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シェイクスピアの女性像 ―『ハムレット』の場合
日本大学大学院総合社会情報研究科紀要 No.12, 257-265 (2011) シェイクスピアの女性像 ―『ハムレット』の場合― 郡司 郁 日本大学大学院総合社会情報研究科 Shakespeare’s Portrayal of Women in Hamlet GUNJI Fumi Nihon University, Graduate School of Social and Cultural Studies The purpose of this paper is to examine religious aspects in Hamlet, focusing on two women, Gertrude and Ophelia. I have analyzed how Gertrude recognizes her sin, whether Ophelia is a truly holy woman, and what their death means. On the one hand, Ophelia’s love for Hamlet drives her mad and she dies a young, chaste woman, but she, without knowing the meaning of her suicide, encourages Hamlet to avenge his father's death by killing Claudius. On the other, Gertrude and Hamlet, with their death, reunite with King Hamlet in heaven and they return to a Holy Family. Therefore, I conclude that it is by the sacrificial death of Ophelia, the image of a Holy Family made of Hamlet, Gertrude and King Hamlet, and the theme of sin and forgiveness that Hamlet inclusively represents a Christian vision 例外的に宗教色の濃い作品であると評価できること 1.はじめに ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare は間違いない3。 1564-1616)の作品『ハムレット』 (Hamlet, 1603)1に ガートルードとオフィーリアが、他の作品の女性 おいて女性の登場人物はガートルード(Gertrude)と たちとは異なり特徴的な点は、より不完全で脆弱な オフィーリア(Ophelia)のただ二人だけである。そし 女性として描かれていることにある。 てこの二人の女性たちは両極に位置するように解釈 ガートルードは夫でありハムレット(Hamlet)の父 されてきている。オフィーリアが純真無垢な汚れな である先王の死後、喪に服さずに早々と義弟クロー き乙女であるのに対し、ガートルードは不貞を犯し ディアスと近親相姦的な再婚をする。ゆえに、ガー た汚れた女性という具合である。さらに、オフィー トルードという女性は貞操観念の乏しい浅はかな女 リアを聖母マリア、ガートルードを蛇の誘惑に負け 性、また母親としての愛情の薄い女性という認識が たイブというように聖書の中の女性のタイプにカテ 一般的である。 2 一方でオフィーリアは、恋人ハムレットへの誠実さ ゴライズして解釈することもされてきた 。 どちらにせよ、A.C.ブラッドリーが述べているよ よりも父兄の忠告に従順に従い、結果としてハムレ うに、この作品『ハムレット』は四大悲劇の中でも、 ットの愛を失い、信頼する父親の死も重なり、狂気 1 William Shakespeare, edited by Harold Jenkins, Hamlet (Methuen, 1982) 2 山口和世 著、「ハムレットによるガートルード像: ガートルード再考/再興」1997 年、(Suzuka University of Medical Science, NII-Electronic Library Service) 3 A.C.ブラッドリー著、鷲山第三郎 訳『シェイクス ピア悲劇の研究』(内田老鶴圃新社 1958 年) 、 pp.177-79 (A.C.Bradley, Shakespearean Tragedy, Macmillan, London,1904) 郡司 郁 のうちに自ら死を選ぶ。オフィーリアは娘や妹とし アの宗教観とどのような関係にあるかを検証するこ て従順であるが、いわば父と兄の操り人形でしかな ととしたい。 