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宗教の未来 - 国際言語文化研究科
宗教の未来 中沢 新一 はじめに 宗教という現象が 21 世紀にどうなっていくだろうかということが、いま、 非常に大きな問題として意識されています。これは世界的な規模で大きな問題 になっています。とりわけ 9.11 以後、イスラム教とキリスト教の対立という ようなものが露骨に表面化していますので、宗教と国際的な政治社会のあり方、 こういうものが大きく連動しあっているということを、人々は深く意識してい ます。だいたい宗教というものは、21 世紀になったらその機能を失い、消え ていくのではないかといわれていました。ところがじっさいに 21 世紀になり ましたら、世界中で起こっていることの重要な部分に、宗教の問題が大きく関 与しているということが、ますます明らかになってきたように思えます。 日本でも、私たちの日常生活、ものの考え方、社会のあり方、経済のあり方、 そういうものの中に、宗教が無縁であるどころか、かなり大きな要因となりつ つあるということが明らかになりはじめている。20 世紀の半ばすぎ、とりわ け啓蒙主義的な社会運動が盛んな時期、宗教というのは、マルクスの言葉を使 うと一種のアヘンのようなものとして、いずれ消え去っていくものだろうと思 われていたはずなのに、ところが、この宗教というものは、国際政治どころか 経済全体を動かしていくような大きな存在になりつつあります。 しかし、この状況というのは、いわゆる宗教というものを内側から体験して きた人々から見ると、はたして宗教現象といえるのかどうか、ということです ね。たとえばイスラム教の過激派がやっていることというのは、イスラム教の 宗教者たちから見ると、決してイスラム教そのものから肯定できるようなもの ではないでしょう。ところが、それはまぎれもなくイスラム教という宗教の内 30 中沢 新一 部から発生していることに間違いがないし、アメリカを相手に彼らが行ってい る行動自体の奥底で動いている論理というのは、これも決してイスラム教の論 理とは無縁ではないということは明らかであろうと思います。 というわけで、21 世紀の宗教現象というものは、いったいどういうふうに いま現在なっているのか、そしてこれからどうなっていくのか。世界的な側面 と日本人のおかれている位置というものを考えるにはとても難しい問題ですが、 これを避けていろいろな問題を考えることはできませんね。多元社会の根本原 理というのは宗教と深く関わっております。だから多元文化と未来社会という 問題を考えるときに、宗教は避けて通ることはできないのです。 ホモロジーとしての宗教と経済 今日まずお話していかなければいけないと思うのは、宗教という現象が経済 と深く関わっているという問題です。これこそがいままで、まさに 9.11 以後、 明らかになってきているわけです。イスラム教の過激な運動を行っている人々 から見ると、敵はキリスト教であるということになる。そして、これはいろい ろな含蓄がある言葉ですが、キリスト教の内部から今日の資本主義の形態が発 生してきて、高度に発達した今日の資本主義の形態が世界に不均衡な富の分配、 偏りをもたらしている。そしてイスラム自体は、貧しい人々の側に立っている。 だから、資本主義的なシステムが敵であるのだけれども、その根本的な原理を 支えているのはキリスト教だと、こういう理解があります。 なぜこんなことが起こるのか。宗教と経済というものがどうして結びつくの か。この問題を深いレベルで考えてみない限り、いま人類が直面しているこの ジレンマ、難問、これを突破していくことは不可能ではないかと思います。じ っさい宗教と経済というのは深い関わりがあります。深い関わりがあるどころ か、この二つはおそらく同じものの現象の二つの顔なのではないのでしょうか。 このことについては、マックス・ウェーバーのような研究がすでに、ある側 面から宗教と経済の関係性を明らかにしてきましたし、マルクスも、宗教と経 済のあいだに密接な関係があるということを何度も力説している。マックス・ ウェーバーの研究は主に宗教と経済の中で近代型の資本主義というのとプロテ スタンティズムとの関係に力点を置きましたが、しかし、この宗教と経済の関 係というのは、宗教学や人類学の立場に立ってみますと、もっと深い射程をも っていて、この二つは同じものだととらえることができるような気がします。 宗教の未来 31 つまり、経済というのは宗教の一側面、一表現形態であり、宗教というのは 経済現象のひとつの表現形態であるというふうに言い換えることのできるくら い、二つの現象は深く関わっている。これはもっとはっきりいうと、経済現象 と宗教現象、この二つは、人間の心が生み出してくる二つの現象として極めて 近い場所から発生しているものだということです。そしてその現れ方はほとん ど同じ型を持っています。「同型」(ホモロジー[homology])という言い方が 数学にはあります。経済と宗教はホモロジーの側面を持っている。つまり経済 で起こっていることは、ほとんど、その対応物を宗教の中に見出すことができ ます。 私たちはいま、経済の問題を考えるとき、貨幣交換の世界の中に生きていま すから、普通、経済現象というのは、だいたいこの等価交換の原理というのを 出発点にして考える癖がついています。しかし人類にとって、いま私たちが行 っているような貨幣を使う等価交換というのは、ごく最近の出来事です。そし て経済現象一般にとっても、これは決定的に重要なものではありませんでした。 人類が長いこと、長く見積もると 5 万年、短く見積もっても 3 万年くらい、私 たち人類の経済活動の根本を作ってきた原理は、いまの等価交換原理ではなか ったのです。贈与と呼ばれるギフトによって動いていました。このギフト原理 というのは、ある当事者同士が出会ったときに、ある贈り物を与え、そしてこ の贈り物の価値というのは極めて不確定なものでありましたが、その確定でき ない価値を受け取った人が、これに対するお返しをする。これは、私たちが人 から贈り物をもらったときのお返しとしていまでも行っていることの根底に動 いていることです。 何かのモノが、Aという人からBという人へと移ります。しかし、私たちの、 貨幣を使った社会では、そこでモノと貨幣が交換されます。その場合、Aとい う人が与えたモノというのは、貨幣交換の世界では、売る人から買う人に移動 し、買う人から売る人には、貨幣が移動する。この場合、つまり貨幣交換の場 合は、売られるモノに、商人の人格というものはまったく関与していません。 つまり、コンビニエンスストアでミネラルウォーターを買い、代価を払います が、ミネラルウォーターに売っている人の人格はまったく入っていません。断 ち切れているわけです。ですから断ち切るために私たちはこれを商品として扱 い、等価交換で対価を払うような構造になっています。私たちの社会では、交 換において交換されるモノに与える側の人格は関与していないということです。 中沢 32 新一 ところが、ギフトに関してはそういうことは起こらない。私たちはもうすぐ、 バレンタインデーという日を迎えますが、バレンタインデーに贈られるチョコ レートを考えてみましょう。これは、260 円のチョコレートだったりしますが、 送る人間の気持ちが込められているというのですね。だから、チョコレートを もらうことというのは、単なるチョコレートをもらうだけではなく、その人の 気持ちが込められている。これがギフトの本質です。つまり、人格の一部が、 モノと一緒になって相手の人に渡される。これがギフトです。ですから、私た ちは 260 円のチョコレートを受け取りますが、このとき、チョコレートをくれ た女の子に、「ありがとう、260 円のチョコレートを」というと、なんてギフ トの機微のわかっていない人間か、という扱いを受けてしまうことになります。 プラス ギフトにおいては、モノ + 何かが相手に渡される。この何かというのは、 相手の人格の一部が渡っているということです。等価交換の場合には、私たち はモノを受け取るとき、原則として、ほとんど時間差をおかないで、ほとんど 同じ価値を相手に返します。ところがギフトにおいては長い間隔を置かなけれ ばいけない。長い間隔を置いて、もらったものにだいたい相応するような価値、 あんまり多くもないしあんまり少なくもないような、不確定な価値のモノを選 んで、相手にお返しをする。そしてそのとき、自分の人格がこれに込められて、 相手側に行く。つまり、贈与交換の中では、モノを交換する際に、人間と人間 の関係、人格と人格の行き来というのが基本的には起こっています。そして今 日のような交換経済が始まる以前、私たちの社会は、このような贈与経済で動 いていた。この経済は、モノを媒介にして人格の一部が社会全体に動いていく、 ということです。 しかしこれは、実は人格どころの話ではありません。多くの人類学の研究で 示されていることですが、この、モノ+何かの「何か」というのは、実は、霊 と呼ばれているものであります。この霊というのが、言語表現できないもの、 言葉で概念として使われることはできないけれども、そういうものが動いてい る、ということを、人間が感知するわけです。この霊、モノ+霊というのが、 ギフトの根拠です。ですからバレンタインデーで交換されるものは、モノ+霊 が動いている。この霊というものは、私たちが人格と呼んでいるものでも構わ ない。とにかくモノとは違うものが動いています。