...

020000850001

by user

on
Category: Documents
9

views

Report

Comments

Transcript

020000850001
プロスペローの“humane care”
―征服者ではなく庇護者たろうとするイングランド人の不安と葛藤
勝 山 貴 之
I.序
『テンペスト』の第 1幕2場において,島を奪われたと主張するキャリバ
ンに対しプロスペローは次のように応える。
Pros.
Thou most lying slave,
Whom stripes may move, not kindness! I have us’d thee
(Filth as thou art) with human care, and lodg’d thee
In mine own cell, till thou didst seek to violate
The honor of my child.
(I. ii. 345-348 下線は筆者による)1
ここにおける “human” は,第4二つ折り本の表記であって,第1,第2,第
3二つ折り本では “humane” と記されている。もっとも当時の表記法では,
“human” と “humane” はしばしば混同して使用されたようだが,微妙な意味
の相違が生じてくることも事実である。“human” とすれば文字どおり「(獣
のような存在のキャリバンに)人間に対するようなやさしさでもって」接し
てきたとの意となり,人間と獣という両者の対比を強調した意味になるが,
“humane” とすれば「
(未開人であるキャリバンを)慈悲に溢れたやさしさで
もって」処遇してきたとの意味が前面に押し出されるのである。カーモード
2
勝 山 貴 之
(Kermode)をはじめ,
ヴァージニア・メーソン・ヴォーンとアルデン・T・ヴォー
ン(Virginia Mason Vaughan, Alden T. Vaughan)など近年の注釈者は,この箇
所を “humane” と解して,未開人に対するプロスペローの博愛精神に重きを
お く 解 釈 を 採 用 す る 傾 向 が 強 い よ う で あ る。2 し か し こ の “human” と
“humane” の相違は,単なる字句の違いにとどまらず,当時の人々の精神的
葛藤を表しているとも考えられる。16世紀を生きたプロテスタント・イング
ランド人は,新大陸におけるカトリック・スペイン人の蛮行に対して強い嫌
悪と反感を抱いていた。イングランド人は,自分たちの植民地政策のなかで
新大陸の未開人を教育し文明化することによって,彼らと共存していく可能
性を模索していたのである。しかし植民地の現実を前に,彼らの理想は揺ら
ぎ,自分たちもまたスペイン人のような残虐行為に手を染め,魂の堕落を経
験するのではないかという不安と恐怖を抱いていたことも事実である。文明
の側に立つ自分たちは,果たして原住民から愛と尊敬をもって崇められ,彼
らを支配し服従させることが可能なのかどうかは,植民地からの報告を耳に
するイングランド人にとって容易に答えの見出せない難題であった。こうし
たイングランド人の内的葛藤そのものを,シェイクスピアは『テンペスト』
の舞台に描き出しているように思われる。この小論では,『テンペスト』と
同時代に出版された,新大陸への植民政策に関する書物,特にバルトロメー
・ラス・カサス(Bartolomé de Las Casas)の『インディアスの破壊について
の簡潔な報告』
(Brevíssima relación de la destrucción de las Indias)
,リチャード・
ハクルート(Richard Hakluyt)の『西方植民論』
(A Discourse Concerning
Western Planting)
,トマス・ハリオット(Thomas Harriot)の『新たに発見さ
れた土地ヴァージニアに関する簡潔にして真実の報告』(A Briefe and True
Report of the New Found Land of Virginia)
,
そしてテオドア・ドゥブリ(Theodore
DeBry)の『大航海』
(Great Voyages)などに言及しながら,イングランド人
の内的葛藤を明らかにし,プロスペローとキャリバンの関係の変化をとおし
て,シェイクスピアが当時の人々の不安にどのように向き合い,自らの劇作
プロスペローの “humane care” ―征服者ではなく庇護者たろうとするイングランド人の不安と葛藤
3
品の中でいかにしてその葛藤を乗り越えようとしたかを探求していきたい。
II.ラス・カサスとハリオット
コロンブスの新大陸発見から約10年の歳月を経た1503年,スペイン国王は
スペイン人植民者たちにエンコミエンダ制,すなわち原住民をキリスト教化さ
せることを条件に,彼らを労働力として使役することを認める法令を出した。3
しかし新大陸に眠る黄金に狂奔する植民者たちは,原住民のキリスト教化に
は全く関心を示さず,財宝獲得のための過酷な労働でインディオたちを酷使
するばかりか,彼らに対する残虐行為を繰り返したのであった。鉱山での金
銀の採掘や海底での真珠採りといった肉体の限界を超えた強制労働のもと,
多くのインディオが命を落とし,原住民人口の激減をもたらすという暗黒の
歴史を生み出すこととなったのである。
原住民たちの魂の救済という使命感から新大陸に渡った聖職者たちは,植
民者たちの手によって行われるインディオに対する大量殺戮と強制労働を目
の当たりにし,事態を静観しているわけにはいかなかった。彼らは説教をと
おして,繰り返し植民者たちに原住民に対する蛮行を即座にやめ,未開人を
キリスト教化するという本来の目的を見失うことのないように訴えた。しか
し事態はいっこうに改善する兆しを見せず,原住民に対する迫害は続き,更
なる悲劇を生み出すばかりであった。事態の打開をはかるべく聖職者たちは,
スペイン本国においてエンコミエンダ制の不正を訴え,植民地政策を見直す
ための運動をおこした。バルトロメー ・ラス・カサスは,そうした運動にお
いて中心的役割を果たした聖職者のひとりである。彼は生涯の間に6回にわ
たり大西洋を横断して,インディオたちを植民者の残虐行為から救いだすた
めの運動を展開したのであった。4 1541年に,ラス・カサスは国王カルロス
五世に謁見し,植民地の現状を赤裸々に記した報告書を提出することによっ
て,植民地の悲惨な現状を告発,植民者たちの蛮行を糾弾し,事態の収拾を
勝 山 貴 之
4
直訴している。その報告書が『インディアスの破壊についての簡潔な報告』
(Brevíssima relación de la destrucción de las Indias, 1552)である。
しかしこの『インディアスの破壊についての簡潔な報告』が出版という形
で世に問われると,この書はラス・カサスの思惑とはまったく異なる反応を
諸外国から引き出すこととなった。スペイン植民者たちの蛮行を告発し,植
民地政策の見直しを求めることを目的としていたはずの『インディアスの破
壊についての簡潔な報告』は,スペインの政治的支配に苦しむ国やカトリッ
ク国スペインの軍事力および植民地拡大に脅威を感じる国々にとって,スペ
イン攻撃の格好の材料を提供することとなったのである。1578年,スペイン
支配からの独立を求めるネーデルランドにおいて,『インディアスの破壊に
ついての簡潔な報告』のオランダ語の翻訳が登場し,その後,16世紀中にオ
ランダ語訳が2版,フランス語訳が4版,ドイツ語訳が2版,それにラテン
5
語訳が出版された。
英語での翻訳は1583年に出版され,以降1699年までの
間にロンドンで4版が刷られた。まさにイングランドにおいても,アルマダ
戦争と時期を同じくして翻訳・出版された『インディアスの破壊についての
簡潔な報告』が,スペイン人のインディオに対する蛮行への非難とともに,
スペインの植民地政策やカトリック批判のまたとない口実となり得たことは
明らかである。
『インディアスの破壊』の編者(William Brome)が執筆した
と思われる英訳版の序文(“To the Reader”)ではスペイン人や法王の横暴が
厳しく糾弾されている。
. . . In this discourse of Don Bartholomew de las Casas, wee do finde a
manifest example. For I pray you what right had the Spaniards ouer the
Indians: sauing that the Pope had giuen them the said land, and I leave to
your iudgemente what right hee had therein: for it is doubtfull whether his
