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『作文メモ』
まいど! ながたです。
今回は(またも?)「文章作品を作る時にすこし考
えること」をまとめてみました。
また「文章作品」とはモタモタした言い方ですが、
「小説」と言うと僕は随筆や脚本も書きますし、「文
章」だとビジネス文書や論文まで射程に入ってしまい
ます。さらに「文学」だと偉そうですし「文芸」って
ほど芸も無く、「書き物」はちょっと斜めに構えすぎ
2
で……とにかく、「文章をいくつか並べることで自分
の想いを表現したり、誰かを楽しませたいと思ったり
して作られたもの」、これらを作る時に少しだけ「ツ
ボ」のようなものがあるっぽい、それを自分メモとし
てまとめて、ついでにお知らせしよう、というのが今
作の主旨です。
一応「文章作品」が対象ですが、文章に関わらずお
そらく「表現作品」一般、(絵画、音楽、演劇などな
ど)に通じることではないか、と勝手に思っています。
もちろん言うまでもありませんが「僕の」考えたこ
とですので、全人類に当てはまるとも思いません。足
3
りないところ過剰なところはぜひご自身でチューニン
グを。
ではでは、さっそく始めましょう。
4
【もくじ】
■ 1 三つの視点
■ 2 フィジカル
■ 3 ロジック
【コラム】「小説入門」の不毛
■4 クラシック・モダン・ハイブリッド
■5 欺瞞とその予防
■6 ステルス
■7 読者側・完成度から考える
■8 まとめ
5
■1
三つの視点
作るからには「いい作品」にしたいわけですが、で
はそもそも、「いい作品」ってなんでしょう?
僕はある作品を「いい」と評価するのに、三つの視
点があると思います。
一、自分が納得
二、読者が喜ぶ
三、完成度が高い
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言い方を換えれば「好きな作品」か「ウケる作品」
か「評価される作品」か。
でも残念なことに、これらが一致するとは限りませ
ん。
鯖を手に入れたとしましょう。
あなたは塩を振って焼き魚が大好物、しかし世間で
は「鯖は味噌煮込みだろう」という意見が多勢、でも
この鯖よく見ればとても新鮮なので、料理人魂が「き
ずしにしたいな」と囁きました。
「三つに分けて三皿作る」というトンチ解答もOKで
7
すが、今は一皿とします。
さて、どうしますか。
僕は端的に「一、自分が納得」を優先すべきだと思
います。
理由は簡単で、「サステナブルなのは(持続可能性
があるのは)それだけだから」です。
結局、人間は「嫌なこと」や「やりたくないこと」
は長続きしません。ですから、いかに二の方向でお金
が手に入っても、三の作戦で名誉が手に入っても、そ
8
れが自分の本性(ナチュラル)から遠い所業ですと、
いつか辛くなって止めます。
止められればまだよくて、下手にプロになってヒッ
トでもしていようものなら、「やりたいことではない
ことをしている」という重い抑圧から、何か犯罪をや
らかしてしまうかもしれません。いや本当に。
各界の長く一線に居る先輩諸氏に聞いても、
「納得のいく仕事をしなさい」
とアドバイスされます。そしてまた、
「ウケを狙った奴は間違いなく消える」
とも。
9
もう少し細かく言えば、二はつまるところ「他人
事」ですのでいくら考えても「本当にそうかどうか」
はわかりません。また仮に、今現在のトレンドをバッ
チリ把握できたとしても、新しい市場がいきなり立ち
上がって、完成した時には既に時代遅れになっている
かもしれません。
三も同様に、「完成度」というのは確かに人気に比
べればある程度普遍性や継続性のある物差しではあり
ますが、やはり他人の物差しですし、時代によっても
変化してしまいます。
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またちょっと消極的なことを考えれば、二や三に基
いて(基づいたつもりになって)、当たればお金や名
誉が手に入るかもしれませんが、しかし外れれば、徒
労以外なにも残りません。
でも一に基づけば、最低限、棺桶まで持っていける
「自分の納得」は確実に手に入ります。お金や名誉は
浮き沈みのあるものですが、納得つまり思い出は、自
分と、そして少数かもしれませんが支持してくれた読
者の中にずっと残ります。
せっかく「作品づくり」という楽しいことをするの
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でしたら、あとから自分や読者の、記録や記憶を無く
したく思うようなことは、しないに越したことはない、
と思います。
もちろん、二も三も否定するのではなく、一に相反
しない限りどんどん狙っていっていいと思います。
「読んでもらわないと始まらない」
「レベルが低すぎると感動とかなんとかの前に読めた
もんじゃない」
のも事実です。
鯖の例でしたら、「鯖のパプア・ニューギニア風南
12
国フルーツ煮込み」と言われてもなかなか手を出しに
くいものですし、クッチャクチャの刺し身が醤油とわ
さびの海に浮かべて出されても辛い。あくまで優先順
位の問題です。
ここではまず、
★「自分が納得」いくものを作ろう
と評価軸を定めました。このものさしをいつも当てて
外れてないか確認しつつ、進めていきましょう。
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■2
フィジカル
さて、具体的に作っていくにあたって、必要な要素
の確認をします。
僕は作品作りにはフィジカル(物理的)な面と、ロ
ジカル(論理的)な面とがある、と考えています。料
理でいえば「包丁さばき」と「レシピ」です。
本当は両者には簡単には切り離せない密接な関係が
あるのですが、とりあえずわかりやすくするため、分
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けて考えます。下痢でサッカーの試合して負けて、
「今日の戦術」を反省してもしょうがないですよね。
課題抽出には要素の切り分けが大事です。
ではまずは、フィジカルから。
●フィジカルとは
これは一般に「文章力」と呼ばれるものです。作文
技術、構成、文体、言葉の選び方使い方、などなど。
これは究極的には、
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★必要な語を必要な場所に配置する技術
と言えると思います。
文章は、あなた(作者)の頭の中のイメージを、相
手(読者)の頭の中に再構築してもらうため駆使する
記号の塊です。あなたが思ったようなイメージが読者
の頭のなかに浮かべば、それが「いい文章」であり、
それが頻繁に、スムーズに起きる文章のことを、「巧
い文章」と言います。
もうすこし一般的に言えば、
「目の前に情景が見えてくるような」
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ものがいい文章です。もちろんその情景が何の関係も
無いものではなく、作品の中に位置づけられるもの、