そして社会全体では、この 贈与が大きく動いています。 私たちが経済現象というものを考えるときはどうでしょう。いまの経済学と 宗教の未来 33 いうのはすべて、たとえば経済学の教科書を開いてみると、出発点では物々交 換、ないしは等価交換の記述から始まります。これは経済現象を考えるうえで、 ほとんど歴史的な倒錯を犯していることになります。なぜなら数万年のあいだ、 人間は、贈与経済で動いていたからです。この等価交換にともなう交換を社会 全体で動かしはじめたのは、たかだか数千年にもなっていません。ですから私 たちは経済的現象というものを考えるとき、贈与と交換というこの二つの原理 を立てる必要があります。この原理を立てると、たちまちに私たちは、宗教と 経済がホモロジーの関係にあるということがわかってきます。 私たちは宗教の中で、よく神という概念を使いますが、この神は、「与える もの」というのが基本的に語源になっています。たとえば民族ごとにいろいろ な表現がありますが、神とは何かというと、「私たちの存在や世界を与え給う たもの」という考え方をしている人々がたくさんいます。とりわけこれはキリ スト教圏でははっきりしていますね。“God” というのは “gift” です。そして、 “God”、すなわち神はなんだというと、それは「存在だ」といわれていますが、 つまり、この存在の世界すべてを造り給うたという表現の奥には、この存在の 世界を与え給うたもの、という考え方が潜んでいます。私たちは、キリスト教 の聖書の冒頭の表現で、「神は世界を創造した」という記述にとらわれますが、 この奥にある表現は「神は世界を贈与した」という考え方があると考えること ができるのです。その証拠に、ドイツ語の古い表現では、現在でも使われる表 現ですが、存在は “gift”、贈与のギフトと同じ語源となっています。 つまり、ドイツ人は昔から「この世界はある」ということを表現するときに、 「この世界は与えられている」と表現していました。何によって与えられてい たか。これは神によって与えられていたんですね。ですから神という概念に関 しては日本の神道であろうが、キリスト教、ユダヤ教の概念であろうが、根底 において、この世界を贈与するものとしての存在、という考え方があるのです。 そして神は、私たちに見返りを求めないで贈与すると考えられている。神と いうものが何かということを定義することはできません。それを定義すること は不可能でしょう。しかし重要な属性があります。それは、神というものはこ の世界、この存在、私たちを、見返りを求めることなく贈与してくれた、ギフ トしてくれた存在である、というものです。ギフトの存在という考え方は、神 というものの中に、潜在的に潜んでいます。ですから、贈与の概念と神の概念 には深い関わりがあることになるわけですね。 34 中沢 新一 そしてこれは、聖なる世界と呼ばれています。ところが私たちの中には、俗 な世界がある。この俗な世界は法によって作られています。神は物惜しみしな いで、自分が持てるありとあらゆるものを私たちの世界に出し与えようとする という意味で、私たちの世界をギフトしてくれた。ところが私たちの世界は法 によって動いています。世俗的な世界は法によって動きます。この法は何を要 求するかというと、何か他人の所有物を受け取ったら代価を払わなければいけ ない、ということです。ですから窃盗は許されません。私たちが他人のものを 盗むと犯罪だとされます。しかしながら、私たちは神に対してはこういうこと を平気で行っているわけです。神は、何かお返しを求めません。無尽蔵に自分 を、私たちに贈与してきます。その贈与物を私たちは受け取っておいて、お返 しをしない。ですから私たちはある意味でいうと、神に対しては世俗的な交換 の法に従っていないということになる。ところが人間の世界では受け取ったも のに対してはお返しが必要です。しかも等価交換の原理に従ってお返しをしな ければいけません。 そして実は、ここから経済のベースが形成されていくのです。そうしますと、 宗教の世界で聖と俗の対立として考えられていたもの、聖なるもの=神的なも のと、世俗的な法の中で起こっている対立関係というものは、経済の中で起こ っている対立関係と明らかにホモロジーを示すようになっています。これは非 常に大雑把なことをいっているようですが、実は経済と宗教のあいだのこのホ モロジー関係というのは、もっと微妙なところにも作動しています。20 世紀 が体験した最も大きな社会的な事件というのはソビエト連邦の成立とロシア革 命ですね、それと、ソビエト連邦の崩壊という歴史があります。この歴史をよ く考えてみたときに、宗教と経済というのはもっと微妙な部分でもホモロジー (同型)の対応を示しているということがはっきりわかってきます。 イエス・キリストがもたらした大問題 ついこのあいだまでは、東側の世界と西側の世界という言い方がされていま した。西側の世界というのは、だいたいがポーランドあたりを境にしています。 ポーランドとチェコあたりを境にしてブルガリアの脇を通って、マケドニア、 ギリシャ、このあたりでしょうか、だいたいの境界線がヨーロッパにははしっ ていて、そして東ヨーロッパと西ヨーロッパの対立というのが、長いこと現実 の力を持っていました。東側にはロシア革命をきっかけにして社会主義体制と 宗教の未来 35 いうものが作られました。そして西側では、私たちもその一員であるところの 資本主義体制というものが発達していきました。そしてベルリンの壁の崩壊を 象徴的な事件として、この対立の図式が無化しているという事態が起こってき ましたが、ここでいったい何が実はおこっていたのかということをもう一度、 先ほどの経済と宗教のホモロジーということで考えてみる必要があるかと思わ れます。 東側の世界と西側の世界の対立というのは、実は社会主義体制と資本主義体 制というかたちで冷戦構造をとる以前から、じっさいのところ対立していまし た。この歴史は非常に長い対立の歴史です。東側の世界はキリスト教の正教と いわれる思考のシステムに従っておりました。そして西側はカソリック、そし てここから発生するプロテスタントのキリスト教のかたちを取っておりました。 ですからロシア正教、ギリシャ正教の世界というのはだいたい東ヨーロッパの 世界に対応しています。そして西側のヨーロッパというのは、ポーランドあた りを境にしていますが、カソリックとプロテスタントの世界となって、対立関 係となってきました。 この対立関係というのは、宗教上のわけのわからない論争が元になっている と思われるかもしれませんが、ものの思考法の非常に重要な部分に関わる対立 を示しておりました。非常に古い対立ですが、何が対立点になっていたかとい いますと、三位一体説の理解法だったのですね。三位一体といいましても馴染 みのない方がいるかもしれませんが、キリスト教では、神というものが父と子 と聖霊という三つのペルソナを持つと理解しているのです。普通の宗教ではこ ういう考え方を問題にする必要はないのです。つまり私たちの世界というのは 人の世界であり、そして超越的な神の世界がある、というふうに、この二つを 分離して考えれば宗教の思考というのはそんなに難しい思考ではないのですね。 たとえば、この思考方法にのっとる一神教の考え方というのはイスラム教です。 イスラム教ではこの「あいだ」を媒介するものは何もないと考えていい。神は 絶対的な超越者です。そして預言者というのは神の言葉を伝える人です。こう いう関係になっていますが、人間と神のあいだを媒介するものはないわけです。 素朴なかたちで宗教の構造というものを発達させていくと、だいたいこのかた ちに落ち着いてきます。 私たちの心の中には言語によって統制できないような超越的な作用が働いて います。それが心の本体を作っています。それを私たちが内部から反省的に思 36 中沢 新一 考したときに宗教の思考というものが発生します。この、言語が到達できない 心の領域を神として分離する思考方法が生まれると、ここにだいたい、宗教的 発想と思考法というものが生まれてくるのです。この思考方法というのは、単 純なかたち、つまり、人と神のあいだには絶対的な隔たりがあると考えれば、 宗教の思考方法というのは問題なく展開できます。 そんなに難しい問題を提起することはありません。たとえば日本の神道とイ スラム教のアッラーの考え方はよく似ています。日本の神道の神というのはも ともと像に描きません。姿かたちを持ってはいけないものです。各村の神社の 鎮守の神様というのはひとりです。ですから共同体にとって姿も持たない、像 に描いてもいけない神がたったひとりいるだけなのです。これを拡大してみま すと、ユダヤ民族という大きな村に、たったひとりの神がいて、この神は絵で 表現することもできない、言葉で言い表すこともできない、名前だけなのです ね。姿かたちを持たず、像を持ってはいけない神、というものを考えだそうと している。このユダヤ教の考え方とイスラム教の考え方はよく似ていますけれ ども、日本の宗教の中にある、ある種の神の考え方というのも似ているのです。 ですからイスラム教の聖職者が日本に来て、日本の神道について話をしますと、 お互いの考え方がよく似ているということに驚くことがあります。ごく自然な かたちで私たちが超越者というものを思考しようとするときに、普通のかたち で展開すれば、このかたちの考え方に落ち着きます。神というのは姿かたちを 持ちません。像に描くこともできないのです。