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『マンク』 における秩序と反秩序
奈良教育入学紀要 第46巻第1'</ (人文・什会)平成9年 Bu日. NaraUnil∴ Educ., Vol.46, No.1 (Cult. & Soc.), 1997 『マンク』における秩序と反秩序 -(運命の女)のテーマとイギリス・ロマン主義におけるその顕現門 田 守 (奈良教育大学英米文学教室) (平成9年4月18日受理) は じ め に 『マンク』 (TheMonk, 1796)はマシュー・グレゴリー・ルイス(MatthewGregoryLewis)の 代表作品である。若干の劇作や詩作を除き、彼はほとんどこれ一作でゴシック小説を語る際に、 避けて通れない作家になっている。このため彼は通称『マンク』 ・ルイス(`Monk'Lewis)とい う呼び名さえ与えられている。さて、この作品は二つのプロットが織り合わされた構造をもつと 言ってよいであろう。それらはアムプロシオ(Ambrosio)というスペインの高僧が登場して、 話の中心的位置を占める筋と、レイモンド(Raymond)という同じくスペインの貴族の恋愛に関 する筋である。最初にアムプロシオ・プロットが語られ、次にレイモンド・プロットが語られ、 またアムプロシオ・プロットに戻って、最後に両者が結び合わされ大団円を迎えるという構造が この小説において確認される11-。 つまり、それは(DA. Plot-(2)R. Plot-(3)A. Plot-(4)A. &R. Plotという形態で表されよ う。要するに、ある僧侶が恋に狂って破滅に至る物語が主筋になっている。そしてその主筋を追 う形でサブ・プロットが展開されるのである。 ところでその小説において破滅的要素をもたらしているのは、 (運命の女) (FemmeFatale)な のである'2'。この作品中の二つの筋に関しては顕著な特徴がある。それはアムプロシオ・プロッ トにおいて(運命の女)であるマチルダ(Matilda)が彼を誘惑して、物語を破局的状況に追い 込んでしまった後、レイモンド・プロットがそれを修復するという関係である。いわばこの小説 は(運命の女)に惑わされた男がもたらした反秩序を、日常的秩序を代表する若い世代の恋人た ちがもう一度もとの安定した秩序に戻すという話なのである。だから話のヴェクトルとしては、 反秩序から秩序-という向きをなしている。しかし、そもそも小説の筋書きを動かしているのは (運命の女)である。 (運命の女)が登場して、スペインの街が混乱して、彼女が消え去った後 その混乱が元に戻るわけなのである。 ここでは(運命の女)によるアムプロシオ-の誘惑を中心にして論じることによって、また他 の作品において登場する(運命の女)にも言及することによって、この時代に何故このように男 を破滅に導く女という主題が集中して現れているのかという問題に接近してみたい。そして18世 紀から19世紀にかけての女性性(femininity)の社会性の位置づけの問題と絡んで、 『マンク』が どのような女性性に対する時代的意味を秘めていたのかについても考えてみたい。 161 162 門 間 ・蝣J" I.蛇 の 誘 惑 『マンク』はスペインの首都マドリッド(Madrid)において始まる。最初に有名な修道士のア ムプロシオが説教をするのを聴きに来ている人々の様子が描かれている。彼の説教を聴きに来て いる民衆の中には、この物語のヒロインであるアントニア(Antonia)とその乳母、さらに貴族 のロレンゾ(Lorenzo)とその一行とが含まれている。この最初の場面でロレンゾはアントニア と恋に落ちる。この二人ともが感服するように、修道士の説教はまことに威厳に満ちたものであっ た。物語はこの僧の高徳や清らかさを敢えて強調するように始まっている。 Antonia, while she gazed upon him eagerly, felt a pleasure fluttering in her bosom which till then had been unknown to her, and for which She in vain endeavoured to account. …when at length the Friar spoke, the sound of his voice seemed to penetrate into her very soul… All found their attention irresistibly attracted while He spoke, and the most profound silence reigned through the crowded Aisles. Even Lorenzo could not resist the charm: He forgot that Antonia was seated near him, and listened to the Preacher with undivided attention. (18-19)'こう- このようにアムプロシオの宗教的な高遇さには申し分がないのであるが、アントニアはその説 教から帰る途中に、あるジプシー女から、名前はわからないが倣慢で不時な男によって自分が危 険に晒されていると忠告を受ける。このジプシー女の予言が伏線になって、次第次第にアントニ アを襲うことになる男がアムプロシオであることが明らかになってくる。 しかしながらアムプロシオの欲望を駆り立て、それをアントニアに向けさせるように手はずを 整えるのは実は彼に付き添っているロザリオ(Rosario)という見習い憎である。この少年は宗 教的熱心さの点でもアムプロシオへの敬愛の点でも申し分がないのであるが、実はこの少年はマ チルダという女が変装した姿なのである。秘密の悩みのために気分が塞いでいるロザリオに、修 道士はその悩みを話すように促す。ロザリオはこのようにその悩みを打ち明けている。 ‥.Listen to me with pity, revered Ambrosio! Call up every latent spark of human weakness that may teach you compassion of mine! Father!'continued He throwing himself at the Friars feet, and pressing his hand to his lips with eagerness, while agitation for a moment choked his voice; 'Father!'continued He in faltering accents, `I am a Woman!' (58) マチルダという美女はアムプロシオへの愛に悩み、彼に取り入るために男装して修道院に入門 しに来たのである。このマチルダはアムプロシオの眠っていた欲望を駆り立てていくのである。 またある時はマチルダは自分が自殺するか、またはこの修道院を去るかのどちらかを選べとアム プロシオに迫る。しかもこの時、マチルダは自分の胸元に短剣を押し当ててアムプロシオに選択 を迫っているのであるが、自分の胸を相手に見えるようにして誘惑することを怠っていない。ア ムプロシオは最初はマチルダの誘惑に抵抗していたのであるが、徐々にその誘惑に屈服するよう になる。アムプロシオが彼女に身を委ねることになるきっかけと言えば、アムプロシオが庭で散 策をしていた時に蛇がやって来て彼の足に噛みつくという事件である。彼は蛇の毒にやられて非 常に難儀するのであるが、マチルダは献身的に彼の傷口に吸いついて、毒を吸い出してしまう。 この真剣な態度にアムプロシオはいたく感動して、一挙に彼はマチルダの愛情を受け容れてしま うのである。この辺りの、マナルダが彼を誘惑する様子はこのようである。 I love you no longer with the devotion which is paid to a Saint: I prize you no more for the 『マンク』における秩序と反秩序 163 virtues of your soul; I lust for the enjoyment of your person. The Woman reigns in my bosom, and I am become a prey to the wildest of passions. Away with friendship! 'tis a cold unfeeling word. My bosom burns with love, with unutterable love, and love must be its return.(89) これは宗教的愛が肉体的愛に変わる場面である。同時に、それはアムプロシオが安定した宗教的 生活から、自分には未知の超自然的世界に引き込まれる原因になっているのではないだろうか。 マチルダがアムプロシオに献身的な態度を示すのはいいのだが、彼女が蛇と結びついているの は特筆するべき点である。蛇と結びついて現れる最初の女、誘惑する女の祖型はもちろん聖書の 創世記における、アダム(Adam)の妻イブ(Eve)である。マチルダは蛇の毒によって苦しむ ことになるのであるが、結果的には蛇に助けられて、アムプロシオの心を得ることになる。さら にマチルダは実は魔術を心得ていて、毒物を自由に扱えるし、また毒を体内から取り去る術を身 につけている。それ故、蛇の毒は命に関わるような危害を彼女に与えることはない。 魔術を使う女と言えば、ペックフォード(WilliamBeckfOrd)の『ヴァセック』 (The Vathek, 1786)におけるカラシス(Carathis)が思い浮かぶ。