁なんだと!﹃塔﹄の中でイチャつこうって言うのか?!冒険者の 風上にも置けない奴だ!﹂ ﹁え、マジ?﹃塔﹄の中でもチューすんの?チュー。﹂ ﹁いいなぁ∼。俺も迷宮デートしてぇよ∼﹂ 356 ﹁お前ら!!ふざけんな!!良い加減にしろ!!﹂ からかい半分でなんだかんだと言い出す仲間達に怒るガーウェンだ ったが、ロードの言葉が図星であると言うような真っ赤な顔なので、 その怒鳴り声も全く効力がなかった。 ますます騒がしくなる店内を見守っていると、ゼルと目が合った。 彼はまだ私を疑惑に満ちた目で見ていた。 その厳しい視線に笑顔を返す。 ルキアーノといいゼルといい、ガーウェンの周りには彼を心配する 人がたくさん居るようだ。今だってガーウェンは沢山の仲間に囲ま れている。 自己評価が低く、他人に劣等感を感じやすいのに人好きでお人好し のガーウェンは、あんな風に大勢の中に居るのが好きだろう。 でも、私の中の独占欲はそれをもう充分だと判断したようだ。 だから私はにこやかに制圧する。 ﹁﹃騒ぎはもうお終いにしろ。ガーウェンを私に返してもらおう。﹄ ﹂ 静まり返った店内にマリの笑い声が響いた。 ﹁言ったろ?見た目に騙されるなって。﹂ 357 ﹃塔﹄︵前書き︶ 戦闘回にしようと思ったのですが、前半はなぜかピクニックです。 後半は予定通り戦闘です。 358 ﹃塔﹄ 北地区にある﹃修練の塔﹄と﹃鍛練の塔﹄は冒険者の修行場である。 ﹃修練の塔﹄は初級者向け。地上十階で五階と十階にフロアボスが おり、基本的な戦い方から迷宮に潜るコツなどを学ぶ。所謂、チュ ートリアルである。 ﹃鍛練の塔﹄は初級者∼中級者向け。地上十五階で五階、十階、十 五階にフロアボスがいる。こちらは﹃修練の塔﹄で学んだ事の応用 である。 人口迷宮の設定で、一定以上のダメージを負うと入口に戻されるた め、比較的安全だと言われている。 目の前には﹃鍛練の塔﹄十五階フロアボスの部屋の扉がある。ガー ウェンの身長程もある一枚石の扉で階下と同じならば近寄ると自動 でスライドして開く。 扉から少し離れたところに、布を引いてその上でガーウェンと二人、 休憩を取っていた。 昨日、﹃塔﹄に登る私達について来ると言った者たちには遠慮して もらい、ガーウェンと二人だけでここに来ている。 折角のデートだ。私もガーウェンと二人がいい。 ﹁ん、ふめぇ!﹂ テリヤキ風チキンのサンドイッチを口いっぱいに頬張って﹁美味ぇ !﹂と何度も言うガーウェンを微笑ましく見ながら、お茶を淹れる。 ﹁そうか。口に合うか心配だったんだけど、よかった。﹂ ﹁んぐ、んぐ・・・これお前が作ったのか?﹂ 359 ﹁うん。ドリスにキッチンを貸してもらって﹂ 朝食は食べてきたし、お昼前には﹃塔﹄を踏破する予定なので軽食 としてサンドイッチを作ったのだ。 即席のテリヤキソースを絡めた残りもののローストチキンと千切り のキャベツをスライスしたバゲットに挟んだものとシンプルなタマ ゴハムサンドの二種類を作ったのだが、ガーウェンは殊更、テリヤ キ風チキンが気に入ったようだ。 ﹁はい、お茶。それ、もう一個あるけど食べるか?﹂ ﹁ん!んんっ!﹂ んぐんぐ言いながら嬉しそうに頷くガーウェンはものすごく可愛い。 朝ご飯もガッツリ肉を食べてきたの良く食べるなあと感心する。 私はリンゴを四分の一切れ頂くことにした。 ﹁こんな所じゃなかったら、アンタ達はデートに見えるんだけどな ぁ。﹂ 近くで屋台を出している兄ちゃんが苦笑いしながら言った。 この部屋の前は最終ボスへ挑むための最後の準備の場なので、武器 屋の出張所や腹ごしらえの為の屋台が出ている。 ﹁こんな所でもデートなんだけどな。﹂ 兄ちゃんに軽口を返し、ガーウェンの口の端に付いているソースを 拭いてあげると、彼は照れてたように目を伏せた。 やだ、すげぇキュンときた。 今、私の顔はどうしようもないくらいニヤけているという自信があ る。 ﹁いやいや!一応、ここは修行の場だから!デート気分で来る所じ ゃないから!﹂ 兄ちゃんは私達と会話しながらも器用に接客していた。 まぁ、確かに周囲の者達は殺伐とした空気を漂わせている。 実力のある者はここには留まらない。ここはただの通過点であり、 本来の目的は上級の迷宮に挑むことだからだ。 360 しかしこの場にいる者達はなんとかここまで登って来れた者ばかり なのだ。これから戦うのは格上の相手。殺伐としない訳が無い。 さっきから何となく不穏な視線を感じていたのはその所為だろう。 ﹁うーん、そうか。じゃあ、もう終わらせたほうがいいかな。﹂ ﹁いや、もうちょっとゆっくりしよーぜ。お前が頑張ったから予定 よりかなり早く着いたし。それに外に出たらあいつらが居るんだろ。 ﹂ もう一つのサンドイッチも食べ終わったガーウェンが嫌そうな顔で 言う。 あいつらとはマリ達の事だ。ガーウェンの仲間達は私が笑顔で﹁ガ ーウェンと二人で行きたいから遠慮して欲しい﹂と優しくお願いす ると皆分かってくれたのだが、マリ達にはそれは効かない。 ﹁じゃあ、外で待ってるから最短で行ってこい。﹂ と言われ、言葉通り今、﹃塔﹄の外で待っているのだ。待っている と言っても買い物すると言っていたし、荷物持ちで何人か付いてい るし、暇はしていないだろうけど。 お腹いっぱいなのか、ゴロンと横になったガーウェンが小さく言っ た。 ﹁俺は明日から﹃森﹄に行くし、お前はマリ達と﹃遺跡﹄だろ。そ の、二人で居れる時間が少なくなる、だろ・・・﹂ 私と反対側を向いて語尾をもごもごと噛んでいるが、耳が赤く染ま っているのが見え、自然と笑顔になってしまう。頭をなで、それか ら膝枕に誘うと、ガーウェンは大人しく私の膝に頭を置いた。 ﹁ガーウェンはすごいなぁ﹂ ﹁・・・なにがだよ。﹂ ﹁私を幸せにする天才だよ。﹂ ガーウェンの顔を覗き込み、額を撫でると、彼はさらに顔を赤くし、 ぐううと唸った。 ﹁ふふふ。少し寝たらどうだ?昨日は遅かったろ。﹂ 昨夜、ガーウェンは仲間達に拉致され、日付が変わった後、酒の匂 361 いを漂わせてフラフラしながら帰ってきた。散々飲まされ、私との 事を根掘り葉掘り聞かれたらしい。 髪を梳くように撫でていると、そのうちガーウェンはうとうとしだ した。子守唄の代わりに小さく鼻歌を歌う。 ガーウェンの寝顔を堪能してから、持ってきていた本を荷物から引 っ張り出し、あどけなく眠る愛しい人を起こさぬよう静かにページ をめくった。 ****** ﹁アンタ達、もう昼だけどいいのか?人待たせてるんだろ?﹂ と声をかけられ、読んでいた本から顔を上げると屋台の兄ちゃんが 呆れた顔で見ていた。 ついつい夢中になってしまっていたらしい。 ﹁もう、そんな時間か。・・・ガーウェン、起きて。﹂ ﹁ん・・・んんー?・・・﹂ ﹁もう昼だって。私、ちょっと行ってくるよ。﹂ ガーウェンはまだ眠たそうにしていたが、なんとか起き上がった。 ﹁じゃあ、行ってくるから待ってて。﹂ ﹁おー﹂ ぼんやりしているガーウェンの頭をひとつ撫でて、ボスの部屋へ向 かった。 362 背後で石扉が閉じると部屋は暗闇に染まる。 闇の奥からカチャカチャと不気味な音が響いた。その音は徐々にこ ちらへ近付いてくる。 暗闇に紅い二つの光がゆらゆらと揺れていた。 その二つの光が一層、輝きを強くした瞬間、部屋にライトが付き、 骸骨戦士の雄叫びがこだました。 ゴガアアアアアッ!!!! 声帯が無いのにどうやって声を上げてるんだろうかなどと野暮な疑 問が脳裏を過った。たぶん様式美なんだと思う。 この迷宮を造った魔術師は異世界出身者なんじゃないかと思うくら い、﹃塔﹄のボス登場シーンの演出はしっかりしている。まるでゲ ームに良くあるムービーのようなのだ。 骸骨から放たれる恐ろしい雄叫びも恐怖を煽る演出の一つだろう。 駆け出しながら、周囲を確認する。 ボスが一匹︵人型骸骨なので一人だろうか?︶に取り巻き四匹。 ボスは先ほど雄叫びを上げた骸骨戦士。三メートルぐらいの高さで、 巨大な斧を振り上げている。 とりあえず転んでもらうため、足を結界で固定した。転んだ先に土 魔法と水魔法を併用して作った泥沼を設置すると、ベシャッ!と頭 から泥に突っ込んでいった。 一先ず彼︵?︶は放って置いて、ボス戦の基本である、取り巻きの 排除から。 骸骨弓兵一匹、骸骨剣士一匹、骸骨犬二匹と見事に骸骨ばかりだ。 363 ﹃鍛錬の塔﹄の最終ボスは挑む者の戦闘タイプによって変わる仕様 だった。魔法系ならば魔法防御の高い骸骨、剣などの斬撃系ならば 岩で出来たゴーレム、メイスなどの打撃系ならば物理防御の高いオ ークがボスとして現れる。 私はどちらかと言えば魔法系なので、相手は骸骨だと予想は付いて いたが全員骸骨だとは。 弓を引いて、こちらを狙う骸骨弓兵の前に土壁を形成し、時間を稼 ぐ。 まずスピードのある骸骨犬を倒そうかな。走ってくる二匹の骸骨犬 に向かい、一気に加速した。一瞬、私を見失った犬の頸椎を掴み、 もう一方の犬に叩きつける。 大きな音を立てて崩れた骸骨犬の頭蓋骨を二つ、踏み抜くと中にあ った光の玉が消えた。 骸骨は頭蓋骨内と肋骨内にある人魂のような光を散らさなければ、 何度でも復活する面倒な奴である。 重なり合う二匹の骸骨犬の肋骨辺りをまとめて踏み抜く。 これで犬はおしまい。 剣士は・・・足が遅いようだし、後にしよう。 土壁に向かって駆け、上へ飛び乗った。下を覗き込むと、骸骨弓兵 がちょうど壁を迂回しようとしていた。 音を殺して弓兵の背後に降り立ち、そして後頭部を掴んで頭蓋骨を 壁に押し付けるようにして砕く。 頭を失っても動こうとする骸骨の背中から正拳を突き、背骨を折り つつ、人魂を散らした。 剣士はやっとそこまで来ていたが、やっぱり動きは遅い。剣が身長 に比べて長く幅広だから重いのかな。 364 走ってきた勢いのままで横薙ぎに剣を振るってきた。それを大きく 跳ねて躱し、回転した勢いを乗せて頭頂部に踵を落とす。 頭蓋骨どころか胸の中程まで砕き、人魂を散らした骸骨剣士はガラ ガラと音を立てて崩れた。 ・・・・・・あれー?呆気ないな。 さてボスは、とそちらを見ると彼は泥沼から抜け出そうと必死に藻 掻いていた。藻掻けば藻掻くほどズブズブと泥に沈んでいく。 骨だから接地面少なくて沈んじゃうのかな、となんだか哀れに思う。 倒れた拍子でなのか抜け出す為なのか巨大な斧は投げ出されていた。 ちょっと持ってみる。 あ、いける。よし、ちょっと振るってみよう。 もちろん狙いは彼である。 365 ﹃塔﹄︵後書き︶ ガーウェンと合流して﹃塔﹄の外へ出たのだが、そこは賑わってい たものの、マリ達の姿はなかった。 ﹁いないねぇ。あそこのカフェで待ってようか。﹂ ﹁そうだな。﹂ ﹃塔﹄の近くにあったカフェのテラス席に着き、ボス戦の報告をし ながらマリ達を待った。 マリ達が現れたのはそれから二時間近く経った後だった。 ﹁うわぁ・・・・・・﹂ とガーウェンが引き気味な声を上げた。 いつもの四人となぜかバードン、ロードの後輩、昨日見たガーウェ ンの仲間たちもたくさんいた。 その集団の雰囲気に周囲の人々は奇異の視線を向けている。 ﹁リキ、目を合わせるな。知り合いだと思われるぞ。﹂ ガーウェンが顔を背けながらコソコソと言うが、遅い。見つかって しまった。 ﹁あー!リッちゃん聞いて!隣国の王女が着て話題になった花柄の 北 に来ましたけど、魔 ドレスを見つけたのよ!王都には置いてなかったのに!もぉ嬉しい ∼♡﹂ ﹁リキさんお疲れ様です。いやー久々に 366 道具屋が充実してて驚きましたよ。リキさんが好きそうな本も沢山 置いてましたよ。﹂ 見て見て、とアフィはその場で包み紙を開け始め、エヴァンは魔術 師の男と自分が買った魔道具を見せ合い、キャッキャッする。 ﹁リキちゃん!このクレープっていうのすげぇ美味いよ!知ってた ?!俺、全種類制覇したし!﹂ ﹁俺はイチゴとクリームのが一番美味しいと思いました!!﹂ ロードとロードの後輩がそれぞれ両手にクレープを持ち、ぶんぶん 尻尾を振りながら報告してくれる。 ﹁リキ、見ろ!これはいいぞ!﹃森﹄の樹で作った木剣なんだぞ! 硬くて重さもちょうどいいんだ!﹂ とマリが珍しくはしゃいで木剣を振り回している。よく見ればガー ウェンの仲間たちも木剣を持っている。 ・・・・・・お前ら、修学旅行生かよ。 ﹁ガーウェンも欲しいと思って買っといたぞ﹂ ﹁え・・・お、おう・・・・・・お。おお!﹂ ガーウェンは最初は微妙な顔していたくせに、木剣を渡されると途 端に目に見えて喜んだ。 ﹁なんだこれ!すげぇ!﹂ ﹁そうだろ!ギルドの訓練所借りて打ち合おうぜー!﹂ ﹁よし!リキ、行こうぜ!﹂ 木剣を振り回し、キャッキャッとはしゃぐいい歳こいた大人達の背 中を見て、そっとため息をついた。 367 甘えたがりのおっさん*︵前書き︶ エッチな表現があります。 今回はちょっとネチっこい? タグのおっさん受、忘れてません。 368 甘えたがりのおっさん* 向かいの飲食店から笑い声が聞こえた。冒険者たちや出稼ぎの職人 たちが騒いでいるのだろう。 ﹃南風が吹く丘亭﹄があるこの一帯は宿屋街である。宿は一階に飲 食店、二階に客室という造りが大半だ。 ﹃南風が吹く丘亭﹄は夕飯後、一階の喫茶店は閉まってしまうが、 中には遅くまで酒場として開いている宿もある。 窓を隔てて聞こえる少しこもった声を聞きながら、私はまったりと 読書中だ。 ガーウェンはまだ帰ってこない。 ここ数日、仲間達と﹃森﹄に入っているガーウェンだが、夜は必ず 飲み会に連行されるようだ。ガーウェンは酒が弱いし、私も待って いるのでほどほどで切り上げ、帰ろうとするらしいのだが、仲間達 がそれを許さないそうで、毎日フラフラになるまで飲まされ、帰っ てくる。 ガーウェンが﹃森﹄へ行っている間、私はマリとアフィとで﹃遺跡﹄ に潜っていた。楽しくて、結構深い所まで行っていたのだが、マリ 達が城から呼び出しをくらい、明日からは別行動になったのだ。 呼び出しと言っても別に何かした訳ではなく、彼女達は有名人で実 力のある冒険者なので城から何かと仕事を頼まれるからである。 明日、ガーウェンの予定がなければ久々に二人でいたいんだけどな ぁ。 でも今日もまたガーウェンは遅くなるかもしれない。日付が変わる くらいまでは待とうかな。 369 、ガーウェンは帰ってきた。 ベッドサイドの灯りだけを灯し、本の続きに目を落とした。 それから少しして ﹁おかえり。今日は早かったな。﹂ と声をかけたが、彼は﹁あー﹂だか﹁うー﹂だか呻き声のような返 答を返し、フラつきながら寄って来た。 今日は一段と飲まされたらしい。 フラつく足取りを支えるため起き上がろうとしたところへガーウェ ンが倒れ込んできた。 ﹁う、わっ﹂ 咄嗟に支えようとしたが、そのままベッドに押し倒される形になっ てしまった。 ﹁ガーウェン、大丈夫か?﹂ ﹁うー・・・・・・いい匂いがする・・・﹂ ガーウェンの顔はちょうど私の胸の谷間に位置し、うーうー言いな がらグリグリと擦り付いてくる。その猫のような仕草がくすぐった くてクスクスと笑う。 ﹁どうした?そんな可愛い仕草で﹂ 赤銅色の髪に指を通し、頭を撫でると、ガーウェンは潤んだ瞳で上 目遣いに私を見た。 ﹁風呂もう入ったのか﹂ ﹁うん。﹃遺跡﹄から戻ってすぐにな。ガーウェンは・・・﹂ 酒の匂いの間からガーウェンの汗の匂いが香る。﹃森﹄から戻って から直ぐに飲み会だったらしい。 ﹁今からだと終業ギリギリだけど、お風呂行くか?﹂ ﹁うー、リキと一緒に風呂入りてー﹂ ﹁ふふふ、そうだな。また一緒に入りたいな。﹂ ﹁入りてーよ﹂ 再び胸の谷間にグリグリと擦り付いてきたガーウェンが可愛くて、 370 ニヤつきそうになる顔をなんとか穏やかな微笑みに変えて言う。 ﹁じゃぁ、シャワー一緒に入ろうか。﹂ ﹁風呂入ったんだろ﹂ ﹁また入っても構わないだろ。それともシャワーに一緒じゃ嫌か?﹂ ﹁嫌じゃない。入る﹂ ふわっと嬉しそうな笑顔を見せ、ガーウェンがぎゅうっと強い力で 抱きついてくる。 本当に可愛いおっさんだ。 ガーウェンは酔うと甘えたがりになる。 本人はそれを恥ずかしい事と思っていたようで、以前は意識してお 酒を避けたり量を減らしたりして、私に見せないように頑張ってい たが、数日前からそれを止めたようだった。 一度見せた甘えたがりを私が﹁可愛い可愛い﹂とさらに甘やかすの を知ったからかもしれない。 裸になってシャワー室に入るとすぐにガーウェンが擦り寄ってきた。 身体全体を抱きしめられ、アレも私の下腹辺りに擦り付けてきてマ ーキングのようで笑った 髪を洗ってあげる間も身体を洗う時も触れられ、抱きしめられた。 今日のガーウェンは随分と甘えたがりの様だ。 ﹁なんか、今日はお前に触れてたくて仕方ないんだ﹂ 膝の上に乗せられ、ガーウェンの髪を魔法で乾かしてあげていると き、ボソリと彼が呟いた。 乾いた髪を櫛で梳かし、お終いに額に口付けして問う。 ﹁何かあったのか?﹂ ﹁ん、何もねぇけど。・・・そんなに俺とお前じゃ可笑しいのか?﹂ 寂しそうな顔をしてそう言うガーウェンの質問の意味が分からなく て、首を傾げた。 371 ﹁可笑しい?﹂ ﹁確かに見た目は釣り合ってねぇとは思ってたけど、そんなに俺と お前が恋人同士なのが可笑しいのかな。﹂ ﹁誰かにそう言われたのか?﹂ ﹁いや、言われてねぇけど。皆にお前とどこで会ったのかとかどう いう経緯で付き合う様になったのかとか色々聞かれて。お前みたい ないい女の恋人が俺なのは可笑しいんだろうなって。﹂ さりげなく﹁いい女﹂だと言われたことには言及しない。にやけそ うになる顔に気合を入れ、表情を取り繕う。 というか仲間達のそれは私の素性を怪しんでいるからでは? どうもガーウェンは女運が悪く、過去に悪い女と付き合っていたよ うで、﹁その再来か﹂と周囲の仲間達は心配しているのだろう。 しゅんと落ち込んでいるガーウェンの頬を撫で、それから唇を指で なぞる。 ﹁私はガーウェンを愛しているし、ガーウェンは私を愛しているだ ろ﹂ それだけでいいだろ。 他人の言う事なんか気にするなよ。 私だけを見てればいいだろ。 ﹁だから、いずれは皆も認めてくれるよ。愛し合ってるって分かっ てくれるよ。﹂ 思った事は心に留め、そう言ってにっこりと笑った。 ガーウェンは仲間が好きだし大切に思っている。仲間達に祝福され なければきっと、本当に幸せとは感じないだろう。 私はそんなガーウェンが好きだし、そういう所を蔑ろにしてしまっ てはガーウェンの心の一欠片まで手に入れることが出来ないと思う のだ。 ガーウェンを本当に幸せにする為には私の独占欲など些細な事で、 372 幾らでも妥協する事が出来る。 ﹁それに皆が私の事を聞きたがるのは、私が珍しいからだよ、きっ と。姿もそうだが、マリとアフィの弟子というのも興味を引くんだ ろう。﹂ ﹁それもそうかもな。なんだかんだであいつらは有名人だし人気も あるからな。﹂ やっとふわっと笑ってくれた可愛い彼の唇にキスをする。軽く触れ て離れると、もっとと強請るように口が薄く開いた。 しかしそれには応えず、優しく微笑んで意地悪く尋ねる。 ﹁ん?どうした?﹂ ﹁・・・ん、もっとキスしてくれ・・・﹂ 頬を赤く染めて、小さい声で強請るガーウェンに胸がぎゅうぎゅう 締め付けられた。 酔いは少し醒めたのかと思ったが、こんなに素直で可愛いなんてま だ酔っているのだろうか。 それとも酔ったふりをして私を煽っているのか。 なんにしろ私には効果覿面だ。 ****** 腹筋のぼこぼこした筋肉の間を舌でなぞり、大きく迫り出した胸筋 を上がる。 ﹁あ・・・っ﹂ ぷっくりと立ち上がった乳首を掠めるとガーウェンから甘い声が聞 こえた。ちらっと彼を窺うと両腕で顔を覆い隠していたが、首が赤 373 くなっているのが薄暗い部屋の中でも分かった。 可愛い乳首をねっとりと舌で舐めると、ガーウェンの身体が震え、 大きく喘いだ。 ﹁うあぁっ・・・ん、ん!﹂ 大きな声だったためガーウェンは咄嗟に自分の口を押さえた。見え た瞳が羞恥で潤んでいる。 口を大きく開け、吸い付きながら固くなった先端を舌で、もう片方 は指の腹で左右に捏ねてやると、ビクビクと身体を揺らし、くぐも った声を上げた。 ﹁ん!んんっ、ふっ!﹂ 時折、反対側も舌で弄り、ガーウェンの悶える様を堪能してから、 ちゅぽんと音を立てて離した。 ﹁気持ち良い?﹂ はぁはぁと荒い息を吐くガーウェンにニヤつきながら問うと、うぐ ぅと唸り声で返された。 女じゃねぇんだから感じねぇよと余裕の笑みを浮かべていたくせに、 こんなにエロく乳首立たせやがって! まぁ、やったのは私ですがね。 敏感になった乳首をギュッと摘まむと ﹁ひっ、あぁ!も、もうやだ、やめっ!﹂ ガーウェンが泣き言を上げた。 可愛い。いつもの低い声が高くなるのが、すげぇクる。 自分の胸をガーウェンの胸に合わせるようにして擦り付けた。コリ コリした突起同士が擦れるとビリビリと背筋を快感が走った。 ﹁んっ、ん﹂ がいいのかダメなのか分からないから止めない。 ﹁あっ!リ、リキ、それっ﹂ それ ガーウェンの目の前でベロッと舌を出す。すると彼も躊躇いがちに 374 同じように舌を出した。そして互いの舌を合わせ、ねっとりと擦り 付け、絡め合う。ニチャニチャ、ペチャペチャと水音が響いた。 この変態的な行為も私が教えた。 深いキスとは違う異質な行為だが、ガーウェンはこれが好きなよう だ。その証拠に今も恍惚とした顔で必死に舌を突き出し、絡めて、 溢れてきた唾液を飲み干そうとしている。 なにその顔、すごいエロい。 ふぅふぅと鼻息が荒くなったので、見るとガーウェンが自分の硬く 立ち上がったモノを扱いていた。我慢が出来なくなったらしい。 手を掴んで止め、その手を己の胸に持っていかせる。 ﹁自分でいじってて﹂ と微笑んで告げるとガーウェンが困惑したのが分かった。でも大丈 夫。これも慣れれば癖になるよ、きっと。 私はピクピクしているガーウェンの陰茎に手を伸ばし扱く。 ﹁ふっ!あ、んっ、あっ!﹂ ﹁ガーウェン、こっち向いて。舌出して。﹂ 私の言葉に従順に従い、息を荒く舌を突き出すガーウェンの顔にい つものワイルドさは無い。 可愛くてエロい顔。 ﹁随分と変態になったな。﹂ と笑うとギュッと目をつぶり、苦しそうな顔をしたが、舌は突き出 されたまま。 見れば手は胸の突起を捏ね出していた。 いいよ。いいね。すごい好き。 ゾクゾクと全身を駆ける快感を感じながら、ガーウェンと舌を絡め た。 375 甘えたがりのおっさん*︵後書き︶ 純なおっさんに変態的行為を教え込んでる系女子です。 376 敗北と自惚れ*︵前書き︶ エッチな表現があります。 攻守交代ですが、HENTAI度高め? ご注意ください。 377 敗北と自惚れ* 手の中に出されたガーウェンの熱を適当にタオルで拭ったあと、未 だ緩く立ち上がった陰茎を優しく拭いた。 ﹁う、あ・・・﹂ 敏感になっているのかガーウェンは少し身を捩ったが、されるがま まになっていた。 ﹁気持ち良かったろ?﹂ 新しいタオルで額に浮く汗を拭いてあげ、頭を撫でるとガーウェン が深くため息をついた。 ﹁なんか登っちゃいけない階段を登った気がする﹂ ﹁ふふっ、気のせいだろ。すごく可愛かったよ、ガーウェン。﹂ と言って頬にキスすると彼は苦笑いを浮かべた。 ﹁お前に可愛いって言われると嬉しく思うなんて俺はもうどうしよ うもないな。﹂ ﹁私もガーウェンに可愛いって言われると嬉しいよ?﹂ ﹁何言ってんだ。お前は本当にそうなんだから良いだろ。俺はおっ さんだぞ。おっさんに可愛いなんておかしいだろ。﹂ 図体デカくて筋肉だらけで眼つきは悪いし手もゴツいし、と色々挙 げているがそれは全部私が好きで可愛いと思っている所だったので 笑ってしまった。 ﹁・・・なんで笑ってんだよ。﹂ ﹁ふっ、ふふ、ははは!だってそれ全部私が好きなとこだから!﹂ ﹁・・・・・・﹂ ﹁図体デカいとこも、筋肉だらけのとこも、眼つき悪くて手がゴツ いとこも、すぐ落ち込むとこも、グルグル悩むとこも、自分で乳首 触って感じちゃうとこも全部好きだよ!﹂ ﹁おい!変なの増やすんじゃねーよ!﹂ 378 怒ったような声を出しながら、私を腕の中に閉じ込める。しかし見 上げたガーウェンの顔は嬉しそうな笑顔だった。 ﹁お前、変わってるって言われるだろ。﹂ ﹁うん、よく言われる。ガーウェンも女運悪いって言われるだろ。﹂ ﹁・・・・・・言われるけど﹂ ﹁ふふ。じゃぁ、おあいこだな?﹂ そう言って笑うとガーウェンに顔を掴まれ、激しいキスをされた。 突然の激しさに思わず身を引く。 ﹁んっ﹂ ﹁・・・俺はもう女運悪くねぇよ。お前に出会ったからな。﹂ ふっ、と優しく柔らかく微笑んだガーウェンにドキッと胸が高鳴っ た。 再び激しいキスを仕掛けられ、そのままベッドに組み敷かれる。 ﹁俺の番だからな﹂ 首筋を舐め、耳朶を甘噛みしてくる。 ﹁んぅ・・・・・・﹂ ﹁俺がお前を舐める番だからな﹂ 照れた可愛らしい笑顔で変態的な事を宣言するガーウェンに胸がキ ュンキュンする時点で私の恋情は末期なのだ。 惚れたら負けとよく言うが、確かに私は敗北している。ガーウェン の笑顔の為ならば全てを差し出していいと思っているのだから。 彼が放つ純情の輝きに目を細め、笑顔で頷いた。 ****** リキの脇腹を腰から腋まで舐め上げると、リキが甘い喘ぎ声を上げ 379 た。 リキにやられたことがあるから気持ち良さが分かる。くすぐったさ と気持ち良さが一緒になった身悶えしたくなる快感なのだ。 リキが教えてくれる恥ずかしい行為はどれもこれも気持ち良過ぎて 頭がグラグラになるほどだ。さっきされた女にやるみたいな胸への 攻めも衝撃だった。 男も胸であんなに感じるのか。 どうしようもなく声が出てしまい、痴態を晒してしまった。 女に攻められる事には羞恥心と男としての情けなさを感じるが、そ れを﹁可愛い﹂とリキに言われれば、じゃぁ良いかと納得してしま い、多分いずれは自分から求めてしまうようになるのだろう。 ピチャピチャと音を立てながらリキの腋を舐める。 女のこんなところを舐めたいと考えるようになるとは思いもしなか った。 いやここだけじゃない。手首や指の間やふくらはぎなど、自分自身 さえ気にかけない箇所をリキが俺にしてくれるように丁寧に隅々ま で舐めたいと思ってしまっている。 リキが言うように俺はだいぶ変態になったようだ。 リキの手の指を夢中で舐めていると、頭を撫でられた。 ﹁いい子だね。﹂ リキは綺麗な穏やかな笑みを浮かべていた。まるで母親が子供に言 うような言葉だったが、快感が背筋を走り堪らなくなる。 俺に与えてくれる快感をリキにも与えてあげたいのだが、俺の行為 は稚拙でぎこちない。それでも必死でやるとリキは﹁いい子だね﹂ ﹁上手だね﹂と褒めてくれた。 それが堪らなく、快感を生む。グラグラ頭が沸き立つほど言葉だけ で感じてしまうのだ。 380 薄く開いた口に誘われるように顔を寄せた。唇を合わせ、リキの甘 い呼気を吸い込むともう駄目だった。 欲しい。欲しい。 身体の奥で渇望が暴れる。 ﹁・・・リキ・・・﹂ 名を呼べば優しい瞳で﹁どうした?﹂と問われた。 羞恥と期待で息が上がる。 ﹁あ・・・その、リキの・・・舐め、たいんだ、けど・・・・・・﹂ 視線をリキの足の方へ向け、しどろもどろに言葉を繋ぐと、リキは 数回瞬きをしてそれからニヤリと笑い、言った。 ﹁どこを舐めたいんだ?﹂ ﹁う・・・そ、その・・・リキの、その、アレを・・・・・・﹂ ヘソから下へ、チラリと足の付け根を見た。 淡い青色の薄い布で隠されたアレ。 ﹁アレ?ちゃんと言わないと分かんないよ?﹂ 酷く楽しそうな声に俺をからかっているのは分かったが、俺の渇望 は収まりそうもなかった。 単語がいくつか浮かんだが、どれも直接的で恥ずかしい言葉だった。 どれが正解か。 どれを言えばリキが納得するか。 くそ、恥ずかしさで息が苦しい! ﹁・・・・・・リ、リキのーーーー﹂ 恥ずかしい言葉をなんとか言えば﹁いい子いい子﹂と頭を撫でられ、 ご褒美とばかりに顔中にキスが降ってきた。挫けそうになるくらい 恥ずかしかったがリキがそうしてくれるだけで達成感を感じるから 不思議だ。 381 腰の横で結んであった紐を引っ張ると薄い布はパラリとすぐに落ち、 リキの秘部が現れた。足を大きく開くとてらてらと濡れた部分が見 えてゴクリと喉が鳴った。 舐めたい。 ヘッドボードに背をもたせかけたリキが蠱惑的に笑い、見透かした ように囁く。 ﹁はやく舐めて?﹂ ゴクリとまた一つ喉を鳴らしてから濡れたソコを舐め上げた。 ﹁ぁんっ﹂ リキが小さく声を上げる。 俺はリキの匂いと味に全身が痺れていた。 甘い、いい匂い、甘い。 だめだ、堪らない! 濡れて光る柔らかい肉に吸い付き、滲み出る甘い体液をジュッジュ ッと音を立てて啜った。 ﹁んっ!あっ!﹂ そして柔らかい肉の穴に指を二本入れ、中の体液を掻き出すように 動かした。 ﹁やぁっ!﹂ 体液は出てきたが、まだ足りない。もっと欲しい。 割れ目にある肉芽を舌で刺激する。 ﹁あああっ!やっ!ああああっ!﹂ 一段と大きくリキが鳴いた。この部分は攻めるとリキが強い快感を 感じてしまう所だ。︵というか女は皆、この場所には感じるらしい が、俺は知らなかった。︶ だからと言って余りここを攻めすぎるとリキが気を失ったりするか らほどほどに。あの時はかなり焦った。 ﹁ああっ!や、あっ!そこっ!だめっ!﹂ ビクビク跳ねるリキの腰を掴んで、押さえつけ、指も出し入れする。 382 入れてすぐ、腹側の肉壁を突いてやると甘い体液が次から次に溢れ て出てきた。 ﹁あああああ、あっああっやあああ、ん、んっ!んんう!やっ・・・ ああっ!﹂ リキの身体が硬直した後、一際大きくビクンッと腰を跳ねさせ、リ キはイった。 ジュプジュプと音が鳴るくらい体液が溢れていて、それに夢中にな って吸い付いた。 ﹁やっ!だめ!イった後だから!あっ!また、イっ、イっちゃうか らぁ・・・!﹂ 震えた声を上げて、俺を離そうと額を押してくるが、体液をジュル ジュルと啜っているとその力は弱くなり、ただ俺の前髪を掴んでく るだけになった。 ﹁んっ、だめ、またっ、あっ・・・んぁ!あああ、ああっ!!﹂ リキは太ももでギュウッと俺の顔を挟み、ガクガクと身体を揺らし、 そしてヘッドボードからズルズルとずり落ちた。 しまった。無茶してしまった。 白い肌は薄く色付き、黒い髪が汗で張り付いており、荒い息をする たび柔らかい胸が上下して震えていた。 まだ快感の余韻があるのかピクン、ピクンと小さく跳ねている。こ ちらを見る黒い瞳は潤んで揺らめいていた。 ーーーーーー綺麗だ。 自分の所業を棚に上げて見惚れた。 普段、周囲に見せる穏やかで落ち着いた姿も、先ほどの様に俺をい じめる魅惑的な姿も、今のように快感に翻弄された弱々しい姿も全 部愛しいと感じる。 のろのろとリキの手が上がり、俺の頬を撫でた。 ﹁好きだよ﹂ 頬を赤く上気させて蕩けるような笑みでそう言うリキに胸が苦しく なって思わず抱きしめた。 383 リキと出会ってから、本当に心の底から誰かを愛しいと思うと、泣 きたくなるのだと始めて知った。 リキもそうだろうか。 愛しくて愛しくて泣きたくなる事がリキにもあるだろうか。 その相手は・・・・・・ ﹁ガーウェン、大好きだよ﹂ その相手は俺だと自惚れてもいいだろうか。 384 敗北と自惚れ*︵後書き︶ ガーウェン視点だと少女漫画みたいなモノローグが多くなるのはな ぜなのか。 ちなみにガーウェンは作中でよくリキの匂いや色々な味を甘い甘い と言っていますが、全くの主観です。 恋しちゃったおっさんのちょっと痛い主観です。ご了承ください。 385 臆病者 ベッドの中、いつものようにガーウェンに背中から抱きしめられる。 眠るまでのひととき、内緒話をするような小さな声で今日あったこ とを話すのが私達の習慣になっていた。 ﹁知ってたらお前を﹃森﹄に一緒に連れて行けるようにしたのにな。 ﹂ マリ達が城の仕事でいない為、一人で迷宮に潜ろうかなとガーウェ ンに告げるとそう返された。 残念ながら、ガーウェンは明日、ギルドの指名依頼で﹃森﹄に潜り、 人間の子供ほどもある大きな雀蜂の駆除に行くという。 ﹁私はガーウェンと同じ依頼を受けれないんだろ?ランクが離れて るから。﹂ 寝返りをうち、ガーウェンの方へ身体を向けながら質問した。 ランクとは冒険者ギルドランクのことだ。 ランクは上からS、A、B、C・・・Fまでの七段階に分けられ、 まずはランクFから始まり、規定の条件を満たして昇格して行くの だ。 ギルドに出される依頼は難易度によりランク分けされ、受けられる のは自分のランクの一つ上のランクまでである。 私のランクはDで、ガーウェンのランクはAなので一緒の依頼は受 けられないのだ。 ﹁いや、明日のはギルドの指名依頼だから融通は利いたと思うんだ けどなぁ・・・﹂ ガーウェンは子供のように唇を突き出し、酷く不満気にむーっと唸 っている。 きっと私が最初に﹁予定が空いていたらデートしたいのだけど﹂と 誘ったからだと思う。彼は強面な顔に似合わず普遍的な恋人同士の 386 行い、例えば手を繋いで歩くとかあだ名で呼び合うとか食べ物を﹁ あーん﹂するとか公園のベンチで愛を語り合うとかに憧れを抱いて いる。なので私が﹁デート﹂と口にした為、ガーウェンもデートし たくなってしまったのだろう。 なんておっさんだ。可愛いじゃねーか。 ﹁ふふっ、明日は私も﹃森﹄に行くことにしようかな。行ってみた かったからいい機会だし。﹂ ﹁ん・・・あ、それ良いかもな。明日、朝にギルドに一緒に行って 依頼を見ようぜ﹂ 可愛いおっさんにそう提案すると途端に嬉しそうに﹁一緒に行こう﹂ と笑った。 ﹃森﹄へ行く道中だけでもデート気分になれたらいいと思ったのだ が、予想以上に喜んでくれたみたいで私も嬉しい。 というか自分自身、本当にガーウェンには甘いと思う。 ﹁帰りも終わりそうな頃を見計らって待ってるよ。﹂ ﹁おう。早く帰れるようにするからな﹂ おお、新婚夫婦のようなやりとりだ。 しかしガーウェンは変わらず嬉しそうにニコニコしているだけなの で、もしかしたら結婚云々は頭の中にないのかもしれない。 ヨーロッパでは法律上の婚姻を重要視しない国民性の国もあるよう だし、この国でもそうかもしれない。私の希望と期待を一方的に押 し付けてはいけないのだ。 ・・・・・・正直に言えばただの臆病なのだ。 もし気持ちを押し付けてガーウェンに引かれでもしたら生きていけ ないと思う。いや、割とマジで。 ううむ、ガーウェンが相手だと私も乙女になるようだ。 ﹁じゃぁ、明日は早めに出るために寝ようか。﹂ ﹁そうだな。朝市によってーーー﹂ 387 ガーウェンの言葉を遮るように隣の部屋から女の声が聞こえた。く ぐもっていて何を言っているかは分からないが、断続的に高い声が 上がっているようだ。そしてガタガタと何かが揺れる音。 見つめ合うガーウェンの顔が見る見る赤くなり、バツの悪そうな怒 ったような表情になったの見て吹き出してしまった。 ﹁ははは!結構聞こえるんだな!﹂ ﹁チッ、ルキの野郎・・・・・・!﹂ ガーウェンが忌々しそうに隣人への罵声を呟いた。 ﹁なんだってこんな時間から始めんだよ。﹂ さっきまでの私達の行為は棚に上げておくらしい。まぁ、私が結界 を張っているので、お隣のようにダダ漏れってことはないのだけど。 ﹁人の聞いて興奮すんなよ?﹂ ﹁ばかっ、するかっ﹂ ニヤニヤとからかうとガーウェンは怒った声を出したが、すぐ視線 を逸らして、 ﹁俺が興奮すんのは・・・お前だけだし・・・﹂ と小さく付け加えた。 ああ。なんて可愛くて愛しい。 胸がキュンキュンドキドキする。 好きすぎて泣きそう。 やはり私はガーウェン相手だと乙女になるようだ。 ****** 階段を降りて、喫茶店のカウンターに居るグディに声をかけた。 388 ﹁おはよう、グディ。今朝の朝食は外で食べるからいらないよ。﹂ ﹁おはよーさん。なんだ、朝市に行くのか?﹂ ﹁うん。依頼の集合時間までちょっと二人で ブラブラするんだ。﹂ ﹁はいはい、朝から仲の良いこって﹂ グディのからかいに笑顔を返していると、すぐ隣から視線を感じた。 カウンターの席に座る三人の男達がポカンと口を開けて私を見てい たのだ。恐らく私より年下だろう。初めての見る顔だ。 一番、私に近い席の赤髪の男に笑顔を向ける。 ﹁おはよう。﹂ ﹁えっ!あっ!おはよ!・・・えっと・・・?﹂ 突然挨拶され、赤髪の男は動揺したようだった。 階段を降りる音が聞こえ、そちらを見ると、ガーウェンが髪の毛を 気にしながらやってきた。私の近くにいる三人組を見て、嬉しそう に笑う。 ﹁おー。お前ら、いつ帰ってきたんだ?﹂ ﹁ガーウェンさん、おはよーございます!昨日の夜に帰ってきたん です!﹂ ﹁ガーウェンさん、おはよ。﹂ 赤髪の男の顔がぱあっと明るくなり、ハキハキとしたでかい声でガ ーウェンに返した。あとの二人は顔がそっくりな双子で、どちらも ぼんやりとした話し方で揃って挨拶した。 それからガーウェンが私と彼らの紹介をしてくれた。 赤髪がエンジュ、奥の双子がルーファスとリーファスという名らし い。そして彼らがこの宿の残りの入居者だという。 私が恋人だと紹介されると、三人組は大層驚いていた。私は驚かれ るのはもう慣れたものだ。 ﹁リキ、頭、直んねぇんだけど﹂ 389 頭、とガーウェンが困った顔で髪の毛を撫でつけていた。ガーウェ ンは朝から右耳の辺りで外にぴょん、と跳ねている寝癖と格闘中だ ったのだ。 ﹁だから私がやってやるって言っただろ。﹂ ガーウェンをカウンターの席に座らせ、収納魔法で櫛を取り出して 髪を梳かしてやる。触れた髪が湿っているのはガーウェンの格闘の 跡だろう。 櫛を当てながら魔法で乾かす。何度か繰り返すとやっと髪は収まっ てくれた。 ﹁はい。出来た﹂ ﹁おー、ありがと。んじゃ、行くか。﹂ ガーウェンの頭を撫でていると、照れた顔でその手を取られ、引か れた。 ﹁あれあれ、もう行くのかい?﹂ ちょうど現れたドリスに声をかけられる。 ﹁おはよう、ドリス。いってきます。﹂ ﹁おはよう、気を付けていってらっしゃい。ガーウェン、リキちゃ んをしっかり守んなよ!﹂ ﹁おう。﹂ ドリスに手を振り、ガーウェンと二人、手を繋いで出発した。 390 臆病者︵後書き︶ 先輩である男と初めて見る黒髪の女が仲睦まじく手を繋いで店から 出て行くのを見送ると双子の片割れがぼそりと言った。 ﹁どう思う?﹂ そう問われたのは三人組ではリーダーとなっている赤髪の青年だっ た。 ﹁どうもこうもねぇよ。明らかに怪しいだろ。﹂ 先ほど挨拶を交わしたハキハキとした明るさはなく、不機嫌さを隠 すことのない声音だった。 ﹁でも店長さんと女将さんには好かれてるみたいだよ。﹂ 黒髪の女とこの宿の主人や女将との会話を聞けば既に打ち解けた関 係だと分かるが、自分達がこの街を留守にしていたのは一週間そこ らである。 その間にあそこまで打ち解けるものなのか。 見た目からして胡散臭さいっぱいの女だ。いくら初見の者にも比較 的寛容なこの街の人々でも警戒はするだろうに。 ﹁それはどうにでもなるよ。そういうスキルを持ってるのかも。﹂ ﹁ああ、それはあるかもね。詐欺師は口が上手いだろうしね。﹂ 双子は同じ顔を見合わせながら全く同じ声で会話する。 赤髪の上背のある男が隣にいる小柄な女を見るデレデした顔を思い 出す。 これは確実に何かある。 ﹁よし。まずは情報収集だ。﹂ ﹁了解﹂ 赤髪の青年の掛け声に双子が同じタイミングで頷いた。 391 初めての﹃森﹄ ガーウェンの依頼の集合場所に着くとエヴァンやロード、バードン といった見知った顔がいくつかあった。 ﹁リキちゃんおはよー!あれ?今日は一緒に行くんだっけ?﹂ ﹁おはよう。﹂ ﹁リキさん、おはようございます。ああ、アフィーリア達は確か城 でしたね。それでこちらに?﹂ ﹁うん。見送りのついでに依頼を何件かクリアしようと思って。﹂ ﹁見送りのついで、ですか。リキさんもブレないですねぇ。﹂ と私の言葉にエヴァンは呆れた顔をした。 ﹁ガーウェンてめぇ女連れで来てんじゃねぇよ!羨ましいんだよ!﹂ ﹁ウワアアア!ガーウェンが手ぇ繋いでるよぉ!﹂ ﹁う、うるせぇ!別に手ぐらい普通だろ?!﹂ ﹁俺も彼女にお見送りされてぇよ∼﹂ 知り合いがいたのかガーウェンは早速からかわれて照れている。 ガーウェンは異性には厳つい風貌と不器用さで敬遠されがちだが、 同性にはかなり構われ好かれる質なのである。 ﹁こんなに大人数で雀蜂の駆除に行くのか?﹂ 集合場所のこの場所は﹃森﹄へ向かう門前広場なのだが、やたらと 人が多い気がする。ガーウェンのような上位ランクの雰囲気を漂わ す冒険者もいればまだ若い血気盛んな冒険者の姿もある。 ﹁いえ、大猪が群で瘴気層を越えて第二層まで来ているらしいんで す。それを狙って人が多く集まっているんですよ。﹂ ﹃森﹄には瘴気と呼ばれる身体に害をもたらす空気が集まっている 場所があり、その中では︻耐瘴気︼というスキルがないと長時間活 動することができない。しかし瘴気が濃い場所は他と違う生態系に 392 なっており、珍しい動植物の採集ポイントでもある為、︻耐瘴気︼ の会得を目指す冒険者は多い。 そのスキルを会得する為には瘴気に侵された動植物を摂取する方法 が一般的である。 話題に出た大猪は瘴気層を越えて来ている為瘴気に侵されていると 考えられ、スキル会得を目指す冒険者達が大猪達を狙って集まって いるとのことなのだ。 ﹁リキも仕留めたらいいんじゃないか?大猪は美味いぞ。﹂ なんと!美味いのか! ﹁大猪食べたことあるのか。﹂ ﹁そのまま焼いて食べるのが俺は一番好き!﹂ それは焼肉だな。 ﹁色んな野菜と一緒に出汁で煮て食うのも美味いんだぞ。﹂ それは鍋だな。 ﹁薄切りにした肉を湯にくぐらせてからタレを付けて食べるのも美 味しいですよ。﹂ それはしゃぶしゃぶだな。 ﹁じゃあ、今夜は肉パーティーだな!﹂ ﹁おおお!﹂ ガーウェンの﹁美味い﹂につられ、高らかに宣言した私になぜかガ ーウェンの仲間達も歓声を上げた。 なんでお前らも喜んでるんだよ、とガーウェンは睨んでいるが、肉 体言語系男子の合言葉﹃肉﹄を前に彼らが怯むはずがない。 ﹁ふふふ。じゃあ、皆も肉パーティーな?﹂ ﹁おおお!!﹂ ﹁おい!てめぇらちょっとは遠慮しろよ!﹂ やったー!と子供のように喜んでいる面々にガーウェンが怒鳴って いる。 一同の士気が上がって良かった、と笑っているとエヴァンが珍しそ 393 うな顔で私を見ていた。その表情は﹁リキさんがガーウェン以外の 為に成る事をするなんて﹂と言っている。 それに笑顔を向け、声を潜めて言う。 ﹁皆、やる気になってくれたから早く終わって帰って来れるな?﹂ ﹁・・・ああ、なるほど。やっぱりブレないんですね、貴女は。﹂ エヴァンはこめかみを指で押さえ、深いため息をついた。 ﹁ガーウェンは厄介な女性に見つかりましたねぇ﹂ それは私も思う。 だが見つけてしまったのだから、もう逃がしはしない。 ﹁厄介な事に、私が生きてる限り、ガーウェンを幸せにするから。﹂ 私が生きてる限り、ガーウェンの側にいるのは私であると宣言しと く。 エヴァンからは再び深いため息が聞こえた。 ガーウェン達が駆除する雀蜂は第四層に巣を作っているとのことだ。 第四層までは門前広場から転移門で飛ぶ。 ﹁おい、ルキが来ねぇぞ。﹂ と髭面筋肉ネコミミおっさんが言う。 ルキアーノと言えば朝方まで何やらガタガタいわせていたので、今 はちょうど寝てるんじゃなかろうか。 ﹁ルキアーノなら昨夜、隣で激しっもがっ﹂ ﹁ばばばか!そんなこと言うんじゃねぇ!﹂ 私の言葉はガーウェンの大きな手と声によって遮られた。見上げる と彼の頬が赤く染まっていた。 ﹁なるほど・・・置いて行きましょう。﹂ ガーウェンの様子に全てを察した一同はため息をついて動き出した。 またに﹁くそっ、なんでルキやガーウェンみたいなおっさんがモテ るんだよっ﹂という呪詛のようなものが聞こえた。 394 ﹁ガーウェン、気を付けてね。いってらっしゃい。﹂ 笑顔を浮かべてガーウェンを見上げた。 ﹁おう。いってくる。﹂ とガーウェンも小さく笑みをくれたのだが、そのあと妙な逡巡を見 せた。なんだろうか、と首を傾げた時、不意に影が落ち、唇にチュ ッとほんの少しキスをされた。 ﹁・・・いってくる﹂ 再び笑ったガーウェンの顔は綺麗に耳まで赤くて、可愛くて可愛く て、離れていくガーウェンの首に腕を回して抱きついた。 ・・・やべぇ、今、かなりガーウェンをめちゃくちゃに抱きたい気 持ちが湧き上がってきた!もちろんセックス的な意味で!! 落ち着け、私。ここで濃厚なキスとかかましちゃいけない。 防具の隙間から手を入れてガーウェンの乳首を狙ったりしてはいけ ない。 ﹁大丈夫、心配すんな。なるべく早く帰ってくるから。な?﹂ 無言で抱きつく私の頭を撫で、ガーウェンは優しく甘い声で囁いた。 おそらくだがガーウェンは私が寂しがっているのだと考えているだ ろうが、その実、セックスしたい衝動に耐えているだけである。 ﹁はい!そこまでー!!﹂ パンッ!と手を打ち鳴らす大きな音がすぐ横で響いた。ハッとした ガーウェンから甘い空気が霧散する。 ﹁たかだが日帰りの依頼でなに﹃今生の別れ﹄みたいなことしてん スか!離れて離れて!﹂ ロードがぐいぐいと私達の間に入り、引き剥がす。今回ばかりはロ ードに感謝しよう。ちょっと頭の中がガーウェンとセックスするこ とでいっぱいになってた。 危ない危ない。 ﹁お、おい!自分で歩ける!つか離せ!やめろ!﹂ ガーウェンは両脇を抱えられ、連れて行かれる。抱えてる巨体の男 395 達はにこやかな笑みを浮かべているのに怒気が発せられているのが 分かった。 はぁ、とエヴァンのため息が聞こえる。 ﹁貴女がいるといつも大騒ぎになりますね。﹂ 多分に心外だ。 ぞろぞろと転移門へ向かう一同の背に向かって声を上げた。 ﹁皆も気を付けてな!いってらっしゃい!﹂ ぶんぶんと手を振ると照れた顔をする者や同じくぶんぶん手を振り 返す者などそれぞれであったが、皆、笑顔で門をくぐって行った。 うむ。これでガーウェンへの風当たりも弱くなるだろう。 ****** ﹃逢魔の森﹄の印象はソーリュートからの距離で変わる。 ソーリュートに近い第一層、第二層は太い幹の木が立ち並ぶ混合林 木々の高 である。大人三人が手を繋いでやっと囲めるほどの太い幹が地上か ら真っ直ぐと伸びており、濃い緑の葉を茂らせていた。 さはおそらく五十メートル以上はあるだろうか。 第二層までは整備された道がある。といっても木を切り倒して均し ただけの簡易的な道だったが、そのおかげかこの辺までは整然とし た印象である。 しかし第三層からはがらりと印象が変わる。もちろん﹃森﹄には明 確に線引きがされているわけではなく、あくまでも私の距離感で第 三層だと判断しているのだが、あながち間違いではないだろう。 第三層の雰囲気は原生林といった感じだ。 396 乱雑に立つ木々の根がゴロゴロと転がる岩の間を縫うように這い、 その一面には苔がびっしりと生えていた。 空気に違和感があった。多分これが瘴気だろう。 ここはまだ瘴気は薄いが、しかし長居は無用である。チラリと景色 を見て踵を返した。 397 若様︵前書き︶ 仕事と所用が立て込んで予定通り上げれませんでした。すみません。 次回更新は11月27日に出来るように頑張りますので、これから もよろしくお願いします。 398 若様 大猪はその名の通り巨大だ。 小さい個体で全長3mはあり、群れのリーダーともなると10m近 い。 そもそも大猪は群れを成さないのだが、リーダーとなる個体が現れ ると積極的に群れを成す。放っておけば、あれよあれよと言う間に 群れが膨れ上がるなんて事もあるそうだ。 そのリーダーとなる個体は生身に魔素と瘴気が溜まった半魔獣と呼 ばれるモノである。 半魔獣は瘴気を吐き出し、簡単な魔法を使う。 さすがに一人では半魔獣は狩れそうにないので、5mほどの大猪を 狙っていた。 頭を低く下げ、口の横に生えた牙で私を跳ね上げようと、眼を血走 らせながら大猪が突進してきた。 しかしそこは猪。やはり猪突猛進である。 私を踏み潰そうと砂埃を上げて向かってくるが、私の目の前で見え ない壁に衝突する。 突然の衝撃に大猪は足元を振らつかせた。 見えない壁はもちろん私の結界魔法である。 大猪が正気に戻らないうちに畳み掛けた。 鼻面を駆け上がり、首に飛び乗る。 拳を握り、大猪の頸椎に向けて全力で突き出した。 バギンッと何が折れる音と共に大猪が吠えた。 ブモォォオオオオ!!! 399 グラつく大猪を蹴って宙を舞い、距離を取る。大猪はゆっくりと地 面に倒れ、低い地響きが辺りを揺らした。 しばらく待ってから近付くと、大猪は白目を剥いて、口からは血混 じりの泡を吹いていた。事切れている。 あとは牙を切り落とし、血抜きをして、結界で真空パックにして異 空間に収納するだけ。 ﹁本当、魔法って便利だなぁ。﹂ 同異空間内にはさらに二匹の大猪が入っている。 細々した依頼を片付けながら大猪を探したところ、運良く三匹集ま っているのを発見したのだった。 この量だったらあの肉食系のおっさん達の腹も満たせるだろうとニ ンマリと笑った。 時刻は午後二時過ぎだろう。 大猪を探して少し森の奥へ来てしまっていた。依頼も完了したし、 そろそろ戻って、門前広場でガーウェン達の帰りを待とうかな。 とすぐ先で魔力の展開が感じられた。 戦闘しているようだ。時間あるしちょっと見てくるか。 真上に飛び上がる。結界を展開し、それを足場にしてさらに上へ。 そして枝までたどり着くと、枝を伝って次の木の枝へ飛んで移動し ていく。 枝間を飛んで移動するのは下を走って行くよりも楽に移動出来るか らという訳ではない。単に楽しいからだ。 とりあえず意味もなくマントを羽織り、フードを目深に被ったりし ている。たまにくるくる回ってから着地したりしている。 皆まで言うな、分かっている。ちょっと森を走り回って、テンショ ンが上がっているだけだ。 わぁーい、忍者みたいだぞー 400 たんっ、と枝に着地すると直ぐ下で交戦中だった。 魔法の炸裂音や金属がぶつかる高い音、怒号のような号令が飛び交 っていた。 見えたのは驚くほど巨体の大猪だった。 私が仕留めたのと比べると四倍はあるだろう。頭部は黒毛で尾に向 かうほど茶色が混ざっていく。 目は真っ赤で口からは涎と共に黒い靄が溢れて出ていた。 そして尻尾の先と顔の横の毛が燃え上がっている。 攻撃を受けた訳ではない。自らが炎を発生させているのだ。 これがリーダーの半魔獣か。 対峙している者達は冒険者だった。 六人パーティーが三組、十八名のユニオン。 大猪リーダーのターゲットを集める壁パーティー、ダメージディー ラーとなる攻撃パーティー、回復・補助などの支援パーティーと役 割が決まっているようだ。 なかなか興味深い戦闘だな。 ﹁尻尾の炎がくるぞ!﹂ と大剣を振るっているスキンヘッドのおっさんが叫んだ。彼がこの ユニオンのリーダーだろうか。 叫んだと同時に大猪が尻尾を振り回し、先の炎から火の玉が周囲に ばら撒かれた。 炎を回避や防御する一同の中から炎を物ともせず人影が大猪に飛び 掛かった。 少年のようだ。 ﹁若様っ!﹂ 悲鳴のような叫び声が上がる。 大剣を振り上げ、大猪の頭部を狙っている。しかし大猪は彼を見つ 401 けて、逆に噛みつこうと大きな口を開けた。 状況から彼の先走った判断だと分かったが、一瞬のうちに周囲が合 わせるように動いた。 彼の前に物理耐壁、魔法耐壁が何重にも展開、身体には強化の魔法 が付加され防御が強化される。 大猪の顔の横に二本づつ生えている牙に縄がかけられ、それを男達 が引く。加えて前足に攻撃が集中する。 ﹁顔を振らせるな!﹂ スキンヘッドのおっさんが叫んだ。 同時に少年が掛け声とともに大剣を振り下ろす。 ﹁うおりゃあ!︻脳天割り︼!﹂ 大剣は大猪の頭部に叩きつけられたが、絶命させるほどではない。 この後はどうするのかな。 すると持っている大剣が光に包まれ輝いた。そして光が分裂し二本 の剣となったのだ。 おお!変形武器!変形武器はロマンだよな! 少年が自信に満ちた声で叫ぶ。 ﹁︻双剣乱舞︼!!﹂ 双剣が目にも止まらぬ速さで振るわれ、大猪の頭部に斬撃を食らわ せる。しかし舞っているというにはどこかぎこちない気がするのだ が。 ﹁とどめだ!双竜剣!!﹂ 聞いたことある技名とニアミスしている技を叫んで少年は剣技を繰 り出す。 大猪は森を震わせる大きな断末魔を上げ、倒れ伏した。 とん、と少年が地面に降り立つと歓声が上がった。いや違う。文句 だった。 ﹁若っ!何で一人で突っ込むんですか!肝が冷えましたよ!﹂ ﹁そうですよ!双剣もまだ習得したばかりなのに!﹂ 402 ﹁なんでだよ!倒せたからいいだろ!﹂ ﹁あれだけ言っておいたのに。これは姐さんに報告しないといけな いな﹂ ﹁待てよ!!なんで母ちゃんに言うんだよ!!﹂ ギャーギャー騒ぎ出した眼下を見てそろそろ去ろうとしたら、視線 に気が付いた。 スキンヘッドのおっさんが私を睨みつけていたのだ。あちらからは 私が見えないはずだが。 ﹁そこに居るのは分かっている!!コソコソしてないで降りてこい !!﹂ 森に怒号が響いた。騒いでいた面々が静かになり、おっさんの視線 を追って私のいる木の上を警戒した眼差しで見上げてきた。 枝を蹴り、結界を足場にして彼らの目の前へ降り立った。途端に殺 気に包まれる。 ﹁何者だ。なぜあそこにいた﹂ 有無も言わさぬ口調でスキンヘッドのおっさんが言う。 こんな状況なのだが、このおっさんの厳つさも結構タイプだ。まぁ、 ガーウェンには敵わないがな! フードを落とし、鋭い眼光ににっこり笑って見せた。 ﹁たまたまだ。近くで大猪を狩っていたのだが、素晴らしい連携だ から見とれてしまったんだ。見てはいけなかったのだったら謝る。 すまなかった。﹂ おっさんの瞳が見開かれ、数回瞬きをして、そして困ったような顔 をした。 ﹁いや別に見てはいけない訳じゃないんだ。連携は我々のギルドの 特徴だから褒めてもらえるのは嬉しいが、君は大猪を一人で狩って いたのか?﹂ ﹁そうだが。運良く何匹か狩れたよ。﹂ ﹁そ、そうか・・・。我々がギルド﹃十六夜の群青狼団﹄だと知っ 403 ているのか?﹂ 十六夜の・・・?何だそれ、と首を傾げてみせると苦笑された。 ﹁ソーリュートでは有名だと思ってたんだがなぁ﹂ ﹁私はこの都市に来て間もないん﹂ ﹁おい!お前!名前を言え!﹂ おっさんとの会話を遮って﹁若様﹂と呼ばれていた少年が私の目の 前に立った。珍しい玩具を見つけた子供のようにーーまぁ見た目か らして子供だがーーキラキラした瞳で私を見つめている。非常に嫌 な予感がする。 少年に微笑みを向け、そして無視する。 ﹁おい!無視すんなよ!!名前!名前を聞いてるんだよ!﹂ なんで寄ってくる。そしてなんでそんな大声なの。 再び微笑みを向けると、若様に後ろから取り巻きの兄ちゃんがコソ コソと耳打ちした。 ﹁若、女性に名を尋ねる時はまず自分から名乗らないと﹂ 少年はなるほどと頷いて、大声を出した。 ﹁俺はソーリュートの誇り高きギルド﹃十六夜の群青狼団﹄の誇り 高き団長・ミカヅキと誇り高き女剣士・ヒスイの誇り高き息子、ア オだ!お前の名前を言え!!﹂ 後ろでおっさん達があちゃーと頭を抱えている。ちょっとアレな自 己紹介だが、両親への尊敬はよく伝わってきた。 ﹁私はリキ。よろしくな。アオの剣はかっこいいな。﹂ と言うとぱあっとアオの顔が輝き、私にビシリッと人差し指を突き つけ叫んだ。 ﹁リキ!お前を﹃十六夜の群青狼団﹄に入れてやる!﹂ ﹁え、やだよ﹂ 超反射で即答した。 404 大人気ない︵前書き︶ 長めです 405 大人気ない ﹁だから入んねぇって言ってんだろ。﹂ 何度目かになる言葉をため息混じりに言うが、少年は全く引かない。 ﹁俺達のギルドは入団希望者が多いんだぜ。ほんとは入団試験をク コメ じゃなくて コネ だ。﹂ リアしないとダメなんだけど、リキは特別に俺のコメで入れてやる !﹂ ﹁・・・若、 スキンヘッドのおっさんもため息混じりにツッコミを入れる。その おっさんになんとかしろと視線で訴えるが申し訳なさそうな顔をさ れただけだった。 速攻で断ったていうのにこの若様は挫けなかった。面倒臭くなって 走って逃げたら追ってきて、全然撒けなくて逆に﹁お前すげーな!﹂ と感心してしまうほどだった。 今朝ガーウェン達を見送った転移門前広場に着いてもアオはしつこ い。 ﹁俺がギルドホームに案内してやるから来いよ!﹂ ﹁このあと予定あるから行かねぇよ。もう帰れよ。夕飯の時間なん だろ。﹂ ﹁そうですよ!若様!夕飯に遅れると姐さんにドヤされますよ!﹂ と取り巻きの兄ちゃんにそう言われてアオはゔっと言葉に詰まった。 しかし次の瞬間には名案を思い付いたと顔を輝かせた。 ﹁じゃあ、ウチに夕飯食いに来いよ!父ちゃんと母ちゃんに紹介し てやるから!﹂ ﹁だから予定あるんだって﹂ こいつはちっとも話を聞かねえな!おい保護者しっかり面倒見ろよ! 406 スキンヘッドのおっさんや取り巻き兄ちゃん達を睨みつけて、早く 連れてけと顎で示す。 ﹁若、お嬢さんは予定があるそうだ。夕飯に誘うのはまた今度にし たらどうだ?﹂ ﹁ええー!じゃあ、明日は?!リキ、明日ならいいだろ?!﹂ あまりの面倒臭さに表情が取り繕えなくなった時、のんびりとした 知り合いの声が聞こえた。 ﹁おーおー騒がしいと思ったらお嬢ちゃんか。モテるねぇ。﹂ 無精髭に咥え煙草の不健康そうなおっさんがニヤニヤとからかう笑 みを浮かべて寄って来た。 ﹁ルキアーノ。お前、こんな時間に集合か。﹂ ﹁おー。ちょっと野暮用でな﹂ ﹁年甲斐もなく朝までガタガタしてるからだろ。じゃあ、行こうか。 ﹂ ﹁くくくっ。言うねぇ。よし、おじさんがお茶でも奢ってやろう。﹂ ﹁リキ待てよ!このおっさん誰だよ!﹂ 偶然にもルキアーノが現れたので誤魔化して立ち去ろうとしたのだ が、少年は納得しなかったようだ。 ﹁あー?坊主こそ誰だ、ってバルディヌが居るってことはミカヅキ んとこの坊主か。お前は相変わらず子守りしてんのか。﹂ ルキアーノのニヤニヤとした笑いを受けて、スキンヘッドのおっさ ん改めバルディヌは嫌そうな顔をした。 ﹁お前こそ相変わらずのようだな、ルキアーノ。お嬢さん、悪い事 言わないからこの男だけはやめときなさい。﹂ ﹁なっ?!このおっさん、リキの恋人なのか?!﹂ バルディヌの言葉にアオが愕然とした声を上げた。少年とその取り 巻き連中だけじゃなく、野次馬からの好奇な視線が私に集まり思わ ず顔を顰めた。 バルディヌが言っていたように﹃十六夜の群青狼団﹄は有名ギルド らしく、そいつらが集まっているだけでただでさえ目立っていると 407 いうのに、この少年はやたらと声がでかいから注目の的になってし まっているのだ。 ﹁違う。恋人の友ーーー﹂ ﹁違うなら離れろよ!!おい、おっさん!リキが嫌がってんだろ!﹂ 話を最後まで聞け。 ﹁んー?そのリキがお前の誘いを断ってんだろ。諦めろよ、クソガ キ。﹂ ﹁んだと!!俺はガキじゃねぇ!!﹂ ﹁ちょっ!若!こんなとこで武器出さないで!﹂ 意地の悪い笑みで楽しそうに少年をからかうルキアーノとからかい を真正面から受けて怒る少年。 なんなのもうやだ。早くガーウェンに会いたい。 ﹁お前達、門前でなにを騒いでいるんだ!﹂ 怒号とともにガチャガチャと甲冑が鳴る音がし、数人の騎士が走っ てきた。 ﹁何でもない。すぐに解散する。﹂ とバルディヌが何食わぬ顔で言う。 ソーリュートの騎士団は警察の役割も担っているため有名ギルドで も敵対するのは本意ではないらしく、他の﹃十六夜の群青狼団﹄の 面々も愛想笑いを騎士達へ向けながら、アオを押さえ込んでいた。 ﹁大丈夫ですか?お姫様﹂ 隣に寄って来た騎士に声をかけられ、その言葉にゾッとしつつその 主を見上げた。 輝く金髪に深い翠の瞳。端正な顔立ち。 私を見て少し目を細め、そして甘く微笑みを浮かべた。 洗練された動作でマントを払い、片膝を付く。右手を胸にあて、輝 くような完璧な笑みで私を仰いだ。 感嘆のため息が周囲の女子達から上がったような気がする。 408 ﹁もう大丈夫ですよ、姫。私はソーリュート翠剣騎士団のアルフォ ンス・ウェルシュルト。私が貴女の側にいる限り、あらゆる困難を 退けましょう。﹂ ﹁チッ!!﹂ その完璧な拝礼に顔を歪め、盛大な舌打ちを返した。 くそッ!面倒くせぇ奴が増えやがった!! 私の後ろでルキアーノが爆笑している。 ﹁南地区の女だったら泣いて喜ぶ副団長様の礼に舌打ちかよ!しか もすんげぇ嫌そうな顔!﹂ 目の前の騎士は一瞬、呆然としたもののなんとか取り繕って再び笑 みを浮かべた。 ﹁お手を頂いても﹂ ﹁結構です。﹂ 食い気味で断ると騎士の頬がピクピクと引きつった。ルキアーノは さらにヒィヒィ苦しそうに笑い声を上げている。 ﹁私に触れていいのは、﹂ ふと見ると転移門が開いて、今朝見送ったメンバーが出てきた。意 識せずとも自分の口元が引き上げられ、笑みが作られるのが分かる。 ﹁一人だけだ。﹂ 集団の中に赤銅色の髪が見えると、居ても立っても居られず駆け出 した。 ﹁リキ﹂ 駆け寄る私を見つけてガーウェンの顔がぱあっと明るくなった。そ の顔だけでイラついていた心が落ち着いた。なんという癒し効果。 ガーウェンの首にぶら下がるように抱きついた。 ﹁おかえり、ガーウェン!﹂ ﹁おう。あんまり抱きつくと汚れるぞ。﹂ 汚れると言いながらもガーウェンは私を抱き上げてくれたので、ぎ ゅうっと首に抱きついて胸一杯にガーウェンの匂いを吸い込んだ。 409 アロマテラピーより効果あるんじゃないのこれ。 ﹁会いたかったんだ。ガーウェンに。﹂ ﹁なんだよ。お前は案外寂しがり屋だったんだな。﹂ ﹁知らなかったか?私は寂しいと死んじゃうんだぞ。﹂ ﹁ふっ。そうだったのか。でも死んじゃうのは困るなぁ。﹂ ﹁はいはい。イチャつくのは依頼完了してからッスよー﹂ うふふあははとガーウェンと微笑み合っているとロードに水を差さ れた。 ﹁つーか何でこんな注目されてんの?﹂ ﹃十六夜の群青狼団﹄や騎士団が集まっていたから更に野次馬が増 えたのだろう。 ﹁よー。お前らご苦労さん。﹂ ﹁遅っ!ルキさん何してたの!﹂ ﹁今更来ても報酬分けませんからね。﹂ ﹁おーおー。ひでぇなぁ。俺はお嬢ちゃんをナンパ野郎共から助け てたんだぜ。感謝してほしいぜ。﹂ ﹁ナンパ野郎・・・﹂ ルキアーノがニヤつきながらアオと金髪騎士を目線で示すと、ガー ウェンの声が低くなった。私をそっと下ろし、庇うように後ろに回 す。 ﹁おい!リキ!またおっさんかよ!そいつ誰だよ!!﹂ 自分を押さえ込んでいた取り巻き連中の腕を外し、アオがガーウェ ンに指を突きつける。ガーウェンはそれには少し目を細めてフンッ と鼻を鳴らしただけだった。どこかの不良おっさんとは違い、子供 に対抗したりしないようだ。 ﹁ガーウェンは私の恋人だよ。﹂ ﹁恋人!?おっさんだろ!??﹂ ﹁そうだが。それが何か問題あるのか?﹂ ﹁全然釣り合ってないだろ!!﹂ ギャンギャンと躾のなってない犬のように吠える少年ににっこりと 410 笑みを向けた。 ﹁そうだとしても、それが何か?﹂ ﹁私達ほどお似合いのカップルはいないと私は思っているが、まぁ 人の意見はそれぞれだからお前の言うところの釣り合ってないとい う意見を百歩譲って仮定として見ても、それのどこが問題なんだ? 自分と釣り合わない、自分より優しくて可愛くて綺麗で本当に心惹 かれる人物を愛する事の何が問題なんだ?﹂ ﹁私とガーウェンは体格が違うし年齢も違う。そういう点を﹃釣り 合ってない﹄と言うなら確かにそうなんだろう。だがそれの何が問 題なんだ?好きになった人が体格も年齢も差がある人だっただけで 何がおかしいんだ。﹂ ﹁私は自分に釣り合っているとかいないとかで好きになった訳じゃ ない。ガーウェンがガーウェンだから好きになったんだ。もしガー ウェンが年下でもお爺ちゃんでも例え女だとしても必ず私は好きに なった。必ず愛してた。それが﹃釣り合ってない﹄という事なら望 むところだ。釣り合ってなくて結構。私の愛がとやかく言われる謂 れはない。﹂ ﹁それで?お前が言う﹃釣り合い﹄とはなんだ?﹂ ほぼ同じ目線のアオから目を逸らさず、詰め寄りながら一気に捲し 立てた。アオはあからさまに引きつった顔で、あうあうと言葉にな らない言葉が口から漏れていた。 ﹁うわぁリキちゃん、子供にも容赦ないね∼﹂ ﹁演説の中に所々惚気を織り交ぜてくる高等技術ですよ。引きます 411 ね。﹂ ﹁お嬢ちゃんの地雷は踏みたくないねぇ﹂ 外野がコソコソ何やら言ってるのが気に食わないが、今は放ってお く。 ﹁お、俺は・・・わ、分かんねぇよ!そんなことっ!!﹂ とアオが涙目で叫んだ。 ﹁自分でも分からない言葉を口にして、それでガーウェンを傷付け たのか?﹂ 私の言葉にアオの瞳が驚きで瞬いてガーウェンを見上げたあと、気 まずそうに逸らされた。 私の言動は子供相手に大人気ないと思うが、アオが﹁釣り合ってな い﹂と叫んだ瞬間、ガーウェンの身体が固まったのが分かった。私 と自分の様々な差異によく悩んでいるガーウェンを深く傷付ける言 葉だとカチンときてしまって、ついやり過ぎた。 ﹁アオ。お前の言葉や行動で傷付く人もいるんだ。自分には分から ないからとか難しいからという理由でそれを適当にしては駄目だ。 次、会うときまでその事を良く考えとけ。﹂ 優しく諭し、アオの頭をぽんぽんと軽く叩いてから、離れた。あと はバルディヌや取り巻き連中がフォローするだろう。 ﹁行こう、ガーウェン﹂ とガーウェンの手を引いて歩き出したのだが、そのガーウェンは反 対の手のひらで口を隠し、耳まで真っ赤になっていた。 ﹁ガーウェンどうした﹂ ﹁ガーウェンはお嬢ちゃんの熱烈な告白にやられたんだろ。﹂ うぐうぐ言っているガーウェンに変わりニヤついたルキアーノが言 う。 ﹁そうなのか?いつも言ってるだろ。﹂ ﹁う、うぐ・・・・・・あんな所で﹂ 私を非難するような潤んだ瞳で見つめられるとゾクゾクしてしまう。 可愛い!やっぱりガーウェンが一番だ! 412 背後から妙な視線を感じていたが、それは無視した。振り向かなく ても分かる。 あの金髪の騎士だろう。 413 大人気ない︵後書き︶ 集まっていた野次馬が徐々に散っていく中にアルフォンスの子飼い の密偵がいた。視線を向けると小さく頷いて人混み紛れて消えてい く。 言わずとも命令は伝わった。 顔に困ったような表情を付けて後ろにいた部下を見た。 ﹁私達の出番は無かったみたいだね。﹂ ﹁班長が美人を見るやすぐに口説くから初動が遅れるんじゃないで すか?﹂ ﹁手厳しいね﹂ 普段と変わらない部下の毒舌に苦笑を浮かべながら、アルフォンス は先程の女性を思い出す。 見たことのない容貌に興味を引かれたのは本当だが、実力至上主義 の冒険者の中にはアルフォンスに靡かない女性も珍しくはない。あ 能力 だ。 そこまであからさまな嫌悪を示されたのは初めてだったが・・・。 それよりもあの ﹃そうだとしても、それが何か?﹄ と彼女がにっこりと笑った瞬間から周囲は彼女に制圧された。 414 彼女の言葉や動作に身体が震える。 アルフォンスにはあの感覚に覚えがあった。 王国騎士団団長と言葉を交わした時に感じた圧倒される静かな威圧 感と同じだったのだ。 ﹁︻統率者︼かな﹂ 部下には聞こえぬよう小さく呟いた。 ﹁アルフォンス様ー!﹂ アルフォンスを呼ぶ少女達の声に手を振るとともに完璧な笑みで応 えた。途端、黄色い悲鳴が上がる。 ﹁愛、ねぇ﹂ ﹁何言ってるんですか。巡回に戻りますよ。﹂ はいはいと何度目かの苦笑を浮かべて部下の後を追った。 ﹃愛﹄なんて彼女が使うにしては幼稚で陳腐な言葉だが、だからこ そ彼女の弱点がそこにあるように感じた。 そこを上手く突けば彼女を自分の手駒に加えられるかもしれない、 と輝く貴公子の笑みを浮かべながらアルフォンスは思った。 415 嘘から出た誠 夕飯には少し早いが、ガーウェンの知り合いがやっている料理屋に 集まって肉食系おっさん達待望の肉パーティーが開催された。私が 狩った大猪の他にも様々な食材が持ち込まれ、さらにどこで聞きつ けたのかメンバーじゃなかった若い獣人達やエンジュや双子、ゼル 率いるドワーフの鍛冶師連中まで集まって急遽、店内貸切パーティ ーになった。 ﹁リキ、これ土産なんだけど・・・﹂ とガーウェンが渡してくれたのは手のひら大の透明な水晶で出来た 巻貝のような丸い渦巻きだった。 表面には細かい凹凸があり、キラキラと輝いている。 ﹁ええー!マジでそれあげるんスか?ただの水晶蝸牛の殻ッスよ?﹂ ﹁う・・・綺麗だから土産にしたんだけど、やっぱいらねぇかな﹂ さすがに蝸牛の殻はねぇだろ、と他の面々にも言われ、ガーウェン はしょげていた。しかしガーウェンに関してはやたらと単純になる 私は蝸牛の殻だろうが、彼が自分で決めた物をプレゼントしてくれ たという事に嬉しい気持ちでいっぱいになっていた。 ﹁嬉しいよ!ありがとう、ガーウェン。へぇ、水晶蝸牛の殻か。綺 麗だな。何で出来てるのかな?﹂ ﹁え、水晶でしょ?﹂ とロードが首を傾げた。 ﹁ん?その水晶蝸牛っていうのは鉱物を生成する器官があるのか?﹂ ﹁え?コウブツ?セイセイ?﹂ ポカンとしているロードの横からエヴァンが解説してくれた。 ﹁その殻は石英で出来てますよ。水晶蝸牛は石英を体内に取り込ん で、それで殻を作るんです。﹃森﹄では水晶蝸牛が大量に獲れるの 416 でそれを使った工芸品はこの都市の名産なんですよ。﹂ ﹁へぇ。あ、だからこの都市は窓ガラスが主流なのか。﹂ エヴァンがそのとおりです、と頷いた。 領都・カダラスト以外では窓ガラスの建物はそうそう見かけなかっ たのにこの都市の建物はほぼ全てが窓ガラスであるのが気になって いたのだ。 石英が大量に確保できるのなら納得出来る。 ﹁キラキラしてる。綺麗だな。﹂ 水晶を光にかざして見るとキラキラと虹色の光も渦を巻くように反 射していた。 ﹁お嬢ちゃんは安上がりでいいねぇ。そんな物でいいならおじさん も色々あげちゃうよ。﹂ ルキアーノがジョッキを煽り、ニヤついた。すると俺も俺もとなぜ かガーウェンの仲間連中もニヤつきながら立候補し出した。 ﹁なんでお前らまで!﹂ ﹁なんだよ。ガーウェンだけズルイ!俺達もリキちゃんにプレゼン トしたい!﹂ ﹁それでありがとうって言われたい!﹂ ﹁褒められたい!﹂ ﹁俺は﹃こんなのしか持って来れないの?クズ!﹄って言われたい。 ﹂ ﹁うわ、変態がいるっ!リキちゃん、こいつ変態です!﹂ 途端に男性陣の性癖暴露大会になり、やれ巨乳好きだの年下が好き だの、どいつもこいつもいい具合に酒が回ってきているようだ。 隣にいるガーウェンへ喧騒に紛れるように囁いた。 ﹁ありがとう。本当に嬉しい。﹂ ﹁お前はあっちの世界に無いような物に興味がありそうだからこれ にしたんだけど・・・要らなかったら無理しなくていいからな?﹂ ﹁ふふふ。無理してないよ。ガーウェンが私の事を考えながら選ん でくれた物だって聞いたら余計嬉しい。﹂ 417 それでも不安気な顔をしているガーウェンの頬に手を当てて、笑顔 を向けた。 ﹁それに無事で戻って来てくれて嬉しい。﹂ ﹁・・・おう。﹂ その手を掴まれ、手首にガーウェンの唇が押し当てられた。手首の 薄い肌に吐息と熱を感じる。 キスしたいな。ガーウェンの吐息と熱を口内で感じたい。 ガーウェンもきっとそう思ってるはず。瞳がそう言ってる。 ﹁リーーー﹂ ﹁だめだめ!隙をついてイチャつかない!二人の世界に入らない! 目を離すとすぐこれなんだからー、もー!!﹂ ドンドンドンッと机を叩く音と一緒にロードの制止の声が飛ぶ。 ﹁あー、そろそろ・・・﹂ ﹁帰らせねえからなー。ガーウェンはこっちなー。リキちゃんはそ こにいてねー。ガーウェンてめぇ覚悟しろよ。そのだらしねぇ面ぁ 貸しな。﹂ ﹁毎度毎度イチャつきやがって。全く羨ま、ごほごほっ!・・・全 く節度がないな。指導してやる。﹂ そろそろ帰る、と言いかけたガーウェンは屈強な男達に両脇を固め られ、連れていかれた。やめろ、離せ!と叫ぶガーウェンが連れて 行かれる先には、筋肉だらけのおっさん達が満面の笑みを浮かべて 手を振っている区画があった。 ・・・・・・ガーウェン大丈夫かな。 ****** 418 ﹁リキさんはガーウェンさんと会う前は何やってたんですか?﹂ 人懐っこい笑顔をつくってエンジュが問うてきた。 ﹁故郷を無くしてからは日雇いの仕事をしたり、路上で歌を歌った りしながら旅費を稼いでカダラストを目指していたよ。﹂ 和かな笑顔を返しながら、適当な嘘をつく。その日々を思い出すよ うな遠い目をしてため息も付いておく。 ﹁・・・へぇ。なんでカダラストだったんですか?﹂ ﹁んー。領都ということもあったけど、大きな理由はないよ。でも あの頃の私には明確な目標が必要で、そこに行けば何かが変わるん じゃないかって思わせる場所がカダラストだったんだ。そこでガー ウェンに会って私の人生は変わったから、結果的にそれが本当にな ったけどな。﹂ 淀みなくすらすらと嘘の過去を話し、ガーウェンに似た赤髪の青年 に笑みを向けると彼の瞳が少し細められた。 先ほどからエンジュからの質問攻撃を受けていた。 人懐っこい笑顔の彼は時折、私に対する不信感を見せる。自分では 上手く隠していると思っているようだが、あからさまで面白い。 この質問攻撃も裏を返せば尋問だ。私の言葉から私の本当の正体を 探ろうとしているのだ。 嫌われたものだな。 そう思うと笑い声が抑えきれなかった。 ﹁ははは!﹂ ﹁・・・・・・なんですか?﹂ ﹁ふふふ。いいや。エンジュは可愛いなぁと思ってな。﹂ ﹁・・・・・・・・・﹂ 不信感と不快感で彼の顔から表情が消えた。その様に意地悪くニヤ リと笑う。 このぐらいで表情に出すなんてまだまだだなぁ。 エンジュの私への気持ちを表すなら﹁大好きなお兄ちゃんを奪った 419 女への嫉妬と嫌悪﹂という所であろう。 隙あらば私の粗を探そう、私の本性を暴いてやろうと画策している のだ。 ﹁へぇ!歌、歌ってたんだ!リキちゃん歌ってよ!﹂ 私達の会話を聞いていたのか酔っ払いの兄ちゃんが絡んできた。 ﹁んー。歌うのはなぁ・・・﹂ ﹁・・・・・・歌えないんですか?﹂ もはや不信感を隠すこともせず、エンジュが私を睨む。その顔に笑 みを向けると、嫌な顔を返された。 ロードとは違う意味でからかうと面白いので、ついつい構ってしま う。 ﹁ガーウェンに聞かないと。勝手に歌うとたぶん拗ねるからな。﹂ ﹁ははは!ガーウェンなんてほっとけ!おーい!リキちゃんが歌う ってよー!!﹂ と酔っ払いの大声が店内に響くと一気に盛り上がった。 あ、やっぱりガーウェンが不機嫌そうな顔してる。 ﹁楽器がないからなぁ﹂ ﹁あるよ。リュートでいいかい?﹂ なんと退路を断たれた。 この料理屋の店長は趣味でリュートを弾くらしく、たまに店で演奏 会を催すため何種類か楽器がおいてあったのだ。 じゃあ、まぁいっか。 ジャランと弦を弾いてリュートを鳴らす。 何を隠そう私も学生時代、バンドを組んでいたことがあって、ギタ ーなら弾いたことがあるのだ。リュートも似たようなもんだろ、と 適当になっているのは多分私も酔いが回ってきているからだろう。 ﹁んー。じゃ、私の故郷の歌を歌うよ。﹂ ガーウェンに歌って反応の良かった元の世界の歌を歌う事にした。 人との縁や関係を糸に例えた元の世界でも有名な曲で、この世界で 420 意味の通じない言葉は入ってないから大丈夫だろ。 ****** 頬を薄く染めたリキが歌う。 見るからに適当な弾き方で、しかし中々様になっているリュートの 音とともにリキの澄んだ歌声が店内に響いた。 騒いでいた奴らが黙る。 リキの声には人を惹きつける何かがあるのだと思う。それはスキル ︻統率者︼の能力の一つかもしれないが、女にしては落ち着いた声 音が一音づつ響いて身体を震わせるのだ。 秘密だったのに、とガキみたいに不貞腐れる。 リキの歌声は俺だけの秘密だったのに。 せめてもの救いはこの歌がリキが一番好きだと言った曲じゃないこ とだ。あの曲は俺も一番好きだ。 あの曲だけは俺だけが知ってる。 この世界で俺だけが知ってる。 そんな幼稚な優越感で馬鹿みたいにニヤついてしまった。 余韻を残してリキの歌が終わった。 立ち上がり、芝居掛かったお辞儀をしてみせるリキは少しはにかん だ笑顔だった。 まだ静かな店内で誰かの鼻をすする音がする。 ﹁もう一度・・・・・・﹂ 低いしゃがれた声が響いた。 421 ﹁もう一度、歌ってくれんか・・・・・・﹂ 腕を組んでいるゼルの瞑った目からだばだばと涙が流れ出ていた。 ゼルを囲んでいた鍛冶師連中もグスグス鼻を鳴らしながら、号泣し ている。 ﹁え、あ、うん。いいけど﹂ とリキが引きつった顔で言った。流石のリキでも屈強なドワーフ達 の号泣には引いてしまったようだ。 リュートを抱え直したリキが俺を見て、苦笑を浮かべる。俺もそれ に苦笑で返す。 ﹁同じ曲でいいのか?﹂ ﹁ああ・・・頼む﹂ 再びリキの歌声が身体に響き始めた。 リキは俺を見て歌っている。 まるで俺のために歌っていると言ってるみたいだ、なんて馬鹿な事 を考えたが、その時リキが俺の心を読んだかのように、にっこりと 笑った。 敵わないな。リキには敵わない。 本当に心の底から愛してる、とリキへ笑みを返した。 422 酔っ払い女子*︵前書き︶ HENTAl的なエッチな表現があります。 なぜ私が書くのは変態的になるのか。 それは私が変t︵ry 423 酔っ払い女子* 気がつくとリキが出来上がっていた。 ﹁ガーウェン、帰ろー!﹂ 後ろから勢い良く抱きつかれ、肩越しに振り返るとニコニコと機嫌 の良いリキと目があった。酔っているのか頬が赤く染まり、瞳は潤 んでいた。非常に酒臭い。 ﹁ゼル達はもういいのか?﹂ ゼルはリキの歌声を大層気に入り、何度も歌わせた挙句﹁いい歌を 歌う奴に悪い奴はいない﹂、更にリキが酒豪だと知ると﹁酒好きの 奴に悪い奴はいない﹂と言い出す始末だった。 気に入られたリキはゼル秘蔵の酒を振舞われて、ドワーフ連中に囲 まれていたと思ったのだが。 ふとゼル達の方を見て絶句した。 死屍累々とはこの事ではないのか・・・ ドワーフ、獣人、人族入り乱れて倒れ伏していたのだ。ロードやエ ンジュも床にぶっ倒れている。よく聞けば呻き声がそこら中から聞 こえた。 ﹁なんだ、これ・・・﹂ ﹁んー?ゼルの秘蔵酒を皆で飲んだんだけど、皆すぐ寝ちゃったん だぁ。﹂ ﹁寝ちゃったって・・・ゼ、ゼルは?﹂ ﹁ゼルはあそこ!﹂ と子供のようにリキがはしゃいで指差した先にはゼルが酒樽に向か って説教してる姿があった。こ、これは・・・ ﹁ゼル、さっきから同じ話しかしねぇーんだもん。つまんないし帰 ろ?﹂ ﹁お、おう・・・﹂ 424 これ以上ここにいたらリキがああなるかもしれないとゾッとした。 呻き声を上げながら緩慢に蠢くこのアンデッドの群れの中にリキを 混ぜる訳にはいかない。 リキを抱えてコソコソと店から逃げ出した。 良かった。酒を飲まずに水だけにしといて本当に良かった。 ****** 部屋に着いてすぐにベッドに誘ってくるリキを奥歯を噛み締めなん とか耐えてシャワー室へ追いやった。 危なかった。帰路途中も危なかった。酔って欲望に正直過ぎるほど 正直になったリキに何度となく誘惑され、路地裏で致す所だった。 いくらリキの結界で音と姿を消せるとしても、それは常識的に駄目 だろう。俺の理性が正常で良かった。 ベッドのシーツを整えて、サイドボードに水差しとグラスを用意し ておく。 カタンとシャワー室のドアが開き、リキがペタペタと裸足で出てき た。全裸だった。 ﹁お、まっ、ばか!﹂ リキの持ってたタオルを奪い、身体に巻きつけてやるのだが、それ を上手く躱して、そのまま俺の首に抱きついてきた。細い身体から は想像出来ない強い力でグイグイとベッドへ押される。 ﹁ま、待て!俺もシャワー浴びてくるから!﹂ 慌てて押し返そうとすると、リキが俺を見上げながら、欲情に濡れ 425 た声を出した。 ﹁そのままでいいよ。私、ガーウェンの匂い好きなんだ。私が全身 を舐めて綺麗にしてあげるから大丈夫だよ。﹂ そう言ってペロリと首筋を舐めた。 ﹁ほら、やっぱり。美味しい﹂ そのうっとりとした顔に背中を快感が走り抜けた。 やばい。エロモード全開のリキはやばい。 ﹁もっと舐めさせて?﹂と少し舌を出して、チロチロと揺らして見 せる。その舌を吸い上げたくて堪らない。 堪らないが、なんとかギリギリで耐えて言葉を絞り出した。 ﹁すぐに出てくるから、な?﹂ 言い聞かせるように視線を合わせれば、リキはぷぅっと頬を膨らま せて可愛らしく不満を表した。 ﹁むぅ・・・じゃあ、ここにキスして?痕つけて?﹂ ここ、と自分の左胸のホクロを指す。どんどん下腹部が成長するの を気付かない振りしてリキの胸に吸い付いた。 ﹁んっ・・・・・・﹂ リキが甘い吐息をはく。上目遣いに見ると、リキは蕩けるような甘 い笑みを浮かべた。 ﹁んー、足りないけど、いいよ。待っててやる。すぐ来て?﹂ 勝気なお姫様の可愛い命令に﹁仰せのままに﹂と苦笑を返した。 すぐ来てと言われたがこのままでは一回目はすぐに終わってしまう と確信して、シャワー室で昂りを鎮めた。 ・・・・・・触っただけで出ちまうとかどんだけ我慢してたんだよ。 シャワー室から出るとリキはベッドに腰掛けながら、どこから出し たのかエールの瓶を傾けていた。まだ飲むのかと呆れると、意外と しっかりした瞳で俺を見た。 426 ﹁着替え出しておいたよ。﹂ ﹁なんだ。酔ってたんじゃなかったのか?﹂ ﹁酔ってるよぉ。いー感じで酔ってる!﹂ ふふふ、とリキがご機嫌な笑い声を上げている。声の調子は酔っ払 いだがちゃんと夜着は着てるし、意識もしっかりしているようだが。 パンツとズボンだけ身に付けてリキの上にのし掛かる。多分すぐに 脱いでしまうと思うが、リキが服を着てるのに自分だけ全裸なのは 恥ずかしい。 風呂だって一緒に入っているのに、リキにはなぜだか今でも全裸を 見られるのは恥ずかしいのだった。 ﹁あ、待って。ガーウェンが下になって。﹂ とリキが瞳を光らせて言う。 ﹁全身舐めて綺麗にしてあげるって言っただろ﹂ 細い指で大胸筋の間の溝をなぞられ、ビクッと身体を揺らしてしま った。 一気に顔が熱くなる。 羞恥心だけじゃない。快感への期待も確かにあった。 横になった俺の腹の上にリキが跨る。 ﹁ガーウェンが好きそうなのを思いついたんだ﹂ ふふん、とリキが得意気に笑って、見せてきたのは幅広のリボンだ った。 何をするのかと不安より期待が大きいのは、リキは俺に酷いことや 痛いことは絶対にしないと分かっているからだろう。 リキは目隠しするようにリボンを俺の頭に巻いて結んだ。 ﹁リ、リキ﹂ ﹁大丈夫だよ。ガーウェン、似合う。﹂ 目隠しが似合うってどういうことだ。耳まで熱い。 ﹁ん・・・﹂ 427 チュッ、チュッと顔中にキスが降ってくる。口の端にキスされ、そ れを追うように顔を向けるが、からかうように逃げて行く。 ﹁リキ・・・口に・・・﹂ と強請ると唇の先に体温を感じた。 ﹁口がいいのか?それとも舌?﹂ 甘く囁く息はかかるのに触れてくれないことに焦れる。 ﹁し、舌に・・・﹂ 羞恥で震える声とともに舌を突き出せば、願い通り舌にキスされ、 丁寧に舐められ、食まれた。 痺れる。舌に与えられる快感がすぐに頭を沸き立たせる。 ふぅふぅと自分の息がうるさい。 指を絡めた手がシーツに縫い付けられている。 今更ながら目隠しの恐ろしさに気付いた。 ﹁・・・う、んんっ・・・﹂ 感覚が敏感になっている。 口の中に響く水音にも時折感じるリキの温かい吐息にも俺の身体を なぞる指にも、敏感に反応してしまう。 ﹁うあ、あっ!﹂ 突然、胸の先端を弾かれたため、声が出てしまった。 ﹁ガーウェンの乳首、まだ触ってないのに女の子みたいに立ってる よ?﹂ 恥ずかしさで目が眩む。 ﹁や、やめ、そんなこと言う、なぁっ!んん!﹂ 胸の先端に吸い付かれ、思わず身体が跳ねた。 まずい。突然来る刺激に声が出てしまう。 ﹁ふぅ、うぅ・・・んーっ!﹂ 空いている片手で口を塞ぐと、突起をあむ、と甘噛みされた。そし て指で円を書くように捏ねられる。 ﹁ほら、見てよ。こんなに立ってる。それに私の唾液で光ってるよ。 すごい可愛い。 428 反対側も舐めて欲しいのかな。﹂ 見てと言われても目隠しされてるから見えるはずがない。しかしそ れが快感を煽る。 恥ずかしい言葉で攻められて、泣きたくなるほど恥ずかしいのに下 腹部の昂りは下着とズボンを押し上げて、キツイ。 恥ずかしい。どうしようもないほど恥ずかしいけどそれが気持ち良 い。 ・・・・・・これって戻れない階段をどんどん登ってないか? ****** やばい。やっぱりやばい! エロモード全開のリキを舐めていた!いや舐められているのは俺だ が、そういうことじゃなくて、もう訳分かんねえ! ﹁あっ、リ、キ、そんなとこ、あっ、舐めんなっ・・・﹂ ﹁んー?これが好きなのか?ここ舐められるのが好きなのか。﹂ そうだけど、そうじゃねぇ。 俺は自分の足を抱えるようにして開いていた。根元に付いてる袋の 裏側まで見えるような態勢だ。自分でやった訳じゃない。目隠しさ れたまま、リキに導かれ至ったのがこの態勢だったのだ。 いやだ、だめだと俺の口は言うくせに俺の身体はなぜか大人しくこ の態勢を取り続ける。 もう俺は完全に変態になってしまったのだろうか。 429 リキは今、俺が見えない俺の身体の部分までキスして、舐め尽くし ていた。 玉の裏側とか尻の谷間とか・・・穴の近くとか。 目隠しされていて良かったと思う。俺のそんな所を舐めてるリキを 見たら恥ずかしくて息が止まる。 見えない今も十分死にそうだけど。 ﹁あっ・・・うぁ、うぅ・・・あ、あっ﹂ 両手を使っているので口が塞げない。情けない声が出てしまうのは 仕方ない事だ。 情けないついでにリキに願った。 ﹁リ、リキ・・・イきてぇ・・・﹂ 色んな所は舐めるくせに肝心な場所には触れてくれない。たまにゆ るゆると緩慢に擦られるだけで、達するまでの刺激じゃない。 もう限界だった。 ﹁ふふふ。可愛いね、ガーウェン。足、下ろしていいよ。﹂ そう言われてやっと俺の身体は動きだした。俺の身体は殊更、ベッ ドの上ではリキに従順らしい。 ﹁どこに出したい?﹂ 決まってる。 ﹁リキの中、お、奥に出したい﹂ ﹁ふふ、いい子だね。グチャグチャにしたい?されたい?﹂ あ、それは迷う。 このままリキに与えられる快感に溺れたいし、リキの中を好きなよ うに味わい尽くしたいとも思う。 ﹁はは!ガーウェンは本当に可愛いな!﹂ しゅる、と目隠しのリボンを外された。ゆっくり目を開くと俺を見 下ろす美しい女がいた。 黒髪で黒い瞳。優しい笑顔。 ﹁・・・・・・綺麗だな﹂ ﹁ふふふ。ガーウェンの方が綺麗だよ。この身体も。この中も﹂ 430 胸をトントンと叩かれる。 どういう意味か分からない。 リキはただ優しく微笑んでいた。 ﹁それでどうする?したいのかされたいのか。﹂ ﹁う・・・・・・ぐ、ど、どっちも、はダメだよな・・・?﹂ どうしようもない俺の願いにリキは ﹁仰せのままに﹂ と瞳を煌めかせて笑った。 431 酔っ払い女子*︵後書き︶ ドMおっさんというワードに滾る 432 ひび割れはいずれ ソーリュートには各地区に冒険者ギルドがある。 ﹁リキさん、おはようございます!﹂ ﹁おはよう、ファリス。﹂ 南地区の冒険者ギルド受付係であるファリスが私に気付くとぱぁっ と顔を輝かせた。 ファリスとは最近、親しくなった。冒険者の多いこの都市では女の 冒険者は珍しくないのだが、私のような変わった冒険者は珍しいら しく、その縁で話をするようになったのがきっかけだった。 どこがどう変わっているのかというと。 ﹁今日は何か面白そうな依頼はあったかな?﹂ ﹁えっと、リキさんが好きそうな依頼ですと・・・雑貨屋さんの屋 根修理とか引っ越しの手伝いですかねぇ﹂ ﹁食べ物関係はないのか?﹂ ﹁残念ながら・・・あ、でもデードルさんが依頼関係なくいつでも 手伝いにきていいって言ってましたよ!﹂ デードルとは南地区で﹃ハチミツくまさん﹄というラブリーな店名 のパン屋を営む熊頭の獣人で、数日前に依頼で店の手伝いへ行った のだ。 ﹁あそこのパンは美味しかったな。﹂ ﹁はい!お土産のパン、ありがとうございました!美味しかったぁ﹂ パンの味を思い出したのかファリスはニヘニヘとだらしない笑みを 浮かべた。 冒険者とは己の身一つで富と名声を得られる職業である。その為、 冒険者になる者のほぼ全てはそれらを手にする為ギルドランク上位 433 を目指す。 しかし私にはそれらは必要のないものである。ガーウェンと同じ依 頼を受ける為にランクを上げる必要はあるが、それ以外の、例えば 迷宮を踏破した名誉とか大型魔獣を撃破した武勇伝などは興味がな いため、昇格に必要な事以外は所謂﹃おつかい﹄と呼ばれる依頼を 好んで受けていた。 低ランクの冒険者でも受けない﹃おつかい﹄を進んで受ける為、冒 険者ギルドからは珍しがられるとともに重宝がられているのだった。 ﹁料理を手伝う依頼なら料理も上手くなって一石二鳥なんだけどな ぁ。﹂ ﹁リキさん、お料理苦手なんですか?﹂ ファリスがずり下がった眼鏡を直しつつ、聞いてきた。 ﹁いや、そういう訳ではないんだけどな。この国の料理をほとんど 知らないから、レシピを知りたいんだよ。﹂ ﹁なるほど。それでガーウェンさんに作ってあげたいんですね!﹂ キャーっと頬に手をあててクネクネと気持ち悪い動きをするファリ スの眼鏡がまたズレてる。 真面目でいい娘なのだが、恋愛話になると気持ち悪い動きをする所 が玉にきずなのだ。 ﹁あ!ギルドの食堂はどうですか?給仕の中に妊婦さんがいらっし ゃって、そろそろお休みを取られるそうなんです。それで代わりの パートさんを募集しようって話してて!そうだ!今、副ギルマス呼 んで来ますね!﹂ 私の返答は聞かず、ファリスはバタバタと慌ただしく奥の部屋に駆 け込んでいく。馬鹿デカイ﹁副ギルマスーーーー!﹂という呼び声 が響き、続いて﹁そんな大声でなくても聞こえます!﹂という更に デカイ声が響いてきた。 434 冒険者ギルドの二階が食堂である。 一階の半分ほどの床面積で軽食とお弁当が主なメニューであるよう だ。 ﹁ガーウェン、おかえり﹂ 食堂の入り口でなぜだか私を睨みつけているガーウェンに声をかけ た。 ファリスにガーウェンが依頼から戻ってきたら、私がここいると伝 えてほしいと言ってあったのだが・・・ ﹁あー!リキちゃん、その格好すっげぇかわいい!﹂ ﹁変わった給仕服ですね。でも良くお似合いです。﹂ ガーウェンについてきたロードとエヴァンにもおかえりと笑みを向 けた。 ﹁お席にご案内します。﹂ この食堂には給仕服があったのだが、それはどう見てもメイド服で あった。スカートが短く、エプロンドレスはレースで飾られ、ニー ハイソックスのよく秋葉原にいる類いのメイド服だ。 創造の大魔法師 カウェーラ・ケンタウロス これ作ったやつ絶対日本人だろ、と思ったが、この服を考案したの は﹃塔﹄を作製した という人らしい。 三人を席に案内し、改めてガーウェンを見ると明らかに不機嫌な顔 をしていた。 ﹁ガーウェン、どうした?﹂ ﹁・・・別に﹂ ふいっと顔を背けたガーウェンに、首を傾げると、ロードがニヤニ ヤと言った。 ﹁ガーウェンさんはリキちゃんがあんまりにも可愛いから拗ねてん の!そんな格好、皆に見せんじゃねーって﹂ ﹁てめぇは黙ってろよ!﹂ ロードの頭を掴んでギリギリと締め上げるガーウェンの顔は真っ赤 になっていた。 435 ガーウェンはこういうフリフリした服が苦手なようだから、可愛い と思ってくれたのなら嬉しい。 ﹁そうか?こういう服は慣れなくて。似合ってるかな?﹂ ガーウェンの前でくるん、と回って見せる。 ﹁あ、う・・・その、すごい、かわっ、似合ってる﹂ 照れながらふにゃっと笑って褒めてくれたガーウェンに思わず抱き ついた。 何その笑顔!可愛い!ペロペロしたい! ﹁ありがとう!﹂ ﹁うぐっ・・・・・・﹂ 途端にガーウェンの身体が固まった。 まだシャワーを浴びてないのかガーウェンから汗の匂いがして、キ ュンキュンくる。 だめだ。これ以上ガーウェンにくっついていたら色んな意味でご奉 仕してしまいそうだ。 ﹁もう少しで仕事が終わるから一緒に帰ろ。待っててな。﹂ と言って仕事に戻ることにした。 もし私が男の身体なら確実に前屈みになっていることだろう。 ****** 給仕服のリキが仕事に戻る後ろ姿を見送った。 リキは普段、シンプルで細身の服を好んで着ていて、それもよく似 合っているのだが、ふわふわしたあの給仕服もよく似合っている。 よく似合い過ぎて、もやもやするほどだ。 あんな可愛い姿、こんな所で見せんじゃねーよ。 436 ロードとエヴァンが何やら話しているが、俺はリキが働く姿を追っ ていた。 ﹁リキちゃん会計ー﹂ ﹁はーい﹂ ニヤニヤとだらしない顔をした客がリキを呼ぶ。 ムッとする。名前を呼んでんじゃねぇ。 そもそも他にも給仕はいるのになんでわざわざリキを呼ぶんだ? にこやかに客と話すリキにもイラつく。 ﹁はい。気をつけてな。﹂ お釣りを返しながらリキがそう言うと、客が首を傾げた。 ﹁これから迷宮に潜るんだろ?気をつけていってらっしゃい。﹂ 柔らかく笑ったリキに客がギクシャクと返事をしている。 ・・・・・・くそっ、面白くねぇ! ﹁うわぁ、ガーウェンさん、視線で人を殺せそうな顔してる。﹂ ﹁はぁ。少しは余裕を持ったらどうですか。﹂ うるせぇ。そんな事、自分が一番そう思ってんだよ。 リキはソーリュートに来てから更に綺麗になった。毎日楽しそうで ﹁今日はパン屋を手伝った﹂とか﹁森の木の上から海が見えた﹂と かキラキラと輝く笑顔を見せた。 その溢れ出る輝きが周りの目を引く。リキは気付いていないようだ が、恋人がいたって関係なくリキを狙う奴も多くいるのだ。 それもあって俺には余裕がない。 いつも心の隅で不安になっている。 リキの俺への気持ちを疑う訳じゃない。 でもどうしたって不安なのだ。 俺の情けなさに呆れられたら。 俺の不甲斐なさに見限られたら。 437 ﹁おい、おっさん!﹂ テーブルの横に少年が立った。こちらを睨むような顔に見覚えがあ ったが、俺が口を開く前にロードが叫ぶ。 ﹁リキちゃんをナンパしてた﹃群青狼﹄の坊ちゃんだー!﹂ ﹁坊ちゃんじゃねー!俺の名前はアオだ!﹂ アオという少年がロードに吠え、すぐ俺に向き直り、 ﹁悪かったな!この前、嫌な事言って!﹂ と叫んだ。 また何か言われるのかと警戒していたが、予想外の内容に困惑した。 ﹁リキに言われたこと考えたんだよ。あれは俺が悪かったなって。 だから悪かった!﹂ 謝罪とは言えないような謝罪だったが、潔い。その潔さがなんだか 悔しくて、 ﹁・・・別に気にしてない。﹂ と素っ気なく返すと、アオは快活に笑った。 ﹁ならいい!あ、でもリキは俺の嫁にするからな!﹂ ﹁あぁっ?!なに言ってんだよ!﹂ ﹁俺はリキを世界で一番、幸せにする自信があるからな!﹂ その根拠のない自信を笑う事など出来なかった。 ﹁おおー、漢気溢れるねぇー﹂ ﹁すごい自信ですね。どこかの誰かさんに少し分けてほしいくらい ですね。﹂ ロードは大笑いし、エヴァンは呆れたような感心したような声を出 した。 リキの恋人である俺が弱気で﹁リキを幸せにする自信がある﹂と口 に出して言えないのに、こんな子供はなんの衒いもなく真っ直ぐ﹁ 幸せにする﹂と言う。 自分自身の不甲斐なさを痛感する。 438 ﹁坊ちゃんはいいの?リキちゃん、色んな人に声かけられてるけど。 ﹂ とロードがチラリと俺を見ながら言う。その瞳は明らかに面白がっ ていた。 仕事だろ。リキは仕事をしてるんだ。こんな所で俺がしゃしゃり出 てどうする。リキが迷惑するだけだ。 でもこの場の全員に今、宣言したい。リキは俺の恋人なんだ、と。 誰も近付くな、と。 だけどそんな鬱陶しいことしたくない。リキに嫌がられたらーーー ﹁リキはあんな奴ら選ばねぇよ。リキを見てれば分かるよ!﹂ 少年は快活に笑った。リキを心の底から信じているのだというよう に。 それは俺の役目ではないのか。 リキを信じて、心の底から信じて、穏やかに見守る事は恋人である 俺の役目ではないのか。 喉が張り付くほど、渇きを覚える。 視界がぐるぐると回る。 ﹁この余裕を誰かさんに少し分けてほしいですね。﹂ エヴァンの声が心に刺さる。 俺には余裕がない。 リキが耳障りの良い好意の言葉や行動に簡単に心を動かされる短慮 な人物ではないと知っているのに、それを一番分かっていたのは恋 人ではない数日前に出会ったばかりの少年だった。 439 ーーーーーーーー俺、何やってんだよ。 440 ひび割れはいずれ︵後書き︶ 心の温度差。 441 落ちたのはどちらか 目が覚めたのは夜が明けるまでもう少し時間がある、暁の頃だった。 私を抱きしめる腕をくぐり、ベッドを抜け出した。暗い部屋の中、 ガーウェンの赤い髪が薄っすらと見えていて、小さく笑った。 ガーウェンはまた悩んでいるようだった。おそらく私との事だろう。 私に何でもぶつければいいのに。 私は全部、受け止めたいのに。 彼はまだ﹁自分の方が年上だから﹂ということで頑なになる。そん なもの一息で越えられる程度の問題だと思うのだが、私との事とな るとうだうだと悩むガーウェンを可愛く思うから私の愛は始末に置 けない。 私の側で浮き沈みを繰り返すガーウェンの心が愛しい。 ガーウェンの服と絡まるようにベッドの足元にあった夜着のワンピ ースを被るように身につけた。 久々に夢見が悪かった。あまり眠れなかった。 今日はセックスを二回しかしなかったからかもしれない。 いつもは疲れてぐっすり眠るくらいするから少なかったもんなと考 え、苦笑した。いつのまにかあの回数のセックスを普通だと思って いたようだ。 異世界では普通なのかガーウェンの体力が飛び抜けているのかは分 からない。 ふぅ、と一つため息をつく。 夢の内容がだんだんと思い出され、私の心を揺さぶりだした。 ガーウェンが私から離れていく。そんな嫌な夢だった。 442 その夢を見て私の心に湧き出てきたのは、恐ろしいほど冷えてドロ ドロとしたガーウェンに対する支配欲だった。 離れることは許さない。 ガーウェンは私のモノだ。 ガーウェンが私を嫌おうと、お前を手放す気は微塵もない。 どうしてガーウェンにこんなに執着するのか自分でも分からない。 分からないが、今はこの部屋から出た方がいい。 このままここに居ると夢の中での気持ちに引っ張られ、ガーウェン を縛りつけて閉じ込めてしまいそうだ。 自分自身でも呆れるほどの執着に再びため息をついて、イスの背凭 れに掛かるマントを手に取った。 ﹁なに、してんだ﹂ ベッドの軋む音がなり、ガーウェンの掠れた声が聞こえた。 ﹁ごめんな、起こしたか?﹂ 目が覚めたと同時に音と気配を消す結界を展開したからガーウェン には気付かれないと思ったのだが。 ﹁少し早く目が覚めたから、ちょっと外の空気を吸ってくる。ガー ウェンは寝てていいよ。﹂ ﹁・・・・・・嫌な夢でも見たのか?﹂ 薄暗い部屋の奥からガーウェンの赤茶色の瞳が私を見ていた。 なんでこういう時だけ鋭いのかな。 ﹁大丈夫だよ。﹂ 上手く笑みを作ったと思ったのに、ガーウェンからはチッと舌打ち が返ってきた。 ﹁来いよ。・・・こっちに来い、リキ﹂ ほんと、なんでこういう時だけ強引なのかな。 ガーウェンの言葉に従い、ベッドへ寄ると手に持っていたマントを 取り上げられ、床にバサッと投げ捨てられた。 443 ﹁ガーウェンから貰ったマントなんだから大切に扱ってくれよ。﹂ ﹁いいんだよ。破れたらまた買ってやる。﹂ 慌てて拾い上げようとするとガーウェンの不機嫌な声とともにベッ ドに引き込まれた。 ﹁そういう問らいにゃふぁいふぉ﹂ そういう問題じゃないよ、と言った言葉の途中で拗ねるように口を 尖らせたガーウェンに両頬をつままれ、空気が抜けてしまった。 ﹁お前が離れんなって言っただろーが。もっと俺を頼れよ。・・・ 確かに俺は頼りないかもしんねぇけど、何にも言わず居なくなんな よ・・・﹂ 拗ねたような顔がだんだんと泣きそうな顔に変わって、それを隠す ように抱き込まれた。ギュッと私を抱くガーウェンの腕の力強さが まるで泣くのを我慢しているかのようで、胸が締め付けられた。 ﹁ごめん。ガーウェンが頼りない訳じゃないんだ。・・・・・・私 は結構、余裕がなくて﹂ ガーウェンの背中を撫でて、自嘲気味に白状すると、彼は私の顔を 覗き込み、すごく驚いた顔をした。 ﹁お前が?余裕ねぇのか?﹂ ﹁そうだよ。私はかっこつけだからガーウェンの前だと見せないよ うにしてるけど、結構、必死だよ。﹂ ﹁かっこつけて必死なのか。全然、気付かなかった。﹂ ﹁気付かれないようにしてるからな。ガーウェンを独り占めしたく てどうしようもないし、ガーウェンが好き過ぎて苛めたくなるし。 酷くしてしまいそうなのを必死に抑えてんの。﹂ 私のドロドロとした暗い感情を幾分か誤魔化しながら吐露すると、 ガーウェンは再び拗ねるような顔をした。よく見ると薄暗い中でも 耳まで赤く染まっているのが分かった。 ﹁・・・独り占めしたらいいだろ。俺はお前のこ、こ、恋人なんだ し。それに俺もお前を、その、独り占めしたくて必死だし。﹂ 唇を尖らせながら、視線を明後日の方へ向け、ガーウェンは呟くよ 444 うに言った。 ・・・・・・可愛いだろ。こいつ、おっさんなんだぜ? 先程まで心の中にあったガーウェンに対するドロドロとした暗い感 情が一気に浄化され、心からあたたかい幸せな気持ちが溢れ出て、 身体を震わせる。 愛しさが募り、思わずガーウェンに強く抱きついた。 ﹁ガーウェンはすごいな。いつも私を心から幸せにしてくれる。本 当にガーウェンが好き過ぎて離れられなくなるよ。﹂ ﹁ばか。もう離れられねぇんだよ。﹂ ガーウェンの腕がぎゅうっと力強く私を抱く。頬に触れたガーウェ ンの胸板は温かく、早い鼓動が響いてきた。 好き。大好き。愛してる。 次から次にガーウェンへの愛が溢れてくる。 ガーウェンの心の一欠片まで手に入れたいと考えていたけど、先に 私の心の全てをガーウェンに奪われてしまったようだ。 ﹁好き。大好きだよ、ガーウェン。﹂ 命すら捧げられると本気で思った。 ****** バァアンッ!と部屋の扉が勢い良く開けられ、可愛らしい女の子の 声が響いた。ってなんかこれ前にもあった。 ﹁リッちゃん!聞いて!お願いがあるの!!﹂ ﹁アフィーリア!だからてめぇ、勝手に鍵開けて入って来てんじゃ ねぇって言ってんだろーがっ!!!!﹂ 久々に会うアフィだが、やっぱり相変わらずのようだった。という 445 かガーウェンはよく起き抜けに怒鳴り散らせるな。 ﹁きゃあ、ガウィちゃんのエッチぃー。アフィに見せつけるなんて ぇ、誘ってるの?﹂ 手で顔を隠し、態とらしい悲鳴をあげたアフィだが、ご丁寧に指の 隙間からニヤニヤしながらこちらを見ていた。 ベッドから起き上がったガーウェンの身体からはシーツが落ち、盛 り上がった胸筋や割れた腹筋だけでなく、髪の毛よりも濃い赤色の 陰毛や緩く立ち上がった・・・ ﹁みみみ見てんじゃねぇっ!!!﹂ ボッと一気に顔を赤くして、シーツで身体を隠すガタイのいいおっ さん。 ﹁やだぁ、ガウィちゃんたらぁ。女子か!あ、リッちゃん、下でマ リちゃんと待ってるから来てねぇ。ちなみに朝セックスは一回まで なら許容します!﹂ ﹁うるせぇっ!!とっとと出てけぇぇえええ!!﹂ 投げつけられた枕をひょいっと軽いステップで躱して部屋を出て行 くアフィはいつもどおり嵐のようだった。 ﹁なんであんなにデリカシーがねぇんだよ・・・﹂ しん、とした部屋の中でため息とそんな台詞が聞こえて吹き出して しまった。 デリカシーとか久々に聞いた。 ﹁ははは!早く準備して行かないとまた乗り込んで来るな、きっと。 ﹃朝セックスは一回までだって言ったでしょ!﹄とか言いながら。﹂ 笑ってそう言うと、その光景が想像出来たのかガーウェンはものす ごく嫌な顔をして、 ﹁すぐに準備しよう﹂ と言った。 しかし結局、アフィの言う通り一回してしまい、彼女の得意気な顔 を見ることになったのだった。 446 騎士団教習︵前書き︶ 間に合わなかった・・・! 遅れてすみません! 切りのいい所までを目指したら長くなりました 447 騎士団教習 ﹁リキには騎士達への指導を手伝って貰いたい。﹂ 朝食もそこそこに定期馬車よりもはるかに揺れが少なく、高級な内 装の馬車に乗せられ、中央区へ向かっていた。 ﹁いつもはアフィが手伝うんだけどねぇ、今日は王城に呼ばれてる のぉ。ルトちゃんがいるんだから、ルトちゃんにやらせればいーの にぃ﹂ ぷぅっとアフィは子供のような膨れっ面で、見かけはふざけている 雰囲気だが、その実、腑煮えくり返っているのが感じられた。 余程、面倒な仕事を押し付けられのだろう。 ﹁これから王城に向かうのか?﹂ ﹁クナちゃんのお城に王城直通の転移門があってねぇ、﹂ ﹁アフィーリア殿。それは最重要機密です。﹂ 六人掛けの広々した馬車内には私とアフィ、マリの他に二人、真っ 白な鎧の騎士ーーマリ曰く護衛と言う名の監視役らしいーーが同乗 しており、その内の髭の方がアフィを嗜めるように遮った。 ﹁リッちゃんは私の代理なのよ。それぐらい言ってもいいじゃない !これだから頭の硬いオヤジは困るわ!﹂ 途端にアフィが仏頂面でその騎士に詰め寄り、﹁髭がダサい﹂、﹁ その鎧が似合ってない﹂、﹁脳みそ筋肉﹂など関係のない罵倒を投 げつけた。騎士は慣れた状況なのかその罵倒もどこ吹く風で軽く受 け流している。 ﹁リキは私達の愛弟子だ。私達に何かあったらリキが一番の戦力だ からそれぐらいは知っておかないとな。﹂ マリがニヤリと笑って言うので、慌てて反論した。 ﹁マリ!そんな事実無根なこと言って、体良く私を巻き込もうとし てるだろ!﹂ 448 ﹁無根ではないだろ。それ相応の根拠もある。それに面倒な仕事ば かりなんだよ。リキが居れば楽が出来そうだからなぁ。﹂ ﹁面倒な仕事に私を巻き込むなよ!ガーウェンとイチャつく時間が なくなるだろ。﹂ ただの冗談でもマリの影響力では洒落にならない。面倒な事態に本 当に巻き込まれる事も有り得るから厄介だ。 ﹁何を言うか。どうせ毎日毎日セックスしまくってんだろ。どうな んだ?ガーウェンの体位のバリエーションは増えたのか?﹂ 唐突に繰り出された直接的な下ネタに私ではなく若い騎士が咽せて 咳き込んだ。それを横目で見ながら何事もなかったかのようにマリ に返した。 ﹁してるけど、時間はいくらあっても足りないもんなんだよ。体位 は色々やってるよ。騎乗位が一番好きみたいだけど。﹂ ﹁あーわかるぅ。ガウィちゃんって被虐趣味っぽいしぃ。リッちゃ んに攻められるの好きそー!﹂ さっきまで髭騎士に不機嫌そうにケンカを売っていたのに下ネタに 対するアフィの変わり身の早さ。 ﹁ガーウェンみたいな﹃男とはこう﹄みたいな事に固執するタイプ は征服力が満たされる後背位が好きそうだと思ったんだがな。﹂ ﹁リッちゃん相手だと余計に征服感感じられそうだしねぇ。﹂ ﹁後背位も好きみたいだよ。それで結構、言葉責めもしてくるし。﹂ ﹁えっどんな事言うの?!聞きたい!﹂ ﹁はっ!あのガーウェンの言葉責めとか笑えるな!﹂ 若い騎士はガールズトークのエグさに打ちのめされているようだが、 世の女子達のエグさはこんなもんじゃないんだよ。髭騎士はという とこの状況にも慣れているのか我関せずと欠伸を噛み殺していた。 アフィ達に付き合うにはスルースキルは必須だぞ、若い騎士よ、と 生温かい視線を向ける事にした。 449 ****** 演習場は中央区の一画にあった。 マリが今回、教官を務めるのは今年、騎士学校を卒業してソーリュ ートへ配属されたばかりの新兵への教習である。 ソーリュートは住民及び滞在者の大半を冒険者が占める都市である。 また元冒険者、元騎士、元傭兵といった実力者が今は一般市民とし て定住しているケースもあり、八百屋の気の良いオヤジがその辺の 騎士より強いという事態も珍しくない。住民の戦闘レベルが高いた め、秩序を守る騎士団に他領地騎士団よりもハイレベルな能力が求 められるのは明白である。 ﹁25番ラスト一周!8番ゴールお疲れ!﹂ ﹁11番遅れてるぞ!足を上げろ!!﹂ 丸状のグラウンドをなぞるように若者達が走る。騎士になるため身 体を鍛えているだけあって皆、マリの扱きに食らいついていたが、 ゴールした者は地面に崩れ落ちていた。 マリが始めに命じたのはランニングだった。しかしマナ抑制による 魔法・スキルの禁止、重力増加による肉体への負荷という環境での ランニングである。マリ曰く鎧を着て動くための筋力と持久力の鍛 練が目的らしい。 ﹁タオルどうぞ﹂ ﹁あ・・りがと、ございます・・・﹂ 私の役目は結界の展開とタオルや水の配布などのマネージャー的業 務だった。 息も絶え絶えの女騎士にタオルを渡すと、マリの声が演習場に響い た。 450 ﹁五分休憩!その後は剣と盾を持って集合しろ!!﹂ 最後の一人がゴールしたようだ。 新兵の三分の一は女子である。ソーリュートでは性別、種族は問わ ず実力があれば出世出来るので所属希望先として人気があるそうだ。 ﹁休憩終了!集合しろ!﹂ とマリの号令が無慈悲に響いて、新米騎士達はわたわたと集合した。 マリが整列した騎士達の前で声を張り上げる。 ﹁お前達には騎士の基本である盾の扱いをマスターしてもらう。学 校で習ったと考えている奴もいると思うが、それは相手が騎士で剣 や槍を使う限定的な場面への対応だ。ここはソーリュートだ。様々 騎士の盾 なんだ。 な種族が様々な武器で様々な方法を駆使してお前達を倒そうとする。 それを防がなければならないのがお前達、 ・・・おい、お前、ここに立て。﹂ 語る内容もそうだが、何よりマリから発せられる威圧感に騎士達は 圧倒され、静まり返っていた。その中でマリは一番の体格のいい青 年騎士を呼んだ。 ﹁今から私がお前を殴る。お前はその盾でそれに耐えろ。ただしそ こから一歩も動くな。﹂ ﹁は、はい!﹂ 青年騎士が丸型の小盾を構えると同時にマリの威圧感が膨れ上がり、 周囲の空気がキンッと刺すように張り詰めた。 ﹁シッ!﹂ 一瞬の静寂の後、短く吐く息の音と共にマリの左手が繰り出された。 ドゴンッ!!! ﹁っ・・・!﹂ 金属製の小盾の真ん中にマリの拳が突き刺さる。その衝撃は盾と構 えていた青年騎士を数メートルも吹き飛ばした。 圧倒的衝撃に騎士達は絶句し、土煙が立つ演習場にマリの声が響い 451 た。 騎士の盾 だ。﹂ ﹁・・・こんな風に圧倒的な力で防御を突破されることもある。し かしそれでも防がなければならないのが 皆、驚いているようだが、マリのあれはまだ十パーセントほどの力 だと知ったらどうなるだろう。 私は吹っ飛んだ騎士へ寄り、引き上げながら治癒魔法をかける。 ﹁平気か?﹂ ﹁す、すみません・・・﹂ 付き添って列に行くとマリがニヤリと笑った。あ、嫌な予感。 ﹁リキ、盾を持って構えろ。﹂ やっぱりなぁ。 異空間から小盾を取り出し、マリの前で構えると騎士達が息を飲ん だのが分かった。まぁ、そうだろう。屈強な男があれだけ飛ばされ たのに、見た目貧弱な私はどうなるのかと恐ろしく感じる事だろう。 ﹁攻撃を盾で防ぐ時、取るべき動作は二つある。攻撃を﹃受け切る﹄ か、攻撃を﹃受け流す﹄か。 まず﹃受け切る﹄場合、相手の力量を正しく判断しなければならな い。さっきの一撃で分かったと思うが、相手の力量を見誤れば最悪、 死ぬ。死ぬまではいかなくとも防衛線は崩れ、戦況の混乱を招く事 になる。 次に﹃受け流す﹄場合。騎士剣技で盾を使った攻撃の受け流し方は 習ったな?そうだ、攻撃にタイミング良く盾を当て、攻撃の方向を 変えてやるんだ。﹂ と言ってマリは騎士の一人から剣を借り、私の前に向き直った。そ して剣を振り上げ、私の頭目掛けてゆっくりと下ろす。剣道でいう 上段からの攻撃である。 ﹁騎士剣技ではこうした剣での攻撃は盾で一度受け、﹂ 目の前に構えた小盾にマリの剣が当たり、カキンと高い音を立てた。 私はゆっくりと身体と盾を傾けて剣筋をそらして見せる。 452 ﹁身体と盾を傾けて攻撃の方向を変えると習うはずだ。この動きを 最も効率良く最小限の動きで行うとこうなる。﹂ マリが私に視線を向け、そして再び剣を上段へーーマリがニヤリと 笑ったのが見えた。 ゾワッと背筋が粟立つ。来るっ! 剣筋はかろうじて見えた。 キィィン、と澄んだ音が演習場にこだました。 私の頭部を狙った剣は私を逸れて振り下ろされていた。 ﹁分かったか?﹂ ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべてマリが騎士達へ問う。 騎士達は混乱しているようだった。何が起こったか分からず困惑し ている者、考え込む者、近くの者と議論する者。 ざわざわと騒がしい中で一人の騎士が手を上げた。 ﹁頭部を狙った先生の剣撃を彼女が盾で﹃受け流した﹄と言うこと ですか?﹂ ﹁そうだ。今、私はリキの頭部を割る軌道で剣を下ろした。それを リキが盾を当て、剣筋の軌道を変えたんだ。﹂ マリの剣が予備動作無く跳ね上がる。 剣の軌道と角度を予測し、盾を移動させる。 剣が盾の表面を滑るように流れ、身体と盾を傾けて剣撃の軌道をほ んの少し変える。 剣先が顔の横を通り、頭上へと抜けた。 キィィィン 再び澄んだ金属音が響いた。 ﹁お前達にはこれを習得してもらう!そしてここからはお前達の先 輩が直接指導する!五人組を作って後ろの先輩共に指導願え!!﹂ いつも間にか新米騎士達の後ろに騎士が並んでいた。漂う雰囲気は 453 新米騎士とは比べ物にならない。 ﹁いつまでボーッとしている!すぐに並べ!﹂ 並んだ騎士が大声で叫ぶと、新米騎士達はわたわたと動き出した。 ****** 金属がぶつかり合う音と怒号と熱気が演習場に満ちていた。 私は演習場の端でそれを見ていた。しばらく私は役目がないようだ。 ﹁こんにちは。リキさん。﹂ 気付いてはいたが、敢えて無視していたのにそう声をかけられ思わ ず舌打ちをした。 金髪に翠の瞳の甘く端正な顔。﹃森﹄の転移門前で会ったイケメン 騎士だった。 ﹁そんなに嫌われる様なことしましたっけ?﹂ 私の態度に金髪の騎士は困った様な顔を作った。 ﹁・・・副団長様は暇なのか﹂ ﹁今日は偶然ですよ。副団長になってしまうと現場仕事だけでなく 事務仕事もありますから。﹂ にっこりと完璧な微笑みを見せるが、私はなぜかとても嫌な気分に なった。どうしてこのイケメン騎士にはこんなに嫌な気分になるの か。 改めてまじまじと彼を観察して分かった。 輝く金髪に少し垂れた目。 甘さと凛々しさが調和している美形。 454 ・・・・・・あの屑次男に似てるんだ! そうと分かると更に嫌になってくる。 顔をあからさまに歪めて、イケメン騎士に言う。 ﹁アンタの顔は私が嫌いな奴に似てるんだ。だから近付くな。﹂ ﹁・・・そうなんですか。私に似てる奴に昔、嫌な事でもされたん ですか?﹂ 笑みを深くし、甘さが増したイケメンに何も言わず目を細めて見返 す。 ﹁リキさんと仲良くなりたいんですけど、少しお話ししてもいいで すか?﹂ 鬱陶しい、帰ってくれ、と態度に示すが、金髪の騎士は気付かない 様子で私の隣に立った。 ﹁彼のどこを愛しているんですか?﹂ チッ、どいつもこいつもそればっかりだな。 ﹁気を悪くさせたらすみません。私もやっぱり人の恋バナが好きな んですよ。﹂ 嘘を吐け。心の中にドロドロした欲望が渦巻いているくせに。私を 餌食にしたいと飢えた猛獣のような欲望を飼っている男を見上げた。 ﹁ガーウェンの全てを愛しているが、敢えて挙げるなら綺麗な所だ。 一途で素直で人が好きで人を信じてる。真っ当に生きてる綺麗な所 が好きだ。お前や私のように人に見せられないドロドロのモノがな いんだよ、ガーウェンには。﹂ 照れながら笑うガーウェンを思い出す。 それだけで泣きたくなるほど会いたくなった。 ﹁・・・・・・そんな人、本当にいるんですか?私は会ったことが ないですよ。騙されているんじゃないですか?﹂ 意味深に笑う騎士にニヤリと笑ってやる。 私に揺さぶりをかけようなんて馬鹿な事を。 ﹁哀れだな、副団長様。お前が価値に気付いていないだけで、お前 の周りにもいるはずだよ。お前はそうやって価値ある綺麗なモノを 455 見逃して、自分の欲望に振り回されるんだ。﹂ 頬が引き攣り、妙な笑い顔を見せたイケメンを鼻で笑う。 ﹁お前と私は似てるよ。腹の中まで真っ黒だ。 マリ!!翠剣騎士団の副団長様が食事を奢ってくれるってよ!﹂ 演習場に響く私の大声にマリが更にデカイ声で叫ぶ。 ﹁お前達、聞いたな!副団長様の奢りだ!ぶっ倒れるまで気合い入 れて動け!!﹂ ﹃オオオッ!!﹄ 本当の 困った顔をしていたので、嫌な気分が少し ﹁この人数かぁ・・・どれだけ食べるんだろ・・・﹂ 金髪の騎士が 和らいだ。 456 悩み多き年頃︵前書き︶ 酔うと思考が落ち込む人の典型がガーウェンです。 457 悩み多き年頃 リキが冒険者ギルドの食堂で働き始めた。 アルバイトという形なので毎日働いているわけではないのだが、正 直言ってかなり気になっている。 リキが働く日は食堂利用者が多いと聞くし、明らかな下心を持って リキに話しかけている奴もいるし、制服の短いスカートを腹の立つ 顔で見ている奴もいる。 リキを信じている。 リキが他の野郎に惹かれるとは思わないし、どさくさに紛れてリキ に触ろうとする手をかわしているのも見ている。 でもだからと言って安心できるはずがない。 本当は他の野郎の視線にリキを晒したくないし、邪な感情でリキを 見て欲しくない。 だけどこれは仕事だ。一度受けた仕事を投げ出すのはいけない。分 かっている。 でも。だけど。 最近、俺の心はその言葉ばかり溢れてくる。 ﹁なんだ。アンタまた居んのか。﹂ 食堂の隅でリキの仕事が終わるのを待っていると、呆れた声をかけ られた。 発色のいい黄色と紫色の髪をツンツンと立たせて、顔中にピアスが 付いている奇抜な格好のコイツはブリックズという名でリキを介し て知り合った。 この食堂にリキ目当てにやってくる奴の一人だ。 458 ﹁リキ先生もいつも監視されてたんじゃ息がつまるだろうに。本当 に独占欲の塊だなぁ、アンタ。﹂ 監視、という言葉に唇を噛んだ。そんなつもりじゃない。 理由は分からないがコイツはリキを﹃リキ先生﹄と呼ぶ。腹の立つ ことにコイツとリキは意気投合しているようなのだ。 ﹁・・・うるせ﹂ と返したものの俺自身分かっている。 リキが食堂で働く日で俺の依頼が無い日はずっとここにいる。リキ が仕事を終えるのを暇を潰してここにいるのだ。 鬱陶しい気持ち悪いと自分でも思う。 器が小さい馬鹿な奴だと自分でも感じる。 でもリキを部屋で待つことなど出来ない。不安で心配で心が壊れそ うになるのだ。 ﹁これもある意味束縛だよなぁ。アンタの気持ちが重過ぎてリキ先 生が潰れちゃうんじゃね?﹂ 気持ちが、重過ぎ、リキが潰れーーー ﹁おいコラ、ガーウェンをいじめんな﹂ リキの声が側で聞こえ、落ち込みそうになる気持ちが少し回復した。 知らぬ間に伏せていた自分の頭を上げると、リキがブリックズを睨 みつけていた。 ﹁リキ先生こっわ。怒った?怒っちゃった?お仕置きする?俺、お 仕置きされる?﹂ 珍しく怒りを露わにするリキにブリックズは何故かニヤつきながら 頬を上気させ、ハァハァと荒い息を・・・ ﹁このクソ変態野郎。ガーウェンに気持ち悪い所を見せんなよ。ガ ーウェン、コイツの言うことを真に受けたらダメだ。コイツはもう 末期の変態なんだ。﹂ 見ちゃだめ、とリキが俺の頭を撫でて言う。 ﹁あぁっ、リキ先生の罵倒イイ!もっとほしい!アンタをからかう 459 とリキ先生が冷たい目で見てくれるからついついやっちゃうんだよ ねー。あぁ、羨ましいなぁ。アンタだけがリキ先生の調教を受けれ るんぉほおっ!﹂ ガッとリキがブリックズの顔を掴み、ギリギリと締め上げた。なん か気になる言葉が聞こえた気がしたんだが、それよりもブリックズ の出す声が上擦った気持ち悪い声なので思わず顔を歪めた。 ﹁うはっ、あ、んほぉ、いいっ、おぉおっ﹂ ﹁二度と言うな。次、そんな事を口に出したらーーー﹂ リキの声が聞いた事のないほど低く冷たい声音になり、喘ぐブリッ クズの耳に寄ると何かを囁いた。途端にブリックズがぶるりと震え、 更にハァハァと息を荒くした。 ﹁あっは、分かってる、おぅほ、分かってますよ、先生。ハァハァ﹂ 手を離し、俺を振り返ったリキは優しい輝くような微笑みを浮かべ ていた。 ﹁着替えてくるからちょっと待ってて。コイツは無視してればいい。 ﹂ 何事もなかったかのようにリキが立ち去り、ハァハァと息を吐くブ リックズを見ると恍惚とした表情を浮かべていて、 ﹁今日はなかなか良かったから帰るわ。また宜しくね、先生の彼氏 さん。﹂ と気味の悪い事を言って手を振り去って行った。 ブリックズは気持ちの悪い奴だが、リキとあんな風に気安い関係な のは実は羨ましかったりする。リキは俺にはいつも優しくて穏やか でいつだって俺を尊重してくれるのだが、ブリックズやロードみた いにまるで悪友のような触れ合いや言葉の掛け合いが出来る関係が 羨ましく感じるのも事実だった。 恋人でなく友人だったらもっとリキに頼られて支え合える関係にな っていたのかもしれないとさえ思い始めていた。 460 ****** エンジュ達に夕飯に誘われた。リキも誘おうと思ったのだが、エン ジュが﹁久々だから男同士で食べましょう!﹂と言ったので、今夜 はエンジュとリーファス、ルーファスと四人で夕飯を食う事にした。 ﹁リキさんはそのブリックズって人とどうやって知り合ったのかな。 ﹂ ルーファスがいつものぼんやりとした声で言い、同じ声でリーファ スが続く。 ﹁そうだよね。ブリックズって人は冒険者じゃないみたいだし。﹂ ﹁リキは﹃手伝い﹄をよく受けているからその関係じゃないか?﹂ ブリックズを始め、ここ最近リキには俺の知らない交友が増えてい る。厳つい冒険者達や見知らぬ街の住民などリキが親しそうに話す 人達とどんな関係なのか知りたいが、そんな事をいちいち確認され てはリキだって息がつまるだろう。 ブリックズの言うような監視や束縛をしたい訳じゃない。 ﹁聞いてないの?﹂ ﹁・・・・・・聞くほどじゃないだろ。﹂ なんて余裕じみた事を言っているが、しつこくしてリキ嫌われるの が恐いだけだ。本当はものすごく聞きたい! ﹁﹃群青狼﹄もだけど最近は騎士団とも仲良くしてるって噂だよ。﹂ ﹁・・・マリの手伝いをしたって言っていたからその関係だろ。﹂ ﹁リキさんってガーダとも仲良くしてるよね。﹂ ﹁そうそれ!アイツがガーウェンさんに突っかかってきてるって知 461 ってるのになんでアイツと仲良く出来んの!?訳分かんねぇ!﹂ リーファスの呟きにエンジュが憤慨した声を出した。顔が赤いし目 も座ってるしすでに酒に酔っているのかもしれない。 しかしガーダという名に俺自身、不機嫌な顔になっていた。 リキの一件でガーダは俺に突っかかってくる事はなくなったが、俺 の事を嫌っているのは確かで、そんな奴と特に意識してないように 話すリキには腹が立つ。エヴァンに言わせればいい歳こいたおっさ ん共が子供みたいなケンカをすることの方が異常らしいが、そうは 言っても今更ガーダと仲良くなんて出来やしない。 でもそれをリキに強要するのはおかしいというのも分かる。リキに はリキの交友があるのだから。 でも俺を悪く言う奴となんで楽しそうに話してんだよ! だいたいリキは何にも言わねぇ。 俺に何でも言えばいいのに。言ってほしいのに。 確かに俺は上手いアドバイスを言えるような奴じゃねぇけど、リキ に必要とされたいんだよ。 ﹁ガーウェンさん、大丈夫?顔赤いよ。﹂ とルーファスに顔を覗き込まれた。 ﹁平気だ。別に他の奴と仲良くしてるリキに腹立ててる訳じゃねぇ ーし﹂ ﹁・・・ガーウェンさん、酔ってる﹂ ﹁酔ってねぇし!﹂ なぜかすごくイライラしてしまい、手元の瓶に口を付けて呷るとカ ッと喉の奥が焼けた。 ﹁がっほっ!ごほ、ごほっ!﹂ ﹁ガーウェンさん、それそのまま飲むやつじゃない・・・﹂ 腹の中まで熱い。視界が滲む。くそ。 462 くそ。 俺はちゃんとリキの恋人なのか。 例えば俺じゃない、他の誰かが恋人だったらリキに必要とされるん じゃないのか? 463 悩み多き年頃︵後書き︶ メイド服を脱いでいると見知った気配が背後に寄って来るのを感じ た。 ﹁更衣室に音を消して入ってくるなよ。変態野郎。﹂ 後ろの気配にそう言うと途端にククッと喉で笑う楽しそうな声が上 がった。 ﹁リキ先生にはバレちゃうからいいじゃん。﹂ ﹁そういう問題じゃないだろ。・・・それで?﹂ 更衣室に忍び込んできたブリックズに先を促す。コイツは悪党だが 意味もなくこんな事はしない。 ﹁そうそう。今、﹃ウチ﹄の周りで先生の事を嗅ぎ回ってる犬とネ お話 するけど?﹂ ズミがいるんだよね。ネズミの方はリキ先生も知ってる子ネズミち ゃん達なんだけど、﹂ ﹁赤髪に双子、だろ﹂ ﹁そう!どうする?先生のお願いならちょっと はぁとため息をつく。 エンジュとリーファス、ルーファスは私を敵視しているが、ガーウ ェンは兄として慕っている。むしろ懐き過ぎているが故に私を害悪 だと認定しているぐらいだ。 ﹁放っておけ。それで犬の方は?﹂ ﹁それがさぁ、よく躾けられてる犬で飼い主まで辿り着けないんだ よねぇ。リキ先生を嗅ぎ回ってるだけなら関係ないんだけど、﹃ウ チ﹄の近くまで来てるから目障りでね。先生なら目星が付いてるん 464 じゃないかなって。﹂ ﹃犬﹄という単語を聞いて脳裏に浮かんだのはいけ好かない金髪の 騎士だった。直感的に確信する。 ﹁翠剣騎士団に金髪の副団長様がいるだろう。飼い主はそいつだ。﹂ ﹁﹃陽月の騎士﹄かぁ。地位も財力もあってコネクションも多いか ら相手にするには面倒だよ、リキ先生。大変だね。﹂ ﹁ふっ。﹃陽月の騎士︵笑︶﹄を相手にする時はこちらもそれ相応 の手札が必要って事か。﹂ ニヤリと笑ってブリックズを振り向くと彼はハァハァ言い出した。 ﹁あふぅ、リキ先生のその笑顔いい。人を虫ケラみたいに思ってる 笑み!あぁ、ゾクゾクするぅ・・・﹂ 恍惚とした顔で前屈みの態勢になっている気持ち悪いブリックズの ケツを蹴り飛ばした。 ﹁早く帰れ変態め。﹂ ﹁ぉほっ!あぅんっ!・・・リキ先生本当に﹃ウチ﹄で働いてよ。 リキ先生ならすぐ人気の御主人様になれるよ。﹂ ﹁やらねぇし﹂ シッシッと動物を追い払うように手を振ってやるとブリックズは更 に嬉しそうな顔するので、つられて笑ってしまった。 こういうぶっ飛んだ変人は嫌いじゃない。 ﹁でもリキ先生の彼氏は良い反応するよねぇ。そっちの方で人気出 そう。俺でさえも虐めたくなるんぅがぁっ・・・あがっ・・・!﹂ 気付くとブリックズの首を掴んで締め上げていた。息が出来なくて 顔を真っ赤にしながらもブリックズはヘラヘラと笑っている。 ﹁ガーウェンを虐めんなって言ったろ。想像もするな。ガーウェン の事を考えるな。﹂ 手を離すとブリックズは咳き込み、座り込んだが、それでも嬉しそ うに笑った。 ﹁リキ先生の方が独占欲は異常だよね。彼の独占欲が可愛く思える よ。﹂ 465 ﹁馬鹿か。ガーウェンは本当に可愛いだろ。﹂ 466 指名依頼を受けよう! ガーウェンが帰って来なかった。 昨夜、エンジュ達と夕飯を食べると言って出てったきりだ。 いつもはどんなに遅くなっても、酔ってフラフラになりながらも帰 ってきていたのに。 ガーウェンが一晩居ないだけで私はもうダメだった。部屋が息苦し くて、ベッドが広くて、手足が冷えて、どうしようもなく寂しくて 丸まって寝た。 たった一晩だけでガーウェン不足症の末期だった。私を殺すにはガ ーウェンを欠乏させればすぐに殺せるだろうなどと訳分からん事を 考えるくらいだ。 しかしそんな日でも仕事はある。今日はギルドの食堂でアルバイト だ。 あまり眠れずにボヤッとする頭で支度を始めた。 廊下に出るとガーウェンの気配がして、気分が上向いた。 探ると私達の部屋とは対角上に位置するエンジュの部屋にガーウェ ンの気配があるのが分かった。イラッとして部屋に押し入ってやろ うかと思ったが、廊下まで漂う酒の臭いとグッスリと眠っている様 子のガーウェンの気配に奥歯を噛んで耐えた。 そんなに飲まされたのか。クソガキ共、いつか殴る。 私はやはりガーウェンに関する事となると単純なようで、ほんの少 し彼の気配を感じただけで落ち込んだ気分が和らいでいた。 ﹁・・・おやすみ、ガーウェン。行ってくるね。﹂ 後ろ髪引かれながらも、木の扉にそう呟いてその場を後にした。 467 喫茶店のカウンター席には珍しい事にルキアーノがいた。 ﹁おはよう、ルキアーノ。朝が似合わないな。﹂ ﹁おーおー、言ってくれるねぇ。俺だって爽やかな朝を堪能したい 日があるんだぜ。﹂ 相変わらず不健康そうな顔で言うルキアーノにカウンターの中にい たグディが吹き出した。 ﹁よく言うぜ。ルキはさっき帰ってきたばかりじゃねぇか。どうせ これから寝るんだろ。﹂ ﹁お嬢ちゃんどうだ?これから添い寝してくれないか?﹂ 私に身を寄せて、低い声で囁くルキアーノは気怠げな雰囲気と相ま っておっさんの色気に溢れている。 ﹁おいルキ、そんな事言ってるとガーウェンに殺されるぞ、ってそ ういや、そのガーウェンはどうしたんだ?﹂ お前らが別に降りてくるなんて珍しいな、とグディが不思議そうに 階段の方を振り返った。 ﹁ガーウェンは昨日、部屋に帰って来なかったんだ。﹂ 近いルキアーノの顔を手で制しながら言うと、グディもルキアーノ もピタリと動きを止めた。 ﹁・・・え、ガーウェンが?帰って来なかったのか?﹂ ﹁私達の部屋に帰って来なかったな。エンジュの部屋にガーウェン の気配があったから、おそらく昨日の夜にエンジュ達に飲まされて 部屋に連れ込まれたんだろう。﹂ と言うと二人ともガックリと肩を落とし、呆れたようなため息をつ いた。 ﹁連れ込んだ相手が女ならエンジュを褒めてやるんだが、ガーウェ ンが相手なら呆れるしかねぇよなぁ。アイツらもいい加減、親離れ しないとだな。いつまでもガーウェンの後ろにくっついてるガキじ ゃ駄目だろ。﹂ グディが天井を見上げ、再び深いため息をついた。 468 朝食をちまちまと食べているとルキアーノが私をチラリと見て、ニ ヤリと笑った。 ﹁よく部屋に殴り込まなかったな。﹂ ﹁ガーウェンがよく寝ていたようだったしな。﹂ ﹁お嬢ちゃんは本当ガーウェン第一主義だな。あのガキ達はお嬢ち ゃんの事を良く思ってねぇから街で色々やってるみたいだし、ぶん 殴ると思ってたんだがな。﹂ まるで私を探るように眼を細めるルキアーノを鼻で笑う。 ﹁ネズミは街をウロチョロするもんだろ﹂ と言うとルキアーノは驚きで眼を見開き、その後すぐに破顔した。 ﹁そうだな。しかもネズミはネズミでも子ネズミちゃんだもんなぁ。 ﹂ ﹁子ネズミちゃんは放っておけって言ったろ。﹂ 食器をカウンターの上へ返して、立ち上がった。 ﹁変態に宜しくな。﹂ ﹁アイツは蹴りでもくれてやった方が喜ぶぞ。﹂ そう言われ、その様が有り有りと想像出来てしまい反射的に嫌な顔 をするとルキアーノは肩を震わせて楽しそうに笑い出した。 ****** ﹁リキさんに指名依頼が入っているんです。少し変わった魔術師さ んの手伝いなのですが、リキさんの魔法はあの﹃銀の魔女巫女﹄直 伝ですし、大丈夫ですよ。ただ時間については先方と調整して頂き たいのです。このメモを見て現地へ向かって下さい。着いたらその メモは必ず破棄して下さいね。お願いします。お気をつけていって 469 らっしゃい!﹂ 冒険者ギルドへ着くとすぐに副ギルドマスターに呼ばれたのだが、 普段の丁寧な彼に比べるとやたらと強引に早口で依頼を押し付けら れてしまった。 私には有無も言わさず、質問も許さないと言った雰囲気だった為、 メモを受け取り、すごすごとギルドを後にした。 普段、物腰柔らかな人が強引にしてくると抗えない圧力を感じると いうか﹃銀の魔女巫女﹄って何?文脈的にアフィの事だと思うが魔 女と巫女って両立するもんなのか? 最近﹃陽月の騎士﹄だとか﹃銀の魔女巫女﹄だとか所謂二つ名とい うのをよく聞くが、感覚は現代日本の若い世代である私にとって二 つ名なんてものは地雷以外の何物でもない。聞いているこちらが恥 ずかしいぐらいの黒歴史認定事項だ。 ガーウェンにも付いてたらどうしよう。いや、ガーウェンは嬉々と して自分で名乗っちゃうな、きっと。 ・・・・・・それはそれで可愛いかも。 などと他愛のない事を考えながら﹃森﹄の奥を目指していた。 貰ったメモには﹃転移門から第四層まで跳ぶ﹄とあり、その先は﹃ 東へ向かう﹄としか書かれていなかった為、私は道無き道を草を掻 き分け歩いてその通り東へ向かっていた。 どうやらこの辺りには結界魔法が展開されていて、このメモが結界 を通る為の鍵のようだ。 ふと違和感があり、前方に目を凝らした。 何かが目の前をウロウロしていたのだ。 あれは動物・・・か? それは人間の頭ぐらいの赤い球に鋭い牙が生えた口だけが付いてお り、それをガチガチと鳴らしていた。球の下には緑の触手が何本も 生えていて、それを地面の上でニョロニョロと動かして、器用に移 470 動しているようだ。 クラゲのように見えなくもない。 違和感どころじゃない、むしろかなりの存在感だった。 謎動物はニョロニョロと私の側にくると触手の一本でメモを指し示 した。 ﹁冒険者ギルドの指名依頼で来たリキという者なのだが、君はお迎 えかな?﹂ と問うとコクコクと頭を上下に降り、触手を差し出してきた。僅か な逡巡の後、その触手を握った。なんだかとてもぶにぶにしている。 ﹁・・・宜しくな。﹂ にこっと笑いかけると、謎動物もガバァと粘液を滴らせながら口を 開いた。 謎動物に友好を示された私はそのまま手を引かれ﹃森﹄の奥へ向か う事となった。 しばらく行くと洋館が現れた。 窓と扉、屋根の一部以外は全てが蔦と苔で被われた、緑の館だった。 玄関の扉が開き、メイド服の女性が現れた。 ﹁リキ様ですね。館の主が奥でお待ちです。﹂ 無表情だが丁寧な礼をしたメイドの後に続き、絨毯張りの廊下を進 む。蔦だらけの外観とは違い、室内は整えられていたが、調度品の 類は置いておらず館を寂しく見せていた。 ﹁こちらです。﹂ と一番奥の部屋の扉が開けられた。 本や魔道具、書類だらけの乱雑な部屋だった。埃が溜まっているの か喉の奥がイガイガする気がする。 窓は大きく光が射し込んでいるものの窓枠にも物が置かれているか ら開けることは出来ないだろう。 471 物が溢れる部屋の真ん中には似つかわしくない高級そうなソファと テーブルがあり、そこに輝く空色の髪の依頼主がいた。 真っ白な詰襟の上着と同じく真っ白な細身のズボン。 組んだ長い足。後ろで束ねられた空色の髪。 整った中性的な顔。白い肌。青い瞳。 まさに王子といった風貌だった。 そして私と手?を繋いだままの謎動物を見てぱぁっと顔を輝かせた。 ﹁あぁ!初対面でグリリアントデヴォリーゼと意気投合した人を初 めて見たよ!君は予想以上だね。気に入ったよ!これから宜しくね !﹂ 飛び跳ねるように立ち上がった依頼主は私の手を奪い、勝手に自分 の手と握手をさせて、ブンブンと振った。 というかグリなんとかさんとは意気投合してませんよ。 ﹁宜しくお願いします。リキです。﹂ ﹁知ってるよ!君を紹介されたときは半信半疑だったけど、まぁ彼 女達が嘘を言う訳が無いしね!僕はクリス。君には僕の研究を手伝 ってほしいんだよね。﹂ 手を引かれソファへと促される。 右隣にクリス、左隣にはグリリなんとか。 なぜ私を挟んで座る。 タイミング良くメイドが紅茶をテーブルに置いて、それをきっかけ にクリスが語り出す。 ﹁僕は魔術師なんだけど、専門は魔法陣構成と魔道具開発なんだ。﹂ 魔法を使用する時必要なのは適切な属性の魔力量と形状と作用のイ メージである。しかし多くの者には適性属性があり、それ以外の属 性魔法は上手く使えないのが一般的である。また形状と作用のイメ ージも個人の能力に依存する比率が大きく、集中出来ない環境では 成功率が著しく低下するということも知られている。 魔法陣と魔法具はそれを軽減する為の手段である。魔法具の中には 472 魔法陣が入っており、少ない魔力で一定の魔法を発生させる事が可 能になるのである。 ﹁僕が今、研究してるのは転移魔法陣とそれを利用した魔法具だよ。 僕は一応、転移魔法は使えるんだ。でも対象が僕だけなんだよ。僕 が触れているものもダメ。だから毎回、全裸で飛ばなきゃならない んだよ。困ったもんだよね!﹂ 困ったといいながらちっともそんな風に見えない爽やかな笑顔でク リスは言う。 ﹁君は空間魔法も得意と聞いたから意見を聞きたいんだ。転移魔法 は空間魔法の一種だしね!﹂ ﹁クリスは転移するとき転移者の範囲はどんな設定にしているんだ ?﹂ 私の疑問にクリスも首を傾げながら、転移者の範囲?と呟いた。 ﹁属性攻撃魔法で言う形状だよ。﹃何﹄を﹃どこ﹄に転移させるの か、だろ?クリスは﹃何﹄の設定が上手くいかなかったんじゃない か?﹂ と言うとクリスは口に手を当てて考え込み始めた。 ﹁なるほど。つまり転移魔法は二つの設定が必要だったのか。僕は ﹃どこ﹄の部分の設定を詳細にしていたけど、﹃何﹄の部分は僕自 身としか設定していなかったんだ。転移者の設定を詳しく作れば服 も付いてくるんだね!﹂ ﹁そもそも疑問なんだが、転移門を見ると空間同士を繋げていると いうよりは境界を同一に設定している感じだよな。転移門の魔法陣 とクリスの転移魔法は違う方式ということか?﹂ ピタリとクリスの動きが止まる。 ﹁境界を同一・・・?﹂ ﹁うん。結界魔法の一番の性質は﹃空間の固定﹄と﹃境界の設定﹄ だろ。転移門はーーー﹂ ﹁ちょっと待って!アリーナ、紙とペン持ってきて!リキ!!﹂ クリスが私の手をガシッと掴み、鼻が触れ合うまで寄ってくる。あ 473 まりの勢いで反射的に身体を引いてしまった。 ﹁君は本当に予想以上だよ!僕と君がここで出会う事は運命だった んだ!!天の思し召しだ!!﹂ ガタン!とクリスが立ち上がり、空中を指差しはっきりとした声で 叫んだ。 ﹁さぁ、今夜は僕と語り明かそうではないか!﹂ ﹁お部屋は御用意させて頂いております。﹂ 断る間も無くタイミング良くメイドがとどめを刺してくる。 待てと言いかけた私に緑色の触手が絡みつき、思わず言葉を飲んだ。 ﹁おぉ!グリリアントデヴォリーゼも喜んでいるな!よし、皆でパ ジャマパーティーだ!﹂ 輝く笑顔でクリスが高らかに宣言した。 なぜだ。 なぜ私の周りには変人しか集まって来ないんだ! 474 遠くなるほど愛しくなる︵前書き︶ やたらと乙女してます。 475 遠くなるほど愛しくなる 目覚めは最悪だった。 頭はガンガンするし、胸の辺りはムカムカするし、喉の奥から気持 ち悪さがせり上がってくるようだしで最悪だった。 天井を睨みつけて唸り声を上げる。 紛う事無き二日酔いだった。 痛む頭を支えながら、身体を起こすと床にエンジュ達が転がってい るのが見えた。 見覚えのある間取り。 エンジュの部屋か。 倦怠感で唸り、足を引きずりながらも部屋を出た。途中、誰かを蹴 飛ばしたような気がしたが、起きないようだからいいや。 ズルズルとアンデッドのような足取りで自らの部屋を目指す。 なんだよ、遠いよ。廊下がやたらと長く感じられる。 途中でふと気付いた。 俺、昨日、無断外泊したんだ。リキに何も言わず、外泊してしまっ た。 リキは怒ってるかもしれない。 そう思うと部屋に帰るのが躊躇われるのだが、安息を求める俺の身 体は立ち止まる事を許さず、確実に部屋に近付いて行く。 無断外泊の上、こんな状態で帰ったら確実に叱られる。リキに呆れ られる。 しかし足は止まることはせず、そして歩き続ければいずれは到着し てしまう。 476 部屋の前に着くと思い出した。 そうだ、リキは今日ギルドでアルバイトだ。今が何時か分からない が、仕事に出て部屋にいないかもしれない。 なぜか胸が少し痛んだ。 部屋の中を探るとやはりリキの気配は感じなかった。ホッと安堵す ると共に寂しさを感じる。 居ないと分かると途端に会いたくなった。 部屋に入り、見回してもやはりリキは居ない。正直に言うと心の隅 でリキが居るかもと少し期待していた。リキには結界があるし、俺 はこんな状態だから見逃していたらなんて思ってた。 倒れ込むようにベッドに飛び込んだ。 ふわり、と花の香りがする。リキの香りだ。 ズリズリと身体を動かして、二つ並んだ枕のいつもリキが使う方へ 顔を埋めた。花の香りが濃くなって、リキがここで寝たのだと分か った。 リキはここで一人で寝たのか。 顔をずらして部屋を見る。 二脚ある椅子。ポールハンガーに掛かった藍色のマント。ブーツ。 髪飾り。 部屋の所々にリキの存在が感じられてなぜか視界が滲む。 サイドテーブルの上には﹃月の欠片﹄が置いてあった。リキが俺の 中に現れたその日の夜に拾ったものだ。 リキはそれを宝物のように大事にしていた。 気になってなんでそんなものを大事にしてんだと問うと﹁ガーウェ ンが初めてくれた物だから﹂と言い、俺の方が照れてしまうなんて 事もあった。 リキを一人にしてしまった罪悪感と今一人で居ることの寂しさ。 ﹁・・・会いてぇ・・・﹂ そう呟くと同時に涙が一筋、頬を伝った。 まだ昨日の酒が残っているのかもしれない。だから感情が高ぶりや 477 すいんだと自分に言い訳をする。 ズキズキと頭が痛む。 少し休んだら、ギルドにリキを迎えに行こう。そして無断外泊した 事を謝って、夕飯を一緒に食べて、風呂屋に行って、それで一緒に 寝よう。 そう決めてもどうしてか涙はしばらく止まらなかった。 ****** 目覚めるとだいぶ気分が良くなっていたので、ギルドへ向かった。 リキに会いたくて会いたくて気が急いて途中で走り出してしまった ほどだ。しかし、 ﹁リキさんは今日、お休みですよ?﹂ と給仕服を着たリキの仕事仲間にそう言われた。 リキが休み? グディに会った時、リキはいつも通り仕事に行ったと言っていたの に。どうしたんだろうか。 何か別の依頼を受けているのかとギルド受付の女にリキの事を尋ね るが、 ﹁ギルド規定によりお教え出来ません。﹂ と微笑みでそう返された。微動だにしない固定されたその笑みにた じろいでしまい、それ以上何も聞けず、ギルドを出た。 リキに何かあったんだ。