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ー ハ西洋〉 に憧れた 一 人の青年の物語」

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ー ハ西洋〉 に憧れた 一 人の青年の物語」
文学研究論集第19号m.9
一人の青年の物語﹂
論文受付日 二〇〇三年五月八日 掲載決定日 二〇〇三年六月十二日
﹁志賀直哉﹃大津順吉﹄論
︿西洋﹀に憧れた
諺oり巳αくoh、.○窪ωg冒昌匹o匡、、
博士後期課程
日本文学専攻 二〇〇二年度入学
田 中 絵美利
日︾Z︾臣国ヨ一ユ
たくなな態度しか取り得ないーと、︿第二﹀の主人公像−小間使千代
で語られているものと︿第二﹀で語られているものが必然的な関係と
と肉体関係を結び、父と反目し合うーとの︿断層﹀が大きく、︿第一﹀
﹃大津順吉﹄というテクストに、﹁第一﹂と﹁第二﹂の間の大きな︿断
して読者の脳裏で結び付かず、統一像を形成しにくい事にあると思わ
一 ︿語り手﹀のスタンスー自伝としての﹃大津順吉﹄1
層﹀を始めとした、いくつかの︿断層﹀が認められることは、以前から
れる。
︵←
指摘されていることである。
水洞幸夫は以下のように述べている。
か、一種の割り切れなさを表明する。主な原因は、︿第一﹀に出てく
してのあまりにも大きな隔絶。あるいは作品冒頭で語られる姦淫の罪
大津順吉の恋愛の対象となる混血児K・Wと小間使千代の、女性像と
大屋幸世もまた、以下のように述べている。
る主人公像ーキリスト教の教えと肉欲との葛藤にさいなまれ、ダソ
を中心としたキリスト教の問題と結末部の父との確執とがどうかかわ
﹁大津順吉﹂を論ずる際、多くの者が何かしら居心地の悪さという
ス・パーティーにおいても好意を抱いている混血児K・Wに対してか
一47一
めるに足るほど、十分に書き込まれてはいない。ただ単に投げ出した
るのかという疑問。作品はこのような疑問に答え、あるいは隔絶を埋
﹃大津順吉﹄というテクストを、自伝という性格から捉え直してみた
としているのは、自分を主人公とした﹁武勇伝﹂なのだろうか。
れた自己像を語るべく語り始めているのだろうか。︿語り手Vが語ろう
読者を導く。そして、自分の名を冠したテクスト/自伝を語るときに
い。︿語り手Vは絶えず何らかの目的を持って語り、テクストを構成し、
︵2︶
だけ、という印象を禁じ得ない。
確かに、.﹁第一﹂の︵一︶︵二︶で語られた信仰と欲求の相克の問題は、
導きたいという意志が働くのではないだろうか。自伝を語るとき、︿語
は、それ以外のテクストを語る時以上に、︿語り手﹀には読者を正確に
係を持つ順吉には、宗教上の逡巡は全く感じられないように思われる。
り手﹀が扱うのは自分自身である。自分自身を読者に正確に伝えるとい
︵三︶以降では直接的には語られず、﹁第二﹂において千代と肉体的な関
このような点から、時に﹁長編構成上の欠陥﹂、﹁つなぎの弱さ﹂が指摘
う目的を持つとき、自己保身という本能が働き、︿語り手﹀が自らの
を﹁父との抗争において自我を貫徹させる方式が高潮に達し、そういう
待していることによって起こるものだからだ。須藤松雄は﹃大津順吉﹄
ら、それは、主人公が統一像を形成していることを暗黙の了解として期
こから﹁欠陥﹂性を指摘してしまうのは早計ではないだろうか。何故な
しかし、﹁統一像﹂が﹁形成﹂されないことに不満を持ち、そしてそ
で︿語り手﹀が何を語っているかによって︿語り手﹀のスタソスを読み
の存在を自明の前提としてテクスト全体を捉える前に、テクストの冒頭
安易に取捨選択されたものではないと言える。我々読者はまず、︿断層V
象を植え付けるかという問題と同義であり、テクストの冒頭部は決して
何から語り始めるか、という問題は、まず読者に自分自身のどういう印
︿語り﹀に否が応にも慎重になるのは当然のことである。そう考えると、
︵3︶ ° ° ° ︵4︶
されることとなっている。
自己を全面的に肯定しつつ書いた﹂作品と、作家論の立場から指摘して
取り、そこからテクスト全体の理解へと読み進んでいく必要がある。
︵5︶
﹁心﹂が無視され、問答無用の上に成り立った武勇伝﹂としている。
﹃大津順吉﹄は、以下のように語り始められる。
いる。また、大西貢は﹃大津順吉﹄を﹁弱い立場の人々の言い分とか
︵6︶
語り手が自己を完全に肯定して語ったもの︵闘武勇伝︶だという前提
﹁自分の生涯にはもう到底恋と云ふやうな事は来はしない﹂かう云ふ
まる
事を思つては私はよく淋しい想ひをした時代があつた。仕事にも全で自
でテクストを捉えてしまうと、自然、語られる主人公像が統一性のあ
る、完成されたヒーローであることを期待することとなってしまう。そ
信がなかつたし﹁恋が何だ⊥とそんな強い音は油も出せなかつた。
︿恋﹀が一生涯出来ないかも知れない、そう思っていた頃の自分を
ね とて
して、その期待が裏切られたとき、それは作品の欠陥として受けとめら
れることとなる。
しかし、果たして﹃大津順吉﹄の︿語り手﹀は自己を肯定し、統一さ
一48一
︿語り手﹀は語り始める。そして、そう思っていた理由が、信仰による
戒めにあることもその後すぐに明らかにしている。ここからは確かに
視点で眺めることを︿語り手﹀の導きによって許されているのである。
れてはいない。︿語り手﹀は、過去の順吉に、︿信仰﹀とく欲求Vの狭間
読者は、順吉と共に︿信仰﹀対く欲求Vの問題で苦悩することを要請さ
﹁肉欲と姦淫の罪意識との葛藤劇﹂が看取できる。しかし、先の引用部
︵7︶
で苦悩するヒーローとなることを許さず、﹁生ぬるい﹂信仰からもなか
象を読者に与えているのである。
なか抜け出せない、およそ﹁武勇伝﹂の主人公には似つかわしくない印
に続いてテクストが以下のように続くことに注意しなければならない。
其頃私は生ぬるい基督信徒だつたのである。
﹁仕事にも全で自信がなかつた﹂、﹁子供から学校が嫌ひで、物に厭きッ
︿語り手﹀は、決して自分自身を肯定的に語ろうなどとはしていない。
この一文が挿入されることにより、︿恋﹀/︿肉欲﹀に対する激しい欲
たことを語り、︿信仰﹀に対してもく欲求Vに対してもどちらにも積極
ぼくて、面白くない事にはまるで努力出来なかつた﹂、﹁運動の事と小説
剣だったからこそ、﹁信仰を変へる迄には其頃の私としてかなり長い時
的に動けず、ジレンマから抜け出すことのできない自らの無様で中途半
求と︿信仰﹀による戒めとの二項対立は矛盾を来すこととなる。何故な
日と動機となるべき色々な事件とが必要だつたのである﹂。問題は、当
端な姿を、臆することなく明らかにしている。
を読む事、これ以外に殆ど得意のなかつた頃﹂と、︿語り手Vはテクス
時信仰に対して真剣な姿勢を見せていた自分を、﹁生ぬるい基督信徒﹂
このように、︿語り手﹀はテクスト冒頭部から立て続けに、自らのあ
ら、その信仰心は﹁生ぬるい﹂ものであり、それ故、本来は︿恋﹀/︿肉
と規定してしまう︿語り手﹀の意図である。︿語り手﹀の﹁生ぬるい基
りのままの弱い姿を、隠すことなく語っているのであり、このような主
ト冒頭で自分の否定的な側面、欠点を列挙しているのである。そして、
督信徒﹂という言説が挟み込まれることによって、語られる順吉の︿信