ヴァセックは名門アバサイズ(Abassides) 家の三代目のカリフである。彼は女色と美食の悦楽に溺れ、快楽の虜となった柔弱なる王であっ た。しかしいくら官能の至福を得ようとしても、叶わない。ある日宮殿を訪れた邪教徒の教えに 従い、彼は50人の美少年を谷底に突き落とし、塔の上で自分の家来たちを次々に絞殺し、火の中 に投げ込んでしまうO その他、彼はミイラや薬物を燃やす、悪魔めいた儀式さえ執り行う。神Ill 鬼没な邪教徒を悪魔と考えれば、われわれはここで悪魔に惑わされたマンクと同じ構造を見出す ことができるだろう。ヴァセックはその後、アダム以前のサルタンたちが保持し続けていた秘宝 の数々を継承しようとして、イスタカー(Istakhar)へと出発する。派手好きな彼に相応しい、 壮麗なる隊列であった。道中、地方総督の娘で、既に婚約者が決まっている可憐な少女ヌーロニ バー(Nouronihar)の色香に、彼は夢中になってサルタンの秘宝のことなどすっかり忘れてしま う。息子の怠けぶりにすっかり腹を立てた母親カラシスは、彼を叱りつけようとして驚異的なス ピードで彼の隊列に追いつく。まさに魔女の所行と呼ぶべき、早さであった。マザコンのヴァセッ クは、母親の"…were it not for me, thou wouldst soon find thyself the mere commander of savourypies" (236)棚という言葉に瞬時にひれ伏し、また旅を続ける。魔女の力にまったく無力 なマンクと同じ無抵抗ぶりがここにはある。ただし活純な乙女ヌーロニバーを陵辱した功績は、 母親によって大いに称えられるのではあるが。一行はとうとう、魔王エブリス(Eblis)の待つ 地底の祭壇へと辿り着く。ただし、そこには心臓が永遠に焼き焦がされる亡者たちの住みかであっ た。ヴァセックもカラシスもともに断罪され、心臓から炎を吹き上げ、互いに相手を罵り合いな がら未来永劫の苦しみを受けねばならない。ここで注目したいことは、魔女でありながらも、カ ラシスは罪人ヴァセックとともに断罪されるという点である。彼女は息子と同一の人間的地平に 属しているのである。この点で、マンクの断罪後、まったく罪を被らないマチルダは彼女と一線 を画している。 マチルダは彼女よりもさらに魔女の部類に近い。つまり彼女は悪魔と手を組んで男を破滅-と 引きずり込むタイプの女である、と言えるのである。つまり蛇は実はマナルダに操られてアムプ ロシオに噛みついたのかもしれないのである。聖書のイブの方はもちろん、蛇に唆されてアダム を壊落-と誘惑する。逆にマチルダは誘惑という主題のみを聖書の寓話の枠組みから受け継いで、 偏される女としてのイブの性格を脱ぎ捨てた女であると言えるであろう。また蛇と言えば、無意 164 門 田 守 識の欲望あるいは無意識そのもののシンボル化したものとも考えられる。フロイド派の深層心理 学を援用しつつ、マンドカー(BalajiMundkur)は文化人類学的に(舵)とは人間に自分では否 定できない恐怖感を与え、さらにその恐怖感を通じて超自然的なものへの信念をも与える鍵とな るシンボルであると言う("。ド・フリース(Ad deVries)は蛇の心理学的な意味についてこう 述べている。 .‥snake-dreams occur when the conscious mind is deviating from its instinctual basis; the snake then is the personification of the threatening aspect of the conflict`61' (運命の女)の出現とはこうした心の深層への恐怖心を促し、それが恐怖であるが故に、魅力 的なものであると見せかける人間心理のからくりを表わしている。ともあれ、アムプロシオはこ うして心をマチルダという(運命の女)に奪われるのである。 II.レイモンドと流血の尼 ここで『マンク』の別のプロットであるレイモンド・プロットが挿入されてくる。アムプロシ オ・プロットが彰屈した僧院内部で展開するだけなのに対して、レイモンド・プロットでは物理 的移動がその展開の原動力になっている。そのプロットでは、スペインの貴族のレイモンドが自 分の貴族教育の仕上げのために、パリ経由でドイツへと旅をする場面から始まっている。ところ が彼はストラスハーグ(Strasbourg)の森の中で盗賊たちによって捕まえられ、小屋に監禁され てしまう。レイモンドは機転を利かせて盗賊たちから彼らに捕縛されていたリンデンハーグ男爵 夫人(theBaronessofLindenberg)を助け出し、彼女の夫の待つリンデンハーグ城-と赴く。そ の城では彼はスペインの貴族の娘アグネス(Agnes)と知り合って、互いに愛し合うようになる。 アグネスは後になってロレンゾの妹であることがわかるが、まだ16歳で音楽と絵画に才能のある、 飾り気のない娘であった。彼女の初々しさは、レイモンドがパリで知り合った恋の手管に秀でた 都会の女性たちとは顕著な対照をなしていた。これはいかにも行動的で包み隠しのない冒険話、 そして恋愛話の小気味よい展開であると言えよう。しかし晴れ渡った空のような爽快さはあって も、心理的深みは何らないように思える。それはこの先の機械仕掛けのようなゴシック的描写で も確かめられる。ゴシック小説のとってつけたようなプロット展開は複雑ではあっても、根本的 には矛盾の解決もしくは種明かしといった単純な意図に基づいているのである。 この後で、またもや、いかにもゴシック小説らしい展開が見られる。つまりレイモンドはこの 城に取り懲いている流血の尼(theBleedingNun)と呼ばれる幽霊を利用して、アグネスを城か ら解放しようとするのである。一度は祈祷師によって退散させられた流血の尼は、この城で活動 するようになっていた。このようにである。 But at the end of five years the Exorciser died, and then the Nun ventured to peep abroad again. However, she was now grown much more tractable and wel主behaved. She walked about in silence, and never made her appearance above once in five years. (140) アグネスは流血の尼の格好の真似をして、レイモンドが連れ出しに来るのを待っているのであ るが、一向に彼は現れない。実はレイモンドは本物の幽霊である流血の尼を連れて、馬車に乗っ て逃げIll1ていたのである。そしてその逃亡の途中で馬車が事故を起こして、レイモンドは瀕死 の重傷を負ってしまう。その夜のレイモンドの泊まった宿屋で、彼は流血の尼に愛されたことが わかるのせある。彼女は凍りつくような目つきでこのような歌を歌うo 『マンク』における秩序と反秩序 165 Raymond! Raymond! Thou art mine! Raymond! Raymond! Iamthine! In thy veins while blood shall roll, I am thine! Thou art mine! Minethy body! Minethy soul!-" (160) このようにレイモンドは幽霊に意かれてしまうのであるが、紡裡えるユダヤ人と呼ばれる祈祷 師の力で幽霊を追い払ってもらうことに成功し、やっと自由の身となる。ドラブル(Margaret Drabble)は、キリストの再臨までこの世を永遠に妨裡うように呪われたユダヤ人の要素を『マ ンク』にも、マチュ-リン(Charles Robert Maturin)の『放浪者メルモス』 (Melmoth the Wande柁γ, 1820)にも認めている<71。ただし悪魔に魂を売ったメルモスに較べ、 Fマンク』の方ではいかに もゴシック的道具仕立ての一部としてしか、放浪のユダヤ人は登場していない。 ともあれレイモンドとアグネスの逃亡は失敗し、レイモンドはスペインにやっとの思いで帰る。 アグネスもスペインへと帰るが、聖クレア修道院(theConventofSt. Clare)に幽閉されて、二 人は離ればなれになってしまう。奇抜な幽霊談といい、また放浪のユダヤ人といい、ゴシック的 道具立てを次々と貼り付けたような物語の仕上がりになっているのは明瞭だ。少なくとも、両者 に何の関連もないようだ。その後もストーリーは入れ子的に填め合わされたような形をなし、ゴ シックの常套的手段を挺子にして進む。 レイモンドとアグネスは何度か密かに会って、子供をもうけてしまう。そのことは、ロレンゾ と聖クレア修道院の女修道院長との会話の中で明らかになってくる。女修道院長はこう語る。 She was delivered the next day of a still-born Child, whom She immediately followed to the Grave. How, Segnor? Is it possible, that your countenance expresses no surprise, no indignation? Is it possible, that your Sisters infamy was known to you, and still She possessed your affection? (221) ここでアグネスは出産の時に死んでしまったとされているが、本当はまだ生きていて、地下牢 に繋がれて、死んだ我が子の遺体を抱いて嘆き悲しんでいるのである。こうした描写はメロドラ マの一歩手前の感を拭えない。