power doe stretch to the distributing of wordlly kingdoms. But admit hee
had that authority, was therefore any reason that hee should for crying in the
プロスペローの “humane care” ―征服者ではなく庇護者たろうとするイングランド人の不安と葛藤
5
night, There is a God, a Pope, & a King of Castile who is Lord of these
Countries, murder 12. 15. or 20. millions of poore reasonable creatures,
created (as our selues) after the image of the liuing God.6
書物をとおしてスペイン人の蛮行を目の当たりにしたイングランド人が,
自分たちの植民地政策がスペイン人の支配とは全く異なったものである必要
を感じたことは,ラス・カサスの書物に対する当時の人々の反応から窺い知
ることができる。『インディアスの破壊についての簡潔な報告』の英訳が登
場した翌年の1584年には,リチャード・ハクルート(Richard Hakluyt)の『西
方植民論』
(A Discourse Concerning Western Planting)が出版されている。ハ
クルートは,そのなかでイングランドが植民地政策を推し進めていくことに
より,ヨーロッパにおけるイングランドの経済的地位を改善することができ
るとともに,国内の余剰人口対策にもなることを説いて,新大陸への植民を
積極的に進めることを提言している。同時に彼は,ラス・カサスの書物に言
及し,西インド諸島におけるスペイン人の蛮行を激しく非難しているのであ
る。
So many and so monstrous have bene the Spanishe cruelties, suche
straunge slaughters and murders of those peaceable, lowly, milde, and gentle
people, together with the spoiles of townes, provinces, and kingdomes, which
have bene moste ungodly perpetrated in the West Indies, as also divers others
no lesse terrible matters, that to describe the leaste parte of them woulde
require more then one chapiter, especially where there are whole bookes
extant in printe, not onely of straungers, but also even of their owne
contrymen (as of Bartholmewe de las Casas, a bisshoppe in Nova Spania);
yea suche and so passinge straunge and exceedinge all humanitie and
moderation have they bene, that the very rehersall of them drave divers of the
勝 山 貴 之
6
cruel Spanishe, which had not bene in the West Indies, into a kinde of extasye
and maze, . . . 7
ハクルートは,イングランドの新大陸植民政策がスペイン人の植民政策のよ
うな蛮行を繰り返すようなものであってはならないことを説いている。反カ
トリック,反スペインの立場から,プロテスタント・イングランドの植民地
政策のあるべき姿が模索されているのである。ラス・カサスの書物が,イン
グランドにどのように受け止められたかを例証する重要な資料といえるだろ
う。
続いて1586年に出版された『ホリンシェッドのアイルランド年代記』
(Holinshed’s Chronicles of Ireland)の編纂に協力したジョン・フッカー(John
Hooker)もまた,
「サー・ウォルター・ロウリーに捧げる書簡」(“An Epistle
Dedicatorie to Sir Walter Raleigh”)の中で,次のように記している。
. . . yet you, more respecting the good ends, wherevnto you leuelled your line
for the good of your countrie, did not giue ouer, vntill you had recouered a
land, and made a plantation of the people of your owne English nation in
Virginia, the first English colonie that euer was there planted, to the no little
derogation of the glorie of the Spaniards, & an impeach to their vaunts; who
bicause with all cruell immanitie, contrarie to all naturall humanitie, they
subdued a naked and a yeelding people, whom they sought for gaine and not
for anie religion or plantation of a commonwelth ouer whome to satisfie their
most greedie and insatiable couetousness, did most cruellie tyrannize, and
most tyrannicallie and against the course of all humane nature did scorch and
rost them to death, as by their owne histories dooth appeare. 8
フッカーもまた,宗教や植民のためではなく,利益追求のためだけに狂奔す
プロスペローの “humane care” ―征服者ではなく庇護者たろうとするイングランド人の不安と葛藤
7
るスペイン人の許されざる蛮行を,人道主義的見地から厳しく断罪している。
翻訳という形でイングランドに紹介されたラス・カサスの書物は,カトリッ
ク批判,そして貪欲な利益追求の権化としてのスペイン批判を巻き起こす契
機となったのである。
これらの書物が矢継ぎ早に登場するなか,1588年にトマス・ハリオット
(Thomas Harriot)の『新たに発見された土地ヴァージニアに関する簡潔にし
て真実の報告』
(A Briefe and True Report of the New Found Land of Virginia)が
出版された。この書物は,新大陸への植民を促進することを目的に書かれた
ものであり,同時に投資家たちに対しても植民地への経済投資が有効である
ことを訴えかけるものであった。書物の中で,植民計画を推し進めるうえで,
新大陸の原住民は脅威の対象とはならず,従ってスペインが行ってきたよう
な蛮行も不要であることが繰り返し説かれている点は注目に値する。
In respect of vs they are a people poore, and for want of skill and
iudgement in the knowledge and vse of our things, doe esteeme our trifles
before thinges of greater value: Notwithstanding in their proper manner
considering the want of such meanes as we haue, they seeme very ingenious;
For although they haue no such tooles, nor any such craftes, sciences and
artes as wee; yet in those thinges they doe, they shewe excellencie of wit.
