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PDFダウンロード - キヤノングローバル戦略研究所
43
Vol.
2016.12
PROLOGUE
OPINION
国民性と仮説検定
堀井 昭成
医療介護福祉改革のため非営利組織連結会計の
整備を急げ
イベント開催報告
日本の保健医療支出は先進国で最高水準の可能性
PAC 政策シミュレーション
「ペルシア帝国は復活するのか?」概要報告と評価
WORKING PAPER
戦前日本における銀行業の産業組織と
産業・企業金融
岡崎 哲二
今月の書籍
『コア・テキスト経済史』
岡崎 哲二
Highlight Vol43_3.indd
松山 幸弘
小黒 一正
デフレ期待は「将来不安」
小林 慶一郎
企業版ふるさと納税のポイントと課題
柏木 恵
輸入米価格の偽装をめぐる本当の問題とは何か
山下 一仁
南スーダンを巡る議論における論理の倒錯
本多 倫彬
各国で異なるEU懐疑派
宮家 邦彦
中国経済リスクと政治制度改革への挑戦
瀬口 清之
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Contents
国民性と仮説検定�������������������� 1
堀井 昭成
医療介護福祉改革のため非営利組織連結会計の整備を急げ�� 2
松山 幸弘
日本の保健医療支出は先進国で最高水準の可能性������ 8
小黒 一正
デフレ期待は「将来不安」���������������� 10
小林 慶一郎
企業版ふるさと納税のポイントと課題���������� 12
柏木 恵
輸入米価格の偽装をめぐる本当の問題とは何か������� 16
民進党は、国民に二重の負担を強いている米政策の全面的な廃止を対案として提示せよ
山下 一仁
南スーダンを巡る議論における論理の倒錯�������� 18
本多 倫彬
PAC 政策シミュレーション��������������� 20
「ペルシア帝国は復活するのか?」概要報告と評価
各国で異なるEU懐疑派����������������� 27
宮家 邦彦
中国経済リスクと政治制度改革への挑戦��������� 28
安定成長期移行後の長期経済停滞への備えと日本の役割
瀬口 清之
戦前日本における銀行業の産業組織と産業・企業金融���� 32
岡崎 哲二
今月の書籍���������������������� 32
『コア・テキスト経済史 増補版』
岡崎 哲二
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国民性と仮説検定
理事・特別顧問 ● 堀井 昭成
海外から日本への観光客が急増している。おかげ
なくして、このイギリス人がこんなことを言い出し
る。つれて、自身の海外旅行の経験とも併せて「○
差しの一方の極に、ドイツ人とオランダ人がいる。
で日本にいながら異国人に接する機会が増えてい
○人は××だ」と決めつける人や、
「日本人は△△だ」
と異国人に解説する人が増え始めた。
何百年も異文化と接してきたイギリスには、民族
性や国民性をネタにしたジョークが多い。いわゆる
エスニック・ジョークだ。本誌面で書くのをためら
うような危ういジョークも少なくないなかで、品と
いう点でぎりぎり可といえそうなのが、世界で「最
た:「国民性は正直と嘘つきの物差しで測れる。物
かれらは、いつも本当のことしか言わない。信頼で
きるが退屈なやつらだ。この尺度の中ほどにイタリ
ア人とアメリカ人がいる。面白い奴らだけど、言っ
ていることが本当のときもあれば嘘のときもあるの
で信用できない。他方の極にイギリス人と日本人が
いる。常に嘘をつくので、面白いうえに当てになる。」
我が反省:日本人を嘘つきにしてしまった!
も幸せな男」と「最も不幸な男」に関するジョーク
この機会に弁明させてほしい。英英語には、表
イギリス人の家、日本人の妻、スイス人の会計士、
ない。例えば、天気が悪いとき What a wonderful
だ。幸せ者は、アメリカ人の給料、中国人のコック、
イタリア人の情婦を持つ男で、不幸者はひとつず
つ、ずれた場合だ。何十年も前からある結構有名な
ジョークなので、聞かれた方も多いだろう。こうい
うジョークを見聞きしてにんまりと肯きながらも、
そう決めつけていいのだろうかと思うこともある。
以下は、これに関する私の失敗談。
面的な意味と反対の意味合いを持つ表現が少なく
weather! と い い、 何 か 上 手 く い か な い と き How
nice! といったりするイギリス人が結構いる。当時
私はそんな用法を真似ていただけなのに。ともあれ、
エスニック・ジョークにはステレオタイプの危険が
ある。
今から 30 年以上も前のこと、ス
イスにある国際機関で働き始めた。
当時、街に日本人は珍しかった。
職場でも、役職員 300 名の大半が
ヨーロッパ人で、非ヨーロッパは
10 名足らずのアメリカ人と私のみ。
働き始めて数週間経ったランチの
ときに、イタリア人の同僚からこ
んなことを聞かれた:
「日本人は皆、
勤勉かつ集団志向が強い。お前の
親元でも朝礼体操をやってるのだ
ろう?」小生答えて曰く:「分かん
ないよ。だって、俺いつも会社に遅刻していたもん。」
民族性や国民性を知るには、数多くの例を集める
壊してしまった!
当研究所では、「 一を聞いて十を知る 」などと不遜
我が反省:日本人が勤勉であるという美しい誤解を
それから数年して、あるイギリス紳士が仲間に加
わり、私は彼の知る数少ない日本人となった。ほど
しかない。これは、調査研究一般の要諦であろう。
なことを言わずに、幅広く事実を集めたうえで仮説
を構築し、そしてさらに多くの事実によって仮説検
定をしていきたい。
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医療介護福祉改革のため非営利組織連結会計の整備を急げ
2016 年 10 月 20 日 CIGS ホームページ 掲載 ● 松山
1.はじめに
医療介護制度運営の権限と責任を都道府県に集約
する改革が進められている。これは医療介護の財源
全体とケア提供体制の中核部分を同一組織が広域単
位でガバナンスする仕組みを創ることを意味してお
り、改革の方向として支持できる。先進諸国の多く
はその基本的枠組みを既に構築、具体的ノウハウを
科学する Population Health を発達させている。
わが国の医療介護制度は、財源を担う保険者と医
療介護提供事業体が共に規模が小さくバラバラに経
営されてきたため、広域単位で全体最適を目指す主
体を欠き、医療介護提供体制全体を見た場合ニーズ
と大きなミスマッチを起こしている。このうち財源
については、市町村国民健康保険を都道府県単位へ
統合することで改善が見込まれる。しかし、政府が
医療介護提供体制全体最適化の柱と位置付ける地域
医療構想を実現することは、強いリーダーシップを
発揮できる大規模非営利事業体が存在しない限り困
難と思われる。
2015 年医療法改正で創設された地域医療連携推
進法人は、活用の仕方しだいでこの大規模非営利事
業体にまで進化する可能性を秘めている。しかし、
スタート時点では直接病院経営することが許されて
いない、複数の医療法人の参加に固執するあまり経
幸弘
営者が同じ社会医療法人と社会福祉法人の合併を認
めていない、社会福祉法人の地域統合に使えない、
過剰投資の元凶である自治体立公立病院の改革にど
のように活用できるかが不明確、という問題がある。
そこで本稿では、総務省が「統一的な基準による地
方公会計マニュアル」
(平成 28 年 5 月改訂)で示し
た独立行政法人連結会計の概念を使うことで、セー
フティネット機能の中核を担う大規模非営利事業体
を生み出す方法を提言する。
2.2018年以降医療介護福祉の経営環境が悪化する
2018 年の診療報酬・介護報酬同時改定はマイナ
ス改定になる可能性が高い。それには 3 つ理由があ
る。第 1 の理由は、消費税率を 8%から 10%に引き
上げることを 2017 年 4 月から 2019 年 10 月に再延
期した結果、2018 年 4 月にプラス改定する財源が
ないことである。さらに問題なのは、延期の理由と
して「消費税率引き上げで経済成長が一時的にせよ
マイナスになる懸念」があげられたが、これを理由
にするのであれば日本にはもはや「消費税率を引き
上げて財政再建する意志がない」と言っているに等
しいことである。なぜなら、日本銀行試算によれば
日本経済の潜在成長率は 0.2%であり、消費税率を
引き上げてもプラスの経済成長率を維持する力は現
状の日本経済にはない。しかも今後も膨張を続ける
社会保障財源確保のためには消費税率を欧州諸国な
みに 20%以上にする必要がある。この国難を乗り
切るためには、消費税率引き上げによる景気下押し
に耐えながら構造改革を断行し潜在成長率アップを
図る以外に選択肢はないのである。
第 2 の理由は、医療介護費が GDP に占める割合
が 2015 年において OECD 35 カ国の中で米国、スイ
スに次いで第 3 位であることが判明したことであ
る。これまで医療介護業界は、わが国の同割合が
OECD の中で低いというデータを根拠に公費投入増
加を主張してきた。しかし、日本の同割合が低いの
は他国に比べて過少申告という事情があった。そし
て OECD が比較精度を高めるために各国に提出させ
る医療介護費の定義を修正、2016 年から適用する
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ことになっていた。それを厚労省が新定義による
2015 年までのデータを前倒しで提出したのである。
その結果、2018 年の診療報酬・介護報酬の同時改定
では OECD のデータが公費投入抑制の理由に転換す
ることになると予想される。
第 3 の理由は、社会医療法人の業績から判断する
と診療報酬は全体的には低くなく逆に引き下げ余地
があることである。社会医療法人は、公立病院が赤
字の原因と主張している政策医療(救急医療、僻地
医療、周産期医療等)を補助金なしでも実施してい
るなどを条件に認定され非課税優遇を受けている民
間事業体のことである。個々の社会医療法人の診療
構成は異なっているが、社会医療法人全体の診療構
成は診療報酬体系に近似していると考えられる。し
たがって、社会医療法人全体の平均経常利益率を見
れば、診療報酬が適切な水準にあるかどうかを判定
できる。その集計結果は、2014 年度 2.9%、2015
年度 3%(集計途中暫定値)であった。これに 2016
年 4 月に診療報酬が 0.49%プラス改定されたことを
加味すると、2016 年度の社会医療法人の平均経常
利益率は 3.5%前後と推定される。つまり、2018 年
の診療報酬改定を審議する時に医療機関の業績は良
好なのである。
したがって、2018 年の診療報酬本体部分の改定
はマイナス 1%の攻防になると筆者は予想してい
る。一方、2015 年改定でマイナス 2.27%だった介
護報酬が 2018 年もマイナス改定になるかどうか微
妙だが、社会福祉法改正を受けて構築される財務諸
表全国データベースにより明らかになる社会福祉法
人の 2016 年度黒字率に左右されると思われる。
医療介護経営者にとって重大なことは、2018 年
のマイナス改定以降も報酬単価引き下げが続くと予
想されることである。なぜなら、財政リスクが高ま
る中で医療介護必要財源の膨張が続くからである。
国立社会保障・人口問題研究所の将来推計人口によ
れば、2010 年~ 2050 年の期間における人口の年平
均減少率は 0.69%である。しかし、医療技術進歩
による医療費増加が年率 1%程度あると考えられて
いる。その結果、人口減少の下でも医療費は増加が
止まらない。介護費は、高齢者数が増え続けるため
医療費を大きく上回るペースで膨らむこと必至であ
る。したがって、政策当局としては、財源不足を緩
和するために医療介護提供体制の効率化に取り組む
ことが急務である。
3.地域医療連携推進法人の誕生経緯と残された課題
人口当たり病院数や CT(コンピューター断層撮
影装置 )、MRI( 核磁気共鳴画像装置 )の設置数が
諸外国と比べて突出して多いことが象徴しているよ
うに、わが国の医療提供体制は過剰設備状態にある。
筆者は、先進諸国の医療提供体制を比較研究、わが
国の過剰設備投資の大きな理由の一つは広域医療圏
単位で強いリーダーシップを発揮できる大規模非営
利事業体が存在しないことにあるという結論に達
し、2005 年に出版した「 医療改革と統合ヘルスケ
アネットワーク」
( 東洋経済新報社、
共著者河野圭子)
の中で医療介護事業体の経営形態として非営利ホー
ルディングカンパニー認めるように提言した。そし
て、2013 年の社会保障制度改革国民会議で非営利
ホールディングカンパニーが議題にのぼり、2015
年医療法改正で地域医療連携推進法人が創設される
こととなった。
しかし、残念ながら、地域医療連携推進法人は筆
者が提唱した非営利ホールディングカンパニーとは
大きく異なり、次の点から医療介護提供体制を効率
化するには力不足である。
① 地域医療連携推進法人の主たる目的は、地域ご
とに医療法人がグループ形成することを促すこと
とされている。しかし、拙著「 医療・介護改革の
深層」
(2015 年、日本医療企画)に記したとおり、
医療法人の大部分を占める持分
(出資者の財産権)
あり医療法人は私有財産であるがゆえに営利事業
体である。厚労省も、医療法人の事業展開等に関
する検討会の第 1 回会議資料で 1925 年大審院判
例を示しそのことを確認している。医療法で剰余
金配当が禁止されていても残余財産に対する請求
権が出資比率に従い特定個人である出資者に認め
られているからである。にもかかわらず同検討会
では持分あり医療法人を非営利と位置付ける議論
が展開される一方、ライバル関係にある持分あり
医療法人同士でグループ形成することはほぼあり
得ないというニュアンスの意見が医療団体を代表
する各委員から繰り返し出ていた。結論を言え
ば、持分なし事業体が中心になったケースでなけ
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れば、地域全体最適を使命とする地域医療連携推
進法人は実現しないのである。
② つまり、複数の持分あり医療法人が参加する地
域医療連携推進法人の場合は、特定の持分あり医
療法人が大きな権限を持っておらず、機能分担、
患者情報共有で持分あり医療法人全体が従わざる
をえない強い公立病院等の持分なし事業体の存在
が不可欠である。逆に、その中核事業体のトップ
は、常に地域全体最適の経営判断ができる公平無
私の人物である必要がある。本稿では詳細を省く
が、持分あり医療法人は地域医療連携法人のメン
バーになるのではなく業務提携による参加が望ま
しい。持分あり医療法人がメンバーに入った地域
医療連携推進法人の場合、その付加価値の一部が
最終的に特定個人の利益になることとなり、将来
非課税優遇を受けることが困難になると思われる
からである。
③ 改正医療法は、地域医療連携推進法人が病院を
自ら所有し直接経営することを認めていない。こ
