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オペラの愉しみ(7) 20、1991年 レニングラード国立歌劇場

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オペラの愉しみ(7) 20、1991年 レニングラード国立歌劇場
オペラの愉しみ(7)
20、1991年
レニングラード国立歌劇場
―
ロシアオペラの古典
正式名:ミハイロ フスキー劇場 は 、
ロシアのサンクトペテルブルク
にあ る オペ ラ とバ レ エ専 用 の劇 場 。
1833 年 に 設 立 。 ソ ビ エ ト 連 邦 時 代
( 1924 - 1991 年 ) は レニング ラー
ド国立歌劇場 と 呼 ば れ て い た 。
レニング ラー ド国立 歌劇場 は、 まさに ロシア 革命 の数ヵ 月後の 19 18年 3月に ロッ シ
ーニ作《 セビ リャの 理髪師 》で 旗揚げ した。 191 8年 から2 1年に は、 偉大な フョ ード
ル・シャ リア ピンが この劇 場の 舞台に 立ち、 彼の演 出作 品が数 々上演 され た。ま た、 プロ
コフィエ フの 《戦争 と平和 》や 、ショ スタコ ーヴィ ッチ の《鼻 》等、 数多 くのソ ビエ ト作
曲家の有名な作品がこ の舞台上で初 演された。
チャイコ フス キーや ムソル グス キーの ロシア オペ ラの傑 作が上 演作 品の主 である が、 ヴ
ェルディ、プッチーニ 、モーツァル トなどの諸作品 も上演される。
1984 年以 降、外 国公演 を数 多く行 い、各 地で 高評価 を得て いる が今回 の来日 公演 が
日本初上陸であった。
歴史的に この 劇場は 、実験 的な 方向性 を持っ てお り、声 の響き の美 しさの みなら ず、 特
に登場人物の心理、ま た深い洞察力 を表現するドラ マ性を重要視し ている。
今回、初 の日 本公演 にはム ソル グスキ ーの最 高傑作 《ボ リス・ ゴドゥ ノフ》、「ホ ヴァ ー
ンスキー の乱 」の史 実に基 づいて 作ら れた同 じくム ソルグ スキ ーの《 ホヴァ ーンシ チ ナ》、
そして世 界中 のオペ ラ・ハ ウス で愛好 されて いるチ ャイ コフス キーの 《エ フゲニ ー・ オネ
ーギン》というロシア オペラを代表 する3演目を携 えてきた。
日程の都合で《ボリス ・ゴドゥノフ》《エフゲニー・ オネーギン》 の2演 目 の み を 観 た 。
( 註)レニングラードはご承知の通り1991年10月1日よ り都市名がサンクトペテルブル クに
変わった。この稿では来日当時の呼称「レニングラ ード国立歌劇場」として記述して いる。
今回、注 目さ れたの はこの 劇場 の芸術 監督で あり 、首席 演出家 であ るスタ ニスラ フ・ ガ
ウダシン スキ ーであ った。 自身 もレニ ングラ ード音 楽院 出身の バス歌 手で あった が、 数多
くのオペラ作品を演出 して注目され ていた。
◇
モデ スト・ ムソル グスキ ー作曲
(1991年11月23日
《ボ リス・ ゴドゥ ノフ》 全2幕
大阪
フェスティバル ホール)
指揮:ウラジーミル・ジーヴァ(首席指揮者)
演出:スタニスラフ・ガウダシンスキー
<配
役>
ボリス・ゴドゥノフ:ウラジーミル・ヴァネーエフ
他
演奏:レニングラード国立歌劇場管弦楽団・合唱団
作 曲 者 の モ デ ス ト ・ ム ソ ル グ ス キ ー と 歌 劇 《ボリ ス・ゴドゥノ フ》の一場面
《ボリス・ゴドゥノフ》につい ては、その「あらす じ」等は、別の稿で 詳しく述べている の
でここでは詳細を省くことにし ます。
西欧化が 著し いロシ ア色と は一 線を画 し、オ ーケ ストラ は昔な がら のスラ ブ的な パワ ー
と硬めの 響き で、洗 練さを 捨て 、ムソ ルグス キーの 音楽 がはら む力強 さを 明確に 表わ して
いたが、 残念 ながら 題名役 のウ ラジー ミル・ ヴァネ ーエ フは迫 力十分 で声 量もあ るが 、演
技には稚 拙さ が見え 隠れし て、 終幕の 錯乱状 態にお ける 演技な どでは 、ボ リスの 持つ 影も
凄味もなくてキャラク ターの厚みが 決定的に不足し ていたのが残念 だった。
脇役陣は それ ぞれ健 闘した が、 印象に 乏しく 、こ のオペ ラにお いて 重要な 役割を もつ 合
唱団の歌 声は 力強か ったも のの 、女声 の高音 域には 金属 質な響 きが頻 出し て耳障 りで あっ
たし、伸びやかさに欠 けていた。た だ色彩豊かな民 族衣装は印象深 く、見応えがあ った 。
19世紀 を通 じてオ ペラに 限ら ず、ロ シアの 芸術 作品に は必ず 土着 と近代 の問題 が問 わ
れてきた 。土 着とは 母なる ロシ アの大 地であ り、近 代と はすな わち西 欧の 文明の こと であ
る。
個人的に はロ シアオ ペラの 中で は《ボ リス・ ゴド ゥノフ 》が一 番好 きで、 196 5年 の
「スラブ 歌劇 」を最 初に、 19 89年 にはロ シアオ ペラ の殿堂 である 「ボ リショ イオ ペラ
劇場」などで 多くの《 ボリス・ゴドゥノフ 》を観てき た。そ の時は土着的と か西欧的と か、
そういっ た問 題はい っさい 感じ なかっ た。当 たり前 だが オペラ として 鑑賞 してい ただ けで
ある。ネ ステ レンコ の声が どう とか、 合唱の 出来が どう とか、 ただ声 の圧 倒的な 迫力 と真
実味のある迫真の演技 に酔いしれて いて、そんなこ とを考えること はなかった。
しかし、 今回 のガウ ダシン スキ ーの《 ボリス ・ゴ ドゥノ フ》は 結果 として ボリス 個人 で
はなくそ の背 景にい るロシ アの 民衆を 描いて いる。 言い 換えれ ば「ロ シア とは何 か」 とい
う問いこ そが ムソル グスキ ーの 音楽の 根底に 潜んで いた もので あった とい うこと が遅 まき
ながら判った。
<このオペラの最大の聴きどころ>
◇ ボリスのモノローグ「私は最高の権力を手にした」
・・・モスクワ、ク レムリン宮 殿
の皇帝の居間。
皇 帝 ボ リ ス ・ゴ ド ゥ ノ フ の 子 、 王 女 ク セ ニ ヤ と 王 子 フ ョ ー ド ル が 宮 殿 の 居 間 に い る 。 姉 ク
