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本文ファイル - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ

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本文ファイル - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ
NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE
Title
『負けるが勝ち』の笑いの要素
Author(s)
清田, 幾生
Citation
長崎大学教育学部紀要. 人文科学. vol.65, p.39-49; 2002
Issue Date
2002-06-28
URL
http://hdl.handle.net/10069/5814
Right
This document is downloaded at: 2017-03-28T14:38:20Z
http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp
長崎大学教 育学部紀要 一人文科学 - N0.
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人 の心 を揺 り動 かす演劇 の影響 力 は大 きい。詩や小説 な ど文字 で書 かれた文書 よ りも、
戯 曲 を基 に して、生身の人間が演技 す る芝居 の方が、迫力が あって、生々 しい。古来、芝
居 は観 る者 に強 い印象 と大 きな衝撃 を与 えて きた。舞 台が人 に与 え るもの は、娯楽 として
の芝居 の楽 しみだ けで はない。恐怖感 もあれ ば、観 る者 を巻 き込み興奮 させ て、煽動す る
要素 もあ る。舞 台上の演技が もつ魔術 の よ うな影響力 を恐れて、 当局 は昔か ら劇団や役者
に何 らかの制 限 を加 え るのが常であった。 イギ リスで演劇活動 を取 り締 まる 「
検 閲法」が
成立 したの は、一七三七年 の こ とで あ る。 この時代、つ ま り十八世紀 といえば、 イギ リス
の社会 は、大 きな変化 を見せ た時で あ る。特 に十八世紀 の後半 には、産業 が発達 して、経
済が著 しく成長 して、矛盾 を抱 えなが らも国全体が右肩上が りの国力 を示 した時代で ある。
この 「
検閲法 J は、舞 台に よる演劇活動 を、 お上 の監視下 に置 くもので あった。 このた
め、 有望 な劇作家 で あった者 たちが、小説書 きに転 向 した。せ っか く書 き上 げた戯 曲が、
その筋 の干渉や束縛 で、舞 台 にか けるこ とが不可能 となるこ とが再三で あった。 それ に嫌
気が さ して、劇作 をすてて、小説家 に転 向 した者 に、 た とえばH ・フィールデ ィングがい
る。 当時の社会 で は、豊 か になった中産 階級が増加 して、 イギ リスの識字率が上昇 した時
代で あ る。読者層が厚 くなって、 これ まで になか った小説 とい う文学 の- ジ ャンルが、新
し く脚光 を浴 びた時代 であ る。小説 を書 くこ とは、芝居 の台本 を書 くよ り、 はるか に実入
りの よい稼業 となった。小説家 は、 おそ ら く詩歌 よ り、 当時の社会の変化 をよ く描写 して
い る。
十八世紀 は、 そのせ いか、小説 の隆盛 とは逆 に、演劇が低迷 した時代 だ とよ く言われ る.
それで も芝居が この世か ら無 くな るわ けで はなか った。 ロン ドンでは芝居小屋 は当局 か ら
二つ認可 されて、 それ ぞれ盛んに活動 は行 っていたので ある。(
1
) ィギ リスの この時代 を
代表す る劇作品 を三つ あげるな ら、時代順 に、先ず、 ジ ョン ・ゲイの 『
乞食 オペ ラ』で あ
ろ う。次 ぎに、 ゴール ドス ミスの、 『
負 けるが勝 ち』が来 る。 そ して最後 に、 シ ェ リダ ン
の 『
悪 口学校 』で あ る。 この うち、 『
負 け るが勝 ち』が初 めて上演 されたの は、 あの 「
検
閲法」が議会 を通過 してか ら三十年以上 もたってか らの ことで ある。
一七七三年、 ゴール ドス ミス作 の 『
負 けるが勝 ち』 の初演が ロン ドンの劇場 で行 われた
とき、 この新 しい演劇 に対 す る観客 の反応 は、作者や製作者側 の心配、不安 をを よそに、
大好評 で あった。現在 もそ うであ るよ うに、観客 を呼べ ない芝居 は、 日を重 ね るご とに損
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矢 を増大 させ るので、劇場側 は早々 に芝居 の興行 を打 ち切 るので あ る。作者 が初 演 の時 よ
り三年前 の一七七一年 に書 き上 げていた 『
負 けるが勝 ち』 は、 すで に劇場 での舞 台化 を断
わ られていた。 その劇場 の支配人 たちは、戯 曲 を見 た段 階で、 これ は集客 力のない作 品だ