And by howe much they vpon due consideration shall finde our manner of
knowledges and craftes to exceede theirs in perfection, and speed for doing
or execution, by so much the more is it probable that they shoulde desire our
friendships & loue, and haue the greater respect for pleasing and obeying vs.
Whereby may bee hoped if meanes of good gouernment bee vsed, that they
may in short time be brought to ciuilitie, and the imbracing of true religion.9
このなかでハリオットは,原住民たちは利口であり,西洋人のような文明の
勝 山 貴 之
8
利器を持たずとも,かなりの知恵を有しているようである,と記している。
そして彼らがわれわれ西洋人の知識や技術が優れていることを理解すれば,
当然のことながら彼らは親しみと愛情,そして尊敬をもってわれわれに接し
てくるであろうと予想されているのである。従って,スペイン人のように残
虐行為をもって原住民に接するべきではなく,原住民に対して思慮分別のあ
る対応を試みれば,自然に彼らは植民者たちを恐れ敬うことになるであろう
とされている。
These their opinions I haue set downe the more at large that it may appeare
vnto you that there is good hope they may be brought through discreet
dealing and gouernement to the imbracing of the trueth, and consequently to
honour, obey, feare and loue vs. 10
植 民 地 に 関 す る パ ン フ レ ッ ト を 分 析 す る ト マ ス・ ス カ ン ラ ン(Thomas
Scanlan)は,ハリオットの書物のこの箇所について特に最後の4つの動詞
“honour, obey, fear, and love” に注目し,これこそ原住民とイングランド人の
関係を物語るものだと指摘する。すなわち “honour, obey, fear, and love” とい
うまさに親と子にふさわしい関係を,イングランド人が原住民との間に形成
しうることを,ハリオットは彼の同胞であるイングランド人に印象づけよう
としているという。11 原住民たちは,手の施しようのない獣ではなく,未開
ではあるが教育によって文明化可能な人種であることをハリオットは訴えて
いるのである。
III.テオドア・ドゥブリの『大航海』
ハリオットの『新たに発見された土地ヴァージニアに関する簡潔にして真
実の報告』が出版された 2 年後の1590年,テオドア・ドゥブリ(Theodore
プロスペローの “humane care” ―征服者ではなく庇護者たろうとするイングランド人の不安と葛藤
9
DeBry)が『大航海』と題する書物の出版を始めた。ドゥブリの『大航海』は,
新大陸にまつわる種々の書物を集め,それに版画師であったドゥブリ自身の
挿絵を添えたもので,彼の死後もその子供たちによって出版は続き,実に45
年の歳月をかけて13巻という大著となった。当時の様々な旅行記を集めたも
のとしてドゥブリの書は最大のものであった。まず手始めにこの大著の第1
巻として編纂されたのが,ハリオットの『簡潔にして真実の報告』であり,
ハリオットの航海に随行したジョン・ホワイト(John White)の水彩スケッ
チをもとにドゥブリが作成した版画による挿絵が添えられた。12
新大陸の様子を可能な限り克明に描くことを要求されたホワイトは,新大
陸の風景や原住民の姿を数多くの水彩画に残して帰国したが,ドゥブリはこ
の水彩画に描かれた人物画と風景画を巧みに合成し,前面に人物を立たせ,
13
その背景に風景を描くという構図で版画を作成している。
ドゥブリの版画
を見る者は誰しも,新大陸の豊饒な自然と温和な人々を想像するであろう。
そこには,豊かな森林と広大な平野で鹿を狩る人々や,数々の魚の生息する
湖で漁をする人々,更には理路整然と並んだ村落の様子や耕作地らしき景色
が描き出されている(図1,図 2)
。これらの自然と共存して生きる人々の
様子を背景に,画面の前面にたたずむ原住民たちは,わずかな布で身体を覆
いながらも全裸に近い姿で描かれ,その表情はみな穏やかである。酋長らし
き人物を頂点に互いに協力し合って生活する原住民を描いた版画は,文明人
であるイングランド人が未開人である彼らから尊敬と服従を勝ち取ることは
なんら難しくないということを訴えかけているようである。
J. H. エリオット(J. H. Elliott)は,ここに描かれた原住民たちの裸体が,
その均整の取れたプロポーションによって,読者に古代ギリシャ人やローマ
人の姿を連想させるという。またメアリー ・フラー(Mary Fuller)も,ここ
には既に植民地運動を推進しようとするイデオロギーによる原住民の書き換
え,すなわち「ヨーロッパ化」の現象が読み取れると指摘している。14 それ
ばかりかドゥブリのテキストには,新大陸の原住民の姿の他に,アダムとイ
10
勝 山 貴 之
ヴを思わせるような男女の挿絵とイングランド人の先祖と考えられていたピ
クト人の姿を描いた挿絵が含まれていた(図 3,図 4)。それはまるで新大
陸の原住民とイングランド人の相違は人間と獣といった種の違いではなく文
明の発達段階の違いであって,ハリオットのテキストが語っているように,
教育による原住民の文明化が可能であることを如実に伝えているのである。
まさにカトリック教徒スペイン人による残虐行為は許されるべきものであっ
てはならず,逆にプロテスタントであるイングランド人の植民地政策は,原
住民に対して慈愛あふれる支配でなくてはならないことが説かれている。
ドゥブリの『大航海』の第3巻(1592)では,フランス人ジャン・ドゥ・
レリ(Jean de Léry)の『ブラジルの地への航海史』
(History of a Voyage to the
Land of Brazil)が収録され,そこではハリオットの新大陸報告に描かれる理