セ ニ ヤ が 亡 く な っ た 婚 約 者 を 偲 ん で 泣 く の で 、乳 母 と 弟 フ ョ ー ド ル が 楽 し い 歌 で 慰 め る 。 ボ
リ ス ・ゴ ド ゥ ノ フ が 現 れ て 娘 を 慰 め 、 王 国 に つ い て 地 図 で 勉 強 す る フ ョ ー ド ル を 誉 め る 。 一
人になったボリスは、最高権力 を得た今の自分の気 持ちを誰にともなく 話す。
「 ボ リ ス の モ ノ ロ ー グ 」: 飢 餓 、 疫 病 、 貴 族 た ち の 陰 謀 、 リ ト ア ニ ア の 反 逆 、 娘 ク セ ニ ヤ の
婚 約 者 の 死 と 、次 々 に 我 が 身 を 襲 う 不 幸 を 嘆 き 、自 ら 犯 し た ド ミ ト リ ー 殺 害 の 罪 が 子 供 た ち
をも不幸にするのかと自問する 。
主席 顧問シ ュイ スキー 公爵 がやっ て来 て、リ トアニ アに ドミト リー と名乗 る若 者が現 れ 、
ポ ー ラ ン ド の 王 族 が 彼 を 担 い で リ ト ア ニ ア 国 境 に 攻 め 込 ん で 来 た と 伝 え る 。そ こ で ボ リ ス は 、
あ の 時 、ま ち が い な く 幼 い ド ミ ト リ ー を 殺 害 し た か 否 か を シ ュ イ ス キ ー 公 爵 に 確 か め る 。 公
爵 か ら 生 々 し い 殺 害 場 面 を 聞 く う ち に 恐 怖 に 駆 ら れ 、鳴 り 出 し た 大 時 計 の 音 に 怯 え る 。精 神
錯 乱 状 態 に な っ た ボ リ ス ・ゴ ド ゥ ノ フ は 、 脆 い て 神 に 許 し を 願 う 。
◇
ボリスの死「鐘だ!弔いの鐘だ!」 ・・・モスクワ、クレムリン宮殿内の貴族会 議
貴族たちが、皇子の名をかた る僭称者の処罰と反 乱軍への対処を検討し ているところに 、
シ ュ イ ス キ ー 公 爵 が 皇 帝 の 乱 心 の 報 を 告 げ た 。 幻 影 に と り つ か れ た 皇 帝 ボ リ ス ・ゴ ド ゥ ノ フ
が 現 れ る 。策 略 を 抱 く シ ュ イ ス キ ー 公 爵 は 老 僧 ピ ー メ ン を 呼 ぶ 。ピ ー メ ン が ド ミ ト リ ー 皇 子
の 墓 の 前 で 起 き た 夢 の 話 を す る と 、ボ リ ス は 罪 の 意 識 か ら 再 び 錯 乱 す る 。 死 を 予 感 し た ボ リ
スは息子のフョードルを呼び、国を託 して別れを告げる。折しも、教会か ら葬いの鐘の音 が
響 き わ た る 。 ボ リ ス ・ゴ ド ゥ ノ フ は 神 と 国 民 に ゆ る し を 願 い 、 錯 乱 の 中 で 息 を 引 き 取 る 。
◇
ピョ ートル ・チャ イコフ スキー 作曲《 エフゲ ニー・ オネー ギン》 全3幕
(1991年11月24日
大阪
フェスティバル ホール)
指揮:ミハイル・クク ーシキン
演出:スタニスラフ・ガウダシンスキー
<出
演>
タチヤーナ:イリーナ・ ロスクトーヴァ
他
演奏:レニングラード国立歌 劇場管弦楽団・合唱団・バレエ団
文豪プ ーシ キンの 代表作 をオ ペラに した《 エフゲ ニー ・オネ ーギン 》は 心理ド ラマ の要
素も大き いの で、演 出のガ ウダ シンス キーが どんな アプ ローチ で愛と 苦悩 を描き 出す のか
が注目された。
演出の ガウ ダシン スキー は演 劇的手 法によ って、 登場 人物の 心理に 焦点 をあて 、細 かな
演技付け によ って大 きな説 得力 を獲得 してい た。そ れに よって チャイ コフ スキー の音 楽的
個性が明 確に 刻まれ ている この作 品が もつ魅 力を解 き明か そう として いたの がよく わ かる。
指揮者の ミハ イル・ ククー シキ ンは無 名だが 、ロ シア的 な情緒 を、 瑞々し く旋律 を歌 わ
せる自然な音楽作りに よって醸し出 していた。
これも殆ど無名に近 いタチヤーナ 役のイリーナ・ロス クトーヴァは第 一幕の「手紙の 場」
における感情の動きを的確に表現、歌唱、容姿ともこの役にピッタリであった。
その他の 若手 歌手も そうし た演 出家の 意図を 汲み取 り、 清新か つ役に 深く 踏み込 んだ 歌と
演技を見せていた。全 体としてレベ ルの高い上演で 、十分に愉しむ ことが出来た。
淡い色彩を基調とした 装置の舞台の 美しさも特筆に 価した。
ピョートル・チャイコフスキー
エフゲニー・オネーギ ンの一場面
<見どころ聴 きどころ >
夢見る少 女タ チヤー ナの純 な愛 を、ニ ヒルな 青年 オネー ギンは 冷た く退け た。し かし 数
年後、彼 は美 しく成 長し公 爵夫 人とな ってい るタチ ヤー ナに再 会する 。今 になっ て彼 女へ
の愛に気づくオネーギ ンだったが… 。
* 見どころ聴きどころ
全編 にわたりチャイ コフスキーらし い、ロ マンティックで 哀愁漂う旋律で 彩られてい る
が、第一 幕の タチヤ ーナの 『手 紙の場 面』や 、第 二幕で レンス キー によっ て静か に歌 い
あげられるアリアなど は、特に叙情 的で美しい。
有名なポ ロネ ーズで 始まる 第三 幕、主 役ふた りに よる、 物語の クラ イマッ クスへ の緊 迫
感溢れる二重唱は聴き 応え十分であ った。
第1幕 第2場 :タ チヤーナはオ ネーギンを一目 見るなり運命の 人が現れたと感 じ、
恋におちてしまう。そ の夜、寝る時 間となっても、 タチヤーナは興 奮してとても寝 付く
ことができない。乳母 のフィリピエ ヴナに若いころ の恋愛体験を聞 かせてくれとせ がむ
が、フィリピエヴナが 語るのは恋愛 とは無縁の古臭 い嫁入りの思い 出話ばかり。フ ィリ
ピエヴナが立ち去った 後、タチヤー ナはオネーギン への思いを手紙 にしたためはじ める
「アリア・私は死んでもいいの - <手紙の場> とされる有名な 名場面」・・・「私に侮
蔑という罰をお加えに なるのはあな たのお気に召す ままです。でも 、私の不幸な運 命に
少しでも憐れむ気持ち をお持ちでし たら、私をお見 捨すてにはなり ますまい。・・ ・。
何故私どものところへ おいでになっ たのです? さ もなければ、忘 れられた田舎の 片隅