人公に統一像を期待することは無理な注文であり、ナンセソスである。
欲﹀への欲求を抑圧し切るほどの力は持ち得ないはずだからだ。もちろ
仰﹀と︿欲求﹀の相克というテーマは、矛盾をはらんだ、中途半端なも
︿語り手﹀が語ろうとしているのは、首尾一貫していない、およそヒー
さらに﹁第二﹂の︵二︶においては、石膏のヴィーナスに接吻する自ら
のとしての印象を逃れられなくなる。つまり、語られる順吉がいくら苦
ローとは程遠い自らの過去の姿なのである。
ん、﹁生ぬるい﹂と語っているのは︿語り手﹀としての順吉であり、基
悩しようとも、︿信仰﹀対︿欲求﹀という二項対立のバラソスが崩れて
では、︿語り手﹀はこのような過去の自らの姿を語ることで、何を読
の姿、そして戒律に対する反発として﹁関子と真三﹂という小説を書い
いることを、読老はテクスト冒頭で早くも知らされてしまっているので
者に伝えようとしているのだろうか。順吉は、何故語るのだろうか。そ
督信徒であった頃の順吉ではない。信仰していたときにはそれなりに真
あり、読者は既に冒頭の時点で、順吉の苦悩から一歩身を引き、冷静な
一49一
﹁自分の書いた物が実際金と代へられる場合をどうしても考へられなか
﹁所で﹂といきなり語られ始める父親の言葉に続いて、︿語り手﹀は
のだろうか。統一像の取れない主人公・順吉の姿を通して、テクストの
つた﹂という、当時の自らの劣等意識をあからさまにする。このような
して、絹と千代という二人の女性は、順吉の青春とどう絡み合っている
全体像に迫っていきたい。
︿語り﹀の挿入は、一見絹・ウィーラーとの交際といったテーマからは、
までもない。
順吉にとって、︿語りVの中心的課題として意識されていることは言う
いると言ってよい﹂と述べているが、父親の存在が︿語り手﹀としての
の中で、滅多に登場しないが背後にいつもいる黒幕的な役割をつとめて
ことは言うまでもない。伊藤佐枝は﹁この父という存在は﹃大津順吉﹄
吉﹄というテクストにおいて、父親の存在が重要な役割を果たしている
志賀直哉の伝記的背景という要素を全く排除したとしても、﹃大津順
否が応にも父親の存在が意識されているということだ。
あり、女性に惹かれるという青春の一駒を語る際にも、︿語り手﹀には
味と、父親からの評価、そこから派生する劣等感には、必然的な関係が
評価が挟み込まれるのである。それは即ち、絹・ウィーラーに対する興
に対する反発心、罪悪感よりもまず、父親からの自らに対する否定的な
順吉が絹に惹かれていく過程を語る際には、信仰心から起こる︿恋愛﹀
究においては、︿恋愛﹀の対立項として︿宗教﹀が期待されていたが、
を挿入すると言うことは、当然故なきことではない。これまでの先行研
全く無関係であるかのように思われる。しかし、ここでこのエピソード
﹁第一﹂で主に語られるのは、順吉と混血児絹・ウィーラーとの交際
順吉の父親は、順吉に対して﹁偏屈で、高慢で、怒りッぼくて、泣虫
ヰeの存在と西洋憧憬
であるが、︿語り手﹀は絹の自宅で開かれたパーティーに参加した順吉
で、独立の精神がなくて、怠惰者﹂と、否定的な評価ばかりを並べ立て
げ掛けることにより、順吉にまだ﹁自活﹂できていない未熟者であるこ
︵8︶
の様子を語る際に、突如以下のような︿語り﹀を挿入する。
所で、私の父は私に就てかう思つてゐる。
とを再確認させている。順吉の父親は、順吉の価値を全く認めていな
ている。そしてまた、﹁自活してくれ﹂という言葉を繰り返し順吉に投
﹁偏屈で、高慢で、怒りッぼくて、泣虫で、独立の精神がなくて、
そして私にはよくかう云ふ。
る﹁やくさ者﹂としてしか見えないのだ。
置く父親には、文学者を目指す息子が理解できず、無為徒食の日々を送
い。鉄道会社の専務取締を務めるという、実利的な価値体系の中に身を
﹁貴様は大学を出たら必ず自活して呉れ。ええ? これは貴様を一
︿家﹀制度が確立しつつあった明治四十年代において、父親/家長の
怠惰者で、それにどうも社会主義者のやうだ﹂
なまけもの
個の紳士と見て堅く約束して置くからナ﹂
権威が息子/長男において大きなものであったことは言うまでもない。
一50一
一一
い。順吉もまた、宗教に触れる以前は﹁外国貿易で大金持にならうと考
が、この将来設計が順吉の意に添わないものであることは言うまでもな
ら嫁を貰ふ事にしてある﹂と、順吉の将来を勝手に決めてかかっている
父親の価値基準に基づいた生き方を受容することとなってしまう。父親
うち
は、﹁大学を卒業したら二一二年も洋行させて、帰った所で、相当の家か
うことは、父親の自らに対する否定的な評価を甘受することを意味し、
を尽くすことを要求している。しかし、︿孝﹀の論理に従い、父親に従
様は大学を出たら必ず自活して呉れ﹂と言う父親もまた、順吉に︿孝﹀
の論理を絶対的なものとする社会倫理によって後押しされていた。﹁貴
家長の意見は︿家﹀内において絶対的な価値を持ち、そしてそれは︿孝﹀
﹁運動の事と小説を読む事、これ以外に殆ど得意のなかつた頃﹂と述懐
で、物に厭きッぼくて、面白くない事にはまるで努力出来なかつた﹂、
分を振り返って﹁仕事にも全で自信がなかった﹂、﹁子供から学校が嫌ひ
上、順吉は劣等感を拭いきれない。テクストの冒頭で、順吉は過去の自
父親の権威を認めていなくとも、社会のシステムがそうなっている以
は、︿家長﹀としての父親に︿男﹀として認められないことは、何より
の︿男﹀として認識される、ホモ・ソーシャル的なく家V制度において
何の役にも立たない﹁やくざ者﹂でしかない。家督相続によって一人前
ィティが揺らいだと言うことは間違いあるまい。順吉は、父親の前では
の価値を否定したということを意味しており、ここに順吉のアイデソテ
い衝突﹂の内容は、テクスト内部からは窺い知ることは出来ない。しか
と思つてゐた﹂と述懐する。﹁その前年の夏の下らないことからの烈し
突を考へると出来る事なら父とは直接に会はずに問題を進めて行きたい
しない。それはいい。自分もその前年の夏の下らない事からの烈しい衝
︿語り手﹀は﹁父は今度の事については絶対に自分と直接に会はうとは
ない。﹃大津順吉﹄には父親は登場しない。千代の問題が起きたときに、
ある。若き順吉にとってそれが容易いことではなかったのは疑うべくも
の精神がなくて、怠惰者﹂としての自分を認め、自らを否定することで
ることであり、それは﹁偏屈で、高慢で、怒りッぼくて、泣虫で、独立
父親の敷くレールの上に乗ってしまうことは、父親の価値基準を認め
志望であり、決して父親から押し付けられたものではない。
自らのアイデンティティを脅かす父親の価値観に対抗するための思想
自らのアイデンティティが揺らぐことを恐れ、避けていたのである。
ぎない自らの姿を眼前に突きつけられ、そしてそれによって作家を志す
慢で、怒りッぼくて、泣虫で、独立の精神がなくて、怠惰者﹂にしか過
を避けていたからだと考えられる。順吉は父親によって、﹁偏屈で、高
順吉を避けていることもあるかもしれないが、また一方で、順吉も父親
に父親が殆ど姿を現さず、順吉と直接話をしようとしないのは、父親が
れる否定的な評価を、無視し去ることは出来ずにいたのだ。テクスト内
は、父親に反発を感じながらも、父親という支配者から一方的に与えら
