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数値標高モデルのみによる簡易な洪水氾濫域予測法

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数値標高モデルのみによる簡易な洪水氾濫域予測法
GIS −理論と応用
Theory and Applications of GIS, 2014, Vol. 22, No.1, pp.15- 25
【原著論文】
数値標高モデルのみによる簡易な洪水氾濫域予測法
舛谷敬一*・馬籠 純**
A Simple Prediction Method of Potential Flooding Area Only Using Digital Elevation Model
Keiichi MASUTANI, Jun MAGOME
Abstract: Flood hazard maps are quite useful for the aid to damage reduction and emergency operations for major flood crisis. In this paper, in order to derive flood hazard maps even for ungauged
basins, we propose a simple method for assessing the flood inundation area based on purely topographical analyses of Digital Elevation Model (DEM), without meteorological data and hydrological models. The quality of the map derived from the proposed method is evaluated for the Fujikawa
river basin against the corresponding maps given by Ministry of Land, Infrastructure, Transport and
Tourism. Despite the crudeness of the model, the simulated maps are in good agreement with the
reference maps. For the Chao Phraya River basin in Thailand, where an unprecedented flood disaster was caused during the 2011 monsoonal season, the simulated flood inundation map successfully
reproduces the actual flooded land.
Keywords: 数値標高モデル(Digital Elevation Model),洪水(flood),氾濫(inundation),富
士川(Fujikawa River),チャオプラヤ川(Chao Phraya River)
1.はじめに
濫原)を重ね合わせ,流域全体の河川流量と洪水氾
一般に,豪雨・洪水の被害軽減には,河川の洪水
濫を同時に取り扱う.河道での水流は 1 次元の拡散
対策に加え,洪水氾濫域を予測したハザードマップ
波動方程式で計算し,斜面では降雨の鉛直方向の浸
による危険度評価等を緊急避難へ活用することが望
透現象を取り入れつつ,2 次元の拡散波動方程式を
まれている.
解くことにより地下及び地上での水流を求める.得
洪水氾濫域の予測に関しては,従来から数多くの
られた河道及び斜面での水面の高さと堤防の高さの
研究が行われており,対象地点の河川流量を降雨流
違いによって河道と斜面の間の水の出入りを決定す
出モデルにより計算し,得られた河川流量を用い
ることで,全体を統一的に計算することができる.
破堤条件を設定して対象領域の氾濫原の水流を 2 次
しかしながら,このような解析には,降雨や地形,
元モデルにより求める方法がよく用いられる(例え
地質等に関する精度のよい入力情報が必要になる.
ば,岩佐ら(1980),福岡ら(1998),川池ら(2002)).
特に広大な地域での時空間解像度の高い解析では,
最近では,降雨を入力として降雨流出から洪水氾濫
データを揃えることが難しく,また膨大な計算量が
過程までを一体かつ迅速に計算することを目指した
必要である.世界的には降雨量や河川流量などが十
降雨流出氾濫モデル(Sayama et al., 2012)も開発さ
分に測定されていない場所も多く,その場合は精緻
れ,2011 年のタイ・チャオプラヤ(Chao Phraya)川
なモデルの利用は困難である.
大洪水の解析に用いられた(http://www.icharm.pwri.
一 方, 地 形 情 報 ―― 数 値 標 高 モ デ ル(Digital
go.jp/news/news_j/111024_thai_flood_j.html). そ の 降
Elevation Model, DEM)――に関しては,大陸・全
雨流出氾濫モデルでは,次のように河道と斜面(氾
球規模でも解像度 90m の SRTM3(NASA)や 30m の
正会員 山梨大学大学院医学工学総合研究部(University of Yamanashi)
〒 400-8511 山梨県甲府市武田 4-3-11 E-mail:[email protected]
** 非会員 山梨大学大学院医学工学総合研究部(University of Yamanashi)
*
− 15 −
ASTER GDEM(ERSDAC)といった中解像度の DEM
2.浸水想定区域図――富士川上流域を例に
が一般公開されている.河道網情報についても解像
2.1.浸水想定区域図
一般にハザードマップは,万が一の水害時に,住
度 90m の HydroSHEDS(WWF)が 利 用 で き る な ど,
整備が進んでいる.したがって,DEM のみで簡易に
民が安全に避難できることを主な目的として作成さ
氾濫危険度を推定できれば,高速な処理が可能にな
れ,浸水想定深,避難所の位置,緊急連絡先,避難
り,また各種プラグインとして GIS と連携した利用
時の心得等を掲載している.日本では,水防法等で
もでき,有用である.そこで,本研究では,通常の
規定される浸水想定区域図――洪水予報指定河川に
流出解析を行わないで,地形情報だけを使って,洪
おいて計画で想定している洪水が発生したときに被
水氾濫域を推定する方法を検討する.