く、家父長制の中で生きる典型的な女性である。彼 女は父兄に完全に庇護されている反面、自分の意志 2.ガートルード を持たない。 2.1 ガートルードの再婚問題 この点においてオフィーリアは『リア王』(King Lear, まずガートルードという女性の最大の特徴の一つ 1606)のコーディリア(Cordelia)や『ロメオとジュリエ は、第一に、夫である先王の死後、王の弟であった ット』(Romeo and Juliet, 1597)のジュリエット(Juliet) クローディアスと近親相姦的な早すぎる再婚をした とは異なる。コーディリアは誠実ではあるが、リア ということである。このことは息子ハムレットが劇 (Lear)に反論し自分の意志を貫く強さを持ち合わせ の冒頭から思い悩み、劇全編を通して彼が精神不安 ている。それは他者に合わせる従順さとは異なり、 定になる最大の要因である。そしてこの母ガートル 善悪を自己の基準で判断できる能力である。またジ ードの再婚は恋人オフィーリアとの関係にも悪影響 ュリエットは敵同士の家柄にも関わらず、親の期待 を及ぼし、オフィーリアが狂気に至る重要な要因の には背きながらもロメオへの愛を貫く。ジュリエッ 一つとなっている。すなわち、ガートルードの再婚 トの場合、若さゆえの無鉄砲さともとらえられるが、 は『ハムレット』の悲劇の発端の一つなのである。 彼女もまた他者ではなく自己の信念や感情に基づい ハムレットは父の死を悲しみ嘆いているが、彼の た行動をしており、精神的に強い女性として描かれ 悲嘆が病的な執拗さと陰惨さを帯びている理由は、 ているのである。 父の死後の母の心変わりの早さのためである。しか このことに関して、物語の構成上『ハムレット』の もその再婚相手はハムレットが嫌っていた人物であ プロットに支障をきたさないようにするため、また るばかりか、近親相姦的な再婚であったということ 主人公ハムレットの人物像を際立たせるため、オフ も彼には許せない。 ィーリアは性格の弱い人物として描く必要があった しかしながら、劇のはじめ、ガートルードは息子 4 と説明した評論家もいる 。しかしながら、物語の構 ハムレットが何に対して憂鬱でいるのか見当もつい 成上の理由でのみ登場人物の女性たちの性格を結論 ていない。自分の再婚が息子を苦しませていること づけることは不十分である。構成上、他の人物たち などほとんど理解しておらず、それが悲劇につなが とのバランス、または物語のプロットに合った人物 るような深刻な影響をハムレットの精神に及ぼして であることなど、これらも登場人物の性格決定の要 いるとは全く思いもよらないのである。したがって、 素の一つであるが、やはり作家の人間性、つまり思 不貞の罪の自覚もない。 想や宗教観が登場人物たちの性格に表象され、彼ら しかし、ガートルードは夫が生前からクローディ の言葉を通じて語られるということはあり得よう。 アスとは愛人関係にあり、それを隠していた狡猾な 作家の思想や宗教観が作品の中の登場人物に意識的 女である、との見解を述べている研究者もいる5。ま にあるいは無意識的に投影されたとき、人物たちは た、そこまで断定はできなくとも、ハムレットは少 はじめて生命を吹き込まれ、生き生きとしたリアリ なくとも母ガートルードが叔父と前から不倫関係に ティー溢れる存在と成り得るのではないだろうか。 あったのではとの疑念をもっていた、と述べている 本稿では『ハムレット』における二人の女性、ガー 研究者もいる6。このような解釈は、ハムレットが母 トルードとオフィーリアがシェイクスピアによりど のような人物として造形され、それがシェイクスピ 5 グランヴィル・バーカー著、臼井善隆 訳、 『ハムレ ット シェイクスピア劇への序文』 (早稲田大学出版部 1991 年)、p.253 6 山口和世 著、「ハムレットによるガートルード像: ガートルード再考/再興」1997 年、(Suzuka University of Medical Science, NII-Electronic Library Service) 4 A.C.ブラッドリー著、鷲山第三郎 訳『シェイクス ピア悲劇の研究』(内田老鶴圃新社 1958 年) 、 p.164(A.C.Bradley, Shakespearean Tragedy, Macmillan, London,1904) 258 シェイクスピアの女性像 に対して抱く異常なまでの嫌悪感を説明するのに適 けてほしいというガートルードの言葉に罪の意識は 切のようにも思われる。が、しかし彼女はそこまで 全く感じられない。むしろ彼女は、自分の再婚の正 狡猾で複雑な性格の女性ではない。先王の目を騙し、 当性をハムレットに理解してもらいたいだけである。 不倫の事実を隠し通すほどの狡猾さを持ち合わせて 一方ハムレットは いたとしたら、早すぎる結婚をして息子ハムレット に疑念を持たれるような迂闊な行動はしなかったは Ham. Within a month, ずである。