虫で、独立の精神がなくて、怠惰者﹂という評価とほぼ重なる。順吉
渥している。これは、父親の言う﹁偏屈で、高慢で、怒りッぼくて、泣
する。そして、その後も痴痛を起こしてばかりの自分を隠すことなく披
もアイデソティティ・クライシスを感じさせることとなる。順吉自身が
へて居た﹂ことがある。しかし、これは自らが選択した将来の無邪気な
し、﹁衝突﹂をしたということは、父親が自らの価値基準を持って順吉
一51一
えるものである以上、順吉もまた何かをバック・グラウソドとして持た
に保証された倫理観をバック・グラウソドに持った、社会的通念とも言
的基盤が、順吉には必要とされた。父親の価値観が︿孝﹀という社会的
業すればキリスト教と無縁になる﹁学校信者﹂﹂となることも多かった
舎とした。しかし、キリスト教系の学校で数年を過ごした若者が、﹁卒
一方で、多くのキリスト教系の学校が設立され、多くの若者がそこを学
おり、キリスト教の教義に完全に同調しているわけではなかった。ま
た よ
た、信仰の態度もU先生を﹁只々偉い思想家だと決めて、それを手頼つ
﹁生ぬるい基督信徒﹂であった。戒律に対する不調和を明らかに感じて
と併記したのは意味のあることである。繰り返すことになるが、順吉は
ここで敢えて順吉の思想的基盤を︿キリスト教﹀と限定せず、︿西洋﹀
それは︿西洋﹀であり︿キリスト教﹀であった。
それとともに棄教する老が決して少なくなかったという事実も、日本人
心主義的国家体制の確立とともにキリスト教に対する邪教観が強まり、
もいた。しかし、多くはく西洋Vに対する無邪気な憧れから、︿西洋﹀
異国情緒にあったと言えるだろう。勿論、中には生涯を信仰に捧げた者
日本人がキリスト教に憧れ、それに接近した第一要因は、何よりもその
中に根付いていったのかと問われれば、それは首肯しかねる。明治期の
と指摘されており、着実にキリスト教が宗教として日本人の精神構造の
︵9︶
て居た﹂という受動的なものに過ぎなかった。彼の中には、思想的基盤
のキリスト教に対する安易な認識を物語っているだろう。︿西洋﹀に比
なければ拮抗することは難しい。順吉が思想的基盤として求めたもの、
と言い得るほどには、︿キリスト教﹀は根付いていなかったのである。
べ近代化が遅れていた日本は、︿西洋﹀を手本として国家作りを押し進
のく宗教V11︿キリスト教﹀へと近付いていったのである。日本の天皇中
そう考えると、問題となるのが次の一節である。
洋﹀の持つ、自由で平等な思想を理想としていた。︿西洋﹀は、当時の
めていた。封建主義的な価値観から脱却しようとしていた日本は、︿西
然しそんな事も私の信仰を変へる迄には其頃の私としてかなり長い月
日本人にとって日本の未来の理想像であり、単純に憧れの対象であった
る。ここに、︿宗教﹀としてではなく、順吉にとって別の意味において
うものではあるまいか。新しいものは、何かとてつもなくすばらしい
理想というものは、新しければ新しいほど過剰に夢を託されてしま
うに述べている。
佐伯順子は、明治期の日本の青年の︿恋愛﹀に対する観念を以下のよ
のである。
日と動機となるべき色々な事件とが必要だつたのである。
何故﹁生ぬるい基督信徒﹂だった﹁其頃の私﹂は、棄教に至るまでに
﹁かなり長い月日と動機となるべき色々な事件﹂を必要としたのだろう
の、︿キリスト教﹀の価値が窺えるのではないだろうか。
ものと錯覚しがちである。明治の青年には、﹁恋愛﹂がまだ知られた
か。﹁生ぬるい﹂のならば、棄て去ることは容易いことのように思われ
開国以来、国内のキリスト教信者の数は確実に増加していった。また
一52一
ばかりであっただけに、それに過剰に憧れる、
︵10︶
群”とでもいうべき現象が認められる。
いわば“恋愛願望症候
なしになつたかも知れませんが私はそれに少しも不平は持つてゐませ
んし、今更お祖母さんがうまく監督をやつた所で直るわけもなし。そ
うかは別問題として屹度何か仕ますよ。其﹃何か﹄は云つてもどうせ
れに私だつていまに何か仕ますよ。それがお祖母さんを喜ばす事かど
これは、︿恋愛﹀に限らず、全て︿西洋﹀伝来のものに当てはめて言
解りはしないのだから、只﹃何かする﹄と云ふ事を信じてゐて貰へば
ネフの小説、煙草の箱に集められた外国の雑誌や広告のスクラップ、そ
米国の友人から送られてきた﹁↓ゴ①↓げ$窪①﹂という演芸画報、ツルゲー
た﹂と表しているが、順吉を﹁監督﹂しようとする祖母の思惑は、父親
いふ敵に愛されながら、又愛しながら一方では憎まずにはゐられなかつ
順吉は、家族の中で祖母を特別な存在として見、その関係を﹁祖母と
な所であきらめをつけてゐて下さらないと困りますよ﹂
も も も も
いいんです。それ以上は此方も望まないから、お祖母さんもいい加減
こっち
えることであろう。︿西洋﹀がもたらす新しい雰囲気に、明治期の青年
は堪らない魅力を感じ、︿西洋﹀を絶対化していったのである。
事実、順吉の身の回りには、︿西洋﹀からもたらされた、異国情緒溢
して何よりも、順吉自身、大学では英文科に籍を置いている。U先生の
の思惑とほぼ同じものであり、順吉に︿孝﹀を求めていることは言うま
れるものが点在している。レイノルズの写真銅版、ヴィーナスの石膏、
顔を形容する際にも、べートウヴェン、カーライル、ニーチェと言った
でもない。そのような父親の代弁者とも言える祖母に向かって、先のよ
うな言葉を吐けるのは、順吉が︿個﹀の発現を尊ぶく西洋Vの思想に依
︿西洋﹀の偉人の名を挙げており、順吉が明治期の青年に特有とも言え
る、︿西洋﹀に対する憧憬、崇拝の念を抱いていたことが分かる。
拠しているからである。荒井均は、父親は順吉に対して﹁﹁世間﹂とし
ての対応を示し﹂ていると指摘しているが、確かに、父親の価値観は
︵11︶
では、何故順吉は︿西洋﹀に憧れ、︿西洋﹀を崇拝したのか。それは
その新しさ、異国情緒の珍しさにも要因が求められるが、何よりも︿西
てあることが、第一要因として挙げられる。
に少しも不平は持つてゐませんし、今更お祖母さんがうまく監督をやつ
批判に対して﹁世間並な意気地なしになつたかも知れませんが私はそれ
︿孝﹀の論理に基づいた﹁世間﹂並のものである。その﹁世間﹂からの
順吉は父親の言葉を伝達する祖母に否定されそうになると、次のよう
た所で直るわけもなし。それに私だつて今に何か仕ますよ﹂と強い言葉
洋﹀世界には︿個﹀の自由な発現を称揚する個人主義の思想が基盤とし
な言葉で反駁する。
﹁兎も角近頃はお祖母さんに解つて貰はうとも思はないけど、邪魔
﹁邪魔﹂として拒絶することを許容する観念に順吉が依拠しているから
﹁何か﹂をすることを価値あるものとする価値観、父や祖母の監督を
をぶつけることが出来るのは、父親の意志や︿家﹀の発展を無視した
だけはなるべくして貰ひたくないんですよ。おかげで世間並な意気地
一53一
である。キリスト教に入信した後姦淫の掟に苦しめられていた自分を、
である。それは皆︿西洋﹀からもたらされた個人の自由を尊重する観念
らぎ、主体性を失うという不安に囚われた順吉は、︿自由﹀を求め、︿西
く影響していた。父親に否定されることによってアイデンティティが揺
このように、順吉の﹁生ぬるい﹂信仰の背後には、父親の存在が大き