害が想定される沿川地域を対象として,万が一破堤
本稿の手法と類似した研究を Kwak et al.(2012)
した場合の浸水想定区域及び水深を示す――を国土
が行っているが,いくつかの相違点がある.まず,
交通省が提供し,これを基にハザードマップを関係
彼らは気候変動に伴う洪水リスクの全球規模での変
市町村が作成する.浸水想定区域図の作成にはガイ
化を調べることを目的にしているので,気候モデル
ドライン(国土交通省河川局,2005)が定められて
や水文モデルとの整合性から,河道網が再現できる
おり,計画降雨を使い,河川の破堤箇所を仮定して,
ように修正を加えた DEM を使う必要がある.また,
洪水氾濫シミュレーション(独立行政法人 土木研究
彼らは,洪水氾濫に関して,破堤位置より標高の高
所,1996)を行うことになっている.
い場所だけについて考察を行い,標高の低い場所に
例として,2002 年 5 月に公表された「富士川及び
ついては考慮外としているため,実際の洪水氾濫域
笛吹川に係る浸水想定区域図」
(国土交通省関東地
を評価することにはなっていない.更に,洪水氾濫
方整備局,2002)を図 1 に示す――凡例・方位・縮
の進展についても基本的に最急勾配方向に限定して
尺等を改変し,河川名を記入した他,図 2 及び図 3
いる.これに対して我々の方法では,後述するよう
の領域を赤及び黒の矩形で示した.シミュレーショ
に,修正を加えない中・高解像度 DEM を使い,多
ンの詳細は甲府河川国道事務所ホームページ(http://
方向への氾濫の拡大を考慮して,実際に起こりうる
www.ktr.mlit.go.jp/koufu/koufu_index020.html, 以 後,
洪水氾濫域を推定することができる.
甲府事務所 HP と記す)を参照されたい.そこには,
本稿の構成は次のようになる.第 2 章では,高精
計画降雨量(2 日間の総雨量)が釜無川では 315mm,
度の入力情報が利用できる場合の洪水氾濫域予測
笛吹川では 356mm であることの他,破堤位置(釜
の例として,富士川上流域(釜無川及び笛吹川)の
無川 20 ヶ所,笛吹川 32 ヶ所)ごとの最大浸水深や
浸水想定区域図を取り上げる.第 3 章では,本稿の
氾濫水の到達時間等のマップも掲載されている.第
主題である,DEM だけを使って洪水氾濫域を予測
4 章及び第 5 章では,その情報も利用しながら,こ
する方法を提示し,その性質を概観する.第 4 章で
の流域について詳細に検討する.
は,富士川上流域の 5m DEM(国土地理院)を使っ
て,提案した予測法の有効性を検証する.次の第 5
2.2.DEM
章では,同じ場所の 30mDEM(ASTER GDEM)を使っ
第 4 章で用いる DEM である国土地理院の基盤地
て,予測法の解像度依存性を調べる.更に,Chao
図情報(数値標高モデル)5m メッシュ(標高)―
Phraya 川流域を例にして,大規模河川への適用可能
以後,5mDEM と記す― の概略を示す.詳細に関
性を検討する.なお,Chao Phraya 川流域の ASTER
しては,国土交通省国土地理院,基盤地図情報の
GDEM には問題があるので,ASTER GDEM だけで
ダウンロードサービス(http://fgd.gsi.go.jp/download/
なく,90mDEM(SRTM3)も利用する.最後に,ま
GsiDLSelFileServlet)を参照されたい.
図 2 は笛吹川が支流の荒川と合流する付近(図 1
とめと今後の課題を第 6 章で述べる.
中の赤の矩形)の DEM 詳細を示したもので,河川
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図 2 笛吹川と荒川の合流点付近の 5mDEM
図 3 富士川上流域の等高線区分図
(河川の部分は白抜き)
図 1 (A)釜無川と(B)笛吹川の浸水想定区域図
両岸の堤防が明瞭に認識できる.家屋・高架・橋梁
る.具体的な手順は以下のようになる.なお,本手
等の人工構造物および樹木等の植生はフィルタリン
法では,洪水氾濫域を推定するのに通常の洪水氾濫
グ処理等により除去されており,道路盛土の下のト
シミュレーションを使用しないので,法で規定され
ンネルなどは示されない.なお,図中の☆印 F110
た「浸水想定区域図」という語句は用いない.
は第 4 章で扱う破堤位置の一つである(図 9 参照).