想的原住民とはまったく異なった食人種としての原住民の姿が描き出されて
いる(図5)
。当時のイングランド人にとって,主従関係をとおして共存で
きるはずの原住民像と,それとは相反する形でイングランド人の心に潜んで
いた新大陸の原住民に対する恐怖が,レリの航海記をとおして窺われる。そ
してラス・カサスの『インディアスの破壊についての簡潔な報告』もまたこ
のドゥブリの『大航海』に収録・出版されており(1598),そこでは先にふれ
たカトリック教徒スペイン人の蛮行が彼の版画でもって生々しく描き出され
ているのである(図6)
。
スペイン人の残虐行為を克明に描いた版画には,カトリックの迫害を受け
たドゥブリ自身の半生が影を落としているのであろう。リエージュに生まれ
た彼は,1570年,宗教改革に共鳴したかどでカトリック派の体制側により,
財産を没収され故国を追われた。フランス北部の町ストラスブールへ逃れた
彼はその地で版画師として身をおこし,その後フランクフルトで出版業に
よって生計を立てた。カトリックによる弾圧を経験した彼は,おそらくラス・
カサスの書物の挿絵を準備するなかで,カトリック・スペインの脅威におの
のくプロテスタント諸国への警鐘として,スペイン人の残虐性を描いたので
プロスペローの “humane care” ―征服者ではなく庇護者たろうとするイングランド人の不安と葛藤 11
あろう。ドゥブリは,新大陸植民におけるプロテスタント勢力の覇権を祈願
したのかもしれない。1590年代から1600年初頭にかけて,このドゥブリの『大
航海』が評判になり,その挿絵が人々の関心を集めると同時に,植民地の原
住民に対するイングランド人の心性を形成することに一役買ったことが想像
できるのである。
IV.プロスペローとキャリバン
新大陸の原住民に対するカトリック派スペインの蛮行を糾弾し,プロテス
タント派イングランド人にふさわしい慈愛溢れる関係の構築を説く種々のパ
ンフレットに言及してきたが,ハリオットの『新たに発見された土地ヴァー
ジニアに関する簡潔にして真実の報告』の中には,そうした理想と矛盾する
事実の記述も見うけられる。原住民との対応について語るハリオットは,最
後のくだりで何らかの事件の勃発をことば少なに記している。
And although some of our companie towardes the ende of the yeare,
shewed themselues too fierce, in slaying some of the people, in some towns,
vpon causes that on our part, might easily enough haue been born withall: yet
notwithstanding because it was on their part iustly deserued, the alteration of
their opinions generally & for the most part concerning vs is the less to bee
doubted. And whatsoeuer els they may be, by carefulnesse of ourselues
neede nothing at all to be feared.
The best neuerthelesse in this as in all actions besides is to be endeuoured
and hoped, & of the worst that may happen notice to bee taken with
consideration, and as much as may be eschewed.15
この記述から,植民者たちがいくつかの町で原住民の幾人かを殺害した事実
12
勝 山 貴 之
が知れる。ハリオット自身の “whatsoeuer els they may be, by carefulnesse of
ourselues neede nothing at all to be feared.” との語り口が示すように,ことの詳
細は明らかにされず,植民者たちが用心さえすれば何ら恐れる必要はなく,
原住民に対するイングランド人の優位が揺らぐことはないとされる。しかし
このことばの裏には,イングランド人の抱いていた不安が見え隠れしている。
イングランド人の心のうちには,自分たちの植民地政策の失敗への危惧と原
住民に対する恐怖が存在しているのである。植民地の様子を知ろうとパンフ
レットを手にする人々の不安をかきたてることのないよう,ハリオットはわ
ざわざこうした表現を差し挟んでいるのであろう。原住民を教育し文明化し
ていくことを目標とするプロテスタント・イングランド人たちの限界もまた
ここからは感じ取れるのである。イングランド人は,原住民から畏敬の念と
服従そして愛情を獲得しようとしながら,その裏で果たして原住民たちとの
共存を達成できるのかという恐れを抱いていたことは否定し難い事実であっ
た。植民地政策をとおして原住民たちと共存していく過程において,彼らか
ら畏敬と敬愛の感情を引き出すどころか,自分たちもまたカトリック教徒ス
ペイン人のような残虐行為に走るのではないかという不安や動揺もここから
は読み取れる。スペイン人の蛮行を非難しながら,自分たち自身がカトリッ
ク教徒と同じく原住民に対する虐殺を繰り広げ,ひいては魂の堕落へと追い
込まれるのではないかという恐怖である。イングランド人にとって,この脅
威にどのように立ち向かい,いかにしてこの不安を克服するかは切実な問題
であったに違いない。
カトリック・スペイン人の繰り広げた残虐行為への嫌悪と,プロテスタン
ト・イングランド人である自分たちは決してそうあってはならないとする自
負の間に生ずる当時のイングランド人の葛藤は,シェイクスピアの『テンペ
スト』の中にも読み取れる。むしろ『テンペスト』はそうした葛藤を舞台上
に展開することで,イングランド人に自分たちの心の奥のある内的葛藤を真
正面から見据える機会を与えているのではないかとも思われるのである。プ
プロスペローの “humane care” ―征服者ではなく庇護者たろうとするイングランド人の不安と葛藤 13
ロスペローとキャリバンの関係にみる,友好関係の確立とその破綻の様子は,
新大陸における植民者たちと原住民の関係を映し出していることはしばしば
指摘されてきた。孤島における両者の遭遇を語るエピソードは,初期の段階
における両者の理想的関係を讃えている。
Cal.