体調が悪くなったとか、事件に巻き込まれ たとか。 不安と心配で胸が苦しくなる。 478 なんでこんな時に限って俺はリキの側にいねぇんだよ! ﹁ガーウェンさん、ガーウェンさん﹂ 俺の名を呼ぶ小さな声に気付いた。周囲を見回すとギルド横の路地 に潜むようにいる女が俺を手招きしていた。警戒して近付くと、ど こかで見たことのある眼鏡の女がキョロキョロと周囲を確認しなが ら、俺を路地に引きずり込んだ。 思い出した。こいつはリキと仲の良いギルドの受付係だ。名前は何 て言ったか・・・。 ﹁実はリキさんは急遽、ギルドの指名依頼を受ける事になって食堂 のアルバイトはお休みなんですよ。﹂ ﹁指名依頼?リキにか?﹂ ﹁ええ。﹃本部﹄の方からの指名みたいで内容は私も知らないんで すけど。﹂ すみません、と眉尻を下げて申し訳なさそうに縮こまる。 この女の言う﹃本部﹄というのはソーリュート中央区にある冒険者 ギルド本部のことだ。﹃本部﹄からの依頼なんてリキは大丈夫だろ うか。 ﹁もしリキさんからギルドに連絡があったら、お伝えしますね。﹂ 眼鏡を押し上げ、意気込んでみせた女に宜しく頼む、と言いかけて 気付く。 ﹁いいのか?そういうことはギルド規定とかなんとかで教えちゃい けないんじゃないのか?﹂ 受付に居たやたらと迫力のある笑顔の女もそう言っていたし、指名 依頼には守秘義務が生じるものもあるからそれを破ったらギルド職 員としていけないのではないのか。 しかし眼鏡の女は得意気に胸を反らして、 ﹁もちろんダメです。だけどお二人は私の理想のカップルだからい いんです!﹂ と鼻息を荒くした。 479 ﹁お、おう。そうなのか﹂ そんな理由で規定を破っていいのかよと呆れる気持ちもあるが、﹃ ﹂と路地の奥に消えて行った。壁に張り 理想のカップル﹄と言われ悪い気はせず、むしろニヤついてしまう ほど嬉しかった。 女は﹁では私はこれで! 付いてコソコソと辺りを気にした動きをしていたが、逆に目立って いて心配になった。 なんかすぐバレそうだな、あいつ。 でもリキが指名依頼で居ないと聞いて安堵した。もしかしたら俺が 無断外泊したから怒って出て行ってしまったのでは、なんてほんの 少し考えたりしてたからだ。 無性にリキに会いたくて堪らなくなった。 早く会ってリキを抱きしめたい。 俺、リキが好きだ。 どうしようもないくらいリキが好きだ。 分かり切っていたことだけど再び確認した。 ****** カウンターのテーブルに顔を伏せてグルグルと獣の様な唸り声を出 した。はぁ、とグディの呆れたため息が聞こえたので舌打ちを返し てやる。 まぁ、ただの八つ当たりだ。 480 もうとっくに日が暮れているのにリキはまだ帰ってきていない。連 絡もない。 リキに一日会えないだけで俺はもうダメだった。 リキに会う前の俺は一人でどんな風に過ごしていたか分からないほ ど俺の生活にはリキがいないとダメみたいだ。 日中はまだよかった。防具屋を覗いて、武器の手入れをして、少し 身体を動かしてリキが帰るのを待っていられた。 日が暮れると寂しさが大きくなった。 今日はリキの声を聞いていない。リキの笑顔を見ていない。リキに 触れていない。 俺は馬鹿か!なんで無断外泊なんてしたんだ! ﹁おーおー。いい具合に駄目になってんなぁ。﹂ ニヤニヤとからかう声がして、顔を上げるとルキが相変わらずだら しない格好で隣に座った。 ﹁・・・俺はもうダメだ・・・﹂ ﹁たかだか一日会わないだけで何、言ってんだ。お前も昨日、帰ら なかったんだろ?おあいこじゃねぇか。まぁ、お嬢ちゃんは仕事で お前は無断外泊だけどな。﹂ 本心で言ったのにルキが意地悪くそう返してきて、俺は後悔と自己 嫌悪でぐおおお!と叫んだ。 ﹁まぁそう悩むな。リキちゃんは怒ってないみたいだし、サクッと 謝っとけ。﹂ 苦笑いを浮かべるグディを驚き見返した。 ﹁リキは本当に怒ってなかったか?﹂ ﹁リキちゃんは心配してたよ。お前が酒を飲みすぎてるんじゃない かって。﹂ 俺を心配してたんだ。俺がリキを心配するようにリキも俺を心配し てたんだ。 481 なら俺がリキと会いたいようにリキも俺と会いたいと思ってくれて いるだろうか。 ﹁お前には勿体無いぐらいいい子なんだから、あんまり心配かけて やんな。大事にしてやれ。﹂ グディに諭されるように言われ、不覚にも鼻の奥がツンッとした。 今日一日で痛感してる。俺にはリキが必要だ。 ﹁・・・おう﹂ ﹁よし。ならもうお前らはとっとと部屋に帰れ。店仕舞いだ!﹂ ﹁ひでぇな。俺は今、来たとこだろ?﹂ ﹁うるせぇ、不健康野郎。お前はちゃんと夜に寝ろ。ガーウェンも 待つなら部屋で待ってやれ。仕事で疲れたリキちゃんを一番に迎え てやるのがお前に出来る最高の償いだぞ。﹂ 髭面のむさ苦しいこの親父を初めて尊敬したかもしれない。 482 愛を求める本能*︵前書き︶ 定時に上げれなくて申し訳ありませんでした。 活動報告でも言い訳をしております。 すみませんでした。 483 愛を求める本能* カタン、と小さな音がして意識が覚醒した。 すぐにリキを待っているうちに寝てしまったんだと気付いて慌てた。 相変わらずの自分の不甲斐なさに苛立ちすら感じる。 仕事帰りのリキを迎えるつもりが何のんびりしてんだ。 起き上がるタイミングを逃して固まっているとリキの気配がベッド の脇へ寄って来た。結果的に寝たフリをしてる事になってしまい後 ろめたい気持ちでいっぱいになる。 何やってんだ俺! ふふっとリキの小さな笑い声が聞こえた。優しい、いつもの優しい リキの声だった。そして、そっと身体にシーツを掛けられた。どう やら俺は何も掛けずに眠っていたらしい。 いつも通りの優しいリキに胸が高鳴り、咄嗟にリキの腕を掴んだ。 リキは少し驚いた顔をして、それからふわっと笑った。 ﹁何も掛けずに寝てると風邪引くよ、ガーウェン。﹂ 子供に向けた注意のような事を言うリキに照れとくすぐったさを感 じて、腕を引いて身体を引き寄せた。俺の身体の上に倒れ込むリキ の重さを感じると、満足感というよりもただただ愛しさが溢れてジ ワリと視界が滲んだ。 それをリキに悟られたくなくて、不機嫌そうな声を出してしまう。 ﹁・・・遅ぇんだよ。﹂ ﹁うん、ごめんね。遅くなってごめん。﹂ 顔を俺に擦り付けてくぐもった声で素直に謝るリキに、違うそんな 事を言いたいんじゃないと慌てた。 ﹁あ、いや、俺も昨日はその・・・・・・﹂ 言ってるうちに声がだんだん震えてきてリキを強く抱きしめた。 484 リキがいないこの部屋で一人で帰りを待っている時、寂しくて心配 で辛かった。 リキもそうだったか? お前も俺のいない部屋で、寂しくて心配で辛かったか? ﹁ごめんな、お前を一人にして。寂しかったろ、ごめんな。﹂ ﹁うん。・・・・・・居てくれて嬉しい﹂ 強い力で俺にしがみ付いたリキの小さな震える声に堪らなくなって、 何度も名を呼んで細い身体をかき抱いた。 ****** ﹁それでその魔術師と魔道具を作ることになったんだ。どんな魔道 具なのかは開発中だからまだ言えないんだけど、魔法陣から構築す る本格的な物だから少し疲れてしまって﹂ そう言って疲れた顔で少し笑ったリキの頬を撫でる。 ﹁その魔術師ってのにこき使われてんのか?﹂ ﹁いやその魔術師の方が働いてるよ。私は手伝いだけど魔力を使い 過ぎてるから疲労感が大きいんだ﹂ リキは指名依頼の内容を隠すことはせず教えてくれた。気になって 部外者に教えてもいいのかと聞くと﹁ガーウェンは特別だから﹂と 当然の様に言われ、リキの中の俺の存在の大きさにニヤついてしま ったのだった。 ﹁リキの魔力を使い過ぎるって十分こき使われてるだろ。﹂ リキの魔力はほぼ底なしといっていい。自分よりも魔力量は多いと アフィーリアが絶賛するほどだ。そんなリキが疲労するほど魔力を 使うなんてどんな事をやらされてるんだ。 485 ﹁他にも人造植物の研究も手伝って・・・ふふふ、ガーウェン?お 腹に硬いのが当たってるよ?﹂ 話の途中でクスクスと楽しそうに笑いながらリキが俺を見るから、 恥ずかしさで目を逸らした。 俺は真剣な顔してリキの話を聞いてる様に見せながら、リキの全て に頭が沸き立ちそうになっていた。 柔らかい髪。柔らかい肌。柔らかい身体。 匂い。体温。声。唇。 ﹁・・・・・・お前が側にいるから仕方ねぇんだよ。﹂ 疲れたリキに優しくしたい気持ちと離れていた時間を埋めるために リキを激しく求める気持ちが一層、俺の身体を昂らせる。 リキともっと話したい。 リキと早く一つになりたい。 ﹁ガーウェン、聞いて﹂ 矛盾する二つの欲求に心がグラグラしていると、リキの震える声に 意識が引き戻された。 ﹁・・・明日からしばらく帰れない。魔道具が完成するまで帰れな いんだ。依頼だからじゃない。この魔道具の完成は私達の今後にも 大きく関わる事だから出来るだけ早く魔道具を完成させないといけ ない。﹂ その一方的とも取れる言葉を理解するのに時間がかかった。 俺達の今後に大きく関わるってどういうことだ?全然わからない。 俺を見るリキの瞳に泣きそうな情けない顔をしてる自分が映ってい た。 ﹁・・・それは今じゃないとダメなのか?﹂ ﹁今じゃないと駄目だ。﹂ 絞り出した震える俺の声にリキがそう断言する。リキがそう言うっ て事はそうなんだろう。でもだからって仕方ないって納得出来ない。 俺達はもういい大人だ。お互いの仕事もあるし、お互いの交友関係 486 もある。やらなきゃいけない事だって沢山ある。 分かってる。分かってるけど。 でも俺はお前が側に居ないとダメなんだよ。 今日一日でそう分かったんだよ。 黙り込む俺を宥めるようにリキが囁く。 ﹁だからさ、ガーウェン。私が頑張れるように抱いて。会えなくて も頑張れるように抱いてほしい。﹂ ズルい。そんな言い方されたら俺はそうするしかないじゃねぇか。 ﹁そんな顔すんな、ガーウェン。大丈夫、絶対に一緒にいるから。 これからもずっと。だから私を信じてほしい。﹂ ズルい。そんな事言われたら俺は何も言えなくなるじゃねぇか。 でも、だけど。 ﹁・・・あんまり遅くなるなよ。俺は待つのが苦手みたいだから﹂ だけどリキを愛してる。 ズルいけど愛しいお前を信じて待っててやるから。 ****** 身体を入れ替えるとギシッとベッドが鳴った。ガーウェンの眉は眉 間に寄っており、たまに泣きそうに眉尻が下がって不安定な彼の心 情を表しているようだった。 自分の事情と気持ちを一方的に押し付けた。今後の事を考えれば必 要な事だったが早急過ぎたと自分でも思う。もう少し時間をかけて ガーウェンに伝えて説得する方法もあったのだが、それでは私が耐 えられそうになかったのだ。 487 しばらく帰れない、と告げたときのガーウェンの泣きそうな顔だけ でもう挫けそうになってしまった。直ぐにでも撤回してガーウェン の隣にいるから、離れないからと抱きしめて慰めたかった。 しかしそれではいけないのだ。 私の︻予感︼は有り得る未来を指し示す。それを変えるには今を変 えるしかない。 ガーウェンの為に、自分の為に出来るだけ早く手札を集めなければ ならない。 ﹁んっ、ふぁ、ん、んぅっ﹂ ガーウェンに舌と唾液を吸われる。彼は私の体液を飲むのが好きな ようで唾液や愛液を喉を鳴らして実に美味しそうに飲む。その嗜好 をガーウェンは隠しているようだが、体液を啜っている時の惚けた 淫らな表情を見ればわかるものだ。 ガーウェンのまだ拙いキスだけで私の秘部はもうぐちゃぐちゃに濡 れていた。身体の奥も早くガーウェンの昂りで乱暴にキスして欲し いと疼き出している。 私の身体はガーウェンが欲しいと貪欲なようだ。 ガーウェンがズボンを脱がそうとするが上手くいかなくて焦ってい るのが分かった。その情けない姿も何というかすごく可愛い。 身体を起こして、上下の服を躊躇い無く脱ぎ、視線でガーウェンに も服を脱ぐよう促すと恥じらうような顔をするから加虐心が燃え上 がってしまう。 四つん這いになり、お尻をガーウェンに向けて甘えるような声で誘 う。 ﹁ガーウェンが早く欲しい。ガーウェンのおっきいので奥にチュー して・・・。﹂ どこぞのエロ漫画みたいなわざとらしい台詞だったが、ボッと音が するくらい一気に真っ赤になったガーウェンはわたわたと慌てて自 488 らの服を脱ぎ出した。 こういう可愛い反応するから煽りたくなるんだよなぁ。 間も無く全裸になったガーウェンが荒い息を吐きながら覆い被さっ てきた。 硬く昂ぶった陰部を私のお尻に擦り付け、項に顔を埋めてふんふん と鼻を鳴らす様は大きな犬に懐かれているようだ。 少しガーウェンの身体が離れたかと思うと、昂りが一気に私の奥へ と押し込まれた。 ﹁ああっ!﹂ 衝撃に身体が仰け反り、喉が震えた。 再び私に覆い被さったガーウェンの腰が激しく打ち付けられる。 肌と肌が打ち付け合う音とベッドが大きく鳴る音で思い出した。 ﹁ガーウェンっ、あっ!あっ!魔力、ないからっ、ん!結界張れな いっ、あぁっ!﹂ 激しい律動を行っていたガーウェンの動きがピタリと止まった。思 わず非難めいた視線をガーウェンに向けると、ぐいっと耳元に寄っ てきた。腰が密着し、ガーウェンの先端が腹側の内壁を押し上げる。 ﹁うぁあっ!﹂ ﹁ば、ばかっそんな声出すな!隣に聞こえる!﹂ 慌てたガーウェンに口元を手で覆われるが、それすらも快感になる ようで、中に入ったガーウェンをぎゅうっと締め付けてしまった。 ﹁ぐっ・・・!ばか締めんな、どうすんだ動けねぇぞ﹂ とガーウェンが苦しそうに言うので、口元の手をずらして笑った。 ﹁別にいいだろ。隠す事でもない。仲良くしてるって分かってくれ るだろ。﹂ ﹁ばかっ!そう言うことじゃねぇよ!お前のそのエロい声を誰かに 聞かれたくねぇんだよ・・・﹂ 不貞腐れたように唇を突き出してそう言うガーウェンがたまらなく 可愛くてキュンキュンと中が蠢く。この可愛い人の熱が欲しいと女 489 の本能がガーウェンの硬い昂りを締め上げた。 ﹁ぅぐっ!だ、から、締めんなって。﹂ ガーウェンが耐えるように身を固くした。 ﹁じゃぁ、こうして、シたらいいよ。﹂ 固くて厚い手のひらを口に当てる。 くぐもった私の声はガーウェンの手の中に消えていく。 ガーウェンの瞳の奥で、相手を支配しつくしたい、征服しつくした いという男の本能が燃え上ったのを感じ、ほくそ笑んだ。 煽り、煽られ、欲望と本能の渦の中、二人で溺れるように求め合う しかないのだ。 ギシッギシッとベッドが軋み揺れる音が部屋に響く。 ガーウェンは私の声さえ聞こえなければ、情事の音は漏れ聞こえて もいいのだろうか。基準がよく分からない。 口が塞がれている為、酸素が足りなくて頭がボーッとしてきたが、 内側を掻き混ぜるようなガーウェンの動きにくぐもった嬌声を上げ た。 四つん這いから身体を引き起こされ、膝立ちの状態で後ろから羽交 い締めにされていた。もちろんガーウェンの昂りは深々と私に打ち 込まれている。 大きく動けないからかガーウェンの動きがねちっこい。お腹の裏側 をグリグリと容赦なく擦られ、喉の奥で叫びながら大きく仰け反っ た。 耳元でガーウェンがごくりと喉を鳴らしたのが聞こえた。 ﹁くそ・・・お前を無理矢理犯してるみてぇだ・・・なのに、くそ っ、たまんねぇ・・・!﹂ 私を征服する昏い悦びをガーウェンは感じて戸惑っているようだっ た。 490 私もガーウェンに征服される悦びを感じてる。 身体を支えていたガーウェンの手を掴み、ヘソの下辺りに押し付け て肩越しに彼の欲情に染まった瞳を見つめた。 この中にガーウェンのが入ってるの分かる? 内壁を擦り上げて、押し上げてくるの分かる? これが私をめちゃくちゃにしてるんだよ。 私の無言の煽りにガーウェンの本能が暴れ出す。 ﹁っくそ!﹂ ベッドを大きく軋ませてガーウェンの動きが激しくなった。 私のお腹を押さえ付けるガーウェンの手は中で暴れる自身を感じて るだろう。 ﹁はっ・・・はっ!・・・くそっ!﹂ 欲望を叩きつけるような優しさのない動きに私の喉が悲鳴を上げる。 苦しさと痛さで涙が滲む。 でもいい。もっと刻みつけてほしい。 ﹁・・・この、まま・・・時間が、止まればいいっ・・・!﹂ 荒い息と共に吐き出されたガーウェンの願いを遠くなる意識の中で 聞いた気がした。 491 愛を求める本能*︵後書き︶ ﹃手紙を書くから待ってて。 いってきます。 サイドボードの上の書き置きにはそうあった。 リキ﹄ しかしそれから三日、リキからの連絡はなかった。 492 憂鬱なおっさん︵前書き︶ 遅れました。申し訳ありません。 493 憂鬱なおっさん 朝、目覚めて意識が完全に覚醒する少し前、無意識に隣にあるはず の体温を探っていることに気付いた。それにいつも一人分のスペー スを空けて、眠っていることにも気付いた。 ぼんやりとした頭で起き上がると、隣にリキのマントが置いてある のを見て、酒を飲んでまたマントを抱いて寝たのかと自嘲した。 自分の女々しさに反吐が出る。 床に転がった酒瓶を足で除けて、溜まった洗濯物は見ない振り。適 当な服を身につけ、酒臭さの残る部屋を出た。 ﹁ガーウェン、髪の毛ぐらいどうにかしてこいよ。﹂ カウンター席に座るとグディから早速小言が飛んできた。 ﹁あー?別にいいだろ。誰にも迷惑かけてねぇんだし。﹂ どうせ寝癖が付いてるって言うんだろ。そんなのどうでもいいだろ ーに。 ﹁お前なぁ。そんなだらしねぇ姿見たら、リキちゃんだって幻滅す るぞ!いい加減しっかりしろ!﹂ ﹁しっかりしてるだろ。今日もこれから仕事だしな。﹂ リキが幻滅するって?リキは居ねぇだろ、ここに。 ・・・・・・どこに居るかも分んねぇんだし。 いや、どこに居るかは分かっているのだが、大まかな位置しか知ら ないのだ。リキからの話で魔術師の家は﹃森﹄にあるらしい。しか し周囲は結界が張られており、限られた人物しか辿り着けないよう なのだ。闇雲に﹃森﹄を歩き回ってもリキには会えないということ だ。 書き置きを残し、リキが居なくなってから三日が経った。ルキやグ 494 ディに言わせれば﹁たった三日﹂らしいが、俺にとっては長く苦し い日々だった。 連絡が来るかと期待し、全く無くて落胆し、何かあったのではと心 配し、なんで連絡しねぇんだと憤り、明日は来るかもとまた期待す る。 ルキが言うには俺は﹁初恋をした女﹂のようらしい。 四六時中リキの事を考えてしまって、それが辛くて酒を飲んで誤魔 化そうとして、でも結局リキを想って眠る。 ルキが呆れるように俺は女々しい。 ****** いつものようにギルドに寄り、依頼板を覗く。何かしていないとど うしても心が落ち込むので、依頼をいくつか掛け持ちして行なって いた。 それでも泊り込みでの依頼やこの街を離れるような依頼は避けてい た。もちろんリキとすれ違いになったら嫌だからだ。 それにもしもリキと会えたらなんてほんの少しの淡い望みの為に受 ける依頼は﹃森﹄に関する依頼がほとんどだった。 そう考えるとどんな事でも俺の中心にはリキが居るんだと呆れるよ うな嬉しいような気持ちになる。 ﹁ガーウェンさん﹂ 名を呼ばれ、振り向くと眼鏡の受付係ーー名前はファリスと言った ーーが落ち込んだ様子で立っていた。その姿だけでリキからギルド へ連絡が入っていないことが分かった。 俺が首を横に降るとファリスは更に落ち込んで、小さく﹁お気をつ 495 けて﹂と挨拶をしてギルドの奥へ帰って行った。 ファリスも俺と同じ、リキを心配しているのだ。 ﹁リキさんが強い事は知ってるんです。無事でいるだろうし大丈夫 だとは思うんです。だけどだからって心配しなくてすむ訳じゃない。 理屈じゃないんです。心配しちゃうんです。大切な人だから。﹂ リキさん元気かなぁと言って肩を落としたファリスのその言葉は俺 の心を打った。 リキを信じていない訳じゃない。大切だから心配する。それは理屈 じゃない。 それは過保護とかじゃなくて大切な人への正常な気持ちなんだと納 得できたのだ。 またしてもぐるぐるとリキの事を考えている自分にため息をつく。 待つのは苦手だって言っただろ。連絡ぐらいしろよ。手紙書くって 言ったじゃねぇか。ばかリキめ。 心の中でリキに悪態をつきながら、冒険者ギルドを出ると見覚えの ある少年が集団を引き連れているのと出会した。 ﹁あー!おっさんがいるってことは今日はリキがいるのか!﹂ と目を輝かせ嬉しそうに笑った少年ーーアオに何となく気不味く思 いながら返した。 ﹁いねぇよ。今日も別で仕事だ。﹂ ﹁ええー!最近ずっといねぇじゃん!リキはどこで何してるんだよ ?﹂ ﹁・・・・・知らねぇ﹂ 本当は大体の居場所と依頼内容は知っているが、本来なら指名依頼 の内容は漏らしてはいけない事項だ。ここで俺が余計な事を言うと 特別に教えてくれたリキやファリスに迷惑がかかってしまうと思い、 妙な間のあとぶっきらぼうにそんな事を言った。 アオは目を数回瞬かせ、それから至極真面目にうんうんと頷いた。 ﹁なんだ、おっさん、リキとケンカしたのか。﹂ 496 ﹁なっ!?何でそうなる!ちげぇし!﹂ ﹁違うのか?おっさん、母ちゃんとケンカした後の父ちゃんの顔に ソックリだったぞ?すげぇしょんぼりした顔。﹂ ﹁しょっ、しょんぼりしてねぇし。ケンカもしてねぇし。﹂ ﹁早く謝っとけよ!悪くなくても男から謝るもんだって父ちゃんが 言ってぞ!﹂ だよな!と快活な笑顔で振り向いたアオに後ろの取り巻き達が苦笑 いを浮かべる。そりゃそうだろう。三十過ぎたおっさんが半分以下 の歳の子供に諭されている姿なんて残念以外の何物でもない。 ここで更に﹁だから違うって言ってんだろ!﹂と反論すると俺の残 念度が大幅に上がる事は分かったので、うぐぐと唸るだけで堪えて おいた。 ﹁そうだ!リキがいない間に必殺技完成させよう!そんで次会った ら必殺技見せて、俺の嫁になってもらう!﹂ そうと決まればさっそく第四層で修行だ!とアオが笑顔で駆け出す のを取り巻き達が口々に叫びながら慌てて追って行く。 ﹁急に走んないで!若様、はぐれるよ!﹂ ﹁若っ!今日はもう他の依頼受けたでしょ!﹂ 集団が一斉に駆け出したので周囲の注目を浴びてるが、そのほとん どは﹁またか﹂と呆れる視線だった。 すでに人混みの向こうへ見えなくなったアオの自信に溢れた顔を思 い返した。 リキがいなくてもあんな風に前向きに生活出来る少年に少し羨まし さを感じる。顎を撫でると髭がチクチクと痛くて、自分のだらしな さに呆れてしまう。 リキが側に居なければ真っ当に生きてさえいけない。 今はあの少年の真っ直ぐな強さに素直に憧れた。 497 ****** 今日は丁度良い依頼がなかった為、﹃森﹄第五層にいるポイズンタ イガーの牙と毒袋を狩った。知り合いの武器屋や薬師に売ればそこ そこの金になるだろう。 まだ夕方の早い時間だが、部屋に帰ることにした。 人混みの中にいると居ないと分かっていてもリキを探してしまう。 髪の長い女。小柄な女。暗い髪色の女。マントを着た女。 よく見れば全く似ていないのに視界の端に入るだけで、期待して確 認してしまう。どうしてもキョロキョロと視線を彷徨わせてしまい、 そうすると周囲の目が訝しげになり、居た堪れなくなってしまうの だった。 ﹁えっと貴方はリキさんの・・・﹂ 金髪の騎士に行き会ったのは偶然だった。あちらもそうだったよう で一瞬、驚いた顔をしたが、すぐにニコッと、女なら泣いて喜ぶと いう噂の笑みを浮かべた。 ﹁あぁ、リキさんはギルドの依頼でしたね﹂ ーーー何でそれを知ってる。 いくら翠剣騎士団の副団長でも有名貴族ウェルシュルト家の一員で も﹃冒険者ギルド本部﹄からの指名依頼を知り得るはずがない。 睨むようにアルフォンス・ウェルシュルトを見るとその視線に気付 き、しまったという顔をして周囲をキョロキョロと窺った。 ﹁すみません。依頼内容は秘密でしたね。迂闊でした。﹂ 眉尻を下げて、非常に申し訳なさそうな美丈夫をみて、見た目と出 自から想像していた人物とは少し違うのかもしれないと思った。 しかし一体、どこからそれを知ったんだ? 498 ﹁このことはリキさんには内緒にしておいて下さいね﹂ と更に眉尻を下げる男の言葉に固まった。 リキから聞いたということか? リキが俺の他にもこいつに話したのか? 何でこいつにも話したんだ? 俺が、俺だけが特別なんじゃないのか? リキに対するモヤモヤが一気に溢れてきて心を覆い出す。そんな俺 に気付かないようでアルフォンスが追い打ちをかけて来た。 ﹁そういえばリキさんから聞いてますか?リキさんが騎士団に入る 事。貴方に相談・・・あー、もしかしてこの事も内緒だったのかな ?すみません、聞かなかった事にしてください。﹂ 戸惑った様に言い繕うアルフォンスに思わず詰め寄っていた。 ﹁騎士団に入るってどういうことだ﹂ 団長 という制度がありまして・・・。リキさんはそれを使って騎 ﹁えっと、困ったなぁ・・・。ソーリュートの各騎士団には 推薦 士団に入団する予定なんですよ。もちろん試験はありますが、リキ さんなら大丈夫でしょう。﹂ そんな事。 ﹁・・・・・・そんな事聞いてない﹂ ﹁え、えっと、きちんと決まったらお話する予定だったんじゃ?ほ ら、リキさんは色々忙しいですし。でも騎士団への入団は良い事だ と思いますよ?リキさんは安定した職業を望んでいるようですから。 ﹂ リキは安定した職を望んでるのか?そんな話をしたことはない。な んでこいつの方がリキの事情を知ってるんだよ。 俺の知らないリキの事を一度に聞かされて、頭がグラグラしてきた。 499 一度、モヤモヤが湧き出ると次から次に黒い感情が増えてくる。 なんで俺に言わねぇんだよ。 相談する必要はないって思ったのか? 俺に相談しても意味ないって思ったのか? いつも勝手に一人で全部決めやがって。 俺はリキにとって何なんだよ。 ﹁リキさんは貴方に遠慮してるんだと思いますよ。﹂ 穏やかな明るい声にハッと顔を上ると、金髪の騎士がやたらと清々 しい笑みでいて、たじろいでしまった。 ﹁貴方は感情が顔に出やすいタイプみたいですから、聡いリキさん は先回りして貴方が傷付くのを避けているんだと思います。私も似 てるから分かるのですが、相談して落ち込んだ顔をされるとやはり こちらも辛いんです。リキさんは気を遣う人だから、余計に我慢し ているんだと思いますよ。﹂ 我慢、してる?リキが我慢してるのか? 俺のせいで我慢してるって言うのか! ザァッと頭から血の気が引いた音が聞こえた気がした。処理し切れ ない言葉がザクザクと心に突き刺さる。 ﹁そうそう、これーーー﹂ とアルフォンスが優しい口調で残酷な事を告げた。 ﹁これ、リキさんが忘れて行ったんじゃないですか?夕飯を一緒に 食べた時、その様な話を聞いたので。﹂ キラキラと光を反射する金髪の騎士の手には同じ様にキラキラと輝 く水晶蝸牛の殻が握られていた。 500 ****** ﹁ガーウェンさん聞いてる?﹂ ルーファスの声に顔を上げた。双子が隣で心配そうな顔をしていた。 カウンターの向こうでグディも似たような顔をしている。 ここは宿か。でもどうやってここまで帰ってきたか覚えていない。 リキは俺じゃなくあの騎士を頼りにしてる。 俺には何も言ってくれない。何も相談してくれない。 リキは我慢してる。俺が我慢させてる。 ﹁リキさん、なんで連絡してこないのかな。そんなに忙しいのかな。 ﹂ リーファスが少し怒った調子で言う。 そうだ。なんで連絡してこねぇんだよ。 手紙書くって言ったくせに。 俺に会う時間は、手紙を書く時間はなくてもあの騎士と夕飯を食う 時間はあるのか?! 視界が滲む。 俺はリキにとって何なんだ。 リキが忘れてきたという水晶蝸牛の殻を握る。 嬉しいって言ったくせに、何で忘れてくるんだよ。 これもその程度の物で、俺もその程度の関係なのか? ﹁エンジュも何か言ってよ。﹂ ﹁俺・・・。ガーウェンさん、俺ーーー﹂ 501 エンジュの何か切羽詰まった声が聞こえたが、無視して立ち上がっ た。もうダメだ。もうぶっ壊れそうだ。 今は誰の言葉も聞きたくない。 私を信じてほしい、なんてどこをどう信じればいいんだよ! 502 憂鬱なおっさん︵後書き︶ ﹁それでリキさんの足取りは?﹂ 視線は行き交う人々に向けながら、背後の路地裏の影へ囁くように 問うと男とも女ともつかない静かな声が返ってきた。 ﹁未だに掴めません。﹂ ﹁ふぅん?彼女は絶対何かを企んでいると思うんだけど、動向が掴 めないのは不安だねぇ。まぁいい。引き続き彼女の足取りを追って。 ﹂ ﹁御意﹂ と言う声が聞こえた次の瞬間、影の中の気配が消えた。 ﹁でも姿が見えないと言うなら好都合だ。まずは彼女の弱点を突き 崩そう。﹂ 人混みの向こうに赤銅色の髪の巨漢を見つけ、目を細めた。 ﹁一途で素直で人が好きで人を信じてる、ねぇ。それはそれは手玉 に取りやすそうだ。ふふん、今回は秘密兵器もあるしね。﹂ 手の中の水晶蝸牛の殻を弄ぶ。 こんな安物がどんな働きをするのか楽しみだな。 503 その先の言葉*︵前書き︶ 定時から遅れて申し訳ありません。 今年最後の更新です。今年一年ありがとうございました。 次回更新は一月五日になります。ご了承下さい。 また無理矢理、暴力的表現がありますのでご注意下さい。 504 その先の言葉* 掴まれた手首が痛い。 見上げたガーウェンの眼には怒りと悲しみ、戸惑いなど複雑な感情 が渦巻き、苛烈な熱を溢れさせていた。 痛みに顔を歪めながら、ガーウェンはそんな眼も出来るのかと初め て見る彼の表情に胸が高鳴った。だけど辛い。 彼をこんな風に追い詰めたのは苦しめているのは確かに私なのだ。 ****** ﹁・・・ガーウェンに会いたい﹂ 書いていた魔法陣の短縮式構成案とペンを見つめ、ふと呟いた。手 はだいぶインクで汚れていて、洗ってもしばらくは残るだろう。 こんな汚れた手、ガーウェンは何て言うかな。 ああ、でもガーウェンに触れたいな。 ﹁ガーウェンに会いたい。﹂ ﹁さっきも聞いたよ。はい、これも短縮式に改良だよ。﹂ 隣の席に座ってガリガリとペンを走らせていたクリスからバサリッ と紙束を渡されて、アンニュイな気分に浸っていたのにと憤慨した。 ﹁ふざけんな!短縮式ぐらい自分で書け!大体、クリスの構築する 陣は文字が多くて鬱陶しいんだよ!文字を増やせばいいってもんじ ゃねぇんだよ。﹂ ここ四日の合計睡眠時間が四時間を切っていた。陣の構築と仮眠の 505 繰り返しである。ご飯は片手で食べれるサンドウィッチ一択であり、 お茶休憩などもない。 労働基準法なんてそんなものはここにはない。ついでに慈悲もない。 更に癒しもない。 ﹁設定は詳細にしないと汎用性が低下するだろう?僕だってフィア ンセと会っていないんだから、リキもうだうだ言うんじゃない。﹂ ﹁設定はある程度幅を持たせた方が汎用性は高まるだろ。それと重 複してる言葉は出来るだけなくしたほうがいい。陣を重ねて言葉を 減らせ。構成も軽くしろ。﹂ ﹁陣を重ねて構成を軽くかぁ。簡単に無茶な事を言うねぇ。結構、 僕もいっぱいいっぱいだよ?見てごらん、僕の格好。﹂ と言うクリスは今、顔色が悪く目の下には濃い隈、綺麗な空色の髪 は頭上で無造作にまとめられボサボサでまるで王子のようだった容 貌は見る影も無かった。かく言う私も髪を雑に結び、普段から良い とは言えない眼つきが寝不足で更に悪くなっていた。 ﹁くそ。陣の構成は決まってるのに魔道具に入れる為の大きさは今 より半分以下にしないとなんねぇのか。﹂ ﹁あと少しだろう?あと少し頑張ろうじゃないか。これが完成した ら僕は欲しいものを手に入れられるし、君は大切なものを守れる。 お互いの為にやれる事はやろう。﹂ 疲労と寝不足で姿はボロボロになっているが、クリスの瞳はギラギ ラと光っていた。それは燃え滾る闘争心であり、クリスは今その﹃ 欲しいもの﹄の為に己を構成する物の全てと闘っているのだ。 ﹁・・・分かってる。悪い。寝不足で気が立ってるんだ。﹂ ﹁いいさ。それに君の大切な人が心配なんだろう?いいのかい?行 かなくて。﹂ クリスが紅茶に口を付けながら面白そうに目を細める。 ガーウェンと街の様子はブリックズに手紙で報告を受けていた為、 ここ数日の彼の生活の荒み具合も知っている。 ガーウェンは甘えたがりで寂しがり屋の上、繊細で影響されやすい 506 性質だ。私が側に居ないことでかなり落ち込んでおり、他人に心を 乱されているようだ。 ガーウェンは私に会いたがっている。私もすぐにでも会いに行って 抱き締め、﹁安心しろ。私を信じろ。﹂と言ってやりたい。 でも今は時間が惜しい。 ﹁・・・会いに行ったら、離れ難くなるからな。それにガーウェン に手紙は書いている。﹂ 今、私が頑張っているのは他ならないガーウェンの為だが、そのせ いでガーウェンを苦しめているという事実が辛かった。 今更、ガーウェンに全てを話せば良かったと後悔していた。心配さ せたくない、巻き込みたくないという気持ちでガーウェンを遠ざけ てしまい、結果彼を不安にさせ悲しませた。 遠ざけるな、と言ったのは私なのにな。 ﹁そういや贈り物もしてたね。ふふ、君の周りには色んな人間がい るよね。なかなか興味深いよ。﹂ ﹁何言ってる。クリスの方が周りには多種多様居るだろ?﹂ 他人事のようや輝く王子様スマイルを浮かべるクリスに呆れて言う と、視線を上に向けて﹁そうかなぁ?﹂首を傾げた。 家 が好きでね、御家の発展に情熱を注いで ﹁僕の周りで一番厄介なのは僕のフィアンセかな。家督を継ぐ訳じ ゃないのにやたらと いるんだ。だから僕という人がいるというのにより御家の為になる 相手をいつも探しているんだよ。それを僕が知ってるとは思わない で、僕が自分の言いなりになると思ってるのさ。全くひどいよね。﹂ ひどい、と言いながら楽しそうな笑顔のクリスに私もニヤリと悪い 笑みを返す。 ﹁それは酷いな。ならば一発ぎゃふんと言わせないとなぁ。﹂ ﹁そうだよね。じゃあ、これを完成させよう。これが完成すれば、 僕は僕のフィアンセを出し抜けるからね!﹂ 二人でニヤニヤと笑いながら再び机に向かうと今まで近くにいたの に全く話さなかったメイドが淡々と言った。 507 ﹁それはそうと主様、グリリアントデヴォリーゼに噛まれています が、大丈夫なのですか?﹂ メイドの冷めた視線を追って、クリスが自分の足を見ると確かにあ むあむとグリーに噛まれていた。 ﹁い、痛い!グリーちゃん痛い!なんで?!﹂ 今気付いたとばかりにクリスが叫ぶ。どうやら身体が疲労し過ぎて 感覚が麻痺し、気付かなかったようだ。 ﹁間抜けだな!そんな事に気付かないなんて!﹂ 涙目で必死にグリー︵グリリなんとかは長いのであだ名を付けた︶ を引き剥がそうとしてるクリスをニヤニヤと馬鹿にして笑っている と、メイドの冷めた声が再び聞こえた。 ﹁そういうリキ様も腕を噛まれてますが?﹂ ハッとして腕を見ると手のひらサイズのグリー︵子供︶が噛み付い ていた。 なんと気付かなかった! ﹁い、痛い!なんで!﹂ ﹁ははは!リキだって人の事言えないじゃないか!﹂ ﹁・・・・・・お二人とも少しお休みになられたらどうですか?お 疲れなんですよ。﹂ 痛みで涙目になりながらも笑い合う私達に呆れたようにメイドがた め息をついた。 ****** なんだろう。緊張する。 あれからいい具合にリフレッシュ出来た私達は魔法陣に向き合い、 508 魔法具へ組み込めるほどの大きさに縮小する事が出来たのだった。 目的の魔法具の完成は間近である。あとはクリス一人でもできる作 業なので、私は四日振りに部屋へ帰ってきていた。 部屋の扉の前に立つと嬉しいのになぜか緊張してしまった。 ガーウェンの気配は部屋の中にある。 ドキドキしながら扉を開けると、部屋中に充満した酒臭い空気を感 じ、思わず苦笑いを浮かべる。 ベッドの端に座り俯いていたガーウェンが顔を上げて、明らかに酔 っている淀んだ瞳で私を見た。久々に見たガーウェンの髪はボサボ サで無精髭を生やしていた。 部屋の中は空き瓶と積まれた服で散らかっていて、不安定なガーウ ェンの心を表しているようだと思った。 膝をつき、ガーウェンの手を握ってぼんやりした彼の瞳を見つめて 笑いかける。 ﹁ただいま、ガーウェン。遅くなってごめん。﹂ ガーウェンの焦点が私に合い、驚いた顔をした後、気不味そうに視 線を逸らして俯いて、そしてまた私を見た。赤茶色の瞳が揺れてい る。 ﹁・・・リキ?本物、だよな?﹂ ﹁そうだよ。ごめんね、遅くなった。もうガーウェンと一緒にいら れるから。﹂ ぎゅ、とガーウェンを抱き締めると彼の身体が少し強張ったように 感じ、悲しくなった。彼を臆病にするほど傷付けたのかと胸が痛く なった。 頭を一つ撫でてから彼から離れ、部屋の片付けを始めた途端、腕を 掴まれた。 ﹁痛っ!﹂ ガーウェンにしては珍しい私に配慮しない力加減だった。見上げた ガーウェンの眼には苛烈な怒りが浮かんでいた。 ﹁なん、っ!﹂ 509 声を出そうとした瞬間、腕を捻じり上げられ息が詰まった。 ﹁・・・なんだよ、これ・・・なんでこんな痕が付いてるんだよ・・ ・どういうことだよ!﹂ 痕?なんだ痕って。 痛みに顔を歪めながら、見上げると腕にグリーの付けた噛み跡があ って、ガーウェンが勘違いしていると分かった。 ﹁ちがっ、痛っ・・・﹂ 違うと言いかけたのにガーウェンは私を引きずるように連れて行き、 顔をベッドへ押し付けた。そして背後から覆い被さり、乱暴に私の 衣服を剥いできた。 顔をベッドに押し付けられているから息が上手く出来ない。 ガーウェンやめて。ガーウェン駄目だよ。 制止したいのに声が出せない。抵抗したいのに身体が疲労していて 出来ない。 乱暴に下着を破かれ、裸にされる。 腕は両腕ともガーウェンに背中で掴まれていた。 こんな事をして一番、傷付くのはガーウェンだろう。 ﹁いっ!!﹂ 突然、背中を噛まれて仰け反った。食い千切られそうなほど力尽く で、絶対青アザになると思った。続けて何度も背中、肩、腕と噛ま れる。 ﹁約束も守らねぇくせに信じろなんて!﹂ ﹁うぐっ、あ!﹂ まだ少しも濡れていないアソコにガーウェンの怒張が無理矢理押し 入ってきて、痛さに呻いた。 すぐに乱暴に揺すられる。 ﹁俺ばっかり!俺ばっかりお前の事考えて!なのにお前は連絡もし ねぇ!こんな痕まで!なんだよ、何してたんだよ!﹂ 私を責めるような言葉の数々なのに泣きそうな震える声音だった。 ガーウェン。こんな酷い扱いをされても愛しさばかり感じる。 510 息苦しさと痛みと愛しさ。 ガーウェンに何か言わないとと思っても、出てくるのは嬌声に近い 呻き声だけだった。 ﹁くそっ!こんなに・・・こんなに苦しいなら、苦しいだけだった ら・・・・・・っ!﹂ 苦しいだけだったらーーーーーー その先の言葉は何? 苦しいだけだったらーーーーーー ﹃出会わなければ良かった﹄? 511 信じたい人*︵前書き︶ 明けましておめでとうございます。 今年も宜しくお願い致します。 若干、無理矢理・暴力的表現があります。ご注意下さい。 また後半はヒロイン︵おっさん︶を温かく見守り下さい。 512 信じたい人* ﹁おいなんだよ、その顔。明らかに一晩寝てませんって顔してんぞ ?﹂ 知り合いに出来るだけ会わないように時間をずらしてカウンター席 に着いたのにそんな時に限ってルキが起きているのが鬱陶しい。 思えばルキは俺の気分が塞いで、側に人を置きたくない時にこそよ く現れる気がする。なんてタイミングの悪い奴だ。 ﹁おーおー無視か。お前が悩むのはどうせお嬢ちゃんの事だろ。言 ってみろよ、俺の方がお前より女の事には詳しいからな。﹂ 昨日、金髪の騎士に聞いたリキの話は俺を深く抉り、一晩中悩ませ る事になった。 そうだ。ルキは街の噂に詳しいからリキの事も知っているかもしれ ない。 ﹁・・・ルキ、お前、リキが騎士団に入るって話知ってるか。﹂ こんな言い方すると俺がリキに関して何も知らないと暴露すること になるが、仕方ない。 ﹁んー、そうだな。確かにそんな話を噂で聞くな。﹂ やっぱりリキは騎士団に入るのか。 ズキ、と胸が苦しくなる。 ﹁だが、お嬢ちゃんが入団を断ったって話も聞くぞ。それでもしつ こく誘いがきてるとかな。﹂ 驚いてルキを見ると、煙草をふかしてニヤリと笑っていた。 ﹁噂なんてそんなもんだ。大体が話の一端しか伝わらない。ちゃん と真実を知りたければ、当事者に聞くしかないんだぜ。﹂ ﹁でもどちらにしても少しも相談されなかったんだ。この事の他に もリキは俺にあんまり話してくれない気がする。勝手に一人で決め て・・・。俺は必要とされてないんじゃねぇかって思ってしまう。﹂ 513 情けない悩みだったが、ルキには今まで散々情けない所を見せてい るし、今更だ。 ﹁確かにお嬢ちゃんは何でも一人で決断出来るよな。おそらく今ま で誰かに相談するって事がなかったんだろ。そういう奴は誰かに頼 る事が下手くそだからな。﹂ ﹁頼る事が下手くそ、なのか?俺が頼りないからとか必要じゃない からじゃないのか。﹂ ﹁お嬢ちゃんは慣れてねぇんだよ、甘える事に。ま、部外者から言 わせればお嬢ちゃんはだいぶお前に甘えてると思うけどな。﹂ 恥ずかしい話だが俺がリキに甘える事はあってもその反対はあまり なかったと思う。リキはいつも一人でも揺らぐ事がないから。 ﹁甘えてるっていうか気を許してるって感じだよなぁ。俺等には隙 がなくて踏み込ませない雰囲気を出してるけど、お前と居るときは 結構のほほんとしてるし。﹂ 俺達の話を聞いていたのかグディがそう言って笑った。 リキがのほほん?まぁ、確かに俺と居るときリキはいつもニコニコ しているけど、気を許すという事ならロードやブリックズの方が気 を許してるんじゃないのか? ﹁お前自身は分からないかもしれないが、お嬢ちゃんはお前しか見 てないよ。驚くほどお前の事しか考えてない。俺達はお前がなんで そんなに悩むのか理解出来ないぐらいなんだぜ。﹂ ルキの言葉にカアッと頬が熱くなる。 本当にリキは俺の事しか考えてないのだろうか。 嬉しさとだけどまだ消えない不安に唸り声を上げると、ルキが吹き 出して笑った。 ﹁一番信じたい人、一番大切にしたい人は決まってんだろ?他人の 話を鵜呑みにするのか、お前が見てきたお嬢ちゃんを信じるのかっ て事だ。噂を聞いて悩むよりちゃんとお嬢ちゃんと話せよ。﹂ 一番信じたい人。一番大切にしたい人。 それは考えるまでもなく決まっていた。 514 リキの話を聞く。少し不安もあるが、やはりそうした方がいい。 ****** 頭が真っ白になって気付くとリキの頭をベッドに押さえつけていた。 リキと話をしようと決めたが時間が経てば決意が揺らぎそうで、勢 いを付ける為に酒を飲んだのがいけなかった。リキが帰ってきたの に夢だと思ったり、リキの腕に付いた歯型に感情のコントロールが 出来なくなった。 裏切られた。信じてたのに。 俺が特別だって言ってたくせに。 俺を放っておいて、他の誰かと寝たのか? あの騎士か魔術師か、それとも俺の知らない誰かか? そう考えると怒りで全身の血が沸き立ち、それをぶつけるようにリ キの背中に噛み付いた。 ﹁いっ!!﹂ 仰け反った白く柔らかい背中に赤い歯型が付く。その様にやたらと 欲情していまい、続けて何度も噛み付いた。噛み付く度にリキの身 体が跳ねるのを力で押さえつけて背中、肩、腕に赤い痕を散らす。 お前が言ったんだ。俺はお前のだって。ならお前だって俺のモノだ ろ。 なのにお前は何一つ俺に言わない。俺を頼りにしない。 勝手に決めて、それでちっとも約束を守らない。 515 ﹁約束も守らねぇくせに信じろなんて!﹂ ﹁うぐっ、あ!﹂ 苛立ち任せに立ち上がったモノをリキに押し込むとリキは呻いた。 その声がまるで俺を拒絶してるように感じて腹が立って、同時に悲 しくて乱暴にリキを揺すった。 ﹁俺ばっかり!俺ばっかりお前の事考えて!なのにお前は連絡もし ねぇ!こんな痕まで!なんだよ、何してたんだよ!﹂ 俺と一緒にいると言ったくせに。 俺を愛してると言ったくせに。 俺と一緒に居るのはもう嫌なのか? 俺を嫌いになったのか? 会いたかった。会いたくなかった。 リキの側に居たい。側に居たくない。 ぐるぐると色んな気持ちが回って胸が締め付けられて息が苦しい。 ﹁くそっ!こんなに・・・こんなに苦しいなら、苦しいだけだった ら・・・・・・っ!﹂ 出会わなければ良かった ・・・いや、そんな事思った事なんかない。 今、こんなに苦しくてもリキに出会わなければ良かったなんて考え た事は一度もない。月並みな言葉だが、リキと出会って本当に俺の 世界は変わったのだ。 知らなかった事を知って、知らなかった気持ちを理解した。 こんなに満ち足りた気持ちは初めてだった。 リキと出会えて本当に良かった。 516 唐突に視界が歪み、ぼたぼたと涙が流れ出した。目を押さえてみて も全く止まる気配はない。 なんだこれ、なんで出てくる。 嗚咽まで漏れ出てきて、あまりの格好悪さに焦ってしまう。 ﹁う、ぐ・・・う、うぅ・・・﹂ しかし次から次に涙と嗚咽が出てきてどうしようもない。やっぱり 酒なんて飲まなきゃ良かった。 ﹁ガーウェン・・・﹂ 目を押さえて唸っているとリキに頭を撫でられた。 ﹁・・・私が嫌いになったか・・・?﹂ 沈んだリキの声にハッとして顔を上げた。 嫌いになんてなってない。だから苦しいんだろ!と言おうとしたが、 リキの悲惨な姿を見て自分のしたことに青褪めた。 破れた服、乱れた髪 白い身体のあちこちに見える赤い痕 手首の赤黒い痣 感情のままにリキに酷いことをしてしまった! リキを大切にするって、リキを幸せにするって決めてたのに。 好きなのになんでこんな酷いこと・・・! ﹁俺っ!ちがっ、お前に・・・﹂ リキにこんな事をしたかった訳じゃないんだ。 無様にも言い訳ばかり浮かんできて、自分の最低加減にまた涙が溢 れた。 ﹁ごめんな?そんなに苦しめたのか・・・ごめん。﹂ 俺の涙を優しく拭い、辛そうに謝罪を繰り返すリキに謝るのは俺の 方なのにと胸が痛くなる。 悪いのは俺だ。リキの話も聞かずにカッとして力尽くで無理矢理組 み伏せた。嫌悪してたはずのクソ貴族みたいに。 517 ﹁うぅっ・・・俺の、方が・・・っ﹂ ﹁ごめんな、ガーウェン﹂ リキが辛そうな表情を隠すように少し笑って見せるのが痛々しい。 ﹁ガーウェンが苦しくても辛くても、離してやれないんだ。私を嫌 いになったとしても離してやれない。ごめんね。私はガーウェンじ ゃないと駄目なんだ﹂ と首を傾けてキスするように顔を寄せてきたが、触れるより先に﹁ ごめん﹂と謝り離れていった。 キスされない事が悲しくて咄嗟に手を掴んだ。 ﹁っ!﹂ リキの小さな悲鳴に心臓が縮み、視線を落とす。細い手首に赤黒い 痣が付いていた。それは俺の手の形をしていて、紛れもなく俺が付 けた痣なのだと痛感させられた。 再び涙が溢れ、ぼろぼろと流れた。 ﹁お、俺っ、酷い事・・・最低だっ。お前っ、お前を幸せにするっ て、決め、決めてたのにっ・・・!俺だって、リキじゃなきゃ、だ、 だめなのに・・・っ﹂ 嗚咽まじりに必死で言葉を絞り出した。 リキと話をしようと思っていたのに、なんでこうなる。どうしてい つもこんな風に自分の気持ちを押し付けることしかできない。 ﹁ガーウェン、泣かないで﹂ 自分自身への怒りと悔しさに震える俺を小さな身体が包み、そして 何度も優しく背中を撫でてくれた。 その優しい手に涙がとめどなく流れ出て、さっき自分が痛めつけて しまった身体にすがって泣き喚いた。 ****** 518 泣きながらリキに色々、言葉をぶつけたと思う。 リキを責める言葉や言い訳みたいなみっともない事もリキが一番好 きだ、ずっと一緒にいたいという恥ずかしい事も全部心から漏れ出 してしまった。 涙は一度大量に出ると、一端止まったと思っても些細な事ですぐに また出てしまうものらしく、俺はまだグズグズと鼻を啜りながらタ オルを目元に当てていた。 リキと話せば俺が悩んでいた事はすぐに解決した。初めからこうす れば良かったと自分の短気にまた泣けた。 腕の歯型は魔術師が造った人造植物のものだそうだ。騎士団につい ては、 ﹁騎士という職業には魅力を感じないんだよなぁ。確かに安定して るし給料もいいけど、今の自由さには敵わないよ。毎日好きな事を 出来るなんて幸せだよ。﹂ と本当に楽しそうに笑った。 そうだった、リキはこの街に来てから毎日楽しそうだった。俺はそ れを見ていたのに騎士団に入るなんてどうして信じたんだろうか。 リキより他人の言葉を信じたなんて俺は馬鹿だ。 また涙がじわじわ出てきた。 ﹁うぐぅ・・・うぅ・・・﹂ ﹁ガーウェン、大丈夫だよ。大丈夫﹂ リキは俺の目から壊れたようにだらだらと涙が流れ出るたび、優し く背中を撫でてくれた。俺はそんなリキに抱きついて情けない嗚咽 を何度も出した。 目が痛い。喉も痛い。 なぜか頭もガンガンと痛む。 519 ﹁少し眠った方がいいよ。あぁ、目は擦らないで。﹂ ﹁うぅ・・・どこにも、うぐっ、行くなよ・・・勝手にっ、行くな・ ・・!﹂ なんだか何も考えられなくなってきた。瞼が重いのは眠気なのか、 泣き過ぎてなのか。 ﹁うん、一緒にいるよ・・・キスしてもいい?﹂ ﹁ば、ばかか、そんな事聞かなくていいだろっ﹂ 俺の悪態にリキが笑った。幸せそうな顔だ。 その顔が全てを表していた。 今度は絶対に間違えない。 目の前のリキをちゃんと見て、目の前のリキを信じよう。 520 後の展開を鑑みて一部を削除しました。 信じたい人*︵後書き︶ 2/6 521 可愛いあの子はおっさん 服を着替えて振り向くとベッドに横になったままのガーウェンが顔 を歪ませてぼろぼろと泣いていた。 ﹁せなが・・・わるい・・・﹂ ガラガラに掠れた声でガーウェンが謝る。自分ではきちんと確認で きていないが、ガーウェンに噛まれた背中がかなり痛々しい事にな っているようだ。 枕元に座り、ガーウェンの目の端に口付け、涙を吸いとってから笑 顔を向けた。 ﹁大丈夫だから泣くな。もっと頭痛くなるぞ﹂ 昨夜、誤解から気持ちがすれ違ってしまった私達だが、夜明け前に はまたお互い、相思相愛だって確認できた。 ﹃俺だって、リキじゃなきゃ、だ、だめなのに・・・っ﹄ と泣きながら必死に伝えてくれたガーウェンが可愛くて仕方ない。 グズグズ泣き震えるガーウェンを抱き締める時のなんたる満足感。 手首や背中の痛みが更に充足感を感じさせるから、私はもしかした ら新たなる扉を開いてしまっているのかもしれない。 泣き喚いていたガーウェンだが、最終的に私の腕の中で泣き疲れて 子供の様に眠った。しかし目覚めても昨夜の感覚を引きずっている ようで、些細な事で涙腺が緩み、グズグズと鼻を啜っていた。しか も泣き喚き過ぎて瞼は腫れ、声は枯れて、頭痛に熱を出すという悲 惨な状態になっていた。 ﹁何か食べれそうか?﹂ ﹁・・・・・・わがら、な・・・﹂ ﹁分かった。ドリスに何か消化の良いものを作ってもらうから少し 待っていて﹂ 522 ボサボサの赤髪を撫でて、シーツと毛布を掛け直してやると顔半分 をそれに埋めながら掠れた声で﹁ありがと﹂と言った。 ・・・・・・か、可愛いっ!! いつになく素直で控え目なおっさんに人生で一番と言って過言では ないほどニヤけただらしない顔を返した。 ****** 一階の喫茶店へ行くとカウンター席にいたルキアーノが私を見た。 煙草をふかして何か言いた気な顔をしているが、その前にグディに 声をかけた。 ﹁グディ、おはよう。すまないがガーウェンが体調を崩したから消 化に良い料理を何か作ってくれないか﹂ ﹁おぉ!リキちゃん帰ってたのか!ってガーウェンの具合悪いのか ?大丈夫なのか?﹂ ﹁熱は対したことないんだが、頭痛が酷いみたいで今は寝てる。あ あ、それと喉がだいぶやられてるから喉に良い飲み物みたいなのは ないかな﹂ ﹁喉に良い、か・・・おーい、ドリス!ガーウェンが風邪引いたっ てよ!蜂蜜茶作ってくれ!﹂ グディが奥の厨房に叫ぶと﹁はいよー!﹂とドリスの大声が返って きた。このやり取りも久々に聞いたなぁ、と何だかしみじみしてし まった。 ﹁あんだけ喚けばそりゃ喉も枯れるわな﹂ 523 ルキアーノの呟いた声にそちらを見れば、 ﹁んで、お嬢ちゃんは大丈夫なのか?﹂ と気遣う視線を向けられた。 ガーウェンは気付いていないが、実は昨夜も私は結界を張れないほ ど魔力を消耗していた。その為、隣の部屋のルキアーノには私とガ ーウェンのあれこれ一部始終を聞かれている訳で、要らぬ心配を掛 けていたようだった。 ﹁ああ。私は特に何もないよ﹂ ﹁何もない、ねぇ。それ、ガーウェンにやられたんだろ。案外目立 つぞ﹂ それ、と言って指さされたのはシャツの袖から見えた痣の付いた手 首だった。袖を引っ張ってみても痣を全て隠すことは出来ない。手 持ちの服で長袖がこれだけなのが悔やまれた。 ﹁そうか、困ったな。これが見えるとガーウェンがまた泣くかもし れない﹂ 包帯を巻くのだとやはり目立つし、手甲だと今付けるのはおかしい し。もう少し袖の長い、所謂﹃萌え袖﹄と言われるぐらいの長さの シャツがあればいいんだが。 ﹁グディ、打ち身に効く薬があったろ?あれをお嬢ちゃんにやって くれ﹂ ルキアーノの言葉にグディが私の手首を見て、眉を顰め叫んだ。 ﹁あの馬鹿っ!何やってんだ!﹂ ﹁グディ、平気だからあんまりガーウェンを責めないでやってくれ。 今だって反省のし過ぎで熱を出したようなもんなんだ﹂ 今にも部屋に乗り込んでガーウェンに説教を始めそうなグディに苦 笑する。 ﹁私も悪かったんだ。巻き込まない事がガーウェンを大切にする事 だと思っていたんだが、ただただ不安にさせてしまう結果になって しまった﹂ ﹁だからってそんな痣!﹂ 524 ﹁ガーウェンが情けないぐらい女に不器用だって知ってんだろ。あ いつは確かにやり方を間違ったようだが、お嬢ちゃんが許してるん ならいいじゃねーか﹂ ルキアーノの投げやりな言葉にグディが﹁だけどな!﹂と言い寄っ た。ルキアーノはこんな風にどうでも良さそうな言い方をしている が、実はかなり私達を気にしていた。昨夜もルキアーノの気配が何 度も部屋の中央とドアまでを行ったり来たりし、止めに入ろうかど うしようか迷っているのだと感じた。 耐えてくれてありがたい。 あそこでルキアーノの制止があったらガーウェンはおそらく立ち直 れない。私にした事を悔やんで苦しんで私の前から居なくなってし まっていただろう。そんな事にならずに済んで良かったし、私の身 体の痣云々よりもあんな顔のガーウェンを見れてラッキーだと思っ ているほどなのだ。 ﹁・・・グズグズで情けないガーウェンのあの顔、可愛かったなぁ﹂ おっと口に出てしまった。 言い合っていたルキアーノとグディが私を見て深いため息を付いた。 ﹁末期だ・・・リキちゃんのガーウェン病は末期だった﹂ ﹁だから言ったろ、お嬢ちゃんが許してるならいいんだよ。それに 俺達が口出すよりこの方がガーウェンには良い薬だしな。傷付けた 相手に許される事ほど堪える事はないだろ﹂ というかガーウェンにされた行為は嫌な事だと思っていないので許 す許さないという事ではないのだが。 蜂蜜茶できたわよー!というドリスの声にグディが厨房へ消えてい った。 ﹁あいつはなんだってそんなに女に対しては不器用で考え無しなん だろうな﹂ ﹁そこがガーウェンの可愛い所だよ﹂ ルキアーノの呆れた声に笑って返すと、そこにリキさん、と後ろか 525 ら鋭く名を呼ばれた。 振り向くと剣呑な雰囲気を隠すことなく双子とエンジュが私を睨み 付けていた。 ﹁リキさん、よく平気な顔して帰ってこれるよね﹂ ﹁連絡もなしに居なくなったくせにまたガーウェンさんに取り入ろ うっていうの?﹂ 図々しいと思わないの?と双子が同時に吐き捨てるように言った。 ﹁取り入ろうってのは心外だな。私とガーウェンは付き合っている のだから一緒にいるのが自然じゃないか﹂ 手厳しい言葉に苦笑する。どうやらここ数日で彼らの私への評価は 最低になったようだ。 しかし本当に心外だなぁ。連絡はしなかった訳ではなかったのだけ ど。 双子の後ろでエンジュが視線を落とすのが見えた。 ﹁騎士団に入れなかったからまたガーウェンさんを頼りにきたの? それともお金が足りなくなったからせびりに来たの?﹂ おい、私はどんだけクズ認定されてるんだ。 彼らの中での私のクズぶりにどう反応していいのか困惑していると ルキアーノが低い声を出した。 ﹁いい加減にしろよ。お前らが街でお嬢ちゃんの有る事無い事噂流 してるの俺が知らないとでも思ってんのか?ガーウェンに取り入ろ うってのはお前らだろ。ガーウェンの足引っ張んな﹂ ﹁足なんて引っ張ってねぇよ!足引っ張ってるならその女だろ!ガ ーウェンさんを腑抜けにして!﹂ ルキアーノの辛辣な言葉にエンジュが憤慨して叫ぶ。 ﹁腑抜けって言うより惚気って感じだけどな﹂ ポットとカップを乗せたトレーを手に戻ってきたグディが、俺上手 い事言ったろ?と得意気な顔をしたが、すぐに眼光鋭くエンジュ達 を睨みつけた。 ﹁でお前ら裏でそんな事してたのか?お前らがそんなに噂好きだと 526 は知らなかったなぁ﹂ 年長者二人に睨みつけられて若い三人組は口籠る。張り詰める空気 をよそに、 ﹁あとはそちらでやってくれ﹂ と私はトレーを手にした。私も当事者なのだが、はっきり言ってこ のガキ共にどんな悪質な噂を流されようがどうだっていいのだ。そ んな事より今一人私を待つガーウェンである。 馬鹿にされたと思ったのだろうエンジュが私に罵声でも浴びせよう あれ はガーウェンの為に私が作った物だ。 と口を開けた瞬間に言葉を投げつけた。 ﹁それとエンジュ。 お前が持っていていい物じゃない﹂ ガーウェンに返せよ、とすれ違い様にエンジュを見ると青褪めた顔 で唇を噛んでいた。 少々やり過ぎた若者達はこれから怖い大人達に大目玉を食らうこと だろう。 ****** カップに茶を注ぐと湯気と共にほんのり柑橘系の香りが立ち上った。 ﹁ガーウェン、起き上がれるか?﹂ ゔゔ、とおそらく肯定の返事だろう唸り声を上げて身体を起こそう とするガーウェンの背を支えて、ベッドの端に座らせる。頭が痛む のか身体を動かすたび顔を顰めるガーウェンにベッドテーブルがあ れば良かったかと今更思い至った。 ﹁熱いからゆっくり、な?﹂ 隣に座り、ガーウェンが茶を啜るのを見守りながら部屋を見回す。 527 この散らかり具合は病人を置いておくに相応しくない。ガーウェン が眠ってから片付けよう。 ベッドを結界で囲っておけば音も埃もガーウェンには届かないだろ うし。こういうちょっとした事に結界魔法の利便性を感じる。 私の言う通りゆっくりと蜂蜜茶を飲み干したガーウェンを再び支え てベッドに寝かせる。シーツと毛布を掛け直して、額に手を添えた。 熱は上がっていないようだ。 置いてあった桶に手を伸ばす。 中には清潔な水と魔法で生成した氷が入っている。 タオルを浸し、よく絞ってからガーウェンの瞼の上へ乗せた。 ﹁目は冷やしてた方が腫れが早く治まるだろう﹂ と声をかけるとガーウェンが小さく笑い声を上げた。 ﹁リキに・・・世話、されるの・・・照れるな﹂ ﹁ふふふ、じゃあもっといっぱい世話してあげる。ずっとそのまま でもいいんだぞ?﹂ 可愛い感想にふざけてそう返すとガーウェンがまた笑って首を振っ た。 ﹁なら早く治すんだな。ほら、もう寝た方がいい﹂ ガーウェンが小さく頷いた時、部屋の扉がノックされた。 528 仲直りのキス︵前書き︶ 仲直り回です。 ガーウェンとリキが仲良くしてるとやたらと長くなってしまいます。 申し訳ありません。 529 仲直りのキス 頭は相変わらずガンガン痛むが、壊れたように涙が出てくる事はな くなってきた。リキのマメな世話になんだがニヤける。 火照った瞼に冷たいタオルが気持ち良く、さっき飲んだ蜂蜜茶も腹 の底を温めて眠気を運んできていた。 ﹁ガーウェン、エンジュが話があるらしいんだけどどうする?後に してもらうか?﹂ ノックの音がしていたから誰か訪ねて来たのは分かったが、エンジ ュだったか。 ﹁ゔ・・・聞く・・・﹂ 身体を起こすと頭痛が酷くなるが、少しの間は大丈夫だろう。 リキに背を支えてもらい、ヘッドボードにもたせかかる前にサッと 枕がクッション代わりに置かれた。 ﹁至れり・・・尽くせ、り、だな﹂ だいぶマシになった痛む喉で冗談を言い、リキに笑いかけると後ろ の方で息を飲む音が聞こえた。 顔を上げると眉をこれでもかと下げ、泣きそうな顔のエンジュと驚 いた顔のエヴァンがーーー ﹁アンタ、誰ですか﹂ いつものように毒を吐いた。 鏡は見ていないが、瞼は腫れてるし髭は伸び放題だし髪はボサボサ なのは分かる。普段よりも更に残念な風貌になっているのだろう。 ﹁しばらく見ないうちに随分と顔が変形しましたね。冷やかしに来 たんですが、これは随分ですね。駄目です。リキさん、ちょっと。﹂ エヴァンの早口に反応出来ず苦笑を浮かべていると、何やら一人で 納得してリキを呼んだ。そして勝手にテーブルの上に薬を並べてリ キに説明し始めた。 530 ﹁・・・・・・ガーウェンさん﹂ 沈んだ声にそちらを見るとベッドの脇に座り込んだエンジュが泣き そうな顔で俺を見ていた。近くでエンジュの顔を見て異変に気付い た。 ﹁おま、顔、どした?﹂ 今は自分も人の事を言えない顔だということは置いておいて、少年 ぽさが抜けてきたエンジュの顔、左頬が大きく腫れているのに驚い た。 殴られた痕だと分かる。 出会った当時は確かに喧嘩っ早く、いつも誰かに喧嘩を吹っかけて はボコボコにされていたエンジュだったが、最近はそれも鳴りを潜 めていたはずだ。 ﹁これは・・・﹂ と口籠るエンジュに後ろから、 ﹁それはその馬鹿の自業自得なので気にしなくていいですよ﹂ そうでしょう?とエヴァンのキツイ言葉が飛ぶ。 気になるが、まぁエンジュもまだ若いからそういうこともあるだろ う。 ﹁エンジュ、話、なんだ?﹂ エヴァンの容赦ない言い様にがっくりと項垂れていたエンジュにそ う促すと、俺に似た赤髪の頭を跳ね上げ、﹁俺っ・・・!﹂と言い 掛けて直ぐくしゃっと顔を歪めた。そのまままた俯いてしまう。 よほど言いづらい事らしい。 ﹁ゆっくり、でいい、から﹂ と頭を撫でると、鼻を啜る音が聞こえ、そして震える手で何かを取 り出した。 ﹁俺、ガーウェンさんに謝らなきゃなんなくて・・・﹂ そう言ってそっと毛布の上に置いたのは三通の封筒と小さな小包だ った。 なんだ、これ?と首を傾げて宛名を見ると全て自分宛だった。封筒 531 の裏を見て驚きで目を見開いた。 送り主の名は﹃リキ﹄とあった。 ﹁なん、おま・・・﹂ なんでお前がリキからの手紙を持ってるんだ、と泣きそうなエンジ ュと簡素な封筒を交互に見て、気が付いた。 消印がリキが書き置きを残し出て行った日の次の日から始まってい たのだ。 息を飲んで、震える手で封筒を開けた。 手紙は封筒と同じ簡素な便箋に書かれ、忙しい仕事と魔術師やメイ ド、グリーという人造植物との生活が垣間見える普通の手紙だった。 その手紙に涙が次から次へと溢れ出た。 何気無い言葉の端々にリキが俺を気遣っているのが伝わってくるの だ。 ﹃早く帰れるように頑張るから いつもガーウェンを想ってるよ。大好き﹄ そう締め括られる手紙に泣けて仕方がない。 リキは約束を守ってくれていた。 いつも俺を想ってくれていた。 リキの愛を実感してどんどん涙が溢れてくる。 滲む視界に四苦八苦しつつ、小包を開けると中には手紙と黒革のブ レスレットが入っていた。 小さな玉の留め具が付いた紐が端にあり、幅広の柔らかい革の中央 付近に煌めく黒い石が二つ付いているブレスレット。つるりとして 光を反射する黒色の石はまるでリキの瞳みたいだ。 一緒に入っていた手紙には仕事の合間にブレスレットを作った事、 もう少しで帰れそうな事が綴ってあった。 532 最後に他の手紙と同じ文で締め括られ、そしてその下に小さな文字で ﹃私は少し寂しい、早く会いたいよ﹄ と書かれていた。 ﹁うっ・・・ぐっ、う・・・うぅ・・・﹂ 嗚咽が堪えられなかった。 リキの手紙を抱くように身体を丸めて、涙を流す。 リキはどんな気持ちで毎日手紙を書いてくれたのか。 俺からの返事が来ない手紙にどんな気持ちで﹃いつもガーウェンを 想ってる﹄と書いてくれたのか。 どんな気持ちで贈り物を作ってくれたのか。 リキが俺に向けてくれたたくさんの想いを俺はまた見逃す所だった。 ﹁ガーウェン﹂ 顔を上げるとリキが俺の手元を見て照れたような顔をした。 ﹁目の前で読まれるのはちょっとあれだな。なんていうか照れるな﹂ 歯切れの悪い言い方と横を向いたリキの頬が赤くて、本当に好きで 好きで可愛くて愛しくて抱きしめた。 ﹁なんっ・・・ごめっ、また・・・っ!﹂ 約束守ってくれて嬉しい。 なんで手紙書いたって言わなかったんだよ。 俺また自分の気持ちばっかり押し付けて、お前の気持ち見てなかっ た。 疑ってごめん。信じきれなくてごめん。 俺もいつもお前を想ってたよ。 俺も寂しかった。 ﹃少し寂しい﹄なんてお前もすごく寂しかったんだって分かる。 533 傷付けてごめん。 大好きだ。側にいてくれ。 言いたい事がたくさんあるのに痛んだ喉は真っ当に働かない。 でも言わないと。 ﹁お前、を、大切にする、から・・・!﹂ ずっと一生大切にするから、だから ﹁ガーウェンさんっ!ごめん!俺っ・・・!﹂ 切羽詰まった声に状況を思い出した。 あぁ、忘れてた。そうだ、エンジュが居たんだ。 埋めていたリキの肩から少し顔を上げ、エンジュを手招きする。 そして寄ってきたエンジュの頭上にゲンコツを落とした。 ﹁・・・ってぇええ!!﹂ ﹁説教、あとで、するからな﹂ 涙でぐちゃぐちゃのどうしようもない顔で威力は低いと思うが、一 応睨みつける。エヴァンに目配せすると頷いて、容赦無くエンジュ の襟首を掴んで引きずっていく。 ﹁用は済んだでしょう?これからまたグディの説教ですから。では ガーウェン、お大事に﹂ エンジュの苦しむ声を気にする素振りもなくズルズルと引きずり、 部屋を出て行くエヴァンを見送る。 ﹁リキ、悪い、あとで償わせる﹂ ﹁ん?いいよ。これがちゃんとガーウェンに渡ったし﹂ と黒いブレスレットを手に取った。 そうだ、それの事も聞きたいけど他にも色々聞きたい。話したい。 リキが伝えてくれた想いに俺も報いたい。 意気込む俺にリキが笑った。 ﹁残念だが、今は寝るのが一番だからな?﹂ 534 ****** 寝返りをうつと瞼の上のタオルが落ちて、灯りが目に入った。ベッ ドから離れたテーブルの上に抑えた照明の灯りだ。 室内は薄暗く、少し顔を動かして見た窓の外もカーテン越しでもす でに日が落ちていると分かった。 リキは、と考えるまでもなくシャワーの音で居場所を知る。 部屋を見回すと散乱していた空き瓶は処分され、積み重なった汚れ 物は綺麗になくなっていた。そこらに放ってあった鞄や道具もきち んと整えられ、荒んでいた生活は欠片も見当たらなかった。 シャワーの音が止み、しばらくしてリキが戻ってきた。 シャツを一枚着ただけの寛いだ姿だった。 目覚めてる俺には気付かず椅子に腰掛け、何やら始めた。 リキは風呂上がりに髪や身体に色々ペタペタと塗るのでそれかもし れない、とぼんやりと思っていると覚えのある薬の匂いを嗅ぎ取っ た。 俺も良く世話になった打ち身に効く塗り薬の匂いだ。 寝ボケた頭で怪我でもしたのかと考えていたが、その薬をリキが自 らの手首に塗り始めてやっと怪我を負わせたのは自分だったと思い 至った。 ﹁リキ・・・﹂ 喉の痛みはなくなり、若干違和感があるものの話すことに支障はな いようだ。 ﹁ガーウェン、起きたのか。体調はどうだ?﹂ 優しく尋ねながら何気ない様子でシャツの袖で痣を隠すリキに、な 535 んとなくだがリキが殊更優しく俺に接する時は自分から目を逸らし てもらいたい時なんじゃないかなと思った。 ﹁もう大丈夫だ。・・・背中にも薬塗るんだろ?俺が塗るよ。届か ねぇだろうし﹂ 傷付けておきながら何言ってんだとやはり気不味さを感じるが、で もちゃんと向き合わなければ。 リキは遠慮していたが、半ば強引にベッドの上に座らせた。 しかしいざそうなるととんでもない事態だと気付いた。 リキが恥じらうように後ろ向きでシャツのボタンを外し、ゆっくり と肩を露わにする。なめらかな白い肌は淡い照明に照らされ、浮か び上がる。 ゴクリ、と自分の喉が鳴る音が聞こえ、慌てて意識を持ち直した。 何してる!自分の罪ときちんと向き合えよ! シャツが落ち、背を隠す綺麗な黒髪が前へと流された。瞬間、息を 飲む。 項から肩、背中に青黒い丸い痣がいくつもいつも出来ている。 改めて見るとやはり痛々しい。 思わず項を撫でるとリキの肩が大きく跳ねた。 ﹁わ、悪い!痛かったか?!﹂ 慌てる俺にリキは首を振って、上擦った声で言った。 ﹁違うよ・・・びっくりしただけ﹂ もしかして俺に触れられるのが恐いのだろうか。 ズキンと心が痛む。 馬鹿か。なんで傷付く。あんな酷い事したんだ。恐がるのは当たり 前だ。 俺の自業自得だ。 今はとにかく優しくリキの背に薬を塗ってやらないと。 優しく優しく、を心掛けてリキの背に薬を塗っていたのだが、リキ 536 はまだ恐怖心が消えないようで時折ビクと身体を跳ねさせた。 本当に済まない気持ちでいっぱいになる。 首から肩のラインを撫でて優しく薬を塗り付けた時、リキから悲鳴 のような声が上がった。 ﹁ガ、ガーウェン!その触り方、やだっ!﹂ え リキに拒絶された、泣きそう・・・ ﹁感じるから、やだ・・・触り方やらしい﹂ かんじる?やらしい? 肩越しに振り返ったリキは俺を非難するが、目元は赤く上目遣いの 瞳は濡れていてーーー かあああっと一気に顔が熱くなって、急いで背中全体に薬を塗り付 けた。 ﹁ああああ、わわ悪い!おおお終わったっ!﹂ 視線は外しながら、シャツをリキの肩に掛けてやる。 背を向けたままシャツのボタンを留めたリキが振り向き、恨みがま しそうに俺を睨んだ。 ﹁ガーウェンは病み上がりだからって我慢してるのに煽るような事 しやがって﹂ 別に我慢しなくてもいいのに、と心の隅で思ったが言ってはいけな い雰囲気だ。 ﹁す、すまん。そんなつもりはなかったんだ﹂ ﹁当たり前だ。病気は治りかけが重要なんだぞ﹂ ﹁お、おう。その通りだ﹂ 537 真面目な表情のリキにちょっと下心があった事を見抜かれないよう に俺も神妙な顔を作ると、少し怪しむ顔をしたがリキは俺を許して くれた。 ﹁ガーウェン、腕出して﹂ 左腕がいいかな、とリキが言うのでその通りにすると手首に黒革の ブレスレットが巻かれた。 リキが作ったというあのブレスレットだ。 ﹁本当に自分で作ったのか?上手いな﹂ ﹁自信作だよ。それとガーウェンは私にこれ付けて﹂ ブレスレットの黒石をニヤけて撫でているともう一つブレスレット を渡された。 赤茶色の石が付いた赤革のブレスレットだった。黒革のとデザイン は一緒で色だけが違う。 あぁ、分かった。この色は俺とリキ、それぞれの色だ。 ﹁この中には魔法陣が入っていて、お互いの居場所がなんとなく分 かるようになってるんだよ﹂ ﹁お互いの居場所がなんとなく・・・ってなんだよ、なんとなくっ て﹂ 微妙な表現に思わず半眼でリキを見ると、リキは困ったように頭を かいた。 ﹁古い文献にそう書かれてたんだよ。使ってみて陣を改良するから。 ガーウェンもちょくちょく使ってみて﹂ 石に魔力を通すと相手の位置を感じとれるらしい。使ってみたが、 近くにいる為か元々こんなものなのか分からないが、性能が判断し づらかったのでそう言うとリキは笑った。 ﹁気休めでいいよ。でもちょっとは寂しさが和らぐだろ?なんとな くでも居場所がわかったら﹂ 俺とリキの手首を飾る揃いのブレスレット。 いつだって相手を感じ取れる。繋がっていられる。 538 ﹁・・・おう。大事にする﹂ 俺を想ってくれているリキの気持ちに報いたい。 手をそっと握り、リキの瞳を見つめた。 ﹁リキ、本当にありがとう。それと本当にごめん。お前に酷い事し た。もう二度と傷付けないから﹂ リキはふわりと微笑み、そして俺の胸の中に倒れ込むように抱きつ いてきた。 ﹁いいよ。私こそごめんね?私もガーウェンを傷付けた。次は何で もちゃんと話すから﹂ ﹁おう。わかった﹂ ﹁じゃあ、仲直りのキス、だな﹂ 俺を見上げて、リキが悪戯っ子の顔で笑う。 な、仲直りのキス・・・。なんだかムズムズする妙に照れる言葉を 心のなかで反芻して、リキの顎に手を添えた。のだが、 ﹁あ、ちょっと待ってろ!や、やっぱ髭剃るから!﹂ 思い直してバタバタと洗面所へ走る俺の背に ﹁まぁ、こういう締まらない所が私達だよなぁ﹂ と諦観したリキの声が聞こえた。 539 仲直りのキス︵後書き︶ 仲直りのキスは寸止め 540 挿話 二人を見た人々 エヴァンが﹃南風の吹く丘亭﹄のドアを開けた瞬間、怒号が耳を突 き刺した。 ﹁テメェ!自分がやった事分かってんのか!!﹂ 怒鳴っているのはエヴァンとも馴染みの深いこの店の店主、グディ である。グディは容貌こそモジャモジャの髭面で一見恐そうなのだ が、世話好きで良く気の付く優しい奴だ。 そんな奴に怒鳴られてるなんていったいどこのどいつで何仕出かし たんだ、とエヴァンは呆れ半分興味半分で店の奥を見た。 店の他の客も何事かと注目する先にグディが仁王立ちしており、彼 の前に座り込んで自分の頬を抑えている見覚えのある赤毛の頭が見 えた。 エヴァンの冒険者仲間であるガーウェンを兄として慕うエンジュと いう少年だ。 いや、エンジュはもう成人していたんだっけ?と緊張感漂う店内を 横切りながら、エヴァンは呑気に疑問を浮かべた。エルフは長命種 の為、大体の知り合いがエヴァンより生きている年数がかなり少な い。彼は他人の年齢というものに無頓着なのだ。 カウンター席の前には床に正座して俯いたルーファスとリーファス がいた。エンジュとルーファス、リーファスがこうしてグディに叱 られている光景は何年か前にはよく見られた。懐かしく感じるなん て歳取ったなぁ、とエヴァンは感慨深く思ったのだった。 ﹁何があったんです?﹂ カウンター席で煙草をふかしていたルキアーノに声をかけると、無 精髭が生えた顎でエンジュを指し示し、吐き捨てるように言った。 ﹁そのクソガキ、お嬢ちゃんがガーウェンに宛てた手紙を盗んでた 541 んだよ。んでグディにぶん殴られた﹂ ﹁へぇ、泥棒ですか。ガーウェンに懐いていたのに、ガーウェンを 裏切ったんですね﹂ ﹁裏切ってない!!﹂ エヴァンのあからさまな言い方にエンジュは顔を真っ赤にして怒鳴 った。 ﹁手紙を盗んだ訳じゃない!あの手紙をガーウェンさんに渡したら、 またあの時みたいに傷付いちゃうんじゃないかって・・・﹂ 最初は勢い良く叫んでいたが、段々と語尾は小さくなっていった。 ﹁あいつが・・・リキさんがガーウェンさんを利用しないってどう して信用出来んだよ。あの女みたいに最低な女かもしれねぇじゃん﹂ ﹁そうだよ!皆、なんでそんなにリキさんを信用出来るの?あんな に胡散臭いのに!﹂ ﹁自分達の悪行を棚に上げて人の批判か!﹂ リキに対し不満を漏らすエンジュにルーファスとリーファスが賛同 する声を上げるが、途端にグディの雷が落ちた。 ﹁確かにお嬢ちゃんは過去に何かありそうだけどな、だがこの街で 過去に何もねぇ奴を探す方が大変だろ﹂ お前らだってそうだろ?とエンジュ達を目を細めて見ながらルキア ーノが煙を吐き出す。もっともな意見に若い三人組は呻いた。 ﹁リキさんは善良な家族の元で普通の暮らしをしてましたよ﹂ エヴァンが何気無くそう口にすると、皆が驚いて彼を見た。エヴァ ンはきつい事をズバリ言うが嘘は言わない人である。 ﹁それはリキちゃんから聞いた話か?﹂ というグディの質問にエヴァンは首を振った。 ﹁そうではなくて・・・あぁ、ガーウェンに知れると嫉妬されるの で内緒にしておいて欲しいんですけど、前にある機会があってリキ さんの記憶を読んだ事があるんです。﹂ ﹁へぇ、それが﹃善良な家族が﹄って内容だったのか﹂ ﹁ええ。普通の暮らしでしたよ。治安の良い故郷に仲の良い家族や 542 友人がいて、そこら辺の街娘みたいに親に隠れて夜遊びする程度の 悪い事しかした事のない善良な記憶でした﹂ ﹁育ちは良いだろうと思っていたが、やっぱりな。そんなヤツが旅 して生きてきたっていうのは想像するよりも大変だったろうなぁ﹂ グディのしんみりした言い方にエヴァンが笑った。 ﹁まぁ、きっと本人に聞いても大変だったとは言わないと思います けど﹂ ﹁そうか・・・ってそうだ!リキちゃんに薬渡すんだった。忘れて たぜ!﹂ とグディが厨房に駆け込んで行った。 薬?とエヴァンが疑問を示すとルキアーノが昨夜からの顛末を話し 出した。 ****** エンジュがテーブルに突っ伏して唸り声上げている。その横でエヴ ァンが冷めた目付きでそれを見下ろしていた。 ﹁いやー、ガーウェンは酷かったですね。顔がぐちゃぐちゃでした よ﹂ 先ほどエヴァンとエンジュがガーウェンを訪ねて行ったが、思った よりもガーウェンはボロボロだった。 ガーウェンは良い奴だが女に関しては不器用。今回はその不器用さ が悪い方向へ行ってしまったのだった。 ﹁ガーウェンさんをあんなに泣かせるつもりはなかったのに・・・﹂ とエンジュがぼそりと呟いた。 543 エンジュ達にとってガーウェンは命の恩人であると同時に家族のよ うな存在だった。悪事で繋がった荒んだ関係ではなく、信頼と尊敬 で繋がった真っ当な絆。 そんな相手の幸せを願わないわけがない。 あの女 を思い出させた しかしエンジュにはどうしてもリキに対して良い感情を持てなかっ たのだ。 慣れた接客と誰にでも愛想の良い態度が からだ。 好きだとガーウェンに言い寄ってきたのはあの女だった。女に不慣 れで経験の乏しかったガーウェンがあの女に夢中になるのは然程時 間を有せず、すぐに二人は恋人同士になった。 付き合い始めてしばらくは普通の、多くの恋人同士と変わらなかっ たとエンジュは記憶している。エンジュ達もあの女の事は歓迎して いた。 しかしそれは長く続かなかった。 女はなぜか段々とガーウェンを蔑ろにし、貶める事を言うようにな っていった。 女の変化に戸惑ったのはガーウェンだけじゃなくエンジュ達もそう である。なぜあんなに愛想の良かった女が掌を返したように傲慢で 自己中心的になってしまったのか。理解出来なかった。 そしてそれからすぐに女はガーウェンの有り金を全て持って姿を消 した。 しばらくしてからガーウェンに女から手紙が届いた。エンジュは内 容を確認した訳ではないが、手紙を読んで徐々に丸く小さくなって いくガーウェンの背中を見て、ガーウェンが騙されていたという事 が事実だったと分かったのだった。 ガーウェンには幸せになってもらいたい。 544 あんなに傷付いたガーウェンだからこそ幸せになってほしい。 ﹁・・・だけど、やっぱりリキさんは信用できないんだよ・・・﹂ 何か重大な事を隠してるリキがあの時ガーウェンを騙した女に雰囲 気が似ているのがいけないんだとエンジュは苦々しく思った。 ﹁別に無理に信用しなくていいんじゃないですか?﹂ ﹁おい!エヴァン!﹂ さらりと言ったエヴァンにグディが驚きの声を上げた。 ﹁リキさんはコイツらに信用されてもされなくてもどうでもいいと 思ってますよ。ただだからと言ってリキさんを貶める噂を流したり、 手紙を盗んだりするのは間違ってますけどね﹂ ﹁確かにお嬢ちゃんはお前らごときが画策しようが関係ないからな。 本気で鬱陶しいと思えば力尽くなりなんなりお前らを従える事がで きるからな﹂ エンジュは更に顔を歪めた。腹の立つことだが自分達がどんなにリ キに対抗しても彼女には軽くあしらわれていたのだった。リキにと ってエンジュ達はその程度の存在ということだ。 お前らなぁ、とグディが呆れる。 ﹁コイツらはこんな事を言うがちゃんと反省しろ。人の噂や先入観 で判断するんじゃない。よく見ろ。リキちゃんだけじゃなくリキち ゃんと一緒にいる時のガーウェンも見ろよ﹂ わしゃわしゃとエンジュの髪を掻き混ぜながら、グディが諭した。 ﹁ガーウェンが幸せになるのを応援してやれ﹂ 応援している。誰よりも幸せを願っている。 なのに結果、ガーウェンを深く傷付ける事になってしまった。 ﹁ガーウェンはもういい歳のおっさんだぞ?お前らみたいなガキに 心配されなくても自分でなんとかするだろ﹂ ルキアーノの至極尤もな言葉に若い三人組はうぐぐぐ、と唸り声を 上げた。 545 独り占め*︵前書き︶ エッチな表現があります。 短めです。 546 独り占め* ﹁リキ、腕貸して。こっち来い﹂ くったりと力の入らなくなった腕を取られ、抱き上げられた。深く 穿たれていたガーウェンの昂りが更に奥へ入り込み、ぐっだぐだに 甘く蕩けた喘ぎ声を出してしまった。 ﹁やぁんっ・・・﹂ 散々たっぷり中に出されたガーウェンの精液が繋がっている部分か らどろりと溢れ出た。ぞわ、と肌が粟立ち、思わずガーウェンの首 に縋りつく。 ﹁ふぁ・・・出ちゃう・・・﹂ ﹁ふっ、可愛い声が出てるぞ﹂ 笑いを含んだ声と共に首筋にキスが降ってきて身を震わせた。 ﹁んっ・・・﹂ ﹁疲れたか?﹂ ﹁あ、ぅん・・・も、だめぇ・・・﹂ 汗をかいてしっとりとしたガーウェンの腕が背骨をたどり、編み込 んだ髪を弄んだ。 体調不良も治り、日中は仕事もして健全に生活しているガーウェン と私だが、日が暮れ、部屋に入るとずぶずぶに愛欲に溺れる毎日を 過ごしていた。 ガーウェンの昂りが私の中に収まってから、一度も抜かれていない。 体位を変える時も達した後の余韻の時もガーウェンは私から出て行 こうとせず、すでに私の中はもう熱く解け切っていてガーウェンの 昂りとの境目が分からないほどだった。 ﹁でもまだもう少し、な?﹂ 547 ﹁やぁ・・・あっ、や、あっ、あっ﹂ チュッチュッと頭や顔に口付けされながら、腰を掴まれ揺すられる とグポッグポッと大きな音が結合部から聞こえてきて流石に恥ずか しくて耳を塞ぎたくなった。しかし身体は怠くて腕すら動かすこと も儘ならない。 最近はマリと修行する時間が減ってしまったもののちゃんと毎日訓 練はしているのだが、ガーウェンとの体力差が縮まった気がしない。 寧ろこのおっさんの体力というか精力は体調不良後から更に無尽蔵 になっている気すらする。 ﹁あっ、や、音、恥ずかしっ・・・﹂ ﹁す、すごいグチャグチャ、だなっ・・・はぁ、もう出そう・・・ っ﹂ ガーウェンが動きを止めても私の内部は私自身の意思とは関係なく うねって甘える様に熱棒に絡みついた。心の中ではもうだめ、これ 以上は死んじゃうと思っているのに身体はまだガーウェンの熱が欲 しいのか。 ﹁リキ﹂ 名を呼ばれたので顔を上げるとチュッと可愛らしい優しい口付けを された。 ﹁・・・んっ﹂ ﹁・・・リキとこうするだけで疲れが吹っ飛ぶ。色々報われる気が する﹂ へらっと力の抜けた幸せそうな笑顔のガーウェンにつられて笑みを 返すと、ガーウェンの昂りがまた一回り大きくなった。 ﹁悪い、リキ。あともうちょっとだけ独り占めさせて﹂ ベッドに倒され、巨体が私の上に影を作る。 足を抱え上げられ、ガーウェンの身体が前後するとゴプゴプと体液 が掻き混ぜられる音がした。 エロ漫画のエロシーンみたいな音がしてるな、などとどこか遠くの 方で思いながら腰を掴むガーウェンの手を握り、喘いだ。 548 最近のガーウェンの流行りは私を﹃独り占め﹄らしい。夜のでろで ろ甘々なセックス三昧は﹃独り占め﹄の一環だという。 そんなにしなくても私はガーウェンだけのモノだよ、と言ったのだ が、 ﹁そんな事言ってお前は結局、好き勝手やってるだろ。それに俺の 知らない奴と仲良くしてるし。せめて二人きりの時は﹃独り占め﹄ してぇんだよ﹂ とガーウェンが筋肉だらけの身体でベタベタとすり寄ってくるので 私の鼻の下は伸びまくっていた。 筋肉おっさんが何言ってるんだ。クソ可愛いなおい! そうして毎晩、動けなくなるまでガーウェンの﹃独り占め﹄攻撃を 受けとめるのだった。 ﹁ふ、はぁっ・・・リキ、愛してる・・・!﹂ 犬がじゃれつくように私の首に顔を埋めて吹き出た汗を舐め回すガ ーウェン。 ﹁あっ!やぁ・・・も、溶けちゃうよ﹂ 繋がった部分を始め、ガーウェンと触れている部分が全て熱い。そ の熱に身体が溶けそうだ。 ガーウェンが私の肩に腕を回し、がっしりと抱え込んだ。肌の触れ 合う面が増えて身体が燃え出しそう。額と額、鼻の頭同士を合わせ てガーウェンが熱い呼気を吹き込んでくる。 ﹁全部、一つになってもいいか?﹂ 意味がよく分からなかったが、衝動的に頷いた。途端に激しいキス をされ、呼吸が奪われる。溺れそうになりながらガーウェンに必死 にしがみついた。 ああ、確かに全部一つになってる気がする。 呼吸も鼓動も熱も境目も私とガーウェンの全部が一つに合わさって いる。 549 このまま溶けて一つになったらと思いつつ、やっぱりガーウェンと は隣同士、一緒に歩いて行きたいなぁと滲む視界に赤銅色の髪が揺 れるのを見ていた。 事後の倦怠感と疲労からくる眠気でくったりとベッドに沈んでいる 内にガーウェンに身体を拭かれ、ベッドも整えられた。色んなもの でべちゃべちゃのシーツは丸まって部屋の隅へ置かれている。 明日もあれを洗うことから一日が始まるのか、ぼんやり考えている 内に妙にさっぱりした顔のガーウェンが隣に潜り込んできた。 そしていつものように後ろから私を抱き込んで、後頭部に鼻先を埋 めた。 ﹁風呂が欲しいよな﹂ ふんふんと鼻を鳴らしてそんな事を言うので、遠回しに﹁くせぇ﹂ と言われているのかと思って身をよじった。 ﹁なんだ?どうした?﹂ ﹁ん・・・シャワー浴びてくる・・・﹂ ﹁明日にしろ。明日の朝、一緒に入ろう﹂ 身体を簡単に押さえられ、再び頭の匂いを嗅がれる。臭いと思って もなぜかもう一度嗅いじゃうあれですか、やめて!泣くよ! と思ったがどうやら違うようで﹁ふぁ、いい匂い﹂とガーウェンの 呟く吐息が髪をくすぐり、胸を撫で下ろした。 ﹁やっぱ風呂欲しい・・・一緒に入りてぇ﹂ なるほど、そっちか。 ガーウェンは風呂好きで尚且つ私と一緒に入るのが好きなのだ。私 も風呂好き民族なのでガーウェンに賛同する。眠気でふわふわした 思考のままだが。 ﹁そーだねぇ﹂ ﹁ベッドももう少しでかい方がいいよな﹂ 賛同した私に嬉しそうに今度はそう言い出しだ。 550 ベッドはどうだろうか。確かにガーウェンがゴロゴロ寝返りを打つ にはもう少し大きい方が良いと思うが、それでは部屋が手狭になる んじゃないのか。 ﹁リキの手料理も食いたいからキッチンもあったほうがいいよな。 やっぱ広い方が使いやすいのか?﹂ 問われたが、眠くて考えがまとまらない。 ﹁ん、わかんない・・・﹂ ﹁そうか。実際見に行かねぇと分かんねぇか。でも風呂は大きい方 がいいよな。その、ほら・・・人数増える、かもしんねぇし?﹂ なぜか照れた雰囲気のガーウェンの声が身体の中に響いて心地良く 意識を揺らし、微睡みへ誘っていく。 ﹁リキと一緒だとどこでも楽しいだろうから家は何でもいいよな。 その・・・﹂ あーガーウェンすまん明日にしてくれもう身体がしんどくて眠いんだ ﹁その、お前と一緒だと、その・・・俺は幸せだから、って違う! 俺の事言ってどうすんだ。そのお前を、リキを幸せに・・・必ずっ て言うのはその自信がねぇんだけど、出来るだけ・・・ってやっぱ 違うよな。必ずって誓わなきゃなんねぇよな。その、必ず、お前を、 リキを、その・・・・・・﹂ 遠くの方で何やらボソボソごにょごにょ言っているが、明日でいい か? 551 独り占め*︵後書き︶ もしかして:ヘタレ 552 彼女の笑顔 ゼルに﹁話があるからリキと一緒に来い﹂と言われていたのでゼル の職場である鍛冶場に程近い酒場に来ていた。リキは今日はギルド の食堂でアルバイトだから後で落ち合う事になっている。 ﹁なんでお前らがいるんだよ﹂ なぜか店内に居た見知った奴等に嫌な表情をしてやると、仲間内で は一番マトモなエヴァンが心外だという顔を見せた。 ﹁失礼ですね。私はゼルに呼ばれたんですよ。そこの二人とは全く 違います﹂ ﹁やだなぁ!俺は偶然、たまたまッスよ!わぁこんな事もあるんス ねぇ。ねールキさん﹂ 明らかな嘘くさい言い方で﹁すごい偶然だなぁ﹂と繰り返すロード には拳骨を落としておいた。のたうつクソ犬をニヤニヤと笑って見 ているルキにも睨む様な視線をくれてやるが、奴は悪びれず、 ﹁俺はあれだよ。野次馬だよ﹂ などと言いやがった。 ゼルがやって来ると﹁偶然です﹂とニヤつくロードにやはり拳骨を 落とした。 ﹁リキは仕事か﹂ と言うゼルの言葉に左手首に付けた黒革のブレスレットを撫でた。 黒い石に魔力を通すと対のブレスレットの在処を感じた。おおよそ の方向と距離からリキはまだ冒険者ギルドにいると分かる。 ﹁まだ仕事中みてぇだな。もうすぐ来るだろ﹂ ﹁うへぇ、それが噂の浮気防止装置ッスか?常に居場所を知られる なんて地獄だわ﹂ 553 ロードが大袈裟にぶるりと身体を震わせる素振りをしたので、鼻で 笑ってやった。 ﹁なんだよ、それ。大体、俺は浮気なんて考えた事もねぇし。居場 所を知られたからってやましい事はねぇんだよ﹂ ﹁そういう問題じゃないんスよ!心の自由の問題なんスよ!﹂ 恋愛は自由だとか人を愛する気持ちを制限するのかとか何だかんだ と憤っているが、結局のところ自分自身の気の多さを棚に上げたい だけだろ。 エヴァンも同じ事を思ったらしく物凄く冷たい声を出した。 ﹁首輪でも付けたら節操無しの下半身がお利口になるんじゃないで すか﹂ ﹁おーいいな。お嬢ちゃんに躾してもらえよ。お嬢ちゃんは良い飼 い主になるぞ、きっと﹂ ﹁やめて!冗談でもそう言うこと言わないで!ほら、見て!ガーウ ェンさんが殺意が篭った目で見てる!﹂ 失礼だな。ただ見てるだけじゃないか。 ﹁まったく。お前等は餓鬼の時分から全然成長しとらんな﹂ 騒ぐロードにゼルが深いため息をつき、そして改めてと言った具合 に俺を見た。俺達を呼び出した本題が始まるのだと少し緊張した。 ﹁ガーウェン、お前はリキと上手くやってるようだな﹂ ﹁ん、まぁ、そうだな﹂ ﹁リキとの将来は考えているのか?﹂ リキとの将来・・・ 言われている意味が分かって、かああっと顔が一気に熱くなった。 ﹁う、その・・・・・・か、か、考えて、る・・・結婚、したいと 思ってる・・・﹂ ニヤニヤしてるルキとロードが視界の端にチラつくのを視線を逸ら して見ないフリをする。思わずブレスレットを触ってリキの居場所 554 を確認したのは、流石にこの状況でリキと結婚の意思があると本人 にバレるのは格好悪過ぎると思ったからだ。 リキはまだここから遠い。よかった。 ﹁へぇ!ガーウェンにしてははっきり言いましたね。リキさんとそ う言う話はしてるんですか?﹂ エヴァンの感心したような言葉に視線を泳がせてもごもご。 ﹁お、おう。ま、まぁ、昨日もそんな話をして・・・﹂ 顔を見るのは恥ずかしくて背後から話したけど。 口が上手く動かなくてもごもごしたけど。 リキは疲れて半分寝ていたけど。 今朝、聞いたら全く覚えていなかったけど! ﹁新居とか・・・﹂ ﹁おぉっ!家、もう見つけたんスか?!﹂ ﹁い、今から探す・・・﹂ ﹁・・・・・・・・・﹂ 痛い!エヴァン達の視線が痛い! ﹁・・・ちょっとリキさんと話した状況を詳しく教えてくれません か?﹂ ****** ﹁アンタ、馬鹿なんですか?﹂ エヴァンの冷ややかな声が店内に響いたが、この街ではそんな事は さして珍しくもない為、店員はちらりとこちらを見ただけで興味な さそうにすぐ別の方へ視線を向けた。 ﹁そんなヘンテコなタイミングでよく結婚の話をしようと思いまし 555 たね﹂ 尤も過ぎるエヴァンの言い分に返す言葉もなく、がっくりと項垂れ た。 確かにあのタイミングはない。リキをあれだけ酷使したのは他なら ぬ俺だし、リキがぼんやりしているのも分かっていた。 だけど気持ちが盛り上がっちまったんだよ! うぐぐぐと唸っている俺を見てルキとロードは腹を抱えて笑ってい る。 ﹁リキさんは一般的な女性とは感性が違いますから何とも言えませ んが、それでも寝ぼけている時に何の予兆もなくそんな大事な話さ れて喜ぶとは思いませんけど﹂ ハイ、ゴモットモデス。 もっとちゃんとした雰囲気で思い出になるようなプロポーズの方が いいよな。 乏しい自分の経験からプロポーズの演出を考えているとゼルが厳し い表情で言った。 ﹁儂はリキに騎士になることを勧めようと思っておる﹂ 唐突なその話に言葉が詰まった。エヴァン達にも困惑した空気が漂 う。 ﹁お前とリキが結婚するのは儂も賛成だ。だがその前にリキは騎士 になった方がいい﹂ ﹁なった方がいいって言われても、リキは騎士になる気はないって。 冒険者は自由だから好きだって﹂ ﹁冒険者は自由だが後ろ盾がないだろう?リキには故郷も家族すら もない。だがリキの能力は類を見ない。あの容姿も目立つ上、教養 も申し分ない。どうなるか分かるな?﹂ ﹁お嬢ちゃんを欲しがるお偉いさんに何か言われたのか?﹂ 怠そうに紫煙を吐き出すルキの言葉に奥歯を噛む。 リキを欲しがる、なんてリキを物みたいに言いやがって。 ﹁﹃本部﹄に呼ばれたのだ。リキを養子や妻にしたいと貴族共から 556 打診が来ていると。﹃本部﹄は将来有望な冒険者であるリキを容易 く手放す気はないようだが、どこまで耐えられるか分からん﹂ ﹁リキの意思は無視か!﹂ カッとして拳をテーブルに叩きつけた。 皆、欲しいのはリキの能力だろ。リキ自身を見てねぇじゃねぇか! ﹁だから騎士を推薦しているのだ。貴族共の権威に対抗する為には 後ろ盾が必要だ。ソーリュート騎士団に入ればクナ侯爵の所有にな る。貴族共への牽制になるだろう﹂ ﹁だけどそれでは騎士団内部の柵に囚われるのでは?リキさんの能 力は騎士にとっては垂涎ですから相手が貴族から騎士に変わるだけ ではないですか?﹂ 騎士団内部にも貴族はいるし、派閥だってある。リキを手に入れた いと思う奴もいるはずだ。 ﹁・・・ソーリュート騎士団ならば儂も﹃本部﹄もある程度口が出 せる﹂ ﹁それは希望的観測でしょう?﹂ 苦虫を噛み潰したような顔のゼルにエヴァンが呆れる。 ﹁まあ、どっちにしろ決めるのはお嬢ちゃんだろ。お嬢ちゃんの意 思次第ってことだ﹂ ﹁だからお前等を呼んだのだ。リキを説得してもらうように﹂ リキを守ってやりたい。でも相手が貴族だと手が出せない事はジン グスタ侯爵の次男の一件で嫌という程、理解していた。 リキが囚われていると分かっているのに助けに行けなかったあの焦 燥感。 ﹃毎日好きな事を出来るなんて幸せだよ﹄ とキラキラ輝く楽しそうな笑みがまた遠退いてしまうのか。 落ち着いて生活が出来ると思い、この街にリキを連れて来たのにそ の生活すら守ってやれない自分自身の無力さに唇を噛んだ。 557 暗い海に射す光 ギルド食堂でのアルバイトが終わり、ガーウェンとの待ち合わせ場 所である酒場へ向かった。 店に入るとぶんぶんと手と尻尾を振るロードが見えて苦笑した。 ﹁なんだ、お前ら。野次馬か?﹂ ﹁リキちゃんお疲れー!俺とルキさんはその通りだよー﹂ ふざけてそう言ったのにロードは陽気にそう返してきた。だいぶ酔 っているようだ。 ゼルとルキアーノ、エヴァンに顔を向けると彼らの酔いはまだ深く ないようで私に軽く挨拶を返した。愛しのガーウェンはというと、 一人テーブルに突っ伏していた。 ﹁ガーウェンに余り飲ませるなよ﹂ 赤銅色の頭を撫でて隣の席に座ると穏やかな寝息が聞こえたが、取 り敢えず非難を込めて周りに視線をくれた。 ﹁ガーウェンが勝手に飲んだんだよ。まぁお嬢ちゃんの事で悩んで いつもより酒は進んでたけどな﹂ ニヤつくルキアーノにため息をつく。 ﹁悩むような事を言うな。ガーウェンは繊細なんだぞ﹂ ﹁悩みのネタはゼルが持ってきました。リキさんを騎士団に推薦し たいそうですよ﹂ 驚いてゼルを見ると、話すのにも順序があるだろうがとエヴァンに 怒った視線を向けていた。 ﹁・・・リキは将来のことをどう考えている?﹂ 真剣なゼルに答えが分かりきっている事を聞くなよと呆れる。 ﹁将来?決まってるよ。ガーウェンと家族になりたい。ガーウェン の子供を産みたい﹂ 迷いなくはっきりと告げるとヒューッと茶化すような口笛がロード 558 から上がった。ニヤニヤするロードとルキアーノを一瞥してからゼ ルに向き直った。 ﹁話はなんとなく予想出来たけど、騎士になる気はないよ﹂ ﹁だがな、お前の能力を手に入れたい貴族達がいるのは確かなのだ。 それに対抗する為に騎士になってお前自身が権力を持つのが一番だ﹂ ﹁何も騎士にならずとも今だって後ろ盾ならアフィーリアやマリが 居るんですから充分じゃないですか?貴族の好きになせない為だけ に騎士になると言うのは乱暴過ぎます﹂ ﹁アフィやマリと関係している事もリキの価値を高めている一因な のだ!﹂ エヴァンの冷静な言葉にゼルが怒った様に反論している。 アフィとマリは超一流の冒険者だ。繋がりを持つだけで持たらされ る利益は計り知れない。しかし彼女達は国からも要人として保護さ れている為、直接繋がりを持つ事は非常に難しい。 その為アフィとマリの弟子だと彼女達から直々に認められている私 には私自身の能力云々よりも付加価値が高くなっていると言える。 ﹁貴族や騎士の事情なんて私には関係のない事だと言いたいところ だが確かに面倒だと思う。だが私も色々手は打っているよ﹂ ﹁手を打っている?例えばどんなだ?貴族共に対抗し得るものか?﹂ ﹁まぁ、それは今言えることじゃない﹂ すぐさまゼルが身を乗り出し食いついてきたが、適当にあしらって ガーウェンの身体を揺すった。 こんな所で寝かせておきたくない。大体、こんな話をするよりガー ウェンとイチャついていた方が良いに決まってる。 ﹁リキ。真面目な話だ。お前の為を思って言っているのだ﹂ ゼルの声が険しさを増す。ゼルはこのお節介を本気の善意でやって いるから質が悪い。 ゼルの顔に刻まれた深い皺の数々に頑固そうな爺さんだな、とため 息が出た。 559 ﹁なぜ騎士を勧める?例えばギルドランクを上げて冒険者としての 名声を上げるとかマリの流派の門下生になって一門の庇護を受ける とかアフィの正式な後継者になるとか貴族達を牽制するには他にも 方法はあるだろう。なぜ騎士になることをそんなにも勧めるんだ?﹂ ﹁・・・それは・・・﹂ 言葉に詰まるゼルにルキアーノが煙草をふかしながら言った。 ﹁街でもお嬢ちゃんを騎士団に入れて貴族から守ろうって動きがあ るらしいぞ﹂ ﹁えぇーそれって何か怪しくないッスか?皆でリキちゃんを騎士団 に入れようとしてるみたいじゃん﹂ 街の人に嫌われてるの?と首を傾げながらロードが犬耳をしゅんと 下げる。 ﹁リキさんは住民に好かれていますからおそらく善意でしょう。リ キさんを守る為には騎士団に入れるべきと思わされてるんだと思い ますよ。ゼルの様に﹂ ルキアーノ達の言葉にゼルが不機嫌そうな唸り声を上げた。 ﹁その言い方じゃ、儂等の意思が誘導されている様ではないか﹂ ﹁されてるんだろうな﹂ 膠も無く言い切るルキアーノにゼルの眉間の皺が深くなった。 ﹁こう言っちゃなんだが、出自がはっきりしてねぇ、実力も今の所 未知数のお嬢ちゃんを貴族が嫁にしたいなんて可笑しいと思うけど な。アフィ達との伝手は魅力的かもしんねぇが、利益よりも胡散臭 い女を一族に入れる方がリスクがあるだろ。そのリスクより利益を 取るっつー野心のある貴族ならもっと直接的にお嬢ちゃんにアプロ ーチをかけてるだろうし﹂ ﹁能力主義という点で貴族より騎士の方がリキさんを有用としてい る気がしますね。それで裏からリキさんが騎士団に入るように画策 してるということですかね﹂ ﹁そう言う事なのか・・・?﹂ 沈んだ声が隣から聞こえたのでそちらを見ると、いつの間にかガー 560 ウェンは起きて私達の話を聞いていたようだ。 私と目が合うと彼は何かを決意したような力強い光を瞳に灯した。 その光にドキッと胸が高鳴った。 ﹁悪い、帰る。リキ、帰ろう﹂ チラリとゼル達を見てそう告ると、返事も聞かず私の手を掴み、強 引に店から連れ出した。 しかし機嫌が悪い訳ではないようだ。 ﹁少し寄り道して帰ろう﹂ 私を振り返ったガーウェンの顔は穏やかで優しい笑みを浮かべてい た。 ****** 皇龍山の麓に位置する南地区は坂が多い。 私は石造りの坂道や階段をガーウェンに手を引かれ上っていた。 家屋の間の細い路地を身体を横にしてすり抜ける時には小さく笑い 声を出してしまった。まるで子供の頃に近所を駆け回った﹃探検﹄ みたいだ。 肩越しに私を見たガーウェンはどこか得意気な表情をしており、そ れは﹃秘密基地に連れてってあげる﹄と私の手を引いた幼い頃の弟 に似ていた。 路地を抜けると小さな広場に出た。 こっちだ、とガーウェンに誘われ、塀に寄り身を乗り出すように覗 き込むと、 561 ﹁あ・・・!﹂ そこはソーリュートの夜景が一望出来る高台だった。 慎ましい街の光に見入る私を後ろからガーウェンの太い腕が抱きし める。 ﹁ここは街全体が見えるんだが、殆ど知ってる奴はいない。穴場な んだよ﹂ 大事な秘密を披露するようなガーウェンの囁きが耳をくすぐる。 ﹁正面にある目立つのが﹃塔﹄で、右側が東地区だから、あそこに ﹃遺跡﹄。左側が海で・・・ほら灯台が光ってるだろ。でも今日は 月が出てないから海が暗いな﹂ 光を指差しながらガーウェンは小さな声で教えてくれた。私もそれ に小さく相槌を返しながら、ガーウェンの腕に擦り寄った。 元の世界でも様々な夜景を見たが、なぜか今が一番ドキドキする。 しばらくそうしているとガーウェンが静かに語り出した。 ﹁ゼルの話を聞いて、お前を守る為に騎士にしようと思った。お前 が騎士になりたくないって言っても説得しようって思ってた。・・・ でもよく考えりゃ可笑しい話だって分かんのになぁ。俺はすぐ他人 の言葉に惑わされる﹂ 降ってきたガーウェンの声は自嘲気味で、見上げると彼は眉の垂れ た情けない顔をしていた。 ﹁素直なんだろ。そこもガーウェンの良い所だよ﹂ ﹁ただの考え無しなんだよ。あそこにエヴァンやルキが居なかった ら俺はまたお前を傷付ける事になってたかもしれない﹂ ぎゅうっと私を抱く腕に力がこもった。 ﹁お前が騎士になったらって考えて、それでも良いと思った。お前 はきっといい仲間をたくさん見つけて、実績だってすぐに上げられ るだろう。それでお前を守れるならお前が幸せになるならそれが一 番いい方法なんだと決めつけた﹂ 562 ﹁もっと考えれば他にいくらでも守る方法はあったのにな。結局、 お前を守る自信がなかったんだ。だからゼルの話に飛び付いちまっ たんだ﹂ 違うよ、ガーウェンはいつも私を守ってくれる。たくさん考えてく れる。そんなに自分を悪く言わないで。 そう言いたかったが、言えなかった。 ガーウェンの瞳が力強い決意を宿していたからだ。 ﹁リキ、今、幸せか?﹂ 私に問う声は優しい。 言葉が出せず、ガーウェンの腕を掴んで頷いた。 ガーウェンの側にいられるから幸せだよ。 綺麗な瞳が私を射抜く。 ﹁もし、この街を出て行くとしても付いて来てくれるか?﹂ 私は頷いた。只々頷いて、ガーウェンの腕に縋り付いた。そしてや っと震える声で言った。 ﹁ガーウェンと一緒だとどこでもきっと楽しいよ﹂ ガーウェンは数回瞬きをし、ふわりと笑った。 ﹁俺も同じ事考えてた﹂ 身体の向きを変えられ、真正面から抱きしめられる。ガーウェンの 早い心音が聞こえる。 ﹁リキ、これからも俺の側にいてくれ。必ず、必ず幸せにする﹂ 夜明けはまだ遠い。 563 しかし、暗いあの海の向こうから必ず黄金の光を放つ太陽がやって くる。 564 糸を紡いでいくように*︵前書き︶ エッチな表現があります。 そして後書きが長いです。 565 糸を紡いでいくように* ガーウェンにとってソーリュートは故郷である。 生まれたのはソーリュートからは遠い村だったというが、そこでの 暮らしの記憶は無く、思い入れもないそうだ。 父親は居らず、母親はまだ少女である年齢の時にガーウェンを産ん だ。 その後、再婚し再び子供を産む。 ガーウェンはそれからすぐ家を出て冒険者として生計を立てるべく ソーリュートを訪れた。 そして死に物狂いで冒険者として実力をつけて、今日までこの街で 生きている。 ソーリュートでの暮らしはガーウェンが自らの力で得た掛け替えの ないものなのだ。 部屋に帰るとガーウェンは室内の整理を始めた。 ﹃もし、この街を出て行くとしても﹄ 彼が言った言葉は紛れもなく本気なのだ。 私のために故郷や仲間や友人から離れる事を決意してくれている。 いつ実行されるかは分からない。明日かもしれないが、でもこのま ま実行されなければいいと思っている。 ガーウェンから大事なものを取り上げたくない。だけどそれより私 と一緒に居ることを選んでくれて嬉しい。 黙々と部屋を片付けるガーウェンの背中に堪えきれない感情が溢れ て、縋るようにしがみつき、彼の背中に額を押し付けた。 ﹁どうした?﹂ 566 降ってくる声が優しくて泣きそうだ。 ﹃ごめんね﹄も﹃ありがとう﹄も違う気がする。考えて結局、溢れ 出る感情のまま言えたのは、 ﹁ガーウェン、愛してる﹂ それだけだった。 ガーウェンの身体が少し離れて、間も置かず抱き上げられた。 ﹁俺がお前と一緒に居てぇんだ。手を伸ばせばすぐに触れられるぐ らいの側に居てほしいんだよ﹂ 同じ高さになったガーウェンの顔は自信に溢れた凛々しい表情をし ていた。 情けない顔や照れた顔も可愛くて好きだが、この顔は反則だ。格好 良過ぎる。 鼓動が大きく高鳴り、頬が熱くなった。おっさんの振り幅に眩暈が する。 ﹁お前が近くに居ないと俺は満足に生活も出来ないみたいだからな。 側で見張っといてくれ﹂ 冗談めかせて笑うガーウェンに心が鷲掴みにされ、身体の奥がキュ ンキュンし始める。 このおっさんはどれだけ私をときめかせればいいんだ! ガーウェンにメロメロになって一人で息も絶え絶えにはうはう言っ ていると、何か手渡された。反射的に受け取ると水晶蝸牛の殻だっ た。 手の中のそれとなぜか少し寂しそうなガーウェンを交互に見て首を 傾げる。 ﹁これ、どうしたんだ?﹂ ﹁お前のだろ﹂ ﹁ん?ガーウェンから貰ったのはちゃんと持ってるよ﹂ ガーウェンから貰った水晶蝸牛の殻はちゃんと包んで保管してある。 567 異空間から小さな巾着を取り出して見せるとガーウェンは目を見開 き、それからばつの悪そうな、苦笑いするような複雑な顔をした。 そういう事か、と一人納得して呟くガーウェンに再び首を傾げる。 ガーウェンはベッドの端に座り、私を膝の上に横抱きにするとやは り複雑な顔で深いため息をついた。 ﹁俺は本当に他人の言葉に簡単に惑わされるんだな﹂ ﹁何か誰かにされたのか?﹂ 自然と声が低くなるのは致し方あるまい。こんな純情で乙女でたま に男前なおっさんを謀ろうとするなんてどこのどいつだ。 ﹁そうじゃねぇんだけど・・・そういやお前、﹃陽月の騎士﹄と飯 食いに行ったのか?﹂ ﹃陽月の騎士﹄・・・ああ、騎士団の副団長か。顔が思い出される と自然と不機嫌になってしまう。 ﹁マリの手伝いに行った時、新人騎士全員に奢らせた話か?マリと 騎士達が死ぬほど食うから引き攣った顔してたけど、それでガーウ ェンに何か言ってきたのか?﹂ あの腹黒野郎、と不機嫌露わに金髪の騎士を罵っているとガーウェ ンは私の肩にがっくりと項垂れた。 ﹁そうか。お前を信じきれていないのを見抜かれて、一杯食わされ たのか﹂ ﹁なんだあのクソ野郎、ガーウェンを騙したのか﹂ ﹁いや、何ていうかあれは俺が悪い。お前を信じきれないどころか 疑ってしまったんだ。お前が俺よりあいつを選ぶんじゃないかって 思ってしまった﹂ ﹁・・・なんだよ、私はいつもお前だけだって言ってるだろ。しか もよりによってあの野郎を選ぶと思うなんて﹂ ガーウェンの言葉にムッとして、思わず責めるような口調になった。 眉を八の字にした情けない顔のガーウェンにスルリと頬を撫でられ、 唇に優しく触れるキスをされる。 568 ﹁悪かった。今はちゃんと分かってる。お前は俺だけだって分かっ てる﹂ 許しを乞うように優しいキスを何度もされて、それだけでもう既に 心の中では許しているが不機嫌な顔を崩さぬままぞんざいに言った。 ﹁お仕置き、だな﹂ ****** ふぅ、ふぅ、とガーウェンから荒い息が上がっている。喘ぎ声を出 さない為に手の甲が口に当てられているが、それでも堪えきれなか った声が時折、漏れ聞こえていた。 あぁ、可愛いなぁ。 ジュルジュルとわざと音を立てながら陰茎を咥えた頭を上下すると、 呻き声が聞こえ、腹筋が綺麗に浮き出るのが見えた。 ﹁リ、リキっ、触りたい、触らせてっ﹂ ガーウェンの切な気なお願いが後ろから聞こえた。一応、お仕置き という名目なのでガーウェンは律儀に私に伺いを立ててくる。 その従順さは私の身体を震わせた。 お仕置きだと押し倒されたガーウェンは困惑していたが、途中で私 が本気で怒っている訳ではなくそういうプレイの一種だと理解する と順応は早かった。 身体を起こして肩越しに振り返ると自分のお尻の向こうに淫欲を滾 らせたガーウェンの顔が見えた。 ものすごい興奮してるって書いてある。 569 ガーウェンの胸を跨いで目の前でお尻を振り、大きな陰茎をジュル ジュル音を立ててしゃぶるこの姿をすごく気に入ってくれたようだ。 硬くなったものを扱く手は止めず、 ﹁じゃあ、お尻を揉むだけならいいよ﹂ 仕方ないなぁという風な芝居をしてみたのにガーウェンは全く聞い ておらず、いいよ、と聞くが早いか大きな手で私のお尻を容赦なく グニグニと揉み始めた。 動きに合わせて濡れた割れ目からニチニチと音が聞こえる。 あ、ちょっと恥ずかしいかも。 ガーウェンの手でグイッと割り開くように陰部を広げられた。閉じ られ、開かれ、その度にニチャニチャと水音が響く。 あ、あ、奥、み、見られてる。めちゃめちゃ恥ずかしい! 腰を揺らしてそれから逃れようとするが、ガーウェンの興奮を煽る だけだった。 ﹁すげ・・・ヒクヒクしてる・・・﹂ やめてぇ!感想とか言わないで!これじゃどっちのお仕置きか分か んねぇじゃねーか! ﹁ガーウェンっ﹂ ﹁ん?どうした?﹂ とぼける様なガーウェンの声は楽し気な空気を隠しきれていない。 どうやら従順はもうおしまいらしい。 優位性が切り替わって、ガーウェンが私を翻弄する番になってしま ったようだ。 それも案外、嫌いじゃない。いやむしろ大好物です。 向き直ってガーウェンの頬に擦り寄ると笑われ、キスされた。 ﹁もう許してくれるのか?﹂ ﹁うん・・・﹂ ガーウェンの太い指が私の身体のラインをなぞりながら下部を目指 570 す。その刺激に小さく息を漏らし、ガーウェンを誘った。 ﹁なぁ、ガーウェン・・・独り占めにして?ガーウェンに独り占め されたい﹂ 上目遣いに見た彼は穏やかで満ち足りた顔をしていた。 心がすれ違い、お互い傷付け合ってもまた引き合って、寄り添い、 糸を紡いでいくように少しづつ絆を強くしていけたらいい。 名を呼んだり、手を繋いだり、顔を見合わせて笑ったり、そんな些 細な幸せを繰り返してこれからもガーウェンの隣で生きていきたい。 それが真っ直ぐな道じゃなくてもガーウェンと二人ならきっと大丈 夫だから。 571 糸を紡いでいくように*︵後書き︶ 扉をノックするために上げた手を止めて、グディは深いため息をつ いた。 これから昔馴染みのこの部屋の主に面倒事を伝えなくてはならない のが、とんでもなく気が重い。先日、懐き過ぎてる弟分の暴走によ り、悩みまくって落ち込んでどうしようもなく駄目になった昔馴染 みにまた悩みの種を渡さなければならないのだ。気が重くならない 訳がない。 しかしこのままでは店の営業にも差し支える。グディは覚悟を決め て扉をノックした。 いや、ノックというよりも殴りつけてた。 ﹁おい!ガーウェン!出てこい!!﹂ 扉が揺れて外れるのでないかと思うぐらいの強さでガンガンッとノ ックする。 ﹁おい!ガーウェン!﹂ ﹁ーーーるせぇなぁ。朝からなんだよ﹂ ガチャリと鍵が外される音がして、気怠げな昔馴染みーーガーウェ ンが顔を出した。寝起きらしく髪が跳ねた頭をボリボリ掻き、ズボ ンをだらしなく履いた半裸姿で欠伸をしている。 美人の恋人ができて最近は小綺麗にしていると思ったのだが。そん なんじゃすぐに見限られるぞと小言を口にしようとして、あの彼女 なら﹁その姿も可愛いなぁ﹂などとニヤつくだろう様子が思い浮か び、小さなため息に変えた。 ﹁お前に厄介な客が来てる﹂ ﹁あ?なんだって?﹂ ﹁﹃群青狼﹄に跡取り息子がいただろ?そいつが今、下に来てる。 それでお前を呼んでこいって騒いでるんだよ﹂ 572 ﹁リキじゃなくて俺をか?﹂ 訳が分からないといった顔のガーウェンにグディも呆れた顔をして みせた。 ﹁どうやらお前にリキちゃんを賭けて決闘を申し込みに来たらしい ぞ﹂ ﹁はぁ?﹂ ﹁それだけならぶん殴って追い返すんだが、なぜか﹃陽月の騎士﹄ も一緒で、奴もお前に話があると言ってんだよ﹂ ﹁﹃陽月の騎士﹄・・・﹂ ガーウェンが苦々しい顔で呟く。それもそうだ。南地区の住人なら 誰もが知っている顔良し家柄良し加えて実力有りのお坊っちゃん騎 士に呼び出されるなんて、例えいい話題だったとしても心臓が縮む。 ﹁有名人が来てるから人が増えちまってどうしようもねぇ。営業妨 害だから早く何とかしてくれ﹂ 顔を歪めたガーウェンの後ろ、部屋の奥で何かがモゾモゾと動いた。 グディが何気なく視線を向けると、ベッドの上で黒髪の女が身体を 起こした所だった。 シーツが落ち、露わになった白い肩とくびれた腰に見惚れ、思わず 喉を鳴らした。 ドンッ! ﹁・・・何、見てんだよ・・・﹂ 壁を蹴りつけ、グディの視線に割り込みながらガーウェンが低い声 で言った。殺気のこもった眼で睨まれ、グディは慌てて目を逸らす。 ﹁す、すまん﹂ チッ、とガーウェンが舌打ちをして部屋の奥へ向かった。 ﹁リキ、グディが来てるからちゃんと被ってろ﹂ 573 ﹁なんかあったのか?﹂ ﹁ん、後で話す﹂ ﹁ふーん?なぁ、シャワー浴びたい。全身ドロドロだよ﹂ ﹁ちょっと待ってろ、な?﹂ 視線を逸らしたままでいたグディは聞こえる会話に安堵していた。 ガーウェンは上手くやっているようだ。 そう思うと同時に後ろめたさを感じた。上手くいっている恋人同士 にわざわざ波風を立てなきゃならないなんて。 ﹁グディ、後でいく﹂ ﹁おう、あんまり悩むなよ。リキちゃんと相談しろ﹂ 後ろめたさで一言余計な事を言ってしまったとガーウェンを見たが、 彼は思ったより穏やかな顔をしていた。 ﹁分かってる﹂ 何があったか分からないが、彼の中で覚悟が決まったようだ。 不器用な昔馴染みだが、今は頼りになる男の顔をしていた。 574 決断 店の中はやたらと騒がしかった。言い争いが起こっているようだ。 アオが俺に決闘を申し込むと言っているとグディから聞かされ、店 に降りて来たものの騒がしさの中では誰も俺に気付かない。 言い争っているのはエンジュ達とアオの取り巻き連中だった。 ﹁帰れよ!ガーウェンさんに迷惑掛けんじゃねぇ!!﹂ ﹁なんでお前らにそんな事言われなきゃなんねーんだ!お前らには 関係ねぇだろ!﹂ ﹁俺達はガーウェンさんの弟分だから関係大有りだ!どうせ勝てね ぇんだから帰れ!﹂ ﹁んだと!クソガキども表出ろ!!﹂ 怒号が飛び交い、一気に店内に物騒な空気が満ちる。 それを横目で見ながらカウンター席へ行くとニヤつくルキとロード、 興味なさそうなエヴァン、人の多さに怯えているバードンがいてこ いつらは変わんねぇなぁ、と少し安心してしまった。 しかしその変わらない友人達の奥で丼飯をかっこんでいる少年にガ ックリと肩を落とした。 なんで一番の当事者が美味そうに飯食ってんだよ。 少年の後ろに立つバルディヌを見ると疲れた顔して苦笑いを浮かべ ていた。彼もどうやら苦労人のようだ。 ﹁おはようございます﹂ ガシャガシャと甲冑の鳴る音がし、爽やかな挨拶が聞こえた。その 声にイラつき、睨むように見ると予想通り﹃陽月の騎士﹄ーーアル フォンスだった。 ﹁おはようございます。そんなに睨まれるような事しましたっけ?﹂ アルフォンスが整った眉を下げ、戸惑う様子でいるのを冷めた気持 575 ちで見返した。こいつのこれは全部、計算し尽くされた演技なのだ。 それにリキが言っていた。こいつの顔はリキを監禁していたジング スタ侯爵の次男に似ていると。その話だけで嫌悪感が湧き上がる。 ﹁アンタはぶん殴りてぇ奴に似てるからムカつくんだよ﹂ 吐き捨てる様に言うとアルフォンスの後ろに控えていた騎士が顔を 歪め、殺気立った声を出した。 ﹁口を慎め!騎士団に対する反抗と捉えるぞ﹂ ﹁まぁまぁ。騎士だって好かれるばかりの仕事ではありませんから、 反発も仕方ないですよ﹂ 部下らしき騎士を諌め、アルフォンスは女なら卒倒するだろう笑み を見せた。 ﹁今日はリキさんは一緒ではないんですか?﹂ ﹁話はリキじゃなく俺にあるんだろ﹂ 素っ気なくそう返すと翠の瞳を一瞬細めて、再び笑った。虫唾が走 る笑顔だ。 ﹁そうですね。・・・単刀直入に言いますが、リキさんには騎士団 に入団してもらいたいんです﹂ ﹁・・・・・・リキにその意思はない﹂ ﹁しかしリキさんの結界魔法は類稀な能力です。その力をこの都市 の為に使って頂きたいのです﹂ ﹁待て!!リキは俺達の﹃十六夜の群青狼団﹄に入れる!だからお っさん、リキを賭けて俺と決闘しろっ!﹂ 突如、アオが横から大声で割り込んできた。さっきまで美味そうに 飯食ってた奴が何言ってんだ。 ﹁騎士みたいなつまんねぇ仕事より俺と一緒にいた方がリキも楽し いだろうし!﹂ ﹁貴様!騎士を侮辱するな!!戦う事しか脳のない野蛮な冒険者ご ときがっ!﹂ ﹁騎士だからって調子に乗んなよ!﹂ アオの言葉に騎士が激昂し、抜剣した。それと同時にアオの取り巻 576 き連中も武器を構え、一触即発、緊迫する。 ﹁お、おい!お前らやめろ!﹂ グディや一般客が恐慌に陥り、店内が混乱しかけたその時。 その空気を切り裂く凛としたリキの声が階上から発せられた。 ﹁静かにしろ﹂ 瞬間、全ての者の動きが止まり、先ほどとは違う緊張感で静まり返 った。 ﹁話も静かに出来ないのか?﹂ 抑揚のない抑えた声音に、指先を動かす事すら、息を吸う事すらも 上手くできない。全てがリキという存在に制圧されていた。 リキの︻統率者︼というスキルをここまで体感することはなかった。 リキは俺に対してそのスキルを使用するのが嫌らしく、俺にまで影 響するような使い方をする事がなかったからだ。 しん、と音が途絶えた店内にリキの声と足音だけがする。 ﹁ここは店の中だよな。一般客もいるだろう。そんな所で騎士が軽 々しく剣を抜いていいのか?﹂ リキは剣を構えたまま動けない騎士の目を真っ直ぐ見つめると少し 目を細めた。それだけで騎士の身体が震える。 ﹁剣を仕舞え。お前らもだ﹂ ﹃群青狼﹄の連中を見回し、リキがそう言うと皆慌てて武器を仕舞 い、直立不動になった。リキはアルフォンスとアオを交互に見て、 低い声で告げる。 ﹁アルフォンス。場を掻き回す為に血の気が多い奴を連れてくるの はいいが、騒ぎが過ぎれば上司のお前が無能だと思われるぞ﹂ ﹁も、申し訳ありません﹂ ﹁アオ。お前はいずれギルドを率いる立場になるのだろう?なら仲 間をきちんと掌握しろ。仲間の面倒をお前が見るんだ。関係ないよ うな顔をするな﹂ 577 ﹁う、ご、ごめんなさい﹂ 静かだが、圧倒的な威圧感に二人が上擦った声で謝罪を口にする。 それを聞いてリキはふっと一息つくと、 ﹁それで?ガーウェンに話はしたのか?﹂ と明るく言った。店内を制圧していたリキの威圧感が薄まり、やっ と楽に息が出来た。 ﹁・・・・・・とんでもねぇな、おい・・・﹂ ルキの呟きに皆が心の中で頷いて同意した。 ****** ﹁バルディヌに聞いたらおっさんもすげぇ強いっていうから、それ じゃあ決闘するしかねぇ!って﹂ リキを賭けて というのは理由半分で強い奴と闘い よく分からない言い分を得意気に披露するアオに俺はため息をつい た。どうやら たい、というのが大元にあるらしい。 だったら相手は俺でなくてもいいだろうにと思ったのだが、 ﹁若はアンタを気に入ってるから﹂ とバルディヌに申し訳なさそうに言われてしまい、ルキ達には﹁ガ ーウェンはガキに好かれる体質だから!﹂などと大笑いされる始末 だった。 決闘の話なのになんだこののほほんとした感じ。 アルフォンスも折角、緊迫した空気を作ったのにリキに壊され、和 気藹々とした話し合いになってしまった場に混乱を隠し切れないで いた。 ﹁リキさんは有力な能力を持っています。それを持っている者とし 578 てこの街、いやこの国に貢献する事は当たり前ではないですか?﹂ 刺々しい言い方もその混乱を表すよう。 この街では冒険者の上位ランカーは有事の際、例えば魔物が大量発 生して﹃迷宮﹄から溢れ出たり、﹃森﹄に強力な魔獣が出た場合に 騎士団に協力することを義務付けられている。 確かに住んでいる街や国の為、必要な能力を提供することは大事だ。 しかし・・・ エヴァン達と話すリキに視線をやるとすぐに俺に気付き、ふわりと 笑った。俺を心から信じてるって笑顔だ。 大事な事はたくさんある。今まで大事にしてきたものもたくさんあ る。 だけど本当に一番、大事にしたい事はもう一つしかない。 ﹁わかった﹂ 決して大きくない自分の声が店中に響いた気がした。 ﹁この街から出ていく事にする﹂ 579 本人達より周りが盛り上がる ガーウェンの決意に満ちた視線を受けて、私は強く頷いた。 彼の決意を信じる。 ﹁今日の夕方、いや昼には出よう﹂ ﹁うん。わかった﹂ 二人顔を見合わせていると、グディが焦った声を出した。 ﹁お、おい、冗談だよな?街を出るなんて﹂ ﹁グディ、部屋に残した物は好きに使っていい。あと前払いしてる 家賃は長い間世話になった礼に取っといてくれ﹂ ﹁いや、お前、﹂ ﹁おいっ、おっさん!出てくってどういうことだよ!俺との決闘は どうすんだ!逃げんのかよ!?﹂ アオが大声でガーウェンに詰め寄っているが、私じゃなくガーウェ ンを先に気にするあたり決闘云々はガーウェンにじゃれ付きたかっ ただけなのだろうと思う。ガーウェンはやたらと年下の男子に懐か れるようだ。 ﹁そうだな。逃げる事になるな﹂ ガーウェンはアオの言い草を気にする様子もなく、私の肩を抱き寄 せると髪をさらりと撫でた。 ﹁リキをソーリュートに連れて来たのはこの街ならリキの髪と瞳で も落ち着いて普通の暮らしが出来ると思ったからだ。間違ってもお 前らみたいな面倒事に巻き込む為じゃねぇ。落ち着いた生活が出来 ないならここに居る意味はない﹂ はっきりとした強い口調に一瞬、周りが圧倒されるように黙った。 仰ぎ見たガーウェンはなんて言うかめちゃくちゃ男前で﹁抱いて!﹂ って叫びたいくらいである。 ﹁リキが幸せだと思う生活をさせるって決めたから﹂ 580 ﹁それが本当にリキさんの幸せになるんですか?旅慣れしていない 彼女を街から連れ出して、苦労をさせるだけではないですか?﹂ アルフォンスは疑いを強くした視線で真意を探ろうとするようにガ ーウェンを見つめている。 ﹁苦労はするかもな。だが生きていれば誰もがそれなりに苦労はす るもんだろ。大事なのはそれにどうやって立ち向かうかだ。俺とリ キの二人なら必ず上手くやれる﹂ 野次馬のロードがおおーっと歓声を上げると、気を良くしたのかふ ふん、と鼻を鳴らした。 ﹁お前らは有名人で力もあるが、それはこの街の中だけだ。俺はこ の街じゃなくても、この国じゃなくても、どんな所でもリキを幸せ にする覚悟がある﹂ ﹁おおっ!ガーウェンさんが言い切った!あの優柔不断の塊が!﹂ ﹁優柔不断の塊ってなんだよ!﹂ ガーウェンは一言余計なロードに鉄拳を喰らわせながらも、背後に ﹁すごいでしょ!褒めて褒めて!﹂と振り回される尻尾の幻影がち らつくほど清々しい得意気な笑顔を見せていた。 うんうん、良い子。よく出来ました。 腕を伸ばして赤髪を撫でると、ぎゅうううっと力一杯抱き締められ た。 おおう。ガーウェンの厚い胸板で窒息しそうだ。だが折角なので顔 を擦りつけて存分に味わっておこう。 頭上からガーウェンの弾んだ声がする。 ﹁よし、旅支度して出発しよう﹂ ﹁待てガーウェン!お前の気持ちは分かったから、街を出て行くの は考え直せ。お、おいエヴァン、お前も何とか言え!﹂ この場で一番混乱しているのはグディのようで、私達とエヴァン達 を交互に見て、動物園の熊かってぐらいウロウロしている。救いを 求めてエヴァンを呼ぶが残念ながらそれは下策である。 ﹁別に良いんじゃないですか?﹂ 581 ﹁なっ?!﹂ 案の定、適当に返されグディは絶句する。 ﹁この街には恋愛関係に横槍を入れる下世話な暇人が多いみたいで すから、離れるのも手だと思いますよ。どうせソーリュートでしか 権威を維持出来ない奴ばかりなんですから、さっさと出て行くに限 ります﹂ 煽り は好調である。 意味有り気に騎士と﹃群青狼﹄の面々を見回し、小馬鹿にした笑顔 を作るエヴァン。 さすが一聞けば十毒を吐く男。今日も 気色ばみ武器に手を添える一同だが、なぜかチラチラと私の顔を窺 って、構えることはしなかった。 ﹁リキさんは本当に彼に着いて行くのですか?不便、不自由な思い をするのは確実なんですよ?﹂ アルフォンスが私をじっと見て言った。 この世界に来た当初や身体を取り戻したばかりの時は文化の違いや 現代日本に比べるとやはり不便さが際立ち、戸惑いもあった。 しかし魔法を使いこなせるようになった今、生活における不便さや 不自由さを感じることは少ない。 勿論、お金は有限だから旅の最中は節約しなければならないが、そ れは普段も気にかけていることだから苦にはならない。 うーん、と首を捻ってみるが、不便さや不自由さに関して何も浮か ばなかった。 ﹁そうか?魔法が使えれば不便も不自由もあまり無いと思うけど﹂ ﹁リキさんはアフィーリアと同じで結界魔法も時空魔法も使えます から、旅途中でも街中と変わらない生活が出来ますよ﹂ エヴァンがそう言うと、アルフォンスは自分の不利を知って苦い顔 を見せた。 うわぁ、エヴァンが鬼の首を取ったような最高に輝く笑顔してる。 582 ﹁いーじゃん!愛の逃避行、いーじゃん!﹂ ﹁おーおー羨ましいねぇ。若い美人ちゃんと逃避行なんて戯曲みて ぇじゃねーか﹂ 憧れるなぁ、と心底羨ましそうなロードとニヤニヤからかう気満々 のルキアーノにグディが怒った声を出した。 ﹁おいっ!お前ら!いい加減にーーー﹂ ﹁話は全部、聞かせてもらったわぁっ!!!﹂ 唐突に澄んだ少女の声が高らかに響いた。 げっ・・・、と誰かのそんな声が聞こえたが、店のど真ん中にババ ァーン!と効果音が聞こえそうなぐらい堂々とした仁王立ちでいる 彼女には関係はない。 いつの間に居たのか分からないが、彼女こそ性魔人・・・もとい﹃ 銀の魔女巫女﹄と謳われる大魔法師・アフィーリア、その人である。 そしてアフィは真面目な顔で静かに語り出す。 しかし真面目な顔でいる方が碌な事をしないので嫌な予感しかしな い。 ﹁穏やかに生活したいなら確かにこの街を出て行く方が楽でいいわ。 という言葉 でも本当にそれでいいの?全てを置いて行けるの?・・・・・・ 人の恋路を邪魔する奴はオークのチンコを突っ込むぞ があるわ。つまり人の恋路を邪魔するような奴は万死に値すると言 うこと!﹂ そんな言葉は聞いた事ねぇと言う呟きを掻き消すようにドンッ!と 拳でテーブルを叩き、叫んだ。 ﹁そうよっ!決闘よっ!!!﹂ 583 ﹁何言ってんだ、お前﹂ ガーウェンが困惑した声でツッコミを入った。 ﹁えぇ∼?分かんなかったぁ?決闘するって言ってるのぉ。決闘し て面倒事は全部フルボッコって事なのぉ﹂ ﹁誰と誰がやるんだよ﹂ キャ、ヤるなんてエッチ!と頬に手を当てて身体をくねらせるアフ ィにガーウェンの盛大な舌打ちが炸裂する。 ﹁もちろん、リキとその小僧とその騎士だよ﹂ 少しの風を感じた瞬間にはもう肩を抱かれていた。見上げれば細め られた輝く金色の瞳と視線が合った。 左肩に驚くほどの重さ。・・・肩に乗ってます、巨大なおっぱいが ずっしりと。 ﹁アフィもマリも久しぶりだな。帰ってたのか﹂ ﹁ああ。私達が留守にしてる間に随分、面白いことになってるな。 逃避行とはガーウェンも思い切った事を考えたが、それは駄目だ﹂ 黄と黒のしましまの尻尾をゆらゆらと揺らしながらマリが言いきっ た。ガーウェンがそれに怒鳴り声を上げる。 ﹁なんでお前がそんな事決めんだよ!大体、リキとあいつらが決闘 するってなんだよ!﹂ ﹁売られた喧嘩は買う、当たり前だろ。これは師匠命令だぞ、リキ﹂ ﹁リッちゃんが争いは出来るだけ回避したいって性格なのは知って るけど、せっかく見つけた居場所なんだから全力で抵抗しなきゃ! やられたやり返す、それが私達流よぉ!だからっ、﹂ そしてアオとアルフォンスにビシリッと指を突き付け、高らかに宣 言した。 ﹁決闘よっ!!﹂ 584 ﹁え?俺とリキが決闘すんの?いいーーー﹂ ﹁若っ!﹂ 満面の笑みで﹁いいよ!﹂と言おうとしたアオを遮り、バルディヌ が鋭い声を上げた。そしてアフィの指からアオを隠す様に移動する と威圧する低い声を出した。 ﹁断る。いくらアンタ達が有名人でもそんな事を勝手に決められて は困る。ガーウェンに決闘を申し込んだのは男同士のじゃれ合いみ たいなものだが、その子とするのは駄目だ﹂ ﹁あらあらぁバルドちゃん、すっかり保護者の顔ねぇ。でもぉ断る 事は出来ないのよぉ﹂ うふふふ、と可愛らしい笑い、アフィは一通の封筒を取り出し、バ ルディヌへ渡した。 ﹁ヒスイには話を通してあるから無駄だ﹂ ニヤリと犬歯を剥き出しにマリが獰猛に笑うと﹃群青狼﹄に動揺が 広がった。 ﹁そしてぇー、さらにぃー、これぇ!﹂ 更にアフィの懐から紙が取り出される。それをアルフォンスに開い て見せ、 ﹁ソーリュート騎士団総団長からの許可証よぉ!﹂ どこかの副将軍の印籠の様に掲げられた書面に騎士達から驚愕の声 が上がり、店内は一気に混乱の坩堝と化した。 ﹁覚悟しておけよ、お前ら。誰に喧嘩を売ったか、後悔するほど分 からせてやる!﹂ 脅し文句を咆えるように叫んだマリとアフィの物騒な笑顔を見ると、 実際に闘うのは私なんだけどなぁと呆れるが、心の隅に楽しく思う 気持ちもあるので私も彼女達と同類かもしれない。 585 本人達より周りが盛り上がる︵後書き︶ ヒスイはアオの母ちゃんで、彼女の言った事は絶対です 586 嵐の途中 ガーウェンがはぁ、とため息をついた。 乾かした彼の髪に櫛を通しながら、何度目かになるそれに笑みを浮 かべた。 彼がそんなにため息をつく理由は分かっている。 背を向けて座るガーウェンの顔を覗き込むように抱きついた。 ﹁ごめんね。心配かけてるよな?﹂ ガーウェンの顔が少し私の方を向くとふわりと石鹸の香りがした。 あいつら とは勿論、マリとアフィで ﹁お前は悪くねぇだろ。あいつらが勝手過ぎるんだ。お前を巻き込 みやがって﹂ ガーウェンが憤りを向ける ある。 物騒な宣戦布告を叫んだ彼女達はたちの悪い素早さで周囲を追い込 んでいった。 ﹁もう会場も押さえてあるからぁ。北地区にある闘技場で明日正午 からよぉ!﹂ ﹁ルールは魔法もスキルも無制限の有り有りルールだからな。決闘 証書はお前らの家に送っておいたから読んで署名しておけ。書かず にいたら死んでも保険金は下りないからな﹂ ちょっと待って、説明してと追いすがる彼らを力技で店から締め出 し、 ﹁さぁ、死に物狂いで準備しとけよ。簡単にやられたらつまらない からな﹂ と悪い笑みで皆を戦々恐々とさせたのだった。 ﹁二人はあんなだったなって思い出したよ﹂ 587 嬉々とした彼女達の笑顔を思い出し、思わず苦笑いした。 彼女達の嵐のような性質を最近は実感することがなかったのですっ かり失念していた。だがこうなってしまったらもうどうすることも 出来ないのも彼女達の性質の一つである。 ﹁あいつらが居ると碌な事がない﹂ 眉を寄せて不機嫌な顔をしているガーウェンの頬にキスをすると、 すぐにふにゃっと幸せそうに笑った。 うん、ガーウェンにはその顔がよく似合う。可愛い。 ﹁まぁ、あいつらがお前に肩入れすんのも分かるけどな﹂ ﹁私は肩入れされてるのか?﹂ ﹁おう、かなりな。あいつらはあんな性格でも実力は本物だ。いや 本物って言うより別格だから、中々あいつらに付いて行ける奴がい ねぇんだよ。加えて女って事になると全くいない。お前はあいつら と気が合うみたいだし、実力も認められてる。離れたくないんだろ うな﹂ 首に回した私の腕を﹁離れたくない﹂のところでガーウェンはぎゅ っと掴んだ。意識したのかしてないのか、どちらにしても私の心は キュンキュンしてガーウェンの頬に擦り寄った。 寝ようと誘って、ベッドに横になったが、再びガーウェンがため息 をついた。じっと見ると彼はバツが悪そうに頭を掻いた。 ﹁悪い・・・その・・・﹂ 暫しうぐぅと唸っていたが、口を尖らせて拗ねたように言った。 ﹁・・・上手い事いってたのに、結局締まんねぇなって。その、折 角、いつもより良い格好出来たのに・・・﹂ どうやら格好良く決まった決意表明をマリ達によりすっかりさっぱ り流されてしまった事に落ち込んでいるらしい。 その言い方が可愛くて、突き出された唇にチュッとキスをして笑っ た。 ﹁ふふふ、確かに今日のガーウェンはいつもよりも更に男前だった 588 な﹂ あの時の決意を固めた凛々しい顔も今の不貞腐れた顔も魅力的で、 どんな時もガーウェンにドキドキさせられている。 ﹁格好良過ぎて惚れ直すぐらい﹂ そして再びキスするために顔を寄せると、引き寄せられ、激しいキ スに息を奪われた。性急なそれに少し驚いたが、私も舌を出してガ ーウェンのものに絡めるとあとはお互いを感じるのに集中するだけ だった。 しばらくの間、室内にはリップ音とぴちゃぴちゃという水音、荒い 吐息が充満していた。 ﹁んっ・・・﹂ ほんの少しだけ唇が離れ、視線を絡め合う。はぁ、はぁとお互いの 息が唇にかかっている。 ふ、とガーウェンから小さく息が漏れて、困った様な笑い声を上げ た。 ﹁今日は早く寝ようって言ってたのになぁ﹂ 明日は早くから決闘の準備をするため今夜は早めに寝ようと決めて いたのだが、私の太もも辺りに当たっているガーウェンのものは固 くなり始めていた。 ﹁ふふ。締まらないのは私達らしいんじゃないか?﹂ ﹁ま、それもそうだな﹂ ガーウェンの首に腕を回せば、腰を強く抱き寄せられ、再び室内に 甘い甘い空気が溢れた。 ****** 589 待ち合わせ場所のカフェはこじんまりとして地味な内装だったが、 満席だった。それは気にせず、真っ直ぐ奥へと進んだ。 店の奥には目立たない通路があり、更にその奥は個室になっている ようだった。 目隠しのカーテンを上げて中に入れば、すぐに黄と紫のツンツン頭 が目に入った。 ﹁遅れたか?﹂ ﹁いーや時間通りだよ、リキ先生。・・・あれ?彼氏も一緒なの?﹂ こちらを見たブリックズが私の後ろにいるガーウェンを見てニヤニ ヤする。 ﹁ガーウェンにも聞いてもらおうと思ってな﹂ ﹁ああ。仲間外れにするといつかみたいに落ち込んでどっかの騎士 に手玉に取られるからねぇ﹂ 意地悪な言い方にガーウェンが﹁ぐっ!﹂と悔しそうな声を上げた。 こいつ、ガーウェンが気にしてる事を的確に突いてくるな。 ﹁気にするな、ガーウェン。反応したらこの変態の思う壺だぞ﹂ ﹁ぐ、わかってる﹂ しかし残念ながらブリックズにはどう反応しても同じなのだ。怒り をぶつけても無視しても悔しそうな顔をしても奴を喜ばせる事にし かならない。気持ち悪い高性能変態である。 ブリックズの前の席に揃って着くと早速と言った具合に身を乗り出 してきた。 ﹁いやーすげぇ面白い事になってるね。昨日から、どういう事だー って各方面に情報を求められて﹃ウチ﹄もだいぶ儲けさせて貰って るよ﹂ ニヤニヤしているブリックズにガーウェンが舌打ちする。 ガーウェンにはブリックズが情報屋だということを話していた。さ すがにソーリュートの闇にも深く浸透している組織の一人だと言う 590 と嫌な顔をされたが。 ﹁賭けも仕切ってるんだろ?﹂ ﹁さすがリキ先生、話が早い!リキ先生には協力は惜しむなって言 われてるから﹂ ﹁そうか。それで相手の様子は?﹂ ブリックズには決闘相手であるアオとアルフォンスの様子を探らせ ていた。 負けるとは思っていないが、正々堂々をする気もさらさらない。使 える物はなんでも使う。その為にまずは情報である。 ﹁﹃群青狼﹄は昨日からリキ先生の情報を集めに街中走り回ってる よ。でもまぁ、戦闘に関する情報は中々集まらなくて苦労してるよ うだね﹂ そこも良い儲けになってるけど、と嬉しそうなブリックズ。下衆の 笑みである。 ﹁﹃群青狼﹄の内部では決闘証書の決闘者名に﹃十六夜の群青狼団﹄ と書かれてる事から精鋭を選出して挑もうと言っているらしいね﹂ ﹁リキ一人相手にギルド戦をするっていうのかよ﹂ ガーウェンが不機嫌そうな低い声を出した。 ﹁ま、多くはそれに反対みたいで、特に若様は一人でやる気満々で 準備してるらしいから大丈夫じゃないかな﹂ 確かにアオの性格なら一対一の真剣勝負を挑んでくる。それは誰か が、例えばバルディヌが何か言ったところで変えられないだろう。 ﹁んで、騎士様の方だけど、どうやら魔道具を集めてるらしいね﹂ 魔道具、ねぇ。 ﹁リキ先生の最大の脅威は結界魔法だって事でそれに対抗出来る魔 道具を買い漁ってるって、﹃ウチ﹄の魔道具屋に回ってきてる。で も高性能の魔法防御や魔法反射、魔法妨害なんかの魔道具を常備し てる魔道具屋なんてソーリュートでもないからねぇ。今から作るっ て言っても時間が足りないでしょ﹂ ﹁それに関してはもう一人呼びたい奴がいるのだがいいか?﹂ 591 ブリックズにそう告げると奴は目を細めた。薄ら笑いを浮かべるそ の表情の奥で、リスクとリターンを狡猾に計算しているのだろう。 ﹁・・・︻危険察知︼がビンビン反応してるけど、そっちの方が興 奮出来るなぁ﹂ そうそうこいつはこれが本性だった。 さっきまでとは違う意味でニヤけたブリックズの了承を受けて、私 は異空間から一枚の板を取り出した。 表面に紋様が焼き付けられたドアプレートーーホテルなんかで見か けるドアノブに掛けておくアレーーの様な物であるそれにガーウェ ンとブリックズが疑問を浮かべた顔をする。 ﹁ちょっとドアを借りるぞ﹂ ブリックズの後ろにあった扉のドアノブにそれを掛け、魔力を通し、 プレートに刻印された魔法を発動させた。 ﹁クリス!扉を繋いだぞ!﹂ 扉の向こうへ声をかけるとすぐにバンッと勢いよく扉が開いた。 ﹁やぁ!リキ、久し振り!﹂ 途端に身体ごと抱き込まれた。 ガタンッと後ろで凄い音がし、何事かと振り返ろうとするとその前 に首根っこを掴まれ、後ろに引っ張られる。 あ、と言う間にガーウェンの腕の中に収まっていた。 ﹁・・・・・・テメェ、何者だ﹂ 頭上から威嚇するような低い声が聞こえてくる。 ﹁ん?ああっ!君がリキの恋人かい?リキから聞いて、ずっと会い たいと思っていたよ!ははっ!想像よりも可愛い顔をしてるな!﹂ ガーウェンの殺気のこもった視線も何のその、クリスはいつも通り、 ガーウェンの手を無理矢理取って握りブンブンと振った。 ﹁僕はクリス。まぁ、偽名だけどね。気軽にクリスと呼んでくれて 構わないよ!﹂ ﹁は?!なん、え?!﹂ 592 クリスの予想していなかっただろう行動にガーウェンの殺気は一瞬 で霧散した。寧ろやたらとテンションの高いクリスに若干引き気味 である。 一頻りガーウェンをじろじろ観察して満足したのかクリスは部屋を 見回して喜びの声を出した。 ﹁これは素晴らしいね!密談に相応しい内装だ!﹂ そしてブリックズを見つけると、躊躇いなく近寄り、先程ガーウェ ンにしたように腕を取り振った。 ﹁やぁ!君が噂に聞く情報屋かな?君達には直接会ってお礼を言い たかったんだよ。君達が集めてくれた文献や資料のお陰で僕達は偉 大な発明が出来たのさ!﹂ ﹁こ、これはこれは御本人がいらっしゃるとは・・・。しかし礼に は及びません。私共にも利益がありますから﹂ ﹁そうだね!時に情報とは人の命より重いと言うからね!﹂ あのブリックズが緊張した面持ちで敬語を使っている。その異常さ にガーウェンが不安そうに言った。 ﹁あいつ本当に何者だよ。・・・見た目はどっかの国の王子みたい だし﹂ 当たらずも遠からず。 ﹁ふふふ、教えてあげるよ。まぁ、まずは座ろうか﹂ 593 挿話 猛獣の尾を踏んだ人々︵前書き︶ 保護者・バルディヌと﹃陽月の騎士﹄アルフォンス視点です。 594 挿話 猛獣の尾を踏んだ人々 街中に散らばった団員が集めてくる情報を元に考えるに状況は悪か った。 最近、﹃拳聖﹄と﹃魔女巫女﹄の弟子がソーリュートにいるらしい という噂を耳にした事があったが、まさかあの華奢で小さい娘だと は思いもしなかった。 子猫に近付いたら猛獣に喰いつかれてしまったと思っていたが、子 猫だと思っていたあの娘もまた猛獣だったということか。 深いため息を付いて窓の外を見やると、アオが団員達を相手に特訓 をしていた。 実に楽しそうな顔がここからでも分かり、苦笑が浮かんだ。 ギルドホームへ帰ってきて一目散にヒスイの元に怒鳴り込んだ。 何を考えてあの娘との決闘を了承したんだ!と怒る俺にヒスイは事 も無げに、 ﹁そろそろアオも圧倒的な力の差で叩き潰される時期かと思って﹂ などと宣いやがった。 強さを求めるなら負けを知らなければならない、というのが我が団 の精神だが、しかしそれならば相手はガーウェンが適任だったのだ。 アオ自身が決めたアオの認める格上の相手。 憧れ、目標とするのに適した人物。 まさに適任がガーウェンだったのだ。 男というのはどんなに幼くてもプライドの生き物であると俺は思う。 アオぐらいの年頃で格上の大人の男に負けるのと格上だが歳の近い 女に負けるのでは傷付き度合いが違う。 595 その傷に立ち向かえなかったら、その傷に怯えてしまったら。 アオという少年を潰してしまう事になったら。 その事に関してもヒスイは、 ﹁そうなったらアオはそこまでの野郎だったということでしょ﹂ と突き放しているのか、アオを心底信じているのか分からない事を 言うだけだった。 アオは環境も素質も兼ね備えて生まれてきたが、真っ直ぐで快活な 性格に育ってくれた。 将来、﹃十六夜の群青狼団﹄を率いるのはアオだろう。皆もそれを 望んでいるからアオに技を伝え、礼儀を教え、守り、支えてきたの だ。 アオの不屈さを信じたいが、もしアオが打ちのめされてしまったら。 はぁ、とため息を付くと後ろに控えていた側近の声がした。 ﹁やはり若様を一人で決闘に向かわせるのが不安ですか?﹂ 振り向くと苦笑した顔が見え、大袈裟に再びため息ついた。 ﹁当たり前だろう。観衆の前で﹃十六夜の群青狼団﹄の名を背負っ た者が負けたとしたら団のイメージダウンになる﹂ しかしかと言って選抜メンバーで挑めば女の子一人を相手に卑劣だ と品位を疑われる。 俺が出れば彼女といい勝負をするかも知れないが、団の中で俺の名 が大きくなってしまい、後々面倒な事になり得る。 つまりは八方塞がりなのだ。 アレ に若が勝てると思うか?﹂ ﹁すでに若様が負けたような言い方ですね﹂ ﹁・・・・・・ 気心知れた側近は隠しもしない本心に呆れるが、俺のその質問には 即ちリキという名の娘は今まで会ったことのない特異な存 視線を逸らした。 アレ 596 在だ。 戦闘経験ならばアオの方が多いだろう。実力を推測するに俺やガー ウェン、ルキアーノには及ばないだろう。 しかし勝てる気がしない。 いや、逆らえる気がしないのだ。 あの圧倒的な威圧感。支配力。あそこまで高レベルの︻統率者︼に 会ったのは初めてだ。彼女の存在は他者を従え、支配する。 やはり子猫などではなく猛獣だったのか。 窓の外で歓声が上がった。 アオが新技を披露したようだ。 得意気な笑みを周囲に振り撒き、楽しそうなアオに明日の決闘への 気負いは見られない。 ﹁大丈夫ですよ。その為の私達でしょう?﹂ 隣に立ち、同じようにアオを見つめる側近の瞳は巣立っていく子を 見送る親のようだった。 ﹁支えましょう。何があっても。あの子が、あの方が私達の団長に なるのですから﹂ 軽やかに駆けていくアオの後ろ姿が脳裏に浮かぶ。 少年時代というのはこうして終わるのかと、感慨深さを感じた。 ****** 赤い絨毯が敷き詰められた廊下を進むと警護の騎士が二人立つ扉が 597 見えた。警護が私に気付くと敬礼の姿勢をとる。 見たことのある顔だ。確か子爵家の跡取りでどこかの舞踏会で会っ たことがあるはず。 ﹁ご苦労様。姫はいらっしゃるかな﹂ 柔和な笑みを作り、騎士を見ると緊張した様子で﹁はっ!いらっし ゃいます!﹂とハキハキと答えた。 貴族出身の騎士の大抵は彼らと同じ反応をする。ウェルシュルトと いう名は騎士としても貴族としても一流であるからだ。 ﹁クリシュティナ姫!アルフォンス・ウェルシュルト様が御出でで す!﹂ 白塗りの扉の向こうへ声が掛けられると、ほんの少しの間の後、 ﹁お入り下さい﹂ と返ってきた。 淡々としたその声の人物を思い浮かべて、彼女は扉を開けて招き入 れる事はしないだろうなと納得した。彼女は自分の主にしか懐かな い。いつも無愛想無表情で主であるクリシュティナに従うだけなの だ。 ドアノブに手を掛けようとして、一瞬躊躇う。 子供の頃、幼馴染であるクリシュティナと遊ぶ時はいつもドアノブ や階段など何気無い所に仕掛けがしてあって、触れると雷撃や水球 をくらったり、植物の蔓に巻かれたり、動物に追いかけ回されたり した。 今はスキル︻魔力視︼を会得しているので魔法が使用されているか どうかが分かるからこのドアノブは安全だと分かるのだが、どうし ても条件反射的に警戒してしまうのだ。 一呼吸置いて扉を開けると、紅茶の匂いがふわりと香った。 ﹁まぁ、座りたまえ。ちょうどお茶の時間だったんだ﹂ 姫君の部屋とは思えない大きな執務机に乱雑に乗った本や書類。そ 598 こかしこに魔道具や魔法陣転写装置、意味の分からない道具が転が っていた。 座れ、と言われてもどこに座ればいいのか。 ﹁聞いたよ。君、冒険者と決闘するんだって?﹂ 美しい空色の髪をかき上げて、クリシュティナ姫が笑う。その姿は 姫ではなく王子と言った方がしっくりきた。 ﹁・・・・・・クリシュティナ姫、またその様な格好をなさって﹂ この姫は可愛らしいドレスや華やかな装飾品を身に付けたりしない。 彼女曰く、﹁あんな動き辛くて嵩張る物を着る方がどうかしてる﹂ のだそうで、普段は騎士の礼服や男物の服を好んで着ていた。 今日も姫は姫らしからぬ、豪華な男物のシャツと白色のズボンを履 いていた。 ﹁どうだい?似合うだろう﹂ 微妙にズレた返答もいつも通りだ。 ﹁口調も。もう少し姫らしくして下さい﹂ ﹁何だか叔父様と話しているようだよ。そうそう!その叔父様も一 口噛んでいるようだね﹂ ﹃銀の魔女巫女﹄に突きつけられた総団長の許可証の真偽を確かめ る為に、先程、総団長を訪ねたが、その時クリシュティナ姫の叔父 であるクナ侯爵もこの決闘を了承してると知らされた。 どうやらこの決闘は﹃魔女巫女﹄と﹃拳聖﹄に仕事を回し過ぎて激 怒された結果らしい。しかし彼女達が暴れればこの国が危険である。 なんとか宥めて、日頃彼女達が可愛がっている弟子と騎士団の誰か を決闘させて、弟子が勝ったら休みをやるという約束にしたのだ。 いや、約束させられたらしい。 ﹁侯爵城が二部屋使い物にならなくなってな﹂ と死んだ魚の様な目をしていた総団長。察するに私が決闘する羽目 になったのはとばっちりだったのだ。 599 ﹁それでアルは僕にどんな魔法陣をご所望なんだい?﹂ アル、と昔から変わらぬ呼び名に心がざわめく。 クリシュティナがそう言うと後ろに控えていた無表情のメイドがペ ンとインクを用意した。相変わらず聡い彼女は私が訪ねた理由が分 かっているらしい。 ﹁出来れば︻魔法無効︼、出来なければ︻魔法阻害︼を作って頂き たいです﹂ ﹁君は案外こういうところは遠慮がないよね。まぁ、いいよ。時間 は無いけど他ならぬ婚約者からの頼みだからね﹂ そう言ってクリシュティナは甘く笑う。私の笑みもよく﹁甘い﹂な どいう感想を使われるが、おそらく彼女の方が本物の﹁甘い笑み﹂ なのだと思う。 ﹁・・・・・・クリシュティナ姫、お戯れを。私は﹃婚約者候補﹄ です。姫の婚約者など私には過ぎる名誉です﹂ この話題になるといつもこう返す。事実、私とクリシュティナ姫の 婚約は確約されたものではない。そもそも私はこの姫が苦手で、婚 約など以ての外だ。 私のつれない言葉に姫が瞬き、再び笑った。 ﹁いつもそれだね。僕は君の望むお家発展の為の人材としては好条 件だと思うけど﹂ 表情を変えないように静かに奥歯を噛みしめる。 家柄は最高だし、空間魔法の適性もあるし、この美貌だし、とクリ シュティナが楽しそうに指折り数えた。 ﹁だからさ、観念して、さっさと僕のモノになりなよ﹂ まるで男が女を口説く様な文句を王子の様な煌めく美貌で宣告する。 ぎゅう、と拳を握り、感情を露わにしないように堪える。 ﹁・・・・・・では明日、取りに伺います﹂ 絞り出すようにそう言い、踵を返した。 彼女のそういう所が嫌いだった。 600 自分の言いたいことを言い、したい事をし、したいように振る舞う。 他人の目などお構いなしで自分の思うがままに行動する。 他人にどう思われようが関係ない。翻弄される周囲など関係ないの だ。 そういう所が鬱陶しくて、腹が立った。 部屋を出る瞬間、彼女を振り返ったが、彼女の視線はすでにこちら を見ていなかった。 そういう所が全部、大嫌いだ。 601 挿話 猛獣の尾を踏んだ人々︵後書き︶ クリスことクリシュティナは母親がクナ侯爵の姉であり公爵家に嫁 いでいます。また祖父が先代国王陛下の弟である為、現・国王陛下 とは従伯父の関係です。 つまり公爵家の御令嬢であり、由緒正しきお姫様なのです。 ※ただし変人 602 決闘・1 北地区は観光に力を入れているだけあって娯楽施設が多く、決闘を 行うこの闘技場もその一つだった。 催し物がなくても普段から闘技場の周りは屋台で賑わっているのだ が、本日は大きな盛り上がりを見せていた。 現在、決闘まであと三十分を切り、観客席は満員御礼、熱気も最高 潮である。 賑わう観客席の一画でガーウェンとタコスのような物にかぶりつい ていた。 千切りのキャベツと焼きたてのソーセージを薄焼きのパンで挟んで あり、酸味の利いたトマトソースがたっぷりとかかっている。 ソーセージは噛めば弾力のある皮が弾け、中からじゅわーっと熱々 の肉汁が溢れ出る。 はふはふと熱さを逃がし、一口食べきる時にはガーウェンは最後の 一口を口の中に放り込んでいた。 私の視線に気付いたガーウェンが膨らんだ頬をモゴモゴさせながら、 ﹁うめぇな﹂ と笑う。勿論、リスみたいに頬に食べ物を貯めているので﹁んふぇ ふぁ﹂というような言葉だったがその嬉しそうな笑顔を見れば簡単 に分かった。 続け様にガサガサと二つ目の包み紙を開け出したので、吹き出して しまった。 ﹁もう、ガーウェン!口の中のなくなってからにしなよ!﹂ あははと笑えばガーウェンは誤魔化すように包みを丁寧に戻し、照 れて頭の後ろを掻いた。 ﹁ふふふ、急がなくても誰も取らないよ。ほら、口に付いてる﹂ 603 口の端に付いていたソースをハンカチで拭いてやるとやっと口が空 っぽになったのか、小さく﹁ありがとう﹂と言った。 ﹁・・・・・・こいつらっていつもこんな感じなのか?﹂ ﹁そうッスよ。いつもこんな感じの糖分過多ッス。寂しい独り身の 心を抉ってくる幸せオーラ大放出ッス﹂ ﹁もう私は慣れました﹂ 後ろでルキアーノとロード、エヴァンが何やら言っている。という か周りはお馴染みのガーウェンの仲間達が勢揃いしているので、そ こかしこから似たような言葉が聞こえていた。 主にやっかみと嘆きである。 二つ目の包み紙を開けながら、ガーウェンが﹁何か可笑しかったか ?﹂と首を傾げたので更にブーイングが飛んだ。 ﹁テメェもちょっと前まで俺達と同じだったじゃねぇか!﹂ ﹁調子に乗んな!﹂ とガタイのいいおっさん達がガーウェンを揉みくちゃにしたとき、 すぐ側でどよめきが起こった。観客の視線は客席の出入口へと集ま っている。 ーーすげぇ・・・﹃拳聖﹄と﹃銀の魔女巫女﹄だ。初めて見た ーー・・・お、おっかねぇ・・・居るだけで圧迫感があるわ・・・ 周囲からそんな囁き声が漏れ聞こえてくる。 普段は忘れているが、彼女達はSランク冒険者であり、国級の要人、 憧れの有名人なのである。 ﹁お、来た来た。マリ姐さーーん!アフィ姐さーーん!こっちこっ ちぃ!﹂ 近くにいる客達がぎょっとした顔をしてブンブンと手を振り叫ぶロ ードを振り返る。騒つく周囲が心なしか私達の集団から距離を取っ たように見えた。 604 ﹁やっほー!来たよぉ!﹂ ﹁リキ、調子はどうだ?﹂ ほどなくして観客の視線を集めながらマリとアフィがやってきた。 ﹁普段と変わらないよ。アフィ達はあそこで観戦するんじゃないの か?﹂ あそこ、と指差したのは観客席の一部分に屋根の様にせり出した天 覧席である。クリスはあの天覧席で観戦する事になっていると言っ ていたので、アフィ達もそうなのかと思っていた。 ﹁えぇー、だってあんな所じゃつまんないじゃなぁい。狭いしぃ﹂ あと真面目くさったおっさん騎士ばっかだし!とアフィがプンプン 怒っている。どうやら護衛騎士の人選がお気に召さなかったらしい。 ﹁うわっ!正面見て!﹃群青狼﹄が横断幕張ってる﹂ 笑いを含んだ声でロードが叫ぶので、皆が円形の闘技場のちょうど 反対側に陣取っている﹃群青狼﹄の連中を見た。 白地に群青色の狼のエンブレムが描かれている旗とデカデカと団名 が書かれている横断幕をせっせと用意している。 ﹁あらぁやだぁ。アフィ達も何か用意すれば良かったわぁ﹂ アフィが頬に手を当てて、そんな事を言うので思わず嫌な顔をして しまった。 ﹁いやいややめて。あれは恥ずかしいだろ﹂ ﹁遠慮すんな。大声で応援してやるからな﹂ 私の肩を抱くマリがニヤニヤと笑っている。見ると周りも同じよう な顔で、郷に入っては郷に従えというか祭りがあるならとことん楽 しもうというようで、熱気溢れる闘技場に相応しく騒ぐ気満々の雰 囲気であった。 ﹁ほらほらぁ。リッちゃんはそろそろ控え室に行かなきゃぁ!応援 するわよぉ!﹂ 追い立てられるように押された背中に、程々にしといてやれ、顔面 は勘弁しといてやれ、など声援ともつかない声援がかけられる。お 605 祭り騒ぎの面々の中でガーウェンだけが心配そうな顔で、それに癒 されるなぁと思った。 ﹁いってきます﹂ と手を振れば、口々に﹁いってらっしゃい﹂と返され、手を振られ た。 たくさんの笑顔に見送られ、気恥ずかしいがなんだか心が弾んだ気 がした。 ****** ﹃決闘者三名の入場です!!﹄ 場内に響いた実況の声に割れんばかりの歓声が上がった。 この闘技場にはマイクとスピーカーの役目をする魔道具があるそう で、専属の実況者なる者もいるらしい。 ﹁リキ様はアオ様、アルフォンス様両名が入場されてから呼び出し が掛かりますので!﹂ 大歓声に掻き消されないように大声を張り上げた係員に一つ頷いて みせる。 ミカヅキ、 紫紺の女剣士 十六夜の群青狼団 の次 ヒスイの一人息子 アオとアルフォンスは私と反対側の入場口から入ることになってい るようだ。 月夜の支配者 ﹃まず最初の入場者はーーーーー﹄ ﹃ にして、ソーリュートが誇る有名ギルド 期団長、アオ・トガクレぇーーーー!!!﹄ 606 ウオオオオオオ!! アオの名が呼ばれると野太い歓声が湧き上がった。合間に若ー!、 若様ー!とやはり男の声援が飛ぶ。 ﹃群青狼﹄の連中があの旗を振りながら声を上げている様が目に浮 かんだ。 なんだかツッコミ所満載だな。 ﹃続いての入場者はーーーーー﹄ ﹃名門ウェルシュルト家の次男に生まれ、若くして翠剣騎士団副団 陽月の騎士 アルフォンス・ウェルシュルトぉーーーー 長に就任。顔良し家柄良しそして実力は折り紙付き!まさにパーフ ェクト! !!!﹄ キャーーーーーーーッ!!! アオの時と違う、女の子達の黄色い歓声と低いブーイングのハーモ ニーに吹き出して肩を震わせる。 ブーイングの発生源は南地区の面々も恐らく、いや絶対含まれてい るだろう。 これまた色々とツッコミ所満載である。 ﹁リキ様、次です!﹂ 係員の声にマントとフードを深く被り直して、通路を歩き出した。 ﹃最後に入場するのは、先の二人との決闘を申し込んだ一人の冒険 者であります﹄ 607 日差し降り注ぐ場内に出ると、観客が騒ついた。 知名度が全くないのにも関わらず、あの有名な﹃陽月の騎士﹄と﹃ 群青狼団﹄の跡取り息子に決闘を申し込むぐらいだから目立ちたが り屋で命知らずの勘違い野郎だと誰もが思っていただろう。 それがマントを深く被った子供の様な小ささなのだ。会場は困惑の 空気に満たされる。 勿論、私を知る南地区の面々はその雰囲気にニヤついている。私も ニヤついている。 マリエッタと 銀の魔女 ﹃一ヶ月前、ソーリュートに現れた新星。冒険者ランクはまだ低い 拳聖 アフィーリアの弟子!!彼女達が認めた正真正銘の弟子だそ もののその正体は、な、なんと! 巫女 うです!!﹄ 実況者の興奮した声に会場もどよめいた。 私はゆっくりとフィールドの真ん中へと歩く。観衆の視線を引きつ けながら中央へ来ると、アオとアルフォンスも訝し気に私を見てい た。 ふふふ、楽しくなってきた! マントを掴んで脱ぎ捨てる。 おおおおおあおおっ!!!! 現れた私の姿に歓声が上がる。私はそれに愛想良く手を振り応えた。 名を呼ばれたので、そちらを向くと楽しそうな南地区一同が手を振 っていた。あ、でもガーウェンが物凄い不機嫌な顔してる。 ﹃なんと女の子!!ソーリュート、いやラーニオスが誇るSランク 608 冒険者 拳聖 、 銀の魔女巫女 の弟子は女の子です!!!しか もあの格好は・・・メイド!メイド服で颯爽登場ですっ!!!﹄ そう、私は冒険者ギルド食堂の制服であるミニスカメイド姿だった。 郷に入っては郷に従え。 祭りは楽しんだ者勝ちなのだ。 609 決闘・1︵後書き︶ 知らなくても大丈夫な設定 1.闘技場の設計者は﹃塔﹄の製作者である﹃創造の大魔法師﹄カ ウェーラ・ケンタウロスである 2.ラーニオスはソーリュートがある国 610 決闘・2︵前書き︶ ︻スキル名︼については説明はありません。雰囲気で理解して頂け ると嬉しいです。 611 決闘・2 ﹁コイントスでリキ様の初めの決闘相手を決めます﹂ アオとアルフォンスの前に審判がコインを出した。 私は二人同時に相手してもいいと思ったのだが、アオに﹁決闘って のは正々堂々一対一でやるもんなんだぜ﹂と笑われてしまった。 アルフォンスは私と同じ、目的の為には手段は選ばないタイプなの で、アオと一緒でも優位になるならそれでいいと思っていたと思う。 まぁ、表向き品行方正騎士としては自分から二対一で、とは言わな いだろうけど。 ****** ﹁残念だったな。後じゃなくて﹂ 試合開始位置のフィールド中央へ連れ立って歩く中、がしゃがしゃ と鳴る甲冑にそう言うと、金髪のイケメンがこちらを少し振り返っ た。 ﹁そうですね。貴女の手の内を確認出来ない所が不安です﹂ 真剣な顔は演技には見えない。 コイントスの結果、初戦はアルフォンスが相手となった。 ﹁貴女も私も災難ですよね。彼女達の気まぐれで決闘に巻き込まれ るなんて。﹂ ふとアルフォンスは小さいため息を付いて困った顔を作って見せた。 612 整った眉が下がり、深い翠の瞳が揺れる。 恐らく多くの女性が母性をくすぐられる顔だろう。この男の為に何 かしてあげたい、支えてあげたいと思わせる陰りを含んだ上手い表 情だ。 しかし私はそれに鼻をならして嘲る。 ﹁お前は案外お気楽な奴だな。マリ達が何の意味もなくお前を決闘 相手に選ぶ訳がないだろう﹂ フィールドの中央で向かい合うと観客の熱気は最高潮になり、歓声 は闘技場を揺らした。 目を細めてアルフォンスを見れば、彼の顔が少し強張ったのが分か った。 ﹁お前は一度ぶん殴ってやりたかったんだ。顔がアイツに似てるか らじゃない。・・・お前、ガーウェンを狙っただろ﹂ 自分の声が段々と低く冷たさを増すのを冷静な思考で聞いた。 ﹁私を崩す為にガーウェンを狙った。戦術的には相手の弱点を突く のは至極当然だが、それは駄目だ。結果、ガーウェンを惑わせ、苦 しめ、傷つけた。それだけでお前は私の敵になった﹂ アルフォンスが険しい表情のまま、盾と剣を構える。ジリ、と少し 後ろへと下がった。 ﹁私の大切な人に手を出したんだ、覚悟しろよ﹂ ﹃両者、準備は整ったようです!では決闘を開始しますっ!!﹄ 試合開始直後、アルフォンスは後ろへ飛び、私から距離を取った。 おおよそ十メートル。 クリスから聞いた︻魔法阻害︼の魔道具の有効範囲は使用者を中心 に半径五メートルである。つまりアルフォンスは自ら有効範囲外へ 出た事になる。 アルフォンスの魔力量では使用は二回が限界だという。ならば最初 の一回は開始直後が絶好のタイミングだったはずだ。そのチャンス 613 を自分で潰すとは。しかも私に有利な中距離の間合いとは悪手とし か言えない。 まぁ、しかしアルフォンスの策を巡らせる性格から見て、私の出方 を確認してから動くというのも予想済みではあった。 ﹃開始直後、アルフォンス選手が距離を取りました!リキ選手はど う反応す・・・・えええええ?!!槍が、たくさんの槍がリキ選手 の周りに浮いています!!﹄ 異空間に収納してあった槍を自分の周囲に結界を配置し浮かべた。 横三列縦三列が二組、さながらロケットランチャーのような計十八 本の槍先は全て驚愕の表情の騎士に向いている。 そして私は手を目の前に掲げ、一度言ってみたかった台詞を叫ぶ。 ドンッ ドンッ ﹁︵撃︶てぇーーーーー!!﹂ ドンッ 爆発音と共に射出された三本の槍は風を切り裂き、真っ直ぐアルフ ォンスへ向かっていく。 ﹁・・・くっ!﹂ アルフォンスの魔力が腰辺りに集まり、術式が展開した。半径五メ ートルの球形。 ︻魔法阻害︼の魔道具を使ったのか。 残念だが、それは意味がない。 なぜなら確かに槍を配置、射出するのは魔法を使っているが、その 後はただの物理法則だからだ。 射出された槍は勢いを弱める事はなく、アルフォンスへ迫る。 ﹁っ!!﹂ 614 彼は受け身を取るように転がり、走り出す。射出された槍は︻魔法 ドッ ドッ 阻害︼を受けつないと気付いたようだ。 ドッ 槍がアルフォンスのいた場所に突き刺さり、地面を抉った。 アルフォンスの後を追い、次々に槍を射出する。 ほら、足を止めるな。走れ走れ。 追い立てる様に槍を地面に突き刺していく。アルフォンスはがちゃ がちゃ甲冑を鳴らしながら、必死にフィールドを走り回った。 ﹃リキ選手の猛攻にアルフォンス選手は避けるので精一杯だっ!し、 しかしリキ選手の槍は何という威力でしょうか!!﹄ 射出された槍は爆発による推進を得ている為、人間による投擲とは 比べ物にならない程の速さと威力を持っている。盾で受けても受け るダメージは多いだろう。 アルフォンスが私の方を見た。 いや、残りの槍を確認しているのだろう。全てを射出し終えれば、 私の手元には武器が無くなると考えている。 だが、残念。 このフィールドは全て私の結界内に位置している。 パチン、と指を鳴らせば、地面に突き刺さった槍は一度異空間へ送 られ、そしてまた私の側に整列させる事ができるのだ。 そう、所謂﹃無限湧き﹄状態である。 ﹁ぐっ!!﹂ アルフォンスの端正な顔が歪む。額からは汗が滴り落ちている。 615 ふと天覧席を見るとクリスが大笑いしていた。彼女も中々に捻じ曲 がった愛を有している。 なぜクリスが私に協力し、婚約者であるアルフォンスの不利になる ような行動を取るのかというと、 ﹁僕はアルのあのわざと庇護欲を煽るような作った顔や無駄に余裕 をかましてる態度が嫌いでね﹂ アルフォンスの父親と兄は才能溢れる騎士らしいが、彼自身は努力 の人だったらしい。 才能有る肉親と宿命付られた騎士への道、期待される自分。 ﹁幼い頃は騎士に一途で必死だったけど、ある頃から周囲の反応を やたらと気にし出して、情報操作するようになってしまってね。ア ルにはもう一度必死になった顔をしてほしいんだよね。その顔が一 番好きだから﹂ アルフォンスを窮地に陥れて必死さを引き出したい、と王子のよう な爽やかな笑顔でドS発言をするクリスにその場にいたブリックズ だけが興奮していた。 ﹁︻シールドラッシュ︼!︻ブレイドスラッシュ︼!﹂ ﹃おおっと!アルフォンス選手のスキルが炸裂!リキ選手の脅威の 槍を叩き落としていきます!﹄ 思惑通り必死の形相の騎士からスキルが繰り出された。飛び迫る槍 を盾で叩き落とし、剣で破壊していく。 槍の無限湧きを止める為のようだが、もしかして全部壊そうとして るのか?盾もダメージを受けているようだし、それは中々に迂遠だ ぞ。 ﹁アルーーー!!!突っ込めーーー!!﹂ 歓声轟く闘技場に一際大きな声が響いた。 616 天覧席から身を乗り出し、慌てた護衛騎士に後ろに引っ張られなが ら、クリスが拳を突き上げ大声で叫ぶ。 ﹁真っ直ぐ突っ込めぇ!!君は騎士だろ!!﹂ クリスの方が余程必死な顔をしている。 天覧席は貴族、それもかなり高貴な身分の者のみ着席できる。そこ から聞こえるのは高貴とは言えない声援で、観客達も何事かと見上 げていた。 そのざわめきの中で、翠の瞳の奥に火が灯るのを見た。焦りばかり だった騎士の表情が変わる。 決意と覚悟。 ﹁ォオオオッ!!︻ソードスプリント︼!!﹂ 金髪の騎士が吼えた。 スキルを発動し、突きの態勢で一気に間合いを詰めてくる。 向かって飛んでくる槍を躱して、躱しきれずに盾や甲冑に傷を負い ながら真っ直ぐ、私に向かって剣を突き出す。 瞳も真っ直ぐ、射抜かれるほど。 自分の口の端が上がっているのが分かる。 槍を掴み、アルフォンスを迎え撃つ。そして剣筋を見て、槍を突く。 交錯。 ﹃突撃したアルフォンス選手と迎え討ったリキ選手!!結果はっ? !・・・な、なんと・・・﹄ アルフォンスの剣は私の脇腹を掠め、私の槍はアルフォンスの頬を 掠めた。 頬から血が流れ出る。私の脇腹も似たような傷が付いているはずだ。 617 ﹁ッシ!﹂ 膠着は一瞬、盾が振るわれ私の頭部を狙う。それを腰を落として躱 し、甲冑の胴部に蹴りを喰らわした。 アルフォンスは少し後ずさったが、すぐ間合いを詰めて剣を振り下 ろしてくる。 お互いがお互いの間合い内、アルフォンスは盾と剣で、私は槍と短 剣で傷を増やしていきながら、譲れないものの為必死で武器を振る う。 ーーーアルフォンスの譲れないものとはなんだろうか。 ﹃何という激しい攻撃の応酬!お互い一歩も引きません!!﹄ ガキンッと鋭い音を立てて剣と短剣が競り合い、近距離で睨み合う。 ﹃騎士の誇り﹄なのだろうと煌めく眼光にそう思った。 ﹁悪いな。男前に傷を付けて﹂ ﹁・・・私は遠慮して貴女の顔は狙わないでいたのに酷いですね﹂ 嘘を付け。盾でも躊躇なく顔を狙っていただろーが。 だが、悪くない。この感じは悪くない。 ﹁初めてお前と仲良く出来そうだと思ったよ﹂ アルフォンスは小さく笑ったが、それは力無く疲労が滲んでいた。 アルフォンスは一度︻魔法阻害︼の魔道具を使用している。それで 彼の保有魔力量は約半分となった。そしてその後のスキルの連発で 魔力は既にほぼ無くなっていると考えられる。 保有魔力はマナとも呼ばれる。マナが無くなれば最悪、命が危ない。 ﹁最後だな﹂ 徐々にアルフォンスが力負けしてじりじりと後退していく。次の一 618 撃で勝負が決まる。 ﹁・・・・・・そうですね﹂ 同意するアルフォンスの瞳にはまだ諦めていない力強い光が宿って いた。 お互いを押して、距離を取る。 睨み合い、息を整える。 最初に動いたのはアルフォンスだった。 ﹁ウオオオォ!!﹂ 盾を構えながら突進してくる。 ーーーそして、盾を私へ投げつけた。 ﹁!!﹂ 予想外の行動に半身を引いてそれを避ける。そこへアルフォンスの 渾身の一撃がーーー ﹁貰ったぁ!!!﹂ 私の心臓を貫こうと突き出された剣が光るのが見えた。 身体は自然と動いた。 前へ踏み出す。迫る剣先を身体を捻って躱す。 胸の辺りに鋭い痛み。 しかし立ち止まらず、 そのまま反転し、 振り向き様、 619 裏拳をアルフォンス頬へ叩き込んだ。 ﹁がはっ!﹂ アルフォンスの身体が大きく揺れ、崩れ落ちた。 剣が落ちる音が側で聞こえる。 ﹃剣を躱したリキ選手の一撃がアルフォンス選手を直撃!!アルフ ォンス選手は、立ち上がれるかっ!!﹄ 審判が倒れたアルフォンスに駆け寄った。彼の様子を確認して、大 きく手を振る。 ﹃おおおお!!!アルフォンス選手立ち上がれず!!勝者はリキ選 手に決まりました!!!﹄ オオオオオオオオオ!!! 歓声と悲鳴とどよめきが混じる闘技場を見回し、はぁと息を付いた。 すげぇ、楽しかったっ!!!! 620 決闘・3 爆発音と槍が着弾した音が闘技場を揺らす。騎士がフィールドを転 がるように走る後ろを絶妙なタイミングで槍が地面を抉っていた。 まるで走り続ける事を強要しているように見える。 ﹁あはははは!すげぇ!リキちゃん容赦ねぇ!!﹂ ロードが腹を抱えて笑っているが、周囲の、主にリキの戦闘を間近 で見た事のない連中は若干引き気味だ。 ﹁あ、あれはどういう魔法なんだ?見た事のないぞ﹂ と魔法師の男がエヴァンを見た。 ﹁あれは結界魔法と火魔法の組み合わせですね。結界魔法で槍を空 中に固定して、後ろ側で火魔法による爆発を起こして飛ばしている んです。大砲を魔法と槍でやってるって感じですかね﹂ ﹁エヴァンの入れ知恵か?﹂ ﹁いや、リキさんのオリジナルです。使い勝手がいいのでアフィー リアも私も使わせてもらってますけど﹂ さらりと簡単に説明するが、そう簡単に出来ることではないと男が 顔を引き攣らせる。 ロケットランチャー のほうが破壊力や殺傷能 そもそも魔法で大砲の真似事など思いつきもしないだろう。いやそ れどころかリキの 力は高いだろう。 ﹁あんな物を女の子が思い付いたのか?恐ろしいな、おい﹂ ﹁なぁ、ガーウェン。リキちゃんは本当は何者なんだ?﹂ 当然の疑問に皆が俺に注目するが、その怪訝な目にカチンときて怒 気のこもった視線で返した。 ﹁リキはリキだ。それ以外の何者でもねぇ﹂ 途端にこいつに聞いたのは間違いだったと皆は苦笑いを漏らした。 クスクスとアフィーリアの笑い声が響いた。 621 ﹁そうよぉ、リッちゃんはただのリッちゃんよぉ。人より知識が豊 富で発想力が豊かなだけなの﹂ ﹁発想力だけの問題じゃないと思うが。何か特異なスキルでも持っ てるのか?﹂ ﹁リキの保有スキルは驚くほど少ないぞ﹂ 視線はフィールドから動かさずマリが言った。 ﹁戦闘で使えるスキルは︻身体強化︼ぐらいしかないんだ。スキル に頼れない分、魔法や戦術に工夫を凝らすのだろう。そうしないと 生き残れないと分かっているんだ﹂ まぁセンスがあるからが一番の理由だがな、と最後は冗談めかして 笑う。しかし彼女の瞳はジッと闘う二人に注がれていて、少し緊張 しているようにも見えた。 ﹁だったらあんなに泥臭い戦い方しなくてもいいだろうに﹂ 隣に座っていたルキが呆れるように言うので、思わずギリッと奥歯 を噛んでしまった。 フィールドではリキがスカートを翻して、舞うように槍を振るって いる。一方的だった先程とは違い、お互い引くことなく攻撃を与え 合う意地のぶつかり合いのような闘いだった。 間違っても女がする闘い方じゃない。 リキの制服が破れ、白い肌に赤い筋を付けていくのが痛々しい。 くそ、わざわざ傷付くような闘い方しやがって。 今すぐにでも割って入って止めたいって顔すんなよ、と宥めるよう にルキが俺の背を叩く。 ﹁お嬢ちゃんも案外人がいいよな。副団長様が本気になった途端、 真正面から相手してんだから﹂ ﹁・・・リキは向き合えばちゃんと応えてくれる。ちゃんと見てく れる奴なんだよ﹂ ﹁おーおー。惚気られるなら大丈夫だな。お前もちゃんと見ててや れよ﹂ 諭すようなルキの言葉に俺はぎゅう、と強く拳を握り、小さく﹁分 622 かってる﹂と返した。 ﹁そろそろ終わりだな﹂ マリが静かに呟く。 フィールドの真ん中辺りではリキと騎士が剣で競り合い、睨み合っ ていた。二人の気迫に観客は圧倒され、固唾を飲んで攻め合いを見 ていた。 二人が距離を取り、息を整える。 リキの傷は目立つが深いものはないようで光る黒色の瞳はギラつき、 口元には笑みが浮かんでいた。アルフォンスの方は肩で息をし、疲 労が濃い。 ﹁ウオオオォ!!﹂ 騎士が吼え、盾を構え突進した。そしてその盾をリキに向かってぶ ん投げた。 ﹁っ!あの野郎っ!﹂ 明らかにリキの頭部を狙った投擲に思わず声を荒げた。 盾を避けたリキにアルフォンスが剣を突き出す。身体を貫くかと思 われた剣をリキは流れるようなステップを踏んで回転して躱し、そ のまま裏拳を騎士の横面へ叩き込んだ。 ﹁おおっ!決まった!﹂ ﹁うわぁ、胸んとこ結構パックリいったなぁ﹂ 歓声と嘆声が同時に場内に溢れた。 ﹁あははっ!リキちゃんすげぇいい笑顔!﹂ ﹁見た目は満身創痍って感じですけどね。魔法を使えば最後の一撃 だって喰らわずに決着出来たでしょうに﹂ エヴァンの呆れる声に仲間達も同意してため息を漏らす。そこにボ ソリと低い呟きが被さった。 ﹁・・・・・・リキちゃんって結構胸あるんだな・・・﹂ 騎士の斬撃は胸の上辺りを横一直線に切っており、ズレた服は胸の 623 谷間を覗かせていたのだ。 傷から流れ出る血よりも白く丸い谷間の方に目がいってしまうのは 男の性なのは分かるが。 仲間達の妙な空気に威嚇の声を出す。 ﹁おい!!﹂ ﹁そーいやぁ、リキちゃんの左胸にはホクロがあるんスよいででで ででっ!!!﹂ ﹁くそロード!黙ってろ!﹂ ロードのお決まりの余計な一言を慌ててヘッドロックで封じるが、 すでにその言葉は周囲に聞こえてしまっていた。 ﹁そーいやぁ、リッちゃんの左胸のホクロの隣にはよくキスマーク ついてるよねぇ﹂ ロードの口調を真似してニヤニヤ言うアフィーリアにかああっと顔 が熱くなる。咄嗟にリキを見ると出入口に消えるところだった。こ れから少しの治療と休憩を挟むのだろう。 ﹁ななな何言ってんだ、ばかか!﹂ ﹁へぇ、キスマークねぇ。あ、そうそうAランク冒険者のガーウェ ンさんにお聞きしてぇんだけど、ガーウェンさんはお嬢ちゃんをい つもどんな風に倒してんですかい?﹂ 中途半端に丁寧な口調を混ぜた言い方で何やら含んだ事を言うルキ に便乗して周りの連中もニヤニヤしながら、﹁どーやって倒すの? 勝ってる?﹂と聞いてくるが、明らかに雰囲気がおかしい。 お前らが期待してるはアッチの方だろ! ﹁どーやって倒すの?﹂がだんだんと﹁どーやって押し倒すの?﹂ に聞こえてくるんだが! ﹁べべ別に。普通にちか、近付いて、捕まえる。つ、捕まえて、た、 たお、倒す・・・﹂ 捕まえて倒すねぇ、とかなり何やら含んだ言い方でニヤつくルキに 耳まで熱くなる。 思い出してないから。ベッドに倒れたリキの見上げてくる視線とか 624 散らばる黒髪とか甘えるように名を呼ぶ声とか思い出してないから! ﹁ああ、ガーウェンも大人になっちまったのかぁ﹂ 大人って。お前と同い年だろーが。 ****** ﹁あはははっ!リキちゃん、余裕過ぎ!﹂ ﹁まぁ実力が違い過ぎるからなぁ﹂ ぶつかり合いのような騎士との試合とは違い、アオとの試合はまる で子猫が親猫にじゃれつくようだった。 アオは必死になっているが、リキには攻撃は当たらず、適当にあし らわれている。観客も時折、﹁﹃群青狼﹄の坊ちゃんがんばれー﹂ と生温かい声援を送っている。 まさかここまでグダグダになるとは予想出来なかったのでアオに同 情を禁じ得ない。 ﹁リキももう少し真面目にやってやればいいのに﹂ ﹁ヒスイからの御達しだ。いつまでもお山の大将気分だと困るんだ そうだ。ソーリュートを代表するギルドの次期団長としての覚悟、 は相変わらずスパルタだなとルキ 更なる高みに登る決意を新たにさせたいらしい。その為に圧倒的敗 紫紺の女剣士 北が必要なんだそうだ﹂ マリの言葉に、 が笑った。 スパルタってレベルじゃねぇだろ。 確かある肉食獣は己の子を崖から突き落とし這い上がってくる力の ある者のみを育てると聞いたことがある。 アオは今まさに這い上がってくるか試されているのだ。 625 ドンッ! 大きな音に見ればアオがフィールドの壁に叩きつけられていた。リ キに蹴り飛ばされたらしい。 少年の顔は歪んでいる。 痛みや苦しみではない。悔しさが顔を歪めるのだ。 自分にも覚えがあるな、と居た堪れなくなり、思わず心の中で﹁立 て!﹂と檄を飛ばした。 ﹁リッちゃん、楽しそうねぇ﹂ クスクスとアフィーリアが笑う。 ﹁リッちゃんって淡白って言うか、余所の家にお呼ばれした時みた いにいつも一歩引いてこちらを見てたのよねぇ﹂ 彼女を見ると穏やか笑みを浮かべてリキを見ていた。 ﹁他人に興味がないタイプの子かなぁって思ったんだけど、だんだ んガウィちゃんと仲良くなっていって、意外と世話好きで他人の事 を良く考える子なんだって分かったの。 一歩引いていたのは多分、戸惑っていたのね。故郷や家族、友人を 忘れられないのにまた家族みたいに友人みたいに親しい人をつくっ ていいのかって﹂ 故郷や家族、友人を忘れられないのに 忘れてしまえる事じゃない。 だけどリキはいつも俺に笑いかけてくれる。 幸せだと大好きだと俺に笑ってくれる。 ﹁だからリッちゃんをこの街に連れて来たの。この街がリッちゃん の故郷になるように。この街がリッちゃんの家になるように。 626 みんな忘れられなくてもいいの。忘れてしまわなくてもいいの。 リッちゃんの第二の故郷になればいいって。新しい大切なものが増 えればいいって﹂ マリの手が伸びて、アフィーリアの髪を掻き回した。 ﹁ふふふ。せっかく最近、リッちゃんが楽しそうにしてくれてたの に余計な横槍が沢山入るから、思わず決闘だって言っちゃったのよ ねぇ﹂ てへ、と最後はふざけて見せるアフィーリアだが、こいつはこいつ なりにリキの事を思っているんだと胸が熱くなった。 ガーウェン、とマリが俺を呼んだ。 ﹁お前がこの街を出ると決めた事は悪い事じゃない。だが、リキに はこの街にいてほしい。この街を居場所にしてほしい。お前の側だ けじゃなくこの街でも居場所を増やしていってほしいんだ﹂ マリの静かな声が身体を震わす。なぜだかすごく泣きそうだ。 リキとこの街で。 一緒に歩いて行きたい。 一緒に生きて行きたい。 そして、リキと家族になりたい。 リキが一度諦めてしまった﹃家族﹄になりたい。 ーーーーリキの帰る場所になりたい。 627 決闘・4 及び女子の叫び 背をフィールドの壁に打ちつけ、アオが呻いていた。 試合が始まってから私には一向に攻撃が当たらず、油断すると容赦 無くぶん殴られ蹴り飛ばされる。開始前には機嫌良くやる気満々だ ったアオからは余裕が消えている。 ﹁・・・・・・くそ・・・﹂ 俯いたアオから力無い言葉が漏れた。 やり過ぎたかと心配になるが、マリからは﹁﹃群青狼﹄のガキは徹 底的にやれ。それが﹃群青狼﹄の意志だ﹂と言われていた。 ﹃十六夜の群青狼団﹄の意志ということはつまり団員の総意という ことで、団員達がアオを次期団長として試しているということなの だ。 今だって﹃群青狼﹄の連中は大声でアオを応援している。アオには この試練を越えてほしいと皆が思っているのだ。 しかしアオはいま余裕がなく周りを見れておらず、自らの負けん気 だけで立ち上がっている。その気力が折れてしまえば、もう立ち上 がれはしないだろう。 ﹁・・・くそっ﹂ もう一度そう吐き捨ててアオは立ち上がった。しかし瞳には悔しさ と共に隠しようのない少々の諦めが浮かんでいた。 諦めてしまってもいいと思う。 大人達が勝手に押し付けた期待だ。アオにはそれを跳ね除ける権利 がある。 そう思うが、決定的に諦めさせる事も終わらせる事も出来ないのは、 私も少年に期待する大人の一人だからかもしれない。 先程の休憩で着替えたメイド服のスカートの裾をはらう。 628 ﹁なんでリキはそんなに強ぇんだよ﹂ 泣きそうな声の割りに視線はしっかりと私を見つめていた。それに ニッコリ笑って返す。 ﹁私は強くないよ。強くなりたいとは思ってるけど﹂ 強くなりたい。強くありたい。 子供の頃からずっとそう思ってきたが、あの頃と今では何か少し違 う気がする。それは何だろうかと考えて、ふと思い至った。 ﹁私は強くないから、大切な人の為に強くなろうとしてるよ﹂ あの頃は他人に勝つため自分に勝つために強くなりたいと思ってい た。今は大切な人を守りたくて支えたくて強くなりたいと思ってい る。 どちらが正しいという訳ではない。ただ今の方が私には合っている のだろう。だから私は真っ直ぐに立っていられる。 ﹁アオは私に勝ちたいか?﹂ そう聞くとアオは数回瞬きをして、首を捻った。絶対﹁勝ちたい!﹂ と言うものだと思っていたが、微妙な反応だ。 ﹁勝ちてぇっていうか、なんだろ。負けたくない。リキには勝てそ うにないけど負けたくない!﹂ 胸を逸らして仰々しく妙なことを言い、そして二ヒヒと肩を竦めて 笑う。 ﹁それに俺が負けたらあいつらがガッカリするだろ?﹂ 驚いた。さっきまで周囲を見る余裕もないと思っていたアオが﹃群 青狼﹄の団員達を気にする余裕を取り戻していた。 ﹁俺も大切な仲間の為に強くなりたいんだ。そんであいつらを連れ て冒険すんだぜ!﹂ ニカッと少年らしい快活な笑みをアオは見せた。おそらくアオは自 分が期待されて試されているのだと感覚的に理解しているのだろう。 それでもその重い期待を背負っても、勝てそうにない相手に挑もう としているのだ。思っていたよりもこの少年は強い。 629 アオが軽く左足を引き、身体を少し下げた。 ドッという音と土埃が上がり、アオの姿が消えた。 次の瞬間、背後に殺気を感じ、振り返りつつ持っていたダガーを構 えた。 ガキンッと鈍い音が鳴り、ダガーがアオの剣撃を止めた。アオが歯 を食いしばりギリギリと押してくるが、アルフォンスとの競り合い に比べればまだまだ軽い。 ﹁リキの、大切な人、って、あのおっさん?﹂ 力が入って途切れ途切れになりながらもアオは話す余裕を見せてい る。 アオは動きは早いのだが、攻撃は単純で素直、力任せになりがちな ので読みやすい。 スッ、と力を抜いてやるとアオは勢い余ってバランスを崩した。そ こへ蹴りをくれてやる。 ﹁ぐっ!﹂ ガガガガッ フィールドを転がるようにアオが吹っ飛んで行く。直前でガードを したのが見えたし、大した怪我はしていないだろう。 ﹃リキの、大切な人、って、おっさん?﹄ さっきのアオの言葉に観客席を振り向いた。 探さなくても赤銅色の髪へ自然と視線が吸い寄せられる。 目があった気がする。 笑顔を返すと、ガーウェンの隣にいたロードが視線に割り込んでき てブンブンと手を振ってきた。ガーウェンが怒ってロードを除けよ うと押してるが、そこに他の南地区の仲間達もわらわら集まって私 に手を振ってくる。 赤銅色の髪はもみくちゃになってしまった。 630 自然と笑みが浮かんでしまう。 なんていうか、あそこにーーー ﹁︻影縛り︼!!余所見してんな!﹂ アオの叫び声と同時に足が動かなくなる。私の足元の影から黒い触 手のようなものが伸びて足に絡みついていた。 ﹁︻一閃︼!﹂ アオが剣を薙ぐ。だがなぜ正面から来るのか。 ダガーを構え受ける、と見せかけ、それを投擲した。 ﹁うおっ?!﹂ 大袈裟な声を上げてアオは身を仰け反らせる。そこへもう一本のダ ガーも投擲するとバク転で飛び、避けた。 咄嗟の反応は良いんだけどなぁ。 ベチャッ ガンッ 着地点を予測してそこに氷の槍を撃ち込んだ。周囲の地面に氷が張 る。 ズルッ ﹁∼∼∼!!!﹂ 打ったのかアオが頭を抱えて、悶絶している。 ﹁リキっ!氷張んなよ!酷いぞ!﹂ ﹁なんだ。泥沼が良かったか?﹂ 次は底なし沼がいいか?と意地悪く聞くと、アオはぐぬぬ!と唸っ た。 負けねぇかんな!とアオが立ち上がる。 声援が場内に響く。 空は底抜けに青い。 ﹁この街は良い街だな﹂ 631 独り言のように呟いた言葉にアオが笑って叫んだ。 ﹁リキだってもう住んでるじゃん!﹂ もう住んでる、か。 ふと後ろから私を呼ぶ声が聞こえた。 振り返ると仲間達が大きく手を振っているのが見えた。強面のおっ さんや厳つい兄ちゃんが多いから笑ってしまう。 アフィやマリ、エヴァン、ロード、他にもこの街で知り合った仲間 達も沢山。 そして愛しい人、ガーウェン。 夕暮れ、公園の入口で大きく手を振りながら私を呼ぶ弟を思い出す。 弟の後ろにはスーパーの袋を下げた母が笑みを浮かべている。 ﹁姉ちゃーん!家に帰ろー!﹂ そう叫ぶ弟の声。 忘れた訳じゃない。 でも今、帰りたいと思うのはガーウェンの隣、あの騒がしい南地区 なのだ。 忘れた訳じゃないけれど、また家をつくっていいだろうか。居場所 をつくっていいだろうか。 大切なものをなくす恐怖と不安を払拭した訳じゃないけれど、大切 なものを増やしてもいいだろうか。 愛する人と家族になってもいいだろうか。 ガーウェンと、たくさんの仲間達とこの街で暮らしてもいいだろう か。 そう考えると、無性に帰りたくなった。 そしてガーウェンに聞きたい。私と家族になってくれるか。 632 ****** ﹁・・・・・・ち、ちくしょー・・・﹂ 苦しそうに肩で息をして、アオがフィールドに大の字で転がってい る。起き上がる為、何とか藻掻こうとして結局片腕も少しも動かせ ないようで再び﹁ちくしょう﹂と悪態をついた。 ﹁・・・う、うぐ・・・うぅ・・・﹂ 黒の魔法剣士 リキーーーーー!!!﹄ 暫くして小さく嗚咽が聞こえた。 ﹃勝者、 実況が叫んだ途端、闘技場が揺れるほどの歓声で埋め尽くされた。 というか、二つ名付けられてる。比較的まともなのが救いだが。 ﹁若っ!﹂ 観客席から﹃群青狼﹄の面々が飛び込んできて、アオの元へ駆け寄 った。治癒魔法をかけながら両脇を抱えて運んで行く。 バルディヌが側にやって来た。 ﹁面倒な役割を押し付けて悪かった。後は我々が対処する﹂ 表情には少しホッとしたような雰囲気が見て取れた。 ﹁アオは大丈夫だよ。大人が思っているよりずっと強い。いい団長 になるよ、きっと﹂ ﹁ああ。若は団長に相応しい男だ﹂ 自慢気に破顔したバルディヌの後ろでアオが叫ぶのが聞こえる。 ﹁あーぁ、腹減ったぁ!﹂ アオらしい言葉に吹き出して笑うと、バルディヌは苦笑して保護者 633 の顔で少年達の後を追って行った。 ﹁リキちゃーん!!﹂ 皆が手を振っていた。 あそこが私の帰る場所だと胸が詰まった。 ガーウェンの赤茶色の瞳と視線があった。 その瞳が細められ、ふわりと微笑んで片手を上げて・・・ 身体の底から込み上げる熱い何かに心が苦しくて、しかし愛しくて。 私は叫んだ。 ﹁ガーウェン!結婚しよう!!﹂ 溢れる感情の勢いのまま、叫んだ。 ﹁私の家族になってほしい!!﹂ 634 決闘・4 及び女子の叫び︵後書き︶ 次話なのですが、更新遅れるかもしれないです。申し訳ありません 635 家族になろう さっきまで歓声に揺れていた場内が妙な空気に包まれている。 リキの黒い瞳が真っ直ぐに俺を射抜き、視線が逸らせないでいた。 リキが叫んだ言葉が頭の中で何度も繰り返し響いて、その度に体温 が上がっていく。 周りにいた奴らがいつの間にか俺から距離を取って、遠巻きに見て いた。もちろんすげぇニヤニヤしてる! ーーえ?プロポーズ?女の子から? ーー相手はアイツか? ーー公開プロポーズなんて勇気あるな リキの視線を辿って俺に行き着いた観客達のヒソヒソコソコソする 声に居た堪れなくなる。 ﹁これからの人生を私の隣で、私と一緒に歩いていってほしいんだ !﹂ リキの言葉が心に響くと、かあああっと顔が熱くなる。 耳の奥で自分の脈打つ音がうるさい。 だがしかし、あぅだの、うぅだの自分でも嫌になるほどの情けない 声しか出せない。 リキの声は良く通る。怒鳴るほどの大声ではないのに意識を引く声 なのだ。 今や闘技場の誰もがリキに注目していた。 フィールドに一人、観客席を見上げて凛とした声で告げるリキの姿 はまるで舞台に立つ役者のようで、少し現実感がない。 636 いや、違う。俺の頭がふわふわして理解が追いついてないだけだ、 きっと。なんだか夢見心地のような気もする。 どういう状況だ、これ! ﹁おい、何か言ってやれよ。色男﹂ ﹁そうッスよ!うぐうぐ言ってないで返事しないと﹂ ルキとロードがニヤニヤしながら、そんな事を言う。他人事だと思 って適当なこと言いやがって。 生温かい視線が俺に集まるのが分かる。 リキからの告白は嬉しい。ものすごい嬉しい。俺もそう思っていた。 だけどこの状況はどうしようもなく恥ずかしい! どうしたらいいか分からない。 耐え切れなくなって両手で顔を覆ってしまった。 ﹁うわぁ、意気地なし﹂ ﹁待て待て。感激の余り泣いているのかもしれないぞ﹂ アフィーリアとマリがヒソヒソと言い合っているのが聞こえ、叫び 出したくなった。 お、おおおお前ら見てんじゃねぇ!!! ﹁ガーウェン﹂ 頭上から澄んだ声が降り注いだ。 ハッとして見上げると、天使が舞い降りてくるところだった。いや、 天使の正体はリキなのだが、本当に天使かと思うほどキラキラと輝 いて見えたのだ。 ツヤツヤの髪には光の輪があり、揺らめいている。 瞳も潤んでキラキラと輝いていている。 頬は薄っすらと赤くて、唇は艶やかで、手足は細くて白くて、とに かく何もかもがキラキラして輝いて、身惚れるくらい綺麗だった。 637 ﹁ガーウェン﹂ たん、と俺の目の前に着地したリキが再び俺の名を呼ぶ。 いつも通り、頭一つ分低い位置から俺を見上げてくる。 ﹁返事を聞かせてほしい﹂ 断られるとは考えていない、自信に溢れる笑みを浮かべている。も ちろん断る事は考えてねぇけど! けど、何だか俺ばかり恥ずかしくて狼狽えて余裕がなくて不甲斐な くて、もう幸せな気持ちと色んな気持ちがぐっちゃぐちゃで、訳が 分かんなくて理不尽にもリキに腹が立った。 ﹁ガーウェン?﹂ 自分の名を蕩けるように甘く呼ばれ、頭が沸騰する。 あう、あう、と口を開け閉めして、考えが纏まらない頭で思いつき、 やっと言えたのは残念な事に憎まれ口だった。 ﹁こ、こここういう事は、お、男から言うもんだろっ!﹂ ・・・・・・俺、生きてきた中で今一番自分に失望してるわ・・・ ﹁言うに事欠いてそれとは残念過ぎますね﹂ ﹁なんでこの場面でそれ言うかねぇ﹂ ﹁流石に俺でも引くッス﹂ ギャラリーがボソボソ煩いが、まさにその通りなので反論しようも ない。 闘技場全体が﹁あーあ、言っちゃった﹂みたいな失笑とか呆れとか そんなもので充満した。 あああ!もう!こんな事を言いたい訳じゃねぇんだよ! 何とか取り繕うため、あわあわと一人で慌てて青くなっていた俺に リキが優しく笑った。 ﹁なんだ。ガーウェンから言ってくれるのか﹂ 638 良く分からなくて一瞬止まると、リキの瞳が細められた。 長い睫毛に縁取られた宝石みたいな黒い瞳をこんな時だが、すごく 綺麗だなぁと感心した。 ﹁プロポーズ。ガーウェンから言ってくれるんだろ?﹂ ・・・ ・・・・・・ ・・・・・・・・・ 今ここでっ?!! 今ここでプロポーズするのか?! いやその、プロポーズしたくない訳じゃない。むしろしたい!リキ と結婚したいし家族になりたい。 出来ることならリキよりも先に言いたかったとも思う。 夜景の見えるあの場所でとか夕日が沈む海岸でとか、色々考えて悩 んでいたぐらいだ。 そう思っていたけど、こんな所で、こんな大観衆見守る中でなんて ーーー 真っ赤になってぐるぐると混乱しているとふとリキの顔が目に入っ た。 リキは優しい微笑みを浮かべていた。 リキはきっと許すだろう。 俺がここで誤魔化して言わずに逃げてしまってもリキはきっと許す だろう。 一方的にリキを傷付けてしまったあの時のように、それでもリキは 俺を許して愛してくれる。 でも俺はあの時に何て思った? 639 リキが伝えてくれた想いに俺も報いたい、と思わなかったか? ならば、それは今じゃないのか。 結婚したいと俺と家族になりたいと言ってくれたリキの気持ちに報 いるのは今しかない。 大きく息をついて覚悟を決める。 恥ずかしさなんてなんだ。リキを幸せにする方が大事だろ! リキの両手を取って、目の前に片膝をつく。 おおっ!と外野がわいた声がした。 リキが不思議そうな顔をしている。たぶんリキの故郷にはこの習慣 は無いのだろう。 しかしここまでやってもやっぱり俺の口は中々動かない。 馬鹿野郎!言え! ﹁俺は!﹂ ゴクリと唾を飲み込んで、勢いで声を出すと、思っていたよりも大 声になってしまい俺自身が驚いた。 ﹁お、おお俺は、その・・・こ、この通り不甲斐ない奴なんだ!う じうじ悩むし、取り立てて良い所なんてない野郎だ﹂ リキを見上げると彼女は小さく首を振った。 そんな事ないよ、と優しい声が聞こえてくる気がする。 つん、と鼻の奥が痛くなった。 リキはいつだって俺の味方で俺を認めてくれる。 それに堪らなく幸せを感じた。 ﹁そうなんだよ。お前は、リキは出来た女だから俺がグズグズして ても待っていてくれるし、俺が不甲斐なくても許してくれるだろ。 でも俺はどうしようもない奴なんだよ﹂ ぎゅ、とリキの手を握った。 ﹁お前に相応しいかいつも不安だし、他人の言葉にはよく惑わされ 640 るし﹂ 改めて言葉にすると自分自身の情けなさに呆れる。 だが情けない自分だけど、心に決めて守りたい事がある。 ﹁でもお前を守りたい。お前を幸せにしたいって思う。俺は不甲斐 ないかもしれねぇけど、お前は幸せにするって、必ず幸せにするっ て誓うから﹂ リキが幸せだと俺も幸せだ。だから誓う。 すると見上げたリキの瞳が潤んで、縁に薄っすらとーーー ﹁私も。私もガーウェンを必ず幸せにするって誓うよ﹂ ふわりと笑ったリキの頬に一筋、キラキラと輝く雫が流れて、それ にとてつもなく胸が締め付けられて、だけどなぜかとてつもなく嬉 しくて、リキを抱き締めた。 ﹁俺と結婚してほしい!家族になろう!﹂ 縋り付いてくるリキを力一杯抱き締めた。 わぁぁぁぁ!! 歓声が場内に溢れた。 仲間達や知らない観客達に次々と祝いの言葉をかけられる。 騒がしい中で、抱き締めたリキから小さく鼻を啜る音が聞こえて、 愛しさで胸がいっぱいになった。 リキを幸せにすると誓ったのに、今一番、俺が幸せを感じてる。 いや、もしかしたらリキも同じように今一番、幸せを感じてくれて いるのかもしれない。 なぜなら、リキは今までで一番、綺麗な笑顔を浮かべているのだか ら。 641 家族になろう︵後書き︶ その後、闘技場でプロポーズするのが流行ったとか流行らなかった とか 642 朝日差し込む部屋で*︵前書き︶ エッチな表現があります。 イチャイチャ度割り増し 643 朝日差し込む部屋で* 浴室に充満した湯気には薄っすらと薬草の匂いが混じっていた。疲 れが取れるからとガーウェンが薬草の入った袋を湯船に浮かべてく れたのだ。 ﹁ふぅ・・・﹂ 深く息を付きながら湯に浸かるとすぐさま後ろにいたガーウェンに 抱き寄せられた。 決闘からの公開プロポーズの後、闘技場近くで祝勝会兼結婚おめで とう会が大盛り上がりで行われた。アフィやマリ、アオ率いる﹃群 青狼﹄、普段南地区を拠点にしている上位ランクの冒険者が多くい るということで人が人を呼んでちょっとした騒ぎが起きたほどだ。 その中で私達はもちろん話題の中心だったのだが、ほんの少し参加 しただけでガーウェンに連れ出されてしまった。 名残惜しそうに引き止める仲間達を振り切り、ガーウェンが私を抱 き上げるとよく分からないが拍手喝采が起こった。 ﹁新婚がこれから初夜に向かうぞ!﹂ ﹁夫婦になって初めての共同作業だな!﹂ 皆ゲスい笑みを浮かべ、やんややんやと下世話な声援を送ってくる のでガーウェンは真っ赤になってしまった。 公衆の面前でのプロポーズに比べれば恥ずかしさは低いと思うのだ が、そういうことではないらしい。 ﹁ううううるせぇ!ま、まだ婚約しただけだ!﹂ この世界でも結婚するには役所に書類を出さなければならないそう で、現時点で私達はまだ正式には夫婦でない。 644 ﹁もうガウィちゃんたら頭固いわね!あんな書類出さなくったって 相思相愛、お互いプロポーズし合ったんだから、夫婦でいいじゃな ぁい!﹂ アフィの言葉にそうだそうだと周囲が賛同の声を上げる。ガーウェ ンは視線をうろうろさせて﹁そ、そういうのはちゃんとしないと﹂ などとボソボソ言っているが、さっきから﹁・・・新婚﹂︵ニヤニ ヤ︶とか﹁・・・夫婦﹂︵ニヤニヤ︶と呟いているので一番はしゃ いでるのは彼なのだと思う。 なんやかやとあったが結局、恥ずかしそうでほんの少し嬉しそうな ガーウェンに連れ去られると事となった。 ﹁随分良いホテルだけど、ここに泊まったことがあるのか?﹂ 湯の中でずっとムニムニと胸を揉んでいる大きな手はスルーして、 振り返り尋ねた。 海岸に近い所に位置しているこのホテルは部屋から海が望めるとい うことで上流階級に人気らしく、普段使う所よりずっと高級だった のだ。 ﹁あー・・・ロードに聞いた。リキと一緒に風呂に入りたかったし、 その・・・﹂ と視線を彷徨わせて言い淀んだので、じっと見つめると、うぐぅと 可愛く唸り声を上げて小さく白状した。 ﹁その・・・景色が良い所で、けっ、結婚の申し込みを、しよう、 と、思ってたから・・・﹂ 途切れ途切れだがそう言うガーウェンの横顔は耳まで真っ赤になっ ており、とんでもなく可愛い。 ﹁そうだったのか。じゃあ、私から言わない方が良かったかな?﹂ ﹁い、いや!そんな事ない!リキから言われて、その・・・嬉しか った。確かに先に言いたかったけど、お前の可愛い顔も見れたし﹂ 645 チラッとこちらを見たガーウェンに、可愛い顔?と首を傾げた。今 日の私に可愛い成分なんてあっただろうか。 嬉々として騎士と死闘を繰り広げて、幼気な少年をフルボッコにし ただけじゃないか。 ガーウェンのツボが分からん。 ﹁ふっ。そんな渋い顔すんなよ。こっち向け﹂ 小さく笑ったガーウェンに顎をすくい上げられ、覆うように口を塞 がれた。 ﹁ん・・・﹂ ちゅぱ、と唇を吸いながら離れたガーウェンが一つ息を付く。 ﹁はぁ。昨日までと全然違う。昨日より更に幸せな気分になる。何 でだろうな﹂ ﹁ふふふ。夫と妻になったからじゃないか?﹂ 見た目が変わらない事でも、心境が変わると感じ方が変わるもので ある。 たかが肩書きだが、私とガーウェンを繋ぐ新たな絆だ。 ﹁お、夫・・・!リキは俺のつつつつ妻、になるんだよな!﹂ 妻 という言葉に過剰反応して鼻息を荒くしたガーウェ ﹁はい、そうですよ。あなた﹂ と ﹁!!﹂ 夫 ンが可愛かったので、語尾にハートが付くような甘える言い方で﹁ あなた﹂と呼びかけると彼は身体ごと真っ赤になってしまった。 やり過ぎたかと思った瞬間、ザバーッと湯を大きく揺らして勢いよ く立ち上がった。 ﹁おおおお俺、上がるからっ!﹂ 浴槽の縁に掴まって固まっていた私を置いて、ガーウェンは慌てて 出て行く。 何なんだ? 見間違いでなければ彼の息子が臨戦態勢だったので、それが原因だ ろうか? 646 ****** 部屋に戻るとガーウェンはテーブルに突っ伏していた。 海に面した窓が少し開いており、海風がカーテンを揺らすと潮の香 りがした。 ﹁ガーウェン、大丈夫?のぼせちゃった?﹂ ここで﹁大丈夫?チンコ勃っちゃった?﹂と聞かない優しさ。 ﹁・・・悪い。何か急に恥ずかしくなって﹂ 突っ伏したまま、気不味そうに呟くガーウェンはそんな自分の態度 が私の加虐心を煽るということを理解していないのだろう。 いつも風呂上がりは汗が引くまで上半身裸でいる彼の美しい肉体も 私の欲情を刺激する。 そんな気持ちに敏感に反応する私のアソコは、とろりと涎を垂らし たようだ。自然と喉が鳴る。 ﹁・・・びっくりしたよ、急に上がるから﹂ ﹁っ!﹂ ガーウェンの裸の背中に被さるように抱きつき、同じく裸だった自 分の胸を押し付けた。ビクンッと跳ねたガーウェンの身体がとても 温かい。 ﹁もう少し一緒に入りたかったのになぁ﹂ 左手で割れた腹筋をなぞり、右手で大胸筋を揉んで、項に唇を這わ す。 ガーウェンの身体がビク、ビクと小刻みに揺れた。 ﹁リ、リキっ﹂ 顔を上げたガーウェンの瞳は切なげに潤んでいて、それに身体の奥 647 がキュンキュンした。 ﹁勃っちゃったの?﹂ ﹁うっ・・・﹂ 耳元で吹き込むように言ってやるとやはり彼は呻いた。これだけの 刺激でガーウェンの息子は再び立ち上がったようだ。 ﹁いいんだよ。ああ、このままで。一回抜こうか﹂ ズボンと下着を脱がせガーウェンを全裸にすると再びイスに座らせ た。 手を頭の後ろで組ませると、腕はそのままでと言葉で縛る。それに ガーウェンのモノは跳ねて喜びを示した。 可愛い。 ガーウェンを上目遣いで見ながら、胸の先端に吸い付く。硬く熱い 昂りを扱き、残った手で美しい筋肉を辿る。 ﹁うっ、くっ!ふっ・・・ふっ!﹂ 控え目に喘ぎながら、ガーウェンは身体を揺らす。 ﹁うぁっ、ああ!﹂ 脇腹から二の腕まで舐め上げるとイスがガタガタと鳴った。 太い棹を扱きながら全身ペロペロ舐めると、ガーウェンはすぐに追 い詰められた。 浮き出た腹筋をキツく吸い上げ、痕を残していく。 ﹁は、あ、リ、リキ、出る・・・中で出したい・・・!﹂ 切羽詰まったガーウェンの声。 ガーウェンは膣内で出すことに並々ならぬ情熱を見せる。そういや、 初めてした時も中出しだったな。男の本能がそうさせるのだろうか。 それとも何か過去の出来事がそうさせるのか。 どちらにしろ必死なガーウェンの顔は虐めたくなるから困る。 ﹁うん、いいよ。中に出して﹂ と先走りでテラテラと光るガーウェンのモノを咥えた。 648 違う、そうじゃない、けど気持ち良い。と顔に書いてある可愛いガ ーウェンを見上げながら、喉の奥、亀頭が喉を突くまで咥え込む。 最近はガーウェンの大きさにも慣れて、大部分を口に収められるよ うになった。 ジュポジュポとわざとらしい音を立てながら、出し入れするとガー ウェンの太ももに力が入って硬くなる。 ﹁ぐ、あ・・・あ、出る、から・・・リキっ﹂ 慣れてもやはり苦しくて滲む視界でガーウェンを観察する。 律儀に上げられた腕。額に浮かぶ汗。 切なげに寄った太い眉。潤んだ赤茶色の瞳。 薄く開いた口から見える舌。 立ち上がった乳首。浮き出た筋肉。 堪えるような喘ぎ声。 たたたたまらん!!何てエロエロしい!! けしからんぞ!!! カッとして口いっぱいのモノを強く吸うとガーウェンが呻いた。 ﹁ぐぁ、あっ・・・!﹂ 無意識だと思うが、ガーウェンは腰を浮かせ、更に奥へ昂りを押し 込んでくる。そして間も置かず何度となく跳ねながら熱を吐き出し たのだった。 ガーウェンのモノが全部出し切り、少しくったりするまで待って、 それからチュと音を立てて離れる。汗で額に張り付く前髪を払って キスを落とすと、ガーウェンは上気した頬のまま睨んできた。 ﹁そうじゃねぇんだよ﹂ なか 可愛らしい今更な抗議に笑ってしまう。 ﹁ふふ、分かってるよ。次はちゃんと膣内に出して?﹂ 誘うように髪を揺らし、太い首に腕を回すと、荒々しく口を塞がれ たのだった。 649 ****** 騎乗位が好きな理由はガーウェンの身体がよく見えるからだ。 ガーウェンの上に跨り、上半身をバウンドさせるように動かす。ピ ッタリと収まったガーウェンの昂りがグイグイと奥のイイ所を押し 上げてくる。 ﹁あっ!イイ、ここっ・・・気持ち良いっ!あっ!ああっ!﹂ 指を絡めたガーウェンの手を支えにして夢中で身体を動かしている と、彼から呻き声が上がった。 ガーウェンは眉を寄せて苦しそうに射精感に耐えてる。浮き出た筋 肉とそこに滲む汗。 その姿にゾワゾワと快感が全身に巡って、高みへ押し上げられる。 ﹁あ、あ、い、イくっ!ガーウェン、イくよ!ああっ!﹂ ﹁くっ!﹂ 激しくなった私の動きにガーウェンの身体が強張って、声を上げた。 愛しさとともに快感が一線を越える。 ﹁あっ、あ、あああっ!ん、あ、あ、んぁっ・・・﹂ 達するとガクンと身体が揺れ、ガーウェンの胸の上に倒れ込んだ。 ﹁大丈夫か?無理すんなよ﹂ ﹁はぁ・・・はぁ・・・ん、平気。なんか今日は全然、疲れないん だよなぁ﹂ 訝し気なガーウェンに笑って返しながら、疑問に思う。 いつもならとっくにガーウェンとの体力差でぐったりとベッドに沈 み込んでいる頃合いなのに、なぜか今日は疲れ知らずだ。うーん? と悩んでいるとふと思い至ることがあった。 650 ﹁祝勝会の前にアフィから体力回復薬を貰って飲んだんだよね。ア フィは結婚祝いも兼ねてるって言ってたし、それかな﹂ ﹁ばか。あいつから貰った物は飲むなよ﹂ ﹁ふふ、そう言うガーウェンもなんだかきょうは疲れ知らずじゃな いか?﹂ 呆れるガーウェンだが、私の中のモノは今だ硬さを失っていなかっ た。 それを締め上げてニヤニヤ言うと、彼は視線を泳がせ、そしてボソ リと白状したのだった。 ﹁・・・・・・実は俺もアフィーリアから貰って飲んだ・・・﹂ その後の事は割愛させて頂くが、アフィの薬の効果は凄まじく、お 互い﹁もうダメ﹂とベッドに沈み込んだ時にはすでに朝日が昇って いたのだった。 651 朝日差し込む部屋で*︵後書き︶ 一般的な初夜と空気が違う・・・ 652 帰る場所︵前書き︶ おっさんが浮かれて鬱陶しいですが、優しい気持ちでお見守り下さ い。 653 帰る場所 クローゼットに服を仕舞い終わり、ふぅと一息付いた。備え付けの クローゼットは大きく、二人分の衣類を仕舞ってもまだ少し余裕が ある。 リキの服が当たり前の様に俺の物の隣に収まっているのを見てニヤ ニヤしてしまう。最近はふとした瞬間に口元が緩んでいるらしく、 ロードやエヴァンに﹁幸せオーラ過多﹂とか﹁惚気で胸焼け﹂とか 言われている。 でも仕方ないだろ。俺だってニヤつくのを抑えられないんだから。 振り返ると窓際にベッドが置いてある。 二人で寝るには大きいサイズのベッドには真新しいシーツと二つの 枕。 そんなに大きくなくていいと言ったリキを押し切り、俺の一存でこ の大きさにしたのは、俺とリキで俺達の子供を挟んで眠るのが夢だ ったりするからだ。 ・・・もちろん恥ずかしいのでリキには内緒にしている。 窓からはソーリュートの街並みとその向こうに遠く、光っている海 が見える。 ﹁本当に運が良かったな﹂ 新居となるこの家を手に入れた経緯を思い出し、そう独り言ちた。 リキと婚姻証書を役所に提出して正式に夫婦となった翌日、早速新 居を探す事にした。 この国では新居を決めてから結婚の申し込みをするのが一般的なの 654 で、順序が逆になってしまったとリキに謝ったのだが、 ﹁二人で住む家なんだから二人で探すべきじゃないか?﹂ と真面目に返されてしまった。 そう言われると確かにその通りで、そもそも俺一人では良い家を探 し当てる事が出来るとは思えなかったので、夫婦となって初めての お出掛けは新居探しとなったのだった。 冒険者仲間や冒険者ギルド、ブリックズの伝手を使ってみたものの これといった物件は見つからず、また明日探そうと二人で話してい た時、リキの知り合いの熊獣人に声を掛けられた。 そいつに新居を探している事を言うとなんと心当たりがあるそうで、 家主を紹介してもらえる事になった。 早速、その家主に会いに行く事となり、その熊獣人の営むパン屋の 近所にあるこの家にやって来たのだった。 この家の家主は老夫婦で、突然訪ねた俺達をとても歓迎してくれた。 家の中に通されるとよく手入れされ、広々とした綺麗な内装に驚き、 なぜこの家を手放すのかと疑問に感じるほどだった。 しかし話を聞くとその理由も納得出来た。 なんと言っても南地区は坂が多い。この家も高台に位置しており、 夫婦は体力の衰えもあり、年々生活のし辛さを感じていたそうだ。 そのため数年後には西地区へ引っ越す計画を立てていたそうなのだ が、その矢先、旦那さんが足を怪我してしまったのだ。 ﹁私一人だと買い物も儘ならないし、西地区に住んでる息子夫婦も いい機会だから移住してはどうかと言うから。それじゃあ、この家 を売ろうかって話してたのが昨日で、それで今日になってすぐ買い 手が見つかるなんて思わなかったわ﹂ ニコニコと笑う奥さんの隣で旦那さんは杖をつきながら家中を張り 切って案内してくれた。 655 それからあれよあれよと言う間に老夫婦は西地区へ移住し、俺達は この新居へと引っ越して来たのだった。 ﹁リキの方もそろそろ片付け終わったかな﹂ 買い出しに行こうとリキを誘うため、窓を閉めて一階へ降りた。 階下はしん、としていた。 あれ、さっきまでいたのにどこ行った? ブレスレットに手を当て、魔力を流すとその位置からリキは家には 居るようだった。どうやらこの魔法具は相手が近すぎると精度が落 ちるらしい。 さっきリキが片付けていた風呂を覗く。 この家の購入を決めた理由の一つがこの風呂だ。二人で一緒に入っ ても大丈夫なくらい浴槽が大きく、水生成の魔法陣も組み込まれて いる高級品だったのだ。 ま、リキは魔法陣を使わなくても自前で湯を出せるほど優秀だが。 ・・・これから毎日、一緒に入れる。うへへ 幸せな想像を膨らませていると、ふと洗面所の鏡に映る自分が目に 入って戦慄した。 うわ、気持ち悪っ! ニヤけたおっさんの面が自分でさえこんなに気持ち悪く感じるのだ からロードやエヴァンが引きつった顔するのも頷ける。 浮かれ過ぎはいけない。引き締めないと。 意識的にキリッとした顔を作りつつ、リビングへ向かった。 リビングには革のソファと高級そうなテーブルが置いてある。これ らの他にもダイニングテーブルや洒落たラックなどの家具は移住先 の雰囲気に合わないからと老夫婦が置いていったもので、ありがた 656 く使わせて頂いている。 小さな棚の前で足が止まる。棚には﹃月の欠片﹄と水晶蝸牛の殻が 並べて置いてあった。 これらを丁寧に並べながらリキが、 ﹁ここは宝物置き場にする﹂ と子供の様なことを言っていたのを思い出し、思わず吹き出した。 ふふっ、ここに並べる何かをまたプレゼントしねぇとな。 その何かを丁寧にこの棚に並べるリキの姿を想像して、また幸せな 気分になった。 肩を震わせながら、ダイニング、キッチンへと回ってもリキの姿は なかった。 ﹁リキー?﹂ 呼んでも返事はない。 食器棚や食器類も﹁良かったら使って﹂と頂いているので、食材と 調理器具を揃えればリキの手料理を楽しめる。 ・・・リキの手料理、楽しみだなぁ。ふふふ ハッ!またニヤついてた! ばか!緩むな! 自分の頬をつねって引っ張り、叱咤する。 でもリキも手料理を俺に振る舞うと張り切っているし、嬉しいもの は嬉しいから仕方ない。 よし、今日はリキの得意料理を強請ろう。 鼻歌交じりに勝手口のドアから奥庭へ出ると、洗濯物が風に揺られ ているのが見えた。 この辺りの住宅には珍しい広めの奥庭は所々雑草が生えているが、 荒れてる訳じゃない。雑草を抜いて整地すれば訓練場になりそうだ。 657 それにリキは家庭菜園を作りたいと言っていたし、日当たりの良い あの辺りにでも二人で一緒に野菜を植えても楽しいと思う。 ﹁リキー、どこだー?﹂ 名を呼ぶと、やや間があって ﹁こっちー。玄関んとこー﹂ と返ってきた。 家の壁と塀の間を身体を横にして玄関まで抜けると、玄関先のレン ガ敷きの所でリキがしゃがみ込んで何かやっていた。 ﹁何やってんだ?﹂ 隣にしゃがみ、手元を覗き込むとリキはブチブチと雑草を抜いてい るようだった。 ﹁んー。レンガの間から雑草が・・・。雨が降ると滑る事もあるし、 気になっちゃって﹂ ﹁そうか。買い出しに誘おうかと思ったんだが、先にこれを終わら してからにするか?﹂ ﹁ん、大方終わったから買い出しに行こう。タオル類は新しいのを 買う予定だったろ?早めに買っていつでもお風呂に入れるようにし とかないとな﹂ ガーウェンが楽しみにしてるし、とリキがからかうように笑った。 うぐぐと唸ってリキから視線を逸らす。風呂に関して浮かれている のがバレていたらしい。 ﹁そっ、それは・・・リ、リキだって風呂楽しみにしてるだろ!﹂ ﹁楽しみにしてるけど、ガーウェンは二人で入るのを楽しみにして るんだろー?﹂ ・・・風呂に関して邪な想像をしているのもバレていたらしい。 うっ、と言葉を詰まらせていると、花の香りがふわりと動き、チュ と柔らかい感触が唇に触れた。 ﹁ふふっ、隙あり﹂ 流れる髪を耳に掛けながらリキが微笑む。 658 なんつーか、その・・・ 俺の嫁がすげぇ可愛いんだが!!! 心臓がバクバクして顔が熱くなっている間にリキは﹁手を洗ってく るからちょっと待ってて﹂と駆けて行った。 こんな不意打ちならこれから毎日でも食らいたい。 そんな事を真剣に思っていると後ろから近づいてくる気配を感じた。 立ち上がり振り向くと、エプロン姿の女が俺を見て声を上げた。 ﹁ああ、やっぱり!この家に越してきた人ね!マーレーさんご夫婦 から話は聞いてるわ!新婚さんだとか。私は隣に住んでるんだけど ね、あぁ夫婦で冒険者なんだって?ウチの旦那は︻防具職人︼だか らもしかしたら顔を合わせたことがあるかもね!どう?この地域は 良い所でしょ?何か分からない事があったら言って!私はここで生 まれ育ったからね、知らない事はないわよ!﹂ 口を開いた途端、怒涛の如く話が始まり圧倒されて相槌すら出来な い。 背格好と雰囲気がドリスに似ているのも迂闊に口を挟めない圧力を 感じる要因かもしれない。 途切れない口撃に閉口していると天使の助けが聞こえた。 ﹁ガーウェン、お待たせ。あれ、お客さん?﹂ 一つに編んだ髪を揺らしながらリキが現れると、女の興味が一気に リキへと向く。 ここだ! その一瞬を見逃さず、一撃を投じる。 ﹁隣に引っ越してきたガーウェンです。職業はご存知の通り冒険者 です。こっちは、つっ妻、のリキです。これから宜しく頼みます﹂ 言い切り、チラッとリキを見ると、心得ているとばかりに愛想良く 笑顔を浮かべた。 659 ﹁リキです。夫のガーウェン共々宜しくお願いします﹂ 丁寧に礼をしたリキに女は﹁あらあらまぁまぁ!﹂とどっから出て るか分からない高い声を出してリキの手を握った。 ﹁マーレーさんの奥様から可愛らしい新妻さんだと聞いてたけど、 想像以上に可愛らしいのね!そうだわ!ウチに寄って行って!﹂ 名案を思い付いたと女がリキを引っ張る。 おい、待て。リキはこれから俺と買い物に行くんだ。 突如現れた強引な女にムッとしてしまうが、こういう女は苦手でど う対処したらいいか分からない。 ﹁そうですね。・・・ああ、そうだ。この辺に商店街はありますか ?﹂ 唐突なリキの話題転換に驚く。しかし女の方は気にならなかったよ うで、リキを引っ張りながら答えた。 ﹁あら、買い物?﹂ ﹁ええ。引っ越してきたばかりなので色々買いに行こうと思ってい るんです﹂ ﹁ああ!あらやだ!そうよね!引っ越してきたばかりだもの、必要 な物は多いわよね!﹂ ﹁はい。あ、夕方にお邪魔してもいいですか?﹂ ﹁ええ!ぜひそうして!﹂ 展開に付いていけない俺は、リキが商店街への道を聞いているのを ぼけっと見守るだけだった。 ****** 左手に果物が入った袋を抱えて、右手はリキと手をつなぐ。そして 660 我が家を目指して歩く。 たったそれだけでどうしようもなく幸せで、俺の顔はでろでろにだ らしない表情を晒していた。 ﹁本当にあの薬屋を覗いてかなくていいのか?﹂ とある薬屋に興味を引かれた様子のリキだったが、入る事はしなか ったのだ。時間に余裕はあるんだし寄って行こうと言ったのだが、 リキは首を横に振った。 ﹁今日で全部見てしまったら勿体無いよ。今度にすれば、またガー ウェンとデート出来るからな﹂ そうだよね?と俺の腕にぴったりくっつきながら、俺の可愛い奥さ んが可愛らしいお願いをしてくる。 俺ダメだ。リキに骨抜きにされてる。 リキの為なら何だってしようって気になってる。いや、するけど。 ﹁色んな所に連れてってやるよ。一緒に行こうな﹂ ﹁うん﹂ リキの望むことを叶えて リキが笑うことをして リキが幸せになれば俺も幸せになれる。 簡単そうで難しい事だけど、俺達ならきっと上手くやれる。 たった一つの身体に居た時も上手くやれたんだ。顔を見合わせて、 笑い合える今ならもっと上手くやれる。 鍵を開けて、新しい我が家に帰り着く。 ﹁・・・・・・ただいま﹂ ﹁おう。おかえり﹂ リキが小さく呟いたので、何気無く返した。 息を飲んだ音のあと、動きが止まったリキを見ると、彼女は泣きそ うな顔をしていた。 それからまた泣きそうな顔で笑い、震える声で言った。 661 ﹁ただいま﹂ ﹁おかえり﹂ ここがリキの家だ。 ここがリキの帰る場所だ。 ここが俺達の帰る場所だ。 堪らなくなってリキを抱きしめーーーようとして持っていた果物を ゴロゴロと落としてしまった。 ﹁あっ!﹂ ﹁あーあー﹂ 慌てて拾い上げていると、リキと目が合い、どちらともなく笑い出 した。 ﹁くくっ、はははっ!いつも締まんねぇなぁ!﹂ ﹁ははは!本当に!﹂ まぁ、それが俺達らしい。 662 帰る場所︵後書き︶ この後は決闘の後日談を挟みまして、この章はお終いになります。 今後の予定はまた改めて連絡致します。 663 決闘・後日談 1︵前書き︶ このエピソードでこの章はお終いです。 またこのお話は決闘後から新居引越し前︵前話︶の間にあったエピ ソードです。 664 決闘・後日談 1 決闘の数日後、私が働いている冒険者ギルドの食堂にアルフォンス が現れた。 私は﹃陽月の騎士﹄をぶん殴った奴として良い意味でも悪い意味で も有名になっていた為、食堂内は騒ついた。 ﹁リキさん、お久しぶりです﹂ ﹁ああ、久しぶり。身体はもういいのか?﹂ ﹁ええ。騎士は体力勝負ですから﹂ しかし当事者達は険悪な仲と言うわけでもなく、むしろ決闘からお 互いが歩み寄り、和やかな関係になっていた。 ﹁私に何か用か?﹂ ﹁ええ、ちょっとお願いが。ですがここでは・・・﹂ チラリと周囲を見てアルフォンスが苦笑する。 金髪に翠の瞳のイケメンの姿は冒険者が多い食堂内では浮いている。 ましてや彼と曰く付きの相手である私との対峙である。興味が無い ような顔をして皆、聞き耳を立てているのが分かった。 ﹁まぁ、そうだな。仕事が終わる頃、何処かで待ち合わせするか﹂ ﹁そうですねぇ・・・﹂ ﹁ちょ、ちょっ!リキちゃん!﹂ なぜか酷く慌てた様子の料理長に呼ばれた。見ると彼はブンブンと 勢い良く私を手招きしており、よく分からなかったが近寄ってみる とガシッと肩を掴まれた。 ﹁仕事はいいから、今から行って来て﹂ ﹁は?﹂ ﹁いいから!ただでさえ印象最悪なのにどうしてそう素っ気なくす るんだ!﹂ 大きくなった自分の声に料理長はハッとして、それからアルフォン 665 スを見て愛想笑いを浮かべる。ガッと私の肩を抱き、耳元に口を寄 せてきた料理長の顔が恐い。 ﹁いいかい?君があの副団長様をぶん殴ってから僕の心は休まる暇 がない﹂ ここ数日、アルフォンスに傾倒しているらしい騎士達やファンの女 の子達、はたまた私に喧嘩を挑もうとする馬鹿な奴ら、ただの野次 馬などが訪ねて来てギルド食堂は大賑わいなのだ。 ﹁普段より注文が増えてるから厨房もてんやわんやだし、加えて毎 日いざこざがあるから副ギルドマスターもピリピリしてるしで、僕 の胃は限界なんだよ﹂ 線が細くていつも困った様な八の字眉毛の料理長が青い顔をしてい ると悲哀を誘う。 もしかしなくても私の所為なので少し責任を感じてしまった。 ﹁分かった。悪いが仕事を上がらせてもらうよ﹂ ﹁ありがとう!ちゃんと好感度上げるんだよ!﹂ なんだよ、好感度って。 ﹁嫌そうな顔しない!﹂ 何を期待しているのかやたらと張り切っている料理長に押し出され、 アルフォンスの前に来ると彼は妙な顔をしていた。 ﹁・・・貴女に好かれても余り嬉しくないんですが・・・﹂ ﹁てめぇ、それはこっちの台詞だよ﹂ 返事は喧嘩腰に返したが、裏の無いアルフォンスの表情と言葉に笑 う。決闘後の彼は中々素直で愉快だ。 ﹁そういえばご結婚なさったとか。おめでとうございます﹂ ﹁ありがとう﹂ ﹁結婚祝いを持って来ましたので、お渡しします﹂ ﹁わざわざすまない。ありがとう。ではガーウェンに渡してくれな いか?我が家の家長はガーウェンだから﹂ ﹁そうですね﹂ そんな会話をしながらアルフォンスと連れ立って食堂を後にすると、 666 客の一人が小さく、 ﹁あいつら本当は仲良いだろ﹂ と呟く声が聞こえた。 ****** ﹁リキっ!!!﹂ ガーウェンが鋭い声を上げながら、カフェの店内に駆け込んで来た。 その焦った様子に驚いて、彼を呼ぶ。 ﹁ガーウェン?どうした?﹂ 向かいの席で行儀良くフォークとナイフでオレンジタルトを食べて いたアルフォンスも驚いた顔をした。 ﹁何かあったんですか?﹂ ガーウェンは焦りの表情がだんだんと困惑に染まり、私とアルフォ ンス、手元のタルト、そしてまた私と順番に見やって、 ﹁あ?・・・え・・・と?﹂ と間の抜けた声を出した。ガーウェンの後ろから息を切らしたロー ドも顔を出し、同じ様に私達を見回した。 ﹁あ、あれー?和やかにお茶してるし!喧嘩は?!﹂ ﹁リキが呼び出されたって聞いて、その・・・﹂ どうやら情報が紆余曲折して私とアルフォンスが険悪な雰囲気だと ガーウェン達には伝わったようだ。 ﹁大丈夫だよ。ふふ、ちょうど良かった。ガーウェンも一緒に聞い てくれないか?﹂ 隣の席へ誘うとガーウェンは若干気不味そうな表情のまま素直に従 った。 667 ﹁もー、心配したんだよ。あ、お姉さん、俺にも副団長と同じケー キちょうだい!﹂ ロードが自然な流れで騎士の隣へ座りながら給仕へ注文する。アル フォンスはイケメンにあるまじき間抜け面で隣を見ていた。 ロードの人懐っこさというか遠慮の無さというか、その場に入り込 んでくるメンタルの強さは中々なものである。 ﹁アルフォンス、気にしなくていい﹂ ﹁そうそう!気にしないで!﹂ まだチラチラと隣を気にしているアルフォンスに告げると、彼は諦 めたようにため息をもらした。 ﹁一応、部外者には秘密のお願いなんですが。あ、そうそう。ご結 婚おめでとうございます﹂ ロードの事は放っておく事にしたらしい彼は素早く切り替え、ガー ウェンに祝いの言葉を言った。 ﹁え?お、おう﹂ ﹁これ。結婚祝いの品です。どうぞお受け取り下さい﹂ ﹁は?!結婚祝い?!あ、え?・・・﹂ アルフォンスからの祝いの言葉にも驚いたようだが、結婚祝いと箱 を渡され、ガーウェンは狼狽えた。受け取って良いのか迷っている ようだった。確かにガーウェンはアルフォンスに色々嫌がらせを受 け、苦手意識があるようだし戸惑うのも仕方ないと思う。 どうする?と言いたげな視線を私に向けてくるのでニコッと笑って 頷いた。 ﹁ガーウェンが良ければ貰っていいんじゃないかな﹂ ﹁・・・・・・ありがたく頂く﹂ しばし逡巡していたが、ガーウェンはそう言って結婚祝いを受け取 った。 過去に何があろうと人の好意を無碍には出来ないのがガーウェンの 良い所の一つである。 668 ﹁私の家では結婚祝いとしてよくペアグラスを贈るんです。リキさ んの方には黒蝶、ガーウェンさんの方には赤い花が彫られているん ですよ﹂ 職人は自信作だと言っていました、と笑うアルフォンスの言葉にソ ワソワしながら包みを解いているガーウェンの姿に吹き出しそうに なるのを堪えた。 ガーウェンは﹃ペアグラス﹄という部分に反応しているのだ。 新居も決まり、新生活に向けて少しづつ必要な物を買い揃えている のだが、彼は﹃お揃い﹄とか﹃ペア﹄という物に憧れがあるらしく、 そういう物を選ぶ傾向にあったのだ。 ﹁・・・おおっ!﹂ 箱を開けたガーウェンから小さく感嘆の声が上がる。 横から覗き込むと箱の中にはウィスキーのロックグラスの様な背が 低く底の厚いグラスが二つ収まっていた。その外側には深いカット で模様が描かれ、それがアルフォンスの言う黒蝶と赤い花であると 分かった。 江戸切子の細工に似ていると思った。 ﹁おー!すげぇ高そっ!﹂ ガーウェンの手元を身を乗り出して覗き込んだロードが情緒の無い ことを言うが、確かに高そうである。 ﹁こんな高価な物、わざわざすまない。ありがとう﹂ ガーウェンもそう思ったのか、改めてアルフォンスに向き直り礼を した。それに続いて私も礼をする。 ﹁私からも。すごく素敵な物をありがとう﹂ ﹁いえ、喜んで頂けて嬉しいです。それになんて言うか、後ろめた さもありますし﹂ 私達の喜びように笑ったものの次いで困った顔をした。 ﹁私からのお願いはお二人にとって面倒な事に間違いないので﹂ 669 そう言えばアルフォンスはお願いがあると言っていたが、二人と言 うことはガーウェンも関係がある事なのだろうか。 アルフォンスに視線で先を促すと、やはり困ったまま言った。 ﹁お二人には食事会に出て欲しいのです。ソーリュート騎士団総団 長との食事会に、です﹂ ソーリュート騎士団は地区ごとに騎士団名が付けられている。 中央区ー中央騎士団 北地区ー橙剣騎士団 東地区ー緋剣騎士団 西地区ー蒼剣騎士団 南地区ー翠剣騎士団 これらの騎士団が都市内で切磋琢磨しながらソーリュート騎士団全 体の戦力を上げていく仕組みなのだ。 ソーリュート騎士団総団長とはその騎士団、騎士全ての頂点に位置 する人物のことである。 そんな重要人物と食事会など面倒事のレベルでも最高レベルである。 ﹁それと申し訳ないのですが、このお願いは断ることは出来ません﹂ 相変わらず困った顔のままだが、そう言い切ったアルフォンスにガ ーウェンが低い唸り声を上げた。 ﹁そんなもんお願いじゃねぇだろ﹂ さっきまでのご機嫌さが消え去り、ガーウェンの眼光は獣のような 鋭さだ。 ﹁私もそれは重々承知ですが、私も一介の騎士なんです。上の命令 には逆らえません﹂ 翠剣騎士団の副団長であるアルフォンスの上なんて数えるほどしか いないだろうに。考えれば考えるほど面倒そうだ。 ﹁食事会と言ってもお二人と総団長の他には私も参加しますし、食 事しながらお話する気軽な場なのでそんなに構えなくてもいいです 670 よ﹂ ﹁気乗りはしないな。それにそんな場に行く正装も持っていないし﹂ ﹁服は私がお貸しします﹂ にこやかな雰囲気を出しながらも、アルフォンスは引く気がないよ うだ。 面倒そうな予感しかない。 しかしまぁ、受けるしかないのも事実だ。 ならばやっと見つけた居場所だ。全力で抵抗しないと。 ﹁ガーウェン﹂ 愛しい人の名を呼ぶと彼は私の言いたいことが分かったのか、非常 に嫌そうな顔した。 ﹁ガーウェン、断るのは得策じゃないよ。それにここで断ってもま た同じような事があると思う﹂ ﹁だけどな、またお前が面倒な事に巻き込まれるは嫌なんだよ﹂ 不貞腐れたように唇を突き出して、渋るガーウェンの手を握る。 ﹁今回はガーウェンと二人だよ。ちゃんと守ってくれるだろ?﹂ ﹁当たり前だ﹂ なら大丈夫だよね、と笑顔を向けると小さくくそっ、と悪態をつい た。 ﹁分かったよ﹂ ﹁まぁ、これでアルフォンスに貸しも付けれるし。悪い事ばかりじ ゃないよ、きっと﹂ そうアルフォンスに視線をやると、 ﹁何か私も嫌な予感がするんですが﹂ と引きつった顔をしたのだった。 671 決闘・後日談 1︵後書き︶ ガーウェンが﹃お揃い﹄好きになったきっかけはリキからペアのブ レスレットを貰った事です。 672 決闘・後日談 2︵前書き︶ 次話に続きます。 食事回と思いきや・・・ 673 決闘・後日談 2 淡い紫色のナイトドレスは胸元が大きく開いており、首元を飾る大 きなダイヤのネックレスを引き立てていた。 髪は緩くハーフアップにしてまとめ、そこにネックレスと同じくダ イヤの髪飾りが輝いている。 食事会に出席するにあたり、アルフォンスはああ言ったものの服装 ぐらい自分達で準備しようという事になった。当初、アフィ所有の ドレスを貸して貰えばいいと思っていたのだが、私の決闘で休みを ぶん取って暇していた彼女達に良いオモチャだと認定され、結局、 ソーリュート中の店を回ることになってしまった。 食事会まで数日しかないのでオーダーメイドは諦めてくれたが宝飾 品を含めて彼女達は妥協を知らず、衣装が調ったのは食事会当日で あり、その頃には連日の引き回しで私はぐったりしていた。 しかし食事会会場に近いという中央区にあるアルフォンスの御屋敷 で支度をさせて貰える事になっていた為、やる気を失った私を引き ずり、ガーウェンは嬉々として向かった。あんなに嫌がっていたガ ーウェンがなぜかと言うと、アフィに、 ﹁リッちゃんのドレス姿凄く綺麗だよぉ!﹂ などと上手いこと乗せられたからだ。単純なおっさんである。 しかしその単純な期待にキラキラ輝いている彼の笑顔を見て、やる 気が持ち直してくる私も単純であると言える。 ガーウェンの喜ぶ顔を見る為に入念な最終チェックを姿見の前でし ていると、後ろに立っていた妙齢のメイドが拍手した。 674 ﹁良くお似合いです!私の出る幕はありませんでした!﹂ アルフォンスから側仕えとして彼女を紹介されたのだが、結局手を 借りたのはネックレスを付ける時だけだった。 ﹁髪もご自分でなさったのにとても綺麗に纏められて、感心致しま した﹂ ﹁さっき教えた通りにすれば、一人でも簡単だろ?﹂ ﹁はい!﹂ 現代風のヘアアレンジに彼女がたいそう興味を示したので私の知っ ているアレンジ方法をいくつか教えた所、大いに喜ばれた。 姿見で背中まで確認し終え、頷く。 ﹁よし、これでいい﹂ ﹁はい、とてもお美しいです!アルフォンス様はサロンにいらっし ゃいますので、案内致しますね﹂ メイドの案内で部屋を出た。 さすが名門貴族・ウェルシュルト家である。家の内装は豪華絢爛で、 細部にまでこだわりを感じさせるものだった。しかしまぁ、庶民出 の私には肩身が狭い思いしか感じないが。 ﹁アルフォンス様、リキ様の支度が調いました﹂ サロンの扉の前でメイドが声をかけると、ややあって中から扉が開 いた。開けたのは甲冑を着た騎士である。おそらくアルフォンスの 部下か護衛だ。 騎士は私達に視線を走らせて確認してから身を引き、道を開けた。 身分が高いのも考え物だな。自分で自由に扉も開けれないなんて。 サロンもやはり豪華絢爛であった。 私は綺麗な物も芸術的作品を見るのも好きだが、鑑賞用に壺を置い ておく事だけは理解出来ない。 花も生けないただの壺なんて邪魔以外の何者でもないだろ、と扉の 675 正面に置いてあった馬鹿デカい壺に目がいっていると、大きな気配 が隣に立った。 すぐガーウェンだと分かり、見上げて、視線が合って、息を飲んだ。 ﹁リキ・・・やっぱお前はすげぇ綺麗だな﹂ ガーウェンが頬を染め、瞳を細めて笑みを溢すのを、息を詰めて見 つめた。 急に心臓が早鐘を打つ。 ﹁・・・リキ?どうした?﹂ 何も言わない私の頬をガーウェンが優しく撫でる。 途端にかあああっと顔に熱が集まって、耳まで熱くなった。 ダメだ。なんだよ。反則だ。 ・・・・・・正装姿のガーウェンが恰好良すぎて心臓が痛い・・・ シルエットはタキシードに近いと思う。 裾の長い黒色のジャケットとスラックス。 中に着てるベストとアスコットタイは紫系の色で私のドレスの色と 合わせたのだろう。 がっしりとしたガーウェンの体型が綺麗に見えるシンプルなデザイ ンで、そして極めつけはいつもは降ろされている前髪を全て後ろへ 流し、綺麗な額と凛々しい眉が見えている所である。 確かにお風呂に一緒に入る時は一時的に同じような髪型になること もあるが、それとは違い今は服装との相乗効果がとんでもない。 これが大人の色気か! 大丈夫か?と顔を覗き込んでくるガーウェンを上目遣いで見ながら、 呟く。 676 ﹁・・・ガーウェンが、恰好良すぎる・・・﹂ ﹁え?﹂ ピタリと動きが止まったガーウェンの顔が次の瞬間には真っ赤にな っていた。 ﹁なっ、そんな俺はべべべ別に、あ、いや、その・・・おまっ、お 前のが似合ってるし。本当に綺麗だから・・・﹂ ﹁ガーウェン・・・﹂ ﹁リキ・・・﹂ お互い手を握り、じっと見つめ合う。 ガーウェンの周りがキラキラ輝いて見える。 や、やだぁ・・・かっこいい・・・ ﹁申し訳ありませんが、そろそろ時間ですのでいいですか?﹂ 横から困ったような呆れたようなアルフォンスの声が聞こえた。そ ちらを見れば濃いグリーンの軍服に勲章や飾り紐を付けた衣装のア ルフォンスが居たが、ガーウェンの恰好良さには敵わない。 再びガーウェンに視線を戻して、うっとりと見上げる。 ﹁分かりました。貴方達が所謂バカップルだと分かりましたから、 もう行きますよ﹂ 深いため息と共に吐き出されたアルフォンスの言葉には若干イラッ した空気が混じったように感じた。 ****** 口に入れた白身魚の身は蒸し焼きにされてふっくらと柔らかく、優 しい酸味の柑橘系のソースが爽やかで口当たりをさっぱりとさせて 677 いた。 ﹁ん、うめぇ!﹂ 隣で同じように白身魚の蒸し焼きを口にしたガーウェンが喜びの声 を上げ、素早く次の一口を切り分ける。 嬉しそうな顔をして料理に集中しているガーウェンに笑みを浮かべ た。 食事会会場はなんと侯爵城の一室だった。 アルフォンスはこの部屋は侯爵城内といっても役人の接待や会合等 で使われる気安い部屋だと言うが、私やガーウェンにしてみれば雲 の上の場所である事には変わりない。 城内である雰囲気と始まった格式高そうなコース料理にガーウェン は強張った顔を見せていた。しかし、 ﹁すみません。総団長は仕事が押しているそうで遅れてくるそうで す。せっかくですので、先に料理を頂きましょうか。私達だけです ので、マナーは気にせず食べましょう﹂ というアルフォンスの言葉と料理の美味しさに次第にガーウェンの 緊張が解れ、今は私を見て笑う余裕を取り戻していた。 私が半分食べ終わる時にはガーウェンの皿は綺麗になっていた。そ の皿を見つめる彼の瞳が少し寂しそうに見える気がする。 あんな感じの犬を見たことがある。 高級料理は品良く少なめなので、普段から三人前ぐらい食べるガー ウェンには足りないのだろう。 後ろに控えていた給仕に視線をくれると、すぐさま反応して隣に身 を屈めてきた。 ﹁私のお皿を彼の前へ。あとパンを﹂ ﹁承知致しました﹂ マナー違反だと思うが、腹ペコのガーウェンの為だ。 それだけで私の言わんとしていることを理解した給仕が私とガーウ 678 ェンの皿を交換し、パンの入ったバスケットを彼の前に差し出した。 ﹁お好きなパンをどうぞお取り下さい。パンはお代わりが御座いま すので、お申し付け下さい﹂ ガーウェンの顔がぱあっと明るくなる。 大人な色気漂う今の姿に不釣り合いな無邪気な顔だ。だがしかしそ のギャップも素晴らしい。 ﹁リキさん、顔が蕩けてますよ﹂ 正面に座っていたアルフォンスがそう言って苦笑した。 ﹃顔が蕩けている﹄とは、パンにバターを付けて、嬉しそうにかぶ りついているガーウェンを見ているデレデレしたこの顔の事だろう か。 ﹁こんな愛らしい生き物を見て蕩けないほうがおかしいよ﹂ ああ、パンに残ったソースを付けて食べると美味しいと気付いて目 を輝かせてる巨体のおっさんが可愛くないはずがない。 アルフォンスは﹁全く分からん﹂という顔をしている。 私達の視線にガーウェンが恥ずかしそうに頭を掻いた。 ﹁わ、悪い。美味くて夢中になった﹂ 今までで一番美味くて、と幸せそうに笑う。 ﹁・・・・・・まぁ、確かに演技じゃない素直な反応は好感が持て ますね﹂ ﹁そうだろう。それがガーウェンという人の根本だ﹂ 二人の生温かい目にガーウェンだけが首を傾げていた。 ****** 679 それは唐突に現れた。 コースの締めくくりであるコーヒーを飲んで、ホストの癖に総団長 は遅いなと文句を言っていた時、扉が開いた。 ﹁やぁ、待たせたね﹂ と壮年の男性が入室してきた。 白地に金の刺繍がたっぷりしてあるコートを着た、見たまんま貴族 という出で立ちの男だった。 その後ろから甲冑の騎士。 アルフォンスが立ち上がり、直立して出迎える。 ﹁祭が近いこの時期は雑務が多くてね﹂ 苦笑を見せてアルフォンスに片手を上げた。 ﹁なんで・・・﹂ 隣の席からガーウェンの緊張した声が聞こえた。 貴族風の男が私とガーウェンを見る。 ガーウェンが慌てたように立ち上がった。それに続いて私も立ち上 がり、礼をする。 ﹁君達を呼んだのは私なのに遅れて申し訳ない﹂ ﹁いいえ。会えて光栄です﹂ 視線が合うと、男は笑みを作った。目元のシワが濃くなり、柔和な 印象が増す。 ﹁いや、こちらこそ。あの二人の弟子に・・・ああ、そうか。自己 紹介がまだだったね﹂ 鮮やかな青髪に青い瞳。 ﹁私はクナ・エクスリュート。この都市の管理を任されている﹂ 680 ソーリュート地方管理区長、クナ・エクスリュート侯爵その人であ った。 681 決闘・後日談 3︵前書き︶ 次話に続きます。申し訳ありません。 682 決闘・後日談 3 ﹁クナ侯爵、そちらの女性が﹃拳聖﹄と﹃銀の魔女巫女﹄の弟子で あるリキさん。隣の彼は彼女の夫であるガーウェンさんです。彼は Aランク冒険者です﹂ ﹁夫?結婚してるのかい?﹂ ﹁はい。最近ですが、証書を提出されたそうです﹂ アルフォンスが私達の事をクナ侯爵に話すのを黙って聞いていた。 突然現れた侯爵に隣に座るガーウェンが身を固くし警戒している。 時折、不安気に私を見て、心配そうに瞳揺らした。 私はというとこの事態はある程度は予想していた。まぁなるべくし てなったと言うか、寧ろ予定通りである。 ﹁リキさんの故郷は何処なんだい?﹂ クナ侯爵が私に視線を寄越した。やはり優し気な笑みだが目の奥が 笑っていない。 ﹁日本という島国です﹂ ﹁ニホン?聞いたこと無い国だね。何処にあるんだい?﹂ ﹁分かりません﹂ と答えると侯爵の瞳がキラリと光った。後ろに控える白い甲冑のお っさんの顔が険しくなり、私を睨みつける。 それに笑みを返しながら、もう一度答えた。 ﹁私もそれを知りたいのですが、分からないのです。ただこの国で は無いのは確かです﹂ ﹁では君はどうやってこの国に来たのかな?﹂ ﹁分かりません。ある日突然、気付くとこの国にいたのです。どう して来たのか、どうやって来たのか全く分かりません﹂ ﹁分からない、ね・・・﹂ 683 侯爵が目を細めてそう呟く。私の本心を見抜こうとするような、そ んな目だ。 ﹁リキさんは故郷から旅をしてカダラストに行き着いたのでは?街 でそう聞きましたけど﹂ とアルフォンスが怪訝そうな顔で言う。 ﹁それは他人から詮索されない為に便宜上言っていることだ。ある 日突然この国に来たなどと言って信用されるとは思えないからな﹂ ガーウェン以外のこの場の者には不信と疑惑が見えた。 そういえばガーウェンも初めはこんな感じだったなと思い出した。 それが今や夫婦だ。なんだか不思議で感慨深いなぁ。 ﹁本当だ!﹂ 隣から声が上がった。 ガーウェンが必死な顔をして私の為に訴えている。 ﹁本当なんだ・・・リキは突然、俺のな・・・側に現れたんだ。知 り合いの魔法師は転移魔術か何かに巻き込まれたんだろうって言っ ていた、あ、いや、言っていました﹂ ﹁転移魔術に巻き込まれた?﹂ ﹁憶測です。彼の側で目を覚ますその直前の記憶がないので分かり ません。ただ事故にあった時などそれ前後の記憶を思い出せなくな るという事はよくあることなので、事実に近いのかもしれません﹂ ﹁なるほど・・・﹂ 侯爵は口元に手を当てて何か考えているような素振りをしている。 アルフォンスも後ろの騎士も難しい顔をしている。 不穏な空気にガーウェンが緊張したのが分かった。 ーーーそろそろ時間、かな。 ﹁侯爵。私の故郷に伝わるある剣豪同士の決闘逸話があるのですが﹂ 侯爵を見据え、笑みを向けると彼の瞳がまたキラリと光った。 684 ﹁ほう?﹂ 興味深そうに私を試すような視線を向けてくる。 ﹁それぞれが弟子を持つほどの腕の立つ剣豪だったそうですが、決 闘の時、片方が遅れて現れたそうです。諸説ありますが、半日も遅 れて来たのだとか。決闘に遅れて現れる事で相手の心を乱し、平常 を失わせる策だったと言われています﹂ 侯爵の表情はなく、感情は読めない。 しかし、アルフォンスや後ろに立つ騎士から感じる強張った空気に、 当たりかと思った。 ﹁それは決闘に勝つ為の真っ当な戦術だったとも卑怯者の一手だと も言われています。侯爵はどちらだと思いますか?﹂ 私の身の上話を聞き出す為だけに侯爵が食事に誘う訳がない。 交渉を有利に進めるには、相手を自分のフィールドに引き入れる事。 そして相手の判断力を削ぐ事だ。 目的は何か。だらだら関係無いこと話してないでさっさと言えよ。 ﹁・・・その決闘はどちらが勝ったのかな?﹂ 質問に質問で返すな、狸親父。 ﹁どちらだと思いますか?﹂ 再び同じ質問を投げかけると、侯爵が声を上げて笑った。 ﹁はははっ!流石あの二人の弟子だ!いや、だから二人は君を弟子 にしたのかな﹂ ﹁ただ彼女達と気が合っただけです﹂ ﹁それがどんなに凄い事か君は分かっていない。あれらに気に入ら れ、近くに居ることを許されるということがどんなに貴重な事か分 かっていない﹂ 笑顔から一転、真面目な顔してそんな事を言う侯爵に﹁は?﹂と返 しそうになって、思わずガーウェンを見ると、彼も﹁は?﹂という 顔をしていた。 685 アフィ達に気に入られる事が貴重? 気に入れられているという事ならガーウェンだってロードだって、 寧ろ大抵の知り合いはそうだろう。 というかアフィ達は自由気儘な性格だが、基本的には社交的で気さ くである。来る者拒まずに去る者追わず精神だ。 そんなアフィ達から気に入られないなんてよっぽどの反感を買った としか思えない。 ﹁彼女達は自由気儘で好き勝手過ぎる。そのくせたった二人で国を 危うくする事が出来る力がある。それは国防的に問題だと思わない かい?﹂ ああ、なるほど。アフィ達が恐いのか。 アフィ達に手綱を付けたいが、恐くて近付けない。だが、怯えてい るのも嫌だと。 ﹁小細工は無いほうが良いようだから単刀直入に言うが、君にはソ ーリュート騎士団に所属して貰いたい﹂ と侯爵が柔和な笑みを作る。 ガーウェンの息を飲む音が聞こえ、アルフォンスはバツの悪そうな 顔をしていた。 ﹁その話はもう無くなったはずだ!決闘で話は付いただろ!﹂ ガーウェンが吠えるように怒りの声を上げる。しかし侯爵は怯む様 子を見せずに更に笑みを深くした。 ﹁それはアルと彼女の決闘だろう?私は関与していないからね。私 はソーリュート管理区長として改めて彼女と交渉しているんだよ﹂ ﹁私は騎士団に入る気はありません﹂ ﹁そう言わずに少しは考えてみてくれないか?君が騎士が嫌だと言 うなら騎士団所属の魔術師としてでもいい。君は今、ギルドランク Dだから受けられる依頼も高が知れているだろう。騎士団に所属す れば相応の報酬を支払うよ﹂ ﹁それで私にアフィ達と貴方達との仲を取り持てと?そんな事は私 686 には関係がない。アフィ達を掌握したいなら貴方達自身でやればい い﹂ ﹁そうは言っても、彼女達は選り好みが激しいからね。近年では君 が一番適任だよ﹂ ﹁そうやって人任せにしようとする所がアフィ達の反感を買ったの では?国の為の戦力になって欲しいのならアフィ達と直接交渉すべ きだ﹂ 侯爵の目を見据え、はっきりと告げると、彼は困ったなぁと眉尻を 下げて見せた。しかし瞳はギラギラと輝いて、引く事など考えてい ないと分かる。 ﹁・・・・・・リキさん、貴女はベルハルト・ガーランド男爵を知 っているかな?﹂ 突然出てきた人物を誰かと問う前に、反応したのはガーウェンだっ た。 両手をテーブルに叩きつけて、椅子を背後に跳ね飛ばしながら立ち 上がり叫ぶ。 ﹁テメェ!それは関係ねぇだろ!!﹂ ガーウェンの剣幕にも侯爵は余裕然としており、 ﹁関係ないかどうかは私が決める事だ﹂ といかにも悪役のような事を言った。 甲冑の騎士が殺気立ち、剣に手を掛けている。ガーウェンがこれ以 上侯爵に近付いたらそれを振るうつもりなのだ。 ﹁ガーウェン﹂ テーブルに叩きつけられたガーウェンの手に触れる。 ﹁大丈夫。必ず守るよ﹂ 私を見たガーウェンに微笑んでみせる。 大丈夫。ガーウェンの大切なものは必ず守る。 ﹁こ、困ります!侯爵は今、来客中です!﹂ 687 突如、外の廊下が騒がしくなった。 部屋を満たしていた緊張感と一同の視線が扉へと向く。 バァン! 大きな音を立てて扉が開き、綺麗な空色の髪を掻き上げる人物が現 れた。 ﹁やぁ!探したよ、叔父様!﹂ ﹁・・・・・・クリシュティナ・・・﹂ 侯爵が目頭を押さえながら、深いため息と共に名を吐いた。 ﹁クリシュティナ姫!お客様がいらっしゃっています!﹂ ﹁ああ、大丈夫。僕は気にしないよ!﹂ 部屋に入れまいとクリスの前に立った騎士にズレた事を返して、彼 女は颯爽と乱入する。 ﹁姫!今は御遠慮下さい!﹂ 慌てたアルフォンスがクリスを止めようとするが、それを一瞥して、 ﹁いつも思うけど、その軍服の色ってダサいよね﹂ と宣った。そしてアルフォンスが座っていた席に我が物顔で着席す ると、立ち上がっていたガーウェンを見て笑う。 ﹁まぁ、君、座りたまえ﹂ ﹁ティナ・・・お前は・・・﹂ 侯爵の額に青筋が立っているのは見間違いではないだろう。 ﹁叔父様に一刻も早く報告差し上げたくてね。あ、僕にもコーヒー を。あと今日のデザートは何だい?﹂ ﹁ティナ!﹂ さすがに侯爵から叱責の声が上がる。 なんだかこの数分で侯爵、老けたなぁ。 ﹁侯爵、私達は大丈夫ですので﹂ と言うと侯爵は気不味そうに私達を見て頭を下げた。 688 ﹁すまないね。この子は私の姪のクリシュティナだ。こう見えて優 秀な魔術師なんだが、少し変わっていてね。魔法陣を専門にーーー﹂ ﹁そう、僕は優秀なんだよ!見たまえ、叔父様!この勲章を!﹂ 侯爵の紹介を遮り、クリスが得意気な顔で勲章を掲げた。 ﹁ふふん、国王陛下認定魔術師の証だよ。僕の優秀さを陛下が認め て下さったのさ﹂ ﹁本当か!それは素晴らしい。さすがは私の姪だ!﹂ クリスから勲章を受け取り、マジマジと見ている侯爵の目尻は下が っており、親バカならぬ叔父バカな雰囲気が漂っている。 クリスが私を見て、ニヤリと笑みを浮かべた。瞳は悪戯小僧のそれ である。 ﹁リキ、陛下は君にもお会いになりたいそうだ﹂ 時が止まるというのはこういう事なのか。 ﹁君にも認定魔術師の勲章を授与されたいそうだよ﹂ ﹁そうか。それは光栄だな。だが今し方、侯爵からソーリュート騎 士団へ入団するよう命を受けてね。どうやら断れないようだから、 陛下からの勲章は辞退せざるを得ないな﹂ ﹁それは残念だね!認定魔術師は王国騎士団以外の騎士団に所属し ている者はなれない決まりだからね。陛下には僕から﹃リキはソー リュート騎士団に所属するから陛下からの勲章は辞退する﹄とそう お伝えしよう﹂ ﹁ちょっ、ちょっと待ちなさい!﹂ 私とクリスのわざとらしい掛け合いに侯爵が慌てて割り込んできた。 なんだか顔色が悪い。 ﹁何故、彼女まで認定魔術師に?そもそもお前達は知り合いだった のか?!﹂ ﹁知り合いもなにも僕とリキは苦楽を共にした戦友だよ﹂ ふふん、とクリスが鼻を鳴らした。 689 ﹁僕が発明した簡易転移魔法具は彼女と二人で作ったのさ。陛下に もそう御報告申し上げている﹂ 絶句する侯爵にクリスが煌めく笑顔で追い討ちをかける。 ﹁陛下はこの発明に期待をかけて下さっているから、叔父様の印象 は悪くなるだろうね。ああ!叔父様大変だ!このタイミングでリキ をソーリュート騎士団に所属させれば、簡易転移魔法具の技術を叔 父様が独占しようとしていると疑われるかもしれない!﹂ ﹁クリシュティナ・・・お前・・・﹂ 苦々しい顔で侯爵が呟くのをクリスは笑って、吐き捨てた。 ﹁叔父様って案外浅はかだよね﹂ 690 決闘・後日談 3︵後書き︶ 可愛がっていた姪に喧嘩を吹っかけられた侯爵・・・ 691 決闘・後日談 4︵前書き︶ このお話でこの章はお終いです。 今後の更新予定は申し訳ありませんが、活動報告を参照して頂ける と幸いです。 前半はクリス無双。リキとガーウェンは空気です。 692 決闘・後日談 4 ﹁叔父様って案外浅はかだよね﹂ ﹁クリシュティナ姫!いくら姪御様でも言葉が過ぎます!﹂ と甲冑の騎士がクリスに批難の声を上げるが、彼女はそれを睨み付 けて低い声を出した。 ﹁﹃拳聖﹄と﹃魔女巫女﹄との交渉も出来ないような君にそんな事 言われたくないね。君が無能だったから、侯爵城の一部が破壊され ることになったんじゃないのかい?あのまま城が攻め落とされてい たらどうしたんだ?﹂ 普段のハイテンションなクリスとは違う威圧感のある雰囲気に騎士 は押され、口籠った。 ﹁君は叔父様を危険に晒したんだ。彼女達の優しさにいつまで甘え てるんだい?この都市の守護者は彼女達じゃなく君達だろ﹂ そして青い瞳を再び侯爵へと向ける。 ﹁叔父様も叔父様だよ。部下の失敗の尻拭いを一般市民に押し付け ようとするなんて。しかも全く関係のない人々も巻き込もうとする とはね。叔父様らしくない短慮だよ。これでは再び彼女達の怒りを 買う事になる。だから取り返しが付かなくなる前に僕が出てきたの さ﹂ ﹁ティナ・・・﹂ ﹁それでね、そんな浅はかな叔父様達に僕から提案があるんだよ﹂ 髪を掻き上げるクリスの表情はゾッとするような綺麗な微笑だった。 それを見たこの場にいる全員が同じ感想を持っただろう。 ーーー嫌な予感がする! 勿論、私はクリスの計画を知っているので除く。 ﹁僕を叔父様の養子にしてほしい﹂ 693 晴々としたクリスの表情とは対照的に、侯爵の顔は疲れ切った顔を している。 ﹁叔父様には跡継ぎがいらっしゃらないから、養子を取るようにお 父様達から薦められていただろう?それを僕にすればいい﹂ ﹁すればいいと言われてもね。最初から次期管理区長の座が目的か い?ティナがそんな事に興味があるとは知らなかったよ﹂ 困った様な素振りを見せる侯爵にクリスは笑った。 ﹁僕には叔父様の跡継ぎこそ都合が良いんだよ。この都市には僕の 研究対象が多くあるし、僕の研究を補助してくれる人もいるからね﹂ と言ってクリスは私にウインクする。無駄に王子の様な動きをマス ターしている奴である。 ﹁僕はこの都市が好きなんだよ。だって面白いだろう?様々な物が 混在していて雑多なのに調和しているなんて。それを発展させるの が僕の務めだと思ったんだよ。 公爵の娘としての務めも確かに重要だよ。国内外の社交の為、日々 自分を磨くのも大変だからね。そしてその務めの一環として他国の 王族に嫁ぐ事も必要だと思うよ。だけど、それは僕じゃなくても出 来るだろう﹂ じっと、真剣な眼差しでクリスは侯爵を見つめた。侯爵もまた彼女 の言葉を真剣に聞いていた。 ﹁叔父様、僕はね。僕は、僕にしか出来ない僕自身の務めを果たす べきだと思っているんだよ。僕はいずれ﹃創造の大魔法師﹄が残し た魔法を解析して再現するつもりだ。そして僕が新たな﹃迷宮﹄を 作る﹂ ﹁・・・そ、そんなこと・・・﹂ 震える声でそう呟いたのは侯爵ではなく、アルフォンスだった。 ﹁そんな事は出来やしないって思うかい?アル﹂ クリスは甘い笑みをアルフォンスに向ける。 ﹁そうかもね。出来ないかもしれない。でも僕は決めてしまった。 ﹃迷宮﹄を作ると決めてしまったんだ。なら後は出来得る事を全力 694 でやるだけだ。あの時、君がそう教えてくれたんだろ?﹂ アルフォンスの顔が歪む。まるで泣き出しそうな表情だ。しかし彼 は泣き出す事はなく、唇を強く噛んだだけだった。 ﹁それで?叔父様、結論は?﹂ とクリスが明るい声で告げた。尋ねてはいるが、その声の響きは強 要に近い。 ﹁・・・・・・はぁ・・・分かった。養子の件は考えよう。だが公 爵を説得しなければならないからね﹂ ﹁それならもう協力を取り付けているよ。お爺様にもお母様にも話 は通してある。味方になってくれるよ﹂ 侯爵は唸ってガックリと肩を落とした。 全てはクリスの計画通りだと悟ったのだろう。 お気 の彼を傷付けようとしたから殺気立っていたけど、僕が上 ﹁それに彼女達ともすでに交渉済みだよ。叔父様が短慮にも に入り 手いこと収めておいたから﹂ ﹁あ、ああ・・・そうか・・・そういえば昔からティナにはやられ っぱなしだったなぁ・・・﹂ 天井を見上げて、ブツブツと何やら呟く悲壮な雰囲気の侯爵を尻目 にクリスは実に清々しい顔をしていた。 ﹁ガーウェン。君には不快な思いをさせたね。この通り叔父様達は 自己中心的になるほど﹃魔女巫女﹄達が恐ろしくてどうしもうもな いんだ。先程の発言は次期侯爵として僕から謝罪するよ﹂ すまなかった、とクリスが頭を下げるのをガーウェンは慌てて遮っ た。 ﹁あ、いや、いい。あそこの家に迷惑が掛からないならいいんだ・・ ・それより、その、リキは・・・?﹂ 私とクリスを交互に見て、ガーウェンは不安気に瞳を揺らした。 そういや大分話がズレてしまったが、私が騎士団に入る入らないの 話をしていたんだった。 695 ﹁ああ、大丈夫だよ!リキは騎士団には入れないよ。リキも陛下認 定魔術師になって国から膨大な研究費を貰ってくれないと、僕の研 究でソーリュートの財政が破綻するよ﹂ はははっ、と軽やかに笑うクリスにガーウェンが引きつった顔を返 している。おそらくソーリュートの未来に若干の不安を感じたのだ と思う。 ﹁さぁ、リキ。ガーウェン。叔父様達は反省会だろうから僕達はお 暇しよう﹂ 機嫌良く立ち上がったクリスに続いて席を立ち、ガーウェンに手を 伸ばした。 ﹁な?大丈夫だったろ?﹂ そう笑いかけるとガーウェンは驚いたように目を見開き、それから 不貞腐れて唇を尖らせた。 ﹁・・・なんだよ、お前は知ってたのかよ﹂ ﹁私も全てを知っていたわけじゃないよ。クリスと利害が一致した から少しは協力してたけど﹂ と言ったのだが、ガーウェンはまだ疑わしそうな顔で﹁帰ったら覚 悟してろよ﹂と低い声で呟いた。 しかしそれでも差し出した手を取ってくれるので、私はやっぱりニ ヤけた顔をしてしまうのだった。 ****** 何処からともなく音楽が聞こえてきている。 クリスが舞踏会に出ると言っていたからその音楽かもしれない。 696 結局、家には帰れなかった。というか国王陛下との謁見が明日だっ たようで、クリスに﹁泊まって行ったらいい﹂と半ば強引にこの部 屋に押し込まれたのだった。 ここはクナ侯爵城でクリスの家ではないだろ、というツッコミは野 暮である。 鏡台の前に座り、ガーウェンを呼ぶ。 ﹁ガーウェン、ネックレスを取ってくれないか﹂ 返事はなかったが、大きくてふかふかなベッドに横になっていた気 配がモゾモゾと動いてこちらに近付いた。 髪を上げ、項を露わにして待っているとガーウェンの指が触れた。 ガーウェンの指は太いのだが、中々に器用で細かい作業も得意だ。 ﹁ん。もう脱ぐのか?﹂ ﹁うん。ふふ、このままじゃ寝れないからな﹂ ﹁せっかく綺麗なのに﹂ 鏡越しに勿体ねぇなという顔のガーウェンと目が合った。 ﹁ガーウェンだってせっかく格好良かったのに﹂ 部屋に入って早々にガーウェンの正装姿は着崩されてしまっており、 今はシャツとスラックスだけだ。 ﹁う・・・あ、あのままじゃ寝れねぇだろ﹂ 褒め言葉に照れて視線を逸らしつつ私と同じ台詞を言うガーウェン が可愛くて笑う。 髪留めも取ろうと手を伸ばすと、先にガーウェンの手が髪に触れた。 取ってくれるらしい。 ﹁ありがとう﹂ ﹁おう﹂ それから髪留めを取り、髪を解いてくれるのを鏡越しで見ていたの だが、やはりガーウェンの態度は何か妙だった。 クリスの計画を私が知っていた事に関して怒っているのかと思った が違うようで、なにやら悩んでいるように感じる。 697 ﹁ガーウェン、何か悩んでるのか?﹂ こういう時は直接聞くに限る。 そうすればガーウェンは素直なので、躊躇いながらも話してくれる のだ。 ﹁ん・・・いや悩んでる訳じゃなくて、その・・・﹂ ガーウェンはもごもごと少し口籠ったが、すぐに私を抱き上げ、ベ ッドの端に移動した。 そして私を膝に乗せ、ちらっと上目遣いで私を窺い見る。 ﹁その、さっき話に出てきた・・・ガーランド男爵の事なんだが・・ ・﹂ ガーウェンが激昂する原因になった人物の名前か。気にはなってい たが、今のガーウェンの辿辿しさを見れば、話したい話題ではない のだろう。 ﹁話したくないなら無理に聞かないよ?﹂ めちゃめちゃ気になってるが、ここは格好付ける。 ﹁いや、その、話したくない訳じゃねぇんだ・・・あー・・・あの さ、今からかっこ悪い事、言うんだけど・・・﹂ ガシガシと自分の頭を掻き回し、俯きながらボソボソと言う。 ﹁・・・リキの家族の話とか昔の話とか、俺の家族の話とか、沢山 あっち に帰りたくなったらどうしようって・・・・・・あー 聞きてぇし話してぇんだけど、その・・・それでお前が寂しくなっ て !やっぱすげぇ格好悪い!﹂ と彼は片手で顔を覆ったが、耳まで真っ赤になっているのが見えて いる。 胸がキュンキュンする。すげぇ可愛い! 愛しさが募り、ガーウェンの頭を胸にぎゅう、と抱き込んだ。 ﹁ガーウェンの話、聞きたい。私の話も聞いてほしい。・・・さっ きは話したくないなら無理に聞かないなんて格好付けたけど、本当 はすごく気になってたんだ。ガーウェンの事は何でも知りたい。私 の事も知ってほしい﹂ 698 多分、家族の事を話すたび会いたいと思うだろう。 多分、あちらの世界の事を話すたび寂しさを感じるだろう。 でもそれだけじゃない。 この世界に来てガーウェンと過ごした日々が、 ガーウェンが繋いでくれた沢山の絆が、 ガーウェンがくれた沢山の愛情が、 会えない家族や帰れない世界を優しく温かく思い出せる強さをくれ ている。 ﹁それにガーウェンの家族は私の家族でもあるよ﹂ 新たにガーウェンが繋いでくれた絆。 ガーウェンが大切にしているように私も大切にしたい。 ﹁そうか・・・そうだよな。リキも家族の一員だもんな﹂ とガーウェンが嬉しそうに笑って、私を抱き締める。 優しくて温かい私の大好きな人。 いつかガーウェンの家族に会いに行こう。 そして、いつか、私の家族に会いに行きたい。 そして、伝えたい。 大丈夫。私は幸せだよ! 699 おっさん、毛づやを褒められる︵前書き︶ 第4章﹁女子とおっさんの日常﹂開始します。 この章は小話的な話も交えながら、二人の日常をあれこれと書いて いきます。 概ね平和ですので、ぜひ息抜きにお読み下さい。 今話は長いです。申し訳ありません。 700 おっさん、毛づやを褒められる ソーリュートは様々な種族に寛容である。 人族を始め、エルフ族、ドワーフ族、獣人、竜人、ハーフリング族、 妖精族など細分化すれば更に多くの種族が存在するが、ソーリュー トでは概ね共存が出来ている。 その多様な種族はそれぞれ独自の情報網を持つ場合がある。 その獣人の集団が酒場に入ってきた時、やたらと客の視線を集めた 要因は獣人達の容姿にあった。 胸の谷間を強調したビキニの様なトップス、肉感的な腰と長い手足 を惜しげも無く晒した布面積の少ない衣装の美女ばかりが5人も居 たからだ。 店内に居て目敏くそれを見つけたロードは驚きの声を上げた。 ﹁あれ?フィーア姐さんじゃん!﹂ 呼ばれたのは緩くウェーブのかかった灰色の髪にピンッと立った三 角の耳、揺れる細長い尻尾の猫系獣人だった。この集団の中では一 番の美人である。 ﹁あら、ロード。久しぶりね﹂ 口元に薄っすらと笑みを乗せて、ロードとその周りに居た男達を思 わせ振りに見回し、目を細めた。 ﹁あーん、ルキー!久しぶりー!今晩どう?﹂ ﹁やん、あたしも仲間に入れてー﹂ フィーアの後ろから同じく美人の獣人二人が飛び出てきて、ロード の隣に居たルキアーノに抱きついた。 垂れた犬耳がロードと似ている犬系獣人である。 ルキアーノは片腕づつに絡みつき、豊満な胸を押し付けてくる獣人 701 二人にチラリとも視線を向けず、吐き捨てるように言う。 ﹁嫌だね。お前らはがっつき過ぎて情緒がねぇ﹂ ﹁あら、やだわ。一夜の相手に情緒を求めるなんてルキも意外とロ マンチストなのね﹂ 当然の様に空いていた席に座り、クスクスと笑い声を上げたのはフ ィーアで、無視された二人の獣人は声を揃えて﹁あーん、かっこい ー!﹂と更にぎゅうぎゅうと身体をルキアーノに押し付けた。 フィーアの背後には護衛のように女が二人立っている。 ﹁おいおい。ルキにだけサービス過剰なんじゃないか?俺らにもや ってくれよ﹂ ロードと一緒に飲んでいた仲間が、押し付けられて形を変える柔ら かそうな胸を見てニヤニヤと笑う。 ﹁アンタは単調だからやー!﹂ ﹁アンタは早漏だからやー!﹂ と犬系獣人達の声が揃い、笑い声がどっと響いた。 ﹁んで、フィーアは何の用なんだよ﹂ ﹁あら。そんな言い方傷付くわ。私だってホームに引き篭もってい るだけじゃないのよ?﹂ ふふ、と蠱惑的な微笑を浮かべながら首を傾げる姿はまるで男を誘 う様な仕草だ。しかしルキアーノはそれに相変わらず性格悪ぃな、 と舌打ちを返した。 や 故郷 という意味であり、それ と呼ぶグランディブラ領のことだ。 家 下手に出るような素振りだがその実、フィーアが男を見下している のをルキアーノは知っている。 家 フィーアの言うホームとは文字通り は多くの獣人が ラーニオス王国でも数人しかいない獣人貴族が治めている領地で人 口のほぼ全てが獣人である。 ﹁私達はマリエッタ様にお気に入りが出来たって聞いたから、会い に来たのよ﹂ 702 細められたエメラルドグリーンの瞳が煌めくと先程の和やかな雰囲 気とは一転し、周囲の温度が急激に下がった気がした。 ﹁あー・・・マリ姐さんのね・・・﹂ とロードがあからさまに視線を逸らすと、それに倣って周囲の仲間 達も次々と視線を逸らした。 冒険者ランク上位に居る虎系獣人のマリエッタは獣人達の間では憧 れの存在である。殊更、この場に現れた美人獣人達はマリエッタを 崇拝していると言ってもいい信奉者なのだ。 ﹁あん、ルキ。お気に入りちゃんが女だからって隠したりしたらダ メよー?﹂ ﹁そうよ!私達、そのお気に入りちゃんとお話しするだけだからー﹂ キャッキャっとはしゃぐ女達に、ぜってぇ拳同士での話し合いだろ うが、とその場にいた者たちが内心毒付いた。 どうする?と男達が緊張した面持ちで視線を交錯させたが、穏やか な笑みを浮かべつつ全く目が笑っていないフィーアの存在感に結局 ルキアーノにぶん投げた。投げ付けられたルキアーノも苦々しい顔 をして、第一関係者にスルーパスを出す。誰も貰い事故はしたくな いのだ。 ﹁・・・・・・俺からは何も言えねぇよ。ガーウェンに聞け﹂ とルキアーノが視線で示した先に、ちょうどトイレから帰って来て、 現状を把握し嫌そうな顔をしているガーウェンがいた。 早速、踵を返そうするガーウェンの両脇を素早い動きで二人の美女 獣人が抑えた。ルキアーノの腕に絡みついていた犬系獣人達である。 ルキアーノに身体を押し付けていたのはサービスなどでも今夜のお 誘いなどでもなく単なる拘束だったのだ。 ﹁やーん、ガウィ、久しぶりー!﹂ ﹁その呼び方止めろ!離れろ!くっつくな!﹂ ﹁あん、ガウィってまだ純情なのー?﹂ 心底嫌そうな表情でガーウェンが美女獣人達押し返している。その 703 様子を見ていたフィーアが首を傾げた。 ﹁あら?ガーウェン、貴方、雰囲気変わった?﹂ ﹁変わってねぇよ!テメェ、離れろって!﹂ と言うが、フィーアにはやはり変わったように見えた。 どこがと言われてもはっきりとは言えないが、印象が柔らかくなっ た気がする。 ﹁・・・・・・待って!!ガウィから女の匂いがする!!﹂ ガーウェンに纏わりついていた美女の一人が驚愕といった声を上げ た。 ﹁えっ!嘘!・・・クンクン・・・ほ、本当だ!しかも髪から﹃雪 中竜の涙﹄の匂いがするんだけど!﹂ ﹁え、マジ?!ガウィのくせに髪の毛ケアしてんの!?﹂ ﹁くせに、ってなんだよ!おい、やめろ、触んな!﹂ 妙に色香が篭っていた動きと声音だったはずの美人獣人達の素が唐 突に丸出しになり、わぁわぁ言いながらガーウェンの髪の毛をいじ り出す。それほどガーウェンから漂う良い匂いが衝撃だったようだ。 ガーウェンは迷惑そうな顔で身をよじるが、相手は二人の上、かな り素早く、すぐに揉みくちゃにされた。 ﹁なんて毛づやなのっ!?フィーア姉様より凄いっ・・・!﹂ ガタンッ! 大きな音を立ててフィーアが立ち上がった。 ﹁ミィ、リン。それをここへ﹂ それ、とガーウェンを指し示す。にっこりと美しい笑顔を見せてい るが、フィーアの目はギラついていた。 ﹁はい。フィーア姉様﹂ ﹁お、おいっ、やめろ!﹂ 二人はガーウェンの両脇を抱え、フィーアの前連れて出た。体格は 704 ガーウェンの方が優位なのに女達はビクともしない。 わしゃわしゃわしゃ ﹁こ、これは・・・!﹂ ガーウェンの髪をかき混ぜたフィーアの顔が驚愕に染まる。 ﹁私も!し、失礼致します!﹂ わしゃわしゃわしゃ フィーアの背後に控えていた女達もおずおずと手を差し出し、ガー ウェンの髪をかき回した。 ﹁まぁ!凄いサラサラ!﹂ ﹁つやつやだわ!﹂ 五人五様の美女に囲まれ頭を撫で回されるガーウェンに店のどこか らか﹁羨ましい﹂と言う呟きが漏れ聞こえた。 ﹁・・・・・・さぁガーウェン、座って?なぜそんなツヤサラの髪 なのか秘密を教えて?﹂ うふふふふ、と恐ろしい笑い声を上げている美女達になんか妙な展 開になったとガーウェンは顔を引きつらせた。 ****** 両腕を胸の谷間に挟まれるように固定され、ガーウェンは尋問を受 けていた。 705 ﹁シャンプーの銘柄ぐらい教えてよ!勿体振らないでさ﹂ ﹁だから分かんねぇんだって﹂ ﹁もうケチー!﹂ ぐいぐいと押し付けられる胸の圧力に辟易する。 髪の毛ごときになんでこんなに必死なんだよ、とガーウェンは心の 中で悪態を付いた。 彼女達の必死さの理由は獣人の美しさの第一条件が毛づやの美しさ であることに所以するのだが、勿論そんな事はガーウェンは知らな い。 ﹁本当に分かんねぇんだよ。いつもリキに洗ってもらってるから﹂ あまりの鬱陶しさにため息をついてそう言うと、場の空気が変わっ た気がした。 ﹁リキって?﹂ ﹁ガーウェンの嫁だ﹂ ﹁ガウィ、結婚したの?!!﹂ キャーっと獣人達が盛り上がる。 ﹁ねぇねぇ!どんな子?へぇー、いつも髪洗ってもらってるんだぁ﹂ ﹁リキちゃんは良い子ッスよ。ガーウェンさんはメロメロ。ふーん、 いつも髪洗ってもらってるんスかぁ﹂ 獣人達も含め仲間達がニヤニヤと揶揄うような顔をするので、ガー ウェンはかあっと顔が熱くなった。 余計な情報を与えてしまったと後悔するがもう遅い。 ﹁ガーウェンの新居は風呂付らしいぞ﹂ ﹁マジか?!やるじゃん、ガーウェン!んで毎日、一緒に入ってる と﹂ ﹁んで髪洗ってもらってると﹂ ﹁まさかガーウェンさん、髪以外も?﹂ ﹁どんな天国だよ、それ!﹂ ﹁あらガーウェン。妻にそんな事もやらせてるの?﹂ 706 ﹁やらせてねぇ!リキがやってくれるっつーから甘えて、いや違う・ ・・やってもらってるだけだし﹂ 好き勝手言い合う面々へ売り言葉に買い言葉でついまた余計な事を 言ってしまい、ガーウェンは頭を抱える。 自分とリキの生活が皆の話題の中心になるのがこんなに恥ずかしい 事だと思わなかったと彼は湯気が出そうなくらい顔を真っ赤にさせ た。 ﹁やーん、甘えてるんだぁ、かわいー﹂ それ確実に馬鹿にしてんだろ、くそ。 ガーウェンは何とか話題を逸らそうと記憶を探り、ハッと閃いた。 ﹁じ、地肌!髪を洗うよりも地肌を洗うようなイメージらしいぞ!﹂ ﹁なになにどーゆーこと?﹂ 聞き慣れぬ言葉に男達が﹁ジハダ?﹂と首を傾げる中、自分達に重 要な話題だと敏感に感じ取った女達は素早く身を乗り出し、ガーウ ェンに迫った。 ﹁か、髪は、というか頭の汚れは頭皮に溜まりやすいから、頭皮を 洗うんだってよ﹂ 脳裏に穏やかに語るリキの声を思い出しながら、ガーウェンは続け た。 ﹁こんな風に、指の腹で優しくマッサージするみたいに洗う﹂ 目の前で両手を開き、指を動かして見せるガーウェンをマネして女 達もわしわしと指を動かす。 ﹁あー、髪を洗う前にはちゃんとブラッシングした方がいいらしい。 汚れが落ちるから。あとシャンプーはちゃんと泡立ててから使うの がいいらしいぞ﹂ なるほど、と女達が真剣な顔で頷いている。 話題がすっかり自分から離れたので気を良くしたガーウェンは、更 に記憶を探り、リキが自分にしてくれる事とその時にリキが言って いた事を披露した。 ﹁濡れた髪はすぐに乾かした方がいい。濡れたままにしてると、あ 707 ーなんだっけ、えっとキューティックー?ってのに良くなくて、パ サパサになるらしい﹂ ﹁濡れた髪はすぐに乾かす、ですね・・・﹂ いつの間にかフィーアの後ろの二人が熱心にメモを取っていた。 ﹁乾かし方はタオルで拭くだけ?﹂ ﹁ん。あー、リキはタオルで優しく水気を取ってから風魔法で乾か してくれるな﹂ リキが世話を焼いてくれる時はガーウェンにとってとてつもなく幸 せな時間だった。そんなリキとの幸せなひと時を思い出し、彼は知 らずだらしない顔をしてしまう。 ﹁・・・乾かしてくれる、ねぇ﹂ ﹁ほら、リキちゃん、ガーウェンさんにはとことん甘いッスから﹂ ハッと自らの失態に気付くが、もう遅い。再び周囲の面々はニヤニ ヤと人の悪い笑みを見せていた。 ﹁他には?他にはあのお嬢ちゃんはお前にどんな事をするんだ?﹂ ニヤリと笑うルキアーノの言葉は何かを、はっきりと言えばいやら しい意味合いを含んでいる様に聞こえ、ガーウェンは再び耳まで赤 くなる。 唸って、視線を泳がせて逃げるものの期待の篭った周囲からの圧力 に負けてガーウェンは、一応、障りのないと思われる事柄をボソボ ソと言った。 ﹁まっ、マッサージとか・・・﹂ ﹁マッサージ!!リキちゃん、そんな事も出来んのか、芸達者だな !﹂ ﹁なんだよガーウェン、至れり尽くせりじゃねーか!﹂ おいおいおい、とガラの悪い声を上げて仲間達が真っ赤になってい るガーウェンに絡んでくる。 ﹁一緒に風呂入って、髪洗ってもらって、乾かしてもらって、マッ サージしてもらって。んで?他には何してもらってるんだ?おら言 えよ。主にベッドの上でナニしてもらってんだよ、おい﹂ 708 ガーウェンの肩に腕を回し、一際人の悪いニヤけ面でルキアーノが 更に煽ってくる。 お前らは俺から何を聞き出したいんだ!何を言わせたいんだ! とガーウェンのパニックが最高潮になった時、彼を救う声が響いた。 ﹁おいお前ら。ガーウェンを虐めるとはいい度胸だな﹂ 聞き覚えのある声の方を見れば、予想違わずリキが目を細めて立っ ていた。冷えた視線である。 ﹁やべ、おっかねぇのが来たぞ﹂ 悪ノリしてガーウェンを揶揄っていた面々は我先にと距離を取る。 ﹁フィーア?お前、何でいるんだ?﹂ とマリエッタが威嚇するリキの後ろから姿を現わすと、美人獣人達 から黄色い声が上がった。 ﹁マリエッタ様!お久しぶりです!﹂ ﹁やーん、マリエッタ様ー!﹂ 飛び付かんばかりに寄って来た獣人達にマリエッタが笑顔を向ける。 ﹁ミィ、リンも久しいな。マーナとララはデカくなったな﹂ ﹁あん、マリエッタ様ぁ・・・相変わらずの美しさですわぁ・・・ 毛づやもツヤツヤサラサラで輝いて見えますぅ﹂ 甘えるようにマリエッタの腕に絡みついて、蕩けた声を発するのは フィーアである。 先程までの冷たい印象の影はどこにもない。 ﹁お肌もツルツルでピカピカ、なんて美しさ・・・ああん﹂ 美人獣人達のうっとりとした視線と賞賛の声にマリエッタは自慢気 に胸をだぷん、と揺らした。 ﹁ふふん、そうだろう。今日はリキのフルコースだったからな。美 しさが倍以上だぞ﹂ ﹁リキのフルコース・・・﹂ 話題の中に出てきていたガーウェンの嫁の名に獣人達の瞳がギラつ 709 く。 ﹁ああ。洗髪とエステ、その他諸々。リキの腕は凄いぞ﹂ なぁ、リキと呼び掛けられ、振り向いた女の黒髪には光の輪が浮か び、艶やかで滑らかだった。 女達の動きは速かった。 ﹁貴女がリキさんね!お話は聞いていました!是非、マリエッタ様 に行ったエステとやらをお教え頂けませんか!是非に!﹂ ﹁お願いします!!﹂ リキに詰め寄り、怒涛の勢いでそう願い出る美人獣人達の迫力は凄 まじかった。 ﹁・・・えっと、まず、どちら様?﹂ 女相手では無体に出来ないリキが困った顔をするのをマリエッタは お気に入り だと知ったフィーア達は、 珍しいものを見たと人知れずほくそ笑んだのだった。 後日、リキがマリエッタの ツヤツヤになった毛を揺らして、 ﹁リキ様はいいのです。ゴッドハンドですから!﹂ と言ったという。 710 おっさん、毛づやを褒められる︵後書き︶ おっさんにキューティックー︵=キューティクル︶と言わせたかっ たのです・・・ 711 決闘・後日談4の直後の話です。 番外編 騎士、姫の背後に立つ︵前書き︶ 第3章 クリスの事情。アルフォンスの葛藤。 本筋︵リキとガーウェンの話︶からは外れた話なので番外編となっ ています。 712 番外編 騎士、姫の背後に立つ 相変わらず乱雑な部屋の中で、空色の美しい髪を揺らしながらクリ シュティナが鏡の中の自分を確認していた。 ﹁・・・彼女とグルだったんですか﹂ 絞り出した声は、しかし彼女には届かなかった。 振り向きもしない。視線も寄越さない。 アルフォンスは暴れ出しそうになる気持ちを拳を握って耐えた。ク リシュティナに声が届かない事など茶飯事ではないかと自身を納得 させる。 ﹁リキさんとグルだったんですかっ﹂ 問い詰める様に鋭い響きを持ったその言葉は思ったより大きくなり、 沸き立つ自分の心がクリシュティナに気付かれるのでは、と彼は少 したじろいでしまった。 海のような青い瞳がアルフォンスを捉える。 ﹁アル、どうだい?よく似合うだろう?﹂ しかしアルフォンスに返されたのは爽やかな笑顔と関係のない問い だった。 答えずに睨み付けるがクリシュティナは気にもせず再び視線を姿見 へと戻した。 舞踏会に参加する為の衣装を隅々まで確認して、クリシュティナは 満足そうに頷いた。 ﹁うん。これでいい﹂ 白い騎士用の礼服をアレンジしたものである。フリルや飾り紐、金 糸の刺繍などで一般的な騎士礼服よりもだいぶ派手になっているが、 もともと容姿が派手なクリシュティナにはピッタリと合っていた。 クリシュティナは衣装の出来映えに機嫌を良くし、颯爽とソファへ 713 腰掛けた。スラックスの裾にも金糸で刺繍が施されている。 唇を噛んで自分を睨みつけているアルフォンスに向き直り、笑い声 を上げた。 ﹁グルとは失礼だね。リキとはそんな軽薄な関係じゃないよ。叔父 様にも言った通り僕達は戦友、もっと高潔な関係だよ﹂ アルフォンスがクリシュティナの輝く王子の様な笑顔を胡散臭そう に見ている。 ﹁まぁ、僕もリキと会う前は君と同じ様に彼女を利用できたらと考 えていたけどね。でも一目会ってリキは駒などにはならない人物だ と分かった。駒どころか彼女は僕の隣に立てる者だ。僕を理解し、 僕も彼女を理解できると直感したんだ﹂ クリシュティナが片手を上げ、メイドへ合図を送った。おそらく紅 茶でも頼んだのだろう。 ﹁僕と彼女は性質が似ているんだよ。ほらアル、座りたまえ﹂ とクリシュティナがアルフォンスを誘う。しかしアルフォンスは躊 躇った。曲がりなりにもクリシュティナは公爵令嬢であり、一介の 騎士である自分が同席するのは良くない。 ﹁話が長くなるから座りたまえ。なぜ僕が叔父様の養子になろうと しているのか話そう﹂ 聞きたかった事柄をチラつかせられては、断る事が出来ずにアルフ ォンスはクリシュティナの前へ腰を下ろした。 ****** ﹁3ヶ月ほど前に僕の婚姻が決まってね﹂ メイドが淹れた紅茶の香りを目を閉じて楽しんで、それからクリシ 714 ュティナはそう言った。 ﹁そんな話は・・・﹂ アルフォンスは記憶を辿るがそんな話は聞いた覚えがなかった。社 交界で噂に上がった事もないはずだ。 ﹁相手はナダータ王国の第3王子だからね、秘密裏に進められてい た話だよ﹂ ナダータ王国といえばラーニオス王国の隣の小国である。比較的友 好な関係だが、現国王が病で倒れ、次期国王選出に王宮が割れてい ると聞いた。しかし確か第3王子はまだ成人していなかったはずで は。 ﹁次期国王選出は第1王子派と第2王子派で割れていてね。第1王 子はもともと病弱で王宮内での発言力が低いし、第2王子は馬鹿で 利己的、反ラーニオスの大臣とも連んでいるからね。どっちになっ ﹂ てもあの国は混乱するだろうという事で11歳の第3王子に白羽の 矢が立ったんだよ 成人してないどころかまだ子供じゃないかとアルフォンスは一瞬驚 くが、考えれば王族であるならば成人前の婚姻も稀にあることだっ た。だがクリシュティナとは七つも歳が離れている。 自由と奔放を相棒としているようなクリシュティナはそれに納得し ていたのだろうか。 ﹁第3王子はその年齢でも聡明で王宮内での評判も良いそうだ。そ れで僕と婚姻関係を結び、ラーニオスの後ろ盾を得て次期国王とな るべく奔走していたらしいのだけど、結果として次期国王の座には 第1王子が落ち着いた訳﹂ ﹁第1王子ですか﹂ ﹁そう。まぁ、この辺の顛末はあまり大っぴらには言えないんだけ ど、第1王子が次期国王、第3王子がその補佐、第2王子はどこか の国へ留学するそうだよ﹂ どこかの国、と何かを含んだクリシュティナの言い方に第2王子が 何か仕出かしたのだと予想がついた。 715 ﹁だから僕の婚姻も白紙になったんだよ。次期国王より次期国王補 佐が先に結婚なんて体裁が悪いからね。代わりにと言ったら何だけ ど、イヴお姉様が第1王子に嫁がれる事になった﹂ イヴお姉様ーーイーヴェシュナはロンドールク公爵家長女、クリシ ュティナの姉である。 ﹁イヴお姉様は第1王子と面識があったし歳が近い。それに︻毒無 効︼と︻毒味︼を持っていらっしゃるからね﹂ ︻毒無効︼とはその名の通り全ての毒を無効とするスキルで、︻毒 味︼とは口に含むとそれに毒が含まれているか分かるというスキル である。 大っぴらに言えない顛末 が見えた気がし 毒。病弱な第1王子。どこかへ追い出された第2王子。 アルフォンスの脳裏に た。 断片的なキーワードで想像した事だが、あながち間違いではないだ ろう。 ﹁・・・それが貴女がクナ侯爵の養子になる事にどう繋がるのです か﹂ 一向に結論に辿り着かず、アルフォンスは焦れてそうクリシュティ ナを急かした。 結婚の話が有ったのは分かった。それが流れたのも分かった。だが、 それがなぜあんな風にクナ侯爵を騙し討ちする事に繋がるのか。 しかしクリシュティナはそんなアルフォンスに変わらない甘い笑み を浮かべるのだった。 ﹁君はせっかちだね。その後からが重要だよ﹂ 温くなった紅茶を一口飲み、クリシュティナは視線を窓へ向けた。 空はすでに夕暮れの薄紫から夜の紫紺へ色を変えていた。 ﹁さっきも言った通り、僕の結婚話は流れた。この国の貴族として、 716 ロンドールク公爵の娘として、国王陛下の従姪として国益になるか ら第3王子に嫁ぐ事を決めたのだが、僕の役目はお預けになってし まった﹂ 他人はクリシュティナを自分勝手や自由気ままと思っているようだ が、それでもラーニオス王国の貴族として制約がある中での自由で ある。 覚悟とか決意とかそんな大層なものは無い。 国の為、王の為に為すべきことを為す。 それが正しい貴族の在り方だとクリシュティナは思っていた。 ﹁まぁ、お役目御免で暇だからソーリュートに研究に来たんだけど、 そこで僕は運命の出会いをする訳だよ﹂ 言ってる内容は軽いのにクリシュティナの表情は至極真面目だった。 クリシュティナは幼い頃から理解出来ない言動が多かったが、その どの時も輝くような笑顔だった。しかし今はただ淡々とした表情と 口調で、アルフォンスは何故か居心地が悪く感じた。 ﹁リキとの出会いは衝撃だったよ。僕の話を聞いて、理解して、そ れを更に発展させる人物に僕は出会ったことがなかった。しかもリ キは圧倒的魔力量だ。素質と才能を合わせ持つ彼女はもしかしたら ﹃創造の大魔法師﹄に匹敵する功績を残すかもしれないとさえ思っ た﹂ 目を瞑り、口元を少し引き上げて懐かしい思い出を語るようにクリ シュティナは静かに呟く。 ﹁リキに﹃魔術師となって国の為に働いたらどうか﹄と提案した事 がある。でもリキには﹃自分には他にやりたい事があるから﹄と断 られたよ。ふふふっ、リキのやりたい事とはなんだと思う?﹂ 突然楽しそうに笑い出したクリシュティナに妙な問いを掛けられ、 アルフォンスは戸惑った。リキというクリシュティナ以上に理解出 来ない感覚の持ち主の考えなどアルフォンスに思い付ける訳がない。 無言でいるアルフォンスにクリシュティナは尚も楽しそうに、肩を 717 震わせている。 ﹁﹃ガーウェンを幸せにする事﹄、だそうだよ﹂ ﹁・・・・・・意味が分からないんですが﹂ 魔術師として名声を上げる事も、騎士として栄誉を上げる事も拒絶 する理由が恋人を幸せにする為なんてアルフォンスには理解出来な い。 ﹁はははっ!リキらしいよね!彼女には地位も名誉も必要ない。大 切な人が笑顔でいればいいんだって。それが彼女の望みであり、為 すべきことなんだってさ・・・・・・羨ましいと思わないかい?﹂ 声を上げて笑っていたクリシュティナの声音が急に変わった。夢か ら覚めたような淡々とした声だ。 ﹁為すべき事と自身の望みが同じなんて羨ましい。だけど、そこで 僕ははたと気付いたのさ。僕の望みとはなんだろう、と。僕の為す べき事は王国や陛下の益になることをする事だけど、僕の望みとは なんだろうか﹂ アルフォンスは密かに唾を飲み込んだ。目の前のクリシュティナか ら発せられる圧力に圧倒されたのだ。 変わっているが、いつも笑顔で誰にでも気さくで人を翻弄する力に 満ちていたクリシュティナではない。 その青い瞳にあるのは情熱と冷静さであり、例えるならば支配者の 瞳だった。 ﹁改めて僕自身と向き合って、僕は僕の望みを理解した。僕は僕の 生きた証を残したいんだ。ロンドールク公爵の娘でも国王陛下の従 姪でもない、僕の、クリシュティナという人間の生きた証をこの世 界に刻みたい。それが僕の望みだった﹂ 瞳に、青い瞳の奥に炎が燃えているような気がした。 ﹁僕は驚いたよ。僕自身の中にこんなに何かを熱望する気持ちがあ るとは。でもそれからすぐに思い至った訳だよ。証を刻むという望 みと国の益になるという為すべき事は、同じ過程で到達出来るとね。 言うなれば一石二鳥だよ﹂ 718 さすが僕は天才だよね、とクリシュティナが笑った。悪戯が成功し た時に見せる見覚えのある憎たらしい笑みだった。 確かに彼女が宣言した通り、新たな﹃迷宮﹄を創造出来たら、クリ シュティナの名は後世に語り継がれるだろう。そしてそれはラーニ オス王国に多大な益をもたらすだろう。 ﹁だからまず手始めに研究環境を整える為に、叔父様を利用させて 貰ったのさ。ちょうどマリとアフィの事で弱味を握れたし、リキを 面倒事に巻き込もうとしていたから、上手く使わせて貰った。これ もまた一石二鳥だよね。いや三鳥かな﹂ クリシュティナは優雅に立ち上がり、金糸の刺繍が施された裾を払 った。話は終わりだ、と言うように。 ﹁さあ、そろそろ舞踏会へ行こうか﹂ と言うがクリシュティナの言い分には納得いかず、アルフォンスの 気持ちはまだもやもやとしていた。 ﹁待って下さい!だからってなぜ公爵家の名を捨てるような事を﹂ ﹁そうそう。僕が叔父様の養子になったら君を僕の護衛騎士にする から﹂ 言い縋るアルフォンスの言葉を遮り、クリシュティナはそう宣った。 そして颯爽と歩き出す。 ﹁君は僕の隣を歩く気はないようだから、僕の後ろを歩いてもらう 事にしたよ。付いて来たまえ、君を騎士にしてやろう﹂ 扉の前でメイドに袖を直されているクリシュティナの背にアルフォ ンスは何も返せず、動けなかった。 いつもならそのままアルフォンスの事など気にかけず出て行くであ ろうクリシュティナの瞳がアルフォンスを射抜いた。 ﹁騎士は主が居なければ騎士ではないだろう?アルフォンス、僕が 君の主になる。僕を守れ﹂ そして、甘く微笑んだ。 ﹁君は運が良いな。君の主は世界に名を残す人物だよ﹂ 719 アルフォンスはクリシュティナの背を追っていた。 伸びた背筋。 白い服に空色の髪が揺れている。 御屋敷を駆け回った幼い日の無邪気な関係には戻れない。 戯れを言い合う容易い関係には戻れない。 ふと彼女の隣を歩く道もあったのではないかという思いが小さな痛 みと共に胸に過ぎった。 だが、もう戻れはしない。 アルフォンスはただ主となる姫の背を追った。 720 おっさん、愛の力に感動する 1︵前書き︶ お仕事しよう回。次話に続きます。 721 おっさん、愛の力に感動する 1 隣に寝ているはずの体温がないことに気付き、目が覚めた。起き抜 けの寝ぼけ眼で見回す部屋の中はまだ薄暗い。 すん、と鼻をならすと薄っすらと良い匂いが漂っていた。 ーーーこれは、パンの焼ける匂いだ。 分かると腹がぐぅ、と歓喜の音を鳴らした。 大きく伸びをして起き、カーテンと窓を開けると東の空が白み始め ているのが見える。 何となくだが今日もいい日になるような気がする。 