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「ピアノ同好会」の活動 Activities of “The Piano
「ピアノ同好会」の活動 塩津 洋子 Activities of “The Piano Dohkohkai” Yohko SHIOTSU This paper presents an outline of the membership structure and activities of the Kansai ladies’ organization, “The Piano Dohkohkai(Piano Fellowship)”, and examines its role in the rapid spread of Western music in the Kansai region during the Taisho era. This organization was ranked between amateur and professional in skill-level, and greatly increased the number of amateur piano lovers. At the same time it was also active in supporting music appreciation as the sponsor of professional piano concerts. Included among their sponsoring activities were concerts by world-famous performers; they played a pivotal role in bringing world-class Western music to Kansai audiences for the first time. They can be highly evaluated as an organization that contributed greatly to the promotion of Western music, and the piano in particular, in the Kansai region during the Taisho era. 本稿は、関西の婦人団体「ピアノ同好会」の会員構成および活動実態を概観し、西洋音 楽が急速に普及した大正期関西において同団の果たした役割を検証するものである。 1はじめに ピアノという楽器は、明治 20 年代から国産品の製作が試みられ、30 年代には商品として 販売が始まった。この国産品商品化の流れは、オルガンやヴァイオリンには遅れるものの、 けっこう早い展開であった。当時の人々のピアノへの高い関心を見据えた上で、需要を期 待したものと言えるだろう。国産ピアノの価格は、輸入品の半額程度ではあったが、それ でも非常に高価なものであることに変わりなく、明治期の普及は低調であった。しかし大 正期になると、富裕層の家庭を中心に普及が進むようになる。第一次世界大戦の影響によ る好景気も、ピアノ購買欲を刺激する要素になったと推測できる。 関西のピアノ販売の中心的存在であった大阪の三木楽器の統計[注1]によると、明治期に 販売されたピアノの合計(国産・輸入共)は 313 台である。対して、大正期は 2,652 台と飛躍 1 的に延びている。この数値は同時に、ピアノを嗜む人たちの増加を意味するものでもある。 「ピアノ同好会」はこのようにピアノ普及が進む中から生まれた団体で、自らピアノを 弾く女性を構成員としていた。そして、彼女たちは必然的に富裕層あるいは上流といわれ る家の夫人・令嬢たちであった。「ピアノ同好会」という単純明快な名称の下に集い、西洋 音楽の基礎であるピアノを一般家庭に浸透させることを目的として活動を開始したが、結 果的には、ピアノに留まらず、西洋音楽全般の普及・振興に大きく貢献することとなった。 また、大正期は女性の在り方にも大きな変化のあった時期で、女性雑誌が多く刊行され、 女性の新しい姿を紹介する媒体となった。「ピアノ同好会」会員の、ピアノを通して社会活 動にも参加するといった物心共に豊かな生活の様子は、それらの記事にしばしば取り上げ られ、一般女性の憧れの対象として位置付けられた。「ピアノ同好会」は、西洋音楽普及の 面からも、女性の社会活動の面[注2]からも、時代を象徴する団体として注目に値するもの と考える。 2設立 「ピアノ同好会」の設立時期については、新聞記事等の記述から大正 7(1918)年 1 月[注3] あるいは同年 2 月[注4]と推察できる[注5]。大正 7 年 8 月発行の音楽雑誌『音楽界[注6]』に 全文と思われる「設立趣旨書」と「内規」が掲載されており、関西の一団体に対し、これ だけの紙面をさいているあたりに、同会に対する注目度の高さがうかがわれる。