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銀翼の天使達 - タテ書き小説ネット

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銀翼の天使達 - タテ書き小説ネット
銀翼の天使達
蛍蛍
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
http://pdfnovels.net/
注意事項
このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ
テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。
この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また
は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ
ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範
囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し
ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。
︻小説タイトル︼
銀翼の天使達
︻Nコード︼
N7258BE
︻作者名︼
蛍蛍
︻あらすじ︼
神︵?︶により異世界へ転生したミリオタ・メカマニアな主人
公。ファンタジー世界かと思いきや、空を横切った飛行機を目撃。
そしてロボット兵器の存在する奇妙
二人の少女を助けた主人公は導かれるまま、小さ
そこは飛行機や空飛ぶ巨船、
な世界だった。
な村での新たな生活を送る︱︱。ロマン重視です。
1
ロリな女神と黒き騎士︵前書き︶
この作品は﹃銀翼の天使達﹄の再構成作品です。
注意 この作品には挿し絵があります。苦手な方は挿し絵設定を
OFFにして下さい。
2
ロリな女神と黒き騎士
﹁お主は死んだのじゃ﹂
少女を象った光の輪郭。
ふわふわと浮かぶ彼女は、唐突にそう告げた。
﹁いきなりだな﹂
真っ白な空間。
上も下もない世界には、俺と少女︵?︶の二人しかいない。
これは、あれか。ロリ神、というやつか。
﹁長生きはするものだ。まさか、生きているうちにロリ神と対面し
ようとはな﹂
﹁死んどると言っとるだろう。それにお主いうほど長く生きとらん
だろ、あとロリじゃないわい。更にいえばその本から目を離せ﹂
﹁気にするな。話はこれ読みながらでも聞こう﹂
﹁全力投球で失礼な奴じゃ!﹂
四カ所全てにツッコミを入れていたな。神とは伊達ではないらし
い。
﹁その本はなんじゃ?﹂
3
﹁ん?﹂
雑誌の表紙を持ち上げる。
﹁⋮⋮世界が違えど、男というのはそういうのが好きなのじゃな﹂
﹁愚問だな、この美に心惑わさない奴などいるものか﹂
この優美なシルエットに見惚れない奴がいるなら、ソイツは玉無
しだ。
﹁永遠の浪漫さ⋮⋮メカニックは﹂
迫力あるエフェクトの施されたロボット模型の写真。なんてこと
はない、模型雑誌である。
エロ雑誌だと勘違いした奴、正直に手を上げなさい。
主砲
﹁ロボットだけではない。素晴らしいぞ、機械は﹂
俺は少女に語る。
複合装甲と一振りの槍を携え戦場を駆け抜ける主力戦車。
各種武装を総合的に制御し女神の盾の名に恥じぬ防御力を誇るイ
ージス艦。
電子装備
そして航空力学の随を凝らし、重量という制限と戦いつつも最新
鋭工学とアビオニクスの限界に挑む戦闘機。
勘違いしないでほしい。俺は戦争を望んでいるのではない。
技術者達の創意工夫と努力の日々が注ぎ込まれた彼らに、ときめ
かない男などいないっ!
﹁理解してもらえたな、ロリ神様﹂
4
満足げに頷く俺。
﹁なにを理解すればよいのかすら最後まで解らんかったわ。あとロ
リいうな﹂
ロリを否定するか。確かに言葉は年寄り臭い。ロリバ⋮⋮ロリ淑
女と見た。
﹁ところで誰だ君は? ここはどこ? 私は誰?﹂
﹁その質問、真っ先にするべきじゃよな!?﹂
このロリ神、ツッコミ属性だ。
﹁しかし、自分のことを思い出せんのか? ここに来たショックで
記憶が⋮⋮?﹂
真剣に悩むロリ神。いかん、﹁お約束でした!﹂なんて言い出せ
ない。
まやま れいか
﹁よし、まずはお主の名じゃ。お主は真山 零夏じゃ。どうじゃ、
聞き覚えはないか?﹂
﹁まあそれは置いといて﹂
﹁⋮⋮置いといて、いいのか?﹂
釈然としなさげな少女。
5
﹁知っているぞ。こういう時になんて言えばいいか﹂
﹁なんというのじゃ?﹂
興味があるのか首を傾げる。
そんな姿に内心ときめきを覚えつつ、俺は大きく息を吸い込み、
叫ぶように言い放った。
﹁はい、テンプレテンプレッ﹂
﹁⋮⋮本題に入っていいかの? 時間がないのじゃ﹂
ごめんなさい。
﹁先にも言ったが、お主は死んだ﹂
﹁トラックに轢かれたのか?﹂
﹁死因までは把握しとらん﹂
いや、そうに違いない。
正義感溢れる俺のことだ、信号無視したトラックが子供を撥ねそ
うになり、間一髪助けたものの⋮⋮といったところか。
﹁さすが俺だな⋮⋮﹂
﹁話を続けるぞ。お主はこれから︱︱︱﹂
手の平を翳し彼女の言葉を遮る。
俺は不敵に笑みを漏らし、続きを引き継いだ。
6
﹁︱︱︱他の世界に行ってもらう、というのだろう?﹂
光の輪郭故に顔は判らないが、ロリ神から驚愕の気配が伝わった。
﹁な、なぜそれを⋮⋮!?﹂
﹁なぜ、か。それを問おうとはな、勉強不足としか言いようがない
ぞロリ神﹂
自信満々にどや顔をしておく。意味なんてない。
﹁⋮⋮なるほど、お主はわしには知り得ない理を把握しているよう
じゃの﹂
勝手に解釈してくれた。
つーか、さっき﹁世界は違えど﹂って言ってたし。
﹁その通りじゃ。お主はこれから別の世界で生きてもらう﹂
﹁それは、あんたの都合なのか?﹂
どうせ書類にコーヒー零したとか、そんなのだろ?
﹁⋮⋮そうじゃ。お主にはすまんと思っている﹂
申し訳なさそうに項垂れるロリ神。
その頭にポンと手を乗せ、ぐしぐし撫でてやった。
﹁うおっ、なにをするのじゃ!?﹂
7
光の輪郭とはいえ、実体は存在するらしい。しなやかな髪の感触
が指先に触れる。
﹁気にするな。俺は、気にしない﹂
子供に落ち込まれると困ってしまう。中身はお婆さんだったとし
ても、だ。
﹁死因を把握していないってことは、君が死の原因なわけではない
のだろう? なら、第二の生を与えてくれることに感謝だよ﹂
目的もなく生きていた半生であったが、ぽっくり死んで納得出来
るわけではない。
楽しいことがしたい、趣味を満喫したい、美味い物が食いたい。
目的がなかったからこそ、時間が欲しい。
それをくれようというのだ。感謝しないはずがない。
﹁⋮⋮ありがとう﹂
﹁なぜ君が感謝する? ありがとうと言うべきは俺だって﹂
﹁そう言ってもらえると、ありがたい﹂
﹁だから、ありがとうは俺が⋮⋮﹂
おっと、このままではありがとう合戦を繰り返してしまうな。
﹁ありがたいついでに、頼みをしていいか?﹂
8
﹁ちゃっかりしているなロリ神﹂
とはいえ上目使い︵見えないけど︶で迫られたら断れまい。
基本、子供には弱いのだ。
﹁お主には、姫の手助けをしてほしいのじゃ﹂
﹁誰?﹂
姫とは、またベタな⋮⋮
﹁お主はいつか、雪の如く白き姫と出会うであろう。この娘を助け
てほしい﹂
﹁助けるっつったって⋮⋮俺一人で出来ることなんてたかが知れて
いるぞ? 俺はただのミリオタだ﹂
戦いなんて経験がない。武術を多少嗜んでいるが、それでも一般
人より強い護衛にしかならないだろう。
それとも神様パワーで特殊能力を与えられたりするのだろうか。
光輝く剣を振りかざし、颯爽と敵に立ち向かう自分を想像する。
我ながら似合わない。
﹁なにも悪人から救い出せ、と言っているのではない。お主の出来
る範囲で、好きなように行動してくれればよい。むしろ変に無理に
干渉してくれるな﹂
要求が微妙過ぎてむしろ難しいのだが。
﹁気にとめてくれればいいのじゃ。無理だと思ったことは、やらん
9
くていい﹂
﹁そういうことなら﹂
真意が気になるが、なんせ神の思惑だ。無理に読み取ろうとして
も無駄だろう。
﹁いうべきことはそれくらいかの。ああ、お主は魔法を使えんよな
?﹂
﹁俺の住んでいた世界には魔法なんてなかったよ﹂
﹁そうらしいな。わしらからすれば魔法のない生活というのを想像
出来んが⋮⋮まあ、世界を渡った暁には膨大な魔力を有することに
なっておる。魔法を習得すれば生きるのも楽だと思うぞ?﹂
チートキター!
﹁あと肉体も新しい物を用意することとなる。年齢は一〇歳じゃ﹂
﹁そうか、ついでにイケメンにしてくれたって構わないんだぜ?﹂
さりげなぁ∼く要求してみる。
﹁いや、無理にとは言わないぜ? ただやってくれると嬉しいかな、
ってくらいでさ。お願いしますどうかこの通り﹂
﹁⋮⋮善処しよう。あとは⋮⋮なにかあった気もするが、まあいい
か﹂
10
いいのか?
﹁話はこれで終わりじゃ。達者で暮らすのじゃぞ﹂
﹁おうっ﹂
ロリ神は垂れ下がっていた紐を引く。
床にぽっかりと穴が開いた。
﹁いや、紐なんてなかったろ﹂
浮遊感、そして落下感。
新たな世界に思いを馳せつつ、俺は落とし穴へと落ちて行った。
11
ロリな女神と黒き騎士︵後書き︶
イレギュラーをカットしました。
12
白き少女とメイドの少女
微睡みからゆっくりと浮き上がる意識。
鉄と油の臭いに包まれ、俺の思考はゆっくりと現実へと回帰して
いった。
﹁ん⋮⋮あ、あぁ、ここで寝ちまったのか﹂
強化ガラスの三面窓に、両手の操縦桿。
足元にはペダルがあるが、子供の体では届かない。残念。
シンプルに纏められたスイッチやレバー。アナログ時計のような
メーターが並び、さながら計器の棺桶だ。
﹁ぐふ、ぐふふ、ふっふっふっふぁのほほほほうけー!﹂
変な笑いが漏れるのは致し方がないだろう。なにせ、コイツはコ
ックピットなのだ。
自動車? 船? 飛行機? 否!
ハッチを開いてコックピットモジュールから抜け出し、数歩後退
して見上げる。
﹁まさか異世界で人型ロボットと出会うとはな⋮⋮!﹂
体長約一〇メートル。無骨な鉄の外装に包まれた機械仕掛けの巨
人。
鈍い鉄色の味気ない外見は、しかしそれが玩具ではなく実用品だ
と証明している。
13
俺がやってきた世界。
ここはファンタジーな世界観の癖に、人型ロボットを初めとした
様々なテクノロジーが発展した、アンバランスな場所だった。
﹁⋮⋮とりあえず顔を洗うか﹂
いつまで眺めていても飽きないが、現実問題そうはいかない。
寝ぼけ気味な意識。しっかりと目を覚ます為に井戸へと歩きつつ、
俺は一昨日︱︱︱異世界初日について思い出していた。
﹁ここはどこ、私は誰、ってこれはロリ神にもう使ったネタだった
な﹂
煙ったい空気に、服の裾を口に当てつつ立ち上がる。
瓦礫と煙。火も上がっているようだ。
︵本当にどこだよここ⋮⋮︶
室内のようだが、建物ごと傾いている。火災が発生しているのは
二次的な災害か。
︵とにかく脱出だ、異世界来ていきなりなんなんだよホント︶
丸い窓を室内に発見。レバーに手を掛けようとして、背が届かな
いことに気付く。
14
︵変に高い位置にある窓だな、いや、俺が小さいのか?︶
家具が妙に大きい。そういえば新しい体を用意すると神は言って
いたな。
椅子を移動させ上に乗り、窓のレバーを握ったところで躊躇する。
︵バックドラフトだかフラッシュオーバーだか、どっちか忘れたが
火災現場で不用意に窓を開けちゃいけないんだったか⋮⋮いや、呼
吸を出来ているのだから酸素はまだ減っていない。大丈夫だ、たぶ
ん︶
冷静に努めるも決断は結局いい加減な案配。仕方がないだろ、火
事の専門知識なんてない。
一応側面に身を隠し、転がっていた本で頭を守りつつ窓を開ける。
幸運にも爆発は起こらなかった。
うめ
﹁ぷはー! 空気美味ー!﹂
頭だけ出して新鮮な空気を補給、そして下を見る。
低い。一階だったらしい。
ぴょんと飛び降りて、急いで建物から離れる。
﹁これだけ距離を取ればいいだろ﹂
充分と思えるほどに安全確保の距離まで走り振り返ると、初めて
建物の全景が見えた。
﹁は、えっと、トラック?﹂
15
全長一〇メートルはほどの箱。それが、俺が建物だと思い込んで
いた物の正体だった。
前方が運転席、後方のコンテナ部分が部屋になっているようだ。
キャンピングトラック。
問題は、それが生い茂った森の真っ只中に落ちていることだ。そ
う、まるで空から落ちてきたかのように。
﹁なんでこんな場所にトラックが、いやそれより他に誰かいるかも
!﹂
火災現場に再突入するのは愚の骨頂だが、それでも人を助けられ
るなら選択肢としては捨てきれない。
﹁火はほとんど吹いていないし、ちょっとくらい近付いたって⋮⋮﹂
そう口にした瞬間、それは起こった。
膨れ上がる炎。そして爆音。
先程まで小さかった火の手は、刹那の間に船を包み込んだ。
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
逃げ遅れていたら、どうなっていたか。
肝の冷える思いをしつつ、俺はどうすることも出来ずにトラック
が燃える様を呆然と見続けた。
16
数時間後に燃え尽きた乗り物から、とりあえず小さな果物ナイフ
を回収した。
なぜ﹁トラック﹂ではなく﹁乗り物﹂と呼び変えたかというと、
タイヤがなかったから。
﹁本当に、どうやってこんな場所に来たんだコレ?﹂
ナイフの握り具合を確認しつつ呟く。
こんなちゃちいナイフではなくサバイバルナイフが良かったのだ
が、贅沢は言っていられない。刃物一本で生存性が大きく変わって
くる、まさに命綱だ。
早く行動に移さなければ。大きな問題は既に目前まで迫っている
のだ。
﹁腹減った⋮⋮﹂
ゲームを始めた時はレベル1からと相場が決まっているが、腹の
内容物まで最低値から始めましょう、なんて考えではないと思いた
い。
実は乗り物を捜索した際に食べ物も探したのだが、すぐにその気
も失せた。
焼き肉の臭いがしたのだ。食欲も失せるというものである。
﹁持ち物は妙に豪華な服に、ナイフが一本⋮⋮なるほど、初期装備
だな﹂
身なりは立派な癖に銅の剣しか装備していない勇者を想像しつつ、
身嗜みを整える。
なぜか身に付けていた貴金属類は持っていくべきか迷ったが、重
17
りになるだけと判断。捨てておく。肌の露出を控えつつ薄着に着替
え、覚悟を決めて森の奥に歩みを進める。
なにせ異世界だ。野生動物なんて生易しい物ならまだ対処出来る
が、いや熊とか出てこられても困るけど、もっと恐ろしい物がいる
かもしれない。
﹁古武術に短刀術ってのがあったな、確かこうだっけ?﹂
片手に握り、前に出した姿勢で歩く。武術経験者といえど、こん
なマニアックな戦闘法には不慣れだ。CQC︵近接戦闘︶とは訳が
違う。
しばし歩くと、空の開けた場所に出た。
﹁すげぇ﹂
そこに広がっていたのは、圧倒的な青い蒼い青空だった。
地球とは異なる、淡い印象を抱かせる蒼の空。
ここが異世界。
これから俺が生きていく世界。
思いっきり手を広げる。
地球とどこか違う風が、全身に吹き抜けた。
反り返り、蒼穹を仰ぎ見る。
飛行機が空を過ぎった。
﹁⋮⋮はぁ?﹂
エンジン音がないので、気付いたのは真上を通ってから。
﹁なんだ、グライダーか?﹂
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音のない飛行機なんて一部の例外を除いてありえない。ちなみに
例外とは滑空可能なモーターグライダーなどだ。
少し離れた場所で、地面を削る音が響く。
﹁墜ちた!?﹂
俺は慌てて現場へと駆けた。
岩場に出ると、そこには紅の飛行機が不時着していた。
﹁綺麗だな、すごく﹂
感動すら覚えるほど美しい曲線を描く機体だった。
僅かに後退した真っ直ぐな主翼。
第一次世界大戦によく見られた、丸みを帯びた三枚の尾翼。
エンジンは機体上部、コックピット後ろに据え付けられている。
なんとジェットエンジンだ。
そして、肝心のコックピットには誰も乗っていなかった。
﹁いやいやいや、そんな馬鹿な﹂
墜落から駆け付けるまでそう時間は経っていない。どこかに行っ
たとは考えにくい。
小さな風避けだけで、コックピットを包む風防はない。オープン
カーならぬオープンコックピットだ。
翼によじ登り、コックピットを覗き込む。
19
﹁ふぇ⋮⋮﹂
﹁うぅ⋮⋮﹂
﹁あ、えっと、スイマセン﹂
意味もなく謝ってしまった。
コックピットには二人の女の子がいた。小さくて下から見えなか
っただけらしい。
後部座席に乗った茶髪の少女は頭から血を流しぐったりと気を失
っている。衝撃で打ったのかと確認する為に手を伸ばし、前の座席
に乗った少女に手を払われた。
﹁マリアに触らないで⋮⋮!﹂
﹁でも診察しないと、あれ、言葉は通じるんだ﹂
異世界に来る上で大きな問題だった言語は共通っぽい。
警戒心を露わに涙目で睨んでくる少女。彼女の蒼い瞳を真っ向か
ら覗き込んでしまい、俺は数瞬の間その幼い美貌に見惚れていた。
真っ白な肌に白いワンピース、白に近い銀髪を白いリボンでツイ
ンテールに括る少女。
歳の頃は八歳程度か、どこまでも白い、浮世離れした容貌の女の
子だった。
神の言葉を思い出す。
﹃お主はいつか、真っ白な姫と出会うであろう。この娘を助けてほ
しい﹄
﹃いつか﹄というか、即日出会った?
それとも姫とは別人だろうか? お姫様が飛行機に乗っているの
20
はイメージが合わない。
﹁あの﹂
﹁ひっ﹂
無言で後ずさる少女。どこまで嫌われているんだ俺。
と、そこでやっと自分がナイフを持ちっぱなしだと気付く。そり
ゃ怯えるわ。
﹁ほら、怖くない﹂
ナイフを捨てて無害アピールをするものの、白髪の少女は茶髪の
少女を庇うように覆い被さり、目を固く閉じている。見ちゃいない。
白髪少女の脇に手を差し込んで持ち上げ、機体の下に降ろす。抵
抗がなかったのは声も出せないほど硬直していただけ。
茶髪⋮⋮マリアだったか、彼女もコックピットから持ち上げて地
上に降りる。こちらの方が年上らしく、少し背が高い。
ごめん嘘。抱き抱えているのに身長差なんて判らない。重さで判
断しました。
地面の柔らかい部分に寝かせ、傷の具合を診つつ白い少女に話し
かける。
﹁俺は零夏、あぁ∼、うん?﹂
肉体が変わっているのだし、乗り物に乗っていたことから何か﹁
設定﹂があるはず。不用意に地球の名前を名乗って良かっただろう
か?
﹁レーカ・アーウン?﹂
21
﹁誰それ﹂
カッコいい名前を考える。それっぽい英単語を並べてみるか。
﹁エクスカイザー・R・テクノブレイクと呼んでくれ﹂
傷は深くない。頭を高い場所に乗せて、押さえておけば出血は止
まるだろう。というかほっといてもいいレベルだ。
﹁エクスカイザー?﹂
ちょっと寒気がした。
﹁真山 零夏です﹂
名前は無難が一番だ。ビバ平凡。
﹁ミスタ・レーカ、私は、ソフィー⋮⋮です﹂
﹁マリアにソフィーか、覚えたよ﹂
ところで名字は真山の方だから、ミスタ・マヤマが正しいのだけ
れどな。まあ訂正するほどのことでもない。
女の子に名前で呼んでほしい、なんて下心はありませんとも。あ
りませんとも。
﹁同い年、くらい?﹂
﹁んー、どうかな。俺の方が上だろ、君は何歳?﹂
22
両手でパー。
﹁一〇歳!?﹂
びくりと震えて頷くソフィー。もっと下だと思った。
彼女との身長差から考えて、俺の肉体年齢も一〇歳程度。彼女の
言うとおり同い年くらいだ。
まあ子供なんて個人差が激しい。この子もこれから急成長する可
能性だってあるのだ。
﹁それで、どうして墜落してきたか訊いていいか?﹂
優しく聞き出そうと試みるも、少女はマリアにすがりついて口を
開かない。
怯えというより、人見知り? こちらに視線すら向けないのは警
戒としては間違っているだろう。
なにか、話題になりそうなことは⋮⋮
﹁君、ソフィーがこの飛行機を操縦していたんだよな?﹂
ソードシップ
﹁ヒコーキ⋮⋮? うんん、あれは飛行機﹂
世界による呼び方の違いだろうか?
﹁んっ、んぁ﹂
茶髪の少女、マリアが妙に色っぽい声を漏らしてうっすらと目を
開く。
23
﹁マリア!﹂
ようやく安堵を見せるソフィー。俺の方も安堵していた。
こちらの少女はソフィーより年上だ、手探り状態の情報収集から
解放されるといいのだけれど。
﹁異世界ね、信じられないわ﹂
夜行性の動物じゃない人間にとって暗闇は最大の恐怖。幸い乾燥
した倒木を飛行機のすぐ側で発見し、それを燃料に焚き火をする。
実は動物避けには効果などない。野宿の焚き火は人間の為の物だ。
暗くなった空。地球とは違って見える星空の下、俺達三人は火を
囲んで飛行機に積んであった保存食をかじりつつ過ごす。
ソフィーよりも幾分ハキハキとした口調で答えるマリアとの会話
は、かなり潤滑に進んだ。
一三歳らしいが、年齢以上に大人びた子に見える。将来は、とい
うか既に美人の片鱗はある娘だ。
﹁だって貴方、私達と同じ言葉を使っているじゃない﹂
﹁⋮⋮異世界には、私達と同じ人間がいるの?﹂
言語の共通点について言及するマリアと、彼女の後ろに隠れつつ
も意外と鋭い質問をするソフィー。
﹁頭がいい子だな、君達は﹂
24
頭を撫でようと試みるも、するりと逃げてしまった。
﹁違いもあるみたいだけどな﹂
魔法があるのは確かなので、ファンタジーに該当するのだろう。
焚き火の火種を作ったのもマリアの魔法だ。
しかし、だとしたらこの飛行機はなんだ? ファンタジーであろ
うと、進化の辿り着く所は地球と同じなのか?
ソードシップ
彼女達に聞いたところ、こういった技術はそれなりに普及してい
るらしい。
エアシップ
自在に空を飛ぶ飛行機。
ストライカー
ゆったりと空を浮かぶ飛宙船。
そして、巨大人型ロボットの人型機。
﹁ストライカー、ねぇ⋮⋮﹂
巨大人型ロボット。そんなものがあるならぜひ見てみたいものだ
が、実用性はどうなのだろう?
地球で人型兵器が作られなかったのは、実用性がないからだ。ミ
リタリーと似て非なる存在、それが人型ロボット兵器。
もう二度と見れないであろうロボットアニメに思いを馳せつつ、
教わった呪文を唱えてみる。
﹁うおっ、熱っ!﹂
﹁ドジね﹂
呆れた様子のマリア。火種の魔法を使ってみたのだが、魔力を注
ぎすぎたらしく前髪がちょっと焦げた。そういえば魔力チートだっ
25
たな。
﹁失敗失敗⋮⋮それで二人はどうするんだ、これから?﹂
﹁どうするって言われてもね。助けを待つしかないわ﹂
開けた場所なので動物に襲われても対処しやすいし、近くに川も
ある。落ち着くにはいい場所かもしれない。
問題は、人間にとって快適な場所は動物にとっても快適という事
実だ。間違いなく、俺達は何らかのテリトリーを侵している。
彼女達にその手の危機感というか知識はないらしく、俺以外に対
しては警戒していない様子。むしろ俺が不審者か。
ソフィーは飛行機操縦の練習に時折単独飛行を行っている見習い
パイロットらしく、マリアは気まぐれで遊覧飛行に同乗したらしい。
しかし機体の不調から墜落してしまい今に至る、とのことだ。
﹁浮遊装置って奴で浮かんでいるんだろ? 墜落なんてあるの?﹂
この世界では飛行機の離着陸は降着装置に依存しない。浮遊装置
なる、文字通りの浮かぶ機構で垂直離着陸するそうだ。変にファン
タジーである。
会話の中で俺が乗っていたトラックモドキも飛宙船であると判明
した。あれ浮いてたのか⋮⋮
﹁私には機械は判らないわ、ただのメイド見習いだもの﹂
メイドなの?
﹁ソフィーは私よりは⋮⋮判らない?﹂
26
ふるふると首を横に振るソフィー。
﹁エンジンと浮遊装置が同時に止まったから、たぶんクリスタルの
故障﹂
クリスタルって魔法機械の原動力らしいが、その故障なら致命的
過ぎるぞ。
﹁しゃーない、俺が見てみるよ。直れば儲け物だろう﹂
﹁機械に詳しいの?﹂
﹁そ、それなり?﹂
自動車の整備が精々なのは黙っておこう。
﹁直ったらお礼として装備一式恵んでくれないか?﹂
﹁装備?﹂
﹁剣とか、盾?﹂
旅人ってなにを用意すればいいんだ?
﹁冒険者になるつもり?﹂
﹁ファンタジーといえば冒険だろ?﹂
異世界に渡っておきながら隠居する主人公など、漫画にも小説に
もそういまい。冒険は浪漫だ。
27
﹁そうね、直せたら大人に交渉くらいしたっていいわ﹂
﹁頼む﹂
現時点で彼女達に恩など一つも売っていない。むしろ保存食を分
けてもらっているので借りがある状態だ。
飛行機をざっと眺め、修理に挑む。道具など機体に積んである必
要最低限一式だけだ、さてどこまでやれるか。
﹁これってパルスジェットエンジン? 燃料はこの水晶で、タンク
があるはずの主翼内には金属の塊⋮⋮これが浮遊装置か﹂
化石燃料で動くか魔力とやらで動くかの違いはあれど、飛行機の
基本的な構造は地球と変わらないっぽいな。
ソフィー曰くクリスタルが怪しいとのことだが、俺には判らない。
とりあえずハッチを開いて目視してみる。罅割れていたりなどは
ない。
注視していると、内部構造が透けて見えた。
﹁うおぉ!?﹂
﹁ふぁ、なに?﹂
ウトウトしていた女の子二人が飛び上がった。すまん。
28
﹁なんだこれ、魔法?﹂
コツを掴むと、その現象は任意で発動した。
機械を透視し、内部構造が脳裏に浮かぶ。
違う、機械に限らず物体はなんでも透視出来るんだ。
﹁︱︱︱ハッ!?﹂
こ、これは素晴らしい魔法なのではなかろうか!
透視。それは男の浪漫。
幸いすぐそこに見目麗しい美少女が二人いる。
﹁待て待て待て、落ち着くんだ俺⋮⋮!﹂
喜び勇んで色々なものを台無しにしてしまうのは愚か者のするこ
とだ。
﹁ここは慎重を期して、まず自分の体で練習するぞ﹂
覗きとはバレたら全てが終わりだ。この能力の限界を見極め、把
握した上で︱︱︱
﹁舐め尽くすように堪能してやる!﹂
げへへ、と笑いつつ自分の裸体を透視可能かテストする。
そして、期待は失望へと変わった。
この魔法︵?︶の本質は、透視というより解析らしい。
自分の体の起伏は理解出来た。しかしそれは映像的なイメージで
はない。
しかも内臓まで見てしまった。この魔法、覗き見には適さないら
29
しい。畜生。
解析魔法の修得によって、意外とあっさりトラブルの原因は判明
した。
クリスタルから捻出される魔力を供給するケーブルが切れていた。
ここを繋げばオーケーだ。
﹁つかこの飛行機、舵は重ステなんだな⋮⋮タブがあるとはいえ細
腕でよくもまぁ、ふぁあ、眠い﹂
時計がないので判らないが、もう深夜だろうか? 未知の技術を
把握するのに集中していたが、随分時間が経った気がする。
飛行機から降りて彼女達の側へ。二人の身の安全を守るのも俺の
役割だ、今晩は徹夜で火の番をする所存である。
飛行機の方は部品がちょっと足りない。最初の飛宙船に戻らなけ
ればならないので、今日の修理作業は中止だ。
﹁一人の夜か、時間を潰す作業があればいいのだけれど﹂
眠気が薄いのが幸いだ。異世界初日で興奮しているのかも。
ふと気配を感じ、解析魔法で森の奥を探る。
野生動物がかなりいた。中には俺達を狙っているらしい熊まで。
﹁あー、どうしよ。クマとか﹂
ナイフ一本で熊に適うと自惚れてなんかいない。積極的に人を襲
30
う動物じゃないんじゃなかったか、熊って。
手元にある武器はナイフ一本。それと飛行機に搭載されている機
関銃、ただし弾切れ。
考えろ。少女達は逃がすべきか、いや子供の、人間の脚力じゃ熊
からは逃げられない。
威嚇して追い払う? 縄張りに入ったのはこちら、逃げ出すはず
がない。
ガサリ、と木陰から現れる巨体。悩むのも待ったなしか!
あまりの威圧感と不気味さに足がすくむも、後ろにいるのは子供。
迎え撃つ、しかない!
﹁武器、武器⋮⋮そうだ﹂
上着を両手で広げ、襟巻きトカゲのように相手を威嚇する。相手
より大きく見せるのは基本。それでも熊より小さいけど。
﹁うわああぁぁぁぁ!﹂
景気付けに意味もなく叫び突撃。間合いに入る直前、上着を放り
上げて熊の顔を被う。
﹁グマァ!?﹂
﹁熊ってそう鳴くの!?﹂
新発見しつつ懐に入り、唱えておいた呪文の力を解放する。
﹁ふぁ、ファイアー!!﹂
ありったけの魔力を注いで着火魔法を発動する。
31
爆発した。
そう形容して構わないほどの炎の膨張。懐で燃え広がった爆炎に、
熊は悲鳴を上げて仰け反る。
しかし手は緩めない。何度も魔法を繰り返し、徹底的に焼く。
やがて仰向けに倒れた熊の頭部に回り込み、駄目押しとばかりに
延髄側面にナイフを突き刺す。
激痛に舌を飛び出させ呻く熊。しかし分厚い筋肉に阻まれ切っ先
は神経に届かない。
小さな岩を持ち上げ、金槌の要領で打ち込んでいく。
やがて、熊は身動き一つしなくなった。
解析魔法で心臓が停止しているのを確認。
﹁っや、やったぁぁおえぇぇっ﹂
吐いた。
そりゃ吐くだろ。人間より大きな動物を殺したら。
罪悪感や恐怖がぐちゃぐちゃに入り乱れ、声を押し殺して泣く。
﹁⋮⋮大丈夫?﹂
背後からかけられた声に、思わず吐瀉物の残滓で咽せた。
﹁ソフィー⋮⋮!? 起きていたのか?﹂
否定の仕草をして彼女は俺の背中をさする。
﹁ソフィー?﹂
﹁あなたは、怖い人じゃない⋮⋮弱い人﹂
32
そりゃゲロって泣いてたら情けなく見えるだろうけど。君達を守
る為奮闘した努力をちょーっとは評価してほしい。
﹁おとーさんが言ってた。人は弱い動物だから、みんなで暮らすん
だって﹂
人間に限った話じゃない。補食される側の動物は、集まって生存
する可能性を少しでも上げようとする。
﹁貴方は、弱いけどかっこいい人﹂
ぽかん、とアホ面を晒してしまう。
女性に真顔でかっこいいなんて言われたのは初めてだ。
﹁見張りは私がする。寝てて﹂
﹁見張りって言っても⋮⋮﹂
﹁平気よ﹂
マリアまで起きていた。欠伸をかみ殺しつつ、目を擦る。
﹁ふぁ⋮⋮この子、風が読めるもの﹂
﹁風?﹂
魔法だろうか?
﹁まあ、マリアがそういうなら⋮⋮寝かせてもらうよ?﹂
33
﹁ええ、後始末はやっておくわ﹂
後始末?
朝に目が醒めたら、熊が枝肉と成り果てていた。
﹁すげぇ!?﹂
﹁メイドだもの﹂
メイドすげぇ! 動物の解体までこなすのか、メイドって。
死体の処理なんて俺には出来ないし、本当に助かった。
肉ばかりの朝食を済ませ、修理の続きに取りかかる。
﹁そんじゃ、部品取ってくるよ﹂
﹁乗っていた飛宙船があるのに、異世界から来たって主張するのね。
ま、いいけれど﹂ 手を振るマリアと、ソフィー。ソフィーはマリアに手首を握られ
て無理矢理振られているが。
﹁なんか新婚さんみたいだな﹂
﹁貴方の性格、ちょっと解ってきたわ﹂
34
﹁⋮⋮どっちが?﹂
洗ったナイフを手に飛宙船に戻る。
﹁何度も煙が上がってるのに、救援来ないもんだなぁ﹂
なんでも、二人が住む村には飛行機があれ一機しかないらしい。
飛宙船は多数保有しているが、夜間飛行は出来ないだろうとのこと。
危ないしな。
飛宙船から転用可能なケーブルを引っこ抜き、二人の元へと戻る。
﹁︱︱︱なんだ、この音?﹂
耳朶に届いたのは、微かな、重い落下音。
集中してみると、何かが歩いていると気付いた。
﹁まずい、昨日の熊よりよほどでかいぞこいつは!﹂
慌てて野営地に戻り、二人に異常を知らせる。
﹁何か近付いている! 二人とも、飛行機に乗って!﹂
﹁何か⋮⋮って、何が?﹂
﹁知らんが、足音が聞こえるんだ! 早く!﹂
彼女達が乗り込んでいる間に手早く修理を終える。交換するだけ
なら一分かからない。
地鳴りが大きくなっていく。一体や二体じゃない、沢山のデカブ
ツが近付いてやがる!
35
﹁これで飛べるはず︱︱︱﹂
修理完了と同時に、森の木々が吹き飛んだ。
現れたのは熊。しかし体長は五メートルを越え、牙やらツノやら
が生えている。
それが計一〇匹ほど。横一列に並ぶ姿は、さながら津波だった。
﹁どーいう進化をしたんだよ!?﹂
﹁動物じゃなくて魔物よ! レーカ、乗って早く!﹂
操縦席に収まったソフィーの邪魔は出来ない。後部座席に片足を
突っ込み、主翼の支柱に腕を回す。
﹁これでいいや、出してくれ!﹂
始動するジェットエンジン。吸気に髪が引っ張られつつ、機体が
ふわりと浮上する。
本当に垂直離着陸機なんだな、でも高度がなかなか上がらない。
﹁ソフィー、もっと急いで!﹂
﹁出力が低い、上手く飛べない⋮⋮!﹂
舌打ちする。応急処置は所詮応急処置か。
巨体を唸らせ地面を蹴り、かなりの速度で迫ってくる熊。このま
まじゃ間に合わない!
ああもう、しょうがない!
機体から飛び降りて胴体を押す。
36
﹁レーカ!?﹂
﹁浮かんでくれ、後生だ!﹂
俺の重さがなくなったことと、気持ち程度の腕力によるサポート。
だが意味はあったらしく機体は魔物の腕の届かない高さにまで上昇
した。
それを見届け、振り返れば目前にまで迫った熊ども。
逃げても追い付かれる、横列隊形だから回避は不可能⋮⋮
分の悪い賭など大っ嫌いだが、やるしかない!
体長が五メートルもあれば、熊といえど足も長い。その合間をス
ライディングで抜ける!
頭上を過ぎる﹁米﹂。見たくなかった!
べちっと額に尻尾が衝突し、よろけるも駆け出す。
﹁その巨体では急旋回出来まい!﹂
森に入って身を隠しつつ逃げる。これが思い付いた唯一のプラン
だった。
しかし魔物の身体能力は俺の想定を凌駕する。飛行機に届かない
と判断した彼らは足で地面を削りつつ急制動、俺に向けてクラウチ
ングスタート気味に反転する。
﹁なんでそこまで執着するんだよ!? 野郎に追われる趣味はねぇ
!﹂
きっとあいつらが本当のここの縄張りのヌシなのだろう。昨夜の
熊は子分か?
必死に駆ける。もう振り返る余裕もなく、がむしゃらに足を動か
37
す。
正面の森の奥から、別の足音が聞こえた。
﹁挟み撃ち!?﹂
その足音は魔物の熊より重く、早く、そして威圧的だった。
﹁群のボスとか、そういうのか!?﹂
半分泣きつつ足を止めない。
次の瞬間森から飛び出して来たのは︱︱︱
﹁へっ? 鎧?﹂
︱︱︱体長一〇メートルほどの、鋼の巨人であった。
巨人は俺を飛び越え、手にした鉈を振るう。
両断される大熊。突如現れた巨人に、大熊達もさすがに怯んだ。
彼らにとって倍のサイズの敵は、子供が大人に挑むような無謀な
差。
あれほど恐ろしかった魔物が一方的に次々と殺されていく。低い
駆動音を響かせ、フレームを軋ませながら鋼の巨人は暴れ回る。
俺はその様に魅入られていた。
あの機体を動かすパイロットは専門の人間ではない。そんなの、
ちょっと武術を嗜んでいれば判る。
しかしそんな力任せの戦い方であっても、スペックの差は覆せな
い。
振り回す鉈は地面ごと敵を切り裂き、全身を覆う装甲は熊の小さ
な爪ではひっかき傷を付けるのが精々。
戦車以上の小回りと反応速度。こと、接近戦においてはあの巨人
に適う地球の兵器は存在しないだろう。
38
まもなく、全ての大熊は討伐される。
損傷らしい損傷もなく、返り血で一部が赤く染まっただけの巨人。
ストライカー
﹁︱︱︱あれが、人型機﹂
上空を飛行する紅の飛行機と、空飛ぶ船⋮⋮飛宙船。
俺は、ようやく命拾いしたのだと確信した。
﹁でもこれ、戦闘用じゃないよな﹂
人型ロボット=戦闘、なんて公式が頭の中で成立していたが、こ
のロボットは民間用と見た。
﹁背中に作業用のクレーンがあるし、剣じゃなくて鉈だし﹂
周囲をクルクル回って機構を観察する。
﹁油圧、じゃないな。人工筋肉ってやつか?﹂
ロボットの間接部からは妙に有機的なラインが覗いている。サー
ボモーター駆動ではない。
﹁バッテリーか? それともジェネレーターを回して変換している
のか? そもそも電動か? これも魔力で動いているのか?﹂
動力は当然胴体部だろうが、やはり内部構造は外見だけでは把握
39
出来ない。
そうだ! こういう時の魔法だ!
装甲を見つめ集中すると、内部構造が頭に流れ込んできた。
﹁おぉ⋮⋮えろい﹂
機能美を追求し消耗部品を効率よく交換する為の配置。負荷を均
一に均す為の計算されたフレーム。
手足を動かすのはやはり筋肉だ。無機物の物質で構成されており、
年月で劣化はしなさそう。風化はするけど。
とはいえモーター部品がないわけではない。細かな制御は電気仕
掛けだ。
ならばそのパワーはどこから? ケーブルを辿れば大元が存在す
るはず。
﹁くそ、ハッチどこだハッチ﹂
人型機の足をよじ登る。
﹃おい坊主、登ってくるんじゃねぇよ﹄
人型機の頭のあたりから声が聞こえた。
﹁ハッチは⋮⋮頭の付け根か﹂
﹃聞けよ﹄
振り落とされた。
﹁痛い﹂
40
﹃落としたからな﹄
﹁再チャレンジ!﹂
﹃すんな﹄
また落とされた。
﹁なんだよさっきから!﹂
﹃テメェこそなんだよさっきから!?﹄
人型機のパイロットと怒鳴り合う。この野郎、俺の知的好奇心の
暴走を邪魔しやがって!
﹁機械があったらバラしたくなるだろう!?﹂
﹃気持ちは解るが落ち着け!?﹄
ひょいと人型機の指が俺の服の首根っこを摘んで持ち上げる。
﹁畜生! 畜生ぉぉお!! ロボットが目の前にあるっていうのに
ぃぃぃ!!!﹂
慟哭であった。
俺に構わず人型機は歩き始める。俺はブラブラ。
﹃変なことを言う奴だな。坊主、﹁ろぼっと﹂てぇのはなんだ?﹄
41
﹁特定の目的を自己判断によって達成する機械の総称だ﹂
確かこんな定義だったはず。
ちなみにこの定義では自動販売機もロボットである。
ストライカー
お膳立て
﹃じゃあ人型機はろぼっとじゃねえだろ。自己判断なんざしねーよ、
人が乗り込んで一から十まで操作するんだから﹄
﹁ああ、人型ロボット兵器というのはその点でいえば矛盾した言葉
だ。鉄人28号でさえリモコン操作である以上ロボットではないと
いうのに﹂
リアルロボットアニメではロボットという言葉自体出てこないこ
とも多いんだけどな。
﹁で、俺の何が変なんだ? あと放してくれ、いい加減﹂
指が緩んだので手の平に移動する。揺れる揺れる!
ストライカー
﹃人型機の駆動原理に疑問を持ってたろ? 子供だってある程度は
知っているもんだぜ?﹄
﹁知っているのか?﹂
﹃たりめーだ、俺は職人だぜ﹄
﹁メカニックか、道理で動きが力任せなわけだ﹂
本職じゃないんだ、やっぱり。
42
﹃あの短い戦いでそれを見抜いたか、天士として才能があるかもな﹄
褒められた。
﹃こいつの動力は﹃魔力﹄だ。クリスタルから捻出された魔力によ
って無機収縮帯を稼働させ駆動する。けどそれだけじゃない﹄
男は心なしか楽しげな声で説明する。
﹃複雑な制御装置、姿勢を把握するジャイロ、それを頭部に集中し
ストライカー
たセンサー⋮⋮それだけではない、それこそ数え切れないほどの複
雑な技術が絡み合った結晶が人型機だ﹄
﹁全体のシステムが同調して初めてまともに動くって言いたいのか
?﹂
ストライカー
﹃そういうこった。それぞれの働きを理解して、始めて人型機の整
備作業が出来る。けれど最近はそんな込み入った専門知識をもった
技術者も減っちまってな、素体のポテンシャルに頼り切った3流も
多い。嘆かわしい限りだ﹄
ハードルというか、志が高いんだなこの人。
村に辿り着いた人型機。
43
﹁そんじゃあな、俺は帰るぜ﹂
﹁ええ、ありがとうございました﹂
人型機のパイロットであった髭もじゃ、たぶんドワーフの男性は
ソフィーの母親に挨拶をした後に早々に飛宙船で村を出て行った。
彼はたまたま村を訪ねていた知人らしく、墜落し行方不明となっ
ていたソフィーとマリアの捜索に滞在予定を延長して参加していた
らしい。
ソフィーの父のガイルとやらは、飛行機の整備不良の罰として後
始末に奮闘している。子供二人が危険に晒されたのだ、そりゃ怒ら
れる。
ただいま捜索に参加した人々にお礼として熊の肉を配り歩いてい
るらしい。あんな大量の枝肉を持っていても困るので、買ってもら
ったのだ。
﹁この度は本当にありがとうございました、レーカ君﹂
村の出入り口にて、俺は絶世の美女に頭を下げられていた。
白銀の髪は腰まで伸び、瞳は娘と同じ深いブルー。そう、ソフィ
ーの母親のアナスタシアだ。
﹁え、えっと、いいっすよ! 女性を守るのは当然の義務です!﹂
しどろもどろ。こんな美人に見つめられて平静でいられるはずが
ない。
じっと俺を見つめるアナスタシアさん。
﹁ほ、惚れてまうやろー!﹂
44
なに言ってんだ俺は。
﹁ふふっ、私の娘なんてどう? 貴方のこと、ちょっと気を許して
いるみたいだし﹂
あれで気を許しているのか、避けられっぱなしに思えるが。
ソフィーも将来は美人になるのかな。それを踏まえると、彼女が
俺に気を許しているというのが実に朗報に思える。
夫人は俺を見、ややおいて首を傾げた。
﹁貴方は、帝国の人ですか?﹂
﹁いえ、住んでいた場所はむしろ共和国⋮⋮あれ、どっちなんだろ
?﹂
日本は制度的には共和国だけど、天皇家があるから王国? うー
む。
﹁とにかく、帝国と呼ばれる国ではありません﹂﹁そう。ごめんな
さい、少し勘違いしてしまいましたわ﹂
なんのことだろう?
﹁マリアちゃんから聞いています、異世界から渡ったばかりで、旅
立ちの道具が欲しいのですよね?﹂
﹁あ、えっと。これといった目的はないので、しばらく村に滞在し
てからと思っていますが﹂
45
アナスタシアさんはしばらく悩み、こう問いかけた。
﹁旅立つのは決定事項かしら?﹂
﹁そういうものかな、って⋮⋮定住したら異世界に来た甲斐があり
ませんし﹂
ただ、不安要素があるのも事実。魔物に殺されかけた俺が、旅な
んて出来るのだろうか?
﹁なら私達の家で働くというのはどうかしら?﹂
そう彼女が提案し指差したのは、丘の上の豪邸。
﹁城?﹂
﹁屋敷よ、あそこに住んでいるの﹂
いや、ほとんど城だろう。外壁こそないが、あんな立派な洋館は
見たことがない。
﹁使用人として雇われれば、この世界のことを学べる上に給料も貯
金出来るわ。三食寝床付きだから色々お得よ?﹂
うっ、ホームがレスな身としては凄く魅力的なお誘いだ!
﹁使用人の仕事とか、よく解りませんし⋮⋮﹂
﹁おいおい覚えていけばいいわ。それに、娘達の命の恩人を無碍に
は出来ないもの。ねっ?﹂
46
﹁そ、そのっ﹂
度を超えた美人は微笑むだけで、相対する男の心を掻き乱してし
まわれるらしい。
まったくけしからん! けしからん微笑み頂きましたありがとう
っ!
⋮⋮そうだ。ロリ神は、白い姫の側にいろと言っていた。
現時点で該当するのはソフィーとアナスタシアさんの母娘。この
お誘い、側にいる口実として最適じゃないか?
彼女達のどちらかが白き姫だとして、姫を助けるのは神との約束
だ。それを違えるわけにはいくまい。
決めた。予定無期限で、あの屋敷の使用人をしよう。
﹁お話、お受けします。よろしくお願いします﹂
﹁はい。よろしくお願いします。じゃあ早速屋敷の皆と挨拶しなく
っちゃ﹂
手を掴まれ軽やかに草原を登る。手が柔らかくって、思わず赤面。
﹁もうソフィーとマリアちゃんは知っているから、あとは私の夫の
ガイルと、マリアちゃんのお母さんのキャサリンね。大丈夫よ、夫
はいい加減な子供みたいな人だしキャサリンも根は優しいから﹂
微妙に不安になることを聞き流しつつ、俺は異界の故郷とも呼べ
る場所となる屋敷を目指す。
丘の上には着替えたソフィーとマリア。手を振る彼女達に返礼。
﹁走りましょう!﹂
47
﹁ちょ、元気ね、もう﹂
アナスタシアさん、いや雇い主なのだから⋮⋮アナスタシア様?
を逆に引っ張り、駆け出した。
﹁⋮⋮良かった、まだ村にいたんだ﹂
﹁お母さんが料理を用意しているから一緒に食べましょ!﹂
﹁ああ、ご馳走になるよ、ソフィー、マリア﹂
ここは異世界セルファーク。共和国と帝国の狭間の田舎村、ゼェ
ーレスト。
人口僅か一〇〇人ほどの小さな村から、物語は始まる。
48
白き少女とメイドの少女︵後書き︶
見たとおり、大幅改訂。物語の流れがグダグダだったのをシェイ
プアップしました。
あとは、ソフィーとマリアがダブルヒロイン的なポジションとい
うことでそれを強調。
49
白き美女とメイド美女
ゼェーレスト村。
そう呼ばれるここは、人口一〇〇人以下の小さな村だ。
この異世界セルファークには大国が二つ存在し、このゼェーレス
ト村は丁度その中間に位置する。
戦争が起こるたびに両国を行き来するも、村に戦略的価値が皆無
な為、行き来する﹃だけ﹄。
かつてなにかのきっかけで興り、発展することもなく消滅するこ
ともなく漫然と存在し続けた村。
もはや、住人ですら今現在どちらの領土だったかを把握していな
い、そんな土地である。
主産業は麦と芋。その他、育てやすい野菜を中心に農業主体。
肉は猟師が狩ってくるが、全体から見ればやはり草食主体な食生
活。
そんな村近くの丘の上に、不釣り合いに巨大な屋敷があり。
俺はその屋敷の倉庫を貸し与えられ、異世界での不慣れな生活を
始めたのだった。
屋敷で働く運びとなった俺だが、それはあくまでアナスタシア様
の独断。
説明兼改めて自己紹介は必要とのことで、腹拵えの後に住人は屋
敷のリビングへと集結していた。
50
煌びやかな調度品が並ぶ室内はどこの貴族だと問いたいほど絢爛
であり、それでいて嫌味さはない。
いや、あるいはただの金持ちではなく、本当に貴族か?
﹁どうしたの?﹂
﹁いえ、文化の違いは大きいなとつくづく感じまして﹂
日本の現代文明で生きてきた俺がヨーロッパ的な中世文明の一般
人として振る舞うのは、ハードルがあまりに高過ぎた。
﹁ピンとこないのだけれど、貴方は別の世界の人間なのね?﹂
そう俺に改めて確認してくるのは、真っ白な婦人、アナスタシア
様。
その傍らでは母親のドレスにしがみ付く、婦人の娘のソフィー嬢。
ツインテールが愛らしい、将来が楽しみな少女である。
あと家主で夫人の夫のガイル。
﹁俺だけ適当じゃないか?﹂
﹁気のせいだろう﹂
仕方がないのでもう少し解説すると、この男はガイル。婦人の夫
でソフィー嬢の父親である。
ソフィー嬢が一〇歳なので夫妻は三〇前後? 見えねぇ、ハタチ
で通じる。
夫人に下僕宣言した俺は、とりあえず丘の上の屋敷まで連れられ
て事情聴取された。
そして色々と疑われた次第である。
51
﹁当然、だろうなー﹂
再び溜め息が漏れる。俺だって異世界から来ました、なんて言葉
を発する奴はまず信じない。
﹁残念だが、違和感は凄いぞ﹂
ガイルが駄目出ししてきやがった。
﹁黒アリの中に白アリがいるくらい経ち振る舞いが奇妙だ﹂
変な比喩だった。
﹁それで、結局俺は下僕にして頂けるのですか、アナスタシア様?﹂
若干下僕という単語に興奮を覚え始めた感がある。
﹁下僕というのはやめろ、娘に悪い影響がある﹂
まあ、確かにそうかも。美少女は健やかに成長してほしい。
﹁ならば犬とお呼び下さいソフィー嬢﹂
恭しく頭を垂れる。
﹁伏せだ、犬﹂
ガイルに脳天踵落としされた。
52
﹁ぐはっ﹂
この男、大人げねぇ!
﹁おとーさん、怖い﹂
﹁ぐはっ﹂
ガイルは娘から痛恨の一撃を受けていた。
﹁くけけ、ざまーないなオッサン﹂
人に割と容赦なく踵落としした報いだ。
﹁誰がオッサンだガキ﹂
耳を引っ張り上げられる。
﹁痛てぇよ﹂
オッサンの頬を引っ張ってやる。
﹁痛い痛い!﹂
涙目のオッサンとか誰得。
﹁なにが痛いだ畜生! 俺だって男の顔なんて触りたくないっ!﹂
﹁ガキッ! ガキ!﹂
53
﹁オッサン! オッサンッ!﹂
言い合いをしていると頭上に影が。
﹁空飛ぶ円盤?﹂
円盤もとい、タライが落ちてきた。
﹁あぎゃ﹂
﹁のぅお﹂
視線を上げると、そこにはメイド服の女性。
﹁ほれ旦那様、お客様、まずは座れ﹂
やたら貫録のあるメイドだった。
﹁いや、こういう生意気な餓鬼はな⋮⋮﹂
﹁いやいや、こういうリア充に情けなど⋮⋮﹂
タライ再び。
﹁あべし﹂
﹁のヮの﹂
あ、頭がグラグラする。馬鹿になったらどうする気だ。
54
﹁いいから座りな、馬鹿共様﹂
この人﹃様﹄を付ければメイドとしてOKとか思ってないだろう
か。
﹁アンタは仕事と住み家が欲しいんだろう? なら殊勝な態度をポ
ーズだけでもとっときな﹂
﹁ポーズだけでいいのですか?﹂
心から仕えろ、というのがメイドの嗜みだと思っていたが。
ちなみに、メイドさんは気が強そうだが美人なので丁寧な対応と
なる。
﹁生意気な餓鬼っていう旦那様の見立ては間違ってなさそうだから
ねぇ﹂
﹁こんな素直な子供もそういないぜ﹂
親指を立てて歯を光らしてみる。
﹁うさんくさい﹂
ソフィーにジト目で見られた!
俺は所詮、中身はいい大人だ。正真正銘一〇歳児の無垢な瞳は、
正直キツイ。
年齢が逆行していることも話して問題ないといえばないのだが⋮
⋮それにロリ神に関しても話していない。さすがに残念な人扱いは
されたくはない。
そして、俺の評価だが。
55
﹁上辺だけの誠意なんて生ゴミほどの価値もないよ。そういう意味
ではアンタのこと、嫌いじゃないね﹂
ツンデレかっ!?
﹁女にだけ紳士的なその態度、ある意味男らしい﹂
﹁惚れるなよ﹂
﹁で、どうすんだい旦那様? 娘の命の恩人らしいし、私としても
雑には扱いたくないんだけれど﹂
このメイド実はガイルより偉いだろ。って、娘?
﹁そうだな、放り出すのもなんだし⋮⋮お前、なにが出来る?﹂
﹁それは︱︱︱貴様が決めることだ﹂
眼光を光らせ、鋭く、カッコよく言ってみた。
殴られた。
﹁お前、なにが出来る?﹂
﹁なんでもやらせて頂きます﹂
56
暴力反対。
﹁あなた?﹂
底冷えするようなアナスタシアの声であった。
﹁元はといえばあなたの整備がいい加減だったせいで、子供達が危
険に晒されたのよ? 助けてくれたレーカ君に暴力を振るうのはい
かがかしら?﹂
﹁お、おう、すまない﹂
そうだそうだ、とまくし立てる気も起きないような怒気。多くの
夫婦の例に漏れず、この家も女性が強いらしい。
﹁⋮⋮ならとりあえずマリアの手伝いでもさせようかね。ああ、勿
論高い品物の手入れや、入っちゃいけない部屋の掃除なんかはやら
せないから﹂
﹁ええ、お願いねキャサリン﹂
メイド様はキャサリンというらしい。マリアってことは、やっぱ
り彼女の母親なのかこの人。
﹁しかし異世界、か⋮⋮帝国の書庫ならなにか判るか?﹂
ガイルが顎に手を当て思案する。
﹁調べましょうか? 帝国にはまだ知り合いがいますし﹂
57
﹁いえいえ、別に帰ろうとも考えてませんし!﹂
慌てて手を横に振る。
﹁えっ? 帰りたくないの?﹂
﹁ええ、あー、そうですね。なんだか不思議と思い出さないんです
よね。日本に帰りたい、って﹂
新しい肉体が既にある程度成長しているのは、転生なのかトリッ
プなのか。
そもそも向こうではどのようになっているのだろう。死体が残っ
ているのか? 忽然と消えたのか?
﹁故郷には家族や友達がいるのよね?﹂
﹁ええ、そうなんですけれど⋮⋮﹂
﹁そう⋮⋮﹂
なんとも言い難い沈黙。
本当に、寂しくないのだ。︱︱︱きっと、目まぐるしく変化する
状況に戸惑いの方が大きいのだろうけど。
けどそれはそれでありがたい。男は人前で涙を見せたくない生き
物だ、たぶん年齢に関係なく。 昨日女の子二人にさっそく見られた気もするが。
﹁今日は屋敷の案内だけしとくよ。明日からはキリキリ働きな﹂
﹁承知しました、キャサリン様﹂
58
﹁アタシに様はいらないよ﹂
﹁解ったよ、キャサリン﹂
踏まれた。
やっと回想終了、人型機のコックピットで目を覚ましたところか
らである。
そんなこんなで始まった異世界生活。顔を洗う為に井戸へ近付く
と、そこには先客がいた。
﹁おはよ﹂
﹁あら、おはよう﹂
振り返る茶色い髪のメイド少女。
﹁どう、この屋敷での生活はやっていけそう?﹂
﹁ぼちぼちでんがな﹂
﹁でんがな⋮⋮?﹂
59
﹁故郷の言葉だ﹂
嘘ではない。
﹁ふ∼ん、そういえばレーカはどんな国の生まれなの?﹂
﹁周辺国からは黄金の国と呼ばれていたな﹂
﹁黄金!?﹂
﹁ああ、そしてニンジャと呼ばれる暗殺集団が闊歩し、サムライと
いう剣豪達が戦っている﹂
﹁ぶ、物騒な国なのね﹂
﹁その通りだ。ちなみにニンジャもサムライも鉄を砕き切り裂いて
見せるから、俺の国では鎧が発達していない。無意味だからな﹂
﹁黄金でニンジャでサムライ⋮⋮﹂
適当にからかいつつ井戸の汲み上げポンプに体重をかける。
﹁私が先に使っていたんだけれど﹂
横入りするなと抗議するマリア。
﹁女性に力仕事を任せるわけにはいくまい﹂
ポンプが水を吐き出し、マリアが用意した桶に水が注がれる。
60
﹁代わりにやってくれるの?﹂
俺は女性を大切にする主義だ。なぜなら︱︱︱
﹁紳士だからな﹂
﹁⋮⋮まあ、感謝はしとくけど。ほどほどにお願いね、﹃自分の役
割は自分で果たせ﹄ってお母さんに怒られそうだから﹂
このマリアという少女が、キャサリンさんの娘なんだよなぁ。
言われれば面影があるような気もしなくもないが、性格はずっと
穏やかだ。新入りの俺にも優しいし、ソフィーも姉のように慕って
いる。
今年で一三歳、身長でいえば見上げるくらいだがやっぱりところ
どころで子供だと感じる。
日常業務の先輩であり、この屋敷の見習いメイド。
可愛いよね、メイド服。
﹁自分の部屋の掃除が終わったら朝食で会いましょう。ありがとね、
汲んでくれて﹂
﹁おう﹂
マリアの後姿を見送り俺も水を汲む。キャサリンさんは抜き打ち
で部屋を片付けているか検査してくるらしいから油断出来ない。
61
自室の倉庫を手早く掃除して、身支度を整える。
掃除するのは部屋の半分。もう半分は元々あった荷物やガラクタ
で壁となっている。これでも一方へ押し退けてようやく生活スペー
スを確保したのだ。
﹁寝てるときに崩れてきたら、助かんないだろうなぁ﹂
木箱の壁を見上げつつ呟く。異世界トリップしてガラクタで圧死
! とかつまらな過ぎる。
俺に与えられた雑用を幾つかこなし、頃合いに屋敷を調理場入口
から入ると丁度使用人達の朝食準備が終わったところだった。
食器を並べていた女性、キャサリンさんに頭を下げる。
﹁おはようございます﹂
﹁あいよ、おはよ﹂
なんというか⋮⋮
﹁今日も麗しく男らしいですね﹂
﹁飯いらんのかい?﹂
褒めたのに!
ガビンと口を開けていると、先に到着していたマリアが料理を運
びつつ肩を竦めていた。器用だ。
ちなみに使用人はキャサリンさん、マリア、俺の、ここにいる三
人だけ。
新人である俺は当然として、見習いメイドのマリアも労働力とし
ては半人前。実質キャサリンさん一人で屋敷を切り盛りしていると
62
かパネェっす。
屋敷の住人の食事準備もこなすキャサリンさんだが、この人が一
番早起きだ。
次にアナスタシア様とガイルが目を醒ます。ついでに一緒に寝て
いるソフィーも目覚める。
しかしソフィー嬢は朝が弱く、しばらくベッドの上から動けない
らしい。見てみたい。
そして俺とマリアが起床する。目を醒ますのはソフィーの方が先
だが、活動を開始するのはほぼ同時刻。
キャサリンさんが朝食の準備を終えた頃に夫妻は身支度を終え、
ソフィーも婦人の手を借りて着替える。
そして皆で朝食、という流れだ。
﹁おはよう、レーカ君﹂
﹁ほら、あんたも座りな﹂
﹁あ、はい﹂
全員が席に付き、口上を唱和する。
﹃母なる蒼月の祈りよ。娘たるセルファークの意志よ。今日もまた、
我らが旅路をお見守り下さい﹄
いわゆるお祈りってやつだ。宗教的なものかと思ったが、訊けば
慣習的なものらしい。
﹁セルファークってのは世界の名前なんですよね?﹂
スープを啜りつつ訊ねる。使用人達の食事は家主一家と同じメニ
63
ューだ。
なんでもランクダウンしたものを作り直すよりまとめて仕上げた
方が楽だそうだ。そりゃ、俺が来る前は三人分を五人分にするだけ
だしな。
﹁そうよ、あとは神様の名前でもあるわ﹂
口を拭きつつ答えるアナスタシア様。
﹁宗教的なものではないんじゃ? そう聞きましたが﹂
﹁神様と宗教は別でしょう?﹂
マリアが首を傾げる。
﹁神様と宗教は別?﹂
文面をそのまま繰り返すと、キャサリンさんが娘の後を引き継い
だ。
﹁そりゃ神様は信仰とは無関係に存在するんだし、別物だろ?﹂
﹁⋮⋮実在するのか、神様﹂
そりゃロリ神と話したけどさ。この世界ではそんなに人と神が密
に接しているのか?
﹁お前の世界には神様いなかったのか?﹂
ガイルがフォークに刺さったソーセージを揺らし、夫人にぺしっ
64
と手を叩かれた。
﹁み、見たことはないが﹂
いなかったよな? いないよな? キリストとか。
キリストって神様だっけ?
そもそもロリ神は地球とセルファークどっちの神様なのだろう。
﹁宗教はあるんだよな﹂
﹁あるね、神やら精霊やらを崇めてるよ﹂
キャサリンさんは信仰に無頓着のようだ。
﹁崇めて見返りがあるの?﹂
﹁さてねぇ、あいつらは排他的だし。あやしい魔術やら神術を使う
って聞いたこともあるけど。知りたきゃアナスタシア様に訊きな﹂
アナスタシア様万能説。
﹁あまり深いことは知らないのよ、私も。表面的なことは本を貸す
ことも出来るけれど、あまり込み入ったことは国家機密に該当する
から話しにくいしね﹂
なんで国家機密とか知っているんですかアナスタシア様。
65
朝食の後はまた掃除だ。掃除、掃除、掃除⋮⋮
掃除以外の仕事をさせてもらっていない。そりゃ料理なんて出来
ないけどさ。
洗濯くらいならと申し出たのだが、洗濯機なんて存在しない。飛
行機があるのに納得出来ん。
そうでなくとも家主親子の衣類は高級品なので、この先も洗濯を
任せてもらう機会はないとか。
別にアナスタシア様やソフィー嬢の洋服を⋮⋮なんて思ってない
ぜ。本当だぜ!
﹁なにニヤニヤ笑ってるのよ﹂
不審気な目でマリアに見られた。
ただいまマリアと一緒に廊下の掃除中である。
﹁⋮⋮⋮⋮ふっ﹂
﹁答えなさいよ﹂
ハタキで叩かれた。
﹁仕事に関わる考え事だよ、もっと別の仕事も出来るようになれれ
ばなって﹂
どうだこの爽やかな切り返し!
﹁どうせソフィーの服の洗濯とかしたいなぁ、とか考えてたんでし
ょ﹂
66
﹁なぜばれた?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
﹁へんたい﹂
少女に変態呼ばわりとか。
﹁ありがとうございます﹂
頬を引き攣らせて後退していった。なにか気に障ることを言った
だろうか。
マリアが沈黙のまま仕事に戻ったので、俺もそれに習う。
精神年齢はこちらが上なのだ。仕事で劣り続けるのもささやかな
プライドが傷付く。
見ろ、この神速の掃除技術︱︱︱!
﹁仕事が雑になってるわよ﹂
﹁すいません﹂
﹁はぁ、年上の面目がなぁ﹂
67
ソードシップ
せきよく
中庭で飛行機の紅翼を眺めつつ溜め息を吐く。
昼食後の遊び時間。子供は自由時間の多さでも、大人より優遇さ
れている。
マリアは麓の村まで遊びに出ているそうだが、俺は大抵ここで紅
翼を眺めていた。
人型機は村の正面に停めてあるので、ちょっと遠いい。昨晩は我
慢しきれずコックピットで寝てしまったが。
﹁仕事って奥深いな、メイド舐めてた﹂
時間的に大して働いてもいないのに、体はくたびれてしまってい
る。
肉体が子供に戻ったのも、自身の体力に釈然としない理由の一つ
だと思うけど。
体を解そうと思い立ち、おぼろげな記憶に従いラジオ体操の真似
事をする。
﹁ん?﹂
中庭を取り囲む半開放式の回廊、その柱の一本に白い影が横切っ
た⋮⋮気がする。
注視していると、柱の背後から白い髪が覗いていた。
高さは一メートルほど。アナスタシア様がしゃがみ込んでいる可
能性もあるが、まあ普通に考えれば⋮⋮
﹁ソフィー嬢か?﹂
片方だけはみ出ているツインテールが跳ねた。俺に用事だろうか?
ソフィーは午前は自室でお勉強の時間、午後は自由な遊び時間と
68
なっている。教師は母親だ。
貴族って、娘の世話を自分で行うイメージないけど。教育係とか
お世話係とかさ、娘専属でいるもんじゃないか?
使用人は実質一人だし、そもそもこの人達が貴族なのかも断定出
来ていないのだがな。
回り込んで捕まえようかと思ったが、遭難以来ソフィー嬢はひた
すらに俺を避け続けた。本気で逃げられたらショックなので腰を据
えて待つ。
こうなったら持久戦だ。土の上に正座してソフィー嬢の隠れた柱
を睨む。
ソフィー嬢が少し頭を出して、正座した俺を見てビクリと震えた。
さあ、こっちは文字通り待ちの姿勢だ! 来い! 来い!!
そろそろと近付いて来るソフィー嬢。最初より怯えた様子なのは
きっと気のせい。
﹁あたま﹂
頭?
そんな、体の部位を単語一つで言い表されても。名詞オンリーと
か難易度高い。
とりあえずソフィー嬢の頭を撫でてみる。
﹁⋮⋮むぅ﹂
顔を赤く染め上目使いで睨まれた。ハズレか。
ソフィー嬢が俺の眼前に手の平を翳す。
ちっちゃな手だ。自分のそれと重ね合わせてみる。
子供となった俺の手は、彼女のそれより少し大きいだけ。
﹁⋮⋮むぅぅ﹂
69
これもハズレのようだ。この小さなお嬢様はなにがしたいのだろ
う?
﹁あたま﹂
手の平にあたま。
﹁頭﹂じゃなくて﹁あたま﹂なのがポイントだ。
というか、もしかして。
少し屈んで頭を差し出す。
︱︱︱撫でられた。
あまり気持ち良くない。
ソフィー嬢は撫でるより撫でられる機会の方がずっと多いだろう
しな。
しかし羞恥を堪えてひたすら手を動かし続ける少女を至近距離で
眺められるのは何者にも代え難い特権ではなかろうか。
それに頭を撫でるのって、それ自体はさして心地よいものでもな
いんじゃないか?
こう、なんていうかさ、無防備に頭を差し出す信頼感?
うん、なんかいい。物理的じゃなくて精神的に気持ちいい。
﹁あー。ソフィー嬢?﹂
﹁ソフィー﹂
ガシガシと頭を撫で続けるソフィー嬢。髪が引っ張られて痛い。
髪質悪くてごめんなさい。
﹁私、ソフィー。ソフィージョーなんて名前じゃない﹂
70
嫌だったのか。まあ慣れない呼ばれ方って気になるよな。
﹁ソフィー様はいいのか?﹂
キャサリンさんはそう呼んでたが。
﹁貴方はキャサリンさんじゃない﹂
⋮⋮そうじゃない。
ピンときた。これは愛称呼ばれ方云々の話じゃない。
ただの口実だ。
﹁俺と仲良くしたいのか?﹂
﹁∼∼∼∼!﹂
横に往復していた手が上下運動に変わった。
﹁いてっ、やめ、叩かないで﹂
正座して美少女に頭を叩かれる俺。
なにこれご褒美?
しばしのご満悦タイムの後、疲れて腕を下ろしたソフィー嬢⋮⋮
ソフィーに問う。
﹁それで、なんで俺の頭を撫でてくれたんだ?﹂
﹁落ち込んでた﹂
誰が? 俺がか?
71
﹁落ち込んだ時、おかーさんが撫でてくれるから﹂
﹁⋮⋮確かに仕事がうまくいかなくて意気消沈してたかもしれない
けど、君に心配されるほどだったか?﹂
﹁ソフィー﹂
意地でも名前を呼ばせたいらしい。
﹁最初から落ち込んでた﹂
﹁最初?﹂
﹁会った時﹂
そういえば、あの晩も背中を撫でられたっけ。
でもあれとは別だろう。もっと、根本的な⋮⋮
﹁間違いだった?﹂
﹁間違い⋮⋮じゃ、ないかも﹂
異世界に来て悲しいと思ったことはない。
ただ、寂しいとは感じ出していた。
きっとこの心に空いた穴は、これからどんどん大きくなっていく
んだろうな。 ﹁や、ごめん、間違いだ。全然平気だし。男だし﹂
72
でもやっぱ、こんな小さな少女に弱いところは見せられない。
﹁そうなの?﹂
﹁そうなの﹂
ただ、だから、今はこの言葉だけを送ろうと思う。
﹁ありがとう﹂
急に現れた得体の知れない男を慰めてくれた、優しい少女に感謝
したい。
﹁ありがとう、ソフィー﹂
数瞬の間が流れた。
⋮⋮変なこと言ったか?
硬直したソフィーの前で手を左右に振る。
﹁あう﹂
茹でタコのように真っ赤に染め上がり、挙動不審に周囲に視線を
巡らせる。
﹁ち、ちがうの、そうじゃないの、あれなの、ああいうの﹂
どういうの?
﹁きゃうぅ﹂
73
一目散に逃げてった。
あれか、急に自分がやっていることに気付き、我に返ったのか。
﹁気が向いたら﹂
去りゆく小さな背中に声をかける。
最初以降、彼女に名を呼ばれたことがないことを不意に思い出し
たのだ。
﹁気が向いたら︱︱︱﹂
だが聞こえなかったのか無視されたのか、ソフィーは足を止める
こともなく屋内へのドアへ消えていった。
届かぬと知りつつも、言葉を続ける。
﹁︱︱︱俺の名前も呼んでくれ﹂
と、思ったらドアの隙間からひょっこりと顔を出して小さく呟い
た。
﹁⋮⋮レーカ﹂ モグラ叩きのように機敏に頭を引っ込めて、タタタタタと走り去
っていくソフィー。
俺は開きっぱなしのドアのスリッドから、揺れる白髪を見続けて
いた。
﹁なにあれかわえぇ﹂
今日はこの屋敷のお嬢様と少しだけ仲良くなれた。
74
まやま れいか
真山 零夏、異世界3日目の昼の出来事である。
75
白き美女とメイド美女︵後書き︶
NGシーン
何がしたかったのか作者自身解らないボツ。
﹁グズと呼んで下さい﹂
今日も今日とて仕事を完遂出来なかった俺は、廊下でたまたま出
会ったソフィーの前で正座していた。
﹁ぐ、ぐず?﹂
困惑するソフィー。
だがしかし、俺は更なる罰を所望する。
﹁もっと﹂
﹁ぐずっ﹂
戸惑いつつも、振り絞る感じがラブリー。
﹁もっと! MOTTO!﹂
﹁ぐずっ、ぐずっ!﹂
76
つい調子に乗ってオカワリを催促する俺に、ソフィーも自棄にな
ってきた。
﹁イイ! イイヨ! モット、モットオネガイ!﹂
﹁愚図!!﹂
なんで私こんなことしているの、と彼女の顔にはありありと浮か
んでいる。
﹁フヒヒィ! アリガトーウ!﹂
THE☆開眼
﹁いやあぁぁ、おかあさーん!﹂
泣いて逃げられた。
ガイルに殴られた。
キャサリンさんに踏み躙られた。
アナスタシア様に困った顔で注意された。
アナスタシア様の説教が一番堪えた。
77
紅の翼と娘バカ
﹁ふふ﹂
思わす声が漏れる。
﹁やっぱり可愛いな、お前は﹂
俺は柔らかいラインを描く彼女に触れる。
﹁綺麗だ。お前は本当に美人さんだ﹂
真っ赤に染まった彼女。俺は優しく指をなぞらせる。
﹁︱︱︱脱がすよ﹂
一つ一つ、留め金を外す。焦らすように、そっと。
﹁心配しないで。お前の華奢な体を、壊したりなんかしないから﹂
繊細としか形容不可なそれは、正しく芸術品。
傷付けるなど、許されるはずがない。
﹁少し開いてみようか﹂
そっと腕に力を籠める。
微かな抵抗を覚えつつも、彼女は大事な場所を俺に晒した。
⋮⋮息を飲む。
78
﹁綺麗だ﹂
目を見開き凝視する。
﹁綺麗だ。︱︱︱綺麗だ﹂
うわ言のように繰り返す。
﹁指、入れるよ﹂
複雑に絡み合うそこを確認するように、静かに指先を進める。
せきよく
﹁ああ、凄い。凄いよ︱︱︱紅翼﹂
﹁お前はさっきからなにを言っているんだ﹂
横槍の声に振りかえれば、ガイルが怪訝な目を俺に向けていた。
﹁なにって、そりゃ﹂
俺は目の前を見る。
﹁エンジン整備﹂
ソードシップ
只今、ガイルに付き添って飛行機の整備中。
解析の魔法で機体内部を解析すれば、専門的な知識がなくとも機
械の整備が出来ると気付いた時は狂喜乱舞のあまりコサックダンス
を踊ってしまった。
細やかな情報まで頭に流れ込んでくるので処理しすぎると頭痛を
79
催すのだが、トラブルの箇所や解体の手順、果ては実働させた場合
のシミュレートまで頭の中でこなせるのだ。素晴らしい。
いやしかし、エンジンカウルの中ってエロいです。
﹁⋮⋮あ、そうだ﹂
俺は常々疑問だったことを単刀直入に訊いてみることにした。
﹁ガイルって所謂﹃働いていない系﹄の人?﹂
ニート
﹁働いてるよ誰が自宅警備員だバカヤロウ﹂
ソードシップ
﹁そうなのか? いっつも家にいるし、たまに出掛けると思ったら
村に買い物しに行くだけだし、飛行機でアクロバット飛行して遊ん
でるし﹂
﹁フライトが仕事だとなぜ推測しない﹂
曲芸飛行
﹁アンタは仕事の帰りにアクロかますのか?﹂
そもそも空飛ぶ仕事ってなんだ。
﹁いいだろ別に。あんなもん曲芸飛行に入るかよ﹂
﹁中庭へのアプローチにコブラで減速しつつ高度を下げる変態は言
うことが違うな﹂
紅翼がウイリーしながら降りてきた時は開いた口が塞がらなかっ
た。無意味に危ないことすんな。
80
﹁で、結局何の仕事をしてるんだ?﹂
﹁自由天士﹂
なにそれ。
﹁フリーのパイロットってことだよ﹂
﹁臨時の雇われパイロットってこと?﹂
﹁そういう意味合いもあるが、広義では軍に所属していないパイロ
ット全般を指す言葉だ。民間商会や航空事務所と契約しているパイ
ロットもフリーに分類される﹂
民間商会や航空事務所、まあなんとなくどんな組織かは判る。
﹁ガイルはそういう場所から仕事を斡旋してもらっているのか﹂
通りで不定期に外出するわけだ。
﹁いや、俺は事務所にも所属していない。個人で活動している﹂
思わずガイルを見やる。
必然的に見つめ合う俺とガイル。
﹁⋮⋮なんだ、その憐れむような目﹂
﹁友達いないんだ﹂
﹁待て。なぜそうなる、友達くらい︱︱︱﹂
81
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
ガイルはしばし逡巡し、
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
俺を指差した。
﹁うわ﹂
とりあえず、指先の延長線上から避けた。
﹁ないわー。圧倒的子供をダチ呼ばわりとかないわー﹂
﹁うっせ。仲のいい仲間は前の戦争でみんな死んだんだよ﹂
﹁戦争なんてあったのか?﹂
﹁ああ、とびっきり酷いのがな﹂
ガイルの顔に影が差したのを察し、話題を変える。
﹁なんにせよないわー。出会ったばっかの異世界出身者を友達とか
ないわー﹂
﹁むしろお前の厚かましさが驚きだ。世話になってる家の家主にな
んでそんなにフランクなんだ。場の空気は歳不相応に読める奴なの
に﹂
82
﹁おや、そんな評価だったのか?﹂
ガイルからはてっきりただの馬鹿扱いされてるとばかり。
﹁馬鹿扱いは大前提だが﹂
さよか。
アナスタシア
﹁ナスチヤには一線を引いて接しているだろ、身分とかそういうの
を考慮して。大人とは言い難いがガキとも思えん﹂
頭脳は大人、体は子供!
﹁とにかくなんでそんな対応なんだ。別にいいけどよ﹂
﹁だってガイルだし﹂
モンキーレンチで殴られた。
﹁てめぇ、刑事ドラマ殺人凶器出演ランキング8位︵暫定︶のモン
キーとか下手すれば殺人沙汰だぞ﹂
鈍器のような物といえばこれ。
栄光の1位は当然包丁だな。
﹁まあ仕事をしているのは理解したけどさ﹂
頭を撫でながら地球の歴史を思い返す。
﹁でも楽じゃないだろ、それ。国家とか民族とかくだらないスポン
83
サーをしょって飛ぶしかないんだ、って昔のイタリア人は言ってた
ぞ﹂
﹁どこだよイタリアって﹂
ソードシップ
飛行機は維持にも運用にも莫大な予算を必要とする。それはきっ
と飛行機でも変わらない。
ソードシップ
﹁金持ちの道楽ならともかく、個人が仕事として飛行機を運用する
のは無茶じゃないか?﹂
例えこの世界の航空機が垂直離着陸を可能とし、大規模な施設を
必要とせず使い勝手がいいとしても、だ。
地球で個人が自由に空を飛べたのは飛行機発明黎明機から第二次
世界大戦まで。航空法が完成しておらず色々といい加減だった時代
に、個人の資産で扱えるしょぼっちい飛行機を乗り回すだけだった。
現代ではそうはいかない。空は狭くレーダーという金網で覆われ、
無限に続くように見える水平線もまた、国境という柵で囲まれてい
る。
この時代、小さなラジコン飛行機すら下手に飛ばせば怒られる。
飛行機の操縦桿を握りたければ自衛隊に入隊し首輪を付けるしか
ないのだ。その場合でも命令という束縛によって自由な空など望め
ない。
本当の意味で空を楽しみたければ、よっぽどの金持ちになるくら
いしか手段はない。
てんし
﹁⋮⋮確かにな。金払いのいい軍隊を選ぶ奴も多い。自前の飛行機
で満足な生活が出来るのは一握りの、一流の天士だけだ﹂
﹁さっきも言っていたが、テンシってなんだ?﹂
84
﹃天使﹄じゃあるまい。
﹁天士は天士だろ、天を舞う騎士だ﹂
ガイルは指先で地面に﹃天士﹄と書く。
この世界って異世界なのに漢字、日本語使うんだよな。俺の頭に
翻訳魔法でもかけられて日本語と認識しているだけなのか、マジで
日本語使っているのか。
まあ便利だからいいけど。
地面の﹃天士﹄を見つめていると、不意にピンと得心した。
﹁⋮⋮ああ、パイロットのことか﹂
日常会話は可能なのに時折意味不明な用語が残ってるとか、なん
とも中途半端な翻訳魔法である。
﹁っていうか、今自画自賛入ったよな。自分は一流です的な﹂
﹁また殴られたいか?﹂
﹁まあ、そうツンツンするな、禿げるぞストレスで。禿げろよスト
レスで﹂
美人でビューティポーな奥さんに加え、天使のようにエンジェル
な子供に恵まれるなんて。
改めて思い返せば、なんて充実してやがるんだこの男は。
﹁裏路地で刺されればいいのに﹂
85
﹁唐突に酷い言いようだなオイ﹂
おっと、つい内心を吐露してしまった。
﹁バールの釘抜きの方でグリグリって抉るように刺されればいのに﹂
﹁イメージが痛々しいわっ!﹂
スパンと叩かれた。
﹁あまり簡単に叩くな、馬鹿になったらどうする﹂
﹁⋮⋮そうだな、注意しよう﹂
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
﹁ボケ殺し⋮⋮ッ!﹂
﹁付き合いきれんだけだ﹂
下らない会話の応酬を繰り返しつつ、今後について思いを巡ら
せる。
⋮⋮ふむ。
﹁ガイル、この世界では航空機が身近な乗り物なんだよな?﹂
﹁さてな﹂
86
まさかのはぐらかし。
﹁お前の住んでいた世界を知らないから何ともいえないが、そうな
んじゃないか?﹂
答えようがなかったのも解るが、なんとも適当な返事である。
この世界、セルファークでは航空機を見かけることがやたら多い。
ひちゅうせん
航空機といっても飛行機を目撃したのはこの紅翼ただ一機。この
村で見かけるのは大半が飛宙船という、つまり不思議パワーで浮か
ぶ空飛ぶ船だ。
どちらが優れているかではない。どちらも使用用途に合わせて機
能美を追求した、完成された道具だ。
スーパーカーと大型トラックを比べでも仕方がない、そんな関係
である。
飛宙船は飛行機と比べ、速度が劣る代わりに操作性と積載量で勝
る。浮遊装置が大型なので質量・体積こそかさむが、汎用性という
意味では飛行機を圧倒しており、世の中の主流であるのも納得とい
ソードシップ
うものだ。
対して飛行機は飛宙船より加速及び速度で勝る。浮遊装置を離着
陸でしか使用しないので小型のもので済ませることが出来、水平飛
行中はエンジンに全魔力を注ぎ込めるからだ。
航空機が生活と密着したこの世界、大人であれば大抵は飛宙船く
らい扱える。逆に言えば、飛宙船もなしでは職に就けない。
つまり、操縦学べば色々便利!
﹁ガイル、飛行機の操縦教えてくれ!﹂
ちゃっかり飛宙船ではなく飛行機なのは、やはり翼は男の憧れだ
からである。
パイロットを夢見ない男なんて、いないだろ?
87
しかしガイルは﹁やだ﹂と端的に即答で拒否りやがった。
﹁なんで﹂
﹁お前素質なさそうだし、鈍臭そうだし﹂
勝手に決めつけるな。
﹁運動神経はいい方だ﹂
﹁⋮⋮飛宙船ならまだいいんだがな、飛行機は危な過ぎる﹂
﹁事故か?﹂
﹁そうだ。数百キロで飛行する飛行機は、優れた反射神経と判断能
力を必要とする。その上、一度事故が起きれば搭乗者はまず助から
ない﹂
﹁そうそう事故なんておこらないだろ﹂
﹁そう思っているうちは絶対に教えられないぞ。未熟者や子供が面
白半分で乗り回して、結果大惨事に繋がったなんて話は多々存在す
るんだ﹂
おや、と首を傾げてしまう。
飛行機事故の確率は限り無く低いと聞く。むしろ海上を行く船の
方が事故が多いのではなかっただろうか。
﹁って、そうじゃない、違う違う。前提からして違う﹂
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地球での飛行機の運用は厳しい安全基準と整備の上、過酷な訓練
を受けたパイロットが操縦する。こっちの世界はその辺がいい加減
なのだろう。
﹁言いたいことは解った。けど危ないならなんで資格制度になって
いないんだ?﹂
﹁資格制にしたところで今更誰も気にしないさ。航空機はこの世界
に溶け込みすぎた﹂
地球でいえば、チャリ乗るのに資格なんてとってられっか、っつ
ーことか。
﹁あと一応あるんだぜ、航空機の運転免許って﹂
﹁あるんかい!?﹂
びっくりするほど機能してねぇ!
﹁一般人で取得する奴は滅多にいないが、航空事務所なんかに所属
する奴は取っているな。仕事の依頼主が実力を計るのに必要だから
だろう。いや、ギルドの加入条件にもあったっけ⋮⋮﹂
頭をひねりながら胸ポケットから取り出したカード、そこには﹃
シルバーウイングス ガイル?ファレット?ドレッドノート﹄と明
記されていた。
シルバーウイングス。銀翼の天士、ね。
﹁⋮⋮事故の可能性は理解した、けどやっぱり飛行機は乗ってみた
い。頼むっ﹂
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真っ直ぐ頭を下げる。恥も意地もへったくれもない。
空を自由に飛びたいな、なんて、小学校が抱くようなたわいもな
い夢だ。
けれどそんなたわいもない夢が、今この場に形としてある。
仕事を得るのに有利とか便利とか、そんなつまらない理由ではな
く。
空を飛びたい。見上げるしかなかった雲を、上から見下ろしたい。
上半分でさえ俺を魅了してやまない空、それに三六〇度全てから
包まれてみたい。
﹁目の前にあって、手も届いて。それでも掴み取れないなんてオア
ズケは、もうごめんだ﹂
それはまさに渇望。
日本では到底叶わぬ夢が、目の前にある。
﹁必要なことは覚える。仕事も頑張る! だから、俺に︱︱︱﹂
﹁⋮⋮ったく﹂
ガシガシと頭をかくガイル。
﹁上手くねぇぞ、教えんの﹂
﹁教えてくれるのか!?﹂
﹁教えねぇよ﹂
えー。
90
﹁教えはしないが、紅翼をたまに貸してやる。あとは自力で感覚を
覚えろ﹂
﹁いきなり単独飛行とか馬鹿じゃね?﹂
﹁機銃を一つ外せば座席が一人分生まれる。本来はソフィーに操縦
を教えるために追加した装備だ﹂
機体を叩いてみせるガイル。その装甲板には確かに取り外せそう
な四角い切り込みが走っていた、マリアが乗っていた席だ。
﹁ソフィーに同乗してもらえ﹂
﹁ふむ、逃避行しろと?﹂
拳骨が降ってきた。
﹁悪いがぺったん娘には興味ないんだ﹂
﹁それに関しては同意だ。安心しろ、ソフィーはナスチヤに似てグ
ラマラスな美人になる﹂
﹁安心しろと申すか。なんだかんだ言って俺に任せる気なんだな﹂
背負い投げされた。
﹁というか、ソフィーの操縦は人に教えられるほどなのか?﹂
上下逆さまになったガイルに問う。墜落したのは整備不良とはい
91
え、ちょっと怖い。
﹁お前の万倍上手いっての。俺には及ばないがな﹂
万倍というが、ゼロ︵経験一切なし︶に一万掛けてもゼロのまま
である。
﹁即ち俺は貴様と並んだ⋮⋮!﹂
﹁お前、今日は絶好調だな﹂
飛行機いじれてハイテンションです。
﹁飛行機乗りたいなら体を鍛えとけ。今も昔も天士は体力勝負だ﹂
﹁これでも運動神経には自身があるんだぜ?﹂
﹁ほー﹂
全く信用していない声色で返された。
﹁本当だぞ? これでも小さい頃から武芸十八版とか、その辺を仕
込まれているからな﹂
﹁お前は騎士の家系かなにかかよ﹂
すげぇ、武芸十八版が通じたぞ異世界。
﹁まあ護身術とかそういうもんだろ、結局俺が興味を持ったのは機
械系だったが﹂
92
生身で強くたって拳銃一つに適わない、それが戦場。
﹁そういやさっき背負い投げした時も受け身取ってたか?﹂
﹁やっと気付いたか。つか受け身取れるか判らない相手を投げるな﹂
頭を打ったら冗談抜きで危ない。
﹁運動は出来ると考えていいんだな?﹂
むむむ、これは実演して見せねばなるまい。
﹁ふん、︱︱︱刮目しろ﹂
立ち上がり、腰を低く構える。
﹁いくぞ︱︱︱!﹂
カバティカバティカバティッ!
ふふん、どうだこの華麗なキャント!
﹁どーや!﹂
自慢顔でガイルを見やった。
ガイルの側でソフィーが瞳を興味深げな色に染めていた。
﹁⋮⋮ソフィーさん、イツカラ見テタ?﹂
一歩二歩三歩、後退するソフィー。
93
﹁コレハ、ユイショ正シイ、スポーツデ⋮⋮﹂
﹁こういう人がいたら近付いてはいけないぞ。お父さんとの約束だ﹂
﹁うん﹂
踵を返し駆け去っていくソフィー。膝から崩れ落ちる俺。
﹁⋮⋮は⋮⋮はは⋮⋮ははは﹂
気付くと、喉から乾いた笑いが漏れていた。
﹁⋮⋮はは。笑えよ。どうせ俺のことを馬鹿だと思ってるんだろ﹂
﹁それ以外の何があると﹂
いかん、涙が。
﹁泣くなよ。ククク﹂
性悪不良親父め。
﹁泣くか! ガキじゃねえんだら泣くか! バーカバーカ!﹂
﹁ベッドの中で泣いているくせに﹂
ギギギと油切れのような音を発て、俯いていた顔を上げる。
﹁なぜ知ってる﹂
94
﹁そりゃ、聞いたからな﹂
そうじゃない。
﹁なんで深夜に倉庫まで来た﹂
俺が部屋として使っている小屋は、母屋から少し距離を置いてい
る。たまたま通りかかるような場所じゃない。
﹁どっかのマセガキが泣いていないかと思ってな﹂
わざわざ気配消して忍び寄ったんかい、暇人がっ!
﹁アナスタシア様に泣きついてやる﹂
ん、待て!? あの豊満な胸に飛び込む⋮⋮ふむ、我ながら恐ろ
しい発想力だ。
﹁それはないな。お前はいっちょ前に女の前じゃ虚勢を張る男だ。
ナスチヤに弱さを自ら晒すことはあるまい﹂
ぬぐぐっ!
﹁対して俺はナスチヤに甘え放題だな。いやー色男はこまるぜー﹂
わざとらしい棒読みだぜー。
﹁ふん、精々情けない姿を晒して愛想尽かされるがいいっ!﹂
95
﹁ナスチヤがそんな狭量な女に見えるか?﹂
畜生っ! ガッテーム!
﹁クケケケケ﹂
くそっ、なにかないか! この馬鹿男に一泡吹かす方法!?
﹁⋮⋮はっ!﹂
そうだ、あれがあった。
﹁さめ、られたぜ⋮⋮﹂
﹁なに?﹂
﹁ソフィーに、慰められたぜ!﹂
沈黙が降りた。
﹁ま、ままま、まままままま、まあ、あの子は優しい娘だかららら
らら﹂
動揺し過ぎだろいくらなんでも。
だが俺は攻勢の手を緩めない。これで積みだっ!
﹁なでなでされた、んだぜぇえ!!﹂
﹁畜生! 俺でさえ、俺でさえされたことないのにぃ!﹂
96
﹁ククク⋮⋮ハァーハッハッハ!﹂
哀れよのう! 哀れよのうガイル!
お前の娘の初ナデナデは俺が奪わせてもらった!
高笑いを上げる俺、慟哭を上げるガイル。
不審な二人のやりとりは、何事かと出てきた屋敷の住人達に見ら
れていると気付くまで続いた。
97
三人組と青空教室
少年は瞑目していた。
微動だにせず。揺るぎもせず。
ただ、ただ草の香りの風を受けていた。
館と村の中間。草原の中で小さな、ほんの数十センチ程度の崖と
なった場所で彼はひたすら立ち尽くす。
彼の前にはゼェーレスト村。少年が新たに住まうこととなった小
さな自然村。
ゆっくり瞼が持ち上がる。
その瞳に宿るは憂いか、嘆きか。
ターゲットインサイド
﹁目標視認﹂
事務的な確認作業。
機械の如く無機質に少年は言葉を発した。
﹁第一目標との接触後、第二目標の調査活動へと移行する﹂
脳内で描かれる村の俯瞰図。
幾たびも作戦のシュミレートを繰り返し、最善手を導き出さんと
する。
やがて、彼の中で一つの作戦が完成した。
﹁オペレーション﹃OTUKAI﹄発令﹂
汗ばんだ手の平で握っていた紙を広げる。
この指令書こそ、本作戦の要。否、全てといって過言ではない。
98
﹁状況開始﹂
一歩踏み出そうとして︱︱︱ようやく、自分の足が震えているこ
とに気付いた。
﹁くっ⋮⋮びびっているってのか、俺が⋮⋮!?﹂
腿を叩いて叱咤するも、一度怖じ気付いた足は簡単には動かない。
情けない。情けなさ過ぎる。
﹁ハハ、笑え﹁さっさと行けや!﹂
れいか
ガイルに背中を蹴っ飛ばされ、小さな崖を転げ落ちる我らが主人
公。
今日は零夏君の村デビューである。
﹁いやさ、別に引きこもっていたわけじゃないんだよ?﹂
見知らぬ俺に対する村人の好奇の視線を集めつつ、俺は隣を歩く
マリアに弁明していた。
﹁たださ、ほらね? 飛行機って格好いいじゃん﹂
﹁じゃん? とか言われても困るわよ⋮⋮﹂
99
飛行機の格好良さが解らないとは、人生の一〇割を損している。
﹁ソフィーだったらきっと解ってくれるのに﹂
﹁それはないわね﹂
断言された。
ソードシップ
ソードシップ
﹁あの子は飛行機に愛着こそ抱くけれど、格好いいだとかそういう
感想は持たないわ。あの子にとって飛行機は空を飛ぶための道具で
あり、翼よ。男と違って女は空に余計なものを持ち込まないの﹂
マリアは異世界出身の俺より飛行機の知識に乏しい。
だというのに彼女の言葉は、俺の中の何かを少しだけ、しかし確
かに抉った。
﹁とにかく﹂
咳払いを一つ。
せきよく
﹁とにかく、俺は悪くない。悪いのは俺を魅了する紅翼だ﹂
せきにんてんか
﹁責任転嫁﹂
ズバッと切り捨てられた。
﹁五年後また来てくれ﹂
﹁え?﹂
100
言葉責めも悪くはないが、話はもう少し大人の女性になってから
だな。
変態? シラナカッタノ?
きっとマリアもキャサリンさんのような美人になるだろう。今か
ら楽しみだ。
下心なんかじゃないぞ。美女美少女は見て愛でるものだからな。
﹁ところで村に出かける時もメイド服なんだな﹂
﹁今は仕事中よ﹂
﹁そだったの?﹂
初耳だ。てっきり自由時間かと。
﹁ええ。今一つ冴えない後輩のお守りをしなきゃ﹂
﹁大変だな、先輩ってのも﹂
間髪入れず他人事のように返すのがコツである。
﹁⋮⋮なぜかしら。イラっとしたわ﹂
﹁牛乳飲め。胸も大きくなるぞ﹂
﹁むっ⋮⋮!?﹂
牛乳による苛立ちの沈静化と胸のサイズアップが迷信なのは秘密
だ。
101
﹁デリカシーのない人ね!﹂
俺の思う以上にセクハラがショックだったのか、マリアは眉を釣
り上げ踵を返してしまった。
突然の出来事に困惑が先に来て、呼び止めることも出来ぬまま見
送ってしまう。
﹁⋮⋮しくじった﹂
子供のマリアにセクハラ発言をしても楽しくないし、単に友達の
ノリで下品な話をしただけなんだけど。
﹁繊細な年頃って奴だったかな﹂
マリアは一三歳、二次成長の時期だ。性に関しては色々と不安定
だったのかもしれない。
後でちゃんと謝っておこうと決意し、俺は目的地である商店への
歩みを進めた。
村に一つの雑貨屋さん。
王都で入荷を行うこの店は、日用品から都会の流行品まで、ゼェ
ーレストでは生産不可能な品々を手に入れる唯一といっていい手段
である。
﹁こんにちは﹂
102
﹁ん、おお、いらっしゃい。見ない顔だね﹂
店番の初老の男性は、どうやらうたた寝していた様子だった。
﹁はじめまして。丘の上の屋敷に住まわせてもらうことになったレ
ーカと申します。OTUKAIに来ました﹂
自己紹介しつつキャサリンさんが書いたメモを渡す。
﹁ああ君が⋮⋮どうだいこの村は?﹂
﹁新しい生活に慣れるのに忙しくて︵若干嘘︶、村に降りたのは今
日が初めてなんです﹂
だから判らないと正直に告げる。のどかだとか静かだとか、適当
なことを言って茶を濁すよりはマシだろう。
﹁そうなのか。都会と違ってゼェーレストは色々と不便も多いだろ
うが、なに、ここじゃ誰もせわしなく生きることを強要しないさ。
ゆっくり馴染めばいい﹂
雑貨を袋に納めつつ口を動かすおじさん。なぜだか俺が都会育ち
と確信しているような?
﹁そうします。おじさんは都会の人だったんですか?﹂
雰囲気が少し垢抜けているし、物事を捉える視点が都会基準だ。
﹁この村生まれこの村育ちだよ。ただ商人の修行時代は王都に住ん
でたし、今でも週に一度はあっちへ仕入れにいかんきゃいけないか
103
らね。君が都会の人間だってことくらいは解るさ﹂
この村と比べれば大抵の場所は大規模といっていいと思う。現代
日本なら尚更だ。
﹁ほれ、メモにあった分の品だ﹂
﹁ども﹂
商品と交換に硬貨を渡す。この世界、セルファークには紙幣はな
いそうだ。存在の有無をレイチェルさんに尋ねたところ﹁紙では破
けるし偽物を作られるだろう﹂と返された。
﹁こっちにいたぞー!﹂
ん?
﹁エドウィン、お前は裏から回り込め! 俺は正面から追い立てる
!﹂
﹁了解っ﹂
商店の前を二人の男の子が走り抜けて行った。
﹁なんだありゃ?﹂
﹁さてな、どうせまた下らんことだろ﹂
慣れているのかそれ以上気にする様子もないおじさん。
104
﹁ふむ﹂
見た感じ今の俺と同じ頃だったよな。
﹁この村に、俺と同い年くらいの子供ってどれくらいいますか?﹂
﹁そうさね。さっきの二人と⋮⋮あと一人いるだけだな。それとソ
フィー様とマリアちゃんか﹂
つまり俺を含めても六人か。
﹁少し年上の成人したてな奴や、また言葉も不自由なちびっ子なら
いるがね﹂
﹁この歳ではその差は大き過ぎます。ところで﹂
先程の言葉で気になった部分を訊ねる。
﹁ソフィーに様付けしていましたけど、彼らの身分をご存じなので
すか?﹂
﹁学のない俺にはやんごとない身分のお方、ってことしか判らんね。
村の噂では貴族だとか王族だとか囁かれているが﹂
アナスタシア様はとにかく、ガイルが王様とかまじうけるー。
とっと、そうじゃない。ガイルのことなんて置いといて、今さっ
き閃いた思い付きを実行しなければ。
﹁あの、袋を一旦預かってもらえませんか?﹂
105
﹁どうしてだい?﹂
俺は少年二人が走り去って行った方角を視線で示し、
﹁小さな村ですし、交流くらいあった方がいいかなって﹂
おじさんは察したようで頷いてくれた。
﹁そうかい、なら行ってきなさい﹂
﹁はい﹂
おじさんに一礼。荷物を手渡し、俺は少年達を追い掛けた。
﹁ふっふっふ、遂に追いつめたぞニール!﹂
﹁今日こそ僕達の勝ちだ!﹂
なんという負けフラグの口上だ⋮⋮
彼らの子供特有の小回りの良さで若干見失いそうになりつつ辿り
着いたのは、村外れの岩場。これ以上外に出れば魔物に遭遇すると
いう、ギリギリのラインだ。
少年二人は巧みに回り込み、この小さな細道へとその人物を誘い
込んだ。
女の子だ。肩あたりで切り揃えられた黄色に近い金髪と勝ち気な
瞳が印象的な、お転婆そうな少女。スカートを穿いていなければ男
106
の子だと勘違いしてたかもしれない。
少女を追い詰める二人の少年。
イジメか、或いは犯罪的な香りすら漂うシチュエーションだが、
もう少し様子を窺うことにする。
なんというか、少女に余裕があり過ぎるのだ。
ジリジリと迫る少年二人、その様をあざ笑うように首を横に振る
少女。
﹁あのねぇ⋮⋮これが考え抜いたって作戦? ちょっとひどいわ﹂
﹁なんだと?﹂
俺口調の少年が足を止める。
﹁マイケル、惑わされないで。ニールは追い込まれたら相手の動揺
を誘って窮地を脱しようとすることがある﹂
もう一人の少年は警戒を緩めぬまま、静かに移動して少女の退路
を断つことに努める。
少女、ニールはその様を笑みを堪えられない風に眺めていた。
相手に不快さを与える笑みではなく、悪戯心から漏れるような子
供っぽい喜色だ。
﹁追い詰めるっていうのは悪くない。でも、包囲網を維持するのに
二人ってことは、更に決定打を与えるにはもう一人必要になるんじ
ゃない?﹂
ぴたりと止まる少年二人。
﹁ほら、どうしたのよ? かかってきなって、逃げるけどね﹂
107
挑発するニール。
ふぅむ⋮⋮果たしてどこまでがブラフだ?
ニールはもっともらしく﹁襲いかかれば隙が出来て逃げ出せる﹂
と言っているが、実際はそこまで杜撰な退路の絶ち方ではない。俺
はそう感じる。
その前提で考えれば、やはり彼女が狙うのは⋮⋮
﹁こ、このっ!﹂
﹁マイケル、駄目っ!﹂
エドウィン少年が叫ぶも、マイケルは既に焦りにかられたまま木
刀を振りかぶり少女に襲いかかっている。
﹁ちょーっと待ったあぁ!﹂
思わず叫んでいた。
驚いて俺を見るエドウィン。マイケルは視線を向けるだけだった
が、ニールは一瞥すらせずマイケルの迎撃に努めた。
マイケルは腕を掴まれ、勢いのまま組み伏せられる。
﹁ぐあっ!?﹂
﹁そんな、仲間がいたのか!?﹂
マイケル、エドウィンの順である。
愕然と俺とニールを見比べるエドウィン。マイケルが組み伏せら
れながらも抗議の声を上げた。
108
﹁卑怯だぞニール!﹂
﹁冒険者になってからも、魔物の前でそう駄々をこねる気?﹂
更に腕を締め上げられたマイケルは呻き声を漏らすしか出来ない。
﹁⋮⋮そうだね、卑怯とは言わないよ。でも君らしくないね伏兵な
んて﹂
﹁とっにかく、うでぇを、はなせぇぇぇ﹂
涙目で息も絶え絶えに訴えるマイケル。ニールが手を離すと猫の
ように飛び退いた。
﹁言っとくけどそいつ、私の知り合いじゃないよ。あんた、たまた
まこの村に来ていた子?﹂
まやま れいか
﹁違う。俺は丘の上の屋敷の居候だ。真山 零夏、零夏と呼んでく
れ﹂
﹁レーカね、変な名前﹂
ほっとけ。日本でも散々﹁変わってる﹂と言われ続けたわい。
﹁で、さっきはどうして私達の訓練を止めようとしたのよ﹂
訓練だったのかよこれ。
﹁女の子が襲われていればとりあえず止めるだろ。木刀は危ないっ
て﹂
109
ただの喧嘩ではないと察してはいたが、だからといって許容出来
る展開ではなかった。主に俺の常識が。
﹁くそ、それじゃあお前が声をかけなければ勝ててたのかよ﹂
マイケルがぼやく。
﹁いや無理じゃないか? 俺が注意を反らさなくても自分でなんと
かしていただろうし﹂
ニールの体捌きは見事だった。素人としては破格の、流麗で無駄
のない動きだ。
﹁お前達はなにをしていたんだ? さっき﹃冒険者﹄と言っていた
が﹂
三人は顔を見合わせた後、エドウィンが代表して答えた。
﹁そうだよ。僕達は冒険者を目指しているんだ﹂
冒険者か、なんともファンタジーな響きだな。
冒険者というからには冒険をして生計を立てていると考えるべき
だろうが、地球において冒険者という職業はそうそう存在を許容さ
れてこなかった。
豊かになった現代においても、旅で生活するのは困難だ。町から
町へ移動するだけでも多大な労力を要するし、滞在地で職を求める
のは困難。それが中世時代な世界なら尚更だ。
せいぜい国家に属する軍人が莫大な予算を投じて未開の地へ探索
へ行ったり、あるいは企業のスポンサーを得て記録挑戦に挑む程度。
110
登山家とか○○海無着陸横断飛行、とか。
そういう意味では宇宙開発事業も一種の冒険なのかも。最後のフ
ロンティアとはよく言ったものだ。
とにかく、よく想像するようなRPG的な冒険者というのは歴史
上それほど実在していなかった。戦を生業とする傭兵やチンピラが
関の山だな。
初日に旅立とうとしておいてなんだが、つまるところ俺の知識で
は冒険者という存在がよく判らない。
﹁冒険者ってなんだ?﹂
判らないので、率直に訊いてみた。
数瞬硬直するも、訝しむ様子は見せず答えてくれた。主にエドウ
ィンが。
なに今の、気を遣われた? ほかの二人は眉顰めてるんですが。
﹁冒険者は町や集落の外に出て、素材を集める職業だよ﹂
﹁素材って何の?﹂
ストライカー
﹁何のって⋮⋮色々だよ。日用品から人型機の部品まで、というか
人の暮らす場所で手に入りにくいもの全般だね﹂
﹁狩人とどう違うんだ?﹂
﹁ギルドを介するか否か、かな。狩人は直接商店に獲物を売り込む
けれど、冒険者はギルドの依頼で動くね。専門家としては狩人の方
が仕事の効率がいいけど、戦闘能力は冒険者が上。だから強い魔物
から取れる素材は狩人じゃなくてギルドを介して冒険者に頼む必要
がある﹂
111
なんか説明慣れてないか?
ギルドはやはりゲームなどで登場する、依頼者と冒険者の仲介を
受け持つ組織だろう。
﹁そういうのって個人や少数ばかりか? 航空事務所ってのがある
んだし、冒険者の事務所もあるのか?﹂
エドウィンは説明上手っぽいので、ここぞとばかりに訊ねる。
﹁うーん、航空事務所は飛宙船や飛行機を扱うから必然的に大規模
になるからね⋮⋮というか、冒険者も凄腕となると人型機を使うよ
うになるし、冒険者と自由天士の間に明確な線引きはないかもしれ
ない﹂
﹁冒険者の上位互換が自由天士?﹂
﹁兵器を扱う自由天士の方が戦闘能力は段違いに高いけれど、個人
で高い戦闘能力を持つ冒険者にも需要はあるよ。小型の魔物に一々
人型機を動かしていたら採算が合わないし﹂
なるほど、冒険者と自由天士は上手く住み分けしているんだな。
﹁あ、それと冒険者は遺跡の発掘もするね﹂
﹁遺跡とな?﹂
脳裏にストーンヘンジ的なものが思い浮かぶ。なぜこのイメージ。
﹁うん。遺跡から発掘される物は現在の技術では制作不可能な場合
112
も多いからね。大規模な発見でもすれば相当な金額が手に入るよ﹂
﹁一攫千金ってやつか。お前達もそういう夢見て冒険者を目指して
るのか?﹂
﹁⋮⋮心外だね、私達が求めるのは金でも名誉でもない。夢、よ﹂
今まで黙っていたニールが、腰に手を当てて反論してきた。
﹁そりゃ先立つものがなけりゃ飯も食えないけど、単に平穏に暮ら
したきゃこの村から出なければいいの。私達が命を掛けてでも得た
いのは安泰じゃなくて、未知の景色﹂
﹁未知の、景色﹂
反復して呟いた俺に、ニールは頷く。
﹁あんたは経験がないかい? 空の向こうがどうなっているのか、
境界を越えたらどんな景色が広がっているのか。それを知りたくて、
いてもたってもいられなくなったことは﹂
﹁⋮⋮ある﹂
ああ、あるともさ。あるに決まっている。
﹁凄く解るよ。それ﹂
﹁そーかそーか﹂
嬉しげに大仰な態度で頷くニール。
113
﹁いや、金も名誉もほしいけどな﹂
マイケルが余計なことを口走ってニールに殴られていた。
﹁あんたは将来冒険者になろうとか考えてるの?﹂
﹁俺か? そうだな⋮⋮﹂
ニールにヘッドロックされているマイケルが邪魔で、ちょっと気
が散るんだけど。
﹁悪くはないと思うけれど、俺はどちらかといえば乗り物が好きな
んだ﹂
冒険者。その響きに憧れぬ男はいまい。
しかし俺がそれで満足出来るかと自問すれば、もう無理だ。
足では届かない場所も行きたい。空を見上げずにはいられない。
﹁つまり、俺は地面に転がっているものも空に舞っているものも気
になって仕方がない、強欲な人間なんだろ﹂
肩をすくめて見せる。
﹁ふーん、まあ一番乗りは私だけどね﹂
負けず嫌いな女の子である。
﹁違うよ。﹃私﹄じゃなくて、﹃僕達﹄だ﹂
114
﹁そうだ! 俺達を忘れるな!﹂
マイケルとエドウィンの抗議の声に、ニールは微かに頬を染めそ
っぽを向く。
﹁ふん、ならもっと強くなりなさいな﹂
﹁なにをー!﹂
ニールなりの照れ隠しだと気付かぬマイケルは眉を吊り上げ喚き、
目が合った俺とエドウィンは思わず苦笑を交わした。
﹁それじゃあ、えっと、﹁⋮⋮零夏だ﹂レーカは自由天士になりた
いんだ﹂
﹁ああ。そうでなくても、飛行機や人型機と関わる仕事に就けたら
と考えてるよ﹂
いつまでもあの屋敷の世話になるわけにもいくまい。母子を見守
るというロリ神との約束もあるが、せっかく異世界まで来て使用人
としての人生を送るのもあれだしな。
﹁取り合えずまずは飛行機や人型機の操縦を覚えないと。今日もこ
れから人型機を眺めに行くつもりだ﹂
第二目標というやつである。前回は眠ってしまいじっくりと観察
出来なかったが、今度こそ魔法で内部構造を覗き尽くしてやる!
﹁気持ちは解らなくもないけど、弄ったら駄目だよ? 村の正面に
ある人型機は魔物の襲撃や家を建てる時に備えた村全体の所有物だ
115
から、壊したら怒られるからね?﹂
﹁⋮⋮エドウィン﹂
﹁なに?﹂
﹁三人組のブレーキ役、頑張れよ﹂
﹁⋮⋮解ってくれる? この二人ったら、すぐ無茶するから﹂
エドウィンは背後で互いの脇腹に手刀を打ち合って喧嘩している
二人を見やり、肩を落とした。
ほんと、お疲れさん。
それとお前らは目を離した隙にどんな状況になっているんだ。
﹁でも飛行機の操縦は覚えるの大変だよね﹂
﹁それは大丈夫だ! ガイルに頼んだら教えてくれることになった
!﹂
ソフィーが。
﹁でも人型機は教えてくれそうな知り合いがいなくて、心当たりは
ないか?﹂
﹁心当たり? というか今週末にガイルさんが教室を開くよね、人
型機の操縦﹂
﹁マジで!?﹂
116
頷くエドウィン。
﹁この村では週末にガイルさんとアナスタシア様が教室を開くんだ。
僕達三人と、マリアとソフィーが生徒なんだけれど。ガイルさんが
戦闘訓練やサバイバル知識の練習で、アナスタシア様が魔法や勉強・
礼儀作法を教えてくれる﹂
ガイルは﹃さん﹄付けだが、アナスタシア様には﹃様﹄付け。子
供にまで舐められてやがる⋮⋮じゃなくて。
なんてこった。つまり週末には人型機に乗れるのか!
﹁うひゃあぁあテンション上がってきたあぁぁ!! よっしゃ、予
習に村前の人型機ばらし尽くしてくらぁ!﹂
﹁ばらしちゃ駄目だって!?﹂
制止するエドウィンの声を無視し、俺は愛しの人型機へと駆け出
した。
マッシブな肢体、鈍い鋼色の装甲、チャームポイントの背面クレ
ーン。
胴体部には主要な機関部が備えられ、虚空を睨む頭部の眼孔は今
は光を静めている。
﹁いや起動時に光ったりするもんじゃないけどな﹂
117
解析から推測するにキュピーン! と発光する機能はない。
﹁いいねぇいいねぇ素敵だねぇ。巨大ロボットだぜ巨大ロボット!﹂
﹁なにをやっているのよ、貴方は⋮⋮﹂
浮かれていると、マリアが呆れた顔で側に立っていた。
﹁おかえり、見ろよ巨大ロボ!﹂
﹁喧嘩売ってる?﹂
⋮⋮いかん、怒ってる。
﹁その、な。マリア﹂
﹁なに?﹂
﹁ごめんなさい﹂
結局俺に選べる選択肢など、素直に謝る以外なかろう。
﹁⋮⋮反省してる?﹂
﹁してる。すまなかった﹂
ひたすら謝り倒す。
﹁いいわよ。私も、少しおかしかったし﹂
118
マリア自身なぜここまで俺のセクハラに過剰反応してしまったか、
と戸惑っているのかもしれない。
﹁マリアに非はない。悪いのは全般的に俺だ﹂
そこに俺がマリアの精神状態についての推論と俺が如何に配慮に
欠けていたか、などと説明しても意味などなかろう。
そもそもここまで考えを巡らせること自体、年齢不相応なのだ。
﹁ごめんなさい。以後注意を心掛ける﹂
だからこそひたすら頭を下げるしかない。
神妙な顔付きで俺を見つめるマリア。顔は見えないけれど、きっ
とそんな気がする。
どれほど頭を下げていたか。
不意に、小さな溜め息が聞こえた。
﹁頭を上げて頂戴。年下に謝らせるなんて、自分が情けなくなって
くるわ﹂
﹁⋮⋮ありがとう!﹂
許してくれたようだ。俺は喜びのまま、喜色を隠さず本心をマリ
アに告げる。
﹁マリアはいい女になるな!﹂
学習能力☆ナッシング
119
力一杯の拳を顔面に放たれた俺は、日が沈んだ後にようやく目を
醒ました。
雑貨屋のおじさんに謝り荷物を回収し、帰宅してキャサリンさん
に怒られて。
﹁だいじょうぶ?﹂
ソフィーが頭を撫でてくれた。
﹁大丈夫、本番が残っているしな﹂
本日最後のメインディッシュ、マリアへの謝罪セカンドシーズン
である。
﹁本当にだいじょうぶ?﹂
﹁⋮⋮微妙に駄目﹂
﹁⋮⋮だめなんだ﹂
﹁うん、だってもう扉の前で2時間粘ってるんだぜ⋮⋮﹂
中にすら入れてもらえなかった。
﹁⋮⋮だめだね﹂
﹁ごめんなさい﹂
120
さて、あと何時間でメイド様は機嫌を治してくれるかな。
﹁これはもう徹夜かな⋮⋮女性の部屋から朝帰り、いい響きだ﹂
﹁⋮⋮だめだね﹂
121
三人組と青空教室︵後書き︶
NGシーン
﹁あ、ソフィー﹂
立ち去ろうとする彼女を呼び止める。
﹁なに?﹂
﹁罵ってくれ﹂
﹁死ねばいいのに﹂
﹁イヒ﹂
122
人型ロボットと空飛ぶ船
週末。
人をこれほど惑わす単語は、そうそう存在しないと思う。
学生であろうが、社会人であろうが、異世界人であろうが。
皆一様に週末という余暇を目指して猛進し、月曜日から毎日の戦
いに身を投じるのだ。
つか異世界なのに曜日あるんだね。地球での曜日の発祥なんて知
スマンスマン、話が 逸れちまったぜ。
らないけれど。
閑話休題。 とかく、ゼェーレスト村でも曜日という制度は機能しており、都
会ほど徹底されていなくとも基本週末は休日という形式が定着して
いるのだ。
大人達が休みならば、子供達は尚の事休みだ。超休日というべき
か。
ゼェーレストでは週末にイベントがある。ご存知、アナスタシア
様︵+α︶主催の屋外教室だ。アナスタシア様らがこの村に越して
きてから、何かゼェーレストに貢献出来ないかと始めたのが元らし
い。確かな教養を持つ彼らの授業は村でも評判がよく、若い世代は
皆夫妻の生徒である。
﹁元々この村に住んでいたわけじゃないんだな﹂
﹁そうみたい。たぶん一〇年前くらいにこの村に移住したのね﹂
﹁直接聞いたわけじゃないのか?﹂
123
﹁大人達は昔のことを教えてくれないもの。ただ村の人曰わくソフ
ィーが生まれたのはゼェーレストみたいだし、大体数字はあってい
るはずよ﹂
授業が始まる前のいわばホームルームの時間。俺はメイド服では
なく私服を着たマリアと雑談を交わしていた。俺にかかれば仲直り
なんてちょちょいのそぉい!、さ。
マリアの横少し後ろにはソフィー。なんとなく、心細げな表情を
している。
本当に人見知りな少女である。最近では俺にも懐いてくれるよう
になったけど。
﹁きたわよ﹂
﹁おーっす﹂
﹁おはよう﹂
冒険者志望三人組、ニール、マイケル、エドウィンがやってきた。
﹁おはー﹂
﹁おはよう﹂
﹁っ⋮⋮﹂
ソフィーがさっと俺とマリアの背後に隠れる。しかし見習いメイ
ドはそれを許さず、猫のように両脇からひょいと持ち上げ三人の前
にソフィーを差し出して見せた。
124
﹁ほら、挨拶くらいしなさいな﹂
﹁⋮⋮おはー﹂
なぜ俺の真似?
この子本当にこの村生まれこの村育ちなのか? 同年代の幼なじ
みにまで人見知りするなんて。
それとも、なにか過去にきっかけがあったのだろうか。ここまで
人見知りするようになった大きな出来事が。
︱︱︱出生の知れぬ令嬢、心を開かぬ少女。
俺の中で、違和感が膨れ上がるのを感じた。
﹁ただ箱入り娘なだけよ?﹂
﹁うん、シリアスしたかっただけ﹂
ソフィーが無言で脇腹を抓ってくる。ネタにされたことの報復ら
しい。
しかし一〇歳女児であることを考慮しても全く痛くない。
見つめ合うこと十数秒。
﹁⋮⋮さーせん﹂
いたたまれない雰囲気に思わず謝ってしまう。
ソフィーは再びマリアの後ろに隠れる。抓ったのは抗議の意を訴
える﹁だけ﹂が目的だったようだ。
人を痛めつけることに慣れてないんだろう、抓っているソフィー
本人が心苦しそうに見えた。だからこそいたたまれなかったんだけ
ど。
125
﹁そういえばガイルから聞いているか? 俺が飛行機の操縦を覚え
たいって話﹂
話題転換がてら思い出したことを訊いた。確かソフィーが教えて
くれる手筈だ。
﹁空飛びたいの?﹂
﹁飛びたい﹂
﹁うん。気持ちいいよね﹂
残念、俺は未経験だ。
﹁頑張る?﹂
なにを? ⋮⋮いや、なんでもいいか。
﹁頑張るぞ。どんなことだって﹂
﹁とりあえず毎日、村を一〇周﹂
お嬢様はスパルタだった。っていうか君は走り込みなんてしてな
いよね。
﹁おっ﹂
見慣れた男に気付いた。
﹁どうしたの?﹂
126
﹁ガイルがいる﹂
﹃⋮⋮⋮⋮﹄
ん、皆沈黙してどうした?
﹁⋮⋮っ! ち、違う! 俺がそんなくだらない親父ギャグを言う
とでも思うのか!?﹂
抗議すると、一様に頷かれた。なにこの人望。
﹁きぃーん、こぉーん、かぁーん、こぉぉーうぉうぉうぉうぉん﹂
諸悪の元凶が呑気にチャイムの音色を口ずさみながら子供達の前
に立つ。
﹁ガイル大先生の登場だ﹂
本人はキリッとキメたつもりのようだ。その気楽さにイラッとき
た。
﹁いいから早く始めろよ﹂
﹁ガイル様自重して下さい﹂
﹁おとーさん恥ずかしい﹂
屋敷住まいの三人に冒険者志望三人も追撃する。
127
﹁先生今日は白兵戦訓練なし?﹂
ストライカー
﹁せんせー人型機で戦わせてよ﹂
﹁魔法の勉強もしたいです﹂
好き勝手告げてるだけだった。
﹁今日は乗り物の練習だって言ったろニール、冒険者になりたいな
ら武器兵器は選ぶな、なんでも使えるようになっとけ。マイケル、
勿論今日は人型機にも乗ってもらうが、人型機の戦闘は遊びじゃな
いからな、油断したら怪我するぞ。エドウィンお前は⋮⋮向上心が
あるのは結構だが、俺に魔法について訊くな。俺は戦闘用の魔法を
幾つかしか使えん、魔法はナスチヤの領分だ﹂
律儀に返答するガイル。
﹁そんなことより、はよ、はよ。人型機に乗れるとあって、興奮し
て今日は夜の十一時に起きちゃったんだぜマジで﹂
﹁それはもう今日じゃなくて昨日だろマジで。とにかく移動するぞ、
村の外れに機体達はを用意してある﹂
﹁そうかそうか、なら行こうすぐ行こう⋮⋮機体﹃達﹄?﹂
﹁達﹂
﹁達?﹂
﹁達﹂
128
せきよく
﹁うきょおおおおぉぉぉぉぉおおぉおぉ!!!﹂
思わず雄叫ぶ。
俺は今、最高に興奮していた。
てつあにき
異世界に渡り久しい今日、飛行機の﹃紅翼﹄や村所有の人型機﹃
鉄兄貴﹄︵勝手に名付けた︶との心の触れ合いで地球で積もりに積
もった機械的欲求を満たしてきた。
しかしながら人とは欲深いもの。熱望していたそれら友も、最近
では少し飽き気味だったわけだ。
だって乗れないし。
何度も機体を解析魔法で解析し脳内シミュレートを重ねるが、紅
翼は地球の飛行機とほぼ同じ、人型機は逆によく解らなくて理解仕
切れない。
人型機に関しては誰か専門家に弟子入りして学ぶしかないと考え
ている。誰かいないかね、専門家。
初日で出会ったドワーフのおっさんは、専門家っぽかったが村人
じゃないから教えを請えない。どこに住んでいるか聞けば良かった
か?
しかしながら、そんな悶々とは今日でおさらばでございますっ!
まやま れいか
﹁乗れる、乗れる! 乗れる!! 遂に、幾星霜待ちわびたことか
! 真山零夏、本日ロボットに乗っちゃいまーす!﹂
﹁うっさい!﹂
129
ガイルの拳骨が脳天に直撃した。
﹁効かん!﹂
今の俺に拳など無意味でござるっ!
﹁かかと落としィィ!!﹂
轟沈。
こいつ、調子に乗った子供にマジで暴力振るいやがった。
﹁うし授業始めるぞ﹂
あ、スルーするんだ。
﹁なんでそんなに冷めてるんだよ、見ろよこれ!﹂
﹁見たよ、だからどうした﹂
俺達の前に現れたのは、五種類の機体。
﹁この村に五機も浪漫兵器があったなんて﹂
せきよく
﹁一機は余所の村から借りてきたんだ。あと紅翼以外は武装ないか
ら兵器じゃねぇよ﹂
悠然と草原に並ぶ船達は、それぞれ特徴を異としていた。
見慣れた紅翼と鉄兄貴、そして畑仕事に使用されている飛宙船。
これらはともかくとして、気になるのはあと二つの機体だ。
一人乗りのウインドサーフィンを連想させるシンプルな帆船。帆
130
ではなくセイルと呼ぶんだったかな。羽が片方生えているみたいな
やつ。
ボード部分は少し分厚い。魔法で解析すると、内部に見慣れた装
置が確認出来た。
﹁浮遊装置?﹂
﹁そうだ、それも自前の魔力で起動するほど小型のな﹂
﹁まさか、これは⋮⋮!﹂
極小の浮遊装置にセイルのみ、これほど簡略な構造なればその使
用方法も容易に推測可能。
エアボート
﹁飛宙艇。︱︱︱飛宙船が普及する以前の、今ではめっきり使われ
なくなった骨董品だ﹂
そして、とガイルは言葉を続ける。
﹁人類が初めて手にした、空を飛ぶ手段だ﹂
﹁っ、敬えぇ! 皆の衆、この大いなる遺産を崇め敬うのじゃあー
!﹂
思わず額を地面に擦り付ける。
ライトフライヤー、スピリットオブセントルイス、X−1、アポ
ロ11⋮⋮
それそのものではなくレプリカであったとしても、この品に込め
られた先人達の魂を否定してはならないっ! 否、断じて俺が許さ
ない!
131
エアボート
﹁飛宙艇は村の倉庫から引っ張り出したが、こっちはツヴェー渓谷
って場所から借りてきた。皆もこういう人型機は見覚えがないだろ
う﹂
いや、それを人型機と称していいものなのか。
﹁こいつは山の岩場で作業を行うことに特化している。脆く凹凸の
激しい地面で安定して上半身を支えられるように、環境に合わせて
進化した人型機の亜種だ﹂
その人型機には、足が八本あった。
まるで、というよりまさしく蜘蛛そのもののその造形。
機能美のみを追求し常識を捨て去ったその勇姿に、俺は呼吸を忘
れざるを得ない。
ビースター
﹁人型機の一種には違いないが、その中でも人の姿を辞めている機
体はこう呼ばれる。︱︱︱獣型機と﹂
﹁蜘蛛とか獣じゃないじゃん﹂
﹁知るか。そういうもんなんだよ﹂
﹁例えばさ、下半身がキャタピラや飛宙船そのものだったりするの
もあるのか?﹂
﹁きゃたぴらが何なのかは判らんが、下半身が飛宙船の機体は実在
する。どちらかといえば飛宙船に作業用の上半身が付いているとい
う具合だが﹂
132
そういえばキャタピラって登録商標だったね。
﹁勘違いなどをしてても面倒だし、一旦それぞれの機体について定
義や原理をはっきりさせておこう。お前だけじゃなく、村の子供達
も知らないで使っている部分があるだろうしな﹂
おぉう、楽しくなってきたぜ。
エアボート
﹁歴史的に発明された順に行くぞ。まずはこいつ、飛宙艇だ﹂
ガイルがウィンドサーフィンのボードに乗る。
﹁定義は浮遊装置のみしか付いていないこと。推進力は風を受けて
進む。他の機体と違って魔力源のクリスタルも付いていないから、
自分で浮遊装置に魔力を流し込んで浮力を発生させるんだ﹂
頬を奇妙な風がくすぐった。
この感覚は覚えがある。この世界に来て初めて得た第六感、魔力
の波動。
ガイルの魔力がボード内部の浮遊装置に注ぎ込まれる。
ボードが重力の呪縛から解放され、ガイルを乗せた飛宙艇は高さ
一メートル程度まで浮かび上がった。
﹁最も原始的な航空機だが、それは操縦が楽だということにはなら
ない。風にうまく乗ってバランスを保たなければならないので扱い
にはコツが必要になってくる。これしかなかった昔は大変だったみ
たいだな、自前の魔力で動かすからあまり重い荷物も運べないのも
不便といえば不便だ﹂
そう説明しながらも、ガイルは巧みにボードを操り俺たちの周り
133
を回って見せる。
ウィンドサーフィンは構造上風上に向かうのが難しいはずだが、
それを微塵も感じさせない見事な旋回だった。
﹁飛宙船が一般化した今の時代、不便で危険な飛宙艇は見かけるこ
とすら珍しい。とはいえ簡易な移動手段として使っている所では使
っているし、荒事を生業とする者は大抵乗れる。この先覚えておい
て損ということはないはずだ。必須とは言わんがな﹂
﹁ガイル! 乗せて! 抱いて!﹂
﹁まだ説明は始まったばっかりだ、堪え性のない奴め﹂
ジト目を向けられ、少し反省。
確かにはしゃぎ過ぎた。精神年齢は生徒の中で一番高いのだし、
ここは俺が模範とならねばならない場面だというのに。
いや、今からでも遅くない。
﹁失礼した。続けたまえ、ガイル教官よ﹂
クールに髪をかき上げる。
﹁きめぇ﹂
なんなんだよ畜生。
エアシップ
﹁あー、そんで、次に発明されたのがこの飛宙船だ。生活の中で最
も見かける機会の多い航空機だと思う。つか練習で動かしたことの
ある奴もいるだろ?﹂
134
ガイルの問いに生徒ほぼ全員が頷いた。マジかよ、俺だけ時代に
乗り遅れてやがる。
エアボート
﹁運転は簡単だが構造は飛宙艇と比べ一気に複雑になる。クリスタ
ルから供給される魔力を浮遊装置と魔力式エンジンに供給し、刻ま
れた魔導術式が天士の操作をそれら装置へ伝え制御する。一見簡単
に見える操縦も長いノウハウの蓄積と技術者達の不断の努力による
ところが大きいな﹂
いつだか飛宙船を空飛ぶトラックと称したが、間近で見ると言い
得て妙だったのだと思う。
全長と幅の比率も地球の自動車に近いし、目の前の機体には荷台
まである。場所︵世界︶が違おうとそういう理想的な運用における
サイズっていうのは変わらないのだろう。
﹁ガイル、質問だ﹂
しゅたと手を上げる。
﹁却下﹂
﹁そういうな、真面目な質問だよ。クリスタルって奴について聞き
たいのだか﹂
﹁クリスタルか? ⋮⋮あー、つまり、魔力を生み出す石だ。以上﹂
おい。
﹁仕方がないだろ、クリスタルは判らない事も多いんだ。人工的に
は作れず天然物を採取するしかない。魔力を使い切っても1日ほっ
135
とけば回復する。わかるのはそんくらいだ﹂
﹁そんな意味不明なもんを世界中で使っているのか﹂
石油が尽きるみたいに魔力が枯渇したら、飛宙船に依存している
人類は大変なことになりそうだ。
﹁そういうな。次行くぞ、次﹂
ストライカー
ガイルが歩み寄ったのは、浪漫兵器・人型機だ。
﹁人型機が世に現れるには飛宙船が作られてからそれなりの時間を
必要とした。魔法の研究による魔導術式の発展、全身を稼働させる
無機収縮帯︱︱︱人工筋肉の発見及び安定した調達、その他様々な
技術が成熟することによって人型機の製造が可能となった﹂
﹁人型機はどんな用途に使われているんだ?﹂
﹁なんでも、だ。汎用性の高さが人型機の売りだからな。土木作業
から戦闘までなんでも使える﹂
﹁体長一〇メートルの巨人が戦闘に役立つのか?﹂
俺は人型ロボットが大好きだが、浪漫で戦いには勝てないのだ。
俺の問いに反応したのはガイルではなくニールだった。
﹁なに言ってんのさ、こんなでかいんだからパワーだって凄いだろ
? どんな敵も薙ぎ払えるじゃない﹂
﹁それは否定しないけどさ﹂
136
実際に鉄兄貴に助けられたのだ、人型機の接近戦での強さは認め
ている。
しかし、戦争において接近戦などほとんどない。
﹁足が片方やられたらもう動けないし、なによりいい的になるじゃ
ないか﹂
前面投射面積という概念がある。
主に自動車などの空気抵抗を語る上で使用される言葉だが、軍事
⋮⋮それも地上戦では﹃敵から見てどれだけ身を隠せているか﹄と
いう意図で使われる。
つまり前面投射面積が大きければ、敵からすれば見つけやすいし
長距離攻撃を当てやすい。
﹁もしかしてこの世界には長距離攻撃の手段がないのか?﹂
それならまだ納得出来るけど。
﹁あるぞ? 魔法も火砲も﹂
あるんかよ。白兵戦オンリーであれば人型兵器も有効だと思った
のだが。
﹁人間同士ならそうだが、魔物は魔法も火砲も使ってこないからな﹂
﹁あ、そうか﹂
考えてみれば当然だ。この世界で最も厄介な敵は人ではなく魔物
だ。
137
﹁さてな、人の敵はいつだって人だぜ?﹂
﹁子供の前でそういうこと言うな﹂
一瞬剣呑とした空気を纏ったガイルを窘める。
﹁と、と。すまんすまん﹂
普段のおどけた調子に即座に戻るも幾人かは顔を強ばらせいた。
子供は感受性が強いというしな。
よし、アナスタシア様に報告しよう。あとで説教されてしまえ。
﹁あと、重い装甲を装着する上に無機収縮帯そのものが防御手段と
なる。無機収縮帯はちょっとくらい削れたって稼働するしそうそう
行動不能にはならないよ﹂
なるほど、それほど頑丈なら二脚もいいかもな。走破性も無限軌
道より上だろうし。
ビースター
﹁そんで獣型機は⋮⋮用途に合わせて人型に囚われないアイディア
で発展した人型機。定義は明確じゃない。詳しく説明はしない、と
いうより多岐に渡りすぎて出来ない﹂
若干投げやり気味に手をヒラヒラ振るな。しかし⋮⋮
蜘蛛脚に人間の上半身がくっ付いた異形の機体。足一本に掛かる
負担も少ないし、実は一番完成度の高い種類なんじゃないかと思う。
﹁それも一理ある﹂
138
ストライカー
ビースター
尋ねてみたら、思いがけず肯定が返ってきた。
ター
ビース
﹁対等な条件で戦闘用の人型機と獣型機が戦えば、有利なのは獣型
機だ﹂
全てのロボットアニメを否定したぞコイツ。
いや、一部のアニメを肯定してもいるが。
﹁まあ、地球でも多脚戦車なんかは研究されてたしな⋮⋮﹂
スペックや接地圧、あと信頼性等の課題さえクリアすれば、多脚
戦車は存外実用的なのだ。
事実、戦闘用でなければ多脚機械は一部実用化されている。
﹁汎用性を殺して戦闘特化させた獣型機は人型機以上の戦闘能力を
持つ。実際、人と人、国と国が争うことを想定した軍では結構な数
の獣型機が採用されているしな﹂
﹁じゃあ人型機ってほんとは弱いのかよー。うそつきー。サギシー﹂
マイケルがブーたれながら抗議する。冒険者志望三人組の中で一
番人型機に憧れを抱いているのは彼だろうな。
﹁誰が詐欺師だ。そもそも人型機が最強だなんて言ってねぇよ。そ
れにお前、詐欺ってなにか知ってるのか?﹂
﹁鳥だろ?﹂
﹁惜しいっ﹂
139
﹁惜しくないよレーカ君﹂
やんわりながらナイスツッコミだ、エドウィン。
﹁それに俺は人型機が獣型機に劣っているなど思っていないぞ﹂
おや?
﹁戦いはスペックだけで勝敗が決まるものではない。周囲の状況を
生かし、時には手持ち武器を使用出来る人型機はどうしても必要だ。
一対一で戦えば獣型機が勝つが、集団で戦えば案外人型機が優勢に
なったりするんだな、これが﹂
﹁そんなもんか?﹂
﹁そんなもんだ﹂
そんなもんか。
﹁付け加えれば、戦うだけが軍の仕事じゃない。人命救助や災害対
策、時には土木工事の真似事までさせられる。獣型機だけじゃとて
も賄い切れないさ﹂
﹁業者に頼めよ﹂
﹁頼めない場合ってのがあるんだよ。ほれ次行くぞ、散々話が逸れ
ちまった﹂
そして最後を飾るは見慣れた赤い翼。
140
ソードシップ
﹁飛行機。航空力学と魔力式エンジンの発達により、全魔力を推進
力へ供給出来るようになった高速船だ﹂
﹁いえー!﹂
﹁きゃー!﹂
﹁かっこいー!﹂
出演・全部俺。
﹁現時点で世界最速の移動手段であり、最強の単一兵器だ。防御力
は脆弱としか言いようがないが、それを補って余りある機動力を有
している。大きな主翼で必要な揚力全てを賄うので、飛行中は浮遊
装置を停止出来るのが特徴か﹂
﹁こいつが最強か!? すげー!﹂
そういう単語に反応したくなる年頃なんだな、マイケル。
﹁今日はこいつの訓練はしないぞ。高い機動力を有しているが故に、
天士には優れた技量と判断力を求められる。つまり、お前らに任せ
るには危ない﹂
湧き上がる子供達からのブーイング。それをしれっと無視しガイ
ルは空を見上げた。
エアボート
﹁説明はこんなもんか。あとは飛宙艇から実習と行きたいんだが﹂
﹁よし、どれでもいいから乗せてくれ。遠慮はするな﹂
141
﹁待て、今日は講師をもう一人呼んでいる。そろそろ来るはずだ﹂
﹁そろそろってどんくらいだ﹂
﹁あとちょっとだ﹂
﹁ちょっとってどんくらいだ﹂
﹁少しだ﹂
﹁大人の少しは長いからなぁ。ヤレヤレだぜ﹂
ぼやいているとガイルに足首を掴まれた。
そのまま持ち上げられ上下逆さまにされる俺。
﹁お前、今日少し煩い﹂
﹁ウザカワイイだろ?﹂
ウインクしつつサムズアップ。
足首を掴んだままぐるぐる回り出すガイル。俺も干されたスルメ
のごとく、ぐるぐる回る。
﹁ちょ、やめて、頭に血が上るっ﹂
﹁飛行機に乗る為の訓練だ。Gに負けていては戦闘機には乗れない
ぞ﹂
﹁嘘だっ! 今アンタ凄いイイ顔してる! 絶対嘘だっ!﹂
142
振り回された挙げ句ゴミのようにぽーんと投げ捨てられた。酷い
仕打ちだ。
﹁やろ、毎晩寝る前に水虫になるように願ってやる⋮⋮﹂
いや駄目だ、アナスタシア様とソフィーが一緒に寝ているんだっ
た。
ガイルを半目で睨んでいると、くすくすと笑い声が耳に届いた。
声の主は誰かと視線を向ける。
ソフィーだった。
口元に指を当て、可笑しそうに声を漏らすソフィー。たぶん始め
て見る、なんの気負いもない心からの笑み。
アナスタシア様を彷彿とさせる控えめな上品さと子供らしい可愛
らしさの同居したその笑顔に、俺は強く動揺した。
﹁⋮⋮ガイル教官ッ! 質問であります!﹂
挙手しつつ叫ぶ。
﹁なんだ、レーカ二等兵﹂
一番下かよ。
﹁娘さんをお嫁に戴くにはどうしたらいいですか!?﹂
﹁諦めろっ!!﹂
﹁でもあの目は確実に俺に惚れてます!﹂
143
﹁自意識過剰だ!﹂
俺を掴もうとするガイルの手をかい潜る。
﹁逃げんな!﹂
﹁ふははは、武術とカバティで鍛えた俺の足捌きを捉えられるもの
か!﹂
ひょいひょいと魔の手から逃げつつ、ソフィーを盗み見た。
先の笑みはなりを潜め、自分の名前が出されたことで困惑を浮か
べているソフィー。
男女の機微も境界もない歳の彼女に、こんな想いを抱くのはおか
しいのかもしれない。
けれど、後で思い返せば。
俺にとっての姫君が彼女と確信したのは、きっとこの瞬間だった。
﹁まったくこいつは︱︱︱来たようだな﹂
空を見上げるガイルにつられて、みなが上を向く。
巨大な船が空を遮った。
﹁なっ︱︱︱﹂
全長は目算一〇〇メートルほど。村を跨ぐのではないかと思うほ
ど、否、実際跨いでいる巨大な機影に、一帯が暗闇に落とされる。
﹁なんじゃこりゃあ!?﹂
けたたましい轟音と共に空を滑る巨大船。細長い船体に、様々な
144
箇所に取り付けられた沢山のプロペラがピュンピュンと回っている。
鯨よりなお大きな船、そいつが上空を通過し終えると再び日中の
明るさが舞い戻る。
緩やかに船体を傾け旋回する船を、俺達は呆然と見つめるしかな
かった。
﹁飛宙船︱︱︱なのか?﹂
﹁中型級飛宙船だな﹂
ガイルの返事に気が遠くなる。
中型? あのバケモノが、中間サイズだというのか?
地球では歴史上最大の飛行機でも八〇メートル弱だったはず。そ
れを上回るあの船ですら﹃中型級﹄に過ぎないなんて。
﹁大型級ともなればどれくらいの巨体なんだよ⋮⋮﹂
﹁三〇〇メートルは優に越えるな﹂
聞かなきゃ良かった。それ、飛行機じゃなくて船だろ。ああ、飛
宙船か。
﹁飛宙船ってみんなこのサイズじゃないのかよ﹂
トラックサイズの飛宙船を指差し訊く。
﹁勿論小型級が一番多いさ。けどまとめて運ぶなら大きい方が効率
的だろ? 飛宙船には技術的に大きさ制限がほとんどないからな﹂
会話の間にも中型級飛宙船は高度を降ろし、やがて草原に着陸し
145
た。
ギアや脚を出すわけでもなく、船体を直接降ろす胴体着陸だ。船
の底面が平らだったことからこれが正式な着陸法なのだろう。
この世界の航空機は基本的に胴体着陸だ。浮遊装置の存在が、手
の込んだ着陸装置の必要性を失わせている。
中型級飛宙船の後部が開き、地上まで続くスロープとなる。
そして船内から歩み出てきたのは、鉄兄貴より複雑な造形を持つ
人型機だった。
﹁わざわざ鉄兄貴以外の人型機を持ってこさせたのか?﹂
鉄兄貴、という聞き慣れぬ単語に首を傾げる一同。
﹁てつ⋮⋮? あの人型機なら、王都でレンタルしてこさせたんだ。
今年の生徒は冒険者志望が多いし、実戦的な訓練も遅かれ早かれ必
要だろう﹂
﹁鉄兄貴は戦闘用じゃないんだろ? 二機あったって訓練は出来ま
い﹂
﹁鉄兄貴ってこの人型機の名前かよ⋮⋮問題ない、戦闘用人型機は
複数持ってくる手筈になっている﹂
マイケルが興奮した様子でガイルに詰め寄る。
﹁それってつまり、人型機で戦っていいのか!?﹂
﹁訓練だと忘れるなよ? あれは玩具じゃない、世界最強の兵器の
一つなんだから﹂
146
﹁人型機に乗れるのか! いよいよだなレーカ!﹂
﹁おーよマイケル! 負けるつもりはないぜ!﹂
﹁聞いてねぇよこの馬鹿共⋮⋮﹂
肩を落とすガイルを無視し、こちらへ接近する人型機の内側を解
析する。
﹁随分と複雑なんだな﹂
まず驚いたのは内部構造の緻密さだった。
極力シンプルにまとめ、ほぼ完全なメンテナンスフリーを実現し
ている鉄兄貴とは違い、強固ながらも出力を最大限まで絞り出せる
ようセッティングされている。おそらく定期的な整備が必須なはず
だ。
詳しいことは判らないが、制御系統も複雑化している。なにより
駆動系がハイブリッド方式なのが驚愕だった。
無機収縮帯、つまり人工筋肉と油圧シリンダーの併用。いったい
なぜこんなややこしい仕組みを採用しているやら。
解らないなら解らないなりに解析結果を吟味していると、膝立ち
となった人型機のハッチが開き若い男が飛び降りてきた。
﹁お久しぶりです、ガイル先輩﹂
﹁久々だな。ギイ﹂
﹁げぇ、イケメン﹂
現れたのは見た目成人すらしていなさそうな青年だ。いやこの国
147
の成人年齢は一五、一六歳くらいだったっけか。
﹁元気そうでなによりだ。向こうではどうだ?﹂
﹁相変わらずですよ。情勢も安定していますし、軍人は暇を持て余
しています。国境付近では共和国天士と帝国天士が空で挨拶するっ
てくらい呑気です﹂
﹁ははは、給料泥棒め﹂
﹁泥棒結構。平和な証拠です﹂
笑い合うガイルと青年。なんだ、友達いるじゃん。
しかし、共和国と帝国は仮にも仮想敵国だろうに。空の上で挨拶
とか、まるで第一次世界大戦の話だ。
﹁紹介しよう。こいつはギイハルト、共和国軍の戦闘機天士だ。休
暇を取ると聞いてウチの屋敷に招待した。ついでに様々な訓練など
にも付き添ってくれるというから、俺は実にいい後輩を持ったもの
だな﹂
﹁あれ、いつの間にか溜まっていたはずの有給が消費されていて、
散々手紙でコキ使われたのは記憶違いでしたっけ? 飛宙船と人型
機レンタルしたり新型の試作機持ってこさせられたり子供達の講師
役押しつけられたり⋮⋮はは、給料払えよ﹂
ぶつぶつと呟き負のオーラを纏い出したギイハルト青年にガイル
が適当な口笛で誤魔化す。誤魔化す気ねぇだろお前。
⋮⋮って、そんなことより!
148
﹁新型!? 共和国の新型を持ってきているっていうのか?﹂
共和国は世界を二分する大国の一つ。その最新鋭機となれば、即
ち現最強の機体に他ならない。
こうしちゃいられない! こんな機会がそうそう巡ってくるとも
思えないし、徹底的に情報収集しなければ!
﹁なっ!? おい、待て!﹂
制止を無視して中型級飛宙船に後部スロープから駆け込む。目に
飛び込んできたのは数機の戦闘用人型機。
これじゃない。寸分違わずさっきの奴と同じ、量産型だ。
目視で探すのももどかしく、解析魔法で一息に探し出す。︱︱︱
あそこか!
駆け込んできたガイルとギイハルトを尻目に格納庫の奥へと進む。
そこにあったのは、俺の予想を遥かに超える機体だった。
﹁︱︱︱戦闘機﹂
デルタ翼に水平尾翼と垂直尾翼が二枚ずつ。安定性の高い保守的
な設計ながら、その洗練されたデザインは見る者に鮮烈な迫力を覚
えさせる。
見るからに強力そうな二基のエンジン。機体の重心がかなり後方
にあることから、相当のトップスピードに至れると予想する。音速
なんて楽に越えられるだろう。
﹁す、げ﹂
せきよく
正直、舐めていた。ガイルの紅翼が第一次世界大戦レベルの機体
であったことから、世界全体の技術水準もそれ相応だと思い込んで
149
いたのだ。
しかしこの機体は違う。第二次世界大戦を通り越して、あるいは
冷戦時代の技術力にまで達しているかもしれない。
﹁ほう、これが﹂
あらだか
﹁はい。共和国の最新鋭試作機、荒鷹です。先輩の手回しがあった
とはいえ、持ってくるのは大変だったんですよ﹂
あらだか
追い付いてきた二人も戦闘機、荒鷹の前に立つ。
ガイルに首根っこを掴み上げられた。
﹁これは俺がじっくりと楽しむ⋮⋮げほげほ、練習するために持っ
てこさせたんだ。お前は外で飛宙艇の練習でもしてろ﹂
﹁今本音だだ漏れましたよね﹂
持ち上げたまま外に運び戻されそうになる。やばい、まだ外装し
か見ていない!
﹁よく持ってこれたな、最高ランクの国家機密じゃないの?﹂
時間稼ぎの為に適当な質問をする。その間に、解析魔法!
設計を脳裏に刻み込む。これでもかと詳細に徹底的に。
異世界に来てから妙に物覚えがよくなっている。それこそ、荒鷹
の全設計をミリ単位で覚えることが可能なほどに。
言葉が日本語に聞こえるのと同じく神様の特典なのかもしれない
が、あのロリ神は伝え忘れ多すぎだと思う。
ギイハルトが俺に視線の高さを合わせて、優しげに語りかける。
150
﹁国家機密だからこそ見られるわけにはいかないんだよ。あまり探
らないでくれないかい?﹂
﹁やだ﹂
ギイハルトの目元が引きつっていた。
﹁そんなこと言わないで、ね? 外に出て人型機の練習をしたくな
いかい?﹂
﹁︱︱︱よし、ロボットが俺を待ってるぜ!﹂
ガイルの手を振り払い飛宙船のスロープを駆け降りる。
男二人は即座に考えを改めた俺に首を傾げたが、深く考えずに授
業を再開するようだ。
しかしそれは甘い考えと言わざるを得ない。
魔力を動力としている以上差異はあるものの、荒鷹は間違いなく
戦闘機であり。
ならばそれは、俺の知識の延長線上にあるものだ。
︵盗ませてもらったぞ︱︱︱﹃国家機密﹄!︶
いつかこっそり作ろっと。
151
戻ってきた俺がマリアに怒られた後、予定通りそれぞれの搭乗練
習と相成った。
飛宙艇の上に立ち、説明通りボードに魔力を込める。
込める。
込める⋮⋮
﹁どうした、さっさとやれ﹂
指導役を行うガイルに急かされるも、俺はこう問う以外になかっ
た。
﹁⋮⋮魔力ってどうやって体の外に出すの?﹂
全員にずっこけられた。
﹁い、いままでどうやって生活してたんだい? 魔法なしで﹂
エドウィンに引きつった顔で訊かれる。
え? え? 魔力扱えないってそんな変なの?
﹁魔法を使う場面なんて日常でいくらでもあると思うけれど﹂
﹁あー、うん、火種出すくらいなら?﹂
地球出身としてはなんの不便も感じなかったので、それ以上の魔
法修得はしていなかった。
﹁とりあえずお前はナスチヤに魔法を習え﹂
頭痛を堪えるようにこめかみに指を当て眉を顰めるガイル。
152
﹁魔力を出せない奴が飛宙艇に乗れるか﹂
﹁魔法⋮⋮そうだな、そっちに興味がないといえば嘘になる﹂
なんせ、魔法だ。地球にないファンタジーの極みのジャンルじゃ
ないか。
﹁とにかく今日は諦めろ﹂
﹁解った﹂
﹁いやに素直だな、なに企んでいる﹂
頷いただけで悪巧み確定!?
﹁違うよ、飛宙艇に乗れなくたって飛宙船には乗れるだろ? だか
らまあいっか、って思っただけだ﹂
﹁ああ、なるほど。でも飛宙船ってあんまり飛んでるって気がしな
いんだよな。あれは浮かんでいるって感覚に近い﹂
見ている限りではその印象はあるな。えっちらおっちら進む飛宙
船は、実を言うとあまり食指が動かない。
気球や飛行船も、展望タワーに登るのと同じじゃないか、と考え
てしまうタイプだ。気球が趣味の人ゴメンナサイ。
﹁飛宙船って最高速度はどんなもんなんだ?﹂
﹁エンジンが日々進歩しているから一括りには語れないが、速くて
153
も時速一〇〇キロってとこか﹂
﹁遅っ﹂
﹁空気抵抗も大きいし、なにより浮遊装置が重過ぎる。村にある飛
宙船なら下手すれば五〇キロ出ないだろう﹂
﹁飛行機に搭載されてる小さな浮遊装置は? 出力を保ったまま小
型化は可能なんだろ?﹂
﹁浮遊装置を小型軽量にすれば今度は魔力消費が激し過ぎて使い物
にならない。飛行機は離着陸のみで使うからなんとかなるんだ﹂
なるほど、ままならないのだな。
一人ごちていると、白い風が俺達を掠め飛んでいった。
﹁おぉ?﹂
振り返ると猛烈な勢いで空を舞う小さな影。
ソフィーだ。
飛宙艇に乗り、小さな体をめいいっぱい傾けて重心を取り風を受
ける少女。
走る、というより疾走、と表した方が相応しかろう。青々とした
草原と風のゲレンデを滑走するように飛ぶ様子は、まさしく風の精
霊だった。
﹁さすがは俺の娘。この短時間で覚えたか﹂
﹁って、飛宙艇乗るのは今日が初めてなのか?﹂
154
﹁いつも紅翼に乗せてはいるが、飛宙艇は長らく倉庫に眠っていた
からな。見るのも初めてのはずだぞ﹂
それで﹃あれ﹄か?
軽快に空を走る様はどう見ても乗り慣れた人のそれ。戸惑いも躊
躇もなく、空を我が領域と言わんばかりに駆け抜けている。
﹁天才、って奴か?﹂
﹁才能無ければ可愛い一人娘に単独飛行なんてさせねぇよ﹂
⋮⋮ごもっともで。
見れば、他の生徒も呆然とソフィーを眺めている。そりゃ普段は
屋敷から出てこない引っ込み思案な子が、あんなアグレッシブに動
いていれば唖然とするだろう。
胸の奥に重いものを感じる。嫉妬? いや、苛立ちか。
ソフィーに、じゃない。自分に、だ。
体が一〇歳になったって中身は大人だ。ゼェーレストに来て以来、
童心に返ってはしゃいでこそいるが、それでも自分はここにいる子
供達を見守り、導く側なのだと常に頭の片隅に置いてきた。
嘘吐け、と思うだろうが、とにかく自分なりに考えてはいた。
だというのに︱︱︱俺は、この世界で生きていく術をなにも知ら
ない。
誰でも動かせる飛宙船も乗れない。魔法も使えない。使用人の仕
事だって半人前。
それで、いいのか?
爆走するソフィーにギイハルトの操る飛宙艇が併走する。ギイハ
ルトがなにか話しかけ、緩やかに速度を落とし着陸した。
地上に降りたギイハルトは笑みを浮かべながらソフィーの頭を撫
でる。彼女はくすぐったそうに屈託なく笑った。
155
笑った。
⋮⋮笑った?
﹁⋮⋮良くねえよ! かっこわりぃよ!﹂
﹁うをぉ!? なんだいきなり叫んで!﹂
﹁特訓だ! 血反吐を吐くような訓練を所望する!﹂
﹁よくわからんが、希望とあらばスパルタでやってやるが。覚悟は
あるかフニャチン野郎!?﹂
﹁サーイエッサー!﹂
﹁まずは飛宙艇抱えて村一周だ! 貴様はロクに飛宙艇にも乗れな
いんだからな! 他の訓練兵の邪魔するぐらいなら走り込んでいろ
!﹂
﹁イエッサー!﹂
セイルを外したボードを肩で担ぐ。お、重い⋮⋮!
﹁やる気あんのか貴様ァ! 腰を入れて走れやコラ!﹂
ケツキックされ、崩れ落ちそうになるのを踏み留まる。
﹁っ! ⋮⋮ありがとうございますぁあ!!﹂
﹁とんだ変態野郎だな! 子供の教育に悪いからそろそろ止めよう
ぜ豚野郎!!﹂
156
﹁いいや、やるね! あんなぽっと出のイケメンにニコポされたん
だ、腹の虫が収まるか!﹂
﹁あ、それが原因か﹂
マリアが俺の肩を叩いた。
﹁見苦しいわよ﹂
﹁ぐはっ﹂
結局俺は、苛立ちなのか焦りなのかも解らない感情を静める為に
も村一週を敢行することにした。
よくよく見てみると、ソフィー以外の子供達も飛宙艇には四苦八
苦している。扱いが難しいのは本当のようだ。
うん、焦る必要なんてないな。らしくなく取り乱してしまった。
汗かいたら体が火照る代わりに頭が冷えた。心を落ち着かせ、教
室の元まで戻る。
﹁皆、すまん。少し落ち着い︱︱︱﹂
﹁ギイハルトさん、左のペダルはなんですか?﹂
﹁あの⋮⋮ベルトが長いのですが﹂
﹁すっげーなギイハルト、冒険者なのか!?﹂
ギイハルトがモテモテだった。
つか飛宙船訓練始まってるし。
157
イケメンなんて死滅すればいいのに。
﹁あっ!? そういえば今の俺もイケメンだった!?﹂
顔が変わっているのを忘れていた。
﹁は﹂
ガイルに鼻で笑われた。
飛宙船に関しては俺が一番上手かった。操縦感覚は自動車そのも
のだ。
﹁つまらん﹂
﹁な?﹂
運転が素直でイメージ通りに動く。上下に動く以外は車と変わら
ない。
高度を上げれば景色を楽しめるかも知れないしそれはそれで楽し
そうだけど、あまり上まで行くなと事前に通知されている。
﹁あまり風で流れたりもしないな。図体でかいから影響受けそうな
もんだが﹂
﹁だから浮遊装置はばか重いっつってんだろ。お前が問題なく動か
158
せることは判ったからさっさと降りろ﹂
飛宙船から降りてソフィーが乗り込む。助手席にギイハルトが乗
車。
﹁まずは腰のベルトを締めて﹂
﹁⋮⋮入りません﹂
﹁金具が逆だね。お腹じゃなくて腰に合わせるんだ﹂
それでも手間取るソフィーに、ギイハルトが上半身を乗り出して
手伝ってあげる。
﹁ほら、娘さんにボディータッチしているぞ。アイツ体育館裏に呼
び出すべきじゃね?﹂
﹁アイツは誠実な男だ。心配ない﹂
﹁なあ。あのギイハルトってどんな男なんだ?﹂
ソフィーの下手っぴな操縦を眺めながら問う。ソフィーが適性を
持つのは風で飛ぶ航空機に限定される模様。
﹁気になるのか?﹂
﹁べっつにー? キニナラナイヨー?﹂
﹁ならいいな。面倒くさいし﹂
159
﹁すいません教えて下さい﹂
敵を知り己を知れば百戦危うからず。
情報収集は兵法の基本である。
﹁ギイハルト・ハーツ。現在は共和国軍のテストパイロットを勤め
るエリートだ。専門は戦闘機天士。だが白兵戦から大型級飛宙船ま
で幅広く扱える器用さも併せ持つ。ランクはトップウイングス。遅
かれ早かれシルバーウイングスに到達出来るだろうな。若いが、一
〇年前の大戦にも参加した。戦いも酸いも甘いも知り尽くした優秀
な男だ。性格は温厚。血の繋がらない妹がいる。こんなものか?﹂
訊いといてなんだが、個人情報少しは保護しようぜ?
﹁十年前の大戦って、あいつ何歳だよ﹂
﹁一桁﹂
少年兵じゃないか。
﹁つまり、強いし覚悟もあるし優しいし、ってことか?﹂
﹁だな。正直、将来いい相手が見つからないようだったらソフィー
を任せようかなと考えている﹂
なんてこった。この娘馬鹿なガイルがそこまで信頼しているなん
て。
﹁⋮⋮勝つしかないな﹂
160
﹁誰に何でだ﹂
視線を走らせる。
人型巨大ロボット、勝負はコイツで決めるッ!
﹁ガイル! 人型機の練習が終わったらギイハルトとサシでやらせ
てくれ﹂
﹁わーったよ。好きにしろ﹂
肩を竦めるガイルに頭を下げ、目を閉じる。
こんな小さな勝負で勝ったって、絶望的に届かない場所に彼はい
るのだろう。
けれど、それでも。
長い階段だろうと、一歩一歩登ってくしかないのだ。
人型機の説明と簡単な練習を経て、ガイルの指示で俺とギイハル
トの乗った戦闘用人型機が対峙する。
﹁勝負だ︱︱︱ギイハルト!﹂
そして俺は︱︱︱
その場にいる全員に、ぼろ負けした。
161
162
人型ロボットと空飛ぶ船︵後書き︶
主人公最強︵笑︶
改訂前は読みやすさ重視で設定を軽くしていましたが、皆さんが
読みたいのはガチムチに緻密な技術設定だと考えしっかりと背景を
考えてみました。
163
小説的主人公と映画的主人公
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
ほっとけよ、もう。
﹁⋮⋮⋮⋮ぐすぐす﹂
薄暗い自室の倉庫にて、膝を抱えてうずくまる。
今頃あいつ、ギイハルトは一家と楽しい夕食を取っているのだろ
う。
ぎゅるると腹の虫が﹁ハラヘッタ﹂と抗議する。黙れ。
すいか
暗い室内に扉のスリッドの光が射した。
闇に慣れた目は、逆光ながらも誰何するまでもなく人影が誰かを
判別する。
﹁まだふてくされ⋮⋮泣いてた?﹂
マリアだ。
﹁泣いていない﹂
ストライカー
彼女もまた、今日俺を打ち負かせた一人。
互いに人型機の操縦は初めて。しかし俺は対人戦技能を有し且つ、
地球生まれ故に機械操作に慣れている。
だというのに、戦いのたの字も知らず機械らしい機械に禄に触っ
たこともない女の子に負けたのだ。落ち込むなという方が無茶だろ
164
う。
﹁⋮⋮そう。ええ、私は何も見てないわ。きっと明日になればいつ
もみたいに変な顔で笑いかけてくるでしょうし、気にしないことに
するわ﹂
少しわざとらしいが、マリアらしい気遣いがありがたい。変な顔
は余計だが。
俺がショックで倉庫に籠もり、マリア受け持ちの仕事が増えてし
まっているだろうに。それをおくびにも出さない彼女は実にいい女
だと思う。
﹁ご飯、ここに置いて行くわよ﹂
彼女はトレイを床に起き、踵を返す。
﹁⋮⋮ありがとう﹂
これだけは伝えねば後悔すると、咄嗟にマリアの背に言葉を投げ
かけた。
聞こえていたのかいまいのか、パタンと扉が閉まる。残ったのは、
まだ湯気の立つ食事だけ。
スープを皿から直接飲む。
﹁⋮⋮しょっぱい﹂
これは、きっとマリアの手作りだな。
165
外に出る。この世界には星はあれど月はない。
地球より少し寂しい夜空を見上げ、大きく深呼吸した。
﹁⋮⋮アホらしい﹂
なにをくよくよしているのだ。そんなの、時間の無駄以外の何物
でもない。
倉庫から屋敷を確認。明かりはリビングに点いている。
あらだか
アナスタシア様とソフィー、そしてゲストのギイハルトはあそこ
にいる。ガイルは先程、共和国の新型・荒鷹で飛び立つのを確認し
た。どこか騒音被害の発生しない場所でフライトを楽しむ算段だと
推測。
﹁悩むな、いや、悩んでもいいが歩みは止めるな。時間が勿体無い﹂
自身に言い聞かせ、言葉通りに足を進める。
時間の浪費など愚の骨頂。俺はギイハルトを倒すと決めたのだ、
ならばやることはただ一つ。
﹁特訓だ!﹂
ギイハルト帰宅のタイムリミットは明日の昼。今日は徹夜してで
も、人型機を自在に操れるまでになってやる。
てつあにき
目的地はゼェーレスト村正面。
人型機・鉄兄貴だ。
166
闇夜に眠る体長一〇メートルの巨人は、日の下で見るのとはまた
異質な迫力があった。
見慣れた仰向けに固定される彼の首筋に潜り込む。
首の装甲の隙間。人型機のハッチは基本この位置だ。
誤作動が起きないように複雑な手順で開く小さな扉。その先を抜
けると、辿り着くのは人型機の頭部。
セルファークに来るまでは、ロボットの操縦席といえば胸部にあ
るものと思い込んでいたが、人型機の操縦席が頭部に存在するのは
幾つか理由があるそうな。
座席に腰を下ろす。子供のこの体であればスペースにも余裕があ
るが、大人が乗ると余分な隙間もなくそれなりに窮屈な思いをする
羽目になる。頭部全体がコックピットモジュールであるにも関わら
ず人の為に用意された空間は微々たるものだ。
これは下手に空間があれば動いた時に中で跳ね回る羽目になると
か、頭部の全方位に搭載されたセンサーやそれらの制御装置が空間
を抑圧しているからというのもあるが、なにより頭部の基礎フレー
ムである球体の装甲が分厚いからに他ならない。
頭部は人型機の中で一番装甲が厚い。
中に人がいるのだから当然なのだが、少し考えてみてほしい。
人間やはり危険が迫ると咄嗟に頭を守ってしまう。頭にカメラを
設置して胴体にコックピットを入れると、カメラ位置とはかけ離れ
た場所を攻撃されたと思ったら実は自分のいるコックピットでした、
なんて話になる。それはぞっとしない。
また、コックピット﹃モジュール﹄というだけあって、頭部は非
常時にはパージ出来る。いわゆる脱出ポッドだ。
分離した頭部はただの鉄の球体だ。球体というのは構造体として
167
根本的に衝撃に強く、大型の魔物に分離した頭部を踏みつけられて
もそうそう潰れない。
また長時間の待機や救援待ちを想定して、戦闘用人型機のコック
ピット内には保存食、メディカルパック、サバイバルキット、果て
は簡易トイレまで設置されている。まるでロシアの戦闘機だ。
これら生存性の向上が人型機のコックピットが頭部にある理由の
一つ。
もう一つは、俺の目の前にある強化ガラスのはめ込まれた窓だ。
この世界にカメラやモニターはない。もしかしたらあるかもしれ
ないが、人型機の内部には採用されていない。
視覚は戦場で最も重きを置かれる。だから、故障の心配のないこ
の方式が一般的なのだろう。
モニターを介さず外を直接見る。原始的だが機械的信頼性も高く、
なにより早い。
一切のタイムラグもなく、見たままの情報が飛び込んでくる。人
間の目より優れたカメラは存在しないとはよく言ったもので、格闘
戦闘すら行う人型機にはこれが一番重要なのだ。
外から見れば小さな隙間だが、中から見れば自動車のフロントガ
ラス並だ。視界の狭さも感じない。
戦闘用人型機では金網がガラスに重ねられ、装甲重視の考えから
視界が若干狭くなっている。それでも昼間乗った時に視界が小さい
とは感じなかった。
作業用と戦闘用では視界範囲を初め様々な違いがあるが、基本的
な操作は変わらない。
深呼吸を一つ。胴体をベルトで固定して、小さな箱に手を伸ばす。
鍵穴に針金を突っ込み、解析魔法を併用してピッキング。簡単な
鍵だったのですぐ開いた。
箱の中の起動用レバーを掴む。
﹁あー、怒られるだろうな。子供が勝手に動かしていいものじゃな
168
いよな﹂
しかしそれも覚悟の上。
罰を受ければなにをしてもいいなどという道理にはならないが、
今は明確な意志を持って規則を破らせてもらおう。
レバーを操作する。
各部を制御するためのバッテリー回路が繋がれる。金属の擦れ合
うような音。電動モーターが魔導術式を組み替え、クリスタルの魔
力が人型機全身の無機収縮帯に供給される。
星形エンジンみたいな無機収縮帯を利用した発電器が動き出し、
充分な電力源を得たことで各種センサーが目覚める。
今の俺では理解不可能なシステムが幾つも立ち上がり、発電機の
低い唸りがフレームを震わせる。
視線を走らせ計器を確認。
﹁クリスタル魔力供給量正常、無機収縮帯テンションOK、︱︱︱
よし、いくぞ﹂
両手両足のペダルとレバーを押し込む。鉄兄貴が仰向けの状態か
らクルリと反転、うつ伏せに。
座席の角度を一八〇度回転。
人型機の手足が伸び、動物のように四つん這いで立ち上がった。
⋮⋮これが、俺の限界だった。
二足で立ち上がれないのだ。
訓練ではどうやってもバランスを保てず、転倒を繰り返した。
情けなさのあまり涙がこぼれそうになるが、それをぐっと堪えて
移動を始める。
見るに耐えない不安定な挙動の不気味なハイハイ。それを巨大ロ
ボットが行う様は実にシュールなのだろう。
169
やってきた先は村外れの畑道。人型機が歩くことを元より想定し
ているので、動き回るに足りる広さがある。
なによりあくまで村の中なので魔物も現れず、かつ近くに民家も
ない。少々うるさくしても問題なかろう。
早速といわんばかりにフットペダルに力を入れる。
腕を押し出すように伸ばし、その反動で立ち上がる!
﹁わ、うわあっ﹂
勢い余って後方に傾いてしまった。片足を後ろに下げ体重を支え
ようとして、片足立ちとなったことで横に傾き豪快な騒音を撒き散
らしながら崩れ落ちる。
﹁なんのぉ、おぉ!﹂
勢い余って畑に突っ込みそうになり、咄嗟に踏ん張って方向転換。
鉄兄貴は体を中途半端に捻った姿勢で倒れた。
﹁⋮⋮ふむ﹂
ここは一つ、考え方を変えてみよう。
ガイルやギイハルトの指導ではなく、俺が初めから持っていた地
球知識。
日本は人型ロボットに並々ならぬ情熱を注ぐ民族だった。故に、
二足歩行の困難さも認識している。
そうだ、いきなり歩こうするのが間違いなのだ。物事には順序が
170
ある。
まずは立とう。直立が最初の目標だ。
﹁目標低けぇ⋮⋮﹂
ようは人型機の重心が足の裏にあれば立てるのだ。重心が接地部
分から外れれば転倒する。簡単な理屈だ。
静かに、ゆっくりと立ち上がる。手を地面から放し、慎重に具合
を見ながら力を込める。
半腰の体勢で一旦ストップ。ハンドルを回して座席の角度を九〇
度回転させる。
待機状態と起動状態では座席の向きが異なる為に用意された装置
だが、くそ、戦闘用では電動だったのになんで作業用では手動なん
だ、面倒くさい。
気を取り直して中腰の状態から更に上を目指す。ここで転倒すれ
ば衝撃は馬鹿にならない。
五メートル、六メートルと上昇していく視線。そして遂に︱︱︱
﹁立った﹂
直立。
﹁立った、立ったぞ⋮⋮!﹂
何度繰り返そうと至れなかった体勢を、やっと成し遂げたのだ。
﹁⋮⋮といっても、立つのだけで手間取ってたの俺だけだけどな﹂
浮かれてどうする。ギイハルトはこんな基本よりずっと先にいる
のだ。
171
四つん這いでハイハイして頭突きで試合するなんて、もう二度と
ごめんだ。
﹁しかし、これは⋮⋮高いな﹂
搭乗型ロボットとして身長一〇メートルはありふれたサイズだが、
実際乗ってみると相当高い。そりゃ三階に匹敵するわけだから当然
だけど。
﹁次は、歩く、か﹂
二足歩行には静歩行と動歩行が存在する。
静歩行は重心が足から外れない歩行。つまり、動作を中断しても
倒れない。
しかし動歩行は重心が足から外れる、あえてバランスを崩す歩行
だ。人間が普段行っている歩行であり、高い制御技術を必要とする。
人間パネェ。
これができなきゃ戦えない。重心移動は武術における基本にして
奥義。
とはいえ人型機のセンサーは感覚まで完全にフィードバックして
くれない。
地道に、動作パターンを模索するしかないか⋮⋮
意外な解決法があった。解析魔法だ。
常に解析魔法を使用し、機体の状況を網羅し続ける。
それこそ、足の裏の接地圧まで。
172
重い足音を轟かせ鉄兄貴が前進する。それっぽく歩けるようにな
った。
こうなってくるとやはり楽しいもので、色々な動作を試行錯誤し
てみたくなる。
カーブ歩行、横飛び、ムーンウォーク等々。一度確立してしまえ
ば寸分の誤差もなく制御出来るのが快感だ。
人型機の操縦はピーキー過ぎて制御が難しいが、逆にいえば人間
以上の精度で動けるということに他ならない。
﹁完全把握出来るなら、こっちのもんだ﹂
クラウチングスタートの構えから、一気に加速。畑道を駆け抜け
る。
﹁うおお、動く動く! もしかしてこっちの世界では解析魔法みん
な使えてたのか?﹂
だとしたら俺以外の奴が軽々と人型機を乗りこなしていたのにも
納得だ。こんな扱いにくい乗り物、なにかのインチキなしで動かせ
るもんじゃない。
とにかく、この調子で動きの幅を広げるぞ!
俺はギイハルト打倒に燃え、時間を忘れて練習を続けた。
どれほど時間が経っただろうか。
﹃レーカ君?﹄
173
夢中で操縦していた俺は、聞き慣れた声に我に返った。
﹃こっちよ、こっち﹄
これは、集音機から聞こえるのか。
外にいるであろう人影を探す。
操縦席で首を振ると、連動して人型機の頭部も回転する。
座席は常に正面を向いているので、頭部を移動するとフロントガ
ラスも移動する。つまり頭は向けている方向の視界が開けている。
闇夜に佇む、小さな人影を発見。シルエットで女性だと判る。
真っ白なショールを羽織っていたので、白装束かと思って焦った。
﹁⋮⋮アナスタシア様?﹂
いかん、見つかった。怒られる。
﹃ガイルに聞いたよりずっと動けるようになったみたいね﹄
﹁う、うす﹂
﹃降りてこない? 話したいことがあるの﹄
怒られる! アナスタシア様はきっと普段は優しいが怒ると鬼に
なるタイプの人だ!
ビクビクしつつ鉄兄貴を降着姿勢に固定し、ハッチから這い出る。
﹁到着しました。うす﹂
﹁その口調はなに?﹂
174
﹁すいません! ふざけてないです! 勝手に人型機動かしてごめ
んなさい! うす!﹂
土下座を敢行。アナスタシア様の溜め息が上から聞こえた。
﹁私は貴方を叱るつもりはないわよ?﹂
﹁ごめんな⋮⋮え? なんで? こういう時はビシッと言わなきゃ﹂
予想外の展開に意味不明な言葉が漏れる。
﹁なぜ人型機に乗ってはいけないか、それは判るわね?﹂
﹁えっと、危ないから。人様に迷惑をかけかねないから。村の共有
財産だから。これくらいでしょうか?﹂
思い付いたまま並べると、肯定が返ってきた。
﹁そうよ。貴方はそれを承知した上で法を破った。こういう相手は
叱る必要もないわ、責任を忘却しているか責任から目を反らしてい
るかのどちらかだもの﹂
辛辣だなこの人。
﹁前者、忘却しているなら性根矯正しなおせばいいし、ね﹂
﹁アナスタシア様、怖いです﹂
年甲斐もないウインク。愛嬌があって可愛いとすら思うが、内容
175
は物騒だ。
俺の勘は間違っていない。普段優しい人は怒ると怖い。
おとこ
﹁まあ、あの人も﹃男の子じゃなくて漢だから﹄とか言ってたし、
女の身としては一歩引いていることにするわ。﹃漢﹄というよりま
だ﹃男﹄だと思うのだけれども﹂
﹁えっと⋮⋮﹃おとこ﹄﹃おとこ﹄連呼されてもよく解りません﹂
きっとそれぞれニュアンスが違うのだろうが、口頭じゃみんな一
緒だ。
アナスタシア様は答えることはぜず、笑って誤魔化した。
﹁それに、貴方は責任感の強い人よ。自分で自分を戒めてたでしょ
う?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
﹁そこで黙るあたり、頑固者でもあるわね﹂
さて、知らないな。
﹁俺を叱るつもりがないなら、なぜここまで来たのですか? 他の
人は?﹂
﹁ソフィーは寝かしつけたわ。ギイももう休んでいるし、あの人は
荒鷹でどこか行っちゃった﹂
奥さん大事にしろよガイル⋮⋮
176
﹁それで暇になった貴女は俺の様子を見に来たと? というか俺が
ここにいるのバレてたんですか?﹂
﹁バレバレよ。ソフィーとマリア以外はすぐ気が付いたわ﹂
自分なりにこっそりと行動したはずなんだけれどな、やっぱり軍
人の目は誤魔化せないか。
﹁どうも目が冴えちゃって。寂しかったんですもの、ガイルは最近
貴方と遊んでばかりだし。倦怠期ってやつかしら﹂
よよよ、と裾で涙を拭う芝居をするアナスタシア様。相変わらず
余裕を纏った、つかみどころのない人である。
﹁寒いし、屋敷に戻らない? もう深夜を過ぎているわよ﹂
﹁そんな時間ですか、むぅ﹂
まだ体力に余裕はあるし、もっと動きを詰めたいのだが。
﹁見た感じ必要ないかもしれないけれど、人型機を動かすのに必要
な技術を教えてあげるわ﹂
﹁人型機を動かすのに必要な技術?﹂
エアボート
どういうことだろう。操縦方法は昼にレクチャーを受けたし、今
もそれで動かしていたのだけれど。
俺の返事を待たずアナスタシア様は飛宙艇の準備を始める。帰る
気マンマンっすね。
177
エアボート
﹁飛宙艇、乗れるんですね﹂
﹁練習すれば誰にだって乗れるわよ?﹂
﹁俺はそもそも魔力を扱えなくて乗れませんでしたが﹂
﹁なら練習すればいいじゃない﹂
ソフィーのスパルタは貴女の遺伝ですか。
﹁ガイルほど上手くないから、風上には行けないけれどね﹂
﹁え?﹂
指を舐めて風向きを確認してみる。
﹁屋敷の方向が風上ですが﹂
﹁平気よ。ほら、乗って﹂
まあ大きくジグザグに進めばいいか。
﹁その前に鉄兄、人型機を片付けてきます。先に行ってて下さい﹂
﹁私が動かしておくわよ﹂
﹁いやいや、そこまでお手数を⋮⋮﹂
﹁︱︱︱﹃与えるは偽りの魂、我が命の印を以て骸に仮初めの意志
を﹄﹂
178
ん?
﹁立ち上がりなさい︱︱︱﹃ワーク・ゴーレム﹄!﹂
声を張り上げたと思ったら、なんと鉄兄貴が自立した。
﹁な、え、えぇええ!?﹂
﹁ゴーレム魔法の応用よ。あまり複雑なことは出来ないけれど、外
から動かすくらい訳ないわ﹂
足音を響かせつつ去っていく鉄兄貴。俺は魔法の自立制御にすら
負けていたのか⋮⋮
再び落ち込みつつも、促されるままに飛宙艇にアナスタシア様と
二人乗りする。俺はセイルに掴まっているだけ。アナスタシア様が
俺の後ろからハグする形で操るのだ。
むにゅん、と柔らかい感触。
硬直する俺。頭の後ろに大きな弾力が。ががががが。
﹁どうしたの?﹂
﹁イイエ! ナンデモ ナイ デスヨ!?﹂
落ち着け俺! 相手は人妻で恩人だ! 雑念を捨て去れ!
動揺する俺になにかを得心したのか、にまにまと笑みを浮かべる
アナスタシア様。
﹁おませさん﹂
179
﹁ぐ﹂
セイルにしがみつきアナスタシア様と隙間を作る。
﹁あら酷いわ、私嫌われてるの?﹂
だというのに、アナスタシア様は更に密着してくる。
アナスタシア様は、大きい。たわわというか、大きいのだ。
女性としての魅力を十二分にアピールするそれはしかし、彼女持
ち前の気品の前には下品にはなりえない。
ゆったりした服を着ることが多いので失念しがちだが、肉感的な
がらも引っ込むとこ引っ込んでいるプロポーションはまさしく女神
のそれ。
ソフィーも将来はきっとこんな、と、待て、なに考えているんだ。
頭を振って雑念を振り払う。
﹁俺を誘惑してどーするんですか﹂
﹁そんな姿勢じゃ危ないの。別に気にしないから、自然に私に背中
を預けて頂戴﹂
しかし、いや、でも。
﹁はっきりしないわね。こういう時は役得くらいに思っておけばい
いのよ。行くわよ、レーカ君?﹂
魔力が注がれボードが浮上する。
﹁﹃風よ。集い、纏い、覆い、大気の流動となれ﹄﹂
180
風向きが変わった。魔法で無理矢理真っ直ぐ進むのか。さすがは
青空教室で魔法講師をするだけあって、魔法は得意らしい。
通されたのはアナスタシア様の私室。掃除も禁じられているので、
初めて入る。
豪華な家具が並ぶもあまり派手さはなく、しっかりした机も設置
されていることから執務室も兼ねている様子。
失礼と思いつつもついキョロキョロ見てしまう。女性の部屋なん
て慣れていないのだ。
﹁魔法を教えるわ﹂
﹁魔法ですか?﹂
それが人型機を動かすのに必要な技術?
﹁ええ、貴方は魔法に慣れていない。だから人型機とのイメージリ
ンクが行われていないの。訓練で立ち上がれなかったのはきっとそ
のせいよ﹂
﹁なんですかそのイメージリンクって﹂
﹁人というのは、厳密に体を動かしているわけではないわ。心が﹁
前に進みたい﹂と思えば、心とは別の部分が筋肉を動かして前進す
181
る。それらを心だけで動かそうと思えば、緻密な制御が必要となっ
てくる﹂
なんとなく判る。フルマニュアルで人型機を動かしていたので、
歩行というシンプルな動作にどれほど工程が積み重ねられているか
改めて思い知らされた。
﹁操縦桿で大雑把な動きを入力し、イメージリンクがその動きを修
正する。そうやって人型機は立ったり走ったりするの﹂
⋮⋮起動させた時の不明なシステムってこれか?
﹁イメージって、搭乗者のイメージですよね? そんなのどうやっ
て読み取ってるんです?﹂
﹁元々あった感覚共有魔法の応用ね。使い魔の目を通して景色を見
たり、人同士で感覚をリンクさせる用途に使われるわ﹂
﹁簡単ですか?﹂
勝負のチャンスは明日だから、あまり難しいと困る。
﹁中級魔法だから簡単な部類ではないわ。でも魔導術式は人型機に
刻まれているから、魔力を操る感覚に慣れたらあとは人型機が勝手
にやってくれるの﹂
﹁他の子供が人型機を乗りこなしていたのは⋮⋮﹂
﹁イメージリンクが正しく確立していたからね﹂
182
なんてこった、やっぱあったよインチキ。
﹁そもそもイメージ補正なしでどうやって手とかを操作していると
思ったの?﹂
﹁えっと、パターン化とかしてるのかなと⋮⋮﹂
練習ではずっとグーだった。操縦席に指を操作する部分がなかっ
たから不思議ではあったんだ。
﹁それでよく動けていたわね。普通立ち上がることすらできないは
ずよ﹂
﹁それは解析魔法を使ったからですね﹂
﹁解析魔法?﹂
﹁って、勝手に名付けただけですが。本来の名前はなんていうんで
しょう?﹂
アナスタシア様に解析魔法について説明する。
﹁目視出来る物体を解析する魔法。呪文詠唱は不要、ね⋮⋮﹂
顎に指を当てやや考え込み、
﹁ないわよ、そんな魔法﹂
﹁え?﹂
183
予想外の返答を発した。
﹁いい? 魔法を発動する方法は二つ。口頭による呪文詠唱か、金
属に魔導術式を刻むかだけなの。例外もあるけどそれもどちらかの
変則・応用でしかない。魔導術式も用意せず意識だけで発動する魔
法なんて聞いたことがないわ﹂
﹁で、でも、使えてますよ? なんならなにか透視しましょうか?﹂
﹁いいわ、信じるから。ところでそれ、覗きとかに使ってないでし
ょうね﹂
﹁無理でした。人体の中身まで解析してしまって﹂
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
奇妙な沈黙が流れた。あれ、俺の無罪潔癖を証明したはずなのに。
﹁⋮⋮まあ、ともかく興味深いわね。異世界の次は謎の魔法。詳し
く調べてみようかしら﹂
人体実験とかはノーセンキューです。
﹁それで、その解析魔法を使ってどう人型機を操ったの?﹂
﹁人型機ってセンサーは付いてても、感覚はないですよね。だから
重心やフレームの負担を読み取って最適な動きをさせたんですよ﹂
﹁⋮⋮ふぅん﹂
184
なんですか、その意味深な声。 ﹁それにしても詳しいですね、人型機について﹂
ゴーレムや使い魔魔法の応用で片付けるには、少し博識過ぎると
思う。
﹁あら、私はメカニックよ?﹂
﹁⋮⋮マジっすか?﹂
﹁マジっすよ﹂
いたよ、人型機に詳しい人。
せきよく
﹁でも紅翼整備してるところなんて見たことありませんよ?﹂
﹁飛行機乗りは最低限自分の機体は自分で世話するものよ。あの人
の手に負えないトラブルが発生したら私の出番ということね﹂
なるほどと頷き、姿勢を正して頭を下げる。
﹁アナスタシア様﹂
﹁はい﹂
﹁俺に魔法を、それに人型機の技術を教えて下さい。今夜だけでは
なく、これから長期間に渡って。お礼は必ずします﹂
﹁お礼なんていらないわ。子供を導くのは大人の役割だもの﹂
185
﹁いえ、そういうわけには﹂
﹁私だってそうやって知識や技術を学んだのよ。そして貴方が大人
になった時、誰かに私の技術を伝えて。そういうものよ﹂
﹁︱︱︱はい﹂
アナスタシア様は嬉しそうに機材などの準備を始める。
﹁ふふっ、ソフィーは機械は苦手だし、メカニックの技術伝承に関
してはもう諦めてたの。弟子が見つかってよかったわ﹂
﹁ソフィーが将来自分の飛行機を持ったらどうするんです? 自分
で整備するものなんでしょ?﹂
﹁その時はお願いね﹂
俺任せですか。
﹁さて、まずは魔力を操ることから始めましょう。貴方は出鱈目な
ほど魔力があるから、きっと凄い魔法使いになれるわ﹂
出鱈目? ⋮⋮あ、チートで魔力強化されてるの忘れてた。
﹁それともいっそ強力な魔法一つ覚える? 貴方の魔力量なら力任
せに放っても人型機を撃破するくらい可能よ?﹂
﹁生身の人間が人型機に勝てるんですか?﹂
186
﹁攻撃力だけで語れば上級魔法で装甲を貫けるわね。生身だと一撃
で墜ちる危険もあるけれど、逆に言えば的が小さく当てにくいわけ
だし﹂
確かにファンタジーに登場する竜殺しの英雄など、超人的な人種
なら人型機も倒せそうなイメージはある。
﹁いえ。訓練はあくまで人型機の操縦中心にお願いします。巨大ロ
ボットを生身で倒すなんて邪道です。それもまた浪漫だけど、邪道
です﹂
﹁よく解らないけど、判ったわ。今夜は寝かせないわよ﹂
別の場面で聞きたかったっす。
れいか
なぜここまでギイハルトとの勝負に拘るのかと問われれば、零夏
自身はっきりとした回答を提示出来ない。
解らないから、が半分。もう半分は認めたくないから。
零夏から見たギイハルトは、イケメンであり人気者でありガイル
やアナスタシアからの信頼も厚い。人見知りのソフィーに対しても
上手く接して見せた。そんななんでも超人だ。
零夏はギイハルトに嫉妬した。少年ながらに兵士だったという悲
劇的な過去も含めて、そのかっこいいプロフィールに。
こんなことを考える自分に自己嫌悪しながらも、彼は不安だった。
187
まるで物語の主人公のようなギイハルトが、彼がこの世界で運良
く手に入れた家族をかっさらうのではないか。
そんな焦燥が零夏を突き動かした。表向きは悔しさという健全な
感情で覆い隠し、本心ではこう思っていた。
﹁俺の居場所を奪うな﹂と。
しかし相手は経験豊かな大人であり、社会的な地位も実力もある。
到底零夏という存在では太刀打ち出来ない。
だから、せめて。せめて、ギイハルトになにか一つだけでも勝ち
たかった。
﹁馬鹿らしい﹂
そんな取り留めのない﹃仮説﹄に自嘲しつつレバーを捻る。
人造の巨人の心臓が脈動を始める。
眼前の敵ならぬ敵を見据え、操縦桿を強く握り締め。
まさに今、真の主人公の初陣が始まろうとしている。
ギイハルトにとって、その試合は優しさで付き合うだけのものだ
った。
レーカというあの少年は昨日全く人型機を操れなかった。人型機
は戦闘機と並ぶ子供の憧れだ。その才能がないというのは子供なが
らショックのはず。
だから、少年がリベンジを申し込んできた時も面倒だとは一蹴出
来なかったし、共和国の騎士として正々堂々受けて立った。
188
昨晩ガイルとアナスタシアが出掛けていたのは彼も気が付いてい
る。おそらくは夜通し特訓を行っていたのだろし、両名がこの試合
を許可したことからレーカ少年は一通り人型機を操れるようになっ
たのだろうと推測する。
その心意気や良し。そう思えるほどには、彼は大人だ。
無論、負ける気などさらさらない。
結局のところ、それが男同士の戦い故に。
朝一で零夏の申し込みにより行われることとなった試合。
形式的には前日の訓練とまったく同じであり、草原を舞台とした
ほぼ平地における得物なし格闘戦。
朝食後すぐに準備されたその舞台には、当然ながらガイルとアナ
スタシアも同席している。
村の子供達も騒ぎを聞いて集まり、キャサリンとマリアもまた仕
事を中断し屋敷に住み着いた少年を見守っていた。
﹁ナスチヤ﹂
﹁はい﹂
対面して降着姿勢を保つ二機の人型機を見据えたまま、ガイルは
隣に立つ妻に問う。
﹁結局、あいつの仕上がりはどうなんだ?﹂
﹁想像以上ね﹂
189
学ぶことには厳しい妻の、珍しい称賛にガイルは意外そうに視線
を彼女へ向けた。
﹁一晩で魔法に関してはソフィーを越えたわ。ソフィーは魔法に関
してはあなたに似て凡才だけれど、それにしたって早い﹂
﹁それは、魔力量に任せた力業などではなくて、か?﹂
﹁魔力も馬鹿げているけれど、それ以上に確かな教養と知識、更に
言えば柔軟な発想を持ち合わせているわね。異世界というのはあん
な子ばかりなのかしら﹂
﹁最初に話し合った可能性に関しては?﹂
﹁むしろ可能性が消えたと考えるべき。事前に聞いていたのと違い
過ぎるもの﹂
ガイルとしては、零夏に魔法の適性があるというのは釈然としな
い。魔法に長けた者は例外なく頭の回転が速い。いつも馬鹿ばかり
している零夏にそのイメージが合わなかったのだ。
しかし、アナスタシアはそれすら否定する。
﹁あの子は聡い子よ﹂
﹁随分と高評価だな﹂
﹁気付いていた? あの子があなたにだけふざけた態度で接するの
は、他ならぬあなたがそれを望んでいるからだって﹂
190
﹁バカ言うな。アイツに構うのも大変なんだぞ﹂
﹁構ってやっているようで、構ってもらっていたのよ。レーカ君は
あなたがいつも寂しそうな目をしていると気付いていたから、無礼
を承知で友人として接していた﹂
﹁⋮⋮人に友達がいないみたいな言い方するな﹂
﹁いないじゃない﹂
カラカラ笑う妻に、そのうちなにか仕返ししてやろうと考える駄
目な夫。
憮然とふてくされたガイルに可愛らしさを見出しつつ、アナスタ
シアは思案する。
人型機の操縦はどうしても誤差が生じる。
人間が﹁五〇センチ足を進める﹂と考えて踏み込んでも、脳が勝
手に最適な距離・重心へと修正し、数値とは異なる場所へ足を降ろ
すことになる。イメージリンクはその無意識の修正を利用し違和感
なく操縦を補助する機能だ。
熟練した乗り手であればイメージリンクの割合が減り動作精度が
上がるが、それでもズレは必ずある。
しかし零夏の動かし方は根本的に違う。解析魔法により正確なデ
ータを得て、それを寸分の狂いなく現実に再投射している。
故に、その人型機の動きは、無機的であり正しく機械的。
そもそもが、解析魔法というイカサマの存在は、零夏が操縦の入
力を誤差なく行える理由にはならないのだ。
︵零夏君の操縦において、注目すべきは解析魔法なんかじゃない。
本当に凄まじいのは︱︱︱︶
191
︱︱︱彼自身の持つ、精密制御技能ではないか?
黙りこくってしまった妻に、なにか機嫌を損ねたかと焦るガイル。
﹁ど、どうした? もしかしてお前も女友達が欲しかったとかか?