アグネスが修道院に幽閉されるようになったのは偶然であるし、 倍数性も悲劇性も薄いと言わねばならないからだ。第一、宗教的理由で修道院の地下牢に収容さ れて迫害を受けるという筋立ては、ラドクリフ(Ann Radcliffe)が『ユードルフォの怪』 (The MysteriesofUdolpho, 1794)や『イタリア人』 (Theltalian, 1797)の中で周到に描いたように、 ゴシック小説の常套的な手法なのである。切り貼りされたゴシック的手法にはそれなりの理由が ある。だがそれを明らかにするには、このプロットとアムプロシオ・プロットが出会う場面まで 得たねばならない。 さらにレイモンドはアグネスを放出しようとするが、今度はアムプロシオに介入されて失敗し、 また二人は別れ別れになる。ここでレイモンド・プロットは一回終了し、またアムプロシオ・プ ロットが始まる。 ベイア-パーレンボーム(LindaBayer-Berenbaum)は文学的ゴシシズムの特徴として、第一に 不規則性への愛好を挙げる。彼女に言わせると The attraction to irregularity stems from an attraction to the incomplete; what is not whole, not self-contained or balanced, is more prone to motion and change, to the dynamism that 166 門 田 守 characterizes Gothic art forms : -. なのである。 果たして、そうとだけ言い切れるだろうか。私にはゴシシズムの背後には、永遠や不規則性と いった不透明なもの-の憧れと同時に、堅牢な構造への憧れも認められると思う。その例が小説 の構造全体を破壊してしまうようなアムプロシオ・プロットの破天荒ぶりを、強引に秩序に引き 戻してしまうレイモンド・プロットの働きであると思われる。歴史的に言っても、オーステイン (Jane Austen)が『ノーサンガ-僧院』 (NorthangeγAbbey, begun in 1798 & published in 1818) でヒロインのキャサリン(CatherineMorland)の迷妄ぶりをものの見事に暴ききったように、 ゴシシズムにはからくりの要素が濃厚である。殺人事件なり、幽霊なりの存在を頭から決めてか かってこそ、登場人物の迷妄的姿勢が発生し、そこに諷刺の対象としての要素が生まれるからで ある。日常対非日常の対立でゴシシズムを捉えると、そこには必ず非日常の世界でありながら、 日常の白日の下に帰ってくる要素が認められる。いわばアムプロシオ・プロットはレイモンド・ プロットを、おのが存在のためにこそ要求していると言えるのである。 III.アムプロシオと欲望充足の空間 アムプロシオ・プロットこそ、ルイスが情熱を傾倒して描いたストーリーの展開ではあるまい か。そこには作者自身の欲求が見え隠れしているのである。作者ルイスに関わるこの小説の執筆 事情について、少し考えてみよう。 『マンク』・ルイスことマシュー・グレゴリー・ルイスは父マ シュー(MatthewLewis)と母フランセス(Frances Maria)の間に、 1775年にロンドンで生まれ た。母親は記録長官(Masterofthe Rolls)という官職をもつシューアル卿(SirThomas Sewell) の三女であった。記録長官とは大法官の補佐役である記録保管官である。また、シューアル卿は ガーター勲爵位(KnightoftheGarter)を受けていた。一方ルイス家も古い家柄であり、サリー 州に広閥なオックーショー荘園(Ottershaw Park)を拝領する、地方貴族であった。ルイス家も シューアル家も丙インド諸島に広大なプランテーションを所有していた。彼らの地所は近く、交 際は盛んであった。いわば地方の豊かな典型的貴族関の満ち足りた夫婦の間に生まれたのが、 『マンク』 ・ルイスであったのである。父親は当時戦争副大臣の要職にあり、よそよそしい性格で、 どちらかと言えば人に愛されると言うよりも、敬愛を要求するような種類の男であった。母親は と言えば、深窓に育ち、若くして結婚したために仕間知らずであり、何やら魔術関係の書物に没 頭する奇妙な内攻的性格を帯びていた。子供は四人できた。長男はマシュー、次男はバーリント ン(Barrington)、長女と次女はそれぞれマライア(Maria)とソフィア(Sophia)であった。次 男は運悪く背骨に受けた怪我が原因になって夫逝してしまう。二人の妹はそれぞれに立派な家柄 の男と結婚して、家を出ていく。子のマシューが自然と母親の愛情を独占してしまうのは、当然 の成りゆきであった。やがて、彼はパブリック・スクールのウェストミンスター校(Westminster School)に寄宿生として入学する。その頃には両親の関係は冷め切っていた。母親が子供たちの ために雇っていた音楽教師と浮気し、彼の元へと走ったからである。ウェストミンスター校での 最後の学期が終わるまでに、既に両親の離婚は確定してしまった。子のマシューにしてみれば、 母親に裏切られたという感情が色濃く洩ってしまった。しかしながら、終生、彼は母親には恋愛 意識にも似た愛情を寄せていた。 『マンク』を執筆したのも、彼女を経済的に援助したかったか らである。憎しみと恋慕との混ざり合いが、彼の母への意識には息づいていた。 1812年には父親 『マンク』における秩序と反秩序 167 が死に、西インド諸島でのプランテーション経営の仕事が-一手に彼に任される。 1818年に西イン ド諸島からイギリスに帰る船中で黄熱病のために死ぬまでの最後の三年間に、彼は自分のプラン テーションに向かい二回旅をしている。理想的なプランテーション経営だったらしい。奴隷たち には寛大な扱いをし、経営の合理化には惜しみなく資金をつぎ込み、競合する資本家には羨まし がられたらしい。彼は生涯独身であった。バイロン卿(LordByron)やスコット卿(SirWalter Scott)といった文人とも親交が厚かった。ともかくも表面上は満ち足りた生活を送った高潔な 人格の国会議員であり、かつ地方貴族の跡取りとして、ルイスという人間は捉えられるであろう`9'。 しかしながら、ルイスがFマンク』を執筆した主導的要因は単なる母親孝行とは言い切れない。 1794年にオックスフォード大学の1月中旬から復活祭までのヒラリー学期(Hilaryterm)を終え、 ルイスはオランダのハーグ(TheHague)に行ったきりになってしまった。父親が彼のために在 ハーグのイギリス大使館における大使随行員の職を用意したためであった。そこにはセント・ヘ レンズ卿(LordSt. Helens)がオークランド卿(Lord Auckland)の跡を継いで大使として赴任 すべく、マドリッド(Madrid)から向かっていた。ルイスは同年5月15日にハーグに到着し、 大便の住まうホテルの近くの豪華フラットに落ち着くことになる。マテイニョン夫人(Madame Matignon)なる人物のサロンに出入りし、フランス人たちの一行と親しく交流することになるの だが、ルイスはこの時期退屈で退屈でたまらなかった。サマーズ(MontagueSummers)は、当 時のルイスの様子をこのように書いている。 …Lewis found the Hague insupportably dull,-"I am certain that the devil ennui has made the Hague his favourite abode''he tells his mother-and it was only the fact that he was "horribly bit by the rage of writing, which saved him from falling into such low spirits as almost threatened to become a serious malady どうしようもないアンニュイが彼を捕らえて離さなかったのである。底知れぬ退屈がFマンク』 を生んだとすれば、なぜそのような退屈がルイスによって意識されたのであろうか。 クーン(ReinhardKuhn)はそのアンニュイを主題として取り扱った刺激的な著作の中で、ゲー チ(Johann Wolf gang von Goethe)の『若きヴェルチルの悩み』 (The Sufferings of Young Wertheγ, 1774)について、こんなことを書いている。 Werther's contentment is derived from the fact that all his needs are satisfied. His dissatisfaction is based on his awareness that such satisfaction serves only to prolong a useless life. The cell that he inhabits is made more livable by his ability to decorate it with pictures, but nonetheless it remains a cell within which his active and exploratory forces are imprisoned. The hope remains that a passion might destroy the prison walls and liberate his creative forces. That hope, however, is accompanied by the fear that such a passion might spring him from his cell only to lead him more deeply into another part of the dungeon, the torture chamber from which there is but one exit: suicide . 