趣旨書の みで 900 字を越える長文であるが、要約すると次のようになる。 “西洋音楽は一般中流以上 の知識階級にその勢力を及ぼし、必要欠くべからざる生活の要素と認められるようになっ た。しかし、洋楽の基礎であるピアノ音楽はいまだ一般の家庭に浸透していない。専門家 と素人、演奏者と聴衆、といった間にある溝が音楽の同化力や感激の度を弱めている。音 楽会には行っても家のピアノには触れない、ピアノは客室の装飾的家具とみなしている家 庭も多い。技術の巧拙は別として、ピアノを演奏する私たちには、同じ趣味を持つ令夫人、 令嬢のお友達と一堂に会し、互いに弾いたり聴いたりすることによって、趣味の生活を豊 富にし、内部生命を充実させることができると考える。以上の趣旨によって本会を設立す る。”また、「内規」の“目的”の項では“本会はピアノ音楽の振興を計り会員の趣味技能 を向上せしめ高潔優美の趣味を涵養し会員相互の親睦を計るを目的とす”としている。い ずれも、自分たちの趣味の世界を高めようという態度を表明したものであり、何か社会に 対し働きかけをしようという意図や目的は読み取れない。 (マ マ) 当初は“時々会員の邸宅に家庭的コンサートを開いて互いに研究し合ていた[注7]”とい う状況であったようだが、半年ほど経過した大正 7 年 7 月の P.ショルツ東京音楽学校教授 のピアノ・リサイタル主催を機に、社会的活動を開始する。“会員のみの研究機関のみとせ 2 ずして広く楽壇の為に力を尽くす事となり[注8]”ということで、この時点で方向転換が図 られたことがわかる。以降、会員内の集まりと、国内外の演奏家を招聘しての主催事業を、 並行して開催して行くこととなる。 3会員構成 同会内規によると、会員には正会員、賛助会員、名誉会員の 3 区分が設定され、正会員 は“専門家以外のピアノ音楽実習の夫人、令嬢に限り。各自演奏をなす事”とされる。専 門家以外という限定が記されているが、設立時から東京音楽学校を卒業した者[注9]や留学 経験者[注 10]も含まれており、後には独奏会[注 11]を開くような者も出現している。東京音楽 学校卒業と言えば、一般的には専門家として認識されるだろうし、当時はピアノを弾くこ と自体が特別なことであったので、会員たちは専門家以外つまり素人とは見られていなか ったようだ。新聞記事でも“正会員といふのは何れも玄人ばかり・・[注 12]”と書かれてい たりする。 賛助会員は“ピアノ音楽を実習せざる同好の婦人又は会員の家族(婦人)に限る”とし、名 誉会員については“音楽専門家又は音楽上に於ける大家名士を推薦す”としている。入会 にあたっては“本会は熱心真面目なる同好者の集団なるを以って玉石混交ノ多数会員を望 まず故に入会者は必ず会員の紹介保証を有し幹事会の審議を経て之れを諾否するものと す”と定めている。 会員数は明確でないが、100 人を超える程[注 13]、あるいは、百数十人で内7~80 人が正 会員[注 14]という数が挙げられており、相当数の会員を擁してしたことが推測される。会員 名簿のような資料の存在は不明である。したがって、会員構成を知るには、新聞雑誌に掲 載された同会の紹介や活動についての記事や、演奏会のプログラム中に見られる会員名を 逐一抽出するという作業が必要であった。その結果、以下の 66 名の名前を確認することが できた。これは、同会の活動年代全域に亘る延べの顔ぶれである。正会員と賛助会員の区 別は資料上判別できなかった。ただ、筆者の感触としては、新聞記事等の資料中に名前が 挙げられている会員は、正会員の可能性が高いように思う。夫の名前と職業等も判明した 限り、補足情報として掲げた。これによって会員は、社会的な地位の高い男性の夫人たち であることが認識される。そして、彼女たちは新聞雑誌等で紹介される際には、○○氏夫 人○子という風に記載されることが多い。大正という新しい時代を颯爽と生きる新しい女 性、というイメージを振りまいてはいるが、そのアイデンティティーが夫の社会的地位に よって支えられていることは否めない。 3 ピアノ同好会 会員 50 音順 ★★は創立時の幹事 ★印は幹事経験者 東(あづま)ふく子 麻生福子 [夫:麻生二郎=日銀大阪支店長] 荒木幸子★★ 有澤さく子 同志社女学校卒業 清楽会へ ドイツに3年、アメリカに4年留学 [夫:荒木和一=西洋雑貨商] [夫:有澤潤=医学博士・楽友会メンバー] 池永とし子 磯野○○ 入江香代子★ 岩本きみ子 鵜飼浪江★ [夫:鵜飼遷太郎 大塚常子★★ 父:甲賀夢仙=関西音楽団主宰] [夫:大塚惟明=南海電鉄社長・大阪市議会議員] 大村○○ 大森しづ子 大森文子 片岡○○ 葛野(かどの)しの子★ 加藤春代★ [夫:葛野壮一郎=工学博士・建築家・楽友会メンバー] [夫:加藤亨] 狩野○○ 加納房子 河崎○○ 木下○○ [夫:木下=博士] 木村永子 