れは医療団体が地域医療連携推進法人の病院直営
に反対したからである。その結果、地域医療連携
推進法人の経営形態は一般社団法人となった。こ
れは非常に滑稽である。なぜなら、全国の医師会
立病院の大半が一般社団法人であり、かつ一般社
団法人には事業内容の制限がなく財務諸表を提出
する所轄庁もないからである。本来自由度の高い
一般社団地域医療連携推進法人の仕事を協議機能
に限定することは、地域医療連携推進法人の成長
を阻害する。地域全体最適の議論が物別れに終
わっても個々の参加メンバーの当面の業務に支障
がないため、経営意思決定がいつまでも先送りさ
れることになりかねないからである。したがって、
地域医療連携推進法人に対して中核施設直営を認
めるべきである。
④ 筆者は、規制改革会議健康医療ワーキンググル
-プ専門委員として社会医療法人と社会福祉法人
の合併を認めるように提言した。全国には経営者
が同じ社会医療法人と社会福祉法人のグループが
約 60 ある。その多くが既に地域包括ケアで中心
的役割を果たしており、グループ経営資源をさら
に有効活用する目的で合併を希望しているからで
ある。規制改革会議事務局から地域医療連携推進
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法人が代替策になると説明されて安心していた。
ところが、2016 年になって医療法人が複数参加
することを厚労省が地域医療連携推進法人の認可
条件としたため、地域医療連携推進法人を使った
社会医療法人と社会福祉法人の実質的合併ができ
なくなった。
⑤ 地域包括ケアの現場では病院による医療提供よ
り介護や生活支援の仕事のウエイトが大きい。し
たがって、地域包括ケア推進には社会福祉法人の
経営資源活用を高める施策が求められる。社会福
祉法人の中には聖隷福祉事業団(本部所在地浜松
市、2015 年度収入 1,055 億円 )のように友好関
係先として社会福祉法人 6、病院経営財団法人 2、
有料老人ホーム経営財団法人 2、医療法人 1 を有
しているところもある。その全体がグループとし
て機能分担、人材交流、資金調達ができるように
すれば、地域包括ケアの牽引車としてのパワーが
増す。筆者が非営利ホールディングカンパニーを
提唱した時には、医療介護福祉事業体の種類に関
係なく既に地域包括ケアで中心的役割を果たして
いる事業体に非営利親会社になる選択肢を与える
ことを想定していたが、判決で営利に分類されて
いる持分あり医療法人に的を絞った地域医療連携
推進法人に矮小化されてしまった。これは、アベ
ノミクスが掲げる地方創成に逆行する政策判断ミ
スである。
⑥ 医療機関で地域統合に動く可能性があるのは、
持分がなく利益や残余財産が特定個人に帰属する
ことのない社会医療法人、特定医療法人、公立病
院、国立病院、労災病院、地域医療機能推進機構
病院、日赤病院、済生会病院、大学付属病院など
である。ただし、2 つの問題がある。第 1 の問題は、
労働組合をはじめとする組織カルチャーの違いの
克服である。その解決には時間がかかるが、グルー
プ形成することで収益力が向上、労働条件の改善
につながることを実績で示せば解決可能と思われ
る。第 2 の問題は、国立病院機構や日赤がある地
域で各々の病院をグループから分離し経営統合さ
せた場合、財務諸表上グループ全体の事業規模が
縮小してしまうことへの本部幹部たちの抵抗感で
ある。これは、わが国で非営利組織連結会計の整
備が遅れていることから生じる懸念である。しか
し、次に述べるとおり総務省が「統一的な基準に
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よる地方公会計マニュアル」
( 平成 28 年 5 月改訂)
の「連結財務書類作成の手引き」で解説している
比例連結を適用すれば、この懸念を払拭できる。
4.非営利組織連結会計の整備が急務
非営利組織会計の全体像を理解するためには、日
本公認会計士協会が 2015 年 5 月に公表した報告書
「非営利組織の財務諸表の在り方に関する論点整理」
が必読である。同協会は我が国の非営利組織につい
て「幅広いステークホルダーのニーズに応え得る共
通的な会計枠組みの構築が必要」としているが、そ
の背景について、同協会の非営利法人委員会研究報
告第 25 号「非営利組織の会計枠組み構築に向けて」
では、「各所轄官庁の指導の下で発展してきた歴史
的背景を反映して、法人形態ごとに会計基準や作成
する財務諸表に違いが大きく、一般の情報利用者に
よる横断的な理解は困難な状況にある」と指摘して
いる。当研究所が 2015 年 9 月 2 日に開催したシン
ポジウム「2015 年医療・福祉法人制度改革について」
の中で、公認会計士森洋一氏より次の指摘を頂いた。
① わが国の非営利組織では法人格ごとに会計基準
が異なり、組織連携をする際に共通の物差しで経
営状態や生産性について評価、さらにはマネジメ
ントすることが難しい状況にある。
② そのような会計の分断は、組織連携や統合を図
るうえでの大きな障害になりうる。
上記の論点整理の中では、連結情報についても重
要論点として取り上げられている。同協会は、引き
続き各論点の詳細版を順番に作成中であり、非営利
組織における連結会計の詳細版もいずれ公表となる
ことが予想される。その内容がわが国の非営利組織
連結会計の基準になると期待される。
一方、総務省の「連結財務書類の手引き」は、独
立行政法人等を念頭に置いて作成されたものである
が、非営利組織連結会計の基本原則が盛り込まれて
いる。筆者は、この独立行政法人の連結会計の考え
方を持分のない官民両方の医療介護福祉事業体に適
用すれば、全国各地に大規模な非営利ホールディン
グカンパニーを創出することが可能と考えている。
連結会計の方法は全体連結、持分法、比例連結の
3 つである。全体連結とは、連結対象子事業体に他
にマイナー出資者がいたとしてもその出資割合とは
無関係に当該子事業体の財務書類全てを親事業体の
財務書類と合算、マイナー出資者の権利は親事業体
の純資産に反映させる方法である。図表 1 のとおり、
全体連結が適用されるのは、その親事業体が業務運
営に実質的に主導的立場を確保しているケースであ
る。この全体連結を適用する際の判断基準は、営利
企業か非営利組織かに関係なく共通しており、全体
連結は前述した聖隷福祉事業団が友好関係先とグ
図表 1:総務省が「連結財書類作成の手引き」で示した適用範囲
都道府県
・市区町村
全部連結
比例連結
一部事務組合
・広域連合
○
(全部連結)
ー
ー
地方独立行政法人
地方三公社
第三セクター等
○
○
○
(出資割合 50%超又は
( 業 務 運 営 に 実 質 的 に( 業 務 運 営 に 実 質 的 に 出資割合 50%以下で業
主導的な立場を確保し 主導的な立場を確保し 務運営に実質的に主導
ている地方公共団体が ている地方公共団体が 的な立場を確保してい
全部連結)
全部連結)
る地方公共団体が全部
連結)
△
△
△
( 業 務 運 営 に 実 質 的 に( 業 務 運 営 に 実 質 的 に( 業 務 運 営 に 実 質 的 に
○
主導的な立場を確保し 主導的な立場を確保し 主導的な立場を確保し
(経費負担割合等に ている地方公共団体を ている地方公共団体を ている地方公共団体を
応じて比例連結) 特 定 で き な い 場 合 は、特 定 で き な い 場 合 は、特 定 で き な い 場 合 は、
出資割合、活動実態等 出資割合、活動実態等 出資割合、活動実態等
に応じて比例連結)
に応じて比例連結)
に応じて比例連結)
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ループ形成する時に適している。持分法とは、マイ
ナー出資者である親事業体が子事業体の純資産と利
益の部分のみを出資割合に応じて自分の財務書類に
合算する方法である。比例連結とは、親事業体が複
数ある中で各々の親事業体が連結対象子事業体の財
務書類を出資割合等に応じて合算する方法である。
比例連結が適用されるのは、いずれの親事業体も主
導的立場を確保しておらず意思決定が協議で行われ
るケースである。
会計理論上の理屈は省略するが、株式会社の場合
は経営の主導権を確保していない関連会社を財務
諸表に反映する方法として比例連結ではなく持分
法が原則となっている。しかし、国際公会計基準
(International Public Sector Accounting Standards)
は、「IPSAS 第 8 号 - ジョイント・ベンチャーに対す
る持分」において、非営利組織間の合弁事業のよう
に出資者の共同支配で運営される事業体については
比例連結を適用することを提唱している。なお、合
弁事業には当該事業体に法人格を与えるケースと与
えないケースがあることを知っておく必要がある。
総 務 省 は、 前 述 し た 地 方 公 会 計 マ ニ ュ ア ル の
「Q&A 集」において、独立行政法人等の地方公共団
体が他者との合弁事業を自らの財務書類に反映させ
る方法として持分法ではなく比例連結を採用する理
由を次のように記している。
「 企業会計で採用されている持分法については、
連結対象団体(会計)の純資産や利益に着目し、そ
れらについての持分のみを連結財務書類に反映する
ことになり、一般に利益の追求を目的としない地方
公共団体にはなじまないため、同手法は採用しない
こととします。」
5.非営利ホールディングカンパニーの本質
連邦政府公表統計によれば、2014 年における米
国の医療費(介護費も含む)は 3 兆ドルを超え GDP
に対する割合も 17.5%と先進諸国の中で突出して高
い。しかしながら、医療費増加が財政問題として取
り上げられることはあっても、「医療費増加が経済
成長のマイナス要因」という議論はほとんど聞かれ
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ない。その理由は、拙著
「医療・介護改革の深層」
(2015
年、日本医療企画 )で解説したとおり、2000 年以
降のデータで見ても医療費が米国企業の人件費増加
要因の 13.2%を占めるにすぎない、これは米国経
済全体の生産性上昇が医療費増加を吸収しているこ
とを意味する、医療・介護施設の多くが Integrated
Healthcare Network( 略称 IHN)と呼ばれる地域包
括ケア事業体に所属し大規模であることから医療・
介護サービス産業自身の生産性向上も進んでいる、
ほとんどの地域で IHN が最大の雇用主であり新規雇
用創出と人材育成の源になっているからである。
IHN の経営形態は、利益が特定個人に帰属するこ
とのない非営利のホールディングカンパニーであ
り、年間収入が平均数千億円、中には一医療圏(人
口4~5百万人)
で1兆円超のものもある。非営利ホー
ルディングの本質は、持分のない親非営利組織が持
分のない子非営利組織を人事権でホールドすること
にある。出資関係で結びつくのではなく地域全体最
適を目指す使命感と信頼関係で結束しているのであ
る。株式子会社を持つことも許されている。その配
当が IHN 自身に入るのであれば特定個人への利益還
流はないので非営利性は棄損されない、という考え
方である。
このような非営利ホールディングの本質が最も顕
著に表れるのは合併時である。2 つの IHN が合併す
る時に資金のやりとりは原則発生しない。IHN は地
域の共有財産であり、特定個人・法人の出資者が存
在しないからである。米国バージニア州の IHN セン
タラヘルスケアは、従来の医療圏外の IHN を合併す
ることで近年急成長を成し遂げた。これは、吸収合
併される IHN をガバナンスしている地域住民が評判
の高いセンタラヘルスケアに経営委託してくるので
ある。その結果、センタラヘルスケアは新たな市場
と経営資源をタダで獲得できている。センタラヘル
スケアは、自分の 5 分の 1 の事業規模しかない吸収
合併される IHN 側の地域住民に合併後の理事会メン
バー( ガバナンス機能のみで経営実務は行わない )
の 2 分の 1 を決める権限を与えたことがある。この
ようなことができるのも、地域全体最適を目指す使
命感と信頼関係が IHN の求心力になっているからで
ある。
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これに対してわが国の医療介護事業体は、民間の
場合は中小規模のファミリー事業体が多い。そのた
め、技術進歩や地域住民のニーズの変化に合わせて
投資し生産性向上を図ることが難しい、若者が就職
してもキャリアデベロップメントの仕組みがなく人
生設計も描けない、といった構造的問題がある。し
かし、わが国の医療介護サービス提供体制の非効率
の主たる原因は公的事業体側にある。本来広域単位
で全体最適を目指す主体となるべき国立病院、労災
病院、自治体立公立病院、地域医療機能推進機構病
院、大学付属病院などが同じ医療圏にありながら補
助金や非課税優遇の恩恵を受けつつ過剰投資競争を
しているからである。
6.規制改革推進会議に期待する
これら公的事業体病院の病院長の多くは、自分の
病院の経営のことだけで頭が一杯である。その一方
で、単独施設経営のままでは自らの使命を果たすこ
とができず他の公的事業体病院と経営統合する必要
性に気づいている病院長もいる。地域によってはそ
のような病院長が数名集まり経営統合について話し
合いが行われている。しかし、彼らは雇われ病院長
であり経営統合を決定する権限がない。決定権限を
持っているのは、地方議会や東京にある公的事業体
病院本部である。
前述のとおり、公的事業体病院本部がグループ病
院の地域経営統合参加に抵抗感を持つ理由の一つ
は、当該病院を分離して地域経営統合によって組成
される合弁事業(またはその法人)に参加させた場
合、自らの事業規模が財務諸表上小さくなる可能性
にある。しかし、比例連結を適用して財務諸表を作
成することでこの懸念を払拭できる。また、合弁事
業の契約には、統合後の資金拠出割合も反映する形
で随時合弁事業に対する権利割合を決めるための
ルール条項も入るはずである。加えて合弁事業に対
する権利の一部を他の出資者または合弁事業法人に
売却するルールを規定しておけば、各出資者は自ら
のグループ全体で経営資源の地域配分変更を行う必
要が生じた時に柔軟な対応が可能になる。
安倍総理は、2014 年 1 月 22 日スイスのダボスで
開催された世界経済フォーラム年次総会で基調演説
を行う中で「日本にもメイヨークリニックのような
ホールディングカンパニー型の大規模医療法人がで
きてしかるべきだから、制度を改めるようにと追加
の指示をしました」と宣言した。その結果創設され
たのが地域医療連携推進法人なのだが、私有財産で
ある持分あり医療法人が中心となった協議体であり
病院直営もできない状態で、地域医療連携推進法人
が将来メイヨークリニックにまで進化することはあ
りえない。メイヨークリニックとは、臨床研究で世
界トップ評価を誇る事業規模 1 兆円超の非営利 IHN
であり、その中心は直営病院群だからである。
一方、わが国の医療介護市場は 50 兆円を超えて