すまんな、こんな田舎に住ませて⋮⋮﹂
﹁ここに住んでいるのは私の事情もありますし、このゼェーレスト
村は気に入ってますし、私は村の奥様方と仲良くさせて頂いており
ます。あなたと一緒にしないで下さい﹂
ぐは、と崩れ落ちるガイル。 ﹁この際だから言わせて頂きますけれど、昨日はどこに行ってたの
? 新型機で夜明けまでほっつき歩いて、いえほっつき飛んでいて、
娘の教育に悪いのよ。それに騒音で人様にご迷惑をおかけしたりし
ていない?﹂
思考の海に浸かったアナスタシアは無意識に普段覆い隠した本音
を漏らす。あくまで無意識である。
二人の後ろでソフィーが母に怯えていた。
﹁だ、大丈夫だ! 昨日は重力境界でドラゴン相手に新型機の性能
を試していてな、いやさすが最新型だぜ、エンジン出力が半端なか
った﹂
だから騒音被害は出していないと弁明するガイルに、アナスタシ
192
アはようやく冷めた目を向けた。
﹁あそこには行かないって約束だったでしょう? 今月のお小遣い
は半分カットです﹂
声もなくガイルは突っ伏した。
なにやら意気消沈しているらしい審判に仕事を促し、両名は構え
をとる。
零夏機は片足を半歩引き、ギイハルト機は腰を落とす。
民間と軍隊という差もあれど、双方格闘技の経験者。
その違和感のない立ち姿にギイハルトは手心を加えることを止め
た。
人型機に関しては素人でも、白兵戦についてはそうではない。彼
の知識と長い軍歴故の勘は、それを正しく見抜いた。
構えたまま、微動だにせず試合開始の合図を待つ。
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
待つ。
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
193
待つ。
﹁⋮⋮⋮⋮先輩まだですか﹂
﹁⋮⋮⋮⋮はよしろガイル﹂
﹁うっせ。こっちは小遣いカットで落ち込んでるんだ。はい開始か
いし∼﹂
投げやりに振られた手に、しかしそれでも切って落とされた火蓋。
発電機とコンプレッサーを唸らせる鋼の巨人が、勢いよく駆け出
した。
不意打ちで始まった勝負に観客は息を飲む。
振りかぶり放たれるギイハルト機の拳。識域下で未だ残っていた
零夏への侮りが、多少の疑念を押し潰しての一撃として零夏機へと
迫る。
僅かに姿勢を低める零夏機。
ギイハルト機の拳は零夏機の頭上、コックピットモジュールを掠
めた。
その紙一重の回避に驚愕する間もなく、ギイハルト機のコックピ
ットに零夏機の右肘が突き刺さる。
﹁ぐっ!? ああぁ!﹂
左足から右肘まで真っ直ぐ衝撃を通した一撃。人型機のパワーを
存分に込めたそれは、砲撃の跡のように左足が地面を抉り、固定さ
れていないギイハルト機に至っては誇張なしに宙を舞うこととなっ
た。
スケールの比率からいえば人間以上のパワーを人型機は持つ。一
194
〇メートル以上吹き飛んだギイハルト機は盛大に金属の擦れ合う音
をがなり立て地表に落ち、更に地面を数メートル掘削した場所でよ
うやく静止した。
あまりの展開に言葉を失う一同。
誰もが、軍人であるギイハルトの圧勝を疑っていなかった。
しかし現実はどうだ。最初の一撃、それも痛烈なダメージを受け
たのは零夏機ではなくギイハルト機。
ギイハルト機は倒れたまま微動だにせず、零夏機もまた肘打ちを
放った姿勢から動かない。
あまりに予想外の展開だった︱︱︱零夏の可能性に至ったアナス
タシアを除いて。
金属が千切れる、人が生理的に受け付けない類の音が響く。
誰もがギイハルト機に何らかの支障が生じたと考える。その音の
正体に気付いたアナスタシア以外は。
﹁あの子、人型機と人間のフレームが別だって考えてなかったわね﹂
零夏機の右肘関節部が火花を散らし垂れ下がる。
人型機に想定されていない角度からのダメージに、精密な腕関節
が耐えきれなかったのだ。
コックピットの窓から破損した腕を確認し、零夏は呟く。
﹁っく、こういう使い方は駄目なのか?﹂
それは間違いである。人型機には、人型機の肘打ちがあるのだ。
これは正しく人体と人型機とを同一視した零夏の知識不足からの
失敗。
なんであれ、零夏はこの戦闘において拳以外の打撃技を使用しな
いことにした。
ギイハルト機が立ち上がる。
195
その緩慢な動作にダメージが残っているのかと人々は予想するが、
それはあまり正しくない。
ギイハルトは戦闘機のエースパイロットであり多少の衝撃でどう
こうなるほどヤワな鍛え方などしていない。
彼の搭乗する人型機にしても、咄嗟に構えることで衝撃を分散し、
見た目ほどの損傷はなかった。そもそもが人型機の頭や首は重要箇
所であるが故に強固であり、致命傷とはなりにくい。
しかし、ギイハルト自身は別だった。
彼自身は大人であろうと男であり、それ相応に負けず嫌いであり。
早々に傷付けられたプライドに、彼の目は爛々と輝いていた。
既にギイハルトに油断は欠片もない。
じりじりと近付く零夏機とギイハルト機。
脚部の挙動一つ見落とすまいと、座席に座る彼らの眼光は鋭くな
る。
間合いに入った。そう確信したのは双方同時だった。
ギイハルト機が超重量のハイキックを放ち、零夏機がそれをかわ
し拳を撃つ。
しかしギイハルト機は人型機の人間以上のスペックを生かしハイ
キックを放ち終わる前に跳躍。機体を空中に踊らせる。
足場のない空中で、もう片方の足をしならせ蹴りを放つ。
零夏機は予想外の二撃目を攻撃を放つ為に突き出していた左腕で
防御。咄嗟に横へ飛び前転して距離を取る。
体勢を崩した零夏機に、ギイハルト機は容赦なく追撃した。
最初の大技とは打って変わり拳による小ダメージを狙ったギイハ
ルト機の猛撃。
連続で放たれるそれを、零夏機は受けとめ、かわし、逸らすしか
なかった。
共に格闘技経験者である彼らだが、場数はギイハルトの方が遥か
に多く踏んでいる。
少しずつ後退する零夏機。経験の差が、確実に力の差として表れ
196
ている。
しかしながら、焦りを覚えているのはギイハルトの方だった。
︵なぜ︱︱︱攻めきれない!?︶
ギイハルト機は万全な状態であり、対する零夏機は片腕のみ。ト
ラブルを恐れてか攻撃方法も限られており、残った左拳を時折放つ
だけだ。
だというのに、なぜギイハルト機は決定打を与えられないか。
それは、零夏の精密過ぎる制御が理由だった。
紙一重でかわし、いなし、受け止める。
所謂﹃見切り﹄。それをただ、限界まで最小限の労力で行ってい
る。
しかしながら時間経過と共にキレを増していくそれは、既に距離
僅か数センチという巨大ロボットにあるまじき精度にまで達してい
る。
それは既にセルファークの人型機天士の限界を超えた、超人的な
ものであった。
次第に攻防が逆転する。
人型機の実戦を学習した零夏は、もう一つの体の動きを貪欲なま
でに洗練させる。
やがて限界が訪れ、ギイハルト機は大きく後退した。
﹁仕切り直しはさせないっ!﹂
零夏は踏み込み強引にインファイトに持ち込む。
ギイハルトは焦り、否、戦慄を覚えていた。
︵これが、本当に昨日四つん這いでしか動けなかった少年の操縦な
のか!?︶
197
ここまで来てはギイハルトは認めざるおえなかった。目の前の少
年は、尋常の存在ではない。
︵そう、か。彼は、そういう人間なんだ︶
かつての上司であるガイルや、その娘でありガイルの才能を受け
継いでいるであろうソフィーと同じ部類の人種。
エースオブエース
即ち、生まれながらにして﹃銀翼の天使﹄としての素質を持つ者。
込み上げる悔しさを噛み締め、それでもギイハルトは戦意を失わ
ない。
戦場では諦めるなどという選択肢はありえない。敗北すれば死し
か存在しない世界を知っている彼は、如何なる状況でも動きを止め
たりなどはしない。
意地がある。誇りがある。
人外的な戦果を上げる上司を持ち、その男の背中を追い続けたギ
イハルトには自負があった。
﹁下せるとでも思ったかい?﹂
操縦桿を思い切り引き、後ろへ飛び退く。
当然のように追いかける零夏機。
﹁これでも軍人でね、そう簡単に墜ちると思わないでほしいっ!﹂
198
迫る零夏機に、右肘を予め構え突き刺す。
﹁しまっ、引き撃ち!?﹂
﹁過信したな、少年!﹂
勢い付き回避しきれないタイミングで、ギイハルトのカウンター
が零夏機を沈めた。
意趣返しとばかりに放たれた肘打ちは人型機の設計想定通りの正
しいものであり、零夏機の頭部は大きく揺さぶられパイロットに重
大なダメージを与えることとなった。
零夏の意識が一瞬途絶える。鈍重な轟音を伴い地面に落ちる零夏
機。
ギイハルト機はとどめを刺すべく装甲の薄い背部に拳を放つ。
主要な機関を内包する胴体にダメージを与えれば、確実に人型機
は機能を停止する。
﹁これで、終わりだ!﹂
勝利を確信したギイハルト。
零夏はようやく目の焦点を合わせ、自分の危機に気付く。
﹁︱︱︱︱︱︱!﹂
それは、既に考えての行動ではなかった。
全身を跳ね上がらせての後方宙返り。
重量を無視した挙動に、観客は当然ながら、目の前で警戒し尽く
していたはずのギイハルトすら呆気に取られた。
零夏機は生き残った左腕でギイハルト機の装甲を掴む。
199
そして敵に背面を向け、肩で人型機の全重量を持ち上げたあたり
で正気に返った。
﹁しま︱︱︱﹂
﹁うりゃあああぁぁぁ!!﹂
人型機による、人型機の背負い投げ。
本日最大の音と振動が、ゼェーレスト村を揺さぶった。
慣性のまま全身のフレームが歪み、無機収縮帯が破断し、魔導術
式が致命傷を受ける。
徐々に駆動音を沈めていく自機に、ギイハルトは天を仰いだまま
認めざるをえなかった。
﹁俺の、負け、か﹂
﹁⋮⋮いぇい﹂
息も絶え絶えにそれでも人型機にピースサインをさせる零夏。
零夏機もまた、無茶な機動により無機収縮帯が損傷し挙動がぎこ
ちない。
その間の抜けた行動に毒気を抜かれながらも、ギイハルトは一つ
の決意をする。
︵いつか戦闘機で空から一方的な攻撃してやる。地上兵器が戦闘機
に適うと思うな︶
こいつもやっぱりガキだった。
200
﹁勝ったぞー! 俺は、勝ったぞおおぉぉぉ!﹂
バッチから這い出て空に向かって叫ぶ零夏。
興奮のまま、思いを青空にぶつける。
﹁ロボォォォオ、ットォォォ!!!﹂
﹃なにそれ?﹄
聞き慣れない単語に首を傾げる人々。気にせずロボット! ロボ
ット! と連呼する零夏。
なんだかんだいって、やはり一番の馬鹿はコイツだった。
201
作者の落書き
イラストをやっていたのは何年も前なので、文字通り落書きレベ
ルです。
<i48276|5977>
ソフィー
ヒロイン。ゼェーレストの屋敷に住むお嬢様。極度の人見知りだ
が零夏には興味を示している模様。実はフルネームが長い。
<i48277|5977>
マリア
メイド長キャサリンさんの娘。ソフィーや零夏にはお姉さんぶり
たい年頃。世話焼きの苦労人。主に零夏のせいで。
<i48278|5977>
アナスタシア様
202
ソフィーの母親でガイルの妻。実は凄腕メカニック。意外とお茶
目なお姉さん。
<i48273|5977>
零夏
︵心の澄んだ人には生意気そうな少年に見えます︶
真山 まやま れいか
地球から異世界セルファークへ転生した主人公。肉体と共に精神
まで童心に返って異世界ライフを満喫中。カバティとの関連は不明。
<i48274|5977>
︵正直な心を持つ人には不良親父に見えます︶
ガイル
ソフィーの父親でアナスタシア様の夫。何気にシルバーウイング
スを有するエースオブエース。最近では零夏と一緒に馬鹿ばっかや
っている。
<i48275|5977>
︵高潔な魂の持ち主にはイケメン青年に見えます︶
ギイハルト・ハーツ
203
共和国新型戦闘機のテストパイロットを勤めるエリート。元ガイ
ルの部下。
<i48200|5977>
鉄兄貴
村の正面に鎮座する人型機。鉄兄貴は零夏が勝手に付けた名前で
あり正式な登録名称ではない。
セルファークの至る所で見ることの出来るベストセラー機。
左右の肩パットや足の装甲など、同じパーツを使い回せる部分が
多い。手の指も小指∼人差し指が一体化していたりなど、安価での
大量量産を前提とした設計が特徴。
背面のクレーンはアナスタシア様がジャンクを引き取り修理した
物。製造元が違うので少々強引な接続をしている、という無駄設定
があった。
鉄兄貴は作業用なのでほっそりしているが、戦闘用人型機は内部
構造が複雑かつ装甲も厚いのでもっと太ましいシルエットである。
204
ガンブレードとガトリング
ゼェーレスト村もそろそろ夏の日差しが射す時期になってきた。
春先の過ごしやすいそよ風は今や、発汗を促す熱風となりかけて
おり。
この間までの可愛げは演技か、いわばツンデレのデレか、このっ、
このっ、デレが先にくるとかデレツンじゃねぇか、と空気に向かっ
てパンチし余計に汗をかいて後悔する今日この頃。
少し前のギイハルトに勝利するという快挙もそれ以上のイベント
に発展することなく、俺は今日もまた平穏な生活を送っていた。
ちなみにあのレンタルした人型機、そもそも戦闘前提で借りるも
のだから壊しても問題ないらしい。壊した分だけ追加料金を取られ
るが、アナスタシア様がぱぱっと直したのでそれもなかった。
せきよく
凄い手際だった。是非目標にしたい。
最近の出来事といえば、紅翼のエンジンがお亡くなりになったく
らいか。おかげで俺のパイロットデビューは先送りである。
正確にいえばもう金属疲労が限界で、動くことは動くのだが飛ん
でる途中に止まる可能性があるとのこと。それでも耐久年数を超え
て一,五倍は稼働したというのだから頑張った。
﹁そもそも耐久年数越えたの使っていいんですか?﹂
﹁機械は人と同じで、一つ一つ個性があるの。量産品で見た目が瓜
二つだったとしても、長く使っていれば差が出てくる。最初にいい
一品を捜し当てるのもメカニックの仕事よ﹂
ツナギポニテ姿のアナスタシア様と実習がてら紅翼からエンジン
205
を降ろしている時、そう教えられた。
解析魔法を使えば機械の構造は判る。けれど経験に基づく判断は
別だ。俺には知識も技術も全然足りない。
とりあえず教材として、紅翼のエンジンは俺の玩具となった。
アナスタシア様が精製魔法で溶かしてインゴットにしようとして
いたのを慌てて止め、頼み込んで譲ってもらったのだ。
﹁まったく、ただでさえガラクタだらけの倉庫にまたデカいゴミを
持ち込んだね﹂
倉庫を圧迫するエンジンに溜め息を吐くキャサリンさん。
﹁ゴミじゃないです! このエンジンは俺のお宝一号です!﹂ 出力を抑えた量産品とはいえ、飛行機を動かすほどの大型コンプ
レッサーだ。焼けて茶色くなったそれは、役目を終えた今も尚どこ
か力強い。
﹁ゴミじゃないかい。そもそもこの倉庫の木箱だってアナスタシア
様が﹁これはまだ使える﹂だの﹁これはあとでインゴットに﹂とか
言って溜め込んだものだし﹂
物を捨てられない人ですか、アナスタシア様。
﹁その、でも本当に使えるんだもの。勿体ないわ﹂
﹁そうです。勿体ないです﹂
居候
﹁⋮⋮まあ倉庫の住人がいいって言ってんなら気にしないけどさ。
やれやれ、そもそも特大のゴミが屋敷に居着いたっていうのに﹂
206
もしかしてそれは俺のことですか。
﹁でもレーカ君、エンジンを起動させる時は周りに気を付けるのよ
? 吹き飛ぶからね、色々と﹂
むしろそれで遊びたかったのは黙っておこう。
﹁この状態からはもう再生出来ないんですよね﹂
﹁一度潰して全部作り直すことは出来るけれど、それなら買った方
が早いし品質もいいわ﹂
まあ、それならそれでやりようはある。
エアボート
﹁手始めに飛宙艇に積んでみるか﹂
﹃やめなさい﹄
ハモって止められた。
ジェットエンジンを積んだ空飛ぶボード、格好いいと思うのに。
﹁ソフィーの玩具になるわ﹂
﹁すいません、やめときます﹂
ソフィーにいつ壊れるか判らない乗り物を与えるわけにはいかな
いか。
﹁技師魔法を幾つか覚えたのだし、使いたくなるのは解るわ。でも、
207
最初はもっと小さな物から作ってみなさい﹂
技師魔法とはメカニックや職人が使う、精製魔法や鋳造魔法とい
った金属加工用の魔法である。作業規模と魔力消費が比例するので
大掛かりな作業は難しいが、小物を作る程度であればこちらの方が
便利だとのこと。
﹁この倉庫にあるものは材料にしていいわよ。どうせ使う予定もな
いしね﹂
﹁予定もないなら貯めないで下さい﹂
アナスタシア様はキャサリンさんから露骨に目を逸らした。
﹁しかし、小物、ねぇ﹂
倉庫は屋敷と比例して相当でかい。その倉庫が半分埋まるほどだ
から、相当量のガラクタが眠っていることは想像に難いだろう。
暇な時に漁ったりもしていたので、何があるかも大体把握してい
る。
一言でいえば、なんでもある。
各種インゴットや金属片、魔導術式用の鉄板や無機収縮帯の細切
れ、この世界における物作りの基本的な材料や部品は探せばあると
考えていい。
︵⋮⋮やべ、なに作ろう?︶
わくわくしてきた。せっかくだから、少し凝った物を拵えたいも
のだ。
208
﹁あー楽しくなってきた。これは早速図面を引かなければ!﹂
木箱を二つ置いて上に板を載せただけの簡素な作業机に張り付く。
﹁邪魔するのも悪いし行きましょっか、キャサリン﹂
﹁はい、アナスタシア様。レーカ、夢中になるのはいいが仕事はち
ゃんとこなすんだよ﹂
﹁うっす!﹂
ハイなテンションで返事をする。アナスタシア様は退室する前に
こう言い残した。
﹁現物ができたら見せてね﹂
﹁⋮⋮もしかして、課題とか?﹂
﹁いいえ、ただ見てみたいだけよ﹂
そっすか。
﹁何を作ってもいい﹂と言われるとかえって困ってしまうのはな
んだかお料理上手の奥さんみたいな悩みだが、赴くままに思考を走
らせた結果、朧気になにを作りたいか見えてきた。
209
﹁小物だが、単純な物では駄目だ。外装は勿論だが中身も凝らなけ
れば﹂
内部に細かな機械装置を組み込んだ小物。この時点で、大体二つ
に絞られた。
﹁ロボットか、銃だな﹂
地球では実用化されていた玩具用の小型ロボットも楽しそうだし、
実銃を拵えてしまうというのも捨てがたい。うーむ。
﹁実用性は? ⋮⋮当然銃だよな﹂
アナスタシア様が使っていたゴーレム制御魔法の応用、﹃ワーク・
ゴーレム﹄を使えれれば小型ロボットにお使いさせたりするのも楽
しそうだけど。
それも結局一発ネタで終わりそうなんだよな。それに人型機の知
識も未だ怪しいので、作るとしてもまた今度だ。
﹁よし、銃だ! 銃を作ろう!﹂
手始めに簡単な物から作ってみることにした。
適当な金属片を鋳造魔法で形成する。
鋳造魔法は大雑把な形を整える魔法だ。どうしても歪みが残って
しまう。
それをヤスリで地道に削る。丁寧に、慎重に。
大量生産品であれば地球と同じ本来の鋳造技術等で作り出せるの
だが、特注となればこうやってチマチマと頑張るしかない。
更にいえばあちらには精密加工が可能な機材があるが、こっちで
は職人の技量任せだ。魔法のサポートがあるとはいえクオリティを
210
上げるのは並大抵のことではない。だからこそドワーフといった器
用な種族は重宝される。
そうして出来上がったのは、片方の穴が塞がった鉄パイプだ。側
面に一カ所穴が開いており、穴が塞がっている側には簡素な銃床が
くっついている。
﹁そういえば水道管って呼ばれてる短機関銃があったよな﹂
さして関連のない豆知識を思い出す。
側面の穴に合うように金属板をカットし、簡単な魔導術式を刻む。
魔力を通すと小さな爆発をおこすものだ。
この世界にだって火薬はある。倉庫にもあるのだが、今回は使わ
ないことにした。
単純に勿体無いから。実験にいちいち消耗品を使ってはいられな
い。
﹁とにかく、これで一旦完成だ﹂
火縄銃以下の﹁銃らしき物﹂だが、歴史を辿れば似た物はいくら
でも存在する。グリップがあるだけ上等だ。
﹁早速試射しよう、そうしよう﹂
倉庫から出て草原へ向かう。途中、ガイルに出会った。
﹁丁度よかった。ガイル、試射の的になってくれないか?﹂
﹁やだよ!?﹂
軽いノリで頼めば頷くかと思ったのに。
211
﹁というか⋮⋮それは、銃か?﹂
鉄パイプに首を傾げるガイル。
﹁銃だな。原始的だけど﹂
﹁珍しい物を作っているな。手持ちの銃なんて﹂
手持ちじゃない銃があるか。
ストライカー
﹁人型機用の銃とか﹂
﹁あ、そっか。⋮⋮いや、なんで珍しいんだ? 手持ちの銃ってな
いのか?﹂
﹁ナイフとか投げた方が早いだろ﹂
そりゃ接近していればそうかもしれないが。
﹁それなりに距離があったら?﹂
﹁魔法ぶっ放す﹂
ファンタジーだな。
﹁人間用の銃はないのか⋮⋮﹂
﹁あまり聞かないな。試し撃ちか?﹂
212
﹁ああ。ちょっと離れた場所で撃ってみる﹂
﹁なら俺も行こう。どうも暇でな﹂
紅翼が飛べなくなって仕事に行けないのか。
ヒキコモリ
﹁よう、自宅警備員!﹂
威勢良く肩を叩いてやる。
﹁⋮⋮⋮⋮うっせ﹂
あ、落ち込んじゃった。
﹁レーカ、これ着けろ﹂
頭にコンと何かがぶつかった。地面に落ちる直前にそれを掴み取
る。
﹁ゴーグル?﹂
﹁何かと必要だろう。やる﹂
﹁くれるのか? なら貰う。ありがとう﹂
見れば新品だ。ピカピカのフレームに傷一つないレンズが填め込
213
まれている。
﹁何用のゴーグルだ、これ?﹂
﹁汎用だ。お前は人型機にも飛行機にも、挙げ句鍛冶にも興味があ
るんだろ? 溶接の遮光から戦闘での物理保護までこなせるやつを
選んだ﹂
﹁わざわざ、俺の為に?﹂
﹁ふん、ソフィーのついでに注文しただけだ﹂
やばい、ちょっと嬉しかった。
﹁⋮⋮ソフィーにはどんなのを?﹂
にやつきを押し殺しながら訊ねる。
﹁これだな﹂
懐から出たのは、俺のよりシンプルで視界が良さそうなゴーグル。
﹁天士用だ。あまり重いとソフィーは身に付けるのを嫌がりそうだ
から、ミスリル製の軽量タイプを特注した﹂
親バカで伝説の金属使いやがった!
﹁と、とにかく試射始めろ。ここらなら人様に迷惑もかかるまい﹂
誤魔化したな。しかし、多機能ゴテゴテの俺と軽量シンプルなソ
214
フィー、なんとも対照的なチョイスだ。
ゴーグルを装着する。
銃を構える。しっかりとストックを肩に当て、一呼吸。
的は五メートルほど先の切り株だ。この距離なら外さまい。
魔力を魔導術式に注ぐ。
なんか爆発した。
﹁︱︱︱へ?﹂
パン、という乾いた音を想像していたのだが、実際に鳴り響いた
のはドン! という大砲じみた破裂音。
見れば出来立てホヤホヤだったはずの銃は、百合の花のように銃
口から裂けてしまっていた。
花の形なんて判らない? じゃあバナナだバナナ。皮むきかけの。
﹁おいっ、大丈夫か!?﹂
珍しく慌てた様子のガイルに、平気だと手を振る。
﹁ああ、問題ない。ゴーグルがいきなり活躍したな﹂
破片が飛んできたわけじゃないが、裸眼だったらと考えるとやは
り怖い。
﹁強度が足りなかったのか?﹂
﹁らしいな。話で聞いたことはあったが、銃身が破裂すると本当に
こうなるのか﹂
ちなみに弾丸は的の横三〇センチに着弾していた。もう少し気概
215
を見せてほしい。
﹁そう薄い銃身にも見えないが、素材はなんだ?﹂
﹁えっと、⋮⋮あ゛﹂
解析魔法で調べた結果に、変な呟きが零れる。
﹁軟鉄だ﹂
﹁あほか。そりゃ破裂する﹂
軟鉄とは、つまり純粋に近い鉄のことだ。柔らかく加工しやすい
が、勿論銃身などを作るには適さない。
﹁これは、最適なサイズを求める為に色々試作する必要がありそう
だな﹂
銃身の強度を保ちつつ限界まで軽くする、そのラインを見極めな
いといけない。
それだけじゃない。素材となる鋼の強度に関しても考えなければ。
﹁ナスチヤなら資料を持っているかもしれないぞ?﹂
﹁いや。既存のデータに頼っては身にならない。地味に感覚に焼き
付けるよ﹂
知識と技術は別。これは俺の持論である。
﹁⋮⋮そうか。怪我しないようにな﹂
216
﹁うん﹂
立ち去るガイルを見送り、ふん、と気合いを入れる。
千里の道も一歩から。地道に、根気強くいこう!
それから三日間、俺は銃の試作に努めた。
先に上がった問題である重量と素材、更に内部機械の構造や体格
に合わせたサイズなどを少しずつ確実に発展させる。
試射の回数はひょっとすると三桁に達しているかもしれない。せ
っかくなので驚かせようと、アナスタシア様にバレないように、時
には暇そうにしているガイルにも協力してもらった。
そうしてようやく、納得のいくデータが集まることとなる。
﹁一から道具を組むのって大変なのね﹂
夕食後、お茶を飲むマリアがそう呟いた。
使用人休憩部屋。たった三人の使用人の為の共有スペースであり、
俺達の居間のように扱われることが多い。
実質キャサリン親子の部屋だったので俺が居座ってもいいものか
と躊躇ったが、遠慮してたらキャサリンさんに強引に連れ込まれた。
マリアも気にした様子もないので、ここで引いたら返って失礼と
堂々利用している。
ただ、女性の部屋だったのでどうもファンシーだ。可愛い物が多
い。
大半がキャサリンさんの手作りであり、イメージ合わずちょっと
217
吹いた。
キャサリンさんに耳を抓られた。恐ろしいことにそのまま持ち上
げられ、ちょっと爪先浮いた。
﹁設計図を描いて、その通りに作ればいいって思ってたわ﹂
﹁その設計図の段階で詰まっているんだよな﹂
データは揃った。揃ったが、成果を纏める段階で行き詰まったの
だ。
﹁なんというか、さ。つまらないんだよ﹂
ただ銃を作るだけでは面白味がない。
せっかくだからこう、誰もが驚くような!
それでいて実用的で、自分も満足出来る!
⋮⋮そんな逸品を作りたいわけである。
﹁大きいのを作ったらどう?﹂
単純だがいい発想だ。しかし⋮⋮
﹁実用性に欠ける﹂
携帯用の火器に求められるのは、あくまで取り回しの良さだ。
かといって高火力かつ小型を目指せば装填数が減る。 ﹁装填数が減るのは銃としては欠陥だ。ネタとしては最高だけど﹂
﹁なら小さいのにいっぱい撃てる、とか﹂
218
﹁マシンピストルか? 実用性も高いしやりがいもあるんだが⋮⋮﹂
マシンピストル
機関拳銃。個人で携帯可能な小型機関銃であり、物によっては本
当にピストル程度の大きさな物まである。
現在多くの軍で採用されており、小型軽量を目指すには高度な技
術を要することから課題としては無難だろう。
だろう、が。
﹁面白くない﹂
﹁わがままね!﹂
だって普通過ぎるし。
﹁それに聞いた話、魔物相手に拳銃弾程度じゃ有効なダメージを与
えられるか疑問なんだ﹂
﹁⋮⋮一言で言うと?﹂
﹁人は死ぬけど魔物は死なない﹂
端的に要約した。
﹁あ、うん⋮⋮人を撃つこともあるの?﹂
一瞬言葉が詰まる。
﹁⋮⋮まさか。魔物との戦いでしか使わないよ﹂
219
大人の理屈を飲み込み、作り笑いで否定した。
俺はつい対人間で戦闘を考えてしまう。地球で見聞きした数多の
資料が、最も厄介な敵が人間であると訴える。
この世界でもきっと変わらない。一番の敵は、いつも人間だ。
でもそんな俗物な理屈、この平和な時代に生まれたマリアに教え
ることなんてない。
セルファークにおける人間の敵は魔物。それで、いいのだ。
﹁とにかく、あんまり小さいと威力が心許ない﹂
グレネートランチャーはちょっとやり過ぎだし、でもサブマシン
ガンだと威力が。あれは運用思想からして対人戦前提だし。
﹁そのゴーグルみたいに多機能にするのは?﹂
﹁それは⋮⋮いや、それだ﹂
ショットガン。弾を変更することで多様な働きをするこの銃は、
俺の求めるものにぴったりじゃないか?
それにショットガンなら散弾が撃てる。武術を嗜んでいようと銃
器の扱いには慣れない俺には、精密射撃能力がない。小さな弾をば
らまいて面で攻める散弾はうってつけだ。
﹁よし、銃の基本はショットガンでいこう。それに⋮⋮﹂
マリアがやおら立ち上がった。
見れば俺が準備しておいたコーヒーがドリップし終わっている。
マリアはテキパキとした動きでカップに注ぎ、砂糖とミルクを添え
俺に差し出した。
220
﹁あ、ありがと。でも自分でやるぞ?﹂
﹁そういう君はたまに私の仕事を奪うじゃない。給仕は私の本職だ
し、これくらいはやらせて?﹂
仕事を奪うといっても、力仕事を請け負っているだけだ。身体強
化魔法を覚えたので全く苦痛にも思っていない。
身体強化魔法は冒険者御用達の基本魔法だ。しかし基本ながら肉
体に魔力を通わすのは難しく、初心者と熟練者では大きく強化量に
差が出る。
俺の肉体は滅法魔力の通りが良いらしく、身体強化魔法はかなり
有用だった。紅翼のエンジンだって一人で持ち上げられるのだから、
ロリ神の用意したこの体は本当にチートである。
軋んだ音を鳴らしドアが開いた。
﹁へぇー、こともあろうか本職を名乗るかいマリア?﹂
にやにやと笑いながらキャサリンさんが部屋にやってきた。
﹁お、お母さん!?﹂
﹁給仕、そろそろ実際やってみるかい? 失敗したら罰だけど﹂
﹁ごめんなさい私は未熟ですだから勘弁して﹂
即座に頭を下げるマリア。
﹁キャサリンさん、そこまできつくしなくても。別にガイルやアナ
スタシア様は怒らないでしょ?﹂
221
﹁怒らない相手なら失敗してもいいって?﹂
﹁ごめんなさい生意気言いました勘弁して﹂
目が怖い。あれは二,三人確実に殺ってる。
﹁マリアは将来ソフィー様付きのメイドになるんだから、それに相
応しい技能じゃなきゃいけないんだ﹂
﹁でもソフィーはマリアにメイドじゃなくて姉を求めていると思う﹂
つい口を挟んでヤバいと焦る。しかしキャサリンさんはどこか憂
いを隠した目で遠くを見るだけだった。
﹁⋮⋮それはソフィー様次第だね。あのお方が進む道によっては、
今のような関係ではいられなくなる。それでも尚ソフィー様と共に
あり支え続ける為には、完全な給仕である必要があるんだよ﹂
﹁そんなこと、言われても﹂
泣きそうな顔のマリア。場合によっては妹分と関係を切れと言わ
れたのだ、当然ショックだろう。
キャサリンさんはマリアを胸に抱きしめる。
﹁ごめんね、こんなこと。でもきっとソフィー様はこのままじゃい
られない。田舎に住む世間知らずなお嬢様でいられなくなる時が、
必ずくる。ソフィー様を大事だと思うなら、どうか側に居てやって
くれないかい?﹂
マリアは母の胸で何度も頷く。
222
﹁俺もだ、俺も忘れるな。俺もソフィーを守るぞ﹂
﹁⋮⋮ああ、期待しているよ﹂
意外なことに頷かれた。いらんことするなと切り捨てられると思
ったのに。
﹁悪いね、せっかくのんびりしているところに水を差して﹂
﹁いえ。コーヒー飲みます?﹂
﹁もう貰ってるよ﹂
カップを傾けるキャサリンさん。早い。
俺なりに気遣ったのだが、キャサリンさんには不要だったか。
﹁えっと、それでなにを話していたんだっけ?﹂
﹁どんな銃を作るかでしょ?﹂
そうだった。基本はショットガンとして、それに⋮⋮
﹁必殺技が欲しいな﹂
コーヒーにミルクを注ぎつつ思案する。
ショットガンとは別に、強力な一撃必殺が欲しい。
サブマシンガンにショットガンを外付けするマスターキーなるア
イテムは存在するが、ショットガンに更に外付けするとすれば、グ
レネートランチャー? うーん。
223
ちなみにマスターキーとは、﹁ショットガンをサブマシンガンに
付けとけば一つの武器で人撃ちつつドアもぶっ壊せるんじゃね!?﹂
という素敵な発想で生まれた武器である。ネーミングセンスがアレ
だ。
ぐるぐると渦巻く白黒を見つめていると、なにかが脳裏にちらつ
いた。
﹁どうしたの?﹂
固まった俺に怪訝そうにマリアが訪ねるが、俺は渦から目を放す
ことが出来ない。
﹁︱︱︱そうだ、これだ﹂
ああ、こんな近くに答えがあるなんて。
俺に足りないもの。俺が求め続けたもの。
俺が探し続けた﹁答え﹂。
そう、それは︱︱︱
﹁︱︱︱ドリルだ﹂
停滞が嘘だったかのようにアイディアが浮かんできた俺は、コー
ヒーを飲みきるのも待たず倉庫に駆け込んだ。カップ片手に。
夜が更け、屋敷の住人が寝静まった後もとりつかれたように筆を
224
走らせる。
夜が明け睡眠不足で苦しみつつ午前中の仕事を終え、一休みした
後それの制作に取りかかった。
実用品として運用する為、クオリティには妥協しない。
解析魔法も多用しつつひたすら集中して部品を組む。
銃身、グリップ、弾倉、銃床、そしてブレード、更に無機収縮帯
を組んだポンプ、スライド、アナログ気圧計。一部無関係そうな物
も多いが、設計図にはちゃんと組み込まれている。
集中力とは馬鹿にならないもので、朝の鐘が村に鳴り響く頃には
形が出来ていた。
連日の作業敢行で機能不全を起こす脳を叱咤しつつ、仕事を行う。
﹁ふらふらしてるじゃないの。物を運ぶのは私がやるから、床を掃
除して頂戴﹂
マリアに気を遣われた。実に情けない男である。
そして昼食を終えベッドに潜りしばし昼寝。
数時間でも眠ると頭がスッキリするもので、俺は意気揚々と﹁成
果﹂を担ぎアナスタシア様に披露せんと屋敷の中を練り歩いた。
﹁どこにいるかな、どこにいるかな﹂
鼻歌を歌いながら廊下を進む。
5分も探さぬうちに、中庭の白いテーブルで母娘が揃っているの
を発見した。
話しかけようと手を上げ、何やら取り込み中らしいと気付く。
アナスタシア様はテーブルに広げた紙をソフィーに示す。
﹁このデータから判ることは?﹂
225
﹁えっと⋮⋮﹂
今日は勉強が長引いているのかな。仕方がない、出直すか。
と思いつつもこそこそとアナスタシア様の背後に忍び寄る。ソフ
ィーがどんな勉強をしているか気になったのだ。
耳を澄ますと、先ほどの問いの解答をソフィーが提示していた。
﹁A地区の治安の悪化?﹂
アナスタシア様は首を横に振る。
﹁いいえ、それは付随した現象よ。この状況では貴族cが税の着服
をしている可能性が高いことが読みとれるわ﹂
﹁はぁ?﹂
思わず妙な言葉が漏れた。なにそれ、学問なの?
﹁あらレーカ君、どうしたの?﹂
驚いた様子もなく小首を傾げるアナスタシア様。
﹁おはようございます。ソフィーもおはよ﹂
﹁おはよう。もう昼過ぎだからこんにちは、だけれどね﹂
﹁⋮⋮おはよ﹂
また真似っこされた!
226
﹁いえ、ソフィーってどんな勉強してっるんだろうなって。ソフィ
ーって将来城勤め、えっと、文官? になったりするんですか?﹂
お嬢様の将来ってどこまで決まっているものなのだろう。よくあ
る、許嫁ってのはいないみたいだけれども。
﹁この子の将来ねぇ。そうね、素敵な旦那様を貰って欲しいわ。孫
が生まれたら私お婆ちゃんよ、きゃっ﹂
嬉しそうに頬を両手で包みくるくる回るアナスタシア様。暴走し
てどっかいかないで下さい。つーか、はぐらかされた?
しかし問題の文面を読む限り、相当高度なことを学んでいるよう
だ。少なくとも俺がソフィーくらいの時には絶対理解出来ない。
ソフィーに視線を向けると、彼女も俺を見てた。
視線が交錯する。
﹁?﹂
瞳に疑問符を浮かべるソフィー。一見ただ可憐なだけの少女なの
に、飛行機乗れたり頭がよかったりと多彩なものだ。
﹁レーカ君?﹂
﹁あ、はい、すいません。お勉強の邪魔はしません、失礼します﹂
﹁いえ、お勉強はもう終わりにしようと思っていたのだからいいけ
ど。それがレーカ君の作品?﹂
﹁⋮⋮はい。自信作です!﹂
227
アナスタシア様に布で巻かれた長い棒状の物を手渡す。
包みを解き全貌を表したその武器に、アナスタシア様の顔が引き
つった。
ぱくぱくと口を開き、諦めたようにそれの検分を始める。
﹁小物って食器とか文具とか、刃物だとしても精々ナイフ程度を作
るように言いたかったのだけれど⋮⋮なんでこの子は武器作っちゃ
ってるのかしら﹂
﹁悲しいすれ違いですね﹂
人が分かり合うのって難しい。
アナスタシア様はあっという間に俺の作品を把握してみせた。
﹁基本は銃剣ね﹂
銃剣。銃身の先にナイフや短刀を固定した類の武器である。
俺の作った銃剣は銃身と刀身が同一化したデザインの、所謂ガン
ブレード。柄はマスケット銃のように一直線に近い。グリップ下部
からストックが始まり、全体的に真っ直ぐした印象だ。
剣としての使い勝手も考慮しこの形状となったが、せっかくなの
でデザインもマスケット銃を模した。木目調と冷たい金属の調和は
なかなかのセンスであると自負している。
﹁人が手で持つ銃はないのに、銃剣はあるんですね﹂
ストライカー
﹁人型機用の装備にあるわ。人型機はパワーがあるから多少武器が
重くなってもデメリットが小さいの﹂
なるほど、奥が深い。
228
﹁銃と剣が一体化しているように見えるけれど、バレルと刀身の間
には空間が取ってあるわね。銃身は冷却が必要だし剣の衝撃が銃身
に伝われば悪影響が及ぶから、正しい判断といえる。でもなんで銃
身とブレードが一体化しているようなデザインなの? 整備性悪く
ないかしら?﹂
﹁かっこいいですから﹂
﹁⋮⋮それだけ?﹂
﹁それだけ!﹂
ぽかりと叩かれた。痛くないけど。
﹁あと内部機構を外見から判断されにくくしているって考えもあり
ます。外から見ると肉厚なブレードですけど、実際はそうでもない
でしょう?﹂
﹁つまりハッタリね。ブレードとバレルの間にポンプアクションの
弾倉があるし、確かに見た目は大剣っぽいわ﹂
実際の刀身は結構細い上に、内部に機構まで組み込まれているの
で脆い。魔刃の魔法と強化の魔法を使用する前提なので、魔法なし
では包丁以下、鉈程度の切れ味しかないのだ。
魔刃の魔法とは、刀身に魔力を纏わせ切れ味を増す魔法。口頭詠
唱でも使えるが大抵は剣に予め魔導術式が刻み込まれている。
﹁弾丸は散弾?﹂
229
﹁当てる自信がないので﹂
面制圧ですよ奥さん。
﹁銃剣としてはこんなところだけれど。⋮⋮レーカ君、これ、変な
機能が付いてるでしょう﹂
﹁変じゃないです。コンセプトは﹃人型機を真っ向から撃破する一
撃﹄です﹂
﹁最上級魔法の域に挑んだのね。見せてくれる?﹂
﹁ここで撃つんですか?﹂
せきよく
中庭は花壇や彫刻などが設置され、適当に写真を撮るだけで芸術
作品になりそうなほど美しい。紅翼が若干⋮⋮かなり違和感だが。
ここで撃てば、決して安く無さそうなそれらに被害が及ぶ。
﹁勿論実践は外でやるけれど⋮⋮って、これ試射したの?﹂
﹁いいえ、直接持って来ました﹂
﹁そう、なら新兵器の動作実験心得も教えてあげる。ソフィーも来
る?﹂
﹁うん﹂
頷く娘。あ、行くんだ。
230
ロープや万力を駆使し、離れた場所からガンブレードを操作出来
るように設置。
充分な距離を取り、障壁魔法を展開。更に幾つかの安全対策を行
いアナスタシア様は頷いた。
﹁レーカ君、お願い﹂
﹁はい﹂
目標は岩。人の身の丈より巨大な大岩だ。
アナスタシア様曰く人型機の正面装甲及び胸部の無機収縮帯を貫
くには、これくらいの岩を砕けなければお話にならないとのこと。
手元のワイヤーを握り、ガンブレードの取っ手を引く。
ガンブレードの上部、銃のバレルが後方へスライドする。一般的
なスライドとは違い銃身ごと、だ。
銃身はストックより後方までめいいっぱい伸び、ガンブレードの
全長は一,五倍近くになる。同時に銃口は厳重に閉じロックされた。
導線を通じて魔力を送る。
魔導術式に魔力が満ち、まずは練金魔法が発動した。
空気中の酸素と水素を抽出。急速冷却し液体となったそれを銃身
へとポンプで圧縮。
水素と酸素の混合気体とかほとんど爆弾だが、常に練金魔法を発
動させ続けることで固定化しているので、魔力が続く限りは安全だ。
続く限りは。
一分間もの時間を要し、銃身内に混合気体が満ちる。
注入が完了すると、安全装置が解除されブレードが真っ二つに分
離・展開する。
231
内部から飛び出したのは、そう、ドリルである。
﹁アナスタシア様﹂
﹁ええ、行きなさい﹂
トリガーを引く。
混合気体が燃焼室へ送られ、後方へ炎を吹き上げる。
タービンのシャフトと直結したドリルが、甲高い音を発て回転す
る。まるで歯医者のアレ。
ロケットとなったガンブレードは台座から飛翔し、そして︱︱︱
その場の全員がどん引きしていた。
焼けた土と草。破壊、否、粉砕された大岩。
砂や石としか形容出来ないそれは、だが間違いなく岩の成れの果
てだ。
ガンブレードは岩を貫き、勢いのまま数十メートル先で地面に突
き刺さった。
それでも内部の燃料は尽きず、炎と轟音の渦を撒き散らしながら
猛回転。
それもやっと沈静化したと思えば、そこにはクレーターになって
いた。
﹁あー、ありますよね、あんな感じで刺さった剣﹂
﹁そうね。この前読んだ本に、主人公の青年があんな感じの剣を抜
232
く場面があったわ﹂
あはははは、とアナスタシア様と一緒に笑い合う。
﹃はぁ⋮⋮﹄
そして溜め息。
﹁レーカ君﹂
﹁はい﹂
﹁この機能、非常時以外は使っちゃ駄目よ﹂
﹁合点承知です﹂
この威力はちょーっとヤバすぎる。岩が割れればいいな、くらい
に考えていたのに。
﹁ひょっとしてドリルにも魔刃の魔法を使っていた?﹂
﹁ええ、どの程度効果があるかは疑問でしたが﹂
﹁想像以上だった、というわけね﹂
そう言い、跪いて地面を抉る平行線の溝をなぞる。
﹁これは魔刃の魔法の魔力が切り裂いたものよ。ドリルが回転する
ことによって魔刃の魔力が円錐状に広がったのね﹂
233
これ、自分を傷つけたりしないだろうか?
﹁軍に売り込んだら結構なお金になるかもしれないわ﹂
﹁それはちょっと⋮⋮﹂
﹁⋮⋮そうね、魔力消費が大きすぎるから万人向けじゃないか﹂
いえ、自分が作った物が人に使われるのが嫌なのですが。
﹁まあ色々と荒削りだけれど初作品としては上出来ね。これから改
良次第ではまだまだ強化出来るわよ﹂
﹁充分じゃないですか?﹂
これ以上の破壊力を必要とする現場にはあまり立ち会いたくはな
い。
﹁強化も威力だけじゃなくて、強度や信頼性、軽量化と色々あるも
の。これ、レーカ君には重すぎて身体強化魔法を使わないと振り回
せないでしょう?﹂
担ぐだけならともかく、振り回すのは確かに難しい。
﹁とりあえず今日のところは﹁よくできました﹂ね。でも次はもっ
と無難な物を作ってね﹂
﹁はい﹂
次か、なに作ろうかな。
234
ん? ソフィーが俺の袖をくいくい引いている。
﹁ソードシップ、つくって﹂
﹁飛行機か﹂
ラジコン飛行機を作ればソフィーは喜ぶかもしれない。
って、そういえばセルファークには電波通信技術がないんだった。
﹁また今度ね﹂
作るとなれば有人飛行機に限定されるが、今の俺が作るには色々
と不安だ。
﹁むう﹂
拗ねることはないだろう、と思うも可愛いからいいや。
﹁そのうち作ってあげるから﹂
せっかくなので頭を撫でる。髪質が凄い。良し悪しなんて判らな
いけど、凄いサラサラだ。
﹁約束﹂
﹁おう﹂
指切りげんまん、この世界でもあるんだな。
絡まった小さな小指を歌いながら上下に揺らす。
次は無難な作品の制作か。ありふれた物で、かつ練習として適度
235
な難易度の工芸品⋮⋮
﹁ゆびきった!﹂
そうだ、あれにしよう。跳ね上げた腕を見上げつつ、俺は空の眩
しさに思わず笑みが漏れた。
一週間後。渾身の新作が完成し、俺は師匠にそれをお披露目した。
﹁⋮⋮レーカ君﹂
﹁はい﹂
﹁私、無難な物を作るように言ったわよね?﹂
﹁はい。技術的にもサイズ的にもいい案配でした。あ、動作テスト
は済ませてあるんで使えますよ﹂
本当は人型機や飛行機を作りたいというのに、我ながら実に自重
したものだと思う。
﹁レーカ君の無難って、こういうの?﹂
﹁え? 俺が設計したわけじゃないし、武器として信頼性も高いの
236
では?﹂
目の前に鎮座する努力の結晶を指差し、首を傾げる。
﹁レーカ君、あのね﹂
俺の両肩に手を置くアナスタシア様。
﹁こういうのは、武器じゃなくて兵器っていうの﹂
﹁そうともいいますね﹂
﹁そうとしかいわないわ。こんな︱︱︱﹂
アナスタシア様は一瞬言葉に迷い、
﹁︱︱︱20ミリガトリング砲なんて﹂
﹁バルカンです﹂
重量一〇〇キロ以上、全長一八〇センチちょい。六本の砲身がロ
ーターから伸び、コンベアで繋がった弾倉が傍らに備え付けられて
いる。
火薬は勿体無いので魔力式に改造されているのと、お茶目な取っ
手がポイントだ。
﹁これ、どうやって作ったの?﹂
﹁荒鷹に装備されているのを解析魔法でコピーしました﹂
237
﹁⋮⋮レーカ君、そのうちスパイとして捕まっちゃうわよ?﹂
﹁大丈夫ですよ﹂
あはは、と脳天気に笑って見せる。
﹁バレなきゃ犯罪じゃありません﹂
﹁犯罪でしょ。いいわ、この20ミリガトリングは様々な派系が存
在するベストセラーだからバレでも言い逃れは出来るし。でも荒鷹
そのものは作っちゃ駄目よ?﹂
﹁はい。技術の流用だけで留めます﹂
だからそうじゃなくて、と頭を抱えるアナスタシア様。なんか申
し訳なくなってきた。
﹁それとこの刻印は潰しておきなさい。というかなんで刻印までコ
ピーしているのよ﹂
ノリと勢いです。
﹁刻印を潰された出所不明な兵器か、なんか胸が熱くなるな﹂
﹁⋮⋮レーカ君?﹂
アナスタシア様の声が低い。いかん、怒らせた。
﹁と、とにかく撃ってみましょう!﹂
238
弾丸は作っていないので、引き金を引いてもただの空包状態。固
定しての実験でも不具合はでなかった。
空包も意外と危ないけどな、実際爆発するわけだし。
よっとガトリングを持ち上げ構える。身体強化魔法は実に便利だ。
﹁そんじゃ、いきまーす﹂
﹁え、駄目、ちょっと待って!﹂
アナスタシア様の制止も間に合わずトリガーを引いてしまう。
真山 零夏一〇歳︵肉体年齢︶。
今日、初めて空を飛んだ。
そりゃ筋力が上がっても体重増えるわけじゃないしな。反動で吹
っ飛ぶのは当然だ。
﹁見て見てアナスタシア様、俺空飛んでる!﹂
﹁やめなさい!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
﹁ソフィーもやってみたそうな顔しない!﹂
239
ガンブレードとガトリング︵後書き︶
ロボットと銃、なぜか銃を選ぶロボット小説の主人公。ロボット作
れ。
240
不思議な夢と少女の決意
バルカン
20ミリガトリング砲も久しい昼下がり。⋮⋮ひどい冒頭だ。
使用人の仕事も慣れ、最近では余力を充分残して村に遊びに降り
ることも多い。
色々と制作予定が貯まっているとはいえ、俺の技術がそれに追従
しない。故に今はアナスタシア様の下で知識・経験を充実させる時
と割り切ったのだ。
なのでどうしても暇を持て余してしまう。
そんな時は大抵同年代の冒険者志望三人組と遊んだりしている。
マリアとソフィーのお上品な遊戯は付き合っていられない。
お裁縫とかお菓子作りとか何が楽しいの。作業だろそれ。
と主張すれば、当然の如く
﹁君の物作りの方がよっぽど作業じゃない﹂
とマリアに返される。そうだね。自覚してるよ。でも楽しいんだ
もの。
ちなみにクッキーを分けてもらった。生地は同じでも形でマリア
とソフィーの見分けが付く。生地作りはキャサリンさんも手助けし
ているそうで、地球の市販品より旨かった。
⋮⋮とまあこんな具合に、屋敷に居場所がないことに気付いてし
まった俺は、村に降りて冒険者志望三人組と戯れているわけである。
ガイル? 知らん。自室に引きこもってるんじゃね?
そして三人組の遊びというのは、つまるところ冒険者の訓練だっ
たりする。所謂チャンバラだ。
241
﹁そんなことよりカバティやろうぜ﹂
俺の主張の返答は、木刀の切っ先だった。
つか子供のスタミナやばい。なにがやばいってスタミナやばい。
﹁げほっ、げほっ、おえぇええ﹂
リバースしてないからな! 声だけだからな!
﹁⋮⋮俺も歳だな﹂
﹁ほとんど同い年でしょ僕達﹂
膝に手を当てて地面にえずいていると、上からエドウィンの声が
聞こえた。
今日も今日とてツッコミご苦労さん。
﹁あー疲れた。仕事の後にこれとか苦行だぞ﹂
﹁な、なにケロッとした、顔で言ってんのよ⋮⋮﹂
地面で這いつくばっているニールが睨んできた。
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
隣ではマイケルが倒れている。金魚みたいな荒い呼吸音はしばら
く止みそうにない。
いや金魚の呼吸音なんて聞いたことないけど。
﹁凄いね。ニールって同年代で一番強いんだと思ってたよ﹂
242
同年代っつったって、この三人にマリアとソフィーだけだろ。マ
リアはちょっと年上だし。ソフィーは空の上では天才だけど地面で
はへっぽこだし。
しかし、同年代で一番、か。
﹁勘や身のこなしは凄いぞ? 野生動物の域に達しているな﹂
戦いに関して天賦の才がある。ニールに対して俺はそう結論付け
ていた。
﹁その私とマイケルを纏めて相手にして、呼吸一つ乱していない貴
方は魔物かなにか?﹂
﹁なに言ってんだ、さっきげほげほしてたろ。あとマイケルはそろ
そろ復活しようぜ﹂
﹁⋮⋮俺は?﹂
ん?
﹁ニールが野生動物なら、俺は?﹂
⋮⋮なんと答えよう?
マイケルは体格もいいし筋も悪くないが、正直平凡だ。
冒険者という仕事を知らない俺が判断出来ることではないが、戦
士として見れば、きっと一流には至れない。
普通。そう率直に伝えて、いいものだろうか?
﹁普通﹂
243
悩むの面倒だから率直に伝えた。
﹁うわあああぁぁぁん!﹂
泣き声を上げて走り去るマイケル。俺は彼の背中に叫ぶ。
﹁こらっ! 男が簡単に泣くな! つか余力あったなお前!﹂
﹁鬼だね、レーカ君⋮⋮﹂
﹁男は鬼と向き合う時、強くなるのだ⋮⋮﹂
︱︱︱今の俺、カッコいい︱︱︱!
﹁こんな馬鹿面に負けたのね、私って﹂
﹁腕っ節と顔は関係ないからね﹂
酷いこと言われてた。
﹁でもさ、実際ニールは凄い。俺が勝てるのは対人戦技能があるか
らで、才能はお前が上だ﹂
身体強化魔法を併用すれば身体能力でも負けないが、柔軟さは補
えない。根本的な部分で桁違いなのだ。
244
﹁私だってガイルさんに教えられたこと、ちゃんと全部身につけて
いるわ。青空教室でも誉めてもらえるんだから﹂
﹁教えられて、出来るようになって、ただそれだけだろ。技術って
のは知識じゃない﹂
偉そうなことを言えばニールに睨まれた。反骨精神、結構結構。
﹁そもそもガイルが教えてるのはきっと対魔物用の剣術だ。だから
対人戦は不利だよ﹂
﹁対人と対魔物でそんなに違うの?﹂
﹁全然違う。対人戦技能ってのは相手が人である前提だ﹂
﹁当たり前でしょ﹂
当たり前だな。
﹁敵が人であると限定されていれば、選択肢が増える。人体の弱点
を攻めるもよし、死角に入り込むもよし。間合いに入ったって行動
が限られてるし予測出来るから充分対処可能だ﹂
しかし対魔物戦は違う。
﹁魔物は種類も大きさも様々だ。だから信用出来る要素は間合いだ
け、それ以外の技術・知識は全部無駄になる。言ったろう、ニール
はまるで野生動物だって﹂
245
偉そうに言っているが、俺も魔物との戦闘に詳しいわけではない。
想像だ。
ニールは決して弱くない。むしろエドウィンの﹁同年代で一番強
い﹂発言は的を射ているだろう。
定期的なガイルの指導だけでここまでやれるなら、結構凄いこと
だと思う。
︵むむむ、この村は天才ばっかりだな︶
ストライカー
人型機の操縦では負けないと思うが、それもチートあってこそ。
地力では完全に劣っている。
そもそも中身大人なのだから、ムキになって張り合うあたりが一
番恥ずかしいのだが。
そのうち凡才な俺など追い越して彼らはどこか遠くに行ってしま
うのではなかろうか。
それは寂しい。なんとか着いて行きたいものだ。
﹁⋮⋮貴方は、ずっと遠くにいるのね﹂
﹁ん?﹂
﹁なんでよ。そんなの、ずるいじゃない﹂
ニールに睨まれる。なぜ?
ストライカー
﹁私だって頑張ってきたのに、なんで貴方は生身でも人型機でも強
いのよ。おかしいわ、現役軍人に勝てるなんて無茶苦茶よ﹂
瞳に苛立ちを浮かべ拳を握り締めるニール。
246
﹁そんなに悔しかったのか?﹂
﹁ふざけないでっ!﹂
﹁ふざけてないが﹂
若干癇癪気味に喚き散らすニール。さてどうしたものか。
能力に嫉妬していたのはお互い様だ。俺からすれば、彼女の素質
の方が価値がある。そういう勘は鍛えようったってそうそう伸びる
ものではない。
けどそれを伝えても彼女は納得するか? ﹁なんだそうなのか﹂
と頷けるか?
﹁悔しかったら、勝てるようになればいいだろ?﹂
﹁⋮⋮ッ!﹂
ただそれだけだ、とキョトンとした風に告げてやる。
やれやれ、損な役回りだぜ。
しばらく俺を睨んでいたニールは、人差し指を俺に指し宣言した。
﹁これから貴方と私達はライバルよ!﹂
﹁えっと、私﹃たち﹄? 僕とマイケルも?﹂
エドウィンが呟く。
﹁仲間でしょ!﹂
一人離脱しているけどな!
247
﹁対人戦を習いたいならガイルを探したらどうだ? あいつは今無
職だし﹂
﹁わかったわ、ありがとう!﹂
素直に礼を告げるあたり、俺に対するわだかまりはないらしい。
良かった。
﹁行くわよエドウィン!﹂
﹁ちょ、マイケルは!?﹂
﹁途中で拾うわ!﹂
車かよ。
再び独りぼっちになった俺。
﹁え? え? 俺って嫌われてる?﹂
この小さなコミニティーではぶられるとか、割と致命的だぜ。
﹁いや、そんなことない。もう一人いるぞ、今現在独りぼっちな奴
が﹂
248
誰とは言わないが、お屋敷さん家の﹃力・・ 人 ノレ﹄さんと
か。
﹁ククク、今頃一人で畳の目を数えているに違いない﹂
⋮⋮いや、たった今、冒険者志望三人組がガイルに会いに行った
のだったな。俺は自分の手で話し相手を送ってしまったのか。
自身の失策に意気消沈しつつ、とぼとぼと村の広場に移動。
背負っていたガンブレードを抜き放つ。たまにはこいつの練習も
しないと。
地球ではほぼ架空の武器であったガンブレード。架空の武器に架
空の武術など用意されているはずもなく、結果俺は戦いの理論を一
から構築せねばならなくなった。
﹁素直に銃剣にすべきだったか? 銃剣道なら存在したわけだし﹂
銃剣道、銃剣の剣道なんて一般には馴染みがないが、つまりは戦
争中の竹槍訓練である。剣なのに槍とはこれいかに。
いや駄目か。銃剣はあくまで弾が切れた際の非常手段、剣と銃を
織り交ぜたコンビネーションは考慮されていない。つかそれなら撃
った方が早い。
俺がガンブレードにこだわったのは、セルファークでは身体強化
と魔刃の魔法が近接武器の価値を引き上げているから。手持ちの銃
が発達していないのはこの辺も理由だろう。
あと格好いいから。
﹁とにかく振ってみよう。なにか見えるかもしれない﹂
ガンブレードを正眼に構える。敵のイメージは⋮⋮魔物的ななに
か。
249
﹁なにかってなんだよ⋮⋮﹂
そう、あれだ。犬っぽいような、スライムっぽいような。
結局頭に浮かんだのは水色の柴犬。水犬?
﹃クゥ∼ン﹄
や、やめろ! つぶらな瞳で俺を見ないでくれ!
おのれ、俺のイメージの産物の癖に精神攻撃とは小癪な!
貧弱に過ぎる自身の想像力に絶望しつつ、それでもガンブレード
を振るう。
スライムの動きなんて知らないので基本は犬だ。飛びかかってき
たイメージの水犬を剣で受け止め、砕けたゼリー状の物が俺に降り
注ぐ。
﹁そんな魔物いるか!?﹂
いきなり死んだぞ!? あれか、触ったら溶けるのか? 俺負け
たのか?
﹁⋮⋮イメージに負けるのは、勝てる自信がないからだ。きっとそ
うだ﹂
自信を持つんだ。俺は勝てる! どんな魔物だって一撃だ!
水犬を想像する。性懲りもなく俺に突撃してくるソイツを、俺は
鼻で笑った。
い
﹁去ね﹂
250
衝突直前で爆散する水犬。
﹁ククッ﹂
にえ
俺にかかれば魔法すら必要ない。全ての敵は、須く我が贄である
︱︱︱!
﹁クク、クァ︱︱︱ッハッハッハ!﹂
両手を左右に広げ高笑い。俗物には判るまい、その全能感!
﹁って、俺は魔王か!?﹂
睨んだだけで敵が死ぬとか予想外だ。俺ツエー。
﹁巧く行かないもんだ、やっぱり実戦は経験しとくべきか﹂
戦いなんて進んで行いたいと思えないが、根本的に俺が戦ったこ
とのある動物とは人間だけなのだ。それも殺し合いではなく試合。
改めて考えると俺とニールは真逆だ。対人戦が出来るか、対魔物
戦が出来るかなんて差でしかない。やっぱり大差ないだろ俺と彼女。
と考えていると、張本人達が目の前を横切った。
﹁離してくれー! 俺は普通なんだ、凡庸なんだー!﹂
﹁うっさい! エドウィン、そっちしっかり掴んでてよ!﹂
251
﹁うん、ほら観念してよマイケル。というか自分の足で歩いてよ﹂
両腕を掴まれ引き擦られるマイケル。両脇を固めるニールとエド
ウィン。
なんだあれ。連行? 拘束された宇宙人?
呆然と彼らの奇行を見送る。なんか訓練どころじゃなくなった。
﹁あー、うん、屋敷に帰ろうかな﹂
ガンブレードを鞘に納める。と、そこでようやく広場に男達が集
まっていることに気が付いた。
村の男達だ。彼らは普段から畑仕事や狩猟で鍛え上げられた膂力
を存分に発揮し、丸太を何本も集め﹃井﹄の形に積み上げていく。
﹁あれは、ひょっとしてやぐらか?﹂
キャンプファイヤーで燃やすアレだ。なぜあんな物を?
訊くは一時の恥、訊かぬは知らないことがバレた時までの恥。
ということでさっさと手近な人に尋ねる。
﹁レオさん、こんにちは﹂
﹁ん、おお。屋敷の坊主か﹂
252
話しかけたのは白髪と白髭のお爺さん。
時計台の管理人でありゼェーレスト村の村長的な役割を担うレオ
ナルドさんである。
白髪だが勿論アナスタシア様やソフィーとは無関係。ただ、ご高
齢なだけだ。
﹁なんですか、このやぐら﹂
﹁こいつは収穫祭の準備じゃ。この村では夏の終わり頃にこいつに
火を点けて、周りで踊って騒ぐのじゃよ﹂
盆踊りか。でも収穫?
﹁夏の終わりって、収穫には早くないですか?﹂
作物によりけりだろうが、収穫といえば秋だろ、たぶん。
﹁まぁな。収穫はもうちょい後じゃ。きっと最初は秋にやってたん
だろうが、大陸横断レースの閉幕に合わせて前倒しされるようにな
ったんだろ﹂
大陸横断レース?
﹁クイズでもやるんですか?﹂
﹁はぁ?﹂
横断といえばウルトラなクイズだろう。
﹁いや、レースと言っておるだろう。航空機で競う、国を跨いだ世
253
界最大のレースじゃ﹂
﹁それは⋮⋮豪快だな﹂
地球にだってエアレース、飛行機レースはあるが、ごく限られた
範囲のタイムを計測するだけである。
それを国、大陸を跨いで行うとは。
﹁世界的に有名、というか常識だと思うのだがのう。坊主、山奥に
でも住んでおったのか?﹂
﹁ここだって大概田舎じゃないですか⋮⋮﹂
そもそもセルファークでは町や村以外の土地は魔物の領域だ。人
の住処に魔物が侵入することは滅多にないが、一歩でも彼らの領地
に踏み込めば敵として認識される。
﹁ん? でもそれって、観客は試合ほとんど見れなくないですか?﹂
一瞬通り過ぎる飛行機を見たって、あまり楽しくない。
﹁見せ場のポイント、セクションがあるのじゃよ。観客は近場のセ
クションに集まり、大会側が用意した障害を突破する参加機を応援
する、それが大会横断レースの観戦方法じゃな﹂
﹁セクション?﹂
﹁うむ。恒例なのは谷の合間を飛んだり、海面五メートル以上飛行
禁止だったり、そんな操縦技術と度胸を試される危険な物ばかりじ
ゃな﹂
254
ちょ、それ、結構な死者が出ないか?
﹁それも恒例じゃ﹂
﹁まじっすか﹂
怖過ぎるだろ大陸横断レース。
エース
﹁元より出場者は大半がシルバーウイングス、最高クラスの天使じ
ゃからな。どれだけ過酷な難題も大半は突破する。セルファークの
人間は皆、幼い頃から空の英雄である彼らに憧れ、そして敬意を抱
くものじゃ﹂
ワールドラリーチャンピオンシップ
詳しいルールを聞いていくと、それがWRCに近い催し物だと判
ってきた。
開催主催地もレース開始もゴールも毎年バラバラ。参加者達は一
斉にスタートし、長距離の高速飛行区間と危険なセクションをクリ
アして次の土地へと移動する。
そして一晩の整備を終えた後、生き残った選手達は再び一斉に空
へ旅立つ。次の土地を目指し、危険極まりない障害を突破していく。
その繰り返しを、実に一ヶ月ぶっ通しで行う。聞いただけでも、
パイロットも整備士も精魂尽き果てそうなほど過酷なレースだと判
る。
最後に各区間のタイムを合計し優勝者を決める。
天士の、そして技術者達、ひいては国家が威信を賭けて名誉と名
声を競い合う。それが大会横断レースなのだ。
しかもワールドラリーチャンピオンシップとは違い、時間差でス
タートするわけではない。参加者選手全員一斉に、だ。
セクション内でデットヒートが発生した際は最高の見せ場、とは
255
レオナルド爺さんの言。
﹁つまり、この村の近くにセクションがあるんですね? 収穫祭で
はそれを肴に騒ぐ、と﹂
﹁いやいや、各地を移動するとはいえこんな辺鄙な村にまでは来ん
よ﹂
来ないんだ、見たかったのに。
﹁祭りの当日は時計台のクリスタル共振設備をフル稼働させて、村
中に放送するのじゃ﹂
あー、あのラジオか。
セルファークには電波による無線通信は存在しないが、クリスタ
ルの共振を利用した音声通話は存在する。
ようは周波数の概念のない無線であり、出力を上げれば通信半径
を広げることも可能。
だから低出力で仕事に利用する者もいれば、大出力でラジオ放送
を行う団体もいる。周波数が一つしかないので規則や制限は厳しく
定められているが。
しかしラジオもどきとはいえ、各家庭に一台ずつ受信機が設置さ
れているわけではない。
町では数カ所、ゼェーレストのような小さな村では一カ所が普通
だ。緊急通信もあるので〇カ所はさすがにほとんどないそうだが。
そしてその受信機こそ、時計台に設置されているのである。
見せてもらったけど、でかい。本当にでかい。昔のラジオだって
あそこまで大きくなかった。今の人はそんなの知らないか? 鞄の
ような大きな電池とか。
まあ時計台の受信機は村中に放送する設備だから大きい、という
256
のもあるとは思う。
﹁大会の最後には、選手の最終セクション突入前にこれまでのレー
スの経過を放送する。そして最後のセクション実況を聞きながら祭
りに興じるわけじゃな﹂
なるほど、一番盛り上がるクライマックスが夏の終わりとなるわ
けか。
﹁ん? それじゃあ、レースってもう始まってるんですか?﹂
﹁うむ、まあスタートはその土地以外では盛り上がらんもんじゃよ。
一ヶ月ずっと祭り気分というのも疲れるじゃろう﹂
それもそうだ。
頷いていると、背後で喧騒が聞こえてきた。
﹁な、なんなんだお前ら!? 着いて来るな!﹂
﹁ガイルさんが逃げたぞ、追えっ!﹂
﹁待ちなさいガイルさん!﹂
﹁ガイルさん、この二人は逃げたら追うよ、犬みたいに﹂
冒険者志望三人組がガイルを追いかけ回していた。
257
さっきも言ったが、再び呟くこととしよう。
なんだよあれ。なんだあれ。
﹁話が逸れたが、とにかく収穫祭はこの村の数少ない賑わいじゃ。
ゲーム大会をしたり、歌を歌ったり。あとは若者達も張り切り時じ
ゃな﹂
﹁どうして?﹂
﹁村の異性にアピールする数少ない機会じゃからの。そりゃあもう、
意中の相手がいる者の張り切り様は年寄りにとって絶好の肴じゃ﹂
大人達に面白可笑しく見物にされる若者、頑張れ。
﹁お主にはおらんのか、意中の娘は?﹂
﹁いませんよ、周りにいるのがそもそもソフィーとマリアとニール
だけじゃないですか﹂
﹁ふむ、どれもめんこい嬢さん方だと思うがのう﹂
﹁子供です﹂
はっきりと切り捨てる。
258
﹁いや、お主も子供じゃろ﹂
﹁そうですが、そもそも人格形成の途中であるこの時期に一体なに
を基準に惚れろと? 容姿だけで選ぶほど下半身で生きてもいませ
んし、その容姿だってこれから更に変わっていく。なんの目安にも
なりません﹂
いや、皆美人になると思うけどね。
﹁いや、うむ、可愛げのない子供じゃの﹂
﹁ふぇぇ。急に好きな子と言われても、僕困っちゃうよぉ﹂
ご期待に応えてみた。
﹁可愛くなったと自分で思えるか?﹂
﹁いえ、こんな子供がいたらとりあえずぶん殴ります﹂
まあ参考までに発表しとけば、俺の中の異性として意識している
ランキングは一位マリア、二位ソフィー、三位ニールである。
人妻であることを無視すればアナスタシア様がダントツだけど。
あの人は時折眩暈がするほど色っぽい。
マリアは一三歳、地球でいえば中学生というだけあって徐々に女
の子から女性へと変貌する気配が垣間見える。時々、どきっとさせ
られることがあるのだ。
対してニールは同年代である以上に男の子っぽい。普段から少女
と念頭に置かず接しているのでぶっちぎりの最下位である。
ソフィー? 彼女だってせいぜい妹分だ。異性云々の関係ではな
い。
259
﹁枯れとるのお﹂
枯れてるんじゃなくて、芽生えてすらいないんです。
﹁とにかく、変化の少ないゼェーレストではこういう機会は貴重な
のじゃ﹂
﹁ふーん﹂
男衆のからかいの的になるのは嫌なので、話題を終わらせるべく
興味ありませんアピールへと移行する。
﹁とくに祭りの踊りにはジンクスというか言い伝えがあっての﹂
﹁へー﹂
適当に相槌を打っていると、また背後が騒がしいのに気付いた。
﹁予めダンスのパートナーに異性に誘い、最初で共に踊ったカップ
ルは結ばれるというおまじないがあるのじゃ。ダンスの申し込みは
即ち愛の告白なのじゃな﹂
﹁ほうほう﹂
背後をちら見する。
260
﹁出してー!? なんで僕を閉じこめるの!?﹂
﹁うるさいっ! 貴方ちょこざいのよ!﹂
﹁そうだそうだ、ちょこざいエドウィン!﹂
﹁帰っていいか、俺?﹂
エドウィンがやぐらの内側に監禁されていた。
三度目であろうと言ってしまおう。
なんだあれ。なんだあれ。なんだあれ。
﹁おい、聞いておるのか?﹂
﹁えっと、なんでしたっけ? ダンスでなにかするんですか?﹂
ごめんあんまり聞いてなかった。
﹁ふん、知らんわい。せいぜい寂しく祭りの夜を過ごすんじゃな﹂
ふてくされて仕事へと戻っていくレオナルド爺さん。蔑ろにした
ことに謝意がないわけではないが、あちらも俺を祭りの肴にしよう
としていたのでお互い様だろう。
﹁お話、ありがとうございましたっ﹂
レオナルドさんの背中に叫んで、俺は屋敷へと戻ることにした。
261
屋敷へ帰ると、とりあえず厨房を覗いてみた。マリアとソフィー
がケーキ作りをすると出かける前に聞いたのだ。
﹁ただいまー⋮⋮あれ?﹂
厨房に入ると、予想外の人がいた。
﹁ああ、おかえり﹂
﹁おかえりなさい、レーカ君﹂
﹁おかえり、机の上のケーキは君の分よ﹂
﹁おかえり﹂
キャサリンさん、アナスタシア様、マリア、ソフィーの順だ。
﹁アナスタシア様? なんで厨房に?﹂
﹁その、ね﹂
恥ずかしげに頬を朱に染めるアナスタシア様。
﹁練習していたの。ゼェーレストの村のお祭りで作る料理。あ、お
262
祭りのことは知っている? 収穫祭というのだけれど﹂
﹁レオナルドさんにさっき聞きました。アナスタシア様、料理を振
る舞うんですか?﹂
﹁アナスタシア様だけじゃないよ。祭りの料理は各家庭の女が自慢
料理を持ち寄って用意するんだ。それを立食パーティー形式で戴く
のさ﹂
立食パーティーというと格調高そうだけど、つまりバイキング形
式だな。
﹁んー、なんだかいまいちなのよねぇ。キャサリン、これってなに
が足りないのかしら?﹂
アナスタシア様は小皿でスープを味見する。どうもお気に召さな
いようだ。
﹁足りないのではなく、野菜を炒める時に味付けを濃くし過ぎたの
ですね﹂
キャサリンさんも味見をして問題点を指摘する。
﹁そうなの? 薄いよりはいいかなって確かに濃い目にしたのだけ
ど﹂
﹁濃く作ってはあとから修正が利きませんよ。薄ければ完成した後
に整えることも出来ます。というか変にアレンジしないでレシピ通
り作って下さい﹂
263
素人のアレンジは失敗フラグ!
しかしなんとも赤いスープである。
﹁まさか、血の赤?﹂
﹁えっ? キャサリン、このスープの赤って血の色なの?﹂
﹁違います。この赤はテーブルビートという植物の色です。レーカ、
お前も変なこと言うな﹂
失敬失敬。つかアナスタシア様作っている本人なのになんで解ら
ないの。
﹁⋮⋮⋮⋮!﹂
一方、こちらは親の敵を見る目で玉ねぎを睨むソフィーである。
包丁を片手に、まな板の上の玉ねぎを慎重に刻む。
その隣ではマリアが落ち着かない様子でソフィーを見守っていた。
ちなみにソフィーはガイルの用意したミスリルゴーグル装着して
いる。彼女なりの玉ねぎ対策らしい。
伝説の金属でゴーグル作る親父も親父だが、それを真っ先に料理
で利用する娘も娘だ。
しかし、そんなんしったことか、と言わんばかりにソフィーの目
からは涙が溢れていた。
それはそうだろう。俺の無駄知識によると、確か⋮⋮
﹁涙が出る原因の物質って、鼻からも入るんだってさ﹂
﹁⋮⋮そうなの?﹂
264
頭を傾け、鼻を摘むソフィー。どうやって片手で包丁を扱うんだ。
﹁ちょっと包丁を見せてもらえるか?﹂
切っ先を確認。おや、普通に綺麗に研がれている。
包丁の切れ味が悪いと玉ねぎの細胞を潰してしまい涙が出る成分
が拡散する。しかし今回はただ単に切り方が下手なだけのようだ。
ここの備品はキャサリンさんが管理しているし、研がれていない
はずこそないのだが。
あるいは怪我しないように敢えて切れ味の悪い包丁を使わせてい
るのかとも考えたが、かえって力んでしまい危ないだろう。
そもそもソフィーに包丁を使わせてるのが早すぎる気もする。怪
我したら危ないじゃないか。
そうキャサリンさんに進言すると、返ってきた答えは以下の通り
だった。
﹁料理は怪我をしながら覚えるものだよ﹂
この屋敷の人間は基本スパルタである。
﹁きゃう!?﹂
早速指切ってるし。
﹁隠し味さ﹂
﹁いや、治療して下さいよキャサリンさん﹂
人の血液が隠し味とか嫌過ぎる。
265
﹁救急箱! 救急箱どこ!?﹂
血相を変えたマリアが厨房を飛び出して行った。初めに準備しと
けよ。
ポロポロと泣き出したソフィーの指を確認。表面を切っただけか、
男の子なら舐めて終わるレベルだ。
圧迫して止血する。
﹁痛ぃ⋮⋮﹂
きゅっと目を瞑り、呻くソフィーの頭を撫でる。
﹁我慢﹂
﹁⋮⋮うん﹂
ちょっと待てば止まるだろ、と予想していると、アナスタシア様
がソフィーの手を握り呪文を唱えた。
﹁命の詩篇よ、その綴りを反復せよ。﹃ライトエイド﹄﹂
みるみるうちに指の切り傷が塞がる。RPGの必需要素、治癒魔
法か。
﹁あー、だからソフィーか完全に目を離していたんですね﹂
アナスタシア様は治癒魔法も達者なのだろう、ある程度の怪我や
火傷なら痕も残さず消せるほどには。
﹁じゃあなんでマリアは心配そうにしてたの?﹂
266
てっきりソフィーが怪我しないかと見守っているのかと。
﹁ソフィー、治療するわよ!﹂
マリアが救急箱を抱いて駆け込んできた。
﹁食べ物のある場所で走るんじゃない!﹂
﹁たらぁぃ!?﹂
キャサリンさんがマリアをぶん殴った。実娘であろうと容赦ない。
ぐわんぐわんと鳴る金タライ、頭を抱えてうずくまるマリア。
﹁マリア! レーカ!﹂
﹁は、はい﹂
﹁え、俺も?﹂
﹁用事ないなら、出てけ﹂
ぽいと廊下に放り出された俺とマリア。
マリアは俺を見て、溜め息を吐き、一旦厨房へ戻り俺の取り分の
ケーキを載せた皿を回収して俺に手渡し、無言で立ち去って行った。
﹁え、オチなし?﹂
この日常にオチがあるとすれば、精々晩飯が赤いスープ尽くしと
なったことくらいだろう。
267
旨かったけどさ。
変わりない日常。
ゆったりと流れるゼェーレストの日々の中、その事件は唐突に起
きた。
朝。
今日もまた、レオナルドさんの打つ鐘が村に鳴り響く。
就寝していた俺はその音で目を醒ます。
慣れたもので、地球で使っていた目覚まし時計よりずっと小さく
聞き取りにくいその音も、今では意識せずとも聞き逃さないように
なっていた。
トラウマ
最初の頃は鐘を聞き逃し寝過ごしてキャサリンさんに叱られたの
も、今となってはいい思い出である。
意識が覚醒してゆく。
慣れ親しんだ、自室である倉庫の匂い。
そこに、いつもとは違う香りが混ざっていた。
268
︵ん⋮⋮?︶
暖かな温もりと、小さな呼吸音。
誰か、俺の部屋にいる?
目をこすり、瞼をしっかりと開く。
﹁う⋮⋮ん⋮⋮﹂
寝息をたてるソフィーがいた。
あー。
うん、あれだ。
なんで俺のベッドで寝てるの?
﹁え、えええぇえぇ?﹂
困惑するしかない。ソフィーだ。何度見直してもソフィーだ。ソ
フィーである。結論、ソフィー。
むゆうびょう
寝ぼけて俺のベッドに潜り込んだ? いや不自然だろ。屋敷から
倉庫まで寝ぼけて歩いてくるとか、夢遊病?
仮に夢遊病だとしても、ソフィーは両親と共に寝ているはず。二
人ともソフィーが抜け出したことに気付かないとは考えにくい。
いや、ここにいる理由は置いといて、これからどうする?
ソフィーを見つめる。
幼いながらに整った顔立ち。伏せた瞼と長いまつげ。小さな口。
白に限りなく近い銀髪。
よし、悪戯しよう。
事態の解消より自身の欲望を優先することとした。
後から考えるとやはり寝ぼけていたと思う。
︵まずは、ほっぺた⋮⋮!︶
269
指先でつつく。傷付けそうなので、人差し指の腹で。
﹁お、おぉ⋮⋮ふにふに﹂
ぷにぷにとしばしソフィーの頬を堪能する。
よし、次は。
︵ハ、ハグ行ってみましょう⋮⋮!︶
何度も繰り返すが寝ぼけている。既に目は冴えているが寝ぼけて
いるのだ。
再度繰り返す! 寝ぼけているから犯罪じゃない!
腕をそーっと伸ばす。
心臓がバクバク煩い。思考が纏まりを失う。
ソフィーの背中に手を回し、ぎゅっと抱き締める。
柔らかい。温かい。いい匂い。
この時期、年代は女性の方が平均身長も高く発育がいいと聞く。
しかしソフィーは俺より小さく、壊れてしまいそうなほど華奢だ。
﹁ん﹂
身じろぎしたソフィーに思わず背中から掌を離す。
起きたのかと慌て、そっと胸に抱いていて見えなかったソフィー
の顔を覗く。
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
おめめパッチリ、完全に目覚めていた。
270
﹁ち、違うんだ! これは、その、出来心だ!﹂
慌て離れて弁明する。
﹁ついやってしまったんだ、反省していない!﹂
すっく、と上半身を起き上がらせ女の子座りでベッドに佇むソフ
ィー。
﹁本当だ! 信じてくれ!﹂
ん? なにかがおかしい。
いや、俺の動言じゃなくてソフィーの様子が。
﹁⋮⋮⋮⋮?﹂
﹁あのー、ソフィーさん? ハロー?﹂
﹁⋮⋮はろー﹂
寝ぼけ眼の返事。体は動いているが、意識がしっかりしていると
は言い難い。
︵⋮⋮あ。そういえば︶
そうだ、忘れていた。ソフィーは朝が弱いんだ。
﹁おとーさん?﹂
ソフィーが俺の寝間着の裾をくいと引く。
271
﹁む、俺はガイルじゃないぞ?﹂
﹁んー﹂
だめだこりゃ、彼女の心は完全に夢の世界だ。
彼女の瞼がゆっくり落ちる。
二度寝するのかと思いきや、次に続けられた言葉は予想外にもほ
どがあった。
﹁おはようの、ちゅー﹂
な、なんですとー!?
唇を突き出して待ちの姿勢のソフィー。
つまりこれは、俺にキ、キ、キ、キチューを求めていると!?
行かねばなるまい! ここで引いたら男が廃る!
いいよね奪っちゃって! 据え膳食わねばナントヤラ!
冷静に考えれば俺をガイルと間違えているだけだが、そんなの知
っちゃこっちゃない。
ソフィーの肩を掴む。頭をそっと近付ける。
三〇センチ、二〇センチ、五センチ⋮⋮
心臓が早鐘のように打ち鳴らされる。
寸前でピタリと停止。
本当にいいのか? こんな騙し討ちみたいなことで、彼女の唇を
奪って?
︵えぇい、覚悟を決めろ、俺!︶
躊躇うな、こうなったらむさぼり尽くすぐらいの勢いで︱︱︱
272
倉庫の扉が突然開いた。
﹁おい、レーカ起きてるか? 突然だが出掛ける準備をし⋮⋮ろ⋮
⋮?﹂
硬直するガイル。
寝ぼけたままお座りしているソフィー。
その無防備な彼女の唇を奪おうとしている俺。
異世界生活始まって以来の大ピンチだった。
273
旅立ちと妖怪逆さ男 1︵前書き︶
前回のあらすじ
俺↓︵´・ω・` ︶ω︱ ︶↑ソフィー
ガイル↓︵ °Д°︶
274
旅立ちと妖怪逆さ男 1
緊急事態だ。
ソフィーにちゅーしようとする俺。
それを目撃したガイル。
まずい。まずいまずい。
開き直って自分の正当性を主張する? 却下だ、ガイルの怒りに
油を注ぐだけだし、それ以前に俺自身がそれは許せない。
俺が欲望に屈しソフィーに悪戯しようとしたのは事実。
ならば、俺はそれを潔く認めるだけだ。
﹁ガイル!﹂
﹁⋮⋮なんだ﹂
うわ、すげぇドスの効いた声だ。威圧感が半端じゃない。
それでも殺気ではなく威圧に留まっているのは、俺に弁明の機会
を与えているのだろうか?
まあいい。俺は、自分の意志を、言葉を伝えるだけ!
﹁ありがとう!﹂
275
謝罪より感謝を。
だって、その方が素敵じゃないか。
俺はマジで拳が顔面に突き刺さる五秒前くらいに、そんなことを
想った。
すまき
簀巻き。縄で人をぐるぐる巻いて、芋虫状態にすることである。
それを上下逆さまに木から吊せば、さながら蓑虫状態と呼ぶべき
だろうか。
今の俺のことなんだけどさ。
﹁⋮⋮で? 朝起きたらソフィーが目の前にいて、つい手を出した
と?﹂
﹁未遂だ。ほっぺた触ったり、えっと、ほっぺ触っただけだ﹂
﹁絶対それ以外にもしたでしょ君﹂
余計なことをいわないでマリア!
ほっぺたツンツンまではともかく、抱き締めは有罪だろう。口が
裂けても言えない。
276
屋敷の側。ここに集まっているのは三人。俺を木に吊したガイル
と、何事かとやってきたキャサリン、マリア母娘だ。
ソフィーは眠ったままガイルが寝室に運んだ。性犯罪者と一緒に
いさせるわけにはいかないとのことだ。一体誰のことだろう。俺の
ことですね判ってます。
﹁レーカ。怒らないから正直に答えろ。ソフィーの体を触ったなぁ
ア゛ァ゛!?﹂
台詞の最後は忍耐力が切れてチンピラと化していた。
﹁違う、その、触ったといえば触ったが性的な意味はない!﹂
抱き締めたり肩掴んだり、そういうのは同性でもやる時はやる。
やるったら、やる。
問題は異性間でしか触り得ない場所に触れたか、だ。
﹁ガイルは知っているだろう、俺が巨乳派だって! この前も巨乳
について熱く語り合ったじゃないか!﹂
﹁あ、こら、人前でそういうのバラすな! 俺のイメージが!﹂
知ったことかそんなもん。
﹁だからソフィーに、その、えっちなことをしようなんて一切考え
ていなかった! 信じてくれ!﹂
﹁ならなぜソフィーの顔に涙の跡があった?﹂
﹁マジっすか!?﹂
277
知らんよ本当に!
﹁俺じゃない! 俺はそりゃ普段はエロいこと考えたり、女の子と
仲良くなりたいとか、そんな煩悩だらけのこと考えているさ!﹂
マリアの前でさらけ出すのは気が引けるが、ここで引いては俺と
いう存在が誤解されてしまう。
﹁えー⋮⋮そういうの、さらけ出さないで胸にしまっておいてほし
かったわ⋮⋮﹂
マリアがドン引いていた。
つーかね、男なんてそんなもんだよ。いつだっておんにゃの子の
こと考えているもんだ。
とかく、良きにしろ悪しきにしろ、ここで面倒な誤解は生じさせ
るのはよろしくない。きっちりしておくべきだ。
﹁けれど、絶対に、女性を傷付けるような真似はしないっ!﹂
ソフィーにキスしようとしたのは彼女が子供で、寝起きのことな
どすぐ忘却してしまうだろうという打算もあった。うん最低。
付け加えれば、なんだかんだいってやっぱり俺も寝ぼけていたの
だろう。
﹁マリアにセクハラでからかったりもするが、それだってちゃんと
冗談の域で収まるように留意している! それになにより、俺は女
性を悲しませるようなことはしないっ!﹂
フェミニストと呼ばれようと構わない。女性の笑顔を守る、それ
278
は俺のルールだ。
﹁その笑顔を壊すような真似、俺は絶対にしないっ﹂
まあこの前マリア怒らせちゃったんだが、それは一旦脇に置いと
こう。
﹁⋮⋮本当だな?﹂
﹁ああ、当然だ!﹂
逆さまで力強く頷いてみせる。
﹁まだソフィーに手を出すつもりはない!﹂
竹箒で顔面フルスイングされた。
そして俺に対する暴虐と屈辱の体罰が始まった。
ガイルに箒の筆の方で何度も叩かれた。︵チクチク︶
キャサリンさんに﹁丁度いいから﹂と逆さまのまま散髪された。
︵ハラハラ︶
マリアに高速で回転させられた。︵グルグル︶
どれも中途半端にやめて欲しいレベルの罰である。
でも悪いの俺だし。
﹁ところで、なんでマリアまで参加してるの?﹂
279
﹁女の敵を懲らしめているの﹂
それは大切なことだ。
ムチ
﹁いっそ罵りながらやってくれないか? 鞭とか持ってさ﹂
うん、案外いいかもしれない。
慣れない未知の感覚に高揚し、我を忘れて口汚い言葉を並べ叫び、
ひたすらに俺に鞭を振るうメイド少女。
なんか興奮する。
ばべん
﹁ガイル様、馬鞭をお持ちしました﹂
﹁うむ﹂
鞭をしならせ頷くガイル。
﹁お前じゃねぇよ! ﹃うむ﹄じゃねぇよ!﹂
ムチって痛いだけじゃなくて、実は死人がでるくらい危ないもの
なんだぞ。
﹁あ? あ? てめ調子にのんなよ? 人の娘にちょっかい出しと
いてそれかアァ?﹂
﹁ごめんなさい俺が悪かったですだから鞭はやめて﹂
ぺちぺちと頬に当てられる鞭先。ほとんど力を入れていないのに、
これでもちょっと痛い。
280
チンピラガイルに凄まれる俺に救いの手を伸ばしてくれたのは、
意外な人物であった。
﹁いい加減にしなさい﹂
﹁ナスチヤ?﹂
どこか気怠い雰囲気を纏う人妻枠、アナスタシア様だった。
﹁レーカ君を責めてどうするのよ。彼に非はないわ﹂
﹁寝ぼけたソフィーに手を出そうとしたんだぞ﹂
﹁それは有罪ね﹂
味方じゃなかった。
﹁その前に、だ﹂
ガイルはアナスタシア様を軽く睨む。
﹁昨晩はどこにいたんだナスチヤ﹂
﹁どこだっていいじゃない。一人で過ごしたい夜もあるわ﹂
数瞬睨み合う夫婦。なにこれ、夫婦喧嘩?
﹁⋮⋮屋敷の外には出ていないわ﹂
﹁俺と一緒に寝るのが嫌だったのか?﹂
281
﹁そんなこと、一言も言っていないじゃない﹂
﹁なら書き置きや言伝があってもいいだろう。心配したんだぞ﹂
あらだか
﹁貴方だってこの前、私に断らずに荒鷹を乗り回して一晩姿を眩ま
せていたわ。貴方はよくて私はいけないというの?﹂
﹁らしくない。君は気の回る女性なのに、俺が心配することを予想
出来なかったのか?﹂
﹁酷い人。理由があるとは考えないのね﹂
﹁相当泣きはらしたな﹂
アナスタシア様の肩が震える。
﹁化粧で誤魔化したって俺には判るぞ。一晩中、泣いてただろ。な
んで俺の側に来なかった。俺は、そんなに頼りないか﹂
﹁⋮⋮一人で泣きたかったの。これは、私の問題﹂
﹁夫婦だろ﹂
﹁大切だからよ﹂
き、気まずい⋮⋮
喧嘩していたのに、急にしんみりした空気になった。
アナスタシア様は昨日、姿を眩ませて、一晩泣きはらしたらしい。
なぜ?
282
だんまりを決め込むガイル。
﹁おいっ、そこは﹃俺を頼れよ﹄とか言え!﹂
それが甲斐性だろと訴えるも、ガイルは気色悪い、薄い笑みを浮
かべるだけ。
﹁⋮⋮そんな言葉で無理につなぎ止めなければならないほど、脆い
絆じゃないさ﹂
なーにいってんだこいつは。ばっかじゃねぇ。
﹁そうやって油断してると、手遅れになって後悔するぞ。今日出来
ることは今日やれ、ちゃんと言葉にしろ!﹂
﹁⋮⋮そう、だな﹂
ガイルは妻に歩み寄る。
抱き締めた。
逞しいガイルの腕が、華奢なアナスタシア様を包み込む。
﹁その、な。⋮⋮愛してる﹂
不器用な夫の言葉に、彼女は口元を綻ばせた。
﹁⋮⋮当然よ。独りにしたら、許さないんだから﹂
そしていちゃつきだした。まったく、今日の俺はキューピットだ
ぜ。
しばしの間ちちくり合う二人。興味深げに、それでも少し恥ずか
283
しげに観察するマリア。
ウブ
俺とキャサリンさん? 俺達がそんな初心な反応をするとでも?
ガン見でした。ガンガンジロジロ見ました。
屋敷の住人の視線に気付いた彼らは、はっと我に返りコホンと咳
払い。
﹁結局、レーカとソフィーが一緒に寝ていたことと、ナスチヤが一
晩姿を眩ませていたことは関連しているのか?﹂
話題を変えた。賢明だな、俺の嫉妬レベル的にも。
﹁そうね。たぶん、関係あるわ﹂
ほら無実だった。
﹁そもそも、レーカ君もソフィーも昨晩からの記憶がないんじゃな
いかしら?﹂
﹁え? ⋮⋮あれ、本当だ﹂
昨日いつ寝たのか、記憶が曖昧だ。
﹁昨日の晩か。そういえばナスチヤもそうだが、ソフィーもどこか
おかしかったな。妙なことを訊いてきた﹂
思い出し笑いならぬ思い出しデレデレしだしたガイル。気持ち悪
い。
﹁ともかく、この話はこれでお終い﹂
284
﹁ちょっと待て、理由が解らないし、今朝コイツがソフィーに悪戯
しようとしたことはどうする﹂
﹁理由に関して話す気はないわ。私が泣いた理由も、レーカ君とソ
フィーがなにをしていたのかも﹂
切り捨てるアナスタシア様。これで、この事件の顛末は迷宮入り
と相成った。
ろうぜき
﹁レーカの狼藉も許すのか?﹂
﹁うーん、無罪放免というのもなんだし⋮⋮そうね﹂
アナスタシア様は今朝一番のいい笑顔で、こう宣言した。
﹁レーカ君には責任をとってもらうわ﹂
責任?
﹁レーカ君を、ソフィーの許嫁︵仮︶とします﹂
アナスタシア様の決定はあまりに酷かった。
許嫁︵仮︶。
︵仮︶が付いているとはいえ、あまりに唐突過ぎた。
なぜ? ここでの生活で信頼を得たのだとしても、ちょっと展開
が早過ぎる。
285
⋮⋮まあ、アナスタシア様の思惑は置いといて。
今は俺を高速スピンさせまくっているマリアと、箒の筆で顔を引
っ掻きまくっているガイルについて考えよう。
﹁二人とも、やめてくれないか?﹂
﹁やーだよーだ﹂
﹁ばーかばーか﹂
あらやだなにこの二人、退行してる。
﹁冷静に考えて見ろよ。この決定が不服として、責めるべきはアナ
スタシア様じゃないか?﹂
﹁ほう、つまりお前は女性に責任を押し付けるのか?﹂
﹁なわけないだろ! 悪いのは俺だ!﹂
つい叫んでしまうのが俺である。
でもなんでマリアまで参加してる?
俺とソフィーが許嫁︵仮︶となるのが嫌なのか。そりゃ嫌か。こ
んな不審人物が妹分の許嫁︵仮︶なんて。
でも無表情でひたすら俺を回すのはやめて欲しい。光を失った瞳
からは既に狂気すら感じる。
マリアの腕が止まった。当然回転も停止する。
﹁どうした?﹂
﹁⋮⋮魔力切れ﹂
286
身体強化魔法まで使っていたようだ。
この短時間かつ小効力で終わるとは、本来は使い勝手が悪いとい
う話も頷ける。道理で力仕事でも使っていないわけだな。 ﹁ナスチヤ! ソフィーの許嫁なんて、なにを考えているんだ!﹂
一応ガイルも妻の決定に異議を唱えるらしい。
まず最初に訴えろ、なぜとりあえず俺を痛めつけた。
﹁あら、でも︵仮︶よ? それとも︵暫定︶にすべきかしら?﹂
同じです。
﹁ソフィーは誰にもやらん!﹂
﹁行き遅れっていうのもねぇ﹂
この世界では地球、ないし日本より結婚適齢期がちょっとだけ早
い。
﹁こいつには精々、許嫁︵笑︶がいいところだ!﹂
﹁許嫁であること自体は構わないの?﹂
﹁構う! ソフィーは俺と結婚するんだ!﹂
ガイルが問題発言しだした。
﹁娘と結婚するとか⋮⋮﹂
287
﹁それはないわ⋮⋮﹂
﹁ひくわー⋮⋮ん?﹂
視点が再び回り始める。どうした?
﹁お? おお? おおぉぉぉぉ﹂
捻れたロープが元に戻ろうと、模型飛行機の輪ゴムの如く俺を回
す。
マリアの腕力に依存していた先程より早い。みるみる加速し、俺
の視界は横線にしか知覚出来ないまでになった。
﹁とにかく話を纏めましょう﹂
﹁回り始めた俺は無視ですか﹂
﹁昨晩ちょっとした出来事があって、私が寝室へ戻らなかったのも
ソフィーとレーカ君が一緒に寝ていたのもそれ関連。これに関して
はレーカ君に非はないからいいとして、今朝ソフィーに悪戯しよう
としたのは許嫁︵仮︶として責任を取る。こんなところでいいわね
貴方?﹂
﹁よくない! 全く解らんし、なんでコイツなんぞに可愛い一人娘
を⋮⋮﹂
﹁いいわね﹂
﹁いや、だから⋮⋮﹂
288
﹁いいわね﹂
﹁その、あの﹂
﹃い い わ ね ?﹄
﹁はい、いいです⋮⋮﹂
﹁よろしい﹂
弱い! ガイル弱い!
﹁でも︵仮︶だからなっ。ソフィーの為にも、それ以上は認めんぞ
!﹂
﹁解っているわ。レーカ君?﹂
﹁はい﹂
﹁不純異性交遊、ばっちこいよ﹂
﹁まじっすか!?﹂
﹁節度と常識は弁えてね﹂
289
﹁うっす!﹂
冷め切った目のマリアにロープをナイフで切られた。
地面に落ち、ヘッドスピン︵ブレイクダンスのアレ︶の要領で回
転する俺。
﹁一段落ついたのだしソフィーを起こしましょうか﹂
﹁ソフィー⋮⋮ああ、ソフィーぃぃ⋮⋮﹂
﹁時間が遅くなっちまったね。マリア、朝食の準備を手伝いな﹂
﹁はい、わかりました﹂
それぞれ日常へと戻っていく四人。
スピンする俺。
﹁おーい、誰かー、助けてー﹂
回転は徐々に収まり、ジャイロ効果を喪失した肉体は地面に叩き
付けられる。
﹁え、マジ? 本気で置いて行かれた?﹂
この時俺の脳裏に過ぎっていたのは、薄情な彼らに対する呪詛で
はなく、地球で学んだ一つの単語であった。
﹁放置プレイ!﹂
未知の興奮にときめきつつも、どこか頭に引っかかるものがある
290
のも事実。
なぜ、アナスタシア様は夜通し涙したのか。
なぜ、俺とソフィーは添い寝していたのか。
なぜ、アナスタシア様は俺と娘を許嫁︵仮︶にしたのか。
なぜ、こうも俺はイケメンのナイスガイなのだろうか。
様々な疑問が解氷するのは、この出来事からずっとずっと先のこ
とである。
朝食として運ばれてきたスープ皿と、それに放り込まれたスープ
漬けのパン。
エアシップ
簀巻きのままガツガツ犬食い。絶対マリア怒ってる。
そして小型級飛宙船の後部にロープを繋がれ、宙吊りで広場まで
運ばれた。
﹁あの、アナスタシア様?﹂
﹁なにかしら、レーカ君?﹂
なにかしら、じゃなくて。
﹁どこか連れて行かれるんですか、俺﹂
もしかしてアナスタシア様は微塵も俺を許しておらず、どこか遠
い国に捨てられてしまうのだろうか。
291
漠然とした不安が冷気となって背筋に抜けた。
異世界で放逐。それがどれだけ絶望的な状況か、考えるまでもな
い。
﹁せめて縄はほどいて! あとサバイバルキットも! あと少々の
路銀もお願いします! 更に言えば愛をプリーズ!﹂
﹁大丈夫、ロープは解かないけどサバイバルキットと路銀はあげる
わ。愛はソフィーに頼んで頂戴﹂
いやあぁぁぁ⋮⋮捨てられるぅぅ︱︱︱
ドナドナ気分で売られる子牛のビジョンを幻視していると、冒険
者志望三人組がやってきた。
﹃おはようございます﹄
三人揃ってお行儀良くご挨拶。
明らかにガイルに対する態度と違う。
﹁はい、おはようございます。準備はしてきたかしら?﹂
﹃はいっ!﹄
準備?
冒険者志望三人組は軽装ながら、普段は身に付けないような物々
しいアイテムを幾らか所持していた。腰の短剣や、背中のマント。
﹁お前ら、冒険にでも出る気か?﹂
ファンファーレが聞こえてきそうな、見事なちびっ子パーティで
292
ある。
﹁そうだよ?﹂
﹁そうなの?﹂
エドウィンに肯定された。
﹁そうか、皆も遂に夢を叶えるんだな﹂
考えていたよりずっと早い旅立ちだが、ここは笑顔で送り出すべ
き場面だ。
﹁頑張れよ。俺も応援してるぜ﹂
﹁貴方も行くのよ﹂
なにいってんですかニールさん。
﹁俺は冒険者志望じゃないんだけど﹂
興味がないといえば嘘になるが。
﹁そんなことより早く出発しようぜ﹂
マイケルが急かし、ぞろぞろと小型級飛宙船に乗り込む三人。
アナスタシア様は運転席だ。
﹁それじゃ、行きましょうか﹂
293
﹃はーい﹄
あれ、俺の意見は?
﹁ちょ、おおまた宙吊りかよぉおぅ﹂
飛宙船が飛翔し、後部に繋がれた俺は上下逆さまに浮き上がる。
﹁アナスタシア様、ほんとにどこ行くの!?﹂
﹁大丈夫、レーカ君のガンブレードは荷物に入れといたわ﹂
会話が成立していない!
船は俺に構わず村の出入り口まで進む。
﹁⋮⋮⋮⋮ん?﹂
物影に白い人影がちらちらと見えた。
﹁アナスタシア様、ソフィーが見送りに来ているみたいですよー﹂
﹁あら、見つけちゃったわね。私はなにもしていないけれど、レー
カ君が自分で見つけちゃったわね﹂
はか
あれ? 謀られた?
どうやらソフィーがここにいるのはアナスタシア様の采配らしい。
そして俺はまんまと罠に引っかかったのだ。どんなトラップかは
判らないが。
おずおずと姿を表すソフィー。今朝の寝間着姿ではなく、妙に気
合いの入ったフリルたっぷりの洋服である。
294
﹁おはよ﹂
﹁⋮⋮おはよ﹂
﹁可愛い服だな。ソフィーもどこかにお出掛けか?﹂
﹁うんん、おかーさんが﹃しょうぶふくよ﹄って着せてくれたの﹂
上を見下げると︵くどいようだが上下逆さまである︶ニマニマ顔
のアナスタシア様。
貴女なんで今朝から急にアグレッシブなんですか。キャラちょっ
と失ってますよ。
﹁その、レーカ⋮⋮﹂
もじもじと指を絡ませるソフィー。
大変可愛らしいと思うのだが、残念ながら相手は妖怪逆さま男で
ある。 ﹁あのね、その﹂
﹁うん﹂
焦らせてはいけない。本人に任せて、ゆっくり聞いてあげよう。
﹁一緒に、踊って欲しいの﹂
﹁踊り?﹂
295
この村で踊りといえば⋮⋮
﹁収穫祭か?﹂
頷くソフィー。
収穫祭の踊り、即ちキャンプファイヤーを囲む盆踊りだ。
ペアだからむしろフォークダンス?
どうしよ、俺は盆踊りもフォークダンスも判らない。
﹁おいっ! レーカがソフィーにダンスのお誘いを受けたぞっ﹂
﹁へぇーやるわね。よ、この色男ッ﹂
﹁レーカ君、女の子に恥かかせちゃ駄目だよ?﹂
三人組が好き勝手言っている。
ソフィーは二、三度大きく呼吸し、真っ直ぐ俺を見据えた。
風がざわりと震えるのを感じた。
﹁どうか、僅かばかりの時を私の為に割いて下さい﹂
せいれん そそ
いつものソフィーと違う。
ジェントルマン
清廉楚々とした気配に思わず息を止めてしまう。
わたくし
﹁私と踊って頂けませんか、紳士殿﹂
296
しなやかに差し出される手の甲。
女王の如く侵しがたい気配を纏ったソフィー。
しかしそこに演技臭さなど微塵もなく。
彼女は、ソフィーでありながらにして他を圧倒するなにかを放っ
ていた。
たまらず視線を落とせば陶器のように白い手が目に映る。
見慣れたはずのソフィーの手。だが今だけは、この世界に実在す
ることが不可解な矛盾をはらんでいるようにすら錯覚してしまう。
人造でなければ至れない繊細さと精巧さに、生身でなければ有り
得ない温かさと意志。
それに触れてもいいものか?
新品のキャンパスに絵の具を垂らせば後戻りが効かないように、
目の前にいる少女は決して触れてはいけない存在ではないか?
ま、さっきハグしたけど。
︵⋮⋮あれ、なにびびってんだ俺︶
触れるどころではないボディータッチを既に行っていたことに気
付き、気が抜けた。
なに子供相手に気圧されてるんだ。自然に、普通に返せばいいこ
とじゃないか。
﹁あー、うん。ダンスのお誘いだよな? いやー照れるな﹂
むしろ反動で緩みまくっていた。
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
なぜかソフィー固まってる。
297
﹁えっと、ね。その﹂
口調が戻った。さっきの漢字を多用した長文は奇跡かなにかだっ
たようだ。
﹁あああぁぁぁぁぁ﹂
終いには頭を抱えてうずくまってしまった。
﹁⋮⋮どうした?﹂
﹁忘れて、忘れて! 私は忘れるから!﹂
エアボート
草陰から飛宙艇を取り出し、手早くセイルを展開。
マナー
止める間もなく、ソフィーは飛び去っていった。
追いかけるのがドラマ的な礼儀かもしれないが、それすら許さな
い早業。
あっという間に彼方まで飛んで行った彼女に、俺は手を空に伸ば
すしかなかった。
﹁惜しいっ﹂
なにがですかアナスタシア様。
ちなみにこの時点で俺はダンスのお誘いの意味するところを知ら
ないわけで。
友達のいない娘にアナスタシア様が俺をあてがった、程度に考え
298
ていた。
299
旅立ちと妖怪逆さ男 1︵後書き︶
中途半端な長さなので前後編に分けました。
300
旅立ちと妖怪逆さ男 2
飛宙船はゼェーレストを出発し、草原を突き進んでいた。
﹁それで、説明して貰えるんでしょうね﹂
憮然と睨み付ける。眼前に広がるのは草原だけど。
いい加減ロープを解いてもらいたいものだが、やっぱり怒ってい
るのだろうか、アナスタシア様。
の
﹁事の始まりは、この子達がガイルに対人戦技術の指南を求めたこ
とよ﹂
昨日のあれか。
俺がニールとマイケルを纏めて伸してしまい、ニールは自分にな
い対人技能というジャンルに少なからず興味を示していた。
その後繰り広げられた追いかけっこの結末が、この旅立ちらしい。
アナスタシア様の説明を要約するとこうだ。
ニール﹁対人戦教えてー﹂
ガイル﹁必要ない﹂
マイケル﹁なら魔物と実戦させてよ︵脈絡がないが、マイケルだ
し︶﹂
ガイル﹁まだだめー﹂
三人組﹁ブーブー﹂
301
せきよく
ガイル﹁うっせー。んー、でも紅翼のエンジン買いに行くから、
道中のナスチヤの護衛をする?﹂
三人組﹁やるー﹂
こんな感じだ。
俺の行動が発端なのだし、これもある意味因果応報か。
⋮⋮つまり、あれがなければ今朝ガイルが部屋にやってくること
もなく、俺はソフィーに⋮⋮
﹁むふ﹂
﹁今、船の下から気色悪い声が聞こえたわ﹂
ニールに他人事のように言われた。
﹁アナスタシア様、どうしてこんなに低く飛んでるんだ? もっと
高く飛んだ方がスピード出せるんじゃねぇの?﹂
この声はマイケルか。アナスタシア様になんてぞんざいな口調だ。
飛宙船は高度五メートルほどをふわふわ浮いている。おかげで吊
された俺は時折頭を擦りそうでハラハラだ。
﹁あまり高く飛べば飛行系の魔物が来るわ。みんなには空の敵に攻
撃する手段はないでしょう?﹂
﹁僕は魔法得意ですよ﹂
﹁エドウィン君だけが戦う? この旅は全員の修行なのだから、ま
302
ずはちゃんと地上の魔物相手に慣れて冷静に対応するのが第一、そ
して基本で大前提。焦って出鱈目に突進していく冒険者は長生き出
来ないわ﹂
そういやなんで俺は呼ばれたのだろう。彼らの修行に俺は関係な
い。
ついでに俺にも魔物との戦いを経験させようという案配だろうか。
なら簀巻きを解いてほしいものだ。
﹁それに地上の魔物は縄張りを把握しておけば危険な種類と遭遇す
る危険は低いけれど、飛行系の魔物ははぐれが意外な場所に迷い込
むことが多々あるのよ。勿論地上が確実に安全なわけでも、空で絶
対に危険な魔物に遭遇するわけでもないけれど﹂
それがこの微妙な高度の理由か。
初めての冒険がお使いなのはお約束だが、徒歩でない分、意外と
暇かもしれない。
﹁旅ってもっと楽しいものだと思っていたわ﹂
暇過ぎた。
既に空は少し暗く、夕焼けになりかかっている。
かれこれ出発からかなりの時間が経っているが、代わり映えしな
い景色に子供達はうんざりしている様子。
そりゃ、朝から夕方手前まで船の上じゃ当然だ。
303
﹁旅なんて苦労と退屈が九割、喜びが一割よ。でも、その一割が代
え難いものだからこそ冒険者は生まれたのでしょうね﹂
いいこと言ったアナスタシア様だが、子供達は集中を切らしてい
るので生返事を返すだけだった。哀れなり。
せめて俺は胸に刻みつけておくとしよう。その一割は、本当に輝
かしいものだと思えたから。
﹁ツヴェーまではどれくらいかかるんですか?﹂
エドウィンが訊ねた。
ツヴェー渓谷。村でも時々名前を聞く、工業の町だ。
一〇年前の大戦にて、帝国軍は当時ただの自然形成された渓谷を
砦へと作り替えた。
秘密裏かつ迅速に形成された砦は最前線秘密基地として帝国の重
要拠点となり、その存在が暴かれた後も谷底という攻撃方法の限ら
れた地形は防衛を容易とし、長らく敵の侵入を拒み続けた。
その後、終戦を経て基地は破棄される。
戦争で職場や住処を失った人々が住み着き、設備をそのまま利用
出来たことから工房が幾つも開かれ、両国の境という立地も幸いし
一躍中継地点の街として発展した。
伝え聞いたところによるツヴェー渓谷のあらましはこんなところ
だ。
﹁途中で一晩野宿をして、明日には到着するわ﹂
早いんだか遅いんだか。
飛宙船の最高速度は現行技術で約時速一〇〇キロだが、常に全速
力で飛ぶわけもなく、巡航速度は大抵五〇キロ程度だ。
更にこの旅では低空を地形に沿って飛んでいることもあり、時速
304
三〇キロくらいが平均であるとみている。
隣の町に行くのに一泊しなければならないのは日本人としての感
覚ではあり得ないが、そもそもアナスタシア様は最速の手段を選ん
でいない気がする。
魔法に長けたアナスタシア様なら高度を上げて巡航速度で飛宙船
を真っ直ぐ飛ばし、魔物は走りつつ遠距離から蹴散らせばいいのだ。
それなら宿はツヴェー渓谷でゆっくり休める。
そうでなくとも、地表近くを飛んで、魔物が現れた時だけ高度を
上げるという方法もある。
それをせずわざわざ戦闘や野宿するのは、やはり経験を子供達に
積ませる為なのだろう。
思考に耽っていると、船がゆっくりと停止した。
﹁⋮⋮みんな、出たわよ﹂
半分寝ていた冒険者志望三人組だが、徐々にその言葉の意味を理
解し表情を強ばらせる。
そう、この旅の目的の一つ。
魔物との実戦が、始まったのだ。
﹁あれ、俺どうすればいいの?﹂
高度を下げる飛宙船。
頭から地面に衝突し、そっと土の上に横たわらせられる俺。
ガサガサと草陰から物音と動物の気配がする。
﹁あれ? あれあれ?﹂
305
地面に降りた三人が船を守るようにおっかなびっくりに立つ。
出来れば無防備な俺を守ってほしい。
いや、こんなことでは駄目だ。俺だって臨時とはいえパーティの
一員なんだ。
体を動かせないなら、動かせないなりに出来ることを探そう。
﹁頑張れー! 気張れー! 俺を守れー!﹂
﹁うっせぇ!﹂
﹁うごぉ!?﹂
マイケルに脇腹を蹴られた。痛みで呼吸困難に陥る俺。
これにて俺は本当に戦闘不能となった。
﹁⋮⋮来る!﹂
RPGのボス直前みたいな台詞をニールが叫ぶ。
これも一種のフラグだろうか。
そして、俺達の前に魔物が飛び出した。
水色の胴体。
足が四本の、体長五〇センチほどの獣。
魔物と呼ぶにはあまりにつぶらな瞳がこちらを捉える。
俺はソイツを見た瞬間、強烈なデジャヴを感じた。
︵まさか、アイツは︱︱︱!︶
魔物は口を開き、鳴き声を放った。
306
﹁クゥ∼ン﹂
アナスタシア様が真顔で魔物を見極める。 ﹁下級モンスターの水犬ね﹂
﹁本当にいたのかよっ!﹂
水色の柴犬、略して水犬であった。
ニールとマイケルが木刀に魔刃の魔法をかける。
戦士系の基本魔法である魔刃の魔法は、例え対象が木刀であろう
と鉄をも切り裂くような切り裂かないような凄い切れ味をもたらす
魔法だ。
⋮⋮ごめん、やったことないから程度は判らない。
とにかく、木刀だろうが魔力なしの刃物より鋭くなるのは確かだ。
敵は下級モンスター一匹だけなので、アナスタシア様も手を貸す
気はなさそう。 エドウィンも魔法の準備を終える。
三人の敵意を察した水犬は不思議そうに首を傾げる。
﹁クゥ?﹂
そしてテトテトと先頭のニールに歩み寄る。
﹁ニールちゃん、見た目で油断しないで。それもれっきとした魔物、
人を襲う存在よ﹂
俺達はアナスタシア様の言葉をすぐ理解することとなった。
水犬の口が大きく開く。
スライム質を生かし瞬時に自身の倍以上に膨れる、水犬の頭部。
307
口内には大小無数の牙が並び、飛び散った唾液は付着した草木を
嫌な匂いを発しつつ溶かしてしまった。
まるで蛇だ。伸び縮みする肉体で巨大な獲物を丸呑みする、アナ
コンダだ。
﹁可愛くない! 可愛くないぞ!﹂
﹁魔物相手になにを求めているのよ!﹂
即座にバックステップ。間合いギリギリまで下がった後、突進し
てきた水犬の側面に入り込み横薙ぎに両断!
頭部、目から尻までを切り裂かれた水犬は自身の身体を維持でき
なくなり、重力のままに崩壊し水溜まりとなった。
﹁⋮⋮これで、終わり?﹂
あっさりした幕切れに呆然とするニール。
﹁ええ。お疲れ様、ニールちゃん﹂
﹁う、うん﹂
生き物を殺したことにショックを受けているのかと思いきや、む
しろ簡単に行き過ぎて釈然としてない様子。
まあ村に住んでいれば動物の解体なんてたまに見るしな。俺も後
学の為に手伝わせて貰った。
結構力いるんだよね、動物の体を刃物で切るのって。
人はともかく魔物や動物を殺すのは、精神面では問題なさそう。
水犬の死骸︵?︶を見ても冷静でいられる。
戦闘自体も、あの速度であれば対象出来る。パワーや特殊能力に
308
は長けているが小回りを生かせば対処可能なのが魔物全般の共通点
なのだそうだ。
無論例外もあるし、格上の魔物にはどうやっても勝てないが。 アナスタシア様も船を降りる。
魔物の残骸を適当な木の枝で漁ると、ゲル状の死体に埋もれた小
さな石が出てきた。
見覚えのある、カット済みの宝石にしか見えないそれを彼女は躊
躇いなく拾い上げる。
﹁これがクリスタルよ。町の換金所やギルドへ持ち込めば、お金に
変えられるわ﹂
説明しつつ、倒した張本人であるニールに戦利品が手渡された。
﹁クリスタルって、飛宙船や人型機のエネルギー源のクリスタル?﹂
﹁そう。冒険者の主な収入源は魔物の核であるクリスタル集めね﹂ クリスタルって魔物から取れるのか。新事実だ。
﹁常識だろ﹂
なんとなく、マイケルに無知を笑われるとむかついた。
でもちっちゃいクリスタルだな。
せきよく
﹁紅翼のクリスタルはもっと大きかったですよ﹂
整備の時にその辺も覗いたが、大きさも輝きも段違いだった、と
記憶している。
309
ソードシップ
﹁紅翼のエンジンは飛行機用の高出力魔力式ジェットだもの、クリ
スタルも比例して大きくなるわ。小型魔物ならクリスタルもこんな
ものよ﹂
﹁ならこれって価値ないんですか?﹂
手の平の上でクリスタルを転がしつつ、ニールが訊ねる。
﹁いいえ、小さなクリスタルには別に大きな需要があるわ。はい、
出席番号六番、レーカ君。クリスタルの用途について詳しく答えて
頂戴﹂
﹁はーい﹂
アナスタシア様の個人授業を思い返す。
ストライカー
﹁えっと、クリスタルの用途ですが。基本的にはエンジンか浮遊装
置、あるいは人型機の動力源になります﹂
つまりクリスタルのほぼ全ては航空機や兵器の部品となる。
﹁それ以外の用途にも転用可能ですが、常に多くの需要がある航空
機関連に品が流れるのは当然であり、そもそも大半の﹃それ以外の
用途﹄も魔法で代用可能だったりすることから、日常生活でクリス
タル動力の装置を見かけることはほとんどありません﹂
飛行機や人型ロボットが存在しながら、生活風景が中世的なのは
これが理由だ。
人型機の発電機のように、魔力を単純な回転に変換することは技
術的に容易い。
310
しかしそれで洗濯機を作ったり、ポンプを作ったりなどはしない。
するとしても、クリスタルは高価なので割に合わない。
盛んに製造される航空機や人型機、そのクリスタル需要に対し供
給が間に合っているとは言い難いのだ。
商人であろうが冒険者であろうが、売るならより高く買い取って
くれる相手に売るのは当然。
﹁またクリスタルは出力が大きい代わりに制御が大味で難しいこと
も、複合的な機械に応用が利かず用途の幅を狭める要因となってい
ます﹂
クリスタルに限らず、魔力には人それぞれ、魔物それぞれに質の
違いがあるそうだ。
複数の魔力を束ねようとしてもうまく安定せず、故に一つの機械
に対し一つのクリスタルというのはメカニックの基本となっている。
また、魔力装置はレスポンスにおいても問題を抱える。
魔力反応の良さで語れば、最も早いのは人型機、というか無機収
縮帯。次にエンジン。一番遅いのが浮遊装置である。
人型機は無機収縮帯との同調を行う為、クリスタルは大型のが一
つ。追加武装があれば複数使用の場合もあるそうな。
ちなみに鉄兄貴の背面クレーンは人型機本体から電力を引っ張っ
ているので、追加クリスタルは存在しない。その代わり本体とクレ
ーンを同時に動かせない。
魔力式エンジンも魔力の安定性から大型クリスタルが一機につき
一つ。ただ人型機ほど機敏なレスポンスを求められていないという
だけで、反応速度に関して根本的な解決法があるわけではない。
浮遊装置。こいつは一番雑だ。
箱の中に沢山小さなクリスタルを詰め込み、一つ一つに導線を接
続。
その魔力を浮遊装置に送る。以上。
311
浮遊装置は浮かび上がらせるだけの装置なので、制御もへったく
れもない。ごちゃ混ぜの大雑把な魔力を注ぎ込めばOKなのだ。
まあつまり、浮遊装置以外の機械では規模に比例したサイズのク
リスタルを用意しなければならないわけであり、そうなると大型ク
リスタルの需要は鰻登りなのである。
なら小さなクリスタルは安いのかといえば、そんなことはない。
大きなクリスタルよりは価値が落ちるも、数さえ揃えば飛宙船を
浮かばせられる。セルファークでの主要な移動手段は飛宙船であり、
小粒なクリスタルだっていくらあっても困らないのだ。
かなり話が逸れたが、ようは飛行機や船作るほうが優先だから、
他の物は技術的に可能だけど次の機会にね、なのだ。
﹁はい、よろしい。ツヴェーに到着したらギルドで換金してみまし
ょう。代金の割り振りは皆で相談してね﹂
アナスタシア様がさらりと爆弾を投下すると、冒険者志望三人組
は不毛な争いを始めた。
﹁私が倒したんだから当然私のお金よね!﹂
﹁いーや、あの程度ならこっち来ても迎え打ててたぞ。俺にも何割
か貰う権利はあるはずだ﹂
﹁僕は割り勘にすべきだと思う。今後毎回こうやって争うよりは、
きっちり皆の成果としといた方が諍いは少ないよ﹂
﹁うっせ! っていうかマイケルはなにもやってねーじゃないか!﹂
﹁そうよ、船から降りてすらいなかったじゃない!﹂
312
﹁ええっ!? 船から降りなかったのは高い場所の方が狙いやすい
からだし、魔力を準備してたからなにもやってないわけじゃ⋮⋮﹂
勿論口喧嘩だが、いやまったくお金とは怖いものである。
アナスタシア様はわざとやったな。きっとお金のトラブルは冒険
者にも多いのだろうし、その予行練習といったところか。
喧嘩をしばし眺めていると、ぐぅぅ、と誰かの腹の虫が鳴った。
﹁お腹空いた﹂
﹁はらへった﹂
﹁そろそろ夕食の時間ですよ﹂
金より食欲か。
﹁もうしばらく進めば野宿に適した場所があるわ。今日はそこまで
行きましょう﹂
子供達が乗り込み飛宙船が再び発進する。
俺を引きずって。
数十メートル進んだあたりではたと気付いた。
﹁アナスタシア様、俺のこと忘れてません?﹂
﹁そ、そんなことないわよ?﹂
いそいそと高度を上げといて、なにしらを切ってるんすか。
313
野宿。
岩場の上の平らになった広場に陣取った俺達は、揺れる船上で凝
り固まった体をようやく解せた。
俺は凝りっぱなしだが。
﹁ここが野宿に適した場所ですか?﹂
﹁そうよ。見渡しがいいから魔物にも余裕を持って対象出来るし、
何もないから飛行系の魔物もやってこない。燃える物がないから火
の始末も楽だしね﹂
他の冒険者が作ったのだろう、石を積んだ簡単な釜戸がいくつか
ある。
その一つに燃料を放り込み、魔法で着火。
﹁固形燃料ですか﹂
変に文明的なものを見た。
﹁一晩だもの、ちょっと横着しちゃうわ。冒険者であれば薪拾いを
したりもするけど、乾いた木ってなかなか見つからないのよ﹂
炎は小さいが、暗闇の中では大きな光源だ。目が慣れればかなり
見渡せるようになるだろう。
旅では暗くなってはもう動けない。移動は基本的に日が昇ってい
314
る間だけだ。
食事は固い保存食のパンと干し肉。それにスープが付いた。
﹁旅先で温かい食事が一つあれば、精神的にはとても楽になるの。
野宿でスープを用意するのも大変だから、余裕がある時にしかやら
ないけれどね﹂
簡単な塩味だが、一口飲むと思わずみんな息を吐く。
犬食いでなければもっと味わえそうなもんだ。
食事の後は、交代交代で見張りをしつつ体を休めることに専念す
る。つまり、寝る。
しかしキャンプではしゃいでしまうのは子供の性であり、俺達は
結局しりとりなど道具不要の遊びで時間を潰すことになった。
﹁私は先に寝るわね、護衛対象だし﹂
そんな中、一人早々と毛布にくるまって横になるアナスタシア様。
あくまで保護者でも監督役でもなく護衛対象、つまりお姫様なの
で決定権は彼女にある。いや、アナスタシア様に遊びに付き合えな
んて言わないが。
寝静まった、と思いきや立ち上がり、俺に耳打ちをしてくる。
︵みんなが寝て誰かが見張りを始めたら、こっそり起こしてね︶
︵⋮⋮もしかして、寝てるふりをしてこっそり夜通し起きてようと
か思ってません?︶
︵まあ、ね︶
そりゃあ、子供だけで見張りさせるのは不安だが。夜通しなんて
315
負担が大き過ぎる。
︵俺も交代で見張ってますよ︶
︵魔物を見張るんじゃなくて、子供達を見守るの。これは私の預か
った責任なのよ︶
︵責任?︶
︵そう。人の子供を預かるという、責任︶
目の前の真摯な瞳に、なにも言えなくなってしまう。
︵⋮⋮解りました。このしりとりは出来るだけ長引かせますから、
今のうちにゆっくり休んでいてください︶
︵ありがとう、レーカ君︶
仮眠を終え、見張りが俺の番となった。
見晴らしのいい場所に転がり登り、空を見上げる。
煌めく星々。月のない夜空。
町並みや文化を再現することは出来るが、この月のない独特の空
だけは地球での再現は不可能だろう。
空を見上げる度に、俺はここが異世界であると強く思い知らされ
る。
316
﹁今日はとんでもない一日だったな﹂
ソフィーに始まり野宿に終わる。濃いというか、偏ってる。
並びの安定しない、星の光の煌めく闇夜。
見る度に位置が変わるので、この世界では星座は存在しない。
漠然と見上げていると、空になにかが浮かんでいるのが見えた。
目を細める。解析魔法を発動。
アナスタシア様曰く、﹃魔法より世界に直接的にアクセスしてい
る魔法﹄。
専門的なことは判らないが、魔法ではあるそうだ。
それで、空に浮かんでいる未確認飛行物体だが。
﹁⋮⋮ガイル?﹂
エアボート
飛宙艇に乗ったガイルがこちらを見下ろしてパンを食べていた。
﹁ガイルー、ガイルー﹂
ひょんぴょん跳ねてアピール。
ガイルの顔が引きつった。俺と目が合っていることに気付いたよ
うだ。
ガイルとソフィーの目の良さは凄まじい。チートである遠見の魔
法とタメをはれるのだから、最早異常だ。
どうやら朝からずっと俺達を上から尾行していたのだろう。変質
者である。
飛宙艇は搭乗者の魔力で浮かぶが、ガイルは魔力に乏しいはずな
のでボードを魔改造してクリスタルを装備しているのかもしれない。
じゃないと途中で落ちる。
おそらくは二段構えの体制なのだろう。子供達のお守りにアナス
タシア様。もしアナスタシア様の手に余る魔物が現れれば、ガイル
317
の出番。
あるいは、ずっと接近しようとする飛行系の魔物を駆除していた
のかも。だとしたらお疲れさんとしか言いようがない。
⋮⋮ガイル繋がりで、朝の出来事に思考が移った。
ずっと疑問だったこと。この際だ、アナスタシア様に訊いてしま
おう。
﹁アナスタシア様﹂
反応はない。
﹁アナスタシア様、起きていますか?﹂
﹁⋮⋮なぁに?﹂
ちょっと寝てた?
なんだか色っぽい。
﹁まだ怒ってますか?﹂
﹁朝のこと?﹂
頷いて肯定。
一見、一件落着したかのような雰囲気だったが、俺のロープはま
だ解かれる気配はない。
もしかしてアナスタシア様、内心憤怒しているのでなかろうか。
﹁確かにね。あの時は許嫁︵仮︶で済ましたけれど、改めて考える
と少しどうかと思ったわ﹂
318
ごめんなさい。やっぱり怒ってた。
﹁ソフィーを幸せにすると誓えるなら、解いてあげるわよ﹂
なんて仰るし。
﹁それは⋮⋮無理です。誓えません﹂
その誓いは、語数の割にあまりにも重い。
普通の夫婦でも付きまとう性格の相性や経済的な問題に加え、ど
う考えてもソフィーは﹃普通じゃない﹄。
お嬢様かご貴族様か。
田舎にあれだけの屋敷があって、メイド二人に家族三人で暮らし
ていたこと自体があまりにも不自然なのだ。
俺はソフィーについてなにも知らない。素性どころか、本人の嗜
好や性格すらちゃんと把握しているわけじゃない。人見知りだし。
﹁誓えないのなら、気の迷いなんておこさないことね。女の子は簡
単に傷ついちゃうんだから﹂
﹁⋮⋮はい﹂
﹁正直もういいかなって思っているのだけれど、せっかくだもの。
ツヴェーまではこのままにしときましょうか﹂
なにがせっかくなのかさっぱりだった。
溜め息混じりに天体観測へと戻る。
﹁⋮⋮ん?﹂
319
天球の隅に、光の帯が浮かび上がっている。
オーロラか? 違う、連続的な光ではなく光源の集まった、不思
議な雲だ。
﹁なんだあれ? 天の川?﹂
﹁えっ?﹂
アナスタシア様が俺の呟きに、やおら立ち上がりその場でターン。
すぐに不思議な雲を見つけ、﹁まぁ﹂と感嘆の声を零した。
﹁天使の雲ね。珍しいわ﹂
天使の雲、か。天の川ではないらしい。
その正体は判らないが、幻想的な光景であることには違いない。
感慨に耽って目に焼き付けていると、解析魔法が発動した。
雲ならば解析魔法の射程内だからそれはいいのだが、様子がおか
しい。
低い。
雲だけではなく、他の星々も同じ程度の高さに浮かんでいる。ガ
イルのいる空より数百メートル上だ。
これはどういうことだ。
それの正体を探ろうと、解析魔法を星に向ける。
﹁が、岩石?﹂
岩だ。大小様々な岩が、無数に空に浮かんでいる。
それが地上の光を反射して光点に見えているのだ。
なんとも不可解な現象だが、なら天使の雲の正体も空飛ぶ岩なの
かと再び解析する。
320
その川を形成する物体がなんなのか、それを認識した俺は一瞬呼
吸を忘れた。
﹁なっ、なっ、なんじゃありゃあぁ!?﹂
﹁な、なに? 魔物!?﹂
アナスタシア様を驚かせてしまったが、俺はそれどころではなか
った。
空に帯状に浮かぶ、それは︱︱︱
﹁航空機、だと!?﹂
朽ち果てた飛宙船。原形を留めていない飛宙艇。真っ二つに折れ
た飛行機。
古今東西、古いものから真新しいものまで。
数え切れないほどの航空機の亡骸が、空高く跳び続けていた。
﹁んー、なんだよぉ﹂
﹁うるさい﹂
子供達が起きてしまった。
﹁あ、天使の雲だ。久しぶりにみたなぁ﹂
エドウィンの様子から、どうやら驚いているのは俺だけらしい。
﹁なんですか、あれ﹂
321
﹁なにって、天使の雲⋮⋮あぁ、レーカ君には馴染みがないのかし
ら﹂
すげーすげーと騒いでいるニールとマイケルの傍ら、アナスタシ
ア様の真夜中の授業が始まった。
﹁重力境界って知っている?﹂
判りません。
﹁重力境界とは地上三〇〇〇メートルの空に存在する、無重力空間
のことよ﹂
﹁無重力、だから岩が浮かんでいるんですか﹂
﹁そう。そして重力境界を超えて上昇していくと、今度は重力が上
下反転する。上が下になるの﹂
上層と下層に逆方向の重力が働き、その中間の重力を打ち消しあ
っている領域が﹃重力境界﹄だそうだ。
﹁なら重力境界の先を上昇⋮⋮下降し続けると、どうなるんですか
?﹂
﹁月面にたどり着くわね﹂
﹁月!?﹂
あったのかよ、月。
322
﹁常識過ぎて教えていなかったけれど⋮⋮この世界、セルファーク
は二つの大地が向かい合っているの。私達が住んでいる地上と、空
の向こうにある月﹂
﹁てっきり月はないものかと﹂
下さい﹄
﹁食事前のお祈りにあるじゃない。﹃母なるセルファークの意思よ。
父なる蒼月の祈りよ。今日もまた、我らが旅路をお見守り
って﹂
聞き流してました。
﹁蒼月ってなんですか?﹂
﹁空の青は月の蒼よ?﹂
太陽の光から青の波長のみが強く地上に届いて、なんて地球的理
屈は無視ですか。さすがファンタジー。
﹁月にも色々とあるのだけれど、それは一旦置いといて。重力境界
は天士にとって最も身近な難所なのよ。無重力という特殊な環境故
に、大型飛行系魔物の住処となっているの﹂
﹁大型飛行系魔物?﹂
﹁ドラゴンやワイバーンよ﹂
定番ですな。
﹁レーカ君なら解ると思うけれど、戦闘機同士の戦いは最初に上を
323
取った方が有利でしょ? だから少しでも高度を上げようとして、
重力境界に突入しちゃうの﹂
﹁あー、それで魔物の餌食となると﹂
﹁そう。そうやって重力境界で犠牲となった航空機は、上空の気流
に乗って永遠に空を飛び続けることとなる。そうして生まれたのが
天使の雲よ﹂ 地上に舞い戻ることもなく、永遠のフライトか。
天士にとってそれは不幸か幸福か、栄誉か悲劇か。
﹁頻繁に見られるものなんですか?﹂
﹁どこかの空に常にあるけれど、気流は不規則に変化し続けるから
見れるかどうかは運ね﹂
珍しいのか。しっかり見ておこう。
考えようによってはこれほど多種多様な機体を観察出来る機会は
そうそうない。例え破棄されたものであっても、参考になる部分は
多そうだ。
﹁さぁ、みんなも寝なさい。明日も大変よ﹂
﹃はーい﹄
国も時代も関係なく寄り添い合う飛行機達は、戦いによって生ま
れた情景にも関わらず空には国境など存在しないと訴えているよう
に思えた。
324
翌日。
トラブルもなく船はツヴェーへと出発する。
いや、トラブルというほどでなくても、ちょっとした騒動はあっ
た。
アナスタシア様とニールが近くの泉で水浴びをしている最中、マ
イケルがコソコソと挙動不審に草むらへ入っていったのだ。
﹁おい﹂
なんて解りやすい奴だ。せめて﹁お花を摘んでくる﹂とか誤魔化
して行けよ。
﹁お花を摘みに行ったのかな?﹂
﹁エドウィン、なぜ数ある表現法の中からそれを選んだ﹂
純粋な彼にはマイケルの煩悩は思慮の外にあるようだ。
﹁ま、すぐ戻ってくるだろ﹂
空を仰ぐ。
真っ逆様に落下してくるパン。
それはマイケルの消えた草むらに突っ込み、鈍い音と間抜けな断
末魔を生じさせた。
325
無論ガイルの朝食である。
例え東京タワーの天辺からコッペパンを落としても大した衝撃に
はならなかろうが、保存用のパンはなかなかに固い。あの速度でぶ
つかればたんこぶにはなりそう。
﹁なぜパンが空から?﹂
﹁パンの神様だろ﹂
適当に誤魔化す。ガイルに見守られていると知れば、子供達は自
分が信用されていなかったと感じてしまうかもしれない。
草の向こうから傷だらけのマイケルが現れた。
﹁どうしたの?﹂
﹁⋮⋮転んだ﹂
ニールにふるぼっこにされたか。
﹁フン、餓鬼が﹂
お前如きがエロスを語るなんざ片腹痛いわ。
﹁なんだと!﹂
﹁興味本位で覗きをしようとするからそうなるんだ。どうせ女の体
がどうなってるか知りたいとか、その程度だろ﹂
﹁悪いのかよ﹂
326
﹁最悪だ。そんな心意気で覗いては女性にも失礼だろう。覗くなら
確固たるエロ目的で覗け﹂
﹁レーカ君、君の方が最悪だよ⋮⋮﹂
いい子ぶるなよエドウィン、お前みたいな奴が案外むっつりだっ
たりするんだ。
﹁よーし、俺がお前達に女体の神秘ってのを教えてやる!﹂
﹁へぇ⋮⋮﹂
﹁ほぉ⋮⋮﹂
女性陣がご帰還していらっしゃっていた。
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
﹁⋮⋮教えてくれってマイケルが!﹂
﹁ちょ、おい!﹂
てんやわんやで出発した俺達。
昨日と違い魔物の襲撃もなく、順調に旅路は進む。
そして昼頃に、遂に目的地へと到着した。
327
岩場の多い土地に、絶壁のような崖。
その崖を切り裂いたかのように谷間が伸びている。
谷の底辺は決して狭くなく、人型機が充分にすれ違えるほどだ。
頻繁に谷に出入りする飛宙船や飛行機。谷の両側面には幾つも店
舗が開き、それは奥方向のみならず上方向、つまり谷の壁面にも存
在する。
人力であれば梯子や階段が必要そうな場所にも店が存在するのは
奇妙な光景だが、どうやら岩盤をくり抜いて町全体に地下トンネル
網まで張られているらしい。
谷の左右に沢山のロープが渡されている。滑車を使って行き来す
るのか?
工業の町だけあって常に金属音や怒号が響いている。油の匂いと、
ゼェーレストでは有り得ない雑踏と喧騒。
﹁すげ⋮⋮﹂
それ以外の感想がなかった。
地球とはあまりに異なる生活形式。驚いているのは俺だけではな
く、冒険者志望三人組も似たようなものだ。
﹁驚いた? ここがフリーパイロット御用達の町、ツヴェー渓谷よ﹂
慣れた様子で船を預けて戻ってきたアナスタシア様。
﹁色々見て回りたいでしょうけど、まずは宿を取りましょう。荷物
を預けないと﹂
328
﹁あ、はい﹂
アナスタシア様を先頭に宿を目指す四人。
俺は彼らの背中を見つめ、そっと息を吐いた。
﹁アナスタシア様︱︱︱いい加減ロープ解いて下さい﹂
慌てて戻ってきたアナスタシア様だった。
329
旅立ちと妖怪逆さ男 2︵後書き︶
なかなかロボットの出てこないロボット小説です。
しかし次回からは工業の町、ツヴェー渓谷メイン。
きっと沢山の兵器や新キャラが登場するはず。
ところで、このペースでは主人公機製作は3章になりそうです⋮
⋮
330
髭と男と少年と︵前書き︶
前代未聞の一週間更新成功。
もう無理。奇跡。絶対無理。
331
髭と男と少年と
俺達はツヴェー渓谷の一角、比較的大きな工房へと足を踏み入れ
る。
ストライカー
フィアット工房。アナスタシア様の知人が運営する工房だそうだ。
人型機も潜れる巨大な門を抜けると、町中とは一線を画した喧騒
に包まれた。
ソードシップ
台座に設置された人型機。天井クレーンに吊り下げられたパーツ。
組み立て途中の戦闘機。
煩雑ながらも充分な空間を確保された作業場は、大勢の技師達が
忙しそうに働いている。
設備も規模も、屋敷の簡易的なものとは段違いだ。まさしく機械
を作り、改造する為の専門の施設。
﹁これだ、これだよ俺が見たかったのは!﹂
思わず鼻血を吹き出しつつ俺は叫んだ。
﹁興奮して鼻血を吹く人って初めて見たわ⋮⋮﹂
呆れつつもアナスタシア様が鼻に詰め物をしてくれた。女性にや
ってもらうのは気恥ずかしく、少し頭が冷える。
﹁初めて見る戦闘機だ! かっけぇ!﹂
組み立て中の戦闘機に駆け寄ろうとしたマイケルの首をアナスタ
シア様は素早く掴む。
332
﹁工房内は無闇に動き回らない!﹂
﹁えぇー⋮⋮﹂
拗ねるマイケルを彼女は鋭く睨み付ける。
﹁言い付けが守れないなら宿で待っていてもらうわよ? ここは本
当に危ないの﹂
﹁でもレーカだって興奮してるじゃん﹂
﹁興奮してても一歩も動かなかったでしょう? レーカ君はこうい
う場所の危険性をよく理解しているのよ﹂
照れるぜ。俺だって駆け出したいんだがな。
﹁でも、色々見学しておきたいです。大丈夫な範囲からでも出来ま
せんか?﹂
理知的に提案するエドウィン。ニールも落ち着かない様子でキョ
ロキョロとその場で回っている。
﹁解っているわ。まずここの工房長にご挨拶して、それから色々見
せてもらいましょう?﹂
﹁やれやれ、ここはガキの来る場所じゃねぇんだがな。面倒そうな
連れをゾロゾロ連れてきたじゃねぇかナスチヤ﹂
野太い声に振り返る。
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筋骨隆々とした背の低めの男が立派な髭を撫でながら俺達を見据
えていた。
﹁⋮⋮あ! ゼェーレスト村で会ったドワーフの人だ﹂
すぐに思い出した。この世界に来た初日に鉄兄貴で魔物を蹴散ら
した恩人だ。
﹁ん、おお坊主。村に住み着いたのか﹂
﹁あー、はい。お陰様で。アナスタシア様の屋敷に住まわせて貰っ
ています﹂
アナスタシア様が一歩進み出る。
﹁お久しぶりです。みんな、この人がこの工房の責任者のカストル
ディさんよ﹂
﹃はじめましてー﹄
﹁お、おう﹂
子供達のご挨拶に困惑した様子の⋮⋮俺もカストルディさんと呼
ぶか。
﹁ナスチヤ、こいつ等は一体なんだ? ただの旅行か?﹂
﹁いいえ、私の頼もしい護衛ですよ。冒険者志望なので守って貰っ
てきたんです﹂
334
﹁護衛って、おま、生身で人型機潰せるお前に護衛なんて⋮⋮いで
ぇ!?﹂
余計なことを口走りかけたカストルディさんの髭を引っ張り、ア
ナスタシア様は再度繰り返す。
﹁守って貰ったんです﹂
﹁おおそうだな! ナスチヤはか弱いからな、うん!﹂
ところでこの人もアナスタシア様の呼び方がナスチヤだな。家族
レベルで親しい人以外は使っちゃいけない愛称だと聞いているけれ
ど。
﹁まあこいつ等が何なのかは判ったが。どうする、直ぐに持ってく
エンジンを見るか?﹂
﹁そうですね、うぅん⋮⋮﹂
アナスタシア様は人差し指を唇に当てしばし黙考。
﹁私はみんなを工房に案内しているので、エンジン選びはレーカ君
にさせて下さい﹂
﹁えっ?﹂
カストルディさんと目が合う。
がっしと分厚い手が俺の頭を鷲掴んだ。
﹁レーカってぇのはコイツか?﹂
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﹁はい。私の弟子一号です﹂
﹁ほー?﹂
﹁頭痛いです。放して下さい﹂
カストルディさんが俺ににかっと笑いかける。
﹁責任重大だぜ、やれるか?﹂
﹁自信はありますが保証は出来ません!﹂
﹁堂々というな。実践じゃ誰も保証なんてしてくれねぇぜ﹂
﹁⋮⋮はい﹂
怒られた。自分の仕事に責任を持てないと断言したのだから、ま
あ当然か。
俺も知らず知らずのうちに子供という身分に甘えてしまっていた
らしい。
﹁自信はあるんだな?﹂
﹁あります﹂
解析魔法を使えば、アナスタシア様以上の精度で内部を検査する
ことも可能だ。
最も俺の場合、経験不足から解析結果の問題点を見過ごしかねな
いのが一番の問題なのだが。それも日頃の勉強で大分マシになって
336
きた。
俺を睨むカストルディさん。勿論睨み返す。
喧嘩腰云々ではなく、単に男の意地である。
背中で柔らかく暖かい感触が押し付けられた。
﹁どうです、生意気そうで可愛いでしょ?﹂
アナスタシア様に後ろから抱きしめられ頬を指先で突かれる。多
少は俺の理性も気遣ってほしい。
﹁どうだ、可愛いだろ?﹂
親指で自身を指してフフンと鼻を鳴らしてみた。
﹁すっげぇぶん殴りてぇな﹂
そんなご無体な。
﹁ふん。ナスチヤ、工房の見学なら勝手にやってろ。坊主、こっち
に来な﹂
﹁うぃうぃ﹂
カストルディさんの案内で工房内のドアを潜り、石をくり抜いた
ような薄暗いトンネルを歩く。
﹁ここは、崖の内側?﹂
﹁そうだ。こんな変な場所に出来た町だからな。表の道以外にも裏
から回り込むトンネルは腐るほどある。ほとんど迷路だな﹂
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それは酷い。
しばし階段を登っていくと一枚の扉。
ドアノブを引くと隙間からの光に少し目が眩む。
﹁外? ⋮⋮うおっ﹂
崖肌だった。
キャットウォークのようなごく小さな面積の足場。下を覗けば⋮
⋮高さ二〇メートルといったところか。
柵はあるので落ちる心配はないが、この町は高所恐怖症に優しく
ないな。
航空機の発達したセルファークでは根本的に致命的かもしれない
が。
﹁崖の反対側まで飛ぶぞ﹂
﹁飛ぶって﹂
エアボート
カストルディさんは手慣れた様子で用意されてあった飛宙艇を準
備する。
﹁その、俺、飛宙艇乗れません﹂
浮遊装置が足元にあるのが設計として間違っている。練習で何度
すっころんだか判らない。
以前アナスタシア様と二人乗りをしたが、暑苦しいこの人と二人
乗りとか絶対やだ。
﹁安心しろ。この町の飛宙艇は魔力さえ扱えれば問題ない﹂
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そう断言し、飛宙艇に追加された滑車を手近なロープに固定した。
﹁先に行ってるぞ﹂
飛宙艇はロープを辿り対壁まで滑走する。
﹁⋮⋮ロープウェイ?﹂
ロープの道、だからこれもまごうこと無きロープウェイか?
なるほど、谷に張り巡らされたロープは行き来の度に下に降りる
手間を省く為の工夫なのか。
俺も試してみる。
高所、それも谷の中だけあって風は申し分ない。セイルを張れば
すぐ体が強く引っ張られた。
意を決して床を蹴り、空中に飛び込んでみる。
﹁おっおおっ!?﹂
ロープがぐわんぐわんと上下に揺れるが、耐えきれないほどでは
ない。
滑車は滑らかなベアリング音を鳴らす。さすがよく整備されてい
るようだ。
舟は一気に反対側まで飛ぶ。
﹁ちょ、これどうやって止まるんだ!?﹂
焦るが、それも杞憂。
ロープは端が金属レールとなっており、下船エリヤではそのレー
ルが登り坂となっている。緩やかに停止したタイミングを見計らい、
339
俺は飛宙艇を飛び降りた。
﹁来たか。面白いだろ?﹂
その自信たっぷりな顔が苛立たしい。
﹁怖かったですが。落ちたらどーするんですか﹂
﹁そりゃ安全フックを使わなかったからな。これを付けときゃ寝て
ても落ちねぇよ﹂
腰のフックを自慢げに示す親方。そんなものがあるなら俺にも貸
せよ。
ふとゼェーレスト村での青空教室を思い出した。
確か飛宙艇の乗り方を習っている時、﹁簡易な移動手段として使
っているところでは使っている﹂みたいなことをガイルは言ってい
た記憶がある。
﹁ツヴェー渓谷もその一つ、例外ってことか﹂
﹁ほれ。こっちだ﹂
てっぴ
鍵を開け鉄扉を開く。
そこに広がっていたのは、巨大な空間に並べられた数多くの機械
やパーツのストックだった。
人型機や飛行機、戦闘用や民間用の区別なく様々な機械が眠る倉
庫。それらパーツは全てが几帳面に整理され、布を巻いて保管して
ある。
横方向だけではなく、縦方向にもぎっちりとパーツが詰め込まれ
た鋼鉄製の棚。それらはまるでスーパーマーケットの品棚のようだ
340
った。
ただ、高さ一〇メートル以上の人型機サイズだというだけで。
﹁フィアット工房が所有する倉庫だ﹂
ドヤッ
自慢顔のところ悪いが、気になった点を訪ねてみる。
﹁なんで谷の対面にあるんですか?人間の行き来は飛宙艇で出来て
も、パーツの移動は大変な気がしますが﹂
﹁⋮⋮仕方がねぇだろ。この倉庫は後から買った部分で、本来は工
房だけだったんだ。そん時にゃ既に両隣は施設が入ってたんだよ﹂
聞いちゃいけないことだったらしい。
足音が室内を揺らした。人間ではなく人型機の足音だ。
﹁おぉい! マキ、こっちにこぉぉい!﹂
カストルディさんが叫ぶ。
とんでもない大声だ。隣で叫ばれると鼓膜の心配すら必要だった。
棚の影から人型機がひょっこりと顔を覗かせた。
﹃んー? お父さん、どうしたのー?﹄
拡声器越しの高い声に思わず変な顔になってしまう。
この人型機に搭乗しているのはカストルディさんの娘のようだが、
この暑苦しいドワーフの娘とはいかなるものか。
やっぱり髭もじゃだろうか。女の子で髭、斬新だ。
斬新ということにしとこう。
いや、斬新なんだって。マジマジ。
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﹁ネ20エンジンのストックを並べてくれ!﹂
﹃アナスタシアさんの注文の品? 一番良さそうなのにする?﹄
﹁いーや、このナスチヤの弟子が選ぶからあるだけ降ろしてこい!﹂
﹃うん、了解ー﹄
頷くと人型機はせっせと布巻きのエンジンを並べていった。
頷く程度であれば人型機と搭乗者の首の動きが連動しているので
簡単だが、さっきの頭だけ陰から覗かせる動作などはちょっと難し
そうだ。よほど長く人型機に乗っているのだろう。
﹁そういえばあの人型機は戦闘用ですか?﹂
﹁あん? いや、あれは土木作業用の改造機だ。なんで戦闘用だと
思ったんだ?﹂
﹁無機収縮帯と油圧システムのハイブリッドだったので﹂
﹁油圧使ってりゃ戦闘用ってわけでもねぇよ。ナスチヤに人型機が
油圧使ったり使わなかったりする理由は習ってるだろ?﹂
﹁えっと、無機収縮帯の特性をカバーする為ですよね﹂
﹁おう、判ってんじゃねーか﹂
頭をガシガシと撫でられる。誉められたのだろうか。
無機収縮帯の特性とは、瞬発力に優れる代わりに粘りに欠けるこ
342
とである。
無機収縮帯はつまり無機質で構築された筋肉だ。それは縮むとい
うだけではなく、稼働し続ければ疲弊したり、無茶な出力を要求す
れば破断したり。あるいは、しばらくほっとけば損傷が治癒したり
と﹁お前本当に無機物かよ?﹂といいたくなるほど性質が筋肉に酷
似している。
それはあるいは、人型巨大ロボットを作るに際し利点であったり
するのだが、機械として見れば難点だったりもするのだ。
人間と違い長時間高出力で正確な作業を求められるのが機械であ
る。
しかし、その要求を無機収縮帯のみで叶えることは困難だ。なに
せ、長所も短所も人体そのものなのだから。
だからこそ油圧システムを組み込むのである。
瞬発力と速度と柔軟性を担う無機収縮帯に、パワーをサポートす
る油圧。それらをリンクさせて稼働させるのが戦闘用人型機なのだ。
鉄兄貴︱︱︱作業用人型機が油圧なしの無機収縮帯のみなのは、
大きな出力を必要とする作業を想定していないからである。元より
体長が人間の五∼六倍の巨人なのだ、生身と比較すれば力の差は歴
然としており、大抵の作業をこなすパワーは無機収縮帯のみでも発
揮出来る。
⋮⋮人型機の構造についておさらいしている間に、エンジンが並
べ終わった。
﹁さあ選べ﹂
あんまりである。
﹁全部で五つか、布を取っても?﹂
﹁いいぜ﹂
343
取りあえず全ての巻き布を剥ぐ。
右から左まで全部同型の、ネ20エンジンだ。
かなり今更感も漂うが、ネ20エンジンについても説明しよう。
ネ20は低出力の量産型エンジンだ。
パルスジェットエンジン、間欠燃焼型エンジンと呼ばれる単純な
構造のエンジンで、普通の人がジェットエンジンと聞いてイメージ
するであろうタービンが存在しない。
吸気口から空気を吸い込み、それを圧縮。吸気口を閉じ、燃焼室
で爆発、後方からジェット噴射。再び吸気口を開き、空気を燃焼室
に圧縮⋮⋮これを繰り返すエンジンである。
推力となるはずのジェット噴射も間欠的だし、吸気口を閉じてい
る間はエンジンそのものが空気抵抗。これらの理由により根本的に
性能がいまいちなエンジンなのだ。
更にネ20エンジンは設計限界より下にリミッターを設けること
で製品ごとの差が小さく、かつ安価なエンジンと仕上がっている。
本来は戦闘機ではなく民間機や飛宙船の動力としての使用を前提
としたエンジンだが、ガイルは操縦技術でエンジンパワーの不足を
カバー出来る為にコストパフォーマンスのいいネ20エンジンを紅
せきよく
翼に使用しているとのこと。
紅翼って本来はバリバリ過激なチューンをされた高出力ジェネレ
ータを搭載していたらしい。ただ機械的信頼性や整備性は最悪だっ
たそうだ。
﹁ってこれ、新品じゃないし﹂
﹁注文は﹃中古でいい﹄って話だったからな。ネ20エンジンに新
旧でさして差はねぇよ、そういうエンジンだ﹂
うむむ、これは想像以上に見極めが難しそうだ。
344
パルスジェットといえど機械稼働部が存在しないわけではない。
解析魔法も併用しつつシャッターの開閉機構を観察する。
﹁⋮⋮なるほど、比較してみると意外と違うものだな﹂
動作中常に稼働する部分なので少なからず磨耗していた。五機の
うち三機はここだけを新品に交換している。
﹁というわけで、まずはこっちの二つは除外で﹂
﹁チッ﹂
﹁舌打ち!?﹂
気にせず続行する。
外見だけ見れば、ピカピカ一つにちょい焼け二つだ。
一見ピカピカに磨き上げられたコイツが当たりに思えるが、それ
はさすがに判り安すぎる。
解析魔法で構造体を注視すると、やはりというか問題点が見えて
きた。
﹁ムラがある?﹂
手作業でここまで磨き上げるとは大した根気と忍耐だが、作業の
キズがあったり歪みがあったりするのだ。
﹁よく判ったな。ソイツは工房の若い連中に練習としてレストアさ
せた奴だ﹂
﹁そんなもん混ぜるな!?﹂
345
外見だけいい粗悪品とか悪質過ぎるだろ、そのトラップ。
﹁フィアット工房って悪徳商会なの?﹂
﹃お父さんのせいで工房の評判が下がったよ!﹄
﹁ナスチヤの弟子っていうならこれくらい判断出来なきゃ論外だ。
普通の客だったら予め除外しとくさ﹂
売る気ないならその一手間を惜しむなよ。
さてさて、あと候補は二つである。
見た目はそんなに変わらない。ただ全体を解析してみると差異に
気付いた。
﹁刻印がない?﹂
片方のエンジンには純正を指し示す刻印がなかったのだ。
﹁なにこれ? 削り出した時点で別の設計だったのか?﹂
﹁そいつは俺が作った模造品だな。実物と同じように使えるが純正
品じゃない﹂
レプリカか、ならやっぱり純正品を選ぶべきか⋮⋮いや。
解析魔法の応用テクニック、脳内動作シミュレーションを行って
みる。
⋮⋮やはり、か。レプリカの方が精度が高い。
大量生産品は品質に一定の妥協が必要だが、レプリカは模造とは
いえワンオフだ。制作する人間の技量と趣味次第で幾らでもクオリ
346
ティは向上する。
﹁俺が作った﹂、つまりカストルディさんという職人の手作り。
この手抜きが嫌いそうな男の作品であれば質には期待していいと予
想し、そしてその通りであった。
﹁こっちにします。レプリカのこいつを下さい﹂
﹁いいのか? メーカーに修理に出せないぞ?﹂
﹁修理出すとしたら近場の個人工房になるでしょうし、そもそもア
ナスタシア様が自分で直すじゃないですか﹂
別に修理保証対象外となろうが大した問題じゃないのだ。
﹁それでいいのか﹂
﹁はい﹂
﹁本当に、それでいいのか?﹂
﹁お、おう﹂
﹁後悔しないか? 断言出来るか? 本当の本当に、それでいいの
か?﹂
﹁いいよ、これだ! むしろこれしかないって!﹂
﹁⋮⋮やれやれ、一番いいのを持ってかれちまったぜ﹂
それが本音か!
347
﹁マキ、こいつを工房まで運んどけ。たぶん明日の朝に飛宙船を回
して受け取りに来るだろうが、一応工房にいるナスチヤにも確認さ
せるんだ﹂
﹃はーい﹄
人型機がエンジンを持ち上げようと指をかける。
巨大な腕。その動きに、微かに奇妙な振動が混ざった?
︵なんだ、今の? 操縦ミス?︶
違う。そんな人間の延長上の挙動じゃない。
︵機体異常? 無機収縮帯の動作ではない、となると︱︱︱︶
油圧ホースとシリンダーの接続部を解析する。
﹁待ったああぁぁぁ!﹂
﹃きゃうぅ!?﹄
跳ね上がる人型機。
ドシンと着地すると、床が豪快に揺れる。
﹁な、なんだいきなり! っつかマキも跳ね上がるな! 床が抜け
たらどうする!﹂
﹃ごめんなさいっ、でも君、なにいきなり!? びっくりしたでし
ょ!﹄
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﹁すいません、でもでも!﹂
﹃でも、なんなの?﹄
プンプンと腰に手を当て怒ったポーズのマキ機。こんな表情豊か
に人型機を操作する人って始めてみた。
﹁そっちの、悪徳商品エンジンを持ち上げてみて下さい!﹂
﹁悪徳商品エンジンってなんだよ⋮⋮﹂
﹃持てばいいの?﹄
よっこいしょ、とピカピカエンジンを担ぎ上げる。
指が解けてエンジンが床に転がった。
﹃あれ? 力が抜けた﹄
腕から油が漏れる。
﹁よしっ﹂
﹁よしじゃねぇよ。気付いてたなら言えや﹂
拳骨が落ちてきた。
油圧接続部の疲弊が限界だったのだ。あと一度でも重量物を持ち
上げれば限界が訪れると目算を付け、俺達が持ち帰るエンジンでは
なく粗悪品を持ってもらったのである。
予測は的中し、腕は見事破損。
349
﹁よしっ﹂
﹁だから、よしじゃねぇよ﹂
拳で脳天を真上からグリグリされた。背が縮むっ。
﹁なんで気付いた?﹂
﹁違和感があって。直前からちょっとオイルが抜けてたのか、緩む
感じがあったので。確信を得たのは魔法で確認したあとですが﹂
﹁⋮⋮ふぅん。まぁいい﹂
人型機が半屈みとなり、故障個所の腕を俺達、カストルディさん
に突き出す。
うなじのハッチが開き、女の子が飛び降りた。
﹁って、危ないっ!﹂
屈んでいるとはいえ、ハッチから地上は高低差七メートルほどは
ある。気軽に飛んでいい高さではない。
すたりと身軽に着地する少女。
⋮⋮あれ?
﹁お父さん、どんな感じ?﹂
﹁部品交換とオイル追加で済むな。さっさと直しちまえ﹂
二人は何事もなかったかのように腕の外装を外していた。
350
結構高い位置から飛び降りたのに、親子揃って気にした様子もな
い。
不思議そうにしていた俺に、カストルディさんが説明してくれた。
﹁マキは猫の獣人だからな。身軽だからあのくらいの高さなんとも
ねぇぞ﹂
﹁なんともないよー﹂
マキは腕を駆け上り肩へ跳躍、肩の装甲を蹴りバック転。そのま
ま再び俺達の側に着地してみせる。
魔法強化なしでこの脚力か。凄いな獣人。
﹁よくみたら猫耳あるし。触っていい?﹂
﹁び、敏感なんだから触っちゃダメッ!﹂
敏感なのか。覚えておこう。
ちなみにドワーフの娘であるマキに髭はなかった。ちょっと小柄
な可愛らしい少女だ。小柄といえど当然今の俺よりは大きい。そし
て猫耳である。
﹁マキさん、だっけ。工房の職人なの?﹂
﹁私は簡単な修理くらいなら出来るけれど、大抵は裏方かここの整
理をしているかだよ。ところで君のお名前は?﹂
﹁そういや聞いてなかったな﹂
おっといかん、名乗りがまだだったな。
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まやま れいか
﹁俺は零夏、真山 零夏だ﹂
﹁レーカ、ね。変な名前﹂
うっせ。
土木建築用人型機のパワーは伊達ではない。
応急処置の後、片手の脇にネ20エンジンを抱え、油圧の死んだ
片手に俺とカストルディさんを乗せて向かいの工房まで歩く。
﹁ゆっ、ゆっ、ゆれ、揺れるな、けっこー、おぉお﹂
一歩歩く度に声が中断される。やはりここは慣れない。
﹁そりゃ、手の平、乗ってりゃ、な、舌噛む、から黙っぐぎゃ!﹂
噛んだ。
巨大門をくぐり、俺達とエンジンを降ろしてマキ機は工房の奥へ
歩く。
﹃空いてる場所あるー?﹄
﹁おーどうしたー?﹂
﹃油圧ホース取れたー﹄
352
若い職人に場所を空けてもらい修理を始めたマキを眺めていると、
アナスタシア様と子供達が戻ってきた。
﹁選び終わった?﹂
﹁はい、これにしました﹂
エンジンを検分すると、アナスタシア様はすぐ制作者に至った。
﹁カストルディさんのお手製ね。いい仕事よレーカ君﹂
﹁ケッ、割に合わない商売だぜ﹂
﹁どうせこの﹃当たり﹄だけではなく﹃ハズレ﹄も並べたのでしょ
う? 私の弟子を舐めちゃ駄目ですよ﹂
なんだかんだで、ある意味よしみの客にオマケしてくれたのだろ
うか。
と、マイケルがニマニマ笑って俺に視線を向けていた。
﹁⋮⋮なに?﹂
﹁色々見せてもらったぜ、いいだろ﹂
それが言いたかっただけか。
ああ羨ましいよ。でもここまできてアナスタシア様が工房見学の
予定を入れていないとは思えないし、もう少し様子を見よう。
﹁そういえばアナスタシア様ってこの工房自体と関係があるんです
353
か?﹂
知人とは聞いていたが、職人と顧客、という割には工房の案内を
アナスタシア様に任せたりするのは不自然だ。危ない物の多い施設
を顔見知りとはいえ勝手に歩き回らせたりしないだろう。
カストルディさんの呼び方が﹃ナスチヤ﹄なのも気になる。
﹁私は昔、この工房で働いていたのよ﹂
﹁⋮⋮アナスタシア様が?﹂
それは⋮⋮予想外とまではいかないが、なんとも浮いていただろ
うな。
﹁ええ、これでもフィアット工房の看板娘だったんだから﹂
事実なのだろうが、自分で娘って。
つなぎ姿のアナスタシア様は整備の度に見ていたが、高貴な婦人
としての印象が強すぎて下っ端として工房を駆け回る姿なんてピン
と来ない。
﹁まったくだ、あの坊主がウチ一番の戦力をかっさらって行きやが
った﹂
﹁坊主?﹂
﹁あの赤い翼の飛行機乗りだよ﹂
ガイルか。この人と出会った頃はまだガキだったのかな。
⋮⋮アナスタシア様が普通の家庭出身ならば、あの貴族的な生活
354
はガイルの影響?
うーん、でも夫婦の様子を見る限り、ガイルはガサツ男だしやっ
ぱり逆なんだよなぁ。
やめよ。邪推は悪趣味だ。
﹁この後、みんなに見ておいてもらいたいものがあるの﹂
アナスタシア様が提案した。
﹁カストルディさん、私達はこれで﹂
﹁おう﹂
踵を返しこちらも見ず手を振るカストルディさん。
手の平を腰の上で重ね、斜め四五度にきっちり礼をするアナスタ
シア様。
性格的な差もあれど、二人の奇妙な関係を垣間見た気がした。
町中を歩く。
お祭りでもないのに多くの人が、あるいは人型機までもが行き交
うストリートに子供達は戸惑い気味だ。
多いだけではなく、服装や種族も多種多様。
いかにも冒険者然とした者、身の丈以上の大剣を背負う者、ゆっ
たりしたローブを着込む者。
尖った耳の持ち主や獣耳の生えた人。思い付く限りの人間に近い
種族がそこにはいた。
355
それに加えて空には常に飛宙船や飛宙艇、飛行機が飛び交ってい
る。
ゼェーレストでは一度しか見る機会のなかった中型級飛宙船、一
〇〇メートル級の船ですらこの町の空では珍しくもないようだ。
地球でこのくらいの雑踏は体験済みなはずなのに、俺でも眩暈を
おこしそう。
俺もあの村に馴染んでいたということか。
﹁おー見ろよ、あの男︱︱︱﹂
﹁こら﹂
マイケルが異種族の人を指さそうとしたので手を叩いた。世界に
関わらずそれは失礼だろ。
﹁あそこよ。みんなに見せたい物は﹂
そこは、谷中において特に奥まった場所に存在する広場だった。
空が開けており他所より明るい。赤煉瓦の床がドーナッツ状に敷
かれ、内側には芝生、そして中心には大きな碑が二つ立っていた。
道路には露天が開かれ、芝生の上では思い思いに人々がくつろい
でいる。ただ、誰も中心の碑だけは触れようとせず、まるで視界に
すら入っていないかのよう。
碑の前に進む。
﹁⋮⋮慰霊碑﹂
陽気な喧騒の中、そこだけが日常から切り離され陰鬱な空気を濁
らせていた。
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﹁そう。この谷で死んだ人々の魂を慰める為、生き残った人々が彼
等を忘れない為の碑よ﹂
﹁どうして二つもあるの?﹂
ニールが首を傾げる。
﹁一つは一〇年前の大戦の兵士に宛てたもの。一つは、帰ってこな
かったの冒険者に宛てたもの﹂
︱︱︱こんなに、死んでいるのか。
碑には数え切れないほどの名が刻まれている。フルネームもあれ
ば愛称のみの名前、あるいは空白のみで﹃そこに誰かがいた﹄と示
している部分もある。
冷たい風が首筋を抜ける錯覚。
冒険者とは想像以上に死と隣り合わせの職業らしい。
それもそうか。人生にゲームオーバーもリセットもないのだ。
﹁みんなが目指しているのは、こういう職業よ。実力が低ければそ
の日暮らしをよぎなくされ、怪我で再起不能となる人も多い。引退
して、戦う以外のことを学んでいなかったが為に路頭に迷う人もい
る﹂
﹁ガイルは?﹂
マイケルは相も変わらず呼び捨てである。
﹁あの人みたいに実績を積んでいれば別よ。彼はあれでも凄腕だも
の﹂
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屋敷を維持して家族を養えるほどだもんな、実際凄いのだろう。
﹁私は冒険者になることを反対はしないわ。でも、無茶はしないで。
あるいはその日暮らしだって構わない。みんなには、帰る場所があ
るんだから﹂
それだけ告げるとアナスタシア様は一歩進み、片膝を着いた。
お祈り。
アナスタシア様も、誰かを亡くしたのだろうか?
子供達もそれに習う。
俺も手を合わせる。俺だけ日本式だが、変に真似をするのは返っ
て非礼な気がした。
しばしの黙祷の後、アナスタシア様が立ち上がる。
﹁さあみんな、次はギルドへ行きましょう。水犬のクリスタルを換
金しないと﹂
西部劇の酒場風の、観音開きの扉を押す。
妙に堅牢な建築物に収まったギルドへ足を踏み入れた俺達は、た
ちまち好奇の視線に晒された。
﹁おい女! ここは嬢ちゃんみたいなガキがチビ共連れてくる場所
じゃ⋮⋮げぇ、アナスタシア!?﹂
アナスタシア様、昔なにやったんですか。
つーか、嬢ちゃんって。確かに見た目若いけどそんな歳じゃいえ
358
何でもありませんごめんなさい。
アナスタシア様は無礼な男ににっこりと笑いかけて黙らせた。恐
いです。
﹁ここがギルドよ。個人や業者、組織が依頼をここに提出し、冒険
者や航空事務所との仲買を行う場所。冒険者向けの依頼は個人的な
ものを除いてここで受けるわ﹂
﹁受けてみていい!?﹂
ニールが挙手して訴える。
﹁ダメよ、というかギルドの依頼を受けるには登録が必要よ。年齢
制限はないけれど時期尚早ね﹂
﹁そこをなんとか﹂
﹁なりません﹂
ばっさり切り捨てる。まあ当然だ。
﹁換金する場所にはちゃんと案内板があるから、どこの町でも迷う
ことはないわ。換金だけなら登録は必要ないから、まずは行ってみ
なさい﹂
﹁えっと、なんて言えばいいんでしょう?﹂
﹁いいからいいから﹂
なにがいいのか、エドウィンの背中を押すアナスタシア様。
359
﹁旅の恥はかき捨てよ。心配しなくても受付の人が教えてくれるわ﹂
苦笑するアナスタシア様。あくまで本人達にやらせるスタンスか。
おっかなびっくり緊張しつつ受付の女性に声をかけるエドウィン
に、周囲の視線も微笑ましいものを見るそれだ。
﹁いらっしゃいませ、小さな冒険者さん﹂
﹁あ、えっと、換金したいのですが﹂
﹁はい。素材ですか? クリスタルですか?﹂
﹁素材? あ、いえいえ素材じゃなくてクリスタルです。これです﹂
﹁承知しました。今査定するからちょっと待ってね。すぐ済むから
カウンターの前にいて良いわよ﹂
﹁はい﹂
俺は参加せず貼り紙なんかをのんびり見てる。
三人組パーティの一員ではないので距離を置いているが、周囲か
ら見れば落ち着きのない奴とか、浮いている奴と思われているかも。
貼り紙を適当に目を通す。
﹃冒険者パーティ募集 新人パーティチームを結成します。魔法の
使い手さん、私達と冒険しませんか?﹄
﹃調達依頼 ガルーダの翼 一〇個∼数十個まで買い取ります﹄
360
﹃ギルドよりの注意 近辺でシールドロックが目撃されました。情
報及び討伐の報告はギルドまでお願いします﹄
掲示板には沢山の貼り紙がひしめき合っている。最初の一枚は仲
間募集だし、これって依頼者が勝手に張っていいのかな?
﹁﹃零夏 参上﹄っと﹂
職員に怒られた。
﹁お金を手に入れたわ!﹂
ニールが硬貨を包んだ小袋を天に突き付ける。
﹁おー!﹂と拍手するマイケルとエドウィン。
周囲の冒険者も彼らに乗って拍手。みんなノリいいな。
﹁村にお土産を買うわよ!﹂
﹁なに買うの?﹂
﹁甘い物!﹂
それ自分が食べたいだけだろ。
﹁アナスタシア様、買い物しましょう!﹂
﹁そうね、用事は済ませたし、少しだけ見て回りましょうか。観光
名所もないわけではないしね﹂
361
﹁観光名所?﹂
﹁ええ。こんな町だし、あるのよ。ちょっぴり大人向けの遊技場が﹂
﹁なっ!?﹂
ちょ、ちょっぴり大人向けだと!?
﹁アナスタシア様、なにを考えているんですか!﹂
俺の剣幕にアナスタシア様がちょっと引く。
﹁な、なにレーカ君? どうしたの?﹂
﹁この子達には早いです! 健全な成長を妨げます! 見損ないま
したよ!? どうしてそんな発想に至ったんですか!﹂
﹁⋮⋮その発想に至るのは、レーカ君だけよ⋮⋮﹂
後々聞くと、人型機同士の闘技場でした☆
賭事ありらしい。なるほど、それで大人か。
﹁あの、アナスタシア様﹂
つい先ほど。用事は済んだ、と言っていたが⋮⋮
﹁俺の工房見学は、なしですか?﹂
今更口に出すのも未練がましいのだが、あまりに頓着していない
ので一度訊ねることにしたのだ。
362
﹁うーん⋮⋮見たい?﹂
﹁そりゃ、まぁ﹂
むしろそれがメインイベントでしたし。
﹁実を言うと、レーカ君って凄く優秀な生徒なのよ﹂
﹁はぁ? ありがとうございます?﹂
﹁だから、工房で行っていた作業も見新しいのがないと思うの。レ
ーカ君の興味のありそうな変種の作業もなかったし﹂
変種の作業ってなんですか。俺は魔改造が好きだと思ってるんで
すか。好きですよ、ええ。
﹁勿論そういった未知の技術にも興味はありますが、それより︱︱
︱つまり、本物の工房を知りたかったんです﹂
俺に足りないのは知識ではなく経験。それくらい判っている。
﹁だから、現場を知れば少しでも糧に出来るかなって。短い滞在な
ら尚の事、しっかりと目に焼き付けておきたいんです﹂
﹁現場を知りたいのなら、実際に働くしかないわよ?﹂
ぴしゃりと断じられた言葉は、俺の上辺の奥、無意識に隠した弱
さを貫いていた。
363
﹁実際に、働く⋮⋮﹂
﹁そう。見学して、見て聞いて、それで経験した気になるのは間違
いよ。知識と経験は別だって、レーカ君もよく言っているでしょ?﹂
﹁は、い﹂
そうだ。経験とは一歩ずつ踏みしめて登る以外にない、急勾配の
階段だ。
二段飛ばしなんて、元より論外だった。
ならばどうするか。
悩んで、悩んで、辿り着いた答えに、思わず溜め息が漏れる。
﹁アナ、スタシア、様﹂
﹁なに?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮俺は闘技場はいいので、工房見学、してきてもいいです
か?﹂
﹁︱︱︱ええ、いってらっしゃい﹂
ここで送り出してくれる彼女は、やはりいい女なのだろうな。
望んでここへ来たというのに、目の前で進む飛行機の改修作業は
ほとんど俺の視界に入っていなかった。
364
﹁はぁ﹂
ピント
作業を見つめつつ、心の焦点はあまり合っていない。
見慣れない景色を眺めていると、胸の奥が締め付けられるような
錯覚を覚える。
驚いたことに、俺はたった二泊でホームシックになってしまった
ようだ。
郷愁の念?
馬鹿な。いつから俺の帰る場所は地球か、あの屋敷か?
帰りたい、帰りたくない。
そんな葛藤が心を渦巻く。
もっとこの町で経験を積みたい。
ここは宝の町だ。探せば探すだけ好奇心が満たされる。
けどちらちらと脳裏を過ぎるのは、屋敷の住人とガラクタだらけ
の倉庫なのだ。
たかが旅行。明日帰るのならば、こんなことは考えない。
明日帰るのならば。
俺には、覚悟が足りない。
365
なんだかんだいって工房での見学は楽しくなってきて、長居をし
てしまいカストルディさんに追い出された。
予めとっていた宿に戻り、窓枠に腰掛け星空を見上げる。
人々は既に寝静まり、冒険者のたむろする酒場のみで光と喧騒が
残る時間。
こうも落差があると、昼間の活気が嘘だったかのように思える。
﹁⋮⋮明日、か。明日にはもう、ゼェーレストに帰﹁ぐがあああぁ
あぁぁあぁあああああぁ﹂マイケル、うるせえ!﹂
とんでもないイビキだ。シリアスぶっ飛んだ。
やれやれと嘆息すると、隣の部屋の窓が開いた。
﹁よぉ﹂
ガイルだった。
﹁お休みなさい﹂
﹁待てやコラ﹂
宿はアナスタシア様とニールの女部屋、俺とマイケルとエドウィ
ンの男部屋を二つ隣同士でとっている。
男部屋を挟んで女部屋の反対側が、ガイルがいる部屋だ。
﹁誰かと思えば孤独なガイルさんチューッス﹂
﹁お前、旅の途中で気付いてたよな。案外いい勘してるじゃないか﹂
366
勘の問題なのか?
ガイルも窓枠に座る。俺は足を室内に残しているが、ガイルは足
を外に放り出す。
﹁落ちるぞ﹂
﹁落ちねえよ。地面とキスして死ぬのは天士の恥だ﹂
まあ、落ちても死ぬような高さじゃないが。
﹁この町で色々見たよ﹂
﹁そうか﹂
﹁アナスタシア様はこの町出身だったんだな﹂
﹁ちげーよ。全然ちげーよ﹂
二度否定された。
﹁上空からの護衛、お疲れ様。大変だったろ﹂
﹁なっ? 気持ち悪いぞ?﹂
素直に労ったら気持ち悪い呼ばわりされた。
そもそもガイルはなんの為に現れたんだ。裏でこそこそ動くなら、
最後まで徹しろ。
﹁どうしたんだ? 部屋に一人で寝るのが寂しくなったか?﹂
367
べ、別に話し相手くらいにならなってやろうかな、とか考えてな
いんだからねっ。
﹁いまいち楽しんでるだけって気もしなくてな。どうした、悩み事
か?﹂
俺の話か。
﹁気のせいだろう。楽しいことばっかりだぜ、ツヴェー渓谷サイコ
ー!﹂
⋮⋮⋮⋮。
寒々しい沈黙。
夏場だけど、夜はやっぱり冷え込むな。
﹁⋮⋮例えばだけどさ﹂
﹁おう?﹂
﹁⋮⋮なんでもない﹂
﹁イライラするな、おい。言えよ﹂
﹁すまん。自分の女々しさにちょっと泣きたくなった﹂
悩んでなんかいないのだ。
答えは、とうに出ている。
ただ、臆病故に踏み出せないだけで。
﹁あー、なんだ﹂
368
困り顔のガイル。
﹁ガキの決断なんてな、大人になってみれば大したことじゃないぞ
?﹂
﹁︱︱︱なんの話だ?﹂
﹁知るか。お前が語らんから、俺は勝手にそれっぽいこと並べるだ
けだ﹂
とんでもない御高説である。 ﹁子供の時は﹃あっちを選べばこっちが手に入らない﹄だの﹃こっ
ちを選べばあっちを失っちゃう﹄だのケチくさいこと考えちまうが、
大抵のことは後からでも取り戻せる。大抵のことは、な﹂
人の悩みをケチ呼ばわりとは、酷い大人だ。
﹁後悔するなとは言わん。前に進むのをビビるな。そりゃあ、ちょ
っとカッコ悪過ぎるってモンだぜ﹂
﹁︱︱︱ハハハ、カッコ良さ優先かよ?﹂
暴論に思わず声に出して笑う。
﹁うっせぇな。空っぽな人生より、後悔塗れの人生の方が万倍マシ
だ﹂
そう悪ガキみたく笑うガイルは、本当に本気でそう考えているよ
369
うに見えて。
⋮⋮なんとなく、決意が出来た。
﹁ありがとお休み!﹂
気恥ずかしさから、お礼と就寝の挨拶を一瞬で終える。
ベッドに飛び込んで明日に備える。寝不足は良くない。
隣から微かに物音が聞こえ、やがて静まった。ガイルも寝たのだ
ろう。
﹁ありがとう。お休みなさい﹂
壁に向かって丁寧に言い直し、俺は瞼を下ろした。
出発の朝。
アナスタシア様が工房からネ20エンジンを受け取り、飛宙船を
宿の前に駐船する。
﹁みんな、準備は出来ている?﹂
﹃はーい﹄
三人の声が重なる。
俺以外の、三人の声が。
370
﹁アナスタシア様、お話があります﹂
こんな時くらいは真面目ぶってもいいだろう。
﹁なに? 別にちゃんと船にのっていいわよ﹂
﹁いえ、そうではなく⋮⋮﹂
見送りに同席していたカストルディさんを見やる。
﹁カストルディさん﹂
﹁なんでぇ﹂
﹁しばらくの間、俺を雇ってもらえませんか?﹂
これが俺が出した結論。
やっぱ、全然ツヴェー渓谷を見たりない。今やらなくてどうする
! である。
﹁レーカ君⋮⋮﹂
﹁俺、この町に残ります﹂
自惚れでなければどこか気落ちしているアナスタシア様。
しっかりと目を合わせ、自分の覚悟を示した。
﹁⋮⋮カストルディさん、そちらは大丈夫ですか?﹂
371
﹁構わねぇよ。つーかコイツ、僅かな動作の鈍りで人型機の故障を
見抜いたんだ。そっちが言わなきゃ俺から提案してたさ、ウチに預
けねぇかって﹂
意外と高評価だったんだな。
﹁レーカ君、ゼェーレストに戻って来る気はあるのよね。むしろ戻
ってこないと許さないわ﹂
﹁え、えぇ。その、厚かましいですが、俺はあの倉庫を自分の部屋
だと⋮⋮思っています﹂
俺の帰る場所。それは、あの屋敷なのだ。
地球に戻る予定も方法もない。俺は今はもう、セルファークの住
人なのだから。
﹁収穫祭までには戻って来なさい。それが、最低限の、そして絶対
遵守の条件。破ったら許さないんだから﹂
﹁はい﹂
そして飛宙船は出発する。
小さくなっていく後ろ姿。
完全に見えなくなると、我慢していたものが溢れ出した。
﹁ふえ、ぇぇえ、えぇぇ⋮⋮﹂
カストルディさんがガシガシと頭を撫でてくれる。
﹁ば、馬鹿みてぇ、かっこわりぃ。何で泣くかね、情けねぇ﹂
372
涙が止まらない。これじゃあガキだ。
﹁まごうことなきガキじゃねぇか﹂
カストルディさんの手が、存外暖かい。
﹁それだけお前があの一家の一員になれてたってことさ。誇れよ、
恥じるんじゃなくてよ﹂
﹁⋮⋮おうっ﹂
373
夏の熱風と異世界の風︵前書き︶
なぜか一週間更新再び成功!?
サブタイトル付けたりフリーパイロット↓自由天士にしたりと、
色々変更してみました。
やっぱりメカニックシーンは書くのが早いです。
374
夏の熱風と異世界の風
﹁レーカ! 左腕装甲持ってこい!﹂
﹁はい!﹂
﹁レーカ、こっちの仕様書知らないか!?﹂ ﹁知りませんよ! あ、さっき山羊の獣人がそれっぽい紙を食って
ました!﹂
﹁マジか!?﹂
﹁レーカ君、お腹空いたー﹂
﹁さっき奥さんがお菓子差し入れて来まし⋮⋮マキさんそれ俺の管
轄?﹂
フィアット工房は今日も忙しい。
夏真っ盛り。灼熱地獄と化した工房だが、だからといって仕事が
無くなるわけもなく。
ひっきりなしに門を叩くフリーパイロット達はとどまることを知
らず、お前ら少し夏休みでも取れよと言ったら﹁だから機体預けた
んだろ﹂と返された。
歴戦のフリーパイロットも暑い季節に仕事などしたくはないのだ
ろう。働け。
375
ソードシップ
﹁その点飛行機乗りはいいよな。防風開ければ冷え冷えだ﹂
ソードシップ
﹁お前飛行機乗り馬鹿にしてるだろ?﹂
ただの愚痴である。
﹁昼休みだよーご飯だよー!﹂
マキさんが鍋の底をお玉でガンガン叩きながら作業場へやってき
た。
﹁うし飯だ! 行くぞレーカ!﹂
﹁うっす!﹂
ゾロゾロと男達が移動する。
暑苦しいことこの上ない。食わんとやってられないのである。
あっさりした食事では腹が満たないので、取り敢えず肉。
長いテーブルを囲み、大皿に盛られた肉料理を全員で奪い合う。
そんな日常だ。
﹁どうだレーカ、少しは慣れたか?﹂
カストルディさんが隣に座る。新入りの俺をなにかと気にしてく
れるあたり、見かけによらず面倒見がいい。
﹁体力面では問題ないです。暑いですけど﹂
﹁そりゃ、常時身体強化魔法使ってりゃな⋮⋮なんで一日中保つん
だよ、ずりぃな﹂
376
最近では珍しくチートを有効活用している。この体は魔力が使っ
た側から回復するので身体強化に制限時間がない。
クレーンよりも手持ちの方が早く、最近では大荷物を運ぶのにパ
シられることも多い。
新人だから、当然といえば当然だが。
ストライカー
﹁人型機の頭部モジュールを頭に載っけて歩いてるの見た時はなん
の冗談かと思ったぜ﹂
ストライカー
人型機の頭部、脱出モジュールを兼ねている球体型のコックピッ
トである。
なんでも、頭が超デカい奴が歩いているように見えたとか。
﹁よーし、レーカ! 午後からは楽しい楽しい資材の搬入を任せる
ぞ! 力仕事で誰もやりたがらねぇが、お前なら問題ないだろ﹂
﹁えー﹂
抗議の声を上げる。本気ではないので棒読みだが。
﹁なんだよ、嫌なのか?﹂
﹁作業が出来ません﹂
機体をいじるのが楽しくてここにいるのだ。荷物運びなんてつま
らない。
﹁人型機に乗って良いぜ﹂
377
﹁じっくりやってきます!﹂
久々に人型機に搭乗する機会を得た。ゼェーレストに来たギイハ
ルトと模擬戦をして以来だ。
﹁ちゃっちゃとやってこい﹂
﹁じっくりコトコトやってきます!﹂
そこは曲げない。
﹁⋮⋮ま、いいだろ。お前だけじゃよく判らんだろうから、マキを
付けるぜ﹂
﹁複座機?﹂
﹁別々の機体だっての。二人居る意味ねーじゃねぇか。別にマキが
人型機乗ってお前がちょこまか足元走り回ったっていいんだぜ﹂
﹁単座サイコー!﹂
飯を食い終わり、しばしの休憩の後事務所へ向かう。
﹁マキさん、いますか?﹂
﹁いるよ、どの子に乗るか決めた?﹂
378
フィアット工房には幾つか機体を所有している。
工房所有となれば若干の趣味改造は施されており、流石に個性的
なのばかりだ。
しかも残念ながら唯一まともな機体はマキさん専用機と化してい
る。
ふうせんか
﹁風船花は渡さないからね﹂
﹁解ってますよ。⋮⋮コイツにします。ずっと乗りたかったので﹂
ビースター
事務所の壁に設置されたキーロッカーから鍵を摘み取る。
鍵のタグには﹃多脚獣型機﹄の文字。
名前すら与えられていない、以前ゼェーレストにやってきた機体
だ。
﹁別にいいけれど、それ足場の悪い場所用だよ?﹂
ビースター
﹁獣型機、扱ったことないんです﹂
青空教室では戦闘用人型機の適正すらないと判断され、獣型機に
は乗せてもらえなかった。
仮に乗っていたとしても動かせなかっただろう。獣型機の操縦シ
ステムを習った今ならば確信を持って言える。俺には合わない。
しかし、それはそれ。これはこれ。
乗ってみたいことは変わりないのだ。
格納庫へ移動しそれぞれの機体へ乗り込む。
マキさんは風船花へ。俺は獣型機へ。
|改造済土木建築用人型機︽漢字の羅列ってカッコイイ︾である
風船花は仰向けに寝た姿勢を駐機姿勢としているが、八本の足を持
379
つ獣型機はケツを地面に降ろし上半身を直立させた状態が基本だ。
足の一本から背中によじ登り、ハッチを開いてコックピットに潜
り込む。
沢山のレバーとスイッチ、正面に据えられたフロントガラス。基
本は人型機と変わらない。
シートに尻を落とし、据え付けられた小さな箱を開鍵する。
内部には起動レバー。
それを操作すると電気回路が繋がり各部のモーターが作動する。
魔力が機体全身に満ち、発電機とコンプレッサーが稼働を始める。
回転部品による甲高い作動音。油圧シリンダーに力が籠もり、機
体が微かに震えた。
各部システムが立ち上がる。当然、イメージリンクもだ。
前回は魔法が使えずイメージリンクを確立出来なかったが、今は
可能。むしろ、獣型機はイメージリンクなしでは満足に動かせない。
イメージリンクについておさらいしよう。
例えば目の前のコップを手に取ろうとした時、﹃腕を五〇センチ
前方へ伸ばし、指を七センチ開き、筋力を三〇パーセントの握力で
締めて掴む﹄などと考える人は当然いない。
そしてそれを実際に行えば、大抵失敗する。所詮は目算、人間の
感覚なんていい加減だ。
そご
人間は体をイメージで操作する。そのイメージを操縦桿と肢体の
動作に挟むさせることで、齟齬を解消するわけだ。
一見精密制御が可能となりそうなイメージリンクシステムだが、
実は逆である。
最初に述べたように人間の感覚なんていい加減。そのいい加減な
情報を読み取った人型機の動作もまた、不完全なものとなる。
すなわち、操縦桿と実際の動きに誤差が生じるのだ。
高度な戦闘となればこの誤差こそ障害となる。機体制御を簡易と
するはずのイメージリンクが、逆に足を引っ張る。
その為イメージリンクは搭乗者の案配でリンク強度を変えられる
380
仕様となっている。
素人のマリアであればイメージリンクが強くほとんど直感的に。
軍人のギイハルトであればイメージリンクを手放しほぼマニュア
ルで。
そして俺の場合となれば、解析魔法を併用することでイメージリ
ンクなしのフルマニュアル操作が可能となるのだ。
これが俺の強みであり、俺のみに許された技術。
アナスタシア様曰く、理論上俺より精密に人型機を制御可能な者
はいない。
そんな俺だが、獣型機をフルマニュアルで操作するのは物理的に
不可能だ。人型機の操縦はそれぞれの手足がおおよそ対応している
が、生憎人間には足が八本もない。
存在しない手足を動かすのにどうするかといえば、イメージリン
クで操作するのだ。フットペダルは前後進の操作程度に終始するこ
ととなる。
これでは俺の長所であるフルマニュアル操作は不可能。故に﹃俺
には合わない﹄わけである。
﹁とはいえ、ただの作業だしな﹂
高速精密作業を求められるわけではないので、イメージリンク制
御の割合が多かろうと問題ない。むしろ、ただ歩いたりなどといっ
た単純な操縦は熟練者であってもイメージリンク全開にする。楽だ
し。
機体の全体像をイメージしつつ、脚部に力を込める。
八本の脚が地面を踏みしめる。
ゆっくりと持ち上がる上半身。
それはさながら、獲物を捕らえる地獄の檻。
そう、コイツは鬼だ。決して獲物を逃がさない、地獄の門番だ。
故に名付けよう。お前の名は︱︱︱
381
きこうきゃく
﹁いくぞ、鬼檻脚!﹂
﹃勝手に変な名前付けてるし⋮⋮﹄
ペダルを踏み込むと、のしのしと二機は格納庫から発進した。
ツヴェー渓谷の上は台地となっており、中型、大型級飛宙船の船
エアシップ
着き場が設けられている。
何十機もの人型機が飛宙船のスロープを上り下りして、せっせと
荷物を積んだり降ろしたり
しているのはどこかシュールさすら漂う光景だ。
遠目では甲冑を着た人間が働いているように見える。写真を撮っ
て地球人に見せれば﹁脱げよ暑苦しい﹂といわれること請け合いか
も。
この町に来て人型機や飛宙船が想像以上に生活に溶け込んでいる
ことにも驚いたが、やはり一番はアレかもしれない。
中型級に混ざり、途方もなく巨大な船が停泊している。
全長三〇〇メートル。高さも場所によっては五〇メートルに至る。
人型機の五倍だ。
沢山のプロペラを備えた空飛ぶ巨大船。大型級飛宙船である。
絶大な積載量を誇る大型級は、あまりに大き過ぎて並の組織では
運用出来ない。
その大きなキャパシティを生かしきれる需要があってこそ、真価
が発揮されるのだ。
扱いにくさは断トツだが、効率も断トツ。同じ量の荷物を中型級
382
で往復して運ぶよりはずっと安上がりに済む。
﹁いやほんと、でかいよなぁ﹂
﹃こっちこっち。あんなデカブツに配達依頼してないから﹄
長い坂を登り終えた俺達は一直線に工房馴染みの中型級飛宙船へ
向かう。
﹃こんちわー﹄
受領の手続きや打ち合わせはマキさん任せだ。俺はその間、獣型
機に慣れるべく色々動作を試しておく。
超接地旋回、跳ね上がり、カニ歩き。
細かな動きはややこしくて困難だが、﹁こっちに行きたい﹂﹁あ
っちに跳びたい﹂等の大雑把な動きはかえって楽だ。イメージリン
クすげ。
﹃アルミニウム、超々ジェラルミン、銀、⋮⋮よし、ちゃんとある
わね﹄
ツヴェー渓谷は鉱山しても優秀で、仕入れるのはここでは掘れな
いレアメタルや部品だったりする。
せっせと貨物を運ぶ。
﹁ククク⋮⋮やはり、凄まじい安定性だぞ鬼檻脚ッ﹂
﹃多脚なんだからあたりまえでしょ﹄
小さな箱や人型機の大きな手では取りにくい荷物は、俺が降りて
383
マキさん機の手の平に積んでいく。
そして用意した飛宙船まで移動し、また俺が手作業で荷台に運ぶ
のだ。
結局走り回る羽目になっている件に関して、俺はカストルディさ
んに騙されたと判断してもいいと思う。
いかん、熱で頭がぼーっとしてきた。
﹁あ、あと何回往復ですか⋮⋮?﹂
﹃⋮⋮がんばれー!﹄
答えて下さい。
炎天下で走るのはツラい。人型機乗れないし、ほんと、これが嫌
で俺に押し付けたんじゃなかろうか。
当然ながらマキさんにこれをやらせる気はない。俺は紳士である。
以前のように手の平に乗ればいいと思うかもしれないが、あれっ
て本当に揺れるのだ。落ちたら怪我する。
周囲を見渡すと、同じような作業に取り組む人がいる。
ほとんどがゼェゼェ息を切らしながら走っているが、中には飛宙
艇で移動する猛者もいた。
﹁なにあれずるい﹂
らく
﹃あれが本来の使い方なんだから、楽したいなら覚えれば?﹄
エアボート
簡単に言ってくれる。
飛宙艇。浮遊装置を内蔵したボードとセイルのみで構成された、
世界最初の簡易航空機。
しかし如何せん、現代ではその扱いにくさと事故の危険性から骨
董品と化している。
384
ボードは浮遊装置のせいで重く、風や重心を読み取るのも楽では
ない。
いかにも体重が軽そうなソフィーは、重心を取るためにほとんど
真横にまで体を倒していた。
これほど扱いにくいと敬遠されるのも当然である。飛宙艇は運転
エアボート
の容易な飛宙船の登場によって廃れ、そもそも乗れる人間もほとん
どいなくなった。
それでも完全になくならないのは、飛宙艇故の利点もあるからだ
ろう。
例えば、クリスタルを使用しないこと。
乗り手の魔力を注ぐ飛宙艇はクリスタルを装備していない。技術
の発達と共にクリスタルの単価も値下がりしたそうだが、それでも
高価であることには変わりない。つまり安上がり。
また、小回りの良さや扱いの気軽さも魅力だろう。
逆に難点は操舵の困難さ、安全面の未成熟さ、そして重量制限の
厳しさ。
まあ結局、一番の問題は操縦の難しさだろうな。これを解決でき
れば素晴らしく便利な乗り物だ。
﹃どうしたのレーカ君?﹄
﹁いえ、すいません。⋮⋮あの、飛宙艇を改良しよう、という試み
は今までなかったのですか?﹂
﹃うーん、言いたいことは判るけれど、飛宙艇って完成してるでし
ょ?﹄
そう、飛宙艇はどこまでもシンプル軽量を追い求めた、一種の機
能美があの姿なのだ。
385
﹃パーツを極限まで減らし軽くして、自然の風を推力とすることで
魔力なしで前進する。浮遊装置もこれ以上重くなれば大型化せざる
おえない、そうなると魔力消費が跳ね上がる。結局このサイズが理
想なんだよ﹄
﹁そうなんですが⋮⋮ほら、飛宙艇ってひっくり返り易いでしょ?