清楽会へ [夫:木村彦右衛門=薬学博士・大阪薬学専門学校校長・音楽雑誌『楽芸』へ寄稿・ ベルリンに家を所有・楽友会メンバー] 国吉静子 桑井よし子 小山○○ 柴山きみ子 渋谷浪子★ 杉森妙子★ 鈴木○○ 鈴木延子★ 瀬川もと子★ 関口冬子★ 高安やす子★ 清楽会へ 清楽会へ [夫:関口壽=日本水力専務取締役] [夫:高安道成=医学博士 夫の弟:六郎=楽友会メンバー] 田中よし子 谷田みつ子 4 千浦静子 千浦しな子 戸田みよ子 外山治子★★ 内藤周子★ [夫:外山捨造=羽衣学園創立に係わる] [夫:内藤太郎=工学博士・建築家] 中江百合子★★ [夫:中江種一=鉱山業] 中島八重子 中山○○ 花岡○○ 濱田富栄 林茂子 [夫:林市蔵=大阪府知事] 阪野きみ子 [夫:阪野鉄次郎=大阪電燈会社常務取締役] 東(ひがし)粂子★★ 東京音楽学校卒業 [夫:東基吉=博士・大阪府池田師範学校長 息子:東貞一=ピ アニスト] 平賀富美子 廣瀬勝代 [夫:廣瀬豊一=医学博士] 藤井ゆき子 藤浪○○ 不破○○★ 本間いね子★ 前田秋子 [夫:本間英○=工学士] [夫:前田○○=赤十字病院長] 牧野○○ 矢野八重子 山内清子★ 山邊君代 湯本愛子★★ 東京音楽学校卒業 清楽会へ [夫:湯本太郎] 横尾静子★ 吉永静子 吉田光子 六島絹子★ 渡辺かつ子 渡辺静江 5 「ピアノ同好会」会員たちの写真。2 点とも、「ピアノ同好会」の紹介記事に添えられたもの。 大阪毎日新聞 大正 8(1919)年 7 月 21 日 大阪朝日新聞 大正 14(1925)年 7 月 11 日 4活動 「ピアノ同好会」の活動は、幹事の交代劇などを経ながらも 20 年余り続いた。任意団体 の活動としてはけっこう長命であったと言えるのではないだろうか。全体を大まかに 3 つ に分け、概観していきたい。 第 1 期は設立から大正 9(1920)年の半ば頃までで、初代の幹事が中心になって動かしてい た時期である。当初、趣旨文にもあるように、自分たちの趣味の世界をより豊かにするた め、という目的で活動を開始したが、半年後にショルツ東京音楽学校教授を招いて演奏会 を主催したことを皮切りに、久野久子[注 15]、小倉末子[注 16]、鈴木乃ぶ子[注 17]、柳兼子[注 18] 6 といった当時一流の演奏家のコンサートを開催するようになる。同時に会員のためには、 大田黒元雄、田辺尚雄ら音楽学者による講演会を開き、ピアノのみならず西洋音楽全般の 教養を高めようとする姿勢を見せ、充実した活動の様子がうかがえる。大正 9 年 1 月には、 中央公会堂にアップライト・ピアノとグランド・ピアノ各 1 台を寄附するという美挙が報 じられている。この件では大阪の主たる演奏会場にさえピアノがなかったという事実が浮 き彫りになった感があるが[注 19]、その不自由を忽ち解消できる同団の財力をも示すことと なった。しかし、同年 7 月に中心的人物であった中江百合子の辞任劇が起こり[注 20]、同時 に会を辞した数名が、以前から湯本愛子の門下生の会であった「清楽会」に流入したこと により、新しい局面を迎えることとなった。 以降、大正 13(1924)年末までを第 2 期としたい。順調な滑り出しを見せた第 1 期である が、 「ピアノ同好会」が最も華やかな活動を展開するのは、この第 2 期である。第 1 期と同 様 の 活 動 に 加 え て 、 ヂ ン バ リ ス ト (Efrem Zimbalist)[ 注 Godowski)[注 22]、クライスラー(Friz Kreisler)[注 21] 、 ゴ ド ウ ス キ ー (Leopold 23]などの世界的な著名演奏家の演奏会を 開催したことにより、音楽界での存在感は絶大なものとなった。もっとも、ヂンバリスト とゴドウスキーは「清楽会」との共催、クライスラーは「清楽会」「楽友会」との共催事業 であったので、「ピアノ同好会」のみの功績ではない。ここで、共にこれらの大演奏会を開 催した 2 団体について、触れておきたい。 「清楽会」は、前述のように湯本愛子の門下生の 会であったが、「ピアノ同好会」を離れた湯本、高安、関口らによって、大正 9 年 11 月頃 改めて組織されたものである。大正 13 年あたりまでは、 「ピアノ同好会」と並列的な活動 が見られるが、次第に元の門下生の会といった性格のものに移行していったようだ。「楽友 会」は「ピアノ同好会」よりやや後発の大正 7 年 4 月に立ち上がった男性のみの団体であ る。“西洋音楽同好の人々相集まり清新、雄大なる楽趣を味わひ、傍ら至醇なる芸術上の趣 味を涵養する会合なり”という会規を掲げ、ジャーナリストで美学者の伊達俊光、銀行頭 取の増田信一の呼びかけにより、大阪実業界の要人、資産家、文化人等が名を連ねた。そ の内の数人は「ピアノ同好会」または「清楽会」会員の夫である。したがって、この 3 団 体は、西洋音楽という共通項とともに、人的にも関連性の高い集まりであった。