牢獄とはヴェルテルの心の牢獄の諸である。その牢獄へと彼を閉じ込めたものは、逆説的ではあ るが、実は充足であった。満ち足りていることが、逆に己を内的世界に閉じ込めてしまうのであ る。そしてもし仮により満ち足りてしまえば、かえってもっと満足を求める餓えの状態に己を叩 き落としてしまうのではないかという不安が彼を苛んでしまう。これはまさにルイスが陥ってい た内的問題ではないだろうか。そこには自我の過剰の問題と、その自我からの逃避の手段として の崇高とが絡んでくるのであろうが、それは後で考えるとしよう。 門 田 守 l f!1聖 ともあれ、ルイスは自分の隠された欲望を Fマンク』の中に持ち込んだのである。悪漢ではあ るが、表向きはあまりにも純潔なる人物であるアムプロシオは、ルイスの欲望の代理実行者と言っ てもよい。アムプロシオはとても徳の高い修道士だと世間では評判であるが、裏には隠れた欲望 を宿している。欲望の対象はアントニアである。彼女には、病気の母親エルヴィラ(Elvira)が いる。だからアントニアは母親を徳の高いアムプロシオに見せて、彼女の病気を治してもらおう とするのだ。アントニアはありがたい修道士を恭しく、家に連れて来る。彼女は修道士に恋愛感 情にも似た、敬愛の言葉を伝える。だがアムプロシオは全然別のことを考えている。修道士には 内面の葛藤はあるにはある。だが彼は余りにも簡単にアントニアの魅力に負けて、彼女に手を出 してしまう。 `Antonia! my charming Antonia!'exclaimed the Monk, and caught her to his bosom; `Can I believe my senses? Repeat it [Antonia's declaration that she admires Ambrosio] to me, my sweet Girl! Tell me again that you love me, that you love me truly and tenderly! 'Indeed, I do: Let my Mother be excepted, and the world holds no one more dear to me!' (262) アムプロシオの言うラヴとアントニアの言うそれとは、全然意味が違う。前者は肉体的な欲望で あるのに対し、後者のそれは宗教的なものに留まっているからである。ルイスは表層的にしか修 道士の心理分析を考えていない。いや、ゴシシズムそのものが人間の表層的部分にしか関わって はいけない文学形式なのかもしれない。その戦略は複雑なプロット展開と入れ子的構造によって、 日常と非日常とを隔離してしまうことである。そして読者の過剰な欲望は発散され、ある種のカ タルシスの効果がもたらされる。ただルイスの場合は、作者の側の欲望充足が主要な目的であっ たに違いない。しかしながら、ゴシシズムの場合は、非日常の仕界は必ず日常の世界に帰ってこ なければならない。読者にしても、作者にしても、必ずゴシシズムは自分たちを理性的世界に連 れ帰ってくれるという保証があってこそ、小説の中にひたりきれるのである。この点で、あのメ アT)- ・シェリー(MaryShelley)の『フランケンシュタイン』 (Frankenstein, 1831)のエンディ ングは、ゴシシズムの伝統からは逸脱している。破天荒なプロット展開の『放浪者メルモス』に おけるI"]名の主人公でさえ、悪魔との契約が終了すると何の抵抗もできずに地獄に堕ちてしまう。 『フランケンシュタイン』の場合には、モンスターは極北で自らの身体を焼き滅ぼすと宣言して 姿を消すが、その蕨後を見届ける者は誰もいない。このように例外はあるLにても、ゴシシズム が秩序構築の物語であることは否めない。そして秩序の安定さの側に立ち、一時的な秩序混乱を 見て楽しむという喜びは崇高の心理であることも確かであろう。 アムプロシオの色仕掛けはあまりにも見え透いた、杜撰なものであった。母親はすぐにアント ニアが修道士に狙われていることを察知し、修道士に娘と会うことを禁_1[二する。ところが、ここ で(運命の女)マナルダが介入を開始するのである。彼女は修道士を-歩一歩と堕落の道へと運 んで行く。最初マチルダはアムプロシオを真剣に愛しているかに見えたが、もうこの段階では彼 を堕落させることに喜びを見出す(運命の女)になっているのである。マチルダは魔法の鏡を取 り出して、アントニアの入浴場面を彼に見せて、彼の欲望に油を注ぐ。最初彼は"Curiosityinduced him to take it, and Love, to wish that Antonia might appear'つ271)という具合に、好奇心 がきっかけになって鏡を手に取り、その後でアントニアの身体が鏡に浮かび上がることを念じる。 アムプロシオの隠れた欲望が発現する機会を、マチルダが与えていることに着目しよう。アント ニアの浴室の場面は、いかにも徐々にアムプロシオの欲望を高めるよう計算されている。ルイス 『マンク』における秩序と反秩序 169 はアントニアの慎み深さや純粋さを強調し、意図的にムネアカビワと戯れる彼女の姿を描き、修 道士の最後の抵抗も無駄にしてしまう。 The scene was a small closet belonging to her apartment. She was undressing to bathe herself. The long tresses of her hair were already bound up. The amorous Monk had full opportunity to observe the voluptuous contours and admirable symmetry of her person. She threw off her last garment, and advancing to the Bath prepared for her, She put her foot into the water. It struck cold, and She drew it back again. Though unconscious of being observed, an in-bred sense of modesty induced her to veil her charms; and She stood hesitatingly upon the brink, in the attitude of the Venice de Medicis. At this moment a tame Linnet flew towards her, nestled its head between her breasts, and nibbled them in wanton play. The smiling Antonia strove in vain to shake off the Bird, and at length raised her hands to drive if from its delightful harbour. Ambrosio could bear no more: His desires were worked up to phrenzy. (271) 出版当初、国会議員がこのような扇情的な場面を描いたことに、非難富々であった112!。ただしそ の一方で『マンク』は1800年までの5年間に5版を重ねるほど、よく売れた。人気は即座のもの であったが、逆に宗教的非難の方は長く尾を引いた。ルイスはごく素直に自分の表現の問題は認 めたらしい。 ルイスの『マンク』執筆は一気珂成に進んだと言ってよい。さらに、何が何でも出版したいと いう個人的な思い入れの強い小説であった。彼は母親に宛てた1794年9月23日付けの手紙の中で、 このように書いている。 What do you think of my having written, in the space of ten weeks, a romance of between three and four hundred pages octavo? I have even written out half of it fair. It is called `The Monk,'and I am myself so much pleased with it that, if the bookseller will not buy it, I shall publish it myself . 自費出版も辞さない姿勢は、ルイスが自己満足のために出版しようとしていることを雄弁に伝え ているであろう。 アムプロシオがついにこのように叫ぶときも、われわれはその背後にルイスの欲望を意識せざ るを得ない。 'I yield!' Hecried, dashingthe mirror upon the ground: 'Matilda, I follow you! Do with me what you will.つ271) さらに、マナルダはアムプロシオにどんな鍵のかかったドアでも開けることのできる魔法のか かったテンニンカの枝を与えて、彼がアントニアに暴行するのを助ける。かくして、修道士はま んまとアントニアの部屋に侵入することができるのである。だが修道士が思いを遂げる手前で ちょうど彼女の母親のエルヴィラが入って来て、かっとなった彼は思わず母親を絞め殺してしま う。