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中学校社会科公民的分野における法教育実践 ―裁判員裁判授業を

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中学校社会科公民的分野における法教育実践 ―裁判員裁判授業を
中学校社会科公民的分野における法教育実践
-裁判員裁判授業を手がかりにして-
社会科教育専修
阿
部
修教-09-019
直
哉
1.問題の所在
社会科の最終的な目標は,「公民的資質」の基礎を養うことにある。しかし,筆者は,
「社会科は暗記教科である」と思っている生徒や「自ら社会の動きに興味・関心をもてな
い」生徒,「自分の頭で考えようとしない」生徒が増えてきていることに危機感を覚えて
おり,十分な「公民的資質」が養われているとは言い難いと考える。ここに,知識偏重に
陥った受動的な生徒を生み出し続けている,現在の中学校社会科教育,ひいては生徒指導
を含めた学校教育全体の問題が現れている。
しかし,生徒の「公民的資質」の育成を考えた場合,2009年5月21日から「裁判員裁判 」
が始まったことは,中学校社会科公民的分野教育あるいは「法教育」にとって,大きな意
義をもつ。なぜならば,「裁判員裁判」が実際に始まった状況下においては,もはや中学
生といえども,裁判を全く自分とは無関係な他人事と考えることはできないからである。
社会の大きな変革に対して,これからの時代を生きる生徒一人一人に,法や司法制度に関
しての理解を深めさせ,「公民的資質」の育成を図る必要性がある。新学習指導要領中学
校社会編における公民的分野の内容,(3)「私たちと政治」,イ「民主政治と政治参加」
の取り扱いにおいても,国民が刑事裁判に参加する「裁判員裁判」の重要性が述べられて
いる。
2.研究の目的と方法
本研究の目的は,「法教育」を通した「公民的資質」の育成のための授業提示である。
その際,新学習指導要領社会編でも取りあげられることになった,司法単元における「裁
判員裁判」をアプローチ手段にする。法教育研究会は,「ルール」,「私法」,「憲法」,「司
法」を学校教育で目指すべき法教育分野としている。筆者は,特に「司法」における「刑
事裁判」の進め方に注目し,その論理的手続を経ることが,「法的な知識」の習得 ,「法
的思考や技能」の習得,「法や法の基礎にある価値にしたがって行動する態度」の育成に
つながると考える。
研究の方法の手順として,はじめに,「法教育」の社会的・教育的要請に基づき,その
意義と価値を検討する。そして,「裁判員裁判」の効果と課題について分析し,実際に行
われた裁判員裁判施行1年目の包括的な成果と課題に関する批判的検討を行う。また,裁
判員には,「刑法・刑事裁判手続きに関する法律的素養」が必要であることを指摘し,最
終的には,裁判員裁判を手がかりにした,新たな法教育授業実践を行い,本研究の目的を
達成する。
「法教育」に関する研究や実践では,「法理念」,「憲法」,「人権」に関しては多数行わ
-1-
れている。しかしながら,「裁判員裁判」を取りあげた研究実践は緒に就いたばかりであ
る。もちろん,筆者の研究や実践も含めて,
「裁判所見学」,
「裁判傍聴」,
「模擬裁判 」,
「裁
判員裁判のしくみ」,「裁判員として評議・評決,量刑判断」を行う研究や実践は行われ
ている。しかし ,「裁判所見学 」,「裁判傍聴 」,「模擬裁判」における生徒の感想は ,「よ
い体験ができた」という,ゴールとしての感動体験の段階にとどまっており,「裁判員と
しての評議・評決,量刑判断」における生徒の議論も,
「刑事裁判のルールに則った議論 」
ではない,単に「犯罪になると思う 」,「犯罪にならないと思う」,「有罪だと思う 」,「無
罪だと思う 」,「懲役何年だと思う」などと,生徒が根拠のない自分の直感のみにしたが
って評議し評決を下す,「感覚的な議論」に陥ってしまっている場面が多く見られる。こ
れは,裁判員として評議や評決を行う際に,何にしたがってどう判断すればよいのかとい
う基準が欠けているからである。そこには,「刑法・刑事裁判の手続き」である ,「無罪
推定の原則 」,「疑わしきは被告人の利益に 」,「検察官の挙証責任 」,「犯罪が成立するた