ガートルードはそこまでのずる賢い行動 Ere yet the salt of most unrighteous tears のとれる悪女ではない。彼女の行動はもっと単純で Had left the flushing in her galled eyes, あると考えるべきであろう。 She married — O most wicked speed! To post ガートルードは早すぎる再婚に関して、ハムレッ With such dexterity to incestuous sheets! It is not, nor it cannot come to good. ( I. ii. )8 トに対する配慮は全くない。つまりそれは計画的な 行動ではなく、彼女にとって衝動的かつ感情的な行 動であった。一方で王妃という公的側面から考察す このようにガートルードと再婚を「不義」ととら ると、王の不在に伴うデンマーク王室とデンマーク えるハムレットとでは罪の認識の隔たりは大きい。 国家の政治的不安を早期に解決し、社会秩序を安定 ハムレットは不貞の罪に厳格であるために、彼の行 させるという政治的意図があったかもしれない。し 動には倫理的要素が影響していると言えるかもしれ かし、ノルウェー軍の進軍を憂慮している台詞はク ない。一方で、ガートルードには罪の認識がないた ローディアスにはあるが、ガートルードの口からは め、キリスト教的神の視点が乏しいと言える。ハム 政治的な問題については何も語られない。したがっ レットがガートルードに感じる嫌悪感は現代人の感 て、彼女にとって性急すぎる再婚の根拠は、政治的 覚からすると大げさで極端に感じるが、シェイクス なことではなく衝動的感情が多くを占めていたと考 ピア時代、再婚は前の結婚が破綻してから最低 1 年 えることが妥当である。 は置かなければならなかったことを考慮すると、一 カ月や二カ月で再婚することは極めて異例であった だろう9。当時の観客たちにとって、ガートルードの 2.2 ガートルードの罪の意識 さらに、ガートルードは再婚に関して罪の意識も 方が常識を逸脱していてスキャンダラスな人物に思 全くない。ハムレットが劇の始めから母ガートルー えたはずである。 ドの不義を語り、終始そのことにとらわれているこ また、当時イギリスは既にローマ・カトリックか ととは正反対である。彼女がハムレットに語る第一 ら分離し国王を国教の長とする英国国教会になって 声は次のようである。 いたが、カトリックと国教会に信仰的な相違はさほ どなかったことを考慮しても、早すぎる再婚を姦淫 の罪ととらえるハムレットの倫理的行動のほうが一 Queen. Good Hamlet, cast thy knighted colour off, 般の人々には受け入られやすかったであろう。 And let thine eye look like a friend on Denmark. 劇中劇を見た後、ガートルードに罪の意識は見ら Do not for ever with thy vailed lids れず、彼女の意識の中心は専らクローディアスへの Seek for thy noble father in the dust. (I. ii.) 7 8 William Shakespeare, Hamlet, I. ii. 153-58 当時の再婚は配偶者の死別後、一年間再婚できない という慣例があった。カトリックでは離婚が認められ ていなかった。(George Duby and Michelle Perrot, Storia Delle Donne in Occidente,1990, 杉村和子、志賀亮一 監 訳『女の歴史Ⅲ16-18 世紀 1』 (藤原書店 1995 年) p.117 叔父であったクローディアスに親愛の眼差しを向 9 7 William Shakespeare, edited by Harold Jenkins, The Arden Shakespeare Hamlet, I. ii.68-71, (Methuen, 1982) 以降、 『ハムレット』の台詞はこのアーデン版から引用 する。 259 郡司 気遣いであり、罪を認識するどころか逆にクローデ 郁 As will not leave their tinct. ( III. iv. )12 ィアスを動揺させるような劇の内容に関してハムレ ットをたしなめようとする。 彼女が罪を自覚しはじめるのは、呼びつけたハム 「洗っても落ちないどす黒いしみ」とはまさしく近 レットから激しく罪の糾弾を受ける場面からである。 親相姦的な早すぎる再婚を意味している。これまで のガートルードには神の視点が不在であり彼女の行 動の判断基準は自己の内部にあったが、ハムレット Ham. Such an act That blurs the grace and blush of modesty, により神の視点に引き戻され、外部との関係を取り Calls virture hypocrite, takes off the rose 戻していく。