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本文ファイル - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ
NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE Title 『負けるが勝ち』の笑いの要素 Author(s) 清田, 幾生 Citation 長崎大学教育学部紀要. 人文科学. vol.65, p.39-49; 2002 Issue Date 2002-06-28 URL http://hdl.handle.net/10069/5814 Right This document is downloaded at: 2017-03-28T14:38:20Z http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp 長崎大学教 育学部紀要 一人文科学 - N0. 6 5,3 9-5 0( 20 0 2. 6) 3 9 『 負けるが勝ち』の笑いの要素 清 田 幾 生 TheLaug ht ere xc i t edi nSheSt oo pst oConque r I kuoKi yo t a ( -) 人 の心 を揺 り動 かす演劇 の影響 力 は大 きい。詩や小説 な ど文字 で書 かれた文書 よ りも、 戯 曲 を基 に して、生身の人間が演技 す る芝居 の方が、迫力が あって、生々 しい。古来、芝 居 は観 る者 に強 い印象 と大 きな衝撃 を与 えて きた。舞 台が人 に与 え るもの は、娯楽 として の芝居 の楽 しみだ けで はない。恐怖感 もあれ ば、観 る者 を巻 き込み興奮 させ て、煽動す る 要素 もあ る。舞 台上の演技が もつ魔術 の よ うな影響力 を恐れて、 当局 は昔か ら劇団や役者 に何 らかの制 限 を加 え るのが常であった。 イギ リスで演劇活動 を取 り締 まる 「 検 閲法」が 成立 したの は、一七三七年 の こ とで あ る。 この時代、つ ま り十八世紀 といえば、 イギ リス の社会 は、大 きな変化 を見せ た時で あ る。特 に十八世紀 の後半 には、産業 が発達 して、経 済が著 しく成長 して、矛盾 を抱 えなが らも国全体が右肩上が りの国力 を示 した時代で ある。 この 「 検閲法 J は、舞 台に よる演劇活動 を、 お上 の監視下 に置 くもので あった。 このた め、 有望 な劇作家 で あった者 たちが、小説書 きに転 向 した。せ っか く書 き上 げた戯 曲が、 その筋 の干渉や束縛 で、舞 台 にか けるこ とが不可能 となるこ とが再三で あった。 それ に嫌 気が さ して、劇作 をすてて、小説家 に転 向 した者 に、 た とえばH ・フィールデ ィングがい る。 当時の社会 で は、豊 か になった中産 階級が増加 して、 イギ リスの識字率が上昇 した時 代で あ る。読者層が厚 くなって、 これ まで になか った小説 とい う文学 の- ジ ャンルが、新 し く脚光 を浴 びた時代 であ る。小説 を書 くこ とは、芝居 の台本 を書 くよ り、 はるか に実入 りの よい稼業 となった。小説家 は、 おそ ら く詩歌 よ り、 当時の社会の変化 をよ く描写 して い る。 十八世紀 は、 そのせ いか、小説 の隆盛 とは逆 に、演劇が低迷 した時代 だ とよ く言われ る. それで も芝居が この世か ら無 くな るわ けで はなか った。 ロン ドンでは芝居小屋 は当局 か ら 二つ認可 されて、 それ ぞれ盛んに活動 は行 っていたので ある。( 1 ) ィギ リスの この時代 を 代表す る劇作品 を三つ あげるな ら、時代順 に、先ず、 ジ ョン ・ゲイの 『 乞食 オペ ラ』で あ ろ う。次 ぎに、 ゴール ドス ミスの、 『 負 けるが勝 ち』が来 る。 そ して最後 に、 シ ェ リダ ン の 『 悪 口学校 』で あ る。 この うち、 『 負 け るが勝 ち』が初 めて上演 されたの は、 あの 「 検 閲法」が議会 を通過 してか ら三十年以上 もたってか らの ことで ある。 一七七三年、 ゴール ドス ミス作 の 『 負 けるが勝 ち』 の初演が ロン ドンの劇場 で行 われた とき、 この新 しい演劇 に対 す る観客 の反応 は、作者や製作者側 の心配、不安 をを よそに、 大好評 で あった。現在 もそ うであ るよ うに、観客 を呼べ ない芝居 は、 日を重 ね るご とに損 清 田 幾 生 40 矢 を増大 させ るので、劇場側 は早々 に芝居 の興行 を打 ち切 るので あ る。作者 が初 演 の時 よ り三年前 の一七七一年 に書 き上 げていた 『 負 けるが勝 ち』 は、 すで に劇場 での舞 台化 を断 わ られていた。 その劇場 の支配人 たちは、戯 曲 を見 た段 階で、 これ は集客 力のない作 品だ と想定 して いたので あろ う。 その後 関係者 たちの長 い期 間 にわた る努力 の末 に、や っ と上 演 に こぎつ けたので あ る。支配人 たちが上演 を見送 っていた理 由は、 この作 品が 当時の演 劇 の主流 となっていた演劇観 に樺 さす内容 で あったか らで あ る。 ゴール ドス ミスは当時 の 劇壇 の支配 的な考 え方 に、意図的 に反旗 をあげて、新 しい喜劇 を 目指 したので あ る。 その 革新 的な傾 向に恐れ をな して、例 の劇場支配人 は、首 を縦 に振 らなか ったので あ る。 とこ ろがふた を開 けてみ る と、意外 に も、関係者 た ちの危倶 は当た らず、観客 は 『 負 けるが勝 ち』 を大歓迎 したので あ る。