せめて重心の調節とか出来ないもんなんですかね﹂
例えば、自転車やバイクのように跨がる形式にしたり。
股の間に浮遊装置を配置すれば、浮力発生箇所が上に移動してひ
っくり返りにくくなるはずだ。
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
﹃どしたの?﹄
﹁⋮⋮これ、ありかも?﹂
重量も素材技術の発達で幾らか余裕があるはずだ。
仮に万人向けとならなかったとしても、俺の魔力量なら、ぶっち
ゃけ普通の飛宙船だって動かせる。自分用として作るのもいい。
﹁よしっ、帰りましょう!﹂
﹃搬入し終わったらね﹄
386
ヤカンに直接口を付け、魔法で冷えた水を胃に流し込む。
呼吸すら忘れ、暑く火照った体が急速冷却される快感に酔う。
あまり急に飲むと腹を壊しかねないとは理解しているが、それで
も止まらない。
﹁︱︱︱っぷ、っはああああぁぁぁ!﹂
結局ヤカンの水を全部飲みきってしまった。
﹁⋮⋮と、いうわけですよ!﹂
﹁どういうわけだよ﹂
荷物を運び終えた俺とマキさんは、灼熱の工房へと戻ってきた。
外は風があるが日の光もある。屋内は風がないが日もない。
どっちにしろ灼熱だ。
﹁仕事後の工房を貸してほしい、だぁ?﹂
﹁はい!﹂
カストルディさんに直談判を決行中である。
﹁なにすんだ、なんか作りたいのか?﹂
﹁飛宙艇です! 今こそ飛宙艇の時代なんです!﹂
飛宙船を自動車や電車に当て填めるなら、飛宙艇は自転車だ。
387
この世界では一人一台で飛宙船を所有していたりはしない。町中
の離れた場所へ移動するならバスのように定期運行する飛宙船を利
用する。
それはそれでいいのだが、やはり個人所有の移動手段だって必要
だと思う。ゼェーレストのような田舎に住んでいると尚更だ。
﹁この世界には、一人∼二人乗りの簡易な乗り物⋮⋮エアバイクが
足りない!﹂
拳を握り締め力説する。
﹁えあばいく? つーか今時飛宙艇?﹂
﹁飛宙船の発達により飛宙艇は忘れられた遺物となりました! で
も、飛宙艇にはまだまだ可能性が眠っている、そう思うんです!﹂
﹁⋮⋮ま、たかが飛宙艇だしな。構わんぜ、好きにやりな﹂
﹁ありがとうございます!﹂
話の分かる上司がいると嬉しい。
﹁とはいえ一人で残すわけにもいかんしな。いや、お前さんを信頼
してないってわけじゃないぞ?﹂
弁明するカストルディさんだが、別に当然なので怒りはない。
ここには金目の物が意外とある。夜にこっそり運び出して転売す
れば、それなりの金にはるはずだ。
信頼の有無に関わらず、後々のトラブルを防ぐ為に配慮は必要で
ある。
388
あと安全面でも問題か。俺が機材に潰されて身動きが取れなくな
れば、一人だと終わりだ。
﹁マキ、お前が付き合え!﹂
﹁え、やだ﹂
露骨に嫌そうな顔をされた。猫耳がへにょんと縮む。
そりゃ、いつ終わるか判らない作業を手伝えといわれれば誰だっ
て嫌だろう。暑いし。
﹁今日やれば明日休んでいいぞ﹂
﹁ホントッ!? やるやる!﹂
これには俺が驚いた。マキさんは女性だが、裏方としてはベテラ
ンの大きな戦力だ。なにせ生まれた時から鍛冶場を見ていたのだし。
マキさんが欠ければ相応に仕事がキツくなりそうなものだが、な
ぜそこまでして俺の趣味を後押ししてくれるのか。
﹁なんせナスチヤが呆れるような奴だからな。なにを作るのか、楽
しみにしているぜ﹂
﹁お、おう﹂
プレッシャーかけられた。俺だって念密な計画の上でやっている
わけじゃないので、あまり過度な期待はしないでほしい。
﹁お前らー! レーカが明日すっげぇ作品を見せてくれるってよぉ
!﹂
389
﹁おー!﹂
﹁マジで、超期待だぜ!﹂
﹁頑張れよ∼﹂
ハードルガンガン上げにかかってやがる。
﹁ふんっ、その髭が全部抜けるくらいびっくりな物作ってやります
!﹂
﹁ガハハ、そりゃあ楽しみだ!﹂
職人達がはけた工房は、普段とのギャップに戸惑うほど静かだっ
た。
高い天井に響くのは俺の足音と、マキさんの寝息だけ。
⋮⋮なんで寝てるんだろう。完全にさぼっている。
まあ事故が起きれば叫んで起こせばいい。早速作業を始めよう。
自転車を元に、各機関を納める空間を考慮しつつパイプを溶接す
る。
倉庫から飛宙艇用の小さな浮遊装置を持ち出す。小さなといって
もやはり重い。
とりあえず座席と浮遊装置を組んだ。理屈ではこれで、もう飛ぶ。
自転車といいつつ、乗車姿勢はアメリカンバイク方式を選んだ。
重心を低くかつ、浮遊装置を上部に配置出来る。しかも空気抵抗も
390
少ない。浮遊装置を抱えるような体勢だな。
﹁さて、あとは推力だが﹂
エンジンかモーターか。エンジンだとしてもどのような方式か。
﹁あるいは化学式エンジンってのもありか?﹂
いやいや待て待て、この機体に求められている能力を考えようか。
用途は基本、町中での使用が前提だ。速いに越したことはないが、
飛宙船の現代技術における最高速度、時速一〇〇キロは必要ない。
普段から使用するということで整備性の悪いのもアウト。
﹁残念、化学式エンジンは却下か﹂
燃料補給が必要なのでセルファークでは化学式エンジンは普及し
ていない。クリスタルは一日で魔力回復するのでリーズナブル。そ
してエコ。
でもあることはあるのだ、化学式エンジン。一回使い切りであれ
ばこっちの方が安上がりだ。クリスタルは高価だし使い捨てなんて
論外。
﹁整備性のいいエンジン⋮⋮ピストンは却下だな。往復部品のない
ジェットエンジンか?﹂
自動車のエンジンはピストンを使用しているので、機械的負担が
大きかったりする。
対して飛行機等のジェットエンジンはタービンが一方方向に回る
のみなので消耗は少ない。熱による劣化は問題だが。
ようは出力を落として使えばいいのだ。それはピストンでも同じ
391
だけど。
﹁こんな時こそネ20エンジンの出番かも﹂
パルスジェットエンジンはタービンすらない。ぶっちゃけ筒だ。
メンテナンスフリーは凄まじいが、エネルギーの変換効率は悪い。
とはいえクリスタルでの運用前提だからネ20エンジンは存在を
許される。
長持ち、ほどほど高出力。
よくよく考えるとニーズに合った、よく出来たエンジンだ。
﹁燃費がよくて低速度域に適したエンジン。ジェットは低速に適し
てないし、プロペラはピストンが⋮⋮﹂
いや、プロペラ=ピストンエンジンだというのが間違いだ。
あるじゃないか。ジェットエンジンでプロペラを回す方法!
﹁ターボプロップエンジン!﹂
ターボプロップとはジェットエンジンにプロペラを付けた、小型・
高効率を特徴とするエンジンである。
ジェットエンジンのシャフトは高速回転する。その回転を減速機
を経過させプロペラを回すのだ。
ジェットエンジンとしての推力はほとんどが失われるが、そのパ
ワーで回されるプロペラは粘り強いパワーのある推進力となる。
地球でプロペラの旅客機や輸送機を見かければ、よほど古い機体
でなければ大抵このエンジンだ。
バイク程度の重量を、そこまで速度を求めず動かすとなればかな
り小型のエンジンで充分なはず。
倉庫を漁り、ペットボトルサイズのエンジンを見つける。
392
減速機と適当に作った扇風機の羽みたいなプロペラを搭載。
プロペラはプッシャー式、機体後部つまり座席の後ろにした。
﹁ふふふ、俺の最速伝説が始まるぜ﹂
意気揚々と座席に跨がる。
浮遊装置+エンジン、これで一応進むはずなのだ。
﹁さあ発進だ! エアバイク初号機、行けぇ!﹂
エンジンから伸びた紐を引っ張り、魔力を注ぐ。
ジェットエンジン特有の甲高い音と共にプロペラが数回転し︱︱
︱停止した。
﹁あれ?﹂
何度か試すが、始動する様子はない。
この感覚はまさか⋮⋮エンスト?
エンジンストップ。マニュアル自動車でクラッチをミスした時な
どにエンジンパワーが駆動部の抵抗負担に負けてしまい停止する、
あれ。
﹁あー、そっか。プロペラが重いのか﹂
ターボプロップの利点を生かす為にプロペラを幅広三枚にしたの
だが、始動からアイドリングにまで持っていく加速の負荷が予想以
上に大きかったのだ。
プロペラを軽くするかエンジンを大きくする?
﹁うーん、いや。動くはずなんだパワー的には。それにプロペラを
393
軽くしてもエンジンを大きくしても効率が悪くなる。自前の魔力で
飛ぶコイツにとっては致命的だ﹂
ならば自動車の技術をそのまま応用しよう。
さっそく部品を追加する。
﹁クラッチを備えたエアバイクに死角はない﹂
クラッチとは動力を機械的に切ったり繋いだりする装置だ。
もう一度エンジン点火を試みる。
クラッチを切った状態で紐をぐいっと引く。チェーンソーのあれ
に近い。
空転するエンジンに魔力を込める。
筒に火が灯った。
連続的な燃焼は回転となり、やがてジェット特有のキーンという
音が響く。
﹁やった! ちゃんと回った!﹂
ここからが問題だ。
少しだけ回転数を上げ、ゆっくりとクラッチを繋ぐ。
初めはゆっくりと、徐々に回り始めたプロペラ。
微風はあっという間に強風となる。プロペラは座席の後ろだが、
もっと大きな背もたれを用意しないと吸い込まれそうで危ないな。
クラッチを繋ぎきり、出力を下げる。
アイドリング状態に達する。しかし、プロペラが止まる様子はな
い。
﹁成功、だよな。後はこのまま浮かべば﹂
394
浮遊装置を起動する。
さすがにドキドキする。胸の鼓動が治まらない。
新世代飛宙艇、その初飛行だ!
エアバイクは工房の床から浮かび上がり、数メートル前進し︱︱︱
︱︱︱凄まじい速度でローリングしだした。
﹁な、なんじゃこりゃーっ!?﹂
捻るように横にクルクル回る飛宙艇。必死にしがみつくも、遠心
力に放り出され五メートルほど放り出された。
﹁ぐえっ﹂
背中から落ちて呼吸困難に陥る。そこに陰が差した。
エアバイクが跳ね回りながら、俺に向かってきていた。
﹁う、わあああぁぁ!﹂
﹁危ないっ!﹂
飛び出してきた人物が俺を拾い上げ、安全圏まで退避する。
壁に突っ込むエアバイクが工房を揺らす。
﹁だいじょうぶ?﹂
﹁マ⋮⋮キ、さん?﹂
俺をお姫様抱っこしていたのは、先程まで寝ていたはずの猫少女
だった。
395
﹁起きたの?﹂
﹁﹃なんじゃこりゃーっ!?﹄でね﹂
エンジン音がそれなりにうるさかったはずだが⋮⋮って、そんな
の聞き慣れているのか。
﹁稼働実験をする時は安全を徹底して、非常停止の手順も把握して
おくこと﹂
﹁ごめんなさい﹂
非常停止を用意していなかった時点で、明らかに俺のミスだった。
﹁また随分と吹っ飛んだね。どしたの?﹂
﹁機体に回転する力が働いて⋮⋮あ、そっか﹂
プロペラのトルクだ。
レジプロ機ではどうしてもプロペラの反動が発生する。
軽量なエアバイク、それも主翼などが存在せず回転の際空気抵抗
も発生しないとなれば当然回りやすい。
﹁どうするの?﹂
﹁ご心配なく、解決法はずっと昔に完成しています﹂
歪んだフレームを戻し、プロペラを改造する。
﹁じゃん! 二重反転プロペラです!﹂
396
﹁二重反転って高難易度なはずなのに、あっさり作るね⋮⋮﹂
工作精度はカストルディさんにも誉められている。
説明しとくと二重反転プロペラの長所はトルクの左右相殺と、羽
が増えることによる推力増大である。
欠点が色々有りすぎてあまり採用されていないけど。
早速試運転すると、今度は真っ直ぐ飛んだ。
﹁あっさり行き過ぎて肩透かしだな﹂
﹁楽しいねこれ!﹂
マキさんが未完成のエアバイクを乗り回す。舵もないので方向転
換は重心移動だ。
﹁なんか、舵要らないですか? 普通に飛んでますけれど﹂
﹁いるって。レーカ君乗ってみて﹂
言われるがままに試乗。
﹁お、お、おおおおおおおお?﹂
傾く。真っ直ぐ飛ばない。なにこれ。
重心だけでは安定しないということか?
﹁舵、ってゆうかエルロンを付ければ安定はさせられるね﹂
エルロンは飛行機の主翼端に位置する、ロールを制御する方向舵
397
である。
確かに幾ら傾こうが、その都度制御してしまえば真っ直ぐとなる。
が⋮⋮
﹁駄目です。真っ直ぐ進まない乗り物なんて欠陥でしょう﹂
﹁ま、そだね﹂
ここに来て難題だ。
空中で空力なしで姿勢制御する方法なんてあるか?
いや、いっそフライバイワイヤ的な、逐次自動姿勢制御機構を組
み込む?
﹁難しいな。セルファークでは電子制御なんてこれっぽっちも発達
していないし﹂
この世界のコンピューター技術は真空管レベルだ。
厳密に言えば魔導術式によるちょっとした電子工作レベル。なの
でミサイルなども存在しない。
一から作る? 俺だってそっち方面は詳しくないのだ。
ジャイロで傾き検知センサーを用意して、傾けば即座にカウンタ
ーを当てるとか。
﹁頑張れば出来なくもなさそうだが⋮⋮ん、ジャイロ?﹂
待て待て。そもそも地球のバイクはどうやって姿勢を安定させて
いる?
バイクは二輪だ。にも関わらず、人が乗っていなくとも真っ直ぐ
走る。
重心移動もあるだろう。しかし、その足掛かりとなるのは⋮⋮
398
﹁タイヤのジャイロ効果か﹂
つまり玩具の駒だ。回っていれば倒れない力が働く。
ならばタイヤを実装するか? でもなぁ⋮⋮
﹁相当なデットウェイトだぞ。駆動系にサスペンション、いや空を
飛ぶならサスは要らないか﹂
タイヤを回すには変速機が必要だ。プロペラを適当に回すのとは
わけが違う。
﹁どういうこと?﹂
﹁車輪を付ければ安定するけど、重くなっちゃうってことです﹂
﹁そういうものなの?﹂
﹁そーいうもんです。でも大半が空中移動のエアバイクにそんな凝
った走行装置は必要ありません﹂
そうだ! 浮遊装置をくるくる回すっていうのはどうだろ?
﹁さっきの問題再燃するし﹂
浮遊装置も二つ用意して、反動を相殺する?
﹁いいとおもうけど。タイヤ付けても﹂
マキさんが耳をパタパタさせつつ提案した。
399
﹁どうしてです? 日常生活で地上を移動することなんて⋮⋮﹂
﹁大半でしょ﹂
⋮⋮確かにそうか。
飛宙船に乗っていた時も地を這って飛んでいた。飛宙艇だって地
上スレスレを滑走する航空機だ。
高度を上げるのは中型∼大型級飛宙船か、飛行機と相場が決まっ
ている。
﹁水陸両用ならぬ、空陸両用?﹂
必要な時だけ飛び、普段は地面を走ると。
﹁確かに考えてみると、常時飛ぶ必要ってあんまりないよな﹂
舗装された場所が少ないので空を飛べないと困るが、常に浮いて
いる必要もない。
空中では前後のタイヤを反転させトルクを相殺。低パワー高スピ
ードでジャイロ効果を狙う。
地上では高パワー低スピードで同方向にタイヤを駆動。プロペラ
をクラッチ解除で空転状態にし、浮遊装置もカットすることで魔力
消費を節約。
そうなると設計を根本からやり直す必要があるな。
浮遊装置の位置を低くして、地上時での重心を安定させる。
クラッチ、変速機など色々詰め込んで大型化してしまった駆動部
を真面目に設計し直し、小型軽量化。
これが一番大変だった。空と陸で動きが変わるので複雑化しやす
いのだ。
400
舵とハンドルも装備。ハンドルバーの上に各部の操作スイッチを
並べる。
﹁すっげぇややこしい﹂
アクセル、ブレーキ、クラッチ、ギアチェンジ、浮遊装置のオン
オフ、前後タイヤの正転反転切り替え。あと非常停止ボタン。
操作系統を練り直すのは後からでも出来るので、今はこれでいい
や。
﹁こんなもんか?﹂
恐る恐る跨がり、テスト飛行を開始する。
﹁レーカ君﹂
﹁あ、はい﹂
マキさんに渡されたヘルメットを被り、ガイルに貰ったゴーグル
も装着。
異世界にノーヘル違反なんてない。テスト飛行だから今回だけだ。
エンジン始動。二重反転プロペラは回さず、地上走行モードから
テストする。
そういえばプロペラも地上では空気抵抗だな。回ってない時はた
たんでおいて、遠心力で展開するようにあとで変更するか。
低速からクラッチを繋ぎ加速する。
﹁ちょっと重いが、バイクとして乗れるな﹂
サスペンションはやっぱり必要か。高い段差は浮いて乗り越える
401
としても、振動を吸収する程度の簡単なものは付けないと、ハンド
ルを握る手とケツが痛い。
今度は空中飛行モード。
軽くエンジンを吹かし、クラッチ切り替え。トルクをプロペラへ
配分。浮遊装置起動。
前輪が浮いた時点で反転を開始。
後輪が浮き上がる。抵抗を失ったタイヤは高速空転へと移行。
軽くハンドルを引く。
車頭が持ち上がり、エアバイクは工房の中を飛行してみせた。
﹁よしっ。安定しているぞ﹂
壁が迫ってきたので重心移動とエルロン操作で機体を傾ける。
エレベーターを操作、エアバイクは見事に旋回飛行を成す。
﹁成功、かな﹂
思った以上に操縦が楽だ。ジャイロいい仕事してる。
﹁レーカ君乗せてー!﹂
﹁マキさんバランス感覚良すぎてテストにならないので駄目です﹂
猫の獣人は伊達じゃない。ソフィーほどの出鱈目ではないが、一
般的な平均として考えるのは不適切だろう。
しばし様々な機動を試していると、下から野太い声が聞こえた。
﹁ほーっ。面白いもん作ったじゃねぇか!﹂
﹁カストルディさん?﹂
402
工房の門にカストルディさんを初めとした職人達が、俺を見上げ
ていた。
門の外から光が覗いている。
﹁えっ? 朝?﹂
﹁朝だぜ﹂
知らず知らずの内に徹夜してしまっていたか。
﹁それ、普通の奴の魔力量でも動くのか?﹂
﹁まあ、計算上たぶん?﹂
﹁ふん。全員で一旦乗ってみようぜ、勿論外でな﹂
新しい玩具を見つけたオッサン集団は、子供のような笑顔でにか
っと笑った。
﹁ひゃっほー!﹂
マキさんの乗ったエアバイクが爆走する。
地面を走り、飛び上がり、建物の上に飛び乗ったと思えば飛び降
りて。
時には壁を走ったり、タイヤの反転を一瞬停止してその場でター
403
ンしたり。その発想はなかった。
﹁使いこなせば相当小回りが利くみてーだな﹂
﹁まだまだ作りが甘いですけどね。一晩で作ったとは思えません﹂
﹁髭が抜け落ちはせんが、結構びっくりだ﹂
職人達のお眼鏡にも叶ったらしい。
﹁あとサスペンションやプロペラはこんな感じに⋮⋮ふぁあ﹂
説明していると欠伸が漏れた。山場を越えて眠気が戻ってきたか。
﹁⋮⋮よし、マキ、それとレーカも今日は休みでいいぞ﹂
﹁はーいっ!﹂
﹁うっす⋮⋮﹂
寝よ。工房の宿舎に帰って死ぬまで寝てよ。
細かな改造はボチボチやってけばいいや。
﹁なにいってんの! せっかくの休みなんだから遊びにいくよっ!﹂
﹁ちょ、やめ、引っ張らないでぇぇ﹂
マキさんに手を引っ張られて連行される。
結局その日は闘技場にマキさんとデートに行ったりと、見事に休
みを潰されたのだった。
404
寝てたいけど、目の前で人型機が戦っていては眠れもしない。な
んてことだ。
お転婆マキさんの相手も疲れ、フラフラとした足取りで俺達は工
房へと戻る。
﹁⋮⋮なにやってるんですか、カストルディさん﹂
﹁おう、いい出来だろ!﹂
エアバイクが強化されていた。
俺の考え通りのサスペンションとプロペラに加え、操作系統も洗
練されている。
発電機とライトを実装、ミラーなどバイクに必要なパーツも追加。
地球の大型バイクと変わりない、洗練された形状。違いは後部に
プロペラとラダー︵舵︶があるくらい。
美しい流線形の外装を備え、見事な完成品となっていた。
﹁他にも各部の調節もしといたぜ﹂
﹁お見事ですが、なにやってんのアンタ等﹂
死屍累々と燃え尽きる職人達。今日は仕事を放り出してエアバイ
クをいじっていたらしい。
﹁いやぁ、よく出来てるぜ。空陸両用にすることで魔力消費を抑え
ているのがすげぇよ。これなら飛宙艇より少し多いくらいで済むな﹂
空陸両用は結果論だけど、低燃費第一で設計したし。
﹁自前の魔力で動く小型級飛宙船か⋮⋮クリスタルを積んでいない
405
からだいぶ安上がりに済むな。売れるんじゃね、これ?﹂
﹁えっ?﹂
製品化とか、考えてなかった。
後日、更なる洗練を遂げた新たな航空機がフィアット工房の目玉
商品として発表されることとなる。
小回りが利きパワーと速度を備え、なにより扱いやすい新型機。
町から町への冒険者の使用も考慮しクリスタル別売りで装備可能
となった新たな船は、全く新しい人々の足として世界中で大ヒット
することとなる。
通勤に。レースに。買い物に。
エアバイク
超小型級飛宙船︱︱︱この技術がセルファークの文化に組み込ま
れるまでに、そう時間は掛からなかった。
406
﹁うわ、どうしよ﹂
趣味に走ったら大事になった。
﹁⋮⋮まぁ、いいか﹂
さて次はなにを作ろうかな。
面倒ごとは御免なので全部押し付ける。フィアット工房ガンバ。
超ガンバ。
﹁発注が増えた分お前のシフトも増えたからな。なに、発案料も給
料もたっぷりやるよ﹂
﹁やるよー!﹂
﹁いやあああぁぁぁ⋮⋮⋮⋮﹂
407
夏の熱風と異世界の風︵後書き︶
闘技場メインの話を書いていたつもりが、なぜかバイクを作って
いた。
な、なにを言っているのか︵ry
408
超重量機と標準機︵前書き︶
前回書けなかった闘技場でのお話です。
おっと、なんで平日のこんな時間に投稿しているんだ、って疑問
は抱くなよ!絶対だぞ!作者との約束だ!
409
超重量機と標準機
屋敷であろうと、工房の宿舎であろうと朝の日課は変わらない。
寝ぼけた頭で井戸へ向かい、水を汲む。
桶に水を貯め洗顔。冷たさで目が覚めた。
﹁マリアは元気かな﹂
井戸といえばマリアだ。朝によく出くわしたのでセットで思い浮
かぶ。
﹁おいおいマリアって誰だよ﹂
耳敏く、顔を洗いに来てた職人の一人に聞かれた。
﹁コレかっ? コレなのかっ?﹂
﹁餓鬼が色付きやがって、うりうり﹂
小指を立てたり肘でつついてきたりするオッサン共。朝からなん
てウザさ。
﹁おーそうだよ。ありゃメロメロだな。むしろ抱いて! って感じ
だ﹂
﹁なんだ、ただの知り合いかよ﹂
410
その通りだが、断定されるとむかつく。
つーか友達ですらなく知り合いと断言するな。
﹁そもそもお前﹃女を抱く﹄って意味知ってんのかよ﹂
﹁ぎゅーっとすることだよね!﹂
童心に返って愛らしく言ってみた。
﹁よーし朝飯だー﹂
﹁今日も頑張るぞー﹂
スルーしやがった。
﹁お前さ、マキちゃんはどう思ってんだよ﹂
﹁えっ? 区切っておいて恋バナ続いてたの?﹂
朝食は流石に昼飯や晩飯などより遥かに静かだ。
汗臭い男達も、一日の始まりたる朝食だけは粛々と食す。
ナフキンを用意し、ナイフとフォークを音も発てず振るい、僅か
な糧に感謝しつつ、ひたすら厳かに進行するのだ。
ごめん嘘。朝から騒がしいです。
﹁仲いいだろ、どう思ってんだ? 秘密にするからお兄さんに打ち
411
明けてみなさい﹂
最後まで秘密であり通した秘密の話を俺は知らない。
﹁どうって、別に友達ですよ﹂
焼きたてのパンが山盛りになった籠に手を伸ばす。
指が届く直前、籠ごと没収された。
﹁そういうのいいから、なっ? なっ?﹂
酔ってんのかコイツら。
﹁実際有りだと思うんだよな、レーカもメカニックとしていい腕だ
し。親方もお前なら納得安心だろう﹂
﹁ただ一つの不幸があるとすれば、本人達に一切その気がないこと
でしょうね﹂
皮肉りつつパン籠を強奪する。パサパサした安パンだが焼きたて
は美味いのだ。
﹁ほら、そこはよ? 形から始まる恋もあるっつーことで。きゃー
恋って言っちゃったー!﹂
ウゼェ⋮⋮
きゃーきゃーと姦しく騒ぐオッサン集団。なんでこんな光景に﹃
姦し︵かしまし︶﹄なんて単語を使わねばならないのだろう。
付き合ってられんと卵サラダの器を引き寄せる。
背後から伸びた手に皿を強奪された。
412
まっこと食卓とは戦場である。
﹁なになに? レーカ君わたしにお熱なのー? もてる女は辛いわ
っ﹂
﹁サラダ⋮⋮﹂
卵は栄養豊富なのだ。世界中で朝食として選ばれているのは伊達
ではない。
和えたマヨネーズも高カロリーで、働く男の味方である。
背後? ああ、猫娘がいるね。だから?
﹁でもごめんね、私にとって君は手間のかからない弟なの﹂
﹁むしろ俺が手間⋮⋮なんでもないです﹂
騒動には巻き込まれるが、仕事の裏方サポートとしてはマキさん
は優秀だ。面倒事扱いはあんまりだろうと自重する。
サラダは諦めてチーズハムカツにフォークを突き刺す。
と思いきや、また皿が奥に逃げやがった。
﹁おう、なんだレーカ。男だっていうのに女に興味ねぇのか?﹂
﹁カストルディさん、チーズハムカツ⋮⋮﹂
手掴みでカツをむさぼり食う工房長。一気に消費されていく⋮⋮
﹁ほれ﹂
丁寧に衣だけ剥がして与えてくれた。ワーイヤッター。
413
﹁いや、勿論可愛い女の子がいれば目を奪われたりもしますけど⋮
⋮あぁ衣は美味しいなぁ﹂
チーズハムカツ。スライスしたハムにチーズを挟み、からっと揚
げた高カロリー料理。
チーズでクドくなりがちだが、ここは気を遣っていい油で揚げた
らしく、まあ衣も確かに美味い。
中身があったらもっと美味しいだろうけどな!
﹁ほう、んじゃあ誰なら可愛いと?﹂
真っ先に浮かんできた人物は⋮⋮
﹁アナスタシア様﹂
﹁確かにとびっきりの美人だが、人妻だろ﹂
それは障害ではなく魅力です。
﹁ナスチヤの娘っ子はどうだ?﹂
﹁あれこそ妹です。可愛いですけどね﹂
将来的には解らない。もしいつかソフィーが男を俺に紹介してき
たら⋮⋮
イメージする。成人の一五歳ほどとなったソフィー。髪型は今と
同じツインテールでいいや。
大人びた色香と子供の無邪気さを併せ持つ年頃。母親似で巨乳。
414
﹃レーカお兄ちゃん! あのね、大切な人を紹介したいのっ﹄
イラッときた。
そもそもソフィーって素ではどんな話し方なのだろう?
長文を話したのが旅立ちの朝だけなので、未だに口調を把握出来
ていない。
あの時は深窓の令嬢の如くお淑やかな語り口だった。あれが素?
再びイメージ。今度は落ち着いたストレートヘア。
わたくし
﹃お兄様。実は、私⋮⋮想い人がいるのです﹄
イライラッときた。
こんなのは認めない。よし、都合良く切り取ってしまおう。
﹃お兄ちゃん!﹄
﹃お兄様﹄
415
﹁勝ったぞ!﹂
﹁誰にだよ﹂
﹁俺って結婚とかするのかね。今更なんだよね﹂
当然といえば当然だが、将来のことなんて判らない。
人生設計なんて現時点では﹃機械いじって屁こいて寝たい﹄程度
しかない。
よく漫画などで﹁精神は肉体に引っ張られる﹂と聞くが、まあそ
れも当然だ。成長ホルモンやらなんやら、ぶっちゃけてしまえば人
格など化学物質で左右される。
麻薬など最たる例だろう。ただの粉如きに、人の精神が再起不能
となるまで破壊されるのだ。
なにが言いたいかというと、二次成長前から異性のことなど考え
たりしない、みたいな?
勿論早熟な子はいるし、俺自身幼き日の淡い恋心の思い出がある
ような気もしなくもない。しかしそれが将来に直結する事例などほ
とんどないはずだ。
結論。今は機械が恋人。
中身がとうの昔に二次成長を終えていることをあえて無視しつつ、
仕事の準備を進める。
﹁おーい、レーカ! 来い!﹂
416
﹁恋なんてしてません!﹂
﹁あ? なに言ってんだてめぇ?﹂
いかん、頭の中がピンク色だ。
﹁すいません。なんですか?﹂
カストルディさんの傍らには二人の男がいた。服装からして自由
天士だ。
﹁こいつらの注文、お前が受けろ﹂
﹁えっ? 俺一人で、ですか?﹂
﹁おう﹂
驚いた。まだメインで任せてはもらえないと考えていたのに。
天士の二人もカストルディさんに食いつく。
﹁おい親方、こんな子供に俺の愛機を触られては堪らないのだが﹂
﹁ああ、コイツの愛馬は凶暴だからな。セッティング一つでも素人
には任せられないよ﹂
﹁誰が素人だ! アマチュアと言え!﹂
﹁同じだろ﹂
417
玄人を名乗るのは抵抗がありました。
﹁大丈夫だ。こいつは技術に貪欲だぜ、そこらの職人よりずっと出
来る﹂
そこまで評価してくれていたとは。ちょっとジーンときた。
﹁ただ目を離すと暴走するからな。妙な改造されたくなければこま
めに監視することだ﹂
﹃おい﹄
俺と冒険者二人の声が見事にハモった。
﹁闘技場用のセッティング?﹂
ストライカー
﹁そうだ。ここらで路銀を稼ごうと思ってな、相棒を決闘仕様に作
り替えてほしい﹂
ストライカー
ソードシップ
自由天士の片割れ、人型機乗りのヨーゼフと打ち合わせをする。
彼等は人型機と戦闘機のペアで戦う天士だそうだ。先に帰った彼
が戦闘機乗りだろう。
こういったコンビは珍しくはない。空と地上から同時に作戦行動
を行えるのはとても大きい利点である。
闘技場。冒険者や人型機同士が富と名声を求めて力を競い合う、
割とポピュラーな娯楽だ。
418
地球生まれの俺としては奴隷の剣闘士などダークなイメージの付
き纏う闘技場だが、セルファークでは意外と健全な職業だ。
厳格なルールの下で、審判の判断により勝敗は決する。
﹁勝利条件は三回撃たれれば負け、でしたよね﹂
﹁そうだ、ダメージの大小は関係ない。だから背中の57ミリ砲は
降ろしておいてくれ、重いだけだ﹂
分厚い装甲でコックピットを守られた人型機は、狙った攻撃でも
なければ搭乗者が死亡することはない。勿論正面のガラスは人型機
の大きな弱点の一つだが、戦争や賊退治以外でコックピットを狙う
のは人型機天士にとって御法度であり、闘技場などでやったものな
ら大顰蹙間違いなしだ。
人同士の試合であっても優秀な治癒魔法使いが控えているので、
大抵はなんとかなる。
そもそも刃の付いた武器やHEAT弾等の貫通力の高い兵器は使
用自体禁止である。57ミリ砲程度ならどうやっても頭部装甲を破
れないので許可されるだろうが。
とかく、安全な競技なので腕試しや小遣い稼ぎで出場する人は多
い。
というか健全じゃなかったらアナスタシア様が子供連れて見に行
ったりなんかしない。
ただ注意が必要なのは、治癒費や機体修繕費は自腹ということで
ある。負ければ報酬なし、機体はボロボロと踏んだり蹴ったり。
しかし試合はトーナメント方式であり、一回でも勝てば修理費は
捻出出来るのだ。ボロいぜ。
つまり収支をプラスにしたけりゃ二回勝て、である。
﹁あとは無機収縮帯の反応強化と装甲の軽量化、いっそ油圧関係外
419
します? トップスピードは速くなりますよ﹂
複雑なギミックのないヨーゼフ機であれば、油圧なしでも稼働す
る。
﹁加速が悪くなるだろう、狭い闘技場では致命的だ﹂
うん、言ってみただけ。
﹁機体は基本的な部分だけで構わんよ。試合が終われば戻すのだし、
あんまり弄れば操縦感覚が変わる﹂
﹁了解です。ちゃっちゃとやっときますね﹂
﹁頼んだぞ﹂
工房を去るヨーゼフの背中にニヤリと笑みが漏れる。
﹁基本的な部分だけ? いいぜ、﹃改造﹄するのは基本的な部分だ
けにとどめてやる﹂
せっかくだ。徹底的に、完膚無きまでにメンテナンスしてやる。
﹁俺に機体を預けたこと、心から後悔⋮⋮じゃなくて喜ぶがいい!﹂
﹁ほほぉぉう⋮⋮﹂
あしゅら
背後に阿修羅がいた。
420
ドワーフの屈強な腕力でぶん撫でられた頭がヒリヒリする。
ぶん殴られたのではなく、ぶん撫でられた。
整備士として間違ったことはしていないので、叱るべきか誉める
べきか迷ったらしい。
だからって皮手袋で撫でるのは酷い。ちょっとサービスしようと
思っただけじゃないか。
とはいえ注文外のことをやろうとしたのは事実だし、強く出れな
い。
﹁なんだよ、ちょっと角付けたりするのは誤差の範疇だろーに﹂
額にVアンテナとかどうだろう。
機体をハイハイポーズで降着状態に維持し、厳重にボルト止めさ
れた57ミリ砲をクレーンで釣り上げる。
玉詰ま
﹁あとは手持ち銃のメンテをやっとくか。唯一の射撃武器がジャム
ると戦術が狭まる﹂
安全確認ののち俺よりデカい銃をバラしていると、背中からなに
かがぶつかってきた。
﹁レーカ君聞いてよ!﹂
﹁なんだいマキ太くん﹂
マキさんだった。
421
ふうせんか
﹁また風船花が壊れちゃった!﹂
﹁直せばいいじゃないですか。暑苦しいので離れて下さい﹂
外装修理くらいならマキさん一人でも出来る。
﹁直すよ、私の愛機だもん﹂
所有登録はフィアット工房ですが。
﹁そうじゃなくて、もう負けたくないの!﹂
﹁だから、風船花で闘技場に行くのが間違いなんですって﹂
そう、マキさんは闘技場の常連だったりする。
ふらりと出撃したと思えば、機体を壊して帰ってくる。初めて見
た時は何事かと慌てたものだ。
﹁私は風船花が最強であることを証明しなくちゃいけないの!﹂
﹁土木作業で最強を目指して下さい﹂
武装もない機体で戦闘を行うのが無茶なのだ。
なんでも、事の発端はマキさんの母親、カストルディさんの奥さ
んらしい。
母親はお調子者な人物だったらしく、﹁私は風船花で闘技場を制
覇した!﹂と娘によく話していたそうな。
それを真に受けたマキさんは、言葉だけの事実を実績を伴う事実
にしようと奮闘しているのだ。
事実じゃないってそれ。誇張してるって絶対。
422
﹁そもそもなんですかいきなり? 今更っていうか、マキさん負け
慣れてるでしょ?﹂
﹁負け慣れて堪るかーっ!?﹂
にゃおーっ! と吠える猫耳。
でも実際、上手く修理し易い感じで被弾してるんだよな。だから
マキさん一人でいつも修理してる。
﹁あのねあのね、私は今日も頑張って戦ったの!﹂
語り出した。
﹁今思い返しても手に汗握る戦いだった︱︱︱逃げ回る敵機、必死
に追い掛ける私!﹂
それって適度に距離を置いて銃撃されてたんじゃね?
﹁けど惜しくも一歩届かず、私は撃破されちゃったの﹂
途方もなく遠い一歩だな。
﹁そしたら相手の天士、クリスタル通信越しになんて言ったと思う
!?﹂
﹁なんて言ったんですか?﹂
相槌打ってあげる俺って優しい。
423
﹁﹃風船花っつーより噛ません花? って感じだよな﹄って!﹂ ﹁ぷっ、なんですかそれ。酷いセンスですね﹂
噛ません花って。噛ませ犬+風船花のつもりだろうか。
﹁笑うなっ! だからレーカ君にお願いしたいのよ﹂
﹁風船花の戦闘用への改造ですか? まあ、面白そうですし付き合
いますよ﹂
﹁改造? そんなことしないよ?﹂
ならなにを手伝えと。
﹁レーカ君が風船花に乗って、﹃噛ません花﹄とか﹃テスト先生﹄
とか﹃腕試し1号﹄とか言っている人達を、ギッタンギッタンのボ
ッコボッコのグチャグチャにしちゃうの!﹂
﹁グチャグチャはちょっと﹂
色々言われ過ぎだろ。初戦で毎度負ける風船花はちょっとしたツ
ヴェー闘技場の名物だそうだが。
﹁それに俺が乗れば勝てるとは限らないでしょ﹂
マキさんだって相当の腕前だ。毎日精密機器を運んでいれば、動
作も洗練されるというものである。
﹁聞いたんだからね、レーカ君が軍人さんに勝ったってこと﹂
424
﹁ちょ、誰に?﹂
﹁君達が工房に来た時の、男の子の馬鹿っぽい方﹂
マイケル⋮⋮
﹁いや、それでも。そもそも俺、登録してませんし。出場出来ませ
んよ﹂
﹁大丈夫! いい考えがあるわ!﹂
あ、禄でもないことだ、と俺は直感した。
﹁レーカ君が女装して、私のフリをすればいいのよ!﹂
﹁疲れてるんですよ、マキさん﹂
エアシップ
マキさんの話を適当にいなし、ヨーゼフの人型機を調整し終え就
寝し。
次の日起きたら、飛宙船の中にいた。
しかも猫耳ヘアバンド付きのカツラを被り、スカートを穿いてい
る。
飛宙船の窓に写るのは、女物の洋服を着た幼女だ。
425
ターンセックス
﹁⋮⋮異世界トリップの次はTSか?﹂
勘弁してくれ。年齢変化だけでも大いに戸惑っているのに、性別
まで変わるとか悪い冗談だ。
スカートの中に手を突っ込む。
あった。なにがかは具体的にしないが、あった。
﹁ただの女装かよ⋮⋮マキさんか? マキさんか!﹂
本気で俺を身替わりにして、闘技場に出場させる気なのか?
立ち上がって窓ガラスの鏡にて全体像を確認する。
そりゃあもう、見事な猫耳美幼女だった。
﹁笑えよ。ほら、笑えよ。俺は笑うよ。ハハッ﹂
突然立ち上がった俺に、他の乗客からの不審の視線が刺さる。
この飛宙船は乗り合いのバスか? 町から町へ移動する船ではな
いな、外が暗い岩肌だし。
ここはおそらく、ツヴェー渓谷のどこか、飛宙船用の地下トンネ
ルだ。
そして流れから察して、船がどこに向かっているかは明白である。
﹁やっぱここかい﹂
闘技場だった。
平らな土地を抉り抜いて建設させたこの施設は、基本岩盤剥き出
しである。
天井は存在しない。船着き場から先は常に空が見えている。
手抜き工事ではなく、こういうデザインなのだ。ツヴェー渓谷の
426
職人達は手間を惜しみはしない。
証拠というには弱いが、床は磨いたかのように平らであり、壁も
危険な尖った部分は削られている。
ここは正確にはツヴェー渓谷ではない。渓谷より数百メートル離
れた台地である。
闘技場の要領は円形闘技場、つまりローマのコロッセオと同じだ
が、ツヴェー闘技場は地面を掘って作られた浅く広い縦穴だ。
深さ数十メートル、直径数百メートルに及ぶ縦穴は大型級飛宙船
がすっぽり収まるほど広大だ。競技の障害物として岩が転がってい
るので着陸は無理だけど。
これほど大規模な施設、人型機あってこそだろう。地球でブルト
ーザー使って行うとすれば︱︱︱あれ、なんか出来そう?
地球の巨大建造物を鑑みるに、物量の前に技術差など大して問題
ではないのかもしれない。
トンネルを抜けた先の発着場は闘技場を囲む階段状の観客席に繋
がっている。
﹁さて、どこに行けばいいのかな﹂
ネコミミ
﹁ふっふっふ。道に、否、人生に迷っているようだね少年!﹂
﹁余計なお世話だ﹂
黒フードの女がいた。
小柄な体格。頭のフードを突き上げ二つの突起。
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
空気を読むべきだろうか。
427
﹁なっ、何者!?﹂
我ながら白々しい。
﹁私は⋮⋮えっと⋮⋮私は、とある女性に君の手助けを頼まれた者。
君がレーカ君だね?﹂
偽名は予め考えとけ。
﹁質問です﹂
﹁なにかね?﹂
﹁なんで﹃とある女性に君の手助けを頼まれた者﹄さんとは現地合
流だったんですか。つかどうやって俺を着替えさせて飛宙船に放り
込んだ﹂
﹁ふむ、なに簡単なことだ。現地集合なのは風船花を運び込むのに
私が動かす必要があったから。君が着替えているのは眠りの魔法を
使っただけだ、寝顔はなかなか可愛かったぞー﹂
﹁殴っていいですか?﹂
﹁ま、待ちたまえ。魔法をかけたのは私ではない﹂
今、寝顔は可愛かったって言ったやん。
﹁ならマキさんですね。あとで殴っておきましょう﹂
﹁待て待て、彼女はか弱い女性であって、殴るなんて以ての外だ!
428
むしろ愛でろ!﹂
慌てふためく﹃とある女性に君の手助けを頼まれた者﹄さん。そ
ろそろ勘弁してやるか。
﹁さてマキさん、なにか言いたいことは?﹂
﹁何事も経験だよっ﹂
女装の経験がいつ必要になるんですか。
﹁私は知ってほしかったんだ。レーカ君はメカニックにしか興味が
ないみたいだけれど、世界はもっともっと広い。色々な素晴らしい
ことがあるんだって﹂
俺を女装趣味に目覚めさせたかったのだろうか。
﹁⋮⋮だめ?﹂
﹁⋮⋮まあ、いいですよ﹂
実を言えば以前から闘技場にも興味があった。この期に及んで帰
るのも往生際が悪いか。
﹁じゃあ受付してきますか﹂
﹁うん!﹂
﹁ところで俺の今日の仕事はどうなってるんでしょう?﹂
429
﹁大丈夫、お父さんに休みにしてもらったから﹂
﹁そっすか﹂
﹁その代わり明日が地獄だそうだけど﹂
﹁殴らせろ﹂
一瞬だが、自分が紳士であることを忘れた。
﹁すいません、出場枠はまだ開いてますか?﹂
﹁マキさんですか。いい加減、怪我をする前に手を引いた方が︱︱
︱﹂
声をかけられ振り返りつつ忠告をした受付嬢は、俺達を見て固ま
った。
受付嬢と対面する俺。俺の背後に控えるフードの不審人物。
﹁こんにちは。出場登録をお願いします﹂
後ろから聞こえる声に合わせて口を開閉する。
自信をもって断言しよう。絶対ズレてる。
﹁え、えっと、マキさん? 小さくなったわね?﹂
430
﹁成長期です﹂
﹁瞳の色も変わったわね?﹂
﹁成長期です﹂
﹁別人よね?﹂
﹁成長期です﹂
淀みなく断言するマキさん。すげぇ。あんたすげぇよ。
﹁⋮⋮ではこちらの書類にご記入下さい﹂
﹁えっ、認めるの?﹂
﹁控え室はいつもの部屋となっております。ご武運を﹂
﹁お、おぉ﹂
﹁今日は勝ちにいくわよー﹂
﹁はい、レーカ君﹂
﹁なんですか?﹂
431
マキさんにロケットを渡された。
打ち上げる方じゃなくて、写真を入れるペンダントだ。
﹁胸ポケットに家族や恋人の写真を入れておくと、生きて帰ってく
るってジンクスがあるんだよ﹂
﹁俺がこれから向かうのは生死に関わる戦場ですか﹂
風船花の座席周りの調節を急ぐ。俺の試合まであと一時間もない。
大規模な改修はマキさんの許可が下りないが、少しでも戦闘に最
適化せねば。
﹁あと俺が着てるのワンピースですが。ポケットありません﹂
﹁私のお古だけど、本当に似合ってるよ!﹂
二枚目だからな。
﹁三枚目ってゆーんだよ、レーカ君みたいな人は﹂
失礼な。俺は常に凛々しいのに。
ロケットは首に掛けておく。むしろこれが正しい着用法だ。
﹁鉄板持ってっていいですか? 盾代わりに﹂
﹁固定しなきゃいいよ﹂
ならハンドガンの使用許可が欲しい。あれだって固定してないの
に。
432
﹁一回戦目は絶対に勝ってね。試合相手が﹃噛ません花﹄って呼ん
だ男だから﹂
﹁へーへー、よしこんなモンか﹂
操作卓
座席周りにコンソールを増設する。
戦闘となればイメージリンクに頼っていられない。作業用装備も
フルマニュアル制御可能としなくては。
﹁レーカ君、これ操れるの? 二重鍵盤のピアノ弾くのより難しそ
うだけど﹂
﹁なんとかします﹂
あと二重鍵盤舐めんな。
コックピットに潜る。
﹁もうスタンバイ?﹂
﹁少しでも機体に慣れないと﹂
時間はない。クリスタルの魔力が尽きない程度に、慣熟訓練しな
ければ。
試合時間となるまで俺はラジオ体操を続けることにした。
﹃さあいよいよ第一試合! 初戦は恒例の余興係、風船花戦となり
433
ました!﹄
そういう口上どうかと思うがねぇ?
格納庫兼控え室から闘技場のフィールドに直通するゲート前。こ
の段階で既に会場の熱気が音と振動となり響いているようだ。
マキさんは観客席へ向かい、俺は一人、初めての人型機による実
戦︵前回は訓練だし︶に集中する。
﹃対するはガチターン選手、彼の超重装機はあらゆる敵を蜂の巣に
します! 昨日に引き続き派手な試合を見せてくれるでしょう!﹄
ほう、超重装機?
鉄扉を潜り三〇〇メートル先の敵機と対面する。
すかさず解析開始。その設計コンセプトに変な笑みが漏れざるお
えない。
﹁あんな機体を浮かべて喜ぶか、変態共め﹂
ガチターン機は今まで見た中で最高の重量機だった。
両腕に20ミリガトリング、両肩にも20ミリガトリング、背中
にも20ミリガトリング。
計五門のガトリングを装備している。
整備面から武装を統一しているのか。一発当たればダメージに関
わらず有効打なのだから、もっと小さな機関砲に付け替えろよ。
ひゃっかじん
﹁あれは⋮⋮百花人のカスタム機か﹂
ひゃっかじん
百花人。大戦時に帝国が量産した傑作機だ。
高い性能に優れたバランス、初期状態から五つの武装を搭載可能
な火器管制。ただし、大量生産の為に工作精度は低く乗り心地も悪
434
い。
しかし大量生産故の交換パーツの多さ、汎用性の高さは大きな魅
力であり多くの冒険者の愛機として親しまれている。
ストライカー
ガチターン機は武装を交換している。流石にオリジナルは20ミ
リガトリング×五なんて変態じゃない。
武装も大概だが、脚部は更にぶっ飛んでる。
ビースター
﹁小型級飛宙船を下半身として取り付けるとか、人型機じゃなくて
獣型機だろ﹂
積載量に優れる飛宙船の浮力により、重火力重装甲を運用してい
るのだ。
あれだけの重量であれば、飛宙船といえど機動力の低下は免れな
い。
まさに正面から耐えきり、正面から叩き潰す機体だ。
﹃さあ両者とも準備が整ったようです! ではさっさと終わらせま
しょう!﹄
解説者ひでぇ。いや、選手より観客のテンポ優先なのだろうけど。
﹃試合、開始っ!﹄
合図とともに鉄板を構える。
機体がひっくり返るかと思えるほどの衝撃が、鉄板を介して風船
花を揺さぶった。
飛び散る花火と鉄片。補助腕に加え両手の平で支えなければ後退
してしまいそうだ。
激しく揺れるコックピット。鉄板の盾がみるみる削れる。
435
﹁︱︱︱や、っぱ来たなっ!﹂
三〇〇メートルなど20ミリガトリングの射程に余裕で入ってい
る。射線にいる以上ぶっ放すのは当然だ。
卑怯でもなんでもない。そういう機体なのだから。
長距離攻撃を行う敵に対してこちらには攻撃手段がない。近付か
なければ戦いにすらならない。
少しでも距離を詰めようと左右に回避しつつ駆ける。機動性はこ
っちが上だ円形闘技場のここで逃げ切られることはない。
﹁昨日は追いかけたってマキさん言ってたけど、あれホントかよ!
?﹂
盾を必死に支えつつ叫ぶ。マキさんが誇張したか、上手く接近し
たかだ。マキさんがつまらない嘘を吐くとも思えないし、あれで操
縦技術も高いので意外と後者である可能性も捨てきれない。
ガチターン機は浮遊し高度を上げる。闘技場から出たら反則だが、
たかが数十メートル、されど数十メートル。
上に居座られるのは驚異だ。
﹁そろそろ盾が保たないか﹂
言った途端に限界を迎え、盾がへし折れる。
横に飛び、岩陰に隠れる。
あと五〇メートル。いいところまで近付いたか。
﹃そんな岩で隠れたつもりか、!﹄
クリスタル通信から敵機の声が届く。
436
﹃甘いぜ、俺のガトリングはそんな岩簡単に粉砕するぞ!﹄
宣言通り、みるみる欠けていく岩。
あまり時間をかけては距離を開けられる。ここはやるしかない。
ウインチのワイヤーを岩に巻き、クレーンに固定。
補助腕を突き刺し、両腕も岩に指を食い込ませる。
﹃風船花のパワー、舐めんなあああぁぁぁぁぁ!﹄
操縦桿を全力で引く。
人型機より巨大な岩が持ち上がる。
その異様な光景にどよめく会場。
﹃な、馬鹿な!?﹄
﹁はっ、土木建築用の風船花、リミッター外せばこれくらい屁でも
ねぇよ!﹂
﹃⋮⋮つかお前誰だよ、別人だろ﹄
﹁ぴっちぴちの猫耳美少女だゴラァ!﹂
岩を盾に更に接近。だがやはり、鉄板の盾より脆い!
﹃ここまで届かねぇよ!﹄
﹁届くさ、こうやってな!﹂
両足を地面に踏み締める。
ワイヤーを掴み、その場で一回転!
437
背中を見せた瞬間に短時間掃射を受けるが、耐えきれないほどで
はない。
ダメージを無視し、スイングさせ大岩をぶん投げる!
﹃んな馬鹿なぁ!?﹄
飛来する岩を迎撃するガチターン。投擲した拍子に脆くなったの
か、岩は空中で瓦解する。
大小様々な岩石がガチターン機を打つ。しかしその重装甲はダメ
ージを通さない。
﹃ガ、ガチターン機に有効打! マキ機のダメージ覚悟の一撃が届
きました! 今日の風船花は一味違う!?﹄
だが、ルール上は一発に変わりない。あと二発で勝利だ。
一気に駆け抜ける。
﹃チッ、どこ行った!?﹄
﹁こっちだよ﹂
俺が走ったのは物陰でも、投擲可能な小さな岩が転がるポイント
でもない。
﹁あんたの機体の、真下だ!﹂
﹃なっ!?﹄
解析した時にすぐ気付いた。ガチターン機は真下が見えないし、
銃口を向けられない。
438
﹁つまり、完全無欠な大死角!﹂
﹃はっは、⋮⋮甘めぇよ!﹄
ガチターン機機体底面の装甲が爆破パージされる。
降り注ぐ装甲板、しかしこれは攻撃ではない。
﹃こちとら現役だ、死角なんざねぇ!﹄
黒い物体が内側から射出される。
爆雷。投下型の爆弾だ。
そいつは風船花に着弾︱︱︱
﹁するわけないだろ、﹃視た﹄からな﹂
︱︱︱せずに、マニュピレータで掴み取った。
解析の結果、コイツは時限式。自機からある程度離れたタイミン
グで発動しなければ自らダメージを受けかねないからだろう。
なので当然、すかさず投げ返す。
﹁これ落としましたよ、っと﹂
﹃おい馬鹿やめろうわああぁぁ!?﹄
元々収まっていたウエポンベイに見事はまり爆発した爆雷。ナイ
スシュー。
浮遊装置が大破しガチターン機は墜落、部品と装甲を撒き散らす。
﹃こぉの、俺はまだ︱︱︱﹄
439
﹁パーンチ!﹂
頭部コックピットをポカリと叩く。
これで、三撃目。
﹃トドメのへなちょこパンチがヒットー! ガチターン機、撃沈で
す! 誰が予想したかとんんだ大穴、つか誰か賭けた奴いるのか!
? とにかくマキ機の風船花、連敗記録を破り初勝利を飾ったああ
ぁぁぁ!!﹄
﹁おー﹂とか﹁へー﹂とか微妙な声を漏らす観客達。
観客席で飛び跳ねる黒フードの不審人物。
観客の皆さんはそもそも賭けに参加していなかったな。マキさん
は勝ったかもしれないが、配当は微々たるものだろう。
片手を上げ僅かに俯きつつゲートに戻る。
ただカッコつけているだけである。
﹁悲しいものだな、勝利というものは⋮⋮﹂
なにこれ楽しい。
軽く自分に酔っていた。
﹁覚えておけ、ガチターン﹂
﹃なんだよ﹄
﹁二枚目を敵に回す、それそのものを﹃死亡フラグ﹄と呼ぶのだ︱
︱︱!﹂
440
﹃⋮⋮⋮⋮。﹄
﹁レーカくぅぅぅん⋮⋮﹂
﹁勝ちましたよ﹂
風船花の前で涙目のマキさん。
﹁壊れてる、傷だらけ、ぼーろぼろ、あっはっはー﹂
風船花初勝利が嬉しすぎて泣いているらしい。いいことした。
﹁とにかく、これで俺の仕事も終わりですね。﹃噛ません花﹄呼ば
わりした男も倒しましたし﹂
﹁なにいってんの。目指すは優勝よ!﹂
あんたがなにいってんの。
風船花は無茶な運用のせいで内側からダメージが蓄積している。
オーバーホールが必要なレベルだ。
あれ、もしかしてそれも俺の仕事?
﹁レーカ君は私の見立て通り強かったわ! このままビクトリーを
勝ち取るの!﹂
441
﹁別に貴女が見立てたわけじゃないでしょ﹂
﹁おーう、邪魔するぜ﹂
格納庫に髭面男が現れる。
﹁げっ﹂
露骨に顔をしかめたマキさんに、溜め息を吐く髭。
﹁げっ、はないだろ⋮⋮まあ俺が悪かったけどよ﹂
﹁なにしに来たのよ、ガチターン﹂
あの機体の天士か。
﹁その⋮⋮なんだ、あれだ。お前さんに謝ろうと思ってな﹂
後頭部を掻きつつ視線を逸らし、でもやっぱりマキさんに向かい
合い直すガチターン。
﹁﹃噛ません花﹄なんつって悪かった。いい人型機じゃないか、風
船花は﹂
﹁⋮⋮そうでしょー! どうよ、どうよー!﹂
しかめ面から一転喜色満面となるマキさん。単純である。
バシバシとガチターンの背中を手の平で叩きまくる。
﹁ふふふん、私が本気になればこんなモンよ!﹂
442
﹁いや、試合で風船花に乗ってたのお前じゃねぇだろ?﹂
﹁⋮⋮ワタシダヨ?﹂
嘘吐け。
﹁誰が乗ってたかはともかく、二回戦目にも出るのか?﹂
﹁機体損傷が激しいから辞退﹁なんかしないわ! 目指すは最強!
風船花がトップであることを証明するの!﹂聞けよ﹂
意地でも勝ちたいらしい。
﹁だそうだ、頑張れよ⋮⋮坊主? 坊主だよな?﹂
﹁妹よ﹂
初耳である。
﹁だが次の試合はキツいと思うぜ、相手はバランス型の正当機だ。
かなりいいセッティングなのか、動きのキレが半端じゃない﹂
﹁っていうかあれ、昨日レーカ君が弄ってた機体だよね﹂
﹁え?﹂
闘技場を覗ける窓から試合の勝者を確認する。
昨日俺が、闘技場仕様に改造したヨーゼフ氏の機体だった。
443
﹁自分が調節した機体を自分で壊すのってどんな気分?﹂
﹁あっ、泣きたい﹂
再び会場に足を踏み入れる。
最初より観客の声援が大きい。負け続けの奴がたまに勝つと応援
したくなるよね。
相手ゲートからも人型機が現れる。
武装は長剣とハンドガン。銃は連射不可能だが、しっかり狙えば
充分会場全てが射程内だ。
本来57ミリ砲が長距離攻撃を担うが、射程距離は手持ち銃と変
わらないので外している。軽くなった分接近戦能力が向上しており、
武装のない風船花では分が悪い。
﹁けど近付かなきゃ話にならないんだよなぁ⋮⋮うーん、素晴らし
いメンテだ。弄ったメカニックは腕がいい﹂
﹃なにを自画自賛しているんだ、君は﹄
うげぇ、こっちの正体がばれてる。
﹁お久しぶりです﹂
﹃今朝機体を受け取りにいったら君は行方不明だと聞いたが、なに
444
があった?﹄
﹁下っ端の辛いところです﹂
﹃そうか﹄
それだけ呟き、通信が切れる。冷めてるぜ。
﹃さぁーあ、いよいよマキ機の第二試合です! 先の勝利は偶然か、
はたまた我々はツヴェーの新たな伝説を目撃しているのか!? 相
手なんてどうでもいいので早速始めましょう! 試合開始ッ!﹄
ヨーゼフ機の扱いが酷いぞ。
観戦客の声援も概ねこちらに向いているようである。あんまりだ。
まずは岩場に隠れる。あの人型機に三〇〇メートルの距離から岩
を砕くような火力はない。隠れていれば勝手に近付いてくるはずだ。
今のうちにウインチのワイヤーを編んで、ある﹃武器﹄を作る。
最も原始的であり、人力としては割と強力な類の兵器。
﹁出来たっ﹂
投石機
スリングである。
﹁敵機との距離は⋮⋮二〇〇メートル﹂
急いだつもりだったが時間を取られた。さっさと作戦開始だ。
岩をスリングに込めて周辺環境を解析。
空気圧。温度。湿度。大気の粘度。風量。その他、弾道に影響す
る全てをシミュレートする。
風船花も同等に解析、支配。
445
ありとあらゆる要素を計算し尽くし、岩を投擲!
二〇〇メートル先の移動物体を観測班も誘導もなしに曲射で狙う
なんて本来は不可能だが、全てを単身で担える俺には可能。
一度空高く舞い上がった岩石は、重力のまま高速で敵機に自由落
下する弾頭となる!
想定外の攻撃だったのだろう、直前まで反応しなかったヨーゼフ
機は着弾寸前で横に跳躍、回避した。
機体へのダメージは皆無。手持ちの銃が持ってかれてスクラップ
になっただけだ。
﹁チッ、もっと致命的なダメージを期待したのに﹂
前回の試合から、敵は俺が岩を投げることで数十メートルの長距
離攻撃が可能と判断していたはず。
なので接近に回避行動を組み込むのは精々一〇〇メートル以内。
一〇〇∼三〇〇メートル間では直線移動を行うと踏んだのだ。
直線移動ならば予測による曲射が行える。しかし、それももう通
じないだろう。
ぎょうこう
﹁だがハンドガンを潰せたのは僥倖か。中距離ならジワジワなぶら
れるのはゴメンだ﹂
俺が一番恐れていたのはそれだ。接近戦に強制的に持ち込めただ
けでもよしと⋮⋮
﹁って、あの銃、俺が昨日丁寧に整備し直した奴じゃねぇか!﹂
トラブルが起きないようにと丹誠込めてメンテしたのに。あの様
子じゃジャンク直行だ。
446
﹁畜生、ちくしょお﹂
半泣きで目の前の大岩にワイヤースリングを巻き付ける。手慰め
である。
﹃なんというか、怒る気も失せるな。もっと目の前に集中したらど
うだ﹄
﹁ちょっとほっといてくれ。今落ち込んでいるんだ﹂
いじけている間に寸前まで接近した敵機に視線を向ける。
﹃余裕だな!﹄
﹁うん接近戦自信あるし﹂
長剣を振りかぶり、風船花に叩き付けんとするヨーゼフ機。
その切っ先を補助腕で掴んだ。
﹃なっ、なに!?﹄
風船花本体はだらりと棒立ち。
補助腕だけが器用に動き、白刃取りをしてみせたのだ。
﹃馬鹿な。どれだけ精密な制御をすれば、腕を壊さずに白刃取りな
ど﹄
﹁そうでもないさ。補助腕は単純なペンチだが、その分強度が強い。
マニュピレータじゃこうも簡単にはいかないよ﹂
447
片足を後方に下げ両手の平で掌底を胴に叩き込む。
﹁吹っ飛べ!﹂
﹃ぐうぅ!?﹄
地面から浮き上がり、五メートル程後退する敵機。
勿論剣は手放したりなんかしない。
﹁借りるよこれ﹂
剣を握り軽く振るう。武器ゲットだ。
﹃強い、強いぞマキ・フィアットォォッ! あっさりと一ポイント
先取だ! このまま押し切るのか!?﹄
ハンドガン破壊はノーカウントか。まあいい。
スペアのナイフを握る敵機。
﹃やはり卑怯だな、武装が見透かされているのは﹄
まったくだ。
リーチとは絶対的な差だ。剣が槍に勝るなど迷信であり、結局は
遠くから一方的に攻撃出来る方が強い。
ナイフの存在は知っていた。だが、槍が剣に勝るように、剣はナ
イフに勝る。正しい武術を会得していればそうそう勝敗が逆転する
ことはない。
同じ条件、得意な接近戦、こちらが有利な武器。
これだけの条件に、勝利は必至と慢心してしまったのだ。
剣を横凪ぎに振るう。
448
ヨーゼフ機はそれを防ぐ素振りすら見せず無視した。
﹁は?﹂
片腕を切り落とす長剣。
しかし敵は怯むことなく接近、懐に入り込む。
ナイフがクリスタルの存在する胸部、その外装の隙間に突き刺さ
る。
﹁しまった︱︱︱﹂
魔力伝達が途切れるのが判る。風船花の半身が死んだ。
片膝を付く風船花。
敵機はあと一撃で落ちる。こちらはあと二撃、しかし半壊。
まずい。こんな状態では剣はもう使えない。
﹃戦いの心得えがあるようだが、人間と人型機では勝手が違うぞ。
機械は腕が落ちようと痛みを感じないからな﹄
﹁そうだったな、師匠に言われてたのに!﹂
人体と機体は別物であると、散々アナスタシア様に教えられてい
たはずだ。
更に言えばあんなナイフで貫けるのは非戦闘用の外装のみ。風船
花が戦闘用の装甲を備えていれば、刃の方がへし折れていた。
メカニックでありながら、彼我の機体特性を理解し切れていなか
った。とんだ失態だ。
﹃先程の試合もそうだが、君は厄介だ。さっさと終わらせるぞ﹄
449
ナイフを動かない側から風船花に突き立てるヨーゼフ。これで二
撃目。
一度引き抜き、再び放たれる切っ先。
﹁こうなりゃ一か八かだ!﹂
審判にどう判断されるか判らない。同士討ち扱いされるかもしれ
ない。
だが、指一本でも動くのなら諦めない。風船花はまだまだ死んで
なんかいない!
岩に巻き付けたワイヤーウインチを少しだけ巻き上げる。
数メートル後退する風船花。ナイフの切っ先から僅かに逃げる。
﹁こんなこともあろうかと! さあ一緒に逝こうぜ!﹂
突き出された腕を補助腕で挟む。それこそペンチで握り潰さんと
するほどに。
﹃なにを︱︱︱﹄
﹁いけええぇぇぇぇ!﹂
ウインチを全力で収縮! 一気に敵機諸共大岩に突撃する!
﹃自滅する気か!?﹄
﹁ごめんだな、それは!﹂
生き残った足の裏を敵機の腹に押し当てる。
背を丸め、足で敵機を持ち上げ後方回転!
450
﹃まさか﹄
﹁巴投げええぇぇぇ!!!﹂
後ろの岩に敵を投げぶち当てる! ついでに風船花も勢いのまま
体当たり!
フレームの歪む軋みの音、内装が砕ける金属音。
それは風船花も同等。重大なダメージを免れない。
沈黙する敵機。静まり返る会場。
﹃す、凄い一撃が決まりました⋮⋮ですが両者とも3ポイント目、
いえ⋮⋮﹄
風船花の脚部に魔力を注ぐ。
油圧は断線し、無機収縮帯も疲労が溜まっている。
それを許容以上の過剰魔力を注ぐことで収縮させる。もう大腿部
の収縮帯は交換必須だな。
﹃た、立ち上がりました! 満身創痍のマキ機、自滅せずに起動!
二ポイントのままとし、この試合風船花の勝利です!﹄
ほぼ片足立ちの人型機に、多くの人々が歓声を送る。
だが俺の心境は暗澹たるものだった。
﹃どうした、皆君の勝利を祝っているんだぞ﹄
自機が大ダメージを与えられたというのに冷静沈着に問うてくる
対戦相手。
451
﹁⋮⋮こんなに風船花をボロボロにして、勝利に意味があるんでし
ょうか?﹂
﹃やれやれ。その機体は君に応えたのだ。君が褒めてやらねばどう
する﹄
﹁誉める? 人型機を?﹂
﹃長く天士をやっていると解るのだ、人型機にも意志があると。そ
れに君はメカニックだろう、壊れたなら直せばいいではないか。世
界の大半の物は修理可能だ﹄
﹁⋮⋮はい﹂
そうだ。壊れたなら直せばいい。
世の中に沢山ある﹃修理不可能なもの﹄を守る者、それが人型機
なのだから。
﹁ふへへへへ∼、ぼっろぼろ∼、ふーせんかぼっろぼろ∼﹂
マキさんが壊れた。 ﹁あー⋮⋮えっと﹂
452
さすがに開き直れない。壊し過ぎた。
マキさんじゃなくて、風船花を。
﹁棄権、します?﹂
﹁する﹂
おや。意外にも肯定された。
これだけ損傷していれば当然なのだが、マキさんはそれでも優勝
を目指すと思っていた。
風船花の現状はクリスタル制御用魔導術式が中破、油圧システム
が大破、背面作業用アーム類が大破、無機収縮帯⋮⋮特に下半身が
中破である。第一試合でリミッターを外したのが全身に響いている。
フレームや内部機構は比較的無事だが外見は満身創痍、辛うじて
人型というレベルだ。
﹁風船花の損傷もそうだけど、次の相手はやばいの﹂
﹁やばい?﹂
﹁うん。さっき気付いたけど、あの人には勝てない。どんな天士で
も。⋮⋮銀翼でも﹂
銀翼でも、って、嘘だろ?
シルバーウイングス。トップクラスの操縦技能を持った天士に送
られる、天士資格の最高位。
地球でいえばテストパイロットや宇宙飛行士などの領域に生きる
者達。
それが、勝てない?
453
﹁⋮⋮ガイルでも?﹂
俺が唯一会ったことのある銀翼がガイルだ。ツヴェーに来てから
多くの天士と出会ったが、未だシルバーウイングスはおろかトップ
ウイングスにすら遭遇していない。
﹁それは判らない。ガイルさんも伝説クラスの人だから。そもそも
飛行機天士のガイルさんと人型機天士の彼女では戦場が違うもの﹂
伝説⋮⋮ガイルが? それと今、彼女って?
﹁次の試合の相手は女性ですか?﹂
頷き、窓の側に手招きするマキさん。
控え室から闘技場を観戦する窓を覗いた先には、まるで甲冑のよ
うな人型機が立っていた。
足下には試合相手と思われる人型機。⋮⋮だった物。
四肢を切り刻まれ、装甲をバターのように裂かれた人型機のスク
ラップ。
﹃圧倒的だあああぁぁぁぁ!! 何人たりとも寄せ付けない、まさ
しく最強の伝説!! 彼女が闘技場に現れた以上他の選手は平伏す
しかないというのかあぁぁ!?﹄
興奮気味のアナウンス。だがそれも当然だろう。
一目で理解した。あれは異常だ。解析するまでもない。
違うのだ。あれは兵器ですらない︱︱︱魔神だ。
どこか達観した猫の瞳でマキさんは呟く。
﹁そう、世界最古にして最強の人型機天士、キョウコ。彼女が次の
454
試合相手よ﹂
最古にして最強。
それが、俺がこの世界で出会った二人目の﹃銀翼の天使﹄だった。
455
転生者と最強最古
ふうせんか
ストライカー
フィアット工房の作業場に並び横たわる三機の人型機。
一つは全身を徹底的に隈無く大破した風船花。
一つは二人組の冒険者の片割れ、ヨーゼフ氏の人型機。
そして最後の一つは、甲冑のような流線の美しいシルエットを持
つ、最強最古の人型機。
じゃけんひめ
﹁蛇剣姫、か﹂
めがた
言われてみると機体のシルエットは女性的なラインを描いている
ようにも見える。女型の人型機⋮⋮なんてわけではなかろうが、搭
乗天士に合わせてそれっぽい意匠となっているのだろう。
美しい、と思う。
ひとがた
兵器の枠を越え芸術品にすら昇華された機体。
名も知らぬ名工の手掛けた巨大な人形は、しかし今は隻腕となっ
ていた。
﹁いや俺が奪ったんだけどさ﹂
風船花を大破させてやっとの戦果がこれだけだ。接近戦には自信
がある、などと自惚れていた自分が恥ずかしい。
世界は広い。俺の知るゼェーレストとツヴェーなんて、セルファ
ークのごく一部でしかないのだ。
結論は置いといて、まずは昨日の試合の顛末を語るとしよう。
456
﹁マキさん。戦いたいです。俺、最強と戦ってみたい﹂
闘技場の控え室。
中破した風船花を前に、俺は自分の意志を表明した。
﹁な、なにいってんのレーカ君!? 最強だよ!? そこらの子供
みたいな自称最強じゃなくて、ほんとのほんとに最強なんだよ!?﹂
両手を羽ばたくように振り叫ぶマキさん。
﹁判ってますよ。セルファークで一番、あるいはそんな領域の強者
なのでしょう?﹂
﹁レーカ君は解ってない! 最強なんだから!﹂
﹁お願いします。風船花を、あと一度だけ使わせて下さい﹂
頭を下げる。
闘技場に参加したのは、元を辿ればマキさんの我が儘だ。
実際、次の試合が平凡な相手であれば棄権も受け入れた。風船花
はもう限界なのだ、無理をさせたくはない。
けど、最強とあらば。
勝利に興味があるわけではない。知りたいのだ、銀翼の名の意味
を。
セルファークの人々が畏敬して止まない、様々な時代に生きる英
457
雄。
その中でも尚最強の天士と戦える機会など、そう訪れはしないだ
ろう。
﹁お願いします。マキさん﹂
﹁⋮⋮一つだけ、条件があるわ﹂
﹁条件?﹂
マキさんは俺を指さし、その条件とやらを提示する。
﹁負ける前提なんて許さないんだから! やるんなら、勝ちなさい
!﹂
﹁え、それは確約出来ませんが﹂
﹁そこは﹃おうっ!﹄とか﹃はいっ!﹄とか言いなさい!﹂
﹁⋮⋮はい﹂
﹁気合いが足りないッ! もう一度!﹂
修理初めてもいいかな。
風船花は中破という名のほぼ全損であり、完全修理は容易ではな
458
い。
なので修復は必要最低限の部分に留めることにした。
作業用器具は全て降ろし、油圧関連もオミット。
開いた空間に無機収縮帯を多めに張り直し、外装を錬金で繋ぎ目
なく修復。気休め程度だが強度と軽さを兼ね備えていたはず。
油圧をばっさり捨てた風船花は鉄兄貴と変わらない。パワーが落
ちた分、瞬発力とスピードを生かしたセッティングを心掛ける。
﹁こんなものか﹂
修理の完了した風船花を見上げ汗を拭う。
設計上想定されていない無機収縮帯の張り方をしたので、相当ピ
ーキーな操縦特性になっているだろう。ぶっつけ本番で物にしなけ
ればならないとは罰ゲームだ。
﹁マキさーん、早く棄権の手続きを⋮⋮ふぇえ!? な、なんで機
体が一時間で直ってるの!?﹂
俺、頑張った。
控え室にやってきたのは口パクを黙認した受付嬢だ。
ふぇえ!? って随分と可愛い驚き方である。
﹁フィアット工房の職人にかかればこんなもんですよ﹂
ない胸を張るマキさん。耳も心なし嬉しげにぴくぴくさせている。
﹁名高きフィアット工房といえど、あれだけの損傷を短時間で直す
のは困難かと思いますが⋮⋮﹂
本来なら修理に一日掛かる。魔力量に任せパーツをでっち上げ、
459
効率よく組んだ結果だ。
ただ精度面は少し甘い。鋳造魔法の工作精度はカストルティさん
にも褒められているが、それでも慎重に作った方が出来がいいのは
当然。
﹁⋮⋮というか、出場するんですか? 次の相手はキョウコ様です
よ? 負けますよ?﹂
ちょっとカチンと来た。
﹁負ける前提だから誰も勝てないんでしょう﹂
売り言葉に買い言葉。でもそれだけじゃない。
勝つ確約は出来ないが、負ける前提で挑むなんてごめんだ。
﹁そうです! 勝っちゃいますよ、レーカく⋮⋮じゃなくて私は!﹂
マジ
﹁本気で?﹂
マジ
﹁本気で!﹂
これはえらいことになった、と慌てて退室する受付嬢。
なんだろう、嫌な予感がする。
460
﹃信じられない情報が飛び込んできましたぁぁ! 風船花のマキ選
手が最強最古の人型機、蛇剣姫の撃破を宣言したあああぁぁぁ!?
どうなっている風船花、なにが起こっているんだ今日のツヴェー
闘技場はぁぁぁ!!?﹄
ほーらやっぱり。
俺としては全力で挑みたいだけであり、名誉名声に興味ないので
気負いもない。
冷めた俺と対照的に、会場のボルテージは鰻登りだ。
﹃改めてご紹介致しましょう! 最古にして最強の人型機、蛇剣姫
! そしてそれを駆るは銀翼の天使と名高いキョウコ選手だああぁ
ぁぁぁ!!﹄
﹁いよっ、キョウコ様!﹂﹁お美しいですキョウコ様ー!﹂﹁踏
んで罵って下さい! 蛇剣姫で!﹂と沸き上がる観客席。
﹃対するはツヴェー渓谷の名物となっていた、究極の噛ませ犬! マキ・フィアット選手の操る土木建築用人型機、風船花ああぁぁあ
ぁ!!﹄
﹁負けたら人生ままならないぜー!﹂﹁カワイー!﹂﹁踏んで嘲
笑ってくれ! 風船花で!﹂と奇妙な方向に沸き上がっている客共。
変な奴が多いな。
﹃勝敗など見えていそうな試合ですが、多くの決闘を見てきた私に
は解りますっ! 風船花は、強者の気配がするとしか言いようがな
いっ! むしろ別人の気配すら発するが、そこんとこどーなの!?
我々が目撃するのは伝説の証明か、あるいは新たな伝説の始まり
かっ!? さあ張り切っていきましょう、試合、開始いいいいぃぃ
461
ぃぃっ!!!﹄
打ち鳴らされる鐘の音に俺はペダルを思い切り踏み込む。
解析の結果、蛇剣姫は極めてシンプルな人型機だ。
否、シンプルどころではない。あれは最早︱︱︱
﹁人体の模倣﹂
限りなく人に近いフレーム、無駄すらも転写された、人そのもの
の設計。
クリスタルの魔力を全て機体に供給する為か、余計な物は一切付
いていない。
唯一の武装は蛇のように曲がりくねった剣、まさしく蛇剣だ。
﹁フランベルジェ、だっけ﹂
刃が波打った剣。
突き刺した敵の肉を内側から抉る、文字通りエグい剣である。
こともあろうか蛇剣姫の全長とほぼ変わらない巨大なフランベル
ジェには、魔刃の魔法の為だけにクリスタルが埋め込まれていた。
魔刃の魔法を覚えているだろうか。木刀を真剣に変えてしまう、
切れ味を強化する魔法だ。
フランベルジェにはその魔導術式が刻み込まれている。それも、
過剰ともいえる出力で。
それが先の試合の結果だ。あの刃には触れただけで上から下まで
両断される。あのバラバラとなった人型機のように。
そんな玄人向けの武装﹃のみ﹄を装備したのが、蛇剣姫である。
頭がおかしいんじゃないだろうか。接近戦の武装のみに特化して
いるなんて。
接近戦武装﹃すら﹄持たず敵に突進しながら、そんなことを考え
462
る。
とにかく距離を詰める。互いに近付かなければなにも始まらない。
疾走する俺に対し、蛇剣姫は静かに歩くのみ。
剣をだらりと提げ、切っ先を地に触れるか否かの高さで保ち、一
歩一歩静かに前進する。
それはきっと、作戦ですらない。
近付く者は斬り伏せる。投擲であろうと、砲弾であろうと例外は
ない。
そう、雄弁に語っていた。
︵くっ⋮⋮⋮⋮!︶
プレッシャーに負けて止まりそうになる足を叱咤し地面を蹴る。
論外だ。自分に負ける奴が敵に勝てるものか。
あと五〇メートル!
考えるな! イメージするのは分解された風船花じゃない!
地に伏す蛇剣姫だ!
﹁うおおおおぉぉぉ!﹂
二〇メートル地点で片足を大きく後ろに振り上げ︱︱︱
﹃こっ、これは!?﹄
実況者の驚きの声。それを聞き流し、俺は。
﹁目眩ましいいぃぃ!﹂
爪先で土を蹴り飛ばした。
463
﹃え、えええぇぇぇぇ⋮⋮﹄
不満そうな声出さないでほしい。
舞い上がった土は蛇剣姫のコックピットに降りかかる。
流石に歩みを止め、手で視界を守る蛇剣姫。
﹁今だ!﹂
この隙に、更に接近!
﹃馬鹿にしているのですか、貴女は﹄
初めて聞く敵天士の声。それを思考から振り切り、風船花を跳躍
させる。
﹁っらあぁ!﹂
﹃む?﹄
一旦停滞した状況からの、瞬時の加速。
独特の歩法によりトルクをほぼ全て前進することに割り振り、同
時に敵の認識を錯覚させやすくする。
﹃なるほど、縮地ですか﹄
人型機による武術の再現。それが、俺が今持ちうる唯一の手札だ
った。
だが、最強はそれすら意に介さない。
完璧な間合い、タイミングで横から振るわれるフランベルジェ。
ビビるな。こんなの、﹃計算内﹄だ。
464
敵機を解析する。
前々から考えてはいたのだ。自機を解析し掌握出来るのなら、敵
機も同じ可能性があるのではないか、と。
証明と実践が同時なのが些か不安だが、やってみせる!
蛇剣姫を解析開始。駆動系、魔導術式、コンソール、操縦桿⋮⋮
天士が入力した操作が人型機の挙動に反映されるまでのタイムラ
グ。
チャンスとすら呼べない僅かな時間。だが、それでも間違いない。
解析を使えば、敵機の動きを先読み出来る。そう確信する。
迫り来る剣先に指先を伸ばす。
防ぐのでも、かわすのでもない。
押す。
ブレードの魔刃の魔法が効力を発していない腹の部分に、指先を
当てそっと逸らす。
下に軌道修正されたフランベルジェを、ほんの少しだけ飛び上が
ることで回避する。
︵まだだ、フランベルジェは両刃剣だ。すぐに返しがくるぞ!︶
しかし蛇剣姫はそんな常識的な剣技を振るいはしなかった。
片足で爪先立ちとなり、独楽のようにその場で一回転ターン。
剣に制動を掛けるのではなく、運動エネルギーを更に加速させる
ことで想定以下の時間、想像以上の速度で再び俺を切らんとしたの
だ。
風船花はジャンプしたことで攻勢に出れないとはいえ、この距離
で背中を一瞬でも見せるとはとんだ度胸だ。
地を這う切っ先が蛇剣姫を中心に真円を描き、地面をコンパスの
ように切り裂く。
ようやく機体は滞空を終え地面に着地。
465
﹁間に合えっ⋮⋮!﹂
今すべきことは回避ではない。
更に踏み込む。双方の距離、僅かに数メートル。
接近戦ですら分が悪いのであれば、超接近戦を挑むのみ!
長剣の取り回し上、振るいにくいほぼ〇距離︱︱︱即ちクロスレ
ンジ。
間髪入れず距離を開けようとする蛇剣姫を迷わず追撃する。
ここまで迫れたのは偶然だ。一度距離が開けば、もうチャンスは
ない!
剣を持った蛇剣姫の腕を片手で受け止め、開いた片手で拳での応
酬を繰り広げる。
フェイントを織り交ぜての打撃技。しかし、それでも攻めきれな
い。
こいつ、単純に格闘技まで達人クラスなんだ。こちらは挙動予知
までしているのに。
蛇剣姫が消えた。
﹁は?﹂
刹那、コックピットを大きく揺さぶる衝撃。
一瞬だが見えた。蛇剣姫の爪先が風船花の頭部を蹴り上げたのだ。
︵コイツ、バック転ついでに攻撃しやがった⋮⋮!︶
蛇剣姫は限りなく接近していることを逆手に取り、急降下によっ
て視界から喪失してみせたのだ。
最小限の操作による認識の錯覚。この短時間で、俺が何らかの方
法で予知を行っていることを見抜いて対策したのか?
まるで後ろを取られた戦闘機が急降下で視界から逃げ去る航空技
466
能、コノハオトシである。
頭部を跳ね上げられて宙を舞う風船花。
転倒したら終わりだ。追撃されて積む。
風船花は頭部から落下すると判断し、両手の指を地面に突き刺し
逆立ちで踏ん張る。
全重量を支えることとなった腕部の無機収縮帯が悲鳴を上げる。
油圧なしだとやはりパワーが小さい。
しかし落ち着く暇はない。背面に迫る剣。
手は使えない。仕方がないので足の裏で挟み取る。
風船花と蛇剣姫二機分の重量を支えることとなった両腕が、衝撃
のあまり手首まで地面に埋まった。
﹃器用なものですね、足で白刃取りをされたのは初めてです。貴方
には背後が、未来が見えているのですか?﹄
﹁ああ、はっきりと視えているよ!﹂
剣を押す蛇剣姫と、剣を足で挟み抑える風船花。
端から見れば冗談じみた光景だったが、俺としては真剣である。
﹃双方、交戦開始五秒にて凄まじい展開だ! キョウコ選手一ポイ
ント先取、そのまま叩き斬るかと思えばマキ選手神業じみた防御!
これはまだ、試合の推移は読めないと判断すべきかっ!?﹄
五秒、か。あれだけの攻防が一瞬だったなんて。
﹃ふむ﹄
敵天士、キョウコが呟く。
剣が光を纏う。
467
コックピットでも察知出来るほど濃厚な魔力。まさか︱︱︱
風船花の足の裏に貼られた保護板が溶け落ちた。
﹁うわわわわっ!﹂
慌てて足を離して転がりつつ距離を取る。
蛇剣姫はなぜかそれ以上の追撃を控えた。気まぐれで見逃した?
改めて蛇剣姫を確認すると、フランベルジェが外見から一変して
いる。先程まで魔刃の魔法の効力は刃にのみ発動していた。しかし
今は違う。剣全体が光を放ち、若干リーチも長くなっている模様。
さっきまでは剣の横腹は接触可能だったが、今後はアウトだろう。
あの剣は、きっと横にしてぶん殴っても切れる。
とりあえず足裏の保護板を引っ剥がす。人間にとっての靴だ、な
くても歩ける。
﹁それがその剣の本来の使い方?﹂
﹃はい。先程までは簡易省エネモードです﹄
凶悪過ぎるエコモードである。
﹃訊いてもいいですか?﹄
﹁なんだよ﹂
﹃さきほど実況者曰く、貴方が私を倒すと宣言したそうですが、そ
れは本当ですか﹄
﹁︱︱︱ああ、言った﹂
468
﹃そうですか﹄
切られた。
初動すら見えず、風船花が胴体部から上下に別れていた。
﹁は︱︱︱?﹂
﹃忠告しておきます。貴方程度であれば、世界に幾らでもいる。私
を倒すなど妄言を吐くのはやめなさい﹄
地面に崩れ落ちる風船花。辛うじてフレームと外装が皮一枚で繋
がっているが、内部機構は完全に断絶された。
︵なにが起こった? なにをされた!?︶
一瞬蛇剣姫に魔力がたぎるのを感じた。
つまりは簡単なことだ。フランベルジェがそうであるように、蛇
剣姫そのものが魔力消費を抑えるエコモードだったのだ。
蛇剣姫は察知すら不可能な速度で踏み込み剣を振るった。ただ、
それだけ。
︵そういうことか、妙な設計だと思ったが︶
兵器にあるまじき無駄の多い蛇剣姫の設計は、人間で言う﹃火事
場の馬鹿力﹄を再現する為なのだ。
﹃弱者には囀る権利すら与えられない。それが戦場です﹄
蛇剣姫は今までこれっぽっちも本気を出していなかった。
踵を返しゲートへ向かう蛇剣姫。
469
﹁ま、待て! まだ二撃目⋮⋮﹂
上半身なら動く、戦闘不能と判断されるのは癪だ。
せめて致命的なとどめを刺されるまで、と手を伸ばし︱︱︱足下
から伝わる魔力が収縮していくのを感じた。
風船花をつぶさに解析する。
クリスタルが、両断されていた。
﹃風船花の魔力反応収縮を確認、クリスタルが破壊された模様! やはり強かったキョウコ選手、貫禄の︱︱︱﹄
解説が熱狂的にまくし立てるのを、俺はどこか他人事のように聞
いていた。
いいのか、それで?
まだ出来ることはないか?
まだ可能性はないか?
まだ手段はあるんじゃないか?
まだやれることはあるはずだ。
まだだ。まだ、終わってやるものか。
︵いつもと同じだ。ツヴェーに来て散々やったこと。それを、一息
でこなすだけだ︶
切断された機体の断面。
足りない部品は錬金魔法ででっちあげろ。
断ち切れた無機収縮帯は金具で繋いでしまえ。
クリスタルの変わりは⋮⋮俺自身だ!
コックピット奥からケーブルを引っ張り出し、顎で噛んで固定。
自分の魔力を流し込む。
470
ピクリと風船花の指先が動く。
足を止める蛇剣姫。
﹃まさか﹄
二脚で大地を踏み締め、上半身を持ち上げる。
ざわめく会場。どこか戸惑った様子の蛇剣姫。
それが可笑しく、口の端を少しだけ吊り上げ笑った。
﹃まだ終わってないぜ、最強最古︱︱︱!﹄
風船花は力強く駆け出す。
﹃風船花、再起動!? ありえるのでしょうか、そんな人型機が︱
︱︱?﹄
困惑するアナウンス。
このまま突っ込んでも先の二の舞だ。
操縦精度はほぼ同等。判断力と機体性能はあちらが上。
真っ向からやれば勝ち目はない。
いや、あと一つだけある。俺にはあって敵にはないものが。
︵解析魔法⋮⋮!︶
敵機を併せて解析し、次の挙動を予想しても勝負は五分。反応し
きれない小さな不意打ちから崩されるのがオチだ。さっきはそれで
形勢逆転された。
だが、解析魔法の限界とはどこまでなのだろう?
目の前の機械? 三〇〇メートル先の敵? 違う。そんな区切り、
あくまで主観的なものではないか?
471
﹃弱者には囀る権利すら与えられない。それが戦場です﹄
キョウコはそう言った。いいだろう、ならば。
ならば、この闘技場ごと、環境を、時間を、思考すら。
この場に存在する、ありとあらゆる要素を︱︱︱
セカイ ノ スベテ ヲ カイセキ シロ
脳裏に浮かび上がる3Dで再現された会場。
大気も、熱量も、魔力も。
そして、キョウコの思考ルーチンすらも。
︵ぐっ︱︱︱!?︶
他人の脳を覗き見るのは流石に負担が大きい。記憶を読み取るな
どではなく、あくまで﹃なにを見てどう体を動かそうとしているの
か﹄という表層のみだというのに。
﹁ぐ、おおおおぉぉぉおおおぉぉおおおっ!!﹂
魔力を更に機体に流し込む。
風船花も蛇剣姫も、既に許容以上の魔力を供給され自壊しながら
稼働している。
﹃速いっ!?﹄
一気に接近! フランベルジェが振るわれるより早く、蛇剣姫に
472
肉薄する。
剣は間に合わないと判断し、拳を放つ蛇剣姫。
その拳を真っ向から掴み取る。
﹃な、読まれた? このタイミングで?﹄
﹁借りるぞ!﹂
精錬魔法と鋳造魔法を発動。
蛇剣姫の片腕を溶かし、剣を形成する。
﹃馬鹿な、敵機に対して技師魔法を? そんなの、反則︱︱︱いえ、
出来るはずがない!﹄
技師魔法。機械の製造及び修理に使用されるこの魔法は、落ち着
いた状況で対象のことをしっかりと理解し時間をかけて発動するも
のだ。決して戦場で敵に対して一瞬で行えるものではない。
﹃その魔力量、そして能力⋮⋮まさか、貴方は﹄
悪いが、お喋りするつもりはない。
口頭詠唱で魔刃の魔法を剣にかけ、蛇剣姫に斬り掛かる。
隻腕で迎え撃つフランベルジェ。
魔刃同時が衝突し、拡散した魔力が互いの装甲に傷を刻む。
これほど強力な魔刃同士の衝突など本来は有り得ない。一太刀打
ち合えば、それだけで周辺に被害が及ぶ。
あちらは片腕、こちらは両腕。
しかしそんなハンデすらものともせず、キョウコは互角の剣技を
振るって見せる。
473
﹁どうも決定打に欠けるよな、俺って!﹂
﹃というより剣技が未熟です。敵を切るという気迫が足りない﹄
﹁気迫で勝てれば苦労はしないさっ﹂
﹃そうですね。あるいは、貴方はそれでいいのかもしれません﹄
数十太刀を交えた頃、蛇剣姫が後方へ飛び退いた。
﹃ついてきなさい。貴方の可能性、興味があります﹄
蛇剣姫の魔力が更に解放される。
搭載された信じられないほどの高純度クリスタル、そのキャパシ
ティー限界まで出力が跳ね上がる。
その濃度は、ゆうに通常機の三倍に達するだろう。
﹁もっと加速するっていうのか﹂
重量と慣性を振り切った非常識な速度で走る蛇剣姫。その完璧な
操縦技術に、少し見惚れた。
常人が操ればすぐに無機収縮帯が焼き切れる、そんなじゃじゃ馬
を御しきっている。
俺にも出来るか?
﹁⋮⋮やってみせるさ﹂
蛇剣姫を追う。
魔力を更に注ぎ、キョウコの操縦を模倣する。
体験したことのない速度で流れる景色。転倒すれば衝撃だけで戦
474
闘不能になりかねない。
蛇剣姫はフィールドの中でも一際大きい岩、というより既に山に
駆け上る。
この不安定な場所で切り結ぶ気か?
﹃決定打に欠ける、そう言いましたね?﹄
﹁違うのか?﹂
再び開始されるシナリオ無き殺陣。
﹃違います。若い者は勘違いしがちですが、決め技、必殺技など二
流の証です﹄
﹁よくもまあ、悠長に話せるもんだっ﹂
自機、敵機、敵パイロットに加え傾斜・障害物だらけの周辺環境
までシミュレートしなければならない。こっちは頭がパンクしそう
だっていうのに。
﹃その方が刺激があるでしょう。平坦な土地での戦闘などそうあり
ません﹄
﹁っ、アンタ何者なんだ、この変な魔法を知っているのか!?﹂
アナスタシア様ですら判らなかった、この解析の魔法を知ってい
るのか?
﹃年寄りなので﹄
475
声が若々しいのはなんなんだ。
﹃少年。覚えておきなさい。必殺の技とは未だ至らぬ高みに、一時
的に手を伸ばす為の術。その技を成し得る時点で、その者は更なる
高みへ至れることを保証される﹄
心を落ち着かせて使えるなら、鍛錬すれば常時使用可能になると
いうことか?
﹁一時的に許容以上の力を発揮する技とかもあるだろ、使い続けた
ら体がぶっ壊れるとか!﹂
﹃ならば壊れない体を得ればいい。出来ないというならば、それは
現状に満足しているだけです﹄
会話の最中にも剣戟は続く。集中力が途切れそうだ。
⋮⋮なるほど、つまりこの解析併用戦術を常に成し得るだけの精
神力を得れば、俺はどんな戦いでもこのレベルでの戦闘を行える、
という話か。
﹃そう。その領域に至った剣士は、全ての斬撃を一撃必殺とするこ
とを許される﹄
フランベルジェを迎え撃つ。
俺の持つ剣を切られた。
同量の魔力による魔刃化、真っ向からの衝突。
だというのに、フランベルジェは原形を留め、俺の剣は断ち切ら
れたのだ。
﹁それが、あんたの必殺技か﹂
476
﹃いえ、ただの斬撃です﹄
風船花が袈裟切りにされる。
崩れ落ちる機体。
全身のパーツが崩壊し、山頂の傾斜から転げ落ちていく。
当然、コックピットである頭部も︱︱︱
﹁⋮⋮?﹂
振動がこない。
何事かと状況を確認する。
﹃この高さから転がり落ちれば、流石に怪我は免れません﹄
蛇剣姫が、風船花の頭部を赤子のように抱き抱えていた。
﹁負けだよ。これで三撃目、強いな本当に﹂
﹃それは私の台詞です。本気を出したのは一体何年ぶりか。貴方な
ら、きっと至れる。全ての太刀を必殺とする、剣士の極みへと﹄
静かに大岩から降りて、蛇剣姫は俺と向き合った。
﹃そうなれば、貴方を止められる者はもういません﹄
﹁⋮⋮そりゃどーも﹂
ここまではっきりと負ければ、いっそ清々しい。
観客席の人々は皆立ち上がり、拍手をしてくれている。
477
﹃風船花、三ポイントにて勝負アリ! ですが、蛇剣姫を隻腕にす
るという快挙を成し遂げました! 皆さん、勝者のキョウコ選手と
敗者のマキ選手に盛大な拍手︱︱︱ってもうしてるか、とにかく凄
い試合でしたあっ!﹄
そうして蛇剣姫に連れられて俺は闘技場のフィールドを後にする。
戦歴 二勝一敗。
俺の闘技場デビューは、こうして幕を閉じた。
﹁で、これをどうするか、なんだよな﹂
時間軸は冒頭、翌日へと戻る。
俺のわがままで戦闘に挑んだ結果で風船花が大破したのだから、
コイツを俺が直すのは当然だ。マキさんも修理に参加したかったそ
うだが、本職以外に手を出せる状況ではない。
つーか、本職だって匙を投げて買い替えをお勧めするレベルであ
る。
ヨーゼフさんの人型機も俺が修理と改修をすることとなった。俺
のセッティングが気に入ってくれたようで本人から指名されたのだ
が、絶対意匠返しも含んでいると思う。
蛇剣姫。コイツは片腕の復元と無機収縮帯の総張り替え、そして
外装の修復である。なぜかご丁寧に彼女も俺を指定しやがった。
478
﹁とりあえず身内の風船花は後回しだな。蛇剣姫は最強最古ってい
うくらいだから金もたんまり持ってるだろ、路銀で困ることはある
まい。となれば、コイツからか﹂
ヨーゼフ氏の機体から手がけることに決めた。
金稼ぎで出場したというのに、一回しか勝てなかったからな。懐
が寒々しくなっているだろう。俺のせいだけど。
﹁というか外装修復とか誰がやっても同じなんだし、誰か手伝って
くれたっていいだろうに﹂
﹁お前の腕を買ってくれたんだ、ちゃんとやり遂げろよ﹂
愚痴をカストルディさんに聞かれた。
﹁げ、カストルディさん!﹂
やばい、怒られる!
勝手に仕事を休んだこと、風船花をボロボロにしたこと。色々小
言を受ける心当たりはある。
﹁や、怒らねぇよ﹂
﹁は? なんで?﹂
﹁なんでって、お前⋮⋮別に悪さをしたわけじゃねぇじゃねーか﹂
⋮⋮まあ、それもそうか。
﹁それによ、お前がいい成績を残してくれたおかげでマキも踏ん切
479
りが付いたらしい。もう闘技場通いはやめるってよ﹂
﹁そうですか、はあ、おめでとうございます?﹂
予想外のところに影響が出た。
﹁彼氏と結婚して腰を落ち着かせるそうだ。ついこの間まで寝小便
垂れてたと思っていたのにな⋮⋮﹂
﹁いや何時の話⋮⋮結婚!? そんな相手いたの!?﹂
そりゃ見た目に反して成人してるんだし、年齢的にはそういう相
手だっていたっておかしくないけど!
びっくりだ。あの人が結婚とか。
﹁知らなかったのか? 結構長い付き合いだし、相手はちょくちょ
く工房にも顔出すぞ⋮⋮って、噂をすれば来たな﹂
工房の門に視線を向ける。
そこにいたのは、男と腕を絡ませるマキさんの姿があった。
男の方は逆光でよく見えない。
﹁あ、レーカ君。私、この人と結婚するんだ!﹂
﹁えっと、おめでとう?﹂
﹁ありがとう!﹂
近付いて男の顔を確認する。
480
﹁⋮⋮⋮⋮アンタ、なにやってるんだ?﹂
﹁なにって、機体を修理しているから開いた時間でデートしている
んだが?﹂
マキさんの相手は暑苦しい髭面の大男。
﹁お前かよ、ガチターン⋮⋮﹂
﹁俺で悪かったな﹂
初戦の相手であり、下半身飛宙船の人型機を駆る天士、ガチター
ンだった。
確か﹃噛ません花﹄って言ったのこいつだよな。
え? なに? それじゃあ俺ってもしかして。
﹁痴話喧嘩に巻き込まれただけかよよよよぉぉぉぉぉぉ⋮⋮⋮⋮﹂
脱力した俺の叫びは、工房の高い天井に響きわたったのだった。
481
例の彼女と休日でぇと
ストライカー
じゃけんひめ
三機の人型機が立ち並ぶ姿は、中々に壮観である。
﹁終わったぁぁ⋮⋮﹂
ふうせんか
朝から始めた風船花・ヨーゼフ機・蛇剣姫の改修がようやく全て
完了したのだ。
﹁ほ、骨がばきばきする﹂
身体強化していたとはいえ重労働には違いない。せっかく俺を指
定してくれたのだから期待に応えようと丁寧な仕事を心掛けたせい
もあって、少し時間がかかってしまった。それでも破格のスピード
作業だと自負するが。
﹁終わったのか、片付けたら今日はあがっていいぞ﹂
﹁うーっす﹂
マーフィーロジック
テキパキと工具を片付けて井戸で顔を洗う。仕事は遅々として進
まず、されと帰宅の準備はテキパキテキパキ。それが社会の真理。
まだ働いている職人達に挨拶しつつ、工房のゲートを押して外へ
出る。
﹁あー、もう外は少し薄暗くなってるな﹂
482
夏至を過ぎ町が闇に包まれる時間も最近は心なしか早くなってい
る。暑さもじきに和らぐだろう。
門から一歩踏み出せば音が消えた。
違う、小さくなったのだ。都会の喧噪も工房の喧しさには適わな
い。なので静寂であると錯覚してしまったのだ。
町のざわめきも、すっかり日常となってしまっている。ゼェーレ
スト村に戻れば更にもう一段階静かなことに驚くことになりそうだ。
ふらりとストリートに出てきたものの、予定は特にない。仕事を
要領よくこなした結果で降って沸いた余暇なので、まったく使い方
を考えていなかったのだ。
しにせ
真新しいフィアット工房の看板の下で暫し悩む。
老舗なのになぜ真新しいかといえば、一〇年前に移転してきたか
ら⋮⋮ではなくカストルディさんが暇を見つけては作り直すからで
ある。
なんだろうあれ、看板作りが趣味なのだろうか。
昨日作られたばかりの看板を眺めていると、ふと答えを得た。
ソードシップ
﹁そうだ、他の技術屋を見学してみよう﹂
ストライカー
フィアット工房は人型機、戦闘機を中心に扱う工房だ。
エアシップ
しかし世の中の技術はそれだけではない。人間用の武具を作る鍛
冶士、飛宙船を製造する造船所など様々な技術者がいる。
前者も興味深いが、男は基本的に巨大が正義なので造船所へ行く
ことにしよう。
俺専用のエアバイクをガレージから引っ張り出す。オリジナルモ
デルを職人達が面白半分に改造しまくった、魔力馬鹿食いの欠陥機
である。
﹁なんで男は兵器に欠陥を求めるの、っと!﹂
483
スターターロープを引く。
可愛い女の子と強力な兵器は似ているかもしれない。ちょっとく
らい欠点︵欠陥︶があった方が可愛い︵格好いい︶のだ。
バイクに跨がり各パラメータに目を通す。問題がないことを確認
し、アクセルを捻る。
造船所はツヴェー渓谷の地下にある。元々は軍事施設だったこと
もあり、上空から見下ろしてもどこにあるか判らない。
谷の岩壁に巨大な横穴があり、基本的にここから船は出入りする。
内部には広大なドックが存在し、大型級飛宙船ですら多数収容出来
るそうだ。
まるで秘密基地といった趣だ。実に楽しみである。
﹁というか、実際に秘密基地か。ツヴェーそのものが帝国軍の最前
線の秘密補給基地だったんだし﹂
首にかけておいたゴーグルを装備。造船所の近くまでは路面を走
行する。
エアバイク制作当初は物珍しさと技術的好奇心の籠もった視線に
なんとも落ち着かないツーリングであったが、今ではほとんど俺を
気にとめる人はいない。時々余所から来た冒険者がガン見してくる
程度だ。
工業の町だけあって、エアバイクはフィアット工房の正規品から
粗悪な類似品まで多くがあっという間に出回った。この町だけでは
なく、少しずつ他の土地でも使用され始めているらしい。
市場に出回っているのはほぼフィアット工房製、あるいはライセ
ンス生産された同型機だ。
ライセンス生産とは他の工房が許可料を払い、開発元の製品と全
く同規格の製品を作ることだ。パクリ、盗用ではないので法的にも
問題なく、優秀な製品であれば許可料を上回る収益を得られると利
点も多い。問題もあるっちゃあるが。
484
能力を認められたエアバイクは需要が急拡大、需要に供給を応え
させる為に早々とライセンス生産許可へと踏み切った次第である。
ぶっちゃけ枯れた技術の水平思考なので、漏れて困るノウハウも
大してないし。
というわけで、俺のお小遣い帳は夏時期の蛾かGの如く絶賛数字
が増殖しているわけだが、ちょっと怖い領域まで〇が増えだしたの
で俺はなにもミテイナーイ。
セコい工房は安かろう悪かろうな類似品を売り出したが、この渓
谷でアイディアをパクるのは御法度であり周囲から相当叩かれたと
のこと。技術者だけあってやはり矜持を持っている。
作る側の者達は驚きこそすれ新たな技術に貪欲な変態共なのでど
うでもいいのだが、使う側では少し混乱があった。
特に大変だったのが、人々の治安と安全を守る騎士団の方々だ。
エアバイクに関する諸々の整備に突如として追われる羽目になった
のである。
新たな航空機の出現に、騎士達の兵舎は規律の制作や安全管理で
てんやわんやだったらしい。すまん。
あんまり忙しそうで少しだけ申し訳なかったので、自腹で何台か
エアバイクを寄贈した。懐には余裕があるので大盤振る舞いである。
治安を守るバイクに跨がった騎士。白バイならぬ騎士バイの誕生
である。
いや、誰もそう呼んでいないけど。
まあ小回りが効いて便利そうだと好評なのでよしとしよう。
そろそろ造船所付近だ。浮遊装置を作動、前輪を浮かべる。
駆動をギア比が極度の高速回転、低トルクとなるジャイロモード
へ切り替えてハンドルを手前に引く。
プロペラを始動すると、エアバイクは昔の宇宙人映画の如く上昇
した。
エアボート
﹁飛宙挺用のロープに引っ掛からないように気を付けないと﹂
485
何度か谷を横切る飛宙挺のロープに引っ掛かる事例が報告されて
いる。機体が小さいことでかえって変な隙間を通り抜けようとする
奴がいるらしい。
あれか、水溜まりを見ると飛び込みたくなるようなモンか。
﹁まったく、ガキじゃあるまいし安全第一で乗れよな﹂
ロープの間をスラローム飛行しつつ唇を尖らせる。
後ろから﹁真っ直ぐ飛べバカヤロー!﹂という怒声。またどこか
のアホが危険飛行したらしい。やれやれだ。
ドッグ出入り口の横穴の高さまで上昇した。
﹁でけー﹂
大型級がすっぽり入れるのだ、小さいはずはないのは解っていた
が⋮⋮実際目の当たりにすると存在感が凄まじい。まるで魔物が大
口を開けているかのよう。
キューンと加速しトンネルを抜ける。すぐに大空洞へと飛び出し
た。
﹁すっげーでけー﹂
ここはあれか。アリの巣か。
さながら俺は巣に迷い込んだノミだ。
様々な飛宙船が鎮座する巨大空間。一隻一隻のサイズは一〇〇∼
三〇〇メートル、中型級と大型級を造っているのか。
闘技場もべらぼうに大きな施設だったが、こちらはそれ以上だ。
四方それぞれ一キロメートルは下らないだろう。
地下の割に結構明るい。魔法の明かりもあるが、しっかり日の光
486
も取り込める工夫がされている。
天井は鉄骨を格子状に組んだ作りだ。そこに植物を生やして覆っ
ている。
下から見ればそれなりに光が降り注ぎ、上空からは植物が生い茂
っているだけに見える。なにも戦後までカモフラージュを維持しな
くたっていいだろうに。
﹁雨の日とかどうするんだろ﹂
﹁あそこを見な、あそこ﹂
独り言に返事があった。
小型級飛宙船に乗ったオッサンが天井を指さしている。
巨大な一枚布が天井の端でトイレットペーパー的に巻き納められ
ている。
﹁天気が悪くなればあれで上を覆うんだ﹂
﹁大変だなぁ﹂
﹁流石に人型機に乗ってでかいクランクを回すからそうでもないさ。
お前さんは何かここに用事か?﹂
﹁あー、見学とかって出来ますか?﹂
危険な場所なので駄目ならすっぱり諦めよう。
﹁いいぜ﹂
﹁いいの?﹂
487
﹁事務所で確認してからな。着いて来い﹂
﹁こちらが大型級用のレシプロエンジンです。このサイズのエンジ
ンを一つのクリスタルで稼働させるのは不可能なので、多数のクリ
スタルから供給される不安定な魔力で安定して動くように工夫され
ています﹂
﹁工夫、ですか?﹂
﹁その通りです。ご存知の通り、一つの機械に一つのクリスタルが
魔法機械の基本。ですが、小さなエンジンを船に何百も積んでいて
は整備性がとても悪くなります。そこで開発されたのが、中型・大
型級飛宙船の動力用大型レシプロエンジンなのです﹂
レシプロエンジンとはシリンダーの並んだ、自動車などに採用さ
れているエンジンだ。地球ではジェットエンジンよりよほど見かけ
る機会が多い。
﹁シリンダー一つにクリスタル一つ。この方式を採用することで、
整備性・耐久性は格段に向上しました﹂
﹁なるほど、中型級以上の飛宙船がプロペラで動くのは、このエン
ジンに合わせた結果なのですか﹂
488
小型級飛宙船が大抵ネ20エンジン、つまりジェットエンジンだ
ったので不思議ではあったのだ。
﹁そういうことです。また、飛宙船は理論限界上時速一〇〇キロ以
上出せません。なので低速における粘りの強いプロペラの方が、ジ
ェットエンジンより適していたという理由もあります﹂
﹁それでもそれなりの数のエンジンを積んでいるんですよね。極端
な大型化は難しいのですか?﹂
﹁そうですね、しかし大型級のエンジンをオーバーホールするのは
容易なことではないので、業界では異常が発生してから整備を行う
オンコンデイション・メンテナンス方式を採用しています。なので
エンジンが一つや二つ停止したところで問題なく運行出来るように、
リスクを減らすという思想なのです﹂
﹁なるほどなるほど﹂
巨大なレシプロエンジンを前に事務員の女性に説明を受ける。
どれくらい巨大かというと、どう見てもプロペラ径が人型機の身
長より大きい。まるで海上船のスクリューだ。
﹁なにか質問はございますか?﹂
﹁えっと、結構しっかり見せてもらってますが、いいんですか?﹂
﹁と、いいますと?﹂
首を傾げる事務員さん。
489
﹁アポイントもなしに来たのに丁寧に案内してもらって、申し訳な
いというか﹂
事務所に通された俺は見学を快諾され、事務員さんの案内までし
てもらうという好待遇だった。俺なんかにおべっか使ったって意味
はないし、純粋に厚意なのだろう。
﹁お気になさらず。見学者のご案内も我々の業務です﹂
仕事っすか。
﹁実を言えば、ここに見学を申し込んでくる方は多いのです。さす
がに個人は珍しいですが﹂
﹁そうなんですか?﹂
﹁ええ、これほど大規模な造船所は珍しいですからね。皆さんスケ
ールの大きさに驚かれていきますよ﹂
その顔を見るのが我々の密かな楽しみなんです、とちょっと失礼
なことを宣う女性。俺を和ませる冗談かもしれないが。
﹁これで一通りのご案内を終えましたが、他に気になる場所はござ
いますか?﹂
﹁いえ、ありがとうございます。とても勉強になりました﹂
予想していた以上に詳しく見れたので、俺としては大満足である。
490
﹁これはお土産のツヴェー造船饅頭です﹂
﹁ど、どうも﹂
なぜ饅頭。
﹁お忙しいところをありがとうございました﹂
﹁業務なので仕方がありません﹂
にっこり笑顔で言わないで! どこまで本気か解らない!
俺は造船所を後にしてバイクで空へと昇った。
渓谷の町明かりは上から見るとまるで天の川だ。天の川といえば
恋人同士の織姫彦星だが、この天の川には代わりに飛宙船のライト
が瞬いている。
﹁天の川に寄り添う蛍の光、ってな﹂
エアバイクに横乗りし、エンジンをカットして浮遊装置だけでフ
ワフワ浮かぶ。
静寂と風音の中、この景色をつまみに饅頭を食うのは中々にオツ
だ。
宿舎に戻るには少し惜しい。知らなかったツヴェーの一面を見れ
491
て、少し興奮気味。
﹁もっと早く見学しとくべきだったか。いや、下積みがあったから
ソードシップ
こそ造船所の技術もより理解出来たわけだし、うーん﹂
ストライカー
船を造るのも楽しいかもしれない。でも最近は飛行機成分が足り
ない。人型機、格好いい。
うーん、と唸っていると景色が流れていることに気付いた。
﹁そりゃ風で流れるよな﹂
饅頭の箱をエアバイクの保管スペースに放り込む。
場所を変えて一杯やり直そうか。饅頭で。
﹁︱︱︱ん?﹂
⋮⋮歌?
歌声が聞こえる。
どこからか風で運ばれてきているのだろうか。
耳を澄ますと解析魔法が発動した。大気中の振動から位置を特定。
あっちか。
森の中、一際大きな木の枝の上に誰かが立っている。
ちょうど風はそっちに流れている。エアバイクの上で暫し漂流し
ていると次第にその人物の顔がはっきり見えてきた。
﹁あれは⋮⋮﹂
俺の呟きに反応したかは定かではないが、彼女の閉じられていた
瞼が開く。
艶やかな足首まで届く黒髪。
492
黒水晶の如く澄んだ、あるいは無機質ともとれる瞳。
女性らしい起伏は乏しいながらも、一〇人いれば一〇人が美しい
と答えるであろうプロポーション。
どこか妖精を連想させる独特のミニスカ浴衣を着た、尖ったお耳
のスレンダー美女。
﹁キョウコ⋮⋮?﹂
﹁貴方ですか。こんばんは﹂
試合の後で顔を合わせることとなった、最強最古の蛇剣姫を駆る
天士だった。
﹁こんばんは。歌ってたみたいだが邪魔だったか?﹂
﹁いいえ、大丈夫です。むしろ、貴方とはゆっくりと話してみたい
と思っていたのでいい機会でしょう﹂
そう言い枝に腰を下ろし、隣をポンポンと叩く。座れということ
か。
幹の近くにエアバイクを着地させる。枝だけで太さが一メートル
はあるので、浮遊装置を解除してもそうそう折れないだろう。
念の為バイクをチェーンで固定してから座る。なるほど、ここは
ツヴェーの夜景が先程とはまた別の角度から覗けるのか。
﹁饅頭食べる?﹂
﹁戴きましょう﹂
二人の間に箱を置く。
493
﹁あれ、白餡だ﹂
﹁こちらはうぐいす餡です﹂
肩を並べて饅頭を頬張る。
隣は俺よりはお上品にはむはむと少しずつ。
そうしてお菓子を食べていると、彼女も普通の人なんだと思えて
くるから不思議だ。
﹁⋮⋮なんですか?﹂
﹁お、おお、すまん﹂
ジロジロ見てしまっていたらしい。
﹁解っています。訊きたいことがあるのでしょう?﹂
なにか勘違いされた。訊きたいこと、ねぇ。
確かにある。それも色々と。
俺達は互いをあまり知らない。闘技場の控え室でいきなり修理の
依頼をされ、打ち合わせが終わったら即退室である。これで人とな
りを把握出来るはずもない。
知り合いレベル。質問どころか、自己紹介から始めねばならない
域だ。
いきなり本題に入るのは性急というものだろう。ここは気の利い
た質問を選ばねば。
﹁えっと、その⋮⋮﹂
494
﹁はい﹂
ドンと来い、と言わんばかりに無い胸を張るキョウコ。
な、なにを訊けばいいんだ?
﹁その長い髪、どうやって洗っているんだ?﹂
﹁⋮⋮なんですか、その質問?﹂
しくじった。
﹁髪を全部前に垂らして洗います。あとは頭の上にタオルで纏めて
おくんです。むしろ洗うより乾かす方が大変ですね。完全に乾かす
となると面倒なので適当に切り上げますが﹂
しかも事細かに教えてくれた。
﹁なんでそんな質問を?﹂
﹁単純に気になっていたのと、相互理解の為に必要かなって﹂
﹁相互⋮⋮理解? 私とですか?﹂
﹁この場には俺とあんた以外にいないだろ﹂
さっきから最古最強とタメ口だけど、いいのかな。
基本美人には丁寧語の俺だが、なぜかキョウコには慇懃な言葉使
いをする気にはなれなかった。ガイルと同じでなんか寂しそうだも
の。こいつ友達いない。
それに立場的には対等なはずだし、これでいっか。
495
﹁変な人ですね。私を理解したいなどと言う人は初めてです﹂
﹁そうなのか? そんだけ美人で男に言い寄られたりしないの?﹂
﹁びっ、美人!?﹂
そこ?
﹁美人だなんて、なにを! いいですか君、女性にそういうことを
軽はずみに言ってはいけません!﹂
顔を真っ赤に染めるキョウコ。この人容姿を褒められたことない
の?
﹁それに殿方に言い寄られるなんて⋮⋮ありえません、こんな色気
のない女に﹂
沈痛な面持ちで自分の体を見つめる。スレンダーだがゼロでもな
いだろうに。
﹁色気だってあると思うが﹂
服が体のラインに密着したデザインなので、しなやかな曲線が中
々に色香を放っている。個人的な趣味だがソックスとスカートの間
の白い太股も結構エロい。
﹁あまりからかうなら怒りますよ﹂
﹁からかってない。俺は美人には美人と言える男を目指しているん
496
だ﹂
﹁⋮⋮はぁ、もういいです。次の質問は?﹂
﹁その前に、あんたは俺に訊くことはないの?﹂
﹁なんのことですか?﹂
きょとんと目を瞬くキョウコ。本気で解っていないようだ。
まやま れいか
﹁俺はレーカ。真山 零夏だ。ゼェーレスト村に住んでいてツヴェ
ーに修行に来ている﹂
次はあんただと指さす。
﹁あ、あぁ、なるほど。名前ですね? でも私のことは知っている
のでは?﹂
﹁大して知らないし、本人からされるものだろ自己紹介は﹂
﹁⋮⋮道理です。私を知らない相手に会うことは滅多にないので、
そんなことも忘れていました﹂
襟元を正し、俺と向き合う。
﹁自由天士のキョウコです。以後、お見知り置きを﹂
﹁はい宜しく﹂
握手。細くて柔らかい手だ。
497
﹁キョウコって、なんだか日本人みたいな名前だよな﹂
顔立ちは欧米系だが、麗しい黒髪はやはり故郷を連想させる。
﹁日本人ではなくハイエルフです。博識ですね、日本を知っている
とは﹂
﹁え、日本判るの?﹂
﹁それなりに長生きをしているので﹂
答えになっていない。それと、やはりエルフは長寿なのか。
﹁アナ⋮⋮こっちの物知りな人も異世界に関しては判らなかったの
に﹂
﹁⋮⋮ふむ。あまり現状がよく判っていないようですね﹂
﹁どういう意味だ?﹂
﹁この話は終わりにしませんか?﹂
そんな殺生な。気になるじゃないか。
﹁私達ハイエルフには秘密にしなければならないことがあるのです。
次の質問をどうぞ﹂
﹁⋮⋮じゃあ、解析魔法を知っているのか? 戦闘中に気付いてい
たみたいだが﹂
498
﹁秘密です﹂
﹁⋮⋮⋮⋮俺の魔力量に関してもなにか言ってなかったか? ﹃ま
さか、貴方は!?﹄とか﹂
﹁秘密です﹂
なにも答える気ねぇよこの人。
﹁なら⋮⋮神は?﹂
あの試合以来、どうもロリ神が気になる。
てっきり俺に宿ったのは神様パワーなチートと思い込んでいたが、
この力にキョウコは心当たりがあるらしい。
ロリ神に悪意があった、とは思いたくはない。あの時俺は彼女を
信じると決めたのだ。今更反故にするのは自分自身が許さない。
でも、あるいは何かしらの目的があったのではないか、とも考え
てしまうのだ。
あの時、神は言った。異世界へ俺を送るのは自分の都合だと。
適当に聞き流すべきではなかったかな。いや、あれ以上追求して
も困らせるだけか。
彼女からは本当に申し訳なさそうな感情が伝わってきていた。俺
はそれが演技ではないと信じる。
﹁神ですか?﹂
﹁ああ。俺をセルファークに送り込んだ張本人だ。なんというか、
目的とか知らないか?﹂
499
﹁大それた質問ですね。神の意志を知りたいなどと﹂
﹁あいにくほぼ無宗教な国で育ったんでな。で、どうなんだ?﹂
﹁どうなんだ、と言われましても﹂
困ったように眉を八の字にする。
﹁この世界の神の目的は、究極的に人々の生存です﹂
生存、か。
﹁一〇年前の戦争は? 神なら止められなかったのか?﹂
﹁超越者があまり人に介入していたら、そのうち人類は怠けて壊死
しますよ﹂
ありがたいやらスパルタやら判らんな。
﹁神が介入するのは人という種が滅びかねないような事態のみです。
戦争とて、昔から幾度となく繰り返された人の在り方の一面でしか
ありません。人は、争い成長する種族です﹂
﹁良くも悪しくも神様だな。なんとも客観的だ﹂
種の保存。最終的に人類滅亡さえしなければ殺し合ってもOK。
そんな基準である。
ロリ神からは人間らしさを感じたが、イメージが食い違うのはな
んなのだろう?
500
﹁貴方は神と会ったのですか? どんな姿でした?﹂
﹁たぶん、小さな女の子﹂
光の輪郭だったが、背格好や声からはそう判断出来る。
﹁なら本物かもしれません。唯一神セルファークは、確かに女の子
の姿です﹂
﹁ふぅん﹂
まあいい。神に関しては一旦置いておこう。
﹁最後の質問だが、ハイエルフってどんな種族だ?﹂
セルファークには多種多様な種族が存在する。俺が出会っただけ
でも、人間、獣人、ドワーフ、エルフ、そしてハイエルフ。他にも
色々いるらしい。
﹁ハイエルフとは他の種族とは一線を画する存在です。人々は両親
を持ちますが、ハイエルフは自然発生します﹂
﹁⋮⋮人間が自然発生?﹂
思わずキョウコをじろじろ見る。
﹁そうです。我々は人という枠組みより世界に近い存在、人の形を
持つ自然現象です﹂
501
水の精霊とか火の精霊とか、そういうのだろうか?
﹁またなんでそんなものが生まれるんだ?﹂
﹁我々は世界の﹃目﹄です。そして﹃口﹄であり、﹃手﹄である。
それでいて、確固たる﹃個﹄を有しています﹂
⋮⋮ごめん。全然わかんなーい。
﹁ハイエルフは滅多に発生しないことから、世界的に珍しい種です。
精々一〇人程度しかいないでしょうね﹂
確かにハイエルフはキョウコしか出会っていない。
外見上の違いは耳の形だ。エルフよりハイエルフの方が長く尖っ
てる。
﹁えっと、そういうのもいいが⋮⋮エルフらしく弓が得意とか、ベ
ジタリアンですとか、寿命は何年とか、もっと身近なことが知りた
いな﹂
﹁⋮⋮相互理解ですか?﹂
なぜその言葉を蒸し返す。
﹁どちらもハイエルフという種ではなく私個人に関する質問だった
ので⋮⋮なるほど、人に興味を持たれるとはこういう感覚ですか。
どこかこそばゆいですね﹂
高揚した頬を照れ気味に掻く。俺の中のこの人の評価がどんどん
変人カテゴリーに近付いていく気がする。
502
﹁得意な武器はご存知、長剣です。食事の好き嫌いはほぼありませ
ん。寿命は半永久ですが、私は⋮⋮大体四〇〇歳になります﹂
﹁四〇〇年!?﹂
まさに桁違い。日本では織田信長が﹁猿が裏切るとかないわー。
ひくわー。でも猿呼ばわりはちょっと酷かったかなー?﹂とかやっ
てた時代だ。
﹃大体﹄の部分で鯖を読んだようだし、実際は更に長いのだろう。
﹁えっ、じゃあエルフもそれくらい生きるの?﹂
﹁いいえ。エルフはハイエルフと人間のハーフ、或いは更にその子
孫であり、人間より少し寿命が長い程度です﹂
それでも一〇〇年は平均して越えますが、と付け加える。やっぱ
長寿だ。
ハイエルフの血を引くのがエルフか。ならば定番のハーフエルフ
なる種族は存在しないのだな。
﹁一応説明すると、人間も獣人もドワーフもほぼ同じ程度の寿命で
す。あと長寿の種族といえば吸血鬼でしょうか﹂
バンパイアとな。魔物ではなく人型種族の一つなのか。
﹁これで質問は終了ですか? なんだか奇妙な質疑応答でした。あ
まり自分の置かれた状況に興味がないのですね﹂
﹁まあ、現状に不満があるわけでもないしな﹂
503
訊くべきことはまだあるのかもしれないが、別に急を要する状態
でもない。必要な時に訊けばいいさ。
﹁そういえばあんた⋮⋮いつまでもあんたは失礼だな。キョウコっ
て呼んでいいか?﹂
﹁構いません。な、なら私もレーカと呼んでいいですか?﹂
﹁いいよ。キョウコはいつまでここにいるんだ?﹂
﹁ツヴェーにですか?﹂
頷く。連絡先くらいは交換したいものだ。
﹁まだ暫く滞在するつもりですが。蛇剣姫の修理も終わってないで
すし﹂
﹁いや終わったけどね﹂
﹁そうなのですか? どちらにしろ休暇を取るつもりだったので、
一週間はいますよ﹂
一週間か。どうせ友達はいないだろうし、ぐーたらしているだけ
だろう。
﹁ならまた⋮⋮明日も会わないか? キョウコとももっと話したい
し、よければだが人型機の戦闘を教えてほしい﹂
﹁ま、待ち合わせですか。友人みたいです﹂
504
﹁友人だろ﹂
こういう友達いないタイプって友達の定義に無駄に悩んだりする
よな。
﹁そうですね、そうしましょう! 時間は? 待ち合わせ場所は?
どこに行きますか? なにをします?﹂
﹁落ち着け﹂
矢継ぎ早に顔を近付けるキョウコ。困った顔をしておくが、内心
美人に迫られるのは嬉しい。
友人と遊ぶことに慣れていなそうだし、まずは俺がリードするか。
﹁とりあえず明日はデートしようか。親睦を深める為に演劇でも見
に行こう﹂
﹁デデデ、デート!?﹂
ボフンと頭から湯気を吹いた。
﹁駄目ですよいいですか男女には然るべき順序がありそれを飛び越
えるということは風紀の乱れにも直結する由々しき事態であるので
すそもそも私と貴方は知り合ったばかりでいや別に嫌ではなくむし
ろ世間の評判に捕らわれず私に対等な目線で接してくれる貴方はと
ても好ましくいやいやなにを言っているのですか私はうわあああぁ
ぁぁぁぁ⋮⋮﹂
まくし立てた挙げ句、頭を抱えて突っ伏した。
505
いかん。マキさんに連れ回される度に﹁レーカ君、私とデート行
こう!﹂と誘われたので、この単語に抵抗や羞恥が薄くなっている。
しかもこの人面白い。あるいは面倒くさい。
どうしよ、﹁なに勘違いしてんの、そういう意味じゃないし﹂と
か返したら傷付くだろうし。いっそ、口説く方向でからかうか?
でも男女の機微に関しては無知なようだ。純情を弄ぶわけにもい
かない。男だったら遠慮なくからかって弄り倒すのだが。
結論。仕方がないので真摯に接しよう。
﹁デートといってもあれだ、友情的デートだ﹂
﹁なんですかそれ﹂
ふざけてんのかぶっ飛ばすぞオーラを纏いだした。こわいです。
﹁キョウコみたいな綺麗な人には初めて会ったからさ。恋人とはい
かなくとも、一緒に過ごせれば楽しいだろうなって思ったのだけれ
ど⋮⋮ごめん、不愉快になったなら謝るよ﹂
﹁美人⋮⋮し、仕方がないですね、どうしてもというなら初デート
の相手に選んであげましょう﹂
よし、これでデートという名の友達付き合いだ。ちょろい。
つかマジで異性とお付き合いしたことがないのか。四〇〇歳なの
に。
むしろ四〇〇歳だから? 若い時期を過ぎてしまえば積極的に男
を漁る気もなくなり、男性側も最強の名に尻込みして口説かなかっ
たとか。それが四〇〇年間。
﹁じゃあ明日は休みだし、昼に広場で待ち合わせよう。昼ご飯はど
506
こかで一緒に食べるか﹂
﹁そうですね。天士御用達の酒場があるのですが、そこに行きませ
んか? 料理も美味しいですし、開店直後の昼間であれば荒くれ者
も少ない。貴方が自由天士となるなら場所や雰囲気を知っておいて
損はありません﹂
﹁うんおっけー﹂
予算も天士御用達ならば心配なさそうだ。キョウコはどこか高貴
な雰囲気があるから、ぶっつけで高い店に入られたらどうしようか
と思った。
﹁あ、あの、それでですが﹂
赤面かつ上目使いで両手の指先を弄り、太股を摺り合わせるキョ
ウコ。
﹁やはり、デートなら可愛い服を着てきた方がいいのでしょうか?﹂
﹁︱︱︱ッ!?﹂
俺の灰色の脳味噌が高速回転を開始した。
考えろ。デートでは女性は着飾るべきか、あまりに重要な難題だ。
当然着飾るべき、そう答えるのは尚早だ。キョウコの浴衣っぽい
服はスレンダーな彼女によく似合っているし、細やかな刺繍が施さ
れているので決して安物ではない。むしろ着慣れない服装を強要し
てはデートを楽しんでもらえない可能性だってある。
本当の美人には華美な装飾など必要ない。ボロ布を纏うだけであ
ろうと、美女美少女でありさえすればそれはトゥニカと化すのだ。
507
キョウコの容姿からすれば﹁そのままの君が一番さ!﹂、そう囁
くことも出来る。
しかし、しかしだ。ここは本人のチャレンジング精神を尊重すべ
きではないだろうか。
美人系のキョウコが可愛い服に臨む。そこには他者には決して踏
み入れぬ彼女だけの葛藤があるはずだ。
﹁あの服可愛いな、でも私じゃ似合わないだろうな﹂⋮⋮とか、
可愛いじゃないか。
そう、そうだ。女は前に進もうとするとき一番美しいのだ!
あと俺は目の保養が大好きだ!︵本音︶
﹁︱︱︱俺のために、可愛い服を着てくれ!﹂
本音がダダ漏れた。
今までの高速思考はなんだったの、ってレベルでダダ漏れた。
﹁あ、はい、ご期待に添えるように最前を尽くさせて頂きます!﹂
﹁うむ﹂
最強最古の天士が頭を下げる。
静かに頷く俺。
﹁ではそろそろ帰ろうか。夏の夜は以外と冷え込む、体を壊しては
いけない﹂
﹁はい﹂
バイクの後ろにキョウコを乗せ宿まで送る。
508
﹁それじゃ、また明日﹂
﹁はい、おやすみなさいレーカさん﹂
ドアが閉まるまで見送り一息吐く。
なんかもう、どうにでもな∼れ、である。
改めて思えば、このやりとりこそキョウコの新たな伝説が始まっ
た瞬間だったのだろう。
これから俺は何度も、この問答に賞賛と後悔を覚えることとなる。
当時の俺なぜ言った、当時の俺よく言った、と。
そんな遠くない未来の悩みなどつゆ知らず、帰宅した俺は﹁うひ
ょひょ美人とデートだぜぇ﹂と興奮気味に就寝したのだった。
509
例の彼女と休日でぇと︵後書き︶
この小説の悪い部分などを教えて頂けるととても助かります。自
分ではわかりにくいので。
510
例の彼女と休日でぇと 2
﹁マキといちゃついてると思えば、今度は最強の女か。お前も好き
だな﹂
﹁なに言ってるかさっぱりです、カストルディさん﹂
朝っぱらからカストルディさんの寝言をスルーして、渓谷広場で
待ち合わせ。
ベンチに腰掛け足をぶらぶらと揺らしてボーっとしていると、や
がて待ち人がやってきた。
﹁おや、早いですね﹂
﹁おはよ、キョウ⋮⋮コ?﹂
顔を上げて、彼女の恰好に困惑。
﹁昼なのでこんにちは。ですよ﹂
しれっと言い放つキョウコ。
服装もそうだが、彼女が昼であると主張する現時刻も困惑の一要
因である。
昼に待ち合わせ。その予定であった。
現在時刻は地球換算で一〇時頃。昼? いや、朝?
大前提として女性より先に来るのは当然として、俺が憂慮したの
はキョウコが遠足前の子供のようにはしゃいだ挙げ句フライングす
511
る可能性である。
きっと時間より早く来る。それも、一般的なレベルを超越して。
その読みは見事的中し、俺達は予定の二時間前に顔を合わせるこ
ととなった。
﹁えっと、あの、どうでしょうか?﹂
頬を赤らめもじもじと照れるキョウコ。時間に関してはスルーか。
どうでしょう、とは服装の感想を期待しているのだろうが⋮⋮
︵⋮⋮どう返事をすればいいんだ、これ!?︶
あまりに異世界とは別次元の衣服に、俺は若干混乱気味だった。
ポロシャツに蝶ネクタイ、チェックのミニスカート。カーディガ
ンは腰に巻いてある。
﹁ブレザー制服?﹂
﹁教国立魔法学園の制服です﹂
この世界に学校があるのか。いや当然か。国民全員が通えるかは
ともかく、教育機関は必要だ。
﹁キョウコは学園の卒業生だとか?﹂
﹁いえ、そこら辺のお店で買いました﹂
それ純正品か?
﹁着てみたかったのです。か、可愛いなって⋮⋮﹂
512
前々から興味があったのか。まあ、今日は制服デート気分という
ことにしよう。
﹁似合っているよ?﹂
﹁そうですか? いい歳して変だとか思ってません?﹂
﹁思ってるけど、外見は若いんだし﹂
﹁思っているんですか⋮⋮﹂
落ち込んだ。今更年齢を気にしていたのか。
﹁大人の妖艶さと制服のあどけなさが調和して最高だぜ﹂
﹁今の誉め言葉は若干の適当さが垣間見えました⋮⋮﹂
そんなことはないと否定しつつ、俺達は昼飯までの過ごし方を話
し合った。
腹ごなしにキョウコと剣の鍛錬をしたのち、俺達は酒場へと向か
った。
﹁汗臭くないか、俺?﹂
513
﹁気にしませんよ﹂
気になりませんよ、じゃないあたり臭いことは否定しないのか。
﹁や、やっぱ体を拭いてくる!﹂
﹁だから、気にしませんよ。天士や冒険者ならばもっと酷い人だっ
て多いのですし﹂
首元でスンと匂いを嗅がれる。ウブな癖に、彼女が俺を異性と意
識していない時はこちらが動揺させられてしまう。顔が近いって。
キョウコはといえば、汗一つかいていない。更にいえば巧みな足
裁きにより一度もスカートの中を垣間見ることは適わなかった。
﹁さあ、入りましょうか﹂
手を引かれて酒場へと踏み入る。子供か俺は。
薄暗い店内には客は数えるほどしかいない。こういう時は窓際の
一番奥に限る。
﹁カウンターに座りましょう﹂
﹁団体客なのにカウンター席?﹂
﹁マスターに面白い話を聞けるかもしれません﹂
なるほど、それも酒場の醍醐味か。
﹁というわけで、面白い話はありませんか?﹂
514
﹁むしろキョウコ様の方が面白い話題の宝庫に見えますがね。なん
ですかその服、その子は一体?﹂
渋いオッサンマスターの珍獣を見る目が痛かった。
﹁残念ですが、面白い話はないようです﹂
手を引かれて窓際のテーブル席に移動。
﹁まったく、なにが面白いですか。せっかく可愛い服に挑戦したと
いうのに﹂
﹁⋮⋮⋮⋮!﹂
その時、俺に天啓が降りた!
足早に外へと歩く。
﹁どこにいくのですか!?﹂
慌てて立ち上がるキョウコ。
﹁待て!﹂
手の平で制止すると大人しく腰を下ろした。君は犬か。
とにかく、外へ出る。
515
再び入店。
室内を見渡し、キョウコの姿を見つけて駆け寄る。
﹁キョウコ、わりぃ! 教室の掃除でさ、お詫びにパフェ奢るよ!﹂
﹁は、はぁ?﹂
﹁で、大事な話ってなんだ?﹂
どっかと対面の椅子に座る。
﹁大事な話? なんの︱︱︱﹂
﹁大学の進路か、そうだな⋮⋮俺はロボット工学を学べればと思っ
てる。キョウコは剣道で推薦行くんだろ?﹂
﹁ちょっと、一体なにを﹂
﹁悩んでる? そっか、やっぱり不安だよな⋮⋮でもさ、俺はキョ
ウコならやってみせるって信じてる。俺はキョウコの幼なじみでフ
ァン一号だからな!﹂
﹁黙れ﹂
拳骨された。
516
﹁なんですか、先の猿芝居は﹂
﹁放課後デートってヤツを少々⋮⋮﹂
設定は﹁剣道をこの先続けていくか悩む幼なじみキョウコ、彼女
に憧れつつも一歩踏み出せないで友達止まりの少年レーカ﹂である。
﹁個人的には﹃あーん﹄までしたかったんだけどな﹂
﹁そ、そういうことならパフェをやはり奢って下さい。学生デート
なのですから﹃あーん﹄くらい当然でしょうしね、はい﹂
なにやら自分を強引に納得させている。
マスターを呼び注文を告げる。暇であろうこの時間帯、店員は彼
以外いない。
﹁そういえばね、ありましたよ面白い話﹂
﹁ほう、なんですか?﹂
﹁シールドロックです﹂
ぴくりとキョウコの眉が動いた。
﹁夏から目撃例があったことはご存知ですよね?﹂
﹁ええ、ギルドでも注意が張り出されていましたね﹂
あー、見たような見てないような。
ギルドに初めて入った時、そんな張り紙を読んだ⋮⋮ような?
517
﹁シールドロックってなに?﹂
解らないことは質問するべし。机の上に身を乗り出して訊ねる。
﹁ゴーレム系モンスターですよ﹂
﹁ゴーレム?﹂
﹁非生物人型モンスターの総称です。魔法としてのゴーレムとは別
に、独立したクリスタルを有する一種類です﹂
ストライカー
﹁サイズは様々で、小人サイズから人型機よりでかいのもいるぜ。
シールドロックの場合は人型機とほぼ同サイズだな﹂
続けてマスターも説明してくれた。
﹁ですが同サイズといえど、普通の人型機がシールドロックに単独
で向かうのは危険です﹂
﹁どうして? 腕力が人型機より強いとか?﹂
﹁むしろ、その名の由来である盾が問題なのです。シールドロック
の持つ盾はこの世のほぼ全ての攻撃を防ぐ。その為、盾を貫くよう
な神術クラスの魔法をぶつけるか、側面から本体にダメージを与え
るしかありません﹂
﹁なら回り込めばいいだろ、ってそれが出来ない理由があるのか?﹂
その通りです、とキョウコは息を吐く。
518
﹁素早いのですよ。シールドロックは巨体にも関わらずダンスのよ
うに盾を振り回すのです。どんな不意打ちも瞬時にガードされてし
まう、厄介な防御です﹂
キョウコに厄介とまで言わせるとは。
﹁いいえ、私なら盾ごと斬り伏せられますが﹂
訂正、最強最古は伊達じゃない。
﹁でもさ、十字砲火すれば?﹂
複数箇所から同時砲撃を放てば、盾で防ぎ切れず着弾するだろう。
﹁その通り、シールドロックの弱点は複数を相手に出来ないこと。
囲んでしまえばあっさりと落とせます﹂
単独で向かうのは危険とはそういう意味なのだな。
﹁それで、そのシールドロックがどうかしたのですか?﹂
﹁なんでも挑んでいった冒険者が皆帰ってこないようです﹂
⋮⋮食事前にする話ではないぞ。
﹁どうしてです? 真っ向から挑むには危険な相手ですが、事前情
報があれば攻略は容易いでしょう﹂
﹁さてな、証言する奴がこの世にいないからなんとも。そもそも戦
519
闘能力は高いが人里を襲うような面倒厄介な魔物でもないし、挑も
うって冒険者や自由天士自体が少ないんです﹂
かといって野放しも不安だが。あと接客業員が丁寧語に不慣れっ
てどうなんだ?
﹁それが面白い話ですか?﹂
﹁ええ、キョウコ様からすれば斬り応えのあるいい獲物でしょう?﹂
﹁試し斬りに目の前の男を切り捨てましょうか?﹂
怒気を孕んだ瞳にマスターは肩をすくめてカウンターへ戻る。最
強最古をからかうとかいい度胸だ。いや案外マジでお勧めしていた
かもしれないが。
﹁まったく、失礼な店員です。レーカさん、こんなお店には二度と
来てはいけませんよ?﹂
お勧め店じゃないのかよ。
魔法で冷えたお冷やをちびちび飲む。
﹁キョウコはジュースに氷が入っているのどう思う? 溶けたら薄
くなるよな、許せるタイプ?﹂
﹁万死に値します﹂
﹁そこまで!?﹂
くだらない会話を交わしつつ、ふと、後回しにされていた疑問を
520
訪ねてみた。
﹁キョウコ。あんたの二つ名の﹃最強最古﹄、その﹃最古﹄ってど
ういう意味なんだ?﹂
﹁そのままの意味ですよ。私は世界で最初の人型機天士です﹂
コードネーム
﹁最初って⋮⋮そのままの意味で、世界最初?﹂
じゃけんひめ
﹁はい。巨大人体模倣兵器概念実証機、機体通称﹃姫﹄。それにフ
ランベルジェを装備したのが今の蛇剣姫です。私は姫のテストパイ
ロットを勤めました﹂
﹁概念実証機⋮⋮﹂
新たな技術の実用性を実証する。それが概念実証機だ。
機体開発の順序はおおよそ実験機、概念実証機、試作機、先行量
産機、量産機となる。
実験機で様々な方向性のデータを得る。
概念実証機はデータをまとめて新技術として形にし、技術を完成
させる。
521
試作機はそれまでの集大成として様々な状況を想定した量産機の
雛型を完成させる。
先行量産機ではそれなりの数を制作し、実戦投入して現場の意見
を収集する。
量産機において現場の声を反映した小改良を加え、大量生産する。
こんな流れである。
実験機や概念実証機の段階であれば兵器として最低限の稼働すら
しないことも多いので、実用に耐えうるのは試作機からだ。ロボッ
トアニメでも試作機が主役メカだったりするし。
もっとも、新兵器開発がこの通り行われるとは限らない。ありふ
れた技術の結晶であれば実験機や概念実証機の段階をこなすほど慎
重にならなくとも良い場合もあるし、実験機と概念実証機の区分は
そもそも曖昧だ。
あるいは、戦局が逼迫している場合は先行量産機をすっ飛ばして
量産機を大量生産してしまうこともある。ドイツは昔、それで初期
不良が多発し酷い目に遭った。試験はしっかりやりましょう。
﹁その、全ての人型機のご先祖様が蛇剣姫?﹂
﹁そういえますね﹂
522
セルファークに存在する全ての祖、か。
なんてことだ。工房に戻ったら五時間は崇めよう。
﹁試作機じゃなくて概念実証機なのは何故? 蛇剣姫の後に試作機
や量産機も作られたんだろう?﹂
完成度は概念実証機より試作機の方が遙かに上だ。比べものにな
らないほどに。
﹁その答えは、昨日の試合で気付いているはずですよ﹂
キョウコの愛機が概念実証機でなくてはならない理由?
なんの技術を実証をしたか。キョウコは蛇剣姫を巨大人体模倣兵
器と称した。
つまり、巨大ロボットという兵器群そのものの有用性を検証した
のだ。
蛇剣姫とその後の量産機の違い。それは⋮⋮
﹁人体模倣か、兵器か、だな﹂
﹁その通りです。兵器として設計された試作機以降の人型機では、
武術を改善再現出来なかった。それが私が蛇剣姫に乗り続ける理由
です﹂
﹁だからって少しは近代改修したっていいだろうに。あれって完全
オリジナル設計のままだろ?﹂
装甲や無機収縮帯などの消耗品は交換しているが、根本的な部分
は一切弄られていない。
523
﹁一度イメージリンクを装備したのですけれど、動きにズレがある
ので外しました﹂
﹁極端だな﹂
熟練者にとってイメージリンクは枷となるが、だからって外しは
しない。普段の移動を行う分には便利だからだ。
﹁ま、いいけどね﹂
イメージリンクは操縦席からオンオフ切り替え可能だ。違和感が
あるなら戦闘中は切ってしまえばいいのだが、無理強いすることも
あるまい。
﹁乗り慣れた愛着のある機体です。必要以上に手を加えたくはない
のですよ﹂
﹁テストパイロットってことは、開発の現場に居合わせたんだよな。
最初に人型機を作ったのってどんな奴だったんだ?﹂
エアシップ
飛宙船などと比べ、人型機の複雑さは際立っている。人間が乗り
込み動かす巨人、そんな発想を最初に抱いたのはどんな人だったの
だろう?
﹁そうですね⋮⋮ふふっ﹂
不意に思い出し笑いをするキョウコ。
﹁すいません。開発の現場にふらりと現れた彼を思い出してしまっ
て﹂
524
彼?
﹁なんというか、変な人でした。思えばレーカさんに似ていたかも
しれません﹂
遠回りに失礼だ。
﹁ですが優秀な技術者でした。滞っていた開発を一気に進めた、天
才という奴ですね﹂
﹁そりゃあな。時代を超えて現在でも通用する設計なんて、よほど
の天才でなければ作れまい。えっと、蛇剣姫が作れたのって何時?﹂
﹁四〇〇年前です﹂
﹁キョウコがまだ若い頃?﹂
無言で頬をひねり上げられた。まさかまだ若いつもりなのだろう
か。
エアボート
﹁とにかく、機動兵器が飛宙挺しか存在しなかったあの時代、人型
機は戦闘能力も汎用性も桁違いの新兵器でした﹂
﹁機動兵器が飛宙挺だけって⋮⋮どうやって戦うの?﹂
ウインドサーフィンで併走して魔法を打ち合う騎士を想像する。
これも天を舞う騎士、天士と呼称すべきか?
﹁現在の主流は魔力式エンジン搭載の飛宙船ですが、昔は大きな帆
525
船もありました。大砲を載っけて撃ち合ったり小型飛宙挺で敵船に
乗り込んだり﹂
海賊みたいだ。空賊?
そんな原始的な時代に人型機が発明されたのだから、ほとんどオ
ーバーテクノロジー扱いだったろう。
前人未踏の新技術に挑む男達。想像するだけで咽せかえりそうな
ほど熱い。
﹁オーバーテクノロジーですか、言い得て妙ですね。あと空賊はい
ますよ現在でも﹂
﹁マジか﹂
布張りのボロ船で天空の城を目指したりするのだろうか。
﹁⋮⋮じゃあ、空に浮かぶ城は?﹂
﹁幾つかあります﹂
﹁マジかマジか﹂
一つじゃないのかよ。
﹁お待ち﹂
マスターがお盆に料理を乗せてやってきた。
﹁特盛りストロベリーパフェとペペロンチーノ、こちらは和風ハン
バーグセットになります﹂
526
﹁まとめて来たな⋮⋮﹂
パフェはあとで持って来いよ。そしてキョウコ、チョイスが可愛
すぎるだろ。
更に異世界で和風ハンバーグとかふざけてるのか。注文したの俺
だが。
﹁あああ、ツッコミが追い付かない﹂
﹁話は終わりにしてお昼ご飯にしましょう﹂
俺達は店内の少ない客達が向ける珍景色を見る視線に晒されつつ、
事前情報通り結構イケる食事に舌鼓を打ったのだった。
ギャラリー達が俺達をどのような目で眺めていたかは、後々判明
することとなる。
演劇とは、セルファークにおいて大きなウェイトを占める娯楽で
ある。
テレビもないこの世界では文化的な娯楽が少ない。スポーツ系の
娯楽は闘技場や現在開催中の大陸横断レース、若者の間で流行りだ
したエアバイクレースなど様々あるが、勿論全ての人がそういうこ
とに熱中出来るわけではない。
そんな人々を夢中にさせるのが舞台であり、華々しい女優男優で
ある。
527
あとは読書か。本当に物語という娯楽そのものが少ないのだ。
故に、俺達が入ったホールには既に多くの客、年若い娘やカップ
ルなどが瞳を輝かせステージをみつめていた。
﹁演目は⋮⋮﹃父を訪ねて三千里﹄か﹂
﹁どんなお話なのです?﹂
﹁さあ? 俺もこういうの詳しくないし⋮⋮でも国境を越えセルフ
ァークを席巻! 今世紀最大の感動! って表に書いてあったし、
期待は出来るんじゃないか?﹂
指定された席に腰掛ける。長時間座っても疲れない、適度な柔ら
かさの椅子だ。人型機のコックピットを学ぶ課程で人体工学も判る
ようになった。
緩く傾斜となった階段状の座席は、ここが演劇専用に設えられた
建築物だと示している。
スタッフ達が窓にカーテンをかけ、舞台がライトアップされる。
楽しげな音楽と港町を描いた背景から物語は始まった。
物語はとある国の王都、活気溢れる港町からスタートする。
主人公は魔族の青年。新たな勇者を暗殺するために送り込まれた
手練れだ。
しかし彼は、とある酒場で働く可憐な少女に恋をしてしまう。
︵なるほど、種族を超えた禁断の恋の話か。ちょっと恥ずかしいが
528
デートらしいといえばらしいな︶
更に悲劇は続く。
その少女こそ、青年が殺さねばならぬ勇者だったのだ。
ショックのあまりうちひがれる魔族。自分は同族と愛、どちらを
取ればいいのだ!?
︵おお、面白くなってきたぞ︶
﹃あの子は俺が嫁にする! 魔族なんて滅んでしまえ!﹄
魔族が叫ぶ。
︵いや、もう少し葛藤しろよ。速攻で裏切ったぞ、盛り上がりが台
無しだよ︶
﹃黙りなさい魔族! あの子は私の嫁です!﹄
王国の姫が負けじと叫ぶ。
︵レズかよ︶
展開がカオスになってきた。
﹃貴方にはこれがお似合いです。魔族⋮⋮いえ、犬!﹄
呪いの首輪を嵌められる主人公。
﹃ワンと吠えなさい、犬!﹄
529
﹃わんっ!﹄
﹃もっと! 駄犬のように狂ったように!﹄
﹃キサマ⋮⋮あまり調子に乗っていると﹄
﹃その首輪には力を封じる力があるのですわ﹄
﹃⋮⋮わん﹄
﹃ふはははは、無様ですわね!﹄
∼第一部 完∼
﹁ちょっと待て﹂
終わりなのか? これで終わったのか!?
﹁流石は世界中で大ブームの物語ですね、強いメッセージ性を感じ
ました﹂
﹁トチ狂ったか最強最古﹂
最後は主人公が従属して終わった。この物語を書いた奴はビョー
キに違いない。
530
﹁やれやれ。今日は第二部もやるそうですし、そちらも見てから判
断されてはどうです? 安易な批判は器の小ささを露呈しますよ﹂
俺が変なのか?
﹁まあいい、批評はこれからにしようか﹂
釈然としない気分を助長するかのように、休憩時間を終えたホー
ルは暗くなっていった。
世界征服を目論むお姫様。
最強最大の戦艦を指揮し、祖国を仲間二人︵勇者の少女と魔族の
青年︶と共に旅立つ。
﹃私達には足りないものがあります﹄
﹃足りないものだらけだ。絆とか、チームワークとか﹄
︵魔族が友情を重んじるなよ、主人公だからいいけど︶
﹃そんなことはどうだっていいのです﹄
︵言い切った!?︶
﹃私達には、魔法使いが足りない!﹄
531
仲間達は皆、武闘派だった。
姫はさっそく船の舳先を優秀な神官達の住まう、神殿島へと向け
る。
﹃仲間は四人までと決まっているのです! いいですか犬、攻撃魔
法だけでも回復魔法だけでもなく、どちらも扱える逸材を探し出す
のです!﹄
姫の無理難題。しかし、天は悪魔に微笑んだ。
﹃賢者ゲットですわ!﹄
﹃はわわっ!?﹄
まだ幼い賢者の卵。純粋無垢な彼女の悲劇はこの日はじまった。
﹃聞いて下さいな大神官様。この子ったら、法を破ることに協力し
ていましたわ。神官にあるまじきことだと思いません?﹄
﹃ふえぇ⋮⋮﹄
騙し、弱みを握り、人々の彼女に対する評価を下げたところで交
渉する。
賢者少女涙目である。
﹃気にするな。一緒に頑張っていこうぜ、賢者少女﹄
﹃優しいのですね、魔族さん⋮⋮﹄
そして生まれる聖と魔の絆、禁忌の愛。
532
年齢差二〇〇歳以上の恋愛物語が、今始まった。
∼第二部 完∼
﹁ちょっと待て﹂
勇者はどこいった。しかも主人公ロリコンかよ。
﹁ううっ、ぐす、いいお話でした⋮⋮﹂
感涙するキョウコ。
会場はスタンディングオベーションである。
ドン引きである。
超ドン引きである。
なにこの空気。俺が変なの? 俺が例外なの?
これが大ブームとか、セルファークちょっと変だろ。ビョーキだ
ろ。
人々は先程までの演劇を楽しげに語り合いつつ会場から出て行く。
﹁私達もどこかで﹃父に訪ねて三千里﹄について話しませんか?﹂
﹁話し合いません﹂
にべもなくキョウコの提案をあしらうと、聞き慣れた女の子の声
が聞こえた。
533
﹁あっれー、レーカ君! 君もこれを見てたの?﹂
マキさんが駆け寄ってきた。
﹁マキさん、こんにちは。もしかして会場にいたんですか?﹂
﹁いたよ、すっごく感動しちゃった! あ、キョウコ様もいたんだ﹂
﹁いましたよ、失礼ですね﹂
あれ、知り合い?
﹁蛇剣姫の修理はいつもフィアット工房ですからね﹂
﹁私が小さい頃から来てたよ。おばさんって呼んで泣かせちゃった
なぁ﹂
やめてあげて、心はつい制服着ちゃうようなヤングだよ!
と、そこにエアバイクがやってきた。俺の愛機はアメリカンタイ
プだが、このエアバイクはハーレータイプだ。
エアバイクから大男が降り立つ。
﹁待たせたなマキ⋮⋮って、坊主、とキョウコ様!?﹂
マキさんに片手をあげて歩み寄った男は俺に気付き、そしてキョ
ウコを見て、文字通り飛び上がった。
ご存知、ガチターンである。
﹁お初にお目にかかります、私はガチターンと申します! この度
はお会い出来てとても光栄っつーかサイン下さいファンなんで!﹂
534
﹁別にいいよ、この人にそういうの﹂
﹁いいぜガチターン、この人にそういうの﹂
﹁いいのですが、なぜ貴方達がそれを断るのです⋮⋮﹂
憮然としてしまったキョウコを宥めていると、ガチターンはどこ
からともかく色紙とペンを持ち出した。本当にサインを貰うつもり
のようだ。
﹁あまり上手くはないのですが⋮⋮どうぞ﹂
﹁ありがとうございます! 家宝に、いえコックピットに飾ってお
きます!﹂
家族や恋人の写真ならよく聞くが、憧れの同業者のサインって。
﹁マキさんの写真飾ってやれよ﹂
﹁もうやってらぁ﹂
さよか。
﹁ガチターン達はなにしてんの?﹂
﹁見て判らんか。デートだよデート﹂
こいつも﹃デート﹄という単語に羞恥がなくなってやがる。マキ
さんと付き合っていると色々と感性がズレるのだ。
535
﹁傍目から見ると若い女の子といけないことをする変態犯罪者だな﹂
﹁るせーよ。人がなんと言おうが俺達はラブラブだ﹂
髭面おっさんがラブラブ言うな。ズレが致命的な域に達している。
﹁そういう二人はなにやってるの? 君達もデート?﹂
﹁その⋮⋮はい﹂
頬を高揚させ頷くキョウコ。
初々しく可愛らしいが、その返答はミスチョイス。
﹁へぇえぇぇ、そうなんだぁ、だいじょうぶぜったいヒミツにしと
くからぁ﹂
にまにまと擬音が聞こえそうなほど目を輝かせてるマキさん。
なんてことだ。宿舎に帰ったら全員に知れ渡っているぞ。
﹁どっか行け、ほら行けさっさと行け﹂
二人の背中をエアバイクに向けて押す。婚約者達は気色悪い笑み
のままバイクに搭乗。
﹁あばよ﹂
﹁じゃーねー﹂
飛び去る彼らを見送る。
536
あれでまあ、お似合いの組み合わせなのかもしれない。いつ挙式
をあげるかは知らないが、祝福することにしよう。
﹁じゃあ俺達も⋮⋮キョウコ?﹂
﹁あ、はい、すいません﹂
演劇の看板を見つめてぼうっとしていたキョウコ。まだ心が完全
に正気に戻っていなかったか。
﹁⋮⋮演劇作家?﹂
どうやらスタッフ名の羅列を読んでいたらしい。
﹁どうしたんだ?﹂
﹁⋮⋮いえ。それより、レーカさん﹂
﹁ん?﹂
﹁この後の予定は組んでいますか?﹂
﹁いや、適当にウィンドウショッピングでもしようかな、って程度
だけれど﹂
﹁ならお願いがあるのですが﹂
﹁お金がかからないことならいいよ﹂
ケチくさいと言うこと無かれ。持て余していようとお金は大事な
537
のである。
﹁かかりませんよ。貴方のエアバイクを貸してほしいのです﹂
なんでまた?
﹁私に適正があるなら、一台くらい所有したいと考えているので。
少し貸してほしいのと、レクチャーをしてほしいのです﹂
﹁そりゃ、構わないけど﹂
まさか俺が最強の天士に指導することとなろうとは。
﹁じゃあ、一度フィアット工房に戻ろうか﹂
﹁はい﹂
﹁そういえばさ、なんでツヴェーって共和国領なんだろ?﹂
工房への道中。
広場を通過した際、騎士団の詰め所に掲げられた共和国の国旗を
見かけて疑問を抱く。
﹁ここって帝国の基地だったろ?﹂
﹁それは当然、戦争で奪われたからですよ﹂
538
﹁あらら﹂
重要拠点を奪われるとは、とんだ失態だな。
﹁とはいえ、どうやら共和国は銀翼を投入したとのことです。幾ら
防衛を固めていようと相手が悪かったのでしょう﹂
﹁銀翼一人で基地一つを落とせるのか?﹂
そんな無茶な道理が通るのだろうか?
﹁例えば、私が単独でツヴェー要塞を陥落させることは可能だと思
いますか?﹂
﹁うーん⋮⋮﹂
キョウコが万全な状態で、一切の油断なく、事前の基地情報を揃
えた上で、後方の補給も確保した環境だとしたら?
ここが基地だったとして、人型機が単独で攻め込むのに想定され
るルートは開けた真っ正面か、あとは崖を駆け降りるかだろう。ど
ちらにしろ困難な作戦だ。
だとしても、それでも尚キョウコだとしたら︱︱︱
﹁一〇〇機くらいは切り捨てそうだな﹂
群がる敵機や砲弾の全てを切り捨てる、そんなビジョンが浮かん
だ。
﹁はい、作戦次第では可能です。銀翼、シルバーウイングスは戦略
539
すら覆しかねない戦力であり、国家の切り札としての側面すら有し
ているのですよ﹂
歩く戦略兵器か、おっかねぇ。
﹁私にあれだけ食い下がった貴方がそれを言いますか。レーカさん
とてシルバーウイングスの一つ下、トップウイングス以上の操縦技
術は持っています﹂
確か以前ゼェーレストにやってきたギイハルトがトップウイング
スだったっけ。
前回彼に勝てたのはギイハルトが戦闘機天士であり、人型機の操
縦は専門外だったからだ。
本当に今の俺に、トップウイングス級の力があるのだろうか。
﹁貴方は銀翼の名の重みをよく理解していないように思えます。私
としてはそれは嬉しいことなのですが、人々が銀翼に抱く感情の影
響力を軽視してはなりませんよ﹂
﹁⋮⋮覚えとく﹂
﹁実感出来ないのであれば、今はそれでいいです﹂
ちなみに、とキョウコは人差し指を立てる。
﹁なんでもツヴェー渓谷を陥落させたのは、赤い翼の飛行機だった
そうですよ﹂
﹁ふぅん⋮⋮赤い翼?﹂
540
せきよく
﹁ええ、紅翼の名で知られる伝説の天士。その名も︱︱︱﹂
﹁さあ行こうかキョウコ、エアバイクが待ってるぜ!﹂
彼女の手を引き駆け出す。
﹁ちょ、ちょっと!? まだ話の途中﹁ハハハ、聞こえない聞こえ
なーい﹂﹂
エアバイクを工房対面の倉庫から持ち出し、後ろにキョウコを乗
せて移動する。
彼女の長い髪はプロペラに巻き込まれたら一大事なので、三つ編
みにして先端を腰の辺りに固定した。
﹁長い髪のまま乗れるバイクは作れませんか?﹂
﹁魔力量に自信があるなら魔力式ジェットエンジンに換装するのも
ありだ。いや、お金があるならクリスタル内蔵すればいいか﹂
﹁技術的に可能なら何故やらないのです?﹂
﹁値段が高騰する。お手軽がコンセプトのエアバイクには合わない
し、それをやると小型級飛宙船と変わらない。あとは小回りが利か
なくなるな。ジェットエンジンでは出力調節にタイムラグが発生す
る﹂
541
﹁なるほど、欠点ばかりですね。多少面倒でも性能重視で考えまし
ょうか﹂
﹁その辺は使用用途次第だな。クリスタルと高性能のエンジンを装
備すればある程度の融通は利く。⋮⋮クリスタルといえば﹂
まだキョウコに訊いていないことがあったな。
﹁あのクリスタルはなんなんだ?﹂
﹁どのクリスタルですか?﹂
﹁蛇剣姫に搭載されている、あれだよ﹂
蛇剣姫の修理を行った際、俺はクリスタルを目視で確認していた。
通常機の三倍の出力を発揮してみせた蛇剣姫のクリスタル。それ
がどのような物か気になったのだ。
胸部ハッチから機内に潜り込んだ俺は、﹃それ﹄の小ささに拍子
抜けしてしまった。
とても小さなクリスタル。
今まで見てきた人型機搭載用のクリスタルとは根本的に異なる、
小石のような結晶。
あんな小さなクリスタルが、あれほどの高魔力を発現するとは俄
には信じがたい。
﹁あれは神の涙、その欠片ですよ﹂
﹁神の涙?﹂
﹁教国で保管されている、超高出力クリスタルです。あの国の国宝
542
ですね﹂
﹁教国?﹂
﹁⋮⋮教国を知らないのですか?﹂
﹁む、不勉強なもので﹂
知らないと恥ずかしいレベルの常識なのだろうか?
でも仕方がないだろ。俺、地球出身だし。
﹁それを差し引いても常識です﹂
﹁うへー﹂
﹁教国とは共和国と帝国の間にある小さな国ですよ﹂
﹁間? 昔戦争したのって共和国と帝国だろ? 教国を跨いで戦っ
たのか?﹂
﹁言い方が悪かったですね。三つの国家はどれも、他の二つの国と
接しています。ですが教国は世界地図でも端に位置しているので、
実質二つの大国は隣り合っています﹂
戦争してても知らんぷり出来る位置か。とはいえ戦争中は流石に
ピリピリしていただろうな。
﹁教国は世界最古の国家と呼ばれ、唯一神セルファークを敬神する
宗教国です﹂
543
﹁崇めたらリターンあるの?﹂
﹁あると思いますか?﹂
神が介入するのは人類の危機にのみ、だったな。
個人に肩入れしないよなぁ、そりゃ。
﹁信じる者は救われる、です﹂
﹁人はそれを詐欺という﹂
救われない=信じる心が足りない、だし。
﹁でもよくもまあ、秘宝の欠片なんて入手出来たな﹂
﹁長く生きていれば機会もあるものですよ。と、エアバイクの練習
はこの辺がいいのでは?﹂
昨日キョウコと出会った森に着地。
﹁それじゃ、頑張って。まずは地面を走れるようになることだ﹂
﹁はい﹂
キョウコを一人で乗せ、俺は岩に腰を降ろす。
よく考えたら自転車をすっ飛ばしてバイクって意外と難しいな。
エアバイクは巨大で重量も半端ないし。
﹁と、っと、っと、これって、浮遊装置なしで直進出来るのですよ
ね!?﹂
544
﹁慣れないうちは装置に引っ張ってもらって練習するのもいいと思
うよ。重心より上に浮遊装置は配置しているから起動させとけば勝
手に立つ﹂
四苦八苦しつつもなんとか真っ直ぐ走れるようになる。
﹁次は飛んでみようか。といっても飛宙船と変わらないから、そう
難しくはないよ﹂
﹁⋮⋮あの、後ろに乗ってもらえませんか?﹂
なんで?
﹁判らないことがある度に地上に降りるのも非効率的でしょう﹂
﹁ま、確かに。それじゃあ失礼します﹂
後部に跨がる。
⋮⋮彼女のお腹に手を回さなければならないわけだが、ここで悪
戯心が芽生えてしまうのが俺が俺である所以である。
︵つい間違えたと言う定で、胸を鷲掴みにすべきだろうか?︶
実行したところでキョウコはさほど怒るまい。それに俺は子供だ。
つい悪戯しちゃったって仕方がないんだもん☆
︵だ、駄目だ! 俺は紳士なんだ! それに前回、似た状況でソフ
ィーに手を出そうとして酷い目に遭ったじゃないか!︶
545
俺は学習する男なのだ。
そうだ、ふふ、こんな脂肪の塊に惑わされる俺ではない!
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
﹁どうしました? 早く掴まって下さい﹂
鷲掴んでみた。
﹁きゃああぁ!?﹂
揉んでみた。
﹁おおお、柔らかい︱︱︱ノーブラ?﹂
﹁やっ、やめなさいっ!﹂
﹁ぐは﹂
肘鉄砲を額に入れられた。
﹁なにをするのですか!﹂
﹁いや、ついうっかり﹂
﹁そんなうっかりがありますか!﹂
﹁子供だし﹂
﹁中身はどう見ても大人でしょうが!﹂
546
﹁生き別れた母を思い出して、つい⋮⋮﹂
﹁なんですかその適当な言い訳!? ⋮⋮はぁ、もういいです﹂
﹁触っていいの?﹂
怒気が陽炎のように揺らめいた。これ以上はまずい。
黙って腰に手を回す。これはこれで温かくていい匂いだ。
さっきあんなことを言ったからか、地球の親を思い出しそうにな
った。
不意に沸き上がりそうになった涙を堪える。
﹁訂正します。貴方は子供です﹂
﹁大人だし﹂
それ以上の会話もなく、俺達はツヴェーの空へと駆け昇った。
﹁キョウコってさ。エロいこととか経験ないの?﹂
﹁な、な、な﹂
ふらふらとエアバイクの機動が乱れる。
﹁⋮⋮いい加減にしなさい。私をからかって楽しいですか?﹂
547
うん楽しい。⋮⋮じゃなくて。
﹁ふざけた意味ではなく、さ。一度もそういう深い仲になった人は
四〇〇年間いなかったの?﹂
﹁⋮⋮随分と遠慮なく踏み込みましたね。でもいいです。ここなら
誰も聞いていませんから﹂
ツヴェー渓谷上空、約一〇〇メートル。
四方を空虚に包まれた、解放された密室での秘密のお話。
﹁踏み出せなかった、というのが正しいです。誰か大切な人を得て
しまって、死に別れる勇気は私にはない﹂
﹁四〇〇年間なにやってたの?﹂
﹁なにをしていたか、ですか﹂
人を究極的に子孫を残すことを目的とした動物であるとすれば、
その目的を放棄したキョウコは何を目指して生きてきたのだろう。
﹁正直解りません。ただ、堕落に耽り立ち止まることだけはしなか
った。足を止めてしまえば、それこそ心が死に絶える気がしたから﹂
キョウコの背中が微かに揺れる。
﹁大丈夫ですよ。私はこうして、人との出会いを喜び笑うことが出
来る。なら、もうしばらくは大丈夫です﹂
548
それは、あるいは俺を安心させる為の悲しい嘘なのかもしれない。
ただ、俺には確かに彼女が笑っている気配を感じ取った。
﹁私はハイエルフとして生まれた。だから、心構えをする猶予はあ
ったんです﹂
﹁ん?﹂
﹁ですが、もし常人が大切な人を得た後に永遠の命となったならば、
その時に魂がどうなるかは判りません﹂
﹁⋮⋮なんの話だ?﹂
﹁すいません、忘れて下さい﹂
言葉を返そうとして、急に体に掛かる重圧が増した。
体が重くなり、呼吸に詰まる。キョウコが前触れもなくループを
開始したのだ。
遠心力によってバイクとキョウコの背中に押し付けられる。アク
ロバット飛行に慣れていない俺は現状把握で精一杯。
重力
上下逆さまなツヴェーの景色。ループの頂点?
Gで苦しいというより突然の状況に混乱した側面が大きいが、と
もかく俺はキョウコに先の話を問い詰めるタイミングを失った。
周囲の情景が正しい角度に戻り、エアバイクはゆるやかに着地す
る。
﹁なにすんだ!?﹂
﹁貴方は昨日私に訊きましたよね。なんでハイエルフなんて存在が
生まれるんだ、って﹂
549
キョウコはバイクを飛び降り、数歩離れる。
その小さな背中からは、特に感情は読み取れない。
﹁四〇〇年間で学んだことなど、そう多くはないのです﹂
そう呟く少女は、どれだけの時間を一人で過ごしたのだろうか。
﹁ハイエルフがなぜ生まれたのか。それを一番知りたいと思ってい
るのは、私なのかもしれません﹂
固定していた髪の毛、その先端を外す。
しなやかな黒髪は、自らの弾力で自然と解け扇のように広がった。
﹁今日はこの辺でお開きにしましょう﹂
﹁お、おう﹂
なにか怒らせてしまっただろうか?
こちらに振り返るキョウコ。その表情は予想に反し穏やかだった。
﹁怒っていませんよ。むしろ、今日はとても有意義な一日でした。
明日もまた会って下さるのですよね?﹂
﹁ああ、キョウコさえよければだし、仕事があるから今日ほど時間
は確保出来ないけれど。あと、人型機の訓練とかしてほしかったり﹂
﹁そうでしたね。若輩者ですが勤めさせていただきます﹂
イヤミレベルの謙遜である。
550
﹁明日は私が迎えに上がらせていただきます。エアバイクの注文を
したいので、工房の方がなにかと都合がいいでしょう﹂
﹁そうだな。じゃあ六回目の鐘が鳴る頃に来てくれ。一段落着く時
間帯だから﹂
﹁解りました。では、⋮⋮その、また明日﹂
﹁おうまたな、って送るよ﹂
女性を一人で帰しては男の名折れだ。
﹁いえ、髪を解いてしまいましたし。少し散歩して帰ります﹂
﹁そうか? 気をつけてな、あまり遅くなるなよ﹂
﹁ふふっ。はい、そうします﹂
踵を返し姿勢正しく歩み去る彼女を最後まで見送り、俺もバイク
に跨がった。
これにて、俺の休日でぇとは閉幕である。
次の日も俺達は時間を共にした。
551
その次の日も、その次の次の日も。
意味もなくブラブラと食べ歩きをしてみたり、人型機で試合をし
たり。
彼女の案内で穴場の観光名所を巡ったり、生身での戦闘訓練をし
てみたり。
訓練とデートを相互に繰り返し、奇妙な親睦を深めていく。
キョウコの服は日替わりで、チャイナドレスの時もあればリクル
ートスーツの場合もあったりと、お前その服どこで調達したんだと
問い詰めたくなるほど統一性がなかった。
彼女の中で日本的なサブカルチャー精神が芽生えているのではな
いかと若干危惧している。
ある時キョウコがショタコンではないかと噂が立ったが、俺は彼
女の弟子だと誤魔化した。完全な嘘でもない。
後のキョウコの調査によれば、噂の発端は休日デートで寄った酒
場の客の目撃情報だったそうだ。あいつら禄なこと話していなかっ
たな。
彼女以外の出来事といえばヨーゼフ氏の冒険者コンビが旅立った
ことくらいか。シールドロックに挑むとのことで、危なくなったら
すぐ退くよう強く念を押しておいた。
そして、ある日。
俺はカストルディさんにこう言われた。
﹁おめぇよ、いつまでこの工房にいる気だ?﹂
﹁⋮⋮え? 俺、もしかして厄介者?﹂
実は邪魔な存在で、空気読まずに疎まれていた?
ショックのあまり眩暈がする。俺ってそんな立場だったの?
マキさんがカストルディさんに跳び蹴りを放った。
552
﹁なにしやがるんだ!﹂
﹁お父さん! レーカ君に謝ってよ!﹂
﹁ん? ああ、いやそういう意味じゃねぇんだ! スマンスマン!﹂
誤解らしい。心臓に悪いからやめてほしい、そういうの。
﹁お父さんはガサツというか、ちょっと無神経過ぎるんだよ! そ
ういう人は最終巻あたりで見ず知らずの人に刺されて死ぬんだから﹂
解るような解らないような?
﹁そ、そこまで言うかぁ?﹂
﹁レーカ君のさっきの顔、見た!? 見た上でそんなこと言ってる
の!?﹂
﹁気にしてないので親子喧嘩しないで下さい﹂
むしろ周囲に騒音被害だ。
﹁決めた! 私、まだお嫁に行かない! お父さん一人だと生活し
ていけない!﹂
﹁ちょ、お前せっかくお前みたいなチンチクリン貰ってくれる奇特
な人間が居たっていうのに、人生最後のチャンスを棒に振るんじゃ
ねぇ!﹂
﹁ニャンだとーっ!﹂
553
いいから本題入れ。
俺の苛立ちを察したのか、ようやく話題が本来の路線へと回帰す
る。
﹁ナスチヤがゼェーレストに帰る時に言ってたじゃねーか。﹃収穫
祭までに戻ってこい﹄って﹂
﹁ああ、そんなことも言っていましたね﹂
﹁ゼェーレストの収穫祭って、明後日じゃなかったか?﹂
マジっすか
﹁⋮⋮⋮⋮リアリー?﹂
マジっすよ
﹁︱︱︱イエー﹂
翌日、俺は多くの仲間や友人に見送られエアバイクでツヴェーを
発つ。
突然の旅立ちにお別れ会を開いてくれた技師達。
妙に動揺しつつも悲しんでくれたキョウコ。
それと、旅立ちの朝に偶然見た、メカニックとして鮮烈に印象に
残ったある光景。
様々なものを学び、俺は帰路に就く。
一路、目的地は原点の地ゼェーレストである。
554
555
異界の故郷と収穫祭
青々とした草木。穏やかな風。自然音以外の混ざらない、無音な
らざる静寂。
エアバイクを草原に軟着陸させ、村を、そして丘の上の屋敷を一
望する。
変わっていない。木々の色は季節によって変化しつつも、この心
地よい緩やかな空気は俺の記憶と寸分違いない。
バイクから降りて、目を閉じ深呼吸。
両手を左右に伸ばしたまま、風を全身で受けつつ瞼を上げる。
﹁懐かしきかなゼェーレスト村!﹂
修行の末、俺はようやくここへ帰ってきた。
村の広場、その上空から俯瞰する。
いつもは閑散とした村の中心地だが、今日ばかりは大人も子供も
総出で収穫祭の準備をしていた。
食材を運ぶ冒険者志望三人組を発見し、エアバイクを垂直降下。
﹁うおおぉぉぉ、なんかきたー!﹂
556
﹁うるさいわよマイケル、黙って運び⋮⋮エドウィン、本当に何か
来た!﹂
エアシップ
﹁ニール、飛宙船なんて珍しくないでしょ︱︱︱って未確認飛行物
体が来たあぁ!﹂
おバカのマイケルとリーダー格のニール、ツッコミのエドウィン
だ。
今は仲良く三人揃って間抜け顔でこちらを見つめているが。
﹁ただいまー﹂
﹁レーカか! 久々だな! お土産くれ!﹂
黙れマイケル。
﹁ああ、レーカじゃない。ちゃんと収穫祭までに戻ってきたのね。
向こうはどうだった?﹂
﹁見事に都会だったな。刺激には困らない町だ﹂
﹁お土産!﹂
うっさい。
鞄から饅頭の入った箱を取り出し、遠方に放り投げる。
﹁ほーらとってこーい﹂
﹁ひゃっはぁ! お菓子だぜぇ!﹂
557
駆け出すマイケルが視界から消えるのを確認し、二人にも饅頭を
贈る。食い意地張った奴のことだ、同時に配れば他の饅頭まで欲し
がりかねない。
﹁お菓子ね、ありがとう﹂
﹁しかし、当日ギリギリまで粘ったね。皆、君が帰る期限を忘れて
いるのかと思ってたよ﹂
﹁おいおい、俺は約束を守る男だぜ﹂
忘れていたのは黙っておこう。
﹁ところでそれ、何?﹂
エアバイク
﹁超小型級飛宙船。今向こうで流行っているんだ﹂
﹁あとで乗せて﹂
﹁また今度な﹂
エアバイクは今や世界中で爆発的に普及している。冒険者を目指
すなら操縦は習得しておくべきだろう。
勿論暇な大人、主にガイルとかガイルとかガイルあたりに監督役
を頼むが。
﹁今日は収穫祭を楽しむことに専念しよう﹂
と、そこに聞き慣れたエンジン音。
558
ネ20式エンジンのパパパパパ、という独特の音が鳴り響く。
空を大きく旋回する赤い翼に、ああ帰ってきたのだな、と強く印
象付けられた。
﹁ちょっと行ってくるわ﹂
﹁うん、また夜にね﹂
﹁じゃあねー﹂
せきよく
バイクを再始動。空へ昇り、ガイルの愛機・紅翼を追いかける。
速度差は歴然としているが、紅翼のはすぐに俺に気付きコブラを
併用した捻り込みで俺の後ろに着いた。
﹁⋮⋮なに今の﹂
突然紅翼が大仰角で後ろに立ち上がったかと思えば、進行方向に
機体の腹を向けた姿勢で急減速、更にバネのように溜め込んだ揚力
を解き放ち木の葉のように一回転。
気が付けば後ろを取られていた。
﹁相変わらずガイルの操縦技術は変態だな﹂
今も機首を斜め上に保ち、失速寸前の速度で俺と平行飛行をして
いる。
俺のエアバイクはカスタムされているとはいえ、飛宙船の最高速
度一〇〇キロメートル毎時しか出ない。
飛行機にとって時速一〇〇キロとは相当遅い。機種によっては離
陸すら不可能なほどだ。
紅翼とて、いくら低速度機の古い設計とはいえ低速域での安定性
559
は悪いはずなのだが。
コックピットを覗く。
白い髪が見えた。
﹁⋮⋮えっ? もしかしてソフィー?﹂
間違いない。白髪をポニーテールに纏め、こちらをゴーグル越し
に蒼の瞳で見つめるのは、ガイルとアナスタシア様の一人娘のソフ
ィーに相違ない。
そういや彼女は単独飛行を許されているんだっけ。ガイル曰く、
﹃俺には及ばないが天才﹄だったな。
紅翼の翼が揺れる。飛行気乗りの挨拶、ロックウィングだ。
俺も片手を振る。
紅翼が少しエアバイクから離れ、安全な距離を確保した後に急旋
回。
アプローチ
進路からして、屋敷に戻ろうという意味か。
俺も彼女に追従し、屋敷の中庭に着陸した。
紅翼、エアバイクの順でタッチダウンする。
双方のジェネレータが完全停止したことを確認し、地面に降り立
つ。
﹁ただいま、ソフィー﹂
⋮⋮ソフィーが機体から降りてこない。
下からはコックピットに隠れた彼女の頭頂部だけがはみでている。
俺が着陸する前にとっとと降りてどこか行っていた、なんてオチで
はない。
﹁おーい?﹂
560
引っ込んだ。
あれ、嫌われている?
﹁⋮⋮おかえりなさい﹂
﹁お、おお、ただいま。他の皆は?﹂
﹁しゅうかく祭の準備をしているわ。お父さんもお母さんも、キャ
サリンさんもマリアも村に降りている﹂
﹁ソフィーは? 参加しないのか?﹂
この屋敷の人間は妙にスパルタだから、ソフィーにもなにかしら
仕事を与えそうなものだが。
﹁私はレーカを探していたの﹂
﹁俺を? 空から?﹂
﹁そう、空から。祭りの当日になっても帰って来ないから、道中で
迷子になっているんじゃないかってお母さんが﹂
母の要請により娘が出動したらしい。
﹁そうか、遅くなってすまなかった。いや、別に迷子になんてなっ
てないぞ?﹂
﹁嘘はどろぼうのはじまりよ﹂
なぜバレる。
561
﹁とにかく降りてきたらどうだ?﹂
﹁⋮⋮うん﹂
そろそろと慎重に地面に降り立つソフィー。小さいから若干危な
っかしい。
機体をロープで固定し、大きな麻布で覆う。メンテナンスはまた
今度。
その間もソフィーはひたすら俺を避け続けた。
﹁ソフィー、なにか怒ってる?﹂
﹁えっ? 違うよ、そんなつもりではないわ!﹂
彼女は両手を振って否定する。
確かに警戒心は感じない。というか⋮⋮
﹁ソフィーって素はそんな話し方なのか? もっと子供っぽいのイ
メージしてた﹂
今まで片言に単語単位でしか発声しなかったので、文章として会
話した機会が驚くほど少ないのだ。
しかしながら、それは当然なのかもしれない。ソフィーに一番身
近な女性はアナスタシア様だ、話し方も自然と似通ってくるだろう。
﹁変?﹂
﹁女の子らしくていいんじゃないか﹂
562
顔を赤く染めてモンキーレンチを投げつけられた。父娘そろって
同じ武器使いやがる。
﹁おや、帰ってきたのかい﹂
大股歩きで中庭に現れたのは屋敷のメイド長、キャサリンさん。
村にいるとのことだったが、フライト中に戻ってきたのだろう。
﹁ただいま帰りました、お久しぶりです﹂
﹁あいよ。汗水垂らして働いて、少しは男らしい顔付きになったん
じゃないかい?﹂
﹁キャサリンさんは相も変わらず凛々しくそして美しい。貴女の美
貌の前には唯一神のロリ神すら恥じらうことでしょう﹂
﹁⋮⋮訂正だ。町で覚えたのは軟派の語録だけか﹂
﹁心外な、デートのエスコートテクニックも精進しました﹂
﹁へー﹂
半目のマリアがキャサリンさんの後ろから現れた。
﹁そう、随分と楽しんできたみたいね。そのままあっちに居着けば
良かったんじゃない?﹂
﹁それは流石に勘弁してくれ。俺の故郷はこっちなんだ﹂
﹁でも都会の方が可愛い女の子は多いでしょう?﹂
563
﹁ははは、マリアもなんだかんだで身嗜みが気になる年頃か﹂
ビンタされた。
﹁なんでぶたれたか解る?﹂
﹁ごめんなさいデリカシーが欠如していました﹂
往復ビンタされた。
﹁そういう問題じゃないの﹂
﹁どういう問題だよ﹂
﹁真っ向から訊くな﹂
アッパーされた。
﹁ほんと、可愛い女の子を探す旅にでも行けば?﹂
﹁俺をなんだと思っているんだ。それにゼェーレストにも可愛い女
の子はいるだろう﹂
俺は目を逸らさず、彼女の手を引き寄せる。
﹁ほら見ろ、小動物みたいな可愛らしさだろ?﹂
﹁あ、あの、レーカ⋮⋮﹂
564
ソフィーの肩を抱いてサムズアップ。
戸惑うソフィーもラブリーである。
マリアの必殺ドロップキックが炸裂した。
女の子の心はまっこと、ラビリンスの如く迷宮である。
﹁アンタ、遊んでないで村に行って祭りの準備を手伝ってきな。マ
リアとソフィー様は着替えだよ、飛びっきりおめかししなくちゃね﹂
わざわざ着替えるんだ?
﹁未婚の若者は大抵着飾るもんさ。まぁアンタはどうでもいいだろ
?﹂
ひどい。実際、服装にさほど興味はないけど。
﹁えっと、家主夫妻にも挨拶したいのですが﹂
﹁挨拶なんざ仕事の前に五秒で済ませられるだろ。ほれ駆け足!﹂
﹁は、はいっ。あ、これお土産のツヴェー饅頭です!﹂
中庭から追い立てられ、自室の倉庫に荷物を放り込み村へ向かう。
レオナルドさんが時計台の調節をしていた。
565
﹁レオさーん、ただいまー﹂
﹁む、おお。お前さんか﹂
時計台の天辺で受信機の調節をしていた彼は、すぐ俺に気付き手
招きをしてきた。
﹁ツヴェーで修行しておったのだろう、手伝ってくれんか?﹂
いきなりか。いいけど。
身体強化にて屋根まで飛び上がり、魔力共振ラジオを解析。
﹁音量が安定しないんですよね、受信装置ではなく増幅器の不調で
すよ﹂
﹁む、そうなのか? よく説明もなしに判るもんじゃ﹂
﹁ふっふっふ、修行の成果です﹂
増幅器に干渉していたノイズの原因を取り払うと、音量は安定状
態に戻る。
﹁大したものだ。アナスタシア様を呼ぼうかと思っておったが、こ
んなことであの方にご足労願うのは気が引けての﹂
﹁確かにアナスタシア様でもすぐ直せたでしょうね。アナスタシア
様といえば、今はどこに?﹂
﹁ああ、あそこじゃよ﹂
566
レオさんの指先には料理を運ぶ女性達が集まっていた。
大鍋を棒で吊し、焚き火でスープを煮込んでいる。
大半が恰幅の良い婦人であるのに対し、一人だけすらりと細身で
ありながら出るとこ出てる女性がスープと睨み合っていた。
光を反射する白髪が美しい、ご存知アナスタシア様である。
﹁⋮⋮美人だよなぁ﹂
本人を見て確信した。俺の中でトップの異性はやはり彼女だ。
﹁人妻じゃぞ?﹂
﹁報われぬのもまた恋﹂
﹁アホか﹂
時計台から飛び降り女性達の元へ駆け寄る。
﹁アナスタシア様! 好きです不倫して下さい!﹂
﹁おかえり、また今度ね﹂
あっさり流された。
﹁久しぶりね。いつ帰ってくるのかとハラハラしたわ﹂
﹁ははは、いやぁ俺が⋮⋮ははは﹂
誤魔化し損ねた。
びしっと姿勢を正し、改めてご挨拶。
567
まやま れいか
﹁真山 零夏ただいま戻りました。この度はわがままを聞き入れて
頂きありがとうございました。また屋敷で厄介になります﹂
﹁ええ、よろしくね。ソフィーとはもう会ったわよね? あの子落
ち着いて話せていた?﹂
﹁言葉遣いは落ち着いていましたが、目を合わせてもらえませんで
した。なにかしたんですか?﹂
﹁レーカ君がいない間に色々と心を整理させただけよ。貴方に対し
てはもう人見知りはしないと思うわ﹂
なら目を合わせないのはまた別の要因か。
﹁ふふふっ、大丈夫よ。万事お母さんに任せて頂戴!﹂
いかん、不安だ。
﹁ちゃんとご挨拶を終えたかしら? もうそろそろ収穫祭が始まる
わよ﹂
﹁あとはガイルだけですね。どこにいますか?﹂
﹁あの人は男衆に混じって動物を捌いているわ﹂
動物?
この村には家畜はいない。肉は全て狩りによって賄われる。
アナスタシア様の視線の先に、数体の大型動物を囲む野郎共がい
た。
568
﹁ガイル、ただいま﹂
﹁ん、おう﹂
再会挨拶終了。
ガサツなガイルに慇懃かつ形式美な挨拶など時間の無駄だ。伝え
るべきことは態度と行動で示す、そんな男である。
﹁手伝うことはあるか?﹂
﹁いや、いい。あとは焼くだけだ﹂
鹿とクマらしき動物の肉塊が鉄棒に貫かれ、宙に浮いている。
これをクルクル回しながら焼くのか。ワイルドだな。
鹿と目が合った。
﹁そ、そんな目で俺を見るな﹂
魔物の時は平気だったのに、鹿のような可愛い動物だと抵抗が湧
く。
なんたって、こいつは殺された挙げ句こんな間抜けポーズをさせ
られているんだろうな。
﹁死んでいるんだからいいじゃねーか。生きたまま串刺しにってん
569
なら躊躇するが﹂
﹁襲ってくる魔物は殺して平気でも、食べる為に殺したコイツには
罪悪感を覚えるらしい﹂
﹁そりゃそうだろ。例えばさ、襲ってくる男と怯えてる女、助ける
とすればどっちだ?﹂
﹁女﹂
﹁だろ?﹂
悔しいが、どこか納得してしまった。
﹁人間って傲慢だな﹂
﹁完全公平な奴を人間とは呼ばねーよ﹂
ガイルは鹿の頭をぺちぺちと叩く。
﹁感謝しろとは言わん﹂
﹁しなくていいの?﹂
﹁誰かに言われて頭を下げるのは感謝ではない。謝罪も感謝も上辺
だけなら誰にも出来るさ﹂
うーむ。
ガイルは感謝しろとは言わなかった。
だが、感謝してはならないとも言わなかった。
570
鹿と見つめ合う。
﹁⋮⋮いただきます!﹂
なにはなくとも、肉は美味そうだ。
﹁皆の者。本日はお日柄もよく、村の美しいお嬢さん方の料理も男
達の調達した肉もたっぷりと用意出来た。更に大陸横断レースはま
さに佳境であり、楽しみには飢えぬ夜となるであろう。さあ、ゼェ
ーレスト収穫祭の始まりじゃ!﹂
レオさんの宣言により、村人達の掲げたコップが宙を舞う。
既に日は暮れかけているが、広場中央のキャンプファイアーによ
り村全体が煌々と照らされていて明かりに不自由はしない。
歓声と共に人々は歌を歌ったりラジオに耳を傾けたり肉に殺到し
たり。思い思いの形で収穫祭へと挑んでいった。
当然、俺は肉である。
﹁意外だね。レーカ君は大陸横断レースが気になると思っていたけ
れど﹂
﹁貴方はツヴェーで散々美味しい物を食べたでしょうし、こっちで
は控えていなさいよ﹂
エドウィンとニールに鉢合わせた。
571
﹁レースは気になるけど、音声だけじゃね。どこのチームがどうと
かも詳しくないし﹂
スポーツもラジオ中継では楽しめないタイプだ。携帯電話にすら
テレビが内蔵されているこの時代、音だけで試合の情景を想像出来
るのは映像すら見飽きた玄人だけだと思う。
﹁それとニール、実は飯はゼェーレストの方が美味いぜ﹂
﹁そうなの?﹂
﹁ああ、ツヴェーは食物の大半を外部からの入荷に頼っているから
な。鮮度が全体的に低かったよ﹂
それにゼェーレストでの食事はレイチェルさんお手製だった。ま
ずいはずがない。
香ばしい肉の香りが漂う。
見た目はグロテスクだが、ジューシーな香りがこの死体が食べ物
であると強烈に訴える。
﹁く、悔しいが美味そうだ!﹂
﹁なにが悔しいの?﹂
担当の男がOKサインを出すと、人々は嬉々と肉をナイフで削り
始めた。
マイケルが皿にてんこ盛りの肉を頬張る。
﹁どうだ、大盛りだぜ!﹂
572
﹁ふふん、これは負けられないな﹂
俺も負けじと肉を削る。
﹁脳は珍味よ﹂
﹁ニール、食えるの?﹂
﹁やめとく﹂
だよなー。
フォークで肉を口に運ぶ。アッサリパリパリこれは⋮⋮味がない。
﹁レーカ君、これこれ。塩で食べるんだよ﹂
﹁ああ、そうなのか。そりゃそうだな﹂
胡椒もあったのでふんだんに振りかける。うむむ、これは米が欲
しい。
﹁うむ、いいタイミングで村に来たな。まさか祭りの日に出くわす
とは﹂
﹁だな。とりあえず食えるだけ食っておこう﹂
ん?
