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生活になくてはならない微生物
水坤 寄稿 ■ 1.はじめに 生活になくてはならない微生物 橋本宏幸 オリジナル設計㈱/札幌事務所長 (標準活性汚泥法を採用)で水質データを収集した ことがありました。 私が下水道設計の世界に入ったのは昭和63年で この中で微生物の力強さを改めて思い知らされ す。その頃の全国汚水処理人口普及率は40%であ たのですが、北海道の大きな気候的特性として、 り、付近を見回しても都市部の一部にしか水洗ト 冬季間の最低気温が地域により-30℃まで低下す イレが無い状況でした。あれから 26 年が経過し、 ることが挙げられます。このため、流入水温が 10 平成24年度末には88%までの普及率となっていま ℃前後と低温となるため、処理施設は建屋で囲ま す。実感として夏場に多く発生していた「ハエ」 れ、外気温や積雪の影響を直接受けないように施 の数が激減した事が感じられます。かつて家の中 されております。しかし、我々が到底生き抜く事 に必ずぶら下がっていた「ハエ取り紙」を今は見 ができない 10℃の水温中で、活性汚泥は生き抜い る方が珍しい時代となりました。また、温水洗浄 ているのです。 便座も発明され、現在はこのトイレでないと用が ここで、顕微鏡の中でしか見る事のできない活 足せない体となってしまいました。 性汚泥の構成について図-1に示します。 仕事の手法も変化しました。入社した頃は図面 下水処理場は放流水質を守るため、これらの微 作製も手書きでしたので、1枚仕上げるのに何日 生物の出現数に常に注意をはらって運転されてお もかかり、 命の次に大切な物は?と聞かれると 「原 ります。具体的には、原生動物と小動物を合わせ 図です!」と即答してしまうほど、手間暇かかっ た生物層に分類し、処理水質が良いとされる時に たものでした。 出現しているボルティセラやアスピデスカ、カル 数量計算は電卓による手計算、提出図面は青焼 ケシウム等が常時いるようにしたいのですが、流 きと1物件の設計が終了するのに多くの時間が掛 入汚濁負荷量と空気量、水温の3つの因子が複雑 り、徹夜を何度も繰り返すことがあたりまえでし にかさなり、人間が思う通りにはなかなかいきま た。 せん。爆気槽内では、流入有機物<細菌類<原生 時代が変わり、下水道も建設の時代から維持管 動物<小動物との食物連鎖が起こっており、有機 理の時代へと、設計手法もパソコン1台で何でも 物除去を行ってくれる細菌類が適正な数になるよ 出来る時代へと変遷しましたが、 過去においても、 うに、爆気風量の調節、引抜き汚泥量の調節を日々 そしてこれからも変わらないものがあります。そ 管理しています。 れは下水処理の根本を微生物の力で行っている点 同じ生物界に所属し、高等生物である人間が、 です。 単細胞生物の恩恵を受けながら生活しているのに は改めて感嘆されました。 ■2.下水処理工程における微生物 数年前に1年間、北海道内のとある下水処理場 44 こ こ で 、 顕 微 鏡 の 中 で し か 見 る 事 の で き な い 活 性 汚 泥 の 構 成 に つ い て 図 - 1 に 示 し ま す 。 活性汚泥 小動物 微生物 細菌類 真菌類 凝集性細菌 1~100μm 非凝集性細菌 1~100μm 糸状性細菌 1~100μm 酵 母 20~100μm カ ビ 20~300μm ズーグレア シュードモナス スフェロテイルス カンジダ トリコスポロン ケカビ クモノスカビ type21 フラボバクテリウム 原生動物 藻 類 5~1,000μm 5~300μm 100~5,000μm ボルティセラ アスピデスカ カルケシウム クロレア ナビキュラ ロタリア エロゾマ ネマトーダ 図-1 活性汚泥の構成 図 - 1.活 性 汚 泥 の 構 成 下 水 処 理 場 は 放 流 水 質 を 守 る た め 、 こ れ ら の 微 今秋9月 29 日から NHK の連続テレビ小説で放 生 物 の 出 現 数 に 常 に 注 意 を は ら っ て 運 転 さ れ て お ■3.酵母も微生物 映予定の「マッサン」の主人公でもあります。 