なぜなら、それは、私たちの言 語表現によってとらえることのできない、表象によってとらえることのできな い何かが私たちの心の奥底に動いている、と考えられているからです。 ところがキリスト教というのはとても変わった宗教で、神と人のあいだにイ エス・キリストがいるのです。キリストは神の子です。神の子が出現した。そ して神の子が神の愛を人に伝える、というひとつの構造が出来上がります。こ れによって、キリスト教の思考というのは、宗教的思考に非常に複雑なものを 導入しました。おそらく人間の宗教思考の中で最も困難なことを突きつけたと 思います。それは、イエス・キリストが、神の子で、神であると同時に人であ るという、こういう存在が神の思考の中に組み込まれなければいけなくなった ということです。 イエスは神なのか人なのか。あるいは神であり人であるのか。この問題は、 今日の中近東世界を大きく揺るがし続けた大きな問題です。実は今日のキリス 宗教の未来 37 ト教とイスラム教の対立はここに端を発しています。合理的な思考方法を好む 東のほうの人、トルコから東のほうの人は、イエスは人であると断言しました。 イエスは神か人かという二者択一の論理が出てきたときに、これを神であり人 であり、というふうに西方の人たちは考えようとしましたが、トルコから東の 人たちは、あれは神でなくて人だと理解しようとした。そしてイエスは人とし て神の声を伝える預言者だという考え方が発達してきた。実はこのときに大き い対立が発生して、東と西が大きく最初の分裂をしました。この最初の分裂の ときに、イエスは人であるというふうに考えた人々はだいたい、後にイスラム 教を信ずるようになりました。ですから、イスラム教とキリスト教の今日の対 立の大きな元になっているのは、この、イエスが神の子であるというところか ら発しています。このパラドックスをどう理解するかということにおいて発し た問題なのです。 西のほうでは、神であり人であるというこのパラドックスこそがイエスであ ると宣言されました。そして一応、キリスト教全体の理解というのはそういう ふうに決まりました。これによって、イエスは人であるというふうに理解して いた人々は異端として東へ追放されることになりました。この追放された人々 は中国までやってきて、実は奈良にも来ましたね。ネストリウス派キリスト教 というのを伝えました。これに対して西の世界では、全体として、イエスは神 であり人であるという理解を作り出していました。 三位一体説をめぐる東西の対立 ところが、このイエスを理解しようとした正統の中に第二の分裂が発生した。 この第二の分裂が実は東ヨーロッパと西ヨーロッパの対立になりました。それ はどのような理解から発したかというと、三位一体をどうやって理解するかと いうことです。つまり、父と子と聖霊というこの三つで、キリスト教の考える 神というのは考えられるようになりました。最初に大問題になったのはこの 「子」とは何かということです。そのうちに霊というものまで組み込まれるよ うになった。問題はこの霊なのです。先ほどいいましたように、霊というのは ギフトの場面に必ず付きまとってくるものです。私たちはいま、霊のいない世 界を作ろうとしている。それは商品交換を行うことによってモノが受け渡され ていくときに、相手の人格までそれと一緒になって伝わるという事態が起こら ないようにしていくことです。 38 中沢 新一 ところがかつての経済社会ではモノは贈与されました。そしてギフトされる ときには相手の人格がそのモノの中に込められている。ですからこの込められ た人格、もっというと、そこには目には見えない何かの霊が一緒に動いている という考え方もありました。かつての人間の社会というのは贈与社会として贈 与によって動いていましたが、この贈与社会全体を動かしている力は贈与の霊 といわれるものです。目には見えない力ですが、それがモノと一緒になって動 いている。そして人と人との間に交通、コミュニケーションの回路を開いてい くものを、かつての人間は霊と呼んでいました。この霊が、キリスト教の中に 組み込まれるような時代が起こってきたわけです。 これはどうしてかといいますと、教会が発達したからです。教会が発達して きますと、教会の内部では霊が降りてきて、この霊が私たちに信仰を確認する ということが起こった。それは、これもキリスト教の非常に風変わりな特色で すが、イエスという人が処刑され、そして復活したという信仰からきています。 つまり、復活の事実を信仰するかどうか、これが最初の時期の教会組織の礎に なったと思いますね。そのときにはこの信仰と共に何かの霊が教会員の元に降 りてくるという現象が起こりました。この霊というのは目には見えないもので す。しかし、神がイエスをこの世界に贈与したのと同じ力が私たちの元に降り てくる、というふうに理解する。絵で書くとしばしば、白鳩が空中から降りて くるのですが、あれは神のギフトなのです。ですから、ここには、潜在的にギ フトが仕組んである。この父と子と聖霊というのをいったいどういう関係で理 解していったらいいか。これが、キリスト教会の突きつけられた第二の問題で した。最初の対立、つまりイエスは人か神かという対立が大きな問題になった のは 2 世紀の話ですが、この三位一体の対立が問題になってくるのは 5 世紀以 後の話です。 このとき東のキリスト教会は、こういうふうに理解しました。「神というの は超次元的である」と。私たちの世界を構成している原理の次元を超えている。 だから父と子と聖霊のように矛盾しあったものは、超次元の中でそのまま統一 されている、というふうに理解しようとしたのです。これはちょっと難しい理 解法です。キリスト教というのは宗教思考の中では本当に不思議な思考方法を 人類に突きつけています。この神はひとつの顔を持っていないのです。父であ り、子であり、霊である。この三つの顔、ペルソナが三位一体になっているの がキリスト教の神の考え方です。そして東ヨーロッパの世界は、神は高次元的 宗教の未来 39 な実在であると考えました。 これはどういう考え方か。我々が生きている世界は三次元でできています。 空間は縦、横、高さという三次元しか持っていません。私たちの脳がとらえる 世界というのは三次元的にしかとらえられていませんし、この三次元的な世界 をとらえる脳の働きにしたがって、私たちの世界では論理が組み立てられてい ます。私たちが使っている論理というのはアリストテレス型の論理です。矛盾 したものは同居しないということです。つまり、A というものと A でないも の(非 A)というのは、同じ場所にはいないというのが私たちの世界の理解で す。私がいる場所には布施さん(註:当講義の司会者)はいない。布施さんと 私は合体しないように分離されています。だから秩序が保たれる。ところが二 人のあいだに何か愛が芽生えた場合、この愛はどの空間を伝わっていくのかと いうことを考えてみると、三次元空間の中では二人のあいだは分離されていま すね。ですから、この愛というディメンションが一個付け加えられるわけです。 ですから愛の現象というのを考えてみますと、三次元空間を越えた高次元を考 えなければいけない。この高次元の中で、私たちのあいだで何か交流が起こっ ている。これは宗教の思考方法です。 こういう思考方法をロシア正教の世界では徹底したんです。神は、高次元的 な実在である。しかし私たちの世界は三次元でできている。では、神は私たち の世界にどうやって現れるのかというと、高次元のものが三次元の世界に何か スライスされて現れてくる。部分的なものしか見えない、という考え方です。 そうすると、ある場面では「父」というふうにとらえることができるし、別の場 面では「子」というふうにスライスされている。また「霊」という部分がスライス されて出てくる。けれども、神という高次元実体では、父と子と聖霊というの は分かちがたくて、父は子であり子は霊であり霊は父である、こういう関係が 結び合わされたものとして三位一体なのである、と考えられたのです。これは ある意味ではとても高級な思考方法を要求していたと思います。これがキリス ト教の正教の理解です。オーソドックスな理解法です。このままいけば別に問 題はなかったのですが、そうするとキリスト教というのはとても難解な宗教の ままずっときたということになりますね。そして信仰的には非常に深淵で、キ リスト教世界からたくさんのドストエフスキーが出た。 ところが西側の世界ではひとりのドストエフスキーも現れなかった。なぜか というと、この理解方法を西側の世界は拒絶したからです。カソリックとオー 40 中沢 新一 ソドキシーの分裂が起こったのはこれをきっかけにしています。ローマの世界 では、ローマ人自体にもともとそういう性格があったと思いますが、とりわけ ゲルマン世界への布教をしなければいけませんでした。そのときにこの三位一 体理解では、およそ民衆は理解できないということを訴えはじめたのです。ロ ーマ教皇からこのオーソドキシーの教祖達に、手紙が送られてきます。民衆は 理解できない、と。そして次第に西ヨーロッパの中でも、つぎのような理解法 が発生します。「父は、子であって、子の一個の実体から、霊は放射されてく る」。こういう理解法に変わってきたのですね。つまり、父と子という実体が 一個あって、霊はここから放出されてくるエネルギー体のようなものであると いう、こういう理解法をすると、この三位一体説の難解な思考方法は、民衆や、 ローマにいた商人達にもはっきり理解されることになります。 ここで重要な出来事が起こります。