と想定 して いたので あろ う。 その後 関係者 たちの長 い期 間 にわた る努力 の末 に、や っ と上
演 に こぎつ けたので あ る。支配人 たちが上演 を見送 っていた理 由は、 この作 品が 当時の演
劇 の主流 となっていた演劇観 に樺 さす内容 で あったか らで あ る。 ゴール ドス ミスは当時 の
劇壇 の支配 的な考 え方 に、意図的 に反旗 をあげて、新 しい喜劇 を 目指 したので あ る。 その
革新 的な傾 向に恐れ をな して、例 の劇場支配人 は、首 を縦 に振 らなか ったので あ る。 とこ
ろがふた を開 けてみ る と、意外 に も、関係者 た ちの危倶 は当た らず、観客 は 『
負 けるが勝
ち』 を大歓迎 したので あ る。観客 は古 くさい芝居 にはあ きあ き していた。何 か新 しい もの
を求めて いたので あ る。
十八世紀 の演劇界 で、支配 的な傾 向 は、 セ ンチメ ンタル ・コメデ ィーで あった。 このセ
ンチメ ンタル とい う語 には、現代 の使用法 よ りは、 もう少 し広 い含意 を もってい る。 すな
はち、道徳 的、教訓 的 とい う意味 と、誇大 な感情 の伴 う、 とい う意味 とで あ る。 さ らに こ
のジ ャンル は、表現 として は、 お上品 な対話 と格言的 な言 い まわ しを好 んだ。 セ ンチメ ン
タル ・コメデ ィーは、十八世紀 の英国で大 いに流行 し、社会 的な影響 力 を身 につ けた中流
階級 の噂好 に よって支 え られた演劇 で あ る。 この演劇 の傾 向は、 これ よ り一時代前 の王政
復古期 の劇 に対 す る反省 か ら生 まれた もので あ る。十七世紀 の王政復 古劇 で は、性 の放縦
や伊連 な貴族 の生活が、退廃 の色彩 で措 かれ る自由 さが あった。 この状況 を変 えたのが、
セ ンチメ ンタル ・コメデ ィーの ピュー リタン的な演劇観念 で あ る。道徳 的 な堕落 を よ しと
せず、寛大 さ、慈善行為、上品 さ、 な どの美徳 を称 えて、勧善懲悪 的 なお説教趣 味 を示 し
た。 と同時 に、観客 の同情 と涙 を誘 うような、改俊 の場面が クローズア ップされた りす る
ので あ る。 王政復 古劇 で は観客 も主 に貴族 階級 で あったが、セ ンチメ ンタル ・コメデ ィで
は、 中産 階級が登場人物 とな るのであ る。
『
負 け るが勝 ち』 の初演 の少 し前 に、 ゴール ドス ミス はセ ンチメ ンタル ・コメデ ィー を
排す る宣言文 を、エ ッセイ とい う形 で Ⅳ 如mi
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彼 は、
当時劇壇 で全盛 を極 めて いた この種 の演劇 が、本 来 の喜劇精神 か ら逸脱 してい るこ とと、
さ らにそ こに、偽 善の匂 いを読み取 っていたので あ る。 その不満 の現れが、 ゴール ドス ミ
ス を して この挑戦 的なエ ッセイ を言揚 げさせ たので あ る。 当時 の演劇 で は、 もう悲劇が飽
き られて、人々 は喜劇 の方 を大 いに歓迎 していた。 この場合、喜劇 とい う語 は、現在 の使
用 法 とは、意味 を少 し異 に してい る。悲劇 の それ とは違 って、最後 がハ ッピー ・エ ンデ ィ
ングで締 め くくられ る芝居 な ら、 それ は喜劇 に属 した、 と考 えれ ば よい。 このエ ッセイ に
よる と、 セ ンチメ ンタル ・コメデ ィーは、人間の欠点、悪徳 を曝 す よ りも、個人生活 の美
徳 を称 え るこ とに主 眼 を置 いて い る。安 っぽい苦悩 に対す る観客 の同情 と涙 を当て に した
筋 になってい る。人間 は も ともと善性 を具 えて いて、苦悩 の涙 を通 して有徳 の生活 に入 る
こ とがで きる、 とい う安易 な発想 に支 え られてい る。 そ こにゴール ドス ミスは不満 を抱 い
ていたのであ る。
セ ンチメ ンタル ・コメデ ィーで は、遊蕩 に耽 っていた主人公 が最後 に観客 に提示 す る美
徳 は、改心で あ り、慈善で あ り、寛大 さで あ る。 そ こで はまた、不幸 と苦悩 にあえ ぐ有徳
の女 は、最後 にはその立派 な道徳 観 のため、救 われ る。 た とえば、 あ る主人公 は、堕落 し
『負 け るが勝 ち』 の笑 いの要秦
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た生活 を送 っていて、他人 を傷 つ けてなん とも思 わなか ったが、 あ るきっか けで反省 が起
こ り、 自分 の犯 した悪行 に良心 の何章や悔恨 を感 じる。 あ るいは放蕩三味の不道徳 な男が
悔 い改 めて、涙 なが らに清 らかな生活 に戻 る決意 をす る、 とい う筋立ての もので あ る。 そ
こで主張 されてい るものは、温情、清廉、 な どの徳 目の重要性 で あ る。 当時の観客 は、 こ