それはつまり、ガートルードがハムレ From the fair forehead of an innocent love ットとの親子の精神的つながりを回復して、性的な And sets a blister there, makes marriage vows 女性という存在ではなくそれらが排除された「母」 As false as dicers’ oaths ― O, such a deed という存在になっていくことに他ならない。 彼女は息子ハムレットが狂気を演じていることを As from the body of contraction plucks 知るが、もはやそれをクローディアスに打ち明けよ The very soul, and sweet religion makes A rhapsody of words. ( III. iv.) 10 うとはしない。それまで、彼女はクローディアスの 世界に生きていたが、そこからハムレットの世界に この場面においてハムレットの痛烈な非難はさらに 移動してきたとも言える。端的に言えば、クローデ 続けられる。 ィアスに象徴される悪(情欲)の世界からハムレッ トに象徴される善(聖)の世界への移動である。 この点に関してウィルソン・ナイトの見解は正し Ham. O shame, where is thy blush? Rebellious hell, いだろう。彼はシェイクスピア劇そのものには神学 If thou canst mutine in a matron’s bones, 的な構成があると述べたが13、 『ハムレット』にもキ To flaming youth let virtue be as wax リスト教的構成は当てはまる。クローディアスが悪 And melt in her own fire; proclaim no shame を表すサタンなら、ハムレットは言わば救い主イエ When the compulsive ardour gives the charge, ス・キリスト的存在である。息子はガートルードを Since frost itself as actively doth burn クローディアス(悪)から分離させることで母を罪 から解放し、先王の聖なる世界へと再び連れ戻すの And reason panders will. ( III. iv.) 11 である。 キリスト教的観点からとらえると、ガートルード は不貞を犯す女性として描かれているために、マグ ハムレットの台詞には宗教的な言葉、あるいは倫 理観を表す言葉が散りばめられている。それでもな ダラのマリアとも重ねることができるかもしれない。 お、ガートルードはハムレットに一体何のことを騒 しかしこのマグダラのマリアに関しては、最近の解 ぎ立てているのか、と見当もつかない様子で応じて 釈において次のような問題が指摘されている。それ いるが、ようやく彼女は自分自身の心の内に目を向 は、マグダラのマリアはいわゆる「姦通の女」や「罪 けはじめる。 の女」と混同されてきたという問題である。マクダ ラのマリアは七つの罪を許された女性として聖書の Queen. 中で伝えられており、これまでの聖書解釈によると、 O Hamlet, speak no more 七つの罪は大罪であるという考えから、彼女は遊女 Thou turn’st my eyes into my very soul, And there I see such black and grained spots 12 10 11 William Shakespeare, Hamlet, III. iv. 88-91 Wilson Knight, Principles of Shakespearean Production, p.234(Macmillan, 1937) 13 William Shakespeare, Hamlet, III. iv. 40-48 Ibid., III. iv. 81-87 260 シェイクスピアの女性像 であったと思われてきた。そしてその遊女としての 3.オフィーリア 罪、つまり姦通の罪がイエスによって赦されたと解 3.1 オフィーリアの人物像 釈されてきたのである。しかし、七つの罪に姦通の さて次はもう一人の女性オフィーリアに関して論 罪という意味はなく、当時、七つの罪とは精神病や じたい。オフィーリアはハムレットの恋人であった 神経症を患っている者を指して言っていたようであ が、先王の死と妃ガートルードの早すぎる再婚で傷 る。つまり、マクダラのマリアとは姦通を犯した女 心のハムレットにつれなくされること、また父ポロ 性ではなく、精神病か神経症患者で、それをイエス ーニアスが誤ってハムレットに殺害されるという事 に治してもらったということのようである。ヨハネ 件もあり、正気を失って自ら命を落とすという薄幸 による福音書(8章)にでてくる律法学者たちによっ な悲劇のヒロインとしてあまりにも有名である。 