世界第 2 位の規模にある。既存の経営資源のガバナ
ンスを変革することで医療介護産業の生産性を高め
ることは、アベノミクスの成長戦略の課題である
サービス産業の生産性向上に直結する。そのための
ツールとして、比例連結を適用した非営利ホール
ディングカンパニー制度を既存の医療介護福祉事業
体に認める方が地域医療連携推進法人よりも優れて
いることは明白である。非営利事業体の合弁事業に
関する会計制度の問題だから地域医療連携推進法人
の時のように業界団体委員を集めて審議する必要も
ないはずである。重要なのは、グループ形成の具体
的案件を対象に日本公認会計士協会報告書が指摘し
ている連結会計上の問題を解決する方法を提示する
ことである。また、現在地域医療連携推進法人に立
候補している案件の多くは、持分なし事業体のグ
ループ形成である。であれば、彼らにも比例連結に
よる非営利ホールディング機能活用を認めれば、地
域医療連携推進法人のバージョンアップになる。
そこで、9 月に発足した規制改革推進会議で比例
連結を適用した非営利ホールディングカンパニー制
度が検討されることを期待したい。その検討が始ま
り非営利組織連結会計の意義が理解されれば、各地
で公的事業体病院間の経営統合や既に百億円を超え
る事業規模になっている社会医療法人、社会福祉法
人などから手があがると予想されるからである。 ■
(キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹 松山 幸弘)
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日本の保健医療支出は先進国で最高水準の可能性
日経ビジネスオンライン 2016 年 9 月 29 日 掲載 ● 小黒
財務省が 2016 年 8 月末に取りまとめた概算要求
の総額( 国の一般会計 )は約 101 兆円で、100 兆円
の大台を 3 年連続で突破した。2016 年 12 月に閣議
決定する 2017 年度予算案に向けて、これから本格
的な予算編成が始まる。その際、歳出抑制の主な対
象となるのは、医療・介護を含む社会保障費である。
このような状況の中、OECD が衝撃的なデータを
公表した。保健医療支出(対 GDP)など保健医療関
係の最新データだ。このデータが衝撃的である理
由は、2015 年の日本の保健医療支出(対 GDP)が、
OECD 加盟 35 か国中 3 位( 米国とスイスに次ぐ )
に急上昇したからである(図表 1)。
厚生労働省は、財務省との予算折衝などにおいて
医療予算の増額を要求するとき、高齢化が進展して
いるにもかかわらず、日本の医療費が先進国の中で
低水準かつ効率的である根拠として、保健医療支出
(対 GDP)の国際比較を利用してきた。しかし日本
の保健医療支出が 3 位であることが事実であれば、
その根拠が弱まる可能性がある。
OECD の「保健医療支出」は、
(1)
「 国民医療費」に、
(2)介護保険に係る費用のほか、
(3)健康診査や(4)
市販薬の売上などの費用を加えた概念。急上昇した
主な原因は、保健医療関係データの基準を OECD が
変更したことである。
旧基準(A System of Health Accounts 1.0)に基
づけば、近年の日本のランキングは 10 位前後。例
一正
え ば 2014 年 の 日 本 の 保 健 医 療 支 出( 対 GDP)は
10.1%で、OECD加盟35か国中10位
(米国、オランダ、
スイス、スウェーデン、ドイツ、フランス、デンマー
ク、ベルギー、カナダに次ぐ)であった。
だが、新基準(A System of Health Accounts 2011)
を適用すると 11.2%になり、その順位は(微妙な差
で)3 位だが、2 位のスイスと同水準に急上昇する。
「高福祉国家」の象徴であるオランダ、
スウェーデン、
デンマークなどよりも上位となる。
データを精査すると、日本が置かれた状況は、よ
り深刻である可能性もある。というのは、新基準を
適用すると、2014 年と 15 年は 3 位だが、2011 ~
13 年の間、OECD 加盟 35 か国中 2 位(米国に次ぐ)
であったからである。
これは、米国を除けば、2011 ~ 13 年の間、日本
の保健医療支出( 対 GDP)は OECD 加盟国 34 か国
中 1 位となっていたことを意味する。米国の医療は
原則的に自由診療であり特殊であるため他の国と同
列に比較することはできない。
これは一体、何を意味するのか。日本の保健医療
システムは、1961 年に掲げた「 ユニバーサル・ヘ
ルス・カバレッジ」という理念の下、最近まで、比
較的少ない負担で質の高い保健医療サービスを提供
してきた。これは事実だが、高齢化により医療費が
伸びる事態は避けがたくなりつつあるということ
だ。
図表 1:OECD 諸国の保健医療支出(対 GDP)
(出所)「OECD Health Statistics 2016」から筆者作成
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例えば、厚労省の推計(「 社会保障に係る費用の
将来推計について《 改定後( 平成 24 年 3 月)》」)で
は、2015 年度に約 50 兆円であった医療・介護費は、
2025 年度には約 74 兆円に膨らむ見通しである。団
塊の世代が全て 75 歳以上になるからだ。この 10 年
間で、医療費は約 40 兆円から約 54 兆円に、介護費
は約 10 兆円から約 20 兆円に増加するという試算だ
(合計 24 兆円)。これは 2025 年度に向けて、医療・
介護に関する抜本的な改革が急務であることを示唆
する。
対象範囲の見直しで順位が上昇
ところで今回の基準変更は、これまで曖昧で不透
明であった長期医療サービスの定義や境界を明確に
するために行われた。新基準では、長期医療サービ
スに「医療の有資格者が提供するサービス」のほか、
「ADL(Activities of Daily Living:日常生活動作 )に
関するサービス」などが加わった。
日本の介護保険に係る費用では、旧基準には含ま
れなかった 38 サービス( 例:
「 通所介護 」
「 訪問入
浴介護」
「認知症向けの生活介護」)が含まれること
になった。これが日本の順位が急上昇した大きな要
因である。
今回の基準変更に伴い、日本以外に、保健医療支
出( 対 GDP)が大幅に変化した国はどこか。2013
年のデータに基づき、比較したのが以下の図表 2 で
ある。図表では、「 変化幅 」を「 新基準の保健医療
支出(対 GDP)から旧基準のものを引いた値」と定
め、変化幅の大きい順に左側から並べた。
変化幅はアイルランド(2.37%ポイント )、英国
(1.47%ポイント )、日本(1.09%ポイント )、フィ
ンランド(0.87%ポイント )、スペイン(0.23%ポ
イント)の順で大きく変化した。
新基準に基づく公表は今回が初めて。対象となっ
た国々の医療・介護制度は極めて複雑かつ多様であ
り、新基準で加算すべき他の国の介護関係コストな
どに見落としがあれば、今後順位が変わる可能性も
十分にあり得る。各国の数値は慎重に評価する必要
があることはいうまでもない。
ただし、日本の保健医療支出(対 GDP)が今後も
上位を占める場合、それは我々に重い宿題を突きつ
けることになるはずだ。財政赤字が恒常化して債務
残高が対 GDP で 200%を超える中、社会保障の給
付と負担のバランスを含めて再検討する必要が生じ
る。
その場合、改革の哲学や方向性が重要なカギを握
る。この連載コラムでも、「医療費の自己負担率を
疾病別に:実態調査で試算」や「『地域包括ケア・コ
ンパクトシティ』構想の課題」で改革の方向性を示
してきた。先般、『2025 年、高齢者が難民になる日
― ケア・コンパクトシティという選択 』
( 日経プレ
ミアシリーズ)を刊行し、より踏み込んだ包括的な
政策提言をしている。
「 地域包括ケア・コンパクトシティ」構想は一つ
の試案だが、今回の保健医療支出(対 GDP)に関す
る OECD の公表を受けて、医療・介護の抜本改革に
■
向けた政策論争が広がることを期待したい。
(キヤノングローバル戦略研究所 主任研究員 小黒 一正)
図表 2:保健医療支出(対 GDP)に関する新基準と旧基準の比較(2013 年)
(出所)
「OECD Health Statistics 2016」「OECD Health at a glance 2015」から筆者作成
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デフレ期待は「将来不安」
日本経済新聞「経済教室」2016 年 10 月 17 日 掲載 ● 小林
日本銀行は 9 月 20、21 日の金融政策決定会合で、
長短金利を誘導目標とする新たな緩和の枠組みを決
め、引き続き 2% インフレの達成を目指す姿勢を強
調した。ここで日銀はデフレ期待を払拭するために
オーバーシュート型コミットメント(2% のインフ
レが実現してからもしばらくは緩和政策を継続する
という約束)も決めた。
9 月 29 日の本欄で日銀の内田真一企画局長が表
明しているとおり、その背景には、期待は「過去の
経験」に引きずられる、という「適合的期待」の仮
定がある。その場合は、日銀が 2% インフレに強く
コミットすることで、過去のデフレの経験によって
できた「デフレ期待」を吹き飛ばそう、という発想
は単純明快で正当なものである。
しかし、過去の経験だけでなく、将来の不安が期
待に影響しているとしたら、ことはそれほど簡単で
はない。
欧米経済の「長期停滞論」も、期待の変化が関係
しているかもしれない。ニューヨーク大学のロー
ラ・ヴェルドカンプ教授らの 2015 年の論文は、08
~ 09 年のたった 1 回の金融危機が、米国経済を長
日本の潜在成長率
(出所)日銀
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慶一郎
期的に停滞させる可能性があることを期待形成のメ
カニズムから定量的に示した。
標準的な経済学で使用される「 合理的期待仮説 」
では、人々はすべての情報を合理的に使って将来に
ついての期待を持つので、経済の構造変化がなけれ
ば、期待が変わることはない、と想定されている。
つまり金融危機という一過性の経験だけでは期待は
変わらないはずなのである。
一方、少し古い経済学が仮定する適合的期待で
は「人々は過去に起きたことがそのまま未来にも起
きると期待する」と仮定される。この仮説が正しけ
れば、金融危機の経験は、人々の期待を大きく変え
るといえる。しかし適合的期待仮説は、人間が将来
を合理的に予測する能力はゼロだと仮定するに等し
い。それはあまりに極端である。
現実の世界では「 合理的期待 」と「 適合的期待 」
の中間的な方法で人々は期待形成していると考えら
れる。日銀の分析や政策決定も、そのような中間的
な期待形成のあり方を想定している。ヴェルドカン
プ教授らの論文は、中間的な期待形成メカニズムを
新たに理論化した。
彼 女 ら の 論 文 で は 合 理 的 期 待 仮 説 と は 異 な り、
「 人々は危機の確率分布のかたちを事前には知らな
い」と仮定した。そのうえで「人々は、毎年の経験か
ら得たデータを使って確率分布のかたちを推定する」
と仮定した。つまり、人々は経験から徐々に学習して
金融危機が起きる確率を学んでいくという仮説であ
る。これは「期待学習仮説」と呼ぶことができる。
たしかに、現実の世界で、人々が金融危機の発生
確率を事前に知っているはずはなく、経験から学習
するしかない。また、期待学習仮説は、人々が今あ
る情報を使ってベストを尽くして将来予測をすると
いう合理的期待仮説の考え方とも矛盾しない。むし
ろ合理的期待仮説を、現実的に拡張した考え方と言
える。
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ヴェルドカンプ教授らの理論では、大きな金融危
機が起きると、そのデータを使って人々が確率分布
のかたちを推定するため、推定結果が大きく変わっ
てしまう。それまでの「金融危機は起きない」とい
う期待が、08 ~ 09 年を境に「 金融危機は数十年に
1 回は起きる 」という期待に変わった。つまり、1
回の金融危機によって、期待の永続的な変化が起き
るのである。
この期待変化が米国の消費や投資を低下させ、国
内総生産(GDP)の水準の長期的低下を引き起こし
た、とヴェルドカンプ教授らは論じている。
期待が過去の経験からの学習と合理的な将来予想
の混合物だと考えると、日本のデフレ期待をめぐる
論点は整理しやすくなる。
デフレ期待が過去の経験(20 年近く続いたデフ
レ)によって刷り込まれているとすれば、インフレ
へのコミットメントを日銀が強力に実行すること
で、いずれインフレ期待が生まれる。そのとき需要
は完全雇用状態よりも大きくなり、一時的に景気は
過熱状態になるが、それを容認してでもインフレを
起こそうというのが日銀の狙いであろう。
しかし、ヴェルドカンプ教授らの論文が想定した
ようなテールリスク(なんらかの危機のリスク)が
高まっていることが日本のデフレの原因だったら、
そのようにはいかない。日本経済で想定される国内
要因の最大の危機とは、財政危機である。
ヴェルドカンプ教授らの理論によると、米国経済
では金融危機の経験によって危機再来の期待が高
まったが、日本の場合、財政危機はまだ起きていな
いので、期待は危機の「経験」によって高まってい
るのではない。日本の政府債務の増え続ける金額を
見て、人々が「予想」する危機のインパクトが年々
大きくなっていることが問題なのである。
周知のとおり、日本の政府債務は加速度的に累増
しており、いまや GDP の 250% とされる( 国際通
貨基金= IMF 推計)。政府の債務は、国民が支払う
税収で返済されるのだから、われわれ国民の借金で
ある。
政府債務は国民 1 人当たり 1000 万円弱。4 人家
族なら 4000 万円の借金をいつのまにか背負わされ
ているという計算になる。この借金をいつどういう
かたちで返せと言われるか分からない、という状況
に日本国民は置かれているのである。
増税、歳出カット、高インフレ、のいずれかは避
けられないのだが、どれがいつどのような形でやっ
てくるか分からない。しかも、債務が年々増えてい
るので、それらが実現したときに予想される生活の
「 痛み 」は年々大きくなる。これでは、いくら日銀
が旗を振って「さあいま消費を増やせ」と言っても、
国民はこわくて消費できない。
日本の財政危機のテールリスクは、政府債務が増
えるにしたがって、年々、大きくなっている。テー
ルリスクが増大し続けるならば、ヴェルドカンプ教
授らの理論モデルでは、総需要の縮小が年々ひど
くなる。すると、GDP の水準が下がるだけでなく、
その後の成長率も下がる。また需要を下押しする圧
力が年々強くなれば「 慢性的なデフレ期待がある 」
と認識されることになる。
つまり、日本では政府債務が加速度的に膨張し、
財政破綻のテールリスクも年々大きくなっているた
め、需要の収縮圧力が年々強まり、経済成長率の長
期的な低下とデフレ期待の持続が起きているのでは