図 3 は富士川上流域(図 1 中の黒の矩形)の等高線
1. 破堤位置(洪水の発生開始点)を決め,そこで
区分図である.この図 3 と浸水想定区域図(図 1)を
の浸水深 H を与える.さらに,徐々に水深を深く
比較すると,単純な等高線図だけでは釜無川・笛吹
するための刻み幅 Δh =H/N(N は自然数)を決める.
川のそれぞれの浸水想定区域を区分できないのみな
2. 洪水発生開始点の標高値 h0 を Δh だけ上げる.
つまり,新たな標高値 h0 + Δh が水面標高を表す.
らず,その形状も再現できないことが分かる.
3. 新たに浸水した地点 i の周り 8 地点をすべて調
3.洪水氾濫域の推定
べて,まだ浸水していない地点 j で,かつ hj ≦ hi
3.1.洪水氾濫域推定法
であれば,hj を min{hi − hj, Δh} だけ上げて,浸水
洪水氾濫を極めて簡易な方法で模倣し,DEM だ
地点とする.なお,新たに浸水する場所の周りに
けを用いて氾濫推定域図を作成する方法を提案す
浸水地点が多数ある場合は,標高値の増加量は上
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記評価値の平均値を使うこととする.また,浸水
している場所の標高が更に変化することを排除し
たのは,計算量を削減するためである.
図 4 に具体例(Δh = 2m)を示す.左下の 2 地点
(標高 106m と 105m)が浸水地点のとき,太線で
囲んだ 3 地点(標高 104m と 103m,102m)が新た
な浸水地点となり,標高 103m,102m 地点は標高
105m 地点と隣接しているので,それぞれ 2m(=
図 4 手順 3 の例
hi−hj = Δh),2m(=Δh < hi−hj = 3m)だけ変化し,
(単位は m)
標高 104m 地点は標高 106m 及び 105m 地点と隣接
しているので,平均値の(1+2)/2 =1.5m だけ変化
する.浸水地点である標高 105m 地点は,隣に浸
水地点(標高 106m)があっても,変化させない.
4. 手順 3 において新たに浸水地点が追加されてい
れば,その浸水地点を使って手順 3 を繰り返す.
もし,追加された浸水地点がなければ,浸水域を
記録した後,浸水域での水面標高を地面標高だと
仮定して(リセットして),手順 2 に戻る.ただし,
図 5 手順 2 ∼ 4 の例
洪水発生開始点の浸水深が既に設定値 H に達して
(1 次元での表示)
いれば次の手順 5 に進む.
手順 2 ∼ 4 の繰り返しを1枚の図で上手く説明
子間隔を通過する時間に対応するが,本手法では洪
することが 2 次元では難しいので,1 次元の地形
水流の速度を使わないので,その実時間は分からな
起伏を使って表現したものが図 5 である((A)
:N
い――別の方法で流速が評価されれば,実時間を推
= 3,
(B)
:N =1).図 5(A)のように,水深を徐々
定することは可能である.また,洪水流の向きによ
に増加させて計算するのは,実際の状況を模倣す
る影響も考慮されていない.更に,実際の洪水氾濫
るためであり,一挙に水深を変える計算(N =1)
では,盛土等の障害があると,そこで一時的な滞留
である図 5(B)に比べて,地形の起伏の詳細な変
が起こって水深が増大するが,この水量の保存則に
動に敏感になる.図 5 でも分かるように,同じ H
関係する効果も本手法では取り入れていないので,
であれば,N =1 の方が N >1 よりも遠くまで洪水
H の値を通常考えられるよりも大きく選ぶことで対
氾濫が広がる傾向がある.
応する必要が生じる.しかし,次章以降に示す計算
5.手順 4 で作成された N 枚の浸水域の図を重ね合
結果から判断すると,本稿の方法は最も重要な因子
わせて,手順 1 で決めた破堤位置での氾濫推定域
である地形起伏の状況を反映しているため,洪水氾
図を作成する.
濫域の概略を表現することは十分可能である.
6.河道沿いの数地点から数十地点を破堤位置に選
び手順 1 ∼ 5 で作成した氾濫推定域図を重ね合わ
3.2.仮想的地形での検討
せて,流域全体の最終的な氾濫推定域図を完成さ
せる.
実際の DEM による計算を行う前に,まず模式的
地形を使った計算によって,手法の概要を検討する.
図6は,左側に尾根,右側に谷(水路を含む)をもつ,
この方法には次のような欠点が残っている.例え
ば,手順 3 の繰り返しのタイムステップは洪水が格
仮想的な地形 A の等高線図である.☆印の位置(h0
= 87m)から始め,H =3m(N =3)で計算を進めると,
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線で示してある.標高の高い場所へ氾濫が伝わりに
くく,標高の低い場所への伝播が強調されるために,
尾根の向こう側へ回り込みにくく,谷によって拡大
が食い止められるようになる――もちろん,H を大
きくとれば谷を越えて広がるが.