. . . When thou cam’st first
Thou strok’st me and made much of me, wouldst give me
Water with berries in’t, and teach me how
To name the bigger light, and how the less,
That burn by day and night; and then I lov’d thee
And show’d thee all the qualities o’ th’ isle,
(I. ii. 332-337)
未開人キャリバンに対して慈愛を示し,教育することによって文明化させる
こともまた可能であると信じるプロスペローと,開示された文明の知恵に素
直に驚嘆を示し,敬愛をもって応じるキャリバンは,プロテスタント・イン
グランド人の期待する他者との遭遇の理想的なあり方を描いている。ここに
は,たとえ異文化に暮らす未開の民族であっても,原住民を教育することに
よって啓蒙していくことが可能であることを,そして植民者と原住民の共存
が可能であることを示唆したハリオットと同じ視点がうかがわれるのであ
る。
スカンランも指摘するように,ハリオットの『簡潔にして真実の報告』の
なかでは,植民者と原住民の関係が,親子関係になぞらえられている。プロ
テスタント・イングランド人の描く植民地の理想においては,植民者は教え
導く父親であり,原住民は愛と尊敬をもって父に服従する子供と喩えられた
のである。こうした点で,劇中において子供の幼さを残した存在としてキャ
リバンが描かれていることは,両者の共通性を物語っている。ことばを話せ
14
勝 山 貴 之
ず,時には亡き母を追慕し,またある時は心地よい夢を見たあと,夢から覚
めたことに涙するキャリバンは,同じく島の住人であった妖精エアリエルに
比して,幼児のような幼さを有していることは明らかである。
しかしプロスペローの博愛主義は見事に裏切られることとなる。キャリバ
ンは,プロスペローの慈愛を理解するどころか,その支配関係を不満とし,
娘ミランダを陵辱しようとすることによって,プロスペローの家父長支配の
象徴的存在を蹂躙しようとするのである。
(
“O ho, O ho, would’t had been
done! /Thou didst prevent me, I had peopled else /This isle with Calibans.” I. ii. 34951)そればかりかキャリバンに植民者の言語を教育し,自分たちの意味体系
のなかへと導きいれることによって,未開人の文明化を達成しようとするミ
ランダの努力も見事に失敗する。言語を獲得し,
事物の意味を知ることによっ
て,未開の状態を脱するはずであったキャリバンは,逆に学んだ言語をとお
して,植民者に対する呪詛の表現方法を手に入れることとなるのである。
(“You taught me language, and my profit on’t /Is, I know how to curse.” I. ii. 363-4)
ハリオットの記録のなかに顔をのぞかせる,イングランド植民者たちの恐怖
と不安,すなわち彼らが理想として掲げた,原住民に対する教育と文明化の
破綻がここに露呈する。植民地計画をとおして,教え導く父親像を自分たち
の姿に重ね合わせたイングランド人の内面の葛藤がここに垣間見られるので
ある。
プロテスタント・イングランド人の理想と考える植民地計画の破綻は,彼
らに自分たちの最も嫌悪する手段に出ることを余儀なくさせる。(“Thou
most lying slave, /Whom stripes may move, not kindness!”I. ii. 346)ハリオットの
『簡潔にして真実の報告』において,自分たちの当初の計画にはなかったは
ずの原住民殺害事件が記されていたように,未開人の啓蒙を試みるプロスペ
ローの期待は挫折し,暴力的仕打ちに頼るほか未開の原住民を管理する術が
ないことが劇の中で暴かれるのである。
プロスペローの “humane care” ―征服者ではなく庇護者たろうとするイングランド人の不安と葛藤 15
Pros. . . .
If thou neglect’st, or dost unwillingly
What I command, I’ll rack thee with old cramps,
Fill all thy bones with aches, make thee roar,
That beasts shall tremble at thy din.
(I. ii. 368-371)
ハリオットの報告に見られたような原住民との共存における現実を前に,肉
体的苦痛を与えることによる制圧が,もはや選択の余地のない当然の帰結と
してここに示されている。劇は,植民地での原住民との遭遇に際して生じた
イングランド人の内面の不安を舞台上に描き出し,彼らの内なる葛藤を浮き
彫りにしているのである。
Pros.
A devil, a born devil, on whose nature
Nurture can never stick; on whom my pains,
Humanely taken, all, all lost, quite lost;
(IV. i. 188-190)
しかしこれに対して劇の結末は,そうしたイングランド人の不安を取り除
く,ひとつの解決策を提示しているように思われる。プロスペローとキャリ
バンの関係は,劇の展開のなかで大きく変化し,そこには新しい主従関係が
生まれるからである。劇中においてステファノーやトリンキュローといった
愚者たちとともに笑劇的主従関係を演じたキャリバンは,ミラノ大公の衣装
に身をつつんだプロスペローの姿を目にし,思わず感嘆の声を漏らしている。
(“O Setebos, these be brave spirits indeed! /How fine my master is! I am afraid /He
will chastise me.” V. i. 261-3)キャリバンの科白には,ハリオットたちイング
ランド植民者が原住民に求め期待した “honour” と “fear” という感情が見事
勝 山 貴 之
16
に表明されている。更に,変化はキャリバンばかりではない。プロスペロー
もまた,自らの内なる存在としてキャリバンを認めることとなる。
Pros.
. . . this thing of darkness I
Acknowledge mine.