この中にクリスチャンの方はいらっしゃ いますか? ニケイヤ信条をご存知ですね? ニケイヤ宗教会議で、ニカイヤ で開かれた宗教会議の使徒信条の中に出てくるのですが、それまではイエスは 父と子と霊という三つのペルソナによって成り立つといわれてきました。とこ ろがニケイヤの会議では、「父は、子と共に霊を発出する」という言い方がな されました。つまり「子と共に」というたった一言が加えられました。 これは「フィリオクエ」といっています。「父は子と一緒に霊を放出する」と いう言い方をしたのです。つまりフィリオクエというひとつの言葉を付け加え るだけで構造が、がらっと変わってしまう。これによってフィリオクエ、父と 子というのは同格になるわけです。同体の、同じ実態の中から霊が放出されて くるという理解法になる。そうしますと、ここで三位一体の全体構造が壊れて くるというのがおわかりになると思います。 東のキリスト教会の理解では、父と子を一体化させて霊と対立させるなんて ことは考えられません。父は子であり子は霊である、と。なぜかというと神は 高次元の実体だからというわけです。高次元ではこれは問題なく統一されてい ても、私たちの世界に現れてくるときには、これはそれぞれ分離して現れてく るように見える。けれども、じっさいにはこれは高次元では統一されていると 考えられるのです。その統一されている世界の中では、霊は、霊でないものに 同居するという論理がはっきり出てくる。つまり、矛盾したものを認めなさい というのです。キリスト教の東のこの正教的な理解は、アリストテレス型の論 理をはっきり否定しています。ですから布施さんと私は同体なのですね。布施 宗教の未来 41 =中沢という高次元体がいて、ただ皆さんに理解しやすいようにいま、こうや って分かれて、布施さんが司会をして僕が話をするということになっているが、 もともとこれは漫才のように合体しているものだ、こういう理解です。そうし ますと A は、A でないものと同じであるという論理が成り立つ。しかもこれ は三つのあいだで成り立っているのです。 ですからギリシャ正教の考え方というのは、私たちの世界の合理的思考方法 をかたち作っているアリストテレス型の論理を踏み越えて批判していますね。 ところがこのローマン・カトリックの理解法では、この論理を踏み越える必要 はありません。私たちの世界で石炭からエネルギーが出てくる、あるいは太陽 から熱が出てくるように、父と子の同一実体の中から霊が、エネルギーが、放 出されてくるというふうに理解してキリスト教の三位一体を理解するならば、 そこでは合理的な論理を壊す必要はなくなってくるのです。こうやって、ロー マで発達したカソリックのキリスト教というのは、いずれ、アリストテレス型 の論理、つまりギリシャの合理的な思考方法に自分を結合させることができる ようになりました。 ところがこの東ヨーロッパ型の論理の中では、いつまでも神というものを考 えるときに、合理的な思考方法と対立した宗教的思考方法を要求します。なぜ なら、ここでは、私たちの世界を考えるうえでは、このアリストテレス型の 「A は非 A ではない」というものを乗り越えなければ、その本質というものが 思考できないということになってきますから。ここから合理的なスコラ神学の ようなものを発展させることはできません。ところが西ヨーロッパでは、フィ リオクエというただ一言を付け加えて父と子を一体化してしまうという、大変 な言葉のトリックによって、「A は非 A ではない」というアリストテレス型の 論理、合理的な論理を保存したまま神の本質を考えることが可能になりました。 ここから実は、スコラ哲学のようなものが生まれてくるようになりましたし、 スコラ哲学からさらに、自然科学の思考方法がキリスト教の内部から発生する ことが可能になりました。 ですが、ロシア正教の世界ではこれは起こりえないことだったということで す。つまりこの世界では、宗教と科学というものは対立し合い、あるいは、こ の世界で発達する科学は、おそらく西側の世界で発達する科学とは違うスタイ ルをとることになるだろうということです。つまり、ある部分ではこの非合理 的な論理、これが通用するような論理を組み込んだ科学が発達するだろうとい 42 中沢 新一 うことが予測できます。実はこの対立によってキリスト教世界は大きく分裂を しています。そして東ヨーロッパのロシア正教とギリシャ正教の考えていた神 と、西側の世界の、つまりローマン・カソリックを中心にして後々これはプロ テスタントを展開していきますが、神の思考法は大きな違いを見せはじめます。 そして西ヨーロッパでは、このアリストテレス型論理を、社会生活の隅々に貫 徹させていくことが可能になってきます。 「無縁」−商業資本主義の誕生 ここでおもしろい現象が起こってきます。贈与というものは、先ほどいいま したように、モノを通して他人の人格や霊の一部がついて私の元にやって来ま す。ですからバレンタインのチョコレートをもらった人はうれしかったり重荷 に思ったりするわけです。ここでは、そのモノを通して、私に受け取られたも のの中には、私と、私でないものが同居しているという事態が発生します。つ まり贈与というのは、このアリストテレス型では働かない論理が働くのです。 ところが、今日の交換の原理では、モノの交換をしていちいち相手の人格が モノといっしょにやってくるような事態は面倒くさくてしょうがないわけです。 私たちがコンビニに行って水を買うと、この売り子の女の子の気持ち、霊が一 緒にこもってくるわけですから、これは大変面倒くさいことです。しかも、こ れではモノの大量流通は不可能です。ですから、人間は市を作って、この市の 中ではモノと人格や霊が結びついた状態、これを何といっているかというと所 有権ですが、所有権をいったん完全に切り離すのです。ですから市の中に入っ たものは無縁になります。モノと霊の関係、つながり、縁がなくなる。そして 無縁になったものを等価交換の原理に従って交換できるような、こういうシス テムをつくる。これが実は商業資本主義の最初のかたちです。ここで無縁とい うことを行わなければいけない。さっきまでは僕と布施さんのあいだに愛が流 れて無縁ではなかったのですが、そうしますといろいろ面倒くさいことが起こ る。ここで切り離そう、そうすると二人のあいだには何ももう流通していませ んから、私と、私でないもの、布施さんと、布施さんでないものは同居しない。 こういう合理的な思考方法が可能になってきます。 ですからこのキリスト教の世界に起こった東と西の分断、分離対立を考えて みますと、これは、宗教上の非常にデリケートな思考を要求するものです。三 位一体のとらえ方は非常にデリケートな神学の論理を要求しますが、この背後 宗教の未来 43 で働いているものというのは、実は経済現象のなかで働いているものと同じも のが働いていることになります。そして、これによってヨーロッパの世界は東 と西に分離されました。東ヨーロッパのキリスト教では、神は高次元実体であ ってそこでは贈与型の論理が全体を支配するという思考方法が可能になります。 西側のキリスト教の中では交換を許すような論理が生きてくるようになりまし た。つまり商品経済を許す論理というのがここで準備されてきたのです。もち ろん宗教ですから建前上は否定します。しかし何か問題が起こったとき、たと えば商人が利子をとってもいいかということが大問題になったとき、これをキ リスト教はよしというようになる。ところが、利子をとってはいけないと最後 までいう人たちがいました。これがイスラム教だったのです。 イスラム教では利子はとってはいけないことになっています。なぜなら利子 というのはモノとモノが交換されるときに、モノから等価交換を受けるときに、 あたかも贈与であるかのようになにか価値の増殖が起こる、こういうトリック を使っているからですね。モノとモノの等価交換では価値が増殖しません。そ れは僕がいつまでもこのお金をポケットに入れておいても増殖しないのと同じ ですね。ところが、これを誰かに貸したときに一ヵ月後にこれが千百円になっ て返ってくる。いったいこの増殖はどこで起こったのかということが問題にな ってきます。これをイスラム教では厳禁しました。モノがモノを生むというこ とはありえない。 ところがキリスト教西側の世界ではこれを容認するようになりました。です から商人資本というものが可能になってきます。つまり資本というものが可能 になってきます。資本というのは “capital” という言葉ですが、この言葉の元 の意味は “cap” で、「頭の先っぽ」「首」「帽子」という意味ですね。ここで古 代ローマ人は生命の増殖が起こると考えていましたから、あたかも芽の部分で 植物が増えていくように、ここで増殖が起こるからこれを “cap” と呼んだ。 “cap” というのは実はこの利子のことです。この利子が増えていくという事態 を容認することまで可能になってきたのですが、イスラム教の世界とギリシャ 正教の世界では、宗教はあくまでもこれを容認しなかったのですね。 ここまで話してきますと、宗教と経済の現象というのが非常に大きなレベル の対立構造、すなわち神と人の対立、それが実は贈与と交換という経済現象の ホモロジー 中に現れている対立と同型 の関係にある、というだけではなくて、この神の 理解法の中にあるもっとデリケートな問題、三位一体のような理解法の中に現 44 中沢 新一 れてきた問題が、直接的に経済現象にまで大きな問題を作り出すということが おわかりになってきたかと思います。東ヨーロッパでは資本主義は発達しませ んでした。