その隙に、アントニアは彼の手を逃れることができる。アムプロシオは何としてもアントニ アを手に入れたいものだから、今度は眠り薬を彼女に飲ませ、絶対に安全な聖クレア修道院の地 下牢-と押し込め、ついに彼女をレイプしてしまうのである。 Heedless of her tears, cries and entreaties, He gradually made himself Master of her person, and desisted not from his prey, till He had accomplished his crime and the dishonour of Antonia. (383-84) 170 I"] 111 さて、絶対安全な修道院の地下牢と似た空間をわれわれはいまや所有していないだろうか。そ れはルイスがわれわれに提示したテクスト空間と言うことはできないだろうか。彼自身にとって もその空間とは、まさに自分自身の欲望充足のためにあったのである。地下牢という物理的閉所 は、彼にとっては心理的空間になったと言ってよいだろう。 ここで18世紀的崇高の大御所バーク(EdmundBurke)の崇高論に言及しても、なんら不思議 なことはないであろう。元々はルネサンス以来の、否、詳しく述べれば中世にまで潮ることはで きるであろうが、神に対する畏敬の念の龍もったエクスタシーに起源している崇高は18世紀には 自然的崇高に移行する。自然の中に神の栄光を見て、脱我的悦楽にひたるというのがその図式的 説明である。ここで崇高そのものの議論をすることは、場違いなことであろう。ただしバークが 崇高における宗教的要素を捨象し、崇高感にひたるときの個人の心理的分析に没頭したことは指 摘しておこう。バークは崇高の瞬間に起こることは自己忘却であるという。その際には幾分恐怖 感を帯びた驚情のうちに、主体は自己が空っぽになったような体験をする。 The passion caused by the great and sublime in nature, when those causes operate most powerfully, is Astonishment; and astonishment is that state of the soul, in which all its motions are suspended, with some degree of horror. In this case the mind is so entirely filled with its object, that it cannot entertain any other, nor by consequence reason on that object which employs it. Hence arises the great power of the sublime, that far from being produced by them, it anticipates our reasonings, and hurries us on by an irresistible force. Astonishment, as I have said, is the effect of the sublime in its highest degree; the inferior effects are admiration, reverence and respect. (57) !川 自己忘却とはルイスが小説執筆の際に求めているものではないだろうか。退屈の虫に懸かれた彼 が、レイプ、母殺し、悪魔との取引といった犯罪行為を犯しつつ、一時的な自己解放を求めたの はありそうなことである。母殺しとは、被の母を憎みつつも、愛し続けた複雑な感情の小説内部 での反映であるように思われる。 もうひとつ、崇高とは感受する主体の側での危険と安全の敷居上で発生する心理であることも 指摘しておいてよいだろう。バークはロンドン大火を例に取り、華やかな国際都市ロンドンが燃 え上がるのを期待することはもちろん邪悪なことであるが、廃嘘と化したロンドンを見たがるの が人の常ではないか、とこのように述べる。 This noble capital, the pride of England and of Europe, I believe no man is so strangely wicked as to desire to see destroyed by a conflagration or an earthquake, though he should be removed himself to the greatest distance from the danger. But suppose such a fatal accident to have happened, what numbers from all parts would croud to behold the ruins, and amongst them many who would have been content never to have seen London in its glory? (47-z そしてそのような満足感を得るためには、危険からの安全性を保証する絶対的な距離が必要なの である。 SO it is certain, that it is absolutely necessary my life should be out of any imminent hazard before I can take a delight in the sufferings of others, real or imaginary, or indeed in any thing else from any cause whatsoever. (48) アムプロシオが牢獄という閉鎖空間においてレイプを犯したことは、危険ではあるが絶対的に安 全を保障された上での崇高体験と一脈通じるところがある。地下に掘られた日も射さぬ牢獄で、 『マンク』における秩序と反秩序 171 蝋燭の灯りを頼りに、仮死薬を飲ませた処女アントニアを貧るように愛す修道士は、己自身でそ の閉鎖空間を所有していると言ってよいであろう。それは絶対的弱者に対する絶対的権力者のス リリングな自己忘却行為であった。ただしもしそれが公になれば、まさにマドリッドの絶対的に 純潔な神の使徒たるアムプロシオのこと、断崖からの墜落の如く没落は避けられまい"5'。崇高と はまさにそうした落差あるいは高度の意識があってこそ起こるものなのだ。修道士にとって絶対 的に自由な空間が地下の牢獄であれば、ルイスにとってのそれは複雑なプロットと超自然現象に よって日常から隔離されたゴシックというテキスト空間であると言えよう。 『放浪者メルモス』 とは幾重にも取り巻かれた入れ子構造でできた、まるで地下世界のようなテキスト空間であった。 『マンク』では入れ子構造は認められないが、やはりスペインを舞台とするある種の異化作用は 作品に与えられている。 『マンク』はルイスがいかようにも扱ってもよいテキスト空間として、 彼の欲望の放散装置として機能しているのである。そしてもちろんそのテキスト空間は読者が共 有してもよい、崇高体験の場であったのである。 IV.秩序の世界への帰還 いったん、地下の牡界に潜った物語は再び光に溢れた地上の世界に戻ってくる。ちょうどアム プロシオが自分の罪を重ねている時に、地下牢の上ではロレンゾが大活躍して聖クレア修道院の 悪徳ぶりを摘発し、群衆を率いて修道院に火をつけ、アントニアを放出しようとしているところ であった。このところで、アムプロシオ・プロットとレイモンド・プロットが重なってくる。ア ントニアはこの混乱の隙に地上へと逃れようとするのであるが、逆上したアムプロシオに後ろか らナイフで刺されて、恋人のロレンゾの胸の中で死んでしまう。 He still grasped Matilda's dagger: Writhout allowing himself a moment s reflection, He raised it, and plunged it twice in the bosom of Antonia! She shrieked, and sank upon the ground. The Monk endeavoured to bear her away with him, but She still embraced the Pillar firmly. (391) アントニアとロレンゾの仲とは対照的に、アグネスはレイモンドに助けられて、二人は一緒に なることができる。アグネスは腐った赤ん坊を抱いて、栄養失調になっており、レイモンドは病 み上がりでふらふらの状態ではあるが、これらの恋人たちが結ばれることによって、小説の世界 は非日常の世界から日常の世界-と浮上してくるのだ。その非日常の世界の締めHiLはこのよう に行われている。 マチルダとアムプロシオは異端審問所に繋がれてしまう。マチルダは火刑を言い渡されるが、 悪魔の助けを使うことができるので、牢獄から簡単に抜け出すことができる。アムプロシオはマ チルダに悪魔に魂を売るように言われるが、何度も拒絶する。しかし、火に焼かれることを恐れ たアムプロシオはついに悪魔と契約を交わしてしまう。 