ないか。こうした理論的な予想ができるのだ。
政府も日銀も認めているとおり、近年、日本の潜
在成長率は極端に低下してゼロ%台に落ち込んでい
る。潜在成長率が低下する理由は、通常であれば、
技術進歩の問題だ。その場合、経済成長率を高める
政策は、構造改革(成長戦略にもとづく規制緩和など)
によって技術進歩のスピードを上げることである。
しかし、財政のテールリスクの増大が低成長とデ
フレ期待の原因ならば、まず財政再建の明確な道筋
を国民に見せることが必要になる。それには日銀だ
けがデフレ脱却にコミットしても効果は薄い。政府・
日銀が一丸となって財政のテールリスクを払拭する
ことが、デフレ脱却と成長回復のために求められて
■
いるのではないか。
(キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹 小林 慶一郎)
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企業版ふるさと納税のポイントと課題
一般財団法人企業経営研究所 季刊誌 [ 企業経営 ] 2016 年秋号(No.136)掲載 ● 柏木
はじめに
「企業版ふるさと納税」とは、地方再生法のもと、
恵
治体の課題などについて、自治体への電話インタ
ビュー結果を交えて解説する。
国
(内閣府)
が認定した自治体の地方創生のプロジェ
1.企業版ふるさと納税のポイント
た税額控除が受けられるという制度である。平成
ここでは、企業版ふるさと納税の流れ、対象とな
クトに対して、企業が寄附を行った場合に、新設し
28 年度から平成 31 年度までの 4 年間の時限措置で
ある。
「 企業版ふるさと納税 」の正式名称は、「 地方創
る自治体、企業のメリット、留意点を述べる。
(1)企業版ふるさと納税の流れ
生応援税制」である。志のある企業が地方創生を応
「 企業版ふるさと納税 」の流れは、図 1 のように
しやすいように、税負担の軽減効果を 2 倍にし、寄
のは、地域再生法に基づき、「まち・ひと・しごと創
援する税制という意味で名づけられた。企業が寄附
附額の下限は 10 万円とし、少額寄附を可能とした
制度である。
国は、地方交付税交付金や国庫負担金などの財政
を通じて、自治体へ財源を移転している。消費税増
17 のステップで表わせる。多くのステップを踏む
生寄附活用事業」として国が認定した、地方版総合
戦略に位置付けられた事業であり、かつ、地方創生
を推進する上で効果の高い一定の事業に対して企業
が行う寄附に対して税額控除を認めるからである。
税の延期にみられるように、国税のパイを増やすこ
具体的な流れを説明する。国は、自治体があらか
源を新たな形で負担してほしい。民間資金を地方創
計画を作成し、地域再生計画として内閣府に申請
とは容易でない。国民や企業に対して、自治体の財
生に活用してほしい。都市部に偏る企業の税収を地
方に移したいという願いがある。こうした背景から、
近年では、「 個人版ふるさと納税 」が創設され、国
民が自由に自治体へ寄附ができるようになり、ここ
数年の寄附額の伸びが著しい。そして、今回の「企
業版ふるさと納税」によって、企業の自治体への積
極的な寄附が期待される。
自治体は、これまで以上に、企業から寄附という
形で資金調達することが可能となった。ただし、こ
の「企業版ふるさと納税」には、いろいろな前提条
件や留意事項があるため、わかりにくい点が多い。
「 個人版ふるさと納税 」の企業版と捉えて、取り組
むと全く違うことに驚くことになる。
そこで、本稿では、「 企業版ふるさと納税 」の仕
組みや寄附する企業側のメリット・留意点、国・自
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じめ企業に相談し、寄附の見込みを立てた上で事業
するという流れを想定しているため、①企画立案、
② 企業への寄附の依頼、企業による ③ 寄附の検討
の後、④ 寄附の申出があり、自治体が ⑤ 地域再生
計画を作成する。そして、⑥ 認定申請を行い、内
閣府が ⑦ 審査し、⑧ 認定し、⑨ 公表する。それを
受けて、自治体は ⑩ 認定事業の公表を行う。そし
て、⑪ 事業を実施し、当年度の事業が終了した段
階で ⑫ 事業費が確定するので、企業に対して ⑬ 寄
附の要請ができることになる。それを受けて、企業
は ⑭ 寄附を払い込む。自治体は ⑮ 事業費の範囲内
において寄附を受け入れる。そして、民間企業に対
して、⑯領収書を交付し、企業は、その領収書をもっ
て、⑰ 損金算入と税額控除のため、税の申告を行
うという流れになる。
自治体が作成する地方再生計画の事業は、しごと
創生や結婚・出産・子育て等の観点から効果の高い
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地方創生事業である。
と地方税を合わせて寄附額の約 3 割の損金算入が認
図1 企業版ふるさと納税のフロー
企業版ふるさと納税による寄附を行う場合、図 2
められ、残り 7 割分は企業負担であった。
のように、さらに 3 割分が税額控除の対象となり、
企業負担は約 4 割となる。3 割お得になったという
わけである。たとえば、1000 万円を企業版ふるさ
と納税として寄附すると、損金算入と税額控除によ
り、実際の企業負担は 400 万円になる。
図2 税制のメリット
(2)対象となる自治体
地方版総合戦略を策定したすべての自治体が認定
されるわけではなく、次のいずれかに該当する自治
体は対象外となる。
① 地方交付税の不交付団体である都道府県
② 地方交付税の不交付団体であり、その全域が地
方拠点強化税制の支援対象外地域とされている市
町村
平成 28 年度は 18 自治体が対象外である。① の
条件には、東京都(23 特別区を含む)が該当する。
② の条件下では、埼玉県が戸田市と美芳町、東京
税額控除の詳細は以下のとおりである。
① 法人住民税
寄附額の 2 割を税額控除(法人住民税法人割額の
20%が上限)
都では立川市、武蔵野市、三鷹市、府中市、小金井市、
② 法人税
県では浦安市、市川市、神奈川県では鎌倉市、藤沢
法人住民税の控除額が寄附額の 2 割に達しない場
国分寺市、調布市、多摩市、羽村市、瑞穂町、千葉
市、厚木市、寒川町が該当する。
(3)企業のメリット
合、寄附額の 2 割に相当する額から法人住民税の控
除額を差し引いた額を控除(寄附額の 1 割、法人税
額の 5%が上限)
企業のメリットは、企業の知名度向上と 10 万円
③ 法人事業税
る。
寄附額の 1 割を税額控除( 法人事業税額の 20%
企業が寄附を行った場合、現行の税制では、国税
止後は 15%)
の寄附から新設の税額控除が受けられることであ
が上限、ただし、平成 29 年度の地方法人特別税廃
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(4)留意点
まず、企業が認識すべきなのは、「個人版ふるさ
と納税」の企業版ではないということである。個人
版ふるさと納税では、特産品などの返礼品に人気が
集まり、まるで税制を利用したカタログショッピン
グのようになっているが、「 企業版ふるさと納税 」
には、返礼品はない。
そして、自治体は寄附を行う企業に対し、寄附の
代償として経済的利益を与える以下の行為を禁じら
れているため、寄附をすれば何らかの見返りがある
とは思わない方がよい。寄附しても、扱いは寄附し
ていない他の企業と同じとなる。
① 寄附額の一部を補助金として供与すること
② 入札や許認可で便宜を図ること
③ 有利な利率で融資すること等
さらに、企業が本社の立地する自治体に対する寄
附は対象外であり、税額控除が受けられなくなるの
事業費計 = 寄附額計としたケースでは、ほぼ見通
しが立っているケースと、これから企業を探すが、
頑張り目標として計上したケース、財政が厳しいの
で本気で寄附を集めなければならないと考えている
ケースがあった。
一方、100 万円以下の計画書では、集まらなけれ
ば一般財源を投入すればよいと悠長に構えている
ケース、見通しが立っていないので下限の 10 万円
を積み重ねたケース、企業から 10 万円程度の寄附
を申し出されていたケースである。
(2)寄附法人名について
計画書の中には、はっきりと企業名が掲載されて
いるものと、業種のみにとどまっているものがあっ
た。業種のみとなっている理由を聞くと、企業側か
ら名前を伏せてほしいと依頼があったケースと、具
体的な企業がみえていないため見込みで記載した
ケースがあった。
(3)寄附法人の見つけ方
で要注意である。つまり、企業は本社のある自治体
どのように寄附法人を見つけたかを聞いたとこ
たい自治体に寄附をすると税額控除が受けられる。
て、首長や担当者が直接企業に訪問しているケース
以外、たとえば営業所や工場のある自治体や応援し
2.インタビューからわかったこと
2016 年 8 月 2 日 に は、 平 成 28 年 度 第 1 回「 企
業版ふるさと納税 」の対象事業として、87 自治体
102 事業の認定が決定された。 内閣府のホームペー
ジで、102 事業の計画書を見ることができるが、各
計画書をみているうちに、いくつかの疑問点が浮か
び、30 事業に対して電話インタビューを行った。
(1)寄附額と寄附法人について
ろ、首長や出先機関からの紹介や同郷の集いを通じ
が多かった。企業版ふるさと納税が始まる前から企
業から寄附の話があった自治体も 3 件ほどあった。
秋田県仙北市では、寄附法人のインフォテリア株式
会社の商品「Handbook」が1000件導入されたので、
角館の千本桜にちなんで桜の保全を目的に寄附をし
たいという話があった。「千」という数字が結びつ
けた縁である。仙北市は、来年度向けて、東京にあ
るアンテナショップでメディアを集めてプレス発表
する予定である。
3.「企業版ふるさと納税」の課題
102 事業の計画書には「(7)寄附の見込額 」とい
自治体にとって、「 企業版ふるさと納税 」は財源
書もあれば、寄附額が 100 万円以下の計画書もある。
地域への社会的貢献が実現でき、日本経済の発展に
う欄がある。事業費計 = 寄附額計としている計画
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調達の新たな選択肢となりうる。企業にとっても、
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も寄与する可能性があり、CSR(企業の社会的責任)
おわりに
と、利用しにくい点がみられる。
本稿では、「 企業版ふるさと納税 」の仕組みや寄
① 寄附したいときに寄附できない
題などについて、自治体への電話インタビュー結果
の選択肢になりうる。しかし、企業側に立ってみる
自治体は事業費額が決定した年度末に寄附を受け
入れるルールとなっており、企業は寄附したいとき
や寄附できるときに寄附ができない。
② 寄附額をキープできない
事業費額を超えて寄附を受け入れてはいけない
ルールとなっているため、企業が多額の寄附をした
くても断られる可能性があり、自治体としても寄附
金を積み立てることができない。クラウドファン
ディングの方がいいのではないかと考えている自治
体もある。
国は、もっと企業側の立場に立って制度を見直し
た方がよい。自由度を増やした方が企業も寄附しや
すくなる。
自治体の課題はアカウンタビリティである。企業
版ふるさと納税は寄附した企業に見返りをしないの
がルールであるが、寄附をすれば見返りがあると考
えるのが一般的である。そこで、あらぬ疑いをかけ
られないために、最初から最後までオープンにして
附する企業側のメリット・留意点、国・自治体の課
を交えて解説した。
国税庁の統計では、2014 年の企業による寄附税
制が 7000 億円に上っており、もともと企業には社
会や地域に貢献しようとする意識があることを示し
ている。そうであるのに、わざわざ税額控除を設定
して企業の寄附を促そうとする姿勢には、税制を歪
ませる観点から賛同できない部分もあるが、制度が
実施された今、自治体も企業もうまく活用した方が
よい。
寄附は、企業の業績や景気に左右される側面もあ
る。企業の知名度向上などメリットと比較検討して、
企業が寄附をやめてしまうこともありうる。そこで
自治体は、それぞれの地域が持っている良さを認識
し、企業が寄附したくなる事業を発案することが重
要である。工夫次第で価値が生まれるという自信に
つながるだろう。企業側も本来持っている社会貢献・
地域貢献の意識を発揮し、地方創生に寄与してほし
■
い。
(キヤノングローバル戦略研究所 主任研究員 柏木 恵)
おくことが重要である。ホームページや広報誌を通
じて、認定事業の内容、寄附法人の名称と寄附額、
事業費などを公表した方がよい。特に入札について
は、説明責任に気を付けた方がいい。
また、横並びを避けるためにも、自治体のもてる
資源を生かした独自色のある事業を立案することで
ある。産業振興策の一環として企業誘致を進めてい
る自治体もある。自治体の方向性を明確にするため、
対象事業の立案では、既存の企業誘致策や地域振興
策との兼ね合いを考える必要もある。寄附企業を集
めるには、自治体の発信力が試される。
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輸入米価格の偽装をめぐる本当の問題とは何か
民進党は、国民に二重の負担を強いている米政策の全面的な廃止を対案として提示せよ
WEBRONZA 2016 年 10 月 5 日 掲載 ● 山下
一仁
ある全国紙が、米を輸入する商社が実際の輸入価
売業者(買い手)と輸入商社(売り手)がペアになっ
省の予定価格(150 円)通りに輸入したと偽り、農
のから枠を落札できるというものである。この差は
格(例えば 100 円)よりも高く設定された農林水産
水省の予定価格よりも安く輸入した部分(50 円 )
を卸売り業者にリベートとして支払い、卸売り業
て入札し、国内販売価格と輸入価格の差の大きいも
マークアップと呼ばれ、農林水産省が徴収する。
者は農水省が予定した国産米と同水準の販売価格
輸入米価格偽装・リベートとは何か ?
した。
今回の問題を仮の数字を当てはめて説明しよう。
農水省が、輸入米の価格は国産米の価格と同水準
まず農林水産省が国内販売予定価格 200 円と輸入
等からの輸入を増やしても米農業に影響はないと説
アップで、この場合では 50 円となる。
(200 円)よりも安く(150 円)販売していると報道
なので、環太平洋経済連携協定(TPP)でアメリカ
明していたことから、民進党はこの問題の実態解明
予定価格 150 円を設定する。この差が最低のマーク
がなされない限り、TPP 協定の承認や、TPP が米農
ペアの業者が、国内販売申告価格 200 円と輸入
には応じられないと主張している。この問題が TPP
他にこれより大きなマークアップを申請したペアが
業に影響はないという前提で作られた予算案の審議
の国会承認の最大の障害になりつつある。
申告価格 140 円、マークアップ 60 円で入札すれば、
なければ、落札・輸入できる。
米の輸入制度はどうなっているのか?