ですから、いつまでたってもこの世界は農業を基盤にした共同体の 社会を維持し続けてきましたが、西ヨーロッパでは資本主義が可能でした。 これを可能にする大きな歴史的なプロセスを考えてみたときに、宗教の思考 方法は大きな影響を与えています。なぜ東ヨーロッパではできなかったことが 西ヨーロッパではできたのか。イスラムではできなかったことが西ヨーロッパ の世界ではできるようになったのか。これは経済の中に起こった現象と宗教の 中に起こった現象がパラレルというよりもホモロジーの関係で結ばれているこ とによって起こってくるのだ、ということがわかったと思います。 ロシア革命とは何だったのか そうしますと私たちは、あの 1917 年のロシア革命というのはいったい何だ ったのかということについて、別の理解法が可能なのではないかと思いますね。 あれは社会主義経済体制を作るためなどを目的としていたのではなかったので はないか、と考えることが可能になってきます。もちろん歴史的な現実の中で はそんなことは起こりませんでした。それは社会主義経済体制という資本主義 の一変種しか生み出せなかった。つまりそれは、国家資本主義の形態しか作り 出すことができなかったのですが、しかし、この東ヨーロッパの世界で、西側 の資本主義とは違う経済体制を作ることによって人類の幸福を作り出さなけれ ばいけないという思想がふつふつと湧き上がってきたときに、これを突き動か していた思考方法というものに目を向けてみなければいけないと思います。 私たちはこの萌芽をドストエフスキーの中にいっぱい見出すことができます。 ドストエフスキーはポーランドのカソリックをしばしば軽蔑して語っています が、このカソリックに対する軽蔑や批判というのは先ほど私が説明したことに 尽きます。すなわち、ロシアでは神は高次元的な実体であって、そこではアリ ストテレス型の論理は働かない。これは最近、対称性論理と呼ばれていますが、 対称性というのは自分と違うものがその場にいても同じ状況が作り出される、 私と犬が入れ替わっても世界は変わらないということです。つまり、私と犬は 入れ替えがきくということです。ですから A と A でないものを入れ替えても 事態は変わらない。高次元で対称性の論理が働いている、これが神だとドスト エフスキーはいっています。これに対してポーランドを中心とするカソリック 宗教の未来 45 は、神の概念を世俗の社会に、論理に引き下げてしまったというのがドストエ フスキーの批判でした。世俗の論理、つまり私たちの世界を作っている三次元 空間の中に引き下げてしまった、そして、そこで働く論理をアリストテレス型 の非対称に動く論理とすりかえてしまった、ということを激しく批判しました。 『カラマーゾフの兄弟』の中でこの問題が大きく取り上げられておりますけれ ども、ロシア世界、あるいは東方ヨーロッパ世界が問題にしていた神のとらえ 方というのをドストエフスキーがそのまま継承して、それをもって、西ヨーロ ッパ型の経済論理と結合する神の論理を否定しています。 ですから、ドストエフスキーのような思考方法を持ったロシア世界というも のが、西側で展開したカソリック世界、プロテスタント世界で展開したような 経済体制とは違うものを目指していたとすると、その経済体制というのは高次 元的で、対称性の論理に従って動いていくような経済体制でなければならなか ったのですね。それがいったいどういうものなのか。これはまだ誰も描き出し た人がいません。マルクスの中にもそのことは十分には展開されていません。 『資本論』として西ヨーロッパ型の資本主義の論理を批判することは完璧に行 われています。しかし、そうではない論理によって動く経済システム、つまり 贈与を組み込んだ経済システム、贈与型資本主義とでもいいましょうか、それ を作り上げるための見取り図というものは誰も描き出していません。しかもロ シア革命というものは、なし崩しに始まってしまったともいえ、当時、経済体 制についてのプログラムというのが何もなかったところに社会主義が作られま したから、これは結局のところ国家が管理する資本主義というものの域を出な かったわけですね。 ですから、そこでじっさいに 20 世紀最大の幻想を人々に見せましたけれど も、その 20 世紀最大の幻想というのは、実はここの問題にかかっていたので あって、じっさいの社会や権力システムに実現されたものは、おそらくこの根 本的な幻想の中にあったものとはおおよそ似ても似つかぬものが出来上がって しまった。だから、ロシア革命というのは最初から失敗していたともいえるわ けです。しかし、そこで問われていたことは何かというと、それは経済体制そ のものを、西ヨーロッパ型の合理的システムに基づいて作り上げられる資本主 義とは異質なものを形成しなければ、人間は真の幸福が得られないということ です。この経済システムの中では人間は疎外されていく、という言い方がしき りにされました。モノとモノ、商品を通じて人間が媒介されるようになって、 46 中沢 新一 この資本主義社会では人間は疎外されていくのだという言い方がされたのです。 これについて、あまり深遠なヘーゲルの理解を持ち込まないで考えてみまし ょう。このような世界では、私と私でないものは違うという、つまり分離を原 理とする社会ができてしまうだろう、ということです。私たちの社会は分離を 原理とする社会です。分離をしたうえで、貨幣を媒介につなぎ合わせる。とこ ろが家族や共同体の中では、人間は分離によっては結合することができません から、家族や共同体は私たちの世界の中では長いこと、この資本主義の論理に は抵抗システムとして存在していたわけですが、いま、ここまで解体が進みは じめています。 人間は分離を原理として私たちの社会を作ります。この個々に分離された固 体同士をひとつの、もはや共同体とは呼べないような組織体の中にまとめ上げ ていくために、いかなるシステムを作っていくかという戦略に、私たちの社会 の問題は移行しつつありますが、20 世紀の始めに人々が問題にしていたのは、 分離ではなくつながり、コミュニケーションを原理とする人間の関係をベース にした社会システムと経済構造を作っていくことは可能であろうか、というこ とでした。私たちの世界では分離を原理としてこの人間関係の形成を推し進め るようになりました。そして、それをじっさいに合理化し、推し進めているの は、実は経済の現象です。 さて、ここまでお話してきて、宗教と経済のあいだにはマックス・ウェーバ ーが考えた以上の深い内在的なつながりがある、経済というのは実は宗教の一 形態なのではないかとまでいえるくらいの、深い密接な関係があるということ がおわかりになったと思います。対称性論理で動く贈与型と、非対称論理で動 く交換型、この二つは経済現象の中で大きな対立をする運動を作っていきます が、これは宗教の中で、ほぼ同じ対応物を見出すことができます。ですから、 経済と宗教のあいだには、単なる影響を及ぼしあうという関係でなく、人間の 思考の中から生まれた二つの人間の活動領域に現れた論理の現れとして、二つ の領域には同じ論理が働いているのではないだろうかと考えることができます。 心そのものの構造 つまり人間の心というものを考えてみますと、ここにはある思考の論理の法 則が動いていて、これが経済の領域に現れるときと、宗教の領域に現れるとき と、二つの現れ方をするけれども、この二つは根本的に同じ思考の働きによっ 宗教の未来 47 ているのではないか、と考えられるでしょう。ということは、この奥底に、実 は私たちの心というものの根本的な構造があると思います。 私は今日、経済と宗教の関係についてお話していますが、実はこの問題点と いうのは、人間の活動のありとあらゆるところに現れてきます。たとえば言語 表現を考えてみましょう。交換型の言語表現というのは、私たちの自然言語が モノを的確に表現するたびに、「これは犬である」、「あれは木である」という 表現を可能にする。つまりモノにアイデンティティを与える。ところが贈与型、 対称性の論理が働くと、そこでは何が生まれるかというと、詩が生まれます。 詩は、あるモノを、犬を犬として指示するためにある表現ではありません。犬 は何か別のものに似ているものとして表示されます。たとえば萩原朔太郎が 『月に吠える』で、あの吠える犬というものを詩に取り上げたとき、この犬は 私たちが「犬が走る」といって指示する犬ではなく、朔太郎の心の中で動いて いる、彼の孤独なエロティシズムと何か深いかかわりがあるものですよね。こ の二つのあいだにホモロジー関係を作っています。 ホモロジーというのは、何かと何かを似ているものとしてつなぐことはでき ますが、あるものを「これは犬である」というアイデンティティをもって表現 するための機能ではありません。詩の言語と自然言語というのは、私たちの言 葉の機能の中では対立しあっていますが、自然言語はしばしばすぐに詩の中へ 移動していきますし、下手な詩はすぐに自然言語に落下していきます。皆さん の中で俳句や短歌を作った経験のある人はよくおわかりになると思いますけれ ども、たちまちにこの二つは移動して、詩はつまらない自然言語になり、同時 に、自然言語をしゃべっているあいだに、そこにリズムやあるいは反復が入り 込んでくると、それはたちまち詩に生まれ変わってくる。そういう移動が起こ ります。これは言葉の表現の中で同じような対立性が作用しているからです。 そうしますとここに、私たちの見えない心、というものが考えられてきます。 この心は表現ができません。