村人ではない二人が肉をつついていた。
﹁あれ、ヨーゼフとハインツじゃないか。生きてたの?﹂
573
シールドロックに挑んだ自由天士だった。ヨーゼフは闘技場の第
二試合の相手である。
﹁失礼だな。命からがら逃げてきたとも﹂
﹁おお、前にヨーゼフの愛機を改修した坊主か。なんでこの村に?﹂
﹁なんでって、俺はこっちの出身だし﹂
むしろ俺としては二人がなぜゼェーレストでちゃっかり祭りに参
加しているのかを聞きたい。
﹁シールドロックに負けたの?﹂
﹁む、むぅ。端的に言えばそうだ。村の外れに機体は駐機している
が、修理は依頼出来るかね?﹂
いいけど、二人の懐事情は大丈夫なのだろうか?
よほど苦しいようなら無期限無利子ローンも認めることにしよう。
﹁しかもよ、アイツはシールドロックじゃなかったぜ﹂
じゃあなに?
﹁あれはシールドナイトというシールドロックの上位種だ。鱗の鎧
を着込んでおり、長距離攻撃手段すら有する危険な魔物だ﹂
﹁ああ、道理であんなに強かったのか﹂
納得である。
574
ストライカー
ソードシップ
﹁私の人型機は後回しでいいので、先にハインツの戦闘機を修復し
てほしい。早くギルドに魔物の正体を伝えなければ﹂
﹁そうだな。また誰かが無策で挑んで犠牲になっちまう﹂
真剣に話し合い始めた二人に、少し気まずい心境で割り込む。
﹁これはもう騎士団に申請して⋮⋮﹂
﹁いや、トップウイングスをどこかから呼んで⋮⋮﹂
﹁あ、あのー?﹂
コンビは同時に俺を見る。
﹁なにかね?﹂
﹁なんだ?﹂
﹁いや、その?﹂
逸らした視線を戻し、一呼吸。
﹁俺、ゼェーレストに戻る道中で倒しちゃいました﹂
﹁⋮⋮なにを?﹂
﹁シールドロック、じゃなくてナイト﹂
575
途方もなく微妙な空気が場を支配した。
まやま れいか
真山 零夏はツヴェーから出発してすぐ、異変に気付いた。
﹁ここ、どこだ?﹂
エアバイクを一旦停止。跨がったまま、困ったように頭を掻いた。
断っておけば彼は記憶力の良い方だ。異世界に渡って以来は特に、
後天的な付加能力か金髪碧眼の肉体が有する基礎能力か、頭の回転
も早くなっている。
そんな零夏が道に迷った理由はただ一つ。
﹁左右逆だったもんなぁ﹂
ツヴェー行きの道中を逆さ吊りにされていた為、道順を間違えて
覚えていたのである。
﹁そこまで致命的にルートを逸脱しているとも思えないが⋮⋮﹂
保存食は充分バイクに詰め込まれている。制限時間的な焦りはな
い。
しかし、向かう指針がないのは零夏の精神力を気付かぬ間に削い
でいた。
方位磁石の通用しないこの世界、迷子になった時に最も確実にル
576
ート復帰する方法は上空からの俯瞰である。
だがそれは飛行系の魔物に狙われかねない賭。
実際のところさほど大きなギャンブルではないのだが、今の今ま
で﹃魔物との戦闘経験がない﹄という事実が必要以上に彼を臆病に
していた。
﹁大丈夫、俺にはこれがある。アナスタシア様だって認めてくれた
じゃないか﹂
エアバイクのフックを引くと、ガンブレードの柄が飛び出す。
身体強化を行った状態であればガンブレードのショットガン機能
を片手で扱うことも容易い。防御の脆弱な飛行系魔物は一撃で終わ
る。
不安が残るとすれば、ツヴェー渓谷でもあまり訓練は行わず、終
盤でキョウコと多少訓練をした程度なことくらいだ。
エアバイクのエンジンを吹かし、クラッチを繋ぐ。
二重反転プロペラが始動し風がエアバイクを空中へと押しやった。
用心を重ね、遠見魔法を併用しながら周辺を見渡す零夏。
すぐ、その表情に喜色が広がった。
﹁あの岩場は!﹂
ゼェーレストからツヴェーへ移動する際、一晩野宿した見晴らし
の良い台地である。
彼の読み通り、街道から極端な逸脱はしていなかった。
⋮⋮最も、遠見の魔法なしでは視認出来ない数キロ単位の距離で
あったが。
浮ついた気分で地上に降りもせず岩場に急行する零夏。
彼の前に、巨大な壁がせり上がった。
577
﹁へっ?﹂
無骨な鉄の板。否、それは既に板のレベルを超越していた。
上下の高さは約八メートル。厚さも一メートルを越える。
それは鉄盾ではない。鉄塊である。
途方もない重量を誇るその﹃盾﹄を保持するのは、身長一〇メー
トルの巨人だった。
ストライカー
﹁︱︱︱人型機ァ!?﹂
ハンドルを切るも、到底間に合わない。
バイクのタイヤを盾にぶつけ、壁走りによってようやく回避する。
﹁自由天士か!? 危ないだろいきなり起きあがるな!﹂
頭部付近まで上昇し叫ぶ。パイロットに直接抗議しようとしたの
だ。
そこで、零夏はやっと気付く。
その巨人の頭部が人間を収めるコックピットではなく、有機的な
眼球を備えた生物であると。
一瞬現実逃避し人型機の新型装置かと疑うも、同時に行った解析
の結果、認めざるおえなくなる。
全身を駆動させるのは無機収縮帯ではなく、グロテスクな有機組
織。
外部からの解体を考慮しない、神懸かった複雑怪奇な構造。
これは人の作った物ではない。
﹁こいつは︱︱︱魔物だ﹂
そして思い出す。ツヴェーにて密かに話題となっていた、危険性
578
は低くとも戦闘能力は高いとされるAランクモンスター。
﹁シールド、ロック⋮⋮!﹂
ギロリ、とシールドロックは零夏を睨んだ。
零夏はシールドロックと判断するも、この魔物の本当の名はシー
ルドナイトである。
両者は大元を同じとする魔物だ。ただ、意志の強さがそれぞれを
分かつ。
シールドロックもシールドナイトも同等に巨大な盾を持つゴーレ
ムである。しかしロックは表面が脆い岩なのに対し、ナイトは鱗の
ように隙間なく硬質化した鎧で覆われている。
変質し死して再生しながら、それでも護人としての誇りを失わな
かった英霊の成れの果て。
だがそんな誇りを解する者はいない。魔物と分類される彼は、理
性もなくただ目の前の外敵を払うのみ。
しかしそれでも人里を襲わぬのは、彼の矜持故だろうか。
彼は人間を能動的に襲わない。殺すのは敵意を以て武器を構える
敵全てである。
彼は苦悩していた。なぜ自身は存在するのか。自身はなにを求め
ているのか。
誰がそう呼んだのか、彼はその在り方より名を与えられる。
﹃シールドナイト﹄。護ることに特化しつつも、護るべき対象を
見失った哀れな騎士。
その盾は、その鎧は。
579
全てを手放しながらも最後まで見失わなかった、その尊い誇りの
具現なのだ。
それを知る由もない人間達は、シールドロック及びシールドナイ
トを﹃危険性は低くも戦闘能力の高い魔物﹄とだけ位置付ける。
その強固な盾がどのような願いで形を得たのか、そんなことは誰
もが思慮の外であった。
それこそ、当の本人でさえ。
﹁︱︱︱︱︱︱﹂
しかし、だ。
﹁︱︱︱︱︱︱ッ﹂
しかしながら、彼は遂に見つけた。
﹁︱︱︱︱︱︱ッツァ ﹂
空飛ぶ大型バイクに跨がる少年。
﹁︱︱︱︱︱︱アアアアッ﹂
零夏を見た瞬間に理解したのだ。自身が生まれた意味、自身の最
期を。
﹁︱︱︱︱︱︱ッッッッッ!﹂
だからこそ彼は、その姿となって初めて自分の意志で武器を構え
る。
580
﹁ ァァ!!﹂
鱗状となった鎧を数枚剥がし指の間に固定。
﹁アアアアアアアアアアアァァァァァァァァァ!!!﹂
全身全霊を以てして、彼に撃ち放ったのだ。
﹁うおおぉ!?﹂
超音速で飛来した鱗。
到底エアバイクの加速では避けきれないと判断し、飛び降りて回
避。
ガンブレードは咄嗟に引き抜いている。それが生命線、命綱だと
直感していた。
地面を転がり着地。身体強化を継続していたので怪我はない。
鱗はバイクのプロペラを掠め、数百メートル先で着弾、爆発。
爆薬が仕込まれていたはずもない。運動エネルギーだけで爆発し
たのだ。
﹁っつーか、俺のエアバイクがああぁ!﹂
錐揉み状態で墜落するバイク。
所詮高度一〇メートルからの落下だが、徹底的に軽量化されたエ
アバイクは最低限の強度しか有していない。フレームがへし折れ内
部機構が空転するジェットエンジンにて粉砕された。
581
メカニックとして習熟した解析能力が、修理に最低数時間を要す
ると算出する。それでも異常に早いタイムであり、並の技師であれ
ば全損扱いか部品取りが精々の大破レベルだ。
ともかく、これにて零夏には逃走という選択肢がほぼ消滅した。
﹁シールドロックって、積極的に攻撃してこないんじゃないのかよ
!? それとも怒らせた?﹂
かもなぁ、と頭痛を堪える。先程はっきりと怒鳴り散らしたこと
から、その可能性をどうも捨てきれない⋮⋮気がするような。
無論、気のせいであるがそれを教えるものはいない。
﹁アアアアアアアアアアアアア!!!﹂
ほうこう
どこか悲痛な響きの咆哮を発し、盾を保持していない片手を振り
回すシールドナイト。 ﹁にゃろう、これでも食らえや!﹂
ポンプアクションを駆動、ガンブレードのショットガンをぶっ放
す。
盾の脇からシールドナイトへ迫る、マッハ1に達するショットガ
ンの粒弾。
当たる、と確信したそれは。
音速を超えて割り込んだ鉄盾にすべからく防がれた。
﹁はぁ?﹂
対人用の弾なのでダメージがないのは予想していた。だがしかし、
あの角度あの速度で防御されるなど有り得ない。
582
出鱈目だ。こいつの反射神経は、とにかく攻撃を防ぐことに特化
している。
零夏はようやく気付く。その盾を持つ左腕が、尋常ではない太さ
だということに。
﹁盾を音速で振り回すのか、戦車砲だって防げるんじゃないか?﹂
脳裏に、逃げるという選択肢が再浮上する。
バイクがないので危険な賭となるが、それでもシールドナイトを
撃破するよりは現実的な方向性だ。
メインバトルタンク
︵こいつはMBTだ。最強の装甲、最強の砲撃、高い機動性を有し
ている。更に恐るべきことに、MBTの弱点である上面側面背面か
らの攻撃が効かないときた︶
馬鹿げている。相手にするだけ馬鹿らしい。馬鹿だ馬鹿。
逃げてしまえ、と感情が叫ぶ。
﹁⋮⋮びびんなよ、俺!﹂
実戦の恐怖に駆られて判断力が鈍っている。
戦車から逃げる? 出来るはずねぇじゃねえか。
自分を叱咤し、シールドナイトを睨み付ける。
﹁いいぜ、やってやるよ﹂
ニールだって初めての戦闘で戦い抜いたんだ。なら俺だって。
﹁光栄に思えシールドロック、初体験のお相手は︱︱︱お前だ!﹂
583
覚悟を決めた零夏がすべきこと。
それは現状可能な最強攻撃を叩き込むことだけ。
ガンブレードの銃身を後方へスライド。刀身が展開し内部よりド
リルが出現する。
コンプレッサー始動。錬金魔法にて水素と酸素の混合物が銃身で
あった圧力タンクに注入される。
︵チャージ終了まで一分、徹底的に逃げ切る!︶
火花を散らすコンプレッサー。火の粉の光帯を残し小さな影は縦
横無尽に走り続ける。 時に飛翔し、時に木を蹴り飛ばし。
そして、盾の真っ正面に飛びかかる。
当然盾を構えるシールドナイト。
その鉄盾にドリルの先端を突き付ける。
間合い
﹁悪いが、この距離こそ俺のレンジだ﹂
トリガーを引く。
森に巨大な火柱が上がった。
目撃者がいたならドラゴンのブレスであると確実に勘違いするよ
うな、まさしく炎の柱。
高速回転するドリルが盾を削り、付加された魔刃の魔法が森の木
々を切り裂く。
円錐状に細切りにされる森。凶悪に過ぎる杭を、ロケットエンジ
ンが更に押し込む。
﹁防がれるなら、防御ごと貫いてしまえばいい﹂
一〇メートルに及ぶ爆炎の一〇秒間の推進。一度ゼェーレスト村
584
にて実験し、アナスタシアに使用禁止を命じられた禁忌の一撃。
その威力をして、彼女は呆れ気味にこう呼んだ。
全てを貫く10×10の金管楽器。即ち︱︱︱
100管のオルガン
﹁︱︱︱ストーカチューシャ!!!﹂
かつて硬い大岩すら粉砕したそれは、森の一角を砂塵へと変えた。
最上級魔法に迫る一撃。
しかし、それでも尚。
﹁届かない、だと⋮⋮?﹂
燃料が尽きて、ガンブレードは零夏共々地面に落ちる。
真っ赤に熱せられたガンブレード。
周辺は甚大な被害を受けつつも、シールドナイトの盾は健在であ
った。
﹁ふざけてやがる﹂
零夏の体は身に余る一撃の土台となったことで、全身ボロボロで
ある。
シールドナイトは零夏に対して盾を突きつける。
なんとなく新聞紙で潰される虫を連想し、顔を歪めた。
﹁俺はゴキじゃねぇぞ⋮⋮!﹂
横に飛ぶと、シールドナイトの盾と地面との間の空気が潰される
風圧で数回転吹き飛ばされた。
後頭部が硬い物に衝突。
585
﹁いてぇ!? ⋮⋮って、これは﹂
﹃硬い物﹄の正体に気付き思わず笑みが浮かぶ。どうやら運は尽
きていないらしい。
それは、エアバイクの残骸。
側面の外装を開くと、お目当ての物は幸い無事だった。
﹁ゼェーレスト村を出発した時のガンブレードじゃゲームオーバー
だったな﹂
﹃カードリッジ﹄を交換し、圧力を確認。
100管のオルガン
﹁しっかり改良しといたぜ、最後の問題点!﹂
引き金を引く。
有り得ざる二度目のストーカチューシャが、シールドナイトの盾
に突き刺さった。
ガンブレードの弱点であるチャージ時間とコンプレッサーの負荷。
その対策が﹁予めカードリッジに圧縮燃料を込めておく﹂という
ものだった。
水素と酸素を保存する危険性から、実用化の遅れたガンブレード
の最後の機能。
火柱は地面に叩き付けられることで、地面効果により更に推進力
を増す。
高温によりガラス状に溶け始める地面。
近くに転がっているエアバイクも危険であったが、今は忘れるこ
とにする。
100管のオルガン
一〇秒後、更に再装填。
計三発のストーカチューシャは、遂に鉄盾を砕き割った。
586
﹁ !!!﹂
声ならぬ絶叫を上げるシールドナイト。
その間に四発目を用意する。
後ろに倒れるシールドナイトは、そのままバランスを取り戻すこ
ともなく大地を揺らし仰向けに崩れる。
﹁⋮⋮倒したのか?﹂
100管のオルガン
そんなはずはない、と勘が否定した。
ストーカチューシャの切っ先は決してシールドナイト本体に突き
刺さっていなかった。
慎重に接近し、内部のクリスタルにガンブレードの照準を合わせ
いつでも貫ける状態のままシールドナイトに飛び乗った。
盾を保持した左腕は砕けている。ならば、右腕は?
視線を向けた途端、唐突に右腕が持ち上がる。
﹁やっぱ生きて︱︱︱え?﹂
零夏は、腕は自分を掴むか払うかすると予想した。
しかしシールドナイトのとった行動は想定外だった。
自分の胸部装甲である鱗を剥ぎ始めたのだ。
﹁な、なにやっているんだ? 痛くないのか?﹂
敵対している相手にも、痛みを覚えてしまうのは難点か美点か。
みるみる剥がれ落ちる鱗。
そして胸に腕を突っ込んだかと思えば、なにかを掴み零夏に差し
出した。
開いた手のひらに乗っているのは、人型機の動力源としては充分
587
なサイズのクリスタル。
シールドナイトは、こともあろうか自害し心臓を人間に差し出し
たのだ。
﹁くれる⋮⋮のか?﹂
シールドナイトの瞳から光が失われる。魔力の絶たれた肉体が動
くはずもない。
盾を砕かれ、胸に穴が開いた大型魔物。
その上で呆然と亡骸を見つめる零夏。
彼の初実戦は、こうして奇妙な閉幕と相成った。
﹁というわけだ﹂
﹁いや、なんというか⋮⋮無茶をするな﹂
冒険者二人と冒険者志望三人組の視線が痛い。
﹁なぁ、結局どう違うんだ、シールドロックとシールドナイトって﹂
﹁真正面から近距離で挑んだ君には大差なかっただろうな。むしろ、
あの盾を貫こうなど発想からして狂っているぞ﹂
﹁ははは、それほどでも﹂
588
﹃褒めてない﹄
ハモった。
﹁ロックとナイトの違いは鎧と遠距離攻撃手段の有無だな。なぁ、
ヨーゼフ﹂
﹁その通りだ。だが、その違いが戦術に大きな差を与える。ロック
は十字砲火で仕留められる、というのは知っているか?﹂
﹁うん。キョウコに聞いた﹂
﹁最強最古、そういえば弟子だったな⋮⋮﹂
そういう設定です。
﹁我々もセオリーに則りそれを試した。そして、返り討ちにあった﹂
ヨーゼフ氏の人型機には57ミリ砲が装備してあったはずだ。あ
れなら鱗の鎧は貫通しそうなものだけど。
﹁奴の判断能力は想像以上だった。確かに私の人型機には大砲が積
まれているが僚機であるハインツの戦闘機には30ミリ機銃しか積
まれていない。57ミリ砲を側面から本体に当てようと思えば、事
前に別の方向から機銃で盾の方向を釘付けにする必要がある。だが、
奴は30ミリ機銃を徹底的に無視し鎧で受け止め続けたのだ﹂
ダメージコントロールってやつか。人型機には自分の鎧を貫ける
装備があると理解し、盾を温存したんだな。
589
﹁おまけに長距離攻撃のせいで対空攻撃まで可能ときた。俺はあれ
でやられたな﹂
逃げ切ることも許されない、生還者が少なかった理由はこの辺だ
ろう。
﹁なんなのだろうな、シールドナイトとは。私はあの魔物から物悲
しさを覚えた﹂
﹁だよなぁ、ああいう魔物はやりずらいわな﹂
最期の自害。あそこには、いったいどんな思いがあったのだろう。
﹁⋮⋮あれ、冒険者志望三人組は?﹂
どこか行ってしまった。
﹁子供達かね? あそこだ、あそこ﹂
ヨーゼフの指先には赤いスープをガバ飲みする少年少女。
﹁てめぇ、アナスタシア様の手料理を食い尽くすんじゃねぇぇぇぇ
!!﹂
話を切り上げて駆ける。
そんな後ろ姿を微笑ましげに冒険者達は見ていた。
﹁やれやれ、Aランクモンスターの武勇伝より食い気ときたか﹂
590
﹁がはは、いいじゃないか。俺達も食おうぜ、金もないしな!﹂
食い意地張った相棒に溜め息を吐きつつ、ヨーゼフは一人違和感
を覚えていた。
﹁アナスタシア⋮⋮? まさか、あのお方が⋮⋮?﹂
宴もたけなわ、皆が腹を満たし騒ぎ疲れた頃合い。
﹁うぎゃああぁぁぁ、酒だ酒だぁぁ!﹂
酒に溺れたり、
﹁やっちまえぇ! ヒャッハー!?﹂
喧嘩したり、
﹁首都で話題の流行歌、三四曲目歌いまーす!﹂
歌ったり、
﹁おめーら、ここにガイル様がいるぜ、なんつってー!﹂
自己紹介したり、
﹁ぶっちぎれー! ここでお前が負けたら罰ゲームなんじゃー!!﹂
大陸横断レースでつまらない賭をしたりとなかなか混沌としてい
る。
591
訂正、こいつら全然疲れてない。
一人知り合いがいたが忘れよう。
﹁もう食えん﹂
肉も料理も、三日分は腹に収めた。
﹁ごちそうさ⋮⋮いやいや。甘いものは別腹別腹﹂
お菓子の並んだテーブルを発見し食事再開。
女の子理論ということなかれ。男だって甘味は好きなのだ。
﹁シートケーキは浪漫ロマン﹂
板状に大量生産されたお手軽ケーキ。量優先なので見た目は簡素
だが、味は良質だ。
中世的世界観では砂糖が貴重なはずだが、セルファークでは現代
日本と変わらぬ食文化が成熟している。ちょっと不自然なほどに。
﹁もしかしてロリ神のテコ入れかもな。食は人類の生存に直結する
し﹂
地上と月面が向かい合っていたりと、とことん歪な世界である。
皿にケーキをてんこ盛り。言わばスイートピラミッド!
﹁太古の浪漫と甘味の浪漫の融合! ⋮⋮ん?﹂
服の裾をくいと引かれる。
﹁誰?﹂
592
振り返れど誰もいない。悪戯か?
﹁⋮⋮こっち﹂
﹁あ、ごめん﹂
ソフィーが側に立っていた。
小さくて気が付けなかった。
﹁なんかごめん﹂
﹁ケーキ取って﹂
﹁⋮⋮怒ってる?﹂
﹁ちょっと﹂
おお、ソフィーが甘えてきた。
他人行儀な距離がない。甘えるのは信頼の裏返しだ。
ハグしたい衝動を抑え、彼女の皿にケーキをよそう。
﹁こんなもんでいいか?﹂
﹁うん、ありがとう﹂
適当な丸太に腰を降ろすと、隣にソフィーが座ろうとした。
﹁ちょっと待った、その服汚すと怒られるんじゃないか?﹂
593
﹁あ﹂
ソフィーの服装はシンプルながらも美しいドレスだ。田舎の祭り
で浮かない程度に、かつ見栄えのいい品を選んだのだろう。
ここはスマートに丸太にハンカチでも敷ければいいのだが、生憎
そんなこじゃれた物は携帯していない。さて困ったものだ。
﹁そうだ、広場の方には加工した製材のベンチがあったはずだし、
あっちに︱︱︱﹂
ぽすん、と俺の膝の上にソフィーが収まった。
え? 俺、ベンチかハンカチ代わり?
年の割にも小さな彼女は俺の腕にもすっぽり収まってしまう。
これはあれだ。ガイルとかと同じ感覚で座られている?
細く繊細な白髪やつむじを眺めていると、頭頂をつついてみたい
衝動に駆られる。
なんのツボかは勝手に各自調べてほしい。
﹁⋮⋮美味いな、ケーキ﹂
﹁そうだね﹂
二人羽織りの状態で、互いに自分の皿からケーキを食す。
せっかくこんな体勢なので、アレをやってみる。
小さく切ったケーキを持ち上げる。
﹁あーん﹂
﹁あむ﹂
594
フォークを差し出すと素直に応じて食べてくれた。可愛いじゃな
いか。
和んでいると遠くから着飾ったマリアが殺す目で睨んできたが、
ふふん、この子は渡さん!
そこに、どこかチグハグな素人音楽が流れてきた。
先程の流行歌︵ほんとかよ?︶を歌っていたオッサンではなく、
ある程度年齢を重ねた者達の楽器による穏やかな演奏。
どこか上品で、どこか軽快で。楽しげなリズムに若者達は広場の
中心のキャンプファイアー元へと集まった。
クリスタル共振ラジオも停止している。
﹁なにが始まるんだ?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮祭りの最後の、ダンスなの﹂
あ、盆踊りをするって言ってたっけ。
むしろ社交ダンスだろうか。男女がペアとなり、思い思いに体を
揺らしている。
﹁簡単な踊りだな﹂
﹁ダンスの奥深さは底知れないわ﹂
普段からその手の訓練を積んでいるソフィーの口調はちょっと固
かった。
﹁ソフィーはダンス嫌いなのか?﹂
﹁うんん。でも、知らない人と近付くのは嫌。普段は家族がパート
ナーをしてくれているけれど﹂
595
人見知りだとダンスが苦手で当然か。
ソフィーは立ち上がり、俺と向き合う。
﹁どうした?﹂
﹁う、ん⋮⋮﹂
視線を泳がせ、深呼吸。
それでも落ち着かない様子。俺は立ち上がり、片膝を着いて彼女
より視線を低くした。
子供は自分より高い視線には緊張するものである。
急かすことはせず。真摯な目でただ待つ。
﹁レーカ﹂
﹁なんだい?﹂
ソフィーはそっと白磁のような華奢な手を俺に差し出し、かつて
返事を待って貰えなかったお誘いを再び告げた。
﹁私と踊って下さい、レーカ﹂
前回の女王の如く気を纏うそれではなく、等身大の女の子らしい
精一杯の一言。
顔を紅葉のように紅潮させたそれは、どこか危うく、今にも崩れ
てしまいそうで。
﹁ダンスなんて初めてだからな﹂
596
なら俺がすべきことは、王子様の飾った言葉ではない。
﹁お手柔らかに頼む、ソフィー先生﹂
彼女と同じ視線で接すること。ただ、それだけだ。
﹁さあ、曲が終わる前に行こっか﹂
﹁︱︱︱うんっ﹂
俺に手を引かれる少女の笑顔は、王族の大衆向けなんて陳腐なも
のではない。
俺一人に向けられた笑顔は、きっとそんなものより何万倍も価値
がある。
ならば守るだけだ。他でもない今この瞬間の平穏を。
幻想のように回る光景、目の前の白き少女に俺はそんなことを思
っていた。
2章 完
597
真っ暗な室内。
蝋燭の灯り一つない密室にて、それは行われていた。
﹁報告によれば、シールドナイトが撃破されたらしい﹂
男の指が微かに動く。
﹁ふん。あれは失敗作、未完成故に破棄された物だ。倒されたとこ
ろでなんら問題はあるまい﹂
男は口の端を吊り上げ、気味の悪い笑みを漏らす。
﹁やれやれ、貴様はそれだから小物なのだ﹂
﹁なんだと!?﹂
﹁やめんか!!﹂
男の一喝により、室内には静寂が戻った。
﹁撃破したのは誰だ? 自由天士か?﹂
﹁いえ︱︱︱レーカ、という少年です﹂
﹁少年? 馬鹿な、子供に倒せるような魔物ではないぞ﹂
男は紙を何枚かめくり、内容を見る動作をする。
598
﹁ある日ふらりとゼェーレストに現れた少年か﹂
﹁怪しいな。なにより齢一〇歳にしてこの才気、異常過ぎる﹂
﹁うむ⋮⋮しかもかなりの美形らしい﹂
室内にざわめきが起こった。
﹁天才、そして美形、更に凄腕メカニックでありイケメン⋮⋮完璧
ではないか﹂
﹁妨げになるかもしれんな。我らが最終計画﹃アルティメット・オ
ペレー⋮⋮﹄﹂
ギィィ、とドアが軋みつつ開いた。
室内に光が射し込み、人間が入ってくる。
ガイルであった。
﹁⋮⋮⋮⋮なにやってんだ、お前?﹂
﹁あ、いや、その、黒幕ごっこ﹂
ここは屋敷の一室。
一人遊びをしていた零夏は慌てふためいた。
見られた! 恥ずかしいところを見られた!?
599
異界の故郷と収穫祭︵後書き︶
これにてツヴェー修行編終了です。次こそ主人公機製作編。
600
作者の落書き 2
<i55469|5977>
﹁夫と少年を見守る妻の図﹂
<i49190|5977>
帝国最新鋭獣型機﹁ホモォ﹂
帝国最新鋭獣型機。機体上部に搭載されているのはパイルバンカ
ーユニットである。脚部にはローラーダッシュを内蔵しており、敵
人型機に高速接近、懐に潜り込んで敵機の下半身にパイルバンカー
を打ち込むという戦闘スタイルを得意としている。
︵画像は開発中の物です。実物は未塗装です。設定及びデザインは
予期なく変更する場合でございます︶
<i51893|5977>
ニール・マイケル・エドウィン
冒険者志望三人組
ゼェーレストに住む冒険者を目指す幼なじみ達。
手軽に動かせる裏設定のないキャラとして登場させたはいいもの
の、常に三人一緒なので意外と動かしにくい。
601
名前の元ネタはググればすぐ判る。
<i52975|5977>
﹁夏の熱風と異世界の風﹂より、お仕事中の零夏君。
<i53620|5977>
ひゃっかじん
百花人ガチターンカスタム機
以下、作者の人型機メモ。カスタム前のオリジナル状態の設定で
ある。
帝国が大戦中に開発した量産傑作人型機。優れた操縦性、整備性、
量産性を持ち戦御子︵共和国量産機、現未登場︶より高スペック。
しかし拡張性は比較的悪く工作精度も低いので敬遠されがちである。
帝国の戦術は数によるごり押しだったので、オリジナルは両手の
他に背中に3門の火砲を備え、計5つの火器を搭載することとなる。
多くの兵器を管制する為に複座。
自由天士機では単座に改造されていることも多い。イメージはロ
シア戦車T34とT35。
<i53925|5977>
エアバイク設定画
602
<i54783|5977>
最強最古の天士キョウコ
400年生きているハイエルフの女性。人生経験豊富かと思いき
や、意外と初心。
戦闘能力は割と出鱈目。万全の状態では零夏すら適わない。作中
最強の一人。
<i55470|5977>
2章ラスト、収穫祭シーンより。
メインヒロインということで気合を入れて描いた。やっぱり全筆
塗りは大変だが色合いがいい。
603
フルーツポンチと秋の空
﹁泣くんじゃねぇよ、ガキがピーピーと。やがましいったりゃあり
ゃしねぇ﹂
﹁泣いてるのは貴方の娘さんですよ、カストルディさん﹂
ツヴェーの旅立ちの朝。
早朝、俺は荷物を纏めたエアバイクを脇に、渓谷の出入り口でお
世話になった人々と最後の挨拶を交わしていた。
﹁ルゥェェぇぇぇクァぁぁ、くぅぅぅんんん⋮⋮﹂
﹁ほら、涙を拭いて。どぅどぅ﹂
﹁馬かよ﹂
泣きじゃくるマキさんをあやすも、到底泣き止みそうにもない。
この人ほんとに結婚を控えているのだろうか。
﹁弟になってぇぇ、うちの子になろうよぉぉぉ﹂
﹁その、お気持ちは嬉しいのですが⋮⋮﹂
本当に嬉しいのだ。ここは俺の第二の、じゃなくて第三の故郷と
感じている。
604
﹁ほれ、迷惑かけんじゃねぇよ﹂
カストルディさんがマキさんを掴み上げ米俵のように肩に担ぐ。
﹁レーカ君、私のこと忘れないでねぇええぇぇ⋮⋮﹂
﹁忘れませんよ、今生の別れじゃないんですし﹂
ちなみにカストルディさんは俺から見て向こう側に頭が向かう体
勢でマキさんを担いだ。
最後のお別れにケツを向けられているのもどうなんだろうか。
俺はマキさんを回想する度、この可愛いお尻を思い出すのだろう。
なんかやだ。
﹁レーカさん、本当に行ってしまうのですか?﹂
ウェイトレス姿のキョウコが悲しげに顔を伏せる。
むしろその迷走を続ける服装のチョイスが気になって仕方がない。
最強最古はどこへ向かうのか。
﹁そう落ち込むな、人生短いようで長いさ。いくらでも再開の機会
はある﹂
﹁︱︱︱そうですね、貴方が独り立ちすれば自ずと顔を合わせるで
しょう。なんら問題はありません﹂
そう言い笑顔を作るキョウコ。四〇〇年生きていようと、どうも
不器用な女性だ。
﹁じゃあな坊主、機体の火力を強化するからまた戦おうぜ﹂
605
﹁あれ以上強化してどうするガチターン﹂
なんでお前まで居るの? さして面識はないのに。
﹁冷てぇな、俺とお前の仲じゃねぇか。俺のケツにいいものぶっ込
んどいてそりゃねーだろ?﹂
通りかかった筋肉隆々な冒険者がウホッと反応した。
ガチターン機の下部格納ハッチに爆雷を投げ込んだ記憶しかない
が、嬉しかったのか?
彼とは少し距離を置こう。
﹁そろそろ行くよ? あんまり町の出入り口を塞ぐのもマナー違反
だ﹂
バイクに跨がりエンジンを回す。
﹁︱︱︱ん?﹂
遠方より、船団がこちらへ飛行していた。
﹁なんだありゃ? 戦争か?﹂
﹁んー? おお、来たな﹂
カストルディさんが髭面を綻ばせる。
﹁やっとここまで来たんだ﹂
606
﹁そういえばこの町は最後のセクションでしたね﹂
マキさんもキョウコも理解している様子。
エアシップ
セクション? どこかで聞いた言葉だが。
中型級を主とした飛宙船団は、だがそれぞれに統一性はない。
色鮮やかに塗装された船や、見るからにオンボロ船。船名も船体
に描かれたファンネルマークもバラバラだ。
﹁なんなんだあれ?﹂
﹁大陸横断レースの参加チームだ。一機に一つのチーム、一隻の船
が着いて回って世界中を移動するんだよ﹂
自慢気な顔でカストルディさんが話す。
﹁大陸横断レース⋮⋮一月かけて世界を股に掛ける、あの大規模レ
ース? ツヴェー渓谷が開催地の一つだったとは﹂
通りで最近観光客が多いと思っていたのだ。気付かない俺も俺だ
が。
﹁実はフィアット工房からも出場しているんだぜ!﹂
﹁あ、それは知ってる﹂
﹁知ってんのかよ﹂
さすがに何週間も働いていれば耳に入る。
﹁戦況はどうなんですか?﹂
607
﹁⋮⋮今年は本腰じゃなかったからな、あれだ、来年こそ本番だ、
全然気合い入れてなかったしな﹂
負け越しているらしい。
﹁ケッ、若い奴らがやりたいっつーから任せたのによ。あいつらト
ラブル続きで全然機体スペックを生かしきれずにダラダラと情けな
いザマを晒しやがった﹂
﹁お父さんの設計はピーキー過ぎるんだよ﹂
﹁ばろ、今年はあいつ等にゼロから設計させたんだ、俺の責任じゃ
ねぇ﹂
送り出したということはその技師達も優秀なのだろうし、本当に
複雑な設計だったと推測出来る。見てみたかった。
﹁見れるんじゃねぇか? 飛宙船は渓谷の近くに降りて、そこで整
備を行う。敵情視察を警戒して外部の人間は整備中の機体を覗けな
いけどよ、お前のヘンテコ覗き魔法なら見れるだろ﹂
その手があったか。
﹁そんじゃ、さよなら!﹂
﹁ちょ、おい! ⋮⋮行きやがった﹂
颯爽とエアバイクを飛翔させる俺。少し薄情だったかと反省する
も、好奇心のままに飛宙船を追いかける。
608
そして、俺は彼等を目撃する。
ップ
ソードシ
世界最速を争い大空を駆ける、最強のパイロット達と、その搭乗
機を。
シールドナイトを撃破する、実に数時間前の出来事である。
﹁ゆ⋮⋮め?﹂
知らない、とは言い難い見慣れた天井。
ゼェーレスト村外れの屋敷、その倉庫にて俺は目を醒ました。
﹁またか。またあの夢か﹂
最近こんな目覚めばかりだ。いや、決して悪夢の類ではないのだ
けど。
今日も変わらぬゼェーレストの朝。ツヴェーより帰還して一月経
ち、風もめっきり涼しくなった。
﹁過ごしやすいと油断していたら、すぐに寒い季節がきちゃうんだ
ぞ、っと﹂
609
井戸で顔を洗っていると、例の如くマリアと鉢合わせ。
﹁おはよう﹂
﹁おはよー﹂
いつにも増して顔をごしごししていると、マリアに顔を両手で鷲
掴みされた。
﹁あんまり強く擦ると肌に悪いわよ﹂
﹁だからってスイカみたいに持つな﹂
止めるなら頭ではなく手を掴むべきではなかろうか。
﹁そういえばスイカが余っているのよね。魔法で保管しておいたか
らまだ悪くなっていないし、あとで食べる?﹂
フルーツポンチ食べたいです。
﹁貴方最近、毎朝変よね﹂
﹁そうか?﹂
﹁そうでもないか。変なのは常日頃からね﹂
常日頃から変となると、むしろ何を基準に奇妙と断じるべきなの
か。
﹁なにかあったの? お姉さんに言ってご覧なさい﹂
610
﹁結婚して下さい﹂
﹁ふえぇ!?﹂
後ずさり屋敷の壁まで後退するマリア。顔は真っ赤である。
まだまだだな。アナスタシア様なら﹁再婚する時は考えてあげる
わ﹂と即座にいなすし、キャサリンさんなら蹴るか、キックするか、
足蹴にする。
年上ぶったところでまだまだ子供だ。相談事が出来る相手ではな
い。
﹁ま、あと三年、いや二年後をお楽しみにだな。マリア⋮⋮いや、
マリアちゃん﹂
肩を優しく叩く。
大外刈りされた。
﹁よう、スイカ人間﹂
﹁ムゴゴ! ︵うっせーよガイル、これが今のトレンドなんだ︶﹂
マリアに中身をくり抜いたスイカを被せられ早数分。
ただの被り物と侮るなかれ。一度真っ二つに割ったスイカをくり
611
抜いて、再び針金で固定し作った力作だ。
つまり、再び割らないと頭から取れない。
視界もなくふらふらと廊下を移動していた際に、ガイルと遭遇し
たのは僥倖だろう。
﹁解析魔法で確認しつつ針金切ればどうだ?﹂
﹁ムゴ! ︵自分に向けて刃物向けるとか怖いだろ︶﹂
﹁空気穴は見受けられないが、呼吸は出来るのか﹂
﹁ム! ︵そろそろ息苦しくなってきた︶﹂
冗談抜きにマズい。洒落じゃ済まない。 ﹁! ︵取って、ガイル取って! スイカ取ってぇ!︶﹂
﹁じっとしてろ、あまり暴れるな。苦しむスイカとかシュール過ぎ
る﹂
楽しんでるだろこいつ。
﹁こら暴れるな! 取ろうにも取れ︱︱︱ええい、面倒くさい!﹂
頭を殴られた。
スイカが木っ端微塵に砕ける。
赤い汁の滴るいい男な俺。
バールのような物を握るガイル。
﹁⋮⋮もう少しマシな手段はなかったのか﹂
612
﹁その﹃マシな手段﹄ってのを即座に提示出来るなら謝ってやる﹂
これなら自力で割った方がマシだった気がする。
しかも通りかかったソフィーに悲鳴を上げて逃げられた。
頭をスイカの果汁で真っ赤に染める俺。
バールのような物、というかバールそのものを握るガイル。
殺人現場である。
仕事を終えた午後、俺はアナスタシア様と娘ソフィーのお茶の時
間に誘われた。
美女美少女と時間を共に出来るとあってほいほいと着いて行き、
早速といわんばかりに唐突にスイカ事件について訊ねられる。
﹁子供扱いしたらスイカ被せられた﹂
﹁子供扱い?﹂
﹁マリアちゃんって呼びました﹂
指を顎に当てて眉を顰め、首を傾げるアナスタシア様。
﹁あの子がその程度で怒るかしら?﹂
613
﹁いえ、彼女の親切心を無碍にするのとセクハラ発言のコンボがあ
ります﹂
﹁なんだ、やっぱりレーカ君が悪いのね﹂
﹁やっぱり﹂使用の上で納得された。
﹁あれは怒っていたというより、照れ隠しでは?﹂
﹁照れるようなことをしたの?﹂
そりゃ、セクハラじゃ照れないしな。
﹁求婚した﹂
﹁ふぷぅ!?﹂
ソフィーが飲んでいた紅茶に咽せた。
すかさずアナスタシア様が口元を拭いてあげる。鼻水が飛び出し
ていたのは見て見ぬフリをしよう。
﹁レーカ、マリアのことが好きなの!?﹂
﹁そうじゃなくて、﹃大人ぶるのはプロポーズを聞き流せてからに
しろ﹄って意味合いだよ﹂
﹁⋮⋮最低﹂
﹁レーカ君、最低ね﹂
614
母娘からの評価が下落した。
﹁まあ、大外刈りとスイカ人間事件に関しては解ったわ。それとも
う一つ訊きたいことがあるのだけれど、いいかしら?﹂
﹁? 構いませんが﹂
お茶会に誘われたのもそれが本題だろうか?
﹁私からの質問ではなくて、ソフィーが気になってしょうがないみ
たいね﹂
﹁お、お母さん﹂
慌てた様子のソフィー。なんだろ、俺に質問って。
﹁ツヴェー渓谷から帰って来て以来、レーカ君の様子がおかしい気
がするのよ﹂
⋮⋮⋮⋮。
﹁そうですか?﹂
﹁ええ、様子が変なことは私も気が付いていたのだけれど、てっき
りツヴェーを懐かしがっているのかと思っていたわ。でもソフィー
曰く違うって﹂
よく見ているものだ。ひょっとして洞察力は母より娘の方が高い
のだろうか。
615
﹁誰に対しても同等に発揮される洞察力かは疑問ね。それで、なに
か悩み事でもあるのかしら?﹂
﹁いえ、特にそういうことではありませんよ﹂
﹁そうよね。レーカ君だと大人が聞いてもそう答えちゃうわよね﹂
アナスタシア様は立ち上がり、ソフィーの肩に手を置いた。
﹁それじゃあ、私は中庭の方にでも行っているわ。あとは若い人同
士で楽しんで頂戴﹂
お見合いですか?
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
﹁⋮⋮⋮⋮!﹂
絶妙な緊張感を孕むお茶会会場。強ばっているのはソフィーだけ
だが。
﹁⋮⋮あっ!﹂
﹁どうした?﹂
ソフィーはテーブルの下でカサコソと紙を広げた。
角度的に見えないけど、音と仕草で紙と判る。
﹁れ、れーか、わたししんぱいなのぉ﹂
616
棒読みだった。
﹁教えてほしいな、なにをなやん、でいるの?﹂
ちらちら下を見ていた。
﹁わたし、おに、おにいちゃ、んの力になりたいの!﹂
どうやら彼女の膝の上にはアナスタシア様特製のカンペが載って
いる模様。
ソフィーと許嫁にされて以来、時折アナスタシア様がアンポンタ
ンな行動に走るのはなんなのだろう。
いや、それより今、ソフィーはなんと言った?
﹁⋮⋮もう一度﹂
﹁えっ?﹂
真摯な目でソフィーの手を両手で包む。
﹁もう一度頼む﹂
﹁⋮⋮お兄ちゃんの力になりたいの?﹂
さ、さすがアナスタシア様! 俺のツボを突いてきやがる!
﹁前半! 前半をもう一度!﹂
﹁お兄ちゃん?﹂
617
幸せだった。
﹁よーし、俺はお兄ちゃんだぞー!﹂
ソフィーの両脇に手を入れて持ち上げ、ぐるぐる回す。同い年の
設定は忘却の彼方。
﹁れ、レーカ降ろして!﹂
﹁お兄ちゃんと呼びなさい!﹂
﹁やめてレーカお兄ちゃん!﹂
﹁ふはははははははははははははは﹂
﹁ぐるぐるが加速したよぉ!?﹂
﹁なにやっているのよ貴方達は⋮⋮﹂
マリアがジト目で見ていた。
まやま れいか
お茶会の雰囲気は一転し、さながら裁判所の体を成していた。
無論、被告人は俺こと真山 零夏。
正面には裁判長のマリア様。なにやら気合いの入り方が違います。
左手の検事はソフィー。控え目ながらも、決して俺への追及は緩
めないご様子。
618
︵そして右側、弁護士席には⋮⋮︶
皆大好きフルーツポンチ。
色とりどりの果物に、甘くて冷ややかなシロップ。季節に関わら
ず舌を楽しませる贅沢の極み。
少し赤色、即ちスイカの割合が多いのはご愛敬。ガラスの大きな
器が粋な清涼感の演出だ。
マリア手作りの一品である。
︵どうしろと⋮⋮︶
皆で楽しくフルーツポンチ食おうぜ。
﹁リクエストに応えてくれたのか。マリア、ありがとう﹂
﹁え、あ、うん。さっきはごめんなさい。冷静になってみれば、頭
にスイカって危ないわ﹂
事実窒息しかけたしな。ギャグ補正で助かるけど。
﹁それで、レーカはなにを思い悩んでいるの?﹂
﹁思い悩む、って﹂
苦笑が漏れる。
﹁皆、ちょっと考え過ぎだよ。俺が一々悩みを溜め込むタイプに見
えるか?﹂
619
﹁むしろゴミを溜め込んで片付けられないタイプね﹂
それはアナスタシア様だ。
﹁まあ、真面目な話さ。これは俺の趣味の問題なんだよ﹂
﹃趣味?﹄
少女達の声が重なる。
﹁そう、そしてその趣味を始めるには、ちと歳が早い。だからモン
モンとしてたってわけ。むしろ楽しい部類の悩みだろ?﹂
﹁その割には、自分を抑え込んでいるように見えるわ﹂
と、ソフィー。鋭いこった。
饒舌になって知ったが、彼女はよく人を見ている。
﹁教えない。気遣いは嬉しいけれど、よく考えて決めたことなんだ﹂
彼女の碧い瞳ではなくガラスの器と向き合いつつ、俺は言い切っ
た。
﹁シリアスするならフルーツポンチから目を離しなさい﹂
食べちゃダメ?
620
﹁欲しければ白状しなさい﹂という外道な脅迫に、俺は泣く泣く
部屋を後にした。
これは俺の意地だ。甘えるわけにはいかない。
ああくちおしやフルーツポンチ。俺の要望でこの世に生を受け、
なぜか俺の胃袋にやってこない捻くれっ子。
﹁はいアナタ、あーん﹂
﹁あーん﹂
バカップルが中庭のテーブルでいちゃついていた。
見た目若いので恋人同士にしか見えないが、無論屋敷外の部外者
ではなくガイルとアナスタシア様夫妻である。
互いにフルーツポンチを食べさせあっこしている。ケッ。
﹁あらレーカ君、話は終わったの?﹂
見つかった。
﹁いえ、逃げてきました。村に行ってきます﹂
﹁貴方も強情ねぇ。それじゃあフルーツポンチは?﹂
﹁食い損ねました﹂
マリア、俺の分とっていてくれるだろうか。
いや、人質は生きているからこそ人質として有効なのだ。俺が口
621
を割らない限りは保管してくれるだろう。
﹁そう、じゃあ⋮⋮はい﹂
器から果物を一掬い。匙を俺へと差し出すアナスタシア様。
ま、まさか⋮⋮!?
彼女の色っぽい唇から声が発せられる。
﹁レーカ君、あーん﹂
うおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!
うううおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!
うううううううおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ
ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!
解るだろうか、いや解るまい! この単調でアホっぽい叫びでし
か表現しきれぬ歓喜!
せいれん
ねはん
そう、それは恋! 春! 秋だけど!
かいびゃく
清廉とした春風の如く涅槃に至りし境地の心持ちにして、新たな
る領域の開闢記念日おめでとう!
ちょっと難しく表現してみた! 意味不明だけど!
﹁食べないの?﹂
﹁いただきまっす!﹂
パクリ、と口に含む。
DNA
シロップの繊細な甘さ、酸味がアクセントのフルーツ達。
それぞれの内包する塩基配列は違えど、その心は同じ。
﹃俺、甘くて美味いよ! 種入っているけど! つか食べていい
から種運んで!﹄である。
622
天然の甘さのフルコース。しかし味が喧嘩しないのは、シロップ
なるまとめ役がいるから。
果実の詰め合わせなどではない、これは一つの料理なのだ。
そして、アナスタシア様の﹁あーん﹂。
あーん。あーん。あーん。
つつ、と涙が頬を伝った。
こうぼう
こんな感動は初めてだ。この世界は素晴らしい。光で満ちている。
中庭に光芒が射す。天使の梯子ともいう。
つまり、雲の隙間から光が降り注ぐアレである。
そう、ここは楽園。アナスタシア様は天より舞い降りた天使様。
︵ああ、俺、今この瞬間死んでしまって構わないよ︱︱︱︶
﹁そのスプーン、俺がくわえてた奴だけどな﹂
ガイルが言った。
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
あー、俺、今この瞬間死んでしまって構わないよ。
俺が世界に絶望し村へ向かうと、背後に気配を感じた。
解析魔法で確認。ソフィーとマリアである。
尾行されている。俺になにか用だろうか。
623
﹁この状況で俺に対する用事など一つしかないな。どれだけお節介
なんだ﹂
ご両人はまだ諦めていないらしい。
とりあえず気付かぬフリをして、目的地である村正面出入り口へ。
﹁はは、お前は最高に美人だぜ﹂
ストライカー
ゼェーレスト村所有の人型機、鉄兄貴に語りかける。カストルデ
ィさん曰く、兵器は女性の如く扱え。
以前俺が提唱した﹁浪漫兵器=可愛い女の子﹂学説に通ずるとこ
ろがある。
﹁お主も飽きんのう。もう鉄兄貴は整備され尽くしておるじゃろう
?﹂
﹁レオさん、こんにちは﹂
レオナルドさんがやってきた。
﹁今日は整備ではなく相談です﹂
ストライカー
﹁人型機相手にか? 寂しい奴じゃ﹂
ほっとけ。機械は愛情注ぐ限り裏切らない。
﹁時に人の絆は愛情が失われようと導きあうものじゃ﹂
﹁そんなの片思いじゃないですか﹂
624
﹁ははは、結構結構。恋など悲恋が一番面白いもんじゃよ、第三者
視点であれば﹂
最低だ。
﹁まあこれは冗談だが。片思いというのも、存外馬鹿に出来んぞ?
お主もいつか信じる誰かに裏切られたら、とことん信じてみると
いい。あるいは、その絆は再び繋がるかもしれん。繋がらんかもし
れん﹂
どっちだよ。
﹁こんな老いぼれじゃが、相談くらい乗るぞ? 明日には村中の話
のネタとなっておるが﹂
﹁その口説き文句で心を開く馬鹿がいるのか﹂
﹁マイケルとか﹂
またあいつか。ご近所の皆さんに話題の提供ご苦労様です。
﹁おねしょをその場凌ぎで隠したそうでな。どう誤魔化すか相談さ
れたのじゃ﹂
誤魔化すどころか村人全員が証人に!?
﹁⋮⋮んー、レオさん?﹂
﹁うむ?﹂
625
﹁好きな対象が複数なのは、不誠実ですかね?﹂
レオさんの瞳が空前絶後に輝いた。
﹁いやいやそんなことはないぞ! むしろ目移りするのは雄の本能
じゃ!﹂
﹁そうですか?﹂
﹁そうじゃ! お主は若い、どちらか選ぶのではなく両方自分のも
のにしてしまうことをお勧めするぞ! その方が面白い!﹂
両方自分のものにしてしまう、か。傲慢だが、確かにそれが一番
幸福なのかもしれない。
﹁解りました。俺、もう迷いません!﹂
﹁そうかそうか! ところで複数というのは、つまりソフィー様と
マリアちゃんのことじゃな?﹂
ソードシップ
なに言ってんだこの人?
ストライカー
﹁人型機と戦闘機、どっちメインのメカニックになるかってことで
すが﹂
﹁なにそれこわい﹂
物影からソフィーとマリアがずっこけて現れた。
626
﹁ど、どうしようマリア? 見つかってしまったわ﹂
﹁ソフィー、大丈夫よ。お母さんに男の人に口を割らせる方法を教
えてもらったから﹂
キャサリンさん直伝の尋問術とか、嫌な予感しかしない。
マリアは大股で俺に歩み寄る。
俺は後ずさろうとするも、背後に駐機された鉄兄貴で後退出来な
い。
数十センチまで接近する俺達。
﹁ち、近過ぎないか?﹂
マリアは一度深呼吸、そして目を見開き空を指差す。
ハツネ
﹁あっ! あれは帝国軍の戦闘機、初音シリーズね!﹂
﹁なんだと!?﹂
初音。帝国の現行機であり、民間にはまだあまり出回っていない
割と新型の機体。少なくともフィアット工房には運ばれて来なかっ
た。
﹁どこ? どこどこ? ハツネさんどこです︱︱︱﹂
呼吸が止まった。
空に向けていた視線を下ろせば、羞恥に染まるマリアの顔。
彼女の手は、俺の股の間にぶらさがるお稲荷さんを鷲掴みにして
いた。
627
﹁⋮⋮話して﹂
ぐぐっと若干指に力が籠もる。
﹁⋮⋮ヨロコンデ﹂
つ、潰される。
﹁発端は、ツヴェー渓谷から旅立つ朝のことなんだ﹂
鉄兄貴の装甲に腰掛けて語る。
マリアは先程の行為で茹でダコ状態であり、ソフィーはいまいち
マリアの行為の意味が判っていないらしく俺の下半身を見つめて首
を傾げている。聞けよお前ら。
﹁大陸横断レースのチームを盗み見たんだが。緊張した天士や、忙
しそうに機体をセッティングするメカニック。作戦を練る人や雑用
をこなし後方からのサポートに徹する人なんかもいた﹂
飛宙船内の小さな格納庫で、必死に作業する人々。
﹁大変そうだなって思ったんだけれど、それでも皆楽しそうだった。
世界最強の称号を目指して本当に活き活きしていたんだ﹂
そして、俺は彼らを羨ましいと思った。
628
﹁俺も参加したいと感じた。自分の思い描く機体を作って、試行錯
誤して、勝利を目指せたら楽しいだろうなって﹂
﹁大陸横断レースに参加したい、っていうのが悩みなのね﹂
ソフィーの確認に頷き答える。
﹁難しいだろ? 俺には仲間も飛行機も資金も⋮⋮いや資金はエア
バイクの報酬が結構あるけど⋮⋮とにかく、ガキの夢としては無茶
が過ぎる﹂
参加する天士達は軍人だったり名の知れた自由天士だったり、と
にかく実力と実績を得た者達ばかりだ。
対して俺は? 子供だし、飛行機の操縦は未だ未経験だし、実績
なんてシールドナイト撃破程度しかない。
﹁仮に目指すとしても、まずは天士となるところからだ。今この場
でモンモンとしたところで、どうこうなる問題じゃないんだ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮そうね。ごめんなさい。私じゃ力になれそうもないわ﹂
マリアがうなだれる。そんな顔はしてほしくなかったのに。
﹁でもレーカ、お父さんとお母さんに頼めば⋮⋮﹂
﹁ソフィー、それは絶対にしちゃ駄目だ﹂
確かに、得体の知れないコネを持っていそうな二人に頼めば何と
かなるかもしれない。
だが俺は居候だ。アナスタシア様に拾ってもらい、倉庫を部屋と
629
して貸して頂き、技師としての技術を教授してくれたことは忘れは
しない。
絶対だ。絶対、甘えてはいけない。
それが当然だと思い込んではいけない。俺は彼らに恵んでもらう
ばかりで、何一つ返せていないのだ。
﹁それにさ。夢って、自分の力で叶えるものだろ?﹂
﹁⋮⋮ちょっと、違うと思う。レーカもお父さんとお母さんを頼っ
ていいよ﹂
だから、駄目なの。
﹁レーカ。その夢、手伝っていい?﹂
ずい、とソフィーが顔を寄せる。
﹁手伝うって?﹂
﹁約束、覚えている?﹂
約束⋮⋮
﹁いつか私に、飛行機を作ってって﹂
﹁ああ、ツヴェーに旅立つ前にそんな約束したな﹂
いつかその内な、とか応えたんだ。
﹁飛行機に乗れないレーカには、航空機天士が必要よね?﹂
630
﹁そりゃあ、そうだけど、まさか﹂
ソフィーは頷く。
﹁私を、レーカの天士にして﹂
﹁⋮⋮それは、俺の夢を手助けしたいから?﹂
俺が甘えるのは無理としても、ソフィーが親に甘える分には問題
ないと、そういう意味かと問う。
ソフィーはツインテールを横に振る。
﹁レーカの話を聞いて、私もその世界を知りたいと思ったわ。それ
と︱︱︱﹂
少しだけ言葉に迷い、
﹁レーカが作り上げる機体に、乗ってみたい﹂
﹁⋮⋮くくく、ははははは﹂
思わず笑いが込み上げた。
﹁なんで笑うの、もう﹂
﹁いやいや、ソフィーは自分に正直だな﹂
頭をぐりぐり撫でてみる。
631
﹁痛いよ﹂
﹁はは、すまん﹂
なんというか、話してしまうとすっきりした。
行動するか否かはともかく、一人で悩んでいないでさっさと話す
べきだったかな。
﹁わ、私も!﹂
置いてきぼりをくらっていたマリアが声を上げる。
﹁私もサポートする! チームには雑用専門の後方支援の人もいる
のよね、私も参加したい!﹂
﹁おお、頼もしいぞマリア﹂
働き者の彼女がいれば百人力だ。 ﹁それじゃあ、いつ、どんな形になるかは判らないけど⋮⋮﹂
俺達は手を重ねる。
﹁目指そう、世界最速を!﹂
﹃おー!﹄
元気のいい掛け声が、ゼェーレスト村に響き渡った。
632
﹁大陸横断レース、あれに参加したいのか﹂
﹁ああ、ガイルも昔参戦したんだろ? いつになるかは判らないが、
いつかは俺達で参加しようと思う﹂
俺達子供組は、ガイル、アナスタシア様、キャサリンさんの大人
組に全てを話した。
キャサリンさんはお仕事モードの鉄仮面。アナスタシア様は楽し
げに微笑み、ガイルは仏頂面を崩さない。
﹁お父さんは、反対なの?﹂
﹁そんなことはないぞソフィー!﹂
叫ぶな。
﹁ただなぁ、奴等がな﹂
奴等?
﹁大丈夫よ、今もこうして平穏に暮らしていられるのだし、今更私
達を問題にする組織なんていないわ﹂
﹁⋮⋮ま、それもそうだな。いいぜ、色々支援してやる﹂
633
おお、許可が降りた。でも⋮⋮
﹁自力でチャレンジするから支援はいいよ。言ったろ、﹃いつにな
るかは判らない﹄って﹂
﹁自力って、成人するまで待つのか?﹂
﹁ボーッと待ち続けるわけじゃないさ。目の前の壁に挑んでいれば、
いつかは必ず辿り着くだろ?﹂
﹁違いない。でもよ、なんだ、そのよ﹂
なんだよ気持ち悪い。
﹁レーカ君、勘違いしちゃ駄目よ?﹂
アナスタシア様に抱きしめられた。
﹁ソフィーもマリアちゃんも、そしてレーカ君も家族、私達の子供
よ。困ったことがあれば、存分に甘えなさい﹂
その温かな体からはどこか懐かしい匂いがして、なぜか目頭が熱
くなる。
﹁︱︱︱はい。アナスタシア、様﹂
母さん、と呼びそうになりギリギリ自重する。抵抗があるわけで
はなく、ただ気恥ずかしいだけだ。きっとアナスタシア様は許して
くれる。
634
マリアもまた、自分の母に訪ねた。
﹁お母さんは、賛成してくれる?﹂
﹁私は主の意向に従うだけさ﹂
﹁そう、そうだよね⋮⋮﹂
寂しげに俯くマリア。
娘の頭を、どこか不器用に撫でる。
﹁自分でやるって決めたんだからね。裏方は大変だよ、気張りな﹂
男らしい母の激励に、娘はぽかんと見上げた後、大きく返事をす
る。
﹁うんっ!﹂
全員の理解を得られたことで緊張が抜ける。つか、緊張している
ことにも気付かなかった。
﹁でもレーカ君、いきなり世界最大の大会に出場することもないん
じゃないかしら?﹂
﹁え? ええ、だから実績を積んで⋮⋮﹂
﹁そうじゃなくて、えっと、この辺にパンフレットがあったはず⋮
⋮﹂
引き出しを漁るアナスタシア様。パンフレットとやらが見つから
635
ず苦戦している様子。
﹁きゃあ!﹂
引き出しを出し過ぎてひっくり返して中身をぶちまけた。ドジっ
子︵子?︶可愛い。
﹁まったく、捜し物があるなら私がやります。何を探してたんだい﹂
﹁ごめんなさいキャサ⋮⋮あっ、あったわ!﹂
床にバラまいたことで結果的に目的の物を発見出来たようだ。
﹁あらら、六年前の資料ね。でも大まかなルールは変わっていない
はずだし、参考にはなるわ﹂
差し出された大きな紙を読む。何かの大会案内のようだ。
一番大きな上の見出しを声に出して読み上げる。
﹁大陸横断レース︱︱︱未成年の部?﹂
それは、未来の天士達が幼い才能を競い伸ばし合う為の舞台。
大陸横断レース本編の前哨戦として行われる、もう一つの世界大
会であった。
636
フルーツポンチと秋の空︵後書き︶
主人公機=人型機と予想していた方も多いでしょうが、実は飛行
機です。しかも戦闘機ではなくレース機。
それと、レーカ君はフルーツポンチあとで食べました。
本編では割り込める場面がなかったので。
それとそれと、今回はイラストなしです。というか3章は村の中
で話が進むのでイラストの題材がない⋮
なので、最初の一話目に挿絵を入れてみました。大した絵でもあ
りませんが興味があれば。
637
魔界ゾーンとラムレーズン︵前書き︶
今回はエンジン制作のお話。それだけのお話。
正直、興味ない人は飛ばしてもいいかも?
638
魔界ゾーンとラムレーズン
大陸横断レース・未成年の部。
ソードシップ
本命レースの前座に開催されるこの大会は、文字通り子供によっ
て繰り広げられる飛行機レースである。
大人の部と同様に機体を持ち込んで機械技術と操縦技術の双方を
競うのだが、割となんでもあり、速ければ正義といった具合の本命
レースよりは安全面で多くの制約が存在するようだ。
﹁ふむふむ、なるほど﹂
自室の倉庫にて最新版の大会規程を確認する。
﹁なになに、機体は出場者及びチームの人間が用意すること?﹂
大人の力を借りるなってことか。厳密に守らせることは出来るの
だろうか?
﹁機体はフルオリジナルであるか量産機ベースの改造機であるかは
問わない﹂
これは機体調達の難易度を下げる為かな? いや、本命レースで
も改造機OKだったか。
ただ最速を目指すには最初からレース専用に設計することが望ま
しいので、大陸横断レースで改造は見たことがない。
﹁エンジンの発数は自由とする。但し、エンジンは大会側が用意し
639
たネ20魔力エンジンを使用すること。⋮⋮マジか﹂
ネ20エンジンは傑作発動機だが、最高速度は精々六〇〇キロ程
度が限界だ。となると、速度の向上を狙うには機体を洗練させるし
かない。
﹁機体を数日前から預け大会側の審査に合格した上で出場すること。
機体は多少分解した状態で返却し、丸一日かけて組み立て・エンジ
ンの設置・セッティングをチームで行う﹂
ちゃんと組み立てて返せよ⋮⋮いや、そうじゃない?
﹁そうか、組み立てを行えるかどうかで、自分で作った機体かを判
断するのか﹂
おまけに丸一日程度ではエンジンの改造も行えない。参加者達は
大会側の用意した均一な性能のエンジンを以て、対等な条件で戦う
のだ。
﹁その他細かな規程は⋮⋮あとでいいや﹂
米粒のように小さな文字に読む気が失せた。保険の契約書かって
の。
﹁アナスタシア様が取り寄せてくれた資料はまだまだあるからな⋮
⋮いったん休もっと﹂
机にずっと座って体が痛い。気分転換に村唯一の飛行機でも見に
行くか。
640
結論からいえば、俺は大陸横断レース・未成年の部に出場するこ
とを決めた。
大会は来年の夏。専属天士を勤めてくれるソフィーが慣熟訓練を
行う期間を鑑みれば、少なくとも春には完成しなければならない。
むしろ春でも遅いかも。機体に不具合がないか検査する為、早け
れば早いほどいい。
﹁おおよそ半年。長いようで短いな﹂
さっさと制作を開始したいところではあるが、どんな機体を作る
せきよく
かのビジョンは不明瞭だ。まずは方針を決めなければ。
中庭へ移動。紅翼と向かい合う。
﹁紅翼は直線翼のシンプルな機体だ。ネ20エンジンであれば、こ
ういうシンプルな設計が一番じゃないか?﹂
汎用性の高い万能指向。余計な物が付いていない以上重さも最低
限だし、なんだかんだ言ってこれが一番だと思う。
﹁無理だな﹂
﹁ガイル? いたのか﹂
いきなり背後に現れるな。
641
﹁このレースに出場する奴らは例外なく頂点を目指している。そん
なつまらない設計で勝ち抜けるほど生半可じゃないさ﹂
﹁ああ、というかそんな面白味のない機体しか作れないようなら、
俺は出場を辞退するよ﹂
せっかくの大舞台だ。人々の度肝を抜くような機体を作りたい。
﹁ガイル、未成年の部のコースを知っているか?﹂
﹁ああ、昔はよく見ていたからな。そう難しいものではない﹂
最新版の資料にも次回の飛行コースに関する情報はなかった。ぶ
っつけ本番らしい。
しかし、昨年までの傾向からある程度予想は可能。
﹁基本的に大陸横断レースの未成年部門は大都市で開催される。都
市の外周を指定された回数回れ、というのが基本だな﹂
﹁それだけ?﹂
そんなの、とにかく軽くて速い機体を作ればいいだけじゃないか。
﹁まさか。勿論あるぜ、﹃セクション﹄がな﹂
セクション、高い技術を必要とする難所か。
﹁セクションでは墜落して死ぬ奴とかもいるんじゃなかったか?﹂
642
﹁さすがにそこまで露骨に危ない場所はない。つーか町の近場でそ
んなことやったら問題になる﹂
ガイルは地面に指先で線を引く。
エアシップ
﹁こんな感じで、蜘蛛の巣みたいに空中に輪っかを作るんだ。数隻
の飛宙船でロープを張って﹂
地面に描かれたのは、外周のみの蜘蛛の巣らしき図。
﹁勿論一つや二つじゃない、数十個の輪を正しい順序で通過してい
くんだ。勿論空中に張られているから、輪は縦横斜めお構いなしだ
ぞ﹂
﹁縦横斜めお構いなしって、無茶苦茶だな﹂
地球のエアレースはあくまで平面的だ。地上や水上から巨大なバ
イロンを立て、その合間を縫って空を飛ぶ。常時地上四〇メートル
以下で飛行とか、地球のパイロット達も正気じゃない。
それを、上下左右デタラメに? この世界のパイロットは基準が
すっ飛んでいるな。
﹁しかも、リングの配置は実に嫌らしいときた。急激な速度の緩急
や急旋回を必要とするような、コース設計者の性根捻くれ具合が見
え透くようなルートだぞ。理想的にクリアすれば短時間で突破出来
て、曲がりきれなければ大幅なタイムロスとなる︱︱︱つまり、高
度にテクニカルな操縦を求められるんだ﹂
﹁⋮⋮それ、ほんとに子供向けかよ?﹂
643
﹁大人向けはもっと酷い﹂
なんか大陸横断レース怖くなってきた。悪魔の巣窟だろ。
﹁機体の機動性は最優先事項だな﹂
﹁ああ、だがテクニカルセクションで速かろうと、直線区画のスピ
ードセクションで遅ければ一気に抜かれる。機動性にもトップスピ
ードにも優秀なのが理想だな﹂
﹁ネ20エンジンに多くを求め過ぎだ﹂
あらだか
そういう機体は総じてエンジン出力に優れている。以前ゼェーレ
ストに来た最新鋭戦闘機・荒鷹などその古典的な例だ。
⋮⋮最新鋭の古典的とはこれ如何に。
﹁エンジンはどの程度手を加えられるんだ? 参加機はどれも、大
規模改造は不可能だとしてもリミッター解除くらいはしているぜ﹂
エンジン自体に対する改造か。俺のスピード作業ならば組み立て
くらい一時間で済むし、制限時間は最大二三時間だ。
﹁って、余り過ぎだろ!?﹂
作業用機械を使わず身体強化魔法で部品を運び、技師魔法にて調
節なしの瞬間溶接を行える俺は作業速度が異常に早い。
﹁もしかして、俺だけ改造し放題?﹂
いいのだろうか? ルール的には問題ないけどさ。
644
﹁と、とにかくネ20エンジンをどこまで強化出来るか実験だな。
ガイル、紅翼のエンジン使っていい?﹂
﹁アホ、こういう時こそあのエンジン使え﹂
あのエンジン?
﹁ああ! 前に紅翼に積んでたエンジン、貰ったんだっけ﹂
﹁お前の部屋にデカデカと鎮座してるじゃねぇか。どうして忘れる、
あの存在感を﹂
抱き枕として使用していたのは黙っていよう。
﹁そんじゃ、機体制作の第一歩はエンジン強化だな﹂
﹁それがいいだろう。飛行機発展の歴史はエンジン発展の歴史だ。
エンジン出力と機体性能は大抵比例する﹂
つまり、どれだけエンジンを強化出来るかで俺達の機体の性能が
決まるのだ!
﹁よし、部屋に戻ってアイディアを実践してみよう。じゃあなガイ
ルー﹂
﹁じゃあな﹂
ふふふ、エンジン強化とは難題だな。楽しくなってきた。
645
ネ20エンジンはフィアット工房でもよく触った、馴染み深いエ
ンジンだ。
間欠燃焼型エンジン、燃費は悪く性能も悪い。しかし耐久性とコ
ストパフォーマンスは最高クラス。
性能の低さは日頃の生活で使用する飛宙船向けなので問題にはな
らない。燃費の悪さも、クリスタルの丸一日で魔力が回復するとい
う特性から運用でカバー可能。
地球では発展しなかったパルスジェットがセルファークで普及し
ているのは、そんな背景があるのだ。
﹁こんなもんか、っと﹂
ネ20エンジンを改めて図面に起こす。
結局のところ、エンジンの性能とは﹃どれだけ空気を圧縮出来る
か﹄。ネ20エンジンのようなパルスジェットエンジンは圧縮率が
低いからダメダメなのである。
あとは耐熱金属の調達・配置だが、この世界には固定化魔法なる
科学的物質変化を封じる便利魔法があるので対してある程度問題で
はない。
間欠燃焼型エンジンと呼ばれる通り、ネ20エンジンは連続的な
爆発が不可能。吸気口から空気を吸ったらシャッターを閉じ、ロケ
ット花火の要領で推進する。
改造するとすれば、連続燃焼を可能にするために吸気方法を変え
るしかない。
﹁となれば、やることは﹂
646
倉庫に転がっていたターボジェットエンジンをターボファンエン
ジンに改造し、ネ20エンジンの吸気口に直結したみた。
つまり加給機だ。無理矢理ジェットエンジンで空気を詰め込んで
しまえばいい。
丸一日かけて制作し、屋敷近くの平原でテスト準備をする。上よ
ーし、下よーし。東西南北人影なーし。
充分な距離を確保し、スイッチを入れる。
聞き慣れない轟音が村を揺らした。
ネ20エンジン改は炎の柱を吹き上げ、村全ての建物をびりびり
揺さぶる。
﹁おおお、結構凄いな﹂
解析魔法で出力を算出。おおよそ7,5kNくらいか。
頑張れば時速一〇〇〇キロ出せそうな出力だ。
﹁あら素敵ね。昔、こんなエンジンを見たわ﹂
エンジンが吹き上げる爆炎を微笑ましげに見つめつつ、アナスタ
シア様が現れた。
﹁アナスタシア様。昔って?﹂
﹁試作エンジンだったかしら。タービンの回転だけでコンプレッサ
ーのエネルギーを賄えなかった頃に作られた、ピストンエンジンで
空気を圧縮する飛行機よ﹂
確かに原理的には⋮⋮全然違うよ。見た目しか似てないよ。
647
﹁出力もほどほど、重量は残念でした、な失敗作だったわ﹂
﹁ま、まあ、ネ20エンジンの要らない部分削れば軽量化は出来ま
すし﹂
﹁⋮⋮レーカ君、それ本気で言ってる?﹂
なにか間違っていただろうか?
﹁それ、ターボファンエンジンの後ろにアフターバーナーの筒がく
っついているだけじゃない﹂
あ、確かに。
﹁しかも他のエンジン載せたらルール違反よ﹂
﹁なんてこった﹂
ネ20エンジン強化計画第一段︱︱︱見事に失敗。
﹁懲りずに同じ発想だぜ!﹂
今度は電気式のコンプレッサーを付けてみた。
648
﹁⋮⋮⋮⋮うん、判っている﹂
倉庫に鎮座するその巨大な箱を眺め、溜め息を吐いた。
﹁でけぇ﹂
試運転する前から失敗作臭が半端じゃなかった。
なにせコンプレッサーの大きさは1,5立方メートルにも至る。
当然、重さも凄い。
小型機には載らない⋮⋮とは断言出来ないも、相当苦しいだろう。
﹁い、一応動かしてみるか﹂
結果としては先程と大して変わらなかった。
アナスタシア様にはルール的に問題ないと判断されたが、残念な
人を見る目で見られた。
強化計画第二段、また失敗。
﹁方向性を変えよう。地球の知識を思い出せ﹂
技術者達は様々な方法でエンジンを動かす術を考え抜いた。彼ら
の知恵を借りるのだ。
﹁外部動力のコンプレッサーを搭載するのは意外に難しい⋮⋮ネ2
649
0エンジンをターボジェットエンジンに改造するか?﹂
いや、無理だ。
構造が根本から違い過ぎるし、ターボのシャフトは極めて精密な
加工精度でなければ異常振動やトラブルの元となる。限られた時間
の中で気軽に作れる物ではない。
﹁となれば、コンプレッサーなしのエンジン?﹂
そんなの、そもそもジェットエンジンと呼べるかすら怪しい⋮⋮
いや。
﹁あったな、あるじゃないか。コンプレッサーなしのエンジン!﹂
前方からの風を、その風圧そのもので圧縮し、燃焼室へ酸素を供
給する。そんな原理が存在するのだ。
﹁ラムジェットエンジン!﹂
マイナーな形式だから思い出せなかった。地球では完全な実用化
すら出来なかったからな。
多少強引な接続でもなんとかなった先の失敗作シリーズとは違い、
ラムジェットには高度な設計技術を求められる。解析魔法のシミュ
レーション能力を駆使し、試作と実験を繰り返してようやく納得の
いく品が出来た。
様々なデータを纏めた結果、それだけで一週間。ラムジェット舐
めてた。
﹁計算上、最低稼動速度は風速六〇〇キロ毎時。⋮⋮どうやってそ
んな風を作れと﹂
650
先程のターボファンエンジンを改造、ラムジェットエンジンに接
続した。
練金魔法によりターボファンエンジンの排気は大気中の酸素濃度
に戻されている。そして結果は。
﹁さすがに、半端なパワーじゃないな﹂
槍のように大気を貫く轟雷は、それまでの試作エンジンとは一線
を画いていた。
ラムジェットエンジンは起動に高速飛行状態であることが求めら
れる扱いにくいエンジンだ。しかし、一度起動してしまえばファン
によるコンプレッサーの物理限界など知ったことかと言わんばかり
の圧縮比を成し遂げ強力無比な出力を発揮する。
﹁いい感じだが、やはりネックは低速飛行だよな﹂
六〇〇キロ以下での飛行では充分な空気が供給されず、エンジン
が停止してしまう。
最適な速度粋はマッハ3∼6、つまり三六七〇キロから七三五〇
キロぐらい。高速度域特化型のラムジェットはこの扱いにくさから
中々実用化されないのだ。
地球ではターボファンエンジンとラムジェットエンジンを組み合
わせることで解決を試みていたが、レース規程的に無理。
﹁低速用にもう一発、ネ20エンジンを積む?﹂
⋮⋮馬鹿げている。どう考えても互いに足を引っ張り合うだけだ。
﹁そうだ、さっき思い付いたこと、試してみるか﹂
651
ラムジェットエンジン起動実験の際、ターボファンエンジンの排
気を錬金魔法で通常大気に戻して吸気として使用した。
それを更に押し進め、吸気の酸素濃度を上げるのはどうだろう?
錬金魔法の魔導術式を刻んだ鉄板を三枚、三角柱状に固定。これ
で内側の気体を錬金出来る。
解析で慎重に探りつつ、風速を上げていく。
度重なる調節とデータ採取の結果、最終的には⋮⋮
﹁⋮⋮おお、時速一〇〇キロで起動状態になったぞ﹂
想像以上の成果だった。
ラムジェットエンジンはつまり筒だ。計算された内部構造と前方
からの風圧によって排気口のみから爆発を排気するのだが、風圧が
足りなければ爆発が逆流してしまう。
そうするとエンジンストップだ。
しかし一〇〇キロ以上ならば正しく吸気が燃焼室まで届けられる。
そうなってしまえば、酸素濃度は申し分ないので最高出力で起動出
来るわけだ。
こうして、一〇〇キロ以下では役立たずだが一〇〇キロ以上なら
変態出力という、奇妙なエンジンが完成した。
﹁あとは低速時にどうやって飛ぶか、だな﹂
低速では酸素をコンプレッサーで⋮⋮いやだから、外部動力コン
プレッサーは無理だって。
﹁液体酸素のタンクでも用意して、側面から酸素供給するか?﹂
あれ、なんか簡単に結論が出た。
652
ガンブレード制作で空気中からの酸素抽出、タンクへの保存技術
は確立している。
低速では吸気口シャッターを閉じてロケットエンジンとして稼動
させればいいのだ。
これで、理屈の上ではゼロ速度からマッハ6までカバーするエン
ジンが完成したわけだ。
あくまで理屈上だ。所詮ネ20エンジンの魔改造、そんな高圧力
に耐えきれるはずもない。
慎重に行われた試験の結果、エンジンの実働性能は︱︱︱
﹁結局、うまくいかなかったの?﹂
﹁うん⋮⋮﹂
マリアの掃除仕事を手伝いつつ答える。この屋敷は使っていない
部屋が多過ぎだ。
最近ではマリアが俺の仕事を請け負ってくれることが多い。なの
で午後まで彼女の仕事が割り込む。
申し訳ないという思いはあるのだが、マリアは一歩も譲らない。
これが自分なりの大陸横断レースなのだそうだ。
もっとも、こうして行き詰まってしまった以上は気分転換がてら
手伝わねばなるまい。悩むのは手を動かしながらでも出来る。
﹁どれくらいエンジンは強力になったの?﹂
653
﹁具体的な数値でいえば70kNくらいだな﹂
﹁⋮⋮つまりどれくらい?﹂
﹁最初の二〇倍くらい﹂
オリジナルのネ20エンジンは3kN程度だ。
﹁二〇倍っ。それって凄いんじゃない?﹂
﹁そうでもない。ネ20エンジンはそもそも低出力エンジンとして
開発されたんだ、改造の余地は予め確保されていた。それに荒鷹の
エンジンだって同クラスだし、完成度でいえばあっちの完勝だ﹂
それに何より、低速度域でのエンジン運用がうまくいかなかった
のが悔しい。
酸素をタンクから供給し、エンジンをロケットとして稼動させる。
なにが問題なのだろう。
﹁アナスタシア様に訊いたら?﹂
﹁うむむ、それは⋮⋮﹂
俺が開発すると意気込んでおいて、アナスタシア様に助力を申し
出ていいのだろうか。
出来ないならレースなど出場するな、ということだ。
﹁聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥よ﹂
654
﹁それ、俺が教えた言葉だろ﹂
﹁レーカはもう少し甘えていいって、前に言われたじゃない﹂
﹁⋮⋮わーったよ、あとで聞きに行く﹂
﹁今すぐ行きなさい。ここは私の仕事よ﹂
部屋から放り出された。
﹁キャサリンさんに似てきたな、うううっ﹂
なぜか泣けてくる。
アナスタシア様を探して屋敷を歩き回る。
ち
﹁なんで自分家で迷子になるんだ﹂
リビング、書斎、キッチン、中庭と思い付く場所を手当たり次第
に当たるもいないものはいない。
プライバシーの侵害一歩手前だが屋敷ごと遠見の魔法で解析して
しまおうかと迷い始めた頃、ようやく廊下の先で白い髪の端を見た。
﹁おのれ、あっちか!﹂
655
廊下の曲がり角に消えた人影を追うも⋮⋮その先には誰もいなか
った。
﹁見間違いじゃないよな﹂
アナスタシア様の香水の匂いがする。
そこ、変態とか言うな。
くんくんと残り香を辿ると、何の変哲もない廊下の途中で途切れ
ている。
﹁窓から外へ出た?﹂
そんなアホな。一階だから不可能ではないが、アナスタシア様は
そんなにお転婆じゃない。
たぶん。
﹁ツヴェー渓谷の冒険者の間で伝説になっている人だしなぁ⋮⋮﹂
酒場で尋ねても逃げるか震えるかで、誰もアナスタシア様の現役
時代について語らなかった。
証言を得られない=やっぱりお転婆じゃなかった!
完璧な理論である。
﹁そんなことより、今のアナスタシア様だ﹂
周囲に何か痕跡がないか見渡すと、あることに気付く。
﹁なんだろこのでっぱり?﹂
656
壁に奇妙な突起が存在した。
壁紙に紛れて見逃してしまうような、指を這わせて初めて発見す
る程度の膨らみ。
押してみた。
壁がせり上がり、地下室への階段が出現した。
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
ジャンプして隠し扉を掴み、体重で下に閉じる。
もう一度押してみた。
壁がせり上がり、地下室への階段が出現した。
﹁な、なんじゃこりゃーっ!?﹂
隠し階段!? なんでこんなモンが屋敷に!
﹁よし、突入するぞ! オーバー﹂
先程までの、エンジン開発に難航し憂鬱だった気分は吹き飛んだ。
気分はダンジョンに潜る冒険者である。
﹁武器はちゃんと﹃装備﹄しないと意味がないよ!﹂
村人Aのセリフを唱えつつ、こっそりと階段を降りる。
背後で入り口が閉まった。解析してみると、どうやら時限式だっ
た模様。
それでいてセンサーで周囲の動体を感知し開閉が停止するシステ
ムを実装しているのは、やはり母親故の配慮だろうか。
﹁こんにちは旅の人。ここはゼェーレストです﹂
657
しばし降っていると、鉄の扉が現れた。
音が軋まないように、慎重に開く。
﹁と見せかけてドーン!﹂
一気に突入!
﹁スクープ、地下室で妖しげな実験を繰り返す美女!﹂
﹁静かにしてくれないかしら、レーカ君﹂
ごめんなさい。
床から視線を逸らさず、大きな杖で地面に術式を刻み続けるアナ
スタシア様がそこにはいた。
﹁魔導術式?﹂
そこは、屋敷の下に存在するとは思えないほど広大な部屋だった。
向こうの壁まで五〇メートルはあるだろうか。薄暗い地下室は柱
の一本も存在せずただただ広く、そして地面には光り輝く魔法陣が
描かれている。
部屋一杯に広がる緻密な術式。多少は俺も魔法を学んだが、到底
理解仕切れるものではない。
なにこれ。すっげぇ気になる。
でも真剣なアナスタシア様の眼差しに声をかけるのも躊躇われる。
さっき騒いで怒られたし。
⋮⋮ここは、いったん出直すか。
静かに扉へ戻ると、背中に声をかけられた。
658
﹁ここでなにをしているのか、訊かないの?﹂
﹁訊いていいんですか?﹂
﹁どうしよっかなー?﹂
じらさないで下さい。
﹁⋮⋮レーカ君は、どうしても会いたい人っている?﹂
ぽつりと彼女は呟いた。
﹁これは魔法。火を起こしたり水を出したりなんかじゃない、奇跡
を呼ぶ為の魔法﹂
奇跡、ね。
﹁会いたい人とまた出会う、そんな夢を見られる魔法よ﹂
⋮⋮なんかしょぼい奇跡だ。
﹁夢ですか?﹂
﹁ええ。人は時を越えられない。けれど過去は変えられるわ﹂
どういう意味だろう?
時を越えられないのは判る。でも、過去を変えられる?
むしろ、時を越えずにどうやって過去を変えるのだ?
﹁けれど過去って、そんなに簡単に変えちゃいけないものだと思う
659
の。だから﹃夢﹄よ﹂
﹁はぁ?﹂
つまり、要約すると⋮⋮
﹁最近夢見が悪いからいい夢見れる魔法を作ったんですね!﹂
﹁レーカ君、話聞いてた?﹂
解らないんだもん。
﹁いいわ、もう﹂
拗ねたように頬を膨らませるアナスタシア様。可愛い。
﹁レーカ君は私になにかご用?﹂
﹁ああ、そうでした。実は︱︱︱﹂
現在ぶち当たっている問題を説明しつつ、魔法陣を端目で眺める。
屋敷の地下で人知れず構築されていた、超大規模術式。
いつしかこの術式は、世界を巡る戦いの重要な鍵となる。
誰もが求め、秘匿し、流血を厭わず我が物にしようとする奇跡の
魔法。
しかし俺はそんなことを知るはずもなく、あっという間に興味を
失ったのだった。
660
エンジンの問題を語り終えると、アナスタシア様は考え込むよう
に目を閉じた。
﹁⋮⋮レーカ君、エンジンの中で使用されている爆発魔法ってどん
なものか知っている?﹂
爆発魔法?
﹁錬金魔法みたいなもん、って解釈してますけど﹂
魔力式ジェットエンジン。魔法で動くエンジンっつーのも冷静に
なるとちょっと変だが。
地球のエンジンの燃料は油だ。燃料をエンジン内部に噴射し、吸
気口から吸い込んだ酸素と結合させ爆発を得る。
魔力式ジェットエンジンも同じだ。内部に燃料を生みだし、酸化
させて推力とする。
﹁だから、空気中に燃料っぽい物質を練金する魔法術式でしょう?﹂
﹁違うわ﹂
違うんかい。
﹁魔力式ジェットエンジンに使用される術式は、燃料の役割を果た
す架空物資を現実に投影する魔法。再現する物質にはジェットエン
ジン内部で酸素と結び付き膨張する、ただその機能しかないのよ﹂
具体的な原理など初めて知った。
661
﹁燃焼されるしかない物質って、なんでそんな限定的なんですか?﹂
素直に油作ればいいのに。
﹁その方が爆発力が強くてエンジンの性能が良かったからよ。どん
なものでも、不要な部分を割り切って目的に特化させれば性能は上
がるわ﹂
アナスタシア様は壁に設置された炎の灯った松明を持つ。
﹁不思議だと思わない? 魔法の炎はなにも存在しない空間に直接
的に火が発生する。油を気化させるわけでもなく、燃料なしの本当
に直接に、ね﹂
うーん、戦闘魔法自体あまり見ないからなぁ。
ファイアー! とかそんな感じ?
﹁魔法の炎は魔力が架空物資へと形を変えて、酸素と結合し燃焼す
る現象なの。この架空物資は物理学的には存在せず、燃焼すること
しか出来ない。それ以外の機能を削ぎ落として燃料としての機能に
特化させている、文字通りジェットエンジンの為に調節された燃料
なのよ﹂
ピンときた。つまり⋮⋮
﹁ロケットエンジンには未対応ってことですか﹂
﹁そういうことよ。ジェットエンジンの定義は外部から酸素を供給
すること。レーカ君のロケットエンジンはその条件を満たしていな
662
かったから、術式がエンジンであると認識出来なかったのね﹂
魔法方面の理由だったのか、解らないわけだ。
﹁その術式の調整を行えば、ロケットエンジンにもジェットエンジ
ンにも対応する架空燃料物資を発生させられますか?﹂
﹁可能だけれど、爆発の膨張率は下がるわよ﹂
つまりエンジン出力ダウンか。それはなんか嫌だ。
現時点でも十分な出力だし、ちょっとくらい性能がダウンしても
いいのだが、なんか悔しい。
と、揺らめく松明の炎に目が行き疑問がよぎった。
﹁そういえば室内で松明とか大丈夫なんですか? 酸素は消費して
いるのでしょう?﹂
﹁魔力が尽きれば架空物資は消滅するわ。酸素濃度はすぐ戻るから
平気よ﹂
窒息の心配はないのか。
﹁架空物資の保管は出来ます?﹂
﹁え? ええっと、いいえ不可能だわ﹂
アナスタシア様は首を横に振った。
﹁魔力式ジェットエンジンの架空燃料物資は酸素以外の気体の存在
を無視するわ。容器に閉じ込めることは可能だけれど、空間座標的
663
に重なった物理物質と架空物質を分離することは困難ね。というか
仮に分離出来でも、すぐに無に帰るもの﹂
そっかー、予めロケットエンジン用の架空燃料物質を保管してお
こうと思ったのに。
﹁そうだ、真空中で架空物質を生成すれば?﹂
それなら分離する手間もない。
﹁頭いいわね、レーカ君。その方法は考えつかなかったわ﹂
でも最終的に霧散することは避けられない、か。
⋮⋮⋮⋮空間座標的に重なる?
﹁この松明は魔法の炎なんですよね﹂
﹁そうよ﹂
床に落ちていた、火の灯っていない松明を拾う。
魔法で着火。
﹁それ、科学的な炎?﹂
﹁はい、気が済めばすぐ消すのでご勘弁を﹂
この炎は酸素を消費するので長時間地下室で使用出来ない。
松明同士の炎を近付ける。
炎が干渉することなく重なった。
664
﹁まさかと思ってやってみたけど、なんだこりゃ﹂
﹁どうしたの?﹂
アナスタシア様に重ね合わせを見せると、なんだと言わんばかり
に頷いた。
﹁化学変化の炎と魔力の炎は、まったく別の視点、別次元の現象で
すもの。同時に同座標に成立しちゃうのよ﹂
無茶苦茶だ。深く考えると頭がおかしくなりそう。
﹁魔法は神の敷いた理の上に成り立っているわ。自然の摂理とは矛
盾するころもあるのよ﹂
⋮⋮これをエンジンに転用したらどうだろう?
即ち、言わば︱︱︱
﹁魔力式ジェットと化学式ロケットのハイブリッドエンジン?﹂
﹁そのとーり!﹂
ガイルに自慢げに説明する。
暇そうにしていたのでわざわざ倉庫まで呼んだのだ。正直誰でも
665
良かった。犬とか猫でも許可。
アナスタシア様に魔法の神秘について習った後、俺は新たなエン
ジンの制作に取りかかった。
魔法と科学の複合エンジン。あまりの複雑さに解析魔法を使用し
ているのにも関わらず制作は難航し、完成品を見たのは作業開始か
ら二週間後である。
数多くの失敗を乗り越え、それは完成した。
﹁静止状態から時速一〇〇キロまでは水素ロケットエンジンで稼動。
それ以上はラムジェットエンジンが始動し、更にスロットルを解放
すればラムジェットと水素ロケットの同時起動状態となる﹂
﹁同時って、別の駆動原理を同時に? 可能なのか、そんなこと﹂
﹁魔法と科学の合わせ出汁だ﹂
科学オンリーのロケットエンジン。
魔法オンリーのジェットエンジン。
混合技術ではなく、それぞれを住み分けさせて独立することで相
互干渉を回避したのだ。
﹁この世界の人ってどうしても中途半端に魔法に頼っちゃうんだよ。
科学だけで頑張っている地球舐めんな﹂
﹁お前だって解析魔法の恩恵に与っているだろ﹂
﹁つまりは、このエンジンは双発が重なった状態なわけだ﹂
﹁無視すんな﹂
666
更に更に! とエンジンを台座に固定。
﹁大出力アフターバーナーを組み込んだことにより、最大出力は前
人未踏の150kN!﹂
アフターバーナーとは排気に燃料を再び混入させ、過剰燃焼させ
る加速装置である。
出力は一気に約二倍。しかし、魔力消費は数倍となる。
到底一つのクリスタルでは賄えない魔力は、俺自身が供給するこ
とにした。
始
シールドナイトのクリスタルも高純度なのだが、全力運転となれ
ば魔力の追加供給とシステム管制が必須となる。
だから、制作するレース機必然的に複座の予定だ。
動
﹁難しい話は置いといて、刮目するといい! エンジン、コンタク
ト!﹂
燃焼室に酸素と水素が注入され、最初の点火が行われる。 ﹁吸気は? 一〇〇キロ以上の速度じゃなくては起動しないんだろ
?﹂
﹁酸素タンク用意しているから大丈夫!﹂
言ってる側からジェットエンジンに切り替わった。
炎の色が変わり、轟音が膨れ上がった。
排気ノズルがこちらを向いているわけでもないのに、あまりの風
に立っていることすら困難となる。
﹁いい音だ! このエンジンは当たりだぜ! どうだ、よく回るだ
667
ろう!﹂
﹁当たりもなにもお前が作ったんじゃねぇか! あと回るような稼
動部ないだろ!﹂
形式美という奴である。
﹁いい加減にしねぇと土台から飛んじまうぞ!﹂
﹁ああ!? まだまだだ、ハイブリッドシステム起動!﹂
﹁やめんかー!?﹂
ジェットエンジンとロケットエンジンの同時起動!
台風すら生温い殺人的な風圧に、思わず身体強化魔法で踏ん張る。
ガイルは魔法が苦手なので俺に掴まっている。
﹁お前、いい加減に︱︱︱﹂
﹁これでラスト! アフターバーナー全開!﹂
エンジン後方よりアームが展開される。
あまりに強力、大規模なアフターバーナーはエンジンの半分程度
のサイズとなってしまった。
バカ正直に一体化してはエンジン全長だけで一〇メートルを越え
るので、必要時にのみ後方に展開されるように設計したのだ。
光の帯だった排気は正しく炎となり、熱波が周辺の植物を焼き尽
くす。
ショックダイヤモンドが長く尾を引き、エンジンは熱せられ光を
帯びる。
668
﹁っ、軍人時代だってこんなエンジンなかったぞッ﹂
﹁ふはははははは、燃え上がれ、吹き飛ばせ! いっそ飛んで行っ
ちまえー!﹂
飛んで行っちまった。
﹁⋮⋮は?﹂
台座が地面から千切れ、酸素タンクを引っ張り上げエンジンが浮
き上がる。
徐々に加速するエンジン。
さながらそれは、在りし日に父と遊んだロケット花火。
﹁あはは、綺麗だな﹂
﹁現実逃避するなっ﹂
エンジンはあっという間に空へと昇っていき、雲の中へと消えた。
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
沈黙が痛い。
﹁ま、まあそのうち落ちてくるだろ﹂
﹁あるいは月面に突き刺さって終わるだろ﹂
﹃あはははははは﹄
669
ガイルと笑い合う。
﹁なにがおかしいのかしら?﹂
アナスタシア様の、すっごく低い声が背後から聞こえた。
ガイルと正座させられお説教を受ける。
﹁ナスチヤ、俺はただ呼ばれただけでな⋮⋮﹂
﹁お黙りっ!﹂
﹁はい、スイマセン﹂
縮こまるガイル。完全にとばっちりである。
﹁ははは、ザマないなガイル﹂
﹁なにか可笑しいのかしらレーカ君?﹂
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
﹁あ、エンジン落ちてきた﹂
雲から鉄柱が抜けるのに気付く。
670
﹁﹃フュージョン・レイ!﹄﹂
アナスタシア様の魔法の弓矢がエンジンを貫いた。
彼女の等身を遙かに越える巨大な弓。引き絞られた弦が弾かれる
と、極太のレーザーがエンジンを飲み込む。
﹁⋮⋮ガイル、ねえアレなに?﹂
﹁俺も詳しくは判らないが、空気中の水素を融合させて、そのエネ
ルギーを光に変換する魔法だそうだ﹂
核融合レーザーかよ。
﹃こえー﹄
アナスタシア様は光の弓を握り潰す。無言で。
﹃こえー﹄
﹁⋮⋮いい加減にしなさい、貴方達﹂
﹃彼﹄は苛立っていた。
671
﹃彼﹄はその空の覇者だった。
風より速く、音より速く。誰も﹃彼﹄を止められない。
そんな﹃彼﹄に、奇妙な物体がぶつかったのだ。
炎と轟音を撒き散らすソレは、﹃彼﹄に突撃した挙げ句グリグリ
と、そりゃあもうグリグリと頭をこねくり回す。
空飛ぶ鉄柱は意思を持つかのように執拗に﹃彼﹄を追い回し、ど
突き、張ったき、ビンタし、抉り、ようやく燃料が尽きて地上へ落
ちていった。
イラッときた。
凄くイライラッときた。
虚仮にされたままで収まるほど﹃彼﹄は忍耐強くない。
﹃彼﹄は鉄柱を睨み、その音をしかと記憶する。
再びその音と出会った時に、決して聞き逃さない為に。
﹁つーかお前、なに他の出場者が亜音速機で出場しようとしている
中で超音速機作る気マンマンなんだよ﹂
アナスタシア様の説教を右から左に聞き流しつつ、ガイルに訪ね
られた。
﹁新型エンジン、名称は付けるのか?﹂
エンジンの名前? そうだなぁ⋮⋮
672
﹁魔改造ラムジェットエンジン?﹂
﹁魔界ゾーンラムレーズンエンジン?﹂ そんなことは一言も言っていない。
673
魔界ゾーンとラムレーズン︵後書き︶
ソフィー﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
エンジンの開発は沢山のお金と時間を必要とします。それを時間
短縮する為に設定されたのが解析魔法です。
今回はちょっと展開に無理がありますね。﹁科学と魔力のハイブ
リッドエンジン﹂をやりたいが為に強引に話をもっていった感が。
674
鳥人間とXプレーン
﹁やだ﹂
﹁うぐぐ﹂
今月に入ってからの俺とソフィーの睨めっこは、記念すべき通算
一〇度目を数えていた。
﹁だから、これ以上主翼が長いと超音速時に不利になるんだ!﹂
ソードシップ
﹁飛行機はエンジンで旋回するものじゃないわ。翼で風を受け止め
て、勢いを殺さないままに曲がるのが理想。浮かび上がる力はあっ
て困るものじゃない﹂
推力偏向
﹁ベクタードノズルを装備すればエンジンパワーで強引に曲がれる
!﹂
﹁邪道﹂
﹁むぎーっ!﹂
このお嬢様は、俺の提案をことごとく否定しやがって。
エンジンが完成してしばし経つが、俺は未だ機体制作に取り掛か
れてはいなかった。
軽い機体で空力を生かした飛び方を好むソフィー。
機体が重かろうとエンジンの出力で無理矢理機動を行えばいいと
675
いう発想の俺。
どうも方向性が定まらず、模型を作ってはソフィーに却下される
日々の繰り返しなのだ。
模型で見せるのは、彼女が感覚的に空を飛んでいるからである。
図面読めないんだよねこの子。
﹁ソフィーの言い分も解る、そりゃ軽くて機敏に動く方がいいには
決まっているが、な﹂
そのコンセプトで設計すると、エンジンのパワーに機体が耐えき
れないのだ。
主に翼がへし折れて溶け落ちる。
﹁⋮⋮ごめんね、わがままばかり言って﹂
急にしおらしくしないでほしい。
﹁いや、気にするな。要求に応えられないのは俺の未熟だ﹂
要望は遠慮せずに言ってくれ、と予め断ったのは俺の方だ。
レースに挑むのに、彼女が求める良好な機動性と反射速度は間違
いなく武器となる。
機体が重ければどうしても慣性が残ってしまうのだ。
﹁とにかくさ、一度作って乗ってみないか?﹂
試行錯誤するにも実際に実験する機体が欲しい。
﹁作るって、どんな機体を?﹂
676
俺が作れる、高性能かつ汎用性の高い機体などあれしかない。
あらだか
﹁荒鷹﹂
﹁というわけで、作ってみました荒鷹﹂
格納庫に収まった共和国最新鋭試作機のレプリカを見上げる。
格納庫は機体制作に際し必要と判断し、予め制作しておいた。ソ
フィーと議論ばかりしていたわけじゃない。
﹁以前はバルカン砲のレプリカで一週間かかっていたのに、今では
機体そのものを同期間で作れるとは⋮⋮俺も成長しているんだな﹂
しみじみしていると、格納庫に俺的異性好感度ナンバーワンの婦
人が現れた。
﹁レーカ君、荒鷹はコピーしちゃ駄目って言ったわよね、私⋮⋮?﹂
アナスタシア様がジト目で俺を睨む。
﹁でも白です﹂
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
﹁白です﹂
677
荒鷹レプリカは見事な純白だった。
﹁⋮⋮⋮⋮レーカ君?﹂
﹁は、はい﹂
﹁せめて細部を作り替えなさい。特徴を消して﹂
渋々垂直尾翼を一枚に変更したり、主翼を完全な三角形にしたり
するのであった。
これじゃあ荒鷹︵笑︶だ。
ついでにエンジンも単発である。もはや別物。
タイガーシャークならぬイーグルシャークとでも名付けよう⋮⋮
何人が判るんだこのネタ。
﹁とにかく、試運転してみるか﹂
解析シミュレーション上は問題ない。浮遊装置も付いているし、
最悪ゆっくり墜落すればいいのだ。
﹁それじゃあエンジンに火を入れて︱︱︱﹂
はたと気付く。室内でエンジンを始動すれば、木造格納庫が吹っ
飛んでしまう。
﹁それじゃあエアバイクで引っ張れば﹂
タイヤが空転するばかりだった。
ケッテンクラート
﹁畜生、今度、エアバイクを半装軌式に改造しなければ⋮⋮!﹂
678
結局、地引き網漁のように腕力で牽引する俺の姿があった。
この荒鷹︵笑︶は、つまり実験機だ。
新型機制作の手順を語ったが、覚えているだろうか。
実験機、概念実証機、試作機、先行量産機、量産機の順で制作さ
れるというアレだ。
まずは荒鷹︵笑︶をベースに、様々な技術を実験してみたい。
﹁俺がエンジンテストしてやるぞ!﹂
と手をノリノリで上げたガイル。どう考えても乗りたいだけだ。
とはいえアイディアを纏めるにも時間がかかる。しばらくは好き
にさせておこう。
﹃ヒャッホオオオォォォォォ!!﹄
只今、俺は村の時計台の上。
通信室を借りて、荒鷹︵笑︶のテスト飛行を行うガイルを見上げ
ていた。
﹃前に乗った荒鷹よりちとパワーが足りないが、いい出来だ! こ
の時点で楽に優勝しちまうぜ!﹄
679
﹁楽しそうでなによりだ、ガイル﹂
受信機越しに鮮明なガイルの声が届く。
木々も紅葉し、風はとても心地よい。この季節がずっと続けばい
いのに。
実は巡航飛行での出力性能は、魔改造エンジン装備でも荒鷹のエ
ンジン装備でも変わらない。
魔改造エンジンは荒鷹エンジンの倍の出力を持つ。ただし単発。
つまり、プラスマイナスゼロ。
それでも尚ガイルが物足りないと称したのはアフターバーナーが
使用出来ないからだ。魔力不足から荒鷹︵笑︶でのAB起動は不可
なのである。
俺が乗り込めばいいんだけどさ。野郎と2ケツとか罰ゲームだ。
﹁ソフィーお嬢様はパワーより機体の軽さが大事みたいだぜ﹂
﹃なんだ、喧嘩でもしたのか? よっしゃ婚約解消だ!﹄
今度ガイルの前でソフィーをハグしてやろ。最近ではお触りOK
になったし。
エロい意味ではなく、頬をつついたり抱っこしたり手を繋いだり
しても抵抗されなくなったのである。
ただ気を許しただけで、今までマイナスであった⋮⋮とは考えな
いようにしよう。
ただ人見知りなだけだ、屋敷に住み着いた不審者などと思われて
はいない!
﹃あとな、俺とソフィーにだって癖の違いはあるさ。俺はエンジン
出力を生かした飛び方、ソフィーは風に乗った飛び方を好む﹄
680
せきよく
﹁じゃあ紅翼に物足りなさを覚えるんじゃないか?﹂
オリジナルのネ20エンジンでは、下手に機首を上げるだけで失
速する。そんな程度のパワーなのだ。
﹃そうなんだよ、でもナスチヤが﹃こっちの方が維持費が安いから﹄
ってなぁ⋮⋮﹄
尻に敷かれているな、ガイル。
しかし、うーむ。
﹁軽い機体、か﹂
﹃難しいのか?﹄
そりゃ難しいさ。案は色々あるけれど。
﹁浮遊装置、外そうかなって考えている﹂
荒鷹︵笑︶の挙動が揺らいだ。
﹃お、おま、浮遊装置外すとか、正気か!?﹄
動揺し過ぎだろ。
﹁別になくたって飛べるだろ。飛行中は浮遊装置を停止させるんだ
し﹂
﹃いや、そういう問題じゃなくてよ、つかどうやって離着陸するん
だ﹄
681
﹁引き込み式の車輪を付ける﹂
つまり地球方式である。
﹃そりゃ、理屈の上では可能だが、なぁ﹄
歯切れの悪いことだ。
﹁なにをそんなに渋っているんだ? 浮遊装置なしだと怖くて飛べ
ないか?﹂
挑発するようにおどけてみせるが、やはり彼の口調はキレを欠い
ていた。
﹃そんなことはないんだが、だってよ、航空機に浮遊装置を積まな
いのは⋮⋮非常識だ﹄
なるほど。セルファークでは浮遊装置が当たり前過ぎて、浮遊装
置なしの航空機など信用出来ないのか。
﹃ずっと昔から、航空機には浮遊装置が常識だった。飛行中に浮遊
装置を止める飛行機だって、登場した時は大騒ぎだったんだぞ﹄
ましてや最初から積まない航空機など、ってところか。
﹁けどさ、ガイルは⋮⋮これがなければ、って思ったことはないの
か?﹂
﹃むっ﹄
682
ライディングギア
ないはずがない。
降着装置だって飛行機の機構としてはかなりの体積、重量を占め
る悩みの種なのだ。浮遊装置は輪にかけて重い。
これがなければもっと軽やかに空を舞えるのに。
空を飛ぶのが大好きなガイルであれば、絶対そう考えている。 ﹁それにさ、俺達は、地球の人間はずっとそれで飛んできたんだぜ﹂
墜落=死。それは、飛行機乗りが皆覚悟する最期だ。
エンジンが停止してもフワフワ降りられるセルファークの天士と
は、気合いが違う。
﹁仮にエンジンが止まっても、滑空出来る高度と平らな地面があれ
ばなんとかなるもんだ。凄腕パイロット、じゃなくて天士であれば
尚更だろ?﹂
﹃⋮⋮わーったよ、わーったよ! 好きにしろ! でも安全管理は
徹底しろよ!﹄
﹁おうっ﹂
良かった。ガイルに反対されれば押し切る気はなかったのだ。
娘の命を預かるのだ。絶対に間違いは許されない。
エアボート
﹁飛宙挺でも脱出装置として積んでおけばいいだろ?﹂
﹃だな﹄
脱出するだけなら充分だ。
683
タイヤ
﹁それじゃあギアの設計を⋮⋮﹂
﹁れーかー!﹂
時計台の下から呼び声が聞こえた。
窓から見下ろすと、マリアが手を振っている。
﹁どうしたー?﹂
﹁紅葉狩り、行きましょう!﹂
手に提げたバスケットを掲げ笑顔をふりまく。
紅葉狩り? どうして急に。
﹃どうした?﹄
無線の向こうから疑問符を投げかけるガイル。なんと応えるべき
か。
﹁えっと⋮⋮デートのお誘い?﹂
やってきました近隣の湖畔。
684
﹁ゼェーレスト村の近くにこんな綺麗な場所があったとは﹂
清掃されているはずもない落ち葉がふわふわして若干鬱陶しいが、
シートを敷けばむしろ座り心地が良さそうだ。
﹁綺麗ね、ここまで来たのは初めてよ﹂
﹁よっしゃ、なにして遊ぶ?﹂
﹁ちょっと移動しただけで植生が変わるんだね。メモメモっと﹂
駆け出したのは冒険者志望三人組。
﹁たまにはカバティやろうぜ!﹂
﹃やらない﹄
なぜだか、異世界でカバティが普及する兆候はない。
地球であれだけ地味かつ広範囲で流行っていたのだ。セルファー
クでも流行するに決まっている⋮⋮のだが。
﹁缶蹴りやろう! あれは面白かったわ!﹂
﹁鬼ごっこだ! 小難しいのは苦手なんだ!﹂
﹁ダルマさんが転んだ、がいいんじゃないかな。慣れない場所で走
り回るのは危ないよ﹂
なぜか他の遊びばかりが好評である。
まあ、カバティをやるには致命的に人数が足りないし。面白さが
685
伝わらないのも仕方がない。
﹁レーカ、こっちこっち﹂
手招きするマリア。
﹁こっちこっち﹂
真似するソフィー。
﹁﹃此処は我が領域。此処は我が地。魔の道理に生きし者よ、踏み
入ることを不敬と痴れ﹄﹂
怪しげな呪文を唱えるアナスタシア様。
﹁﹃レスト・フィールド﹄﹂ アナスタシア様を中心に魔力の円が広がるのを感じた。
﹁これで村の近くの魔物は近付いてこれないわ﹂
﹁便利ですねぇ﹂
むしろ以前の野宿で⋮⋮というのは無粋だが。
あの旅は訓練だったし。
﹁マリアが時計台に来たときはなにかと思いましたけれど、アナス
タシア様発案の遠足だったんですね﹂
面子は保護者役のアナスタシア様、俺とソフィーとマリア、冒険
686
者志望三人組の計七人。旅の顔ぶれとほぼ同じだ。
﹁あら、言い出しっぺはマリアちゃんよ?﹂
﹁あ、アナスタシア様っ﹂
あたふたと手を振るマリア。
提案したのが彼女だったとして、なにか慌てる要因があっただろ
うか。
﹁レーカ君に気分転換してほしい、って頑張ってお弁当を作ったの
よ﹂
﹁アナスタシア様ーッ!?﹂
なるほど、それで照れているのか。
ちょっと感動した。
マリアに抱き付いたら犯罪だろうか?
﹁ち、違うの! 前々から紅葉狩りに行きたいって考えていたの、
たまたまなんだから!﹂
﹁いいお母さんになるな、マリアは﹂
﹁そ、それって褒められているのかしら⋮⋮?﹂
最上級の褒め言葉だ。
本気でハグしたいが、繊細な年頃の彼女に過度のボディータッチ
は傷付けるだけだと学習している。
でも、いじらしい。可愛い。ハグしたい。
687
﹁俺はどうしたらいいんだ!?﹂
﹁⋮⋮とりあえず身の危険が迫っているのは、ひしひしと感じるわ﹂
自分の体を抱いて震え上がるマリアであった。
﹁ほら、そんなことよりお弁当食べなさい!﹂
バスケットを突き出される。中身は綺麗な形に握られたオニギリ
の詰め合わせ。
てっきりサンドイッチかと予想していたが、異世界でも米に飢え
ないのはいいことだ。
ぱくりと一口。
﹁ああ、キャサリンさんほど完璧な出来じゃないのが、かえってお
母さんの味に思える﹂
﹁褒め言葉⋮⋮?﹂
褒め言葉。
遊び回っていた子供達より一足先にお弁当を食し、近くを散歩す
る。
靴を脱いで湖に足首まで浸すと、意外と冷たくて小さく声を上げ
て引っ込めた。
688
﹁レーカ、なにやっているの?﹂
ソフィーが湖を覗き込む。
﹁何か居る?﹂
﹁ああ、牙の生えたカエルの化け物がな。足を噛まれそうになって
思わず叫んでしまったよ﹂
﹁ふえぇ!?﹂
驚き、ついでに足を踏み外して湖に転げ落ちるソフィー。
﹁いやぁ、噛まれる、助けてレーカ!﹂
ばちゃばちゃと水面を叩いて混乱するソフィー。ごめん。本当、
嘘吐いてごめん。
﹁落ち着いて落ち着いて、よいしょっと﹂
冷静になるように声をかけても無駄だろう。俺も湖に入り、背後
から彼女を持ち上げて陸へと上げた。
溺れる人を助けるときは背中から近付こう。お兄さんとの約束だ。
というか、足、届くじゃないか。
﹁レーカも早く!﹂
﹁お⋮⋮おぉおぉぉっ?﹂
689
登ろうとして、視線を逸らし踵を返した。
ソフィーは白いシャツの上にカーディガンを羽織っている。
白いシャツが濡れればどうなるか。
大変なことになっちゃうのである。
断っておくが変な劣情を抱いたわけではない。視線を逸らすのは
紳士として当然の振る舞いだ。
﹁レーカ!﹂
焦り声のソフィーに促され渋々陸へ。ついでにソフィーのカーデ
ィガンの前を閉める。
マイケルやエドウィンに見られるのは気にくわない。
いいだろ、独占欲があったって。妹分だし、婚約者でもあるし。
﹁張り付いて気持ち悪いよ﹂
﹁ぬ、脱ぐな! アナスタシア様、アナスタシア様ー!﹂
﹁あらあら﹂
必死に男達の視線からソフィーを守る。その隙にアナスタシア様
は手早く娘を着替えさせた。
疲れた。どっと疲れた。
﹁レーカ君も着替えたらどう?﹂
俺の服をひらひらと揺らすアナスタシア様。なんで持ってきてい
るの?
﹁水辺で遊ぶんですもの、替えの服くらい持ってくるわ﹂
690
﹁それもそうですね﹂
俺が飛び込まないとしてもマイケルがダイブしかねない。
﹁どりゃあああぁぁぁ!!﹂
﹁ほらやっぱり﹂
﹁あらあら⋮⋮﹂
水しぶきを撒き散らして入水するマイケル。
せめてパンツ一丁になってやれよ。
﹁俺はそこら辺で乾かしてくるんで、それはマイケルに着せて下さ
い﹂
﹁乾かすといっても、時間がかかるでしょ?﹂
﹁練金魔法でなんとかなるかと﹂
水分子を分解してしまえばいい。
﹁あんまり遠くに行っちゃ駄目よ?﹂
﹁そこの影にいるんで﹂
片手を上げ、俺は岩影に駆けた。
691
服を下着以外全部脱ぎ、向かい合う。
﹁ちちんぷいぷい︱︱︱ソフィー?﹂
ソフィーが覗き込んでいた。
彼女はまだ異性に興味などないはずだ。
はずだが、俺のことをガン見している。
﹁俺の肉体美に酔いしれるなよ?﹂
﹁︱︱︱?﹂
いかん、最低な形で滑った。
トテトテと俺の側に寄るソフィー。
﹁なにするの?﹂
﹁いや、別に面白いことなんてしないぞ?﹂
魔法で服を乾かすだけだ。
実演してみせると、感動した面持ちで服を見つめる。
そして再び湖に服を放り込んだ。
﹁もう一回!﹂
思わずチョップした俺は悪くない。
叱るときは美少女でも叱る男なのだ、俺は。
692
乾いた衣服を着込んでいると、ソフィーが湖を凝視していた。
﹁何かいるのか?﹂
﹁足を噛むような変な生き物はいないわよっ﹂
先程の牙ガエルがジョークだと気付かれたらしい。
﹁鳥?﹂
水面を進む鳥を観察していたようだ。
﹁楽しい?﹂
﹁うん﹂
親近感でも覚えるのだろうか?
﹁鳥みたいに、自由に飛べたら楽しいよね﹂
﹁飛行機は、鳥よりずっと速く飛ぶぞ?﹂
鳥なんて水平飛行では一五〇キロが精々だ。
693
﹁速く飛ぶだけが飛行じゃないわ﹂
﹁⋮⋮そうだったな﹂
思えば、ソフィーの目指すところはまさしく鳥なのかもしれない。
風を捕まえ、気流に乗り、滑空し。
それこそ彼女の望む﹃飛行﹄か。
正面から吹く風に、両手を左右に伸ばして構える。
﹁鳥ってこんな感じか?﹂
なんてな、と一人ごちていると、そっと腕に触られた。
﹁もうちょっと、こう﹂
ソフィーが俺の背後に回り、腕の角度を調節する。
﹁これが滑空。翼を少し上げて、重心に重ねるの﹂
耳元で囁かれ、少しこそばゆい。
﹁これが旋回。厳密にいえば、左右で翼の角度が違うの。そう、こ
こで翼を捻って﹂
男女が風を感じつつ、体をそっと重ねる。昔こんな映画があった
よな。
﹁これが滞空。風を受け止めて、バランスを取るの。そうすれば一
瞬だけど速度ゼロで浮かべるわ。風があれば数秒は浮かんでいられ
る﹂
694
こうしてみると、飛行機の操縦システムは人間用に簡略化された
ものなのだな、と感じる。
ソフィーはきっと、なにかの間違いで人として産まれてしまった
鳥なんだ。だから彼女は風を愛し、風に愛される。
﹁⋮⋮鳥みたいに、自由に翼が動く飛行機って作れないの?﹂
﹁可変翼、って技術はあるけどさ﹂
可変翼とは、低速飛行時には翼を広げ、高速飛行時に後方へと折
り畳む形式である。
一見空気抵抗の有無だけが変化内容に思えるが、機体の重心変化、
尾翼への気流の影響等様々な要因が変化するややこしい技術だ。
﹁あれは前後に動かすだけでしょう? もっと、主翼ごと捻ったり、
上下にもパタパタしたりって⋮⋮無理かな?﹂
﹁うーん⋮⋮﹂
可変翼ですら困難なのに、軸を増やすというのか?
可変後退翼の場合、稼動部の軸は左右一つずつ。それだけで無視
出来ないウェイトなのだ。
もし自在に動かせる翼を得るとすれば、更に機構が重く複雑化す
る。
﹁動物の動きを機械で再現するって難しいんだ。人型ロボットが実
用化出来ないのも、筋肉のしなやかで俊敏な反応を再現しきれない
からだし﹂
695
ストライカー
﹁レーカは人型機のこと、いっつも﹃人型ロボット﹄って呼んでい
るわよ?﹂
それは無機収縮帯なる、生物の模倣に適した素材が存在するから
︱︱︱
﹁︱︱︱無機収縮帯で稼動させればいいんじゃないか?﹂
なぜ思い付かなかったのか不思議な、シンプルな答えだった。
重量増加は避けられないが、モーターや油圧を積まない分、ずっ
と軽く収まりそう。
﹁こうやって、ここに収縮帯を詰め込んで、これじゃ翼が厚すぎる
から⋮⋮﹂
ぶつぶつ呟きつつ、脳裏に設計図を起こしていく。
﹁お母さん、レーカが自分の世界に入っちゃった﹂
﹁こうなったらもう声が届かないわね。帰る時間にも現実に戻って
きていなければ、魔法で浮かべて運びましょう﹂
脳裏の図面をまとめ終えて一呼吸。
周囲を見渡すと、そこは自室の倉庫だった。
﹁⋮⋮あれ?﹂
696
図面に引いた時点で気付いたのだが、無機収縮帯を航空機に詰め
込むのは些か無理があった。
人型機の股関節に関するノウハウを流用したわけだが、筋状に配
置する以上は体積を大きく占領してしまうのだ。
荒鷹をベースに可変翼を組み込むも、問題は次々と沸いて出た。
独自の理論を組み立てて無機収縮帯を機体の胴体内に集約させる。
それでもかさばるので、無機収縮帯を細く変更し、過剰魔力を注
ぎ込むことにした。
少ない収縮帯に過剰な魔力。無機収縮帯の寿命は当然縮み、それ
をカバーするために無機収縮用の治癒魔法を術式に刻み込む。
こうしてようやく必要な性能に至ったのだが、技師が同時に乗り
込み常にどこかを治癒修復しなければならない無茶苦茶な仕様とな
ってしまった。
エンジンといい、主翼といい、この飛行機は俺泣かせになりそう
だ。
無機収縮帯の可変翼、技師が乗り込まなければ運用不可能とは、
道理でセルファークでも実用化されていないわけである。
﹁とにもかくにも、荒鷹︵笑︶改が完成したわけだが﹂
デルタ翼は直線翼となり、随分とイメージが変わった。
しかしこの主翼、付け根と半ばの二カ所で可変し柔軟な空力制御
が可能な優れものなのだ。
低速時は最大展開で直線翼となり、高速時は尾翼幅にほぼ納まる
ほど折りたためる。
地球生まれの可変翼機は根本だけしか動かないので、案外幅が小
さくならずに空気抵抗を減らすという目的を果たしきっていない。
697
その為の、翼途中の可変部分だ。
あれだ、ロボットによくある二重間接ってやつだ。二重であれば
ぴったり折りたためるんだ。
﹁と、こんな具合だが⋮⋮操縦系がかなりややこしい﹂
﹁操縦桿が二つあるわね﹂
操縦桿
﹁左右の翼を個別に動かせるからな。スティックの位置だけではな
く、肘まで使って操縦することになる﹂
苦肉の策である。どうやっても翼の動きを手首の位置だけで入力
しきれないのだ。
﹁加速とかはどうするの?﹂
天士ならスロットルと呼べ。ソフィーは感覚で操縦しているので、
専門用語をあまりちゃんと覚えていない。
﹁ラダーを片足で、スロットルをもう片足で操ることになる﹂
本当に大丈夫だろうか。ベテランのガイルにまず乗ってもらうべ
きではなかろうか。
俺の懸念を余所に、ソフィーはうれしそうにコックピットによじ
登る。
﹁はやく、早く乗ろう!﹂
﹁⋮⋮やれやれ、人の心配も知らないで。一緒にメリーゴーランド
に乗ろう、ってくらいの気軽さだな﹂
698
苦笑し、俺はコックピットの後部に増設された座席に入り込んだ。
こうしてソフィーと俺とで機乗し、テスト飛行へと臨んだわけだ
が︱︱︱
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
﹁大丈夫?﹂
﹁⋮⋮もうダメ﹂
初めての戦闘機だとか、ソフィーとの初の共同作業だとか、そん
な感動はフライト開始三分で消え失せた。
曰く、戦闘機パイロットは空の楽しさより辛さの方が多いらしい。
兵器に楽しいだけで乗る奴なんてただの人格破綻者だが、空を夢
見て自衛隊に入りつつも、いざ戦闘機に乗ると嫌で嫌で仕方がなく
なってしまった、ということがあるそうだ。
所詮人間は鳥ではない。空を飛ぶように出来ていない肉体は、飛
行中に常に全力酷使される。
ならば、ソフィーのように人の形をした鳥のような人物であれば?
そんな天士の操る機体に、なんの飛行訓練も受けていない人物が
同乗すれば?
699
﹁大丈夫?﹂
﹁⋮⋮もうダメダメ﹂
こうなるのである。
ここは使用人休憩室。マリアとキャサリンさんのリビング的空間。
俺は気持ちの悪さに机につっぷし、ソフィーは健気に背中をさす
ってくれていた。
本来であればここにソフィーが立ち入るのはキャサリンさんがい
い顔をしない。心情的なものではなく、主と従者のケジメだそうだ。
かといって子供のソフィーにあまり厳密にそれを求めるのも酷だ
と考えているらしい。遊びに来る程度であれば、何も言う気はなさ
そう。
﹁なにがそんなに苦しいの?﹂
﹁ぐるぐるって回って、上と下がぎゅんぎゅん変化して、景色がび
ゅんびゅん飛んでいくのが﹂
それのなにが問題なのだろう、と首を傾げるソフィー。
つまりは乗り物酔いに近い。ロリ神の用意した肉体は人一倍頑丈
なので高機動飛行のGには耐えきれるのだが、地上生活の長い俺に
は空の常識は肌に合わなかった。
﹁頑張ってなんとかして﹂
﹁お、おう﹂
スパルタである。
対G能力は素質に左右され鍛えるのが難しい部分だが、乗り物酔
700
いは慣れれば脳がなんとかする。
ソフィーの慣熟訓練に付き合っていれば、じきになんとかなるだ
ろう。
﹁それで、試作機の乗り心地はどうだった?﹂
﹁うーん⋮⋮﹂
え、なんで眉潜めるの。
﹁ちょっと物足りない﹂
﹁君ちょっとオカシイ﹂
ロシアの試作機だって真っ青な変態機動をしておいて、物足りな
いって。
声と嘔吐感を抑えるのに必死であまり飛行内容は把握していなか
ったが、あのグルグルっぷりはどう考えても常軌を逸していた。
﹁先端を上下に振るスピードが遅いかな、って﹂
﹁ああ、なるほど﹂
主翼を強化したわけだが、それで賄えるのはフラップとエルロン、
つまり浮力の調節とローリングの速さだけだ。機首を上下に傾ける、
エレベータは荒鷹オリジナルのままだった。
﹁それでね。こんな風に出来ない?﹂
メモ用紙にペンを走らせる。
701
その下手っぴなイラストを何気なく観察し、次第にある感情が湧
き上がった。
それは、戦慄。
﹁⋮⋮ソフィー、これを誰に教わったんだ?﹂
﹁え? 自分で考えたんだよ?﹂
アナスタシア様なら知っていたかもしれない。ガイルなら気付い
たかもしれない。
だが、飛行機など紅翼しか知らないであろうソフィーが、こいつ
を独自に編み出した?
﹁こいつは極めて扱いにくい技術だ。コンピューターでの補正が出
来ない現状、ソフィーの腕で操るしかない。⋮⋮こいつを、御しき
れるのか?﹂
﹁うん﹂
気負いもなにもない返答。
これを制御することに、微塵も不安がないと彼女の瞳は雄弁に語
る。
﹁⋮⋮こいつをなんて呼ぶか、知っているか?﹂
﹁名前があるの?﹂
そのイラストは、飛行機を真上から見た視点の図だった。
一見ただの後退翼機。しかし、操縦席とエンジンの位置が明らか
におかしい。
702
そう、まるで前後が逆に配置されたかのようなレイアウト。
尾翼の役割を果たすカナード翼がコックピット若干後ろに設置さ
れ、主翼は機体の後方から﹃前﹄へ伸びている。
飛行機の常識を捨て去り、進行方向へと逆らうように配置された
翼はまるで矢尻。
これは地球ですら完全な実用化を成し得ていない技術。
新素材により強度問題を解決し、根本的な不安定性を電子制御に
て克服してようやく満足な飛行を成し得た翼。
ステレスに重きを置かれたことで、進化の道を閉ざされた技術。
FORWARD SWEPT WING。日本語ではこう呼ばれ
る。
﹁︱︱︱前進翼。それが、この技術の名だ﹂
703
長耳メイドとロリコンドラゴン 1
前進翼。
その発案は古く、第二次世界大戦のドイツではすでに研究が行わ
れていた。
原理的に失速しにくく、静安定性が極めて低いことから挙動が俊
敏となる。
棒を手の平に乗せて、バランスをとって直立させて遊んだことは
ないだろうか。つまりはあの原理である。
棒の端を摘んで下に垂らせば、当然安定する。
しかし上に立てれば、倒れようとする力で不安定な動きとなる。
普通の飛行機は下に垂らした状態だ。操縦桿を握っていれば、真
っ直ぐ前進し飛ぶ。
ソードシップ
前進翼機は上に立てた状態。常に小刻みにバランスをとらねば倒
れてしまう、とても不安定な飛行機なのである。
だがそれは、機動性という観点から見れば極めて大きな利点とな
る。
姿勢の崩れやすい機体は、同時に高レスポンスで一気に回頭出来
る。前部に尾翼、カナード翼があれば尚更だ。
﹁エレベーターを強化するのにこれ以上適した形式はないだろう。
だが、なぜ実用化されていないか、理由は解るか?﹂
使用人休憩室の机を挟み、ソフィーに前進翼概要の授業。
﹁乗りにくい?﹂
704
本来﹁乗りにくい﹂ではなく﹁乗れない﹂なんだけどな。
﹁それもあるけど、それはフライ・バイ・ワイヤ⋮⋮電子制御を操
縦に介することで解決出来るんだ﹂
﹁フライ⋮⋮白身魚?﹂
ガイルといいソフィーといい、専門用語はほんとに駄目だな。
﹁白身魚のフライにはタルタルソースが正義として、操縦の難しさ
はソフィーの技量でなんとかなるのかもしれない。問題は航空力学
的な部分じゃなくて、工学的な部分だ﹂
つまり俺の問題である。
﹁ソフィーの描いたこの絵、切っていい?﹂
頷きを確認し、俺はハサミでイラストを切り取って機体正面から
息を吹きかけた。
主翼がくにゃり、と裏返る。
﹁あっ﹂
﹁こういうことだ。前進翼は﹃前面からの風で折れる﹄という、あ
まりに致命的な弱点を持っている。これを解決するには、通常以上
の強度が必要になるんだ﹂
風で折られないほどの強度。それを実現するのは、第二次世界大
戦の技術では到底不可能だった。
705
﹁なら、強い金属を使えば?﹂
﹁まあ、そうなんだけどな﹂
単純明快な発想ではある⋮⋮が。
今度は少し堅い厚紙を同じ形に切り取り、正面から息を吹く。
ブルルルルル、と主翼は小刻みに振動した。
﹁中途半端な強度じゃ翼は弾性で板バネのようにしなり、こんな振
動となって繰り返される。これを解決するには、しなりを打ち消す
ように主翼を設計するか、ガチガチの硬質素材でフレームを作るか、
だ﹂
﹁そこまで解っているなら、なぜ渋っているの?﹂
﹁前進翼ってだけなら、まあ出来たさ。でもコイツは可変翼機だ。
様々な角度からの風圧・加速度に耐えるために剛性の強化がかなり
必要だし、軸部分にかかる負担は更に増える。この世界にある金属
じゃ、耐えきれそうにない﹂
だから、選ぶしかない。
﹁どっちかだ。前進翼か可変翼、どっちか選べ﹂
残念ながら、これを打開する方法は思い付きそうにない。飛行中
に前進翼へと可変する機体など、地球でも成功したことがないのだ。
マニアックなところでは、可変翼機を改造して手動で前進翼に変
形出来るるなんて実験機もあるけれど。
二択を問うた俺。
しかし、それにソフィーが返した応えは三択目の選択肢であった。
706
﹁頑丈にすればいいのよね?﹂
﹁ああ、でも翼を厚くするとかはなしだぞ。重量過多で色々なデメ
リットがメリットを上回る﹂
﹁どんな金属でも無理?﹂
﹁無理。フィアット工房で様々な材質を学んだが、軽さと強度を都
合よく兼ね備えた素材なんて︱︱︱﹂
﹁これは試した?﹂
コトリ、と机の上に置かれた物。
﹁これは⋮⋮なるほど。これは扱ったことがない﹂
地球ですら名が知られ、伝説の金属としてゲームや漫画で登場す
ることも多いこの素材であれば⋮⋮あるいは。
手に取り、軽さに驚きつつも解析魔法を開始する。
ガイルが娘に送った、天士用のシンプルなゴーグル。
そして、その材質は︱︱︱
﹁ミスリル、か﹂
錬金魔法で作れるのだろうか、これ。
707
数日後。
作れた。
といっても、錬金は楽ではなかった。
ミスリルの原子はなんと炭素である。つまりこれ、ダイヤモンド
の同素体だ。
フラーレン、カーボンナノチューブといった物と並ぶ、炭素素材
の未知の形態らしい。
しかしその四次元立体構造は既知の素材とは一線を画しており、
様々な角度から最大限の強度を誇ると考えられる。
﹁軌道エレベーターの材料に使えるな﹂
宇宙のないこの世界では六〇〇〇メートルで月面に達してしまう
が。
自室の机にて錬金したミスリルを、様々な角度から眺める。
﹁この量だけで半日か⋮⋮必要量に達するのは何日後だよ﹂
実験的に錬金したミスリルは極少量。特殊な構造からか、空気中
の二酸化炭素を分解してミスリルを精製するのは想像以上の手間だ
った。
機材を片付け机を立つ。そろそろ昼食の時間だ。
厨房へ向かうと、キャサリンさんと誰かが机を挟んで会話してい
た。
﹁誰だろ?﹂
708
ドアから頭を覗かせ確認するも、その客人は後頭部しか見えない。
キャサリンさーん、飯はー?
目が合うも、即座に興味なさげに逸らされた。めしェ⋮⋮
﹁っつーとなんだい。家事はほとんど出来ないと?﹂
﹁野戦料理などなら可能です。あと掃除くらいは﹂
キャサリンさんと客人の会話は続く。
﹁この屋敷には貴重な調度品も多いんだよ。雑巾で拭けばいいって
もんじゃない、正しい薬品や手順で手入れをしなきゃいけないんだ﹂
﹁む、むむっ、ですが、その、力仕事とか﹂
﹁うちには一人、いくらでもこき使える労働力がいるんでね。何時
間重労働させても心が痛まないヤツが﹂
俺のことですね、判ります。
確かに身体強化魔法を絶え間なく使える俺は何時間重労働し続け
ることも可能だが、セリフの響きが酷い。
襟をくいと引かれた。振り返るとお盆を持ったマリア。
﹁今は人が来ているから、お昼ご飯は休憩室で食べるわよ﹂
﹁ああ、解った﹂
といいつつも、再び視線はキャサリンさん対面の女性へ。
どこかで見覚えがある。ほっそりしたボディーライン、艶やかな
黒髪、ツンと尖った耳。
709
⋮⋮尖った耳?
﹁ハイエルフ?﹂
俺の声に気付き、彼女は振り返った。
﹁レーカさん!﹂
数ヶ月前に別れた人型機自由天士、キョウコであった。
とりあえず見なかったことにしてマリアと二人でお昼ご飯。
去り際に背後から呼び声をかけられたが、嫌な予感がするので無
視した。
﹁ねえ、レーカ? あの人はだぁれ?﹂
﹁なんで猫なで声なんだ﹂
薄ら寒い笑みで﹁うふふ﹂と笑うマリア。
﹁まあ一言で言うと﹂
﹁言うと?﹂
﹁マリアにはまだ早い関係だ﹂
710
彼女の持つフォークがへし折れた。
柔らかい銀製とはいえ、魔法なしで折ったぞ。
﹁へ、へえええ、レーカってば大人なのねぇ⋮⋮﹂
﹁いや、厳密に大人への階段を登ってはいない﹂
﹁ははは、お、大人への階段⋮⋮?﹂
頭から煙を噴くマリア。いかん、壊れた。
﹁落ち着け。そういうのは、ちゃんと順序を踏んで進むものだ﹂
﹁レーカ、私の気持ち解っているようで解ってないでしょ!﹂
本人ですら混乱している心情をどう察せと。
﹁マリア、俺のことが好きなのか?﹂
﹁⋮⋮たぶん、違う﹂
﹁ほら、自分自身のことすら﹃たぶん﹄って言っちゃってる﹂
他人の心理を勝手に推測するなんて俺の趣味ではないのだが、き
っとマリアはこんな感じだ。
﹁どっちでもないんだろ﹂
﹁なによそれ﹂
711
ふてくされたように頬を膨らませるマリア。
﹁人の心なんてさ、シーソーみたいに必ずどっちかに傾いているも
のじゃなくて、花壇の花みたいに一斉に芽生えて、ニョキニョキと
横並びに大きくなるものなんだよ。大きさの差はあれど、どちらが
メインなんてことはない﹂
俺のクサい高説に、それでも得心するものがあったのかマリアは
手を胸に当てて頷いた。
﹁ねぇ﹂
﹁ん?﹂
﹁私がレーカのことを好きだって言ったらどうする?﹂
﹁⋮⋮俺の花壇で一番育っている花は、あくまで親愛だよ﹂
一番は、な。
俺は中身が大人なのだ。ズルい意味でも。
﹁そう。この花って、水あげたら育つのかしら?﹂
﹁? それは︱︱︱﹂
背中からなにかが衝突した。
首に回される腕、黒髪のいい香り。
いくせいそう
﹁お久しぶりです、レーカさん。貴方と会える日を幾星霜と待って
いました﹂
712
キョウコが背中から抱きついていた。
﹁あー、うん。久しぶり﹂
﹁はい。再び出会えて、とても嬉しいです﹂
抱きつかれているので顔が近い。キャッキャとはしゃぐキョウコ
は、まるで子供だ。
ここまで近いと、黒水晶のような瞳に吸い込まれる錯覚を覚える。
数ヶ月前までのキョウコと、なにかが違う。
﹁まさか再会の時を待ちきれずに村に来ちゃった、と?﹂
冗談めかして訊ねてみるが、
﹁いえ、ただの旅路の途中の路銀稼ぎです﹂
ストライ
否定の皮を被った虚言の肯定という、ややこしい返答が返ってき
た。
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
﹁偶然です﹂
ここまで信憑性のない真顔は初めて見た。
カー
路銀稼ぎであれば適当な依頼を受ければいいのだ。村の中に人型
機を運用させられるほど稼ぎのいい仕事があるはずない。
﹁じゃあ金を稼ぎ終えれば出て行くのか?﹂
713
﹁⋮⋮私の存在は邪魔ですか?﹂
すまん、ちょっと虐め過ぎた。
﹁俺の決めることじゃないけど、ゆっくりしていくといい﹂
﹁はい、末永く宜しくお願いします﹂
追い出したくなった。
じゃけんひめ
﹁そういえば蛇剣姫は?﹂
﹁村外れに駐機していますが?﹂
よっしゃ、あとで整備してやろう。
﹁それより前方注意ですよ﹂
﹁へっ?﹂
視線を戻すと、マリアが箒を大きくふりかぶっていた。
箒の筆が俺に迫る。
突然の状況に反応が遅れる中、衝突寸前でキョウコが箒の柄を掴
みスイングを止めた。
﹁危ないです﹂
平然と返すキョウコ。華奢な体とは裏腹に、最強最古の反射神経
は半端じゃない。
714
﹁なんなのよ、あんたは!﹂
﹁子供は黙っていて下さい﹂
俺をいっそう抱きしめ、フフンと嘲笑してみせるキョウコ。四〇
〇歳が一三歳相手になにやってるんだ。
﹁なんなのです? 私とレーカさんの間にどのような過去があって
も、貴女には関係のないことでしょう?﹂
﹁レーカ! この女となにやったのよ!﹂
年頃の女の子は情緒不安定で困る。
﹁私とレーカさんは大人の関係なので。お子様の出る幕ではありま
せん﹂
﹁レーカは私よりも歳下よ﹂
﹁恋に歳の差など問題ではありません﹂
﹁恋って言った! 恋って言ったわ!﹂
なんで二人とも出会い頭で喧嘩腰なんだ。
﹁キョウコ、大人げない。あまりにも大人げない﹂
﹁⋮⋮すいません﹂
715
俺の苛立ちを察知したのだろう、キョウコは素直に黙った。
﹁マリア﹂
﹁なによ。ああ、もうっ。なんなのよ!﹂
泣きそうな顔で行き場のない思いを持て余すマリアに、これだけ
は注意しておく。
﹁気持ちが整理出来なくて、周りの人に当たってしまうこともある
と思う﹂
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
﹁それはいい。受け止めてやる。でも、誰かを本当に怪我させかね
ないような真似は止めなさい﹂
﹁⋮⋮ごめん、なさい﹂
﹁ん﹂
彼女の頭をぽんぽんと優しく叩き、キョウコの頭はゴツンゴツン
と拳で叩いた。
﹁扱いが違います⋮⋮﹂
うっさい元凶。
﹁なぜ再会して早々、そんなに積極的なんだ。俺達の関係は友達以
上恋人未満以下だったろ﹂
716
友達以上恋人未満以下。我ながらいい案配の表現である。
﹁考えたのです。レーカさんと別れた後、この胸にぽっかり開いた
心の穴をどうすればいいかと﹂
それで?
﹁責任をとって頂こうかと﹂
一途かつトンデモな理論の飛躍であった。
﹁いいのです。例え私とのことが遊びだったとしても、私は貴方を
想い続けると決めました﹂
一方的に悪役にされた気がする。
﹁つまりあれだ﹂
頭痛を堪えつつ訪ねる。
﹁これからどうする気だ?﹂
﹁路銀稼ぎの目標金額達成まで、この屋敷で働かせて頂こうかと﹂
その設定まだ使うんだ。
﹁しかし給金は蛇剣姫の維持費に消えていき、いつまで経っても旅
立てない⋮⋮という体で﹂ 717
ずっと居座る気らしい。
やれやれと嘆息。俺は女難の相でも出ているんじゃないか?
おご
⋮⋮だが或いは、一番の問題は明確な答えを出せない俺なのかも
しれない。
そう考えるのは、ちょっと驕りが過ぎるだろうか。
急いたところで答えは近付かない。精々、俺にも非があると忘れ
ずに生活しよう。
どうやらキョウコはキャサリンさんに面接を受けていたらしい。
採用通知された瞬間に駆け出し、そのまま俺の背中にタックルか
ましたわけだ。
雇うならば当然、家主に顔通ししなければならない。
というわけでリビングにて住人が全員集合し、キョウコの紹介と
相成った。
﹁こ、これは⋮⋮!﹂
こうこつ
真新しいメイド服に身を包み恍惚とした表情のキョウコ。
うん、可愛い。見た目若いから凄く可愛い。
最近心も退行しているんじゃないかと心配だが。
﹁つーわけで、報告が遅くなりましたが。レーカがシフトから外れ
てマリアの負担が増えていると判断し、コイツを雇いました﹂
718
ガイルとアナスタシア様に雇用の経緯を説明するキャサリンさん。
新しい使用人の雇用を独自の裁量で行えるとか、キャサリンさん
はどれだけ夫妻に信頼されているんだ。
仕事量は俺が屋敷に住み着く前の状態に戻っただけじゃないか?
と思いきや、よく考えたら俺の生活に関する労働が増えている?
﹁別にアンタは自分のことは自分でする人間だし、負担じゃないよ。
元々この屋敷は使用人不足なんだ、人も簡単に雇えるわけじゃない
しね﹂
そりゃ二人では、全室の維持は不可能だろ。結構な数の空き部屋
を今も放置しているし。
﹁キャサリン﹂
ガイルが眉を顰める。
﹁キョウコって、こいつ銀翼だろ⋮⋮どうしろってんだ﹂
﹁身元がはっきりしている、という意味では渡りに船かと。我々は
気楽に人も雇えませんので﹂
目的さえ達せられていれば手段は気にしないのな。
﹁銀翼の天使がメイドだと? なにが目的だ、キョウコ﹂
﹁路銀稼ぎです﹂
涼しげに真顔で応えるキョウコ。
アナスタシア様が小さく手を挙げる。
719
﹁雇うのに異はないけれど、なにをさせるの?﹂
﹁基本使いぱしりを。おまけに護衛も出来ます。便利です﹂
そっちがおまけかよ。さすがキャサリンさん、銀翼相手でも遠慮
ない。
﹁ほれ挨拶!﹂
バシンと景気よくキョウコの背中に平手を打つ。完全に新米扱い
である。
せきよく
﹁は、はいっ。﹃平時﹄では始めまして、紅翼の天使。今後とも宜
しくお願いします﹂
﹁久々だな、最強最古。メイドはともかく、護衛としては頼りにさ
せてもらうぜ﹂
こいつら戦場で会ったことあるだろ。
﹁いやにあっさり信用するんだな。もっと警戒しないのか?﹂
﹁最強最古が気まぐれな奴なのは教科書に載るくらい常識だ。どこ
ぞの陣営に属してコソコソ動くようなタイプじゃない﹂
﹁他の銀翼だったら別だったってこと?﹂
﹁だな﹂
720
こうして、屋敷のメイドが一人増えたのである。
美人さんが増える分には大歓迎だぜ、ひゃっはー!
﹁ひゃっはー⋮⋮﹂
﹁どうした、炭酸の抜けた温いグレープフルーツジュースみたいな
顔をして﹂
どんな顔だよ。
﹁どうしたんだ? 廊下で変な声出しやがって﹂
ガイルに心配された。
廊下からキッチンを覗く俺。ドアの細い隙間から、そっと二人の
後ろ姿をピーピングトムる。
﹁新しいメイドとキャサリンやマリアが上手くやれてないのか?﹂
俺の頭の上にガイルの頭が載っかる。重い。
﹁仕事はしっかりと⋮⋮まあミスもまだ多いけど、真面目にやって
くれてるよ﹂
﹁なら人間関係か?﹂
721
﹁マリアが戸惑ってるっぽい﹂
年上の後輩ってやりにくいよね。
﹁ああ、なるほど。年上として敬えばいいのか、後輩としてこき使
えばいいのか、ってやつか﹂
立場的にはこき使ってなんら問題はないのだけれど、そう割り切
るのも難しいものだ。
﹁その点、俺はやりやすかったんだろうな。歳下の後輩だから、持
ち前の面倒見の良さで自然に接することが出来た﹂
﹁面倒臭いな、なんとかしろ﹂
投げやりだぜ。
﹁そのうち慣れるだろ、としか言いようがないな。それともきっか
けは必要か?﹂
﹁さあな。ソフィーはどうだ?﹂
どうだ? と訊かれても。
﹁普通に人見知りしているけど﹂
初期の頃の俺に対する態度そのままだ。若干キョウコが落ち込ん
でいた。
722
﹁それこそ時間が解決するだろ。つーか、親としてはあの人見知り
体質どう思っているんだ?﹂
﹁可愛いな﹂
こいつ親としてどうなんだ。
﹁世の中、あれくらい慎重な方がいいこともあるさ。ソフィーはシ
ャイだが根暗じゃない、なんら問題ない﹂
そういうもんかねぇ?
﹁それよりこんな場所でピーピングトムってていいのか? 飛行機
制作はどーした﹂
﹁あー、うん。前進翼用のミスリル精製をちまちまやっているが、
それより資材が足りなくなってきてな﹂
倉庫の中身もみるみる消費されていき、反比例的に俺の部屋の広
さは増えていった。
実は広さだけで比べれば、自室が一番大きいのは俺だったりする。
﹁近々ツヴェーに資材やパーツの買い出しに行こうかなって思って
いる﹂
﹁そうか﹂
おっ、キッチンの状況に動きがあった。
どうやらマリアが鍋から離れられず、キョウコの手助けを欲して
いるようだ。
723
ちらちらと伺いつつ、ついに口を開く。
﹁キョウコ、少し手伝ってくれる?﹂
﹁はい、なんでしょう?﹂
﹁手を離せないから、鍋に塩を一杯入れて﹂
視線で示した先には計量スプーン。それで計れ、ということだろ
う。
﹁はい、判りました﹂
頷き、スプーンで﹃何度も﹄塩を注ぐキョウコ。
﹁ちょっと、なんでそんなに入れるのよ!﹂
﹁えっ? ですが、いっぱい入れろと⋮⋮﹂
﹁一杯よ! ひとすくい!﹂
﹁あっ、も、申し訳ございません!﹂
﹁⋮⋮いいわ、私もややこしい言い方をしたし﹂
﹁すいません⋮⋮﹂
﹁とりあえず塩味をなんとかしないと﹂
﹁では砂糖を入れて中和しましょう﹂
724
汚名挽回︵誤字にあらず︶とばかりに再び砂糖を計量スプーンで
投入し始めたキョウコに、マリアは静かにうなだれた。
﹁⋮⋮とりあえず、これはレーカ用にしましょうか﹂
やっぱり、どこかぎくしゃくしているんだよな⋮⋮っておい、俺
は失敗作処理班かよ。
とりあえず晩飯の際には﹁このスープしょっぱくないか? この
スープ甘くないか?﹂と連呼してやったのだった。
まさか鍋の中身は汁物のスープではなく、肉にかかったソースだ
ったとは思わなかったぜ。
そしてスープを作ったキャサリンさんに般若の面影を見たぜ。
﹁ツヴェーに行くの? ならお遣いを頼んでいいかしら?﹂
全員揃っているタイミングで買い出しを行いたいことを発表する
と、アナスタシア様に用事を頼まれた。
﹁レーカ君が来て随分と経つし、知人に頼んでおいた異世界の資料
がそろそろ揃っていると思うのよ﹂
﹁え、あれ、ほんとにやってくれてたんですか?﹂
725
異世界トリップ初日の会話だぞ。完全に忘れていた。
﹁なんかすいません。俺が脳天気に暮らしている時に、やってもら
っていたなんて﹂
﹁気にしなくてもいいわ。定期的な手紙のやりとりはあるから、そ
のついでだもの﹂
なにより、そこの黒髪ミニスカメイドになりきっている女性が地
球について知っているっぽいんだよな。
目の前に答えがあるのに、なんでこんな回り道しているんだか。
⋮⋮よく見るとメイド服が支給品ではないのだが、いいのだろう
か。
白い絶対領域が眩しい。ついついそっちに目が行ってしまう。
﹁あ・な・た・た・ち?﹂
アナスタシア様に耳たぶを引っ張り上げられた。
﹁いた、痛い、千切れちゃうやめて、ごめんなさい﹂
﹁勘違いなんだナスチヤ、ただけしからんと思っただけで、いやそ
うじゃなくて﹂
アナスタシア様のもう片方の腕はガイルの耳たぶを引っ張ってい
た。お前は駄目だろ。
気を取り直して手紙の件を聞く。
﹁手紙はどこで受け取れば?﹂
726
﹁この商会で預かっている手筈よ﹂
メモを受け取り、なくさないように懐にしまう。
﹁いつ出るの?﹂
ソフィーに訪ねられ、明日にはさっさと出発する旨を伝える。
﹁私も行きたい!﹂
﹁なんとっ!?﹂
ソフィーが外の世界に興味を示した!?
予想外、だがいい兆候かもしれない。現状、ソフィーはほぼ引き
こもりなのだ。屋敷が広いから運動量は少なくないと思うが。
視線でガイルに問うと、彼は頷く。
﹁まあ、小旅行みたいなもんなら構わないぞ。旅もいい経験だ﹂
旅と旅行は違うだろ。
﹁私も、私も行きますっ﹂
マリアも挙手する。
﹁では私も同行しましょう。護衛が必要でしょう?﹂
キョウコが護衛なら安心だ。
﹁じゃあ明日の朝、出発ということで﹂
727
一同が頷き返すのを確認し、俺ははたと気付いた。
同行する女性陣、ソフィー、マリア、キョウコ。
こいつら纏めるのって、俺の役割?
エアシップ
資材を運ぶので、村に存在する小型級飛宙船の中でも一番大きな
船を借りた。
大型トラックほどのサイズ、これなら荷台に人型機が寝そべって
載せることも可能だろう。
実際、自由天士にはそうやって人型機の脚部の消耗を減らす者も
多い。一流の自由天士であれば個人で中型級飛宙船を所有していた
りもするけど。
﹁おー晴れた晴れた﹂
くーっと腕を左右に伸ばし体を解す。秋は過ごしやすくていいな。
﹁ゼェーレストって雪降るのかな﹂
﹁降るわよ、これくらい﹂
マリアが旅行鞄を引きつつ、自分の腰ぐらいの高さに手を示す。
結構積もるのな。
728
﹁ソフィーは?﹂
マリアの鞄を何気なく受け取り荷台に載せる。
﹁ありがと、あの子はアナスタシア様に捕まっているわ。魔法を使
っていたけれど﹂
﹁ふぅん?﹂
なんの魔法だろう?
﹁それで、マリアが飛宙船を操縦する手筈だが、大丈夫か?﹂
﹁平気よ。動かすだけならどうとでもなるわ﹂
小型級とはいえこの大きさ、マリアの操縦技術で街道を抜けるの
は厳しい。となれば木々より上を飛ぶこととなる。
となれば蛇剣姫の他にも小回りの利く生身の護衛も欲しいところ
で、俺はエアバイクで併走することとなったのだ。
正直、キョウコの蛇剣姫か、あるいは俺のエアバイク。弱い魔物
しか出ないこの辺であればどちらかで護衛は充分なのだが⋮⋮まあ
用心に越したことはない。
﹁蛇剣姫は⋮⋮ああ、来たな。あとはソフィーだけか﹂
女性的なシルエットを持つ人型機。騎士の甲冑を連想させる意匠
は、遠目で見ればただの人間と見間違えそうだ。
﹃そろそろ出発ですか?﹄
729
﹁ソフィーがまだだ﹂
小型のクリスタル共振通信機で蛇剣姫コックピットのキョウコと
会話。トランシーバーだが、携帯電話慣れした現代人には少し重い。
暇なのでエアバイクをメンテナンスしつつ、マリアに忠告してお
く。
﹁マリアとソフィーで飛宙船に乗るわけだけど、なるべくソフィー
と話し続けるようにな﹂
﹁どうして?﹂
﹁長時間の運転は眠くなる﹂
長距離ドライブでは眠気は強敵だ。
と、そこにブロンドの少女がやってきた。
﹁ってあれ、ソフィー?﹂
﹁ええ。遅れてごめんなさい﹂
﹁いや、それはいいけど﹂
ソフィーの装いは都会の少女としては一般的なものだ。村娘とし
ては華美であり、年頃の娘からすれば質素。つまり普通。
なによりブロンドである。染めた?
﹁髪が傷んで勿体無い。ソフィーの髪、綺麗で好きなのに﹂
﹁え︱︱︱あ、うん。ありがとう﹂
730
髪を触りつつ照れるソフィー。思わず頭を撫でてしまった。
﹁私の髪は悪目立ちするから、ってお母さんが魔法で色を変えたの﹂
﹁なるほど、魔法なら髪は傷まないな﹂
謎の液体が入ったボトルを渡される。
﹁一日で効果がなくなるから、朝にこれで染めなさいって﹂
﹁俺が?﹂
﹁レーカにやってもらいなさいとも言っていたわ﹂
マリアの方が適任じゃないだろうか。姉分なんだし。
﹁これ、お母さんから﹂
小さなメモを受け取る。なになに。
﹃レーカ君はソフィーを最近蔑ろにしていると思うの。イタズラし
ていいから、朝の寝ぼけたソフィーを世話しなさい﹄
そういえば不純異性交遊アリだったな。
紙を丸めてポイと捨てる。
マリアにキャッチされた。
読んだ後、ボトルを奪い取られる。
﹁私がやるわ﹂
731
﹁⋮⋮頼む﹂
目が怖い。
732
長耳メイドとロリコンドラゴン 2
ツヴェーに到着。
﹁あっさりね﹂
マリアの拍子抜けした様子の呟きに、肩をすくめて返事をする。
﹁所詮隣町だ、行き来する度にトラブルが発生したら身が保たない﹂
旅は順調に終わり、俺達は目的に着いた。
﹁どういう順番で回る?﹂
三人が一斉に挙手した。
﹁レーカの働いていた場所、見たいわ﹂
﹁お買い物をしたいな﹂
﹁あの演劇の続きを見たいです﹂
それ全部私用じゃねぇか。俺には手紙受け取りと資材買い出しが。
﹁分担するか?﹂
三人に腕を掴まれた。
733
﹁レーカの、働いていた場所、見たいわっ﹂
﹁お買い物、を、したいなー﹂
﹁あの演劇の、続きを、見たいです!﹂
なにこの人達怖い。
﹁それじゃあ⋮⋮﹂
三人の視線が集まる。
﹁宿を確保するか﹂
腕に籠もる力が、ちょっと危険な域に強まった。
フィアット工房は変わらず、怒号と喧噪に包まれた男達の戦場だ
った。
﹁うわぁ﹂
秋も後半というのに、あまりの暑苦しさにマリアが若干引いてい
る。
734
﹁飛行機っ!﹂
ソフィーが飛行機に駆け寄ろうとしたので、脇から持ち上げて止
める。
不満そうな瞳が俺を射抜く。
﹁見たら駄目ってわけじゃなくて、危ないんだ。むやみに近付いた
ら駄目﹂
ソフィーを肩車して安全な距離まで近付く。ちっこいソフィーだ
と、こうでもしないと全貌が見えないだろう。
﹁しかしこいつは⋮⋮なんだ?﹂
ずんぐりとした胴体の、見覚えのない機体だった。
垂直尾翼は上だけではなく下にも伸び、機首と後部の双方にプロ
ペラが付いている。
随分とへんてこな形だ。空力的に優れた形状なのはなんとなく判
るが。
﹁つか、プロペラ機自体珍しいな﹂
セルファークでは、飛行機登場時には既にジェットエンジンが開
発されていたので、小型プロペラ機はあまり見ない。中型級以上の
サイズの飛宙船か、エアバイクのように町中で使う船か、あるいは
亜音速以下で機敏な速度変更を行う必要性のある特殊な機体に採用
される程度だ。
推進式と牽引式、双方の特徴を備えた飛行機。エンジンを一列に
並べたことで空気抵抗も小さく、レシプロ機の割にはトップスピー
735
ドに優れた機体になりそう。
﹁整備性は悪そうだけど﹂
こういう奇妙な機体は、総じて整備が難しいという特徴がある。
可変前進翼機なんてゲテモノを作ろうとしている俺に言えること
ではないが、奇抜な機体は大抵は失敗作だ。
そして極一部は後の標準となり、先進的という評価が与えられる。
因果な話である。
﹁おっ、レーカじゃねーか! どうしたんだ?﹂
技師の一人が俺に気付き、連鎖的にわらわらと男達が集まってく
る。
﹁おいお前ら、レーカが来たぞー! しかも女連れだ!﹂
これ以上呼ぶな、ムサい。
ソフィーが慌てて降りて俺の背後に隠れる。
﹁ほら、皆の暑苦しい顔に怯えているから離れて離れて﹂
お前が怖いんだろ、いやお前の方が、お前昨日風呂入ってなくて
臭いんだろ、と責任転嫁しつつ数歩離れる技師達。
﹁久しぶり。遊びにきたぜ﹂
﹁おう、ついでに手伝ってくれてもいいぜ!﹂
﹁時間がないからまた今度な。カストルディさんいる?﹂
736
のっしのっしとドワーフの男性が現れた。
﹁レーカか。元気だったか?﹂
﹁おかげさまで﹂
相変わらずご立派な髭である。
﹁で、お前の後ろのチビは⋮⋮ああ、ナスチヤの娘っ子か。確か、
ソ、ソー⋮⋮ソフィア?﹂
彼女は驚くように目を見開いた後、妙にキツく親方を睨み﹁ソフ
ィー﹂とだけ訂正した。
﹁おおそうだ、すまねえ。大きくなったなソフィー﹂
そういえば彼女はソフィー嬢と呼ばれるのも嫌がった。呼ばれ方
には強いこだわりがあるのかもしれない。
アナスタシア様もナスチヤという呼び名は家族レベルの人にしか
許さないし、似た者親子ということか。
今の俺はナスチヤって呼ぶことを許されるのかな。
きっと大丈夫だけれど、﹁アナスタシア様﹂に慣れてしまったか
らそのままでいいや。
﹁ところで、この飛行機はなんですか?﹂
﹁おう、こいつは大戦末期に帝国で試作された機体でな。むしろ実
験機としての意味合いが強い、新しいエンジンレイアウトのテスト
機だ﹂
737
きっと﹁エンジン二つなら凄くね?﹂﹁横に並べたら空気抵抗が﹂
﹁前後に並べようぜ!﹂﹁ならプロペラだな。どうせ空中戦闘は亜
音速だし﹂って具合だろう。
戦争が長引くと、どうも珍妙な発想が湧いて出るのはどうしてか
ね。
﹁帝国の貴族様に依頼されててな。レストアしている最中だ﹂
﹁道楽的な好事家かなんかですか?﹂
﹁いや、この情報はあんまり漏らしちゃいけないんだけどよ﹂
カストルディさんは俺に耳打ちする。
﹁なんでも、この機体を改造して大陸横断レース未成年の部に出場
するんだってよ﹂
⋮⋮オフレコもなにも、俺が出場者の一人なのだが。
﹁大陸横断レース未成年部門に出るのか。まあお前なら遅かれ早か
れ興味持つんじゃないかと思っていたが﹂
ツヴェー滞在中に教えてくれれば良かったのに。知っていれば⋮⋮
﹁仕事が手に付かなくなるだろ﹂
738
⋮⋮そうかも。
﹁でも未成年部門は機体の自作、改造が条件でしょう?﹂
出場チーム以外の手伝いを得た機体は失格のはずだ。
﹁改造機ありってルール上、改造する前のベース機をレストアする
のは誰でもいいんだろ﹂
まあ改造じゃなくて修復だしな。
﹁改修計画の図面をちらっと見たが、ありゃお前でも苦戦するかも
しれねぇぜ。まさか理論段階の新技術を組み込むとはな﹂
﹁どんな技術?﹂
﹁言えるか、アホ﹂
偵察ではなく、技術的好奇心からの質問なんだけどね。
もう一度機体を見上げる。
機体は一度塗装を落とされ、赤く塗り直されている途中だ。
﹁紅翼のパクリ?﹂
﹁赤は天士にも人気の色だからな。紅ならお前んトコの悪ガキ、赤
なら帝国貴族の伯爵様、紅蓮なら統一主義者ども、ってな感じで少
しの色合いの差で意味が全く異なるわけだ﹂
違いがわからねぇよ。
739
﹁統一主義って?﹂
﹁共和国と帝国は一つの超大国であるべきだ、って主張する連中だ
よ。先の大戦の元凶っていわれるクソッタレだ﹂
大国同士を合併って、無茶だろ。絶対どこかで無理が生じる。
﹁その無理のツケが大戦だったのさ。俺には政治家や思想家の考え
ることなんざ解らんがな﹂
いやはや、物騒な話だ。
﹁とうの昔に全滅させられているからな。今更歴史の表舞台に出て
はこないさ﹂
﹁そうだといいけど﹂
つーか、なんで俺は工房まで来て世界情勢の話なんてしているん
だ。
﹁それで、これだけ購入出来ますか?﹂
購入リストを提示すると、カストルディさんはガリガリを頭を掻
いて唸った。
﹁結構な量じゃねぇか。ある程度の量なら俺達を仲買しない方が安
いぜ﹂
﹁仕入れ先なんて知りませんよ﹂
740
書類仕事はマキさんの管轄だ。
﹁そういえばマキさんは?﹂
﹁ガチターンと新婚生活を満喫しているだろうさ﹂
お、結婚したのか。
﹁そうだ、あいつに買い出しに付き合ってもらえ。仕入れ先も把握
しているし、ガンガン値切るぜ﹂
﹁愛の巣に乗り込めと?﹂
流石に気が引ける。
﹁俺は行きたくねぇ。様子を見てきてくれ﹂
げんなりした表情でしっしと手を振るカストルディさん。
﹁見に行けと言うなら行きますけれど﹂
疑問符を浮かべつつ、﹁お邪魔しました﹂と頭を下げて俺達は工
房を出る。
﹁ところでよレーカ、この機体、試し乗りしたらガクガク揺れるん
だよ。シャフトが曲がっているわけでもなし、なにが原因なんだろ
うな?﹂
﹁巡航速度で翼が固有振動と同調してしまうんですよ。翼端に重量
741
配分を移動させることで解決出来る可能性があります﹂
前進翼の研究なんてやっていると、この辺は詳しくなるな。
﹁⋮⋮ヘンテコ覗き魔法を使ったのか?﹂
﹁ぱっと見の勘です﹂
﹁そ、そうか。あんがとよ﹂
奇妙にどもるカストルディさんに首を傾げつつ、俺達は今度こそ
フィアット工房後にした。
﹁物は試しのつもりで訊いてみたが⋮⋮あいつ、しばらく見ないう
ちに更に腕上げてやがる。もう俺を抜いちまったか?﹂
カストルディさんに教わった住所まで歩く。
立体的なツヴェーの町は徒歩が不便だ。ソフィーが早々にバテて、
俺の背中で眠っている。
﹁旅の疲れもあったのでしょう﹂
﹁目的地で寝るとか、旅の意味がないな﹂
742
﹁ソフィー的には目的は果たしたんじゃない?﹂
工房見れたから、彼女の旅はもう終了か。
ちょいちょいとマリアが露天商に目を奪われつつ、俺達は道を進
む。
﹁買わないのか?﹂
せっかくだし、ちょっとの無駄遣いくらいしてもいいのに。
﹁いいのよ。うぃんどうしょっぴんぐ、だから﹂
﹁ハッ﹂
慣れない横文字とか田舎娘丸出しだろ。
思わず鼻で笑い、肘鉄砲を脇腹にクリーンヒットされそうになり、
ソフィーが俺の背中にいることに思い至り手を出せない。
これはチャンスだ。
﹁いや失敬。遠慮なくうぃんどうしょっぴんぐに励みたまへ。俺は
そこにすたばで待っているよ。なういぜ﹂
真っ赤になり拳を振るわせるマリア。だがソフィーがいる限り俺
に危害は加えられまい。万が一、ソフィーが怪我をしたら大変だ。
マリアが俺の正面に回り込む。
そして俺のほっぺたを正面から両方抓られる。
﹁⋮⋮痛いです﹂
﹁それで?﹂
743
﹁くぅくぅ﹂
寝息をたてるソフィーと、俺を半目で睨むマリア。
両手に花ならぬ、前後に花である。
﹁レーカ君、ひっさしっぶり∼!﹂
再会早々抱きつかれた。
まあ、予想していたので気にしない。
﹁こんにちは、マキさん﹂
ゆったりとしたマタニティ服のマキさん。ネコミミのモフモフっ
ぷりは、相変わらず触りたい欲求に駆られるな。
ここはガチターンの家だった場所だ。一人暮らしの汚い男部屋だ
ったらしいが、今は住人が二人に増えて﹃色々と﹄片付いている。
﹁すぐに三人に増えるよ!﹂
ポンと狸のようにお腹を叩くマキさん。元が細いから判りにくい
が、お腹にもう一つの命が宿っている。
﹃お∼﹄
なにやら感嘆の声を漏らしマキさんのお腹を撫でるソフィーとマ
744
リア。
マリアはともかく、ソフィーはちゃんと解っているのだろうか?
﹁しっかし、また⋮⋮﹂
使用人休憩室もなかなかだったが、この部屋はそれ以上だ。
﹁よぉ、ガチターン﹂
お人形のように椅子に座るガチターンに声をかける。
﹁み、見るな、汚されちまった俺を見ないでくれ!﹂
必死に縮こまる巨体は大層キモいが、服装は尚キモい。
親方がここに来たくない理由、よく解る。
ピンクのレースカーテン。
天蓋付きのベッド。
大量のヌイグルミ。
小綺麗な燕尾服に身を包む大男。
そこは、女子の夢を詰め込み煮込みカラメル状となるまで放置し
た鍋の中身の惨劇を呈していた。
﹁イッツ、ソー、ファンシー!﹂
﹁oh⋮⋮﹂
呻き、机に突っ伏すガチターン。育ちの悪そうなコイツにはこれ
はキツい。
﹁マキさん、許して上げて。ガチターンが可哀想です!﹂
745
﹁かわいそう、じゃなくてかわいい、でしょう?﹂
駄目だこの人、根本的に駄目だ。
﹁ガチターンみたいに粗暴でガサツでいい加減でルーズで残念フェ
イスで歩く粗大ゴミみたいな男は、ちょっとくらい汚い場所の方が
安心するんです! ゴキブリなんです!﹂
﹁そうなの?﹂
マキさんは夫に問うと、彼はカサカサと小刻みに何度も頷いた。
﹁それならそう言ってくれればいいのに。あとで物置掃除してあげ
る﹂
新婚の夫を物置に押し込む気だー!?
それでもどこか安堵した様子のガチターン。物置もいいもんだぜ。
﹁それはそうと、レーカ君はどうしてツヴェーにいるの? あ、出
産祝い頂戴﹂
﹁まだ生まれていないでしょ。俺達がツヴェーにいる理由ですが︱
︱︱﹂
746
﹁おじさん、そこをもう一声!﹂
﹁って言ってもなぁ、困ったなぁ、あはは﹂
商会で年上の男性相手に一歩も引かず値切るマキさん。
時に愛想を振りまき、時に陽気に、時に色香を放ち、様々な顔を
見せつつ巧みに交渉する。
その様は、まさに歴戦の商人だ。
﹁はぁ、せっかく可愛い弟が遊びに来たから、お土産一杯持って帰
って貰おうとおもったのになぁ⋮⋮﹂
﹁お土産? まあ他ならぬマキちゃんの頼みだ、これで手を打とう﹂
請求書の金額に満足げに頷く。
﹁ありがとうおじさん! これからもよろしくねっ﹂
﹁ははは、あんまり頻繁には勘弁してくれよ?﹂
こうして俺は、予定よりずっと低額で資材を購入したのだった。
別にお金に困ってもいないし、無理して値切る必要もなかったん
だけどな。
﹁お金を溜め込んだら、でふれーしょんになるわよ﹂
﹁ソフィーは頭がいいな﹂
経済なんて俺一人の行動でどうこうなるわけでもないけど。
747
﹁そうとも言えないよ﹂
商談を終えたマキさんが話に入ってきた。
﹁エアバイクの発注数は右肩上がり、専門の新工場まで世界各地に
作られたんだから。フィアット工房で預かっているレーカ君の取り
分、凄いことになってるよ﹂
﹁聞きたくなかった!﹂
過ぎたるは及ばざるが如しだ。あっても困らない、なんてレベル
を越えてしまうのは問題である。
﹁それにしてもレーカ君が大陸横断レースに出場するとは。気を付
けてね﹂
商会から出て、並んで歩く。
﹁解っています。危ないレースだってことは充分理解しています﹂
﹁それもあるけれど、飛行機制作のことも、ね﹂
実験機、試作機の墜落事故は確かに珍しくない。が、マキさん曰
くそれだけでもないようだ。
﹁未成年部門はネ20エンジン指定でしょ? 最近、このエンジン
の音に反応して巨大なワイバーンが接近するって事件が多発してい
るの﹂
748
こえー。
﹁ネ20エンジンだけ?﹂
﹁うん。噂では、自分を傷付けた飛行機を探して微かなエンジン音
の違いを見極めているんじゃないかって言われている﹂
誰だよそんな面倒臭そうな奴に中途半端に手を出した奴。
﹁音を確認すればすぐどこか行ってしまうらしいから、実害は出て
いないのだけれど⋮⋮﹂
いつまでも放置ってわけにはいかないよな。
﹁とにかく、テスト飛行には注意してね﹂
﹁うっす﹂
軽いノリで敬礼してみせる。
﹁これで用事は終わり? それじゃあデートいきましょう!﹂
﹁人妻がデートとか言っちゃダメです﹂
マキさんは子供っぽいから人妻って気がしない。
アナスタシア様の色気と美しさには適わないな。あの方は女性の
完全体だ。
マキさんに手を掴まれる。じゃなくて繋がれる。
﹁では私はこちらを﹂
749
キョウコがもう片手を握った。
両者とも俺より背が高いから、腕がちょっと苦しい。
﹁むしろ宇宙人?﹂
昔、グレイタイプ宇宙人がこんな風に確保されている写真を見た
覚えがある。
﹁私達は?﹂
﹁レーカは大人の女性に囲まれて喜んでいるし、子供同士で手を繋
ぎましょっか﹂
白けた表情のマリアが嫌味ったらしく提案した。
左右から引っ張られて宙ぶらりんの俺の背後で、ソフィーとマリ
アが手を繋ぐ。
と思いきや、ソフィーが俺に近付いた?
﹁これならどう?﹂
ソフィーが俺の足首を持ち上げた。
﹁あら、いいわね﹂
マリアも便乗し俺の片足を持ち上げる。
四肢を掴まれ運搬される俺。
その様は、まるで⋮⋮なんだこれ。なんだこれ。
形容しがたいポーズのまま、俺達は次の目的地へと向かった。
750
﹁やってきましたツヴェー劇場!﹂
﹁手紙じゃないの!?﹂
先に用事すませてから遊びなさい。
﹁なに、ここ?﹂
﹁演劇?﹂
子供二人の目にはこの劇がどう映るのか、ちょっと気になる。
﹁すっごく楽しい場所よ﹂
﹁きっとこの物語は、貴女方の人生にいい影響を与えるでしょう﹂
やたら絶賛する大人二人に背中を押され、劇場に入場した。
751
﹃父を訪ねて三千里﹄前回までのあらすじ。
主人公の魔族は、勇者の少女に一目惚れした。
しかし勇者は悪しき王国のお姫様に調教され、心身ともにメイド
であった。
魔族の青年もまた、従属の呪いをかけられお姫様の下僕となる。
そして彼らの、世界征服⋮⋮じゃなくて世界平和を目指す旅が始
まったのだった。
︵ああ、そんな内容だったな。初っ端から疲れてきた︶
時刻は深夜。
勇者一行の船旅は、突然の襲撃により歓喜に包まれた。
襲ってきたのは近海に名を轟かす、海賊一味である。
﹁戦いだヒャッハー!﹂
﹁コロセコロセー!﹂
﹁背中を見せるのは敵だ! こっちに向かってくるのは訓練された
敵だ!! 俺の隣に立つのも出世競争の敵だーッ!!!﹂
武者震いする騎士達。
﹁やらなきゃやられる、やらなきゃやられる、やらなきゃやられる
⋮⋮!﹂
752
﹁田舎のカアチャンの薬代がどうしても必要なんだ、許してくれっ﹂
﹁正義の味方なんてこの世にいない。所詮は悪と悪がぶつかり合う
だけだ。ならばせめて、俺は正義の悪でい続けようぞ︱︱︱﹂
続々と乗り移ってくる海賊達。
︵なぜ海賊の方を応援したくなるのだろう⋮⋮︶
そして最後に飛び移ったのは、美しい海賊の女頭首だ。
﹁私らは義賊団! 悪名高きお姫様よ、有り金全部置いて行きな!﹂
お姫様の返答は熱い拳だった。
女頭首とお姫様の殴り合い。
幾度となく繰り返される拳の応酬。
二人の戦いは、どこか美しくもなく、どこか儚げでもなかった。
盛り上がるギャラリー。彼等に最早、騎士や海賊といった境界は
ない。
賭事が始まり、出店が船の上に並ぶ。大人しかいない状況でワタ
アメにどれほどの需要があるのか。
どれほど戦いは続いたか。
ラストは当然、クロスカウンターの相打ちで終わった。
﹁やりますわね﹂
﹁あんたもな﹂
真っ赤な夕日の中、女頭首とお姫様は互いの健闘を讃え合う。
753
﹁友情が芽生えたようですね、良いことです﹂
賢者の少女が優しげな瞳でワタアメ食いつつ頷いた。
以前と変わらず酷い内容だった。
主人公の魔族が登場しない。ヒロインのメイドも登場しない。
深夜から始まったのに夕日で終わった。
あああ、ツッコミきれない。
﹁誰もが正義であり、悪でもある。人という種族の真理を描いた、
考えされるお話でした⋮⋮﹂
絶対考え過ぎである。
﹁どうだった、二人とも。今度はもっとマトモな演劇を見よう︱︱
︱﹂
困惑しているであると予想しソフィーとマリアに声をかけると、
少女達はのぼせたようにうっとりした瞳で感慨に耽っていた。
﹁これが、演劇なのね﹂
﹁ええ、素晴らしかったわ。私、今日の思い出を絶対に忘れない﹂
754
﹁私もよ。文化って素晴らしいわ﹂
頭痛が痛い。馬から落馬しそうなほどだ。
恍惚とした様子の美女美少女を路上に放置し手紙を受け取りに向
かう。
商会から劇場へ戻ってきても尚、彼女達はあちらの世界から帰還
を果たしていなかった。
観光地を一通り巡り、宿で一晩過ごす。
出発する前に工房とガチターン邸に挨拶に寄り、俺達はツヴェー
を発った。
ガチターンは狭く埃っぽい物置で腹を出して寝ていた。久々のプ
ライベートスペースだ、そっとしておいてやろう。
資材を満載した飛宙船をツヴェー渓谷の出入り口で受け取り、小
さな冒険の再会。
ソフィーが旅路の暇っぷりに早々にダウンしてしまったので、マ
リアの話し相手は俺が務める。
エアバイクは俺自身の魔力で動いているが、シールドナイトのク
リスタルを通信機にセットして懐に入れているのだ。
﹃近くでワイバーンが現れるのよね﹄
無線越しの少しノイズ混じりのマリアの声。
755
﹁そうそう襲ってはこないさ﹂
そんなフラグを立てたのがいけなかったのか、奴はシナリオ通り
に現れた。
ギャース、ってな感じの鳴き声が森に響く。
﹃ねぇ、なにか聞こえない?﹄
﹁聞こえない﹂
フラグに負けるものか。
﹃ねえ、なにかいない?﹄
﹁いない﹂
俺達の上空を影が過ぎったのはきっと気のせい。
﹃ねえ、私達襲われていない?﹄
﹁襲われていない﹂
巨大なドラゴンがばっさばっさと羽ばたきホバリングして、飛宙
船をしっぽでつついていた。
背中から翼の生えているドラゴンではなく、腕が翼となっている
のがワイバーンだ。なんでもドラゴンより飛行能力に優れているら
しい。
翼を広げているせいかもしれないが、目測で一五メートルはある。
人型機として平均的なサイズの蛇剣姫より、一回りは大きい。
756
﹃⋮⋮助けて﹄
﹁とりあえず様子見で﹂
話ではワイバーンはしばらく飛宙船を調べた後、危害も加えず去
ってしまうとのことだった。
﹃貴女方という護衛対象のいる現状、下手に手を出すのはかえって
危険です﹄
キョウコも蛇剣姫のフランベルジェに手をかけつつ、それを抜く
様子はない。
やがて興味を失ったかのようにバフンと鼻息を噴き︵飛宙船が揺
れた︶、高度を上げようとする。
しかし、その瞳がある人物を認識し、ひょいと口で拾い上げ拉致
してしまった。
﹃⋮⋮ソフィ︱︱︱!?!?﹄
服をくわえられ宙ぶらりんとなっているのは、ソフィーその人で
ある。
大きく羽ばたき上昇。
﹁ソフィー待ってろ!﹂
この高度で届くのはエアバイクの俺だけだ。
アクセルを噴かし加速。
ばしっと蠅のように尻尾で弾かれた。
ワイバーンはぽーんとソフィーを放り投げ背中に乗せる。
きゃっきゃと喜ぶソフィー。人間以外には人見知りしないのな。
757
でも今はせめて慌ててくれ。
キョウコが驚愕する。
﹃ま、まさか彼女にはドラゴンライダーとしての素質が!? そん
な人間は何百年もの間、現れなかったというのに⋮⋮!﹄
﹁年寄りエルフはだまらっしゃい!﹂
膝から崩れ落ち﹃年寄り年寄り年寄り⋮⋮﹄とうなだれる蛇剣姫。
力を蓄えるように身震いするワイバーン。いかん、飛び去ろうと
している!
エアバイクからガンブレードを抜き、カードリッジ装填。
柄の中に仕込まれた鎖を掴み引く。
重量を感じさせない急上昇を行うワイバーン。間に合えっ!
ロケットを点火。飛翔するガンブレードがワイバーンに辛うじて
追い付き、後ろ足に鎖が絡み付く。
﹁うぉお!?﹂
ビン、と張った鎖で俺も引っ張られる。エアバイクが落ちるのを
端目に俺とソフィーを連れてワイバーンは空高く昇っていった。
呆然と二人を見送るマリアとキョウコ。
意外な展開に思考停止していた両者は、はたと我に返り慌てふた
めく。
758
﹁た、大変っ! キョウコ、なんとかして!﹂
最強最古の名に縋るマリア。
﹁届けっ、届けっ﹂
混乱冷め止まぬまま、天井の蜘蛛の巣を払うようにフランベルジ
ェを上空へ振るうキョウコ。
﹁あー、このバカ新入りはぁ!? 落ち着きなさい!﹂
﹁そ、そうですね。こういう時は完全数を数えるのです! 3,1
415926536⋮⋮﹂
﹁それ円周率! あと数えるのは素数!﹂
セルファークの空はどこまで昇っても、寒さで凍えたり呼吸が苦
しくなったりなどしない。
地表より六〇〇〇メートルで月面に到達し、中間の高度三〇〇〇
メートルには重力境界が存在する。
地表と月面の重力が吊り合う重力境界。そこは大型飛行系魔物の
巣窟であり、このワイバーンもその住人なのだろう。
現に、こうして巣まで連れてこられたのだから。
﹁レーカ、急降下しているみたいね﹂
759
﹁ああ、まるで弾道飛行だなソフィー⋮⋮ってそんな経験ないから﹂
地上から夜に見える星々は、無重力地帯に浮かぶ岩だ。
ロマンチックもクソもない。近くで見るそれは、まさにただの岩
石である。
﹁そうかな。色々と浮かんでいるのって綺麗よ﹂
﹁神秘的といえば神秘的かもな﹂
無数の岩が重力から解き放たれ、宙に浮かぶ光景。こんな絵画を
好んで描いた芸術家が地球にもいたよな。
そしてここは、一際大きな岩の上である。直径数十メートルはあ
るだろう、どうやらワイバーンのテリトリーのようだった。
つまり俺達はお持ち帰りされたのである。
﹁鳥の巣みたいね。虫を捕まえて巣に持ち帰るじゃない?﹂
﹁そして子供につつかれて餌になるのか、勘弁してくれ﹂
ガンブレードは失っていないが、あんな巨大な、それも飛行系モ
ンスターと生身で戦うなんてぞっとしない。
﹁あの子は?﹂
﹁⋮⋮ワイバーンのことか? どこか飛んでったけど﹂
なんでワイバーンはソフィーを攫ったのだろうか。
﹁友達が欲しかったのよ﹂
760
﹁君、同類には心をあっさり開くよね﹂
空を飛ぶのは皆友達か。ワイバーンも同じシンパシーを感じて拉
致ったのだろうか。
件のワイバーンが戻ってきた。
頭に果物や果実を載せている。
﹁食べていいの?﹂
頷くワイバーン。
﹁俺も食うぞ﹂
やたら人間くさい、しかめっ面をするワイバーン。
ふわふわ宙に浮くリンゴをかじる。でもなぜ貢ぎ物を?
ワイバーンは必死に身振り手振りソフィーにアピールする。
その顔は少し赤い。それでピンときた。
こいつ、ソフィーに求愛行動してやがる。
﹁なにをしているのかしら?﹂
﹁ソフィー見るなっ、こら腰を振るな!﹂
犬かこいつは。
その醜悪かつコミカルな様子に、頭のどこかがキレる。
﹁ふふふ、いい度胸だトカゲ野郎。覚えておきな畜生が﹂
ガンブレードの切っ先を奴に向け、挑発的に口角を吊り上げる。
761
﹁ソフィーは俺の嫁だ、手を出すんじゃねぇえぇぇぇぇぇ!!﹂
俺とワイバーンの戦いは長く続いた。
100管のオルガン
満身創痍なのは互いに同じだ。意外にワイバーンは手練れであり、
ストーカチューシャも早々当たらず不毛な持久戦となり果てていた。
﹁く、くそっ、一旦休憩だっ﹂
﹁グァ、ギャアァァ、ガギャアッ﹂
息も絶え絶えに浮かぶ俺とワイバーン。
ソフィーはのんびり果物を食べていた。
くそっ、なにかないか? コイツにギャフンと言わせる方法は!
﹁⋮⋮認めよう。お前は強い、俺と同程度にはな﹂
﹁お前もな、人間の割にはやるじゃないか﹂と俺を見据えるワイ
バーン。
﹁ここは一つ、勝負をしないか?﹂
﹁ギャァ?﹂
﹁人間は些細な勝負を行う時、こんな遊びをするんだ﹂
762
ルールを説明し、同時に腕を差し出す。
﹁じゃーんけーんぽん!﹂
俺はチョキ。
ワイバーンはパー。
﹁グギャア!? ギャア、ギャア!﹂
﹁わはははは、その翼の腕でパー以外出せるか、ばーかばーか!﹂
よし決着。帰るぞ。
﹃⋮⋮きこえる? レーカ、応答して!﹄
﹁おっ?﹂
クリスタルの共振無線に音声が入った。
﹁その声、マリアか?﹂
﹃レーカ? 良かった、無事だったのね!﹄
だがはて、クリスタル通信はこの程度の出力では近距離しか通じ
ないはずだけど。
そこに鳴り響くネ20エンジンの排気音。
岩の蔭、地表側を覗くとそこには飛宙船の姿が。
﹁なっ、どうやってこんな高度まで? 飛行系魔物が現れなかった
のか?﹂
763
﹃新米メイドもちょっとは役に立つわ!﹄
見れば、荷台には蛇剣姫がしがみついて剣を振り回していた。
﹃もう少し右に寄って下さい、いえそっちではなく私から見て右で
す!﹄
﹃荷台の蛇剣姫がどんな体勢かなんて判らないわよ!﹄
﹃上! 上に岩が!﹄
﹃回避するわ! よーそろー!﹄
﹃下方より小さな魔物が来ました! ひっくり返って下さい!﹄
﹃どっこいしょー!﹄
﹃回り過ぎですよぉぉ!?﹄
ふらふらとふらつきつつ上昇してくる飛宙船。
こんな調子で高度三〇〇〇メートルまで昇ってきたのか。
思わずソフィーと顔を見合わせて笑い合う。
ワイバーンも可笑しそうにフガフガ笑っていた。
﹁なんか仲良くなったな、二人とも﹂
口調に堅さがなくなった。
﹃なってないわ!﹄
764
﹃なってません!﹄
なってるじゃん。
俺達は飛宙船の荷台に乗り移り、船は地表へと降りていった。
﹁じゃあね﹂
手を振るソフィー。ワイバーンもだらしない顔で尻尾を揺らす。
あいつまだソフィーを諦めてねぇ。
ゼェーレスト村に戻り、ミスリルの翼を制作。
一月かけてデータを取り、前進翼の研究を進める。
ソフィーの意見も取り入れつつ、図面は完成度を増してゆく。
エンジンは完成した。
形も決まった。
データも充分揃った。
﹁あとは、制作するだけだ﹂
765
長耳メイドとロリコンドラゴン 2︵後書き︶
作者はなぜか円周率をキョウコと同じ単位まで暗唱出来ます。
就職面接にてこんなことがありました。
﹁円周率は言えますか?﹂
﹁はい! 3,1415926536まで言えます﹂
﹁3,14まででいいです﹂
落ちました♪︵実話︶
766
粉雪と白亜の翼
空中で吊され組まれたミスリルの骨組み。
ソードシップ
3DのCGのように輪郭だけを浮かび上がらせるそれは、だが確
せいひつ
かに俺の飛行機が一歩一歩完成に近付いているのを感じさせる。
ひんやりと凍る格納庫の静謐とした空気は、この未だ胎児たる機
体が眠るには相応しい。
飛行機といえばモノコック構造が定番だが、コイツは動翼の稼働
ストライカー
に無機収縮帯を採用している。
人型機は基本的に内骨格、つまり骨がある。その構造を流用して
いれば、当然この飛行機にも﹃骨﹄が必要となってくるのだ。
つまり、重い。
それ以上に、内部が複雑でややこしい。
もっとも、これはどんな可変翼機でも共通の悩みだろう。強度が
必要な稼働部は重量増加の一因となりがちだ。
苦肉の策としてセミモノコック構造らしき構成となった。そもそ
も用途のある機械である以上、究極なモノコック構造なんて不可能
なのだけど。
﹁ま、その辺はエンジンパワーで解決だな﹂
それにミスリルの強度であればモノコックのフレームも相当細く
て済む。ミスリル様々である。
﹁一番の難所はクリア、か﹂
手をこすり息で温めつつ、自分の機体を見上げる。
あとは機器を順番通りに詰め込むだけだ。設計図面の段階で手順
767
まで計算されている、あとは確実にこなすだけだ。
﹁もうすぐ完成?﹂
ソフィーが推力偏向ノズルの上で上半身を揺らし、重心を左右に
移動させてぎっこんばっこんゆらゆらとシーソーのように遊んでい
る。
﹁飛べるようになるのは、たぶんもうすぐだ。その後の調節が長い
よ﹂
推力偏向装置はソフィーの反対を押し切って実装された装備だ。
STOL
浮遊装置を載せないこの機体にどうしても求められる能力、それが
短距離離着陸能力である。
VTOL
この世界には滑走路など存在しない。全ての機体に浮遊装置が装
備され、垂直離着陸が出来るから。
しかしこの機体はそうはいかない。ならば、なんとか重量を増さ
ずに短距離離着陸する方法が必要だった。
その答えがベクタードノズルである。
実のところソフィーはこんな小細工なしで主翼をはためかせて短
距離離陸してみせたのだが、着陸はそうもいかない。エアブレーキ
にも限度がある。
エンジンの排気を逆噴射し急激に減速する機能と、上下のエレベ
ーターを行う能力。それだけの、簡素な推力偏向である。
左右のノズルを上下逆に偏向しロールを行う飛行機もあるが、こ
の機体は主翼を丸ごと捻ることが可能なのでロール速度に不満はな
い。あと複雑だと整備が大変、なんて切実な事情もある。
﹁練習、しておいた方がいいわよね?﹂
768
﹁練習?﹂
﹁そう、練習﹂
ゆーらゆーらと揺れつつ、腕を左右に伸ばし上下に振って翼のア
ピール。
操縦桿二本はやはりソフィーにとっても難儀なのだろうか。
あらだか
﹁荒鷹︵笑︶に乗りたいのなら事前に言ってくれれば準備するぞ?﹂
﹁それには及ばないわ﹂
? イメージトレーニングをしておく、ということか?
﹁そういえばお母さんがレーカを呼んでいたわ﹂
ぎこん、と傾いたノズルからずり落ちつつソフィーが告げた。
﹁アナスタシア様が? なんで?﹂
﹁さあ?﹂
そもそもお呼びがかかったのは何時間前だろう。ずっとフレーム
制作を行っていたし、ソフィーもその様子を眺めていたのだが。
手遅れかもしれないが、まあ急用ではないと推測される。俺がこ
こにいることは屋敷の住人全員が推測出来るはずだし。急ぎならあ
っちから来る。
﹁とはいえお待たせするわけにはいかないな﹂
769
機材を片付け格納庫の外へ出る。
外は白い世界へと変貌していた。
﹁雪? いつの間に⋮⋮﹂
さらさらと舞い降りる粉雪。地面の色が透ける程度しか積もって
おらず、ついさっきから降り始めたと思われる。
踏みしめただけで消える積雪。マリア曰くこの村の雪は積もるら
しいが、うむむ。
﹁積もるべきか、積もらぬべきか。悩むな﹂
雪合戦とかしたい。
﹁どっちみちレーカが決めることじゃないでしょう、雪が積もるか
どうかなんて﹂
俺の後を着いて外へ出たソフィーが、冷めた口調でぶったぎった。
﹁解らないぞ、この世界にはなんといっても神様がいるんだからな。
祈れば届くかもしれない﹂
﹁届きませんよ、神は個人に介入しないと説明したでしょう﹂
メイド服のキョウコと出くわした。
﹁今日はミニスカじゃないんだな﹂
﹁寒いです﹂
770
ごもっとも。
解析するとパンストを履いている。防寒対策か。
⋮⋮か、勘違いするな! 肉体を解析してもグロテスクなだけだ、
おれが解析で視たのは衣服だけだ! ちなみにキョウコの下着は黒
だ!