今回価格偽装と言われる問題は、実際の輸入価格
世界貿易機関(WTO)で日本は高関税での輸入以
ベートとして国内の買い手に払い、結果的に買い手
外に 77 万トンの義務的輸入枠の設定を約束してい
る。これがミニマムアクセス米と言われるものであ
る。2008 年の汚染米事件は、これが原因だった。
が 110 円の時、申告価格 140 円との差の 30 円をリ
の販売価格が、国内販売申告価格 200 円からリベー
ト 30 円を引いた 170 円となっていた、というもの
である。
このミニマムアクセス米を、国内の米需給に影響
これは農林水産省の国内販売予定価格 200 円を下
来るまで長期間保存していたために、ミニマムアク
格米と同じだとして、TPP でアメリカやオーストラ
を与えないようにするため、海外からの援助要請が
セス米にカビが生えてしまった。カビ米を安く政府
から買い受けた業者が、主食用などの用途に高く転
売したのが、この事件だった。
この 77 万トンの中に、10 万トン主食用などに向
けられるSBS
( 同時売買方式)
という特別な枠がある。
これは、ガット・ウルグアイラウンド交渉で、ア
メリカが直接実需者や消費者に販売したいと主張し
たために設けられたものである。これは日本での卸
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回る。農林水産省は SBS 輸入米の価格が国産の低価
リアにさらなる輸入枠の拡大を設定しても、国内の
米農家に与える影響はないと説明していた。
今回の報道でこれが誤りだとわかったと民進党は
追及する構えだという。また、農協も輸入米が安く
流通し国産米に影響を与えているのではないかとい
う不安や不信が高まっているとして、農林水産省に
事実関係の解明や改善措置をとるよう申し入れてい
る。
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指摘されていることが本当に問題なのか ?
また農協は過去に、公正な米市場制度を利用して
指摘されている問題は、輸入米が国産米よりも安
く操作した全農秋田事件を起こした。農協に、この
く販売されているのではないか、それが国内の米需
給に影響を与え、米価低落の原因を作っているので
子会社との間で架空の取引を作り上げ、米価格を高
ような商慣習を批判できるのだろうか ?
はないか、ということに尽きる。
問題は他にある
しかし、そうなのだろうか ?
輸入米の品質が国産米の品質と同じだとしよう。
国内の主食用の米の消費量は 800 万トン程度で、
170 円に値引きして販売するだろうか? そんなこと
ほとんどが国産米で供給されている。これに対して、
ミニマムアクセス米のうち SBS 米は 10 万トンしか
なく、これで輸入米の値引き販売が行われたとして
も、全体の需給に及ぼす影響はない。特に、国産米
米の卸売業者が 200 円で売れている米を一部だけ
はしない。商社から安く購入したとすれば、それは
この卸売業者の利益になる(ポケットに入る)だけ
である。
の価格低下と輸入米価格が上昇したため、2014 年
では、この卸売業者が輸入米を 170 円で売らなけ
引きしようにも、同年度は国産米が十分に安くなっ
が国産米の品質より劣る場合である。実はここに問
度は 1.2 万トンしか輸入されなかった。輸入米を値
たので、輸入もされなかったのである。
ればならない場合とは何か? それは、輸入米の品質
題があるのである。
そもそも 1993 年にミニマムアクセス米を受け入
農林水産省は、価格偽装やリベート取引があると
了解を行っており、これに基づいて一般の輸入米は
ないとしているようである。しかし、それなら国内
れる際、国内の米需給に影響を与えないという閣議
飼料米や海外の援助米に活用して国内に流通しない
ようにしているし、SBS のように、国内に流通する
米については、輸入米と同量以上の国産米を市場か
しても、マークアップは納入しているので違法では
販売予定価格と輸入予定価格をなぜ設定する必要が
あるのだろうか?
ら買い入れることにしている。800 万トンの米市場
マークアップだけ予定のもの以上を納められるペ
を買い入れて、市場での流通(供給)量を同じにし
価格を設ける必要はない。しかし、予定価格を設け
に 10 万トン輸入米が入っても、10 万トンの国産米
ているのである。
価格は需要と供給が一致するところで決定され
アを落札させるというのであれば、この二つの予定
ている以上、これに違反して入札した業者の行為は
当然に違法ではないのだろうか?
る。これが変わらない以上、価格が下がることはな
しかし、上の例が示す通り、現実の国内販売価格
によるものであって、SBS 米によるものではない。
(30 円)だけ下にずれているだけなのである。この
今回、TPP で拡大する輸入枠も同じ処理をするの
たというものではない。これは業者が悪いというよ
い。国内での米価の変動は、国内産米の生産の変動
で、国内の需給に影響を与えない。農林水産省が、
SBS 輸入米の価格が国産の低価格米と同じだから
TPP 合意が国内の米農家に影響を与えないと説明し
たとすれば、説明の仕方が不適切だったと言うだけ
である。経済学に疎い役所だとして不問に付してや
ればよい。
と輸入価格は、輸入予定価格と輸入価格の差の分
価格偽装で輸入業者や卸売り業者が不当な不易を得
りも、そのような非現実的な予定価格を設定した農
林水産省の責任である。品質格差が国産米と輸入米
の間にあるのであれば、そのような国内販売予定価
格等を設定すればよかったのである。
WTO で約束しているマークアップの上限値は、
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キログラム当たり 292 円である。国産米の価格が
減反を廃止すれば、生産量が増え、米価は 120
みに輸入枠以外で輸入する場合の関税は 341 円であ
る。関税もミニマムアクセスもいらない。国産米で
200 円なので、292 円も払うと輸入されない( ちな
る)。したがって、マークアップ 292 円の範囲内で、
農水省は二つの予定価格とマークアップを適当に設
定してきた。これは完全な自由裁量であり、外部か
らはどのように決定されているのかうかがい知るこ
~ 130 円程度に低下する。輸入価格よりも安くな
国内のすべての米需要をまかなうことができるばか
りか、輸出も拡大する。SBS 制度を舞台にした価格
偽装やリベート取引も消滅する。
ともできないブラック・ボックスである。
民進党が価格偽装やリベート取引を取り上げると
この不透明さが今回のような問題を引き起こした
消費者として、二重の負担を強いている米政策の全
のである。
より本質的な問題は、減反の補助金を農家に交付
して米の生産量を減少させ、消費者が負担する米価
を異常に高く釣り上げている米政策にある。
いうのであれば、ぜひとも、国民に納税者としてと
面的な廃止を対案として自民党に提示してもらいた
いものである。反対するだけが野党ではないだろう。
■
(キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹 山下 一仁)
南スーダンを巡る議論における論理の倒錯
2016 年 10 月 27 日 CIGS ホームページ 掲載 ● 本多
倫彬
南スーダンに派遣されている自衛隊部隊に、「駆
和五原則(停戦合意など)が満たされていることに
定が大詰めを迎えている。これは本年 4 月に施行さ
陸上自衛隊の南スーダン派遣にあたって想定された
け付け警護」の任務を付与するかを巡り、政府の決
れた平和安全保障法制を初めて具現化する実施計画
であり、国連南スーダンミッション(UNMISS)に
おける日本の貢献のあり方と、南スーダンの治安情
勢に伴う自衛隊のリスクを総合的に勘案した政策判
断が求められている。
この議論を難しくさせているのは、同国内の政府
側(キール大統領派)と、反政府側(マシャール元
なるのか、そこには日本独特の法的解釈が登場する。
紛争当事者は、スーダン政府と現在の南スーダン政
府であり、南スーダン政府から離反したマシャール
副大統領派は、単なる無法者集団であって紛争当事
者ではない。したがって、スーダン 対 南スーダン
の紛争にならなければ、日本の法的には、派遣自衛
隊部隊が撤収せざるを得なくなるような紛争は存在
しないということになる。
副大統領派)との戦闘が 7 月から激化し、一般市民
およそ 10 年前、戦火の止まないイラクに自衛隊
れる事態が頻発し、南スーダンが紛争状態であるか
地域」のみに自衛隊を派遣することが規定され、比
はもとより国連や人道支援機関の職員までもが襲わ
否かに焦点が集まったからだ。
一般的な紛争学として捉えれば、現在の南スーダ
ンは内戦状態にあると言うほかない。しかし、この
状況にもかかわらず、なぜ PKO 法で規定された平
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を派遣した際、イラク特別措置法によって「非戦闘
較的安全とされるサマーワが選ばれた。しかし、現
地の武装集団が、自衛隊宿営地や車列に攻撃を加え
る事態のあったことはよく知られている。それにも
かかわらず、「(法的には)自衛隊の派遣される地域
が非戦闘地域」ということになっていると、当時の
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国会答弁で小泉総理は強弁した。論理の倒錯が招い
た、実態との乖離だった。
2016 年現在の南スーダン情勢についても「
(PKO
法に規定される)停戦合意の崩壊にはあたらない=
紛争状態ではない」という説明に、イラク当時の論
理と同種のものを見て取れよう。すなわち、非戦闘
地域という概念や、紛争の要件が法律に規定されて
いても、それには該当しないとさえ言えれば、現実
はどうであっても少なくとも日本の法的に問題が生
じることはないというものだ。
しかし、活動を継続したい側に立って考えれば、
「法的根拠が崩れている」と指摘されるような事態
に際しては、法律の要件を満たしている説明を考え
ることに心血を注ぐということになるし、それに
よって奇妙ではあっても法的には正しい解釈が生み
出される。これはつまり、法律の要件を満たしてい
るのかどうか、現地の情勢が法的にどのように位置
づけられるのか、こうした点を突こうとする議論は、
状況が根本的に破たんするまで、延々と続けられる
運命にあることを意味している。
南スーダンをめぐる議論の状況は、まさにこの典
型例だろう。法的整合性のみから議論をすると、結
果としては、法律の形式的側面に過度に偏った奇妙
な議論にしかならない。この、法的には一定の妥当
性がありそうだが、現実的におかしいという奇妙さ
法的整合性のみに焦点を当てる議論について、紛
争や国連 PKO の文脈では、ルワンダ大虐殺の際の
米国の態度が有名である。当時、ジェノサイドの進
行が徐々に明らかにされるなか、介入を避けたい米
国は、介入義務(ジェノサイド条約における「防止
と処罰 」の義務 )の生じる「 ジェノサイド 」と認定
せず、「 ジェノサイド的行為 」と主張し続けた。し
かし、ジェノサイドにあたるかそうでないのか、不
毛な論争が続けられたなか、100 万人近くの人々が
虐殺されていたのである。
法的整合性を追求する側も、
「法的にどうなのか」
という形に過度に集中して、現実の議論を行うこと
の危うさを示すこうした事例を、改めて振り返る必
要があるのではないか。駆け付け警護の付与を含め
て南スーダンの支援をどう考えるべきなのかについ
ては別稿に譲るが、現在、南スーダンは内戦に伴
う人道危機状況にあり、エチオピアをはじめ周辺
諸国に多くの難民が押し寄せる事態となっている。
UNHCR によれば、現代の難民の主たる発生元とし
て知られるシリアやアフガニスタンと同様、100 万
人を超える規模の難民がすでに発生している。南
スーダンでの取り組みのあり方を議論するのであれ
ば、こうした場所で日本が何にどのように取り組む
のか、法的整合性という、これまでも繰り返されて
きた不毛なテーマではなく、現実を踏まえて議論す
■
る必要があるのではないだろうか。
こそ、昨年の安保法制の議論の過程で安保法制推進
派が、「 厳しさを増す安全保障環境の現実を見よ 」
と主張し、「 憲法違反 」と主張する反対派を批判し
た所以だろう。
それでは現在の南スーダンの状況と、駆け付け警
護についての議論を見るとき、政府の対応や答弁の
中に、現実に目を向けた視点があると言えるのだろ
うか。法的整合性ばかりを追求するのではなく、現
実的に判断せよと強調して成立したのが安保法制で
あった。しかし、それによって可能となった活動の、
初の適用事例である南スーダンにおける駆け付け警
護任務の付与が、法的整合性に過度に偏った決定と
なっているのだとすれば、皮肉と言うしかない。
(キヤノングローバル戦略研究所 研究員 本多 倫彬)
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PAC 政策シミュレーション
「ペルシア帝国は復活するのか?」概要報告と評価
2016 年 10 月 28 日 CIGS ホームページ 掲載
1.概要
2016 年 7 月 9 日( 土 )~ 10 日( 日 )、当研究所は
2.シナリオの想定(202X 年の情勢)
※ 参考資料「イランを取り巻く状況」参照。
第 23 回 PAC 政策シミュレーション「 ペルシア帝国
● 2010 年代前半、イスラム国(IS)の中東におけ
ションは、2020 年前半のイランとサウジアラビア
た。しかし、米国やロシアによる延べ数万回に渡
は復活するのか?」を実施した。今回のシミュレー
の関係悪化、イランの核開発の再開、そしてイスラ
ム過激主義の勢力拡大による秩序不安定化を中心と
した中東情勢をテーマとした。とりわけイランが、
米・イランの包括合意(2016 年)による核開発凍結
期間(凡そ10 年間)の終了を目処に、いかに行動し、
また各国はどのように対イラン政策に取り組むのか
を検証した。
本シミュレーションには、現役官僚、研究者、企
業関係者、ジャーナリストなど約 40 名が参加し、2
る進軍は一時的にバクダッドまで迫る勢いであっ
る空爆と、イランを含めた各国に支援されたイ
ラク・シリア政府軍による反撃、さらには各国が
協力して IS の資金源を断つ国際共同行動に出た
ことで、IS は人的にも経済的にも打撃を受け、そ
の支配領域を縮小させてきた。202X 年現在では、
2014-2015 年頃の最大版図と比して、支配地域
の最大 70% を失っており、かつての主要都市ファ
ルージャ・アレッポ等は陥落し、現地政府の支配
下に置かれている。
日間の演習を通じて多くの教訓と課題が抽出され
● IS はイラクのモスルを中心に勢力を維持して
ラン(大統領・外務大臣・国防大臣・革命防衛隊司令
たな要員のリクルートにも苦しむようになって
た。シミュレーションのチームとプレイヤーは、イ
官他)、サウジアラビア(国王・皇太子(国防大臣)
・
外務大臣・参謀長他)、米国政府(大統領・国務長官・
国防長官・国家安全保障担当補佐官他)、日本政府(首
相・官房長官・外務大臣・防衛大臣・国家安全保障局
長他)、中国(国家主席・首相・外交部長・国防部長・
人民解放軍総参謀長他)、ロシア(大統領・首相・外
務大臣・国防大臣・軍参謀総長他)、メディア(海外
メディア・日本国内メディア)を設定した。
また今回の政策シミュレーションでも前回と同様
に LINE 株式会社と協力し、メッセンジャープラッ
トフォームである「LINE」を活用し、各チームの情
報配信(テキスト、画像、映像)、コミュニケーショ
ン、情報共有を促進した。ほぼ全てのプレイヤーは
タブレット端末を携帯し、常時情報取得と配信がで
きるようにし、リアルタイムのシミュレーション進
行を把握できるようになった。
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いるものの、組織の弱体化が進むにつれて、新
いる。一方、先進諸国でのテロは活発化してお
り、2015 年 11 月のパリでの大規模テロを皮切り
に、2016 年 3 月のブリュッセル、イスタンブル、
2017 年のドレスデンとストックホルム、2018 年
にケルン、モスクワ、マドリード、2019 年には
再びパリで、死者・犠牲者が 100 名を超えるテロ
をロシア・トルコを含む欧米各地で続発させてき
た。また、IS シンパを自称する個人によって、欧
米諸国で散発的にローン・ウルフ型のテロが発生
している。IS の本拠地での勢力縮小によって IS
支配地域で戦ってきた戦闘員の母国への帰還が進
んでいるとみられ、そうした帰還兵士による高度
なテロも散発的に発生している。
● また中東では、陸上領域の支配に挫折しつつあ
る IS は、海上でのテロ活動に活路を見出しつつ
あり、海上テロ活動が活発化している。特に、湾
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岸地域では爆発物を積んだ小型ボートによる海上
イラン政府は事実無根としてサウジ政府を非難。
ス向け原油タンカーが何者かによる自爆攻撃を受
● ホルムズ海峡内を航行していた日本船籍・横浜
自爆テロが頻発しており、紅海を航行中のフラン
けて沈没する事件も発生している。同事件には IS
が犯行声明を発表している。
3.政策シミュレーションの推移
(1)4 つのフェーズと検討のポイント
第 1 フェーズ サウジ東部で街頭デモ・ペルシア湾
での米軍機接触・核合意見直し?