洋﹀に逃げ込んでいたのである。
三 絹と﹁大和姫﹂
い、このような欲求を許容してくれるのが、︿西洋Vであり、︿キリスト
たものである。︿家﹀の論理に絡め取られそうになる自分を自由にした
﹁もっと自由な人間になりたい﹂、これこそ青年・順吉が切に求めてい
大屋幸世の指摘する通り、絹と千代の間には﹁隔絶﹂とも言うべき女
親の存在とどう関わるのだろう。
は絹・ウィーラー、﹁第二﹂では千代である。これら二人の女性は、父
までに確認してきた。とは言え、テクストの前景にあるのは﹁第一﹂で
もつと自由な人間になりたいと云ふ要
順吉は以下のように述懐している。
其偏屈さが自分でも厭はしく、
教Vだったのである。実際はともかくも、そのような理想を︿西洋﹀に
性像の隔たりがある。絹は混血児であり、自宅でパーティーを開くよう
求を時々感ずるやうになつた。
は託すことが出来たのである。︿西洋﹀を崇拝し、︿西洋﹀を拠り所にす
な裕福な暮らしをしており、順吉に言わせれば﹁貴族主義な女﹂である。
﹃大津順吉﹄というテクストの背景に父親の存在があることを、前章
ることによって、順吉は自らの価値観を認め、祖母や父親に対して反抗
じ、﹁関子と真三﹂という小さな反抗を試みながらも順吉がU先生から
を擬似的に感じ取っていたのである。U先生の教えに対して不調和を感
とにより、順吉は父親に認められているというホモソーシャル的安堵感
のである。U先生を﹁只々偉い思想家だと決めて﹂、﹁手頼つて﹂いるこ
の揺らぎを克服するために、順吉はU先生という別の父親を必要とした
ことにも注目したい。実の父親から否定されるというアイデソティティ
そしてまた、鈴木登美がU先生を﹁精神的な父親像﹂と指摘している
吉の︿西洋﹀崇拝から理解できるだろう。順吉は絹が十二、三歳の頃か
まず、絹である。順吉が絹に惹かれた理由は、前章までに見てきた順
し、順吉が彼女らに惹かれたのには、当然理由があるはずである。
順吉が千代に惹かれていくのか、一見その理由は見当も付かない。しか
二人の女性のタイプは全く異なり、絹に惹かれていた後直ぐに、何故
ない。
野暮な女で、接吻されただけで気を失ってしまうくらい、男慣れしてい
ている。一方千代は、田舎出の女中であり、およそ趣味などは解さない
また、自分から男友達に誘いの電話を掛けるような積極性も持ち合わせ
離れられずにいたのは、U先生と離れることによって︿父親﹀を失うこ
らの顔見知りであるが、実はほとんど言葉を交わしたことはない。絹の
し、辛うじて自らのアイデンティティを保つことが可能となっていた。
︵12︶
とを順吉が恐れていたからである。
一54一
それは当時順吉が﹁女の友達と云ふものが全くなかつた﹂ために、唯一
故、このような関係にも関わらず、順吉は絹に好意を寄せたのだろう。
ず、クリスマスカードを交換しただけで実際に娘に会うことはない。何
と口をきいた﹂のである。しかも、そのパーティーには順吉は出席せ
持っておらず、一度目のダンス・パーティーの誘いの電話で﹁初めて娘
兄とは親しく交際していたが、絹自身とは全くと言っていいほど交流を
失うこととなってしまう。何故、順吉はこのような経過を辿ることとな
り、順吉は姦淫の掟を破ることとなり、その結果U先生という︿父﹀を
とを意味するのではないだろうか。そして、千代に惹かれたことによ
と向かっていく。これは即ち、順吉の心がく西洋Vから離れていったこ
しかし、それにも関わらず、順吉の心は直ぐに絹からは離れ、千代へ
吉にとっては︿考﹀に対するアンチテーゼとなり得るものだった。
も考えられる。しかし、見過ごされがちであるが、順吉が絹からパーテ
ことは疑い得ない。しかし、順吉の絹に対する感情は矛盾に満ちてい
混血児である絹が、︿西洋﹀の雰囲気を多分に醸し出す存在であった
ったのだろう。
ィーの誘いを受けたその時点においても、順吉の側には千代が小間使と
る。それは、絹に興味を惹かれながらもパーティーで頑なな態度をとっ
とも言える﹁女の友達﹂であった絹に必然的に興味を惹かれたからだと
して仕えていたのだ。﹁第一﹂において、順吉に絹からの電話を取り次
てしまうという点に明らかであるが、以下の箇所に着目したい。
ではなく、﹁貴族主義な﹂絹に向かっていたのである。絹は、決して唯
い、興味の将外にあるということだ。この時、確かに順吉の興味は千代
﹁第一﹂においては順吉にとって女中という存在は無名の存在に過ぎな
画の写真が出てゐた。日の出前の海の背景で英国大使の娘の平和の天
其口絵に或外交官の家で、日露戦争が済んだ祝ひの宴会でした活人
誌を出して来た。
出して居る内に私は不意に身を起すと、本棚の抽斗から一冊の女の雑
・⋮四つ折りにした座布団を枕にして、かう云つた色々な事を憶ひ
ぐ﹁女中﹂が.いる。この﹁女中﹂の名は明かされず、それが千代なのか、
別の女中なのかは分からない。問題は、千代の名も、その他の女中や飯
も も
一の選択肢ではなかった。順吉が絹を選んだのは、彼女が持つ︿西洋﹀
使が椰子の葉を片手に持つて、片手で大和姫の手を高くささげてゐ
炊きの名−松、せいも、明かされるのは﹁第二﹂に入ってからであり、
的な匂いに、順吉が惹かれたからである。若い娘が遠慮なく男友達に電
愛を繰り広げる、そんな︿自由﹀さも順吉には魅力的に見えた。︿自由﹀
耳を隠し、豊かな頬に添つて垂れた髪が肉附のよい顔を一層可愛らし
れた髪の端が輪になつて、それが両乳の上あたりに軽く垂れて居る。
る。大和姫の一方の手には白い鳩がとまつて居る。神代風の両方へ分
じんだいふう
の実現を求める順吉には、絹の存在は︿自由﹀の象徴のように見えたは
い形に輪郭を取つて居る⋮⋮
話を掛け、パーティーに誘う、更には速夫と﹁有頂天になる﹂ような恋
ずである。そして、混血児であり、︿西洋﹀的な絹と交際することは、
父親の反対に遭うことは用意に想像でき、絹に好意を抱くこと自体、順
一55一
﹁⋮⋮﹂は、順吉が﹁痴考﹂に入っていったことを想起させる。ここで
り出す。そして、体の一つの一つのパーツを丹念に眺めた後の末尾の
絹から誘いの電話を受けた順吉は、大和姫の扮装をした絹の写真を取
この順吉の矛盾した態度を理解するために、以下の場面を見てみたい。
なく、理解し難い。
の興味を掻き立てていたのならば、順吉のこのような態度は矛盾でしか
なく隠蔽した、純日本的な扮装をした絹の写真だと言う事である。これ
絹を思い出すために取り出したのは、彼女が持ち得る︿西洋﹀性を限り
と云ふやうないやな気がした。
蒲ら顔の西洋人が腰をずらして私の方に寄つて来た。私は﹁オヤく﹂
こんな会話を聞いてゐると同じソーファの他の端にゐた四十恰好の
注意すべきは、彼が﹁痴考﹂に入ったにしろ、そうでないにしろ、彼が
は即ち、絹の主たる特性を欠いた絹の姿を順吉が求めたと言うことにな
る。
西洋人は、又何か私に尋ねたが、それが解らなかつた。問ひかへし
しながら起つて行つた。くさくして堪らなくなつた。少し前屈みに
方を見て居るのに気がついた。
ち
其時私は少し離れた所から先刻玄関で会つた男の一人がそれとなく此
さっき こっ
なつて静かに歩いて行く西洋人の丸い肩を私は親しみなく見送つた。
まへこご
う黙って了つた。西洋人も少し当惑したやうな顔をしてゐたが、微笑