作者の意図したもの、であることが大事ですが。
こう定義するとお気づきになると思いますが、これ
は実は、
★誰にでもできる
ことなのです。
文字を習い始めた幼きあの日、耳にタコが出来るほ
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ど言われませんでしたか、
「キレイな字を書かなくていい。ていねいな字を書
け」
と。文字は記号です。その文字が「あ」であることさ
え分かれば、用を足せます。
同じことです。注意深く、丁寧にやりさえすれば、
「自分の頭の中にあるものをできるだけ人にわかりや
すそうな記号にして記す」
という行為は、確実にできます。(慣れないうちは時
間は掛かりますが)
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「いい文章」の要素として「シンプルである」とか
「リズムがいい」「読みやすい」などがよく挙げられ
ると思いますが、それらはつまり、
「そうしたから『いい文章』になった」
のではなく、
「『いい文章』とはそういうもの」
なのです。
作者のイメージがパッパッパッと伝わる(湧いてく
る)わけですから、シンプルに感じるしリズミカルだ
し読みやすいのです。
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「文章の巧い人」とは、それをほとんどオートマチッ
クにできるように自分の身体をマシーン化した人達な
のです。ですから効率・速度は何倍、何十倍も高いの
ですが、やっていることの基本はまったく同じです。
編み物あたりの素人・玄人をイメージしていただくと
わかりやすいでしょうか。最終的には多少不格好で時
間は数倍かかっても、同じようなものができる。
華やかな言葉や自分では到底思いつかない美しい言
い回し、そんなものできない、とお思いでしょうか。
確かにその辺はセンスです。
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できないものはできません。
できるようになるためには、師と仰ぐ人を(勝手
に)見つけてコピーすれば似たことができるようには
なるかもしれません。
でも、そんなことをするより遥かに大切なことは、
しつこくくりかえしますが、
・自分のイメージを確実に伝える
言葉を選んで並べる、これです。
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習字、文字そのものと同じで、文章も「美しさ」を
追い始めると果てしない修行が待っています。もちろ
ん追って悪いものではないのですが、それは本筋では
ない。
「洗練」を追うととてもお金(手間・時間)が掛かり
ます。逆に言えば、「洗練」さえ諦めれば素人でもか
なり戦える。
僕がホームベーカリーで焼くパンは自画自賛ですが
かなり美味しいです。それはお店の「洗練」、低コス
ト・安定品質・いつでもある、を捨ててその分をいい
材料に回したりできるから、です。
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●訓練
さて話を戻しまして、ではこの誰にでもできる「必
要な語を必要な場所に配置する」をプロばりに高速・
高効率に行うためにはどんな訓練が必要か、といいま
すと、ここに悲しいかな王道は無いのです。
実践あるのみ。
「心に浮かぶよしなしごとをそこはかとなく書きつ
く」りまくる、しかないのです。
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「一万時間の法則」という仮説があって、人が何かに
習熟して一流になるのはだいたい一万時間だそうです。
毎日八時間で三年五ヶ月。「石の上にも三年」ですと
か「仕事はせめて三年やれ」の根拠がこのへんにあり
そうですね。
世の中にどんなジャンルでもそういう「必勝方法
論」がほぼ存在しない理由はたぶんここにあって、
「なんかあるはずだ」と強烈に思うような人はつまり
「巧くなりたい」という情熱がある人で、それはつま
り熱心に練習を繰り返してる人で、気がつけば、腕が
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あがってるんです。
練習の際は、できれば読者が想定できる媒体、同人
誌でもブログでもSNSでもいいのですが、で書くの
がいいと思います。読者からの反応・ツッコミも期待
できなくはないですが、それよりもオープンスペース
の方が自分自身も他人の目になって文章をチェックし
やすいからです。日記帳なんかですとどうしても甘く
なりがちですので。でもこれも必須ではありません。
その際の内容ですが、これは何でもいいと思います。
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書の訓練では、書きたいものでもなんでもないものを
バリバリ書きますでしょう、「初日の出」とか「ダメ
人間」とか。あれと同じです。
書いてて気分の悪くなるようなものを書く必要はあ
りませんが、友だちとダベるようなちょっとした話題
でも、自分のイメージを膨らませ、書き写し、伝わる
かどうかチェックする、という文章の練習にはなりま
す。意外と書いてるうちに盛り上がってきたりするも
のです。
「上手くなるまで歌わない」という歌手は居ないと思
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います。書きまくるしかありません。
●直感がだいじ
フィジカルには限界があります。全員が無限に強力
になって「技、神にいる」とまではいきません。物理
的なものですからね。百万人に一人、百年に一人の超
天才ならありうるかもしれませんが、イチローだって
四割さえ打てないわけです。
作品づくりにおいては基本的に「どこかで固まる」
と考えたほうが良く、それを「作風」と言います。
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固まる時期はマチマチで、人気のあるマンガ家さん
のデビュー前後をあとから見ますと、週刊連載だと
(状況が過酷だからか)二~三年もあれば固まるよう
に思います。逆に画家の熊谷守一氏は七〇歳前後にな
ってシンプルな線と色の表現が確立しています。
なので焦らない。
もちろん作品はフィジカルだけではなく後述します
ロジックの部分がありますので、「カタチ」が決まっ
たからといってそれで終わりでも伸びなくなるわけで
もありません。
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それでもフィジカル面で物足りない感じがする、つ
まり行き詰まったら、
・全然違ったことやってみる
のがいいでしょう。不満がフィジカル起因かそうでな
いかを切り分けるのです。違うやり方でまだイマイチ
なら、問題はフィジカルではなくロジックの方です。
稀に全く違う複数の作風をポンポン渡り歩ける天才
がいますが、それはもうピカソとかマイルス・デイビ