私たちは心というものを、かく在るものとしてと らえることはできないのです。 有名な一休さんの話があります。一休さんが城の殿様に呼ばれて、「お前は とんち名人だというけれどもこの屏風の中にある虎を捕まえてくれ」といわれ ました。一休さんが困ると思ったら、なんのことはない、「わかりました、そ の虎を屏風から出してください、すぐ私がそれを捕まえてあげましょう」とい って綱を持って用意した。お殿様は「参った、参った」といった。心とはこう 48 中沢 新一 いうものです。禅宗がいっていることはこのとおりですね。心は虎として取り 出すことができないのです。ところが、ここで殿様は、心とは何かという質問 をしたのでしょう。このときに一休さんは、心を捕まえて外に出してください、 といった。これは可能です。どうしてかというと、私たちの心は喜びや悲しみ やいろいろな思考というかたちで外に表れる。表れてきたものならば、一休さ んはいくらでもこれを縄で縛って、迷いだったら沈めることができる、愛だっ たら光に変えることができるけれども、心そのものは捕まえることはできませ んよ、といった。 心というのは私たちのこの存在の中で動いています。存在の中で動いている というのは哲学的すぎますね。もっとはっきりいうと、脳を活動の場として動 いています。脳を活動の場として、この姿もなく、形もなく、しかし、何かの 構造はあるらしい、これが動いている。私たちはそれを直接捕まえることはで きませんが、何かのかたちに写してみることはできます。そうしますと、私た ちの表現活動や経済活動すべての中に、どうやらこの構造があるらしいという ことがわかってくる。これはまだわかりません。これからかなり大きい仕事を して、これを実証していくことを行ってゆかなければなりませんが、そうしま すとこの心というものの中に何かの働きがあるらしいということだけは見えて くるようになるでしょう。心そのものを捕まえることはできません。いまの脳 科学が、まもなく人間の心は科学の探求によって解き明かされるだろうといっ ていますが、これは原理的には不可能なことです。そこでは科学者達に一休さ んと同じことをいうべきだと思います。あなたがいっている心、脳の働きとい うのは、心そのものではないということです。それは、私たちの世界の様々な 表現の中に写し出されてきたもの、それを分析しているにすぎません。 たとえばニューロンの中で起こる電位変化を調べてみても、化学物質の変化 を調べてみても、心そのものには到達しない。ですから脳科学の野心はすでに して挫折しています。脳科学とはまったく別個の原理に立つ心の科学が必要で す。そしてこの心の科学の中では、同型とか、ホモロジーとか、別のジャンル へ移していく、こういうものの思考方法が非常に重要になってくるでしょうが、 今日はその中の経済と宗教というものを取り上げて考えてみました。 グローバリズムとしてのキリスト教 さて、この考え方からいうと、私たち日本人の宗教というのは何なのかとい 宗教の未来 49 うことになってくると思います。先ほどまでお話していたのは、主に、キリス ト教、ユダヤ教、イスラム教、一神教の世界でした。とりわけ西ヨーロッパ型 のキリスト教、つまりカソリック、プロテスタントの思考方法を大きく取り上 げたのは、この世界で形成された資本主義のかたちというのが、今日の私たち の経済システムのみならず、思考方法、生活様式、政治形態、すべてに大きな 影響力を与えているからです。つまりグローバリズムの基本原理になっていま す。グローバリズムとは何かということを宗教学的にいえば、西ヨーロッパ型 キリスト教の構造を経済原理の中に拡大拡張したもの、と言い換えることがで きるかもしれません。 その場合、先ほどいいましたように、キリスト教はこの三つ、父と子と聖霊 を立てるわけですね。もともとこの父と呼ばれているもの、これは超越者、超 越的神ですが、ユダヤ教が生まれたとき、人類の中に一神教が最初に生まれた ときは、この超越神のことしか問題にしていません。超越神がモーセの前に現 れて語りかけを行いました。ですからそこでは人と神があって、ここに絶対的 な隔たりがある。この二つのあいだに何の連続性もないのです。これはキリス ト教になってくると少し変わってきます。神は自分に似せて人を作った。この ことが強調されるわけです。そしてたったひとりの神を神として認めるという 事態が起こったのです。モーセの前に神が現れたのは今から 3800 年前ともい われていますし、はっきりしたことはわかりません。日本の縄文後期時代にパ レスチナで起こった事態です。 ではその後、ユダヤ人の世界にはこのヤーヴェという神に対する一神教の信 仰だけが行き渡るようになったのかというと、そんなことはないのです。モー セの前のアブラハムの宗教という、もっと原型的な宗教がありますが、ユダヤ 人の宗教というのは長い歴史を持っていて、実はたくさんの神がいたようです。 たくさんの神がいて、その中の “great god” を信じなさいという人々もいたの です。つまり、この諸々の “god” 達、この中に、“god” というのもおこがま しいような存在、むしろ “spirit” という存在がいて、日本には狐の神様とか狸 の神様とか、たくさんいますけれども、あの類の神様ですね、これがいっぱい いたのです。いまもいます。パレスチナ世界にはじっさいにいます。その中で、 巨大なもの、“The God” というものが立ち上がってきました。そして、他の神 様を全部否定しなさいと命令を下す。しかしこの命令は完全には実行されなか ったようです。ですからユダヤ教の中でも、この唯一神に対する信仰を純粋に 50 中沢 新一 保っている人々というのは、いつの時代にもそれほど多数派ではなかったよう です。とりわけパレスチナに生きているあいだは、あそこは多神教の世界です から、たくさんの神々がいて、たくさんの神々の中のひとりの神という理解法 が長く続いていたようです。 この状態をモーセは決定的に変えようとしました。そして、こういう信仰を 行ってはいけないといいました。このヤーヴェという神様は像を作らない。名 前だけです。絶対に像を作ってはいけない。いかなるものに似せてもいけない のです。ところが民衆のほうは神というのは像で作りたがるのですね。ですか ら牛の神様とか、エジプトに行くといっぱいいるのですが、犬の神様とか、鰐 の神様とか、日本にも金毘羅がありますが、ああいう神様がいっぱいいたわけ です。神は像を作らない、イメージを持たない、というのが実は一神教の基本 的な考え方ですが、必ずしもこれが貫徹されたわけではないということはご承 知いただきたいと思います。聖職者の中では、口をすっぱくして民衆が像を持 った神様のほうに移行するのを否定し続けていますが、なかなか徹底はできま せん。 ところがキリスト教は、先ほどいいましたように、ここに「子」が登場しま した。マリアという女性から生まれた子、人間の体を持っていました。ですか ら、一神教の正統派の考え方からいうと、由々しき事態だったのです。ユダヤ 教の一神教のベースを突き崩すものではないかと考えられた。そしてそこに、 あの贈与形態と結びついた「霊」というものが結びついてキリスト教というも のが作られた。ここでは、キリスト教というものが、大変な力強さというか 図々しさというか、したたかで強靭な、ある意味ではありとあらゆる要素を自 分の中に取り込んでしまったともいえると思います。ですから一神教としては 大変問題のある宗教の形態となったのですね。 これが今日いうところのイスラム教とキリスト教の対立の一つの原点になっ ています。イスラム教は、ユダヤ教のこの厳格な一神教の考え方をさらに純化 しました。基本的にはアッラーという超越者だけがいる、そして私たちがいる、 こういう関係性です。これが基本的なイスラム教の考え方ですが、民衆はそん なふうには思っていません。たくさんの “spirit god” がイスラム世界には生き ています。しかし原則としては、このようなものは存在してはいけない。そし て、この三位一体構造と資本主義の構造が深いつながりがあるということは、 キリスト教の世界の中で発達した経済システムが全世界を覆い尽くすほどの影 宗教の未来 51 響力を持ち得るか、ということの問題点でもあります。 つまりこれは、一神教だけではないということですね。この中には明らかに 贈与形態の原理や、像を持ったイメージが組み込まれている。だからキリスト 教世界の中で映画が生まれたのでしょう。映画というのは紛れもないイメージ の世界です。一神教の厳格な教えを理解する限り、映画というのは拒否、否定 しなければいけないものですが、他ならぬキリスト教の世界で発生しています。 じっさいキリスト自体が映画のようです。映画というのは、乳液を塗りつけた フィルムを感光させて、そこに像を描いてうしろから光を照らします。光は何 のかたちも持っていません。ですから神と呼ぶこともできるでしょう。それは どのようなかたちも持ちませんが、フィルムを通過すると、像が生み出される。 ここではマリアという乳液まで照らします。映画の基本的な構造とイエスの存 在構造というのは深い関係があるだろうし、キリスト教自体が映画のように作 られているということも可能かと思います。ですから、西洋世界の中で、政治 問題や経済問題を映画で語ろうとする思想家がいますが、こういうことなので す。つまり映画自体がキリスト教の構造を持っているし、それは経済やさまざ まな社会現象のメタファーとして有効に使うことが可能だからです。 