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日本呼吸器学会雑誌第38巻第5号

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日本呼吸器学会雑誌第38巻第5号
日呼吸会誌
●症
38(5)
,2000.
417
例
右虹彩転移で再発をきたした肺小細胞癌の 1 例
古市 祥子
*
蜂須賀久喜
大森 千春
中山 智子
宮城 聖子
嘉山 保美
野村 良彦
堀江 孝至
要旨:症例は 55 歳男性,嗄声を主訴に 1996 年 8 月入院.精査の結果,肺小細胞癌遠隔転移なしとの結果
を得,シスプラチンとエトポシドによる化学療法を 3 クールと胸部放射線療法 60 Gy を行い,complete remission の状態を得て外来経過観察中であったが,12 月中旬より右眼の充血と霧視を自覚,眼科受診し虹
彩転移の診断となった.この時点で肺に再発の所見なく他臓器にも明らかな転移はみられなかった.前回と
同様にシスプラチンとエトポシドによる化学療法を 2 クール行ったところ,虹彩の腫瘍の縮小をみた.化
学療法後に電子線照射も追加,虹彩の腫瘍はほぼ消退し眼症状も消失,視力の保持も良好であった.肺癌患
者で眼症状を伴う場合には,肺癌の眼転移も念頭におき眼科領域の検索も必要であると考えられた.
キーワード:肺小細胞癌,虹彩転移
Small cell carcinoma of the lung,Iris metastasis
はじめに
悪性腫瘍の転移の中で眼球への転移は比較的まれであ
る.その中でも特に虹彩毛様体など前部ぶどう膜への転
移は,脈絡膜転移の約 10% の頻度に過ぎない.このう
ち肺原発によるものが最も多く 50% 以上を占めるが,
近年の肺癌の増加にともない虹彩転移の報告も増してき
ているようである.今回我々は,肺小細胞癌の経過中に
虹彩転移をきたした 1 例を経験したので,若干の文献的
考察を加え報告する.
症
例
症例:55 歳,男性.
主訴:右眼の充血と霧視.
家族歴:特記すべき事なし.
既往歴:特記すべき事なし.
Table 1 Laboratory findings on admission
Hematology
Serum chemistry
WBC
6,200 /μl
T-Bil
0.69 mg/dl
RBC 455 × 104 /μl
GOT
20 IU/l
Hb
14.3 g/dl
GPT
19 IU/l
Ht
42.9 %
LDH
270 IU/l
Platelet 24.6 × 104 /μl
ALP
110 IU/l
Serology
γ-GTP
15 IU/l
ESR
7 mm/hr
ChE
304 IU/l
CRP
0.02 mg/dl
T-Ch
219 mg/dl
PRO GRP
22.4 pg/ml
TG
172 mg/dl
Blood gas analysis
TP
7.8 g/dl
PaO2
84 Torr
Alb
3.9 g/dl
PaCO2
41 Torr
BUN
25 mg/dl
pH
7.421
Cr
0.7 mg/dl
HCO3−
24.3 mEq/l
UA
6.8 mg/dl
Sat
95 %
Na
141 mEq/l
K
3.9 mEq/l
Cl
103 mEq/l
FBS
116 mg/dl
喫煙歴:タバコ 30 本 日 40 年間.
現病歴:1996 年 2 月頃より嗄声出現.軽快しないた
め耳鼻科受診したところ,胸部レントゲン上異常影を指
sion の状態で 11 月 27 日退院し経過観察中であった.同
摘され
同年 8 月 15 日当科入院.胸腔鏡下肺生検を含
年 12 月中旬頃より右眼の充血と霧視を自覚.眼科受診
む精査の結果,肺小細胞癌,肺内転移があるも肺外への
したところ,右虹彩の腫瘍を指摘され 1997 年 1 月当科
遠隔転移はなく limited
再入院となった.
disease(LD)症例との診断を
得て,シスプラチンとエトポシドによる化学療法を 3
クールと胸部放射線療法 60 Gy を行い,complete remis〒173―8610 東京都板橋区大谷口上町 30―1
日本大学第 1 内科
*
横須賀市立市民病院呼吸器科
(受付日平成 11 年 11 月 15 日)
入院時 現 症:身 長 164 cm,体 重 68 kg,体 温 36℃,
血圧 150 92 mmHg,脈拍 74 回 分,整.眼瞼結膜に貧
血なし,右眼球結膜に充血あり.右虹彩外側上方に直径
6.4×3.1 mm の白色の腫瘍あり,表面は凹凸不整で毛細
血管の新生が著明であった.眼位,眼球運動に異常なし.
右眼圧は 58 mmHg と著明に上昇していた.表在リンパ
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,2000.
a
a
Fig. 1a Chest X-ray film on first admission(August
1996)disclosing nodular shadow close to aortic arch.
A-P window had disappeared.
Fig. 2a Chest CT scan(August 1996.)demonstrating
a mass and lymphadenopathy close to aortic arch.
b
b
Fig. 2b Chest CT scan(January 1997)
. The mass
shadow had disappeared and no recurrence of lung
cancer was observed.