て石打ちの刑に処せられようとしたが、イエスによ 彼女を論じるにあたって、恋人ハムレットと父ポ 14 って罪を赦された「姦通の女」はまた別人である 。 ローニアスとの関係は重要である。 また、マクダラのマリアはその罪を赦され、イエ ハムレットは母ガートルードの近親相姦的再婚に スの足に香油を塗ったとも言われるが、これも別人 より、自分の存在価値の喪失、つまりアイデンティ のようである。ガリラヤで食事中にイエスの足に香 ティーの喪失に至り、母への幻滅が「女性」全体へ 油を塗った女性は「罪の女」と言われ、名前も分か の幻滅や軽蔑へと発展していく。 15 らない 。 このように最近の聖書研究では、マクダラのマリ Ham. Why, she would hang on him アとは七つの罪と言われる精神病を治してもらった As if increase of appetite had grown 後イエスのお供をし、イエスが十字架刑に処せられ By what it fed on; and yet within a month るのを見届け、その後イエスが復活したのを最初に Let me not think on’t Frailty, thy name is 見た人物とされる。 woman ( I. ii. )16 したがって現代の聖書解釈を踏まえると、ガート ルードがマグダラのマリアであると解釈することは 早計であるが、16 世紀後半から 17 世紀初頭のシェ 彼の中では、このような母への幻滅が女性全体の イクスピアの時代において、 「マグダラのマリア」= 幻滅、否定と同等になってしまっているから、無論、 「遊女の罪を赦された女性」という解釈が定着して オフィーリアに対しても不信感を抱くことにつなが いたと考えるならば、シェイクスピアはガートルー ることとなる。きっとこの女もいつか母のように情 ドをマグダラのマリアを想起しながら描いたと言え 欲に負けてしまうのではないかという懸念を抱いて るかもしれない。シェイクスピアがガートルードを しまう。父王の死だけであったら、ハムレットはお 「不貞」あるいは「姦淫」を象徴する女性キャラク そらくオフィーリアに対して以前と変わらない愛情 ターとして描こうとしたことは間違いない。そして、 を持ちつづけただろう。しかしハムレットはオフィ そのキャラクターが自分の罪に気付き悔い改めてい ーリアの感情には全く無関心で、もっぱら自分の価 くという過程は、マグダラのマリアも「姦通の女」 値観や感情をオフィーリアに押し付けてしまう。そ にも共通しているのである。聖書の中で、女性たち れゆえに、ハムレットはオフィーリアに対して極端 はイエスの言葉により改心し、神の視点の不在から な潔癖さを求めてしまうことになる。 神の視点を取り戻すのであるが、ガートルードは息 子ハムレットの言葉により彼女の罪に気付くのであ Ham. Get thee to a nunnery. Why, wouldst thou be a る。 breeder of sinners? I am myself indifferent honest, but yet I could accuse me of such things that it were 14 小塩節 監修、『聖書を彩る女性たち その文化へ の反映』(毎日新聞社 2002 年) 、pp. 368-72 15 Ibid., p.369 16 261 William Shakespeare, Hamlet, I. ii. 143-146 郡司 そこで多少の若気の過ちを犯しながらでも自分の判 better my mother had not born me. ( III. i. ) ハムレットが “ Get thee to a 郁 17 断能力を養うように教育する。 Pol. nunnery”とオフィー That they may seem the taints of liberty, リアに言うこの台詞は非常に有名なものの一つで The flash and outbreak of a fiery mind, ある。恋人であったハムレットの口からこの言葉を A savageness in unreclaimed blood, 聞くことは、オフィーリアにとって衝撃であるし、 Of general assault. ( I. ii. )21 女性としての悲しみの極みである。彼女は次のよう に語る。 一方で、娘オフィーリアには父や兄に従順であるこ Oph. とだけを望んでいる。 And I, of ladies most deject and wretched, That suck’d the honey of his music vows, ( III. i. )18 Pol. ―I must tell you You do not understand yourself so clearly ここでガートルードと同様に彼女の女性性もまた否 As it behoves my daughter and your honour. 定されるのである。 