の よ うな道徳 的な結末 を類型 とす る、勧善懲悪 的な芝居 に感涙 を流 す ように仕組 まれてい
たので あ る。 演劇 にお け る、こうい う涙 を誘 うセ ンチ メ ンタ リズ ムを、ゴール ドス ミス は
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彼 は、喜劇 は涙や泣 き声で満た されてはな らず、人々 を陽気 にす る、l̀
あ るべ きだ、 と主張 したので あ る。 そ して、現実 に、 『
負 け るが勝 ち』 は、新 しい作 品の
典型 として、新 しい方 向を示 した ことにな る。
『
負 けるが勝 ち』 の プロロー グは、 当時随一 の俳優 で あ るデイヴイ ド ・ギ ャ リックが書
いた ものであ るが、 そ こにはセ ンチメ ンタル ・コメデ ィーの特徴 が抑捻 的 にい くつか挙 げ
られてい る。 か いつ まんで言 うと、病 に侵 された この種 の喜劇 の特徴 は、催涙劇 で あ るこ
と、 お説教癖 が あ るこ と、 もったいぶ った格言好 みであ るこ と、 な どで あ る。 しか しなが
ら、 『
負 け るが勝 ち』 はその点で、 問題 が ないわ けで はない。 時代 を風磨 す るセ ンチメ ン
タルな思潮 に反旗 をひ るが え し、 それ を訊刺 す るこの劇が、 それで は、 もっぱ ら一貫 して
反セ ンチメ ンタ リズムか とい うと、必 ず しもそ うはなっていないので あ る。 それ どころか
む しろ この喜劇 が、セ ンチメ ンタル ・コメディーの特徴 を備 えてい る要素す らもあ るので
あ る。 しか も、 おそ ら くそれ は作品の欠点 になってい るので はな く、長所 に もなってい る、
と言 うべ きであろ う。 この劇 を、無理 に反 セ ンチメ ンタル ・コメデ ィーの劇 とい う枠組 に
入れ る と、かえって こ との本質 を見逃す こ とにな りかね ない。
(
二)
当時の演劇界 の主流 をな していたセ ンチメ ンタル ・コメデ ィーの登場人物 は、 おおむね
お上品 な階級 に属 す るもので あ り、爵位 を持つ者が主人公 で あった りす る。 そ して最後 に
は、彼 らの善良 さや慈悲深 さな どが、感動 的 に浮か び上が る仕組 み とな る。 しば しば道徳
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や お説教が、格言風 に、 もったいぶ って語 られ る。洗練 された人々の S
チ ックに表 出 され る。 それ に比べて、 『
負 け るが勝 ち』 には、 田舎 の紳士階級 が前面 に出
てお り、 「
サー」 の称号 がつ く人物 は一人 しか 出て こない。 しか も、気 品が あるわ けで は
ない召使 いや居酒屋 の酔客 な ども登場 す る。 そ して彼 ら平民の 「
野卑 な」言葉づか い も出
て くる。 もし、 お上品 な会話が出て きた り、格言風 な言 い まわ しが あれ ば、 それ は作者 に
よる、 セ ンチメ ンタル ・コメデ ィーのパ ロデ ィー として機能 して い る と見 て よか ろ う。筋
立 ての面 白さは、喜劇 の常道で、 シェイ クス ピア喜劇 の ように、人違 い、場所違 い、によっ
てい る。 問題 は、珊稔 や親 刺 の手法 を用 いて、時代 のセ ンチメ ンタ リズ ムを作者 が珊掩 す
る ときの、喜劇 的な場面 の提出の仕方 にあ る。
喜劇で あ るか ら、若 い男女 の恋愛 と結婚 が主題 にな る。 この劇 を成立 させ てい る時代 的
な背景 に、 イ ギ リス十八世紀 の結婚 市場 とい うものが あ るO 時代 の変 わ り目であ るので、
勃興 して来 た中産 階級 と、やや その勢 いに圧倒 されか けてい る貴族 階級 との結婚 は、特 に
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両者 の経済 力のバ ランスか ら、 しば しば行 われた。 それ は、親 たちが息子 と娘 をあわせ る
見合 いの形 を とった。 この劇 で 出会 う二人 の男女、 マ一 口ウ とケイ トが そ うで あ る。 サ
ー ・チ ャールズの息子で あ るマ一 口ウは、友人 のへイステ ィングズ と共 に、 ロン ドンか ら
ハ ー ドカ ッスル氏 の田舎 の邸宅 -や って来 た。 氏 の娘 ケイ トと見合 いをす るためで あ る。
途 中マ- ロウたち二人連 れの都会人 は、 ケ- トの兄 トニーの悪ふ ざけに廃 されて、到着 し
たハ ー ドカ ッスル邸 を宿屋だ と思 い こんで しま う。 この誤解か らすべ ての混乱が巻 き起 こ
る。やが てへイステ ィングズは この邸宅 に住 む恋人 の コンス タンス に教 え られて、誤解 の
事実 を知 るが、 その こ とをマ- ロウには教 えない。 マ一 口ウは誤解 した まま、ハ ー ドカ ッ
スル氏 を宿 の亭主扱 いに して、 ホテルの客人の積 りで、横柄 な口を利 いてい る。
この作 品の中で は、一人 を除 いて、登場 人物 の皆が、何 らかの形 で、編 されて い る。 あ