﹁み、見たいなら履きますよ?﹂
ロングスカートの端を摘み揺らすキョウコ。
﹁いや、こんな寒い日に足を出すのは体に良くないだろう。女性に
冷えは天敵と聞く﹂
雑念を振り払い彼女の健康を優先する。着飾る為に体調を崩して
は本末転倒だ。
﹁そ、そうですね。嬉しいです、私の体を気遣って下さって。とこ
ろで子供は何人くらい︱︱︱﹂
思考が熱暴走を始めたキョウコを無視し、俺は屋敷へと向かった。
ソフィーはさっさと温かい屋敷へと駆け込んでいた。
アナスタシア様の書斎の前の廊下に立つと、中から話し声が聞こ
えてきた。
771
内容までは判らないが、声質はアナスタシア様とガイルのものだ。
﹁⋮⋮よしっ﹂
扉に耳を沿わせる。
意味なんてない。ただの悪戯心である。
﹃⋮⋮人間大の人影が空を高速で飛んでいたそうよ﹄
﹃人間大?﹄
﹃手紙にはそう書かれているわ﹄
﹃人型機じゃなくて?﹄
﹃知らないわよそんなの﹄
あ。今の言い方、ソフィーそっくりだった。
てんし
﹃飛行可能な人間サイズの⋮⋮まさか、天師?﹄
﹃⋮⋮魔法至上主義者の残党だというの?﹄
﹃なんだか最近きな臭いな。どこもかしこも、怪しい動きをして︱
︱︱﹄
ガイルの声が途切れた。
と思いきや、バン! と扉が開く。
部屋の内側に転がり込む俺。俺を見下すガイル。
772
﹁⋮⋮なにをしている?﹂
﹁あ、怪しい動き﹂
カバティカバティカバティ。
誤魔化そうとする俺にガイルは拳を落としたのだった。
﹁はい、これが異世界に関する資料よ﹂
アナスタシア様に封筒を渡される。それなりの紙量が入っている
ようだ。
開けてもいいかと確認すると、すでに開封したと返された。
﹁ごめんなさい、レーカ君の用事なのだから開けるべきではなかっ
たかもしれないのだけれど⋮⋮﹂
﹁けれど?﹂
﹁気になっちゃった﹂
ぺろりと舌を出してウインクするアナスタシア様。可愛いからオ
ーケーです。
隣のガイルも真似してテヘペロ。うっぜぇ!
﹁長々と書かれていたけれど、つまり異世界に直接の関わりを示す
資料はなかった、という結論よ﹂
773
﹁その割には厚いですが﹂
封筒の中身を抜き、机の上に広げる。
これは⋮⋮スケッチ?
﹁異世界はあくまで物語の中や空論だけの存在だったわ。けれど、
セルファークでは時折、この世界にそぐわない違和感のある物が発
見されるの﹂
﹃存在しない量産車両﹄
これは⋮⋮日本では珍しくもない、普遍的な乗用車だ。
糸で留められているもう一枚の紙は、具体的な検証・解析結果が
纏められている。
﹃内燃式動力の車両。
モノコック構造であり部品も大量生産前提であるにも関わらず、
これを生産している国家、商会は存在しない。
また異文明の工芸品に共通することであるが、魔力を使用しない
科学燃料で動作する﹄
﹁こんな物が、実際にこの世界で見つかるんですか﹂
﹁技術転用されることもあるわ。次のスケッチの車両とかね﹂
自動車のスケッチ、その隣のイラストに目をやる。これは⋮⋮
﹃平面車輪を搭載した隻腕人型機﹄
774
⋮⋮つまりショベルカーだ。
﹃金属部品を連結した帯状の車輪により、優れた接地圧を実現。
土木作業に特化した、ショベル専用の腕を持つ。
人型機の方が遙かに効率的ではあるが、アームの設計を補助腕と
して流用可能。また、平面車輪も用途によっては有効と考えられる﹄
地面を走り回ることに関しては、人型機のあるセルファークには
適わないな。
﹁その次の紙なんて、セルファークでは絶対に有り得ない機体よ。
レーカ君の世界では本当にそんなものが運用されていたの?﹂
そこに描かれていたのは、形状は普通の飛行機であった。
﹃超巨大飛行機﹄
⋮⋮旅客機かよ。どうやって異世界に紛れ込んだんだ。
﹃読んで字の如く、巨大な飛行機。
浮遊装置は搭載されておらず、そもそもこれを制作した文明では
魔力装置が存在しないと推測される。
飛宙船より積載量が少ないものの、速度は圧倒的に勝る模様﹄
旅客機の最大の利点は速度だからな。物資を運ぶ分には地球でも
コンテナ船を使うわけだし。
飛宙船だって巡航速度はそう速くもないので、船の分野では地球
も負けてはいない。
775
ガイルが一枚の紙を手に取る。
﹁レーカ、この飛行機はなんだ? 随分思い切ったデザインだな﹂
示された紙を見つめ、思わず眉を顰める。
﹁なにそれ⋮⋮?﹂
﹁お前の世界の飛行機だろ?﹂
こんな航空機、俺は知らない。
無尾翼機からエンテ翼機に変形する可変機だ。コックピットのキ
ャノピーが存在しない。
﹁無人機か? 形状からしてステルス機だし、無人ステルス機なん
て作りそうな国といえば⋮⋮﹂
またあの国はトンデモ兵器を試作していたのかと、スケッチイラ
ストとペアとなったもう一枚の説明原稿を眺め、そして俺は呼吸を
忘れた。
違う。この飛行機を作ったのは、あの国ではない。
スケッチに記された機体、その主翼に描かれた見慣れた赤い丸印。
しんしん
﹃国産第八世代戦闘機 心神﹄
︱︱︱しらねぇよ、そんなの。
﹃我々の技術を超越した機体。不明な点が圧倒的に多く、下手に分
解しても修復不能に陥るだけと判断。技術力の進歩を待ち保管する
方針。
776
ただしコックピットの﹁動く絵﹂を操作することで、僅かながら
情報は得られている。
判明している事柄は以下の通りである。
第八世代戦闘機、という種の機体。
大気圏外離脱・飛行能力︵﹁大気圏﹂がなにを指し示す単語かは
不明︶。
﹁日本﹂なる国の所属。
ロールアウト 2112年。
無尾翼機とエンテ翼機を切り替える可変翼機。
エンジン形式は不明。吸気口は存在しない。
コックピットは外から内部が伺えない密閉空間だが、なぜか搭乗
者には外が視認可能。
以上﹄
⋮⋮出鱈目だ。
現在日本で運用されている戦闘機は第四世代だ。いつの間に世代
を四つも飛び越えた?
可変翼は⋮⋮まあいいさ。なにせ第八世代だ。変形くらいするだ
ろう。
コックピットはあるんだな。無人機のようにのっぺりとした外見
だが、まさか全てカメラで見ているのか?
いや、それら以上に明確な問題はここだ。
﹃ロールアウト 2112年﹄
﹁未来にもほどがあるだろ﹂
自動車もパワーショベルも、まあ旅客機もいいとして。
777
コイツは異質過ぎる。なぜ、俺の生きた時代より一〇〇年も後の
機体がセルファークに紛れ込んでいるのだ。
﹁そりゃあ、あれだ、異世界とセルファークの時間の流れのスピー
ドが違うんじゃないか?﹂
うらしま理論か。セルファークは地球より遙かに時間の進む速度
が遅く、俺がこちらで半年過ごす間に地球は一〇〇年経過していた、
という理屈だ。
﹁待って、この機体が帝国に発見されたのはレーカ君が異世界に来
る前よ? その節は否定されるわ﹂
用紙には発見日時、状況も記されていた。うむむ。
﹁異世界を渡る際、時間は一定しないとか?﹂
﹁異世界転移なんて、正直、私にもよく判らないわ。現時点では答
えを求めるのは無茶よ﹂
地球に戻りたい気はないのだが、この戦闘機︱︱︱心神が気にな
らないわけでもない。
﹁これって帝国にあるんですよね? 現物を見たりとかは出来ませ
んか?﹂
ガイル
﹁私かこの人、あとソフィーのいずれかが同行していれば、たぶん
許可は降りるはずよ。
ソフィーでもいいんだ。
778
いつか訪ねてみよう。帝国に眠る、日本製第八世代戦闘機を。
﹁それで、この手紙を渡すのが用件の一つ。そしてもう一つの用件
なのだけれど﹂
アナスタシア様は一枚の書類を取り出した。
﹁大陸横断レース未成年の部の受付がそろそろ開始されるわ。それ
に際し、そろそろ確認しておきたいの﹂
細い人差し指が指すのは、機体名記入欄。
﹁レーカ君。貴方の翼の名は?﹂
︱︱︱そろそろ、来るとは思っていた。
名前。その機体を象徴する、真っ先に注目されるステータス。
勿論考えていたとも。時に夜通し、時に風呂に浸かりながら。
﹁セルファークの飛行機は基本、漢字二文字。あの機体は複座です
から、俺とソフィーそれぞれを象徴する文字を選びました﹂
﹁子供かよ。︱︱︱俺は認めないぞ!?﹂
なにやら連想して唐突に叫んだガイルを押し退け、アナスタシア
様の続きを促す視線に頷き名を述べる。
779
﹁あの機体の名。それは︱︱︱⋮⋮﹂
マリアの言はまこと真実であり。翌朝、村は銀世界へと変遷して
いた。
﹁外は寒そうだな﹂
﹃こちらは中でも寒いですが﹄
シャベルを握り人型機で雪かき。操縦は久々なのでいいリハビリ
だ。
じゃけんひめ
﹁蛇剣姫には暖房がないんだっけ﹂
﹃動く以外の機能はありません。こんな日ばかりは、近代改修を考
えてしまいます﹄
てつあにき
鉄兄貴を駆る俺と蛇剣姫を操るキョウコ。元々こういう用途の為
に設計された鉄兄貴はともかく、最強最古が雑用をやっていると冒
険者達が知れば卒倒するだろう。
ざっくざっくと重い雪を片付ける。最初は粉雪だったのに、いつ
の間にかボタ雪に変わっていたようだ。
足元では冒険者志望三人組が雪遊びに興じている。
780
﹁雪合戦か、混ざりたいな﹂
三人なのでどうしても一対二になる。チーム分けはニール&マイ
ケルペアと、エドウィンぼっちチームだ。
意外にも善戦しているのは、普段大人しいエドウィンだった。
﹃彼は後方からの攻撃に適正があるようですね﹄
﹁だな。魔法が得意みたいだし、冒険者としてもそっち系を目指し
ているはずだ﹂
しかし所詮は前衛ありきで動く兵隊。
マイケルに距離を詰められ、雪を掴んだ手で殴られていた。それ
ありか?
ずっと伺っていたからか、三人が俺の、というか鉄兄貴の視線に
気付いた。
﹁レーカー! 何か作ってー!﹂
ニールが叫ぶ。何かってなんだよ。
キョウコに断りを入れ、雪を集めて山にする。
人型機と同程度の高さ、標高一〇メートルである。
﹁どーだ、ソリで滑るがいい!﹂
腰に手を当てて満足げに頷くも、子供達には不評だった。
﹁坂なら丘から滑ればいいじゃない﹂
﹁あ﹂
781
ここら辺の土地は平らじゃないからな、坂は幾らでもあるんだっ
た。
﹁ならこれでどうだ!﹂
雪山を削り、盛り、形作ってゆく。
完成したのは、氷の滑り台。
ただの滑り台じゃない。くねくねと曲がりくねり、バンクやルー
プといった面白要素も満載なスペシャル滑り台である。
つまり、傾斜の緩やかなボブスレーのコースだ。
満足してもらえたらしく、歓声を上げて嬉々とコースに入る子供
達。
子供達の後に続々と続き、歓声を上げて嬉々とコースに入る大人
達。
﹁おい﹂
なんで大人まで参加しているんだよ。
見渡してみれば、かなりの数の村人が集まっていた。
﹃農村は冬は退屈ですから。内職で貯金をするにしても、時間を持
て余すことは多いのです﹄
家畜でも飼っていれば世話で忙しいのだろうけど、ここでの肉は
狩りでの調達が基本だからな。
﹁ともかく、せっかく作ったんだ。俺も滑ってこよう﹂
鉄兄貴を駐機姿勢に下ろそうとして、蛇剣姫に手首を掴まれた。
782
﹃村の反対側の雪かきがまだです﹄
﹁⋮⋮。﹂
﹃まだです﹄
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
﹃まだです﹄
﹁⋮⋮うっす﹂
結局俺は遊べないのかよ、チクショー。
この村での銀景色が珍しいものでもなくなり、再び大人達が暇を
持て余し始めた頃。
屋敷で小さな事件が起きた。
﹁そろそろ完成だな﹂
783
徐々にイメージへと近付いていく機体を見上げるのは、もはやこ
の格納庫での癖だ。
航空機は莫大な数の部品の集合体だ。分解状態では格納庫を圧迫
していたパーツが、みるみるこの小さな機体に収まり消えていくの
はなんだか面白い。
設計段階で組み立て手順まで考慮しているとはいえ、やはり新造
機。予想外のトラブルや試行錯誤に制作はなかなか進まない。
荒鷹をコピーするのにも一週間かかったが、さてこいつの組み立
てはどれだけかかるかな。
﹁そろそろ晩飯の時間か、よっしゃもう一踏ん張りだ!﹂
気合いを入れ直し、背中をググッと反らして伸び。
格納庫から屋敷の食堂へ向かうと、アナスタシア様と出くわした。
﹁あれ、どうしてここに?﹂
﹁レーカ君、ソフィー見なかった?﹂
﹁え︱︱︱見ていませんが﹂
最後に目撃したのは昼過ぎ、外でソフィーとマリアが雪だるまを
作っていた。
﹁マリアに訊いてみては?﹂
﹁もう訊いたわ﹂
﹁⋮⋮いないんですか?﹂
784
﹁ええ﹂
平静の中に微かに焦燥を孕むアナスタシア様の様子に、それが滅
多にないことなのだと気付く。
﹁大丈夫よ、人見知りのあの子がこんな時間帯に外に出るとも考え
にくいわ﹂
自身に言い聞かせるような言葉だが、俺はそれを否定しなければ
ならなかった。
﹁⋮⋮いえ、出ているようです﹂
解析魔法で屋敷全体をサーチする。
﹁いません。格納庫にも、地下にも、この屋敷の敷地内にソフィー
はいません﹂
夕食給仕の準備を行っていたキャサリンさんも含め、キョウコ以
外の屋敷に住まう全員がリビングへと集まる。
﹁むやみに大事にするのもあれだから、まず確認しておこう。誰か、
ソフィーの居場所に心当たりはないか?﹂
785
ガイルが一同に問うも、返答はない。
﹁⋮⋮レーカ。屋敷にいないのは確実なんだな?﹂
﹁ああ。建築物の中にはいないし、地下も屋根の上も反応ナシだっ
た﹂
﹁地下? この家に地下なんて⋮⋮﹂
﹁階段裏の小さな物置のことでしょう?﹂
アナスタシア様が割り込む。
﹁あそこは少し下るから、地下と言えなくもないわね﹂
﹁え、ええ。そこです﹂
困惑しつつも話を合わせる。地下室の存在を誤魔化した?
あの巨大魔法陣の実験は、ガイルには無断で行っているのか?
﹁解析魔法は屋敷の外周も調べたの?﹂
﹁ええ、壁から一〇メートルほどまで探しました﹂
ドアがノックされ、﹁失礼します﹂との声と共にキョウコが入室
してきた。
﹁エアバイクで屋敷周辺の見える範囲を確認しましたが、それらし
い人影はありませんでした﹂
786
屋敷にも屋敷付近にもいないのか、これは本当におかしい。
﹁⋮⋮自発的にどこかへ行ってしまったか、事故、怪我をして動け
ない、というあたりか﹂
最悪の結末に関しては誰も話さない。
マリアが小さく手を挙げる。
﹁人攫い、って可能性はどうですか?﹂
空気が一気に重くなった。
一転した部屋の雰囲気にマリアは困惑する。
マリアはきっと、人攫いが攫った人間をどのような用途に﹁使う﹂
かを知らないのだろう。
﹁というか、セルファークにもいるのか?﹂
﹁⋮⋮いるぜ。大戦が終わってからは両軍が積極的に討伐と摘発を
行っているが、そういう輩はゴキブリのように生き残りやがる﹂
忌々しげに唸るガイル。そういう存在がすこぶる嫌いなのだろう。
﹁えっと、でも人攫いなら少なくとも無事でしょうし﹂
そういう考え方もあるか。
﹁ああ、少なくとも生きてはいるだろうな﹂
無事かは判らないが。
787
﹁俺は村に降りて、家を全て解析魔法で洗います。⋮⋮誰かの家に
遊びに行っているだけ、ってこともありますから﹂
﹁レーカ、コピー荒鷹は使えるか?﹂
﹁クリスタルを装着すれば﹂と返答すると、ガイルは﹁借りるぞ
!﹂とだけ叫んで部屋を飛び出して行った。空から探すつもりだろ
う。
次に立ち上がったのはアナスタシア様だ。
﹁私はレーカ君と一緒に村に降りて、広範囲索敵魔法で探してみる
わ﹂
索敵魔法を人探しに流用するのか。
﹁ならば私は街道を辿って探してみます。人型機ならば道を人が通
過した痕跡を調べながら歩けますから﹂
﹁路面を観察するなら人型機よりエアバイクの方が⋮⋮ああ、寒い
か﹂
﹁それもありますが、賊との戦闘もあり得るので。フランベルジェ
を装備した鉄兄貴で出ます。鍵を﹂
俺の機体じゃないが、なぜか俺も合い鍵を持っているのでそれを
投げ渡す。
一礼して廊下に消えた後、タタタタと駆け出すキョウコ。
﹁な、なら私は﹂
788
﹁私達は留守番だよ、マリア﹂
キャサリンさんが娘の肩を掴む。
﹁でもっお母さん!﹂
﹁残念だけれど、私達はどこまでいっても非戦闘員なんだ。こうい
う時に動くと返って周りに迷惑をかけちまう﹂
﹁そんな⋮⋮こと﹂
私情を仕事中に持ち出さないキャサリンさんには珍しく、母親と
して娘にニカッと笑ってみせる。
﹁それに、屋敷に誰もいなけりゃソフィー様が自力で帰ってきた時
に困っちまうだろ? 待つのも大切な役割さ﹂
﹁︱︱︱いない﹂
村の広場。ここが村の中心だ。
くるりと回転し村の全てを解析する。
他人の生活を覗くなんて実悪趣味だが、今回ばかりは勘弁願いた
い。
789
﹁レーカ君、近くに来て。広域探査を使うから魔力は控えて欲しい
の﹂
﹁わかりました﹂
アナスタシア様が案内板に触れると、空気が少し変わった。
﹁今のは?﹂
﹁⋮⋮生活を守る為の結界を、いったん解除したの。索敵魔法の邪
魔になるから﹂
続いてアナスタシア様が呪文を唱えると、うっすらと光る魔法陣
が足元に浮かびあがった。
﹁﹃タクティカル・サーチ!﹄﹂
魔法陣の外周が弾け、光のラインが地を走り円が広がっていく。
暫しの間。
集中を乱さぬようにと彼女を視界から外し背を向けていたのだが、
背中から聞こえた溜め息で俺は魔法の失敗を悟った。
視線を戻すと、からんからんと杖が俺に足元に転がってきた。
崩れるように広場のベンチに座るアナスタシア様。
杖を拾い上げ歩み寄るも、なんと言えばいいのか解らない。
﹁ソフィー﹂
アナスタシア様がぽつりと呟いた。
790
﹁あの子は私達にとって︱︱︱いえ、﹃我々﹄にとっての希望なの
よ﹂
⋮⋮﹃我々﹄? 我々って?
﹁⋮⋮失言だったわ。忘れて頂戴﹂
そういわれても。
﹁最低の母親ね、私﹂
﹁は、ぁ。意味が解りません﹂
なにやら落ち込んでいるが、なんと返せばいいものか。
﹁私はね、世界とあの子を天秤にかけようとしているの﹂
夜空を見上げ懺悔を始めたアナスタシア様。
﹁いつの日かその時がきたら、﹃お母さんのことを恨んでいい﹄っ
て伝えて﹂
溢れんばかりの愛情を抱いていて、なにいってんだ、とちょっと
頭に来る。
アナスタシア様がソフィーに対して何かを抱いているとしても、
彼女がソフィーを全力で想っていることは疑いようがない。
だから、俺はこう応える。
﹁了解です、﹃お母さんは貴女を愛している﹄と伝えます﹂
791
﹁ふふっ、ありがと﹂
笑ってくれた。やっぱり美人は笑顔が一番だ。
天空の騎士様
﹁レーカ君はいい天士になるわ﹂
風が俺達の髪を揺らした。
初めは気にしなかったのだが、風は一定のリズムで空気をかき乱
し、やがては﹁ばっさばっさ﹂という音まで聞こえてきた。
アナスタシア様と顔を見合わせ、同時に上を向く。
ワイバーンがここに降下してきていた。
ピンと来た。というか、来ない方がおかしい。
﹁ま た お ま え か﹂
﹁な、なに!?﹂
﹁ロリゴンです﹂
﹁ロリゴン?﹂
頷き、﹁はい﹂と肯定する。
﹁ロリコンドラゴン︱︱︱略してロリゴンです﹂
﹁ああ、以前ソフィーを攫った変態ワイバーンね﹂
あ、今、アナスタシア様の声で変態って単語を聞いて、ちょっと
ドキッとした。
792
終わってみれば、つまらない事件の真相だった。
ソフィーはロリゴンに翼での飛び方を習っていたらしい。
ソフィーが天才とはいえ、自由に動かせる翼での飛行経験が豊富
なわけではない。
そこで、ワイバーンの背に乗って曲芸飛行をしてもらうことで翼
での飛行を学ぼうとしたのだ。
﹁そ、そう、貴女って子は、まったく⋮⋮﹂
俯いてぶつぶつ唸るアナスタシア様。いかん、逃げろ。
﹁ここに座りなさい、ソフィ︱︱︱︱︱︱!!!!!﹂
溢れきった愛情が炸裂した。
普段の穏やかさをかなぐり捨ててガミガミとソフィーを叱るアナ
スタシア様。
カーチャンだ。今のアナスタシア様はお母様ではなくカーチャン
だ!
ソフィーが涙目で助けを求める視線を向けてくるが、皆に心配を
かけたことは間違いないので気付かぬフリ。
ソフィーの隣で器用に正座してしょぼくれているワイバーンは正
直、何事かと集まってきた村人達を怖がらせるだけなので帰ってほ
しい。
一通り叱り終えた後、気が抜けてへたり込んでしまったアナスタ
シア様を背負って屋敷へ戻る。
そこで玄関で寒い中待ち続けていたマリアを見て、ソフィーは泣
793
き出してしまうのであった。
子供ってそんなもんである。
﹁そういえばガイルとキョウコに、解決したって連絡しないと﹂
﹁そうね。私はもう少しソフィーを叱っておくから、レーカ君お願
い出来る?﹂
ガビーンとショックを受けるソフィーを尻目に、俺は再度村に降
りて時計台に住むレオさんからクリスタル共振通信機を借りた。
借りた、が。
﹁キョウコには通じたのですが、ガイルには通じませんでした⋮⋮﹂
﹁時計台の大出力通信機で届かないってことは、相当離れた場所ま
で飛んでいったようね﹂
連絡が付かなかった旨をアナスタシア様に報告する。
﹁そのうち帰ってくるでしょう。気にしなくていいわ﹂
﹁えっ﹂
結局、ガイルが帰宅したのは翌日の昼過ぎだった。
794
冬も深まり年の数字が変わる頃。
屋敷の住人が全員集結し、その白い翼を見上げていた。
﹁綺麗ね。初作品とは思えないわ﹂
今まで完成した時のお楽しみと称して格納庫に踏み入らなかった
アナスタシア様。
にも関わらず格納庫にいるのは、つまりその時が来たからである。
﹁まだ完成じゃないのよね?﹂
マリアが首を傾げ、キャサリンが応える。
﹁飛行機作りでは最後に大事な行程があるのさ。船の初出航で船首
に酒瓶をぶつけたりするのと同じだ﹂
カナード翼から登り、ソフィーを手招きする。
﹁ソフィー、おいで﹂
手を差し伸べて彼女をエスコート。
コックピット傍らに座り、彼女と共にクリスタルを持つ。
手の平サイズの石を二人で持つのはかえってやりにくいが、この
795
作業は俺達でやらなければならないのだ。
この飛行機は、俺とソフィーの翼なのだから。
﹁いくよ﹂
﹁うん﹂
シールドナイトのクリスタルを共に台座に押し込む。
カチ、と音がして、クリスタルは機体の一部となった。
小さく感嘆の声が格納庫に上がる。
﹁おめでとう、レーカ君。これで貴方の飛行機は完成ね﹂
﹁ありがとうございます﹂
小さく拍手するアナスタシア様。
﹁大したもんだ。感じるぜ、こいつは常識とかそういうのを越えた
機体だ﹂
﹁はい。真新しさに似合わぬ圧倒的なオーラです。こういう機体は
珍しい﹂
銀翼二人も賞賛してくれる。見て解るのかよ敵のスペックが。
﹁ま、お前さんにしちゃあ上出来だと思うさ﹂
キャサリンさんも率直に⋮⋮とは少し言い難いながらも褒めてく
れた。
796
﹁私も間接的だけどサポートしたわ﹂
﹁ああ、よくやったよくやった﹂
﹁ありがとマリア。差し入れとか嬉しかったぞ?﹂
キャサリンさんと二人でぽんぽんとマリアの頭を撫でる。
本当に感謝しているからふてくされるなって。
もう一度機体を見つめる。
真っ白な前進翼機。機体後方から主翼が前方へ向かって伸び、風
防の横の吸気口にはカナード翼が設置されている。
エンジンは単発。上下と逆噴射のみが可能な簡易推力偏向装置を
装備。
垂直尾翼は機体後方と主翼左右中間のなんと三枚も。これはヨー
イング⋮⋮横スライド方向の動きが、強化された他の部分と比べて
弱いというソフィーの要望から追加された。
こだわったのは無論、機体の軽量小型化だ。
機体の大きさ、太さを決めるのはエンジンとコックピットだ。魔
界ゾーンラムジェットエンジンは幸い細長いエンジンだし、搭乗者
が子供であることからコックピットをサイズダウンすることに成功
した。
ジェット機としては極めて小さな機体にミスリルのフレーム。こ
れらにより、機体重量は約3トン半に収まったのである。
﹁これが、私の翼﹂
カナード翼の上に立つソフィーが、そっと機体に寄り添う。
﹁これからよろしくね。私の︱︱︱﹂
797
俺の持つ技術の粋を集結した、この数ヶ月の努力の結晶。
胴体側面に描かれた二文字。
白亜の少女と鋼を愛する男。それぞれから一文字ずつ取り、この
飛行機の名とした。
機体名をソフィーと一緒に読み上げる。
しろがね
﹃︱︱︱白鋼﹄
機体重量 3525kg
機体全長 6,76m
機体幅 前進翼時 11,114m
エンジン出力 ハイブリッドAB時 約150kN 最高速度 M2,6
推力重量比 4,2:1
後に様々な偉業を成し遂げ、セルファークに知らぬ者のいないほ
どの勇名を轟かす純白の翼。
いつか伝説となる白き機体は国境の小さな村の片隅で、静かに世
界に生まれ落ちたのだった。
798
粉雪と白亜の翼︵後書き︶
推力重量比が変態的な数字になってしまいました。スペースシャ
トル越えてます。
まあ、レース機なのでペイロードが存在せず数字が跳ね上がった、
ということでひとつ。
これだけ大出力なのに最高速度がM2,6止まりなのは、機体表
面が耐えきれないからです。
799
音の壁と月の世界
﹁もー既にー今日はー、おーしょーおーがーつぅー﹂
カツンカツンと響く木槌の音。
﹁おしょーがつにはー飛行機上げてぇー﹂
ノミ
目の前には大理石。歪な形のそれを、俺はひたすら鑿で整え続け
る。
﹁記念碑立ててー遊びましょー﹂
﹁なにやってんだ、お前?﹂
せきひ
石碑を掘る俺の背後からガイルが訊ねてきた。
しろがね
﹁白鋼が初飛行した記念すべき日の、記念碑を立ててるんだ﹂
﹁形から入るな!﹂
800
ソードシップ
白鋼の格納庫。しかし、俺が対峙しているのは飛行機ではない。
うつ伏せに倒し台座に乗せた蛇剣姫の整備をしているのだ。
﹁いいのですか? 連日、飛行機のテストで忙しいようでしたが﹂
流石にメイド服を脱ぎ蛇剣姫を弄るキョウコ。いや、素っ裸じゃ
ないぞ? ツナギ姿だ。
﹁いいのいいの、息抜きだし﹂
白鋼が完成しひたすら実験の繰り返し。慎重に、機体の限界を確
かめるようにテストテストテストの毎日である。
安全の為に浮遊装置を背負い、起動しつつゆっくりと飛ぶ。
楽しくないわけではない。が、ずっと続けるにはチトきつい作業
だった。
データは大事だ。生のデータはこうやって確実に収集しなければ
ならない。
が、飽きるッ!
途中興味深い第三の飛行形態を発見したりしたが、さすがに疲れ
た。
だからこそ息抜きである。
﹁そろそろ全力飛行がしたい﹂
おー、ここはカストルディさんの仕事だな。相変わらず顔に似合
わず繊細な仕事だ。
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
蛇剣姫のコックピット、頭部を見やる。
801
﹁なぁ﹂
﹁はい?﹂
ソードシップ
ストライカー
﹁飛行機が人型機に変形したら、格好いいと思わないか?﹂
変形メカはロマンである。
ソードストライカー
﹁半人型戦闘機ですか?﹂
ストライカー
﹁ソードストライカー?﹂
ソードシップ
戦闘機+人型機か?
初めて聞いた。ちっ、もうあったのか。
﹁架空の兵器ですよ。実用どころか実験段階ですらまともに動いて
いません﹂
マジで想像レベルだな。
﹁元より陸上兵器を空へ上げよう、という時点で無茶なのですよ﹂
地球でもあったな、戦車に翼を付けて飛ばそうって発想が。
なんと日本でも計画されていた。アホか。
﹁いや、だが﹂
無茶。無謀。そんな言葉に技術者達は挑み続けてきたのではなか
ろうか。
802
﹁面白い。なかなか発展性のあるアイディアだと思うのだが﹂
﹁半人型戦闘機が、ですか?﹂
ぽけっと呆けた顔を晒すキョウコ。
﹁無理ですよ、前進翼とは難易度が違います。現実的ではありませ
ん﹂
﹁残念ながら、やってみて失敗しないと納得しないタイプなんだ﹂
﹁難儀ですね﹂
俺はその晩、物は試しと白鋼の図面を引き直し︱︱︱
︱︱︱その高過ぎる難易度に頭を抱えるのであった。
手足が飛行機の時に完全にデットウェイトだ。飛ばすには重過ぎ
るし、軽くすれば人型機として自立出来ない。それに飛行機として
の性能が下がって、飛べたとしてもすぐ負ける。
中途半端な兵器は失敗する。第二次世界大戦からの教訓はまっこ
と真実であると、しみじみと再認識するのであった。
ところで、地球での戦闘機は自力でエンジンをかけられないこと
が多い。
803
自動車におけるセルモーターに該当する、エンジンを始動させる
機構がないのだ。
なにせモーターは金属の塊、かなり重い。離陸前にしか使わない
ものにそれほどの重量を割くのは無駄だろう。
ならばどうするか。当然、外部からコンプレッサーなどで点火す
るのだ。
古い機体であれば人力でレシプロエンジンを始動することもあっ
たが、現代ではだいたい他力本願である。
ではセルファークではどうか。基本はこちらも同じだ。
しかしこの世界には便利なものがある。
魔法である。
短時間であれば機械以上の作業もこなせる魔法は、セルファーク
における航空機の利便性・汎用性に貢献している。
だが白鋼の場合、始動に魔法すら必要ない。
スロットルを踏み込むだけでエンジン始動。高レスポンスの機敏
な制御はロケットエンジンの特徴だ。
と、まあ御託はいいとして。
俺達はこれから、ある試験飛行に挑むのだ。
エアバイクで白鋼を格納庫から牽引する。
コックピットの縁に飛び乗ると、既に前席に座るソフィーと目が
合った。
﹁ご機嫌いかが?﹂
﹁ぼちぼちでんな﹂
肩を竦めてみせる。まさかソフィーがおどけるとは、機嫌がいい
みたいだ。
後部座席に身を滑り込ませ、ついでに後ろからソフィーの頭を撫
でておく。
804
﹁レーカは私に一方的に悪戯出来るのに、私は前しか見えないって
理不尽ね﹂
頭をさすりつつ不満げに振り返るソフィー。
﹁諦めろ。こればかりは後ろの特権だ﹂
やろうと思えばもっと悪戯らしい悪戯も可能だが、やればただの
変態なのでソフィーが大人になるまで自重する。
主電源を入れる。
各部のモーターやセンサーが起動し、魔力導線がクリスタルと無
機収縮帯を接続する。
垂れていた翼がピンと持ち上がる。
﹁エンジンコントロールユニット、オン﹂
レバーを跳ね上げる。
複雑なこの機体のエンジンは魔導術式で半自動制御される。マニ
ュアルでの介入も可能だが、機体の維持に俺は結構忙しいのだ。
俺とソフィー両名で操作して初めて全能力を発揮する白鋼だが、
ソフィー一人での操縦も勿論可能。
いつまでも俺とソフィーが共にあるとは限らない。将来的にはソ
フィー単独で一から十まで制御出来るようになるのが理想だが⋮⋮
ロケット
制御はともかく整備を出来る人材がいないだろうな。
エンジンパラメーターに﹃Rocket﹄の表示。
時速一〇〇キロ以下では水素ロケットとしてしか駆動しないこの
エンジンは、プロペラントが五分しか確保されていない。
つまり、五分以内に飛び立たなければならないのだ。
⋮⋮短いように思えるが、実際に飛行してみるとむしろ長過ぎる
805
気もした。
ソフィーがスロットルを踏み込み、水素と酸素が燃焼室へ供給さ
れ炎を吹く。
ゆっくりと前進する白鋼。
﹁エンジンに時間制限があるとはいえ、あまり焦るなよ。この機体
の足はあまり頑丈ではないんだ﹂
﹁荒っぽく乗ることはあっても、雑に乗ったことはないわ﹂
車輪
軽量化の為に簡素に仕上げられたギアは、最低限の強度しか持ち
合わせていない。
不整地を想定してサスペンションと空気圧はかなり柔らかく調節
されているのだが、強度そのものは下手な着陸を行えばへし折れる、
そんなレベルだ。
丘を作り替えたスキージャンプ滑走路に進入。なんてことはない、
ただ地面を均した坂道だ。
気をつけろよ
﹃GoodLuck﹄
荒鷹︵笑︶で上空待機するガイルがお決まりの願掛けを呟く。
戦闘ではなく試験飛行なのだから大袈裟ではないか、と考えて頭
を振る。
そうじゃない。白鋼はまだ未完成なんだ、何度も試験飛行に成功
しているからって油断するな。
これから白鋼が挑むのは、多くのパイロットの命を奪った﹃壁﹄
だ。
ゴーグルを装着。
キャノピー越しに空を舞う荒鷹︵笑︶にサムズアップ。パイロッ
トといえばこれ。
806
タキシングを終えエンジンスロットルが徐々に解放される。
航空機は普通はフルスロットルで離陸する。静止状態から離陸速
度まで重い航空機を加速させるには、それくらいしなければならな
いのだ。
それは白鋼の場合でも同じ。最大出力150kNという化け物エ
ンジンであっても、静止状態では水素ロケットの最大出力、40k
N程度しか出せない。
もとより水素ロケットの役割は極低速での始動と、アフターバー
ナー的な加速装置に限定される。このエンジンの本気はラムジェッ
トエンジンとなってからだ。
置いて行かれようとする体がシートに押し付けられ、速度は数瞬
で時速一〇〇キロを突破。機体が軽いので加速も早い。
表示が﹃Ramjet﹄に変化。
吸気口から大気の吸い上げが開始され、酸素濃度を調節された空
気が燃焼室へと飛び込む。
若干、体への負担が減る。ラムジェットエンジンとて高出力のエ
ンジンだが、水素ロケットよりは劣る。
振動の質が変化した。タイヤが地面から離れたのだ。
﹁テイクオフ、ギアアップ﹂
ソフィーは気にした様子もないので俺が操作する。ナビは大変だ
ぜ。
尚も加速する白鋼。地面スレスレで飛行したのち、そのまま滑走
路は途切れ上昇へと移行した。
﹁⋮⋮何度やっても思うけど、これ離陸じゃなくて発進だよな﹂
﹁違いが判らないわ﹂
807
滑走から一切機首上げしていないし、マスドライバーから射出さ
れるシャトルの気分だ。
V1とかVRとかV2とか言ってみたいよ。
﹁そもそも﹃かっそうろ﹄を使う必要って有るのかしら? エンジ
ンの力ですぐに飛んじゃダメ?﹂
水素ロケットエンジンでも推力重量比は1を越えているので、一
応垂直上昇は出来る。
出力不足でほとんど昇っていかないけれど。
﹁そのエンジンのテストをこれからするんだから。なんだかんだで
負担が掛からないのは通常離陸だぞ﹂
セルファークで運用しようと思えば、結局はSTOLを多用する
ことになるだろうが。
﹃そのまま高度を一〇〇〇メートルにまで上昇だ﹄
﹁了解﹂
平行して飛行する荒鷹︵笑︶と共に、空高く昇っていく。
﹃このまま海に出るまで直進だ。今のうちに今回のフライトプラン
を確認しておこう﹄
﹁うん﹂
﹁りょーかい﹂
808
超音速
ソフィーは両手が塞がっているので俺が資料に目を通す。
巡航
﹁試験内容は超音速飛行と、アフターバーナーなしでのスーパーク
ルーズの挑戦﹂
遂にこの試験だ。余計な重りかつ空気抵抗を背負っては性能試験
にならないので、今回は浮遊装置を背負っていない。
高度が上がるにつれ対比物である地面から離れて体感速度は遅く
なっていくが、速度は時速九〇〇キロに迫っている。
音速への挑戦。白鋼にとって初の全力運転テストである。
﹃通信には常に留意しておけ。周囲に航空機がいるかどうかを判断
する、数少ない情報だからな﹄
﹁了解﹂
いつになく真剣なガイルの声色に、自然俺達の表情も引き締まる。
地図から計算すると、試験飛行予定空域まで数分かかりそうだ。
﹁ソフィー、操縦が大変なら後退翼にしてもいいんだぞ?﹂
最も浮力が大きくなるのは前進翼だが、その特性故に挙動は不安
定となる。
常に小刻みに動くカナードがその証拠だ。動きにカウンターを当
てて修正し続けるなんて、アナログでやろうと考えること自体馬鹿
げている。
時速九〇〇キロも出ていれば後退翼でも充分浮いていられる。無
理して前進翼で居続ける理由はない。
﹁平気よ。このくらいならむしろウトウトしちゃうくらい﹂
809
﹁⋮⋮居眠り運転は勘弁してくれよ、運転手さん﹂
﹁話し相手がいれば眠くならないんでしょ? ナビゲーターさん﹂
白銀の地平線がやがて水平線へと変化する。
迫る海岸線は、あっという間に後方へと流れていった。
ここから先は煌めく海面の眩しい水の世界だ。
﹃予定空域に到達。いけるか?﹄
解析で機体を調べつつメーターの数値も確認する。オーケー、問
題ない。
﹁ソフィー﹂
﹁うん﹂
彼女もいいみたいだし、あとは決行するのみ。
﹁白鋼は試験飛行に入る! 高度一〇〇〇メートルにて超音速域の
飛行を行うので周囲の空域に存在する船舶はご注意を!﹂
﹃りょ∼かい、気をつけろよ﹄
﹃高度下げとくぜ、墜ちてくるな﹄
顔も見知らぬ天士達から返事があった。彼らの空に国境線などな
いらしく、広域通信では雑談や口喧嘩もよく聞こえてくるものだ。
管制官などいない空の安全、互いに注意しあって守るしかない。
810
現時刻をレポートに書き込み、ソフィーに合図する。
﹁やってくれ﹂
﹁︱︱︱白鋼、高速飛行形態!﹂
ソフィーの操作に従い、無機収縮帯が稼働。
前方に伸びていた主翼は斜め後方まで後退し、僅かに下へ傾く。
更に翼の中程が内側へ畳まれ、カナード翼は翼長が通常の半分に
短くなる。
全体的に矢に近いシルエット。前面投射面積を減らし音速の壁を
破る為の形態、それがこの高速飛行形態だ。
グン、と加速する機体。
ほうこう
絞られていたスロットルは解き放たれ、速度が上昇すればするほ
どラムジェットエンジンは歓喜の咆哮をあげる。
前方からの風圧により空気を圧縮するラムジェットは、速度が上
がれば上がるほど効率が良くなる。
ちらちらとコックピットの周囲に白い雲が纏い出した。
後ろを振り返れば、白鋼の後部丸い雲が発生している。
﹁ヴェイバーコーンってやつか⋮⋮﹂
飛行機の衝撃波によって、機体後方に水蒸気の雲が円錐状に形成
される現象。それがヴェイバーコーンだ。
よくソニックムーブと勘違いされるが、音速以下でも発生する現
象である。
﹁九五〇キロ︱︱︱﹂
速度を読み上げる。
811
既に音速に片足を踏み込んだ、所謂亜音速を越えている。もう挑
戦は始まっているのだ。
音速とは時速約一二二五キロを指す。温度や気圧によって変化す
るが、だいたこのくらいだ。
学校などでは秒速三四〇メートルと習うっけ。こちらの方がイメ
ージしやすいかもしれない。
音速付近のことを遷音速、音速より遅い六〇〇キロあたりを亜音
速、一二二五キロ以上を超音速と呼ぶ。
超音速という単語を聞けば音速の数十倍といったイメージを抱か
せるが、実はマッハ1以上はマッハ1,5であろうがマッハ10で
あろうが超音速なのである。
まあ、マッハ5以上を極超音速と呼んだりもするけど。
﹁一〇〇〇キロ︱︱︱﹂
一秒間に三四〇メートル進む速さ。遅いか速いか感じ方は人それ
ぞれだろうが、航空史においてこの速度はまさしく壁であった。
単にエンジン性能による速度の目標ではない。音速より遅いか速
いかで、航空力学は激変するのである。
ビリビリと機体が震え始める。音の壁が、遂に姿を現し始めた。
﹁一〇五〇キロ︱︱︱﹂
音とは﹃移動﹄ではなく﹃伝播﹄する波だ。
そしてその性質と有り様は、水中にて発生する波と類似、という
か酷似している。
当然だ。媒体が異なるだけで、同じ現象なのだから。
つまりは船の舳先だ。水をかき分ける先端で発生した波は、船の
速度が波のスピードを上回るが故にひたすら船体へぶつかり続ける。
機体の振動はより一層激しくなる。俺の設計が間違っていれば、
812
この機体は次の瞬間空中分解してもなんらおかしくはない。
﹁一一〇〇キロ︱︱︱﹂
この際発生する、波の折り重なった壁。それこそソニックムーブ
なのである。
人類が空に挑み、そしてぶちあたった第二の試練。
多くのパイロットを飲み込んだ悪魔は、まさに目の前に大口を開
けて控えている。
﹁一一五〇キロ︱︱︱﹂
加速が、止まった。
あと七五キロ。ほとんど壁となり果てている衝撃波は白鋼を揺さ
ぶり、切り裂かんと口角を吊り上げている。
﹁ソフィー!﹂
﹁⋮⋮うん﹂
ここにきて出力不足などありえない。
踏みとどまったのは、ソフィーの意志だ。
だけど彼女も判っているはず。音と併走する遷音速こそ、衝撃波
が後方へ置いて行かれることもなく危険なのだ。
躊躇ってはならない。退くか進むか。
振動という振動が機体を囲い、内部まで破壊せんとする。
﹁いきますっ﹂
結局のところ、明確な解決法など存在しない。
813
﹁一一六〇︱︱︱﹂
エリアゾーン等、超音速で自在に飛ぶ技術は幾つも提案されてき
た。
﹁一一七〇︱︱︱﹂
しかしそれでも尚、音は壁として立ちふさがり続ける。
﹁一一八〇︱︱︱﹂
数多のテストパイロット達に不可能だと断じられた壁。
﹁一一九〇︱︱︱﹂
つまるところ、壁なんて存在しなかったのだと俺は思う。
﹁一二〇〇︱︱︱﹂
世界最速の人類。その栄誉を手に入れる為に必要だったのは、ほ
んの僅かな勇気。
﹁一二一〇︱︱︱﹂
音の壁は、それを恐れる人々の内こそ存在した。 ﹁一二二〇!﹂
ただ、貫くだけ。
814
1225キロ
﹁︱︱︱マッハ、1!﹂
貫き受け流す。それだけが、人が音より速く飛ぶ方法だった。
急激に騒音が消えてゆく。
空気中からコックピットに到達する音が、機体に追いついていな
い。
機体そのものを伝導する振動まで消えるわけではないが、外部に
発生したエンジン音から白鋼は逃げ切っているのだ。
﹁これが︱︱︱超音速﹂
速度計はM1,2に達した。アフターバーナーなしでの超音速飛
行だ。
﹃惚けるのはいいが、スーパークルーズの試験もするんだろ? し
っかり記録取っとけよ﹄
ガイルの指摘に我に返り、解析やメーター等から得た情報を記録
していく。
﹁魔力消費量にも問題ない。長時間飛行し続けて、問題がないか確
認するぞ﹂
﹃直進していたら最果て山脈にぶつかるからな。少しずつ進路を曲
げて、一時間後にゼェーレスト村上空に戻るぞ﹄
﹁了解﹂
それから俺達は、しばしの超音速での遊覧飛行を楽しむのであっ
815
た。
エンジンへの解析魔法に集中していたので、楽しんでいたのは主
にソフィーだが。
﹁ガイル、あれなんだ?﹂
﹃あれじゃわからねーよ﹄
﹁九時方向のでっかいタワーだ﹂
左面に、空まで貫く巨大な柱が立っていた。
頂上は遠過ぎて見えない。月まで突き刺さっている?
まさか、月面行きの軌道エレベーター的なもの? この世界の技
術力はあんな代物まで建設可能とするのか?
﹃いや、あれは自然物だぞ?﹄
﹁あんな自然物があってたまるか!﹂
﹃ホントだっての⋮⋮あれは巨塔と呼ばれるダンジョンだ﹄
ダンジョン。RPGの定番、冒険者達の職場だ。
剣と魔法とくればあるいは、と思っていたが⋮⋮まさか本当にあ
るとはダンジョン。
﹃セルファークの何カ所かに点在する、超巨大ダンジョンだな。世
816
界の柱とも称される﹄
﹁お父さん、上まで登ったらなにかあるの?﹂
﹃月に徒歩で行ける﹄
なんの意味があるんだ⋮⋮三キロ登って三キロ降るとか、足がガ
タガタになりそうだ。
﹃無意味でもないぞ﹄
﹁なんで?﹂
﹃⋮⋮秘密﹄
なんじゃそりゃ? 奥歯に挟まるような気になる言いようだ。
﹁あれを超巨大と称するってことは、通常サイズのダンジョンもあ
るのか?﹂
﹃それこそ数知れないな。冒険者がいる町の近くには必ずダンジョ
ンがある﹄
ツヴェー付近にもあったのかな、調べとけば良かった。
﹁そもそもダンジョンってどうやって出来るんだ? 神様が作るの
か?﹂
﹃有力な説としては古代文明の遺跡だ、というのがある。中では貴
重な材料や道具が見つかったりするし、構造が明らかになんらかの
817
意図がある建築物だしな﹄
古代文明が作ったならやっぱり人工物じゃん。
﹃さあな、そもそも人じゃないかも﹄
なんとなくゴブリンちっくな魔物が遺跡で生活しているのを夢想
した。
﹁あり得なくもなさそうなのがファンタジーだ﹂
﹁ふぁんたじー、ってなに?﹂
む、ファンタジーの住人にファンタジーの説明ってどうやればい
いんだ?
返答に困ったので、とりあえず頭を撫でて誤魔化しておく。
﹃︱︱︱おい、変態が現れたぞ﹄
ぎくり。
﹁な、なにを言っている? 触ってないぞ? ホントダヨ?﹂
﹃お前じゃねぇよ⋮⋮ソフィーになにかしたのか!?﹄
いかん、墓穴を掘った。
狼狽した俺に変わり、返事をしたのは白鋼の運転手。
﹁後ろから一方的に体を触られたわ﹂
818
オォゥノォゥ⋮⋮
﹃⋮⋮⋮⋮。﹄
沈黙がむしろ怖かった。
﹃言い残すことはあるか?﹄
﹁許嫁とスキンシップしてなにが悪い!﹂
﹃そうか、ないなら黙って静かに死ね﹄
短い人生だった。
﹃ってそうじゃない。例のワイバーンが来たぞ﹄
﹁例の、って、ロリゴン?﹂
彼は遂に見つけた。
数ヶ月前に彼にぶつかってきた筒。
何度も低空まで降り、似た音を探してさまよった。
だがどれも違う。彼の優れた聴覚は、状況によって変化する音質
から共通部分を見い出し候補を選別していく。
途中人間のメスに気を取られたりもしたが、それでも目的を見失
819
いはしなかった。
そして遂に辿り着く。
白鋼に搭載された魔界ゾーンラムジェットエンジン。
そのラムジェット機構と、ハイブリッド状態のラムジェット音が
共通であることに。
随分と見た目が変わり速く飛ぶ筒になっていたが、それでも彼か
ら逃れ得るほどの速度ではない。
れいか
彼︱︱︱ソニックワイバーンは、獲物たる白鋼の上へと身を進め
るのであった。
その時点で、ガイルに指摘された零夏もようやく頭上の影に気付
く。
﹁例の、って、ロリゴン?﹂
コックピット内が影に暗くなる。
白鋼と荒鷹、そしてソニックワイバーンの奇妙な編隊飛行。
﹁いつの間に﹂
零夏は超音速巡航を行う白鋼に悠々と併走するソニックワイバー
ンに目を見開く。
﹁お迎え?﹂
頭上を見上げ首を傾げるソフィー。
ワイバーンはじろりと白鋼を眺め︱︱︱
﹁ッ! 逃げろっ!﹂
唐突に、炎のブレスを放った。
820
零夏はソフィーの操縦を無理矢理奪い、後部座席に据え付けられ
たラダーで機体を無理矢理スライドさせる。
﹁レーカ!? なにするのよっ!﹂
崩れた制御を咄嗟に立て直すソフィー。
﹁高速飛行形態では急旋回出来ないことは、レーカが一番判ってい
るでしょう!? 私の反応が少しでも遅れたらひっくり返っていた
わよ!﹂
﹁す、すまん﹂
ソフィーに強い口調で叱責され、思わず謝罪の言葉を紡ぐ零夏。
直後、白鋼が先程まで飛んでいた空間を炎が埋め尽くす。
﹁⋮⋮えっ?﹂
ワイバーンが放ったブレス。それは、明らかに白鋼を狙っていた。
﹁な、なんで?﹂
﹁この速度で吹き飛ばない⋮⋮半固形に近い燃料なのか?﹂
ナパームなんて飛行機に着火すれば消しようがない。触れればア
ウトだと零夏は直感した。
﹁次、来るぞ!﹂
ソフィーに制御を戻し、零夏は祈る。
821
所詮零夏はナビゲーター。操縦補佐と機体トラブルへの対応しか
出来ない。
緩慢に旋回する白鋼。この機体が高速飛行時に急旋回出来ないの
は、強度的な問題であるのと同時に動翼の半減という理由もある。
高速飛行形態ではカナードと垂直尾翼しか動かせない。⋮⋮もっ
とも、これらだけで通常の航空機と変わらない機動性は確保されて
いるのだが。
だが高速であるが故に、Gは見た目以上に大きい。 ﹁ガイル、助けてくれ!﹂
﹃解ってる! こっちだ、変態ドラゴン!﹄
白鋼の前方に躍り出る荒鷹。20ミリガトリングを外している荒
鷹にはワイバーンを倒すことは叶わないが、銀翼たるガイルの技量
であれば話は別だ。
巧みな操縦にてワイバーンの頭部を覆い、視線に割り込むことで
注意を逸らす。
目障りな荒鷹をロリゴンは振り払おうとするも、ガイルは紙一重
で回避して時間を稼ぐ。
﹃今のうちに逃げろ!﹄
﹁⋮⋮うんっ﹂
父を置いていくのかとソフィーは僅かに迷うも、自分に出来るこ
とはなにもないと割り切り離脱を試みる。
しかし、トラブルは荒鷹に発生した。
僅かな荒鷹のブレにガイルは気付き、零夏に叫ぶ。
822
﹃主翼を解析してくれ! どうなっている!﹄
言われるがままに零夏は解析魔法を発動し、そして唖然とした。
﹁右主翼のフレームが、折れかかっている﹂
﹃チッ、超音速でのシザーズなんてやるもんじゃないな!﹄
シザーズとは平行飛行での後ろの取り合いのことだ。もっとも、
ガイルは後ろではなく前を取ろうとしていたので全くシザーズでは
ない。
主翼を庇っていることで上手くロリゴンを誘導出来ないガイル。
それどころか白鋼を追従するロリゴン、それを追う荒鷹、という構
図となってしまった。
﹃偽装改造のせいじゃないだろうな!﹄
オリジナル荒鷹の印象を消す為に細部を変更したことが問題では
ないか、と難癖を付けるガイル。
﹁人聞きの悪いこというな! 主翼は翼端の形しかいじっていない、
フレームはオリジナルと変わらん!﹂
﹃なら試作機の初期不良って奴か! ギイハルトに要連絡だな!﹄
なるほど、と零夏は思わず納得した。軍の制作した機体だからと
安心していたが、荒鷹とてまだ未完成の機体だったのだ。
ところでギイハルトって誰だっけ、と零夏が失礼なことを考える
と同時に鈍い音と共に翼がへし折れる。クリスタル動力であるセル
ファークの戦闘機は翼から燃料が零れ落ちることはないが、超音速
823
で機体のバランスが崩れるのはあまりに致命的だった。
横スピンに陥る荒鷹。想定外の真横から風圧を受けた垂直尾翼が
曲がり、複雑な回転をおこし急減速する。
﹁お父さん!﹂
どんなパイロットであっても立て直すことは不可能な状況。
﹃こんのぉ!﹄
だがそれでも復帰するのが、銀翼の天使である。
ロールしつつ姿勢を脳裏に描き、現状生存している動翼のみで機
体を安定させる。
エンジンの片方を緊急停止させることでカウンターを当て、横倒
しの状態でようやく安定。
ナイフエッジに近い体勢に落ち着きつつも、速度は音速を下回り
一機と一匹に置いて行かれてしまった。
﹃くそっ! ソフィー、俺は離脱する! 白鋼は加速して逃げろ、
後退翼で旋回性能勝負しても分が悪過ぎる!﹄
﹁わ、わかった!﹂
ソフィーは躊躇いなくスロットルを踏み込んだ。
エンジンステータスが﹃Ramjet﹄から﹃Hybridーa
fterburner﹄へと変化。
主翼のエルロン部分と垂直尾翼の付け根の三カ所からアームが展
開される。
水素ロケットによる短時間加速が可能な白鋼にとって、アフター
バーナーは加速手段の一つでしかない。
824
試験においては低燃費スーパークルーズを行う為にアフターバー
ナーは未使用であったが、高速飛行形態は本来アフターバーナーあ
りきの形態なのだ。
三本のアームの内側に錬金魔法が展開される。
ラムジェットエンジンと水素ロケットエンジンの重ね合わせ。更
に排気後のガスを再燃焼し、白鋼は炎柱を吹き上げる。
劇的な、殺人的なまでの加速であった。
高い対G耐性を持つ二人にしても、苦悶を漏らすほどの重圧。常
人であれば失神あるいは内臓破裂は免れないほどのものだった。
﹁が、はっ⋮⋮﹂
﹁くぅぅ⋮⋮﹂
Gによって眼球の血液が頭の後方へと圧迫される。
毛細血管の血流が滞り、視界が暗くなる。
︵ブラックアウト⋮⋮!? 正面方向への加速で、かよ!?︶
飛行機が急旋回を行った際、パイロットは下半身へと血液が集中
し頭部の血が不足、その結果視界が暗くなったり意識を喪失したり
することがある。
それこそブラックアウト。戦闘機の機動性能に制限を与えた、人
体の限界である。
現状これを解決する方法はない。体を鍛え抜くか、対Gスーツを
着るか、無人機化するか、その程度だ。
余談だが、逆に上半身に血が流れ視界が赤くなることをレッドア
ウトと呼ぶ。
本来はループ機動で発生する現象が、正面への加速で再現される。
それだけでも白鋼の狂気の域に達した加速のほどは明らかだった。
825
狂ったように速度計が回る。
メーターがマッハ2,5に到達し、零夏はソフィーに叫んだ。
﹁スロットルを戻せ! 計算上の理論限界に達している!﹂
慎重に行うはずだった全力飛行。それをぶっつけ本番で行うこと
になり、零夏は心臓を鷲掴みにされる思いだった。
冷や汗が滝のように流れる。次の瞬間、白鋼は空中分解し俺達は
マッハ2オーバーなどという人類に許されざる速度で宙に放り出さ
れるのではないか。
︵くそっ、ソフィーが白鋼を信じているんだ、制作者の俺が信じな
いでどうする!?︶
思考の間にマッハ2,6に。しかしエンジンにはまだまだ余力が
ある。
白鋼は高速飛行と低速飛行の両立を目指し可変翼機として設計さ
れた。
しかしそれではどうしようもない部分もある。キャノピー⋮⋮コ
ックピットのガラスだ。
競技機として視界の良さを第一に設計されたキャノピーは、空気
抵抗としては形状的に優れているとは言い難い。
正面からの風圧をどこよりも受ける場所なのだ。
無論強度面は可能な限り強化されているが、それでも圧縮され高
温となった大気は機体にとって大きな驚異。
低速時とは全く異なる空気の一面を見せる。それが航空力学なの
である。
﹁ソフィー、速度を落とせ! 風防が溶け落ちるぞ!﹂
826
マッハ2,8。零夏が定めた最高速度を既に二五〇キロ近くオー
バーしている。
﹁でもっ、後ろから!﹂
ミラー越しにロリゴンを確認し、零夏は唖然とした。
﹁なんで2,9に翼で到達出来るんだよ!?﹂
このままではマッハ3を突破してしまう。なんとか、あいつを振
り切らなければならない。
焦る思考に苛立ちつつ、零夏は一つの策を発案した。
﹁ソフィー、上だ! 垂直上昇であればエンジンパワーを生かせる
し、羽ばたき飛行している奴は垂直上昇なんで出来ない⋮⋮気がす
る!﹂
いまいち自信がない物言いなのは、現に羽ばたき飛行で超音速飛
行を行っているからである。
﹁ちょっと無理するわよ!﹂
ソフィーの言うところの﹁ちょっと﹂は、実のところ﹁ちょっと﹂
ではない。
機体の限界を振り切り、破損寸前まで酷使するのが彼女にとって
の﹁ちょっと﹂。
整備担当の零夏からすればたまったものではないが、彼とて人型
機を限界以上まで酷使するので同類である。
前進翼となり大仰角に機首を上げる白鋼。
827
﹁この速度で前進翼!?﹂
﹁後退翼じゃ曲がらないわ!﹂
前進翼となったことで、アフターバーナーが使用不能となり﹃H
ybrid﹄に。
後退翼では当然、翼の揚力の重心は機体の後方へと移動する。
この状態で機首を上げたところで、翼の持ち上がろうとする力に
よって機体は水平飛行へと戻るのだ。
しかし前進翼の状態であれば主翼の揚力と機体の重心がほぼ同じ
ポイントに︱︱︱それどころか、高速である故に重心が後方へと移
動し、静安定性の値が大きくマイナスに達してしまっている。
素早く回頭するには正しい判断だが、あまりに揚力が強くそのま
ま後方へ一回転してしまいかねない危険な行為である。
カナード翼がほぼ意味をなさない体勢なのでベクタードノズルに
よって辛うじてひっくり返るのを耐え堪える。
﹁レーカ、やっぱり動くノズルは必要だわ﹂
﹁そーかい、理解してもらえて何よりだ!﹂
彼視点からして頭上に迫るロリゴンを睨みつつ、零夏はヤケクソ
気味に叫んだ。
機体下面に大気を受け止め、速度を高度に変換しつつ方向を変え
る。
垂直上昇に移行する白鋼。
速度は徐々に低下していき、マッハ2,5に。
﹁後退翼に戻して、前進翼ではアフターバーナーが起動しない!﹂
828
速度低下に焦る零夏。しかしソフィーは眼前を睨んだまま返答。
﹁加速しない方がいいと思うわ﹂
﹁なんでで御座いますか!?﹂
既に敬語となっている零夏。ヘタレた。
﹁まだ追ってきているわよね﹂
﹁げ、マジかよ、しつこい⋮⋮ってソフィーソフィー! 前ぇえ!﹂
セルファークの空には高度三〇〇〇メートルに重力境界なる空域
が存在する。
高度一〇〇〇メートルで飛行していた白鋼がマッハ2,5から減
速しつつ垂直上昇を行った場合、二キロ先の重力境界に突入するま
での時間は︱︱︱
︵︱︱︱約1,5秒!? 二〇〇〇メートル駆け上るのに、瞬き一
つかよ!︶
これこそが超音速の世界。
一瞬の判断が生死を分ける、常人には至れぬ領域。
空にちらつく星という名の岩石群。ソフィーが旋回性能の低下す
る後退翼を避けた理由である。
無重力空域に浮遊する岩々が迫るも、ソフィーはスロットルを緩
めない。
ただ、じっと近付く障害物を見据える。
ノーブレーキでの重力境界突入。
829
ソフィーは人間離れした視力と反射神経で全ての岩石を回避する。
前進翼を機敏に動かし、軽量な機体を存分に振り回す超機動。
軌跡は既に鋭角な未確認飛行物体の様を呈している。刹那の間に
数え切れぬほど入力される操縦桿を、白鋼はひたすらに実行しきっ
た。
非現実的ですらある、風防の外に広がる岩々の奔流。
それを眺め、零夏はとりあえずもう気にしないことにした。常人
が理解出来る世界ではない。
全ての障害物が後方へ流れ、白鋼は明るい空へ突き抜ける。
﹁ここは︱︱︱﹂
どこか色の違う大気。
異世界において尚、異なる世界。
﹁月側の空?﹂
重力境界を突破した白鋼は、遂には反対側に広がるもう一つの空
へ到達した。
空の青さを作り出す、蒼く霞んだ地平線。否、月平線。
ここでようやく水素燃料が空に。エンジンステータスが﹃Ram
jet﹄に戻る。
これからチャージの終了するまでハイブリッドエンジンは使用出
来ない。とはいえ、ここまでくればロリゴンも諦めただろうと後ろ
を振り返り、離れた場所で尚こちらを追いかけてくる彼に気付いた。
﹁ソフィー、まだアイツ諦めていない!﹂
﹁もうっ、どこに逃げろっていうのよ﹂
830
月面に急降下する白鋼。エンジン出力は減少したが、重力が逆転
しているので加速。
つまり、月に落ちていっている。
一気に落下する白鋼。零夏は悲鳴をあげる余裕もなく目を瞑りそ
うになり、男の意地を総動員して片目だけ開いておく。
﹁今っ!﹂
ベクタードノズルを逆噴射。動翼を全て垂直に捻り、強力なエア
ブレーキに。
ベルトに体を締め付けられる。ちなみに白鋼に対Gスーツなどな
い。
急減速した白鋼は月面墜落寸前で機首を引き起こし、蛇のように
大地を這う巨大な﹃蔦﹄をくぐり抜け回避しつつ着陸した。
咄嗟に零夏がギアを降ろすも、強度不足の支柱は簡単に折れる。
彼にとっては予想済み、機体そのものにダメージを受けるよりはマ
シと判断した結果である。
制御不能に陥りつつも機体は運良く蔦の下に潜り込み、ロリゴン
から隠れることに成功。
数秒後に月面へ降り立ったロリゴンは、怒りに染まった目で周囲
を見渡すも憎い炎を吐き出す筒を発見出来ず、やがて翼を広げ空へ
と飛び立った。
諦めたわけではない。周囲を旋回し、上空から探しているのだ。
ホームから遠く離れた地で、唯一の帰還手段である白鋼の中破。
比較的絶望的な状況で、零夏とソフィーは墜落のショックから目
を醒ました。
831
﹁⋮⋮生きているか、ソフィー?﹂
﹁うん、ちょっと感動した﹂
喜びのあまりコックピット内で抱き合う俺とソフィー。九死に一
生だ。
﹁なんたってあの馬鹿ドラゴンは襲ってきたんだ﹂
﹁判らない。けれど白鋼に私達が乗っていることは気付いていない
と思うわ﹂
だろうな。求愛行動した相手を殺しにかかるとか、意味が判らな
い。
いや、可愛さ余って憎さ百倍、なんて言葉もあるけれど。
﹁これからどうする? 外に出られるのか、月面って。宇宙服とか
必要?﹂
﹁ウチュウフク?﹂
周囲は蔦だらけ、というか白鋼が不時着したのも蔦の上だ。
なんだこれ? 大小様々な青い蔦が血管のように周囲を満たして
いる。蔦同士の間には結構な隙間があるのだが、ぼんやり歩いてい
たら頭をぶつけそう、という程度の密度。
細いものは数センチ程度。太いものは直径数十メートルはありそ
う。
832
俺達が乗っている蔦も大層太く、足下だけ見れば平地と変わらな
い。
月面ってなんつーか、こう、岩だらけでモノリスや人面岩があっ
たりするものじゃないのか。
﹁レーカの魔法で解らないの?﹂
﹁あ、そうだな﹂
大気を解析。人間の呼吸には問題なさそう。
キャノピーを上げ蔦に飛び降りる。
﹁この一歩は小さな一歩だが、俺達にとっては大きな一歩である﹂
﹁なぁに、それ?﹂
続いて降りたソフィーが首を傾げる。
﹁新年の挨拶だ﹂
﹁数日前にもう済ませなかったかしら﹂
外部から目視と解析を駆使し白鋼を調べる。
﹁うへぇ、酷いぞこれは﹂
ミスリルフレームこそ驚異の強度を発揮し曲がってすらいないが、
外装や無機収縮帯がボロボロだ。
﹁直る?﹂
833
﹁外装はなんとか鋳造魔法で整えて、無機収縮帯は治癒魔法で修復
すればある程度は。けど欠落した部分もあるし、飛ぶのはちょっと
苦しいかも﹂
中破といったところか。工具なんて積み込んでいないし、非常時
用に用意したサバイバルキットの食料もあまりない。
﹁お父さんが迎えに来ないかな?﹂
﹁荒鷹のダメージは大きかったしな。アナスタシア様といえど簡単
に直せるレベルじゃなかった﹂
だいたい一週間といったところか。到底食料が保たない。
せきよく
﹁紅翼があるわ﹂
﹁あのノーマルのネ20エンジンではここまで来れないと思うぞ⋮
⋮﹂
結論。迎えは来ない。
そもそもガイルは俺達が月面まで来てしまったことを把握してい
ないだろう。
なんとか自力で地上まで戻らなければ。
﹁そうだ、脱出用にアレを積み込んでおいたんだった!﹂
コックピットを漁ると目的の物はすぐに見つかった。
エアボート
﹁じゃん! 飛宙艇!﹂
834
取り出したるはサーフボードのような板。ガイルと話し合って積
み込むこととなった白鋼の脱出装置だ。
結構ずしっと重いのだが、サイズは飛宙艇としては小さめの1メ
ートル程度。あまり大きいとコックピット周りに積み込めない。
﹁これでゼェーレストまで戻ろう。白鋼はあとで回収だ﹂
﹁ほっといていいの?﹂
誰も盗まないだろ⋮⋮たぶん。
タコ型宇宙人がいたらどうしようと、周囲を一望する。出たらた
こ焼きにしたるでワレ∼。
セイルを開き、ソフィーに差し出す。
﹁どうやって二人乗るの?﹂
﹁考えてなかった﹂
上に乗れるのは一人。当然、風を読むのに長けたソフィーだろう。
となると選択肢など一つしかない。
﹁俺はボードの下にぶら下がるよ﹂
身体強化しとけば落っこちることはないだろ。
ソフィーはバッとワンピースのスカートを押さえ︵なんつー恰好
で飛行機操縦しているんだ︶、顔を赤らめつつ俺を半目で睨んだ。
﹁⋮⋮飛んでいる間、絶対に上を向かないって約束出来る?﹂
835
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
﹁なんで黙るのよ﹂
﹁嘘は吐かない主義でね﹂
ビンタされた。
一悶着の後に実践してみたのだが⋮⋮
﹁浮かない﹂
﹁あれー、壊れているのか?﹂
飛宙艇なんて単純な道具、まさにメンテナンスいらずというほど
壊れにくいものだけど。
﹁いや、やっぱり壊れていない。ちゃんと術式に魔力は供給されて
いる﹂
どういうことだ。浮遊装置なんてただよく判らん魔導術式を刻ん
だ鉄板の束だ、壊れようがない。
﹁よく判らないで使っているの?﹂
﹁うーん、魔法は専門外でなぁ。飛宙船はあんまり興味ないし﹂
836
条件如何によっては使えないのだろうか、浮遊装置って。
今までの状況と現在の状況、明確に異なる箇所といえば⋮⋮
﹁月では使えない?﹂
そんなルールあったのだろうか。そもそも月に行ってきました、
なんていう奴自体見かけないのだ。
﹁白鋼は動作に不調はなかったよな?﹂
﹁ええ。こっちの空に来ても、いい子だったわ﹂
無機収縮帯もエンジンも正常稼働した。
となると、やっぱり原因は浮遊装置の術式か?
だいたいが浮遊装置ってのが意味不明なんだよ。なんで浮かぶん
だ。
﹁白鋼を修理するしかないのか﹂
﹁部品がないのでしょう?﹂
最悪、不完全な応急措置になるかもしれない。主翼を固定してカ
ナードだけでも制御は出来るのだから。
﹁自由天士が破棄した人型機でもあればな。月にはまったく誰も来
ない、ってわけじゃなかろうし﹂
言いつつも望み薄だと溜め息を吐く。地上でも破棄された機体な
どそう見かけはしない。
837
﹁レーカ﹂
﹁ん?﹂
袖を引っ張るソフィー。その人差し指が示す方向に目を凝らし、
思わず吹き出した。
ストライカー
﹁ス、人型機!?﹂
辛うじて肉眼でも見える距離に、人型の物体が朽ちていた。
遠くてサイズは判らないが、まあ生身の人間ではなかろう。
﹁なんだってまた、こんな場所に﹂
﹁一つじゃないわ﹂
ソフィーが様々な場所を指差す。何体あるんだ。
俺の視力では見えないが、ソフィーが見えるというなら見えるの
だろう。神様チートボディーの視力など彼女は素で凌駕している。
﹁一番近いのは?﹂
﹁あっち﹂
魔法で白鋼のフレームから剣を鋳造。
﹁ちゃちゃらちゃーちゃちゃー! ミスリルプレードを手に入れた
!﹂
838
得物なしじゃ危ないからな。台詞の前半はファンファーレである。
﹁これで魔王も必殺だぜ﹂
﹁レーカ﹂
ソフィーがおずおずと手を伸ばしてきた。
彼女の手を取り、俺達は蔦の上を歩く。
幸い、道中に魔物は現れなかった。
﹁って人型機じゃないぞこれ!?﹂
騙された。人型に接近し、体長一〇メートルほど︱︱︱人型機と
同じサイズと判ったので、本当に目と鼻の先に立つまで勘違いした。
人型機のような機械ではなく、のっぺりした表皮の魔物の死体。
キモイ。
﹁ゴーレム系の魔物か?﹂
以前戦ったシールドナイトと同じ種類だろうか?
とりあえず解析し、その奇妙な構造に眉を顰める。
﹁なんで無機収縮帯で体が構成されているんだ﹂
839
脳はあるのだが、それ以外の部分が人型機の部品なのだ。
筋肉は無機収縮帯。心臓はクリスタル。骨組みも蛇剣姫のような
初期型の人型機に近い。
まさしく、人型機のパーツで作った人間だ。
﹁野生化した人型機⋮⋮とか﹂
ねーよ。
﹁⋮⋮怖い﹂
震えて俺の陰に隠れるソフィー。
﹁とりあえず、こいつを分解するか﹂
脳は確かに機能停止している。罪悪感を感じる必要はない。
魔刃の魔法を発動し野生の人型機を解体。無機収縮帯と外装を拝
借し、白鋼へと戻る。
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
視線を感じ、踵を返す。
体を奪われ無惨な残骸となった人型機が、俺を睨んでいた。
﹁⋮⋮そんな目で見るな﹂
なんとなく居心地が悪くなり、そう呟く。
﹁白鋼が直して、そのまま村に戻るの?﹂
840
﹁ん、ああ、そうだな。問題は上空待機しているロリゴンか﹂
完全修復したとしても、意外なトップスピードを秘めていたロリ
ゴンからは逃げきれない。
なんとかして、正気に戻さなければ。
﹁私には襲ってこないと思う﹂
⋮⋮俺を月面に置いていく気か?
﹁いい考えがあるの﹂
前進翼しかり、彼女の﹁いい考え﹂は突拍子もないことが多い。
御多分に漏れず、此度もかなりアレなアイディアであった。
白い翼が再び空へと飛び立つ。
ほうこう
白鳥のように羽ばたき優雅に舞い上がった白鋼をロリゴンは確認。
大きく咆哮を発する。
水平飛行に移行する白鋼。追うロリゴン。
白鋼のキャノピーが開き、小さな影が飛び出した。
ロープを握ったソフィーである。
彼女は浮遊装置を取り出して軽くなった飛宙艇に乗り、凧のよう
にふわりと浮かぶ。
波乗りならぬ、風乗り。所謂ウェイクボードだ。
841
﹁見えたっ﹂
後部座席で白鋼の操縦桿を握る零夏がなにかを叫んだが、幸いソ
フィーには聞こえなかった。
本来零夏には白鋼を操れない。しかし、テスト飛行の際に主翼を
軽く後方へ後退させると安定性が増すことを発見し、第三の飛行形
態として組み込んだのだ。
巡航飛行形態。零夏が唯一白鋼を操れる状態である。
ロリゴンは白鋼の後方で風乗りを行うのが意中の女性と気付き、
困惑する。
なぜ憎き炎の筒から彼女が出てくるのだ。三〇〇〇年生きていて
案外馬鹿な彼には、航空機という概念が理解出来ない。
ただ一つ判ることがある。今、彼女は怒っている。
ロリゴンを睨むソフィー。どうしていいか判らず、気色の悪い中
途半端な鳴き声を出すロリゴン。
ソフィーはロリゴンを指差し、ただ一言叫んだ。
﹁メッ!﹂
決着である。
﹁酷いオチだ﹂
後部座席で、零夏がぽつりとひとりごちた。
842
驚いたことにガイルは一旦村へ戻り、紅翼に荒鷹︵笑︶のエンジ
ンを載せ替えて重力境界を突破してきた。
ロリゴンにロープで牽引され、グライダーのように飛ぶ白鋼。散
々壊されエンジンにも無理をさせたので懲罰兼レッカーとして引か
せていたのだが、そこに現れた紅翼⋮⋮ガイルには獲物を巣に持ち
帰る変態の図に見えたらしい。
突如ガイルの攻撃で始まる空中戦。紅翼にはしっかり機銃が搭載
されており、攻撃手段はばっちりだ。
しかし白鋼を追い詰めたロリゴンと、荒鷹のエンジンを搭載した
とはいえ低速機の紅翼では勝負にならない。
そう考えていた時期が、俺にもありました。
銀翼の天使ってのが伊達じゃないって、よく解った。
乗り慣れた紅翼だからか、ガイルの一方的な攻勢の連続。
一応止めたのだが、﹁ここで引き下がれば親として立つ瀬がない
んじゃー!﹂だそうだ。
フルボッコになり涙目でこちらに助けを求めるロリゴンを無視し、
俺達は頷き合った。
﹁付き合ってられん﹂
﹁先に帰りましょう﹂
大きくバンクし夕日に飛び込んでいく白鋼。
遠目で見ると、浜辺で男同士が殴り合っている青春の図、にも見
843
えなくもなかった。
見えなくなくなくもないような気もしなくもなくなかった。
﹁それって結局どっちなの?﹂
﹁さあ?﹂
帰宅し、色々と片付けを終えた後にアナスタシア様を訪ねてリビ
ングにやってきた。
﹁てめ、よくも置いてったな﹂
ガイルに脇腹をチョップされる。子供みたいな拗ね方するな。
とりあえずソフィーの後ろに隠れる。逃げたのは彼女も同罪だ。
﹁ほらチョップしろよチョップ。けっけっけ﹂
﹁うぐぐ⋮⋮﹂
ソフィーはアナスタシア様の後ろに隠れた。
﹁お母さん、お父さんが変﹂
﹁うぐぐぐ⋮⋮﹂
844
アナスタシア様、ソフィー、俺と一列に並ぶこの状況。
﹁なんだそれ﹂
﹁俺に訊くな﹂
この不可思議な現状において、ただ一つだけ確かなことがある。
﹁ガイルが悪い﹂
﹁お父さんが悪い﹂
﹁まあ、あなたが悪いわね﹂
多数決って残酷だ。
﹁⋮⋮これで勝ったと思うなよ!﹂
捨て台詞を吐き、ガイルはリビングを飛び出していった。
多数決。より多くの者の意見を尊重するこの方法論は、だがしか
し少数意見をねじ伏せる悲しい理論。
民主主義の闇を垣間見た気がするぜ。
﹁それでレーカ君、なにか聞きたいことがあって訪ねてきたのよね
?﹂
﹁あ、はい、ってあれ?﹂
質問がある、なんて一言も言っていないのだけれど。
845
﹁月を見たのよね。あれを見て、疑問を抱かない方がおかしいわ﹂
どうやら、俺の疑問に対する答えを彼女は持っているらしい。
﹁お訊ねしたいのは、浮遊装置の術式とあの人型機らしき残骸に関
してです﹂
﹁浮遊装置は大したことではないわね。浮遊装置というのは、セル
ファークの重力を無効化する魔導術式なのよ﹂
だと思った。
つまりこうだ。この世界では地上と月面、双方から物体は引っ張
られている。
一般に勘違いされがちだが、現実における無重力とは大きな重力
︵この場合の大きな重力とは、天体などが発生させるマクロの重力
である︶が働いていない状態ではない。正しくは様々な方向から引
っ張られていることで宙吊りになる状態だ。
解りにくい? 紐の端と端を両手で持って、横に広げるとピンと
張って宙に浮くだろ。そんな感じ。
つまり、より近い地上の重力が勝るってだけで、地上側の世界で
も月の重力はちゃんと働いている。だから地上の重力を無効化すれ
ば月の重力で浮かび上がるというわけだ。
月面では元々地上の重力の方が弱く、それを打ち消したところで
体感的には浮遊装置の重量が増すだけである。
﹁地上ではなく月の重力を打ち消す浮遊装置があれば、あっちでも
飛べるってことですね﹂
﹁ええ、理屈の上ではそうね。けれど月用の浮遊装置は存在しない
846
のよ﹂
なぜ? 需要は少ないだろうが、皆無ってことはなかろうに。
﹁月の重力は打ち消せないの。そんな魔法や術式は存在しない。だ
から、どうやっても飛宙船は月の空を飛べないわ﹂
魔法のことは解らないが、そういうことらしい。
﹁浮遊装置のお話はこれで終わり。それより、レーカ君とソフィー
が見た﹃月面人﹄について教えておくわ﹂
月面人。古くさいSFに出てきそうなネーミングだ。
﹁月面人は文字通り、月面に住まう人よ。巨大で人間に似た体を持
ち、生きている個体はひたすらさまよい続ける。詳しい生態は判っ
ていなくて、意志があるとかコミュニティーを築いているだとか、
色々と言われているかしら﹂
﹁曖昧ですね﹂
﹁月まで出向いて調査するのも大変だもの。月面の蔦を見たでしょ
う?﹂
月を満たす青い蔦。人型機ならばともかく、飛行機で探索するの
は困難そうだ。
﹁月面に人型機を持っていく手段がないわけでもないのだけどね。
あの蔦の層は意外と深くて、かなり奥まで入らないと底にたどり着
かないのよ。そんな環境の調査は到底捗らないわ﹂
847
人型機を月面に運ぶ方法?
﹁巨塔という月まで伸びた塔があるのだけれど、内部には巨大なエ
レベーターがあるの﹂
まんま軌道エレベーターだった!?
﹁無機質であるが故に、彼らは成長も老化もしない。子供も作らず、
なにより機能停止したところで肉体は朽ち果てない。その肉体は永
遠に残り続けるわ﹂
あれらの死骸は一度にまとめて出来たのではなく、致命的なダメ
ージを受けた個体が間欠的に発生して増えていったのか。
﹁でも月面人って、魔物とは違うんですか?﹂
﹁ええ、無機収縮帯を使用した魔物なんていないもの。あれは別の
区分よ﹂
結局、話を聞いても理解不能だったな。
﹁二人とも、あれを他人に話しちゃダメよ﹂
俺達の高さに合わせてしゃがみ、真剣な瞳でそうアナスタシア様
は訴えた。
﹁あの存在は政府によって秘匿されているの。そもそも、月面に無
許可で降り立つこと自体が法に反するのよ。乱獲されたら大変だか
ら﹂
848
俺達犯罪者? いやでも緊急事態だったし。
でも、乱獲って?
﹁無機収縮帯がなぜ、わざわざ無機と断っているか解る?﹂
﹁そりゃあ⋮⋮⋮なんでだろ?﹂
別に﹁無機﹂と付けなくったって、名称としては﹁収縮帯﹂でも
いいはずだ。
﹁有機収縮帯があるからよ。まあ、つまり人体のことなんだけれど
ね﹂
﹁ロボットの部品と人体は別物でしょう?﹂
製造された無機収縮帯と自然由来の筋肉では、いくら性質が似て
いようと同列には扱えない。
﹁扱えるの、学術的に同等のものとして。そもそも工学的に生産さ
れたものに治癒能力があるなんて変じゃない﹂
そういえば、俺は無機収縮帯がどこから運ばれてくるかを知らな
い。
どこかの工場で生産しているのか? ツヴェーにて大型級飛宙船
から運び出されるコンテナ、その送り元はどこだった?
アナスタシア様曰く、無機収縮帯は工学的に生産された物ではな
いらしい。
⋮⋮まさか。
849
﹁そう。この世界に出回っている無機収縮帯は、全て国家が巨塔を
登って月まで赴き、月面人を狩って採取しているのよ﹂
﹁うわぁ⋮⋮﹂
イメージ変わった。無機収縮帯今まで通り扱えるだろうか。
﹁そもそも人型機自体、月面人を模倣したものといわれているわ﹂
なるほど、だからオーパーツじみた完成度なのだな。
最初から人の手でロボットを制作しました、よりはずっと信憑性
がある。
﹁さ、お話はこれでお終い! お腹が空いちゃったわ﹂
手をパンと叩きアナスタシア様は立ち上がる。
﹁今日は二人が初めて音速突破した記念日だから、キャサリンがご
馳走を用意しているわよ﹂
そんな記念日があるのか。
さすが航空機の世界と関心し、後日村の子供達に語ってみた。
﹁あるわけないでしょ﹂
﹁あるわけねーだろ﹂
﹁ないよ﹂
民主主義の残酷さが目に染みるぜ。
850
最初は多少︵?︶のトラブルに見舞われた試験飛行も、順調に消
化されていく。
生データが集まるほどに完成度を増していく白鋼。それと平行し
ソフィーも機体の特性を深く理解する。
日に日に輝きを増す白亜の翼。それはけっして幻覚などではない。
誰もが信じていた。この翼の勝利を。
そして半年後︱︱︱初夏。
ガイルがレンタルしてきた中型級飛宙船に白鋼と屋敷の住人が乗
り込み、応援してくれる村人達に見送られて船は大陸横断レースの
舞台となる町へ向かった。
名をドリット。ゼェーレスト村も属する、共和国首都だ。
色々なことが始まり、そして終わる夏。
船旅の先に大いなる波乱が待ち受けていることも知らず、俺は呑
気にレースのことばかり思い描く。
小さく完結していた世界は終わりを告げ、異邦人は始まりの村を
旅立ち遙かな旅路へと赴くこととなる。
様々な国。様々な町。様々な空。
この世界の広さを、俺はまだ知らない。
851
この世界に来て、およそ一年経っていた。
852
音の壁と月の世界︵後書き︶
マリア﹁解せぬ﹂
これにて3章、主人公機製作編の終わりです。遂に問題の4章。
4章は序盤のまとめであり、内容も複雑になりそうです。書きき
れるか不安だったりします。
853
作者の落書き 3
<i56327|5977>
﹁魔界ゾーンとラムレーズン﹂より、﹁本編に入る
を失ったヒロインの図﹂
<i56323|5977>
エアバイクレーカ仕様
なにそれ?
ターボフ
タイミング
いでしょうし、イラストにしました。
ケッテンクラート? という方も多
変更。サイドにはガンブ
れた、バイクと
。改造はこの程度ですが、描いてみる
ァンエンジンに換装、後輪を無限軌道に
でした。
レードとカードリッジ装備
と変態バイク
ケッテンクラートとはWW2のドイツにて使用さ
器です。しかし小回りの良さ
がしてきまし
飛行機の牽引など多くの場面で利用された
キャタピラを合体させたヘンテコ兵
やパワーの強さから、
とか。
<i56325|5977>
<i56324|5977>
帝国軍最新鋭獣型機﹁ホモォ﹂
なんだか作者も本編にコイツを登場させていい気
854
た。
<i57805|5977>
メイドキョウコ
メイド服を作ったイギリス人は天才です。
<i57764|5977>
<i57806|5977>
<i57799|5977>
白鋼と上面図と高速飛行形態。
<i57795|5977>
ロリゴン︵ロリコンドラゴン︶
ゼェーレスト村からツヴェー渓谷にかけての上空に住むワイバーン
ドラゴン。ソフィーに一目惚れして拉致した変態。別に小さな女の
子が好きなわけではなく、好きになった女の子がたまたま小さかっ
ただけである。300とんで28歳独身、彼女なし。好きなタイプ
は清楚で一途な娘。実はソニックワイバーンというワイバーンの中
でも上位種族であり、ギルドの評価はSランク。少し前に体当たり
してきた改造版ネ20エンジンを恨んでおり、今もその音を聞き分
け探し続けている。初飛行を控えている白鋼逃げて超逃げて。
<i58903|5977>
855
<i58905|5977>
﹃日本純国産第八世代領域制圧戦闘機 心神﹄
セルファークに存在するはずのない戦闘機。異文明の工芸品。
100年後の機体ということで、現行技術の延長線上かつ、SF
な形状としてデザインしました。
些かフライング登場ですが︵6章登場予定︶、せっかくなので載
せときます。
日本が22世紀に入りようやく完成させた、戦後初の純国産戦闘
機。
第七世代戦闘機で実用化された航空機用ミニイージスシステムに
より、飛来するミサイル及び戦闘機は尽く無効化された。
それに対抗すべく各国は鉄壁たる第七世代戦闘機を撃墜する方法
を模索。そして日本が考案したのが、迎撃不可能な超高速で弾頭を
放つレールガンの装備であった。
莫大な電力を消費するレールガンを作動させる為、熱核融合水素
ロケットエンジンを採用。また宇宙開拓時代となり宇宙戦闘機が必
要とされていた背景もあった。しかし熱核エンジンは大きな熱量を
発する為に発見されやすいという欠陥も併せ持っていた。
そこで大胆な可変機構を設計に取り入れ、サイレントモードとし
てステルス能力と熱源探知不可化を実現。また機体表面は光学迷彩
となっており、肉眼での視認が不可能となる他、自由な迷彩を設定
一つで施せる︵イラストは海洋迷彩︶。
レーダー波吸収材と光学迷彩が施されているのはサイレントモー
ド時に表に出ている部分だけなので、ファイターモード時には光学
迷彩は不可能。そういった非ステルス部分は航空機の迷彩として有
効とされる灰色が塗られている。
以上を以て、日本は第八世代戦闘機を世界に先駆けて開発。ただ
856
し﹁レールガン及びそれを稼働させる為の熱核エンジン﹂という定
義はあくまで日本が提唱しているだけであり、世界的に認められて
いるわけではない。後に更に洗練されたシステムが考案されれば、
そちらが第八世代戦闘機の定義となる可能性もある。
第七世代戦闘機の定義であるミニイージスシステムは引き続き実
装しているが、第六世代戦闘機の定義であるデータリンクによる無
人子機の運用、編隊行動は第七世代にて無効化されたため不採用と
なった。第七世代のミニイージスシステムは実弾による迎撃であっ
たが、この機体では電力が潤滑に供給されることからレーザー迎撃
に変更されている。
主翼の後方に二本伸びているのがレーザー砲台。ミサイル等に警
サイレントモード
ファイターモード
戒して後方に設置されているが、前や横を向くことも出来る。
﹁水平尾翼+デルタ翼﹂と﹁エンテ翼+カナード翼﹂の可変式。
サイレントモードでは完全な意味でのステルス能力を持つが機動性
は劣る。
ファイターモードへの変形の際には、まず主翼の前部が機首側へ
とスライドしてカナード翼となる。カナード翼内部に熱核エンジン
が装備されており、全動式の翼ごとエンジンノズルが稼働して推力
偏向を行う。
カナードが主翼から分離すると同時に主翼後部︵フラップに該当
する部分︶も分離。90度稼働し後方へ向く。この部分にレーザー
砲身が内蔵されている。
以上を実行すれば主翼中心付近の上下外装のみとなる。そこから
更に、主翼下面が外側へ展開し翼が延長される。
カナード翼の熱核エンジンとの干渉を避けるため主翼は上方へと
持ち上がる。この際機体の背骨部分に格納されていたレールガンも
上部へと一緒に移動し、使用可能となる。
水平尾翼は内側へ畳まれ、サイレントモード時の吸気口に被さり
空気抵抗を減らす役割を果たす。
VTOLが可能だが、それは推力偏向と強力なエンジン、コンピ
857
ューターによる自動補正によって成し得ることであり、それ専用の
機構があるわけではない。
キャノピーがないのは視界を網膜に直接投影する為。パイロット
は寝そべるように乗り込み、Gの方向によってモジュールが回転す
ることで人体への負担を常に全身で受ける。それでも当然この機体
の機動性を完全に生かしきれるわけではなく、かなりのリミッター
が働いている。
技術的に高度な機体であるが当然容易に開発されたわけではない。
開発費、政治的な問題から失敗した第五世代機及び第六世代機の開
発を踏まえ、しばらくの自国開発を諦めて長期のスパンで技術蓄積
を行い、その結果実用化された様々な技術によりようやく完成へと
こぎ着けた。心神の名はかつての失敗の屈辱を返上する、という意
図がある。 後に、白鋼の宿命のライバルとなる機体。
最重要ネタバレにつきご注意下さい
﹁謎の紋章﹂
レーカとソフィーが冒険の果てに辿り着いた超古代文明の遺跡。
そこで発見した壁面には、謎の紋章が描かれていた。
誰が、どのような目的で残したのか?
その紋章の意味は?
858
人か?
兵器か?
あるいは、﹁神﹂か?
答えは、もう誰にもわからない。
以下が、その紋章である。
859
<i58906|5977>
860
開会式とお姫様 1
エアシップ
空を埋め尽くす飛宙船。
果てしなく広がる街並み。
眩暈がするほどの人々の雑踏。
多くの海上船が行き来する海。
降下する中型級飛宙船のブリッジからそれを見下ろした俺は、あ
まりの情報量にポカンと口を開けるしかなかった。
﹁村の何倍かしら⋮⋮﹂
ブロンド髪のソフィーの呟き。
﹁考えるだけ無駄な数字になると思うぞ﹂
ソフィーとアナスタシア様は例の如く、髪の色を魔法で偽装して
いた。
そんなに珍しいのかな、純白髪って。確かに見ないけれど。
﹁ゼェーレストは勿論、ツヴェー渓谷とだって比較にならないな﹂
﹁当然だ、ここは世界最大の都市の一つだぞ﹂
舵を握るガイルが答える。ここはレンタルした中型級飛宙船の艦
橋である。
中型級ともなれば部屋数もそれなりなのだが、一人一部屋では寂
しいので自然と全員ここに集まって時間を過ごしていた。
戦闘艦ならばともかく、運搬船のこいつは基本ワンマン運転が可
861
能。アナスタシア様が補佐を行いガイルが操舵してきたわけだ。
これはセルファークの飛宙船に限った話ではなく、地球のタンカ
ーなども基本一人、あるいは少人数で操舵が可能と聞いたことがあ
る。帆船では舵を切るだけで大人数の船員が走り回る大事なのに、
いやはや便利な時代となったものだ。
﹁あんまりボーッとするんじゃないよ。楽しいことだけじゃなく、
悪い奴だって大都市には多いんだ﹂
私服姿のキャサリンさんに注意される。おのぼりさん丸出しでは
犯罪のカモ、というのは世界共通らしい。
﹁しっかし凄い数の飛宙船だな。エアバイクから大型級まで所狭し
と飛んでるぞ、さすが首都⋮⋮えっと、なんて名前だっけ?﹂
﹁ドリット。一〇年前に滅び、生まれ変わった都市だ﹂
まあそっくりそのまま共和国になったんだけどな、と肩をすくめ
る。
﹁革命でもあったの?﹂
﹁王が頂点に立つなんて、もうそんな時代じゃなかったのさ。きっ
かけは戦争だが、事前に当時の人々が準備してあったんだ﹂
海の上には巨塔が聳える。そう、月まで突き刺さった軌道エレベ
ーターモドキだ。世界に何本もあるうちの一本。
あれが予選会場か。白鋼のお披露目、なんだか緊張する。
海を見つめていると、海中に人工物の影が見えた。
なんだろう。水没した都市、といった風情だ。
862
﹁ガイル、あれなに?﹂
﹁ん、大型級よりでかい飛宙船の残骸だな﹂
大型級より大型の飛宙船?
﹁そんなの聞いたこともないが﹂
全長三〇〇メートルの大型級より大きいって、運用出来るのかそ
れ。
﹁現存しているのは共和国軍と帝国軍のを合わせてもたった七隻だ﹂
少ねー。
﹁動かすだけで莫大な金がかかるからそうそう動き回らないんだ。
自分で見に行こうと思えば、その巨体故に見放題だが﹂
﹁で、海の中に沈んでいるアレは?﹂
﹁大戦で墜とされた一隻だ。あの頃はもっと沢山あったからな﹂
らしい
水中に朽ちる超巨大飛宙船、その大きさのほどはよく判らない。
﹁あんなの、見えている部分は上の方だけだ。ま、そのうち見る機
会もあるだろ﹂
ふむふむと頷き、今度はブリッジの反対側に駆ける。こっちはな
にが見えるのだろう。
863
﹁おっ、城だ! 城だぞ!﹂
﹁大きいわね、掃除が大変そう﹂
隣にいたやはり私服のマリアが見習いメイドらしい感想を述べた。
西洋風のメルヘンかつ実用的な城だ。かなり古臭い。古城ってや
つか。
﹁見学とか、お土産屋とかあるのかな﹂
﹁どっからそんな発想が出てきたんだ?﹂
だって王制廃止したんだし、一般公開してたっておかしくない。
﹁残念ながら今でも城は政治の中枢だ﹂
﹁なんだ、そのまま施設を使っているのか⋮⋮その中枢目掛けて降
りてないか?﹂
降下する飛宙船はどう考えても城に向かっている。
しろがね
﹁いいんだよ、白鋼を預けなきゃいけないからな﹂
ああ、数日前から預けて検査されるんだっけ。
﹁ちゃんとエンジンは外したな?﹂
﹁おう、今の白鋼はただのグライダーだ﹂
864
ところで、この場にはキョウコはいない。
じゃけんひめ
彼女はゼェーレストを発つ前に﹁用事があるので別行動です﹂と
飛宙船に乗り込まなかった。
言いつつ楽しげに様々な職種の制服を蛇剣姫に積み込んでいたの
は、なんというかくだらない予感しかいない。
なのでこの艦橋にいるのは俺、ソフィー、マリア、アナスタシア
様、キャサリンさん、そして操舵席のガイルである。
約一名、ずっと黙っているのはやはり気になった。
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
思いつめた表情で城を見下ろすアナスタシア様。
﹁あの⋮⋮﹂
﹁⋮⋮あ、えっと、なにかしら?﹂
上の空だったらしい反応に、思わずガイルにアイコンタクト。
しかしガイルは難しい顔をして視線をちょっと逸らした。ヘタレ
め。
﹁明日一緒にデートに行きましょう、って俺と約束したところです﹂
﹁そ、そうだったわね。⋮⋮って騙されないわよ﹂
惜しい。
﹁ソフィーと行ってらっしゃい。マリアちゃんもね﹂
﹁スリーマンセルとか難易度高いのですが﹂
865
キョウコがいなくて良かった。一対三はさすがにエスコートしき
れない。
﹁で、アナスタシア様はどうしてぼうっとしていたんですか?﹂
﹁直球ね、レーカ君﹂
回りくどく訊いてもはぐらかせられるだけなので。
﹁でもノーコメントよ﹂
﹁やめとけ、レーカ。俺が訊いても黙っているんだ、お前じゃ聞き
出せん﹂
ふてくされたように頬杖を突くガイル。夫に無理なものを俺に出
来るわけがない、か。
﹁着陸するぞ。俺は飛宙船には慣れていないからな、ショックに備﹂
ズカンと船が地面に衝突した。その拍子に転びそうになったマリ
アを抱き止め、ガイルを一睨み。
おせーよ、対ショック指示。
866
着地したのは城の城壁内、だだっ広い広場だ。大型級でも着地可
能なことを想定しているのだろう。
飛宙船後部のスロープを降りると、見覚えのある男が駆けてきた。
﹁お久しぶりです、ガイル先輩﹂
﹁久々だ、ギイ。妹も一緒か﹂
男の一歩引いた場所で少女が会釈する。つーかなんだこのイケメ
ン。
﹁⋮⋮あ、一年前の軍人!﹂
﹁ちょっと大きくなったね、レーカ君﹂
指差して叫ぶと、頭をグリグリと撫でられた。
﹁痛い痛い、皆さーん軍人が一般人に手を上げてまーす﹂
﹁ちょ、おま、それはやめてくれ!﹂
というかよく覚えていたな、俺の名前。
﹁手紙で君達がレースに参加するのは知っていたよ。書類を色々手
続きしたのも俺だしね﹂
﹁あ、それはどうも、お世話になりました。先程はごめんなさい﹂
知らずのうちに助けてもらっていたと知り、姿勢を正して頭を下
げる。
867
﹁あー、うん。なんというか⋮⋮相変わらず大人と子供の部分を併
せ持った子だね﹂
頭脳は大人、体は子供!
﹁アナスタシア様、それにキャサリンさんとソフィーちゃんとマリ
アちゃん、久しぶり﹂
﹁はい⋮⋮﹂
軽く頭を下げた後、俺の背後に隠れてしまう。
ふはははは、今となっては紳士なギイハルト氏より、相棒の俺に
懐いているぜ。
⋮⋮こうして久しく見ると、ソフィーって本当に人見知りだった
んだよな。
最初の頃は意志疎通すら辿々しかったし。
﹁ほら、イリアも挨拶しなさい﹂
﹁︱︱︱はい﹂
ギイハルトの隣の少女が一歩進む。
﹁久しぶり、ガイルとアナスタシアとキャサリン。始めまして、子
供達﹂
なんとも無機質な声色だった。
﹁私はイリア。イリア・ハーツ。ギイハルト・ハーツの妹﹂
868
ぺこりと頭を下げて、挨拶終了。
さらりと髪が肩に流れる。
少し紫がかった銀色の髪。瞳もまたアメジストのように美しく、
そして光を写していない。
全体を見れば紛れもなく美少女。しかし、どこか人形を思わせる
気配。
年の頃は判断が付きにくい。大人になりかけた少女、一五∼一七
くらいかな。
﹁では俺はこれで﹂
﹁何だ、もう行くのか?﹂
﹁レースでは有事に備えて軍も忙しいですから。俺もレース期間中
はテストパイロットではなくスクランブル要員です﹂
スクランブルエッグ? と小首を傾げるソフィーの為に説明する
と、スクランブル要員とは緊急事態に備えて基地で待機しているパ
イロット、天士のことである。
ちなみにソフィーは一人でスクランブルエッグを作ったことがあ
る。
最初は目玉焼きを作るはずだったのは内緒である。
﹁適当な宿を予約しておきました。道案内にイリアを残しておきま
す﹂
﹁悪いな﹂
こんな一家なので予約を取ったのは当然最高級の宿だが、なんと
869
最高級でも当日では部屋がない可能性があるらしい。
勿論選り好みしなければ宿は当日でも確保出来るだろうが、家族
を適当な場所で寝かせるのはガイルの矜持に反するとか。知るか。
﹁よろしくね、イリアちゃん﹂
コクリ、とアナスタシア様に肯定を示す。それを確認して、ギイ
ハルトはその場を去った。
﹁この船は私が業者に返しておく。宿への案内の前に飛行機を出し
て﹂
あ、俺か。
エアバイクで白鋼を引っ張り出すと、周囲にいた兵士達がどよめ
いた。
﹁立派﹂
﹁ありがと﹂
前進翼を隠すため、若干斜め後方へ主翼を下げた巡航飛行形態で
運んできた。
別に始まればすぐバレるけどさ、観客を驚かせたいというお茶目
だ。
﹁これ、本当に未成年が作ったのか?﹂
﹁小さいけど完成度高いじゃねーか、誰が制作者だ?﹂﹁エンテ翼
とは思い切ったな、嫌いじゃないぜその冒険心﹂
870
集まってきた兵士達。サボるなよ。﹁俺だよ制作者。どや﹂
視線が集まり、大半の兵士が眉を顰めた。
﹁こんな子供が?﹂
﹁むっ﹂
未成年部門は参加最低年齢は一〇歳だが、実質大人になる直前の
奴らが参加する大会だ。
日本でいえば鳥人間コンテスト。その中に小学生が混ざっていれ
ば奇妙なのは解るが、腕を疑われるのは癪である。
﹁こいつが間違いなく制作者だ。さっさと受け取りをしてくれ﹂
ガイルが兵士達に告げると、疑問を抱きつつも彼らは動き出した。
その中で一人、動かずガイルを凝視する壮年の男性兵士。
﹁ガ、ガ、ガイル隊長!? けっ敬礼ー! 総員敬礼ー!!﹂
緩んだ空気でもやはり軍人。彼らは跳ねるように姿勢を正し右手
を翳した。
その様子を煩わしそうに目を逸らし、手をしっし、と振るガイル。
﹁やめろ、俺はもう軍を辞めたんだぞ﹂
﹁いえ、しかし⋮⋮﹂
﹁やめろ﹂
﹁⋮⋮ハッ。失礼しました﹂
871
一礼する男性。
﹁だからそれをやめろと⋮⋮いいから持ってってくれ﹂
﹁はい、確かにお預かりします﹂
飛宙船に牽引される白鋼を見送る。
﹁ガイルって偉かったの?﹂
﹁それなりだ﹂
それなり、ねぇ。
﹁来て﹂ 端的に発し歩き出すイリア。
急過ぎて、道案内を開始したのだと気付くのに数瞬要いた。
﹁レーカ君、荷物お願いね﹂
﹁ちょ、ま、しばしお待ちをっ﹂
俺は纏めておいた各自の衣服や荷物をエアバイクに積み込み、若
干遅れつつも彼らに追従するのであった。
872
﹁イリアちゃん、こんにちわであります!﹂
﹁こんにちは﹂
﹁イリアちゃーん、今度デートしようぜ!﹂
﹁拒否﹂
﹁イリア、俺だ! 結婚してくれー!﹂
﹁否﹂
﹁イリアさん、お菓子を焼いたのでお裾分けです﹂
﹁感謝﹂
歩いていると頻繁に兵士や騎士、文官らしき男達から声をかけら
れる。最後はメイドさんだが。
﹁人気者だな﹂
﹁兄の影響。兄は有名人﹂
いや、君本人の人気だろ。
カラクリ人形のように一定の歩幅で歩くイリア嬢。非現実的にミ
ステリアスな美しさは、やはり人々の目を引く。
﹁⋮⋮笑えばすっごく可愛いだろうに、目の保養的な意味で﹂
イリア本人に聞こえない程度の小声で呟く。
873
あれは無表情ではない。無感情に近い。
無表情は属性としてアリだが、無感情は頂けないな。
﹁そこは勿体無いとか言っとけよ、それじゃあお前の損得の問題だ
ろ﹂
独り言だったのにガイルから返事があった。
﹁損得かどうかを判断するのは本人だし﹂
幾ら異性にちやほやされる優れた容姿を持っていても、本人がそ
れを良しとするかは別だ。
俺としては美人が笑顔なのはバッチコイだが。
﹁正直、面倒﹂
背中を見せたままイリアは愚痴る。
﹁歩いていると男に声をかけられる。騎士達は冗談として行うので
構わないが、町中でのあれは最早進路妨害﹂
聞かれていた。
つまり、ナンパされておちおち町も歩けないらしい。
﹁しかし身嗜みを整えなければ兄に注意される。それは嫌﹂
おや、あるじゃん感情。
ブラコンか? 一言だけで判断するのは性急だが。
874
﹁お兄さん以外で気になる人とかいないのかしら?﹂
アナスタシア様の問いにイリアは首を横に振るだけで否定を示す。
﹁恋に興味がないの?﹂
やはり否定。
⋮⋮あれ、否定?
﹁興味がないとは言い切れない。私も既に思春期﹂
自分で言うな。
﹁しかし焦るほど必要性も感じない。私には人より多くの時間があ
る﹂
﹁人間じゃないのか?﹂
耳尖っていないけれど、エルフとかなのか?
﹁私は天師﹂
﹁天士? ああ、ギイハルトもテストパイロットだしな﹂
⋮⋮なにか食い違っている気がしなくもない。
﹁ほれ、初対面の女性にねぼりはぼり訊くのはマナー違反だぞ﹂
ガイルに怒られた。まあしょうがないこれは。
875
﹁ごめん﹂
﹁いい。貴方は興味深い﹂
﹁惚れたか﹂
﹁否﹂
街中は既にお祭り状態だった。
着実に増加する観光客を狙い屋台が幾つも出店される。
横断レースは開会式もまだだというのに、至る所でどこが勝つか
を肴に盛り上がっている。
そんな喧噪を尻目に、俺達は裏路地を歩く。
﹁近道。それに人がいない﹂
﹁でも危なくない?﹂
裏路地の治安が悪いのは世界共通のはずだ。
まさか普段から一人でこういう道を利用してないよな、この子。
﹁私強い﹂
﹁えー⋮⋮﹂
876
見るからに細い腕、華奢な体格。あまりに姿勢は素晴らしいので
武術を嗜んでいる可能性もあるが、筋力に自信がありそうには見え
ない。
あ、魔法が得意系? アナスタシア様も魔法ありなら強いらしい
し。
﹁ぱわーふぁいたー系﹂
﹁⋮⋮とりあえず表通りを歩くようにしなさい﹂
﹁なぜ﹂
﹁お願い﹂
﹁非、効率的﹂
﹁安全と効率は大抵の場合反比例するものだ﹂
﹁心配しているの?﹂
﹁それ以外なにがある﹂
﹁⋮⋮了解﹂
なんとか納得してもらえた。
877
宿は高級ホテルの相を成していた。
広いロビー、煌びやかなシャンデリア、一分の隙もない従業員の
接客。
贅沢の限りを尽くした内装は、きっと間違えて壊したら弁償もの
だろう。
⋮⋮バレないように直せばいいか。
﹁普通だね﹂
﹁まあまあかな﹂
メイド母娘は調度品に関して目が肥えていた。
毒舌のキャサリンさんはともかく、マリアからしても﹁まあまあ﹂
止まりなのか。
﹁部屋の内装を注意深く見てみな。一年屋敷で過ごしたお前なら、
違いが判るさ﹂
割とどうでもいい。
﹁さよなら﹂
それだけ言い帰ろうとするイリア。皆でお礼を述べ、俺達はそれ
ぞれ割り振られた部屋へと荷物を運んだ。
ところで、このメンバーだと部屋の振り分けはどうなるのか。
アナスタシア様に訊ねたところ、こんな答えが戻ってきた。
ガイルとアナスタシア様夫妻で一部屋。
878
メイド母娘で一部屋。
そして俺とその婚約者で一部屋。
﹁⋮⋮マジ?﹂
いや、ガイル一家とマリア母娘+俺の三対三でいいんじゃないか?
﹁お前、ソフィーになにかしたら八つ裂きにするからな﹂
﹁ガイルこそ久々にソフィーが間にいないからって、アナスタシア
様と変なことするなよ﹂
﹁いや俺達夫婦だし﹂
﹁なら俺達婚約者だし﹂
バチバチと俺とガイルの間に火花が散る。
﹁お母さんと別に寝るの?﹂
﹁何事も経験よ、ソフィー﹂
なんの経験をさせろと。
そしてソフィーにカウントされないガイル。
しかしソフィーと同衾か、むしろ俺の方が落ち着けない気がする。
﹁なにを考えているんだ俺は﹂
俺だって気にしないし。しないし。
879
﹁レーカ君なら安心でしょ?﹂
﹁うん﹂
うおぉ、ソフィーから凄く信頼されてるぞ。
﹁男ならガタガタ言うな、レーカ﹂
キャサリンさんにチョップされた。
﹁キャサリンさん的にこの展開はオーケーなのですか?﹂
﹁私の見立てでは、ソフィー様が生まれて以来あの二人はプライベ
ートな夜を過ごしていないんだよ﹂
﹁ははぁ、まさか一度も?﹂
﹁一度だ﹂
﹁キャサリン、なんでそんなことを把握しているのよ!?﹂
涙目のアナスタシア様。
﹁俺が一人部屋、キャサリンさんマリアとソフィーで三人部屋にす
れば?﹂
﹁寝るときまで私に恭しくされたらソフィー様も落ち着かないだろ﹂
ここにきてキャサリンさんのプロ意識が障害となるのか。
880
﹁ならソフィーが一人部屋、残り三人で一部屋ってのは?﹂
﹁この子は一人で寝られないわ⋮⋮﹂
お子様である。
ならば仕方がないかと溜め息を吐いていると、マリアが挙手した。
﹁私もそっちに泊まる!﹂
マリアのDA☆I☆TA☆N︵死語︶発言から一夜明け。
女性の話し声によって、俺の意識は覚醒していく。
﹁ふー! ふがー! ふーふー!!﹂
﹁黙りなさい、レーカさんが目を醒ましてしまうでしょう。いいか
らここで、じっとしていて下さい﹂
﹁むー! むぅぅぅぅぅ!?﹂
﹁こら、暴れるなっ。こうなったら足も縛ってしまいますか﹂
﹁んー!? んーんんー!! ん︱︱︱⋮⋮﹂
﹁ふう、これでよし、っと﹂
881
なんだろう、この物騒な会話。
目を開くのが怖いのだが。
﹁ふふっ、お休み中のレーカさん⋮⋮如何様に愛しましょうか? 口で? 足で? それとも⋮⋮げへへ﹂
思わず刮目したね。
目と鼻の先にまで迫っていたキョウコの端麗な顔。
パチクリと瞬き一つし、彼女は直立して咳払い。
この宿の従業員の制服だ。シンプルだが安っぽさはなく、美人が
着るとよく似合っている。
﹁奇遇ですね﹂
﹁何がだ﹂
別行動をしていたはずのキョウコがなぜここにいる。
そしてなぜホテル従業員の制服を着ている。
﹁仕事です。路銀稼ぎに立ち寄りました﹂
﹁⋮⋮臨時の仕事場がたまたまこの町の、たまたま俺達と同じ宿の、
たまたま俺と同じ部屋だったと?﹂
﹁はい﹂
しれっと言うな。
﹁今さっき、俺になにをしようとした﹂
882
﹁おはようのキ⋮⋮モーニングコールを﹂
頼んでいない。
とりあえず、二人が起きる前になんとかしよう。
そっとキョウコを抱き寄せる。
﹁ああ、いけませんレーカさん、初めてなので優しくして下さい⋮
⋮﹂
そしてお姫様だっこの要領で持ち上げ⋮⋮
﹁ま、まさか外で? そんな、初めてがそんな高度なプレイだなん
て﹂
⋮⋮窓から彼女を放り投げた。
地上五階。まあ、最強最古であれば傷一つ付かないだろう。たぶ
ん。
﹁⋮⋮おかしな光景を見たわ﹂
﹁起きた、というか見ていたのかマリア﹂
上体を起き上がらせ眠たげに目をこするマリア。可愛らしい寝間
着が少し乱れて色っぽい。
﹁先にシャワー浴びてこいよ﹂
﹁朝にお風呂に入る習慣なんてないけれど﹂
883
男なら言ってみたい台詞なのだ。
﹁まあ、せっかくだし使ってくるわ﹂
緩慢な動きで立ち上がり部屋に備え付けの洗面所兼風呂場へと歩
む。
何気なくマリアの使用していたベッドを見れば、ソフィーが潜り
込んで寝息をたてていた。
いや、そっちじゃないだろ。お約束的には女の子二人が俺のベッ
ドに潜り込むべきだろ。いや合っているんだが。マリアのベッドを
選ぶのが正解なんだが。
ふふん、と勝ち誇った表情のマリア。
畜生。今晩は俺がマリアのベッドに忍び込んでやろう。
ちなみに、本物の従業員はクローゼットで涙目になっているとこ
ろを発見された。
キョウコに追い剥ぎされたらしい。残念ながら中年女性である。
﹁ゆうべは おたのしみでしたね﹂
﹁う、うるせぇ﹂
884
顔を赤らめるガイルとアナスタシア様。もげればいいのに。
借りたフロアの共有スペースで出くわした夫妻を、俺は早速から
かってみるのだった。
﹁ソフィーとマリアちゃんは?﹂
﹁マリアがソフィーを着替えさせています。すぐ来るかと﹂
テーブルに座ると、キャサリンさんが全員分のお茶を煎れてくれ
る。
﹁ガイル様、アナスタシア様、おはようございます。お母さん、お
はよう﹂
﹁おは⋮⋮ふぁ﹂
きっちり挨拶するマリアと、彼女に手を引かれた寝ぼけ眼のソフ
ィーもやってきた。
﹁ん? マリア、あんた⋮⋮﹂
キャサリンさんが娘の髪に触れて愕然とする。どした。
﹁レーカに勧められてシャワーを浴びたのだけれど、どうかしたの
?﹂
﹁⋮⋮それはなんだい、体を洗わなければならないようなことをし
た、と解釈していいのか?﹂
キャサリンさんの手が俺の頭をバスケットボールのように鷲掴ん
885
だ。
﹁そ、それは早計というものであります。誤解です。提案に他意は
ありません﹂
﹁神に誓えるんだろうなア゛ァ゛!?﹂
チンピラかこの人は。
﹁それより、今日は俺の実家に顔を見せに行くからな。俺とナスチ
ヤとソフィー、それに興味があるなら連れて行くが誰か来るか?﹂
﹁娘の貞操がかかっている時に﹃それより﹄ったぁどういう了見だ
ご主人様アァアア!?﹂
キャサリンさん怖い。
﹁大丈夫よキャサリン﹂
アナスタシア様がキャサリンさんを窘める。
﹁レーカ君は一線は越えない人間だし、もし越えていれば責任をと
ってもらえばいいのよ﹂
﹁⋮⋮まあ、それもそうか﹂
握った頭がミシミシと鳴る。放して頭がスイカみたいに割れちゃ
う。
﹁もしいい加減な行為に及べば、三本目の足をねじ切るからね﹂
886
責任を取るって物理的にねじ切り取るの!?
﹁で、なんだ、行くか?﹂
﹁⋮⋮ガイルの実家? 興味ない﹂
﹁だろうな。まあつまらない場所だ、家族三人でさっさと行って帰
ってくるさ﹂
白鋼の審査結果は今日中にも戻ってくるはずだが、俺が直接受け
取らねばならない規則もない。つまり、今日はお出かけ日和だ。
﹁私は昔の職場にでも挨拶に行こうかね﹂
キャサリンさんも用事があるのか。
﹁あまり組の俺達で観光でもするか?﹂
﹁そうね。独り歩きならちょっと怖いけれど、レーカはこれでも腕
が立つんでしょ?﹂
ボディーガードよろしくね、とウインクするマリア。
﹁デートだな﹂
﹁ボディーガードよろしくね﹂
二度言われた。
887
888
開会式とお姫様 1︵後書き︶
長いので半分こ。
889
開会式とお姫様 2
倉庫に運び込んでおいたエアバイクを持ち出し、マリアを後ろに
乗せてデート開始。
﹁ねえ、レーカ。このエアバイクって一年くらい前にレーカが発明
したのよね?﹂
﹁そうだけれど?﹂
﹁私、このエアバイクしか見たことがなかったから疑問に思わなか
ったけれど、これって形が変じゃない?﹂
﹁何を今更﹂
ケッテンクラート化したエアバイクは原型から大きく変質してい
る。後輪がキャタピラとなったエアバイクはとにかくデカい。重い。
燃費悪い。
﹁は、恥ずかしいっ。降ろして、歩いて観光しましょう!﹂
﹁なにいってんだ、見ろよ、人々がコイツを見る目を。最高に目立
っているじゃないか﹂
﹁だから嫌なのよ!﹂
数台のエアバイクが併走し接近してくる。
890
﹁随分カスタムしたエアバイクじゃねーか! クールだぜぇぇぇ!﹂
﹁女連れたぁ、色男だなヒャッハー!﹂
﹁バイクレースの参加者か? 今年の大陸横断レースは面白くなり
そうだ!﹂
若者達の歓声。俺達はちょっとしたヒーローだった。
つーか去年生まれたばかりのエアバイクが、もう参加部門の一つ
に組み込まれているのか。
﹁柄が悪い人が集まっているんだけれど⋮⋮﹂
﹁まあバイクだし﹂
腰に回した手がきつくなり、マリアが俺に密着する。
役得というほど柔らかくもないが、まあ悪い気はしない。
﹁おりゃあ、一回転ループ!﹂
照れ隠しに曲芸。
﹁きゃああぁあぁぁあ!?﹂
悲鳴を上げるマリア。
﹁コイツはクレイジーだぜぇー!﹂
﹁イッツ、クール!﹂
891
そこに現れるのは、やはりエアバイクに跨がる騎士だった。
﹁こらぁまたお前らか! 真っ昼間から暴走行為するんじゃねぇ!﹂
﹁いけぇね、高速機動騎士隊だ!﹂
﹁てめぇら、解散だ解散ーっ!﹂
セルファークに暴走族紛いの連中を生み出した件に関して、俺は
ちょっと反省してもいいかもしれない。
﹁こっちに行けば道が入り組んでいて逃げやすいぜアニキ!﹂
﹁おう! ⋮⋮誰が兄貴だ!?﹂
﹁またか、またお前か⋮⋮!﹂
ツヴェーのそれとは比べものにはならない大きな施設。
人々の目はこれから繰り広げられる劇に、期待と興奮で輝いてい
る。
それはマリアとて例外ではない。
駐車場にエアバイクを停車させ、せかすマリアを宥めつつチケッ
トを買う。
892
コロッセオのような円形会場。その中心にて公演される物語は、
勿論︱︱︱
﹁︱︱︱父を訪ねて、三千里⋮⋮!﹂
ふふふ、いいだろう。ならば今日も今日とて見てやろう。
今日こそは、絶対にツッコミを入れないぞ!
巨大船にて世界征服の旅を続けるお姫様御一行。
︵勇者一行じゃないのか? ⋮⋮いかんいかん、ツッコむな俺︶
﹃武力に物を言わせる時代は終わりました。これからは智をもって
世を治める時代です!﹄
そう思い立った姫は、さっそく学問の聖地と呼ばれる神殿の武力
制圧に乗り出した。
︵つっこむな、つっこむな!︶
しかしそこで悲劇が!
賢者少女の転移魔法が大失敗。仲間や部下達はバラバラにはぐれ
てしまうのだった。
893
﹃部下達が集結するまでの間、暇潰しに残った部下で神殿を制圧し
ましょう﹄
﹃なんということです、私は悪魔を故郷に呼び込んでしまいました﹄
神殿の最高責任者である大神官の少女と、勇者の仲間の賢者少女
が対面する。
﹃賢者よ、悪魔に魂を売ったのですか!?﹄
﹃むしろ悪魔に飼われています⋮⋮﹄
賢者と大神官は双子の姉妹だったのだ!
﹃賢者よ、今こそ洗礼の時。試練の塔に登り、あの悪魔を打倒する
力を得るのです﹄
﹃あれを倒せとか、私に死ねと!?﹄
﹃ガンバ﹄
サムブアップする大神官に、賢者少女はうなだれつつ試練の塔へ
と旅立った。
﹃魔族さん、手伝って下さい﹄
﹃おう﹄
︵いたのか、主人公︶
894
試練の塔に挑む賢者少女と魔族の青年。
降り注ぐタライをはねのけつつ、彼らは試練の間へとたどり着く。
賢者は太古の精霊と対峙した。
﹃貴女は自身を隠さず生きていますか?﹄
﹃そうあろうと努めております﹄
﹃果たして本当にそうでしょうか?﹄
精霊が取り出したるは一冊のノート。
﹃貴女の部屋から拝借しました﹄
﹃え﹄
﹃ 職業 賢者
肉体年齢 十歳︵しかし普段の身体は封印状態にあり、力を解
放すれば二十代のグラマラスな女性となる︶
左目には邪神が封印されており、賢者の聖なる力と融合させる
ことで一万倍まで増幅する。
あまりのパワーによって髪は白に染まり、全身に拘束用術式が
浮かぶ。
拘束用術式がなければ魔力が暴発して世界の半分が抉られるこ
ととなる。
895
装備
アルティメットタクト 古代に生きた最高峰の錬金術師達が、その魂と引き換えに精製
した至高の杖。オリハルコン、ミスリル、マダスカス鋼、ヒヒイロ
カネ、オモイカネを最適な割合で融合させた超々合金にて作られて
いる。
人の至る究極の極地に存在する一本であることから、アルティ
メットの名が与えられた。レア度EXランクアイテム。
必殺技
カイザーフレイム・ゴッド・エンドレス・ラッドローチ・エタ
ーナルフォースブリザード
賢者が魂の力を全解放し一〇八の属性攻撃をまとめて放つ究極
魔法。
凄まじい光と共に、相手は死ぬ。 ﹄
﹃いやああああああぁぁぁぁ!?﹄
なんという悲劇。精霊に妄想ノートを音読された賢者は絶望のあ
まり崩れ落ちる。
﹃⋮⋮それでも、それも私の一部なのです!﹄
でも賢者負けない! 女の子だもん!
896
﹃くらいなさい太古の精霊! カイザーフレイム・ゴッド・エンド
レス・ラッドローチ・エターナルフォースブリザードォォォ!!!﹄
︵これって、それっぽい英単語並べただけだろ⋮⋮︶
精霊は死んだ。
新たな力に目覚めた賢者。しかしその表情は晴れない。
大切ななにかを失いつつも、真の賢者となった少女。
彼女の苦難と挫折はまだまだ続く。
賢者、ガンバ!
∼続く∼
﹁なんでやねぇぇぇん!!!﹂
無駄にちょっと長いし! ラッドローチの意味判ってないし!
微かに地球にいた頃の黒歴史で胸がチクチクするし!
﹁そうね、こんな盛り上がっている場面で終わってしまうなんて、
叫びたくなる気持ちも解るわ﹂
﹁マリア、お前疲れているんだよ﹂
897
うっとりと遠い目をしないでくれ。
なんだろう、この胸に残る二日酔いのような残念感は。変なもの
を見せやがって。
例の如く人々の熱の冷めやまぬ中、ステージの上に立った役者が
観客に向けて叫ぶ。
﹁皆様、今日はなんと﹃父を訪ねて三千里﹄の作者であり、天才演
劇作家のセルフ様がいらしております! チケットの裏にマークが
描かれている方、抽選一〇名はセルフ様と触れ合う機会が得られる
のです! 当たりチケットをお持ちの方はこちらへどうぞ!﹂
劇場の各所で歓声や落胆の声が上がる。次々とステージの上に客
が登り、遂にその数は九名となった。
﹁あと一名、お見逃しは御座いませんか? セルフ様は多忙なので
さっさと締め切ってしまいますよ?﹂
﹁うううっ、誰よ最後の一枚を持っているのは! 興味ないなら私
に譲ってよぉ﹂
そんなに会ってみたいのか、マリア。
あんな劇を書く奴にどうして、と呆れつつチケットを裏返す。
あった。
一〇人目の当たりマーク。
﹁レ、レーカ⋮⋮! それちょうだ⋮⋮じゃなくて早く行きなさい、
間に合わないわよ!﹂
﹁いらん、マリアにあげる﹂
898
﹁いいの? 返せって言っても返さないわよ!?﹂
喜色満面のマリア。
むしろセルフとやらに嫉妬したくなるレベルである。
俺からひったくるようにチケットを受け取り、跳ねるようにステ
ージまで駆ける。
あほくさ。俺は外で待っているか。
恍惚とした潤んだ瞳のまま機能停止したマリアの手を引き、俺は
広場までやってきた。
この状態のマリアをエアバイクに乗せるのは危ない。一旦休憩と
洒落込もう。
﹁にしても、ゼェーレストにも広場と呼ばれる場所があるが、まっ
たく別物だよなぁ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮え、なにか言った⋮⋮?﹂
﹁ナンデモアーリマセーン﹂
ゼェーレスト村の広場は、ただ道が合流した空き地だ。それなり
に広いがなにもない。案内看板がある程度だ。
この広場には石畳に色とりどりの花壇、ロータリーの中心は噴水
まである。外周には幾つも屋台が軒を連ね、縦横無尽に人が行き交
899
うのだ。ここはスクランブル交差点かっての。
﹁マリア、なにか食べたい?﹂
﹁ふふふ、セルフ様にサインもらっちゃった⋮⋮﹂
だめだこりゃ。意識が月面まで飛んでしまっている。
一人残すのは不用心なので、手を繋いでクレープ屋に並ぶ。
﹁今日のオススメを。テイクオフで﹂
﹁クレープ屋に日ごとの差なんてありませんよ、お客さん﹂
渾身のギャグをスルーされつつ、はむはむとクレープを頬張る。
祭りに乗じた店や大道芸を眺めつつ、奇妙な一団を発見した。
﹃衣装遊技同志の会﹄
そう掲げられた看板の元、着飾った人々が観客にポーズを取る。
歓声を上げつつ観客は魔法でスケッチボードに光景を写し取る。
ファンタジー世界において彼らの格好は目立ち難いのだが、もし
やあれはコスプレの類だろうか。
さながら周囲の人々はカメラマンか。
まああれも祭りの一つの興じ方だろうと視線を戻そうとして、長
い黒髪の女性が剣を持って構えているのに気付いた。
﹁我が名は勇者! レーカさん、じゃなくて魔族の青年よ私に惚れ
なさい!﹂
父を訪ねて三千里の勇者になりきっているっぽい。
900
人の名前を出さないでくれ、皆さん、あの人は俺の知り合いじゃ
ありません。
ちなみに彼女のコスプレには賛否両論だった。美人だし似合って
いるが、致命的にキャラ付けを間違っている。
﹁身内の恥ね﹂
﹁あ、おかえり﹂
さて、マリアが現実に帰還したことだし次の場所に行くか。
汝、女子の買い物に付き合うべからず。
地球において散々語られていたこの教えは、決して嘘ではないと
理解した。
﹁レーカ、こっちこっち!﹂
﹁おー﹂
﹁ねえ、どっちが似合う?﹂
﹁どっちもサイコー﹂
女の買い物ってやつは、実にアグレッシブでエネルギッシュだ。
901
幾つか買い物袋を持たされ右へ左へ。大した店のないゼェーレス
トでの鬱憤を晴らすように、実に景気良く彼女は散財していく。
﹁前にツヴェー行った時は、我慢して一銭も使わなかったのに﹂
﹁せっかくの首都だもの、お小遣い貯まってたし丁度いいわ﹂
金を使うこと自体に快楽を覚えなければいいけど。
お姫様は興味のままに歩き、そして路地へと入ってしまう。
慌てて追いかけるが、姿がない。
﹁⋮⋮どこ行った?﹂
見失ったかと焦る。路地といいつつもツヴェーの大通り並の密度
があるそこは、治安が悪くはなかろうが⋮⋮はぐれたとなれば厄介
だ。
と、側面の店の出入口にマリアの手だけが飛び出して手招きして
いた。心配させないでほしい。
入店してみるとそこは雑貨屋だった。明治か大正っぽいロスタル
ジックな佇まいだ。
﹁かわいー!﹂
小物に興味を示すマリア。普段背伸びしている彼女だが、こんな
時は年相応だ。
彼女の肩に手を置き耳元に囁く。
﹁君の方が可愛いよ﹂
マリアは黙って俺から数歩離れ、鳥肌の立った腕をさすった。
902
夏場なのに寒いのか? 風邪などをひいていなければいいけど。
⋮⋮解っているよ、気持ち悪かったんだろ。どうせキャラじゃな
いよ。
﹁む、お客さんかね?﹂
店員が店の奥から現れた。初老の老人である。
﹁気にしないで下さい、ひやかしです﹂
﹁堂々と言うな、坊主﹂
﹁⋮⋮レーカ?﹂
聞き覚えのある声が、老人の後ろから届く。
﹁ガイル?﹂
ひょっこり扉から現れたのは、ゼェーレストの家主その人。
﹁なんでここに?﹂
﹁ここ、俺の実家だし﹂
﹁マジで?﹂
ガイルが何者なのかは永遠のテーマだったが、まさかこんな庶民
の出だったとは。
﹁俺をなんだと思っていたんだよ﹂
903
﹁そう問われると困るんだけどさ﹂
そっか、ここでガイルは育ったのか。
幼いガイルが店内を走り回る姿を幻視する。それはきっと、かつ
て実際にあった光景だろう。
﹁いや、ここに引っ越したのは大人になってからだが﹂
実際にはない光景だった。
﹁ガイル、小奴は何じゃ?﹂
﹁ウチの居候だよ。レーカっていうクソガキだ。この爺さんは俺の
親父のイソロクだ。別に覚えておかなくていいぜ﹂
﹁えっと、初めまして﹂
今更だが敬語を使っておくか。
﹁うむ、初めましてじゃ。今後も会う機会があるかもしれん、よろ
しくな﹂
﹁あらレーカ君?﹂
扉の奥からアナスタシア様とソフィーが現れる。そりゃいるよな。
﹁おお、言い忘れておった。一緒に住んでおるからといって孫娘に
手を出すなよ?﹂
904
﹁お義父様、レーカ君はもうソフィーの婚約者ですよ﹂
老人の表情が凍った。
ギギギ、と油切れしたカラクリのようにこちらを向く。
﹁本当なのか、坊主?﹂
﹁え、ええ、まあ﹂
﹁どこまでいっておる?﹂
子供になんつー質問するんだ。
どこまで、といえば恋愛感情以前の段階だが。
ソフィーを軽く抱き締める。
﹁こんなことをしても抵抗されないところまで行ってますが﹂
ソフィーは腕の中でも、安心した様子で俺を不思議そうに見上げ
ている。
なんてことはない。彼女は白鋼に乗った時点で、俺に命まで預け
ているのだ。
この程度のことで抵抗するはずがない。
﹁今後よろしくなどするものか! 死ね!﹂
﹁死ね!?﹂
ひどい老害だった。
905
ガイル達と宿に戻ると、ギイハルトと出くわした。
﹁白鋼の審査結果をお持ちしました﹂
﹁わざわざお前が持ってこなくてもいいだろうに﹂
﹁用事のついでなので﹂
ギイハルトから封筒を受け取る。
全員が覗き込む。手元暗いからやめろ。
封筒の蝋を剥がし、中身を取り出す。
﹃失格﹄
﹁なんでー!?﹂
﹁まあ、そうだろうな﹂
なんでガイルは納得しているんだ。
読み進めると、しっかり理由も記されていた。
﹃浮遊装置未装備﹄
﹃魔力不足﹄
906
﹃安定性欠落﹄
﹁⋮⋮大丈夫なのかい、この飛行機﹂
ギイハルトに哀れなものを見る目で見られた。
﹁浮遊装置がないのは軽量化の為、軽い機体と強力なエンジンで短
距離離陸が出来るから問題ない。魔力だってシールドロックのクリ
スタルは高出力だから足りているし、いざとなれば俺の魔力を供給
可能だ。安定性欠落だって設計上わざとだ、ソフィーが気合いで制
御するから問題ない﹂
﹁⋮⋮それはそれで大丈夫なのかい、あの飛行機﹂
テスト飛行は飽きるほど繰り返した。問題ないと断言出来る。
﹁紙貸せ﹂
貸せと言いつつ奪い取るガイル。
﹃失格﹄に訂正線を引き、﹃合格にしろ。ガイル﹄と書き換える。
﹁これを届けろ﹂
﹁了解です﹂
﹁それでいいのか審査委員﹂
907
次の日、改めてギイハルトが合格通知を届けてくれたのであった。
﹁どうしたんだい、その顔﹂
俺は頬に紅葉を貼り付けつつも、堂々と返答する。
﹁夜這いは浪漫です﹂
この日、マリアは視線をすら合わせてくれなかった。
そして開会式にして、未成年部門の予選当日。
﹁おい、おきろレーカ﹂
ガイルに揺すられ俺はうっすら目を開く。
﹁なんだよ⋮⋮今日はもう少し寝ている予定なんだ、ほっといてく
れぇ﹂
マリアも早々は起きて、部屋に不在。ソフィーはベッドの上でぼ
ーっとしている。
﹁開会式見ないのか?﹂
908
﹁きょーみない﹂
校長先生のありがたいお話とか、あれなんの価値があるんだ。
昨日は審査でバラバラにされた白鋼を組み立てるので忙しかった
んだ。寝かせてくれ。
本来であればほどほどに解体され、それを自力で組み上げること
で機体を自分で制作したことを証明するのだが⋮⋮なぜか白鋼は完
膚なきまでに分解されていた。
呆然とする俺の前には一枚の紙。
﹃ごめんなさい組み立てられませんでした。必要なら人手を貸すの
でガイル様には内密にお願いします﹄
他人に触られるのは嫌なので全て自分で組み立てた。
一部無理外したらしくパーツが破損していた。ファック。
そんなこんなで、昨日は就寝が遅かったのだ。
﹁というわけで、寝かせて﹂
﹁共和国の大統領と帝国の姫の挨拶、見ないのか?﹂
﹁だからきょーみないって⋮⋮帝国の姫?﹂
がばっと起き上がる。
﹁お姫様って美人?﹂
﹁まあ美人には違いないな。国民からも人気があるし﹂
909
﹁なにをしているんだガイル、さっさと城前広場へ行くぞウスノロ
!﹂
﹁おい﹂
扉の前で身支度を済ませガイルを急かす。
ガイルは頭痛を堪えるように頭を押さえていた。
広場にたどり着くと、丁度大統領の開会挨拶が終わったところだ
った。
城のバルコニーを見上げる。
奥から現れたのは、ウェーブした金砂の髪の少女。
真っ赤なドレスに凛とした顔立ち。年は俺と同じくらいか。
常人とは一線を画す存在感に、観衆は一瞬息を飲み、そして大歓
声を上げた。
﹁うおおおぉぉぉぉ、リデア様愛してるー!﹂
﹁こっち向いて! 俺を見てー!﹂
﹁ガキじゃねぇか、騙したなー!﹂
﹁どさくさに紛れて叫ぶな!﹂
910
とんだ詐欺だ。もっと大人の女性を期待していたのに。
帝国姫︱︱︱リデア様は民衆を睥睨し、手元を少し見ながら口を
開いた。
﹁こんにちは諸君。我が名はリデア・ハーティリー・マリンドルフ。
帝国の第一王女じゃ﹂
あれ? なんだか彼女に見覚えがある気がする。
なぜだろう。雰囲気というか、見たことがあるような、ないよう
な⋮⋮
﹁今日は歴史ある大陸横断レースの開会式に呼ばれ、大変名誉に思
う。先の悲しい大戦より十一年、記憶も薄れ若い世代は戦争を知ら
エ
ない者も多かろう。かくいうわしも、直接見知っている世代ではな
いのじゃ﹂
ソードシップ
マリアあたりも当時三才、覚えてなんかいないだろう。
アシップ
﹁かつて空から飛来する恐怖の象徴だった戦闘機⋮⋮それまでの飛
宙船とは比べ物にならない機動性。戦争は新たな飛行手段であった
飛行機の開発を皮肉にも加速させ、やがて音の速度すら越えて銀翼
の天使達は殺し合う時代となった﹂
せきよく
あらだか
元々、この世界では飛宙船にて航空力学やエンジン技術が研究さ
れていた。
あとは枯れた技術の水平思考だ。一〇年程度で紅翼から荒鷹に進
歩したのもその辺が理由だろう。
﹁神聖な空が血の赤に染まる時代。だがしかし、戦争は終結し空は
蒼さを取り戻した﹂
911
リデア姫は大げさに腕を左右に広げる。
﹁若人達よ。最早空に境界はない、存分に己が才を振るうのじゃ!
賭けるのは命ではなく誇りである! さあ、この⋮⋮⋮⋮やって
られるかー!﹂
どうした急に。
﹁皆の者、こんな話くだらないのじゃ! そんなことよりわしの歌
を聞けー!﹂
カンペをビリビリに破き捨てる。
﹁待ってましたぁ!﹂
﹁リデア姫にお堅い話なんであわないぜ!﹂
﹁うぉーリデアちゃーん!﹂
盛り上がる民衆。この展開は予想済みだったらしい。
﹁帝国姫、リデアいっきまーすのじゃ!﹂
軽快なリズムでステップを踏み、彼女はノリノリである。
912
﹁ 行けっ 飛べっ 気になる彼は天士様♪
ツバサ震わせ コノハオトシ♪
スティック引いて スクランブル♪
音の速さなんて 置き去りね♪
ワイバーンも置き去り 鋼の天使♪
私が手を振れば 翼端揺らす♪
でも、でも⋮⋮ あの人は♪
縛られるのがキライな 自由天士♪
ねえっ ねえっ たまには顔だしてよ テ・ン・シ・様♪ ﹂
盛り上がる広場。
やりきった顔のリデア姫。
その背後からガタイのいいオッサンが近付き、首根っこを掴んで
猫のように持ち上げ退場していった。
なんだろう、この気分。
﹁わ、わるい気がしない⋮⋮﹂
アイドルが好きな人って、こんな気分なのだろうか。
確かに美人だし人気者。
でもベクトルが斜め四五度上だった。
913
予選開始まで、あと数時間。
914
開会式とお姫様 2︵後書き︶
現時点での強さランキング︵生身のみ︶を考えてみました。
あくまで目安の思い付きなので、当てにしないでください。
上から最強、下にいくほど弱くなります。
セルフ﹁演劇作家。ファンレター待ってます! 応援してね☆﹂
イレギュラー﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
アナスタシア様﹁魔法を極めたら攻撃魔法も上手くなったってだけ
よ?﹂
ロリ神﹁ロリ言うな﹂
イリア﹁ぱわーふぁいたー系﹂
ロリゴン﹁イエスソフィー、ノー拉致﹂
ラプター﹁第五世代戦闘機っス!﹂
レーカ﹁主人公最強ェ⋮⋮﹂
一〇式戦車﹁無段階変速は伊達じゃない﹂
ガイル﹁俺、天士だし﹂
キョウコ﹁私、天士ですし﹂
ガチターン﹁がはははは﹂
カストルディ﹁小せぇ人型機だな、ばらしちまうか﹂
クラタス﹁水道橋重工製です⋮⋮ふぇぇ、ばらさないでぇ﹂
冒険者志望三人組﹁﹁﹁まとめてカウントすんな﹂﹂﹂
マキ﹁真のヒロインはわたし!﹂
キャサリン﹁メイドだぞ?﹂
ウィンウィン
マリア﹁お母さんには勝てないわ﹂
ビックドッグ﹁Viiiiii⋮⋮﹂
アシモ﹁ホンダ製人型ロボット。でも階段は勘弁な!﹂
915
猫﹁にゃー﹂
ムカデ﹁いつから百本足だと錯覚していた?﹂
ソフィー﹁ムカデいやぁ﹂
916
白い鋼と赤い矢
選手控え室にて現在、俺とマリアはソフィーをなんとか奮い立た
せようと苦戦していた。
彼女は部屋に入った後、他の年上の選手達に揉みくちゃにされて
しまったのだ。愛玩的な意味で。
彼らが迷い込んだ子供の世話を焼きたがったのは、緊張を解した
い意図もあったのかもしれないが⋮⋮当人にとってはいい迷惑。
ご存じソフィーは人見知り。
突然他人に頭を撫でられたりお菓子を与えられたりした彼女は怯
えきって俺とマリアの合間に隠れてしまったのである。
彼らも反省したらしく、今は申し訳なさそうに俺達から離れてい
る。
﹁もうっ、選手控え室が個室だったらこんなことにもならなかった
のに﹂
﹁たかだか余興の、しかも予選だからな⋮⋮合同控え室は仕方がな
い﹂
さすがに他選手が悪かったとはいえ、ソフィーの人見知りにも困
ったものだ。
﹁ソフィー、これから観客の前を歩かなきゃいけないのよ? そん
なので大丈夫?﹂
ふるふると首を横に振る。大丈夫じゃないんかい。
917
﹁ならレーカの一年の努力を無駄にするの?﹂
そういう言い方もあれだけどな。
逃げ場をなくして前に進むことを強制するのは、ちょっと違う気
がする。
しろがね
﹁俺はいいよ、白鋼を作れただけでそれなりに満足だ。これはソフ
ィーの問題だよ﹂
彼女の手を握る。
﹁ソフィーだって、白鋼を乗りこなそうと何十時間も乗り続けたん
だ。その時間を徒労にするか、それとも勲章にするか⋮⋮俺はソフ
ィーの意思を尊重する﹂
なんの心配もない。きっと彼女は立ち上がる強さを持った人間だ
から。
しばし黙った後、ゆっくり顔を上げる。
﹁⋮⋮手、握ってて﹂
彼女はそう、少しだけ甘えてきた。
﹁お安い御用だ、お姫様﹂
918
﹁駄目ね、私⋮⋮﹂
今度はこっちか。
落ち込んだマリアに溜め息を吐きたい気分になる。
なぜ主役の俺が本番直前に周囲のフォローをせにゃならんのだ。
﹁私には、ここにいる資格はないわ﹂
﹁資格って﹂
﹁だって、レースに参加するわけでもない、図面も引けない、機体
の整備も出来ない私はただの部外者よ﹂
この大会にはチームで登録する。
飛行機は一人では飛ばない。大抵のチームは天士の他に五名ほど
の整備員がいるものだ。
勿論、整備員も未成年である。
俺とソフィーは当然として、マリアも一員として登録している。
たからこそ控え室に入れるのだ。
親バカなガイルは規則を破ってでも同行しようとしたが、アナス
タシア様に捻られた。
マリアの役割は雑用。あんまりだとは思ったが、事実それしか出
来ないし、本人からそれでいいいと申し出たのだ。
﹁非力な私じゃ重いパーツを運べない。ソフィーみたいに特殊な技
能もない。私なんて、ただの見習いメイドなのよ﹂
あー、もう。落ち込みスパイラルにはまっている。
﹁せめて心のサポートだけでも、って焦って、さっきは逆にソフィ
919
ーの負担になることを言ってしまったし⋮⋮駄目駄目の役立たずだ
わ﹂
ごめんなさい、と控え室を後にしようとするマリア。
自己完結して変な思考の堂々巡りに入るのは、生来彼女が真面目
な人間だからかね。
少しくらい緩く生きればいいのに。俺を見習え。
﹁確かにマリアのサポートなんて誰にも出来ることだ。けれど、そ
れを一年続けるのは誰にも出来ることではないぞ﹂
辛抱強さは、彼女の大きな長所。
﹁格納庫の掃除をしてくれたり、図面を引いている時にお茶を煎れ
てくれたりしてくれた。机で寝てしまった時なんかも毛布をかけて
くれた。あんな時間まで俺の様子を気にしてくれていてくれたんだ
って、嬉しかったんだからな﹂
裏方は見えない場所で働くからこそ裏なのだ。解析魔法の使い手
である俺には、例え壁の向こうでもお見通しだぜ。
﹁なにより、この三人で大会に参加するって決めた時。マリアが賛
同してくれて本当に嬉しかった。白鋼は三人で作った機体だ。二人
では、完成しなかったかもしれない﹂
﹁でも⋮⋮﹂
﹁それでも納得出来ないなら、ちょっと甘えさせて﹂
マリアに胸に抱き付く。
920
﹁レ、レーカ!?﹂
﹁俺だって緊張もするし不安だったりするさ。でも、マリアの温か
さは落ち着くんだ﹂
﹁⋮⋮子供みたいね、もう﹂
﹁そういう設定なんでね﹂
妙な劣情があるわけでもなく、マリアは単に温かくて気持ちがい
い。
俺みたいな似非マセガキがこう表現するのもなんだが⋮⋮母親の
いい香りがする。
⋮⋮きめぇ。俺きめぇ。うわあああ。
﹁よ、よしっ! マリアエネルギー空中給油完了!﹂
﹁私のエネルギーって油なの?﹂
さー頑張るぞー! と叫んで誤魔化す。俺は今凄い恥ずかしいこ
とをしていた気がする。
﹁ケッ、リア充がっ﹂
﹁こっちは女っ気の一つもないっていうのに﹂
﹁あの歳で二股とか、これが格差社会か﹂
おっと、人目があったなここは。
921
見せつけるように二人を抱き寄せ嫉妬を煽る。モテる男は辛いの
う!
﹁レーカ、その顔気持ち悪い﹂
﹁上がった株が大暴落したわ﹂
クールな毒舌も素敵だぜ。
﹁ありがとう、レーカ。なんだか元気出たわ﹂
﹁はっはっは、感謝のキスでもするがいい﹂
﹁︱︱︱ええ、そうする﹂
疑問に思う間もなく、頬に柔らかい感触。
﹁え、ええっ、ええええぇぇ!?﹂
﹁違うわよ!﹂
なにが!?
﹁これはおまじないよ、アナスタシア様に教えてもらった勝利のお
まじない!﹂
だからって実践しなくても。
マリアはソフィーにもキスする。女の子同士のちゅーって芸術だ。
﹁これが私に出来る最後の手伝い。わ、私はもう観客席に戻るわ!﹂
922
赤面を俺から逸らし、走り去るマリア。
﹁転ぶなよー﹂
﹁転ばないわんぎゃ!﹂
あ、転んだ。
係員の指示通り一列に並び、会場へと足踏みしつつ進行する。ま
るで運動会。
室内から外の明るさに少し目眩。
空に地上に、物々しいなんて感想を飛び越え最早圧巻すら抱かせ
る軍用機の数々。
観客席に埋め尽くす観戦客の声援に、ファンファーレの音はほと
んどかき消された。
さて、マリア達はどの辺にいるのかな。
世界最大のお祭りである大陸横断レースには、共和国帝国その他
小国様々な軍隊が警備に集結する。
それは互いの軍事力を誇示し合ったり、他国の天士と交流したり、
最新鋭機のお披露目であったりと多分に政治的要素も含むのだろう。
エアシップ
場所を選ばず溢れかえる機体。
飛宙船、<ruby><rb>戦闘機
</rb><rp>(</rp><rt>ソードシップ</rt>
923
ストライカー
<rp>)</rp></ruby>、人型機、<ruby><r
b>獣型機
</rb><rp>(</rp><rt>ビースター</rt><
rp>)</rp></ruby>がこれほど雑多に入り乱れるこ
となどそうそうあるまい。
使用用途が戦闘に限定される獣型機は軍隊で多く採用されている
とは聞いていたが、滅多に見ない獣型機の部隊はかなり物珍しい。
帝国の獣型機部隊に輪にかけて異様な白くて丸っこい奴がいるの
はキニシナイ。
レースの余興である未成年の部、その予選ですらこれほど賑わう
とは。
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
経験したことのない多くの人の視線に、人見知りのソフィーはガ
チガチに固まり俺の手を強く︵彼女の握力からすれば、だけど︶握
り締める。
﹁大丈夫?﹂
﹁だだだ、だいじょ、うぶうぶ﹂
舌が巧く動いていない。どの辺が大丈夫なんだ。
それでも真っ直ぐ歩くソフィーはたいへんいじらしい。ナンバ歩
きになっているが。
観客が﹁かわいー!﹂と声を上げる。
列がある程度の感覚を開けぴたりと停止。
白鋼の前である。
ここが予選のスタート地点。ドリットの海岸線に並べられた数々
の飛行機、白鋼もその中の一機だ。
924
どこまでも続く清水の舞台、柵なしVerと言ったところか。
あまり潮風に当てたくないな、と整備する者としては思うのだが。
白鋼の前方はすぐ舞台が途切れ、高さ二〇メートルほどの崖っぷ
ちだ。
﹁ソフィー、この距離で離陸出来る?﹂
﹁風向きが悪い。無理よ﹂
﹁なら他の機体が離陸した後に横向いて飛ぶか﹂
ちょっとタイムロスだが、仕方がない。
一〇〇機以上の参加機、その全てに操縦者である少年少女が緊張
した面持ちで立っている。
俺達は参加者中最年少に近い。一〇〇機もあると端まで見えない
けど。
二人乗り、というのも珍しいようだ。先程から俺にしがみつくソ
フィーを見てからかう奴も多い。
﹃さあいよいよ始まります、年に一度の大レース! その前座を努
める若き勇者達に拍手と声援を!﹄
実況者が司会進行。この音声がクリスタル通信で世界中に飛んで
いるのか。
というか勇者とかやめて、俺まで恥ずかしくなってきた。
﹃コースはご存じの通り、この海岸線からスタート。海上の巨塔を
旋回してこのスタートラインに戻ってくるまで! 直進、旋回、直
進で終わる単純なコースですが、故に機体性能と天士の操縦精度が
求められます!﹄
925
巨塔をどうクリアするかが肝だろう。なるべく巨塔の近くを飛ぼ
うと、デットヒートになりそうだ。
とはいえ⋮⋮白鋼の性能であればよほどのミスをしない限り勝て
るけれど。
他の機体へ目を向ける。
複葉機、三葉機、果ては箱型飛行機や布張りの機体まである。
勿論それは少数。大半は大戦の量産機をチューンしたもののよう
だ。
しかし大戦後の機体はほぼ存在しない。つまりなにが言いたいか
というと⋮⋮
︵白鋼、すげー浮いてる⋮⋮︶
エリアゾーン、くびれのボディを採用した流線型のデザインは、
この中ではかなり異質なのだ。
別に機体にくびれを入れるのは亜音速でも有効な技術だが、その
効果が顕著に現れるのは超音速に突入してから。
なので他の機体はほぼエリアゾーンを考慮していない。
︵なんでまた、第一次世界大戦クラスの飛行機とレースせにゃいけ
ないのだ⋮⋮︶
いや、そういう選手をふるい落とす為の予選なのだけれど。
予想より参加機のレベルが低い。
やり過ぎた。そんな言葉が脳裏を過ぎり、そしてどこかへ飛んで
いった。
考えても仕方がない。面白い機体があるならそれでよし、なけれ
ばサクッと優勝勝ち取ろう。
そもそもが亜音速機限定だと初めから解っていたのだ。本来、ネ
926
20エンジンではどれだけ強化しても音速は越えられない。
むしろ縛りプレイでもしようかな。エンジンカット、グライダー
のように滑空のみ、とか。
⋮⋮さすがのソフィーでも、それでは完走するのが精々だろう。
﹃本戦に進めるのは一〇機のみ! 他の人はまた来年! 落ちても
大丈夫、下は海!﹄
あ、だから海上がコースなのか。
﹃さあ若き天士の皆さんご搭乗を!﹄
やっと視線の嵐から逃れられると息を吐くと、観客席に横断幕が
垂れる。
﹁ソフィーィィィィッ! 俺が応援しているぞぉぉぉ!﹂
﹁フレーッ! フレーッ! 我が孫娘よ頑張るのじゃー!﹂
幕の左右を支える二人の男。
父と叔父の痴態に、羞恥で真っ赤となるソフィー。
他人のフリ、他人のフリ。
﹁さっさと乗り込むぞ、周りにあの二人との関係を気取られる﹂
﹁そうね、そうしましょう﹂
俺達は彼等にそれ以上の目を向けることもなく、さっさと白鋼に
乗り込んだ。
というかアンタら、俺も応援しろよ。
927
各機のパルスジェットエンジンに火が点る。
れいか
間欠燃焼エンジン特有のパパパパパ、というエンジン音。
それが一〇〇機ともなると、まるでスコールの雨音だと零夏は思
う。
焔を宿し開始の合図を今か今かと待ちわびる飛行機達の中、白鋼
はノズルから炎を漏らすこともなく沈黙し続ける。
﹃皆さん準備出来ましたか? 何機かエンジン点火に失敗しており
ますが、まあそれも実力の内。もうレースは始まっているのです!﹄
飛行機の製造から改造、そして整備技術までもがレースの一部な
のだ。コンタクトに失敗しようが、大会側は待つ気はない。
﹁白鋼もエンジントラブルだと思われているのかしら?﹂
そうソフィーが呟くと、零夏は﹁だろうな﹂と返した。
﹃では私の打ち上げる魔法が破裂するのがスタートサインです! よおおぉぉぉぉい、﹄
パシュウ、と杖の先から発射される火の玉。
火球は徐々に減速し、高度が最大に達した時︱︱︱パァンと破裂
した。
928
﹃スタートォ!﹄
人型機が二〇メートルサイズの巨大チェッカーフラッグを振った。
一〇〇機の機体が一斉に浮上する。
レトロな外見の機体群が最新鋭機でも困難なVTOLをこなすの
は、やはり零夏にとっては奇妙でチグハグな光景だ。
何機か離陸失敗し、転倒やその場で墜落。⋮⋮やはり素人設計ら
しい。
しかし白鋼にとってもそれは他人事ではない。隣の機体がバラン
スを崩しこちらへ接近してくることに気付き零夏は叫んだ。
﹁出力最大!﹂
踏み込まれるスロットル。
水素ロケットに点火、即座にパワーマキシマム。
突っ込んでくる機体を回避し崖から墜ちる。
﹁レ、レーカ!?﹂
指示に従ったら墜ちたぞと抗議の声を上げるソフィー。
﹁頭から落ちて!﹂
﹁⋮⋮っ、信じるわよ!﹂
推力偏向を駆使し機体を垂直に。
水しぶきを上げ白鋼は、水泳の飛び込みのように水中へと消えた。
水平姿勢で着水すれば、衝撃で内部機構がオシャカになりかねな
い。
929
咄嗟に海中が意外と深いと解析判断し、白鋼のナビゲーターはダ
メージの少ない姿勢を選んだのだ。
﹁水の中よ、どうするの?﹂
風防の外に魚が泳ぐのを見て、眉を顰めるソフィー。
﹁エンジンをアイドリングに﹂
ロケットエンジン状態なので吸気口は閉じているが、エンジンを
停止させると排気口から水が侵入しかねない。
﹁一〇五度機首上げ、ヨー左三〇度回頭。角度維持したままエンジ
ン全開!﹂
エンジンコントロールユニットを手動に切り替えて﹃Rocke
t﹄に固定。水中で時速一〇〇キロを越えることはほぼ不可能だが、
センサーの誤作動でラムジェットエンジンに切り替われば海水がエ
ンジンに入り致命的な損傷を受ける。それを避ける措置だ。
体勢を立て直した白鋼は水中にて加速する。
泡を置き去りに、垂直尾翼が鮫の尾ひれよろしく海上へ飛び出す。
﹃な、なんでしょうか? サメ、にしては速いですが﹄
墜落した天士の安否を気にし海面にも注意を払っていた司会者が、
海中より突出した三枚の尾ひれを見て困惑。
現在この水域に危険な動物はいないはずだが、と訝しむも、その
正体はすぐ明らかとなった。
姿を露わにする、海中より浮き上がる白き翼。
続いてコックピットキャノピーの内側にも空の青さが戻る。
930
静かに、水を振り払いつつ白鋼は離水。
抵抗が激減した白鋼は水面を這うように更に加速する。
﹁水中発進は浪漫だが、メカニックとしては勘弁してほしいぜ﹂
潮風を受けるどころか、塩水を被ってしまった。
エンジンコントロールユニットを自動に。﹃Ramjet﹄へと
切り替わり、白鋼は戦線復帰を果たす。
ソードシップ
﹃ソ、飛行機!? あれは選手番号三八番、白鋼です! 白鋼、ピ
ンチを脱しスタート成功!﹄
一度墜落してからの復帰という展開に、観客は沸き立つ。
この瞬間より、白鋼の名は表世界に出始めた。
タイムロスは甚大。トップを飛ぶ機体までの距離はかなり離れて
いる。
﹁ここからだ。目に物見せてやろうぜ﹂
﹁了解!﹂
次々と墜落していくライバル機。
﹁撃墜されているわけでもないのに、なぜ墜ちる﹂
白鋼が水没しているうちに、空に浮かんでいる機体は半数程度ま
でふるい落とされた。これからが本番、ということだ。
高度を上げつつ周囲を確認する。
遥か遠方に赤い飛行機。その後に数機が続き、後方に大多数、そ
してテールエンドに白鋼といったところか。
931
﹁速度を八〇〇キロに。打ち合わせ通り、七位前後を狙うぞ﹂
﹁うん﹂
加速では白鋼に分があるが、トップスピードであれば七〇〇キロ
を越えると思われる機体も多々ある。ネ20エンジンにしてはなか
なかの速度だ。
八〇〇キロを維持すればそれなりに追い付けるだろう。そう判断
しての、プラス一〇〇キロ。
全力で一位を狙わないのは、本戦でマークされないように。想定
外のトラブルで八〇〇キロも出しているので最早作戦の有用性自体
怪しいが、ともかく誤差を考慮に入れ七位前後を手堅く狙っている。
そう時間もかからず、巨塔は迫ってきた。﹁でかい、な﹂﹁そう
だね﹂ 対比物が存在しないこと、巨塔が馬鹿げた大きさであるこ
とから距離感が狂う。
﹁あと一キロ、4,5秒で到達する﹂ 解析魔法で正確な距離を算
出しつつ、旋回のタイミングを計る。 側面に迫る巨塔。 一〇〇
メートルまで近付いたそれは、既にただの壁だ。 この中にダンジ
ョンがあるのだ、大きいのは当然。
だが、間近で見ると本当に非現実的なサイズである。 緩くバン
クし、速度を殺さないように巨塔に沿って旋回する。 上手く角度
を掴めずもたついてしまった選手を追い抜き、巨塔スレスレを飛行。
巨塔は遠目で見るとただの円柱だが、実際はかなり凹凸がある。
障害物に衝突しないよう高度を上げ下げする白鋼。
他の機体は激突を恐れて、白鋼よりも巨塔との距離を広くとって
いる。臆病なのではなく、それが普通で常識的な判断である。
零夏の予想した巨塔付近のデットヒートは、あくまで普通の天士
932
の場合。基準が狂っているソフィーと接戦を行おうなどという猛者
はいなかった。
鮮やかに建築物の隙間を抜ける白鋼。その隙間は一〇メートルも
ない。
ソフィーにとっては造作もない技術。しかし、他選手からすれば
狂気の沙汰だった。
やがて旋回を終えスタート地点の海岸を望める位置まで来ると、
既に白鋼は先頭集団に追い付いていた。
先頭集団は数十機、この群れの前方にさえいれば本戦は確実。
もし急加速しても、白鋼の瞬発力はご存じの通り。例え軍用機で
あってもコイツの加速には追い付けない。
白鋼はようやく予選突破の安全圏に食らいついた。
﹁いち、にい、さん⋮⋮この辺が七位かしら﹂
﹁いや⋮⋮いる。ずっと先に、赤い飛行機が﹂
その異常な速度に、零夏は違和感を覚えた。
﹁なんだ、あの速度は?﹂
加速に伸びがあり過ぎる。
流線型の葉巻ボディに、翼下双発エンジン。珍しい十字の尾翼。
エンジンも勿論チューンされているだろうが、それだけじゃない。
なにか秘密があると零夏は睨み、そして違和感の正体に気付いた。
﹁プロペラ⋮⋮だと?﹂
その機体には前後にプロペラが付いていた。
ただのプロペラではない。速度を稼ぐにしてはゆっくり回転して
933
いる。それが機体の前後、双方に装備されているのだ。
︵そうだ、あれはフィアット工房で見た機体だ。あの機構はなんの
意味がある?︶
﹁レーカ! あの飛行機、風の層を纏っている!﹂
﹁⋮⋮なんだって!?﹂
口で言うのは簡単、しかしとんでもない技術だと理解した。
前方からの風圧は飛行機を浮かせる為には必要不可欠だが、利点
ばかりではない。
空気抵抗や圧縮熱、様々な障害として飛行機を邪魔している。
それらを完全に受け流しているとすれば?
つまり、あの飛行機は宇宙船。抵抗がないから加速し続けること
が可能で、そのくせ主翼はしっかり揚力を稼いでいる。
﹁それじゃああのプロペラモドキは魔導術式か、面白い﹂
風の魔法には詳しくない零夏には、想像も付かないような発想だ
った。
﹁関心している場合?﹂
﹁いや、一位はどの道譲る予定なんだ。今は精々情報収集と洒落込
も⋮⋮なんだと?﹂
加速し続ける赤い矢。その周囲を纏う空気の質が変化する。
﹁⋮⋮音速突破した!﹂
934
ネ20エンジンで音速なんて不可能。そんな常識を覆す存在が、
目の前にもいた。
﹃し、信じられません! 未だかつて音の壁を破る未成年部門選手
レッドアロウ
がいたでしょうか! 優勝候補マンフレート選手、そして赤き矢︱
︱︱赤矢! 多くの有名天士を輩出した帝国名門リヒトフォーフェ
ン家の名は伊達じゃない!﹄
興奮気味に伝える司会者。それは、大陸横断レース未成年の部に
おいて初の偉業であった。
ソニックムーブすら無効化し尚も加速する赤矢。
︵理論最高速度無限ってか、無茶苦茶だ︶
観客の視線を釘付けにする赤矢を零夏は恨めしそうに睨む。
﹁未成年部門初音速の栄光は、白鋼がかっさらう予定だったのに⋮
⋮!﹂
﹁作戦作戦。レーカ作戦忘れないで﹂
︵ふはははは、まあいい、今は音速程度で満足しているがいい︶
そう心中で負け惜しみを漏らした時、レースは動いた。
俺達の前後を飛ぶ先頭集団、その大半が加速したのだ。
﹁な、余力を残していた?﹂
先程までの先頭集団はせいぜい七〇〇キロ程度。それが、赤矢に
935
追従するように加速したのだ。
﹁違う、あれは、アフターバーナー!?﹂
加速した機体は例外なくアフターバーナーを実装、使用していた。
排気口付近で燃料の仮想物質を再噴射し出力を倍近く跳ね上げる
加速装置。しかし、ネ20エンジンはアフターバーナーと相性が悪
い。
だからこそ、白鋼はアフターバーナーの外付けなどという回りく
どいことをしているのだ。
強引に一体化すれば、魔導術式が熱で損傷しかねない。
﹁いや、だからこそ、このタイミングなのか﹂
アフターバーナー
零夏は知らないが、自壊覚悟のABは優勝狙いの機体では定番の
改造なのだ。
想定していたとはいえ予想以上の加速に、白鋼の順位は一気に落
ちる。
︵予選で見せる気はなかったが⋮⋮ゴールまで時間がない、か︶
﹁ソフィー、仕方がない。高速飛行形態!﹂
﹁了解!﹂
ソフィーが両手の操縦桿を大きく引くと、主翼が二重後退。カナ
ードも空気抵抗を減らすため短縮。
アフターバーナーの魔導術式が両翼と垂直尾翼の三カ所から展開。
三角柱状の空間を連金し、白鋼の魔界ゾーンラムレーズンエンジン
が炎の柱を伸ばす。
936
﹃Hybrid After−Burner﹄
そんな魔法のコトバによって再現される、殺人的な急加速。
酸素を消費し尽くし不完全燃焼となった炎はトーチングとして噴
き上がる。
骨が砕けてしまいそうなほどの狂った出力に、暴れ馬のように白
鋼は獰猛に他機を抜き去る。
炎のラインを空に刻み、衝撃波は他の機体を大いに震わせ。
ここに、最速の白鳥は本性を垣間見せた。
﹃白鋼が猛追撃、というか形が変わっている!? まさかまさかの
またしても未成年部門初、可変後退翼機です、っというか速すぎや
しないか!?﹄
音速を軽々と越える白鋼。赤矢以上の加速を見せ付ける飛行機に、
誰もが唖然と口を開いた。
﹁ソフィー、もういい! もう2位!﹂
﹁もう手遅れじゃないかしら?﹂
マッハ2に迫る白鋼。ソフィーの言う通り、既にこの機体の異常
性は皆理解していた。
﹁こうなったらあの赤い機体も抜くわ﹂
﹁え、なんで意地になっているの?﹂
﹁だって﹂
937
ソフィーは拗ねたように唇を尖らせる。
﹁紅を纏っていいのはお父さんだけだもん﹂
音速の赤矢と、その倍速で迫る白鋼。
速度差は一二二五キロ。白鋼にとって、赤矢など静止しているの
と変わらなかった。
抜き去るのは一瞬。
直後、海岸線を白鋼、赤矢の順で突破する。
ある程度高度があったとはいえ、ソニックムーブはガラスを罅割
り、風圧は屋台を吹き飛ばす。
一瞬の静寂。
未成年の部に不釣り合いな潜在能力を見せた二機に、人々は喝采
を上げた。
最下位からトップへ。そんな劇的な姿は、人々の記憶に白鋼の名
をしかと刻み付ける。
最初の伝説を成した白鋼のコックピットにて、ナビは頭を抱えて
いた。
﹁⋮⋮目立ちまくりだ﹂
満足げなソフィーの後頭部を小突いてやりたい気分の零夏であっ
た。
938
白い鋼と赤い矢︵後書き︶
レッドバロン レッドバロウ レッドアロウ⋮⋮く、くるしい。
プファイルの作中ネーミングには苦労しました。
そもそもなんでレッドアロウとか英語なんだよって話です。
939
キザ男と眼鏡女性
予選終了後、本来なら予選突破選手にインタビューを行ったりす
るそうだが、俺自身そういうのは苦手だしソフィーは以ての外。
大会側が用意した格納庫にさっさと着陸し、堅く扉を閉じていた。
格納庫の屋上に登り、そぉっと下を覗く。
俺達を出待ちする記者達が、扉の前に陣取っていた。
﹁出れねぇ⋮⋮﹂
﹁むぅぅ﹂
しろがね
一度海に落ちた白鋼の海水洗浄作業で随分時間を食ったはずだが、
しつこい連中だ。
風で飛んできた紙をキャッチすると、それは号外新聞だった。
﹃姿無き謎の天士! 可変翼機﹃白鋼﹄を操るのは、美しい兄妹!
?﹄
兄妹じゃねーよ。美形なのは事実だが。キリッ。
どうやら奇妙な噂が流れているらしい。
ゴシップじみた号外新聞を投げ捨て、さてどうしようかと思案す
る。
﹁早くお母さんとお父さんのところに戻ろ?﹂
﹁そうしたいのは山々だが、そのまま無策で歩いたら見つかるしな
ぁ﹂
940
明日の本戦前となれば名前は明かされるが、いち早く情報を掲載
したいのはメディアの性。
彼らとて成果なしで帰れないのだろう。あのゴシップは苦肉の策
か。
建物の扉の反対側に飛び降りようにも、人は裏手まで回り込んで
いる。
まさしく陸の孤島だ。
﹁いっそ隣の建物に飛び移るか?﹂
あれ、いい考えかもしれない。
格納庫は何棟も真っ直ぐ並んでいる。同じ設計であれば、ここに
登ってこれたように屋上階段があるだろう。
ストライカー
空に監視はない。飛び移って、降りて、何気ない顔で扉から出る。
よし名案。そうしよう。
﹁明日はエアバイクを持ってこないとな、脱出用に﹂
ソフィーに目隠しして抱き上げる。
﹁わっ、なんで隠すの?﹂
﹁暴れられても困る﹂
エアシップ
隣の建物までの距離は二〇メートルほど。飛宙船や人型機の通行
も考慮して、かなり余裕をもって開いている。
身体強化の上で助走を付ければ飛べるはず。人間はそもそも一〇
メートルは飛べるのだ。
ソフィーが困惑しているうちにジャンプ、ジャンプ、ジャンプ。
941
彼女が衝撃をモロに受けないように、膝を屈伸させソフトにラン
ディング。
何棟か隣の格納庫に飛び移り、ソフィーの目隠しを解く。
﹁うううっ、レーカ嫌いよ﹂
泣いていた。
﹁君に涙は似合わないぜ﹂
﹁レーカのせいでしょ!﹂
屋上の扉をピッキングして一階へ降りる。
そこには多くの整備員が働いていた。
⋮⋮ちょっと多過ぎないか? それに連携も練度も低い。
ソードシップ
﹁なんだこれ、ここも予選突破した選手の格納庫だよな?﹂
﹁レーカ、あそこ﹂
レッドアロウ
・・
ソフィーが指差す方向には、赤い飛行機が鎮座していた。
赤矢。未成年部門において、一応初の音速突破した機体。
﹁おー、見てみたかったんだよな﹂
空気の層を作る技術、なかなか興味深い。
942
機首と最後部に装備された、三枚ずつの回転式魔導術式。
どうやらこいつが前後で気流を繋ぎ、機体を包み込んでいるっぽ
い。
﹁⋮⋮思ったより強引な術式だな﹂
魔力消費も大きく、モーターというデッドウェイトを抱えてまで
回転させ続けなければならない。後付けだからか機構も無駄だらけ。
﹁なんていうか、概念実証機?﹂
動けばいい、みたいなコンセプトが透けて見える。
まったく新しい技術であれば新規設計の方がいいのだ。プロペラ
機にジェットエンジンを積んだところで性能を生かしきれないよう
に。
なにより問題は⋮⋮
﹁使い捨てなのか、あのブレード﹂
見合わない魔力を魔導術式に注ぎ込んでいる為に、短時間で焼き
切れてしまうのだ。
この設計では完全な解決は難しい。基本設計からやり直しなけれ
ばなるまい、そう例えば︱︱︱
﹁やれやれ、敵情視察とは品がないな、平民﹂
背後からの声に思わずスルーする。
﹁そこは思わず振り返りたまえよ、君﹂
943
﹁なあ、あれってすげー金食い虫じゃないか?﹂
背後にいたのは口元をひくつかえせ俺を睨む、金髪美形少年だっ
た。
真っ赤な軍服もどきにカールした髪。年齢は俺達よりちょっと上。
あからさまに煌びやかなオーラを纏う、お近付きになりたくない
タイプである。
﹁⋮⋮ほう、判るか。メカニックとしての腕は悪くないようだ、僕
の専属メカニックになりたまえ﹂
﹁ノーセンキュー﹂
いきなり勧誘してくるとは。
﹁君達は白鋼とかいう飛行機の天士だったね。まったく、あれだけ
世間を騒がせておいて偵察ごっことは、民衆が知れば恰好のバッシ
ング対象だぞ﹂
意外と親切だった。
﹁ご忠告どうも﹂
﹁べ、別に忠告などではない! 勘違いするな!﹂
男のツンデレとかどうしよう。
﹁それより先程の話だ。腕に覚えのある職人が足りていない。金な
ら出そう﹂
944
ああ、なるほど。この格納庫にいる少年少女は質より量で手当た
り次第に雇ったのだな。
工房の子供であれば簡単な整備くらいは可能が⋮⋮短期アルバイ
トでは連携も上手くいくまい。
﹁でも、むしろ量より質が問題になる飛行機だろ、これ。魔導術式
を刻むのは職人技だぜ﹂
﹁う、ううむ、そうなのだが、如何せんなぁ。僕はこの飛行機に一
目惚れしてしまったのだよ﹂
飛ぶ度にオーバーホールが必要なレベルで繊細な機体、実用機と
しては落第点だろう。
それこそ、愛がなければ運用出来まい。
﹁確かに綺麗な機体だな﹂
﹁そうだろう、そうだろう! スクラップになっているのを偶然見
つけてね、評判の工房でレストアしてもらい、帝国の最新鋭技術を
組み込んだのだよ! おかげでお小遣いはスッカラカンだが⋮⋮い
いさ、僕はコイツとこれからも、ハッ!?﹂
熱弁途中で我に返った。
﹁いいから早く出て行きたまえ! ⋮⋮ふむ?﹂
美形少年の視線がソフィーに向く。
しばし見つめ、そして呟く。
美しい
﹁⋮⋮Beautiful⋮⋮﹂
945
もう、黙れあんた。
フロイライン
わたくし
﹁失礼しましたお嬢様。私の名はマンフレート・リヒトフォーフェ
ン。帝国貴族リヒトフォーフェン家の長男で御座います﹂
片膝をつきソフィーの手を取るマンフロ⋮⋮言えん、キザ男でい
いや。
ソフィーは怯えつつも問い返す。
﹁リヒトフォーフェン家⋮⋮優秀な軍人を多く輩出した、あの?﹂
﹁おお、ご存じですか﹂
なんで知っているんだソフィー。
﹁これから私と共にお茶でも如何でしょう? 決して退屈はさせま
せん﹂
歯の浮くような台詞にソフィーは怯みつつも、勇気を振り絞りこ
う答えた。
﹁お誘い頂けて光栄ですわ。しかし、私共はこれから家の者と予選
突破を祝う予定ですの﹂
おお、お嬢様モードの猫被りソフィーだ。久々に見た。
﹁君は貴族の子なのかい?﹂
その切り替えになにかを感じ取ったのか、キザ男は視線鋭くそう
946
訊ねた。
﹁ふえぇ﹂
あ、お嬢様モード破綻した。
慣れないことをしていっぱいいっぱいだったのが、一瞬で限界を
迎え俺の後ろに隠れた。
アナスタシア様の教育はあんまり実を結んでいないっぽい。
まあ頼られた以上、助け船を出すか。
﹁俺の女に手を出すな!﹂
﹁なぁ!?﹂
ふっふっふ、この一言に怯まぬ奴はいまい。
﹁き、君達は、そういう関係なのか!?﹂
﹁そうだ! あ、いやそうじゃない!﹂
﹁どっちかね﹂
﹁清いお付き合いだ!﹂
うぐぐ、と歯を噛みしめた後、キザ男は踵を返す。
﹁ふ、ふん! 所詮田舎娘、僕の目に留まるのが間違いだった!﹂
﹁あ゛あ゛あ゛? 今ソフィーを貶した? なあ今ソフィーを貶し
た?﹂
947
微妙に互いに引けない状況へともつれ込む。
そこに割り込んだのは、他ならぬ張本人だった。
﹁レーカ。貴族と喧嘩しちゃ、駄目﹂
﹁⋮⋮ふん﹂
ソフィーの瞳には真剣な色しか写っていない。
﹁⋮⋮すいませんでした﹂
頭を下げる。
﹁クックック、それが貴族に対する謝罪かね?﹂
﹁図に乗るな﹂
思わずぶん殴った。後悔はしない。
床でピクピクと痙攣するキザ男を踏み越え、格納庫を後にする。
下から﹁見え﹂とか聞こえたので、もう一度蹴り飛ばしておいた。
﹁お、覚えておけよ平民! 君達のせいで赤矢のデビューが台無し
になったのだ、絶対にギャフンと言わせてやる!﹂
﹁ぎゃふん﹂
平民は貴族に楯突いてはならない。
子供のソフィーだって知っている、この世界の法則。
やはりここは日本と違うのだな、と今更ながら思った。
948
﹁おおおっ!﹂
﹁おー﹂
ソフィーと一緒に空を見上げて感嘆する。
共和国軍の戦闘機による航空ショーだ。
さすが空と密着した世界、一〇〇機以上で編隊飛行とか狂ってる。
爆撃でもされるのかここは。
ぼうれい
﹁あれは亡霊か、共和国主力戦闘機だな﹂
﹁安定性が良さそうな機体ね﹂
﹁直線ならな﹂
大戦後の新世代機開発における混乱を象徴するような機体だ。
戦闘がドックファイト主体のセルファークにおいて、なぜか運動
性が軽視された機体。
操縦次第ではかなりの運動性を発揮するのだが、コンセプトが迷
走した設計のせいでとても扱いが難しい。
しかし既に大量生産した後であり、今更設計し直すより天士の練
度を上げた方が安上がりという結論に達した。おかげで共和国軍の
天士は亡霊というじゃじゃ馬を乗りこなさなければならなくなった
949
のだ。
あらだか
共和国が荒鷹の開発を急ぐ理由の一つである。
﹁いい戦闘機なんだけれどね﹂
性能が悪ければ普及しない。総合的に見れば上出来だ。
空に描かれる共和国の国旗に、人々は歓声を上げる。
﹁すげー規模だな、大き過ぎて見えない﹂
魚眼レンズとか通さないと、カメラにも収まるまい。
﹁上手いなぁ、やっぱり﹂
﹁⋮⋮そう?﹂
訊く相手を間違えた。
﹁俺の世界だと曲芸飛行を任されるのは凄腕中の凄腕だけど、彼ら
も銀翼だったりするのかな﹂
﹁違うと思うわ。シルバーウイングスって世界で五〇人程度しかい
ないって聞くし、操縦もお父さんほど上手くないもの﹂
﹁その通りだ。彼らはトップウイングス、凄腕には違いないが銀翼
ほどではない﹂
﹁レーカ?﹂
ソフィーが声質の変化に首を傾げる。いや俺じゃないから。
950
筋肉質な男が俺達の前に立ちふさがった。雰囲気からして自由天
士?
﹁久々だな、レーカ君﹂
﹁誰?﹂
がくり、とずっこける男。お約束を理解するとは⋮⋮こいつ、出
来るっ!
ストライカー
﹁一年前に君に人型機を改修され、壊され、修理された者だ﹂
さて、皆も一緒に考えよう!
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
誰?
﹁ヨーゼフだ。まあ短い付き合いだ、忘れてしまっても不思議では
ないが﹂
﹁あっ、闘技場の!﹂
俺が初めて受け持ったお客さんだ。どうしてこんなところに。
﹁おかしいことでもあるまい、自由天士は世界を渡り歩くものだ。
951
大陸横断レースは我々にとってもいい暇つぶしだしな﹂
﹁お久しぶりです。相方の戦闘機乗りの人は?﹂
﹁アイツといつも行動を共にしているわけではないさ﹂
子供じゃないし、出会ったり別れたりすることもあるか。
﹁それより予選レースのスタートで君を見てな、素晴らしいフライ
トだったぞ﹂
﹁いえ、それほどでもありますが﹂
﹁謙遜することは⋮⋮していなかったな。ともかく、本戦も頑張り
たまえ﹂
﹁はい。頑張るのは主にこの子ですが﹂
﹁ふ、可愛らしい天士だ﹂
しゃがんでソフィーの頭を撫でようとするも、ソフィーは素早く
逃げてしまった。
﹁やれやれ、嫌われているらしい﹂
﹁女の子の頭を気安く撫でるのはどうかと。本人も極度の人見知り
ですし﹂
ヨーゼフは肩を竦める。
952
﹁どうやら私はデートの邪魔のようだ。これにて失礼する、レーカ
君、ソフィー嬢﹂
﹁応援宜しく∼﹂
後ろ手に振るヨーゼフを見送り、俺達は宿への道を再び歩き始め
た。
﹁⋮⋮?﹂
﹃カンパーイ!﹄
男達が杯をぶつけ合い、ガイル一家が貸し切ったフロアは笑い声
に包まれた。
﹁いやー見たか親父、俺の娘の勇姿をよぉ!﹂
﹁それよりワシの孫娘じゃ、なんとも素晴らしい操縦じゃったぞ!﹂
娘バカと孫バカが酒を呷り語り合う。
それ同一人物だから。あと俺も後ろにいたから。
﹁まったく、馬鹿共はこんな時間から酒盛りを始めやがって﹂
953
キャサリンさんがつまみの料理を運びつつ小言を漏らす。
﹁そうねぇ。浮かれるのは解るけれど、予選突破しただけで祝賀会
はないわ﹂
そう、祝賀会である。
宿に戻ってみれば、既にガイルとイソロクは酒瓶を開けていた。
﹁ソフィー、こっちに来い! だっこしたる!﹂
﹁嫌﹂
酒臭い父から逃げ、母の元へ逃げ込むソフィー。
﹁おうソフィー、知らないうちに大きくなったな! あはははは!﹂
れいか
﹁残念ながらアンタが抱っこしているのは零夏君であります。離せ
馬鹿ガイル﹂
ビースター
なにが悲しくて男に抱きかかえられなきゃならんのだ。
外から﹁ホモォ、ホモォ、ホモォ﹂と帝国最新鋭獣型機の独特の
駆動音が聞こえる。黙れ。
身体強化を使って腕を振り解き、アナスタシア様に抱き付く。
﹁あぁ癒される、荒んだ心が解けてゆく⋮⋮﹂
﹁大袈裟ね、もう﹂
ソフィーと俺に纏われて少し困り顔のアナスタシア様。
954
﹁はい、あーん﹂
﹁あーん﹂
アナスタシア様はソフィーに料理を食べさせる。相変わらず仲の
いい母娘だ。
親子喧嘩なんてしたことないんだろうな。
﹁そんなことないわよ。一度だけ喧嘩したことがあるわ﹂
へー、意外だ。
﹁お母さん、喧嘩なんてしたっけ?﹂
﹁ふふっ。ソフィーは知らないわよ﹂
﹁覚えていない﹂ではなく﹁知らない﹂?
変な言い回しだ、と思っているとドアがノックされた。
﹁あら、なにかしら﹂
﹁⋮⋮ギイハルトとイリアさん、それに後ろに眼鏡の女性ですね﹂
解析魔法の結果を伝える。防犯には極めて便利だ。
ギイハルト兄妹だけならばともかく、後ろの見知らぬ人物の存在
にアナスタシア様は怪訝な表情になる。
﹁軍人?﹂
﹁うーん、どうでしょう? 癖に軍人っぽさはあるんですけれど、
955
むしろ⋮⋮整備員?﹂
整備員と判断したのはただの勘だ。
﹁整備員の眼鏡の女性、まさか﹂
アナスタシア様の表情がなんとも複雑な感情を表していた。
﹁⋮⋮そう、なら開けてきてもらえる?﹂
﹁了解です﹂
ドアを少しだけ開く。
﹁合い言葉を言え!﹂
﹁合い言葉?﹂
隙間から覗く、困り顔のギイハルト。だが俺は容赦しない。
﹁山!﹂
﹁どかーん﹂
イリアが間髪入れず返答した。
﹁⋮⋮よしっ、入れ!﹂
彼女の中では山=活火山なのだろうか?
956
﹁う、うんありがとう。あと予選突破おめでとうレーカ君﹂
﹁おめでとう﹂
兄に続き祝辞を述べるイリア。
そして気になるのは、やはり二人の背後の女性だ。
﹁君が白鋼の制作者のレーカ君?﹂
ポカンと眼鏡の女性が俺を見つめる。
﹁うううっ、こんな小さな子があんな機体を作ったなんて﹂
涙目で壁に突っ伏す女性。誰だこの人。
﹁とにかく入って入って﹂
廊下で騒がれては変な噂が立ちかねない。
﹁こんにちはガイル先輩⋮⋮イソロク様もご一緒でしたか﹂
﹁おう、ギイか﹂
﹁新米銀翼の小僧じゃな﹂
酒盛りする二人を呆れた目で見つめるギイハルト。
﹁って親父、今なんつった?﹂
﹁新米銀翼、じゃが﹂
957
おお! ギイハルト銀翼に昇格したんだ!
﹁てめー教えろよ水くせーなおい!﹂
﹁すいません、伝え忘れていて⋮⋮臭いです先輩、酒臭い﹂
ギイハルトにまで逃げられるガイルだった。
﹁祝杯だ。飲め﹂
﹁いえ、すぐお暇しますので﹂
﹁俺の酒が飲めないってかぁー﹂
駄目だ、すっかり近付いたら面倒臭い人に成り下がっている。
ギイハルトがガイルとイソロクに完全に捕まったので、イリアに
用件を伺う。
﹁それで、どうしたの?﹂
﹁遊びに来た﹂
腰掛け、料理を摘むイリア。
マイペースな人だ。仕方がない、本人に訊くか。
本日やってきた理由であろう、眼鏡の女性を探す。
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
﹁あ、あの⋮⋮﹂
958
アナスタシア様と睨み合っていた。
いや、正しくはアナスタシア様が一方的に睨み、女性は竦んでい
た。
いやいや、もっと正しく言えばアナスタシア様は睨んでいない。
ただ無言無表情で女性を見つめているだけだ。
いやいやいや、無言無表情って無感情を表すわけでもないんだな。
今のアナスタシア様はちょっと怖いわ。
﹁久しぶりね、フィオ﹂
﹁はい、お久しぶりですアナスタシア様﹂
﹁なにをしにきたの?﹂
﹁白鋼を作った人とお話してみたいと、ギイハルトさんに頼んだの
です﹂
﹁それだけ?﹂
﹁そっ、それだけです!﹂
﹁ゆっくりしていって頂戴。別に気にしないから﹂
﹁はい⋮⋮﹂
女同士の静かな戦争が始まっていた。
戦争と呼ぶにはあまりに一方的にアナスタシア様が攻め込んでい
るが。
あんな剣呑としたアナスタシア様は珍しい。かつて何かあったの
959
か?
﹁白鋼、凄いですよ、ね?﹂
﹁そうね。貴女は﹃それなりに﹄腕のいいメカニックだし、あの機
体の異常性も解るのね﹂
﹁機体審査をしたの、私達のプロジェクトチームなんです﹂
この人が白鋼をバラして、そして組み立てられなかったのか。
女性が俺の元までやってきた。
﹁初めまして、フィオ・マクダネルと申します。白鋼の件はごめん
なさい﹂
﹁レーカです、初めまして。気に病まなくてもいいですよフィオさ
ん﹂
美人なのでオッケーである。何もかも水に流した。
﹁それにしても出鱈目、いえ、素晴らしい飛行機でした﹂
﹁一度失格にしたのによく言うわね﹂
﹁ううっ﹂
アナスタシア様、たとえ貴女であっても美人を虐めないで下さい。
﹁正直なぜあれで飛べるのか、今でも信じられません。非常識です﹂
960
ひでぇ。
﹁私達は大会中こそ審査委員に駆り出されていますが、普段はある
企業で最新鋭戦闘機の開発を行っているのです。その私達が白鋼に
は手も足も出ませんでした﹂
彼女曰わく、白鋼の検査を行った面々の反応は概ねこんな具合だ
ったらしい。
﹃ミスリルモノコックフレームなんて採算度外視にも程がある! しかもレイアウトが複雑過ぎて、まるでパズルだ!﹄
﹃無機収縮帯を人体構造とまったく無関係な箇所に使うだと!?﹄
﹃あのエンジンはどういう構造なんだ、意味が判らない! そもそ
もラムジェットエンジンは国家機密のはず⋮⋮!﹄
﹃アフターバーナーの規模が出鱈目だ、魔力不足に決まっている⋮
⋮搭乗者の魔力まで食らうのか、化け物め!﹄
﹃主機最大出力150kN、こんな小さなエンジンで荒鷹のそれに
匹敵するだと⋮⋮﹄
﹃ロケットのコントロールはどうやって⋮⋮マニュアルだと! 狂
っている!﹄
﹃浮遊装置を廃するなど、墜落が恐ろしくないのかこの天士は!?﹄
961
﹃離着陸は車輪で!? そこまでして軽量化したいのか!?﹄
﹃操縦が複雑過ぎる! 天士にはピアニスト以上の精度を求められ
るぞ、人間に扱える機体ではない!﹄
﹃仕様通りの機動性を発揮すれば、搭乗天士はミンチになる! リ
ミッター無しなんて狂気の沙汰だ!﹄
﹃こんな機体をレースに出せるかっ! 失格だ失格!﹄
﹃あのー、ガイル様が﹁合格にしろ﹂とお達しですが⋮⋮﹄
﹃ギャー! あの悪ガキがー!﹄
﹁はっきり言って、あの飛行機は異常です。浮かぶどころかいつ墜
ちるかと、レース中はハラハラしっぱなしでした。蓋を開けてみれ
ば前代未聞の好成績で、またびっくりです﹂
失礼な。
﹁その、それで、実はお話があるのですが﹂
﹁なんですか?﹂
﹁当社に技術者として来ませんか?﹂
スカウトか。
962
﹁民間であれだけの機体を作れる貴方であれば、企業に属したとこ
ろでさして利はないかもしれませんが⋮⋮同志と共に一つの機体を
作り上げるのは、やりがいのある仕事ですよ﹂
むむ、うまい口説き文句だ。
﹁それって企業側から勧誘してこいって命令されて来たんですか?﹂
﹁いえ私の、私達の独断です。プロジェクトチームは皆貴方に興味
があります﹂
プロジェクト、というとさっきの最新鋭戦闘機ってやつか。
﹁⋮⋮いえ、せっかくですがお断りします﹂
レース後は再びゼェーレストに引きこもって、あの村で機械いじ
りをしつつ、のんびり暮らす予定なのだ。
﹁そうですか、残念です﹂
そう言いつつも安堵した様子のフィオさん。大人ってフクザツだ。
﹁ところで最新鋭戦闘機ってどんなの?﹂
﹁荒鷹です。名前だけなら一般にも公開されているはずですが﹂
﹁おおおっ! 荒鷹の中の人か!﹂
手を握り上下にブンブン振る。
963
﹁謙遜しちゃってもう、あんな戦闘機作れる貴女も凄いじゃないか
!﹂
﹁い、いえ、私の設計なんてまだまだ無駄だらけで⋮⋮﹂
﹁しかも設計者!? サインくれサイン!﹂
﹁サイン!?﹂
俺の勢いに押されつつも、技術者だけあって会話はマニアックに
終始する。
最初はおどおどしていた彼女も、次第に緊張が解れていく。共通
の話題があれば人は盛り上がれるものだ。
外界の技術者に触れ合う機会の少ない俺にとって、この時間はな
かなか有意義。
若干寂しそうにしているアナスタシア様を気にしつつも、俺達は
様々な機体について語り合うのであった。
﹁ギイ、ここにいるのは判っているのよ!﹂
扉が吹っ飛んだ。
酒の力か、あるいはガイルの悪酒の前では女の争いなど些細なこ
となのか、その後宴会は酒臭いながらも和やかな空気で時間が過ぎ
ていく。
依然としてフィオさんとアナスタシア様は視線すら合わせなかっ
たが。
964
男二人は既にへべれけ、アナスタシア様とキャサリンさんもちび
ちび飲んでいる。キョウコは飲んでいないが、酒の匂いだけで酔っ
てしまっているようだ。
ソフィーとマリアの子供組はジュース。
俺? 子供じゃないし。
というか、いつからキョウコが参加していたんだろう。気付かぬ
うちにいたぞ。
そんな時、突然扉が吹っ飛んだ。
﹁ギイ、ここにいるのは判っているのよ!﹂
何事かと騒然となる室内、そこに堂々と一人の女性が入ってくる。
﹁エカテリーナ!?﹂
ギイハルトが叫ぶ。知り合いか。
胸元が開いた真っ赤なドレス。美人しか身に纏うことを許されな
いそれは、だが彼女本人の輝きを曇らすには至らなかった。
コルセットで絞られたウエストから上、つまり胸部に視線が集ま
る。
﹃でけぇ!﹄
俺とガイル、イソロクの声が重なる。
端的に言えば、ボイン。
違う。ボインじゃない。
バイーン! だ。
胸元にメロンを隠しているのだろうか。否そうに違いない。
﹁片手に収まらんぞ、あれは!﹂
965
﹁その癖体のラインは細いと来たか!﹂
﹁ふが! ふがふが!﹂
よくよく観察すれば耳が尖っている。エルフか。
エルフは細身。そんな固定概念を覆す、衝撃的なプロポーション。
けれどそれは革命。否定されようと弾圧されようと、決して折れ
ぬ心。
地球に存在したことわざを思い返す。
﹁昔、誰かが言った︱︱︱大きなおっは○いには夢が詰まっている
と﹂
﹁至言だな﹂
﹁真理じゃ﹂
頷き合うギイハルトを除く男性陣。
ソフィーがジト目でこちらに来たので、慌ててフォローする。
﹁けれど、俺はこうも思うんだよ﹂
﹁なぁに?﹂
﹁小さなお⊃ぱいには、未来への希望と明日が⋮⋮﹂
ソフィーは無言でコップのジュースを俺の顔にぶちまけた。
﹁てめぇ、ソフィーに欲情するとは変態やろーめ。おっぱ∠︶は大
966
きい方がいいに決まっているだろ!﹂
﹁ふん、その程度で孫娘の婚約者を名乗るとはな。片腹痛いわ﹂
無駄に尊大なイソロク。
﹁それは、自分の妻を否定しているのかしら?﹂
アナスタシア様の魔法の炎にガイルとイソロクは包まれた。
アナスタシア様だって大きい。が、エルフの女性よりは小さい。
﹁つーかさガイル、あれって本物かな?﹂
燃える服を叩いて消火しつつ、ガイルは叫ぶ。
﹁知るか、っていうか俺が知りたいわボケ! こういう時こそ解析
魔法だろ!﹂
﹁馬鹿やろう、人体解析はグロいんだぞ! ここは、実際に触らせ
てもらうしかあるまい!﹂
﹁天才だなお前! よしレーカ一等兵、行ってこい!﹂
﹁ブ、ラジャー! うはははは!﹂
﹁あはははは、﹃ブ﹄を付けるな﹃ブ﹄を!﹂
﹃せーの﹄
ソフィーとマリアが酒の入った樽を放り投げる。
967
酒のシャワーを浴びる男衆。
アナスタシア様の杖先に炎が宿る。
酔いなどすぐ冷めた。
﹁ちょ、ナスチヤ、それはまずい!﹂
﹁洒落にならん、やばいです!﹂
﹁待つのじゃ、話せば解る!﹂
ただただ無表情で火球を放つアナスタシア様。
﹁酔い覚ましよ﹂
最期に目に焼き付けるのは、謎のエルフの女性の胸の谷間であっ
た。
﹃でけぇ!﹄
断末魔であった。
キョウコが知らぬ間に胸元を強調する邪道メイド服に着替え、恥
じらう。
﹁レーカさん、女性の胸が気になるなら私のを⋮⋮きゃっ、いけま
せんよ!﹂
一人悶えるキョウコに胡乱な視線を向けた巨乳エルフは、それが
何者であるかに気付き素っ頓狂な声を出した。
﹁げぇ、最強最古!? なにやってんのよ!?﹂
968
﹁なにか?﹂
﹁え、いやその﹂
﹁黙れエルフ如きが。ハイエルフの私に馴れ馴れしい﹂
﹁ス、スイマセン﹂
女は幾つもの顔を持つのだな、と若干焦げつつレーカは思うので
あった。
キョウコの視線が謎エルフの胸に固定されていたのは、気付かぬ
フリしてやるのが優しさだろう。
﹁っていうか、なによ、この馬鹿達﹂
焦げ気味の俺達をヒールでぐりぐり踏みにじるエルフ。
﹁エカテリーナ、止めろ! この方は銀翼においても尚最強の天使
だぞ!﹂
制止するギイハルト。
せきよく
﹁げ、それじゃあコレが紅翼の天使? うっそぉ、なんでこんなと
ころにいるのよ﹂
﹁それは俺の台詞だ! エカテリーナはどうしてここに!﹂
﹁そんなの決まっているじゃない、ギイに会いに来たのよ!﹂
969
溢れんばかりの想いを隠しもせず、ギイハルトを抱擁するエル⋮
⋮エカテリーナ
﹁多忙な貴方に自由天士の私、愛し合う二人なのに、なかなか会う
機会がないじゃない!﹂
﹁君を愛しているなど言った覚えはない!﹂
﹁なに、ギイって不能なの?﹂
エカテリーナは自らの胸の谷間にギイハルトの手を突っ込んでみ
る。
﹁やっ、やめてくれ!﹂
赤面し振り払う、というか抜き取るギイハルト。反動で胸が大き
くバウンドする。
﹁あーら、可愛い。いいから粘膜のタッチアンドゴーをしましょう
よ﹂
どんな比喩表現だ!?