観客 は古 くさい芝居 にはあ きあ き していた。何 か新 しい もの を求めて いたので あ る。 十八世紀 の演劇界 で、支配 的な傾 向 は、 セ ンチメ ンタル ・コメデ ィーで あった。 このセ ンチメ ンタル とい う語 には、現代 の使用法 よ りは、 もう少 し広 い含意 を もってい る。 すな はち、道徳 的、教訓 的 とい う意味 と、誇大 な感情 の伴 う、 とい う意味 とで あ る。 さ らに こ のジ ャンル は、表現 として は、 お上品 な対話 と格言的 な言 い まわ しを好 んだ。 セ ンチメ ン タル ・コメデ ィーは、十八世紀 の英国で大 いに流行 し、社会 的な影響 力 を身 につ けた中流 階級 の噂好 に よって支 え られた演劇 で あ る。 この演劇 の傾 向は、 これ よ り一時代前 の王政 復古期 の劇 に対 す る反省 か ら生 まれた もので あ る。十七世紀 の王政復 古劇 で は、性 の放縦 や伊連 な貴族 の生活が、退廃 の色彩 で措 かれ る自由 さが あった。 この状況 を変 えたのが、 セ ンチメ ンタル ・コメデ ィーの ピュー リタン的な演劇観念 で あ る。道徳 的 な堕落 を よ しと せず、寛大 さ、慈善行為、上品 さ、 な どの美徳 を称 えて、勧善懲悪 的 なお説教趣 味 を示 し た。 と同時 に、観客 の同情 と涙 を誘 うような、改俊 の場面が クローズア ップされた りす る ので あ る。 王政復 古劇 で は観客 も主 に貴族 階級 で あったが、セ ンチメ ンタル ・コメデ ィで は、 中産 階級が登場人物 とな るのであ る。 『 負 け るが勝 ち』 の初演 の少 し前 に、 ゴール ドス ミス はセ ンチメ ンタル ・コメデ ィー を 排す る宣言文 を、エ ッセイ とい う形 で Ⅳ 如mi ns t e rMa gaz i ne誌 に発表 してい る.(2) 彼 は、 当時劇壇 で全盛 を極 めて いた この種 の演劇 が、本 来 の喜劇精神 か ら逸脱 してい るこ とと、 さ らにそ こに、偽 善の匂 いを読み取 っていたので あ る。 その不満 の現れが、 ゴール ドス ミ ス を して この挑戦 的なエ ッセイ を言揚 げさせ たので あ る。 当時 の演劇 で は、 もう悲劇が飽 き られて、人々 は喜劇 の方 を大 いに歓迎 していた。 この場合、喜劇 とい う語 は、現在 の使 用 法 とは、意味 を少 し異 に してい る。悲劇 の それ とは違 って、最後 がハ ッピー ・エ ンデ ィ ングで締 め くくられ る芝居 な ら、 それ は喜劇 に属 した、 と考 えれ ば よい。 このエ ッセイ に よる と、 セ ンチメ ンタル ・コメデ ィーは、人間の欠点、悪徳 を曝 す よ りも、個人生活 の美 徳 を称 え るこ とに主 眼 を置 いて い る。安 っぽい苦悩 に対す る観客 の同情 と涙 を当て に した 筋 になってい る。人間 は も ともと善性 を具 えて いて、苦悩 の涙 を通 して有徳 の生活 に入 る こ とがで きる、 とい う安易 な発想 に支 え られてい る。 そ こにゴール ドス ミスは不満 を抱 い ていたのであ る。 セ ンチメ ンタル ・コメデ ィーで は、遊蕩 に耽 っていた主人公 が最後 に観客 に提示 す る美 徳 は、改心で あ り、慈善で あ り、寛大 さで あ る。 そ こで はまた、不幸 と苦悩 にあえ ぐ有徳 の女 は、最後 にはその立派 な道徳 観 のため、救 われ る。 た とえば、 あ る主人公 は、堕落 し 『負 け るが勝 ち』 の笑 いの要秦 4 1 た生活 を送 っていて、他人 を傷 つ けてなん とも思 わなか ったが、 あ るきっか けで反省 が起 こ り、 自分 の犯 した悪行 に良心 の何章や悔恨 を感 じる。 あ るいは放蕩三味の不道徳 な男が 悔 い改 めて、涙 なが らに清 らかな生活 に戻 る決意 をす る、 とい う筋立ての もので あ る。 そ こで主張 されてい るものは、温情、清廉、 な どの徳 目の重要性 で あ る。 当時の観客 は、 こ の よ うな道徳 的な結末 を類型 とす る、勧善懲悪 的な芝居 に感涙 を流 す ように仕組 まれてい たので あ る。 演劇 にお け る、こうい う涙 を誘 うセ ンチ メ ンタ リズ ムを、ゴール ドス ミス は ẁe e pi ngc o me d y'と呼び、 この種 の芝居が主流 をなす劇壇 に抗議 した。件 の宣言文の中で a ughi ngc o me d y'で 彼 は、喜劇 は涙や泣 き声で満た されてはな らず、人々 を陽気 にす る、l̀ あ るべ きだ、 と主張 したので あ る。 そ して、現実 に、 『 負 け るが勝 ち』 は、新 しい作 品の 典型 として、新 しい方 向を示 した ことにな る。 『 負 けるが勝 ち』 の プロロー グは、 当時随一 の俳優 で あ るデイヴイ ド ・ギ ャ リックが書 いた ものであ るが、 そ こにはセ ンチメ ンタル ・コメデ ィーの特徴 が抑捻 的 にい くつか挙 げ られてい る。 か いつ まんで言 うと、病 に侵 された この種 の喜劇 の特徴 は、催涙劇 で あ るこ と、 お説教癖 が あ るこ と、 もったいぶ った格言好 みであ るこ と、 な どで あ る。 しか しなが ら、 『 負 け るが勝 ち』 はその点で、 問題 が ないわ けで はない。 時代 を風磨 す るセ ンチメ ン タルな思潮 に反旗 をひ るが え し、 それ を訊刺 す るこの劇が、 それで は、 もっぱ ら一貫 して 反セ ンチメ ンタ リズムか とい うと、必 ず しもそ うはなっていないので あ る。 