階段を降りるとパンの焼ける良い匂いが家中に広がっていた。 自然とだらしなく緩む顔で台所を覗くと、リキが振り返った。俺を 見て、途端にふわっと優しい笑顔を浮かべる。 リキはすっきりとまとめた髪に空色のワンピース、白いエプロンと いう姿で、その﹃新妻﹄という感じが色々な所にグッとくる。 心の中では﹁俺の嫁すげぇ可愛い!﹂と小躍りしているのだが、さ すがにはしゃぎ過ぎは気持ち悪いので表情に出ないよう顔筋に気合 いを入れ、引き締めた。 ﹁おはよう、ガーウェン﹂ ﹁おう、おはよ﹂ 妙に硬い表情で挨拶を返しながら、リキの手元を後ろから覗き見る と、野菜がたっぷり入ったスープを掻き回しているところだった。 湯気と共に煮込まれた野菜の良い匂いが立ち上っていて、美味そう だなぁとすぐに顔筋は緩んでしまった。 リキが俺をじーっと見上げていた。その視線に心の中でのはしゃぎ 722 っぷりを見抜かれたのかとちょっと焦る。 ﹁ど、どうした?﹂ ﹁・・・なんだ、おはようのチューをしに来てくれたんじゃないの か?﹂ ふふふ、とリキの揶揄う様な笑い声に顔が熱くなった。 お、おはようのチュー・・・! 新婚幸せ全開ワードに気恥ずかしさと嬉しさを感じて舞い上がる俺 の前でリキの瞼がそっと伏せられた。 長い睫毛と少し突き出されたぷるぷるの唇。 このとんでもなく可愛くて魅惑的なおねだりに対抗できる精神の持 ち主なんて居るのか、いや居ない! 弾む心臓の勢いのまま、俺はリキにキスを落とした。 ﹁ん・・・ふふ、おはよ﹂ チュッと軽く触れ、離れたあと、リキが再びそう言って笑った。 ・・・あーすげぇ幸せだー。 メロメロになってニヘニヘ気持ち悪い笑みを浮かべていると、リキ に頰を撫でられた。少し生えてきた髭がざらつくのを楽しでいるよ うだ。 ﹁朝ご飯はもう少し待ってて。先に顔洗っておいで﹂ と言う割にはリキは俺の頬から手を離さない。俺もリキの身体に回 した腕に少し力を入れて、リキを引き寄せた。 それからもうしばらく、腹がぐぅぅと不満の声を上げるまで、リキ との触れ合いを満喫した。 俺達の1日の始まりはだいたいこんな感じだ。 ****** 723 焼きたてのパンにバターを付けると、とろりと溶け出し、ゆっくり と染み込んでいく。それを遠慮なく口に放り込めば、香ばしくふか ふかのパンと優しいバターの風味が抜群の相性で、思わず﹁うめぇ !﹂と感嘆の声を上げた。 ﹁んー、やっぱお城で食べたバターは高級品だったのか。味が全然 違う﹂ 向かいの席で同じ様にパンを口にしたリキが少し不満そうに言う。 確かに侯爵城で食べたバターは濃厚でしかし口当たりがまろやか、 ほんのりとした乳の甘さが感じられる一級品だった。 ﹁でも俺はこっちのが美味いと思うぞ。パンは焼きたてで柔らかい し、小麦の甘さがバターの塩気とちょうどいい。それにリキが作っ てくれたってだけで美味しさが、その、倍以上に、感じる、から・・ ・﹂ 素直な感想だったが、途中からやたらと恥ずかしい事を言っている と気付き、辿々しくなった。 ﹁ガーウェンにそう言ってもらえると、すごく嬉しいな。ありがと う﹂ ﹁・・・お、おう。こちらこそ、ありがとな﹂ リキの嬉しそうな笑顔を見ると更に照れてしまい、下を向いて意味 もなくふわふわのオムレツの腹をフォークでツンツンとつついた。 するとオムレツが割れ、中から湯気と共に半熟の卵と蕩けたチーズ がはみ出てきて、目が輝いてしまった。 ﹁すげぇうまそうっ!あっ・・・﹂ 話の途中なのに料理に気を取られるなんてガキかよ。 自分自身に恥ずかしさを感じ、耳まで熱くなる。しかし向かい側か らはクスクスと楽しそうな笑い声が聞こえてきて、ちらりとリキを 窺い見た。 ﹁ふふっ、ほら、温かいうちに食べよう﹂ 724 リキの顔には﹁ガーウェンが可愛くて堪らない﹂と書いてある。 ロード達には、リキは俺だけにやたらと甘いと言われており、最近 では俺自身もその甘さを実感する事が多く、嬉しさ半分気恥ずかし さ半分だ。 こんなおっさんよりリキのが可愛いに決まってるだろ、と思いつつ、 リキの幸せ溢れる温かい視線には何も言えず、トロトロ半熟卵のオ ムレツを口に運んだ。 ****** ギガントワスプ ﹁巨大雀蜂の巣が見つかったのは﹃森﹄の南側で、かなりデカい巣 ギガントワスプ らしい。もしかしたらその周辺にも巣があるかもしれねぇから、そ れも捜索しながらだから時間がかかるかもな。巨大雀蜂は巣が大き くなりすぎると新しい女王蜂を立てて巣分けする習性があるんだよ﹂ 俺の言葉に隣に座るリキが真剣な表情で頷いている。若干の緊張が 見えるその様子が微笑ましく、小さく笑った。 ギガントワスプ 今日は冒険者ギルドの指名依頼である巨大雀蜂の駆除に二人で参加 する事になっている。 リキはとある魔法具の開発に関わり、ラーニオス国王認定魔術師の ギガントワスプ 称号を得ているが、冒険者ランクはまだDランクだ。しかし、実力 的には巨大雀蜂討伐推奨ランクのBランク以上だから、俺が冒険者 ギルドに推薦する形で今回の指名依頼に参加していた。 ギガントワスプ ﹁巨大雀蜂は素早いんだろ?毒針とかはどうなんだ?﹂ ﹁まぁ、確かに初見だとアイツらの不規則で素早い動きに対応すん 725 のは大変だろうな。毒針は尻から出てくるからそこに注意してたら、 躱すのは楽だ。お前は目が良いし、今日は主にサポートだから心配 はいらねぇよ﹂ 毒を持つ魔物と対峙する事が初めてであるリキの心配そうな視線に 肩を抱き寄せ、笑みを返した。 リキの魔法はすでに上位の実力だが、︻耐瘴気︼や︻耐毒︼といっ た耐性スキルは低いので不安なのだろう。 ﹁お前には近付かせないから、大丈夫だ。任せろ﹂ と言うとリキは数回瞬いて、ふわっと笑った。 ﹁うん。任せた﹂ ﹁おう、任された﹂ ﹁ふふふっ。そっか、ガーウェンと初めて一緒に行く依頼だから心 配ばっかりじゃなくて、楽しまないとだったな﹂ ﹁そうだぞ。せっかく一緒に行くんだから、楽しまねぇと勿体ねぇ よ﹂ 軽口の様にそう言って安心させる為、リキの額にキスを落とした。 リキは照れたようにはにかんで俺の服の端を掴んだ。 ﹁ありがとう、ガーウェン﹂ ﹁おう﹂ ﹁大好き﹂ ﹁・・・おう﹂ あれ どうにかしろよ!﹂ ・・・・・・やべ、すげぇ可愛い ****** ﹁おいエヴァン! 726 あれ ﹁え?あれってどれですか?﹂ ﹁うわーっ!エヴァンが !﹂ に慣れ過ぎて目が節穴になってる バカップル 集合場所である南転移門前広場で一際目立つほわほわした幸せ雰囲 ギガントワスプ 気を周りに放出しながら、イチャイチャベタベタと寄り添う私達を 指差し、男達が叫ぶ。今日、私達と巨大雀蜂の駆除に行くメンバー である。 図らずも南地区で知らぬ人はいないと言っていいほど有名になって しまった私達夫婦のイチャイチャに我慢の限界がきたようだ。 ﹁俺も結婚してぇよぉ・・・﹂ ﹁ちきしょー・・・童貞卒業は俺より遅かったくせに﹂ ﹁くそっ!何が腹立つってガーウェンのあの顔だよ!﹃なんだよ、 仕方ねぇ奴だな・・・﹄ってまるでモテ男みてぇなツラしやがって !﹂ ﹁ガキん頃は女と手繋いだだけで泣きそうになってたっていうのに、 公衆の面前でデコチューまでかますんだもんなぁ﹂ ガーウェンとは長い付き合い、気安い関係の仲間達である為、容赦 がない。 妬み嫉みの呪詛のような呟きと視線にガーウェンは気付かないよう でデロデロに蕩けた顔を晒していた。一方、私はしっかり聞こえて おり、笑いをかみ殺すのに必死である。 ﹁はよーッス!あ、リキちゃんおはよー!﹂ 軽快な挨拶と共に男が現れ、そのまま私の隣に座った。 明らかに二人だけの世界を作り出す拠点への流れる様な侵入に、な んて厚かましさだ、と男達に激震が走る。 ﹁おはよう、ロード﹂ その厚かましい男に挨拶を返すと、その男ーーーロードの犬耳がピ コピコ跳ね、尻尾がぶんぶん振られた。 727 ﹁今日も可愛いねー。でも何でマント着てんの?暑くね?﹂ と言いつつロードが無遠慮に私のマントの裾を捲る。しかしすぐさ まガーウェンによって払われた。 獣のような唸り声と鋭い眼光で威嚇するガーウェンを意に介さず、 ロードは﹁分かった!﹂と大声を出した。 ﹁リキちゃんの薄着姿を見られるのが嫌だからマント着せたんでし ょー?!﹂ ﹁ぐっ・・・!﹂ 図星だったガーウェンは呻き声を上げ、視線を逸らした。 季節は初夏である。日中の陽射しは強くなりつつあり、少し動いた だけで汗ばむ気候にマントは確かに暑い。 ﹁今からそんなじゃ夏本番になったらどうすんスかー?リキちゃん 干からびちゃうよー?ほら、脱いだほうがいいよ!ほらほら!﹂ ﹁おい!馬鹿ロード!やめろ!﹂ ロードがニヤニヤしてマントを脱がせようとし、それをガーウェン が怒鳴りながら阻止している。 ﹁・・・あいつのメンタルどうなってんだよ﹂ ﹁厚かましさもあそこまでくれば才能だな﹂ 自分達が成し得なかった偉業を容易くやってのけた﹃空気を読まな い男﹄ロードに周囲からは驚愕の声が聞こえた。 728 おっさん、愛の力に感動する 1︵後書き︶ 二人の日常はだいたいこんな感じのバカップルです。 729 おっさん、愛の力に感動する 2 ﹁足元、気をつけろよ﹂ 木々の根が這う森を奥へ進む中、ガーウェンが時折振り返り、私へ 甲斐甲斐しく手を差し出す姿にエヴァンのため息と呆れた声が聞こ えた。 ﹁何してるんですか。そんな事しなくてもリキさんは平気でしょ? 寧ろこのメンバーの中じゃ一番、動きがいいじゃないですか﹂ マナ エヴァンの言葉に仲間達がそうだそうだと賛同する。 マ 自慢じゃないが、私は保有魔力が非常に多く、また使用効率も良い ナ 為、道中の全てをスキル使用で進む事が出来る。大抵の人は保有魔 力の枯渇を防ぐ為、スキルの乱用、長時間使用はしないのが基本で ある。 つまり今、ガーウェン達が自力で現場へ向かう中、私はスキル︻身 体強化︼を使用して悠々と進んでいるのである。 ﹁分かってるよっ!あれだ・・・その、いつもの癖で・・・﹂ とガーウェンが吠えてから視線を逸らした。 普段からのこまめな私への気遣いはもはや身体が反応してしてしま うレベルであるらしい。 ﹁あっ!いっそずっと手を繋いでたらいいんスよ!いちいち離した りしないでさ!﹂ 名案を思い付いたとロードが顔を輝かせる。 なんと、ロードのくせに良いことを言う。 ガーウェンは﹃森﹄に入ってから先導するように私の前を歩いてい た。私を守ろうとする広く男らしい背中にドキドキしながら付いて 行っていたのだが、次第になぜか寂しく感じた。 730 ーーいつも隣を歩いて、左上を見上げればガーウェンの顔が見える。 ーー私の視線に気付いたガーウェンが私を見つめ返し、柔らかく微 笑む。 そんな些細な事が嬉しくて幸せな事なのだと今更ながら痛感したの だ。 我儘かもしれないが、出来ることならガーウェンに守られ背を追う よりも、隣で寄り添って歩いて行きたい。 ﹁・・・手を繋いで一緒にいきたい。ダメ、かな?﹂ 約束通り私を守ろうと張り切っているガーウェンに水を差すようで 気が引けてしまい、窺うようにチラリと見上げる。 途端、ガーウェンの顔が真っ赤に染まって、視線が右往左往泳ぎだ した。 ﹁ぐっ!!・・・だだだだめなんかじゃねぇ!あぶっ、危ねぇから 俺より前には行くなよっ。植物に擬態した魔物の奇襲とかあるから !﹂ 早口でそう捲し立て、奪うように私の手を取るガーウェンの豹変振 りに首を傾げる。 ツラ ﹁うはぁー!リキちゃんのおねだりってちんこ直撃なんスけどー!﹂ ﹁思わず前屈みになっちまうな!﹂ ﹁床上手におねだり上手かぁ。羨ましいなぁ﹂ ﹁ここここ殺すぞっ!!お前ら黙れっ!!!﹂ ニヤニヤというよりゲヘゲヘといった最高に下衆い面をした面々と それを怒鳴りつけながらも真っ赤な顔をしているガーウェンに呆れ た。 このメンバーの大半は三十路オーバーだ。盛り上がり方が中学生男 子である。 ﹁奇襲なんてリキさんは︻直感︼で回避出来るんですから、気を付 けなきゃなんないのは私達の方でしょうに﹂ 731 道中で足引っ張ってるのは私達ですよ、というエヴァンの冷静な声 に、のんきな雰囲気だった一同が凍りついた。 ﹁・・・みんな!出発するッスよ!﹂ ﹁よし!俺達の冒険はこれからだ!﹂ ﹁うおおおっ!﹂ 残念な掛け声と共に私達は冒険を再開した。 ****** ギガントワスプ ﹁ギルドに報告された巨大雀蜂の巣はあれですね。報告書の内容と 一致します﹂ ﹁随分とでけぇな﹂ 驚きの声を上げるガーウェンの横で私も感嘆の声を漏らした。 ギガントワ 倒木の幹に大きな岩のような瘤が出来ていていた。それに穴が開い スプ ており、そこから巨大な雀蜂が出入りしているのが見える。巨大雀 蜂の巣駆除に慣れたガーウェン達でも驚くほどの大きさの巣だった。 ギガントワスプ おそらく10メートル近くはある。 ここへ来る途中、見かけた巨大雀蜂の集団をロードを含む別班が追 っており、この場には6人しかいない。あの大きさの巣に対して適 正なのだろうか。 近付き過ぎないように注意し、少し離れた草場に伏せて、巣を確認 ギガントワスプ した。 巨大雀蜂の駆除方法は概ね元の世界と同じで、除虫薬を焚いた煙で 732 燻して弱らせ、その間に巣を解体するというものだ。 ﹁表に見えてる部分も大きいですが、木の幹の中にも広がっている でしょうね。これは厄介ですね﹂ ﹁厄介?﹂ 困った様子のエヴァンに問えば答えはガーウェンから返ってきた。 ﹁ああいう枯木の中身は空っぽで樹皮には隙間が空いて漏れるから 幹の中の巣には煙が回りづらいんだよ﹂ なるほど、と頷くとガーウェンが苦々しい顔をした。 ﹁戦闘になるかもな。リキはちゃんと結界張ってここに居ろよ?﹂ ﹁ふふ、分かった﹂ 過保護だなぁと思いつつ、素直にそう言うとガーウェンは満足そう に私の髪をかき混ぜた。それから仲間達を睨むように見やる。 ﹁よし。じゃあ、誰が近付くかだな﹂ 男達の間に緊張が走った。お互い牽制し合うように睨み合う。 ﹁近付くのか?﹂ ﹁火のついた除虫薬を入り口に突っ込む役目だ﹂ ﹁ああ、なるほど。じゃあ、音と光と気配を遮断する結界を張ろう か?﹂ ﹁・・・ん?﹂ ﹁近付く人に、音と気配を消して姿を見えなくする結界を張ろうか ?﹂ 生身で巣に近付くのはやはりかなり危険だから防護服の代わりに結 界はどうかと考えて提案したのだが、一同はなぜか呆気に取られる 表情をしていた。 ﹁・・・ああ、そうですね。リキさんにはそれが可能なんでしたね﹂ エヴァンの苦笑につられてか一同も苦笑気味である。ガーウェンは 微笑んで私の頭を撫でた。 ・・・おい、なんだ。何か言ってくれ。 ﹁なら俺が近付くわ。リキちゃん、結界を頼む﹂ 733 と言ったのは馴染みの髭面筋肉ネコミミおっさんだった。この場に いるメンバーの中では一番の俊足である。 ﹁ん。張ったよ﹂ ﹁えっ?!・・・あーそうか、リキちゃんは基本無詠唱だったな﹂ ギガントワスプ 髭面筋肉ネコミミおっさんが苦笑して頭を掻いた。 ﹁よし、行くぞ。巨大雀蜂と戦闘になるかもしれねぇから準備して おけよ﹂ おー、と一見やる気の無いような掛け声を返す面々だが、顔にはこ の状況を楽しむかのような不敵な笑みが浮かんでいた。 上位ランクの冒険者は得てして戦闘に胸躍るものらしい。 戦闘準備と考え、ふと思い付いてガーウェンを手招いた。 ﹁どうした?﹂ と嬉しそうに顔を寄せてきた彼の唇をがばっと奪う。 ﹁っ!!んんっ!!んーっ!﹂ ガーウェンの顔が一気に赤く染まり、慌てて私を引き剥がそうとし て、動きがピタリと止まった。 ガーウェンの身体から青白い電流が光の筋となり放電し、バチバチ と彼の周りで音が鳴り始める。 チュッと音を立てて離れると驚いた表情のガーウェンが自分の身体 を見回し、それから私を見た。盛大に疑問符が頭の上に飛んでいる。 ﹁ガーウェンの適性属性は雷だろ?雷属性の魔力を付与したからし マナ ばらくは好きに使えるよ﹂ ガーウェンは保有魔力を属性魔力へ変換する事が苦手︵というか出 マナ 来ない︶なので私からすでに雷属性に変換した魔力をガーウェンに 渡したのだ。 ﹁ついでにガーウェンの保有魔力に変換して︻物理防御︼の防御率 を上げて、物理防御壁も3枚張ったから﹂ 734 ﹁あ?え?・・・どういうことだ?﹂ けん 自分の指先から走る電流の光を呆然と見ているガーウェンに笑いか けた。 ﹁つまり愛の力だ!﹂ ﹁・・・・・お、おう・・・?﹂ しん まだよく分かっていない様子のガーウェンだったが、抜いた剣の剣 身からも放電が起こり、バチバチと光の筋が跳ねるのを見て、顔を 輝かせた。 分かる分かる。魔法剣はロマンだよな。 ﹁・・・付与魔法ですよね?﹂ ギガントワスプ とエヴァンが興味深そうにガーウェンを見ているのにふふん、と得 意気な笑みを返す。 ﹁愛の力だ!﹂ ﹁あーはいはい。じゃ、さっさと巨大雀蜂の駆除しましょうか﹂ そういうのいいですからと言わんばかりの冷たい態度でさっと背を 向けたエヴァンに思わず苦笑いになった。 ****** ギガントワスプ ガーウェンの振るった剣が巨大雀蜂の頭部を斬り飛ばした。切り離 された頭部と胴体に追い打ちをかける様に剣から稲妻が走り、それ らを焦げた残骸として地に落とした。 ガーウェンの剣筋は青白い光で軌跡を描き、放たれた電流は矢のよ うに飛び、敵に容赦なく突き刺さっていく。 735 ガーウェンが狩りを楽しむ獣のような獰猛な笑みを見せる。 ﹁︻雷流嵐︼!!﹂ ギガントワスプ 頭上に掲げた剣から稲妻が周囲にばら撒かれ、嵐の様に駆け抜けた。 飛んでいた巨大雀蜂は身体を痺れさせ、ゆっくり落ちていく。しか し地面へ墜落する前にガーウェンの剣の餌食となり、真っ二つにな った。 ガーウェン自身が一閃の稲妻のようだ。 ﹁リキちゃん!!﹂ ロードがなぜか怒った様子でガーウェンを指差している。 ﹁ガーウェンさんだけずりぃよ!!あれ、俺もやりたい!!﹂ 稀に見る大きな巣だった先ほども、ロード達が見つけたこの小さめ の巣も、ガーウェンの大活躍で駆除は滞りなく進んでいる。 ギガントワスプ というかガーウェン無双である。 巨大雀蜂と雷撃の相性が良く、剣一振りで10匹以上倒せる事もあ り、ガーウェンの独り舞台のようであった。 ﹁俺にもやって!お願いします!﹂ 丁寧なお願いを叫んだロードが凄い剣幕で迫ってくる。すると他の 仲間も、俺も俺もと必死の形相で集まってきた。 どうやら無双状態は男子にとっては憧れらしい。 ﹁ガーウェンは特別。あれは愛の力だから﹂ ﹁俺だってリキちゃんのこと愛してるし!!﹂ ﹁私はお前らを愛してねぇし﹂ と返すと、ひどい!贔屓だ!横暴だ!と騒ぐおっさん共に囲まれて しまった。よっぽどガーウェンが羨ましいのか必死な面々にうんざ りしていると、私と彼らの間に雷撃が落ちた。 ﹁お前ら仕事しろよ。巣の解体がまだ残ってんだろ﹂ 736 バチバチと放電の火花を纏いながらガーウェンが男達を鋭い眼光で 睨みつける。ガーウェンの発する威嚇がそのまま現れているかのよ うに、青白い光がビリビリと肌を掠めていった。 ﹁ずりぃーッスよぉー!俺だってそのカッコイイのやりてぇーッス よぉー!﹂ ロードは最早、駄々っ子である。 ﹁リキは俺にしかやれねぇって言ってんだから諦めろ﹂ と言うガーウェンの顔は隠し切れない喜びでニヤついていた。ロー ドに﹁カッコイイ﹂と言われた事が嬉しいのだろう。 ﹁チューしてっ!リキちゃん、俺にもチューして!!﹂ ﹁やめろ﹂ ﹁ぶっ!!﹂ 何を勘違いしてるのかロードが唇を尖らせ顔を寄せてきたので、す ぐさま頰にビンタを喰らわせた。 ﹁キスする事で魔力を付与する訳じゃないぞ﹂ さすがにガーウェンほど大量には付与出来ないが、適性属性魔法の 威力底上げぐらいなら誰にでも付与魔法はかけれる。 ガーウェンへのキスはただの嗜好である。 ﹁えっ!そうなのか・・・﹂ と残念そうな声を出したのはガーウェンだった。 なぜそんなに残念そうなのか。・・・あっ! ﹁ただキスするだけじゃなく、特別な関係の人とキスする事が魔力 付与の条件だ﹂ ニコッとガーウェンに笑いかけると、彼は頰を染めながら心底嬉し そうに破顔した。 愛する人のキスでパワーアップというのもロマンだよな。 737 おっさん、愛の力に感動する 3*︵前書き︶ エッチな表現があります。 おっぱい教信者・・・ 738 おっさん、愛の力に感動する 3* 風呂上がり、いつものようにリキにマッサージされる幸せなひと時 に深く息をついた。 なぜか今日は筋肉が張っている気がしている。そんなに負荷が高い 戦いだっただろうか。それとも歳か。 そんな俺の疑問に気付いたのか腕の筋肉を優しく解していたリキが 申し訳なさそうに白状した。 ﹁あの時は皆がいるから言えなかったんだけど、︻身体強化︼の強 化率も上げてたんだ。身体に違和感があるのはきっとそのせいだと 思う﹂ ﹁そうなのか。ああ、だから戦ってる時、力が有り余ってる感じだ ギガントワスプ ったのか﹂ 巨大雀蜂との戦闘は普段使わない魔法やスキルを使用出来た事でい つもとは違う戦術になり、楽しむと共に興味深かった。 この歳になって自分の新たな可能性を見る事になるとは。その機会 をくれたリキには感謝しているのだが、当のリキはすまなそうにし ている。 ﹁勝手にしてごめんね。身体は辛くないか?﹂ ﹁おう、大丈夫だ。つか謝る事じゃねぇよ。むしろリキに感謝しね ぇと。ああいう戦い方も出来るんだって色々考えることが出来たか らな﹂ 身体から溢れる魔力の感覚を思い出して、ぶるりと武者震いした。 俺はまだ強くなれる。そう確信出来る体験だった。 肩をポンポンと叩いてマッサージ終了の合図をしたリキに、ふと思 い付いて疑問を投げかける。 ﹁そういや、なんで言えなかったんだ?﹂ 739 さっきリキは︻身体強化︼の強化率を上げた事を皆がいるから言え なかったと言った。 うつ伏せの姿勢から顔を上げると、横にリキがいた。ネグリジェの 丈の短いスカートからは柔らかそうな太ももが半分も見えていて、 本能には逆らえず、思うままにそこに頭を置いた。 ﹁ふふふ。あ、ガーウェン、少し頭上げて・・・うん、いいよ﹂ リキはそれを咎めたりはせず、優しく笑って俺が頭を置きやすいよ うに移動してくれた。 なにこれ、すげぇ、幸せ。 柔らかい膝枕に自然と顔がだらしなく緩むと、髪を梳くように優し く撫でられた。俺を見下ろすリキの表情は見惚れてしまうほど、幸 せに満ちている。 マナ ﹁︻身体強化︼に干渉する付加魔法はガーウェンにしか出来ないん だ。ガーウェンの身体の中で過ごしてガーウェンの保有魔力を使用 して感じたことがあるから出来るんだよ﹂ その内容もそうだが、内緒話のように小さな声で打ち明けてくれる いま のがなんというか﹃俺だけ特別﹄と言われているようで胸が高鳴っ た。 俺とリキが一緒の身体に居た過去があって現在があり、そしてそれ が更に新たな可能性に繋がっている。俺とリキの歩みが未来を作っ ていくというのは運命と呼べるんじゃないのか、なんて恥ずかし過 ぎるか。 ﹁俺だけの付加魔法か・・・﹂ 優しい手に身を委ねてニヤついていると、リキの笑い声が聞こえた。 ﹁皆ずいぶんと羨ましがっていたな﹂ ﹁あいつらは魔力付与じゃなく、お前が出来た妻だから羨ましがっ てんだよ﹂ ギガントワスプ ロード達の見つけた巨大雀蜂の巣を無事駆除し終わった後、昼メシ 740 を食うことになった。 いつもは現地で調達した獲物を適当に焼いたりして食べるのだが、 今日はリキが揚げピザなる物を準備していてくれたのだ。 円形のピザ生地にピザソースを塗り、食べやすい大きさに切った野 菜とベーコン、チーズをたっぷり乗せて、半分に閉じた物をまるま る油で揚げる。 表面はパリパリ、内側はもちっとして、ピザソースとどろどろに溶 あつ けたチーズが混ざり合って熱々で、ほくほくの野菜と甘い肉汁を溢 れさせるベーコンをはふはふと熱を逃がしながら噛み締めると﹁熱 っ!うまっ!﹂という的確で適切だが簡素な感想しか出てこない。 美味い物には飾る言葉は必要ないのだと俺達は頷き合った。 ﹁味はどう?おかわりもあるよ。揚げピザの他にも野菜スープと果 物も持ってきたから皆で食べよう﹂ リキが空間魔法の異空間から大きな鍋や瑞々しい果物を次々と取り 出すと、俺達は競うように我先にと食事を平らげていった。 腹が膨れて、地面に転がっていた奴らが口々に、 ﹁床上手におねだり上手で料理上手のうえ、魔力付与までしてくれ る美人妻とか羨ましいっ!﹂ ﹁リキちゃん、俺と結婚して!﹂ ﹁なんならガーウェンと共有でいいから!﹂ などと言ってリキに迫った。 勿論リキは奴らの言葉など気に掛けてもいないが、仲間達にリキが 褒められる度、もっと自慢したいような隠して俺だけの秘密にした いようなそんな複雑な気持ちになったのだった。 ﹁・・・リキは俺の奥さんだからな﹂ 独占欲が心に充満してボソリとそんな言葉が口から零れ出た。まる でガキの自己主張のような言い方になってしまい、顔が熱くなって いく。 741 こういうとこが格好付かねぇんだよなぁ。 しかしリキはそんな俺に深く優しい微笑みで、 ﹁ガーウェンは私だけの旦那さんだから﹂ と返してくれた。 リキは気持ちをいつも俺に真っ直ぐに返してくれる。そういう正直 で優しくて、少しだけ独占欲の強いリキが大好きだ。 ****** 薄く桃色に色付き、ピンと立ち上がったリキの胸の先端を口に含ん で舌で捏ねると、リキの口から鼻にかかった甘い声が漏れた。 ﹁あっ・・・ん、んっ・・・﹂ 温かく柔らかいリキの胸はいつまで構っても飽きない魅力がある。 唾液でテカテカと艶めくまで両方を交互に丹念に構う。少ししつこ 過ぎるかとリキを上目遣いで窺えば、快感に蕩けた瞳と視線が合っ た。 リキがその瞳を細めて小さく微笑んだ。 好きにしていいよ、と言っている気がする。 ﹁ああっ!﹂ 口に含んでいる先端を吸い上げると、リキの背が反った。 いつもリキは俺のガキみたいな欲望を嫌な顔せず受け止めてくれる。 好きな人に受け止めて貰えるという事はとても幸せなことで、それ は全部リキの愛なんだと実感した。 俺の全部を受け止めてほしい。 742 そう思うとリキの奥が恋しくなった。 ﹁リキ、挿れていいか?﹂ リキの秘部を指で撫でるとすでにトロトロの体液が溢れ出ていた。 ﹁待ってた・・・おかしくなりそう・・・﹂ リキが焦がれたように息をつく。 おかしくなりそうなくらい待たせてたのか。 申し訳なさと優越感と支配欲。 身体を起こしてリキの足を大きく広げ、秘部の入り口に自分の昂り を押し当てる。先端がぬかるみに埋まり、そのまま拒まれる事なく 小さな穴にズブズブと熱が収まっていった。 ﹁あ、あっ﹂ ナカ リキが身体を仰け反らせて声を上げ、俺を締め上げる。それには奥 歯を噛み締め耐え、一気に奥へ突き入れた。 ﹁ひ、ああっ!!・・・あ、や・・・やぁ・・・﹂ その拍子にリキは達してしまったらしく、潤んだ瞳とヒクつく体内 に思わずほくそ笑んだ。 ﹁ふっ。リキ、可愛いな。待たせた分いっぱいしてやるからな﹂ ﹁あ!まっ、や!だめっ!﹂ 達した余韻の残る細い身体を抱きしめて、昂りを出し入れすれば、 ナカ リキから制止の声が上がった。だめ、と言われても止めてやれない。 リキの体内は温かくて柔らかくて俺を丸々包み込んでくれて、寛容 なリキの心そのもののようだ。 ﹁あっ!あっ!んっ、んぁ!﹂ ﹁ふっ、ふっ、ぐっ・・・!﹂ 繋がった部分からぐちゅぐちゅと水音が響いてくる。優しい圧迫が 時折、息が詰まるほどの締め付けになり、その度に身体が震えた。 気持ち良い。愛してる。愛してる。 可愛い。気持ち良い。愛しい。 743 縦に揺れて構ってほしいと誘ってくるリキの胸を持ち上げるように して掴み、先端に吸い付く。 ﹁ふふっ、そこばっかり﹂ 途端にリキが笑った。確かに俺はどんだけ胸が好きなんだよと恥ず かしくなり、かぁっと顔が熱くなってくる。 ﹁ガーウェン可愛い。大好き﹂ けどリキはこんな余裕のない俺も受け入れてくれる。 これも全部リキの愛だと感じる。 俺に魔力付与したときリキは、 ﹁愛の力だ!﹂ なんて冗談めかして言っていたが、あながち間違いじゃないと思う。 リキの俺への気持ちや普段からの気遣いはリキの愛なんだ。 毎日美味い料理を作ってくれるのも、嬉しそうに世話を焼くのも、 ふとした瞬間に俺を見てくれるのも、優しく俺を包んでくれるのも、 全部リキがくれる愛。 俺はリキに愛を返せているだろうか。 どうしたらもっとリキに愛を伝えられるだろうか。 ﹁こら。余所見すんな﹂ とリキに頰を抓られた。気が逸れた俺を咎める・・・というよりは 揶揄っているようだ。 ﹁・・・すまん。お前の事を考えてた﹂ 汗で光る首元に顔を埋める。リキの匂いがする。 ﹁お前に俺も愛を沢山あげたいんだがどうしたらいいのかって﹂ クスクスとリキの笑い声が耳をくすぐった。背に細い腕が回り、何 度も撫でられる。 ﹁いつもたくさん、お腹がいっぱいになるぐらいくれるだろ。ほら、 溢れて出てくるくらい﹂ そう言われて顔を上げると、欲情したリキの顔が俺を見ていた。そ 744 ナカ してするりと下腹を撫で、妖艶に笑った。 ﹁この膣内に出してくれるだろ﹂ その意味する所がすぐ分かり、一気に頭まで熱が上る。 ﹁っ、ち、ちちち違う!そういう事じゃねぇ!あ、いやそれもある けど、そういうんじゃなくてだな!﹂ だからその、と上手く言葉が紡げない俺を引き寄せ、リキは更に笑 みを深くした。 ﹁違うのか?じゃあ、それは後で二人で考えよう。今は私をちゃん と見ろ﹂ リキの声が耳に吹き込まれ、ビクビクと昂りが反応した。 ﹁一番奥にガーウェンのトロトロの愛が欲しい﹂ な・・・なんて、エロい事をエロい声で! 抑えきれない凶暴な欲望が身体の底から這い出てきて、リキを貪り 喰おうと低い唸り声を上げる。 だが、その獣が全てを食い尽くしても、きっとリキは獣を許し、受 け入れてくれるのだろう。 やっぱりリキの愛には敵いそうもない。 余裕じみた笑みを浮かべるリキの口元に噛み付くようにキスをした。 745 女子、仕える*︵前書き︶ エッチな表現があります。 最近エロ成分が足りない気がして、今話はエロ度が高めになってお ります。 746 女子、仕える* ﹁御主人様、コーヒーをお持ち致しました﹂ ﹁ん、あ、お、おう﹂ リビングのソファに座るガーウェンの前にコーヒーを用意する。ガ ーウェンはドギマギしながらも、チラチラと強調された私の胸を見 ていた。 やはりガーウェンは敬虔なおっぱい教信者のようだ。 事の発端は今日の天気である。 久々に二人の休みが重なった今日を、私に内緒でデートプランを考 えるぐらい楽しみにしていたらしいガーウェンは、今日の天気が一 日中雨であると知ると目に見えて落胆した。 ﹁まぁ、こんな日もあるさ。今日は家でのんびりしよう﹂ と震え声で強がりを言ったガーウェンの潤んだ瞳は痛々しい。 そこで自他共に認めるガーウェンに甘い私は、家の中でも楽しめる 催しを考えたのだった。 その催しとはお察しの通り﹃御主人様とメイドごっこ﹄である。御 主人様であるガーウェンにメイドである私が色々なご奉仕をすると いう遊びだ。 だが私がメイド服で現れるとガーウェンはドン引きした。それもそ のはず。メイド服と言えど、それは一般的なメイド服でも冒険者ギ ルド食堂のミニスカメイド服でもなく、ブリックズの組織が運営し ているイヤラシイお店で着用するやたらと露出の多いメイド服だっ たのだ。 747 トップスはチューブトップのようであるが、胸の頂天から下半分が フリルの付いた布で覆われ、上から胸が溢れそうになっている。肩 もお腹も全部出ており、パンツが見えそうなほど短いスカートに申 エロ し訳程度のエプロンが付いている。 明らかなご奉仕目的の衣装に最初こそ﹁目のやり場に困る﹂と視線 を逸らしていたガーウェンだったが、掃除中にわざとパンツが見え るようなしゃがみ方をしたり、胸が強調されるような態勢をしたり すると次第に熱のこもった視線で私を追うようになった。 落ち込んだ気分を忘れられたようで、作戦成功である。 後はもっとご奉仕するだけだ。 ﹁御主人様にご奉仕しても宜しいでしょうか﹂ ガーウェンの足にしな垂れ掛かるようにし、上目遣いで見上げる。 ガーウェンは私の言葉に込められた意味に気付き、サッと頰を赤く 染めた。ゴクリと喉が上下するのが見える。 ガーウェンの足の間に座り、硬い太ももを撫でながら下部を目指す。 優しく触れるとガーウェンが息を飲んだのが分かった。 少し硬さを持ち始めているそれに、口元が緩んでしまう。私の﹃ご 奉仕﹄に興奮してくれたようだ。 ズボンの前開きのボタンに手を掛け、ゆっくりと外す。ガーウェン を見れば、赤茶色の瞳が潤んで揺れていた。 羞恥と期待。 その可愛い顔に俄然やる気が漲ってくる。 下着の上からすりすりと顔を擦り付ける。濃いガーウェンの匂いが して、身体の奥がキュンと疼いた。 猫のようにすりすり擦り寄っていると、ガーウェンは更に硬さを増 してくる。 反応が素直なところも可愛い。 748 ・・・・ 下着に手を掛けて、ガーウェンを見上げた。 ﹁御主人様。御主人様に直接ご奉仕しても宜しいでしょうか﹂ ﹁・・・・・・ああ﹂ 眉を寄せ、眼をギラつかせたガーウェンが低い声で許可を出す。そ れに快感を感じ、ぞくりと背筋が震えた。 下着を下げるとガーウェンのペニスが半勃ち状態でぼろんと現れた。 優しく手で包み、余すところなくキスを降らせる。合間に根元から 先端まで舐め上げれば、ガーウェンのペニスはどんどん質量を増し ていった。 出っ張りの境目や裏筋、先端の割れ目まで丹念に舌を這わせ、ペニ スを唾液まみれにしていく。 ガーウェンは興奮したように荒い息をついているが、私もかなり興 奮していて息が上がってしまう。パンツの中がちょっとヤバい。 ﹁御主人様、お召し物を﹂ とガーウェンのズボンと下着を脱がせて、自分の胸の下で結んであ ったリボンを解いた。これは服がズレない為のリボンだが、これを 解くと下乳が露わになるのだ。 異空間からオイルを取り出し、胸の谷間に流し入れる。とろりとし た冷たい液体が胸の間を通る感触に身体が震える。 ﹁リキ・・・?﹂ 不思議そうなガーウェンに、 ﹁御主人様にご奉仕致しますね﹂ と演技じみた笑顔を向け、立ち上がったペニスを寄せられた胸の間 に挿し入れた。 所謂、パイズリである。 ﹁うあっ、す、すげ・・・それ、エロ過ぎ、だろ・・・﹂ ペニスを挟んだまま胸を上下させると、胸の谷間からオイルでぬる ぬると光る亀頭がぴょこぴょこと顔を出した。その光景を食い入る 749 ように見て、ガーウェンが呻くように言う。 出入りする亀頭にチュッチュッとキスをするとガーウェンは更に呻 いた。 ﹁あ、う・・・ぐっ﹂ ﹁御主人様、気持ち、いいですか?﹂ 私の問いかけにガーウェンは小さく頷き、それから私の頭を優しく 撫でてきた。 ﹁はぁ・・・リキ可愛い・・・はぁっ・・・﹂ 快感で潤んだ瞳を細めて、そう呟く掠れた声に胸がキュンキュンと 高鳴った。 可愛いのはお前だろーが!と言いたい。 出てくる亀頭を咥え、ちゅぱちゅぱと音を立てるとガーウェンが小 さく鳴いた。 ﹁あぁ、あっ・・・﹂ この態勢は苦しいし辛いのだが構わん!ガーウェンの為、最後まで やり抜こう! ペニスを挟むように胸を押さえて上下に動かし、顔を出す亀頭を攻 める。苦味のある先走りが口の中にどんどん染み出す。 ﹁んっ、ふっ、ん、んんっ﹂ ﹁あ・・・ふぅ、ふっ・・・んっ、リキ、気持ち良い・・・﹂ 苦しい。苦しいけど、ガーウェンの喘ぎ声が聞こえるたび、もっと もっとしてあげたくなる。 ﹁うっ、リキ、イきそ・・・出そうだ・・・﹂ はぁはぁとガーウェンの息が荒い。 ﹁御主人様出して、私のおっぱいに・・・出して下さい﹂ と煽ってラストスパートをかけた。 ガーウェンのペニスが熱く硬くなっているのを胸で感じる。 ぐちゅぐちゅとオイル塗れの胸を揺らし、亀頭を咥え、先端の割れ 目に舌をぐりぐりと入れた。ガーウェンの身体が強張り、小刻みに 750 震えた。 ﹁うぁっ!あ!・・・う、ぁふっ・・・はぁ、あ﹂ 地から湧き出す水のように胸の谷間からゴプッと溢れ出したガーウ ェンの精液が流れ、服に染み込んでいくのを達成感を込めて見遣っ た。ガーウェンを見ると疲労しているようで、ソファの背に頭を預 けて荒い息をついていた。 ﹁ガーウェン、お風呂入ろ。汚れちゃっただろ?﹂ たっぷりと出た精液が溢れないようにタオルで拭きつつ、笑ってガ ーウェンに手を伸ばす。 ーーーその手を強く引かれた。 あ、と思っている間にソファの上に倒されていた。 ﹁そうじゃねぇだろ。﹃御主人様﹄、だろ?﹂ ガーウェン 得意気な顔をしたガーウェンが上から覆い被さってくる。 なんとこの御主人様、案外ノリノリである。 ﹁ガー・・・御主人様、汚れてしまいます。お風呂に入りましょう ?﹂ ﹁後でな。もっと﹃ご奉仕﹄してくれ﹂ よぎ そう低い声で囁き、スカートが捲り上がって丸見えだったパンツの ヒモを解いて放り投げる。 ギラつく赤茶色の瞳に煽り過ぎたかもと若干後悔が過るが、ガーウ ェンは少しの猶予もくれず濡れきった私のアソコへ指を挿し入れた。 初めからゴツゴツの指が二本。 ﹁ああっ!﹂ ﹁もうこんな濡れてる。もっとぐちゃぐちゃにしてやるからな﹂ 声は甘く優しいのにガーウェンの顔は獲物の息の根を止めようとす る猛獣そのものだ。その猛獣の凶暴さはすぐに私を追い詰め始めた。 ﹁んぁ!あっ!ああっ!やっ、あ!﹂ 751 ガーウェンの指はお腹側の内壁、あるポイントを明確な意思を持っ て押し上げ、擦り上げ、攻め立てている。それに慌ててガーウェン の腕を掴んで叫んだ。 ﹁それダメ!出ちゃうから!﹂ ﹁そうじゃねぇだろ、リキ。ほらちゃんとこれ持ってろ。足も開い てろよ﹂ 私の叫びはガーウェンのニヤリした笑いに一蹴された。﹁これ﹂と スカートの端を握らされ、足を更に大きく開かれる。 誰だ!ガーウェンのドSスイッチ入れたのは!私か! ダメだ!ガーウェンの命令が癖になりそうだ! ﹁やああああっ!ああ、あ、あ!あああっ!﹂ 容赦なくピンポイントでソコを狙ってくる指に悲鳴のような声が出 た。 体液が溢れ、ぐちゅぐちゅからじゅぷじゅぷに音が変わって居た堪 れなくなる。 ﹁あああ出るっ、出ちゃう!や、や、あ!ガー、ごしゅ御主人様っ !出ちゃうっ!出ちゃいます!﹂ ガーウェンから与えられる刺激に腰がガクガクと揺れ、衝動が湧き 上がってくる。 ぞわり、と快感が膨れ上がった。 ﹁ああああ、あっ、あっ、出ちゃああああああっ!﹂ ガーウェンの手の動きに合わせてびちゃびちゃびちゃという激しい 水音と飛沫が上がり、アソコ一帯を液体まみれにした。 なんというか、その・・・おもらししたみたいではずかしい・・・ もうしにたい・・・ ﹁すげ。こんなにびちゃびちゃになってる。ソファにも飛び散って るぞ﹂ ナカ 指から滴る体液を音を立てて啜っている楽し気なガーウェンの姿に も私の快感は煽られ、膣内がヒクついて、吐息と共に小さく喘ぎ声 752 をはいた。 ﹁・・・ぁん、えっち・・・﹂ ﹁えっちなのはリキだろ。こんなの初めてだった﹂ と拭いきれていなかった精液を胸へ塗り込むような手の動きにもピ クピクと反応してしまう。 ﹁・・・ん・・・あ・・・﹂ ギシリとソファが鳴った。 ガーウェンが私の上に影を落としている。その顔には﹃まだ足りな い﹄と書いてあるが、先ほどまでいた凶暴な猛獣の気配は無かった。 ﹁リキ・・・名前、呼んでくれ﹂ ﹁・・・ガーウェン﹂ ﹁もっと・・・﹂ ﹁・・・ガーウェン、愛してるよ﹂ 強く抱きしめられた。耳元で小さく、俺も愛してる、と言う声がし た。 戯れの時間は終わり、これからは夫婦の営みの時間だ。 ガーウェンに命令されるのも良いと思うが、やはり愛を囁かれる方 がもっと気持ちが良い。 視線を合わせ、瞼を伏せればすぐに、唇に優しい感触が降ってきた。 753 謎生物、おっさんと邂逅する*︵前書き︶ エッチな表現が少しあります。 まさかの謎生物視点。 754 謎生物、おっさんと邂逅する* クリシュティナ 私の名前はグリリアントデヴォリーゼ。 偉大なる創造主様が下さった名前だ。 古代語で﹃尊き光﹄という意味だと晴天のような爽やかな笑顔で仰 った創造主様こそ尊き御方。私は誠心誠意、創造主様に尽くす事を 生まれたての心に誓ったのだった。 しかし最近の私は自分の存在に悩んでいた。 私の主な仕事は創造主様の研究所の警備である。﹃逢魔の森﹄のと ある場所にある結界内が私の警備区域だが、創造主様の御立場が変 わり、護衛騎士なる男達がその中を闊歩する様になったのだ。 私は植物を主に造られた生物である為、甲冑をガチャガチャ鳴らし ながら森の中をえっちらおっちら移動するのろまな男達より私の方 がこの区域の警備には適任である。 しかし彼等は創造主様の警備員として先輩であり、森の中の警備ス ペシャリストである私を何故かいつも怪異を見るような目で遠くか ら窺うだけだった。 これでは綿密な警備など出来ない。後輩が出来ると張り切っていた 私は意気消沈した。 もしかして私の姿は人に恐怖を与えるのだろうか。 そんな時、創造主様からある命令を頂いた。 ﹁グリー、君にリキの家の警備もお願いしたいんだけど﹂ リキと言われ黒髪の女性を思い浮かべた。彼女は初対面で私の握手 を受け入れてくれた特殊な人物で、私の唯一の友人でもある。 755 ﹁リキ達が新居を買ったんだ。彼女は僕と同じ国家的重要人物だか らね、警備が必要かなって。僕にはこうして無駄に護衛が増えてし まったから君がリキのもとへ行ってくれると僕も安心だよ﹂ リキが最近結婚し、新居を買った事は知っていた。ソーリュートの 街中だと聞いていたが、やはり警備は必要と考える。 リキは創造主様と共に簡易転移魔法具を開発し、その技術は現在、 国家機密となっているのだ。 承知の意味を込めて深く頷くと創造主様は笑みを浮かべた。 ﹁今日、リキが来るから提案してみるよ﹂ ****** 創造主様の研究所にやって来たリキを出迎えると男と一緒だった。 赤銅色の髪と三白眼。リキより頭一つ分以上背が高く鍛えられた肉 体。 話に聞いていた容貌と、何よりもリキのその男を見つめる幸せそう な目で彼がリキの最愛の人なのだと分かった。 ﹁グリー。変わりはないか?﹂ 私を見とめてリキが視線を合わせるように屈む。 私に目にあたる器官はないが、触手で魔力感知・熱感知出来るので 支障はない。 ーー変わりはないよ。リキはどう? ﹁私はいつも通りだよ。今日はガーウェンを連れて来たんだ。紹介 するよ﹂ と私を抱き上げ、怪訝な表情で見ている男を振り仰いだ。 ﹁ガーウェンだよ。いつも話しているだろ?私の旦那様だ。ガーウ 756 ェン、この子はグリリアントデヴォリーゼ。クリスが造った人造植 物だよ﹂ 対人関係において第一印象は大切だ。私も彼を仰ぎ見て、ニッコリ と笑ってみせた。 ﹁うおっ!お、おい大丈夫なのか?﹂ 何故か男は素早く距離を取った。・・・少し傷付いた。 そんな私の頭をリキは慰めるように撫でてくれる。 ﹁大丈夫だよ。グリーは賢いし優しい子だ。これは彼女なりの笑顔 なんだよ﹂ ﹁笑顔なのかよ。ってそれ女なのか?﹂ ﹁ん、たぶん﹂ ﹁たぶんかよ・・・。あーまぁ、いいか。俺はガーウェン。リキの 夫だ。よろしくな﹂ 若干腰が引けているが、そう言ってガーウェンは私に手を差し出し た。 その手を見て、その意味を理解して驚いた。 ーー私に握手を求めてくれた人など初めてだ。 触手を伸ばし、大きな手に触れるとギュッと力強く握られた。 ﹁う、うわ、ぶにぶにしてる・・・﹂ ガーウェンが引きつった顔をしたが、私はもう傷付いたりはしなか った。 リキの肩をポンポンと叩く。 ーー良い人を伴侶にしたね。彼ならきっとリキを幸せにしてくれる よ。 ﹁ふふふ。ガーウェンと仲良くしてくれな?﹂ 嬉しそうなリキと困ったような顔をしているガーウェンを交互に見 て、彼は私の二人目の友人になってくれるのではと期待で胸が高鳴 った。 757 ****** ﹁よし、出来た!見ろ、上手ぇもんだろ!﹂ ガーウェンが得意気な笑顔を浮かべて、私を振り返った。拍手を送 ると胸を反らして更に得意気に鼻を鳴らした。 フェアリー ガーウェンの前にはドアが付いた小さな家が完成している。犬小屋 か妖精族の部屋のような大きさのそれはガーウェンが作ったものだ。 彼は案外器用なようだ。 私がリキ達の家の警備をする事はすぐに決定して、リキ達と共に家 へとやってきた。こじんまりとしているが、中々良い家だ。 部屋を用意してくれると言われたが、私の本質は植物と一緒である。 良い土質の庭があるし、そこを住居にしたいと身振り手振りで伝え るとガーウェンが私専用の家を作ってくれたのだ。 ﹁出来たんだ!すごいな。ガーウェンは器用だなぁ﹂ カップ等を載せたトレイを持ってやって来たリキが、出来上がった 家を見て感心したように頷いた。 ﹁べ、別にすごかねぇよ。まぁ、あとはリキが魔法陣を書き込めば 完成だ﹂ ﹁そうか。その前に少し休憩しないか?﹂ サッと頰を赤く染めたガーウェンを優しく見てリキは、地面に敷い てあった布の上にトレイを置いた。トレイには湯気を立たせたコー ヒーとパイが乗っていた。 ﹁そのミートパイはお隣の奥さんにレシピを教えてもらったんだ。 これは焼きたてだけど、冷めても美味しいんだって﹂ ナイフで一人前に切り分けられたミートパイがガーウェンの前に置 758 かれると、彼は目を輝かせながら早速噛り付いた。 ﹁んっ、んっ、んめぇ!﹂ ﹁ふふ、よかった。はい、グリーの分﹂ と私の前にも一人前切り分けられ置かれた。 私は光合成と水のみでも生きていけるが、基本的には雑食である。 ガーウェンに習って私も噛り付く。うん、リキは料理が上手い。 彼女は夢中になってパイを口に放り込む私とガーウェンを笑顔で見 やって、何かを思い出したように﹁あっ﹂と言った。 ﹁そう言えばグリーは土壌調査が出来るんだったよな?﹂ グラスに入った水を受け取り、肯定の意味で頷く。 ﹁この庭の土はどうだ?野菜を作りたいんだけど出来そうか?﹂ 野菜か。その辺の土をすくって口に入れる。 もう少し耕して肥料を加えないといけないが、作れない事は無いだ ろう。 触手を揺らして頷くと、リキには伝わったようで破顔した。 ﹁良かった!知り合いから苗を貰う事にしてるから早速行こう!﹂ ﹁その前にグリーの家を完成させるんだろ﹂ ウキウキとはしゃいだ様子のリキにガーウェンが呆れた。 ﹁・・・分かってるし﹂ ガーウェンは ﹁へぇー?おい、こっち向けよ。なんでそっち見てんだよ﹂ わざとらしく視線を逸らしたリキの肩を抱き寄せ、 意地悪そうな顔を見せている。忘れてないし、ふぅーん?、とくっ つき合いながらうふふあははと楽し気な笑い声を上げる二人に、な るほどこれが﹃イチャつく﹄というのかと思った。 ﹁はっ!﹂ と突然声を上げてガーウェンが私を見た。そしてすぐに耳まで真っ 赤になって、気不味そうに視線をうろうろし出す。 彼は日に焼けた肌をしているが、照れて顔を赤くするのはよく分か る。 759 気にしないで続けて、と触手を揺らして見せるとガーウェンは俯き うぐぐぐと謎の鳴き声を上げた。 その様はデカい図体と強面の顔に関係なく、妙に庇護欲を掻き立て られるもので、リキが彼を大事にする気持ちがなんとなく理解でき た。 ****** 創造主様へ1日の報告を終え、リキ達の家の庭に帰ってくるとすで に日が落ちていた。 振り返るとガーウェンが作ってくれた家の扉に描かれている転移魔 法陣が淡く光っていた。これは私が創造主様の元へ顔を出し易いよ うにとリキとガーウェンが考えてくれた物で、この扉は研究所の戸 棚の扉へと繋がっている。 それにしてもガーウェンは聞いていたよりもずっとお人好しだった。 しかしそれは私にとっては好意的で尊敬できることである。 最初こそ距離があったもののガーウェンはすぐに私に慣れ、しまい には家を作ったり世話を焼くようになった。気軽に話しかけてきて、 私の身振り手振りを理解しようとしてくれる。 いつまでも私にビクビクして、切り掛かってくる馬鹿者もいる護衛 騎士共とは雲泥の差だ。 リキが伴侶に選ぶのもよく分かる。 ﹃・・・あっ、ダメ・・・﹄ 760 碧色の月光の下、ぼんやりしているとリキの小さな悲鳴が聞こえた。 瞬間、敷地内を熱感知で見るが脅威になりそうなのは人族二人分の 熱しかなかった。これはリキとガーウェンである。 また二人仲良くイチャついているようだが、一応様子を見ておこう と考えた。ガーウェンを信用していないわけではないが、いざとな ればリキを守らなければならない。 庭に面した窓が薄く開いており、そこから漏れ聞こえてくるのはち ゃぷちゃぷという水音とリキの悲鳴だった。 ﹁あっ・・・ガーウェン、ちゃんと触ってよ・・・﹂ ・・・・・・悲鳴、なのだろうか? なんというか例えるなら子猫が親猫に甘える鳴き声のようだ。 ひげ 触手を伸ばし壁を登った。 私の触手には細かい巻き鬚が生えており、その先端には吸盤が付い ている。家壁くらいならば垂直でも登れる。 薄く開いた窓を覗き込むとモワッとした熱気を感じた。 そうだ、ここは浴室だった。では水音はお風呂の湯か。 見下ろすとやはり二人は湯船の中でイチャついていた。 ガーウェンに背後から抱きしめられているリキの身体がピクン、ピ クンと跳ね、その度に甘えるような声を発する。ちゃぷちゃぷと湯 が揺れた。 ﹁あっ・・・ん、ん・・・あぁ・・・﹂ ﹁リキ・・・﹂ ガーウェンの左手はリキの胸を掴んでやわやわと動き、右手はリキ の足の間を弄っているようだった。 ﹁ガーウェン・・・もう、上があああっ!﹂ リキが仰け反り、大きく声を上げた。 761 潤んだ黒い瞳が私を捉える。 ﹁あっ、やっ、だめ、お湯、入っちゃう!﹂ ﹁﹃もう﹄入れてほしかったんじゃ、ふっ・・・ないのか?﹂ 湯がガーウェンの動きに合わせて暴れるように大きく荒れ狂った。 リキの陰部にガーウェンの陰部が突き刺さっているのが大きく開か れた足の間に見える。 なるほど。これが性交か。 リキがガーウェンから見えない位置でハンドサインを出した。 親指と人指し指で丸を作っている。 ﹃問題無い﹄のサインである。 それに触手を振って応え、壁から降りた。 性交というのは一般的に当人同士の秘め事であり、それに昼間の様 子を考えるにガーウェンはリキとの性交を見られるのは本意ではな いだろう。 ﹁あっ!んっ!ガーウェン!﹂ ﹁リキっ、ぐっ・・・うっ!﹂ 徐々に激しくなる水音と荒くなる息を背後に聞きながら、月を見上 げた。 動物の交尾は見た事はあったが、あれは生殖目的の本能である。リ キとガーウェンの交わりはやはりそれとは違う。 子を成す為の行為ではなく愛を示す為の行為。 なかなか珍しいモノを見れた、興味深いと頷いた私は知らなかった。 二人のこの交わりは毎日、何度も行われ、すぐに別段珍しいモノで も何でもなくなる事を。 762 妹、襲来 1 緩くウェーブのかかった明るいオレンジ色の髪を揺らし、ディアナ は南地区を進んでいた。 ﹁あの唐変木っ!!﹂ 思わず出た怒声にすれ違った男が驚き振り返ったが、ディアナは取 り繕う事も忘れまだブツブツと文句を呟いていた。 肩を怒らせ、若い娘に有るまじきドスドスと足音を鳴らす姿から彼 女が途轍もなく腹を立てている事が見て取れる。 ﹁何で引っ越した事言わないのよ!つか結婚したってどういう事よ !聞いてないわよ!あの馬鹿兄さん!!﹂ 彼女が腹を立てているのは自身の兄の事である。 ディアナは筆無精で家族への連絡を怠る兄の様子を見るというのを 口実にたまにソーリュートへ遊びに来ていた。 ソーリュートにはがさつで品のない冒険者は多いが、自分の住んで いる所に比べれば遥かに都会的で洗練されている。 自分の住んでいる場所は田舎で娯楽が無く、ダサくてつまらない。 ディアナは成人したらソーリュートに住むと決意して準備していた のだが、先日それが父と二番目の兄にばれ、懇々と説教された。挙 句、成人したら結婚させると結婚相手を探し始め、あろう事か町医 者はどうかと言い出した。 こぞ 別にその相手が嫌なわけではない。その町医者は優しくて頭が良く、 顔もそこそこ良い為、町の未婚女性が挙って狙っているほどだ。 しかしディアナは断固拒否した。父と兄がその町医者を選んだ理由 が町の人間と結婚させてディアナをこの町に縛り付けようとする為 としか思えなかったのだ。 この退屈な町で老いていく自分を想像してディアナはゾッとした。 763 その恐怖は父と兄への怒りに変わり、それから誰にも行き先を言わ ずに家を飛び出す衝動となった。 兄の所へ転がり込んでソーリュートで暮らせばいい。 しかしそう決めて来てみれば、兄は長年住んでいた部屋を引き払っ て新居に移り住み、しかも結婚したという。 計画が狂った事も苛立つが、すこぶる女の趣味が悪い兄が結婚した 事が衝撃だった。 絶対に金目当ての女が結婚したに決まってる! ディアナの兄に対する評価は﹃金は有るが男としての魅力は皆無﹄ たか ストーリー であった。その為、ディアナの中にはすでに兄が性悪女に金ヅルと して集られている物語が出来上がっている。 ディアナは家族代表として相手の正体を暴いてやると息巻いて、兄 の新居へ向かったのだった。 ****** ﹁ここ、よね・・・?﹂ 目の前の家を見上げ、誰ともなく呟いたディアナの問いに答える者 はいない。 ﹃南風が吹く丘亭﹄の女将さんから教えて貰った住所には迷わず辿 り着けたが、ここが兄の新居だとは到底信用出来なかった。 門から玄関までのアプローチに置いてある可愛らしい花が咲く鉢植 えとか出窓に見えるレースのカーテンとかは粗雑な兄の性質に結び つかない。 もしかして路地を一つ間違った? 764 そう思いつつもドアをノックした。もし間違っていたら謝って、改 めて兄の家を聞けばいいのだ。 やや間があって﹁はーい﹂という若い女の声が聞こえ、ディアナは 緊張で背筋を伸ばした。ここが兄の家ならこの声の主は兄を食いも のにする性悪女である。 どんな女が出てきても私は騙されない、とディアナは玄関扉を睨み 付けた。 ﹁どちら様?﹂ そして扉が開き、中から現れた女にディアナは息を飲んだ。 現れたのは黒髪の美少女だった。 歳はディアナと同じくらいか下。 黒々とした長い睫毛で縁取られているのは髪と同じ黒い瞳。 あいま 白い肌に薄っすらと色付いた頰と赤い唇。 真っ白なワンピースと相俟って清楚な御令嬢という印象だ。 首を傾げる姿も絵になるとんでもない美少女にディアナは完全に出 鼻を挫かれてしまった。 たどたど ﹁あ、兄は・・・えっと、その、ガーウェン・ガーランドの家はこ ちらですか?﹂ しどろもどろで辿辿しいディアナの問いにもすぐ黒髪の少女は柔ら かい微笑みを浮かべた。 ﹁ああ、ガーウェンの妹さん?話は聞いているよ。もしかして下の 妹のディアナちゃんかな?﹂ ﹁あ、は、はい!あのあなたは・・・?﹂ 見た目のイメージとは異なり、気さくな口調の少女に気を持ち直し たディアナはそう尋ねた。 性悪女の連れ子とか?と思っていたディアナに少女は何とは無しに 告げた。 765 ﹁初めまして。私は貴女のお兄さん、ガーウェンと結婚したリキと 言います。これからよろしくね﹂ ﹁えぇっ!あなたが!?あ、いや、はい・・・﹂ 驚きながらも差し出された手に握手を返すと、そのまま家の中へ連 れて行かれた。 ﹁さぁ、入って。ガーウェンは昨日遅くまで仕事だったからまだ寝 てるんだ。いま起こしてくるから待っていて﹂ 室内は落ち着いた色合いで統一され、シンプルだが品の良さを感じ る。それはディアナが理想とする都会的な雰囲気だった為、玄関前 の決意も忘れ歓声を上げた。 ﹁すごい!素敵なリビングだわ!﹂ ﹁そうだろ?家具は前の住人から譲って貰った物だけど、雰囲気に 合うようにクッションカバーや小物を揃えたんだ。ディアナちゃん はコーヒーと紅茶どちらがいい?﹂ ﹁紅茶がいい!私の事はディアナでいいわ。私もリキと呼んでいい ?﹂ ﹁勿論いいよ。座って待ってて﹂ リキがダイニングへ入って行くのを見送り、改めて室内を見回して ディアナは大きく感嘆した。革張りのソファにレースのカバーが掛 かったクッションを見つけて心が大きく高鳴る。 ﹁これスゴイ可愛い!﹂ 格調高い家具に可愛らしい装飾。 見れば見るほど理想の内装だわ!ときゃあきゃあはしゃぎながら部 屋の中を見回しているディアナの様子に戻ってきたリキは楽しそう に笑った。 ﹁紅茶、ここに置いておくな?ちょうどクッキーも焼いてあったか らどうぞ﹂ ﹁ありがと!この部屋、私の理想だわ!この卓上鏡もすごく可愛い !これも貰い物なの?﹂ ディアナが示したのはサイドボードの上に置いてあった卓上鏡であ 766 る。縦楕円型の鏡枠と台部分に蔦模様の細工が施されたまるで一国 の姫が所蔵するかのようなディアナの好みに直撃する卓上鏡だった。 ﹁ああ、それは私が買ったんだ。近所にそういう雰囲気の小物を売 っているお店があってそこで見つけたんだよ﹂ ﹁えっ!私もそこ行きたい!﹂ 隣に立つリキに勢い良く迫ったディアナは、彼女が自分より背が低 い事に気が付いた。大人びた雰囲気のリキだが、やはりディアナよ り年下かもしれない。 ﹃年下のお義姉さん﹄という関係は違和感を覚えるが、自分と趣味 が合いそうな少女にディアナは嬉しくなった。 新天地に来て早速友人ができるとは幸先が良い! ﹁じゃあ、ガーウェンに・・・あ、ガーウェンを起こしてくるんだ ったな。ごめん!今呼んでくる﹂ と慌てて駆けていくリキの背をディアナは微笑ましく見つめた。 歳は離れ過ぎているがリキを結婚相手に選んだ事はあの色々とダサ い兄にしては、最高の功績だと思ったのだ。 ﹁あ、これも可愛いー﹂ 小さな棚にレース編みの敷物とその上に﹃月の欠片﹄と水晶蝸牛の 殻が並べて置いてあった。別段珍しくないその二つが美しいレース 編みの上に置いてあると途端に特別な物に見えるから不思議だ。 このレース編みは手作りだろうか。今、ディアナの中ではリキの評 価がぐんぐん上がっていた。 ソファに腰掛け、紅茶を楽しみながら待っているとすぐに兄が来た。 その兄を見とめてディアナは愕然とした。 ﹁ディアナ、来る時は必ず連絡しろってーーー﹂ ﹁もう!ガウィ兄さん、最っ低!!﹂ そして目が合ってすぐ小言を言い出す兄を遮るように叫んだ。 ﹁何なのその格好!﹂ 767 ﹁え、あ?か、格好って・・・﹂ 突如、歳の離れた妹に怒鳴られた兄ーーガーウェンは困ったように 自分の格好を見下ろす。 寝間着代わりのゆったりしたズボンに適当に羽織ったシャツ。恐ら く髪は跳ねていて髭も生えてきてるだろう。 あからさまに寝起きという格好である。 しかしさっきまで寝ていたのだから当たり前だ。 ﹁そんなダサい格好恥ずかしくないの?!しかもボリボリお腹掻き ながらなんて、まるっきりおっさんじゃない!ガウィ兄さんにセン スは求めないけど、せめてマトモな格好してよ!リキに幻滅される わよ!﹂ こんな素敵な空間にそのおっさん臭くダサい格好で現れる事が出来 るなんて神経を疑うとディアナは本気で怒っていた。 一方、散々な言われようのガーウェンは﹁ダサい﹂、﹁リキに幻滅 される﹂等の妹の暴言に泣きそうな表情を浮かべて、ディアナとリ キを代わる代わる見た。 ﹁・・・なんかすまん・・・着替えてくる・・・﹂ ﹁大丈夫だよ。髪は私が直してあげるから髭だけ剃ってきな?朝ご はんも準備出来てるから﹂ ディアナの剣幕と落ち込んでいるガーウェンにリキも苦笑いしてい る。 リキの優しい言葉に頷いて、逃げるように洗面所へ向かったガーウ ェンだが、 ﹁ちょっと!ガウィ兄さん!まだ話し終わってないから!﹂ と後を追ってくるディアナに﹁勘弁してくれ!﹂と悲鳴を上げたの だった。 768 妹、襲来 2 ガーウェンは洗面台の鏡に向いナイフで髭を剃っているが、気もそ ぞろになりがちだった。何故なら鏡越しに睨み付けてくるディアナ の視線に妙な威圧感を感じるからだ。 ﹁や、やりずれぇからあっち行ってろよ﹂ ﹁誤魔化さないでよ!何で引っ越した事も結婚した事も教えてくれ なかったの?!﹂ 居心地の悪さにそう文句を付ければ途端に怒鳴られてしまい、ガー ウェンはうぐぅ、と呻き声を上げた。 ﹁いくら筆無精でも家族には結婚の報告ぐらいしてよね!常識じゃ ない!﹂ 家に押し掛けてきたうえ、寝起きの家主に暴言を吐く奴に常識云々 を言われたくないと思ったが、迂闊にそれを口に出せば更なる口撃 に晒される事が予想出来たのでガーウェンは別の事を口に出した。 ﹁け、結婚の事はベルハルトさんに手紙で報告しただろ!・・・・・ ・・・・あ、しまった、出すの忘れてた﹂ 家からは完全に離れているが義父であるベルハルト・ガーランド男 爵には結婚報告の手紙を新居が決まった時点で書いていた。しかし 書いてはいたのだが、ちょっとしたゴタゴタがあって郵便に出すの を今の今まですっかり忘れていた。 バツが悪そうな顔で頭を掻いている兄に腰に手を当てたディアナが 呆れたように深くため息をついた。 ﹁・・・やっぱり。ガウィ兄さんの事だからそんなんだろうと思っ たわよ!良かったわね。マヌケなガウィ兄さんにはリキのようなし っかりした子がちょうどいいわ。あんなちゃんとした子どうやって 騙したの?﹂ ﹁騙したって何だよ。騙すような事はしてねぇ﹂ 769 だいぶ歳上の兄に対してずいぶん酷い言い草のディアナにガーウェ ンは苦々しい顔をした。ガーウェンはこの口の悪い妹のような勝気 な女には何故か強く出れないのだった。 ﹁じゃあ、どこで出会ったのよ?馴れ初めは?もちろんガウィ兄さ んからよね?﹂ ﹁あー・・・旅先で偶然出会って、その、一緒に旅をしてるうちに、 その・・・や、優しいし、その、穏やかだし・・・お、俺の事を考 えてくれるし・・・﹂ つ 照れて見る見る首から耳まで赤く染まった巨体のおっさんにディア ナの顔が引き攣る。頑張って贔屓目に見ても気持ち悪い残念なおっ さんにしか見えない。 こういう所が男としての魅力に欠けると思うのだ。しかし兄があの 少女にベタ惚れなのはよく分かった。 ﹁あーはいはいご馳走様!まぁ、さすがに私の同年代と結婚すると は思わなかったけど、リキなら私も認めるわ﹂ 上から目線のその言葉にガーウェンは小さく唸り声を上げ、今度は 反論した。 ﹁同年代ってお前は今年18だろ。リキは23歳だからベラと同い 年だ﹂ ﹁・・・・・・・・・・・・え?﹂ たっぷりとした間の後、気の抜けた声を出したディアナの口はあん ぐりと開いていた。そんな自分のはしたない姿にも気付かず、ディ アナは大声で叫んだ。 ﹁えええっ?!あれで?!!あれでベラ姉さんと同い年なの?!! 嘘よ!!﹂ しか 嘘言ってどうする、とガーウェンは馬鹿でかくキンキンと響く声に 顔を顰める。 770 まだ驚きが引かないようで後ろでブツブツ何やら言っているディア ナを見て、ソーリュートに来た頃はこんなやり取りも日常茶飯事だ ったと懐かしく思う自分にガーウェンは小さく笑った。 ﹁ガーウェン、ディアナ。準備出来てるからおいでー﹂ リビングの方からリキののんびりとした声が聞こえた。おう、と返 事する前にディアナがドタドタと音を立てて走り去って行く。そし て﹁ねぇ、リキ!あなたいくつなの?!本当なの?!﹂と家中に響 く大声が聞こえた。 今年成人の女性としてあれでいいのか、と妹の行く末に一抹の不安 を覚え、ため息をつくガーウェンだった。 ****** リキに教えてもらった店は想像以上にディアナの好みを直撃してい た。 ﹁あー!可愛いー!どうしよー!全部欲しいよー!﹂ 先ほどからこの言葉しか言っていない。 チラリと兄を見れば何やら真剣に選んでいる。その横顔にディアナ は﹁こうして見れば兄さんも中々イケてるじゃん﹂とやはり上から 目線にそう思った。 すっきりとしたシャツに革のパンツは落ち着いた大人の雰囲気、シ ンプルなレッグポーチに黒革のブレスレットは高級感があり、上位 ランク冒険者の余裕を醸し出していた。 グダついた上着と小汚いズボン、使い古されたカバンを持っていた 771 少し前のダサい姿とは全く違う。これもリキの影響なのかとディア ナは関心した。 ﹁ガウィ兄さん、何してるの?・・・あ、可愛い!﹂ ガーウェンの手元を覗くと、ガラスの小瓶を二つ持っていた。 青色の小瓶と赤色の小瓶。 どちらも香水瓶のようで、兄と香水の組み合わせに違和感を感じた もののすぐにリキへのプレゼントかと思い至った。 香水をプレゼントなんてセンスが問われる。 ﹁香水を買うの?﹂ ﹁おー・・・でもあんまり好きな匂いじゃねぇんだよなぁ﹂ 小瓶に顔を近付けてすんすんと鼻を鳴らしたガーウェンの眉間にシ ワが寄った。 無作法な匂いの嗅ぎ方に呆れるが、真剣にプレゼントを選ぶ様子に は好感が持てる。 アルバイト ﹁リキはどんな匂いが好きなの?﹂ と仕事に行ったリキを思い浮かべた。すれ違ったリキからは確かふ んわりと花の匂いが香っていたはずだ。 ﹁んー?リキは・・・なんだろ。聞いた事ねぇけどいつも髪に付け てる花の匂いは好きなんじゃないか?﹂ ﹁何よそれ最低!リキにプレゼントするんじゃないの?!﹂ 香水をプレゼントしようとしてるのに、その相手の好みを知らない なんて意味が分からない。もしかして何の考えもなく適当に選んで いるのだろうかとディアナの頭にカッと血が上った。 彼女は実に直情的だった。 しか ﹁怒鳴んなよ。リキにプレゼントするから俺が選んでんだろ﹂ 突然の大声にガーウェンは顔を顰めた。リキはいつも穏やかで怒鳴 ったりする事がないから、意味不明な事で怒り出す妹に慣れない。 ﹁相手にあげたい物をプレゼントする事にしてんだよ。リキが欲し い物じゃなく、リキにあげたい物を選ぶんだよ﹂ 相手が欲しがっている物をあげるのは簡単だが、相手にあげたいと 772 思う物を選ぶのは簡単じゃない。でも相手の好みとか使っている姿 を想像してたくさん考えて決めた物をあげる事が大切だとリキに教 わったのだった。 ﹁ガーウェンが自分で選んだ物が欲しい﹂ とリキはガーウェンに微笑んだ。 香水もこの匂いを纏うリキの姿を想像して、やっぱり違うと思った のだ。 ﹁あげたい物がリキの好みじゃなかったらどうするのよ﹂ ディアナが納得いかない様な顔でガーウェンを睨むが、それはガー ウェン自身もリキに尋ねた事だった。 ﹁﹃私を一番見てくれてるガーウェンが選んだ物だから大丈夫﹄だ そうだ﹂ その時の自信満々なリキの姿はガーウェンにも自信をくれた。 ﹁・・・なんていうかリキって男前よねー﹂ のくせに浮気か!﹂ 関心する様なディアナの感想に、ガーウェンは口には出さなかった が心の中で賛同した。 トゥーラス 雷火鳥の右翼 サンダトス ****** ﹁おっ! 兄の知り合いらしい髭面のむさ苦しいおっさんに声を掛けられた。 アルバイト これで何人目か、とディアナは鬱陶しく思う。 リキは夕方まで仕事なのでガーウェンと共にソーリュートを回って いた。ディアナの護衛の意味もあるが、荷物持ちである方が有用だ。 そうやって荷物を抱えたガーウェンと連れ立って歩いていると頻繁 773 に声を掛けられる事になった。主に兄が。 ﹁ちげぇよ。妹のディアナだ﹂ ﹁本当か!こんな可愛い妹がいたのか!ガーウェンと似てねぇな!﹂ 可愛いと言われるのは嫌な気分はしないが、何だって冒険者という 職業の男達は皆むさ苦しいのか。 むさ苦しさも上位ランクになる条件なのかしら、とディアナは本気 左翼 オーリュス 右翼 トゥーラス ﹂ はさっきギルドで見たぜ。働き者のいい奥さんだよなぁ。 で考えるほどだ。 ﹁ 大事にしろよ、 バシッとガーウェンの背中を叩き、大笑いしながら髭面おっさんは 去っていった。 最後まで品がない、とディアナは嫌な顔をする。 一方でガーウェンは、突然怒鳴ったり怒ったりするディアナも品が ないと思っているのだが、本人の知るところではない。 ﹁さっきからトゥーラスとかオーリュスとか何なの?﹂ 不機嫌さを隠さずディアナが尋ねると、 ﹁別に俺が言い出した事じゃねぇんだけど﹂ サンダトス とガーウェンは照れた様に頭の後ろを掻いた。 サンダトス サンダトス 雷雲と共に世界を巡るとされる伝説上の鳥・雷火鳥。 雷光は雷火鳥の羽ばたき、雷鳴は雷火鳥の鳴き声だと言われている。 サンダトス オーリュス そしてこの鳥の有名な逸話がもう一つある。 トゥーラス それは雷火鳥が二羽の鳥である事だ。 右翼しか持たない雄と左翼しか持たない雌がお互いを支え合って、 寄り添い合って空を飛ぶのだという。 サンダトス つまり二羽で一羽の鳥になるのだ。 サンダトス この逸話から雷火鳥は夫婦円満の象徴となっており、仲の良い夫婦 を﹃雷火鳥夫婦﹄と呼んだりする。 774 サンダトス ﹁俺とリキが、その、雷火鳥みたいだって・・・﹂ ひどく照れて、しかし満更でもなさそうなガーウェンの様子にディ アナは﹁ケッ!﹂と女子有るまじき相槌を返した。 今日一日、正確には半日だが、兄と行動して彼のこの顔は正直見飽 きていた。 服屋に行っても﹁リキに似合いそうだ﹂とか屋台で軽食を食べても ﹁リキが好きそうだ﹂とか何でも二言目には﹁リキ﹂と嬉しそうな 顔で言いやがるいい歳した男が鬱陶しくならない訳がない。 ﹁ガウィ兄さんの頭の中はリキの事ばかりだから悩みが無さそうで いいわね﹂ ディアナは余りのウザさにそう嫌味を言ったのだが、 ﹁悩みは無い訳じゃねぇけど、確かにリキの事を考えると悩みが吹 っ飛ぶ気はするな﹂ とだらしない顔でへらりと笑った兄に、胸焼けすると共に快復は見 込めないと悟ったのだった。 ﹁もう少しでリキの仕事が終わるから迎えに行く﹂ ﹁はいはい﹂ 先ほどからやたらとウキウキしていたのはリキを迎えに行くからか と呆れて、納得した。 ここまで兄を魅了するリキに対して今更ながら恐ろしさを感じる。 人族ではない特殊な種族なのではと疑うレベルである。 その時、突如、目の前に人影が立ち塞がった。 その人物を見とめてディアナは息を飲んだ。 そいつはディアナに向かい、指を突きつけ・・・ ﹁みみみ見つけましたよおおーっ!!お嬢様ああー!﹂ 775 それは叫び声というより泣き声だった。 776 妹、襲来 3 リキ ダイニングには美味しそうな匂いと気不味い空気が漂っていた。 美味しそうな匂いはダイニングに隣接したキッチンで奥様が準備し ている夕飯から、気不味い空気は不貞腐れているディアナと彼女を 睨み付けているガーウェンから発せられている。 しかしダイニングにはもう一人いた。 ガーウェンの怒気に当てられ、可哀想なくらい小さくなっている貧 乏くじを引いた男・トミー。 彼はガーランド男爵家の使用人であり、この度の﹃ディアナお嬢様 家出事件﹄の解決を任されてしまった22歳、童貞である。 トミーはガーウェンの事は知っていた。ガーランド家の長兄である が、ガーランド男爵とは血の繋がりがなく、爵位継承権は放棄して いる。かなり腕の立つ冒険者のようで、それで生計を立てているら しい。 しかし直接言葉を交わした事はなかった。 トミーの両親もガーランド家の使用人で、彼は生まれてからずっと 男爵邸で暮らしているが、物心ついた時にはすでにガーウェンは家 を出ていた。 それからは数年に一度、男爵邸に顔を出すガーウェンを遠くから見 ていた程度の関係である。 それがテーブルを挟んで真正面に座る事になるなんて・・・! とトミーは戦々恐々としている。顔を伏せたままガーウェンと視線 が合わないように縮こまっていた。 視線が合ったら死ぬ、と彼は本気で思っていたのだ。 彼がいつもガーウェンを遠くから見ていた最大の理由はガーウェン 777 の眼つきが恐かったからに他ならない。 ﹁・・・何で家出なんてしたんだ﹂ 獣の唸り声かと思うほどの低い声が真正面から聞こえる。トミーの 寿命が5年は縮んだ気がした。 ガーウェンの怒気がビリビリと迫ってきて、産毛が逆立つ。 もういい加減どうにかしてほしいと思うのだが、その怒りの原因で あるディアナはずっとだんまりを決め込んでいた。 充満する空気に耐えられなくなった瞬間、澄んだ声がそれらを全て 吹き飛ばした。 ﹁ご飯できたよー。ガーウェン持っていって。そこの二人も、自分 の分は自分でな?﹂ その声に一番に反応したのはガーウェンだった。先ほどまでの怒り をすっかりさっぱり霧散させ、忠犬のようにそそくさとキッチンカ トン ボア ウンターへ向かったのだ。 ﹁豚じゃなくて猪カツ定食だよ﹂ ボア キッチンカウンターにはトレイが人数分置かれており、ご飯とスー プ、猪カツと色取り取りの野菜のサラダ、小鉢に芋煮、つるりとし た表面の白い四角い何かがそれぞれ乗っていた。トミーが見た事の ない料理もあるが、立ち上る匂いはこれらが確実に美味しい事を証 明している。 ﹁美味そう!・・・だけど俺の野菜が多くないか?﹂ トレイの前でガーウェンが上げた不満そうな声にリキが笑った。 ﹁生じゃなく温野菜にしたからちゃんと食べてね。ガーウェンは放 っておくと肉しか食べないから﹂ ﹁やだぁ、ガウィ兄さん。ダニエルと同じこと言われてるわ﹂ ﹁うぐぅ!﹂ ダニエルとはガーランド家末っ子、まだまだ甘えたがりの11歳で ある。 778 馬鹿にしたようなディアナの言葉にガーウェンは怒るというより恥 ずかしさで呻いた。 ﹁あ、あの・・・・・・﹂ 恐る恐るというような声に一同の視線がトミーに向いた。彼は小さ くヒイッと悲鳴を上げたが、なんとか続けた。 ﹁ぼ、ぼぼ僕も食べてもいいんですか?こ、こんな豪華なご飯﹂ ﹁気にすんな。ここではお前も客人だし、それにディアナがだいぶ 苦労を掛けたようだしな﹂ 答えたのはガーウェンで、ニヤッとトミーに笑いかける。恐いと感 じていた三白眼が細まり、人懐っこさを感じる表情になった。 ホッとすると同時に後ろめたさを感じた。 ガーウェンは突然押し掛けた使用人の自分にも丁寧に接してくれる。 そんな良い人を見た目だけで﹁チンピラだ﹂と怯えていた自分がど れだけ小さい奴だったかと反省したのだ。 ﹁私が苦労って﹂ ﹁掛けてるだろうが。何も言わず家を飛び出してきて、心配させて、 ここまで探しに来させて﹂ ﹁探してほしいなんて頼んでないわ!﹂ ﹁ディアナ!﹂ ﹁二人とも一旦お終いにして﹂ 言い合いの様子を呈してきたガーウェンとディアナの間にリキが割 って入った。その途端ピタリと二人の口が閉じられる。 ﹁それはご飯食べてからな?冷めないうちに食べよう。我が家のル ールは﹃ご飯は楽しく食べる﹄だよ﹂ ****** 779 ボア サクサクの衣をまとった猪カツは普段食べる猪肉より随分と柔らか く、臭みもなかった。 ﹁カツにはこのソースね。南方の国で開発された揚げ物用のソース で、友人に取り寄せて貰ったんだ﹂ リキが勧めたカツソースは黒いどろりとしたソースで、果実の甘さ と複数のスパイスが複雑に融合した奥深い味わいだった。 ディアナもトミーも初めて食する美味に目を輝かせた。 ﹁スープは味噌汁といってドワーフ族のスープだ。優しい味だぞ。 その白いのは豆腐っていうドワーフ族と一部のエルフが作ってる食 材で、薬味をのせて醤油をかけるとすごく美味い!﹂ 美味しそうにご飯をかっ込みながらガーウェンが得意気に料理につ いて説明を披露する。隣でその姿にリキがクスクスと笑い声を上げ た。 ﹁野菜もすごく美味しいよ﹂ ﹁ぐ・・・っ!﹂ ガーウェンはうぐうぐ妙な呻き声を上げながら、サラダとリキを交 互に見ている。そしてようやく意を決したようにえいやっとサラダ を口に放り込んだ。 ﹁んっ・・・ん?・・・・・・うまい﹂ ﹁ふふっ!前にガーウェンが珍しく美味しいって言って食べたサラ ダドレッシングを再現してみたんだ。美味しいだろ?﹂ 悪戯が成功した子供のような得意気な笑みのリキにガーウェンは頷 いて﹁美味い﹂と繰り返した。 ﹁店にレシピを聞いたのか?﹂ ﹁いやレシピはさすがに教えてくれなかったから、サラダを何皿か 注文して研究したんだ﹂ ﹁そうか。研究したのか・・・﹂ 俺の為に、と感激した様子のガーウェンが頰を染めてじっとリキを 780 見つめた。リキも微笑みを浮かべたままガーウェンを見つめ返して いる。 二人を見ているとなぜかトミーの背中がやたらとむずむずしてくる。 なんと言うか居心地が悪い。 ﹁・・・トミー、下向いてた方がいいわよ﹂ というディアナの囁きに思わず正面を見てしまい、リキに顔を近付 けたガーウェンに全てを察して慌てて下を向いた。 ちゅ、という音が聞こえ、トミーの顔は熱くなる。 すぐにまた、ちゅ、と音が鳴ったあと、 ﹁・・・す、すまん、人前で﹂ とガーウェンは謝罪した。 ﹁今日は、その、いつもよりしてなかったから足りねぇなって思っ てて、そしたらちょっと堪んなくなっちまって、その、お前も可愛 い事言うから﹂ リキに向けての言い訳らしいが、聞こえてしまうトミーの気持ちも 考えてほしい。 夫婦のあれこれ、イチャイチャラブラブを聞かされる彼女なし童貞 の気持ちも考えてほしい。 ﹁はぁー・・・離れててもアレだけ惚気てるから嫌な予感はしてた けど、やっぱりこんな感じよねぇ﹂ ディアナの心底呆れたといった声がため息とともに吐き出され、そ れにガーウェンとリキがバツの悪そうな顔を見せた。 ﹁お客さんがいるのは楽しいけど、ガーウェンとイチャイチャ出来 ないのは困るな﹂ ﹁ああ、私達の事は気にしないでよ。・・・・・・それに私もすぐ に帰るから﹂ 最後の方は小さく呟くようだったが、向かい側の二人まで聞こえた。 ﹁ガウィ兄さんの家に転がり込もうかと思ったけど、さすがに無理 781 があったみたい。兄さんが幸せそうにしてるのを邪魔したくないし。 だいたい毎日﹃それ﹄を見せ付けられたら胸焼けで大変そうだもん おど !﹂ 戯けて片目をつぶったディアナだが、寂しさが透けて見えるようだ った。そんな彼女をガーウェンが優しく呼んだ。 ﹁ディアナ。俺はお前が家を出る事には反対しない。ソーリュート では女も良く働くし、貴族の娘だって手に職付けて働いてる奴も大 勢いる。お前がソーリュートで働いて生活していきたいって言うな ら俺は応援する﹂ ﹁ガウィ兄さん・・・﹂ ﹁でもちゃんと家族と話し合ってからだ。説得には時間が掛かるか もしれないが、ちゃんと話し合うべきだ。黙って出てくると必ず後 悔する。・・・俺みたいにな﹂ リキの手がそっとガーウェンの背に触れた。心配そうな顔をしてる リキにガーウェンは目を細めて、 ﹁なぁ、リキ。一緒に家族に会いに行ってくれないか?﹂ と笑いかけた。 ﹁いずれは顔を出すつもりだったけど、結婚報告の手紙を出すのを 忘れてたから、お詫びを兼ねて報告に行こう。ディアナを送って行 きながら﹂ ﹁ガウィ兄さん、一緒に帰ってくれるの?!﹂ ﹁家出の事は俺も一緒に謝ってやる。でも説得は自分でしろよ?﹂ ﹁ありがとう!兄さん!﹂ 満面の笑みを見せたディアナの緑色の瞳は少し潤んでいるように見 えた。 怒りに任せて家出を敢行して、家族に心配を掛けてしまったことを 彼女なりに後悔していたのかもしれない。 彼女は家族を本当に大切に思っているから、とトミーはつられて涙 目になりながら思った。 ﹁・・・じゃあ、食べようか﹂ 782 すす 食事が止まっていた一同をニコニコと嬉しそうなリキが促した。 にじ トミーは慌てて、味噌汁を啜った。食事は若干冷めていたがとても 美味しくて、それはなぜか視界を滲ませた。 ﹁突然で悪い。その・・・﹂ ﹁ガーウェン﹂ 言いかけたガーウェンの言葉をリキの明るい声が遮った。 ﹁ガーウェンの家族に会いに行くの楽しみだったんだ。すごく嬉し いよ﹂ ﹁・・・そうか﹂ キラキラと輝くようなリキの笑顔にガーウェンも幸せそうに笑った。 ﹁家族の一員になれるかな?﹂ というリキの問い掛けに、 ﹁なれるさ﹂ ﹁なれるわよ﹂ 歳の離れた兄妹の声が重なり、そっくりな笑顔を浮かべたのだった。 783 妹、襲来 3︵後書き︶ アフィ﹁童貞と聞いて﹂ 784 女子、家族に挨拶に行く 1 車外の景色は、ここ数日続いていた侘しい農道から畑が点在する地 帯へと変化していた。 この世界の主な移動方法である馬車での移動もだいぶ慣れた。相変 わらずお尻は痛いが、それも対策すれば軽減出来る。 ﹁あと少しで町に着くわ﹂ ﹁そうか。楽しみだな﹂ 向かい席に座っているディアナが言った。 あと少しでガーウェンの家族に会える。楽しみであるし、緊張もし ている。 ガーウェンの家族について説明をしておく。 ガーウェンの父親のベルハルト・ガーランド男爵はラーニオス王国 の片田舎の町を統治している下級貴族である。町長みたいな仕事ら しい。 父親といっても母親の再婚相手であるため、血は繋がっていない。 異父兄弟である兄弟は4人。次男のコルト、長女のベラ、次女のデ ィアナ、三男のダニエルである。ガーウェンは長男になるが、爵位 継承権や遺産相続権は放棄しているそうだ。 家族仲は概ね良好であるらしいが・・・。 窓の外をつまらなそうな顔で見ていたディアナがちらりと私を見て、 呆れた顔をした。 あご ﹁それ、重くないの?﹂ ディアナが行儀悪く顎で示したのは私に寄りかかるようにして眠る ガーウェンだった。 ﹁スキルを使ってるから重くないよ。まぁ、動けないけど﹂ 785 私の頭を枕にするようにガーウェンの頭が乗っている。耳元ですぴ すぴと可愛い寝息が聞こえて幸せな気持ちになり、自然と笑顔にな ってしまった。 ﹁ガウィ兄さんがベタ惚れなのかと思ったけど、リキも結構なもの よね﹂ ﹁私の方がベタ惚れだと思うけど。一目惚れして迫ったのは私だし﹂ ﹁えっ!そうなの?!﹂ 告白するとディアナは勢い良く身を乗り出して来た。退屈さが吹き 飛んで、﹁詳しく聞きたい!﹂と目が輝いている。 女子だね。恋バナ好きだよね。 ﹁私は一目惚れでガーウェンとどうにかして付き合いたかったんだ けど、ガーウェンはあまり乗り気じゃなかったというか。女性に対 して引いていたというか﹂ 過去の女性経験でだいぶ傷付いていたから仕方がない事だったが、 そうと知っても強引に迫ってしまった。ガーウェンの気持ちを考え こ てゆっくり進めていこうと思っていた時もあったが、ガーウェンの 可愛さに辛抱堪らんかったのだ。 ﹁ああ、ガウィ兄さん、女の趣味悪いからリキみたいなマトモな娘 はタイプじゃなかったんじゃない?﹂ 私も大概マトモじゃないけどと思いつつ、兄に対して辛辣なディア ナに苦笑する。 ﹁だけど強引に迫って落とした。自分の人生で一番の功績だと思っ てるよ﹂ ﹁大袈裟ねぇ。というかガウィ兄さんのどこに一目惚れしたの?確 かに性格はいいけど、見た目はダメじゃない?眼付き悪いし﹂ ﹁そうかな?見た目もタイプだったけど、何となくこの人良い人だ なって分かったからかな﹂ と笑えばディアナは頷いた。 ﹁ベラ姉さんはお見合い結婚だったけど、やっぱり﹃何となくこの 人は良い人そうだな﹄って感じたらしいわよ。そういうものなのか 786 しらね?﹂ うーん、と視線を上げて考えているディアナにはそういう経験はま だないらしい。 誰かに何気なく惹かれてしまう。その何気ない瞬間を﹃恋に落ちる﹄ と呼ぶのだと思う。 ガタンと馬車が跳ね、ガクンとガーウェンの頭が揺れた。 ﹁ん・・・﹂ ﹁ガーウェン、おはよ。もうすぐ着くって﹂ ﹁んー・・・はよー・・・﹂ 寝ぼけているのかガーウェンはぼんやりと返事をし、私の頭にすり すりと猫のように擦り寄って来た。 いつもベッドの上でも寝起きはこんな感じだ。 ﹁リキ、いい匂いする﹂ ﹁・・・んっ・・・﹂ 髪をくんくん嗅ぎながら囁き、耳を甘噛みしてくるガーウェン。猫 ではなく犬だったか。 ﹁・・・ガウィ兄さん!﹂ ﹁っ!﹂ ディアナの鋭い呼び掛けにガーウェンは跳び起きた。 半眼で兄を睨み付け、ディアナが低い声を出す。 ﹁私も居るから﹂ ﹁す、すまん!その、寝ぼけててつい﹂ いつもの癖で、とガーウェンは真っ赤になりながら言い訳というよ り墓穴を掘るような事をディアナに向けて必死に言っていた。 ﹁まったく妹の面前で!ガウィ兄さんのそんな様子、みんなが見た ら絶対驚くわ!﹂ 腕を組んで憤慨している妹に、ガーウェンはしょぼんと落ち込んで 再び﹁すまん﹂と呟いた。 787 ****** 馬車は町の入り口付近で停まった。停留所というわけではないが、 だいたいここで停まるようだ。 ﹁家まで歩くけどいい?と言っても近いから大丈夫よ。あと不快に 思わないでね。町の人達は警戒心が強いのよ﹂ ディアナが嫌そうな顔をしながら言った意味はすぐに分かった。 ガーランド男爵邸までの道中、私達は町人達の奇異の視線に晒され たのだ。まぁ、主に黒髪黒瞳の私だが。 私自身は害にならなければ視線など特に気にならないのだが、ガー ウェンが過剰に反応して段々と不機嫌になっていった。つられたの かディアナもムッとした顔付きをしている。 ﹁本当に田舎って嫌ね。自分達の常識外の事には否定的なんだから﹂ ﹁まぁ気にするな。ソーリュートだって初対面じゃこんな感じだ。 それに申し訳ないんだが、2人がそんな恐い顔をしてるから余計に 引いてるんじゃないか?﹂ 不機嫌そうな2人の顔はよく似ていた。笑ったり怒ったり、感情的 な顔がガーウェンとディアナは似ている。 似た者兄妹にクスクス笑うと、2人とも不服そうに唇を尖らせた。 ﹁私は気にしないよ。ちゃんと認めてくれてる人達が側にいるから ね﹂ ガーウェンとディアナの間に入り、手を取るとはにかむように笑っ てくれた。 ﹁まぁ、リキがそういうならいいわ﹂ ﹁そうだな。お前の側には俺がいるからな﹂ 788 ﹁ちょっと!私も居るから!一人の手柄にしないで!﹂ 剣呑さが和らいだのは一瞬で、今度はなぜかガーウェンとディアナ の言い合いになってしまった。 君達がそんな感じだから遠巻きに見られてるんだけど! ガーランド男爵邸はこじんまりとしており、クリスの研究所、緑の 館ほどの大きさだった。所々、外壁にひび割れがあり、年季が伺え る。 前庭は手入れされているものの華やかさはなく、質素なものだった。 ﹁補助金も公共施設の改修や修繕に充てられるからかつかつなのよ﹂ とディアナは自嘲気味に呟く。 玄関に近付くと扉が開いた。 中から老齢の男性が現れ、私達を見て深く礼をする。 ﹁お帰りなさいませ。ガーウェン様。ディアナお嬢様﹂ ﹁ただいま・・・お父様達は?﹂ ﹁旦那様とコルト様は先日の大雨で流された橋の再建作業の視察に お出でです。奥様達は今、その・・・奥庭に﹂ 尋ねたディアナを真っ直ぐに見て答える男性の表情は冴えない。 ﹁どうしたんだ?・・・あ、執事のフーベルだ。フーベル、俺の妻 のリキだ﹂ ﹁初めまして、リキです。しばらくお世話になります﹂ 礼をして自己紹介をすると、フーベルは更に目元のシワを深くして 柔和な笑みを浮かべた。 ﹁トミーから聞いておりました。リキ様ようこそいらっしゃいまし た。執事のフーベルでございます﹂ 後ろに撫でつけられた白髪混じりの頭髪と歳相応のシワが刻まれた 顔のフーベルだが、背筋はピンッと伸びており、深々とした礼は指 の先まで洗練されていた。 789 ちなみにトミーは私達より先に男爵邸へ戻り、ディアナの無事とガ ーウェンと私の来訪を伝えてくれていた。 ﹁それでグロリア・・・母がどうかしたのか?﹂ ﹁いえ奥様ではなく、ダニエル様が・・・﹂ とフーベルは困り顔を見せた。 ****** ﹁うわああああ!!助けてぇぇぇ!!﹂ 奥庭は前庭より更に質素であった。その中に大木が二本並んで立っ ており、その一本のだいぶ高い位置の枝に子供がしがみ付いていた。 大声で泣き叫び、助けを呼んでいる。 ﹁アイツまたやったのか・・・﹂ ﹁本当、懲りないわね!﹂ ガーウェンとディアナの呆れた言い方にあの子供のこの騒ぎが常習 だと知る。 ﹁ダニエル!いま梯子を持ってきてもらってるわ!もう少し辛抱し て!﹂ 木の下には人が集まっており、騒然としていた。 ﹁今回は随分と高い。奥様、梯子じゃ届かないかもしれません﹂ ﹁梯子を掛けて、その先は身軽な者に向かわせましょう。トミーを 呼んできて﹂ ﹁はい!﹂ 奥様と呼ばれた女性が振り返り、私達を見つけた。パァッと弾ける ように笑顔になった女性がこちらへ歩いてくる。 790 ガーウェンの母親のはずだが、随分と若く、40代前半に見える。 ﹁ああ!ガーウェン!出迎えに行けなくてごめんなさい!﹂ ﹁いや、いいんだ。先にダニエルを何とかしよう。・・・リキ、頼 めるか?﹂ ガーウェンの影に隠れていた︵訳ではなく見えてなかっただけ︶私 ひと が前に進み出ると、女性は手を口に当てて﹁あらあらまぁ﹂と上品 に驚いた。 何だか可愛らしい印象の女性だなぁ。 彼女に軽く礼をして、手を一つ打ち鳴らした。 私は完全無詠唱で魔法を使用出来るが、こうして手や指を鳴らすの は、﹁今から魔法を使いますよー﹂と自分自身に意識させる事で魔 法の形成をしやすくするためだ。 すぐに地上からダニエルがしがみ付く枝の近くまで虹色に輝く階段 が出来あがる。 お義母さまだけじゃなくその場にいた人達からどよめきが起こった。 ﹁リ、リキ!すごい!これリキがやったの?!﹂ と私に詰め寄って来るのは興奮して頰を上気させたディアナである。 ﹁そうだよ。私は魔法士なんだ﹂ ﹁教えて!どんな魔法なの?!私にも出来る?!﹂ あれ、ディアナって魔法に興味あるの?魔力量的には日常魔法を使 用出来るぐらいだけど。 ﹁お前には無理だ。リキは特別優秀なんだよ。ダニエル!その階段 で降りてこい!﹂ ガーウェンが私を守るように腕で囲い、ディアナから引き離すと、 大声で樹上に呼びかけた。 ﹁うわぁぁぁ・・・あれ、ガウィ兄さん!来てたの?!階段?あれ ?!なにこれ!すごいかっこいい!これで降りるの?できない!き らきらしてる!こわい!﹂ 791 ダニエルの顔面は涙と鼻水だらけである。恐怖の中で突然現れたガ ーウェンと虹色の階段に混乱が加速したようだ。 ﹁大丈夫だ、出来る!冒険者になるなら階段を降りるぐらい簡単だ ろ!﹂ できない!、出来る!と何度も繰り返しているとディアナが焦れた ように叫んだ。 ﹁出来ないならそこに居たら?!お土産のお菓子はみんなで食べる から!!﹂ そこからは早かった。 えぐえぐ泣きながら、できない、こわい、と繰り返すダニエルだが、 ちゃんと一歩づつ階段を降りてきた。地面に近くなると、泣いてい るものの何も言わなくなった。 お菓子とはどこの世界でも子供への強力な後押しであるらしい。 ﹁ダニエル!今度という今度は許しませんよ!お父様に言いつけま すから!着替えをして手を洗ってきなさい!﹂ ﹁うわあああああ!!お父様に言わないでぇぇぇぇ!!﹂ 泣き喚くダニエルは恰幅の良いメイドに半ば引き摺られるように邸 宅内へ連れて行かれた。 徐々に小さくなる悲壮感漂う叫び声に苦笑する。 ﹁ごめんなさい。ご挨拶も無く、お恥ずかしい所を見せてしまって﹂ お義母さまは小さくため息をつき、頭を振った。 わたくし 心労お察しします。 ﹁改めて。私はグロリア・ガーランド。ガーウェンの母です。よう こそいらっしゃいました、リキさん﹂ 赤毛の混じるブロンドや濃い緑色の瞳はガーウェンには見られない が、笑うと目元が良く似ていて、血の繋がりを感じる。 ﹁リキです。お目にかかれて光栄です、お義母さま﹂ 深く礼をして顔を上げると、肩を抱かれた。見上げればガーウェン が少し照れた顔をしている。 792 ﹁グロリア、報告が遅くなって悪かった。彼女が俺の妻だ﹂ ﹁本当よ、ガーウェン。トミーから貴方が結婚した聞いた時は心底 驚いたわよ!それがこんな可愛らしい女の子だなんて、更に驚きだ わ!﹂ 上から下までキョロキョロと見つめられたが、ニコニコとした好意 的な視線であったのでホッとした。 ﹁あら、お母様。リキはベラ姉さんと同い年よ﹂ なぜかディアナが得意気に鼻を鳴らす。 ﹁あらあらまぁ!﹂ とグロリアはやはり上品に口に手を当てて驚いた。 793 女子、家族に挨拶に行く 2︵前書き︶ リキの冒険者ランクは地道に上がっています。 794 女子、家族に挨拶に行く 2 ﹁ベルハルト・ガーランドだ。歓迎する﹂ と低い声で言ったガーランド男爵は、私を見て目を少し細めただけ であとは表情を変化させなかった。 一緒に挨拶を交わした次男のコルトはやたらと男爵と似てる顔で同 じように無表情だった。 ガーランド男爵は40代、コルトは20代前半である。 夕飯に誘われ、ガーランド一家と食卓を囲む事になった。次男以降 の子供達はガーランド男爵の髪色が遺伝しているのか明暗はあるも のの皆、オレンジ色の髪だった。 上座にガーランド男爵、右側にニコニコしたグロリアとダニエル、 左側にコルトと妻のエメラルダ、息子のショーン、ベラ、ディアナ と並び、ガーウェンと私はガーランド男爵の正面に着席した。 ﹁二人にはたくさんのお土産を貰いましたよ﹂ とグロリアが和かにガーランド男爵に話掛ける。男爵は無表情のま まそれに頷き、 ﹁有難く頂こう。感謝する。ソーリュートではディアナが大分迷惑 を掛けたようで済まなかった﹂ とガーウェンに視線を向けた。 ﹁いや、大丈夫です。リキもディアナとすぐに打ち解けましたから﹂ こ ガーウェンは若干、緊張しているようだが、私と目が合うと照れた 様な微笑が浮かべた。 ﹁ディアナは聡明で兄思いの良い娘でしたので、私もすぐに意気投 合致しました﹂ ガーランド男爵ににっこりと笑顔を向けるとやはり目を少し細めた 795 だけで表情は変わらい。しかしガーランド男爵からは否定的な感情 は感じられなかった。 ﹁リキさんは冒険者と聞きましたが、冒険者ランクは?﹂ その表情と同じ、淡々とした声音でコルトが尋ねてきた。 ﹁ランクはCです﹂ ﹁ランクCというと下位ランクと比べると段違いに命の危険が伴う なだ 依頼が多くなると聞きます。その割には実入りが少ないとも。貴女 はとても大丈夫そうには見えないのですが﹂ ﹁コルト兄さん!何その言い方!リキに失礼よ!﹂ ﹁ディ、ディアナちゃん、落ち着いて﹂ 憤慨して、コルトに食って掛かるディアナをベラがおろおろと宥め る。 ﹁言い方?何か可笑しかったか?﹂ ﹁最っ低!だから兄さんは無神経だって言うのよ!﹂ 心底意味が分からないという様子のコルトにディアナはますます怒 り、吐き捨てるように言う。険悪な二人をベラとエメラルダがハラ ハラとした様子で見て、困った顔を浮かべた。 ﹁落ち着け、ディアナ。リキが驚いてる。それにリキは大丈夫っつ ーか、大丈夫どころじゃなくて・・・﹂ ガーウェンは苦笑して頭を掻いた。 お気に入り だからな﹂ ﹁リキはランクはまだ低いけど、実力は上位なんだ。なんせ﹃銀の 魔女巫女﹄と﹃拳聖﹄の弟子で、奴等の ﹁えええっ!?リキが?!嘘っ!﹂ とディアナが驚愕の声を上げた。 コルトの言い方を責める割に、ディアナも大概失礼だと思うのだが。 ﹁そのお二人は有名な冒険者さんよね?凄いのねぇ。鹿とか猪も捕 まえられるの?﹂ ﹁冒険者はそんなの簡単だよ!他にも魔獣とか色々やっつけるんだ よ!﹂ 796 ニコニコのほほんとした賞賛をするグロリアにダニエルが興奮して あれこれ言っている。内容は戦隊モノに憧れる小学生と大差ない。 ﹁だってリキはギルド食堂でアルバイトしてたじゃない!あの二人 の弟子っていうならネームバリューだけで生活できるわよ!﹂ ﹁そうなのか?あまり良い思いをした事はないなぁ。あとギルド食 堂は楽しいから手伝ってるだけだよ﹂ リキ、あなたってオカシイわよ・・・と呆れてディアナが肩を落と ひっぱく した。ブツブツ呟いている言葉を聞くに、どうやら私が働いている 事で我が家の家計が逼迫していると勘違いした彼女は、それを助け るためにソーリュートで働くというストーリーで家族の説得を試み るつもりだったらしい。 ﹁リキは今、冒険者も本業じゃねぇんだよ。魔道具の研究開発がリ キの主な仕事なんだ。それで国王陛下認定魔術師の称号を貰ったん だぜ!﹂ 驚く家族に、ふふんと鼻を鳴らし、自分の事のように自慢を披露す るガーウェン。微笑ましい。 でもね、ガーウェン。簡易転移魔道具の事は国家機密だし、私が認 定魔術師なのも秘密にしておいた方が良いと言われていただろう? と考えつつも、﹁俺の妻はすげぇだろ!﹂と言わんばかりの顔がも のすごい可愛かったので暫く見守る事にした。 ﹁﹃銀の魔女巫女﹄と﹃拳聖﹄の弟子で、国王陛下認定魔術師なの になんでガーウェン兄さんなんかと結婚したんですか?﹂ ﹁あ、あなたっ!そんな言い方!﹂ 遠慮のない問いを言うコルトの袖をエメラルダが慌てて引く。やは りそれにもコルトは何か問題が?という顔をしているので、配慮に 欠けた言い方も他意はないのだろうと思う。 ﹁大丈夫です、気にしてませんよ。それらの称号は全てガーウェン に見合うように努力をした結果、得たものです。ガーウェンのおか 797 げで今の私がいるのですから、ガーウェンに尽くしたいと思うのは 必然かと思います﹂ 過言ではない。ガーウェンの存在が、私がこの世界にいる理由であ るのだ。 ﹁お、俺は何もしてねぇよ・・・。お前が優秀だっただけだ。そ、 それに俺の方こそお前のおかげで、今がある、んだし・・・﹂ 俯いてボソボソと呟く耳まで赤く染めたガーウェンに顔がでろでろ に緩んでいく。 なんて可愛さだ。ご両親の目の前じゃなかったら至る所をペロペロ したい程の可愛さだ。 ﹁ガーウェン兄さんは女性にはそんな風になるんですか﹂ ﹁あらあら。コルトったらこういう時は見て見ぬ振りをするのよ﹂ ﹁この二人はずっとこんな感じなのよ?鬱陶しくて仕方ないわよ!﹂ ﹁ま、まぁディアナちゃん。仲が良いってことだから・・・見てる こちらは少し照れてしまうけど・・・﹂ ﹁ねぇ、にんてい魔術師って強い?ガウィ兄さんとどっちが強いの ?﹂ 賑やかな食卓でガーランド男爵は無口で相変わらず無表情だった。 しかし騒がしい家族の会話の時々に見せる目を細める仕草が彼なり にこの場を楽しんでいるようだと感じる。 ふとガーランド男爵と目が合った。ジッと私を見つめ、深く頷く。 そしてガーウェンもジッと見つめ、それから口の端を少し持ち上げ た。 嬉しい、すごく。心からそう思った。 それぞれ個性的な表現でガーウェンの家族は私達の事を祝福してく れたのだった。 798 ****** ガーウェンの器用な指が私の髪を編んでいく。 最近、私がガーウェンに世話を焼くみたいにガーウェンも私に世話 を焼くようになった。寝る前に髪をまとめてくれるのもその一つで ある。 ﹁ふふふっ!すごく楽しかったな!﹂ 寝支度が整った今でさえ、賑やかで楽しかった食卓の余韻が残って いて時折笑いが込み上げてきた。 ﹁良かった。お前が本当に楽しそうで連れて来て良かったって思う﹂ 髪の端に綺麗にリボンを結びながらガーウェンも笑う。出来上がり やうやう 後には抱き上げられ、座っていた鏡台の前からベッドへ連れていか れた。 優しく横たえられ、額にキスされる。なんだかガーウェンの恭しさ はくすぐったい気持ちになるな。 部屋の灯りを落として、ガーウェンが隣にやってきた。 ﹁ガーウェンの家族は結構個性的な面々だよな﹂ ﹁そうか?ソーリュートにいる奴らと比べたら普通だろ﹂ いつものように腕枕をして、背中から私を抱き込んだガーウェンの 手を取り、指同士を絡め繋ぐ。 ﹁比べる相手が間違ってるよ﹂ ﹁そりゃそうか﹂ ガーウェンの身体とぴったりくっ付いている背中に笑う振動が伝わ ってきた。 ﹁ガーウェンはやっぱり冒険者になりたくて家を出たのか?﹂ ﹁ん・・・まぁ、それもあるけど・・・﹂ 何気なく聞いた質問にガーウェンは歯切れ悪く答えた。絡んだ指に 799 ほんの少し力が籠ったのを感じ振り返ろうとしたが、抱え直されて 出来なかった。 暫くして頭の後ろで静かな声がした。 ﹁・・・・・・グロリアが俺を産んだのは12歳の時だ﹂ 若い時に産んだとは聞いていたが、まだ子供じゃないかと驚く。 ﹁相手の野郎については詳しく聞いた事はねぇけど、子供に子供を 孕ませるくらいだからクズ野郎なんだと思う・・・・・・俺は、俺 の姿はそいつによく似てるらしい﹂ と言ったガーウェンの声は苦しさで満ちていた。 ガーウェンがよく見せる自己否定や自信の無さはそういう事情も関 係しているのかもしれない。 きょうだい 私は以前聞いた話からガーランド男爵とは再婚したものだと思い込 んでいたが、グロリアは未婚の母だったようだ。 ﹁親子だと言うと変な目で見られる事も多かったから姉弟のふりし て暮らしてたけど、ずっと思ってた。俺が側にいるからグロリアは 幸せになれないんじゃないか、苦しい思いをするんじゃないかって﹂ ガーウェンの腕を抱き締めた。本当は振り向いてガーウェンの全部 を抱き締めたかったけど、振り向けなかった。 まだ私を抱く腕の力は強かったのだ。 ﹁でもそう言うとグロリアにボコボコにされるし、たった二人きり の家族だから俺がグロリアを守らなきゃなんねぇしで、そのうちそ んな事も言えなくなったけど﹂ ガーウェンの声が私の身体に響いてくる。その優しい響きに何故か 涙が出そうになった。 ﹁そんでグロリアがベルハルトさんと結婚して、コルトとベラが生 まれて、それでなんつーか、その・・・一息付けたっていうか、肩 の荷が下りたっていうか。グロリアは俺とは違う真っ当な人が守る し、ちゃんとした家族がいるからもう大丈夫だって思えた﹂ ガーウェンの声音は穏やかで憂いを感じないが、もう駄目だった。 800 よじ 力付くで身を捩って、振り返り、驚いた顔をするガーウェンを胸に 抱き込んだ。 ﹁・・・そんな風に言うなよ。私の好きな人の事、そんな風に言う な。例え本人でも﹂ ガーウェンが自分の事を真っ当じゃないと思っているのか、と胸が 苦しくなる。ガーウェンが自分を貶めたり、否定したりする言葉を 言うと辛くてどうしようもなくなる。 ﹁謙虚は良いけど、頼むから卑下はしないでくれ﹂ ぎゅうと力一杯込めて抱き締めると、ガーウェンの腕が背に回り、 同じように抱き締め返された。 ﹁・・・すまん。俺の悪いとこだな﹂ とガーウェンのくぐもった謝罪が聞こえるが、その声には笑いが含 まれている。 何、笑ってんだ。私は真面目だぞ。 睨むようにガーウェンの顔を覗けば、プッと吹き出された。 ﹁お前はいつも俺に本気だよな﹂ ﹁・・・当たり前だろ﹂ ﹁昔は自分が嫌いでダメな奴だと思ってた事もあったけど、もうそ んな事ねぇよ。特に最近は﹂ 再びぎゅうっと強く抱き締められた。あまりに強かったので﹁ぐぇ っ﹂と変な声が出た私に、ガーウェンはクスッと笑った。 ﹁リキが俺の全部を余す所なく愛してくれるだろ。俺の全部を認め てくれるから、自分の事も、家を出て冒険者になった事も色々全部 良かったって思うようになったんだよ﹂ 唇に優しいキスをされる。ガーウェンは目を細めて幸せそうな顔を していた。 ﹁それに家を出た時は俺が居なくてもいいって気持ちもあったけど、 それよりも貴族の生活が合わなくて自分一人でやってみたいって気 持ちが大きくてな﹂ 801 そうか、家族関係に遠慮して家を出た訳じゃないのか。よかった、 とガーウェンの髪を梳くように撫でる。 ﹁まぁ、色々苦労もしたけど、ソーリュートで冒険者になって良か ったと思ってる。お前に逢えたし。もしかして今までの全部がお前 に逢うためだったんじゃないか・・・って今のなし!何言ってんだ 俺!ばかかッ!﹂ 薄暗い部屋の中でも分かるほど赤く染まったガーウェンが﹁忘れろ﹂ と恐い顔して、迫ってきた。 そう言われても忘れてやれない。 私も今までの人生が全てガーウェンに逢うためだったんじゃないか って、運命だったんじゃないかって柄にもなく本気で思っているの だ。 ﹁私もガーウェンと出逢えたこと、運命だと思ってるよ﹂ と言うと、私の愛しい人は小さな声で、 ﹁リキは俺の﹃運命の人﹄だな﹂ と嬉しそうに囁いた。 802 女子、家族に挨拶に行く 3 腕の中のリキが身動ぎしたのを感じて、薄く目を開けるとリキは起 き上がろうとしていた。 感覚では時刻は夜明け前だと思う。 ﹁・・・まだ早ぇんじゃねぇのか?﹂ 朝食を準備する必要もないのだからと、リキを抱え直し、身を起こ すのを阻止する。 ﹁あー、なんかいつもの癖で﹂ とリキが苦笑する気配がする。 習慣というのは多少環境が変わっても、そのままであるらしい。 服を纏ってないリキの身体を撫でる。柔らかくて滑らかな肌が気持 ちいい。 ﹁もう少しゆっくりしよーぜ﹂ 露わになってる肩にキスを落とすと、リキからクスクスと笑い声が 上がった。 ﹁ゆっくり、ねぇ。ふふっ﹂ 含んだ言い方は、たぶんリキの太もも辺りに当たってる朝から元気 な俺のアレの事を指してる。恥ずかしくて情けないが、毎朝の事な のでそっとしておいてくれるとありがたい。 ごそごそとリキが身動ぎして振り向いた。 を交わした。 俺を見てふわっと笑ったリキに、今日も朝から可愛いなぁなんて思 ったのは内緒にしておこう。 おはようのチュー ﹁おはよう、ガーウェン﹂ ﹁おう、おはよ﹂ とリキといつも通りに 803 ****** してから、着替えて外へ出ようとすると ﹁おはようございます。ガーウェン様、リキ様。今からお出掛けで ちょっと仲良く ございますか?﹂ リキと フーベルがいた。確かに日の出にはもう少しあるし、起きているの は使用人ぐらいだから疑問も頷ける。 ﹁おはようございます、フーベルさん﹂ ﹁おはよう。リキと少し身体を動かしてくる﹂ ﹁左様でございますか。行ってらっしゃいませ﹂ 行ってきますとフーベルに手を振るリキと共に、東の空が白み始め た町を走り出した。 前を走るリキの結った黒髪が馬の尻尾のように揺れる。背筋が伸び た綺麗な姿勢は長く走る為の適切なフォームであるらしい。 町は人々が徐々に起き出しているようだった。 ソーリュートはいつもどこかで誰かが騒いでいるから、まだ起き抜 けのぼんやりしているような町には珍しさがある。 魔道具による灯りがまだ少ないこの町は日の出と一緒に活動し始め るのだ。 普段怠けている訳ではないが、身体を鍛え直そうと思ったのはリキ に魔力付与とスキル付加をしてもらう機会が多くなってきたからだ。 新しい戦い方に対応するにはそれなりに身体を作らなければならな い。 と建前はこんな感じだが、本音はリキとこうして走ったり、訓練し 804 たりするのが楽しいからに他ならない。 ﹁ガーウェン見て!日の出!﹂ リキが振り返って叫んだ。細い指が指差した先、山際から光が溢れ 出て、町中を照らし満たしていく。 隣に立ち、光に包まれるリキを見つめた。 ﹁・・・きれい﹂ うっとりと笑みを浮かべる白い頰が、朝日を映して煌めく瞳が、揺 れて艶めく黒髪が、見慣れたいつもの光景を特別なものにしてくれ る。 ﹁ねぇ、ガーウェン。キスしよう﹂ リキが俺の服を掴んで背伸びをし、顔を寄せてきた。リキはこんな 風にふとした瞬間をかけがえのないひとときに変えてくれるのだっ た。 ****** リキの基本戦闘は短剣による二刀流が主である。 右手の大振りのダガーで攻撃、左手の逆手に持ったダガーで防御と 遊撃、そして体格によるリーチの短さをカバーする為の俊敏さと手 数の多さが基本にある。 たてみ かす 立身の姿勢からリキの胴に向け、木剣を薙ぐ。遠慮はしなかった。 風を斬る音はしたが、当たりも擦りもせず、リキの気配が一瞬消え る。 視界の端に地面を這うように身を沈めて剣筋を躱したリキの姿がチ ラリと見え、次の瞬間、木剣を持つ俺の右手首を狙い、ダガーが振 805 り上げられた。 だが読めている。 手首を捻って剣柄でガードする。 リキの一撃は正確に手首を狙っていた。今は模擬剣だが、真剣だっ たら手首を落とされるほどの威力がある。しかし攻撃が俺に当たる 手前でスピードが緩んだ。 ガッ!と鈍い音と衝撃が起こるとリキの身体が一瞬固まった。 その一瞬は命取りである。 リキの腕を掴み、力付くで引き寄せ、バランスを崩したリキをその まま腕の中に閉じ込めた。 ﹁ほら、また捕まえたぞ﹂ ニヤリと笑ってリキを見下ろせば、困ったような苦笑を見せた。 ﹁やっぱりガーウェンには敵わないなぁ﹂ ﹁敵わないんじゃねぇだろ。躊躇っちまうんだろ﹂ リキの魔法を含めた戦闘能力はこの国でもトップに入る。しかしリ キは俺に勝てた事は一度もない。 どうやらリキは俺相手だと無意識に身体が反応してしまうらしいの だ。攻撃が当たる直前には躊躇い、攻撃が当たれば狼狽えてしまう。 ﹁俺の姿を写した魔物や俺自身が操られてお前に向かって来たらど うすんだよ。手加減してたら命が危ねぇぞ?﹂ ﹁そうなんだけど・・・﹂ だな。今日はおしまいにして朝飯でも とリキは珍しく落ち込んでいた。色々試しているが、どうしようも 習うより慣れよ ないらしい。 ﹁まぁ、 食おう﹂ 慰めるようにリキの髪を掻き混ぜた。 町を準備運動がてら軽く走って、朝食が出来るまでの間、奥庭でリ キと模擬戦を行った。途中、起きてきた家族に驚かれたり、呆れら 806 れたり、憧れられたり︵ダニエルにだけ︶して、今はグロリアが腰 に手を当て恐い顔して立っていた。 ﹁いい加減にしなさい、二人とも。みんな待ってるのよ﹂ ガーウェン 夢中になっていたので気付かなかったが、朝食はすでに用意出来て いたようだ。 ﹁すみません!今行きます!﹂ ﹁リキちゃんは先に行っていてちょうだい。私は馬鹿息子に小言を 言ってからにするわ﹂ ひどく慌てるリキにグロリアが恐ろしい笑顔を見せる。あの顔はや ばい、と冷や汗が背を伝った。 ﹁はい・・・﹂ 心配そうに俺を見ながら、しかしグロリアの言葉には従うしかない ようで、リキは駆けて行った。 ﹁ガーウェン﹂ ﹁は、はいっ﹂ 名を呼ぶグロリアの声に反射的に直立不動で返事を返した。ガキの 頃からの癖だ。 ジッと睨み付けてくるグロリアは当たり前だが、俺より弱いが勝て る気がしない。 ﹁あなたね、妻を実家に連れて来てまで何しているの。少しは周り の事も考えなさい﹂ ﹁す、すみません。楽しくてつい・・・﹂ ﹁はぁ・・・。それは見てれば分かります。あなた達が似た者夫婦 だって事もね﹂ こ 呆れたように深くため息をついたグロリアの言葉に場違いだと思っ てもニヤついてしまった。 ﹁似た者夫婦・・・﹂ こ ﹁あなたに合わせて、あんなに楽しんでくれる娘はいないわ。良い 娘と出会ったわね、ガーウェン﹂ 807 ﹁・・・おう﹂ この歳になって面と向かって母親に褒められるのはかなり照れる。 それにリキの事を褒めてくれたのも嬉しさと気恥ずかしさを感じる。 叱られていた事も忘れ、ヘラッとだらしない笑顔が出てしまった。 ﹁・・・家に戻ってくるつもりはない?﹂ グロリアの呟きは独り言のようで、俺に向けられたものだと気付け なかった。しかしグロリアの視線はいやに真剣に俺を見ていて何も してないはずだが、狼狽えてしまう。・・・何もしてないはずだよ な? ﹁・・・・・・なんだって?﹂ ﹁ガーウェン、あなた、リキちゃんとこの家に戻ってくるつもりは ないの?﹂ ﹁・・・・・・なんでだよ?﹂ ﹁何でって・・・﹂ はぁ、とグロリアが深いため息をついて肩を落とした。 ﹁リキちゃんは家族と生き別れてしまったんでしょう?私達は家族 になったんだから、知り合いのいないソーリュートより安心出来る んじゃないかと思うの。それに今後、出産や子育てをする時にはこ この方が環境が良いでしょう﹂ ちゃんと考えてるの?と責めるように言われ、口籠った。 確かにここの環境はソーリュートに比べたら出産や子育てに向いて るかもしれないが、だからってそれは俺だけで決める事じゃないだ ろう。 家族は喜んでリキを受け入れてくれるだろうが、リキはどう思うか と考えて、何となくだが俺と同じ意見なんじゃないかと思った。 ﹁戻って来る気はねぇよ﹂ ﹁もう、頑固ねぇ。あなたがここの生活を好いてないのは分かって いるけど・・・﹂ ﹁違う。そういうんじゃなくて﹂ 808 俺がこの家を出た理由を持ち出され、苦笑する。 ﹁確かに貴族の生活は合わねぇけど。そうじゃなくて、俺達はもう ソーリュートで生活が確立してるって言うか、なんつーか・・・﹂ 上手い言葉を探していると、ふと浮かんだ言葉があった。 ﹁もうソーリュートが俺達の﹃家﹄なんだよ。仕事もあるし、友人 もいるし。まだそんなたくさんの思い出はねぇけど、リキにとって はソーリュートが第二の﹃故郷﹄なんだ﹂ ﹃ただいま﹄ と泣き出しそうな顔で笑って見せたリキ。 あの家が俺達の、俺とリキの帰る場所だ。 ﹁リキはソーリュートでの生活を大事に思ってる。リキが大事にし すす てる事は俺も大事にしてぇって思う・・・っておい!どうした?!﹂ グスッと鼻を啜る音がしたので見ると、なぜかグロリアが涙ぐんで いた。 ﹁ガーウェン、あなた、成長したわね・・・っ﹂ 30過ぎのおっさん捕まえて﹁成長したわね﹂はねぇだろ。 最近涙脆いのよね、歳かしら、とハンカチで目元を押さえるグロリ アだが、昔から涙脆っただろと呆れた。 ふと、ベルハルトと初めて会った時の事を思い出した。 ひと 律儀にも俺にグロリアに結婚の申し込みをしたいと言いにきたベル ハルトに﹁なぜグロリアと結婚するのか﹂と聞いた。 ﹁彼女が私の助けなどなくても生きていけるほど強い女性なのは知 っている。だが、守りたいんだ。側にいて守ってやりたいと思う。 だから結婚を申し込みたい﹂ 真っ直ぐに俺と視線を合わせる無表情なベルハルトに﹁強いなら守 る必要なんてねぇだろ﹂と思った。 だが、今ならその言葉がよく分かる。 リキも俺を必要としないほど強く揺るがない心を持ってる。でも守 809 りたいと思う。守ってやりたいと心の底からそう思う。 ﹁グロリアは良い人と結婚したんだな﹂ リキと結婚した今だから改めてそう感じた。 ﹁な、なに、何で私を、泣かすような事ばかり言うのっ﹂ 収まってきたはずの涙がまた溢れてきたのかハンカチで目元を隠し ている。 母親を泣かせているのだが、良い事をしたような気分になった。 ﹁あー!ガウィ兄さんがお母様を泣かせてる!﹂ 俺とグロリアが遅いから迎えが来たようだ。 しかし一番、面倒な奴に見つかってしまったと苦笑が漏れた。 810 女子、家族に挨拶に行く 4︵前書き︶ あと一話か二話でお家に帰りますので、もう少しお付き合い下さい。 811 女子、家族に挨拶に行く 4 ﹁リキさんは手先が器用なのね﹂ 私の編んだレースを見てベラが感心の声を上げる。 ﹁依頼先で知り合ったおばあさんに教えて貰ったんだ﹂ 冒険者ランクFの時、子守りの依頼を受けた事があり、その家のお ばあさんに教えて貰ったのだ。その後もたまに訪ねて、レース編み を指南頂いている。 ﹁私は何をやっても不器用だから羨ましいわ。何か一つでも得意な 事があればセルジョの役に立てるのだけど・・・﹂ とベラは悲しそうに眉を下げた。 セルジョとは行商を営んでいるベラの夫である。大商店の三男で、 現代で言うところの専務の立場だそうだが、行商が好きで今も大陸 中を回っているらしい。 今回はこの町の近くを回る為、ちょうど良いからとベラに実家に帰 る事をセルジョが勧めたそうだ。 ﹁お店のお仕事をお義父様達とするのは好きなのだけど、セルジョ と離れるのはやっぱり寂しくて・・・。でも仕方ないわ。私がいる とお仕事の邪魔だもの﹂ どうやらベラはセルジョが帰省を勧めたのは自分が役に立たないか らだと思っているようだ。 ﹁ベラはセルジョと行商の旅に行きたいのか?﹂ ﹁ええ、一緒に行きたいの。だけど、私のような役立たずが付いて 行ったら迷惑だから・・・﹂ ﹁行商するにはどんな事が必要なのかな?﹂ 行商は旅をしながら品物の売り買いする事だと思うが、ベラの言い 方では何か特別な能力が必要なのかもしれない。 しかしベラは首を傾げた。 812 ﹁資格とか免許とかが必要なのかと思ったんだけど。違うのか?﹂ ﹁えっと、そう言うのは必要ないと思う・・・そういえば行商に必 要な事はなにか考えたことなかったわ﹂ ﹁セルジョに聞いてみたらどうだ?﹃行商に着いていきたいんだけ ど、必要な能力はある?﹄って。それでその能力を訓練したらセル ジョの役に立つんじゃないか?﹂ と言うと、ベラは目を大きく開いて驚いた。口に手を当てて驚くの はグロリアと同じ癖である。 ﹁思いつかなかったわ・・・そうよね、セルジョに尋ねたら良かっ たのよね!﹂ 目からウロコと言わんばかりにベラの顔に輝く笑みが浮かんだ。 ﹁言葉を交わさなくても分かり合える関係は素晴らしいけど、自分 の気持ちを相手に伝える事を蔑ろにしたらいけないと思う。夫婦と いっても全く違う人同士なんだから、ちゃんと言葉に出して伝え合 うっていうのは大事な事なんだと思うんだ﹂ ﹁・・・リキさんは凄い・・・﹂ 感動したわ、と涙ぐんだ綺麗な瞳でそんな素直に褒められたら恥ず かしい。若干の後ろめたさを感じて苦笑しながら白状した。 ﹁と偉そうに言いながら、私もガーウェンとそれで喧嘩したことが あって・・・﹂ ﹁まぁ!リキさんとガーウェン兄さんが喧嘩なんてするの?﹂ ﹁ガーウェンに心配かけまいと何も言わなかった事が逆にガーウェ ンに心配をかけて、傷付ける結果になってしまって。それで喧嘩に・ ・・﹂ 傷付いて苦しんでいるガーウェンを思い出して、胸が苦しくなる。 こんなにガーウェンが傷付く事になるのなら、全部話せば良かった と後悔した。 ﹁あれから何でも話す事にしてる。二人に関わる事は尚更、ちゃん と﹂ ﹁そっか・・・うん、私も話してみるわ。二人の事だもの、ちゃん 813 とセルジョと話すわ﹂ 控えめに拳を握り、決意を込めてベラが大きく頷く。 それを微笑ましく見て、気の優しい女の子の強い意志に声援を送っ た。 ****** ﹁ガーウェン!﹂ 町人が集まっている中に頭一つ飛び出た赤銅色の髪を見つけて、嬉 しくて名を呼び大きく手を振った。 その拍子に昼食のお弁当を入れたバスケットを落としそうになり、 少し慌てる。 バスケットを抱え直して、それでも逸る気持ちで足は勝手に駆け出 した。 ﹁ガーウェン!﹂ からか ﹁そんな慌てんなよ。今、コケそうになってただろ﹂ ちゃんと見てたぞ、とニヤリと揶揄うように笑ってガーウェンは私 を抱き留めてくれた。 ﹁コケそうになってないよ。お弁当落としそうになっただけだよ﹂ ﹁もっとダメじゃねぇか!﹂ とガーウェンが吹き出して笑い出す。それに私も笑って、二人連れ 立っていつもの定位置に座った。 ガーウェンは今、大雨による増水で流された橋の再建作業を手伝っ ている。町にも屈強な男はいるものの、人手は多くあったほうがい いからだ。 814 私も魔法で補助出来るので是非手伝いたかったのだが、この町の風 習で橋を建てるのに女手があるのは良くないということで断られて しまった。 なので、毎日お昼にお弁当を持ってガーウェンを訪ねることで微力 ながら協力していた。 今日のお昼ご飯はハンバーガーである。 バンズの間に新鮮なトマトとスライス玉ねぎ、レタス、肉汁たっぷ りのパティを挟んだものだ。ソースはケチャップ風のトマトソース を作った。 私では片手で持てないほどの大きさのハンバーガーだが、ガーウェ ンはそれを片手で掴み大きな口を開けてがっついていた。 ﹁んぐ、んぐ、へふぁふぁふんふんんぐ﹂ 頰を膨らませてもぐもぐしながら、何やら言っている。会話の流れ からベラの事を言っていると思うのだが。 ﹁ふふふ、慌てなくていいよ。はい、お茶﹂ カップに用意していた薬草茶をガーウェンに手渡す。これはこの町 で常飲している水出しの薬草茶で、味は濃い緑茶のようである。 冷たいお茶で一気に流し込んで、ガーウェンは﹁ふー、うめぇ﹂と 幸せそうな一息を吐いた。そして先ほど聞き取れなかった言葉を再 び言った。 ﹁ベラは行商に行きたいのか?﹂ ﹁んー・・・行商に行きたいってよりもセルジョに着いて行きたい んだと思うよ﹂ ﹁そうか。でも意外だな、ベラがそう思ってたなんて。アイツは大 人しいし引っ込み思案な所があるから﹂ ガーウェンがもぐもぐしている姿は可愛くて大好きだ。他の事を考 えながら食べるからソースが服に垂れそうになっている。付かない ようにナプキンを広げて服に掛けてあげると、少し照れた顔をしつ つも何も言わず受け入れた。きっと﹁子供じゃねーのに﹂とか思っ 815 ているのだろう、可愛い。 ﹁ディアナはまだ拗ねてんのか?﹂ ﹁うん。だいぶ打ちのめされてるみたいで、部屋から出て来ないよ﹂ と苦笑を向けるとガーウェンは憂いを帯びたため息をついて、頭を 掻く。 ﹁拗ねて部屋に籠るディアナもディアナだが、コルトはもう少し言 い方っつーのがあっただろうに﹂ 彼は兄弟達に頭を悩ます兄の顔をした。 ディアナはソーリュートに行く事を諦めておらず、何度となく両親 を説得していた。両親がその必死さに絆されかかっていた所へ、コ ルトは現れた。 ﹁料理も掃除も刺繍もろくに出来なくて、家の仕事も町の仕事もほ とんど手伝いをしなかったディアナが就ける仕事って何があるんだ ?﹂ ﹁な、何その言い方!仕事は何だってあるわよ!何だってするつも りだし!﹂ ﹁この家にも仕事は何だってある。現にリキさんはお客様なのに自 分で仕事を探して働いているから。お前はいつも通り暇してたけど な﹂ ﹁そ、それは関係ないじゃない!﹂ ﹁父上と母上は優しいから口に出さないが、甘ったれのお前がここ ソーリュート から離れて暮らすなんて出来ないと思ってるよ。結局、若い女の馬 鹿の一つ覚えみたいに﹃都会で働いてる﹄っていう肩書きが欲しい だけなんだろ﹂ とど バンッとテーブルに手を叩きつけたディアナの瞳は悔しさで潤んで いる。それにいつもよりも冷ややかなコルトの声が容赦なく止めを 差した。 816 ﹁図星だからって物に当たるな。子供だな﹂ ディアナは泣きながら自分の部屋に駆け込んで、それから籠ったき りなのである。 ﹁あの時のコルトはわざとキツイ言い方してたように感じた﹂ ﹁ん、まぁ、珍しく熱くなってたな。コルトなりにディアナを心配 してるって事か。分かりづれぇけど﹂ ハンバーガーを食べ終わったガーウェンがひと伸びしてゴロリと寝 転がった。そして自然な流れで私の膝に頭を乗せる。 なんだコイツ可愛いな! ﹁俺は都会に憧れる気持ちが分かるからディアナを応援してやりて ぇんだけどなぁ。リキもこの町はつまんねぇだろ?﹂ と聞かれ、何と答えていいか分からず曖昧に笑みを作ることにした。 ﹁ここじゃお前は宝の持ち腐れだ。せっかくの才能を風習だの何だ ので発揮出来ないなんて馬鹿げてる﹂ ガーウェンは私が橋の手伝いを断られた事を根に持っているらしい。 ここでは性別で仕事が決まっていることが多い。狩猟や林業、大工 などは男の仕事で、家事や子育て、畑仕事、裁縫は女の仕事だ。 男爵邸でも何とか仕事を探して手伝っていたものの、多くの時間を 刺繍やレース編みで消化した。 ﹁橋も明日には完成するから、そしたら帰ろう。俺はお前が元気に 走り回ってんの見んのが好きみたいだ﹂ ﹁なんだそれは。私がお転婆みたいじゃないか﹂ 心外だ、とふざけて怒ってみせるとガーウェンが声を上げて笑った。 ﹁お転婆には変わりねぇだろ!早く帰ってお前と一緒に仕事がした いって事だよ﹂ ﹁むぅ・・・まぁ、私も早くガーウェンと仕事がしたいよ。見てる だけっていうのはもどかしいから﹂ 817 一緒に暮らさないかとグロリアから言われたとガーウェンに聞いた。 そこまで私を受け入れてくれる事を嬉しく思う反面、提案を喜ぶ事 は出来なかった。 ガーウェンには曖昧に誤魔化したが、やはりこの町はソーリュート とは全然違う。遠巻きに私を眺めるだけの町人達はまだいい。やり たい事、出来る事を風習だからと抑圧されるのが嫌だった。ガーウ ェンの手伝いも出来ない自分は歯痒い。 彼がグロリアの提案を断ったと聞いて正直、ホッとしたのは事実で ある。 ソーリュートの環境は私にとって尊いものだと改めて気付いたのだ。 そしてガーウェンはそれを私自身よりも分かってくれていた。 ガーウェンはソーリュートでの二人の生活を大事にしてくれている。 胸の奥が熱くなるほど嬉しい。 ﹁・・・私、ガーウェンと暮らすあの家がすごく好きみたい﹂ まるでずっと暮らしていたみたいにあの家での暮らしは私達にぴっ たりと合っている。 ﹁俺もだ。だから早く帰ろうぜ、俺達の家に﹂ 私の帰る場所。 私達の家。 ガーウェンが居てくれる場所。 ガーウェンが下から私の頰を撫でた。 ﹁なぁ、リキ・・・キスしてもいいか?﹂ 頰を染めながらも真剣な眼差しでガーウェンが見上げている。 ﹁もちろん﹂ 結界を展開し、周囲からの視線を遮って、瞼を閉じた。 すぐに唇に優しいキスがされ、直後、強く抱き締められた。 ﹁あー、早く帰りてぇ!リキと風呂に入りてぇし、リキの手料理が 818 食いてぇし・・・いっぱいリキを食いてぇ・・・﹂ かなり切実な熱のこもった願望に笑ってしまう。ガーウェンは家族 の手前、これでもイチャつくのを遠慮しているそうで色々溜まって きているらしい。 ﹁なぁ、リキ・・・もう一回・・・俺が頑張れるように・・・﹂ 耳まで赤く染めてガーウェンが私を窺う。 理由なんてなくてもしていいのに、と思うが、そういうガーウェン が好きだから、私は笑みをこぼした。 819 挿話 兄弟・姉妹︵前書き︶ 前半はベラとディアナ、後半はガーウェンとコルトのガーランド家 の兄弟達の会話です。 今話は長いです。申し訳ありません。 そしてこのエピソードも次話でラストで、家に帰ります。 820 挿話 兄弟・姉妹 図星だった。 コルトが言うように﹃都会で働いてる﹄という自分になりたかった だけだった。 だからソーリュートでなければならないという事ではない。他人が、 もっと言えばディアナと同年代の子が羨ましがってくれるような都 会であればどこでもよかったのだ。 ソーリュートにしたのは何だかんだ言いつつディアナに甘いガーウ ェンがいて、いざとなったら頼りに出来ると思ったからだ。 それがコルトに言わせれば﹃甘ったれ﹄の一部なのだろう、と暗い 自室のベッドの上でディアナは抱えた膝に顔を埋めた。 コンコン、と部屋の扉をノックする音がした。 ﹃ディアナちゃん。夕飯持ってきたの。入ってもいい?﹄ ディアナを窺い、気遣うような優しい声は姉のベラだ。 夕飯と聞いてディアナは部屋を見回す。日は完全に落ちて、部屋の 中は真っ暗だった。 一日中、部屋に籠ったままだった・・・ その事実に気付いて、やっぱり自分は兄が言ったようにまだ甘った れの子供なのだとディアナの瞳が再び潤んだ。 なだ ﹃ディアナちゃん。少しは食べた方がいいわ。ね?﹄ 宥めるベラの声に落ち込みかけた気持ちを何とか持ち上げ、扉を開 ける。 ﹁・・・・・・少しなら食べる・・・﹂ ﹁うん、一緒に食べよう﹂ 眉尻が下がりホッとした、どこか泣き出しそうなベラの笑みにまた 家族に心配を掛けたのだと、自己嫌悪が湧いた。 821 ベラが淹れてくれた紅茶のいい匂いが部屋に漂い、ディアナの気分 を和らげてくれた。 ﹁このサンドイッチはリキさんが作ってくれたのよ﹂ 嬉しそうにベラが差し出してくれたお皿には、タマゴ、トマトとキ にこや ュウリ、クリームとフルーツと数種類のサンドイッチが乗っていて、 器用なリキっぽいなとディアナは思う。 ディアナはリキを理想の都会の女性だと思った。 センスが良くて落ち着いていて、むさ苦しい冒険者相手にも和かに 接し、テキパキと仕事をこなす姿はキラキラと輝いて見えた。 リキみたいになりたい。ソーリュートで働けばリキみたいになれる、 そう思った。 しかし現実は少し違う。ソーリュートで働いているからリキが輝い ていた訳ではなく、あの輝きはリキ自身の輝きだった。 だからこんな田舎に来てもリキはハツラツとしており、キラキラと 輝く存在感を放っている。 ﹁コルト兄さんの言う通り・・・﹂ 齧ったサンドイッチに涙の味が混じる。 今まで怠けていたディアナが輝ける事なんて有りはしないのだ。 ﹁私はそうは思わないわ﹂ 優しいが、はっきりとした声にハッと顔を上げた。驚くディアナに ベラはニッコリと微笑みを向ける。 ﹁ディアナちゃんが甘ったれなんて私は思わないわ。だってディア ナちゃんは行動したもの。憧れてるだけじゃなく、不満を持つだけ じゃなく、実際に行動したもの﹂ ﹁・・・・・・家出だけどね﹂ 叱られる事は多くても褒められる事が少ないディアナはベラに褒め られ、照れて自虐を漏らす。 822 ﹁そっ、それでも!わ、私とは違って行動力があるわ!﹂ あわあわと両手を振って必死にフォローするベラに、涙が引っ込み 吹き出してしまった。 ﹁なに、姉さんも都会に出たいと思った事あったの?﹂ 人見知りで引っ込み思案な姉がそんな事を考えるとは思わなかった が、冗談のつもりで聞く。しかしベラはディアナの問いに真っ赤に なり、俯いてボソボソと呟いた。 ﹁え・・・う、うん・・・ディアナちゃんと同じくらいの時、ガー ウェン兄さんの話を聞いていたらソーリュートに行きたいなぁって・ ・・﹂ ﹁そうなの?!知らなかった!それでどうしたの?!﹂ 知らなかった姉の秘密に目を光らせてワクワクと身を乗り出すよう にディアナが迫った。 ﹁・・・・・・そ、それだけ・・・よく考えたら冒険者の男の人は 怖いし、知らない人がいっぱいいるのも不安だし・・・﹂ 俯くベラの性格通りの返答にディアナは呆れてため息をついた。 ﹁だ、だから行動したディアナちゃんはすごいわ﹂ とベラは言うが、臆病と呼べる慎重さのベラと無鉄砲なディアナと ではどっちもどっちである。 ﹁それにね、コルト兄さんはああ言ったけど、都会へ行きたい理由 なんて﹃憧れ﹄だけで良いと思うの。大切なのはそのあと。ディア ナちゃんの一生懸命さで﹃憧れ﹄を﹃実現﹄させればいいのよ﹂ ディアナを慰め、応援するベラの言葉に気持ちは上向いたが、肝心 な﹃実現﹄させる事について自信が持てない。 ﹁・・・私はリキみたいにはなれないわ﹂ 冒険者として実力があって魔術師としても認められ、何をやっても リキ 手際が良いリキにはなれない。 理想像と懸け離れた自身の姿に落ち込んでいるディアナにベラは微 笑んだ。 ﹁リキさんにはなれないわよ。だってディアナちゃんはリキさんじ 823 ゃないもの。リキさんにはリキさんの、ディアナちゃんにはディア ナちゃんのやりたい事とやれる事があるわ﹂ ﹁やりたい事とやれる事・・・﹂ リキ 今まで漠然と﹁﹃都会の女性﹄になりたい!﹂と思っていて、突如、 理想像が間近に現れ、曖昧だったイメージが明確になった。だから 必然的に﹃リキのようになりたい﹄と思ったのだが、確かにディア ナのやりたい事はリキのしている事とは違う。 ﹁ディアナちゃんはやりたい事があるのね?﹂ というベラの問いにディアナは小さく頷いた。 今回ソーリュートに行って、ガーウェン達の暮らす家を見て、リキ の働く姿を見て心に芽生えた事があった。 ﹁じゃあ、それをお父様達にもコルト兄さんにも話してみたらどう ?﹂ ﹁話したって分かって貰えないわよ。コルト兄さんだってあんなに 怒っていたし﹂ コルトはいつも言うことは無神経だが、あそこまでキツイ言い方は しない。家出をして家族に心配をかけたのにまだ都会に出ると言っ ている自分に心底腹を立てているのだとディアナは落ち込んでいた。 ﹁大丈夫、コルト兄さんは心配してるだけよ。いくら家族と言って も気持ちを言葉にして伝えようとする事は手を抜いちゃダメなのよ﹂ 気弱だと思っていたベラの思わぬ前向きな発言にディアナは目を瞬 かせ、見つめた。その視線にベラは恥ずかしそうに俯き、笑って白 状する。 ﹁リキさんの受け売り、なんだけど﹂ ﹁ああ、リキっぽいわね﹂ ﹁リキさんもガーウェン兄さんと喧嘩してそう感じたって言ってた わ﹂ ﹁ええっ!あの二人が喧嘩することがあるの?!﹂ ﹁それ私も思ったわ!﹂ 824 顔を見合わせ、ベラとディアナは声を上げて笑い合った。 そう言えば兄弟の中でディアナの話を一番真面目に聞いてくれるの はコルトだったと思い出す。ベラやリキのおかげで軽やかになった 心で無神経で無表情な兄とまた話をしようと決めたのだった。 ****** サロン 訪問客が殆ど来ないガーランド男爵邸の談話室は専らガーランド男 爵とコルトが酒を酌み交わす場所となっている。 しかし今夜はコルトが一人グラスを傾けていた。 コンコン、と扉がノックされ、返事を返す間も無く開かれた。やっ て来たのはガーウェンだった。 ﹁あれ、ベルハルトさんはいねぇのか﹂ ﹁もう休みましたよ。父上に用でしたか?﹂ 尋ねるが、ガーウェンはいや、と首を振った。 ﹁つまみを持ってきたんだが、ちょっと多かったか﹂ と手に持っていたトレイをテーブルに乗せる。そしてコルトの前に チーズや薄切りのハムを乗せた皿を、自らの前にはサンドイッチが 乗った皿を置いた。 ﹁・・・さっき夕飯食べたのにまた食べるんですか?﹂ 相変わらずやたら食べますね、と続ければガーウェンは視線を泳が せてボソボソと言い訳を始める。 ﹁リキがディアナに夜食を作ってて、その、美味そうで、それにち ょうど俺の分も材料があったし・・・﹂ ガーウェンの口から出た名前に知らずため息が出る。 ﹁・・・リキさんはちっともお客様らしくしてられないんですね﹂ 825 呆れるようなコルトの言葉にガーウェンは苦笑して頭を掻く。 ﹁働き者の性分なんだよ﹂ ガーウェンは腕の立つ冒険者なので稼ぎは良いはずだが、ソーリュ ートでの暮らしぶりを聞けばリキが色々と仕事を掛け持っている事 が窺えた。 変わっている女性だからガーウェンを選ぶのだろう、とコルトは失 礼極まりない事を本気で思う。 仕事と言えば、とコルトはガーウェンに向き直った。 ﹁橋の再建の手伝いありがとうございます。明日には出来上がりそ うですね。助かりました﹂ ﹁いや、いい。・・・だがリキの手伝いがあればもっと早く完成出 来たけどな﹂ ボソリと呟いたガーウェンの顔は不貞腐れたディアナの顔にそっく りだ。 リキ リキが橋再建の手伝いを町人達に断られている場面にコルトもいた が、本人よりも不機嫌さと不快感を露わにしていたガーウェンが印 象深かった。リキは実力の確かな魔術師であると説明しても手伝い を頑として認めない町人達をどうにかしてしまうんじゃないかと心 配になるくらいだった。 ﹁小さな町では風習もルールの一つですからね﹂ ルールを破れば町内で生活しづらくなってしまう。それは領主とい う立場にあるガーランド家とて一緒だ。 もっともこれでも昔に比べてだいぶ古い風習は薄れてきてはいる。 ﹁こんなんじゃディアナがソーリュートに出たがるのが分かるな・・ ・あっ、いやそのっ、別にこの町が悪いって言ってる訳じゃねぇか らな?﹂ 散々文句や不満を態度で表しておきながら、妙なところで気を使う 兄を可笑しく思いつつ、コルトは普段通りの無表情で肩を竦めてみ せた。 826 ﹁気にしてませんよ、僕も頭の固い御老体の方々には手を焼いてま すから﹂ ﹁そ、そうか﹂ と言ってガーウェンはもそもそとサンドイッチを食べ始めた。しか し何やらコルトを気にしてチラチラと見ている。その視線にまた余 計な事に気を回しているのだろうなと分かった。 図体に似合わずガーウェンはたまに小さい事をよく気にするのだ。 ﹁・・・コルトもやっぱりここから出て行きてぇって思った事あん のか?﹂ じっとガーウェンを見れば、真剣な目付きでコルトを見返した。 ﹁まぁ、ないと言えば嘘になりますけど、この家を放っておく事な んて出来ませんし﹂ ﹁・・・俺が継承権を放棄したからお前がここに縛られる事になっ たんじゃないのか・・・﹂ 思っていた通りのガーウェンの論調にコルトはため息をついた。 ﹁ガーウェン兄さん。それは違うといつも言っているでしょう?大 体、継承権の放棄をお願いしたのは僕からじゃないですか﹂ コルトがガーウェンに継承権を放棄してほしいと願ったのはガーウ ェンが16歳、コルトが7歳の頃だった。 その頃から感情の出にくかったコルトの幼い顔を見下ろして、ガー ウェンが困惑した表情を見せる。 ﹁・・・別にいいけどさ。それじゃコルト、お前が継がなきゃなん なくなるんだぞ?他にやりたい事が出来ても簡単には出来なくなる んだぞ?﹂ ﹁いまのところ、そういうのは無いからいいです。兄様の話を聞い てると兄様は父様のお仕事には向かないみたいだから、僕が継ぐ事 にした方がいいよ。兄様も気が楽になるでしょ﹂ ﹁確かに俺は貴族には向いてねぇけど、まだガキのお前一人に全て 827 を背負わせるっつーのもなぁ。分かるだろ?﹂ しゃがみ込んでコルトと視線を合わせたガーウェンの顔はやはり困 惑に染まっていた。 ﹁そんなこと言ったってね、ガーウェン兄様。来年から僕は学園に 通うんだよ?その時、田舎貴族の次男でも継承権が有るか無しかで 履修すべき科目も所属すべき派閥も変わってくるんだよ﹂ 分かってないでしょ、と父親似の髪を振って呆れるコルトにガーウ ェンはポカンと口を開けた間抜け面になった。 ﹁兄様に父様の仕事は無理だよ。こういうのは﹃適材適所﹄って言 うんだよ、兄様﹂ ﹁﹃適材適所﹄ですよ、兄さん﹂ とコルトはあと時と変わらない無表情をあの頃よりずっと厳つくな いささ ったガーウェンへ向けた。それでもガーウェンは納得いっていない ように眉頭を寄せるので、コルトは些か無遠慮過ぎる言葉を付け足 した。 ﹁ガーウェン兄さんは短慮、単純で分かりやすいし、他人の言葉を 鵜呑みにし易くて騙され易い。この家を任せたらすぐに傾きますよ。 そうならない為の適材適所です﹂ ガーウェンはなんとか反論しようとあうあう口を開閉していたが、 思い当たる節は大いにあり、終いにはぐるると唸り声を出すに留ま った。 ﹁良かったですね、ガーウェン兄さん。リキさんがとんでもない悪 女だったら今頃兄さんは搾りカスですよ﹂ ﹁悪女・・・搾りカス・・・﹂ コルトの言葉を反芻して遠い目で遠い所を見つめるガーウェンから 過去に似たような目にあったんだなと思った。 ガーウェンのリキへのデレデレ具合は盲目的過ぎる。リキがその気 になれば、ガーウェンから搾取し尽くせるだろう。 828 ひと ﹁・・・・・・ディアナは兄さんに似てます﹂ 感情が表情に出易い所も、素直で情に厚く、他人を信用し過ぎる所 も。 ﹁兄さんはいい歳のおじさんだから別にいいんですけど、ディアナ は18歳になる女の子です。傷付いてからでは遅い﹂ コルトは相変わらず感情の読めない顔をして空になったグラスを手 で弄んでいるが、ディアナを心配している事は分かりガーウェンは 苦笑して頭を掻いた。 ﹁だからってあんな言い方すんなよ。嫌われるぞ﹂ ﹁そんなに酷い言い方してましたか?でもそれで挫けてくれたら良 いですね﹂ しかしその希望は叶う事はないだろう、とコルトは冷静に思う。 ディアナは打たれ弱いくせに立ち直りは早いのだ。 ﹁まぁ、もしソーリュートに来るなら俺もリキもディアナの面倒は 見るから、もう少し前向きに考えてやってやれよ?﹂ ﹁善処します﹂ サンドイッチの最後のひとかけを口に放り込んでガーウェンは笑っ た。 ﹁その口調。ますますベルハルトさんに似てきたな!﹂ ﹁やめて下さいよ。もう父親に似てると言われて喜ぶ歳じゃないん ですから﹂ いいじゃねーか!と快活に笑った兄は誰にも似ていない赤銅色の髪 をしている。しかし笑った顔は下の妹に、繊細さは上の妹に、剣を 振り回して喜ぶ顔は弟に似ていた。 ガーウェンが領主業に向いていないように、コルトもガーウェンの ような自由で不器用な生き方には向いていない。 きっと妹弟達もいずれコルトともガーウェンとも違う人生を歩むだ ろう。それまではこんな些細な繋がりに胸が苦しくなる事なんてな いはずだ。 829 兄は兄の、自分は自分のそれぞれの時間の中でふとした瞬間に感じ られる小さな類似を呆れながらも誇らしく感じる。 感傷的な想いに少し飲みすぎたか、とコルトは口の端を少し上げた。 それは父によく似た笑みだった。 830 女子、家族に挨拶に行く 5︵前書き︶ 今話でこのエピソードはおしまいです。 次話からはソーリュートの暮らしに戻ります。 831 女子、家族に挨拶に行く 5 いつも通り橋再建の現場に向かうガーウェンを玄関門から見送り、 屋敷へ戻ってくると執務室に呼ばれた。 執務室では窓を背にした重厚な執務机にガーランド男爵が座ってい た。 ﹁すまない。暫く待っていてくれないか﹂ 手元の書類から視線を上げて私を見た彼が無表情で言う。 ﹁いえ、お気になさらず。片付くまで待ちますから﹂ フーベルに促されてソファに着席するとすぐに紅茶が目の前に置か れた。感謝の意を込めてニコッと笑い掛けると、フーベルも目尻の シワを深くして笑みを返してきた。 紅茶を一口飲んで、ふぅと息をはく。美味しい。 今日のお弁当は何にしようかなぁ。ソーリュートからお米を持って きているから炊いておにぎりにしようかな。具は何にしよう。 ガーウェンに持って行くお弁当の中身をあれこれ考えていると、﹁ すまない﹂と謝罪を口にしてガーランド男爵が対面へ座った。 ﹁明日にはソーリュートに帰るとか﹂ とガーランド男爵はやはり無表情でじっと私を見た。 ﹁はい。橋再建の工事が終わったらお暇させて頂く予定でしたので。 ガーウェンは今日には完成すると言っていましたから﹂ そうか、と小さく呟いたガーランド男爵の声には隠しようもない寂 しさが滲んでいる。 それに心が痛み、思わず小さく呟いてしまった。 ﹁・・・すみません﹂ 832 ガーウェンが工事を終えたらすぐソーリュートへ帰ると決めた事も 一緒に暮らそうという誘いを断ったのも私の事を考えてくれたから だ。私の性格や能力、姿ではこの町で暮らしにくいと考えてくれた から。 言うなれば私のせいでガーウェンと家族を引き離そうとしていると いうことで、きっとガーウェンは﹁そんな事はない﹂と言うと思う が、それを思うとやはり心が苦しい。 私を受け入れ側に居てくれて、居場所を作ってくれたガーウェンへ 愛を返す為にはやはりこの町ではやれる事が限られる。身につけた 能力も意味がなくなってしまう。 ・・・だがそれも全部、私の我儘だと分かっている。自己満足、か もしれない。 ﹁謝る事じゃない。君にもガーウェンにも仕事があるのだし、せっ かく整えた新居も放っておいてはいられないだろう﹂ ﹁そう、ですよね・・・﹂ 私はこの町に来てからずっと曖昧な態度でいる。良いとも嫌だとも 言わず、大事な決断はガーウェンに任せてしまった。 二人の事は二人で決める、なんて偉そうに言っておきながらこんな 大事な決断を曖昧にしているのだ。 よぎ どちらかを選んだ事は選ばなかった一方を蔑ろにしている訳ではな いと分かっているのだが、私を選ばせてしまったと悔恨が過る自分 は性格が悪過ぎる。 狡いのだ、私は。ガーウェンの優しさに付け込んで甘え、そして決 断しなかったくせに後ろめたさを感じてる。 決断してくれたガーウェンにも一緒に暮らそうと言ってくれたグロ リアにも不誠実なのに。 ﹁君といるとガーウェンはとても嬉しそうだ﹂ とガーランド男爵が言った。 833 ﹁本当に嬉しそうで、幸せそうで、彼のあんな顔を見るのは初めて だと思うほどだ﹂ 目の前の男が無表情のまま目を細める。おそらくこれが彼の笑みな のだと思う。 ﹁ガーウェンは気を使う性格だろう?この家に来た時からずっとや はりどこか居心地が悪そうだった。彼がそう感じないように努力は したんだが、彼は優しいからいつも他人を優先してしまう。私の方 がいつも彼に気を使われていたよ﹂ 大事な人にはやたらと気を使うガーウェンの性格は子供の頃からら しい。可愛らしかっただろう子供の頃のガーウェンを思い浮かべて、 少し笑った。 ﹁君といるとガーウェンはとても嬉しそうだ﹂ 再びそう言ったガーランド男爵の口元はほんの少し上がっている。 ﹁君を窺ったり気を使う事が無い。君に気を回す事があってもそれ は他人にみせる気遣いなんかじゃなく、君への愛情表現だよ﹂ 知らず手に力が入っていた。なぜか緊張している。 ﹁愛する女性の為に出来得る事を出来る限りするのが男の愛情だ。 ガーウェンの決断は君を愛してるが故だから、君が気に病むことは ない﹂ ガーランド男爵は見抜いているらしい。ガーウェンがグロリアの提 案を断った事に私が後ろめたさを感じていることに。 ﹁・・・私はガーウェンから与えて貰ってばかりで・・・﹂ 居場所も愛情も気持ちも強さもガーウェンから貰った。今、この世 界の私を構成している全てがガーウェンから貰ったもので出来てい るのだ。 ﹁そうだろうか﹂ とガーランド男爵が目を細めた。無表情なのにひどく楽しそうな表 情に見えるのは気のせいだろうか。 ﹁与えてばかりの男だったら、あの様に晴れやかで満たされた顔を 834 するはずがない。ガーウェンの余裕と自信は君が彼を信じて愛して いるという事実とそれを彼が深く理解しているからだ。君もガーウ ェンが君を愛しているという事を正しく理解した方がいい﹂ ガーウェンが私を愛している事を正しく理解する 率直な教訓が胸に刺さる。 ガーウェンが私の為にしてくれている事は情けや憐れみではなく純 粋なる愛情からだと今一度突きつけられた。 ﹁・・・そうですね。少し妙な事を悩んでいたようです﹂ 環境が変わり、ガーウェンの温かい家族に迎え入れられ、自分の家 族の事が心に引っかかり、どうやら私は気持ちが後ろ向きになって いたようだ。 ガーランド男爵へ笑顔を向けると彼は目を細めて頷いた。 ﹁ソーリュートへ帰ったら私達に手紙を書きなさい﹂ ﹁はい。ガーウェンにそう伝えます﹂ 結婚報告の手紙を出し忘れていたと気付いて、あたふたと慌てまく っていたガーウェンを思い出して笑うと、ガーランド男爵の声です ぐに訂正された。 ﹁君もだ﹂ じっと私を見つめる瞳の奥が笑っている。 ﹁君も手紙を書きなさい。そしてこれからは何もなくても定期的に 手紙を送る事。君はもう私達の娘だ。子供の心配をするのは親の特 権だからね﹂ 相変わらず動かない表情筋を装備しているくせに、瞳はやたらと穏 やかで優しく、この人がガーウェンの父親で良かったと溢れそうに なる涙を堪えながら思った。 835 ****** 玄関前に馬車が横付けされていた。御者席に座るのはトミーである。 予定通り昨日、再建工事が終わり、私とガーウェンはソーリュート へ帰る事になった。 来る時に持ってきたお土産より多くのお土産を渡され、困ってしま う。そんな私に気付いたガーウェンが﹁気持ちだから貰っておけ﹂ とニヤリと笑って言った。 ﹁リキちゃん身体に気をつけるのよ?ガーウェンはきっと気が利か ないだろうし、私がなんでも相談に乗るからね。手紙を書くのよ。 遠慮はなしよ。何かあったら一番に報告して。私はリキちゃんの味 方よ。あとガーウェンに愛想が尽きたらここに帰って来なさい﹂ それからそれからと私の手を掴んで次から次に言葉を紡ぐグロリア の勢いに少し身を引いてしまう。 親元を離れる子供に対して親は皆こんな感じなのだろうか。私はこ ちらへ来るまで実家住まいだったのでこんな別れの儀式は初めてで どう反応していいのか分からない。 助けを求めてガーウェンを見るが、彼は泣きじゃくるダニエルを宥 めるのに手一杯のようで、諦めた。 ﹁お義母様もお身体にはお気をつけて。手紙を必ず書きます。ガー ウェンとは仲良くしますので・・・﹂ しますので、今すぐにでも溢れそうなほど涙を溜めた瞳で見つめな いで。どうしたらいいの。 ﹁私はガーウェンと出逢えて、こうして側で生きていくことが出来 て幸せです。だから大丈夫です﹂ グロリアを安心させたい一心で力強くそう言ったのだが、逆効果だ ったようで、彼女の瞳からはだばだばと大量の涙が溢れ出て、そし 836 て感極まった彼女はガシッ!と私を抱きしめた。 ﹁リキちゃん・・・っ!良い子っ・・・!﹂ ﹁リ、ギっざぁぁん・・・ヒクッ・・・﹂ そしてなぜかベラも感極まって泣きじゃくっている。ええー・・・ ほんと、どうしたらいいの・・・ ﹁もう!お母様もベラ姉さんも恥ずかしいわよ!﹂ と二人を嗜めるように言うディアナもよく見れば瞳が潤んでいる。 ﹁ディアナ、手紙を書いて。私はディアナの夢を応援するよ﹂ どんな夢でも、と頷いてみせるとディアナの瞳が一層潤んだ気がし た。 ﹁わ、私、やっぱりソーリュートで働きたいの。リキやガウィ兄さ んが暮らしてる姿を見て、憧れた。でもちゃんと考えるわ。どうや って暮らしたいのか、どんな風に暮らしたいのか。・・・・・・相 談に乗ってくれる?﹂ あいま いつもはそのまま勝気さを表しているキリッとした眉が頼りなさ気 に八の字になり、その表情は潤んだ瞳も相俟って幼さを感じさせる。 もちろん、と笑って頷き、ディアナの綺麗なオレンジ色の髪を撫で た。 ﹁リキ、そろそろ行こう﹂ ひしっと抱きつくグロリアを引き剥がして私を引き寄せたガーウェ ンの顔は何だか疲れが見える。 ええもう?!もう少しいたらいいじゃない!と文句を付けるグロリ アにガーウェンは呆れてため息をつきつつ、 ﹁そんなんじゃいつまでたっても出発出来ねぇだろ。ほらリキ、乗 れ﹂ と私を馬車へ追いやった。 ﹁また連れてくるから﹂ ﹁必ずよ!﹂ ﹁はい。必ずまた来ます﹂ 837 馬車の中からグロリア達へ手を振ると、再び﹁手紙を書くのよ﹂や ら﹁身体に気をつけて﹂やら声がかかり、苦笑する。 その様子を無表情で黙って見ていたガーランド男爵がガーウェンを 呼んだ。 ﹁ガーウェン。君にとってはもう鬱陶しいかもしれないが﹂ 前置きの後、少し間を置いて、 ﹁いつまでも、君が幾つになっても君は私達の息子だ﹂ と言った。じっと見つめ合うガーウェンとガーランド男爵は血が繋 がっていないはずだが、なぜか雰囲気が似ている。 ガーランド男爵の目が細められた。 ﹁幸せにな、ガーウェン﹂ ﹁・・・はい。ありがとうございます﹂ それからすぐに別れを惜しむ声を背に馬車はガーランド男爵邸を出 発したのだった。 暫くの間、私とガーウェンは黙ったままだった。さっきまで周囲に あった温かくて騒がしい空気の余韻が静かな車内に残っていて、寂 しい気持ちを際立たせる。 ガーウェンに手を握られた。 見るとガーウェンはただじっと前を向いていて、そしてそのまま私 を見ずに言った。 ﹁いつか、必ず、リキの家族に会いに行こう﹂ それは叶うかどうか分からない願いだったが、ガーウェンはそう力 強くはっきりと言った。 ﹁うん﹂ 身体を寄せて、ガーウェンの手を握り返した。 ガーウェンの強さは私に希望をくれる。 ガーウェンの優しさは私を強くさせる。 838 ﹁ガーウェンがこんなに良い子に育った理由が分かったよ﹂ ﹁良い子って・・・おっさんに何言ってんだよ﹂ ふふふ、と笑うとガーウェンは照れたような呆れたような声を出し た。 ﹁つまり愛してるってこと﹂ 左側にいるガーウェンを見て、ニヤリと笑って見せると、一拍の驚 いた顔の後、同じようにニヤリと笑った。 ﹁なら、俺達はお似合いだな?﹂ 腕を引かれ、抱きしめられ、奪われるような激しいキスが何度も降 ってくる。 深くなる口付けと躊躇いなく服を脱がしにかかる大きな手に慌てて 抵抗するが、もう遅く、観念して結界を展開するのだった。 839 女子、家族に挨拶に行く 5︵後書き︶ そろそろ次の町に着きます、という遠慮がちなトミーの声に乱れた 髪や衣服を直していると、ガーウェンが一通の手紙を取り出し、読 み始めた。 ﹁それは?﹂ ﹁ん、コルトから。出発してから読めって言われて・・・﹂ とガーウェンの語尾が窄まり、顔には苦笑が浮かんだ。 ﹁どうした?﹂ 問うとガーウェンから読んでみろ、と手紙が渡される。 手紙を読むとガーウェンと同じく私の顔にも苦笑が浮かんだ。 それにはソーリュートでディアナが働く場合の、勤務先の条件がび っしりと書いてあった。 ﹃治安の良い西地区にある事﹄から始まり、 ﹃雇い主は夫婦である事﹄ ﹃経営は順調だが忙し過ぎない事﹄ ﹃休みは週2日以上あること﹄ ﹃住み込みの場合は従業員に30歳以下の男性が居ないこと﹄ など他にもびっしり。 ﹁うーん、見なかった事にしよう﹂ ﹁そうだな。見なかった事にしよう﹂ ガーウェンが手紙をくしゃくしゃに丸めて雑にカバンへ突っ込んだ。 そして再び私を抱き寄せ、首筋を甘く噛む。 つね また躊躇いなく肌を撫でてくる手を抓りながら、コルトはツンデレ のシスコン、と心のメモに書き留めた。 840 おっさん、娼館に行く・前編*︵前書き︶ エッチな表現があります。 こんな題名ですが、ご安心を。 しかしアブノーマルです。ご注意下さい。 前後編とおまけの3話構成です。 841 おっさん、娼館に行く・前編* ﹁だからよぉ、オメェのそのヘッタクソなセックスで嫁さんは満足 してんのかって聞いてんだよ﹂ ガラ悪く串焼きの串で俺を指差しながら、ジェドがきつい三白眼を 更に吊り上げる。 ﹁ぐ、そ、それは、たぶん・・・満足してるはず、だ。リキはいつ も、その、ちゃんと気持ち良さそうだし・・・﹂ ﹁バッカか、オメェ!女っつーのはな、みんな感じてるフリしてん だよ。純情そうなのも従順そうなのもみんな金搾り取る為の演技な んだよ!﹂ ﹁リキはそんなんじゃねぇし!演技なんてしねぇよ!﹂ ﹁ハァ?その演技に騙されて有り金全部盗られた奴がどの口聞いて んだよ﹂ ﹁そっ、それは昔の話だろうが!﹂ ﹁まぁまぁ、ガーウェン、ジェド。酒が不味くなるから落ち着いて﹂ グラスを空にしたエリオットが、店員を呼び、追加の酒を注文する。 エリオットは無類の酒好きで目の前の言い争いより、旨い酒の方に 興味があるような奴だ。 何代か前に魔人族の血が入っているらしく、肌は浅黒い。 口を噤んで低く唸り声をあげる。昔から口じゃジェドには敵わない。 大陸中の迷宮を巡って潜る迷宮ハンターを生業にしているガキの頃 からの友人達が二年ぶりにソーリュートへ来たと聞いて、早速食事 いえ に誘った。 それでも新居ではなく飲み屋にしたのは、如何せんこいつらのガラ が悪いのだ。見た目もそうだが、振る舞いが粗暴で粗雑、目が合え ば喧嘩を吹っかける、女は手当たり次第とまさにチンピラ。 842 リキが怯むとは思えないが、こいつらにリキを紹介するのが嫌だっ たのだ。絶対リキを気に入って手を出すはずだ!特にジェド! ﹁でも、まぁ、ジェドの言う事も一理あると思うよ。俺らがソーリ ュートを出てから2年だよ。2年でガーウェンのクソセックステク が向上してるとは思えないね。どうせ碌に女も抱いてなかっただろ うし﹂ 酒瓶片手にヘッと馬鹿にしたようにエリオットが笑うと、その隣で ジェドも得意気に鼻を鳴らした。 ﹁ほーれ見ろ!これが客観的意見なんだよ。オメェがさっきから自 慢してるリキとやらはオメェを騙してるか、じゃなかったら遠慮し てんだ﹂ リキが、遠慮、してる その言葉がグルグルと頭を回る。 それはどこか心の隅で思っていた事だった。 リキは優しいから俺のヘタクソなセックスでも許してくれてるんじ ゃないか。俺はまだ独り善がりなセックスをしてんじゃないのか。 リキはそれを見逃してくれてるんじゃないのか。 グルグルと悩み出した俺を見て、エリオットとジェドが意味深に視 線を交わしたのには気付かなかった。 ﹁ガーウェンも思い当たる事あるんだ﹂ ﹁なら確認するっきゃねぇな﹂ なぜか頭がぼんやりする。飲み過ぎたか? ジェドがニヤリと顔を歪ませる。見えた鋭い犬歯にそういやジェド は鬼族の血が混じっていたな、と関係ない事を思う。 ぐらぐらと頭の中が揺れる。 843 ﹁確認・・・?﹂ ﹁オメェのセックスがマシになったか、客観的な意見を言える女を 抱いてみるんだよ﹂ ****** それは全くの偶然だった。 ガーウェンは今夜2年ぶりに会う友人と飲むと言っていたから、私 は仕事の帰りに夕飯を食べて帰る予定だった。 そして夕飯を食べ、家に帰る為その道を通ったのは本当に全くの偶 然だった。 着飾った女達が店先に立ち、男達を中へ誘う。男達の目はいずれも ギラつき、期待を滲ませていた。 そんな通りを進んでいると目の前の店から見知った人が出てきて、 足が止まる。 心臓も止まるかと思った。 ﹁こんな事もあるわよ。今日は疲れてたんだわ。これに懲りずまた 来てね?﹂ 肩までの紫色の髪を揺らし、豊満な胸を強調するセクシーなネグリ ジェの女が赤髪の男の背をそっと撫でる。 労わるような媚びるような。 ﹁・・・おお﹂ 男の小さな返事に女は店内へ戻って行った。 女が戻った店を見上げる。 844 うん、紛うこと無く娼館である。 店先に佇む哀愁漂う巨漢を見る。 うん、紛うこと無く我が愛夫、ガーウェンである。 この場面だけ見れば正に修羅場なのだが、ガーウェンが纏う遣る瀬 無い空気に、甘いと思いつつ慰めたくなる。 ﹁ガーウェン?﹂ 声を掛けると彼の身体がビクンッと大きく跳ねた。ゆっくりと視線 を私へと向け、そして、 ﹁リ、キ・・・っ﹂ その表情をまるで泣き出す手前のように歪めたのだ。 ああ、駄目だこれは。 すぐに駆け寄って背に手を添える。一瞬浮かんだ先程の光景は意識 して思考の外に置いておく。 ﹁ガーウェン、大丈夫だ。家に帰ろう。もう少し頑張れるか?﹂ 顔を覗き込み優しく尋ねると、ガーウェンは鼻を啜って小さく頷い た。 それを確認してから、ガーウェンの手を引いて家路を急いだ。 ****** 家に着くといよいよガーウェンの瞳からは涙が溢れ出した。 頑張れもう少し、と励ましながら手を洗わせ服を着替えさせる。そ の時感じた他の女の匂いに舌打ちをしそうになって必死に耐えた。 じぶん 落ち着け。ガーウェンが泣いてるんだ、落ち着け。冷静になれ。 いやいや泣きたいのはこっちだろ、とツッコミを入れる冷静な私は 845 蹴り飛ばして隅にやっておく。 ソファに並んで座って、ガーウェンを引き寄せた。 ﹁頑張ったな。もういいよ﹂ ﹁・・・っ、う・・・うぅ・・・﹂ 私の膝に顔を伏せて、えぐえぐと情けない嗚咽をガーウェンが漏ら す。 触り心地の良い髪を撫でると、冷静になれた。 これは明らかにガーウェンの様子がおかしい。酒に酔っているのか と思ったが、彼の身体からはそんなにアルコールの匂いはしない。 しかし意識や感情は酩酊中のように不安定である。 こんなにガーウェンが泣きじゃくるのはあの時以来だ。 右手で頭を、左手で背中を、少しでもガーウェンが落ち着くように 何度も優しく撫でた。 ﹁ガーウェン。何があったか話せるか?﹂ ヒックヒックと肩を揺らして子供のように泣くガーウェンに尋ねる。 嗚咽混じりの要領の得ない説明から理解した状況はこうである。 友人と飲んでいると﹁セックスで妻を満足させているか﹂という話 題になった。 ガーウェンの過去の女遍歴やら性事情やらを知っている友人達は私 がガーウェンとのセックスに満足していないと言い張り、そしてセ ックスに不満があると言い出せずに感じてるフリをしていると断言 した。 元々セックスに対しコンプレックスがあったガーウェンはその友人 の言葉に落ち込み、不安になった。 自分のテクニックはちゃんと妻を悦ばせているのだろうか。 そこに友人が囁く。 ﹁客観的な意見を言える女を抱いて意見を聞けばいい﹂と。 恐らくだが、友人達に上手いこと口車に乗せられたのだろう。しか 846 し、その言葉を鵜呑みにしたガーウェンは娼館に行きーーー ﹁勃たなかった、と・・・﹂ 心底呆れるとはこんな気持ちか。ため息をつきたいがガーウェンは この世の終わりみたいな顔して泣いてるし、なんだよこの状況。 ﹁お、俺っ、も、もうダメなんだ!男としても、うっ・・・リキの 夫としてもダメなんだぁぁぁ﹂ ガーウェンは勃たなかったのがよっぽどショックだったらしく、絶 望感がすごい。 ﹁あーほら、タイプの女じゃなかったんじゃねーの?﹂ ﹁・・・ヒクッ・・・た、確かに髪は黒っぽかったけど、リキの方 が柔らかくて滑らかだし・・・﹂ ・・・髪に触ったのか。 ﹁肌もリキの方がスベスベだし﹂ 肌にも触ったのか。 ﹁胸はデカかったけど、リキの方が気持ち良いし﹂ 胸、揉んだのか。へぇ。 ﹁抱き心地もリキには敵わないし﹂ 抱き締めたのか。ふぅん。 相変わらずぐしぐしと泣いているガーウェンにドロドロしたものが 心の奥底から溢れ出る。 これはいけない。このアホなおっさんには教育という名のお仕置き が必要なんじゃないか?一気に目が醒めるくらいのやつが。 ﹁ガーウェン。本当に勃たなくなったか確認してもいいか?もしか 847 病気 の部分を躊躇ってから小声で言ってみ したらその、病気、かもしれないし﹂ 心配気な顔を作り、 せるとガーウェンの顔が絶望に染まった。 ﹁お、俺、病気なのかっ?!﹂ ﹁いや、まだ分からない。それを確認したいんだけど・・・﹂ ﹁頼む!やってくれ!どうすればいいんだ?!!﹂ なんという騙されやすさ。こんなんで良くこんなに素直に生きてこ れたな、と感心する程だ。 ﹁じゃあ、私の指示に従ってくれる?﹂ 必死な顔で頷いているガーウェンを馬鹿だと思うが、その馬鹿さ加 減も可愛いなと考える私はもう重症である。 ****** ﹁リ、リキ・・・これでいいのか・・・?﹂ リビングのフローリングに座ったガーウェンが不安気に問う。 ﹁少し不便だけど確認の為だから我慢してな?﹂ 優しく、不穏な空気は決して出さず、後ろ手に組ませたガーウェン の手首に拘束具を嵌めた。 うむ。これで下準備は完了だ。 部屋の灯りを落とし、ガーウェンの前に少し距離を取って座る。 私とガーウェンの間には﹃月の欠片﹄が置いてあり、ぼんやりとし た碧色の光でお互いの姿が薄っすらと見えている。いや、ガーウェ ンは夜目が利くのでこの頼りない灯りの中でも私がはっきりと見え ているかもしれない。 なら好都合。 848 シャツの前ボタンを外し、胸を露わにさせる。それから異空間から 棒を取り出した。 ただの棒ではない。男性器を忠実に再現した黒光りするグロテスク な一品である。 ﹁リ、キ・・・﹂ ガーウェンの呼び声が聞こえるが、無視する。 そして見せつけるようにその棒にねっとりと舌を這わせ、唾液を絡 ませていく。 ﹁んっ・・・ふ、う・・・あっ・・・﹂ 棒を舐める合間に自分の胸を揉む。形が変わるほどぐにぐにと揉め ば、ガーウェンの喉が鳴る音が聞こえた。 足をガーウェンの方へ開いて、スカートの裾を手繰り寄せる。灯り に浮かび上がった内太ももに唾液で濡れた棒を擦り付けた。 膝から股関節まで何度も往復するとガーウェンの息が荒くなる。 自然と私の口端は上がる。 ﹁動いたら駄目だよ、ガーウェン﹂ モゾモゾと身体を揺すっていたガーウェンの動きがピタリと止まっ た。見なくても分かる。もう勃ったんだろ。でもまだおしまいじゃ ない。 再び黒い棒に舌を絡ませる。口に含み、口淫を見せつける。 ﹁リ、キ・・・っ﹂ 焦れたガーウェンの声も無視する。 空いた片手をパンツの中に潜り込ませると、ガーウェンの瞳が碧色 の光をギラリと反射した。 秘部に指で触れると、クチュッと水音がする。正直、かなり興奮し ている。ガーウェンに見られているのが興奮する。 ゴクリと唾を飲み込んで、素早くパンツを脱ぎ捨てた。大きく足を 開いて、濡れたソコを指で撫で回す。 ニチャニチャ、と恥ずかしい音が聞こえると同時に快感が背を走る。 849 ﹁ぅあっ!﹂ この変態的行為に没頭しそうだ。 ガーウェンの熱い視線と荒い息づかい。薄暗い灯りとぼんやりとし た輪郭。それだけで快感が煽られる。 ﹁あっ・・・んっんっ、むぁ・・・﹂ 秘部を撫でる手を止めず、ピチャピチャと音を立てながら棒にむし ゃぶりつく。 ﹁んふぁっ・・・気持ち、い・・・!あっ!﹂ 思わず出た喘ぎ声にガーウェンの低い唸り声が重なる。 もっと切羽詰まればいい。 もっと焦れればいい。 そして私だけを見ればいい。 唾液まみれにした棒をヒクつくアソコに押し当てた。ガーウェンの 息を飲む音がする。 ズブと穴に先端が飲み込まれそうになった時、ガーウェンが叫んだ。 ﹁リキッ!やめてくれ!﹂ 突然の大声に驚いて、動きが止まる。 ﹁ダメだ・・・それだけはダメだ!そんなの、リキの中に入れない でくれ・・・!﹂ 震える声の懇願だった。 ﹁俺の・・・俺だけの・・・!﹂ 悲痛で身勝手なガーウェンの叫びについうっかりつるりと口が滑っ た。 ﹁ガーウェンは私だけのものなのに、他の女を抱こうとしたんだろ ?﹂ 意識して見ないようにしていたその言葉は自分の耳に戻ってきて脳 を揺らし、心をぐちゃぐちゃにした。 850 ーーーガーウェンが他の女を抱こうとしたという事実だけで、世界 が滅ぼせそうだ。 851 おっさん、娼館に行く・後編*︵前書き︶ 若干、残酷な表現があります。 鬼族の血が混じってる男・ジェドリック︵ジェド︶ 褐色の男・エリオット 852 おっさん、娼館に行く・後編* ﹁ガーウェンは私だけのものなのに、他の女を抱こうとしたんだろ ?﹂ 俯いたリキの顔は髪で隠れて見えない。 その言葉で俺はやっとこの事態に、リキを裏切って傷付けた自分の 愚かな行いに思い至った。 最低な事に俺はその事を自分の不調に気を取られて理解していなか ったのだ。 よりにもよって一部始終をリキに話して、無様に泣いて慰めさせた。 リキの心やプライドを無遠慮に踏み荒らし、それなのにリキの優し さに甘えた。 なんて、最低な事をしてんだ。 自分の血の気が引く音が聞こえる。 充満していた卑猥な空気はすでに散っている。 リキとの距離がもどかしくて身体を揺らすと、手首が拘束されてい た事を思い出した。この拘束もこの距離も俺に対するリキの気持ち のように感じられた。 触ってほしくない。近づいてほしくない。 そんなリキの気持ち。 思わずじわりと涙で視界が歪む。 何、泣いてんだ。泣いていいのはリキの方だろ。拒絶されるような 事をしたんだ。リキの気持ちは当然なんだ。 ・・・・・・だけど、いやだ。リキに拒絶されるのはいやだ。俺は リキじゃないとダメなんだ。自分勝手なクソ野郎だって分かってる けど、俺はリキ以外考えられない。 853 リキがゆっくりと動いて、俺の後ろに回った。緊張で身体が強張っ たが、リキは手首の拘束具を外してくれただけだった。 ﹁・・・こんな事して悪かったな﹂ リキの言葉に胸が詰まる。 謝るのは俺の方だ。悪いのは俺だ。なのに言葉は上手く出てこない。 ポン、と頭に手が置かれた。 その優しい動きに心が震え、涙が溢れ出る。 ﹁・・・リキっ・・・﹂ しかし俺の呼び声にリキは振り向かなかった。寂しい。悲しい。 立ち上がり、部屋の外へ向かうリキの背中は当たり前だが華奢な女 の子で、苦しくなる。 ﹁・・・ごめん、少し出てくる。頭を冷やしてくる﹂ 感情が抑えられた、ともすれば穏やかにも聞こえる声に俺は身体を 跳ね上げ駆け寄った。 ﹁だめだ!行くな!﹂ 背後からリキを腕に閉じ込め、叫ぶ。 ーーーーーーリキは辛い時ほど大丈夫だと笑い、傷付いた時ほど他 人に優しくなる リキは深く傷付いてる。俺が傷付けてしまった。 ﹁かっ、勝手だって分かってる・・・!最低だって分かってる!で も・・・でも出て行くな・・・っ、行かないで、くれ・・・﹂ 今、引き止めなければこのままリキを失うかもしれない気がした。 何を言っても俺の身勝手さと最低さが際立つだけだけど、何もかも かなぐり捨ててリキに縋る。 ﹁いっ、行くなっ・・・側に、いて・・・俺はっ、俺はリキじゃな いとダメなんだよ・・・っ!﹂ 自分の情けなさに、愚かさに涙が滲む。しかしそれよりもリキを失 854 いっとき うかもしれない恐怖で涙が出てくる。 他人の言葉に惑わされ、一時の感情に流され、大切なモノを見失っ た。 嗚咽が漏れる。呆れられても見限られても仕方ない。だけど、そう だとしても側にいさせて。 ﹁・・・・・・はぁぁぁ﹂ 腕の中で深いため息が聞こえ、身体が固まる。緊張して息を詰めて いるとわしわしと髪をかき混ぜられた。 ﹁はぁ、本当に私はガーウェンに甘いなぁ。惚れた弱みかなぁ﹂ 自嘲のようで、どこか嬉しそうなリキの声音に心の底から安堵する。 格好悪い事に安堵し過ぎて声を上げて泣いてしまった。 ﹁うううぅぅ、ひっ、ごめっ、ごめん、リキ、うっく、ごめんっ、 う、うううっ﹂ ﹁おう﹂ ごめんと言う度、リキは短く返事をする。たぶん笑ってる。 それだけで安心して嬉しくて涙が次々溢れ出た。 ﹁ガーウェン、飲み過ぎたか変な物を食べたかしただろ。精神不安 定になってるぞ﹂ リキが頭を撫でながら、笑って優しく言う。 ﹁ひっ、ひくっ、も、もう酒飲まない、やめるっ。やめるからっ、 ごめんっ・・・リ、リキぃ・・・﹂ ﹁おう。ほらもう仲直りしよう、ガーウェン。そんで一緒にお風呂 入ろうよ﹂ 腕の力を抜くとリキが振り向いた。そして手を差し出してくれる。 その手を取りながら、 ﹁ひ、ゔっう、ごめっ・・・﹂ と謝ると、リキは目を細めて穏やかな優しい笑みを浮かべた。 ﹁違うだろ。仲直りはそうじゃないだろ?﹂ 更に涙が出て嗚咽が止められなかった。 855 やっぱり俺にはリキしかいない。 ****** 冒険者ギルドの前で見つけた友人達を睨み付けた。 ﹁お前ら、俺になんかしただろ﹂ すく ジェドとエリオットは俺の視線に怯むことはなく、わざとらしくお 互い見遣って肩を竦めてみせる。 ﹁何のことだか分かんねぇなぁ﹂ ﹁ほんと、何のことだか分かんないねぇ﹂ 今の態度で分かった。絶対こいつらだ! こす 朝、目覚めて昨夜の事を思い返して俺は、床に額を擦り付けながら 平身低頭リキに謝罪した。 リキは﹁何だ、正気に戻ったのか?﹂なんて笑っていたが、正にそ の通り昨夜の俺は正気じゃなかった。 そんなに酒を飲んだ訳ではなかったはずだが、ある瞬間から急に頭 がぼんやりして思考力が低下し、感情の起伏が大きくなりコントロ ールが出来なくなったのだ。 思い付く原因は悪ガキがそのまま大人になったような悪友共で、真 偽を確かめようと探していた。 ﹁お前ら、ふざけんなよ!お前らのせいで・・・﹂ と言いかけた言葉を止めた。 明らかにこいつらが俺に何かしたとは思うが、リキを傷付けてしま ったのは紛れもなく俺自身の行動なのだ。それは他人のせいにする 856 事ではないし、俺自身が償うべきだ。 だがしかし。 ﹁お、何だ?オメェ、リキに愛想尽かされたのか?離縁されたのか ?﹂ ニヤニヤ悪い顔でワクワクしてるこいつらの事はくっそムカつく! !! ﹁されてねーし!!﹂ ﹁どうかなぁ?リキちゃん泣いちゃったんじゃないのー?﹃私とい う者がありながら娼婦を抱くなんて!﹄とかなー﹂ ﹁泣かせてーーー﹂ ◇◇◇ ガーウェンが消えた。 不自然に言葉を切り、姿を消した。代わりにその場に立っていたの はワータイガーの女だった。 ドガァッッ!! 冒険者ギルド入り口横の壁から激しい衝突音がして、一気にギルド 前広場は混乱と恐慌に陥る。 騒ぐ人々の中から叫び声がした。 ﹁﹃拳聖﹄の乱心だ!巻き込まれたくなかったら離れろっ!﹂ それを受けて広場は更に混乱する。 我先に逃げる者や一目﹃拳聖﹄を見ようとする野次馬達の騒ぎの中 心に不本意ながらジェドリックとエリオットはいた。 息を詰めて女を見る。ワータイガーの特徴の耳と尻尾、黄金の眼。 857 鍛えられた身体。 しかし恐ろしい事にこの女は目の前にいるのに気配が感じ取れない のだ。しかし充満する殺気は確実に自分達を狙っている。 動けば殺される。背筋に冷たい汗が流れた。 ガーウェン ﹃拳聖﹄については友人の知り合いという事で何度か話した事はあ ったが、あまりの威圧感に積極的な関わりは避けてきた。だがなぜ ガーウェン か今対峙してしまっている。しかも殺気付き。 さらに彼女に気に入られていたはずのその友人はギルドの壁に叩き つけられてピクリとも動かない。 ﹁あらあらぁ。マリちゃんったら、表に傷が残ればリッちゃんに怒 られるわよぉ﹂ ﹁っ!!﹂ ジェドリックのすぐ隣から突然、少女の澄んだ声がし、咄嗟に腕に 仕込んであった隠しナイフを取ろうとした。しかし身体は、それど ころか小指の先も少しも動かせなかった。 嫌な汗が吹き出てくる。 なかみ エリオットから呻き声が上がった。やはり同じように動けないよう だ。 ﹁大丈夫だ。ちゃんと内部を狙ったからな﹂ ﹁さすがマリちゃん!﹂ 物騒な事をことも無げに言ってのける﹃拳聖﹄もそうだが、現れた このエルフの少女からも只ならぬ雰囲気を感じる。 銀髪のエルフ少女と言えば﹃拳聖﹄とコンビを組んでる﹃銀の魔女 巫女﹄に他ならない。 この場に2人が揃っていて、殺気を振りまいてるという事実にジェ ドリック達は絶望した。 ﹃銀の魔女巫女﹄が振り返った。 858 ゾッとするような狂気をはらむ笑顔を見せている。 ﹁ねぇ。さっきの話、聞かせてくれるぅ?﹂ 足元から現れた触手がズルズルとうねり、ジェドリック達の身体を 這い、巻き付いていく。 ﹁リッちゃんを泣かせたとかいう話。一から十まで、余すところな く全て聞かせてくれるぅ?もちろん嘘はダメよぉ?嘘吐いたらぁ・・ ・・・・﹂ チリッと手の小指の付け根に痛みが走った。 ﹁アンタ達の身体に付いてるもの一つづつ切り落としてくから﹂ ◇◇◇ ﹁おい、起きろ﹂ 頰の鋭い痛みに意識が戻される。身体の至る所に感じる痛みに呻き 声を上げていると、髪を掴まれ、力付くで頭を引き上げられた。 ﹁起きろ、ガーウェン﹂ 髪の毛がぶちぶちと千切れる音がする。 ﹁・・・マ、・・・﹂ いつもと変わらない表情のマリを顔を歪めて見上げた。 マリの手を払おうとしたが、手足が痺れて動かせなかった。体内の マナ生成が阻害されてスキルが発動出来ない。 マリの攻撃をくらったのか、とどこか冷静な頭で考える。 ﹁なんだ回復も出来ないのか。随分と怠慢だな﹂ 859 と呆れたようなマリに投げ捨てられた。レンガに頭を打ち付け、顔 を擦りながら、焦点の合ってくれない視界で周囲を確認する。 冒険者ギルド前広場であることは間違いない。しかしそこで行われ ている行為は非道だった。 ﹁知ってるぅ?﹃人の恋路を邪魔する奴はオークキングのチンコを 突っ込むぞ﹄って言うのよぉ。でもぉ、ここにはオークキングはい ないからぁ、オークキングのチンコぐらいの触手を突っ込むわねぇ﹂ アフィーリアがクスクスと笑い声を上げると、それに呼応して広場 中を覆っていた触手がボコボコと膨らんで質量を増していった。 男の腕より太くなった触手がうねうねと広場を這い回り、何かの塊 を持ち上げる。 それがジェドだと気付いた時、動かない身体を動かそうと必死にな った。 ジェドは既にボロボロだった。 上半身だけ服を身につけ、触手に拘束され、身体中に痣と傷が付い ている。更に口と排泄用のはずの穴に触手がぐちゃぐちゃと音を立 てながら入り込み、獣が吠えるような言葉になっていない叫び声を 上げ続けていた。 やめろ!アフィーリア!!悪趣味過ぎるぞ! 出ない声で叫ぶ。 ﹁お前がリキとの事をやたらと惚気るから腹が立って、薬を盛って 酩酊させ︻意識誘導︼をかけたそうだぞ﹂ とマリが言った。 何の話だ、と睨み付ける。 ﹁アイツらの事だ。︻意識誘導︼をお前にかけて娼館に行くように 仕向けたそうだ﹂ ︻意識誘導︼というスキルは精神操作系のスキルだ。アイツらは俺 860 にそんなことしたのかと腹は立つが、だからといってあの所業は度 が過ぎている。 ﹁が・・・あ・・・﹂ 非難の声はやはり出せない。 ﹁お前は人の心配をしてる暇があったら、自らの失態をもっと悔い ろ。どうせリキはお前を許したんだろう?﹂ マリの瞳がギラリと光ると威圧感で身が縮んだ。 ﹁リキはお前に関する事となるととことん愚かになるからな。お前 が泣いて謝れば簡単に許すだろうよ﹂ ドキッとする。まるで昨夜の顛末を一部始終見られていたかのよう な的確さだった。 ﹁だが、その愚かさに甘えるなよ、ガーウェン。お前の驕りと怠慢 がリキを裏切り傷付けたのは事実なのだからな﹂ その通りだった。どんなにリキが許しても俺はリキを裏切り傷付け てしまったのだ。 それに心のどこかで何をしてもリキは許してくれると思っていたの も事実だった。だから︻意識誘導︼を受けたとはいえこんな不誠実 な行動をとってしまったのだ。 改めて自分の最低さを認識して、自己嫌悪する。 ﹁ガーウェン!﹂ リキの声が聞こえたので頭を少し動かすと、リキが触手を躱しなが ら駆け寄ってくるのが見えた。 ﹁大丈夫か?ひどくやられたな﹂ とリキが俺の身体を起こして、治癒魔法を掛けてくれる。頭を膝に 乗せてくれ、心配気に顔を覗き込んだリキの優しさに涙が出そうに なる。 ﹁リキ、意外と早かったな﹂ ﹁マリ、やり過ぎ。ギルド前にこんな強固な結界張られてどうしよ うもないからって、騎士がわざわざ﹃森﹄まで私を呼びに来たんだ 861 よ﹂ 外で騎士団が涙目になってたぞ、とリキが咎めるような声を出した。 ﹁リキがこいつの躾をしないようだから私達がしてやってるんだ。 もっとちゃんと教え込んでやれよ、飼い主は誰か﹂ 自由にさせ過ぎるから調子に乗るんだ。ぶん殴って、 ﹁飼い主って。私はガーウェンを束縛したい訳じゃないよ﹂ ﹁馬鹿だな。 罵ってやれ。ガーウェン相手に臆病になるなよ﹂ ﹁臆病じゃなくて大切にしてんの﹂ 珍しくマリとリキが言い合っている。﹁ほらだからマリ達にはバレ るなって言っただろ﹂とリキが小声で俺に言う。 今朝、リキから、 ﹁マリとアフィがだいぶ暇してるみたいだから、この事はバレない ようにしろよ?バレたら面倒だぞ﹂ と注意を受けていたのだ。 リキのおかげで痺れが取れてきた手を動かしてリキの手を握った。 ごめんな、リキ。 ﹁あっちの方で腹に卵産みつけられてる褐色の男とそこの触手に犯 されてる男はとばっちりか?それともガーウェンの知り合い?﹂ リキの身体から魔力が流れ込んで、痛んだ身体を癒していく。優し く温かい魔力の流れはリキそのもののようだ。 泣きたくなるほどリキを大切に思う。 ﹁アイツらがガーウェンの浮気の原因というか首謀者だな﹂ ﹁・・・・・・・・・へぇ﹂ 温かかった魔力がなぜだか急激に冷たくなった気がした。 ﹁それは、ぜひ、お話してみたいなぁ﹂ ニッコリと綺麗な笑顔を浮かべたリキに、冷えた身体がぶるりと震 えた。 862 おっさん、娼館に行く・後編*︵後書き︶ 結果的にリキよりも恐ろしくて容赦のないお姉さん達が出てきてし まいました。 863 おっさん、娼館に行く・おまけ*︵前書き︶ エッチな表現があります。アブノーマルです。 小道具協力・アフィーリア、ブリックズ また私事ですが、一周年です。 全ては読んで下さる皆様のお陰でございます。ありがとうございま す。 今後とも宜しくお願い致します。 864 おっさん、娼館に行く・おまけ* ガーウェンが身体を揺するたび、ギチ、ギチ、とロープが軋む音が する。 太い足の指を口に含んで、舌で指の股まで丁寧に舐れば、いつもよ り高い声でガーウェンが喘ぐ。 ﹁あっあっ、う﹂ ﹁・・・ガーウェン、気持ち良い?どこが気持ち良い?﹂ ﹁あっい、ぜ、ぜんぶっ、ぜんぶいい、あっ﹂ ガーウェンは敏感になった身体の強すぎる快感に虚ろな瞳になって おり、喘ぎ声を垂れ流す口の端からは涎が垂れていた。 彼は後悔してるかも。自分から﹁何でもする﹂と言った事を。 ﹁リキ!俺を殴ってくれ!﹂ 寝室で着替えていた私にガーウェンは土下座してそう言った。 やたらと真剣な表情にそんな性癖に目覚めたのかと心配になる。 ﹁どうした?また薬を盛られたのか?﹂ ﹁いや、そうじゃなくて・・・。その、マリの言う通り、リキは俺 を殴って罵るべきだと思うんだ。お前の優しさに胡座をかいていた 俺をもっと非難していいんだ﹂ 膝の上でぎゅと拳を握り、決意の顔をしてガーウェンは私を見る。 ﹁仲直りしただろ?﹂ ﹁そ、そうだけど・・・う、その、俺の気が収まらないんだ。すげ ぇ自己満足だと思うんだけど、その・・・﹂ と語尾をもごもご噛んでガーウェンは俯いた。ガーウェンがかなり 反省しているのは分かっているし、私も一度許すと決めたので今更 蒸し返すのもなぁ、と思う。 865 しかしガーウェンの性格からして友人達がアフィ達にされたお仕置 き︵というには些か度が過ぎていたが︶を目の当たりにして、当事 者である自分がお咎め無しというのは居心地悪く後ろめたいのだろ うことも理解できた。 やぶさ それにここまでガーウェン本人から﹁お仕置きされたい﹂と言われ れば期待に応える事も吝かではない私である。 少し考えて、異空間から瓶を取り出す。 ﹁これアフィから﹃ガウィちゃんのお仕置きに使って﹄って言われ て貰ったんだけど、効果が分からなくて恐いから捨てようと思って たんだ。飲む?﹂ 渡された瓶の中のどろりとした液体をガーウェンが顔を青くしなが ら凝視して、ゴクリと唾を飲み込んだ。 ﹁・・・・・・お、俺はリキを傷付けたんだ。償う為に、何でもす るつもりだ﹂ 一瞬の逡巡のあと、自分を鼓舞するかのようにそう言い、覚悟を決 めてガーウェンは一気に薬を煽った。 おお。アフィ特製薬には怯むと思ったんだが、彼の覚悟は本物のよ うだ。 ﹁うぇ・・・にが、まず・・・﹂ ﹁そうなのか。ふふっ、どうなるか分からないからベッドに行った 方がいいと思うよ﹂ とガーウェンを促して、私は色々と準備を始めた。いやーワクワク しちゃう! ****** 866 水差しとグラスを持って部屋に戻ってくると、ベッドの上でガーウ ェンが悶えていた。 ﹁はぁ、はぁ、リキ、これ、ダメだ﹂ 潤んだ瞳で切な気に眉を寄せ、息も絶え絶えにそう訴えるガーウェ ンのなんたる可愛さ。 どうやらあの薬は媚薬とか催淫系だったらしく、服が擦れるだけで 感じるようでガーウェンの下半身はすでに立ち上がっていた。 ﹁服、脱がしてあげる﹂ わざと手が乳首を掠めたり、服が肌と擦れるようにしただけでガー ウェンは大きく喘いだ。 ﹁あっ!リ、リキ、やめっ!﹂ ﹁なんだ。お仕置きなのに気持ち良くなってるのか?それはいけな いな、ガーウェン﹂ ﹁ひっ、あああっ!﹂ 慎ましやかに立ち上がっていた乳首を意地悪くくりくりと指で捏ね ると、ガーウェンは軽く達した。 ﹁ああ、イっちゃったの?こちらも脱ごうな。綺麗にしてあげよう﹂ 呆然とした顔でびくびくと腰を跳ねらせるガーウェンの痴態に喉が 鳴る。エロい。可愛い。 もっと堕としてやりたい。 ズボンと下着を脱がしてやるとまたガーウェンは立ち上がっていた。 ﹁綺麗にしてあげるな?﹂ 筋が浮くほどガチガチに硬くなっているぬるついたペニスを咥えた。 そしてすぐさま激しい口淫を開始する。 ﹁ああっ!やめっ!だめ、だめだ、きついっ﹂ 私の頭をガーウェンが掴む。引き離したいのか押さえ付けたいのか 分からない大きな手のぎこちなさに興奮する。 ﹁あっ、あっ、も、いっ、いく、出る、ぐっ、あ・・・ううっ!﹂ 867 短時間に二回も達したというのにガーウェンの吐き出す精液の量は 多い。普段も私の中に何回か出すと溢れ出るぐらいだし、そういう 体質なのかもしれない。 そして多さの理由であるようなどっしりした袋が棹の根元に付いて いる。それをもみもみする。 ﹁ふぁっ、んっ、んっ﹂ うちもも ﹁すごい熱くなってる。本当にガーウェンは全身可愛いね。全部、 舐めてあげるからな?﹂ くるぶし 優しくもみもみしてると、再びペニスが硬くなっていった。内腿、 膝、ふくらはぎ、踝、足先と順にキスして舌を這わすたび、ガーウ ェンの腰が揺れる。 それから手指、手首、二の腕、肩、首筋と同じように辿れば、ガー ウェンから切羽詰まった声が上がった。 ﹁リキ、ダメだっ、それだけで、も、ダメ、おかしくなるっ﹂ ハァハァと荒く息をつき、首を仰け反らせる。 ﹁ふふ、可愛い。ガーウェン、暑いだろ。水飲むか?﹂ グラスに水を注いで、それを少量口に含んだ。そして覆い被さるよ うにしてガーウェンに口付け、飲ませた。 コクコクとガーウェンの喉が上下する。 飲み終えたら、少し冷えた口の中が元の体温に戻るまで蹂躙し、再 び水を口に含み、飲ませる。 それを繰り返す間、ガーウェンは私の足を抱えて、硬い昂りをぐり ぐりと擦り付けるようにいやらしく腰を振った。 ﹁ん、ふっ、んあ﹂ ﹁・・・ガーウェン、大丈夫か?辛かったら止めるからな?﹂ 少し意地悪な質問だったろうか。 ガーウェンの性格からしてここで止めるとは言わない事は分かって いる。案の定、彼は顔を横に振り、潤んだ瞳で私を見た。 ﹁お、俺はリキじゃないと、ふぅ、ふぅ、ダメなんだ・・・だから﹂ 失った信用を回復しようと必死になっているガーウェンが可愛い。 868 可愛くて可愛くて苛めたくなる。 すね ﹁そ、それに、気持ちい、ああっ!あっ、んんっ!﹂ 足の項で袋をふにふにと揉み、脛で熱く硬くなったペニスを乱暴に 擦ると、ガーウェンは涎を垂らしながら大きな喘ぎ声を上げた。 ﹁ガーウェン、お仕置きだから気持ち良くなったらいけないって言 っただろ?いけない子だな﹂ 耳元でわざとらしく低くそう囁けば、ガーウェンから期待の篭った 蕩けた瞳で見られる。 ガーウェンの性質の根本は被虐なのだと思う。 ああ、もう。そんな顔されたら抑えられなくなる。 ****** 拘束具で一つにまとめた手首はベッドのヘッドボードに固定し、足 も膝上辺りに拘束具を付けて縛り、大きく開脚する位置でヘッドボ ードにロープで括り付ける。 だらだらと透明な体液を流し、ガチガチに硬くなっているペニスの 根元には可愛らしいレースのリボンで蝶々結びをしてあげた。濃い 赤毛の陰毛を撫でるとガーウェンは恥ずかしがって身体をくねらせ た。 ﹁これもつけてあげるな?﹂ 鈴の付いた小さなクリップを見せるが、ガーウェンは用途が分から ないようで小さく首を傾けた。 ﹁んぁ・・・それ、なに・・・﹂ ﹁これは、ここに﹂ ﹁ひぁあっ!ああ!ぅんっ!﹂ 869 大きく迫り出した胸筋の先端を摘んで、クリップで挟むとガーウェ ンが鳴いた。ガーウェンの身体が揺れ、ベッドとロープがギシギシ 軋む音に混じり、軽やかな鈴の音が鳴る。 ﹁そんなに嬉しそうに鳴らして。反対側も付けてあげるからな﹂ ﹁あっだめだっ、がっ!はぁ、あっ!・・・いっ!ぁはあっ・・・ !﹂ 反対側の乳首にも同じ様にクリップを付けてやると、一層鈴の音は 激しくなり、ガーウェンは頭を逸らして仰け反った。 ﹁あっ!ぐっ・・・う!おかっ、ぅあ!おかしくなる・・・っ!﹂ 強い快感を感じてビクッビクッと昂りは跳ね、リボンを揺らす。後 孔がひくつき、はくはくと控えめに開閉する様が良く見えた。 その姿を見下ろして、私は惜しんだ。 何で・・・何でこの世界にはカメラがないんだよ!ガーウェンの痴 態が記録に残せないじゃないか!! こんな可愛いのに!こんなエロいのに! こうなったら脳内に焼き付けて・・・!! 私の熱視線に気付いたガーウェンが身を捩って顔を背けた。耳どこ ろか身体中、赤く染まっている。 ﹁そ、そんな見んな・・・っ﹂ 喘ぎ声の合間の台詞は牽制にすらならない。 むしろそれは私の中の独占欲や支配欲や加虐心を刺激し、大いに煽 った。 ガーウェンの硬い腹に座り、筋の浮き上がった首に噛み付いた。 ﹁いっああっ!﹂ 痕の残った首に丁寧に舌を這わせる。 んっ、あっ、とガーウェンが短い嬌声をあげた。 ﹁ガーウェン・・・私は本当は心が狭いんだよ。ガーウェンが他の 女を抱こうと思った事にさえ腹が立つんだ。他の女に触れた事にも、 870 他の女と私を比べた事にも腹が立つ﹂ 耳たぶを甘く噛み、耳の中に舌を差し入れ蹂躙すると、ガーウェン は大きく身体を震わせた。 ﹁本当はガーウェンが他の女を視界に入れるのも嫌だし、こんな風 に縛り付けてずっと閉じ込めておきたいとも思ってる﹂ 潤んで揺れている赤茶色の瞳はすでに欲に陥落している。 ガーウェンを誰にも見せたくない。 私だけのモノにして、閉じ込めておきたい。 ガーウェンの目に映るのは私一人で十分だ。 私の本当の独占欲はそれほどなのだ。しかし、 あかし ﹁でもそんなことはしない。私はガーウェンを本当に愛してるから あかし あかし そんなことはしないけど、でも、身体全部に証を付けるから﹂ ﹁あ、証・・・﹂ ﹁そう。ガーウェンが私のモノだっていう証。全身に、隅々まで、 こうして﹂ 再び首筋に噛み付き、歯型を付けて、その周囲に強く吸い付き、赤 い印を散らす。 ﹁いっ!あっ!はぁ・・・あーっ、あぁ!﹂ 私の与える刺激に悦び悶えるガーウェンをじっと見つめた。 それに気付いたガーウェンが誘うようなどろどろに甘い声を出す。 ﹁・・・もっと・・・あっん、付けて・・・リキの印、もっと、ほ しい・・・﹂ ﹁・・・・・・いいよ。私の可愛い旦那さまの望み通り、もっと、 付けてあげる﹂ 惚けた瞳と赤い頰、喜びを示すように上がった口端、溢れた唾液、 光る汗。 全部、私のモノだと証明する為、全身に余すところなく証を刻んで いった。 871 ****** 賑わう﹃遺跡﹄前広場の隅にガラの悪い二人組が座り込んでいるの を見つけた。 ﹁おはよう、二人とも。来ないと思ってたんだがな﹂ そう声を掛けるとジェドリックがキツイ三白眼で睨み返してきた。 ﹁チッ!るせーよ、やンのかコラ!﹂ ﹁そうすぐ喧嘩腰になるなよ。来て正解だったな。お前らの体内に アフィの魔力が残ってるから、逃げてもすぐに見つかっただろうし﹂ と言ってやると途端にジェドリックは大声で﹁クソッ!あの鬼畜魔 女め!ふざけんな!﹂などと悪態をつき始めた。その元気な様子に 安心する。 ﹁身体は大丈夫そうだな﹂ ﹁大丈夫なワケあるか!!ケツの違和感が半端ねぇ気持ち悪りぃか ら!﹂ ﹁でも痛みはないんだろ?﹂ アフィにあれだけ手酷くお仕置きされたジェドリックだが、終わり にはアフィによる手厚い治癒魔法を受けており、外傷は擦り傷すら もすっかり治っていた。 ﹁傷がなくなればいいってもんじゃねーだろが。コイツなんてゆで 卵食えなくなったんだぞ﹂ コイツ、と呼ばれたエリオットがうっぷと口元を手で押さえる。 こぶしだい ﹁やめろ、それの話はすんな。気持ち悪い・・・﹂ ぶっこわれ そういやエリオットは触手に拳大の卵を腹の中に産み付けられてい たな。それを産む︵出す?︶時、だいぶ精神崩壊ていたし、トラウ マとなっても仕方がない。 ﹁もう少し早く止められたら良かったけどな。悪かった!﹂ 872 ﹁オメェ謝る気ねぇだろ!﹂ ごめんね、てへ☆と片目をつぶって見せると、ぶっ殺す!と返され る。 ﹁でもまぁ、自業自得の所をこうして別の代償に変えるように頼ん だ事は感謝してほしいけどな﹂ と笑うと、心底嫌そうな顔で舌打ちされた。 アフィは私以上に怒り心頭で、すでにあの時点でやり過ぎであった し、その暴走具合はこのままでは二人を文字通り壊すまで拷問する に違いないと確信した。さすがにそれはいけないので、暇を弄ぶ彼 女達にもっと長く遊べる別の提案をしたのだった。 ﹁たかだか数週間、彼女達に付き合って﹃遺跡﹄に潜ればいいんだ から、あの仕打ちよりマシだろ?﹂ ﹁マシなワケあるか。アイツらの異常さ知らねぇのかよ。アイツら に付き合ってたらすぐ魔力枯渇して干からびるわ!﹂ ﹁あの二人は自分に出来ることは皆が出来ると思ってるからタチが 悪いんだ。あんな異常を誰が出来んだよ﹂ ジェドリックもエリオットもがっくりと肩を落としている。 ﹁リキ。マリ達は﹃遺跡﹄前で待ってるらしいから行こう﹂ ガーウェンがやって来て、陰鬱な雰囲気漂うジェドリック達を首を 傾げて見下ろした。 つら ﹁なんだ、お前らやっぱまだ調子悪いのか?﹂ ﹁・・・だらしねぇ面しやがって。オメェだけ何楽しんでんだよ! つか自然にイチャついてんじゃねぇーよ!きめぇんだよ!﹂ ﹁おまっ、お前の方がきめぇわ!別にいいだろ!見てんじゃねぇよ !﹂ 隣に来た途端、私と自然に繋いだ手をジェドリックに指摘されてガ ーウェンが照れながらも反論している。 ﹁見てねぇーわ!大体、オメェが鬱陶しいから、こんなメンドクセ 873 ェ事になってんだろーが!詫びろ!死んで詫びろ!﹂ ﹁あ゛ァ?!お前が死ね!つか自業自得だろ!人の所為にすんな、 バカ!﹂ おっさん達の子供みたいな言い合いは、周囲からは遠巻きに見られ るぐらい浮いていた。 ﹁オメェがバカだ!つかなんだよその首の包帯。あれか?自意識過 剰な女みたいにキスマークでも隠してんのかぁ?﹂ ヘッと馬鹿にしたようなジェドリックの言葉にガーウェンの顔が一 あかし 気に赤く染まり、バッと手で首を押さえた。 その手はちょうど、昨夜、私が付けた証の位置である。 目を泳がせてあからさまに動揺しているガーウェンにジェドリック は苛立った声を上げた。 ﹁オメェふざけんな!俺らがヒィヒィ苦しんでる時にオメェは嫁さ んをヒィヒィ言わせてたのかよ!﹂ ﹁やっ、止めろ!こここんなとこでそんな事言うな!﹂ ﹁あぁん?それで女みてぇにキスマーク付けられて喜んでんのか? オメェはマジで鬱陶しいな!やっぱ死ね!﹂ 見せろ、やめろ、とじゃれ合っている図体のデカいおっさん達にう んざりと呆れる。 なんだかんだ言いつつ、こいつらは仲が良いようだ。 えず ﹁ほら、二人とももう止めろ。アフィ達を待たせ過ぎるとまた触手 責めされるぞ﹂ と言うが二人は聞いておらず、エリオットだけが再びうっぷと嘔吐 いて口を押さえたのだった。 874 おっさん、娼館に行く・おまけ*︵後書き︶ このあと待ち合わせに遅れたので、全員で姐さん達に叱られます。 875 眼鏡っ娘、恋をする・前編︵前書き︶ 副題﹃おっさん、恋の相談にのる﹄ 冒険者ギルド受付係・ファリスのお話です。 ファリスってだれ?デードルってだれ?という方は第3章までの登 場人物紹介をご覧下さい。 876 眼鏡っ娘、恋をする・前編 リン、リンとドアベルが可愛らしい音を鳴らす。 ふわりと香ばしい焼きたてパンの香りが私を包み込んですっごく幸 せな気持ちになり、ふふふ、と笑顔になった。 棚には綺麗に並んだ焼きたてパン。 見た目は無骨だけど、素朴で優しい味わいのパンばかり。作り手の 性格がそのまま出ているようで、私は大好きだ。 会計台の奥にある作業場から今焼き上がったばかりのパンが乗った トレイを手にしたこの店の店主が現れた。 私を見て鋭いけど優しい瞳を細めてくれる。 キュン、と胸がときめいた。 ﹁デードルさん、おはようございます!﹂ ﹁おはよう、ファリス。今日も宜しくな﹂ ﹁はい!宜しくお願いします!あ、私がやります﹂ デードルさんが持っているトレイを受け取り、棚にパンを並べてい く。デードルさんは作業場に戻り、またパンが乗ったトレイを持っ て来た。 せっせとパンを並べる合間、隣に立つデードルさんを盗み見る。 茶色の毛並みの熊耳が楽しそうにピコピコと踊っていた。 スッと通った鼻筋や鋭い牙を含めた頭部は熊そのものだけど、よく 見れば少し口端が上がっていて、それに小さく鼻歌が聞こえる。 半袖から見える二の腕から先は人族と同じ。 熊と人との境目はどうなっているのかは分からない。聞きたいけれ ど、そんな事聞いてはしたない子だと思われたら死んじゃう。 今はこうして一緒に働けるだけで、満足。・・・・・・本当はもう 少し良い雰囲気になりたい。 877 ドキドキ、する。 デードルさんと居るとドキドキする。 息が苦しくなって、心臓は痛いくらい早くてうるさくて切ないけど、 すごく幸せ。 デードルさんが、デードルさんだけがキラキラ輝いて見える。 そう、私はデードルさんに恋をしている。 ****** ﹁いつもありがとうございます!﹂ ﹁ファリスちゃんが手伝うようになってからこの店は明るくなった よねぇ﹂ ﹁そうねぇ、お客さんも増えたしねぇ﹂ 常連さんであるおば様達に次々褒められ、照れてしまって、うへへ と妙な笑い声を上げてしまった。恥ずかしくて慌てて誤魔化すよう な事を口走る。 ﹁わ、私はデードルさんの作るパンのファンなので・・・﹂ 初めは本当にそうだったけど、今は少し違うんですが、と心の中で こそっと付け足しておく。 私は冒険者ギルドが休みの日にデードルさんのパン屋さん﹃ハチミ おてつだい ツくまさん﹄のお手伝いをしている。 きっかけはリキさんが依頼のお礼に貰ったクルミパンのお裾分けで、 そのパンの虜になった私は﹃ハチミツくまさん﹄に通い詰め、その 878 うちお手伝いを始め、そしてすぐにデードルさんを好きになったの だった。 ﹁ファリスちゃんはいつも一生懸命で見ているだけで元気が貰える わ﹂ とニコニコ優しい笑顔を見せるおば様達に不純な動機を悟られまい と、そそくさと棚の上を布巾で拭く素振りをした。 私が一生懸命なのはデードルさんに気に入られたいからです・・・ !とは当たり前だけど、言えはしない。 おば様達を手を振って見送り、作業場のデードルさんを覗き見なが ら接客や店の雑用をこなすとすぐ閉店の時間になってしまう。 大きな身体に見合う大きな手が優しく生地をこねて、丁寧に小さな パンを作っていく工程はずっと見ていられるくらい。 かまどの火を真剣に睨む目はかっこいい。パンを買って行くお客様 の笑顔を見てピクピク動く耳は可愛い。 デードルさんの後ろ姿にも無口さにも動作一つ一つにも全部、胸が 高鳴る。 デードルさんが作業場から顔を出した。 ﹁ファリス。閉店作業は俺がやるから上がっていいぞ﹂ ﹁いえいえ、私も手伝います。二人でやった方が早いですよ﹂ ﹁そうだな・・・。いつも悪いな、手伝ってもらって。満足に給金 も払えないってのに﹂ 耳がシュンと垂れて落ち込み、申し訳なさそうな表情になるデード ルさんに、慌てて両手を振って見せた。 ﹁いいんです!わ、私がやりたくてやっているので!そのっ・・・ すっ好きなんです!パ、パンが!﹂ 最後に付け足した言葉は余計だったかも、と頬が熱くなるのを感じ ながら後悔するが、ふっと口元を緩めたデードルさんを見てしまえ 879 ば、心がほわほわ幸せ気分になる。 ﹁そうか。あ、そうそう。ファリスが前に言っていた店の宣伝も兼 ねたパンなんだが、試作してみたんだ。感想を聞かせてくれないか ?﹂ とデードルさんが持って来たバスケットの中には丸い顔に丸い耳が ついた可愛らしいくまさんの形のパンが入っていた。 ﹁わあ!可愛い!すごく可愛いですっ!!目はクルミですか?ふふ っ、少し困った顔のように見えるのがとても可愛い!﹂ これをデードルさんが考えて、あの大きな手で作っただなんて! 微笑ましいその光景を想像して、クスクスと笑うと、デードルさん が照れたように耳の後ろを掻いた。 ﹁やっぱり困った顔に見えるよな。どうしてもこうなるんだ﹂ ﹁目はクルミじゃなくてレーズンとか干し果物にしたらどうですか ?クルミは大きさにバラつきがありますから、困った顔になってし まうのかも﹂ ﹁あー、そうか・・・。でもクルミがいいんだよなぁ﹂ ﹁デードルさん、クルミが好きなんですか?﹂ デードルさんに関する事は結構知っているつもりだったけど、クル ミが好きなのは知らなかった。新たに知ったデードルさんの好みに 内心、大喜びしているとなぜかデードルさんが私を覗き込むように 身を屈めてきた。 ﹁・・・クルミはファリスが̶̶̶﹂ リン、リン ドアベルがなったので扉を振り返り、 ﹁すみません!今日はもう閉店・・・﹂ ﹁こんにちわー!手伝いに来たわよー﹂ 人懐こい笑顔の美人がそう言いながら店に入って来たのを見て、強 張る表情を何とか笑顔に持っていった。 ﹁エレさん、こんにちわ﹂ 880 ﹁ファリスちゃん!今日も可愛いわね!﹂ 私を見て顔を輝かせるエレさんに笑顔が引きつる。 エレさんはデードルさんの遠い親戚であるらしい。デードルさんと 同じ熊獣人だけど、デードルさんとは違い、熊耳が頭に付いている 他は人族と同じ姿だ。 でも人族の私と比べて、手足はすらりと長く、胸はだぷんと大きく、 腰はキュッと締まり、お尻はプリッとしている。 エレさんが言う﹁可愛い﹂は大人が子供に言う﹁可愛い﹂と同じ意 味なのだ。 ﹁今日はもう閉店なの?じゃあ、あとは私が手伝うからファリスち ゃんは帰っちゃっていいわよー﹂ ﹁えっ!?いや、あのっ﹂ ﹁ほら、ファリスちゃんは明日もギルドの仕事でしょ?早く帰って 休んだ方がいいわよ!デードルもそう思うでしょ!﹂ とエレさんはデードルさんを怖い顔して睨んだ。その迫力に圧され たのかデードルさんは頷いてしまう。 ﹁あ、ああ、そうだな。悪いな、ファリス。気が付かなくて。あと はエレに手伝ってもらうから、帰って休みな?﹂ 私を気遣い、申し訳なさそうな顔をしているデードルさんを見てし まえば、﹁大丈夫ですから!お手伝いさせてください!﹂とは言え なかった。 もう少しデードルさんと一緒に居られると思っていたのに。 ﹁・・・・・・・・・はい・・・帰ります。・・・また来ます。お 疲れ様でした・・・﹂ 絞り出すようにそう言った。また来る、と言ったのは私のせめても の意思表示だけど、隣同士並んだデードルさん、エレさん二人のお 似合い具合には意味を成さない気がする。 この場の邪魔者は私。 唐突に分かってしまったその事に打ちのめされてそそくさと逃げる ように店を出た。 881 ****** ﹁ファリス?﹂ ﹁・・・あ、ガーウェンさん・・・﹂ くまさんパンを貰ってくるのを忘れ、でも今から戻る勇気はなくて、 とぼとぼと歩いているとガーウェンさんに声を掛けられた。 そういえば﹃ハチミツくまさん﹄の近所に引っ越したと言っていた。 どうした?と心配そうに私を覗き込んでくれる。 ガーウェンさんはまさに百戦錬磨の冒険者といったような厳つくて 恐い容姿だけど、実は優しくて一途で照れ屋さんだ。冴えない受付 係の私にも気をかけてくれる。 ﹁いや、その・・・﹂ ﹁・・・ファリス、このあと暇か?﹂ 口籠って俯いた私の頭にポン、と手を置いてガーウェンさんが言っ た。 ﹁今、話題のケーキを食いに行こうと思ってたんだが、男一人じゃ 店に入り辛くて。一緒に行ってくれないか?﹂ ﹁・・・・・・リキさんとのデートの下見ですか?﹂ ﹁ぐっ!そ、そうだけど・・・何で分かるんだよ﹂ 最愛の奥さんの名前を出すと途端に顔を真っ赤に染めて照れるガー ウェンさんが可愛くて、落ち込んでいた気分が少し上向く。 ﹁ふふふ、いいですよ!そのケーキ屋さんってもしかして中央通り の花屋さんの角を曲がった所のですか?私も行ってみたいと思って たんです!﹂ 私が笑うとガーウェンさんも優しく笑顔を返してくれた。 882 かぐわ いつかデードルさんともこんな風に連れ立って街を歩けるだろうか。 歩きたいなぁ。 ****** あんず 杏のタルトはクリームの控えめな甘さと花のような芳しい杏の香り、 酸味の中のほんのりある甘さが大人の味わいだった。 しかしその美味しさも今は私の気分を上げてくれない。 ﹁ふーん。ファリスはデードルと恋人同士になりたいのか﹂ 向かいの席で同じく杏のタルトを食べているガーウェンさんにそう 言われ、頷いた。 ﹁でもデードルさんには仲の良い女性がいらっしゃって。私なんか と比べるのが申し訳ないくらい大人の綺麗な女性で、勝ち目がない なぁって・・・﹂ 言葉に出すと改めてそう思った。私のちんちくりんな体型とドジで 子供っぽい性格ではエレさんに対抗出来やしない。はぁ、と深いた め息が出てしまう。 ﹁リキさんのような完璧な大人の女性になりたい・・・﹂ と言うとガーウェンさんから笑い声が上がった。 ﹁リキは結構子供っぽいぞ。夢中になると周りが見えなくなってド ジすることもあるぐらいだ﹂ ﹁で、でもいつも余裕があって冷静なところは大人です!なんでも 上手くこなされますし!﹂ ﹁リキ曰く﹃カッコつけてる﹄んだってよ。それにリキにだって苦 手な事はあるぞ﹂ 883 あのリキさんがカッコつけてる?苦手なこと? いつも自信に溢れたリキさんの姿を思い出して、首を捻った。 ﹁まぁ、俺も出会った当初はそう思ってたからな。いつも余裕で冷 静で気高くて。それにあの容姿だろ?俺は本気でどこかのお姫様な んじゃないかと思ってた﹂ リキには内緒だぞ、とガーウェンさんは恥ずかしさを誤魔化すよう に頭の後ろを掻く。 ﹁でもリキは普通の女だった。腕っぷしは強ぇし度胸はあるしやた らと男前だったりするが、普通の女だよ。というか完璧な奴なんて どこにもいねぇと思うぞ?﹂ ﹁そうかもしれませんが・・・そうなら私は・・・﹂ リキさんが完璧じゃないなら、私なんて驚くほどちっぽけじゃない か。 ﹁お前は俺と同じだな。自分に自信がねぇんだ﹂ 驚いて顔を上げてガーウェンさんを見た。 ﹁俺はずっと自分はリキと釣り合わないと思ってたんだよ。いや、 今もたまに少しそう思うこともある﹂ ﹁そんな。リキさんとガーウェンさんはお似合いです!私の理想の カップルです!!﹂ ﹁そう言ってくれるのは、その・・・嬉しいけど、それで納得して 自信を持てるわけじゃねぇだろ?﹂ と苦笑気味に言われて、その通りだと頷く。人に言われても、結局、 私が私を信じられない。 ﹁リキもそう言ってくれるが、やっぱ不安になる。リキと釣り合う ような男が隣に居ると苦しくなる。だけど、自信はなくて不安だけ ど、諦められない﹂ ガーウェンさんの瞳は窓の外を見ているけれど、たぶん景色は映っ てはいない。きっとリキさんの姿を思い出している。 ﹁俺にはリキしか居ない。リキじゃないとダメなんだ。だから釣り 884 合わなくても、諦められないし、他の奴なんかに譲れない・・・あ っいや!その、何言ってんだ、だからその・・・ファリスも良い女 がデードルの側にいたとしても諦められねぇだろってことだ﹂ リキさんへの熱い想いを語ったガーウェンさんはひどく恥ずかしが っているが、私は感動していた。 諦められない。 どんなにエレさんとお似合いに見えても、私はデードルさんが大好 きだ。 叶わない恋かもしれないけど、この気持ちは諦められない。 ﹁・・・私、頑張ります!当たって砕けます!﹂ ﹁砕けるの決定なのかよ﹂ ﹁だって望み薄なんですよー!﹂ 骨は拾ってやる、とガーウェンさんがニヤリと笑って杏タルトを口 にした。私も一口、放り込む。 ﹁ん∼!美味しいっ!﹂ 甘さ控えめのクリーム。甘酸っぱい杏。 この杏タルトはまるで私の恋のようだ。 885 眼鏡っ娘、恋をする・前編︵後書き︶ 仲良し女子会︵ただし一人はおっさん︶ 886 眼鏡っ娘、恋をする・後編1︵前書き︶ すみません。長くなってしまったので、2つに分けました。 次話は7月2日木曜日いつもの時間に投稿します。 887 眼鏡っ娘、恋をする・後編1 次の日、ギルドの仕事を終えた私は急いで﹃ハチミツくまさん﹄へ 向かった。 昨日、せっかくデードルさんが作ってくれたくまさんパンを貰って 帰るのを忘れてしまったお詫びをするためだ。でも仕事が押してし まい、辺りは暗くなっていた。 閉店しちゃってるかも。 運動音痴の私にしてはものすごい俊足で街を駆けた。 店は案の定、閉まっていた。 しかし奥の作業場から光が漏れているのが見えて、迷った末、デー ドルさんに会いたい気持ちには抗えず裏口へと回った。 ドキドキしながら、戸を叩く。 ﹁こんっ、こんばんわ!ファリスです!﹂ 声を掛けてから、気付いて慌てて髪の毛を直す。 走って来たからボサボサだ! ﹁︱︱︱ファリス?どうした、こんな時間に。仕事帰りか?﹂ すぐにデードルさんは戸を開けてくれた。 背の高いデードルさんが驚いた顔で私を見下ろし、その綺麗な金色 の瞳に私が映っているのが見えて茹で上がりそうなほど顔が熱くな る。 ﹁お邪魔してすみません。あ、あの、昨日、くまさんパンを頂いた のに、その、忘れて帰ってしまったので・・・すみませんでした!﹂ バッと頭を下げると、笑い声が降ってきた。 ﹁わざわざ言いに来てくれたのか?律儀だな。・・・そうだ、ファ リス。少し寄っていかないか?後で送って行くから﹂ 目を細めて笑うデードルさんに誘われ、二つ返事で、はい!お邪魔 888 します!と答えてしまった。 よぎ 年頃の女の子としてはダメな返答だったかも、軽い女だと思われた らどうしよう、と不安が過ったのは一瞬で、 ﹁夕飯がまだだったら一緒に食べないか?﹂ と続いた言葉に私は再び、はい!食べます!と飛びついてしまった のだった。 デードルさんの今日の夕飯はシチューと売れ残りのパンだそうだ。 ﹁デードルさん、お料理もなさるんですね﹂ ﹁いや、あんまりしないよ。作ってもクリームシチューとか野菜ス ープとかクラムチャウダーとか・・・﹂ ﹁パンに合うスープ系ってことですね﹂ ﹁・・・ん、まぁ、そうだな﹂ 頬を掻いて苦笑いを浮かべるデードルさんの姿は珍しい。 デードルさんの事は結構知っていると思っていたけど、知らない事 の方が多い事に気が付いた。でも嫌な気持ちはしない。 新しいデードルさんを一つづつ知っていくのは胸がキュンキュンし て嬉しい。 ﹁昨日のくまさんパンはもうないんですか?﹂ 台所でお鍋をかき混ぜるデードルさんの背中に尋ねる。 二人で夕飯の準備なんてまるで恋人同士みたい!と私の頭の中はお 祭り騒ぎだ。 ﹁・・・・・・昨日、パンを渡そうと思って、ファリスを追いかけ たんだ﹂ ﹁えっ、そうだったんですか?﹂ ﹁・・・それで・・・・・・﹂ それ以降、言葉を切ったデードルさんは俯いてお鍋の中をじっと見 つめている。 ﹁デードルさん?﹂ 889 呼び掛けると、デードルさんはハッとしたように振り返り、そして なぜか視線を逸らした。 ﹁・・・・・・追いつかなかったんだ。それで悪くなるといけない から自分で食べてしまった﹂ その妙な雰囲気に首を傾げる。 くまさんパンの事で悩んでいるのだろうか? ﹁あの、デードルさん。もし良かったらまたくまさんパンを作って 頂けませんか?﹂ 元気付けたくて笑顔でデードルさんを見上げた。 デードルさんはパン作りが大好きでこのお店を一生懸命、頑張って いる。私はそんな一生懸命なデードルさんを好きになったのだから、 あんず 出来る限り彼を応援したい。 ﹁今度は目を干し杏にしてみたらどうでしょう。杏はデードルさん の瞳と同じ金色ですから、きっと世界一可愛いくまさんパンになる はずです!﹂ 私で出来ることがあるならなんでもしたい! デードルさんは目をまんまるにして、それから笑い出した。 ﹁ははは!そうか、世界一か!よし、じゃあそれで作ってみるか! 今度ファリスが来た時に食べさせてあげるよ﹂ ﹁やった!楽しみにしてます!﹂ ﹁ああ、楽しみにしてて。そういや、ファリスは普段眼鏡だったん だな﹂ 笑顔になってくれたデードルさんに嬉しくなってニマニマしている とそんな事を言われ、かぁっと一気に頰が熱くなった。 ﹁やだっ!外すの忘れてた!﹂ デードルさんに会う時は必ず外していたのに! 慌てて眼鏡を外そうとする私の手をデードルさんが掴んで、止める。 ﹁なんで取るんだ?﹂ ﹁あっ、あっ、に、似合っていないので!﹂ 890 眼鏡は私のコンプレックの一つだ。デードルさんには少しでもマシ な自分を見てほしいと思っている。 でも掴まれた手は振りほどけない! からか ﹁そんなことない。よく似合ってて可愛いよ﹂ 揶揄いを含んだ瞳も意地悪そうにニヤリと覗いた牙も初めて見るデ ードルさんの表情だ。 私は何も言えず顔を真っ赤にしたまま、しばらくあうあうと口を開 閉した。 ****** ニヘニヘと気持ち悪い笑い顔になっている自覚がある。 あの日から、三日経っても私の脳内はお花畑春爛漫、お祭りわっし ょい真っ最中だった。 デードルさんと一緒に夕飯を食べた。 デードルさんに家まで送ってもらった。 デードルさんに﹁可愛い﹂って言われた! いつもどんな瞬間もデードルさんのことを思って、ニヤニヤしたり、 悶えたりで仕事は全く手につかない。 もしかしてデードルさんは私のこと好きなんじゃ・・・?なんて向 こう見ずな期待も膨らみ、恋人は高望みだけど友人としては好意を 感じてくれてるはず!という自信に繋がって、日に日にデードルさ んへの想いは募っていった。 そして明日は待ちに待ったギルドのお休みの日。つまり﹃ハチミツ 891 くまさん﹄をお手伝いする日! でも盛り上がってしまった恋心はもう待ちきれなくて、﹁少しだけ﹂ と言い訳しながら、仕事帰りの私を﹃ハチミツくまさん﹄へ向かわ せたのだった。 西の空が橙色に染まり、夕日を受けた雲が金色に光る。 デードルさんの瞳みたいな金色。綺麗!デードルさんにも教えてあ げよう! ウキウキと浮つく気持ちで人通りの多い通りを進んでいると、見知 った後姿を見つけた。 ︱︱︱︱︱︱エレさんだ。 ドキッと胸が鳴る。もしかして﹃ハチミツくまさん﹄に向かってる? 気持ちは一気に落ち込んで、不安が心に充満する。 エレさんは迷いのない足取りで進んでいく。私はエレさんに声を掛 けることも走り去ることも出来ず、ただ一定の距離を保ったまま彼 女の後を付いて行くだけだった。 着いた先はやっぱり﹃ハチミツくまさん﹄だった。 タイミング良くデードルさんが店から出てきてエレさんに気付き、 片手を上げる。 デードルさんにすごく会いたかった筈なのに、その姿を見ると心臓 が軋んで苦しくなった。 ﹁お疲れ!これ、頼まれてたやつ﹂ エレさんはデードルさんに袋を渡した。デードルさんはそれを受け 取り、中身を確認すると、ふっと口元を綻ばせた。 すごく、すごく優しい顔。 ﹁悪いな。それでどうだった?﹂ ﹁え?ああ、あのパン?そうねぇ、子供には受けそうね。くまだし。 干し杏が甘くて主食には向かなそうだけど﹂ 892 息が、詰まった。 くま。パン。干し杏。 それって私がデードルさんに言った︱︱︱ デードルさんは私に食べさせてくれるって。 楽しみにしててって。 ・・・・・・エレさんにあげたの? こぼ ポロポロと涙が溢れた。 でも動けない。並んだお似合いの二人を見つめて動けなかった。 見たくない。逃げ出したい。なのに身体は金縛りにあったかのよう に動かない。 分かっていたはずだった。望みは薄い、見込みはない。 でもこうして真正面から突き付けられると、心も身体もバラバラに なりそうなほどで。 ふとデードルさんの視線が私の方へ向いた。 金色の瞳が見開かれ︱︱︱ はっきり﹃終わり﹄を突きつけられるのが怖くて、私は身を翻し逃 げ出した。 893 眼鏡っ娘、恋をする・後編2︵前書き︶ 本日20時にも補足的お話を更新予定です。 894 眼鏡っ娘、恋をする・後編2 人波をかきわけ、走った。 ボロボロと涙が次から次に出てくる。 馬鹿だ、私は!何を有頂天になってたの! 分かってた!分かってたけど! 小さな事に期待してしまうほど好きになってしまっていた。 当たれば砕け散る恋だと分かっていたのに、心はぐちゃぐちゃで訳 が分らなくなるほど悲しくて辛い。 勝手に期待して勝手に裏切られた気持ちになって、エレさんに嫉妬 して、デードルさんを酷い人なんて思って。 ・・・・・・私はなんて馬鹿で最低で独りよがりなんだろう。 もたつきながら走っていると突然、腕を掴まれて引き留められた。 見上げた先には怖い顔したガーウェンさん。 ﹁ガ・・・ガーウェンさ、んっ﹂ ﹁ファリス、どうした!大丈夫か?!﹂ ガーウェンさんが私を本当に心配してくれてるって知っているから、 腕を掴む強い力と鋭い声にも不思議と安堵する。 ぶわりっと涙があふれて、情けない声が出てしまった。 ﹁ふぇぇえ!ガーウェンさぁあん!﹂ ﹁ファリス!!﹂ 私を呼ぶ大きな声に心臓が跳ねた。その声は聞き間違えようもない デードルさんの声だ。 追いかけて来てくれたんだ。だけど今は嬉しさよりも苦しさを感じ る。勘違いさせないで! 身体を強張らせた私をガーウェンさんが背後に回して庇ってくれる。 895 ﹁お前が泣かせたのか﹂ とガーウェンさんが地を這うような低い声を出す。身体が震え出す ほどの怒気がこもった声だ。 ﹁ぐ・・・っ!お、お前こそファリスの何なんだ!!いつも一緒に 居て・・・!﹂ デードルさんが叫んだ。こんな風に声を荒げるデードルさんは初め で驚く。驚きすぎて涙が引っ込んだ。 ﹁何って。俺はファリスの友人だ!﹂ ﹁・・・・・・は?ゆ、友人・・・?そ、そうなのか?﹂ 胸を張ってそう言ったガーウェンさんに、良く分からないけどデー しき ドルさんは困惑していた。キョロキョロと私とガーウェンさんを交 互に見て、頻りに頭を掻く。 なんだか初めて見るデードルさんばかりだとこんな時だけど嬉しく なった。 ﹁なんだ。珍しい組み合わせだな﹂ ﹁リキ!﹂ ﹁リキさん!﹂ いつの間にかガーウェンさんとデードルさんの間にリキさんが立っ ていた。﹃森﹄からの依頼帰りのようだ。 ﹁ガーウェン、ファリス、ただいま。なんだか取り込み中みたいだ ったけど﹂ とリキさんがデードルさんを見る。するとデードルさんが、﹁あっ !﹂と声を上げて、ぽんっと手を打った。 ﹁どっかで見たことあると思ったら、リキの旦那さんか!そうだっ た!﹂ 納得したように頷いていたが、それからすぐ頭を抱えて唸りだした。 ﹁アホか俺は。完全な勘違いじゃないか・・・﹂ うち ブツブツとそんな事を言っている。どうしたんだろう。 ﹁事情はよく分からないが、二人とも家に来ないか?ここではやた 896 らと目立っているようだからな﹂ リキさんの言葉に初めて周囲を見回し、興味津々という視線の多さ に私達三人は顔を真っ赤に染めたのだった。 ****** 気持ちを落ち着ける作用があるからとリキさんが淹れてくれたハー ブティーを一口頂く。 少し苦味があるけど、口当たりはさっぱりとしていた。 斜め前のソファに座ったデードルさんも同じようにカップを傾けて いる。リキさん家のリビングでデードルさんとお茶するなんて、と 妙な状況に小さく笑う。 ふと思い付いてデードルさんに声を掛けた。 ﹁ハーブのパンとか美味しそうですよね﹂ デードルさんは私を見て、再びカップに目を落とし、それから、う ーんと唸った。 ﹁ハーブのパンを食べた事があるけど、好き嫌いが分かれそうな味 だったよ。やっぱり少し癖があるから﹂ ﹁そうなんですか。バジルだったら癖もあまりなくてパンに合いそ うですけどねぇ﹂ ﹁そうだな・・・あ、ペーストにして生地に混ぜたらいいかもね﹂ ﹁美味しそう!それにチーズが入っていたらいいかもですね!﹂ ﹁いいな。試作しようかな﹂ ﹁ぜひ食べたいです!﹂ と意気込んで言ったあと、ハッとしてモジモジする。 ﹁あ、あの、そのパンは、出来れば・・・い、一番に食べたいです・ 897 ・・﹂ 言っている途中で図々しい申し出だと思い、恥ずかしくなって俯く。 しかし中々デードルさんから返事がないため、ちらっと上目遣いに 視線を向けると、デードルさんは固まっていた。 ﹁デードルさん?﹂ ﹁・・・うーん、自惚れてもいいのか、これは﹂ 私の呼びかけにデードルさんは小さく唸って耳の後ろを掻く。 自惚れって?困っているようなデードルさんに首を傾げた。 ﹁あのさ、ファリスはさっきなんで泣いてたんだ?﹂ ﹁え?・・・あっ!あ、あああああれは、その!﹂ 私より先にエレさんにくまさんパンを食べさせた事が悲しかったか ら、とは言えない! 勝手な期待も嫉妬も失望もデードルさんには知られたくなかった。 目にゴミが入って、夕日が眩しくて、仕事で怒られて、色々子供っ ぽい言い訳は次々浮かんだけど、口はあうあうと開閉を繰り返すだ け。 ﹁あー、ちょっと待って。やっぱり先に俺に言わせてほしい。本当 は明日、来てくれたら言うつもりだったけど﹂ デードルさんがわしわしと頭を掻いた。茶色の熊耳がふるふると震 える。 ふっ、と小さく息をついて、デードルさんは緊張をはらんだ金色の 瞳で私を見つめた。 ドキッと胸が鳴り・・・ ﹁俺はファリスが、君が好きです﹂ ・・・え?・・・・・・え? 真剣な瞳。緊張した声。 デードルさん格好良い。じゃなくて!えっ?わたしが、すき? 898 一気に頬が熱くなる。 頭のてっぺんまで指の先まで燃えるように熱い。 思考が追いつかない。 ドキドキ、と心臓がうるさい。 ﹁ファリスが店を手伝ってくれるようになってから、俺は毎日がす ごく楽しいんだ。パン屋の経営は苦しい時もあるけど、ファリスが 元気で楽しそうな笑顔でいると俺まですごく元気になる。ファリス がいてくれるから毎日、頑張れるんだ﹂ 視界が、滲んで。 ずっと夢見ていた言葉なのに、なぜか涙がはらはらと流れ出て、息 が詰まる。 心から溢れ出た﹃デードルさんが大好き﹄という気持ちが身体中を 駆け抜けて、どんどん膨らんで堪えきれずに涙になったみたい。 ﹁ファリス、もし良かったらこれを受け取ってほしい﹂ とデードルさんが渡してくれてのはエプロンだった。フリルがたく さんついた真っ白な可愛いエプロン。 眼鏡をかけたくまさんの刺繍がついていて、思わず笑みが浮かんだ。 ﹁ギルド職員ほどの給金は払えないけど、もっと働いて店を繁盛さ せるから。苦労はさせるかもしれないけど、その分ファリスをたく さん笑顔にするから。だから俺と一緒に﹃ハチミツくまさん﹄で働 いてほしい﹂ デードルさんは向かい側から移動して、私の隣に座った。 エプロンを握る私の手にそっと触れる。初めて触れたデードルさん の手は大きくて温かかった。 ﹁ファリス、俺は君と結婚したいと思ってる﹂ けっ・・・けっこん?! 向けられるデードルさんの真剣な目にそれが冗談などではないこと を知り、驚きで息を飲んだ。 899 ﹁あーうん、分るよ。付き合ってもいないのに結婚なんて可笑しい と思う。でも俺は君じゃないとダメなんだ。だから結婚を前提に付 き合ってほしい﹂ ﹁・・・あ、その・・・えっと、あの・・・﹂ 言葉はもごもごして上手く出てこない。急展開に頭がついていかな いのだ。 頭の中で沢山の私が歓声を上げてはしゃぎ回っている。その中で冷 静な私が﹁落ち着いて!ちゃんと状況を確認して!﹂と叫んでいる けど、お祭り騒ぎの声に掻き消され、埋もれてしまっていた。 もっと頑張って!冷静な私! ﹁急に色々言われて訳分からないよな。ごめん﹂ デードルさんの熊耳がしゅん、と垂れた。 ﹁い、いえ!その、嬉しい・・・です﹂ と答えると実感した。 デードルさんが私を好きだって! デードルさんが私と結婚したいって! 天にも昇る気持ちというのはこの事かも! ﹁ファリスは今すぐ決めなくていいから。俺を見て不安や不満を感 じたら、断っていい。俺を試してほしい﹂ 試さなくても私の心はすでに決まっている。 ﹁本当はエレにも言われた通りもう少し時間をかけてファリスと付 き合っていこうと思ってたんだけど﹂ ﹁エレさんに言われた?﹂ ﹁ああ。エレは俺がファリスを好きだっていうのを応援してくれて、 色々アドバイスというか説教を貰ったよ。ファリスが働き過ぎて体 調を崩さないように早く帰せとか﹂ とデードルさんが苦笑いを見せる。 エレさんが閉店間際に訪れ、残りの仕事を引き受け、私を帰そうと したのは私の体調を気遣ってくれていたから。 900 そんなエレさんに嫉妬したり、嫌な気持ちになっていた自分はなん て嫌な奴なんだろう。 ﹁リキの旦那さんと一緒に居るところを見て、勘違いしたんだ。彼 がファリスの事を好きだって。その時、思ったんだ。俺には君しか いない。君がいい。誰にも譲りたくないって﹂ ぎゅ、と手を握るデードルさんの手に力が入った。 ﹁わ、私でいいんですか?私はドジだし嫌な奴だしうじうじしてる し・・・。取り立てて良いところはないです・・・﹂ ﹁ファリスがいいんだよ﹂ デードルさんが目を細め、口元を緩める。牙が覗いたが、怖さはな く可愛いと思った。 デードルさんは私が好き。 私はデードルさんが好き。 それなら返す言葉は決まってる。 当たって砕ける為に用意していた言葉。 ﹁ずっとデードルさんが好きでした。恋人になってください﹂ 901 眼鏡っ娘、恋をする・後編2︵後書き︶ リビングのファリスとデードルが気になる。 また泣かされたりしないだろうか。 ファリスは年がディアナと近いし、性格はベラと似ているから、ど うも気を掛けてしまう。ファリスもファリスでこんな厳ついおっさ んに懐いてくれてる。 気にしないなんて出来やしない。 ﹁ガーウェンはファリスと仲が良いんだな﹂ 台所で夕飯の支度をしているリキの声がした。 ﹁ん。ああ、お前の事で意気投合して﹂ ﹁私の事?﹂ とカウンターの向こうからリキが俺を見て、なぜかふいっと視線を 背けた。 なんだ? 妙に気になり、台所にいるリキを後ろから抱きしめた。肩越しに覗 き込むようにしたが、またふいっと視線が外されてしまう。 ﹁どうした?﹂ と尋ねるとリキは、うーんとはっきりしない返事をした。 なぜだか心が騒めく。この気持ちは﹃期待﹄だ。 ﹁言え、リキ﹂ 強めに強請ると、リキは一つため息をついた。 ﹁さっきファリスを背中に庇ってただろ﹂ 相変わらず視線は俺と反対方向へ向いている。 ﹁それが、あー、何と言うか・・・羨ましいと言うか妬けると言う か・・・﹂ 902 黒髪から覗いている耳が赤く染まっている気がする。 ﹁ぶっ!くくく!ふふっ、はははは!﹂ ﹁・・・笑いすぎだろ。失礼だな﹂ 照れたような声音のリキをぎゅうと強く抱きしめ、笑った。 愛しくて愛しくてたまらない。 願わくは今どんな表情をしているか、その顔を見せてほしい。 903 挿話 パン屋と幼馴染、画策する︵前書き︶ ﹃眼鏡っ娘、恋をする﹄の補足的お話ですので、前後編お読みにな ってからご覧下さい。 パン屋の熊頭獣人・デードルと幼馴染というより姉さんなエレの会 話です。 ちなみにデードルさんは22歳、エレさんは26歳です。 904 挿話 パン屋と幼馴染、画策する ﹁ちょっと!なんでファリスちゃんをこんな時間まで働かせてるの !いつも暗くなる前に帰せって言ってるでしょ!!﹂ ﹁日の入りまで十分時間はあるから。あんな風に追い出すのやめろ よ﹂ こ ﹁失礼ね!ファリスちゃんの為よ!あーんな小さくて可愛いリスみ たいな娘が夜道を歩いていたらすぐに悪い男にいいようにされちゃ うわ。純情で健気なあの娘を守ってあげなくちゃ!﹂ ﹁健気なのは同意するけど、あんまり過保護にするのはどうかな﹂ ﹁何言ってんのよ!ファリスちゃんには将来、エレお姉ちゃんって 呼んでもらうんだから!﹂ ﹁お姉ちゃんって歳じゃないだろ・・・﹂ ﹁ア゛ァン?・・・ふんっ!デードル、アンタはがっつくんじゃな いわよ。ファリスちゃんは恋愛慣れしてなさそうだから丁寧に慎重 によ。いい?追いかけたら怯えて逃げちゃうわ、きっと﹂ ﹁分ってるから。・・・あ、ファリス、パン持って帰るの忘れてる な﹂ ﹁よし。追いかけなさい﹂ ﹁なんでだよ。さっき追いかけるなって言ってただろ﹂ ﹁馬鹿ね!それとこれとは違うのよ!ほらさっさと追っかける!!﹂ ﹁お、おう・・・﹂ ****** 905 ﹁・・・・・・・・・﹂ ﹁おかえり。どうしたの?ファリスちゃんに追いつかなかった?﹂ ﹁・・・・・・ファリス、男と一緒にいた・・・﹂ ﹁ええっ!?ちょ!まっ!詳しく!!!﹂ ﹁なんかすごい仲良さ気に話してて、その男、ファリスの頭をポン、 て・・・﹂ ﹁なんてイヤラシイ男なの、ソイツ!女の子の頭に触るなんて余程 親しくなきゃできないわよ!﹂ ﹁ファリスの恋人かな・・・彼氏いないと思ってたけど、そうだよ な、あんな良い娘に居ない訳ないよな・・・ハハハ・・・﹂ ﹁馬鹿!何、現実逃避してんのよ!私の情報網によるとファリスち ゃんは確実にフリーよ!ソイツはきっとファリスちゃん狙いなのよ。 どんな男だった?﹂ ﹁あの体格からして冒険者だと思う。厳つくて眼付きが鋭い三十代 後半っぽい奴だった。なんか見覚えがあるからもしかしたらこの店 に来たことがあるかも﹂ ﹁それでファリスちゃんを見初めたのかもね。そのオヤジ、純情そ うなファリスちゃんを手籠めにしようとしてるのかしら﹂ ﹁でもファリスも何か話してたんだ。知り合いみたいだった﹂ ﹁そりゃ話すでしょ。ファリスちゃん、ギルドの受付嬢なんだから。 冒険者はお客よ。でもうかうかしてられないわね。ゆっくりしてる とファリスちゃんがオヤジの毒牙にかかるかもしれない!﹂ ****** 906 ﹁俺、ファリスに告白する﹂ ﹁あら、なに。どうしたの﹂ ﹁昨日の夜、ファリスと話しててやっぱり良いなって思ったんだよ。 店のことも馬鹿にしないであんなに真剣に考えてくれるような女性 はいない。それにファリスの笑顔や一生懸命さにものすごく元気を 貰ってたって改めて感じるんだ。ファリスと一緒に働きたいなって﹂ ﹁良く言ったわ!それなら結婚を前提に交際を申し込むのよ﹂ ﹁早くないか?結婚なんて。ファリスが引くだろ﹂ ﹁あくまでも前提。最終的に決めるのはファリスちゃんよ。アンタ と店は切り離せないんだから、最初からちゃんと見てもらうのよ。 アンタのファリスちゃんとこの店に対する覚悟をね﹂ ﹁・・・・・・・・・﹂ ﹁ファリスちゃんには時間をかけてアンタと店を確認してもらって から、付き合うことを検討してほしかったけど、ファリスちゃんを 狙うオヤジもいるし悠長にしていられないわ﹂ ﹁そう、だよな。ファリスが他の男と付き合うことになったら俺は 絶対後悔する。エレ、急ぎでエプロンを作ってくれないか?ファリ スに似合うやつを﹂ ﹁オッケー!可愛いのを作るわ!﹂ ﹁あー出来れば眼鏡をかけたクマの絵もつけてくれるといいな﹂ ﹁何それ。まぁいいわ。それも作ってあげる﹂ ﹁あとパンを試作するから食べた感想も頼む﹂ ﹁まったく、注文が多いわね﹂ ﹁いつも悪い﹂ ﹁馬鹿ね。小さい頃からずっと一緒に暮らしてきたのよ。アンタは もう家族。出来の悪い弟の為に出来の良い姉が手を貸すのは当たり 前じゃない﹂ ﹁・・・そうか﹂ ﹁そうよ﹂ 907 ****** ﹁っ!ファリス!!﹂ 少女を追って駆け出す弟の背中に大きな声援を送った。 ﹁私の弟なんだからしっかり頑張んな!﹂ 成功しますように。 成就しますように。 幸せに、なりますように! 908 女子とおっさん、休日を謳歌する*︵前書き︶ エッチな表現があります。 二人の休日、いつものラブラブをお楽しみ下さい。 909 女子とおっさん、休日を謳歌する* もにゅもにゅもにゅもにゅ まどろ 胸を揉んでくる武骨な手に微睡みを邪魔された。 うなじ 今日は2人とも仕事が休みだから朝はゆっくりしような、と言い出 したのは他ならぬ、胸を揉み、項にハァハァと熱い息をかけてくる 後ろのおっさんである。 ﹁いてっ!﹂ 手の甲を抓ると腕は後ろに逃げていった。 追いかけ、振り返れば、叱られる事は分かっているという気不味そ うな顔で視線を泳がせているガーウェン。 ﹁おはよう、ガーウェン﹂ ﹁う、あ・・・うん、おはよ﹂ ﹁随分と早起きなんだな﹂ にっこりと笑えば、ガーウェンはあうあう呻いて視線はうろうろし 出す。 何だってこんな図体のデカい厳ついおっさんがアホ可愛い大型犬の ように見えるのか。私の頭がおかしいのか? ﹁ゔぅ・・・スミマセンデシタ・・・﹂ ﹁まだ夜明け前だぞ。いつもよりもだいぶ早いだろ﹂ ﹁あー、うん、悪い。なんつーか、その・・・﹂ 頬を染め、目を伏せてぼそぼそと続ける。 ﹁リキと一日一緒に居られるって思ったら、なぜか目が覚めて・・・ ﹂ あれか。遠足の朝、テンション上がりすぎてとんでもない時間に起 きだす小学生か。 910 なんだ、このおっさん。可愛すぎか!! がばっとガーウェンの身体を抱きしめた。ガーウェンは筋肉で厚い ので私の腕は回り切らない。それでも、もう、なんというか、 ﹁可愛いなぁ、もう﹂ おずおずと私の身体にガーウェンの腕が回った。 ﹁髭が生えてきて、髪に寝癖がついてて、朝から盛ってるおっさん だけど、すごい可愛い﹂ ﹁ぐ・・・それ、褒めてねぇだろ﹂ ﹁ふふっ。褒めてるよ。全部可愛いんだよ。まぁ、つまりガーウェ ンの全部を愛してるってこと﹂ ざらつく頬を撫でて、口付けをする。薄暗い部屋の中でも赤茶色の 瞳が光るのが見えた。 ﹁お前は、リキは綺麗になった。出逢った頃よりもっと﹂ と口を塞がれる。息に熱が戻ってきている。唾液と一緒にそれを飲 みこむと私の身体の奥も熱を発しだした。 ﹁それはガーウェンのお陰だよ。女は恋をすると綺麗になるって言 うから、私を綺麗にしたのはガー・・・﹂ 言葉の続きはガーウェンの口内へ消えていく。 太い指が背骨をなぞりながら下がって、お尻の肉をかきわけ、潜り こんだ。ぬるつく場所へと到達するとすぐに指が中に入ってきて、 喉の奥で鳴く。 残っていた自分の残滓を掻き出すようにガーウェンの指が忙しなく 出入りを繰り返した。でも浅い。もっと奥に欲しい。 唇がほんの少し離れた瞬間に、甘く強請った。 ﹁奥まで、触って﹂ すぐさま俯せに返され、ガーウェンが身を起こすと同時にぐいっと 指が奥に入り込んだ。 ﹁ああっ!﹂ 911 反射的に中を締め、ガーウェンの指を食む。太くてゴツゴツした指 をしっかりと感じて興奮する。 それでも指はずにゅずにゅと内壁を擦るように動くので、意図せず 誘うように腰が揺れだしてしまった。その揺れるお尻をガーウェン がペロペロと舐める。 ﹁あっ、ガーウェンは、んん、エッチにな、ああっ、なったね﹂ と言えば指を引き抜かれた。肩越しに視線を後ろに向けると、ガー ウェンの昂りが私の中に押し入る所だった。 ﹁あっ!あ、ああ!﹂ ﹁俺がエッチになったのは間違えようもなくお前のせいだ﹂ ガーウェンが覆い被さってきて、項に噛み付く。ベッドに付いてい た私の手にガーウェンの指が絡んだ。 ﹁嫌?﹂ ﹁・・・・・・な訳ねぇだろ﹂ ぶっきらぼうな言葉と優しいキスが耳の後ろに降ってくる。ゾクゾ クと背筋に快感が走り、仰け反った。 ﹁私も嫌じゃな・・・っ!ぁん、あっ!んっ!﹂ 言葉はガーウェンの律動に遮られた。 絡んだ指を強く握ると同じくらい強い力で握り返される。 嫌じゃない。それどころか感謝してる。いつも幸せにしてくれてあ りがとう。 と伝えたかったが、全て嬌声に変えられてしまった。 ****** 家や店の軒先に色とりどりの提灯や様々な形の灯篭が吊り下げられ 912 ていた。夜になればソーリュート中にあるこれらに灯が灯される。 ﹃海龍祭﹄の期間中それは続き、ソーリュート全体を煌々と輝く不 夜城とするそうだ。 ﹃海龍祭﹄とは一年の大半、海底に沈んでいる迷宮﹃海龍の神殿﹄ が浮上し海上に現れるのに合わせて催される祭りである。前夜祭、 後夜祭を含んで約4ヶ月間行われ、仮装パレードや闘技大会など各 地区で様々な催し物が開かれるソーリュートの夏の風物詩だそうだ。 ﹁なんでも﹃神殿﹄の主は派手なのが好きらしくてな。その期間は 街を上げて騒ぐのが通例なんだよ﹂ ブルードラゴン とガーウェンがレモン味のジェラート片手に教えてくれた。 ﹃神殿﹄の主とは蒼海龍と呼ばれる古き龍のことである。気難しく 気位が高い他の龍とは違い、他種族にも好意的で友好的、その為ソ ーリュートの守護者となっている。 ﹁﹃神殿﹄か。行ってみたいな﹂ ﹁ん。連れてってやるよ。変わった罠とかあって面白ぇよ﹂ ﹁へぇ楽しそう、ってこら。人の食べんな!﹂ ﹁ん!こっちも美味い!﹂ 私が持っていたバニラアイスに横から食らいつき、目を輝かせるガ ーウェンに苦笑する。半分も食いやがって! ﹃神殿﹄へと続く岬には毎年たくさんの屋台が並ぶそうで、前夜祭 を来週に控え、既に何店も屋台が出ていた。迷宮に近い事もあり、 屋台は食べ物だけでなく武器防具や魔道具、薬草などの冒険に必要 な物、観光地特有の妙な土産品など多岐にわたっている。 本日、私達は砂浜デートで、海を眺めながらブラブラするついでに 屋台の食べ歩きをする事になっていた。 ガーウェンはよく私の食べている物を少しくれと強請る。食い意地 913 が張っているというより、おそらくだが、ガーウェンはお互いの食 べ物を少しずつ食べさせ合うという行為が好きなのだと思う。 何にせよ、必ず、 ﹁どっちも美味いな﹂ と幸せそうに、ふにゃっと笑うガーウェンが可愛いのでいい。 ﹁オニーサン、オネーサン。見てってヨ!オネーサンに似合いそな アクセサリーいっぱいあるヨ!﹂ 特徴的な片言の露天商に声を掛けられた。地面に敷いた布の上に指 輪やネックレスなどが雑に置いてある。 何となく興味をそそられ、しゃがみ込んで覗いた。この辺は観光客 相手の商売が多いためか、南地区の相場より割高である。 ﹁オニーサンたち夫婦カ?﹂ ﹁そうだ﹂ 私の隣で同じように身を屈めて覗き込んだガーウェンがそう返すと 露天商は饒舌になった。 ﹁なら指輪、オクサンにあげるいいヨ!婚姻の証にオクサンに指輪 あげる種族いるヨ!その指輪、オクサン守り、二人の心つないでく れる。ラブラブなオニーサンたちにぴったりネ!﹂ ﹁へぇ、結婚指輪かぁ。私の故郷にも似た風習があるな﹂ 本当かは分からないが、話上手な露天商の言葉に思わず続けてしま う。 ﹁えっ!﹂ ガーウェンからひどく驚いた声が上がった。更に、 ﹁ばか!なんでそれ言わねぇんだよ!﹂ と文句を言いながら指輪を片っ端から睨み付けるように、吟味し出 した。 その剣幕に一瞬呆気に取られたが、すぐにガーウェンの真意が分か り、口元が緩む。 914 ﹁店主、ペアの指輪はないのか?﹂ ﹁あるヨ!オネーサン運が良いヨ!これ今日たまたま手に入たペア リング。なんと!正真正銘、蒼海龍の鱗で出来た﹃加護付き﹄ネ!﹂ ﹁﹃加護付き﹄?ニセモノじゃないのか﹂ ガーウェンが胡散臭そうに店主を見た。 ﹁本物ヨ!ワタシいちお露天商カイワイでは名の通る者、ウソ言わ ないネ﹂ 後で聞いたのだが、﹃加護付き﹄とは文字通り﹃蒼海龍の加護﹄が 掛かった品を指すもので、所持していると運気が上がるとか命を救 うとか眉唾な効果がある縁起物らしい。 ﹁だったら尚更買えねぇよ。アンタが持ってた方が良いだろ﹂ ﹁・・・オニーサン、あなたとってもイイ人ネ。オネーサン、イイ 旦那見つけたネ!﹂ ﹁ふふっ。そうだろ?世界一の旦那様だよ﹂ そう惚気れば途端にガーウェンが顔を染めて俯いた。 店主の笑みが深くなる。 ﹁ワタシきめた!コレはワタシからの結婚祝いネ!貰ってチョーダ イ!﹂ と店主がペアリングをガーウェンの手に無理矢理乗せて握らせた。 ﹁お、おい!こんな高価な物貰えねぇから!﹂ ﹁というのはウソヨ。コレ、ビジネスの話ネ。アナタたち優秀そー だから恩売ったら利益ありそネ。珍しーモノがあったらワタシの店 にきて。祭りの間は﹃神殿﹄の素材がいーヨ!﹂ 人の良さそうな笑顔のまま店主がそんな事を言うので、遠慮してい たガーウェンの顔は引きつっている。 ﹁コレ、ワタシの店の名刺。ゴヒーキに!﹂ ****** 915 蒼海龍の鱗から出来た指輪は光の加減により鮮やかな蒼色から深い 翠色へと次々に色を変えた。目の前に手を広げ、その光の変化をニ ヤニヤしながら見る。 後ろからガーウェンの忍び笑いが聞こえた。振り向こうとすると、 もう少しだから前向いてろ、と叱られてしまう。 今夜も就寝前にベッドでガーウェンが髪を結ってくれている。なの で再び指輪の鑑賞に戻った。 必要だとあまり考えていなかった結婚指輪だが、こうして左手の薬 指に収まっているのを見るとニヤニヤが止まらない。 ﹁終わった。なんだよ、そんなニヤついて﹂ とガーウェンが後ろから私を抱えて、自分の手も同じように目の前 に広げた。 並んだ二人の左手の薬指には蒼色に光る同じ指輪。 ﹁んー、指輪は武器持ったり殴ったりする時に危ないからなくてい いと思ってたけど、こうして見るとなんていうか、凄く嬉しい﹂ ﹁そうだろ。確かに指輪は俺やお前の戦闘スタイルにはちょっと邪 魔だけど、そういう事じゃねぇんだからちゃんと話せよ﹂ と言う少し怒ったようなガーウェンの声音に振り返り、抱き着いた。 ﹁うん、ごめんね。また自己完結してたみたいだ﹂ ﹁それ、お前の悪いところだぞ﹂ ﹁うん、ごめん。指輪ありがとう、ガーウェン。いつも幸せにして くれてありがとう﹂ 今朝、言えなかった言葉を言えば、ぎゅっと力強く抱きしめ返され る。 ﹁・・・・・・俺も感謝してる。いつも幸せにしてくれてありがと う、リキ﹂ 916 視線が絡めば何となく照れくさくて、お互いの顔に笑みが浮かんだ。 部屋の灯りを落として、ベッドに横になる。 今日はいつもと違い、向かい合って眠る事にした。 ﹁ガーウェンが綺麗な貝殻を見つけるのがあんなに上手いとは知ら なかった﹂ 日中の事を思い出し、クスクスと笑うとガーウェンもつられたのか 笑う。 ﹁あんなに小さい子供に懐かれたのは初めてだ。いつも怯えられる のにな﹂ 砂浜を歩いている時、貝殻を探して遊んでいる子供たちに行き合っ た。一緒に遊んであげると、ガーウェンが次から次に綺麗な貝殻を 探し当てるので、﹁すげー!貝殻取り名人じゃん!﹂と子供達から 羨望の眼差しで見られ、賞賛される事態となった。 子供達に囲まれ揉みくちゃにされながら、満更でもなさそうな笑み を浮かべていたガーウェンは微笑ましかった。 ﹁宝物も増えたし、また遊びに行こう﹂ 新しい宝物はガーウェンが見つけた桜色の二枚貝の殻だ。小指の先 程の小さな貝殻を小瓶がいっぱいになるほど集めてくれた。 健気で可愛いガーウェンそのもののようで、とても嬉しかった。 今日の余韻に浸り、見つめ合っていると、どちらともなくキスが始 まる。 軽く触れては離れるキス。 ﹁んっ・・・ガーウェン、大好き・・・好き、ぁ、好き・・・大好 き・・・﹂ ﹁・・・っ、リキ、そんな言うな、くそっ﹂ キスと愛の囁きを交互に繰り返していると、少々乱暴に腕の中へ抱 き込まれた。 ﹁そんな煽んな﹂ 917 返答する前に荒々しく深いキスで口を塞がれる。舌を吸い上げられ、 擦り付け、絡み合う。 身体の奥を疼かせるこんなキスをするガーウェンの方が欲情を煽っ ているじゃないか。 ﹁ん、ぁ・・・はっ・・・あ、ふ・・・﹂ もう、ガーウェンに夢中になっている。 ガーウェンのくれる全てに幸せを感じる。 好き好き。大好き。大好き。愛してる。 もっとたくさん言いたい。伝えたい。 ガーウェンへの愛情が大きくなりすぎて、それが言葉として外へ溢 れ出しているのだ。 ﹁ガーウェン、言わせて。じゃないと苦しい。ガーウェンを好きな 気持ちが身体いっぱいで、苦しいよ﹂ 私の視線から逃げるようにガーウェンが私を抱き込んだ。 ﹁・・・そ、そういう事は、言わなくていい・・・﹂ 見えないけどきっと、ガーウェンの耳は小瓶いっぱいの貝殻と同じ 色に染まっているのだろう。 918 森の奥に潜むもの 1 豪華で重厚な執務机の前には騎士が三人、直立不動で並んでいた。 机を挟んだ向こう側には彼らを呼びつけたこの部屋の主となぜか憔 悴した顔のソーリュート騎士団総団長がいる。 無表情のメイドが紅茶を机の上へ置くと主が笑った。背後の窓から の陽光を受けて髪が綺麗な空色に輝く、誰もが息を飲むほどの美し い笑みである。 その神々しさに一瞬見惚れていたが、左端にいた騎士がなんとか口 を開いた。 ﹁緋剣騎士団第三班班長、グリフィス・ウォーレン、御命令により 参上致しました﹂ 同じ様に見惚れていた他二名も慌てて名を名乗る。 ﹁同じく!第三班副班長、ユアン・オルビー参上致しました!﹂ ﹁お、同じく第三班、キャサリン・キンバリー参上致しました﹂ 緊張しきった様子の三人を見て、超絶美形が楽しそうにまた甘い笑 みを浮かべると、三人の内唯一の女子であるキャサリンがモジモジ し始めた。 王子より王子の笑顔を持つと言われる人物を前にしては仕方がない かもしれないが、総団長の目が冷ややかになっていくのを見てとり、 ユアンがさり気なく彼女の足を踏みつけた。 ﹁いっ・・・﹂ ﹁やあ、初めまして。知っているだろうけど、僕がクリシュティナ・ エクスリュートだよ﹂ キャサリンの悲鳴は上手いこと爽やかな声に掻き消されることとな った。 ロンドールク公爵の次女であり、クナ侯爵の養子となった次期ソー 919 リュート管理区長。 魔法陣作成・構築の天才にして国王認定魔術師。 パーフェクト 現国王陛下の従姪。王家の血を引く者。 王子よりも王子。完璧王子様。 これらから分かる通り、クリシュティナ・エクスリュートとは一介 の騎士が言葉を交わす機会などないような高貴なるお方なのである。 その姫君に名指しで呼び出された騎士達の驚愕、困惑、緊張たるや 想像に容易い。 ﹁今日は君達に任務の関係で来てもらったんだよ。僕が認定魔術師 の称号を賜った発明は知っているかい?﹂ ﹁はい。簡易転移魔法具と聞いています﹂ 答えたのはグリフィスである。 20代半ばで上背があり、良く鍛えられた身体とキリッとした顔は 騎士然としている。緋剣騎士団の若手騎士の中では群を抜いて剣技 に長けた将来有望株である。 姫君が正解だよ!と声を弾ませ、手を叩いた。 今この世界に現存する転移門は﹃創造の魔術師﹄カウェーラ・ケン タウロスが作製した物が殆どである。それらを模して新たに門を作 ろうにも優秀な魔術師、魔法師は山ほど必要であり、作製費用も国 家予算レベルに膨大であった。 その常識を覆したのが目の前の姫君である。 彼女は今までどの魔術師も解明できなかった転移門の術式の全てを 解析し、更に再構築し、門のような嵩張る物ではなく携帯式の新た な転移魔法具を発明した。 それは世界を激震させる発明だった。 今、各国が挙ってその技術を盗もうと躍起になっており、ソーリュ ートだけでなくラーニオス王国中にスパイが入り込んでいると噂が 立つほどである。 920 ﹁僕はその簡易転移魔法具の軍事転用を考えているんだけどね。君 達にはそれのテスト運用をお願いしたいんだよ﹂ テストということは軍事用の簡易転移魔法具はすでにほぼ完成して いるということ。 最高レベルの国家機密に相当する為、否が応でも騎士達に緊張が走 った。 ﹁ルトルフに成果を急かされているから、急だけど実戦でのテスト を計画したんだ。ああ、大丈夫だよ、サポートは手厚くするから﹂ ルトルフは昔から成果主義なんだよね、とたわいの無い世間話のよ うに姫君は王子様のように爽やかに笑うが、国内最高峰の魔術師で あるルトルフ主席魔術師から成果を求められているなんて話はプレ ッシャーにしかならない。 ﹁総団長、任務の説明を﹂ ﹁はい﹂ 姫君の命に総団長が頷き、前に歩み出た。総団長の険しい目に騎士 達は姿勢を正した。 ﹁まず事の発端は3日前になる。お前達の耳にも入っていると思う が、﹃森﹄の第四層付近でかなり大型の一角大蛇が確認された﹂ 一角大蛇とは﹃逢魔の森﹄に生息する蛇の一種で、体長は2メトル から10メトルほど、紫と黒の縞模様と毒牙、その名の由来となっ た額の大きな一角が特徴である。 ﹃逢魔の森﹄の生態系の特徴として森深く行くほど、皇龍山へ近付 くほど生物は巨大化、凶暴化していく。 今回報告された一角大蛇の全長は約8メトル。比較的森の浅い第四 層では見られない大きさである為、最近では﹃森﹄に入る者には注 意勧告が出されていた。 921 ﹁お前達にはその一角大蛇を探して ﹁転送・・・ですか・・・?﹂ 転送 してもらいたい﹂ ﹁そう!これは僕が発明した転送装置なんだけどね﹂ 聞き慣れぬ言葉に疑問を浮かべる三人に姫君が取り出して見せたの は表面に細かな文字や図形が彫り込まれている鈍色の金属杭だった。 それを手に嬉々として姫君は続ける。 ﹁これを立体の頂点として配置すると結界が展開され、その結界面 を境界として内側、結界内を転送空間として設定するんだ。そして 術式を実行すると予め指定しておいた座標に結界内に存在した物質 全てが空間ごと転送される訳だよ。面白いだろう?﹂ と眩しい笑顔で言われても理解できないし面白いと思えない、と三 人は叫んだ。心の中で。 ﹁・・・殿下。もう少し簡単な説明でお願いします﹂ 同情を滲ませた顔で総団長が助け舟を出してくれた。当のクリシュ ティナは難しかった?どこらへんが?などと首を傾げている。噂に 違わぬ姫君の天才ぶりに三人は顔を引き攣らせた。 この装置は自分達が扱える物なのだろうかと一気に不安になってし まうほどである。 ﹁うーん、そうだねぇ。テントを想像してごらんよ。騎士団で支給 してるテントの形は四角錐だろう?﹂ ﹁しかくすい・・・﹂ と遠い目でユアンが呟いた。早々に脱落した彼にキャサリンの冷た い視線が向けられる。 ﹁その四角錐の頂点にこの転送装置を配置すると結界はテント型に 展開される。その中が転送空間になるんだよ。それでそのテントの 中にある物が目的地へ転移させる事が出来る﹂ ﹁で、殿下、発言をきょ、許可頂きたく﹂ キャサリンが吃りつつ右手を挙げた。 ﹁いいよ﹂ ﹁お、お話をまとめますと、私達は目撃された一角大蛇をその装置 922 の結界で捕獲して、転移させるという事ですよね?﹂ ﹁そうだ﹂ キャサリンの問いに答えたのは総団長だった。鋭い眼光に三人は緊 張して姿勢を正した。 ﹁お前達の任務は二つある。一つ、目撃された一角大蛇の捜索、発 見。二つ、その一角大蛇を転送装置で捕獲して5日後の正午に転送 する事だ﹂ 水妖精の池 へと向かう。察 ﹁君達の出発と同時に緋剣騎士団と翠剣騎士団の混合チームが演習 の名目で﹃逢魔の森﹄第四層にある しの通り、一角大蛇の転送先はそこに設定してある。君達の任務は 騎士達が大挙して待つその場所へ時間通りに一角大蛇を転送する事 だよ﹂ 三人は自分達に課せられた任務の思っていた以上の重大さに息を飲 む。 グリフィス達の役目は討伐作戦の要である。 失敗など出来ない。求められているのは曖昧な成果などではなく、 ただ一つ﹃任務成功﹄のみであると理解したのだ。 引き締まった表情を見せた騎士達に満足そうに姫君は笑った。 ﹁そんな気負いしなくてもいいよ。君達には僕の助手を相談役とし て同行させるから。不安な事は助手に聞いてごらん。ほら、紹介し よう﹂ と言って三人の背後を指差した。 瞬間、空気が揺らいで気配が現れた。 先ほどまでは確かに何もいなかった背後に気配。 三人は振り返って、一瞬で身構えた。動きの滑らかさと素早さで彼 らの優秀さが分かる。 そこに居たのは藍色のマントを羽織った小柄な人物だった。身体は すっぽりとマントに覆われ、顔も目深に被ったフードで口元しか見 923 えない。 線の細さから女か成人前の子供だろうと思うもののそれにしては異 様なほど気配が薄く、騎士達は警戒を解けないでいた。 ﹁彼女が僕の助手のサエグサ。装置に関しては彼女に聞いて﹂ ﹁サエグサです。どうも﹂ マントの女は簡素な自己紹介だけであとはまた黙った。不機嫌さが ありありと分かる声音と雰囲気である。 それに対して姫君が爽やかな声を上げて笑った。 ﹁ははは!彼女は4日も家を空けなければならないから怒っている んだよ。子供じゃないんだから機嫌を直して欲しいよね﹂ ﹁・・・子供で結構﹂ ボソリとマントの女が呟く。 姫君に対して不敬極まりない返答だったが、総団長は小さくため息 をついただけで咎めなかった。 姫君にこんな口をきく事が出来るこの人物は何者なのか。 ﹁じゃあ、君達よろしくね。期待してるから﹂ まだ質問や疑問があると言うのに、あとは詳しい事は助手に聞いと いて、と姫君は甘い笑みで手を振った。 ﹁殿下!あの!﹂ ﹁あ、そうそう!分かっていると思うけど、この任務は他言無用。 秘密任務だからね。もし洩らしたら命で償ってもらうから﹂ 髪を揺らしながら、にこやかに目を細める姫君にもブツブツといつ までも文句を垂れているマントの女にも、不安しか感じられない。 この特別任務班の班長を命じられたグリフィス・ウォーレンは出発 前からキリキリと痛み出す胃に泣きそうになったのだった。 924 森の奥に潜むもの 2︵前書き︶ 登場人物 〇グリフィス・ウォーレン 緋剣騎士団第三班班長。 〇ユアン・オルビー 緋剣騎士団第三班副班長。 〇キャサリン・キンバリー 緋剣騎士団第三班所属騎士。 〇モッジ ハーフリング族の狩人。案内人。 〇サエグサ マントの女。魔術師のようだが、正体は定かでない。 925 森の奥に潜むもの 2 ﹁いんやぁ、そら驚いたってもんじゃねぇべ!﹃森﹄の浅い所であ ったなデカい蛇に会うなんて心臓飛び出るかと思っただよ。オラの ジィさまなんてびっくらこきすぎてぎっくり腰になっちまって、慌 てておぶって逃げただわ﹂ ﹁それは無事で良かったな。お爺様の身体の調子は大丈夫なのか?﹂ ﹁もう元気元気!この道案内もジィさまが﹃オラが行くっ!﹄っつ って聞かねがったけど、またぎっくり腰になったら騎士様達に迷惑 がかかるから家族みんなで止めたぐれーだ﹂ あははは!という楽し気な笑い声が耳に触り、キャサリン・キンバ リーは眉を顰めた。 顎を伝い、流れ落ちる汗を乱暴に拭って、前を歩く二人を睨みつけ る。 ソーリュートを出立し、﹃森﹄の奥へ進み始めてから半日以上経つ が、案内人のハーフリング族とクリシュティナ殿下の助手というマ ントの女がずっと世間話で盛り上がっていて鬱陶しい。 二人ともまるで家の近所を散歩しているかのように涼しい顔で、根 や枝が入り組んだ森をひょいひょいと進んでいる。 なんなのよ、あいつら!腹立つ! キャサリン達の今回の任務は秘密任務である。 その為、いつも仕事中に着ている騎士甲冑ではなく冒険者風の私服 であるのだが、﹃森﹄を歩き慣れていないキャサリンは服装が身軽 であっても既に疲労困憊だった。 もともと魔術師家系の生まれである彼女は保有魔力が多い代わりに、 体力がなかった。︻身体強化︼というスキルも使用できるにはでき るが、強化率は高くなく、あまり意味をなさない。 926 それでも騎士という職業を志してからは訓練に明け暮れ、やっと平 騎士程度の体力になったのだ。 体力の無さというのはキャサリンにとってコンプレックスだった。 それをずっと、街を出てからずっと刺激され続けている。あのマン トの女に! ハーフリング族は﹃森﹄で狩りをして暮らしている種族であるから 森歩きに慣れており、体力があるのは分かるが、魔術師であるあの 女はなんなんだ、とキャサリンは疲労でイライラを募らせながら思 う。 なぜあんなに平然としているのか。しかも喋りながら。 ﹁キティー、大丈夫か?少し休んだ方がいいんじゃないか?﹂ 後ろにいたユアンに気遣わし気に声を掛けられたが、キャサリンの イライラが増大しただけだった。 ﹁大丈夫です!それにその呼び方は止めて下さいっていつも言って ますよね?ユアン・オルビー副班長!﹂ ユアンはキャサリンの兄と幼馴染で子供の頃からの顔見知りである。 しかしキャサリンの中では年頃の娘を未だにあだ名で呼んでくる空 気の読めない残念な男という評価であった。 ﹁いやいやすげぇ汗じゃん。まだ1日目だぜ?無理はしない方がい いって﹂ ﹁無理してませんから!﹂ この能天気男は任務の重大性を理解しているのだろうか。失敗どこ ろか指定時間に遅れてもいけないのだ。 ﹁キャサリン、無理はするな﹂ ふぅふぅ肩で息をしながら、意地になって足を前へ進めるキャサリ ンに最後尾にいたグリフィスが言った。 ﹁この任務では君が最重要の役目を担っている。今、無理をして役 目が果たせなかったら意味がない﹂ 隙なく周囲に視線を向けながら、グリフィスも額の汗を拭っている。 927 確かに今、無理を通していざ大事な場面で使い物にならないなんて 事があったら目も当てられない。 ﹁・・・分かりました。グリフィス班長。少し休憩を頂いても宜し いですか?﹂ ﹁ああ。そうしよう﹂ ﹁なーんで班長の言う事は素直に聞くかなぁ﹂ ユアンが不満気な声を上げた。もちろん普段の行いの違いである。 ﹁モッジ、サエグサ。少し休憩する﹂ ﹁あんや女騎士様、お疲れだか?﹂ ﹁大丈夫か?何か飲むか?﹂ 前を歩いていた二人が戻ってきて、心配そうにキャサリンを窺う。 その気遣いがムカつく。対抗心を持っているのは自分だけだと分か マナ っているが、努力を重ねて騎士になったという自負が気遣いを素直 に受け入れる事を拒んでいた。 ﹁モッジが一角大蛇と遭遇したのはどの辺なんだ?﹂ ﹁ここからもう少し海側へ行った所ですだ、副班長様﹂ ﹁では休憩後はそこを見て回ることに﹂ めい ﹁じゃあ、今の内に精霊に痕跡を探させるか。﹃精霊よ。我が魔力 をもって命に従え﹄﹂ 汗を拭い、水を飲んでいたキャサリンの横でサエグサが精霊呪文を 唱えた。 前に出されたサエグサの手に光を放つ精霊が集まってくる。その数 は十体以上。 ﹁﹃周辺を探索して、一角大蛇の痕跡を探せ﹄﹂ サエグサの命令に精霊は一度彼女の周りを回り、飛び立って行った。 ﹁魔術師様は精霊魔法も使えるんだべか﹂ 感心したようなモッジにフードの端から見える口元が得意気な弧を 描く。 928 個 精霊魔法は精霊との契約により使用出来る魔法である。自らの魔力 を精霊に譲渡し、精霊はそれを増幅させて魔法を発生させる。 契約形態は主人の魔力を糧にする使い魔に似ているが、精霊は が存在しない意識体である。つまり精霊と契約するというのは﹃ 精霊族全体﹄と契約する事を意味し、その為、精霊契約者になるの は非常に難しいのだ。 ﹁まぁな。師匠が精霊魔法の使い手でもあるからな﹂ ﹁サエグサのお師匠さんはなんて言う名前なんだ?俺、魔術師には 結構詳しいんだけど﹂ ユアンが人好きのする笑顔を浮かべて、サエグサに尋ねた。ユアン は出立時からサエグサに友好的な態度でいる。 しかしキャサリン達三人はこのサエグサという正体の曖昧な人物を 警戒していた。クリシュティナ殿下は助手だとか相談役だとか言っ ていたが、おそらくは三人への監視だろう。 ﹁師匠の名を教える事は出来ないんだ。悪いな﹂ 困ったそぶりでユアンに謝っているサエグサを、気付かれない位置 からグリフィス班長が観察している。言動の端々から本当の正体を 探ろうとしているのだ。 ﹁あんや、どうしてだべ?﹂ ﹁そういう約束だからな。私はこの場では結構、制約が多いんだよ。 このマントもその一つだ﹂ ﹁よっぐ分かんねけんど、魔術師様も大変なんだなぁ﹂ ﹁その魔術師様っての止めてくれないか?サエグサでいいよ。まぁ、 この名も制約の一つなんだけど﹂ サエグサは苦笑してフードの中の頭を掻き、それからキャサリン達 を見回した。 ﹁君達もそんなに私の事を気にしなくていいよ。私は確かに殿下の 助手だけど、彼女に従っている訳じゃないから﹂ ﹁従っている訳じゃないのに制約だらけなのか?﹂ 929 ﹁今は、ね﹂ 何かを含むような言い方だ。 サエグサの立場がよく分からない。クリシュティナ殿下の研究・開 発に協力しているのは本当のようだが、殿下の配下という訳ではな いのか。 胡散臭さが増しただけだわ、とキャサリンは不信を隠さずサエグサ を睨みつけた。 ﹁秘密主義の女の子はモテないぜ?﹂ ﹁ははは!その通りだ!﹂ ユアンがニヤついて揶揄ったのだが、サエグサはそれに楽しそうに 笑った。 その余裕がムカつく! ﹁あ、帰ってきた﹂ とサエグサが顔を上げた。白いほっそりした首が見える。 木々を縫って、精霊はサエグサの元へ戻ってきて、何かを報告する ようにくるくると周りを飛んだ。 ﹁確かにかなり大きい一角大蛇の痕跡があるようだな。でも現在は 周辺にそれらしい気配はないようだ。ここよりも深部、第五層にも 痕跡があってそれは比較的新しいそうだ﹂ 精霊がマントのフードの上をぴょんぴょん跳ねている。だいぶ精霊 に好かれているようだ。 ﹁そうか・・・﹂ グリフィスが腕組みしてそう呟いた。 捜索時間が限られている事を考えれば痕跡が新しい方へ行くべきだ が、サエグサという人物の信用度が低いことが不安要素だった。 顔や身分を隠す彼女がもたらす情報の信用度。 ﹁蛇の巣はどこにあるんだろうな。モッジはどう思う?﹂ 無言のまま視線を交わす騎士達に気付いていないのか、サエグサは 精霊達を構いながら尋ねた。 930 ﹁オラは蛇の寝床は五層にあるど思う。第四層のこの辺は赤狐っつ う大狐の群れの縄張りなんだず。そいつらは蛇が大好物だって、あ のぐれぇの蛇でも襲って喰っちまうべ﹂ ﹁8メトルぐらいあったんだろ?それでも襲うのか?﹂ ﹁んだんだ!この辺じゃ狼よりも狐の方が賢くて凶暴なんだべ。そ れにあの蛇は角が欠けてただ。縄張争いで負けて逃げて来たんだど 思う。一度、負けた蛇は臆病になるがら、狐さいるどこに寝床は作 んねぇべ﹂ モッジの答えにグリフィスはちらりとサエグサを見た。彼女は相槌 をうちながらモッジと会話を続けている。 出来過ぎなタイミングで重要な情報が出てきた。この女に誘導され ている気がする。 しかし情報は有益であり、見過ごす事は出来ない。 グリフィスの視線にユアンとキャサリンは頷いた。 ﹁・・・第五層に向かう。サエグサ、精霊が見つけたという痕跡の 元へ案内してくれ﹂ ﹁分かった﹂ グリフィスへ向かい、フードから見えている口元が笑みをつくる。 美女に化けて罠へと誘い、喰らうという女郎蜘蛛の話が思い出され、 キャサリンは知らず強く拳を握った。 931 森の奥に潜むもの 2︵後書き︶ モッジの訛りは北の方にある私の地元の訛りを参考にしています。 932 森の奥に潜むもの 3︵前書き︶ 最後の方に少々グロい表現があります。ご注意下さい。 933 森の奥に潜むもの 3 グツグツと鍋の中で肉と野菜が煮えている。 モッジが仕留めた鳥とサエグサが持って来ていた野菜をたくさん入 れた野営飯とは思えないほどの豪華なスープだった。 モッジが鍋の番をしながら、しきりに舌舐めずりしている。 サエグサが言った通り、第五層には一角大蛇の痕跡があった。太い 木の幹や草に蛇が這った跡が付いており、その胴の太さから目撃さ れた一角大蛇であると判断されたが、その周辺に蛇の気配はなかっ た。モッジが言うには跡は森の奥へと向かっているそうで、巣はも う少し深部にあると思われる。 しかしその時点で日が暮れかけており、本日の探索は蛇の尾の先も 見つけること無く、一時中断となった。 キャサリンは疲労で十分に動かない足を引きずるようにして野営の 準備をしていた。すぐにでも座り込みたい気持ちだったが、サエグ サやモッジがてきぱきとテントと組み立てたり、料理を作ったりし ているのに自分だけ休むというのは自らの誇りが許さなかった。 ﹁女騎士様、お疲れだべ?座ってていいべさ!﹂ オラがやりますだ、とモッジに他意無い善良な笑顔で言われる。し かしキャサリンはそれも素直に受け入れられない。 ﹁いえ。私も騎士ですから、己のことは己でやります﹂ ﹁疲れた顔して何言ってんだよ、キティー﹂ ユアンの呆れたような指摘にムッとして彼を睨みつける。相変わら ず人の気持ちに配慮がない男である。 ﹁人のことを気にして︱︱︱﹂ ﹁キャサリン、ちょっといいか﹂ 934 疲労からくる苛立ちに任せてユアンに文句を言おうとすると、サエ グサに呼び止められた。 ハッとして口をつむぐ。敵か味方か分らないような者の前で醜態を 晒す所だった。 見ると、おいでおいで、とテントの陰にキャサリンを呼んでいる。 一瞬、どうしようか迷ったものの警戒しながら近づいていった。こ こで拒否するのは何か負けた気がするからである。 ﹁・・・・・・なんですか﹂ ﹁そう警戒するな。今日は疲れただろ。汗を流さないか?﹂ とキャサリンを呼んだ彼女はテントの陰に異空間から大きなたらい を取り出した。 この女は空間魔法を使えるのか、とキャサリンの警戒心が大きくな る。空間魔法を使えるということは魔力量が多く、細かい魔力操作 の上手い実力がある魔術師であるということ。 ﹁・・・何が目的ですか?﹂ ﹁目的って、汗を流すんだけど。今日はだいぶ汗をかいたから、さ っぱりしたいと思って。駄目だったかな?﹂ サエグサがパンッと手を打ち、たらいの上に手をかざすと、手のひ らから水が流れ出た。 いや、湯気が立つそれは湯である。 無詠唱での湯の生成。王国魔術師団に所属してもおかしくないほど の魔力操作能力である。 この女は本当に何者なんだ? ﹁先に使って。はいこれ、お風呂セット﹂ サエグサの能力を目の当たりにして驚愕しているキャサリンに石鹸 とタオルが入った桶が押し付けられるように渡された。 ﹁えっ!?ちょっと!﹂ ﹁男達は私が引きつけとくから早めにな﹂ サエグサはヒラヒラと手を振りながら去って行ってしまう。 935 キャサリンを懐柔しようとしてるのかそれとも他の目的か。あの女 はいったい何を考えているのかとキャサリンは混乱する。 渡されたお風呂セットと湯気を立たせるたらいを交互に見た。途端 に汗と土で汚れた自身の身体の不快感が気になってくる。 サエグサの思惑に乗ってしまうのは腹立たしいし不愉快だ。だが、 しかし。 だが、しかし! ****** 身体が綺麗さっぱりすると、気分もさっぱりとして余裕が出てくる ものである。 妙な対抗意識満々だったキャサリンの気持ちは落ち着いている。騎 士であるキャサリンと相変わらずフードを目深に被って顔を隠して いるものの能力はある魔術師だろうサエグサとでは役目が違うとい うことに思い至ったのだ。 今回の任務で重要な役割を任されているのはキャサリンで、サエグ サはあくまでもサポートである。サエグサ自身もそれを意識してか 余計な手出しはしてきていない。先ほどの湯浴みの件は、おそらく 自分がしたかっただけなのだろう。 その証拠に湯浴み後、感謝の言葉と共にお風呂セットを返すと、そ のままサエグサも湯浴みしにウキウキと足取り軽く向かって行った のだ。 捉えどころのない人物だが敵意はなさそうだ、とキャサリンは判断 した。 ﹁キティー、大丈夫か?サエグサに呼ばれてたけど﹂ 936 とユアンが心配そうに小声で尋ねてきた。 ﹁大丈夫です。野営に関する女同士の話でしたので、問題はありま せん﹂ ﹁はぁ・・・。問題ないなら良いんだけど﹂ 気の抜けた声を出すユアンを放っておき、スープを嬉々としてかき 混ぜるモッジの横に腰かけた。良い匂いがキャサリンの空腹を刺激 する。 ﹁もう少しで食えるべ!いんや、こったな豪勢な鍋初めて食うだぁ。 案内に来てよがっただ!﹂ 仮にも巨大な一角大蛇の捜索という危険も伴う秘密任務であるのに のんきなものだとキャサリンとユアンは顔を見合わせて苦笑した。 しばらくして、周囲を警戒していたグリフィスと湯浴みを終えたサ エグサが集まり、食事を取りながらの作戦会議となった。 サエグサはまたマントをしっかりと身に付けていた。彼女は姿を隠 す事を制約と言っていたが、少し邪魔そうにしながら食事をしてい る様子にはちょっと同情の気持ちが湧く。 ﹁やはり大蛇の巣を見つけてその周囲に罠を張って、誘き寄せる方 法が確実だな﹂ ﹁まぁ、そうだよなぁ。じゃあ、明日からは巣の捜索か﹂ ﹁そう簡単に巣が見つかるものでしょうか﹂ ﹁モッジ、一角大蛇の巣はどんな所にあるんだ?﹂ グリフィスが尋ねるとお椀を片手に具をかっ込んでいたモッジが、 うろ んぐんぐと頷いた。 ﹁蛇は木の洞とか岩の隙間とか狭くて湿って暗い場所を寝床にする んだず。あったな大きさの蛇の寝床なら相当でっけぇ穴倉が必要だ ど思う﹂ ﹁そうか。では明日は二手に別れて巣の発見を目指す。ユアンとキ ャサリンはモッジを、私はサエグサと組む﹂ 937 ﹁了解!﹂ ﹁モッジもサエグサもいいな?あとモッジ、お前ばかり食うな﹂ ﹁ファッ!﹂ グリフィス達が真剣に話し合っている時にモッジがコソコソと何度 もおかわりをしているのに気付いていたらしい。 ﹁へへへ・・・美味ぐて、つい﹂ バツが悪そうにモッジが言い訳するが、その割に視線はまだ鍋に向 いているようだ。それにユアンが必死の形相で慌ててスープをかっ 込み、叫んだ。 ﹁班長!あとは飯食ってからでいいよな!俺の食う分が無くなる!﹂ たしな ﹁あ!副班長様、あと少し、もうちょっと食わせてけろ∼﹂ ﹁まだ食うのかよ!遠慮しろよ!﹂ ﹁ちょっと二人とも!意地汚いです!﹂ 鍋を真ん中に牽制しあうユアンとモッジをキャサリンは窘める。し かしそんな彼女もそわそわと鍋の残りを気にしているので、サエグ サが笑い声を上げた。 ﹁ははは!お米も持って来てるからシメは雑炊にしようか﹂ シメ!雑炊!と食いしん坊達が歓喜に湧く。 ﹁班長も負けずにたくさん食べな。身体が資本だぞ﹂ とサエグサがグリフィスに左手を差し出した。おかわりを盛ってあ げるという事らしい。 困惑しているグリフィスとおそらく彼より年下だろう女のまるで母 親のような言い様に、このサエグサという女性は敵意がないどころ か善良な世話好きなのかもしれない、とキャサリンは笑みを浮かべ た。 ****** 938 膝まで伸びた植物と湿った土に足を取られ、体力はどんどんと消耗 していく。 蛇の巣を発見するために第五層を探索し始めて丸2日経ったが、未 だに蛇の痕跡の欠片すら掴めていなかった。 キャサリン達は演習等で長期間の野営経験があるものの、3日も続 けば疲労が溜まるのは当たり前で、加えて作戦実行の時刻が迫って いる事もあり、焦燥感も相俟っていっそう疲弊を募らせた。 ﹁蛇の巣になりそうな場所はあるんだけど、痕跡がないんだよなぁ﹂ ﹁オラの予想が外れちまっただかな﹂ がしがしと頭を掻いてユアンが焦りを滲ませ、モッジもひどく落ち 込んでいる。 ﹁モッジさんが気に病む事ではありませんよ。予想通りになること ばかりではないですから﹂ ﹁そうだな。﹃森﹄じゃモッジの案内が頼りだから頼んだぜ。班長 達は六層付近まで行ってるから、俺達は海側に行ってみるか﹂ モッジの背中をドンッと叩いてユアンが笑った。その能天気そうな 笑みは暗くなりがちな雰囲気を明るくする。 −−−−−−ガサガサ 目の前の茂みが音を立てて揺れる。 キャサリンはハッとして剣に手を掛けた。ユアンがモッジを庇うよ うに立つ。 いくらモッジが﹃森﹄に慣れた狩人でもキャサリン達は騎士でモッ ジは市民なのだ。いざという時はキャサリン達が護らなければ。 939 ガサガサ・・・ひょこっ、と茂みから出てきたのはネジネズミだっ た。 一同はハァ、と安堵の溜息をつく。 ネジネズミは﹃森﹄全域で生息している大型のネズミである。クリ ッとした大きな赤い瞳と白い毛並みの可愛らしい姿と大人しく人懐 っこい性格のため、ペットととして飼われることもある動物だ。 一抱えほどの体長でまだ子供だと思われるネジネズミはキョロキョ ロと忙しなく周囲を見回し、鼻をピクピクさせている。 ﹁ふふ。親とはぐれちゃったのかな?﹂ キャサリンが近付こうとすると、ネジネズミは小さく震えだした。 怯えているのだろうか。 ﹁大丈夫だよ。何もしないよ﹂ ネジネズミの子を怯えさせないように身を屈めると、丸い大きな耳 の後ろに何か付いているのが見えた。 青い花だった。 ﹁花が頭に付いてる。取ってあげるよ。青い花なんて珍し﹂ ﹁女騎士様っ!!近寄ったらダメだべ!!﹂ 突然の大声にキャサリンの身体がビクリと跳ねた。 呼応するかのようにネジネズミの震えが大きくなっていく。次第に 痙攣のようにガクガクと震え出し、呻き声のような鳴き声が。 ヂュヴヴウウウヂュヂュギャヴヴヴ 苗床 だべ!!﹂ その異様な様子にキャサリンはヒィッと息を飲んだ。 ﹁離れて!ソイツは なえどこ・・・? ﹁キティー!離れろ!﹂ 940 意味を理解するより先に、ユアンがキャサリンの身体を引き寄せる。 その時。 バンッッ!! ネジネズミの身体が弾け飛んだ。 ﹁ぐっ!!﹂ ﹁っ!﹂ 顔や身体に細かい何がビチャビチャと当たる。 ﹁副班長様!﹂ ﹁ユアンさん?!﹂ 苗床 にな 崩れ落ちそうになるユアンを支えると、モッジが駆け寄って叫んだ。 ﹁種を植え付けられただ!早く取らねぇと副班長様が っちまう!﹂ 切羽詰まったモッジの泣きそうな叫び声に状況は一刻を争う事だと 理解した。 ﹁種はどこ?!!取るってどうすればいいのっ?!﹂ 苦しみ呻くユアンの身体を素早く確認すると、右太ももの裏側に手 のひら大の楕円形した何かが深く突き刺さっていた。 ﹁これを取ればいいの?!!モッジさん!﹂ ﹁あ・・・うぁ・・・﹂ モッジの小さく呻く声に顔を上げた。見開かれた視線は森の奥を見 ている。 それを追って、そして息を詰まらせた。 日の当たらない暗がりに無数の光る赤い目が、 ﹁か、囲まれただ・・・っ﹂ 941 四方を取り囲み、キャサリン達を見ていた。 942 森の奥に潜むもの 4︵前書き︶ 少々グロい表現があります。苦手な方はご注意下さい。 943 森の奥に潜むもの 4 光を纏う精霊が十数体、森の奥から戻ってきて、突き出されたサエ グサの左手にまとわりついていた。 ﹁やはり﹃森﹄の奥には目標の蛇はいないようだな﹂ そう言ってサエグサが指を回すと光はパッと消える。赤革のブレス レットが細い手首で揺れた。 グリフィスはこの数日でサエグサの人となりをだいぶ理解してきた。 制約と言って相変わらずマントで顔を隠しているが、良く仲間達を 気にかけ、小さな仕事でも率先して受け持つ姿勢に好感が持てた。 魔術師として王国魔術師団ぐらいの能力があるようだが、サポート という自分の役割を順守するためか魔法を大々的に使用した場面は 見てない。 ﹁そうか﹂ グリフィスは口に手を当てて呟き、眉を寄せた。 サエグサの精霊魔法でかなり広い範囲を探索しているが、一角大蛇 の巣は未だ発見出来ていない。それどころか初日に見つけた痕跡以 来、大蛇がいる跡すら見つけられていなかった。 作戦決行期日まで時間がない今、グリフィスの心に疑問が浮ぶ。 目撃された一角大蛇は﹃森﹄の奥深くへ戻っていったのではないか。 だから巣はこの周辺にないのではないか。 そもそもここまで痕跡がないとなると、すでに他の動物や魔物の餌 食になっているのではないか。 ﹁蛇は近くにいる気がするんだけど、なんか違和感があるんだよな ぁ﹂ 944 サエグサが樹上を見上げながら、ボソリと呟いた。 ﹁違和感とはなんだ?﹂ ﹁うーん、上手く言えないんだけど。追っているのは蛇なのにそん な感じがしないというか・・・﹂ ﹁どう言う事だ、それは﹂ と尋ねるとサエグサは苦笑して、私も分からん、と頭を掻いた。飄 々としているように見えてサエグサもだいぶ疲労が溜まってきてい るのかもしれない。 グリフィスにも焦燥感や疲労はあるが、こういう時ほど冷静になっ て作戦を立て直した方がいい、と判断を下した。 ﹁サエグサ。一度、ユアン達と合流しよう﹂ ﹁ああ。わかっ・・・・・・﹂ サエグサが不自然に言葉を切り、動きを止めた。急に張り詰めた雰 囲気を漂わすサエグサに声を掛けようとしてグリフィスは言い知れ ない嫌な予感に襲われた。 もやもやとはっきりしない感覚の中、ふと脳裏に浮かんだのは別行 動中の仲間達だった。 ユアン達に何かあったのだ、と直感する。 戦場においてこのような直感ほど当たる事が多いのだ。 ﹁キャサリン達が危ない!﹂ サエグサが叫んで走り出す。それを追いながら、グリフィスが怒鳴 り声をあげた。 ﹁何事だ?!﹂ ﹁私も分からん!だが︻直感︼だ!!﹂ ﹁なんだそれは!居場所は分かるのか?!﹂ ﹁私の︻直感︼はよく当たる!!﹂ つくづく不思議な女だと思う。 しかしグリフィスも直感していた。迷い無く一心に走り続けるサエ グサなら仲間達の元へ辿り着くと。 945 ****** グリフィスは己の能力には自信があったのだが、文字通り風のよう に森を駆けるサエグサに追いつけない。スキルを発動しているのに 全く追いつかず、それどころか付いて行くのが精一杯だった。 この女、本当に何者だ!とグリフィスは歯を食いしばり、引き離さ れまいと必死に走った。 ﹁グリフィス!戦闘準備をしろ!!﹂ 叫びながらサエグサが跳ねる。 ザシュッ!! サエグサの手元で煌めく光が弧を描いた。 手には彼女の体格にしては大き目のダガー。切り飛ばされたものを 視界の端で捉えれば、それはネジネズミのようだった。 ﹁足を止めるな!近付かれる前に斬れ!﹂ 良く見ればそこら中にネジネズミがいる。いくら人懐っこい性質の 動物といえ、この多さは異常だ。 バンッ! 破裂音とともに何かがグリフィス目掛けて飛んできた。背筋に悪寒 が走り、とっさに転がるように避ける。 ﹁なんだ!?﹂ ﹁分からん!だがそれに当たるなよ!嫌な予感がする!﹂ サエグサも何か分からないが、非常に厄介な物だと感じたようだ。 ネジネズミの多くが中空を見つめてぼんやりしており、小刻みに震 946 えているのが不気味だ。 ﹁くっ!﹂ 進路にいたネズミの首を斬り飛ばすと青い花びらが一緒に散った。 ﹁いた!先に行くぞ!!﹂ 叫んだサエグサの身体が消える。さらに早くなるのか!! マナ ﹁オォォォ!!!﹂ 剣を握り直し、保有魔力をフル回転させ︻身体強化︼を全開で発動 させる。 加速して木立を越えると、サエグサが群がったネジネズミを吹き飛 ばしているのが見えた。風が土や葉を巻き込みながら渦巻いて空へ 上っていく。 吹き飛ばされたネジネズミの何体かが空中で破裂し、飛び散った。 さっきの破裂音はこれか、とグリフィスはゾッとする。 サエグサが土でできたドームを叩いて怒鳴った。 ﹁みんな無事か?!﹂ この土のドームはキャサリンの魔法だ。所々ネズミの前歯で削り崩 されたような跡と肉片や血がこびり付いており、そして土壁に突き 刺さったこれは・・・種だろうか? 土がズズッとうねって崩れた。 ﹁はっ、班長・・・!サエ・・・っ!﹂ 中には震えた手に剣を構えるキャサリンと苦しむユアン、泣いてい るモッジが寄り添うようして居た。 ﹁もう大丈夫だ!全員無事か?﹂ ﹁班長っ、ユアンさんが!﹂ 顔面蒼白のキャサリンに駆け寄り、状況を確認する。 キャサリンに外傷は見当たらないが、だいぶ魔力を消耗している。 モッジは泣いているものの、無事。 ユアンは右足からの出血があるが、出血量は多くない。 しかし、続いたキャサリンの言葉に状態の悪さを知る。 947 ﹁ユアンさんが種を植え付けられて!外に出ている部分は切り落と したけど、身体にまだ埋ってて!それが魔力を吸ってるみたいで!﹂ あの種は寄生植物のものだったのか!一刻を争う状況を理解してグ リフィスが大きく舌打ちをした。 その時、 ﹁グリフィス!!上だ!!!﹂ サエグサの叫び声に反応して顔を上げると、そこには木の幹を音も なく這ってグリフィスに迫る一角大蛇の姿があった。 つる モッジの言った通り、額にある一角は先端が欠けている。しかしそ れより目立つのは、左目部分から伸びている蔓、そして後頭部に咲 いている青い花。 一角大蛇の後頭部に咲くあの青い花は寄生植物に完全寄生されてい ることを示している。完全寄生された生き物は超再生能力を持ち、 半不死状態になり、脳を完全消滅させるか、もしくは寄生植物の母 体を討伐するかでしか殺す事は出来ない。 おそらく先ほど斬ったネジネズミ達も宿主だろう。という事はここ で時間をかけていたら再生してまた襲いかかってくるはずだ。物量 で攻められたら今のグリフィス達に勝ち目はない。 ここは撤退するしかない。 ﹁チッ!俺が蛇を引き付ける!キャサリンとモッジはユアンを連れ て下がれ!!サエグサは周囲のネジネズミを頼む!﹂ とにかく怪我をしてるユアンと市民であるモッジを安全圏へ下げる 事が先決だ。 叫んで剣を構え直すグリフィスの横にサエグサが並ぶ。 ﹁多勢に無勢過ぎるぞ、グリフィス。ここは私に任せろ。﹃精霊よ。 契約に従い、真名の解放を命ずる﹄﹂ サエグサが精霊語で呪文を唱えると、彼女の周りに数えきれぬほど の光の玉が現れた。それが一つに集まり、眩い輝きを放つ。 948 ﹁﹃炎精霊・ジャバウォック﹄!﹂ サエグサが叫ぶとそれに呼応して光の塊が炎を出し燃え上がった。 それが一気に形に成って−−− ガアアアァァァァァァ!!! 吼えた。 それは炎を纏った巨大魔獣だった。 大猿のようなゴツゴツした筋肉の腕の長い二足歩行体に、狼のよう な鼻面と鋭い牙。 側頭部からは二本の角がカーブして前方に向かって生えており、ド ラゴンのような太い尻尾が威嚇するように地面を打つ。 ﹁ジャバウォック、喰らいつけっ!﹂ ガアアアァァァァァァ!!! 炎の魔獣が一角大蛇に飛び掛かった。はずみで地面が大きく揺れる。 ﹁グリフィス、今の内だ!﹂ サエグサが後ろへと走る。グリフィスも後に続いた。 ﹁ユアンは私が担ぐ!モッジ、キャサリン走れるか!﹂ ﹁二人ともサエグサに続け!﹂ 小柄な身体がユアンを軽々と背負い、跳ねるように森を駆ける。三 人分の荷物を回収して、疲労と混乱で動きが鈍いモッジとキャサリ ンに檄を飛ばしながら、サエグサを追った。 ****** 949 しばらく走り、大蛇とネズミの群れから十分距離を取ったところで サエグサが結界を展開した。結界魔法まで使えるの?、と言うキャ サリンの呟きが聞こえる。 森の奥に意識を集中させたが、奴らは追って来ていないようだ。 ﹁ユアン、怪我の具合を見るため服を破るからな﹂ サエグサの言葉に顔色の悪いユアンが小さく頷く。元々保有魔力が 少ないユアンは魔力を奪われたことによる消耗が顕著に出ていた。 横たえたユアンのズボンの太もも部分を大きく裂き、水で傷口を洗 い流す。 ﹁ぐっ!﹂ ﹁ユアンさん!﹂ 滲みるのかユアンが呻き声を上げると、キャサリンは泣きそうな声 を出して駆け寄った。 ﹁埋まっている種は除去した方がいいと思うが、それでは出血が多 くなってしまう﹂ ﹁傷口の縫合は出来ないのか?﹂ ﹁残念ながら私はやった事はない。モッジはどうだ?﹂ ﹁オラもねぇべ。それに寄生種は根枯らし薬を付けねぇと根が中に 残ったままになっちまって足が駄目になるべ﹂ と言ってモッジは痛ましそうにユアンの傷口を見る。 ﹁その薬を調合出来ないか?﹂ ﹁材料は分かるけんど、配合までは・・・﹂ モッジの言葉に一同は呻いた。 どうしたらいいか、とグリフィスが考えをめぐらせていると、サエ グサが静かに言った。 ﹁詳しい奴が知り合いにいる。今後の事についてもソイツに連絡を 取った方がいいと思う。しかし﹂ と言い辛そうに言葉を切る。 ﹁・・・何か問題があるのか?﹂ 950 ﹁今から私が使う魔法は国家機密に指定されている。その魔法を見 た事によって今後、君たちには何らかの制約が課せられるかもしれ ない﹂ それでもいいか?とフードの奥から静かな声がする。 モッジが不安そうにグリフィスを窺った。キャサリンは唇を噛んで、 苦しむユアンをじっと見つめている。 サエグサが時折口にしていた制約。そこには国家機密という非常に 重いものが隠れていたのだ。 決断は班長であるグリフィスがしなければならない。 国家機密なんてこの場の皆で分散しても重い。 しかしこのままでは命尽きる仲間。 そしてクリシュティナ殿下から指名された特別任務。 ﹁・・・頼む、サエグサ﹂ 機密を知ってしまえば後戻り出来ない。だがグリフィスは仲間の命 を選択した。 ﹁モッジ、すまん。君には迷惑を掛けるかもしれない﹂ 善良な一般市民であるモッジには国家機密なんて騎士であるグリフ ィス達よりも重荷になるだろう。 ﹁謝ることなんてねぇべ!それにオラは忘れっぽいから秘密なんて すぐに忘れてしまうだ!﹂ ﹁・・・モッジさん、ありがとうございます﹂ 震える声で強がりを言ったモッジにキャサリンは深く頭を下げた。 彼女の声もモッジと同じ様に震えていた。 ﹁よし。ならこれから見聞きする事は他言無用だ。いいな?﹂ とサエグサがマントの留め具に手を掛ける。 藍色のマントをふわりと翻しながら、サエグサがその姿を現した。 951 グリフィス達は思わず息を飲む。 そこに現れたのは艶やかな黒髪を揺らすとんでもない美少女だった。 952 森の奥に潜むもの 4︵後書き︶ 皆さん、おっさんどうしたとお思いでしょうが、しばしお待ち下さ い。 953 森の奥に潜むもの 5 光の輪をもつ艶やかな黒髪。 黒曜石のように煌めく瞳。 白い肌に色付いた頰と唇。 華奢な身体。 クリシュティナ殿下も超絶美形だが、サエグサもそれに負けず劣ら ずの美形であった。サエグサがフードを目深に被って頑なに顔を隠 していたのは機密保持の制約もあっただろうが、この目立ち過ぎる 容姿の所為でもあるのだろうとグリフィスは思い至った。 何しろ印象的過ぎて、一度見ただけで記憶に残ってしまう。 ﹁ユアン、これを着ていろ。このマントは周囲に充満している浮遊 魔力を吸収、自魔力に還元して魔力の枯渇を防いでくれるから﹂ サエグサがマントを被せるとユアンは血の気の無い青い顔をしなが らも﹁うへへ・・・﹂とニヤついた。それを見ているキャサリンの 冷ややかな視線が恐ろしい。 ﹁それじゃ、連絡を取るから﹂ とサエグサが指を鳴らす。 すると四角い魔法陣がサエグサの眼前に出現し、淡く光り出した。 ﹁クリス、今いいか?﹂ 理想の王子様 それに向かってサエグサが話しかけると、ややあって魔法陣の枠内 に映像が映った。 空色の輝く髪に爽やかな笑顔を浮かべる相変わらず 顔のクリシュティナ殿下であった。 ﹃・・・定時連絡には早いね。何かあったかい?﹄ 随分と気さくな人物でもサエグサはクリシュティナ殿下の助手なの 954 で、連絡先が殿下であると予想は出来ていたが、やはり緊張してグ リフィスは背筋を伸ばした。 ﹁ああ。作戦内容を一部変更すべき事態が起きた。結論から言うと 私達が追っていた一角大蛇は寄生植物に寄生された宿主だった。そ れと遭遇してユアンに種が直撃してしまった﹂ ﹃宿主か・・・。ユアンは無事かい?﹄ ﹁種の見える部分は切り落としたが、深く入った所は取り出せず、 そのままになっている。どうやらそれが魔力を吸収しているようで、 体力の消耗が激しい﹂ 魔法陣がユアンの傷口の前へ移動する。 ﹃痛そうだね。種は採集したかい?﹄ クリシュティナ殿下の声は少し弾んでいるように聞こえる。 サエグサが頷いて異空間から種を取り出した。種は見えない箱に収 まっているかのように宙に浮いている。 魔法陣が再び動いて種の前に位置取った。グリフィスには仕組みは 分からないが、おそらくこの魔法陣はこちらの映像を相手に見せる 事が出来るのだろうことは分かった。 それを目を細めて見たクリシュティナ殿下はほう、と感心した声を 上げる。 ﹃宿主の後頭部に青い花が咲いていなかったかい?それはパラシム ドという寄生樹の種子だね。一角大蛇の他にも生き物が一緒にいた だろう?﹄ と尋ねられ、キャサリンが頷く。 ﹁はい。ネジネズミの群れと一緒にいて、そのネズミが破裂して種 を・・・﹂ 次々に破裂していくつぶらな瞳のネジネズミ達を思い出してキャサ リンは俯いた。二度と経験したくない嫌な状況だった。 ﹃ああ、やはりね。パラシムドの宿主には二種類いるんだ。種子を 運搬、拡散させる種子体、それを統率する統率体。ネジネズミが種 子体で、一角大蛇が統率体だろうね。