で、私はあなたを知る こともなく、 つらい苦しみも 知らずに過ごし たでしょうに。 私は
あなたが神様によって 私に遣わされ たお方、・・・ 。今日を境に私 は運命をあなた に委
ね、あなたをお待ち申 し上げます。 せめて希望の一 言を!さもなけ ればこの辛い夢 を引
き破ってください。」
はじめこそ書きあぐね るものの、や がて一気に情熱 的に書き上げる 。そして朝。現 れた
フィリピエヴナに 、タチヤー ナは孫を通じて 手紙をオネーギ ンに渡してく れるように頼 む。
エフゲニー・オネーギ ンの各場面
21、1992年
英国ロイヤル・オペラ
―
英国
ロイヤル・オペラ
ダ・ポンテ台本による3部作
コ ヴェント・ガ ーデン
英国ロイヤル・オペラ としては19 79年、86年 に続く3回目の 来日公演。
今回の公 演の 最大の 特徴は 、モ ーツァ ルト作 曲、 ダ・ポ ンテ台 本に よる《 フィガ ロの 結
婚》、《 ドン・ ジョヴ ァンニ 》、《 コシ・ ファ ン・ト ゥッテ 》の3 部作が 、ヨ ハネス ・シ ャー
フという一人の演出家 の一貫した演 出によって一挙 に上演されるこ とであった。
しかもベ ルナ ルド・ ハイテ ィン ク、ジ ェフリ ー・ テイト という 、モ ーツァ ルトの 演奏 で
評価の高 い指 揮者の もと、 豪華 なソリ スト陣 、定評 ある 管弦楽 団と合 唱団 による 華麗 なア
ンサンブルはオペラ・ ファン、特に モーツァルトフ ァンにはたまら ない魅力であっ た。
ソリスト陣は全員、モ ーツァルト歌 手といってもよ い望みうる最高 のキャストで、 アン
サンブル・オペラでは 世界に冠たる このオペラ劇場 ならではの超豪 華歌手陣であっ た。
言うまで もな く、モ ーツァ ルト のオペ ラは、 それ を上演 するに 当た っては イタリ アの レ
パートリ ーな どと違 ってア ンサ ンブル が非常 に大事 であ る。ひ とりの 歌手 がいく ら頑 張っ
てもチー ムワ ークが とれて いな ければ 成り立 たない 。も ちろん 、聴か せど ころの アリ アは
重要であ るが 、出演 する歌 手一 人ひと りがア ンサン ブル のバラ ンス、 自分 の役柄 の性 格、
オペラ全体の中での役 割を理解して いることが非常 に大切なのであ る。
モーツァルトのオペラ に出演する歌 手にとっては、
「相 手はどう歌い、どう いう風に表 現
するのだ ろう 」と考 えなが ら、 相手の 表情が 変われ ばこ ちらも とっさ に反 応する 、表 現を
変えられ る・ ・・そ のくら いの 余裕が なけれ ばモー ツァ ルトの オペラ の魅 力、楽 しさ はな
かなか出せないのであ る。
<モーツァル トのオペ ラとは>
モーツァ ルト のオペ ラは、 オペ ラ愛好 者のみ だけ でなく 、交響 曲や 協奏曲 あるい はピ ア
ノ・ソナ タや 弦楽四 重奏曲 など の、モ ーツァ ルトの 器楽 曲の愛 好者も 自然 にモー ツァ ルト
のオペラ の世 界を満 喫でき るこ と、即 ち、大 胆に言 えば こうし たモー ツァ ルトの 器楽 的性
質がモーツァルトのオ ペラの大きな 特質なのではな いかと思う。
例えば、 多く の序曲 が優れ た交 響曲の 楽章に 匹敵 すると 思うし 、ま た多く のアリ アも 、
しばしば その ままピ アノや 管弦 楽のた めの協 奏曲の 一楽 章にな るので はな いかと いう こと
である。重唱や合 唱にも、器楽 によるアンサ ンブル音楽を彷 彿とさせるとこ ろが多々あ る。
それ故に モー ツァル トのオ ペラ は、そ れを声 の付 いた器 楽曲と して 聴くと いう聴 き方 も
成り立つのではないだ ろうか・・・ という見方も面 白いのでは。
さらに、 いつ も思う のだが 、モ ーツァ ルトの オペ ラ全体 につい て言 えるこ とだが 、作 品
に含まれるアリア、重 唱、合唱の多 さには本当に圧 倒される。
19世紀末から20世 紀初めにかけ て活躍したプッ チーニのオペラ《ト スカ》
(191 0
年作)な どは 、アリ アとい った ら全3 幕に各 1曲ず つ、 第1幕 がカヴ ァラ ドッシ の「 妙な
る調和」、第2 幕が トスカ の「歌 に生き 、愛 に生き 」、そ して第 3幕大 詰め のカヴ ァラ ドッ
シ「星は光りぬ」、このたっ た3曲である。そ れが好ければ上 演はまず成功と いうのだか ら、
それに比 べる とモー ツァル トの オペラ は、溢 れるよ うな 楽想を 迸らせ 、オ ペラ・ ブッ ファ
の伝統に 棹差 して、 次々と 軽妙 なカン ツォー ネを繰 りだ すかと 思えば 、オ ペラ・ セリ ア特
有の荘重 な詠 唱、ま た新時 代の 息吹を 感じさ せるロ マン ティッ クで劇 的な アリア や重 唱が
散りばめられている。 そこのところ が本当に凄いと 思う。
もう一点は、モーツァルトの オペラの偉大さ は台本と音楽の 結びつきの見 事さであろう 。
台本作家 との 緊密な 連携に よっ て自分 のアイ ディア や理 念を台 本に反 映さ せ、ま た自 分の
音楽的着想を活かしう る台本の制作 を徹底的に求め ている。
それに当 意即 妙の天 才的な 音楽 をつけ ること によ って、 登場人 物た ちの行 為や在 りよ う
が、とり もな おさず 人間心 理の 傑出し た表現 となっ てい ること が、優 れた オペラ 作品 を生
み出した 理由 であろ う。そ うい う意味 ではこ のダ・ ポン テ台本 による 三部 作はそ の典 型的
な例としてよいであろ う。
人間を道 徳や 常識や 建前か らみ るので はなく 、そ の赤裸 々な現 実か ら見る モーツ ァル ト
の眼差しの鋭敏さは驚 異的でさえあ る。モー ツァルトのオペ ラを観たり聴 いたりしてい て、
いつも思うのは、モー ツァルトは決 して人間を嫌わ なかったという ことである。
気高さや美しさ 、純愛 、優しさ 、勇気などは もちろんのこと 、人間 の嫌らしさ 、残酷さ 、
驕り高ぶ り等 々、醜 いとこ ろも 十分知 ってお り、手 厳し くそれ に反発 する 登場人 物の 感情
を見事に描き分けてい るけれども、トドの つまりは「人間って のは、こんなものさ!」と、