それ どころか む しろ この喜劇 が、セ ンチメ ンタル ・コメディーの特徴 を備 えてい る要素す らもあ るので あ る。 しか も、 おそ ら くそれ は作品の欠点 になってい るので はな く、長所 に もなってい る、 と言 うべ きであろ う。 この劇 を、無理 に反 セ ンチメ ンタル ・コメデ ィーの劇 とい う枠組 に 入れ る と、かえって こ との本質 を見逃す こ とにな りかね ない。 ( 二) 当時の演劇界 の主流 をな していたセ ンチメ ンタル ・コメデ ィーの登場人物 は、 おおむね お上品 な階級 に属 す るもので あ り、爵位 を持つ者が主人公 で あった りす る。 そ して最後 に は、彼 らの善良 さや慈悲深 さな どが、感動 的 に浮か び上が る仕組 み とな る。 しば しば道徳 e nt i me nt sが ドラマ や お説教が、格言風 に、 もったいぶ って語 られ る。洗練 された人々の S チ ックに表 出 され る。 それ に比べて、 『 負 け るが勝 ち』 には、 田舎 の紳士階級 が前面 に出 てお り、 「 サー」 の称号 がつ く人物 は一人 しか 出て こない。 しか も、気 品が あるわ けで は ない召使 いや居酒屋 の酔客 な ども登場 す る。 そ して彼 ら平民の 「 野卑 な」言葉づか い も出 て くる。 もし、 お上品 な会話が出て きた り、格言風 な言 い まわ しが あれ ば、 それ は作者 に よる、 セ ンチメ ンタル ・コメデ ィーのパ ロデ ィー として機能 して い る と見 て よか ろ う。筋 立 ての面 白さは、喜劇 の常道で、 シェイ クス ピア喜劇 の ように、人違 い、場所違 い、によっ てい る。 問題 は、珊稔 や親 刺 の手法 を用 いて、時代 のセ ンチメ ンタ リズ ムを作者 が珊掩 す る ときの、喜劇 的な場面 の提出の仕方 にあ る。 喜劇で あ るか ら、若 い男女 の恋愛 と結婚 が主題 にな る。 この劇 を成立 させ てい る時代 的 な背景 に、 イ ギ リス十八世紀 の結婚 市場 とい うものが あ るO 時代 の変 わ り目であ るので、 勃興 して来 た中産 階級 と、やや その勢 いに圧倒 されか けてい る貴族 階級 との結婚 は、特 に 清 田 幾 生 42 両者 の経済 力のバ ランスか ら、 しば しば行 われた。 それ は、親 たちが息子 と娘 をあわせ る 見合 いの形 を とった。 この劇 で 出会 う二人 の男女、 マ一 口ウ とケイ トが そ うで あ る。 サ ー ・チ ャールズの息子で あ るマ一 口ウは、友人 のへイステ ィングズ と共 に、 ロン ドンか ら ハ ー ドカ ッスル氏 の田舎 の邸宅 -や って来 た。 氏 の娘 ケイ トと見合 いをす るためで あ る。 途 中マ- ロウたち二人連 れの都会人 は、 ケ- トの兄 トニーの悪ふ ざけに廃 されて、到着 し たハ ー ドカ ッスル邸 を宿屋だ と思 い こんで しま う。 この誤解か らすべ ての混乱が巻 き起 こ る。やが てへイステ ィングズは この邸宅 に住 む恋人 の コンス タンス に教 え られて、誤解 の 事実 を知 るが、 その こ とをマ- ロウには教 えない。 マ一 口ウは誤解 した まま、ハ ー ドカ ッ スル氏 を宿 の亭主扱 いに して、 ホテルの客人の積 りで、横柄 な口を利 いてい る。 この作 品の中で は、一人 を除 いて、登場 人物 の皆が、何 らかの形 で、編 されて い る。 あ るいは真実 を教 え られず に、事実 に対 して無知 の まま行動 してい る。 その一人 とは、 トニ ーで あ る。 そ して この悪戯 男 トニーの崩 しの結果 が波及 して、筋 の展 開 を促 が して い る。 中心 にな る トニー は、狂言回 し的な役割盲 演 じて、面 白半分 にふ ざけ心か ら物 の順序 をひ っ くり返 して、 あべ こべの世界 を作 り出すので あ る。 しか し彼 は、 マ- ロウ とケイ トに関 す る限 り、 この混乱か ら利得 を手 に入れ よ うとい うので はない。一方、入手で きる情報量 が一番少 ないのは、主人公 のマ- ロウであ ろ う。 トニーの悪戯 に よって、見合 い相手の屋 敷 を宿屋 だ と誤解 して以来、彼 は知識不足 の ままに放 っておかれ るので、彼 の言動 はすべ て観客 の笑 いの的 とな る。令嬢 として紹介 された初対面 のケイ トに対 して は、極度 に内気 になって、 ま ともに会話 も出来ず に、 しどろ もどろにな る。一方服装 を変 えて出て きたケ イ トに対 してな らば、宿 の女 中だ と勘違 い して、図々 しい振舞 いに及ぶので あ る。 マ- ロウ とケイ ト、 お よびその父親ハ ー ドカ ッスル氏の三人が巻 き起 こす混乱が主筋 だ とすれ ば、 -イステ ィングズ とコンス タンス、ハ ー ドカ ッスル夫人が関わ るどたばた劇が 副筋 となって、 それぞれ当時の社会 を色濃 く映 しなが ら、笑 い を誘 う事件 を引 き起 こすの で あ る。 恋愛 は男女 に、本人 も思 いが けない意外 な内面 を露 わ に して、尋常 な らぬ行動 と 姿勢 を取 らせ るもので あ る。 い ろい ろな思惑 を こめた まま対面 し、会話 を交 わす この男女 の姿勢 の中に、作者 の反 セ ンチメ ンタ リズムの態度 を見 てみ よう。 - - ドカ ッスル嬢 とし てのケ- トと、都会人 マ一口ウ との対話 は、 お上品で優雅 な人た ちの典型 として排橡 の対 象 として措かれ る。相手が貴婦人 だ と、急 に内気 さが嵩 じて、 しどろ もどろにな るマ一 口 ウで あ る。 