What is between you? Give me up the truth. ( I. iii.)22 リーランド・ライケンはハムレットにはピューリ タン的潔癖さがあると述べたように19、ハムレット 明らかに男性優位で、オフィーリアは自分自身の判 の思考はもはや女性の性的な部分を完全に否定して 断力を養う機会はなく男性の権力によって閉じ込め いる。しかしこのハムレットの思考は宗教的な教義 られている。家父長制とも言えるが、家父長制とい を超えて極論に達している。それは、ハムレットが う政治的、社会的制度と宗教との二重の拘束がある ガートルードに対して感じた姦淫の罪に対する嫌悪 とも言えるだろう。歴史的に政治と宗教は一体化さ 感だけではなく、オフィーリアに接するとき、彼は れることもしばしばあり、特にイギリスにおいては 子孫を残す生殖に関わる性を否定し、さらには自己 ヘンリー八世以来ローマ・カトリックからの分離に の「生」に関する否定にもつながっている、という より、王位にあるものが英国国教会の長を兼ねると ことから明らかである。ハムレットにとって「性」 いう政教一体化の体制がとられていた。つまり、社 は悪であり、神から与えられた幸福な子孫繁栄につ 会的レベルでも個人的レベルでも制度と宗教とは切 ながる「聖なる性」はもはや存在していない。 り離せなく、二重規範になっていたと言える。 また、ジュリエット・デュシンベリーはピューリ 父へ従順であるオフィーリアはハムレットとの会 タニズムが演劇に与えた影響について研究し、女性 話のやり取りを父と王とが盗み聞きすることを受け が独自に道徳的判断をもつように教育されていなか 入れる。このことは恋人に対する誠実さより父や王 20 った、と述べている 。このことはガートルードに に対する従順さのほうを選択するということであっ もオフィーリアにも当てはまる。オフィーリアの父 た。この時代、結婚前の女性は恋人ではなく父親に ポローニアスは息子レアティーズには留学をさせて、 従うのが当然と言えるが、彼女もまた事の内容を吟 味することなく、ただ父親の考えに従うのである。 このことは彼女の自己判断能力のなさを端的に表し 17 William Shakespeare, Hamlet, III. i. 121-24 Ibid., III. i. 157-58 19 Leland Ryken, Worldly Saints,(Academie Books,1986), p.xiv. 20 ジュリエット・デユシンベリー著、森祐希子 訳『シ ェイクスピアの女性像』 (紀伊国屋書店 1994 年)p. 141 ( Juliet Dusinberre, Shakespeare and the Nature of Women,[The Macmillan Press, 1975 ]) 18 ている。“Get thee to a nunnery”という台詞は、ハム レットの女性に対する絶望である一方で、彼に考え 21 22 262 William Shakespeare, Hamlet, I. iii. 32-35 Ibid., I. iii. 95-98 シェイクスピアの女性像 られる唯一の救済策である。母の早すぎる再婚で情 オフィーリア 欲に負ける女性の判断力のなさに幻滅し、美しく誠 恋人への < 誠実さ 父等の男性権力 への従順さ 実と思っていた恋人は自分の敵である現王と世俗的 な父への従順さを選ぶという女性の判断力のなさに ガートルード 絶望する。女性というものは善悪の自己判断ができ 前夫への < 誠実さ 現夫への 情欲 ないのだから、俗世間にいては無知のために罪を犯 して汚れてしまう。だから尼寺にでも行って世俗か 上記の図のように、人物が直面する二つの対象は ら隔離されることで清く正しく生きてほしい、とい 異なるが、三人の女性に共通することは、彼女たち うハムレットの悲痛な思いである。ここでの“a に善悪の自己判断能力が欠如していたということに nunnery”の解釈であるが、文字通り「尼寺」、「女子 他ならない。各々が善なるものを選択せず、悪なる 修道院」と解するのか、それとも俗語の「女郎部屋」 ものを選択していることが共通して見られるのであ とするのかで、オフィーリアの人物像が全く違った る。ハムレットの亡き父は太陽神アポロンに喩えら 23 解釈になってくる 。もしハムレットが「女郎部屋」 れていることから、絶対的な神に代わる存在として の意味でこの言葉をオフィーリアに発したとするな 『ハムレット』において存在し、その子ハムレット らば、ハムレットのオフィーリアへの愛情はかなり も父に準ずる聖なる存在である。 希薄なものだったということになるだろうし、オフ 一方で、兄殺しの現王クローディアスは当然世俗 ィーリアは純真無垢な乙女という解釈は当てはまら 的悪の存在であり、またクローディアスに仕えるポ ないだろう。シェイクスピアのレキシコンにおいて ローニアスもそれに準ずる存在である。 