るいは真実 を教 え られず に、事実 に対 して無知 の まま行動 してい る。 その一人 とは、 トニ
ーで あ る。 そ して この悪戯 男 トニーの崩 しの結果 が波及 して、筋 の展 開 を促 が して い る。
中心 にな る トニー は、狂言回 し的な役割盲 演 じて、面 白半分 にふ ざけ心か ら物 の順序 をひ
っ くり返 して、 あべ こべの世界 を作 り出すので あ る。 しか し彼 は、 マ- ロウ とケイ トに関
す る限 り、 この混乱か ら利得 を手 に入れ よ うとい うので はない。一方、入手で きる情報量
が一番少 ないのは、主人公 のマ- ロウであ ろ う。 トニーの悪戯 に よって、見合 い相手の屋
敷 を宿屋 だ と誤解 して以来、彼 は知識不足 の ままに放 っておかれ るので、彼 の言動 はすべ
て観客 の笑 いの的 とな る。令嬢 として紹介 された初対面 のケイ トに対 して は、極度 に内気
になって、 ま ともに会話 も出来ず に、 しどろ もどろにな る。一方服装 を変 えて出て きたケ
イ トに対 してな らば、宿 の女 中だ と勘違 い して、図々 しい振舞 いに及ぶので あ る。
マ- ロウ とケイ ト、 お よびその父親ハ ー ドカ ッスル氏の三人が巻 き起 こす混乱が主筋 だ
とすれ ば、 -イステ ィングズ とコンス タンス、ハ ー ドカ ッスル夫人が関わ るどたばた劇が
副筋 となって、 それぞれ当時の社会 を色濃 く映 しなが ら、笑 い を誘 う事件 を引 き起 こすの
で あ る。 恋愛 は男女 に、本人 も思 いが けない意外 な内面 を露 わ に して、尋常 な らぬ行動 と
姿勢 を取 らせ るもので あ る。 い ろい ろな思惑 を こめた まま対面 し、会話 を交 わす この男女
の姿勢 の中に、作者 の反 セ ンチメ ンタ リズムの態度 を見 てみ よう。 - - ドカ ッスル嬢 とし
てのケ- トと、都会人 マ一口ウ との対話 は、 お上品で優雅 な人た ちの典型 として排橡 の対
象 として措かれ る。相手が貴婦人 だ と、急 に内気 さが嵩 じて、 しどろ もどろにな るマ一 口
ウで あ る。
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初対面 の恋人 同士がお上品ぶ った言葉づか いで、美徳 につ いて語 り合 う異様 な可笑 しさ
が、 この場 の眼 目で あろ う。 セ ンチメ ンタル ・コメデ ィーの登場人物が道徳 につ いて語 る
気取 った言葉づかいが、 その まま説刺 されてい る。 しか もここで、偽善的な言葉づかいで、
マ- ロウ とケイ トが話題 に してい るのは、可笑 しな こ とに、世間の偽 善ぶ りにつ いてなの
であ る。 その後彼 女 は、 ま ともに自分 の顔 も見 ることので きなかったマ- ロウのはにかみ
と小心 さに言及 しなが ら、独 白で、 「
ははは、 こん なセ ンチメ ンタルな出会 いって あった
。
か しら !」 と笑 うので ある.
マ一 口ウは相手が身分の低 い女だ と思 うと、身分 の高 い女 を対す る ときの よ うな臆病 さ
が一挙 に消滅 す る。 ケイ トが召使 の ような服 を着てい る と、宿屋 の女 中だ と思 い こみ、大
胆 な行動 に出 る。 なれ なれ し く言 い寄 るので あ る。相手 を誤解 した まま、 ケイ トの手 をつ
かみ、彼女が もが きなが ら逃 げていった後、友人のへイステ ィングズ に対 して上機嫌 に次
ぎの ように言 っての ける。
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相 手の女性 の身分次第で、臆病 になった り、図々 し くなた りす るマ一 口ウの態度 の落差
が舞 台の上で繰 り広 げ られ る と、観客 の大 きな笑 いを招 くで あろ う。 しか し、上のマ- ロ
ウの台詞 にあ るよ うな、女性 は金銭 で処理で きる といった発想 は、王政復古期 の喜劇 に見
られ る遊蕩者 の姿勢 と変 りが ない。 こうい う恋愛遊戯 の考 え方 に反省 が起 こって、 セ ンチ
メ ンタル ・コメデ ィーが台頭 したのであ る。 マ一 口ウの態度 の左右 の揺 らぎは、大 きい。
内気 なマ一 口ウの姿 を借 りて、作者 はセ ンチメ ンタ リズムの欺臓 は抑輪 してい るが、遊蕩
者 的なマ一 口ウの青年像 は、 それ ほ ど抑稔や親刺 の対象 にはなっていない ことに注意 して
もよか ろ う。 マ- ロウの二面性 は、何か男の生理 に深 く根 ざ した リアルな姿 なので あ る0
しか し当時の観客 には こうい う点 は豪快 に笑 い とばされていたのであろ う。 ただ、マ一 口
ウのために少 し弁解で きるこ とが あ るとすれば、人違 いを してい る彼 だ けが、 この劇 の中
で一番深 く編 されてい る ということであ る。
マ一 口ウ とケイ トの出会 い と会話で は、や は り何 と言 って も、 マ一 口ウの醜態 と滑稽 さ