上で述べた性質は,地形の不規則な凹凸によって
も強められる.図 8 は 21 × 21 の DEM で,一様な斜
面(上端が 100m,下端が 60m)に,最大± 5m のラ
ンダムな凹凸を付けた地形 B である.図には,☆印
の位置(h0 =90m)から始めて H=3m(N =3)で求め
図 6 仮想的な地形 A の DEM(ベクター)
た洪水氾濫域の境界を太い実線で示した(氾濫域の
内部で,白丸を付した場所は標高が高く,浸水して
いない).標高差の小さい横方向ではなく,標高差
の大きい縦方向へ洪水氾濫が広がりやすいという傾
向が見える.
4.高解像度 DEM による適用例
本章では,第 2 章で示した富士川上流域について,
5mDEM(図 3 参照)を用いて,本稿で提案した方法
の有効性を検討する.なお,河道網を作成するとき
図 7 仮想的な地形 A の DEM(ラスター)
に通常用いられる窪地処理等の DEM への修正は一
切行わない.検証対象として,流域全体の洪水氾濫
域を比較するときには図1(浸水想定区域図)を使い,
各破堤位置からの洪水氾濫域を比較するときには図
1 の元になる甲府事務所 HP の洪水氾濫シミュレー
ション結果(図 10 参照)を使う.
図 9 に,釜無川・笛吹川の4地点(図中の☆印)
――K181(釜無川左岸,西裏),K191(釜無川右岸,
上高砂),F110(笛吹川右岸,小曲町),F172(笛吹
H= 0.2m,2.0m
川右岸,市部)――を破堤位置として,
図 8 仮想的な地形 B の DEM と洪水氾濫域
(= 0.2m × 10),5.0m(= 0.2m × 25)の 3 つの結果を
DEM の解像度が極めて高く連続的な極限に近けれ
であるが,精度が標準偏差で 0.3 ∼ 0.7m なので,Δh
ば,洪水氾濫域は 90m の等高線(太い実線)よりも
= 0.2m と少し大きくとった.また,図 10 に洪水氾
低い全領域になる.しかし,前章(2. 2)で述べたよ
濫シミュレーションの結果(甲府事務所 HP)を示す.
重ねて示した.5mDEM の標高の有効値は 0.1m 単位
うに,実際の洪水氾濫域は等高線では表現できない
ことが分かっている.一方,格子点上でのみ標高値
K181:H = 0.2m のときでも,洪水氾濫域は釜無
が与えられる DEM では状況が異なる.図 7 は,図 6
川東側の低地へ大きく広がり,最終的に荒川で遮ら
の地形 A を 21 × 21 の格子に分割した DEM であり,
れる(図 1 参照).また,氾濫域南東部の隅は中央自
☆印の位置から始まった洪水氾濫域の境界を太い実
動車道で遮られる(図 2 参照).H を大きくしても,
− 19 −
て拡大が阻止され,十分な広がりは得られない.
F110:H = 2m 以下では,西は蛭沢川,東は濁川
の間の極めて狭い領域に限られ,図 10 の洪水氾濫
域に比べて,非常に狭い.このような現象が起こる
のは,本稿の手法が基本的に標高の高い所から低い
所への流れだけを考慮していることに原因がある.
他の 3 地点と異なり F110 の破堤位置は元々低地なの
で,実際の洪水では,溢れた水は低地に滞留して,
その水量の増加とともに氾濫域が高地へ拡大する
(甲府事務所 HP の洪水氾濫シミュレーションでもそ
図 9 富士川上流域の洪水氾濫域の例
の状況を見ることができる).本稿の手法は,この
湛水による洪水氾濫域の拡大を取り入れていないの
で,図 10 の結果を再現するには H = 5m 以上の大き
な値が要求される.
破堤位置の概略を与えても,手順 1 の洪水の開
始点には若干の任意性が残る.図 11 では,各破堤
位置に関し,互いに 100 m 程離れた 3 地点を洪水開
始点とした洪水氾濫域を重ね合わせた(H = 2.0m,
Δh = 0.2m).破堤位置には K181 と K191 の他,図 9
では隠れていた K111(釜無川右岸,浅原)と F140(笛
吹川右岸,河内),及び笛吹川左岸(南側の山との
図 10 富士川上流域の洪水氾濫シミュレーション
間の領域に対応)の 3 ヶ所――F50(下河原),F137
(甲府河川国道事務所ホームページより)
(増利),F244(小原西)――を用いた.図 9 に示し
北部では地形勾配が大きいので氾濫域増大は小さ
た F172 と F110 では,洪水開始点の選び方による氾
い.南部では地形の凹凸のため H = 0.2m では氾濫
濫域の大きな違いが見られないので,省略した.