めの要件」として「構成要件該当性・違法性・有責性」を考える必要性があるということ
などが十分に取り入れられていないのである。
3.法教育授業実践の実際
筆者は,2005年から,様々な内容やアプローチ手段のある「法教育」において,「刑事
裁判」である「裁判員裁判」に注目し,試行錯誤を重ねながら様々な授業実践を積み重ね
てきた。その結果,「刑法・刑事裁判手続き」の基礎知識をしっかりとおさえたうえで,
法的なものの考え方にしたがった評議・評決を行うことにより,「法的リテラシー」の育
成を図ることが必要であるとの考えに至った。そこで,今までの法教育授業実践を基盤に
しながら,「裁判員裁判」を活用した新たな授業を構築し実践を行った。授業実践は,以
下の6段階で構築・実践した。
(1)司法(裁判)制度の理解
(2)裁判所体験
(3)模擬裁判体験
(4)裁判員制度の基礎的理解
(5)刑法・刑事裁判手続きの基礎的理解
(6)刑法・刑事裁判手続きに基づいた裁判員体験
以下に,(5)(
・ 6)段階の授業実践について述べる。
(5)刑法・刑事裁判手続きの基礎的理解
筆者は,裁判員にとって,あるいは将来裁判員を務める可能性のある生徒にとって ,
「刑
法・刑事裁判手続き」の基礎的理解が絶対に必要であると考える。裁判員にとって,法律
的素養が何も無い状態で犯罪の具体的事案について考えることは困難を極める 。
ましてや ,
「裁判員裁判」が実際に死刑を含む刑罰を科すことになることを考慮すれば ,基礎的な「刑
法に関する法律的素養」を身に付けることは,裁判員にとって職務を遂行するうえでの必
須条件となることは容易に想像できる。
裁判員となる国民や将来の裁判員となる生徒には,「刑法とは何か」,「犯罪とは何か」,
「犯罪はどのような条件で成立するのか」あるいは「成立しないのか」,「刑罰とは何か」
などという基礎的な「刑法に関する法律的素養」を理解しておくことが当然のこととして
-2-
求められるのである。「刑法」は「総論」と「各論」,六法においては「第一編・総則」
と「第二編・罪」によって構成されている。特に「総論 」「
・ 総則」に関する基礎的素養
は必須であると考える。刑法や犯罪について考えることは,単に事実に条文を当てはめる
作業ではなく,法的論理にしたがって考える知的な営みであると言える 。授業においては ,
弁護士のアドバイスを仰ぎながら ,「刑法総論」における,「犯罪と刑罰 」,「犯罪が成立
する条件」,「犯罪が成立しない条件」などに関する基礎的な内容を取り扱った。
(6).刑法・刑事裁判手続きに基づいた裁判員体験
「刑法・刑事裁判手続き」の基礎的理解をふまえたうえで,事例を通した裁判員体験を
授業で実践した。事例は,最高裁判所が制作した裁判員制度広報用映画「審理」を活用し
た。なお,生徒が先入観をもたないように,法廷の審理場面のみを見せ,評議や評決,判
決宣告の場面は見せなかった。評議・評決においては,1グループあたり6~7人で構成
されるグループを6グループ編成し,議論させた。評議は,「刑法・刑事裁判手続き」に
沿って,以下の3段階で行った。
第1段階
事実認定
○心証形成(法廷審理の証拠や証言からどう感じたか)
○犯罪が成立するには(構成要件該当性・違法性・有責性)
1.構成要件該当性
殺人罪の構成要件に該当するのか
(1)犯人の行為(実行行為)
(2)被害としての結果
(3)犯人の行為によって結果がもたらされたこと(行為と結果の間の因果関係)
(4)犯人の犯罪意思(結果を生じさせようとする意思)
2.違法性(法律に違反した行為であるのか)
3.有責性(行為を非難できるのか)
第2段階
法令の適用
第3段階
刑の量定
以上の評議の結果,評決を行った。
4.成果と今後の取り組み
実際の授業実践において,法廷審理を経ただけの段階での生徒の心証形成は様々であっ
た。「有罪」,「無罪」,「被告人に非がある 」,「被害者にも落ち度がある」など,生徒一人
一人が自分なりの感じ方をしていた。検察側の主張や求刑,弁護側の主張に大きく影響を
受けたり,被害者遺族の証言に同情,あるいは逆に反発する生徒もいた。心証形成は個人
的なものなので,この段階で様々な感情や考えが出てくるのは自然なことである。