が、 その中心 とな る。彼 は トニーにかっがれて以来、常 に無知 の状態 に置かれ、他人 はす
で に気づ いてい るのに、今 い る場所 が宿屋ではな くて、-- ドカ ッスル邸 だ とい う事実 を、
終幕近 くな るまで知 らないので あ る。 いわば劇 中劇の一番前面 に置かれ る阿呆 の状態であ
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り、観客 を含 めた見物人 の優越感 の視線 に曝 されてい るので あ る。 マ一 口ウは、事実 を知
って い るケイ トが愛 を試 す試験 台で あ り、 また操 り人形 で もあ る。 この場 にお ける彼 の言
動 のすべてが笑 いを作 り出す。宿屋 の主人だ と思 ってい るハ ー ドカ ッスル氏 には尊大 な口
を きいて、彼 を驚かせ、かつ当惑 させ る。 マ- ロウ青年 はハ ー ドカ ッスル氏 の椅子 に我が
物顔 に腰 を下 ろ して、宿 の食事 を要 求す る。地下蔵 の酒 は勝手 に飲 み尽 くせ と召使 いには
け しか ける。 そ うな る とハ ー ドカ ッスル氏 は、 田舎 の邸宅 の保守 的な主人 としての地位 を
失 わんばか りなので あ る。 しか し、ハ ー ドカ ッスル氏 は一見 した ところ、威張 り散 らすマ
一 口ウの犠牲者 に見 え るが、 その実、本 当の犠牲者 は無知 なマ-ロウ自身 なのであ る。
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劇 中劇 の話で言 えば、 その最 た るものは、宿屋 の女 に扮 した まま、 ケイ トが 自分 とマ一
口ウ との対話 を、父親 とサー ・チ ャールズの二人 に、衝 立の背後 に隠れて盗 み聞 きさせ る、
いわゆ るス ク リー ン ・シー ンで あろ う。ハ ー ドカ ッスル嬢 としてのケ- トで はな くて、宿
屋 の手伝 い女 としてのケ- トに恋 を して しまったマ一 口ウは、 階級 の差 を越 えた愛で あ る
ことを述べ る。 ケイ トは巧 み に誘導 して、徐 々 に相手 の愛情 が本物 で あ るこ とを本人 の 口
か ら言 わせ る。 またそれ を衝立 の後 ろに隠れてい るそれ ぞれの父親 に も確認 させ る。 その
場面 の男女 の会話 は、セ ンチメ ンタ リズムの最 た るものであろ う。
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劇 中劇 で あ るス ク リー ン ・シー ンで は、舞 台上の男 と女 の対話 を、衝立の後 ろに隠れて
二人 の父親 が盗 み聞 き してい る。 それ を知 ってい るケイ トは、 まだ何 も知 らないマ一 口ウ
の真心 を試 して、 それ を父親 た ちに見せ てい る。彼女 はマ- ロウに対 して は宿屋 の手伝 い
女 を演 じて見せ て、父親 たちにはハ ー ドカ ッスル氏 の娘 を演 じてい る。 そ してケイ トはセ
ンチメ ンタ リズムの演技 を して い るが、 それ に よって恋 の相手 マ一 口ウの反応 と出方 を覗
ってい るので あ るO-方、 マ一 口ウは彼女 に愛 の言葉 を語 る とき、 その まま真情 を吐露 し
F
負 けるが勝 ち.
Bの笑 いの要素
4
5
てい る。 マ一 口ウの求愛の言葉 を聞 いて、 ケイ トは心 中喜 びなが らも、女 中の身で あ りな
が ら、高 い身分 の人 と結婚 す るのは、欲得づ くに見 えて、気が進 まない、 な どと別 れ話 を
切 り出 してみせ るので あ る。 それ を密か に見 ていた父親 た ちは、二人の愛 を確 認 す る と、
もはや、子供 たちの結婚 には何 の反対 もな く、衝立か ら姿 を現 してマ一 口ウを驚かすので
ある。
マ一 口ウは また、宿屋の手伝 い女だ った者 が、 あの令嬢 だ った こ とを初 めて知 って、喜
びなが らも、恥 じ入 る。ハ ー ドカ ッスル氏 は、 マ- ロウの あの無礼 だ った態度 も許 す。二
人の愛 の完成 は、喜劇 のハ ツピイ ・エ ンデ ィングを保証 してい るが、 ここで この喜劇 の特
徴が表れてい る と言 え よう。 つ ま り、宿屋 の女 に扮 してお芝居 をす るケイ トの台詞 は、セ
ンチメ ンタ リズムを抑旅 す る機能で使 われて いたのに、一方 のマ一 口ウの台詞 は、相手が
身分 の低 い女 で あ るだ けに、何 の遠慮 もない真心 で語 られてい る。 そ して その表現 には、
セ ンチ メ ンタル な語句 が使 われて い る。 お そ ら くここに この作 品の皮 肉が あ る と言 え る。
反 セ ンチメ ンタ リズムか ら出発 した 『
負 け るが勝 ち』 は、喜劇 の幸福感 を達成 す るの に、
セ ンチメンタ リズムをあ る程度肯定 的に利用 しなければ不可能 なので ある。
主筋 のマ一 口ウ とケイ トの恋の話が、愛 とい う精神 的な主題 の中で繰 り広 げ られ るの に
対 して、一方の副筋 のへイステ ィングズ とコンス タンスの恋愛 は、彼女 の財産 とい う物質