29
スのレベルですので、私たちには多分関係無いです。
なにはともあれ、
・自分がやりやすい感じ
をやりながら手探りで探っていく。日本人は「苦労」
とか「苦手克服」が大好きですのでついつい、「どこ
かにある正解を探し求める」ような精神構造で自分の
手を縛り上げてしまいがちですが、それはあまりよく
ありません。
「自分の中にあるものを素直に出す」のがどれくらい
30
できるか、が本当の勝負です。自分ナチュラルの姿、
姿勢、感じ方、考え方。そのためには、緊張を解くの
が大切。だから「頑張っている」時点で少し横道に逸
れている可能性すらありますね。
「楽しくて寝食を忘れる」ようなのがベストなので、
強引に進もうとしたり、また事前の計画通り運ぼうと
したり、そういう無理をなるべく減らす、直感を妨げ
ない、そんなことに気をつけたいところです。
フィジカルは前述のように割と簡単に(自分の)天
井にブチ当たって飽和しますし、そもそも必要とされ
31
る技術は書こうとする内容=ロジックに依存するので、
あまり深刻に悩まなくてもいい、と思います。
包丁さばきだと思ってください。
一分間にキャベツを何個も千切りにする必要はない
し、鱧の骨切りを一ミリにいくつ入れるかとか、そん
なんどうでもいいんです。
切れりゃいいんですよ。
●構成
小説でも脚本でも、「起承転結」「序破急」などの
32
組み立て方、つまり「構成」をやかましく言う書物は
たくさんあります。
ですが、これも料理に例えるとわかりやすいかと思
いますが、フレンチでも懐石でも、確かにオーソドッ
クスなメニューの流れや組み合わせはあります。しか
し、それらは長年の経験で得られた「問題のないカタ
チ」に過ぎず、それらに則って作ったからといって美
味しさが保証されるわけではありません。
同様に「一旦解決されたと見せかけてひっくり返
す」「このへんで色恋沙汰を挟む」のような組み立て
方にいくら凝っても、本質的なおもしろさにはつなが
33
らない、と僕は考えています。つまり必要以上に綿密
な設計図は必要ない。
ではどうするか、といいますと、
・まず書き始めて
・徐々にできあがる現物を観て沸いたアイデアやイン
スピレーションを膨らませて
・どんどん筋書きを変えていく
いうなれば「ライト&フィードバック」。
34
そもそも料理であっても、良いシェフならばその日
のナイス食材、天候気温湿度、お客さんの雰囲気・反
応などなど、その場に応じて臨機応変に「構成」を決
めていくはずです。
作文もこうでなくては。
実際問題、「設計図の大切さ」はよく言われるので
すが、僕が現実に知る範囲、あるいは一線の作家・脚
本家がポロリと漏らす「仕事の流儀」を聞き及ぶに、
どうも「プロットガッチリ」なタイプはむしろ珍しい
と思います。だいたいの方が「書いてみんとわから
35
ん」みたいなことをおっしゃいます。
(仕事の流れ上、企画を通すのに細かめのプロットを
上げさせられることはよくあるのですが、プレゼン用
と本番は全然違うこともしばしばです。またそれが問
題視されることも(結果としておもしろければ)あん
まりありません)
もちろんそういうものがある方が安心して力が発揮
できるタイプの方もおられましょうから、「作るな」
とは言いませんが、無くてもいいんじゃないかな、と
思います。
36
■3
ロジック
さて包丁さばきのことはだいたいわかったとして、
次はいよいよレシピについて。
ロジック面、まずはその根本、「何を作るか」。
それは「なんでもお好きなものを」で決まり、なの
ですが、はじめはそれこそが一番難しい。ですので、
取っ掛かりを考えましょう。
まずメインディッシュを決めるんです。材料と、料
理法を考える。例えば「肉を」「焼く」。それが、
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★谷と山を持たせる
です。
あたりまえの物事があたりまえに進みますと、それ
は「あたりまえ」であって、「ドラマ」は生じません。
人が思わず注意を払ってしまうのは、「なにか変わっ
たこと」が起きてるポイント、つまりギャップです。
ギャップが生じるのは、山と谷があるところ。
なので逆に言うと、ギャップを生じさせようとすれ
ば、山と谷を設定すればよい、ということになります。
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人間(登場人物)の視点で言い換えれば、
・突き落とされて+這い上がる
これが基本です。
『水戸黄門』を例に取れば、
(谷)悪代官が悪さをして民々が困って
(山)黄門様登場、成敗!
と、これだけのことです。
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複雑に見える作品も、要はこれを何段も連ねて設定
していたり(上手くいきそうになっては覆される・連
続ドラマなどに多い)大山の中に小山が出現するよう
な入れ子構造だったり、二つ三つの山谷が並走してい
たり、してるだけです。
最近多い、いわゆる「日常系」でも、フラットに見
えてそこには小さな事件、谷(ボケ)と山(ツッコ
ミ)が生じています。些細なことなので盛り上がって
ないように見えるだけで、人が床のコードで蹴躓きま
すように、山谷は「ギャップであること」そのものが
問題なのであって、高さの差は問いません。
40
MLBの伝説的クローザー、マリアノ・リベラの必
殺カットボールはボール半個しか動かないんです。で
もバットの芯外されて凡打になる。そんな感じ。
さらに見ますと、
★谷とは「厄災」
です。司馬遼太郎先生は「万力」と表現されるのです
が、どういう「厄災」がキャラに降りかかるか、その
厄災をまず決めてしまいます。
41
・バルチック艦隊がやってくる
・シシ神様に呪いをかけられる
・「こころの大樹」を救って欲しい
なんでもいいんです。ミステリではだいたい殺人事
件が起きますよね。あれが厄災です。それによって締
めあげられた名探偵や容疑者たちがどうやってもがく
か、ここにドラマが発生します。ファンタジー系でな
くても、突拍子もないものでもかまいませんよ。
42
・同級生の女の子が部屋に転がり込んでくる
ほら妄想が湧いてくる。
では、逆の「山」は何かというと、
★山は「解決」
です。別の言い方をすればクライマックス、「盛り上
がり方」、作者から見て「盛り上げ方」のことです。
「解決」という言葉がハッピーエンドのみを指す感じ
がするなら、「破壊」でもいいですね。締め上げる万
43
力を破壊する。凝縮と発散、緊張と緩和。
こちらもお好きな様に考えればよろしい。
・空前絶後のワンサイドゲーム
・山の神様大暴走
・地球サイズの最終形態で愛で包む
これだけ取り出して観るとアホみたいなネタですが、
しかし元作品(それぞれ『坂の上の雲』『もののけ
姫』『ハートキャッチプリキュア』)をご覧になれば
感動の名シーンでしょう。それはしっかり設定された
44
「谷」と、そこでもがく人々の生命力溢れる姿が力強
く活写されているから、です。
山は谷のためにあり谷は山のためにある。
こうして分けて考えると、簡単でしょ?