MARLOW Ye s , ma da m. I nt hi sa geo fhy po c is r yt he r ea ref e wwhoupons t ic r te nqui r ydo no t -a-a-a-a- MI SSHARDCAS nE Iunde r s t ndyoup a er ec f dy, s i r . MARLOW ( As i de) Ega d! a nd也a t ' smo r e也a nIdomys e 比 MI SSHARDCAS nE Yo ume nt a ha ti nt hi shypoc idc r la a get he r ea ref e wt ha tdono tc onde mni n ir t ue publ i cwha tt he ypr a c i ts ei n pr iv a t e,a ndt hi nkt he ypa ye v e r yde btt ov 『負 け るが勝 ち. Dの笑 いの要 素 43 whe n仇e ypr a i s ei t . MARLOW Tr uC, ma da m ;t hos ewhoha v emos tv ir t uei nt he i rmo ut hs , ha vel e a s to fi ti n he t i rbo s o ms .Butrms ur eIt ir eyo u, ma da m. ( I I -1 , 45 9 6 8) 初対面 の恋人 同士がお上品ぶ った言葉づか いで、美徳 につ いて語 り合 う異様 な可笑 しさ が、 この場 の眼 目で あろ う。 セ ンチメ ンタル ・コメデ ィーの登場人物が道徳 につ いて語 る 気取 った言葉づかいが、 その まま説刺 されてい る。 しか もここで、偽善的な言葉づかいで、 マ- ロウ とケイ トが話題 に してい るのは、可笑 しな こ とに、世間の偽 善ぶ りにつ いてなの であ る。 その後彼 女 は、 ま ともに自分 の顔 も見 ることので きなかったマ- ロウのはにかみ と小心 さに言及 しなが ら、独 白で、 「 ははは、 こん なセ ンチメ ンタルな出会 いって あった 。 か しら !」 と笑 うので ある. マ一 口ウは相手が身分の低 い女だ と思 うと、身分 の高 い女 を対す る ときの よ うな臆病 さ が一挙 に消滅 す る。 ケイ トが召使 の ような服 を着てい る と、宿屋 の女 中だ と思 い こみ、大 胆 な行動 に出 る。 なれ なれ し く言 い寄 るので あ る。相手 を誤解 した まま、 ケイ トの手 をつ かみ、彼女が もが きなが ら逃 げていった後、友人のへイステ ィングズ に対 して上機嫌 に次 ぎの ように言 っての ける。 m STI NGS Butho wc n you, a Cha rl es , goa bo utt or o bawo ma no fhe rho no ur ? MARLOW Ps ha w!Ps ha w!Wea l lkno wt hehono uro ft heba r ma i do fa ni nn.Idon' t i nt e ndt or o bhe r ,t a kemywo r df ori t ,t he r e' sno hi t ngi nt hi sho us e,Is ha n' t hone s dypa ybr . ( ⅣⅠ , 5 2 5 6) 相 手の女性 の身分次第で、臆病 になった り、図々 し くなた りす るマ一 口ウの態度 の落差 が舞 台の上で繰 り広 げ られ る と、観客 の大 きな笑 いを招 くで あろ う。 しか し、上のマ- ロ ウの台詞 にあ るよ うな、女性 は金銭 で処理で きる といった発想 は、王政復古期 の喜劇 に見 られ る遊蕩者 の姿勢 と変 りが ない。 こうい う恋愛遊戯 の考 え方 に反省 が起 こって、 セ ンチ メ ンタル ・コメデ ィーが台頭 したのであ る。 マ一 口ウの態度 の左右 の揺 らぎは、大 きい。 内気 なマ一 口ウの姿 を借 りて、作者 はセ ンチメ ンタ リズムの欺臓 は抑輪 してい るが、遊蕩 者 的なマ一 口ウの青年像 は、 それ ほ ど抑稔や親刺 の対象 にはなっていない ことに注意 して もよか ろ う。 マ- ロウの二面性 は、何か男の生理 に深 く根 ざ した リアルな姿 なので あ る0 しか し当時の観客 には こうい う点 は豪快 に笑 い とばされていたのであろ う。 ただ、マ一 口 ウのために少 し弁解で きるこ とが あ るとすれば、人違 いを してい る彼 だ けが、 この劇 の中 で一番深 く編 されてい る ということであ る。 マ一 口ウ とケイ トの出会 い と会話で は、や は り何 と言 って も、 マ一 口ウの醜態 と滑稽 さ が、 その中心 とな る。彼 は トニーにかっがれて以来、常 に無知 の状態 に置かれ、他人 はす で に気づ いてい るのに、今 い る場所 が宿屋ではな くて、-- ドカ ッスル邸 だ とい う事実 を、 終幕近 くな るまで知 らないので あ る。 いわば劇 中劇の一番前面 に置かれ る阿呆 の状態であ 清 田 幾 生 4 4 り、観客 を含 めた見物人 の優越感 の視線 に曝 されてい るので あ る。 マ一 口ウは、事実 を知 って い るケイ トが愛 を試 す試験 台で あ り、 また操 り人形 で もあ る。 この場 にお ける彼 の言 動 のすべてが笑 いを作 り出す。宿屋 の主人だ と思 ってい るハ ー ドカ ッスル氏 には尊大 な口 を きいて、彼 を驚かせ、かつ当惑 させ る。 