Worked up to phrenzy by the urgent danger, shrinking from the approach of death, terrified by the Daemon s threats, and seeing no other means to escape destruction, the wretched Monk complied. He signed the fatal contract, and gave it hastily into the evil Spirit's hands, whose eyes, as He received the gift, glared with malicious rapture. (437) 悪魔はさらにアムプロシオの罪深さを次のように糾弾する。悪魔は普通罪深い人間を手厚く扱 うのだと思われるが、この悪魔はおかしなことに神の使いのように罪を背負った修道士の邪悪さ 172 門 田 守 を責める。 Hark, Ambrosio, while I unveil your crimes! You have shed the blood of two innocents; Antonia and Elvira perished by your hand. That Antonia whom you violated, was your Sister! That Elvira whom you murdered, gave you birth! (439) 母親を殺し、妹を犯した上に殺したアムプロシオは岩山から、悪魔に突き落とされる。これは 6日の内に世界を創造し、 7日目に休息した神の天地創造行為の逆の描写で提示されている。 Headlong fell the Monk through the airy waste; The sharp point of a rock received him; and He rolled from precipice to precipice, till bruised and mangled He rested on the river's banks. Myriads of insects were called forth by the warmth; They drank the blood which trickled from Ambrosio's wounds; He had no power to drive them from him, and they fastened upon his sores, darted their stings into his body, covered him with their multitudes, and inflicted on him tortures the most exquisite and insupportable. On the Seventh a violent storm arose: The Winds in fur>′ rent up rocks and forests: The sky was now black with clouds, now sheeted with fire: The rain fell in torrents; It swelled the stream ; The waves overflowed their banks; They reached the spot where Ambrosio lay, and when they abated carried with them into the river the Corse of the despairing Monk. (44ト42) アムプロシオの最後は逆創造行為(de-creation)である。つまり、存在から全くの混沌への逆 戻りが彼の最後なのである。さらに言えば、アムプロシオという存在を可能な限り惨たらしく殺 害し、おぞましく腐敗した屍として全くの無へと還元してしまわなければならなかった事情が、 作者であるルイスの側にあったのではないかと思われるのである。 この作品でルイスが最も肩入れして描いている人物は、もちろんアムプロシオである。という のは、アムプロシオという人物には、起源、家系、 JflL筋が全く与えられていないからであるO彼 は修道院の門の前に捨てられて、誰の子かわからない状態で登場している。だから、ルイスは起 源のない男に容易に自己投入することができたのではないかと思われるのである。つまりアムプ ロシオは自分の母親を殺してしまうのだが、ルイス自身自分の母親を憎んでいたのは事実である。 彼の母親は父を捨てて、他の男に走ったという事実があるわけで、ルイスは決して母親のことを 良く考えてはいなかった。ただし、彼は母親を愛していたこともまた事実である。愛憎が混交し た複雑な感情を、彼は母親に対して抱いていたのだ。アムプロシオが母親の首を絞めて殺してし まったのは、ルイス自身の母親のへ憎しみを実現した行為ではなかったかと思われる。当時のル イスはまだ19歳の多感な時期にあったので、自分の思いがストレートに小説に表現されているの だと思われる。 また、この小説では既にわかるように、二つの愛の形が現れている。一つは法と秩序を守って 幸福に至るレイモンドとアグネスであり、さらに全ての混乱が治まってから結婚するロレンゾと ヴァージニア(Virginia)である。レイモンドはアグネスが地下牢に捕らえられていることがわ かっていても、修道院に踏む込むことは法によって禁じられているので、ちゃんと法に従って令 状を持って官警と一緒に修道院に乗り込んで行く。レイモンドは堅牢な社会的な法の牡界の代弁 者なのだ。結果的にはこれが幸いして、彼らは社会的に承認されて結ばれる。またロレンゾは友 『マンク』における秩序と反秩序 173 人や伯父に勧められて、アントニアの死を乗り越えて、ヴァージニアという貴族の娘と結婚する。 これもまた社会的容認を前提とした上で成立した婚姻関係なのだ。当然、こうしたプロット展開 はホレス・ウオルポール(HoraceWalpole)の『オトラント城緒言削(TheCastleofOtranto, 1764) の中のセオドア(Theodore)とイザベラ(Isabella)の関係を思い起こさせる。ゴシック小説の 嘱矢とされる『オトラント城椅講』でさえが、社会的承認のある婚姻で物語を締めくくっている のである。セオドアにしてもロレンゾにしても、社会の体制の側に立つ登場人物なのだ。レイモ ンドとアグネスの結婚は亀裂したプロットを綴じ合わせる。欲望の渦巻く人間性のさがを露に示 した庇は閉じられ、縫い合わされる。しかし、それだけではない。作者ルイスの非道徳的姿勢は、 最終的な物語の秩序回復とともに許されうる、一時的な精神の錯乱として治まってしまう。作品 の深度は理性の光を浴びせられることによって、ただの表層の事件の戯れと帰する。ルイスはクー ンの言う真屋の悪魔である退屈の虫を一時的に蒲足させただけに過ぎないのである。 レイモンドとアグネスの恋愛関係と正反対なのが、アムプロシオとアントニアの愛の形である。 アムプロシオが行うのは法と秩序の探欄であり、さらに家族の杵の徹底的な破壊である。もちろ ん、アントニアは『オトラント城椅諦』の中のマチルダ(Matilda)に呼応するあまりにも無垢 な女であり、その死に方は瞭罪の羊のそれである。 (このマチルダは『マンク』のマチルダとは 全然別人物である。)アントニアは生け賞に供されて物語の秩序の回復を計る、自己犠牲的人物 なのである。いずれにしても、彼らの間の愛は成就せず、アントニアは地下牢の中で、アムプロ シオは神の怒りを買ったように、デイ・クリエイションのプロセスを踏んで存在を抹殺される。 つまりルイスは前者の愛の形を賞賛し、後者のそれを切り捨てているのである。ルイスは反社会 性よりも社会性を、反秩序よりも秩序を、非日常性よりも日常性を最後に選んでいると言えるの である。 ところが、物語自身はタイトルが示しているように、マンクの行動に焦点を絞っているのであ 車上非日常的世界を描くことがルイスのこの小説を書いた目的であったと思われる。つまり、一 時的に自己の抑圧を解放させる試みがアムプロシオという反社会的人物を描いた目的であったと 思われるのである。 Ⅴ.ロマン派と(運命の女) このように、ルイスは日常的世界からの脱出を計るためにこの小説を書いたことが明らかであ る。この日常性からの脱Ifはいう主題に(運命の女)が流行した現象が関わってくると思われるO (運命の女)と言えば、もちろんジョン・キーツ(JohnKeats)の『つれなき乙女』 (`LaBelle DamesansMerci', 1820)を挙げねばならない。 IV I met a lady in the meads, Full beautiful-a faery s child, Her hair was long, her foot was light, And her eves were wild. V I made a garland for her head. 門 間 守 174 And bracelets too, and fragrant zone ; She looked at me as she did love, And made sweet moan. X I saw pale kings and princes too. Pale warriors, death-pale were they all; They cried-'La Belle Dame sans Merci Thee hath in thrall XI I saw their starved lips in the gloam, With horrid warning gaped wide, And I awoke and found me here, On the cold hill's side. XII And this is why I sojourn here Alone and palely loitering, Through the sedge is withered from the lake, And no birds sing. (334-36)'抑 ここで騎士は(運命の女)に取り懸かれ、決定的に自分の人生を変えられる。