域に入っていなかった場所が H の増大で含まれるよ
うになる.最終的に図 10 のシミュレーション結果
K181:開始点付近に相違が生じるだけである.
とほぼ同じ氾濫域が得られる.
K191:同じ H = 2.0m を使っても,開始点の違い
K191:釜無川と西側山地の間の狭い領域に洪水
氾濫域は限られる(図 1 及び図 3 も参照).H = 0.2m
で は 破 堤 位 置 付 近 の 非 常 に 狭 い 領 域 と な る が,
H = 2m は標高の低い南方へ拡大し,H = 5m では氾
濫域は図 10 のシミュレーション結果よりもかなり
大きくなる.
F172:笛吹川北側の低地に沿って洪水氾濫域が
広がる(図 1 及び図 3 も参照).H = 0.2m では平等川
に北側及び西側を遮られ,その広さは図 10 に示さ
れる領域の約3分の1に留まる.H = 2m及び5mでも,
北側へは拡大するが,西側へは平等川・濁川によっ
− 20 −
図 11 洪水開始点の異なる氾濫域
によって,氾濫域が標高の低い南方に向かう場合も
る.
あれば,開始点付近に留まることもある.
図 12 に氾濫推定域図の最終結果を示す.3 種類の
K111:どの開始点でも氾濫域はほぼ同じである.
灰色領域 A,B,C のうち,A と B を合わせた領域が
F140:小さな支流や水路と開始点との関連で,
浸水想定区域(図 1 の画像から浸水域を抽出),B と
氾濫域が異なる.図 9 と比較すると,F140 の氾濫域
C を合わせた領域が本手法の氾濫推定域である.つ
は上流 F172 の氾濫域に覆われることが分かる.つ
まり,領域 B が共通部分となる(以後,領域(A+B)
まり,流域全体の氾濫域を考えるときには,場合に
が検証データ,領域(B+C)が本手法の結果を表す).
よっては個々の破堤位置での洪水氾濫の詳細が問題
それぞれの領域の格子数を計数して面積を算出する
にならないこともある――別の例を挙げると,釜無
と,釜無川では面積比 A:B:C = 13:87:10,笛
川左岸領域では K181 よりも下流の破堤による氾濫
吹川では面積比 A:B:C = 27:73:33 となる(図
域は K181 の氾濫域に覆われるので,K181 の氾濫域
からはみ出した部分も考慮する).すなわち,本手
(図 11)は釜無川流域の氾濫推定域(後述の図 12(A))
法は浸水想定区域の 87%(釜無川)及び 73%(笛吹川)
と重なりあう.
を推定することができる.もちろん H を大きくすれ
F50:どの開始点でも氾濫域はほぼ同じである.
ば,本手法の氾濫推定域は大きくなるので,この値
F137:開始点によって氾濫域が少し異なる.
を大きくすることは可能であるが,領域 C の面積も
F244:どの開始点でも氾濫域はほぼ同じである.
大きくなり,精度が落ちる.天気予報等で用いら
なお,H = 2.0m でも既に,この氾濫域は浸水想定区
れる評価指標スレットスコア(= B/(A+B+C))を
域(図 1(B))よりも大きく広がっている.
計算すると,79%(釜無川)及び 55%(笛吹川)であ
る.スレットスコアに関する絶対的な評価基準はな
最後に,流域全体の洪水危険性を表す氾濫推定域
いが,例えば同じ大きさの 2 つの領域がその 2/3 ∼
図を前章の手順 1 ∼ 6 で作成する.一般に破堤位置
を予測することは難しく,上記のように氾濫域が洪
水開始点の詳細にも依存するので,流域全体で破堤
位置の数を徐々に増やして,最終的な氾濫推定域が
変化しないようにする.本節の例では,甲府事務所
HP 記載の破堤位置を基にして,釜無川では 22 ヶ所,
笛吹川では 44 ヶ所を使った.F110 の検討で明らか
になったように,本稿の手法では湛水効果が考慮さ
れていないために,低地からの洪水氾濫域が水路に
区切られた小さな領域に限定されやすいので,笛吹
川については多数の破堤位置が必要になる.ここま
での検討結果を考慮して,浸水深はすべての破堤位
置で H = 2.0m(Δh = 0.2m)とした.国土交通省の浸
水想定区域図(図 1)をよりよく再現するように各
破堤位置での浸水深を調整することはできる(図 9
参照)が,得られる情報が DEM だけの地域につい
て洪水氾濫域を予測することが我々の目標なので,
最も簡単な例として一定の値を使うことにした.今
後,解析事例を増やすことで,各破堤地での浸水
深 H を地形情報から決定できるようにする必要があ
− 21 −
図 12 (A)釜無川及び(B)笛吹川の洪水氾濫域図
4/5 を共通部分とするときにスレットスコアは 50 ∼
も,浸水深を大きくして,H = 6m とする必要があ
67% となるから,上記の数値は満足できる値である.