マ- ロウ青年 はハ ー ドカ ッスル氏 の椅子 に我が 物顔 に腰 を下 ろ して、宿 の食事 を要 求す る。地下蔵 の酒 は勝手 に飲 み尽 くせ と召使 いには け しか ける。 そ うな る とハ ー ドカ ッスル氏 は、 田舎 の邸宅 の保守 的な主人 としての地位 を 失 わんばか りなので あ る。 しか し、ハ ー ドカ ッスル氏 は一見 した ところ、威張 り散 らすマ 一 口ウの犠牲者 に見 え るが、 その実、本 当の犠牲者 は無知 なマ-ロウ自身 なのであ る。 ( ≡) 劇 中劇 の話で言 えば、 その最 た るものは、宿屋 の女 に扮 した まま、 ケイ トが 自分 とマ一 口ウ との対話 を、父親 とサー ・チ ャールズの二人 に、衝 立の背後 に隠れて盗 み聞 きさせ る、 いわゆ るス ク リー ン ・シー ンで あろ う。ハ ー ドカ ッスル嬢 としてのケ- トで はな くて、宿 屋 の手伝 い女 としてのケ- トに恋 を して しまったマ一 口ウは、 階級 の差 を越 えた愛で あ る ことを述べ る。 ケイ トは巧 み に誘導 して、徐 々 に相手 の愛情 が本物 で あ るこ とを本人 の 口 か ら言 わせ る。 またそれ を衝立 の後 ろに隠れてい るそれ ぞれの父親 に も確認 させ る。 その 場面 の男女 の会話 は、セ ンチメ ンタ リズムの最 た るものであろ う。 MARLOW Bya l1t ha t ' sgood,Ic n a ha v enoha ppi ne s sbutwha {si nyo urpo we rt ogra nt me.Nors ha l lIe verf ee lr e pent a nc e,buti nnotha vi ngs e enyourmer i t s be or f e.Ⅰw il ls t a y,e v e nc o nt r a r yt oyo urw is hes;a ndt houghyo us ho ul dpe r t ula f s s i dui ie t sa t onef ort hel e it v yo fmy s i s tt os hunme, Iw il lma kemyr e s pe c pa s tc onduc t MI SSHARDCAS Tu Si r ,Imus te nt r e a tyo u' l lde s i s t .A s o ura c qua int nc a ebe ga n,s ol e ti te nd,i n i ndi f E e r enc e.Imi ghtha veg ive na n ho urort wot ol e it v y;buts e ious r l y,Mr Ma r l o w,doyout hi nkIc oul de ve rs ubmi tt oaconne c t i on,wher e∫mus t a ppe r me a r c e na r y , ndyoui a mpr ude nt?Doyo ut hi nkIc o ul de v e rc a t c ha tt he c o n丘de nta ddr e s s eso fas e c ur ea dmi r e r ? ( Vi i i , 51 6 3) 劇 中劇 で あ るス ク リー ン ・シー ンで は、舞 台上の男 と女 の対話 を、衝立の後 ろに隠れて 二人 の父親 が盗 み聞 き してい る。 それ を知 ってい るケイ トは、 まだ何 も知 らないマ一 口ウ の真心 を試 して、 それ を父親 た ちに見せ てい る。彼女 はマ- ロウに対 して は宿屋 の手伝 い 女 を演 じて見せ て、父親 たちにはハ ー ドカ ッスル氏 の娘 を演 じてい る。 そ してケイ トはセ ンチメ ンタ リズムの演技 を して い るが、 それ に よって恋 の相手 マ一 口ウの反応 と出方 を覗 ってい るので あ るO-方、 マ一 口ウは彼女 に愛 の言葉 を語 る とき、 その まま真情 を吐露 し F 負 けるが勝 ち. Bの笑 いの要素 4 5 てい る。 マ一 口ウの求愛の言葉 を聞 いて、 ケイ トは心 中喜 びなが らも、女 中の身で あ りな が ら、高 い身分 の人 と結婚 す るのは、欲得づ くに見 えて、気が進 まない、 な どと別 れ話 を 切 り出 してみせ るので あ る。 それ を密か に見 ていた父親 た ちは、二人の愛 を確 認 す る と、 もはや、子供 たちの結婚 には何 の反対 もな く、衝立か ら姿 を現 してマ一 口ウを驚かすので ある。 マ一 口ウは また、宿屋の手伝 い女だ った者 が、 あの令嬢 だ った こ とを初 めて知 って、喜 びなが らも、恥 じ入 る。ハ ー ドカ ッスル氏 は、 マ- ロウの あの無礼 だ った態度 も許 す。二 人の愛 の完成 は、喜劇 のハ ツピイ ・エ ンデ ィングを保証 してい るが、 ここで この喜劇 の特 徴が表れてい る と言 え よう。 つ ま り、宿屋 の女 に扮 してお芝居 をす るケイ トの台詞 は、セ ンチメ ンタ リズムを抑旅 す る機能で使 われて いたのに、一方 のマ一 口ウの台詞 は、相手が 身分 の低 い女 で あ るだ けに、何 の遠慮 もない真心 で語 られてい る。 そ して その表現 には、 セ ンチ メ ンタル な語句 が使 われて い る。 お そ ら くここに この作 品の皮 肉が あ る と言 え る。 反 セ ンチメ ンタ リズムか ら出発 した 『 負 け るが勝 ち』 は、喜劇 の幸福感 を達成 す るの に、 セ ンチメンタ リズムをあ る程度肯定 的に利用 しなければ不可能 なので ある。 