(V. i. 275-6)
プロスペローの科白は,ドゥブリの編纂したハリオットのテキストの最後に,
イングランド人の先祖ともいわれるピクト人の版画が挿入されていたことを
想い起こさせる。未開の原住民は,植民者たちの他者ではなく,イングラン
ド人の過去の姿であり,自らの内なる歴史なのである。そしてそれは万物の
創造主たる神の造りし人間であるアダムとイヴまで遡ることができる,人間
の歴史そのものなのである。プロスペローは自分の内に未開人キャリバンの
影を認め,自分たち自身の文明が歩んできた道程に思いを馳せることにより,
自らキャリバンの主人としての責務を背負うことを申し出ているのである。
このプロスペローの科白に応えてキャリバンも改悛の情を示す。
Cal.
. . . I’ll be wise hereafter
And seek for grace.
(V. i. 295-6)
引用のなかの “grace” は,“mercy”(forgiveness)あるいは “favour” と解する
ことができる。16 この科白をとおして,キャリバンは自分の主人に対する
“obey” と “love” を表明しているのである。これこそイングランド人の夢想
した原住民の理想の反応であり,植民者たちが新大陸で出遭うことを期待し
た未開人のあるべき姿であった。キャリバンから “honour” と “fear”,“obey”
と “love” を引き出すこと,強制ではなくあくまで原住民の内発的な姿勢と
して,それらの感情を導き出すことこそ,プロテスタント・イングランド人
の希求したものであったである。キャリバンの改心,そしてプロスペローの
プロスペローの “humane care” ―征服者ではなく庇護者たろうとするイングランド人の不安と葛藤 17
寛容の態度は,イングランド人の内なる葛藤を乗り越え,彼らが理想として
想い描く植民地での主従関係を再び提示する。両者の間に生ずる新たな主従
関係は劇の結末と見事に調和し,劇の大団円のなかへと回収されていくこと
となるのである。
この場面を捉えて,植民地での権力闘争を論ずるポール・ブラウン(Paul
Brown)は,
他者を脅威として見做し,
それを最終的に包含することによって,
西洋人による植民支配を一層強化することが可能になると述べている。
. . . Prospero must repeat the process of struggle. It is he who largely
produces the ineffectual challenge as a dire threat. This is to say, the
colonialist narrative requires and produces the other – an other which
continually destabilizes and disperses the narrative’s moment of conviction.
The threat must be present to validate colonialist discourse; yet if present it
cannot but impel the narrative to further action. The process is interminable. 17
植民支配の言説を確立していくためには,むしろ他者の脅威が必然的に必要
とされるのだと彼は主張する。支配の確立のために,支配の転覆をはかる反
逆分子の存在が求められ,それを封じ込めることにより,権力の達成がなさ
れるというのである。支配とは,まさにこの連関する権力闘争の場であるこ
とから,
『テンペスト』のなかに支配構造の矛盾ともいえる “the ideological
contradictions of its political unconsciousness”(69)を読み取ろうとしている。
しかしこれはあまりにも現代的視点からのアプローチであって,20世紀あ
るいは21世紀に生きる我々の考え方を16世紀のイングランドにあてはめよう
とするあまり,当時の文化や人々の心性を軽視しているように思われる。時
代を生きる人々が共有していたはずの精神的葛藤への考察がそこからは抜け
落ちているように思われるのである。更に,こうした解釈のなかでは,作品
『テンペスト』を生み出した作者シェイクスピアの個性は,イデオロギー的
18
勝 山 貴 之
権力闘争の中に吸収され,その独自性を抹消されてしまっているようにすら
思える。その意味で,ある時代に生み出された『テンペスト』という作品の
持つ特異性は,完全に無視されてしまっているともいえるのではないだろう
か。
むしろ作品は,当時の人々が植民地における原住民との遭遇を通じて抱い
たであろう内なる不安に焦点をあて,プロテスタント・イングランド人の植
民政策に潜む精神的葛藤を浮き彫りにしたものであると考えたい。それは新
大陸におけるカトリック・スペイン人の残虐行為に対し嫌悪の情を抱き,彼
らとの差異化のなかで,プロテスタント・イングランド人としての自らのア
イデンティティを形成しようとしながら,同時に自らの限界や矛盾を感じ始
めていた当時の人々の心性を的確に描き出そうとしたものなのである。そし
て劇の前半においては,こうした葛藤を真正面から見据えつつも,劇の大団
円では復讐から赦しへと劇の基調が大きく展開していくなかで,植民者プロ
スペローと原住民キャリバンの主従関係が今一度問い直され,両者の相互理
解をとおして新たな主従関係が生み出されている点こそ注目すべき事柄であ
ろう。ここにシェイクスピア自身が劇の結末と調和すべく用意した,当時の
人々の精神的葛藤に対するひとつの答えがあると思われるのである。
V.結び
この小論では,ラス・カサスやハクルートのテキスト,更にはハリオット
のテキストを比較検討すると同時に,ドゥブリの『大航海』に収められた版
画に言及することによって,当時の人々の植民地言説を説き明かそうと試み
た。しかしこれはシェイクスピアのテキスト『テンペスト』を他の植民地言
説の中に埋没させ平準化させることによって,シェイクスピアという劇作家
の個性を無視しようとすることとは異なるアプローチであることを強調して
おきたい。むしろ植民地言説のテキストとのインター・テキスチュアリティー
プロスペローの “humane care” ―征服者ではなく庇護者たろうとするイングランド人の不安と葛藤 19
を通して,当時の植民地言説にあった矛盾や葛藤をシェイクスピアがどのよ
うに捉え,それをどのように超克しようとしたかを解明したことになるので
はないかと思われる。彼の『テンペスト』が,復讐から赦しへと心の軌跡を
辿るものであるとするのなら,まさに植民地での他者との遭遇における葛藤
から受容への道筋を示すものであると思われるのである。そうした点で,当
時の植民地言説のテキストとは一線を画す,演劇という形式を借りた作者
シェイクスピアの願いの表出であるのかもしれない。18 第1幕2場における
“human” と “humane” とのことばの意味するところの相違は,まさに当時の
イングランド人の内面の葛藤の振幅の幅を物語っているのであろう。そして
作品の結末においては,そうした時代を生きる人々の葛藤を乗り越えようと
する劇作家個人の精神を感じることができるのである。
注
1 William Shakespeare, Tempest in The Riverside Shakespeare, ed. G. Blakemore Evans
(Boston: Houghton Mifflin, 1997) 1666. I. ii. 345-48.『テンペスト』の引用はこの版か
らとし,幕,場,行数を引用の直後に示すものとする。
2 Frank Kermode, ed., The Tempest (London: Methuen, 1954) 32. Virginia Mason Vaughan
and Alden T. Vaughan, ed., The Tempest (London: Thomas Nelson and Sons, 1999) 174.