的な形 をめ ぐって展開す る。 コンス タンスは、夫人 の息子で、愛 して もいない トニー との
結婚 を強制 され ることか らも逃 れたいのであ る。姪 の コンス タンスの宝石 を手放 そ うとし
ないハ ー ドカ ッスル夫人 の強欲ぶ りに、一時 は財産 を諦 めてへステ ィングズ と駆 け落 ちを
試 み るが、 コンス タンスは屋敷 に戻 って くる。一度 は決意 した恋人 との逃避行 を、相手の
意図に反 して中止 した彼女の心変 わ りは、愛 の情熱 とい う精神性 の重視 か ら、財産 の価値
を認 め るこ とへ考 え方 をシフ トした ことによる。一見 これ はセ ンチメンタ リズムをすてて、
よ り現実 的な態度への針路変更 に も見 え るが、実 はそ うではない。 コンス タンスはまだ伯
母が諦 めない財産 の解決 を、ハ ー ドカ ッスル氏の同情心 と正義感 に頼 って、事態 を修復 し
て もらお う と思 って い るのであ る. 事実伯父 にむか って、 その愛情 に も槌 りた い と言 う0
人 の慈悲心 にすが る彼 女の この よ うな態度 は、以前虜
区け落 ち まで しよ うとした、 あの恋愛
至上主義 に劣 らないほ どセ ンチメンタ リズム と言 える。姪の決意 を聞いた夫人 は、
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と吐 き捨 て るようにい う。 しお らしげに見 え るコンス タンスの変心 を、今様 の小説風 な、
お涙頂戴 の結末 だ と忌々 しが るの は、夫人 自身がセ ンチメ ンタ リズムに敗北 す るこ とで事
件 が解決す る悔 しさに他 な らない。皮 肉な可笑 しさは、作者 もここで はセ ンチメ ンタ リズ
ムに加担 してい ることを示 してい ることで ある。セ ンチメ ンタ リズム とは正義感、慈悲心、
道徳性、等 に対す る肥大 した感情 と思 い入れで あ る。作者 は反セ ンチメ ンタ リズムを標傍
す るが、徳 目を否定 して も.
、 どこかで徳 目を容認 しなけれ ば物事 は収 まらないのであ る.
た とえば慈悲心 を例 に とって見 よ う。ハ ー ドカ ッスル氏 は、夫人や娘 の賛沢 な装身具 に
批判 的で あ る。 そ して、彼女たちが うつつ を抜かす金 ぴか物の何分 の-かの値段 で、貧 し
清
田 幾
生
46
い人々が助か る と言 う。 また劇 の大詰 めで、 めでた く二組 の縁談が成 立 したあ と、明 日は
その お祝 いに、地 区の貧 しい人 たち も招 こうと言 って、劇 の幕切 れ を慈悲心で飾 る。 この
ような美徳 をゴール ドス ミスは、 セ ンチメ ンタ リズムの一つ とい して提 出 してい るこ とに
間違 いはないが、 で は作者 はハ ー ドカ ッスル氏 を完全 に親刺 と批判 の対象 として措 いてい
るか とい う と、 そ うで はない。 む しろ、 旧式で道徳 的で、堅苦 しい人物 で はあ る ものの、
愛 すべ き田舎紳士 として、提 出 して い るので あ る。彼 の人情味 はセ ンチメ ンタ リズムに属
す もので あ るが、美徳 の一 つ一 つ をセ ンチメ ンタ リズ ムに還元 して批判 の対象 にす る と、
訊刺劇 で はない喜劇 を成立 させ ることは難 しいので あ る。 この劇 は、 シ ェイ クス ピアの喜
劇 の ように、劇 の最後 にはふ くらみのあ る幸福感で舞 台がみた され る。 それ は、前述 した
ような、愛すべ きハー ドカ ッスル氏の性格造型 に大 いに関係が あ る。
セ ンチメ ンタル ・コメデ ィーの勧 善懲悪 的 な要素 は、 『
負 け るが勝 ち』 で は、 トニーの
ハ ー ドカ ッスル夫人 に対す る悪戯 の部分 に一番 よ く見 られ る。彼 の策 略で、馬車 に乗 った
ハ ー ドカ ッスル夫人 は、実 は屋敷 の周 囲 を ぐる ぐる回 ってい るの に過 ぎないの に、闇夜 の
野原で道 に迷 った と思 わ されてい る。彼女 の、恐怖 で息 の根 が止 まる思 いは、観客か らは、
同情 の 目で見 られ るこ とはな く、 もっぱ ら噸笑 の対象で あ る。 この場 は、全体 の筋 の中で
は、 強欲 なハ ー ドカ ッスル夫人 の処罰 とい う意味合 いを帯 びて い るで あろ う。 そ して喜劇
風 に和 らげ られてい るが、 同時 に、 セ ンチメ ンタル ・コメデ ィー に見 られ る、勧善懲悪 と
い う形 のパ ロデ ィーで もあ る。
(
四)
ゴール ドス ミスは、 セ ンチメ ンタル ・コメデ ィー に抗議 したエ ッセ イの中で、 ẁe
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た二 ケ月半 の後、 『
負 け るが勝 ち』 の初演 を迎 えたので あ る。作者側 の不安 を よそに、 こ
の舞 台化 は、大成功 だ った。作品 は大歓迎 を受 け、観客席 で は咲笑 が絶 えなか った と言 わ
れてい る(3)