る.H が大きいので,湛水が大きな影響を与える下
以上のように本手法の氾濫推定域は浸水想定区域図
流域でも良い結果を与えている.この H = 6m の洪
の概略を再現している.ただし,浸水深をすべての
水氾濫域図を使い,図 12 のときと同様に領域 A,B,
破堤位置で一定(H = 2.0m)としたため,本手法の
C の面積を求めると,釜無川では面積比 A:B:C
氾濫推定域は,上流域では広くなり過ぎ,下流域で
= 31:69:10,笛吹川では面積比 A:B:C = 28:
は狭くなり過ぎる傾向が見える.
72:51 となる.なお,この値は隣接する河道部分
も浸水想定区域(A+B)に含めて計測したものであ
5.中解像度 DEM による適用例
るが,逆に図1を使って本手法の氾濫推定域から河
前章では 5mDEM を使ったが,世界的には――特
道部分を削除した上で計測しても面積比は数%しか
に降水量等の測定が行われていない地域では――こ
変化しないことも確認した.また,スレットスコア
れほどの高解像度 DEM が利用できることは稀であ
は,62%(釜無川)及び 48%(笛吹川)である.笛吹
る.本章では,全球規模で利用できる比較的解像度
川のスレットスコアが悪いのは,図 13(B)の枠外
の良い DEM の例として,ASTER GDEM(1 メッシュ
になるので描かれていないが,領域 C が上流左岸側
= 約 30m,
http://gdem.ersdac.jspacesystems.or.jp/)を使っ
に大きく広がっていることに起因する.
て本研究で提案した方法の有効性を検討する.
前章の 5mDEM の結果に比べて再現性が良くない
が,次のような処理をすると改善できる.30mDEM
5.1.富士川上流域
では標高値の精度が良くないこともあり,地形の凹
まず,前章で扱った富士川上流域を再度検討する.
解 像 度 30m の ASTERGDEM で は,5mDEM で 判 別
凸が激しいため,氾濫推定域の内部に浸水していな
い場所が数多くある.危険域の推定という観点から
できる河川堤防(図 2 参照)が明瞭でない場所が多
数存在する.したがって,手順 1 ∼ 6 を実行すると,
河道部分も洪水氾濫域に含まれることがある.この
とき,左岸に相当する場所を破堤位置に選んでも,
右岸領域にも洪水氾濫域が生じる.これは,1 つの
地点からの洪水を考えるときには大きな欠陥である
が,左岸にも右岸にも破堤位置があるとして流域全
体としての洪水氾濫域を評価していると考えれば,
それほど大きな問題とはならない.
また,ASTER GDEM は解像度が 30m,標高値の
精度が標準偏差で 7 ∼ 14m なので,DEM の値の乱
高下が大きい.少しずつ浸水深を増やす方法(手
順 1 の N > 1)はこの乱高下に影響されやすく,す
ぐに氾濫域の拡大が止まる傾向がある(図 5 参照).
したがって,ここでは一挙に浸水深を増やす方法
(H =Δh,N = 1)を採用する.
図 13 には,釜無川(破堤位置 23 ヶ所)及び笛吹川
(破堤位置 26 ヶ所)で,H = 2,4,6m とした結果を
重ねて表示した.図 1(図 12 の A + B)の浸水想定
区域の概略を再現するには,どちらの流域において
− 22 −
図 13 (A)釜無川及び(B)笛吹川の洪水氾濫域図
(ASTERGDEM を使用)
は,このような場所も氾濫推定域に加えるのが望ま
この領域の ASTERGDEM の異常が原因であると思
しい.氾濫推定域に完全に取り囲まれた場所を新た
われる.図 16 に,標高 0 ∼ 100 m の場所を強調した
に氾濫推定域に取り入れてから,面積を再度計測
DEM を示すが,明らかに Ayutthaya 付近を境にして,
すると,釜無川では面積比 A:B:C = 18:82:11,
DEM の様子が異なっている.これをより明瞭に示
笛 吹 川 で は 面 積 比 A:B:C = 17:83:53 と な る.