また同様に、パーティーから戻った翌日にも、順吉は絹に関する﹁痴
子供らしい其つまらない言葉
ても、未だ解らなかつた。私は当惑したやうな不機嫌な顔をして、も
コ も り も
私は又、娘の美しい細々とした体や、
長いく痴考に耽つて居た。
考﹂を巡らしている。
をてにをは一つ誤らずに憶ひ浮べては、
順吉の﹁痴考﹂の対象となるのは、絹の﹁細々とした体﹂である。前
の晩パーティーで、順吉は絹の﹁メラソコリックな顔の表情と細々と如
もまた、絹らしくない絹の姿と言えるだろう。絹は﹁貴族主義な女﹂で
例えるのに西洋の偉人の名を列挙した同じ者の科白とは思えない。
に誘われたときにも﹁西洋人も閉口だ﹂と断言しており、U先生の顔を
順吉は、西洋人に全く﹁親しみ﹂を感じていない。速夫からパーティー
あり、順吉に﹁生意気な奴だー﹂と思わせるような勝ち気な性格の女の
絹の家で開かれたパーティーは、︿西洋﹀的トポスを形成していた。
・何にも疲れた様な弱々しい体の表情﹂に﹁親しみ﹂を感じている。これ
はずだ。しかし、順吉は病でやつれた﹁弱々しい﹂絹にこそむしろ、
わせて踊る。このような風俗がく西洋Vからもたらされたものであるこ
燕尾服やドレスを着た混血児や西洋人が多く集まり、男女がビアノに合
強さをもって日本の青年に憧憬の念を抱かせていたものならば、やせ細
とは言うまでもない。絹の家で開かれるパーティーがこのようなものに
﹁親しみ﹂を覚えるのである。︿西洋﹀が絶対的な価値を持ち、圧倒的な
った絹にはその︿西洋﹀の強さは窺えない。︿西洋﹀崇拝が順吉の絹へ
一56一
洋人が隣りに座った後の︿語り﹀は以下のように続いている。
的トポスは逆に順吉のコソプレックスを刺激することとなっている。西
︿西洋﹀を志向していたはずの順吉にとって、絹の家という︿西洋﹀
であり続けてしまうのだ。
で出掛け、頑なな態度でパーティーに馴染もうとしない。﹁開けない男﹂
れにも関わらず順吉は﹁毛パ立つた制服にあみ上げの靴﹂といった格好
なることは、絹の兄と親しくしていた順吉には想像が出来たはずだ。そ
て作られた架空の︿西洋﹀なのである。順吉は理想的なく西洋Vに逃避
洋﹀は現実の︿西洋﹀そのものではなく、順吉の理想と期待を寄せ集め
存在と未来に逃げ道を用意しているのである。順吉が崇拝している︿西
いう過大な期待を寄せることで﹁世間﹂に押し潰されそうになる自らの
だけなのだ。順吉は︿西洋﹀に﹁何かとてつもなくすばらしいもの﹂と
るように、順吉は︿西洋﹀の漠然としたイメージに憧れ、逃避していた
遠い。キリスト教の信仰の態度が受動的なものであったことからも分か
次第で根こそぎ其自信を見失つて了ふ事が少くなかつた。﹁いまに何
い点で、其自信には全で裏うちが出来てゐなかつた。私は時々の気分
あつた。それには相当の自信もあつた。然し仕た仕事が殆ど一つもな
生涯の仕事としては、其頃から私は文学上の創作をしようと云ふ考で
れは︿西洋﹀に対する劣等感に裏打ちされている。︿西洋Vに憧れ、崇
激する、強く遠い︿西洋﹀なのだ。︿西洋Vを崇拝するということ、そ
順吉の逃避を許す理想的世界ではなく、逆に順吉のコソプレックスを刺
調和を感じずにはいられない。その︿西洋﹀は、順吉を優しく包み込み、
だから、順吉は実際の︿西洋﹀世界を再現したトポスにおいては、不
することで、安心を得ていたのだ。
かする﹂かう思つても、それが何時の事か少しも見当がつかなかつた。
洋﹀を必要とし、それをアイデンティティの拠り所とした。しかし、そ
拝の態度にその原因が求められる。彼は︿自由﹀を許容してくれる︿西
快な凝結体﹂となる﹁偏屈﹂さを発揮してしまうのは、彼の︿西洋﹀崇
順吉が︿西洋﹀的トポスの中で不調和と劣等感を感じ、やがて﹁不愉
︿西洋﹀的トポスに入りこむことによって、その自信が失われている。
作﹂という将来の志望に自信を与えていたはずであるが、ここでは逆に
順吉は︿西洋﹀思想を基盤に持つことによって、自らの﹁文学上の創
い。だから、順吉は以下のような行動を取らざるを得ない。
︿西洋﹀的トポスにおいては、︿西洋﹀は順吉を圧迫するものでしかな
あることを思い知らされ、アイデンティティを揺さぶられるのである。
に対峙したとき、自らが︿西洋﹀とは程遠い、祖母同様の﹁昔の人﹂で
んどん意固地になっていく。︿西洋﹀を崇拝する青年・順吉は、︿西洋﹀
ことを、順吉は痛切に思い知らされる。順吉は他人の視線を気にし、ど
ポスに入った途端、︿西洋﹀より数段遅れた小国・日本の 青年である
内面化出来たならば、︿西洋Vは崇拝の対象ではなくなる。︿西洋﹀的ト
拝するのは、自らが︿西洋﹀とは対極にあるからだ。︿西洋﹀を完全に
れは所詮逃避的崇拝の態度に過ぎない。順吉にとって︿西洋﹀は遠く、
それは雑誌の中で繰り広げられる憧れの世界であり、憧れは理解とは程
一57一
情を共有し、心を許すことの出来る対等な相手と認め、嫌味を言う余裕
ゆるめられるやうな快さ﹂を感じ、更には、絹との会話が歌舞伎という
さかひ よせき
行つた。額から油汗の様なものが出る。私は大儀な体を起して、広間
装を必要としなくとも、そのままの姿でーもちろん、それは病み上がり
広間との界の大戸が両方に開かれた。寄木の床はすつかり拭き込ん
に懸けられた色々な絵を見に行つた。黒い真円な縁に入つた文晃の浪
た
の絵があつた。其他は主に浮世絵派の物で、北斎の八十七歳の肉筆で
という特殊な状態ではあるが1絹は順吉の﹁痴考﹂の対象となり得るの
︿西洋﹀とは懸け離れた内容になることにより、順吉は絹のことを、感
雨中の樵夫と漁夫の対幅などが、其三四年前、錦絵のコレクショソに
である。絹の存在は、順吉にとって︿西洋﹀的トポス内における逃避の
であつて天井の電灯を其儘に映して居た。私の気分は益々悪くなつて
熱中しただけに私の心を惹いた。私はさう云ふ物で四囲を忘れようと
場となったのである。その点で、以下の杉山雅彦の指摘は正鵠を得てい
うちゅう きこり つゐふく
﹁娘の美しい細々とした体﹂、﹁子供らしい其つまらない言葉﹂、これ
を示し、気分を回復していくのである。そして、﹁大和姫﹂といった扮
したが、それは体の方が許さなかつた。私は元のソーファに還つた。
ると言えるだろう。
まんまる ふち ぶんてう
明光や礼吉は未だ来なかつた。
自らの劣等感を刺激する︿西洋﹀的トポス凹﹁四囲﹂を忘れようとす
らに対する順吉の興味は、一種の自己愛であろう。同病相憐れむとで
が、更には精神の自己同化、いわば﹁不愉快﹂の共有というレペルに
るために順吉が求めるのは、文晃や北斎の絵である。理想的な︿西洋﹀
たときに求めるのは、︿西洋﹀性を全く持たない、純粋なく日本Vなの
まで昇華される。つまり、﹁不機嫌な凝結体﹂としての同一性を娘に
も言ったような、﹁鏡﹂としての娘に対する親しみ、肉体の自己同化
である。本来、現実の︿日本﹀から逃れるために理想的な︿西洋﹀を求
︵13︶
重ねてしまっているのである。
を逃避の場としていた順吉が、現実の︿西洋﹀に押し潰されそうになっ
めたわけであるから、再びく日本Vに戻ろうとすることは矛盾であり、
吉が︿弱さ﹀を共有できる︵と考えられる︶存在であった。それ故、絹
い体の表情﹂をした絹は、順吉を圧迫する強い︿西洋﹀の中で、唯一順
ろう。﹁メランコリックな顔の表情と細々と如何にも疲れた様な弱々し