寄生植物の中で宿主を破裂さ 955 せて種子を飛散させる方法を取るのはパラシムドだけなんだよ﹄ クリシュティナ殿下が楽しそうに笑って話すので、キャサリンは苛 立った。 現場の状況を理解していないか。ユアンが死にかけているというの に。 身の程知らずにも文句を付けようとしたが、タイミング良くグリフ ィスに肩をポンと叩かれ、ハッとして口を噤んだ。 疲労と不安と心配で判断力が低下していたらしい。 ﹁ユアンの中に残っている種は除去した方がいいのか?﹂ マナ ﹃いや、そのままでいいと思うよ。パラシムドの種子は寄生対象に 接触すると、まず根を伸ばし宿主の保有魔力を吸収する。そして魔 力低下による意識低下、身体麻痺を起こさせ、それから脳へ侵入す る。その後は脳に根を張って宿主を乗っ取り、花を咲かせるんだ。 見たところによると種の欠片は半分以下のようだから、脳まで根を 伸ばす力はないと思うよ。吸収される魔力の量も多くないだろうし、 吸収速度も緩やかだろう。君が居れば魔力枯渇の心配はないから、 そのままにして出血を抑える方が良いよ﹂ 水妖精の池 にて作戦準備中だよ。君みたい ﹁そちらでは扉の用意はしていないのか?﹂ ﹃いま僕達はすでに にいつでもどこでも扉を持ち歩いているわけじゃない。まぁそうだ ね、今から製作させようかな。それまではユアンの魔力管理は君に 頼んだよ。グリフィス班長、そこにいるね?﹂ ﹁はい﹂ 魔法陣が動き、クリシュティナ殿下をグリフィスの真正面に映す出 す。 殿下とサエグサとの会話に入る事は出来ず、そのやり取りを聞いて いるだけだったグリフィスは少し驚いた。 ﹁聞いていた通り、ユアンは彼女に任せればいい。今後の任務につ いては緋剣騎士団長、翠剣騎士団長と協議して決定する。サエグサ は色々と規格外だけどそのチームのリーダーは君だからね。宜しく 956 頼んだよ﹂ ﹁了解しました﹂ 真剣な瞳でそう返したグリフィスにクリシュティナ殿下は満足そう に目を細めて笑う。 そうして映像は消えた。 ﹁今日はこのままここで野営の準備をした方がいいな﹂ とサエグサが長い黒髪を後ろへながら言った。その言葉に仲間達を 見ると、寄生種が身体に残るユアンはもちろん、キャサリンとモッ ジにも相当の疲労が見て取れたため、グリフィスは素直にそれに賛 同した。 ﹁キャサリンとモッジはユアンについていてくれ。テントは私とサ エグサが・・・﹂ ﹁いえ、私もやります﹂ ﹁いや、キャサリンもだいぶ魔力を使用して疲れているだろう﹂ グリフィス達が助けにくるまであの量のネジネズミからユアンとモ ッジを庇う為、魔法壁を維持し続けていたのだ。魔力の多いキャサ リンでも相当に疲弊したはずである。 しかしグリフィスが何度そう言ってもキャサリンは頑として聞き入 れず、若干ふらつきながら立ち上がった。 ﹁キティーは・・・頭、固いから﹂ 少し掠れた小さな声でユアンが軽口を叩く。 ﹁副班長様、大丈夫だべか?﹂ ﹁おう・・・だいぶマシ・・・﹂ 酷い二日酔いみたいだ、と肩を竦めて見せるユアンに仲間達は一様 に安堵のため息をついた。魔力が回復しつつあるようだ。 ﹁これからの任務がどうなるか分からないのだから、魔力も体力も 出来るだけ回復させないといけないだろう。無理をするな。休める ときに休め﹂ ﹁しかし私だけが疲れているわけではないですし・・・﹂ 957 ﹁どうした?何を揉めてるんだ?もうテント張ったぞ﹂ グリフィスとキャサリンが言い合っているとサエグサが寄って来て、 そんな事を言った。 さらっと何のことはないように言われたので聞き流しそうになった が、グリフィス達は﹁え?﹂と間抜けな声を出して、少女を見て、 その背後に言う通りきっちりテントが張られているのを確認して、 何とも言えない表情をそれぞれ浮かべた。 ﹁しばらくそうしていれば全快までいかなくても、起き上がれるよ うになるだろう﹂ サエグサがユアンに笑みを向ける。その一方で異空間から五徳や鍋 などの調理道具や食材を次々出して、テキパキと食事の支度を始め た。 ﹁昨夜狩った兎肉の残りがあるし、お餅と里芋も持ってきてるから お雑煮風にしよう﹂ うきうきと独り言のように呟いて、サエグサは魔法と見事な包丁捌 きで鼻歌交じりに手際よく調理をしていく。慌ててキャサリンが手 伝いを申し出ていた。 ﹁魔法って、そんな楽に、できるもんなのか﹂ ﹁そんな訳ないじゃないですか﹂ ユアンの呟きにキャサリンが呆れる。 ﹁サエグサさんがおかしいんですよ﹂ キャサリンの遠慮のない言い方にもサエグサはカラカラと笑う。長 い睫毛で縁取られた目を細めた飾らない笑みはとても眩しく、フー ドの下ではいつもこんな風に笑っていたのか、とグリフィスは吸い 寄せられるようにサエグサを見つめた。 ﹁正体も明かしてしまったし、魔法を隠さなくてよくなったからな﹂ ﹁あんまり隠しきれてなかったけどな﹂ ﹁・・・あ、クリスから連絡がきてる﹂ グリフィスの指摘にサエグサはわざとらしく顔を背けて、指を振っ 958 た。展開される魔法陣を見ながら、誤魔化したな、とグリフィスは 苦笑を浮かべた。しかし子供っぽいその態度は可愛らしく好意的に 感じられた。 ****** 精霊のあとを追い、一同は森の奥へ進む。 先導するサエグサは高い位置で結った髪を揺らしながら、軽い足取 りで木の根を越えた。 クリシュティナ殿下からの連絡は任務の続行と一部変更だった。 ﹃この任務の成功には国王陛下も注目なさっているんだ。中止する ことは出来ない﹄ といつもの柔和な笑みを浮かべているが、しかし有無を言わさない 迫力でクリシュティナ殿下がそう切り出した。 ﹃任務の変更を言い渡す。一つ目、ターゲットの変更。捕捉・転送 対象を一角大蛇から寄生主であるパラシムドに変更する。そいつの 居場所は・・・追っているね、サエグサ﹄ ﹁ああ、追跡済みだ。居場所もすでに確認している﹂ 当たり前のように尋ねるクリシュティナ殿下にサエグサも当然のよ うに答える。いつの間に、とグリフィスが視線を送ると、サエグサ は得意気な笑顔を見せた。 ﹃ならばそのパラシムドを捕捉し、定時に転送すること。二つ目、 任務はターゲットを転送したのち、ソーリュートへ帰還するとなっ ていたが、僕達と合流すること。要治療者がいることだし、転移魔 959 道具の使用を許可しよう。魔道具の設置、使用はサエグサに一任す る。以上、何か質問は?﹄ ・・・ 殿下は何も言わない一同を見遣り、よろしいと口端を引き上げた。 そして、 ﹃最後に。サエグサ、いやリキ。君は彼女達には連絡しないように。 われわれ 彼女達が出て来れば事態は瞬時に簡単に解決するだろう。でも今は まだ騎士団の領分だ﹄ 青色の瞳が射抜くように、サエグサを見つめる。それを見つめ返す サエグサからは圧倒されるような力を感じた。 ﹃効率ではなく誇りの問題だよ、リキ。・・・では明日、本拠点で 顔を合わそう。任務を完遂せよ、騎士諸君。期待している﹄ 魔法陣が消えた後、サエグサは不機嫌そうな顔をしていた。 彼女達って誰のことだべ?というモッジの果敢な質問にサエグサは ﹁師匠達だ﹂と言葉少なに答えた。 サエグサの師匠達というと、かなりの手練れだと想像できる。しか し殿下はその手を借りることは良しとしていないようだった。 騎士団の領分。誇り。 殿下からそう直々に言われてしまえば、末端の騎士であるグリフィ ス達の気持ちは高まる。 信頼に報い、期待に応える。忠誠心がグリフィスの中で大きくなり、 決意を新たにさせたのだった。 ﹁・・・くっ﹂ ﹁大丈夫か、ユアン。少し休憩するか?﹂ グリフィスに支えられながら歩いていたユアンが小さく呻き声を上 げた。魔力はサエグサから借りたマントで消耗を抑えているが、足 にはまだ種の欠片が埋っており、一人で歩ける状態ではないのだ。 960 ﹁いや、大丈夫。先を急ごう、班長﹂ 顔を歪ませて額に汗を浮かせているユアンの眼にも強い決意が見え る。彼もまた殿下の言葉に心動かされたようだ。 ﹁もう少しだ。辛抱してくれ﹂ ﹁俺こそ悪いな。足、引っ張っちまって﹂ ﹁いつものことだろう?﹂ ﹁ひでぇな﹂ グリフィスの軽口にユアンが笑う。二人はソーリュート緋剣騎士団 に配属されてからの仲だったが、剣の腕は良いが真面目すぎて言葉 足らずのグリフィスと、適当そうな言動で人を動かすのが上手いユ アンは、お互いの欠点を補うように上手く噛み合っていた。だから 二十代前半で班を任されることにもなったのだ。 お互いを信頼している。だから肩も貸せるのだ。 ﹁この先は宿主達の巣窟だ﹂ サエグサの声が聞こえた。視線を前に向けたまま険しい顔をしてい る。 ﹁キャサリン。モッジの側に付け。サエグサ、結界を頼む﹂ キャサリンは不安そうなモッジの横に付き、サエグサは一度、指を 鳴らした。 仲間達を見回し、確認する。 ﹁これより、任務を遂行する﹂ グリフィスの掛け声に、仲間達は力強く頷いた。 961 森の奥に潜むもの 5︵後書き︶ 次回、おっさん登場。 962 森の奥に潜むもの 6︵前書き︶ 本日は2話更新しております。本話は一話目です。お気を付け下さ い。 おっさん出る出る詐欺です。申し訳ありません。次話に出てきます。 963 森の奥に潜むもの 6 よ 持ち手が輪になっている杭を地面に打ち、その輪の中を通すように 魔力伝導する撚り紐を結んで境界線を作る。そしてその紐に魔力を 通せば、簡易結界が出来上がる。 大木の大きな根が盛り上がって作るドームのような窪みにキャサリ ンはその結界を張った。サエグサとグリフィスが寄生樹・パラシム ドを拠点へ転送して帰ってくるまで、ユアンとモッジを守るのが彼 女の役目である。 簡易結界はサエグサが使うような結界魔法とは違い、領域内設定を 詳細に指定する事が出来ず、今も認識阻害程度の結界しか張れてい なかった。 ﹁副班長様、足痛むんだべか?﹂ モッジの囁くような声が聞こえた。 結界外に視線を走らせ、警戒していたキャサリンはその声に振り返 り、ユアンの顔色が悪いことに気づく。慌てて顔を寄せれば、薄っ すらと血の匂いを感じとった。 ﹁ユアンさん、傷が悪化したんじゃ﹂ ユアンの傷口にしっかりと巻いてある止血用の布に手を掛けようと して、止められた。 ﹁止せ。ここで包帯を取れば血の匂いで居場所がバレる。班長達が 帰ってくるまで待て﹂ でも、と言いかけて口をつむぐ。まるでこれから死地に向かうよう な鬼気迫るユアンの表情に何も言えなくなってしまったのだ。いつ もの軽薄そうな顔ではない。 痛むのか﹁ぐっ﹂と喉の奥で言うのが聞こえる。額に浮いている汗 は油汗かもしれない。 964 奥歯を噛んで、結界外に視線を戻した。 ユアンがここまでしているのだ。自分も己の役目を全うしなければ。 警戒のため鋭い視線を周囲に向けながら、決意を込めて剣を握り直 した。 ****** そこかしこ ネジネズミが其処彼処にいるのに、それらの側を通っても見向きも されない。 サエグサの結界は姿、音、臭い、気配までも遮断しているようだ。 しかし流石に触れてしまえば気付かれてしまうそうで、事前に注意 されていた。 サエグサがネジネズミ達の間を縫うように進むのを真似して歩く。 それが一番安全な通り道なのである。急ぎ足になっているのはユア ンの状態が悪くなっている事に彼女も気付いているからだろう。 無言のままサエグサの導きに従い、森の奥へと進むと洞窟があった。 視線を向けるとサエグサが頷いた。どうやらここが一角大蛇達の寄 生主・パラシムドの居所であるらしい。 サエグサがダガーを両手に構え、警戒しながら突入するのに続き、 グリフィスも剣を構え後を追った。 洞窟の狭い通路にはネジネズミが大量にいた。まだ子供の個体も多 く見られることから、おそらくここで繁殖しているのだろう。ネズ ミが繁殖力が高く多産であることはグリフィスも知っている。放っ ておけば宿主が増え続ける結果になってしまうことは明白である。 965 薄暗い洞窟の奥にもネジネズミの赤い瞳が数え切れぬほど輝いてお り、その多さにグリフィスの背に冷たい汗が流れた。 サエグサが立ち止まり、視線は前に向けたままハンドサインで前方 を指す。奥に光が見える。 この先に母体がいるのだろう。 入口よりも密集して埋め尽くしているネズミの大群と接触しないよ うに慎重に進むと、明るい開けた場所に出た。グリフィスはそこで 小さく息を飲んだ。 小さな白い花畑の中に大木が一本だけ立っていた。枝を大きく広げ、 青々とした葉を茂らせている。 白い樹肌とその孤独な佇まいは、子供のころ聞いた絵物語の中に出 てくる聖獣が体を休めるという神聖な木のように感じられた。 グリフィスは天井を見上げる。洞窟の天井に穴が開いており、そこ から日の光がスポットライトのようにその大木に降り注いでいたの だ。だから洞窟の中でも植物であるパラシムドがあんなに大きく育 ったのか。 ﹁こんな時だけど、すごく綺麗だな・・・﹂ 独り言のような呟きを聞いて、サエグサを見る。眩しそうに眼を細 め、口元に宝物を見つけた子供のような笑みを浮かべていた。 ﹁・・・本当に綺麗だな・・・﹂ そう答えれば、サエグサはこちらを見ずに小さく頷いた。そしてす ぐに表情を険しいものへ変え、 ﹁じゃあ手筈通りに﹂ と背を向けて駆け出した。足音は当たり前のようにない。 グリフィスはなんとも言えない妙な感情を持て余して、頭を掻いた。 彼女は良い意味でも悪い意味でも仕事にしか目が向いていない。 966 パラシムドの周りを囲うように金属杭を打っていく。底面を五角形 にした五角錐に結界を展開するそうだ。 近くに寄って見たパラシムドは蔓がズルズルとうねって地面を這い まわっていて気色悪く、枝にはネジネズミが数匹、蔓に巻かれて吊 るされていて、先ほど綺麗だと感じた気持ちを返してほしいと切に 思った。 ぐるりとパラシムドの周りを一周してきたサエグサがグリフィスの 側に寄る。彼女の側には通信用の魔法陣が浮かんでおり、クリシュ ティナ殿下が映っていた。 サエグサが背伸びをしてグリフィスに顔を寄せてきた。内緒話をす るように手を口元に当てている。 ﹁定時には早いが、転送することになった﹂ 小さな声が吐息と共にグリフィスの耳をくすぐり、なぜか気持ちを 騒めかせる。それに気付かれないようにグリフィスは重々しく頷き、 剣を構えた。 サエグサが軽やかに飛び上がった。そして何もない空中を足場にし てさらに高く飛ぶ。 すでにもう、サエグサがスキルなのか魔法なのかよく分からない能 力を使うことに驚かなくなっていた。彼女は冒険者だと言っていた が、王国魔術師団に所属することが出来るほどの能力であることも 分かっている。 大きく育ったパラシムドの上方へ難なく辿り付き、空中で止まりな がら金属杭に魔力を通す。打ち込んだすべての杭が淡い光を発しだ した。 異変を感じたのかパラシムドの蔓がざわざわと動き出す。 まばゆ ﹁結界展開。境域設定。転送地点設定完了。・・・クリス!送るぞ !!﹃転送﹄!!﹂ サエグサの声に反応して結界内が眩く光り、空間が揺らぐと一瞬の うちにパラシムドは転送された。 967 バキバキッ!!! ︱︱︱︱︱︱ヂュウウウウウウウウウ!!!!!! 根の一部が千切れる音とともにネジネズミ達の叫び声が洞窟内に響 く。あまりの大音量にグリフィスは思わず耳を塞いだ。直後、通路 から大量のネジネズミが飛び込んできて、グリフィスの目の前で次 々に破裂し始めた。 ****** ネジネズミの数が増えていた。キャサリン達の緊張は高まる。 結界の前をうろうろしているネズミの全てに後頭部には青い花が咲 いていた。時折、ぶるりと身体を震わせる仕草に肝が冷える。 キャサリンは音を立てないように剣を握り直した。汗で柄が滑る。 キャサリンは剣技が得意ではなく、普段の彼女の戦闘スタイルは魔 法によって少ない手数を補い、隙を減らす混合スタイルである。 しかし今は簡易結界と蓄積された疲労によりだいぶ魔力が消耗して 水妖精の いた。気付かれたら、二人を守りきれないかもしれない。 キャサリンの額から汗が流れ、顎を伝い落ちた。 ﹁・・・キャサリン・・・﹂ 囁く声に視線は逸らさないまま、答えた。 ﹁・・・はい﹂ に向かえ﹂ ﹁・・・もし、あいつらに見つかったらモッジを連れて 池 有無を言わさぬような命令の声に視界の端でユアンを見た。 968 彼は木の根を支えに立ち上がり、剣を構えていた。血の気が失せた 水妖精の池 に行け﹂ 顔で歯を食いしばり、それでも眼には強い光を湛えている。 ﹁・・・俺が必ず道を作るから二人で ﹁そ、そんなら副班長様は・・・﹂ モッジの悲痛な叫びにキャサリンはギリッと奥歯を噛んだ。 ユアンは大量のネジネズミがいるここに残り、死ぬ覚悟でキャサリ ンとモッジの退路を作ると言うのだ。 自分もいざとなれば命を懸ける覚悟を決めて騎士になったはずなの に。苦しい訓練に訓練を重ねたのも決して怪我をしている仲間を見 モッジ 捨てて行く為じゃない。 だが、今、市民を守ることができるのはキャサリンだけなのも事実 だった。 市民の命を守る騎士の仕事。 グリフィスから託された二人を守るという役目。 クリシュティナ殿下から任された特別任務。 どれを選べばいいのか。何を守ればいいのか。 ︱︱︱騎士の誇り︱︱︱ ユアンが見せた覚悟。自分の覚悟はどこにあるのか。 ﹁私は・・・私は待ちます。班長とサエグサを信じています。ユア ンさんはそこで大人しくしてて下さい﹂ 仲間を信じてる。彼らが帰ってくるまで二人を守って、守り切る。 それが自分の覚悟だとキャサリンは今一度剣を握り直した。 ︱︱︱ズズズ その時、三人の耳に擦るような音が聞こえた。頭上からである。 視線を上に向け、悲鳴を飲み込んだ。一角大蛇が根の上を通過して いたのだ。 969 ︱︱︱ズズズ 蛇の腹が根と擦れる音が不気味に響いてくる。首をもたげた蛇がキ ャサリン達がいる根の下を覗き込んだ。チロチロと震える真っ黒な 舌はキャサリン達を探しているかのように見える。左目から飛び出 ている蔓がうねうねと動いていた。 キャサリンは撚り紐を掴んでありったけの魔力を通した。認識阻害 程度でも大蛇の眼を誤魔化せれば。 しかし緊迫は一瞬で、突如、大蛇とネジネズミ達が涎を撒き散らし 絶叫した。 ジャシャアアアアアアアアアアッッッ!!!! ジュヴヴヴヴアアアアアアアア!!!! ﹁っ!!﹂ 三人が驚き身をすくめていると、大蛇はネズミを引き連れ、恐ろし い速さで森の奥に消えていった。竜巻のような草葉を揺らす音が遠 ざかったあとには呆然とした顔の三人が残されていた。 ﹁な、なんだったんだべ・・・?﹂ ﹁窮地は脱した、のか?﹂ ただならぬ雰囲気が大蛇から感じられたのだが、いったい何だった のか。三人は顔を見合わせ困惑した表情を見せた。 ﹁三人とも無事か?!﹂ ﹁班長!大丈夫です!﹂ 叫びながら駆けてきたグリフィスにキャサリンはホッと安堵の息を 吐く。それはユアンとモッジも同じだったようで腰を抜かして座り 込んだ。 ﹁ユアン、大丈夫か﹂ 970 ﹁大丈夫じゃねー。もう死にそーだわ﹂ 顔色は酷いもののいつもの軽口が戻ったユアンにキャサリンは少し 涙ぐみつつ笑ってしまった。 ﹁班長達は大丈夫でしたか?﹂ ﹁ああ。無事パラシムドを転送した。全てサエグサが上手くやって くれた。まったく優秀にも程があるぞ﹂ 苦笑したグリフィスにサエグサは﹁まあな﹂と得意げな表情を見せ た。 水妖精の池 に飛ぼう﹂ ﹁良かっただぁ。一角大蛇も逃げちまうし、一件落着だべなぁ﹂ ﹁それなんだが・・・いや、先に と意味深に言葉を切ってサエグサは異空間から扉を取り出した。そ れは家屋についているような何の変哲もない、扉枠と取手が付いた 扉であった。 サエグサの突拍子の無さは慣れたと思っていたが、これは全く何の 目的か分からず、グリフィス達は困惑する。 ﹁そのドアはいったい何ですか?﹂ ﹁様式美だよ。空間移動と言ったら、ドアだと思うんだ﹂ サエグサが何を言っているのか全くもって分からない。 彼女はその扉の取手に紋様が刻まれたプレートを掛け、魔力を通し た。淡く紋様が光る。 ﹁はい、どうぞ﹂ とサエグサは徐に扉を開けた。 ﹁なっ!!﹂ グリフィス達は絶句した。 その扉の向こうには空色の髪を輝かせるクリシュティナ殿下が居た のだ。 971 森の奥に潜むもの 7︵前書き︶ 本日は2話更新しております。本話は二話目です。お気を付け下さ い。 おっさんやっと登場してます。 972 森の奥に潜むもの 7 後ろを振り返り、今し方通ってきた扉の向こうを見れば、そこはや はり鬱蒼と茂る木々が。視線を前に戻せば、天幕内に並べられた机 にクリシュティナ殿下、緋剣騎士団、翠剣騎士団両団長が座してお り、その後ろにはエクスリュート侯爵家家紋が描かれた甲冑を着た 護衛騎士達と緋剣、翠剣それぞれの騎士が数名づつ並んでいた。 理解が追いつかない呆然とした中で、やっとこれが殿下が開発した という転移魔道具かと思い至ることが出来た。 パタン、と扉の閉まる音が後ろでする。 ﹁まずは怪我人の治療を﹂ クリシュティナ殿下がそう言うとともに治療師が数人駆けてきてグ リフィスの肩を借りて立っていたユアンを連れて行った。 安堵で身体の緊張が緩んだが、緋剣騎士団団長の刺すような視線を 感じてすぐにグリフィスは敬礼の姿勢を取った。キャサリンが隣で 慌てて同じく敬礼の姿勢になる。 ﹁特別任務班、グリフィス・ウォーレン、ユアン・オルビー、キャ サリン・キンバリー、他協力者2名帰還致しました﹂ ﹁うん。全員無事で何より。パラシムドはこちらに転送され、現在 討伐作戦中だよ。でも再生速度が非常に速くて、苦戦している。パ ・・ ラシムドは宿主から魔力を吸収して、それを使って細胞を再生させ るんだけど、彼女はだいぶ溜め込んでいたみたいだね。討伐完了ま では時間がかかるけど、問題はないよ﹂ 興味深いね、と目を輝かせて笑う殿下をよく通る女の声が呼んだ。 ﹁クリス。そんなに悠長にしてられない事態だぞ﹂ 妙に惹かれる声に皆の注目がサエグサに集まった。殿下の前に進み 973 出た彼女を両団長が驚いた顔で見ている。 ﹁どういうことだい?﹂ ﹁宿主の一角大蛇とネジネズミ達がここに向かっている﹂ ザワッと天幕内に動揺が広がった。 ﹁それは確かかい?規模はどの位だい?﹂ ﹁パラシムドを転送した直後、一角大蛇がネジネズミ達を連れて去 っていった。方向から見て目的地はここだろう。規模は一角大蛇一 匹とネジネズミ多数ということは確実だが、他の宿主がいないとも 言えない﹂ ﹁殿下。宿主が来てしまったら、パラシムドが魔力を吸収して再生 能力が更に高まるのではないですか﹂ ﹁その通りだね。それらの到着時間は分かるかい?﹂ ﹁私の勘でいいのなら、あと15分もない﹂ 堂々とそう言ったサエグサに殿下は深いため息を返した。周囲は、 勘なんて不確かな事ではため息も吐きたくなるだろう、と殿下の心 中を思ったが、続いた殿下の言葉にそうではない事を知る。 ﹁君の勘は︻未来視︼レベルの正確性じゃないか﹂ そんなっ、と誰かの叫びが上がると同時に騒めきが広がった。しか しそれは一瞬で、すぐさまクリシュティナ殿下の手を打つ音で静ま り返る。 ﹁彼女の発言の正確性は僕が保証するよ。という訳で、あと15分 足らずで宿主達がここへ来ることになる﹂ 殿下の視線が天幕内に見回すと、空気に緊張感が漂った。 ﹁迎撃部隊を編成する。翠剣騎士団第三班、第四班、これに私の守 護騎士達を加えた部隊で宿主達を迎え撃つ。他の班はパラシムド討 伐作戦を続行。母体を倒せば、宿主共も死ぬ。出来る限り早く大将 を討ち取れ!﹂ ﹁はっ!!﹂ 殿下の命令に騎士達は大きく響く掛け声を上げ、それから慌しく天 幕を出て行った。 974 外からは怒号が聞こえる。 殿下が優雅に立ち上がり、グリフィス達の元へやって来た。 ﹁改めてご苦労様。君達もだいぶ消耗しているようだから、治療師 の元へ行きたまえ。ただし、君は・・・﹂ グリフィス達を見て優しく微笑んでいたクリシュティナ殿下だった が、サエグサを見て悪戯っ子のようにニヤリと笑う。 そこへ天幕の外から﹁失礼します﹂と声が掛かった。 入ってきたのは目付きの鋭い殿下の守護騎士だった。 上背のある良く鍛えられた身体に家紋が入った白い甲冑を身に付け た赤銅色の髪の男。 男はサエグサを見つけて駆け寄り、心配気な顔で彼女を覗き込んだ。 ﹁リキ!怪我はしてないか?﹂ ﹁大丈夫だよ。てかガーウェン、その格好どうしたんだ?﹂ ﹁いやこれは・・・。公式演習で部外者は連れて行けねぇからこれ 着とけって言われて・・・﹂ ﹁なんか凄いかっこいいね。びっくりした!﹂ サエグサの無邪気な褒め言葉に男が照れたように頭の後ろを掻く様 子になぜかグリフィスの心に妙なモヤモヤが湧く。 ﹁リキ、君も迎撃部隊に加わりたまえ。両翼揃ったのだから、楽勝 だろう?﹂ ニヤニヤと笑う殿下に、サエグサがハッとした顔をして詰め寄った。 ﹁謀ったな、クリス!だからガーウェンを連れてきたんだろ!﹂ ﹁まさか。僕がいかに天才でもここまでは予見出来ないよ。保険を かけていただけさ﹂ ﹁保険って。つまり想定内だったってことだろ﹂ ジトッと見つめるサエグサに爽やかな輝く笑顔を向けて宣った。 ﹁時間はないよ。存分に見せ付けておいで﹂ 975 ****** キャサリンとモッジは治療師の元へ行ったが、グリフィスはそのま ま迎撃部隊へ志願した。二人に比べて消耗が少なかったという事も あったが、何より怒号飛び交う戦場で手を繋ぎながら笑うサエグサ とその夫という男が気になり目に付いたからである。 守護騎士の男がサエグサの夫だと聞いた時、グリフィスは悔しさの ような羨ましさのような気持ちを感じた。 ﹁今日の夕飯はグディんとこに食いに行こう。あいつらもリキに会 も ?﹂ えなくて寂しがってたから﹂ ﹁あいつら ﹁あっ、いや・・・まぁ、その・・・仕方ねぇだろ﹂ ﹁ふふふ!﹂ ﹁笑うな、苛めっ子め﹂ ﹁私はガーウェンに会いたかったよ﹂ ﹁それは知ってる﹂ ﹁ふふ!そうか、知ってたか﹂ うふふあははと目と目を合わせ笑い合う厳つい男と黒髪の美少女。 なぜだろう。胸がムカムカする。 周りを見回せば、迎撃部隊の他の騎士達もあんぐりと口を開け、呆 あれ は気にしなくていいですよ﹂ 気に取られるようにサエグサ達二人を見ていた。 ﹁皆さん、 と金髪の守護騎士が笑いながら、場違いなカップルのイチャイチャ に当てられて緊迫感が保てない騎士達に声を掛けた。 その顔には見覚えがある。確か翠剣騎士団副団長だったアルフォン 976 ス・ウェルシュルトだ。 守護騎士に異動になっていたのか、とグリフィスは驚いた。翠剣騎 あれ は序の口です。気にしていたら戦えませんよ﹂ 士団から守護騎士団に配属されるとは大出世である。 ﹁それに キンッと鋭い音を立てて抜剣したアルフォンスにやっと緊迫感が戻 ってくる。 騎士達がそれぞれに抜剣し、盾を構えながら戦線を構築していった。 相手は宿主である。半不死であり、破裂し種を飛ばしてくるネジネ ズミもいる。厳しい戦いになるだろう。 ﹁リキ、剣あるか?﹂ ﹁うん﹂ サエグサが異空間から剣を取り出した。男は抜剣した剣とサエグサ から受け取った剣を両手に持ち、軽く振るう。そして右手に持った 剣を地面に突き立て、アルフォンスを振り返った。 ﹁アルフォンス、前に出させるなよ﹂ ﹁ええ。どうぞ存分に﹂ アルフォンスの返事に男は獰猛な笑みを浮かべ、右腕でサエグサを 抱き上げた。 ﹁全力でやるぞ、リキ﹂ ﹁うん﹂ 見つめ合う二人の顔が近付く。目が、彼女達に引き寄せられる。 そしてサエグサの薄く開いた唇が男のそれと重なった。 その瞬間、ゴウッ!!と強大な魔力が突風とともに立ち上った。 その中心にいるのは口付けを交わす二人である。 男の身体の周りをバリバリと音を立てて稲妻が回っていた。近くに いたグリフィスの髪の毛がビリビリと逆立ちそうになる。 驚きで息を飲んだのはグリフィスだけではない。その場にいた誰も が声を失うほどの圧倒される魔力。 977 サエグサの唇が男から離れると、男は左腕を掲げた。剣の周りにも 青白い稲妻の筋がバチバチと音を立てて宙に踊っている。 男が剣を振り下ろした。 剣から太い雷が放たれ、正面の草原を駆けて行き、その向こうの樹 々をなぎ倒しながら真っ直ぐに進む。 そしてドンッ!!!と大きな雷鳴で地面を揺らし、天に光が上って いった。 騎士達は絶句して、それを見た。 しかしそれはアルフォンスが言った通りまだ序の口だった。 サエグサが男の腕から飛び降り、叫ぶ。 ﹁炎精霊﹃ジャバウォック﹄!雷精霊﹃チェシャキャット﹄!﹂ その声に精霊が形を変える。 炎を纏った大猿に似た巨大獣と雷を纏った巨大な山猫が二人の横に 並ぶように現れ、吼えた。 男が右手に剣を取る。 ゴウッッ!!炎が噴き出した。 右腕は炎、左腕は雷を纏う巨体の男と付き従うように寄り添う美少 女。 その両脇には巨大魔獣。 なぎ倒された樹々を飛び越えてネジネズミの大群が姿を現した。 炎と雷が膨れ上がり、まるで羽根のように男の背に立ち上がる。 ﹁俺達をなめんじゃねぇ!!!﹂ 男が叫ぶと同時に魔獣達が駆け出した。 978 森の奥に潜むもの 7︵後書き︶ このエピソードは今話でお終いです。 おっさんが全く出てこないので書いている自分が途中で飽きてくる ぐらいでしたので、皆様もお付き合いありがとうございました。 979 おっさん、猫を可愛がる*︵前書き︶ エッチな表現があります。一話丸ごとエッチな話です。 最近、エロが足りな︵ry おっさんが酔った女子を可愛がる話です。 980 おっさん、猫を可愛がる* ロードの後輩がひどく慌てた様子で﹁リキさんがっ!﹂と俺を呼び に来たとき、頭がおかしくなるんじゃないかと思うぐらい怖かった。 結局はただリキが酔い潰れてしまっただけなのだが、もう二度とあ んな気持ちは経験したくない。 酒場のテーブルにリキは突っ伏して無防備に寝ていた。 ﹁・・・・・・﹂ 怒気を込めた視線を周りに向けてやれば、すぐさまロードが告げ口 してくれる。 ﹁はいはい!こいつッス!こいつがリキちゃんに﹃竜殺し﹄を飲ま せたんッス!﹂ 指差された馴染みの冒険者仲間が両手をぶんぶん振って言い訳を始 めた。 ﹁リキちゃん、めちゃくちゃ酒強いって聞いてたから﹃竜殺し﹄も 飲めると思って!悪気はなかったんだ!﹂ ﹃竜殺し﹄とはドラゴンさえ酔わせるという非常に強い酒である。 大抵の奴は一口飲んだだけでぶっ倒れてしまうが、リキはコップ一 杯飲んだらしい。それだけでも常人と比べればかなり酒に強いと言 える。 しかしいくら飲んでも全く酔わないどこぞの﹃拳聖﹄とは違い、リ キは飲めば相応に酔っ払う。こうして所構わず寝てしまったのもそ のためである。 大きくため息をついて、リキの肩を揺する。 ﹁リキ、こんなとこで寝んな。帰るぞ﹂ ﹁うー・・・ん・・・?﹂ 981 眉間に眉を寄せ、眠りを邪魔されて不服そうな声を出したリキを構 わず横抱きに抱き上げた。 うわ、すげぇ酒の匂い。 酒に弱い俺が匂いで酔いそうになるほどだ。 ﹁うー・・・がーうぇーん?﹂ 間延びした声に視線を下ろすと、とろんとした瞳のリキがふにゃっ と笑った。いつもはしっかりしているリキの珍しいふにゃふにゃの 姿が可愛くて噴き出した。 しかし、余裕でいられたのはそこまでだった。 ﹁ガーウェンだいすき。ガーウェンしゅきー!﹂ 回らない舌で何度も何度もそう繰り返し、リキが首に噛り付いてき たのだ。 俺自身の身体もそうだが、何より周囲の奴らも凍り付いている。 これは見てもいい姿なんだろうか、といったように目を逸らしてい る奴もいる。 ﹁ガーウェン、すき。いつもやさしー。だいすきだよぉ、かっこい い﹂ 猫のように頬を擦り付けながら、リキは俺を褒め、好きだと繰り返 す。カァッと顔が熱くなっていく。 知り合いの前で無邪気に褒められるのがこんなに恥ずかしい事だと は知らなかった。 ﹁リ、リキ﹂ ﹁ガーウェーン、ちゅーしてぇ?﹂ 瞳を潤ませて、こてん、と首を傾げたリキが強請ってくる。 かわっ・・・可愛いな、おい!! でもここは酒場である。周囲の目もある。理性を総動員して堪えた。 ﹁ガーウェン、ちゅ﹂ 聞こえなかったのかなぁ、と不思議そうな顔をしているリキが再び 宣うのを皆まで言わせまいと口を手で塞いだ。 ﹁・・・悪いが、帰る﹂ 982 そそくさとその場を後にしながら、そう告げると﹁なんか、ほんと なだ すまん﹂と申し訳なさそうな仲間の声が背中越しに聞こえた。 ****** これはヤバイ。 玄関の扉を背に声を潜めてリキを宥める。 ﹁リキ、ここ玄関だから!せめて居間で!﹂ 外されたベルトとズボンは下着と一緒に下げられた。 帰ってくる道中、煽られ嬲られ、簡単に立ち上がっていたアレがぶ るんと飛び出てきた。途中、リキの誘惑に耐えられなくて路地裏の 暗がりに連れ込んでキスを堪能したりしたのも一因だと思う。 出てきたアレを惚けた顔のリキが玄関のタイルに跪き、﹁あーん﹂ と口を開けて咥えようとしている。 ﹁リ、リキ!汚ねぇから!まず風呂入ろ!﹂ ﹁やー!ガーウェンのおちんちん、いまなめるからー!﹂ ﹁おち・・・っ!ば、ばか!女がそんな言葉口に出すな!﹂ 酒に酔ったリキがエロエロになるのは知っていたが、ここまでひど いのは初めてだ。にゃーにゃーと仔猫みたいに鳴きながら、エッチ な事を強請ってくるリキの可愛さに何ていうか悶えまくっている。 ﹁ぐっ!悪い!﹂ 先っぽの出っ張りをあむあむされて、羞恥心で頭が沸騰して耐えら れなくなり、急いでリキを抱き上げ風呂場へ走った。 1日働いて汗だって掻いているし、色々汚いし、そんな所を舐めら れ嗅がれたら恥ずかしくて死んでしまう。 じゃれつきのような抵抗と言えない抵抗を躱しつつ、リキの服を剥 983 いて一緒にシャワーを浴びた。 ﹁ガーウェン、あらって﹂ 子供みたいに甘えて、つるっとした肌を擦り付けてくるリキ。普段 こんな風に甘えてくる事はないので、若干の戸惑いとともに嬉しさ おぼつか を感じる。 足元の覚束ないリキを支えて身体を洗ってやると﹁くすぐったい﹂ とリキがはしゃいだ。 ﹁ガーウェンもあらったげる﹂ 洗ってあげると言う割には、ただ抱き付いているだけのような気が する。 ﹁くすぐってぇよ﹂ ﹁ふふふ!ガーウェン、あのね﹂ 頰に泡をつけながら、リキが見上げてくる。 ﹁しあわせだよ﹂ 瞳がキラキラして本当に幸せそうな顔のリキに胸がぐっと詰まって 思わずその身体を掻き抱いた。なぜか鼻の奥もツンとして涙が出そ うになる。 ﹁俺もしあっうぁっ、おいっ!さわ、触んな!﹂ 真面目な雰囲気だったのに、リキがアレを扱いてくるから、間抜け な声で叫んでしまった。石鹸で滑りが良くて、ものすごく気持ち良 い。 ﹁ガーウェンのおちんちんすごいかたくておっきくなってる﹂ ﹁だからそんな事、うぁっ、言うなって!おま、あっ、お前の所為、 う・・・チッ!この酔っ払い、覚悟しろよ﹂ 悪戯をする細い手を掴んでリキを反転させ、背後から拘束する。片 足をすくってやれば、不安定になる身体を支えようとリキが腕にし がみ付いてきた。 酔っ払いが俺に敵うと思うなよ。 ﹁洗って欲しいんだろ?隅々まで洗ってやるよ﹂ 984 泡立った石鹸をぬるぬるリキの身体に塗り付ける。 ﹁あっ、や!ぁあっ、ん!﹂ もが リキの胸の突起は両方とも摘んで引っ張ったり、クニクニと捏ねて、 しっかりと洗ってやる。 リキは時折、爪を立てて快感に踠いていたが、やっぱり仔猫のよう な抵抗で俺を興奮させるだけだった。 ﹁やぁ、あ、にゃあ!﹂ ﹁なんだよ。今日はずいぶん猫みてぇだな﹂ 耳の中に舌を突っ込んで舐るとリキが鳴く。 ﹁みみ、らめ、くちゅくちゅしちゃだめぇ﹂ ダメと言われたらもっとしたくなる。 びちゃびちゃになるまで耳朶から穴の中まで存分に堪能すると、リ キは足に力が入らなくなったようで全身を俺に預けてきた。 リキ程度の重さなら筋トレにもならないので全く苦はない。寧ろこ の華奢で可愛い女を好きにしているという征服感すら感じる。 それはちょっと変態じみてる気がするので、言わないが。 リキの薄い茂みの奥に手を伸ばした。 石鹸のぬる付きとは明らかに違うぬるぬるとしたその場所にニヤリ と笑みが浮かんでしまう。 ﹁ここもちゃんと洗った方がいいみたいだな﹂ ﹁あっ!にゃあ、やぁ!あん!﹂ 敏感な突起を撫でるように優しく擦ると、リキの身体はビクビクと 跳ねた。ぎゅう、と俺の腕にしがみ付き、快感に耐えている。 こういう行為は大体、リキに翻弄されるのだが、今は俺がリキを快 感で翻弄している。それに堪らなく興奮する。 ﹁ほら猫みたいに鳴け﹂ ﹁やっ!にゃ、やらぁ!クリクリしちゃらめ、きもちいーからぁ!﹂ 何度も言うが、ダメと言われたらもっとしたくなる。 985 リキを抱え直して、浴槽の縁に座った。 左手でリキの秘部を広げて、存在を主張するように露わになった敏 感な部分を望み通りクリクリとしてやる。 ﹁あっ!あっ!らめ、だめぇ!やっあ!﹂ リキが鳴きながら顔を横に振った。 ﹁ダメばっかりだな﹂ 隙を狙ってリキの耳を再び攻める。 リキは一際大きな鳴き声を上げてすぐに達した。 余韻でビクビクと身体を揺らし、小さくにゃあにゃあと息をついて いるリキに構わず、中指と薬指を濡れそぼった秘部に挿し入れた。 ﹁にゃああっ!﹂ ﹁中もちゃんと洗わないとな﹂ ﹁らめらめ!にゃらぁ!ああー!﹂ 指を素早く出し入れすると、リキの中は柔らかい肉で強く締め付け てくる。奥までぐずぐずに濡れきっている。 ﹁これは嫌いなのか?止めるか?﹂ 意地悪な質問を耳に吹き込んでやると、リキの頭が揺れた。 ﹁すきっ、ガーウェンのゆびすきぃ!かきまわされるのすき、やめ ちゃだめぇ!﹂ こいつは本当にリキなのだろうかと思うほど、リキは快感に堕ちて いた。そんなリキの痴態に俺も理性が働いていない。 ﹁好きなら、もっと入れてやる。・・・すげぇな、三本も入るぞ﹂ 人差し指も加えて、リキの秘部を蹂躙する。 グチャグチャゴプゴプと体液が次から次へと溢れ出て、床のタイル に飛び散った。 もっともっと蹂躙し尽くしたい。 ﹁あっ!にゃ!いく!なかでいっちゃう!﹂ ﹁指でいくのか?俺のは入れなくていいのか?﹂ ﹁あっあっ!いれて!ガーウェンのおちんちんいれたい!ガーウェ 986 ンのおちんちんすき!﹂ ﹁・・・淫乱め﹂ そう囁くとキュッとリキの中が締まった。 リキの痴態に喉の奥が鳴る。堪らない。興奮する。 すが リキが俺の与えた快感で狂っている。 もっと狂えばいい。それで俺に縋れ。 指を抜いて、リキの身体を反転させた。膝を跨がせて、向かい合う。 ﹁入れてぇか?﹂ うんうん、とリキが切なげに瞳を揺らしながら、頷く。その様はす ごく卑猥で可愛い。 ﹁ちゃんと摑まってろ﹂ 細い腕を取って首に回してやると、リキが耳朶に吸い付いてきた。 ちゅちゅと可愛らしい音が耳元で聞こえて、ぞくっと背筋に快感が 走った。すぐにでもめちゃくちゃにしたい気持ちが湧き上がったが、 まだもう少し今のリキを楽しみたいと奥歯を噛んで耐える。 リキの身体を支えながら、ずぶずぶと柔らかい穴の奥を目指す。 ﹁あ、あっ!あー!﹂ 蕩けきったリキの声がした。大きく揺らしてきっちりと収めると、 リキはにゃあ!と大きく鳴く。 ﹁・・・猫め。酔っぱらいの猫め。どうしてほしいんだ?﹂ ﹁ぐりぐりして・・・おちんちんでいっぱいかきまわしてぇ﹂ ﹁・・・こうか?﹂ 卑猥なお強請りには敢えて乗らず、ゆるゆると揺すってやると、リ キはにゃあにゃあと抗議の声を上げた。それが可愛くてしばらく焦 らして鳴かせまくっていると、しまいにはリキは涙声になってしま った。 ﹁や、あ、やら、にゃらぁ・・・﹂ 緩い快感ばかりで焦らされて、リキはもうぐずぐずになっていた。 ﹁リキ、お前は俺だけのものだからな﹂ 987 くったりして思考力の落ちたリキの耳に吹き込んでいく。 ﹁お前の全部、俺のものだ﹂ ﹁俺だけ見ていろ﹂ ﹁離れるな﹂ ﹁俺もお前だけ見てる。ずっと側にいろ﹂ ****** 朝方、リキの唸り声で目が覚めた。 いつものように後ろから抱き込んでいたリキが背を向けたまま、小 さく呟く。 ﹁あったまいたー・・・﹂ 一瞬、リキの故郷の言葉かと思ったが、﹁頭痛い﹂だと気付いて笑 った。 ﹁二日酔いだ、それ﹂ リキがゆっくりと振り返る。顔色が悪く、眉間に皺も寄っている。 乱れていた黒髪を手で梳いてやると、気持ち良さそうに目を細めた。 リキは酔ってなくても猫みたいだな、と心の中でこっそり笑う。 ﹁昨日、お前が飲んだのは﹃竜殺し﹄っていう酒で、ドラゴンも酔 っぱらうほどの強い酒なんだよ﹂ ﹁あー、そうだったんだ。声がこんなに嗄れてるのもそのせい?﹂ それは昨夜、俺が散々にゃーにゃー鳴かせた所為である。 988 ﹁・・・覚えてないのか?﹂ ﹁コップ半分飲んだところまではちゃんと覚えてるんだけど・・・﹂ 頭が痛むのか顔を歪めたリキに、即座に昨夜のあれこれは黙ってお く事に決めた。 ﹁寝てろ。酔い覚ましの薬持ってきてやるよ﹂ ベッドを揺らさぬように気を付けて降りて振り返ると、くったりと 弱々しいリキが俺を見上げていた。 ﹁ありがとう。昨日、迷惑かけちゃったね、ごめん﹂ 申し訳なさそうなリキの言葉に良心が咎められる。 ﹁いや、迷惑なんてなかったから謝んなくていい﹂ リキが酔った隙にかなり好き勝手し、色々言わせて、むしろ楽しん でしまいました。とは勿論言えるわけもなく、そそくさと寝室から 出た。 989 おっさん、猫を可愛がる*︵後書き︶ ○ためにならない設定 このあとガーウェンにはたまに、リキに﹃竜殺し﹄を飲ませてエロ 猫ちゃんになるのを楽しむ秘密の時間が出来ました。 リキは覚えていないのですが、翌日の身体の異変で多少察していま す。それでもガーウェンがキラキラの良い顔して酒を勧めてくるの で、二日酔いになるけど受け入れています。 ガーウェンはエロ猫リキにアブノーマルな事もこっそりしています。 顔射したり、淫語を言わせたり、エロメイド服を着せて緊縛したり、 台所で致したり、イかせすぎてお漏らしさせたり。 こっそり変態度を上げています。 990 女、迷宮都市の闇に潜む︵前書き︶ ある女のお話です。 胸糞悪い表現あります。ご注意下さい。 ソーリュートに蔓延る闇を覗いて見ましょう。 991 女、迷宮都市の闇に潜む 迷宮都市ソーリュートは多種族が入り乱れて生活しているが、それ にしては治安は悪くなく、活気に溢れた華やかな都市である。しか ばっこ し大都市故に貧富の格差が拡がり、流通の拠点であるが故に様々な 組織が跋扈しているのも事実だ。 その組織の中には表に現れず、ソーリュートの影に潜むものも多く ある。 特に﹃海龍祭﹄の期間は提灯や灯籠で煌々と灯される明かりにより、 影は濃くなり闇となり、組織を活発化させる。 華やぐ祭りの裏側に都市の闇が蠢いていた。 ****** 自分はツイている、と女はほくそ笑んだ。 ソーリュートへ来る途中、偶々行き合った商人に上手く取り入る事 ができ、旅費が浮いた上に、一行と共にソーリュートへ入る事がで きたのだ。 入門審査を逃れられたのはツイている。 女は他の街で指名手配になっていた。この都市の審査は厳しく、犯 罪者は必ずその場でバレる。 しかしそれでも入る手立てがない訳ではなく、現にこうして女のよ うに密入門を果たす者もいる。 992 商人が餞別だと渡してきた金貨が鳴る音を聞いて、女は嘲るように 鼻を鳴らした。 ︵ちょろいもんだわ︶ 夫の暴力と姑のいびりに耐え兼ね、実家に逃げ帰って来た薄幸のお 嫁さんを演じて相手の同情を引き、あとは身体を使って落とせば大 抵の男は女に金を融通してくれた。 簡単過ぎて笑えてくる。 バカ しかしここで暮らすにはこの程度の金では足りない。 ︵冒険者の金ヅルでも探そうか︶ 女はマントのフードを深く被り、路地裏の暗がりから通りを行き交 う人々を吟味し始めた。 女は5年振りにソーリュートに帰ってきた。 たか 5年前、女は道楽で冒険者をしていた大店の跡取り息子と恋仲にな り、街を出た。その後は男の実家に金を集りながら、好き放題過ご してきたが、男の出来の良い弟が成人したのをきっかけに男は勘当 された。 腹が立ち、男と共に男の両親を脅しに行った所を警ら隊に捕まりそ という肩書きと自由に使える金がなければ価値の うになり、逃走。女は上手く逃げ切れたが、男は捕まってしまった。 大店の跡取り 無いのろまな男だったから、未練はない。むしろ今後の事を考えれ ば足手まといがいなくなってくれてツイていたと言える。 ふと人混みの中に赤銅色の髪の巨漢を見つけた。 その顔には見覚えがある。 女は再びほくそ笑んだ。 ﹁ほんと、ツイてる﹂ 男に気付かれないように距離をとってあとをつけ、後ろから持ち物 993 や服装を確認する。 記憶の中の田舎臭い男とは雰囲気が違っており、小綺麗で品の良い 身なりをしていた。手首のブレスレットやカバンなど持ち物の値段 を瞬時に予想する。 相変わらず金稼ぎはいいようだ。 バカ 何の面白味もない面倒くさい男だったが、冒険者としての腕だけは 良かった。単純でお人好しなので、有りもしない身の上話や苦労話 をすれば簡単に騙され、いくらでも金を融通してくれた。 それ以外は使い様のない男。 しかし男は南地区の住人ではなかったか。東地区にいるとなると﹃ 遺跡﹄にでも来たのだろうか。 男は噴水広場に行き着くとキョロキョロと周りを見回して、近くの ベンチに座った。そしてカバンから本を取り出すとパラパラとペー ジを捲り始めた。 おそらく誰かとの待ち合わせだろう。 話し掛けるなら今だ。 女は一度路地に身を隠し、手鏡と化粧道具を取り出すと、素早く右 目の周りに化粧を施した。それはまるで殴られた痣のように見える。 男の様子を窺うと、まだ本に視線を落としていた。 あの男が好きそうな話を作り上げる。 5年前、女は悪い男に騙され脅され、泣く泣く男の元を離れた。暴 力で虐げられる生活を強要されていたが、命からがら逃げ帰ってき た。 貴方に会いたかった。 本当に愛していたのは貴方だけ。 貴方だけが生きる希望だった。 994 自分で考えたその内容を心の中で笑いながら、足を引き摺るふりを して、男の前に向かう。 しかし近付く前に男が顔を上げた。手首のブレスレットを触ってい る。 チャンスだ、と女は瞳を潤ませ、男の名を呼ぼうと・・・ 男が、ふわりと、心の底から愛しい者を見るようなふわりと柔らか い笑みを浮かべた。 驚きで動きを止めた女の横を風が通り過ぎた。 ﹁ガーウェン!﹂ そしてそれはそのまま男の腕の中へ飛び込んで行った。 ﹁ガーウェン、お待たせ!﹂ ﹁そんな待ってねぇよ。急いで来ることねぇのに﹂ ﹁だってガーウェンにすぐ会いたいって思ったから﹂ 黒髪の少女が厳つい男の首にしがみ付き甘え、男はそれに表情をこ れでもかと緩ませていた。 その姿は誰がどう見ても愛し合う者同士の抱擁だった。 しばらく二人は抱き合っていたが、立ち上がり、手を繋いで歩き出 した。 ﹁夕飯は何食べたい?﹂ ﹁んー・・・ハンバーグ!チーズ入ったやつ﹂ ﹁昨日もハンバーグだったよ!﹂ ﹁お前の作るハンバーグ美味いんだよ﹂ 黒髪の少女と男は仲睦まじく笑い合う。 沸々と女の心の奥から怒りが湧き上がってきた。どうしようもなく ムカムカする。 何であんなくだらない男があんなに幸せそうにしているのか。 995 二人が女の横を過ぎるとき、少女と視線が合った。少女は少し口の 端を上げ笑みを浮かべ、すぐにふいっと視線を逸らした。 女は確信する。 あの少女は自分が何者で目的が何かを知っている。その上で男との 仲を見せつけているのだ。 カッと女の頭に血が上がった。 憎たらしい。腹立たしい。 あんな男を手に入れて良い気になっているあのクソガキ! グツグツと女の感情が沸き立つ。 ﹁・・・めちゃくちゃにしてやる・・・っ!﹂ 呟いた声は怒りに震えていた。 ****** 自分はツイている、と女は思った。 運良く見つけた空き家の中に、はぁはぁと荒い呼吸を整えながら潜 む。ドアに耳をつけて外の様子を窺うが、人の気配はなく追手はい ないようだった。 息をついて俯くと、髪がパラリと落ちてきた。その髪は黒に染まっ ている。 自分はツイていない、と女は髪を掻き上げて舌打ちをした。 サンダトス 腹の立つあの黒髪の女を不幸にしてやりたくて、情報収集するとあ の二人は﹃雷炎鳥﹄との二つ名を持つ有名冒険者夫婦になっている ことが分かった。有名人だけあって苦労せずとも二人に関する情報 996 が入ってくる。 そこで女は髪を黒く染め、黒髪の女になりすます事にしたのだった。 手っ取り早くあの女の評判を落とす為と名声に便乗する為である。 サンダトス 無銭飲食や宿代の踏み倒し、詐欺、暴行恐喝など犯罪行為を行い、 その度、 ﹁私は﹃雷炎鳥﹄のリキよ。特例でSランクに認められた私に文句 があるの?﹂ と主張してトラブルを起こした。しかし、すぐにそれは失敗だった と分かる。 やたらと男達に絡まれるようになってしまったのだ。大体は﹁俺の 女になれ﹂と言う三流冒険者の男で、それらは身体で籠絡させてか パー ら金や所持品を奪っていたのだが、雰囲気の違う集団が現れてから 身の危険を感じ始めた。 ﹁魔術師のリキさんですね?﹂ ティー 真っ黒なローブで全身を覆う三人組から声を掛けられた。女は﹁仲 間勧誘ならお断りよ﹂と無碍にあしらったが、その者達は音もなく 移動し、女を取り囲んだ。 ﹁魔術師のリキさんですね﹂ ﹁そ、そうよ。何よ!アンタ達、痛い目見たいって言うの?!﹂ 強気に威嚇する女を気にも止めず、三人組の一人がブツブツと何か を呟いた。 パキンッと女の胸元で何かが割れる音がする。誰かから盗んでいた 魔法防御の魔道具が反応したのだ。 その瞬間、女は駆け出し、逃げた。 あのローブ姿の奴らは躊躇いもなく女に魔法を使用した。 途轍もなく嫌な予感に女は死に物狂いで走ったのだった。 うろつ その場は上手く逃げられたが、やはり予感の通り、その後から女の 周囲にローブ姿の者達が彷徨き始めた。 997 得体の知れない連中に恐怖が膨らむ中、女は再び暗い路地裏で襲わ れた。 ﹁何なのよ、あいつら!私が何したっていうのよ!﹂ 運の良い女は再び命からがら逃げ、この空き家に転がり込んだ。 頭を抱え、女が抑えた声で喚くと、誰も居ないと思っていた空き家 の奥から男がそれに答えた。 ﹁そりゃあ、アンタが先生のフリをしているからでしょ﹂ ﹁っ!だれっ!?﹂ 驚愕して女が鋭く叫ぶと、男は笑った。 ﹁そんなデカい声出したらあいつらに気付かれるよ﹂ 男は自分の家のように、薄汚れたソファで寛いでいた。発色の良い 黄色と紫色の髪を立たせて、顔中にピアスを付け、かなり目立つ姿 をしている。 ずっとそこに居たのだろうか。そんなはずはない。こんな目立つ奴 見逃すはずがない。 ﹁アンタ何者?!あいつらの正体知ってるの?!先生のフリって・・ ・・・・アンタ、あの女の仲間なの?あいつらもあの女の仲間なの ?!﹂ 恐怖に身体を震わせているのに女は高圧的な態度で捲し立てた。ピ アス男はそれに対して、ニヤリと気味の悪い笑みを見せた。 ﹁俺は先生の仲間じゃないよ。一方的に慕っているだけ。あいつら はリキ先生の能力を狙ってる他国のスパイ。アンタの事、本当に先 生と勘違いしてるみたいだね﹂ 似ても似つかないのに、と人を馬鹿にした顔に女はカチンときて、 ピアス男を鋭く睨み付けた。 ﹁馬鹿だね、アンタも。リキ先生になりすますなんて、自ら危険に 飛び込むようなものだよ﹂ 女の不幸が心底楽しいとピアス男はニヤニヤ笑う。こいつは不愉快 極まりない男だ。 998 ﹁・・・それで何よ、アンタ。あの女のフリは止めろって言いたい 訳?ご忠告どうもって言えばいいの?﹂ ﹁止めろなんて言わないよ。寧ろ推奨するよ!﹂ 突如、ピアス男は頬を上気させて叫び出した。 ﹁本人じゃないって気付かれたらどんな拷問をされるんだろうね。 爪を剥がれるかな。指を落とされるかな。そうそう、他国では不死 草を脳に植え付けられて、死ねないまま身体を細切れにされるって いう拷問もあるみたいだよ。アンタはイイ声で鳴きそうだから、見 てみたいなぁ﹂ 恍惚の表情と女を見る舐めるような視線に女の肌が粟立った。 この男は狂っている。一緒にいるのは危険だと本能が警鐘を鳴らす。 ゆっくりと後退り、逃げ出す隙を見つけようとしていた女に男が歯 を剥き出しに笑った。 ﹁俺は追い掛けるのは得意だよ﹂ ゾッとして女は家を飛び出した。心臓がバクバク音を立てている。 逃げないと!アイツからもあいつらからも! 女は暗闇の中へ駆けて行った。 ****** 女が去った家でピアス男は部屋の隅に視線を向けた。 ﹁本当にほっといていいの、先生?﹂ 男が呼び掛けると、部屋の景色が一部揺らぎ、そこから黒髪の女が 現れた。ずっとこの部屋に居たのだが、結界魔法により姿を消して いたのだ。 ﹁放っておけ。あれは勝手に自滅するタイプだ。だが、ガーウェン 999 には近付けるなよ﹂ ﹁分かってますよ、先生。優先すべきは旦那が平穏に暮らす事、で しょ?﹂ 黒髪の女は仰々しく頷いた。 彼女の旦那は先程の女と浅からぬ因縁があり、しかもどうやら女が 戻ってきた事に気付いてしまい、最近は心が乱されているらしい。 怯えていると言ってもいい。 身体もデカく強い彼女の旦那と先程の女じゃ怯えるのは逆じゃない かと思うが、さっき見たどんな状況でも誰が相手でも高圧的で挑発 的な女の態度は彼女の旦那が苦手とするタイプだと言える。 ﹁俺は嫌いじゃないんだけどなぁ﹂ と男は独り言ちた。 かお ああいう他人はみんな自分より馬鹿だ、劣っていると思っている人 物こそ、いい表情で地べたを這いずり回るものだ。 あの女も、野うさぎほどの可愛さはないが、追い立てるには実に丁 度いい。 ﹁でも意外だね。リキ先生があれを生かしておくなんて﹂ ガーウェン てっきり本当の意味で目に触れないようにするのかと思っていた。 彼女の﹃旦那﹄への傾倒、偏愛振りは凄まじく、彼に害するものは 敵と見なされ、攻撃を受けることになるのだから。 男にとって何気ない疑問だったが、黒髪の女の剣呑な瞳の輝きが男 を射抜くと息を詰めた。 ﹁死んだら一瞬だろ。生きていたら、それだけ・・・﹂ 暗い暗い深い闇のような黒い瞳が男に近付いてくる。 息が上がる。圧迫するような殺気を感じて、全身に快感が走った。 ﹁逃がすなよ﹂ 何よりも重い命令に、ビクビクと腰が跳ねそうになる。 ﹁も、もちろん、先生・・・アンタの為なら﹂ 女の手が耳に伸びて、ピアスを弾いた。 1000 ピリッとした軽い痛みに腰が抜けそうなほどの快感が全身に充満す る。 自らのゴクリ、と唾を飲み込む音が響いて聞こえた。 ﹁良い子だ、ブリックズ。褒美をやろう﹂ 感情の無い冷たい声に男は歓喜した。 1001 女、迷宮都市の闇に潜む︵後書き︶ 変態の調教については割愛させて頂きます。 1002 女子、迷宮都市の闇に暗躍する︵前書き︶ 前話﹁女、迷宮都市の闇に潜む﹂の別視点です。 1003 女子、迷宮都市の闇に暗躍する 後を付けられているとすぐに気付いた。分かりやすい稚拙なそれは 明らかに素人のものである。 相手に気付かれないように尾行者を確認して、驚愕した。 ユリアリアだった。見間違えじゃない。 ユリアリアはかつて恋人だった、いや、そう思っていたのは俺だけ かもしれないが、そういう関係の女だった。 しかしユリアリアはある日突然居なくなった。何も言わず、ただ俺 の金をすべて持って消えたのだ。 その後に伝え聞く話で、ユリアリアは裏で俺の事を﹁馬鹿な金ヅル﹂ と呼んでいた事を知った。そんな風に思われていたとは知らず、俺 は彼女と上手くいっていると有頂天になっていたのだ。本当に経験 不足の馬鹿だったと今なら思う。 過去を思い出して、チリッと胸が痛み始めた。 なぜ今更、俺の近くに現れる? 何がしたいんだ? 指先が冷えていくのを感じた。心臓もドック、ドックと凄い音をあ げている。 喉が渇いて引き攣った。 目の前がチカチカと点滅し始めて、息苦しくなり、俺はベンチに座 り込んだ。 本を取り出したのは、文字を追うフリをしてユリアリアの動向を見 る為だ。 やはり俺を見ている。 背中に嫌な汗が流れた。 1004 ・・・・・・怖い・・・ ハッとした。俺はユリアリアが怖いんだ、と唐突に気付いたのだ。 ユリアリアとの事で思い出せるのは、罵倒や否定の言葉やあの日の 虚無感だけ。それらがじりじりと迫ってくる。 あの苦しさや悔しさが、じりじりと・・・ 怖い! 助けを求めて咄嗟にブレスレットに触れた。そして気付く。リキが 近くまで来ている。 顔を上げると、すぐに揺れる黒髪が見つかった。 手を大きく挙げて元気よく振りながら、リキが輝く笑顔で駆けて来 る。 子供かよ。ふっ、と緊張が抜けていった。 安堵するとともに愛しさが心に溢れた。 リキがそのまま飛び込んでくるのを抱きとめると、﹁ああ、これだ なぁ﹂と納得する満足感を感じた。 俺の心にぴったりと合う安心感。 ﹁ガーウェン、お待たせ!﹂ ﹁そんな待ってねぇよ。急いで来ることねぇのに﹂ ﹁だってガーウェンにすぐ会いたいって思ったから﹂ リキがぎゅうっと俺を強く抱きしめる。その力強さに安心して、い い匂いのする髪に顔を埋めると耳元でリキが囁いた。 ﹁何かあったか?﹂ 俺を良く見ているリキは俺の心の動揺に目敏く気付いたようだ。 ﹁大丈夫だ。・・・でも後で聞いてほしい事があるんだ﹂ そう囁き返すと、分かったと言うようにトントンと優しく背を叩か れた。 1005 リキには聞いてもらいたい。愚かだった昔の自分も、それをまだ引 き摺って怯えてる情けない自分もリキには話したい。 ﹁夕飯は何食べたい?﹂ 優しい微笑みで見上げてくるリキ。 それだけで大丈夫だって思う。惑わされたりしない。 リキはいつだって俺の味方で側に居てくれる。過去も今も情けない 俺でもリキはきっと好きだって言ってくれる。 ****** マントを着た女と目が合った瞬間、直感した。この女がガーウェン の異変の原因だと。 憎々しげに私達を睨む女に見覚えはない。しかし繋いだガーウェン の手の小さな震えはガーウェンとこの女が何かしらの関係があるこ とを示している。 そしてガーウェンはこの女の存在に傷付いている。 そう思った瞬間、私はわざと口元に笑みを浮かべて見せた。怒りが ガーウェンではなく私に向くように、わざとらしく女を挑発したの だ。 思った通り女は眉を吊り上げ、瞳には分かりやすく苛烈な怒りを宿 した。 狙うなら私を狙うがいい。真っ向から相手にしてやる。 ガーウェンを振り仰いだ。それに気付いたガーウェンはふにゃっと 可愛らしい笑顔を見せた。 ﹁やっぱ唐揚げがいいかな﹂ 1006 ﹁うん。じゃあ、唐揚げにしよっか﹂ 嬉しそうに更に笑みを深くした私の愛しい可愛い人。 この笑顔を曇らせる者は誰であろうと容赦しない。 街路樹の下ですっかり夏らしくなった陽を避けながら、ぼんやりと 行き交う人々に視線を向ける。﹃海龍祭﹄が間近に迫り、南地区は 普段よりも多くの人で賑わっていた。 隣に見覚えのない髭面のおっさんが並んだ。 ﹁先生、お待たせ﹂ 低い声で声をかけてきた男に、視線は前に向けたまま答えた。 ﹁随分と上手いもんだな。分からなかったよ﹂ ﹁まぁね。一応これが本業だから﹂ まち 大きな荷物を下ろし、ふぅと一息付いている様子はソーリュートに 来たばかりの商人に見える。 しかし私を﹁先生﹂などと呼ぶ者はこの都市では一人しかいない。 ﹁先生の言ってた女は今、東地区で先生のフリして好き勝手してる よ。小狡い悪事ばかりですこぶる評判が悪い﹂ 分かり易い嫌がらせに笑ってしまう。 あの後ガーウェンからあの女が過去に彼を騙し、ひどく傷付けた張 本人だと聞いた。予想はしていたが、ポツリポツリと苦しそうに話 すガーウェンの様子に女への憎悪が湧く。 のこのこと現れて、またガーウェンを傷付けやがって。 しかし分かり易い挑発をした甲斐があり、あの女の怒りの矛先は今、 私の方へ変わっているようだった。 それならば都合がいい。 ﹁そのまま監視を続けろ。女にはこのまま調子に乗ってもらう﹂ ﹁へぇ?いいの?﹂ ﹁ああ。だがひとつ噂を流してもらいたい。そうだな、私とガーウ 1007 ・ づら ェンが仲違いして私が荒れているとか。私が東地区で男を漁っても 可笑しくない話をでっち上げてくれればいい﹂ ﹁・・・あの女をホンモノにするって事ね﹂ と男は髭を揺らして笑った。いつもの気持ち悪いニヤけ面ではなく 商人らしい人好きのする笑顔で、普段変態性ばかり目に付くがちゃ んとプロなのだなと感心した。 ﹁最近、面倒な奴らが周りを彷徨いているから鬱陶しくて。彼女が 代わりをしてくれるっていうなら有難い事だ﹂ ここ数日、﹃海龍祭﹄の騒ぎに便乗して他国のスパイと思われる者 共が接触しようとしてきて鬱陶しく思っていたので都合がいい。面 くら 倒者同士、楽しめばいい。 ﹁私はしばらく姿を眩ますから、死なぬ程度に追い立ててくれ﹂ ﹁いいね、そういうの好き﹂ よいしょ、と軽い掛け声と共に男は立ち上がり、荷物を背負った。 こちらに一瞥もくれず立ち去ろうとしている少し猫背の背中に声を 掛けた。 ﹁おじさん、忘れ物だよ﹂ 振り返った男に重みのある小さな巾着を手渡すと、人好きのする穏 やかな笑みを浮かべて言った。 ﹁おお!ありがとう、優しいお嬢さん﹂ さっきまで話していた声とは全く違う、初めて聞く声に面喰らった。 スキルなのか技術なのか分からないが、こいつは案外やる奴らしい。 ﹁どういたしまして。祭りを楽しんで﹂ ﹁お嬢さんも﹂ それだけで私達は背を向けて反対方向へ歩き出した。 人混みに入ってすぐ、すれ違う男に、 ﹁いつもありがとうございます﹂ と囁かれた。 アイツの仲間だろう。 先程渡した巾着の中身の事を言っているのだ。案外、律儀な連中で 1008 ある。 ガーウェンとの待ち合わせ場所である冒険者ギルドに着くと何やら 人集りが出来ていた。男達が数人言い争っているようだが、その中 の一人はなんとガーウェンだった。 ﹁ふざけてんじゃねぇ!!テメェもグルなんだろ!!?盗んだ物を 返せって言ってんだよ!﹂ 冒険者だろう男二人組がガーウェンに怒鳴っている。ガーウェンも かなり殺気立っており、今にも斬り合いが始まりそうだった。 何事だろうか、とキョロキョロしていると、人集りの中にいた顔見 知りのお爺さん達が私に気付いて揶揄うようにヒヒッと笑う。 ﹁なんでも﹃雷炎鳥﹄のリキに金品盗まれたらしいぞ﹂ ﹁誘ってきたのはリキの方だと﹂ ﹁魔道具も根こそぎ盗られたらしい﹂ なるほど。あの女に騙された男共がわざわざガーウェンに文句を言 いに来たのか。完全なとばっちりだ。 ﹁そうなのか?リキって奴は悪女なんだなぁ﹂ と肩を竦めてわざとらしく感心したように言うとお爺さん達が声を 上げて笑った。その声でガーウェンは私に気付くと少し殺気を緩め、 それでも不機嫌な顔のまま私を呼んだ。 ﹁リキ﹂ ﹁ガーウェン、ただいま。何事?﹂ ﹁知らん。言い掛かりだ﹂ 私の腰をぐいっと引き寄せるとガーウェンは低い唸り声で威嚇しな がら男達を睨みつけた。こいつは俺のもんだ、お前らと寝るわけね ぇだろ、とアピールしているようだ。ガーウェンにしては挑発的な 行動であり、よっぽど腹に据えかねる事を言われたのだろうと思っ た。 ﹁あ・・・え?アンタがリキ・・・?まじかよ・・・﹂ 1009 別人じゃねーか、と小さく呟き、男達が顔を見合わせ、愕然として いる。自分達を騙したのが私とは別人だと分かったのだ。 ﹁私が彼の妻で、最近は﹃雷炎鳥﹄の片翼とか呼ばれているリキだ。 君たちとは初めましてだけど、何か用か?﹂ ﹁あ・・・いや・・・﹂ 自分たちの勘違い、果ては女は泥棒だけでなく詐欺師だったと気付 き、男達は口籠った。先ほどまでの勢いが恥ずかしいと言わんばか りに視線をウロウロさせ、更にこれ以上何か言えば自分たちの迂闊 さも指摘されかねない事態にあうあうと口を開閉するだけだった。 ﹁有名になれば、その名を騙る者も出てくるからなぁ﹂ ﹁兄ちゃん達、高いお代だったが勉強になったな﹂ ﹁若ぇからこれからいくらでも取り戻せるさ﹂ お爺さん達が口々に慰めの言葉を口にする。ぽんぽんと男達の肩を 叩き、 ﹁爺さん達が酒を奢ってやろう、な?﹂ と有無を言わさず、冒険者ギルドへ連れて行った。最後尾のお爺さ んが私達を振り返り、ヒヒッと笑って見せる。フォローは任せろと いうことらしい。 それをきっかけにぱらぱらと解散していく人集りの中心で、まだ不 機嫌そうな顔のガーウェンを苦笑いして見上げた。 ﹁最近は面倒事が多いな﹂ ﹁・・・・・・ごめんな、リキ﹂ ぼそりと呟き、ガーウェンは俯く。眉を八の字に下げ、辛そうな表 情になっていた。 おそらくさっきの騒ぎの原因にあの女が絡んでいると予想がついて しまったのだろう。自分の所為で私に迷惑をかけた、私の評判を貶 めてしまったと落ち込んでいる。 ほんと、あの女は余計な事しかしねーな! ﹁ガーウェンが謝ることじゃないだろ。どこの世界にも便乗しよう 1010 とする狡い奴はいるものだ。真に受けてたら疲れてしまうよ﹂ 今の自分達とあの女は関係がないから気にするな、と言っても悪い 意味であの女はガーウェンの心の中に深く入り込んでいる。ふとし た瞬間に容赦なくガーウェンの優しい心を激しく揺らして苦しめて くるのだ。 いっそあの女を一思いに︱︱︱︱︱︱ 心の底で蠢いていたどす黒い邪悪な闇がゾワリと大きくなって表に 這い出てきそうになった時、ガーウェンがフッと声を漏らして笑っ た。 ガーウェンは穏やかな瞳で私を見下ろしていて、出てきそうになっ ていた私の黒いモノは再び心の奥底へ引っ込んでいった。 ﹁リキが言ってくれただろ?二人で歩いて行こう、お互いがお互い に助け合って補い合って生きていこうって。最近、その事をまた実 感するんだ﹂ ガーウェンが私の手を引き、ゆっくりと歩き出した。 ﹁俺が落ち込んだり悩んだりしたら、リキが元気付けてくれたり慰 めてくれたりするだろ。リキにとっては何気ない事かもしんねぇけ ど、俺にとっては嬉しくて幸せな事なんだよ。昔の事を思い出して 尚更そう感じられる﹂ ガーウェンがニヤッと笑って、私の頬を抓ってきた。照れているの かガーウェンの頬が少し赤くなっている。 ﹁だからそんな恐い顔すんな。俺はリキの笑ってる顔が好きなんだ﹂ ﹁ガーウェン・・・﹂ キュン、と胸が高鳴った。 もうなんて素敵なんだ。いつも私をときめかせるんだから。更に好 きにさせてどうするの。 ガーウェンは繊細で優しいだけでなく、挫けない強い心を持ってい る。 1011 ひと 裏切られてもまた他人を信じる強さを持っている。そういう所が大 好きなのだ。 ﹁ねぇ、ガーウェン。しばらくどっかに泊まりに行かない?﹂ 硬い胸板に飛び込んで甘えながら、ぎゅうっと抱き締めて提案する。 ﹁最近、面倒事ばかりだし、二人でデートを楽しむなんて良いと思 んだけど﹂ ﹁デートか。いいな﹂ ガーウェンが目を細めて笑うので、私も嬉しくなって笑った。心の 底から愛しい気持ちが溢れ出てくる。 辛い過去を思い出しても、ガーウェンはこうして綺麗な笑顔を見せ てくれる。二人でいるときはもっとその笑顔を見ていたい。 大事な事は他人よりガーウェンの笑顔、である。 しかしだからと言ってあの女を見逃す訳ではない。ガーウェンを傷 付け、私に喧嘩を売ったあの愚かな女にはそれ相応の仕返しをさせ てもらう。 清々しい憎悪を心の中で飼い慣らしながら、私は愛しい人に笑みを 向けるのだった。 1012 女子、迷宮都市の闇に暗躍する︵後書き︶ 過去の辛い思い出と向き合うおっさんと嫉妬深く案外陰湿な女子の 話でした。 このあと流された噂により、ユリアリアをリキと勘違いしたとある 組織にユリアリアは追っかけられます。 1013 番外編 魔術師、パイを食す︵前書き︶ リキの兄弟子・ルトルフとその師匠・アフィーリアの会話です。 1014 番外編 魔術師、パイを食す ラーニオス王国王城・黄昏宮、魔術研究区画 両側にいくつも扉がある廊下を肩口に切り揃えられた滑らかな銀髪 を持つエルフ少女が鼻歌混じりに歩いていた。 少女と言ってもそう見えるだけで、300歳は優に超えているとい う噂である。 すれ違う人達は端に避け、一様に深く礼をする。それらには関心も 寄せず、嬉しそうに微笑みを浮かべて歩き去る銀髪を皆は憧憬の眼 差しで見送った。 彼女ーーアフィーリア・フィーリアはこの王国、いや大陸で最高峰 の魔術師である。この区画にいる魔術師を志した多くの者達にとっ て、性格はともかく、手の届かない憧れの存在なのだ。 魔法士と魔術師の大きな違いは魔法陣を使用して魔法を生成するか どうかである。魔法士は主に自魔力を用いて魔法を生成するが、魔 術師は魔法陣を用いて、それにより魔法を生成する。 魔法陣を用いる魔法は、使用魔力が少なくてすむ事、作用・効果が 内外的要因でほとんど変化しない事がメリットであり、発動が自魔 力使用魔法より時間が掛かる事、魔法陣の構成を理解していなけれ ば使用出来ない事がデメリットに挙げられる。 しばしば魔法士一派と魔術師一派の間でどちらが魔法に精通してい るかという論争が起きるが、一般的にはその差というのはたいして 重要視されず、魔法を使う者という意味で一括りに﹃魔法士﹄と呼 ばれる事も多い。 アフィーリアはとある扉の前に来るとノックもせずに、バンッ!と 1015 ドアを開けた。 ﹁やっほ∼!ルトちゃんいるぅ?﹂ 語尾の伸びた明るい声と共にズカズカと遠慮なく部屋に入って来た アフィーリアに、室内にいた魔術師達は一瞬驚いたもののいつもの 事かと苦笑を浮かべる。 ﹁いらっしゃいませ、アフィーリア様。ルトルフ様は奥のお部屋に いらっしゃいます﹂ ﹁あら、ありがとぉ。ルトちゃぁん、遊びに来たよ∼ぉ!﹂ 律儀に挨拶を返した女性魔術師に軽く手を振り、そのまま奥の扉を バァン!と開けた。相手の都合などお構いなしである。 ﹁ルトちゃん!お土産持ってきたの!﹂ ﹁師匠、来る時は前以て連絡下さい、といつも言ってるじゃないで すか・・・﹂ 眼鏡を押し上げつつ、ルトルフは毎度の事ながら己の師に苦言を呈 する。聞きはしないだろうが、部下がいる手前きちんと注意しない といけない。 ﹁あっ、紅茶二つお願いねぇ﹂ 聞いていないどころか聞こうともしない。しかも当然のようにルト ルフの部下を顎で使う。ここまでいつも通りである。 ﹁アップルパイ持ってきたの!。リッちゃんが作ってくれたのよぉ。 皆の分もあるからねぇ﹂ 自慢気に箱を掲げる無邪気な顔に苦笑いを浮かべつつ、甘い物好き なルトルフは若干足取り軽く師の元に寄った。 香ばしそうな焼き目が付いた丸いアップルパイを一人前に切り分け ると、断面にはぎっしりと黄金色の林檎が詰まっているのが見える。 ドアの向こうでこれを食べる部下達のわいわいはしゃぐ声が聞こえ、 味への期待で自然と喉が鳴った。 ﹁美味しそうです。リッちゃん・・・リキさんというとクリシュテ 1016 ィナ様と簡易転移魔道具を開発したあの子ですよね﹂ ﹁やぁねぇ、ルトちゃんの妹弟子なんだからそんな他人行儀にしな くていいのよぉ﹂ 自分の分はしっかり人より大き目に切り分けたアフィーリアが行儀 よくナイフとフォークでアップルパイに挑んでいる。 確かにルトルフとリキはアフィーリアを師匠としているのだが、彼 女とアフィーリアの関係は師弟というより友人同士に近いので、な んとなく気後れしているのだった。 ﹁彼女は変わってますよね。飛び抜けた能力や異世界人という事は 置いておいても、性質というか雰囲気は他人を惹き付けます。でも さすがに第一王子が彼女を側妃にしたいと言い出したときは驚きま した﹂ パイは上部はサクッと、林檎は絶妙な固さの残る柔らかさ、下部は しっとりとした生地でナイフを入れただけでルトルフの表情はうっ とりとしてしまった。 ﹁あぁ、それねぇ。アフィもビックリしたわぁ﹂ ﹁まぁリキさんは結婚されてたし、すぐにそんな話なくなりました けど﹂ ﹁それもあるけどぉ、リッちゃんを国政に関わらせたら国を乗っ取 られるわよって陛下に教えてあげたのよぉ。あの子、︻君臨者︼だ から﹂ うーん、美味しー!と頬に手を当て満面の笑みを見せるアフィーリ アに、一瞬流しそうになったが、ルトルフはピタリと動きを止めた。 すぐに部屋に防音用魔法をかける。 ﹁︻君臨者︼というと︻統率者︼系スキルの最上位と言われている スキルですか?建国王が保有していたとかいう伝説の・・・。本当 なんですか?﹂ アフィーリアは性格はともかくその観察眼は本物である。しかしル トルフは﹁本当か﹂と尋ねてしまった。︻君臨者︼というスキルは それ程稀有な、いやあるかどうかも定かじゃない伝説的なスキルな 1017 のである。 ﹁間違いないと思うわよぉ。たまにマリちゃんでも引っ張られる事 があるって言うし﹂ マリちゃんことマリエッタはアフィーリアの冒険者仲間で甲拳流格 ・・ 闘術の師範であり、世界でも最強レベルの人物である。 ﹁リッちゃんがその気になったら、世界だって支配できるわ﹂ 冗談ですよね?とは聞けなかった。 己の師匠の瞳が真実だと物語っているのが分かったからだ。 ﹁そ、そんなの・・・野放しにしていていいんですか・・・﹂ 世界を支配できるほどの能力を持つなんて、建国以前に世界を混沌 に陥れたという﹃魔王﹄と同等の厄災である。 ﹁大丈夫なのよぉ。ガウィちゃんが側にいるから平気なの。ガウィ ちゃんが側にいるだけで、リッちゃんは世界の支配よりもガウィち ゃんとの平穏を望むから﹂ ガウィというと確かリキの夫である。勲章授与の為リキと共に王城 に来て、その際紹介されたと思ったが、腕は立ちそうだという以外 あまり印象はなかった。 ﹁私達は幸運だったわよぉ。リッちゃんがガウィちゃんと出会って くれなかったら、もしくは状況が少しでも違っていたら混乱が始ま っていたかもねぇ﹂ ﹁彼はそんなにすごい人なんですか・・・﹂ ︻君臨者︼持ちを制御できる程の特殊能力でもあるのだろうか。そ れならば興味深いとルトルフは感心の声を上げた。 しかしそれをアフィーリアは笑って否定する。 ﹁やだぁ、ガウィちゃんは普通の良い子よぉ!優しくて世話好きな 普通の子。でもリッちゃんはガウィちゃんにベタ惚れなのぉ。正直、 アフィ達もなんでガウィちゃんなのか分かんないぐらいだけど、巫 女の立場から言わせてもらえば﹃世界﹄の意思なのかしらねぇ﹂ アフィーリアはエルフ族の巫女である。巫女とは神に仕える者であ 1018 り、エルフ族が神とするのは 世界そのもの である。 ルトルフはそれを自然信仰のようなものと認識しているのだが、﹃ 世界﹄の意思というのはいまいち理解出来ない。 以前、アフィーリアから聞いた話によると﹃世界﹄というのはかな り子供っぽいらしい。 ﹁自分に注目してほしいけど構い過ぎると機嫌が悪くなるし、気に 入った子には贔屓しちゃう。かと言ってすごい力がある訳じゃなく、 人々の信仰がなければすぐに力は弱くなる。人は好きだけどそれよ りも自分の都合を優先する。アフィの仕事はそんな子供の話し相手 になってあげることなのよぉ﹂ とアフィーリアは冗談めかして言っていた。 ﹁﹃世界﹄が、リキさんがガウィさんを好きになるようにしたと?﹂ ﹁そこまでの力はないよぉ。リッちゃんの魂を相性の良いガウィち ゃんの中に導いたって感じ?そしたら偶然ガウィちゃんはリッちゃ んのどタイプだった﹂ ﹁偶然、ですか﹂ そんな上手い偶然があるのだろうか。しかしだからといってそれが ﹃世界﹄の意思だと言われても信じられないが。 ﹁あぁ、早く仕事終わんないかしらぁ。﹃海龍祭﹄も始まるし!そ うだ、ルトちゃんもおいでよぉ!﹂ 良い事思い付いたとアフィーリアが瞳を輝かせるのにルトルフは呆 れた声を返した。 ﹁仕事終わんないかしらって真面目にやればすぐに終わると思いま すけど。私は﹃転移魔道具を用いた魔獣討伐の報告書﹄を検証しな ければならないので行けませんし、仕事も手伝いませんから﹂ ﹁ええー!!手伝ってよぉ!﹂ 悲壮感漂う泣き言はまるっと無視して、残りのアップルパイに視線 を落とす。 1019 ここで甘い顔をすれば、手伝うどころか仕事自体押し付けられる事 になるのだから。 少し歯応えが残る林檎は控えめな甘さと爽やかな香りだった。 稀有な能力を持つという黒髪の妹弟子を思う。 アフィーリアが大丈夫だと言うのだし、騒ぎ立てる事はないだろう。 穏やかに過ごせるのならばそう過ごしてほしい。 そうしたらまた甘い物を作ってくれるかもしれない。 ふと浮かんだ利己的な思いに、師匠の批判は出来ないなぁ、とルト ルフはパイとともに苦笑を飲み込んだ。 1020 番外編 魔術師、パイを食す︵後書き︶ あと1、2話で4章はおしまいです。 その後については後日、お知らせ致します。 1021 女子の幸福な一日︵前書き︶ 事件もない何気ない日々が実は一番幸福なのだと、最近仕事が忙し すぎて泣いた私はしんみりと思いました。 1022 女子の幸福な一日 朝 だいたい日の出と共に目が覚める。 隣を見れば、ガーウェンがぐうぐうイビキをかきながら大の字で寝 ていた。 季節は夏となり、気温的にくっついて寝ていると暑いらしく最近で は朝になるとこんな感じである。 正直、寝起きに感じるガーウェンの腕の重さと体温がなくなるのは 少し物足りない気持ちなのだが、安心しきってだらけたガーウェン の姿には何とも言えない幸福感がある。 枕を調節してあげるとガーウェンは﹁んなぁ﹂と謎の鳴き声を出し て、今度は静かな寝息を立て始めた。可愛い。 ガーウェンを起こさないよう身を起こすと、アソコからどろっと昨 晩の残滓が垂れて出てきた。 ﹁んっ﹂ 反射的に声が出る。相変わらずガーウェンは中に出すのが好きらし い。 それとなく聞いてみたところ、最初は受け入れられたいという気持 ちが大きくそうしていたらしいが、今は私を満たしたいという気持 ちからだそうだ。 当たり前だが、愛というのは目に見えない。 その見えない愛を自分なりに私に表したくて、それが言葉と触れ合 いとアレをたっぷり中に出す事だったらしい。 私を満たすほど愛している。溢れ出すほど愛している。 どうしてそこへ行き着くのかはよく分からないが、ガーウェンが私 1023 を愛していてくれているのなら良いとしよう。 ガーウェンの前髪を掻き上げて、額にキスを落とす。この瞬間は、 目覚めてほしいのとまだ眠っていてほしい気持ちのせめぎ合いだ。 幸福な矛盾である。 彼の瞳に映るのはもう少しお預けか。眠るガーウェンを残して、寝 室を後にした。 シャワーを浴びてから、朝食の準備を始める。 今日は仕込んでいたフランスパンのフレンチトーストとベーコンエ ッグ、蒸し野菜。ガーウェンは野菜が苦手なのでバジルソースとチ ーズソースでディップ出来るようにする。オレンジとリンゴがあっ たから、フレッシュフルーツジュースもいい。 コンロは意外にもIHに似ていた。魔法石板が三つあり、そこに魔 力を通すと石板が熱を発し、調理が出来るのである。 一つに鍋をかけて湯を沸かす。その間に野菜を切る。人参、じゃが いも、とうもろこし、ズッキーニ、夏野菜は外せないだろう。 卵とハチミツ、牛乳を混ぜた液に浸けていたフランスパンを異空間 から取り出した。異空間は設定を調整すれば冷蔵庫、冷凍庫代わり に使用できるので便利である。 せいろ フライパンを用意して石板に魔力を通すと、ちょうど湯が沸いた。 鍋に上に野菜を並べた蒸篭乗せて、あとは待つだけ。 フライパンにはバターを多めに入れた。ゆっくりと溶け出し、くる くるとフライパンの中を回る。ふわっとバターのいい匂いが立った その上に浸け液をたっぷりと吸ったフランスパンを乗せた。これを ゆっくりと焼く。 もう一つフライパンを用意し、ベーコンを切る。便宜上ベーコンと 1024 呼んでいるが、これは豚肉ではなく鹿肉をスモークしたものである。 勿論、私が﹃森﹄で狩ってきた肉で作った。 それを弱火でじっくりと焼く。肉の脂が溶けだしじゅうじゅうと音 を立てた。 良い匂い。 その上に卵を2つ割り入れ、すぐに蓋を閉め、蒸し焼きにする。 そうしているとガーウェンが起きて来た。 台所に現れたガーウェンはまだ寝惚け眼で、私と目が合うとふにゃ りと表情を崩した。とてとてと私の背後に来るとぎゅうっと抱きつ いてくる。 ﹁はよ。何作ってんだ?﹂ ﹁おはよう。フレンチトーストとベーコンエッグだよ。ガーウェン、 何か飲む?﹂ ガーウェンの頬にキスをして尋ねると、回された手が下っ腹辺りを さわさわと撫でてきた。 ﹁んー、いいや﹂ 素っ気ないような返事なのに離れるつもりはないらしくそのまま背 中に張り付かれる。 今日は朝から甘えたさんらしい。 ﹁ふふっ。顔洗ってきたら?﹂ ﹁んー・・・後でやる﹂ 再び頬にキスする。ふにゃふにゃとガーウェンが笑った。 ・・・・・・このおっさん、恐ろしいんだけど。可愛すぎて恐ろし い! ガーウェンを背中に付けたまま、デレデレしながら調理を進めた。 昼 1025 抜けるような青空には白い雲が浮かび、風は穏やかで、本日は絶好 たる の洗濯日和だった。 奥庭の一角に弛まないようにロープを張る。そして振り返り、宙に 浮いてぐるぐると回る洗濯物を見た。 ﹁脱水はもう少しか﹂ 洗濯物を回しているのは結界魔法を駆使した洗濯機である。洗濯機 と言ってもドラム型に展開した結界内に洗濯物を入れてグルグル回 すだけの簡易的な物だ。しかし慣れない洗濯板での洗濯より簡単で 楽なので、重宝している魔法である。 周囲に飛び散る水滴が無くなった。洗濯機︵仮︶からシーツを取り 出すと、いい具合に脱水されてる。 軽く畳んで、叩いてしわを伸ばす。開いて両手で持って、勢いを付 けて振り、更にしわを伸ばす。 先程張った紐にシーツを掛けて、風で飛ばないように止め具付ける と、真っ白なシーツが風に揺れた。 ﹁今日は良いお天気だから、お昼ご飯は庭で食べようかな﹂ 大きく伸びをして青空を見上げながら、独り言ちた。 今日、ガーウェンは午前中に仕事で、私は午後からギルド食堂での 仕事である。すれ違いになってしまうかもしれない一日だったが、 お昼ご飯を家で一緒に食べようと決めていた。 家の庭だけど、ちょっとしたピクニック気分も良いのでおにぎりの お弁当を作ろうと思う。 早速お米を取り出し、研ぐ。この世界のお米は日本で食べるお米に 非常に似ているので、おにぎりにも合う。ガーウェンもおにぎりは 好きで、夜食に作ってくれとせがまれることも多々あるほどだ。 お米は研いだあとしばらく水に浸けておく。 その間に天幕を張って、陣地を作ろう。 異空間から組み立て式の骨組みを取り出し組み立てていく。その上 1026 から天幕を掛け、地面に打ち込んだ杭に端を結び付けた。中には下 布とふかふかの絨毯を敷き、クッションを数個並べる。 それから浸しておいたお米を土鍋で炊くことに。お米と適量の水を 入れた土鍋を中火にかけて、沸騰するまで待つ。 沸騰したあとは弱火で15分ほどすると炊き上がるのである。 ﹁おにぎりの具は何がいいかな﹂ 台所の冷蔵庫や異空間の倉庫を探りながら考える。それにお弁当の おかずもどうしようか。 まずはお弁当おかずの定番、卵焼き。 卵を割り入れ、砂糖、塩、牛乳を少量入れてかき混ぜる。よく混ざ ったら温めたフライパンにバターを溶かして、半分だけ流し入れた。 じゅわあっと音が立つ。 表面が乾いてきたら、フライパンを振りつつきれいに巻いていく。 卵焼きは母が作るのが上手く、家事を手伝い始めた頃、何度も教え てもらった。小学校中学年の私には通常のフライパンは重く、その せいで上手く卵焼きが巻けなかったため、誕生日に卵焼き専用フラ イパンを強請って呆れられたのは良い思い出だ。 巻いた卵を端に寄せ、空いたところに残りの溶き卵を流し入れる。 これも同じように巻いたら完成。 母の作った卵焼きに近付いているかな。 アスパラとベーコンの炒め物や唐揚げなどお弁当の定番おかずを作 っているうちに、ご飯が炊き上がった。 具はシャケ︵のような魚︶と、大葉と胡麻のおにぎりにする事にし た。 土鍋で炊いたご飯を半分づつ器に取り、一つは焼いて解しておいた シャケの身を、もう一つは刻んだ大葉と軽く煎った胡麻を混ぜる。 満遍なく混ざったら、手に塩水を軽く付けながら熱々としながら握 1027 る。 黙々と三角おにぎりを作り、大皿に並べていく。ちょっと多すぎた かな、という量でも仕事帰りのガーウェンはぺろりと食べてしまう。 どうやら私が魔力付与するようになってから、かなり燃料消費が多 くなってしまっているようなのだ。 おかずは別の大皿に並べて、おにぎりと一緒に庭のテント内に運ん でおく。あとはグラスを用意してガーウェンが帰ってくるのを待つ だけだ。 それからすぐにガーウェンは帰って来た。 テント内でまったりしていると台所に通じるドアが開く音がし、こ ちらに向かってくる足音と忍び笑いが聞こえる。 ﹁庭にテントがあって驚いたぞ﹂ 身を屈めてテントに入って来たガーウェンが楽しそうに笑っている。 ﹁今日はピクニック日和だからね﹂ ﹁まぁ確かにな﹂ 隣に座ったガーウェンは私の顎をすくい上げ、キスを落とした。 頬が少し熱くなる。キスに不慣れでどぎまぎしていたはずのガーウ ェンは今やキスすることに慣れ、というかむしろ自然な動作でする ようになり、まるで・・・ ﹁ただいま﹂ 目を優しく細めて、掠れた低い声で囁く彼はジゴロのような色気を 垂れ流しているのである。 ﹁おかえ・・・んっ・・・﹂ 口を塞がれ途中で言葉を止められる。そして、 ﹁・・・飯より先にお前を食っちまおうかなぁ﹂ と熱い息を吹き込んでくる。 覚醒したのか、元々そういう素質があったのか分からないが、最近 の私はそれに翻弄されっぱなしなのである。 ﹁だ、だめ。ご飯食べてから。たくさん作ったから﹂ 1028 ﹁ん、リキはデザートってことか﹂ 違う。違うけど、ニヤリと笑うガーウェンには何も言えない。抗う 気も逃げる気もないけれど、捕らわれるというのはこういう感じな のだろうと困ったような笑いが漏れた。 来い、と手を引かれ、足の間に座らされる。 ﹁ガーウェン、それじゃ食べにくいでしょ﹂ 片手で私を抱きながらおにぎりに手を伸ばすガーウェンに呆れてみ せたのだが、彼は全く悪びれる事もなく、﹁デザートが逃げねぇよ うに﹂なんて心底、嬉しそうに笑う。 そんな顔を見てしまえば、誰も見てないしとか座り心地が良いしと か言い訳もしつつガーウェンの望むようにしてしまうのだった。 夜 冒険者ギルド食堂でのアルバイトを終え、帰宅し、玄関を開けると いい匂いが鼻を擽った。働いてきた身体、特にお腹に直撃するそれ に、途端にぐぅぅと期待の音が上がる。 そのいい匂いの発生源である台所を覘くと、コンロの前に立ってい たガーウェンが私に気付き、無邪気な笑顔を見せた。 ﹁おかえり!夕飯作ったぞ﹂ ﹁ただいまー!ありがと・・・ん!美味しそう!﹂ ﹁ある物適当に切って入れただけだし、リキの作る飯には敵わねぇ けど﹂ と言いつつ得意げなガーウェンに顔中にキスを落とされ迎えられる。 ガーウェンの前には野菜や肉、色々な食材が入った土鍋がぐつぐつ と煮立っていた。ガーウェンは一人暮らしが長く、野営も多く経験 しているのでそれなりに料理が出来るから、たまにこうして手料理 を披露してくれるのだ。 ﹁用意しててやるから、お前も手洗って準備してこい﹂ 1029 ﹁ふふふ、はーい﹂ 美味しく出来たのかご機嫌なガーウェンにつられて私までニコニコ する。 鼻歌を歌い出した可愛いおっさんを近くでみていたかったけれど、 お腹が空腹を主張し始めたので洗面所へ小走りで向かった。 手を洗って戻ってくると、6人掛けのダイニングテーブルの真ん中 で鍋が美味しそうな湯気を立てていた。 取り皿と箸が隣り合う席にそれぞれ置いてあるのに、笑ってしまう。 今日のガーウェンはとにかく私を側に置きたいようだ。 自分用の食器の前に着席するとすぐガーウェンがグラスと酒瓶を持 ってやって来た。 ﹁隣国のワインをゼルから貰ったんだ。そんなに度数は強くないら しいから飲んでみよう﹂ ﹁隣国のワインか。高価なんじゃないのか?﹂ ﹁いや、そこまでじゃないらしい・・・得意先から多く貰ったらし いが、ゼルはワイン嫌いだろ?﹂ 処分に困ってたみたいだ、とガーウェンがグラスに濃い赤紫の液体 を注ぐ。 ﹁鍋にワインは合わねぇけど、まぁいいよな?﹂ はにかむガーウェンが渡してくれたグラスからはふわり、と芳醇な 香りが漂ってきた。 ﹁乾杯﹂ ガーウェンとグラスを軽く合わせてから、ワインを一口飲む。少し の渋みと酸味がある辛口。 隣から﹁むぅぅ﹂と唸る声がした。基本的にお酒は甘めが好きなガ ーウェンには合わなかったようだ。 ﹁勿体無いかもしれないけど、炭酸水で割る?﹂ ﹁そうする﹂ 1030 眉を寄せたままのガーウェンが台所へ行くの見て、料理を取り皿に 寄そう。 戻ってきたガーウェンは瓶の封を開け、シュワシュワと泡立つ炭酸 水をワインの入ったグラスに注いだ。それをちょびっと飲んで﹁う ん﹂と機嫌良く頷く。 ﹁改めて、乾杯!そして頂きます﹂ 再びグラスを合わせて、2人で笑い合う。 ガーウェンの作った鍋は彼らしいほんわりとした優しい味わいの透 き通った出汁で野菜と鶏肉とつみれが煮込まれていた。 ほろほろと柔らかい鶏肉をふーふーしながら、口に運ぶ。暑い季節 に食べる鍋料理もまたいい。 美味しい料理に美味しいお酒。そして何より大好きな人と一緒の食 卓。 こんな幸せな事はない。 隣に微笑みかけると更に綺麗な笑みで返された。 なんて、しあわせ。 ﹁明日、海岸で花火が打ち上がるらしいぞ﹂ ﹁へぇ、花火!私の国でも夏と言ったら花火だよ﹂ ﹁リキの世界と結構似てるところあるよな。案外近くにあるのかも な﹂ ﹁うん、そうかもね。・・・・・・母さんたち元気かな﹂ ガーウェンの言葉に頷き、ふと向こうの世界の家族を思う。 仕事の忙しい母と高校生の弟。 きっと大丈夫だと思うが、心配はかけているだろう。 ﹁いつか顔を見に行けるさ。クリスがそういう研究をしてんだろ? それが実現するまではリキが幸せでいるのが大事なんじゃねぇかな﹂ とガーウェンは慈しみ溢れた瞳をして私の頬を撫でた。 ﹁・・・そうだね。そうだといいな﹂ 1031 ならばきっと大丈夫だ。 私が幸せでいるのはガーウェンと過ごす毎日があるからだ。これか らもずっとガーウェンが側にいてくれる限り、私は幸せだ。 いつかくる再会の日まで、ガーウェンと共に何気ない幸せな日々を 繰り返していきたい。 ﹁これからもずっと幸せにするから。愛してる、リキ﹂ 顔が、耳が赤く染まるのを自覚する。 破壊力抜群の愛の言葉に心臓が早くなる。とてつもなく愛しくて。 ﹁・・・・・・キス、したい﹂ なんて小さな声で強請れば、 ﹁俺もそう思ってた﹂ と得意げな笑顔で返されたのだった。 1032 女子の幸福な一日︵後書き︶ 次話で今章はおしまいです。 次章につきましては改めて連絡致します。 1033 女子、夜空に咲く花を見上げる 前編︵前書き︶ ギリギリ日曜日間に合った・・・!長くなってしまったので分けま した。後編は早めに上げますので! このエピソードで今章はおしまいです。 1034 女子、夜空に咲く花を見上げる 前編 西地区は﹃海龍の神殿﹄がある地区である為、﹃海龍祭﹄への盛り 上がりは他地区よりも大きい。 西地区中央通りはごった返すほどの人混みだった。それもそのはず、 中央通りは﹃神殿﹄に向かう岬へと繋がっている通りなのだ。 ﹃神殿﹄の難易度は中級から上級であるが、潜るのに資格︵北地区 の二つの﹃塔﹄をクリアした証など︶は必要ない。その為、迷宮を 攻略する冒険者以外にも、箔をつけたい新人冒険者や暇を持て余し た貴族の子息達、土産話のネタにしようと観光客が挙って訪れてい るのだった。 そんな岬へ向かう人の流れに逆らう少数派の中に混ざりながら私は 屋台を覘いていた。 鳥の丸焼きがくるくると店先で回る。滴る肉汁と焼けた肉の良い匂 いが食欲を刺激した。 その柔らかいお肉と一緒にパリパリに焼けた皮を切り落とし、甘し ょっぱいタレを付けて薄焼きの生地に野菜とともに挟んだものを注 文した。所謂タコスである。 ﹁お嬢ちゃん可愛いからお肉多めに入れておいたからね!﹂ ﹁わぁ!ありがとう、おじさん!﹂ 屋台のおっさんが人の良さそうな笑顔で言うのに、私も愛想良く返 す。 年齢が低く見られる事の多いあまり好きではない自分の童顔もこの ような時には重宝するから良い。 たっぷりと肉が挟まり、どっしりとしたタコスを片手にどこか座れ る場所はないかと周りを見回していると、見知った熊獣人を見つけ 1035 た。あちらも私に気付き、片手を挙げる。 ﹁やぁ、リキ。買い物?﹂ ﹁ああ。デードルは有志警ら隊か?西地区にも来てるのか?﹂ デードルの革鎧姿が珍しく、というか初めて見るので無遠慮にじろ じろと眺める。 ﹃海龍祭﹄中、観光客が爆発的に増えるため騎士団だけでは手が足 りず、住民が有志で警ら隊を結成し、治安維持や混乱解消に努めて いた。南地区でパン屋を営んでいるデードルもそれに参加している のだろうと考えたのだが、警ら隊は大体が自分の住んでいる地区を 担当するものである。 デードルはなぜか深刻そうな顔をしてそれを否定した。 ﹁俺は冒険者ギルドの依頼を受けてるんだ﹂ 確かに祭り期間中、冒険者ギルドからも祭り関連の依頼がたくさん 出ていた。以前聞いた話ではデードルはパン屋を開く前に冒険者だ ったことがあるらしいが、しかしなぜ今更、依頼を受けているのだ ろう。 私の疑問が分かったのかデードルは少し落ち込んだ様子で話し始め た。 ﹁ファリスのお祖父さんが冒険者ギルド本部の重鎮で、ファリスの 結婚相手はランク上位の冒険者じゃないと認めないと言ったらしい んだ﹂ ﹁そうか・・・。それでランクを上げようと?﹂ ﹁せめてDランクにと思ったけど、なかなか・・・。それよりその 事でファリスが激怒して、家出しちゃったんだよ。謝るまでお祖父 さんのこと絶対に許さないって聞かないから、今、ファリスのご両 親と一緒に仲直りさせる作戦を考えてるとこだ﹂ 深いため息をついている更に落ち込んでみせるデードルは、恋人の 両親と良い関係であるという事実に気付いていないようだ。 お祖父さんという最大の壁を攻略出来たらあとは早そうだ。 ﹁冒険者は性に合わないからパン屋を始めたけど、こんな事ならも 1036 う少し粘っておけば良かった・・・﹂ ﹁性に合わないならやめた方がいい。デードルはデードルの自信が ある事でお祖父さんと勝負したらいいじゃないか。無理してパン屋 も続けられなくなったら本末顛倒だろ﹂ ﹁そうだけど・・・。あー、リキの旦那みたいに風格のある冒険者 なら認められたかな・・・﹂ しゅんと垂れた熊耳と潤んだ泣きそうな鋭い目に思わず笑ってしま った。 ﹁確かにファリスの家族全員に認められたいのは分かるし、そうな るべく努力すべきだと私も思う。でもファリスはパン屋のお前を好 きになったんだろ?それでファリスを幸せにするって決めたんだろ ?なら慣れない冒険者のランクを上げるよりパンの味を認められる よう頑張った方が良いんじゃないか。ファリスだってそう望んでる と思うけど﹂ ﹁・・・そう、か・・・そうだよなぁ・・・﹂ そう言いつつデードルの表情は冴えない。熊だけど、不安です自信 がないですという気持ちがありありと分かる顔だった。 ﹁ファリスと相談してごらん。たぶん彼女は待ってると思うよ﹂ ﹁そうじゃぞ。己一人の思考に囚われると大事なモノを見失う事に なりかねんぞ!﹂ 突如降って湧いた賛同の声の主を見下ろす。 いつの間にか私のすぐ隣にくすんだ碧色の髪の子供が立って、デー ドルを見上げていた。 全く気付かなかった。 ﹁言語を操る知性体であっても、ヒトは一人では生きて行けんのじ ゃ。言葉を尽くすというのは親密な関係に於いても必要な時がある のじゃぞ?﹂ ﹁あ、は、はい。えっと・・・この子、リキの知り合いか?﹂ デードルが苦笑を浮かべている。大人の言っていた事を真似して得 1037 意気に披露するませた子供だと思っているのだろう。 私はなんと言ったらいいか迷い、口ごもった。知り合いではない。 ではないが、捨て置ける存在ではない。 気付かなかったのだ。この子供が声を出すまで、側にいる事に全く 気付かなかったのだ。 子供が首を捻って、私を見た。 黄金色に輝く瞳には縦に細い虹彩が入っている。にたり、と裂ける ぬし ように子供が笑った。なんとなく爬虫類に似ていると感じた。 ﹁お主、どうやってこの世界に来たのじゃ?﹂ 瞬間、ゾワッと肌が粟立った。 言い知れない恐ろしい何かが私の周囲を取り囲んだ気がした。 それを努めて無視してデードルに笑みを向ける。 ﹁デードル、依頼はいいのか?途中じゃないのか?﹂ するとデードルは﹁あっ﹂と小さく声を上げ、慌て始めた。 ﹁悪い、俺は行くから!﹂ ﹁ああ。気を付けてな。また今夜﹂ ﹁ああ、今夜!ファリスが楽しみにしてたよ!﹂ 任せておけ、と頷いて手を振ると、デードルは人波をかき分けなが ら岬の方へと走って行った。 あやつ ﹁彼奴はお主の友人かの?﹂ デードルを追うように動いた金色の視線に割り込み、遠くなる彼の 背を隠す。そんな私に子供は面白そうに目を細めた。 いや、子供ではない。見た目は子供だが、底が見えないほどの力を 内包しているのを感じる。 ・ マリやアフィ以上の力じゃないか? ﹁久々にお主のような色を見たぞ。それにそのスキルも。あの子以 来かの?﹂ 得体の知れない子供が私を上から下まで眺めて、ニヤニヤと笑う。 1038 しかしその瞳の奥には警戒心が見て取れた。 ﹁君は・・・﹂ ゆっくりと息を吐き出す。 ﹁君は、どうしてそんなに埃塗れなんだ?﹂ くすんだような髪色に見えていたのは埃やゴミに塗れて汚れていた からだった。見るからに毛が絡まってごわごわしている。 というか動くたび何かパラパラと落ちてないか? 思わず眉を顰めてしまう。 子供はぽかんと口を開け、金色の瞳を真ん丸にしてパタパタと瞬き を繰り返していた。 ﹁頭に何か・・・苔?なんで髪に苔が生えてるんだ。洗ってるのか ?というか生えるまで気付かなかったのか﹂ それを払ってやろうと手を伸ばして、しかし躊躇う。 ・・・・・・触りたくないわぁ。 ﹁そっ、そんなイヤそうな顔をするな!こ、これは不可抗力なのじ ゃ!普段ならば綺麗にしているのだが、ほら、起きた途端お主の魔 力を感じて慌てて出てきたから綺麗にする時間がなかったのじゃ!﹂ まるで私が悪いというような事を顔を真っ赤にしながら言っている。 そして慌てて髪を撫でているが、指が髪に絡んで途中で引っかかっ ていた。痛そう。 ﹁無理にすると髪が傷むぞ。・・・・・・うん、これはダメだ。私 の家で洗ってあげるからおいで﹂ 絡んだ髪を解こうとしてみたが、驚くほどグチャグチャでどうにも 出来ない。道具が必要だと判断した結果、家に誘ったのだが、なぜ か子供は黙ってしまった。 呆れたような表情を隠しもしない。 ﹁・・・・・・お主は変じゃのぅ﹂ 1039 ﹁髪に苔生やしてる君に言われたくない﹂ ではない!﹂ ﹁だっ!だからそれは不可抗力じゃと言っとるじゃろ!それに儂は 君 子供が再びにやりと笑う。見えた歯はどれも鋭く、その奥の細い舌 は真っ青だった。 ﹁儂の名はヌグリーオ・シェレラヌーゾ・フーリュ・ロ・ドリュゴ ラゾじゃ。まぁ、お主たちに馴染み深い−−−﹂ ブルードラゴン ﹁蒼海龍と呼んでも良いぞ﹂ 1040 女子、夜空に咲く花を見上げる 後編︵前書き︶ 今話で第4章はおしまいです。 今後の更新予定は申し訳ありませんが、活動報告を参照下さい。 1041 女子、夜空に咲く花を見上げる 後編 ブルードラゴン たてがみ 蒼海龍・リーオが満足そうな顔で居間のソファに伸びていた。 まだ少し湿った髪︵と言うより鬣らしいが︶に丁寧に櫛を通してい く。 綺麗に洗ってみるとリーオの髪は透き通るような碧色をしていた。 光の加減で深い碧から薄い青色へゆらゆらと色を変える。それはま るで海の色そのもののようだ。 ﹁リキには儂の本来の姿も洗って欲しいのう﹂ ﹁奥庭に入らないくらい大きいんだろ?それは助っ人がいるな﹂ ﹁そうじゃの。リキ一人では儂の尾の先しか洗えんからの﹂ お風呂の世話をしながらリーオには私がこの世界に来てから今まで の話をした。すると何が面白かったのか爆笑に次ぐ爆笑で、すっか り気に入られてしまったのだった。 ﹁儂は永い時間生きてきたのでの、お主と同じ境遇の者達を何度か 見た事があるのじゃ。その者達はやはり﹃持ち過ぎ﹄ておった。ヒ トの様な心の弱い種族は﹃持ち過ぎ﹄ると傲慢で自分勝手になる。 理性が薄まり、本能ばかりが濃くなってゆくのじゃ。その者達も自 らの本能と欲望を満たす為、﹃持ち過ぎ﹄た力を躊躇いなく使い、 世界を蹂躙していった。だがしかし、リキ、お主が﹃持ち過ぎ﹄て いる力でした事と言えば、好いた男との普遍的な暮らしじゃ。可笑 しなお主に興味が湧かない方がどうかしておるじゃろ﹂ とリーオは目を細めながら言った。 つまり過去、私以外にも異世界から渡って来た者達がいて、その者 達はこの世界でチート並の能力を所持する事となり、好き勝手して しまったと。 そして恐らくそいつらは討たれたのだろう。それにリーオも関係し 1042 ている。だから私の、異世界人の魔力を感じ取って、起き抜けに飛 び出してきたのだ。 その時、玄関の扉が開く音がした。 ﹁リキ、ただいま﹂ すぐに居間に顔を出したガーウェンが私を見付けて嬉しそうに笑う。 ﹁おかえり、ガーウェン﹂ ﹁おう。頼まれてたの買ってき・・・﹂ ソファにいるリーオに気付いて、一瞬のうちに眼に鋭い光を灯し、 腰に下げていた剣にゆっくりと手を伸ばした。 リーオが只者ではないと分かったようだ。 ﹁ほう、儂の力に気付くとは中々の冒険者のようじゃの﹂ ガーウェンがちらりと私を見て、すぐにまたリーオを睨んだ。 ﹁・・・リキ、そいつは?﹂ ﹁西地区で知り合ったリーオだよ。頭に苔を生やしてたから洗って あげたんだ﹂ ガーウェンに警戒しなくて大丈夫だよと笑みを向けながらそう言う と、リーオが顔を赤くして叫んだ。 ﹁リキ!それは内緒じゃと言ったじゃろ!﹂ ﹁ガーウェンはそんな事を誰かに言うような人じゃないから大丈夫 だよ﹂ ﹁そういう事じゃない!儂の沽券に関わるんじゃ!﹂ うわぁ!と顔を両手で覆ってリーオがぶんぶん頭を振る。頭に苔を 生やしてた事がかなり恥ずかしかったようだ。 深いため息がガーウェンから聞こえた。見ると額に手を当てた彼が、 私を手招きしていた。近寄った私の頬を摘みながらガーウェンが怒 る。 ﹁お前はどうしてこう訳の分からない奴とよく知り合いになるんだ﹂ ごめん、と私が答える前に、リーオがすっ飛んできてガーウェンに 1043 文句をつけた。 あるじ ﹁訳の分からない奴とは何じゃ!儂は﹃海龍の神殿﹄の主人じゃぞ !!冒険者ならば儂の恩恵も受けておるじゃろうに!第一、訳の分 からない奴はリキじゃろ!儂のような相手を軽々しく家に呼びおっ て、しまいには風呂の世話までする。至れり尽くせりじゃ!しかも 今宵の花火大会にも誘う始末じゃ。庭でびーびーきゅーをするのじ ゃろ!楽しみじゃわい!﹂ 文句だと思ったのだが途中から何の事かよく分からない事を言い出 している。 蒼海龍は賑やか好きだと聞いていたので花火を見ながらのBBQに あるじ 誘ってみたが、どうやらとても嬉しかったようだ。 ﹁お、おいっ、リキ、﹃神殿﹄の主人って・・・﹂ ガーウェンが私を庇うように抱き込んで、リーオから一歩、二歩と 離れた。 ブルードラゴン 心なしか顔色が悪くなっている気がする。 ﹁そうだよ。リーオは蒼海龍だよ﹂ ﹁ブルー・・・っ﹂ 慄くガーウェンにリーオがふふんと得意気に鼻を鳴らした。 ****** ﹁リーオ!つまみ食いしすぎだ!﹂ ﹁だ、だって美味すぎなんじゃもん・・・﹂ 庭にガーウェンの怒鳴る声が響き、それにボソボソと言い訳を言う もん じゃねぇよ。その歳でそれはやめろ﹂ リーオの声が続いた。 ﹁ 1044 ﹁ガーウェン!お主、儂になんかキツくないか?!リキにはあんな に優しいのに!﹂ ﹁働かざる者、食うべからずだ﹂ ブルードラゴン ツンとしたガーウェンのあからさまな態度にリーオが泣き言を叫ん だ。 リーオが蒼海龍だと聞いて驚愕していたガーウェンだったが、なぜ 私の前に現れたかを聞いた途端、殺気を漂わせた。もし私が世界に 害を為す異世界人だったらリーオは私を討っていたと知ったからだ。 更に私が髪を洗ってあげた事も気に食わなかったようで、リーオに 対してこんな態度をとっているのだった。 リーオには悪いが、嫉妬を拗らせたガーウェンの態度はちょっと可 愛いと思っている。 ﹁ガーウェンさんとリーオ君はとっても仲良しですね。兄弟、いや 親子みたいです﹂ 手伝いに来てくれているファリスが、二人のじゃれあいを見てクス クス声を上げて笑った。 ﹁親子?儂はガーウェンのような子供は嫌じゃ!﹂ ﹁こっちの台詞だ!ジジイめ﹂ リーオの正体を知らないファリスがその言葉に混乱して﹁ええっ?﹂ と慌てている。知り合いの子供だと思っていたのだろう。 ﹁ほらほら。二人とも喧嘩しない﹂ ガーウェンの側に寄って、二人を窘める。リーオは完全に楽しんで いるようだが、ガーウェンは若干本気になりつつあった。 まだリーオが私を討とうと考えた事に引っかかっているようだ。 ﹁ガーウェン。大丈夫だから。リーオは話せば分かるヒトだよ﹂ ﹁・・・分かってるけど、気になるんだよ。俺は奴には勝てない。 お前を狙われたら守れないんだ。・・・・・・どうしても不安にな っちまうんだよ﹂ ガーウェンは眉を寄せて、苦しそうに小さく呟いた。 1045 彼は私の為に必死なのだ。リーオに今や敵意はないと分かっている が、その力が向かってくれば太刀打ちできないのも事実で、ガーウ ェンはそれがもどかしいのだ。 ﹁ガーウェン。もしそうなったとしても最後まで側にいるから﹂ ﹁・・・リキ・・・﹂ 強く手を握り合う。どんな最後でもガーウェンと一緒だから。そん な気持ちを込めて、手を繋ぐ。 ﹁・・・・・・・・・なんで儂がすごい悪者になっておるんじゃ? リキをどうこうするつもりはないと再三言ったじゃろうに。そんな に儂、信用ないんじゃろか﹂ リーオがポリポリ頭を掻きながら、困惑の表情を見せた。邪魔すん なとばかりにガーウェンが鋭い視線を飛ばすのを、苦笑を浮かべて 落ち着かせる。 ﹁信用ないというか・・・﹂ その先を躊躇っていると、玄関ホールに繋がっている扉が勢いよく 開き、がやがやと騒がしい集団が入って来た。 ﹁やっほー!!リキちゃん来たよー!﹂ ﹁こんばんわ。お招きありがとうございます﹂ ﹁おーおー。ガーウェンにしては随分いい家じゃねーか﹂ ロード、エヴァン、ルキアーノ、バードンといったお馴染みの友人 達である。 一気に庭が騒がしくなると思われたが、彼らはぴたりと大人しくな り、一瞬にして張り詰めた空気を発し出した。 その視線の先にいるのは、にたりと不穏に笑ったリーオ。 ﹁やめろ!﹂ ﹁うぐっ!﹂ ガーウェンがリーオにゲンコツを落とすとともにゴッ!という鈍い 音が響いた。ガーウェンは見たことのない恐い形相をしている。 1046 ﹁そうやってふざけて妙な気配を出すから信用出来ねぇんだよ!﹂ ﹁た、ただの冗談じゃろ。そんなに怒らんでも・・・﹂ 項垂れるリーオにガーウェンが再びゲンコツを落とした。 ﹁お前のは冗談じゃすまねぇんだよ!﹂ ﹁ガ、ガーウェンさん、誰ッスか?その・・・その方﹂ びくびくと尻尾をひくつかせながら、果敢にもロードが話しかける。 しっかりとバードンの後ろに隠れながら、であるが。 ﹁リキが拾って来た﹂ ﹁儂を犬猫扱いするでない!﹂ ﹁・・・こんな所でお目にかかるとはなぁ﹂ ﹁精霊が活性化して大騒ぎしていますよ。全くリキさんはよく妙な 縁を繋ぎますよね﹂ 他のメンバーは正体が分かったようだ。彼らには珍しく引きつった 顔をしている。 ﹁えっ誰?どちら様ッスか?こんなヤバいヒト、竜王様以来なんス けど﹂ ﹁あの小僧か。彼奴は弱いくせに気位ばかり高いからの。よく泣か せたものじゃ﹂ 懐かしいのう、と思い出に浸っているリーオにロードは怯えてバー ドンの服を掴んだ。よく見れば涙目である。 ﹁大丈夫だよ。リーオは話せばちゃんと分かるから。な?リーオ﹂ ﹁そうとも。リキの友人同士、仲良くしようではないかの﹂ ニヤニヤと笑うリーオの細くなった瞳にやっぱり皆、引きつった顔 をしたのだった。 ****** 1047 ﹃海龍祭﹄を彩る灯篭の灯りの群れの向こうで一筋の光がゆらゆら と天に昇っていく。暗い夜空に天高く昇ったそれは瞬きのように一 度消え、それから光を散らばせながら大きく花を咲かせた。 ︱︱︱ドォン 遅れて音が聞こえる。 ﹁こりゃあ、良いもんだなぁ﹂ とルキアーノが関心したようにため息混じりに言った。グラスに注 がれた酒をちびりと飲んだバードンもこくんと頷く。 ﹁その通りじゃ。この様に遠くから花火を見るのも良いもんじゃな ぁ。・・・おお、すまんの﹂ リーオもくいっと酒を呷った。空いたグラスにルキアーノが酒を注 ぎ、リーオはそれに笑みを返して、また酒を呷る。 食事を共にして酒を酌み交わしてしまえば、結局のところリーオと は和解に落ち着いたのだった。 ﹁何このお爺ちゃん同士の会話。もっと盛り上がろーよ!ほらっ、 たーまぐふぅ!﹂ ﹁うるさい﹂ エヴァンに殴られ、ロードは言葉を途中で呻き声に変えた。 ﹁貴方には情緒がないんですか。美味しい料理に美味しいお酒、そ れに美しい景色。それらが揃っているのに騒ぐのは無粋でしょうが﹂ ﹁よく言った、エヴァンよ。この時間は贅沢の極みじゃろうて、大 人しくしておらんか﹂ エヴァンとリーオは夜空に散る花火に見惚れ、互いにほぅと息をつ いた。 ﹁・・・皆まったりし過ぎ。若さが足りないよ﹂ ばりばりとデードル製のガーリックトーストを噛みながら、文句を 付けるロードの小さな声に苦笑してしまう。 1048 確かにまったりした空気が充満していた。大人組はこの通りで、若 者であるファリスとデードルは少し離れた所で寄り添い完全に二人 の世界であり、ガーウェンなんか私の膝枕でうとうとしている始末 だ。 ﹁しかし結界魔法を床として使うとはな﹂ 唐突にリーオは私を見て、にやりと口を歪ませた。 実は家の奥庭からは塀により、海岸で上がる花火は見えない。だが 今のように可能にしたのは私の結界魔法である。家の屋根の高さの 位置で平面結界を展開し、その上にラグマットを敷いて、ソファや テーブル、クッションを置き、快適な寛ぎスペースを設置したのだ。 さながら宙に浮いた居間である。 ﹁リキは魔力が膨大じゃからな、こんな使い方も出来るんじゃろう﹂ ﹁発想次第じゃないか?エヴァンも出来るだろうし、そこまで魔力 は関係ないと思うけど﹂ ﹁その発想は私には無いものですよ。リキさんの考える魔法使用法 はいつも驚かされます﹂ エヴァンがリーオに賛同して褒めてくれたのにちょっと照れてしま う。褒められるのはいくつになっても嬉しいものだ。 ﹁リキ。やはりお主は﹃持ち過ぎ﹄ておる﹂ リーオの言葉にうつらうつらしていたガーウェンが跳ね起きた。し かしリーオが纏うのは不穏な雰囲気ではなく、むしろ穏やかな優し い空気で、ガーウェンは口を噤む。それを穏やかな笑みで見てリー オは続けた。 ﹁だがお主は自らが﹃望むなら世界までも手に入れられるほどの稀 有な力﹄を持っていると聞いても、きっとこのような普通の生活以 外を望んだりせぬじゃろう。なぜならお主はお主自身が大切なもの を見失っておらず、弱い心にも惑わされていないからじゃ。しかし て、それはお主の心が強靭だからではない﹂ 1049 まち ドォン、ドォンと遠くで花火が上がっている。そのたびに都市は光 で照らされ、浮き上がる。 ﹁お主の側に寄り添い、支える者達がいるからじゃ。ガーウェンだ けじゃない。友人たちもお主を支えておる。だから﹃持ち過ぎ﹄た 力に振り回されることがないのじゃ﹂ リーオはゆっくりと私とガーウェンの側に寄った。光に照らされ、 碧の髪がゆらゆらと色を変えていた。 ﹁ヒトは一人では生きていけぬ。お主のような力があってもそうじ ゃ。勿論、儂もじゃ。・・・リキ、左手を﹂ とリーオが手を差し出す。私は請われるままその上に手を置いた。 少しひんやりとした肌にやはりドラゴンは爬虫類なのかと思う。 ﹁今日はとても楽しかったぞ。良い出逢いじゃった。これは儂の鱗 で出来た指輪じゃな?﹂ リーオが薬指にある指輪を撫でると、手の周りにキラキラと光の粒 子が舞った。指輪がほんのりと温かくなり、それが指から身体中へ と広がっていった。 その温かさは安心するような心強く感じるものだった。 ﹁ずいぶんと古い物じゃったからな。加護を付け直したのじゃよ﹂ ガーウェンの指輪も同じように撫でる。キラキラと輝く指輪をガー ウェンは嬉しそうな顔で見つめていた。 ﹁いいのか?﹂ ﹁いいんじゃよ。今日のお礼じゃ。・・・さてと﹂ リーオは立ち上がり、ううーんと大きく伸びをした。そのままふわ りと宙に浮く。 ﹁そろそろお暇するかの。リキ、ガーウェン。何か困った事があっ たら儂を呼んでくれ。友人として力になるぞ﹂ ﹁分かった。ありがとう、リーオ﹂ ﹁ありがとう。まぁ、その、また来てもいいぞ。歓迎はしてやる﹂ 素直じゃないガーウェンの言葉にリーオは声をあげて笑う。すると リーオの全身が眩く輝き出した。その光は大きく形を変え、更に目 1050 を開けていられないほどの輝きを見せた。 光が収まった直後、息を飲んだ。 花火の光に照らされ、キラキラと色を変えながら光る碧の鱗。 太い腕や脚の先には鋭い爪。 やや長い胴体の背にはコウモリのような飛膜が張った大きな翼。 先端に尖った槍が付いたような長い尻尾。 ブルードラゴン 鱗と同じ碧色の鬣の下から悪戯っ子のような金の瞳が覗いていた。 息を飲むほど美しい、ソーリュートの守護者と呼ばれる蒼海龍の姿 である。 リーオは長い鼻面を歪ませて、鋭い牙を剥き出しにする。 ﹁儂の家にも来るがよい。歓迎はしてやるぞ﹂ 聞こえた声には笑いを含んでいた。 音もなく羽ばたき、飛び去るドラゴンの姿を唖然としながら見送っ た。 ﹁・・・すごい!初めて見た。大きい、綺麗だった!﹂ ﹁そうか、リキはドラゴンは初めてか﹂ 興奮気味に言葉を紡ぐ私の手をガーウェンが優しく握る。 ブルードラゴン ﹁また強力な後ろ盾ができてしまいましたね﹂ ﹁マリ姐さんにアフィ姐さんにお姫様に蒼海龍ッスか?おっかねぇ !﹂ ﹁お嬢ちゃんは国取りでも始めんのかぁ?﹂ ロードが尻尾の毛を逆立てて怯える様子にルキアーノはニヤニヤと 揶揄うような顔をする。バードンも心なしか呆れたような表情をし ている気がする。 ﹁リキさん・・・っ!!﹂ 1051 ﹁わっ・・・﹂ 突如体当たりしてきたファリスに押し倒されそうになって驚く。何 事かと見ると、ファリスはぼろぼろと涙を流していて更に驚いた。 ﹁リ、リキさんっ!わ、わたしも側にいますからっ・・・わたしは 頼りないですけどっ!リキさんのこと大好きですからぁ・・・っ! !﹂ ぎゅうぎゅうと抱きしめられて息が詰まる。なぜファリスはこんな に感極まっているのか。 困ってガーウェンに助けを求めると、髪の毛を乱暴に掻き回された。 周囲では皆、生温かい目で私たちを見ている。 なにこれ。何なの。 ふと見ると、一番後ろでデードルが羨ましそうな顔で私を見ている のに気付いて、思わず噴き出した。 涙が出るほど笑って思う。 やっぱり、幸せだなぁ。 1052 プロローグ 閉じられる扉︵前書き︶ 最終章﹃女子とおっさんの結末﹄を開始します。 舞台は前話から1年後の﹃海龍祭﹄です。 二人の最後のお話ですので、どうぞ最後まで応援してあげて下さい。 宜しくお願い致します。 またあらすじ、タグを一部変更致しました。 今話は短いです。 1053 プロローグ 閉じられる扉 わたりびと ﹁なぜここに渡人がいるのだ?﹂ すぐ背後で聞こえた冷めた声に身体が硬直する。 違う。身体が動かないのは声の方から伸びてきた太い茨が私に巻き ついているからだ。 咄嗟に結界を展開した。︱︱︱︱︱︱離れた所にいたガーウェンに。 彼に巻きつこうとしていた茨は結界に阻まれた。しかし茨は結界ご とガーウェンを覆い尽くすように伸びていく。 炎が爆ぜる。吹き上げた炎とともに茨を切り飛ばし、ガーウェンが 私へ向かって駆けてくる。 ﹁リキッ!!!!﹂ しかし、また茨が地面から何本も伸びてガーウェンを絡め取ろうと していた。結界を︱︱︱ ﹁無駄なことを﹂ 冷めた声が近づくと茨は私を締め上げ、尖端を肌に食い込ませた。 痛い。しかしこれぐらいでは魔法は阻止できない。いや、させない。 ガーウェンを守らないと。 その一心で何度も、何枚もガーウェンの周囲に結界を展開する。こ の茨がガーウェンを捕らえないように。 わたりびと ﹁これだから渡人は厄介なんだ﹂ 侮蔑を含んだ声は真後ろに迫っていた。それの気配に恐怖が湧く。 逃れるため身体を捩ろうとすると、急激に身体から魔力が無くなっ 1054 ていった。身体に力が入らない。 茨が魔力を吸い取っているのか。そう気付いたが、どうすることも 出来なかった。 ぐったりとしながらもガーウェンを見る。 立ち塞がる茨の壁を切り捨て、燃やし尽くし、必死に私の元へと来 ようとしている。 ﹁・・・ガーウェン﹂ ﹁リキ!!!しっかりしろ!!﹂ 弱々しい呼び声にガーウェンは叫び返してくれた。身体中に傷を負 い、たくさん血が流れている。 ガーウェンを守らないと。ガーウェンを助けないと。 残り僅かな魔力でガーウェンに︱︱︱ わたりびと ﹁終わりだ。渡人﹂ 背後で強大な魔力が立ち上ったのを感じた。 首を捻って後ろを見る。 茨の紋様が刻まれた真っ白な扉があった。 ︱︱︱ツ、と。背筋に冷たい汗が流れた。 瞬間、私は叫んだ。 ﹁いやだっ!!ガーウェン!!!離れたくない!!!﹂ 分かってしまったのだ。この扉が何なのか。この先に何があるのか。 どこへ続いているのか。 回らない舌でガーウェンを呼び、動かない腕をガーウェンへ伸ばす。 1055 ﹁やめろぉぉぉぉぉおおおお!!!!!!!﹂ 茨によって地面に抑え付けられていたガーウェンが叫んで、めちゃ くちゃに暴れた。肌を裂く茨など構わず、私の側に来ようと。 ﹁ガーウェン!!!﹂ 音もなく扉は開いた。 その奥は闇だった。暗い暗いくらい・・・ 私はその中へ、投げ入れられた。 暗い闇を落ちていく。扉が、光が、ガーウェンの声が遠退いていく。 光が段々と細く。 それに必死に手を伸ばす。 ただただ声を上げた。ただただ名を呼んだ。 最後まで、愛する人の名を呼び続けた。 扉が閉じられて。 ︱︱︱︱︱︱そこで私の意識は途切れた。 1056 一週間前 1︵前書き︶ 日常。嵐の前の静けさ 1057 一週間前 1 リン、リンと軽やかにドアベルが鳴った。 店の外までパンの焼ける香ばしい匂いが漂っていたが、店内はその 匂いが充満していて、たまらず、ぐぅと腹が鳴る。 それを聞きつけたように、カウンターにいたデードルが鋭い牙を少 し見せて笑った。 ﹁ガーウェンさん、いらっしゃい。今、ファリスが来ますから。あ、 これ、試作品なんですけど、よかったら食べて感想を聞かせてくだ さい﹂ 事前に店に来ることは伝えていたため、ファリスもデードルも準備 していてくれたらしい。依頼帰りの俺が腹を減らしている事も考慮 済みのようで少し恥ずかしく感じる。 ﹁悪いな﹂ しかし勧められたのは濃い緑色という見た事のない色のパンで、受 け取ったものの口に入れるのはちょっと躊躇ってしまった。デード ルが不味いパンを出すはずないことは分かっているが。 デードルから苦笑が聞こえた。 ﹁やっぱり引いちゃいますか。それバジルをペースト状にしたやつ を生地に混ぜてるんですよ﹂ 美味しいんですけど、とデードルは熊耳をしゅんと垂らした。 落ち込むその姿を見てすごく申し訳なくなる。デードルが美味しい パンを作ろうと日々、努力を重ねているのを知っている。このパン は見た目がアレでもその努力の結晶なのだ。 意を決して大きな口でかぶりついた。 それから目を見開く。 美味っ!美味いぞ! ﹁んんっ!﹂ 1058 もぐもぐと咀嚼しながら頷くと、デードルは控え目に喜びの表情を 見せた。 ﹁角切りのチーズも入れてあるから食べ応えもあるんですよ﹂ 確かに大きめに切られたチーズがゴロゴロと入っていて腹持ちも良 さそうだし、食感のアクセントにもなっている。ホワイトシチュー に付けて食べたら更に美味そうだ! リキにも持っていってください、と同じパンが数個入った袋を渡さ れニヤニヤしているとファリスが慌てて来た。 ﹁お待たせしました!﹂ ベール と呼ばれる 現れたファリスは白くて薄い布を持っていた。レース編みのように 向こう側が見えるその布は花嫁が頭に付ける ものだ。 ﹁私が結婚式で付けたのはこれです。エレさんが作ってくれたもの なんですよ﹂ 頬を上気させたファリスが自慢気に言う。結婚式からは時間が経っ ているが、興奮も感動もおさまっていないようだ。 ファリスの祖父に反対されていたファリスとデードルの結婚だった が、彼の仕事に対する誠実さと勤勉さを主に根気よく説得した結果、 一か月ほど前にやっと許しが出て晴れて証書を提出した。その際、 デードルの種族伝統の結婚式が開かれ、もちろん俺とリキも参列し たのだが、そこで見た白い民族衣装にベールを付けたファリスは幸 せに満ちており、可愛らしかった。 しかしその姿を目の当たりにして俺は切に思ったのだ。 リキの花嫁衣裳姿が見たい!!と。 ソーリュートでは敬虔な創神教信者や貴族でもなければ、結婚式と いうのは大々的にしない。俺達も近所のレストランで仲間内の結婚 祝いパーティーをしただけだった。 だがしかし、リキは花嫁衣装が絶対に似合うだろうし、綺麗なのは 確実なのだ。 1059 想像ながら白いドレスとベールを身に付けたリキの美しい姿が目に 浮かび、どうしても堪らなくなってしまい、密かに結婚式を計画す るに至ったのである。 ﹁エレにリキの衣装も頼めるか?﹂ ﹁エレはもうそのつもりで張り切ってますよ。近いうちに店を訪ね てほしいって言ってました﹂ 忙しいガーウェンさんに勝手なこと言ってすみません、とデードル が申し訳なさそうにする様子に苦笑する。 エレはソーリュートで服屋を営んでいるデードルの従姉だ。俺は言 葉を交わした機会は少ないが、どうやら結構な勝気な性格のようで、 デードルは頭が上がらないらしい。 なんというか、某虎獣人とか某銀髪エルフを筆頭に俺の周りには男 を尻に引く豪傑な女が多い。もちろんリキは全然違うけど。 ﹁私もお手伝いさせて頂きますので!ドレスのデザインはどんな風 にする予定なんですか?﹂ 張り切っているのが丸分かりなファリスが鼻息荒く俺に詰め寄って きた。 ﹁いや、俺はそっちの方はからきしなんだよ。この服だってリキが 選んでくれたやつだし。全面的にエレに任せた方がいいと思ってる が﹂ ﹁エレの腕は確かですが、リキの好みは伝えた方がいいですよ。エ レの趣味は少々アレなので﹂ ﹁アレ、ですか?エレさんの作ったお洋服は可愛いですし、リキさ んに似合うと思うんですが﹂ 自分のエプロンをつまんで見て、ファリスが首を傾げる。 フリルがふんだんに付いた薄桃色のエプロンの真ん中で、ファリス のトレードマークになっている眼鏡をかけた熊のアップリケが満面 の笑みを見せている。これもエレお手製らしい。 ファリスにはよく似合っているが、さすがにリキの趣味ではない。 1060 似合いませんか?と落ち込んだ表情のファリスに尋ねられて、デー ドルはわたわたと慌てて弁明を繰り返した。 ﹁用事があるから俺は帰るな?エレには明日顔を出すと伝えといて くれ﹂ 笑いを噛み殺しながら、辞去を申し出ればデードルが助けを求める ような顔で俺を見る。 しかしそれには気付かなかったフリをして、新婚夫婦の初々しいじ ゃれ合いに巻きこまれないよう店を後にした。 デードルとファリスの関係は付き合いだしてからも、こちらがやき もきするほどのんびりと進んでいた。気兼ねない関係になるまで時 間を有したものの、それでもああして幸せそうにしているので二人 に合った速度だったのだろうと思う。 俺とリキの関係の始まりは特殊だった。それに今に至るまでたくさ んの障害があって、心がすれ違うこともあった。しかし、今こうし てリキと幸せでいられるということは、その過程も必要なことだっ たんじゃないか。 いま いつか 俺達が心を近づけるために必要な時間だったのだ。 だから現在の﹃お互いを想い合う時間﹄も、未来の為になる。そう 思うから、毎日毎日、リキに愛を囁いたり、触れたりすることを止 めることは出来ないんだろう。 ﹁なんつうか、好きだって気持ちが一向におさまらないんだよな・・ ・﹂ リキと出会ってから今日まで、リキを好きだという気持ちが際限な くどんどん、日々、大きくなっている。 誰かをこんなに好きだと思ったことはない。リキだけだ。 左手のブレスレットに魔力を通すと、リキの存在を感じる。 それだけで胸を締め付けられるような歓喜と切なさと愛しさが心に 充満するのだ。 ああ、早くリキの顔が見たい。愛してるって伝えたい。 1061 抱きしめたい。キスしたい!むしろ色々したい! ﹁兄さん!﹂ 堪らなくなって帰宅の足を速めたところで呼び止められた。 聞き覚えのあるその声に驚き、振り向いて、相手を確認してやはり 驚いた。 ﹁ベラ!どうしてソーリュートにいるんだ?!﹂ 声の主は思った通り、妹のベラだった。 しかしベラは夫であるセルジョの実家に住んでいるはずだ。 まさか家族に、グロリア達に何かあったのか!? 一瞬の内に最悪な事態を想像し、顔を強張らせた俺にベラはほわほ わした笑顔で答えた。 ﹁セルジョの行商に着いて来たの!今ちょうど兄さんの家を訪ねよ うとしていたのよ。良いタイミング!﹂ あにうえ ね、セルジョ、と振り返った妹の視線の先には伊達男。 ﹁義兄上!お久しぶりですね!﹂ バッと両手を広げ、近づいてくる男を反射的に避けそうになるのを 堪えて待つ。 男は勢いよく俺の背に腕を回すと、トントンと背中を二回叩いた。 これは妹の夫・セルジョの親しい者への挨拶である。 だが分かっていても男から抱きつかれるのは拒否したくなるものだ。 ﹁何という偶然なのでしょうか!女神に導かれし出会いと言っても 過言じゃありませんね!﹂ ﹁お、おう。久しぶりだな。セルジョは、その、変わらず元気みた いだな﹂ 項あたりで結んだふわふわした紫色の長髪に色気のある微笑み、洗 練された服装。 女受けの良さそうな印象のセルジョだが悪い奴ではない。悪い奴で はないのだが・・・ ﹁いや、ここへ導いてくれたのはハニーだった。まさにハニーは女 1062 神だったということだね!﹂ セルジョはまるで舞台役者のように大袈裟な動きで往来の中で跪き、 仰々しくベラの手の甲に口付けを落とす。 瞬時にベラが真っ赤になって、﹁こんなところで!もう!﹂と怒っ てセルジョをポカポカ叩いた。 セルジョは悪い奴ではない。怒るベラに﹁その顔も魅力的だね、ハ ニー!﹂と言うぐらいにベラに一途だし、俺を義兄上と呼んで慕っ てくれるほど素直で義理堅い。 だが、少しばかり言動が大袈裟で仰々しくて鬱陶しいのだ。 ﹁おい、お前ら道の真ん中で止めろ。詳しい話は家で聞くから﹂ ため息を吐きつつ、二人を嗜める。周囲の人々の妙なものを見るよ うな視線に気付かないのだろうか。 人目も憚らず、じゃれ合い、二人の世界に入るベラとセルジョにな んだか胸焼けがする。これが所謂バカップルというのだろうな。 あれ。俺とリキも、ロード達に﹁胸焼けする﹂だの﹁糖分過多﹂だ のと言われてなかっただろうか。 ・・・・・・もしかして俺達もこいつらみたいにバカップルだった のか?! 1063 一週間前 2 ガーウェンが仕事から帰って来たと思ったら、珍しいお客を連れて 来ていた。 玄関へ迎えに出た私にベラが駆け寄ってくる。 ﹁リキさん!久しぶり!﹂ ﹁ベラ!久しぶり!どうしたんだ?﹂ ﹁ふふふ。セルジョの行商に着いて来たの!リキさんの助言のおか げ。ありがとう﹂ 消極的な性格のベラにとっては大冒険だっただろう。少し恥ずかし そうに、それでもどこか達成感のある表情でベラは笑った。 義妹の一大決心と挑戦の成功に感激していると、彼女の背後から両 手を広げた伊達男が迫っているのが見えた。 咄嗟に躱して、ガーウェンの背後に隠れる。 ﹁もう、セルジョったら。リキさんへの紹介がまだなのにそんな風 にしたら、避けられるのは当たり前よ﹂ ﹁ああ!そうか!てっきり僕は嫌われてるのかと思ったよ!﹂ 私に避けられて悲しそうな顔をしていた伊達男もといセルジョは、 一転爽やかな微笑みを浮かべ、そして行き場のなかった広げた腕で ベラを抱き締めた。それから流れるように頬に口付けをする。 ﹁ハニーは優しいねぇ。やっぱり!僕の!女神だ!﹂ セルジョの芝居じみた台詞と動きにもベラは素直に照れて顔を真っ 赤にして、﹁もう!﹂と彼をポカポカ叩いていた。 中学生幼馴染って感じのじゃれ合いである。 ガーウェンを見上げると、苦笑いを返された。 ﹁あれがベラの夫のセルジョだ。セルジョはずっとあんな感じで、 1064 うっと・・・個性的だが、悪い奴じゃねぇよ﹂ タイプ ガーウェン、今、鬱陶しいと言いかけたね。 おそらく居るだけで周りを振り回す性質なのだろう。 それを無意識でやっているのがセルジョで、理解した上であえて意 識してやってるのがクリスという事である。 どちらが厄介かと言えば圧倒的に意識してやっているクリスだが、 どちらが苦手かと言えば他意なく無意識にやってるセルジョなのだ。 ﹁セルジョ、こいつが俺の妻のリキだ﹂ セルジョとの距離を測りかねているうちにガーウェンが私を安全地 帯から押し出した。 ひどい!裏切りだ! ﹁リ、リキです﹂ あねうえ ﹁とても可憐な方だ!義兄上にお似合いの花のような可憐さです! 義兄上の審美眼は素晴らしい!こんな可憐な方が義姉上になるなん て超越した何かの思し召しを感じます!﹂ 少し垂れた色っぽい目を細めてニコニコとセルジョが私を絶賛する。 驚く事に社交辞令でもお世辞でもないらしい。セルジョの本心、邪 な下心なんて一切含んでいない清純な本心からの言葉のようだ。 彼には世界がどんな風に見えているか気になってくる。聖人で溢れ ているんじゃないか? ﹁う・・・あ、ありがとう。でもそこまで言われるのは照れるから﹂ 称賛の嵐は照れるというより困惑してしまうから柔らかく謙遜する が、おそらく通じていないだろう。 悪意がないから拒絶出来ないし、演技じゃないから無碍にも出来な い。 どう対処していいか分からず、結局、手料理を振舞いたいからとい う言い訳で台所へ逃げ込んでしまったのだった。 1065 ****** ﹁今、ソーリュートのガラス細工は王都のご婦人方に人気で、王都 にある僕のお店の売れ筋なんです!その他にもアクセサリーや帽子 などの雑貨に服、いいと思ったものはなんでも仕入れる予定です。 ソーリュートは海路も通っていて他国の珍しい雑貨も手に入りやす いですから、気合いが入りますよ!﹂ ﹁セルジョのお店は人気なのよ。色々詰まった宝箱みたいで、たく さんある素敵な物の中から気に入った自分だけの物を探すのがとて も楽しいの﹂ ﹁ああ、わかる。良い一点物を見つけ出したときはとても嬉しいよ ね﹂ セルジョは王都でセレクトショップを開いている。今回はそのお店 で売る商品の仕入れにソーリュートへ来たそうだ。 ダイニングテーブルの上に並んだマルゲリータ・ピザに目を輝かせ て、セルジョが手を伸ばした。 ここまで散々セルジョから料理の称賛を受けているので、再び称賛 の嵐が始まるのかと身構えてしまう。しかしセルジョがピザを頬張 っているうちにベラが新たな話題を振ってくれた。 ﹁ディアナちゃんがソーリュートで買ってきた卓上鏡がすごく可愛 くて。聞いたらリキさんもご用達のお店だって言うから、紹介して もらおうと思って﹂ ﹁そう!あの卓上鏡はとても良い!裏面の木彫りが丁寧で色付けも 華やか、支柱の繊細な彫りも素晴らしい。ぜひあの卓上鏡を製作し た職人にお会いしたいです!﹂ 宜しくお願いします、と丁寧に頭を下げたセルジョがそういえば、 と言葉を続けた。 1066 ﹁義姉上が付けてらっしゃるバレッタは同じ職人の物ではないです か?繊細な彫りが似ています﹂ 言われて隣に座るガーウェンを見遣った。このバレッタはガーウェ ンからのプレゼントだからだ。 彼は私の視線に顔を逸らして、照れたように頭を掻いた。 ﹁義兄上からの贈り物ですか!義姉上によく似合う品のあるバレッ タです!義兄上のセンスは素晴らしい!ぜひご教授願いたい!﹂ ﹁うっ・・・いやその、あっ!そういやあそこの店は店長の出身村 から仕入れてるって言ってたな﹂ こちらも見ずに大皿に盛っていたボロネーゼ・スパゲッティやアク アパッツァを自分の器にたんまり取りながら、ガーウェンが言う。 照れを誤魔化しているようですごく可愛い。 ﹁そうなの?と言うか私よりガーウェンの方が店長と仲良いから、 紹介ならガーウェンの方が適任だと思うよ﹂ 落ち着いた華やかさと味わい深いデザインの雑貨が多く置かれた私 のお気に入りのお店は、ガーウェンの方が常連である。彼が店に通 う理由はお察しのとおり私へのプレゼントを買うためなのだが、そ の際店長にアドバイスを貰うそうで、ガーウェンと店長には妙な友 情が芽生えているらしい。 ちなみに店長は男である。 ﹁分かった、俺が案内する。明日は依頼があるから明後日どうだ?﹂ ﹁お願いします、義兄上!﹂ と意気込んだセルジョだがすぐに眉を顰めて私とガーウェンを窺い 見た。 ﹁どうした?﹂ ﹁その、もしかして・・・明日の依頼とは﹃森﹄で新たに見つかっ たという迷宮の調査ですか?﹂ ﹁え?そうなの?ガウィ兄さん﹂ セルジョの躊躇いがちな質問にベラも不安の声を上げた。見れば二 人して同じ様に不安気な顔をしていた。 1067 瘴気溜まり と呼ばれる場所が 5日前、﹃逢魔の森﹄で新たな迷宮が発見された。 ﹃森﹄には瘴気が窪地に溜まった 瘴気溜まり の底付近にあった人 所々あり、報告されている中では最大のものが第5層に存在してい る。今回発見された迷宮はその 工物と思われる洞窟とその奥に続く遺跡である。 迷宮法により発見者には報奨金と二週間の迷宮攻略独占が許され、 すぐさま攻略が始められたのだが、その立地条件から早々に継続困 難となりソーリュートへ返還される事になった。 それにより近日中には騎士団主体での内部調査、つまり攻略が行わ れると予想され、上位冒険者にも指名依頼が出されるのではと﹃海 龍祭﹄の只中であっても話題の中心となっているのだった。 ﹁いや、明日の依頼は違う﹂ 否定の言葉にホッとした様子を見せた二人にガーウェンは困った顔 をして私を見た。 未踏破の迷宮攻略というと冒険者にとっては一攫千金、名声を得る チャンスであり、一生に一度は経験してみたい憧れの事業である。 が、一般人にとっては未知の迷宮へ足を踏み入れることは危険で無 謀極まりないとの認識が普通であり、ベラ達もやはりそう思ってい るらしく、優秀な冒険者であるガーウェンに指名依頼がきているの ではと心配していたようだ。 だが安堵した二人には悪いが・・・。 私もガーウェンに困った顔を返すと、彼は小さくため息をついて白 状した。 ﹁だが来週にはリキとその迷宮攻略に参加することになっている﹂ ﹁そ、そんな・・・っ﹂ 一転して絶句したベラを安心させるようにガーウェンはゆっくりと 続ける。 ﹁そんなに心配しなくても大丈夫だ。今回は騎士団もそうだが、知 1068 り合いの冒険者も多く参加するし、そいつらはもれなく優秀だ。第 一、リキは俺が必ず守るから心配する事なんかねぇよ﹂ ガーウェンの言葉は揺るぎない自信に溢れている。思わず私の頬が 赤く染まってしまうほど、力強くかっこいい。 しかしベラは少し怒ったようにガーウェンを見つめた。 ﹁リキさんの事だけじゃないの。ガウィ兄さんの事も心配なの﹂ 自分の意見をはっきりと言わないタイプであるベラの主張にガーウ ェンがたじろぐ。 基本的にガーウェンは妹達には強く出れないため、心配していると はっきりと言われれば何も返せなくなってしまうのだ。 となると私の出番である。 ﹁大丈夫だよ、ベラ。ガーウェンは私が必ず守るから心配しないで。 私とガーウェンが一緒なら無敵なんだよ﹂ 冗談ではなく本当にそう思っている。ガーウェンと一緒なら何が相 手でも大丈夫だって思えるのだ。 隣を見るとガーウェンが微笑んで頷いてくれた。ガーウェンも同じ 気持ちなんだなって嬉しくなる。 そうかもしれないけど、と俯いて小さく呟いたベラの背にセルジョ が手を添えた。彼はなぜかクスクスと笑い声をあげた。 ﹁ディアナちゃんもそうですが、お二人も簡単に心配させてくれな いんですねぇ﹂ ﹁・・・ディアナがどうかしたのか?﹂ その意味が分からず首を傾げた私とガーウェンにベラが深くため息 をつく。目の縁に涙が溜まっているのに気付いて少し心が痛くなる。 ﹁ディアナちゃん、大工の親方さんに弟子入りして、木工を学んで るのよ﹂ ﹁何でまた・・・﹂ ﹁どうやらソーリュートで買った卓上鏡の木彫りに深く感銘を受け たようで、自分でもその様な作品を作ろうと思ったそうですよ﹂ 1069 あのディアナが木彫り?木工?ちょっとイメージがわかないんだが。 ﹁弟子入りは出来たのか?あの親方は女は弟子に取らん、って感じ でしょ?﹂ 一度だけ顔を合わせた事のあるザ・職人って感じのお爺さんを思い 浮かべた。あの頑固そうなお爺さんをどうやって説得したのかな。 ﹁半ば無理矢理なのよ。断られても追い返されても毎日押し掛けて、 強引に居座っちゃったの。最後は親方さんが根負けしたんだから﹂ ﹁強引さはディアナらしいな!﹂ と笑ったガーウェンに﹁笑い事じゃないのよ﹂とベラは口を尖らせ た。 ﹁毎日泣いて帰ってくるのに、次の日には恐い顔してまた親方さん の所へ行くのよ。コルト兄さんもディアナちゃんにキツイこと言う し、心配で堪らなかったんだから﹂ ﹁大工は刃物も使うから、義兄上はよく思ってなかったみたいです ねぇ﹂ セルジョの苦笑にコルトがどんな事を言ったのか何となく想像出来 た。 きっと遠慮も配慮もなく、正論を鋭いナイフの如くディアナに浴び せたんだろうな。 ﹁・・・ものすごく心配でも﹃大丈夫、私が決めた事だから﹄って 言われてしまえば何も言えないわ﹂ ﹁僕達は見守る事しかできません。だから鬱陶しくて余計な事かも しれませんが、心配はさせてください﹂ 大切な家族だから心配する。でも、それでも何も言わず見守ってい る。 目には見えないけれど、確かに絆はここにある。 家族というあたたかい絆。 ガーウェンが柔らかく目を細めている。彼もきっとあたたかいもの を感じているのだろう。 ﹁うん、わかった。心配しないでとは言わないよ。﹃心配して損し 1070 た!﹄って言わせるぐらい頑張るよ!﹂ 軽口とともにベラとセルジョに笑いかけると、彼らは目を瞬かせて、 それから、 ﹁それもちょっと違うと思うけど!﹂ と笑ってくれた。 血が繋がっているかとか一緒に過ごした時間の長さではないのだ。 ﹃家族﹄とはお互いがそうだと信じた瞬間、﹃家族﹄になるのだろ う。 私とガーウェンがそうだったように。 1071 二日前︵前書き︶ 長めです。 1072 二日前 ﹁あー!やだやだ!行きたくない!﹂ リーオが駄々を捏ねながらソファで暴れている。正面に座ったガー ウェンはそれを呆れ顔で見ていたが、私がケーキと紅茶を持って現 れるとすぐさまキラキラの笑顔を浮かべた。 リーオの事などもはやどうでもいいって感じである。 ﹁おまたせ!レアチーズケーキだよ。ブルーベリーソースとマーマ レードソースがあるから好きな方をかけてね﹂ 私の言葉にソファに伏せっていたリーオの背がピクリと反応しただ けで、起き上がることはなかった。しかしそわそわと気にしている 雰囲気はビシビシ感じる。 俺が切る、とガーウェンはケーキを受け取り、嬉々としてナイフを 入れる。そして四分割した一つを自分の皿に、っておい待て。8号 サイズの四分の一が一人分なのか? ﹁リキも乗せようか?﹂ ニコニコと幸せそうな顔のガーウェンが勧めてきた。その顔はもの すごく可愛いんだけど、可愛くて思わず甘やかしたくなるんだけど やっぱり断る。 ﹁私はそれのもう半分でいいよ。食べ過ぎると夕飯を食べれなくな るし﹂ リキは少食だもんな、なんて優しい瞳で見つめられたが、ガーウェ ンが常人以上に大食いなだけで私は一般的である。でも大きな口で 何でもあむあむ美味しそうに食べるおっさんは可愛いから許す。 ﹁残りはガーウェンが食べていいよ﹂ ﹁まっ待て!儂の分は食べちゃダメじゃぞ!﹂ 途端、飛び起きたリーオが慌てて皿を差し出して自分の取り分を確 保しようと必死になり出した。 1073 ソーリュートの守護龍様のくせにこいつもかなり食い意地が張って いる。一緒に食事をするとガーウェンと兄弟のようなおかずを取り 合う争いを始めるほどである。 ﹁焦るなよ。リーオの分もちゃんとあるから﹂ とガーウェンが皿に乗っけたのはやはり四分の一。 ﹁最初はブルーベリーで、次はマーマレードにしようかの!﹂ ﹁じゃあ、俺は最初マーマレードにしよう﹂ すでにおかわり分のソースを決めた大食漢二人組は大きな一口で次 々ケーキを頬張っていった。 本日は私とガーウェン、二人ともかなり早く仕事が終わったため、 おやつにケーキを食べながらイチャイチャしようと目論んでいた。 そこへリーオがやって来て何やら愚痴を喚き出したのだ。どうやら 面倒な呼び出しをくらったらしい。 ﹁﹃海龍祭﹄の最中じゃというのに何が七老院じゃ!儂を呼びつけ おって!﹂ リーオはこう見えて龍族内では高位の地位にいる為、七老院と呼ば れる議会に出席するよう言われているそうで、しかも欠席は出来な いルールらしくかなり憤慨していた。 祭りの最中ということもあるが、リーオがこんなにも腹を立ててい る理由はもう一つある。 ﹁今夜は花火だというのに!ビービーキューだというのに!﹂ 二個目のケーキにマーマレードソースをたっぷりとかけながら、リ ーオが拗ねたように口を尖らす。 今夜は﹃海龍際﹄の催しの一つである花火大会が行われる。昨年と 同様に友人たちを招いて、バーベキューをしながらまったり花火を 楽しむことにしていて、リーオはそれをものすごく楽しみにしてい たのだ。 ﹁再来週にも花火があるみたいだし、その日に変更したらいいこと じゃねぇか。その時までには帰って来るんだろ?﹂ 1074 ﹁うむ。今回の議会は重要な話ではないようじゃから帰って来れる じゃろう。