まるでパパゲーノのよ うにペロっと 舌を出している 。それがド ン・アルフォンソのよう な、
なんでも 知っ たかぶ りでワ ケ知 り顔、 人を小 馬鹿に する 、した り顔の 醒め た哲学 者の 顔で
はなく、 お腹 が空け ば舌な めず りをし 、喉が 乾けば ワイ ンを欲 しがり 、き れいな 女の 子を
見ればだ らし なくデ レーと し、 怖いも のが来 ればサ ッサ と尻に 帆を掛 ける 、何と も憎 みき
れない生き物としての 人間なのであ る。
いつの世 にも したた かに人 生を 楽しん でいる 庶民 の生活 の営み の喜 びと哀 しみと を、 舞
台の上で 、比 類ない 音楽の オー ラに包 んで歌 い上げ たの が、他 ならぬ モー ツァル トの オペ
ラなのである。
いつの時 代で も、モ ーツァ ルト の作品 は生き 生き と聴き 手を魅 了し 、また 、どの 時代 の
視点からみても、つ ねにリアリテ ィを持ちうるの である。だか ら、モーツァ ルトの作品 は、
21世紀になっても、 聴き手に新鮮 な感動を与える ことができるの であろう。
このよう に、 モーツ ァルト が人 類史上 稀にみ る天 才とさ れるの は、 その作 品がも つ時 代
を超えた普遍性、そし て多様性にあ るのだろう。
以下の3 作品 の、そ れぞれ のス トーリ ーにつ いて は、も はや説 明を する必 要もな いで あ
ろう。それほど上演回 数の常に上位 を占める傑作中 の傑作である。
◇
ロレンツォ・ダ・ポンテ
W.A.モーツァルト
W・A・モ ーツァ ルト作 曲
《 ドン・ ジョヴ ァンニ 》全2 幕
(1992年7月14日
東京文化会館)
作曲―ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
台本―ロレンツォ・ダ・ポンテ
演出―ヨハネス・シャーフ
指揮―ベルナルド・ハイティンク
<出 演>
ドン・ジョヴァンニ:トーマス・アレン
ドンナ・エルヴィーラ:カリタ・マッティラ
ドンナ・アンナ:キャロル・ヴァネス
レポレッロ:クラウディオ・デスデリ
ドン・オッターヴィオ:ハンス・ペーター・プロホ ヴィッツ
ツェルリーナ:アンジェラ・ゲオルギュウ
マッゼト:ブリン・ターフェル
騎士長:ロバート・ロイド
演奏:ロイヤル・オペラ・ハウス管弦楽団/ロイヤ ル・オペラ合唱団
ベルナルド・ハイティンク
トーマス・アレン
オペラ好きならまずこ の指揮者、そ して粒そろいの 歌手陣の名前を みて驚くだろう 。
モーツァ ルト を指揮 して定 評の ある巨 匠・ハ イティ ンク が棒を 振り、 題名 役のト ーマ ス・
アレンを 筆頭 に、カ リタ・ マッ ティラ 、キャ ロル・ ヴァ ネス、 ロバー ト・ ロイド など 実力
には申し分ない顔ぶれ で、現代最高 のモーツァルト 歌手が揃った。
この来日時はまだそれ ほどブレイク していなかった が、1994 年にはロンド ンでショル テ
ィ指揮の 《椿 姫》で ヴィオ レッ タに抜 擢され て大成 功を 収め、 その後 の名 声を決 定づ けた
アンジェラ・ゲオルギ ュウや、いまや MET で《リング》の ヴォータンを歌 うまでにな った
若きブリン・ターフェ ル(この時の 表記はブリン・ テルフエル)な どが出演してい た。
特に期待 され ていた トーマ ス・ アレン は歯切 れが よく、 正確な テン ポとリ ズムで 鮮や か
に歌う「 シャ ンパン のアリ ア」 などは 本当に 胸のす くよ うな勢 いを感 じさ せた。 しか もク
ライマッ クス の騎士 長の石 像と の対決 シーン では、 音楽 が進む に従い 声の 表情を 強靭 に強
めて行き 、恐 怖と虚 勢を巧 みに 交錯さ せて劇 的に見 事に 盛り上 げてい た。 徹底し て男 臭い
無頼漢の役つくりで、 その声と演技 は見る者を震撼 とさせた。
難曲の多 いド ンナ・ エルヴ ィー ラのカ リタ・ マッ ティラ は細か いニ ュアン スの豊 かな 声
で聴き応えがあり、さ すがというべ き出来栄えであ った。
騎士長の ロバ ート・ ロイド は地 獄落ち でオド ロオ ドロし さを発 揮し て秀逸 。そし て期 待
のドンナ ・ア ンナ役 のキャ ロル ・ヴァ ネスは 文句な しの 歌唱で 、この 役の 強烈な エネ ルギ
ーを発散していた。
ドン・オ ッタ ーヴィ オのハ ンス ・ペー ター・ プロ ホヴィ ッツは 特に 注目し ていな かっ た
が、これが思わぬ力量 をみせ、安定 した歌唱で実に 見事であった。
とにかく 人材 が適材 適所で 、見 事に揃 ってい た。 アンサ ンブル とし ては充 実した 歌唱 を
意気高く聴かせた最高 のキャストで あった。
ハイティ ンク の指揮 はやは り期 待以上 で、ロ イヤ ル・オ ペラの オー ケスト ラから 透明 清
澄な音楽 を引 き出し 、特に 木管 の和声 を実に 美しく 響か せてい た。と 思う と地獄 落ち の場
面では激 しく 煽り、 すこぶ る劇 的な盛 り上が りを聴 かせ てくれ た。ク ライ マック スの 地獄
落ちまで劇的緊張を高 めてゆく手腕 はさすがという べきであった。
ヨハネス ・シ ャーフ の演出 は思 いのほ かトラ ディ ショナ ルなも ので 、もう 少し過 激な 要
素が入っ てい るのか と思っ てい たので 些か拍 子抜け した 。ただ 、村人 を招 いての 宴会 で、
舞台奥の ガラ ス張り の屋敷 の中 で繰り 広げら れる響 宴の 場面や 、ドン ・ジ ョヴァ ンニ の食
事の場面 で、 全裸( ?)の 女性 の上に 、料理 を盛り 付け てある など、 かな りきわ どい 場面
もあった。各場面の特 色を端的に表 した装置や衣裳 なども見事な水 準に達していた 。
シャーフの考えるジョ ヴァンニ像と いうのは、「死 を選ぶ自由に酔 いしれる実存主 義的
な人物で、彼は常に自 分を極度の危 険の真っ只中に さらしている。 危ない状況を自 ら作 り
出していくことが快感 で、その中で イチかバチかの 綱渡りをやって のける興奮に浮 かれ て
いるのです」と述べた 上で、このオ ペラは、いかな る意味でも“愛 ”についてかか れた も
のではなく、もっとス ペイン風の劇 的な殺人と死に ついて扱ったも のだと述べてい る。