主筋 のマ一 口ウ とケイ トの恋の話が、愛 とい う精神 的な主題 の中で繰 り広 げ られ るの に 対 して、一方の副筋 のへイステ ィングズ とコンス タンスの恋愛 は、彼女 の財産 とい う物質 的な形 をめ ぐって展開す る。 コンス タンスは、夫人 の息子で、愛 して もいない トニー との 結婚 を強制 され ることか らも逃 れたいのであ る。姪 の コンス タンスの宝石 を手放 そ うとし ないハ ー ドカ ッスル夫人 の強欲ぶ りに、一時 は財産 を諦 めてへステ ィングズ と駆 け落 ちを 試 み るが、 コンス タンスは屋敷 に戻 って くる。一度 は決意 した恋人 との逃避行 を、相手の 意図に反 して中止 した彼女の心変 わ りは、愛 の情熱 とい う精神性 の重視 か ら、財産 の価値 を認 め るこ とへ考 え方 をシフ トした ことによる。一見 これ はセ ンチメンタ リズムをすてて、 よ り現実 的な態度への針路変更 に も見 え るが、実 はそ うではない。 コンス タンスはまだ伯 母が諦 めない財産 の解決 を、ハ ー ドカ ッスル氏の同情心 と正義感 に頼 って、事態 を修復 し て もらお う と思 って い るのであ る. 事実伯父 にむか って、 その愛情 に も槌 りた い と言 う0 人 の慈悲心 にすが る彼 女の この よ うな態度 は、以前虜 区け落 ち まで しよ うとした、 あの恋愛 至上主義 に劣 らないほ どセ ンチメンタ リズム と言 える。姪の決意 を聞いた夫人 は、 MRSHARI ) CAS TLE Ps ha w, ps ha w,mi si sa l lbut血ewhi ni ngendofamode m no ve l . ( Vi i i ,1 2 9 1 3 0) と吐 き捨 て るようにい う。 しお らしげに見 え るコンス タンスの変心 を、今様 の小説風 な、 お涙頂戴 の結末 だ と忌々 しが るの は、夫人 自身がセ ンチメ ンタ リズムに敗北 す るこ とで事 件 が解決す る悔 しさに他 な らない。皮 肉な可笑 しさは、作者 もここで はセ ンチメ ンタ リズ ムに加担 してい ることを示 してい ることで ある。セ ンチメ ンタ リズム とは正義感、慈悲心、 道徳性、等 に対す る肥大 した感情 と思 い入れで あ る。作者 は反セ ンチメ ンタ リズムを標傍 す るが、徳 目を否定 して も. 、 どこかで徳 目を容認 しなけれ ば物事 は収 まらないのであ る. た とえば慈悲心 を例 に とって見 よ う。ハ ー ドカ ッスル氏 は、夫人や娘 の賛沢 な装身具 に 批判 的で あ る。 そ して、彼女たちが うつつ を抜かす金 ぴか物の何分 の-かの値段 で、貧 し 清 田 幾 生 46 い人々が助か る と言 う。 また劇 の大詰 めで、 めでた く二組 の縁談が成 立 したあ と、明 日は その お祝 いに、地 区の貧 しい人 たち も招 こうと言 って、劇 の幕切 れ を慈悲心で飾 る。 この ような美徳 をゴール ドス ミスは、 セ ンチメ ンタ リズムの一つ とい して提 出 してい るこ とに 間違 いはないが、 で は作者 はハ ー ドカ ッスル氏 を完全 に親刺 と批判 の対象 として措 いてい るか とい う と、 そ うで はない。 む しろ、 旧式で道徳 的で、堅苦 しい人物 で はあ る ものの、 愛 すべ き田舎紳士 として、提 出 して い るので あ る。彼 の人情味 はセ ンチメ ンタ リズムに属 す もので あ るが、美徳 の一 つ一 つ をセ ンチメ ンタ リズ ムに還元 して批判 の対象 にす る と、 訊刺劇 で はない喜劇 を成立 させ ることは難 しいので あ る。 この劇 は、 シ ェイ クス ピアの喜 劇 の ように、劇 の最後 にはふ くらみのあ る幸福感で舞 台がみた され る。 それ は、前述 した ような、愛すべ きハー ドカ ッスル氏の性格造型 に大 いに関係が あ る。 セ ンチメ ンタル ・コメデ ィーの勧 善懲悪 的 な要素 は、 『 負 け るが勝 ち』 で は、 トニーの ハ ー ドカ ッスル夫人 に対す る悪戯 の部分 に一番 よ く見 られ る。彼 の策 略で、馬車 に乗 った ハ ー ドカ ッスル夫人 は、実 は屋敷 の周 囲 を ぐる ぐる回 ってい るの に過 ぎないの に、闇夜 の 野原で道 に迷 った と思 わ されてい る。彼女 の、恐怖 で息 の根 が止 まる思 いは、観客か らは、 同情 の 目で見 られ るこ とはな く、 もっぱ ら噸笑 の対象で あ る。 この場 は、全体 の筋 の中で は、 強欲 なハ ー ドカ ッスル夫人 の処罰 とい う意味合 いを帯 びて い るで あろ う。 そ して喜劇 風 に和 らげ られてい るが、 同時 に、 セ ンチメ ンタル ・コメデ ィー に見 られ る、勧善懲悪 と い う形 のパ ロデ ィーで もあ る。 ( 四) ゴール ドス ミスは、 セ ンチメ ンタル ・コメデ ィー に抗議 したエ ッセ イの中で、 ẁe e pi ng a ughi ngc o me d y'が必要 なのだ、 と公言 した。 そ してエ ッセイが出 c o med y'で はな くて、l̀ た二 ケ月半 の後、 『 負 け るが勝 ち』 の初演 を迎 えたので あ る。作者側 の不安 を よそに、 こ の舞 台化 は、大成功 だ った。作品 は大歓迎 を受 け、観客席 で は咲笑 が絶 えなか った と言 わ れてい る(3) しか し、 ジ ャーナ リズムに載 る劇評 はむ しろその逆で、批判 的な劇評 もか な r a c e りあった。新 しい ことをは じめ るには、 いつ も厳 しい批判 に曝 され る。 なかで も、 Ho a c eWa l po l eは 二十年間イギ リスの Wa l po l eの劇評 は、酷評 とい うべ きもので あった。 