このように見ると、順吉の絹への矛盾した感情の所以が見てとれるだ
のだ 。
なのだろうか。
がかからなかつた﹂ことをそれほど気にしなくなっている。それは何故
と説明している。しかし、それ以前に、順吉は﹁娘からは其後全く電話
由を、﹁私が頭に描いてゐた娘とは別人のやうに再び肥つて了つたから﹂
ているのだろう。順吉は絹から貰った写真を余り見ることのなかった理
では、何故﹁第二﹂では順吉の絹に対する興味はほぼ失われてしまっ
無益なことである。しかし、順吉は︿日本﹀に逃避せずにはいられない
と会話することにより、順吉は﹁段々に堅くなつて行つた結びッこぶが
へ も へ も ヤ
一58一
の情緒﹂へと回帰していく。
た。その祖母と二人きりで数日を過ごすことにより、順吉は﹁幼年時代
とって、祖母は唯一自分を理解し、守ってくれる存在であると考えられ
は、祖母からの愛情を疑っていなかった。幼い頃に母を亡くした順吉に
段を界にして、矢張り自家の中での交通遮断と云ふ事になつた﹂。順吉
かっている。そして、﹁祖母の看護で上下を通ずる恐ろしく険しい梯子
絹に﹁親しみ﹂を覚えたパーティーのすぐ後に、順吉は類似赤痢にか
な欲望に囚われているのである。順吉の腹に残った懐炉の跡は、祖母が
だから、病床に祖母といる間は絹を必要とせず、ただ食欲という無邪気
︿母﹀に守られている順吉は、︿西洋﹀などに逃げ込む必要などない。
ティティは保証されるのである。
は存在しない。︿母﹀だけが唯一の他者であり、︿母﹀によってアイデン
的アイデンティティを擬似的に獲得することができた。そこには︿父﹀
祖母の看病の中で、順吉はく母Vに守られることによって得られる原始
ら、祖母の仕てくれるままに腹の茜蕩を取り更へて貰つてゐた。する
私は何年ぶりかで又祖母だけの看護を受けた。或時仰向けに寝なが
ることを余儀なくさせる。しかし、この︿母﹀への回帰という体験によ
床から出て、再び﹁世間﹂に戻った時には、順吉は再び︿父﹀と対峙す
の︿母﹀から与えられる安堵感は擬似的、かつ刹那的なものであり、病
存在し、︿母﹀として順吉を守っていることの証である。もちろん、こ
と私には不図幼年時代の情緒が起つて来た。それは祖母の体の独特
って、順吉の絹への興味がいったんにしろ失われたのは確かである。そ
にほひ
して、﹁世間﹂へと戻った順吉の前に現れたのが、以前の、順吉が﹁親
な香が私に幼年時代−其頃はいつも抱かれて寝てゐたーを突然に憶ひ
起さしたのであつた。
中で再び絹が﹁親しみ﹂のある存在となることのなかったのは、当然の
しみ﹂を覚えた弱々しい面影を失った絹であったのであるから、順吉の
祖母の看病の仕方は﹁どんな伝染病でも気さへ張つてゐれば⋮⋮﹂と
ことであろう。
実を順吉に忘れさせた。﹁自家の中での交通遮断﹂という状況は、即ち
に守られるという感覚の獲得は、︿父﹀の存在を絶えず意識していた現
吉を︿母﹀に抱かれて眠る胎児へと戻すこととなった。このような︿母﹀
の﹁不機嫌﹂の理由を、﹁湿気の烈しい、うつたうしい気候から来る﹂
﹁第二﹂の冒頭から、順吉は﹁不機嫌﹂を繰り返している。順吉はそ
千代は絹と違って、︿西洋﹀とは程遠い存在である。
では、何故順吉は千代と関係を持ち、結婚の約束をしたのだろうか。
四 千代1︿父﹀に対する反逆
いう、近代医学には囚われない原始的なものであった。そのような祖母
の看病と﹁体の独特な香﹂は、順吉を﹁幼年時代﹂へと回帰させ、︿母﹀
父と顔を合わせる心配がないと言うことであり、︿父﹀系社会において
と説明しているが、それだけが理由でもあるまい。順吉が﹁其頃祖母に
としての役割を果たす祖母に抱かれて眠るというイメージの髪髭は、順
順吉のアイデンティティが揺さぶられる心配がないということである。
一59一
﹁第一﹂の終わりで、祖母は順吉に︿母﹀性を示し、順吉を幼児期へ
由が見出せるように思われる。
対して何となく不快でならなかつた﹂ことから、順吉の﹁不機嫌﹂の理
祖母は﹁あきらめをつけ﹂たわけでは決してなく、その後も順吉への
手に想像し、その表情を﹁愉快さう﹂と解釈する。順吉の言葉によって
母は理解できず、黙ってしまう。黙っている祖母の心の中を、祖母は勝
︿自由﹀な︿個﹀の思想に基づいた順吉の論理を、﹁昔の人﹂である祖
﹁監督﹂は継続的に行われ、千代との結婚問題では、父親の意向に基づ
へ ぬ も も
と戻した。しかし、これは順吉が病床についているという特殊な状況で
感じ取った擬似的体験に過ぎず、現実の﹁世間﹂に戻ったときには、祖
存在を脅かす存在であってはならない。これは、順吉の絹に対する態度
に﹁不快﹂を感じずにはいられない。順吉にとって、︿女﹀とは自らの
るはずの祖母が自らを﹁監督﹂し、自らの︿自由﹀を奪おうとすること
に父親がいることを把握し切れていない順吉は、自分を愛する存在であ
かされ続けている順吉は、︿女﹀には自分の劣等感を刺激しない、自分
と懸け離れたときである。︿父﹀/︿男﹀によってアイデソティティを脅
吉が祖母に﹁不快﹂を感じるのは、祖母が順吉の求める︿母﹀/︿女﹀像
﹁愉快さうに﹂させたと考えることにより、気分を回復させていく。順
ったことにより、祖母を好きに解釈し、自らの言葉が祖母を承服させ、
いて祖母は順吉を千代から引き離そうとする。しかし、順吉は祖母が黙
︵14︶
からも分かるものである。順吉は、︿女﹀に自分を守り、安堵させる役
の存在を無条件に認める︿母﹀のような優しさを求めていたのである。
母は父親の意志に基づいて順吉を﹁監督﹂する存在となる。祖母の背後
割を求めていたのである。
とか、信ずるとか、そんな事をすべき物が何処にあるのだらう? 又
ま
若しあるとすれば、何時の間にそんな物が出来たんだらう? 祖母は
ふう
黙つてこんな事を考へてゐる態だつた。
の時から三週間と嘗て自身の傍を離した事のない此孫の中に理解する
祖母は何を云はれてゐるのかよく解らなかつた。それに第一、三つ
こんな事を私は繰り返しく云つた。
﹁どうせ理解は出来ないのだから、迷信的に信じておいでなさい﹂
となったはずである。︿家﹀の中では順吉は全く価値のない﹁やくさ者﹂
のやることをそのまま真似して行う千代の存在は、順吉にとって安らぎ
出して来﹂る。︿父﹀の価値観に従って構成される︿家﹀の中で、自分
からでもあるが、順吉の言う事を素直に従う女である。犬の白を追う時
代は教養もなく、自分の意見などはほとんど持たない。女中という立場
このような状況の中で、千代の存在が意識されていったのである。千
なったことから起こる不安に起因するものだった。
順吉の﹁不機嫌﹂は、身近に自分を守ってくれる︿女﹀/︿母﹀がいなく
然しこんな事でも私の気分は大変すぐれて来た。祖母も何となく愉
でしかないが、その順吉に千代は素直に従い、順吉の真似をして行動す
も﹁竹箒を丁度私︵筆者注11順吉︶がやるやうな格好に振り上げて飛び
快さうに見えた。
るのである。
一60一
私はいつか、段々に千代を愛するやうになつて行つた。私は不機嫌
な時に其事を感じた。不機嫌な時に千代と話をすると、それが直ぐ直
ればそれで此問題は片がつくのだと考へた。
千代が美しくないこと、或いは社会的に身分の低い者であることを気
して、その心地よさを順吉は︿恋愛﹀と解釈したのだ。宮越勉の指摘す