上:《ドン・ジョヴァ ンニ》のカーテ ンコール
1787年プラハで初 演、大成功で あった。原作は ティルソ・デ・ モリナの「セビ リャ
の色事師、または石の 客」。
好色の道を邁進するス ペインの貴族 、ドン・ジョヴ ァンニの悪業と 因果応報の地獄 堕ち
を描いた諧謔劇。
【あらすじ】
舞台は1 7世 紀のス ペイン 。世 界中を またに かけ 、女性 を次々 と口 説いて ものに して い
るスペイ ンの 放蕩貴 族ドン ・ジ ョヴァ ンニ。 従者の レポ レッロ を従え てこ の日も ドン ナ・
アンナの 屋敷 に忍び 込んだ もの の騒が れ、駆 けつけ たド ンナ・ アンナ の父 の騎士 長を 殺し
てしまう。
次に出会 った 村娘の ツェル リー ナを口 説くが 、途 中で昔 捨てた 貴族 の女性 ドンナ ・エ ル
ヴィーラ が現 れて、 ツェル リー ナを連 れ去る 。ドン ナ・ アンナ はドン ・ジ ョヴァ ンニ こそ
父を殺し た犯 人だっ たこと を知 り、恋 人のド ン・オ ッタ ーヴィ オと共 に復 讐を誓 う。 しだ
いに形勢 が不 利にな ってき たド ン・ジ ョヴァ ンニは 追い 詰めら れてい く。 最後に 屋敷 を訪
ねてきた騎士長の亡霊 によって、ド ン・ジョヴァン ニは地獄へと突 き落とされる。
<名アリアの 数々>
● レポレッロのアリア「 カタログの歌」(第1幕)
近年の傾向としては、レポ レッロはドン・ジョヴ ァンニにより少 し重い声の歌 手が歌う
ことが多い。従って 前者はバス・バリトン、後者 はバリトンが歌 うことが多く なってい
る。ドン・ジョヴァンニの 女性遍歴を綴っ たカタログを 、かつてドン・ジョヴ ァンニが
捨てた女、ドンナ・エ ルヴィーラに レポレッロが歌 って聴かせる。
● 二重唱「お手をどうぞ 」(第1幕)
全曲の中で最も人気の ある、ツェル リーナを相手に 歌う誘惑の二 重唱。ドン・ジョヴァ
ンニの口説きのテクニ ックが甘い言 葉と甘い旋律で 見事に表現され ている。
● ドン・ジョヴァンニの セレナーデ「 おいで窓辺に」( 第2幕)
エルヴィーラの女中を 狙って部屋の 窓の下で歌う甘 いセレナーデ 。この舞台に は立って
いないが、この曲は ハイ・バリトンであるトーマ ス・ハンプソンが囁くように 甘い声で
歌っているのを聴いた ことがあるが まさしく絶品で あった。
●ドン・オッターヴィ オのアリア「いま こそ、私のいとし い人を慰めに 行って下さい」(第
2幕)こ の歌 は、歌 うドン ・オ ッター ヴィオ にす るとな かなか 難し いみた いであ る。 突
然現れて 、2 曲のア リアを 歌わ なけれ ばなら ない からだ 。この アリ アはウ ィーン での 初
演時には 難し くて歌 えない とい う理由 ではず され たとい ういわ くつ きの曲 である 。高 音
と澄んだリリックな声 が要求される 。
◇
W・A・ モーツ ァルト 作曲
《コシ ・ファ ン・ト ゥッテ 》全2 幕
(1992年7月15日
東京文化会館)
作曲―ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
台本―ロレンツォ・ダ・ポンテ
演出―ヨハネス・シャーフ
指揮―ジェフリー・テイト
<出 演>
フィオルディリージ:キャロル・ヴァネス
ドラベラ:ダイアナ・モンタギュー
フェランド:クルト・ストライト
グリエルモ:ウイリアム・シメル
ドン・アルフォンソ:クラウディオ・デスデリ
デスピーナ:アン・ハウエルズ
演奏:ロイヤル・オペラ・ハウス管弦楽団/ロイヤ ル・オペラ合唱団
まず、他の演目同様、 この公演も歌 手の水準が非常 に高い。
キャロル ・ヴ ァネス のフィ オル ディリ ージは 豊かな 声量 と美し く伸び る高 音がと ても 魅力
的で、評判に違わず、 安定した歌唱 とその美しい舞 台姿で聴衆を魅 了していた。
第1幕の 有名 なアリ ア「岩 のよ うに」 では、 貞節 を守る 固い決 意を 歌いな がらも 内心 の
動揺は隠 せな いとい う、微 妙な 心理の 綾を浮 き彫り にし てその 人物像 を表 現した のは 見事
の一語。 感心 したの は中心 人物 であり ながら 、プリ マド ンナに ならず にあ くまで もア ンサ
ンブルの 中で 輝いて いたこ と。 モーツ ァルト のオペ ラは 、特に この《 コシ ・ファ ン・ トゥ
ッテ》の よう なオペ ラは、 歌手 ひとり 一人の 技量が あっ ても、 そのよ うな アンサ ンブ ルが
成立しないとその面白 みがわからな くなる。
ドラベラ のダ イアナ ・モン タギ ューも よく伸 びる 美声で 、存在 感の ある演 技だっ た。 特
に胸のときめきを歌う ところは忘れ がたい一場面で あった。
これらソ リス トの熱 演もあ って 青年た ちの愚 かな 滑稽さ 、自ら の心 に忠実 な姉妹 の純 粋
さ、そして全てを笑い 飛ばすデスピ ーナの強さが印 象的。
デスビー ナの アン・ ハウエ ルズ が胡散 臭い医 者で も、変 てこな 公証 人でも 、実に おか し
く演じ、しかも歌もう まい。思わぬ 拾い物をした感 じである。
指揮のジェフリー・テ イト
キャロル・ヴァネス
1790 年ウィーンの ブルク劇場で 初演。19 世紀 には内容が不謹 慎だとして不 評であったが 、
20 世紀に入りモーツァルトの 4大名作の一 つとなり、名誉 回復した。
タイトルは「女はみん なこうしたも の」という意味 。
18世紀 の末 のナポ リが舞 台。 二人の 若者が 、ひ ねくれ た老哲 学者 や小賢 しい召 使に そ
そのかさ れ、 変装し てお互 いの 恋人た ちの貞 節を試 そう とする 。すぐ に新 しいも のに かぶ
れてしまう若い女性の 揺れ動き出し たら止まらない 心の奥底や 、男の嫉妬 のあさはかさ が、
異国情緒を盛り込んだ 演出の中で軽 妙に描かれてい る。
私がこの 《コ シ・フ ァン・ トゥ ッテ》 公演で 注目 したの は、モ ーツ ァルト 指揮者 とし て
評価の高いジェフリー ・テイトであ った。
ジェフリ ー・ テイト の指揮 はこ のオペ ラの持 つ本 質を、 恐らく 他の 誰もが 真似の でき な
いような 生命 力に満 ちた美 しさ で再現 し、登 場人物 の幾 重もの 心のひ だを 裏打ち する よう