これらの 団体が結束して開催したクライスラー他著名演奏家のコンサートは、当然のこととして入 場料も高額で、最高額 8~10 円、最低額 2~3 円という設定であった。銀行員や巡査の初任 給が 50 円余りの時代であるから、相当の額といえるだろう。このようなコンサートを立て 続けに開催できるのは、資金力もさることながら、それだけの金額を投じて西洋音楽を鑑 賞しようという人たちを集められる動員力、社会的な影響力も、重要な要素であったに違 いない。 この他、大正 11(1922)年秋には「ピアノ同好会」幹事の鵜飼浪江が上海で開かれた『日 支合同音楽会』に出演、同年 11 月 24 日には『露国飢民救済慈善大音楽会』を開催するな ど、国際的な視野を持った活動が目立つ時期である。これら大きな事業の一方で、レコー ド・コンサート、琵琶湖めぐり、潮干狩りなど、会員間親睦の為の小さな行事も行ってお 7 り、外向きと内向きのバランスの良さも感じさせる。 大正 14 年(1925)以降を第 3 期とするが、この時期には第 2 期のように「清楽会」や「楽 友会」との共催事業はない。「清楽会」も外来演奏家の主催事業なども行いながら門下生育 成という性格を強めて行き、「楽友会」はメンバーを相当数共有する形で「大阪音楽協会」 という新しい組織へと変容していったのである。昭和 2(1927)年 10 月のモイセイウイチ (Benno Moiseevich)[注 24]の公演も単独主催で、京都公演を含め 3 ステージを提供している。 第 3 期の「ピアノ同好会」は、大正 14 年 7 月の新聞紙上では“形骸のみとなった・・[注 25]”と書かれているが、第 2 期ほどの充実ぶりは見られないものの、昭和 3 年頃までは活 動が続いている。この期の特徴は、東粂子の息子・東貞一、荒木幸子の娘・荒木和子など 第 1 期頃の会員の子供たちが、演奏家として舞台に上がるようになったことである。会員 の家庭において、ピアノを愛好することが次の世代に受け継がれていった様子が確認でき る事柄である。また、吉田光子のように会員の中から独奏会を開く人物も登場している。 演奏家と言われるような人たちが現れることは、同会の目的とするところではない訳だが、 言わば“氷山の一角”として、その下の見えない部分にある多数のピアノ愛好家の存在を 意識させるものではある。 「ピアノ同好会」は昭和 3(1928)年 5 月に、在日のピアニスト、ポール・カワリヨフ[注 26] の演奏会主催以降、活動が途絶えがちになり、昭和 15(1940)年 4 月の『第 1 回室内楽の夕』 を最後に消息を絶ってしまう。第 1 回としたからには、その時点では継続する意志があっ たことが認められるが、その後戦争が始まったので、継続困難になったことは想像に難く ない。戦時下という厳しい社会状況の中で自然消滅したと推測される。 ピアノ同好会活動記録 [略号] 大毎:大阪毎日新聞 大朝:大阪朝日新聞 [資料の日付] 例えば T070629 は大正 7 年 6 月 29 日付け(発行)。S:昭和 H:平成 [会場名] 出典資料の表記に準じたため、同会場でも表記が異なる場合がある。 開催日 会場 催事名(ピアノ同好会主催事業)等 内容 T07.01or02 (1918) 三越 初会 T07.07.13 大阪ホテル 第 1 回演奏会「P.ショルツ教授ピ アノ・リサイタル」 グリーグ:ピアノ・ソ ナタ op.7 他 9 曲 T07.09.28 第 2 回演奏会 蓄音機・会員の演奏 T07.12.16 木村彦右衛門 (永子)宅 樟蔭女学校 久野久子女史ピアノ独奏会 ベートーヴェン:ピア ノ・ソナタ「月光」 他 T08.01.13 (1919) 木村彦右衛門 (永子)宅? 新年会(同日楽友会が木村彦右衛 門邸で新年会を開催。合同か?) T08.03.29 高島屋呉服店 第 8 回例会 資料 大毎 T070629 大毎 T080113 音楽界 T070801 大朝 T070714 音楽界 T070801 プログラム 大毎 T070929 大朝 T070929 大朝 T071217 大朝 T080114 松本 2008 p79 会員の演奏、森川達子 独唱、大阪マンドリン クラブ 大朝 T080330 音楽界 T080505 8 T08.04.13 大阪ホテル 近代楽演奏会(楽友会と共催) T08.07.19 中央公会堂 小倉末子女史・鈴木乃ぶ子女史出 演大演奏会(楽友会と共催) T08.10.25 大阪中ノ島公 会堂 高島屋 ショルツ教授洋琴独奏会(主催:甲 陽婦人会 後援:ピアノ同好会) 新年会 T09.03.15 T09.03.26 中江百合子宅 中之島中央公 会堂 中之島中央公会堂にグランドピア ノ、アップライトピアノ各1台を 寄附 講演会(田辺尚雄) 音楽大演奏会(アルト:柳兼子 ピ アノ:ショルツ) T09.06.19 関口(冬子)宅 T09.07.21 六甲ホテル 講演会「西洋音楽の組織と発達に 付いて」(田辺尚雄) 7 月例会 T09.10.25 中之島中央公 会堂 大阪ホテル 第二回関西婦人連合大会(大阪朝 日新聞社主催) 例会 T10.01.15 (1921) 中央公会堂 第七回大演奏会(アルト:花島秀子 ピアノ:宇佐美ため子、ヴァイオ リン:奥村艶子、ソプラノ:横山 彰子) T10.07.16 中之島中央公 会堂 ピアノ同好会々員大演奏会 T10.10.08 中の島中央公 会堂 秋季大演奏会(ヴァイオリン:安藤 幸子、ピアノ:P.