・厄災はなにか
・解決方法はどうか
要はこの二点。
いくつも山谷を華やかに組み込む凝った設計はいず
45
れ力量がついてからにして、とりあえずはまず、ひと
つ山ひとつ谷、しっかり決めて描く、とよいと思いま
す。
この山谷のセットのことを「テーマ」と呼びます。
で、テーマが決まってると、「作品」として成立し
ます。
なぜかといいますと、この「山と谷」の「構造その
もの」が「ドラマ」ですので、普遍性がある、つまり
「誰がいつ観てもドラマ」になるんです。もちろんデ
ィテールの巧拙はありますが。
46
小学生が学芸会で「ももたろう」を演じても大人が
観ていられるのは、「観客が子どもたちの縁者だか
ら」ではなくて、「『ももたろう』がドラマだから」
なのです。
「テーマ」と申しますと「愛」とか「人間賛歌」とか
そういう「概念」を思い浮かべるかもしれません。し
かし「概念」(≒イデオロギー)を直接描くのは、実
はかなり難しい。山谷によって生じる動きや対比で表
現する方が簡単なのです。
ロミオとジュリエットをイチャイチャさせ続けても
47
なかなか「愛」は表現できませんが、幾多の妨害と生
死を超えて共に想い合う行動が描かれると、「愛」と
いう言葉が作品中ただの一度も使われなくても、人は
そこにそれを感じるのです。
と、こうしてメインが決まれば、あとは副菜にサラ
ダとかスープとか、ご飯の炊き方とかお酒の種類とか、
そのへんはもうお好みで。多少ムチャしてもちゃんと
「作品」になりますよ。
●まとめ
48
さあここまでをとりあえずまとめますと、作品作り
とは
・厄災はなにか
・解決方法はどうか
つまりテーマをお好みで設定して、
・必要な語を必要な場所に配置する
49
ことに注意して丁寧に書く。そして、
・自分が納得する
まで書き直すと……
できあがり!
カンタンでしょ?
そうなんです、とってもシンプルなことなんですよ。
でもシンプルだからこそ、無限の可能性がある。
「厄災」は作者ごとに違います。この世界の終わりか
50
ら、おかんの小言まで。「解決」もまた違います。次
元ごと未知の力の発動で消去することから、おかんの
大切なキヨシ君歌謡ショーの録画の消去まで。
つまりは「作品づくり」とは「自分さぐり」でもあ
ります。
あら、オレ、こんなこと考えていたのかしら。
「本当に美味しいごちそう」に出会うまで、それを知
らないように。
普段の自分から思いもよらない厄災と解決が噴出す
る時、そこに素晴らしいカタルシスがあって、それは
読者にも伝わります。高度経済成長期に健さんの任侠
51
映画や裕次郎のアクション、植木等の無責任男が大人
気を博したのも、締め付け厳しい日常をブッ壊す、そ
の快感がたまらなかったのでしょう。
またこれほど科学が発達し豊かなこの時代でも、フ
ァンタジーやSF、戦争物・パニック物・極限物が好
まれるのは、むしろこういう時代だからこそ、厄災と
解決のコントラストがハッキリしたものが恋しいのか
もしれません。「こんなもん造り物や」とか「戦争が
見たけりゃニュース見ろよ」というのはお門違いなの
です。観たいのは厄災と解決であって、舞台装置はな
んでもいいのです。
52
ということで、この二点だけを頭に入れて、あとは
地道に実作を繰り返す。言葉の配置の適切さを身につ
ける。厄災と解決もいろんなパターンにトライしてみ
る。と、だんだん「自分の納得する」作品ができてい
って、それは徐々に人々にも受け入れられ、また好事
家が観ても「いいね」と評価されるようになるでしょ
う。
そしてこれは、繰り返しますが、丁寧に着実に行え
ば、時間は掛かるかもしれないしなかなか洗練はされ
53
ないかもしれないけど、「誰にでもできること」なの
です。
54
【コラム】「小説入門」の不毛
ここまでのようなことを、もちろん自分で考えるの
みならず、先人たちの書物もいくらか読み漁りました。
冒頭でも書きましたように、この手の書物は大雑把
に「小説入門」と「文章入門」に分かれます。問題は
「小説入門」の方です。
なかなか「『いい小説』を書く必勝法」がズバッと
書かれているものはありません。結局、「いい小説」
とは「自分の納得する小説」であり、それはつまり自
55
分の内側から湧き出てくるものを表現する他無く、他
者の評や理論とは関係ないものなのです。
ですから、その本質を理解している名手、例えば三
島由紀夫、川端康成、スティーブン・キング……の
「小説入門」はいずれも抽象的で端的にいえば何を言
っているかさっぱりわかりません。自分にしかわから
ない「こんな感じなんだけど」を言語化しようと悪戦
苦闘してる軌跡がそこにあるだけです。ワールドクラ
スの名手を持ってしても不可能なのです。
そうではない、具体的にものすごく細かい決まり
56
事・法則的なものをたくさん書いてくれてある書物も
多々あります。しかしそれはせいぜい、非常に狭い範
囲での「今のところこういうものが良い」というカタ
ログあるいはテンプレート集に過ぎず、こんなもの真
に受けて何か書けば文字通り絵に描いたような「あり
きたり」が出現してがっくりするだけです。
あるいはそういう知識を入れ過ぎると、せっかく湧
いてきた「自分なりの」ものを傷つけたり、弱めてし
まったりするかもしれません。作品づくりにおいては、
無難は死と同じです。というより、「ここは無難に抑
57
えておこう」と思うような箇所は削った方がいい。
一点だけ例外を挙げれば、これはご本人が「何百冊
も読んだけど無いから書いた!」と豪語するだけあっ
て、高橋源一郎先生の『一億三千万人のための小説教
室』だけは、その「自分の中から湧き上がるものを大
切にカタチにしなさい」という点を突いています。こ
れは読む価値があります。
そっくりな状況が「アイデアの出し方」にもありま
す。
58
「アイデア本マニア」に「どれか一冊」と問えばまず
返ってくる答えが名著『アイデアのつくり方』(ジェ
ームス・W・ヤング)だと思いますが、これも書いて
あることは同じ、「アイデアは勝手に湧いてくるので、
準備しっかりしてそれを待つ」。
真実は身も蓋もないものですね。
ただし「文章入門」の方はもう一段物理的なレイヤ
ーの問題ですので、参考になる点もあるかもしれませ
ん。(僕はこちらの方あまりチェックしてないので正
59
直よく知りません)しかし、これもあまりうるさくコ
ダワリすぎてもよくないと思います。わかりにくくて