り ま す 。 具 体 的 に は 、 原 生 動 物 と 小 動 物 を 合 わ せ 我々が生きていくために必要な食物の中でパ 竹鶴正孝は広島県に生まれ、24歳の時に単身ス ン、味噌、醤油、酒類等も微生物の力を借りて製 コットランドに留学し、スコッチウイスキーの醸 た 生 物 層 に 分 類 し 、 処 理 水 質 が 良 い と さ れ る 時 に 造されたものです。これらは酵母(酵母菌)とい 造方法について習得しました。26 出 現 し て い る ボ ル テ ィ セ ラ や ア ス ピ デ ス カ 、歳でジェシー・ カ ル う植物中のカビに分類される微生物で、大きさは ロバータ・カウン(通称リタ)と結婚。帰郷後、 5~10 μm程度の単細胞生物です。酵母菌は光合 大阪の洋酒製造販売業者寿屋(現在のサントリー) ケ シ ウ ム 等 が 常 時 い る よ う に し た い の で す が 、 流 入 汚 濁 負 荷 量 と 空 気 量 、 水 温 の 3 つ の 因 子 が 複 雑 成できないため糖質を分解してアルコールと炭酸 に入社し、ウイスキー工場「山崎蒸留所」を設計 ガスを産生します。 これをアルコール発酵といい、 し、初代工場長となっております。その後 40 歳の に か さ な り 、 人 間 が 思 う 通 り に は な か な か い き ま 食品ごとに適した酵母菌が使われるのが特徴で 時に、寿屋を退社し、かねてからウイスキー作り す。 に適していると思っていた北海道余市町でウイス せ ん 。 爆 気 槽 内 で は 、 流 入 有 機 物 < 細 菌 類 < 原 生 動 物 < 小 動 物 と の 食 物 連 鎖 が 起 こ っ て お り 、 有 機 キー製造を開始することを決意しました。ウイス 物 除 去 を 行 っ が 適 正 な 数 に な る よ て く れ る 細 菌 類 キー作りには空気のきれいなこと、良質な水があ ■4.ウイスキーの父が NHK 朝ドラに! ること、夏でもあまり温度の上がらないこと、ピ ウイスキーの製造にも微生物である酵母が重要 ート(泥炭)地帯であることの条件をみたした地 ですが、これに人生をかけた人について御紹介し が余市町であったのです。 たいと思います。その人の名前は竹鶴 正孝(た 金銭的問題や第2次世界大戦の激動の中でも けつる まさたか、1894 年~1979 年)です。知っ 「本物の、いいウイスキーを作りたい」との一心で ている方もおられると思われますが、日本で最初 基本に忠実に、信念を曲げずに生き抜くことは、 に国産ウイスキーを製造した技術者で、ニッカウ 相当な覚悟、忍耐、努力が必要だと思います。自 ヰスキーの創業者です。 伝「ウイスキーと私」の中に「ウイスキー作りに 45 精進できたのは、皆さんの協力が運命の扉を次々 リンゴ果汁 100%の「りんごのほっぺ」を飲むこ と開けていって、おのずと私をこの道一本に導い とができますので、北海道においでの際にはぜひ、 てくれた」とありますが、本人の努力と情熱があ お立ち寄り下さい。 るからこそであり、我々技術屋が理想とする姿だ と思いました。 ■5.ニッカウイスキー余市工場 余市町は札幌市から車で1時間15分の積丹(シ ャコタン)半島付け根に位置する人口約 21,000 人 余市町 の町です。私の妻の出身地でもあり、思い入れの 深い大好きな町の1つです。 余市工場は JR 余市駅から徒歩3分の所にあり、 工場見学はもちろん、ウィスキー博物館では、こ こで書く事のできなかった、さまざまな資料を見 学でき、最後に試飲会場で芳醇なウイスキーや、 写真− 1 余市工場正面 写真− 2「石炭直火蒸溜」 創業当時からの変わらぬ手法で、火をゆっくりと焚き、ゆ っくりと蒸溜します。熟練職人が長年の経験を元に石炭を くべ続けます。 今となっては世界でもまれな蒸留方法ですが、竹鶴の意思 が現在も受け継がれています。 46 図- 2 余市町位置図 写真− 3 貯蔵庫 オーク材の樽に詰めて熟成を待ちますが、上段と下段の違 いだけで、でき方に違いができるそうです。 写真− 4 試飲会場 工場見学を終えた人達で賑わう試飲会場です。 数年前には、救急車で運ばれて行く人も見たことがあります。