Hor 首相 を務 めたWi l l i a m Wa l pol eの息子で あ り、怪奇小説 の先駈 けをな した作家 で あ る。 『負 け るが勝 ち』 に対す る彼 の批評 の垂要点 を述べてみ る と、次 ぎの二点 に尽 きる。 その一つ は、 この劇作 品 に、観 る人 を、知 的、精神 的 に教化 し、かつ啓発 す るモ ラルが ない とい う こ とで あ る。次 ぎに、貴族趣 味 のWa l pol eが一番嫌 悪 した こ とで あ るが、 『負 け るが勝 ち』 の登場人物 には、 品が ない こ と、 そのユーモ ア も下品な もので あ ること、 とい うので あっ た。 ここでWa l pol eは、 『負 けるが勝 ち』 を非難 す るの に、 これ は喜劇 で はない と言 い き り、 ・ ・ hel t o we s to fa llf rc a e s " であ る、 とい う厳 しい表現で酷評 した.( 4 ) ぉそ ら く、彼 は 「 笑 劇 」 とい うジ ャンル 自体 をか な り低級 な演劇形 式 と見 な して いたで あ ろ う。事実、 い まで もサ ブ ・カルチ ャー的な 「 笑劇」 とい う手法 を、 その よ うな 目で見てい る人 は少 な くない。 この劇 が 「 笑劇 的」で あ るこ とにつ いては、他 の批評家 も同意見 で あ り、衆 目の一致 す る 『 負 けるが勝 ち』 の笑 いの要 素 47 ところで あ る。 しか し批評家 に よって は少 し複 雑 な反応 を示 す こ とが あ る。 た とえば、 ニ ュウ ・マ- メイズ版 の テ クス トの編 者T・デイ ヴ イス は、 多 くの批評家 が これ を 「 高級 な 笑劇 」 と感 じて い るが、 自分 はモ ラル ・コメデ ィーだ と見 な して いて、笑劇 の要 素 はた し か にあ るが、 笑劇 とは まった く逆 の、反 対 の もの を持 って い る と言 う。彼 に よれ ば、 「 笑 劇 」 を定 義 すれ ば、現実 には起 こ りそ うもない事件 が、無道徳 の状 態 とな った もの、とい うこ とにな る。(5) さ らに彼 に言 わせ る と、作者 ゴール ドス ミスが劇 中 に取 りこんだ笑劇 の特徴 は、 その活力、展 開 の軽快 さ、筋立 てで あ り、作者 は これ らを巧 み に利用 して い る こ とにな る。 とりわ け この劇作 品の タイ ミングは、 良質 の笑劇 の それで あ る、 とも述 べ て い る。 この劇 の どの部分 が一番笑劇 的 なのか、 とい う と、何 に もま して、 トニー ・ランプキ ン の策略 で あ ろ う。 前半 で マ一 口ウ と- イス テ ィングズ を編 して、- - ドカ ッスル氏 の屋敷 を宿屋 だ と信 じさせ た こ と。次 ぎに母親 のハ ー ドカ ッスル夫人 を編 して馬車 を走 らせ 、 自 宅 の周 囲 なの に遠 い原野 だ と思 わせ た こ と、 で あ る。彼 の悪戯 が筋 の展 開 の原 動 力 となっ て い るので あ る。 また、一幕二場 の居酒屋 の場 面 で、 トニーが みすぼ ら しい男 た ちに歌 を 歌 って きかせ る ところ もそ うで あ る。 ここは トニ ーが持 って い る、世界 を反転 させ る能 力 が、 フル に発揮 され る場 なので あ る。彼 の歌 を聞 いた、 男た ちはあべ こべ の世界 を次 の よ うに語 る。 SECONDFELLOW Il o v et ohea rhi ms i ng, be ke a yshene v e rg iv e susno hi t ngt ha t ' sl o w. THI RDFELLOW hi t ngt ha t ' sl ow,I c nno a tbe a ri t . Ohda m na ny ( I i i , 35 37) Wa l po l eが観劇 の感想 で、下 品だ と評 した の は ここらあた りに も理 由が あって、 お上 品ぶ りの階級 を噸 って反転 させ た皮 肉が、笑劇 的 な場面 で生 きて い るので あ る。他 に も、- ドカ ッスル氏 が、 トニーの悪戯 の被 害 になった こ とを語 って、 HARDCASTLE …I twa sbutye s t e r da yhef a s t e ne dmywi gt ot heba c ko fmyc ha i r , a ndwhe ni we ntt oma keabo w, Ipo ppe dmyba l dhe a di nMr sFr iz z l e' sf a c e. ( I i , 45 47) と述 べ る ところ も、笑劇特 有 のス ラブステ ィ ックな動 きを、 台詞 に した もので あ る。笑劇 は、喜 劇 のジ ャンル として は古 くか らあって、昔 か ら一段 と低 い形 式 だ と見 な されが ちで あ った。 その理 由は、機 知や ユ ーモ アや他 の知 的 な笑 い を理解 す るの に必要 な頭脳 の働 き を、 あ ま り要 求 しないか らで あ る。 トニ ーの言動 に も見 られ る通 り、笑劇 は、 肉体 的 な、 視 覚 的 な ものか ら来 る笑 いで あ る。 しか し、笑劇 が もって い る特徴 は、 その対象 を転 覆 さ せ るパ ワーで あ ろ う。権威 が あ る対 象 で も、一発 の も とにモ ノ化 して、何 の価値 もない不 様 な実体 を、暴 露 して しま うので あ る。 そ こに残酷 な滑稽 感 が生 じる。 