この時点でオフィーリアは聖母マリアとは異なっ も“nunnery”は“a cloister for females”と解釈してお ている。確かに両者とも女性の性的な部分を排除し り、やはり「尼寺」もしくは「女子修道院」と解釈 24 た「清らかな乙女」という観点においては共通する するのが妥当であろう 。 ように思われるが、両者は根本的な相違がある。 前項で述べたガートルードの罪は観客の誰にでも 理解しやすく納得のいくものであるが、オフィーリ それは、聖母マリアは神の信託を受けて、乙女で アの罪には気付きにくい。それは、この暗く陰惨な ありながらイエスを身ごもり、差別を覚悟しながら ストーリーの中で唯一花を添える人物であり、観客 もイエスを生むという判断ができた女性であるから たちに必要以上に美しき乙女としての印象を強く与 である。そこには明確な善悪の自己判断があった。 えてしまうからである。したがってしばしば聖母マ オフィーリアにはそれがない。彼女には善悪を自分 25 リアに喩えられるが 、むしろ善悪の判断ができな で判断する能力がなく、美しき乙女ではあるが、た かったイブに近いかもしれない。 だ周囲に従順なだけである。 善 イブ 神の教え 悪 < 4.ガートルードとオフィーリアの死に関する 宗教的意味 蛇の誘惑 (アダムからの伝聞) 4.1.ガートルードの死 『ハムレット』における女性像を主にキリスト教 的観点から考察してきた。一般的にガートルードは 悪女でオフィーリアは聖女という単純な二項対立で 23 Sylvan Barnet, Hamlet, (Signet Classics , 1998), p.197 24 Alexander Schmidt, Shakespeare Lexicon and Quotation Dictionary Volume II, (Dover, 1971), p.784 25 山口和世、「ハムレットによるガートルード像:ガ ートルード再考/再興」1997 年、(Suzuka University of Medical Science, NII-Electronic Library Service) p.136 受け取られがちであるが、私の見解は必ずしもそう ではない。 ガートルードは宗教的観点からみると誘惑に負け て堕落した「信仰の弱い」女性であるが、ハムレッ トの言及により改心していく。彼女の改心とはクロ 263 郡司 郁 ーディアスから分離し、女としてではなく母として により、彼女もまたアイデンティティーを喪失し、 子のために生きるということであった。彼女は、最 正気を失う。ハムレットも同様にアイデンティティ 期、ハムレットの殺害のために仕掛けられた毒杯を ーの問題で苦悩するが、彼は狂気を装うが決して正 飲み命を落とす。彼女が毒杯と知っていて飲んだか 気を失うことはない。ハムレットの場合、クローデ というと、おそらく彼女は知らないで飲んだはずで ィアスに対する復讐心が彼を支える。しかしオフィ はある。したがって、自ら死を選んだわけではない ーリアにはアイデンティティーを支える拠り所がな が、彼女の死には大きな意味がある。 い。オフィーリアの父を殺害した敵は愛するハムレ ットであるがため、彼女には復讐心を向ける対象が Queen. The Queen carouses to thy fortune, Hamlet. ない。ハムレットへの復讐心を露わにする兄レイー Ham. Good madam. アティーズとは対照的であり、彼女は自己を崩壊さ King. Gertrude, do not drink. せるしか術がない。父の死以前、彼女の判断基準は 父であったが、父の死以後、彼女は自己判断する能 Queen. I will, my lord, I pray you pardon me. ( V. ii. ) 26 力もなく兄も不在であり、完全に自分を見失うので ある。彼女の死はガートルードのように死によって 彼女はクローディアスの制止にも関わらず毒杯を 聖家族の姿を取り戻すという救いがあるわけではな 飲む。そこには情欲に身を任せ、男性に存している く、行き場のない苦悩が残されるのみである。自殺 弱い女性の姿はない。その行為は結果として自らの 者という理由から彼女は祈りも捧げられずに埋葬さ 死を招くのであるが、たとえそれが毒杯ではなかっ れるが、彼女の死はキリスト教的に「救いの見出せ たとしてもシェイクスピアはガートルードが死ぬと ない死」であることを表している。唯一オフィーリ いうストーリーを書いたはずである。彼女の死は先 アの死にキリスト教的意義を見出すならば、それは 王の暗殺以前の状態に回帰することを意味する。つ “Get thee to a nunnery”と言ったハムレットの望み まり、死はクローディアスとの完全な分離であり、 通り、彼女の処女性が守られたという点だけである。 死によって再び亡き夫と結ばれ、聖なる夫婦の姿を しかしこの処女性の保護はキリスト教的でありなが 取り戻すのである。 ら、実は男性からの視点であって、オフィーリアを 美化するのに役立っている。 