すために,東経 100.5 ± 0.25°の領域(図 16 の中央,
スレットスコアも,74%(釜無川)及び 54%(笛吹川)
縦長で幅 50km 程の帯状区域)で緯度毎に平均標高
に上昇する.
を求め,図 17 に示した.北緯 13.5 ∼ 14.5°付近で異
5.2.Chao Phraya川流域
大規模河川への適用例として Chao Phraya 川流域
を扱う.この流域は2011年に大規模な洪水が発生し,
図 14 はその浸水状況を示している(中村ら,2013).
この図の浸水域を本節では検証データとして用い
る.
ASTERGDEM を 使 い, 中 流 に 位 置 す る Nakhon
Sawan を境にして,北では支流の Yom 川沿い,南で
は Chao Phraya 川本流沿いに洪水氾濫の起点(12 ヶ
所)をおいて得られた洪水氾濫域図を図 15 に示す
(図 14 の矩形領域(北緯 13.5 ∼ 18°,東経 99 ∼ 102°)
図 15 Chao Phraya 川流域の氾濫推定域図
(ASTERGDEM による) に対応).図 14 の浸水状況の概略を再現するには
H = 15m(H = Δh)という非常に大きな値が必要であ
る.また,下流の Ayutthaya 付近を境にして,南北
で氾濫域の様子が異なるという問題が残る.これ
は,以下に述べるように,本手法の問題ではなく,
図 16 Chao Phraya 川流域の ASTERGDEM
図 14 Chao Phraya 川流域,2011 年の浸水状況
図 17 Chao Phraya 川流域 ASTERGDEM の平均標高
陸域で青い部分が浸水域 (中村ら,2013)
− 23 −
常がある.
洪水の危険予測として本稿の手法を使うときには,
ASTERGDEM 以外の全球規模で整備された DEM
の 一 つ と し て,SRTM3 の DEM(3”= 約 90m,http://
H = 8 ∼ 10m 程度の洪水氾濫域図を採用するのが適
当であろう.
glcf.umd.edu/data/srtm/)が あ る. 解 像 度 は ASTER
GDEM より悪いものの,標高の精度は 10m 程度で
6.おわりに
あり,ほぼ同等である.この DEM を使って図 15 と
最近発生した Chao Phraya 川洪水の例からも分か
同様に求めた洪水氾濫域を図 18(H = Δh = 5, 10m)に
るように,世界の多くの場所で大洪水の危険がある.
示す.H = 5m の場合が,図 14 の実際の浸水状況図
ダム等の治水対策以外に,洪水氾濫域を事前に予測
をよく再現している.図 14 と図 18 を重ね合わせた
しておくことも被害軽減には極めて重要である.
ときの領域 A,B,C の面積を計測する(定義や方
最新の精密な洪水解析には,多くの計算量が必要
法は図 12 の説明を参照のこと)と,A:B:C = 4:6:1.5
なばかりでなく,精度のよい水文情報が必要である
で,スレットスコアは約50%となる.なお,前節(5.1)
が,世界的には降雨量や河川流量などが十分に測定
の最後に行ったように洪水氾濫域の内部を塗りつぶ
されていない場所も多く,そのような場合には精緻
す操作を行えば,A:B:C = 2.5:7.5:2 で,スレッ
なモデル計算は難しい.一方,地形情報に関して
トスコアは約 60% となり,改善される.
は比較的解像度の高い DEM が整備されているので,
図 19 には,H と洪水氾濫域面積 A の関係を示し
この DEM だけを無修正のまま用いて――すなわち,
た.Hが8mを超えると,Aの増大が止まることから,
通常の流出・氾濫解析を行わないで――洪水氾濫域
を推定する方法を提案した.
この手法の有効性を検討するため,まず高解像度
の 5mDEM(国土地理院)を用いて,次いで中解像
度の 30mDEM(ASTER GDEM)を用いて,釜無川・
笛吹川流域の洪水氾濫域を求めた.どちらの結果
も,洪水氾濫シミュレーションにより作成された浸
水想定区域図(国土交通省)をほぼ再現できた.大
規模河川に関しては,Chao Phraya 川流域を例とし,
30mDEM(ASTER GDEM)及 び 90mDEM(SRTM3)
で洪水氾濫域を求めた.ASTER GDEM はこの流域
で異常な振舞いを示し,洪水氾濫域に問題が残るが,
SRTM3 による洪水氾濫域は 2011 年の大規模な洪水
図 18 Chao Phraya 川流域の氾濫推定域図
(SRTM3 の DEM による)
ように,品質の良い DEM を用いれば,本手法は洪
水氾濫域の推定に十分利用可能である.