日本人の二つの信仰形態 ところが私たちの世界に目を向けてみましょう。日本人にとって、この超越 的なものをめぐる思考構造をどういうふうに見たらいいか。日本人は明治時代 に、ヨーロッパで発達した資本主義をいち早く、ほとんど矛盾なく受け入れる ことが可能でした。どうしてこういうことが可能だったのでしょうか。かつて、 16 世紀にキリシタンがやってきて、日本人はこれを拒絶しています。日本人 は一神教を受け入れない国民なのです。韓国でキリスト教の宣教が成功してい るのと比べてみると大きな違いがあります。日本では宣教に失敗しています。 数少ない例外を除いては失敗しているといっていいと思います。ところが資本 主義に関してはスムースに、ほとんど何の抵抗もなく受け入れ、私たちの社会 の中に接続させて、この社会形態をほとんど無理なく発達させることができた。 これはなぜだろうという問題点があります。これは非常に大きな問題を私たち の前に突きつけてくると思います。これは解き明かすことはとても難しい。し かし、私たちの世界の、超越的なものに対する思考方法というものが、どうい うふうな仕組みで作られていたかということを考えてみますと、ある程度の予 52 中沢 新一 測は可能になってくると思います。 先ほどもいいましたように、今日のグローバリズムと呼ばれているものは、 西ヨーロッパ型資本主義と呼ばれているもので、これは人間に可能な資本主義 形態の中の一形態にすぎません。他の形態がどうなるかはまだ未開発、未踏で す。予測すらできないかもしれません。いくつかの予測は可能かもしれません が、全面的にこれを予測した思想家はまだ出ていません。これは出現すべきこ とだと思いますけれども、西ヨーロッパ型の資本主義の形態を作り上げたのは、 西ヨーロッパ型キリスト教でした。そして西ヨーロッパ型のキリスト教は超越 者に対して特殊な思考方法を持っているという話をしました。私たちが今後、 別の形態の資本主義を構想するようなことがあるとしたら、このことが思考の 根底に据えられなければならないと私は思います。 では日本人はどうであったのか。日本人の宗教形態についてお話しするのは とても複雑で難しい問題ですが、しかし、これについては柳田国男と折口信夫 という民俗学の創設者たちがある程度の予測を立てています。これは二つのか たちの混合体としてできています。ひとつは鎮守の森を中心とする神。そして もうひとつは、これを折口信夫は来訪神と呼んでいましたし、もっと具体的に は精霊というもので、この二つの信仰の形態をひとつの中に同居させていく、 というのが我々日本人の歴史的に形成された信仰の形態だと思われます。とい いましても、これはいつごろから、最初からそうなのか、というとそんなこと はありません。こっちの鎮守の森の方の神というのは、国家というものが日本 にできてからの話です。ところがこっちの来訪神、精霊型というのは、国家が ない時代の日本人の古い思考形態に直接的に連続しています。 折口信夫はこれを古代と呼んでいます。折口信夫の古代というのは、ある意 味では非常にポエティックな概念ですが、もうちょっと考古学が発達した現代 ですと特定できるでしょう。特定といっても、これは一万年以上もある昔の時 代のことです。つまり弥生時代と、日本に国家形成の運動が始まる以前の信仰 形態というような意味で、一種の比喩表現としての縄文ですね。そう呼んでし まうよりも本当のところは折口先生のように古代と呼んだほうがいいのかもし れませんが、ここでは縄文と呼んでおきましょう。この二つの時代の信仰がど うやら合体してひとつの宗教の形態を作っています。 そしてこの二つが完全に合体してしまって、見分けもつかないようになって いるかというと、そうではないのですね。日本人の信仰形態というのを見ると、 宗教の未来 53 この二つは確かに違うものではあるけれども、いつもどこかで区別がつく。こ の二つのあいだには明瞭な区別がある。そしてこの二つの異なるものの合体 (和)によって、私たちの宗教生活はできているように思われます。先ほどい いましたように、国家神道の体系のことはどうでもいいでしょう。どうでもい いというのは、それは非常に合理的に作られていますから、この際、それほど 重要性を与えなくてもいいと思います。重要なのは、民衆が自分達の宗教のか たちとして祀っていたもののかたちを探ることです。そして、この二つの異な る宗教形態を合体させ、統一させたような信仰形態が、いつ頃日本人の中にき ちんとしたかたちで形成されるようになったのか。これはまだ研究の余地が大 いにあると思います。おそらくは鎌倉時代あたりがひとつの大きな重要な時期 に当たると思いますが、それ以前からこういうのは起こっているのだと思いま す。いわゆる中世といわれる時代にこの二つを結合した形が作られました。 ひとつは、鎮守の森や今日の私たちが知っているような神社を中心としてつ くられています。神社にいるこの神様は共同体の神様です。この共同体の神様 を祭る人々は、特別な「座」というものを作っていた。この、神社で神様を祭 る座という特別な人間集団を作りましたけれども、この人々が祭っていた神は 共同体の神で、たったひとりなのです。この共同体に二人、三人という神はい ないのです。座というものの研究がかつて日本全国で行われましたが、この座 神というのは基本的にひとりです。そして神社の神というものには、もともと、 いまは神名帳に載っている有名な神様を神様にかぶせてしまいますから、どこ の神社に行っても天照大神だったり八幡宮だったりしますが、以前は名があり ませんでした。この記憶というのは室町時代までは非常に鮮明に残っていまし た。この神は姿かたちを持ちません。表現ができないのです。この神はいった いどこにいるかということは明瞭ではないのです。明瞭ではないのですが、高 いところ、山の上、天など、「高い」という概念がいつも付きまとう。それか ら像は持たないという特徴がありました。 あの世とこの世をつなぐ思想−ニライカナイ、そして仏教 そしてこの神はいったいどこからやってくるだろうかということを考えてみ ましょう。この来訪神というのが一番明瞭に残っているのは沖縄です。ですか ら、折口信夫のように、これを沖縄の宗教に求めて考えることができます。こ の来訪神は遠いニライカナイからやってきます。ニライカナイというのは海の 54 中沢 新一 かなたであったり、大地の外にあったりする他界です。そして人間は死ぬと魂 はニライカナイにいきますが、未来に生まれてくる子どももこのニライカナイ からやって来ます。ニライカナイは海のかなたであったり地の底にあったりし ますから、厳密にどこかははっきりしません。 しかしいつもは現れない。ニライカナイにはいつもはコミュニケーションで きませんが、特別な時間もあります。これはだいたい、八月のお盆の季節であ ったり、あるいは冬の季節であったりします。日本の死者儀礼は真夏と冬の二 回行われています。亡くなった人の霊が大量に生きた人々の世界に戻ってくる 日です。夏の死者の祭りはご存知のようにお盆になりましたが、冬のほうはそ のまま放置されました。つまり夏至と冬至の期間、死者が帰ってくるのですね。 この死者達はどこからやって来るかというと、ニライカナイからなのですが、 私たちの世界にやってくるのに動物の細い通路を通ってやって来ます。そして 仮面仮装をして現れてきます。これはいまでも、八重山諸島や宮古島に行くと 出てきますね。八月に旅行してみてください。村の人たちが丁重にこの神を迎 えています。ニライカナイから動物を通って恐ろしい格好をした神様が出てき ます。出てきて何をするわけでもありません。踊って引っ込んでいくだけです。 だから本土でいうと、ナマハゲなどがかなりこれに近いです。 そうしますと、どういうことが起こってくるかというと、この神社の神様が いるあいだはこのニライカナイの入り口は閉ざされている。ですからこのニラ イカナイというのは人間が想像することしかできない。しかも普段は考えてす らいけないといわれています。沖縄ではこのニライカナイのことを考えてはい けないのです。つまり他界というのは我々の世界とは別の世界で、はっきり分 かれている。この世と他界がはっきり分けられているとき、この神様はいる。 ですから神社の神様がいるときは、神様にコミュニケーションができますが、 その向こうにある他界には届かないようになっている。他界は見えないのです。 入り口もわからないのですね。これは本土に残った考え方を見てみてもわかり ます。お盆のときは地獄の釜が開くといわれています。これは何をいっている かというと、他界への通路が開くという、非常に特殊な時間であるということ です。ところが、これはこの仮面の神様が現れているときだけなのですね、こ のときに、この世とあの世の区別がなくなります。 つまり、この世はとことこ歩いていくとあの世になってしまうのです。そし てあの世をとことこ歩いていくとこの世になってしまう。表と裏がくっついて 宗教の未来 55 しまうようですね。普通、私たち生きている人間は、ドーナツの表面を歩いて いて、中に入っていくことは絶対にできないわけです。私たちはこの表面を生 きているだけで、裏側に入っていくことは絶対にできません。それはそのとお りで、私たちはあの世のことを考えられない。ところがこの仮面の神様が出て きたときには、時間と空間の構造が変わって、メビウスの輪のように表と裏が ひとつながりになり、表を歩いていたと思ったらいつの間にか裏に出てしまう というような、別のトポロジーにかたちを変えてしまっているのです。