動脈弓から左主気管支にかけ,リンパ節と一塊になった
Fig. 1b Chest X-ray film on second admission(January
1997)
. Elevation of left diaphragm was one effect of
the operation on first admission. No tumor shadows
were observed.
6×4 cm の腫瘍が存在し,一部は左肺動脈に接し圧排所
見も認めた.肺野条件では左 S1+2b に約 1 cm の腫瘍影
が存在していた. 1997 年再入院時の胸部 CT 写真では,
前回入院時に行った化学療法と胸部放射線療法により腫
瘍影は消失しており,肺に再発を疑う所見は認めなかっ
節は触知せず.胸腹部に異常所見は認めなかった.
入院時検査所見:血液生化学検査,腫瘍マーカーなど
いずれも異常は認めなかった(Table 1)
.
胸部レントゲン写真:1996 年初診時の胸部レントゲ
ン写真では大動脈弓に接して腫瘍陰影が存在し,A-P ウ
た(Fig. 2)
.
入院時右前眼部写真:右虹彩外側上方 10 時から 12 時
の方向に,直径 6.4×3.1 mm の白色の境界明瞭な腫瘍を
認める.表面は凹凸不整で新生血管の増生が目立つ(Fig.
3)
.
ィンドウの消失を認めた.また左上肺野末梢にも約 7
臨床経過:右虹彩の腫瘍は白色で凹凸不整の外観で比
mm の腫瘍影が存在していた.1997 年再入院時の胸部
較的急速に増大していることより,肺小細胞癌からの転
レントゲン写真では,前回入院時の手術の影響による左
移と判断した.虹彩以外の遠隔転移の有無を腹部 CT,
横隔膜の挙上を認めるが,その他異常なし(Fig. 1)
.
頭部 MRI,骨シンチグラム,ガリウムシンチグラムで
胸部 CT 写真:1996 年初診時の胸部 CT 写真では大
確認したがいずれも転移は認めず,虹彩へのみの転移と
右虹彩転移で再発をきたした肺小細胞癌の 1 例
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Table 2 Metastatic carcinoma of iris in Japan
(1931―1998)
Primary
Fig. 3 White, hypervascular and nodular mass on the
iris of patient's right eye.
Number
Lung
Breast
Esophagus
Stomach
Ileocecum
Sigmoid colon
Rectum
Liver
Kidney
Bladder
Uterus
Not determined
Total
29
7
1
1
1
1
1
1
1
1
1
2
47
位について検討した結果,62% が脈絡膜,11% が虹彩
毛様体であったと報告している.また最近では Jerry ら2)
が 512 例のぶどう膜転移例を検討し,40 例 7.8% が虹彩
転移であったと報告している.虹彩毛様体は脈絡膜と比
べると,栄養血管の数が少ないため血流量が少ないこと,
また虹彩毛様体は筋組織に富み,一般に悪性腫瘍の筋転
移はおこりにくいこと3),絶えず運動しているため癌細
胞が定着しにくいこと4)などが,転移の少ない理由であ
ると考えられる.転移性虹彩腫瘍は,その外観から診断
Fig. 4 Nodular mass almost entirely disappeared after
chemotherapy.
できる事が多い5).特徴としては,色素が少なくピンク
から灰白色の色調を呈し,表面は凹凸不整で新生血管に
富み,多発性で急速な増大傾向を示す6)といわれている.
本症例はその典型的なものであった.
診断した.前回の肺への化学療法が非常に効果があった
肺癌原発の虹彩転移例は,1974 年の Ferry1)らの報告
ことより,今回もシスプラチンとエトポシドによる化学
では 26 例中 14 例の 53.8%,本邦では 1991 年の西岡ら7)
療法を 2 クール行った.化学療法後の右前眼部写真(Fig.
の報告で 50%,1996 年の木村ら8)の報告でも同様である.
4)では,前房内に突出していた虹彩の白色の腫瘍はか
そこで今回我々は 1931 年から 1998 年までの本邦におけ
なり縮小してる.入院時認められた右眼の充血,霧視は
る転移性虹彩腫瘍を検討した.我々が検索した限りでは,
消失し右眼圧も 10 mmHg と,正常化した.患者は残存
自験例を含めて転移性虹彩腫瘍は 47 例を数える(Table
する虹彩の腫瘍に対し放射線照射を追加するため,一時
2)
.原発巣は肺癌が 29 例(61.7%)
,乳癌が 7 例(14.9
転院し電子線照射を受けた.電子線照射後虹彩の腫瘍は
%)で,この両者で約 77% を占めた.過去の報告に比
消失し,治療後も視力は良好に保たれていた.退院後は
べ肺癌原発が増加しているが,これは近年の肺癌の発生
再び当院外来にて経過観察を行っていたが,1997 年 8
率の増加によるものと考えられる.消化器系の癌は,食
月頭部,両側副腎,腰椎に多発性転移が認められ入退院
道,胃,回盲部,S 状結腸,直腸,肝臓それぞれ 1 例ず
を繰り返していたが,1998 年 1 月に永眠された.経過
つであり頻度が少ない.この理由としては,眼窩,眼球
中は虹彩に再発所見なく,最後まで視力保存は良好で
ともにリンパ節がほぼ存在しないこと,眼部への転移の
あった.