しか し、 ジ ャーナ リズムに載 る劇評 はむ しろその逆で、批判 的な劇評 もか な
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りあった。新 しい ことをは じめ るには、 いつ も厳 しい批判 に曝 され る。 なかで も、 Ho
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eは 二十年間イギ リスの
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eの劇評 は、酷評 とい うべ きもので あった。 Hor
首相 を務 めたWi
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eの息子で あ り、怪奇小説 の先駈 けをな した作家 で あ る。 『負
け るが勝 ち』 に対す る彼 の批評 の垂要点 を述べてみ る と、次 ぎの二点 に尽 きる。 その一つ
は、 この劇作 品 に、観 る人 を、知 的、精神 的 に教化 し、かつ啓発 す るモ ラルが ない とい う
こ とで あ る。次 ぎに、貴族趣 味 のWa
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eが一番嫌 悪 した こ とで あ るが、 『負 け るが勝 ち』
の登場人物 には、 品が ない こ と、 そのユーモ ア も下品な もので あ ること、 とい うので あっ
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ここでWa
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eは、 『負 けるが勝 ち』 を非難 す るの に、 これ は喜劇 で はない と言 い き り、
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) ぉそ ら く、彼 は 「
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劇 」 とい うジ ャンル 自体 をか な り低級 な演劇形 式 と見 な して いたで あ ろ う。事実、 い まで
もサ ブ ・カルチ ャー的な 「
笑劇」 とい う手法 を、 その よ うな 目で見てい る人 は少 な くない。
この劇 が 「
笑劇 的」で あ るこ とにつ いては、他 の批評家 も同意見 で あ り、衆 目の一致 す る
『
負 けるが勝 ち』 の笑 いの要 素
47
ところで あ る。 しか し批評家 に よって は少 し複 雑 な反応 を示 す こ とが あ る。 た とえば、 ニ
ュウ ・マ- メイズ版 の テ クス トの編 者T・デイ ヴ イス は、 多 くの批評家 が これ を 「
高級 な
笑劇 」 と感 じて い るが、 自分 はモ ラル ・コメデ ィーだ と見 な して いて、笑劇 の要 素 はた し
か にあ るが、 笑劇 とは まった く逆 の、反 対 の もの を持 って い る と言 う。彼 に よれ ば、 「
笑
劇 」 を定 義 すれ ば、現実 には起 こ りそ うもない事件 が、無道徳 の状 態 とな った もの、とい
うこ とにな る。(5)
さ らに彼 に言 わせ る と、作者 ゴール ドス ミスが劇 中 に取 りこんだ笑劇
の特徴 は、 その活力、展 開 の軽快 さ、筋立 てで あ り、作者 は これ らを巧 み に利用 して い る
こ とにな る。 とりわ け この劇作 品の タイ ミングは、 良質 の笑劇 の それで あ る、 とも述 べ て
い る。
この劇 の どの部分 が一番笑劇 的 なのか、 とい う と、何 に もま して、 トニー ・ランプキ ン
の策略 で あ ろ う。 前半 で マ一 口ウ と- イス テ ィングズ を編 して、- - ドカ ッスル氏 の屋敷
を宿屋 だ と信 じさせ た こ と。次 ぎに母親 のハ ー ドカ ッスル夫人 を編 して馬車 を走 らせ 、 自
宅 の周 囲 なの に遠 い原野 だ と思 わせ た こ と、 で あ る。彼 の悪戯 が筋 の展 開 の原 動 力 となっ
て い るので あ る。 また、一幕二場 の居酒屋 の場 面 で、 トニーが みすぼ ら しい男 た ちに歌 を
歌 って きかせ る ところ もそ うで あ る。 ここは トニ ーが持 って い る、世界 を反転 させ る能 力
が、 フル に発揮 され る場 なので あ る。彼 の歌 を聞 いた、 男た ちはあべ こべ の世界 を次 の よ
うに語 る。
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eが観劇 の感想 で、下 品だ と評 した の は ここらあた りに も理 由が あって、 お上 品ぶ
りの階級 を噸 って反転 させ た皮 肉が、笑劇 的 な場面 で生 きて い るので あ る。他 に も、- ドカ ッスル氏 が、 トニーの悪戯 の被 害 になった こ とを語 って、