ここで は表と裏がひとつながりになっている。そして表と裏がひとつながりになって いるときに、像を持った神様が現れるというふうになっています。 そして、この二つの神のかたちが一緒になって日本人の信仰形態を作り上げ ています。これは複雑なお祭りの信仰形態を見てみるとはっきり現れています。 お祭りというのは二つのベースでできています。つまり神様に向かってお供物 をささげ、意思を伝達しようとする非常に厳粛な場面と、それからこの仮面を かぶったもの、姿かたち、物質性を持ったものが、私たちの世界に神様として 現れてくるのを騒然とした雰囲気の中で喜びとともに迎えるあのお祭りの場面 が、入れ替わるようになっています。今日ではこの場面は多く芸能がやります。 芸能というのは何かというと、この構造を作り出すことだけです。芸能者とい うのはこの構造を作り出していく人たちだと定義することができます。 じっさい、折口さんは「翁」という能の中の舞にすべて凝縮されているとい いました。翁の舞というのは芸能の中の花のようなものですが、何をやってい るかというと、おじいさんの仮面をつけた踊り手がスーッと出てきて引っ込む だけです。何もしない。まことに芸のない芸能ですが、これが能の中心演目と なっている。どんな能でも三番叟をやります。この中に翁が登場してきますが、 この翁がないと能が始まらない。そしておそらくは、かつての能というのはこ の翁舞が一番重要な演目であって、それは、神の古い出現のかたちを模したも のである、というのが折口信夫の考え方です。この宗教というのは、神様に向 かって意思を伝達して何か御供物をささげます。神と人間のあいだに、何か御 供物を媒介としてつながりをつくる。しかし、お祭りはもう一方で芸能的なも のが登場してくる軸を作り出しました。それは表と裏がない空間を作り出した のですね。そしてこの二つが一体となって日本の宗教形態というものを作り出 しています。 お気づきのように、私たちの世界は一神教を必要としていません。この一神 56 中沢 新一 教の神というものを一神教のように自律させることを、拒否しました。一神教 というのは実はたくさんいた神様の中のひとりを取り立てて優遇した宗教形態 です。この信仰形態は神と精霊が合体して作られたものであって、ここを切り 離してこの神だけを一神教の神として自律させるということを、日本の宗教形 態ではよろしくないと考えました。 しかし中世の動乱期には、この一神教的な思考方法の部分を分離独立させる 人々が現れました。これは一向宗とクリスチャンです。キリスト教の思考方法 をとった人々ですね。これもかなりスムースにいきました。一向宗の考え方と いうのは阿弥陀如来、一仏を信仰する信仰形態ですが、これは可能な限り一神 教に近いですし、当時西日本を中心に猛烈な勢いで流行していたキリスト教の ことを考えてみますと、日本全人口 4 割が、正確に測った人がいたわけではな いですが、一神教にかなり近い信仰形態を持っていた。とりわけ、浄土真宗の 信仰形態を見てみますと、日本の伝統的な思考と阿弥陀如来一仏の信仰という のはスムースに移行できるようになっています。ですから、これはかなりスム ースに移行したのだろうと思いますが、しかし、長い歴史の過程で、一神教全 体、様々いる神の中でこの、メビウスの帯型といいますか、表と裏がくっつい た型、芸能の神型構造というのは、精霊を切り離し、抑圧してしまって、この 一神教の部分だけを自律させるという運動を一般的には日本人は受け入れなか った、ということに現れていると思います。 ですので、日本人の中からも、一神教に移行していく要素というのは多分に ありました。一向宗、浄土真宗ですね、それからキリスト教、この二つに移行 していく傾向性は多分にありますし、現実にそれは可能です。社会的な動乱期 にはキリスト教に人々の関心は大きく集まることがありましたが、日本のキリ スト教宣教師のようなものを見てみても、決してこれは成功していないのです。 韓国では成功したのに、なぜ日本では成功しないのでしょう。私の祖父たちは クリスチャンでしたが、ところが私の代になりますともう成功させないのです ね。おじいさん、曾おじいさんまでは熱心なキリスト教徒だったのですけれど も、親父の世代になって不安定になり、どうなったかというと、共産党なので すが、まあこれもある意味、一神教の一形態には違いありません(笑)。親父 は民俗学をやっていましたから、極めて不安定な形態をとった。そしてその下 の僕になりますと、これはチベット仏教になってしまいましたから、ついにキ リスト教宣教はあえなく途絶えてしまいました。 宗教の未来 57 なぜ途絶えてしまったかということを自分の内面的な体験から照らし合わせ てみて、私は、この列島上に形成された超越者への思考方法が極めて豊かなも のであると思いました。そして、これと仏教はどういう関係にあるのかという ことは、非常に複雑な問題のように見えますが、単純です。日本人にとって仏 教とは何かというと、はっきりいって仏像です。像を作ったのです。仏像のな い仏教はないといっていいと思います。本当は仏教の教えには仏像はないので す。ところが、空や無ということを強調する臨済宗や曹洞宗にしても、お寺に はきちんと仏像がある。仏教とは何か、仏像である、と断言した僕の友達の僧 侶がいます。これはなかなか深遠な答えだと思います。仏像と仏教が結合した 思考形態は、あの世とこの世をひとつにつなぐでしょう。ということは、ここ の宗教形態にたずさわった人間は、死者の埋葬をするだろうということです。 そしてこの神の形態、一神教的な神の形態をとった人たちは、死者と穢れを嫌 がるだろう。穢れを払うだろう。ところが、あの世とこの世をひとつながりに してしまう思考方法をする人々は、生きた人間が死んでいく死者儀礼を行うだ ろうということです。だからここでは、芸能と仏教が結びつくだろうというこ とがわかります。 仏教の思考方法とは何かというと、これを来訪神と同じ構造として日本人は 受け入れたのではないかというのが、折口信夫の考え方でした。これは有名な 『死者の書』の中にはっきり書いてあることです。日本人は仏教を外来思想と して受け入れたのではなくて、もともとあった思考方法の表現方法として受け 入れたのではないか、というのが折口信夫の考え方です。それは何をいわんと しているかというと、そもそも私たちの中に存在していたこの思考方法を受け 入れる器として仏教を受け入れた。だから彼らは死者を埋葬するのです。 今日、仏教は葬式仏教といって非難されることがありますが、葬式仏教とい われて何を恥じる必要があるのでしょうか。仏教こそは葬式仏教なのです。な ぜならば、葬式というのはあの世の空間を扱うのであって、この空間を今日の 仏教は意識させないのが問題なのです。だからセレモニー産業にとられてしま う。セレモニー産業はこれをやらないのです。ところがかつての仏教的葬式で はこの構造を表現しようとしましたし、仏教を利用しないで死者埋葬をしてい た沖縄の人々などは同じ思考方法で、この、表と裏がくっついてこの世とあの 世が一体になるような思考で、葬儀をやっていた。つまり、日本人の超越的な 思考というのは神道と仏教の結合性として成り立っていました。しかし、明治 58 中沢 新一 期にこれを国策で分離しました。これが日本人の思想というものに大打撃を与 えて、今日まで及ぶような不毛を作り出してきました。この列島にあった思考 方法、吉本隆明流に大衆ともいえるでしょうね、この大衆的な、大地のような ところに足をつけて、そして自前の思考を作り上げることが極めて難しくなっ てしまったのはこのためです。この二つが人為的に分離されてしまったことに 原因があります。 おわりに ですが、私たちのなかで、この構造は生き続けています。そして、お気づき のように、この二つの構造を組み合わせたものは、キリスト教の三位一体とし て表現された多神教的な要素と一神教的な要素の組み合わせとともに、構造は 違うけれども連続的な変化が可能であるということを申し上げたいのです。日 本人には、ヨーロッパ型の資本主義をそれほどの支障もなく受け入れる素地が あります。あの三位一体構造に根ざしている経済構造を変形していく、しかも かなり自然な形で変形させていくことは可能ですが、この日本人の信仰形態に 変形させていくことも可能なのです。じっさい、ヨーロッパ型の資本主義が日 本人の社会に及んだとき、これを比較的支障なく受け入れた。このことは、ロ シアではできなかったこと、イスラム世界ではできなかったこと、中国でも長 いことできなかったことです。これをわれわれ日本人が、比較的スムースに実 現できたことの謎に触れているかと思います。 長いことお話してしまいましたが、このように、宗教と経済というのは深い レベルである種のホモロジーをなしています。そしてこのホモロジーが、今日 の 9.11 後の世界で、露わなかたちで私たちの世界に問題提起をしています。 そして私たち日本人自身が、グローバル化する世界の中でどのようにして私た ちを守りつつ、この社会を形成し、幸福な社会を作り上げていくための原理を 探すのかということに関して、この宗教と経済の根底にあるホモロジーの中に 何かのヒントを求めていかないといけないのではないかと思います。二時間に わたる講義でしたが、ご熱心なご拝聴のおかげです。ありがとうございました。 (文字おこし: 名古屋大学大学院・国際言語文化研究科博士課程後期、松浦由美子) ※ なお、講演内容の文章化に際しては、講談社の馬淵千夏氏のご尽力を賜った。