でも今日、楽しみにしておったんじゃ・・・﹂ ﹁次はメンバーたくさん集めて騒いでやるから、そう気を落とすな よ﹂ 苦笑しながらもガーウェンはリーオを慰めているが、彼が同じくら い今日の催しを楽しみにしていたのを私は知っている。 それでもリーオ抜きでの開催はせず、日を改めて一緒に、というの が優しい彼らしい。 ﹁私もその時には張り切って料理するからね。ケーキも作るから﹂ ぬし と私が意気込んで言うとリーオは吹き出して笑い出した。 ﹁お主たちは本当に変わり者夫婦じゃの!﹂ 肩を揺らして笑うリーオにガーウェンが少し不満気な表情をして首 を傾げる。 ﹁・・・・・・どの辺が変わってんだよ﹂ ﹁変な意味じゃないからそう怒るな。儂相手にそんな風に言う奴は お主らぐらいじゃからの。似た者同士、お似合いの夫婦ということ じゃ!﹂ リーオが私に目配せをする。ひどく楽しそうだ。 ﹁お似合いの夫婦、だって﹂ とガーウェンに囁けば、彼は満更でもなさそうな、むしろ得意気な 顔で鼻を鳴らし、リーオはそれに再び吹き出して笑ったのだった。 ****** 暗い路地を抜けると小さな広場に出た。ソーリュートを見下ろす高 台に位置しているこの場所は祭りの喧騒も遠く、控えめに提灯が数 1075 個灯っているだけだった。 まち 胸辺りまでの高さの塀に寄りかかり、都市を見下ろす。 ﹁すごい。ソーリュートが星空みたい﹂ 星がひしめく天の川のように大小様々な光が集まって、いつもより もソーリュートを輝かせていた。 ﹁本当にここは穴場なんだね。いつ来ても誰もいなくていい﹂ ﹁そうだな。ソーリュートを独り占め、いや、二人占め出来るから な﹂ ここを教えてくれたガーウェンを見上げると、柔らかい微笑みとロ マンティックな言葉を返される。 キュンときて、腕に擦り寄ると指を絡め取られて触れ合う面積が多 くなる。 ガーウェンは出逢った頃から持っていた純粋さに自信と強さが加わ り、眩く輝く清廉な私の光となっていた。 暗闇を照らす希望の光のような、家に灯る安らぎを感じる光のよう まち な、温かく包み込む太陽の光のような、優しいかけがえのない光。 この都市には優しい人が多いと思っていたが、それは少し違くて、 ガーウェンが人に素直で真摯に接してきたことが私に向けられる優 しさになっていると気付いた。 ガーウェンの発する光が周囲を照らし、周りの人々も包み込み、や がてそれは私に優しく戻ってくる。ガーウェン自身は気付いていな いし、意識もしていないことだろうけど、私がそれにどれだけ支え られ勇気付けられているか。 ﹁どうした?﹂ 見つめているとガーウェンが不思議そうに尋ねてくる。 その顔が可愛くて、何だかすごく意地悪をしたくなって、考えてい たこととは違うことを口に出した。 ﹁ガーウェン、私に隠してることあるでしょ﹂ 1076 唐突な私の言葉に案の定、ガーウェンは何のことだ?と首を傾げる。 ﹁最近ベラがよく家に来て、私の好みを探っていくんだけど、なん でかな?﹂ セルジョの仕入れの仕事を手伝っているという名目でベラに、食べ 物から服装、色、花など様々なものの好みを聞かれていた。しまい には面白かった本のタイトルまで尋ねられ、困惑していたのだが、 サプライズ好きのガーウェンの差し金かな、と鎌をかけてみたのだ。 ニヤリとガーウェンが何か企んでる悪戯っ子のような顔をした。 ﹁んー?何のことか分かんねぇなぁ﹂ 隠そうとしていない明らかな嘘を笑って言う。それどころか楽しそ うに続ける。 ﹁分かんねぇけど、ファリスにはなんも聞くなよ?﹂ ファリスも一枚噛んでいるのか。 ﹁ふふふ!分かった、聞かないよ﹂ ﹁おう、そうしろ。大人しく楽しみにしとけ﹂ ガーウェンが私を喜ばせようと何かを計画してくれているのは確実 らしく、気になるけど、言う通り大人しく楽しみしておこう。 なぜだろう。まだ何もしてもらってないのにすごく幸せな気分だ。 ぎゅうっとガーウェンの腕に抱き着いた。愛しくて堪らない。 ﹁リキ。お前も俺に何か言いたいことがあるんじゃないのか?﹂ 穏やかで優しい空気を含んだその言葉に、今度は私が首を傾げた。 ガーウェンの瞳が優しい。 ﹁クリスの研究を手伝った日の夜はいつも何か考えてるだろ。悩み 事か?﹂ 思わず少し口籠った。確かに異世界転移装置の研究を手伝って帰っ て来た日は少し気分が塞いでいた。それにガーウェンは気付いてく れていたのだ。 嬉しい。でも何もかも曝け出すのは少し躊躇われた。 ーーー突然、身体がふわりと浮く。ガーウェンに抱き上げられたの 1077 だ。 ﹁ガ、ガーウェン!﹂ 赤茶色の瞳に至近距離で見つめられ、なぜかひどく照れる。 ﹁俺はお前より何倍もデカいだろ。お前をこうして片腕で抱き上げ ることもできる。リキ一人ぐらいどうって事なく支えられるんだ。 だから俺に寄り掛かっていい﹂ ・・・泣きそう、だ。 愛する人が側に寄り添ってくれる、支えようと言葉を尽くしてくれ るという事実が心を揺さぶる。 ガーウェンの輝きはこういう瞬間でも私を照らしてくれるのだ。 ﹁・・・研究は順調なんだ。きっと近い将来、私の生まれた世界に 転移が出来るようになると思う。でもね、私の世界が近づくたび、 なんていうか・・・後悔の気持ちが大きくなるんだ﹂ 遠くで花火が上がる音が聞こえる。 私はガーウェンの肩に額を預けて、彼の身体の中に響く鼓動を聞い ていた。 ﹁ガーウェンもそうだけど、ガーウェンの家族達もこの都市の人達 も人との関係に真面目だよね﹂ ﹁真面目、か?﹂ ﹁真摯っていうか誠実っていうか。ちゃんと人と向き合ってる。・・ ・・・・私は真面目じゃない﹂ ガーウェンの手が優しく私の背中を撫でる。 全部、ちゃんと聞いてやるから。 そんな気持ちが伝わってくる。こういう所が真面目だと思う。 他人の気持ちを理解しよう、自分の気持ちを理解してもらおうと真 正面から向き合おうとしてくれる。 ﹁リキだって俺にはいつもちゃんと向き合ってくれてただろ﹂ ﹁ガーウェンは特別なの。初めて、なんだ。出逢った瞬間からもっ と深くまで理解したいって思えた人は、ガーウェンが初めてなんだ。 1078 他の人にははっきり言って関心が持てなかった。あちらの世界では 特に﹂ 薄情な女だと思われただろうか、と不安になる。 ちらっとガーウェンを窺えば、彼はものすごくニヤニヤと嬉しそう ・・・ な顔をしていて、ちょっと引いた。そしてその顔のまま、 ﹁確かにリキは俺以外には淡白っつーか、社交的な割にはだいぶ経 つまで懐に入れなかったよな。そういや、リキが身体に戻って帰っ てきたあと、エヴァンがお前の事を﹃愛想が良くて餌を貰いに来る のに触らせてくれない猫みたいだ﹄って言ってたっけ﹂ と納得するように頷いた。 そんな風に見られてたんだ、やだ恥ずかしい。 身悶えするような恥ずかしさを誤魔化したくてガーウェンの首に顔 を伏せ、早口で話題を戻した。 ﹁と、とにかく、私は真面目じゃなかったんだ。友達にも、家族に 私は私、人は人 なんて さえもちゃんと向き合ってなかった。耳障りの良い言葉ばかり口に するだけで、誠実に考えていなかった。 相手を尊重してるからじゃなくて自分が干渉されないための予防線 だったんだ﹂ 上辺だけの楽な関係ばかり選んできた。真面目に向き合ってくれた 人もいたのに、私は応えず背を向けた。 傲慢だったのだと思う。自分一人でも、他人と関わらなくても生き ていけるなんて思ってたのだ。 ﹃人は一人では生きていけない﹄その言葉の本当の意味が今なら、 今だから理解できる。 ﹁リキが元の世界でどんな奴だったか俺は知らねぇが、俺が見てき たリキは俺に真っ直ぐに向かってきてくれたよ。だから俺もお前に 向き合おうって思ったんだ。後悔してるって言うならこれからちゃ んと向き合っていけばいいだろ。友達にも家族にも﹂ 1079 ﹁・・・・・・﹂ ガーウェンが優しく背中を押してくれてるのに簡単に頷けない。私 は情けないなぁ。 ガーウェンの身体が揺れる。笑っているようだ。 ﹁リキ、お前はこわいんだろ。向き合っても相手に見向きされない かもって臆病になってんだ。そんなの皆こわいに決まってるだろ。 それでも相手が大事なら打ち勝たねぇとだめなんだ﹂ くいっと顎を持ち上げられると同時にキスが落ちてくる。 星空のようなソーリュートの夜景を背景にガーウェンが笑う。 彼の周りがキラキラと輝いているように見え、息を飲んだ。 ﹁俺がお前の側にいてやる。お前が泣いたら慰めるし、落ち込んだ ら元気付けてやる。だから今からそんなに臆病になんな﹂ 頬を撫でられる。心底愛しい、と伝わってくる。 ﹁俺も一緒に行くから。家族にもみんなにもお前の気持ち、真っ直 ぐに伝えに行こう。俺も、リキが俺の家族にしてくれたように、真 っ直ぐに向き合うから﹂ ガーウェンの肩口に顔を埋めて、嗚咽交じりに何度も頷いた。 こわいのだ。家族や友人に認めてもらえるか。 異世界で愛する人を見つけて、結婚して、こちらの世界で暮らして いくと決めたことを認めてもらえるか不安なのだ。 ずっと真面目に向き合ってこなかった私が急に、自分達のことは理 解してほしいなんて虫が良すぎることは分かっている。でも、どう か、私達を認めてほしい。 ﹁・・・ガーウェン、私をちゃんと見ててね。私が負けないように﹂ 私が立ち止まりそうになった時、ガーウェンはこうして光をくれる。 本当に私の希望の光なのだ。 ﹁ありがとう、ガーウェン。愛してる﹂ 1080 ガーウェンは悪戯っ子のような瞳で、知ってる、と笑った。 1081 二日前︵後書き︶ リキも人の子。悩みも不安もあります。 ガーウェンは心が成長して、リキを支える立場になりました。 変化はあっても二人はラブラブです。 1082 当日 1 ﹃逢魔の森﹄第5層の転移門近くに40人近くの騎士が整列してい た。 翠剣騎士団団長がその隊列に向かって大声で何か言っている。これ から向かう迷宮についての諸注意みたいだ。 私を含む冒険者5名はそれを少し離れたところから見ていた。 私とガーウェン、それにエヴァンとロード、バードンというお馴染 みのメンバーである。 騎士団の面々を眺めながらロードがつまらなそうな声を出した。 ﹁新迷宮の攻略に呼ばれた冒険者が俺達だけって少なくないッスか ?﹂ ﹁予定では騎士団のみで攻略を進めることになっていたらしいんで すけど、冒険者ギルド本部からの横槍とクリシュティナ次期管理区 長の意向でなんとか冒険者を一緒に連れて行けることになったみた いですよ。おそらくクリシュティナ様はリキさんを推薦したと思う ので、ガーウェンはともかく他は人数合わせでしょうね﹂ ﹁え。もしかして俺らって招かれざるってやつッスか?新迷宮の攻 略だからすげぇ楽しみにしてたのに邪魔者扱いかよぉ﹂ ロードががっくりと頭を落とす。耳も尻尾もぺたんと落ち込んでい る姿は哀れで思わずわしわしと撫で回した。 ﹁確かに攻略は騎士団主体だけど、迷宮の様子を先行して知れるの は有益だよね。後々、迷宮が開放されたら、情報面で有利なんだか ら﹂ ﹁まぁそうですね。私達は迷宮までの道中の斥候みたいですから、 ロードで十分役に立ちますし﹂ ぶんぶんと勢い良く振られるロードの尻尾をエヴァンは鬱陶しそう に避けた。 1083 わたしたち 今回の新迷宮攻略に関する冒険者の役割は騎士団のサポートだ。あ くまでも騎士団に攻略をさせたいソーリュート上層部が冒険者ギル ド本部に譲歩してこれである。 明らかに﹁冒険者はでしゃばるな﹂という意思表示なのだ。 そろそろ出発するという時に、転移門の紋様が淡く光り、扉が開い た。そこからガラの悪い二人組がダルそうに歩み出てきて、私達を 見つけるとニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。 ロードが﹁うげっ!﹂と嫌そうな声を上げたその瞬間、二人組の片 方、浅黒い肌の男の姿が揺らいだ。 ﹁肉壁、確保ー﹂ ﹁ヒィ!﹂ バードンから悲鳴が上がる。一瞬のうちに男が肉薄し、バードンの 胸倉を掴んだのだ。 絶望に染まったバードンの瞳から、胸倉を掴まれた事ではなく、こ の男の存在そのものに怯えているのだという事が分かる。 ﹁あれ?罠解除装置くんもいるんだ?﹂ ﹁ちょっ!エリオットさん、その呼び方ヒドイ!﹂ 次の瞬間には男はロードの背後に移動し、素早い動きでロードの首 に腕を回してガッチリと捕まえた。 灰色の髪を除けば、褐色の肌に血色の瞳という魔人族の血を感じる 男。ガーウェンの悪友で迷宮ハンターのエリオットである。 ﹁一緒の冒険者ってお前らか。お前らがいるなら重しつけたクソ壁 共の面倒見なくて済むな。お、リキ久しぶりだな!﹂ 二人組のもう一人が、自然な動きで私の腰に手を回す。いや、ニヤ つきながらお尻を触ろうとしている。 しかしその手はすぐさまガーウェンの手刀によって叩き落とされた。 ﹁ジェド!てめぇは毎度毎度触ろうとすんじゃねぇよ!ぶっ殺すぞ !﹂ ﹁ああン?やってみろよ、ヘタレチンコ野郎﹂ 1084 ﹁あ?何だとクズ野郎。望み通りここでぶっ殺してやるよ﹂ ジェドリックとガーウェンはなぜかいつも喧嘩腰で会話が始まる。 しかもかなり本気の殺気をぶつけ、殺し合いが始まりそうになるの だ。 ガーウェンの周囲にバチバチと音を鳴らしながら、稲妻が跳ねる。 感情が昂ったときに出る魔力の破片である。 エヴァンから深いため息が聞こえた。 ﹁もう出発なんですから止めてくださいよ。ガーウェンはいちいち ジェドの煽りに乗らないでください。そいつと同じレベルになりま すよ﹂ ﹁おー、ひでぇ。ゲス具合ならエヴァンは俺ら側じゃねぇか﹂ よく言うぜ、と高らかに笑うジェドリックからは、ガーウェンに向 けられていた殺気が嘘のように消え失せている。ガーウェンをわざ と怒らせ、殺し合いを始めようとする一連の流れはテンプレなのだ った。 ﹁失礼します。そろそろ出発したいのですが﹂ 小さな咳払いとともにそう声をかけられた。翠剣騎士団の紋章が入 った甲冑を着た騎士だった。 見覚えがある。翠剣騎士団の副団長だ。目礼してきたので、私もそ れに応える。 ﹁お前らの中から一番早く動ける奴を一人出せ﹂ 前置きも何もなくジェドリックが副団長に無礼極まりなく命令する。 呆気にとられた副団長にジェドリックは軽薄な笑みを見せて、馬鹿 にしたように鼻で笑った。 ﹁聞こえなかったのかよ。のろまなお前らの中から一番マシなのろ まを出せって言ってんだよ。金属持ち歩くしか脳がねぇのか﹂ 甲冑を揶揄した言葉に副団長の顔が引き攣る。 すかさずエヴァンが割って入った。 ﹁この失礼極まりない馬鹿は死んでも治らないぐらいの馬鹿なので 1085 どうかお許しを。つまり騎士団側からも斥候を一人出して欲しいと いう意味です﹂ ガーウェンも副団長を庇うような立ち位置に移動し、ジェドリック を睨みつけている。 出発前からのゴタゴタにうんざりしてしまって、スキルを発動した。 ﹁﹃ジェドリック、来い﹄﹂ 発動した︻統率者︼に反応して私を見たジェドリックはニヤリと悪 い笑い顔をする。あ、嫌な予感。 ﹁なんだよ、リキ。俺に側にいて欲しいならそう言えよ。おい、エ リオット!行こうぜ!﹂ 自分の荷物をバードンに押し付けていたエリオットを大声で呼んで、 ジェドリックは当然の様にするりと私の肩に手を回してきた。スキ ルを使われた事を分かっているくせにそんな事を言いやがって。 根幹がゲスでクズであるジェドリックだが、頭の回転は早く、能力 もかなり高い。今更ながら副団長に突っかかっていたのは私にこの 一言を言わせる為だったのかもと思い至った。 駆け寄ってきたエリオットもニヤニヤしながら当然の如く、私の腰 に手を回してくる。 殺気立って威嚇の唸り声を上げるガーウェンを片手で制して、ため 息をついた。 ﹁こいつらは私が見てるから後はお願い。よろしくね﹂ 問題児達には監督官が必要で、残念ながらこの場では私が一番、適 任なのだった。 ****** 1086 ﹁なぁ、リキ。その指輪、蒼海龍の加護付きじゃねぇか。ちょっと 見せてくれよ﹂ ﹁やだよ。おい、髪の匂いを嗅ぐな﹂ ﹁リキ。ダガーを新調したんだって?見せてよ﹂ ﹁やだよ。おい、お尻を撫でるな﹂ 両側をチンピラ紛いのガラの悪い男達に挟まれ、頻繁にセクハラを 受けながら新迷宮までの道のりを進む。 側を行軍している騎士団からは同情の視線が向けられる。初めは正 義感からジェドリック達の所業を注意する騎士がいたのだが、その 都度こいつらから辛辣な悪口と苛烈な反抗を受け、私が人身御供で あると共通認識するに至ったようだった。 三列縦隊で森を歩く騎士団の右側に私達、エヴァンと荷物を持たさ れているバードンは左側、ガーウェンは後方、そしてロードと騎士 の一人が斥候として隊の進路を先行偵察している。 ﹁全隊止まれ!!﹂ 副団長の声が響き渡ると、各班長が復唱、そして隊がピタリと静止 する。さすが訓練された騎士団である。 しかしジェドリック、エリオットの二人はそのまま私を連れて隊の 先頭へ向かっていった。 ﹁おい。持ち場を離れるな﹂ ﹁堅い事言うなよ、リキ。あっちの方が面白そうだろ﹂ ニヤついたジェドリックが示す方に団長と話すロードが見えた。 進路に何か問題があったのだろうか。 ﹁おい、クソ犬﹂ ロードがこちらを見ると、すぐに顔を顰めた。 ﹁うっわぁ。二人ともガーウェンさんにぶっ殺されるッスよ﹂ ﹁あのヘタレ野郎に俺が殺される訳ねぇだろ。んで?﹂ 1087 マッドモンキー ﹁えっと、この先に狂乱猿の群れがいたんスよ。群れの規模は中。 ボスはかなり大型で尻尾の付け根に大きな魔石があったのを確認し たッス﹂ 男達の傍若無人で楽しそうな雰囲気がロードの報告で一気に不機嫌 に変わる。 ﹁は?そんな程度で行軍を止めるとか、お前はほんとに使えないク ソ駄犬だね。猿共と一発ヤッてこいよ﹂ ﹁エリオットさんヒドイ!あんな数、俺一人じゃ手数が足りないよ !せめてどっちかついて来て!﹂ ロードの懇願は鼻で笑われ、簡単にあしらわれる。 ﹁ガーウェンを連れてけ。猿は猿同士よろしくヤるだろ﹂ ﹁誰が猿だ。ぶっ飛ばすぞ﹂ 怒気がこもった声が後ろから聞こえた。 いころ 視線が合うと僅かに微笑まれたが、私に凭れ掛かるチンピラ二人に は射殺しそうな殺気を喰らわせていた。しかしそれでもそれ以上は マッドモンキー 何も言わず、団長に歩み寄る。その後ろからバードンがおどおどし ながら続いた。 ﹁俺とバードンで狂乱猿を殲滅する。隊はここで待機していてほし い。あまり近づくとこちらにも流れてくるかもしれないからな。ロ ードはその後方で群れから逃げ出した猿の始末だ﹂ ﹁こちらからも班を出そう﹂ ﹁いや、いい。アンタ達の任務は迷宮の攻略だろ。そこまで力を温 存しておいたほうがいい﹂ ﹁・・・あの﹃雷炎鳥﹄で行かれるのではないのですか?﹂ ガーウェンと団長の会話に副団長がおずおずと質問を挟む。 ガーウェンは私をちらりと見て、深いため息を付いた。 ニヤニヤしたチンピラが私の両側にいる。 ﹁リキは置いていく。その方が良いだろう﹂ ・・・ああ、そうですねと副団長は乾いた笑い声を出した。団長も 苦虫を噛み潰したような顔をしている。 1088 この問題児共を放っておくとかなり面倒だとすでに刷り込まれてし まったようだ。 ﹁リキ。ここは頼んだ。いってくる﹂ ﹁うん。いってらっしゃい。気をつけてね﹂ 見上げるとふわっと微笑みを向けられる。信頼を感じる柔らかいそ の表情にキュンと胸が鳴る。 しかしすぐにガーウェンはジェドリックとエリオットを睨み、 ﹁リキにあんまり迷惑かけるなよ﹂ と一言言って、バードンとロードを引き連れて森の奥へ走って行っ た。ガーウェンの姿が見えなくなっても、森の奥を見つめていると、 エリオットの身体が小刻みに震えだした。笑いを堪えているようだ。 ﹁ガーウェンは変わんないねぇ﹂ ﹁・・・変わんない、のか?よく変わったと言われるんだけど﹂ ﹁変わってないよ。ガーウェンは昔からあのまんまお人好しの甘ち ゃん野郎だ﹂ ドエム と言うエリオットの声には馬鹿にする感じは微塵もない。寧ろ好意 的にすら聞こえる。 ﹁いっつも自分から貧乏クジ引いてるから被虐体質なんだろ、あい つは。ガキん頃、麻痺ミミズの巣に行ったとき、先頭の奴がミミズ 嫌いで巣に入るの渋ってたら﹃俺が代わるから﹄って魔物の特性も 知らねぇで突っ込んでたよな﹂ ﹁あったあった!それでミミズまみれになって!俺、初めて見たか ら。ミミズで溺れそうになってる奴。あれは腹抱えて笑ったわ﹂ その光景を思い出したのかエリオットは堪えきれないとばかりにゲ ラゲラと大声で笑いだした。 ジェドリックもつられたのか吹き出し、次々思い出話を披露する。 ﹁駆け出しの頃、しょうもないおっさん達と組んだら、そいつらが クソでブラックベアを釣るのに俺を囮にするって言いやがったんだ けど、ガーウェンは案の定キレて﹃俺が代わる﹄って言い出して、 1089 そんで釣って来たのがクソでけぇハンターベアで﹂ ﹁おっさん達もビビって﹃こっち来んなー!﹄とか叫んでたし!で もガーウェンは見たことないぐらいのすげぇ真顔で走って来んの。 なんでアイツ真顔なのって死ぬほど笑ったわ!﹂ ﹁あの時おっさん達に蜂蜜ぶっかけて逃げたんだよな。ハンターベ アに追いかけ回されて、死にそうになってたのは笑えたぜ﹂ ざまぁみろ、と悪い顔で二人は笑う。 ガーウェンがなぜこのどう転んでも悪にしか傾かない性質の二人と 子供の頃からの友人なのか分からなかった。事実、ガーウェンは二 人の性質にたまに相容れない事があるらしく、本気で憤っていたり する。 しかしガーウェンと二人は、顔を合わせれば喧嘩というよりも剣呑 な睨み合いをしながらも決定的には仲違いしないのだ。 彼らの根幹には信頼が透けて見える。こうして過去の共通の思い出 を悪戯を成功させた悪ガキのような憎たらしい笑顔で語ることもそ の信頼が根底にあるからなのだ。 でもそれを指摘してもきっと彼らは認めたりしないだろう。その辺 は妙に面倒くさい関係である。 ﹁リキはガーウェンの貧乏クジに巻き込まれるなよ?﹂ 私を覗き込むように身を屈めながら笑ったエリオットの言葉に答え たのは、ジェドリックだった。 ﹁そりゃ、無理だろ。リキはガーウェンには死ぬほど甘いからな。 きっとガーウェンの引いた貧乏クジにも進んで付き合うだろ﹂ ﹁そんなこと・・・﹂ 咄嗟に反論しようとして、しかし口籠ってしまった。 まぁ、確かに、ガーウェンと一緒にいられるならそれが貧乏クジで も受け入れてしまうかも。 1090 森の奥から雷鳴が聞こえた。 ジェドリック達は再び腹を抱えて笑い出した。 ﹁派手にやってんなぁ!アイツ、リキを連れて行けなかったから猿 に八つ当たりしてるわ!﹂ ﹁分かりやす!もうしばらくこれ引っ張ろう!アイツならぜってぇ 面白いことしてくれる!﹂ ゲラゲラと下品な笑い声が両側から降ってくる。 ・・・・・・たぶん、おそらく、これでも信頼関係はあるはず。 1091 当日 2︵前書き︶ 進むの遅くてすみません。 1092 当日 2 第五層の中間付近に唐突に斜面が現れた。崖に近い傾度の斜面は土 が剥き出しになっていた。 ﹁ここが﹃逢魔の森﹄最大の瘴気溜まりですか﹂ 下を覗き込みながらエヴァンが興味深そうにする。 それに倣って覗き込めば崖下に黒い霧が充満しているのが見えた。 あれが瘴気と呼ばれる毒素だ。 底にあるという新迷宮の入り口どころか、底も見えずこの崖がどの くらいの深さなのか分からない。 思ったより瘴気濃度が高そうだ。 ﹁下は真っ暗だろうね﹂ ﹁そうだな。ここからは降りられねぇから、斜面が緩くなっている 所から降りるらしいぞ。崖に沿って行ったところだそうだ﹂ 隣に来て同じように崖下を覗き込むリキにそう返す。 確かにここからは降りられそうにない。普通は。 これは騎士達が近くにいるから口にした建前だ。 リキの結界魔法ならば足場を作製してここから降りられるのだが、 しかしその使い方は特殊で、というかリキにしか出来ない魔法の使 用方法なので信頼出来る奴以外に知られたくはない。特に結界魔法 というのは騎士には重宝される部類なので、この場でのリキの魔法 の運用は目立たぬよう一般的になっていた。 ﹁そっかぁ。じゃあ、一緒に行けるね﹂ それを正しく理解しているリキはふふふ、と微笑んで手を繋いでき た。 マッドモンキー 可愛すぎてグッと胸が詰まる。ああ、キスしたい。 道中遭遇した狂乱猿にリキから付与された魔力を少し使い過ぎた。 その補充ということで強請ったら納得してくれるだろうか。いや、 1093 俺が甘く強請れば理由なんかなくてもリキは頬を染めながらも応え てくれるはず。 今日のリキの唇はぷるぷるつやつやで、食みたくなるほど魅力的だ! リキに口付けしたくてうずうずしている俺の後ろを、ドスッと鈍い 打撃音とともに赤い大きな何かが悲鳴を上げながら通り過ぎた。・・ ・・・・いや崖から落ちていった。 ﹁ヒッ!!ヒャアアアアアァァァァァァ・・・・・・﹂ ﹁図体デカい分、役に立てよ!﹂ ジェドが非常に凶悪な面に邪悪な笑みを浮かべて叫んでいる。ハッ として崖を覗き込めば、バードンが悲鳴を残して黒い霧の中に消え るところだった。 ﹁っ!おい!ジェド何してんだ!﹂ ﹁何って瘴気濃度の確認するんだよ﹂ 悪友を怒鳴りつければしれっと返される。 バードンはここにいる者の中で一番︻瘴気耐性︼が高いため、この すこぶ 後、瘴気溜まりに下りる際に偵察として瘴気濃度を確認する役のは ずだったのだが。 ﹁なんで落とすんだよ!﹂ ﹁これぐらいの高さじゃ死ぬわけねぇだろ﹂ ﹁そういうこと言ってんじゃねぇ!﹂ ジェドの金色の瞳が光って見えた。能力だけは頗るいいジェドはお そらく、あの黒霧の底を見通しているのだろう。 だがもう少しやり方ってのがあるだろうが! 非難を込めて睨み付けたが、なぜか逆にジェドから鋭い眼光を返さ れた。 ﹁遅ぇよ、オメェら。のろまにも程があるんだよ、愚図共が﹂ ・・・ジェドがかなり本気でイラついている。 騎士団の行軍は確かに遅い。騎士達は甲冑を身に付けているし、こ 1094 の隊の半数は後方支援部隊であるからそれも仕方ない事だ。しかし、 傍若無人のコイツがそれに納得するわけがない事は分かっていたの で、不本意でものすごく不愉快だが、道中リキを当てがって不満を 緩和しようとしていたのだ。しかしそれでも収まらないものが溜ま ったようだ。 ﹁そんなこと言っても、俺らは騎士団に雇われてんだからどうしよ うもねぇだろ。ガキみたいに文句垂れんなよ﹂ いい大人がとる態度じゃねぇだろ、とジェドを注意するが、聞きや しない。ため息しか出ない。 調和を知らないこいつらがこの依頼を受けることを認めた冒険者ギ ルドは何考えてるんだ。 あの大丈夫でしょうか?、平気ですよ。気にせず出発しましょう、 という副団長とエヴァンのコソコソしている会話が聞こえ、騎士の 面々もジェド達の所業にかなり引いている。 ﹁ガーウェン・・・﹂ 苦笑を浮かべたリキが背中を優しく撫でてくれた。本当に!不愉快 だが!またリキに頼るしかなさそうだ。 迷宮に到着すればこいつらの興味は迷宮に移るだろう。もう少しだ から、頼むとリキを見つめる。 ﹁・・・・・・悪い﹂ ﹁いいよ。帰ったらたくさん甘えさせてね﹂ と囁き、微笑むリキは俺の癒しだ。 ﹁ジェドリック、エリオット。クッキー食べるか?﹂ ﹁クッキーだぁ?﹂ ﹁もしかしてリキの手作り?それなら食べる﹂ 異空間から包み紙を取り出して、リキがジェドとエリオットを呼ぶ。 二人がリキに意識を向けたその瞬間を見計らったかのように隊が動 き出した。 ﹁そうだよ。私の手作り。甘さ控えめだよ﹂ ﹁ふぅん。じゃ、食うわ﹂ 1095 ジェドとエリオットが遠慮なくリキの手作りクッキーを食らう。美 味い、芸達者だな、ガーウェンには勿体ない、とごちゃごちゃ言い ながらも奴らは少し機嫌を直したようだ。 俺は耐える。リキが俺のために作ってくれた俺のクッキーを食われ ても、耐える。リキが面倒で鬱陶しい奴らのお守りを引き受けてく れているのだ。だから俺だって耐える。 ﹁リキ、もっと食いたい。ないの?﹂ ﹁おう、もっと食わせろ﹂ ・・・・・・くっっっそ、殴りてぇ!!!こいつら!! ****** 黒い霧で数メトル前を歩く騎士の姿が霞む。騎士が持つランタンの 灯が隊の進む道であり、見失わないように注意深く歩んで行く隊列 はかなり遅い。 この状況にあってジェド達は嬉々として先頭を進んでいた。まるで 水を得た魚だ。 俺は道中と同じ最後尾。 見知った気配が横から来るのに気付いて、一気に気分が高まった。 藍色のマントを被った人影が黒霧の中から足音もなく駆けて来て、 そのまま俺の胸に飛び込む。その身体を抱き上げると、ぎゅうっと 首に抱きつかれた。 ﹁ふふっ、もしかして気付いてた?﹂ ﹁当たり前だろ﹂ 1096 内緒話のように小声で話すリキに合わせて、俺も囁くように返す。 ﹁周囲はどうだ?﹂ ﹁生き物は何にもいないよ。見た事ない植物は生えてたけど﹂ ﹁そうか。ジェド達は?﹂ ﹁あいつらはバードンを蹴り飛ばしながら、楽しそうにしてるよ﹂ とリキは困ったように笑った。 バードンはきっと﹁瘴気濃度測定器﹂とか﹁不測の事態用肉壁﹂と か言われながら、ジェド達の前を歩かされているだろう。現在の生 贄ということだ。 蹴落とされたバードンは無傷で、瘴気溜まりの底へ向かう下り坂の 中腹で待っていた。 ジェドとエリオットを見てビクビクしたものの、確認した瘴気濃度 を団長に報告し、その結果、攻略に参加予定だった25名の騎士の うちで3名が︻瘴気耐性︼レベルが足りず、後方支援部隊とともに 崖の上部で待機となった。 瘴気濃度が予想よりも高かったのだ。エヴァン曰く、このところ風 もなく穏やかな天気だったから濃度が上がったのだろうと。ジェド はそれを興味なさそうな顔で聞いており、その表情を見て、もしか してこいつはそれが分かったからバードンに濃度の確認をさせたの かもしれないと思った。 ﹁ガーウェン﹂ 唇に感じる柔らかさと吐息に意識を戻された。 リキが少しふくれっ面を見せている。俺が意識を逸らしていたこと が気に入らなかったようだ。 聞き分けがいいより、こうした子供っぽい我儘や嫉妬を見せてくれ るリキの方が好きだ。 前列の騎士から距離をあけて、それからリキにキスを返す。 ﹁・・・少しだけど、二人っきりで嬉しい﹂ 1097 リキの嬉しそうな声に堪らなくなる。 朧げに霞むランタンの灯りが揺れていた。ゆっくりと進むそれを視 線の先で追いながら、しばしの間、リキとの口付けを堪能したのだ った。 黒霧の中に二つ並んだランタンの灯りが見えた。隊はそこへ向かっ ている。新迷宮攻略前の最終集合地点である。 灯りを持って隊を迎えていたのは若い騎士で、俺の首に抱きついて 猫のように懐いているリキに一瞬言葉を無くしたものの、 ﹁あ、あの、﹃雷炎鳥﹄のお二人は到着後、団旗の下に集合するよ うに、と・・・﹂ としどろもどろに言った。この騎士には悪いが、リキを離す気はな いので、見て見ぬ振りをしといてくれるとありがたい。 若い騎士の後ろに膝の高さぐらいに張った撚り紐があった。その向 こうは霧が晴れ視界が確保されており、装備を整える騎士達が見え る。エヴァンが張った簡易結界だ。 掲げられていた団旗に向かうと、そこには団長と副団長、冒険者一 同がいた。 いや、ジェドとエリオットがいない。 ﹁あいつらはどうしたんだ?﹂ ﹁彼らは迷宮の入り口が気になるそうで、何か調べてますよ﹂ 俺とリキを見ても特に反応のないエヴァンが示した先に巨大な岩を くり抜いて造られたような迷宮の入り口があった。 両側の石柱には羽根の生えた女の精巧な像が彫られている。鳥人種 だろうか。 ﹁天使、だそうです﹂ その言葉にドキリとしてエヴァンを見る。思わずリキを抱く腕に力 が入った。 1098 ﹁﹃創造の大魔法師﹄がよくモチーフとして使用する神の使いだそ うです。ジェド曰く、ここは﹃創造の大魔法師﹄が製作した迷宮じ ゃないか、と﹂ ﹁んでジェドさん達はその証拠を探してるみたいッスよ。﹃創造の 大魔法師﹄なんて大物が造ったにしちゃ、ここは小さいと俺は思う んスけどー﹂ ロードの言い方にはトゲがある。散々オモチャにされているからや つらに対する信用度が低いのだろう。 石像の足元でエリオットが片手を上げて、俺達を呼んでいた。団長 と共に行くとエリオットが興奮したように言った。 ﹁やっぱりここは﹃創造の大魔法師﹄の迷宮だよ!﹂ ﹁確かなのか?﹂ ﹁おう。大魔法師様が造った迷宮には設定盤っつー説明書みたいな のが付いてるんだが、それがこれだ﹂ ジェドが指し示す石像の台座部分には確かに何か書かれているが、 大陸語ではなく読めない。古代語か精霊語かとエヴァンを見るが、 首を横に振った。 ﹁・・・ニホンゴ・・・﹂ 推奨レベルBラ ボソリとリキが呟く。気になったが、大勢いるここでそれを聞くこ とは憚られ、ごまかすようにジェドを促した。 黒霧の向こう、忘れられた神殿 ﹁それで何て書いてるんだ?﹂ ﹁迷宮No.5 ンク以上。設定はデフォルト、っつーことは﹃遺跡﹄と同じだな。 70%超ダメージで入り口に送還される﹂ ﹁それは僥倖ではないですか!攻略が捗ります!﹂ 副団長が喜びの声を上げる。瀕死になる前に迷宮から離脱出来ると いうのは好条件である。 ﹁・・・本当に﹃創造の大魔法師﹄の迷宮なんスね・・・﹂ ﹁あれ?もしかして俺達を信用してなかったの?﹂ 1099 ﹁そりゃあ、悲しいなぁ。傷ついたなぁ﹂ ロードの驚愕した声にエリオットとジェドはわざとらしく大きなた め息をついた。しかし機嫌が良いことはニヤついた顔を見れば分か る。 ジェド達だけでなく騎士団の面々もこの事実に浮き足立っているよ うだ。 今後の攻略について期待にわく集団を避けて二人になると、リキは 妙な顔をしてよく分からないことを言った。 ﹁予想はしてたんだけどね、なんか急にこうして目の前に現れると 構えちゃうというか・・・﹂ ﹁さっきの操作盤とかいうやつか?﹂ ﹁うん。あれ、私の国の言葉で書いてあったんだ。﹃創造の大魔法 師﹄カウェーラ・ケンタウロスはたぶん私と同じ国のひと﹂ リキと同じ国ということは﹃創造の大魔法師﹄は異世界から来た奴 だったってことか。考えてみれば彼が成し遂げた偉業達は世界の魔 法を変革するものばかりだった。 ふぅんと納得する俺にぎゅうっとリキが寄ってくる。 ﹁・・・・・・なんか少し、怖い・・・﹂ リキの声が震えている。 リキは俺から離れること、特に元の世界に戻ってしまうのではない かという不安に前にも増して怯えていた。元の世界の片鱗が見える と、それが自分を引き戻しに来たのではと恐怖を感じるらしい。今 も操作盤に書かれていた自国の言葉を目にして不安になってしまっ たのだろう。 ﹁大丈夫だ。俺がお前を守るから﹂ 細い身体を抱きしめて、心の底から俺は宣言した。 ﹁何があったって、俺がリキを必ず守る。俺は案外、強いんだぞ﹂ 軽口じみた言葉だが、本気だった。本気でそう思っていた。 1100 俺は慢心していたのかもしれない。 どんなに足掻いても太刀打ちできない圧倒的な力が存在することを 俺は見落としていた。 だから俺は、リキが捕らわれていると分かっていながらも何も出来 なかったあの時のような無力さを、この身で、再び、実感すること になったのだ。 1101 当日 2︵後書き︶ 次回は迷宮攻略と、そして・・・ 1102 当日 3︵前書き︶ 予約日をミスしていました。申し訳ありません。 しかも長いのにあまり進んでません。申し訳ありません。 1103 当日 3 入り口を入ると、仮称・黒霧神殿の一階部分は太い柱が整列する広 い部屋だった。その柱には一つ一つにドアがついている。 部屋の一番奥に巨大な扉があるが、それは開かないことを確認して いる。ジェドリックの見立てではその奥がフロアボスの部屋で、開 けるには対応するアイテムが必要だという。 ﹁それでそのアイテムがこの柱の中にあるってことッスね!﹂ ロードがふんふん、と鼻を鳴らして張り切っている。 ﹁正確に言うと柱の中ではなく、柱の扉から続く異空間にある部屋 ですけどね﹂ エヴァンが言ったとおり柱のドアの先は広い部屋になっていて、各 部屋に何か仕掛けがあるようだ。 柱は20本あったので1チーム数本づつ担当して中を確認すること になった。 ﹁迷宮というともっと迷路みたいな感じだと思ってた﹂ ダンジョン ﹃塔﹄や﹃遺跡﹄は罠と魔物のいる迷路のような通路を通って、最 奥のボスに挑戦するというまさに迷宮といった具合だけあって、こ う言っちゃなんだがこの神殿の意匠は手抜きに見える。 ﹁全部同じような造りだったらつまんねぇだろうが。それにこの時 期のカウェーラ・ケンタウロスは迷宮の設定を丁寧に作り込んでる んだ。壁画を見てみろ﹂ 私の感想にジェドリックが機嫌良く笑って部屋の壁を指差した。 そこには一部が崩れたり薄れたりしているものの美しい絵が描かれ ており、よく見れば、何か物語の一場面のようだった。 ﹁神殿ってことは何かを信仰してる訳で、壁画とボス部屋前の石像 を見れば、その信仰対象がこの天使だと分かる﹂ と示したのは波打つ金色の髪を持つ天使の絵だった。天使は平伏す 1104 人々の前に立ち、神々しい光を放っている。 ﹁この壁画はその天使信仰の伝承だ。人々を苦しめる黒い霧がやっ てきて、それを天使が退けたって感じだろうな。まぁ、ありがちだ な﹂ ジェドリックの言うように壁画は入り口側から物語になっており、 平穏に暮らす人々へ迫る黒い霧、逃げ惑い倒れ伏す人々、天から光 と共に降りてきた天使が黒い霧を退け、そして感謝し平伏す人々の 絵と続いている。 なるほど、と感心して壁画を見上げているのは私だけでなく騎士団 忘れられた かだ﹂ の面々もだ。それに対してジェドリックはさらにニヤリと笑った。 ﹁だが、ここからが本題だ。なぜこの神殿は ﹁・・・あっ、そっか!迷宮の名前は﹃忘れられた神殿﹄だったッ スね!﹂ ﹁壁画に描かれてる話の続きがあるはずだ。この神殿が忘れられる までの出来事が。それがこの迷宮を攻略する為に必要な要素になる。 お前らも扉を開けるアイテムと一緒にその辺も探索しろよ﹂ ﹁・・・うわ、ジェドさんがマトモだ﹁あ?ぶっ殺すぞクソ犬﹂ヒ ィ!﹂ ﹁ジェドは迷宮マニア、特にカウェーラ・ケンタウロスが造った迷 宮のマニアだから﹂ ﹁おいエリオット、テメェも余計な事言うな﹂ ジェドリックは確実に地雷を踏むロードの胸倉を掴んで不機嫌そう にしていたが、私を含め全てのメンバーがロードと同じ感想を持っ ている。 ﹁そういや、さっきの操作盤というのもジェドリックが読んでたよ ね。マニアだから?﹂ さっきは久々に見た日本語に精神を揺らされ反応出来ないでいたが、 ジェドリックはそれをさらっと読んでいた。 ガーウェンが苦笑いを浮かべて答えた。 1105 ﹁それもあるが、ジェドはああ見えて言語スキルが完璧なんだよ。 大抵の言語は1日で話せるようになるし、文字の習得も3日で出来 る。今は廃れた言語とか少数民族の言語にも精通してるぐらいだ﹂ 人は見かけによらずというか何というか。性格さえ抜けば高スペッ ク過ぎである。 ﹁文官庁垂涎の人材だな。推薦しても良いぐらいなんだが・・・﹂ ﹁まぁ、破滅的に官庁に向いてない性格ですからね﹂ 歯切れの悪い団長の褒め言葉にエヴァンが的確に言葉を付け足し、 それは身も蓋もない言い方だが全員納得して小さく唸って黙ってし まったのだった。 ****** 冒険者は2チームに分かれ、騎士と共に迷宮の攻略に挑むことにな った。 戦力等の関係でエヴァン、ロード、ガーウェン、私の4人とジェド リック、エリオット、バードンの3人、それに騎士4人組4班の合 計6班で調査。団長と副団長を含めた残り7名の騎士は交代要員及 び情報の集約と精査を行う役割である。 柱の部屋に入ると、本棚とベッド、簡易的な机と椅子が置いてあり、 誰かの私室といった様子だった。魔物の気配はない。 ﹁さぁ、お宝探すぞー!﹂ とロードが尻尾を振りながら駆けていき、一番にベッドの下を覗く。 それはお宝違いではないか? ジェドリック達やロードだけでなく、騎士達も迷宮攻略に意気揚々 1106 と挑んでおり、ガーウェンも例にもれずウキウキわくわくという表 情で張り切っている。ソーリュートの男共はみな似たような気質な のかなと思い、少し楽しい。 ドア側を除いた三方の壁には額に入った絵が飾られており、額の下 の壁には何かを置けるような窪みがあった。よく見ればドアの上に も同じ窪みがある。 質素なこの部屋の雰囲気に合わないそれに違和感。ガーウェンもそ れが気になるようで覗きこんでいる。 ﹁ここに何か置けるようになってるな﹂ ﹁何かな?絵と関係があるのかな?﹂ こういう謎解き系ゲームは弟が得意なのだが、私はやっているのを 後ろで見ていた程度なので勝手が分からない。でもこの窪みはあか らさま過ぎて怪しい。 ドア正面の壁には海、右側に木、左側に空の絵がそれぞれ飾られて いる。 ﹁海といえば船だが・・・﹂ ガーウェンは本棚に置いてあったボトルシップをそっと持ち上げ、 首を傾げた。私も同じように首を傾げる。 ﹁ヒントが足りないよねぇ﹂ ﹁ヒントになるかは分かりませんが、この部屋の人は神官みたいで すね。本棚に宗教関連の本がたくさんありました。机の上には日記 が﹂ 本に視線を落としながらエヴァンが言った。 ﹁何て書いてるんスか?﹂ ﹁おい、人の日記を勝手に読むなよ﹂ ﹁何言ってんスか、ガーウェンさん!そんな甘い事言ってたら謎が 解けないでしょうが!﹂ 甘いとかそういう問題じゃねぇだろ、とガーウェンは苦い顔をする。 ﹁大丈夫です。表題は日記ですけど内容は日記じゃないですね。ジ 1107 ェドの言い方を借りれば迷宮を攻略する為の要素、でしょうか﹂ とエヴァンが本をみんなに見えるよう広げた。ページには あか ﹃緋い。見てはいけな、崩れ。霧が。﹄ と書いてあった。 ﹁どういう意味ッスか?﹂ ﹁分かりません。でもこういう断片的な情報を集めて謎解きの足掛 かりにするんじゃないですか?﹂ エヴァンが肩を竦めて、ジェドにでも聞きましょうかと続けるとロ ードが叫んだ。 ﹁だめッスよ!そんな事したら一生言われるし!バカにされるし!﹂ うわぁ!と悲嘆の声を大袈裟に上げてロードがベッドに倒れ込む。 と同時にどこからかカタンッと何か落ちた音が聞こえ、私達は顔を 見合わせた。 ﹁・・・どこかに何か落ちた?﹂ ﹁ベッドの下からだった!﹂ 耳の良いロードが喜び勇んで床を這って、ベッドの下に手を伸ばし た。尻尾は風を切る音が聞こえるほどにぶんぶん振られている。 ﹁・・・ん、取れた!けど何スか、これ。木彫りの鳥?﹂ ロードの手の中にあったのは小鳥の木彫り像だった。みんなで一様 に首を傾げる。まったくわからん。 ﹁ベッドに乗るとこれが落ちる仕掛けだったんだね。手が込んでる。 他にも似たような仕掛けがあるかも﹂ ﹁もう一度調べてみましょう・・・そういえば、これは不自然です よね?﹂ 思いがけない仕掛けに再び部屋を見回すとエヴァンが本棚の違和感 に気付いた。言われて見てみると、本棚には本がぴっちりと隙間な く収められているのに一冊分だけ不自然に空いていたのだ。その両 側の本は固定されているらしく動かせない。 1108 ﹁この隙間に何か入れるんだろう。まぁ、十中八九その日記だろう な﹂ とガーウェンはエヴァンの持つ本を指さす。エヴァンがそれに頷い て本を隙間に差し込んだ。 カチッと何か作動する音が聞こえたかと思うと、本棚上段の本が数 冊勝手に落ちてきた。ちょっと驚いた。 ﹁本の後ろに隠し扉があったようだ。なんか入ってる﹂ 入っていたのは手紙とオレンジ色の宝玉だった。 お宝だ!と騒ぐロードを抑えながら、三人で手紙を読む。 ﹃君は見ただろうか。夕日が水平線に沈み。 君は嘆いただろうか。星が降った森は。 君は望んだだろうか。船は雲を越え。 君は分かるだろうか。私が飛び立つ理由が。﹄ ﹁これが絵と置物のヒントだね﹂ ﹁夕日ってことはオレンジ色のこの玉か。海の絵にはこの玉が対応 すんのか﹂ 宝玉を海の絵の下の窪みへ入れるとズズッと下面が少し沈み込んだ。 当たりのようでガーウェンがふふんと得意気に笑う。かわいいです。 ﹁ボトルシップは空の絵。小鳥は・・・扉ですかね﹂ エヴァンが絵に対応した置物を次々置いていく。二つとも当たって たみたいだ。 ﹁木の絵には星だよね?星の形の物なんかある?﹂ ﹁全然見つかんないよ!﹂ 部屋を調べても木の絵に対応するはずの星の形の物が見つからない。 ロードと二人、首を捻って、うーんと唸る。 ﹁これじゃないか?﹂ とガーウェンが手に取ったのは壁に掛かっていたランタンだった。 1109 簡素な何の変哲もないランタンのようだが、魔力を通して灯りを点 けるとガーウェンが正しいと分かった。 ランタンの灯りの中に星形の影が浮かび上がったのだ。 ﹁すごい!よく見つけたね!﹂ ﹁まぁな。なんか怪しいと思ってたんだよなぁ﹂ 褒めると嬉しそうにニコニコするガーウェン。かわいいです! ﹁リキ、これ置いてみろ。何か起こるかもしれねぇから俺は警戒し とくから﹂ そう言って自分の手柄を私に譲ってくれるガーウェンに背後を守ら れながら、ランタンを最後の窪み、木の絵の下に設置した。 ズズッと下面が少し下がると呼応するようにドアの一部が隠し戸と なり、開いた。瞬間、淀んだ空気が流れ込み、不穏な気配が部屋に 充満する。 ﹁何かくるぞ!﹂ ガーウェンが私を引き寄せ、叫ぶ。 ガタガタと部屋の中が揺れる。いや違う!家具だけが大きく揺れて いるのだ。 地鳴りのような低い呪詛が部屋に響く。何体もいる黒いもやもやが 発している声だ。 揺れは激しくなり、家具が暴れ狂いながら私達に襲いかかった。し かし結界に阻まれ、無残に大破して威力をなくす。 ﹁ゴースト3体にファントム1体ですね﹂ ﹁雑魚じゃないッスか﹂ エヴァンが即座に聖浄化魔法を詠唱し、発動させた。 爽やかな風が部屋を駆け、もやもやとした黒い影が苦しみの断末魔 を上げながら消滅する。 はいはい雑魚雑魚とロードはドアに向かい、隠し戸の中にあった何 かの欠片を手に取った。 1110 ﹁さっ!次行こ、次!次はこんな面倒な仕掛けのやつじゃなくて戦 うのがいいなぁ!﹂ ﹁そうだな。もっと身体を動かしたいもんだな﹂ ロードに同調してガーウェンが頷く。脳筋二人の意見にエヴァンが 呆れてため息をついた。 ﹁この分だとジェド達以外の他の班も似たような感じかもしれませ んね﹂ ﹁騎士達も謎解きより戦う方がいいって言うのか?﹂ そんなことはないでしょ、と続けようとしてガーウェンと似たよう な表情でウキウキわくわく張り切っていた騎士達を思い出し、口を 噤んだ。 ****** エヴァンの懸念の通り、他の班も概ねロードと同じような意見らし く、知恵を絞って謎を解くより、手強い魔物と思いっきり戦いたい と言うことのようだ。 難しい謎解きを早々に諦めて、他の部屋を回る班もいたようで、未 探索の部屋はなくなっていた。だが探索完了した部屋は少ない。 情報を集約していた副団長が困った顔を見せた。 ﹁成果はいまいちです。お恥ずかしい事ですが、騎士団の班があま り機能していないのが原因です。モンスタートラップの部屋なら簡 単に突破できるのですが、謎掛けのある部屋に難儀していまして・・ ・。今、団長がそれを解きに行っています﹂ なんと団長が出動する事態になっているようだ。 1111 戦利品である青色の玉の欠片を副団長に渡しながら、ロードが不満 を漏らした。 ﹁うえー、他の部屋も仕掛けがあるのー?俺もうやりたくないッス よぉ﹂ こっそりと若い騎士が何人も同意しているのが見える。 ﹁犬は脳みそスカスカだから、謎解きは難しいよねー﹂ ロードの影が揺らいだかと思うとエリオットが背後に現れ、ロード の尻を蹴り飛ばした。 ﹁いたっ!なんで蹴るんスか!﹂ ﹁役立たずが進路妨害してるから邪魔だなと思って﹂ ﹁ひどいッス!ちゃんと謎解きしたし!何か分からないけど、たぶ ん重要なものも手に入れたし!﹂ と言って欠片を指差し、エリオットに食って掛かるロードは若干涙 目である。 脳みそスカスカ、役立たずという言葉が地味に効いているようだ。 ﹁お、これで片目が完成したな﹂ ジェドリックがその青色の欠片を取り上げ、自らが持っていた同じ 色の欠片と合わせた。するとその欠片はくっつき、一つの宝玉に変 わった。 ﹁あの・・・片目ってなんですか?﹂ 服団長が恐る恐るジェドリックに尋ねると、呆れるような顔をした。 ﹁お前ら目的も忘れたのか?ボス部屋の鍵を開ける為のアイテムだ ろうが。ドア前の天使像にはめるんだよ﹂ ﹁えっそうなんスか?﹂ ﹁えっお前らってそんな馬鹿なの?あの天使像には瞳がなかったじ ゃん。壁画とか資料とかに天使の瞳は青色ってあったし、青色の宝 玉の欠片が見つかれば、それと関係あるってすぐ分かるじゃん。分 からないの?逆に何なら分かるの?﹂ ぐりぐりとロードの腹に拳をめり込ませながら、エリオットが淡々 と詰め寄っていく。 1112 誰もが視線を逸らして気まずそうにしているのは、ジェドリックと エリオット以外それが分かっていなかった為であろう。斯く言う私 もそうなので、気配を薄めて誤魔化している。 ﹁揃って何をしている?部屋の攻略はどうした﹂ ﹁団長!お疲れ様です!﹂ そこへ団長が戻ってきて、皆ほっと息をついた。 ﹁状況は?﹂ ﹁はい!現在、ボス部屋の鍵と思われる天使像の瞳が片方完成しま した!・・・あ、いや、ジェドリックさん達が完成させました・・・ ﹂ 最後の方はジェドリックに睨まれて追加された言葉である。 ﹁天使像の瞳?﹂ ﹁アンタのとこの部屋でこんな青色の玉の欠片を拾わなかったか?﹂ ジェドリックが青色の欠片を見せた。 もうひとつ発見していたのか、感心する。やはり能力だけはある。 ﹁ああ。それならあった。これが瞳になるのか?﹂ ﹁おお!﹂ 団長が取り出した最後の欠片に歓声が上がる。 ﹁ジェ、ジェドさん!早く!早くはめて!﹂ ﹁気持ち悪りぃ声出すなよ、クソ犬が。テメェはスケルトンにでも ハメられてろ﹂ フロアボスと戦えることへの期待に興奮しているロードを鬱陶しそ うにジェドリックがあしらった。 ﹁ボスの前にまず情報の整理だろが。そして作戦会議と戦闘準備。 それからボス戦だ﹂ ﹁ええっー!!ジェドさんがマトモなこと言ってる!﹂ ﹁おい!そのバカ犬を追い出せ!突っ込むしか能の無い低脳が!﹂ この場ではジェドリックは冷静で至極正論を言っているのに、ロー 1113 ドの感想に賛同してしまうのは仕方ないんじゃないかな。 1114 当日 4︵前書き︶ 遅れてすみませんでした。 1115 当日 4 扉がゆっくりと開き、ボス部屋に続く廊下が現れた。 やけに高い天井に甲冑の鳴る音だけが反響する。一団には会話はな い。しかしその表情は一様に不敵な笑みを浮かべいた。 いい緊張感が一団の結束力を高めている。 廊下の突き当りには、石造りの重厚な扉。その表面には鳥型の魔物 の姿が彫ってあった。 決まりだな、団長の声に熱気が高まった。 ボスに関する情報は柱の部屋に散らばっていた切れ端の言葉を繋ぎ 合わせてジェドが予想を立てた。 毒と石化の状態異常を持つ鳥類型の魔物、コカトリスではないか。 ジェドの言葉には説得力がある。道中あれだけ好き勝手して雰囲気 を悪くしながらも、迷宮攻略においてジェドは圧倒的知識を持ち、 冷静な判断ができると皆、実感したからだ。 コカトリスは脅威のある魔物じゃない。 ﹁ま、それだけじゃねぇ、何か仕掛けがあるのは確かだな。だがそ れは俺が受け持つからお前らはボスを殺れ。簡単だろ﹂ ジェドの不遜な態度にも安心感がある。 ﹁これよりフロアボスの攻略を開始する!﹂ ﹁応ッ!!﹂ 鬨の声が高らかに響く。 隊の中央付近に位置していたリキを振り返って見ると、視線に気付 いたリキはニコッと微笑んで口を動かした。 ︵頑張ってね。気を付けて︶ そう読めて、頷くことで答えを返した。 1116 魔力の補充は十分に済んでいる。リキの応援もある。何よりリキが 近くにいてくれる。 負けらんねぇな! ボス部屋は半円形の大きな洞窟だった。壁や天井のゴツゴツとした 岩肌には見たことないぐらい太い植物の蔦が這っている。葉も大き く、大人三人ぐらい雨やどりできそうなほどだ。 天井の真ん中に穴が開いており、青い空が見えていた。 入り口の目の前にまた天使像があった。その瞳は青色ではなく、緋 色である。 ﹁この宗教じゃ、黒い霧と緋色は魔物の象徴らしいな﹂とジェドが 言った言葉が頭に浮かんだ。ではこの天使像は敵なのか。 ﹁仕掛けを作動させる!全員、警戒態勢!﹂ 団長の指示に男達は一斉に武器を構える。 ジェドが緋色の眼の天使像に近付き、台座に触れた。 一瞬の静けさの後、けたたましい鳴き声が洞窟内に轟いた。 ギャアギャアギャギャッ!! ﹁やはりコカトリスか!﹂ その姿を確認しようと鳴き声が聞こえた洞窟の奥の暗がりに眼を凝 らす。 縦に二対並んだ丸い緋色の瞳が爛々と光っていた。がなぜか輪郭が はっきりとせず、全貌が把握できていない。 ﹁ロード!右奥の台座の紋様を確認して来い!﹂ と叫んでジェドが左へ走る。遅れて、文句を叫びながら言われた通 り右へ走り出したロードに向かって暗がりから黒い霧が吹き出した。 いや、霧のように見えたのは瘴気の塊だった。見ればそれは瘴気を 1117 纏い、全容を隠した魔物だったのだ。瘴気は己の本性を悟られまい とゆらゆらと姿を、鳥、鹿、猪、狼と次々変化させる。 ﹁おそらくあの瘴気を纏ってるときは攻撃が効かない。無敵モード だねっと!﹂ 言いながらエリオットが槍を投擲した。 槍は黒霧に刺さらず、そのまま反対側へ通り過ぎる。しかしロード を追っていた視線はこちらに向けられた。 ﹁ジェドが無敵モードを解除する方法を見つけるまで、アレの気を 引くよ!﹂ ﹁了解!第一班、詠唱開始!﹂ エリオットが走り出すと共に、騎士の詠唱が始まる。すぐに完了し、 一瞬の溜めのあと団長の掛け声と同時に複数の攻撃魔法が黒霧の魔 物へ飛んでいった。 魔法の矢は吸い込まれるように黒い霧に当たったが、ダメージがあ あか る様子はない。 しかし四つの緋い眼を持つ黒霧の魔物は激昂し、咆哮をあげながら、 猪の姿となって俺達に突っ込んで来た。 ﹁こちらに来るぞ!盾整列!合わせてスキルを発動しろ!﹂ ﹁3、2、1!スキル発動!﹂ シールド ﹁︻ブレイブガード︼!﹂ 一斉に発動した盾スキルで黒霧の魔物は弾かれ、大きく態勢を崩し た。 ﹁頭上に注意!もう1体、いや2体来ます!﹂ エヴァンの声に視線を上に走らせる。 天井に空いた穴から黒い霧を纏った魔物が飛び降りてくるのが見え た。 ダメージを受けない魔物が3体も。マズい! ﹁ジェド!!まだか!?﹂ 両手に剣を構えながら叫ぶ。 1118 ﹁うるせぇ!あと少しだ!!早く来い、クソ犬!﹂ ジェドの怒鳴り声が洞穴内の奥から聞こえる。それに反応するよう に、天井の穴から降り立った魔物の1体がジェドのいる方へ緋い視 線を向けた。 出し惜しみなんてしてられない状況だ! ﹁︻刺突雷︼!︻火炎槍︼!エリオット、バードン!ついて来い!﹂ 魔物の背に雷を一直線に撃ち込み、続けて火炎の槍を投げ刺す。 黒霧の魔物たちの注意を引き付け、時間をかせがないと。 ﹁1体は私とリキさんで足止めします!﹂ 先ほど態勢を崩した魔物の周囲に水の渦が現れ、魔物の動きを阻害 している。 ﹁盾整列!第二班、詠唱開始!﹂ ﹁近づき過ぎるな!攻撃を貰うな!﹂ 団長の号令が飛ぶ。 相手戦力を分散させるため、俺達三人で魔物に魔法を当てて引き付 け、騎士団から距離を離していく。 人使い荒いッスよぉ!とロードが叫びながら、魔物の横を走り抜け、 そのまま入口の扉を駆けあがって岩壁に埋もれるように設置されて いた天使像の台座に手をかけた。 ﹁うおりゃぁああ!!これで最後ッ!!!﹂ キラッと台座の一部が光ったかと思うと、光線が一直線に洞窟の奥 に照射された。 洞窟の奥には同じに天使像が設置してあり、そこに光が届くと別方 向に光線が向かっていく。そしてもう一体の天使像にも同じように 光が届き、入口上に設置されていた天使像へ光線が戻ってきた。 洞窟内に光の線による三角形が出来上がり、光が満ちる。浄化の光 が。 1119 ギャアアアアアアアア!!! 黒霧の魔物の叫び声が洞窟内にこだまする。 緋色の瞳の天使像が崩れ落ちて、魔物の纏っていた瘴気が消え失せ た。 鳥の身体と毒蛇の尻尾。コカトリスである。 ここからが本番だ! ****** ﹁もー!雑魚が多すぎ!!﹂ ロードが駆け回りながら、喚いている。俺も喚きたい気持ちだ。 瘴気が晴れたコカトリスにはダメージが入るようになり、倒すのも 時間はかからないだろうと思っていたが、コカトリスの特性は眷属 の召喚だったのだ。一鳴きする毎に3メトルある大蛇とリキの身長 ほどの凶暴な鶏がわらわら湧いて出てくるものだから鬱陶しくて敵 わない。 それでも1体は倒したので、あとはコカトリス2体と大蛇とデカ鶏 がたくさん。 ﹁雑魚よりコカトリスに集中しろ!ロード、エヴァン、リキで雑魚 を殺れ!残りでコカトリスを沈めるぞ!﹂ ジェドの得意武器である斧がコカトリスの胴体に叩き込まれた。普 通なら両手じゃないと持てない大きさの斧を片手で軽々と振るって いる。コカトリスの羽毛は鋼鉄並の強度であるが、ジェドの強烈な 1120 一撃に態勢を崩し地面に倒れこんだ。好機と見て突っ込む。 隣にいたエリオットの姿が掻き消え、コカトリスの影から出現した。 そして槍を振り下ろし、鳥の頭をぶん殴る。 ﹁バードンは尻尾を捕まえとけ!﹂ 高笑いするエリオットの無茶な要求にもバードンは素直に従って、 毒蛇の頭を脇に抱えて押さえつけた。大蛇が大きくうねって暴れる。 いいように使われているなぁと思うが、俺もそれに便乗して鳥の方 に剣をぶち込んでいく。 あともう少しで倒せる! 油断はなかった。 だけど唐突に出現したそれに誰も対応することは出来なかった。 騎士団の戦列が瓦解する。 ﹁っ!背後から攻撃!茨のような触手だ!﹂ ﹁盾はそのままコカトリスに対応!第一班、目標を新規敵に!撃て ぇ!・・・詠唱開始!﹂ ﹁第二班、盾展開!スキル発動!負傷兵を中央に集めろ!﹂ 前面のコカトリスを抑えながら、崩された後列の立て直しを即座に 行う手腕はすごい。 しかし一撃は痛烈過ぎた。 ﹁エヴァン!バードン!騎士団のフォローに行け!﹂ いち早くそう叫んだのはジェドだった。エヴァンが抜ければ周囲に 残っている雑魚敵はリキとロードで処理しなければならない。 1121 視線を走らせ、それを見た。 リキの背後に見慣れぬ男が立っている。 瞬間走り出していた。あの男からは恐ろしい気配が発せられていた。 頭の中で警鐘がガンガン鳴り響く。 コカトリスが大きな鳴き声を上げた。どこからともなく大蛇と巨大 鶏が湧いてくる。 雷撃をばら撒き、雑魚をふっ飛ばして道を開いたが、そこにコカト リスが緋い眼を爛々と輝かせていた。 ﹁クソっ!邪魔だ!﹂ リキの身体に茨が巻き付くのが見える。リキの顔が苦痛に歪む。ク ソが!!リキに触んじゃねぇ!! ﹁ガアアアアッッ!﹂ 青黒い肌の巨大な鬼が突如現れ、轟音のような叫び声をあげながら 正面のコカトリスに組みついた。 4メトル近くあるその大鬼には見覚えがある。鬼族の血が混じるジ ェドが保有するスキル︻鬼性解放︼と︻狂鬼変化︼により鬼族の特 性を限界まで引き上げた姿だ。 身体に負担が掛かり過ぎるため、よほどの事がない限り使用するこ とがなく、俺も見たのは二回目だ。 ﹁行け!ガーウェン!﹂ しゃがれた怒鳴り声に弾かれるように駆けた。 ジェドの背中を駆け上り、肩を蹴ってコカトリスの巨体を越える。 着地の衝撃を完全に殺すことができず、転がるように再び走り出す。 雑魚共が進路を塞ぐ。邪魔だ!剣を構える前に横からエリオットが 駆け抜けていった。 ﹁︻一牙一砕・風切︼!!﹂ 1122 槍を前に構え突っ込んでいくエリオットから周囲を切り裂く風の刃 が発せられ、道が開ける。 走る。真っ直ぐに走る。 茨の触手が地面から生え、俺に迫る。 しかし俺に近付く前に、弾かれた。結界。苦しそうなリキは俺を見 ている。 リキはこんな時でも俺を守ってくれるのか。 何回も何枚も、茨に結界が壊されるたび、リキは俺に結界を掛けて くれる。 今行く。今すぐ助ける。やめろ、リキを傷つけるな。 邪魔する茨を切り飛ばし、爆炎で燃やし、それでも茨が多すぎてリ キに近付けない! リキの身体がガクッと傾いた。 魔力を消費しすぎたのか。 ﹁リキ!!!しっかりしろ!!﹂ 必死に名を呼ぶ。 守るって。 必ず守るって。約束を。 男の後ろに魔法陣と白い扉が出現した。 それに嫌な、すごく嫌な予感が。 茨がついに俺を捕らえた。リキが呼んでる。助けてって叫んでる。 茨の棘が深く刺さり、血が流れる。 ﹁リキっ!!!!﹂ 地面に押さえつけられながら、もがいて、爪が剥がれて。 ﹁やめろぉぉぉぉぉおおおお!!!!!!!﹂ 1123 白い扉が、開いて その奥に、暗闇が広がるその奥に、 リキが、 リキが、 ﹁リキーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!﹂ 呼び声は扉に阻まれた。 1124 当日 4︵後書き︶ ◇◇◇ 茨の触手は消えたものの混乱はまだ続いていた。負傷者が少なから ず出ている。増えた雑魚はロードとエリオットで対応しているが、 コカトリスを一人で抑え込んでいるジェドの消耗が酷い。 だから、これは私の役目だと。私が言わなければならないと思った。 ﹁ガーウェン!戻ってください!ジェドが危険です!﹂ 地面に膝を付き、俯いたまま動かないガーウェンへ声を張り上げる。 どんな酷なことか。そんな精神状態でないことは分かっている。し かし。 ﹁ガーウェン!早くしてください!﹂ いっそ怒鳴り返してくれれば、私の罪悪感も薄れたかもしれない。 だけどガーウェンはそんな奴じゃない。愚かなくらい優しい奴だと、 知っていた。 すぐに火炎がジェドと組み合うコカトリスに撃ち込まれる。 立ち上がったガーウェンの顔からは表情が抜け落ちていた。 ガーウェンが復帰してくれた後、戦場は安定し、さほど時間も掛か らずボスを倒すことができた。しかし動揺は広がったままだ。 ﹁どういうことだ?﹂ そう尋ねてきたのは騎士団の団長だった。 ・ 副団長もロードを不安気な顔をして、ガーウェンを窺っている。ガ ーウェンはただじっと、扉があった場所を見つめていた。 1125 だから、これは私の役目だと。私が言わなければならないと思った。 ﹁彼女は・・・・・・リキさんは強制転移させられたのだと思いま す。・・・自分の生まれた世界に﹂ ガーウェンの手は血が滴り落ちるほど、強く、握りしめられていた。 1126 黒い霧の中 1 黒い霧の先にぼんやりした光が二つ見えた。﹃黒霧神殿﹄の入口だ。 入口には騎士が二人立っていた。俺を見て哀れむような目をしたが、 声をかけてくる事はなかった。 俺も何も言う事はなく、神殿の中へ向かう。 あれから、リキが扉の向こうに消えてから、二週間が経っていた。 ﹃黒霧神殿﹄の中は外の瘴気が嘘のように清廉な空気が満ちていて、 しんと静まっている。 騎士団による攻略は現在、中断されていた。二週間前の攻略作戦中、 正体不明の敵により攻略メンバーの一人が、しかも上位ランクの冒 まち 険者が攫われたという事件はソーリュートの人々に衝撃を与えた。 人を一人強制的に転移させることが出来る脅威が、都市に近い場所 に存在するという事実は未だ住民に驚愕と不安をもたらしている。 だが、そこまで混乱がないのはソーリュート管理区長であるクナ侯 爵の手腕の賜物だろう。 今の俺にはどうでもいい事だが。 俺はこの二週間、この迷宮に籠って、あの男を捜していた。 リキの背後にいた、リキを攫った張本人であるあの男。 見覚えはなかった。それにリキを扉の向こうへ連れ去ってから姿を 見ていない。何としても奴に会わなければ。 奴が何者かとか何が目的かとかは必要ない。ただ。 1127 ただ、リキは無事でいるのか。それだけを問いたい。 エヴァンが予想した通り、元の世界に帰っていたとしてもいいんだ。 無意識に左手首に手を当てた。そこにはお揃いにしていたブレスレ ットはない。魔力を使えば相手の、リキの居場所が分かるあのブレ 何か を予感させるその出来事に不安と恐怖 スレットは、リキが攫われたあと粉々になって壊れてしまったのだ。 まるでリキの消息の で心臓が張り裂けてしまいそうだった。 フロアボスの部屋は変わらず天井の穴から陽光が降り注いでいた。 ﹃塔﹄や﹃遺跡﹄といった大魔法師が造った他の迷宮と同じで、一 度ボスをクリアすると次のフロアへ行くことができ、帰る時もボス 部屋から迷宮入口へ転移出来る設定のようだ。 見回しても変わったところはない。奴の気配もない。 もっと深くまで潜らないと。奴の気配の切れ端でも掴まないと。 ****** 5階のフロアボスを倒して、一息付く。 思ったより攻略が進まない。つくづく俺は謎解きには向いていない と感じる。フロアボスを倒すより、フロアボスの部屋の扉を開ける 方に時間がかかっているのだ。 この迷宮だけが、この迷宮にいるだろう男だけが、リキに繋がって いる。 そう信じて、そう信じることで、俺はまだ進んで行ける。 なのに、自分の不甲斐なさですんなりと進めないでいる。焦りばか 1128 りが募って、苦しくなる。 ﹁・・・・・・違うよな。たぶん今、一番苦しんでるのはリキだよ な・・・﹂ 天井を見上げて、小さく独り言ちた。 細い指を絡ませ、離れまいと強く手を握ったリキ。強いようですご く弱いリキ。 会いたい。どこにいるんだ。会いてぇよ。 次のフロアへ続く扉が開いて、男たちが入ってきた。思わぬところ で知り合いに会い、驚きの声が出る。 ﹁ジェド!エリオット!姿が見えねぇと思ったらここにいたのか?﹂ 攻略作戦後、二人は姿を消していた。元々世界中を転々としている ような奴らだったから、またどこかへ行ったのだろうと気にしてい なかったが、良く考えればこいつらが迷宮攻略の中断を易々と了承 するわけがなかった。 ﹁ここはソーリュート騎士団以外立ち入り禁止だぞ?﹂ ﹁・・・お前だって入ってるだろ﹂ ﹁あー、まぁそうだな﹂ エリオットの反論に頭を掻く。俺も警備をする騎士達の哀れみを利 用して、堂々と違反をしているからこいつらを責められないか。 しかしこういう時に一番絡んでくるはずのジェドがなぜか顔を背け ているままだ。どうしたのかとよく見ると、額の右側から太い角が 伸びているのに気付いた。 ジェドにはそんな角はなかったはずだが。 ﹁ジェド、それどうしたんだ?﹂ ﹁スキル使い過ぎの副作用だってさ﹂ ﹁エリオット、余計な事言うんじゃねぇよ﹂ 1129 エリオットを責めるようなジェドの声は普段と違って、少ししゃが れている。不機嫌そうな表情のジェドがこっちを向いた。身体の右 側にまだ︻狂鬼変化︼の名残があり、腕もアンバランスな太さだ。 副作用の事はジェド自身、分かっていたはずだ。それでも俺をリキ の元へ行かせるため、躊躇わずにスキルを使用してくれたのか。 なんとも言えない気持ちでジェドを見つめると、非常に嫌そうに顔 を歪めた。 ﹁見てんじゃねぇ。だいたい俺がこんなになるまでやってやったの に、リキを連れ去られやがって﹂ ﹁・・・そうだな。すまなかった﹂ ジェドやエリオットのサポートを受けていたのに、俺の自力が足り なくてリキを連れ去られてしまった。 俺は自分の不甲斐なさからいつもリキとの約束を破ってしまう。リ キを大事にするという約束を破って、リキを傷つけてしまった事も あるし、今回だってリキを必ず守ると約束したのに破ってしまった。 ﹁本当に情けない男だな、俺は・・・﹂ 好きな女も守ってやれないなんて。 ﹁しっかりしろよ﹂ ドン、と胸に拳が当てられる。エリオットが真剣な顔でじっと俺を 見ていた。 ﹁お前がそんなんじゃ誰がリキを救うんだよ。落ち込んでんじゃね ぇ﹂ ﹁・・・おう﹂ ﹁じゃあ、とりあえず街に戻って飯でも食おう。どうせ碌なもん食 ってないんだろ?﹂ 最悪な顔してる、と言われて、ここ数日食事もまともに取っていな かったことに気が付いた。 しかし今は時間が惜しい。 1130 ・・ ﹁いや、俺は、﹂ ﹁アレはこの迷宮には関係ない﹂ 断ろうとした俺にジェドが静かに告げた。 ﹁10階まで潜ったが、アレと迷宮の関係を示すものはなかった。 アレがあの時ここにいたのは偶然だろう﹂ ここを探してもアイツに会える可能性は低い、とジェドは言う。指 先が冷えて、全身に震えが沸き起こった。 ﹁なら・・・・・・﹂ なら、リキを、リキの居場所をどうやって探せばいいんだ。どうや ってリキを取り戻せばいいんだ。 リキに繋がるものがなくなったら、俺は、俺は何に縋ればいい? 左手首を掴む。ブレスレットは壊れてしまった。俺とリキを繋ぐも のが、なくなっていく。 俺とリキの絆が、なくなって︱︱︱︱︱︱ ドスッ、と胸を拳で殴られた。ジェドが恐ろしい顔で睨んでいる。 ﹁だから、そんな顔してんじゃねぇよ。全部が全部途切れた訳じゃ ねぇんだ。あの時ここにいたのは偶然かもしれねぇが、アレにもこ こに来た理由があるはずだ。それが分かればリキを取り戻すことが 出来るかもしれない。いや、必ず取り戻すんだろーが。テメェの女 だろ。テメェがやらねぇでどうすんだ。そうだろ?﹂ ジェドもエリオットも真剣な目で俺を見ていた。強い、泥臭くも生 きる為の力に溢れた強い視線。信頼と期待が籠った強い視線。 ﹃全部が全部途切れた訳じゃない﹄ グッと心の奥から熱い何かがせり上がり、鼻の奥をつんとさせた。 そうだ。俺とリキの全部が途切れた訳じゃない。 今までの思い出も、出会った時からの気持ちも、貰った優しさや温 1131 もりも何もかも全部。未だ俺とリキの間にはたくさんの温かくてき らめく絆が繋がっている。 それは俺がリキを愛する限り、リキを諦めない限りずっと途切れず ここにあるものなのだ。 俺がしっかりしねぇと。俺は、俺がリキの夫なのだから。 ﹁二人ともありがとうな﹂ 心の底からそう思い、真面目に言ったのに、途端に二人は顔を歪め て、 ﹁気持ち悪りぃ﹂ と吐き捨てるように言いやがった。 ﹁おい、ここはそういう雰囲気だったろーが﹂ ﹁テメェみてぇな野郎にしおらしくされても気持ち悪いだけなんだ よ、死ね﹂ ﹁なんか身体が冷えたわ。酒でも飲んで身体温めなきゃ死ぬわ。帰 ろ帰ろ﹂ ﹁テメェら・・・・・・﹂ ちょっとでも感心して感謝した俺が迂闊だったのか。 しかし、憎まれ口を叩きながらも二人は転移を使わず一階づつ見回 りながら戻っていった。ジェド達がこの迷宮に潜っていたのは、俺 と同じであの男の痕跡を探すためなのだろう。 何も言わないが、言ったとしても憎まれ口だろうが、二人は確かに 俺の味方で、諦めない為の力になっていた。 ****** 1132 一階まで戻ってきて、フロアボスの部屋に着くと何か不可解な気配 を感じた。 ジェド達に視線を向けると、奴らもそれを感じたようで鋭い眼を部 屋内に走らせていた。 ﹁・・・アイツか?﹂ ﹁どうだろうな。こう都合よく現れるとは思えねぇが﹂ ﹁でもこのタイミングで出てくる奴は関係ないと言えないと思うけ ど﹂ 剣を構え、部屋の壁に沿いながらゆっくりと移動した。 中央には天井の穴から降り注ぐ陽光が地面に円を描いている。 その光の中に影が落ちた。 巨大な、影が。 土埃を舞い上げながら、巨大な魔物が光の中を降りてくる。 大きな翼も長い尻尾も太い爪も、全身が紫水晶のような輝きを放つ その魔物は、見間違うことなく地上最強の生命体、ドラゴンだった。 ﹁・・・古代龍だ﹂ ジェドが視線を逸らさぬまま、囁くように呟く。古代龍は確かドラ ゴンの中でも魔力高いドラゴンだったと思う。 古代龍がこちらを見た。紫色の瞳と視線が合っただけで、身体が重 くなるような圧迫感を感じた。 ﹁おお、冒険者か。この迷宮を攻略しに来たのか?﹂ ドラゴンから聞こえた声は思っていたよりだいぶ若い。もしかした ら若いドラゴンなのかもしれない。 リーオという龍らしからぬ龍を知っているが、あれは特例であり、 多くのドラゴンは他種族とあまり交流を持とうとしない。それがこ んなにも気易く話しかけてくるという異常さに俺達は自然と身構え た。 1133 このドラゴンは何を考えているのか。なぜここにいるのか。 ﹁・・・ん?ああ、そうか。お前達にはこの姿の発する魔力は少々 辛いのだな。うん、今、姿を変えてやろう﹂ 黙っている俺達に何を勘違いしたのか、ドラゴンは機嫌良さそうに 喉を鳴らした。 そして、ドラゴンの身体が眩い光りに包まれ・・・。 ﹁うん、これでよいだろう?﹂ 長髪の美丈夫。肌が白い以外はすべて紫色で包まれた若い男。 その姿は、忘れようもない、あの日、リキを扉の向こうへ連れ去っ て行った、 咆哮が、俺の喉から迸った。 1134 黒い霧の中 2 ﹁てめぇぇぇええええっ!!!!﹂ 身体に残るリキの魔力を全て使い、火炎と雷撃を現れた憎き敵に打 ち込む。さらに剣をぶち込んでやろうとしたところでエリオットに 押さえ付けられた。 ﹁待て待て!落ち着け!﹂ 落ち着いてられるか! 目の前にリキを、俺からリキを奪った奴がいるんだぞ! ぶっ殺してやる! ﹁ガーウェン待て!確認する事があるだろーが!﹂ 背後からエリオットに、前からジェドに押さえ付けられているが、 逆巻く憎悪と殺意は抑えられず咆えるように叫んだ。 必ず殺す、と殺意を咆える。 ﹁その者はどうしたんだ?﹂ 俺が放った渾身の魔法は男が手を軽く払うようにしただけで、跡形 もなく消え去った。魔法など意にもかけず、ただ俺が放つ憎悪の言 葉に困惑している。 力の差があり過ぎる。 だが、それがどうした! ﹁アンタ、二週間前ここで女を攫っただろ。女はどこだ?﹂ ジェドの言葉に少し冷静になった。 そうだ。今、重要なのは俺の憎悪と殺意をぶつけることじゃねぇ。 リキが無事かどうか。 それだけが一番問いたい事なのだ。焼き切れそうなほど沸き立つ心 1135 と頭の中に冷静さを必死に手繰り寄せ、男を睨みつけ言葉を待った。 ﹁女を攫った?﹂ わたりびと ﹁黒髪の女だ。ここを攻略していた騎士達の中にいただろ﹂ ﹁黒髪・・・ああ。あの、渡人の事か﹂ ワタリビト。 意味は知らないが、男の様子を見ればそれが忌み名であると分かる。 眉を顰め、嫌悪を滲ませる表情の男に手繰り寄せた冷静さがぶっ飛 んだ。 ﹁リキはワタリビトなんかじゃねぇ!俺の女だ!!俺の妻だ!!ふ ざけんじゃねぇえ!!﹂ 思ってもいなかった自分の中の凶暴さが身体にある命の力全てを引 きずり出して、目の前の男を嚙み殺そうと俺を突き動かす。 自分が獰猛な獣になったかのようだ。 ﹁ガーウェン!﹂ 嗄れた声で叫ぶ巨漢の青鬼が俺を押さえてくるのが鬱陶しい。 どけっ!俺はアイツを殺さないと! 世界 から排除したの ﹁うん、なるほど。彼はあの渡人に心を奪われたのか。やはり渡人 は世界や人々を乱す危険な存在なのだな。 は正しい事だった﹂ ﹁正しい、だと・・・っ!﹂ 俺を押さえる腕を振り払う。指の先まで怒りが、殺意が、満ちてい き、世界が変革するほど感覚は恐ろしく鮮明に。身体中のリミッタ ーが外れていく。 全部ぶっ壊れても、身体も命もぶっ壊れてもいいから、この目の前 にいるアレだけは欠片も残さず殺し尽くさなければならない。 ﹁女は元の世界にいるのか!?﹂ 俺を力づくで押さえながらジェドが声を張り上げる。 1136 もういい!アレを、あのドラゴンを、ぶっ殺す! ﹁そのような事など知らない。運が良ければ、生まれた世界にでも 戻ったのではないかな?﹂ ブチン、と何かが切れる音が頭の中で聞こえた。 ﹁黙れェぇええええっ!!!!!!﹂ 俺の怒声と共に、天井が崩れ落ちた。 砕けた岩盤と溢れる陽光が降り注ぐ。 見上げた蒼空に美しい碧色の龍が。 そして、轟く龍の咆哮。 ﹁お、おい。蒼海龍まで出たぞ・・・﹂ 呆然と呟いたエリオットの声に俺は、帰ってくるの来週だって言っ てなかったか?と場違いな事を思った。 リーオ 舞い降りてきた蒼海龍の黄金の瞳は紫色の男に向いている。そして 先が槍のような尾が揺れたと思った次の瞬間、男は洞窟の岩壁に叩 き付けられた。 ﹁儂を舐めくさりおって!!!若造がァアアアア!!!!﹂ リーオの咆哮は衝撃波となって、洞窟の壁を破壊していく。壁に叩 きつけられた男もそれに容赦なく全身を殴打され地面に沈んだ。圧 倒的な攻撃に保てなくなったのか、男は再び紫龍へと戻った。 ﹁リキには儂の加護が付いておったじゃろうがっ!分からなかった とは言わせんぞ、若造!﹂ 咆えたリーオの視線が俺を捉えた。 黄金の瞳が見開かれ、次に燃えるような怒気が籠った光を宿した。 1137 ﹁・・・貴様・・・ガーウェンを・・・、儂の友を泣かせたな!! !!﹂ リーオの喉から腹まで一直線に鱗が緑色に光り、大きく開いた口の 中に光の粒子が集まる。狙いは、横たわる紫龍。 急激な魔力の高まりに空気が震えた。 ﹁こんな所でブレスを撃つ気かよ!壁魔法重ね掛けしても耐えられ そうにないって!﹂ リーオ そう言いながらも、エリオットは次々と耐衝撃魔法を展開していく。 ジェドもスキルをいくつか使用して蒼海龍のブレスの余波に備えよ うとしていた。 気付いていなかったが、俺は泣いていたらしい。 怒りのせいか、悔しさか。それとも淋しさか愛しさか後悔か不安か。 それともその全部か。 どうして助けられなかったのか。 リキは無事なのか。 リキを取り戻せるのか。 リキを奪っていったアイツが許せない。 リキを守れなかった自分が許せない。 諦めたくない。 不安に押し潰されそうだ。 リキに、会いたい。 会いたい会いたい会いたい ﹁ガーウェン!巻き添えをくうぞ!﹂ ジェドの声に我に帰ると、視界の端に白く輝く何かが見えた。 それはまたしても龍だった。 ﹁俺もうドラゴンはお腹いっぱいだって﹂ 1138 エリオットが引きつった顔でうんざりと言う。 白い龍は今まさにブレスを吐こうとしているリーオの前に飛び込み、 あお 厳威なる碧 げんい 様、お止め下さい﹂ 紫龍を庇うように翼を広げた。 ﹁ ﹁どくのじゃ!!﹂ ﹁さすがにそれはこの者が昏迷してしまいます。詳細を知るのなら 厳威なる碧 様、どうかご容赦を﹂ ば、この者に尋ねなければなりません。それにこの者は阿呆でも古 代龍の血統。 ガキンッ、とリーオの口が閉じられる。それだけで突風が洞窟内に 起こった。突如現れた白龍の切願に紫龍を攻撃するのは止めたよう だ。 ゆっくりとリーオが俺を振り返る。虹彩が縦に入った黄金色の瞳が 悲し気に見えた。 ﹁・・・・・・すまぬ、ガーウェン。儂がソーリュートにおったら この様なことにはならなかったはずじゃのに・・・。すまぬ。ガー ウェン、許してくれ﹂ ソーリュートの守護龍たる蒼海龍が俺の前で項垂れる。 何だか可笑しくて気が抜けて、ふっと笑ってしまった。張りつめて リーオ いた気持ちが緩んで、また涙が溢れて出てくる。 ﹁なんだ、守護龍でも後悔することがあるんだな﹂ ﹁失礼じゃな。儂は思慮深く、謙虚な守護龍じゃよ?﹂ 慰めてくれるかのようにリーオの顔が俺の身体に擦り寄った。どう やら俺には良い友人が多いらしい。 まだ全部投げ捨ててはだめだ。悔しさで握った拳から血が滴り落ち ようと、怒りで視界が白く染まろうと、耐えて耐えて、どんなこと をしてでもリキへ繋がる糸を掴んでやる。 だがそう決意していても、俺は弱いから、また心が折れそうになる ことがあるかもしれない。でもきっとその時は、ジェドやエリオッ 1139 トのように叱って檄を飛ばしたり、リーオのように一緒に怒って、 寄り添ってくれる友人が現れる事だろう。 支えてくれる友がいるということはとても有難いことなのだと改め て実感した。 ****** 洞窟内には六人、正確には三人の人族と人型に変化した龍が三名、 車座になっていた。 紫龍は白龍と言い争いをしている。リーオにやられた身体の怪我は、 少しの回復魔法で全快していた。そのあたりはさすが龍だ。 ﹁渡人が世界を乱す存在なのは過去から見ても明らかです。我々、 龍種は世界の秩序と平和を維持するため、努力していくべきなので す﹂ ﹁それは龍種が他種族を統治すべきだという事ですか?﹂ ﹁違います!我々は調停者になるべきだという事です!﹂ ﹁調停者ということならば、今回の件はその役目の域を越える干渉 ではないですか?﹂ おまえら 白龍の最もな意見に紫龍はグッと言葉を詰まらせた。 やはりこの紫龍は若い龍らしい。 ﹁調停者だか知らねぇが、俺達は龍種にそんな役目を望んじゃいね ぇよ。迷惑だ﹂ ・・・ ﹁人を強制的に転移させる調停者ってどんだけ越権なんだよ﹂ ジェドが吐き捨てるように言い、エリオットも頷いた。 ﹁暑苦しい思想論争は後でやってくれればいい。今はリキをコチラ にまた連れ帰って来れるか、だ。おい、ガーウェン、しっかりしろ﹂ 1140 厳威 様もお考え直して下さい!渡人がどれ程危険か、貴方様が ﹁渡人のような悪性をこの世界に入れる事は許可出来ない。 なる碧 一番ご存知ではないですか!﹂ 厳威なる碧 様とあろう方が渡人に魅了されてしまったのです ﹁リキは過去の者達とは違う﹂ ﹁ か?!﹂ ﹁リキは儂の友じゃ。相手を見極める過程を経て、信頼を元に儂と リキは友となったのじゃ。またボコボコにされたいのかの﹂ ﹁過去のワタリビトが悪性だからリキも悪性だって言うなら、英雄 譚に出てくる魔龍はどうなんだよ。お前の論理では同族のお前らも 悪性なんじゃねーか。おい、ガーウェン、寝るな﹂ ﹁魔龍と我々を同列に語るな!侮辱しているのか!﹂ ﹁君の論理さっそく破綻してんじゃーん﹂ ﹁ガーウェン、大丈夫かの?きちんと休めていないのではないか? 食事もちゃんと取ってるように見えんぞ?﹂ リーオの気遣うような瞳が覗き込んでくる。 言われて気付いたが、あの日から碌に食事も睡眠も取っていなかっ た。 今になってその疲労がどっと押し寄せてきたみたいだ。 ﹁ガーウェン、今が一番大事な所だって。寝んなよ﹂ 容赦のないビンタがエリオットから飛んできた。しかしなかなか頭 の中のもやもやは晴れてくれない。というか頭が重い。グラグラす る。 ﹁リキが悪性かどうかはこの際、置いておいて、まずリキの世界に 繋がる﹃扉﹄が開けるのか聞かせろよ﹂ 限界の近い俺の為にか、ジェドがリーオを急かして言う。 それを受け取り、答えたのは白龍だった。 可能性はゼ 、という事になります﹂ ﹁結論から述べますと、出来ません。より詳細には、 ロではないですが、限りなくゼロに近い 1141 ﹁ゼロではないとはどういう事だ?﹂ くだん ﹁この世界と他の世界を隔てる﹃扉﹄を開く事はそう難しい事では ありません。しかし件の女性の世界に定めて扉を繋ぐ事は条件を満 世界 元の世界 の法則と というのは己と近い存在を引き たさなければ出来ないのです。この者が女性に行った転移魔法は﹃ 共鳴﹄を併用しています。 寄せる性質があります。女性を構成している 記憶に﹃共鳴﹄を起こさせ、彼女の世界に﹃扉﹄を繋げたのです。 再びその世界に繋げようとした場合、その世界の人か物が依代とし て必要です﹂ ﹁鍵が無きゃ扉は開かないって事ね。つーか異世界ってそんなにた くさんある訳?﹂ ﹁勿論じゃ﹂ エリオットの何気ない質問にリーオが重々しく頷く。 ドラゴン ﹁まるで水泡のようらしい。幾千もの大小様々な水泡が時空の狭間 に浮かんでいるそうなのじゃ。その狭間を翔べる友人がおるから其 奴と何とか連絡を取ろうとしておるのだが、見つからん﹂ リーオが苦々しくため息をついた。 みんな真剣にリキの事を連れ戻すために考えてくれている。 俺も考えたいんだが、瞼が重すぎるし、頭が全然動かない。その状 態で何とか重要そうな事を思い出した。 ﹁リキが、大魔法師は、同郷だって﹂ 口も上手く回らない。 ﹁根拠があったのか?﹂ ジェドが畳み掛けてくる。でもその口振りじゃ予想はしてたみたい だ。 ﹁文字が、種族独自の文字で、一緒だった﹂ ﹁そんな馬鹿な!!﹂ と叫んだのは紫龍だった。 ﹁カウェーラ様は我が師と言っても過言ではない程の尊いお方!知 1142 性と慈愛に溢れた神聖なるお方!渡人のような悪性などでは、﹂ ﹁もう黙っておれ!阿呆が!﹂ 支離滅裂な主張をする紫龍をリーオがぶん殴って吹っ飛ばした。ゴ ロゴロと地面を転がっていく紫色の男。 厳威なる碧 様。あの者はどうしようもな ﹁はぁ・・・これ以上あの様な阿呆を露呈させると龍族全ての品性 を疑われかねん﹂ ﹁申し訳ありません、 く頭が固く、融通の利かない、他人を慮れない阿呆なのです。全て 教育を行った竜王様の責任です﹂ ﹁あんの糞餓鬼が。やはり一度しっかり説教をせねばならんの﹂ リーオの深いため息が聞こえる。 それを聞きながら、もう限界で、頭が重過ぎて、意識は深く沈み込 んでいった。 その途中で誰かの泣き声が聞こえた気がした。 ︱︱︱︱︱︱︱︱︱泣くな、リキ 1143 黒い霧の中 2︵後書き︶ ◇◇◇ ﹁あーもうガーウェンはダメだね。つかカウェーラ・ケンタウロス かぁ。今どこにいるんだろうね﹂ エリオットがちらりとジェドリックを窺うような視線を向けた。 カウェーラ・ケンタウロスの足跡こそジェドリックが追っていたも のだ。それはもうすでに人生の半分以上の時間になっていた。 カウェーラ・ケンタウロスが歴史上に現れたのは1500年以上前 のことである。それから現在まで全国にその足跡が途切れたことは ない。 一部ではその足跡はカウェーラ・ケンタウロス本人ではなく、その 弟子や組織化した構成員のものであるとも言われているが、ジェド リックは本人だと断定している。 数多くの文献や資料、現地人の証言などからジェドリックはカウェ ーラ・ケンタウロスが生きていると判断したのだ。 エリオット自身、カウェーラ・ケンタウロスには興味がなく、生き ていようがどこにいようがどうでもいい事だと思っていた。ただカ ウェーラが造った迷宮はどれも面白いし、ジェドリックに付いて世 界を回るのはかなり面白い。 カウェーラを見つけたら、ジェドリックはどうするのか。旅を止め るのか。 その時、自分はどうするのか。 完全に眠りこけた悪友とドラゴン三頭、そして何を考えているか分 からない相棒。 1144 まぁ、今はリキの手作りクッキーがもう一度食べたいな。 エリオットはただ一人、緊張感無くのんびりとそう思った。 1145 灰色の水の中︵前書き︶ 今年、最後の更新です。今年一年ありがとうございました。来年も ぜひ宜しくお願い申し上げます。 また誠に申し訳ありませんが、次週の更新はお休み致します。次回 更新は2016年1月13日水曜日16時です。よろしくお願い致 します。 1146 灰色の水の中 まるで水の中に沈んだ色のない世界だ。 窓の外の空も草木も、誰も彼も色がなく、水中であるようにもやも やして輪郭がはっきりしていない。 再びこの世界で目覚めてから、二週間。私は生きる気力を失ってい た。 ﹁三枝さん、おはようございます。朝ご飯ですよ﹂ ぼあぼあと妙な響きを伴う声がかけられた。まるで水中で聞く音の ようだ。 そちらに視線をやれば看護師が立っていて、手には食事ののったト レイを持っていた。 ﹁ご飯、少しだけでも食べましょうね﹂ ベッドにテーブルが取り付けられ、その上にトレイが置かれる。 お粥ぐらいしか判別出来ない。全く食欲が湧かない。 いや、このベッドで目覚めたあの日から、何かを食べたいと思わな くなってしまった。まるで身体が生きるのを拒否しているみたいだ。 しかし食べなければ、母さんに心配をかけてしまう。その気持ちだ けで、お粥を匙に一口掬って口に運んだ。 ・・・味もしない。 お粥だからではなく、何を食べても何も感じないのだ。 半ば作業のように淡々と手を動かした。 ﹁三枝さん、朝の検温ですよ﹂ 再び看護師が来た。 1147 ﹁昨夜は眠れましたか?﹂ ﹁・・・はい﹂ ﹁気分は悪くないですか?﹂ ﹁・・・はい﹂ ﹁朝ご飯はどのくらい食べれましたか?﹂ ﹁・・・少し﹂ 質問にぼんやりと返す。夜は殆ど眠れなかったが、正直にそう答え ると薬を飲まなきゃならなくなるので嘘をついた。 ﹁今日はこのあと先生の面談がありますからね﹂ ﹁・・・﹂ どちらの先生だろうか。身体か心か。 今の私にはどちらでも関係ないか。 ****** 灰色の空を眺める。もう昼過ぎだが、この空では時間の流れが分か らない。 昼食もただただ食事を口に運ぶ作業を繰り返した。途中で全て戻し てしまったので、意味がなかったが。 面談した先生は精神科医だった。彼が最初に聞く質問は決まってい た。 ﹁最近、眠れていますか?あの夢は見ますか?﹂ あの夢。 1148 まち あの都市での生活の記憶。 ひと 親しい人々との楽しい記憶。 愛しい男性との幸せな記憶。 医者に言わせればそれらは私の脳が作り出した幻想だそうだ。辛い 現実から心を守る為に脳が作り出した優しく幸せな幻想。 それを記憶のように語る私には漢字がいくつも並んだよく分からな い病名が付けられた。 医者は言う。 その記憶は己を守る為の本能だから、消そうとしなくていいんだよ。 ただそれが防衛本能が作り出した記憶だという事は忘れてはいけな いよ。 繰り返し繰り返し、そう言われると弱った心はそれを信じ、残った 記憶を疑い始めた。 思えば、私に都合が良過ぎる展開だったじゃないか。 思えば、私があんなにも誰かに固執するのは可笑しいじゃないか。 思えば、毎日毎日あんなに幸せなのは不自然じゃないか。 捻くれた私の中の一人の私が、あの日々に疑問を投げかける。 違う。あれは本当の事だ。 そう言い聞かせても私には何も証拠がないのだ。あの日々も生活も 幸せも、愛した彼も、確かに存在したと言える物が私にはなかった。 私は何も身に付けていない姿で発見されたのだ。あの世界の痕跡は どこにも何もなかった。 ﹁こんにちわ。三枝さん﹂ 呼ばれて、窓から視線を転じるとスーツの男性が病室の扉に立って いた。 1149 背が高く、身体は鍛えられ厚い。硬そうな黒髪は襟足がすっきりと している。 ﹁これ、お見舞い。玖桜堂のプリン。美味しいと評判なんだよ﹂ 。 サイドテーブルに持って来た箱を乗せ、ゆったりと話す彼を見てい るとなぜか気分が落ち着いた ﹁・・・ありがとう、刑事さん﹂ ﹁どういたしまして。食欲がないって聞いたから甘い物なら食べら れるかなって。どう?食べてみる?﹂ ﹁・・・はい﹂ 彼は私の事件を調べている刑事だった。 行方不明だった女が山中にて全裸で発見される、そんな事件だ。し かし行方不明と言われていた時間は、私には事件があった記憶など なく、ただ幸せな時間を過ごしていただけだ。 だが、警察はそのような事はもちろん信じたりはせず、捜査をして いるのだった。 ﹁俺も食べていい?こんなんだけどプリン好きなんだ﹂ こんなん、と自分の顔を指差して照れたように彼は笑った。強面の 顔が優しい笑顔になる。 ﹁・・・可愛いですね﹂ ふふっ、と笑ってそう言うと彼はかあっと耳まで赤く染めた。 途端に、記憶が脳裏に浮かぶ。懐かしい、と思ってしまった。 ・・・胸が、苦しい。 私は彼の奥にガーウェンの面影を見ている。ガーウェンに似ている ところを探して、勝手に打ちのめされている。 側にいない、もう会えないのだと、何度も何度も確認しては、それ でも彼の中にガーウェンを探して自分を慰めている。 真実か幻かどうかも疑っているのに、心も身体もガーウェンを求め ているのだ。ほんの少しの欠片でもいいから、私とガーウェンを繋 1150 ぐ証拠になってほしいと願っている。 ﹁三枝さん、どうしたの?好きな味じゃなかった?﹂ プリンを掬う手が止まっていたのを刑事さんが心配気に見ていた。 いいえ、何も。と言おうとしたのに口から出たのは違う言葉だった。 彼の雰囲気がガーウェンに似ていたせいだ。 ﹁・・・証拠が、﹂ 黒い髪が赤銅色の髪に、黒い瞳が赤茶色の瞳に変わる。 ガーウェンが、優しい微笑みで私の言葉を待っていてくれる。 ﹁・・・証拠がないから、それが真実だという自信がなくなって、 疑ってしまっているの。本当だって心は叫ぶのに、自分を信用出来 ない。自分が弱くて嫌だ﹂ じわっと涙で視界が歪んだ。 弱い私の心は、ガーウェンを幻だと言う。だから忘れて、早く目を 覚ませと怒鳴る。そうすれば寂しさも悲しさもなくなるから。 でももっと弱い私の心は、ガーウェンは本物だと泣く。会いたい会 いたい、会いたいよ、と咽び泣くのだ。 確かなものがないと真っ直ぐ立てない私はなんて無様なんだ。 ﹁証拠っていうのは目に見えるものだけじゃないよ﹂ と彼が穏やかな声で答えた。 ﹁仕事柄、目に見える証拠が一番大事だって言うのは分かっている けど、でもそれだけじゃないって感じる時も多い。心情や先輩の経 験や勘とか目に見えない証拠も時には必要だって思うよ。勿論、俺 の仕事は間違いを犯せないからそればっかりに偏る事はダメだけど。 でも、﹂ 大きな手が私の手に触れた。その手の温かさは記憶を、ガーウェン との記憶を呼び起こす。 ﹁でも、三枝さんが思ってる事はそうじゃないよ。目に見えない証 拠を素直に信じてもいいんじゃないかな。心の叫ぶまま、物証がな 1151 くても、君の中の真実を信じてもいいと思う。君はそうしたいって 思ってる﹂ 涙が、次々、流れて。 誰かにそう言って欲しかったのかもしれない。私の中の真実が、例 え幻だとしても、確かな事などなくても、それでもいいじゃないか と言って欲しかったのかもしれない。 だって私にはガーウェンとの日々がまだこんなにも鮮やかに胸に残 っているのだ。簡単に忘れられないし、忘れたくない。 今の私を構成しているのはガーウェンとの日々なのだから。 ﹁ありがとう、刑事さん。刑事さんは私の好きな人に似てます﹂ ぼろぼろ涙を流しながら、心からの感謝を愛する人に似ている刑事 さんに何度も伝えた。 ****** 病室のドアがノックされた。でも、ぼーっとしたまま反応出来ない。 たぶん昼に泣き過ぎたからだ。 ﹁里季。・・・里季、起こしたか?﹂ ﹁・・・・・・母さん﹂ ゆっくりと優雅な歩きで、私とよく似た長い黒髪を揺らす。仕事帰 りだからかスーツ姿だった。 近付いて私の顔を見て、心配気に眉を下げた。 ﹁何かあったか?﹂ 泣き過ぎたのが分かってしまうぐらい酷い顔をしているらしい。少 1152 し恥ずかしくなって前髪を気にするフリをして顔を隠した。 ﹁大丈夫だよ。母さん、仕事忙しいんでしょ?毎日お見舞いに来な くてもいいのに﹂ 母さんが、はぁ、とため息をつく。遠ざけるような嫌な言い方にな ってしまったと慌てて、付け足した。 ﹁いや、来てほしくないってことじゃなくて。疲れてるのに申し訳 なくて﹂ 再び母さんが、はぁ、とため息をついた。今度は呆れたような響き だ。 ﹁入院してる奴がそんな気を使うんじゃない。里季はもっと横柄に なったほうがいい﹂ ﹁横柄って﹂ 真面目な顔して妙な事を言うので、可笑しくて笑ってしまう。 ﹁・・・里季。何かあったか?﹂ クスクスと肩を震わせる私に、先ほどと同じ言葉だけど全く違う雰 囲気で母さんは尋ねた。朗らかな微笑みだった。私に寄り添ってく れるいつもの微笑み。 小学生の頃、家に帰ると母さんに﹁今日は何かあったか?﹂と聞か れた事を思い出した。私はそれが嬉しくてたまらなかった。 ﹁今日、刑事さんが来てくれたよ。玖桜堂のプリンを貰った﹂ ちから ﹁ああ、あの顔に似合わず甘いもの好きの刑事さんか。彼はマメだ な﹂ ﹁うん。あと3個残ってるから持って帰って力と食べて﹂ ﹁そうか、有難く貰って帰ろう。そう言えば力はプリンだけは里季 が作った物より玖桜堂の方が好きだったな﹂ ﹁そうだった。プリンだけにはやたらとうるさかったから、力は﹂ あははは、と母さんが声を出して笑った。黙っていれば名家の奥様 のように見えるが、実は豪快で大雑把な人だったりする。 そして私と同じく直感が恐ろしく鋭い。 1153 なのに私がどこで何をしていたのかと聞いたりしなかった。私が話 したくないと思っている事が分かったからだと思う。 だけどそうして一人で抱えたくせに、私は生きる気力を失いかけて いたのだ。 ﹁母さん、あのね・・・﹂ 何も言わない今以上に心配をかけるかもしれないが、でも母さんに は聞いてほしかった。 私の愛する人の事を。 今までの幸せな日々の話を。 ﹁私、好きな人がいるんだ。優しくて可愛い人。繊細なんだけど、 でもすごく強いんだよ。もう二度と会えないかもしれないけど、絶 対私は忘れない。これからも彼以上に好きになる人はいない﹂ 涙が一筋、頬を流れた。 もう二度と会えないかも知れない。 その言葉を口にしたことにさえ、傷付いて打ちのめされてしまう。 でも、それでも率直に素直に私の気持ちを母さんに話したかった。 ﹁・・・出来るなら彼の所へ帰りたい・・・﹂ 行方不明になってから考えられないくらい心配かけて、今だってこ んな気力のない姿で心配させているけど、それだけが私の心の底か らの願いだった。 ﹁・・・・・・そうか﹂ 長い沈黙の後、母さんはポツリと言った。その言葉に込められた母 さんの気持ちは分からない。 自分の両手を強く握りしめた。 ごめんなさい、謝罪の言葉が口をついて出てきそうになるのを堪え る。自分の罪悪感を軽くしたいだけのように感じたからだ。 1154 ﹁里季、刑事さんからこれを預かってたんだ。これは里季のだろう ?﹂ 唐突にスーツのポケットから透明な小さな袋を取り出し、私に渡し た。中に入っている物を確認して、息が止まる。 ︱︱︱碧い指輪 ﹁里季が見つかった時、唯一身に付けていた指輪だ。事件に関係あ るかもと警察で調査したらしいが、何もなかったから返してくれた んだ﹂ 途中から母さんの声が聞こえなくなった。 見開いた目からぼたぼたと涙が流れ落ちる。震える手で指輪を取り 出し、左手の薬指にはめた。 ぴったりと収まったそれを手ごと胸に掻き抱く。 絞り出すように声を、この世界に戻って来てから初めて愛する人の 名を声に乗せた。 ﹁あ・・・あぁ・・・ガーウェン・・・ガーウェン・・・っ!﹂ 愛しくて、愛しくて、声を上げて泣いた。 自分を抱きしめて丸まり、泣き震える私の背中を母さんが優しい手 おばあさま 付きで撫でた。母さんに撫でられる事など小学生以来だ。 ﹁・・・母さんの親戚で神社の大巫女をしている御婆様がいるだろ う。覚えてるか?﹂ かがみこ 衝撃に震える心のまま、その内容の意味を深く考えず素直に頷いた。 ﹁その御婆様・・・鏡子御婆様から里季に電話があったんだ。一言 一句そのまま伝える。 ﹃扉を開く方法がないわけではありません。しかしそれはどれほ ど掛かるかも分からない厳しい道です。それでも扉を開くことを望 むなら、私を尋ねてください﹄﹂ 1155 ﹁っ!方法は!?﹂ いずみもり ハッと顔を上げて、叫んだ。その勢いに母さんは驚いた顔をして、 それから少し困ったような表情になった。 ﹁方法は直接、里季に話すと言っていた。泉護神社まで来てほしい との事だ﹂ いずみもり 思わず唇を噛み、素早く頭を働かせる。 確か御婆様がいる泉護神社は東北地方の山の中にあったはずだ。こ こからではどんなに短く見積もっても移動で1日掛かる。現在は午 後六時を回った所。交通機関を考慮してすぐに出発しないと、途中 で足止めをくらってしまうだろう。まずは病院を出て着替えとお金 の調達をーーー ﹁早速、病院を抜け出すことを考えているんだろう、里季﹂ 分かりやすいな、と母さんはどこか呆れたような目をして苦笑した。 ﹁そんな状態じゃ途中で倒れてしまう。逸る気持ちは分かるが、ち ゃんと身体を治してからにしなさい﹂ 意外な言葉に驚いて母さんを見る。 てっきり御婆様に会いに行く事も止められるものだと思っていた。 そんな私の心を読んで母さんはやっぱり苦笑する。 ﹁行ってほしくないなら、電話があった事も里季には言わないよ。・ ・・母さんは、里季を信じてるから。好きなように、里季の望むま まやってみなさい﹂ ﹁・・・母さん・・・﹂ ﹁その前に、だな﹂ 頭の後ろに手をやり、歯切れ悪く母さんが言う。困っているような 恥ずかしがっているような妙な雰囲気で母さんには珍しく目が泳い でいる。 ﹁教えてくれるか?その・・・あれだ。里季の、その指輪の・・・ あー、娘に彼氏の事を聞くのがこんなに緊張することとはなぁ﹂ というため息交じりの母さんの言葉に、声を出して笑ってしまった。 1156 思えば母さんとこんな話をした事は一度もなかった。 ﹁母さんでも緊張する事があるんだ﹂ ﹁失礼だな。まぁ、よく鋼の心臓と言われるが﹂ ﹁ふふっ!あ、ガーウェンは彼氏じゃないんだ。母さんには事後報 告で申し訳ないんだけど、﹂ ﹁ちょっ!ちょっと待て!﹂ 結婚したんだ、と続ける前に母さんが慌てて遮った。 ﹁じゅ、順番に頼む。里季が今まで何をしてきたのか、誰と出会っ たのか、どうやって過ごしたのか。それから、その話を聞こう﹂ 見た事ない慌てぶりにまた笑う。その拍子にほろり、と涙が一筋溢 れた。 その涙を拭って、母さんと真っ直ぐ向き合う。 否定や拒絶をされるかもしれない。それでも私はちゃんと話さなけ れば。 まち あの都市での生活の記憶を。 ひと 親しい人々との楽しい記憶を。 それから、愛しい男性、ガーウェンとの幸せな記憶を。 真っ直ぐに向き合わなければ、相手だって向き合ってくれない。今 まで逃げてきた母さんからの真っ直ぐな視線は少し怖いけど、記憶 の中のガーウェンがちゃんと私を見て、応援してくれているから大 丈夫。 だから、 ﹁まず私とガーウェンが出会った世界の事からね﹂ 私は穏やかな気持ちで、今までの事を語り始める。 1157 灰色の水の中︵後書き︶ お気付きと思いますが、初期のリキの口調は母親の影響です。 リキにとって強さや逞しさ、凛々しさの象徴であり、憧れが自分の 母親だったので、子供の頃から無意識に口調を真似てました。作中 でだんだんと口調が変化しているのは、ガーウェンという支えを得 て心境が変化していたからなのです。 1158 真っ白な夢の中︵前書き︶ 新年、明けましておめでとうございます。 本年も宜しくお願い申し上げます。 ※予約投稿をミスってしまいました。13日投稿予定だったのに! 1159 真っ白な夢の中 目を開けたら、真っ白な世界に落ち着いた気持ちで立っていた。す ぐにこれは夢だと気付く。 普段、夢なんて殆ど見ないのに。余程、疲れが溜まっていたのか、 なんてぼんやりしていると、ふと視線の先に人影が見えた。目を凝 らして見ると、二人、誰かがいるようだ。 不思議な胸の高鳴りを感じる。 更に目を凝らせば、忘れようもない後ろ姿が見えた。 腰までの長い黒髪。細く白い手足。 俺があげた良く似合う空色のワンピースを着ているその姿は何度も 見た。 見間違えるはずもなく、その後ろ姿はリキだ。 リキの隣にはモヤモヤとした人の形をした黒い影が立っている。背 の高さや身体付きからそれは恐らく男だろうと思うのだが、何故だ か心は穏やかなままだった。それどころか笑ってしまった。 この夢は俺の中にあるリキに会いたい気持ちと寂しさと、そして不 安から生まれたものだと思う。 生まれた世界に戻ったリキが俺を忘れていたら。 そして他の男を好きになっていたら。 心の隅に引っかかる小さな不安がリキの隣に立つあの黒い影を作っ たのだろう。だが、リキと人影の間には妙な距離があって仲睦まじ いなんて雰囲気は微塵も感じないのだ。 俺の隣にいる時のように腕や指を絡ませる事も、時折幸せそうな笑 みで見上げる事もない。俺はリキが俺以外の奴にそんな風にする事 を夢の中でさえ想像出来ないのだ。 小さな不安は拭いようもないけど、俺はリキを信じている。そうい 1160 う事なんだと納得してちょっと得意気な気持ちになった。 やっぱりリキは俺の右側にいるのが似合っている。そう思いながら 右側に視線を落とすと、そこにはリキがいた。 夢だからか非常に都合がいい。 しかしそのリキは俯いており、俺からは頭のてっぺんしか見えなか った。肩も震えているようだ。 ﹁リキ?泣いてるのか?﹂ 夢だと分かっているが、話しかけながら顔を覗き込むように身体を 屈めると、リキがすごい勢いで頭を跳ね上げた。 大きく見開かれた黒い瞳からは大粒の涙が溢れ、頬を濡らしている。 少し痩せた、いや、やつれているように見える。目の下にクマがく っきりと出ていた。 怯えるように身体を震わせるリキに手を伸ばす。しかし手はリキの 身体をすり抜け、宙をかいた。 このリキは幻なのか。 夢特有の理不尽さにため息をつく。どうせ夢なら触れさせてくれれ ばいいのに。 リキの顔がくしゃりと歪んで、更にぼろぼろと涙を零した。幻だか ら泣き声は聞こえない。でもしゃくり上げるような泣き声が脳裏に 思い出された。 ﹁リキ﹂ 跪いてリキの幻を抱える。触れられないが、リキを抱く感覚は覚え ている。触れられないが、愛しさと切なさが胸に溢れてくる。 ﹃ガーウェン﹄ 名を呼ばれた気がして腕の中のリキに視線を向けた。 リキは切なそうな苦しそうな、しかし何とか笑みを作った複雑な表 情をしている。 その顔を見て、胸に込み上げる想いと予感に身体が震えだした。 1161 ﹁リ、キ・・・リキ、本物、なのか?﹂ ・・・ 震えた掠れ声の問い掛けに答えるようにリキの唇が動いた。声は聞 こえない。 本物、なのか?俺の夢ではなく、幻でもなく、本物のリキなのか? 頬を包むように手を添えた。触れられない。でもリキだ。良く分か らないが、リキがいる! ぼろぼろと泣くリキが声なき声で叫んだ。 ﹃・・・会いたいっ!ガーウェン、会いたいよ!﹄ そう叫んだのが、分かった。打ちのめされて傷付いているリキを掻 き抱く。 ﹁リキ!リキ!俺は側にいる!触れなくても、聞こえなくても、俺 はお前を愛してる!離れていても俺は、お前だけを、愛してるから !﹂ 触れられない事が悲しい。 声を聞けない事が苦しい。 でも身体にも心にもリキを愛する気持ちが変わる事なく満ちている から。どんなに寂しくても辛くても、諦めたりするな。疑ったりす るなよ、リキ! 揺らいでいる濡れたリキの瞳を見つめた。 不安に押し潰されそうな苦し気な表情をしている。 頬にキスをする。リキの肌の柔らかさも温かさもはっきりと思い出 せる。 額に、瞼に、耳に、そして唇に、触れられないキスを落としていく。 リキに想いを送るように何度も何度も。 大好きだ、愛してる。大丈夫。諦めるな。俺が側にいる。信じろ。 負けるな。 俺はお前を信じてる! 1162 心の中で何度も何度もリキにそう伝える。 ﹁リキ、愛してる﹂ 何度目かのキスと共に言うと、リキが少しはにかんだ微笑みを見せ た。 不安が少しなくなったか?寂しさが少し和らいだか? ﹁リキ、俺がちゃんと側にいるから。離れていても、側にいるから﹂ 愛しさを込めて笑顔を向けると、鼻の頭と目を赤くしたリキは嬉し そうに笑みを深めた。ありがとう、と言うリキの声が聞こえた気が する。 よし、と深く頷いて、なら次は説教だ、と怖い顔を作ってリキを睨 んだ。 ﹁お前、ちゃんと寝てねぇだろ﹂ ビシッとリキの目の前に指を突きつけると、リキは真ん丸の瞳でパ タパタと瞬きを数回して、小首を傾げた。 その仕草がすごく可愛く、ニヤけてしまいそうになるのを堪えて、 ゴホンと誤魔化しの咳を一つする。 ﹁お前、ちゃんと、寝てねぇ、だろ?﹂ 恐らく俺の声もリキには聞こえていないのだろう。だから口の動き で伝わるようにゆっくりとリキに向けて言う。 リキの目の下のクマをなぞるように指を動かせば、パッと手でそれ メシ を隠してしまった。バツの悪そうなリキの顔は赤く染まっている。 ﹁ちゃんと、寝て、ちゃんと、飯食え﹂ 目を瞑って眠る真似と、パンを齧りモグモグと口を動かす真似をす る。 わかったか?と念を押すようにジッと見ると、リキは上目遣いで頷 いた。クマを隠す手の下でクスクスと楽しそうに笑っている。 ﹁リキ、手ぇどけろ﹂ 身振り手振りを交えて、リキに言うと渋々ながら手をどけ、そして 恥ずかしそうにモジモジと身体を揺らした。 ﹁リキ、可愛い。あぁ、もうすげぇ可愛い。キスしてぇ。触りてぇ。 1163 鳴かせてぇ﹂ 聞こえないと分かっているから、本音が口から出てしまった。リキ は、なんて言ったか分からないよと困ったように小首を傾げている。 可愛いなとデレデレしてしまう。 相も変わらずやっぱり俺はリキが大好きだ。 ﹁リキからもしてくれ﹂ 自分の唇を指差して、ニヤリと笑ってみせる。リキは数回瞬きして、 それからふわりと柔らかい笑みを浮かべた。 そして黒い綺麗な瞳が閉じられ、リキの唇が俺に寄せられた。 ああ、大丈夫。きっと大丈夫だ。 キラキラと周囲が輝き始めた。 夢が終わる時間だと直感する。リキにもそれが分かったのだろう、 悲しそうな顔をして俯いた。しかし俺が何か言う前に、パッと顔を 上げ、ニコッと可愛い笑顔になった。 ﹃ガーウェン、愛してる!﹄ リキの言葉が心に伝わり、煌めく。 ﹁俺も、リキを愛してる﹂ 周囲は更に光が増していき、目を開けていられないほど。 リキが手を振った。俺の好きな笑顔で。 ﹃行ってきます!﹄ ﹁おう!いってこい!﹂ そう叫んだ瞬間、全てが真っ白な光に包まれた。 ****** 1164 ガーウェンに会った。夢の中で。 あれは夢や幻なんかじゃなく、本物のガーウェンだった。私には分 かる。 リーオ 夢の中なら世界の狭間を跳べるのか。それとも、 ﹁この指輪のおかげかな﹂ 左手の薬指で光る碧色の指輪を見る。守護龍の有り難い加護付きだ。 指輪同士は引き合う、そんな効果があるのかもしれない。 ﹁リーオは意外と有能だし﹂ と独り言を呟けば、脳裏に﹁意外ととはなんじゃ!意外ととは!﹂ と顔を真っ赤にして怒るリーオの姿が浮かんで、自然と笑顔になっ た。 ガーウェンはやっぱり私の光だった。傷付いた私を包んで癒し、落 ち込んだ私を優しく慰め、そして挫けた私を勇気づけてくれた。 触れられなくても声が聞こえなくても、ガーウェンが私に伝えてく れる想いが分かる。 頑張れ。 負けるな。 信じろ。 愛してる! キラキラきらめくその言葉達は私の胸の奥に深く染み込んで、大き な力となって全身に巡っていった。 ﹁三枝さん、朝ご飯ですよ﹂ 朝食のトレイを持った恰幅の良い看護師が病室のドアを開けた。 ﹁おはようございます﹂ と声をかけると、少し驚いた顔をした後、豪快な笑顔になった。 ﹁おはようございます。今日はずいぶんと顔色が良いわねぇ﹂ 1165 ﹁はい。よく眠れました﹂ ﹁そう、良かった!じゃあ、ご飯ここに置いておくからね﹂ ベッドテーブルにトレイを置いて、看護師は出て行った。隣の病室 からも似たようなやり取りが聞こえる。 お粥に里芋の煮物、小松菜のおひたし、大根のそぼろ煮、豆腐のお 味噌汁。 和食の身体に良さそうな食べ物ばかりだ。 お粥を一匙掬って口に入れる。味は薄いけど、美味しい。 嬉しくて、楽しくて、ふふふ、と一人で声を上げて笑う。 窓の外を見ると、雲一つない青空が広がっていた。眩しさに目を細 める。 ﹁今日は、いいお天気だね﹂ ︱︱︱おう、そうだなぁ なんてのんびりしたガーウェンの声が聞こえた気がした 1166 真っ白な夢の中︵後書き︶ やっぱり元気が一番です。 リキはこれから走り出します! あと登場人物・用語は別にしました。 1167 挿話 至らぬままでも︵前書き︶ 里季の母さん視点です。今回は短めです。 この話は前話﹁真っ白な∼﹂の前に載せる予定でしたが、さすがに 新年一発目がリキとガーウェン以外というのは、と思い、この順番 になりました。 また先週、更新をミスってしまったので、来週の更新はお休み致し ます。申し訳ありめせんが、ご了承願います。 1168 挿話 至らぬままでも まば 面会時間もだいぶ前に終わり、日の暮れた病院の駐車場には車が疎 らに止まっているだけだった。 運転席のシートに背を預けると、知らず深いため息がもれた。 ﹁帰りたい、か・・・﹂ 娘の、里季の言葉に少なからずショックを受けている。 ちから ﹃帰りたい﹄と言うことは、自らの居場所があちらーー里季の言う ところの異世界であると思っているということだ。私や弟の力のい るこの世界ではなく、余りにも荒唐無稽な異世界などという所を自 分の生き場所と決めているという事。 里季の話を疑っていたり信じていない訳ではないのだ。 里季はこんな嘘をついたりしない。血筋からくる﹃よく当たる直感﹄ でなくても、今までの里季を考えればそれは疑いようもないことだ。 里季は幼い頃から聞き分けの良い子だった。 駄々を捏ねたり、癇癪を起こしたりする事がほとんどなく、周りの お母さん達からは﹁里季ちゃんはお母さん想いの良い子ねぇ﹂と言 われる事も多かった。 それが顕著になったのは里季が8歳の時、父親を病気で亡くした頃 からだ。家計を支える為、より一層仕事に打ち込まなければならな くなった私に代わり、家事や2歳だった弟の世話を里季は率先して 始め、要領が良く器用な彼女はすぐに家族の生活を支える存在とな った。 いつも明るく穏やかで卒なく家事をこなし、学校生活も問題ない里 季。 私はそんな里季に安堵して、きちんと見てはいなかった。 里季は良い子だ。里季なら大丈夫。 1169 信頼していたなんて言えばいいように聞こえるが、はっきりと言え ばそんな風に決め付けて里季を気にかけていなかったのだ。 その事を痛感したのは里季が交通事故にあった後だった。 歩行に支障が出るほどの怪我の後遺症で、里季は幼い頃から続けて いた道場を辞めざるを得なくなった。その時初めて、泣き喚き、物 に当たり散らす里季を見た。 すごく驚いた。里季が感情的になった事にだけではない。里季が道 場へ通う事にこんなにも情熱を傾けていたと知ったからだ。 そして愕然とした。私は里季について何一つ分かっていないんじゃ ないかと。 得意な教科も苦手な食べ物も夢中になっている事も恋人の事も将来 の悩みも。今まで里季と深く話してこなかった事実に愕然とした。 思えば高校、大学に進学する時も里季が学校を選んだ理由は﹁家か ら近くて、学力が自分に合っているから﹂だった。 しかしそれで納得してしまっていた。里季ならば、どこへ行っても 何をやっても上手くやるだろうと、深く話し合う事をしなかったの だ。 そう気付いた途端、恥ずかしい話だが、里季とどんな風に接したら 良いのか分からなくなった。今まで構ってこなかった私がいまさら 何を言えるのか、と距離を置いている内に里季は自分自身で心を整 理し折り合いをつけて、普段と変わらぬ様子に戻ってしまった。 ﹁ごめん、母さん。子供みたいなことした﹂ と謝った里季に私は﹁ああ﹂だの﹁うむ﹂だのどうしようもない返 事しか出来なかった。親として大人として期待外れで最低の反応だ ったに違いない。 そして思う。私達には里季が必要だが、里季には私達は必要ないの ではないか。 だから里季が失踪した時、身を心配する心の隅で、遂に私達に愛想 1170 が尽きたのかと納得してしまった。 スマホが震え、メールが届いた事を知らせる。力からの夕飯の催促 メールだった。 あと20分ほどで帰る、と返信して、またため息をつく。 鏡子御婆様からの電話を里季に伝えた事を力に報告したら、シスコ ン気味の彼の事だ。烈火の如く怒るだろう。 私だって里季にはどこへも行ってほしくないし、側にいて元気でい てほしい。そう思うが、それは里季の幸せなのかと言われればそう ではない事は確かだった。 鏡子御婆様から電話がきて、その内容に恐怖を覚えた。 ﹁・・・それはまた里季を失えという事ですか?﹂ 里季はきっと﹃扉﹄を開ける事を望む。そしてその﹃扉﹄の先の、 私達が決して知り得ない場所に躊躇うことなく行ってしまうと直感 した。 ﹃・・・失う訳ではないの。ちょっと遠くに行ってしまって会うの が難しくなるだけ﹄ ﹁遠くとはどこなんですか!そんな訳の分からない場所に里季が行 ってしまって、それで一生会えなくなってもいいと言うんですか!﹂ ﹃そう言うことではないわ。里季ちゃんは今、生きる気力を失って いる。このままの状態が続けば、里季ちゃんはいずれ死んでしまう﹄ ﹁そんな、こと・・・っ﹂ そんなことない、とは言えなかった。 里季は日に日に弱っていたのだ。目も虚ろで、反応も緩慢、食欲も どんどん衰えていく。 しずくこ どうやっても改善しないその様子に、恐ろしい予感と焦燥感を感じ ていた。 ﹃里季ちゃんは今、雫子ちゃん以上に苦しんでる。自分の心に迷っ 1171 ている。雫子ちゃんが導いてあげて。里季ちゃんの母親は雫子ちゃ んしかいないんだから﹄ 涙を流しながら、里季は﹁帰りたい﹂と言った。手は決意で強く握 られていた。 その横顔は、もう子供の泣き顔ではない。愛する者を想い泣く女の 顔だった。 里季には幸せになってほしい。 でもその願いはきっと、ここでは叶えられない。私にも他の誰にも 叶えられやしない。それが出来るそいつは﹃扉﹄の向こうにいるの だろう。 病室で泣くのを我慢しながら私の手を強く握った幼い里季。 初めて作った炒飯を差し出す得意気な里季。 誕生日に卵焼き用フライパンを強請った里季。 制服にはしゃぐ里季。 家族の誕生日にはケーキを焼いてくれた里季。 病室のベッドに横たわる青白い顔の里季。 目覚めて、私を見つけて、安堵したように泣いた里季。 日に日に弱っていく里季。 指輪を躊躇いなく左手の薬指につけて泣く里季。 幸せそうに、本当に幸せそうに異世界での生活を語る里季。 その笑顔だけで全て分かった。里季は違う世界でもたくさんの人に 愛されていたのだと。 そしてその中に、里季が一生愛すると決めた者がいるのだと。 自分の左手、薬指のある銀色の指輪を見つめる。 ﹁ごめんね、あなたとの約束守れそうにないよ。あなたの代わりに 1172 里季の夫になる奴を一発殴るなんて、世界が違うんじゃ出来ないだ ろう﹂ それでも別れまで見届けようと思っている。里季がこの世界から去 る瞬間まで、私は一番の味方であろうと決めた。 それが、至らぬ母親である私の役目であると、決意したのだった。 1173 挿話 至らぬままでも︵後書き︶ 里季の母さんの雫子さんは大雑把で豪快な割に変なところで口下手 です。ガーウェンと似たような性格です。 1174 想う人たち 1 目を開けると、いつもの天井だった。 寝返りをうてば柔らかいシーツにふわりと花の香りが香るいつもの ベッド、いつもの寝室。 夢を見た。リキはやっぱり泣いていて、でも最後には笑っていた。 リキは意外と泣き虫だ。俺の前では結構よく泣く。それを指摘する とリキは、﹁ガーウェンが優しいから﹂とか﹁ガーウェンといると 安心するから﹂とか言い訳みたいなことを色々言うが、それは全部 惚気だって分かっているのだろうか。涙の跡にキスを落とすと決ま ってリキは恥ずかしそうに顔を隠す可愛い仕草を見せ、俺を悶えさ せる。 夢の中でもリキは変わらず可愛かった。白い肌だから目立つクマを 恥ずかしそうに隠す仕草のリキを思い出して、ニヤつきながら大き く伸びをする。 寂しさは相変わらずだが、それでも焦燥感が消えていた。 触れられないくても声が聞こえなくても、変わらず心は通じ合って いるから大丈夫だって信じられる。 リキもそうであってほしい。いや、リキも大丈夫だろう。夢の最後 でリキは﹃行ってきます!﹄と輝くような笑顔を見せていた。 ﹁・・・あー・・・﹂ その言葉に今更予感が閃いて、頭を掻いた。 ﹁リキの奴、無茶する気じゃねぇだろうな﹂ 魂が俺の中から消えたと思ったら、数日後何事もなかったかのよう に﹃ただいま﹄と帰って来たように、今回もまた何事もないかのよ うに世界の狭間を越えて帰って来るんじゃないのか。 ﹁・・・リキならありうる﹂ 1175 あんなに弱った姿でもリキならやりかねん。大人しく迎えを待って るなんて出来なくて、色々と規格外な事をやって現れそうだ。 と、そこまで考えて堪えきれず吹き出した。 ﹁早く迎えに行かねぇとリキに先越されるなぁ﹂ 競争というわけではないが、今回こそは俺から迎えに行きたい。 そんな事を穏やかに思った。 ****** 一階に下りる階段の途中で、余りの臭いに顔を顰める。酒臭えんだ けど。 リビングに入ると一層酒臭さが鼻をつく。 ﹁おお、ガーウェン。邪魔しておるぞ﹂ ﹁お邪魔しています﹂ リーオが酒瓶を片手に声をかけてきた。その隣に当然のようにいる 白龍が姿勢よくお辞儀をする。 リビングのソファにはその二人の他にもジェドとエリオットが酒盛 りをしていて、紫龍は俺を見るとバツが悪そうに顔を背けた。 ﹁・・・家まで運んでくれたのか。悪いな。ありがとう﹂ ﹁気にすることではないのじゃ。こうして勝手に寛がせて貰ってる のじゃし﹂ ﹁ガーウェンにしちゃ良い酒がたんまり置いてあったから、運搬料 として貰っといたから﹂ ﹁運んだのは儂じゃろが。何もせんかったのに阿保みたいにバカス カ飲みおって﹂ エリオットの軽口にリーオが苦い顔をする。リビングの床に転がっ 1176 ている多数の空き瓶は家に置いてあった酒のようだ。よく訪ねてく るリーオや酒好きの友人達のためにリキが買っておいてくれたもの だ。 ﹁構わねぇよ。振る舞うための酒だから﹂ しかし部屋に充満する澱んだ酒臭さにはうんざりしてしまって、リ ビングの出窓を開け放った。 心地良い夏の風がレースのカーテンを揺らす。見えた空は雲一つな い青空、いい天気だ。 いつだったかリキが空は元の世界と変わりないと言っていたのを思 い出した。リキの見上げるあちらの空もこんな爽やかな青空ならい い。 ﹁だいぶ顔色が良くなったのう。夢見が良かったのかの?﹂ 隣にやって来たリーオが柔らかく微笑んだ。 よく人には感情が読みやすいと言われているこの顔は、今朝の夢で 気分が上向いているのもはっきり示しているらしい。 ﹁おう。夢の中でリキに会って﹂ ﹁なんだその自称モテ男の口説き文句みてぇなのは﹂ ﹁それこそ何だよ。なんつーか、夢だけど夢じゃなくて声も聞こえ なくて触れもしなかったけど、リキの姿が見えた。でも間違いなく あれは本物のリキだった﹂ ﹁遂に頭がおかしくなったのか﹂ ジェドの呆れるような言葉に、なってねぇ!と返す。こうしたいつ もと変わりない態度でいてくれるジェド達といると、一人で考え込 んでいるより前に進める気がする。 調子に乗るので絶対に言わないが。 ゆめわたり ﹁夢渡じゃな﹂ とリーオがしたり顔で頷いた。 ﹁儂の特別な加護じゃからな、加護を持つ者同士、魂が引き合うの 1177 じゃ。夢渡する程、魂が引かれ合うのは珍しい事じゃが、お主らな ら納得じゃな﹂ ﹁そうだったのか。・・・ありがとう。おかげで覚悟が決まった﹂ 左手薬指に光る碧色を見た。リーオが施してくれた加護が宿るリキ との結婚の証。 今の俺と今までの人生とこれからの時間と命の全てを懸けて決意し 誓うたった一つの証だ。 ﹁リキを迎えに行く。リキ自身がこっちに帰りたがってる。だから 俺は諦めるつもりはない﹂ 心の中にリキの笑顔が浮かぶ。 不可能だと言われても決して諦めたりしない。 それが俺のやるべき事だ。 はっきりと断言すると、エリオットがヒューと口笛を吹いて茶化し てきた。ジェドもリーオもニヤニヤしていて、なんとなく狼狽えそ うになるが、ここで照れてはいけない。 ﹁誰がなんと言おうとリキを連れて帰る!﹂ と胸を張って大声を出した。 紫龍が何か言いたげに俺を見るが、すぐさま顔を青ざめさせてそら した。リーオから恐ろしい気配が滲み出ているのを感じたからだと 思う。 ﹁過去に世界を混乱させた奴がリキと同じ世界の出身だったのかも しれない。異世界人は圧倒的な力を持っているのかもしれない。で もリキは世界を混乱させる事は絶対にないし、力を無闇に振るう事 だってない。これは俺がリキに惚れてるから言ってる訳じゃなく、 この世界で生活するリキを間近で見てきたから言ってるんだ。この 1年半、リキはこの街の奴らとなんら変わりない生活をしてきた。 ただただ普通にこの世界で生きてきただけだ。誰に何かを非難され る事なんか何もないし、ましてや身勝手な理由を押し付けられて自 由も幸せも奪われる謂れなんて少しもない!﹂ 話してる途中からヒートアップしてしまって最後の方は半ば叫ぶよ 1178 うに言っていた。荒くなった息と苛立った心を落ち着かせるように 何度か息をはく。 リキが受けた理不尽な仕打ちに改めて怒りが込み上げた。 クソ!やっぱりあの紫龍ぶん殴りてぇ!! ﹁それはまぁいいから。つか、どうやって﹃扉﹄をリキの世界に繋 げんの?﹂ 今にも紫龍に飛び掛かりそうな俺の怒気を削ぐ軽い口調でエリオッ トが尋ねてくる。その傍らには空き瓶が何本も並んでいて、しかも 良く見れば高い酒の空き瓶ばかりだった。 こいつ、俺が隠しておいた﹃龍殺し﹄も飲み干してるし! ﹁お前な。いくら振る舞うために用意してた酒だって言ってもちょ っとは遠慮しろよ。どうせお前は酒飲んでも酔えねぇんだから、水 でも飲め﹂ ﹁今日の戦犯は俺だけじゃないから。どっちかってーと主犯はあの 碧色のひとだから﹂ ﹁わ、儂はいつもと同じくらいじゃし!それにリキには好きに飲ん でいいと許しを貰っておるし!﹂ ﹁あれー?﹃ガーウェン秘蔵の酒じゃぞ﹄って持ってきたのだれだ っけー?﹂ ﹁馬鹿者!それは言うでない!﹂ エリオットの告げ口にあわあわとリーオが慌てる。さっきまでリー オに対して感じていた感謝の気持ちが薄れ、思わず半眼で睨み付け た。 ﹁遊んでねぇでさっさと続けろ﹂ とジェドがうるさそうに顔を顰めた。そいつらは放っておけと言う ように、止まっていた話の続きを促す。 どうやって﹃扉﹄をリキの世界に繋げるか。 ﹁案は三つある。まずは異世界転移魔法具。今、知り合いが異世界 転移魔法具を研究開発している最中だから、それが完成出来ればリ 1179 キの世界に﹃扉﹄を繋げられるはずだ﹂ ﹁そんな魔法具が完成したら、世界の終わりです!私は認めぐふっ う!﹂ ﹁お前の発言こそ認めていません﹂ 驚愕して叫んだ紫龍の腹に白龍の華麗なひざ蹴りが叩き込まれた。 ・・・なんか紫龍の扱いが酷くないか?俺が寝てる間に何かあった のだろうか。 ﹁二つ目はリーオの言っていたドラゴンに世界の狭間を飛んでもら う。リーオ、連絡は取れそうか?﹂ ﹁はっきり言って難しいのう。どうやら彼奴は今この世界にはいな いらしくて呼びかけに応えんのじゃ﹂ ﹁悪いが、しばらく呼びかけを続けてくれないか?﹂ すまなそうな顔をするリーオにそう頼むと、嬉しそうに、任せろと 頷いた。 になってもらう。居場所の手掛かりだが・・・ジェド、なん ﹁三つ目はリキの同郷出身のカウェーラ・ケンタウロスを見つけて 鍵 かあるか?﹂ ﹁・・・俺が知っているカウェーラの最近の足跡は3年前のコーラ ム港だ。ソーリュート行きの船の乗船記録にカウェーラの筆跡があ った。そっからの足取りは掴めてない。もう少し資料があれば追え るかもしれないが﹂ ﹁そうか。カウェーラに関する記録を集められないか知り合いにあ たってみる。・・・アフィーリアがいたら他の国にも伝手が出来る んだが・・・﹂ ﹁その不吉な名前を言うなよ!﹂ 酷く慌ててエリオットがキョロキョロと辺りを見回す。顔面蒼白だ。 ﹁現れたらどーすんだよ!﹂ エリオットにとってアフィーリアは名前だけで恐怖を感じるほどの 存在になってしまったらしい。これに至るまでは自業自得なのだが、 同情してしまう。 1180 ﹁現れねぇよ。アフィーリア達は国からの依頼で帝国にいるんだろ ?さすがに第一王子の護衛放っぽり出して帰ってこねぇと思うぞ﹂ アフィーリアとマリはシン帝国を訪問している第一王子と宰相の護 衛のため、二ヶ月前からソーリュートを留守にしていた。 よく考えれば居なくて良かったと思う。もしあの場に二人がいたら どんな暴れ方をするか。ソーリュートの一部が吹っ飛んでいたかも しれない、とあながち間違っちゃいないだろう恐ろしい想像に顔が 強張るのを感じたのだった。 ****** 奥庭に出ると高くなった夏の日差しが肌を焼くように降り注いだ。 しかしそこまで暑さを感じなかったのは、庭の地面に水が撒いてあ ったからだ。 湿った地面が暑さを和らげている。 水を撒いたのは俺ではない。 庭の一角に青々とした草花が茂る場所があった。近づくと胡瓜やト マトといった夏野菜の匂いがする。その隣に小さな小屋があり、ド アの前にはグリーが触手を揺らしながら立っていた。 ﹁ううむ。あの小僧が見たらまた騒ぎそうな者がおるのう﹂ と付いて来ていたリーオが苦笑しながら言った。 リーオと知り合って一年ぐらいになるが、グリーと顔を合わせたの はこれが初めてだったのか。 ﹁グリーだ。本当の名前はグリリなんとかって長くて覚えられない からそう呼んでる。クリスが魔法陣で造った生物らしい﹂ 1181 ﹁あー・・・あの姫様か﹂ ﹁クリスが作ったにしちゃあ、常識的で信用出来る良い奴だぞ。グ リー、こいつはリーオ。・・・留守を守ってくれてありがとうな﹂ グリーの赤く丸い頭を撫でる。つるりとして冷たく、意外と癖にな りそうな触り心地だ。 草花がよく育つ時期である今、二週間ほど家を空けていたのに、奥 庭もリキの菜園もきちんと整ったままだった。他ならぬグリーが世 話をしていてくれていたからだ。 グリーの触手が地面を動く。器用に地面に文字を書いていた。 グリーが文字を覚えたことで筆談でのコミュニケーションが取れる ようになったのだ。 ガーウェン、貴方は大丈夫? グリーの頭には口しか付いていないが、しかし俺を心底心配してい る雰囲気が伝わってくる。 ﹁俺は大丈夫。リキもたぶん大丈夫だ。リキを迎えに行くためにク リスと連絡を取りたいんだが﹂ とそこまで言ったところでグリーから封筒を渡された。宛名も送り 名もなく、封さえしていない白い封筒だ。 中を開けると、簡素な封筒に似合わない豪華な便箋が入っており、 それには走り書きのような文字で一言、﹃任せておきたまえ﹄とあ った。 いつもは訳の分からないことまで延々話し続けるような奴なのに。 ジェドやリーオ達と話す前の俺のように無茶しているような気がし た。 菜園に実っていたトマトやナスなど、食べ頃の野菜を近くにあった 籠にたくさん入れ、それをグリーに持たせる。 ﹁グリー、これをクリスに。無茶はするなって伝えてくれ。リキが 帰ってきてもお前が倒れたんじゃ意味がないからな﹂ ありがとう。そうお伝えする 1182 ﹁おう。それと俺も諦めないから。俺は俺の出来ることをやるから って﹂ リキに繋がる細い糸を掴もうとしているのは俺だけじゃない。もち ろんクリスだけじゃない。 一人で足掻くより、たくさんの人と共に足掻けばいいんだ。 一人で気負うことはないのだ。 グリーが触手を振りながら籠を抱えて嬉しそうに小屋の中へ入って いった。早速、クリスに届けに行ったのだろう。 それを見送っていると、リーオが笑いを含んだ声音で言った。 ﹁偉そうに言っておるが、お主もじゃぞ、ガーウェン。無茶はする でない。お主が元気でなかったらリキが悲しむのじゃからな﹂ ﹁そうだな﹂ 夢の中で会ったリキにも自分の事を棚に上げて、飯食えだのちゃん と寝ろだの言ったんだった。 そう叱った俺がげっそりしてたんじゃリキに笑われちまう。 ﹁よし、グディんとこに飯食いに行くか!リーオも行くだろ?﹂ ﹁もれなく彼奴らも付いてくるが良いのかの?﹂ ﹁んー、まぁいいか﹂ 紫龍については怒りが収まらないが、かと言って一人で置いておく のも気掛かりだ。白龍の立場は分からないが、あれは居ても困らな いし。 ﹁じゃあ、飲んだくれ達を呼びに行くか﹂ 腹が減っては戦はできぬ。 これからのため、まずは腹ごしらえだな。 1183 想う人たち 2︵前書き︶ 今話は長くなってしまいました。すみません。 1184 想う人たち 2 ジェド達も誘って﹃南風の吹く丘亭﹄へ飯を食いに出掛けると、す ぐに街の人たちに囲まれた。近所の人達やリキとよく行く八百屋夫 婦に花屋の店員、雑貨屋の店長といった商店街の顔見知りも多い。 リキが攫われたという情報だけで詳しいことが分からず、心配が募 っていたようだ。 その中に眉尻を下げて今にも泣きそうな表情をしているファリスと エレもいた。 ﹁ガーウェンさん!リキさんが連れ去られたって!なんで・・・っ、 ガーウェンさんもずっと見かけないからすごく心配で!﹂ 他の人も同じように姿を見せなかった俺の身を案じる言葉を口々に 言う。 リキの事に必死過ぎて周囲を気にする余裕をなくし、俺自身も心配 を掛けていたと改めて感じて申し訳なくなった。 ﹁心配掛けて悪い。それとリキは連れ去られた訳じゃなくて、その・ ・・転移魔法で生まれ故郷に転移させられたんだ﹂ 背後に意識を向けないように、注意を払う。 ﹁えっ、そうなんですか・・・あ、で、でもリキさんの故郷は・・・ ﹂ そうだった。リキは故郷と家族を亡くしたという話になっていたん だったと思い出す。今更なんと説明したらいいか分からず、口ごも っていると、人々は顔を青くして﹁なんてひどい・・・﹂と言葉を 詰まらせた。 何かを勘違いさせたような気がするが、上手く訂正出来る話術は残 念ながら俺にはない。 しかしそれでも悲し気な雰囲気をまとわせるみんなをどうにか安心 させようと笑みを作った。 1185 ﹁リキは大丈夫だ、きっと。だってあのリキだぞ?﹂ ﹁・・・まぁ、そんな気はするけど・・・﹂ ﹁無事ならいいんだがな。なんで、リキちゃんがこんな目に会うん だ﹂ ﹁そうよ!騎士団は何をしてるのかしら。女の子にひどい事をする 悪漢がいるっていうのに!﹂ ﹁街に近いからな。まだ悪党が潜んでいるんじゃないかってみんな も不安に思ってるんだよ﹂ ﹁・・・あ、悪党・・・﹂ 愕然といった感じで紫龍が呟いた。 背後でジェドとエリオットがそれに吹き出して大笑いしている。 まさか﹁その悪党は後ろにいます﹂とは言えないので曖昧に相槌を 返すしかない。とりあえず紫龍が墓穴を掘らないようにリーオに視 線を送っておいた。 後ろにいる龍達に気付かれないうちに、話を変えようと不敵にニヤ リと笑って少し声を大きくする。 ﹁リキを迎えに行くのは今すぐは無理だが、必ず迎えに行くから。 むしろリキのことだ。俺が迎えに行くより先に自力で帰ってくる気 がするだろ?﹂ 一拍置いたあと、誰ともなく笑い出した。 ﹁そりゃそうだな!あのリキちゃんだからな!﹂ ﹁リキちゃんはお土産たくさん抱えて帰ってきそうよねぇ!﹂ ﹁ガーウェン、うかうかしてらんねぇぞ!迎えに行く前に帰ってこ られたんじゃ男の面目丸つぶれになるからな!﹂ たくさんの笑い声が重なる。 リキは大丈夫、必ず帰ってくるとみんな信じている。俺と同じよう に、リキの強さを心の底から信じてるのだ。 ﹁リキの事だから明日にも帰ってきそうだわ!早くドレス仕上げな いと!﹂ 1186 とエレが張り切った声をあげる。その声に反応したのは八百屋の奥 さんだった。 ﹁あら、ドレス?ドレスってなあに?﹂ ﹁リキのウェディングドレスよ!盛大な結婚式をあげるんですって !﹂ ﹁リキさんへのサプライズプレゼントだそうです!﹂ ﹁あら、そうなの?ガーウェン、やるわねぇ。私も手伝うわよ。刺 繍は得意だもの﹂ ﹁私もぜひ参加させて!ドレスに花を使えないかしら。花冠でもブ ーケでも良いんだけど!﹂ ﹁ならワタシも入れてほしーネ!ワタシの店に花嫁サンにふさわし ー布たくさんあるヨ!﹂ ﹁おお!なら神殿前の岬をバージンロードにしたらいいのじゃ!儂 が侯爵に直談判してやろう!﹂ ﹁わぁ!神官様、頼もしいです!﹂ そうだろ任せろ、と自慢気に胸を張るコイツが守護龍様だとは知ら ずにファリス達は無邪気に﹁あの神殿に神官がいたんだねぇ﹂とわ いわいと盛り上がった。 発案者の俺を置いて、賛同者兼協力者がどんどん増えていく。いや、 手伝ってくれるのは嬉しいんだけど、なんかすごい大掛かりになっ てないか? ﹁お、おい、あんまり派手過ぎるのは・・・﹂ ﹁こうしちゃいられねぇ!他の商店にも協賛者を募ろう!﹂ ﹁ちょ、﹂ ﹁おい、ガーウェン!結婚式のことは俺達に任せてくれ!お前はリ キちゃんを迎えに行く事を第一に考えろ!﹂ ﹁わ、分かってるけど、ちょっと待﹂ ﹁よし!商業ギルド大会議室に集合して企画会議だ!手が空いてる 者は参加してくれ!﹂ ﹁おおー!!﹂ 1187 ・・・なぜ誰も俺の話を聞かないのか。 この都市に住んでる奴は多かれ少なかれお祭り好きの気質があると 思っていたが、これは明らかに暴走状態である。 そして俺を置いて去って行く一団の中に当然のようにリーオが混じ っていた。 ﹁おい!﹂ 叫ぶが振り向いたのは紫龍だけで、連れて行かれる仔牛のような悲 哀溢れる顔をしていた。 そうだった。今は﹃海龍祭﹄真っ只中だ。 お祭り好きの蒼海龍を楽しませるためのお祭りだ。 盛り上がれる出し物とその中心に蒼海龍が揃ってしまえば、それは すでに﹃海龍祭﹄と同義なのだ。 ﹁ま、お祭りだし諦めろって﹂ ﹁大波でも荒波でも流されちまえば変わんねぇよ。楽しもうぜ﹂ ジェドとエリオットが他人事のような顔でニヤニヤと言う。 俺の手を離れた計画は早くも全力疾走を始めている。もう俺には止 められない。 リキ頼む。早く帰ってきて。 ****** ﹃南風が吹く丘亭﹄に入るとロードとグディの驚く声が聞こえた。 ﹁ガーウェンさん!?無事なのって、どーしたんスか、それ﹂ ﹁ガーウェンだとっ?!・・・・・・お前なんでそんな荷物抱えて んだよ﹂ 1188 ﹁みんなが差し入れだって渡してきたんだよ。前が見えねぇ。頼む、 受け取ってくれ﹂ 肉や野菜、旬の果物などがたくさん入った袋で前が見づらいなか、 店内を見るといつものメンバーが揃っていた。 ケインが慌ててパタパタと駆け寄ってきて荷物を少し引き受けてく れる。 ﹁悪い。後ろにもあるから﹂ ﹁えっ?・・・わあっ!すごいたくさんですね!﹂ ﹁ねぇ、なんで俺らまで荷物持ちなの﹂ 後ろをついて来ていたジェドは両手で抱えるほどの大玉スイカを、 エリオットは米袋を物凄く嫌そうな顔で持っていた。 俺が持てなくなった荷物がジェドとエリオットに押し付けられてい るのだ。 この地域の情報伝達スピードは恐ろしく、さっき話したばかりの結 婚式の企画がなぜか会う人会う人みんなに伝わっていた。 ﹁私も応援するよ!﹂ ﹁俺達も盛り上げるからな!﹂ 嬉々とした表情でみな、俺に協力を申し出てくれる。嬉しいのだが、 嬉しいはずなのだが、正直、これは大事になってしまったと思わざ るを得ない。 ﹁ほら、これあげるから元気だしな!﹂ ﹁リキちゃん迎えに行くんだろ?これ食べて体力付けな!﹂ ﹁リキちゃんがいないからどうせ碌なもん食ってねぇんだろ。これ 食え﹂ といろんな人が俺を激励し、食い物を渡してくる。 リキがいなければ俺は飯もちゃんと食えねぇ奴だと思われているの だろうかとショックを受けた。いや、まぁ、その通りだったんだけ ど。 抱えた食い物がさらに食い物を呼び、しまいには文字通り抱えきれ 1189 ないほどの食い物を受け取る事になったのだった。 1テーブル占領して荷物を下ろし、空いていたカウンター席に座っ て一息ついた。 ジェドとエリオットはロードとバードンの尻を蹴飛ばして、席を空 けさせている。相変わらず傍若無人だ。 店にいたロードの後輩達や若い奴らに、﹁好きに持ってけ﹂と言う と歓声が上がった。いつの時も若い連中というのは腹を空かせてい るのが定番なのだ。 ﹁グディ、これで適当に何か作ってくれ。残りはお前んとこで使っ てくれて構わねぇから﹂ ﹁俺にも﹂ ﹁グディ、酒くれー﹂ ﹁・・・ったく、お前らは﹂ 呆れ顔のグディが悪態を付きながらキッチンへ消える。 ﹁あれ、どうしたんですか?﹂ エヴァンがいつもの涼しい顔でテーブルを占領している食い物の山 を示す。 ﹁俺がちゃんとした飯食ってないように見えるらしくて。かといっ てこんな大量の食材渡されても俺はあんまり料理しねぇのに﹂ ﹁ああ、なるほど。皆さん、貴方を心配していましたから。・・・ それで?大丈夫なのですか?﹂ ちらりと探るような視線を向けられる。普段きつい事ばかり言うエ ヴァンだが、これでいて俺を心配してくれていたらしい。 ﹁おう。心配かけて悪かったな﹂ ﹁本当ッスよ!あのあとからガーウェンさん見かけねぇし、リキち ゃんみたいにアイツに攫われたんじゃ・・・﹂ 席を追われても挫けず、まとわり付いてきたロードが途中で言葉を 切って気まずそうにした。どうやら余計な事を言ってしまったと思 1190 ったらしい。見当外れな気遣いをして落ち込んだ顔をしているロー ドをわしわしと撫でて笑った。 ﹁俺もリキも大丈夫だから、そう気を回さなくていい﹂ ﹁リキちゃん見つかったの?!﹂ ﹁いや、まだだが。大丈夫だってリキを信じてる﹂ ﹁えっ・・・あ、あれー?﹂ ロードはなぜか納得いかない顔をしている。訝しげって表情だ。 ﹁お嬢ちゃんが二、三日仕事で居なくなっただけで死にかけてた野 郎がよくもまぁデカい口を叩くぜ﹂ いつもの定位置、カウンターの一番奥の席でルキが紫煙を吐き出し ながら、意地の悪い笑みを見せた。余り思い出したくない過去を指 摘されて、恥ずかしさで頬が熱くなる。 ﹁あ、あの時と今は全然違ぇし。あの時は俺はアホだったし色々悩 んでたし﹂ ﹁今はアホじゃねぇって?﹂ ﹁少なくともちゃんとリキの思ってることを考えられるくらいには アホじゃなくなった﹂ ﹁一昨日まで﹃もうダメだ﹄って顔してたクセに偉そうだな﹂ ﹁ジェド!余計な事を言ってんじゃねぇ!﹂ せっかく自分自身の成長をドヤ顔して自慢したっていうのに、とヘ ラヘラ笑うジェドを睨んだ。するとエヴァンが小さくため息をつい た。安堵するようなため息だった。 ﹁本当に大丈夫そうですね﹂ ﹁・・・おう、大丈夫だ。リキの事も絶対に諦める気はない。今、 できる事をやってる最中だ﹂ ﹁そうですか。私達で出来ることがあれば、協力させてもらいます ので言ってください﹂ ﹁そうッスよ!水くさいッスよ、ガーウェンさん!俺達が協力する から!犯人見つけてやっちゃいましょうぜ!﹂ ﹁あー・・・それは・・・・・・﹂ 1191 俺も俺も、とやたらと好戦的な面々には悪いが、あまりそれは勧め られないと言葉を濁す。このメンバーでかかれば奴を討てるだろう が、どうやら奴はアレでも重要な立場にいるようだし、そのことで この街と龍族との関係が悪くなるのは本意じゃない。それに守護龍 であるリーオが居づらくなったり矢面に立つ事になるのは嫌だ。 ﹁・・・何かあるんですか?﹂ ﹁ん・・・まぁ、いいか。ちょっと込み入った話になるんだが﹂ 顛末を話せば、龍族に対して良くない感情を持つ者も現れるだろう。 俺達の味方であるはずのリーオにも同様に思う人もいるかもしれな い。 でもエヴァンを始め、リーオと面識のある者も少なからずいるし、 おとなりさん 冒険者やこの街に住んでいる者達からすればリーオはお祭り好きの 気の良い守護龍だ。 そう悪くなることはないだろう。