﹁つまり﹂
床に寝そべったまま会話に加わる。
﹁エカテリーナさんはギイハルトのことが好きで、でも会う機会は
なかなかなくて、どうやってかここにギイハルトがいると調べてや
ってきたってこと?﹂
970
仰向けに少しずつ移動し、エカテリーナのスカートの下に頭を突
っ込みつつ問う。
﹁そういうことよ、ギイは返してもらうわよ﹂
﹁どうぞどうぞ、ああイリアは置いてって下さい﹂
くそ、スカートの中は暗くて見えん。
﹁ギイ貴様、いつの間にこんなネーチャン引っ掛けた!﹂
憤慨するガイル。復活したのか。
﹁あら、よく見ると意外といい男ね﹂
と思いきや、エカテリーナは今度はガイルに興味を示す。
﹁紅翼さん、今晩私と火遊びでもしない?﹂
妖艶に舌なめずりし、上目遣いでガイルに迫るエカテリーナ。
﹁私、太くて熱いもので貫かれるのも貫くのも好きなの﹂
え、えろい人だ。さっきからスゲーえろっちぃ人だ!
﹁だ、だめですよ!﹂
フィオが割って入る。
971
﹁ガイル隊長は、隊長は⋮⋮﹂
﹁なんで貴方が割り込むのよ、あんた何﹂
打って変わり冷めた目でフィオを見やる。
﹁え、えっと、私と隊長は﹂
酒のせいか赤らんだ顔でガイルを見つめ、言葉に迷うフィオ。
ゾッ、と背筋に寒気が走った。
殺気。それを探れば、こちらを呪わんがばかりに睨むアナスタシ
ア様。
あそこまで人に敵意を向けるアナスタシア様など、いままであっ
ただろうか。
﹁彼女は軍人だったころの仲間で友人だ﹂
不毛になりかけた争いをストップしたのは、ガイル本人だった。
﹁それと、わりぃ﹂
後頭部をガリガリと掻いて、ばつが悪そうに謝罪する。
﹁さっきはあんな騒いでいたけれど、俺はナスチヤ以外の女性を愛
するつもりはないんだ。︱︱︱下品な言葉で騒いですまなかった﹂
真摯な瞳には、演技も欺瞞も感じられない。
総ポカーンである。
﹁なにマジになってんの、キモ﹂
972
エカテリーナが自分の体を抱いて、軽く身震いしつつ引いた。
コイツ⋮⋮いい性格していやがる。
﹁あほくさ、さあ部外者は退散するわよー﹂
﹁ちょ、エカテリーナ!?﹂
﹁あ、えっと! 失礼しましたぁ!﹂
ギイとフィオの腕を掴み、引っ張って出て行くエカテリーナ。
あれ、意外と空気読んだ?
先程とは打って変わり、安心した様子のアナスタシア様に、エカ
テリーナの心遣いを垣間見る。
﹁それじゃあわしも帰ろうかの﹂
﹁ん﹂
イソロクとイリアも立ち上がり、出入り口へと歩む。
そのまま帰るのかと思いきや、最後尾のイリアは振り返り、胸に
丸いパンを二つ当てて得意げにこう言った。
﹁おっぱい﹂
﹁いままでせっかく伏せ字にしていたのに!?﹂
台無しである。
973
宴会の後片付けをするキャサリンさんとマリア。
俺も手伝おうとしたが、明日が本戦ということで寝室に放り込ま
れた。
﹁ふぃー、冷たいベッドが気持ちいぃー﹂
寝台に倒れ込み、酔いに任せて意識を手放さんとする。
隣のベッドでは既に眠っているソフィー。端正な容姿はまるでお
人形だ。
﹁⋮⋮?﹂
すっかり日の落ちた外、そこに人影を見た。
﹁幽霊? ⋮⋮アナスタシア様?﹂
真っ白なので白装束と見間違えるも、それは屋敷で時折見る寝間
着姿のアナスタシア様だ。
あのネグリジェ、そういった目的・デザインでもない癖にエロい
んだよな。最初の頃は目のやり場に困ったものだ。
窓の外はバルコニー。酔い醒ましに夜風に当たっているのだろう。
そのまま寝入ってしまおうかとも思ったが、気になったので起き
あがる。
そっと、開口から外を覗く。
974
﹁あ﹂
﹁あ﹂
キョウコが俺達の寝室を監視していた。
﹁⋮⋮俺のベッド使っていいよ﹂
﹁本当ですか!?﹂
キャッホーイとベッドインするキョウコ。上でごろごろ転がり、
毛布の匂いを嗅ぐ。
﹁うふふふ、レーカさんの汗の匂い、うえっへっへっへっへ﹂
ベッドを変態に占拠されてしまったので、今晩もマリアのベッド
に潜り込むか。
いや自分のベッドに俺が寝ていたら、マリアはソフィーと添い寝
することを選ぶだろう。
ここはマリアが寝静まるのを待ってから侵入すべきだ。そうしよ
う。
アナスタシア様を探し視線を走らせる。
このバルコニーはかなり広い。流石最高級スイートである。
バルコニーの端、星と街の光を受ける彼女。
﹁アナス、タシア、さ⋮⋮ま﹂
その美しさ儚さに、俺は声を失った。
風で靡く金砂の髪。揺らめく明かりを映す碧い瞳。
黄金比を描く肢体は、妖艶であり清廉。
975
﹁レーカ君?﹂
﹁はっ、はい!﹂
俺に気付き、アナスタシア様は首を傾げた。
﹁どうしたの?﹂
﹁えっと、なんだか気になって﹂
﹁気になる?﹂
動揺のまま、取り繕うこともせず内心を漏らしてしまう。
﹁さっき。宴会の時、アナスタシア様なんだか変だった、かなぁ、
って、その⋮⋮ごめんなさい﹂
話すにつれアナスタシア様の表情が曇っていくのを見て取り、失
言だったと思い至る。
﹁私の方こそごめんなさい。子供みたいに拗ねちゃって、心配させ
て馬鹿みたいね﹂
拗ねてたんだ、そんな可愛いものにも見えなかったけれど。
⋮⋮聞くべきだろうか。なぜ、と。
他人事。俺は部外者だ。アナスタシア様とフィオさんになにがあ
ったか、など関係ない。
そんな俺が知りたいとすれば、それは単なる好奇心、まったく褒
められた感情ではない。
976
さっさと部屋に戻ろう。出てくるべきではなかった。
頭を下げて踵を返すと、後ろから抱き締められた。
﹁ふぇ!?﹂
﹁つーかまーえた、っと﹂
捕まった。
﹁このままじゃ私も気持ちが悪いわ。愚痴に付き合ってくれないか
しら?﹂
﹁はあ、そういうことなら単刀直入に聞きますが⋮⋮アナスタシア
様はなぜフィオさんを目の敵にしているんですか?﹂
﹁人聞きが悪いわね、平常心で接しようとは努めているわ﹂
感情ダダ漏れだったけれど。
﹁そうは見えませんが、なにか理由でもあるのですか?﹂
﹁そうね、愚痴だけで済まそうと考えていたのだけれど⋮⋮﹂
溜め息混じりに指先で自らの髪をくるくると弄ぶ。
﹁⋮⋮私以外にも知っている人が居たほうがいいかしら﹂
ちょっと嫌な話になるわよ、とアナスタシア様は備え付けられた
ベンチに腰掛け、俺にも座るように促した。
977
﹁フィオには、娘がいるのよ﹂
﹁へぇ、意外です﹂
腰を降ろしつつ返事をする。あの人って親だったのか。
﹁ガイルの子供なの﹂
﹁は?﹂
⋮⋮⋮⋮まじで?
あまりに衝撃的な言葉に、思考が凍り付く。
﹁それは、ガイルの過去に不誠実な出来事があったということです
か?﹂
﹁フィオは戦争中、ガイルが隊長をしていた部隊の整備員だったわ﹂
それは、一〇年前の大戦の話だった。
﹁その頃には私は既にソフィーを孕んでいた。けれどお腹はさほど
大きくなかったから、その、夜の営みはあったのよ﹂
﹁はぁ﹂
憧れの女性のそういう話とか、恥ずかしい。
ガイル
﹁フィオは幻覚魔法で私に化けて、あの人の寝室にいったの﹂
﹁うわぁ﹂
978
それは怒る。
気弱そうな女性だったけれど、大胆⋮⋮というより、考えが足り
ないタイプ?
しかも、子供がいるってことはつまり⋮⋮
ガイル
﹁ガイルは事実に気が付いた後、責任をとると言ったわ。でも私は
あの人の一晩の記憶を魔法で消した﹂
そりゃあアナスタシア様からすれば、非のない恋人が自責の念を
背負うのは嫌だろう。
つまりガイルは子供は認知していない、我が子と認識すらしてい
ないのか。
慰謝料は⋮⋮ってガイルは被害者側なんだよな。それに荒鷹の設
計者なら収入だって少なくはないだろう。
更に言えば、﹁その後﹂をしっかりと把握しているってことはア
ナスタシア様も多少は気にしているはず。
﹁その娘さんは?﹂
﹁フィオと暮らしているはずよ﹂
母子家庭か。
﹁いつか私がいないときにフィオの娘と出会っても、仲良くしてあ
げてね﹂
﹁ガイルの娘だから?﹂
﹁それ以前の問題よ。母は母、娘は娘。親の問題で子供が割を食う
979
なんて嫌よ﹂
んーっ、と大きく腕を上げ伸びをするアナスタシア様。
﹁ねえ、こんな気持ちのいい夜なんだから、もっと楽しい話をしま
しょう?﹂
﹁楽しい話?﹂
﹁例えばそうね。私達と、君の話とか﹂
﹁一年前、森で遭難したソフィーとマリアちゃんをレーカ君が守っ
てくれたのよね﹂
﹁はい、そこで﹃俺を貴女の騎士にして下さい﹄って頼んだんです
よね﹂
﹁美化しているわよ、レーカ君﹂
違ったっけ?
﹁初めはちょっと疑っていたのよ? レーカ君は何かの目的があっ
て私達に近付いたんじゃないかって﹂
そういうことを疑わなければならない立場だろうしな。具体的に
は知らないけれど。
980
﹁なら何故信じてくれたんですか?﹂
﹁異世界から来た、なんて言うんだもの。それも大真面目に﹂
かんちょう
そんな設定で潜り込もうとする間謀はいないわよ、とコロコロ笑
う。
﹁私達のことを気にする様子もなく、機械に夢中になったりガイル
と友達になったり。レーカ君が来てから、屋敷の雰囲気が明るくな
ったわ﹂
﹁恐縮です﹂
照れ隠しに敬礼。
﹁私はメカニックとして弟子を取ることはないと思っていたから、
それもいい経験になったわね。すぐ卒業しちゃって寂しかったんだ
から﹂
アナスタシア様に機械の修行を受けていたのは、ツヴェー渓谷に
修行に行くまでだった。時折相談には行くも、ツヴェー以降はソフ
ィーの隣で技術書を読むことはなかったっけ。
﹁そういえば、結局なんで俺とソフィーを婚約者にしたんですか?﹂
あの時は誤魔化されたけれど、今なら教えてくれるかもしれない。
﹁ソフィーじゃ嫌?﹂
981
﹁嫌じゃないですけれど⋮⋮﹂
﹁あげるから、守ってね﹂
あげるって、物みたいに。
﹁信頼してくれるのは嬉しいですが、ソフィーの気持ちはどうなる
んですか﹂
﹁大丈夫。このままの流れであれば、ソフィーは貴方を必要とする
わ﹂
﹁流れが変わったら?﹂
﹁分岐点は既に通過しているわ。確定事項よ﹂
いつだよ分岐点って。
アナスタシア様には、ソフィーが俺に惚れるフラグが立った瞬間
が見えていたらしい。
いつの間に個別ルートに突入したんだ、俺の人生。
﹁決めるのは俺とソフィーですよ。彼女にその気がなければ、貴女
がなんと言おうと俺から婚約を破棄します﹂
﹁いいわよ。ソフィーの幸せは私の望むところだもの﹂
その程度の決定であるなら、いいんだけれど。
俺達は、その後も日常の思い出を語り合う。
夏の出来事。秋の出来事。冬の出来事。春の出来事。
そして、最近の出来事。
982
一通り話し終えた後、アナスタシア様は俺に提案した。
ガイル
﹁私もあの人みたいに接してくれないかしら﹂
﹁ガイルみたいにって?﹂
﹁ナスチヤって呼んで﹂
それは、限られた人にしか許されない特別な愛称だった。
﹁え、でもキャサリンさんもマリアもその呼び方はしていませんし﹂
﹁キャサリンは頭が固いもの、マリアちゃんはお母さんの手前呼べ
ないんでしょうね、私としてはいいのだけれど﹂
厳しいからな、キャサリンさん。
深呼吸、意を決して呼ぶ。
﹁ナ、ナスチヤ様﹂
﹁駄目﹂
駄目か。
﹁ナスチヤさん﹂
﹁だーめ﹂
ちょ、可愛い。
983
﹁ナスチヤ⋮⋮﹂
﹁もっとはっきりと!﹂
ビシッと人差し指を指すアナスタシア様。
﹁ナスチヤ!﹂
﹁お腹から声を出して!﹂
なにかの練習かこれは。
﹁ナスチヤー!!﹂
なにやってんだ俺。
何事かと目を醒ました家人を尻目に、﹁ナスチヤ﹂と呼ぶ練習を
続ける俺。
﹁よく解らんが負けてられん! ナスチヤー!!!﹂
﹁はいはい﹂
参加した夫に、やれやれと困りつつ嬉しげな彼女。
﹁お母さーん!﹂
﹁アナスタシア様、なんなんだいこの儀式?﹂
﹁とりあえず、アナスタシア様ー!﹂
984
﹁アナスタシア様、レーカ君を下さいっ﹂
はいドサクサー!
﹁もうっ。皆、ご近所迷惑になるわよ﹂
血の繋がりがあろうとなかろうと、家族に囲まれてアナスタシア
様は幸せそうに笑っていた。
そして翌日。
俺の約一年の集大成となる、大陸横断レース本戦の日がやってき
た。
985
キザ男と眼鏡女性︵後書き︶
火傷しても笑い話で済んでいるのは、伏線でもなんでもなくただ
のギャグ補正です。
﹁帰還﹂+﹁宴会﹂、プロットではこれだけなので短く済むだろう
と思いきや、意外と長かった。
最近ジェイロゼッターを見ています。 プリちゃんはハイブリッ
ドの意味をゼツボー的に間違えている。 そしてあれはゼツボー的
に変形じゃない。変身。
986
終わりと始まり
﹁ふぅん!!﹂
呼気と共に膨れ上がる大胸筋。
﹁ふぉお!!﹂
老人の老いを知らぬ筋肉からは、湯気が立ち昇り汗が吹き出す。
﹁ぬうううぅぅぅっ!!!﹂
上腕二頭筋をしならせ、華麗かつ吐き気を催すほどに胎動する筋
肉。
﹁ふぉぉぉぉぉ⋮⋮!﹂
それは舞。とにかく暑苦しく、あまりにも見苦しく、なにより残
念なことに芸術の域に達してしまった舞踊。
﹁むふぅ!!!﹂
気合い一発。全身の筋肉がパンプアップし、その肉体美をただ一
人の観客に見せつけた。
﹁⋮⋮のう、お主よ﹂
987
﹁どうしましたかな、姫様?﹂
リデア姫は半目で頬杖をつきつつ、目の前で体操し続ける男を見
やった。
﹁わしはいつまで主の奇声を聞き続けなければならないのじゃ?﹂
とても可愛らしい金髪の小さなお姫様。
彼女にとって、男の半裸体は見慣れたものである。
﹁いやぁ、若者達が腕を競い合うのを観戦するとなると、私も胸が
熱くなりましてな。身体を冷まさねばやってられませぬ﹂
﹁なら廊下でやってこい﹂
ここは貴賓席。城のバルコニーに設置された、金を幾ら積もうと
買えない国賓用のVIP席である。
﹁私は大陸横断レースを観戦しにきたのじゃ。なにが悲しくて主の
半裸なぞ⋮⋮そもそもわしは姫じゃぞ、お姫様じゃぞ。もう少しデ
リカシーというものを﹁おお、出場選手が出てきましたぞ﹂聞けよ﹂
国民に愛されるアイドル姫。その実態は中々に苦労性だった。
もっとも、リデア姫が暴走した際に止めに入るのもこの老人だが。
開会式で姫の首根っこを掴んで回収した男はコイツである。
城前広場に並ぶ選手達。
﹁元天士として、気になる選手はおるか?﹂
988
﹁元とは失敬な、私はまだまだ現役ですぞ﹂
かつて空の戦場を駆けた男の目は、並の望遠鏡を凌駕する。
﹁いや王族相手に失敬って、いやもういい⋮⋮﹂
一人一人の顔付きを確認し、最後に予選一位、二位へと目が止ま
った。
﹁ふむ、やはり彼らですかな﹂
予選を圧倒的な速度で突破した、奇妙な二つの機体。
片方はリヒトフォーフェン家の長男ということで金に任せたと推
測出来るが、もう片方は陽炎のように予兆なく世界へと現れた。
男は少年を見つめ、驚愕する。
﹁あれは⋮⋮!﹂
﹁どうかしたのか?﹂
リデア姫の視力では、バルコニー眼下に並ぶ選手達の顔までは認
識不可能。
なぜ少年に驚いたのか、彼女には理解出来なかった。
﹁しかも隣の少女は⋮⋮!﹂
髪の色を変えていようと、その顔立ちを見間違えようか。
否。似ている、似ていないなど些事でしかない。
彼にとって重要なのは、ただ一つ。
989
可愛らしい
﹁⋮⋮Charming⋮⋮﹂
﹁もうお前黙れ﹂
そういえばこいつ、圧倒的年下の嫁を貰うようなロリコンだった
なとリデア姫は思い返し、己が貞操に若干の危機感を覚えるのであ
った。
﹁こっちに戻ってこい。万が一お主の裸体が選手の視界に入ってし
まったら重大な精神的支障をきたす。それはあんまりじゃ﹂
﹁そうですな、あ、ミルクはどこですかな?﹂
﹁紅茶用ならここに⋮⋮っておい﹂
老人はミルクのポットを腰に手を当てて一気飲み。
﹁ふう、やはり体操とミルクは最高ですな!﹂
スト
﹁なんでお前なぞがわしの世話役なのか⋮⋮唯一神セルファークを
呪いたい気分じゃわい﹂
﹁違いますぞ、姫様。私は世話役兼執事兼護衛ですな﹂
はぁ、と溜め息を吐く。
﹁いいから服を着ろ︱︱︱ルーデル﹂
ライカー
男の名はハンス・ウルリッヒ・ルーデル。かつて共和国陣営の人
型機を数え切れぬほど破壊し、悪魔、死神、魔王、破壊神、変態、
990
ロリコン、リアルチート、バグキャラと呼ばれ恐れられた男である。
せきよく
その武勇伝は銀翼の中においても際立っており、詐欺師すら彼を
語る時は嘘が嘘にならないとされるほど。
そして、かつて最強と呼ばれた天士︱︱︱紅翼の天使と渡り合っ
た男である。
地上攻撃機で。
﹁汗が引いたら着ますぞ。ふんふんふん!﹂
﹁や、やめろ! 犬のように体を振って水気を飛ばすな! 結界結
界!﹂
飛んでくる汗に最上級結界魔法で対抗するリデア姫。
過剰防御ということなかれ。ルーデルという男に常識は通用しな
い、あるいは汗粒が結界障壁を貫くかもしれない。
﹁しかも汗臭い! 水浴びをしてくるのじゃ﹂
﹁そうですな、運動の後にはシャワーを浴びるのが嗜み。おい、そ
この男よシャワー室に案内しろ﹂
﹁それは共和国大統領じゃ!﹂
今ではすっかり、リデア姫を見守るお爺さんである。
991
若干時は遡り、大陸横断レース未成年の部、開始直前の控え室に
て。
﹁ソフィー、ご機嫌いかが?﹂
﹁平気よ、今日は観客はいないんでしょ?﹂
﹁ま、そうだな﹂
昨日ほどは緊張していないソフィーに内心安堵しつつ、マリアと
試合前最後の会話を交わす。
﹁今日はおまじないはなしか?﹂
にやつく顔を必死に抑え込み、神妙に語る。
﹁な、なしよ!﹂
アナスタシア様⋮⋮じゃなかった、ナスチヤにからかわれたと気
付いたらしい。
﹁そっか⋮⋮マリアのおまじない、すっごく心強かったんだけどな
⋮⋮﹂
しおらしく悲しんでみる。
﹁ただのおまじないよ!﹂
﹁これから孤独なレースに挑むんだ、おまじないでも縋りたいんだ
992
よ⋮⋮マリアのおまじないなら、御利益もばっちりだろうしね﹂
﹁そ、そこまで言うなら⋮⋮目を閉じて﹂
よっしゃキタコレ。
﹁マウストゥーマウスでお願いします﹂
﹁んー﹂と唇を尖らす。
﹁最低!﹂
バチーンと頬を張られた。
﹁やぁ。⋮⋮なんだいその顔﹂
﹁名誉の負傷だ﹂
キザ男が指摘したのは俺の頬の紅葉である。
城内の広場にて、それぞれの機体へと乗り込む選手達。予選順位
の順番で並んでいるので、自然キザ男の隣となる。
コックピットに潜り込むと、キザ男はわざわざクリスタル通信を
繋げてきた。
フロイライン
﹃ふん、どうせそちらのお嬢様を怒らせでもしたのだろう? これ
だから女性の扱いに疎い男は困る﹄
993
ごく微力で魔力を同調させれば、距離を調節して内緒話すること
も可能だ。俺達の会話は他の機体には届いていない。
﹁フロイラインフロイラインうるせぇよ﹂
俺がもし小説の主人公だったら、作者は﹁ルビふるの面倒くせー﹂
とぼやいているに違いない。
﹃首都ドリットへとお集まりの皆さん、そして世界各地で私の声を
聞く皆さん! お時間となりました!﹄
昨日と同じ実況者が、通信機の向こうで声を上げた。
﹃例年になく異様な空気の漂う今レース! 出場する一〇名の、じ
ゃなかった、十一名の天士をご紹介しましょう!﹄
司会者は言葉だけで人々のボルテージを盛り上げ、観客もそれに
応じ沸き立つ。
本戦のスタートは城の敷地内からだった。五〇メートルはある巨
大な城壁に囲まれているので、観客の視線がないのが気楽だ。
城は首都ならばどこからでも見える。より多くの人々がスタート
を観戦出来るように、このような形式となったらしい。
観客がないということで、ソフィーとしては幸運だった。
﹃まずは例年お馴染み、教国立魔法学園の航空クラブよりの参加!
搭乗天士は部長の︱︱︱﹄
司会者は予選より気合いの入った説明を始める。これって一人一
人紹介するのか?
994
度肝を抜くのは悪くないが悪目立ちは嫌だなぁと考えつつ、他の
機体を観察。
やっぱりレベルが高い。新造機も幾つかあり、﹁参加することに
意義がある﹂などいった生半可な心意気ではない。
ソードシップ
正しい知識だけとは限らない。時に泥臭い努力で、時に奇抜なア
イディアで。
一つ一つの課題をクリアし完成した飛行機はけっして洗練されて
おらず、しかしどのような剣よりも磨き抜かれている。
この機体達を作った者達は、きっといいメカニックとなる。
﹁とはいえ、目立った機体はない、か﹂
﹃僕達と比べれば、見劣りするのは仕方がないことだ。ネ20エン
ジンによる音速突破など本来不可能なのだからな﹄
さりげなく自分を加えるな、マッハ1しか出していない癖に。
﹁拍子抜けだが、さくっと優勝トロフィーかっさらうか﹂
﹃やれやれ、これだから庶民は﹄
キザ男が肩を竦めるのを幻視した。
﹁キザ男は余裕だな、スペックの差を思い知ったのはお前だって同
じだろうに﹂
﹃さっきから、そのキザ男というのはもしかして僕のことかい?﹄
他に誰がいる。
995
﹃僕にはマンフレート・リヒトフォーフェンという名前があるのだ。
しっかりと﹃様﹄まで呼ばねば不敬だぞ、平民﹄
﹁了解しましたキザ男様。そんで、なんでそんな余裕なんでありま
すか貴族様﹂
キャサリンさんがとりあえず﹃様﹄を付けて済ます気分が解った
気がする。
レッドアロウ
﹃ふふん、僕の赤矢を昨日と同じと思ってもらっては困る﹄
赤矢が昨日と違う? 一晩で改造したというのか?
観察してみると、解析するまでもなく違いが判った。
﹁ミサイル、いやロケット弾?﹂
赤矢翼下のパイロン⋮⋮爆弾などを取り付ける部分に、小さな翼
の付いた筒が搭載されていた。
セルファークには追尾ミサイルは存在しない。が、直進しか出来
ないロケット弾は存在する。
﹃その通りだ。しかし火気管制が不調でね、点火しても射出しない
のだよ﹄
﹁つまりロケットブースターか﹂
ロケット弾を使い捨て加速装置にしているのだ。せっけぇ。
大気整流装置によって空気抵抗がない赤矢は無限に加速出来る。
しかし、エンジンはただのネ20エンジン改造品なので加速性能は
悪い。それを補う為の加速装置、というアイディアは理にかなって
996
いる。
﹁つーかエンジンはネ20エンジン以外使えないはずだが。ルール
違反だろ﹂
あれって科学固形ロケットか、珍しい。ロケット花火の凄いバー
ジョン。
クリスタルも魔導術式も高価だし、使い捨てには向かないんだよ
な。セルファークでも地球形式のロケットやエンジンは研究されて
いるのだ。
﹃これは武装だ。エンジンじゃない﹄
いや、武装付けてレース出るなよ!?
﹁そんなのありかよ。あとなんでレース機にパイロンがあるんだ﹂
﹃僕はいつか帝国軍に入るからね。その際はこの飛行機を持ち込も
うと思っているから、武装の余地は残しているんだ﹄
﹁軍隊って持ち込んだ機体を使えるのか?﹂
﹃エース級であれば、だな﹄
こいつ今、婉曲に自画自賛したぞ。
﹃︱︱︱の赤矢、本戦ではどのような飛行を見せてくれるのでしょ
うか! さあそしてラストは︱︱︱﹄
﹃しまった、貴様のせいで僕の賞賛を聞き逃したぞ!?﹄
997
賞賛じゃなくて紹介だ。
俺としては恥ずかしいので、自分の紹介なんて聞き逃したかった。
もう少し話し込んでいるべきだったな。
﹃⋮⋮なんだこれ? あっ、えっと﹄
しろがね
なんだろう、司会者が戸惑っている。
エックス
﹃な、謎の天士X! 白鋼を操るは謎の天才美少女天士! ついで
に後ろのオマケ! もういっちょ、超天才絶世美少女!! ⋮⋮こ
の原稿書いたの誰﹄
マジで誰だ。ってガイルだろうけれど。
ツテで手回しして個人情報を省いた原稿にすり替えたのだろうが、
むしろ酷い。
前部座席でソフィーが頭を抱えている。観客がいなくて、本当に
良かった。
﹃と、とにかくコースの説明に移りましょう! スタート地点は首
都のどこからでもご覧頂けるドリット城! 城壁をスタートライン
とし、首都を三周して城内へ再び着地するまでがコースとなります
! しかし勿論それだけではない、首都外周を回るスピードセクシ
ョンの他に、空中に張られたロープの輪を潜り抜けるテクニカルセ
クションが存在! 首都上空でのアクロバティックな飛行をお楽し
み下さい!﹄
﹁ややこしいわ﹂
﹁番号の旗があるそうだから、多分迷いはしないだろう。俺が暗記
998
しているから、判らなければ聞いてくれ﹂
﹁うん﹂
ナビだからな、うまく彼女をサポートせねば。
﹁だけど、最初の問題は目の前にあるよな﹂
﹁⋮⋮そうね﹂
俺達に立ちふさがる最大の壁。
それはまさに、壁だった。
﹃どうしよう⋮⋮﹄
視界が壁で満ちている。
城壁をスタートラインとする、と司会者は言った。それは偽りな
く、飛行機達は城壁に機首を向けてほぼ無距離で待機させられてい
たのだ。
浮遊装置があれば垂直に五〇メートル昇ればいいが、白鋼はそう
はいかない。
﹁なんとか短距離離陸出来ない?﹂
﹁無理よ、向かい風もないのに。こんな狭い空間ではどっちに飛ん
でも危ないと思う﹂
そりゃあ四方を壁で囲まれているんだし、風なんてないか。
横を向こうにも、大きな木が邪魔で離陸速度まで達せない。
999
﹁エンジンは強力なのだから、一度上を向いてしまえば垂直上昇出
来るわ﹂
﹁どうやって上向くか、だな﹂
﹁考えがないわけではないのだけれど﹂
﹁⋮⋮お聞かせ願おう﹂
彼女の案は、案の定ぶっとんだものだった。
﹁レーカ、降りて﹂
⋮⋮それは軽量化的な意味で?
﹁降りて、白鋼の前輪を上に放り上げて﹂
﹁人力かよ﹂
スキージャンプ滑走路が可愛く思える発想である。
﹁白鋼は俺が乗っていないと全力飛行出来ないぞ?﹂
﹁風防を開けておくから、追い付いて飛び乗って﹂
無茶を仰る。
﹁無理?﹂
﹁よゆーだし。ちょーよゆーだし﹂
1000
いいだろう、やってやろうじゃないか。
﹃時刻となりました! では、カウントダウンを開始します!﹄
風防を開けて立ち上がり、動翼のチェック。ゴーグルとしっかり
と着ける。
他の機体がアイドリングを開始するが、白鋼は燃料が勿体無いの
でまだ我慢。
﹃ナイン! エイト! セブン! ⋮⋮﹄
﹃ああ、そうだ。一つ言っておかねばならないことがある﹄
﹁ん、なんだよ﹂
隣の機内でキザ男が髪をかきあげる。
フロイライン
﹃君ではない。お嬢様に用があるのだ﹄
﹁なぁに?﹂
風防越しだからか緊張感もなく、緩んだ返事を返すソフィー。
﹃う、うむ、あー、うん﹄
早くしろ、レースが始まるぞ。
﹃昨日は田舎娘などと言って済まなかった﹄
1001
﹁⋮⋮気にしていないわ。ゼェーレスト村の方が過ごしやすいのは
事実だもの﹂
﹃そ、そうか。ではレースが終わったら改めてお茶でも⋮⋮﹄
﹃︱︱︱ツー、ワン、スタート! 大陸横断レース未成年の部、本
戦開始です!﹄
うわ、話し込んでいたら始まった!
﹃まずは僕の優勝を君に捧げよう! さらばだ!﹄
浮上開始する各機。
﹁さて、俺達も行こうか!﹂
﹁うん!﹂
機体から飛び降り白鋼の前脚を掴む。
待機していたスタッフや騎士が怪訝な目を向ける。
﹁どうしたのかね、なにかトラブルでも⋮⋮﹂
﹁お気になさらず!﹂
身体強化魔法を発動。力を籠め持ち上げる。
﹁ファイトォォォ⋮⋮いっぱぁつ、ちゃぶ台返しぃぃぃ!!﹂
跳ね上がる機首。ソフィーはエンジンを点火する。
1002
排気に軽く吹っ飛ばされつつも、目をなんとか開いて白鋼を見守
る。
ふわりと浮いた機体。推力偏向を駆使し、白鋼は城壁に貼り付く。
それはあたかも、平時に地面に据えられているかのように自然な
光景だった。
垂直に立ち上がり、空を見据える白鋼。
ソフィーがスロットルを踏み込むと白鋼は壁を車輪で滑走し始め
る。
最大出力こそ凄まじい白鋼だが、水素ロケットのみならば実は推
力重量比は1,1。垂直上昇するには心許ない。
白鋼の重量が三五二五キロなので、つまりおおよそ三五〇キロの
力で持ち上げることとなる。
ゆっくりと上昇開始する白鋼。
﹁早く乗らないと置いてかれる⋮⋮結構高いなチクショウ!﹂
ほぼ平らな城壁には取っかかりがないので、壁と対面の城を駆け
登る。
窓などに足をかけ、ひょいひょいと白鋼との追いかけっこを演じ
る。
ソフィーも後ろにひっくり返らない程度に出力を落としている、
追い付けないレースじゃない。
﹁なんじゃ、これは﹂
飛行機が壁を駆け登る、という珍妙な光景に唖然とするリデア姫。
彼女にとっての不幸は、今まさに足下から登ってきていた。
﹁っと、休憩ポイント到達︱︱︱うおぉ!?﹂
1003
﹁な、なぬ!?﹂
バルコニーに到着した俺は、気が緩んだ拍子に足を滑らせる。
そこは貴賓席、リデア姫のテーブルの前。
紅茶やクッキーをばらまきつつ、二人は衝突した。
﹁いたたた⋮⋮うん?﹂
目の前のきょとんと俺を見つめる可愛らしい少女に俺は首を傾げ
る。なぜアイドル姫様がここに。
現状把握に努め、気付いてしまう。
リデア姫を押し倒していた。
しかも手の平が、触っちゃいけない場所を触っていた。
﹁ごごご、ゴメンナサーイ!﹂
﹁あ、待て!﹂
白鋼に飛び移るも、バルコニー淵まで追いかけるリデア。
待てと言われて待つ奴はいない。少なくとも俺は御免被る。
上昇してゆく白鋼を見上げ、リデア姫は呟いた。
﹁まさか、あやつ⋮⋮生きておったのか?﹂
1004
﹃大陸横断レース未成年の部、本戦開始です!﹄
エアシップ
広域通信を聞いていた男は、やおら立ち上がる。
ここは首都近郊の林の中。小型級飛宙船の荷台に乗せた大柄な戦
闘機に乗り込み、男は誰にというわけでもなく呟く。
﹁捕縛対象の離陸を視認。作戦を開始する﹂
魔法にてターボファンエンジンに火を入れ、優雅な曲線を描く機
体は垂直離陸を開始する。
林の所々から同じように飛行機が離陸する。
﹃我々の大望だ﹄
﹃望みをお迎えに﹄
﹃逝くぞ、同志よ﹄
﹁捕縛対象、離陸しました﹂
どこかの艦橋にて、男は厳かに告げる。
﹁作戦開始﹂
その一言で動き出す艦内。
1005
﹁クリスタルルームを接続しろ、焼き切れている部分にはバイパス
を繋げ﹂
﹁各員、待機状態へ﹂
﹁各ブロックからのレスが来ました。行けます﹂
﹁機関始動﹂
﹁出力一〇パーセント。失敗は許されんぞ﹂
﹁大型級飛宙船、発進準備完了﹂
﹁バラスト排水、艦を浮上させろ﹂
﹁バラスト排水。水深、三〇〇︱︱︱﹂
﹁随分と楽しそうなことをしていたわね﹂
れいか
白鋼のコックピットで、零夏はソフィーの皮肉に肩身の狭い思い
をしていた。
﹁うううっ、不敬罪とかになっちゃうのかなぁ﹂
両親が手を回せばどうにでもなるだろうと考えつつも、なんとな
く面白くないので黙っているソフィーであった。
1006
﹁どっち行けばいいの?﹂
﹁あっち﹂
﹁どっち?﹂
他の機体よりワンテンポ遅れ垂直上昇で空に現れた白鋼に、観客
はいよいよかと沸き立つ。
予選ではともかく、本戦が開始された後も正体が明かされぬ天士。
機体名と噂を頼りに人物像を描くのは、人々にとっていい話題のネ
タだ。
白鋼の注目度は予選の比ではない。非公式の賭では白鋼と赤矢に
オッズが集中し、他の機体は大穴状態であった。
速度差が歴然としていた白鋼と赤矢だが、それでも倍率はほぼ同
等。なぜなら白鋼は後退翼形態しか披露しておらず、外見だけで判
断すれば直線翼の赤矢の方が運動性能に優れているように見えたか
ら。
観戦に熱狂する人々とて、白鋼の真の姿を知らない。
﹁こいつは、直線番長なんかじゃないぜ﹂
﹁とりあえず音速出していい?﹂
零夏のゴーサインを受け、ソフィーは双方の操縦桿を後ろに引く。
高速飛行形態となり、超音速で大気を貫く白鋼。
眼下に亜音速で飛ぶライバル機を収めつつ、零夏は遙か遠方の赤
い矢を解析にて発見した。
﹁言うだけある、速いじゃないか﹂
1007
マッハ2オーバーで加速し続ける赤矢。開幕にロケットブースタ
ーを使用した為、開始早々に音速突破していた。
スペック上の最高速度、マッハ2,6で飛行する白鋼。それでも
尚エンジンパワーには余裕がある。
例年のタイムを大幅に更新してポイントを通過する二機に、観客
は今年度の大会が歴史的なものになると確信していた。
首都の外周を飛ぶ彼らは、やがて特に人の多い場所へ至る。
空に設置された、幾つものロープの輪。
でかでかと輪の下に番号が振られているのを確認し、これなら迷
うこともないだろうとソフィーは安心した。
テクニカルセクション。性能と技術を求められる、レース最大の
見せ場である。
﹁あとはソフィーの自由にやってくれ。エンジンは俺が最適な状態
にし続ける﹂
﹁了解︱︱︱前進翼形態!﹂
主翼が、風に逆らうかのように前方へと変形する。
白鋼は幾つかの姿を持つが、実のところはこの姿が基本だ。
重心も、操縦系統も、エンジンも。
揚力を最大限に発揮し、極めて不安定な制御下にて超絶的な運動
性能を発揮する為に調節されている。
元はといえば高速飛行形態とてソフィーの要望である﹁翼のよう
に動かせる主翼﹂の変則パターンの一つでしかないのだ。
ループをくぐる白鋼。
本来であればセクション内のループを突破する為に大きく旋回を
繰り返すところであるが、白鋼は違う。
くぐり抜けた瞬間、機首を回し次のループへと向かうのだ。
1008
僅かな風ですらバランスを崩す過激なセッティングは、しかしそ
れを御する者にとっては武器でしかない。
常人であればGで圧死するほどの旋回を繰り返す白鋼に、目下の
人々は歓声を上げることすら忘れ見上げるしかなかった。
ソードシップ
﹁ソ、飛行機だよな、あれ?﹂
﹁なんであんなに軽い動きなんだ、魔法でも使っているのか﹂
﹁天士は化け物か?﹂
極限まで軽量化された機体は、慣性を振り切り鋭角な軌道を描く。
人類の目にしたことのない、前代未聞の軌跡。それまでの飛行機
の限界など、次元の違う存在にとっては比較対象にすらならなった。
空を見上げる一部の者は、飛行機が世に現れた日を思い返す。
大陸横断レースは本来、小型級飛宙船による競技だった。
競技用に改造された飛宙船、しかしその船体は太く、野暮ったい。
そんな中に一機、細く洗練されたシルエットの機体が存在した。
常時浮遊装置を起動させるのではなく、主翼の揚力によって高度
を維持する新たな発想の航空機。
圧倒的な速度を見せつけ世界を圧倒した、紅の翼。その再現を時
を越え娘が成し遂げたのだ。
﹁なんだあれ、翼が前に向いているぞ﹂
﹁風に逆らった翼? なぜあんな形なんだ?﹂
そして前進翼という技術もまた、人々には異質なものとして映っ
た。
空とともに歴史を歩んだこの世界。航空機を目にする機会が多い
1009
セルファークの民にとって、翼とは風に逆らわない形状の物、とい
う固定概念があった。
前に伸びる羽など、有り得ない。自らの認識と目の前の現実のせ
めぎ合いに、常識が崩れ落ちる音を聞いた者は少なくなかった。
瞬く間にセクションをクリアする白鋼。
既に、赤矢は目の前だ。
﹁捉えたぞ、キザ男!﹂
﹁操縦したの私よ?﹂
﹃⋮⋮ああ⋮⋮たの⋮⋮﹄
ノイズ混じりの通信に眉を顰める零夏。しかも速度は遅く、六〇
〇キロ程度しか出ていない。
テクニカルセクション後ならば速度が落ちていてもおかしくない。
が、ロケットブースターを残す赤矢がスピードセクションで加速す
る様子を見せないのは不自然。
この距離なら低魔力でも通信は通じるはずだが、と思い出力を上
げてみる。
﹁キザ男、機体のトラブルか? ソフィー、相対速度を合わせてく
れ﹂
﹁いいの?﹂
﹁いいさ、トラブルが直れば今度こそ勝負に応じればいい﹂
平行飛行する白鋼と赤矢。
1010
﹃⋮⋮にか、おかしいぞ。先程から司会者の実況が聞こえない﹄
零夏ははたと気付いた。世界中に放送されるはずの通信、レース
中でも絶対に聞こえてくるはずなのだ。
﹃その様子ではそちらでも聞こえていないのだな﹄
﹁大会側の設備の故障? いや⋮⋮﹂
﹃ああ、僕達の通信まで不調となっているのだ。これは⋮⋮﹄
将来的に軍人となる予定のマンフレートと、技術屋の零夏は同じ
答えに辿り着く。
ジャミング
﹃﹁︱︱︱広域通信妨害?﹂﹄
あらだか
荒鷹に近い構成とシルエット、軽く後退したデルタ翼と二枚ずつ
の水平尾翼と垂直尾翼。しかし機体構成は一回り大きく、なだらか
な曲線を描く飛行機が飛んでいた。
まいづる
関係者からは﹁グラマラス﹂と評されるほど美しいそれは、帝国
軍最新鋭機・舞鶴である。
帝国の姫君を護衛する騎士ではない。先程、忍ぶように離陸した
男の機体だ。
町の上空を飛ぶ舞鶴に、人々は怪訝な視線を向ける。
1011
レース中は非常時以外、無許可での飛行は禁止なのだ。観光客用
の飛宙船はともかく、飛行機が飛んでいるはずがない。
舞鶴はレース参加機の最後尾、教国立魔法学園の航空クラブが制
作した機体の後方へとつく。
﹁なんだ、大会の飛行機か?﹂
搭乗天士は後ろを飛ぶ機体に首を傾げる。先程からノイズが酷く
実況がままならないので、レース中止を告げに近付いてきたのかも
しれない。
スタートに出遅れて最下位に甘んじていたのだ、むしろ仕切り直
しは有り難い。そう考えた彼は、舞鶴の機首が煌めくのを見る。
非武装のレース機に対する30ミリ機銃砲の掃射。外部からのダ
メージを考慮していない機体が大口径機銃に耐えられるはずもなく、
空中破砕され墜落した。
建物に衝突した機体が爆発し、大小様々な破片や瓦礫が人々に降
り注ぐ。
突然の惨状に混乱常態へと陥る観客達。破片で怪我をする者も少
なくない。
しかし、彼の死など更なる惨劇の幕開けを告げる狼煙でしかなか
った。
規定コースに沿って飛行する舞鶴。
通信の届かぬ状況で参加選手達は後ろから迫る死に気付かず、一
機、また一機と墜ちてゆく。
明らかに個人による犯行のレベルを越えたジャミングに、スクラ
ンブル発進した軍機も犯人の空域に辿り着けない。
そして残るは戦闘グループ、白鋼と赤矢のみとなった。
﹁キザ男、後ろから機体が来るぞ﹂
1012
﹃うむ、確かにレース機ではないね。あれは︱︱︱﹄
赤矢の後ろに忍び寄る舞鶴。
放たれる機銃。
赤矢は咄嗟に⋮⋮否、直前に操縦桿を引き、紙一重で回避した。
﹃︱︱︱あれは、舞鶴ではないか! 気を付けろ、こいつは軍属で
はない!﹄
軍人の家系であるマンフレートは、舞鶴が未だどの部隊にも配備
されていないことを把握していた。だからこそ、瞬時に回避という
選択肢を選べたのだ。
﹃近衛騎士にすら配備されていない機体が、どうして!?﹄
﹃チッ、リヒトフォーフェンのガキか。だが非武装の機体でなにが
出来る﹄
追撃する舞鶴に、逃げる赤矢。非武装ながらもレース機として軽
快な機動を見せる赤矢を舞鶴はなかなか捉えられない。
﹁なんだ、こいつ!? 実弾をぶっ放したぞ!﹂
﹁凄い、後ろの機体の挙動を予測して上手く避けているわ﹂
赤矢の見事な回避運動に関心するソフィー。
赤矢と舞鶴は倍ほども大きさが違う。その名の通り追跡者を鶴と
すれば、逃げる赤矢は雀。
機敏に逃げ回る小さな赤矢は、舞鶴にとって狙いにくい標的だっ
た。
1013
﹃見惚れるのは仕方がないが、早く逃げたまえ! こいつは僕が引
き付ける!﹄
﹁非武装のお前が何を、白鋼も︱︱︱﹂
﹃非武装なのはお互い様だろう! それに君を守るのではない、そ
ちらの少女まで戦場に連れ出す気か!﹄
く、と悔しげに声を漏らす零夏。マンフレートの言は正論である
が、男として認めがたいことであった。
﹃気にないでくれたまえ、僕とて軍人⋮⋮の卵だ。民間人を守るの
は義務と言っていい﹄
左右に機体を振りシザーズにて巧みに舞鶴の射線から逃げる赤矢。
﹃それに、完全な非武装などではないっ﹄
﹃むっ!?﹄
攻撃手段などないと高をくくり不用意に接近していた舞鶴目掛け
て、使用済みのロケット弾を投棄する。レース中に町へと落とすわ
けにはいかないので、付けっぱなしだったのだ。
回避する舞鶴。しかしロケット弾は空中にて爆発し、榴弾を撒き
散らした。
バスバスと金属片が舞鶴のアルミ外装を貫く。戦闘機の外装は軽
さを求めて薄い場所がほとんど。その薄さは、押せば凹むほどであ
る。
だからこそ、武器取り付け箇所を骨組みと直結したハードポイン
1014
トと呼ぶのだ。
﹃ははっ、やってみるものだな!﹄
﹁近接信管か!?﹂
そのような技術がこの世界に存在したのかと驚く零夏。敵機の近
くまで到達した時点で爆発する近接信管にはレーダー技術を要する
ので、この世界には存在しないと考えていた。
﹃遅延信管だ!﹄
﹁タイマーか、よく当てたもんだ﹂
舞鶴のダメージは、敵天士にとっては幸いに軽微であった。巨体
を誇る舞鶴に、離れた場所で爆発した空対空武装では少々不足であ
る。
しかしプライドは別。
﹃俺の、俺の舞鶴が、キサマ、貴様ァ、貴様アアァァァ!!﹄
激昂した天士に対し、マンフレートはいい兆候だとほくそ笑む。
敵が冷静さを失えば色々とやりやすい。
﹃見ての通りだ、最新鋭機といえど僕の敵ではない! 足手纏いは
どこかに行きたまえ!﹄
﹁⋮⋮ソフィー!﹂
﹁ごめんね、キザ男さん﹂
1015
離脱する白鋼に安堵するマンフレート。
︵はは、彼女にまで名前を間違えられるとは︶
空域に敵機と赤矢だけとなり、彼は背筋が寒くなる。
マンフレートとて零夏やソフィーとさほど変わらない歳の、ただ
の少年だ。幼少から天士としての訓練を受けているとはいえ怖くな
いわけがない。
ずっと、女の子を守るのだと自身に言い聞かせて堪えていたのだ。
﹃殺す、墜とす、死ねやぁ!﹄
﹃やれやれ、優雅さが足りないな君は︱︱︱﹄
心は臆病に。表は冷静に。
必死に思考回路を回転させ、敵の行動を誘導し、自らを虚栄する。
彼我の機体性能は段違い。赤矢に帝国最新技術の整流装置が搭載
されているとはいえ、相手は共和国の新型対抗馬として製造された
最新鋭。比べるのが間違いだ。
勝るのは回避能力のみ。射線の読み合いをミスすれば、機銃が赤
矢をスクラップにしてしまう。
︵避けろ、避けろ! チャンスを探すのだ!︶
﹃お前さっき面白いことを言っていたな、民間人を守るのは義務だ
とか﹄
﹃それがどうかしたかね﹄
1016
﹃ククク、ならこれはどうだ?﹄
舞鶴は機首を下方、混乱し逃げ惑う民衆へと向ける。
躊躇うこともなく引かれるトリガー。
地上にて赤い花が咲いた。
﹁う、わあぁぁぁ!?﹂
﹁腕が、腕がどこか行った!﹂
﹁あ、ああっ、耳が痛い!﹂
赤い霧が発生し、人間がミンチとなる。
30ミリ機銃砲の弾丸は側を通過しただけで、肉が抉れ鼓膜が破
れる。
直撃しようものなら、人の形が残らない。
一秒にも満たない掃射にて数十人が死傷し、その一角は地獄絵図
と化す。
﹃き、貴様!?﹄
﹃動きが止まったな、クソガキ! 墜ちろや!﹄
弾頭が、赤矢の主翼を貫く。
ただ数発。しかし30ミリ機銃砲の威力は、赤矢の主翼をもぎ落
とすほどだった。
﹃っ︱︱︱それでも天士か、天空の騎士か!?﹄
﹃ははは、当たったぞ! ざまぁみろ!﹄
1017
満足し機首を翻す舞鶴。追うは白鋼以外にない。
ある意味、正しいのは敵機の天士である。戦争に騎士道を持ち込
む者は長生きしない。
︵だが、だがっ。それでも守らなければならない一線があるだろう
!?︶
錐揉み落下しつつ、彼は悔しさで歯を食いしばる。
軍人として育てられたマンフレートには、男の哲学は受け入れが
たい、受け入れるわけにはいかないものだ。
民間人は戦争の尖兵にあらず。殺し合うのは、殺される覚悟のあ
る者達でやればいい。
魔導術式の回路を切り替え、大気の流れを変化させる。
﹁浮かべえええぇぇぇぇぇッ!!﹂
操縦桿を渾身の力で引く。
舞鶴は赤矢の変化にも気付かず、加速を開始する。
残る本命を追いかける男は上機嫌で、鼻歌すら歌う。
そんな時、コックピットの側面を追い抜く小さな影に気が付いた。
﹃ロケット弾?﹄
男は背後を確認する。
そこには、ありったけのロケット弾を叩き込む赤矢の姿があった。
﹃馬鹿な!? なぜ︱︱︱?﹄
後ろから何発ものロケット弾を撃ち込まれる舞鶴。
1018
ありったけのロケット弾、その全てのタイマーが起動する。四散
した榴弾によって舞鶴は全身隈無く蜂の巣にされ最早飛行不可能と
なっていた。
穴が幾つも開いた風防、その内面は赤く染まっている。
鉛玉に身体を抉られ死に呈の天士は、納得行かなげにぼやいた。
﹃︱︱︱なぜ、それで浮ける⋮⋮?﹄
自身の敗北の理由が判らぬまま、生存不可能な角度と速度で墜落
する舞鶴。
﹃覚えておけ、帝国の技術は世界一なのだ⋮⋮!﹄
舞鶴に代わり背後から現れたのは、片翼となりつつも飛行する赤
矢だった。
もがれた翼に代わり、見えない大気の翼を作り出したのだ。
﹃やったぞ、父上、僕はッ﹄
紙一重の、人生初めての実戦での勝利を勝ち取ったマンフレート。
赤矢の機体を、数門束となった30ミリ機銃が粉砕した。
呆然と少年は空を見上げる。
空の青さに紛れ、複数の機体が自分を睨んでいた。
空中分解し、墜落してゆく愛機。
︵馬鹿な︱︱︱何故︶
空を舞う一〇機以上の舞鶴。
︵なぜ、舞鶴があんなに︶
1019
最後に彼が思ったのは、そんな思考だった。
地に落ち爆散する赤矢。
それを冷めた目で見つめる天士達がいた。
﹃一機、舞鶴が墜ちたぞ﹄
﹃奴は同志として器ではなかったのだ﹄
﹃情けない、レース機に墜とされるとは﹄
﹃手に入れた貴重な先行量産型を、生きていようと奴隷は免れぬ﹄
口々に男を責める天士達。しかしそこに民間人攻撃を言及する声
はない。
﹃露払いは済んだ。姫君を迎えに行こうぞ﹄
﹃然り﹄
﹁キザ男さん⋮⋮﹂
ソフィーの人並み外れた視力は、裸眼であっても彼の死を認識し
ていた。
さして親交があったわけではない。むしろ、その場の勢いであり
気にしていないとはいえ自分を侮蔑した相手であるし、馴れ馴れし
1020
さは彼女の肌に合わないものだ。
しかし、それでも彼は騎士だった。絵本に出てくるような、尊敬
されるべき最期だった。
﹁うっ、うう⋮⋮﹂
死者の為に嗚咽するソフィーに、零夏は声をかける余裕もなかっ
た。
飛行前には軽口すら叩いていた相手が、もうこの世にはいない。
その事実は彼に重くのしかかっていた。
前触れもなく知り合いがいなくなる。彼にとって、それは未経験
の恐怖だった。
︵なんだよ、テロリストかこれは? なんで死ななきゃいけないん
だ?︶
まるで、この首都に死神がやってきたかのような感覚。
奴は姿も見えず、気紛れに老若男女選ぶこともなく首をはねる。
先程、舞鶴は地上に向けて機銃を放っていた。地上でも被害が出
ているかもしれない、いや出ていないはずがない。大会期間中、ド
リットに人のいない場所などないのだ。
ここは、もう無法の狩り場だと認識せざるを得なかった。
﹁⋮⋮ソフィー﹂
溢れそうな感情を飲み込み、必死に思考を巡らせる。
今この町で一番安全な場所はどこか。郊外へ飛ぶ? 宿に戻る?
﹁城、そう城だ。ソフィー、城へ飛んでくれ﹂
1021
﹁⋮⋮うん﹂
早く逃げなければ、赤矢を墜とした舞鶴がこちらへ来る。
︵トップスピードはたぶん同レベル、でも加速はこっちが上だ。大
丈夫︶
知らぬ間に海岸線まで到達していた機体は進路を変える為、翼を
翻そうとする。
城ならば多くの天士がいる。避難民が押し寄せているかもしれな
いが、あるいはソフィーだけならガイルのコネで預かってもらえる
かもしれない。
誰かの命に横入りするような真似に自己嫌悪するも、憂鬱な想い
を振り切る。
︵ソフィーの為、なんて言い訳しないからな、俺は⋮⋮アイツと同
じワガママを通すだけだ︶
女の子を優先して守る、そのエゴを貫くだけ。そう言い聞かせる。
俺に何かあった時、自分のことを優先して二人死んだとなればソ
フィーも余計な物を背負ってしまいかねない。
声にしていない決意など、結局自己満足、自己保身でしかないの
だけれど。
︵⋮⋮あれ、どうしたんだ?︶
いつになっても旋回を始めない白鋼に気付いた。
﹁ソフィー?﹂
1022
﹁海が﹂
海?
﹁海が、持ち上がっている﹂
彼女の意味不明な言葉に、零夏は自分の目で確かめる為に海を凝
視する。
それは、まさしく持ち上がる、としか表現出来ない光景だった。
否、持ち上がるのは海ではない。海の下にある﹃何か﹄だ。
海坊主が現れるかのように、大量の海水を押し退け浮上する物体。
大きい。水平線の先まで持ち上がっているのだ、想像を絶する大
きさだ。
﹁なんだ、なんだコイツは!?﹂
初めに見えたのは司令塔。
海水が物体の淵から零れ落ちるにつれ、その全景が露わとなる。
ハリネズミのように空を睨む高射砲。
大型級ですら停泊出来るドッグ。
僅かに湾曲する形状から、それが円盤であると判る。
それは、基地だった。
視界を埋め尽くす、鉄の陸地。
直径一〇キロメートルに達する、空中移動要塞。
﹁これは、ガイルが言っていた⋮⋮﹂
首都に着いて着陸する前に、海中に見た建築物。
かつての戦争にて天文学的な費用を要し建造された、二大強国の
切り札。
1023
ただ一隻にして小国を焼き滅ぼせるとされる最悪の兵器。
ソフィーはその怪物に覚えがあった。技術的軍事的知識ではなく、
歴史的知識として。
﹁超大型︱︱︱ラウンドベース級飛宙船﹂
水中で秘密裏に修復された厄災は、亡霊達の旗艦として空へと還
る。
零夏はいつか交わしたキョウコとの会話を思い出す。
空に浮かぶ城はあるのか、という質問にキョウコは幾つか存在す
ると返答した。
︵それが、こいつなのか!?︶
アニメ映画のような幻想的でロマンチックなものではないが、城
=要塞と考えればまさしく天空の城だ。
﹃お探ししました、姫君よ﹄
突然の無線に、二人は慌てて周囲を確認する。
﹃先のセクション通過、見事でした﹄
﹃ですが戦闘機天士としてはまだまだですな、接近は難しくありま
せんでしたぞ﹄
﹃さあ我々と共に参りましょう、ご心配は不要です﹄
白鋼を囲む舞鶴。
1024
﹁レーカ⋮⋮﹂
不安げに目を後部座席へ向けるソフィー。零夏はシート越しに彼
女を抱いて、ぽんぽんと頭を撫でて落ち着かせる。
﹁大丈夫だ。ソフィーは、絶対に俺が守る﹂
﹁一緒に、いて﹂
ソフィーは零夏の意志を見抜いている。彼が自分と同じく怯えて
いることも、もしもの時は身を挺してでも自分を守ろうと考えてい
ることも。
﹁私も、レーカを守る﹂
彼女の言葉に驚き、そして心配されてしまう自分が情けなく俯く。
舞鶴の天士は距離を徐々に狭めつつ、彼女の名を呼んだ。
﹃お会い出来て光栄です、ソフィアージュ・フィアット・マリンド
ルフ姫﹄
﹁!?ッ、何故、その名前を︱︱︱!?﹂
それは、家族同然の友人達にすら名乗ることを許されないソフィ
ーの本当の名前だった。
知っているのは極少数。そして、この名を知っているということ
は彼女の真の身分も把握しているという意味。
時間を間違えた鐘の音が、どこからともなく、やがましいほどに
響き渡る。
それは、確かに日常が瓦解する音だった。
1025
終わりと始まり︵後書き︶
ほのぼの↓きっついシリアスは作者の常套手段。
一年間ものんびりしたんだし、そろそろいいよね^^?
1026
将軍とお姫様︵前書き︶
階級が割と適当です。作者は兵器は好きでも指揮系統には疎くて⋮⋮
そもそも共和国に騎士がいるのが無茶設定?
1027
将軍とお姫様
﹁加速して逃げろ、ソフィー!﹂
﹁はいっ!﹂
しろがね
まいづる
after−burner﹄による加速に、舞
スロットルを解放した白鋼は、舞鶴を振り切るべく猛加速を開始
する。
﹃Hybrid
鶴が追い付けるはずもない。
白鋼は僅かに先行し、だがすぐに失速した。
﹁えっ?﹂
﹁なんだ、酸素不足!?﹂
れいか
計器のパラメーターに目を通した零夏は、すぐにエンジン不調の
原因を看過する。
﹁吸気口の錬金魔法が働いていない、いや違う﹂
ラムジェットエンジンは莫大な酸素を消費するエンジンだ。低速
時にも過不足なくエンジンを稼働させる為、白鋼は大気中の酸素濃
度を調節する機能を持っている。
﹁白鋼周辺から、酸素がなくなっている!?﹂
しかし、大気にそもそも酸素がなくては濃度を上昇させようがな
1028
い。容易に無から物質を生み出せるほど、魔法も万能ではないのだ。
﹁なんたって、これも敵の妨害なのか?﹂
﹁レーカ、人が居る!﹂
﹁どこに!?﹂
﹁飛行機、舞鶴の上!﹂
それは、実に不自然な光景だった。
ローブを纏う髭の大男。それが、舞鶴の上にて直立しているのだ。
舞鶴の速度は六〇〇キロは出ている。風圧もそれ相応なはずなの
に、男は何気ない様子で立っているのだ。
男の足下には魔法陣が展開している。
﹁あれは、結界魔法の類か!﹂
アナスタシアが似た魔法陣を敷いているのを度々目にしていた為、
零夏にも断片的に理解出来た。
零夏の推測通り、男は魔法にて周囲の酸素を排除している。
普通の飛行機であればそれだけで飛行不可能。しかし、白鋼は内
部タンクの水素と酸素だけでロケットを稼働可能。
﹃Rocket﹄に手動で切り替え、少しでも推力が増すように
調節を試みる。
﹁遮蔽物の多い場所︱︱︱あの運河の中を飛べるか?﹂
﹁や、やってみる!﹂
1029
ラムジェットを封じられ、水素ロケットのみとなると加速性能は
舞鶴に分がある。
上昇しては差を広げられない。そう考えた零夏は、機体を降下さ
せるよう指示した。
地面スレスレまで降下し高速飛行形態に。重力で高度を速度に変
換したのだ。
速度を無駄にしない為、極力旋回をせず運河を抜けるように低空
飛行する。
幅数十メートルはある大きな河。左右は石造りで舗装されている
ので、風圧や衝撃波による被害は出ないだろう。
空気抵抗を減らす為に後退翼化したものの、それでは揚力不足と
なる。
それを限界まで低空飛行し地面効果を発生させることで補ったの
だ。
また、旋回性能を下げない為にカナードは短縮せずにそのまま。
運動性の下がる高速飛行形態への精一杯の対処だった。
観戦客が多少川岸にいたものの、この速度域ではまだ危険性は少
ない。
﹁間違っても音速は出すな﹂
﹁解っているわよ!﹂
蛇行する河、しかも首都なので煉瓦のアーチ橋が頻繁に存在する。
そんな中を亜音速で飛行するなど、並の天士では正しく自殺行為だ
った。
河の幅を生かして大きく左右に機体を振る白鋼。障害物をかわす
度にどこかが掠め、零夏は実速度以上に早い体感速度で追い越して
いく影に目を回すような思いだった。
このまま川沿いに飛行すれば城付近まで飛べる。だが、問題は速
1030
度より航続距離だと零夏は気付いている。
白鋼のロケットエンジン燃料は5分間しか保証されていない。タ
ンクは機内の体積を大きく食うので、少なめに設計されているのだ。
速度は出したいが、そもそも加速で逃げ切れないし目的地にたど
り着けなければ話にすらならない。
︵超低空飛行する飛行機を追うのは難しい。頻繁に橋という障害物
があれば尚更だ、大丈夫いける、ソフィーと俺なら行ける!︶
﹃予選にて水中発進していたことからまさかと思っていたが、無酸
素飛行出来るのだな。妙な機体だ﹄
ローブの男は呟く。
﹃仕方がない、あの飛行機を破壊せよ。間違ってもコックピットに
当てるな﹄
舞鶴達は躊躇いなく、機銃を白鋼に向け放った。
﹁撃ってきやがった!﹂
あのローブは何者かと零夏は思考する。魔法使いは度々見かける
が、飛行機の上に立つ奴など初めてだ。
あるいは、ナスチヤと同レベルの術者かもしれないと注意を引き
締める。
アーチ橋をくぐる白鋼。対し、舞鶴は橋の上を飛ぶ。
頻繁に据えられたアーチ橋をくぐっていくのはソフィーの操縦技
術があってこそ。機体も巨大でテクニックもソフィーに及ばない舞
鶴の天士達が真似出来る芸当ではなかった。
超低空を左右に旋回しつつ飛ぶ白鋼は、舞鶴にとって極めて狙い
1031
にくい標的だ。
舞鶴は機銃を打ち続け、橋の上にいた人間が流れ弾を浮けた。
四散した死体は白鋼の上に降り注ぎ、血飛沫が風防を赤く染める。
﹁ひいっ!?﹂
﹁ソフィー見るな!﹂
見るなと言われ視線を逸らせる人間は少ない。彼女の人並み外れ
た視力は、宙を舞う人の首を確かに認識していた。
ごう、とコックピット側面を火の玉が追い越し、水面がいたると
ころで水しぶきを上げる。
恐慌状態に陥りかけながらも、ソフィーは必死にマンフレートの
真似をしてシザーズ運動を繰り返した。
蛇行飛行中に更にシザーズを行うのはむしろ速度が犠牲となる。
が、着弾は零夏とて御免被るので止めはしなかった。
﹁後ろは見るな!﹂
﹁ひ、はいぃっ﹂
小さく悲鳴を上げるソフィーに零夏は心を痛めつつも、反撃の為
の準備をする。
﹁上昇しようよ、人に当たっちゃうよぉ!﹂
﹁知ってるか、真上に撃った銃弾が落ちてきて死ぬ、って事故は結
構あるんだぜ﹂
﹁それがどうしたの!﹂
1032
﹁首都上空で空中戦すれば、どこかしらに弾丸が落ちるってことだ
!﹂
零夏は嘘を吐いた。民間人への被害を減らしたければ、海に逃げ
れば良かったのだ。
エアボート
それをしなかったのは、一刻も早く城へ逃げ込んで安全を確保す
る為。
脱出用の飛宙挺を引っ張り出し、鋳造魔法にて変形させる。
脱出装置を破壊するのは気が引けるが、黙って直進していればい
つか確実に撃墜されるのだ。
先程ローブの男はコックピットを狙うなと命じた。殺すつもりは
ない、という意味と解釈してもいいはず。脱出装置は最悪必要ない、
ということにしておく。
なにしろ、徹底的に軽量化された白鋼は削れるパーツがこれくら
いしかないのだ。
脱出用飛宙挺から弓矢を拵え、風防を開ける。白鋼の風防は後ろ
に後退させるタイプなので飛行中にも開けられる。
﹁真っ直ぐ飛んだ方がいい!?﹂
﹁いや、最低限の回避運動は続けて構わない!﹂
弓を引く。狙うべきは⋮⋮
︵ローブ男⋮⋮は効かないだろうな、矢は達人なら魔法なしでも払
えるし。ならっ︶
零夏は周囲を空間ごと解析し、軌道計算を行った上で矢を放つ。
矢は狙いを違わず、ローブ男の乗る舞鶴の吸気口へと飛び込んだ。
火を噴くエンジン。しかし、舞鶴は双発機なので飛行不可までは
1033
至らない。
﹁飛び道具も得意なんでな、退場しろ魔法使い!﹂
エンジントラブル時は速度を生かして高度を稼ぎ、滞空時間を伸
ばしたところで対処を判断するのが基本だ。時間さえあれば不時着
するにしても墜落するにしても、時間的余裕が生まれる。
セオリーにのっとり高度を上げようとする舞鶴、そのもう一つの
吸気口に再度矢を撃ち込んだ。
﹃︱︱︱ッツ!?﹄
悲鳴を出す間もなく、バランスを崩し機首から運河に突っ込む舞
鶴。
高速で衝突する水面はコンクリートと変わりない。舞鶴はもんど
りうって跳ね上がり、橋に衝突、爆散した。
橋の被害を考えないように努め、零夏は再び矢を構える。
︵あのローブ男さえいなければ、結界を保てず酸素供給量が正常値
に戻る。そうなれば加速性能で逃げ切るだけ︱︱︱︶
そんな甘い思惑も、ローブ男が自力飛行しているのに気付き破綻
した。
男は背中から金属の翼を出現させ、白鋼を低空飛行で追撃する。
﹁そんなのアリかよ、八〇〇キロ出てるんだぞ!?﹂
高速飛行形態となったことで加速したはずの白鋼。しかし、その
速度も尻すぼみに落ちていく。
1034
﹁⋮⋮っ!? どうしたんだ、ソフィー!﹂
﹁ごめんなさい、無駄使いしちゃった⋮⋮﹂
ガス欠
酸素内容量を確認すると、すでに﹃Empty﹄。
ソフィーがロスの多い飛行をしたのが原因ではない。
元より城にたどり着くほどの余力は、白鋼には存在しなかったの
だ。
前進翼形態となり少しでも距離を稼ごうと努力するも、やがて推
力は尽き着水する。
︵機外へ飛び出し、ソフィーを抱えて足で逃げるぞ⋮⋮!︶
上空待機する舞鶴、ホバリングするローブの男。
﹁ソフィーベルトを外せ!﹂
零夏はソフィーを抱き抱えようとし、そこに男の魔法が零夏を貫
いた。
﹁がぁ⋮⋮!﹂
﹁レーカ!﹂
電撃魔法を受けた零夏は失神。
ローブ男は白鋼に接近し、主翼端を掴んだ。
﹁私と来てもらうぞ、姫君﹂
﹁⋮⋮ッ!﹂
1035
鋭く男を睨むソフィー。
普段の彼女であれば怯えるだけであったが、家族を傷付けた人間
を前にそれだけで納得出来るほども弱くはなかった。
ローブは気にした様子もなく上昇を開始。白鋼を持ち上げる。
三トン以上もある飛行機を人間が片手で掴み浮上させる様は、た
だただ異質であった。
﹁レーカぁ!﹂
主翼を持っているわけだから、白鋼はコックピットが横倒しの状
態で宙吊りとなっている。
既に身体の固定を外していた零夏がコックピットから落ちそうに
なり、ソフィーは悲鳴を上げて必死に掴んだ。
﹁待ちなさい! いったん地面に降ろして! 貴方達の目的は私で
しょう!?﹂
﹁捨てていけ﹂
﹁ふざけるな!﹂
怒気を露わにしたソフィーに、男は初めて零夏に興味を示した。
︵なるほど、姫君はこの少年をいたく気に入っていると見える。コ
レを痛めつける様でも見せれば、我々に従順となるかもしれんな︶
零夏に利用価値を見出した男は、ソフィーに提案した。
﹁ラウンドベースまで手を離さなければ、助命してやらんこともな
1036
い。救いたい命は自分の努力で救うのだな﹂
︵元はといえば貴方達の襲撃のせいでしょう⋮⋮!︶
他者に命を左右される屈辱に歯を噛み締めつつも、指に力を込め
るソフィー。
しかし、小柄なソフィーにとって、同い年とはいえ自分より重い
少年を支え続けるのは至難の技だった。
︵遠い、遠いよ⋮⋮︶
ラウンドベースは遥かに遠く。
今まで逃げてきた分を戻るのだ。さきほどまで光のように飛び抜
けた距離が、今となっては果てなく思える。
﹁指が、もう﹂
﹁では棄てろ。私とて余計なゴミを持ち込むのは趣味ではない﹂
元より色素の薄いソフィーの手は、既に真っ白になり限界が迫っ
ていた。
﹁いや、やだよ、助けてレーカ﹂
解ける指先。
﹁やだ、一人にしないで﹂
しかし、無情にして必然にも。
ソフィーの手は零夏を支えられるはずもなく、二人は分かたれた。
1037
﹁あ、ああぁあっ!﹂
涙を溢れさせ手を伸ばすソフィーに、男はやれやれと嘆息する。
余計な時間を消費した、とラウンドベースへの空路を進もうとし、
彼は驚愕した。
ベルトを外すソフィー。
﹁馬鹿な、何を︱︱︱﹂
﹁レーカ!﹂
彼女は躊躇いもなく、白鋼から飛び降りたのだ。
気を失い空気抵抗の大きい姿勢で落ちていく零夏に追い付くこと
など、ソフィーにとっては容易い。
急降下にて零夏に接近し、力無く目を閉じる零夏に抱き付く。
安堵し、そして自分達の命が空前の灯火であるとやっと思い至っ
た。
迫る地面。
走馬灯、というべきか。
ソフィーの脳裏に過ぎるのは、同じ屋敷に住まう家族達だった。
︵⋮⋮ごめんね︶
咄嗟に思い浮かぶは、恐怖ではなく謝意。
自分が死ねば両親はきっと悲しむ。マリアも悲しむ。キャサリン
さんも。
︵なんだ、全員じゃない︶
1038
自分は幸せ者なのだろう。こんなにも弱い自分と共にいてくれる
人々に囲まれているのだから。
怖くはない。零夏が、すぐ側にいる。
目を閉じ、次の瞬間訪れるであろう衝撃を覚悟し︱︱︱
﹁︱︱︱ッ!?﹂
何者かに零夏ごと抱えられ、急制動した。
そっと地面に降り立つ。
恐る恐る目を開けば、まず視界に入ったのは翼だった。
人間、女性だとは見て取れる。急激な化減速にさすがのソフィー
も眩暈を起こしているのか、視界の焦点が定まらない。
その女性の背には純白の羽。整った顔立ちや降り注ぐ逆光も相ま
って、ソフィーにはその光景が一枚の絵画のように思えた。
﹁天使、様?﹂
﹁大丈夫?﹂
あまりに平然と問うその様子に、彼女にとって今の救出劇が大し
た労力でもないことが見て取れる。
目の焦点が定まるにつれ、ソフィーはその人物が誰であるか気付
いた。
﹁え、嘘、どうして? 貴女︱︱︱﹂
1039
﹁各部隊との通信はどうなっている!?﹂
ジャミング
﹁先程から強力な広域通信妨害が継続中です! 各自対処している
ようですが、伝令にはかなりのタイムロスがあるかと!﹂
﹁馬鹿な、首都を包むほどのジャミング、並の術者では成し得んぞ
! それに基地同士の通信網には二重三重のシステムを使っている
んだ、外部からの妨害には限界がある!﹂
﹁一部に物理的な破壊の跡が見られます!﹂
共和国軍の司令室は、混乱の真っ只中だった。
レース中の突然の通信妨害、民間人の被害を厭わぬ帝国最新鋭機
の凶行。
零夏達は自分のことで手一杯であり気付いていないが、ラウンド
ベース級飛宙船からは随時戦闘機が離陸していた。
明らかなドリットに対する敵対行動。敵戦闘機の役割は半数が母
艦護衛だろうが、もう半数は共和国軍戦闘機への攻撃だ。
地上にいる戦闘機ほど無力なものはない。しかし、無闇に離陸し
たところで数に押され連携もままならぬまま撃墜されるのがオチだ
ろう。
﹁帝国軍はなにをやっている! 責任者を呼んでこい!﹂
﹁呼んだかの、将軍殿﹂
飄々と部屋にやってきたのは、ドレスを纏ったリデア姫であった。
場違いに華やかな少女に、将軍の血圧が若干上がる。
1040
﹁⋮⋮説明して頂けますかな、なぜ帝国軍の最新鋭機がテロ行為を
行うのです?﹂
﹁おや、あれは未だ非公開のはずじゃがのう。なんで知っておるん
じゃ?﹂
﹁そういう腹の探り合いをしている場合か!﹂
平和な時代といえど、スパイは勿論存在する。
将軍となれば、相手国の国家機密を知っていたところでおかしい
ことはない。
﹁すまんの、舞鶴の所在は調査せねば判らぬ。なぜじゃろうなぁ?﹂
﹁すまんって、ああ、もう﹂
彼はすぐに理解させられた。この娘はただのアイドルでも、噂の
お転婆姫でもない。王族の身の振り方を心得た、厄介な類の人種だ
と。
﹁こちらにばかり責任を求めんでほしいの、あんなデカブツが目と
鼻の先で修復されていながら、十一年間気付けなかったのは何処の
誰じゃ﹂
﹁うぐっ﹂
共和国軍とて、海中に沈んだラウンドベース級を調査しなかった
はずがない。
それが上層部にまで伝達されなかったということは、つまりそう
1041
いうことだ。
﹁互いに、体内に良くない虫を孕んでいるようじゃの。まあ調査は
後じゃ﹂
﹁報告します!﹂
騎士が駆け込んでくる。
﹁観測班から、ラウンドベース級が移動を開始したとのことです!﹂
﹁元より動いておったんじゃろ、あれは加速がやたら遅い﹂
﹁進路は!?﹂
﹁⋮⋮ここ、です。ドリット城に向かってきています!﹂
その場にいた、全員の血の気が引いた。
ラウンドベースに上を取られる。これほど絶望的な状況はない。
その気になれば、機関停止させ着陸するだけで町は壊滅、否殲滅
されるのだ。
﹁エアバイクで伝令しろ! 地上攻撃機は全機爆装した上で緊急離
陸、後方にて上空待機! 絶対にラウンドベースには近付くな、戦
闘機の任務は敵機から攻撃機を護衛することに限定する!﹂
爆弾を満載した地上攻撃機が、身軽な敵戦闘機に適うはずがない。
ラウンドベースとの戦いの為には、一発とて爆弾を無駄にするわ
けにはいかない。故に将軍は戦闘機への指令を護衛に限定した。
1042
﹁銀翼を集めろ、ラウンドベース付近の敵機を壊滅させる! 壊滅
完了の後、攻撃機によってラウンドベース左右から回り込んで敵母
艦の機関部を破壊するのだ! その後は各自の判断で対応してよし、
町への被害は⋮⋮気にするな! なにがなんでも首都を奪われるな
!﹂
町を破壊して良し。その指令を下す将軍の表情は、護るべき民を
切り捨てねばならない口惜しさを如実に表していた。
﹁どうする、帝国軍はそちらの指針に従うが﹂
﹁では、そちらも同じ指針で。あらゆる被害の責任は問いませんが、
そちらの消耗も負担しません﹂
リデア姫は僅かに目を見開いた。
彼女のそれはある種の丸投げだが、下手に指揮系統を複雑にする
よりはマシとの判断でもある。それにここは共和国軍のホームグラ
ウンドなのだ。 将軍の指示では帝国軍はいいように使われている
ように受け取れるが、これは共和国だけの問題ではない。歴史と権
威ある大陸横断レース、それを台無しにされていながらただ自己保
身だけを優先していたとあっては、帝国の名にも傷が付くのだ。﹁
よし、命じておこう。しかし、なぜほとんどの機体を上空待機させ
るのじゃ? 銀翼のみでは敵戦闘機の壊滅など難しいじゃろう﹂
﹁これはラウンドベース落としのセオリーです。リデア姫はラウン
ドベースの強固さをご存知ですか?﹂
﹁まあ、見るからに頑丈そうじゃ﹂
頷く将軍。
1043
﹁ラウンドベースは厚い装甲と圧倒的な巨体故に、並のダメージで
は意味がありません。あれを落とすとすれば、後部の機関部を狙う
しかない﹂
﹁うむ? 後ろに沢山付いている、馬鹿でかいプロペラのエンジン
じゃな?﹂
﹁数も多く、弱点とはいえ当然頑丈です。ラウンドベースを落とす、
というより止めるには、多くの航空戦力を後部に集中させ爆撃し続
けるしかありません﹂
﹁それでなぜ銀翼を先行させる?﹂
﹁並の天士では、後ろに回り込めないからです。三六〇度をカバー
する高射砲がある以上、ラウンドベースの上面と下面に入るのは自
殺行為です。そもそも、上には入れません﹂
﹁入れない、とな?﹂
不思議な言い方に首を傾げるリデア姫。
﹁ご覧ください。ラウンドベースはひたすら高度を上げ続けている
でしょう?﹂
窓から覗く要塞は、確かに高度を上げることに全力を注いでいる
ように見えた。
﹁このままでは重力境界まで⋮⋮ああ、そういうことか。重力境界
を背に戦うのじゃな、あの要塞は﹂
1044
﹁その通りです。無重力空域に無数に浮かぶ岩、それを避けつつ戦
闘出来る天士は一握りですから﹂
﹁そして高度を取ってしまえば、今度は下が鬼門となるわけか。適
当にゴミをばらまくだけでも戦闘機にとっては驚異となるのじゃな﹂
﹁はい。故に、上と下は論外。側面から回り込むしかないのですが、
なにせ相手は直径一〇〇〇〇メートルの化け物。重い爆弾を抱えて
高射砲の並ぶラウンドベース側面を一五キロ以上飛ばねばならない
のです。更に、護衛の戦闘機とて今も尚離陸し続けている﹂
﹁だからこそ敵戦闘機の壊滅か。死地において尚も敵を滅せる機体、
なるほど銀翼以外にないの﹂
﹁機関部破壊の為に機体を消耗するわけにはいかない、という理由
もあります﹂
それでも、高射砲の驚異がなくなるわけではない。爆撃部隊には
多くの被害が出るだろう。
﹁銀翼の導入については解った。しかし、町への被害を度外視する
というのは?﹂
﹁この事態、言うまでもなく異常です。こともあろうか戦力の集中
している大会中の襲撃、あるいはなんらかの陽動かと考えましたが、
それにしては大規模過ぎる。奴らの目的が見えません﹂
﹁ではなぜ? 民衆の避難を優先させるという選択肢もあるのでは
ないか?﹂
1045
﹁勘です。これほどの事態を起こすなら、奴らの目的は国家が転覆
しかねないほどの大事でしょう。もしそうなれば今以上の犠牲が出
る、なんとしても芽を摘むべきです。⋮⋮この町に多大な犠牲を払
わせることとなったとしても、です﹂
なるほどなるほど、と頷く姫。
﹁辛い立場だの﹂
﹁⋮⋮恐縮です。敵目的が判らない以上こちらが不利ですが、まさ
か目的もなく襲撃を行っているわけでもないでしょう。我々は奴ら
の目的である、首都に存在する﹃何か﹄を守らなくてはならない。
責任は全て私が取ります﹂
﹁わしとて王族、責任者じゃ。責任の片棒はわしも担ごう﹂
これを英断と歴史が讃えることは、きっと有り得ない。民間人よ
りも国の安定を優先すると明言したのだ。
人は痛みを忘れない。イフの歴史よりも、目の前の苦痛に恐怖す
るものだから。
﹁結構です。子供に責任を背負わせたとあっては、私の名が廃りま
す﹂
﹁むぅ、ばかちんが﹂
﹁報告します! 出撃可能なシルバーウイングス所持者のリストア
ップが完了しましたが⋮⋮﹂
1046
伝令に出た騎士が戻ってきて、将軍はお喋りを止めた。そもそも
今まで長話に律儀に付き合っていたのは、現状確認がてらの時間潰
しである。
﹁どうした、なにか問題でもあったのか﹂
﹁現在首都にいる軍属の銀翼がギイハルト・ハーツのみでした。自
由天士を含めでも、厄災の双子と微熱の蜜蜂が加わるだけです﹂
なんとも、絶望的な報告だった。
﹁変人ばかりではないか!﹂
元より軍に所属する銀翼は少ない。空の英雄達は皆癖が強く、群
れることを嫌うのだ。
ギイハルトなどかなりの例外的に真人間な銀翼もいるが。
﹁帝国軍には一人おるが、人型機乗りの銀翼じゃしのう。⋮⋮ああ、
もう一人おったか﹂
リデア姫の視線が自身の背後へ向かう。
﹁ふむ、私の出番ですかな?﹂
ルーデルが嬉しそうに顔を綻ばせる。
﹁未だ現役である、そう言ったの、お主。ならばそれを証明してみ
せよ﹂
エンジンを始動しろ!
﹁承知しましたぞ姫様。我が雷神を出すぞ、まわせーっ!﹂
1047
腕を回し駆け出すルーデル。
司令室を退室する彼に、将軍は静かに嘆息した。
︵悪魔が出るのか、味方なら頼もしいが⋮⋮︶
銀翼は国境なく讃えられるものである。が、一人でかつて戦略を
も動かした化物となると、なんとも言えぬ複雑な気分となるのであ
った。
彼に続き、将軍も指令を飛ばす。
﹁ギイハルト及び自由天士の銀翼に出撃命令だ! 作戦目標、敵航
空戦力壊滅!﹂
慌ただしくなり始める司令室。
﹁ふぅむ、しかし数機の銀翼だけであの羽虫のように群がる戦闘機
を本当に壊滅出来るのかの?﹂
既に離陸した敵戦闘機は一〇〇〇機に迫っていた。対し、銀翼は
たった四機。
一人につき二五〇機落とさねばならない計算である。
﹁殲滅ではなく壊滅ですからな、全部落とさねばならないわけでは
ありません﹂
﹁じゃが、なぁ﹂
納得いかなげな姫に、将軍は問うてみた。
1048
﹁姫様は銀翼の本気の戦いをご覧になったことは?﹂
首を横に振るリデア姫。
﹁戦闘となれば、ない﹂
﹁そうですか、ならば見ておくといいでしょう﹂
平時の銀翼は、変人だが気のいい者達でしかない。
しかし一度空へ上がれば、彼らは隠していた牙を剥く。
﹁こと戦闘においては、彼らを人として扱ってはなりません﹂
将軍は司令室の窓から、首都の先に居座る空中要塞を睨んだ。
﹁わしは引き続きここにいさせてもっても?﹂
﹁ええ、ご自由に﹂
将軍は姫を分別ある人間だと判断し、ここに置いても問題ないと
結論付ける。
﹁あ、なんなら歌おうかの?﹂
﹁結構です﹂
﹁士気高揚じゃ﹂
﹁結構です﹂
1049
﹁得意じゃぞ?﹂
﹁結構です﹂
﹁誰だって、争いたくないと祈り続けていたのに∼♪﹂
歌い始めたリデア姫に将軍は頭を抱える。
ブレーキ役のルーデルがいない彼女を止める者はいない。
やっぱり分別ないかもしれない。
︵に、しても⋮⋮︶ 今回の件で、彼らに奇妙に映ったのはやはり舞鶴の行動であった。
強襲したければ真っ先に重要施設、そうまさに司令室などを攻撃
すれば良かった。だが彼らは二段構えの作戦を立てておきながら、
こともあろうかレース機を狙ったのだ。
そう、レース機。
互いに明かしてはいないが、舞鶴は何が目的だったのか、将軍と
リデア姫にはそれぞれ思い当たることがあった。
︵白鋼の天士の少女はガイル様の娘、まさか奴らの目的は︶
︵白鋼に乗っていた少年、もしあれが彼の者であれば、あるいは︶
考えることは違えど、結論は同じ。
白鋼の⋮⋮搭乗天士の捕獲。
だがもしテロリストが白鋼の素性を知らず、彼らを墜としていた
ら?
1050
そう考えると暗澹たる気分になる二人であった。
﹁え、嘘、どうして? 貴女︱︱︱﹂
自分と零夏を救った人物を、思わず凝視する。
紫がかった銀髪に、アメジストの瞳。
背中から生える純白の翼が、微かに揺れる。
雲の隙間から射す光、天使の梯子によって煌めく羽。
﹁イリア、さんが、何故ここに?﹂
﹁イリアでいい﹂
浮遊する少女はソフィーの問いに、常の通り表情なく答える。
﹁そこで見かけたから﹂
まるでお出かけしたら友人と鉢合わせした、というくらい気軽な
返答であった。
1051
テロリストの戦力
人型機 5000機
戦闘機 1000機
多国籍軍の戦力
人型機 共和国軍 4000機 帝国軍 150機 その他
の所属 180機
獣型機 共和国軍 3000機 帝国軍 150機 その他
の所属 80機
戦闘機 共和国軍 2000機 帝国軍 250機 その他
の所属 230機
民間の自由天士
人型機 3000機 戦闘機 2500機
ただし、その多くが先制攻撃により戦闘不能。
1052
天師と銀翼
﹁そこで見かけたから﹂
まるで友人と鉢合わせした、というくらい気軽な返事をするイリ
ア。
れいか
気絶した零夏に寄り添いつつ、ソフィーは天使の羽を揺らす彼女
に問い直した。
﹁イリアは、何者?﹂
﹁私は天師﹂
天師。ソフィーは初めて会った時も同じ返答をしていたことを覚
えていた。
零夏が彼女にエルフなのかと問い、彼女は答えたのだ。 天師だ、
と。
﹁それは︱︱︱﹂
﹁ほう、珍しい﹂
上空から降り立つ髭面のローブ。
﹁実験体の生き残り、サンプルとして確保するか﹂
1053
﹁⋮⋮ラスプーチン﹂
イリアが髭面のローブ男⋮⋮ラスプーチンを睨む。
﹁死んだと思っていた﹂
﹁生きしぶといのでな﹂
ラスプーチンは杖を構え、イリアは自然体にて立つ。
臨戦態勢。理由も語られることもなく、二人は互いを敵と断定す
る。
﹁︱︱︱。﹂
先に動いたのはイリアだった。
細い足は地面を抉り、瞬時に最高速度に達しラスプーチンに肉薄
する。
拳を打ち放つイリア。
﹁ぐっ﹂
おおよそ、人が人を殴った音とは思えぬ爆音が轟いた。
反応も出来ず吹き飛ぶラスプーチン。彼女の攻撃は、彼の予想以
上だった。
地面と水平に飛んだラスプーチンは建物を幾つか貫通し、ようや
く停止する。
腕をXに交差させ防御の体勢のまま、男は呟く。
﹁ここまでとは。パワー特化型か、これは﹂
1054
﹁﹃これ﹄と呼ぶな﹂
羽で空に舞ったイリアは、地に伏せるラスプーチンに追撃をかけ
る。
﹁私はイリア、兄さんがそう名付けてくれた!﹂
急降下による跳び蹴り。しかし、直前にラスプーチンは杖を振り
障壁を展開する。
﹁粋がるなよ、実験体﹂
杖先が地面に術式を描く。炎系下級魔法、しかし近距離でかつ膨
大な魔力を注がれたそれは、燃焼を超えた爆風となり小柄なイリア
を吹き飛ばした。
︵しまった︱︱︱︶
自爆的な攻撃をしてくるとは思わず、虚を突かれるイリア。
﹁近距離に付き合う気はないのでな﹂
ラスプーチンは事前に待機されていた術式を展開。巨大な魔法陣
が輝き、最後のトリガーである魔法名を詠唱した。
﹁敵を穿て、仮初の生命よ︱︱︱﹃フェアリーアイス﹄﹂
ラスプーチン付近の空間に、無数の氷塊が発生する。
誘導能力を持つ氷の矢。若干の自律軌道補正を行う数百のそれは、
イリアにとっては小さくない脅威。
1055
イリアの細い身体から、防御は不得手とラスプーチンは判断し面
攻撃を選んだのだ。
たまらず距離を取るイリア。空へ逃げれば狙い撃ちにされると判
断し、低空飛行を心がけ建物の影に隠れる。
氷が建物に突き刺さり、その度に足元が揺れる。
数瞬の間に壁は氷柱の剣山となった。
︵リーチが違い過ぎる。武器が欲しい︶
パワーがいくらあれど、それを彼女の腕の長さでは生かしきれな
い。
ストライカー
なにか、重く頑丈で巨大な武器。視線を走らせ、手近に代用品が
ないか探す。
手頃なのは人型機用の剣だが、贅沢は言っていられない。それに、
彼女にとっては人型機用の全長五メートルほどはある標準剣とて、
軽過ぎて使いにくいのだ。
﹃化け物め、死ねぇ!﹄
まいづる
魔力の共振音声を感じ取り、イリアは空を見上げる。
大きく旋回した舞鶴が自身に向けアプローチし、彼女を狙ってい
た。
﹃同志ラスプーチン、この化け物の首は私、サンダースが貰い受け
る!﹄
﹁⋮⋮役立たずが。舞鶴を無駄に消耗しおって﹂
迫る舞鶴。
機銃をステップで回避しつつ、イリアは小さく笑った。
1056
﹁武器みっけ﹂
舞鶴に飛びかかるイリア。
ツ
ヒミ
三〇トンの機体と二五トンにも及ぶ出力による突撃。体重数十キ
ロの彼女が耐え切れるはずもなく、その小さな身体は巨大な機体に
引っかかったゴミのように持って行かれる。
﹃はは、馬鹿め、自分からぶつかって︱︱︱え⋮⋮?﹄
機首に貼り付くイリア。機体を掴み、羽を震わせる。
背中の翼から発生した推力は、舞鶴を急激に減速させる。
﹃嘘だ、ありえん、そんな﹄
イリアの手が舞鶴の外装を貫き、内部のフレームを掴む。
遂には空中にて静止する舞鶴。
手にした舞鶴を何度か素振りし、イリアは頷いた。
﹁いい感じ﹂
全長二〇メートルを越える舞鶴を、モップのように振り回す少女。
そんな馬鹿げた光景に、ラスプーチンは口の端を吊り上げた。
﹁ここまでとはな。ますます欲しいぞサンプル!﹂
放たれる魔法を舞鶴で防ぎ、振り払う。
内部の天士はシェイクされ死にかけていたが、イリアとしてはど
舞鶴
うでもよかった。
武器を構え、ラスプーチンに急接近。
1057
氷塊では舞鶴を突破出来ない。ラスプーチンは火炎上位魔法を唱
え、イリアに放つ。
イリアは宙で舞鶴を一度放り投げ、機体下部を掴み直す。
あまりにも巨大な盾となった舞鶴。
機体上面に幾つも大穴が開き、貫通する。
ラスプーチンからはイリアが機体裏側死角のどこにいるか判らな
い。
頬を掠める火炎、しかし彼女は突進を止めなかった。
眼前に迫る巨大な機体、それを睨みラスプーチンはほくそ笑む。
︵︱︱︱勝った︶
地面と機体に、まるで踏まれる虫のように挟み潰されるラスプー
チン。
それでもイリアは止まらない。念を押すように機体を地面に滑ら
せ、下にいるであろう男を擦り潰す。
その瞳に映るのは怒りか、それとも憎しみか。
乱れた呼吸を唾を飲んで収め、イリアは周囲を警戒する。
巨大な舞鶴はいい盾だったが、前が全く見えなかった。あるいは
直前で抜け出しているかもしれない。
周りに気配がないことを確認し、舞鶴の翼端につま先を挿して蹴
り上げる。
放り上げられくるくる回り、盛大に部品を撒き散らしながら落下
する舞鶴。最新鋭機は生身の少女を前に、あっさりとスクラップと
化した。
イリアは舞鶴の下から男の死骸を見つけ、僅かに息を吐いた。
死体ではなく、死骸。上下からすり潰された男は顔も判らないほ
どに血塗れとなり、四肢は千切れているか砕けているかだった。
かろうじてローブに見覚えがあることから、イリアはそれがラス
プーチン本人と思い込む。
1058
これほどの状況でもソレの胸が微かに上下していることに気付き、
イリアは若干呆れた。
﹁確かに生きしぶとい﹂
まあそれでも直ぐ息絶えるだろうと考え、念を押す為に手頃な瓦
礫の岩を掴み振りかぶる。
それを男の頭部に投げつけようとして︱︱︱
﹁が、はっ?﹂
︱︱︱自分が吐血していることをようやく知った。
自身の胸を貫き、手首が飛び出している。
その手の中には、赤く丸い筋肉の塊。
背後の気配をやっと悟り、歯を噛み締めた。
﹁ラ、プチ、ん⋮⋮!?﹂
﹁詰めが甘いな、実験体﹂
ローブを脱ぎ捨てた姿で、イリアの心臓を掴むラスプーチン。
脈動する心臓は血管から千切られ、既にイリアの身体とは別離し
ている。
目の前で心臓が握り潰されるのを見届け、イリアの意識は途絶え
た。
地面に崩れ落ちそうになる彼女をぞんざいに肩に担ぐ。
天師はこの程度では死なない。心臓を潰されようと、補助装置が
脳の活動を維持する。
本格的な治療はラウンドベースで行えばいい。
﹁手間を取らせおって﹂
1059
ソフィーの場所へ戻ろうとし、最後に舞鶴の天士であった男を見
下す。
﹁サンダース君、結果的には君のお陰でサンプルを入手出来た。そ
の献身には感謝しよう﹂
言いつつも、ラスプーチンは男を踏みにじる。
﹁だが、君は舞鶴を無駄に大破させた。その責は万死に値する﹂
サンダースは僅かに呻き、そして絶命した。
︵やれやれ、図面を手に入れているとはいえ安い機体ではないのに
⋮⋮む?︶
その時、彼の耳になにかが聞こえた。
風切り音。しかし、その所在は掴めない。
︵どこからだ? どこから聞こえる?︶
周囲を見渡すも、それらしい音源は存在しない。
サイレンに近い音。一〇年前は誰もが震え上がった音を、ラスプ
ーチンはようやく思い出す。
﹁上かっ!?﹂
20ミリガトリングの雨がラスプーチン目掛け降り注いだ。
毎分六〇〇〇発の豪雨は地面を砕き、地形を更地に変えてしまう。
腕を一発被弾し、ラスプーチンの表情から初めて余裕が消えた。
1060
痣一つない腕をさすりつつ独白する。
︵精度が高い︱︱︱こいつは、エースだ︶
あらだか
イリアがいるにも関わらず放ったのだ。余程腕に覚えがなければ
出来ることではない。
上空から飛来するのは荒鷹。それも、背面にエンジンを増設され、
カナードを追加した特殊なシルエットの機体。
白を基調とした赤と青のデザイン、トリコロールの鮮やかな塗装
を施された荒鷹は、こともあろうか気配を消す為にエンジンをカッ
トして急降下してきたのだ。
﹁︱︱︱うるさい﹂
目覚めたイリアが、ラスプーチンに拳を放つ。
﹁ぐあっ!? もう、再起動したというのかっ﹂
ラスプーチンの拘束から抜け出したイリアは手近な建物の壁を駆
け上り、真上へと跳躍する。
荒鷹のエンジンが始動し、高度三〇メートルほどでホバリング。 キャノピーが開き、コックピットの男は手を下方に伸ばした。
﹁イリアッ!﹂
﹁兄さん﹂
兄妹が手を繋ぎ、荒鷹は緊急離脱を開始する。
﹁ソフィーとレーカも助けてっ﹂
1061
﹁今はイリアだけで限界だ!﹂
義妹の胸から流れる血に怒りが込み上げるも、ギイハルトは努め
て冷静に状況を分析した。
ギイハルトの愛機である荒鷹・高機動試作機は実験機に戦闘用ユ
ニットを背負った機体である。
高い運動性と瞬発力を有した改造荒鷹だが、技術スタッフが乗り
込めるように後部座席が設けられているなど、戦闘とは無関係な部
分も多い。
その後部座席に妹を放り込む。戦うイリアを発見し急降下してき
たが、ギイハルトにはこれが手一杯だった。
﹁敵はラスプーチン。ここで討つべき﹂
﹁︱︱︱なら尚更だ、今挑むべきではない﹂
スロットルを解放し、荒鷹は加速する。
負け戦はしない。それがギイハルトのやり方である。
﹁でも、子供達が﹂
﹁俺ではラスプーチンには勝てない。それが全てだ﹂
普段は妹に甘いギイハルトといえど、これは譲らなかった。
ラスプーチンと距離を取るべく、全力で魔力をエンジンに注ぎ込
む。
ターボファンエンジンの甲高い音に、アフターバーナーの轟音。
高度を取っている猶予はない。建物の隙間を鋼の鷹は飛び、周囲
の壊れ物はことごとく吹き飛ぶか、衝撃波で粉砕されていった。
1062
しかし、強力無比なエンジンも酸素がなけれは回らない。
ラスプーチンの無酸素結界が発動。荒鷹は、最大の強みである加
速を喪失した。
﹁これは、そうか、ならっ﹂
だがギイハルトとて銀翼。白鋼のように、非武装故に逃げるしか
出来なかった機体とは違う。
否、それ以上に。
多くの実戦経験を積むギイハルトは、引き金を引くことを躊躇わ
ない。
操縦桿を引き、残った推力で機首を上げる。
上昇の為ではない。跳ね上がった荒鷹は後ろへひっくり返り、バ
ックする体勢でガトリングを放った。
エンジンが停止しているとはいえ、飛行機は後進飛行するように
は出来ていない。
重心は狂い、気を抜けば暴れそうな舵を必死で押さえ込む。
地面効果によって辛うじて浮いていられるものの、垂直尾翼は地
に接触寸前。
射線は乱れ、町が20ミリ弾頭で破壊される。
﹁当たれ⋮⋮!﹂
禄に狙いも定められない状況で、ラスプーチンを狙う。
狙いは本人ではなく、手にした杖。
20×102ミリ弾頭の一発が直撃し、杖が吹き飛んだ。
無酸素結界が解除される。
コンタクト
﹁エンジン再起動!﹂
1063
主機が復活したことによりバックを制動する推力が発生。
浮遊装置全開。推力偏向を上昇に、カナードを下降に。
全ての手段を要いて背面のまま上昇した荒鷹は、速度が完全に潰
える前に機首をすぐさま進行方向に向ける。
斜めのタイミングに機体全体がダウンフォースを発生させ、僅か
に垂直尾翼を擦ってしまう。
だからこそ勢いよく機体を跳ね上げたのだ。機体は重力に逆らっ
て浮かび上がり、五〇メートルほど高度を確保した後に水平方向へ
急加速した。
﹁ッ、逃すか!﹂
術式を展開、雷系上位魔法を放つ。
紫電が凝縮し、三〇条の槍がラスプーチンの周囲に配置された。
﹁﹃ライトニングワインダー﹄﹂
蛇のように荒鷹を追撃する雷。
雷の本来の速度は飛行機が逃げ切れるほど遅くはないが、この魔
法は術者の任意操作によって飛翔する。
ギイハルトの操縦技術とラスプーチンの制御技術の勝負。
鋭角な軌道にて槍を回避するギイハルト。同時に複数の目標から
逃げきるのは、銀翼たる彼にとっても容易ではない。
敵魔法の進路を予測し避け続けるも、ギイハルトの脳裏には撃墜
のビジョンが浮かんでいた。
︵あと一本⋮⋮!︶
飛来する雷。
避け切れぬと見たギイハルトは賭に出る。
1064
機首を大仰角で引き上げ、進行方向に腹を見せる、つまり立ち上
がった体勢となる。
いわゆる空戦機動・コブラ。立ち上がった蛇を思わせる姿からそ
う呼ばれるようになった、デモンストレーションの意図が強いマニ
ューバである。
ギイハルトからすれば上方より迫る雷。
魔法は機体後方へと直撃し、爆煙と轟音を散らした。
﹁やったか?﹂
零夏が起きていればツッコミを入れていそうな一言を呟き、ラス
プーチンは荒鷹を包む煙が晴れるのを待つ。
荒鷹は堕ちていなかった。増設された背負い式のエンジンがひし
ゃげて火を吹いているが、それでも飛行し続ける。
煙の中から再加速する荒鷹。
︵追加エンジンを盾にしたか、だがあれだけダメージを受けていれ
ば全力飛行は出来まい︶
そう予想するも、ラスプーチンは未だ荒鷹高機動試作機を侮って
いた。
爆発ボルトが追加エンジンの接続部を吹き飛ばし、支柱がずるり
と機体本体から抜ける。
続いて大小様々なケーブルやホースが千切れ、遂には戦闘用ユニ
ットは荒鷹から完全分離した。
接続部であったエアブレーキをパタンと閉じ、荒鷹は何事もなか
ったかのように離脱していく。
﹁トカゲかあれは﹂
1065
しばし荒鷹を睨むラスプーチンであったが、互いに射程の外まで
逃げおおせられたと理解し鼻を鳴らした。
﹁まあいい、元よりこちらの目的は姫だけだ﹂
﹁レーカ? 起きているの?﹂
覚醒していく意識。
おぼろげな視界に映るのは、豪華絢爛な内装だった。
見慣れぬ模様の天井。その迷路を視点で辿ってみるも、すぐ飽き
る。
普段ならお約束の台詞を呟いたって良かったが、そんな気分には
到底なれなかった。
﹁⋮⋮どこだ、ここ﹂
ひょっとして今までのことは夢で、俺はゼェーレストの屋敷の一
室で目を覚ましただけではないかと淡い期待を抱く。
﹁ラウンドベースの中﹂
そんな願望を打ち砕くのは、疲れた目をしたソフィーだった。
俺が眠っていたベッドに腰掛ける彼女は、初めて見る華美なドレ
スを着ている。
1066
﹁なんで着替えているんだ?﹂
﹁着替えさせられた﹂
若干頭に血が上るのを覚える。どこの変態だ、ソフィーを着せ替
え人形にしたのは!
﹁誰に﹂
自分でも驚くほど低い声だった。
﹁女の人。でも自分で着替えたわ﹂
そうか、良かった。ソフィーの肌を野郎の目に晒したくなどない。
ソフィーの隣に並んで腰掛けると、彼女は力なく俺によしかかっ
てきた。
その消耗した様子からピンとくる。
﹁ずっと見ててくれたのか?﹂
﹁⋮⋮一人は、嫌﹂
答えになっていないが、彼女が孤独という不安にかれていたのは
解る。
テロリストの目的はソフィーだった。ならば俺はただのオマケだ。
俺に危害を加えられないように、目覚めるまで見守ってくれてい
たのか。敵陣の真ん中で精神的にも疲弊していただろうに、たった
一人で。
自分で着替えたからか、若干よれよれのドレス。ソフィーを立た
1067
せ、痣等がないか確認しつつ服を整える。
﹁そうだ、あの髭面に魔法で気絶させられたんだ。あの後どうなっ
たんだ?﹂
﹁う、う∼ん﹂
っておい、寝るな。
ソフィーがぽつりぽつりと語った内容は、つまりこうだ。
イリアが救援に来てくれた。
でも髭面と戦闘となり、負けて撤退した。
以上。
安堵からか、眠たげに目を擦るソフィーから聞き出せたことはそ
の程度だ。
幸いソフィーに手荒な真似をされた形跡はなかった。俺を気遣っ
て黙っている可能性もあったから。
睡眠欲に身を任せ、俺に身体を預けるソフィー。
﹁いい匂い﹂
﹁気のせいだ﹂
﹁レーカの匂い﹂
1068
汗の臭いオンリーだと思うが。
精神退行気味に思う存分甘えてくるソフィーだが、ここは好きに
させておくか。敵の腹の中とはいえ身動きが取れない以上休息の時
には違いない。
頬をつついて遊びつつ、周囲の解析を行う。
なるほど、ここは牢屋だ。
︵三六〇度を魔導術式による物理結界、扉の前には監視が二人。だ
がそれはフェイクで、壁の中に三人、天井に二人。扉に触れただけ
でワイヤーカッターが飛び出し、換気口はガチガチに封じられてい
て空気以外は通過不可能︶
一見ゼェーレストの屋敷や昨日まで泊まった宿屋と変わらない、
気品溢れる洋室だが⋮⋮映画やアニメのように華麗に脱出、とはい
かないか。
一応手作業で部屋を物色する。作業途中でソフィーが目を覚まし、
ひょこひょこと雛のように着いて来るのが可愛かった。
別に解析だけで判らなかったことがないかを目視で再確認してい
るわけではない。
現状、俺の武器は解析魔法だけだ。アナスタ⋮⋮ナスチヤからし
ても未知の魔法であったコイツなら、この牢屋も対処法を考慮して
いないはず。
なので解析魔法の存在を隠す為にわざとらしく部屋を物色するフ
リをする。一枚壁の向こうに監視員が控えていると知りながら、真
顔でタイルの物色をしなければならないのだ。
︵こんなもんか⋮⋮ついでに癇癪を起こしたフリでもしておくか?︶
そんな思案をしていると、突然扉が開いた。
素早くソフィーを俺の背後に隠し、扉の先を睨む。
1069
仰々しいスライド式の扉。その奥は廊下ではなく、鉄格子。
鉄柱の隙間から俺達を見る男は、まずこう口を開いた。
﹁やあ、気分はどうだ?﹂
﹁⋮⋮アンタか﹂
見知ったその顔に、そうきたかと内心嘆息する。
﹁ふむ? あまり驚いていないな﹂
﹁昨日から疑っていたからな。違和感に気付いたのは別れた後だっ
たが﹂
動言に奇妙な部分があったからこそ、最低限の警戒は行っていた
のだ。
﹁ほう、なにか失言をしたかね﹂
﹁失言というほどでもない。裏があるのではと思っていたが、まさ
かテロリストの一員だったとはな﹂
信じたくはなかった。気のせいであってほしかった。けれど、こ
こに俺の勘は事実であったことが証明される。
﹁見損なったぞ︱︱︱ヨーゼフ﹂
人型機乗りの自由天士であったはずの男は、嫌みったらしくパチ
パチパチ、と拍手した。
1070
﹁なぜ気付いたか、後学の為に教えてもらえんかな?﹂
﹁⋮⋮そもそも、一年前に数回会っただけの俺の顔と名前を覚えて
いたのが不自然だろ﹂
普通覚えていない、一年前の顔見知りレベルなんて。
﹁だがもっと奇妙なのは、アンタ昨日去り際にこう言った﹂
﹃どうやら私はデートの邪魔のようだ。これにて失礼する、レーカ
君、ソフィー嬢﹄
﹁なぜ、ソフィーの名前を知っていた?﹂
これこそが唯一にして最大の疑問だった。
昨日の会話において、ソフィーは名乗っていないのだ。
﹁一年前から覚えていた? ただの村娘であるはずの、ソフィーの
名を? それこそありえない。人見知りのソフィーが、外部の人間
と会話したはずもない。なんらかの調査を行ったんじゃない限り、
ソフィーの名を知っているのは不自然だ﹂
﹁多分に推測混じりだが、確かにその通りだ。私も詰めが甘い﹂
くつくつと生理的に嫌な笑いを漏らすヨーゼフ。
﹁君達、正しくは姫君への接触は厳禁なのだがね。姫君の所在を発
見した功績でそれなりに出世したので許可が降りた。この出会いに
感謝しなくてはな﹂
1071
﹁⋮⋮お前達の目的はなんだ、ソフィーをどうする気だ﹂
﹁冷静だな。やはり歳分相応だ﹂
なんなら殴りかかってやろうか?
結界に阻まれるのがオチだが、馬鹿のふりをして油断を誘うのも
ありかもしれない。
﹁同志達は姫達ばかり注視するが、私は君こそ世界の行方を左右す
る鍵ではないかと思っているのだよ﹂
﹁世界なんて興味ないね、このあいだまで俺の世界はゼェーレスト
だけだった、それでも満足していたんだ。⋮⋮姫達、だと?﹂
聞き逃すところだった。誰だ、姫﹃達﹄って。
﹁やはり君は優秀だ﹂
リデア姫か? 違う、この町にはあと一人姫がいる。
﹁⋮⋮お母さん?﹂
﹁その通りで御座います、ソフィアージュ姫﹂
慇懃無礼に頭を垂れるヨーゼフ。
﹁我々、紅蓮の騎士団の目標は貴女の確保。そして︱︱︱﹂
1072
零夏達が捕まっている間に、テロリストの作戦は次の段階へと進
行していた。
人型機部隊を満載した大型級揚陸艦が、町の各地に分散して強行
着陸する。
三〇〇メートルの巨船が降りられる場所など首都内部にはほとん
どない。しかし、彼らはそれを問題としなかった。
解決作があったわけではない。
単に、人間達の上に着陸したのだ。
建物をなぎ倒し、不時着するように速度を殺し切らぬまま接地す
る。
眼前に迫る巨大な船。見慣れているはずの船が、彼らには最悪の
魔物に見えた。
一隻降りる度に逃げ遅れた、逃げる猶予もなかった人々がミンチ
となっていく。
地獄絵図は局地的なものではなくなっていた。
エアシップ
首都の至るところに赤い川が流れ、誰かの悲鳴が響く。
大型級飛宙船から人型機が発進し、何らかの﹃目的地﹄を目指し
作戦行動を開始する。
しかし彼らが順調に侵攻していたのは、ここまでだった。
大会警備の為に各所に配置されていた軍機と戦闘に陥ったのだ。
奇襲を受けたとはいえ、数で勝る地上軍。
物量が物を言う地上戦にて、テロリスト達は少なくない血を流す
のであった。
市街地による戦闘は、多くを破壊し命を奪っていった。
誰もが思い知る。
一〇年間の平穏が、終わりを告げたのだと。
1073
民衆が混乱に陥る中、ガイル等は人混みの中を必死に駆けていた。
体力のあるガイルがマリアを背負い、それにアナスタシアとキャ
サリンが続く。
城近くにいた彼らだが、状況を把握するとすぐに行動を開始する。
白鋼の安否が気になるところであったが、民間人の彼らに出来る
ことはない。
まず優先したのは、非戦闘員であるマリアとキャサリンの母娘を
安全な場所へ送り届けることだった。
城で預かってもらう、というのは却下された。テロリストの目標
にドリット城も含まれていると判断したからだ。
それに、小さいながらも城以上に堅牢で安全な場所を彼らは知っ
ていた。
﹁こっちだ! 路地を抜ければ近道になる!﹂
﹁詳しいわね、さすがに﹂
﹁当然だ、地元だからなっ﹂
先導するガイルが向かう先は、彼の実家、イソロクの雑貨屋であ
る。
﹁あそこには地下シェルターがある、あそこ以上に安全な場所はな
い!﹂
空を飛び交う戦闘機。
それをちらりと見つめ、ガイルは舌打ちした。
︵俺も上がれればいいんだが、このままじゃ航空戦力が無駄死する
ぞ!︶
1074
爆装状態で上空待機する戦闘機達は、テロリストの戦闘機にとっ
て格好の的。
それでも彼らは爆弾を棄てることもせず、飛び続けなければなら
ないことをガイルは知っていた。
護衛機も存在するが、なにせ敵からすればどこを見ても当たるの
だ。
誰かが死んでいく。一機、また一機と。
翼に機銃を受けた共和国主力戦闘機・亡霊が墜ちる。致命傷は避
けたようだが、バランスを崩して少し先の道路に不時着した。
ふと、時計台が視界に入る。
首都に住まう人々の為に、毎日時を刻み鐘を鳴らす時計台。
広いこの町には多くの時計台が設置されているが、その上に人陰
を見たのだ。
︵こんな時になにをやっている?︶
目を凝らすと、その男達は動きが整っていることが見て取れた。
軍人。ガイルはそう断ずる。
他の時計台に目をやっても、同じく軍人らしき連中が作業をして
いる。
そう、テロリストに制圧された時計台ではどこも、だ。
︵なるほどな、そういうことか︶
ガイルはおおよそテロリストの手段を理解した。目的ではなく、
手段を。
この時期に城付近及び時計台を制圧するとなれば、やるであろう
ことは一つだ。
1075
︵だが、なぜ? いや︱︱︱︶
片目を閉じて爆風を凌ぐ。すぐ近くに亡霊が墜落したのだ。
上下逆さまの背面姿勢にて大破した亡霊。
︵垂直尾翼が破損していたな︶
制御不能となり錐揉み状態で墜ちたのだろう。コックピットは地
面に押し潰され、まるごと残っていない。
今この町は戦場だ、暢気に考え事をしている場合ではない。まず
は戦えない者を安全な場所まで送り届けなければ。
と、そこでガイルは自分の妻が墜落した亡霊を凝視していること
に気付いた。
﹁ナスチヤ?﹂
アナスタシアは今墜落した亡霊と、先程不時着し天士が退避した
亡霊を見比べる。
片や翼を砕かれ、片や機体上部を潰され。
﹁⋮⋮あなた。五分、いえ三分待って﹂
アナスタシアは燃え上がる裏返しの亡霊の腹に飛び乗り、魔法で
強引に主翼と胴体の接続を切り始める。
﹁何をするんだ!?﹂
﹁ニコイチするわ、あなたは空に上がって!﹂
﹁なっ!?﹂
1076
二個一
こんな設備も何もない場所での共食い修理︱︱︱ニコイチ。しか
し、それ以上にガイルを驚かせたのはアナスタシアが自分を守らせ
ないことだった。
﹁馬鹿を言え! 俺はお前の騎士だ、全てにおいてお前を優先する
! そう誓ったろう!﹂
﹁今この町は多くの民が亡くなっていっているわ。彼らを守るのは
あなたの責でしょう﹂
﹁英雄としての俺はもう死んだ! 今の俺は、お前の夫だ!﹂
﹁どっちよ、騎士なのか夫なのかはっきりなさい﹂
身体強化魔法を発動し、一枚板の亡霊主翼を持ち上げる。
﹁私はキャサリンとマリアを守りながらでもそれなりに戦えるわ。
むしろ、地上ではあなたの方が足手纏いじゃない﹂
﹁うぐ﹂
﹁テロリストの撃退はソフィーとレーカ君の保護にも繋がるわ。民
と私なら私を選ぶとして、ソフィーと私ならどっちを選ぶ?﹂
﹁⋮⋮そんな質問するな﹂
﹁ごめんなさい。でも、ちょっとだけでいいから娘の味方をしなさ
いな。あの子はこんなおばさんより、ずっとずっと先があるんだか
ら﹂
1077
亡霊の主翼をフレームごと再結合する。永久結合部品となってし
まったが、一度戦う分には充分だ。
﹁俺は空に上がると承諾した覚えはないんだがな﹂
﹁なら行かない?﹂
﹁いや⋮⋮地上では役立たずなのは事実だ。使わせてもらおう﹂
﹁はいっ、これで飛べるわ﹂
手早く修理を終えたアナスタシア。
﹁早いな﹂
﹁レーカ君の癖が移ったのよ﹂
ガイルは亡霊に飛び乗り、エンジンコントロールを立ち上げる。
﹁亡霊は自力で点火出来ないのか。ナスチヤ、魔法で回してくれ﹂
﹁いくわよっ!﹂
回転するタービン。燃料が供給され、燃焼室に火が点る。
亡霊のバーナーが再び炎を噴いた。
上昇する亡霊に、アナスタシアは手を振った。
死んじゃいやよ
﹁GoodLuck﹂
1078
ガイルは親指を立てて返答し、機体を前進させた。
眼下にキャノピー越しに見つめる最愛の妻。
その姿が、ガイルには妙にはっきりと印象に残った。
夫を戦場へと見送り、アナスタシアは安堵したように頬を緩めた。
﹁キャサリン、マリアちゃん。悪いけれど二人で先に雑貨屋へ行っ
ていてくれる?﹂
﹁えっ?﹂
﹁どういうことだい、アナスタシア様﹂
驚くメイドの母娘。護衛がいなくなることを心配したのではなく、
アナスタシアが別行動することに身を案じたのである。
﹁少し寄り道をするだけよ。すぐ追い付くわ﹂
キャサリンはそれが嘘だと看過した。
しかし、それに逆らう選択肢もないことを彼女は知っている。
﹁︱︱︱そうかい、んじゃあ行くよマリア!﹂
﹁え、でもお母さん!﹂
1079
躊躇う素振りも見せずに駆け出すキャサリンと、手を引かれアナ
スタシアを気にしつつも母を追うマリア。
アナスタシアはキャサリンに内心感謝しつつ二人を見送る。
主従の立場であれど、キャサリンは同性の友人であり家族なのだ。
彼女の一瞬の葛藤くらい見抜いていた。
一人となったアナスタシア。
ゆっくりと振り返り、虚空を睨む。
﹁そこにいる奴、出てきなさい﹂
﹁︱︱︱夫を逃がしたか、賢明かもしれんな﹂
陽炎のように現れた男を見て、アナスタシアは目を見開いた。
﹁ラス、プーチン⋮⋮!?﹂
﹁美しくなったな、我が愛弟子よ﹂
ローブ姿の男、ラスプーチンはアナスタシアの魔法の師であった。
そう、それは大戦が始まるより前。アナスタシアの家族が全員揃
っていた頃の記憶。
﹁︱︱︱ッ! 生きていたというの?﹂
﹁誰もかもそう言う。そんなに不思議か﹂
杖を構える両者。
﹁そういきり立つな。娘がこちらの手中にある以上、元よりお前に
拒否権はない﹂
1080
﹁なっ﹂
﹁来て貰うぞ、ナスチヤ﹂
﹁その通りで御座います、ソフィアージュ姫﹂
慇懃無礼に頭を垂れるヨーゼフ。
﹁我々、紅蓮の騎士団の目標は貴女の確保。そして︱︱︱﹂
刹那の間を置き、彼らの真の目的を知る。
﹁︱︱︱救国の姫君・アナスタシアの首だ﹂
1081
現在戦闘中の銀翼︵軍が把握していない者も含む︶
二つ名なし ギイハルト・ハーツ
帝国の悪魔 ハンス・ウルリッヒ・ルーデル
白い死神 シモ・ヘイヘ
厄災の双子 エイノ・ユーティライネン
厄災の双子 アルーネ・ユーティライネン
微熱の蜜蜂 エカテリーナ・ブダノワ
最強最古 キョウコ
紅翼の天使 ガイル・ファレット・ドレッドノート
VS 1000
1082
天師と銀翼︵後書き︶
NGシーン
作中の空気が合わないのでカット。
物陰からラスプーチンとアナスタシアのやりとりを見つめるメイ
ド親子。
キャサリン﹁アイツはまさか!﹂
マリア﹁知ってるの?﹂
彼女達の背後に忍び寄る人影。
テロリスト﹁げへへ、別嬪さんの親子がいるぜ!﹂
キャサリン﹁は、離せ!﹂
マリア﹁お母さん!﹂
メイド親子ピンチ!
テロリスト﹁戦利品って奴だ、ひっひっひ﹂
テロリスト﹁俺はチビの方貰うぜ﹂
テロリスト﹁うへへ﹂
その時、何者かがテロリストを後ろから殴り昏倒させる! ???﹁大丈夫か!?﹂
親子﹁あ、貴方は!﹂
1083
そう、彼らは︱︱︱
﹃俺達ドリット最速連合! ヒャッハー、町の治安は俺が守るぜー
!﹄
︱︱︱いつぞやの暴走族!
キャサリン﹁誰?﹂
ヒャッハー﹃俺達が来たからには安心ですぜ、姉御!﹄
マリア﹁誰が姉御よ!?﹂
本当のあとがき
漫画アンリミテッドウィングスを読みました。あのエアレーサー達
なら、前話の橋の下を800キロで飛ぶのが実際に可能かも、と思
えるのが凄まじいですね。
プロペラ機もいいもんです。セルファークはジェット主体の世界
なのが残念。いやジェットにも素晴らしい機体はいっぱいあります
よ? 形はむしろジェットの方が多様性がある気もしますし。
ところで、今回ラスプーチンを調べてみて気付いたのですが娘の
名前が⋮⋮
後付けですが、面白い展開に出来るかも?
1084
白鋼
ナスチヤの死、それこそがテロリストの目的。
その言葉を理解するより先に、俺は拳をヨーゼフに向け放ってい
た。
身体強化を使わない、ただ武術経験者というだけの正拳突き。
鈍い打撃音が鳴る。
ヨーゼフの頬に拳が届いたのではない。直前で、空中に衝突した
のだ。
透明な障壁。衝撃を受けた部分が波打ち視認出来て、初めて存在
に気付いた。
なるほど、扉が開いていようと出入りが可能なわけではないらし
い。
せめてもの意趣返しではないが、ヨーゼフの不意は突けたようで
僅かに目を見開き身を引いた。
拳の皮が破け血が滲む。
鈍い痛みが、頭を若干冷ました。
﹁なぜ、ナスチヤを、殺す?﹂
﹁⋮⋮紅蓮の騎士団の最終目的を知っているかね、レーカ君?﹂
しろがね
﹁知るか﹂と切り捨てたいが、記憶の片隅に紅蓮の名は刻まれて
いた。
そう、確か⋮⋮白鋼を組み上げる際にツヴェー渓谷へ買い出しへ
行った時だ。
カストルディさん曰く⋮⋮
1085
﹁⋮⋮二大強国を合わせた超大国を樹立しようっていう、統一主義
者だったか﹂
﹁その通りだ。少なくとも一〇年前の大戦では、そういう名目だっ
た﹂
今は違うのかよ。
﹁一〇年も経てば人は変わるさ。今の紅蓮の騎士団は幾つもの派閥
が存在する﹂
そう、ヨーゼフは疲れた目で語った。
﹁紅蓮の内部事情はどうでもいい。なぜアナスタシア姫を殺すかだ
が、端的に言えば用済みだからだ﹂
﹁用済み?﹂
﹁そうだ。正当なる血族であるアナスタシア姫、だが既に子を産み
存在意義が失われた﹂
﹁だからって、なぜ殺すことに繋がる?﹂
﹁統一国家の目的は世界の安泰だ。王族が複数居れば、それを乱し
かねない﹂
それでは、まるで。
﹁ソフィーを王に据えよう、っていうのか⋮⋮?﹂
1086
﹁なに、玉座に座っていればいい楽な仕事だ。個人に国を託すなど、
馬鹿げたことは計画に含まれていない﹂
完全なお飾りってことかよ。
そもそもソフィーって何者なんだ⋮⋮って、今考えることではな
いな。
こんな狂った連中の事情なんて知らない。
﹁ソフィーはゼェーレストで平穏に暮らせばいいんだ﹂
﹁ソフィアージュ様の意志はどうなる? もしかしたら大いな責務
を自覚し、我々に身を託すかもしれんぞ?﹂
﹁却下だ、ソフィーが望もうがお前達に渡すつもりなどない﹂
ナスチヤを殺すのならば、それは未来に同じことをするという意
味だ。
﹁適当な男をあてがって子を産ませた後に結局殺すんだろ﹂
﹁種馬に君を推してもいいが?﹂
﹁クソ食らえ、だ﹂
﹁ははは、君はそう言うと思ったよ﹂
心底おかしそうに笑う。俺はちっとも面白くない。
﹁もっとも、この理論とて私の理屈でしかない。過激派の辺りは、
1087
姫を処刑することで世界に我々の復活を知らしめよう、という魂胆
もあるのだろうな﹂
﹁はっ﹂
鼻で笑う。
﹁このラウンドベース級自体が過激にしか思えないが﹂
﹁このようなテロじみた行為、私個人としては反対なのだぞ?﹂
それを犠牲者の前で言ってみろ。
﹁⋮⋮どうして?﹂
不意にヨーゼフに声をかけたのは、覚悟を決めた表情のソフィー
だった。
いつもの弱々しい彼女ではなく、毅然とした面持ちで犯罪組織の
構成員に真っ向から向かい合う。
﹁お母さんもお父さんも、所在が割れないように注意していた。ど
うして気付いたの?﹂
﹁⋮⋮してたのか、注意?﹂
ずっと側で見ていたが、普通に暮らしていたと思うのだが。
﹁確かに入念にカモフラージュされ、真っ当な方法では見つけ出せ
ない状況を作り上げられていた。現に一〇年間発見出来なかったの
だからな﹂
1088
律儀にヨーゼフは説明を始める。各地に流されたダミー情報や村
の広場を中心とした認識阻害魔法を駆使し、普通に生活しつつも完
全に姿を眩ませていたらしい。
そういえばガイルはギルドマスターから直接依頼を受けている、
と聞いた気がする。あれも情報封鎖の一環だったのか。
﹁私が気付けたのは、アナスタシア姫が収穫祭で不用意に村へ降り
たこと、そのタイミングで私が村へ着き、偶然結界を突破し違和感
を覚えたことなど、幾つもの要素が重なった結果だ﹂
更に言えば我々が大戦にて絶滅したと思い込み油断していたのだ
ろうな、とヨーゼフは続けた。
﹁⋮⋮話し過ぎじゃないか? なぜ、そこまでペラペラと事情を明
かす?﹂
﹁私は君を気に入っているのでな、つい話が弾んでしまった﹂
テロリストに気に入れられても困る。
﹁どうだろう、我々の同志とならないか?﹂
﹁先程も言ったが、クソ食らえ、だ﹂
﹁くく、割と本気なのだがな。フられたのなら仕方がない、そろそ
ろ失礼しよう﹂
冷たい扉が閉じる。この牢屋は再び外との接触を絶たれ、俺とソ
フィーはベッドに力なく腰掛けた。
1089
このままじゃ拉致られる。いや、奴らが必要とするのはソフィー
だけだ。俺は処分される。
時間が解決したりなんかしない。救援は⋮⋮難しい、だろうな。
解析の結果、ここはラウンドベースのほぼ中央。救助部隊が何ら
かの理由で編成・突入したとしても絶対に辿り着けない。
それにナスチヤの身も心配だ。ナスチヤは魔法の手練れだが、髭
面ローブ⋮⋮ソフィーの回想ではラスプーチンといったか。
アイツは危険だ。ひしひしとヤバい気配が滲み出ている。
ナスチヤが奴と戦闘に陥った場合⋮⋮ああ、違う。ソフィーと俺
が捕まっている以上、ナスチヤは断れないんだ。
時間の問題、か。
エアシップ
脱出しないと。脱出して、ナスチヤに俺達の無事を知らせないと。
解析魔法を発動。ラウンドベース級飛宙船の詳細な構造把握を試
みる。
︵でけぇ⋮⋮︶
大きい。大き過ぎる。
外から見るより遥かに大きい。いや大きさが変わったわけではな
いが、緻密に把握しようとすればその複雑さがよく理解出来るのだ。
大型級飛宙船ですら納められる巨大ドック。マンションのような
移住区。ゲームセンター並の規模の娯楽室。病院と呼んで差し支え
ないほどのベッド数を誇る医務室。果てには、内部で食料を生産す
る為の畑や牧場まである。
まるで、というかまさに一つの町だ。
否、地球の航空母艦ですら町と称されるのだ。直径一〇キロメー
トル、それが何層にも重なったラウンドベースはもはや小国と呼ん
でいいかもしれない。
全体像などとても把握不可能。脱出ルートの選出に集中する。
イメージとして浮かび上がる3Dモデリングのような内部構造図。
1090
巨体だけあって出入り出来る場所は多い。だが、それもラウンド
ベース外周に限られる。
ここ、中央ブロックから端まで移動する必要があるのだ。
魔法で穴を開けて底から抜けるのもアリだが、その場合は地上に
ソードシップ
降りられない。三〇〇〇メートルからダイブなどごめんなので、ど
っちみち乗り物は必要だ。
だがそもそも、格納庫に戦闘機はほとんどない。あったとしても、
初音21式は一人乗りだし。
飛宙船は割とあるが、速度が遅く、とても逃げ切れない。
⋮⋮そういえば、白鋼ってどうなったんだ?
ソフィーの回想には行方が出てこなかったが、回収されているの
だろうか?
﹁なあ、ソフィー﹂
﹁ねえ、レーカ﹂
声が重なった。
﹁⋮⋮ソフィーからどうぞ﹂
﹁⋮⋮レーカからでいいわ﹂
これは終わらない予感。さっさと質問してしまおう。
﹁白鋼がどうなったか、知っているか?﹂
﹁私とレーカは白鋼に乗ったままここに運ばれたけれど、それ以降
は判らないわ﹂
1091
一応格納庫までは運び込まれたんだな。
﹁レーカ、私達、逃げない方が良かったんじゃないかな⋮⋮﹂
﹁ここから脱出しない方がいい、ってことか?﹂
驚いてソフィーを見やるが、彼女は頭を横に振った。
﹁ここからは出た方がいいと思う。そうじゃなくて、あの飛行機達
に追われた時﹂
まいづる
舞鶴との追いかけっこか?
﹁大人しく捕まっていれば、橋の上の人は⋮⋮﹂
⋮⋮そうだった。あの時、誰かが死んだんだ。
﹁私達のせいで、余計な被害が出たんだよ﹂
﹁そんなの結果論だ。撃ったのは、あいつらだぞ﹂
俺だって弓矢で舞鶴を一機落とし、橋に被害を出しているが、そ
れは忘れることにする。
そういえば、あれって俺の初めての人殺しだったのかな。巻き添
えの犠牲者じゃなくて、舞鶴に乗っていた天士のことだ。
あの天士が死ぬと知っていて、俺は矢を放った。殺意は確かに彼
に向いていたのだ。
﹁そもそも、あんな連中に大人しく投降するなんて、選択肢として
有り得ない﹂
1092
﹁あの時、海に逃げれば良かったんじゃない?﹂
うぐ、気付かれた。
子供っぽいようで実は敏いからな、この子は。
﹁⋮⋮武装のない白鋼が助かるには、軍用機に保護されるしかない。
海に逃げたって誰も助けてくれなかった、却下だ﹂
﹁そうだけれど、そうなんだけれど﹂
悔恨の念を抱き、納得出来ない様子のソフィー。
﹁なあ、これは俺の考えだけどさ﹂
﹁?﹂
仕方がない、屁理屈で納得させてみるか。
﹁世の中って残酷でさ、不条理な理由で殺される人っていっぱいい
るんだと思う﹂
災害や人災、あるいは犯罪。あるいは病魔も含めたっていい。
一見平和に見える国だって、死は満ちている。
﹁本人の意志に関係なく、命を奪われる人はいる。生きる権利なん
て法律の上でしか保証されない﹂
けど、ならば人間という生物に許される権利とはどこまでだろう
か。
1093
﹁俺はさ、万人に﹃生きようと足掻く権利﹄はあると思うんだ。そ
れっぽっちだけれど、それでもそれは破っちゃいけない﹂
﹁生きようと、足掻く権利⋮⋮﹂
﹁俺達はそれを行使しただけだ。誰に責められることを犯したわけ
でもない﹂
﹁でも、それで、遺された人は納得する?﹂
しないだろうな。恨みの連鎖なんて、語り尽くされた陳腐な喜劇
だ。
﹁俺はソフィーに生きてほしい﹂
彼女の両肩を掴み、視線を交わす。
﹁生きてほしいんだ。だから、権利を行使した﹂
﹁⋮⋮私も﹂
ソフィーは微かに笑みを浮かべる。
﹁私も、レーカに生きて欲しいわ﹂
﹁⋮⋮お、おう!﹂
そう返ってくるとは思わなかった。
彼女の笑顔になんだか気恥ずかしくなり、視線を逸らして解析魔
1094
法を進める。
﹁あ⋮⋮﹂
﹁どうしたの?﹂
あった。
中央ブロック実験室の倉庫に運び込まれた、白き鋼の翼。
意外と近い。これなら、あるいは。
この部屋を囲む結界は、物理・魔力障壁及び探知結界である。
障壁として物理・魔力防御を持っているが、これはなんとなく力
業で破れる気もする。
それ以上に厄介なのは、結界がセンサーとしての役割を果たして
いることだ。
壁の向こう側に展開する魔法陣、これのどこかを遮ると魔法使い
が察知する。
なので、監視員の死角で壁を破るという手段がとれないのだ。
壁をぶち破って強行脱出するのは却下。その後が続かない。
﹁あーちくしょう、なんとかならないのか!﹂
1095
室内の家具をひっくり返し、再度物色する。
小物はあるが尖った物はない。ついでに紐状の物もない。自殺防
止の策だろう。
﹁あれはどうだ!﹂
シャンデリアに飛びかかり、よじ登って強引に天井から引き千切
る。
落下するシャンデリアと俺。
地面に衝突したシャンデリアだが、砕け散ったりはしない。メッ
キを施した木製だ。
とりあえず壊しにかかる。
﹁なんでバラバラにしているの?﹂
﹁嫌がらせ!﹂
くけけ、この特注であろうシャンデリアを再度発注して破産して
しまえ!
ひとしきりシャンデリアを解体すると、疲れてベッドに飛び込む。
﹁あー、もう、四面楚歌だ﹂
もしくは絶体絶命。
﹁ねえ、今は大人しくしていましょう? きっとお父さん達が助け
てくれるわ﹂
﹁⋮⋮ま、それに期待するしかないな。寝るか、体力温存の為にも﹂
1096
ベッドの上で大の字となる。
﹁ね、ねえ、レーカ﹂
﹁うん?﹂
もじもじと照れた様子のソフィー。
﹁一緒に寝てくれる?﹂
ああ、いっつも両親と寝ているから、一人では寝られないのか。
﹁甘えん坊さんだなあソフィーは﹂
﹁あ、甘えん坊じゃないもん!﹂
いいつつも、ソフィーは俺が同じベッドに入ることを拒みはしな
い。
﹁それー!﹂
﹁きゃ、もう﹂
布団でソフィーを覆って、二人で暗闇の中で内緒話。
外から見れば丸くなった布団しか見えないだろう。これぞ、布団
結界!
実はソフィーの髪が思いっきりはみ出ていたりするのだが。
1097
以上、ここまでが茶番である。
﹁これで良かった?﹂
﹁名演技だ、ソフィー。主演女優賞は君のものだ﹂
打ち合わせ通りなのだが、照れ顔の演技など真に迫っていた。女
は皆役者なのだろうか。
シャンデリアから千切った魔力導線ケーブル。これも首吊り防止
か、一〇センチほどしかない。
だが充分。少なくとも、部屋周囲の結界の厚さよりは長い。
ベッドに魔法で穴を開け、下へ。
構造的にベッドは下に潜っても横から見えない。ソフィーは四つ
ん這いになって、俺がいなくなった布団の体積を誤魔化している。
穴を開けたことで出た廃材を変形させ、支柱を作ってソフィーに
手渡す。
ドームテントのように布団を固定し、彼女はやっと一息吐いた。
俺の仕事はこれからが本番だ。
﹁私は何もしなくていいの?﹂
﹁⋮⋮応援しててくれ﹂
﹁頑張れー﹂
床に小さな穴を開ける。
結界は金網並の密度を持った魔法陣だ。隙間を人間が抜けること
は不可能。
1098
しかし、このケーブル程度なら隙間から下ろせる。
床下に監視の目がなくて良かった。これも、解析魔法があったか
らこそ判ったのだが。
魔法陣の光を避けて下層に伸ばされた導線。
魔力を注ぎ、その先で鋳造魔法を行使する。
魔力は導線の外部被膜によって封じられ、センサーは反応しない。
僅か一〇センチ下で俺が制作したのは、体長三〇センチほどの小
さなロボットだ。
︵イメージリンク魔法発動っ︶
小さなロボット、ファンタジー的に言えばゴーレムが立ち上がる。
イメージリンクによって俺の無意識下の補正がフォードバックさ
れ、動きはとても人間的になる。
解析魔法で下に存在する部屋を覗き、人がいないことを確認。ゴ
ーレムは下の階へと降りた。
﹁よし、第一段階成功!﹂
小さくガッツポーズ。ゴーレムもガッツポーズ。
トテトテと歩き、廊下に出る。
なるべく遠くへ移動しなくてはならない。この牢屋付近で異変が
見つかれば、俺の仕業だとばれてしまう。
船員のいない通路を選び、物陰に隠れ、時にゴミのフリをする。
解析魔法にて事前に人の移動を把握出来なければ詰んでいた。
やってきたのは研究棟。ゴーレム越しに半スクラップとなった白
鋼を見上げ、強い怒りを覚える。
だがまだだ。今は、目的の物を手に入れることに集中しなくては。
白衣を着た研究者が近付いてくるのを察知、慌てて隠れる。
1099
﹁⋮⋮んで、この飛行機を調べろってことだよな﹂
﹁確かに面白そうな機体だ。色々出てきそうだぞ﹂
﹁でてこなければ粛正されるっての﹂
﹁ははは、木材の本数を数える仕事ってか?﹂
﹁笑い事じゃねぇよ﹂
⋮⋮やり過ごしたか。
歩き去った男達を確認し、目的の物をかっぱらう。
魔力導線。どこにだって必ずある、基本中の基本在庫だ。
ゴーレムはケーブルを肩に担ぎ、着た道をひたすら逆走。
最初の部屋、牢屋の真下まで戻ると、次は部屋の天井を鋳造魔法
でスロープに変形させる。
スロープをえっそらこっそらと登る。
﹁⋮⋮やれば出来るもんだ。第二段階成功っ﹂
小さくVサイン。ゴーレムもVサイン。
さて、最終段階。
ケーブルをこそこそと結界に配置する。
結界は赤外線探知のようなものだ。漫画などで鏡を使い赤外線を
迂回させセンサーを回避させるシーンがあるが、用は同じ理屈。
魔力のバイパスを作り、子供が通れるほどの隙間を作る。
説明すれば簡単だが、これは途方もなく神経をすり減らす作業だ
った。
解析魔法による手探りの作業。ゴーレムの小さな手で、繊細な魔
法陣に介入するのだ。しかも、入力誤差の存在するイメージリンク
1100
制御で。
一挙一動の度に停止し、吟味して次の動作へ。
一カ所二カ所ではない。最低でも、二〇カ所以上。
失敗は許されない。しくじれば、終わる。
俺の命が。
︵あああ、余計なこと考えるな、集中を乱すな!︶
精神の乱れが制御に反映されるのだ。イメージリンクは欠陥魔法
だと、思わずこの魔法の発案者を呪いたい気分になった。
全工程が終了したのは、かなりの時間が経過した後だった。
﹁第三段階、成功⋮⋮﹂
疲れた。二度とやりたくない。
﹁終わった?﹂
﹁ああ、ちょっと待ってて﹂
床を丸く切り取る。
ぱかっと持ち上げると、大穴の開いた魔法陣の一部が見えた。
﹁は、はは、俺頑張ったわ、ほんと﹂
スロープ出入り口の穴を拡張する。これで、脱出ルートの完成だ。
最後の仕上げに床の成れの果てを原料に、ハサミを制作。
ベッド上に登り、ソフィーの頭に触れる。
﹁んっ﹂
1101
﹁動かないで⋮⋮やっちゃうけど、いいな?﹂
﹁レーカがそう言うなら、いいわ﹂
卑猥な意味ではない。
これを実行すれば怒られる。ガイルは無茶苦茶怒る。ナスチヤも
ちょっと怒る。俺自身ご立腹である。
でもしゃーない。ぐっと、ハサミを持った指に力を込める。
ソフィーの髪は、ばっさりと切り落とされた。
彼女を抱えて下の階へと降りる。
﹁うわ﹂
﹁どうしたの?﹂
明るいところで見た彼女の髪は、俺の想定以上に短くなっていた。
肩よりほんの少し上程度。整えたらもっと短くなるだろう。
やりすぎた。髪を切ったのはソフィーが部屋の中にいると偽装す
る為だが⋮⋮必須ではないのだし、もう少し加減してもよかったの
だ。
いやいや、1パーセントでも成功確率を上げる努力を惜しむべき
ではないけれど。
天井の穴を見上げ、少し感慨に耽り、隠蔽工作に移る。
この部屋は物置らしく人が来る様子はなかったが、それでも脱出
の痕跡は消すべきだ。
それを一通り終え、俺達は移動を開始する。
向かうは実験棟、白鋼である。
1102
ラウンドベース級飛宙船は俯瞰図で説明すれば、中央の丸いブロ
ックを基本にピザかケーキのように幾つものブロックが外周を囲ん
でいる。
それぞれは基本的に独立しているらしく、隣同士のブロックを行
き来出来るのは一カ所のみ。小型級飛宙船ならば通過出来るほどの
大きな門だ。
勿論そこは厳重に警備されている。生身でのソフィーを守りなが
らの突破は難しいし、脱走が知れ渡り行動しにくくなるだろう。
ならばいっそ壁をどこかぶち破るかとなれば、そうもいかない。
ラウンドベースは最悪の事態に備え、中心ブロックのみで飛行す
ることを設計上考慮されているらしい。
そのため中心ブロックを包む装甲は厚く、多重構造となっている。
これを壊すとなれば、絶対気付かれる。
そこで白鋼だ。どうせバレるなら、白鋼を修復して門を強行突破、
一気に外に出るしかない!
﹁でも、門を突破しても更に数キロ移動しなければならないのよね
? 白鋼の車輪で走り抜ける気?﹂
﹁大丈夫、考えがある!﹂
研究棟に飛び込み、シャッターを下ろして人間用扉も閉じ、それ
らを溶接魔法で完全封鎖してしまう。
﹁な、なんだお前らは!﹂
1103
﹁あ、やべ﹂
技術者が何人かいるので、当て身で手早く失神させ縛っておく。
さすがに設備が揃っている。工具に困ることはなさそうだ。
てつあにき
﹁鉄兄貴?﹂
ストライカー
ソフィーが人型機を見上げる。
﹁同型機だな、ベストセラー商品だからどこにあったっておかしく
ないよ﹂
大きめの資材やサンプルを運ぶ為の機体だろう。人型って便利。
だがよく知った人型機だ、こいつから部品取りをして修理しよう。
﹁一時間⋮⋮いや、三〇分待ってくれ!﹂
作業速度に定評のある俺、一世一代の最速修理と洒落込むか!
一方、外では苛烈な戦闘が続いていた。
司令室が把握していない機体も含め、天士達はひたすらにテロリ
ストの運用する初音21式を堕とし続ける。
﹁野良の銀翼も参戦しているようですな﹂
1104
将軍が呟くと、リデア姫は空を見上げた。
﹁じゃが⋮⋮間に合うのか?﹂
首都を覆うラウンドベース。
かなりの部分を町に侵入しており、城の上空に達するのは時間の
問題だった。
﹁⋮⋮リデア姫、貴女は退避して下さい﹂
﹁なんじゃ、怖じ気付いたのか? わしの命の責任はわし自身で背
負うわ、余計な気を回すな﹂
﹁退避しなされ!﹂
声を荒げる将軍に、リデア姫は驚き飛び跳ねた。
﹁な、な、なんじゃ、びっくりするではないか!﹂
﹁ここは子供の来る場所ではない! 誰か、こいつを摘み出せ!﹂
﹁な、おい、やめんかこのオタンコナス!﹂
気を利かせた騎士が姫を肩に担ぎ、強制連行する。
﹁この阿呆が、上に立つ者の使命は責任を取ることだけではないぞ
! 生き延び、のちの教訓とすることも大切な使命じゃ!﹂
扉の向こうに消える将軍の背中。
1105
それが、リデア姫が見た彼の最後だった。
﹁⋮⋮ええ、だからリデア姫は死んではなりません﹂
将軍の代わりなど幾らでもいる。だが、帝国姫の代わりなどいな
いのだ。
﹁皆、すまんが最期まで付き合ってもらうぞ﹂
騎士達の返答は、模範のように美しい敬礼だったという。
あらだか
ギイハルトの駆る荒鷹は戦闘用ユニットの再装着ついでイリアを
基地へ預け、補給が済むとすぐに空へと上がった。
堅実かつ無難な戦いを心掛け、決して無理はしない。
単機となるように誘導した敵機に二〇ミリガトリングを放ち、ま
た一機撃墜する。
﹁ふう、二七機目か﹂
いい加減再度補給に降りなければと考える。効率を優先している
とはいえ、多いとはいえないガトリングの弾数ではいつまでも戦え
ない。
むしろ、二七機など本来一度の出撃で落とせる数ではないのだ。
1106
﹃トリコロールの新型に気をつけろ!﹄
﹃ひ、化物め!﹄
戦場において派手な塗装を施した荒鷹・高機動試作機 戦闘用ユ
ニット追加型はやたらと目立つ。その鮮烈な意匠は、当人の実力以
上に敵を圧倒していた。
荒鷹を避け逃げる敵機に呆れつつ、ギイハルトは独白する。
﹁やれやれ、本物の化け物を知らないからこそそんなことを言える﹂
ギイハルトは知っている。才能で銀翼となった者は、こんなもの
ではない。
数の戦術を圧倒し、軍の戦略すら左右する。それが戦時中に生き
た銀翼だ。
所詮自分は元が凡人。ギイハルトはそう考えていた。
︵残弾三発、気休めの御守りにもならんな︶
当たったところで落ちるかも怪しい。どこかに強行着陸し補給し
ようと、大きくバンクする。
﹃誰かが落とさねば被害が増える! いくぞ!﹄
﹁ふん、テロリストにも仲間意識があるのか? 紅蓮は紅蓮らしく
味方に銃口を向けていろ﹂
荒鷹の上を取る五機の初音21式。
戦闘機の格闘戦においてより高い高度・速い速度を先取するのは
鉄則だ。
1107
明らかに不利な状況に陥った荒鷹だが、これはギイハルトの失策
ではない。
圧倒的に味方より敵機の多い空。どうやったって、不利な位置に
敵がいるのは仕方がないのだ。
荒鷹の加速と速度であれば振り切れる。が、補給基地に敵を連れ
て行くわけにはいかない。
戦闘機は離着陸の最中が最も無防備なのだ。
補給しなければ落とせない、補給すると落とされる。
︵やれやれ、覚悟を決めるか︶
五機のうち右から四機、左から一機。
左が隊長とギイハルトは推測する。おとりを買って出て、右の四
機で包囲する気だろう。
右を狙ったとしても、一機落としているうちに他の三機から攻撃
を受ける。
︵敵機はこちらが残弾がないことを知らない。どちらかに向かうと
思うはず︶
だがギイハルトにはどちらに向かう理由もない。そもそも弾がな
いのだから。
無関係の方向に逃げるとしても、残弾が少ない、という以外の理
由が必要だ。弱みを見せたら数の暴力で落とされる。
二基、右メインエンジンと追加上エンジンをカットする。
速度が急激に落ちる。
死にかけの鷹を演じ、負け犬のように空域を離脱しようとする。
﹃あいつ、エンジンが不調なんだ! チャンスだぞ!﹄
1108
︵︱︱︱かかった︶
低速故に運動性が低下した荒鷹、それを殺めようと五機が追う。
弱った獲物に怯える必要はないと慢心し、初音21式は荒鷹の後
ろに着き機銃を撃つ。
紙一重でかわす荒鷹、追いかける五機。
︵そうだ、俺は獲物だ。せいぜい狩りを楽しめ︶
知らず知らずのうちに誘導され、僚機との距離が近くなっていく。
︵もっとだ、もっと近付け⋮⋮!︶
﹃チマチマ撃っても当たらない! 機銃を束ねるぞ!﹄
五機が集結し一斉射撃。
﹁忍耐力のない奴らだ、ドックファイトは戦術だぞ﹂
痺れを切らした敵に呆れつつ、ギイハルトは手元を操作する。
荒鷹のエンジンを再起動。一気にフルパワーまで回し、ひねり込
みで後ろに滑り込む。
先頭の隊長機の直後に着く。その距離、僅か数メートル。
﹃な、後ろ!?﹄
感傷もなく引かれるトリガー。
若干ばらつきつつも、砲弾は吸い込まれるように隊長機のエンジ
ン排気口に飛び込んだ。
ガトリングという種類の火器は始動時に回転が安定せず、弾道が
1109
ブレる。だからこそ、ここまで接近したのだ。
一息に離脱する荒鷹。ここでようやくエンジン出力がまともに上
昇を始める。ターボファンは加減速のレスポンスが遅いのだ。
たった三発といえど、エンジンの内部、繊細な魔導術式にダメー
ジを受ければ大破は免れない。
爆散する隊長機。破片を吸い込んだ後ろの機体もエンジンを破損
し、火を噴き急激に出力低下し墜落する。
それを見届け、ギイハルトは息を吐いた。
﹁残弾ゼロ、今度こそ降りるぞ﹂
ギイハルト・ハーツ
現スコア 戦闘機三二機撃墜
距離の遠さからか、少しくぐもった爆発音が巨大な船体の一区画
に轟いた。
﹃こちら機関室、爆撃を受けています!﹄
その報告に、男は耳を疑う。
﹃馬鹿な、攻撃機は一機も通していないぞ! 詳細を伝えろ!﹄
1110
ラウンドベース後部の推進装置。巨大なエンジンは爆弾一つでは
支障もなく動き続ける。
多国籍軍の少数精鋭による航空戦力の壊滅が成されていない現状、
足の遅い地上攻撃機がラウンドベース機関部まで辿り着くのは極め
て困難なのだ。しかも、爆弾が落ちてくる瞬間まで気付けなかった
となれば尚更。
そこに爆撃。これは、彼らにとって想定外の事態だった。
﹃上です! 地上攻撃機が重力境界の中から急降下してきました!﹄
﹃馬鹿を、ラウンドベースの上を飛んできたというのか!?﹄
あまりに非常識な返答に怒鳴り返す。重力境界には障害物が多く、
並大抵の天士では無事に抜けることすら出来ないのだ。
﹃銀翼クラスでなければ重力境界からの急降下など⋮⋮地上攻撃機
の銀翼? まさか!﹄
そんな会話が行われている中、ラウンドベース後部を飛行し高度
を上げている機体が存在した。
﹁あまり効かないな﹂
帝国の銀翼、悪魔ことルーデルは不満そうに少し焦げただけの機
関部を睨む。
らいしん
﹁目標が大きいですからね。この雷神の兵装では何度往復したって
無駄でしょう﹂
1111
落ち着いた口調で返すのは、後部座席に収まったガーデルマンで
ある。本来単座の雷神だが、ルーデル用に改造されたこの機体は火
気管制が複雑化しているので副座となっているのだ。
雷神は直線翼を持つ、堅牢な構造が売りの地上攻撃機だ。
垂直尾翼が水平尾翼の左右端に二枚あること以外は、極めて標準
的な設計。
エンジンは双発。胴体後部上方に、左右に飛び出すように外付け
されている。
固定機銃は30ミリ機関砲。戦車砲とすら称されるほどの、人型
機キラーだ。
最高速度を犠牲にし得た運動性と火力、そして積載能力。
こと地上攻撃に関しては一級品の性能を持つ機体だが、ルーデル
がそれで満足するはずがない。
﹁そもそも命令は航空戦力の排除だったはずですが﹂
﹁性に合わん﹂
まったくこの人は、とガーデルマンは肩を竦める。
﹁私が来る前に空対空ロケット弾ではなく227キロ爆弾を搭載す
るよう指示したのはお前だろう、なぁガーデルマン﹂
﹁空対空ロケット弾積もうが対地攻撃するでしょアンタ﹂
コントをする間にも、ラウンドベース級の対空砲による何十もの
射線が空を埋め尽くす。
まさしく弾幕と呼ぶに相応しいそれを、ルーデルは避けようとす
らしなかった。
1112
﹁フン、その程度か紅蓮の豚め﹂
それは、既に常識を越えた光景であった。
当たらない。何百もの弾頭に殺到され、それでも射線が避けるか
のようにその機体には被弾しない。
ルーデルの雷神は過度の改造を施されており、極めて劣悪な運動
性を持つ。
だがそんなことは、彼にとって問題ではない。
秘策でも技術でもなく、勘で戦う男なのだ。
上昇し、重力境界に消える雷神。
ラウンドベース後部の指揮官は雷神の性能から急降下のタイミン
グを計る。
﹃⋮⋮そろそろ第二波くるぞ!﹄
﹁先程と同じと思うな﹂
再度の急降下爆撃。
しかし、今度は一発のみなどケチくさい考えは持たない。
積載量
翼下の三十カ所以上のハードポイント、そこに満載されていた2
27キロ爆弾が全て放たれる。
ルーデルの雷神が強化されている点は、ペイロードと火力である。
大量の爆弾を積むために浮遊装置を増設し、飛行中も常に起動し
ソードエアシップ
ているのだ。
いわば飛行宙船と呼ぶべきか。飛行機の定義から逸脱した雷神は、
通常の三倍のペイロードを得た代わりに機動性を失った。
水平飛行では飛宙船よりはマシ、という程度の最高速度。制空権
を得ていようと危険な速度域でありながら、彼は敵に支配された空
を舞う。
雨のように降り注ぐ爆弾。その着弾点は見事に集中し、幾つもの
1113
大型エンジンが見事沈黙するのであった。
﹁さて、また爆装してくるとするか﹂
ありったけ破壊したことでご満悦のルーデルだが、物足りないこ
とには違いない。
出撃が趣味といっていい彼にとって、敵地と基地の往復は日課で
ある。
手慰めに高射砲を30ミリ機関砲で粉砕し、雷神は帰宅の路に着
く。
﹁ところで高射砲は破壊してもいいのか?﹂
﹁今やってから訊きましたよね﹂
本来機首に一門のみの30ミリ機関砲だが、この機体は火力向上
の為に両翼下にそれぞれ一門、計三門に増設している。
ただでさえ機体が減速するとされるほどの反動を誇る30ミリ機
関砲。
三門もあれば、数秒で機体は失速寸前にまで減速した。
﹁まあいいんじゃないですか? 破壊しておけば後が楽になります﹂
﹁もうやっとるが、な﹂
楽しげに対空砲を破壊していくルーデル。死をばらまくその様は、
まさに破壊神。
﹃おのれ、いつまでも好き勝手させるか!﹄
1114
それは意地か技量か。
高射砲が雷神のエンジンを射抜き、エンジンポッドが機体からも
げ落ちた。
﹁ガーデルマン! エンジンが片方ないぞ!﹂
﹁そんなことはないでしょう。エンジンが吹っ飛んだら、飛んでな
どいられるもんですか。そんなことより弾も限りがあります、補給
着陸しましょう﹂
数機の戦闘機が雷神の後ろに接近する。動きが鈍った隙に落とそ
うという魂胆だ。
﹁ガーデルマン﹂
﹁はいはい﹂
ガーデルマンが後部座席のハンドルを回す。
機体上部の砲塔が操作に呼応して回転した。
105ミリライフリング砲。航空機に載せるにはあまりに重いそ
れが、後方に向けて炎を吹く。
多数の初音21式をまとめて吹き飛ばす鉄鋼弾。ルーデルの名に
隠れ気味であるが、彼も優れた砲手なのだ。
﹁おお、ちょっと加速したぞ。これなら基地まで辿り着けるかもし
れん﹂
﹁残り時間の心配をするなら30ミリ機関砲を撃たないで下さい。
減速します﹂
1115
﹁よし、私は前に撃っているからお前は後ろに撃っていろ﹂
﹁聞けよ﹂
正面に30ミリ機関砲三門、後ろに105ミリライフリング砲を
撃ち続ける雷神。
不条理なまでの火力が、そこにはあった。
ハンス・ウルリッヒ・ルーデル エルンスト・ガーデルマン
現スコア 戦闘機三機撃墜 ラウンドベース級機関部三〇基破壊
高射砲八八基破壊中︵現在進行形︶
高さ数十メートル。周辺の建物より高い鉄柱の上に、人型機が立
っていた。
﹃狙撃手か?﹄
きょゆうへい
﹃あれ、帝国の巨勇兵だぞ。大戦初期のイロモノがなんで﹄
﹃軍ではもう運用していまい、自由天士じゃないか?﹄
場所は爆装した亡霊の上空待機する、最前線の境界。
1116
そこに不自然に存在する人型機に、テロリストたる初音21式の
天士達は首を傾げる。
かつて、量産型の人型機を152ミリ砲搭載機に改修した機体が
あった。それが巨勇兵だ。
極めて劣悪な機動性。少しの坂道ですら行動に支障をきたすパワ
ー。絶望的な四肢のレスポンス。時代に不相応な152ミリ砲とい
う兵器は、その機体から火力以外の全てを奪っていた。
しかし、それでも尚、当時の戦場において巨勇兵は驚異だったの
だ。
あらゆる装甲を貫く移動砲。平坦な土地でしか使用出来ないこと
から﹁街道上の怪物﹂と呼ばれ恐れられた機体である。
鉄柱に立つ巨勇兵はほぼノーマルに見えたが、頭部コックピット
モジュールだけは手が加えられている。左半分を白い面のような装
甲で覆い、右半分の目には大きな望遠レンズがはめ込まれてる。
その左右非対称の容貌は、見る者に恐怖を抱かせた。
︵だが所詮は過去の栄光。今や巨勇兵は時代遅れのポンコツでしか
ない︶
隊長は考える。あれは、我々の障害にはならないと。
確かに巨勇兵は時代遅れの骨董品でしかない。そう、一般的には。
意外なほど機敏な動きで152ミリ砲を振るう巨勇兵。外が古く
とも、中身は近代改修されているのだ。
無造作に向けられた砲口が火を噴く。
﹁うわっ、撃ってきやがった!﹂
﹁落ち着け、大砲なんか飛行機相手にそうそう当たるものじゃ︱︱
︱﹂
1117
そう言い、後ろを振り返る。
首がもげた初音21式が、死んだことに気付いていないかのよう
に飛んでいた。
﹃なっ!?﹄
再び砲撃。
今度は隣の機体のコックピットが吹き飛ぶ。
再び。
次は下の機体が爆発する。
連射と呼んで差し支えないほどの速度で放たれる鉄鋼弾に、初音
21式は秒ごとに墜ちていった。
﹃な、なんだコイツ! 総員、同時攻撃で奴を落とせ! 巨勇兵と
いえど背面装甲は薄いはずだ!﹄
隊長は犠牲が出ると知りつつ飽和攻撃を選んだ。人命を軽視した
戦法だが、事実それ以外に手がなかったことも事実である。
だが、巨勇兵の天士はそれ以上の怪物であった。
自機に迫る一五機の初音21式。
それを一瞥し、操縦桿を振るう。
刹那、周囲の初音21式は全て爆散した。
弾倉全ての弾を一瞬で撃ち尽くし、その全てがコックピットを抉
る。
一撃必殺︱︱︱ヘッドショットは彼の流儀だった。
真っ赤に熱した砲身を振るい、巨勇兵は視線を走らせる。
戦慄し恐慌に陥る紅蓮の騎士団。だが、天士の興味は別の物を見
据えていた。
﹃隊長、あれを!﹄
1118
天士が示したのは、増援として降下しようとする大型級揚陸艦。
あの中には多くの人型機が収められているのだろう。テロリスト
達は安堵した。
地上での戦いは数の多い方が勝つ。化物であろうが怪物であろう
が、数の暴力には勝てない。
﹃よしっ、すぐに増援をこちらに︱︱︱﹄
巨勇兵が、鉄柱から飛び降りた。
鉄柱途中のグリップを掴み、自らの重量で柱を跳ね上げる。
数メートル地中に突き刺さっていた柱が横になり、その全景を表
した。
﹃︱︱︱なんだ、なんだあれはッ!?﹄
それは、鉄柱などではなかった。
人型機の五倍ほどの長さの円柱。様々な部品がそれに纏い、最後
部には弾倉が備え付けられている。
それは砲だった。あまりに巨大で、あまりに重く、あまりに馬鹿
げた砲。
その名を、80センチ砲と呼ぶ。
爆発のような音を発て着地する巨勇兵。数十メートルから飛び降
りたことで足が突き刺さり、周囲に局地的な地震が発生する。
﹃まさか、こいつは﹄
彼らには覚えがあった。身の丈以上の大砲を振り回し、多くの人
型機の頭部、コックピットを打ち抜いた天士。
大戦時最悪とされたエースオブエースの一人。
1119
﹃シモ・ヘイヘだと⋮⋮!?﹄
白い死神。そう称された男こそ、帝国軍に所属する姫が連れてき
たもう一人の銀翼だった。
巨勇兵は億劫そうな動きで80センチ砲を揺らし、大型級揚陸艦
に砲口を向ける。
自身より遙かに重い大砲を振り回す為、巨勇兵はひたすらパワー
特化型のチューンをされている。
移動砲台。否、ここはやはりスナイパーと呼ぶのが正しいだろう。
どのような武器であろうと、彼が砲撃を外すなど有り得ないのだ
から。
﹁︱︱︱。﹂
シモ・ヘイヘは黙したまま引き金を引く。
物理衝撃すら伴う衝撃波が、一帯に伝播した。
80センチ砲の薬量は砲弾と正しく比例して莫大。それが燃焼し、
七トン以上の弾頭を32,5メートルの砲身で加速させ撃つのだ。
重い轟音は首都の全域に響き、衝撃波は付近の建物のガラスを破
る。
建物が幾つか崩壊し、地面に亀裂が走る。
足首まで地面に埋まっていたはずの巨勇兵は、それでも尚反動に
よって一〇メートル以上後退した。
成人男性ほどもある薬莢が飛び出し転がる。
ただ砲弾を撃つ、80センチ砲はそれだけで多大なる被害を齎す
兵器であった。
唖然とした天士達であったが、後ろに響いた爆発音で我に返る。
真っ二つに折れ、轟沈する大型級揚陸艦。
船は自重と浮遊装置に引き裂かれ、断面からは人や人型機が零れ
1120
落ちる。
﹃馬鹿な、竜骨を狙ったというのか、そんな芸当どうやったら出来
るようになるというのだ⋮⋮?﹄
﹁決まっている﹂
突然の通信に驚き巨勇兵を見やる隊長。
彼が最期に見たのは、自機に迫る152ミリ砲弾だった。
爆散する初音21式を見上げ、シモ・ヘイヘは呟いた。
﹁⋮⋮練習だ﹂
シモ・ヘイヘ
現スコア 戦闘機二十機撃墜 大型級揚陸艦一隻撃沈
﹁ねえお兄様、この依頼って頑張れば追加報酬あるのかしら?﹂
﹁さあね、でもご褒美なら僕からあげるよ。今晩はお前がお気に入
1121
りの店でディナーなんてどうだい、妹﹂
﹁あは、素敵﹂
人型機と戦闘機のエレメント。自由天士としては珍しくないバラ
ンスの取れた組み合わせだが、彼らの雰囲気は戦場の中において一
線を画していた。
﹁そうとなれば、さっさと終わらせましょ?﹂
﹁そうだね、僕もお腹が空いてしまった﹂
﹁やだわ、もうお兄様ったら﹂
﹃くすくすくすくす﹄
周囲の機体に届く、気の抜けた会話と笑い声。
実力的には目立ったものはない。せいぜいがトップウイングスク
ラスだ。
しかし、彼らを睨むテロリスト達の目は鋭い。
﹃油断をするな、あれも銀翼だ! それも、特にタチの悪い類だぞ
!﹄
﹁ひっどぉーい、私のお兄様を侮辱するなんて﹂
﹁聞き逃せないな、僕の妹を侮辱するとは﹂
人型機と戦闘機の挙動が止まる。
1122
﹁ちょっと、タチが悪いのはお兄様でしょ?﹂
﹁待て待て、なぜそうなる。タチが悪いといえばお前だろう﹂
ぎゃあぎゃあと喧嘩を始める兄妹。
なんにせよチャンスだと、テロリストの戦闘機と人型機は有利な
位置を確保する為に動く。
﹁だいたいお兄様はあれよ、昨日だって私の戦闘機の上でパンツ乾
かしていたでしょ!﹂
﹁日に照らされた戦闘機の上はよく乾くんだ!﹂
遂には、両者は機体から降りて戦場のど真ん中で言い争う。
兄のアルーネ・ユーティライネンは貴公子のようにタキシードを
着こなし、妹のエイノ・ユーティライネンはゴシックのドレスを纏
っている。
成人年齢にも達していない美形兄妹。彼らの服装は、おおよそ戦
闘用の機体に乗る格好ではなかった。
﹁お前だって、この前僕のワイシャツを寝間着に無断で持ち出した
だろう!﹂
﹁だ、だって裸で寝るわけにはいかないじゃない!﹂
くだらない言い争い。ひょっとして今撃てば楽に勝てるんじゃな
いかと、テロリスト達は考えを過ぎらせる。
﹁ネグリジェ二枚ほど持っていたはずだ、スケスケの奴!﹂
1123
﹁なんで知って⋮⋮3﹂
﹁2﹂
﹃1。くすくすくすくす﹄
手にしたボタンを押す。
人型機のいる地面がピンポイントで爆発し、地上にいた二人を狙
おうとアプローチしていた戦闘機は地帯空ロケット弾にて撃破され
る。
まるでそこに来ることが解っていたかのような罠の敷設。
否、彼らには解っていた。
﹁引っかかったわ、お馬鹿な人達﹂
﹁無能な連中だな、くくく﹂
﹃くすくすくすくす﹄
周囲では墜落した戦闘機が爆発し、人型機が燃え盛っている。
火の海に囲まれつつ、それでも兄妹は笑い続ける。
﹃くすくすくすくす﹄
未来予知に匹敵する戦術眼。
それこそ、ユーティライネン兄妹を銀翼たらしめているものだっ
た。
予め定めた位置に敵を誘導する技能。それだけでは説明がつかな
いほどに辛辣なそれは、実は三つ子ではないかと噂されるほど。
1124
﹁ところで、なんで私のネグリジェの枚数知っているの?﹂
﹁くすくすくすくす﹂
﹁答えてよ﹂
エイノ・ユーティライネン アルーネ・ユーティライネン
現スコア 戦闘機三四機撃墜 人型機三四機撃破
エカテリーナは不機嫌であった。
﹁なによもう、せっかくギイとイチャラブするチャンスだったのに
!﹂
彼女の予定では大陸横断レース未成年の部を彼と観戦した後、ラ
ブホテルへ行きズッコンバッコン。
その後ディナーを楽しみ夜景を眺めつつ、貸し切りのバルコニー
でズッコンバッコン。
一休みしたら、二人で飛行機に乗り込む。そしてドリットの夜景
妄想
を空から観賞しつつ、狭いコックピットの中でズッコンバッコン。
そんな予定を立てていたのに、突然の襲撃で台無しとなったのだ。
今は味気ない戦闘機のコックピットの中。エカテリーナは戦力と
1125
して、城から出動を通達されていた。
﹁そうだ、ギイも上がっているのよね! 偶然遭遇した二人は愛の
変態飛行、だなんてどうかしら?﹂
変態飛行が如何なる技術かはともかく、エカテリーナは後方から
の機銃の雨に首を竦めた。
恨めしげにテロリストを半目で睨む。
︵こいつらのせいで、愛する二人は引き裂かれたのよ!︶
断っておくが、ギイハルトとエカテリーナはイチャラブするよう
な関係ではない。
﹁ねえ、貴方もそう思うでしょ!?﹂
﹃え、あ、はい?﹄
不意打ちで話を振られ、困惑するテロリストの天士。
殺そうとした相手から平常心で語りかけられれば、誰だって驚く。
﹁いい? 私は恋する乙女なの!﹂
﹃そ、それが俺に何の関係が﹄
﹁だから!﹂
すずめばち
機体をひねらせ、背面姿勢で初音21式に急接近。
エカテリーナの愛機、雀蜂は二枚の垂直尾翼で初音21式の垂直
尾翼を挟むように背面同士で飛行する。
1126
互いのコックピットが向かい合う。
バック・トゥ・バック。曲芸飛行の一種だが、勿論敵機に対して
行うものではない。
エカテリーナは初音21式の天士にウインクして手を振る。それ
だけで初音21式の天士はどきまきした。
絶世の美女、しかも胸元が開いたドレスを着ているので谷間が上
から見える。これで下心を覚えない男はいない。
﹁こんなに愛しているのに酷いわ!﹂
﹃はぁ﹄
惚気である。
戦闘中、敵機相手に惚気である。
相思相愛でもないのに惚気である。
﹁この際、貴方でもいいわ。私の体の火照り、冷ますのを手伝って
頂戴﹂
﹃え、マジ? はい喜んで!﹄
これは童貞卒業か、と息巻く天士。
エカテリーナの機体が一八〇度ロール。今度は腹を見せる。
︵ん、なんだあの装備は?︶
初音の天士にはそれがなんなのか、すぐには思い出せなかった。
﹁私はね、ぼーや﹂
1127
やたら色っぽく挑発的な甘い声。
﹁太くて熱いもので貫かれるのも﹃貫く﹄のも好きなの﹂
機体下部の装備が展開する。
巨大な釘撃ち機。つまり⋮⋮
﹃パイル、バンカー⋮⋮?﹄
放たれる鉄柱。
それは機体を貫通し、瞬間、初音21式は白熱化した。
爆散する敵機。
﹁ああんっ﹂
嬌声を漏らすエカテリーナ。
エカテリーナの愛機、それは戦闘機に人型機用のパイルバンカー
すずめばち
を装備した狂気の機体だった。
共和国軍最新鋭、雀蜂。機体構成は荒鷹に近いが、規模は小さく
垂直尾翼が外側に傾いているのが特徴だ。
荒鷹以上に新しく、原型機しか完成していない機体である。
エカテリーナは色仕掛けでその原型機を持ち出し、自身の愛機と
している。
ご存じの通り、エカテリーナは自由天士である。自由天士が国家
機密である最新鋭機を乗り回すのは、異常事態としかいいようがな
かった。
﹁あ、はぁ⋮⋮﹂
彼女は潤んだ瞳で甘い吐息を漏らす。
1128
﹁いいわ、素敵だったわよ、坊や﹂
ぴくぴくと痙攣しつつ、パイルバンカーの余韻を楽しむ。
ギイハルトが彼女に靡かない理由はこの辺にある。
変態だった。
どうしようもなく、ド変態だった。
﹁さあ、次の獲物はどこかなっと﹂
周辺を見渡し、遙か遠くにトリコロールの荒鷹を発見する。
﹁ギイハルトはっけーん! ギイ、私にガトリング撃ち込んでぇ!﹂
﹃うわっ、なんか来た!?﹄
﹁貫くのも好きだけど、やっぱり貴方の太いので貫いて頂戴!﹂
付近の天士達は、敵味方区別なく前屈みになるのであった。
エカテリーナ・ブダノワ
現スコア 戦闘機二機撃墜 大型級揚陸艦五隻撃沈
1129
首都の街道、その屋根の上を駆ける人型機がいた。
女性的なシルエットに古風な意匠。
じゃけんひめ
あたかも巨大な鎧のようなそれは、キョウコの愛機・蛇剣姫であ
る。
﹁どこを見ても敵敵敵、困ったものです﹂
屋根の端から跳躍、道の対岸の屋根へと飛び移る。
膝を存分に屈伸させ、衝撃を吸収して建物へのダメージを減らす。
本来であれば、重く接地圧の高い人型機は屋根の上を歩くことす
ら不可能。
キョウコは屋根が倒壊する限界を見極め、極めて繊細な機体制御
を行うことでそれを可能としているのだ。
首都のあちらこちらで戦闘が行われバリケードが築かれる現状、
これが移動には一番手っ取り早い。
もっとも、これを可能とするほどの制御技能を有する天士は世界
的に見ても限りなく少ないが。
﹁む、あっちもですか﹂
テロリストの人型機がたむろする一帯を見つけ、進路を変える。
蛇剣姫に気付いたテロリストの機体は、様々な口径の砲口を屋根
上に定めた。
﹃自由天士だ、落とせ!﹄
放たれる砲弾。
様々な方向、速度で飛来するそれをキョウコは全て認識していた。
かわし、切り捨て、蛇剣姫は封鎖されたラインを強行突破する。
1130
﹁雑魚に構っているほど暇ではないので﹂
テロリストが円陣を組み守る対象、つまり時計台へと駆け寄る。
﹃突っ込んできた!?﹄
﹃単機でなにが出来る!﹄
キョウコはコンソールを操作し、クリスタルのリミッターを解除。
﹁出力三〇〇パーセント。さて、あと何太刀振るうまで無機収縮帯
が保つやら﹂
機体に搭載された高純度クリスタル、神の涙が存分に魔力を四肢
に供給する。
加速する蛇剣姫。機銃の射線を飛び越え、敵の剣を避け、身丈ほ
どもある蛇剣を振るう。
﹃ぐはぁ!?﹄
胴で断ち切られる人型機。
﹃こいつ、手練れだ!﹄
﹃囲め!数で押し切るんだ!﹄
蛇剣姫を取り囲もうとする敵機だが、蛇剣姫はそれを意に介した
様子もなく踵を返す。
1131
﹁いえ、もう終わっています﹂
﹃なにが終わ⋮⋮え、あ?﹄
徐々に傾く機体。
次の瞬間、時計台を囲んでいた一〇機の人型機の上半身は下半身
を残したまま地に倒れ伏した。
続いて時計台が斜めにスライドし、轟音と共に崩れ落ちる。
なんてことはない。キョウコは切ったのだ、一〇機の人型機と時
計台をただ一太刀で。
﹃なんだよそれ、リーチが全然届いてなかったじゃねぇか!﹄
﹃くそ、重要な作戦目標を!﹄
敵の声を無視し、蛇剣姫は壁に向かって駆け出す。
助走を付けた後、大きめの建物の壁を駆け上る蛇剣姫。
垂直の壁を駆け上る様は、重力を感じさせない軽快なものだった。
屋根に着地し、機体を屈ませ下からの死角に隠れる。
﹁テロリストは紅蓮の騎士団でしたっけ、時代錯誤な者が現れたも
のです⋮⋮しかし、時計台が重要な作戦目標?﹂
首を傾げ、すぐに得心した。
時計台を制圧するとなれば、目的は見えてくる。
この世界において時計台は時を知らせるだけではない。もう一つ、
重要な役割がある。
﹁クリスタル共振通信の基点⋮⋮通信ジャックをする気ですか﹂
1132
ゼェーレスト村の時計台は受信専用だが、首都ドリットの時計台
は中継所としての役割を持つ。
例えば今大会のように世界中に中継する場合、相当強い共振でな
ければ世界の隅々まで届かない。
その為に大都市ではメインの放送場所以外にも何カ所も基点を設
置し、町そのものを魔法陣としているのだ。
それを乗っ取る。となれば、当然。
﹁もっとも重要な﹃催し物﹄は、メインの放送場所で行われると﹂
大会本部。実況者がいたであろう、城前の広場。
政治中枢である城を利用することは出来ないので、城内の設備を
使える場所⋮⋮城前広場に大会本部は敷設されていたのだ。
コックピットから一旦這い出て、肩の上に立ち城を双眼鏡で覗く。
遠方ばかりに気を取られ、蛇剣姫の足下に浮かんだ魔法陣には気
付かない。
﹁まだ本部は制圧されていませんか﹂
小型級飛宙船が、キョウコの横をすれ違った。
避難する一般人の船かと無視しようとし、窓から一瞬見えた人物
に視線を戻す。
﹁今のは︱︱︱﹂
双眼鏡を下ろし、その時点でようやく下方から伝播する魔力を認
識する。
﹁強制転移魔法陣!? こんな場所で、蛇剣姫ごと持って行く気!