吉は千代を自らの味方であると捉えることによって脱却できるのだ。そ
れ、︿家﹀の中で孤立無援の状態となることによる﹁不機嫌﹂から、順
千代は、順吉の失い欠けた自信を取り戻させる。祖母からも﹁監督﹂さ
千代は、順吉の劣等感を刺激することは何もしない。順吉にかしつく
持っていたと言えるのだ。
い思想に依拠していたが、結婚問題に関しては、父親と同様の価値観を
もりでいたのだ。順吉は、父親の価値観に抵抗を感じ、︿西洋Vの新し
として、千代の家が﹁社会的に低い階級にある﹂ことを気にしてのもの
うち
であったと考えられる。父親は順吉に﹁相当の家から嫁を貰﹂わせるつ
後に順吉の父親が千代との結婚を反対するのは、千代の容姿はともかく
る事がよくあつたのである。
るように、﹁順吉は田舎者を嘲笑している。しかし千代とて千葉から出
順吉が千代への︿恋愛﹀を実践的なものとして行動していくきっかけ
にするのは、﹁世間﹂体を気にしての﹁躊躇﹂であると言えるだろう。
て来た田舎者なのである﹂。このように、相手を下位に見ることが︿恋
︵15︶
を与えたかのように読むこともできる。しかし、その﹁運命の暗示﹂を
八月廿日に帰つて来た。然し其時も未だ私には堅い決心が出来てゐ
受けた後でも、順吉の逡巡は続いている。
として、旅行中に読んだツルゲーネフの﹁片恋﹂が順吉に﹁運命の暗示﹂
愛﹀の名に相応しいものかどうかは疑問である。事実、順吉の千代に対
︵16︶
する愛情は、﹁順吉の感情は、﹁愛﹂の名に値しないことは既に自明﹂、
﹁恋愛と呼ぶにはあまりにも消極的な感情﹂、﹁ハシカのような恋﹂と評
︵17︶ ︵18︶
代の存在によって、自らが価値のあるものであるかのように錯覚するこ
なかつた。私は私の帳面に﹁若し此決心が一年、変わらなかつたら﹂
されている。しかし、この時の順吉には千代が必要だったのである。千
とが必要だったのだ。
とか﹁結婚するにしても今のCには二一二年間の学校教育が必要である﹂
﹁片恋﹂もまた、順吉を思い切らせた要因の一つに挙げられるかも知
しかし、順吉は自分の感情を﹁千代を愛する﹂と解するようになった
うち
要するに私は私の躊躇は千代がそれ程美しくない事、及び千代の家が
れないが、﹁運命の暗示﹂というほどの力は持ってはいなかったことが
こんな事を書いてゐた。
社会的に低い階級にあると云ふ事などから来てゐると云ふ風に、寧ろ
ここから分かる。﹁片恋﹂を読んだ後も、まだ順吉は千代に学問のない
が、とは言え、結婚を決意するまでには逡巡が繰り返された。
それは脅迫観念的にさう考へられた。私は私の虚栄心を殺す事が出来
一61一
も、父親に来客があることは当然家族の一員である順吉には知らされて
して招かれていたのではないだろうか。客が誰であったかはともかく
会社の専務取締役を務める父親の、仕事上の付き合いのある人物が客と
たというから、それほど砕けた関係の相手ではなかったのだろう。鉄道
のか、テクストでは語られない。しかし、﹁ナイフやフォーク﹂を使っ
突如結婚の約束をした夜、父親に来客があった。どのような来客だった
管見ではこれまで指摘されることはなかったようだが、順吉が千代と
それは単なる事の成り行きだったのだろうか。
では、何故順吉は千代と結婚の約束をすることになったのだろうか。
ことを気にしている。これも﹁世間﹂並の判断であると言えるだろう。
かと考えられる。順吉には﹁結婚した夫婦の間にも姦淫罪はある、結婚
﹁関子と真三﹂をただ書いただけでU先生には見せなかったのではない
三﹂を書いた後も順吉がU先生の元に通い続けていたことから、順吉は
U先生に見せたのかは、テクストには語られない。しかし、﹁関子と真
事さへ快く感じな﹂いことも知っていた。以前書いた﹁関子と真三﹂を
が﹁少しでも自分と異つた信仰を持つやうになつた弟子は只出入りする
む罪であった。順吉はそれに最初から同調できていなかったが、U先生
欲を理由を付けて解放しただけとも考えられる。姦淫はU先生の最も憎
まう。これは、父親に対する反抗心からの行動とも、また、欝積した肉
なる可能性を多分に有していた。順吉は、早々と千代と関係を結んでし
しかし、現実の父親に対する反抗は、精神的な︿父﹀に対する反抗と
婚しない相愛の男女の性交にも姦淫でない場合が幾らもあると云ふ﹂こ
いただろう。順吉の家は広く、普段父親と顔を合わせることもなかった
そのような状況下で、千代への結婚の申し出は行われたのである。これ
とを証明しようとして、千代に対する︿恋愛﹀感情が真摯なもので、結
しない相愛の男女の性交にも姦淫でない場合が幾らもあると云ふ考﹂が
は留意すべきことである。
婚を間違いなく前提としていることを自らに言い聞かせ、またそう行動
ようだが、それでも来客の雰囲気は順吉に意識されたはずである。つま
身分の低い千代と結婚すること、これは何よりも父親に対する反逆行
した。大里恭三郎は、順吉が﹁鉄亜鈴を畳に叩きつける自分の姿をほん
あった。順吉は、千代との関係においてそれを実践しようとした。﹁結
為となる。順吉が父親に対する面当てのためだけに千代に求婚したとは
とうに見て欲しかったのは、彼の姦淫の罪を裁く立場にあるく神Vであ
り、順吉はその夜、否が応にも父親の存在を意識していたはずである。
言わない。しかし、順吉の心のどこかに父親の価値観に対してアンチ
った﹂と述べているが、﹁彼の姦淫の罪を裁く﹂のは、︿神Vではなく、
︵19︶
︿父﹀としてのU先生だった。順吉は、U先生を失うことを恐れ、千代
テーゼをぶつけようという気持ちが常にあったことは確かである。父親
の意に添わない結婚をしたところで、仕事もない学生の身分で生活が成
︵20︶
り返していたのだ。大西貢も指摘しているが、順吉と結婚の約束をし、
への感情の誠実さをアピールすることにより、U先生に対する弁解を繰
結婚相手と幸せな家庭を築き、自立することが、何よりも父親に対する
肉体的な関係を持った後の千代は、それ以前の千代とは大きく変わって
り立つとは思えない。しかし、当時の順吉には、父親が決して認めない
反抗となると考えられたのだ。
一62一
しまう。以前の千代は、順吉を主人として仰ぎ、﹁順吉の前で決して
﹁横坐り﹂になったりはしなかった﹂のだ。﹁故と田舎詞のダイレクトナ
わざ ゐなかことば
レーションで云つて笑つたり﹂する千代は、以前の順吉の前で小さくな
﹁⋮⋮これでも僕は怒つては悪いか?﹂ という、自らの正当性を訴える
ものであった。
るので、﹁時々迷ふやうな心持が起る﹂にも関わらず、家族の前では千
代との関係が純粋な︿恋愛﹀であることをU先生に対する弁解としてい
の本来求めていた︿女﹀像とは少しずつ離れていく。しかし、順吉は千
ない。
そんな事はどうでもよい。兎に角、僕はこんな人達とは共に暮らせ
も入れる方がよいと云ふさうだ。
祖母は廃嫡は家のカキンである。これに比すれば地位の違つた女で
﹁父は僕を廃嫡するとも此事は許さぬと云ふさうだ。
代に対する感情が必死なものであるかのように行動するのだ。
僕が孤独で平気でゐられる人間でない事は君もよく知つてゐよう。
っていた千代ではない。図々しさまで見せるようになった千代は、順吉
しかし、その行動が道化じみたものであることは、当時の順吉自身に