その後の ,「無罪推定の原則 」,「検察官の挙証責任 」,「疑わしきは被告人の利益に 」,
犯罪が成立するためには,「構成要件該当性・違法性・有責性」の各条件を満たすことが
必要であるといった,「刑法・刑事裁判手続き」を考慮した評議では,筆者の過去の授業
実践に見られたような「感覚的な話し合い」とは全く違った話し合いが進められた。「事
実認定」の段階では,「構成要件該当性・違法性・有責性」について,論理的思考に基づ
きながら個人やグループで十分に意見を出し合い,議論が行われた。「法令の適用」の段
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階では,どの法令をどう解釈し適用するのかが議論された。「刑の量定」の段階では,事
件の性質や内容,法定刑の幅の広さなどを十分に考慮しながら,減軽や執行猶予も含めて
様々な意見を出し合い,議論がかわされた。そして,生徒一人一人の考えを段階的に整理
・統合していき,最終的にグループとしての判断を下すに至った。
また,「法廷審理の第一心証 」(有罪24人,無罪13人)と「刑法・刑事裁判手続き」
を取り入れた判断(有罪31人,無罪6人)を比較した場合,有罪が7人増,無罪が7人
減となり,無罪から有罪へと生徒の判断が変容していることが分かる。判断が変化した生
徒が13人いたが,無罪から有罪に変化した生徒が10人,有罪から無罪に変化した生徒
が3人であり,無罪から有罪へと生徒の判断が変容していることが分かる。判断に変化が
なかった生徒は24人いたが,有罪のままが21人,無罪のままが3人となっており,最
初に有罪と判断した生徒は,その後も有罪と判断する傾向が高い。「刑法・刑事裁判手続
き」を取り入れた後は,単なる「直感的・感覚的」な判断ではない,法を活用しながら解
釈する「論理的」な判断を下すことができるようになったと考えられる。問題の所在を明
らかにし,解決策を考え,議論しながらお互いの考えを整理していく ,
「法的リテラシー 」
が身に付いてきたと考えられる。
紛争が生じた場合に問題点や争点を明確にし,解決策を考え,相手を説得する「法的リ
テラシー」を備えた将来の裁判員の育成のためにも,「刑法・刑事裁判手続き」に基づい
た「裁判員裁判」に関する授業を行う必要性と有効性が確かめられた 。法教育においては ,
司法制度や法律の条文を覚えるだけの知識習得型の学習にとどまることはできない。「刑
事裁判の基本原則の理解」,「様々な資料を分析することができる資料活用型の学習」,「法
を解釈・活用することができる思考・判断型の学習 」,「他者と議論し,自らの意見を主
張しながら相手を説得し納得させる,あるいは相手の意見を取り入れてお互いの合意形成
を図り結論を導くことのできる言語力育成型・意思決定型の学習 」,「公共的な事柄につ
いて自ら積極的に参加していこうとする社会参画型・体験型の学習」が求められる。この
ような,法を活用して問題解決を図る力である「法的リテラシー」,広い意味での「公民
的資質」が,今後益々必要とされると考えられる。これらのことから,筆者は,法教育を
通して公民として必要とされる様々な力の育成が図られるものと考える。法教育は,社会
の変化に主体的に対応することのできる「公民的資質の基礎を養う」ための有効な教育内
容であり,生徒が身に付けることのできる力は多岐にわたるものと考える。今後も更なる
法教育の展開が必要とされる。
今後は,さらに様々な事例を取りあげて考えさせたい。特に,死刑判断を迫られる事例
における「永山基準」の適用について考えさせたい。また,職業裁判官は遺族感情など情
状に関する証拠を除外して有罪かどうかを決める訓練ができている。しかし,裁判員の場
合は,遺族の訴えなどの情状面の証拠が事実認定に影響を与える可能性が指摘されている 。
裁判員裁判においては,伊東が,大学生130人を対象に殺人事件を題材に有罪・無罪を判
断してもらう調査を実施している。被害者遺族の陳述を聞いた人で有罪と判断した割合が
71%だったのに対し,聞かなかった人では46%となっており,明らかな影響があることを
を確認している。感情が裁判員としての生徒に与える影響についても考察したい。
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