3 エンコミエンダ制については,染田秀藤,
『ラス・カサス伝―新世界征服の審問
者―』(東京:岩波書店,1990)34-41.参照のこと。
4 ラス・カサスの伝記については,Juan Friede and Benjamin Keen, Bartolomé de Las
Casas in History: Toward an Understanding of the man and His Work (Dekalb, Illinois: The
Northern Illinois University Press, 1971). David M. Traboulay, Columbus and Las Casas:
The Conquest and Christianization of America, 1492-1566 (Lanham, Maryland: University
Press of America, 1994). Daniel Castro, Another Face of Empire: Bartolomé de Las Casas,
Indigenous Rights, and Ecclesiastical Imperialism (Durham: Duke University Press, 2007).
を参照のこと。
5 ラス・カサスの翻訳がなされる過程については,Juan Friede and Benjamin Keen,
Bartolomé de Las Casas in History: Toward an Understanding of the man and His Work の
pp.555-569 を参照のこと。
勝 山 貴 之
20
6 Bartoromé de Las Casas, The Spanish Colonie, trans. M. M. S. (Amsterdam: Theatrum
Orbis Terrarum, 1977). S.T.C. No. 4739. 1583 年にイングランドで翻訳出版された
Brevíssima relación de la destrucción de las Indias の英語版。引用箇所はこの書物の “To
the Reader” より。頁番号記載なし。
7 Richard Hakluyt, A Discourse Concerning Western Planting (Cambridge: Press of John
Wilson and Son, 1877) 71.
8 John Hooker, “To the Right Worthie and Honorable Gentleman Sir Walter Raleigh Knight,
Seneschall of the Duchies of Cornewall and Excester, and Lord Warden of the Stannarirs in
Deuon and Cornwall,” in Holinshed’s Chronicles of England, Scotland, and Ireland, ed.
Vernon F Snow, vol. 6 (New York: AMS Press,1965) 107.
9 Thomas Harriot, A Report of the New Found Land of Virginia (Amsterdam: Theatrum
Orbis Terrarum, 1971) E3. S.T.C. No. 12785.
10 Harriot, F2.
11 Thomas Scanlan, Colonial Writing and the New World 1583-1671: Allegories of Desire
(Cambridge: Cambridge University Press, 1999) 55.
12 DeBry については,Gloria Deák, Discovering America’s Southeast: A Sixteenth Century
View Based on the Mannerist Engravings of Theodore de Bry (Birmingham: Birmingham
Public Library Press, 1992) 41-80. を参照のこと。また Great Voyages に再録された
Harriot の版については,Thomas Harriot, A Briefe and True Report of the New Found
Land of Virginia: The Complete 1590 Theodore De Bry Edition (New York: Dover
Publications, 1972). この版は De Bry が John White の水彩画をもとに作成した版画
28 点を含んでいる。
13 John White については,上記の Harriot 書物に収録されている Paul Hulton による
序文 ix-xiii を参照のこと。また Hulton の America, 1585: The Complete Drawings of
John White (Chapel Hill: University of North Carolina Press, 1984). も貴重な資料である。
14 J. H. Elliot, The Old World and the New 1492-1650 (Cambridge: Cambridge University
Press, 1970) 23. Mary C. Fuller, Voyages in Print: English Travel to America, 1576-1624
(Cambridge: Cambridge University Press, 1995) 45. Scanlan もこれらの書物に言及して
いる。
15 Harriot, F3
16 “grace” については,Virginia Mason Vaughan and Alden T. Vaughan, ed., The Tempest
の p.283 の脚注を参照のこと。
17 Paul Brown, “‘This thing of darkness I acknowledge mine’: The Tempest and the Discourse of Colonialism” in Political Shakespeare: New essays in Cultural Materialism, ed.,
Jonathan Dollimore and Alan Sinfield (Manchester: Manchester University Press, 1985) 68.
プロスペローの “humane care” ―征服者ではなく庇護者たろうとするイングランド人の不安と葛藤 21
18 Meredith Anne Skura は,Shakespeare の Tempest を植民地言説において読むことの
なかで,その特異性を表現して,“if the play is “colonialist,” it must be seen as “prophetic” rather than descriptive.” と述べている。Meredith Anne Skura, “Discourse and the
Individual: The Case of Colonialism in The Tempest,” Shakespeare Quarterly 40 (Spring
1989) 58.
22
勝 山 貴 之
図1: ハリオット『新たに発見された土地ヴァージニアに
関する簡潔にして真実の報告』
ドゥブリの版画
図2: ハリオット『新たに発見された土地ヴァージニアに
関する簡潔にして真実の報告』 ドゥブリの版画
プロスペローの “humane care” ―征服者ではなく庇護者たろうとするイングランド人の不安と葛藤 23
図3: アダムとイヴらしき人物
ドゥブリの版画
図4: イングランド人の先祖とされるピクト人
ドゥブリの版画
24
勝 山 貴 之
図5: ジャン・ドゥ・レリ『ブラジルの地への航海史』
ドゥブリの版画
図6: ラス・カサス『インディアスの破壊について
の簡潔な報告』 ドゥブリの版画
プロスペローの “humane care” ―征服者ではなく庇護者たろうとするイングランド人の不安と葛藤 25
参考文献目録
Brown, Paul. “‘This thing of darkness I acknowledge mine’: The Tempest and the Discourse
of Colonialism.” Political Shakespeare: New essays in Cultural Materialism. Ed. Jonathan
Dollimore and Alan Sinfield. Manchester: Manchester University Press, 1985.