も読みにくくても、文章作品にとっては「自分はこう
イメージした」文章こそが一番ですから。
60
■ 4 クラシック・モダン・ハイブリッド
さてここから、少しだけややこしい話をします。わ
かりにくければさらりと流してください。でもなにか
引っかかるものがありましたら、ぜひご自分でもいろ
いろ考えてみてください。
僕は現代においては、ロジックの組み方に大きく分
けて三種類あると思います。クラシック、モダン、ハ
イブリッドです。(名前は僕が勝手に付けました)
61
先ほど述べましたように、組み方の基本は「山と
谷」つまり「厄災と解決」を設定することですが、そ
の「厄災」の質が根本的に違うのです。
●クラシック
クラシックは王道です。
中世までの人間と社会(世界)の関わりをイメージ
してください。ここで「厄災」というのはおおよそこ
んな風なものです。
62
・人間であることの矛盾
=どうせ死ぬのに生きている
・社会システムの矛盾
=義理と人情を秤に掛けりゃ義理が下がって
・本物の厄災
=月日は百代の過客にして
つまるところ、「目に見える万力」がギリギリと「人
間」を締め上げ、これに対して主人公たちがそれを何
らかの形で跳ねのけようとする、ここにドラマを見る。
これがクラシックです。
63
ロミオとジュリエットは「家が敵同士」という「自
分たちではどうしようもない万力」に対してなんとか
自分たちの想いを遂げようと苦心惨憺、最後は悲劇に
終わりますが、この、
「万力に対して跳ね除けようと生命の火を燃やす」
ところに感動するのです。
我々は生き物ですから、この技術が発達した現代で
も依然として上述のような万力に日々締め上げられて
おり、古い話であっても当時と同じように心が動きま
す。
64
実作に当たって、こちらを選択するのはオーソドッ
クスで間違いがないのですが、二つ難があります。ま
ず、
・古今の名作が腐るほどあるので、どこをどうやって
も新規性が出しにくい
説明は要らないでしょう、要は「シェイクスピアと
ガチ勝負」ということで、そんなことできるわけがな
い。いかに「自分が納得すればそれでいい」とは言っ
65
ても、「車輪の再発明」ばっかりしていてはいかんと
もしがたいですね。
そしてもう一点はそこから派生して、
・バカにされる
日本人は特に「古典的」というだけでバカにする変
な癖があって、いまこのタイプの古典的ロジック組み
をすると、「なんて古臭い」と言われることは覚悟せ
ねばなりません。
京都あたりを持ち出すまでもなく古くてもいいもの
66
はいい、出た瞬間から投げ売られている不人気スマホ
を持ち出すまでもなく新しくてもガラクタはガラクタ、
「古い新しい」と「良し悪し」には何の関係もない、
と思うのですが、「古い=レベルが低い、と考える人
は意外に多い」ということを頭の片隅に置いておきま
すと、いざ面罵された時に動揺しなくて済むでしょう。
●モダン
次が問題のモダンです。
これは「近代」「現代」の社会の仕組み、つまり民
67
主主義と関係があります。
中世までの社会的な厄災、つまり社会の矛盾という
のは悪い王様とか代官とかが居て、そいつをやっつけ
れば解決する問題でした。つまり自分に責任はない。
ところが近現代の厄災はおおよそ政治の間違いであ
り、それは政治家の間違いであり、その政治家を選ん
だ「わたし」つまり「自分の間違い」なのです。
世界中のどこかで戦争が起きてて日本でだっていつ
起きるかわかりませんが、それらは誰あろう「私」が
積極的であれ消極的であれ、直接的であれ間接的であ
れ支持・黙認・無視した結果起きているもので、人が
68
死ねば自分「も」悪いし人に殺されても自分「も」責
任がある。この構造自体が近現代の最大の「厄災」で
す。つまり、
・世界は狂っているし、それを支持する自分も狂って
いる
直接間接問わずこれを描こうと取り組むのが、モダ
ンです。
モダンの難は、もう言わずもがなかもしれませんが、
まともに書くと大変胸の悪くなる構造で、つまり
69
・そんなもの観たくない
のです。「お前が悪い」と指弾されるわけですから。
ということは「観たくないものを見せる」というアク
ロバットが本質的に必要になる、という困難です。
●ハイブリッド
そうは言っても我々は生まれた時既に民主主義の世
界に放りこまれているわけで、拒否権も選択権も無か
70
った。望んでもいない「自由」「選択」「責任」のこ
の重さたるや! こんな時代に生まれ生きることその
ものが厄災ではないか、という考え方もできます。
この生きづらき社会構造の中でそれでも逞しく生き
る姿を描く、のが、モダンとクラシックの混ざったも
のつまり、ハイブリッドです。
例えば、若者がバイクを盗んで校舎の窓ガラス割っ
て暴れ回る、ような情景を描く(今でもいらっしゃい
ますよね?)。社会の抑圧と包容力の無さが原因なの
ですが、そこには触れず苦しさにのたうつ若者に共感
71
してもらう。実際我々も同じ社会に生きているので、
理解できて共感してしまう。
ここで「こんな社会変えてやる」と市議会議員に立
候補するとモダンになり、救いの手を差し伸べる幼馴
染の女の子でも出て恋バナになればクラシック。
こう書くとこのタイプの作品もわりとあることがお
わかりいただけますでしょうか。
ハイブリッドはモダンと違って自分に対する指弾が
無いので、幾分喰い付き易いです。ただしモダンほど
破壊力が無いのと、クラシックほど安心できない、つ
72
まり中途半端とも言えます。そして後述しますが、
「厄災の中身を問わない」という性質は一歩間違うと
作者の無責任となり、結果、社会的な位置づけ上、作
品そのものが厄災になる可能性が少しあります。
この三者にもちろんのことながら、優劣はありませ
ん。どの問題点が最も重大かは、作者と読者によるか
らです。(そもそも僕が便宜上テキトーに分類してる
だけですし……)
矛盾なんかどこにあっても日々の生活は続くわけで、
目の前で起きる喜怒哀楽をシンプルに描くことの何が
73
悪い、というクラシックの開き直りもそれはそれで正
しい。美味いメシ、温泉、子猫、みんな僕を癒してく
れるじゃないか。
逆に「世界のあらゆる悲劇の原因が、自分の選択も
しくは無関心にある」という事実、これこそが日々を
どんよりと重くしている根本原因であり、ここを指摘
せずに何を吼える、というモダンの意気込みも事実そ
の通りです。造反有理!