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と述 べ る ところ も、笑劇特 有 のス ラブステ ィ ックな動 きを、 台詞 に した もので あ る。笑劇
は、喜 劇 のジ ャンル として は古 くか らあって、昔 か ら一段 と低 い形 式 だ と見 な されが ちで
あ った。 その理 由は、機 知や ユ ーモ アや他 の知 的 な笑 い を理解 す るの に必要 な頭脳 の働 き
を、 あ ま り要 求 しないか らで あ る。 トニ ーの言動 に も見 られ る通 り、笑劇 は、 肉体 的 な、
視 覚 的 な ものか ら来 る笑 いで あ る。 しか し、笑劇 が もって い る特徴 は、 その対象 を転 覆 さ
せ るパ ワーで あ ろ う。権威 が あ る対 象 で も、一発 の も とにモ ノ化 して、何 の価値 もない不
様 な実体 を、暴 露 して しま うので あ る。 そ こに残酷 な滑稽 感 が生 じる。 この劇 作 品で も、
清
田
幾
生
48
セ ンチメンタ リズムの偽善 を打破す るのに、笑劇 の力が効果的に使われている。
前述 した ように、ハー ドカ ッスル夫人が屋敷の庭 だ とも知 らずに、 そ こに現れた夫 を強
盗だ と思い こまされ る場面 は、一番笑劇 的であろ う。夫人 は完全 に戯画化 され、侮蔑 され
て、権威 もなに もない。彼女 は もともと夫 とは対照的に、 この劇で は一番の不快 な人物 と
して造型 された性格で ある。 しか し、ハー ドカ ッスル夫人 には、セ ンチメ ンタル ・コメデ
ィーの人物の ようには、 それ を反省 し改心す る瞬間 は訪れない。虚栄心 と欲の深 さで、劇
中を貫 く悪役 となってい る。 ところが その中で も夫人が一瞬、人間 らしい ところを見せ る
個所が る。息子の トニーが強盗 に殺 され るか もしれない と恐れて、 あの宝石 に執着 して き
た強欲 な態度 に もかか わ らず、 「
お金 も命 も要 らないか ら、 うちの子、 あの紳士 を助 け
て !」 と悲鳴 をあげるのである。 自分の ことを省みない この自己犠牲的な叫び声の瞬間に、
反セ ンチメンタ リズム、 あるいは悪党 としての彼女の役割が停止す るO笑劇的に扱われて
いた夫人の戯画が崩れて、 な まの人間 らしさが生 じるので あ る。 モ ラルの点か ら言 うと、
『
負 けるが勝 ち』の白黒 をはっき り決めない唆味 さは、 こうい うところにある。
笑劇 は人間の リアルな面 を無視 して、 しば しば人間を極端 に類型化 した り、モ ノの よう
に扱 うことで、視覚的な滑稽感 を作 る。筋 の上で も、真実 の可能性 を無視 した、 あ りえな
い状況の連続で、不条理感 を作 り出す。笑劇 は、現実感覚 にもとづ くモ ラルの価値 を無視
す るこによって、活力の溢れたアナキーな状態 を現出 させ る。 それは道徳や倫理の対極 に
ある悪の状態 とい うよ りは、 む しろアモ ラルな もの として機能す る と見たほ うが よい。 こ
の劇では トニー ・ランプキンの策略すべてがそ うである。
したがって、笑劇 は 日常的な リアルな感覚 とはほ ど遠 いので、登場人物の リアルな性格
造型 とは相容れない。演劇 に笑劇的 な要素 を持 ち込 む と、我々が実在可能 な人物 として実
感で きるような性格付 けは、や りに くいのである。 しか し 『
負 けるが勝 ち』の登場人物 は、
イギ リス十八世紀の背景の中で、十分 に生 きた人物 と思わせ るリア リティをそなえている。
ハー ドカ ッスル氏 も、夫人 もケイ トもマ一口ウも、作者 による性格化が成功 していると見 る
ことがで きる。人物 たちの会話 も背景の設定 ものびやかで 自然 さを失 っていない。(6)
ゴ
ール ドス ミスは笑劇的な状況設定 と性格造型 とい う相矛盾 す る要素 を、実 に巧 みにバ ラン
スを とってい る と言 うことがで きる。作者 はセ ンチメ ンタ リズムをまな板 にのせ るに当た
って も、鋭 い訊刺で対象 をつ らぬ くことは していない。包み込 む ようなユーモアで榔輸 し
てい る。長 らく人気 を保つ この作品が傑作である理 由は、 ここにもある。
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とである。九月の始 めか ら五月の終 りまでのシーズ ン中は、週六夜上演が行われた。
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を持 って い る。
他 の参考文献
朱牟 田夏雄編
『
十八世紀 イギ リス研究』
o ・ゴール ドスミス、竹之 内明子訳
研究社
昭和4
6年
『
負 けるが勝 ち』 日本教育研究 セ ンター 1
9
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年
丸橋 良雄
『
英 国喜劇論集』
あぼ ろん社
海保真夫
『
文人た ちのイ ギ リス十八世紀』
1
9
9
9年
慶応大学 出版会
2
0
01
年
Fly UP