この劇 作 品で も、 清 田 幾 生 48 セ ンチメンタ リズムの偽善 を打破す るのに、笑劇 の力が効果的に使われている。 前述 した ように、ハー ドカ ッスル夫人が屋敷の庭 だ とも知 らずに、 そ こに現れた夫 を強 盗だ と思い こまされ る場面 は、一番笑劇 的であろ う。夫人 は完全 に戯画化 され、侮蔑 され て、権威 もなに もない。彼女 は もともと夫 とは対照的に、 この劇で は一番の不快 な人物 と して造型 された性格で ある。 しか し、ハー ドカ ッスル夫人 には、セ ンチメ ンタル ・コメデ ィーの人物の ようには、 それ を反省 し改心す る瞬間 は訪れない。虚栄心 と欲の深 さで、劇 中を貫 く悪役 となってい る。 ところが その中で も夫人が一瞬、人間 らしい ところを見せ る 個所が る。息子の トニーが強盗 に殺 され るか もしれない と恐れて、 あの宝石 に執着 して き た強欲 な態度 に もかか わ らず、 「 お金 も命 も要 らないか ら、 うちの子、 あの紳士 を助 け て !」 と悲鳴 をあげるのである。 自分の ことを省みない この自己犠牲的な叫び声の瞬間に、 反セ ンチメンタ リズム、 あるいは悪党 としての彼女の役割が停止す るO笑劇的に扱われて いた夫人の戯画が崩れて、 な まの人間 らしさが生 じるので あ る。 モ ラルの点か ら言 うと、 『 負 けるが勝 ち』の白黒 をはっき り決めない唆味 さは、 こうい うところにある。 笑劇 は人間の リアルな面 を無視 して、 しば しば人間を極端 に類型化 した り、モ ノの よう に扱 うことで、視覚的な滑稽感 を作 る。筋 の上で も、真実 の可能性 を無視 した、 あ りえな い状況の連続で、不条理感 を作 り出す。笑劇 は、現実感覚 にもとづ くモ ラルの価値 を無視 す るこによって、活力の溢れたアナキーな状態 を現出 させ る。 それは道徳や倫理の対極 に ある悪の状態 とい うよ りは、 む しろアモ ラルな もの として機能す る と見たほ うが よい。 こ の劇では トニー ・ランプキンの策略すべてがそ うである。 したがって、笑劇 は 日常的な リアルな感覚 とはほ ど遠 いので、登場人物の リアルな性格 造型 とは相容れない。演劇 に笑劇的 な要素 を持 ち込 む と、我々が実在可能 な人物 として実 感で きるような性格付 けは、や りに くいのである。 しか し 『 負 けるが勝 ち』の登場人物 は、 イギ リス十八世紀の背景の中で、十分 に生 きた人物 と思わせ るリア リティをそなえている。 ハー ドカ ッスル氏 も、夫人 もケイ トもマ一口ウも、作者 による性格化が成功 していると見 る ことがで きる。人物 たちの会話 も背景の設定 ものびやかで 自然 さを失 っていない。(6) ゴ ール ドス ミスは笑劇的な状況設定 と性格造型 とい う相矛盾 す る要素 を、実 に巧 みにバ ラン スを とってい る と言 うことがで きる。作者 はセ ンチメ ンタ リズムをまな板 にのせ るに当た って も、鋭 い訊刺で対象 をつ らぬ くことは していない。包み込 む ようなユーモアで榔輸 し てい る。長 らく人気 を保つ この作品が傑作である理 由は、 ここにもある。 heSi o o bst oCo nq ue r , To mDa ise v d. , Ne wMe ma r ids , 2 0 0 0を使用o テクス トには、S 註 1 . ロン ドンでは二つの劇場 だけが認可 された。 すなわち、 Dr ur yhne と Co ve ntGa rde n とである。九月の始 めか ら五月の終 りまでのシーズ ン中は、週六夜上演が行われた。 2.AnEs s a yo nt heThe at r e;O rA Co mpar i s o nb e t we e nLau ghi n gandSe nt i me nt alCo me d y 『 負 けるが勝 ち』 の笑いの要秦 4 9 ( 1 7 7 3) ,Co l l e c t e dWo r k so fOl i v e rGo l d s mi t h,Ar t hurFr ie dma ned. , v ol . I l l ,0Xf o r dUni v. f E . Pr e s s ,1 9 6 6p. 2 0 9 3.Ri c a r doQui nt a na;Ol i v e rGo l d s mi t h,A Ge o r gi anSt ud y,Ma c mi l l a n, Ne wYor k,1 967, Ox or f d,1 9 9 8 , p. 1 51 l l i m Ma a s onに宛 てた評言。 Ol i v e rGo l d s mi t h,77 1 eCn. t i c alHe r i t a ge , 4.Ho r a c eWa lpo l eがW i G. S. Ro us s e a ue d. , Ro uded ge, 1 9 9 8, pp. 1 1 8 1 1 9 5 .I nt o duc t i o nbyTo mDa isi v nt heTe xt , p. xv ii 6.Ri c rdoQui a nt a na ,前掲書 、1 5 7頁 なお、Qui nt naに限 らず論者 たちは この ような意見 a を持 って い る。 他 の参考文献 朱牟 田夏雄編 『 十八世紀 イギ リス研究』 o ・ゴール ドスミス、竹之 内明子訳 研究社 昭和4 6年 『 負 けるが勝 ち』 日本教育研究 セ ンター 1 9 9 2 年 丸橋 良雄 『 英 国喜劇論集』 あぼ ろん社 海保真夫 『 文人た ちのイ ギ リス十八世紀』 1 9 9 9年 慶応大学 出版会 2 0 01 年