多くは血行性であるため,消化器癌の場合肺毛細血管網
考
察
と門脈系が障害になっていること9)10)などがあげられる.
転移性虹彩腫瘍の治療としては,化学療法,放射線療法,
虹彩や毛様体といった前部ぶどう膜への転移性腫瘍
光凝固療法,虹彩切除や眼球摘出等が行われている5)7)11)
は,後部ぶどう膜である脈絡膜への転移に比べ非常に頻
が,一般に生命予後は不良であり,金子ら12)佐竹13)らの
度が低い.Ferry ら1)は 227 例の転移性眼腫瘍の転移部
報告では,虹彩転移を生じてからの平均余命は約 6 カ月
420
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である.このため治療の選択にあたっては,眼症状とと
もに全身状態も考慮し,生存期間中の視力の保存に努め
るべきであると考えられる.本症例では,化学療法を行
1990 ; 32 : 1261―1267.
6)鄭 則伸,三輪 隆:虹彩腫瘍によって発見された
肺癌の一例.眼臨 1996 ; 90 : 1153―1156.
うことで腫瘍の大部分が消失し,放射線療法を追加する
7)西岡木綿子,小島浩樹,大西克尚,他:両眼に生じ
ことで完全で消失した.その後も視力は保たれ,虹彩腫
た肺癌原発の転移性虹彩腫瘍の一例.臨眼 1991 ;
瘍に限っては再発もなく,見るという患者の QOL は良
好であった.
肺癌患者において眼症状を伴う場合には,肺癌の眼転
移も念頭に置き眼科領域の検索も必要であると考えられ
た.
45 : 1499―1503.
8)木村奈都子,山内康行,後藤 浩,他:虹彩転移に
よって発見された肺癌の 2 症例.臨眼 1998 ; 52 :
1263―1268.
9)上野脩幸,玉井嗣彦,野田幸作,他:胞状網膜剥離
で発症した肺癌のぶどう膜転移例.眼紀 1986 ; 37 :
文
560―568.
献
10)梅田 啓,市瀬裕一,石坂彰敏,他:眼窩あるいは
1)Ferry AP, Font RT : Carcinoma metastatic to the
眼球転移による症状を初発として発見された原発性
eye and orbit. Arch Ophthalmol 1974 ; 92 : 276―286.
肺癌の各一例.日胸疾会誌 1991 ; 29 : 900―903.
2)Jerry AS, Carol LS, Hayyam K, et al : Metastatic tu-
11)小松真理,大西智子,箕田健生:葡萄膜転移癌の保
mors to the iris in 40 patients. Am J Ophthalmol
存的治療.臨眼 1981 ; 35 : 1823―1828.
1995 ; 119 : 422―430.
12)金子教宏,金重博司:眼症状を初発症状として発見
3)Ray ES, Mayer W : Metastatic carcinoma of the iris
された肺小細胞癌の一例.日胸疾会誌 1993 ; 31 :
and ciliary body. Am J Ophthalmol 1955 ; 39 : 37.
1045―1049.
4)堀内知光,助川勇四郎,赤羽信雄:肺癌の虹彩転移
13)佐竹幸治,久米裕昭,山木健市,他:肺癌 1995 ;
例.臨眼 1971 ; 25 : 19―21.
35 : 931―935.
5)大 西 克 尚:眼 球 内 悪 性 腫 瘍 の 最 近 の 治 療.眼 科
Abstract
Relapse of Small Cell Carcinoma of the Lung with Metastasis to Iris
Sachiko Furuichi, Chiharu Omori, Tomoko Nakayama, Kiyoko Miyagi, Hisayoshi Hachisuka*,
Yasumi Kayama, Yoshihiko Nomura and Takashi Horie
The First Department of Internal Medicine, Nihon University, School of Medicine
30―1 Oyaguchikamimachi, Itabashi-Ku, Tokyo, Japan
*
Division of Respiratory disease, Yokosuka Municipal Hospital
We reported a case of small cell carcinoma of the lung with metastasis to the iris during a stage of complete
remission obtained with chemotherapy and radiation therapy. The patient was a 55-year-old man hospitalized for
hoarseness and abnormal chest radiographs in August 1996. Small cell carcinoma of the lung had been diagnosed,
and the stage was limited disease. Treatment consisted of 3 cycles of chemotherapy with cisplatin and etoposide,
together with radiation therapy. The patient achieved complete remission and was discharged. In mid-December,
he visited an eye clinic with the complaints of blurred vision and congestion in the right eye. Metastatic tumor of
the iris was diagnosed. At that time, neither local recurrence of the lung cancer nor metastasis to other organs
were observed. The patient was treated with cisplatin and etoposide again, resulting in a reduction of the iris tumor’s size. After chemotherapy, the right eye was treated with electron irradiation, and the iris tumor and other
clinical signs almost entirely disappeared. The patient retained normal vision during the clinical course.
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