ショルツ、ソプ ラノ:武岡鶴代) T11.01.14 (1922) T11.04.29 大阪朝日新聞 社 三越呉服店 T11.05.06 中央公会堂 照井栄三氏独唱会(ピアノ:スタイ ンメッツ) 音楽講演会とレコード演奏(小泉 洽) ヂンバリスト氏大演奏会(清楽会 と共催)(大阪毎日新聞社後援) T11.05.07 中央公会堂 T09.01.08 (1920) T09.01.17 T09.12.04 ヂンバリスト氏大演奏会(清楽会 と共催)(大阪毎日新聞社後援) 大田黒元雄のピアノ演 奏と話 ラフマニノ フ:ロマンス 他 ショパン:幻想即興曲 マイアベーア:オペラ 「預言者」より 他 シューマン:謝肉祭 他 会員の独唱・ピアノ演 奏 シューベルト:さすら い人幻想曲 サン=サ ーンス:オペラ「サム ソンとダリラ」より 他 (中江百合子に幹事辞 職勧告) 内藤周子がピアノ同好 会代表として出席 ピアノ連弾、独唱、マ ンドリン合奏、コーラ ス、ヴァイオリン独奏 他 ビゼー:オペラ「カル メン」より グリー グ:抒情小品集より ベートーヴェン:ヴァ イオリンソナタ ヴェ ーバー:オペラ「魔弾 の射手」より 他 モーツアルト:ピアノ ソナタ ショパン:マ ズルカ シューベル ト:楽に寄す 他 フランク:ヴァイオリ ンソナタ ヴェルデ ィ:オペラ「アイーダ」 より ベートーヴェ ン:ピアノソナタ「熱 情」 他 デュパルク:悲しみの 歌 他 音楽鑑賞法について ラロ:ヴァイオリン協 奏曲第 2 番「スペイン 交響曲」 他 ブラームス:ヴァイオ リンソナタ第 3 番 他 大朝 T080414 音楽と文学 T080501 プログラム 音楽界 T080901 大大阪と文化 S170601 大毎 T080720 大毎 T080713 大朝 T080719 大朝 T080713 大朝 T080720 プログラム 大朝 T090119 大朝 T090119 大阪音楽界の思い出 S501015 松本 2008 p79 大朝 T090320 大朝 T090327 大毎 T090327 近代日本音楽年鑑 H090629 松本 2008 p79 大朝 T090722 大朝 T091021 大朝 T091026 大朝 T091205 大朝 T100116 大朝 T100112 大朝 T100102 近代日本音楽年鑑 H090629 プログラム プログラム 大朝 T101004 大毎 T101008 大朝 T101009 大毎 T101009 音楽界 T101110 近代日本音楽年鑑 H090629 プログラム 大朝 T110115 松本 2008 p79 プログラム 大毎 T110506 大毎 T110507 プログラム 大毎 T110506 大毎 T110507 9 T11.06.17 白木屋 例会 T11.07.15 T11.09.23 T11.秋 白木屋呉服店 白木屋呉服店 中国・上海 T11.秋? ? 7 月例会(レコード演奏会) 例会(レコード演奏会と相談会) 日支合同音楽会(幹事鵜飼浪江が 出演) ダンス会 T11.11.24 中央公会堂 露国飢民救済慈善大音楽会(会員、 大阪トリオ、照井栄三、A.M.ルー チン 他) 露国飢饉救済資金募集 のため シューベルト:即興曲 ベートーヴェン:ピア ノ三重奏曲 他 T11.11.28 今橋ホテル T11.11.29 中の島中央公 会堂 ゴドウスキー夫妻歓迎晩餐会 (会員も参加) 世界の大ピアニスト ゴドウスキ ー氏大演奏会(清楽会と共催)(大阪 毎日新聞社後援) ゴドウスキー演奏のレ コード 舞踏 ショパン:ソナタ第 2 番 シューベルト:即 興曲 他 T12.01.07 (1923) T12.02.24? 