もしそうなるなら当事者である俺 やリキが守ってやればいい。 リキもきっとそう言うはずだ。 守護龍を守るって言うのは私達ぐらいだよ、と楽しそうに笑うリキ の姿が鮮やかに現れ、おれの心を軽やかにした。 ****** ﹁これ、私も貰ってもいいのかしら﹂ 海鮮丼をかき込んでいた手を止め、見ると品の良さそうな婆さんが 立っていた。この地区の住民じゃない雰囲気に一瞬警戒したが、今 が﹃海龍祭﹄只中である事に思い至り、観光客かと納得した。 ﹁このパンか?ああ、好きに持って行ってくれ。これは俺の友人が 1192 作ったパンで、見た目はちょっとアレだが、この緑色のが一番美味 い﹂ パンがたくさん入った籠の中を指差すと、婆さんは品の良さはその ままにニコニコと笑った。 ﹁親切にありがとう。今日は何かのお祝いかしら?﹂ 視線が賑わう店内を見回す。 店内は人と笑い声で溢れていた。 俺が貰った食材で料理を頼むと、食いきれないほどの量になった。 そこでその場にいた奴らにご馳走してやったのだが、なぜかそこか ら人が増えだした。料理や新たな食材を手にやってくる者や当然の ようにリーオ一行もいて、結果的に店の両隣お向かいさんも巻き込 んだ大食事会に発展したのだ。 ﹁祝いっつーか、前祝いかな。一応、俺と妻の結婚式の前祝いだと 思う﹂ ﹁あら、結婚なさるの?おめでたいわね﹂ ﹁いや、結婚はだいぶ前にしてるんだけどな。結婚式を挙げるって 言ったら、色んな奴らが集まってきちまって、ご覧の有様だ﹂ ﹁あらあら!前祝いにこんなに人が集まるなんて貴方は街の人に好 かれているのね﹂ と言われて、改めて騒がしい店内を見る。 みんな楽しそうに笑っている。お祭り好きの気の良い奴ら。 ﹁・・・俺じゃなくてリキが、今はここに居ない俺の妻がみんなに 好かれてるんだ﹂ リキがここにいればいいのに、と心底そう思った。 ﹁奥さんの事を愛してらっしゃるのね﹂ ﹁そりゃあな。俺には勿体無いくらいだ﹂ ﹁あらあら﹂ 1193 俺の自慢と惚気たっぷりのセリフに婆さんが目を細めて笑う。さら に人が良さそうな空気になった。 ﹁きっと皆さんの想いは奥さんに届いているわよ﹂ ﹁そうだといいな﹂ ﹁想いというのは細い糸なのよ。目に見えない細い糸なの﹂ 優しい穏やかな声は騒がしい店内でもなぜか耳によく届いた。 ﹁でも、たくさんの、本当にたくさんの想いを紡げば細い糸は太く 確かな絆になる。奥さんを想う貴方や貴方のお友達、街の人々、た くさんの人の想いはいままさに絆になり始めた。貴方の奥さんにも 貴方にも絆は大切なものよ。だって絆は道標だもの。彼女に辿り着 くための道標。暗い夜道を灯す街灯ね。それを辿って、進んで行く のよ。そして扉に辿り着いたら、最後の鍵は貴方の中にあるはず。 最初から最後まで貴方の中にあるのよ﹂ ハッとして隣りを見る。 しかし婆さんの姿はない。 白昼夢、か? ・・・・・・最後の鍵は俺の中にってどういうことだ。 俺とリキを隔てる扉の鍵が、俺の中にあるっていうのか。 1194 挿話 二人を想う人たち 1︵前書き︶ すみません!定時より遅れました! 面白い小説が多くて読み始めたら止まりません・・・。 今話と次話はソーリュートの人々+αのお話です。 この挿話が終わったら、物語はあと少しです! 1195 挿話 二人を想う人たち 1 パン屋に駆け込んで来たエレさんの言葉を理解出来なかった。何か 言おうとして、でも何も出てこなくて、喉からはヒッと引きつった 音がするだけ。 ﹁い、今、攻略隊が転移門前広場に帰って来て詳しいことは分かん ないんだけどっ、リキに・・・リキに何かあったって!﹂ 震える声と青褪めたエレさんの表情が、それは本当のことだと伝え てくる。 気付くと私は店を飛び出していた。 リキさんに限ってそんな事はない、という気持ちと、まさか、とい う気持ちがいつもは愚鈍な走りを俊敏にする。 息が上がり、足がもつれる。転がるように走って、広場に駆け込む ︱︱︱事は出来なかった。広場には人が溢れていて、帰ってきたと いう攻略隊の姿すら見えなかったのだ。 ﹁す、すみませ﹂ ﹁ファリスちゃんこっち!すみません!通して!﹂ 人垣を掻き分けようと群衆の後ろをうろうろしている所をエレさん に手を掴まれ、引っ張られた。ひしめく人の間に挟まれ、押され、 押し返し、掻き分けながら進む。 何度目かの﹁すみません、通ります!﹂を叫んだ時、群衆の一番前 に出て、身体の圧迫が少し緩んだ。ホッと息をついて、隊列を組ん で歩く騎士団を見回す。しかしリキさんはおろか、冒険者の誰の姿 も見えない。 ドッドッと心臓が痛いくらい早い。 まさか、まさか。 ﹁エヴァン!!﹂ 1196 隣にいたおじさんが叫んだ声に驚いて飛び上がってしまった。見覚 えのあるその猫獣人さんは確かガーウェンさん達と同じAクラス冒 険者だったと思う。猫獣人さんの険しい視線の先を追うとエヴァン さんを見つけた。 ロードさんとバードンさんも一緒だ。でもガーウェンさんとリキさ んはいない。 呼び声にエヴァンさんが隊列を離れ、こちらに駆け寄ってきた。 ﹁エヴァン!何があった?!リキとガーウェンはどうした!!﹂ 猫獣人さんは叫ぶ様にエヴァンに詰め寄る。周りにいる人達もガー ウェンさん達の関係者だったようで、みんな鬼気迫った表情をして いた。 ﹁・・・詳しいことはまだ言えないのですが、リキさんは攻略中に 事故に遭いまして・・・﹂ ﹁事故ってどういう事だよ?!﹂ ﹁だ、大丈夫なのか?!怪我は?!﹂ ﹁ガーウェンもか?ガーウェンはどうした!﹂ エヴァンさんの言葉に矢継早な質問が次々かけられるけど、私は何 も言えず息を飲んでいた。俯き、唇を噛み締めたエヴァンさんにリ キさんが巻き込まれた事故の深刻さを知ったのだ。 ﹁すみません、詳しくはまだ言えません。騎士団からの発表を待っ て下さい・・・それと・・・﹂ とエヴァンさんは言葉を切った。それから掠れる声で絞り出すよう に続ける。 ﹁・・・それと、ガーウェンのことは今はそっとしてあげて下さい。 彼には時間が必要です﹂ 見た事のないエヴァンさんの沈痛な面差しに、私達はそれ以上何も 尋ねられなかった。 その後、ソーリュート騎士団からの公式発表が公示された。 1197 攻略隊は新迷宮の第一フロアの攻略を完了した。が、正体不明の敵 から攻撃を受け、被害を負う。 結果、新迷宮の攻略は一時中断となり、近辺の立ち入りも禁止され る事となった。 重傷者1名、軽傷者7名、行方不明者1名 サンダトス この行方不明者が﹃雷炎鳥﹄の片翼であるリキさんだという事はす ぐにソーリュート中に広まり、様々な憶測が飛び交う事になる。 リキさんがガーウェンさんに愛想を尽かして出ていったとか、ガー ウェンさんをリキさんが攻撃から庇っただとか、ただの夫婦喧嘩だ とか。 しかしどれも最後には一つの結論に辿り着くのだった。 曰く、﹁﹃雷炎鳥﹄はもう飛べない﹂と。 ****** ﹁はぁ、祭りの最中だっていうのに気分が冴えねぇなぁ﹂ カウンターの奥でグディが深いため息をついて肩を落とした。一応、 目の前に客である私が居るのに繕おうともしない。 最も今は南地区の住民が殆どグディと同じ状態なので特に何も言わ ない。それに私自身、気分が落ち込んでいた。 ガーウェンだけじゃなく、あの場にいた全員がリキさんを助ける事 ができなかった。ガーウェンを呼ぶ悲痛な叫びが耳に残っている。 いつもニコニコと幸せそうにしていた彼女のあの叫びはいまでも胸 1198 を抉り続けていた。 そしてとてつもない悔恨が気分を落ち込ませる事となる。 カウンターの最奥の席にいるルキアーノが意味あり気にちらりと視 線を寄越した。 はぁ、とため息をつきそうになったところでグディに責めるように 言われる。 ﹁やっぱりガーウェンを連れて帰って来た方がいいんじゃねぇか﹂ あの日からガーウェンは、リキさんの痕跡と犯人の足跡を探すため ﹃忘れられた神殿﹄に籠っており、街にすら戻ってくる事がなくな っていた。 ﹁ガーウェンには心と状態の整理を行う時間が必要なんです。リキ さんの件で他の人が道を示したり、導いたりしては意味がない。き ちんとした意味でガーウェンが自分で立ち向かわなければならない んです﹂ ガーウェンの心身が気掛かりなのは私も一緒だ。しかしここで打ち 砕かれたままの心でいてはダメなのだ。 諦めるにしても諦めないにしても覚悟と決意が必要なのだから。 ﹁・・・つーかあの﹃神殿﹄大丈夫なんスか?またあの時いた敵が 出たりしないんスか?﹂ 隣の席で顔を伏せていたロードがボソボソと覇気も無く言う。いつ も能天気で軽薄なロードもあの事件には相当打ちのめされており、 ずっとこんな感じだ。 ﹁ジェドとエリオットもいるので大丈夫だと思います。彼等は性格 は最悪ですが、冒険者の腕は最高で、加えて迷宮に関しては一流で すから﹂ と返すとロードは不満気に唸った。理解はしていても納得は出来な いとあからさまな態度だ。 ﹁ジェドさん達だけじゃなくて、俺達だって力になれると思うのに・ ・・﹂ 1199 ﹁・・・そうですね。でも今、ガーウェンは周りを見る余裕がない んだと思いますよ。当たり前ですが﹂ 例えそれをガーウェンに伝えても、ガーウェンの心に余裕がなけれ ば分かってくれるとは思えない。 ﹁後手後手ですが、今後のガーウェンの事を考えると彼自身が決断 するのを待たないと﹂ 何とも言えない暗い雰囲気に店内が沈んだ時、騒がしい者達がドア から入ってきた。 ﹁おい、エリオット押すなよ。前が見えねぇんだから﹂ ﹁図体デカ過ぎ。邪魔だから﹂ ﹁おいコラてめ、蹴んなよ﹂ ﹁どーでもいいから早くしろよ。スイカ落ちるわ。寧ろ落とす﹂ ﹁やめろ!それは一番落としちゃいけないやつだ!﹂ 抱えた大量の荷物で顔が見えないものの声と赤銅色の髪の毛でそれ が誰だか分かる。 ﹁ガーウェンさん!?無事なのって、どーしたんスか、それ﹂ ﹁ガーウェンだとっ?!・・・・・・お前なんでそんな荷物抱えて んだよ﹂ ロードとグディが驚き叫ぶが、すぐに格好の不思議さに怪訝な声を 出した。 ﹁みんなが差し入れだって渡してきたんだよ。前が見えねぇ。頼む、 受け取ってくれ﹂ 荷物の脇からガーウェンが顔を覗かせる。困ったような顔をしてい るが、塞ぎ込んだ様子もなく、顔色も悪くない。 聞けばこの差し入れの数々はガーウェンを元気付けようとする住民 達の優しさらしい。 ﹁ああ、なるほど。皆さん、貴方を心配していましたから。・・・ それで?大丈夫なのですか?﹂ ﹁おう。心配かけて悪かったな﹂ 1200 グディ達とのやり取りを見て大丈夫そうだと思ったが一応聞いてみ ると、やけにすっきりとした爽やかな笑みを見せた。 拍子抜けしてしまうほどだ。 リキさんの事を受け入れて、そして立ち向かう決意を固めた事が態 度から分かる。 ・・・よかった。本当によかった。 軽口を叩き合うガーウェン達の変わらない雰囲気にそっと安堵の息 をついた。 ****** ﹁ナイスフォローじゃ﹂ パン屋の若妻に囁くと、 ﹁騒がれるとお困りになると思って﹂ と照れたような囁きを返された。 このパン屋の若妻とは以前から面識があり、儂の正体を知っている 数少ない住民である。先程、﹁神殿前の道をバージンロードにしよ う!﹂と提案した時、この娘が機転を利かせ儂を海龍神殿の神官だ と言った。やはり儂自身が蒼海龍だとバレてしまうのは少々面倒な ため、その機転には感謝している。 おかげでこんな楽しい事に参加出来そうである。 リキ達の結婚式。こんな面白そうな事はない! ﹁ファリスちゃん?﹂ パン屋の若妻の義従姉が顔を覗き込むように、身を屈めている。ハ ッと顔を上げた娘は少し目を伏せて、不安気に呟いた。 1201 ﹁・・・リキさんのことが心配で・・・﹂ ﹁そうね。ガーウェンさんはああ言ったけど心配よね・・・﹂ と義従姉も顔を曇らせた。そんな若い二人に恰幅の良い八百屋のオ ヤジが諭すように言う。 ﹁なら尚更、そんな暗い顔してちゃダメだよ、エレ、ファリスちゃ ん。今一番辛いのは考えるまでもなくガーウェンなんだ。そのガー ウェンが﹃リキは大丈夫﹄、﹃信じてる﹄って言ってんだ。だった ら俺達もそれを信じないと。リキを信じるって言ったガーウェンと リキ自身のことも信じて待っててやらないと﹂ ﹁そうよ、二人とも。そんな暗い顔しないの﹂ 八百屋のオヤジの言葉を引き継いで八百屋の奥さんが続けた。 ﹁リキちゃんの事はガーウェンに任せて、私達は結婚式を成功させ ましょう。リキちゃんが帰って来てよかったって思ってくれるよう な結婚式を考えなきゃね!﹂ ﹁・・・はいっ!﹂ 若い二人が満面の笑みを見せて弾むような返事をする。周囲の者達 もそんな二人を見て、穏やかな笑みを浮かべている。 ガーウェン 人に限らず心を持つものは必ずしも理性的な善性ばかりではない。 斯く言う儂も友人が傷付けられてカッとし、紫龍を害そうとした。 理性というのはこうも脆く崩れやすいのだと儂自身痛感したものだ。 しかしそれでもこの街の者達の多くは善性の性質である。己と他者 を大切にし、優しく健やかに生きようとしているのである。 明るく前向き。そして祭り好き。 だから儂はこの街の守護龍となったのだ。 ﹁紫龍よ。もう理解しているじゃろう。貴様が悪性だと言った娘は ただの人じゃ﹂ ﹁・・・・・・﹂ 儂の言葉に紫龍は何も言わず、俯いているだけだった。 1202 ﹁確かに異世界人の中には世界を思うままにしようと企んだ者もい た。じゃが、それはその者が異世界人だったからという訳ではない。 あの者もこの街の者達と同じただの人だったのじゃ。そしてあの者 は甚大な力を保有し、悲しい事にこの世界が好きではなかった。・・ ・この世界が嫌いじゃった。ただそれだけじゃったのじゃ﹂ もしかしたらあの者・・・﹃魔王﹄と呼ばれたあの少年もリキのよ うにこの世界で生きられる道もあったのかもしれない。だが。だが、 そうはならなかった。 ﹁・・・私は・・・﹂ 紫龍が絞り出すように小さく呟いたとき、八百屋のオヤジが大声を 上げた。 コーラス ﹁よっし!俺は商店街のみんなに声かけてくるから﹂ ﹁ワタシ、西地区いってくるネ。神殿前岬近辺の店にも声かけるヨ。 ダイジョーブ、ワタシあのへんにはちょーっと顔きくネ!﹂ ﹁じゃあ、残りは予定通り、大会議室へ!ソーリュート市民の意地、 見せるわよ!!﹂ ﹁おおー!!﹂ 大きな歓声を上げる一行に他の住民達も、なんだなんだと注目する。 その表情は祭りの予感を感じて期待に満ちている。 生命は、世界は、心は、美しい。それらを守りたいと、本当に守り たいと思うのならば。 ﹁儂らも行くぞ!見極めるならば渦中へ!﹂ 1203 挿話 二人を想う人たち 2︵前書き︶ アフィとマリの話を書くのが楽しくて長くなってしまい、二つに分 けました。 次話が最後の挿話になります。次話次話詐欺、申し訳ありません。 女子とおっさん、早く出せやと言う皆様、もう少しお待ちください !お願い致します! 1204 挿話 二人を想う人たち 2 隣に寝ていた身体が跳ねるように勢い良く起き上がった。 ﹁・・・どうした?﹂ まだ身体に残る疲労感に引きづられ、眠りへ沈み込みそうになる意 識を何とか堪えながら、暗闇に浮かび上がる女の白い背中に声をか エルフ けた。しかし呼び掛けに反応はない。 種族特有の長い耳が震えているような気がする。 ﹁おい、どうし・・﹂ 再び呼び掛けたとき、女の身体を中心にして魔法陣が展開された。 眩い光が部屋に満ちる。 天井に潜んでいた﹃影﹄と呼ばれる護衛の気配が一気に濃くなり、 殺気を発して今にもエルフの女を仕留めようとする動きを感じた。 それを右手を挙げて制す。 ﹁いくらお前でも先帝である我の部屋で魔法を行使すれば罰せられ る。分かっているだろう、アフィーリア﹂ 名を呼び、落ち着け、と柔らかい銀髪がかかる肩を撫でるとアフィ ーリアは勢い良くこちらを向いた。緑色の瞳には涙が溜まって今に も溢れ出そうで、可憐な少女のような顔つきと合わさり、庇護欲と 共に欲情を感じさせる。 この少女のようなエルフとはもう40年以上の付き合いになるが、 このような表情を見たことは初めてだった。 ﹁来い、アフィ。何があった。話せ﹂ 沢山置いてあるクッションに寄りかかるように身をずらしながらア フィーリアを呼ぶと、程なくして展開されていた魔法陣が消えた。 戻ってきた暗闇の中、アフィーリアの銀髪はまだ光を纏ってきらめ いていた。 美しい。出会った当時に感じた感情と変わらずそう思う。 1205 猫のように身体を寄せてきたアフィーリアの細い身体を抱く。張り のある柔らかい肌は若い女のそれだ。年齢により衰えた自身とは違 い、これも出会った当時と変わらない。 ﹁この部屋は特定の人物以外は魔法を使用出来ない術が施してある と聞いていたのだが違ったのか﹂ もしそうなら警備面での重要な欠陥ということになる。しかしそれ はアフィーリアが小さく笑って否定した。 ﹁ちゃんと術は有効になってるわ。でもアフィには無駄なのぉ。だ ってアフィはレイちゃんより優秀だもん﹂ まるで子供のような言い分だが、少しも事実から外れていないので 困る。レイちゃん、と呼ばれたのは帝国で最高位魔術師の老師であ る。それが無駄扱いとは本当に此奴は存在が脅威だ。此奴を手に入 れようと様々な国が画策しているが、今のところラーニオス王国か ら出る気はないようだ。 旧知の仲から言えばそれもただの気まぐれだと思うが。 ﹁そうか。だが、だからと言ってそう簡単に魔法を使うな。﹃影﹄ が殺気立っていたぞ。・・・何があった?﹂ 滑らかな曲線を描く腰部を撫でながら尋ねると、腕を回してぎゅう、 としがみ付き、潤んだ瞳で見上げてきた。こんないじらしい態度、 何か裏があるに違いない。 ﹁・・・・・・あのね、リッちゃんが連れてかれちゃったみたいな の・・・﹂ リッちゃん、と言う人物には心当たりがない。覚えている範囲でも アフィーリアの口から聞いたのは今が初めてだと思う。 ﹁リッちゃんとは誰だ﹂ ﹁リッちゃんはアフィの弟子でお友達。ちょっと特殊な出自で、そ のせいでおバカな龍に目をつけられちゃったみたいなの﹂ ﹁・・・それは我に話して良かったのか?﹂ ﹁うーん、ダメかもぉ?七老院も関係してるみたいで王国上層部は 1206 慎重になってるみたいだしぃ﹂ ﹁あの国王が歯軋りしそうな情報だな﹂ しがらみ 小首を傾げてあっけらかんと言うアフィーリアに笑う。此奴には国 策やら外交といった柵は通用しない。他人の迷惑面倒など意に返さ ず、自分が楽しめる、気持ちが良くなるように生きているだけなの だ。 しかしだからといって利用しない手はない。 右手を振ると、部屋の暗闇から影が揺らぎ、現れた。 ﹁今の話の詳細を調査しろ﹂ ﹁御意﹂ その一言のみで影は再び闇に溶ける。 一連の流れを見てもアフィーリアは何も言わない。さっきの迂闊に 漏らしたような話はこうなる為に仕向けたものだろう。ならばこち らもと、政に必要な腹芸などせず気安く問う。 ﹁さて、我も一口噛んだのだ。聞かせて貰おうか。一体何を企んで いる?﹂ ﹁アフィは怒ってるのよぉ!﹂ 問うが早いかアフィーリアが拳を振り上げ、大声を出した。血色の 良い柔らかい頬がぷっくりと膨らんでいる。 ﹁リッちゃんはアフィの弟子なの!友達なの!それを勝手に連れて 帰ったりして!脳ミソ小さいバカドラゴンは絶対に許さないんだか ら!﹂ まるでお気に入りの玩具を取られた子供の癇癪だ。それで国家間の 微妙な関係さえも利用して報復しようとするのだから自分勝手で恐 ろしい。 アフィーリアの玩具に手を出したバカドラゴンには火の粉が掛から ない位置から同情をしてやろう。 ﹁そんなに気に入っているのか。そのリッちゃんとやらを﹂ ﹁あれぇ、気になるぅ?リッちゃんとアフィはすっごく仲良しなん だよぉ﹂ 1207 ねぇねぇ気になるぅ?と慎ましやかな胸を押し付けながらニヤけ面 で挑発してくるアフィーリアには呆れるを通り越して感心する。 今は位を退いたとはいえ、世間では未だ﹃賢帝﹄と呼ばれている先 代皇帝に無礼どころじゃないふざけた態度。しかしこれもまた出会 った当時から変わらぬから最早怒りなど湧かないが。 もの ﹁そうだな。一度会って灸を据えないといけないな。お前は我の所 有物だ手を出すなと﹂ ﹁あらぁ、アフィは誰のものでもないわよぉ。強いて言うならあの かみ 子の遊び相手かなぁ﹂ ﹁くそ忌々しい﹃世界﹄め﹂ ﹁ふふふっ!﹂ 飛び掛かるように腹に乗ってきたアフィーリアは少女のような顔つ きに淫猥な笑みを浮かべて、機嫌の良さそうな声を上げる。 ﹁帰ろうと思ったけど、もう少しここにいてあげる﹂ そういえば先ほど展開された魔法陣は転移魔法だった。行先が龍の 元なのか王国の何処かなのかは分からないが、ラーニオス王国には 大きな貸しになるだろう。激怒したアフィーリアを引き留めてやっ たと恩着せがましい書簡でも送ってやるか。 銀髪を揺らしてアフィーリアの顔が近付き、唇が重なった。 ﹁貴方の為にここにいてあげるのよ﹂ 囁かれた甘い言葉に迂闊にも欲情を煽られた。 依頼の為でも王子の為でもなく、自分という存在がこの美しい気ま まな猫を縛るのかと思うと、途轍もない優越感を感じる。 ﹁そうか﹂ ﹁それにここにいても世界を揺らせるもの﹂ 不穏な言葉を睦言のように聞きながら、細い身体を組み伏せた。 ****** 1208 あと二、三枚の書類を処理すれば、本日の業務が終了するという時 にそれはやって来た。 ﹁フィ、フィールズ将軍閣下!申し上げますっ!﹂ 執務室に駆け込んで来た兵士の青褪め顔に補佐官達が緊張する。重 大な問題が起こった事は確かだ。 ﹁何だ﹂ ﹁はっ!﹃拳聖﹄マリエッタ殿が閣下にお会いしたいといらっしゃ っています!﹂ ﹁マリエッタ殿が?﹂ ラーニオス王国の第一王子と宰相が帝国を外交訪問しており、その 護衛という名目で﹃拳聖﹄と﹃銀の魔女巫女﹄が訪れている事は城 内の者全てが知っている。 生きながらにして伝説と呼ばれるその二人には好奇と共に畏怖の念 が付き纏っていた。 来訪歓迎パーティーの折りに少し会話をしたが、私でさえも圧倒さ れる存在感を感じたものだ。 ﹁面会の約束はなかったはずだが﹂ と補佐官達に視線を向けて確認すれば、それが正しいと頷いていた。 ﹁や、約束はないと仰られていましたが・・・そのっ・・・お会い したいと!﹂ 兵士がしどろもどろに、しかし必死に続ける。よく見れば若い兵士 は涙目で、その様子に何か嫌な予感が心に過ぎった。 ︱︱︱︱︱︱背筋を刺す氷のような冷たい殺気を感じ、咄嗟に立て 掛けてあった刀を掴んだ。 補佐官達も困惑しながら刀に手を添える。 1209 ﹁ヒッ!き、来た・・・っ!﹂ 部屋の隅に逃走した若い兵士の上げた悲鳴にこの殺気の元を知り、 顔が強張った。気分の悪くなるような容赦の無い殺気に補佐官達の 手が震え、刀がカチャカチャと鳴る音が部屋に響く。 ﹁・・・まだ抜くな﹂ 驚愕と恐怖の表情を見せる補佐官達に厳命する。 敵対するのはまだ早い。迂闊に踏み込めば惨事が待っている。 音もなく執務室の扉が開いた。 ﹁仕事中だったか。悪いな﹂ 謝罪を口にしながら少しも悪怯れる様子もなく、予想通りそこには ﹃拳聖﹄がいた。そして濃い殺気を引き連れて、不自然に音のない 動きで部屋に入ってくる。 それを恐怖に上擦った声で補佐官が止めた。この状況で良くぞ止め たと他の補佐官達が目を見張る。 ﹁こ、困ります、マリエッタ殿。いくら貴女様でも、っ!﹂ 補佐官の息を飲む音が聞こえた。 帝国軍人として平均的な体躯である補佐官を見下ろす黄金の瞳。 目は口ほどに物を言うという言葉があるが、それは正しい。﹃拳聖﹄ マリエッタの瞳は弱者を見下す圧倒的覇者の瞳だった。 ドサッと崩れ落ちる音がいくつも聞こえた。 ハッとして見ればマリエッタと正対している補佐官を残して、他の 補佐官が床に倒れ伏していた。 ﹁なっ・・・!﹂ ﹁腹が空いていたんだろ﹂ 驚く補佐官から視線を逸らさぬままマリエッタがいけしゃあしゃあ と宣う。その態度でこれが目の前から全く動いていないはずの女の 仕業だと補佐官は悟り、声も出せぬまま口を開閉していた。 ・・・恐ろしい。私でさえも僅かに身体が揺れたようにしか見えな 1210 かったのだ。これは完全に補佐官には荷が重い。 ﹁マリエッタ殿。ここは帝国軍部の中枢だ。入室は許可できない﹂ 意識を引くようにゆっくりと動き、自然に刀を掴んだ。ギラついた 瞳の視線の強さに負けず、睨み返しながら机を回り込み距離を詰め る。 女はニヤリ、と見た目通り虎のような獰猛な笑みを浮かべた。 ﹁確かお前の一族は竜王の一派だったな﹂ ﹁・・・その通りだ。代々お仕えしている。最も私は家督ではない からここにいるのだが﹂ ﹁そんなことはどうでもいい﹂ ふんと鼻を鳴らし、補佐官の机に無遠慮に腰をかけてマリエッタは 長い尻尾を揺らした。未だ重苦しい殺気は収まらない。 ﹁そんなことはどうでもいいんだよ。お前が竜王の一派の血族だと いう事が重要だ。聞け、そして愚か者共に伝えろ﹂ ﹁我々、甲拳流師範5名は現時点をもって竜王と敵対する﹂ ・・・・・・・・・は? 言われたことが突飛すぎて理解が追い付かない。聞いていた補佐官 も絶句している。 なぜ突然?竜王と敵対? ﹁ま、待て。どういうことだ?理由は?師範5名とは全員じゃない か。それは甲拳流の総意なのか?﹂ 焦って畳みかけるようにマリエッタに詰め寄る。彼女は獰猛な笑み を崩さずにいて、冗談などではないとゾッとした。 ﹁理由なら竜王が知っているだろうよ。まぁ、先に敵対行動を取っ たのはそっちだからな﹂ 1211 ﹁敵対行動とはどういうことだ?詳しく教えてほしい﹂ ﹁・・・面倒だが、お前のことは気に入っているから教えてやろう。 竜王一派の馬鹿が私の弟子を連れ去った。だから我々はお前らと敵 対する﹂ いやいや!説明が乱暴すぎる!絶対色んなことが抜けているだろ! ﹁ま、待て待て!﹂ ﹁竜王と真っ向から殴り合えるかもしれない機会だからな、爺さん 方も喜んで賛同してくれたよ。大義がある闘争は久々だから昂りっ ぱなしだ﹂ と女がからからと笑った。心底楽しいといった笑い顔だ。 女にとって周囲を混乱に陥れたこの殺意の奔流も、ただはしゃぎ過 ぎただけなのだと理解した。 そんなの。人知を超えたこんなものどうしたらいいんだよ。 ﹁我々はフェアだからな。一週間猶予をやる。そしたら楽しい闘い の始まりだ﹂ 非道な宣告はまるでピクニックの予定を告げるかのような明朗さを 以て発せられた。 1212 挿話 二人を想う人たち 2︵後書き︶ 竜王さん、ピンチ。 世界的立場が窮地な上、脳筋達が殴りこんでくる。 1213 挿話 二人の想いはよそに世界は揺らぐ︵前書き︶ クリス先生の世界情勢講座 1214 挿話 二人の想いはよそに世界は揺らぐ 日課である朝の掃除を終えて、創造主様をお迎えする準備が整った 事に満足する。そろそろ創造主様がいらっしゃる時間だ。 研究所を兼ねた別宅であるこのお屋敷の広い玄関を目指す。と、途 中で既に玄関にメイド頭のアリーナ様が立っていらっしゃるのに気 付いて慌てた。 走らぬよう、しかし出来るだけ急いで廊下を進んだ。 ・・・うう、お叱りを受けるかもしれない。 玄関扉の脇に立つアリーナ様の前で姿勢を正して礼をする。 おはようございます、アリーナ様。 ﹁おはようございます、グリー。丁寧に仕事を行う事は勿論ですが、 時間通りに終える事も重要です。ましてや主様をお迎えするのです。 何よりも順守するようになさい﹂ 申し訳ありませんでした、と深く頭を下げ、アリーナ様の隣に立っ た。 やはりお叱りを受けてしまったと落ち込む。アリーナ様は仕事と時 間にとても厳しく、そして創造主様への忠誠心は群を抜いていた。 創造主様に尽くしたいと思う気持ちは勿論あるけど、アリーナ様に 認められたいという気持ちもある。 もっと頑張らないと!落ち込んでいられない。 と決意も新たに触手をにぎにぎしていると、玄関のドアノブに掛か ったプレートが魔力を帯び、光った。 それを合図にアリーナ様が扉を開ける。 ﹁おはようございます、クリシュティナ様﹂ アリーナ様は完璧な礼で創造主様をお迎えし、私もそれに倣って礼 をする。 1215 おはようございます、創造主様! ﹁ああ、おはよう、アリーナ。グリーもおはよう。変わりはなかっ たかな﹂ ﹁はい。何ら変わりなく﹂ その答えに満足そうに頷かれると創造主様はいつもの研究室へと足 を進める。その後ろからは守護騎士達がぞろぞろと付いて来た。 この玄関ドアは簡易転移魔道具により侯爵城のある一室と繋がって おり、創造主様は研究所と城とを毎日のように行き来出来るように なった。 守護騎士達が通り過ぎた後、私が扉を閉め、魔法具の魔力を切る。 アリーナ様は創造主様に付き従っているため、私に与えられた重要 な役目である。 ドアの向こう側、本来森が見えている筈の向こう側には豪華な内装 の部屋と深々と頭を下げて居並ぶ使用人達が見える。 彼女達は城の使用人であるため、こちらには入れない。機密保持の 重要さからこの別宅に入れる使用人はアリーナ様と私だけなのだ。 ちょっと優越感を感じてしまう。 魔法具の魔力が切れている事と施錠を確認して研究室へと急ぐと、 部屋に居るのは創造主様と守護騎士隊隊長、副隊長のみだった。 紅茶を淹れていらっしゃるアリーナ様のお手伝いをと近寄る。 ﹁しかし本当に甲拳流は竜王国に殴り込みをかけるんでしょうか?﹂ 頬に大きな傷跡のある壮年の男が、その傷跡を撫でながら訝しげに 尋ねた。 ﹁愚問だよ、デンネル隊長。十中八九どころか、確実にかけるだろ うね﹂ 創造主の言葉は続く。 ﹁甲拳流は師範を頂点にそれぞれ派閥になっているけど、今回はそ の師範全員が参戦を表明しているからね。恐らく一門のほぼ全ての 者が参加するんじゃないかな。師範は神にも等しいとの事だからさ 1216 ながら聖戦だね﹂ ﹁ソーリュート騎士団の中にもその聖戦に参加するからという理由 で休暇を取った者が何人もいたそうですよ﹂ 創造主様の言葉を肯定したのはアルフォンス副隊長。その言葉にデ ンネル隊長は呆れの表情を見せた。 ﹁なんともはや﹂ ﹁しかも表向きの大義は甲拳流にあるからね﹂ ﹁大義、ですか﹂ ﹁甲拳流最高傑作﹃拳聖﹄の直弟子である人物に手を出したんだ。 われわれ 一門に泥を塗られた、一門に対する挑戦だと思うのは当然だよ。さ らに王国の声明も大義足り得る後押しとなっているしね。 って全世界 才能ある前途洋々な王国民、しかも新婚新妻を無理矢理、力づく で、転移させた竜王国の非人道的行為を強く非難する に発表したから世論は甲拳流を支持するさ。その真実が理由をつけ て竜王国と殴り合いたいだけだとしてもね﹂ もはや竜王国と甲拳流が衝突するのは避けられないようだ。デンネ ル隊長もアルフォンス副隊長も同様の結論に達したようで、苦虫を 噛み潰したような表情をした。 ﹁この二つがぶつかるならば、もはや戦争ですな﹂ とのデンネル隊長の呟きに創造主様は高らかに笑う。楽しそうな笑 い声だ。 ﹁ただの戦争ではないよ、デンネル隊長。これは一歩間違えば世界 戦争だよ﹂ デンネル隊長とアルフォンス副隊長が呆然と創造主様を見返す。爽 やかな笑顔の創造主様に似つかわしくない物騒なその言葉に私も息 を飲んだ。 ﹁先の王国の声明で、人族中心の国家には危機感が生まれた。下手 したら自国民が何処ぞの王国民と同じ目に合うかもしれない、とね。 人族は他種族に比べ能力は劣るものの数が多い。だから足りない力 量を物量でカバーする訳だ。しかしたかが一国家分の人数如きでは 1217 脅威に到底対抗出来やしない。それで人族は手を結ぶことにしたの さ。つまり同盟という事だね﹂ と創造主様は二人に見せるように両の手を握り合わせる。 創造主様はまるで役者のようだ。創造主様ならば人の目を惹き付け る無二の演技者になれるだろうと関係のない事が頭を過る。 ﹁今、大陸は二分されている。甲拳流側と竜王国側だ﹂ ﹁先程の人族同盟の旗振り役にはラーニオス王国が相応しいと他国 は思っているようだ。戦争しようとしている甲拳流を直接支持して いる訳ではないが、王国は声明で竜王国を名指しで非難しているか ら甲拳流側だと一般的には思われているしね。そして予てから竜王 国と小競り合いをしていた巨人国もここぞとばかりに竜王国を非難 する声明を出し、甲拳流のパトロンである極東皇国もそれに同調し ている﹂ ﹁竜王国側で言えば協力関係にある帝国とそれに追従する周辺国、 甲拳流とライバル関係にあるマーマニア総合剣術とかね。もし甲拳 流と竜王国の争いに少しでも他国が手を出したら一気に世界戦争に なだれ込むかもしれない﹂ ﹁そ、そんな世界戦争だなんて・・・﹂ 愕然といったようにデンネル隊長が呟く。それに創造主様は同意し て頷き、軽い口調で爽やかに続けた。 ﹁だからそれを回避するため、僕は現地に乗り込む事にしたよ﹂ ﹁・・・・・・・・・ええっ?!!﹂ 沈黙のあと、隊長と副隊長は同時に驚きの声をあげた。アルフォン ス副隊長に至っては腰を浮かせ、微妙な姿勢になっている。 ﹁待って下さい!そ、それはどういう事です?!﹂ ﹁そのままの意味だけど。﹃拳聖﹄が甲拳流を巻き込んで竜王国に 宣戦布告した理由はリキが強制転移で奪われ、未だにその所在、安 否が分からない事にある。所在は使用された転移魔法の特性上リキ 1218 の故郷だと推測出来るし、安否はガーウェンの言う事を信じれば大 ものがたり 丈夫らしい。ならばリキを連れ帰る事が出来たら、舞台はそのまま で未来を変えられるかもしれない﹂ 自信に満ち溢れた笑みで創造主様は仰られた。神々しいオーラを感 じる。 ﹁何のために僕が異世界転移魔法具の完成を急いだと思っているん だい?世界を救う為だよ﹂ ﹁・・・ラーニオス王国代表として行かれるという事ですか?﹂ ﹁他国が手を出したら世界戦争になるってさっき言っただろう。も ちろんお忍びだよ﹂ ﹁そ、それは危険すぎる・・・﹂ ﹁君達が守るんだよ。僕の守護騎士なのだから﹂ 青褪めた隊長と副隊長はあうあうと声にならない声を上げた。それ を見ながら創造主様は目を細めて笑う。 ﹁おめでとう。君達の主人は世界を救う英雄だよ﹂ 私の心は歓喜に震えた。 この方が私の創造主にて唯一無二の主、クリシュティナ様。 クリシュティナ様がそうだと言うなら、私は全力全霊でこの身を捧 げよう。 クリシュティナ様を救世の英雄に! 1219 挿話 二人の想いはよそに世界は揺らぐ︵後書き︶ 3行まとめ リキがいなくなったら 世界がヤバイ \︵^o^︶/ 1220 扉を開く方法︵前書き︶ 長くなった上、遅くなり大変申し訳ありません。 週の半分以上をトイレで過ごし、便器と親睦を深めておりました。 ノロはヤバいです。皆さんは予防をしっかり! 1221 扉を開く方法 ﹁頭おかしいんじゃないの?!もう二度と来ないで!!﹂ 女性の甲高い叫び声と共に目の前で勢いよく玄関ドアが閉じられた。 そして間髪置かずにガチャンッと施錠する音がする。 完全な拒否、拒絶。 ﹁・・・お時間頂きありがとうございました。失礼致します﹂ 閉ざされたドアの後ろにいる気配に向かって、深く頭を下げてから その場を後にする。 小さくため息をつきつつ歩き、角を曲がってその家が見えなくなっ てからメモ帳を取り出した。それからページに書かれていた住所と 氏名に線を引いて消す。同じように消した住所と氏名はすでに20 は超えていた。 先ほどの家は今日初めて顔を合わせるような遠い親戚の家だ。だと してもあんなにも拒絶された理由は考えるまでもなくはっきりして いた。 仕方ない。だって初対面の怪しい女に異世界に渡るために髪の毛を くださいなんて言われたら、不審通り越して恐怖だもの。警察を呼 ばれないだけ良かった。 と考え、改めて今日に至る日々を思い返す。 始まりといえばやはり﹁異世界に帰る方法が無いわけでは無い﹂と 聞いた日だろう。 ****** 1222 鏡子御婆様からの﹁その方法は直接会って教えます﹂と言う伝言を 受け取り、生きる気力を取り戻した私は驚異の回復を見せ、それか ら一週間で退院した。 驚く病院関係者に﹁愛のおかげです﹂と胸を張って言ったところ退 院を遅らせた方がいいのではと真剣に返されたりもしたが、それ以 外は何事もなくすんなりと退院でき、そしてその足で鏡子御婆様の いる泉護神社へと向かったのだった。 都心から新幹線と在来線を乗り継ぎ、5時間ほどで母の生まれ故郷 である街に着く。駅周辺はここ数年で開発が進み、人口が増えてき たらしいのだが、それでもお昼時だというのに人の姿は疎らだ。 アスファルトが照り返す夏の日差しに汗が滲む。 都会と比べて蝉の声が五月蝿く感じないのはなぜなんだろう。蝉一 匹当たりの止まり木の多さのせいだろうか、などと汗を拭いながら どうでもいいことをぼんやりと思う。 そういえばソーリュートの夏が猛暑にならないのは皇龍山から吹き かお 下ろす風があるからだとガーウェンが言っていた。その時の穏やか な表情を思い出して愛しさが募る。 ファンッ、と駅前にクラクションがこだました。少し離れた道路脇 に赤い高級車が停まっており、その運転席で見覚えのある人影が手 を振っていた。 手振りで助手席に回るように示されたため、小走りで向かう。助手 席のドアを開けると涼しい空気と共に激しい曲調の洋楽が車内から 流れ出てきた。 運転席の派手な格好の女性が身を乗り出すようにして抱きついてく る。 ﹁里季久しぶり!アンタまだそんな暑苦しい髪型してんの?色ぐら 1223 みかみこ い変えたらって何度も言ったのに﹂ ﹁久しぶり、美紙子。迎えに来てくれてありがとう。今日は仕事は ウチ どうしたの?﹂ ﹁里季が本家に泊まるって言うから有給取ったのよ!ママから話は 聞いたんだけど、いつも通り意味分かんなくて。里季に直接聞いた 方が早いかもって!てかアンタ泊まるのにそんな小さいカバンだけ なの?﹂ 明るい茶髪、キリッとした目元にはそれを際立たせるメイク、キラ さくら みかみこ キラ光を放つ大きな宝石がいくつも付いたアクセサリー類、そして セクシーでゴージャスな洋服。 海外セレブのような格好をした彼女の名は櫻美紙子。 櫻家の本家を継いでいる母の兄の娘、つまり私の従姉妹だ。 彼女とは同い年で小学校卒業するまではずっと同じクラスだったこ ともあり親戚の中では一番仲が良い。 ﹁長く居る訳じゃないから。それに鏡子御婆様に話を聞いたらすぐ に動けるように身軽がいいんだよ﹂ ﹁よく分かんないけど急がなきゃなんないの?つかどういう事なの よ。何にも言わないで一年も居なくなって、帰ってきたと思ったら 死にそうになってて、そしたらいつのまにかこんなに元気になって。 心配したんだから、親友として色々聞く権利があるはずよ﹂ キツめの見た目通り、はっきりしている性格の美紙子相手に隠し事 は許してもらえない。というか隠すというより、私の事を何でも知 っている彼女にガーウェンとのイチャラブ幸せな日々を話すという のは何というか照れてしまって、上手く言える気がしない。 ﹁・・・・・・なに可愛い顔してんのよ﹂ ﹁えっ、何?﹂ 顔赤くなってるわよ、と美紙子はじっとりとした視線を向けてきた。 そう指摘されればさらに耳まで熱くなってくる。 ﹁えっと、あの・・・信じられない話だと思うけど、異世界で運命 の人と出会って﹂ 1224 ﹁ちょっと待って!ストップ!﹂ 言葉の途中で勢い良く遮られた。 美紙子は額に手を当てて、深いため息をつく。 ﹁今、アンタから色々意味不明な言葉を聞いた気がするわ・・・も う!一旦、家に帰るわよ!初めっから包み隠さず洗いざらい話して もらうからね!﹂ ﹁え。御婆様の所に行って欲しいんだけど﹂ ﹁駄目よ。アンタにそんな可愛い顔させる男の話を聞くまでは連れ てってあげない﹂ アクセルを踏み込んだ美紙子の感情に合わせるかのようにエンジン 音は大きく鼓動し、車が勢い良く走り出した。そして私は少々乱暴 な運転に振り回されながら、言う通りに洗いざらい話すまで問い詰 められたのだった。 ****** 鏡子御婆様がいる泉護神社を訪ねることができたのはその次の日だ った。 泉護神社は街から少し離れた山の中腹にあり、緑鮮やかな葉が生い 茂る林に囲まれる鳥居や社殿の屋根が覗いて見える。 急で長い石段を登り、塗り直されたばかりの鮮やかな朱色の鳥居を くぐると空気が一変したのを感じた。 涼しく清廉な空気が汗をかいた肌を優しく撫でていく。境内に満ち 溢れる力が分かる。 母の実家である櫻家の祖先を辿ると占術を生業としていた家系であ 1225 るそうだ。時の帝にも重用されていたらしく、また一族の中には占 術とは違った不可思議な力も持つ者もいたという。 さくら しのは 現在、一族内の占術技術は衰え、名残といえばこの泉護神社と血筋 の女に備わる鋭い直感ぐらいである。 しのは ﹁里季ちゃん﹂ ﹁信乃葉、久し振り!﹂ 控えめに手を振りつつ駆けてきた巫女装束の女性、櫻信乃葉に笑み を返す。彼女も私の親戚で、かなり特別な力を持っているため、こ の神社で暮らしながら修行しているのだ。 ﹁うん、久し振りだね。大変だったみたいだけど元気そうで良かっ た。鏡子様が奥で待ってるよ﹂ ﹁あ、ちょっと待って。美紙子も一緒なんだ﹂ 石段を振り返るとちょうど登ってくる美紙子の頭が見えた。かなり 左右に揺れており、そして顔は恐ろしいほど険しい表情をしている。 ひゃっ、と信乃葉が小さく悲鳴をあげた。 ﹁はぁ・・・はぁ・・・り、里季、アンタ・・・病み上がりのクセ にっ、ひぅっ・・・はぁ・・・﹂ 荒い息に混じった途切れ途切れの低い声はまるで獣の唸り声のよう だ。 ﹁美紙子の体力がなさ過ぎなんだよ。もう少し鍛えた方がいいと思 う﹂ ﹁そ、その涼しい顔、腹立つっ・・・信乃葉、里季を呪っちゃって !不感症になるやつでいいから!﹂ ﹁えぇー?えーと・・・私、呪いは得意じゃないからなぁ﹂ 今にも私に物理的に噛み付いてきそうな美紙子に少し後退りつつ信 乃葉が言う。しかしその言い方じゃ、得意じゃないけど出来るとい うことではないのか。 不感症にさせられるのはとっても困る。ガーウェンとイチャイチャ 出来なくなる! 1226 ﹁・・・やらないからそんな絶望した顔しないで、里季ちゃん。私、 なんかショックだよ﹂ ﹁何でやらないのよ。てか聞いた?里季ってば結婚したんだって。 しかも11歳年上のマッチョな外人と!﹂ ﹁そうなんだ!おめでとう!年上かぁ。里季ちゃん、ファザコンっ ぽかったし納得かな﹂ ﹁ファザコンじゃないから﹂ ﹁自覚なかったの?アンタの初恋の田中先生とか雰囲気そっくりだ ったじゃん。アンタのガーウェンだって三枝のおじさんに似てんじ ゃないの?﹂ ニヤニヤと揶揄うような嫌な笑み浮かべる美紙子が眼前に指を突き 付けてくるので、閉口してしまう。 ガーウェンに父親の面影を感じた事はない。確かにガーウェンの鍛 えられた肉体の包容力には安堵するし、冒険者としての腕や知識は 頼りになるが、彼の一番の魅力は優しくて素直で愛らしいところで ある。・・・たまに出てくるしつこいエロおっさんは何とも言えな いが。 ともかく私はファザコンではない。 ﹁いっつも抱っこしてもらって寝てるんだってぇ∼﹂ ﹁やだ、やらしい﹂ ﹁やらしくないから!抱っこじゃなくてギュッてされてるだけだか ら﹂ ﹁やっぱ外人だから、アッチの方は激しいんだって∼。一晩で絶対 3回以上はするらしいわよ∼﹂ ﹁あらやだ。里季ちゃんったらやらしい﹂ ﹁私じゃなくてガーウェンがやらしいの。精力無尽蔵なんだもん﹂ ﹁精力無尽蔵!﹂ 途端に二人がゲラゲラと声をあげて笑い出した。 三人が集まるのは久し振りであるというのに、こうもすぐに昔の、 くだらない話にお腹が痛くなるほど笑える雰囲気になれるのはすご 1227 く嬉しい。 煩わしいことも多くて、でもすごく愛しい大切な関係だったんだと 胸の奥が熱くなる。今更、それが分かるなんて私は本当に人との関 係に鈍感だったんだなと苦笑が浮かんだ。 ****** ﹁待ってたって全然来やしないと思ったら、神聖な境内の中でなん て話をしてるのかしらね、貴女達は﹂ 鏡子御婆様がにっこりと素敵な笑顔で正座して俯く私達の前に立っ ている。品のいい立ち姿の背後にはゴゴゴゴと効果音が書かれそう な恐ろしい威圧感が立ち込めていた。 ﹁本当に貴女達は昔から三人集まれば騒がしくて、今も全く変わっ てないじゃないの。みんなもういい大人の女でしょう。場を弁えな さい﹂ 仰る通り、反論の余地のない正論に私達は﹁ごめんなさい﹂と項垂 れるしかなかった。大体、ここへ来た目的を忘れていたなんてアホ もいいとこである。 ガーウェン、ごめんね。私、ちょっとはしゃぎ過ぎた・・・と心の 中でガーウェンにも謝罪する。 ﹁一時はどうなるかと思う程だったけど、元気なようで安心したわ。 元気過ぎるようだけど﹂ と鏡子御婆様は呆れたように深いため息をこぼした。 ﹁心配かけてごめんなさい。御婆様の言葉でこうして一歩踏み出し ました。伝えてくれてありがとうございます﹂ 1228 御婆様が﹁扉を開く方法がある﹂と伝えてくれたおかげで私はガー ウェンとの日々を疑ったり諦めたりしないと決意出来たのだ。 ﹁伝えると決めたのは雫子ちゃん、貴女のお母さんよ。お母さんの 決断をよく理解してあげてね﹂ ﹁はい﹂ 私の心を理解して信じてくれた母さんのために、私は私が望む未来 を掴み取るつもりだ。どんな事をしても。 ﹁覚悟は出来ているみたいね﹂ ﹁はい。私の居場所はあちらの世界、あの人の隣です。絶対にあち らへ帰ります。﹃扉﹄を開く方法を教えて頂けますか?﹂ 鏡子御婆様はゆっくりと座り、スッと私へ視線を向けた。空気がピ ンと張り詰める。 ごくり、と誰かが唾を飲み込んだ音が聞こえた。 ﹁﹃扉﹄はもうすでにあるのよ﹂ 鏡子御婆様ははっきりと言った。 思わず、どこに、と叫ぼうとして言葉を飲み込んだ。じっと見つめ る御婆様の視線に重要なのはこの後であると分かったのだ。逸る気 持ちを押さえ、続きを待つ。 ﹁扉はあるんだけど、開くためには相応の力が必要で、今はそれが 足りないの﹂ ﹁・・・力とは魔力のことですか?﹂ ﹁里季ちゃんがいた世界ではそう呼ばれていたのね。世界の仕組み が違うから同じものではないと思うけど、私達は神通力とか呼んで いるそれね。だけどこの世界ではそのような力を持つ人自体少ない し、力の総量も小さい。私一人では﹃扉﹄を開く力には足りないの﹂ あちらの世界での﹃扉﹄と同じ仕組みではないと思うが、異なる世 界を繋ぐには魔力のような力が必要だということだ。しかしこちら の世界にはあちらの世界と違って空気中にマナが溢れているわけで も生物が魔力を持つわけでもない。 1229 ﹁その神通力を増やすまたは集める方法はあるのですか?﹂ ﹁その力だけど、里季ちゃんも美紙子ちゃんも持っているわよ﹂ と言われ、美紙子と顔を見合わせる。信乃葉が特別な力を持つのは 知っているが、私達にも? ﹁神通力というのは血に宿るものなのよ。ご先祖様の持っていた力 から見れば弱くなっているけど、私達櫻家の血にはその力が宿って いる。それらを集める事は可能だけど・・・﹂ ﹁どうやったら集められますか?!﹂ もう気持ちを抑えられなかった。 扉がある。あとは開くだけ。 ならば私は何も躊躇うことなどない。 鏡子御婆様は少し笑う。私の気持ちは分かっていると呆れるような 困ったような表情だ。 ﹁一番良いのは血を集める事だけど、それは止めてちょうだい。貴 女を犯罪者にはしたくはないから。 あとは髪ね。櫻家に連なる血縁者の髪を、力の宿った髪を集めるこ と。おそらくこれが一番現実的な方法じゃないかしら。でも、髪を くださいと言って応じてくれるかは相手を尊重するのよ﹂ ﹁・・・・・・﹂ これからの計画を頭の中で急いで立てる。 身体が心が震えるほど昂ぶってくる。 大丈夫。大丈夫だ。諦めたりなんかしない。 ﹁里季、大丈夫?﹂ 黙りこくった私を美紙子と信乃葉が心配そうに見てくる。それに笑 顔を返した。 ﹁美紙子、信乃葉、手伝ってくれる?﹂ 二人は目を丸くして驚いた顔をする。 ﹁もちろんだけど、アンタが素直に私達に頼るなんて﹂ ﹁里季ちゃんは大抵のことは一人で出来ちゃうし、私達に頼んだ事 1230 ないからビックリした﹂ 私もそう思っていた。多くの事は一人でも出来ると。でも、人に頼 ったっていいんだ。 沢山の人たちに頼ったり、頼られたりしてガーウェンはあんなにき らめいて生きている。私もあんな風に誰かとの繋がりを大切にして 生きていきたいと思ったのだ。 ﹁二人が手伝ってくれたら、心強いよ﹂ にこやかに笑った二人の瞳が潤んで輝いて見えた。 そんな私達を鏡子御婆様は優しく見守っている。 ﹃扉﹄を開くため、私の旅が始まる。 1231 扉を開く方法︵後書き︶ 美紙子と信乃葉は里季と同い年です。 女が三人集まれば姦しいと言いますが、それは彼女達の事です。 あと5話以内には物語は終わりますので、もう少しお付き合いを。 1232 優しさのつながり︵前書き︶ すみません!定時から遅れました! 1233 優しさのつながり 美紙子に協力してもらって調べた血縁者の住所録は全て回り尽くし ていた。それでも少しだけでもいいので髪の毛を集めようと一度回 って断られた家へお願いの電話をかけ続けている。 鏡子御婆様から言われた期限まであと四日。どれほど集めれば扉が 開くのか分からないから、出来るだけ多く集めたいと焦りを感じる。 私が回った血縁者は様々な人がいた。 強い拒絶を示す人もいたが、中には私が何かの事件に巻き込まれた と噂で聞いていて同情や好奇の視線を向けてくる人達もいた。 それはそれである種の正しい反応であると思う。 その一方で鏡子御婆様に絶大な信頼感があるため話を聞いてくれる という人も多く、また一族特有の鋭い直感で私の話を信用して協力 してくれる人もいた。 しかし、私を一番居た堪れない気持ちにさせたのはその直感で私の 話を信じても、異世界へ帰る事は反対だという人達だった。 特に母の兄弟や面識のある人が多い。 約一年前、私が失踪した時、母はやはり直感で私はどこかで生きて いると分かったらしい。しかしそうと分かっても心配しなかったわ けではない。母は毎日、私の身を案じ、無事を願っていてくれたそ うだ。 なのにやっとこうして戻って来たというのに、また再び異世界など という遠すぎる場所へ行こうと言うのか。また家族を悲しませるの か。 そう言われれば私は何も言えず、しかしそれでも止まることなど考 えられず、苦しい気持ちで進む他なかった。 1234 家族を、母さんを悲しませたい訳じゃない。でも私はこれからもガ ーウェンと一緒に生きていきたい。 どちらも、なんて都合のいい事は言えないと分かっている。ならば 私はガーウェンを選ぶ。 それが親不孝で薄情であっても。 ・・・強くそう思えればいいのだが、やはり心が苦しくて仕方ない。 ****** とある地方都市の高級マンションに来ていた。いくつかある分家の 一人の女性から、もう一度会ってもいいと連絡があったからだ。 ﹁連絡して頂きありがとうございます﹂ ﹁いらっしゃい、入って。あなたが来たあと、妙に子供の頃のこと を思い出しちゃって写真を見たのよ﹂ 母さんより少し年下の女性が私を招き入れる。派手な雰囲気がどこ となく美紙子に似ていた。 通されたリビングのテーブルの上には数枚、写真が並べて置いてあ った。どれも泉護神社で行われる祭りの時撮られた写真のようで、 数人の子供達が笑顔でピースサインをしている。その中に何となく さとし 見覚えのあるような不思議な気持ちを感じる男の子がいた。 ﹁やっぱり分かる?それ、里志くん。あなたのお父さんよ﹂ 言われて改めて写真を見ると少年の笑顔には父の面影があった。父 は細目で、笑うとそれが更に細くなる。この少年の笑い顔は父と同 じだった。 1235 ﹁小学校高学年くらいかな。その隣にいるおかっぱが私。小一だっ た。分家っていうのは結構序列をつけたがるもので、分家の中でも 上位下位っていうのがあったのよ。まぁ、私はそういう前世代的な のが嫌で出てきたんだけどね。里志くんはお母さんの連れ子再婚と いう事もあって立場が弱く、分家下位グループ同士よく一緒にいた わ﹂ そう、父さんと母さんは家系図的には親戚になる。しかし直接血は 繋がっていないし、四親等以上離れていたので結婚することが出来 た。当時は本家直系と分家連れ子の婚姻ということで色々あったと、 母さんからは笑い話で聞いた。 ﹁この写真を見るまですっかり忘れてたんだけど、私、里志くんに 助けられた事があるの﹂ ふふふ、と女性は意味深に笑う。 大学生のころに二人が出会って、それからの話は惚気話としてよく 聞かされたものだが、父さんの子供のころの話をあまり聞いたこと がなかった。知りえなかった話を聞ける喜びと聞いてもいいのだろ うかという少々の戸惑いを感じる。 それを敏感に感じ取った女性はからからと笑って、手を振った。 ﹁ああ、そんなに構えなくても大丈夫よ。そんな大層な話じゃなく て、迷子になったところを助けてもらったのよ。この写真は泉護神 社のお祭りのときに撮ったんだけどね、この後に迷子になったのよ﹂ それから女性は少し雰囲気を変え、身を乗り出して思わせぶりな声 色で話し出す。 ﹁ガキ大将がいてね、そいつが入っちゃいけないって言われていた 山の奥に行こうって言いだしたの。ようは肝試しね。もちろん私は 反対したんだけど、そいつは上の分家の子供で誰も逆らえなくて、 結局行くことになったのよ。里志くんは祭りの手伝いでこなかった んだけどね﹂ 泉護神社のある山はそう高くないものの、やはり危険な箇所はある ため山の奥へは入ってはいけないと教えられるそうだ。 1236 ﹁ビクビクしながら暗い山道を歩いてね、しばらく行ったら﹃これ 以上行ったらダメだ﹄って感じる場所に来たのよ。それを感じたの は、私と一緒に行ったもう一人の女の子だけだった。私達の血筋は 勘が鋭いって言うけど、ほんと不思議よね。そこからもう一歩も歩 けなくなっちゃって﹂ 女性は懐かしむように目を細める。 ﹁男の子達は先に行っちゃうし、だけど戻れもしなくて二人で蹲っ て震えてたの。そしたら祭りの手伝いをしてるはずの里志くんが来 てくれたのよ﹂ そこで女性は言葉を切ったが、すぐに堪えきれないと肩を震わせな がら笑い出した。 ﹁里志くんったらもう大号泣、ぼろぼろ泣いてて!ごめんなさいね、 あなたのお父さんの事なのに笑ってしまって。でもあんなに泣いて いる男の子は初めて見たから私ももう一人の子も驚いて!﹂ ﹁分かる気がします。父はお化けとかそういうのすごく苦手でした から﹂ ﹁ああ、やっぱり!ぶるぶる震える手で私達を掴んで一言﹃帰ろう﹄ とだけ言ってまた泣きながら山を降りてくれて。里志くんの泣き顔 で私達の涙は引っ込んで、それどころかむしろ私達が里志くんを守 らなきゃって気持ちになってね。﹃大丈夫、ここには怖いのはいな いよ﹄って里志くんを励ましながら無事に山を降りて帰ってきたの よ。お陰様で、それから気弱な男の子には世話を焼きたくなる性格 になっちゃって﹂ と女性はちらりと飾ってある写真立てに視線をやる。そこにはウェ ディングドレス姿の女性と少し気弱そうで優しそうな男性が幸せそ うな笑顔で写っていた。 ﹁気弱だったけど、里志くんはいつも優しかった。それを思い出し たら、里志くんにお礼がしたいなって思ったの。・・・・・・里志 くんが亡くなって十七年でしょ?﹂ ﹁・・・はい﹂ 1237 おはなし ﹁あなたの話はまるで物語みたいだけど、嘘じゃないってそんな気 がする。だからね、里志くんへのお礼にあなたに協力する事にする わ。まだ間に合う?﹂ ﹁っ、はいっ、ありがとうございます・・・!﹂ 言い表せない思いに胸がいっぱいになって鼻の奥がつんとした。じ んわりと視界が潤む。 私は家族を支えようと決めていて、でも自分を支えてくれる人は必 要だと思わなかった。 一人で何でも出来たからだ。でも﹃何でも﹄なんて思い違いだった のだ。 私は頑なに一人でやろうとしていただけだった。独り善がりにも似 た強がりで自分は﹃何でも﹄出来ると思っていただけだった。 強がらずに手を伸ばせば、こんな風に手を掴んでくれる人が私の周 りにはたくさんいたのに気付いていなかった。 ﹁里志くんみたいよ、今のあなた。ねぇ、そんなに会いたい人って どんな人なの?﹂ 親子は似るのね、と私の泣き顔に優しく笑う。 この優しさは父さんの勇気と優しさが巡って私に戻って来たものだ。 それはまるでガーウェンの優しさのようではないか。彼の振り撒く 優しさがソーリュートでの私の生活を照らしてくれたように、今、 父さんの優しさが希望を照らし出してくれる。 ぼろぼろと次々に涙が溢れて頬を流れ落ちていく。。 ﹁・・・父さんの・・・父さんのような優しい人で・・・﹂ やっと言えたその言葉のあとには涙ばかりで何も言えなかった。 ****** 1238 頂いた髪を大事に鞄にしまうと、ちょうどケータイから着信音が聞 こえた。 母さんからだ。電話に出れば前置きなしで尋ねてくる。 ﹃里季、今日は帰ってくるのか?﹄ ﹁ううん。このまま泉護神社へ行こうと思ってる﹂ ﹃・・・そうか、気を付けて。それと楓子伯母さん達には私の方か ら里季に協力してほしいとお願いしたから、明日行ってくるといい﹄ ﹁ありがとう、母さん﹂ 私が異世界へ帰るのに反対している本家の人達を母さんは説得して くれていた。母さんの複雑な気持ちは痛いほど分かる。・・・いや、 私が思うよりももっと辛いに違いない。 ﹁母さん、本当にありがとう。・・・ごめんね﹂ ﹃いいや、里季が謝ることはないんだ。里季には小さい頃から苦労 をかけてきたんだ。母さんの方こそ里季にこんな事くらいしかして やれなくてすまない﹄ 電話口から落ち込んだ母さんの声がする。母さんは後悔しているよ うだった。小さい頃から私に家事や弟の世話を押し付けていたと、 そう思っているらしいのだ。 ﹁私は苦労だなんて思ったことはないよ。私がやりたいと思ったか らやっていたんだもん。それこそ母さんが謝るようなことじゃない﹂ それに、と言いかけて少し躊躇う。これは母さんには内緒の話だっ たのだが、でも今伝えたほうがいいと感じた。 ﹁それに、父さんとの約束だったから﹂ 母さんが里季と力を守るから、里季は母さんを守ってあげて ﹃約束?﹄ ﹁ って父さんに頼まれた﹂ ﹃・・・・・・・・・﹄ 1239 ﹁だから私がやらなきゃって。母さんは私が守るんだって、その、 恥ずかしいんだけど・・・正義のヒーローみたいな気持ちで・・・﹂ ﹃正義のヒーロー・・・。ヒロインじゃなく?﹄ ﹁だから﹃みたい﹄な気持ちだって。父さんとの最後の約束だった からちゃんと守りたかったんだ﹂ そうか、と母さんは呟いてそれから口をつぐむ。 私は父さんとの約束を守るため、一人で何でもやってきた。私が一 人で何でもやれることが、母さんを支えることになるのだと思って いたのだ。 今更だけどもっと力を合わせれば良かったと思う事もあるが、それ でも私は一途にその気持ちを持ってきた。 だけど、今、私はその約束を破って異世界へ行こうとしている。・・ ・本当に親不孝者だ。 ﹁母さん、私は・・・﹂ 父さんとの約束より、ガーウェンを選ぶ。家族よりもガーウェンと の生活を選ぶ。 心は決まっているのに、それを伝えるのを躊躇っているのはずるい と思う。だけど言葉が続かない。 ﹃里季、大丈夫だ、分かっている。里季にはもう十分守ってもらっ たよ。あんな小さい頃から母さんを守ってくれてありがとう。もう、 いいんだよ﹄ ﹁・・・母さん・・・﹂ ﹃今までの考え方や見え方が一変するほどの人との出会いは知って る。母さんにも憶えがあるから。里季はその気持ちを疑わずに、こ れからは母さんじゃなく里季の守りたい人を守ればいいんだ﹄ ぐっと喉の奥が詰まって、苦しくなる。優しさが、沢山の優しさが 胸を深くうつ。 ﹃里季が幸せになることが、母さんの・・・母さんと父さんの願い だから﹄ 1240 世界は綺麗事ばかりではないと分かっている。世界には理不尽や不 平等が沢山あると知っている。 でも、だけど、世界は優しい人で溢れてる。 何気ない小さな優しさや胸をうつ深い優しさがたくさんあるのだ。 私はその優しさを全て心に抱いて、愛する人が待つあの世界へ帰ろ うと思う。 そして幸せに、ガーウェンと幸せになろうと思う。 1241 最後の鍵︵前書き︶ ここまできた・・・! 1242 最後の鍵 鏡子御婆様からはまだ﹃扉﹄の在り処を教えてもらっていない。 しかし﹃扉﹄を開くための儀式は始まろうとしていた。 神楽用の巫女装束の着付けを信乃葉が手伝ってくれている。 ﹃扉﹄を開く儀式では私が神楽を舞わなければならないらしい。 神楽とは泉護神社の祭りや元日に奉納される巫女舞のことである。 舞うのは未婚の年若い女子であり、私も小学生の時二回ほど舞った 経験がある。 しかし今回は私が舞うことが重要なのだそうだ。 ﹁やっぱり里季ちゃんは器用だよね。神楽もすぐに覚えちゃうし﹂ ﹁昔、舞ったことがあるからね﹂ しみじみと信乃葉が言うので、そう返すとなぜか美紙子が反応した。 アンドロイド なんて ﹁昔って何年前よ。子供の頃から里季ってやたらと物覚えが良いわ よね。すぐに何でも出来るようになるから あだ名付けられてたし﹂ ﹁え、知らなかった﹂ ﹁それ、確実に妬みでしょ。女の子なんてみんなそう。表ではすご いだの憧れるだの言うくせに、裏では人を馬鹿にするんだから﹂ 千早と呼ばれる神楽用の羽織りを私の肩に掛ける信乃葉の周りにど ろどろとなにか黒いものが渦巻いているような気がする。 背後を取られているのが不安になる雰囲気だ。 美紙子が理由を耳打ちしてくれる。 ﹁鏡子御婆様を信奉してる自称・能力者の女に付きまとわれて迷惑 してるらしいわよ﹂ 1243 ﹁追っ払ったりできないの?﹂ ﹁偉い先生の娘だかで無視できないんだって﹂ あー・・・そりゃあ、ヘイトも溜まりますわ。 分かるけど、ぶつぶつ呟きながら着付けをするのは止めて欲しい。 精神が休まらない。 ﹁それはそうと、あんたまた髪切ったの?短いの似合わないから程 々にしたほうがいいって忠告してやったのに﹂ 非難じみた美紙子の視線に居心地が悪くなり、すっきりとしてしま った襟足を撫でた。 ﹃扉﹄を開く為には血縁者達が持つ力が必要で、その力が宿る髪を 集めなければならないと聞いて、私が一番にした事は自らの髪を切 る事だった。 儀式の時、その場にいる私は髪を切る必要がないと言われていたの だが、﹃髪をください﹄とお願いする立場の私の髪が長いままだと 筋が通らないと思ったからだ。 その時は肩辺りまでバッサリと切った。 今はさらに短くなり、項が見えるくらいのショートヘアになってい る。 ﹁私なりの決意の現れなんだけど、似合わないって言うなよ﹂ 物心ついてから肩より短い時はなかったので、耳や項が出るような 髪型が見慣れないどころかはっきり言って似合っていないのは分か っている。出来ることなら昨日の自分をぶん殴ってでも止めたい。 それなのにこうもずばり言われると傷つくではないか。 ・・・ガーウェンにがっかりされたらどうしよう。本気で泣くかも。 ﹁ガーウェンだって引くでしょ﹂ ﹁やめろよおおおおおおお!!!﹂ ﹁そんな風になるくらいなら、なんで切るのよ。馬鹿ね﹂ 両手で顔を覆って、うわぁっ!と叫んだ私に美紙子の冷ややかな声 がかかる。 1244 ﹁大丈夫だって、里季ちゃん。そんなに変じゃないよ。イケメンに なったよ﹂ と信乃葉までフォローになってないフォローを言うので、がっくり と膝から崩れ落ちた。 これから一番大事な儀式だっていうのに、心を打ち砕かれた。 こんな気持ちで私は舞えるのか。 ああ、馬鹿だ私は。少し、ほんの少しガーウェンに会うのを躊躇う 気持ちが湧いてきた。 でもだって!ガーウェンには可愛いと思われたいんだもん! ﹁はははっ、二人ともその辺にしてやってくれないか﹂ 軽快な笑い声と共に母さんが部屋に入ってきた。 その母さんの髪も私と似たようなショートヘアになっていて、驚く。 ﹁母さん、その髪・・・﹂ ﹁ああ、里季の母として筋を通さなければと思ってな。随分と頭が 軽くなっていい具合だ﹂ 意外と似合うだろ、と母さんは得意気な顔を見せる。 私の選んだ願いを全身で応援してくれているのが分かって視界が潤 んだ。何だか最近、涙腺がゆるゆるな気がする。 ﹁いつ見ても叔母さんと里季はそっくりよねぇ。叔母さん、今日は 仕事どうしたの?﹂ ﹁雫子さんと呼べといつも言ってるだろ。今日は里季の旅立ちの日 になると思って、休んだ。二人もそう感じてるんだろ﹂ と母さんは美紙子と信乃葉に視線を向ける。二人は複雑そうな顔で、 私と母さんを交互に見て、それから観念したようにため息をついた。 ﹁・・・信乃葉が﹃扉﹄が開くとしたら今日だろうって﹂ ﹁今までも頻繁に会っていた訳じゃないけど、それでもやっぱり里 季ちゃんと会えなくなるのは寂しいよ﹂ ﹁里季の事だから帰っても元気でやるだろうけど。なんかこう・・・ ね﹂ 1245 ﹁信乃葉・・・美紙子・・・﹂ 二人は私があちらへ帰れる様に初めから力になってくれていた。あ んなにも沢山の人達から協力を得られたのは、美紙子と信乃葉の力 添えがあったからに他ならない。それにこれから行われる儀式にも 協力してくれる。 二人には感謝してもしきれない。 しょんぼりした二人に私も胸が締め付けられて切なくなったところ で、美紙子が、 ﹁でもその髪が似合ってないのは本当だから﹂ と余計な一言を付け足して、別れの予感にしんみりしていた空気を 吹き飛ばした。 ****** 泉護神社の御神体は鏡である。 鏡は全てを見透す目であり、魔の物を跳ね返す結界であるそうだ。 その御神鏡を祀った神棚の前に巫女達が整列していた。 私が巫女舞を舞い、母さんと美紙子、そして信乃葉を始めとするこ の神社の巫女達が神楽の曲を奏でるのだ。 鏡子御婆様はただ優しい笑顔を浮かべていた。 ﹁大丈夫、﹃扉﹄はすでにあるわ。あとは里季ちゃんの想い次第よ﹂ ﹁想い、ですか﹂ ﹁そう。想いというのは糸のように細いものだけど、今まで貴女自 身が紡いできた確かな想いがあちらの世界には沢山あるはず。里季 ちゃんがあちらの人達を想うように、あちらの人達も里季ちゃんを 想っている。それを感じて﹂ 1246 私があちらに帰りたいと思っているのと同じように、あちらのみん なも私に帰ってきてほしいと思ってくれているのだろうか。 ・・・思ってくれている。私の記憶の中のあの街の人々ならそう思 ってくれているはずだ。 ﹁私は、あちらに、必ず帰ります﹂ 誓いのように決意のように強くそう御婆様に伝える。 御婆様は一つ頷いて、それから私の胸の辺りを指差した。 ﹁﹃扉﹄を開ける最後の鍵は貴女の中にある。最初から貴女の中に あるのよ﹂ ﹁私の中に・・・﹂ ・・ じんわりと胸の奥が熱くなる。 最初から私の中にあるもの。それは̶̶̶ ﹁さぁ、儀式を始めましょうか﹂ たん、たん、しゃん たん、たたん、しゃん 太鼓と鈴が打つ拍子に合わせて、横笛が緩やかな音色を奏でる。 篝火の炎が御神鏡の中でゆらゆらと不思議な揺らぎを見せていた。 御神鏡の前には集めた髪の毛の束が積まれている。一生でも見るこ とはないだろうこんもりとした山二つ分の髪束は圧巻だ。 お人好し だった。 両手に扇を持ち、深呼吸を一つ、そしてゆっくりと一歩踏み出した。 なか ガーウェンの最初の印象は 突然、自分の身体に得体の知れない魂が入り込んできたというのに、 警戒や嫌悪感を持ったのはほんの少しの時間で、私の境遇を知ると、 不満そうな雰囲気ながらも協力的になる程だ。 他人を信用しやすい優しい人。随分と可愛いおっさんだな、なんて 1247 思った。 しかしガーウェンは単なる優しい人なんかではなかった。 過去にどんなに傷付けられたとしても、不安や恐れを知っていても、 再び人を信じ、真っ直ぐな優しさを与えられる強い心の持ち主だっ たのだ。 ガーウェンはよく自分を﹃情けなくて不甲斐ない奴﹄なんて言って いたが、それは違うと思う。 情けない奴が、傷付けられても再び人を愛せるだろうか。 不甲斐ない奴が、不安にめげずに人に寄り添えるだろうか。 私はずっと最初からガーウェンの強い心の優しさに包まれていたの だ。 苦しい時、辛い時に言葉に出さない難儀な性格の私の側にいつもい てくれ、溢れ出る愛をガーウェンは余すことなく受け止めてくれた。 ガーウェンに会いたい。 ガーウェンの隣で生きていきたい。 胸の奥がほんのりとあたたかくなる。 このあたたかさは懐かしいような。 ふと気配を感じた。 覚えのある気配だ。 一つの身体に一緒にいた時に感じたもう一つの魂の気配。 ガーウェンの気配。彼の魂の気配。 ̶̶̶̶̶̶̶̶̶リキ 1248 声が、聞こえた気がした。 ガーウェンの優しい魂の気配を感じる。 ガーウェンがすぐ近くにいるような。 ﹁ガーウェン?﹂ ̶̶̶̶̶̶リキ! 御神鏡がキラリと光った。 ̶̶̶リキ、来い!! 考えるより早く、声のする方へ駆けた。 1249 開く扉 1︵前書き︶ 長くなってしまい、二つに分けました。 またしても次話次話詐欺、申し訳ありません! 平伏してお詫び申し上げます! 1250 開く扉 1 真っ白なウェディングドレスは細身のシルエットですっきりとした 印象がリキに合っていると思った。 しかしよく見れば生地は艶やかで柔らかな高級品で、たくさん入っ ている繊細な刺繍は手間が掛かっているのが分かり、そして所々小 さな宝石がキラキラと光っていた。 見れば見るほど顔が引き攣っていく。 ﹁とっても素敵・・・まるでお姫様が着るドレスみたい﹂ うっとりと感嘆の声を上げているのはベラだ。 俺達が﹃忘れられた神殿﹄に潜った時、ベラは夫のセルジョと共に 仕入れのためソーリュートの隣村へ行っていた。隣村といっても皇 すぐさま 龍山をぐるりと回り込んだ所にある村だ。 事件の一報を聞いて直様ソーリュートへ戻ろうとしたそうだが、シ ョックが大き過ぎたのかベラは体調を崩し、暫く療養を余儀なくさ れた。そしてやっと一昨日、ソーリュートへ戻ってこれたのだ。 帰ってきた直後のベラの取り乱し様といったらなく、痛々しいくら いだった。 ﹁そうでしょ?素敵でしょ?ドレスはほぼ完成でね。後はベールに 刺繍を入れるだけなんだけど、参加したいって人がたくさんいて豪 華なベールになりそうなのよ!﹂ ドレスの腰にリボンを縫い付けていたエレが、自慢げに言うのを聞 いて慄いた。 おい、これ以上豪華になるって言うのか?! 別にこのドレスに不満がある訳ではない。リキにきっと、いや絶対 似合うだろうし、想像でニヤニヤしてしまうぐらいにこのドレスを 1251 気に入っている。 しかし、しかしだ。不満はないが、不安はある。 ・・・・・・これ、いったいいくらするんだ?! ﹁私もベールの刺繍にぜひ参加したいのですが﹂ ﹁おい、ベラ。一昨日も倒れた奴が何言ってんだ。大人しくしてお け﹂ ﹁あら、なら刺繍はいいわよ。ベッドの中で出来るから。何とかっ ていう種族は花嫁のベールに一人一模様づつ刺して、それで幸せを 願うらしいし、ちょうどいいと思うんだけど﹂ ﹁わぁ!それは素敵な風習ですね!・・・あの・・・ガウィ兄さん、 ダメ?﹂ 眉尻を下げたベラが上目遣いに見てきた。 反対している俺にきちんと尋ねてくる謙虚さは強引なディアナとは 違うが、うるうると潤んだ瞳でお願いされればディアナ以上の却下 を許さない空気になる。 ﹁ぐ・・・・・・絶対根を詰めてやるなよ﹂ ﹁ガウィ兄さん、ありがとう!﹂ 嬉しさが隠しきれない満面の笑顔になったベラに苦笑いを浮かべた。 いつまで経っても妹達にはどうも強く出れない。これだからコルト に﹁甘やかすな﹂と怒られるのだ。 それでもベラが刺繍をする事を張り切っているのはリキの幸せを願 うためで、それに嬉しさを感じるのは確かだ。 ベラのように、他の奴らもリキを想いながら結婚式を準備している。 そう思うと不安になるぐらい盛り上がっている計画にも何も言えや しなくなるのだ。 1252 ****** 今、ソーリュートだけじゃなく世界が異様な盛り上がりを見せてい る。 発端はリキの事件だろうが、それをあわや世界戦争になるという所 まで発展させたのは間違いなく頭のおかしい戦闘狂共とラーニオス 王国だった。 甲拳流という戦闘狂共が竜王国に宣戦布告した衝撃に追い打ちをか ける様に王国が﹁我が国民に行った非道許すまじ﹂と世界中に声明 を発表したことで、対立が明確になった。 そこかしこで種族・宗教・国でどちらに付くかという論争になり、 ソーリュートのみならず世界中がピリピリとした嫌な雰囲気に包ま れるかと思われた時、案外あっさりと竜王国は謝罪した。 ﹁我々の王国に属する者がその様な事態を引き起こしたことは大変 遺憾である。ラーニオス王国並びに甲拳流には深く陳謝する。賠償 責任を果たし、直ちに詳細を調査、然るべき者に然るべき処罰を下 す所存である﹂ つまり、紫龍を切り捨てることで世界戦争を回避したのだ。 紫龍については自業自得だという気持ちもあれば、少し同情する気 持ちもある。しかしこの事に関して俺自身が出来ることは何もなく、 こうしてリキの世界へ﹃扉﹄を繋げる方法を模索しながら結婚式の 計画を練っているのだった。 ﹁号外!号外だよ!甲拳流と竜王国の五番勝負!第四戦は甲拳流の 勝利!これで勝敗は二勝二敗で五分に戻った!﹂ ベラを泊まっているホテルまで送り届けて、﹃南風の吹く丘亭﹄に 行こうとソーリュートを歩いていると、号外が配られていた。 1253 〝甲拳流・副将﹃拳聖﹄マリエッタ勝利!勝負の行方は大将戦に! その号外を手に街の人々が歓声を上げている。 事件の犯人として紫龍を切り捨てた竜王国はさらに多額の賠償金を 甲拳流、ラーニオス王国両方へ支払うことによってこの対立を解消 しようとした。元々、竜王国と対立しても利益がなかったラーニオ ス王国はこれまたあっさりと賠償金を受け取り、さっさと舞台から 下りていった。 その賠償金は俺のところへもいくらか入ることになっていたが、い ずれリキは帰ってくるからそんなもの要らないと返した。 甲拳流も賠償金は要らないと言い、その代わりに望んだ事は対戦だ った。 師範五人と竜王国との殴り合い。戦闘狂はどこまでもブレずに戦闘 狂だったのだ。 ﹁大将戦は竜王国最強対﹃大師範﹄らしいわ。貴方は知ってらっし ゃる?どちらも強いのかしら?﹂ 不意に話しかけられ驚いたが、その人物を確認してさらに驚く。 ﹁アンタ、あの時の・・・﹂ ﹁あの時は親切にありがとう。あのバジルのパン、とっても美味し かったわ﹂ ニコニコと品の良い笑みも出会ったときと一緒だ。 近隣も巻き込んだ大食事会を行った時に﹃南風が吹く丘亭﹄で話し かけてきて、﹃扉﹄を開くための最後の鍵が俺の中にある、と妙な 事を言っていた不思議な婆さんだ。 ﹁・・・・・・アンタ、何者だ?﹂ 警戒感から声が低くなる。気配や魔力量に脅威は感じない。力を隠 しているような雰囲気もなく、ただの普通の婆さんに見える。 でも何か、はっきりと言えないがその姿に何か違和感のようなもの を感じた。 1254 灰色の髪と一見すると黒に見える濃い茶色の瞳。 何かを感じる。 ﹁今から少しお時間頂けるかしら?貴方にとって大事な話があるの だけど﹂ ﹁なんだ、大事な話って﹂ ﹁ここじゃ話せないから、付いてきて下さるかしら﹂ ﹁・・・・・・﹂ ﹁・・・あら?・・・あらあら?﹂ 付いてきて、と背を向けた婆さんだが、向かって歩いてくる人を避 けて右往左往するばかりで少しも前に進めていなかった。 何してんだ、まったく。 ため息を付きつつ、人の流れを遮るように婆さんの前に立つ。 ﹁あら?﹂ ﹁・・・んで、どこに行くんだ?﹂ ひとけ ﹁あらあら。どうもありがとう。人込みに慣れていなくって。とり あえず人気のない所に行ってくださるかしら﹂ 苦笑を浮かべた婆さんを先導するように人がいない路地裏を目指す。 明らかに怪しい人物に人気のない所へ誘われて、なのに率先して前 を歩くなんてどういう状況だよ。と言いつつ、背後を気にして婆さ んがちゃんとついて来ているかチラチラ確認しているのだから俺も 大概お人好しだ。 人込みを避けて路地をいくつか進むと、周囲に人の気配がなくなっ た。 ﹁この辺でいいか?﹂ ﹁ええ、ありがとう。ふふっ、貴方はとても素敵な人ね。色んな人 が貴方を気に入る理由が分かるわ﹂ ﹁怪しいアンタに言われても嬉しくないんだけどな。で、話って何 だ﹂ ﹁あらあら、残念ねぇ。話はちょっと待ってね。よいしょっと﹂ 1255 掛け声と共に婆さんが路地の壁に手を付くと、淡い光が線を描き、 円形の魔法陣が展開された。 それなのに魔力の高まりはなく、相変わらず凪いだ空気が周囲にあ って、不思議な感覚になる。 ﹁飛ぶからここに手を置いてちょうだい﹂ ﹁どこ行くんだ?﹂ 訝しげな俺に婆さんはにっこりと笑った。 ﹁そろそろ時間だから迎えに行くのよ。鍵は持っているかしら?﹂ その言葉が示す意味に俺は息を飲んだ。 罠、だろうか。 だが、この先が罠だろうがなんだろうが、リキへと繋がる何かだと 直感が告げていた。それに得体の知れないこの婆さんの誘いにはも う既に乗っている。 ならば、躊躇う事なんか一つもないはずだ! 円形の魔法陣に手を翳す。 ﹁里季ちゃんが貴方を選ぶ理由が分かるわ﹂ 眩しすぎる発光とくらりとした目眩を感じて強く目を閉じた。 ****** 目眩が治り、目を開けると目の前に龍の顔があって、うおっ!と叫 リーオ び声を上げてしまった。 よく見れば蒼海龍で、叫んだ事がちょっと恥ずかしくなる。 ﹁な、なんだ、リーオか﹂ ﹁なんだとはなんじゃ。ガーウェン、どうしてここに?﹂ 1256 不思議そうに首を傾けたリーオの碧色の鬣が鱗の上を流れていく。 どうしてここに、とはと周囲を見回して、心臓が飛び出るかと思っ た。 リーオの隣には白龍、黒龍、赤龍、灰龍がいて、興味深そうに俺を 見ていたのだ。見下ろされる圧迫感が半端ない。 ﹁蒼海龍の強い加護が付いている﹂ ﹁ほぅ、眷属か。珍しいな﹂ 一飲みにされそうなデカい顔を近づけ、すんすんと鼻を鳴らしてい る龍達に冷や汗が出る。 ﹁大巫女殿が下界に降りて来ているのは珍しいですね﹂ 俺の隣にいる婆さんを見た白龍の呟きに被せるように聞き覚えのあ る女の声が聞こえた。 条件反射で顔が引きつる。 ﹁お姉様?お姉様どうしてここに?ガウィちゃんと知り合いだった のぉ?﹂ タタタッと軽快な足音を響かせ、アフィーリアが駆けてくる。 ﹁どうして、ではないのよ、アフィーリア。貴女の良いところは情 に厚い所だけど、今回の事はそれを逸してるわ。世界を不安定にさ せるなんてとんでもないわよ﹂ ﹁だって、お姉様﹂ ﹁だってじゃありません﹂ 俺に見せていたにこやかな雰囲気から一転してアフィーリアには怒 った顔を向け、説教し出した。珍しいことにそれにアフィーリアは もじもじと身体を揺らして、バツの悪そうな表情を見せている。 アフィーリアと知り合いだった事も驚いたが、それよりもアフィー リアをあんな風にさせる事ができることに驚愕する。 本当、この婆さん何者だ? というかここどこだ?なんでアフィーリアがいるんだ。 視線を巡らせて、この場所とここにいる人達を確認して二度目の叫 1257 び声を上げてしまった。 やたらと天井の高いだだっ広い広間に大きな円卓があり、そこに座 っているのは俺でも知ってる者ばかり。 岩のような二体の龍の間にいる半人半龍の男は竜王。 その向かい側にマリと甲拳流の師範達。 俺達の向かい、竜王と甲拳流の間に位置しているのはクリス。馬鹿、 手を振ってくるな。知り合いだと思われるだろ。 ﹁ここは・・・﹂ ﹁ここは竜王国の王城よ﹂ おい、どういうことだ。 もう頭を抱えるしかなかった。 1258 開く扉 1︵後書き︶ 次話、再会。 もう詐欺しない。絶対 1259 開く扉 2︵前書き︶ 大変申し訳ありません!遅れました!そして長いです! 1260 開く扉 2 ﹁大巫女殿。きちんと手続きしてから訪城頂きたい﹂ ﹁竜王様、お久しぶりですね﹂ 抑揚のない話し方で無表情の竜王の言葉を遮り、大巫女殿と呼ばれ た婆さんが話し出す。 ﹁貴方もいけないのですよ。若い龍に全てを押し付けて責任を取ら せるなんて。あの子は融通の利かない思い込みの激しいタイプだけ ど、真面目です。貴方の命令をよく聞いて、真面目に行動した結果、 あの事態を引き起こしたんですよ﹂ ﹁・・・何を勘違いしているか分からないが、私は﹃渡人﹄を排除 しろなどとは命令していない﹂ 声の調子も表情も少しも変化させず竜王は宣う。 ﹁はっきりとそう命令しなくても、それに準じた事ならばあの子が そう捉えても可笑しくないでしょう。あの子は貴方の思想の影響を 強く受けているのだから。あの子を切り捨てれば全て丸く収まると 思っているの?あの子の主としてそれでいいと思っているの?・・・ ・・・はぁ、大体貴方達は皆が皆、自分本位過ぎるわ﹂ 婆さんが盛大なため息を付いて、ぐるりと円卓を見回した。その視 線にアフィーリアがぴくんと身体を揺らし、甲拳流の師範達はあら ぬ方向を向いて視線を合わせようとせず、クリスは何も考えていな いような晴れやかな笑顔でいて、どうも自分の立ち位置が分からず 不安になってくる。 ﹁いくら友人を奪われたからといって国家間の不和を誘発し、それ を口実に戦乱を起こそうとし、責任を部下に押し付けて自分は素知 らぬ顔。仮にも人々を導く立場の者達のやることかしら。一番の被 害者の事なんて誰も考えていないじゃない﹂ 1261 ﹁失礼、大巫女殿。発言してもいいかな?﹂ リキ とクリスが右手を上げ、この雰囲気のなかであっても普段と変わら ぬ調子で言った。 ﹁彼らを庇う訳ではないけれど、被害者に関しては、すでに異世界 転移魔法具は完成しているから、帰ってくるのは時間の問題だと言 える訳だよ。今は世界戦争に発展するかもしれない逼迫した情勢な んだし、僕達の立場としてはそちらを優先するのは当然だと思うけ ど﹂ 彼らと円卓に並ぶ面々を見回して、クリスはニッコリと笑う。 だと?なら何でリキを しかし、その発言の内容に俺は顔を歪めた。 すでに異世界転移魔法具は完成している すぐ連れ帰りに行かねぇんだよ! ギリッと奥歯を噛み締める。 世界の為には複雑な事情の考慮が必要な事は分かってる。けど、そ うだとしても悔しさで胸が締め付けられるようだ。 ﹁・・・確かに貴女達の駆け引きで世界戦争は回避された。多数の 為に少数に犠牲を強いるのも時には上に立つ貴女達の役目なのかも しれない。でも、それにしても貴女達は自分達の為に時間をかけ過 ぎじゃないかしら。その時間のせいで里季ちゃんの心が壊れてしま うとは考えなかったの?﹂ 息を飲む音が部屋にいくつも聞こえた気がした。 ﹁貴女達が彼女をどんな風に思っているかは分からないけれど、彼 女は決して強くない普通の女性よ。何度も世界間を強制転移させら れ、その度に大切な人達と引き離され、それでマトモでいられるほ どの強さはない﹂ ﹁大巫女殿はリキの心が壊れてしまったと言うのか?!﹂ リーオが吼えるように叫ぶ。 高い天井にそれが響いた。耳が痛い。 ﹁お姉様、冗談言わないで!﹂ 1262 ﹁詳しく聞かせてもらいたい。それはどういう意味だ?﹂ アフィーリアといつの間にか隣に移動したマリが婆さんに詰め寄っ ている。婆さんはそれにまた深いため息をついて呆れるように首を 振った。 ﹁里季ちゃんのことを想像すれば分かることでしょ。想像力が足り ないのよ、貴女達は。それにもう待つのも待たせるのも嫌になって しまったわ。そうでしょ?﹂ 貴方もそうでしょ?と婆さんは俺を見つめた。 俺は無意識に頷いていた。 この場にいる者達の思惑や駆け引きで、世界の平和が保たれている のだとしても、こんな茶番はもううんざりだ。 殴り合いがしたいならしてくれ。 リキが帰ってこれる手段はあるのに、なぜ、まだこんなにも苦しい 思いをしてるんだ。リキもきっと苦しい中、必死になってる。 俺は、いや俺だけじゃなく南地区の多くの人達もただ、ただリキに 会いたいだけなんだ。 早く、出来ることなら今すぐにでも会いたいだけなんだよ! ﹁では、儀式を始めましょうか﹂ 婆さんの宣言が部屋にいる全ての者達を震わせた。 ****** 声の余韻が残る中、緩やかな動きで婆さんが円卓に手を着くと円形 の上板の中心に魔法陣が幾つも展開された。 大小様々な魔法陣が重なりながらくるくると回り、天井からは魔力 1263 の欠片が雪のようにキラキラと降ってくる。 こんな大掛かりな魔法陣は見たことない、と見上げていると周囲の 異変に気付いた。 俺と婆さんを除く、この部屋にいる全ての者が俯いたり、円卓に伏 せていたりと身体に異変を感じているようなのだ。 アフィーリアやマリでさえ膝をついて床に蹲っている。 ﹁お、お前ら、大丈夫か!﹂ ﹁あら、大丈夫よ。﹃扉﹄を開けるのに彼等の魔力を借りているだ けだから﹂ 慌てる俺に婆さんは何の事なく言う。 ﹁お、大巫女殿・・・何を・・・﹂ リーオの苦しげな呟きが聞こえたが、婆さんの行為を止める気は起 きなかった。 ﹃扉﹄を開ける。そう言われて止めるわけない。 ﹁特定の世界への﹃扉﹄を開くことが難しい事は知っているかしら ?﹂ ﹁ああ。世界を隔てる﹃扉﹄を開くのは簡単だが、里季の世界への ﹃扉﹄を開くには﹃鍵﹄が必要だと・・・﹂ と言いかけて、言葉を飲み込んだ。 ・・・音が聞こえた気がした。高く澄んだ、鈴の音のような。 ︱︱︱︱︱︱︱︱︱しゃん、しゃん ハッとして顔を上げる。魔力が雪のように降ってくるその上を睨む ように見た。 1264 ︱︱︱︱︱︱たん、しゃん、しゃん 太鼓と鈴の音。朗々とした・・・唄? なぜか胸の奥が熱くなる。 嬉しいような、切ないようなそんな熱さに身体が震えた。 初めて抱き合ったその後、﹁ガーウェン、愛してる﹂と心底幸せそ うな顔をして眠りにおちたリキを抱き締めたその時に感じた胸の奥 の熱さに似ている。 リキは頭が良くて何でも卒なくこなし、人によく頼られるタイプだ。 たぶん幼い頃からずっとそうだったのだろう。だから逆に人に頼る 事は得意じゃない。 抱え込む性格というわけじゃないが、辛い時苦しい時ほど何も言わ ない。 そんなリキが﹁側にいて﹂と控えめに俺の手を握りしめたあの夜を 覚えている。リキの手は小さくて細くて、でも温かで、俺も﹁側に いたい﹂﹁側にいてほしい﹂と強く思った。 何もかも覚えているのだ。 髪も肌も体温も声も吐息も柔らかさも甘さも子供っぽい嫉妬も幸せ だという笑顔も。 そして、その魂の気配も。 胸の奥の熱さを愛しさと呼ぶとしたら、この愛しさはリキの魂の気 配を確かに感じている。 ﹁・・・・・・リキ・・・?﹂ 祈りのように光の先へ向かって呟く。 ︱︱︱俺を呼ぶ声が、聞こえた気がした。 1265 ﹁リキ!﹂ 叫ぶと降ってくる光が強くなる。その中に微かにリキの魔力を感じ る! 今、リキの世界に﹃扉﹄が繋がりかけている。 テーブルに飛び乗り、魔法陣の中心、降り注ぐ魔力の光の下へ。 両手を広げ、俺の全てを使って叫んだ。 ﹁リキ!来い!﹂ 最後の﹃鍵﹄は、俺の中にあるリキへの想い、全てだ。 ****** 天井を覆った眩い光のカーテンの向こうに人影が揺らいだ。その影 はゆっくりと落ちながら、徐々に姿を濃くしていく。 ︱︱︱︱︱︱ああ。ああ、リキだ、と感嘆する。 俺を見て、いつものきらめく笑顔を見せた。顔に雨粒のような雫が いくつも降ってくる。リキの瞳から溢れ落ちた涙のようだ。 髪を切ったのか?やっぱり少し痩せたか? 手を広げて、リキが俺の腕の中に落ちてくるのを待つ。 薄い布の上着がまるで天使の羽根のようにリキの後ろに広がってい た。 やっぱりリキは綺麗だ。 ﹁ガーウェンっ!﹂ 待ちきれないといったようにリキがもがくと、光が弱まり、咄嗟に 伸ばしたリキの腕を掴んで力づくで引き寄せた。 1266 リキの体温を感じて胸に掻き抱く。確かにリキがここにいるという 感触に涙がこみ上げ、止められない。 ﹁リキ・・・ッ!!﹂ ﹁ガーウェン!ガーウェン!あ、うう、うああああああっ!!﹂ 力一杯俺の背中に腕を回して抱きつくリキはまるで子供のように泣 き出した。 その声に泣きながら笑った。 色々な想いや感情が嵐のように心を震わせたが、何よりも﹁愛して る﹂という気持ちが全身を駆け巡っていくようだった。 ﹁感動の再会の途中で悪いんだけど!﹂ と若い女の声が部屋に響いた。 若干弱くなった光の中、リキと同じ服装の女が数人立っていた。陽 炎のように揺らめいて背景が透けて見えている。 気の強そうな女がまた叫んだ。 ﹁時間がないから悪いわね!今度はちゃんと別れの挨拶して行くの よ、里季!﹂ と大きく手を振りながら笑顔を見せた。しかしよく見れば泣きそう なのを我慢して無理やり笑みを作っているようだ。 ﹁里季は一人でなんでもやっちゃうところがあるから、ちゃんと二 人で話し合うのよ!ちゃんとっ・・・ちゃんと幸せになるのよ!﹂ ﹁里季ちゃ・・・っ!元気でっ!元気で、幸せにね!﹂ ぼろぼろと流れる涙を拭いもせず、黒い髪が腰まである女も大声を 張り上げていた。本当にリキに幸せになって欲しいと思ってくれて いるのが伝わってくる。 ﹁うん!ありがとう!ありがとう!!二人の事は忘れないよ!﹂ リキも負けじと叫び返した。 リキの友人か。こんなにお前を想ってくれる友達がいるんじゃねぇ か。 なんだか俺も嬉しくなって、リキを抱く腕に力を込めた。 1267 しかしそれを置いておいて、一番気になるのはその二人の横にいる リキにそっくりな女。 明らかなリキとの血縁を感じる。姉はいないはずだから母親だろう が・・・それにしても似過ぎじゃないか?しかもジッと俺を見る視 線の強さもリキに似ていて、少したじろいでしまう。 ﹁母さんもありがとう!﹂ リキが叫ぶと、視線を優しくしてにっこり笑って頷く。それからま た俺をジッと見て静かに、しかしよく通る声で言った。 ﹁・・・・・・里季を頼んだ﹂ ﹁・・・っ﹂ 胸の奥の熱いものがこみ上げ、息が詰まった。 得体のしれない男に大切な娘を嫁がせるばかりか、異世界に送り出 さなければならないというのはどんな気持ちなのだろう。 どんな気持ちで、決意でそれを認めたのか。いま、どんな気持ちで 俺にリキを託したのか。 たった一言、短い言葉にどれほどの想いが込められているのか。 たじろいでいる場合か。俺の想いも決意も覚悟も全部示さねぇと! 拳で胸を強く叩いて、リキの母に伝わるように腹から声を出して叫 んだ。 ﹁俺の命も時間も!全てをかけてリキを必ず幸せにすると誓う!﹂ これが俺の中で何よりも強く決意している想いだ。 陽炎が大きく揺らいだ。姿が徐々に薄くなり、声が遠のいていく。 あっ、とリキが小さく声を出したが、一度きゅっと唇を結んだあと、 笑顔を見せた。 ﹁みんな!ありがとう!私はガーウェンが一緒だから大丈夫!﹂ その言葉を絶対に嘘にはしない。これからもリキが笑顔で﹁大丈夫﹂ と言えるように俺が側にいる。 1268 ****** どこからともなく風が吹き、一瞬で陽炎が掻き消えた。天井から降 ってくる雪のような魔力も消えている。 ﹁・・・・・・寂しいか?﹂ 腕の中のリキのすっきりとした項を撫でながら尋ねた。 ﹁・・・うん、少し。でも﹂ リキが俺を見上げた。幸せそうな笑顔が顔に浮かんでいる。 ﹁でもガーウェンが一緒だから大丈夫だよ﹂ ﹁そうか。そういやリキ、髪切ったのか?﹂ 何となしにそう聞くと、リキの視線がうろうろしだした。気まずそ うな困っているような表情だ。 なんだ。聞いちゃいけない事だったか? ﹁・・・帰って来るのに必要で、その・・・初めてこんなに短くし てみたんだけど・・・﹂ ﹁そうなのか。短い髪も意外と似合うんだな。・・・ふっ、耳が見 えてて可愛いな﹂ 髪が長い時には隠れていたから耳が見えているのが新鮮に感じて、 指でなぞって笑った。途端にリキの顔がぼっ、と赤く染まり、恥ず かしそうに俯いてしまった。 きゅん、っと胸の奥で音がする。 ﹁・・・リキ、こっち見ろ。顔、見せろ﹂ 思わず両手で熱い頬を挟んで、こちらに向けさせた。 耳や首まで赤く染まり、黒い瞳がうるうる潤んでいるリキの様子は 色々堪らなくさせる。 ・・・何かが爆発しそうだ。 1269 ﹁ガ、ガーウェ・・・ぁ・・・﹂ その堪らなさは名を呼ぶリキの声に決壊して、言い終わる前の音と ともにリキの息が上がるまで唇を貪る衝動になったのだった。 リキ、おかえり。 それをリキに言えたのは結局、もうしばらく後になってからだった。 1270 開く扉 2︵後書き︶ 激しい口づけをされて息が上がったリキはガーウェンの身体に体重 を預けて、息を整えていた。 久しぶりのキスなのにガーウェンは容赦がない。お腹のあたりにき ゅんきゅん甘い刺激がきていたので、リキは無意識に足をもじもじ させてしまうほどだ。 しかしそこで初めて周囲の状況に気が付いた。 自分がいるのは大きな円形のテーブルの真ん中で、その周りには屍 累々︵死んではいない︶。その中にはリキ自身の友人もいる。 ﹁え?なにこれ。どういう状況なの?﹂ ﹁あら、やっと気づいた?﹂ 呆然と呟いたリキの疑問に答えたのは老婆の声だった。その老婆を 見て、リキは驚愕の声を上げた。 ﹁鏡子御婆様!?なん、えっ?どうしてここに?っていうか、え?﹂ 混乱しすぎて珍しくリキの思考が正常に機能していない。ガーウェ ンはやたらと満足気な顔でリキを抱えなおし、のんきに宣った。 ﹁リキの知り合いなのか、その婆さん。よく分かんねぇけど、その 婆さんが﹃扉﹄を開いてくれたんだぞ。お礼しないとな﹂ リキが帰ってきて腕の中にいる事が幸せすぎて、細かい事はどうで も良くなっているようだ。 ﹁え?そうなの?・・・どういうこと?﹂ ・ ﹁里季ちゃん、久しぶりねぇ。ああ、里季ちゃんにとってはさっき 振りよね。私は百五十年振りだけど﹂ ﹁ひゃっ?!﹂ 1271 ニコニコと笑う老婆は確かに先ほどまで元の世界にいたはずの鏡子 御婆様である。 リキは生まれて初めて自分の理解の範疇を超えている出来事に遭遇 していた。 ﹁えっと・・・とりあえずテーブルから降りようか、ガーウェン﹂ そしてとりあえずすぐに解決する問題から手をつけるという結論に 達したのだった。 1272 岬の結婚式︵前書き︶ 申し訳ありません、遅れました。 目が痒くてくしゃみと鼻水が止まりませんが、花粉症じゃありませ ん。たぶん。 1273 岬の結婚式 普段は﹃海龍神殿﹄へ向かう岬の道の両脇には露店が並んでいる。 しかし今日はその道には長く幅の広い赤い絨毯が敷かれ、その脇に 沢山の人々が主役の二人を今か今かと待ちわびていた。 ﹁うわー!かなり集まってるッスねぇ!まるで大貴族様の結婚式み たいじゃないッスか!﹂ 岬の先端、祭壇に近いベストポジションを陣取っているロードが人 で溢れた岬を見回して感心の声を上げている。 ﹁冒険者ギルドあげて宣伝してましたからね。・・・ちょっとエリ オットもルキも飲み過ぎないでくださいよ﹂ エヴァンが大きな酒瓶を片手に提げた二人を鬱陶しそうに睨んだ。 ﹁いーじゃんか。楽しい楽しいお祝いだし﹂ ﹁そうだぞ、堅いこというなよ。寧ろ盛り上んねぇと悪いだろう﹂ ﹁酒類が半額だからここぞとばかりに飲んでるだけでしょうが。ハ メを外し過ぎないで下さいね﹂ エヴァンの小言にエリオットが小声で﹁母ちゃんか、テメェは﹂と 文句を付けている。聞こえてはいるが、反応するのも腹立たしいの でエヴァンは顔を背けた。 しかし何処もかしこもお祭り騒ぎである。 エヴァンの常識では結婚式というのは厳かな雰囲気の中で行われる 儀式なのだが、これではただの宴会じゃないのか。 この結婚式を企画した南地区の商業ギルドの面々が飲み物や食べ物 を大盤振る舞いしているのもそれに拍車をかけている。お陰で何も 知らない他地区の住民や観光客も集まってきて当初の計画よりだい ぶ規模が大きくなっていた。 岬の入り口付近で歓声が上がった。 1274 ﹁お?・・・あ!マリ姐さんだ!ゲッ!甲拳流﹃大師範﹄もいる! お、俺、急用思い出した!﹂ ﹁はいはい捕まえたー﹂ 目を凝らしていたロードがあからさまな嘘を言い残しどこかへ走っ ていこうとして、エリオットに捕まっていた。 ﹁エリオットさん離して!俺、殺される!﹂ ﹁誰が誰を殺すのだ?ワシは情が深いから半殺し程度だぞ?﹂ フォフォフォ、と妙な笑い声を上げながら、ロードの背後に爺さん が現れる。 ボサボサの真っ白く長い髪に同じくらいボサボサの髭。目も口もそ れに隠され、鼻しか見えていない。まるで箒のお化けのよう。 背はロードの胸辺りまでで手足が細いのに、指先まで震えるような ねっとりとした威圧感を漂わせている。 この世捨て人のような風体の爺が甲拳流最強・﹃大師範﹄である。 ﹁ちび虎、見るのだ。逃げ出した犬を見つけたぞい。連れ帰って躾 し直さないと﹂ ﹁爺さん、ロードは破門にしただろう。呆けたのか?﹂ ﹁んん?そうだったか?﹂ ﹁一向に強くならないから見限っただろ﹂ ﹁ああ!そうだった。弱過ぎて哀れになって放逐したのだった﹂ ﹁やめて!古傷を抉らないで!!﹂ ロードが本気で涙目になっているのが哀れだ。 ﹁﹃大師範﹄様は昨日、竜王国との最終戦を終えられたばかりでは ?激しい戦いだったと聞いていますが、お身体は平気なのですか?﹂ 威圧感に気圧されつつエヴァンは尋ねた。いつもこういう役回りに なる自らの不運を恨みながら。 ﹁流石のワシでも骨が折れたが、一晩寝れば治るもんだ﹂ フォフォフォ、とまた髭を揺らして笑う。 ロードが小声で、 ﹁骨が折れるってそのままの意味だからね。あの爺さんは骨折くら 1275 いなら治癒魔法なくても数時間で治るからね﹂ と言っているのを聞いて、エヴァン達は顔を引きつらせた。 それを聞くとマリの同類だと、化け物達の親玉はやはり化け物なの だと納得するのだった。 ﹁つか大師範がなんでここにいんスか?観光?﹂ 心を持ち直したロードがコソコソとマリに尋ねている。しかしそも そもロードの声はデカいので本人に丸聞こえである。 ﹁リキの勧誘だ。リキを自分の直弟子に迎えたいそうだ﹂ ﹁リキちゃんは絶対断るッスよね、それ﹂ ﹁もうすでに二度ほど断られている﹂ ﹁うわぁ、しつこい﹂ ﹁しつこいとは何だ。非凡な才能を腐らせるなどワシには出来ん。 じじい ちび虎がリキを派閥へ入れないと言うならワシの派閥へ入れて頂点 を取らせるのが最善だろう﹂ ﹁あらあら、若い女の子に付きまとう爺なんて迷惑この上ないわね ぇ﹂ リキを甲拳流へ入れるのだと声が大きくなる﹃大師範﹄に冷ややか な声で水を差したのはニコニコとしている品の良さそうな老女だっ た。その人物が誰なのか知っているエヴァンは人知れず息を飲み、 そして心の中で頭を抱えた。もちろんまた面倒そうな人が増えたと いう意味でである。 世界に嫁ぎし者、世界樹の管理人、世界に仕える大巫女。 彼女を指す二つ名は一般的には知られていない。 知られているとすればおとぎ話に出てくる命を幾つも持ち、時間を 自在に操る﹃輪廻の魔女﹄だろう。 エヴァン以外の面々は見慣れぬ老女の後ろに従うアフィーリアの普 段と違う神妙な顔つきに首を傾げ、爺と呼ばれた﹃大師範﹄は唯一 見えている鼻に露骨に皺を寄せて不機嫌さをありありと見せた。 1276 ﹁・・・引きこもりのババァが何しに来たんだ﹂ ﹁・・・引きこもりじゃなくてお役目だと何度も言っているのに、 やっぱり脳みそまで筋肉なのかしら?私は里季ちゃんが気持ちの悪 ゆかり い爺に付きまとわれて困っているって言うから、力になるために来 たの。里季ちゃんとは縁があるし﹂ ﹁・・・・・・ハッ!お前と血縁があるなどただの悪縁じゃないか !リキは哀れだのう、こんな性悪の血が微かでも混じっているなん て哀れだのう﹂ ﹁・・・・・・その汚い髪と髭で寄ってこられる方が哀れじゃない かしらねぇ。あらあら?酷い匂いがするわ。肥溜めみたいな匂い﹂ ﹁・・・・・・・・・くそババァが﹂ ﹁私がババァなら貴方は死にぞこないじゃないかしら?﹂ ドロドロとして絡みつくような恐ろしい殺気が周囲に充満していた。 その場にいるだけでゴリゴリと生命力、精神力を削られていくよう な殺傷能力のある空気だ。所々、周囲で火花が散っているのは背景 効果などではなく二人が発する魔力同士がぶつかり合って起こって いる現象である。 この場で頼りになりそうなマリは知らん顔で、残るはアフィーリア だけなのだが、上司である大巫女が側にいるためか普段と全く違い 大人しい。 ﹁・・・アフィーリア、何とかして下さい﹂ しかしそう告げてもアフィーリアはしょんぼりした顔をするばかり で、こういう時にこそ貴女の傍若無人さの出番でしょうが、とエヴ ァンがイライラし始めたところで首に掛かっている札に気付いた。 とんでもないことを仕出かしたので、謹慎中です。話せません。 ﹁・・・・・・何したんですか、貴女﹂ 軽蔑するような目のエヴァンにアフィーリアが頬を膨らませた。恐 らく﹁何にもやってないわよぉ!﹂などと言っているのだろうが、 エヴァンは絶対にアフィーリアが仕出かしたのだと確信する。こう 1277 なるとこの状況を何とかできるのは・・・とため息を付いたところ で、本日の主役の一人がやってきた。 ﹁よう!お前らも来てくれたのか﹂ 高そうなタキシードと前髪から上げられた髪の毛がビシッときまっ ているのに、へらへらと盛大に緩んだ顔で台無しのガーウェンであ る。 早速、ルキアーノやエリオット達にツッコまれている。 ﹁おーおーこれまた尋常じゃないくらい緩んでるな﹂ ﹁馬鹿面が更に馬鹿面になってる﹂ ﹁何とでも言え。おー!ミコ婆様、来てくれたのか!リキも喜ぶよ﹂ ミコ婆様とは﹃鏡子﹄と発音するのが難しいガーウェンが付けたあ だ名である。 殺気発する二人に気付かないガーウェンはニコニコと幸せそうなオ ーラを振りまきながら間に割って入る。 最強なのは馬鹿かもしれない。いやバカップルかもしれない、と周 囲にいた面々は何とも言えない気持ちになった。 ﹁あらガーウェン、素敵ね。良く似合ってるわ﹂ ﹁フォッフォッ。馬子にも衣装と良く言ったものだな﹂ ﹁何だよ、大師範も来たのかよ。今日は勧誘はなしだからな。リキ に妙な気を使わせることしないでくれよ﹂ ﹁ぐ・・・分かったわい﹂ 戦うことを生業としている者の中で、本来なら会話する事も叶わぬ 程の天上に位置する甲拳流﹃大師範﹄に向かって、うんざりした表 情で指を突きつけ釘を刺しているガーウェンに周囲がどよめいた。 ガーウェンと旧知の仲であるエヴァンに言わせると、彼のこれは珍 しくないことである。彼はなぜか年長者や上位者に気に入られやす く、またかなり気安い態度も許される。 顔が厳つく、身体も大きいガーウェンのどこに相手に受け入れられ やすい要素があるのか分からないが、事実そうであり、﹃大師範﹄ 1278 についてもそれが発揮されたのであろう。 ﹁まぁ、これが終わって落ち着いたら大師範のところに顔を出しに 行こうってリキと話してたからしばらく待ってくれよ﹂ ﹁・・・!お、おう!待っているぞ!﹂ ﹃大師範﹄が喜びに鼻を膨らませる。 ひとたら 無意識にアメとムチを使い分け、あの﹃大師範﹄を手玉に取ってい た。 ﹁・・・ガーウェンさんって人誑しッスよね﹂ と言うロードの呟きにガーウェンと付き合いの長い者は﹁知ってた﹂ と口々に返すのだった。 ﹁見ろ!蒼海龍様だ!﹂ 岬に巨大な影が落ち、風が鳴る音がすると悲鳴の様な叫び声があち こちから上がった。 人々の頭上にソーリュートの守護龍、碧色の鱗を煌めかせる蒼海龍 が浮いていた。その両脇には白龍と紫龍を従えている。 岬の先端にゆっくりと着地するその巨体は畏怖を抱かせるほど美し い。 しかしこの龍もガーウェンに誑された一人である事は知る人ぞ知る 事実である。 ﹁そろそろ時間じゃ。準備は良いかの、ガーウェン?﹂ 蒼海龍が威厳たっぷりに宣った。しかし黄金の瞳や声からも隠し切 れない喜色が伺える。 自分が祭りの中心、人々の視線の中心にいるのが心底楽しいらしい。 ﹁おう。リキの準備は出来たのか?﹂ ﹁ああ。覚悟しておけ。息を飲むほどの美しさじゃぞ﹂ ガーウェンが赤絨毯の上へ移動し、蒼海龍の前に立つ。 そして視線を岬の入り口へ。 この催しが何か知らなかった者達もこれで分かっただろう。 1279 祭壇へ続く赤い絨毯。花嫁を待つ花婿。 ただ司祭が蒼海龍であるのが違和感だが、紛れもなく結婚式が始ま るのである。 ****** 岬の入り口の人集りが割れ、屈強な男達が現れた。名だたる上位冒 険者達である。その男達は赤い絨毯の両脇に立ち、鋭い一瞥を周囲 にくれる。 そして守られるようにその間を通り、一人の花嫁が姿を現すと岬は しんと静まり返った。 キラキラと細かな光を煌めかせる真っ白なドレスは鮮やかな花で彩 られている。 ベールで被われる頭上も花冠で飾られて、神話で聞く美を司る女神 のような神々しさがあった。蒼海龍が息を飲むほどの美しさだと言 った訳がよく分かる。 その華やかな花嫁が一人の男の待つ祭壇前へゆっくり、しかし少し の迷いのない歩みで進む。花嫁の視線はまっすぐに夫となる男へと 向いていた。そして男の視線もまっすぐに花嫁へと向かっている。 海風が走り、ベールを揺らした。背中側でレース編みのベールが大 きくはためき、このベールがかなり長いことを知る。 地面に付く程の長さのようだが、引きずらないように光る玉のよう な精霊が端を持ち上げていた。 ﹁綺麗・・・﹂ 1280 と誰ともなく感嘆のため息とともに呟かれた。 程なくして花嫁は祭壇の前に辿り着いた。 待っていた花婿ーーガーウェンがにっこりと笑って左手を差し出す。 ﹁すごく綺麗だ、リキ﹂ その手を取り、花嫁ーーリキも頬を染めて笑った。 ﹁ガーウェンもすごくカッコいいよ﹂ 顔を見合わせて笑い合う仲睦まじい二人が蒼海龍に向き直ると、龍 の瞳が優しく細められた。そして穏やかな声で問い掛ける。 ﹁お主達二人には今更な事じゃと思うがこうした儀式じゃ、改めて 問おう。夫、ガーウェンよ、お主は妻、リキを愛し、慈しみ、支え、 再び困難が二人を襲おうと俯かず立ち向かう事を誓うか?﹂ ﹁はい、誓います﹂ ﹁妻、リキよ、お主は夫、ガーウェンを愛し、慈しみ、支え、再び 二人が引き離されようと諦めず立ち向かうを誓うか?﹂ ﹁はい、誓います﹂ 二人の声がはっきりと岬に響く。 彼らの事情を知る者達は胸に込み上げる想いで涙を溢した。 よかった。本当によかった、と誰もが思った。 ﹁では、誓いのキスを﹂ と言われギクシャクとぎこちなく向かい合った二人に蒼海龍が喉の 奥で笑う。 顔が真っ赤になったガーウェンがリキの顔に掛かったベールを挙げ ると、彼女も頬を赤くしていた。 ﹁なんか恥ずかしいね﹂ リキが照れたように小さく呟く。 ﹁そうだな﹂ そして視線が合って。 ふわりと微笑んだリキの瞼が閉じられ。 1281 ガーウェンがゆっくりと身を屈め。 岬は割れんばかりの歓声と祝福の言葉で溢れ、空には人々が投げ上 げた花弁が雪のように舞っていた。 その中をガーウェンとリキは隣同士、手を繋いで、離れる事なく進 んでいくのだった。 1282 岬の結婚式︵後書き︶ あとはエピローグを残すばかりです。 久々のエロになる予定です。 1283 エピローグ 女子とおっさんの結末*︵前書き︶ エッチな表現があります。 また今話で﹃女子×おっさん﹄本編は完結です。 ここまで読んで頂き感謝申し上げます。ありがとうございました! 1284 エピローグ 女子とおっさんの結末* 商店街を通る家路を走る私に声が掛けられる。 八百屋のオヤジさんだ。 ﹁おう、リキおかえり!仕事の帰りか?﹂ ﹁うん!ただいま!﹂ 手を振って挨拶を返すとオヤジがリンゴを投げ寄越した。さすが元 凄腕傭兵の投げる球、じゃなくリンゴ。豪速球だ。 ﹁持って行きな!﹂ ﹁ありがとう!﹂ そう叫んでまた駆け出す。そんな私に次々と商店街の人々から声が 掛かる。 ﹁おかえり!﹂ ﹁お疲れ様、リキちゃん!﹂ それに一つ一つ﹁ただいま﹂と﹁ありがとう﹂を返しながら、家へ 帰るのがここ最近の習慣である。 元の世界に一時帰宅して、戻ってきたら住民の皆さんがやたらと好 意的になっていた。いや元々、こんな見た目の私にも好意的に接し てくれる人の多かった南地区だったのだが、私の事件を通して結束 力と、私とガーウェンを応援しようという気持ちが高まったそうで、 会う人会う人にまるで親兄弟のような接し方をされるのだった。 ﹁ちゃんとご飯食べてる?﹂﹁困ったことがあったら言うのよ﹂﹁ 仕事のし過ぎはダメだぞ﹂ 私の事を気にかけてくれるのは気恥ずかしいところもあるが、やは り嬉しい。心がポカポカする。 私の居場所はここなのだと、私はここにいていいのだとそう思える のだ。 1285 家に帰るとガーウェンの気配を家の中に感じた。 ﹃扉﹄を開くときにガーウェンの魂の気配を強く意識したためか、 帰って来てからもガーウェンの気配に敏感になっていた。それこそ ブレスレットが無くても居場所がなんとなく分かるほどに。 ガーウェンはお風呂場にいるようだ。依頼から帰ってきてシャワー でも浴びているのだろう。 洗面所で手を洗うついでに浴室のガーウェンに声を掛ける。 ﹁ガーウェン、ただいま﹂ ﹁おう、おかえり。早かったな﹂ 扉越しにシャワーの水音と嬉しそうなガーウェンの声が聞こえて、 そわそわしてしまう。 顔が見たい!触りたい!! ﹁・・・ガーウェン、あの、一緒に入ってもいい?﹂ ガーウェンからは見えていないけれど、何となく恥ずかしさで視線 をうろうろさせながら尋ねると扉の向こうから笑い声が聞こえた。 ﹁おう。じゃあ、湯を入れるから風呂に入ろう﹂ ﹁うん!﹂ 急いで服を脱いで、浴室の扉を開ける前にある事を思い出して異空 間から瓶を取り出した。 扉を開けると湯気の中に全裸のガーウェンが見えた。 少し俯いた伏し目がちな表情で濡れた髪をかき上げている。 筋肉が盛り上がった身体を雫が伝い、流れ落ちる。 分かっていたはずだが、その光景にかなり興奮した。興奮し過ぎて 鼻血が出そうだ。 ﹁あ、お湯入れてくれたんだ﹂ それを少しも見せず、ガーウェンに近寄る。穏やかな笑みを浮かべ つつ、筋肉をガン見している私は紛う事なき変態である。 1286 ﹁おう。ん?何持ってんだ?﹂ ﹁これね、エレから貰ったバスオイル。お風呂の湯に垂らすと、湯 がトロトロになって美肌になるんだって﹂ ﹁ふーん?﹂ あ、興味無いって返事。 瓶からバスオイルを数滴、湯に垂らすと、ふわりと香りが立った。 ﹁ん?この匂い、リキがマッサージに使うやつと同じ匂いじゃない か?﹂ ﹁そうだよ。リラックス効果もあるんだって﹂ へぇ、と湯をかき回しているガーウェンの横顔から少し興味を引け たと分かり、ほくそ笑んだ。 ﹁先入ってて。私、身体洗ってから入るから﹂ ﹁手伝ってやろうか?﹂ ニヤリ、とガーウェンが不敵に笑う。 考えるまでもなくガーウェンが意味しているのは身体を洗うだけで はないので、それにはわざと怒った顔を返す。 ﹁お風呂ではしばらくそういうのしないって約束したでしょ。もう 倒れるのやだよ、私﹂ どうやら異世界間の行き来で体力が落ちていたらしい私は、ガーウ ェンによるお風呂での手厚い歓迎でのぼせて気を失ってしまったの だった。 その時、体力が戻るまではお風呂でエッチな事はしないと約束した のである。 ﹁冗談だから怒るなよ。俺もお前が倒れるのは嫌だよ﹂ と宥めるように頭を撫でてくる割に、お腹の奥にキュンキュンくる じっとりしたエロい眼で全身を見てくるのはやめてほしい。 その緩く立ち上がりかけているソレを、ガチガチにして、奥に突き 挿れて欲しくなるからやめてほしい! ﹁・・・先に入ってて﹂ 1287 ふいっと顔を背ければ、ガーウェンは不承不承、湯に浸かった。 ここで折れてしまうと辛くなるのは自分の身体である。だから未だ に絶えない熱の籠った視線にも気づかぬフリをするのだった。 ****** 手早く身体と髪を洗って浴槽に入ろうとするとガーウェンが素早く 動き、私を抱きしめた。そのまま湯に沈むので慌ててガーウェンの 首にしがみ付く。自然と対面座位のような恰好になってしまった。 これは非常にまずい。 ﹁謝るから、顔背けんな。こっち見てくれよ﹂ 耳に切なげな声を吹き込まれ、さらに舌で蹂躙された。激しい水音 が鼓膜を揺らす。 ﹁側にいるのにお前の顔が見れないのは嫌なんだよ﹂ 首筋に噛みつかれ、何度も甘噛みと吸い上げるようなキスをされる。 ピリッと走る痛みは身体の中を否応なしに疼かせた。 顔が見れないのは嫌、と言いつつ、私の首筋を味わっているのはガ ーウェンじゃないか。 ﹁・・・ぁん!んっ!あっ!﹂ お尻を掴んでいたガーウェンの大きな手が、後ろから前まで割れ目 をぬるりぬるりと行ったり来たりするのでビクビクと身体を震わせ てしまった。 バスオイルのおかげか滑りがよく、ガーウェンのごつごつした手全 体で擦り上げられるのがかなり気持ち良い。 快感に敏感に反応する私をガーウェンがじっと見ていた。 私が陥落するのを待ってるんだ。 1288 ﹁ぁしない、あっ!・・・しないって約束、ひあっ、あっ!﹂ 指でクリトリスを捏ねられ、喘ぎ声混じりで説得力がない。 ﹁だ、だめっ、約そ・・・んっ、ふぁ・・・ぁ・・・ん・・・﹂ 更に言葉の途中で唇を塞がれ、舌も吸われ、自然と腰が揺れ出す。 あーだめかも、もう陥落しそう。 帰ってきてからはガーウェンはこんな感じで強引だ。私もそうだが、 離れていた反動で相手を求める心が暴走してるのだろう。 でもこういう肉食系のガーウェンも好き。 湯とは違う熱さを太ももに感じて、見下ろした。ガチガチに昂ぶっ てるガーウェンのアレが太ももに擦り付けられている。 それを見たら堪らなくなってもうダメだった。 ﹁せ、せめてお風呂から出よう!﹂ 瞬間、ガーウェンは私を抱えて立ち上がった。してやったりって顔 をしてる。 私は色々とのぼせた頭をガーウェンの肩に預けて、甘い敗北にため 息をついた。 軽く身体を拭かれ、洗面台に乗せられた。火照った背中に冷たい鏡 が触れ、気持ちがいい。 どうやら本当に﹃せめてお風呂から出る﹄だけらしく、ガーウェン は待ちきれないとばかりに私に迫ってくる。 ﹁ん・・・ベッドに行かないの?﹂ 額、瞼、頰、唇の端と顔中に降ってくる合間に尋ねるとガーウェン は切なそうな顔をした。 硬い昂りが押し当てられる。熱い。 ﹁悪い。もう待てない﹂ ﹁いいよ、挿れ、あああっ!﹂ と言うが早いか奥に突き入れられた。 1289 反射的に仰け反って、鏡に後頭部を打ちつける。結構な衝撃だ。 ﹁いったぁ・・・﹂ ﹁わ、悪い?いきなり過ぎたか?﹂ ﹁ううー・・・﹂ ﹁大丈夫か?こぶにはなってねーみてぇだけど・・・ふ、くく﹂ ﹁大丈夫・・・ふふっ!あは、もう!笑わないでよ!﹂ 間抜けな展開に身体を重ねて、二人して笑い出した。 なんかこういうの多いな、ってガーウェンが肩を震わせながら言う。 うん、そうだね。間の抜けた展開も締まりのない結末ものんびりと した空気も、私達にはよくある事だ。 でも、それらがいつも楽しくて、喜びに溢れていて幸せなのは相手 がガーウェンだからなのだ。 私達は一頻り笑って、幸せを噛み締め、それからさっきまでの性急 さを忘れたかのように、ゆっくりとお互いを求め合ったのだった。 ****** ﹁リキ、ちょっといいか?﹂ 遅くなってしまった夕飯の支度をしていると、リビングにいるガー ウェンに呼ばれた。夕飯の催促だろうか。 ﹁んー?なぁに?﹂ エプロンで手を拭きつつ、リビングへ行くとガーウェンが手招きし ていた。 すごくさっぱりとした顔をしている。ガーウェンの前に行くと、彼 は私の両手を取り、そして片膝をついた。 闘技場でプロポーズしてくれた時と同じ格好だ。 1290 驚く私をガーウェンの真っ直ぐな瞳が見つめた。ドキドキと胸が高 鳴る。 ﹁リキ。お前にずっと言おうと思っていたことがあるんだ﹂ 一つ小さく息を吐いて、ガーウェンが続けた。 ﹁俺と出会ってくれてありがとう﹂ ﹁俺を好きになってくれてありがとう﹂ ﹁俺を愛してくれてありがとう﹂ ﹁俺と結婚してくれてありがとう﹂ ﹁俺は、俺の世界はリキと出会って変わったんだ。たった一人の女 を心の底から守ってやりたい、側にいてやりたいと思ったことはな かった。リキが初めてだ。ありがとう﹂ ﹁リキは世界を超えて俺を選んでくれた。それに比べたら軽いこと かもしんねぇけど、俺はリキに俺の全てをやる。俺の身体も心も命 も、これからの全ての時間も。そしてその全部を賭けてリキを幸せ にするって誓う﹂ ﹁だから、リキ。これからも俺の側にいてくれ。俺の隣にいてくれ﹂ 握られた両手が引かれ、 ﹁愛してる、リキ。大好きだ﹂ 強く抱きしめられた。 私も大好きだよ。愛してるよ、ガーウェン。 感謝するのは私の方だ。ありがとう、ありがとう。大好き。 この世界に来てから色々な事がたくさんあって、たくさんの人に出 会ったけど、今こうして幸せで幸せすぎて涙が溢れるのは、ガーウ 1291 ェンがいてくれるから。 ガーウェンと出会ったことを運命なんて思わない。 ただの偶然が結んだ繋がりを二人で丁寧に紡いで、ここまでの絆に してきた。だからこの日々は奇跡なんかじゃなく、私とガーウェン が生きてきた時間で辿り着いた二人の日々だ。 明日も明後日もこれからずっと、奇跡や運命なんかじゃなく、普通 で幸せな日々を私とガーウェン、二人で紡いでいくのだ。 ガーウェンが頬を赤くしながら照れたように笑った。 ﹁あーなんか腹減ったな﹂ ﹁ふふふっ!すぐ夕飯作るね!﹂ 普通の結末が、一番幸せだって私は知っている。 1292 エピローグ 女子とおっさんの結末*︵後書き︶ 追記:活動報告を更新しました。宜しかったらご一読下さい。 1293 重なる手は指先が少し冷たい︵前書き︶ お久しぶりです! このお話はソーリュートに向かう道中のある時です。 まだガーウェンが懐かしのヘタレてもごもごしてる時ですので、温 かく見守り下さい。 1294 重なる手は指先が少し冷たい その日、珍しくリキの寝起きが悪かった。 いつもは他の誰かが起きれば、その気配で目を覚ますというのに、 今日は朝食が出来ても起きてこなかったのだ。 慣れない野宿が続いているから疲労が溜まっているのだろう、ゆっ くり寝かせてやるか、なんて俺は暢気に考えていた。 しかし馬車の荷台から降りてきた顔色の悪いリキの姿を見て、自分 を蹴飛ばしたくなった。 慌ててリキに駆け寄る。 ﹁リキ!ひどい顔色だぞ。具合悪いなら言えよ!﹂ しかしリキは俺に、 ﹁ん・・・大丈夫、なんでもないよ﹂ と弱々しい笑みを見せて言った。 俺を遠ざけるようなその態度がぐさり、と胸に刺さる。 そんな顔して大丈夫なわけねぇだろ!なんで隠そうとするんだよ! しかしその声は喉の奥に詰まったまま、出てこなかった。そのまま マリとアフィーリアの元に行くリキの後ろ姿を見つめながら奥歯を 噛みしめる。 心配なら踏み込めよ、臆病者!と自分自身を罵倒するが、身体は動 かない。 リキが分かりにくい強がりで、妙な気を使う奴だって知ってるのだ から、こんな態度だって気にせずちょっとぐらい強引に踏み込むべ きだろ。 だが、踏み込んで、リキに完全に拒絶されたら俺はもう立ち直れな い。多分、とんでもないくらい沈んで起き上がれないと思う。 リキの事になると俺はどうしようもないくらい臆病になるのだ。 1295 リキはマリとアフィーリアと何やら話して、それからマリに付き添 われながら再び荷台に戻っていった。 なんだ?不安になり様子を見ようと、俺も荷台へ近づこうとすると アフィーリアに止められた。 ﹁ガウィちゃんはダメよぉ。女の子の秘密なんだからぁ﹂ ﹁・・・なんだよ、秘密って﹂ 普段は気にならない語尾がだらりとしたアフィーリアの喋り方が急 に癇に障る。 ツラ ﹁秘密は秘密だから秘密なのよぉ?﹂ 何やら含んだような腹立たしい面のアフィーリアに舌打ちする。コ イツ、楽しんでるだろ!本当性格悪いな! 俺の睨みもどこ吹く風でアフィーリアはなぜかエヴァンを手招きし、 耳打ちした。チラチラと俺を気にする楽しそうな素振りに、揶揄う ためだと分かっていてもカッと頭に血が上る。 俺には秘密でエヴァンには秘密じゃねぇーのかよ! エヴァンは耳元に近づくアフィーリアに最初こそ嫌そうにしていた が、すぐに真面目な顔になり、頷いた。 ﹁若い女性と旅をするのは久しぶりなので、忘れていました。手持 ちの材料だと調薬するのに少し足りないのでロードにでも取りに行 かせましょう﹂ 忘れてたって何をだ?というかリキの体調はそんなに悪いのか? エヴァンに尋ねたいのだが、リキが心配で近くに行きたくて、でも 近づく勇気がでなくて馬鹿みたいにその場をうろうろしてしまう。 チラッと荷台を窺うが、当たり前に中は見えない。もどかしい。 昨日はそんな不調には見えなかったのに。というか、その、親密と いうか、イチャイチャというかアレだってしたし・・・ハッ!まさ か俺が無茶し過ぎたのか?! 思い当たった原因に愕然としているとロードが、呼んだッスかぁ? と暢気に現れた。 1296 ﹁ああ、ロード、ちょうどいところに。ちょっと森に入って黄南天 の葉を探して取ってきてきてくれませんか。貴方の鼻なら見つける のは簡単でしょう?﹂ ﹁黄南天?誰か生理痛重いんスか、ぶへっ!!!﹂ ﹁デリカシーを知れ!馬鹿犬!﹂ ロードはエヴァンにぶん殴られ、地面を転がっていった。それを見 てアフィーリアが爆笑している。 その笑い声の中、俺はロードの言葉を反芻して、熱がじわじわと首 から顔へ上ってくるのを感じた。考えれば考えるほど恥ずかしい奴 だ、俺は。 生・・・、っていうのは女に月に数日くるというアレのことだよな。 そりゃ男の俺には言いにくいからマリ達に頼るよな。それなのに勝 手に色々考えて、なんで俺に言わねぇんだなんてリキに腹立てたり 嫉妬したり。 でも、踏み込んで無理やり聞き出さなくてよかった。そんなことし てたら俺は変態だったぞ。 ﹁あ、危なかった・・・﹂ ﹁何がですか?﹂ 思わず出た安堵の言葉をエヴァンに聞き留められ、慌てて﹁なんで もねぇ﹂と誤魔化した。 アフィーリアがのびているロードを引きずって森に入って行く。ど うやら一緒にエヴァンに頼まれた材料を探すようだ。俺は荷台を気 にしながら、エヴァンを手伝うことにした。 ﹁その、あれだ・・・せ・・・つうのは治せねぇのか?﹂ ﹁治すというか、身体が子を宿すための準備のようなものなので、 完全には悪いことというわけじゃありませんから。痛みや倦怠感を 軽減させるような処置を行うのが一般的ですね﹂ ﹁ここここ子を、ややどやど・・・っ﹂ ﹁・・・は?何ですか?﹂ 1297 エヴァンの冷ややかな視線を受けてさらに顔が熱くなる。何気なく 言おうと思ったのに、盛大にどもってしまった。 そうか。子を宿すための準備、なのか。 子。子供。 リキに似た黒髪の幼い女の子が﹁お父さんっ!﹂と俺に手を振る光 景が脳裏に浮かぶ。もちろんその傍らにはリキがいて・・・。 ﹁何ニヤけてるんですか、気持ち悪い。というかガーウェンもちゃ んとリキさんの症状を確認しておいたほうがいいですよ﹂ ﹁俺もか?﹂ ﹁こういうのは症状が個人差激しいですから。身体の不調のほかに 精神的な不調を起こす人もいますし、リキさんの症状をよく確認し て、それに合う対処や処置を行うことが大事ですよ。これからも一 緒にいるつもりなら尚更です﹂ エヴァンの言葉にさらに顔が熱くなる。 これからも一緒に、か。 俺としてはソーリュートに着いても一緒にいたい、出来れば一緒に 暮らしたいと思っている。 リキはどう思ってるのか。妙に遠慮がちなところを考えれば、リキ からはたぶん一緒に暮らそうとは言ってこないだろう。 ソーリュートに着く前に俺から言わないと。リキと離れて暮らすな んて、リキが側にいない生活なんて、もう俺には考えられないんだ から。 ﹁何、怖い顔してるんですか。真面目に手伝ってくださいよ﹂ ﹁うぐ・・・す、すまん﹂ ぐるぐると考えていて顔が強張っていたようだ。誤魔化すように咳 払いをしてエヴァンの手伝いに集中することにした。 ****** 1298 ﹁リキ、起きてるか?薬持ってきたぞ。あと飯も。食えそうか?﹂ 荷台の奥に毛布をひいて横になっていたリキに声をかけると、もぞ もぞと身を起こした。顔色は相変わらず悪い。しかし俺を見て嬉し そうな笑顔になるので、こちらの胸がドキッと高鳴る。 ﹁だ、大丈夫か?無理すんなよ?﹂ ﹁大丈夫だよ。たぶん2、3日で治まると思うから﹂ しばらくこんな感じだけどごめんね、とリキはすまなそうに眉を下 げる。 自分が調子悪い時くらい人に気を使わなくたっていいのに、と思う。 気にするなという意味も込めて、リキの頬をそっと撫でてやるとい つもよりも熱い気がした。 ﹁・・・ちょっと熱もあるか?﹂ ﹁うん。微熱だけど出てるみたい。これだけ酷いのは初めてだ﹂ ﹁いつもは違うのか?﹂ ﹁うん。いつもはすごく眠くなって腰がだるくなったりする程度な んだけどな。アフィの話だと環境の変化とか、魂と身体が離れてい たのも原因じゃないかって。・・・はぁ、辛い。あっ﹂ リキの口から弱音らしい弱音を初めて聞く。思わず零れた弱音らし く、リキ自身も驚いて隠すように口元を手で押さえた。 気まずそうに上目遣いでちらりと俺を窺うリキにちょっと笑ってし まった。 ﹁辛いなら辛いって言ったっていいだろ。俺はこういうのに疎いか ら、はっきり言ってくれたほうがいい。そうしたらお前を甘やかす ことが出来るからな﹂ リキを抱き上げ、膝の上に横抱きにする。 パンを渡すとリキは少し恥ずかしそうな顔で受け取り、それから嬉 しそうに笑った。 1299 腰がダルいと言うので、さすってやりながら一緒に飯を食う。自惚 れになりそうだが、リキの顔色が幾分か良くなった気がする。 食後の薬も飲み干したリキがふぅと一息つき、俺に凭れ掛かってき た。 ﹁私はガーウェンに甘えてばっかりだ﹂ 腹が痛むのか庇うように手を添えて、ため息とともに呟いたリキを 抱え直す。 ﹁そうか?お前の甘えは随分謙虚だな﹂ もっとリキのことを甘やかしたい。優しくしたい。 腹を冷やすと痛みが増すとエヴァンに聞いていたので、リキの手に 自分の手を重ねた。リキの細い指は俺のものより少し体温が低いよ うだった。 二人の指が絡む。心臓が駆け出す。胸の奥が熱い。 ﹁そんなこと言われたらもっとガーウェンに甘えちゃうよ﹂ ﹁・・・甘えればいいだろ。俺は・・・そうして、ほ、ほしいし・・ ・﹂ ﹁・・・あったかい。ガーウェン、大好きだよ﹂ グッと息が詰まる。 リキに好きだと、愛してると言われると胸が苦しくなる。 嬉しくて切なくて、ただただ愛しくて。 ﹁リキ、ソーリュートに着いたらどうするか、考えてるか?﹂ あれだけ切り出すタイミングを計って悩んでいたというのに、今、 自然と言葉が出ていた。 気のせいじゃなく、リキの指先が強張ったのを感じた。コイツも気 にしていたのか、なんて伝わるリキの緊張に喜びが湧く。 ﹁・・・ソーリュートに着いたら住み込みで働けるところを探そう と・・・﹂ 静かに言うリキの揺らぐ心が見えるようだ。もっと素直になればい いのに、と自分のことを棚に上げてそう思う。 1300 ﹁一緒に暮らさないか﹂ 驚いたように顔を上げようとするリキを抱きしめることで止める。 吃らずには言えたが、一気に耳まで熱くなり、心臓がバクバクうる さく、さらに息も上がってしまって、リキの顔を見たら続きが言え ない自信がある。 ﹁そ、その、住み込みの仕事もうまく見つかるとは限らねぇし、だ から、その、ソーリュートはお前みたいな女一人じゃ危ねぇし、俺 の住んでるとこは1人部屋だから狭いかもしれねぇけど、街に慣れ るまででも・・・﹂ 恥ずかしさを誤魔化すようにごちゃごちゃと口から出てきた。言わ なくていいことまで。 違う。そんなことを言いたいんじゃなくて。 ぐるぐると思考が混乱して思わず手に力が入った。 ﹁・・・違う、その・・・お前と離れたくな・・・﹂ この期に及んで語尾をもごもごと噛む自分のヘタレさに失望した。 こんなところでもかっこつかねぇのかよ!くそっ! リキの肩が揺れる。 ﹁ふふ、はははっ、ガーウェン、痛い、手が痛いよ﹂ ﹁っ!わ、悪い!力が入ってた!﹂ 握っていたリキの手を慌てて離すと、なぜか楽しそうに笑うリキと 視線が合った。 ﹁・・・なに笑ってんだよ﹂ ﹁だってガーウェンがすごく可愛いから﹂ ﹁なんだよ、可愛いって﹂ ﹁すごく大好きだってこと﹂ ときらきらと輝く笑顔のリキが優しく首に抱きついてきた。それを 抱きとめると、ヘタレで情けない自分も受け入れてくれたように思 い、安心する。 リキを甘やかしたい、リキに優しくしたいと思っていたのに、俺の 1301 方が甘やかされて優しくされてるなと苦笑した。 リキからドクンドクンと早い心音が聞こえた。 リキも俺と抱き合って心臓が痛いくらい早くなるのだろうか。そし て甘く切ない苦しさを味わうのだろうか。 ﹁・・・リキ、一緒に暮らそう﹂ 情けなくボソリと小さく呟いた俺の言葉にリキは、頬を染めて幸せ そうに笑ったのだった。 1302 重なる手は指先が少し冷たい︵後書き︶ 1303 いつかの未来 1︵前書き︶ お久しぶりです。 本編の補足的な話を書こうとしていたのですが、語りがリキでもガ ーウェンでもないので全然進まず、中断してリキとガーウェンの話 を書きました。 いつか来る未来のある日のお話です。 12月10日改稿しました! 1304 いつかの未来 1 依頼が終わった夕方、足早に帰宅し玄関の鍵を開けると、リビング の方からパタパタパタと慌てたような足音が走ってきた。 ﹁おかえりなさい、ガーウェンさん﹂ 玄関に顔を出し、そう言ったのは愛妻ではなく、友人のファリスだ。 相変わらずフワフワした装飾が多いエプロンをしている。 ﹁ああ。ファリス、今日はありがとうな。・・・リキの様子はどう だ?﹂ 尋ねるとファリスの顔は分かりやすく曇った。そして天井を見上げ、 それから少し声を抑えて言う。 ﹁今は寝ています。食べた夕飯を全部戻してしまうほど酷いみたい で・・・。日中は調子が良くて昼食も食べられていたんですけど﹂ ﹁・・・そうか﹂ ﹁でもミーファ様に作って頂いたお水はこまめに飲んでいるので脱 水の心配はないと思います﹂ その言葉に再び﹁そうか﹂と頷いたものの、やはり安堵することは まりょくつわり なく、青い顔してぐったりと寝ているだろうリキに思いを馳せなが ら天井を見上げた。 とこ リキが今、床に臥せっている原因は﹃魔力悪阻﹄と呼ばれているも のだ。 腹の子が放出する魔力に当てられ、目眩や頭痛、吐き気などを起こ す妊娠初期に見られる症状で、この地域の産婆であるミーファ婆さ んによると腹の子の持つ魔力が多ければ多いほど症状は酷くなるそ うなのだ。 リキが俺達の子を腹に宿している。しかも保有魔力がかなり多いと 1305 いうリキに良く似た性質の子をだ。 しかし今はその事実を喜ぶ余裕もないほどリキの魔力悪阻は酷く、 満足に飯を食えず、一週間もベッドから起き上がることが出来ない でいた。 ﹁ファリス、家まで送る。ドリスから夕飯のお裾分けを貰ってきた から持って行ってくれ。デードルも腹空かせてるだろうし﹂ しょんぼりとした顔で、俺と同じように天井を見つめていたファリ スに声をかけると、自分の夫の名を聞いて少し表情に明るさが戻っ た。 ﹁ありがとうございます!ガーウェンさんは明日、仕事はお休みな んですか?﹂ ﹁ああ。というかしばらく指名依頼も断ることにしたから家にいる つもりだ﹂ ﹁そうですか!ガーウェンさんが家にいらっしゃるならリキさんも 喜びますよ!﹂ ファリスはまるで自分自身の嬉しい事であるかのように声を弾ませ た。 このファリスの明るさと素直さに俺は案外癒されている。 ****** 灯りが落とされた寝室に音を立てずに入り、ベッドを覗き込むとリ キは穏やかな寝息を立てていて、少し安心した。 こんな時でもリキは弱音を吐いたりしない。 どうしても行かなければならなかった指名依頼に出掛ける時も、 1306 ﹁私は大丈夫だから。気を付けて行ってきてね﹂ と笑顔で俺を見送ってくれた。 健気なリキの為、苦しみを出来るなら代わってやりたいが、いくら そう望んでもどうする事もできないこともある。 リキのまだ目立たない腹にシーツの上からそっと手を置いた。この 中に小さな我が子がいる。 不思議な気持ちだ。 グロリアがコルトを身篭った時に感じた兄弟が増えるという嬉しさ と気恥ずかしさとは少し違う。 俺の子を身篭ってくれたリキへの感謝と家族が増える事への責任と そして﹁自分はいい父親になれるだろうか﹂という少しの不安。 何かこう色々な気持ちが溢れて、それで行き着く最後の気持ちは﹁ 無事に産まれて来てくれ﹂という願い一つだった。 リキの手が腹に置かれた俺の手に重なった。 顔を見ると柔らかく微笑んでいた。 少しは調子が良くなっただろうか? ﹁おかえり、ガーウェン﹂ ﹁おう、ただいま。悪い、起こしたか。今日は大丈夫だったか?﹂ ファリスからリキの様子は聞いているが、尋ねる。 リキは弱音を言わないし、相変わらず本心を隠すのが上手いのだが、 それでもいままで一緒に過ごした時間のおかげで俺は声や表情でリ キの心を察する事が出来るようになっていた。 ﹁大丈夫だったよ。ファリスも居てくれたし。・・・あれ、ファリ スは?もう帰っちゃった?﹂ 大丈夫だった、と言う割に声に力はなくて、まだ頭痛も吐き気も治 まっていないようだ。 ﹁ファリスは家に送って行った。明日また様子を見に来ると言って たぞ﹂ 1307 と言えばリキはよかったと言うように微笑んで小さく頷く。リキも またファリスの存在に癒しを感じているようだった。 ﹁リキ、水飲むか?﹂ ベッドサイドに置いてあった水差しを視線で示して尋ねるが、リキ は弱々しく首を横に振る。 その様子が痛ましくて頰を撫でた。少し体温が高い気がする。 ﹁・・・お前の体調が落ち着くまで指名依頼を入れないようにギル ドに言ってきたから、明日からはずっと側にいるからな﹂ ﹁・・・ありがとう。ごめんね﹂ ﹁謝る事じゃねぇよ。お前は俺達の子の為に頑張ってて、俺はそれ を支えてやりてぇだけなんだから﹂ 申し訳なさそうなリキの頰と髪を優しく撫でた。 いっときは耳が出るほど短くなっていたリキの黒髪も肩の辺りまで 伸びて、綺麗に揃えられている。 ふふふ、とリキが小さく笑い、愛しそうに俺の手ごと自分の腹を撫 でた。 ﹁・・・この子もガーウェンに似て優しい子になればいいね﹂ その仕草と言葉に胸がキュンと鳴る。 ﹁・・・リキの性質によく似ているようだから、賢くて優しい子に なるだろう、きっと﹂ ﹁ガーウェンみたいに可愛い子かな?﹂ ﹁可愛いって言うならリキに似た方がいいだろ。色白で黒髪の﹂ ﹁私はガーウェンに似てる方がいいなぁ﹂ 言い合って、それからしばし見つめ合って、お互い笑い出した。 ﹁産まれてくるまで楽しみにしておくか﹂ ﹁ふふふ、そうだね﹂ 子に対して先走る思いや願いはあるものの、いままさに腹の中で育 っている力強さの前では些細な思いなのだろう。 1308 ﹁ガーウェン、名前考えてる?﹂ ベッドに潜り込んで、いつものようにリキを抱きしめようか、気分 が悪そうだから少し離れていた方がいいのか迷っているとリキがそ う尋ねてきた。何のことかと思ったが、すぐに気付いてハッとする。 ﹁・・・あぁ、そうか!子供の名前か!﹂ ﹁私はこの世界の名前に明るくないからガーウェンに頼ろうと思っ ていたんだけど﹂ しまった失念していた、と馬鹿正直に言ってしまった俺にリキは苦 笑を浮かべる。 本当に情けない野郎ですまん。 子供の名前、か。咄嗟に浮かぶのは知り合いの名前ばかりでさすが にそれを名付ける気は起きない。 うーん、と唸って考え込んでいると、リキがもぞもぞと動いて身体 を寄せてきた。腕の中に収まるように顔を擦り付けてくる仕草は小 動物のようで可愛い。 優しく背中に腕を回すと、リキはホッと息をはいた。俺の腕の中に 安心感を感じるリキが堪らなく愛しい。 ﹁・・・そういや、リキの故郷の文字は一つ一つに意味があって、 その意味から名付けをしたりするって言ってたろ?俺はそういうの もいいと思うけどな﹂ ﹁・・・そっかぁ。なんだかすごく悩んじゃうかも﹂ ﹁そうだな。だけど悩むのはもう明日にしよう。寝不足も悪阻を酷 くさせるってミーファ婆さんが言ってたぞ﹂ 背中というより腰の辺りを優しく撫でる。もっと腹が大きくなって くれば腰がつらくなるだろう。グロリアがそう言っていたのを覚え ている。 子供を妊娠するって大仕事なんだな。 改めてリキへの感謝が湧いてきた。 ﹁・・・うん。早く悪阻治ってほしいなぁ。ベッドはもう飽きたよ﹂ ﹁もう少し、腹の子が魔力調整のコツを掴むまでの辛抱だ﹂ 1309 ﹁・・・出来るだけ早くお願い、ね?﹂ リキが自分の腹に語りかけるようにそんな事を言う。俺も口には出 さないが、同じように子に語りかけた。 ****** ﹁はい、息んでっ﹂ ミーファ婆さんの掛け声に合わせて、リキが唸り声をあげながら腹 に力を込める。 俺の手を力一杯握って顔は紅く染まり、全身には汗が滲んでいた。 自然と握り返す俺の手の力も強くなる。 ﹁はい、力抜いて。呼吸をゆっくりとして﹂ 力を抜いたリキがハァハァハァ!と浅い呼吸を繰り返す。 顔は苦痛に歪んでいる。 正直見ていられない。 出産ってこんな壮絶だったのか。 グロリアがコルトを出産したときは部屋の外で待っていたから、こ うして側で出産に立ち会うのは初めてだ。 どうしていいか分からない。 ﹁リ、リキ、ゆっくり息を、呼吸をゆっくり﹂ しどろもどろにそんな事しか言えない。 ミーファ婆さんの助手が桶に入った湯やらタオルやらを抱えて慌た だしく寝室に出入りしている。 手伝った方がいいのか?しかし苦しむリキの側を離れることは出来 そうにない。 1310 ﹁次はもう産まれて来そうね﹂ ミーファ婆さんの声に俺の方が息を飲んだ。 ﹁っ!が、頑張れ、リキ、頑張れ﹂ 両手でリキの手を握り、額に当てて繰り返し祈る。 頑張れ!頑張れ! もう少しだ! ﹁うううっ﹂ リキの呻き声と同時にミーファ婆さんが大きな声を上げた。 ﹁はい、息んで!﹂ ぐっとリキの身体に力が入る。 ﹁もう少し頑張って!赤ちゃん出てくるよ!﹂ ﹁リ、リキっ!﹂ 俺の力も全部リキに送るように手を握った。 その瞬間、赤ん坊の産声が部屋中に充満するように響いた。 オギャア!オギャア! 呆然とした気持ちでミーファ婆さんが取り上げた赤ん坊を見つめる。 顔を真っ赤にしながら、力いっぱいの産声を上げている小さな命。 ミーファ婆さんの腕から赤ん坊を助手が受け取り、用意していた湯 で身体を洗ってやる間も赤ん坊はその身体のどこにそんな力がある のかと思うほどの大きな声で泣いていた。 ﹁・・・ガーウェン・・・﹂ ひどく疲れきった、しかし達成感をひしひしと感じる表情でリキが 俺を見ていた。 額に汗で前髪が張り付いていたのでタオルで拭う。 ﹁リキ、頑張ったな。産まれたぞ﹂ ﹁・・・うん・・・赤ちゃん、見たい・・・﹂ リキがそう呟くと同時にミーファ婆さんがタオルに包まれた赤ん坊 を連れて来て、俺の前に差し出した。 1311 ﹁頑張ったね。元気な男の子だよ。ほら、お父さん、抱いて上げて﹂ ﹁え、お、おう・・・あっ、ゆっ、ゆっくり頼む﹂ 我が子をぎこちなく受け取って、その小ささと軽さに驚く。 なんて小さな命。でも輝きに満ちている命。 しゃがんでリキが見えるように赤ん坊を近付けてやる。 ﹁リキ、俺達の子供だ﹂ ﹁・・・うん・・・かわいい・・・。ガーウェンに似てる﹂ ふふっ、とリキが目を細めて嬉しそうに笑った。 なぜかその時、胸にグッとくるものがあって、堪え切れなくて、涙 が溢れて出てきてしまった。 ﹁リキ、ありがとう。俺の子を産んでくれてありがとうな。リキ、 大事にするから。お前の事もっともっと大事にするから﹂ リキが世界を渡って俺の中に現れたのは偶然だったんだと思う。 でもリキは俺を選んでくれた。それは偶然でも奇跡なんかでもない。 リキの心が決めたことだ。 リキが俺を想ってくれて、一緒にいたいと願ってくれて、それがこ の瞬間に繋がっている。 偶然より確かで、奇跡よりももっと尊い、リキの想い。 ﹁ガーウェンは泣き虫だね。赤ちゃんが驚いてるよ﹂ リキは笑って、ぼろぼろ泣いている俺の頭を撫でた。 恥ずかしいがこの溢れる気持ちを止めることは俺には出来ない。腕 の中の子を見ると、つぶらな黒い瞳が俺を見上げていた。 髪の毛は赤みがかっていて、肌は白い。 俺とリキの子だ。 ﹁驚かせて悪いな、ソウ﹂ ﹁ソウ?この子の名前?﹂ 俺達のやりとりを微笑ましそうに見ていたらしいミーファ婆さんが 1312 尋ねてきた。 今更取り繕っても遅いが、慌てて涙を隠すように拭う。 ちょっと感極まり過ぎたようだ。恥ずかしい。 ﹁・・・お、おう。リキの故郷の言葉で﹃心で想う﹄って意味があ るんだ﹂ ﹁心で想う、なんて素敵な意味ねぇ。良い名を付けてもらったわね ぇ﹂ 褒められたのが分かったのかソウがもぞもぞと口を動かした。 可愛いな、と思わず笑ってしまう。 俺は父親を知らない。 でも俺の中には父親像がちゃんとある。無口で無表情だが愛情深い ベルハルトさんや、ソーリュートへ来た頃に世話をやいてくれた粗 暴だが懐の深い年長者達。 ソウ その人達に教えて貰った温かいものを今度は俺がソウに教えていけ たらいいと思う。 俺の家族。新しい絆。 ﹁産まれてきてくれてありがとう、想﹂ ソウは俺の気持ちは知らぬとばかりにふぁっと欠伸をしてみせるの だった。 1313 PDF小説ネット発足にあたって http://novel18.syosetu.com/n6756cd/ 女子×おっさん 2016年12月14日08時08分発行 ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。 たんのう 公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、 など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ 行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版 小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流 ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、 PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。 1314