50
A (103km2)
による浸水状況をよく再現することができる.この
40
本手法では,破堤位置での浸水深 H が重要なパラ
30
メータとなる.本論文では,最初の試行として,全
20
破堤位置で同一の浸水深 H を用い,既往研究の氾濫
シミュレーション結果や実際の洪水の浸水状況を再
10
現するように浸水深 H を決めた.本手法は洪水氾濫
0
0
2
4
6
H (m)
8
10
図 19 Chao Phraya 川流域における破堤位置浸水深
H と洪水氾濫域面積 A の関係(SRTM3)
が高地から低地へ広がるということだけを原理とし
て構成されているため,低地で破堤して湛水によっ
て洪水氾濫域が拡大するような場合には,浸水深 H
− 24 −
を他の場合に比べて大きくしないと,十分な広さの
国土交通省河川局(2005)
『浸水想定区域図作成マ
洪水氾濫域が得られない.したがって,本来は,各
ニュアル(平成 17 年 6 月)』.< http://www.mlit.go.jp/
破堤位置での浸水深 H を破堤位置近傍の地形によっ
river/shishin_guideline/bousai/press/200507_12/050705/
て適切に調節しなければならない.また,浸水域等
050705_manual.pdf >
に関して参照する情報がないときの浸水深 H の決定
国土交通省関東地方整備局(2002)
『富士川上流部(平
法は大きな課題である.今後は,参照対象が存在す
成14年5月公表)』及び『笛吹川(平成14年5月公表)』.
る多くの例について解析を行い,適切な浸水深 H が
< http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/0000
地形の概略や DEM 解像度にどのように依存するの
28116.pdf > 及び < http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/
かを調べることが必要である.その際に,図 19 で
content/000028118.pdf >
検討したように,H の変化と氾濫域面積の変化の関
独立行政法人土木研究所(1996)
『氾濫シミュレー
連を調べることが,洪水氾濫の危険性を評価するう
ション・マニュアル(案)』,土木研究所資料 3400.
えで重要になる.
中村晋一郎・小森大輔・木口雅司・西島亜佐子・山
本論文では,洪水氾濫域は示したが,洪水氾濫の
崎大・鈴木聡・ジャンヌ フェルナンデス・梯滋郎・
浸水深を各地点で示すことはしなかった.それは,
チェリー マテオ・岡根谷実里・恒川貴弘・湯谷啓明・
本手法では洪水の水量保存則が満たされていないの
川崎昭如・タダ スカプンナパン・ポンチャイ クリ
で,計算結果として得られる各地点での浸水深を実
ンカチョーン・沖一雄・沖大幹(2013)2011 年タイ
際の洪水氾濫の浸水深として利用することが適切で
王国 Chao Phraya 川洪水における水文及び氾濫の状
はないからである.一般的に言えば,低地で浸水深
況.
「水文・水資源学会誌」,26(1),38-46.
が大きくなる傾向があると想定できるので,本手法
福岡捷二・川島幹雄・横山洋・水口雅教(1998)密
で得られた洪水氾濫推定図と標高地図を重ねて,危
集市街地の氾濫シミュレーションモデルの開発と洪
険度の大小を判定するという手段も考えられるが,
水被害軽減対策の研究.
「土木学会論文集」
,600/II-
今後の検討課題としたい.
44,23-36.
本稿で提案した方法は比較的簡易な計算しか含ま
Kwak, Y., Takeuchi, K., Fukami, K., and Magome, J.
ないので,GIS ソフトウェアに実装することも検討
(2012) A new approach to flood risk assessment in Asia-
している.多くの人々に利用されることで,浸水深
Pacific region based on MRI-AGCM outputs. Hydrologi-
H の決定法を含め,本手法への理解が深まることが
cal Research Letters, 6, 70-75.
期待される.
Sayama, T., Ozawa, G., Kawakami, T., Nabesaka, S., and
Fukami, K. (2012) Rainfall-runoff- inundation analysis of
参考文献
the 2010 Pakistan flood in the Kabul River basin. Hydro-
岩佐義朗・井上和也・水鳥雅文(1980)氾濫水の水
logical Sciences Journal, 57 (2), 298-312.
理の数値解析法.
「京都大学防災研究所年報」,23B-
(2013年9月27日原稿受理,
2014年3月30日採用決定,
2014 年 5 月 16 日デジタルライブラリ掲載)
2,305-317.
川池健司・井上和也・林秀樹・戸田圭一(2002)都
市域の洪水氾濫解析モデルの開発.
「土木学会論文
集」,698/II-58,1-10.
− 25 −
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