僕には君と重見と千代とがゐる。実を云ふと、もう一人、祖母がゐる
もう書けない。﹂
と加へたいのだ。
も分かっていた。
も も
私は此時程の急裂な怒りと云ふものを殆ど経験した事がなかつた。
然しこんなやけらしい様子も余儀なくされてするのではない事を、其
﹁レターペーパーの裏表に九枚﹂にもわたった手紙は、突如﹁もう書
行為の一方で、順吉自身は階下に寝ている書生の顔を想像し、﹁独りク
亜鈴を出して、それを出来るだけの力で又叩きつけ﹂るという直情的な
解しているということになるだろう。順吉は、千代が自分から引き離さ
ポンド
れるという事実に対して、意外に冷静、かつ客観的である。﹁九礁の鉄
身が自らの︿恋愛﹀が﹁姦淫でない場合﹂には当てはまらないことを理
順吉自身が自らの行動の誇張性を理解しているということは、順吉自
まったことは確かであり、順吉はU先生を精神的な︿父﹀と仰ぐことは
ことを自覚してしまっている以上、U先生に対する反逆行為を行ってし
なくとも、千代との︿恋愛﹀が﹁姦淫でない場合﹂には当てはまらない
する事さへ快く感じな﹂くなるだろう。例え、U先生の耳に入ることが
との一件がU先生の耳に入ったとしたら、当然U先生は順吉が﹁出入り
結局父親の懐の中で大人しくせさるを得ない自分に気付いたのだ。千代
父親の態度に腹を立てながらも、﹁廃嫡﹂の問題に触れたとき、順吉は
時の現在に於て、明かに知つてゐた。
スリく笑﹂う余裕さえ持っているのである。順吉は、父親の態度に怒
出来ない。精神的なく父Vを失い、現実の父親と対峙せざるを得なくな
けない﹂と終わっている。何故、﹁もう書けない﹂のだろうか。
りを覚え、﹁巴里にゐる絵かきの友達﹂に手紙を書き始める。それは
一63一
敗れたことを知り、そして沈黙するしかないのである。
るい基督信徒﹂としての生活も終わった。順吉は、﹁世間﹂との闘いに
と書いたとき、順吉の若さ故の反抗は終わった。そして、順吉の﹁生ぬ
とを知るのである。手紙の最後に﹁明治四十年八月三十日午前三時半﹂
を迎えに行くほどの力を持たず、結局父親の言うなりになるしかないこ
るはずと信じていた祖母が父親側にいることを知ったとき、順吉は千代
ぶに相応しいほどの激しい感情を伴っておらず、唯一自らを守ってくれ
書けない﹂と筆を置くしかないのだ。千代とのく恋愛Vは︿恋愛﹀と呼
ている。だから、﹁祖母がゐると加えたい﹂が、それが出来ずに、﹁もう
値観を持って自分に接していることを、この時の順吉は明らかに理解し
自分に対して無償の愛を捧げてくれているはずの祖母が、父親と同じ価
最優先に順吉の結婚問題を捉えていることを既に知ってしまっている。
比べれば﹁地位の違つた女でも入れる方がよい﹂という︿家﹀の利益を
しかし、自分には﹁祖母がゐる﹂と言いながら、その祖母が﹁廃嫡﹂に
ったとき、順吉は﹁こんな人達とは共に暮らせない﹂と弧い言葉を吐く。
で、高慢で、怒りッぽくて、泣虫で、独立の精神がなくて、怠惰老﹂と
らの青春を美しく飾るという気は起こらず、父親の評価通りの﹁偏屈
を明らかに悟り、そして自らの青春を語り始めた。その時、順吉には自
んな抵抗も﹁生ぬるい﹂ものとしかなり得ない、歳月を経た順吉はそれ
般に逆らうことであり、それは所詮﹁猪武者﹂の悪あがきに過ぎず、ど
る順吉は伝えようとしている。父親に逆らうと言うことは、﹁世間﹂全
る。それがいかに大きく、それに逆らうことが馬鹿げていたのかを、語
吉は︿父﹀を中心として作られる﹁世間﹂というものを語ろうとしてい
いものであったかを語っているのである。自らの青春を語ることで、順
過ぎない﹂と、いかに若老の若さ故の行動が﹁世間﹂に対して意味のな
のものとして美しく語るのではなく、所詮﹁何かに狂つてゐる猪武者に
の中で、必死に抵抗を繰り返す若者の姿である。そして、それを若さ故
うことだ。︿語り手Vが語るのは、父親という抗いきれない大きな存在
則な発育をとげた子供﹂として語ることができるようになっているとい
を試みることはなく、若かった自分の愚かさを包み隠すことなく、﹁変
か、それについて考えてみたい。
最後に、何故順吉が自らを語ったのか、語りの原動力はどこにあるの
ある。
日の下に晒すという行為でもあった。悲しきヒーローのその後の物語で
ヒーローを気取っていた若者からヒーローの仮面を剥ぎ、その素顔を白
しての自分を包み隠さず語る、ということになったのである。それは、
明治四十三年からどれくらいの時を経て、順吉が語り始めたのかは、
特定することはできない。しかし、﹁其後二年程して﹂という言葉から、
少なくとも二年は経ってから語り始めていることが分かる。二年という
歳月を経て、順吉が作家としてある程度の成功を修めたのかは、分から
ない。しかし、明らかに言えることは、彼はもう﹁世間﹂に対する反抗
哉・自我の軌跡﹄︶平成四・五
有精堂
志賀直
︵1︶ 水洞幸夫﹁﹁大津順吉﹂試論 ︵1︶﹂︵﹃日本文学研究資料新集21
注
一64一
︵2︶ 大屋幸世﹁﹁大津順吉﹂論﹂︵﹃一冊の講座 志賀直哉﹄︶昭和五十七・十
有精堂
︵4︶ 国松 昭﹁﹁大津順吉﹂論﹂︵﹃東京外国語大学論集﹄二十五号︶昭和五
︵3︶ 須藤松雄﹃近代の文学7 志賀直哉の文学﹄昭和四十七・三 桜楓社
︵5︶ 注三に同じ。
十・三
︵6︶ 大西 貢﹁﹃大津順吉﹄における千代の造型﹂︵﹃愛媛国文研究﹄第三十
七号︶ 昭和六十二・十二 愛媛国語国文学会
︵7︶ 注一に同じ。
︵8︶ 伊藤佐枝﹁﹁話﹂をするということー﹃大津順吉﹄における千代と順吉
︵9︶ 土肥昭夫﹃日本プロテスタント・キリスト教史﹄昭和五十五・七 新教
の関係−﹂︵﹃論樹﹄第十号︶平成八・九 論樹の会
出版社
︵11︶ 荒井 均﹁﹁大津順吉﹂論﹂︵﹃文芸と批評﹄第五巻三号︶昭和五十四・
︵10︶ 佐伯順子﹃﹁色﹂と﹁愛﹂の比較文化史﹄平成十・一 岩波書店
十二 文芸と批評の会
︵12︶ 鈴木登美﹃語られた自己−日本近代の私小説言説﹄︵大内和子/雲和
︵13︶ 杉山雅彦﹁﹃大津順吉﹄試論1﹁不定の過去﹂への視座 ﹂︵﹃文芸
子 訳︶平成十二・一 岩波書店
と批評﹄第七巻四号︶平成三・十 文芸と批評の会
︵14︶ 順吉が千代と結婚の約束をした報告を祖母にしたとき、祖母は賛成も不
賛成もしない。しかし、翌朝になると﹁大津家としてそんな事は嘗てない
を変えている。これは恐らく、父親の意向を伺うまでは対応を保留して、
事だから、それに口約束だけなら何でもないから断つて了へ﹂と突然態度
父親から反対の意向を聞いたことにより、反対の態度を決めたのである。
︵15︶ 宮越 勉﹁自分をヨぎ①するi﹃大津順吉﹄を読む﹂︵﹃志賀直哉−
︿家長Vの意志を祖母は何よりも尊重していることが、ここから分かる。
青春の構図i﹄︶平成三・四 武蔵野書房
︵16︶ 注十三に 同 じ 。
︵17︶ 山崎正和﹃不機嫌の時代﹄昭和六十一・二 講談社
︵18︶ 大里恭三郎﹃近代小説の解体﹄昭和六十一・三 桜楓社
︵19︶ 注十八に同じ。
︵20︶ 大西 貢﹁﹃大津順吉﹄における︿勇士﹀の挫折﹂︵﹃愛媛国文と教育﹄
十九号︶昭和六十二・十二 愛媛大学教育学部国語国文学会
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