?﹂
1133
転移魔法。瞬間移動の一言で説明を終えられるこの魔法は、だが
難易度の高さと使い勝手の悪さから使用タイミングが限られる。
離れた場所にいる他者を人型機ごと転移する。それがどれほど高
度な技術であるかをキョウコは知っていた。
﹁逃げ切れ、ないっ﹂
苦渋の表情で転移に身構えるキョウコ。こうなれば、行き先が敵
陣でないことを祈るしかなかった。
︵知らせないといけないのに、あの人が、紅翼かレーカさんに伝え
なければ⋮⋮!︶
光の中に消え去る蛇剣姫。
その場に残ったのは魔法陣の残滓と、陥没した屋根だけ。
カランカランと双眼鏡が屋根の窪みに落ちる。
その先に映るのは、先程の小型級飛宙船の後部座席。
何重にも魔力封印術式を施され、両手両足に太い鎖を嵌められ拘
束されたアナスタシアだった。
キョウコ
現スコア 人型機一〇八機 この時点を以て戦線より強制離脱
1134
不幸なことに。
アナスタシアが紅蓮の騎士団の手に落ちていると知らないガイル
は、城前広場から遠く離れた空域を飛んでいた。
感情を殺し、ひたすら敵機を撃墜することに集中する。
﹃うわあぁ﹃嫌だ、なんだコ﹃死にた﹃誰か、助﹃なんだよぉ﹃こ
れ以上殺さないで﹃もうい﹄﹄﹄﹄﹄﹄﹄
断続的に撃たれるガトリング、延々と続く断末魔。
最低限の瞬間のみ放たれる弾丸は、違わずガイルの殺気に沿って
飛翔する。
即ち、コックピットへと。
弾を節約する為に、確実に殺める為に天士をピンポイントで狙い
続ける。
初めて乗った亡霊の飛行特性など一分で慣熟した。
ガトリングの乱れ気味の弾道など、風を読めば誤差まで計算に入
れられる。
ひたすらに、ひたすらに殺し続ける。
それこそが、家族を守ることに繋がると信じて。
ガイル・ファレット・ドレッドノート
現スコア 戦闘機二四七機撃墜
1135
﹁限度、か﹂
眼前にまで迫ったラウンドベースを睨み、将軍は唸る。
司令室の存在するドリット城の目と鼻の先。最早、猶予はなかっ
た。
ぼうれい
墜ちた敵機はおおよそ三分の一。それも、大半を一機の所属不明
な亡霊が落としている。
︵銀翼といえど、物量に対抗するには限界があった。いや、足りな
かったのは時間か︶
損失した銀翼は皆無。せめてこの倍時間があれば、航空部隊を壊
滅出来たろう。
︵そも、銀翼達は好き勝手し過ぎだ! 誰が地上やラウンドベース
本体を攻撃しろと言った!︶
命令無視など彼らにとっては当然だ。無理に律したところで、戦
果の増加を望めるわけでもない。
﹁彩煙弾を打ち上げろ! 後方部隊の出番だ!﹂
赤い花火が打ち上がる。即ち、進軍。
上空待機していた機体︱︱︱爆装した亡霊や雷神といった飛行機
が、遂に行動を開始する。
﹃まだ敵戦闘機がいるようだが、もうタイムリミットか﹄
1136
﹃南無三﹄
﹃畜生、俺はまだ死なないぞ!﹄
﹃俺、生き延びたらアイツにプロポーズするんだ﹄
﹃女か、そいつはいいや!﹄
自らを鼓舞しながらラウンドベース外周へと挑む軍用機達。この
中で一体どれほどが生き残れるか。
多国籍軍最後の賭。彼らがラウンドベース級後部のエンジン破壊
に失敗すれば、この国の歴史が終わることとなる。
﹁なあ、様子がおかしくないか?﹂
﹁ん?﹂
れいか
ラウンドベース中央ブロックの貴賓用軟禁室。零夏とソフィーが
閉じ込められたこの牢屋を見張る二人の兵士うち一人が、覗き窓か
ら見える光景に疑問を抱く。
﹁あいつら、ベッドの中で全く動かないぞ?﹂
1137
膨らんだ布団、はみ出した白い髪。
それに、違和感を感じる。
﹁寝ているんじゃないか?﹂
﹁にしたって、多少は動くだろ﹂
疑問を抱いた兵に代わり、もう一人の兵士が覗き穴を見る。
確かに動かない。身じろぎすらしないのは、少し不自然だ。
﹁⋮⋮おい! 起きろ、起きるんだ!﹂
﹁お、おい﹂
声をかける同僚に越権行為ではないかと焦るも、これしかないの
も事実なので黙認する。
反応はなし。
﹁⋮⋮⋮⋮よし、入るぞ﹂
﹁さすがにまずいだろ!﹂
﹁俺が入ったらすぐ閉めろ、すぐにだぞ﹂
手早く牢屋に入り、ベッドに歩み寄る。
なにか企んでいるのではないかと警戒しつつ、そっと布団に触れ
る。
その軽い感触に、思わず兵士は布団をはぎ取った。
﹁な!?﹂
1138
ベッドは無人。しかも穴が開いており、それは下の階層まで続い
ている。
﹁なんて、ことだ︱︱︱!﹂
あまりに致命的な失態に、﹃粛清﹄という単語が彼の脳裏に過ぎ
った。
﹃緊急事態発生! 要﹃保護﹄対象が脱走した! 繰り返す、保護
対象が脱走した! 手の空いている者は、いや余裕のある者は捜索
に参加しろ! 予備戦力の人型機は発進、艦内の主要箇所を固める
んだ! 絶対に捕まえろ、男の方は殺して構わん!﹄
館内放送にヨーゼフは苦笑を漏らした。
﹁クク、やはりな。やはり君はいい﹂
ヨーゼフはすでに愛機のコックピットで待機していた。二人の脱
走など予想済みである。
脱走そのものに関してはなんとも思わない。捕まえたのは自分の
功績だが、逃げたのは誰か見知らぬ兵士の責任である。
機体を起動させ、いち早く行動を開始する。
﹁ああ、本当に楽しみだ。君はなにを見せてくれる、レーカ君﹂
1139
﹁レーカ、バレた!﹂
﹁らしいな、もう少し待ってくれてもいいのにっ﹂
白鋼の無機収縮帯周りを修正しつつ、ソフィーに呼びかける。
﹁もうほとんど仕上がっているからコックピットに乗り込んでくれ
!﹂
﹁はい!﹂
ところでソフィーがドレス姿のままだが、操縦するなら着替えさ
せるべきだっただろうか。
まあ脱いだところで替えなんて技術者達の白衣ぐらいしかないが。
﹁はい出来あがりっと!﹂
バシンと蓋を閉める。
最後に解析して、自室で書き上げた設計図通りかを確認。
若干雑な仕事だが、おおよそ図面通りだ。いける。
﹁ソフィー、強行脱出するぞ! システムを立ち上げろ!﹂
1140
船員が駆け回る艦内誘導路。
シャッターが不自然に堅く閉じられていることから、彼らは研究
棟を怪しいと睨んだ。
数体の人型機が集まったところで事態は動く。
突然、シャッターが横一閃に﹃切り裂かれた﹄のだ。
﹃こちら中央ブロック研究棟、保護対象が、うわああぁぁ!﹄
﹃ひ、なんだよあれ! あんな化け物知らねぇよ!﹄
艦内通信からソフィーらが中央ブロックより脱出していないと断
定した人型機部隊は、研究棟からブロック同士の繋ぎ目であるゲー
トの間に急行した。
﹁おい、返事をしろ!﹂
﹃助け、増援を﹄
﹁そんなことはどうでもいい! 敵、じゃない、保護対象は機体を
奪ったんだな!?﹂
1141
﹃あのレース機だ、自分の飛行機を奪還した!﹄
﹁自分の? 白鋼とかいう、あの機体か?﹂
意外そうな声なのは、奪われたのは戦闘用人型機だと考えていた
からだ。
それが実はレース機。そんなもので、どうやって戦っているのか
と天士達は思案する。
エンジン音が暗い通路の奥から反響する。
車輪
迫る﹃保護対象﹄に、考えるより見た方が早いと武器を構える人
型機部隊。
身構えた彼らが見たのは、ギアにて滑走する白鋼だった。
﹁止まれ! この数の人型機をレース機で突破出来るとでも思うか
!﹂
集まった人型機は一〇機。時間が経てば更に増えるだろう。
呼びかけられた白鋼が止まる様子はない。
これは仕方がないかと剣を向けた瞬間、異変は起こった。
白鋼が立ち上がったのだ。
機首を跳ね上げて腹を晒す白鋼。
ここまでなら運動性に特化した機体ならば不可能ではない光景だ
が、その後は正しく異常だった。
機体下面が分離し、各部を固定したシャーシ部分を失ったことで
ロックが外れ機体が変形を開始する。
エンジンと吸気口を含む胴体部分が上側にリフト。機体下面とエ
ンジンに挟まれ納められていた﹃背骨﹄が露わとなる。
無機収縮帯によって有機的なまでのレスポンスによる動作が可能
な主翼。その翼端が地面に突き刺さり、機体重量を支える。そう、
﹃脚﹄として。
1142
機首とコックピットモジュールが分離。機首部、ノーズコーンが
左右に割れ、それぞれの内側から手首が飛び出す。
展開した﹃腕﹄が落下途中の機体下部面、ミスリル製の剣の柄を
掴む。
最後にコックピットモジュールが九〇度前方に倒れ、各部がロッ
クされた。
﹁な、なんだこいつ!?﹂
﹁人型機!? 飛行機が、人型機になったぞ!﹂
それは、異形の人型機だった。
<i63438|5977>
線が細く、背中にジェットエンジンを背負う姿。
地球の者が見れば、あるいはバックパックを背負った宇宙飛行士
に見えるかもしれない。
1143
流線型のシルエットはそれが本来飛行機であったことを如実に表
しており、しかし人型機部隊の天士達は現実を受け止めきれない。
未だかつて、セルファークの歴史に変形する機体など存在しなか
った。部分的な可変機構や試作的な物はあったが、その機能の方向
性そのものが完全に別物になってしまうなど前代未聞だ。
白鋼は呆然と立ち尽くす敵機に付き合い待つ気などない。
背中のエンジンが炎を吹くと、白鋼は非常識なまでの加速をした。
機体に不相応なほど強力なエンジンは、白鋼を瞬きの間に瞬間最
高速度時速一〇〇〇キロにまで加速させる。
すれ違い様に剣、ミスリルブレードを横に構え敵機を両断する。
﹁はぁ!?﹂
﹁冗談だろ、なんだそのスピードは!﹂
人型機の速度はせいぜい一〇〇キロが限界。重い装甲と武器を持
つ戦闘用人型機となれば更に鈍重だ。
一〇倍の速度差。彼らに白鋼を捉えることなど、操縦の技量云々
以前に物理的に不可能だった。
何度も直線機動を繰り返し、辻斬りを敢行する白鋼。
瞬く間に五機を切り捨てられ、天士達は躊躇うのを止めた。
﹁機銃を使うぞ! 数撃ちゃ当たる、レース機なら装甲なんてない
から防ぎようがない!﹂
保護対象を傷付けるかもしれないが、逃げられるよりはマシ。彼
らはそう判断した。
口径の揃わない寄せ集めの火器達が発射される。
白亜の機体に殺到する弾丸。
しかし、それらは全てが白鋼に着弾することもなく空中にて停止
1144
した。
白鋼を包む光の幕が一瞬煌めく。
﹁しょ、障壁だと?﹂
﹁どれだけ魔力が有り余ってるんだよ、畜生!﹂
叫ぶ間にも三機切られ、既に残り二機。
﹁俺は報告してくる、お前は足止めしろ!﹂
﹁お、おい!?﹂
片方の機体が唯一の仲間の脚部を切り、動けないようにした。
﹁ふざけんな、くそぉ!﹂
﹁あばよ、ぉ?﹂
背中を向ける機体に迫る白鋼。
白鋼としては、行動不能となった敵に構う理由などなかった。
天士は猛スピードで接近する﹃死﹄に、ようやくあの機体の正体
を思い出す。
︵そうだ、あれは︱︱︱︶
1145
ソードストライカー
︱︱︱半人型戦闘機。
人型機と戦闘機双方の能力を併せ持ち、戦場を選ばぬ汎用性を目
指した兵器カテゴリー。
必要な戦力を過酷な現場に急行させることが可能となり、開発成
功すれば兵法が一から書き換わるとさえ称されたアイディアである。
しかし、その矛盾したコンセプトは結局は夢想の域を出なかった。
防御力と火力の人型機。
機動力と速度の戦闘機。
あまりに違い過ぎる両者は、合わせたところで互いの長所を潰し
合うだけだったのだ。
世界各国、ありとあらゆる研究機関が挑み、そして頓挫した架空
の兵器。
今更新規のプロジェクトを提示すれば、笑い飛ばされるか正気を
疑われるような挑戦。
それを完成させたのは、こともあろうか国境の田舎に住む一人の
少年。
フィクション
世界初の実用半人型戦闘機・白鋼。
﹃空想上の産物﹄は、この時を以て﹃既存技術﹄へと成り下がる。
1146
白鋼︵後書き︶
やっとこさ主人公機の本当の姿が登場しました。
万感の思いです。書きたいことは色々ありますが、それは別の場
所で。
とりあえずこれだけは書かせて下さい。
天ぷらには天つゆじゃなくて塩だよね?︵さっき家族と意見が別
れた︶
イヤダッテ、セッカクサクットシテイルノニ、ナンデヒタシチャ
ウノ? ヘンダッテ、モッタイナイッテ。
1147
はじまりのおわり 1
﹁ハロハロやっほー、元気にしてた? 髪切った? 失恋した?﹂
﹁貴女は⋮⋮﹂
白の世界。
砂丘のように、どこまでも続く白い地面。
果てはなく、地平線が真っ直ぐ見えるほどなにもない。
ただただ、白い平面の床。
空は蒼く、しかし先程までいた共和国首都の色とは違う。
じゃけんひめ
キョウコは、そんな場所に転移していた。
親しげな声を無視して蛇剣姫に乗り込み、機体を動かそうとする。
﹁くっ、やはり動きませんか﹂
操縦桿を握るも、蛇剣姫は力無くうなだれるのみ。
クリスタルの残量魔力を示すメーターはゼロに固定され、機体は
完全な行動不能に陥っていた。
﹁無駄だよ? ここ、どこか判るよね?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
観念して機体から抜け出し、慎重に装甲の凹凸に掴まって地上へ
降りる。
身体強化魔法は使わない。いや、使えない。
1148
﹁ひっさ。マジひっさ。あ、ひっさって久しぶりの略ね﹂
﹁なんの用ですか。私は今忙しいのです﹂
キョウコの前に立つのは着物姿の少女だった。
濡れ羽の如き艶やかな黒髪。ぱちくりと丸い目に整った柳眉。
歳は見た目一〇歳ほどか。
大和撫子と呼ぶには幼く、しかし人形のように美しい少女だ。
﹁ひっどいなぁ、久々の再会なのに﹂
朗らかに笑う少女。だが、そこに人間味はない。
キョウコは、﹃見慣れた﹄彼女にいつも以上の薄ら寒さを覚えて
いた。
﹁元いた場所に返して下さい﹂
﹁だ∼め。あの女が死ぬまで、キョウコはここにいるの﹂
キョウコは再度周囲を見渡し、そして空を睨む。
青空。しかし、そこにはセルファークの空とは大きな違いがある。
果てがないのだ。三〇〇〇メートルで重力境界に達することも、
六〇〇〇メートルで月面に衝突することもなく、どこまでも続く空。
それは、ここがセルファークではないことを示していた。
﹁神の領域、ですね﹂
﹁そっ。ここでは魔法は発動しないし、クリスタルで動く道具も当
然使えない﹂
1149
神の領域。ここに来るには三つ方法があるとされる。
一つは教国に存在するヘヴンズドアを通り抜けること。
一つは、自力で世界の境界を破ること。⋮⋮可能かどうかはとも
かく。
一つは、神に招待されること。
キョウコの場合は、三つ目に該当する。
キョウコにはドアをくぐった覚えはない。となれば、目の前の存
在がただの少女でないことなど明確だった。
否、それ以前にキョウコは彼女と面識がある。
﹁セルフ⋮⋮セルフ・アーク。やはり貴女が暗躍していたのですね﹂
それは世界の名であり、この世界を統べる存在の名。
時代と共に変化しセルファークと名を変えたが、キョウコはその
正式名称を覚えていた。
﹁あれ? バレてた?﹂
頷くキョウコ。
﹁あの演劇の作者名で、ずっと怪しいとは思っていました。セルフ
なんて珍しい名前ですから﹂
しかし可能性としては切り捨てていた。
まさか実名で演劇作家の真似事をしているとは、信じがたかった
のだ。
﹁確信を持ったのはついこの前。レーカさんとマリアがデートして
いるのをストーカーした時です﹂
1150
﹁さらっと何してんのハイエルフ﹂
キョウコはセルフに指をさし、堂々と言い切った。
﹁あれは、ぶっちゃけつまらない!﹂
あまりに大前提だった。
﹁そんなことないわよー! 才能溢れる私の原稿に、皆感涙してい
たじゃない!﹂
プンスカ腕を上下に振って、遺憾の意を露わにするセルフ。
﹁世界に影響を与え、人々の感覚を狂わせていた。そうでしょう?﹂
﹁え、マジ?﹂
﹁⋮⋮無自覚でしたか。客観的に見て、あれが感動作だと本気で思
っていたとは﹂
この世界とセルフはイコールで結ばれる存在。彼女の気分一つで、
なにかしらの影響があったっておかしくはない。
もっとも、もろに感化されていたキョウコが偉そうに指摘出来る
ことでもなかったが。
﹁なぜ作家などしているかはどうでもいいです﹂
﹁暇潰しよ∼ん﹂
1151
﹁どうでもいいです﹂
切り捨てるキョウコだった。
﹁なぜ神とあろうものが個人に介入するような真似を、アナスタシ
アの死を望むのですか﹂
﹃あの女﹄の死。あの状況とタイミング、それがアナスタシアな
のは間違いなかった。
﹁あの女はここで死ぬ運命なの。そういう予定なのよ﹂
運命。迷信に等しいこの単語は、だが神が要いると意味合いが変
わる。
﹁それは運命ではありません。予定というのです﹂
﹁ま、そだねぇ。でも私が決めたんだもの、いいじゃない﹂
﹁許容出来かねます﹂
﹁それってアナスタシアを守りたいが為じゃないっしょ?﹂
びくりとキョウコの肩が震える。
﹁意外だよ、キョウコが一人の男に執着するなんて﹂
長くを生き多くの生死を見てきたキョウコにとって、近しい者の
死など日常だった。
アナスタシアが死のうと、キョウコは平静を崩さない。
1152
キョウコが守りたいのはアナスタシアでも自身の心でもなく⋮⋮
﹁私の話など今すべきことではないでしょう。私が知りたいのは、
なぜセルフがアナスタシアの死を必要とするかです﹂
﹁必要なのは、お姫様じゃなくて騎士様だけどね﹂
﹁騎士様?﹂
﹁そうそう、騎士様がいないと困るのよ。だから殺していいよね、
ね?﹂
ふざけたことを、とキョウコは苛立つ。
﹁運命の輪はもう回っているの。そりゃあもう、ギュンギュン音を
たてて。その輪の内側に、アナスタシア姫の居場所はないのよ﹂
くるりとターンすると、セルフは霞のように消え失せる。
一方的に話を終えられたキョウコは、セルフが首都に再転移する
までとりあえず蛇剣姫のコックピットに戻った。
先程の会話で、キョウコは明かしていないことがある。
それは、なぜストーカーした際に演劇作家が神であると気付いた
か、だ。
演劇﹁父を訪ねて三千里﹂のファンであったキョウコは、これを
見る度に無条件で感動を覚えていた。
しかし、ストーカーにて長距離、時計台の上から望遠鏡で観察し
ていた際にはまったくそのような感情が湧かなかったのだ。
この差が物理的な距離から来るものだと気付いたキョウコは、こ
れいか
れが神の影響力だと確信する。
だが気になったのは、零夏が神の影響を常に受けていない様子だ
1153
ったこと。
どれだけ近付こうと、距離に関わりなく零夏は平常を保っていた。
そこからキョウコは一つの推論を立てる。
︵もしや、レーカさんの存在は神の運命に含まれていない?︶
イレギュラー
零夏は地球から迷い込んだ異分子。なにがあったっておかしくは
ない。
だとすれば、神に抗うとすればここに勝機がある。
︵レーカさん、貴方だけです。貴方だけが、このセルファークとい
う世界で唯一神に抗う権利を持っている⋮⋮!︶
﹁ったぁ、なんだこの欠陥機は!?﹂
しろがね
白鋼の後部座席にて、零夏は唸るように自機を酷評した。
﹁ピーキーなんてレベルじゃない、無茶苦茶だ!﹂
常に周辺環境ごと機体を解析、状況把握し続ける。そうでもしな
いと転倒しそうなのだ。
要素
︵イメージ通りに動かない! 何か計算されていないファクターが
あるのか!?︶
1154
ストライカー
纏まった一〇機の人型機を切り捨て、いや一機は味方に切られて
いたが、ともかく白鋼はゲートを突破し外を目指す。
時折長距離ジャンプをするものの、基本的には走って移動する白
鋼。
﹁っこの、真っ直ぐ走れ、ととと!﹂
フラフラと蛇行するが、勿論やりたくてやっているわけではない。
大半の、というより全ての人型機は操縦出来ることを前提に作ら
れている。
当たり前過ぎる大前提だが、つまりは設計段階の随所に人と同じ
ソードシップ
動きをする為の配慮があるのだ。しかしそれは最初から人型機とし
て制作された場合。
白鋼は所詮は人型機に改造した飛行機。足りない部分など沢山あ
る。
イメージリンクなしで人型機を動かすのに慣れている零夏だが、
それでも設計自体が持つ安定性が欠けていると扱いにくいというこ
とだ。
足首にあたる間接がない為に、常時爪先立ちのようなバランス感
覚を求められる。
胴体内部に集約された無機収縮帯が人型機と比べ少ない為に、負
担の少ない操縦を強いられる。
翼端の接地圧が高過ぎる為に、地面に突き刺さらないような繊細
な踏み込みをしなければならない。
それだけではない。背中のエンジンは水素ロケットとラムジェッ
トのハイブリッド、だがラムジェットは時速一〇〇キロ以上でなく
ては起動しない為に、基本的に水素ロケットエンジンでの飛行を余
儀なくされる。
理想は足への負担を減らす為にエンジンを起動し続けホバリング
1155
に近い状態でいることだが、水素ロケットは五分しか使えない以上、
節約を心掛けた操縦をしなくてはならないのだ。
故に、不格好であってもちょこちょこと走っているのである。
﹁畜生、全部終わったら低速度域でも安定した出力のターボジェッ
トエンジンに換装してやる、いやでもラムジェットの出力は惜しい
しなぁ﹂
﹁レーカ、前!﹂
﹁おっと!﹂
前方の物陰に風の流れを感じ、ソフィーがレーカに警告する。
零夏は解析し敵人型機だと判断。先制攻撃を開始する。
足を屈伸させ、跳躍。
脚力によって加速し、ロケットエンジンからラムジェットエンジ
ンに即座に切り替える。
白鋼は人型機にあるまじき水平飛行を行い、敵機に肉薄する。
﹃うおっ!?﹄
﹁遅い!﹂
視界に入る前から行動を開始していた白鋼に、対処する間もなく
両断される人型機。
﹁人型機のコックピットが胴体内部じゃなくて良かったよ、ほんと
!﹂
大半のロボットアニメのように、胸の辺りにコックピットがあれ
1156
ば殺さない自信はなかった。
床の鉄板を削りつつ、白鋼は着地する。
﹁ミスリル製じゃなければ、着地する度に翼端が擦り減ってたな﹂
﹁でも、軋んでいないかしら?﹂
﹁⋮⋮まぁな﹂
ソフィーの言うとおり、白鋼は行動する度に悲鳴を上げていた。
﹁この重量で人型機を作ろうっていうのが無茶なんだ、機体間接へ
の負担は設計した上の妥協点なんだよ﹂
そう、この機体は人型機として行動すれば、それだけで壊れる。
歩く度に無機収縮帯が焼き切れ、飛ぶ度にベアリングが軋み。
ソードストライカー
飛行機としての運動性を犠牲にしない為に、人型機としての部品
や強度は根本的に足りていない。
この設計はミスではなく、意図したものだ。
零夏はキョウコから話を聞いた後、ずっと密かに半人型戦闘機の
設計を考え続けてきた。
人型に変形する飛行機、半人型戦闘機。
矛盾するコンセプト、それに挑み続け半年。やがて図面まで漕ぎ
着けたものの、問題点は幾つも残っている。
操縦性や耐久性など、その代表格だ。
この機体、一度人型機として作戦行動を行えば無機収縮帯の総点
検をしなければならない。少量の収縮帯に過剰魔力を注ぎ込まれた
結果、早々に焼き切れてしまうからだ。
その割に、パワーは鉄兄貴以下。戦闘用としては落第点である。
まさしく欠陥機であり、未完成品。数々の問題解決が成されない
1157
ままの実践投入だったのだ。
﹁直線区画だ。一気に飛ぶぞ、サポート頼む﹂
﹁任せて﹂
白鋼は一気に長いトンネルを跳ぶ。
人型の機体が安定して水平飛行出来る秘密は、両肩と膝の四枚の
翼だ。
人型機形態の際は操縦の大半を零夏が受け持つが、これらの補助
翼のみはソフィーの制御が残っている。
彼女の技量を以てすれば、これだけあれば安定飛行させることは
容易い。
﹁なるほど、半人型戦闘機だ﹂
可変人型戦闘機の方が意味合いとしては正しいとも思ったが、そ
うじゃない。
軽量な機体と航空力学に則った形状、そしてエンジン。人型機形
態となろうと、この機体は飛行機であることを辞めてはいない。
これは接近戦すら可能な、ただの人型の飛行機なのだ。
﹁らくちんらくちん﹂
気の休まることがなかった操縦から解放され、冗談混じりにソフ
ィーに指示する。
﹁このまま外まで飛んじゃってぇ﹂
﹁そう上手くいくかなぁ﹂
1158
エアシップ
通路を抜けて巨大な格納庫へ侵入する。
機体はほとんどない。小型級飛宙船多数と中型飛宙船一隻がある
のみ。
整備員がそれなりにいたが、白鋼を見ると蜘蛛の子を散らすよう
に逃げていく。
白鋼は大きな柱に背を預ける形で着地。操縦が零夏に戻る。
﹁もうだいぶ外に近いよね﹂
﹁あそこのゲートだ。あそこをくぐれば、あとはストレートで脱出
出来る﹂
ゲートの正面に立つと、遙か遠くに小さな光が見えた。
自然と綻ぶ頬。ようやく、安全な場所へと戻れる。
再度跳躍しようと身を低く構えた時、ソフィーが叫んだ。
﹁︱︱︱来る!﹂
なにが、と問いかける間はなかった。
外の光とは別に、ストレートの途中にて爆炎が咲く。
︵砲口炎!?︶
咄嗟にロケットを最大出力、横に転がる。
脇腹を巨大な砲弾が掠め、後ろに通過していく。
﹁うおぉ!﹂
﹁きゅうぅっ﹂
1159
一回転、体勢を立て直して機体を後退させる。
ソフィーの呻き声は、零夏の操縦を邪魔しないように口を手で押
さえていたものである。
砲が壁に着弾。轟音を撒き散らし大穴を穿つ威力に、零夏はぞっ
とする思いだった。
﹁最後の門番、ってか﹂
格納庫に迫る、いやに重圧を感じさせる敵機に身構える。
角度からどのような機体かは見えない。それが、更なる不安を覚
えさせた。
解析魔法にて、情報を収集する。
︵足がない⋮⋮ガチターンの人型機のような、下半身が飛宙船のタ
イプか?︶
このタイプは飛宙船の積載量を活かし、重装甲高火力と相場が決
まっている。
﹁だが並大抵の装甲なら、ミスリルブレードで切り裂ける⋮⋮﹂
零夏の呟きを遮ったのは、けたたましいエンジンの駆動音だった。
甲高くやがましいそれに紛れ、キュラキュラという金属の擦れ合
う音。
久しく聞いていないその音に、零夏は一瞬思考を忘れた。
﹁⋮⋮おいおい、キャタピラかよ﹂
セルファークには無限軌道なんてないんじゃなかったのか、と詳
1160
しい解析を試みようとして、すでに目前なので間合いを取ることを
優先。
中型級飛宙船に後退で飛び乗り、ブレードを構える。
︵なんなんだ、こいつ? キャタピラとジェットエンジン⋮⋮いや、
ガスタービンエンジンか? ガスタービンの高速回転に耐えられる
変速機なんて、そうそう作れる物じゃないぞ︶
未知の敵に警戒する零夏。
そして、その機体は遂に格納庫に到達した。
﹁は、な、なんでアレが!?﹂
意外過ぎる敵の姿に、目を剥く零夏。
箱のように平坦な装甲。
幅は三メートル半を越え、キャタピラはそれぞれ幅1メートルほ
ど。かなり大きい。
上半分もまた同じく箱型。正面は丸みを帯びているが、全体的に
シンプルな外見だ。
だいだい色の箱に同色の小さな箱が載っている。一言でいえば、
そんな外見の戦車だった。
零夏はそれを知っている。あまりに有名で、あまりに馬鹿げた実
在の兵器。
﹁なんだって、この世界にマウスがあるんだよ!?﹂
超重戦車マウス。第二次世界大戦にて二台だけ制作された、試作
戦車。
最大の特徴は重量。超重の名は伊達ではなく、戦車の重量は大抵
が四〇トンから六〇トンあたりなのに対し、マウスは実に一八八ト
1161
ン。通常の三倍である。
しかしその重量がもたらす装甲は、当時のありとあらゆる砲弾を
跳ね返すとされた。
そんな超重戦車が致命的に失敗作なのは、機動性が劣悪極まりな
いのが理由である。重ければ遅い、当然だ。
﹁しかもなんだ、あの改造﹂
零夏の知識にあるマウスと目の前のマウスには差異がある。具体
的に言えば、﹃腕﹄がある。
﹁どこの馬鹿だ、戦車に腕を付けようなんて考えた奴は!﹂
飛行機に手足を付けた奴が言う台詞ではない。
マウスに追加された腕は人型機の物よりずっと大きく、リーチは
二倍ある。
太さも凄まじく、大量の無機収縮帯と油圧によって発揮される腕
力は通常の機体とは比べ物にならないだろう。
腕の先はペンチのような形状となっており、保持以上の機能はな
いらしい。
それでなにを掴むかといえば、マウントされている二つの武器だ。
右手には肉厚の長剣。
左手には38口径170ミリ砲。
ビースター
小さな頭らしき物が砲塔に乗っかっているのだが、センサー以上
ストライカー
の役割はない。
人型機と呼ぶにはあまりに異質であり、獣型機と呼ぶには機械的
過ぎる。
双腕戦車は砲塔を三六〇度回転させ、白鋼を発見し二つの武器を
構えた。
1162
﹃少々驚かせたな、レーカ君﹄
﹁ヨーゼフか、愉快な物に乗っているな﹂
マウスには本来あるべき砲塔の砲身がない。その部分がコックピ
ットに改造されているのだ。
﹃君に勝つ為にはどうすべきか、私なりに考えた結果だ。君は高速
戦が得意なのだろう? 私ではあの剣劇に反応仕切れない、故に防
御に特化した機体を調達した﹄
特化どころではないだろう、との言葉を零夏は飲み込む。
﹃帯状に連なることで極めて広い接地面積を実現する技術。この世
界には存在しない機体、﹃異文化の工芸品﹄と呼ばれる物だ﹄
異文化の工芸品。
ナスチヤが取り寄せてくれた資料にて、その言葉は知っている。
異世界セルファークに迷い込んだ地球の工業製品。
零夏にとっては懐かしく、そしてセルファークの技術よりは遠く
思える存在。
地球の兵器など触ったことはない。こちらで関わった巨大人型ロ
ボットの方が、まだ零夏にとってリアルに思えるのだ。
﹃それに愉快な物に乗っているのはお互い様だろう。まさか、半人
型戦闘機をこの状況で形にするとは﹄
﹁⋮⋮お前に構っている時間はない。ナスチヤ、アナスタシア様は
どこだ﹂
1163
本当はマウスを調べたくて仕方がないのだが、優先順位を間違え
るほど愚かではない。
﹃答えたところで私の言葉を信じられるか? まあ、急いだ方がい
いとだけ言っておこう﹄
マウスの巨腕が近くの小型級飛宙船を掴み、唯一の脱出通路であ
るゲートに叩き付けた。
スクラップとなった船が、簡素なバリケードとなる。
﹁なっ﹂
﹃さあ、殺し合うとしようか﹄
ヨーゼフは白鋼がミスリルブレードでゲートを裂き突破可能と判
断。隙をついて逃げられないように、即席バリケードを作ったのだ。
この程度の障害は人型機にとって、短時間で取り除けるものだ。
しかし、それは少なくとも一瞬ではない。
撤去作業をしたければ俺を倒せ。つまりは、そういうこと。
﹁付き合う義理は︱︱︱﹂
白鋼を飛翔させ、天井に着地。
逆噴射にて逆さまに張り付き、狙いを定める。
﹁︱︱︱ねぇよ!﹂
ジャンプし、急降下。
ミスリルブレードを真上から叩き付け、マウスを両断する。
⋮⋮する、つもりだった。
1164
﹁な、に!?﹂
﹃ああ、断っておくが﹄
ブレードが刺さったのは数十センチほど。今まで戦った機体が皆
一撃で終わっていたことを考えれば、桁違いの防御力。
﹃この機体の装甲厚は倍に強化されている﹄
振り下ろされるマウスの巨剣。
薄く切り味を求めたミスリルブレードとは違い、肉厚で叩き切る
ことを目的とした剣。
ブレードで防ぐも、出力の違いから唾競り合いなど出来ない。受
け流し距離を確保し、ようやく息を吐く。
﹁っ、内側からかさ増ししているのかよ⋮⋮最大装甲厚約五〇セン
チとか、馬鹿じゃねぇの!?﹂
﹃油断するには早いぞ﹄
放たれる170ミリ砲。
慌てて退避し、柱の陰に隠れる。
マウスは白鋼に急接近。その速度は意外なほど速い。
鉄塊のような剣が柱ごと白鋼を斬り伏せようと鈍い風切り音を唸
らせる。
飴細工のように破壊される鉄柱。咄嗟に身を逸らし切っ先から逃
れ、白鋼はホバリングして中型級飛宙船の後ろに回り込む。
︵地上にいたら駄目だ、あの機体が届かない場所︱︱︱︶
1165
中型級飛宙船の艦橋に飛び乗り、そっと下を覗く。
170ミリ砲弾が頭を掠め天井に突き刺さり、慌てて引っ込めた。
﹁キョウコは鉄でも切ってみせたわよね? どうして白鋼には出来
ないの?﹂
村での人型機訓練を思い返し、ソフィーが問う。
﹁剣っていうのは真っ直ぐ振り下ろさないと切れないんだよ、白鋼
の操縦が上手くはまれば、あんな装甲の塊だって真っ二つに出来る
のに!﹂
改造マウスの重量は、追加装甲と腕によって三〇〇トンを越えて
いる。
対し白鋼は、人型機としての部品を組み込んだとはいえおよそ4,
5トン。
ほぼ同スケールでありながら実に六七倍。圧倒的重量差の戦いの
幕が、ここに切って落とされたのだった。
外では、遂に戦いが終結した。
城に覆い被さるラウンドベース級飛宙船。
こうなっては、多国籍軍側は抵抗を許されない。敵の逆鱗に触れ
れば、着陸という形で町が滅ぶ。
1166
ここに、共和国の敗北が決したのだ。
﹃畜生おおぉぉっ!﹄
﹃お前ら、各地に退避するぞ! 生き恥を晒せ!﹄
﹃なんてこった、国が負けるなんて﹄
﹃アイツらはなんの為に死んだんだ、くそ!﹄
﹃これじゃあ、これじゃあプロポーズなんて出来ねぇよ⋮⋮﹄
﹃ステーキ、まだ取ってあるかな?﹄
四散する戦闘機。
首都ドリットの奪還は最早不可能。今彼らに許されるのは、いつ
か反撃の時に備えて機体と命を温存することのみ。
屈辱と悔恨。言いようのない敗北感にかられ、共和国軍は他州へ
と向けて飛行する。
彼らにとって幸いなことに、追撃はなかった。
逃げ帰るのは他国の軍人も同じだ。帝国としてもこれ以上は手を
出せず、小国の軍に至ってはラウンドベースを持つ組織と敵対する
ことは存命に関わる。
銀翼達も彩光弾の指示に従い戦闘を終え、﹁今さっきで急に止め
られるか﹂と言い敵機を撃墜しつつ離脱する。
敗北しても傲慢不遜、それが銀翼である。
既に首都は紅蓮の騎士団の手に落ち、誰もが呆然と狭い空を見上
げるしかなかった。
最強の銀翼の天使とその娘、そして彼女の婚約者以外は。
1167
武力制圧されるドリット城。
﹁非戦闘員には手を出すな、それ以外は皆殺しにしろ!﹂
怯えるメイド達を誘導し、紳士的に城の外へ出していくテロリス
ト。
対して、将軍含む騎士達は悲惨な最期を遂げていた。だからこそ
メイドは怯えているのだが。
司令室の窓際には生かされた、共和国各地の要人が後ろ手に縛ら
れ座っている。
そのうちの一人が、テロリストの指揮官を睨み付けた。
﹁それで、これからどうするつもりかね? 紅蓮の亡霊共が﹂
﹁口の減らない奴だ﹂
指揮官は男を蹴る。
﹁ぐっ、⋮⋮ふん、ラウンドベース級を手に入れ有頂天になってい
るようだが⋮⋮あれはまだ世界に七隻あることを忘れるなよ﹂
共和国に四隻、帝国に三隻。
首都を抑えたところで、紅蓮の戦力など世界的に見れば吹けば飛
ぶ程度でしかない。
これは戦術的な敗北であっても、戦略的な敗北ではないのだ。
1168
﹁この平和な時代、それを乱す者は世界全ての敵だ。長い天下だと
思うな﹂
﹁解っているさ。だからこそ、貴様らは生かされている﹂
彼らは共和国各地の知事やその側近だ。選挙で選ばれた者達だが、
王制が終わったのはたった一一年前。
まともな運営をしていた貴族はそのまま領地の管理を民に託され
ている場合も多い。故に、旧い知識を持つ者も多数いる。
﹁ラウンドベースなど、我々の力を民間人に知らしめる為のパフォ
ーマンスでしかない。お前達に対するパフォーマンスは別にある﹂
指揮官は外に目をやり、つられて要人達も窓を覗く。
先に存在するのは、世界に点在する超巨大ダンジョン、巨塔。
それを人類が発見してしまったのは、果たして何時のことだった
か。
世界の最果てで見つかった﹃異文化の工芸品﹄の制御ユニット。
異文化の工芸品、それは高速回転する巨大な建築物だった。
長年に渡り推進材を必要としないイオンエンジンにより、ひたす
ら加速された回転。
そのエネルギーを捻出するのは核融合炉。存分な核燃料を蓄えた
それは、人類の手を離れようと稼働し続ける。
半休眠状態だったシステムがコマンドを受信し、制御装置が起動
した。
1169
円柱のような砲弾がバレルに送り込まれ、照準が定められる。
幾つもの障害物を越えた先、目標は首都ドリットの海上。
god︽神の宝杖︾ ︱︱︱FIRE﹄
発射
全てのシークエンスがクリアされた瞬間、どこかのモニターに文
of
字が表示された。
﹃|Wand
建築物の回転が電力へと変換され、絶大なエネルギーとなり砲身
に供給される。
そう、この全長数百メートルの建物自体がエネルギーを蓄える役
割を持つ、フライホイール・バッテリーなのだ。
レールが帯電し、ローレンツ力が飛翔体を滑走させる。
数千万トンの物体が蓄えた運動エネルギーが、たった6,1メー
トルの杭へと注ぎ込まれる。
あまりの速度と高温に、砲口から放たれた瞬間から液化・プラズ
マ化する槍。
それは全てを貫き通し、そして着弾した。
海上の巨大建築物︱︱︱巨塔が発ぜた。
首都を悠久の間見守り続けてきた世界の柱が、白熱化し崩れ落ち
ていく。
遅れて轟音。全てを粉砕するかと錯覚するほどの、音の津波。
最後に訪れたのは振動だった。地面が揺れる程度の話ではない、
船が倒れ、脆い建築物が倒壊するほどの大地震。
天変地異を思わせる異変に、誰もが唖然と壊れゆく巨塔を見てい
た。
1170
﹁⋮⋮まさか、神の宝杖か?﹂
リデア姫もまたその一人。首都から離れる飛宙船より、その様子
をある種、魅入られるように眺める。
神の宝杖。その詳細を知る者はこの世界にいない。
判っていることは、座標を定めればその地点に破壊をもたらすこ
と。
それに使用回数制限がないこと。
そして、防御方法はないこと。
あまりに一方的な攻撃手段であり、手にした者は世界を手中に入
れるとされた最悪最強の﹃異文化の工芸品﹄である。
﹁なんてことだ、教国で管理されているのではなかったのか、あれ
は﹂
神の宝杖に射程範囲などという概念はない。セルファークの全て
が攻撃可能だ。
レジスタンス
リデア姫は理解した。これは﹁下手な真似はするな﹂と忠告して
いるのだ。帝国と、共和国各地に生まれるであろう反抗勢力達に。
神の宝杖は一般人には存在を知られていない。そんな恐ろしい物
が世界にあり、しかも稼働しているなど不安を煽るだけだろう。
だからこそ教国にて複数国の管理の元、制御ユニットを封印して
いるのだが⋮⋮いつの間にか盗まれていた、というわけだ。
破壊が不可能だったのは、その本体がどこにあるか判らなかった
から。そもそもどのような攻撃手段かすらよく判らず、ユニットか
ら﹃神の宝杖﹄なる名称が判明したのみ。
もっとも、零夏ならば名前からある程度察しが付いただろう。
神の宝杖︱︱︱それが某軍事大国が建造した、宇宙兵器の発展型
であると。
1171
﹁姫、ただいま戻りましたぞ﹂
船に着艦したルーデルがシャワーを浴びた後に姫の元へ帰還する。
﹁いや、先に報告に来んかアホウ﹂
﹁そんなことより奴らが世界に向けて放送を開始しましたぞ﹂
﹁犯行声明じゃな﹂
﹁勝てば官軍、もはや彼らの言は政府発表に等しいですな﹂
﹁馬鹿を言え、テロリストはテロリストじゃ。まあ笑い話くらいに
はなるじゃろう、船内で聞くこととしようか﹂
飄々と涼しげな顔で歩むリデア姫。
しかし、その瞳には怒りが燃えたぎっていた。
1172
はじまりのおわり 2
﹃﹁セルファークに生きる人々よ。まずは、諸君が楽しみにしてい
た大陸横断レースを中断させてしまったことを心から謝罪しよう﹂﹄
そんな言葉を聞き流しつつ、170ミリ砲の射戦から逃げる白鋼。
マウスからすれば狙いやすい前後移動を避け、横移動を心掛ける。
放たれる170ミリ砲。
それを飛び越え、マウスに接近。ミスリルブレードを振るう。
しかし届かない。強固な装甲に加え、巨大な腕が剣を逸らしダメ
ージが通じない。
苦々しげに睨みつつ、零夏は一応の賛辞を発した。
﹁意外と芸達者なこった!﹂
﹃﹁我々は紅蓮の騎士団、世界の安定を望む悪の組織だ。この放送
は共和国首都・ドリット城前の広場よりお送りしている﹂﹄
ヨーゼフの存外繊細な操縦に、軽く舌を巻く零夏。
︵どうやら普段は手を抜いていたらしいな。一年前の試合も本気じ
ゃなかったってことか︶
1173
﹃そういう君は調子が悪いのか? 非戦闘用のあの人型機に乗って
いた時より、動きが悪いようだが﹄
人型機・白鋼は特別高性能なわけではない。直線的な突進に関し
ては追従可能な機体など存在しないが、機体の反応速度は軽さで鉄
兄貴に勝る程度、純戦闘用の蛇剣姫には完全に劣る。
それでも零夏の操縦技術ならば、本来はマウスの防御は突破可能
なのだが⋮⋮
︵なのに、なんで安定しないんだ白鋼!?︶
挙動がブレる。素人目には誤差でしかないその差が、零夏の操縦
イメージを崩していた。
﹃﹁世界各地で放送を聞いている者達には実感が湧かないかもしれ
ない。しかし、広場には多くの観衆が集まっている。彼らが証人と
なり、世界へとこの出来事が真実であると伝えるだろう﹂﹄
距離を取り、マウスの巨剣の間合いから逃げる。
ガコン、と自動装填装置が170ミリ砲弾をチャンバーに送り込
む。
向けられる銃口。
﹁ソフィー頼む!﹂
1174
﹁うん!﹂
ブレードを放り投げ、変形した白鋼と結合。飛行機形態となって
離脱する。
﹃﹁この世界は歪んでいる。人は更なる発展と利を求め、あるべき
姿を忘れてしまった﹂﹄
170ミリ砲弾を回避し中型級飛宙船の背後に回り込み隠れる。
陰に回り込んだ瞬間にブレードを下部から外し、再び人型機に。
ブレードの柄を掴み、床にひっかき傷を残しつつ着地。全長一〇
〇メートルの中型級飛宙船、その中間あたりだ。
﹃先程から、ヒットアンドウェイばかりではないか﹄
﹁うっせ! その重装甲抜ける火器があればむしろそれで遠くから
終わらせたいわ!﹂
正々堂々など零夏の趣味ではない。零夏はミリオタであり、中世
の白兵戦より近代戦の方が詳しい。近代戦の鉄則は先取攻撃、そし
て有利な攻撃位置を確保する電撃戦である。
﹃﹁確かに豊かになったろう。大半の者は魔物にも怯えず、飢えも
しない時代となったろう﹂﹄
1175
﹁さっきからなんだよ、この放送!﹂
﹃紅蓮の騎士団による世界へ向けた犯行声明だ。これが始まったと
いうことは、いよいよ急いだ方がいいぞ?﹄
クリスタル共振通信から聞こえる微かな爆発音と悲鳴。
﹁観衆ってのは、自主的に集まったのかよ?﹂
﹃まさか、逃げ遅れた民間人を広場に押し込んでいるだけさ﹄
近付くキャタピラ音。
﹃しかしそれは表向きでしかない。誰もが抱いているだろう、﹁な
にか違う﹂と﹂﹄
︵どっちだ、どっちから来る?︶
飛宙船の船首と船尾までの距離は等しく約五〇メートル。どちら
から回り込んできても不思議ではない。
︵そうだ、こういう時こそ解析魔法だ︶
1176
船の向こうを透視すれば、白鋼へと真っ直ぐ向かってくるマウス
が見える。
︵どっちだ、どっちに曲がる︱︱︱?︶
マウスが船の外壁に接触。あの巨剣でも一太刀では中型級飛宙船
を割ることは不可能、必ずどちらかに回り込んでくると踏む。
﹃﹁冒険者などという小さな力が持て囃され、自由天士なる一般人
が兵器を持つ﹂﹄
しかし、ヨーゼフの選択は零夏の予想の上をいった。
マウスの腕と前面装甲が飛宙船を押す。
白鋼に迫る飛宙船外壁。
︵中型級飛宙船を、横転させやがった!?︶
常識外れの出力を発揮するマウスに、おののきつつも後退し飛宙
船から逃れる白鋼。
しかし背後は格納庫の壁。
﹃﹁無駄だ。無駄が過ぎる﹂﹄
1177
挟み込まれたら堪らない。壁に足先を突き刺し、一気に駆け上り
飛宙船の上に逃げる。
直後、船と格納庫の隙間が埋まり、押し出された空気が白鋼を翻
弄する。
﹁うおっ、っとっと!﹂
軽量な白鋼は風の影響をモロに受け、船体から転げ落ちる。
落下、墜落寸前でソフィーが機体を浮かび上がらせる。
だがそこはマウスの眼前だった。
﹃﹁強者が浪費した無駄によって、どれだけの幸福が得られるかを
考えたことがあるか﹂﹄
﹃ハッ、ようこそ!﹄
﹁はいさようなら!﹂
離脱を試みるも、170ミリ砲を撃ち込まれる。
170ミリ砲弾は障壁に阻まれるのでダメージはない。が、体勢
を崩した隙に間合いを狭められる。
︵速い、超重戦車の速度じゃない!︶
1178
﹃﹁強者が一時の快楽を味わう為、どれだけの苦痛を味わってきた
か覚えているか﹂﹄
詳しい解析をしている余裕はないが、駆動系がかなり強化されて
いることは気付いていた。
しかし、マウスの速度は戦闘用人型機のそれに匹敵する。第三世
代戦車とほぼ同等だ。
﹁なにかトリックでもあるのか?﹂
﹃それはこちらの台詞だ。人型機には障壁など不可能、どんな手品
を使っている?﹄
零夏に挑む為に、人型機の防御について学んだヨーゼフだからこ
そ断言出来た。
﹃障壁は魔力消費が大きく、常時発動するのは困難だ。個人を守る
程度ならともかく、人型機のような巨大な対象を包むことは出来な
い﹄
﹃﹁個人による力などなにも成し得ない。そのような小さな力だが、
それでも弱者は怯え抗う術を持たない﹂﹄
1179
零夏達が閉じ込められていた貴賓用牢屋のように、飛宙船内部で
一室を包むことは可能。
ラスプーチンが行ったように、瞬間的に小さな障壁を一方向へと
展開することも可能。
しかし、人型機のような大型兵器の装甲として積み込むことは不
可能。どうやったって魔力が足りない上、制御も困難なのだ。
近距離で振るわれる巨剣をいなしつつ、離脱のタイミングを計る。
﹁企業秘密だ!﹂
﹃﹁憎んだことはないか? ﹁あの薬があれば、苦しい思いをしな
くて済むのに﹂と﹂﹄
﹃⋮⋮もしや、君自身よく判っていないのか?﹄
﹁そんなわけないだろ! バーカバーカ!﹂
図星であった。
﹁レーカが付け加えたわけじゃないの?﹂
﹁ソ、ソンナコトナイヨ!﹂
﹃﹁呪ったことはないか? ﹁なぜ他人が築いた借金のせいで、私
1180
がこんなことをしなければ﹂と﹂﹄
零夏は障壁機能など増設していない。というより、障壁の術式す
ら知らない。
兵器への障壁は技術的に不可能。それに、そのような莫大な魔力
を調達出来るなら、出力をアップし重装甲にした方が効率がいい。
障壁を持った兵器が存在しないのは、そのあたりが理由だ。
ならば白鋼の障壁がなんなのか。意図したものではないとはいえ、
零夏はある程度推測していた。
零夏は見ていた。被弾の瞬間、クリスタルの出力が跳ね上がった
ことを。
﹃﹁妬んだことはないか? ﹁法を破る悪人が、なぜ善人たる我々
より偉そうなのだ﹂と﹂﹄
機体出力は変わらない。なのにメーターが変動したということは、
どこかに逃げたのだ。
被弾の瞬間に魔力が向かう先など一つしかない。
︵クリスタルが自分で障壁を張っている、んだよな?︶
白鋼の動力として搭載しているクリスタル、その本来の持ち主は
シールドナイトだ。
防御に特化した魔物。その特性がクリスタルに残っていたと考え
1181
るのが自然。
︵でも何故、今頃になって? っていうか障壁と盾は別物だろ?︶
﹃﹁嫉妬したことはないか? ﹁生まれながらにして人は平等など
嘘っぱちだ﹂と﹂﹄
零夏としては疑問が残らないこともなかったが、おおよそその推
測は正しかった。
自分から胸を抉りクリスタルを差し出したシールドナイト。
彼はあの時、認めたのだ。零夏を、主として守る対象と。
今までは飛行機の動力源として使用されていた為に力を発揮出来
なかったが、人型となれば話は別。
シールドナイトの特性・守護。盾の姿形は変わろうと、彼の成す
ことは変わらない。
︵まあいい、人型機・白鋼最大のネックだった防御力が補えるんだ、
クリスタルに魔物の特性が残るかどうかは後で調べよう︶
割り切り、零夏は機体を操る。
﹃﹁人は既に、技術と効率の追求によって全ての者が飢えず幸福
に生きられるほどのポテンシャルを得たというのに、なぜ救われぬ
者がいる? 悲劇という単語が死語とならない?﹂﹄
1182
170ミリ砲がリロード。間髪入れずに撃ち放つ。
﹁障壁を破れないって解っているだろ!﹂
﹃確かに、単独ではな﹄
着弾と同時に迫る横薙ぎの巨剣。
障壁は砲弾にのみ展開し、剣に対しては無防備だった。
﹃﹁これは世界が本来あるべき姿なのだろうか?﹂﹄
﹁うおぉ!?﹂
回避するも、白鋼の外装が切り裂かれ内部が露出する。あと数セ
ンチ深ければ、致命的な損傷を内部機構に被っていた。
﹃なるほど、多方向への同時防御は不可能なのか﹄
これもシールドナイトの特徴である。彼の魔物は、盾を一つしか
持たない為に多方向からの攻撃に弱い。
障壁が絶対の防御ではないと理解した零夏に怯えが混ざる。
﹃﹁否。セルファークの永きに渡る歴史の末、人の生き様は歪んで
1183
固定されてしまったのだ﹂﹄
攻撃を交えた戦闘から、防御一辺倒の戦い方へと移行。
﹃なんだ、そのへっぴり腰は! 一年前の君は、もっと積極的に挑
戦した戦いをしていたぞ!﹄
﹁あれは試合だろうが、実戦でチャレンジ精神なんてゴメンだ!﹂
﹃最強最古とすら渡り合った君はどうした! この臆病者め!﹄
︵この、言いたい放題言いやがって⋮⋮!︶
︵冷静に挑発を受け流す、やはり君はいい⋮⋮!︶
﹃﹁人は競い、争い合う動物だ。なぜ、それを否定する?﹂﹄
目に恍惚の色すら浮かべ、口端を吊り上げるヨーゼフ。
ひたすら回避に努める白鋼。反撃のチャンスを窺い、マウスの更
なる解析を試みる。
︵戦闘機用のジェットエンジンをガスタービンエンジンとして転用
しているのか。その回転を発電器と直結、電力を生み出している。
キャタピラを回すのはモーターか、効率は悪くエネルギーロスが大
1184
きいが、これなら機械的な負荷は少ない。ほとんどの部品が近代品
に交換されているが、基本はオリジナルのマウスと同じ⋮⋮だが、
それでも三〇〇トンオーバーの機体を動かすには無理があるはず!︶
その無茶を通せる理由は、やはり機体中央に存在する、ある装置
だろう。
︵浮遊装置、あれで接地圧を減らしている!︶
﹃﹁よいではないか、混沌であろうと! 競争こそが人のあるべき
姿だ!﹂﹄
浮かぶ為ではなく、重量を削減する為に搭載された浮遊装置。
﹁舞鶴もそうだが、つくづく紅蓮ってのは試作品が好きだな!﹂
﹃半端者同士、惹かれ合うのだろうさ!﹄
なるほど、あの機体の特徴は判った。そして弱点も。
だが何にせよ、一度離脱しなくてはならない。
﹃﹁我々は誓おう! 見えない境線を払い取り、世界をあるべき姿
に戻すことを! そう︱︱︱﹂﹄
1185
﹁レーカ、たぶん違う﹂
﹁違うって、何が!?﹂
余裕なく叫ぶ零夏に、ソフィーは諭すように問う。
﹁出力の小さな飛行機が素早く旋回するには、どうしたらいい?﹂
﹁そりゃあ、速度を殺さず風と重力を生かして⋮⋮そうか!﹂
﹃﹁︱︱︱絶対的な管理の元に思いのままに殺し合う、そんな理想
の世界を!﹂﹄
零夏はソフィーが言わんとすることがやっと理解出来た。
170ミリ砲が放たれると同時に、マウスの懐へと飛び込む。
﹃急ぎ過ぎだぞ、それは!﹄
横に一閃、巨剣が走る。
それを飛び越える白鋼。
﹃﹁権利も収入も義務も平等とし、騎士が騎士として、農夫が農夫
1186
として、奴隷が奴隷として存分に腕を振るえる社会を!﹂﹄
﹃甘い!﹄
しかしマウスは剣を翻し、頭上の白鋼へと軌道変更する。
強靭な腕と大重量を誇る機体に、振り回されることなく軽々と直
角偏向する切っ先。
迫る鉄塊を睨む零夏。
先程までなら回避不可能だった。しかし、ソフィーの助言を得た
零夏は違う。
﹃﹁力なき者をなぜ守らねばならない!? そのような倫理観は、
人という種に後付けした拘束具でしかない!﹂﹄
速度を殺すのではなく、大気に乗って方向を変える!
勢いのまま水素ロケットを噴射、主翼であった平らな脚をハの字
に開いて揚力を発生させる。
﹁昇れええええぇぇぇぇ!!﹂
﹃なっ、速い!?﹄
白鋼は無機収縮帯のパワーが小さくとも、エンジンパワーは充分
強力だ。
1187
速度を殺さず、風に乗って機体を動かす。それさえ心掛ければ、
白鋼は純戦闘用にけっして見劣りしない高速機となるのだ。
零夏やガイルのように風を突き破るのではなく、風と共に飛ぶこ
とを好むソフィーだからこそ出来た発想だった。
﹃﹁背負え!! そして、切り開け!! 甘えるな弱者共がぁ!!
貴様等が愚鈍なのが、その惨めさの理由だ!!﹂﹄
﹁真上は狙いにくいだろ!﹂
考えてみれば当然。戦車の弱点は上だ。
零夏はずっと平面的な戦術を思考していた。
人型機とは二次元にて運用する兵器。その考えが抜けていなかっ
たのが零夏のミスだ。
戦車に対して、航空機が同じ土俵で戦う必要などない。
﹃﹁世界は弱肉強食。それを覆そうとするからこそ、歪みが生じ謂
われなき罰を受ける者がいるのだ!!﹂﹄
﹃だからどうした、近距離戦しか能がないのはむしろそちらだ!﹄
砲口を白鋼に向けるマウス。
1188
しかし、零夏の狙いは逃げることだけではなかった。
上昇を続ける白鋼はミスリルブレードを上に向け、勢いのままに
天井に突き刺す。
﹃なっ︱︱︱なんのつもりだ?﹄
﹁有利なポジションに誘い込んだって、応じるお前じゃないだろ!﹂
﹃﹁気に食わないのなら、欲するのなら奪え!! 我々はそれを肯
定しよう!!﹂﹄
剣を引き抜き高速飛行形態に。アフターバーナーを使用し一気に
離脱する。
当たるかはともかく、ヨーゼフには砲撃するくらいの時間はあっ
た。それをしなかったのは、強烈な悪寒を感じたからだ。
﹁だから、この空間自体を有利なポジションにしてやる!﹂
ミスリルブレードが突き刺さった天井の裂け目。そこから漏れる、
大量の魔力。
徐々に傾く格納庫に、ヨーゼフはようやく思い至った。
﹁君は、まさか︱︱︱浮遊装置を停止させたのか!?﹂
1189
﹃﹁不条理を認められる人間などいない! だが、平等の元に死ぬ
のならば、誰もが納得出来るだろう!!﹂﹄
天井の穴の先にあったのは、クリスタルと浮遊装置を繋ぐ太い魔
力導線。
それが切断され、浮力を失ったラウンドベースがバランスを崩し
ているのだ。
ラウンドベース級飛宙船は外周がそれぞれ別の浮遊装置で浮上し
ている。そのうちの一つが停止したということは、他の区画がその
分の重量を支えなければならない。
制御された停止であれば浮力を連動させることで水平を保てるが、
内部からの破壊工作では連動もなにもない。
﹃﹁故に私は宣言しよう!! この国は共和国の名を捨て、新国家
として生まれ変わると!!﹂﹄
傾きは更に大きくなり、幾つもの飛宙船が格納庫を転げ落ちる。
﹃ぐう、おおお!?﹄
マウスとてそれは例外ではない。
この機体の弱点。そう、超重戦車は戦車の癖に不整地が苦手だっ
たのだ。
必死にキャタピラを回し踏ん張るも、ずり落ちていくマウス。
1190
﹃﹁生半可な覚悟で成し得ることではない! 暴虐と破壊と無法を
以て、新秩序を築くとしよう! 故に、我々は⋮⋮なんだ、どうし
た!? ラウンドベースが傾いているぞ、どうなっている!?﹂﹄
﹃﹁あらあら。あの子達が大人しく捕まっていると思ったの?﹂﹄
﹁レーカ、今の声!﹂
﹁ナスチヤだったな、このやがましい演説会場の側にいるらしい﹂
適当な瓦礫を拾い、重さを確認するように上下に揺らす。
﹁じゃあな、アンタは奈落の底を先に見てきてくれ﹂
白鋼はそれを、マウスへと放り投げた。
マウスに当たったそれは、分厚い装甲の前にダメージなどにはな
らない。
だがキャタピラが浮き上がり、バランスを失ったマウスは後方回
転した後に傾斜した格納庫へと落ちていく。
﹃︱︱︱︱︱︱!﹄
声もなく落下していくヨーゼフを見届け、零夏は操縦桿を握り直
す。
1191
﹁⋮⋮よし、行くか﹂
﹁うん﹂
感傷に浸っている暇はない。
脱出を急ごうと出口を探し、遙か下に光を見つける。
ホバリングを多用し、急ぎつつも慎重に降りていく。
﹁そういえば、ありがとう﹂
﹁なにが?﹂
﹁助言助かった。他に何か気付いたことはないか?﹂
﹁う、ん。あと一つあるの﹂
﹁なんだ?﹂
﹁上手く言えないけれど⋮⋮﹂
﹃認められるか﹄
ほぼ縦置きになった中型級飛宙船の上を滑り降りていると、声が
聞こえた気がした。
﹁ソフィー?﹂
﹁え?﹂
きょとんと振り返る彼女の様子から、ソフィーには聞こえなかっ
1192
たらしい。
ついさっきまで壁だった格納庫の底に降り立つ。幸いなことにゲ
ート周辺のスクラップによるバリケードはラウンドベースが傾いた
際に吹き飛んだらしい。側に瓦礫やら飛宙船やらが山になっている。
﹁ゲートが埋まらなくて良かったな。さて、脱出︱︱︱﹂
﹃このような決着、認められるものか⋮⋮!﹄
瓦礫の山が吹き飛ぶ。
伸びたアームが障壁を貫き、白鋼の右腕を掴み締め上げた。
﹁なんだと!?﹂
前進するマウス。高所から落ちて細部が損傷しているが、鋼鉄の
装甲は歪み一つない。
︵だが中身は別のはずだ。精密機器が衝撃で破損し、搭乗天士とて
ただでは済むはずがない!︶
そう考えていたからこそ、零夏も油断していた。
﹃終わらせはせん、まだ終わってなどいない!﹄
よく見れば履帯は千切れ、砲身は曲がり、発電器からは火が噴い
ている。
満身創痍。ガワだけが無事であり、中身は滅茶苦茶なのだ。
それでも幽鬼の如き気配で突き進むマウス。
︵浮遊装置をオーバーロードさせて機体を浮かせてやがる⋮⋮!︶
1193
まさに自壊覚悟。もっとも、腕を掴まれている以上逃げようはな
いのだが。
アーム先のペンチに挟まれた白鋼の腕は、ひしゃげ機能を失って
いる。
﹁っこの、くそっ!﹂
無事な左手で持ったミスリルブレードを振るうも、両腕でさえ突
破出来なかった装甲だ。片腕で切れるはずがない。
﹃私の、勝ちだ!﹄
腕を持ち上げ、吊られる白鋼。
そのコックピットに、もう片方のペンチが添えられる。
﹁く、そ⋮⋮!﹂
唸るコンプレッサー。
︵ここまで来ておいて、これで終わるのか!?︶
油圧駆動のアームはコックピットを容易く潰す出力がある。
障壁が発動し必死に耐えているが、光の壁は不安定に揺らぎ長く
保ちそうになかった。
万事休す。脱出したところで、逃げ切れる気もしない。
﹁ソフィーは見逃せ、彼女まで殺すつもりか!﹂
ミシミシと軋むコックピットから叫ぶ。
1194
﹃私がそんなことに頓着する類に見えるか?﹄
紅蓮の騎士団にとってソフィーは必要な人間だが、ヨーゼフは彼
女の生死に興味がないらしい。
﹁レーカ﹂
ソフィーがベルトを外し、後部座席の零夏の元へと身を乗り出す。
﹁たぶん、これが最後﹂
そっと顔を近付ける。
﹁え、ちょ、あの?﹂
こんな状況で狼狽してしまった零夏だが、あいにく逃げ場はない。
ファクター
﹁最後のピース﹂
そして、唇を重ねた。
﹁︱︱︱︱︱︱!!!?﹂
唇を奪われたとか、そういうことではない。
この瞬間、零夏の見る世界は一変していた。
機体細部を流れる気流。温度の質量差による微風。姿勢によって
変わる空力特性。
世界は、風で満ちていた。
視覚的、というより直感的。ただ大気の流動がダイレクトに見え
1195
る。
︵これは、イメージリンク魔法!?︶
ソフィーのイメージが零夏に伝播している。
口付けは簡易な契約の基本であり、メカニックに関する魔法の講
義はアナスタシアの元でソフィーと肩を並べて受けていた。彼女が
詠唱を知っていたっておかしくはない。
ないのだが、人間同士でのイメージリンクなんて転用法は想定の
範囲外だった。
︵⋮⋮いや、そうじゃない。そうだ、ナスチヤは確かに言っていた︶
イメージリンク魔法。これは、本来使い魔や他者と感覚を共有す
る魔法だった、と。
これが、正しい使い方なのだ。
結果として零夏は垣間見た。ソフィーが見ている、彼女の世界を。
︵こんな世界で生きているのか、ソフィーは︶
風が見える。タイミングも、強さも。
解析魔法によるシミュレーションではここまでの精度はない。所
詮は予測、直接視ているソフィーには至らないのだ。
唇が離れる。
﹁解った?﹂
﹁⋮⋮なんと、なく﹂
﹁そう、なら大丈夫ね﹂
1196
そっと笑うソフィー。
﹃なにをしているのかね、君達は﹄
ヨーゼフがその様子を見て呆れていた。
﹁⋮⋮おまじないだ﹂
﹃そうか、だが迷信だ﹄
﹁そうでもないさ!﹂
零夏はやっと、操縦の誤差の正体を理解する。
︵白鋼の機体は軽い、人型機としては破格の軽さだ。だからこそ、
気流の影響を受ける。何度も自分で言ったじゃないか、こいつは人
型の航空機だって!︶
白鋼が腕を振るい上げる。
﹁切り裂くのは装甲なんかじゃない、大気だ!﹂
真芯を捉え、切っ先を振り下ろす。
﹃何度やろうが、結果は︱︱︱﹄
ザン、という音と共に。
マウスは、上から下まで真っ二つに別たれた。
1197
﹃な、んだとぉぉ!?﹄
薄いミスリルブレードは、叩く剣ではなく切る剣だ。
切る剣は一見同じモーションで振るっても、軸に乱れがあると切
れ味が大きく変わる。
キョウコほどとなれば建物ごと斬り伏せるが、零夏にはこれが精
一杯。
瓦解するマウス。最強最古には至らずとも、彼はそれと同種の域
に達する片鱗を見せたのだ。
﹁今度こそ終わりだ、行こうソフィー﹂
﹃待ちたまえ﹄
下を見れば、コックピットから這い出て装甲に背を預けるヨーゼ
フ。
﹃なぜ、殺さなかった?﹄
斬撃は僅かにコックピットを避け、横に逸れていた。
﹁⋮⋮あんたを狙う余裕なんてなかった。たまたま当たらなかった
だけだ﹂
﹃ふん、そういうことにしておこう﹄
ガコン、と外に通じるゲートが閉まり始める。
﹁ってめぇ、往生際が悪い!﹂
1198
﹃人聞きが悪いな、おおかた悪趣味な覗きでもいたのだろう。行き
たまえ、すぐに閉まるわけではない﹄
﹁言われんでもそうする!﹂
前進翼形態に変形。鋳造魔法で外装を整えつつ、急加速しゲート
を突破する。
﹃Hybrid﹄
ハイブリッドエンジンを最大出力に。左右から迫る隔壁をすり抜
け、白鋼はひたすら加速を続ける。
この直線は本来戦闘機発進用のカタパルトだ。白鋼を閉じ込めん
とする隔壁をかわし、緊急停止ネットを切り捨て、機体は外の光を
目指して細いトンネルを飛行する。
﹁このままじゃ間に合わない!﹂
狭く閉じられる光のスリッドから、残り時間を割り出し零夏は叫
んだ。
﹁高速飛行形態、アフターバーナー全開!﹂
速度を得たことで揚力が増し、前進翼でなくとも飛行可能と判断。
白鋼は主翼を後退翼へと可変させる。
翼の一部が展開し、機体後方に魔導術式が露出。排気を再錬金し
燃焼させる。
3を越える推力重量比。機体は更に加速するも、ゲートは尚早く
閉じようとする。
1199
﹁駄目だ、このままじゃ翼端がぶつかるぞ!﹂
﹁させない!﹂
機体を九〇度捻り、横倒しのまま飛ぶ。
曲芸飛行・ナイフエッジ。高度を保つのが難しく、トンネルの中
で行うのは自殺行為だ。
トンネルの中を飛ぶこと自体が、そもそも命懸けだが。
﹁これ以上はもう手がないわ!﹂
﹁あとはもう、祈るとするか。ナスチヤ様お助けを﹂
﹁私達がお母さんを助ける側でしょ!﹂
﹁世界神セルファークとか、どうも胡散臭くてなぁ﹂
迫る光。
垂直尾翼を掠め、白鋼は広大な空間に飛び出した。
バン、と破裂音。白鋼によって圧縮された空気が解放され爆発し
たのだ。
目の前に現れる巨大な建築物に、零夏の指示を仰ぐ間もなく操縦
桿を引くソフィー。
﹁うわあああぁぁぁ!?﹂
﹁レーカうるさい!﹂
飛行中はとことん役立たずの零夏である。
水平飛行に移る白鋼。先程ぶつかりそうになった建物は⋮⋮
1200
﹁⋮⋮ドリット城?﹂
﹁脱出、成功?﹂
ぽかんと町並みを眺め、顔を見合わし、そして喜色を浮かべ抱き
合う零夏とソフィー。
青空を貫く白き翼。地上の人々は、僅か数時間前に現れた新型機
の再登場に空を仰ぐ。
こうして、彼らは敵陣からの脱出を果たしたのであった。
飛び去った白鋼を見つめ、ヨーゼフは息を吐いた。
﹁たまたま、か﹂
ヨーゼフは見ていた。直撃コースだったミスリルブレードが、直
前で軌道変更したのを。
﹁甘いな。甘過ぎる。それでは⋮⋮﹂
やれるだけはやった。悔しさは不思議とない。
この格納庫の惨状が露見すれば責任問題だ。隠蔽工作を行う為、
ヨーゼフは立ち上がる。
1201
﹁⋮⋮それではなにも護れないぞ、レーカ君﹂
﹁生半可な覚悟で成し得ることではない! 暴虐と破壊と無法を以
て、新秩序を築くとしよう! 故に、我々は⋮⋮なんだ、どうした
!? ラウンドベースが傾いているぞ、どうなっている!?﹂
﹁あらあら。あの子達が大人しく捕まっていると思ったの?﹂
慌てふためくラスプーチンを、アナスタシアは可笑しそうに笑う。
城前広場。普段は式典などに使用され、厳かな雰囲気すら漂うこ
こは今や恐怖に満ちていた。
剣と杖を向けられ、公開処刑の証人となる為に広場に押し込めら
れた人々。出入り口には人型機が立ち、逃げ場などないことを彼ら
に思い知らせている。
彼らはなぜ自分達がここに集められたか判っていない。しかし、
ただ一つ確かなこともある。
死刑台の上、膝を着いた美しい女性。
その細い手足には過剰としか言えないほどの鎖が纏い、動きと魔
力の双方を抑え込んでいる。
彼女の処刑。それが行われようとしていることだけは、誰の目に
も明らかだった。
今の彼女は、魔法にて染めた髪のブロンド色を落とされて生まれ
ながらの白髪へと戻っている。
浮き世離れしたそのあまり見ない髪色に、僅かな人々が反応する。
1202
確保された要人、その中でも帝国寄りの者達だ。
﹁⋮⋮ふん、浮遊装置の不調かなにかだ﹂
ラウンドベースのトラブルをそう切り捨てるものの、隠し切れぬ
怒りがラスプーチンの表情には浮かんでいる。
紅蓮の騎士団の再興。その最初の舞台である犯行声明、それを邪
魔されたのだ。その痴態は世界規模で放送され、組織の顔に大きく
泥を塗られた。
ラウンドベースの傾きが事故か事件か、何にせよラスプーチンは
その責任の行き着く先にいる人物を許す気はなかった。
アナスタシアの髪を掴み、強引に前を向かせる。
﹁痛ッ﹂
﹁ここに、最初の暴虐を行う。この女が誰か、広場に集まった諸君
は判るか!?﹂
大仰に腕を広げ、彼女を示す。
﹁これはアナスタシア姫、アナスタシア・ニコラエヴナ・マリンド
ルフである!!﹂
民衆の既に真っ青だった顔が、更に悪化し蒼白となった。
救国の姫君アナスタシア︱︱︱知らぬ者などいない、生きた伝説。
かつて世界が帝国と共和国で二分し、終わりの見えない争いへと
泥沼化した時代。
未だ人が見たことのない大戦。苦痛と絶望が覆う世界。
そんな中、一人の騎士と共に旅立ち世に安泰を取り戻した娘がい
た。
1203
国を追われ、身分を失い、とある工房に匿われただの職人として
身を潜めていた彼女は、天才天士の男性と出会う。
﹃私の騎士となりなさい﹄
その言葉から始まる、世界再生の物語。
たった二人っきりの姫と騎士の旅。次第に仲間が増え、一勢力と
なり、そして遂には戦争の裏で暗躍する諸悪の根元を打倒する。
喜び涙する人々。しかし、その宴の時には既に彼らの姿はなく。
過去として語るには新しく、しかし様々な媒体、本や吟遊詩人、
演劇として誰もが慣れ親しんだ冒険譚である。
﹁古い英雄の鮮血を以てこの安穏と腐りきった時代を閉じよう! 今より、この女の処刑を行う!! お前達が救国の姫と讃え、祖国
の娘と愛したこれを殺めることで、我々の覚悟と悪を刻み付けよう
!!﹂
ハッピーエンドで幕を閉じたはずの物語。
しかし、その続きがそこでは行われていた。
悪が生き残りヒロインが処刑される。それは、物語で済ますこと
の出来ないセルファークに暮らす人々の悪夢だった。
誰もが祈っていた。物語と同じように、彼の騎士が現れることを。
﹁ナスチヤよ、なにか言い残すことはあるか﹂
﹁ないわ﹂
﹁それでは困る。貴様がアナスタシア本人だと世界に知らしめる為
に、肉声なしでは様にならない﹂
1204
ラスプーチンはアナスタシアを殴る。口の端から血を流す姫に、
人々は恐怖を通り越して怒りすら覚えていた。
﹁⋮⋮あえて言うなら、ま、悪くない人生だったわ﹂
アナスタシアの顔に憂いはない。訝しむラスプーチン。
﹁それだけか? 娘に言葉を残しても構わんのだぞ﹂
﹁その方が私だってはっきりするものね。残す言葉なんてないわ、
あの子のことは心配していないもの﹂
何故、とラスプーチンは目で問う。
﹁あの子には、騎士がいるもの﹂
﹁⋮⋮娘と共に機体に乗っていた少年か? 子供一人になにが出来
る﹂
彼の非凡な能力こそ垣間見ているラスプーチンだが、ただの強者
が組織に適うはずもない。事実、戦線に参加した七名の銀翼は紅蓮
の騎士団に敗北した。
﹁彼はこの世界で唯一、運命を変えるチカラを持った人間よ﹂
﹁バカバカしい。戯れ言以外にないのなら、さっさと終わらせると
しよう﹂
ラスプーチンが挙手すると、兵士達が杖を構える。
人々は悲痛に叫び、目を逸らし、泣いた。
1205
杖に集まる魔力。
アナスタシアは瞼を閉じ、しかし次の瞬間見開く。
﹁⋮⋮あなた?﹂
首都を、肌に触れた硫酸のような痛みを伴うほどの殺気が覆った。
あまりの殺意に呼吸困難となる民衆。ある者は倒れ、ある者は気
を失い。
日頃戦場とは無縁の者でさえ、その覇気はしっかりと感じ取れる。
それほど濃い殺気を浴びた紅蓮の構成員は、それだけで半数が戦
闘不能となった。
﹁なんだ⋮⋮なんだ、これは﹂
呆然と心なしか暗くなった空を仰ぐラスプーチン。
殺気の出所は一機の戦闘機。
広場へのアプローチを試みる亡霊であった。
﹁あの人、世間で語られているような白馬の王子様じゃないもの﹂
そう、その様はまるで︱︱︱
﹁むしろ、そうね⋮⋮鬼、かしら?﹂
1206
最強の戦闘機天士・ガイル。
せきよく
その実態は、死を振り撒く悪鬼であった。
﹃な、なにが紅翼だ、時代遅れの⋮⋮﹄
﹁黙れ﹂
まいづる
すれ違い様に、生存していた七機の舞鶴を皆殺しにし、ガイルは
狙い定める。
城前広場。人型機と民間人の奥に、アナスタシアとラスプーチン。
︵︱︱︱?︶
ガイルは数キロ先のアナスタシアの唇の動きを読み、姫の言葉を
受け取った。
﹁五秒間目を閉じろ、だと?﹂
妻の意味不明なメッセージを、だがガイルは実行した。まだ広場
まで距離はある、五秒なら問題ない。
瞼を下ろし、瞬間、乗機の亡霊が爆発した。
﹁な!?﹂
1207
正確にクリスタルを射抜かれ大破する亡霊。
それを成した攻撃は、光の矢の魔法だった。
そう、それはアナスタシアが最も得意とする魔法。
﹁なんで、どういうことだナスチヤ!﹂
高度が落ちる亡霊。浮遊装置を備えた機体は不時着など難しくは
なく、安全なポイントの軟着陸する。
実を言えばガイルは不完全ながらも判っていた。なぜ、妻が自分
の突撃を止めたかを。
﹁大した女だ、お前は﹂
痛みに眉を顰めるアナスタシアを、ラスプーチンはそう評した。
アナスタシアの左手親指は不自然な方向に曲がっている。関節を
外して鎖付き腕輪から手を抜き、魔導拘束から解放された片手のみ
で魔法を行使したのだ。
左手で持った光弓の弦を口で引き、ガイルを撃墜したアナスタシ
ア。
無論やりたくてやったわけではない。威力の小さな光弓魔法ライ
ト・レイだが、当たりどころが悪ければ当然死に至る。
ならばなぜ、危険を冒してまでガイルを止めたか。
それは、この場に敷設された魔法陣が理由だった。
1208
﹁無酸素結界⋮⋮芸がないわね﹂
﹁だが航空機に対しては有効だ、この上なくな﹂
広場に張られた結界。空気中の酸素を失わせることで、エンジン
を使用不能とするそれは航空機の天敵である。
﹁紅翼といえどエンジンの動かない機体では戦えまい﹂
﹁私が心配したのは、ここにいる人々よ﹂
アナスタシアはガイルが罠を承知で攻撃態勢に移ったと理解して
いた。
無酸素結界程度であれば夫なら突破したかもしれない、しかしそ
れも確実とは言えないし、民間人を巻き込むのは躊躇われる。
ガイルは経験から広場の罠に気付いていた。気付いた上で、特攻
を行ったのだ。
どのような布陣も打破出来るという自負以上に、姫を失うことは
彼の存在意義の喪失にほかならないのだから。
それを察しない妻ではないが⋮⋮
︵私より、娘を心配してほしいものだわ⋮⋮︶
心境複雑なアナスタシアだった。
﹁解せないな﹂
﹁貴方なんかとおしゃべりする趣味はないのだけれど、訊いてあげ
るわ。何が?﹂
1209
﹁何故そこまで自身の生死に興味を示さない?﹂
アナスタシアにこの場を乗り越えようという意志はあまり感じら
れなかった。また、それは事実である。
﹁生きるも八卦、死ぬも八卦よ﹂
﹁僧のようなことを言うのだな﹂
﹁それは貴方でしょう、怪僧ラスプーチン﹂
好き好んで死を待っているわけではない。しかし、彼女の運命を
覆すとすれば、それはガイルではない。
破裂音が、広場に響いた。
砲の発射音に似たそれに、戦闘員達は身構える。
ドリット城を掠め貫く白き翼。
﹁⋮⋮本当に起こるというの?﹂
︱︱︱奇跡が。
﹁ソフィー! あそこだ!﹂
﹁見えているわ!﹂
1210
﹁なら真上から強襲! 人型機部隊を叩く!﹂
﹁了解!﹂
一気に上昇し、高度三〇〇〇メートルへ。重力とエアブレーキに
て減速し失速、堕ちるかのように垂直降下へと移行する。
﹁どうするの?﹂
﹁慣性をナスチヤに向けて水平に移せるか!?﹂
﹁平気、空気のクッションを地面との間に挟めば!﹂
﹁頼む!﹂
話す間に迫る地上。高射砲の閃光弾を潜り抜け、一気に地上へ。
地面効果を存分に活用し機首を引き上げ、時速一〇〇〇キロにて
control︵お願い、レーカっ︶﹂
control!︵後は任せろ!︶﹂
have
have
紅蓮の人型機に迫る。
﹁|I
﹁|You
人型機へと変形する白鋼。突如変貌した敵機に困惑する間もなく
切り捨てられる人型機部隊。
︵速度を殺すな、勢いのまま飛び抜けろ!︶
予め勢いを付けていた白鋼は充分な運動エネルギーを蓄えられて
1211
いる。それに減速したところで、エンジンと脚による加速にて損失
は楽に補える。
︵飛び続けさえすれば、白鋼は誰よりも速い!︶
吹き飛ぶように解体されていく人型機。ラウンドベースとは打っ
て変わり、広い戦場を得た白鋼は速度を存分に活かし暴れ回る。
﹁無酸素結界を︱︱︱﹂
﹁止めておけ、奴には効かん﹂
結界発動を具申した部下を止め、ラスプーチンは白い閃光を睨み
付ける。
﹁なるほど、厄介だな貴様は!﹂
風を理解し飛び交う白鋼に、追いすがることの出来る機体などい
なかった。
一機また一機と両断される人型機。
一騎当千の勢いで暴れる乱入者に、誰もが、当人達ですら奇跡を
信じ始めていた。
﹁やれ﹂
起こらないからこそ、それは奇跡と呼ばれるというのに。
1212
アナスタシアの体を、無数の魔法が貫いた。
土魔法ブレイクショット。無数の小さな弾を撃ち込むこの魔法は、
近距離では極めて殺傷性が高い。
弾丸は柔らかいアナスタシアの体を容易く貫き、噴水のように血
が吹き出す。
﹁︱︱︱あ﹂
白い衣服は鮮血で染まり、アナスタシアはそれを呆然と見下ろし
た後に空を見た。
最期に見たかったのは、あの人が愛した空だったから。
しかしそらの半分はラウンドベースに覆われ、アナスタシアは困
ったように苦笑いを浮かべる。
﹁ひどいわ、もう﹂
こちらに手を伸ばす白鋼らしき人型機。
アナスタシアはそれに応じようとするも、体はもう動かず。
﹁またね﹂
それを最期に、彼女は血溜まりへと沈んだ。
1213
﹁いやああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!﹂
母の死を間近で見て、錯乱状態に陥るソフィー。
だが俺にそれを宥める余裕なんてなかった。
アナスタシア様が死んだ? まさか、そんなはずはない。
解析魔法にて彼女の体を透視。きっと、大事な部分には当たって
いない。
肝臓をやられ、肺に穴が空き、重要な血管が幾つか千切れている
だけ。
﹁う⋮⋮あ⋮⋮﹂
血が流れ出し、脳へと酸素供給が滞る。
﹁あああ、あああっ﹂
死んでいく。肉体ならなんとかなる、でも脳はどうしようもない。
﹁嫌だ、見たくない﹂
死んでいく。脳細胞が、自律神経が機能を停止していく。
﹁見たくない、見たくない!﹂
死んでいく。アナスタシア様が、ナスチヤが死んでいく。
﹁嫌だ、嫌だ、嫌だ、見たくない! 見たくないよぉ﹂
1214
死んでいく。アナスタシア様だった物が、肉になっていく。
﹁なんで、見たくないのに、嫌だああぁぁ﹂
解析魔法の暴走。意図しない解析結果が、俺に理解を強要する。
ナスチヤはもう動かない。ナスチヤはもう話さない。ナスチヤは
もう笑わない。
認めるしかなかった。認めなければ、逆に壊れてしまいそうだっ
た。
ナスチヤは死んでいた。
ナスチヤは、死んだ。
﹁う、わああ、ああああああああ
これ以降のことは、よく、覚えていない。
正義は勝つとは限らない。
この世界が異世界であると、俺はようやく気付いた。
魔物が闊歩し兵器が公然と存在するこの世界が、自分の知らない
世界だと一年も経ってようやく知ったのだ。
1215
アナスタシア
一人の女の死をきっかけに、この世界は再び混沌へと墜ちる。
これは、世界の行く末を賭けて多くの銀翼の天使達が凌ぎ合う物
語。
銀翼の天使達 プロローグ 完
1216
はじまりのおわり 2︵後書き︶
注意 四章ラストです。この話は鬱展開なので注意。
これ以降はある人の頑張りで、死者はそうそう出ない予定です。
ほのぼの路線にさっさと戻りたい。
1217
作者の落書き 4
作者の落書き4
彼女こそ脇役からチャンスを掴み取り、
<i61228|5977>
ご存知ないのですか!?
ヒロインの座を駆け上がっている、超帝国シンデレラ、リデアちゃ
んです!
レーカ君は彼女の容姿にデジャヴを感じていました。小説を最初
から読み直すと、その正体が判るかも。
<i61227|5977>
レッドアロウ
赤矢
帝国貴族の少年が資金に物を言わせ改修した機体。機体前後の三
枚のブレードは魔導術式が刻まれており、空気の層を作り熱や衝撃
波を受け流す。
物理的に防ぐのではなく、魔法的に方向転換させるので抗力も発
生しない。レーカの魔法と科学を切り離したハイブリッドエンジン
の考え方に近い技術。
この機体で颯爽と初出場初音速初優勝の栄誉を勝ち取るはずが、
出場したタイミングが悪かった。
1218
<i61229|5977>
荒鷹 高機動試作機 戦闘用ユニット追加型
試作された荒鷹のうちの一機であるカナード装備・三次元ベクタ
ードノズル装備の高機動試作機。低速度域での運動性は向上したも
のの、本来の目的であった効率的な飛行の成果が乏しく、また扱い
にくく高コストな機体となったことから量産型には反映されなかっ
た。
その後は実験機として使用され、また新たに銀翼となったギイハ
ルト・ハーツの愛機として改修された。高機動試作機の弱点であっ
た抵抗の増大による旋回後の速度低下を補う為、背負う形で先行量
産型荒鷹の吸気口とエンジンをひっくり返して短縮し装備。右吸気
口であるため本来ストレーキである、20ミリガトリングを内蔵し
た突起も同時に移植、武装化された︵本来ガトリングのある位置に
カナードを追加した為、戦闘機にするにはどこかに移植する必要が
あった︶。
背負ったエンジンは低速度域高出力にチューンされ、高い運動性
能と引き換えに航続距離・最高速度を失っている。
戦闘用ユニットはパージ可能で、ダメージを受けた際に投棄可能。
接続は機体上部のエアブレーキ裏側から行っているので、投棄後に
接続部が空気抵抗となることもない。この機構は戦闘中のダメージ
コントロールを考慮して⋮⋮ではなく、実験機と戦闘機を容易に切
り替える為の工夫である。
全体的に既存部品の寄せ集めだが、それはこの機体に限った話で
はなく、実験機は大抵の場合安く済ませる為に寄せ集めである。
<i61230|5977>
1219
アナスタシア様のイラストって少ないな、と思い描いてみました。
4章3話より。
⋮⋮実はマリアの方がもっと少ないですけれど︵ボソッ
<i61958|5977>
エカテリーナ
ギイハルトにloveゾッコンなエロフ。自由天士らしい。
作者がお色気キャラを描いたことがなかったので、なかなか苦戦
しました。
<i61959|5977>
マンフレート・リヒトフォーフェン。帝国貴族の長男であり、代
々軍人の家系。貴族故の傲慢さがあるものの、気のいい好かれるキ
ャラとして書けたらと思います。思いました︵過去形︶。
<i62552|5977>
イリア・ハーツ
ギイハルトの義理の妹。実は一章の時点で、義理の妹の存在がほ
のめかされているシーンがある。
翼を出すため背中の開いた服を好む。
1220
<i62553|5977>
ラスプーチン女体化イラスト
様々な作品で悪役ポジションのらぷちん。なんだか申し訳なく思
えてきたので、女の子にしてみました。これであの世のらぷちんさ
んも作者のことを許してくれるはずです。
<i63451|5977>
巨勇兵カスタム
シモ・ヘイヘの愛機。武装は152ミリ砲と80センチ砲。パワ
ー特化型に機体を改修する際に、ポルシェ博士なる人物が関わって
いるとかいないとか。
機体モデルはロシア戦車ギガント、80センチ砲はグスタフ列車
砲が元ネタ。
シモ・ヘイヘに戦車ギガントと列車砲グスタフとなれば国がチグ
ハグな印象があるが、帝国のイメージはドイツ×ソ連なので。あと
は作者の趣味。
<i63438|5977>
<i63453|5977>
1221
半人型戦闘機 白鋼
﹁元が飛行機だと判ること﹂
﹁デザインよりも機能性重視﹂
﹁それでいて格好良く﹂
﹁バリキリーや可変ガンダムとは別物
︵なので足エンジン禁止︶﹂
﹁格闘戦も考慮しガウォークで誤魔化すのは禁止。完全人型に﹂
﹁ストーリー上、現地改修で改造可能﹂
﹁登場シーンまで読者に人型に変形すると悟られないように、必要
なパーツを飛行機のデザインとして違和感なく組み込んでいく﹂
など多くの制約の上にデザインされた、この作品最大の問題児。
何度デザイン変更したか考えたくもない。しかしその末に出来た
姿がこの雄志である。
作者はこの完成案を見て思わず言った。
﹁き め え﹂
そりゃあもう、はっきり言った。声に出して言った。
ちなみにこれらのデザインやイラストは今年のGW中に描かれた
物である︵現12/16︶。
<i64429|5977>
紅蓮の騎士団
紅蓮の騎士団の皆さんの集合写真です。
遠くから撮ってます。赤い服を着ています。顔も赤く塗っていま
す。髪も赤く染めています。
しっかりと描き込んでいるのですが、カメラの性能が悪くて見え
ないのがとても残念です。
1222
<i64430|5977>
ちょっと早いですが、あけましておめでとうございます。
本編のシリアス? 私がそんなことを気にするとでも?
1223
地上船と国境の町 1
紅蓮の騎士団による共和国の崩壊、それから一週間後。
旧首都ドリットは多少治安が悪化しつつも、表向きは今まで通り
の生活が営まれていた。
それは紅蓮の騎士団の目的が虐殺そのものではなかったこと、民
間人が水面下の治安維持活動を行っていることなど多々の理由があ
る。
税が上がり法が変わったものの、思想教育が行われているわけで
もなく。積極的な民衆への介入がなかったことも理由の一つだ。
一見為政者が変わっただけ。しかし、人々は忘れてなどいない。
積み上げられた死体。昨日までいたはずの知人、友人、家族の不
在。
町近郊に浮遊するラウンドベースを睨み、そして目をそらす。住
人達はそんな日々を送っているのであった。
﹁死者約五万人、か﹂
戦闘による犠牲としては戦後最大だな、と続けるイソロク。
ガイルの実家である雑貨店。キャサリンがお茶を煎れると、イソ
ロクは読んでいた新聞を閉じた。
﹁どうじゃ、ここでの生活には慣れたかの?﹂
1224
﹁はい。私達を匿って頂き、心から感謝しております﹂
背筋をシャンと伸ばし立つキャサリン。その乱れない姿は、本物
の教養と経験を持ち合わせた真のメイドである。
静謐な彫刻のように美しい彼女に、イソロクは冷めた半目をやっ
た。
﹁きしょい。昔の生意気さはどこに行ったのじゃ﹂
﹁あ゛ぁあ? ⋮⋮私だって意気消沈することもあります﹂
一瞬素が出たが、それでもキャサリンは猫を被り直した。
多くの人が死んだ。身分の違いはあれど、家族・女友達と呼んで
構わないほど親しい関係であった女性も。
あんなことの後に楽しんで仕事をする気にはなれない。業務とし
て割り切ることで、滅入りそうな気を紛らわせているのだ。
﹁お前は大戦を経験しておるから耐性があるじゃろうが、な。娘さ
んはどうじゃ?﹂
﹁⋮⋮ご存じの通りです﹂
雑貨屋の角には掃除をするマリアの姿。しかし、そこにゼェーレ
スト村で見せた溌剌さはなかった。
沈んだ瞳のまま、体の覚えているままに働くマリア。キャサリン
の教育のたまものか心あらずでも仕事に抜かりはないが、その一角
だけ夜が早く訪れて闇が纏っているかのようだ。
﹁一週間、ずっとあんな調子です﹂
1225
﹁仕方があるまい、家族同然だった友人達と挨拶も出来ず離別させ
られてしまったのじゃ。子供には辛かろう﹂
いざという時の為、屋敷の大人達は非常事態用のマニュアルを用
意していた。
それに則っているとすれば、ソフィーとレーカはガイルに導かれ
他国へと脱出しているはず。キャサリンに出来るのは首尾が上手く
いったことを信じて、この雑貨屋で待つことだけである。
キャサリンは娘に歩み寄り、そっと背中をひっぱたいた。
パシーン! といい音を鳴らすほど勢いある張り手であった。
﹁痛たああぁぁぁ!?﹂
跳ね上がるメイド少女。
﹁いつまでウジウジしてるんだい、この馬鹿娘がッ!﹂
﹁⋮⋮いかん、不良メイドの忍耐が尽きおった!﹂
数センチまで目と目を近付けて、娘をコロス勢いで睨むキャサリ
ン。
その眼光は、もはや獣である。
﹁ひぃ!?﹂
﹁いいかい、今一番大変なのはアイツら、いーや、アンタの妹分の
あの子なんだよ!? 母親に死なれて慣れない逃走生活を余儀なく
されて、それを耐えきれるほど達観した子だったかいあの子は!﹂
﹁ソ、ソフィー⋮⋮﹂
1226
マリアの瞳からぽろぽろと涙が零れる。
﹁泣くなぁ!﹂
﹁ひゃう!?﹂
容赦ない母親である。
﹁おいおい、もっと時間をかけて⋮⋮﹂
﹁じゃかあしぃ!﹂
﹁⋮⋮すまぬ﹂
イソロクを黙らせ、再びマリアに説く。
﹁私もあんたも非戦闘員だ! 政治も戦いも判らない、そんな女の
戦いはなんだい!?﹂
マリアは思い出す。
てくれた
で寝てしまった時なんかも毛布をかけ
﹃格納庫の掃除をしてくれたり、図面を引いている時にお茶を煎れ
てくれたりしてくれた。机
てくれた。あんな時間まで俺の様子を気にしてくれてい
んだって、嬉しかったんだからな﹄
1227
ぽっと、少女の顔に朱が差す。
﹁いや待て、なんでそこで女の顔になる?﹂
胡乱な目となるキャサリン。
﹁⋮⋮そうよね、私は私のやれることをやる、それだけよ﹂
マリアは拳を握り締める。
﹁私、立派なメイドに⋮⋮いいえ、何でも出来るような人間になる
わ!﹂
メイドの枠を越え、友人達を全般的にサポート出来る人員となる。
それが、マリアの答えだった。
﹁何でも出来るような人間⋮⋮そんな野暮な言い方しちゃいけない
よ﹂
ニカッと笑うキャサリン。
﹁そういう奴を、いい女っていうのさ!﹂
﹁お母さん! 私、いい女になる!﹂
﹁結論出たのかのう?﹂
急に熱血青春を始めた母娘に、マリアがキャサリンの娘だと再認
識するイソロクであった。
1228
﹁夕食の買い出しに行ってきます!﹂
﹁おう、行ってきな!﹂
カゴを掴んで外へ駆けていくマリア。しばし後に、外から声が聞
こえてきた。
﹁姉御じゃないっすか、チューッス!﹂
﹁お出かけですか、姉御!﹂
﹁買い物っすね! お送りしやす!﹂
﹁あ、姉御って呼ぶなー!﹂
なぜかマリアを姉御と呼び慕う若者達︱︱︱ドリット最速連合。
今や彼らが首都の治安を守る要、治安維持活動の中心戦力である。
﹁やれやれ、ソフィーの他にもう一人孫が出来たみたいで微笑まし
いがの﹂
﹁甘やかさないで下さいね﹂
﹁善処しよう⋮⋮お茶のおかわりを貰おうか﹂
恭しく一礼し炊事室へと移動するキャサリン。
彼女の背中を確認し、イソロクは新聞に挟まれていた報告書を読
む。
1229
﹁やれやれ、紅蓮の亡霊か。面倒なことになってしまったな﹂
国境の町、フィーア。
一大貿易拠点であるこの土地に、巨大な船が迫る。
地面スレスレを疾走する船。そのサイズは全長約一〇〇メートル、
中型級飛宙船と変わらない大きさだ。
レールの上を走るそれは、つまりは地上ギリギリを飛行する航空
機であった。
セルファークにおいて地球でイメージするような地上輸送手段、
鉄道は存在していない。飛宙船の方が速く、大量かつ、安全に運べ
るからだ。
しかしそれでも、高速船というジャンルにはニーズがある。
飛宙船の最高速度は時速一〇〇キロ。だがこれは理論値であり、
実際は海上船とそう変わらない速度で運行される。移動にはかなり
の時間がかかるのだ。
物資や貨物はともかく人間が船内で長時間過ごし移動するのは、
時に追われ生きる者にとって途方もなく非効率的。
それでは満足出来ない人々の為に開発されたのが、地上船である。
その日のうちに目的地へ。時速数百キロで爆走する、地上最速の
交通手段。
地面効果翼機
﹁つまるところエクラノプランだな。レールの上を走るからエアロ
トレインか?﹂
1230
速度が落ちたことで揚力を失い、浮遊装置にて浮力を補いつつ駅
に滑り込む地上船を見つめ、俺はぽつりと呟いた。
外見は中型級飛宙船。両脇に小さな翼を付けた船、そんな乗り物
である。
地面効果翼機。カスピ海の怪物と呼べば、聞いたことがあるかも
ソードシップ
しれない。
飛行機が極めて低空を飛ぶと、地表と翼の間に空気のクッション
が出来て浮力が大きく増す。この前提で敢えて﹁極低空のみ﹂を飛
ぶ設計で建造されたのが地面効果翼機だ。
飛行機は飛宙船とは違い浮遊装置を使用しないので、積載量が少
ない。しかし地面効果翼機ならば積載量を維持したまま高速化が可
能。
そういった理由で、セルファークでは地上船がそれなりに実用化
されている。日本の鉄道ほど張り巡らされてはいないが、大都市同
士は繋がっているのだ。
﹁おい、行くぞ﹂
冒険者風の装いをした変装ガイルに急かされ、彼の背中を追いか
ける。
﹁今日は宿に泊まるんだよな?﹂
﹁ああ、地上船に乗るにも準備が必要だ﹂
﹁良かった。ソ⋮⋮ソニアの疲れが大きいからな、これ以上の野宿
は無茶だ﹂
俺が手を引くフードを被った少女。咄嗟に誤魔化したが、無論ソ
フィーである。
1231
﹁⋮⋮平気﹂
そう強がるも、足元はおぼつかなく瞳には疲労の色が強い。
ここ一週間、彼女はこの調子だ。いや、それが当然なのだ。
母親を殺され、家族と引き離され、不慣れな逃走生活を強いられ。
そんな中で弱音一つ吐かないのは、強さを通り越して危うさすら
覚える。
﹁ぐずぐずするな。早く﹂
急かすガイル。
どうやらガイルは、冷徹に務めることで平静を保っているようだ。
どこまでも理屈優先。甘えも妥協もなく、安全を求め移動してい
る。
それは命を守る為には間違いではない。ソフィーの心情すら度外
視しているが、命には代え難い。親としては嫌われるより死なれる
方が辛いだろう。
妻に死なれたのは、彼とて同じなのだ。
全員焦燥していた。俺だってそうだ。
ガイルの負担とならない程度にソフィーを優先させる。俺に出来
るのはそれくらいだった。
この一週間、ガイルが眠っているところを見ていない。
1232
安宿の一室を借り、さり気なく壁の向こうを解析しつつソフィー
を寝かしつける。
﹁盗聴の気配なし⋮⋮あのエクラノプラン、じゃなかった地上船に
乗るんだよな?﹂
しろがね
﹁ああ、あれで国境を越える。白鋼の偽装は終わっているな?﹂
﹁終わってる、本当に外見だけだが﹂
﹁充分だ﹂
首都を発って一週間。俺達は遠回りで紅蓮の騎士団の目を欺きつ
つ、地を這うような逃走をしてきた。
白鋼の偽装と仕上げ。これらが旅の合間にガイルに指示されてい
た内容だ。
﹁白鋼、本当に必要なのか? 廃棄したって良かったのに﹂
楽に造れた機体ではないが、当然優先順位は命より下。﹁棄てて
いけ﹂と指示されれば素直に従うつもりだった。
だがガイルはこう主張する。
﹁あの機体は必要だ。もし俺がやられたら、お前達は帝国に紛れて
自由天士として生きろ。それが一番安全だ﹂
紅蓮の連中はガイルのことはどう思っているのだろう?
﹁ゼェーレストには、戻れないよな﹂
1233
﹁安全が保証されるまではやめておけ﹂
それって何時だよ、と返しそうになり、言葉を飲み込む。 ﹁⋮⋮マリア達に危険が及ぶ可能性は?﹂
﹁そりゃあるさ。だが俺が別れた後に無事に親父の店に入れたなら、
まあ、大丈夫だろう、たぶん﹂
歯切れの悪い物言いだ。まあ、気休め程度に安心しておこう。
彼女達が困っていれば、何が何でも助け出す。それだけだ。
﹁だが、なんで地上船なんて使うんだ? 空から強行突破すればい
いのに﹂
首都
﹁⋮⋮あのゴタゴタの後、すぐに首都を脱出したなら強行突破も可
能だったろう。ドリットに戦力が集中していたはずだからな﹂
武装を整えるガイル。地上では弱っちいので気休めだが。
ナスチヤが死に⋮⋮殺されて、唯一まともに動けたのはガイルだ
けだった。
俺もソフィーも混乱し、ガイルの足を引っ張りつつの逃走劇。結
果初動が遅れ、捜索隊に国境へと回り込まれてしまった。
﹁もう遅い。国境の空には常に上空待機している敵がいる、見つか
らずに突破するのは不可能だ﹂
﹁出来そうなもんだが⋮⋮っていうか、内部協力者とかいないのか
? 包囲網の抜け穴教えてくれそうな﹂
1234
現在の紅蓮の戦力の大半は、渋々従っている元共和国軍人だ。ガ
イルなら知り合いもいるだろうし融通してもらえば楽なのに。
﹁そういう裏切りそうな奴を、国境に派遣すると思うか? 仮に配
備されていても、人員名簿を見ない限り接触して協力を取り付ける
ことは無理だ﹂
それもそうか⋮⋮いや、そもそも前提がそもそも謎だ。
﹁なんで見つかったらマズいんだ? いいじゃん、超音速で振り切
れば﹂
さすがに帝国の領空にまで追跡してこないだろうし。
﹁紅蓮の連中に帝国に対する戦争の口実を与える気か? 例えバレ
バレだったとしても、俺達⋮⋮ソフィーが帝国領地に入る瞬間を見
られるわけにはいかない﹂
﹁見られるのがアウトなら、向こうで自由天士業なんて論外だろ。
白鋼乗ってたらすぐ見つかる﹂
半人型戦闘機は世界に白鋼ただ一機なのだ。今のように輸送する
だけならともかく、稼働させれば話は広がってしまう。
﹁帝国内では手は出せないさ。同姓同名他人の空似と言い張れば、
政治的にはなにも言えない。問題はあくまで国境を越える瞬間を見
られないことに集中する﹂
向こう側に行けば一息付けるってことか。
1235
﹁まだ共和国内だからな、油断はするなよ﹂
﹁わかった﹂
大国の首都を陥落させた連中だ、やるつもりなら奇襲攻撃の後に
宣戦布告くらいやりそうなものだが。
﹁そういえば、俺達を探しているのは軍人だけだよな﹂
﹁どういう意味だ?﹂
﹁いや、ギルドなんてものがあるのだから、指名手配すればいいの
に﹂
﹁女王に据えようって人間を、一時的とはいえ指名手配犯に出来る
と思うか?﹂
確かに。
﹁⋮⋮結局、ガイルって何者なんだ?﹂
﹁さぁな﹂
﹁ナスチヤが帝国のお姫様だったってことは判った。でも、ガイル
の伝手はむしろ共和国側に多いように見える﹂
城の騎士達の反応、ギイが共和国軍のテストパイロットであるこ
と、ガイルの父親がドリットに住んでいることなどなど。
﹁俺は、ただの騎士だ﹂
1236
嘘吐け。
﹁⋮⋮ああ、そうかもな。姫を守れなくて騎士なんて名乗れないか﹂
﹁そういう意味で言ったんじゃ⋮⋮﹂
﹁主を守りきれなかった騎士ほど、惨めなものはないぜ﹂
自嘲するガイルに、俺はいたたまれなくなる。
﹁⋮⋮すまない﹂
﹁なにが、だ﹂
﹁俺が大陸横断レースに出たいって言ったから⋮⋮ナスチヤは﹂
俺は、彼女の死の一因だ。
﹁馬鹿なことを言うな。ヨーゼフという奴がナスチヤを見つけ出し
たんだろう? 状況的に、お前の有無に関わらずヨーゼフはゼェー
レストを訪れていた。経過は変われど、結果は変わらん﹂
避けようはなかったっていうのか、ナスチヤが死ぬことは。
﹁あまり変なことを考えるな﹂
﹁うん⋮⋮情報収集してくるわ﹂
﹁おう﹂
1237
ガンブレードを背負い、部屋を出る。
扉の前で一度振り返った。
小さな部屋。みずほらしい部屋だ。
掃除は行き届いていないし、設備も粗末。
共和国首都でのホテルと比べ、あまりにも見劣りする部屋だ。
これが、こんなのが今の俺達の立ち位置なんだろうな。
いつかキョウコに教わった通り、情報収集といえば酒場だ。
子供の俺が酒場へ赴くのは少し無理があるので、少しキャラを作
る。
﹁マスター、エクソシスト一つ﹂
﹁⋮⋮エクスプレッソ、でいいのか?﹂
﹁ほう、この町ではそう呼ぶのか﹂
歴戦の冒険者、に憧れる子供風である。
入店した際は﹁なんだコイツ﹂みたいな視線を向けていた大人達
も、俺の気取った仕草に興味を失った。
背中の巨大な剣も、子供が持てばハリボテにしか見えなくなる。
実際は身体強化魔法を常時使用しているのだが。
1238
﹁世界中どこでもそう呼ぶ。お前は別の世界から来たのか﹂
﹁あ、コーヒーは大盛りでね。⋮⋮大盛りで頼もうか﹂
素直に大人のガイルが行けばいい、というわけでもないらしい。
どこで顔がバレているか判らないとのことだ。
これらの理由で、情報収集は俺が担当することとなった。生身で
は俺の方が強いし。
﹁そんな注文をされたのは、店を開いて以来初めてだぜ⋮⋮﹂
微妙に確信に迫っているマスターの言葉を聞き流しつつ、砂糖と
ミルクをガバガバ入れてチビチビ飲む。
﹁うわぁ、こいつ長居する気満々かよ﹂
﹁マスター、かつての約束、今果たしてもらうぞ︱︱︱﹂
﹁初対面だろお前。ガキの相手をしていられるほど暇じゃないんで
な﹂
﹁ククク、闇の教団の手がそこまで迫っているようだ︱︱︱﹂
肩を竦め離れるマスター。思春期の子供のように妄想混じりの台
詞を呟きつつ、魔法で客達の会話を盗み聞く。
﹁隣の家で犬が子供を産んでよ、小さくてまたラブリーでな﹂
﹁あの家って貧しいだろ? 育てるのは無理だろうし、ちゃんと引
き取り手がいるのかな﹂
1239
﹁飼い主探しを手伝うとしようか﹂
﹁なあに、いざとなれば俺達が育てればいいさ﹂
なるほど、子犬が八匹、と。
こっそりとメモる。
﹁今日の依頼はきつかったな﹂
﹁ああ、大きな庭の草むしりは冒険者雇うよな、そりゃ﹂
﹁腰いてぇ﹂
﹁俺達最近冒険してないよな、冒険者なのに﹂
郊外のお婆さんの家は草むしりしたて、と。メモメモ。
気になった情報を書き連ねつつ、カウンター席にて小一時間粘る。
﹁お前、なに描いてるんだ?﹂
﹁図面﹂
情報収集飽きた。
追加外装式人型形態強化パーツの図面を大まかに書く。そのうち
製作しなければ。
﹁⋮⋮さて、そろそろ行くか﹂
﹁やっとか。出てけ出てけ﹂
1240
コーヒー一杯分の金を払い、店を出る。
︱︱︱背後より俺に接近する気配あり。
︵何者?︶
解析魔法にて武器の有無を確認。女性だ、あれ、この身体データ
見覚えがある。
﹁︱︱︱あ、あの!﹂
﹁フィオ、さん?﹂
振り返れば、そこにいたのはドリットのホテルで知り合った女性
あらだか
であった。
荒鷹の設計主任であり、⋮⋮かつて、ガイルを騙した女。
あの時は純粋に設計者として尊敬の目を向けていたが、ナスチヤ
にあの話を聞いた後ではどんな風に見ればいいか判らない。
幻覚魔法にてナスチヤに姿を変え、実際にやっちまったんだよな。
目を反らしたい気分になりつつも、さすがに失礼なので堪える。
﹁お久しぶりです。フィオさんはなぜここに?﹂
﹁あんなことになって、共和国にいたら何を作らされるか判りませ
んから⋮⋮帝国に避難しようかと﹂
それなりに貯金はあるだろうしな。賢明だろう。
事実、この町は帝国に逃げようとする人々で溢れている。俺達も
安い部屋を探すのは大変だった。
1241
﹁ところで、たいちょ⋮⋮あの人は今どこにいるのでしょう?﹂
隊長、ガイルか。
﹁あっちの宿にいるけど﹂
﹁そうですか﹂
嬉しげに頬を染めるフィオ。
﹁⋮⋮まさか、会いに行こうだなんて考えていませんよね?﹂
﹁え、駄目ですか?﹂
きょとんと首を傾げる彼女に、俺は頭痛がするような気分だった。
﹁やめてください、ソフィーもいるのに。っていうか会ってどうす
る気ですか﹂
互いの無事を確認しあう、というなら止めはしない。
けれど、今の彼女の顔はそんなのじゃなかった。
恋慕する女の顔。そんなのを見せる人を、ガイルの前に通すわけ
にはいかない。
﹁隊長も落ち込んでいるでしょうし、慰めてあげようかな、と﹂
頭痛を通り越して、脳の血管がぶちぎれそうだ。
﹁ナスチ、アナスタシア様の後釜に収まろうとか考えているんじゃ
ないだろうな﹂
1242
﹁えっ、いえ、そんな﹂
図星という顔をするフィオ。
﹁でもソフィーちゃんにはお母さんが必要でしょうし、それに⋮⋮﹂
ナスチヤが彼女を嫌っていた理由がよく解った。
﹁絶対に来るな﹂
ドスの効いた声で、はっきりと告げる。
﹁俺達の中にお前の居場所なんてない。二度と関わるな﹂
美人に対してここまで強く言うあたり、俺もストレスが溜まって
いたのだろう。
女性を苛立ちの捌け口にすることに自己嫌悪するも、考えは変わ
らない。
﹁そ、そんな、どうして﹂
﹁わかったな!?﹂
﹁ひっ﹂
恫喝すると、小さく飛び跳ねてフィオは頷いた。
これじゃあ俺が⋮⋮まあ俺も悪い部分はあるが、くそっ。
やれやれと色々な方面に嘆息していると、背中になにかがぶつか
った。
1243
﹁お母さんを虐めるな!﹂
﹁ん?﹂
少女だった。
フィオの面影を持つ、俺と同じくらいの女の子。
彼女を母と呼ぶ、ということは。
﹁そうか、君が︱︱︱﹂
︱︱︱ソフィーの妹、か。
﹁お母さんに酷いこと言ったわね!﹂
﹁い、いや、﹂
﹁ファルネ、いいから⋮⋮﹂
ファルネ・マクダネルが彼女の名か。
﹁お母さんは優しくて立派な人なの! それに凄い飛行機を作った
りしているんだから!﹂
﹁すまん、なんだ、ごめん﹂
子供に言われてはばつが悪い。親を否定されれば気分が悪いのは
当然だ。
そういえば、ナスチヤにも娘には優しくしてあげてほしいと頼ま
れていたっけ。
1244
﹁とにかく、訪ねてくるなよ﹂
最後に吐き捨て、踵を返す。
﹁はい⋮⋮﹂
俺を睨む少女の視線をヒシヒシを感じる。こっちが悪者みたい。
﹁おいおい、餓鬼が女泣かせてるぜ、ハハッ﹂
軽薄そうな声が後ろから聞こえた。
どうやらチンピラか何かがちゃかしているようだ。今更振り返る
のも癪なので、解析で最低限経緯を把握する。
﹁おかーさんをいじめるな∼、だってよ!﹂
﹁なによ!﹂
﹁ファルネ、やめなさいっ﹂
穏やかじゃないな。
男がニヤニヤと笑いつつ、少女の頭をひっぱたいた。
⋮⋮今、何をしたコイツ!? 云われなく暴力を振るったぞ!?
思わず振り返り男を睨む。
︵︱︱︱この制服は︶
赤を基調とした騎士服。ラウンドベースの中で見た、紅蓮の騎士
団だ。
1245
﹁何するのよ!﹂
﹁あ? なんだ、俺に意見するのか?﹂
﹁すいません、すいません⋮⋮﹂
必死に頭を下げるフィオ。
﹁お母さん、なんで謝るの!?﹂
﹁いいからっ﹂
﹁おお、よーく解っているじゃないか。そうだ、紅蓮の騎士団から
派遣された俺に逆らえば、どうなるかわからんぜ?﹂
︵⋮⋮駄犬が︶
これがお前達のやりたかったことか、ヨーゼフ。
﹁へえ、よく見ればいい女じゃないか。お前、今晩俺の部屋に来い﹂
﹁ひぅ、そ、その、﹂
﹁なあいいだろ? 最高の気分にしてやるぜ﹂
﹁い、いや、助け⋮⋮﹂
怯えつつも頷かないフィオに、監督官の男は苛立ちを露わにした。
1246
﹁てめぇ! 俺が﹁いい加減に︱︱︱﹂﹂
⋮⋮しまった。
思わず、口を挟んでしまった。
ぎろりと俺を見やる男。こんなチンピラまがいに今更ビビりはし
ないが、争い事を起こすのはまずい。
﹁なんだ餓鬼、まだいたのか。そのチビはやる、失せろ﹂
苛立ちで目眩すら覚える。背中のガンブレードを抜き放ち、ショ
ットガンで脳天打ち抜きたい。
﹁う⋮⋮﹂
散弾
ナスチヤが魔法に射抜かれた光景が脳裏に蘇り、思わず頭を押さ
えた。⋮⋮ショットガンはやめとこう。
俺から興味を失い、フィオの体に手を這わせるチンピラ。
﹁やめ、て﹂
ぎゅっと目を閉じるフィオ。
﹁⋮⋮⋮⋮!﹂
どうする。
暴力で黙らせることは容易い。だが、確実に大事になる。
なら︱︱︱いや、そもそも最善を尽くすのであれば、関わること
自体が下策。
どうする、穏便に収める方法はなにかないのか︱︱︱
1247
﹁お願いします﹂
︱︱︱これしかない。
頭を下げる。
﹁その人に、酷いことをしないで下さい﹂
深く、深く頭を下げる。
﹁知るか、なんでお前なんかに意見されんきゃいけないんだ﹂
﹁お願いします。﹃母﹄がぶつかった拍子に貴方に怪我をさせてし
まったというのなら、﹃慰謝料﹄もお支払いします﹂
こんな奴に頭を下げるなんて。
悔しい。悔し過ぎる。
けれど、俺には守る人が、守れる人がいる。
一時の恥辱など、飲み込んでみせる。
これが、俺に出来る妥協点。精一杯の無力な抵抗だった。
﹁ほー、そういや確かに骨が折︱︱︱﹂
﹁監督官様!﹂
兵士が駆け寄ってきた。
﹁捜索の件ですが、それらしい人物がいたという証言が取れました
!﹂
﹁なに、チッ⋮⋮くそ、どっちだ!﹂
1248
﹁あちらです!﹂
ガイルが見つかったのかと身を固くするも、兵士が指差した方向
は見当違いのものだった。
駆け出す監督官。兵士は監督官の背中を確認し、そっと頭を下げ
る。
︱︱︱助けてもらった、らしい。
やはり元共和国軍人は紅蓮に対して好意的ではないのだな。
だからこそ、助かった人も沢山いるのだろう。今の俺のように。
この国を放置して逃げてもいいのだろうか、と考えが過ぎり、す
ぐに振り払う。これは最早傲慢だ。
共和国の為に何かアクションを起こすとしても、俺が一人になっ
てから。ソフィーを巻き込めない。
﹁レーカさん、でいいでしょうか?﹂
﹁あ、あぁ、いいけど﹂
﹁レーカさん。ありがとうございました﹂
﹁俺は何もしてないだろ﹂
謙遜ではなく、本当になにもしていない。
﹁⋮⋮さっきはすまなかった。でも、ガイルに会うのはやめてくれ﹂
﹁⋮⋮はい﹂
怒鳴り、一方的に拒否するのは誉められた行為ではない。
1249
﹁宿まで送るよ﹂
﹁いえ、大丈夫です﹂
手を繋いで去りゆく母娘を見送り、俺も宿へと戻った。
結局、フィオと出会ったことはガイルには話さなかった。
1250
地上船と国境の町 1︵後書き︶
後半はまだ書き終えていません。しばしお待ちを。
1251
地上船と国境の町 2︵前書き︶
一日遅れながらも後半完成!
1252
地上船と国境の町 2
翌朝。
﹁ソフィー、ほら起きて﹂
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
起きようとしないソフィーの布団を引っ剥がし、なんとか自主的
に着替えるように促す。
旅の間、不自然なほど聞き分けのよいソフィーだが朝だけは別だ。
布団から出てこようとせず、身を起こしてもなかなか着替えよう
としない。
ソフィーは朝が弱いが、怠惰なわけではない。ほっといても定時
に起きてしばらく後に行動を開始するような子だ。
きっと、朝に目を醒ましても母親がいない現実を見たくないのだ
ろう。着替えをしないのも、それが母親の手を借りて行う習慣だっ
たから。
着替えている途中で泣き出してしまうことも多々あった。
﹁櫛、クシ⋮⋮ああ、あった﹂
短くなってしまった髪を梳きつつ、彼女の意識が覚醒してくるの
を待つ。
﹁ほら、これを着て﹂
1253
﹁⋮⋮うん﹂
緩慢な動きで受け取る。
髪を切った件に関して、ガイルに尋ねられはしたものの怒られは
しなかった。怒られたら怒られたで理不尽だが。
服はガイルが着替えさせてもいいのだが、これから否が応でも大
人になる必要があるという判断で一人でやらせている。
なんで十一歳の子供に大人であることを求めなきゃいけないのか
ね、世の中ってやつは。
﹁レーカ、地上船は昼には出発する。今のうちに白鋼を積み込んで
おけ﹂
﹁わかった。いってきます﹂
ストライカー
ギルドに停泊しておいたレンタルの小型級飛宙船に乗り込み、駅
へと向かう。
エクラノプランの貨物室は広い。金さえ払えば人型機だって何機
も運べるし、事実利用する自由天士もそれなりにいる、基本的なサ
ービスの一つだ。
地上をゆく逃避行だった為、白鋼は飛行機形態となり小型級飛宙
船の荷台に載せて運んできた。最近の戦闘機は大型化が進み小型級
では運び難いが、自由天士の乗る機体はほとんどが一世代前、大戦
時の小柄な機体なのでこうやって運ぶのは珍しくはないのだ。
1254
巡航飛行形態
ただ、可変翼機そのものは珍しいのでジョイントの隙間を隠し、
後退翼に固定している。飛べることは飛べるのだが、性能はイマイ
チだ。
横からはみ出た白鋼の翼端をぶつけないように気を付けつつ、町
の中心である駅に入る。
船の窓から身を乗り出し、ゲートの詰所に腕を伸ばして書類を係
員に渡す。
﹁すいません、コンテナを借りた者ですが﹂
﹁子供?﹂
﹁親父の代理です﹂
ガイルとは親子設定。
﹁あぁはい、これでよしっと。誘導員の指示に従ってコンテナに入
れてね﹂
﹁はーい﹂
白鋼をコンテナに移し、飛宙船はレンタル業者の支店に返却する。
やれやれ、エクラノプランなんて純粋に旅行で見れたなら、どれ
だけ楽しめたことか。
1255
電車が動き出す瞬間とは、どうしてもワクワクしてしまうものだ。
こんな状況で不謹慎かつ危機感が足りないのは自覚しているが、
こればかりは生来のものだ。仕方がない。
借りた客室の窓から外を眺め足をバタバタさせていると、ガイル
に頭をひっぱたかれた。
﹁はしゃぐな、アホ﹂
俺を見るガイルも心なしか微笑ましげだ。帝国に入ってしまえば
危険が激減する、彼も若干気が緩んでしまったのだろう。
﹁こんな風になっているんだな、旅客船の中って﹂
数席分並んだ椅子が対面式に配置され、個室として壁で区切られ
ている。コンパートメント席、だっけ。
﹁大抵はこういう配置だぞ、船の中は。お前の世界では違うのか﹂
﹁席は全部前を向いていて、仕切りはなかったよ﹂
﹁ふぅん﹂
頬杖をついて外を眺めるガイル。
エクラノプランは地上を走る飛行機だ。その特性上、一度動いて
しまえば止めにくい。
ここまでくれば検問は突破したようなもの。緊張も途切れるとい
うものである。
﹁ところで、ソフィーは?﹂
1256
﹁ここだ﹂
ガイルは大きな鞄を軽く叩く。モゴモゴと中身が動いた、なんだ
なんだ?
留め金を外すと、ソフィーの頭が飛び出した。
﹁ぷはっ﹂
﹁⋮⋮無銭乗車?﹂
小柄な少女だから出来る芸当だな。まるで難民みたいだ⋮⋮難民
そのものか? いや、亡命の方がニュアンスは正しいだろうか。
もぞもぞと這い出てきたソフィーに手を貸しつつ問う。
﹁チェックがあったのか?﹂
﹁見た限りはなかったが、俺は気配を探るのは苦手だからな。注意
するに越したことはない﹂
笛が鳴り響き、船が浮上する。
外に見えるプロペラが回転し、徐々に地上船は加速しだした。
﹁思ったより揺れないな﹂
﹁ほとんど浮いているんだ、当然だ﹂
みるみる加速する地上船。重い割に軽やかな発進だ、地上との抵
抗が少ないからか?
浮遊装置が停止し、完全に自らの浮力による飛行に移行する。
1257
﹁新幹線より速いんだよな、これ﹂
﹁シンカンセン?﹂
﹁新幹線っていつまで﹃新﹄を名乗るんだろ﹂
﹁人がその名を忘れるまでだ。それより、船内に軍人がいないか確
認しておけ﹂
解析魔法にて船に乗る全員の装備をチェックする。もし軍人が紛
れていれば、必ず物騒な物を持っているはずだ。ボディーチェック
すらかいくぐろうと、俺の解析は抜けられない。
﹁大丈夫、全員カタギだ﹂
﹁そうか、なら腹拵えとしようか﹂
昼ご飯に駅弁を腹に納め、俺だけ廊下に出る。
目的地は白鋼が収まった貨物室のコンテナである。
ソードストライカー
ラウンドベース内で改修した半人型戦闘機・白鋼は、あの時点で
は未完成品だった。
設計上問題があるという話ではなく、急拵えなので色々と雑なの
だ。
具体的にいえば、機体下面のミスリルブレードを外すと中身が丸
1258
見えだったりする。
それはさすがにみっともない。というか、壊れる。
機械の外装に求められるのは装甲的な強度だけではない。粉塵・
水といったトラブルの原因から中身を守るという大切な役割がある。
急ぎだったので剥き出しのまま戦闘を行ったが、あれはいつ機構
に支障をきたしてもおかしくはない危険な行為だったのだ。
﹁外面の仕上げ、イメージリンクの実装、重心の調節⋮⋮﹂
狭いコンテナ内にて作業を進める。
コックピット側面の﹃白鋼﹄の字は消した。あまりにも目立つ。
代わりにパーソナルマークでも描こうかな、暇な時に。
﹁戦闘機に改造するといってもな⋮⋮余剰スペースないんだよ、コ
レ﹂
ガトリングとまではいわないが、機関砲くらいは欲しいものだ。
だが装備したとして、ソフィーに引き金を引かせるのか?
ソフィーはあくまで操縦担当、俺が撃つタイミングを⋮⋮現実的
ではないか。
﹁装備するとして、機体の外にガンポッドとして外付けするしかな
いな﹂
機首に載せるのが理想だが、機首には人型形態の腕が収まってい
る。空間なんてない。
ガンポッドとは爆弾や燃料タンクのように、胴体下部や主翼に搭
載する後付け機関砲だ。
ついうっかり設計段階で装備し忘れた場合などに搭載することが
多々あった、ベトナム戦争とかで。
1259
﹁ミサイル万能で済めば苦労しないぞ、っと﹂
おおよそ改修を終え、半人型戦闘機・白鋼は一応の完成とする。
武装を追加していくとすればほとんど外付けになるだろう。大陸
横断レース後は実験機として使う予定だったので、外部武装の拡張
性は高いのだ。
﹁エンジン換装は後回しだ﹂
魔界ゾーンラムレーズンエンジンは低速時のパワーが弱い。レー
ス機として妥協したが、人型機形態では踏み込みの加速に力不足を
感じた。
どんな出力域でも高い性能を発揮出来るエンジンを開発しなくて
は。一番の難題となりそうだ。
客室に戻ると、ソフィーとガイルが微妙な空気だった。
﹁⋮⋮なに、このジャック・ザ・リッパーがバック転に失敗したみ
たいな空気﹂
互いに視線を逸らしたまま、沈黙する両者。
ガイルの隣に座り、小声で訊く。
﹁どしたの?﹂
1260
﹁話が続かない﹂
倦怠期か、お前等は。
﹁いっつも娘ラヴだったろ。その調子でやれよ﹂
﹁⋮⋮勿論愛おしいさ、可愛いさ。でも、どうやってそれを表現し
ていたか、解らなくなった﹂
思い返すと、ガイルの愛情表現はナスチヤありきだった気がする。
むぅぅ。不器用な男だ。
対面するソフィーの隣に移動する。
﹁ソフィー?﹂
﹁うん。⋮⋮平気よ﹂
﹁平気平気言ってると、そのうち自分の限界が見えなくなってくる
ぞ﹂
平気なわけがない。
軽く抱き締めるも、ソフィーからの反応はない。
俺が頼りないのか、彼女が求めるのはそういうことじゃないのか。
なんにせよ、この離婚間際の夫婦みたいな空気は俺が耐えきれな
い。
﹁な、二人とも﹂
俺は提案した。
1261
﹁展望室に行ってみないか?﹂
飛行機が地上スレスレを飛行するのには、優れた技術とクソ度胸
が必要だ。
ソフィーやガイルならば容易くこなすそれも、一般人からすれば
縁のない世界。
そんな希有な経験を疑似体験する為、展望室には多くの乗客が乗
り込んでいた。
地上船の船首に展望室はある。ここからの光景は、全てが時速数
百キロで後ろに流れていく圧巻なものだった。
﹁速いなぁ﹂
﹁遅せぇよ﹂
﹁遅いね﹂
え、なにこの除け者感。そりゃ低空飛行で運河の中を飛ぶよりは
遅いけれど。
普通の人はこんな速度で低空飛行を体験する機会はない。だから
こそ、ここは乗客達に人気なのだろう。
遅いと評しつつも、なんだかんだでソフィーは気に入ったようだ。
大きな窓に張り付き熱心に景色を眺めている。
﹁ちょっと、いいか?﹂
1262
ガイルに手招きされて、ソフィーから少し離れた場所に移動する。
﹁ソフィー、どう思う?﹂
﹁可愛いな﹂
短髪もまたいいものだ。
﹁それは知っている。そうじゃなくて、なんだ、どうすればいいん
だろうな?﹂
心底困った様子のガイル。子供に訊くなよ。
﹁親子だろ、娘の気持ちとか多少なりとも解らないのか?﹂
﹁親父にとって娘なんてびっくり箱みたいなもんだ。パンドラの箱
と言い換えてもいい﹂
希望が残ってりゃいいんだけどな。
﹁悪いが、俺にも解らないよ。今のガイルは冷静に考えられる気分
じゃないだろ? ほっとくしかないんじゃないか?﹂
﹁だが⋮⋮俺は親だぞ﹂
﹁時間が解決する⋮⋮情けないけど、そんな程度しか縋れそうなも
のがないんだ、俺だって﹂
俺に相談してくる時点で、ガイルは相当追い詰められている。人
の心配を出来る状態ではないだろう。
1263
﹁帝国に着いたらゆっくり考えよう。気晴らしになるようなことを、
さ﹂
﹁⋮⋮そうだな﹂
乗客達がざわめいた。
トラブルかと思いきや、それは小さな歓声。
﹁ああ、見えてきたんだな﹂
﹁なにが?﹂
﹁鉄橋だ﹂
レールの遙か先に、深い谷を跨ぐ巨大な鉄橋が見えた。
﹁あれが共和国と帝国の国境だ﹂
﹁そうか、あそこを超えれば安全なのか﹂
見れば乗客の多くから不安ながらも安堵した様子が窺える。共和
国から逃げ出した人々だろう。
汽笛が鳴り響く。
途端、地上船は急激に減速しだした。
﹁なんだ、停まる気か?﹂
人々がよろけ転倒する中、ソフィーに一息に近付き体を支える。
1264
﹁こんなの普通の停車じゃない、緊急停車だぞ﹂
﹁そのようだな、一度部屋に戻った方が良さそうだ﹂
転がってきたガイルと頷き合う。
もうちょっとで国境を越えるっていうのに、いやだからこそ、か。
﹁︱︱︱検問だ﹂
想定していなかったわけではない。だが、可能性は低いと考えて
いた。
﹁地上船は動かすのも停めるのも大変だから、発進してしまえば一
直線だと思ったんだが﹂
﹁テロリストが利用客の都合を考慮するの?﹂
﹁経済的な問題さ、金の勘定が出来ない組織なら最初から破綻して
いる﹂
解析魔法によれば検問している軍人は一八〇秒でここに到達する
ペースで移動している。
客室に戻った俺達がまず行ったのは、変装とソフィーを鞄に詰め
込むこと。
﹁ソフィー、きつくない?﹂
1265
もぞもぞと動く鞄。ガイルが慎重に椅子の下の収納スペースにソ
フィー入り鞄を仕舞う。
その間も俺は着替えを続ける。
﹁うふ、どうこの美少女?﹂
﹁黙れ﹂
女装である。
性別を偽るのは変装の基本だ。メイクを変える程度では見破られ
る可能性が残るが、性別から変えてしまえば第一印象で除外してし
まうものだ。
子供の俺はまだ中性的なので、それらしい格好をすれば女の子に
も見える。自分の美少女っぷりが恐ろしいぜ。
﹁問題はガイルだぞ、一番普通な変装なんだから﹂
付け髭にカツラ、いかにもな変装だ。
﹁判っている、設定は祖父と孫娘だ﹂
﹁はい、お爺様﹂
若干のゾクゾク感を覚えつつ、俺達は上流階級の旅行者に化けて
順番を待った。
乱暴に扉が開かれる。
﹁おら、監督官様だぜー!﹂
1266
﹁っ⋮⋮!﹂
ガイルにすがりつく俺。入ってきたのは、なんと昨日のチンピラ
監督官だった。
﹁静かにしてもらえんかの、孫が怯える﹂
﹁るせぇ爺!﹂
怒鳴り散らし監督官は壁を殴りつける。その様子を後に続く兵士
はうんざりした目でみていた。
あれ、あの兵士は昨日助けてくれた人だ。
﹁ジジイとガキだけか!﹂
﹁見ての通りじゃ﹂
﹁ケッ! さっさと次行くぞ、あーめんどくせぇ!﹂
禄に確認もせず出て行こうとする監督官。よし、誤魔化しきった
︱︱︱
﹁なんで俺がこんな雑用を、おっと!﹂
監督官が、足元の鞄︱︱︱椅子の下の鞄を蹴った。
僅かに鞄から呻き声が漏れる。
︵︱︱︱!︶
膨れ上がる、隣の殺気。
1267
あまりに濃密なそれに、俺は思わずガイルの股間にエルボーを撃
ち落とした。
﹁おほぉ!?﹂
﹁あ? どしたジジイ?﹂
﹁な、なんでもござらんぞ、おぉ﹂
冷や汗を流し平常をアピールするガイル。顔は真っ青だが。
﹁⋮⋮そーかい、んじゃ次だ次﹂
手をヒラヒラ振って退室する監督官。
﹁ああ、そうだ。お前、こいつらの荷物検査しとけや。鞄から鳴き
声が漏れた、希少な魔物なんかを密輸してんのかもしれねぇ﹂
なんで、そんなことだけ几帳面なんだよ!?
立ち去る監督官。残った兵士だけが鞄を開けるべく屈む。
﹁失礼、見せていただきます﹂
どうする︱︱︱口封じしかないか?
この人は昨日世話になった人だ。恩を仇で返したくはない。
兵士が鞄を開こうとする。
︵くそ、なにか、状況を打開する方法はないか︱︱︱︶
罪悪感は当然あるが、でも家族の命にはかえられ、ない⋮⋮ッ!
1268
椅子の下に隠しておいたガンブレードに手を伸ばそうとして、ガ
イルに止められた。
﹁が、お爺様?﹂
﹁待て﹂
兵士が鞄の中を見て驚いた表情となり、そして苦笑しつつ呟く。
﹁アナスタシア様譲りの、見事な銀髪ですね﹂
直立し、ガイルに敬礼する兵士。
﹁やはり貴方でしたか。お久しぶりです、隊長﹂
﹁久々だ、元気だったか?﹂
え、知り合い?
﹁お陰様で。ラウンドベースが無様に傾く様︱︱︱奴らに一矢報い
るのを、自分もあの場で見ておりました﹂
兵士は一礼する。
﹁御武運を﹂
﹁感謝する﹂
返礼するガイル。
監督官達が下船し、地上船は再び動き出す。
1269
国境の谷を越え、俺達はようやく帝国領へと到着した。
旅の舞台は、帝国へと移行する。
それからしばらく後、フィーアにて。
﹁畜生、無駄なことさせやがって、俺を誰だと思っているんだ⋮⋮
!﹂
酒瓶を握りふらふらと歩く監督官。見つかりもしない人探しに、
彼の苛立ちは頂点に達していた。
大通りの中、昼間だというのに彼の周りだけは人がいない。面倒
事に巻き込まれたくないので皆離れているのだ。
それが、更に彼を苛立たせた。
﹁くそっ、おいお前! そこの女二人だよ!﹂
言い掛かりでも付けて女を部屋に連れ込もうと考えた彼は、しか
し二人が振り返ると絶句する。
﹁なんでしょうか? 私は忙しいのです﹂
﹁あら軟派かしらん? フフ、いい趣味ねぇ﹂
黒髪と金髪の、絶世の美女。二人とも耳が尖っている。
1270
そう、ハイエルフのキョウコとエルフのエカテリーナである。
﹁あ、えっと、なんでしょうねヘヘヘ﹂
酔いなど一気に覚めた。美女とは全てに勝る美酒である。
﹁あ、こっちからレーカさんの残り香が!﹂
﹁いやん、ギイったら私を置いて何処に行ったの?﹂
なぜこの二人が合流し旅を共にしているかは割愛するが、両者共
通の目的はつまり、意中の相手を捜すこと。
キョウコのハイエルフの域を超えた怨念じみた嗅覚により、ここ
まで追いかけてきたのだ。
﹁おい、あんたら無視するんじゃねぇよ!﹂
乱暴にキョウコの肩を掴む監督官。
刹那、彼女の怒気がマックスにまで上昇した。
﹁触れるな下郎、私の肌に触れていいのは彼だけなのです⋮⋮!﹂
そこから先は、一方的な暴力ショーであった。
﹁お、俺に手を出したらどうなると⋮⋮﹂
﹁やりますか? いいですよ? 一対一なら負けません、それを何
万回も繰り返せばいいことです﹂
ボコボコにされた監督官、そのズボンをエカテリーナは躊躇いな
1271
く降ろす。
﹁いやぁ!﹂
﹁きゃ、女の子みたいな声出しちゃって、かわゆいっ﹂
念を押すが、ここは通行のど真ん中である。
﹁あら? 言葉は強気でも、お稲荷さんは未使用なのねぇ﹂
くすくすと笑いつついてくるエカテリーナ。既に男のプライドは
ズタズタだった。
﹁な、お、俺は百戦錬磨だ、抱いた女の数なんて覚えてねぇ!﹂
﹁嘘吐いちゃダァメ。臭いで判るのよ。なんなら、私が筆卸しの相
手になりましょうか?﹂
﹁え、ほんと?﹂
キョウコが監督官に目隠しをする。
エカテリーナは喜々と鞄から棒状の何かを取り出す。
﹁昨日いいのを新調したのよ。ちょっと大きくてイボイボしてるけ
ど﹂
﹁い、いぼいぼ?﹂
﹁これ、魔力でグニャグニャ動くのよ? さあ、初体験といきまし
ょうか﹂
1272
﹁ちょ、なにを、アッー!﹂
教訓
綺麗な薔薇にはイボイボがある。
1273
地上船と国境の町 2︵後書き︶
こう、ビビッとなにかが舞い降りたのでタイトル変更です。ネ
タですが、評判が良ければ採用するかも。
もちろんあらすじは次回投稿時に戻します。ただのギャグです。
詐欺です。
1274
隠れ家と裏切り
﹁高い! なんで首都の倍の値段なんだよ!?﹂
﹁仕方がないだろ、こんな辺境で補給しようと思えばこんなもんさ。
しろがね
うちは混ぜ物なしだよ﹂﹁今時混ぜ物なんてあってたまるか!﹂
ソードシップ
ケチくさいと言うことなかれ。
飛行機を維持するのには金と物資が必要だ。白鋼のように繊細な
機体であれば尚更であり、出費は馬鹿にならない。
﹁払ってやれ、レーカ﹂
呆れ顔のガイルに窘められる。
﹁むぐぐ⋮⋮納得いかねぇ﹂
エアシップ
航空機用のオイルをちゃぷちゃぷと運び、買い取った中古のオン
ボロ小型級飛宙船に積み込む。
﹁整備物資とサバイバル道具、長期保存が効く食料⋮⋮山にでも籠
もるのか﹂
﹁さあな。俺も行ったことがないから、どんな場所かは知らん﹂
おいおい、まじっすか。
ガイルと肩を並べて海沿いの村を歩く。のどかなものだ、国境の
向こうであんな凄惨な事件が起きたとは思えない。
1275
﹁ソフィーは?﹂
﹁あそこだ﹂
ガイルが指を差す先には、露天商のアクセサリーを楽しげに眺め
るソフィーの姿。
良かった、笑顔を久々に見れた。
﹁なにか欲しい物があるのか?﹂
﹁え? うんん、そんなことはないわ﹂
首をブンブンと振るソフィー。嘘っぽい。
﹁いいんだぞ、値段も大したことはないし﹂
全てイミテーション、贋作だ。俺だって作れる。俺の方が綺麗に
作れる︵意地︶。
﹁じゃあ、これ⋮⋮﹂
指差したのは、シンプルなイヤリング。
﹁おっ、坊ちゃん彼女にプレゼントかい?﹂
﹁婚約者です﹂
﹁俺は認めねぇ﹂
1276
まだ諦めないつもりか、ガイル。
﹁ソフィーと結婚したければ、俺を倒せ!﹂
﹁うっす﹂
ガンブレードの柄を掴む。
﹁や、待て、それはやばい﹂
言い出しっぺはお前だろ。
﹁勝つよー勝ちにいくよー﹂
﹁調子に乗るな﹂
ぺしっと頭を叩かれ、そそくさとイヤリングを買うガイル。
﹁ありがとう、お父さん﹂
﹁はっはっは、気にするな娘よ﹂
しまった! さり気なく先を越された!
﹁なら俺からはこれをプレゼントだ!﹂
露天商の品棚から適当に一つ掴む。
ガラスの瓶に入った金色の玉。なにこれ、飴?
﹁精力剤兼興奮剤ですぜ﹂
1277
サムズアップする店員。
﹁ソフィーになにさせる気だ!﹂
﹁え、俺の責任?﹂
ぎゃーぎゃーと騒ぎ合う。
三人の間には、和気藹々とした空気が流れる。
帝国に入り、やっと俺達は自然に笑えるようになった。
ガイルの操縦にて、小型級飛宙船は海面スレスレを飛ぶ。
﹁どこに向かっているんだ?﹂
﹁海﹂
だから、ここが海の上だって。
﹁隠れ家だ。世界に何カ所か用意しておいた﹂
﹁ほう、それはまた浪漫な﹂
逃走ルートのことといい、用意周到なことだ。
1278
﹁どんな場所?﹂
﹁内容を整えたのはナスチヤだ。俺は場所しか知らない﹂
﹁⋮⋮そっか﹂
アナスタシア様。
もう少し、お世話になります。
外周数キロの小さな離島。
空から見れば上陸出来そうな場所もなく切り立った崖に囲まれて
いる、施設らしい施設もない。
偶然見かけたとしても、さして気にせず忘れてしまうような小島
であった。
飛宙船は切り立った崖の横穴に入る。
﹁おお、すげぇ﹂
そこは、島に食い込むように隠れた小さな浜辺だった。
三六〇度周りは岩肌で囲まれ、外界との接点は空と横穴だけ。
砂浜にはテントと椅子、そして電話があった。
﹁⋮⋮このテントが隠れ家?﹂
1279
身を隠すという目的は果たせそうだけれど、しょぼーい。
﹁ナスチヤのことだ、なにか仕掛けがあると思うが⋮⋮﹂
気になるのはやはり電話だ。解析すると、中身がまったく別物。
﹁ここを開ける鍵とか、なにか聞いていない?﹂
﹁あー、番号を言っていた気もしなくもないような気もしなくもな
い﹂
どっちだよ。
﹁いいよ、勝手に開けるから﹂
ジャコー、ジャコーとダイヤルを回す。
﹁これでラスト、っとおおぉぉ!?﹂
最後の数字を回した途端、地面が大きく揺れた。
湾内の海抜がみるみる下がる。湾の中心あたりから、栓を抜かれ
たように排水されているのだ。
自然物と思われていた湾は、しかし底に鉄扉が設置されていた。
扉が左右にスライドしゆっくり開く。水が勢いよく隙間に落ち、
やがて完全に排水された。
湾の底面全てを使用した扉は、中型級飛宙船程度なら降下してす
っぽり収まれそうなほど大きい。
﹁⋮⋮え、なにこれ﹂
1280
ダイヤル弄ったら海面割れて地下が出現とか。
﹁入り口?﹂
ソフィーが浜辺の波打ち際だった場所から、扉の底をのぞき込む。
両脇に手を差して持ち上げ、ソフィーを回収。危ないって。
﹁屋敷でもそうだったけれど、ナスチヤってこういう仕掛けが好き
なの?﹂
屋敷地下室への入り口はどう考えでも趣味が多分に混ざっていた。
﹁まあ、そうだな⋮⋮って屋敷にはあったか? こういうカラクリ
は子供達が危ないからやめとこうって取り決めだったんだが﹂
﹁あー、まぁな﹂
地下室のことはガイルには黙っている。ナスチヤだって、知られ
たくないからこそコソコソやってたんだろうし。
ソフィーを抱き上げて扉の中に飛び込む。
地下とは思えないほどの巨大な空間。やはり中型級を収める想定
で設計されているな。
﹁ガイル、早く降りてこいよー﹂
﹁こいよー﹂
﹁無茶を言うな、冒険者でもなければこんな高さ飛び降りれるか。
あとソフィー、レーカの言葉遣いが伝染るぞ﹂
1281
俺は病原体か。
ガイルが飛宙船に乗り込み降下してくるのを待っていると、再び
地面が揺れる。
﹁ガイル、扉が閉まってるぞ!﹂
﹁制限時間付きかよ!?﹂
開けっ放しはまずいだろうが、制限時間が短過ぎる。
﹁操作方法があるんじゃないかしら?﹂
﹁そうかもしれないけれど、ちょっとは焦ろうか﹂
狭まっていく空。慌てて飛宙船が降りてくるが、間に合いそうも
ない。
﹁止まれ、挟まれるぞ! 俺達は自力で脱出するから!﹂
﹁だがっ﹂
﹁内側から脱出する方法は用意されているはずだ! ガイルは待っ
ていてくれ!﹂
完全に扉が閉まる。
流れ込む水音。強引に扉を破れば溺れ死ぬ。
﹁選択肢は、前進に限られる⋮⋮か﹂
1282
こうして、俺達は制作・アナスタシアのダンジョン攻略に挑むこ
ととなるのであった。
持ってて良かったサバイバルグッズ。
﹁なんで身内の罠にはまっているんだろうな、俺達﹂
﹁隠れ家が偶然見つかって荒らされないようにする為のトラップで
しょ?﹂
もっとこう、まとめて解除する方法とか欲しかった。
しばし一本道を歩いているが、中々変化が訪れない。
﹁もう3,2東京ドームくらいは歩いたと思うが﹂
﹁そうかしら、2,6東京ドーム程度よ、まだ﹂
﹁お、おう?﹂
東京ドーム
日本独自規格・TDが通じるとは。異世界侮れない。
広い場所に出る。
﹁格納庫だ!﹂
ストライカー
予備や人型機や飛宙船、旧式ながらも飛行機などが鎮座した空間。
ソフィーが興味の赴くまま飛行機に近付こうとして、慌てて腕を
1283
掴んで止めた。
﹁この臭い、ガスだな﹂
ガスの定義は広いが、ネズミの死体が散在しているあたり厄介な
類だろう。
﹁どこからか漏れているのか? 面倒だな﹂
これでは進めない。
﹁風の流れがあるわ﹂
﹁風?﹂
指先を舐めてみるも、空気の動きは感じない。
﹁私達が立っているここは停滞しているけれど、他の場所は気流だ
らけよ﹂
﹁うおっ、本当だ﹂
解析してみれば、縦横無尽に毒ガスが流れていた。
複雑な流れはしかし、不自然に隙間がある。流れの隙間を通れば
毒ガスは吸わなくて済むかもしれ⋮⋮
﹁⋮⋮違う。これ、家族以外が通れないようにする仕掛けだ﹂
ここを抜けるには風が読めるのが最低条件だ。一般人には難しい
ながらも、夫と娘なら楽に突破可能なトラップ。
1284
専門的な知識や忘れてしまう暗号などに頼らず、その身一つで開
けられるように工夫された場所なのだ。
夫が脳筋だと妻は大変だな。
﹁ここはソフィーに頼むよ﹂
﹁ええ﹂
風を読むのは彼女の方が上手い。
ソフィーに手を引かれ、俺は格納庫を突破した。
探検を続けていると、面白い物が幾つも発見された。
食堂、物置、遊戯室、図書室⋮⋮おおよそ生活に必要な物は揃っ
ている。
食料もかなり貯えてあった。魔法で劣化を防いでいたのだ。
﹁これは引きこもれるな﹂
いつかは食料が尽きるし、永遠には無理だが。
﹁私はいいわ、それでも﹂
﹁駄目だろ﹂
元々半分ヒキコモリだしな、この子。
1285
﹁どうして?﹂
﹁どうして、って﹂
﹁外に出れば、紅蓮の騎士団に捕まるかもしれない。そんなの嫌よ﹂
確かに、ソフィーの安全を考えればひきこもるのが一番かもしれ
ないが。
﹁そのうち参っちゃうんじゃないか?﹂
﹁そうかしら﹂
﹁そうだよ、マリアもいないのに﹂
屋敷でソフィーが笑顔でいられたのは、歳の近い友人がいたから
だろう。
﹁ならマリアも連れてきましょう?﹂
いいこと思い付いた、と笑顔を浮かべるソフィー。
﹁マリアは社交性のある子だからな、それこそ、ここでの生活に耐
えきれないかもしれない﹂
マリアはこのまま、普通の少女として俺達に関わらず生きていく
方がいい。
勿論俺もマリアと一緒にいたい。けれど、マリアには無理に俺達
と繋がりを持ち続ける理由などない。
迷惑をかけるだけなのだ。
1286
﹁管制室?﹂
なんでこんな場所まであるんですか、アナスタシア様。
﹁ここから島全体の設備を制御出来るんだな﹂
﹁まるで砦ね﹂
まるで、というかまさに砦だ。
コンソールを操作するも、ロックされており制御を受け付けない。
﹁ふん、機械のくせに俺に従わないとはいい度胸だ﹂
﹁ひどい横暴﹂
解析魔法を発動しようとし︱︱︱
︱︱︱世界が、揺れた。
1287
﹁な、おお!?﹂
ふわりと体が浮かぶ。咄嗟にソフィーの手首を掴み引き寄せる。
﹁重力境界?﹂
そうだ、これは無重力の感覚だ。
﹁これもセキュリティーなのか!?﹂
部屋の上下にそれらしい装置がないか透視をし︱︱︱
﹁発動、しない?﹂
解析魔法が、発動しなかった。
﹁なんだこ、うぎゃ!﹂
落ちた。
重力が戻り、ソフィーの下敷きとなる。
ソフィーは俺で衝撃を吸収して無傷っぽい。
﹁大丈⋮⋮﹂
夫か、と続けようとして、目を見開く。
彼女は泣いていた。嗚咽をあげ、泣きじゃくっていた。
﹁どうした、どこか痛いのか!?﹂
1288
﹁わからない、わからないよぉ﹂
涙が溢れ、ポロポロと落ちる。
﹁寒い、凄く辛いの﹂
﹁寒いったって、どうしたら⋮⋮﹂
抱き付かれ、わんわんと鳴き声をあげるソフィー。
﹁怖いのよ。助けて、一緒にいて!﹂
怖い? 怪我じゃないのか?
﹁俺はここにいるから! 離れたりしないから、落ち着いて!﹂
急に母親が死んだことに実感が湧いて、ということではなかろう。
人体解析は嫌いだが仕方がない。ソフィーの体に異常がないか透
視を試みる。
﹁あれ、魔法が発動した?﹂
さっきは発動しなかったのに。
早く脱出して医者に診せようと、コンソールに向き直る。
制御卓を操作、外へのロックを解除。
﹁ソフィー、おぶってくよ﹂
﹁いいわ、平気よ﹂
1289
最近ソフィーの﹁平気﹂とか﹁大丈夫﹂って言葉は信用しないこ
とにしている。
少し強引に背負い、俺は外への道を歩む。
﹁⋮⋮あったかい﹂
﹁そりゃなによりだ﹂
浜辺に戻ると、ガイルが何かを探していた。
﹁どうしたんだ?﹂
﹁︱︱︱!﹂
宿敵を見るような目でガイルは俺を睨む。ちょ、なんか怒ってる。
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
そしてじっくり俺を眺める。
﹁なに、その変な反応。俺に惚れちゃった?﹂
﹁⋮⋮馬鹿か。ソフィーから離れろ﹂
1290
いつもの親バカ?
﹁ソフィー、ガイルが不機嫌だから降りて⋮⋮ソフィー?﹂
背中に顔をうずめ震えていた。
﹁どうした、よしよし﹂
管制室の症状が再発したのだろうか。やはり近くの、医者のいる
町まで飛ぶべきだ。
﹁ガイル、さっきの無重力状態ってここでも⋮⋮あったみたいだな﹂
机や椅子が転がっている。白鋼は無事か?
﹁ソフィーがさっきから調子悪いんだ。医者に診せたいのだが﹂
﹁⋮⋮駄目だ。﹂
︱︱︱これは、意外な返事だった。
﹁病気だったらどうする。帝国に入ったならば、もう危険性が少な
いんだろ﹂
﹁駄目だ!﹂
怒鳴り声にソフィーはびくりと怯え、それを見て我に返ったかの
ようにガイルは戸惑いを浮かべた。
1291
﹁す、まない。だがソフィーの体は問題ない、今晩はここに泊まる﹂
声に出さず、頷くことで肯定するソフィー。
﹁ガイル、どうしたんだ? ﹃今晩は﹄ってことは、明日にはどこ
かいくのか?﹂
様子が変だ。ガイルがソフィーを邪険に扱うなんて。
﹁明日は帝都へと向かう﹂
踵を返し、ガイルは立ち去る。
﹁どこに行くんだ?﹂
﹁明日使う足が必要だ。飛行機を整備する﹂
格納庫のアレか。
﹁手伝うよ﹂
﹁⋮⋮いや、自分でやりたい﹂
まあナスチヤも自分の機体は自分で整備するものだって言ってい
たが。
せきよく
﹁やっぱり心配だ、前も紅翼を整備不良で墜落させたじゃないか﹂
﹁前?﹂
1292
﹁ほら、一年前。俺が屋敷に住み着いた時の﹂
﹁⋮⋮ああ、ソフィーが遭難した時の話か?﹂
﹁そうそう、ずっと使ってなかった機体の整備なんてガイルの腕じ
ゃ無理だよ﹂
なんともいえない表情に顔を歪めるガイル。自尊心が傷付いたが
整備技術がへっぽこなのは認めざる終えない、みたいな顔だ。
﹁お前なら出来るのか?﹂
﹁フィアット工房で散々直してきたんだ、メジャーな機体ならいじ
れるよ﹂
﹁そう、か⋮⋮なら頼むとしよう﹂
﹁あ、でもソフィーはどうしよ﹂
体調が悪いのだ。一緒にいないと不安かもしれない。
﹁レーカ、私は平気だから﹂
﹁そうか?﹂
まあ、体を診た限り異変はないのだけれど。
﹁⋮⋮わかった、でも今日は一緒に寝るぞ。寝てる時になにかあっ
たら大変だ﹂
1293
﹁︱︱︱うん﹂
頷き、地下へと歩くガイルを追う。
ちらりと振り返ると、ソフィーの瞳には戸惑いの色が満ちていた。
ぜろしき
﹁大戦の傑作機、零式か﹂
﹁そうだ。パワーと装甲が心許ないが、風に乗ってしまえば右に出
る機体はなかった﹂
直線翼の標準的な形状。鋼色のシンプルな単発機だ。
特徴は軽さ。狂気の域に達した軽量化は、最低限の強度すら失わ
せたが極めて高い運動性を獲得した。
今なお自由天士達に愛され、細々と生産される名機である。
﹁エンジンの吹き上がりが悪い。直せるか﹂
﹁なんで直す前から判るんだ⋮⋮ああ、確かにクランクに罅が入っ
ているな。割と致命的だぞ﹂
﹁応急措置でいい﹂
﹁ふふん、俺の単語帳に妥協などという単語はない﹂
テキパキとサカエ魔力エンジンを降ろし、原因箇所まで解体する。
1294
﹁うはははは、俺にバラせない機械はないぜー!﹂
﹁⋮⋮壊すなよ?﹂
俺はエンジン、ガイルは機体そのものを修復する。
﹁あれ、ガイル修理の腕上がった?﹂
﹁日々進歩しているんでな﹂
屋敷で見てた時より手際がいい。
﹁⋮⋮これは大戦の頃に乗っていた機体だ。修理なんてしょっちゅ
うやっていた﹂
﹁そっか﹂
聞き流しつつ、俺は先程の無重力現象を考えていた。
少し、疑問だった。なぜ重力境界などが存在するのかと。
重力の強さは引きつける物体︵つまり地上、地球︶からの距離で
変化する。高度が上がり地球から離れれば次第に重力は小さくなり、
何百キロも上昇してしまえば地球の重力を振り切ってしまう。
しかし、高度三〇〇〇メートル程度では重力の変化など微々たる
ものだ。旅客機に乗っても体が浮いたりなどしない。
仮に地球規模の惑星二つが六〇〇〇メートルの距離にまで接近す
れば、その間ではどうなるか。
惑星同士が衝突するとか地面が崩壊するとか無粋なことは置いと
いて、まずは重力が釣り合って見かけ無重力となるはずなのだ。
高度〇メートルから六〇〇〇メートルまで、均一に無重力、であ
る。セルファークのように三〇〇〇メートルを境界に重力が反転す
1295
るなど不自然極まりない。
不自然な重力。そして、魔力の消失と同時に発生した重力異常。
ここから導き出される仮説。
デザイン
︵この世界の重力は、魔力によって意図的に制御されている?︶
人は無重力では暮らせない。あえて重力を発生させているとすれ
ば、まさしくデザインだ。
そしてそんなことを出来そうな存在は一つしか知らない。
︵唯一神セルファーク⋮⋮神になにか異変が発生して、重力制御が
乱れたのか?︶
仮説の積み重ね、思考実験でしかない。
とりとめのない想像を振り払い、修理に集中することにした。
﹁なあ、お前にとって、ソフィーはなんだ?﹂
もっとも、その邪魔はガイルが引き続き請け負ったが。
﹁妹?﹂
﹁俺が訊いているんだ﹂
﹁婚約者?﹂
﹁ほざけ﹂
﹁ナスチヤが決めたんだ、俺に文句言うな﹂
1296
ぴたりと停止するガイル。
﹁⋮⋮⋮⋮ナスチヤはどうして、お前を婚約者にしたんだったっけ
?﹂
﹁俺本人にもわからずじまいだったよ。気紛れかもしれないし、理
由があったのかもしれん﹂
﹁おかしい、ナスチヤはあの計画の⋮⋮﹂
⋮⋮なんだよ意味深な。
﹁お前はソフィーと結婚する気があるのか?﹂
﹁ソフィーの意志を尊重するさ﹂
﹁お前自身の意志を知りたいんだ﹂
俺が彼女をどう思っているか、か。
﹁そりゃ好きだよ。でも、まだ結論には早いと思っている。俺達は
互いに互いを必要としているが、それは必要だからであって求め合
っているからじゃない﹂
﹁必要?﹂
﹁ソフィーは俺を求めることで母親が死んだショックを埋めようと
している。俺も、ソフィーのこれからを考えることでナスチヤの死
から目を背けている﹂
1297
論理的にはこれくらい判る。論理がどうであろうと、心がついて
こないが。
﹁どっちの場合も、こう言っちゃなんだがマリアで代用出来る。俺
である必然性が、彼女でなくてはならない必然性がないんだ﹂
﹁本当にそれだけだと考えているなら、お前は大馬鹿野郎だな﹂
よく言われる。
﹁もう一つ訊かせてくれ。お前は、ソフィーを守りきれるか?﹂
﹁知らん﹂
﹁そこは頷いておけよ﹂
﹁最善は尽くすさ。でもそれだけだ、俺一人の戦力は微々たるもの
だからな﹂
ソフィーを守ろうと思うのであれば、誰も彼も利用するくらいの
意気が必要だ。
﹁わかっているじゃないか。例え銀翼であろうと、数には勝てない﹂
この前、二〇〇機以上の敵機を使い慣れない機体で墜とした奴が
なにか言ってる。
﹁あのソフィーは、お前によく懐いているな﹂
あの、ってなんだよ。ソフィーは実は大量生産品なのか。
1298
ベルトコンベアでがちゃこん、がちゃこん、と機械から出てくる
ソフィーを連想する。なんだこれ。
﹁裏切ってくれるなよ、あの子は笑顔でいることが多い。きっと、
お前のお陰だ﹂
﹁なんで俺が美少女を裏切るんだ。俺は美少女の味方だ﹂
胸を張って言い返すと、ガイルは溜め息混じりに返した。
﹁⋮⋮なら敵が美少女だったらどうするんだ﹂
﹁武装解除させた上で口説き落とす﹂
俺の口説き文句にメロメロだぜ。
﹁そうか、まあ好きにしろ﹂
あれ、投げやり。
﹁あの子にとってもそれがいいかもしれないな﹂
星空を見上げ、俺とソフィーは並んで浜辺に寝そべる。今日はこ
こで就寝することにした。
1299
結界を張っているので虫が寄ってくる心配はない。テントの方が
寝るのに適しているかもしれないが、埃っぽいのでやめておいた。
本音を言えば、単に空を見上げたかっただけである。
﹁お父さんはどこで寝ているの?﹂
﹁零式のコックピットだとさ﹂
﹁レーカは、ここで暮らすのは嫌なのよね﹂
﹁嫌ってほどじゃないが。掃除をすれば快適そうだし﹂
必要なものや遊戯室まで備えてある。暮らそうと思えば暮らせる
はずだ。
﹁なら⋮⋮やっぱりここにいましょう?﹂
のんびり暮らすのも、まあ悪くないかもしれないが。
異世界の夜空を見上げていると、不思議とそう思えてくる。
﹁話し相手がいなくて寂しいなら、産んで増やせばいいのよ﹂
吹いた。
﹁そ、ソフィー?﹂
﹁なに?﹂
﹁いいかい、子供っていうのはキャベツ畑から生えるってわけじゃ
ないんだ﹂
1300
﹁知っているわ。男が女が服を脱いで⋮⋮﹂
﹁ちょ、ストップストップ!?﹂
この子その手の知識あるのか。
﹁お母さんに教わったの﹂
﹁学校での性教育なんてないし、それが普通なのかもしれないが⋮
⋮﹂
ソフィーが俺の上に覆い被さってきた。
﹁レーカならいいわ。レーカがいい﹂
その白い指が俺の上を這い、そっと上着の留め金を外す。
頭を胸元に寄せ、はだけた俺の胸板を嘗める。
妖艶なまでに赤い舌が俺の皮膚を濡らす。
﹁うっ﹂
ひやりとした舌先。
上目遣いで俺を見る彼女に、変に火照り身震いした。
﹁⋮⋮やめんか﹂
﹁いたっ﹂
デコピンしてソフィーを離す。
1301
﹁大人になってから来い﹂
﹁むぅ﹂
そろそろ俺にロリコン疑惑が浮上している気がする。俺の趣味は
ぼっきゅんぼんなのだ。マジで。
w
x
Y
なのだ!
﹁あと四年ね﹂
﹁四年? ⋮⋮ああ、成人までの年数か﹂
大人っていうのは法律的な意味じゃないのだが。
一五歳で成人というのは日本人には馴染みがないが、地球でも昔
は珍しくなかった。今でも多くの国が一八歳で成人だ。
﹁大人になったら、私をレーカの奥さんにしてくれる?﹂
﹁その問答は、四年後に繰り越しだ﹂
﹁レーカのへたれ﹂
ひでぇ。
1302
﹁私は傷付かないわ﹂
﹁俺がお断りしたんだ、素直に引け﹂
﹁私のこと、好きじゃない?﹂
﹁そういうのは、もっと大事にしたい派なんだ﹂
﹁そう﹂
くすりと艶のある笑みを浮かべるソフィー。
﹁私は貴方を選ぶ。だから、今度はレーカが襲ってね﹂
なにこの子コワイ。
翌朝、隠れ家島より二機の飛行機が飛び立つ。
一機は白鋼、もう一機は零式だ。白鋼が先行し後ろから零式が着
いてくる。
パワーのある白鋼が前の方が効率が良い。排気をモロに受ければ
逆効果なので、零式は斜め後ろに控えている。
ドリットと同クラスの巨大都市、帝国首都・フュンフ。
荘厳な佇まいの城、その近くに巨塔が聳えている。
1303
首都近郊を飛行する二機。
﹁それで、どうするんだこれから?﹂
ガイルに確認する。有無を言わさずここまで誘導されたのだ、い
い加減目的を教えてほしい。
﹃ソフィーが帝国王族の血を引いていることは知っているな?﹄
﹁ああ、ナスチヤが帝国のお姫様だったんだろ?﹂
﹃お前達は帝国に保護してもらえ。隠れ家を使ってもいいが、権力
の庇護は必要だ﹄
﹁そうだが、でも⋮⋮﹂
お前達は、ってどういうことだ?
ゆっくりと白鋼の後ろに移動する零式。
﹃ソフィー﹄
いつもと変わらぬ娘を呼ぶ父の声。
しかしその声色に、俺は悪寒を覚えた。
咄嗟かつ無意識にスイッチに手を伸ばし︱︱︱
﹁⋮⋮お父さん?﹂
︱︱︱後退翼機に偽装する為のカモフラージュをパージする。
1304
﹃お別れだ。俺は、お前に構っていられるほど暇じゃない﹄
零式の7,7ミリ機銃が火を噴いた。
﹁なっ﹂
分離したパーツが零式を襲い、その隙に強引に白鋼の制御をソフ
ィーから奪い上昇、少しでも距離を確保する。
﹁どういうことだ、ガイル!﹂
﹃避けたか、いい勘をしている﹄
零式はその能力を超えた速度で上昇、白鋼を追跡する。
︵上昇気流を捕まえている︱︱︱それにしたって、早い!︶
﹃言った通りだ。お前達は俺にとって足枷にしかならない。ここで
痛めつけて、俺が味方ではないことを身体に教えてやる﹄
﹁ふざけんなっ!﹂
再び発砲する零式。今度は20ミリ機関砲だ、威力が段違いであ
る。
未来が見えているかのような見事な偏差射撃。単調な動きではや
られる、そもそも俺の操縦じゃ逃げ切れない!
1305
﹁ソフィー! 操縦桿を握ってくれ、ガイルがおかしい!﹂
﹁⋮⋮どうして﹂
ソフィーは光を失った瞳で呟く。
﹁お母さんも、お父さんもいなくなるの?﹂
﹃そうだ、俺はナスチヤの騎士だ。お前を守る理由はない﹄
何故、何故こんなことを!
どういうことだ、ガイル︱︱︱!!
1306
隠れ家と裏切り︵後書き︶
正直、今悩んでいます。
銀翼の天使達は﹁平和な子供時代﹂を経て主人公が大きな事件を
経験し、それをきっかけに大人になる、というプロットが最初から
用意された物語です。
ですがこの大きな事件、つまりアナスタシアの悲劇が強すぎたの
ではないかと思っています。感情移入の為の手法であった4章前半
までのほのぼの路線で、この物語のイメージが固定されてしまった
ことが読者の減少に繋がったのではないかと思います。
かなりモチベーションが下がっています。ラスト予定である16
歳まで、到底保たないほどに。
なのでシナリオを短縮することを考えました。打ち切りはしたく
ありません。
本来のシナリオ 一年ずつしっかりと描写し、大人になる過程を
描く。本編には関係ないシナリオもかなり挟む予定。
今考案した短縮シナリオ 一気に大人時代に飛び、伏線をズバズ
バ回収していく。シナリオ破綻は少ないですが忙しい印象を受ける
かと。現在、これでいきたいと思っています。
超短縮シナリオ 子供時代に完結してしまうシナリオ。子供なの
で女の子とのいちゃラブもなし。ソードマスターハヤト。伏線は回
収しますが、超展開になるかと。
皆さんはどう思いますか? ﹁ふざけんな最後までやれや﹂とい
1307
う意見でも構いません、それもモチベーションになります。
以上、弱音兼アンケートでした。
追伸
この小説をお気に入りに登録して下さっているみなさんに大きな
感謝を。
1308
最強の翼と帝国の美姫
逃げる白鋼。追う零式。
エンジンの性能差は歴然としている。旧式の零式に、白鋼に追い
すがる術などない。
術などない、はずなのに。
﹁逃げ切れ、ない⋮⋮!﹂
機銃によって追い込まれ、いいように誘導されている。まるで牧
羊犬に追い立てられる羊だ。
俺の拙い、大雑把な操縦だからこそ逃げ切れないのだ。ソフィー
が操縦すれば、たぶん逃走は可能。とはいえ⋮⋮
﹁ソフィーしっかりしてくれ、って無理だよなぁ⋮⋮﹂
先程から、俺の呼び掛けに反応はなかった。
母の死に続き父の裏切りなんて、なんで皆この子に優しくないん
だよ。
ガイルは﹁痛めつける﹂と言った、殺す気はないはずだ。ガイル
がソフィーに苦痛を覚えさせるとは考えにくいので、痛めつける対
象は白鋼の機体のはず。
白鋼を犠牲にして、茶を濁して済ますって選択もある。
﹁⋮⋮いいや、却下だ!﹂
零式を落として、ガイルをふんじばってどういうつもりなのか問
わねば気がすまない。
いくらガイルが化け物じみた戦闘能力の持ち主でも、スペックの
差はどうしようもない。
1309
教えてやる。白鋼の、本当の戦いを。
﹁︱︱︱いくぞ、ソードストライカー﹂
ブレードを分離、各部外れたロックから機体が変形する。
コックピットが九〇度下に折れ、機首が展開し両腕に。
エンジンが機体から持ち上がりバックパックに、主翼が両足とな
る。
﹃な、なんだ、それは!?﹄
﹁ガイルに見せるのは初めてだったか! 見せてやる、コイツの力
を!﹂
空中戦では飛行機形態に分があるが、俺はこっちの方が扱いやす
い。
ハイブリッドエンジン全開、零式へと真っ直ぐ猛進する。
﹁翼を切れば、お前といえどまともに飛べないだろう!﹂
ブレードを振り下ろす。
﹃⋮⋮! 舐めっ、るな!﹄
主翼に迫るブレードの切っ先。
それをガイルは、紙一重の回避にて乗り切る。
ブレードの風圧で、零式の軽い機体が跳ね上がる。
︵風圧を利用する為に、あえてギリギリの距離で避けたのか!?︶
1310
さすがはソフィーの親。だが︱︱︱
﹁一対一なら、白鋼は負けない!﹂
零式の7,7ミリ機銃の弾丸が白鋼の障壁に阻まれ、ポロポロと
落下する。
﹃くっ、出鱈目だな!﹄
﹁この障壁はマウスの170ミリ砲だって防いだんだ、零式の装備
じゃ落としようがないぜ﹂
﹃⋮⋮なるほど、いいだろう﹄
旋回、上昇していく零式。
﹁⋮⋮ガイル?﹂
なにかをする気だ。下手に追走していいものか。
﹁ええい、ままよ!﹂
臆病になり過ぎては勝てる戦いも勝てない。信じろ、白鋼を!
﹃フィオ、聞こえているな。︱︱︱やれ﹄
﹃了解しました、隊長﹄
え、フィオさん?
どうしてここに、いつ連絡を取った?
1311
どこか遠くで爆発音が轟く。
見れば、巨塔の一角が爆破されていた。
煙に紛れて巨塔からこぼれ落ち落下する物体。大きさは二〇メー
トルほど、平らな形状の飛行機だった。
﹁あれは、ステルス機? F−23⋮⋮いや、違う!﹂
解析結果が訴える。俺は、あれを知っていると。
灰色の戦闘機。菱形の主翼と左右二枚しかない斜めに設置された
尾翼。機体内に埋め込まれた二発のロケットエンジン。
そして極めつけは、翼に描かれた紅い日の丸。
そうだ、確かにアレは帝国にあるはずだった!
﹁日本純国産第八世代領域制圧戦闘機、心神⋮⋮!﹂
それは、ナスチヤが異世界に関する調査を行った際に返信として
届いた、異文化の工芸品であった。
零式が心神へと向かう。まさか、空中で乗り換える気か!?
﹁させない!﹂
詳しく解析したわけではないが、メカニックとしての勘が訴える。
あれは、ヤバい機体だ!
あんな代物にガイルが乗れば、手をつけられなくなる!
白鋼の人型形態での最高速度は時速一〇〇〇キロ。それに対し零
式は七〇〇キロも出ない。
しかし零式は高度を上げていた。高さを活かし下降しながら飛べ
ば、機体が耐える限りはスペック値以上の速度を出せる。
﹁零式にノーブレーキの急降下なんて無理だ、空中分解するぞ﹂
1312
﹃ふん、俺を誰だと思っている﹄
零式はこまめに機体を揺らす。風に乗って機体の負担を減らして
いるのか。
落下する心神、それに続き零式、更に追従する白鋼。
白鋼が接触するより僅かに早く、零式が心神に到達する。
ほぼ真下を向いていた零式は機首を上げ、機体下面にて風圧を受
け急減速する。
ガイルがよくやっているコブラのエアブレーキ。
零式の風防が開き、ガイルが主翼に立つ。
この時点でようやく、白鋼は二機に追い付いた。
﹁観念しろ、ガイル︱︱︱﹂
ガイルを捕まえようと、巨大な鋼の腕を振るう。
しかし、それより幾分早くガイルは呪文を詠唱した。
﹁︱︱︱ファイアウォール﹂
燃え上がる大気。
本来は戦闘用の防御魔法であるそれは、だが壁状に発生すること
で大型の敵に対する目くらましとしても使用可能。
﹁くっ、こんな炎程度で!﹂
マニピュレーターで火の壁を振り払う。
火炎の切れ目から覗いたのは、ハッチを開き心神に乗り込むガイ
ルであった。
1313
﹁待て、くそ、地面が︱︱︱!﹂
白鋼のすぐ側で零式がひしゃげる。超々ジェラルミンといえど、
想定以上のGと風圧には耐えきれなかった。
迫る地表。白鋼も、もう離脱しないとまずい。
後退翼の飛行機形態へと変形、機首を上げる。めいいっぱい操縦
桿を引き、白鋼は水平飛行に移行した。
﹁ガイルは!?﹂
視界の中を見渡し探すと、眼下に地面を這うように飛行する心神
が見えた。
﹁無事か、良かった⋮⋮じゃない、チャンスか?﹂
ガイルがどうやって心神のシステムを立ち上げたのか不明だが、
初めから全力飛行が出来るはずがない。
人型機形態に戻り、心神の後ろに着く。
﹁尾翼切り落とせば、否が応にも着陸せざるを得まい!﹂
正眼にミスリルブレードを構え、機体後部を狙って思い切り振り
下ろす!
心神が、消えた。
1314
﹁え、どこ、どこに行った?﹂
﹃ここだ﹄
背筋に冷たいものを感じた。
白鋼の後ろ。なにも見えない。なにも聞こえない。
だが︱︱︱居る!
空中より滲み出現する蒼い心神。
カメレオンのように、周囲の景色と同化していたのだ。
﹁光学迷彩⋮⋮!?﹂
心神が変形する。
主翼の前部が機首近くへとスライドし、カナード翼に。
主翼後部が展開し、翼幅が倍となる。
機体中心から巨大な砲と主翼がリフトする。
尾翼が内側に折り畳まれ排気口を塞ぎ、カナード翼に内蔵された
エンジンが火を吹いた。
ステルス性の喪失と引き換えに、見るからに運動性が高そうな姿
に変貌した心神。
︵︱︱︱逃げ切れない︶
そう直感で理解した。心神のスペックは、白鋼より上だ。
﹁ソフィー! っくそ、そんな砲で白鋼を貫けるとでも︱︱︱﹂
バチバチと心神の砲身が帯電する。
発射音は思いの外、甲高いものだった。
飛翔体は白鋼の障壁を貫き、外装を破り、エンジンを粉砕する。
1315
エンジンユニットを貫通し、白鋼は推力を失った。
砕け飛ぶ自機の破片を見上げ、呆然と呟く。
﹁なんて威力、馬鹿げてる。レールガンを航空機に積むなんて⋮⋮
っていうか白鋼、二戦目で墜落とかどういうこった﹂
主人公機にあるまじき戦歴におののきつつ、白鋼はパーツを撒き
散らしつつ墜落する。
腕でコックピットを守り機体が静止するのを待つ。
風防を開いた時、心神が白鋼の上空を旋回していった。
そういえば最初は灰色だったのに、今は青だ。光学迷彩のオマケ
で色を自在に変えられるらしい。
機首から、海洋迷彩となっていた心神が赤く染まっていく。
まるで侵されるように、燃え上がるように。
朱く、紅く染め上がっていく。
遂には、心神はガイルのパーソナルカラーである紅へとなり果て
た。
﹁どうして、なんでこうなっちゃったんだ、馬鹿ガイルよぉ﹂
泣きそうな気分だ。
飛び去り、徐々に小さくなっていく心神。
俺達はいつまでも、見えなくなっても心神が消えていった空を見
つめていた。
1316
﹁どう思う、フィオ﹂
﹁不確定要素ですか。あの小娘の差し金でしょう﹂
﹁それはいい。俺が訊いているのは、あれの技術者としての見解だ﹂
ソードストライカー
﹁半人型戦闘機、ですか。装甲を付ければ戦闘機として使い物にな
らなくなる、装甲なしでは人型機として耐えきれない。あの機体は
障壁を張って装甲の代わりにしているようですね﹂
﹁障壁魔法の再現は?﹂
﹁困難です。ですが、心神のエンジン出力であればそもそも多少の
重量増加は問題とならないかもしれません﹂
﹁ならやってみろ。半人型戦闘機、興味がある﹂
﹁正直、運用上の利点は小さいと思いますが﹂
﹁物は使いようだ。試す価値はある﹂
﹁了解しました。心神をセルファーク仕様に改修し、人型変形機構
を組み込んでおきます﹂
1317
﹁あーえっと、どうするんだっけこういう時。保険屋さんに連絡?﹂
そりゃ自動車だ、と自分につっこむ。
帝都郊外に墜落した白鋼。エンジンを撃ち抜かれただけなら歩け
ばいいが、繊細でシャイなコイツは他の部分にまでダメージが伝播
してしまい這いずるしか移動手段がないほど内部破壊されてしまっ
ている。
﹁いや、一年前はハイハイで頑張ってたんだ! あの頃のハングリ
ー精神を思い出せ!﹂
機首を本来の角度に戻し、四つん這いでゆっくり首都へと歩む。
こうしてみると獣型機っぽい。
﹁ハッ!? 人型機、戦闘機、そして獣型機に三段変形⋮⋮!﹂
なんて浪漫! 俺凄い! 天才!
﹁⋮⋮やめとくか﹂
これ以上複雑な機体にしてどうする。獣型機は純粋な戦闘機械と
してシンプルだからこそ意味があるのだ。
足を止め、シートを倒して空を見上げる。
奴は悩んでいた。妻に死なれて、これからどうやって生きるかを。
﹁これがお前の答えだっていうのかよ、ガイル﹂
夏の日射しは、相も変わらず燦々と眩い。
1318
﹁︱︱︱ん? あれは、初音21式?﹂
帝国軍のお出ましか。やれやれ、やっと保護してもらえ︱︱︱
﹃こちら帝国軍首都警備隊だ! 町近郊での決闘行為は法令で禁じ
られている! 巨塔の破壊及び保管品盗難の件も聞かせてもらうぞ
!﹄
⋮⋮あっれー?
騎士達に包囲され杖や剣を向けられる俺とソフィー。
﹁手を頭を後ろに回せ! 妙な動きはするな!﹂
﹁カバティカバティカバティ!﹂
﹁みょ、妙な動きはするなと言ったはずだ!﹂
﹁キャー、オンナノコに武器を向けるなんてサイテー﹂
﹁うっさい! 俺だってその子くらいの娘がいてなぁ、好き好んで
こんなことやっているわけじゃ⋮⋮﹂
騎士隊長との会話を長引かせ、高速で思考する。
このまま捕まったとして、子供相手に手荒な真似はされないだろ
うが、外部とのやりとりはし難くなる。
1319
帝国の王族に連絡さえ繋げば、この面倒な状況も打破出来るとい
うのに。
︵いっそここは強引に突破して、城に忍び込むか?︶
俺一人でなら王族に接触することも可能。でも、王様とやらが厳
格な人だったら?
神であろうと王であろうと裁く、それが法だ。生まれてこのかた
ゼェーレスト育ちのソフィーと面識があるわけもない、情に訴える
のも限度がある。所詮顔も知らない親戚の子なのだから。
︵とにかく、時間稼ぎを⋮⋮︶
﹁おい、ぼーっとするな﹂
﹁あっ! あれはナンダ!?﹂
空を指差す。勿論そこにはなにも⋮⋮
﹁雷神だ、軍用機としては珍しくもない﹂
一機の飛行機が飛んでいた。
いや、あれを指差したわけじゃないけど。
雷神はこちらに接近し、そして着陸した。
なんだろう、と騎士隊長と顔を見合わせる。
﹁はっはっはっはっはっはっはっはっゲフグァ!?﹂
笑いすぎて咽せるオッサンが降りてきた。
1320
﹁あ、貴方は!﹂
騎士達が一斉に敬礼する。
﹁ああよいよい、休むがよい﹂
オッサンは俺達に歩み寄り、ニカッと笑みを浮かべる。
﹁久しいな、少年!﹂
﹁誰﹂
本当に知らない男だった。
﹁顔を合わせたのは一瞬だったからな、無理もない。覚えておくが
よい、私の名は︱︱︱﹂
オッサンは無駄に大きな声で自己紹介をした。
﹁︱︱︱ハンス・ウルリッヒ・ルーデルである!﹂
だから誰。
﹁う、むぅ。私もそれなりに知られていると思ったのだが、まだま
だだったようだな﹂
だ、か、ら、誰!?
﹁私は帝国の姫君、リデア・ハーティリー・マリンドルフの世話役
兼執事兼護衛兼である﹂
1321
﹁あの歌って踊れるお姫様のか﹂
﹁うむ、お前が胸を揉みしだいた姫の、だ﹂
騎士達の殺気の視線が背中に突き刺さった。
﹁ま、まて、誤解だ。適当なことを言わないでくれ﹂
﹁どう誤解だというのだ?﹂
積極的に破廉恥な行為をしたのではないと証明しなくては。
﹁俺が触ったのは、もっと触っちゃいけない場所だ。ほら、揉むよ
うな場所じゃないだろ?﹂
殺気が増大した。
﹁ついでに銀翼だぞフフン﹂
﹁へー﹂
顔を眺めていると、確かにバルコニーにいた気もする。お姫様の
身体の熱が手の平に焼き付いていて、あまりはっきりしないけど。
﹁お姫様の執事なら、取り次ぎって出来ないかな? ほら、この子
この子﹂
未だ瞳に生気の戻らないソフィーを示す。俺のセクハラ行為を知
っているのなら、本当にあの場にいた姫の側近なのだろう。他に当
1322
てもない、信じてみるか。
﹁ほら、この髪の色とか見覚えない? お姫様とかお姫様とか人妻
とか﹂
﹁みなまでいうな。判っている、我が雷神にて城まで送ろう﹂
後ろの座席から男性が降りる。
﹁後部座席に乗って下さい。手狭ですが、子供二人なら大丈夫でし
ょう﹂
席を奪うようで悪いな。頭を下げてソフィーの手を引く。
﹁あの、白鋼は﹂
﹁城に運び込むよう手配しよう。あまり人の目に晒すのもまずい﹂
﹁どうも﹂
ソフィーを抱き上げ、後部座席に身体を滑り込ませる。
これでも二人乗りの白鋼のコックピットより広く感じるあたり、
白鋼の小ささは半端じゃない。
雷神は世界中で見かける機会のある軍用機だ。
まだ新型の部類なので民間には出回っていないが、国境を跨ぎセ
1323
ルファーク全土に輸出されている傑作機である。
尾翼が二枚ある以外は面白味のない、ただの直線翼機。しかし余
裕を持った設計、タフなボディー、値段も安くシンプルな構造は整
備されていない土地での運用にも耐えられる。
そして、圧倒的な地上攻撃力。三〇ミリ機関砲は全てを粉砕する
最強のガトリングの一つである。
セルファークでは地上攻撃機は地球以上に重宝される。魔物とい
う、生身の人間からすれば強大過ぎる地上目標が蔓延っているのだ
から。
強大な魔物を更に強大なガトリングで凪払う、それが雷神なので
ある。
だがそれでも世界中で見かける理由にはならない。このセルファ
ークという世界は、大きく二分されているのだから。
帝国と共和国。本来であればそれぞれが別の機体を開発するのが
自然な流れだが、雷神はなんと二つの超大国の共同開発によって開
発された。正確にいえば共和国主体で帝国の開発主任が派遣された
んだっけ。
開発主任の名は⋮⋮
﹁あ、ルーデル⋮⋮﹂
﹁どうしたかね?﹂
﹁いえ、すいません。雷神の開発主任ってひょっとして﹂
﹁うむ、私だぞ。もっとも私は適当に口出ししていただけだがな﹂
国際共同開発といえば要望の不一致からトラブルが発生しがちな
ものだが、アドバイザーと技術者として割り切ったことがかえって
名機を生み出したのだろうか。
1324
⋮⋮とにかく、雷神は二国にて運用されている為に部品も安く、
第三国にも採用されている傑作なのだ。
﹁この雷神はかなり火力を強化していますね﹂
﹁うむ! 実に気難しい機体だが、どんな敵も木っ端微塵だぞ﹂
30ミリ機関砲三門に105ミリライフリング砲一門。正気の沙
汰ではない。
﹁ところで、帝都から離脱する赤い機体を見たが。あれは紅翼か?﹂
﹁あー、その話はあとでお願いします﹂
﹁それもそうか、では急ぐとしよう﹂
そう言いつつも加速しない雷神。なにしろ、これで全速力なのだ。
白鋼の巡航飛行より遅い。どんだけ重武装なんだ。
﹁⋮⋮ふん﹂
案外、俺も冷静じゃないか。
ナスチヤが死に、ガイルが消え、みんないなくなった。
それでも俺は脳天気に振る舞う。おどけて見せ、セクハラしたり
馬鹿やってみたり。
だって、当然だろ?
︵斜に構えなきゃ、やってらんねぇよ⋮⋮!︶
1325
﹁困ります、ルーデル様!﹂
﹁ふははは、まあ気にするな﹂
﹁ここから先は王族のプライベートな空間です! 貴方様といえど、
無許可で通すわけには﹂
﹁こやつらの顔に免じて通せ﹂
﹁誰ですかこの子供達!?﹂
ルーデルは城に着陸すると俺とソフィーを両脇に抱え、ズカズカ
と奥へと進んでいった。
衛兵に俺達の顔を示す。ソフィーはともかく、俺を見せる意義と
は一体⋮⋮
止める衛兵の声も届かずルーデルは前進。突き進む男である。
ガチャ、と扉が開く。
﹁なんじゃ、騒々しい⋮⋮ルーデル、ここにはお前とて気軽に入っ
てはならないはずじゃぞ﹂
その人物は昼寝でもしていたのか、眠たげに目を擦りつつ俺達を
見た。
﹁お気になさらず。それよりも、懐かしい顔を連れてきましたぞ﹂
﹁ほう?﹂
1326
歩むと、自然と素肌を晒した足に目がいってしまう。
そう、目の前にはパンツとワイシャツのみを着た︱︱︱
﹁Oh⋮⋮﹂
︱︱︱オッサンがいた。
女性であればさぞ扇情的な光景であったろうに。なんでオッサン
なんだよ。
隣でソフィーがえずいている、そんなレベルの光景である。
﹁そう、この方は帝国の王、陛下である!﹂
別にこのオッサンが王でもOhでもどっちでもいい。
リアル裸の王様もとい半裸の王様は、カッと目を見開き喜色を浮
かべた。
﹁その顔は︱︱︱なんと、生きておったのか!?﹂
歩み寄り、脇を抱えて抱き上げる。
﹁我が、息子よ!﹂
﹁はぁ?﹂
抱き上げられたのは、ソフィーではなく俺だった。
1327
最強の翼と帝国の美姫︵後書き︶
皆様、応援をしていただき本当にありがとうございました。すっ
ごく励みになりました。
短縮の件ですが、一年ずつというリクエストが多いというか全部
だったので、基本的に露骨なカットはなしとしました。プロットに
存在するイベントは全てこなします。
村編↓冒険編︵子供︶↓短編集編↓冒険編︵大人︶↓決戦編 と
します。メリハリを付ける為に子供編と大人編は明確に分けること
にしました。今は冒険編︵子供︶の部分です。
ただ一つ、イレギュラーに関するイベントはカットさせてくださ
い。一話目でロリ神と戦っていたアイツです。
アイツが絡むと一気に物語が複雑となるのです。平行世界編とか
挟む必要が出てくるので。
望む声があれば、活動報告でも使ってイレギュラーの正体をネタ
バレしようかと思います。
戴いた感想の返事の仕方を変えることにしました。いちいち返答
すると、鬱陶しいと思う方もいる気がするので。
返信方法が変わっても、感想のありがたみは変わりません。読者
の皆様、感謝です。
﹀アナスタシア生存ルートの方が良くない?
この小説はアナスタシア死亡ガイル闇墜ちが前提なので、アナス
タシアが生き残るとただのほのぼのエンドに⋮⋮いえ、ほのぼので
はありませんけど。 超短縮はしないのでご安心を。
﹀日本独自単位・東京ドームがなぜあるか?
1328
そりゃあマウスや心神がセルファークにあったんだし、東京ドー
ムや東京タワーくらいあるってもんですよ。
﹀よくもアナスタシア様を、紅蓮ぶっ殺す
守る対象から離れ、手段を選ばなくなったガイルはなによりも恐
ろしいです。所詮あいつらは序盤のかませ犬。
1329
半裸と王︵前書き︶
私のハンドルネームってリアルの名前をもじった物なのですが、
﹁これって知り合いなら特定されるんじゃね?﹂と気付いたので﹁
蛍﹂に変更します。
1330
半裸と王
﹁我が、息子よ!﹂
﹁ぼけてんのかこのオッサン﹂
俺を抱き上げて喜ぶ半裸の王様に、俺は思わず汚い言葉で返した。
﹁むう。相も変わらず口が悪いな、確かに寝起きだから寝ぼけてい
るかもだが﹂
こんな指導者で、この国って大丈夫なのだろうか。
﹁だが父は嬉しいぞ!﹂
﹁俺は男に頬ずりされて最悪な気分です。とても不快です﹂
いらいらしてきた。こっちは気持ちに余裕がないってのに。
興奮冷めやまぬ、という様子の帝国王。その背後から小さな影が
現れる。
ボケ
﹁人の父を痴呆呼ばわりしないでほしいの﹂
﹁げ、アイドル姫﹂
共和国の首都、大陸横断レース開会式で︵物理的に︶接触したリ
デア姫であった。
ウェーブした金砂の髪、くりくりとした目。
1331
間近で見ればまさしく美姫。しかし、その視線は言葉と裏腹に俺
を鋭く睨んでいる。
そんな目を向けられる心当たりは一つしかない。
︵触っちゃいけない部分を触ったこと、根に持っている⋮⋮︶
根に持つもなにも俺が悪いのだが、なんにせよ美少女に睨まれる
のはいい気がしない。
﹁豪気にもここまで乗り込んできたか、イレギュラー﹂
﹁⋮⋮それは、俺のことを言っているのか?﹂
そんな変な肩書きは持っていないのだが。
﹁しらばっくれるな、お前がわしの弟ではないことなど判っておる。
なぜソフィーに近付いた?﹂
﹁なんのこった。俺がリデア姫の弟?﹂
﹁これこれ兄弟喧嘩するな、とにかく場所を移そうか﹂
服装はこの面子で一番珍妙な王が、自身の娘をまともな内容で嗜
めて立ち話を切り上げるよう促した。
応接間に通された俺が真っ先に行ったことは、自分が帝国の王、
1332
ハダカーノ・オサマ・ハーティリーとは縁もゆかりもない他人であ
ると宣言することであった。
﹁ふぅむ、本当に?﹂
ジトッと疑う視線のハダカーノ。
﹁本当です。つーか俺のことは置いといて、ソフィーに関する話を
聞いて下さい﹂
﹁確かに性格は似ても似つかんしな⋮⋮あいわかった、お前達の用
件を話すがいい﹂
俺が語ったのはこれまでのこと、そしてこれから保護を頼みたい
ことである。
具体的には一年前に異世界から来たこと。
ゼェーレストで生活し、なぜかソフィーの婚約者にされたこと。
そしてレース以降のこと⋮⋮ガイルの裏切りも。
異世界に関することを権力者に話すのは躊躇われたが、ガイルが
頼ると判断した相手である。まずは信用しないと始まらない。
服を着た陛下は静かに俺の話を聞き、そして唸った。
せきよく
﹁まさか紅翼が⋮⋮あの者は帝国でも英雄とされた人物だというの
に﹂
﹁あの、質問してもいいですか?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
無言。
1333
﹁あの?﹂
﹁いや、本当に君は息子とは別人なのだと思ってね⋮⋮うむ、なに
かね?﹂
﹁ソフィーって、結局何者なんでしょうか?﹂
今まで断片的な情報は耳に届いていたが、はっきりとした内容は
誰も話さなかった。
ソフィアージュ・フィアット・マリンドルフ。その名はなにを示
しているのか、いい加減知っておきたい。
﹁紅翼が現在の共和国⋮⋮いや、共和国は崩壊し今は﹃統一国家﹄
を名乗っているのだったな⋮⋮かつて王国と呼ばれていた国の王子
であることは?﹂
﹁は? ガイルが、王子?﹂
初耳過ぎる。
﹁キメェ﹂
高貴なる者の義務
﹁ノブリスオブリージュといってな、かの王国には王族が軍人とな
る慣習があった。ガイル・フィアット・ドレッドノートはかつての
大戦にて、天士としての才に目覚めたのだ﹂
﹁それがどうして、帝国のお姫様の騎士に?﹂
﹁この国、帝国は一度ラスプーチンなる僧侶に主権を奪われた。そ
1334
の際に王族は皆殺しにされ、唯一生き残ったのがアナスタシアなの
だ﹂
それは、まるで最近どこかで聞いたような話だった。
﹁アナスタシアはツヴェー渓谷に身を隠し、一職人として平民と変
わらぬ生活を送っていた。当時ツヴェー渓谷は帝国の最前線基地で
あり、難攻不落の自然の要塞であった。王国が銀翼の投入を決定す
るのは自然な流れであろう﹂
ああ、ちょっと覚えている。
昔ツヴェーでキョウコとデートした時、紅翼が単機でツヴェーを
陥落させたという逸話を聞いたっけ。
﹁そこで彼らは出会い⋮⋮恋に落ちたのだ。ポッ﹂
﹁続けて下さい﹂
﹁あ、はい⋮⋮そこから先は本を読むなり演劇を見るなりすればい
い。二人は戦争を終わらせ、人知れず姿を消した。そして、辺境の
村に住み着いた後に一人娘を儲けたのだ﹂
それがソフィー、か。
﹁あれ、王族が皆殺しにされたんなら、貴方達は?﹂
王と姫を交互に指さす。
﹁我々は遠い分家、一貴族だった家系だ。適任者がいなかった為、
多少のごたごたの後に王となった。表立った反発はないが、色々と
1335
危うい立場なのだよ﹂
そう言い、ソフィーを見やる。
﹁国家運営が近代化してきたとはいえ、何百年も続いた王の血筋の
力は馬鹿には出来ない。尊い血を持つということは、否が応でも相
応の力を持つということだ﹂
﹁⋮⋮もっと簡潔に頼む﹂
やれやれと首を竦め、リデア姫は長々と告げた。
﹁旧王国王政戴冠順位第一位にして現帝国王朝王位継承権第一位︱
︱︱つまり、ソフィーは世界の頂点に立つお姫様ということじゃ﹂
目眩を起こして俺が椅子から転げ落ちたことをきっかけに、話は
お開きとなった。
俺がリデア姫の弟だかなんだかの話は明日に繰り越しらしい。俺
達が両者共に話を聞ける状況ではなくなったことから、陛下が気遣
ってくれたのだ。
色々整理したかったのでありがたい。これ以上混乱したくない。
﹁お姫様、ね﹂
1336
通された客室のベッドの上で、天井の模様をぼんやりと視線でな
ぞる。
やんごとない身分であることなど察していた。だが、世界最高位
とは。
だが紅蓮がソフィーを手に入れようとしたのにも納得した。この
世全てに睨みを利かせられる人物などそういない。手中に収めれば
大きな力となるだろう。
俺が考える以上に、ソフィーの存在は大きな影響力を孕んでいる
ようだ。
そのソフィーは別室に案内されている。俺のような得体の知れな
い奴とは一緒にいさせられないか。
一人で過ごすなんて久しぶりだった。なにかと、ソフィーから離
れないようにしていたから。
彼女の扱いはこの国でも微妙なはずだ。あり得ないが、ソフィー
が野心を抱き貴族達をはやし立てれば内乱となりえる、そんな立場
なのだろうから。
ずっとこの城に逃げ込むことだけを考えていた。その後のことな
んて、考えていなかった。
ソフィーはここで保護してもらった方がいいかもしれない。俺と
しても、肩の荷が︱︱︱
﹁︱︱︱俺、なんつった今⋮⋮﹂
俺は、ソフィーを⋮⋮
がちゃりと扉が開いた。不意打ちにベッドの上で飛び跳ねる。
﹁やっと見つけましたよ、レーカさん﹂
﹁へ? キョウコ? なんでここに?﹂
1337
濡れた黒髪、漆黒の瞳。
耳の尖った美女、ハイエルフのキョウコがメイド姿で控えていた。
﹁置いて行かれるとは思いませんでした。お久しぶりです、お元気
ですか?﹂
﹁なんでメイド服なんだ﹂
﹁一国の城に潜り込むのです、変装くらいは当然かと﹂
変装しただけで潜り込めるのか、ここの警備は?
潜り込むといえば、紅蓮の構成員が世界各地にいると聞いたが⋮
⋮本当にこの城は安全なのだろうか?
﹁無事でなによりだ﹂
そう口にしつつも、俺は別の言葉を内心発していた。
出てけ、と。
一人になりたかった。いい加減、強い自分を演じるのは疲れてい
た。
けれど、キョウコは歩み寄りベッドに腰を下ろす。
﹁元気がありませんね﹂
﹁そうか? 疲れているからな、そのせいだろ﹂
﹁そうですか。ならば積もる話はあとにしましょう。私になにかし
てほしいことはありますか? 貴方の頼みなら大抵聞きますが﹂
なにかしてほしいこと、か。
1338
キョウコの姿を上から下まで観察する。
起伏に乏しいが、スレンダーの範疇で女性らしさをまったく損な
ってはいない。
美しい。そう感じた時には、俺は彼女を押し倒していた。
﹁キョウコ﹂
﹁はい、あの、なんでしょうこれは?﹂
﹁俺に惚れているんだろ、ヤらせろてくれ﹂
身体強化魔法を使えばキョウコは俺には適わない。馬乗りとなり、
服を手荒く掴む。
左右に開き、ボタンを千切って胸をはだけさせる。
﹁いいな﹂
﹁貴方が後悔しないなら、どうぞ﹂
白くきめ細やかな肌、シンプルな下着。
思わず息を飲み、欲望のままに彼女の柔肌を︱︱︱
ポロポロと、涙滴がキョウコの肌に落ちた。
﹁なにやってんだ⋮⋮俺﹂
涙が溢れる。
﹁ごめん︱︱︱なにを、俺はなんてことを﹂
大切な家族を傷付けてしまった。馬鹿だ、とんだ最低野郎だ。
1339
﹁甘え下手ですね、本当に﹂
頭を抱かれ、胸元に押し付けられた。
﹁ちょ、キョウコ?﹂
すべすべした肌が目の前にある。頬に柔らかいものが触れている。
理性が振り切れそうだ。誰か助けて。
手をさまよい伸ばすと、キョウコの手と絡んだ。
ぎゅっ、と指を合わせて握られる。
﹁涙は悲しみを他者に訴える為の声なき声ですよ。私は、貴方の悲
しみを受け止めたい﹂
﹁⋮⋮みっともない、って言うなよ﹂
﹁言いません﹂
彼女の体に腕を回す。
性欲ではなく、温もりを求めて。
﹁俺、ずっと考えてた﹂
この世界に来た頃は、胸躍る冒険や事件を求めていた。
だからゼェーレストに住まうのも一時的なものとしていたし、い
つか旅に出ようと漠然と考えていた。
けれど、ここは現実だ。
地球と変わらない。人々は日々の暮らしを守る為に労働し、時に
愚痴ったり逃げたりしながら生活する。
1340
シナリオなんてなく、未来はいつも不確か。
ハッピーエンドなんて誰も保証してくれない、そんな現実だった。
村で暮らすうちに、それもいいかと思っていた。
友人と家族に囲まれ、小さな世界の中で笑っていられればいい。
たまには冒険したくなるが、旅行くらいならいつでも出来る。
だが、そんな考えすら幻想でしかなかった。
この世界は、残酷なまでに現実なのだ。
不条理に家族を奪われ、居場所を奪われ。
唯一の頼りであったガイルすら離れていき、俺達は全てを失った。
だから縋った。俺はソフィーに、ソフィーは俺に。
﹁戻りたい、あの頃に戻りたいよぉ⋮⋮﹂
顔をぐしゃぐしゃにして、俺は泣きじゃくっていた。
一度吐露した心は止まらない。吐き出しても吐き出しても、思い
は尽きなかった。
ひと月前には当然だった、平穏な生活に戻りたい。
それが、俺の願いだったのだ。
ひときしり泣いたら、なんかすっきりした。
ぽけっとベッドに座っていると、絹擦れ音が耳に届く。
キョウコがはだけたメイド服を元に戻していた。
﹁もう行くのか?﹂
﹁いてほしいなら、一緒にいますよ﹂
1341
﹁いや、いい﹂
﹁なら仕方がない。結婚しましょう﹂
﹁しない﹂
人が弱ってる時にドサクサで押し通そうとしたぞこの人。
﹁ついでにソフィーの様子を見ておいてくれないか﹂
﹁なぜですか?﹂
﹁なぜ、って﹂
﹁見に行くのは構いませんが、貴方が行けばいいのでは?﹂
そりゃ、ソフィーとキョウコは特別仲がいい訳でもないけれど、
顔見知りではある。
頼れる親しい大人が話を聞くだけでも楽になると思うのだ。ガイ
ルは妻を亡くし余裕がなかったし、キョウコはつかず離れずいい案
配だろう。
というか、今俺が実感した。愚痴ると色々楽になる。
そしてなぜ俺が行かないかといえば。
﹁俺じゃあ、あの子にかける言葉がない﹂
俺とソフィーは近過ぎる。なんと言えばいいのか、見当がつかな
いのだ。
1342
﹁そうですか。疲れたんですね、愚図る子供の面倒をみるのが﹂
︱︱︱ッ!
⋮⋮さすが切り込み隊長、遠慮なくぶったぎりやがった。
﹁非常時に心を殺して次の行動を起こせる者が生き残れるのです。
貴方は動きを止めず、彼女は絶望し考えるのをやめた。正直、ソフ
ィーはそこまでの人間だったのです。気にすることはありません﹂
あまりに辛辣な物言いに、思わず反論する。
﹁両親がいなくなったんだ、ショックを受けるのは当然だ﹂
﹁それって、そこまで珍しいことですか?﹂
﹁なっ﹂
﹁孤児など世の中にごまんといます。そこまで貴方が背負う必要は
ない、彼女にはこの城という素晴らしい逃げ場所がある。彼女は篭
の鳥としてここで暮らしてもらいましょう﹂
﹁ソフィーは⋮⋮そこまで弱くない﹂
﹁ならば試してみますか?﹂
キョウコは提案する。
﹁彼女が自力で立ち直れるかどうか、観察してみましょう。勿論、
貴方が誘導したりするのはなしです。あくまで彼女自身の意志で立
ち上がらねば私は認めません﹂
1343
﹁⋮⋮悪趣味だ﹂
ソードシップ
﹁酷なようですが、それが無理ならただの小娘として生きるのが賢
明かと。飛行機の操縦技能が銀翼クラスであっても、戦場で生きて
いける器ではありません﹂
﹁相手は子供だぞ﹂
﹁子供を食い物にしてきたのは、いつだって大人です﹂
それは、残酷な歴史であった。
倫理や道徳は子を守れと唱えるも、餓えに直面した時多くの大人
達は力無き子供を生け贄に捧げてきたのだ。
人買いに子を売り、子を殺し肉を喰らい、子を兵士として訓練し。
全て、地球でも﹁よくあること﹂である。
﹁年齢を言い訳にするのは結構ですが、世界はそんな言葉に耳を貸
したりしませんよ﹂
結局のところ、キョウコだってキョウコなりにソフィーを心配し
ているのだ。
﹁優しくすることだけが優しさではありません﹂
﹁︱︱︱いいだろう。ソフィーは放置する、俺は俺のやるべきこと
をやるさ﹂
そう決意したものの、この晩に早速ソフィーと接することとなる。
1344
夜の帳が下り、人々が寝静まる時間。
城内部では常に誰かしらが起きているが、外界と隔絶された王族
のプライベートスペース、その一室であるここまでは物音はなかな
か届かない。
フロアを囲む衛視とラウンドベースの牢屋を彷彿させる強固な多
重結界に、俺も安心して眠っていた。
ストライカー
﹁ふぇ、もうお腹いっぱいだよぉ。この規格の大出力ジェネレータ
は人型機の腹部に収まらないよぉ﹂
フィアット工房で働く夢を見ていると、ふと物音に目を醒ました。
︵⋮⋮曲者?︶
薄目で枕元のガンブレードを確認。壁の向こうを透視する。
﹁⋮⋮ソフィー、こんな夜中にどうした﹂
部屋にやってきたのは、日中に放置すると決めたばかりの少女で
あった。
歳不相応なナイトガウンを纏ったソフィー。愛用のパジャマは村
以来見ていない。
紐を解き、ガウンを脱ぎ落とす。
﹁なっ︱︱︱﹂
1345
一糸纏わぬ、生まれたままの姿を晒した。
﹁なに、え、なんですか?﹂
﹁レーカ、私を抱いて﹂
なに言っちゃってんのこの子?