主人公ハムレットの死も同様で、悲劇的ではある が、彼も死によって亡き父、母と共に聖なる父母の また、イブにしても聖母マリアにしても結婚して 元に回帰していくのである。それは、聖母マリアと 子供をもうけているという点では、オフィーリアと ヨーゼフとイエスの聖家族の姿への回帰とも言える 異なる。ハムレットの台詞にオフィーリアをエフタ かもしれない。よって、母ガートルードの死の後に の娘になぞらえる箇所があるが、オフィーリアはエ 子ハムレットの死があるという死の順番にも意味が フタの娘よりも悲劇的である。 あるのである。ここに、先王の暗殺から始まった家 族の崩壊の物語は宗教的に完結するのである。この Ham. O Jephthat, judge of Israel, what a treasure hadst ようにガートルードの最期には救いがある。 thou! Pol. What a treasure had he, my lord? Ham. Why, 4.2.オフィーリアの死 しかしオフィーリアの最期には救いがない。彼女 One fair daughter and no more, は自ら死に至るのであるが、彼女の死はガートルー The which he loved passing well. ( II. ii. )27 ドの死とは異なり、苦悩の死である。恋人ハムレッ トからの冷遇、そして信頼する父ポローニアスの死 26 27 William Shakespeare, Hamlet, V. ii. 292-95 264 William Shakespeare, Hamlet, II. ii. 399-404 シェイクスピアの女性像 エフタの娘もまた父が原因で突然若くして命を落 うな聖書の内容を直接扱った作品はなく、またキリ とす運命にあったが、彼女の悲劇は自分が結婚もせ スト教の教義自体を読者や観客に伝えることを主な ず、若くして突然に死を迎えねばならないというこ 目的で書いた作品もない。つまり、彼はキリスト教 とであるが、彼女は父のために神の捧げものになる やその教義を主題に据えた作家ではないのである。 ことは喜びであり救いである。つまり、エフタの娘 彼の演劇はあくまで人間中心のドラマであり、神は には死によって得られる宗教的充足感があるのだが、 その人間たちによって時折語られるにすぎないので オフィーリアにはそれがないのである。 ある。 そうはいっても、作家シェイクスピアの宗教性が 作品に投影されているのもまた事実である。それは 5.終わりに 『ハムレット』は父暗殺に対する復讐と、それを シェイクスピアが 16 世紀後半から 17 世紀はじめに 成就させることで主人公はもとより、登場人物たち かけてキリスト教社会を現実に生きていた痕跡が作 が次々と死を招くという悲劇である。そこにはガー 品に残されているからである。 トルードとオフィーリアという二人の女性たちの果 そして、これらの背景を踏まえて『ハムレット』 たす役割は大きい。作品における彼女たちの存在を を再読したとき、ガートルードには不貞の罪を犯す 解明することは、ハムレットの悲劇性や作品の精神 けれども最終的には母子の絆を回復し、家族の理想 性を明らかにする手助けとなる。 的姿を取り戻すという赦しと再生のストーリーが見 ガートルードはハムレットの復讐心に拍車をかけ、 られるし、またオフィーリアは彼女にとって幸せと 彼が悲劇へと向かっていく大きなうねりを作る。ハ は言い難いが、狂気のうちに死を選ぶことによって ムレットの心は父殺害に関する復讐心だけではなく、 永遠の汚れなき聖女となっているのである。 母をも取られたという恨みが憎悪となってクローデ ィアスへと向かっていくのである。また、オフィー (Received:December 31,2011) リアもハムレットにとって心の支えとはならない。 (Issued in internet Edition:February 8,2012) 母への不信感が募れば募るほど、女性全体への不信 感となって彼の心を苦しめる。さらにオフィーリア はハムレットに誠実なのではなく、父ポローニアス に誠実であることも彼の不信感を強める結果となる。 最終的に、ハムレットは彼が知り得るこの二人の 女性に対し、彼は性に対する潔癖さのみを求める結 果となるのである。この女性に求める性に対する潔 癖さがハムレットの宗教的理想像である。 そして、このハムレットの求める理想こそが、シ ェイクスピアのキリスト教観の一端の表れであり、 ガートルードとオフィーリアに代表されるシェイク スピアの女性像は宗教的観点において「弱き女性」 なのである。ハムレットの宗教的厳格さは、女性か ら「性」を排除するという男性の視点に立った宗教 観にある。そしてこの極端に理想主義な人物にデフ ォルメされた主人公を通して、シェイクスピアが自 身の宗教観やそれに伴う女性観を代弁していること は間違いないのである。 しかしながら、シェイクスピアにはミルトンのよ 265