な素直さと緊張感のあ る演奏を引き 出して賞賛され ていた。
まずロイ ヤル ・オペ ラ・ハ ウス 管弦楽 団から 、音 色の透 明で何 とも 言えな い自然 な美 し
さを引き 出し ている 。軽や かな のに厚 みがあ り、序 曲か ら生き 生きと した オーケ スト ラの
音色に引 き込 まれた 。序曲 が始 まると かなり 早いテ ンポ で駆け 抜け、 オー ボエを 初め とす
る木管ソロが次々と素 晴らしいフレ ージングを聞か せてくれる。
恋人の出 征を 告げる アルフ ォン ソのア リアに おけ る弦楽 の不安 な響 き、男 たちの 「思 う
ように足 が出 ない」 のレト リカ ルなオ ケの動 き、小 三重 唱の音 型など 、ジ ェフリ ー・ テイ
トはスコ アに 記され たモー ツァ ルトの メッセ ージを 丁寧 に拾い 上げ、 印象 深く浮 き彫 りに
する。
特に第2 幕の アリア 「許し てく ださい 、愛す る人 」では ホルン のソ ロがあ まりに も抒 情
的で、思わず身震いす るほどの全曲 中最も美しい場 面となっていた 。
シャーフ の演 出もま た、ち ょっ と苦い 味の加 わっ た舞台 に仕上 げて いる。 終幕、 男た ち
にだまさ れて いたと 知った 姉妹 たちは 、それ までの 世間 知らず のお嬢 様で はなく 、自 分た
ちの貞節を賭けた男性 たちを決して 許さない強い意 思を持った女性 として描いてい る。
衣裳も芝居がかっ た豪華版ではな く、シンプル だが18世紀の 日常を感じさせ られた 。
【あらすじ】
老哲学者 ドン ・アル フォン ソの 挑発に のって 、グ リエル モとフ ェラ ンドの 士官二 人は 、
自分の恋人は絶対貞淑 だという賭け に乗る。
フィオル ディ リージ とドラ ベラ の美人 姉妹の もと に、恋 人たち が戦 地に赴 くこと にな っ
たと挨拶 にく る。そ のあと でや ってき たのは 変装し たグ リエル モとフ ェラ ンド。 彼等 は美
人姉妹を 口説 き始め る。最 初は 応じな かった 姉妹だ が、 しだい に心が 揺れ 動く。 そし て姉
妹が選ん だの は恋人 とは別 の相 手(変 装した グリエ ルモ とフェ ランド )だ った。 新し い恋
人たちの強引な誘いに 二人とも陥落 したのである。
結婚の署 名を したと ころで 、元 の恋人 たちの 帰還 が告げ られる 。あ わてる 姉妹。 最後 に
真相が明 らか になり 、気ま ずい なか、 二組は それぞ れ元 の恋人 と縒り を戻 す。ド ン・ アル
フォンソがしたり顔で にやりと笑っ て大団円を迎え る。
<名アリアの 数々>
三組の男 女が シンメ トリカ ルに 配され 、二重 唱や 三重唱 、四重 唱で 組み立 てられ てゆ く
このオペ ラの 構成は 、一種 幾何 学的で 、その 図式的 ・幾 何学的 なとこ ろが 魅力に なっ てい
る。
もともと重唱の多いの がモーツァル トのオペラ・ブ ッファの特徴だ が、《コシ・フ ァン ・
トゥッテ》はそれが極 限に達してい る。
●三重唱「風よ穏やか なれ」(第1幕 )
この作品 の中 でも最 も美し く繊 細な旋 律のア ンサ ンブル がこの 三重 唱。士 官たち が戦 場
に赴くと いう ので、 姉妹と ドン ・アル フォン ソが航 海の 無事を 祈りな がら 旅立ち を見 送る
ときに歌われる。緻密 でうっとりす るほど美しい三 重唱である。
●姉・フィオルディリ ージのアリア 「岩のように動 かず」(第1幕 )
フィオル ディ リージ の一番 の聴 かせど ころ。 低声 を使っ て始ま り、 強い意 志を装 飾的 な
技法で示 して ゆく。 充実し た低 音に加 えて、 高音 をころ がすテ クニ ックが 必要。 そし て
深いニュ アン スを込 めてこ の大 アリア を歌う のに は、長 い長い 独特 なフレ ージン グと 強
い意志を 現す ために 低音を しっ かりと 決めて 、姉 として の決意 と強 気な心 を表現 しな け
ればならない。モーツ ァルトのソプ ラノのアリアの 中でもとりわけ 優れた歌である 。
●フェランドのアリア 「いとしい人 の愛のそよ風は」(第1幕)
モーツァ ルト のテノ ールの 曲の なかで も、1 ,2 を争う 美しい 旋律 の曲。 この曲 は純 粋
で真っ正 直な フェラ ンドの 気質 を現す ために も、繊 細な 表現力 が必要 であ る。更 に端 正な
容姿があればなおさら 結構。
●二重唱「このハート をあなたに贈 りましょう」(第 2幕)
グリエル モと ドラベ ラの二 重唱 。姉に 比べて 、ち ょっと 軽薄な とこ ろがあ るドラ ベラ 。
それだけに男の甘い誘 惑にすぐ乗っ てしまうところ が哀しく、女っ ぽい。
この二重 唱は 《ドン ・ジョ ヴァ ンニ》 の「お 手を どうぞ 」に勝 ると も劣ら ない甘 美な 二
重唱である。
◇
W・A・ モーツ ァルト 作曲
《フィ ガロの 結婚》
(1992年7月16日
全4 幕
東京文化会館)
作曲―ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
台本―ロレンツォ・ダ・ポンテ
演出―ヨハネス・シャーフ
指揮―ベルナルド・ハイティンク
<出 演>
フィガロ:ルチオ・ガッロ
スザンナ:マリー・マッグロッフリン
ケルビーノ:クリスチャーヌ・オーテル
アルマヴィーヴァ伯爵:トーマス・アレン
伯爵夫人:レッラ・クベルリ
他
演奏:ロイヤル・オペラ・ハウス管弦楽団/ロイヤ ル・オペラ合唱団
あくまでも個人的な見 解であるから 、異論のある方 もいらっしゃる のを承知で申し 上げ
ると、私はモーツァル トの全てのオ ペラ作品(生涯 のうちに全22 作品を作曲した )の 中
で《フィガロの結婚》 が最も完成し た作品であると 信じている。
《フィガロの結婚》の 他に《魔笛》 と《ドン・ジョ ヴァンニ》を加 えた、いわゆる 三大
オペラ、それらに比し てちょっと判 りにくい《コシ ・ファン・トゥ ッテ》を加えて 、こ れ
ら4大傑作の中でも、
《フィガ ロの結婚 》は劇作品と して、その構成の複雑 さと緊密性 にお
いて、断然他を圧して 光っている( と思う)。