いや、システムそのものに噛み付くのは分が悪い、
ともあれ現況の「生きづらさ」をコツコツ描くことで
人に「この辛さってなんだろう?」と疑問を惹起して
74
もらうのが先決だ、というのがハイブリッドになりま
しょうか。
さてあなたなら、どこを狙いますか。
75
■5
欺瞞とその予防
ただ、どちらにせよ、自分がテーマとして描こうと
する「根本的な矛盾」がどこにあるか、これを把握し
ておくに越したことはありません。なぜなら、欺瞞に
陥らなくて済むからです。
ギマンとは何か。
・根本原因から目を逸らすように描かれた作品
76
のことです。例を挙げましょう、
「あるお父さんが若い息子さんを肺ガンで亡くしまし
た」
これだけなら普通の悲劇なのですが、もしお父さん
がヘビースモーカーで家でもなんの気遣いもしてなか
ったとしたら?
たとえばクラシックで行くならその情報は捨てシン
プルに「普通の悲劇」にする。
モダンで行くなら「喫煙の問題」に焦点を当てる。
ハイブリッドなら「過剰な情報を入手してしまう悲
劇」と読み替えますか。
77
ところがこれを、その情報が出しながら「普通の悲
劇」として描くと、混乱が発生します。「原因はあん
たでは?」と理性は疑問を呈するのですが、泣く家族
の姿を読めば感情はもらい泣く。この股裂き状態、こ
れが読者の心身の健康に非常に良くない、いや、ハッ
キリ言えば心にダメージを与えるのです。
のみならず、このダブルバインド(両縛り)状態は
「問題の焦点を外す」効果があり、解決への道筋やア
イデアを潰す可能性さえあります。
そんな大層な?
「肺ガン」を「特攻」、「タバコ」を「選挙権」に置
78
き換えてみてください。結構シリアスな話になります
でしょう。そしてこういう作品、多いですよね。
私達は近代の矛盾も、そこで生じる「矛盾を観ない
ようにする」という抑圧も、無意識では重々承知の上
なのです。だから先述のように、ストレートなクラシ
ックには飽き足らない。といって、モダンやハイブリ
ッドで見せつけられるのもやはりキツイ。そこに言葉
は悪いのですが、つけこむのがこの「ギマン」なので
す。
いや、そもそも作者も読者と同じ社会に居るわけで
79
すから、「観たくない矛盾」があります。それを避け
るように、でも矛盾にはアプローチしなきゃ……的な
気分で描くと、意図しなくても主題と描写がグギッと
捻れた「ギマン」になってしまうのかもしれません。
こういうものにいくら触れても、真正面から問題に
向き合うわけではないので、「当事者感」が発生しま
せん。つまり受け手そのものを変える力はない。
それでいて傷口の周りを弄くるような行為ですから、
痛みは発生して解消されない。するともっと強い「弄
くり」が欲しくなってまた変なギマンを求め彷徨う。
80
依存症です。
この結果、たくさんのギマン作品、作家が必要とさ
れ、多くの人を傷口付近を弄れば大ヒットになってビ
ジネスが回るので作り手以外も群がる。
でも、何も起きない。
読者にも、作者にも、世界にも。
最初に「自分の納得」が大事だ、と言いましたが、
「人が求めるもの」を基準にしてしまいますと、おそ
らく二〇一四年の日本ではこれ、つまりギマンになっ
てしまうような気すらします。
81
ともかくこの欺瞞、知らずにやるのはともかく、知
っててやるのは避けたいところです。
では、ギマンに陥らずしっかり主題を描くには、ど
のあたりに注意すればいいでしょうか。
●ギマンを避ける
まずはクラシックですが、これは解決法がハッキリ
していて、基本的に
・描く領域をグッと制限する
82
といいのではないかと思います。対象を絞る(例・子
供向け)、描く対象を絞る(例・女子高生のゆるい日
常)、ジャンルを絞る(例・ミステリ、ホラー)……
要は「近現代の抱える根本矛盾」に触りようのない世
界だけを取り扱えば、「描いてない」という批判は当
たりません。そして繰り返しますが、これが劣ってた
り意義が薄いわけではないのです。
モダンの場合は難しいです。「見たくないものを見
せる」わけで、高度なテクニックが要求されると思い
83
ます。基本的には、
・隠す
しかなくて、もちろん隠蔽も欺瞞のうちなのでここに
自己矛盾が発生して、だから近現代のマジメな作家は
おかしくなって早死するんです。あるいは隠したり騙
したりするのが大好きな非人格者が増える。この点は、
後ほどもう少し詳しく見ます。
ハイブリッドは基本的に矛盾そのものを問わないの
84
で、何をどう描いてもギマンに陥りにくい、という本
質的優位性があります。のですが、であるからこそ、
メタな視点、ここでは「作品の社会性」というものを
持ち込むと、ちょっと話が変わってきます。
具体的には、例えば、「近隣諸国と政治的緊張が高
まってる時期に全体主義礼賛作品を描く」という行為
は、「作品そのもの」で見れば欺瞞が存在しなくても、
その状況でそういう行為を行う作者は果たして無問題
でしょうか。欺瞞を「本質的問題から目を逸らさしめ
る」作品だと定義するなら、その作品は欺瞞ではない
でしょうか。
85
以上三パターン。ただ、作品とその社会性は分けて
考えるべし、と言われれば二の句はつげません。また、
社会によって作品が、作者の意図とまるで違う解釈を
されることも往々にしてあります。加えて、だいたい
常に「意図」なんてものを強く持って作っているのか、
と問われれば実はそうでもない気もするので、こうい
う問題提起にどれぐらい意味があるのか、と自分でも
この項書いてて怪しいのですが、ともあれつまりは、
まあ、あんまり、人を「引っ掛ける」ような作品は、
志向しないほうがよい、ということです。
86
お客さんて怒ると二度と来てくれませんよ。で、
「怒る」理由はおおよそ、失敗や間違いや低性能では
なく、不誠実なのです。
87
■6
ステルス
さて本筋から少し外れますが、モダン・タイプの