● サウジアラビア東部複数の都市( ザフラーン・
カティフ・ジュバイル・ダンマーム )にて、シー
ア派住民による街頭デモが発生。デモ隊の一部は
暴徒化し、現地の石油精製施設・積み出し施設な
どで破壊活動を行っている。
● ペルシア湾で警戒監視活動を行っていたアメリ
カの偵察機(P-8)が、イラン空軍所属の戦闘機
(Su-35)と接触し、双方に損傷が生じた。
● 米国は 2016 年の米・イラン包括的核合意を見直
す方針を示し、イランは米国が核合意を破棄すれ
ば直ちに高濃縮ウラン生産を再開する能力を示し
ている。
Point:① サウジ東部のシーア派住民は、相次ぐ宗
教指導者の拘束を発端として、サウジ当局への不満
を募らせている。暴動にはイランとの連携も示唆
されている。② イランの過去 10 年間の通常戦力の
増強は着実に A2/AD 環境の拡大をもたらしている。
③米・イラン包括的核合意が破棄された場合、イラ
ンの核開発を制御する方策はあるのか。
第 2 フェーズ イラン・サウジ関係更に悪化・ホル
ムズ海峡緊迫・イエメン情勢流動化
● サウジ内務省は、同国東部の住民による暴動を
扇動したとして、イラン革命防衛隊特殊部隊の兵
士と思われるイラン人 10 名を逮捕した、と発表。
汽船の原油タンカー「旭精丸」が、ロケット弾や
自動小銃で銃撃をうけた。日本人船長とフィリピ
ン人船員二名が重傷。この時点では犯行グループ
やその背景などは判明していない。
● イエメンではハーディ大統領政府と停戦協定を
結んでいた「 イエメン・イスラム共和国 」が同協
定の一方的破棄を表明し、同時に大統領政府軍へ
の大規模な攻撃を開始した。ハーディ大統領はサ
ウジアラビア政府に軍事的支援を求めているが、
同政府は、空爆をはじめとする軍事支援には慎重
な姿勢を見せている。
Point:サウジ・イラン関係のさらなる悪化にどのよ
うに対応するか。ホルムズ海峡における日本船籍に
対する攻撃と日本のシーレーンに対する挑戦に、ど
のように立ち向かうか。イエメンにおける大統領派・
ホーシー派・AQAP などの分裂状況をどのように捉
えるか。
第 3 フェーズ イエメン沖海上で自爆テロ・インド
洋沖で中国船舶拿捕
● イエメン沖での海上警備活動中の米ミサイル駆
逐艦が、自爆テロ攻撃を受け、乗組員に死者 33
名を含む多数の死傷者が出た。この攻撃に対して、
イエメンで大統領政府軍と戦闘を続けている「イ
エメン・イスラム国」が犯行声明を出した。アラ
ビア半島周辺での海上テロに対するリスクが高ま
る。
● インド洋沖において、アメリカ海軍と中国船籍
とみられる船舶との間で銃撃戦が発生し、その後
中国船籍の船舶が大破し沈没した。米海軍は同船
に乗船していたイラン人 6 名と、中国人乗組員と
みられる 5 名を拘束した同不審船はイランのウラ
ン濃縮能力を飛躍的に向上させる日本製の高精度
マシニングセンタを秘密裏に輸送をしていた可能
性があることがわかった。
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Point:比較的規模の大きいテロに対し、どのよう
に対応するか。犯行声明を出した「イエメン・イス
ラム国」をどうするか。インド洋沖で阻止行動を実
施した中国船舶からは、イラン核開発の証拠となり
うる精密機器が発見された。これにどう対応するか。
第 4 フェーズ 日本の原油タンカー襲撃される・イ
ラン核開発本格化
● カタールから天然ガスを輸入していた商船三元
の原油タンカー「サフィール号」が、ペルシア湾
公海上で、
「 海のイスラム国」を名乗る組織のボー
トによる海上自爆テロ攻撃を受けた。「海のイス
ラム国」は、既にインターネット上で犯行声明を
出し、ペルシア湾からインド洋、イエメン沖、ア
デン湾から東アフリカ沿岸地域にかけてのイスラ
ムの海から異教徒を駆逐すると宣言。
● イスラエル諜報筋からの情報として、イランが
秘密裏にウラン濃縮活動を再開し、現在その濃度
が既に兵器製造可能レベルにあると報じた中国政
府は「治安上の理由」のためとして、中朝国境地
帯を原則、立ち入り禁止区域に指定し、国内外の
全ての報道機関及び外国人にこの地域から出るこ
とを義務付けた。
た。各国がまとめたアクションプランの概要は以下
のとおりであった。
【イラン政府】
戦略目標:イスラエルによる先制攻撃の防止・被害
極小化 / 地域・国際的にイラン支持を拡げ、米軍の
プレゼンスを中立化 / 核開発疑惑の払しょくと対イ
スラエル工作
実施計画:
● イスラエルによる核施設への空爆を予防するた
め、ホルムズ海峡への機雷敷設準備、イスラエル
空軍機のイラク・トルコ領空の飛行禁止とあわせ
て、国際世論に対し対イスラエルのネガティブ・
キャンペーンを仕掛ける。また、ヒズボラに対し
てイスラエルへのロケット攻撃を激化させること
を働きかける。ロシアとは共同軍事演習計画を進
める。
● イスラエルによる攻撃に備えて、施設警備の強
化( 地上部隊、地対空ミサイル配備 )、さらに革
命防衛隊以下による国内騒擾対策の実施。
● 湾岸諸国主導による対海の IS 軍事演習を、ペル
シャ湾内 ~ アラビア海で、中露海軍とともに実
施する。米軍等、他国も歓迎し、これにより米軍
プレゼンスを中立化する。
● 匿名の米情報機関の高官の話として、対イラン
● 以上を実施しつつ、最後の手段として核開発を
点が所在するホルムズ海峡に機雷設置を開始する
● 対外的には平和的原子力開発を説明し、疑惑自
関係が悪化した場合、イラン海軍が同国海軍の拠
可能性が示唆された。
Point:朝鮮人民軍は新政権派と金正恩派に分裂し
熾烈な闘争が始まっている。こうしたなかで東部で
起きた大気圏内核爆発にはいかなる意味があるの
か。朝鮮人民軍同士の戦闘の拡大をどのように捉え
るか。中国・韓国・米国の軍事介入オプションはい
かに策定すべきか。
(2)各国政府のアクションプラン
今回のシミュレーションでは、第 4 フェーズ発生
後、イランの核合意違反疑惑、海の IS の拡大といっ
た状況を踏まえて、アクションプランの策定を求め
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秘密裏に推進する。
体はイスラエルのねつ造として発表。イエメンの
反政府勢力への支援は、非公然に継続し、サウジ
へのカードを残す。
● 日本に対しては石油・天然ガスの安定供給をア
ピール。
【サウジアラビア政府】
戦略目標:ペルシャ湾の安全確保(石油の安定輸出)、
サウド王家体制を保持、イランの攻撃事態への準備
実施計画:
● 米軍、多国籍軍およびイランとの対海の IS 共同
対処体制構築(中露の参加も許容)を構築。
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● 核開発について、イランに情報開示を要求。
● イスラエルの対イラン先制攻撃に対しては、米
国を通じて自制を促す。
● 国内テロ、イランによる本土攻撃への対処体制
を準備。
【アメリカ政府】
戦略目標:湾岸地域の安定化と国際協調枠組みの構築
(上記が達成困難な場合、)同盟国との協力に基づく
イランへの制裁
実施計画:
● イラン核合意への対応については P5+1 プロセ
スを再開し、IAEA による無条件での特別査察を
行う。並行して疑念を提起したイスラエルには、
さらに証拠の提示を要請。これにより、イランの
新たな核施設(疑惑)に対し、空爆を辞さない姿
勢をみせるイスラエルの行動をまずは引き留め
る。
● なお、特別査察後、核開発が裏付けられた場合、
経済制裁を復活し、国連安保理への付託を行う予
定であった。またこの際、仮に決議が通らない場
合、イスラエルによる空爆を容認する。
● 海の IS に対する対応として、サウジ - イラン協
調を尊重しつつ多国間協力体制の確立をめざし、
日本にも最大限の貢献を求める。
● ホルムズ海峡公海上の機雷排除についても米国
単独で対応する能力はあるが、日本にも最大限の
協力を求める。
● サウジアラビアの国内治安には不関与、イエメ
ンでの IS 掃討戦は支援。
● 国内世論形成。対外関与の必要性を訴える。
【中国政府】
戦略目標:中東の安定化と資源エネルギー(特に石
油)の安定確保
実施計画:
● イランの核保有には、国際社会とともに反対。
ただし、イランの抑止力向上のため、核保有の鍵
となる限定的な技術協力に中国が関与できる枠組
みを構築する。
● このため、合意済みの中 ― イラン「包括的協力
に関する二国間合意」を早期に実施する。同合意
は、①政治対話、②経済協力、③エネルギー協力、
④社会的文化交流の 4 項目に渡る。
● 海の IS は、石油輸送を妨げる懸念があるため、
対応のための国際的な協調枠組みに積極的に参加
する。これにより、要所港湾へのアクセス権の確
保も図る。
● これらと並行して、南シナ海・東シナ海で中国
の国益を守るための行動を強める。
● 米海軍による中国船籍船舶の撃沈・船員の拘留
事案については、強く抗議し、同海域への艦隊派
遣など軍事的圧力を強める。併せて対米非難の国
際世論を形成するため、ロシア・イランに働きか
ける。また報復・警告措置として、米国の政府機関・
重要施設・企業等に対しては、サイバー攻撃を行
う。
【ロシア政府】
戦略目標:米中二極化の阻止(米国・中国・イラン ー
ロシアの 3 極体制の構築)
→ イランへの影響力維持、中東不安定化の継続に
よる同地域の米国影響力低下
実施計画:
● イランの核保有については、基本的にイランを
支持。対外的には包括的核合意の履行追求を追及
しつつ、イスラエルによる空爆の懸念については
非難し、牽制する。
● 仮にイランの核開発が明らかとなった場合、ロ
シア主導による新たな枠組みの構築を目指す。
● イランによるホルムズ海峡封鎖に至らぬよう米
国・イラン双方に働きかけるが、仮に機雷敷設が
実行された場合は静観する。
● 海の IS 対応については、非人道的行動に対する
非難を行いつつも消極的対応にとどめ、引き続き
ロシアとしては陸の IS 掃討作戦を重視する。
● イランに対しては、以下の軍事協力を行う。①
A2/AD 能力向上のための兵器供与、② 軍事サー
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ビスの支援、③軍事顧問の派遣継続
● イエメン政府軍に対しては、秘密裏に兵器を供
与し、かつ、特殊部隊を派遣してトレーニングを
提供する
【日本政府】
戦略目標:邦人保護(海の IS の攻撃にあった船舶乗
員)/ シーレーンの安全確保
実施計画:
● 行方不明の乗員の安否情報取得、各国( 海軍 )
に対する行方不明タンカー及び乗員の捜索・救助
要請
●「重要影響事態」の認定とそれに基づく多国籍海
上部隊の後方支援活動の実施計画策定
(捜索救助、
船舶検査 ※ペルシャ湾外の公海上を活動範囲と
認定)
● 海上テロに対応するための多国籍部隊の編制(国
際対応枠組みの構築)
● ホルムズ海峡封鎖事態への準備として、情報収
集と事態発生時に存立危機事態を認定して対応す
る準備を米国等と協議しつつ進める。なお、事態
認定後に海上自衛隊掃海部隊を派遣することを想
定し、海上テロ対処訓練名目でペルシャ湾近海ま
で部隊を事前に派遣する。
● イランの核開発については、外交努力を継続す
る(違反時には経済制裁発動、資産凍結等の可能
性を示唆)。また、IAEA による特別査察を支持し、
違反時の国連安保理決議にも協力する。
● 事態収拾後、同地域では平和構築のための人道
的支援を実施する。
● これらに加え、原油の安定確保のために中東外
地域での油田開発・他のエネルギーへの転換政策
を進める。また対中国での周辺国との協調体制を
構築する。
4.本政策シミュレーションの教訓と政策的含意
(1)中東湾岸での核兵器拡散の可能性
● 今回のシミュレーションを通じ、2015 年の核開
発問題に関する P5+1 の合意成立後も、イランが
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核兵器開発を最終的に断念しない可能性を排除で
きないことが明確になった。
● 後述する通り、今回のイランチームの基本的立
場は防衛的・受動的ながら、最後の手段としては
核開発を断念しなかった。更に、対イラン支援を
深めたロシアチームも、最終的にイランによる核
兵器開発を黙認する可能性があった。
● イランが核兵器開発を断念しなければ、サウジ
やエジプトもいずれ核兵器開発に進む可能性は高
い。今後も中東、特に湾岸における核兵器拡散を
如何に阻止するかを真剣に考えていく必要があ
る。
(2)中東安定に向けた米国の役割の限界
● 今回の米国チームの戦略目標は、①湾岸地域の
安定化と国際協調枠組みの構築、② それが無理
であれば、同盟国との協力に基づくイランへの制
裁であったが、サウジ等同盟国に対する米国の影
響力には限界があった。
● 米国は、サウジに対する「 国外からの脅威 」に
ついて対応可能だが、サウジ国内の政治的混乱に
は介入が難しい。今回の結果は、今後米国の新政
権が内向き志向を続ければ、中東地域が一層不安
定化する可能性を示唆している。
● 今回米国チームが、最悪の場合、イスラエルに
よる対イラン核施設の空爆を黙認する可能性が
あった点も興味深い。米国・イスラエル関係が中
長期的に変質する可能性がある点についても留意
が必要である。
(3)中東におけるロシアの存在感
● ロシアチームの戦略目標は、米中二極化を阻止
し、米国・中国・イラン - ロシアの 3 極体制を構
築することだった。ロシアは今後とも、イランに
対する影響力を維持・拡大し、中東湾岸での米国
の影響力を低下させようとするだろう。
● 特に、今回ロシアには目に見えない「 存在感 」