今までオ ペラ が大好 きで随 分い ろいろ なもの を聴 いてき たが、 恐ら く演目 として はこ の
《フィガ ロの 結婚》 が一番 多く 聴いて きたと 思う。 その 数多く 聴いて きた 《フィ ガロ の結
婚》の中 でも 、19 63年 に日 生劇場 ができ て、そ の? 落とし の公演 であ ったカ ール ・ベ
ーム率い るベ ルリン ・ドイ ツ・ オペラ の《フ ィガロ の結 婚》は 別格と して 、それ を別 にす
れば、今回の《フィガロ の結婚》の上演が 私にとって最上 のものであっ たように思う。(1
963年 のベ ルリン ・ドイ ツ・ オペラ 公演は 私にと って 今まで も、あ るい はこれ から も、
オペラ公 演と しては 、まさ に神 の領域 のもの で比較 対象 になら ない全 くの 別格の もの なの
である。)
今回の上 演は 、何と 言って も一 人ひと りの歌 手が すばら しいし 、全 員がモ ーツァ ルト 歌
いとして 名の 通った 人たち ばか り。そ してこ れもモ ーツ ァルト を振ら せた ら天下 一品 のベ
ルナルド・ハイティンクがこれら の歌手をまとめ 、見事なア ンサンブルを作 り上げてい た。
これだけ楽しく豪華で 正統派なのだ から高い評価は 当然のように思 える。
トーマス・アレンの 伯爵も声、容 姿とも適役 、端正な声でこ の役本来の性格 を表現して 、
威厳と屈辱の間を微妙 に揺れ動く心 情を見事に表わ して、絶大な賞 賛を受けていた 。
来日が待 たれ ていた レッラ ・ク ベルリ の伯爵 夫人 の高貴 な佇ま いも 秀逸で あり、 そし て
何よりもガッロのフィ ガロが最高の 当たり役であっ た。
一番素晴 らし かった のはス ザン ナのマ リー・ マッ グロッ フリン で、 舞台映 えのす る美 人
歌手であ るが 、その 声と演 技は 全ての 観衆を 虜にし た。 何せこ の役は 古今 の名歌 手の 記憶
が強いの で、 なかな か手放 しで 誉める のは憚 られる のだ が、そ の点マ ッグ ロッフ リン は声
も姿も完璧で、見事な 合格点であっ た。
これぞと いう 最良の キャス トが 組まれ 、名歌 手た ちは共 通の認 識の 下、緻 密なア ンサ ン
ブルを聴 かせ ている 。その 要と なった のがハ イティ ンク であっ たこと は言 うまで もな い。
ここでも ロイ ヤル・ オペラ ・ハ ウス管 弦楽団 から、 多少 ゆった り目の 起伏 のある 優雅 な音
色を引き出し、流麗な 作りで聴き手 を魅了してくれ た。
シャーフの演出は、奇をてらった ところは殆どな い。設定も 、従って舞台装 置も衣裳も 、
至極正当 的で ある。 違うの は、 驚くべ き想像 力が生 み出 した細 部の演 出、 殊に歌 手た ちに
与えられ た所 作・表 情であ り、 それは もう、 世話物 のリ アリズ ム芝居 の域 に達し てい た。
考えてみ れば 、無論 のこと なが ら《フ ィガロ の結婚 》は 一種の 世話物 であ り、こ れは これ
で正解なのであろう。
1786年ウィーンの ブルク劇場で 初演。原作はフ ランスの劇作家 ボーマルシェで 、フ
ィガロにまつわる3部 作の2作目。
以前は理髪師で、今は アルマヴィー ヴァ伯爵の従僕 になったフィガ ロとスザンナの 結婚
に至るまでの顛末を描 く。貴族社会 から市民社会へ 移行する過渡期 の時代精神から 生ま れ
た痛烈な風刺喜劇であ る。
【あらすじ】
舞台は18世紀の半ば のセビリァ、 アルマヴィーヴ ァ伯爵家のある 一日を描いてい る。
召使のフ ィガ ロと小 間使い のス ザンナ の結婚 式当日 、伯 爵がス ザンナ にご 執心で 、廃 止さ
れた初夜権の復活を目 論んでいると 知らされたフィ ガロは反撃の策 を練る。
一方夫の 心が 離れて いくと 嘆く 伯爵夫 人も、 召使 たちと 共謀し て伯 爵の浮 気を懲 らし め
る計画を 立て る。そ れは医 師バ ルトロ と女中 頭マル チェ リーナ を抱き こん だ伯爵 陣営 とフ
ィガロが 主導 するス ザンナ 、お 小姓ケ ルビー ノなど 伯爵 夫人陣 営との 家庭 内闘争 に発 展す
る。しか し、 ひょん なこと から 、フィ ガロが バルト ロと マルチ ェリー ナの 実の息 子だ と判
明したことから、伯爵 は一転不利な 立場に。
フィガロ とス ザンナ の結婚 式の 最中に も駆け 引き が続き 、闘い は夜 の庭に 移る。 伯爵 が
スザンナと思って口説 いた相手が 、実はスザ ンナの衣裳を着 た伯爵夫人だ ったことが判 明。
伯爵は夫人に許しを請 い、一件落着 する。
<名アリアの 数々>
決して短 くは ないオ ペラだ が、 その殆 んどが 聴き どころ で、ど の歌 もちゃ んと機 能し て
いるのが《フィガロの 結婚》という オペラの凄いと ころである。
●まず生 気と 機智に 富んだ プレ ストの 序曲を 聴きの がす わけに はいか ない 。良い 指揮 者が
振って、キラキラと輝 く音楽になっ た時の序曲は格 別である。
● フィガロのアリア「も う飛ぶまいぞ 、この蝶々」(第 1幕)
セビリ ァの 連隊の 士官 として 任地 に即 刻向か うよ う命じ られ たケ ルビー ノに 向かっ て、
フィガロがからかい、 脅かし、励ま して陽気に歌う 。
● ケルビーノ「自分 で自分がわか らない」
(第 1幕)
「恋 とはどんなもの なのか」
( 第2幕)
この超有名曲が実はな かなか深い意 味がある曲なの だという。少 年の女性に対 するもや
もやした想い、性への 欲望を素朴に 吐露する。
第2幕で伯爵夫人に歌 いかける「恋 とはどんなもの なのか」は、高まる気持ち にとまど
い加わっている。
● 伯爵夫人のアリア「ど こへいったの でしょう、あの 幸福なひととき は」(第3幕)
伯爵夫人 のア リアは 2つあ るが 、変化 に富み 、聴 き応え のある のは 3幕の ほうだ 。2 幕
では哀しみに沈んでい た夫人だが 、3幕では より苦悩を深 め(レチ タティーヴァ)、ほ と
んど耐え られ ないほ どの苦 しみ から、 次第に 意思 を固め て希望 を抱 くまで の過程 が表 現
される。
●ロココの優雅そのも の、と思えるのは スザンナと伯爵 夫人と歌う<手 紙の二重唱>。
(第