「隠し方」をちょっと見てみましょう。作品鑑賞の際、
そこに「隠された意図」をいろいろ考えるのは楽しい
ものです。名人・達人の作戦を並べてみます。
●1 圧倒的なフィジカルで押す
(マイケル・ジャクソン方式)
88
見たこともない振付とキレのダンス、独特のヴォイ
スから放たれるこれもまた他とは全く違う歌唱。すっ
かり眼と耳を奪われますが、彼の歌詞はこの近現代の
矛盾と呪縛を「直接に」突くものばかりです。『スム
ーズ・クリミナル』では社会を回す機械となり果てた
人間を救急医療の訓練人形(アニー)に例え、『マ
ン・イン・ザ・ミラー』ではもっと直接的に「僕は鏡
の中の男に呼びかける まずは自分から生き方を改め
よう」と語る。
(詳しくは『マイケル・ジャクソンの思想』(安冨
歩)シリーズご参照)
89
歌詞だけ読むと直接的指摘なのですが、曲がつく、
特に動画になると目・耳が奪われて歌詞は全く気にな
らない。しかし事実聴いているわけですから、心の奥
底どこかには必ず届く。
ただし「圧倒的なフィジカル」というのがそもそも
非常に得難く、才能×努力を必要とするものなので、
簡単な作戦ではありません。
● 2 目覚めた人を描く
(司馬遼太郎作戦)
90
矛盾した社会や人間、それによって発生する抑圧を、
直接的に糾弾・指摘することなくできるだけ「そのま
ま」にコツコツ描いて、そこにそれらをブチ壊そうと
格闘する「目覚めた人」を置くことで矛盾を浮き立た
せる。ちょっとハイブリッド風ですね。
人気の高い幕末物でも、実はよく観ると彼らは超人
的な英雄ではなく、「旧来の固陋から自由な人」とし
か描かれていません。失敗もするし間違いもするし、
聖人君子でもない。しかしどう見てもヒーロー。あな
たは、こうでなければならないのではないですか?
91
ただし「自分にはこんなことはできない」あるいは
「龍馬カッコイイ!」で終わってしまう可能性も高い。
このバリエーションに「無垢なる者」を現代社会に
突っ込んでその対比を描くやり方もあります。『裸の
大将放浪記』やジャック・タチ監督の『プレイタイ
ム』など。普段我々があたりまえだと思っていること
がかなり異常もしくは不自然なことである、と「無垢
なる者」は教えてくれます。
92
● 3 マルチミーニング
(後期宮崎駿作戦)
深読みすればいくらでも深読みできるネタを各所に
仕込んで、読者に勝手に考えさせる。
『崖の上のポニョ』は表面的には小さな女の子と男の
子の大冒険ファンタジーですが、ご覧になった方はお
分かりの通り、そんな甘いものではありません。僕は
ポニョは人間の本来持つ生命力、宗介は知性の比喩と
捉え、「どちらが欠けても困る」と観ました。もちろ
ん解釈には正解などありませんが、「解釈の余地があ
93
る」ということが大事です。
しかしながら解釈などしようともしない人は多々い
るので、どんなに巧妙に仕込んでも空振りのおそれは
あります。
●4 二重偽装
(逆「もしドラ」作戦)
通称『もしドラ』、『もし高校野球の女子マネージ
ャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』
94
(岩崎夏海)という作品、あれは一見、
「青春ドラマのフリをした経営論入門」
に見えますが実は、
「『青春ドラマのフリをした経営論入門』のフリをし
た青春ドラマ」
なのです。だから売れた。あれ本当にドラッカーの本
だったらあんなに売れない。
この二重偽装をひっくり返しますと、
「『モダンのフリをしたクラシック』のフリをしたモ
ダン」
95
という作戦は成り立つのではないか、と思います。
これは隠蔽としては恣意的というよりも無意識的で、
さすがにここまで来るとややこし過ぎて伝わらない確
率が上がると思うのですが、こういうやり方もある、
ということで。
──他にも「知らん振りオトボケ作戦」「後は察せ
の寸止め作戦」「逆ギレ芸のフリをして言いたいこと
言う作戦」など、考えられる作戦はいろいろあります。
繰り言ですが基本は、
「他人事ならどんな悲劇でも受け取れる。しかし自分
96
のことならどんな些細な矛盾も抑圧も指摘されたくな
い。でも問題はそこ」
見ていただいたとおり、このパズルはかなり難しい。
モダンに取り組むなら、ここの「作戦」がかなり重要
だと思います。
97
■7
読者側・完成度から考える
さて、ロジックの組み方を考えました。ここで一八
〇度ひっくり返って、読者側の視点に立ってみましょ
う。作者はだいたい自分の作品に甘いものです。違う
目で作品を見直すと、「ここはさすがに直した方が」
という粗も見えます。
また極論から入りますが、読者が欲しがるものはだ
いたい次の三つです。
98
一 ドキドキさせてくれるもの。テーマパーク。
二 気持よくしてくれるもの。温泉。
三 知らないことを教えてくれるもの。カルチャーセ
ンター。
言い換えると
「興奮」「癒やし」「勉強」
です。他はここに収束できるか、あるいは弱いので無
視できる。
ということで、基本はクラシックになると思います。
99
極端に言うと、そういうものしか欲しがってない読
者に「言いたいこと」をムリクリ聞かさしめる、これ
が作者の腕です。
ただし、先ほどから指摘していますように、矛盾と
抑圧による「モヤモヤ」は誰しもが抱えていますので、
「それスカッと解決しますよ」風の物が出てくると読
者は「おっ」と引っかかってしまいます。
そういう風に作ってしまうと欺瞞になってしまいま
すが、真摯に「自分のやりたいこと」と「お客の観た
100
いもの」を両目で睨みながら作りこんだらそうなって
しまった、その可能性はいつもあります。
「欺瞞は良くない」とほんの先ほど言ったばかりです
が、こうなってくると「結果として欺瞞」まで否定し
きれるかと言えば心情的に難しい。
ただそうであったとしても「騙そう」という意志を
持たないことは最低限できるので、