彼は丘の麓を妨 復い続けなければならなくなる。 またバイロン卿による『マンフレッド』にもアスターテ(Astarte)という(運命の女)が登 場する。マンフレッドが全世界を放浪しなければならなくなる、その原因は彼女を手ではなく、 心で殺してしまったことである。マンフレッドは彼女の許しを乞うが、ついに許されない。 Speak to me! I have wandered o'er theearth And never found thv likeness-Speak to me! Look on the fiend around-they feel for me: I fear them not, and feel for thee aloneSpeak to me! though it be in wrath;-but sayI reck not what-but let me hear thee once- This once-once more PHANTOM OF ASTARTE. Manfred! Man. Say on, say on I live but in the sound-it is thy voice! PHAN. Manfred! T0-morrow ends thine earthly ills Farewell ! (301) 結局、彼は女のために自分の運命を変えられてしまうのである。さらに、コールリッジ(Samuel TaylorColeridge)の「老水夫行」 'The Rimeofthe AncientMariner', 1798)では、老水夫は- 『マンク』における秩序と反秩序 175 度は(死中の生) (TheLifeinDeath)という女に自分の運命を握られることになる。 このように、当時の文学では女性が男性を翻弄するというテーマが多かった。とは言っても、 当時の女性の社会的地位が高かったわけでは決してない。第一19世紀全般を眺めて、女性は男性 の肋骨から造られたという聖書の創世記の倫理観が支配していた。だから、女性の地位の低いこ とは神の御心に適ったことであった。さらに女性が選挙権を獲得するのは、今世紀になって第一 次世界大戦の後でのことであった。このように、女性は男性に従属する財産に過ぎなかった。 The fact that the common law recognized the husband as the legal representative of his wife, responsible under the law for her actions during marriage, had important consequences not only with respect to his control of her property but also with respect to his control of her person. As an eminent nineteenth-century judge expressed it∴For the happiness and honour of both parties it [the law] places the wife under the guardianship of the husband, and entities him for the sake of both, to protect her from the danger of unrestrained intercourse with the world… That sentative but also is, her the law moral considered the husband to be not only his wife's legal repre- guardianト また、このような記述もある。 The wife was seldom able to claim a separation from her husband. The reasons for this were economic; she would probably be unable to support herself during such a separation, because, although separated, she was still subject to all the legal disabilities of a married woman. In other words, she was now in a state of virtual outlawry, for her husband retamed all his rights over her property, including even the wages she might earn after her separation; she was incapable of conducting a legal action by herself, and she could not even claim access to her children こういう事情を考慮に入れれば、 (運命の女)とは男性作家の側からの女性に対して造り上げた 幻想に過ぎないのではないであろうか。つまり男性作家が日常性から抜け出すための手段になる のが、 (運命の女)であると思われるのである。日常性からの脱IItは、崇高の心理に他ならないO つまり私が考えているのは、 (運命の女)とは崇高-と否応なく引きつけられていった時代の心 理を加速させるための文学的モチーフではなかったのか、ということである。 (運命の女)には超自然的要素が付き物になることが多い。 『マンク』の場合や『マンフレッド』 の場合には、悪魔が現れる。 『老水夫行』では(運命の女)は(死) (Death)という男と共に現 れる。 「つれなき乙女」では悪魔は現れないが、 (運命の女)は騎士を夢の世界に誘い込む。この ように、 (運命の女)は男を超自然的世界へと連れ出すために登場している。これらはまさに日 常からの逃避の手段としての(運命の女)の在りようを如実に表してはいないだろうか。 『マンク』では、最後に非日常性から日常性への回復が実現された。これはレイモンド・プロッ トがアムプロシオ・プロットの破綻を救ったことによってもたらされている。つまり二つのプ ロットが現れているのは、実は作品を構造的に日常性の領域に連れ戻すためなのである。いわば、 レイモンド・プロットは作品の破綻を救う安全装置であったのである。だが、時代が次第にロマ ン主義の色を濃くしていくと、徐々に日常性への回復が不可能になってくる。 「つれなき乙女」 の騎士にしても、 「老水夫行」の水夫にしても、日常的秩序のl忙界において異質な存在となって しまい、秩序と反秩序の周辺で永遠に梯子皇わなければならなくなる。マンフレッドもまた、この 世でもなく、地獄でもない永遠の中間的世界に漂うことになるのである。彼は地獄にも、天国に 176 門 田 守 も、またこの世にもいることが許されないのである。つまり、作品自体が非日常的要素を内に含 んだまま終わっており、反秩序を捨て去っていないのである。 Fマンク』におけるE]常性の回復は、この小説が本格的なロマン主義の一歩手前にあることを 示している。そして(運命の女)も最後では、悪魔の力を借りて日常世界に一切の痕跡を残さず に消え去って行く。これもまたこの小説がロマン主義に至る(運命の女)のモチーフを使った初 期の形態であったことを示していると思われるのである。 注 1) Birkheadはこれらの二つのプロットがまったく別々に着想された、もともと異質なものどうしだった と言う。この点についてはEdith Birkhead, The Tale of Terror: A Study of the Gothic Romance (1921; New York: Russell & Russell, 1963) 66-67を参照O (2) (運命の女)を巡る歴史的考察はMario Praz, The Romantic Agα相(1933: Oxford: Oxford UP, 1970) 199-300及びVirginia M. Allen, The Femme Fatale : Erotic Icon (New York : Whiston Publishing Company, 1983)を参照O また、 (運命の女)とイギリス・ロマン派との関わりについては、松浦暢、拍呂命の女 -愛と美のイメジャリー1---』 (東京::、付し社、 1987年)を参照o (3)テキストはMatthew Lewis. The Monk, ed. Howard Anderson (1796; Oxford: Oxford UP, 1980)に拠るo (4 )テキストはWilliam BeckfOrd∴Vathek'in Three Gothic N<仇'els, ed. Peter Fairclough (Harmondsworth Penguin, 1970に拠る。 ( 5 )この点についてはBalaji Mundkur, The Cult of the Serpent: An Interdisciplinary S㍑rvey of Its Manifesto.1ions and Origins (Albany: State U of New York P. 1983) 264を参照。 ( 6 ) Ad de Vries, Dictionary of Symbols and Imagery (Amsterdam : North-Holland Pub., 1974) 413を参照o ( 7 )この点についてはMargaret Drabble, ed., The Oxford Co叫banian to English Literatiげ蝣e. 5th ed. (Oxford: Oxford UP, 1985) 1042-434を参照0 8 ) Linda Bayer-Berenbaum, The Gothic Imagination : Expansion in Gothic Literature and Art (London : Associ- ated UP. 1982) 28を参照。その他、ゴシックの全体的特徴については、同書の11-46頁を参照。 (9) 『マンク』 ・ルイスの生涯についてはMontague Summers, The Gothic Quest: A Historyofthe Gothic Nm<cl (1938; New York: Russell & Russell. 1964) 202-308及びHoward Anderson, "Introduction" in The Monk を奉サ;; (10) Summers 209を参照o なおSummersは引用されたルイスのけ親宛の手紙の日付を明示していないが、 ハーグ入りしてから間もない頃なので、おそらく1794年5月か6月頃の手紙であろう。 (ll) Reinhard Kuhn, The Demon of Noontide: Ennui in Western Literature (Princeton : Princeton UP. 1976) 169 を零Hl'f (12) 『マンク』の榊版時の読者の反応については、特にSummers210-15を参照。 (13) Summers 210における引用に拠る。 (14)テキストはEdmund Burke, A Philo叫ihical Enquiry into the Origin of our Ideas of the Sublime and Beantiful. cd.Jam`フ T. Boulton (1757; Notre Dame: Uof Notre Dame P. 1968)に拠るo (15) Varmaが``The structure of Gc)thic ronlance is based on a principle of contrast.'つ146)と言う場合、彼 の議論はゴシックにおける見かけと実相、あるいは(公)と(私)の問題と触れ合っている側血があ ると思う。そのコントラストが劇的であればあるほど、崇高の落差が体感されるのであろう。この点 についてはDevenclra P. Varma, The Gothic Flame: Being a Histoり- of the GOTHIC NOVEL in England : Its Origins, Efflorescence, Disintegration, and Residuar;I Influences (1957 ; New York : Russell & Russell. 1966) 146-47を参照o (16)テキストはJohn Keats : The Complete Poems, ed. John Barnard (Harmondsworth : Penguin, 1973)に拠るO (17)テキストはLord Byron, Oxford Authors Ser. ed.JeromeJ. McGann (Oxford: Oxford UP, 1986)に拠る(, 『マンク』における秩序と反秩序 177 (18) Lee Holcomb, Wives and Property: Reform of the Married Women's Property Law in Nineteenth-Century England (Toronto: U of Toronto P, 1983) 29を参照。 (19) Keith Thomas∴The Double Standard'JHI 20(1959) : 195-21を参照o引用箇所は200頁からである。 引m The Order and the Anti-order in The Monk The Theme of the hernmc Fatale and its Manifestations in English Romantic Literature Mamoru K八DOTA (Departmeり1/ of English and A触,γican Literature,八・'〃γu Uけil,(Jγsity of Education, Nam 630, Japan) (ReceivPd April 18. 1997) ThどJMonk (1796) is Matthew Gregory Lewis's magnum ofnts, which demonstrates a curious thematic one structure follows woman in a the constituted Spanish disguise friar's as by twofolc moral Rosario. a storl′lines: degeneration voung ma一e Ambrosio caused novice by in plot and Mati一da who the Convent Raymond seduces of St. plot. him C】arP The as The a first fatal second one portrays the lovc affair and mysterious adventures of Raymond, a Spanish noble youth. The main feature of the second plot, I have shown, consists in Raymond s and his friends'efforts to revea一 Ambrosio's wickedness and restore oneP corrupted Madrid to its former order. I have analyzed how MaliIda functions as a main motivating power which makes the story of The -1蝣Ionk unfold and brings about Ambrosio's tragic punishment in the end. I have also approached the question why the theme of the Femmc Fatale was so popular in this age of gothic revival, with the assistance of the idea of the sublime provided bv Edmund Burke's Philosophical Enquiりinto the Origin of our Ideas of the ∫ublim( and Beautiful (1757). Lewis's biographical facts. especially his relations with his mother. worked as fin-thcr evid川ce for mv assertion that he wrote this narrative mainl\, for his (川,n salvation from the tortuous situation caused by ennui in the Hague. Although the存mme fatal` motif fulfills its direct role for the story developmenL I have asserted, the lat川t power working under this literary convention must be the psychology of the sublime. l have examined connections between some of the most famous gothic novels ancl thtでe roman- tic poems: Samuel Taylor Coleridge's 'The Rime of the Ancient Marinerつ1798). Lord Byron-s A蝣Ianfred (1818) and John Keats's 'La BビIie Dame sans Merciつ1820) in terms of the wav the fatal woman is depicted in each of them. My conclusion is that while gothic novels are normally described in such a way that the supernatural elements including the fatal woman theme are re nounced after all, romantic poetry sustains some supernatural influences ev川 after the fatal woman has disappeal・ed forever.