3幕)重 なり 合う女 声の美 しい 響きを 生かす のは モーツ ァルト の得 意技で ある。 優し さ
といたずら心が溶け合 う。
● スザンナのアリア「早 くおいで、す ばらしい歓びよ」(第4幕)
名曲揃い の《 フィガ ロの結 婚》 のなか でも最 も美 しく官 能的な 旋律 がこの アリア 。恋 人
フィガロが物陰に隠れ て聴いている のを知っていな がら、彼の嫉妬をあ おりつつ、
「恋 人
よ、早く来て!」とア バンチュール を待つかのよう に歌う意味深長 な歌。
それでは今回のロイヤ ル・オペラの 上演は何が特徴 なのだろう。
それは《 フィ ガロの 結婚》、《ド ン・ジ ョヴァ ンニ》、《コ シ・フ ァン・ トゥ ッテ》 の3 本が
いずれも モー ツァル トが作 曲し 、その 全てが ダ・ポ ンテ の台本 による もの である こと であ
った。
更に3本 全て の演出 を、ヨ ーロ ッパに おいて モー ツァル ト演出 でき わめて 高い評 価を 得
ているヨハネス・シャ ーフが一人で 受け持っている ところである。
一昔前の 海外 のオペ ラ・ハ ウス の日本 公演で は、 ミュン ヘンや ウィ ーンな どのド イツ 系
の劇場の 場合 、モー ツァル ト、 ワーグ ナー、 R・シ ュト ラウス 、そし てス カラ座 では ロッ
シーニ、 ヴェ ルディ 、プッ チー ニとい うよう にそれ ぞれ の歌劇 場がも っと も得意 とす る看
板演目をバランス良く 配したプログ ラミングをする のが普通であっ た。
ところが、世界中 の名歌劇場が来 日を繰り返し 、それにつれ て聴衆の耳が肥 えてくると 、
特定のテ ーマ 性を帯 びたプ ログ ラミン グや日 本では あま り知ら れてい ない 隠れた 名作 の紹
介も行わ れる ように なった 。例 えば1 987 年のベ ルリ ン・ド イツ・ オペ ラによ る《 ニー
ベルング の指 環》の 通し上 演や 、私は 残念な がら聴 きも らした が19 89 年のウ ィー ン国
立歌劇場の《ランスへ の旅》などが その好例といえ よう。
そのよう な観 点から みると 、ダ ・ポン テ三部 作を 一人の 演出家 の手 によっ て一挙 に上 演
されるということは、 特定のテーマ 性を意図したこ の歌劇場の強い 意思が感じられ た。
<モーツァル ト作品の 演出>
オペラは“演出の時代”とか、
“指揮者の 時代”といったこ とがよく言われ るようにな っ
て久しい 。価 値観が 多様化 した 現代で は、オ ペラ演 出は 演出家 のカラ ーと 制作カ ンパ ニー
の個性が溶け合って色 濃く表れるよ うである。
モーツァ ルト のオペ ラはど この オペラ ・ハウ スで もドル 箱とし て常 に重要 な演目 であ る
ことは間違いない 。それゆえ に新演出を出す リスクも大き いので、やむをえず「定評あ る」
舞台を十年以上も使い まわしている ケースも多い。
一時代を 築い たポネ ルやレ ンネ ルト、 ジョナ サン ・ミラ ーのモ ーツ ァルト 演出が 非常 に
優れたも ので あるこ とは確 かだ が、指 揮者や 歌手の 世代 交代も 進むな か、 初演時 のイ ンパ
クトが年 々薄 れてい くのは 仕方 のない ことだ ろう。 実験 劇場を 看板に 掲げ たバイ ロイ ト音
楽祭を擁 する ワーグ ナーほ どで なくと も、モ ーツァ ルト のオペ ラにも 同じ 時代の 空気 を共
有する新鮮な舞台の出 現が待たれる のも必然であろ う。
21世紀のモーツァル トのオペラに 特に顕著なのは 演出の在りよう である。
1960 年代 はむろ ん、1 97 0年代 まで、 台本の 時代 設定に 合わせ た“ 衣裳” と“ かつ
ら”をつけた 歌手たちが演唱 するのが当たり 前だったことを 考えると全く 今昔の感があ る。
今は《フ ィガ ロ》が 現代の 結婚 周旋会 社の出 来事と され 、Tシ ャツに ジー ンズ姿 のケ ルビ
ーノが登場する。
《コシ 》が70年代 のヒッピー風俗 の中に投げこ まれ、大 詰めの結婚 の場
面はエスニックムード いっぱいの放 埓なパーティと なった演出もあ る。
それでは 、我 々はこ のよう な演 出の時 代にモ ーツ ァルト のオペ ラと どう向 き合え ばよ い
のであろ う。 答えは 簡単! 最 新の演 出によ るモー ツァ ルト・ オペラ を積 極的に 観て 、そ
れを面白 がっ てみて はどう だろ うか。 なぜな ら、オ ペラ は舞台 芸術で ある 。劇場 で観 客を
前にして 上演 される 。劇場 も観 客も、 その時 代のな かに 生きて いる。 だか らオペ ラも 生き
物なのだ。
<閑話>コヴ ェント・ ガーデン の由来
コヴェ ント・ ガーデ ンと は、ロ ンドン の中 央部の 地区の 名称 である 。コ ヴェン トは中
世英語で修道院の意味 で、現代英語 の「コンヴェン ト」(僧院・修 道院)に当たる 。
13世紀 には コヴェ ント・ ガー デンは ウエス トミ ンスタ ー・ア ベイ の修道 士たち の菜 園
であった 。そ の後コ ヴェン ト・ ガーデ ンは果 物・野 菜及 び草花 の卸し 市場 となり 、1 97
5年に移転するまで、 およそ300 年にわたって青 果市場として知 られていた。
一方、オペラ・ファン 及びバレエ・ファンに とってはコヴェ ント・ガーデンはロイ ヤル ・
オペラ・ ハウ スを意 味して いる 。青果 市場が 移転す るま では、 歌劇場 の前 の道路 はい つも
果物・野 菜を 満載し たトラ ック や荷車 でにぎ わって いた 。長い 間、コ ヴェ ント・ ガー デン
といえば 、青 物市場 とオペ ラ・ ハウス という 2つの 対照 的なイ メージ を与 えてい たが 、現
在はコヴ ェン ト・ガ ーデン とい えば、 それは ロイヤ ル・ オペラ ・ハウ スを 意味す るの であ
る。
ザ・ロイ ヤル ・オペ ラでは 、あ らゆる 印刷物 にロ イヤル ・オペ ラの 後にコ ヴェン ト・ ガ
ーデンと銘記しており 、コヴェン ト・ガーデン はロイヤル・オペラの同意語 となってい る。
オペラの愉しみ(8)に続く
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