Castro, Daniel. Another Face of Empire: Bartolomé de Las Casas, Indigenous Rights, and
Ecclesiastical Imperialism. Durham: Duke University Press, 2007.
Deák, Gloria. Discovering America’s Southeast: A Sixteenth Century View Based on the
Mannerist Engravings of Theodore de Bry. Birmingham: Birmingham Public Library Press,
1992.
Elliot, J. H. The Old World and the New 1492-1650. Cambridge: Cambridge University
Press, 1970.
Friede, Juan, and Benjamin Keen. Bartolomé de Las Casas in History: Toward an
Understanding of the Man and His Work. Dekalb, Illinois: The Northern Illinois University
Press, 1971.
Fuller, Mary C. Voyages in Print: English Travel to America, 1576-1624. Cambridge:
Cambridge University Press, 1995.
Hakluyt, Richard. A Discourse Concerning Western Planting. Cambridge: Press of John
Wilson and Son, 1877.
Harriot, Thomas. A Briefe and True Report of the New Found Land of Virginia: The
Complete 1590 Theodore De Bry Edition. New York: Dover Publications, 1972.
____ .
A Report of the New Found Land of Virginia. Amsterdam: Theatrum Orbis Terrarum,
1971. S.T.C. No. 12785
Hooker, John. “To the Right Worthie and Honorable Gentleman Sir Walter Raleigh Knight,
Seneschall of the Duchies of Cornewall and Excester, and Lord Warden of the Stannarirs in
Deuon and Cornwall.” Holinshed’s Chronicles of England, Scotland, and Ireland. Ed.
Vernon F Snow. Vol. 6. New York: AMS Press, 1965.
Hulton, Paul. America, 1585: The Complete Drawings of John White. Chapel Hill:
University of North Carolina Press, 1984.
Kermode, Frank, ed. The Tempest. London: Methuen, 1954.
Las Casas, Bartoromé de. The Spanish Colonie. Trans. M. M. S. Amsterdam: Theatrum
Orbis Terrarum, 1977. S.T.C. No. 4739.
Scanlan, Thomas. Colonial Writing and the New World 1583-1671: Allegories of Desire.
Cambridge: Cambridge University Press, 1999.
Shakespeare, William. Tempest. The Riverside Shakespeare. Ed. G. Blakemore Evans.
Boston: Houghton Mifflin, 1997.
勝 山 貴 之
26
Skura, Meredith Anne. “Discourse and the Individual: The Case of Colonialism in The
Tempest.” Shakespeare Quarterly 40 (Spring 1989):42-69.
染田秀藤.『ラス・カサス伝―新世界征服の審問者―』東京:岩波書店, 1990.
Traboulay, David M. Columbus and Las Casas: The Conquest and Christianization of
America, 1492-1566 . Lanham, Maryland: University Press of America, 1994.
Vaughan, Virginia Mason, and Alden T. Vaughan, eds. The Tempest. London: Thomas Nelson
and Sons, 1999.
プロスペローの “humane care” ―征服者ではなく庇護者たろうとするイングランド人の不安と葛藤 27
Synopsis
Prospero’s “humane care”:
Anxiety and Self-Doubt in an Englishman
That Would Rather Be Custodian Than Conqueror
Takayuki Katsuyama
In 1552 in Seville, Spain, Bartolomé de Las Casas’s Brevíssima relación
de la destrucción de las Indias was published. The text of the work itself
was a litany of the destruction of the Indians in each specific area that the
Spanish controlled. The book was neither anti-colonial nor anti-Catholic,
but rather was intended to promote Spanish colonial efforts as furthering the
Catholic missionary enterprise. However, de Las Casas ironically exposed
the cruelty and inhumanity of the Spanish in the New World to all of
Europe. Figuring the cruelty graphically described in the book as typically
Catholic and Spanish, Protestant countries regarded Las Casas’s document
as the ultimate counter-example to their own colonial projects. Anti-Catholic
and anti-Spanish countries tried to redifine their colonial endeavor as an
expression of what it meant to be Protestant.
The English translation of Brevíssima relación appeared in 1583 and
it was republished as a part of Theodor DeBry’s Great Voyages in 1598.
Horrified at the atrocities by the Spanish, Protestant Englishmen sought a
humane and compassionate approach toward the native populations they
encountered. In other words, Englishmen felt compelled to represent their
encounters with the natives as motivated by love and kindness. However, it
is also true that they had to acknowledge the considerable anxiety that native
勝 山 貴 之
28
customs and behavior might provoke among the colonizers. Whenever they
failed in establishing an ideal relationship with native peoples, Englishmen
remembered the value of cruelty as an effective tool of control. Every
Englishman at the turn of the seventeenth century had to grapple with this
conflict between love and fear: Would they, as Protestants, be loved by the
native peoples, or would they be feared , as were the Catholic Spaniards?
From this viewpoint Shakespeare’s Tempest has great evidentiary value: it
is a unique cultural artifact, a unique voice in the discourse of colonialism.
Shakespeare seeks to resolve the above-mentioned tensions through a
change in the master-servant relationship between Prospero and Caliban at
the end of the play. This essay tries to throw light upon the conflict in the
minds of early seventeenth century Englishmen, by referring to Bartolomé
de Las Casa’s Brevíssima relación de la destrucción de las Indias, Richard
Hakluyt’s Discourse Concerning Western Planting, Thomas Harriot’s Brief
and True Report of the New Found Land of Virginia and Theodore DeBry’s
Great Voyages. Moreover, it will be my aim to show how Shakespeare
explores the acknowledgement of “otherness” within and through Prospero’s
self-recognition.
Fly UP