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が感じられた。それは同時に、イランが核兵器を
判断する可能性がある。他方、対ロシア接近は必
いので、構わないというロシア側の無責任な態度
り切るサウジの大胆さにも要注意だ。
保有しても、ロシアの安全保障に重大な影響はな
の裏返しでもあり、要注意である。
(4)中東における中国の役割の限界
● 今回中国チームの戦略目標は、中東の安定化と
資源エネルギー(特に石油)の安定確保に目標を
絞っていた。これまでの中国による対中東地域関
与の度合いに鑑みれば、こうした戦略はおおむね
妥当だったと思われる。
● 他方、中国の経済規模が今後も拡大する中で米
国との緊張が高まる場合には、中国がロシアと協
力して、または単独でも、従来以上に中東の政治
問題に対する関与を深めていく可能性がある。日
本としてもこの点は要注意だ。
(5)イラン
● 前述のとおり、今回のイランチームの戦略目標
は概ね防衛的であり、① イスラエルによる先制
攻撃の防止と被害の極小化、② イランに対する
支持を拡げ、米軍のプレゼンスを中立化すること
などに概ね限定されていた。
● 他方、イランチームは、米国との対立が続くよ
うであれば、ロシアや中国との連携拡大の可能性
を模索する一方で、核開発をも秘密裏に続行しよ
うとするなど、決して能動的には動かないが、強
かな「待ち」の姿勢を続けていた。
(6)サウジアラビア
● 今回のサウジチームの戦略目標は、①湾岸地域
の安全確保による石油の安定輸出、②サウド王家
体制の保持、③イランの攻撃事態への準備であっ
たが、同時に、必要であれば、核武装の選択肢を
考えていたようだ。
● 対米関係が微妙となり、米国の影響力低下が現
実となれば、サウジが米国一辺倒だけでは危険と
ずしも本意ではなく、米国を繋ぎ止める手段と割
(7)中東における日本の役割の限界
● 日本チームの戦略目標は相も変わらず、①邦人
保護と ② シーレーンの安全確保であり、時間の
大半はこれら国内問題に費やされ、国家安全保障
に関する議論に明確な結論は出なかった。
● 新安保法制があるにも関わらず、自衛隊活用の
議論は進まず、初動は大幅に遅れた。今回のよう
に米国が中東危機に慎重に対応する場合は日本と
しても動きにくい。結果的に、今回も日本は「蚊
帳の外」に置かれることが多かった。
● 日本チームでは核不拡散問題に対する優先順位
は低い。日本外交の脆弱さ、対症療法的対応の限
界、日本の存在感のなさ等々、これらの原因は何
か。今回も日本国内の問題意識の狭さが露呈して
しまった。
(8)LINE の長所と短所
● 新技術によりコミュニケーションがデジタル化
され、情報全体の効率は高まったが、他方で従来
のような「アナログ」的記者会見での質疑応答な
どの再現が難しくなった分、逆に「現実離れ」を
起こしている可能性が指摘された。
● 今後は、タブレットの一人一台体制を見直す一
方、マスコミチームの発信力を向上すべく、従来
型の「記者会見」を復活させ、よりリアルなメディ
ア環境の再構築を検討する必要がある。
(9)日本にとっての政策的含意
● 中東湾岸地域の情勢が不安定化した際の政策優
先順位(短期・中期・長期)を明確化する必要があ
る。勿論、短期的には ① 在留邦人の保護、② エ
ネルギーの安定供給、③ 現地企業の安全確保が
重要な政策目標となることは当然だ。
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● しかし、中長期的には湾岸地域の動揺に対して
日本の利益( 望ましいシナリオ・避けるべきシナ
リオ)を明確化することも重要であろう。
● 日本にとっては、湾岸地域において武力衝突に
至らず、ホルムズ海峡が封鎖されず、エネルギー
の流れが止まらないことが利益である。そのため
に、米国だけでなく、中東湾岸諸国、エジプト、
トルコ、イスラエルなどとの関係も十分構築して
おく必要があるのではないか。
● 中東湾岸においても中国の政治的・軍事的な役
割は飛躍的に拡大している。日本政府は中東情勢
が不安定化した場合に中国政府が果たしうる役割
について、あらゆる想定を予め準備しておくべき
である。
きた。
●イランの状況
イランは、2016 年の包括的核合意に基づく制裁
解除に伴い、徐々に国際社会へ復帰を果たしてきた。
近年では、中国やロシアから購入した最新鋭兵器や、
それら諸国からの軍事協力により、急速に戦力の近
代化を進めている。これにより過去数年間に同国軍
の A2/AD 能力も飛躍的に向上している。特に最近
は、地対艦ミサイル能力・対空ミサイル防衛システ
ムが強化されており、バーレーンに司令部を置く米
国の第五艦隊に対する脅威が増加している。戦力充
実に伴ってイラン海軍は、湾岸地域から、インド洋、
更には紅海を越えて、地中海東部までに活動領域を
拡大しており、アラビア半島周辺やパレスチナ沖で
海からの対 IS 作戦も行っている。イラン海軍の行
動活発化に伴い、米海軍との小競り合いの発生件数
参考資料「イランを取り巻く状況」
が増加しており、米第五艦隊司令官は懸念を示して
きた。
●イラク、シリアの状況
また 202X 年、国際 NGO 団体がイランの新たな
イラク、シリアの IS による支配状態は、支配領
てイランをめぐる核兵器開発疑惑が再燃している。
域を縮小しつつも 2010 年代から変化していない。
シリアでは依然としてロシア・イラン等のバック
アップを受けてアサド政権が継続している。イラク
では、イランが後押しするシーア派、サウジアラビ
アをはじめとする湾岸諸国が後押しするスンニ派、
クルド民族といった主要グループが主導権争いを続
ける中で、国民議会は分裂状態のまま、過去 6 年間
も総選挙が実施されていない。これによりイラクで
は、民主制でも独裁政権でもない混乱・分裂状態が
続いている。
一方、対 IS 戦では同じシーア派のイランによる
全面的な支援を得てきた。対 IS の最前線を担って
いるシーア派民兵組織、バドル軍団やキタエブ・ヒ
ズボラは、イランによる軍事教育を受け、イランの
供与した武器で武装した集団でもある。対 IS 戦で
築いた緊密な関係を反映して近年は、テヘランとバ
グダッドを両国首脳が頻繁に訪問し合って経済協力
をうたうなど、イラン - イラクの関係は強化されて
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秘密核開発活動を暴露したことで、国際社会におい
他方、イランは 2016 年 1 月 16 日の制裁解除を受け
て国際社会に復帰、巨大市場として注目を集め、中
東の「のけ者」状態から地域の大国へと、その立場
を変化させてきた。ボーイング社によるイラン航空
への大量の航空機輸出、イラン南西部の大規模油田
アザデガン油田の開発についてのフランス石油大手
トタルの契約獲得(2016)を皮切りに、イランの
市場としてのポテンシャルは、欧米諸国はもとより、
中露日なども期待を寄せてきた。各国政府・企業の
進出は「テヘラン詣」と揶揄されるほどになってき
た。イランビジネスの活況に伴い、イラン経済は年
率 10% に迫る急成長を見せてきた。このような経
済の好調により、軍備の増強と軍の近代化が急速に
進められてきたことで、上記のように危惧する声も
■
生まれてきた。
(キヤノングローバル戦略研究所 外交・安全保障グループ
研究主幹 宮家 邦彦、主任研究員 神保 謙、辰巳 由紀、
研究員 本多 倫彬)
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各国で異なるEU懐疑派
産経新聞【宮家邦彦の World Watch】2016 年 9 月 29 日 掲載 ● 宮家
邦彦
この原稿はストックホルム(スウェーデン)のホ
西欧の英国、フランス、ベルギーは巨大なイスラ
ランド、スウェーデンを回る超過密日程。現地大使
の問題を抱えている。これに対し、西欧のように難
テルで書いている。今回は7日間でハンガリー、ポー
館の支援を得て政府・シンクタンク関係者やジャー
ナリストと興味深い意見交換ができた。それにして
も、最近欧州訪問の度に感じるのは中国の存在感の
増大だ。中露両国と隣接する日本と異なり、欧州諸
ム教移民社会があり、新参移民に対する差別やテロ
民・移民を受け入れない中東欧のハンガリーやポー
ランドは、EU 加盟国としての特権だけを最大限利
用しているようにすら思える。
国にとって中国は国家安全保障上の関心事ではな
最後はスウェーデン。この人口約 1 千万人の北欧
感したが、今回の出張にはもう 1 つ目的がある。各
ドル近くある人権・平和・援助の外交大国だ。ナポ
い。この違いを欧州人に分からせるのは大変だと実
国で欧州連合(EU)懐疑派、極右・大衆迎合ナショ
ナリズムが台頭する背景を知りたかったのだ。
まずはハンガリーから。この中東欧の人口 1 千万
人にも満たない国家は何と 7 カ国と国境を接する。
アジア系騎馬民族起源を自負する同国は極めて親
日的だ。第二次大戦の戦火を免れたブダペストは中
世の街並みが残る美しい街。最近オルバーン現政権
が反難民キャンペーンを強めたせいか、市内に中東
の盟主は、1 人当たりの国内総生産(GDP)が 6 万
レオン戦争以来 200 年間戦っていない同国の首都に
は美しい街並みが残っている。だが、中心部から地
下鉄で 20 分のリンケビーという町に行けば、そこ
は別世界。シリア、アフガニスタン、イラク、ソ
マリアなどの難民が隔離されるように住んでいる。
昨年の難民受け入れ数は 16 万 5 千人。さすがのス
ウェーデンも限界を超えたようで、今年は受け入れ
数を大幅に縮小したそうだ。
難民はほとんど見かけない。それでは国民の生活水
たった 1 週間で全てを見たという心算はないが、
というと、それもない。成長率や失業率はそこそこ、
懐疑派や極右・大衆迎合ナショナリズムの台頭する
準が低下し、移民や外国人に人々が怒っているのか
問題はむしろ人手不足だという。
現政権のもう 1 つの特徴は EU との対決姿勢を強
めていることだ。政府与党への権力集中やメディア
への国家監督強化だけではない。「自由主義から決
別すべし」
「中国、ロシア、インドなどを見習うべし」
といった同国の主張には一部欧米諸国が懸念を表
明している。困ったことだ。
次はポーランド。人口 4 千万人近い中東欧の大国
今回痛感したことは、同じ欧州でも国によって EU
背景が微妙に異なることだ。英仏などの西欧とは異
なり、中東欧のハンガリーやポーランドでは、主と
して国内政治上の理由から現政権が反 EU 姿勢を大
衆に煽っているようだ。
しん し
一方、これまで難民を真 摯 に受け入れてきたス
ウェーデンでは、その輝かしい実績のため逆に難民
が殺到して制御不能となった。現政権は、その意に
反し、難民に厳しい政策を始めている。
で、最近は 3%台後半の経済成長を維持している。
10 月以降、欧州ではオーストリアで大統領選決
われるほどだ。ハンガリーと同様、現政権は内政面
法改正の国民投票がそれぞれ行われ、来年には仏独
英国離脱後はこの国が EU 経済の一翼を担うともい
で強権的姿勢を強め、難民受け入れにも消極的。外
交面では対 EU 批判を続ける一方で、ハンガリーと
は違い、対ロシア警戒心を隠さず、北大西洋条約機
構(NATO)
、特に米国との関係強化に熱心だという。
選投票、ハンガリーで難民問題の、イタリアでは憲
などで大統領選挙・総選挙も予定されている。今後
は各国の内政事情をそれぞれきめ細かく分析する必
■
要がありそうだ。
(キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹 宮家 邦彦)
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中国経済リスクと政治制度改革への挑戦
安定成長期移行後の長期経済停滞への備えと日本の役割
JBpress 2016 年 10 月 19 日 掲載 ● 瀬口
足許の中国経済は消費の堅調により安定を保持
清之
図表 1 GDP に占める産業分野別ウェイト
10 月 19 日に中国の第 3 四半期の主要経済指標が
公表されるが、最近の輸出や投資の推移から見て引
き続き緩やかな低下傾向が続いていることを示す
データが発表されるはずである。
一般的には GDP( 国内総生産 )成長率は 6.6%前
後と見られているため、もし 6.5%を割れば大騒ぎ
になるだろうが、それでも足許の中国経済に対する
見方を変える必要はない。
「新常態 」の基本方針の下で過剰設備の削減を強
力に進める現在の政策運営が続けば、6.5%を割る
のは時間の問題であり、いつ割ってもおかしくな
い。
中国政府が最も重視する過剰設備の削減を順調
に進めるためには、むしろ 6.5%を割った方が競争
力の低い非効率企業の淘汰が速く進みやすくなる
ので、改革重視派にとっては歓迎すべきことであ
(資料 CEIC)
支えるメカニズムであり、インフラ建設に支えられ
た都市化の進展の構造的特性を考慮すれば、今後数
年間はこのメカニズムが崩れることは考えにくい。
輸出(ドルベース)は 2015 年第 2 四半期以降、ずっ
る。
と前年を下回り続け、固定資産投資は本年 5 月以降、
今年の経済政策運営上の最重要施策である過剰
低下傾向を辿ってきている。
設備の削減は来年も引き続き最重要施策として位
置づけられると考えられる。そうであれば、来年も
投資の伸び鈍化を背景に緩やかな成長率の低下傾
向が続くはずである。
それでも、来年の成長率が 6%を下回る可能性は
極めて低い。それは都市化の進展に伴うサービス産
前年比 1 ケタ台の伸びにとどまり、伸び率も徐々に
それでも消費( 消費品小売総額 )が依然として
10%台の高い伸びで堅調に推移しているのは上記