「できもしないことを無理矢理やる」
とか、
「興味もないことを高い技術ででっち上げる」
101
というのは……いやでもしかしそれで読者が悦んだら
それでええやん、と強弁されれば……
このへんはご自身の良心とご相談で。
──さて三つの視点のもう一点、「完成度」の方か
ら考えるのは、現代ではすこし難しいかな、と思いま
す。
まず先述しましたが「いいもの」という物差しがこ
の多様で忙しい社会ではとても定義しにくい上に、万
が一それがあったとしても、それを評価できる人の割
合は極めて小さく、またその影響力はゼロにほぼ等し
102
い。
近年ではいわゆる評論家や媒体は、流れを生みだす
こともできませんし押し止めることもできません。た
だそれに乗っかってその流れから魚を釣り上げている
だけです。
フィールドを非常に小さく区切ると「この人に当て
ればプレゼンスがグッと上がる」というようなジャン
ルや物事も確かにあるでしょうが、それはむしろ例外
的だと思います。
この逸話も好きなのでいつも紹介していますが、辣
腕コピーライター・糸井重里氏が九〇年代なかばに
103
「あもう広告ってダメだ」と思ったのは、
・「いま一番売れてます」が最強のコピー
になったから、だと言います。つまり広告≒メディア
≒評論家など「特定の人々の評価」に「買わせる力」
はもう無いのです。二〇年も前から。いや、実は本質
的にはそういうものであって、メディアが強い力を持
った六〇年代~九〇年代の一世代こそが異常な時期だ
ったのかもしれません。
104
一般的に「評価」というものは絶対的には下しづら
いもので、おおよそデータベースに対する偏差値で相
対的に下されることが多い。と、革命的に新しいもの
やヒット率は低くても熱狂的に支持される個体に対し
ては評価をつけにくい。
で、いま我々は、そういうものをこそ作りたいと考
えている。
もちろんこの環境も変化するかもしれませんが、二
〇一四年の日本ではここを意識する必要はないかな、
と思います。
105
■ 8 まとめ
さて、まとめてみます。
文章作品を作る時にすこし考えること。
・フィジカルとロジックにまず分けて考える。
・フィジカル的には自分のイメージを言葉に置き換え
ていく作業。なので、丁寧にやれば誰にでも必ずでき
る。
・自由自在に高効率にできるようになるまでは三年ぐ
106
らい掛かるが、その程度。
・それが「自分のフィジカル」であって、それ以上と
か以下とか無い。
・ロジック面では基本は谷と山、つまり「矛盾」と
「解決」である。
・この山谷構造そのものを「テーマ」という。
・この構造はさらにクラシック・モダン・ハイブリッ
ドに分けられる。
・クラシックは人間に普遍的な矛盾に立ち向かう作品。
・モダンは近現代の矛盾、つまり「発狂した世界と自
分は自己責任」を指摘する。
107
・そんなもの観たくないので隠蔽する必要があり、そ
の作戦にはいろいろあり、先人に学ぶこと。
・ハイブリッドはこういう世界に生きねばならないこ
とそのものを矛盾として描く。
・いずれにせよ「根本原因から目を逸らすように描か
れた作品」つまりギマンに陥らないように気をつけよ
う。
人間は生きている以上、なんらかの矛盾にぶつかっ
て悩みます。
それが古典的矛盾であれ、近現代的発狂であれ、こ
108
んな時代に生まれた悲劇であれ、なかなか簡単に解決
できるものではありません。まず問題として認識しに
くいし、認識したくないし、もし見据えたとしてもど
んな行動を起こせばいいのかわからないし、行動を起
こしても解決するとも限らないし。抑圧、挫折、絶望。
それでもなんとか折り合いをつけて日々を過ごしてい
くしかない。こうしてあなたの魂は、いまも重い漬物
石に潰されひしゃげて、声にならない悲鳴を上げてい
る。
そこからなんとか逃れようとして、「本」を手に取
109
る。
この時その「本」、つまり文章作品が提供できるこ
とはなんでしょうか。この課題に対する作者それぞれ
の答えこそが、作品そのものです。
また、そうやって「作品をつくる」という行為自体
が、作家にとってその矛盾や抑圧に対して立ち向かう
行動であり、つまり自分自身の救いにもなる。
いろいろ考えてきましたが結局、そうやって作者自
身が一生懸命に「こういう時どうするんだろう」と考
110
えたり感じたり想像したり思い出したりしつつ一言一
言刻みつけていけば、読者はそこに「矛盾多き日々を
生きる」シンパシーを感じて、感動すると思います。
でもこれこそが実は難しい。作者自身も人間ですか
ら、我が身にせよ世界にせよ、降り注ぐ様々な矛盾を
ジッと見つめるのはなかなかの苦行です。
弱くて卑怯で無力な自分。
でもそこでこそ、です。
作品づくりは自由です。
何をやってもいいので、頭お花畑の理想論をブッて
111
もいいし、パンツを脱いで大の字で横たわってもいい。
現実になら到底できないことが、いくらでもできる。
そこにまた読者は、「こんなことできるか!」とか
「こうできたらなぁ……」などなど様々な感情を掻き
立てられて、「ああこの作品に触れてよかった」と思
う、でしょう、きっと。
とどのつまりはちゃぶ台返し、
「自分のやりたいようにやりなはれ」
がこの稿の結論です。
人生はいろいろある。だから・でも・それなら・せ
112
めて、作品の中ぐらい、好きなように生きなはれ。
自分をまず楽しませることもできんような作品が、
他人様を楽しませるなんてできゃしませんよ。
どうぞあなたにとって楽しい作品を。
それをまた、読ませてくださいな。
113
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『作文メモ』
作 者 ながたかずひさ
発行日
■おくづけ
114
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