葛野壮一郎氏 (しの子)別邸 高島屋呉服店 新年会 T12.05.10 中央公会堂 提琴界の覇者クライスラー氏大演 奏会(清楽会、楽友会と共催)(大阪 朝日新聞社後援) 音楽、ダンス、歌カル タ 他 チャイコフスキーに就 いて バッハ:ヴァイオリン ソナタ ブルッフ:ヴ ァイオリン協奏曲第 1 番 他 T12.05.11 中央公会堂 提琴界の覇者クライスラー氏大演 奏会(清楽会、楽友会と共催)(大阪 朝日新聞社後援) T12.06.26 大津・近江舞 子 大江ビルディ ング 琵琶湖めぐり(遊覧船みどり丸) T12.07.14 講演会(本野精吾) ヴァイオリン演奏 ブラームス:ヴァイオ リンソナタ第 1 番 ク ライスラー:道化役者 のセレナード 他 家庭音楽公開(ソプラノ:廣瀬勝 代、ギター:廣瀬義忠、ピアノ: 廣瀬静子) チャイコフスキー:サ ロン風マズルカ プッ チーニ:オペラ「トス カ」より 他 震災義捐大演奏会(アルト:花島秀 シューベルト:「魔王」 子、ソプラノ:武岡鶴代、チェロ: ボッケリーニ:チェロ 平井保三、ヴァイオリン:多忠亮、 ソナタ 山田耕作:ピ ピアノ:榊原直、ピアノ・講演: アノバラード「妬の火」 山田耕作) 他 T12.10.20 中之島中央公 会堂 T12.12.08 高島屋呉服店 例会 T13.01.28 (1924) T13.05.17 T13.10.23 浜田冨栄氏宅 新年会 大浜 中之島中央公 会堂 例会 プレミスラフ氏夫妻大演奏会(ヴ ァイオリン:L.プレミスラフ、チ ェロ:E.プレミスラフ、ピアノ: フメルニツキー)(大阪毎日新聞社 後援) レコード演奏会、茶話 会 レコード演奏会 潮干狩り メンデルスゾーン:ヴ ァイオリン協奏曲 ポ ッパー:タランテッラ 他 近代日本音楽年鑑 H090629 松本 2008 p79 松本 2008 p79 松本 2008 p79 大朝 T110711 大朝 T111123 プログラム 大朝 T111122 音楽界 T111110 大毎 T111123 近代日本音楽年鑑 H090629 大大阪と文化 S170601 当日記念写真 プログラム 大毎 T111125 大朝 T111128 大毎 T111128 大毎 T111129 大毎 T111131 近代日本音楽年鑑 H090629 松本 2008 p79 松本 2008 p79 プログラム 大朝 T120421 大朝 T120503 大朝 T120508 大朝 T120510 大朝 T120511 プログラム 大朝 T120421 大朝 T120503 大朝 T120508 大朝 T120510 大朝 T120511 松本 2008 p79 大朝 T120715 松本 2008 p79 プログラム 大毎 T121021 大毎 T121016 大朝 T121016 大毎 T121015 大朝 T121021 松本 2008 p79 松本 2000 p46 大阪時事新報 T130129 松本 2008 p79 プログラム 大朝 T131020 大毎 T131024 10 T13.11. T13.11.27 大阪地方裁判 所検事局 中央公会堂 内藤周子取調べ 告訴される 大朝 T131115 ブラームス:愛のまこ と・サッフォー風頌歌 他 大朝 T131126 大朝 T131106 大大阪と文化 S170601 大朝 T140220 ベートーヴェン:ロン ド シューマン:アベ ッグ変奏曲 他 三木ホール日記 T14.02.21 (1925) T14.03.27 白木屋 ブラームスの夕(鈴木のぶ子研究 発表第 1 回 ピアノ:ショルツ)(楽 友会と共催) レコードコンサート 三木ホール 吉田光子女史ピアノ演奏会 T14.06.13 T14.07.18 例会 講演会(菅原明朗) T14.12.11 白木屋 中山文化研究 所 中山文化研究 所婦人談話室 (堂ビル) 中央公会堂 T15.07.11 (1926) 大阪朝日新聞 社講堂 T15.10.24 土佐堀青年会 館 朝日会館 T14.09.19 S02.10.04 (1927) 大朝 T140918 大朝 T140920 ミッシャ・レウイーツキー ピアノ 演奏会 公開演奏会(ピアノ:東貞一、声 楽:水野康孝、ヴァイオリン:矢 野八重子 他) 音楽会(神戸・大島女史門下生) 大朝 T141208 大朝 T150709 大朝 T150712 松本 2000 p79 世界洋琴界の巨匠ベンノ・モイセ イウイチ ピアノ演奏会 ベートーヴェン:ピア ノソナタ「熱情」 ス クリャービン:夜想曲 他 ベートーヴェン:ピア ノソナタ「熱情」 ス クリャービン:夜想曲 他 ショパン:即興曲、ソ ナタ、マズルカ 他 京都市公会堂 世界洋琴界の巨匠ベンノ・モイセ イウイチ ピアノ演奏会 S02.10.12 朝日会館公演 場 堂ビル婦人談 話室 モイセイウイチ氏ピアノ演奏会シ ョパンの夕 11 月定例音楽会(ピアノ:荒木和 子、ヴァイオリン:鯖戸英郎 他) S03.04.23 (1928) 朝日会館公演 場 S03.0507 朝日会館公演 場 慈善音楽会(大阪新進女流ピアニ スト処女公演 荒木和子、外山道 子、野上ふぢ子 他)(朝日新聞社会 事業団後援) カワリヨフ氏ピアノ演奏会 S05.11.20 (1930) 朝日会館 東貞一ピアノ独奏会(ヴァイオリ ン:田中平三郎、ピアノ:加納和 夫) S08.07.08 (1933) 中央電気倶楽 部会館 声楽とヴァイオリンの夕べ(ソプ ラノ:広瀬勝代、ヴァイオリン: 東儀哲三郎) S12.04.26 (1937) S12.04.27 大阪ホテル 黒田睦子さんのデビューを祝う会 (竹内平吉 他) ピアノとチェロとオーケストラの 会(ピアノ:黒田睦子、チェロ:伊 達三郎、宝塚管弦楽団、指揮:朝 比奈隆) 朝日会館 松本 2000 p79 松本 2000 p79 レコード・コンサート S02.10.06 S02.11.02 オーケストラとフラン ス音楽に関して プログラム 大毎 S020929 大朝 S021005 大朝 S021004 大毎 S021005 プログラム 京都音楽史 S170628 大朝 S021011 大朝 S021012 大毎 S021102 大朝 S021102 大朝 S021103 リスト:演奏会用パラ 大朝 S030420 フレーズ「リゴレット」 大朝 S030410 ラフマニノフ:エレジ 大朝 S030423 ー 他 バッハ:前奏曲とフー 大朝 S030506 ガ 他 大朝 S030507 大朝 S030508 シューベルト:さすら プログラム い人幻想曲 リスト: 大朝 S051122 水の上を歩くパオラの 聖フランチェスコ 他 ドニゼッティ:オペラ 大朝 S080705 「ランメルモールのル チア」より プッチー ニ:オペラ「ラ・ボエ ーム」より 他 大毎 S120422 モーツァルト:ピアノ 協奏曲 ポッパー:ハ ンガリー狂詩曲 他 大朝 S120421 大毎 S120422 大朝 S120426 大朝 S120427 大毎 S120427 11 S12.07.24 瓦斯ビル公演 場 S15.04.20 (1940) 大阪軍人会館 珍しい楽器ハープシコード・ヴィ オラダモーレ演奏会(ハープシコ ード:レネ・フランク、中瀬古和 子、ヴィオラダモーレ:エマヌエ ル・ムーラ、メゾ・ソプラノ:加 藤貞子) 第 1 回室内楽の夕(ピアノ:東貞一、 ヴァイオリン:朝比奈隆、チェロ: 伊達三郎) バッハ:フランス組曲 カッチーニ:麗しきア マリリよ ルイエ:ソ ナタ 他 プログラム 大朝 S120723 ? S120723 ベートーヴェン:ピア ノ三重奏曲「大公」 メ ンデルスゾーン:ピア ノ三重奏曲第 1 番 他 大朝 S150418 5結び 「ピアノ同好会」の活動は、会員自身がピアノを演奏し、その中には東京音楽学校卒業 生のような専門教育を受けた者も含まれる団体として、大正期の関西において、ピアノを 中心とした西洋音楽の振興に貢献した、と総括できる。同会は、個人的な範囲でピアノを 愛好する、いわゆる“アマチュア”と、久野久子や小倉末子といった“ピアニスト(=プロ フェッショナル)”と呼ばれる人たちとの中間に位置していたと見ることができる。それは、 プロとアマチュアの双方に働きかけることができる、好ポジションであった。アマチュア のピアノ愛好者層を厚くする一方で、プロのピアニストの演奏活動を主催者として聴衆と して支えたのである。主催活動の中には、ゴドウスキー(ゴドフスキ)やクライスラーのよう な世界的に著名な演奏家のコンサートも含まれ、関西の聴衆に初めて世界レベルの西洋音 楽を提供した功績は大きい。新聞雑誌の記事中でも、 “本当の音楽の趣味を楽しむ[注 27]” “真 摯なる会員[注 28]” “楽壇の為に力を尽くす[注 29]” “大阪楽界を指導するものとなるのであろ う[注 30]” “大阪の芸術界に輝く[注 31]” “斯うして此会の段々盛になり行きつヽあるのは大阪 の家庭へピアノ趣味が段々染み込んで行くことを証するものである[注 32]”等の好意的な言 葉によって形容されている。その名声は東京にも届き、評論家牛山充は“大阪にはピアノ 同好会もあるが、東京にはない。何とかして同好家が集まってよい会を組織し、こうした 名手[注 33]が来た時に、腕一杯のところを演奏出来るような準備があってほしい[注 34]”と書 いている。同会の活動が非常に社会的評価の高いものであったことがわかる事例である。 「ピアノ同好会」は大正期の関西において、ピアノを中心とした西洋音楽の普及・振興に 寄与したことで、ピアノ受容史上特筆すべき団体といえるだろう。 本研究は、日本のピアノ受容史について共同研究を進めているプロジェクト[注 35]の一環 として行ったものである。同会についてさらに詳細な考察を重ねていくと共に、同会以外 のピアノ関係の動向についても観察していくことが必要であり、今後の課題としたい。 12 本稿は、2009 年 10 月 25 日に大阪大学で開催された日本音楽学会第 60 回全国大会のシンポ ジウム「 『ピアニスト』の誕生 ―大正期のピアノ事情―」での口頭発表を基に、その後の資料 調査により判明した内容を加味したものである。前述プロジェクトの津上智実氏他メンバー各位 には、問題点指摘、情報提供等多くの協力をいただいた。また、女性の社会活動という視点から 「ピアノ同好会」に注目している松本佳子氏の研究成果も多く参考にさせていただいた。