のメカニズムの存在によるものである。この堅調な
消費が経済成長のベースの部分を支えている。
最近は都市部における有効求人倍率が徐々に低下
業の急速な拡大が新規雇用を創出し、所得の支えと
してきていることを考慮すれば、賃金の伸びが徐々
照)。
ると考えられる。
なり、消費が堅調を維持するからである(図表 1 参
これが現在の中国経済の経済成長方式の根幹を
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に鈍化し、消費もいずれは伸びが 10%を割ってく
ただ、所得や消費の動きは輸出や投資に比べて緩
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やかであるため、10%を割った後もすぐに大幅に
低下する可能性は低い。
物価の安定も景気後退を防ぐための重要な条件
経済の安定保持にとって、もう 1 つの重要なファ
クターは物価の安定である。中国は 1990 年代前半
に市場経済化を進め始めて以来、2011 年までの約
20 年間は、ずっとインフレかデフレに苦しんでき
た。
しかし、習近平政権は、経済の実力に見合った適
正な成長率を目指す「新常態」の経済政策運営を実
施していることを背景に、消費者物価上昇率は 2%
前後の安定した状態を 4 年以上も続けている(図表
2 参照)。
図表 2 消費者物価上昇率(前年比%)
導入するのは難しい。逆に物価が安定していれば、
万一景気後退リスクが高まった場合でも、即座に大
胆な景気刺激策を実施することができる。
この点から見て、中国はいつでも大胆な景気刺激
策を実施できる条件が揃っているため、景気後退リ
スクは極めて低いのである。
当面は不良債権問題深刻化のリスクも低い
他方、不良債権の増大による経済不安定化リスク
を指摘する見方が多いが、これも当面は吸収可能な
範囲内にとどまる可能性が高い。
本年入り後、政府主導で過剰設備の削減を強力に
進めた結果として、重工業を中心に多くの工場が操
業停止に追い込まれているにもかかわらず、マクロ
経済は安定を保持している。
中央政府は過剰設備削減のテンポを一段と加速し
ようとしていることから、本年下期はさらに成長率
の低下が続くと考えられるが、大幅な低下は考えに
くいため、6%台の成長率の下で不良債権が急増す
るリスクは小さい。
この間、大量の不動産過剰在庫を抱える 3、4 級
都市の不動産市場を見ると、今後の都市化の進展に
伴う中長期的な需要増大見通しを背景に、不動産価
格は小幅の下落にとどまっており、不良債権問題が
深刻化するとは考えにくい。
(資料 CEIC)
金融機関収益の伸び率が低下していることも懸念
材料の 1 つである。
インド、ブラジル、インドネシアなど比較的成長
この点に関しては中央政府が金融機関の経営体力
るのと比べても最近の中国の物価の安定性は群を抜
展を抑制し、預金金利と貸出金利の間の利ザヤを確
率が高い発展途上国の多くがインフレに苦しんでい
いている。
消費者物価上昇率が高ければ、インフレの深刻化
を警戒せざるを得ないため、大胆な景気刺激策を
が急速に低下することがないよう、金利自由化の進
保し、金融機関の貸出採算が悪化することを防ぎ、
収益の安定化を図っている。
このため、貸し倒れなどにより不良債権の処理が
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必要になっても当面は金融機関収益の範囲内で吸収
可能である。
以上のような中国経済のマクロ経済動向などを背
間を要することは珍しくない。
長期景気後退から政治不安定化への波及
景に、短期的には中国経済の安定的な推移が続くと
そうした状況が生じる場合、政治制度が民主化さ
経済失速リスクが低い今のうちに迅速かつ強力に構
復を実現できなかった政権はその政策運営が批判さ
考えられる。中央政府はそうした状況を考慮の上、
造改革を進めようとしていると考えられる。
逆に、構造改革の断行を先送りすると、2020 年
代には現在のようなマクロ経済の安定を保持するこ
とが難しくなるため、改革推進も難度が増すのは確
実である。
2020 年代後半以降の長期景気後退リスク
れた先進国では景気後退を招いた、あるいは景気回
れ、選挙を通じて政権交代が起きる。それによって
国全体としては政治的な安定性が保たれる仕組みに
なっている。
しかし、民主的な政治制度を通じた円滑な政権交
代の仕組みがない国では、長期の経済停滞やインフ
レなどにより国民の不満が高まると、民衆が反政府
運動を展開し、政治が不安定化することが多い。
足許の経済の安定を支えているメカニズムは、都
冷戦時代末期のポーランド、ルーマニアなどでの
が新規雇用を創出し、消費が堅調を維持するという
で広がった「アラブの春」が典型的な事例である。
市化の進展を背景とするサービス産業の急速な拡大
仕組みである。
この安定成長保持の大前提である都市化とそれを
支える高速鉄道、高速道路など大規模インフラ建設
という 2 大エンジンは、必要な大規模インフラが中
国全土に行き渡り、農村人口が減少し、所得水準が
東欧革命や 2010 年頃にチュニジア、エジプトなど
必ずしも暴力的な革命になるわけではないが、既
存の政権および既得権益層は権力と特権を失い、国
家運営の枠組みが大きな変革を迫られるのは言うま
でもない。
先進国のレベルに到達するとともに勢いを失う。
そうした形で一気に政治経済社会制度の大きな変
その時期は 2020 年から 2025 年の間くらいに訪
期にわたる深刻な経済停滞に陥るケースが多い。過
れると推察される。中国は約 14 億人の人口と経済
発展段階の大きく異なる地域から構成されるため、
国全体を包含する経済データは緩やかにしか動かな
革が発生すると、多くの場合経済政策も混乱し、長
去の多くの事例を振り返ってみても、政治の不安定
化は国民生活に与えるダメージも大きい。
い。
仮に中国が現在の共産党一党独裁による政治制度
こうした構造変化の見通しから推測すれば、中国
長期の景気後退に陥れば、中国共産党に対する信認
全体として高度成長期が終わり、安定成長時代に入
るのは 2020 年代後半以降になると考えられる。
安定成長期に入れば、経済の回復力は低下する。
どの先進国でも景気後退を経験しない国はなく、
いったん不況になれば、景気が回復するまでに数年
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を 2020 年代後半以降も維持したまま、中国経済が
は大幅に低下する。
現在の中国共産党の正統性が広く国民から支持さ
れている理由はイデオロギーに対する支持ではな
く、目覚ましい経済発展を実現した経済政策運営能
力に重点があるのは明らかである。
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もし中国経済が長期の景気停滞に陥れば、中国共
軍改革等これまでも歴史的難事業に取り組んできて
する信認が低下することは不可避である。正統性の
に目覚ましい成果となって現れることを期待するこ
産党の政策運営に対する不満が強まり、正統性に対
低下が政治の不安定化に結びつけば、景気後退はさ
らに深刻化する。
中国のような世界第 2 の経済大国が長期の深刻な
景気後退に陥れば世界経済もろとも長期の不況に巻
き込まれるのは必至である。特に隣国である日本が
受ける悪影響は計り知れない。
将来リスクへの備えと日中協力
そうした将来リスクに備えて、景気後退が長期化
いる。いずれの改革も難事業であるがゆえに、すぐ
とはできない。
ただし、習近平政権が次々と歴史的難事業に取り
組み続けている積極姿勢は明らかである。
残された課題はこれまでに着手した課題よりもさ
らに難しい問題ばかりであるが、何もしなければ将
来さらに厳しい現実を突きつけられるのは必至であ
る。これまでの習近平政権の姿勢の延長線上に更な
る難事業への挑戦が期待される。
する場合にも政治の安定性が保持されるような仕組
隣国の日本としては、内政に干渉することはでき
定確保にとって極めて重要である。
アジア経済の発展を促進し、中国を含む東アジア経
みを構築することが中国の政治経済両面の長期的安
しかし、それは建国以来の政治制度の変革を意味
するため、極めて難しい改革である。並大抵のリー
ダーにできることではないし、たとえ優れたリー
ダーが断行しようとしても短期間で実現できるもの
ないが、日中韓 3 国の経済緊密化をエンジンとして
済の安定成長基盤を強固なものとしていくことによ
り、中国の大胆なチャレンジの土台となる経済の安
定確保の面から間接的に支援することは可能であ
る。
ではない。
具体的には、日本企業の対中直接投資の持続的拡
中国の内政に詳しいある米国の国際政治学者は、
国におけるインフラ建設、ハイレベルの日中韓 FTA
「 もし中国が政治制度の変革に着手するとすれば、
まずは一部の地方で実験的に改革を実施し、その経
験を踏まえて徐々に全国展開を図っていく必要があ
大による日中ウィン・ウィン関係の強化、アジア諸
(自由貿易協定)の早期構築による自由貿易の促進
などが期待できる主な協力スキームである。
る。2020 年代後半以降に予想される長期景気後退
2020 年代後半以降も中国が政治経済社会の安定
ぐにでも地方での実験的な改革に着手しなければ間
題である。グローバル化の潮流の中で、今後ますま
に備えて政治制度改革を完成させるためには、今す
に合わない」と指摘する。筆者も同感である。
とは言え、これほどの歴史的難事業に取り組むに
は政治基盤の安定確保が不可欠である。もし習近平
政権がこれに取り組む場合、来年秋の党大会で盤石
の政治基盤を構築し、その上でこの歴史的大事業に
着手するというのが現実的なシナリオであろう。
を保持することは、日本にとっても極めて重要な課
す両国経済の緊密化が進み、ウィン・ウィン関係が
強まっていくことは誰にも止めることはできない。
その現実を念頭に置いて、両国が長期的な安定成
長基盤強化のために協力関係をさらに強固なものと
■
していくことが重要である。
(キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹 瀬口 清之)
習近平政権は反腐敗キャンペーン、国有企業改革、
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WORKING PAPER
(CIGS Working Paper Series No.16-002J)
戦前日本における銀行業の産業組織と産業・企業金融
2016 年 10 月 25 日 CIGS ホームページ 掲載 ● 岡崎
哲二
戦前日本の金融史は幅広く深い研究蓄積を有している。この論文では、産業金融・企業金融における銀行
の役割と金融システム・銀行産業組織の特徴との関連に焦点を当ててこれまでに得られている知見を選択的に
サーベイし、関連する論点について追加的分析を行う。
戦前日本の銀行産業は、産業組織と制度に顕著な特徴を有していた。第一にさまざまな規模にわたる多数の
銀行が階層的に存在し、銀行の階層性は取引先の企業の階層性と対応関係があった。第二に銀行が企業と取引
関係を形成する際に、特定の銀行と少数の特定企業が密接に結びついて集中的に融資をするという、
「機関銀行」
関係が存在した。この関係は、一方では利益率が低く内部資金に限界がある企業が多額の借入を行うことを可
能にしたが、こうした関係は特に小規模の銀行において、銀行の一般株主と預金者にとって望ましい結果をも
たらさなかった。
このような産業組織上、制度上の特徴は 1920 年代に進展した大規模な銀行退出の波によって変容した。銀
行合併は、一面で組織統合のコストをもたらして銀行の収益性にマイナスの影響を与えたが、反面で金融シス
テムを安定化させるとともに銀行の企業統治構造の変化を通じて機関銀行の弊害を緩和した。機関銀行の弊害
の緩和には、役員兼任関係を持つ銀行が相対的に高い確率で解散・破産・廃業するという淘汰のメカニズムも
同時に寄与した。政策当局は銀行合併が地方から都市への資金流出をもたらすことを懸念して地方的合同を推
進したが、その場合でも合併による県内の支店ネットワークの拡大が地域間の資金の再配分を引き起こし、そ
■
れはさらに地方産業の盛衰に影響を及ぼした。
(キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹 岡崎 哲二)
全文は以下の URL よりご覧いただけます。
http://www.canon-igs.org/workingpapers/macroeconomics/20161025_3984.html
今月の書籍
『コア・テキスト経済史 増補版』
著 者:岡崎 哲二
価 格:本体 2,250 円+税
出版社:新世社
発 行:2016 年 10 月初版
「制度と組織の経済史」をテーマとして読者を経済史研究
の世界へと誘う好評入門テキストをアップデイト。最近の
研究内容をふまえて宗教と経済発展、制度と経済発展に関
する記述を拡充したほか、「大分岐」と産業革命についての
解説を追加した。
「株式会社サイエンス社 HP」より引用
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発行日
:2016 年 12 月 1 日
編集・発行:一般財団法人キヤノングローバル戦略研究所
〒 100-6511 東京都千代田区丸の内 1-5-1 新丸ビル 11F
URL:http://www.canon-igs.org/
TEL:03-6213-0550 FAX:03-3217-1251 E-mail:[email protected]
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