記して 謝意を表したい。 注 明治 35 年~昭和 17 年」、同店内部資料 1) 三木楽器「三木楽器ピアノ販売年表 2) 松本佳子 3) 『大阪毎日新聞』大正 7(1918)年 6 月 29 日/『音楽界』大正 7 年 8 月 1 日 4) 『大阪毎日新聞』大正 8(1919)年 1 月 13 日 5) 松本佳子氏は、大正 7 年 3 月とされるが実際には 1 月頃から内々に会員が集められている、と指摘 2000「大正・昭和初期の阪神間郊外住宅地における女性の外出・交際に関する研究」に 取り上げられている。 している。 6) 『音楽界』大正 7 年 8 月 1 日 7) 『音楽界』大正 7 年 8 月 1 日 8) 『音楽界』大正 7 年 8 月 1 日 9) 湯本愛子、東粂子は東京音楽学校卒業。松本佳子氏によると、外山治子、中江百合子、加藤春代も 同校卒業。 10) 荒木幸子(旧姓松田)は、結婚前にアメリカ、ドイツに留学。 11) 吉田光子。大正 14(1925)年 3 月 27 日、三木ホールで独奏会。 12) 『大阪毎日新聞』大正 8 年 1 月 13 日 13) 『大阪朝日新聞』大正 14 年 7 月 11 日 14) 『大阪毎日新聞』大正 8 年 1 月 13 日 15) 明治 19(1886)年~大正 14 年 ピアノ奏者。滋賀県出身。東京音楽学校卒業。同校教授。留学中ウ ィーンで客死。 16) 明治 24(1891)年~昭和 19(1944)年 ピアノ奏者。岐阜県出身。東京音楽学校卒業。ドイツ留学。シ カゴで教授活動。帰国後、東京音楽学校教授。 17) 明治 18(1885)年~昭和 45(1970)年 アルト歌手。東京都出身。東京音楽学校卒業。ドイツ、アメリ カ留学。 18) 明治 25(1892)年~昭和 59(1984)年 東京出身。東京音楽学校卒業。昭和 3(1928)年ベルリンでドイ ツ・リート独唱会開催。国立音楽大学教授。 19) 大正 7 年完成。大阪の株式仲買人岩本栄之助が当時の 100 万円を寄附して建設。 20) 『大阪毎日新聞』大正 9(1920)年 7 月 22 日には“中江百合子夫人にピアノ同好会から幹事の辞職を 勧告”という見出しの記事が掲載された。具体的な内容までは書かれていないが、何がしかの事件 があったことを伝えている。 21) ジンバリスト 1889 年~1985 年 ロシア生まれのヴァイオリン奏者。1911 年以降アメリカに。 22) ゴドフスキ 1870 年~1938 年 23) 1875 年~1962 年 オーストリアのヴァイオリン奏者、作曲家。1939 年以降アメリカに。 24) 1890 年~1963 年 ロシア生まれのピアノ奏者。1937 年以降イギリスに。 ポーランドのピアノ奏者。1891 年以降アメリカに。 13 25) 『大阪朝日新聞』大正 14 年 7 月 11 日 26) 『大阪朝日新聞』昭和 3 年 5 月 6 日によると、元モスクワ国立音楽学校教授で、一昨年 5 月来朝、 目下南海浜寺公園、外山邸に寄寓、と紹介されている。外山邸は会員外山治子邸と思われる。 27) 『大阪毎日新聞』大正 7 年 6 月 29 日 28) 『音楽界』大正 7 年 8 月 1 日 29) 『音楽界』大正 7 年 8 月 1 日 30) 『音楽界』大正 7 年 8 月 1 日 31) 『大阪毎日新聞』大正 8 年 1 月 13 日 32) 『大阪毎日新聞』大正 8 年 1 月 13 日 33) 直前の文章からアメリカ・ボストンのピアニスト、ヨゼフ・アードラーを指すと思われる。 34) 東京音楽学校楽友会『音楽』1926-6 35) 津上智実氏が中心。同氏の小倉末子研究がプロジェクト編成の発端となったため「小倉プロジェク ト」と名付けている。 参考文献 橋爪節也 2007「大大阪イメージ 増殖するマンモス/モダン都市の幻像」創元社 伊達俊光 1942「大大阪と文化」金尾文淵堂 松本佳子 2000「大正・昭和初期の阪神間郊外住宅地における女性の外出・交際に関する研究」 松本佳子 2008「ピアノ同好会・清楽会の活動とその影響」、生活文化史学会『生活文化史』第 53 号、 pp.75-86 週刊朝日(編) 1988「値段史年表」朝日新聞社 吉田恒三(編) 1942「京都音楽史」京都音楽協会 「東京音楽学校一覧」(東京音楽学校 奥付等なし) 1973「同声会会員名簿」東京芸術大学音楽学部同声会 倉田喜弘・藤浪隆之(編) 1995「日本芸能人名事典」三省堂 1981「音楽大事典」平凡社 塩津洋子 1994「明治期関西洋琴事情」 、大阪音楽大学音楽研究所『音楽研究 大阪音楽大学音楽研究所年 報』第 12 巻、pp.5-34 塩津洋子 1990「関西洋楽文化史Ⅴ-国際化期-(大正 3 年~13 年)」、大阪音楽大学音楽研究所『音楽研究 大阪音楽大学音楽研究所年報』第 8 巻、pp.67-80 14