﹁嫌なところがあったら直すから、なんでもするから、捨てないで﹂
﹁⋮⋮そういうこと﹂
これが、ソフィーなりの努力なのか。
全てを失った少女が、最後に残った﹁俺﹂を離さない為の、精一
杯の努力。
隠れ家の離島で似たことがあったが、あれも思えば不自然だった。
この子は、解りやすい繋がりを求めているんだ。
子はかすがい、それを能動的に実行しようとした。妊娠すら俺を
捕らえておく為の手段であった。
そう考え、ぞくりと寒気を覚える。これが、子供の考えることか?
駄目だ、そんな形だけはしちゃいけない、それこそソフィーの為
にも。
﹁大人になってから、って言ったろ?﹂
そもそもがこんなぺったんこな体に欲情など覚えない。キョウコ
に盛った俺がいっても説得力がないが、彼女の裸体からは健康的な
印象しか湧かない。
ガウンを着させ、背中を押して廊下へと促す。
1346
﹁一人で部屋まで戻れるな? 俺は眠いからさっさと出てってくれ﹂
﹁いやっ、お願い、レーカ!﹂
軽くだが力ずくで彼女を追い出す。
扉板を背に床にへたり込んだ。
一枚向こうですすり泣く声。
本当に、これでいいのだろうか。女の子をあえて見捨てるなんて。
しばらくすると声が止む。立ち去ったのではなく、泣き疲れて寝
てしまったらしい。
涙の跡を濡らしたハンカチで冷やし、彼女に割り振られた部屋へ
と運ぶ。
﹁おやすみ、ソフィー﹂
人は寝なきゃ生きられない。
そんな言い訳を誰にとでもなくしつつ、俺は起床した。
昨日は散々な日だった。ガイルが裏切り、裸の王様に説明し、キ
ョウコに泣きつき、ソフィーに夜這いされ。
散々ながらも一晩経てば、多少は精神安定は確保されるものであ
り。
﹁綺麗だな⋮⋮﹂
1347
朝日に染まった帝都の町並みを、俺は初めて直視した。
心なしかドリットよりも古臭い、もとい情緒漂う建物。
整然と管理されつつも混沌とした発展を思わせる町は、巨大な生
物のように思えた。
﹁この町って、こんなに綺麗だったんだ。昨日は眺める余裕なんて
なかったからな﹂
ドアがノックされる。誰だろう?
﹁入ってます﹂
﹁トイレかねここは!?﹂
﹁入って、どうぞ﹂
﹁う、うむ、なんだかケツがムズムズするが、失礼する﹂
入室してきたのは、どこか見覚えのある美少年だった。
﹁イケメンとか死ねばいいのに﹂
﹁相変わらずだな君は!?﹂
あれ、知り合い?
﹁誰だよ、ホモに知り合いはいないぞ﹂
﹁僕はノンケだ!﹂
1348
﹁冗談だ、でもなんで生きてんのお前。辛くない?﹂
﹁ひどい!?﹂
少年は既に涙目である。ちょっといじりすぎたな。
﹁まあなんだ、また会えたことを喜ぶとしようか︱︱︱キザ男﹂
まいづる
﹁マンフレートだ! マンフレート・リヒトフォーフェン!﹂
レッドアロウ
くされ縁
赤矢の天士であり、舞鶴と相打ちとなって墜落した少年。
これから存外長い付き合いとなるこの帝国貴族と、俺は一月ぶり
に再会した。
﹁わりぃ、お前の頑張り、割と無駄だったわ﹂
﹁わざわざ報告するな!﹂
なにこいつ楽しい。
彼は走っていた。
一刻も早くこの伝令を陛下に届けるべく、揺らぐ視界も厭わず足
を動かす。
1349
﹁おい、ここから先は︱︱︱どうした、なにかあったのか﹂
制止する衛視も、その尋常ではない様子に首を傾げる。
﹁で、伝令であります、至急陛下にお伝えしなければ︱︱︱﹂
﹁伝令であれば係の者が伝言をする。しばし待て﹂
﹁し、しかしっ﹂
真っ青な彼の顔にどれだけの事態が発生しているか薄々察するも、
衛視は規律に従い彼を足止めした。
﹁落ち着けって。おい、誰か水を持ってきてやれ﹂
﹁ここに酒ならあるぞ﹂
﹁あ、どうも⋮⋮って殿下!?﹂
酒瓶片手に半裸で現れたのは、国王ハダカーノ・オサマ・ハーテ
ィリー。
ほぼ下着で歩き回るなど珍しいことではない、基本自堕落な人間
なのである。
それは、世界が変動の時を迎えていようと変わることはない。
﹁で、伝令! でんれーいっ!﹂
﹁目の前で叫ぶな、聞こえてる。それで、なにがあった?﹂
グビグビと酒をラッパ飲みする帝国王。
1350
﹁ハッ、西南地方の国境警備軍七二番砦が⋮⋮﹂
﹁ん、ああ。あそこか、かなり大規模な基地だったよな﹂
﹁⋮⋮砦が、消滅しました﹂
﹁ブハッァ!?﹂
伝令と衛視は、陛下の吹き出した酒を浴びる羽目となった。
1351
半裸と王︵後書き︶
勘のいい方はひょっとしたら気付くかもしれなくもないですが、
帝国王の名前は超適当です
﹀ガイルに裏切られてソフィーが落ち込んでるのにカバディカバデ
ィとか言ってる場合じゃない
あれは演技ですよ、時間稼ぎの為の。ソフィーの手前平気そうに
この田舎者っ
振る舞っていますが、レーカ君も限界です。ソフィーに八つ当たり
しないだけマシ。
﹀閣下を知らんとは・・・
ルーデルの名前を知らないのは、荒鷹を見て﹁イーグルっぽいな﹂
とか、舞鶴を見て﹁フランカーじゃね?﹂とつっこまないようなも
んです。そういうものだと思って下さい。
﹀ソフィーがルーデルに弟子入りフラグで
ごめんなさいこれからソフィーの出番は薄くなります、ヒロイン
に厳しい小説なんです。
そのかわりリデア姫がヒロイン株急上昇!
1352
迫るリミットと異世界への疑問
﹁朝早く集まってもらったのは他でもない﹂
ハダカーノ王は、適当に見繕ったとしか思えないでたらめな服装
で玉座に座り俺達に語りかけた。
語りかけたが、俺は無視し玉座の隣のリデア姫に訊ねる。
﹁なあ、あんたの親父って服に興味ないタイプ?﹂
﹁そういうな、怠け者で酒癖が悪く頭も凡庸な男じゃが、王として
はそれなりなのだ﹂
﹁君達な⋮⋮まあいい﹂
眉間を揉む陛下。
ここに呼ばれたのはリデア姫、ソフィー、そして俺。面子から昨
日に後回しにした、俺の過去についての話し合いかと思いきやそう
でもないらしい。
﹁真面目な話だ、茶化さないでくれ﹂
ちらちらと俺を見るソフィーを無視し、俺はリデア姫だけを見据
える。オッサンと目と目で通じ合っても楽しくない。
﹁なにかあったんですか?﹂
俺とソフィーの奇妙な距離感をいぶしかむ気配を覗かせつつも、
1353
王は事態を説明する。
﹁国境の砦が一つ、消滅した﹂
⋮⋮消滅?
﹁壊滅とか全滅じゃなくて、消滅ですか?﹂
消滅なんていうからには、文字通り消えたのだろう。ごっそりと。
﹁そうだ。紅蓮どもは神の宝杖を使用したのだ﹂
神の宝杖、ドリット近くの巨塔を一撃で粉砕したアレか。
俺は直接見てはいないが、直径数百メートル高さ六キロの超巨大
建築物を跡形もなく破壊したのだ。威力は推して知れる。
﹁神の宝杖については知っているかね?﹂
﹁ソフィーは元々知ってたみたいです。俺はガイルに教えてもらい
ました﹂
﹁そうか、ソフィアージュには最低限王族としての教育が施されて
いるようだな﹂
曰く、神の宝杖の知識は門外不出の禁忌だそうだ。
この世界全てを射程に収めた最強の兵器。そんな物が世界のどこ
かにあると知れば、民衆は混乱してしまう。
﹁それが使用された、ですか﹂
1354
﹁⋮⋮被害はどれくらい、ですか?﹂
隣から聞き慣れた声。
ソフィーが口を開いたことに、俺は表向き平静を保ちつつも内心
驚愕していた。
どれほど打ちひしがれても、人の心配はしてしまうらしい。優し
い子なのだ。
﹁死傷者はなし。無血開城だ﹂
﹁は?﹂
﹁三回使用されたのだ、神の宝杖は﹂
一回目が二キロ先。
二回目が一キロ先。
﹁そんで三回目で砦が消滅、ですか﹂
﹁あからさまに予告してきたからな、慌てて総員退避したそうだ﹂
殺すのが目的ではないなら、何の為。
﹁壮絶なイヤガラセ?﹂
﹁統一国家政府の通達は要約するとこうだ。﹃姫君を渡せ﹄、とな﹂
顔色が真っ青となるソフィー。
彼女は理解している。今、自分を守る存在などいないと。
1355
俺はそんな彼女を素知らぬ顔で無視。
その様子に首を傾げるも、王は説明を続けた。
﹁君達がこの城に到着したのを確認してから行動を起こしたのだろ
う。これは、明確な脅迫だ﹂
︱︱︱次はここ、帝都に神の宝杖を使用するぞ、という意味か。
﹁⋮⋮つーか、なんで情報が漏れているんですか﹂
﹁紅蓮の騎士団とはそういうものだ。組織である以前に思想だから
な、目に見えないところで広がり侵入する。駆逐は困難だ﹂
その癖、表舞台に上がればラウンドベースを動かせるほどのマン
パワーを有する、と。馬鹿げてる。
﹁まるで白アリかネズミかGじゃな、わしはどれも嫌いじゃ﹂
﹁思想を広げる為には悪行は大まっぴらには行えない、なんだかん
だで紅蓮が屍の山を築かないのは、そういうことだ﹂
﹁共和国で殺しまくってましたが﹂
﹁まともな戦争となれば、死者は五万ではきかなかった。あの作戦
は迅速に共和国を掌握することで、犠牲者を減らすものなのだ﹂
どっちにしろロクな結末が見えないが、その横暴が通用してしま
った時代・国家ってのも案外歴史上にもあるもんだ。
認めたくねぇ、そんな戦争論。
1356
﹁認める必要などないさ、あれは間違いなくただの無法の虐殺だ。
それより話を戻すが、先方は引き渡しの猶予をひと月とした﹂
また悠長な。
﹁これに関しては理由を推測出来る。神の宝杖の使用記録は少ない
か古すぎて曖昧な物が多いが、照準を合わせるのにかなりの時間が
かかることが判明している。砦に合わせた照合が帝都まで移動する
のに掛かる時間がひと月、ということだろう﹂
﹁⋮⋮どうする気です?﹂
僅かに身構えて問う。引き渡すつもりなら、ソフィーを抱えて逃
げなければ。
﹁君達を差し出すことはない。ソフィアージュが奴らに渡れば、そ
れこそ大義名分を得たとばかりに侵攻してくるに決まっている。そ
もそも統一国家はどうやったって、適当な理由を用意して帝国を占
領しようと動くはずだ︱︱︱その為に、この国と唯一渡り合える共
和国を手中に入れたのだからな。せいぜい、嫌がらせになることは
抜かりなくやっとくさ﹂
とはいえ、知らぬ存ぜぬは通じないそうだ。
﹁我々は心臓を握られている身だ。少しでも表立った反抗の意志を
示せば、やられる﹂
﹁実は帝国って、詰んでる?﹂
王族父娘は同時に頷いた。
1357
﹁神の宝杖を抑えられた時点で統一国家の独壇場は確定していた。
表向きの外交だけでは帝国に勝ち目はない。武力外交を含めて、な﹂
﹁てっきり陛下が余裕ぶっこいてるから、なにか秘策があるのかと﹂
﹁酒に逃げて悪いかー!﹂
王叫ぶ。
﹁王様がなんだ、キングだって不貞寝することも自棄酒することも
あるんだあぎゃ!?﹂
リデア姫の電撃魔法がハダカーノ陛下に直撃した。
﹁無能ではないが凡人での、聞かなかったことにしてくれ﹂
﹁お、おう﹂
﹁要約すればこうじゃ。﹃1ヶ月以内に出てってくれ﹄。それが限
度なのじゃ﹂
﹁出てけ、って⋮⋮どこに?﹂
﹁自分で考えるのじゃ。我々が知れば、最悪敵対行動と取られる。
むしろ、常に動き続けるくらいがいい﹂
﹁つまり、自由天士になれと?﹂
﹁金銭援助くらいは出来るかも、いや過度の接触は危険じゃな﹂
1358
﹁どこか、人知れない山奥に身を隠すとかは?﹂
離島の隠れ家はこういう時こそ意義を発揮するのではなかろうか。
﹁ソフィーの両親は、それを失敗したのじゃぞ?﹂
︱︱︱そうだった。
身を隠し静かに暮らす。それは、ガイルとナスチヤが画策し、失
敗した作戦そのものだ。
いずればボロがでて見つかる。ならば、目立っていようがなんだ
ろうが動き続けた方がいい。
﹁紅蓮の構成員は一人一人は非力じゃ。アクションを起こすにはそ
れなりのタイムラグがある、帝国内で旅をし続ければ問題なかろう﹂
ちらりとソフィーを見やる。
俯き、話を聞いているかも怪しい彼女の様子をみていると自由天
士としての冒険生活など送れるのか甚だ疑問だった。
﹁次にお主がわしの弟ではないか、という案件じゃが。父が使い物
にならなくなったのでわしから話そう﹂
君がやったんだろ、なんてツッコミはしない。電撃はゴメンだ。
﹁すまんが、昨晩はお主の行動を監視させてもらった﹂
1359
﹁⋮⋮どこからどこまで﹂
見られたくない場面が多々あったのだが。
﹁お主が存外好色なのは判ったの﹂
﹁やってねぇよ。チェリーだよ﹂
﹁ちぇ⋮⋮チェリーとはなんじゃ?﹂
﹁さくらんぼだ、さくらんぼ﹂
適当に誤魔化す。知らないならその方が幸せだ。
﹁怪しいことには変わりないが、それでもお主が⋮⋮彼女を案じる
気持ちは本心だと思った。だから、ほんの少しだけ信用してやる﹂
﹁そりゃどーも﹂
﹁彼女﹂と曖昧に濁したのは、俺とキョウコで話し合った方針を
尊重するということだろう。
﹁わしには弟がいた。一年前までな﹂
過去形?
﹁とんでもない愚弟だったがの、粗相も悪くクソガキじゃった。お
主とは似ても似つかん﹂
1360
﹁ならなんで俺を弟だと思ったんだよ﹂
﹁似ておるのだ、単純にな﹂
ルーデルが肖像画を示す。
﹁⋮⋮俺?﹂
﹁愚弟を描いた物、遺影じゃ﹂
ちょっと鳥肌が立った。俺の顔で遺影とか勘弁してほしい。
エアシップ
﹁弟は一年前に共和国にお忍びの旅行へ向かっていた。その途中で
乗っていた飛宙船が墜落し、以降行方不明生存は絶望的⋮⋮そうな
っておる﹂
﹁見つからなかったのか?﹂
﹁国境付近で墜落したことは間違いなさそうなんじゃが、共和国入
りする前に気まぐれにどこかに立ち寄ったらしい。そのせいで具体
的な場所が判っておらん。共振通信が直前まで繋がっていたことか
ら、事件性がなかったことは確定しておるんだがの﹂
なるほど、それでは死体は未だどこかに⋮⋮
⋮⋮一年前、飛宙船、墜落現場?
﹁な、なあ、その乗っていた飛宙船って、小型級か?﹂
﹁うむ、お忍びだからな﹂
1361
﹁外見はシンプルだけど後ろの荷台が部屋みたいになってて、それ
がやたら豪華だったり?﹂
﹁なにを⋮⋮心当たりがあるのか﹂
そりゃあるさ。その条件に当てはまる状況を、俺は実際に目撃し
ている。
﹁俺が、この世界に来た時の状況だ﹂
手の平を見つめる。
この体は、誰の物なんだ? あのロリ神が造ったわけじゃないの
か?
﹁⋮⋮その肉体が弟の物だったとして、中身に関しては二つ可能性
がある﹂
リデア姫は淡々と告げる。
﹁一つはどこかから回収した魂を、別の体にぶちこんだ説。もう一
つは、お前は弟本人であり暗示・洗脳によって異世界から来たと思
い込んでいる説﹂
﹁ちょ、馬鹿いうな、俺は地球から来たんだ! 向こうでの人生だ
ってはっきり覚えている!﹂
﹁そもそも異世界など聞いたことがないぞ。過去に観測された世界
はここ、セルファークだけじゃ。存在しないのではないか、﹃地球﹄
なんて場所は﹂
1362
﹁ふざけんな! そんなはず、ないだろう!﹂
俺の半生が捏造された物なんて、悪い冗談だ。
﹁そうだ、異文化の工芸品は!? あれのことを知っているんだか
ら、俺は地球人だろ?﹂
﹁異文化の工芸品? いや、あれは⋮⋮うむ﹂
考え込んでしまったリデア姫と睨めっこ。
しんしん
﹁秘蔵の謎の戦闘機・心神を知っておったのは事実じゃしな。仮説
段階だが理論的には不可能ではない、か﹂
﹁なにを?﹂
﹁お主を﹃地球﹄からサルベージし、我が愚弟の肉体に魂をぶちこ
むことを、じゃ﹂
地球を認めないのか認めるのか、どっちなんだ。
自己同一性
﹁たぶん、お主はお主じゃよ。無駄にアイデンティティで悩むこと
もあるまい﹂
﹁でも、この体は他人の物なんだろ?﹂
﹁ほっとけば死んで腐ってた肉体じゃ。好きに使え﹂
そうは言われてもなぁ、知った後だと急に違和感が湧いてきた。
体がむずむずする。ああもう、気持ち悪い。
1363
﹁あっ!﹂
﹁どうしたのじゃ?﹂
﹁あった、絶好の隠れ場所! 地球に戻ればいいんだ!﹂
ソフィーを地球に連れて行けば、紅蓮の騎士団に怯えて暮らすこ
ともない。ナイスアイディアだ。
﹁無理じゃ﹂
﹁なんで? こっちに来れたんなら、戻ることだって理屈の上では
出来ないか?﹂
﹁世界の壁を越えて移動させられるのは、魂などの﹃情報﹄だけじ
ゃ。向こうからこちらに呼ぶならばお主をセルファークに引き込ん
だ何者かのように死体をあらかじめ確保しておけばいいが、こちら
から向こうに行くにはあちらで器を用意している協力者が必要じゃ﹂
﹁て、適当な死体に飛び込むとか﹂
﹁そのまま死ぬだけじゃ﹂
それは嫌だ。
﹁のう、イレギュラー﹂
﹁レーカだ。なんなんだよイレギュラーって﹂
1364
﹁レーカ、うむ、レーカと呼んでいいか﹂
﹁なら俺もリデアって呼ぶぞ﹂
﹁許す。一ヶ月の間じゃが、よろしくしようではないか﹂
あれ、許された。冗談だったのに。
﹁よろしく、リデアちゃん﹂
﹁⋮⋮それはやめろ﹂
こうして話し合いはお開きとなった。
謎が増えただけな気がする。
しろがね
ひと月の間にやるべきことなんて沢山ありすぎて困るくらいだが、
真っ先に思い浮かぶのは白鋼の修理だ。
借りたツナギに着替え、旅の最中に描き溜めた図面を抱え廊下を
歩く。
目的地は一路、格納庫。
﹁あっ﹂
﹁おう、こんちわ﹂
1365
ソフィーと出くわした。
なにか言いたげなソフィーにそっけなく挨拶だけして、足を進め
る。
﹁待って、レーカ﹂
⋮⋮待てと言われてスルーするわけにもいかず、彼女に振り返る。
﹁レーカは、どこに行こうとしているの?﹂
﹁格納庫だけど、白鋼修理しないと﹂
﹁そうじゃなくて⋮⋮このひと月が終わったら、どうしようと考え
ているの?﹂
どうしよう、か。
選択肢は少ないようで無数にある。
世界の動きなど気にせず気楽に冒険生活。
紅蓮をぶっ潰す為に戦力や人脈を調える。
ガイルのやろうとしていることに協力するのもアリかもしれない。
これはあり得ないが、ソフィーを統一国家に明け渡すって選択肢
も存在している。
悩んで、素直に自分の本心を向かい合った結果、結論なんて最初
から決まっていたことに気付いた。
﹁俺はゼェーレストを目指す﹂
﹁でもゼェーレスト村は⋮⋮﹂
1366
紅蓮の監視があると言いたいのだろう。しかし、そうじゃない。
﹁俺が戻りたいのは平穏な頃のゼェーレストだ﹂
﹁⋮⋮レーカ、あの頃は戻ってこないのよ?﹂
知っているさ。別に現実逃避しているわけではない。
﹁確かに戻らないものもある。けど、ソフィーもマリアも⋮⋮ガイ
ルも、まだ生きているじゃないか﹂
﹁でも、お父さんは私を捨てたわ﹂
﹁戻ってくるさ。アイツにその気がなくったって、その気になるま
でまとわりついてやる﹂
﹁紅蓮の騎士団はどうするの?﹂
﹁なんとかする!﹂
根拠もなく断言した俺に、ソフィーは一度呆けた後にくすりと笑
った。
﹁⋮⋮レーカは、強いわね﹂
﹁そうでもないさ。ソフィーのいないところで、散々ウダウダやっ
ていたよ﹂
キョウコに晒した痴態は俺の黒歴史だ。
⋮⋮でも、ま。
1367
﹁もう悩むつもりはない﹂
﹁︱︱︱。﹂
1368
迫るリミットと異世界への疑問︵後書き︶
レーカ﹁もうなにも怖くない﹂
﹀普通の反応といえば普通?
むしろ一夜にして消滅したことにハダカーノは驚いています。交
戦中、であれば想定内だったでしょう、情勢的に。
﹀キザ男まさかの生還
このシリアスをぶち壊せるのはキザ男、お前だけだ! 名前忘れ
たけど。
﹀四章後半以降の作者のテンションはうすら寒く、きみ悪い
重い本編の内容に押しつぶされないように、という空元気でもあ
りました。作者が潰れてしまっては作品自体が終わってしまいます
から。必死に自分を鼓舞しています。
前回の弱音なども、作者がそれなりに鬱になっている表れです。
弱音を吐く作者に付き合わせてしまいごめんなさい。
一度どん底に落とされた子供達が、それでも立ち上がろうとする
のが5章の内容です。きっとレーカもソフィーも以前のように笑え
るようになってくれます。
こんな駄目な作者ですが、よろしければもうしばらくお付き合い
下さい。
率直な感想ありがとうございます。
1369
ひもぱんと既視感
﹁こいつは、ひどいな﹂
しろがね
しんしん
城の格納庫に運び込まれていた白鋼は、検分するまでもなく大破
認定であった。
ただ一発の弾丸で白鋼の障壁を貫いた心神の機銃。
いや、あれは機銃ではなく主砲か。威力は馬鹿げているの一言だ。
﹁第三世代戦車の複合装甲級に堅い障壁だ、小細工抜きの運動エネ
ルギーでそうそう貫けるもんじゃない﹂
複合装甲は最近の戦車に採用される、複数の材質を重ねた装甲だ。
様々な対戦車砲に対して高い耐性を持ち、現行最も強固な装甲と
いっていい。
事前の実験にて、白鋼の障壁がそれに匹敵することは確認済み。
航空機の装備では、爆撃だろうと貫けない。
貫けない、はずだった。
戦闘で解析する間もなかったが、あれってレールガンだったよな
電磁誘導
⋮⋮?
ローレンツ力で弾丸を加速させるのがレールガンだ。火薬による
膨張速度の限界を越えられない通常弾と異なり、原理上速度限界が
存在しない︵ような気がする︶。
ちなみに勘違いされがちだが、レールガンは電磁石の力で弾丸を
飛ばしているわけではない。そりゃコイルガンだ。
どっから電力を供給しているんだろう。エンジン? 吸気口がな
かったからロケット推進?
なんにせよ、心神の詳細なスペックが判らないと対策しようがな
1370
い。
﹁おう、坊主。お前がこいつの専属整備士か?﹂
ドワーフに話しかけられた。
﹁俺はバルティーニっつーモンだ、上からの指示でソイツの修理を
手伝うぜ﹂
先頭の若いドワーフに加え、背後に控える作業服の職人達。その
人数はざっと二桁に達する。
﹁いや、いい﹂
﹁んだよ、俺の腕に文句でもあんのか!﹂
喧嘩っぱやい人だ。
﹁別にあんたがどうこうじゃなくて、自分でこいつと向き合いたい
気分なんだ﹂
﹁はん、問題を先送りにする言い訳にする気だな?﹂
ギクッ。
﹁しかもその問題は女と見た﹂
﹁⋮⋮うるせぇよ﹂
﹁あ? 本当に女なのか? マセガキだなオイ﹂
1371
鬱陶しい、ほっといてくれ。
﹁とにかく手伝うからな。こっちだって命令なんだ、サボればとっ
ちめられちまう﹂
ああ、そりゃそうか。
﹁なら仕方がない。正直作業が多くて困っていたのは事実だ﹂
ソードストライカー
以前から考えていた半人型戦闘機専門機への転換改造に加え、心
神対策の強化も行わなければならない。ひと月で終わるか若干疑問
だったのだ。
﹁じゃあ集合、ざっと改造箇所を説明するぞ﹂
わらわらと集合した職人に箇条書きの紙を見せる。
﹁これと、これと、あそこも⋮⋮こんなもんだな。あと外付けのこ
れらも皆に頼む﹂
﹁おい、こいつぁ⋮⋮正気かよ。まともなコンセプトじゃないぜ、
半人型戦闘機ってことを差し引いてもよぉ。化け物でも造る気かよ﹂
若干引きつっているバルティーニに、俺は憮然と返した。
﹁そりゃそうだ︱︱︱まともな機体でアイツに勝てるなんて、思っ
ていない﹂
1372
修復は俺にしか手を着けられない箇所も多く、それ以外の部分は
全て彼らに押し付け⋮⋮任せることにした。
あまりの作業量に涙目の彼らを置き去り、俺は部屋に戻る。強化
に際してミスリルを大量に調達しなければ。
自室に戻ると、キザ男が優雅にお茶を飲んでいた。
﹁やぁ、用事は済んだのかね?﹂
とりあえず持っていたレンチを投げつけた。
﹁ぬわっ!? あ、危ないな! なにをする!﹂
チッ、避けたか。
﹁人の部屋でなにやってんだ﹂
﹁見て判らないかね? 君の護衛だよ、君の﹂
どの辺に俺を守ろうって意志があるんだ、くつろぎやがって。
そう、護衛である。よくわからんが重要人物らしい俺にも護衛が
あてがわれたのだ。
そして白羽の矢が立ったのが、赤矢の天士・キザ男。名前は忘れ
た。
﹁そもそも君の方が強いじゃないか、お飾りの護衛はお飾りらしく
蝶を愛でているさ﹂
1373
蝶?
﹁蛾の親戚がどうしたって?﹂
﹁蝶はガじゃないだろう?﹂
似たようなもんだ。学術的には明確な区分はない。
﹁美しいのが蝶さ﹂
﹁鮮やかな蛾だっているし、地味な蝶もいる﹂
いやいや、なんの話をしているんだ俺達は。
﹁僕は今、可憐な蝶に恋をしているのだよ!﹂
﹁獣姦ならぬ蟲姦か、キメェ﹂
﹁あれは君達と再会した日のことだった⋮⋮﹂
急に回想モードに突入したので、俺の方で纏めることにする。
キザ男、ソフィーに着任の挨拶に行く。
ソフィーが泣いてキザ男の手を掴み、生存を喜ぶ。
以上。
1374
﹁まさしく愛の告白だった﹂
﹁ちゃうとおもうで﹂
あの惨劇で救われた人がいると知り、純粋に喜んだのだろう。そ
んな子だ。
﹁いや、男女の駆け引きにおいて百戦錬磨の僕にミスジャッジはな
い。あれは騎士に恋した乙女の瞳だ﹂
ケッ、ガキがいろづきやがって。
﹁ソフィーの身分については聞いているか?﹂
﹁無論だ、だからこそリヒトフォーフェン家の鬼才たる僕が姫君の
護衛を勤めているのだからな﹂
お前はソフィーの護衛じゃなくて俺の護衛だろ。
護衛の騎士は、間違いがおこらないように同性を選ぶそうだ。ソ
フィーの護衛はキョウコが行っている。アイツ部外者だろ。
﹁そのお姫様相手に﹃田舎娘﹄呼ばわりしていたよな、お前﹂
﹁ななな、なんの、ことかな?﹂
レース前に、確かにソフィーを馬鹿にしていた。俺は忘れない。
﹁ソフィーに指一本でも触れたらチクってやるからな﹂
﹁横暴だ!﹂
1375
﹁婚約者だ!﹂
﹁ふん、お前のような卑怯な男は姫君の相手として相応しくない!﹂
俺が卑怯?
﹁捕らえた蝶に餌もやらず、かといって逃がす気もない。これを卑
怯と呼ばずになんと呼ぶ!﹂
い、痛いところを。キザ男のくせに。
﹁一生面倒みてやる、くらい言えないのかね﹂
﹁言えるかっ、そんな軽々しく扱っていい問題じゃあるまい﹂
﹁依存も愛の形だと思うがね、ハッピーエンドであればいいじゃな
いか﹂
こいつほど気楽に生きれたら、人生悩むこともないんだろうな。
﹁ま、いいさ。僕も弱っている女性に付け込む趣味はない﹂
そりゃ高潔なことで。
1376
キザ男が妙なことを言い出すものだから、急にソフィーが心配に
なってしまった。
﹁ちょっと、ちょっとだけ、先っちょだけ見るだけだからっ﹂
中庭の壁を登り、ソフィーの部屋を目指す。
﹁おい、そこの変態蜘蛛男、そこでなにをしておる﹂
話しかけられ、慌てた拍子に壁から落下してしまった。
ドシン、という重い音が響く。
﹁︱︱︱ぃってぇ、腰打ったあぁ﹂
﹁あそこはソフィーの部屋じゃな? 姫の私生活を覗こうなど、死
刑は免れんぞ﹂
頭上から年寄りくさい口調の女声が聞こえた。
腰に手を当てて仁王立ちする、上下逆さまのリデア。
とりあえずスカートを覗こうと虫のように地面を這って近付く。
﹁なにをしておるんじゃ?﹂
俺の意図に気付かずきょとんとするリデア。
本当に覗いてはただの変態なので、自重する。
﹁ここは虫けらのように踏む場面だろ﹂
ボケ殺しとか、この子意外と強敵である。
1377
﹁ん、おお、下着を見ようとしたのか。こんなのただの布じゃろ﹂
だからどうしたと言わんばかりにスカートを摘み上げる。ちょ、
やめなさい、太ももまで見えたぞ。
﹁前に押し倒しちゃった時も反応薄かったな﹂
﹁いやあれはさすがにイラッときたが﹂
まずい、やぶ蛇だった。
﹁王族やっていると羞恥心が薄れるのじゃ。飼育小屋の動物と変わ
らんわ﹂
﹁歌や踊りも客寄せ、じゃなかった、情宣活動の一環なのか?﹂
﹁あれは趣味じゃ。立場を利用して見せつけているだけじゃな﹂
需要のある職権乱用とは珍しい。
﹁こんなところではなんじゃ、わしの部屋へ行こう﹂
﹁えっと、俺には重要任務が﹂
﹁ソフィーの私生活を覗くことがか?﹂
﹁ち、違うぞ。白鋼を作らないと。心神の詳細なスペックとか判ら
ないか? あぁ忙しい忙しい﹂
1378
﹁一ヶ月の制限の中、呑気に覗きしとる奴がなにを。睡眠時間でも
削っとれ﹂
既に削り気味です。
﹁ゆっくり語り合おうではないか。異世界とやら、実に興味がある﹂
本人にとっては決定事項らしい。撤回は困難そうだ。
﹁女の子の部屋は初めてだぞ﹂
ソフィーもマリアも私室はなかったし。
﹁女子の部屋を家探しなどするなよ﹂
﹁わかってるって﹂
ひもぱん を てにいれた!
﹁お主は脳がないのか? それとも腐っておるのか?﹂
魔法の鞭で打たれる俺。ヤメテクダサイ、メザメチャウ!
ただの布なら、ちょっとくらい大目に見てほしい。
﹁しかし黒とは、どきどきするな﹂
1379
﹁いいかげん返さんか⋮⋮色々聞かせてもらうからの、長丁場は覚
悟しとけ﹂
俺にベッドに座るように勧め、リデアはコップを二つ棚から取り
出す。
﹁あ、お構いなく。って、お姫様直々に配膳するのか? なんなら
俺がやるけど﹂
﹁プライベートスペースでは給仕などおらん、いつものことだから
気にするな。それにお主は世界最高位の姫君の婚約者じゃろ、王族
といえどけっして軽んじていい身分ではない﹂
そういやソフィーと結婚すれば、俺は婿殿だな。
ソフィーの実家はもうないし、深く考えることでもないが。
﹁なんか重いのう、この瓶﹂
あべんじゃー
﹁それは30ミリ機関砲の砲弾だぞ﹂
﹁おお、本当じゃ。ルーデルが間違えて置いてったんじゃな﹂
﹁ははは﹂
﹁ははは﹂
⋮⋮⋮⋮。
﹁ところで部屋、紙だらけだな﹂
1380
﹁ああ、手紙じゃ。気にするな﹂
無茶言うな。気になるわい。
室内は所狭しと積み上げられた紙の山で埋まっていた。せっかく
の広い洋室が、足の踏み場もない。
唯一のゴロゴロ出来る空間が天蓋付きのベッドの上なのである。
﹁手紙⋮⋮ファンレター?﹂
一枚取ってみると、それはむしろ資料に近い物であった。
﹁これ、見るな!﹂
彼女が立てかけてあった杖を振るうと、数千枚はあるであろう紙
は乱舞し棚に収まる。
﹁おー、さすが魔導姫﹂
風の噂で魔法が得意とは聞いていたが、こりゃ便利だ。
﹁アナスタシア様には及ばんがの、さてそれでは聞かせてもらおう
か。異世界とはどんな場所なのだ? 物理法則は? 政治形態は?
技術は? 文化は?﹂
⋮⋮若干、彼女のお誘いに応じたことを後悔することになりそう
だ。
1381
﹁ほう、ミサイルか。自ら標的に向かっていくロケット弾とは、面
白い物を作るものだ﹂
﹁こっちじゃ電子機械が発達してないからな、物理法則が違って使
えないってことはないだろうし﹂
心神がちゃんと動いていたのだ、その辺は問題ないのだろう。
﹁魔法で事足りるからの、今のところ﹂
﹁今のところ?﹂
﹁あー、⋮⋮あんまり複雑な処理は出来んからのう、魔導術式は﹂
﹁真空管レベルなら電卓くらいは可能そうだけどな﹂
彼女がなぜ言いよどんだかは、四年後ほど先に明らかになる。
﹁隣の国まで自立して飛んでいくミサイル、しかも町が吹き飛ぶほ
どの破壊力? お主の世界はどんだけ物騒なのじゃ﹂
まったくだ。銃口を互いの額に突きつけあって、﹁仲良シダネ!﹂
﹁ソウダネ!﹂とかニコニコしている気分である。
﹁どちらかが打てばもう片方も打つ、結果世界が滅ぶ。だから大戦
はもう発生しない⋮⋮なんて言う奴もいるけど﹂
1382
﹁なるほど、つまり神の宝杖がもう一つあればセルファークも平和
になるのじゃな⋮⋮ってアホか﹂
﹁だな、神の杖の発展型がそうそう落ちてたら大変だ﹂
﹁いやそうじゃなく︱︱︱待て、神の杖の発展型とはどういう意味
じゃ?﹂
﹁名前からしてそうだろ? 神の杖の強化発展型だと思っていたん
だが﹂
※国が計画していた次世代兵器、その一つが神の杖と記憶してい
る。
﹁照準の移動がそれだけ遅いということは、本体ごと姿勢制御する
砲台みたいなモンなのかな﹂
﹁まさか、神の宝杖について知っておるのか!?﹂
食いついてきた。祖国の危機なのだから、当然だけど。
﹁神の宝杖って、異文化の工芸品だろ?﹂
﹁うむ、しかし発見されているのは制御ユニットだけだ。本体の場
所は不明のまま使用されてきた﹂
﹁俺のいた世界に、神の杖って兵器がある﹂
﹁なんじゃと! 教えろ、神の宝杖とはなんなのだ! 何処にある、
どういう兵器なのだ!?﹂
1383
詰め寄るリデア。形相がやばい。怖い。
﹁あー、えっと、神の杖ってのは宇宙から杭を落として爆撃する自
由落下質量弾だ。単純に鉄杭を落とすだけだが、なんせ宇宙からだ
からな。加速し続けた杭の威力は局地的にながら核爆発にすら匹敵
するそうだ﹂
正しくいえば構想があるだけだが、一〇〇年後の戦闘機がある以
上神の杖やその発展型が迷い込んでいたって不思議ではない。
﹁落とす⋮⋮高い場所から、か﹂
﹁この世界じゃ無理だぞ、たかだか三〇〇〇やら六〇〇〇メートル
から落としたって意味がない、一〇〇〇キロ上空から落とすから高
威力なんだ﹂
落ちてくるのがただの鉄棒なので、放射能や化学汚染もまったく
ないクリーンな兵器らしい。
クリーンな兵器︵笑︶。超大国的なウケ狙いだろうか。
﹁⋮⋮ふふふ、そうか、そうだったのか!﹂
興奮気味に高笑いを上げる姫。対して俺はドン引きである。
﹁宝杖は、神の領域にあったのだ!﹂
神の領域?
﹁世界の外にある、広大な魔法使用が不可能な空間だ。魔法が使え
1384
エアシップ
ない以上は飛宙船も飛べず、探索も進んでいない謎の多い場所なの
だ!﹂
﹁世界の外、ね﹂
この世界ってどういう形をしているのだろう。地上と月面が向か
い合っているのだから、どら焼きみたいな平めったい形状か?
興奮気味にベッドの上で跳ね回るリデア。まるでお子様である。
﹁対策でも立ったのか?﹂
﹁まったく思い付かん!﹂
えー。
﹁だが糸口は見えた、未来に新たな可能性が生まれたのじゃ!﹂
ひったくるように紙を引き寄せ、頭を寄せて羽ペンを走らせる。
四つん這いで尻を突き出す姿勢。姫にあるまじき姿だ。
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
男だったら﹁カンチョー!﹂とかやるところだが、女性だしなぁ。
彼女の両足首を掴む。
﹁む?﹂
﹁そぉい!﹂
引っ張った。
1385
﹁うぶぅ!?﹂
ぼふん、とベッドにうつ伏せに落ちるリデア。
﹁ふははは、俺の前で油断したからだ﹂
悪戯大成功。羽ペンだから怪我の危険もない、完璧なプランであ
る。
﹁⋮⋮お主、覚悟は出来ておるか?﹂
﹁ははは、は?﹂
振り返ったリデアのドレスは真っ黒に染まっていた。
側には倒れたインク壷。あー。
﹁ごめん﹂
﹁お気に入りのドレスじゃ、許さん﹂
やばい、しょーもないことで不敬罪になる。
むーっ、と怒るリデア姫。ちょっと可愛らしい。
じりじりと寄ってくるリデア、後退する俺。
﹁いい残すことはあるか?﹂
ひもぱんを両手で摘んで広げる。
﹁これお土産に持って帰っていい?﹂
1386
fly!?﹂
リデアは天井から垂れた紐を引いた。
can't
床が開いた。
﹁I
咄嗟に縁にしがみつくも、指だけでぶら下がっている姿勢となる。
ひもぱんは口でキャッチして死守した。
﹁なんでだろ、初めてじゃない気がするぞ、この穴に落ちるの﹂
︵少女が紐を引くと落とし穴、こんなシチュエーションが前にもあ
ったような⋮⋮︶
姫が俺を見下してくる。
﹁落とし穴は王家の寝室の嗜みじゃ﹂
そんな嗜みあってたまるか。あとスカート中身見えているぞ。
﹁黒もそうだが、赤はちょっと早いとお父さん思うんだ﹂
﹁安心せい、別に底が剣山なわけでもない。この穴の内側には転移
術式が刻まれておってな、牢屋に直行じゃ﹂
臭い飯は勘弁である。
﹁おゆるしをー!﹂
リデアはしゃがみ、縁にかかった指を一本一本外していく。
1387
﹁じゃが術式をいじることで転移先を変えることも出来ての⋮⋮一
生さまよっておれ﹂
遂に指が全て開き、俺は奈落の底へと落ちていった。
俺はフワフワと浮いていた。
ぱんつもフワフワと浮いていた。
﹁⋮⋮トンネル?﹂
直径五メートルはありそうな円柱の内部。大型トラックだって走
れそうだ。
﹁牢屋、じゃないよな。出口が見えるし﹂
どこに飛ばされたんだ? 危険はさすがにない、と思いたいけど。
壁を蹴りトンネルの先、光射す出口へと浮遊して向かう。
長いトンネルの先は、広大な空間だった。
﹁嘘だろ⋮⋮﹂
そこには無数の機械が浮かんでいた。
自動車、飛行機、用途不明な物まで様々。
しかし唯一の共通点がある。
1388
﹁これ、全部地球の機械だ﹂
異文化の工芸品。
セルファークにて時折発見される、基本的に貴重なはずのそれが
大量に宙に浮いている。
おおっF−2まであるぞ。
﹁持って帰っちゃ駄目かな。いいよね?﹂
﹁こらこら、ここにあるものは持ち出し禁止だよ﹂
﹁何奴!?﹂
振り返ると、そこには飛行機の主翼に腰掛けたポニーテールのお
姉さんがいた。
﹁なんだこの巨大飛行機!﹂
﹁私を無視しないでくれたまえ﹂
彼女が座っていたのは主翼幅一〇〇メートル近い、巨大な飛行機
であった。
﹁正確には約八九メートルだね。件の異文化は凄まじい物を作るも
のだ﹂
飛宙船としては中型級クラスだが、飛行機でここまで大きいもの
はない。大半が小型機なのだ。
﹁俺がさっき入っていたトンネルは、こいつの格納庫だったのか﹂
1389
機首が上に持ち上がり胴体内のスペースへと直接貨物を出し入れ
可能となっている。輸送機か。
﹁なんて飛行機なんだ、これ﹂
﹁さてな、未知の言語で書かれているから判らないんだ﹂
お姉さんが指さした先には﹁Мр?я﹂の文字。
﹁ムリーヤ? ⋮⋮またイロモノが異世界に迷い込んだな﹂
そもそもここはなんなんだ。異文化の工芸品のコレクターか、こ
のお姉さんは。
﹁あながち間違いでもないね。私はここの司書さ﹂
﹁本なんてないけど﹂
﹁資料室は別にある。ここは現物を保管する空間だからね﹂
そもそもここって何処?
﹁帝国の施設だよ。巨塔内部の﹂
﹁巨塔?﹂
地上から月面までを貫く巨大ダンジョン。確かフュンフにもあっ
た。
1390
﹁ひょっとしてここは⋮⋮﹂
﹁そう、巨塔の重力境界部分だ﹂
だから無重力なんだな。
﹁ここは重力がないが故に、物が朽ちにくい。資料の長期保存には
最適なんだ﹂
つーことはなんだ、共和国の貴重な資料はあの瞬間ぶっとんだの
か。
﹁そういう君は、異世界人君だね﹂
﹁⋮⋮なぜそれを?﹂
いせかいじんくん、って噛みそうだ。
﹁この文字を読めるんだ、普通ではないさ﹂
勘違いされても困るが俺はウクライナ語なんて読めない。
﹁ナスチヤから手紙で聞いていたからね、奇妙な子供を保護したっ
て﹂
髪をかきあげるお姉さん。あ、この人耳が長い。ハイエルフだ。
﹁アナスタシア様のお知り合い?﹂
﹁その通りだ。また一人、友が逝ってしまった。彼女との離別はあ
1391
と数十年先だと予想していたのだが﹂
資料の司書、そしてナスチヤの友人。
二つに該当する人物に、心当たりがあった。
﹁もしかして、異世界について調べてくれたのは⋮⋮﹂
﹁この私、だよ﹂
ナスチヤが話していた帝国の知り合いか。
﹁その節はどうも、参考になりました﹂
﹁いや、気にしないでくれ。歳を取るとやたらお節介を焼きたくな
るものだ﹂
そういえば心神は巨塔からこぼれ落ちてきたけど⋮⋮ここに保管
されていたのか?
﹁うむ。賊が乗り込んできてな、貴重な物品を強奪されてしまった
よ﹂
ガイルに備え、心神については調べておきたかったが。
﹁資料だけなら残っているぞ?﹂
﹁マジっすか? じゃあ是非教えて下さい、これあげますから﹂
ひもぱんを差し出す。
1392
﹁⋮⋮誰のだい?﹂
﹁リデア姫のです﹂
これはネットで高く売れそうだ、ネットないけど。
﹁王族の衣類をくすねて大丈夫なのか? 窃盗犯に情報を渡すわけ
にはいかないのだが﹂
﹁目の前で盗ったから罪には問われないでしょう。別件で怒りを買
って落とし穴に落とされましたが﹂
﹁取った? ⋮⋮脱ぎたてなのか、これ﹂
字が違います。
﹁リデア姫の下着を脱がすような関係であれば、情報開示もやぶさ
かではないかな﹂
ひもぱんが血路を開いた。まさか伏線だったとは。
﹁着いて来たまえ﹂
別室に移動し、鍵を幾つか経過して俺は数枚の紙を受け取った。
﹁これが心神の資料だ。以前送った物は機密の観点から簡略版だっ
たが、これは正規の保存用だからな。折り曲げたり汚したりしない
ように﹂
﹁はい、写したらすぐ返しにきます﹂
1393
﹁いや、全て暗記しているから返さなくていいよ。用が済んだら燃
やしてくれ﹂
なら丁寧に扱う必要ないじゃん。
﹁あとなにか質問はあるかな?﹂
なにか尋ねることがあるかと思案し、ふと思い立った。
﹁⋮⋮質問って何回まで?﹂
﹁何度でもどうぞ?﹂
制限なしか、なら欲張ってみよう。
﹁全部﹂
﹁は?﹂
﹁世界に関して、全部教えてくれ﹂
ぽかんと口を開けた後、彼女はこみ上げる笑いを堪えることに終
始した。
﹁くく、知識欲の化身だな君は。なるほど、ナスチヤの勉強熱心の
事は事実らしい﹂
アナスタシア様がそんなことを? なんだか嬉しい。
1394
﹁しかし歴史の全てを語るには人の寿命は短すぎる、もう少し割り
込んでくれ﹂
﹁なら、地球とセルファークの関係だけでも﹂
﹁機密事項だ﹂
えー。
キョウコも地球と異世界の関係を教えてくれなかった。ハイエル
フの掟なのだろうか。
﹁方針でな、我々ハイエルフは上位存在たる神には逆らえない﹂
世知辛い存在である。
﹁教えることはできないが、ふむ。月面人を知っているか?﹂
ぎくっ。月面に住まうというアレか。
白鋼が月に突っ込んだ際に遭遇した巨人生物。彼らの肉体が無機
収縮帯であり、この事実は世間には公開されていない。
﹁シ、シラナイヨ!﹂
﹁知っているんだね﹂
﹁シラナイノ! ホントナノ!﹂
﹁別に罪には問わないさ。再確認だが、月面人は無機収縮帯の原料
だ。そして存在は極秘である﹂
1395
自分からバラしたよこの人。
﹁無機収縮帯は消耗品だ、一定の周期で収穫しなければならない、
だが月面では飛宙船は使えない。そこでここ巨塔の大型エレベータ
ーを使うわけだ﹂
飛行機で運搬するのは⋮⋮採算が合わないか。積める量などたか
が知れている。
﹁許可が降りるのは五年に一度だ。限りある資源だし、乱獲されて
は経済に大打撃だしね﹂
無制限で乱獲すればツケが後々回ってきそうなのは同意だ。
﹁残念ながら一年前がその年でね。四年後の収穫には同行させても
らうといい、君なら判るはずだ﹂
﹁はあ﹂
これが、地球とセルファークの関係に関する問いの答え?
四年後に先送りとは、なんとも歯がゆい。
どごぉん、と爆発音が巨塔を揺らした。
﹁⋮⋮強襲か!?﹂
﹁いや、君のお迎えが来たのだろう﹂
しばし待つとルーデルが現れる。
﹁迎えに来たぞ、少年!﹂
1396
無駄に大声である。爆発音が轟く着地ってなんだよ。
最後にお姉さんに頭を下げる。
﹁色々お世話になりました﹂
﹁なに、君と私の仲だ。またいつか会おう友よ﹂
友達の敷居低くね?
﹁じゃあね、お姉さん﹂
﹁私は男だけどな﹂
なん、だと?
﹁ただいま戻りましたぞ、姫様!﹂
﹁ああ、お帰り⋮⋮どうしたのじゃソレ﹂
グロッキー状態の俺を肩に担ぎ、城に帰還したルーデル。
﹁やれやれですな、少し荒っぽく運転しただけでこれとは﹂
1397
﹁﹃少し﹄の意味をググってこいオッサン﹂
巨塔からの帰りは散々であった。
らいしん
塔より発進離陸したルーデルの愛機・雷神。俺は後部座席に収ま
ったのだが。
重力境界には岩が多く浮かんでいる。だからこそ、俺もそれを慎
重に避けて飛行すると考え油断していたのだ。
だがそこは銀翼。変人揃いの称号は伊達ではなく。
こともあろうか、地上まで急降下帰宅を敢行しやがった。
﹁いやーやめてー!﹂
﹁情けないぞ少年! そんなことで天士になれるか!﹂
聞く耳を持たないルーデル。雷神は急降下爆撃するような飛行機
ではない、が、まあそれはいい。
﹁音速! 音速越えてる! 直線翼がモロに衝撃波受けてるぅ!﹂
そう、問題はノンブレーキであることだ。
亜音速機、しかも改造の末に突起の多いルーデル機が音速に耐え
きれるはずがない。
しかしそれで躊躇う男ではなかった。
﹁わははは、私の雷神はこの程度で壊れん!﹂
﹁メカニックの俺が駄目って言ってるんじゃー!﹂
1398
﹁大丈夫大丈夫!﹂
政治家の選挙公約並に信用できねー!
﹁そぉれ引き起こしー!﹂
﹁ぎゃー!﹂
こんな感じ。
﹁それはいいとして﹂
え、ひどい。
﹁目的は果たせたか?﹂
﹁目的?﹂
﹁心神について調べたいと言っておったろう﹂
﹁その為に送り飛ばしたんだな、ありがと﹂
せめて事前説明くらいしてほしかったが。
﹁あとわしの下着はどうした?﹂
﹁心神の資料の対価として、司書さんにあげた﹂
1399
殴られた。
この日から、巨塔の無重力地帯にて一枚のぱんつが浮遊している
という噂が流れ始める。
気まぐれに姿を表し、探そうと思えば見つからない謎のぱんつ。
それが姫君の物だということは、割と国家機密である。
1400
ひもぱんと既視感︵後書き︶
>地球vsセルファーク
実は考えてはいました。わくわくしますよね、そういう展開。
地球に飛ばされた白鋼、スクランブル発進したF−35! 白鋼
には地球式無線機を搭載しておらず、望まぬままに自衛隊との戦闘
に突入する! 目の前で人型ロボットに変形した白鋼に、困惑する
自衛隊! パイロット1﹁ロボットだ、小型機が人に変形した!﹂
パイロット2﹁アニメかよ畜生ッ!?﹂
司令室﹁どういうことだ、状況を正しく伝えろ!﹂
みたいな。設定的にボツにせざるをえなかったのが惜しい。
ちなみに白鋼がF−35にバックトゥバックを強行し、レーカの
モールス信号で状況を納める、というところまで考えていました。
1401
刃の翼と最強への挑戦
明晰夢、という言葉がある。
夢は寝ている最中は夢と気付かないことが多い。が、そうでない
こともある。
夢の中でこれが夢であると理解している状態。それが明晰夢だ。
人によっては意図的に見れるらしいが、そんな技能がなくとも夢
の内容を明らかにおかしいと思うことだってある。
﹁初めはちょっと疑っていたのよ?﹂
たとえば、既に居ない人が登場したりなど、だ。
﹁レーカ君は何かの目的があって私達に近付いたんじゃないかって﹂
月下のバルコニーで、朗らかに笑うアナスタシア様。
もう記憶の中にしかない人物に、ああやっぱり美人だなと頬が緩
む。
﹁異世界から来た、なんて言うんだもの。それも大真面目に﹂
これは⋮⋮大陸横断レース、予選後の宴会の記憶か。
語り合う俺とアナスタシア様。ナスチヤと呼べと言われても、つ
い習慣でアナスタシア様と呼んでしまうのはきっと直しようのない
ことだ。
向かい合う両者を、俺は虚空から第三者として見物していた。
﹁そういえば、結局なんで俺とソフィーを婚約者にしたんですか?﹂
1402
﹁ソフィーじゃ嫌?﹂
﹁嫌じゃないですけれど⋮⋮決めるのは俺とソフィーですよ。彼女
にその気がなければ、貴女がなんと言おうと俺から婚約を破棄しま
す﹂
﹁いいわよ。ソフィーの幸せは私の望むところだもの﹂
映像記録と変わらない、干渉など出来ない光景。
ここで俺が強引に村に帰るように駄々をこねれば、運命は変わっ
たのだろうか。
過去を変える。この行為に、奇妙な嫌悪感を覚えた。
と、そこで記憶との食い違いが生じる。
アナスタシア様は夢の中の俺から目を逸らし、﹁こっち﹂を向い
たのだ。
ぼうっと過去を眺めていた俺に、とびっきりの笑顔を披露する。 ﹁あげるから、守ってね﹂
ベッドから上体を起こす。
帝国城の客室。既に見慣れた室内。
窓からは闇が漏れ、未だ夜が明けていないことが知れる。
ソフィーを無視しだしてから二週間。タイムリミットの半分を過
ぎた。
1403
﹁守ってね、か﹂
ごめんなさい、アナ⋮⋮ナスチヤ。
俺は、貴女の娘を守ってなんかいません。
不安からくる寒さに腕を抱く。まだ夏だっていうのに。
﹁触りたいな、あの子の髪っていい匂いがするんだよなぁ﹂
半ば微睡みの中にあったとはいえ、我ながら変態な発言だった。
気付いちゃいけない感情に気付いた気がする。
ソフィーが俺を欲しているんじゃない。
俺が、あの子を欲している?
﹁変態か俺は。俺の趣味はぼいんぼいんだって言ってんだろ﹂
言い訳しつつも、言葉に力が籠もらない。
失われた平穏の日々。過去となった光景。
それでも、俺は取り戻したいのだ。
だから君にも協力してほしい。俺は一人じゃ、飛行機一つ飛ばせ
ないから。
キョウコに泣きついた時、俺はかつての平和を幻想と称した。け
れどそんな道理、やっぱり認められない。
安息の地
﹁きっと幻想なんかじゃない﹂ 俺は目指すことにしたんだ。君と
いられる、ゼェーレスト村を。
1404
ソフ
﹁む、どうしたのかねレーカ。そんな真面目な顔をして、君らしく
もない﹂
部屋を出ると専属護衛が立っていた。
﹁そういうお前は今日もアホ面だな、キザ男﹂
ィー
﹁やれやれご挨拶だね。今日も飛行機の修理だろう? 少しはお姫
様に謁見したらどうだ?﹂
またタイムリーにお節介を焼きやがって。
﹁キザ男﹂
﹁うむ?﹂
﹁ソフィーのことは任せる、って認めたらどうする?﹂
殴られた。
﹁な、なにするんだ!﹂
﹁ふん。君のようなスケコマシにはお経が必要だと思ってな!﹂
お灸だろ。
﹁最近は落ち着いて外出などもなさっておるが、時々、自分より少
し高い視線を見つめているんだぞ!﹂
﹁自分より少し高い視線?﹂
1405
意味が解らない。慣用句か?
﹁甲斐性なし! バーカ! すけこましー! バーカ! バーカバ
ーカ!﹂
ボキャブラリーが致命的に不足した罵倒を浴びせつつ、キザ男は
反撃を受けないうちに去っていった。
もう少し解りやすい表現を心掛けてほしいものだ。
天井板が開き、女性が屋根裏から飛び降りる。
﹁今日のご予定は?﹂
﹁エンカウント出現するな、キョウコ﹂
メイド姿のキョウコがキザ男と入れ替わりに現れた。
﹁やることは変わらん。ガイルに挑む為、白鋼を強化する﹂
﹁そうですか。ところでガイルの場所は判っているのですか?﹂
﹁さぁ?﹂
捜索は続行しているが、芳しい報告はない。
﹁逆にいえば、備える時間があるってことさ﹂
現在制作中の白鋼強化装備。
あれだけの武装を持ち歩くのは大変なので、さっさと見つかって
ほしいのが本心だが。
1406
﹁お手伝いは必要ですか?﹂
﹁この場合のお手伝いって、整備の手伝いではなく戦場での話?﹂
﹁はい。元よりそれしか能がないので﹂
切ったはっただけで数百年を生きるってのも凄い話だよな。
じゃけんひめ
﹁いらない、戦いの舞台は空になるだろう。蛇剣姫では戦えない﹂
﹁空では無力なのは貴方だって同じでしょう。ソフィーが復帰しな
ければどうするのです?﹂
﹁英雄なんて物量の前には適わない、俺は俺の戦い方で挑むさ﹂
最初から勝ち目なんてない。俺+ソフィーvsガイルでは、それ
ほどの力の差がある。
だからこそ彼らに制作を急がせているのだ。
白鋼外装式強化装備︱︱︱その転用である、重火力強襲ユニット
を。
﹁そうだ、戦場での助力は遠慮するが、別件で頼みたいことがある
んだ﹂
﹁なんですか?﹂
﹁剣術の指導をしてほしい﹂
1407
鍛錬場に移動し、木刀を構え向かい合う。
﹁なるほど、それが鍛錬を所望した理由ですか﹂
身の丈を越えた木刀を片手に持つキョウコに対し、俺は両手に長
めの木刀を二本。
﹁二刀流⋮⋮なぜ急に戦法を変えるのです?﹂
﹁白鋼のミスリルブレードは﹃切る﹄剣だ。当てりゃあばっさり一
刀両断、そういう武器だろ?﹂
白鋼は油圧アシストがない、パワーに乏しい機体だ。力押しは向
いていないのである。
﹁だから手数を増やす、と? 片手で刀を御するのは困難ですよ、
誤魔化しが効きません﹂
﹁キョウコは太刀を誤魔化すことがあるのか?﹂
﹁ありえません。太刀筋に迷いが混じるのは二流です﹂
そうだ、キョウコの剣はいつだって真っ直ぐだった。
﹁なら問題ない。俺も、誤魔化さない﹂
どこか嬉しげに目を細め、キョウコはふわりと剣を振るった。
1408
力の籠もらない、しかし鋭い剣戟。
キョウコの膂力は特別優れてなどいない。女性の身で身長以上の
棒を振るうのは、けっして容易なことではない。
にもかかわらずキョウコに負担を覚えている様子はない。他の全
てが次点であろうと、剣術において最強。それが彼女なのだから。
俺も垣間見たはずだ。ドリットでの、ラウンドベース脱出の戦い
で。
切っ先に触れれば絶てる、その域を。
﹁ものにしてやる、奥義ならぬ奥義︱︱︱!﹂
﹁力が入りすぎです﹂
すぱーん、と頭を打たれた。
固く踏み均された土に寝そべり、乱れた呼吸を整える。
﹁強いなぁ、やっぱり﹂
冒険者志望三人組には楽勝なのに、銀翼との差は未だ大きい。
﹁白兵戦では負けません﹂
むん、と拳を握り静かに勝ち誇るキョウコ。目が得意げだ。
なんだかんだでもう少し善戦出来ると踏んでいたのだが、先は長
い。
1409
城の窓から金髪の女の子が頭を出した。
﹁やっておるな、レーカ﹂
﹁こんにちは、リデア。王族ってのは案外暇なんだな﹂
ちょくちょく出くわしたり世間話をしたりする間柄だ。不躾な言
葉遣いでもある程度は許されるし、互いの生活リズムは透けて見え
てくる。
彼女と遭遇するタイミングには法則性がない。あるいは、ゼェー
レスト村でのソフィーの方が時間を制約された生活を送っていたの
ではないか、そうとすら思えるほど気ままに歩き回っている。
なんか、猫っぽい。
﹁そうでもないぞ、父は愚鈍王じゃからのう。娘も色々と補佐に駆
り出されるのじゃ﹂
リデアは頭のいい娘だ。むしろ凡庸な父に対して娘が女傑気味な
のだ。
﹁おてんば姫って風評はちょっと的外れだな﹂
どちらかといえば気まぐれ? 突然歌ったりいきなり真面目にな
ったり、まさに猫。
﹁うむ、まったくもってその通りじゃ﹂
大仰に頷くリデア。
﹁昔は城を吹き飛ばしたこともあったが、いつまでも過去の失敗を
1410
持ち出しおって﹂
これだから大人ってやつは、と肩を竦める。
﹁⋮⋮それはたぶん、一生付いてまわるだろ、伝説として﹂
訂正、おてんば猫だこの子。
よく
せき
﹁しかし、お主もソフィーもやる気満々じゃのう。最強と名高い紅
翼に、よく真っ向から挑む気になるものじゃ﹂
しんしん
﹁心神だってただの機械だ、限界はある。最強であろうが無敵では
ない。それに⋮⋮ガイルには、ソフィーを撃てない﹂
あいつの覚悟の度合いによるが、致命的な攻撃はまず無理と推測
可能だ。
﹁⋮⋮まあ、そうじゃろうな。殺さず反撃するのはガイルにとって
も難儀じゃろ。でも、それはお主らにとっても同じじゃないか?﹂
それはそうなんだけど。
﹁ところで、ソフィーがやる気満々って?﹂
﹁む、知らなんだか? あやつ、ギルドの依頼に挑戦しおったぞ﹂
⋮⋮ソフィーが?
﹁うむ、飛行系魔物の討伐依頼じゃ。自分の足でギルドに赴こうと
したので慌ててルーデルが止めたそうだの。結局ルーデルが代行し
1411
て依頼を受け、実践だけにチャレンジしたとのことじゃ﹂
﹁城下町は危ないのか? 勿論ソフィーみたいな美少女がふらふら
歩き回る、って危険性はあるだろうけど﹂
﹁さりげなく惚気るな﹂
ばれた。
﹁治安的な問題ではなく、紅蓮の構成員が忍び込んでいる可能性が
あるからじゃ﹂
﹁いるの?﹂
﹁城下は仕方あるまい。城に出入りする者は、全て身辺調査したか
ら大丈夫じゃろうが﹂
﹁またラウンドベースが乗っ取られるとか、勘弁してくれよ﹂
﹁ラウンドベースも同等の調査が行われたから、おおよそ無問題じ
ゃ。大戦にて轟沈し破棄された船に侵入された形跡があったりなど
したがの﹂
修理使用可能か調査したのか、地道なこって。
今も水面下で悪事の準備をしていると考えると、割とぞっとする。
﹁しかし、なんだ。大胆なことをするなソフィーも、護衛達も肝を
冷やしたろ﹂
ん、護衛?
1412
キョウコを見やると、つい、と視線を逸らした。
﹁おい、専属護衛﹂
﹁ソフィーも頑張っているということです。年長者として支持すべ
きだと考え、あえて無視しました﹂
俺の目を見て言いなさい。
﹁見逃しただけだろ、つーかソフィーの専属護衛のくせに俺の側に
居すぎだろ﹂
﹁⋮⋮すいません﹂
とぼとぼと修練場を去るキョウコ。仕事をしに行ったのだろう。
﹁正直、最強最古は部外者じゃからな。どこでなにしてようと勝手
じゃ﹂
勝手にいるだけかよ。
﹁そもそも、どうやって最強最古を従えたんじゃ?﹂
﹁口説いた﹂
﹁そ、そうか。ところで討伐依頼は失敗したと聞くぞ﹂
﹁なぜ?﹂
﹁引き金を引けなかった、とのことじゃ﹂
1413
﹁⋮⋮ふぅん﹂
ソフィーにとって飛行機は空を飛ぶ道具であり、それ以上でもそ
れ以下でもない。
動物を殺すことに対する忌避もあったはずだ。
﹁じゃがソフィーなりに足掻いておるのじゃろう、今度はルーデル
に弟子入りしおった﹂
⋮⋮弟子入り先、選択間違ってねぇ?
自室にて心神の資料を読み耽り、対策を構想する。
戦術に必要な性能・装備を二者択一し、最終案を練り上げる。
﹁心神の推進装置や電力の供給源は、きっとこいつなんだろうな⋮
⋮﹂
資料に残されていた、放射能標識のマーク。扇風機みたいなアレ
だ。
﹁核動力の航空機⋮⋮かつて実験段階であったことは知っているが、
日本が完成させたのか?﹂
1414
放射能標識があるってことは核分裂炉? でも資料には核融合っ
て書かれている。
﹁原子力のことなんか知らねぇよ。核融合でも種類によっては放射
能出るんだっけ、ちゃんとシールドされているんだろうな﹂
ずっと巨塔に保管されていたのだ、あの無重力空間にガイガーカ
ウンターを持ち込んだら精神衛生上よろしくない結果が出るかもし
れない。
﹁主砲はレールガン、こいつの対策は単純だな。避ければいい﹂
それが可能なら苦労しないが、それしかないので仕方がない。
﹁問題はこっちだ﹂
主翼に装備された、二門の砲。
﹁ミニイージスシステムとレーザー砲⋮⋮やっかいだぞこいつは﹂
数百の目標を探知し危険度を個別に判断、逐一統合的に迎撃する
のがイージスシステムだ。
たとえば複数のミサイルをイージス艦に放った場合、コンピュー
ターが全てのミサイルを捕捉し﹁どれが一番危険か﹂を判断する。
そして危険な順に人間を越えた精度と速度で迎撃していくのだ。
実際問題、船が数百のミサイルを浴びせられ無事でいられるはず
もないが、心神の場合はそうではない。
レーザー。凝集光。ぶっちゃければ、懐中電灯である。
電力さえあれば撃ち放題の可能性があり、その場合は本当に数百
のミサイルに囲まれようと無事かもしれない。とんだチートだ。
1415
﹁こんな時こそ白鋼の障壁を⋮⋮いや、まだ不足だ﹂
人型形態となれば音速飛行が出来なくなる。戦闘機の心神が音速
飛行出来ないはずがない、逃げられてしまう。
それに魔法障壁がレーザーを防げる確証はないのだ。
戦術だ。技能で越えられないならば、戦術で越えるしかない。
﹁いかん、煮詰まってきた﹂
眉間を揉む。
エンジン開発に移ろう。ここで考えていても妙案が浮かぶ気がし
ない。
途中ルーデルの相棒︵ガーデルマンさん、だっけ?︶に指導を受
けるソフィーを発見したりしつつ、俺は工房へと移動した。
﹁ルーデルの旦那に指導なんざ出来るわけねぇだろ﹂
そう断じるのは、工房長のバルティーニさん。
﹁ガーデルマンさんはルーデルの旦那の女房役さ。こまごましたこ
とはあの人担当だ﹂
現場指揮官
﹁むしろコマンダー?﹂
1416
﹁ははは、かもな﹂
指導内容は空戦における戦術論だった。テクニック的には問題な
いソフィーに不足しているのは、確かにその分野だろう。
勘違いされがちだが、戦闘機同士の戦い⋮⋮ドッグファイトはボ
クシングのような反射神経の勝負ではなく、エネルギー運用を求め
られる腹の読み合いだ。
敵の背中を取るのに重要なのは、判断力と戦術眼。例え操縦技術
で劣っていようと、戦術でもって勝利を勝ち取ることは充分に可能
なのである。
銀翼という規格外の化け物以外には。
﹁頼んでおいたやつ、出来てる?﹂
﹁固形燃料ロケットブースターは揃ったぜ。こいつはまだ三分の二
程度だ﹂
ぽんぽんと紙飛行機のような物体を叩くバルティーニ。
紙飛行機といえど、サイズは成人男性ほどと大きい。
実は電子回路に疎い俺だが、俺なりにミサイルを再現してみたの
だ。
設計思想は地球の空対空ミサイルと大きく異なり、実際役に立つ
のかは疑問だが、やれることはやっておきたい。
﹁ありがとう、引き続きよろしくな﹂
﹁頑張ってるぜー、最近部下達の目が死んできたぜー﹂
虚ろな目でブツブツ呟きだしたバルティーニ。俺だってエンジン
開発頑張ってるんだ、頭撫でてやるから耐えろ。
1417
﹁ちったぁ白鋼本体もいじらせて欲しいぜ﹂
﹁ん、やっぱり職人として興味あるの?﹂
ソードストライカー
﹁それもあるが、半人型戦闘機のノウハウを調べねぇと⋮⋮おっと、
なんでもねぇ﹂
なんでもねぇ、じゃねーよ。
﹁バルティーニさん、白鋼の秘密を探るために派遣された回し者?﹂
裸の王、じゃなかった、ハダカーノ王も案外抜け目がない。国家
としては情報をひたすら収集するのは当然の姿勢だし、怒りは湧か
ないが。
﹁人聞きが悪いな、俺はただソードストライカーってやつを学べと
言われてるだけだ﹂
ソードストライ
大国の軍事ってやつは、奇抜なアイディアでもとりあえず試す傾
向がある。
カー
今までは机上の空論でしかなかったが、白鋼の存在が半人型戦闘
機の可能性を切り開いてしまった。つまり、﹁ひょっとして使い道
あるんじゃね、コレ?﹂といった案配だ。
﹁試作くらいはするつもりかな﹂
﹁いや、実戦配備したい腹積もりみたいだぜ?﹂
ソードストライカーを実戦配備とな?
1418
﹁どうしてソードストライカーなんて使いたがるんですか?﹂
﹁それを本人に聞きにくるか、普通?﹂
ハダカーノ王の公務室に突撃した俺は、率直に王に訊ねてみた。
﹁こういうのは軍事機密なんだがな﹂
﹁半人型戦闘機を造れば、まず俺の耳に入ると思いますが。ケチく
さいこと言ってないで教えて下さいよ﹂
﹁ま、いーけど。帝国が半人型戦闘機を実戦配備したいのは、神の
宝杖対策だ﹂
神の宝杖対策?
﹁あれは対城兵器だ。機動兵器そのものではなく、それが格納され
た砦を潰すことで戦力を削いでいく兵器だな﹂
座標を入力して放つらしいから、確かに動かない物体にしか使え
ないな。
﹁かつて、人型機不要論なるものが提唱されたことがあった﹂
﹁長くなります?﹂
1419
﹁いいから聞けや﹂
勧められる前にソファーに腰を下ろす。
﹁地面を走り回る人型機、しかし機構が複雑な割に機動性は飛宙船
と同等⋮⋮むしろ飛宙船に装甲と砲を積んだ方がいいのではないか、
という論説だ﹂
﹁格闘戦能力はばっさり切り捨てですか﹂
戦車だって戦車砲一本で頑張ってるわけだけど。
﹁それでも問題ないと考えられたんだ。当時、砲の性能が上がった
時期にはな﹂
地球にも戦車不要論ってあったっけ。戦闘ヘリさえあれば戦車を
保有する必要はないんじゃないかって理論だ。
﹁しかし実際は人型機は必要だった。いや、正しくはバランスよく
配備するのが最適だった。万能兵器などありはしないのだ﹂
﹁結局なにが言いたいんです?﹂
﹁人型機がなくては戦線維持は不可能、ということだよ﹂
長々と話した割に、結論はそれか。
﹁人型機は現場に急行する能力、いわゆる展開力に劣る兵器だ。だ
からこそ国中に砦を用意し人型機と天士を詰めておく必要があるの
1420
だが、神の宝杖にとって砦は絶好の標的でしかない﹂
動かないしね。
﹁しかし地上戦力なしの、航空戦力のみでは統一国家に緩やかに侵
攻されるのは目に見えている。我々には守人が必要なのだ﹂
﹁そこで半人型戦闘機を実戦配備しようと?﹂
﹁そうだ。普段は分散して森などに隠し、有事の際には長距離を高
速飛行し現場に速やかに到着する。空戦能力よりは地上の接近戦に
特化した機体が欲しいわけだ﹂
空での運動性能を二の次に、か。面白そうだ。こんな状況でなけ
れば手伝いたいのに。
﹁君は白鋼の改造を急げ、残りの時間は少ないぞ﹂
﹁判ってます。今度、エンジン載せて試験飛行に出ますから﹂
﹁ふむ、舞鶴を同行させよう。ついでにある魔物の様子を見てきて
くれ﹂
ついででそんなこと頼むなよ。
1421
この世界の飛行機は全て浮遊装置による垂直離着陸機だ。
それはつまり滑走路などどこを探しても存在しないということで、
白鋼にとっては割と世知辛い問題である。
ソフィーならば気合いで風に乗って短距離離陸が出来るのでさほ
ど問題にはならないが、俺一人で動かすとなれば話は別。
コックピットの後部座席に乗り込む。
機体が小さな白鋼はコックピットも狭い。その僅かなスペースに
二人が収まる為に、シートは前後配列というより後ろの俺が前のソ
フィーを抱くような体勢となっている。俺の腹とソフィーの背中が
薄い背もたれ越しにくっつき、手と手を重ね合わせるような状態だ。
つまり前席は後席より小さく、俺は必然的に後ろに乗るしかない。
つーかそれでも問題なく動かせるように設計してある。
﹁システム起動、エンジンコントロール開始﹂
手順通りにスイッチを入れる。
人型機として操縦する為、複雑化した操縦系統。丸いアナログ計
器とレバーが並ぶコンソールの煩雑さは一種美しさすら覚えるが、
実用品としてはグラスコックピットにしたいところだ。タッチパネ
ルディスプレイに計器を纏めて、効率化を図る方式である。
ま、慣れるしかない。
車輪のブレーキを解除し、格納庫から静かに発進する。
事前に用意していたスキージャンプ台。これは正式名称ではない
が、おおよそその通りの見た目だ。
ロシアの空母にはカタパルトによる加速装置がない。その代わり、
ジャンプ台がある。これは単純にカタパルトを実用化する技術がロ
シアにはなかったから。
スキーのジャンプ台に似た足場を用意し、そこからぴょいーんと
離陸するしかないのだ。
1422
﹃こんな離陸する飛行機、はじめてッスよ﹄
﹁ん、どちらさん?﹂
﹃トップウイングスのテストパイロット、L9とでも呼んで欲しい
っす﹄
﹁同行する舞鶴か、その機体も興味深いからあとで見せてくてない
か?﹂
﹃へ? まあ遠目で見る分には怒られないでしょうけど、外見くら
いの資料にはこの城にもあるでしょう?﹄
﹁絵と実物では色々違うからな﹂
解析出来るか出来ないか、という点において。
﹃ああ、そうッスね。やっぱ技術者としては興味ありますか? そ
ういや共和国で舞鶴と戦ったんですよね、どっから設計図漏れてん
だかホント﹄
よく喋る奴だ。
﹃で、どうでした? 強かったッスか?﹄
﹁総合的にはなかなかだな﹂
ハンデなしの白鋼なら軽く振り切れるし、ガイルに瞬殺されたイ
メージが強いが。
1423
﹃そうッスかそうッスか﹄
満足げなL9。
﹁嬉しそうで何よりだ﹂
﹃んえ? なんか言いました?﹄
﹁いや⋮⋮﹂
気楽なものだ⋮⋮最近の俺が言えた義理ではないが。
共和国では多くの軍人が葛藤に苛まれているのだろう。神の宝杖
に国土全体を狙われているとはいえ、それは非公開情報。末端の兵
士には別に反乱を抑え込む工作があるはずだ。
具体的に調べてはいないが、物理的苦痛を伴う手段でなければい
いが。
地球の歴史から推測すれば、独裁国家を維持する方法は⋮⋮情報
操作と思想教育?
﹁どちらもやってる様子はないのだがなぁ⋮⋮﹂
﹃なにをッスか?﹄
﹁洗脳﹂
﹃なんの話!?﹄
主翼角度をやや後方、もっとも機体が安定して飛行可能な巡航飛
行形態に。
1424
自在に翼を捻ることが可能な白鋼にフラップは装備されていない。
主翼とカナード翼を全て四五度に固定し、浮力を増強する。
そうは見えないが、尾翼がないことで負の揚力が発生せずフラッ
プ角度が無制限で変化し、おまけに機体重量も三,五トンしかなか
った白鋼は極めて短距離離陸に適した機体なのだ。
半人型戦闘機となり四,五トン、帝国に到着してからコックピッ
ト周りにチタン装甲を追加、更に全ての翼をミスリルブレード化し
全重量は五,五トンとかなり太ってしまったが。
コックピットの装甲化は必要事項であった。
現代の戦闘機は装甲がない。防御力があろうがなかろうが機銃を
浴びれば戦闘不能に陥る上、重量増加による運動性能及び積載量の
減少はメリット以上のデメリットでしかなかったのだ。
しかし白鋼は半人型戦闘機。ドリットでの戦いでも気になってい
たのだが、人型機形態の間にソフィーが俺より前方にいる意味はあ
まりなく、無防備なお姫様を前に置いておくのは気が引けるわけだ。
コックピット周辺をチタン装甲で堅め、人型機形態では装甲が可
動しキャノピーを覆うようになった。面構えが暗殺者っぽいと思っ
たのは秘密だ。
また、格闘戦能力向上の為に翼は全てミスリルブレードに代えて
ある。翼端もより鋭角になって、無視出来ない重量増加の要因とな
っているわけだ。
低速域において水素ロケットに依存する為運用上に制限が発生す
るという問題点だけではなく、重量増化を補う為のエンジン強化で
もある。
﹁エンジンパワーマキシマム︱︱︱いい音だ﹂
﹃Hybridーafterburner﹄
新型ターボファンエンジンの甲高い轟音が轟く。
1425
以前はラムジェットエンジンだった為に時速一〇〇キロ以上でな
くてはハイブリッドシステムは使用不可能だったが、ゼロから設計
した新型エンジンは静止状態から魔力と科学のハイブリッドを起動
可能だ。
水素と酸素のロケットエンジンとコンプレッサーによって圧縮さ
れた大気を燃やすジェットエンジンの重ね合わせ。城を振るわせる
爆音は、あとで聞けば何事かと城下町の人々が騒ぐほどだったそう
だ。
﹃ヒュー! 腹に響きますねぇ﹄
﹁地上での試験は終えているとはいえ、飛行実験は初めてだ。異常
に気付いたらすぐ教えてくれ﹂
﹃了解ッス﹄
しかし一ヶ月、正しくは二週間程度で新型エンジンを開発すると
は地球の技術者が聞けば卒倒しそうな話だ。解析魔法万歳。
﹁ブレーキ解放﹂
エンジンに押され前のめりになっていた機首が小さく跳ね、そし
て白鋼の小さな機体は急加速した。
迫るスキージャンプ台。
﹁V1VRV2、あーもう読み上げる時間もない!﹂
滑走する白鋼はジャンプ台から飛び出し、一気に空へ目指して上
昇した。
不安定だが、抑えきれないほどじゃ、ない!
1426
水平飛行へと移行し白鋼は更に加速する。
僅か数秒で巡航飛行速度へと達する。音速の一歩手前だ。
﹁テイクオフ、冷や汗がでるな⋮⋮L9、試験飛行の場所は?﹂
﹃待って欲しいっす∼、置いてかないで∼﹄
﹁あ﹂
舞鶴では白鋼の加速に着いていけてなかった。
教導演習領域の海上を飛行していると、L9が通信を繋げてきた。
﹃あの、もしかしてカウンター・トルクが発生していません?﹄
﹁してる、これはまずい﹂
白鋼にロールしようとする力が働いている。今は操縦桿を横に倒
しエルロン操作のカウンターを当てているが、真っ直ぐ飛べない。
プロペラ機には常に捻れようとする力が働いている。プロペラは
回っているわけでプロペラが漕ぐ大気もやはり回る、すると飛行機
がローリングする力が働く︱︱︱それがカウンター・トルクだ。
セスナ程度であれば無視していいが、重量が軽くエンジンが強力
な飛行機にはより顕著に現れる。ゼロ戦が左捻りこみを得意とした
のもこれが理由だ。
この原理はジェット機には関係ない⋮⋮というわけではない。
1427
ジェットとて内部には回転部が存在する。カウンター・トルクは
少なからず存在しているのだ。
﹃とはいっても問題にならない程度でしょう、フツー?﹄
﹁新型エンジンの圧縮機やタービンは特殊だからな﹂
﹃というと?﹄
﹁エンジンそのものが回転している﹂
タービンは中心の軸に固定されているのではなく、外側の筒部分
に固定されているのだ。
そしてエンジン自体が回転することで、中心部を空洞化すること
に成功した。
エンジンが丸ごと回っているのだ、駆動部の重量はプロペラの比
ではない。
﹃な、なんでそんな変態仕様なんですか?﹄
﹁ラムジェットに切り替える為だ﹂
ラムジェットエンジンの理想的な形は筒。余計なファンやタービ
ンは邪魔なのだ。
なので、ラムジェットに切り替えるとエンジン内部のパーツが全
て外周に引っ込むようにした。
﹃とんでもギミック過ぎますって⋮⋮でももうありますよ、ターボ
ファンジェットエンジンとラムジェットエンジンを両立しているの
って﹄
1428
﹁マッハ3を越えると制御不能になる帝国機がなんだって?﹂
﹃うぐっ﹄
確かに帝国には高速時にラムジェットとして駆動するエンジンを
積んだ機体があるのだが、一度ラムジェットとなると減速が不可能
な素晴らしい仕様である。
もちろん、暴走状態に陥っても無事減速する方法はある。燃料と
なるクリスタルの魔力切れを待つのだ。
⋮⋮ホントに、よく実戦配備しようと思ったな帝国軍。
﹁まあ、圧縮機と燃焼室を共用しようって設計思想は似ているな。
共和国にもターボファンとラムジェットを両立したエンジンがある
が、あれは結局二つのエンジンを積んでいるだけだし﹂
片方動かせばもう片方はデッドウェイトになる、不完全なシステ
ム。
区画を一部共有化しているが、効率的とは言い難い。それじゃあ
心神には届かない。
タービンブレードは軸を中心に回転する、という大前提を覆す。
俺にとっても野心的な挑戦だった。
﹁シャフトを回したくないのなら、エンジンごと回せばいいじゃな
い、ってわけだ﹂
﹃いや、その理屈はおかしい﹄
ラムジェットに切り替える。
1429
﹃Ramjet﹄
エンジンの回転が一端休止し、カウンター・トルクが収まる。
音速を越え加速する白鋼。巡航飛行形態では空気抵抗が大きいが、
それでも機体の加速度合いは向上している。
しかしマッハ2を越えたあたりで異常振動が発生。やっぱり巡航
飛行形態では超音速飛行に適さない。
スロットルを引き、出力を下げる。
﹁耐熱金属を使ったから、マッハ3まで行けるはずだが⋮⋮テスト
しようがないな﹂
高速飛行形態は俺には扱いきれない。カウンター・トルクのこと
もそうだが、このテスト飛行は失敗だ。
﹃ううう、舞鶴の自信無くすッス﹄
大きく引き離された舞鶴。ネ20エンジンの改造品だった今まで
と異なり、新型エンジンは白鋼用に最適化された特別品だ。基本出
力も極めて高く、舞鶴とは比べものにならない。
﹁む?﹂
眼下に小さな島が見えた。
小さな、といえど端から端まで一キロはある島だ。
減速し地図を見比べるが、あんな島は教導演習領域にはない。
ルートが逸れてたか?
﹃やっと追いついたっす⋮⋮どうしましたか?﹄
1430
﹁領域から出てしまったかもしれない。地図にない島がある﹂
﹃えっ。そりゃまずい、始末書もの︱︱︱ああ、あれのことですか﹄
舞鶴が横倒しになり、急降下する。
鮮やかなもんだ、さすがトップウイングス。
俺はびびってしまい、そぉっと操縦桿を押し出す。
ゆっくり降下する白鋼。俺のへっぽこ操縦で急降下は怖い。
﹃これが例の魔物ですよ、貴方が陛下に偵察してこいって言われた
ってたっていう﹄
﹁頭がある、生き物なのかこれ?﹂
ゆっくり移動する島。間抜けな表情の頭がひょっこり生えている。
﹃島海亀ッス。時々海岸の村や町がぺっちゃんこにしてしまう、厄
介な魔物ッス﹄
災害だな、それは。
﹃まあノロマなんで事前に避難出来るんすけどね、攻撃しない限り
反撃もしてきませんし。なんにせよ困ったちゃんです﹄
﹁さっさと倒さないのか?﹂
﹃防御力が半端ないっすから。それなりに装備を整えて空爆しなく
ちゃならないんですけど、共和国のこともあって後回しにされてき
ました﹄
1431
厄介だけど危険じゃないからか、動きも遅いし進路予想もしやす
いのだろう。
﹃ランクはSS。ギルドで天士を召集している時間もありませんし、
軍を編成して⋮⋮﹄
﹃ひどいわねぇ、この子は私のモノよん﹄
通信が割り込んできた。
﹁誰? どこに︱︱︱﹂
刹那、白鋼と舞鶴を掠め島海亀へと垂直降下していく戦闘機。
﹁いつの間に? あれは︱︱︱自由天士!﹂
﹃ちょ、なんで民間人が演習領域に!?﹄
直線翼の双発戦闘機。シャープなシルエットと近代的な斜めに開
いた二枚の垂直尾翼が特徴といえば特徴か。
﹁共和国の新型だ、なぜ帝国に﹂
コブラ
﹃王蛇っすね、正式採用の座を争い負けた機体って聞いてます。海
軍向けに再設計してるとも﹄
すずめばち
その際の新名称は、﹃雀蜂﹄。
名に相応しく、急降下する機体の下部には追加装備が装着されて
いた。
1432
﹁パイル、バンカー⋮⋮?﹂
杭打ち機。ゼロ距離にて鉄塊を敵にぶち込む、人型機格闘戦装備。
﹃あんなもん飛行機に積んで、どうする気でしょう?﹄
﹁飾りじゃなければ、まあそういうことだろ﹂
衝突寸前に引き起こした雀蜂はパイルバンカーを島海亀に打ち込
んだ。
杭が甲羅を貫き、島海亀は苦悶の咆哮を上げる。
﹃あぁん⋮⋮もっと奥まで突かないとダメね﹄
嬌声が無線を通し聞こえる。
あれ、今の声、聞き覚えがある?
人型機の装備可能な量産兵器としては最強クラスの威力だが、直
径一〇〇〇メートルの巨体には微々たるダメージのようだ。
しかし変化はおこる。そう、こいつは攻撃されない限り反撃しな
い。
つまり、攻撃すれば反撃にでるのだ。
﹁お、おい、まずくないかあれ!?﹂
﹃まずいッス、離れましょう!﹄
離脱する白鋼と舞鶴、それを待たず島海亀の甲羅が﹃開く﹄。
﹁あの六角形、ハッチかよ!?﹂
1433
内部から射出されるは飛行型の魔物。島の住人ってわけか。
数十のコウモリ型モンスターは最も近い敵、雀蜂へと向かう。
﹃もてる女はつらいわねっ﹄
紙一重でコウモリの群を回避し距離を確保する雀蜂。
更に襲い掛かる攻撃。島海亀の目から放出される、極めて細く高
圧の水鉄砲。
﹃ウォータージェットです! 海亀は涙を流すのです!﹄
﹁無茶苦茶だな、もう!﹂
しかし更に無茶苦茶な軌道にて、雀蜂は再アプローチする。
﹃もう一撃、いくっ、いっちゃうわぁ∼!﹄
﹁逝けよ勝手に﹂
パイルバンカー
二度目の爆発音。薬室にて膨張した火薬は再び鉄塊にて島海亀を
抉る。
﹃ズコバコっすね﹄
﹁ズコバコだな﹂
泣きたくなってきた。
﹃アタシの︵自主規制︶の︵自主規制︶に思いっきり︵自主規制︶
して、もっと︵自主規制︶させぇえぇーッ!﹄
1434
やだもうお家帰りたい。
放送禁止用語の語録が尽きたかと思えるほど卑猥な単語を叫び続
けた雀蜂の天士は、その間もひたすらダメージを与え続け遂には島
海亀を単独撃破した。
﹁SSランクってのも大したことないんだな﹂
﹃微熱の蜜蜂⋮⋮銀翼は比較対照になりませんって。あんな重い装
備を積んで、なんで飛行機が空を飛べるかがまず疑問ッス。なんで
敵の攻撃を避けられるかは知りたくもないッス﹄
重量からか動きは緩慢、なのに雀蜂に敵の攻撃が当たらない。
キモい
乱数調節でもしてるんじゃなかろうか。
時折ピクピクと痙攣している雀蜂に接近し、誰何する。
﹁もしかして、おっぱ⋮⋮エカテリーナさん?﹂
共和国の宿にてギイハルト目当てに突撃晩ご飯してきたエルフさ
んである。
﹃はぁ? 私は確かにエカテリーナだけれど、アンタ誰?﹄
俺など忘却の彼方らしい。彼女にとっては攻略対象キャラの連れ
脇役の連れモブキャラ程度の扱いなのだろう
﹁ギイハルトの友達です﹂
﹃ギイハ⋮⋮ギイを知っているの!? ねえ、あの人はどこにいる
の! 知っていること全て吐けやッ!﹄
1435
シルバーウィングス エカテリーナ・ブダノワ。
帝都のレストランにて彼女との会談の機会を得たわけだが、話は
一向に進まなかった。
俺がギイハルトの情報を持っていないと知ると即座に席を立ち、
運ばれてきた料理を文字通り餌に引き止めるも彼女の興味の対象は
ギイハルトとエロに限定されるらしく。
﹁コンソメスープ、マグカップで!﹂
﹁梅茶漬け一つ。それとこれお願い﹂
﹁は、はぁ。承知しました﹂
店員さんにさり気なく紙を渡し、おっぱいエルフを制御可能と思
われる人物にお越しいただいた。
﹁なんだ下等生物、レーカさんを困らせて何様のつもりだ? あ?﹂
腕と足を組みふんぞり返るキョウコと、
﹁い、いや、これは事情がありまして⋮⋮﹂
椅子の上で正座となり、俯きつつも必死に弁明するエカテリーナ。
1436
エカテリーナの服装は依然と同様に胸元の開いたドレスである。
キョウコは相変わらずメイドだ。
端からだと立場逆転にしか見えない。
﹁キョウコ、その辺にしておいてやれ﹂
﹁御意﹂
招待しておいてホストの俺がゲストのエカテリーナを困らせると
か、最低だ。
こうでもしないと会話が成り立たないので、苦肉の策なのだが。
﹁それで、なんで引き止めたのよ坊や?﹂
﹁その谷間に手を突っ込んでいいですか?﹂
﹁優しくね﹂
いいの?
﹁ギイハルト、いなくなったんですか?﹂
﹁そうなのよ、彼ったら⋮⋮って、ギイがいなくなった経緯はそこ
のハイエルフに聞けばいいじゃない﹂
知っているのかと視線で問うと、肯定が返ってきた。言えよ。
﹁いいわ、説明してあげる。共和国首都の事件の後、私はギイに会
いに行ったの﹂
1437
うむ。
﹁いなくなってたの!﹂
うむ?
﹁義妹のイリアちゃんもいないのよ﹂
義を付けるな義を。
でもギイハルトとイリアが行方不明か、確かに不自然だ。
軍事機密に関わるテストパイロットだ。危険に晒されていても不
思議ではない。
﹁統一国家に国家反逆罪で逮捕された、という可能性は?﹂
逮捕って独裁国家では犯罪者以外にも適応される言葉なんだよね。
﹁真っ先に疑って確認を取ったわ。シロよ、二人は自ら姿を眩まし
ている﹂
﹁ふぅん﹂
ギイハルトはともかく、イリアが無事なのは朗報だ。
しかし、あの事件以来本当にみんなあっちこっちにバラバラにな
ってしまった。
全部紅蓮の騎士団が悪い。首謀者をぶんなぐってやりたい。
﹁その後は、迷子の子犬のように狼狽えていたそのハイエルフと合
ガイル
流して貴方を追っていたのよ。厳密に言えばキョウコが貴方を、私
は紅翼の天使を﹂
1438
確かに、ギイハルトが自主的に行方不明になるとすればガイル絡
みの可能性が高いと推測されるかもしれない。
﹁帝都に到着して、貴方達が城に住んでいることが判ってパーティ
解散。私は気楽に自由天士をやりつつギイを探していたってわけ﹂
気楽なノリでSSランクモンスター撃破か、銀翼はやはり別格だ。
情報交換もほどほどに、俺はもう一つの本題を切り出す。
﹁お願いしたいことがあるんです、エカテリーナさん﹂
﹁なによ?﹂
﹁テストパイロット、してくれませんか?﹂
﹁やだ、すっごくぎゅうぎゅうって締め付けてくる⋮⋮!﹂
白鋼の前座席を外し、付け焼き刃で単座に改造。
それでも成人女性のエカテリーナには手狭らしく、今後を考えた
らレイアウトの再考は必須と再確認した。
﹁操縦方法は教えた通りだけど、いける?﹂
﹁ええ、イッちゃいそうよ﹂
1439
エカテリーナは意外と乗り気だ。ギイハルトと同じテストパイロ
ットという仕事が琴線に触れたらしい。 ﹁それだけじゃないわ。乗ってみたかったのよ、白鋼﹂
﹁どういう意味です?﹂
﹁結構有名よ、この機体﹂
まじで?
﹁統一国家樹立の際に紅蓮に苦汁を舐めさせた英雄として扱われて
いるわ﹂
﹁うわぁ⋮⋮﹂
どん引きである。名声など厄介事しか持ち込まないやる気溢れる
役立たずのようなものだ。
﹁それだけ希望に縋りたいのよ、出力を上げるから吸気口から離れ
なさい﹂
﹁うぃっす﹂
離陸した白鋼は、さすが鮮やかに飛行形態を可変し舞ってみせた。
小刻みな操作によって機首を安定させ、滑るように旋回。
﹁お見事です﹂
﹃そうでもないわ⋮⋮気を抜いたら暴れそうよ、見た目以上に過激
1440
な飛行機ね﹄
ソフィーは無意識レベルで制御してたが、銀翼からしても彼女は
段違いなのか?
超音速飛行試験に移行する白鋼を舞鶴の後部座席に納まり追い掛
ける。
﹁ドリットで空戦した舞鶴に乗ることになるとは﹂
はげるッス∼と嫌がるL9の後頭部を指でつつきつつ白鋼のケツ
を睨む。
白鋼の飛ぶ姿って、そういえば初めて見るかもしれない。
高速飛行形態となった白鋼は炎の柱を吹き、跳ねるように急加速
していく。
舞鶴が停止しているのではと錯覚するほどの速度比で引き離され
ていく。
﹃うぐ、確かにこのカウンター・トルクは無視出来ないわ﹄
﹁それは解決法があるので、高速飛行試験に移って下さい﹂
﹃ラムジェットに移るわよ﹄
もう白鋼の姿は遠く見えない。クリスタル共振通信が唯一の繋が
りだ。
﹃理論限界速度に到達、表面温度は一〇〇〇度。素敵ね、こんな速
度で飛ぶなんて﹄
逐次伝わる情報を纏めていく。
1441
﹁シミュレーション通り、問題なさそうだ﹂
飛行機が高速飛行を行うと機体表面が洒落にならないほど高温に
なる。宇宙ロケットやスペースシャトルが地球に降りる際に高温に
なるのがイメージしやすいだろうか。
摩擦熱と勘違いされがちだが、正確には断熱圧縮という現象だ。
圧縮された空気は熱の逃げ場がなく、ひたすら大気中の熱量が固め
られていく。
﹁音の壁﹂に続き立ち塞がった﹁熱の壁﹂。
多くの技術者に頭を抱えさせたそれは、有効な︵現実的な︶解決
法が未だ存在せず飛行機の最高速度は頭打ちとなってしまった。
夢の超音速旅客機、地球の冷戦時代多く計画されてたそれらが全
て頓挫したのは、これらの根本的解決が叶わなかったから。
﹁凄いッスねー、なんか凄い技術使ってたりするんですか?﹂
﹁いや、素材頼りの既存技術だ﹂
白鋼は形状こそほぼ同じだが、外装の素材が大きく変更されてい
る。沸騰したタールの中を泳ぐようなものだ、入念な熱伝導の計算
機首
と強化が必要なのである。
最も高温となるノーズコーンが展開しコックピットを守る装甲と
なるので、どっちみち重量増加は避けられない。なら耐熱仕様にし
てしまえ、なんて着想である。
﹃マッハ3,3での飛行試験を終了するわ﹄
﹁お疲れ様﹂
1442
エンジン問題点の洗い出しも終わった、すぐに作り直しにかから
ねば。
﹁どうしてそこまで、ギイハルトにこだわるんですか?﹂
試験後、エンジンを作り直しているとエカテリーナが旅立ちの挨
拶にやってきた。
エカテリーナは帝都を発つそうだ。ギイハルトのいない町に興味
はないらしい。
﹁惚れちゃったからよ、それ以外にある?﹂
話の流れで、先程の問いをエカテリーナに投げかけた。
﹁いえ、そうじゃなくて⋮⋮すいません、ただの興味本位なので忘
れて下さい﹂
色恋に首を突っ込むのは悪趣味だな。
とは思い直したのだが、話してくれるらしいので耳を傾ける。
﹁同じ匂いがしたのよ、彼﹂
﹁匂い?﹂
1443
﹁ええ。虐げられ飼われる者の匂いよ﹂
︵⋮⋮!?︶
何気なく発した言葉は、あまりに重い彼女の記憶の片鱗だった。
﹁でも違った。彼は自分の足で立っていた。自分の意志で戦ってい
た﹂
戦っていた︱︱︱大戦中の話か?
﹁彼の目は死んでいなかった。馬鹿みたいでしょ、いい歳した年寄
りが二桁になったばかりの子供に惚れちゃうなんて﹂
エカテリーナは笑顔を浮かべる。
それまでの妖艶な笑みではなく、美しく優しげな笑顔。
こんな顔も出来るんだな、この人って。
﹁ギイハルトも勿体無い、こんなに惚れられてるっていうのに﹂
﹁ほんとにねぇ、でもいいわ。押し倒すから﹂
相も変わらず肉食系エルフだ。
﹁もう行くわね、また会いましょう﹂
﹁はい、お元気で﹂
エカテリーナは鞄から鉄製のカップを取り出す。
1444
﹁辛い時はスープを飲みなさい。器が空になる頃には、憂鬱だった
理由は忘れているわ﹂
指先で回るそれには、﹁ギイハルト﹂と書かれた。
期限まであと一週間。
﹁とはいえギリギリまで粘るわけにもいかないからな、もう準備が
出来次第出発するつもりでいないと⋮⋮ん、これは﹂
記憶に新しくも懐かしい機体が格納庫に運び込まれていた。
レッドアロウ
﹁赤矢、か﹂
﹁その通りだよ、見たまえこの美麗かつ優美なシルエットを!﹂
自機に頬ずりしてにやけているのは、馬から落ちて落馬する貴族
代表、キザ男であった。
﹁撃墜されてスクラップになったと思ってた﹂
﹁頑張って修復したのサ、金ならある﹂
頑張ったのお前じゃねぇじゃねぇか。
1445
﹁こいつと共に士官学校へと入学するつもりだったのだが、予定が
変わったのだよ﹂
﹁どうして?﹂
﹁君達は旅に出るのだ、護衛の僕が着いていかないわけにもいくま
い﹂
﹁⋮⋮ソウダネ﹂
役に立つのかよ、こいつ。
﹁ふふふ、野宿の晩、姫は人恋しさを求め僕に視線を送る⋮⋮しか
し僕らは主従の関係、彼女の想いに応えるわけにはいかない⋮⋮ク
クク﹂
妄想だだ漏れだぞ。
赤矢を見上げ、白鋼にはない特殊装備に目がいった。
﹁大気整流装置か、あって困るものではないな﹂
﹁な、なんか嫌な予感がするのだが﹂
逃げようとするキザ男の首根っこを掴み、笑顔を心がけて交渉を
試みる。
﹁キザ男ぉ∼、ちょーっとお願いがあるんだぁ﹂
﹁断る!﹂
1446
﹁大気整流装置のブレード、ちょーだい﹂
﹁そんなことだろうと思った、だが断るのだ!﹂
こっちは時間もなく、そして切り札は一つでも多く欲しい。
﹁金なら払うぜ、俺なにげにリッチマンだぜぇ?﹂
﹁それでも主人公かね!?﹂
やれやれ、往生際が悪い。
﹁田舎娘﹂
﹁うぐっ!?﹂
﹁不敬罪﹂
﹁うぐぐっ!!?﹂
﹁実家に連絡﹂
﹁ウグハァッ!!!?﹂
吐血し︵イメージ︶卒倒したキザ男。
お前の犠牲は無駄にしない。この美しい魔導術式の刻まれたブレ
ードは、俺が有効活用してやる。
﹁ううっ、スペアブレードが出来上がるまでの間、直ったはずのレ
1447
ッドアロウが情けない姿だよ⋮⋮﹂
﹁いいことあるって、ガンバ﹂
ターボファンラムジェットエンジンの回転トルクはタービンとコ
ンプレッサーを逆回転させることで解決した。
﹁逆回転とかできんのか? 直結しているもんだろ、タービンと圧
縮機って﹂
﹁意外とあるよ、逆回転方式って﹂
地球でいえばハリアーのペガサスエンジンなどが逆回転だ。
﹁外周が左右反転で回るとか、どこまで変態なんだよ﹂
散々好き勝手言うバルティーニの言葉を聞き流し、俺はツナギを
脱ぐ。
﹁これで一通り完成だな、組んどくか?﹂
﹁んー、もうテスト飛行する時間もないしな。ちゃんと装着可能か
だけ確認しとこう、フル装備で組み上げといてくれ﹂
1448
﹁おう、おら最後の仕事だぞ! 起きろやおめぇら!﹂
死屍累々としたメカニック達。お疲れさん、感謝してるぜ。口に
は出さないが。
白鋼完成を知らせる為にハダカーノ王の公務室へと向かうが、生
憎外出中らしい。
ならばとリデア姫を捜すと、ピアノの音がどこからか聞こえてき
た。
ピアノの弾き語りをするリデア。
弾むように喜色溢れる音色と自在に変化する歌声は、切羽詰まっ
た状況に知らず知らず凝っていた肩の力が抜けるほど別世界だった。
灰色の空気の中、彼女の一角だけが深いコントラストに映えて見
える。
しばし見惚れ、我に返り静かに小さな劇場の客席に潜り込んだ。
本来は劇団を呼び王族などに披露する場所らしいが、最近はもっ
ぱら文字通りリデア姫の独壇場らしい。
曲が終わり、俺はぱちぱちと拍手する。
礼儀としてではなく、したかったから。
﹁⋮⋮見ておったのか﹂
はっと気付き軽く咎める視線を向けるリデア。
﹁ブラザー!﹂
1449
﹁ブラボー、じゃ﹂
誤魔化す為にボケて、こほんと咳払いして本題に移る。
﹁飛行機、完成したよ﹂
﹁そうか、すぐ行くのか?﹂
ポーン、ポーン、と鍵盤の一音を叩きつつリデアは返す。
﹁さて、最後の大仕事があるからねぇ﹂
﹁うむ? ⋮⋮ああ、あの賭のことか﹂
ポーン、ポーン。
ソフィーが自ら立ち上がれるか。彼女が潰れようと城は出なけれ
ばならないので、安全な場所を見つけるまでは連れて行くけど。
でも、白鋼には乗せない。鬼と呼ばれようと、彼女の純白の翼を
もぎ落とそう。
﹁いっつもここで練習していたのか?﹂
﹁練習というより遊びじゃ、なぜか完璧な技巧より楽しく弾いた音
の方が評判がいい﹂
ポーン、ポーン。
﹁⋮⋮なにやってんだ、さっきから﹂
﹁調律が狂っておる﹂
1450
音波を解析すると、なるほど確かにピアノ線が緩んでいる。
﹁道具貸して﹂
﹁ちょ、おい素人が触るなっ﹂
ギコギコと調節。再び鍵盤を叩くと、リデアは目を丸くして驚い
た。
﹁意外じゃ、お主音楽が判るのか﹂
﹁いや全然。解析魔法を使ったんだよ﹂
﹁⋮⋮解析、魔法?﹂
ざっと説明すると、リデアは黙り込む。
﹁⋮⋮お主、エターナルクリスタルじゃったのか﹂
﹁なにそれ﹂
﹁エターナルクリスタルとは、人体をクリスタル化して高性能魔力
供給装置にすることじゃ。魔法至上主義者の間で研究されていた禁
断の技術じゃな﹂
人をクリスタル化? 人体は有機物だぞ?
﹁そもそもクリスタルとは、魔物から採取される魔力蓄積器官じゃ。
ほぼ二四時間で魔力は満タンとなる、これはクリスタルであろうが
1451
魔法使いであろうが同じじゃよ﹂
﹁つまりなんだ、人間にもクリスタルがあったりするのか?﹂
﹁正しくは人間そのものが本当の意味での魔力蓄積器官じゃ。更に
厳密にいえば、魔力は溜め込むものではなく世界から吸い上げるも
のじゃな。魔力量の多い少ないは世界からどれだけの魔力を供給さ
れる権利があるか、という話なわけじゃ﹂
﹁権利?﹂
﹁そう、魔法とは唯一神セルファークの力を借りて行使する。どれ
だけ力を借りられるか、それは一人一人個別に管理されておるのじ
ゃ﹂
神の意志一つで急に魔法が使えなくなったりもするのか、心臓握
られているみたいで落ち着かないな。
﹁魔物自体、この世に未練がある人間の魂が結晶化してクリスタル
となり、それが肉体を構成した存在じゃしな﹂
﹁⋮⋮今、ショッキングな内容をさらっと暴露されたぞ﹂
魔物って元人間かよ。
﹁じゃあなんで個体差があるんだ、スライムみたいな雑魚もいれば
島海亀のような馬鹿でかい奴だっている。差があり過ぎだろ﹂
﹁未練の強さと内容じゃな。空をもっと飛びたいと未練を残せばド
ラゴンとなり、誰かを守りたいと思い残すとシールドナイトとなる﹂
1452
シールドナイト、白鋼に搭載されているクリスタルの本来の持ち
主だ。
﹁シールドナイトが自分の胸に手を突っ込んでクリスタルを俺に渡
してきたんだが﹂
﹁主と認められたんじゃろう、そいつの生前は騎士かなにかだった
のかもしれん。たまにあるんじゃよ、そういう現象が﹂
白鋼の障壁は彼の未練︱︱︱誇りなのか。
今度、磨いてやらないと。
﹁話が逸れたが、魔力のキャパシティは神が管理しておる。でも一
日に何度も沢山強力な魔法を使いたい。そこで昔の闇の魔法使い達
は考えた。魔力の総量が変わらないのなら、器が常に満ちるほど供
給すればいいのではないのか、と﹂
蛇口の下にコップを置くようなイメージかな。ストローでどれだ
け吸い上げても、蛇口から供給される水の方が多くコップは空にな
らない。
﹁エターナルクリスタルとは能動的に魔力を世界から吸い上げる者。
つまり、神に対するクラッキングを行っているのじゃ。解析魔法な
どその副産物に過ぎん﹂
﹁俺がその、エターナルクリスタルだって?﹂
﹁地球から渡ってきた際に処置したのじゃろう。あちらには魔法と
いうツールはないのじゃろ、魔力が欲しければエターナルクリスタ
1453
ル化するしかない﹂
あって困るものじゃない、つーか散々活用してきたわけだが⋮⋮
なんかやだな、知らぬ間に体をいじり回されていたなんて。
魔力のない人間に魔力を与え、解析魔法がオマケで付いてくる、
と。
﹁︱︱︱なあ、ファイアウォールって魔法を知っているか?﹂
﹁中級防御魔法じゃな、言葉の通り炎の壁を出現させる戦闘魔法じ
ゃ。目くらましとしても使えるが、それがどうした?﹂
﹁ガイルが、使ってた﹂
巨塔側の戦いにて心神に乗り移る際、ガイルは白鋼の視界を塞ぐ
為にファイアウォールを使ったのだ。
おかしいと思うべきだった。魔法を使えないはずのガイルが、い
きなりあんな派手な魔法を使うなんて。
﹁特別燃費がいい魔法とかじゃなくて?﹂
﹁むしろ中級魔法としては悪い部類じゃの﹂
それだけではない。秘密基地にて、ガイルはエンジンを確認もせ
ずに﹁吹き上がりが悪い﹂と見抜いた。
メカニックとしての技能に特別優れているわけではないガイルが、
見た目だけで判るはずがない。
﹁解析、魔法⋮⋮? まさか、ガイルは俺と同じ能力を身に付けて
いる︱︱︱?﹂
1454
ずっと頼りにしてきた解析魔法。それは、既に俺だけのアドバン
テージではなかったのか?
ならば、ガイルは俺と同じエターナルクリスタルということにな
る。
いつの間に、いやいつから?
﹁い、いや、まだ決まったわけじゃない。身を隠す為に魔法を使え
ないフリをしていたのかも⋮⋮﹂
﹁いいえ、お父さんは本当に魔法が苦手だったわ﹂
﹁ひょぉう!?﹂
ソフィーが俺の前の席から、ひょっこり顔を出した。
﹁え、なんだ、いつからそこに?﹂
﹁最初からよ﹂
目から上だけを覗かせて恨めしげな上目遣い。
﹁なんじゃ、気付いておらんかったのか﹂
ステージから見れば気付いてろうな、そりゃ。
﹁久しぶりね、レーカ﹂
﹁ああ、そうだな﹂
1455
ガイルのことは一端横に置いておこう。目の前の、美少女の姿を
した問題の方が急務だ。
﹁そっち行くわね﹂
隣の席に座るソフィー。
﹁さて、背景は背景らしくBGMでも弾いているかの﹂
ポロンポロンと静かな曲調が始まった。ソフィーと話せというこ
とか。
﹁私のこと、試していたわね﹂
﹁⋮⋮うん﹂
﹁ひどい人、ひっぱたいていい?﹂
﹁痛いのは勘弁してくれ﹂
しばし見つめ合うと、ソフィーはにへらっ、と笑う。
﹁やっと話せたわ。ねぇ、聞いてくれる?﹂
﹁なんだ?﹂
﹁私、レーカのこと好き。レーカは?﹂
ストレート過ぎです、ソフィーさん。
1456
﹁誤魔化したら嫌いになるかも﹂
﹁うぐ、その、あー⋮⋮﹂
いつの間にかこちらが追い込まれている。
﹁好き?﹂
﹁うん、好き、かな﹂
こんな気持ちになるのは、ソフィーだけだ。
子供だからと侮るのはやめよう。真摯に俺を見るソフィーに対す
る侮辱となる。
﹁ふふ、そうなのね、相思相愛ね。えへ﹂
﹁ナスチヤのことは吹っ切れたのか?﹂
あえて確信に踏み込む。
﹁事故や事件で親のいない人なんていっぱいいる、そう思おうとし
ても納得は出来なかったわ﹂
理屈など、感情の前ではあまりに無力だ。
﹁紅蓮の騎士団を恨むのは簡単。けれど、その生き方はお母さんが
くれたものを切り捨てるから嫌﹂
﹁そうだな、復讐鬼と化したソフィーなんて見たくない﹂
1457
恨みに駆られ帝国軍の天士となれば、きっとソフィーは屍の山を
築き英雄となる。
けれど、その彼女を俺はソフィーと認識出来るだろうか。
﹁どうすればいいかなんて解らない。だから、これから考えるの。
私はレーカの妻でも復讐鬼でもない、私自身になる﹂
だからその一歩目として、とソフィーは自分の意志を示す。
﹁お父さんを追う。例え、強引な手段でも﹂
﹁ガイルを撃てるのか? 魔物相手にも引き金を引けない君に﹂
﹁白鋼の運転手は必要でしょ?﹂
﹁そんな言い訳はいい。ガイルを殴ってでも止められるか?﹂﹁⋮
⋮殺せない。できるはずない。けど、殺さない程度であれば﹂
﹁ガイルとソフィーの戦いは確実に高速で飛び交う戦闘機同士の格
闘戦になる。手加減なんてする余裕はない﹂
﹁それでもやるの、私なら出来る﹂
ソフィーが自負を抱くとは珍しい。
﹁⋮⋮ソフィーの攻撃手段は考えてある。でも、もし手元が滑って
ガイルを殺してしまったら?﹂
﹁その時はその時に考えるわ。やらないまま全部終わるなんて絶対
に嫌、私もステージの上に立っていたい﹂
1458
︱︱︱ま、いいか。
手を差し出す。
﹁今まで意地悪してごめん。白鋼のパイロット、引き受けてくれる
か?﹂
﹁それっ﹂
返答は握手ではなく、抱擁だった。
﹁あれは私の飛行機よ、そうでしょう?﹂
﹁⋮⋮ああ、そうだったな﹂
そうだ、彼女がいたからこそ白鋼は産まれたんだ。
腕の中に収まったソフィーの頭を撫でる。
﹁おー、楽しそうじゃのー﹂
リデアがガン見していた。
﹁ああ、すまない。続きは部屋に戻ってするよ﹂
﹁今のお主等を一つの部屋に入れるのはなんかのう﹂
彼女は俺とソフィーを見据える。
﹁質問をするがよいか?﹂
1459
質問していいかの確認自体が質問な件。
﹁茶化すな。まあ、なんだ、お主らは平穏な夢と辛い現実、どっち
がいい?﹂
﹁変な質問ね、思考実験?﹂
よくある、面白味のない問いだ。
辛くない幻想。辛く厳しいリアル。
どちらがよいか。村にいたころなら、﹁夢でいんじゃね?﹂と答
えたかもしれない。
﹁辛い⋮⋮ばっかりは嫌だけど、まあ現実かな﹂
﹁なぜじゃ?﹂
﹁ナスチヤの死を軽んじたくはない﹂
大切な人が死んで、ずっと苦しかった。ずっと悲しかった。
今までの思いが﹁はい嘘でしたー﹂なんて、絶対にゴメンだ。
﹁私も、現実の方がいい。夢は寂しいわ﹂
ひきこもりだったソフィーが閉じた世界を寂しいと称するか、変
わったな。
﹁そうか、それが本心か⋮⋮﹂
しばし悩み、リデアは俺に紙切れを渡した。
1460
﹁ラブレター? いやぁ困ったな﹂
﹁その紙に記された場所とタイミングで、ガイルが飛行する﹂
なん、だと?
﹁確証はない。だが、それが捕まえられる最後のチャンスじゃ﹂
﹁最後?﹂
﹁正確にいえば、それを逃せば一気に遠のく﹂
﹁君は一体⋮⋮﹂
﹁そんなことを問答している場合か﹂
紙に書かれた場所と時間には、すぐに発ち急行しなければ間に合
わない。
﹁⋮⋮ありがと﹂
ソフィーの手を取り駆け出す。
その背後で、リデアは頭を抱えていた。
﹁あぁ、なんであんな不審な奴を信じようと思ったのか、我ながら
無謀じゃ。せっかく確実に接触可能なタイミングを自ら無駄にする
とは⋮⋮﹂
次からは通用しないじゃろうな、ああ勿体無い。そんな声を最後
に、リデアとの数週間は終わった。
1461
﹁なに、これ⋮⋮白鋼が別物になっている﹂
﹁まぁな﹂
ソフィーが驚くのも無理はない。
全長はほぼ倍。追加装備を装備した白鋼は四本の大型固形燃料ロ
ケットを抱え、堅牢なデルタの主翼を持つマッシブな外見となって
いる。
﹁半人型近接白兵戦闘機 白鋼改 重火力強襲ユニット装備型だ﹂
全身にミスリルブレードを装備し、翼までも全て刃となっている。
耐熱金属と固定化魔法を多用することにより最高速度はマッハ3
以上。大気整流装置を起動すれば、更に加速可能。
その他、多くの強化が施された白鋼。その全ては打倒ガイルを目
指し設計されたものだ。
﹁詳しい説明は空の上で済ます。こいつを飛ばせるな?﹂
﹁︱︱︱ん。レーカの作った飛行機だもの、飛ばないはずはないわ﹂
搭乗し、ベルトを固定。
ゴーグルを着け、バルティーニさんにハンドサインを送る。
1462
数機の人型機が白鋼を載せた鉄板に指をかけ、斜めに持ち上げた。
離陸方法にまで手を回せなかったのだ。
﹁クリスタルの魔力消費を抑える為に固形燃料ロケットで現場まで
行くぞ!﹂
﹁了解、いつでもいいわよ﹂
燃料に火が点る。
同調したロケットが火柱で地面を炙り、白鋼は轟音と共に城から
発進。
帝都に響きわたる爆音と眩い炎。その日、誰もが空を見上げ異形
の飛行機を目撃した。
﹁テイクオフ︱︱︱首を洗って待っていろ、あんぽんたんの馬鹿ガ
イル!﹂
1463
刃の翼と最強への挑戦︵後書き︶
先週は更新が間に合わなかったわけで、今週も更新失敗するのは
まずいだろうと思い頑張りました。長いです。
>銀嶺雪花さん アハアハトさん
誤字報告ありがとうございました。修正しました。
次回はvsガイルのリベンジ戦。たぶん5章ラストです。
1464
時速五〇〇〇キロの決闘︵前書き︶
注意 最初にエロスな描写があります。
1465
時速五〇〇〇キロの決闘
荒野を飛行する白亜の巨大飛行機。
紙飛行機を連想させる三角翼の主翼を持ち、カナード翼を機体前
方に備え、六発のエンジンが後部に並んでいるという異形の翼。
全長五六メートル。セルファークではありえない巨体は、その独
創的なデザインから知らぬ者が見れば宇宙船と勘違いするかもしれ
ない。
XBー70 ヴァルキリー。地球では一機のみが現存する、幻の
爆撃機である。
音速の三倍で駆け抜け、誰よりも高く昇り、何よりも遠くまで飛
べる。
ただ敵国に核弾頭を運ぶことだけに特化した飛行機。
殺戮の為に産まれながらも、そのシルエットは軍用機とは思えぬ
ほど美しく。
戦乙女の名が与えられたのは、最早一種必然であったといえよう。
本来この爆撃機は大半が燃料タンクで占められており、コックピ
ットも広くはない。
しかしエンジンを換装され燃料タンクを撤去したことで、大きな
余剰スペースを得た同機は格納庫から個室までを備えた超音速飛行
空母へと改造されていた。
超音速での巡航飛行を行うヴァルキリーの人員は全て、座席数を
増加した艦橋へと集まっている。
ヴァルキリーの特徴の一つであるカプセルモジュール式脱出装置
の喪失と引き替えに、内部での長期活動を想定した船のように広い
艦橋を確保しているのだ。
座席の最後部、少し高い位置に固定された椅子。それはさならが
艦長席。
1466
まるで玉座のようなそこに、つまらなそうに目を細め頬杖を突く
のはガイルその人。
虚空をぼんやりと見つめる彼の下半身からは、淫靡な水音が鳴っ
ていた。
﹁ん、ん⋮⋮はぁ、うん⋮⋮ん﹂
・・
彼の股に顔を埋め、懸命に奉仕するのはフィオ・マクダネル。荒
鷹の設計者であり、ガイルの愛人である。
愛人といえど愛などない快楽の為だけの行為。ガイルにとってそ
れは時間潰しでしかない。
﹁もういい、やめろ﹂
﹁⋮⋮はい﹂
ガイルのズボンを戻し、はだけた自身の胸元を正して一礼。フィ
ソードシップ
オは余韻もなくファルネとギイハルトの脇を通りヴァルキリーの操
縦席へと戻った。
このヴァルキリーは機体下部に輸送用ポッドを増設し飛行機を運
しんしん
用する能力を付加した空中空母⋮⋮というだけではない。地球の技
あらだか
ストライカー
術を参考に新造した核エンジンを動力としガイルの心神とギイハル
トの高機動型荒鷹、そして特殊な人型機を一機積載しつつも最高速
度はマッハ3を維持している、オーバスペックマシンなのだ。
フィオの技術の粋を凝らした機体であり、彼女の愛機と呼んでい
い。
れいか
彼女の技術力は、セルファークにおいて比類なき領域へと達して
いた。例え、比較対象が零夏であろうと、だ。
そんな母親の背中を冷たい視線で見つめるのは、彼女の娘である
ファルネ。
1467
彼女の中にフィオに対する親愛や敬意などもうない。惚れた男に
みっともなく付きまとい、都合のいい女として満足している侮蔑の
対象だ。
ファルネの隣の席に座るギイハルトは、目を閉じて無言を貫いて
いる。
﹁⋮⋮寝てるかしラ?﹂
﹁いや、起きてるよ﹂
フィオがギイハルトの裾を引っ張ると、微かに笑みを浮かべてフ
ィオの頭を撫でた。
ぷい、と顔を背けるファルネ。
﹁子供扱いしないでよネ﹂
﹁⋮⋮失敬﹂
再び沈黙。
その奇妙な空気が、彼ら四人の様変わりしてしまった関係を如実
に現していた。
小さな電子音。レーダーに光点が現れる。
表示されているのはセルファーク全土の地図。
軍用機は複数の早期警戒管制機や船舶、地上レーダーなどとデー
タリンクすることで自己能力以上の索敵範囲を確保することが出来
る。
この飛行機も例に漏れずデータリンクを行い、セルファーク全て
の監視をしているのだ。
ただし、リンクの対象は神。世界を掌握する唯一神セルファーク
とリンクし、情報を得ている。
1468
また、ヴァルキリー単独でも高性能レーダーによって半径一〇〇
〇キロメートルを探索可能。共和国や帝国といった大国の軍事行動
の完全掌握すら単機でやってのける。
魔法の神に加護を受けし、鋼鉄と炎の戦乙女。
地球において死の天使と呼ばれた爆撃機は、異世界においてもそ
の在り方を変えてはいない。
﹁隊長、小型機が接近︱︱︱早いです、マッハ3を越えています﹂
艦橋に緊張が走る。セルファークにマッハ3以上で飛行可能な機
体など数えるほどしかない。
﹁強行偵察か?﹂
﹁いえ、そもそも我々が目的とは考えにくいです。この機体を補足
し追跡するのは事実上不可能です﹂
レーダー技術が存在しないセルファークでは目視以外にヴァルキ
リーを補足する手段はない。たとえ発見されても、追おうと機体に
乗り込んだ時にはヴァルキリーは空の彼方。追跡しようがないのだ。
﹁イレギュラー? きな臭いわね﹂
言葉に反し、ファルネの口調は楽しげである。
ガイルは億劫そうに立ち上がり、窓から裸眼にて地平線の先から
追いかけてくる機体を捉えた。
六キロ先まで接近した白い機体、ガイルはそれに見覚えがあった。
﹁︱︱︱面白い。フィオ、速度をマッハ2まで落とせ﹂
1469
﹁了解﹂
数字が一つ減っただけとはいえ、一二〇〇キロ以上の減速である。
自動車の急ブレーキの如く強い前のめりの慣性がしばし働き、よう
やくヴァルキリーは指示された速度となった。
やがて、不明機はヴァルキリーに追い付き平行飛行へと移行する。
﹃⋮⋮お父さん?﹄
﹃ソフィーか﹄
しろがね
四発のロケットと巨大な翼を追加した白鋼。
その全長は本来の白鋼の倍である二〇メートルに迫り、かなりの
巨大化を果たしている。
しかしその白鋼とてヴァルキリーの三分の一でしかない。その巨
大な鉄鳥に、旅客機すら見たことのないソフィーは息を飲む。
﹃なんの用だ﹄
親子の再会に、変わらぬ声色で答える父。
﹃俺もいるぜ、ガイル。なあちょっと話をしないか?﹄
白鋼を強化したとはいえ、零夏も当然穏便に済ませたい。だから
こそ残り時間の少ないロケット燃料を無駄にしてでも、通信を行っ
たのだ。
本心は﹁なんでマッハ3級の爆撃機に乗ってるんだよ、亜音速で
飛べよ﹂と不満満々だったが。
しかし燃料がないことを悟られれば駆け引きの手札を大きく失う
ことになる。だからこそ、零夏は気楽な調子を崩さない。
1470
﹃久々だな、元気してた?﹄
﹃どうやってここを調べた?﹄
聞いちゃいねぇよこいつ、と内心毒突く零夏。
﹃いや、リデア姫以外にありえないか﹄
﹃あー。まぁな﹄
零夏はリデアを信用出来る人間だと考えている。得体の知れない
部分こそあるが、性格的には友人として好ましく、またただの子供
だ、と。
だからこそ、なぜこの場所とタイミングでガイルと接触出来るの
を知っていたか、それをリデアに問いただすつもりはない。必要な
らきっと話してくれる、そう信じている。
現に、このタイミングに関しては話してくれたから。
﹃なんの用だ。また落とされたいか?﹄
﹃おっと攻撃するなよ、そっちには子供もいるんだろ? 俺も撃ち
たくないし、ガイルだってソフィーを撃ちたくあるまい?﹄
解析魔法にて零夏はヴァルキリーの乗員を全て把握している。そ
の面子に一つの共通点があることも。
︵ガイル、ギイハルト、フィオ、ファルネはおまけとして⋮⋮大戦
時のガイルの部隊員じゃないか。なにを企んでいるんだガイル︶
1471
﹃話し合いの割には随分と強化してきたな、殺し合う気があるとし
か思えないぞ﹄
ガイルの視線は白鋼の主翼へと向かっている。
正しくは主翼に格納されたミサイルへと。
︵解析魔法︱︱︱ガイル、やっぱりお前は⋮⋮︶
﹃帝都でいきなり襲ってきたのはガイルだろ。こちとら正当防衛の
自衛手段をちょっぴり増設しただけだ﹄
﹃はっ、白々しい。フィオ、やれ﹄
﹃隊長!? 相手はソフィーちゃんとレーカ君ですよ!﹄
さすがにギイハルトが止めに入るが、ガイルの鋭い眼光の前に言
葉を失う。
﹃ギイ、目的を忘れるな。これは世界解放の為に必要なことなんだ﹄
﹃ですが︱︱︱その為に娘を殺す気ですか!?﹄
﹃フェニックス、発射します﹄
ヴァルキリーのウェポンベイが開き、長さ四メートルほどの大型
ミサイルが投下される。
﹃死なんさ、俺の娘だぞ﹄
コンソールに手を伸ばしたままのフィオが歯軋りをしたのは、誰
1472
にも悟られることはなかった。
フィオが憎む女、その生き写しであるソフィーはやはり憎悪の対
象である。
空中に躍り出たミサイルが点火、白鋼へと向かう。
﹃XBー70だってそうだけど、フェニックスなんてどこから調達
してくるんだ畜生ッ﹄
長距離空対空ミサイル・フェニックス。射程距離二〇〇キロを越
え、マッハ4で飛翔する高性能ミサイルである。
だが零夏もミサイルの存在を危惧していなかったはずがない。こ
こひと月の仮想敵機は、地球製の心神なのだから。
﹃チャフ放出! ソフィー避けろ!﹄
アルミ泊をばらまきミサイルのレーダーを錯乱、誤作動によって
逸れたフェニックスミサイルを回避する。
しかしフェニックスミサイルは推力偏向による強引な方向転換を
し、白鋼正面から接近する。
﹃なんだ今の動き、オリジナルとは別物かよっ﹄
心神やヴァルキリー等の機体はともかく、消耗品であるミサイル
はフィオ手製のコピー品だ。ドッグファイトにおける運用の為にア
クティブ・レーダーだけではなくデータリンクによる補正を行い、
燃料切れ以外では撃墜するか撃墜されるまで敵機を追い続ける。
﹃レーカ、私に任せて!﹄
すれ違う白鋼とフェニックスミサイル。
1473
刹那、ミサイルは竹のように縦に裂けた。
爆散するミサイル。
﹃切った? ナイフでも仕込んでいるのか、その機体には﹄
﹃これがお前の答えか、ガイル! 遠慮なく撃ちやがって!﹄
﹃ソフィーなら避けられる、お前が余計なことをしなくてもな。無
人兵器に殺されるようなら俺の娘ではない﹄
ヴァルキリー下部のハッチが開き、心神が滑り落ちるように発進
する。
木の葉のようにくるくると舞い、空気抵抗から一気に減速。白鋼
とヴァルキリーに一旦引き離されるも、強力な推力によってすぐに
追い付く。
心神と白鋼が僅かに数瞬、静かに睨み合う。
﹃フィオ、空域を離脱しろ。俺は後から行く﹄
﹃了解しました﹄
加速するヴァルキリー。交渉は決裂と言っていい、零夏は小さく
舌打ちした。
次の機会などあるかすら解らない。零夏はガイル以外の者達へと
話しかける。
﹃ギイハルト、とりあえず教えとく。エカテリーナさんが探してい
たぞ﹄
﹃⋮⋮そうか、今度会ったら俺のことは忘れてほしいと伝えてくれ﹄
1474
﹃やなこった、自分で言えよ﹄
くすくすと笑うファルネの声が無線に混じる。
﹃ファルネちゃん? 君まで⋮⋮フィオさん、親としてどうなんで
すかそれ﹄
ガイルが正直に打ち明けないあたりから、零夏は彼らの企みに後
ろめたい部分があると確信している。そしてそれは正解だ。
そんな行動に我が子を付き合わせる、というのが零夏は信じられ
なかった。単に預ける人がいなかっただけかもしれないが、ならば
初めからガイルの行為に参加すべきではない。
﹃部外者が口出しをするな﹄
﹃⋮⋮フィオさん、性格変わってるぞ。あんまりピリピリしてると
小皺が増えるぜ﹄
フィオのにべもない返答に軽く苛立ちを覚えた零夏は、年齢的に
割と有効な嫌味をセレクトして返すのであった。
﹃⋮⋮⋮⋮。﹄
無言ながらも伝わる怒気。ファルネの笑い声が﹁くすくす﹂から
﹁アハハッ﹂にランクアップし、零夏は見えもしないのに肩を竦め
た。
﹃おお、怖い怖い。ところでギイハルト、イリアちゃんは?﹄
1475
﹃ん、ああイリアかい? こんなことに付き合わせるわけにはいか
ないからね、ドリットに残したよ﹄
﹃エカテリーナさんはイリアちゃんも行方をくらましたって言って
たけど﹄
﹃⋮⋮そうか、まああの子は強いからね。旅くらい平気だよ﹄
イリアが舞鶴相手に生身で戦ったことは零夏もソフィーから聞い
ている。拙い説明なので詳細まではよく解らなかったが、旅くらい
平気とは事実なのだろう。
ヴァルキリーが遠のき、共振通信が途切れる。
﹃待たせたな。っていうかなんで待ってたんだ?﹄
﹃別れに割り込むほど無粋じゃない。部下のプライベートに口出し
する権利は部隊長にはないさ﹄
﹃本当に、やるのか?﹄
無言でファイターモードへと変形し、レールガンを展開する心神。
﹁レーカ、もういいよ﹂
終始無言であったソフィーが、ふと言葉を発した。
﹁私の問題でもあるもの、私からも言わせて﹂
すぅ、と小さく息を吸う。
そして、彼女なりの大声で叫んだ。
1476
﹃こぉのぉぉ、馬鹿おやじぃぃー!﹄
美少女にあるまじき叫びであった。
時速二五〇〇キロにての反抗期。うまく形に出来ない感情を、彼
女は浮かぶままにぶつけることにしたのだ。
﹃私、怒っているんだから! お母さんが死んで、なんでお父さん
までいなくなるの? なんでそうなるの? お父さんだってショッ
クだったのは解るわ、でも変じゃない? なんで私のことをほった
らかすの? 私、娘なのよ? ちょっとくらい甘えさせなさい甲斐
性なしの足くさおやじー!﹄
﹃言いたいことはそれだけか?﹄
﹃いいえ、まだよ、まだまだよ! 私は私自身になるって決めたん
だから、我が儘だって言うしその為の努力もする! だから︱︱︱﹄
ソフィーは心神をしっかりと見据え宣戦布告する。
﹃すぐに捕まえるんだから、覚悟しなさい!﹄
﹃⋮⋮くくく、ははははははは、愉快な成長を遂げたな﹄
その時、確かに零夏は幻視した。
紅と白の猛禽が、臨戦態勢で睨み合う様を。
1477
﹃もう俺に抗う術を得たか、それでこそ俺の娘だ!﹄
家族だった者達の戦闘が開始される。
零夏が心神の能力において最も厄介と考えているのは、他でもな
いミニイージスによるレーザー迎撃システムだ。
有視界内であれば問答無用で撃墜される、強力な盾。心神が一〇
〇年後の機体であることを考慮すれば、その力は計り知れない。
だから零夏は考えた。見えない鉄壁を破るのに必要は兵器は何な
のか。どうすれば三六〇度をカバーする目から逃れ死角に潜り込め
るか。
具体的な技術内容が判らない以上、彼は地球における対イージス
艦戦術を参考にすることにした。
イージス艦を沈める手段は幾つかある。基本的なものとしてはレ
ーダーに引っかからないように海面スレスレを飛行し、接近して対
艦ミサイルを撃ち込むという方法だ。
しかし心神は航空機であり、レーダーに映りにくい遮蔽物など空
にはない。故に零夏はもう一つの、原始的な手段を対策として選ん
だ。
ミサイルの飽和攻撃である。
イージス艦はデータリンクしたミサイル駆逐艦等との共同作戦を
前提としており、単独でのミサイル迎撃には限界がある。
機械である以上当然だ。イージスシステムは極限まで効率化され
1478
た迎撃であり、バリアやシールドではないのだから。
物理的な処理限界以上のミサイルを叩き込む。数こそ正義のソ連
チックな作戦。
コックピット側面に退けてあったキーボードを引き出し、心神を
睨みつつ高速でタイピング。
心神のスペックを推測。ガイルの性格からどのような選択肢を選
ぶか先読みし、数値を入力していく。
﹃お返しだガイル。倍返し、その倍の倍の更に倍以上でな!﹄
心神の迎撃限界がどれほどか零夏には検討がつかなかった。だか
らこそ、出し惜しみはしない。
白鋼に後付けされた重火力強襲ユニットの主翼ウェポンベイが開
き、格納されたスクラムジェットミサイルが発射される。
その数は実に数十発に及ぶ。ユニットに格納されていた全てであ
る。
一本一本は二メートルにも満たない小型ミサイルとはいえ、数十
本となれば体積も重量も馬鹿にならない。白鋼にわざわざ巨大な追
加ユニットを搭載したのも、ロケットエンジンを追加したのもほぼ
この為だけだ。
全弾発射した白鋼にとって、重火力強襲ユニットなど重石でしか
ない。内部に爆薬を充填した分離ボルトを起爆し、幾つかのパーツ
をばらまきつつユニットは分離される。
ここで初めて白鋼の新型エンジンが起動。
心神を追尾する数十発のスクラムジェットミサイル。燃料はほぼ
積んでおらず、燃焼時間は僅か一〇秒ほど。しかしその速度、実に
マッハ一〇。
スクラムジェットエンジンが可能とする極超音速、だがガイルは
それを鼻で笑った。
1479
﹃ふん、子供騙しが。この機体の特性を忘れたか﹄
心神が再び変形し、平坦な形状︱︱︱サイレントモードとなる。
レーダー波どころかありとあらゆる波長を受け流し偽装する、完
全なるステルス能力。それは光波すら例外ではない。
心神の機影が空に溶け、虚空をスクラムジェットミサイルが通過
する。
光学迷彩によって姿を消した後に回避運動を行ったのだ。
﹃どこにいったの?﹄
﹃一〇時方向、ちょい上﹄
解析魔法によって零夏には見えている。しかし今の心神を機械が
関知することは不可能。
行き場を失ったミサイルは大きく散開し︱︱︱
﹃な︱︱︱に⋮⋮!?﹄
心神を、包囲した。
﹃馬鹿な、追尾したのか、見えない心神を﹄
機体をファイターモードに戻し、レーザー迎撃を開始する。しか
し間に合わない、いかんせん距離は近く数は多すぎた。
﹃勘違いするな。厳密に言えば、これはミサイルではない﹄
タイマーが作動。ミサイルが分解し、内部の子弾が放出される。
心神に迫る数百の爆弾。一つ一つの威力などたかがしれている。
1480
しかし一発でも触れれば、装甲のない航空機は戦闘不可能に追い
込まれる。
﹃事前にデータを打ち込んだ。お前がどう逃げるか、それにどう対
処して囲めばいいかを﹄
ミサイルとは自己判断で敵機を追いかける兵器だ。故に、これは
ミサイルではない。
﹃こいつはロケット弾だ﹄
﹃馬鹿げてる、こんなもの!﹄
これが地球のパイロットであれば、心神は撃墜されていただろう。
それほど零夏の飽和攻撃は単純ながらも有効であった。
だがガイルは銀翼の天使、最強の英雄。
人間離れした胴体視力と勘によって、最適の回避ルートを算出す
る。
﹃うおおぉぉぉぉぉ!!﹄
雨降りの中、雨粒を避けて濡れずに歩ける者がいればそれはきっ
と人間ではない。
ならば、クラスター爆弾を回避するパイロットは人間か否か。
上下左右、縦横無尽。Gに振り回され機体は軋み、それでも機動
は鋭さを増す。
レーザー迎撃による部分もあるだろう。しかし⋮⋮
﹃舐める、なぁぁぁ!!!﹄
1481
⋮⋮単純に、彼は人間の域を越えていた。
子弾の雨の中、傷一つない心神が離脱する。
コックピットモジュールにて乱れた呼吸を繰り返すガイル。いか
に彼といえど消耗は激しい。
そこに、隙が生まれた。
心神に影が指す。上を確認すれば、そこには白鋼の前進翼の機影。
﹃休んでいる暇はないぞ、ガイル!﹄
﹃⋮⋮ッ、こちらが本命か!﹄
その通りであった。
ガイルがソフィーを﹃無人兵器に落とされる器ではない﹄と称し
たように、彼らとてガイルを﹃無人兵器だけで落とせるほど楽な相
手ではない﹄と認識していたのだ。
だからこその二段構え、あれほど苦労して拵えたミサイルとて、
ただの接近するまでの時間稼ぎでしかない。
爆弾回避に徹していた心神は速度を大きく落とし、亜音速にまで
低下している。それに追い付くなど白鋼にとって容易い。
﹁さあソフィー、ここからはお前のショーだ!﹂
﹁うん、頑張るっ!﹂
あわや衝突、と危惧するほど接近する白鋼。
心神の進行方向へと先回りし、主翼を翻す。
﹃なるほど、先程ミサイルを切ったのはそれか﹄
白鋼を回避する心神。二機の距離は常に数十メートル以内に収ま
1482
っている。
正確にいえば、白鋼が逃がさぬように立ち回っているのだ。
﹃全ての翼が刃物になっているとは⋮⋮格闘戦装備の戦闘機など、
珍しいものを﹄
ガイルといえど接近特化型の戦闘機などエカテリーナの雀蜂程度
しか知らない。大戦中にいた気もするが、覚えていない。
主翼二枚、カナード翼二枚、垂直尾翼五枚、補助翼二枚、そして
主兵装のミスリルブレード。
白鋼は合計一三枚もの刃物を装備した、全身武器と化している。
﹃そっちの間合いで戦ったって勝ち目は薄い、せいぜい白鋼の得意
分野に持ち込ませてもらう﹄
心神は地球の飛行機であり、敵機との距離はむしろ遠くを想定し
ている。ファイターモードというドッグファイトに特化した姿を持
っていようと、わずか数十メートル範囲内で有効な火器などない。
風に乗り木の葉のように舞う白鋼が、心神主翼のレーザー砲身を
切り落とす。
﹁よしっ、レーザーさえ使用不可能になれば!﹂
﹃やれやれ、直すのはフィオだぞ。⋮⋮で、使用不可能になれば、
なんだって?﹄
もっとも警戒していたイージスシステムの破壊。しかし、それは
業火にガソリンを注ぐだけの行為だった。
﹃いいだろう、お望み通り接近戦を演じてやる﹄
1483
帯電するレールガンの砲身。
甲高い鳴き声とともに発射された弾頭は、軌跡もよくわからない
ままに地表に着弾する。
瞬間︱︱︱爆発した。
溶けた土が空を舞い、大気を震わせ轟音をかき鳴らす。
土煙が晴れた後に残っていたのは、直径一〇メートルほどのクレ
ーターのみ。
﹁おいおい、飛行機に載っけるレベルの威力じゃないぞ。運動エネ
ルギーだけで炸裂しやがった﹂
あまりの威力に顔色を青くする零夏とソフィー。以前白鋼を撃ち
抜かれた時は水平発射であり、機体を貫いた弾丸は水平線の先へ消
えていった為に威力がイメージしにくかったのだ。
﹃お父さん、ちょっとは手加減して!﹄
﹃悪いが威力は固定だ、気が向いたら調節出来るよう改修しとこう﹄
一発のデモンストレーションでレールガンは絶対的な一撃必殺で
あるとガイルは理解させたのだ。彼としてもソフィーを殺す予定は
ない。
ソフィーの操縦に怯えが混ざる。無難な、安全な選択肢を選ぶ動
きになったのだ。
対し興の乗ったガイルの操縦は切れを増す。
心神はカナード翼に四発の熱核融合水素ロケットエンジンを内蔵
している。それが上下に自在に傾き、機体を力ずくで振り回す設計
なのだ。
あまりに無茶な動きが可能の為、純正品は強力なリミッターが施
1484
されている。
ガイルはリミッターをいくらか解除し、肉体の限界を超えた動き
すら再現可能。
︵なんて、動きだ⋮⋮! エンジンで強引に機体を振り回してやが
る、航空力学もへったくれもねぇ!︶
白鋼は風を活してクイックに回頭する設計思想だ。これはソフィ
ーの趣味に合わせたものである。
しかし風を活かすということは、多少なり前進して風を受けなけ
ればならないということ。その場で戦車のようにターン出来る心神
に、むしろ白鋼の方が振り回される有様だった。
白鋼とて飛行機としては出鱈目なほどに小回りが効く。軽量な構
造材にカナード翼と前進翼の組み合わせ、更に二軸式推力偏向装置
の追加。しかし、それでも心神が逃げ出さないように立ち回るのが
精一杯。
︵レーザー砲身を切った以降は近付けすらしない、もう少し小回り
が効けば⋮⋮︶
零夏の手が操縦桿に伸びそうになる。
︵駄目だ、人型形態になれば速度が出ない。一気に逃げられる⋮⋮
!︶
白鋼があくまで飛行機のまま接近戦を行っているのは、それが理
由だ。
スペック上の敗北。一〇〇年の差をそうそう埋められるとは知っ
ていたが、それでも零夏は悔しかった。
1485
﹁俺に技術がもっとあれば⋮⋮﹂
﹁うんん、性能差が勝敗に直結するわけじゃない﹂
﹁⋮⋮大佐ネタか?﹂
﹁えっ?﹂
きょとんとしつつも気を取り戻し、ソフィーはガーデルマンの教
えを思い出す。
﹁小回りで負けてたって、やりようはあるわ!﹂
怯えを振り払い、白鋼の軌道が変わる。
単調な旋回を繰り返していたものが、一度高度を上げるようにな
yo−yo
ったのだ。
high
︵ハイ・ヨー・ヨー!︶
上昇にて運動エネルギーを位置エネルギーに変え、滑り降りるこ
とで再び加速し鋭い旋回を行う空戦技能、ハイ・ヨー・ヨー。
ソフィーならば無意識に使うレベルの初歩戦術だが、ガーデルマ
ンの教えから戦闘機対戦闘機の戦術論を習った彼女はそれを武器に
転じることが出来た。
一つ一つの動きでは完璧なソフィーだったが、全体としてロスを
減らし最終的な勝利を勝ち取る技能は別の話。アクロバットの達人
とエースパイロットの違いだ。
設計者の想定しない操縦を行い、スペック以上の能力を引き出す。
それは、戦闘機乗りにとっての一つの到達点である。
あまりに鋭角で変則的なシザーズ運動を繰り広げる双方。
1486
﹃素人臭さが抜けたな、だが﹄
ソフィーに出来てガイルに出来ないはずがない。双方の機動は絡
み合う蝶のように交わり、互いに食らい付く。
速度は更に低下し、既に巴戦の体を成していた。
﹃舐められてるわ﹄
﹃くそっ、馬鹿にしやがって!﹄
機体性能は心神が上。技量もガイルが上。戦術論とて実戦経験豊
富なガイルがやはり上。
白鋼に勝てる道理はなく、ペースは完全にガイルの流れである。
隙をついて離脱する心神。一度距離が空けば、長距離攻撃の手段
がない白鋼にはどうしようもない。
﹁逃げられたッ!﹂
﹁ごめんなさい、偉そうなことを言ったのに﹂
﹁いいさ、まだ想定内! ﹃あれ﹄がそろそろだ、タイミングを指
示するから誘導頼む!﹂ 心神が白鋼の後ろに回り込む。放たれるレールガン。
﹁左に避けて!﹂
﹁きゃあぁ!?﹂
1487
白鋼とニアミスした弾丸は大気をビリビリと震わせ、コックピッ
トを揺さぶる。
弾速は彼らの想像以上に早い。火薬によって加速する弾頭なら発
射後に避ける自信があったのだが、レールガンは発射する前から回
避する必要があると判断。
﹁心神の砲身に注意しろ、レールガンは固定されているから正面に
しか撃てない、射線上に入らなければ当たらない!﹂
﹁でもっ、見えない!﹂
ソフィーといえど敵機の姿勢にまで注意を払えない。ましてや視
界の悪い後方となれば尚更。
﹁ガイルは白鋼を落とそうとはしていない、ぎりぎりを狙ってダメ
ージを与えたいだけだ! ちゃんと見切って正しい方向に避ければ
完全回避出来る!﹂
﹁もう、無茶ばっかり! 言葉で指示されたって間に合わないわよ
!﹂
﹁それじゃタイムラグのない方法選ぶぞ、怒るなよ!﹂
零夏は前席のリクライニングシートを倒し、ソフィーを自身の太
ももの上に倒れさせる。
﹁ふぇ?﹂
﹁いただきます﹂
1488
目を丸くするソフィーに接吻。解析魔法をイメージリンクにて彼
女に直接伝える。
ソフィーは若干抵抗するも零夏の意図に気付き、目を閉じて頭の
中で自機と敵機の位置関係をイメージする。
間欠的に空を貫くレールガン。操縦桿を必死に動かし、ソフィー
は心神から逃げ続ける。
よく避けるものだとガイルも関心して、キャノピー内の行為に気
付いた。
﹃なにやってんだクソ餓鬼、殺す、ぶっ殺す﹄
﹃ぷはっ、今更だぞ親バカ!﹄
﹃レーカ、舌入れたでしょ!?﹄
レールガンはチャンパーにチャージする為に連射は出来ない。零
夏はその充電時間をしっかりと計っていた。
︵次の発射まで三秒、間に合う!︶
﹁ソフィー、ループだ! 二,四秒以内に天辺まで昇れ!﹂
アフターバーナー全開で空を昇る白鋼。心神もそれを追う。
凄まじいGが天士達を襲う。
﹁くきゅうぅ⋮⋮!﹂
﹁あ、あと一秒、目を閉じろ⋮⋮っ!﹂
﹃あれは︱︱︱﹄
1489
ガイルもようやくそれを視認した。太陽の中から降下してくる、
白鋼より巨大な機影。
﹃さっき切り離したロケット? 小賢しいッ!﹄
重火力強襲ユニットだ。白鋼からパージした後、墜落することな
く自立飛行していたのだ。
分離前にキーボードで打ち込んだ通りのタイミングの再登場。二
人は無闇に逃げていたのではない、この兵器の前に心神を誘い込ん
でいた。
﹃だがそんな自立兵器、レールガンで落とせばいい!﹄
心神の照準が強襲ユニットを狙う。
引き金を引く瞬間︱︱︱ユニットは爆発した。
﹃な︱︱︱自爆!?﹄
時限装置の仕込まれていたユニットは残りの燃料と爆薬に起爆し、
心神の前で火球となった。
﹃そんな攻撃、そうそう食らうものか!﹄
﹃残念、そいつは攻撃用じゃない!﹄
火球は赤い炎から迸る閃光へと変化。
内部に仕込まれたアルミニウムやマグネシウム等が燃焼し、人工
の太陽となって空を照らした。
1490
﹃しまった、目くらまし!? いやそれ以上に︱︱︱!﹄
﹃︱︱︱この光の中では、センサーが役に立つまい!﹄
レーダー波、赤外線、可視光線、全てのセンサー類を一時的に使
用不能にする妨害兵器。それこそ本当の目的。
光の中から現れるは、人型に変形した白鋼。
﹃とったぞ、接近戦!!﹄
ミスリルブレードが心神に迫る。
﹃くぅ、間に合わないだと⋮⋮!﹄
絶対に回避不可能な距離と速度、確実に攻撃が当たる瞬間。
全てはこの時の為の布石。零夏が考え抜いた対第八世代戦闘機攻
略法だった。
勝利の確信には充分な成果。しかし、ガイルは諦めるはずもない。
︵やむを得まい、まだ未知数の装置だが⋮⋮!︶
新設された操縦桿に手を伸ばす。
その瞬間、心神が膨れ上がった。
﹁嘘、でしょう?﹂
﹁あれは、マジかよ!?﹂
﹃以前までの俺だったら落ちていたが⋮⋮残念だったな!﹄
1491
機体全体に増設されたロックが解除され、可変主翼の可働範囲が
大きくなる。
心神のコックピットモジュールを含む機首が前方に九〇度倒れる。
翼端より展開される、折り畳まれた手首。機体背面より離脱した
レールガンは電力供給ケーブルが繋がったまま右手へと移る。
機体後方のエンジン排気口も分離。カナード翼が後退しサイレン
トモード時の定位置である主翼中央へ移動。四発のロケットエンジ
ンのうち二発は機体最後部、つまり脚部へと直結。残り二発はカナ
ード翼に残り背面エンジンとなる。
太い足に飛行機機首の形のままの頭部、異様に長く薄っぺらい両
腕。
人型と呼ぶのにはあまりに人間離れした姿であったが、それは確
かに半人型戦闘機であった。
﹃ソード、ストライカー⋮⋮!﹄
白鋼のミスリルブレードを、胴体を捻ることで回避する心神。
二機のソードストライカーが空にホバリングし、睨み合う。
﹃速度が犠牲になるが、この小回りの良さは魅力だな。さあ、試運
転の相手をしてもらうぞ!﹄
事前に用意した策は尽きた。
ここに、世界初の半人型戦闘機同士の戦いが始まる。
紐で引き合うように、何度も交差してぶつかり合う白鋼と心神。
1492
白鋼のミスリルブレードが左右に別れ、片刃剣の二刀流に。
﹁触れれば切れる﹂を目指し改修した部分だが、単に分離するだ
けではない。
ブレード先端のスリッドはラムジェットとなっており、振るった
瞬間に空気を圧縮し燃焼、自己加速する。その速度は極超音速に達
するほどだ。
それと対峙する心神は運動性能を最大限に発揮し、剣先を避けて
いく。時折ウェポンベイから安価なロケット弾を発射し牽制、レー
ルガンは温存する。
﹃逃げんな!﹄
﹃お前が遅いだけだ﹄
白鋼もエンジンユニットを可動式に強化し、運動性能が飛躍的に
増している。
しかし心神は両足と両脇四カ所にエンジンだ。一発の白鋼とは比
べものにならない柔軟な動きを可能としていた。
﹁大きい割に早いわね﹂
白鋼が平均的な人型機のサイズである一〇メートルほどであるの
に対し、心神は約二〇メートル。人型機としてはかなり大型だ。
﹁足首がない、ソードストライカーと言えど空中戦特化なんだろう﹂
当たらないと判りつつも零夏は剣舞を止めない。常人であれば一
〇〇回はバラバラに解体されているであろう剣戟の中、心神は空を
踊り無尽に飛ぶ。
1493
﹃どうした、その程度か﹄
﹃どこまでも、上で威張りやがって!﹄
叫ぶ零夏に、ガイルも違和感を感じ始めた。
︵一旦退けばいいものをなぜ無駄な攻撃を繰り返す?︶
頭上を掠める剣を降下して回避、その瞬間理解した。
﹃地上戦に持ち込む気か⋮⋮?﹄
﹃バレた!﹄
白鋼のハイキック、全身ブレードの白鋼は体術も攻撃となる。
判っていても降下せざるを得ない心神。
︵降下し過ぎた、もう地上はすぐ側だ。これはまずいかもしれない
︱︱︱︶
︵ここまできたからにはガイルも地上戦をせざるを得ない、持ち込
める︱︱︱︶
この場にいる全員が同じ見解を抱く。
︵︵先に水平飛行に移行して逃げたら、加速する前にやられる!︶︶
遂に着地する二機。背を見せられない状況に、ガイルも地上戦に
応じざるを得ない。
地面を蹴って加速する白鋼、ホバリングしか出来ない心神は白鋼
1494
の速度に追従不可能。
﹃形勢逆転だな!﹄
﹃るせぇよ!﹄
軽業士の如く跳躍やバック転を駆使する白鋼。汎用性を求め人型
機として使用することが重視された白鋼は、地上では飛行特化型の
心神より遙かに身軽だった。
猛攻を受ける心神はやぶれかぶれのロケット弾を撃つも、それす
ら白鋼は容易に切り捨てる。
心神に迫るブレードの切っ先。
﹃っ、舐めるなぁ!﹄
﹃うおっ!?﹄
足を白鋼に向け、エンジンの排気で白鋼を吹き飛ばす。
僅かに後退した隙に岩影に隠れるも、零夏は解析魔法にて位置を
把握しつつ剣を構える。
﹁あまり時間を与えると、飛行機に戻って逃げられるわよ﹂
﹁大丈夫、この場で切るっ﹂
心を研ぎ澄ませ、一閃。
人間にとっては岩山サイズの大岩を左右に真っ二つに切る。
﹃岩を!?﹄
1495
﹃人型機の剣には魔刃の魔法がかかっている、このくらいなら腕さ
えあれば出来るさ﹄
キョウコであれば鉄であろうと切っていた。地上戦の経験が乏し
いガイルには、岩が隠れるほどの強度がないと見抜けなかったのだ。
﹃これで終わりだ!﹄
﹃む、ぐうぅ!﹄
ミスリルブレードの切っ先が心神のコックピットに立てられる。
心神のレールガンもまた、白鋼のコックピットを狙う。
﹃⋮⋮⋮⋮。﹄
﹃⋮⋮⋮⋮。﹄
﹃⋮⋮⋮⋮。﹄
静止する戦場。
奇妙な膠着状態が生まれてしまった。
どちらも相手を殺せる状況。だが、その時は自分も道連れにされ
る。
剣を、砲口を退けば無防備な姿を晒すこととなる。互いに殺意は
ないので手加減されるかもしれないが、この戦いは敗北だ。
︵どうする、どう動く⋮⋮!︶
誰もが冷や汗をかく。
集中力を切らせるまで睨み合いを続けるか。それは、あまりに不
1496
毛な無音の戦いだった。
どれほど時間が経ったか。
両機に割り込んだのは、クリスタル共振通信だった。
﹃︱︱︱商会所属、505便だ! 空賊の中型級二隻に挟まれてい
る、誰か助けてくれぇ!﹄
彼らの決闘とはまったく無関係な救援要請。
通信手が伝える座標は、ここからそう遠くない。
付近にいた自由天士が返答する。
﹃中型級二隻持ってる空賊なんて個人で対処できねぇよ、軍を呼ん
でくるから耐えろ!﹄
エアシップ
だが旅客飛宙船の側に余裕は戻らない。
﹃もう乗り移られているんだ、軍じゃ間に合わない!﹄
通信の向こうから聞こえる爆発音や叫び声。それは、船が戦場に
なっていることを示していた。
﹁くっ﹂
零夏の脳裏に共和国の地獄が蘇る。
なんの意義もなく死にゆく人々、増え続ける犠牲者。
規模こそ違えど、結局は同じ。
﹁レーカ!﹂
﹁っ、ソフィー、ごめん!﹂
1497
少年は決断した。
﹁ここで行かなきゃ俺は後悔する、だから︱︱︱﹂
﹁︱︱︱ええ、私も同じ。付き合うわ﹂
頷き合い、心神へと通信した。
﹃ガイル、これから俺達は救援要請に応える。合図で同時に離れよ
う﹄
ガイルが話に乗らなければ、救援には行けない。
﹃⋮⋮いいだろう﹄
また、同意したところでそれが本心かは解らない。
のっぺりとした不気味な心神の頭部を見据え、双方はカウントダ
ウンをする。
﹃﹃三、二、いちっ!﹄﹄
弾けるように距離を取る白鋼と心神。
二機はそのまま飛行機形態へと変形し、事件現場へと加速した。
﹁お父さん⋮⋮﹂
自分達と同じ判断をした父に、どこか嬉しげなソフィー。
しかし耽る間もなく、超音速にて現場へと急行する。
僅か十数秒で、戦場から一〇キロメートル離れていた三隻の飛宙
1498
船が視認された。
三〇〇メートルの大型級旅客飛宙船と、それを挟みこんで動きを
封じる一〇〇メートルの中型級飛宙船が二隻。
平行に並んだ三隻、その後ろから突撃する配置で二機は彼らと邂
逅する。
﹃まるで捕鯨だ、ガイルは右を!﹄
﹃指示するな!﹄
船とすれ違いざまに、心神は向かって右の空賊船へとレールガン
を叩き込む。
同時に白鋼は、機首から腕だけを広げ横薙ぎにミスリルブレード
を構える。
白と紅の閃光が過ぎった瞬間、空賊船二隻の命運は決した。
大型級旅客飛宙船のブリッジにて。
横付けして攻撃してくる空賊船、その片方が爆ぜて燃え上がった。
﹁右舷空賊船、墜落しています!﹂
瓦解し落ちていく空賊船、客船の艦長はなにが起きたかすら理解
出来ず部下に怒鳴る。
﹁なにがあった!? 報告しろ!﹂
1499
﹁赤い影が過ぎったのを見ました、戦闘機かと!﹂
﹁中型級飛宙船を一撃で落とす戦闘機がいるかっ! ︱︱︱どうし
た、あちらの空賊船も傾いているぞ!?﹂
反対側に着いていた空賊船がバランスを崩していく。
﹁ふ、船が、﹃切れて﹄います!﹂
﹁切る、だと!? ふざけるな、そんなことありえるはず⋮⋮﹂
艦長はそれ以上を続けられなかった。
目の前で船がずれていく。最後尾から船首までを横に切られた空
賊船は、浮遊装置を含む下半分は浮かびつつ、主要な区画の揃った
上は遂には空から落下していった。
既に客船に乗り移っていた空賊は命拾いしたものの、戦意喪失し
降伏していく。
﹁艦長!﹂
呼ぶ声に我に返り、彼はとりあえず指示を出した。
﹁⋮⋮通信手、救援はともかく軍は不要と伝えておけ﹂
速度のままチェイスを続ける白鋼と心神。
地上スレスレを飛ぶ中、隙を見て心神が谷に飛び込む。
1500
﹃興が逸れた、退かせてもらうぞ﹄
﹃テキトーなこと言って逃げんな!﹄
﹃ハハッ﹄
否定しないガイル。適当な言い訳であるという自覚はあった。
白鋼も心神を追い渓谷へと侵入。
﹃勝負に乗ったか、それでこそだ﹄
険しい岩肌の露出した谷の内部。少しでも接触すればバランスを
崩し、蓄積された運動エネルギーが衝撃へと転じ機体は破砕される。
恐怖はそれだけではない。目に見えない驚異が白鋼を襲った。
ソニックムーブ。音の衝撃波が渓谷内を反響し、白鋼を揺さぶる。
﹁どうしよう!?﹂
﹁マッハ2以上を維持しろ、少なくとも自分自身の衝撃波は当たら
ない!﹂
複数の戦闘機が谷底をマッハ2で飛ぶという異常事態。彼らの抜
けた後は衝撃波にて全てが粉砕し、地形が崩壊していく。
狭い谷底を飛ぶこと事態が自殺行為なのだ。ましてや音速を維持
出来るのは、それこそ銀翼クラスのみだろう。
﹃そういえば、さっきは世話になったな﹄
﹃なんのことだ?﹄
1501
﹃ミサイルの弾幕のことだ、返礼しよう。受け取れ﹄
宙返り
サイレントモードへと可変し、クルビットをする心神。
﹁なっ!?﹂
後方を向いた瞬間、ありったけのロケット弾を白鋼へ向け発射す
る。
闇雲ではない。風を読み計算された狙いで放つガイルのロケット
弾は、コストパフォーマンスが優れており大戦の頃から彼が好んで
使用していた攻撃手段なのだ。
そのまま一回転、通常飛行へと戻る心神。
﹁マッハ2よ? 風圧で機体が壊れそうなものだけれどっ﹂
﹁タネがあるんだろ、俺は見たぜ﹂
しかし所詮は直線飛行しかしない無誘導兵器、ソフィーは紙一重
のラインを飛び避けていく。
﹁タネって?﹂
﹁光ったんだ、心神が﹂
クルビットの瞬間に僅かに発光した心神の外装。零夏はその正体
に覚えがある。
﹃まだ足りないか?﹄
1502
おとーさま
﹃お腹いっぱいだよ義父様!﹄
心神のレールガンが谷壁を穿つ。
壁面が爆発し、渓谷内に無数の破片や岩が降り注ぐ。
﹁ソフィー任せたああぁぁぁっ!﹂
﹁︱︱︱っ!﹂
零夏の指示では間に合わない。ソフィーは自身の判断で機体を振
り回し、岩々を回避していく。
落下する一際大きな岩。その下を潜り、白鋼は上昇する。
﹁谷が終わる︱︱︱﹂
二機は開けた荒野へと飛び出した。
これで全力飛行が出来る、そう考えるも、むしろ谷の中で窮屈な
思いをしていたのは巨体の心神であり。
青い水素の炎を吹き出し、ガイルは猛加速する。
追いすがる白鋼、しかし心神の本気の加速は白鋼を引き離しつつ
あった。
白鋼は決して遅くない。むしろ、有人機としては狂気の域に達し
た加速力を有する。
単純に、心神はそれ以上の化け物だというのもある。
だがそれだけではない。心神のスピードの伸びを支えているのは、
地球ではなくセルファーク独自の技術だ。
心神はサイレントモードとなり、平坦な機体となっている。
その表面に、紋章のように緻密な文字が光り浮かんでいた。
﹁あれは?﹂
1503
﹁大気整流装置だ﹂
レッドアロウ
﹁大気⋮⋮赤矢に装備されていた、機体表面の空気を受け流す技術
?﹂
﹁そうだ、外装を熱や圧迫から守るのと同時に、能動的に風を逸ら
すことで空気抵抗を無効化する装置だな﹂
谷底での超音速クルビットを可能としたのもこれだ。風圧すら受
け流してしまえば、例え太陽表面に飛び込もうがダメージを受けな
い。
﹁赤矢と形が違うのは?﹂
﹁あれが理想的な術式の刻み方なんだ。ブレードに集中させれば魔
力で焼き切れるが、全体に分散させれば消耗も減る。稼働部がない
のも利点だな﹂
﹁どうして赤矢はそうしなかったの?﹂
﹁機体形状の計算が難しい。ステルス機が術式を刻むのに都合がい
いのだが、俺にはとても計算しきれなかった﹂
何の因果かレーダー技術のないセルファークと、空気を操る魔法
のない地球。それぞれの技術には共通の解があった。
それが形状理論。セルファークもまた、時代が進めば同様のシル
エットを持つ戦闘機へと至る運命にある。
﹁離されちゃうわっ﹂
1504
﹁そろそろ使うぞ、赤矢からぶんどった大気整流装置!﹂
長時間使用出来ないので温存していたが、使う時は出し惜しみし
ない。
安全装置を兼任した蓋を開き、スイッチを押す。
白鋼の機首から三枚のブレードが開き、空気の層が機体前面を包
んだ。
﹁後ろのブレードがないから抵抗は大きいが、エンジンパワーでな
んとかなる。あとは任せた!﹂
﹁あら、任せちゃっていいの?﹂
許可が降りたと白鋼を更に加速させるソフィー。
実用機の限界速度を越えた速度。だがそれでも尚、機体は押し進
んでいく。
﹁マッハ3,5⋮⋮!﹂
不意に零夏は思い出す。
僅か半年前、ソフィーと共に音速を越えた時のことを。
︵そうだ、あの時もこうしてガイルと飛んでいたんだ︶
あの時もドラゴンに追われやむを得ずマッハ3を出したっけ、と
思わず笑みが零れる。
﹁レーカ?﹂
1505
﹁⋮⋮なんでこんなことになっちまったんだろうな﹂
通信を繋ぐ。
﹃なんでだ、ガイル? どうしてこんなことをした?﹄
﹃⋮⋮⋮⋮。﹄
﹃よかったじゃないか、あの頃のままで。アナスタシア様はいない
けど、それでも守れるものがあっただろう?﹄
﹃⋮⋮⋮⋮。﹄
返ってくるのは微かなノイズだけ。
﹃忘れたのか、一緒に馬鹿やったこと!﹄
それでも零夏は叫ぶ。かつての日々を嘘にしない為に。
﹃エンジン作ろうとして暴走して怒られたろ! ツヴェーで悩んで
いた俺と語ってくれたろ!
白鋼作る為に相談したりしたろ!﹄
右も左も解らない異世界での生活、その中で少なからず心の支え
であった﹁男友達﹂。
﹃全部大切な思い出だ、お前にとっては違うのか!?﹄
そこには、確かに友情があった。
速度はマッハ4に到達。全てが流れ置き去りにされる世界。
1506
この速度で事故を起こせば、死んだことにすら気付かず終わる。
時速換算にて五〇〇〇キロメートル。誰も体感したことのない世
界で、娘と少年はそれでも男を追いかけた。
﹃違うな。忘れた、そんなこと﹄
ガイルはだが、感慨もなく切り捨てる。
しろがね
﹃怒られたことも、お前と語り合ったことも、プラチナを精製した
こともない﹄
︵⋮⋮⋮⋮?︶
ガイルの言葉に、零夏は小さな違和感を感じた。
︵しろがねの本来の意味は白銀、プラチナだ。だが⋮⋮︶
鼓膜が破けそうなエンジンの爆音も、ミュートしたかのように聞
こえなくなる。
今のガイルにも家族への親愛はある。それは、言葉の節々から読
み取れている。
だから、零夏は﹁二人に関する言葉には耳を傾けるかもしれない﹂
と考えた。
﹃なぁ、ガイル﹄
だから、訊いてみた。
﹃なんだ、話すことなんてないぞ﹄
1507
しろがね
﹃白銀の﹃イヤリング﹄が欲しい、って頼んできたのは、ナスチヤ
とソフィーどっちだったっけ﹄
ソフィーも思わず振り返る。
零夏の質問は前提からおかしい。彼女には彼の意図が読めなかっ
た。
しかし、ガイルの回答に理解する。
﹃⋮⋮さあ、どっちだったかな﹄
﹁えっ?﹂
ソフィーの呟き。零夏は確信した。
︵︱︱︱こいつ、ガイルじゃない︶
声の震えを抑え、指摘する。
﹃その返答はおかしいだろ、白鋼は金属じゃない、この飛行機の名
前だぞ﹄
違和感はあった。むしろ違和感しかなかった。
けれど、致命的な差異はなかったから考えたくなかった。
﹃お前は、誰だ?﹄
僅かに聞こえる舌打ちの音。
考えてはいた。ガイルは、ガイルではないのではないか、と。
︵いつ入れ替わった? 機体側面の白鋼の字を消した後だから、帝
1508
国入りしてから?︶
別人だったとすれば、色々と辻褄があった。
豹変し態度。おかしな動言。
しかし、別人ならば逆に妙な部分もある。
なぜソフィーやアナスタシアに親愛を示すか。別人にしては、ガ
イルの身辺に関して知識があり過ぎる。
﹃お前はなんだ、ガイルはどうしたんだ!﹄
﹃おとーさんっ⋮⋮!﹄
﹃︱︱︱うるさい﹄
終始冷静だったガイルが、初めて感情を露わにする。
﹃俺が、ガイル・フィアット・ドレッドノートだ!﹄
白鋼は少しずつ心神に追い付く。
一部のみを人型機に変形し、機首から腕の生えた飛行機といった
歪な姿となる。
︵関係ないっ! 予定通り、ふんじばって訊いてやる!︶
腕が心神へと伸びる。
﹃とどけ︱︱︱!﹄
﹃ぼうっとするな、マヌケが! 前を見ろ!﹄
1509
﹁は、はいっ!﹂
父の声で叱責されれば思わず反応してしまう。言葉通り前を確認
し、ソフィーの人並み外れた視力はそれを確認した。
壁だ。巨大な、どこまでも続いている絶壁。
﹁きゃあああぁぁぁっ!!﹂
無我夢中で操縦桿を引くソフィー。
﹁うぎゃばはぁ!?﹂
突然の重圧に身構える間もなく潰れる零夏。直進していたので油
断していたのだ。
音速の四倍、時速五〇〇〇キロもの運動エネルギーは簡単には方
向転換出来ない。機首を振ろうと進路はなかなか変わらず、五,五
トンの機体は壁へと進み続ける。
﹁とまら、ないっ!﹂
車輪、降ろせ
﹁ギア、ダウンッ⋮⋮!﹂
零夏が辛うじて車輪を出す。
直後、衝撃が白鋼を襲った。
車輪支柱を壁面で削りつつ、強引に右に旋回する白鋼。
内部機構が歪み、砕け、それでも強力なエンジンは機体を押し進
める。
やっとの思いで壁から離れる白鋼。
﹁⋮⋮生きてる?﹂
1510
﹁たぶん⋮⋮﹂
人型変形機構の停止。一部コントロールの喪失。車輪の全損。
飛行自体は可能であったが、おおよそ戦闘は不可能だった。
横を流れる壁を見据え、その正体を思い出す。
﹁最果て山脈、か﹂
円盤の世界であるセルファークを囲む、丸い山脈。それが最果て
山脈だ。
月面まで続くそれは、標高の低い場所は傾斜した山らしい様子だ
が、上に登るにつれ垂直の壁となる。
巨塔と同じく世界を支える神の柱。零夏も知識としては知ってい
たが、実物を見るのは初めてだった。
﹁そうだ、ガイルは!?﹂
いない。白鋼は右へ旋回したが、心神は左へ旋回した。もう数キ
ロは離れてしまっているだろう。
通信を繋いでみる。どこにも繋がらない。
心神は空域を離脱した、と判った。
﹁逃げられたか﹂
大気整流装置も焼き切れており使用不可。追跡は断念せざるを得
ない。
戦いの集結は、呆気ないものだった。
1511
﹁ごめんなさい、私が左に曲がっていれば﹂
﹁いや、とっさに引けただけでも上出来さ﹂
﹁城に帰る?﹂
﹁っていうか、ここどこだろ?﹂
﹁さぁ?﹂
無我夢中で追いかけ、そして急旋回したのだ。現在位置などまっ
たく把握していなかった。
﹁あれは本当にガイルだったと思うか?﹂
﹁⋮⋮解らない﹂
動言は不自然だが、あの動きの癖は確かにガイルだった。それは
間違いない。
敵か味方かも判らぬかつての家族。だが、互いにコックピットを
狙い膠着状態に陥った時のことを彼らは思い出す。
民間人の救援をガイルは選んだ。あの時、俺がガイルを騙してい
れば心神は落とされていたというのに。
それが、ちょっとだけ救いだった。
1512
﹁なあ、二人で出発しないか?﹂
﹁え?﹂
﹁勝手に着いてきそうな奴らがいるけど、ちょっとだけでも二人旅
がしたい﹂
賑やかな旅もいいだろう。信頼出来る仲間は、この旅で何よりも
心強いはずだ。
けれど、ちょっとだけ。
﹁せめて、笑顔で出発しよう。時間はあるさ、ガイルとだっていつ
か会える﹂
おそらく一年二年で終わる旅ではない。きっと、ガイルとまた出
くわす。
スペック差のある白鋼であれだけ渡り合えたのだ。上出来といっ
ていいだろう。
ソフィーはシートを再び倒し、上目遣いでニンマリとレーカに笑
みを向けた。
﹁な、なんだよ?﹂
﹁ううん! いこっ、レーカ!﹂
白鋼は翼を翻す。
新たな長い旅の始まりだった。
1513
銀翼の天士達 五章 完
ヴァルキリーと合流した心神。
﹁こ、これはっ!?﹂
レーザー砲身を切り落とされた機体を見て、フィオは目を剥いた。
1514
﹁そこ以外にダメージはない。修理しておけ﹂
﹁隊長が、機体を傷付けられたとは﹂
驚愕するフィオ。否、言葉にせずともギイハルトやファルネも同
じ思いだった。
﹁心神のリミッターを解除しろ。完全にだ﹂
艦橋に向かいつつ会話する。
﹁し、しかし﹂
﹁イレギュラーとソフィーは想像以上の成長速度だ。今回は前まで
とわけが違う。肉体の天師化を急ぐ﹂
途中、小さな部屋に立ち寄る。
ヴァルキリーの一室に設置された寝台。そこで全身を固定され眠
る少女に、ガイルは笑みを浮かべた。
﹁次の目標は、カリバーンだ﹂
ガイルの背後から寝台の覗き込むギイハルトは、心の中で謝る。
︵ごめん︱︱︱イリア︶
茨の蔓ではなく革のベルトで固定される眠り姫。
それは、ギイハルトの妹のイリアだった。
1515
1516
時速五〇〇〇キロの決闘︵後書き︶
キザ男・キョウコ﹁あれ、おいてかれた?﹂
﹀飛ばねえ豚は、ただの豚だ!!
﹁かっこいいとは、こういうことさ﹂という当時のキャッチフレ
ーズ。実際は﹁かっこいいなんて言葉は、いい年して無責任な生き
方をしている男の我侭だ﹂という皮肉が含まれていると聞いてショ
ックでした。実話かは不明ですが。
﹀半人型戦闘機の実戦配備か。運用方法読む限りではグリペンやハ
リアーのような感じの運用になるな。
&
M
作者もドラケンをイメージしていました。サーブ一家の一員、
グリペンのお兄さんで、似た設計コンセプトですね。
﹀最近のメカファンタジーでオススメ﹁Knight's
agic﹂
昔から愛読していますよ。書籍も発売してすぐ買いました。表紙
絵の主人公とヒロインのツーショットがいい感じですよね。
1517
作者の落書き 5
<i66748|5977>
﹁後付け乙﹂と思う方は、4章のこれと連動したイラストを見て下
さい。同時に描いた絵です。後ろに奴が隠れています。
<i69739|5977>
重火力強襲ユニット
ソードストライカーに改造された白鋼だが、よく言えば万能機、悪
く言えば器用貧乏となってしまった。基礎性能が高いのでさして問
題とならないが、つまりは構造を飛行機か人型機どちらかに特化さ
せた方が洗練され高性能となるのである。
よほどの状況でなければパーツ消耗が激しい変形を行わない方が
コスト的に有利であり、双方の形態において足りない部分︵飛行機
形態であれば戦闘機としての火力、人型機としては機体フレームの
強度など︶を補う為の強化改装としてゼェーレスト村にいた頃から
基礎設計は成されていた。
効率的運用の為の装備であったがガイルの裏切りにより状況は一
変、零夏はコスト度外視の短時間決着を達成する為の装備を求める。
コンセプトの大幅変更を経て完成したのがこの重火力強襲ユニット
なのだ。
開発期間が短かったこともあるが、使い捨てなので構造は簡略化
されている。固形燃料ロケットを採用しているのも、対費用対策で
ある。帝国城では自ら制作したが、零夏の構想では全て外注で済ま
1518
せる予定だった︵構想が簡単なのはこの辺も理由である︶。
ノーマルの白鋼から速度や運動性能を犠牲とせず、スクラムジェ
ットミサイル数十本をはじめとした多数の兵器を内蔵している。ま
た、ユニットそのものをロケット弾として突撃させることも可能。
固形ロケットエンジンの原理は極端にいえば巨大なロケット花火
であり制御が困難︵というか不可能︶なのだが、レーカは化学反応
を停滞させる固定化魔法を応用することで多少の制御を可能として
いる。四発のロケットの出力を個別制御することで機体を操る仕組
み。
白鋼改
<i70536|5977>
<i70537|5977>
半人型戦闘機として最適化した白鋼。設定上の変更点がかなり多
く⋮⋮
・全身ブレード化
・大気整流装置追加
・エンジン強化
・エンジンユニット可動化
・チタン装甲によるコックピットの保護︵マスクや兜っぽい部分︶
・キャノピーのバブル化︵レーカの技術力が上がった為の変更︶
・カナード翼の短縮機構オミット
⋮⋮などなど、である。
<i70538|5977>
心神 サイレントモード 上面図
1519
<i70539|5977>
心神 ファイターモード 上面図
<i70540|5977>
心神 人型形態
ラフ画に着色しただけの物ですが、イメージを掴めればと思い掲
載。
白鋼は変形機構も細かく考えていますが、心神は適当です。それ
っぽくやってるだけ。
1520
最終話 戦友︵とも︶よ
れいか
零夏とソフィーが共に旅立って早数ヶ月。
帝国の各地を転々とする日々だが、自由天士の、とりわけ行動的
な者達にとっては珍しいことではなく。
彼らにとっては、しがらみのない一種気楽さすら覚える旅路であ
った。
﹁今日の依頼は楽だったな﹂
﹁ええ、運が良かったわ﹂
手を繋いで宿へと戻る二人。安宿に一部屋だが、それはもう慣れ
ている。
自由天士の就寝は早い。明日に備え早々に就寝。
虫の音も寝静まる頃に、それは始まった。
﹁︱︱︱ッ!!?﹂
深夜、突然飛び起きる零夏。
荒い呼吸、上下する胸を宥める。
やまない呼気、収まらない冷や汗。
︵な、なんだこれは⋮⋮なにが起こった?︶
﹁うぅん⋮⋮れーか、どうしたの?﹂
﹁な、なんでもない﹂
1521
﹁本当に? 顔、真っ青よ?﹂
心配そうに顔を近付けてくるソフィーに対し、零夏は。
﹁くるな!﹂
その手を咄嗟に払いのけた。
﹁れ、れーか!?﹂
﹁ご、めん。ちょっと気分が悪くて﹂
﹁うん⋮⋮﹂
結局、彼らはその晩一度も話さなかった。
翌日、町を歩いていると正面からガイルがやってきた。
﹁まさか、お前の方からくるとはな︱︱︱!﹂
﹁よく言う、分かり切っていたことだろう﹂
互いの心は解っていた。友であり、強敵たる男故に。
1522
ガイルは零夏を両手の人差し指で指す。
﹁レーカ! お前に言いたいことがある!﹂
﹁皆まで言うな、俺もだガイル!﹂
咄嗟に叫び返していた。
男達は、胸に秘めた気持ちを率直に伝える。
﹃愛している!﹄
そう、相思相愛だった。
抱擁する二人。
彼らは気付いてしまったのだ。俺は男しか愛せないんだ、と。
﹁お、お父さん!? レーカもどうしたの!?﹂
﹁お前なんてしらん!﹂
﹁貧乳め、男のフリをしたって無駄だ!﹂
ショックのあまりOTLのソフィー。
しかし混沌は続く。
﹁そんな、俺とのことは遊びだったんですか!﹂
ギイハルトの登場︱︱︱そう、まさに俺の戦友と知り合いが修羅
場すぎる!
だがガイルは大戦の英雄。その器は並ではなかった。
1523
﹁落ち着けレーカ、ギイハルト。俺達は兄弟だ﹂
一言。ただ一言にて、彼らの救いの道は成った。
﹁さあ、行こうじゃないか!﹂
﹁おう、ガイル!﹂
﹁行きましょう、隊長!﹂
手を繋いで去る三人。
ソフィーは呆然とそれを見送った。
とぼとぼと夕日に染まる町を歩くソフィー。
﹁どうしてこんなことになったのかしら⋮⋮﹂
そこに現れる白髪の美女。
﹁実は私が黒幕でした!﹂
﹁お母さん!?﹂
アナスタシアとソフィー、母娘の再開である!
1524
﹁どうして、死んだはずでしょ﹂
﹁あれは偽者よ﹂
﹁影武者は誰よ﹂
アナスタシアは語った。ガイルと零夏の身に何が起こったかを。
﹁仲直りさせようと思って、ちょっと心を操作したのよ﹂
﹁お前のせいかバカ母。私が代わりに追い出されたわ﹂
結果、この有様である。
﹁見てみなさい、町中の男達が同姓に欲情している⋮⋮! なんて
非常識な!﹂
魔法が暴走した。
﹁自分でやったんだから戻してよ﹂
﹁いやん、娘が冷たいわぁ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
再開した母を、ちょっとウザイと思うソフィー。
ちょっぴり多感な十一歳の夜である。
﹁さあ、ハッピーエンドを目指す旅の始まりよ!﹂
1525
﹁というわけで、海ね﹂
白い砂浜、青い海。所謂ビーチである。
﹁どうして海に来たの、お母さん?﹂
﹁水着回よ﹂
アナスタシアはセクシーなワンピース。ソフィーは大胆にも黒ビ
キニである。
﹁手っ取り早くアクセス数を増やすにはエロよ﹂
﹁うわぁ⋮⋮﹂
今更感が凄かった。
﹁マンガやアニメならともかく、小説で水着ってなにが楽しいの?﹂
妙に地球文化に精通しているソフィーである。
﹁要望があれば作者がイラストにするかもしれないわよ?﹂
1526
﹁人物絵は評判悪いから、最近あんまり描かないじゃない﹂
﹁それにこの小説のプロットには温泉回がマジで組み込まれている
わ﹂
﹁戦争中よね、この世界?﹂
作者もつまらないので次。
﹃GYAAAAAAA!!!﹄
叫び声を上げ空を舞う漆黒の鎧。
﹁あれは!?﹂
﹁イレギュラーよ! 作者のモチベーション低下の犠牲となり、い
なかったことにされた敵キャラクターだわ!﹂
イレギュラーはラウンドベースへと取り付き、パイルバンカーを
撃ち込む。
マイクロ波を帯びた鉄杭はラウンドベースを粉砕し、一撃で撃破
した。
﹁そんな、直径一〇キロメートルもあるラウンドベースを、一撃だ
1527
なんて⋮⋮!﹂
﹁イレギュラーのパイルバンカー射出速度は第一宇宙速度に達して
いるわ、もう登場しないから無駄設定だけれど!﹂
単純なスペックで語れば最強の敵、真のラスボス!
﹁でも登場予定はないのよね!﹂
﹁そうよ! もう登場予定はないわ!﹂
﹁歴史を変えるために過去に来たけれど、ちょっと行き過ぎたわね﹂
﹁もう何でもアリね﹂
二人は四〇〇年前のセルファークへと渡った。
彼女達の後ろを見覚えのある黒髪の少女が通る。
﹁今って⋮⋮﹂
﹁四〇〇年前のキョウコよ﹂
﹁人型機の開発された時期よね、四〇〇年前って﹂
1528
﹁実は人型機を発明したのは過去にタイムスリップしたレーカ君な
のよ。そこで若かりし頃のキョウコと出会い、彼女に惚れられるの﹂
ツヴェー渓谷のデートで、キョウコは﹁開発の現場にふらりと現
れ滞っていた開発を一気に進めた天才﹂が零夏が似ていると発言し
た。伏線というヤツである。
﹁ここでばらしていいの?﹂
﹁いいのよ、ボツになったから。設定に矛盾が生まれるの﹂
世界や時間を渡れるのは情報だけ。この設定に反してしまうので
ある。
﹁とりあえずレーカ君とは別の地球出身者がセルファークにトリッ
プして、人型機を開発したってことにしたわ﹂
﹁哀れね﹂
﹁所詮イベントの終わった使い捨てヒロインよ﹂
二人は現代に戻った。
﹁ガイル! 協力して紅蓮をやっつけようぜ!﹂
1529
﹁そうだなレーカ! ちなみに神の宝杖は破壊しておいたぜ!﹂
知らぬ間に決戦が始まろうとしていた。
﹁そういえば俺が別人っぽかったのは気のせいだ!﹂
﹁そうか!﹂
﹁フィオがエロいことやっているように見えたかもだが、あれはズ
ボンの解れを直してもらっていただけだ!﹂
﹁そうか! ならなんの問題もないな!﹂
﹁あと意味深に言い残した﹃カリバーン﹄っていうのも俺の妄想だ
!﹂
﹁やっぱりな!﹂
﹁イリアちゃんはすっごく睡眠時間が長いタイプってだけだ! 一
日一八時間は寝てる!﹂
﹁寝る子は育つ!﹂
伏線がみるみる回収されていった。
﹁お母さん、どうするのこの状況?﹂
﹁とりあえず神の力を奪ってみたわ﹂
1530
アナスタシアが地面を指さすと、そこには亀甲縛りで身動きのと
れない少女。唯一神セルファークである。
﹁その神の力をどうするの?﹂
﹁一発逆転の方法を使うわ﹂
ソフィーはアナスタシアをジト目で見やる。
﹁夢オチ、とかじゃないでしょうね﹂
﹁そんなベタなことはしないわよ﹂
アナスタシアは零夏とガイルの前に現れ、プラカードを掲げる。
1531
﹃エイプリルフール﹄
1532
﹁なんだ四月馬鹿か﹂
﹁びっくりしたなぁもう﹂
皆でゼェーレスト村に戻り、幸せに暮らすのであった。
1533
最終話 戦友︵とも︶よ︵後書き︶
あとがき
銀翼の天使達はこれにて終了です。長らくの間、応援ありがとう
ございました。
蛍先生の次回作にご期待下さい。
﹀解析魔法でイリアがいなかったのには何かしら訳があるのですか?
演出上の都合です。結果的に矛盾のある描写となってしまってい
るのは作者のミスです。
レーカが艦橋しか解析していなかったから、ということにしてお
いて下さい。
﹀何かまた面倒な事になってきましたね。どうなる?
しばらくはどうもなりませんね。旅編なので、横道に逸れます。
︵この最終回はエイプリルフールネタです。︶
1534
雪の町と魔王の末裔 1︵前書き︶
旅編最初の話ということで、テーマは﹁王道﹂。
1535
雪の町と魔王の末裔 1
旅を始めて既に半年。
最初は苦労も多かったが、次第に根なし草の生活にも慣れ余裕を
持てるようになってきた。
時折紅蓮の回し者らしき気配を感じるが、やはり彼らは大人数で
はなく移動生活を心掛ければ手を出されることはない。
﹃彼女﹄の助けも、安心して旅を続けられる一因だろう。
ところで、冬の間は休業する自由天士も多い。俺達も秘密のアジ
トで冬越しする予定だ。 海にぽつんと浮かぶ絶海の孤島。出入りさえ気を付ければ、紅蓮
に狙われる心配もない。ゼェーレストという前例がある為に絶対と
は言えないが。
物資調達の途中、変わった話を聞きこの町へとやってきた。
雪の降り積もる小さな町。俺達はそこで、魔王と出会うこととな
る。
とわ
﹁くらえ魔王、永久なる理力の吹雪よー!﹂
﹁むぅ、だが負けないぞ魔王! 香味たる仔牛の出汁ッ!﹂
子供達が奇妙な声を発しつつ駆け回っている。どっちが勇者でど
っちが魔王だよ。
昨晩降った雪の対処に大人達がげんなりとした顔で立ち向かう中、
1536
ストライカー
エアシップ
子供は嬉々と雪遊びだ。
雪を運ぶ人型機や飛宙船。こういう時は人型ロボットの有用性を
痛感する。
俺と並んで歩いていたソフィーは子供達に視線を向ける。
﹁なにかしら、あれ﹂
﹁正義など何処にもない、世界は悪と悪の食らい合いだ、って誰か
が言ってた﹂
﹁深いわね﹂
まあ、よくある子供のじゃれあいだ。
かくいう俺達も子供なのだが。
まったくルールが判らない遊びに後ろ髪を引かれ足を止めかける
も、ソフィーに催促される。
﹁こら、立ち止まらないの。あまり滞在出来ないんだから﹃目的﹄
を早く済ませないと﹂
﹁お、おう、つーかソフィーが話題にしたんじゃないか﹂
﹁さあ、そうだったかしら?﹂
彼女もなんだか逞しくなったもんだ。
俺達はとある噂を聞き、ある人物を探す為にこの町へ来た。
割と望み薄、見つかればいいな程度の目的だが。
﹁お前の負けー!﹂
1537
﹁くっそー!﹂
あ、勝ち負けのある遊びなんだあれ。
﹁罰ゲームだぞ!﹂
﹁魔王に挑んでこい!﹂
魔王、まだいるのかよ。
ロボットや飛行機があれどセルファークも一応は剣と魔法の世界
だし、魔王もどこかにいるのだろうか。
子供の一人が俺達を追い抜き、背中をこちらに向ける女性へと駆
けていく。
﹁覚悟、まおーっ!﹂
﹁へっ?﹂
女性が振り向いた時は既に遅し。
子供は女性のスカートを大きく捲り、白い太股とその奥までを露
わにしてしまった。
﹁ぬわぁあ!?﹂
﹁ほう、黒とは⋮⋮﹂
﹁⋮⋮レーカ?﹂
いかん、隣の声が低い。
1538
﹁ま、またお前達ぃ﹂
女性は赤面しスカートを抑える。
﹁魔王だからって、毎日イタズラの標的にするなぁ!﹂
えっ? 魔王ってこと自体は否定しないの?
魔王が怒ったぞ! 激怒したぞ! と騒ぎ立て逃げ回る子供達。
それを追いかける女性。
よく見ると背中にコウモリっぽい羽がある。獣人か。
﹁この町って妙に獣人の人が多いわね﹂
﹁言われてみると⋮⋮﹂
町民は皆、独特の耳や背中に翼を備えている。人間の方がずっと
少数派だ。
﹁亜人フェチのメッカだな﹂
﹁⋮⋮レーカの言うことは、時々判らないわ﹂
解らなくていいよ。
﹁あーもうっ、ピア、もう帰るぞ!﹂
魔王が呼ぶと、足元からリスに近い動物が彼女の肩に駆け登る。
あの小動物がピア?
﹁たまに町を出ればこれだ、慰めておくれ我が腹心よ﹂
1539
﹁マオッ、マオッ!﹂
﹁こ、これ! 髪を引っ張るな!﹂
リスに反逆される魔王であった。
子供の一人がソフィーの背後に回り、彼女のスカートを掴む。
﹁それっ、魔王の子分め!﹂
調子に乗って被害が及んだのだろう。だが俺はその少年がソフィ
ーの容姿に見惚れているのを見逃していない。
少年の手首を掴み、スカート捲りを制止する。
﹁あ? あ? オイ。なーにやってんだコラ?﹂
ひぃ、と悲鳴を上げる少年。
﹁この子の尻は俺のものだぞコラ、なに見ようとしてるんだボケが﹂
﹁私自身のものでしょ、ヘンタイ﹂
頬をほんのり朱に染めたソフィーは、スカートを叩きつつ半目で
俺を睨む。
﹁心外な。変態っていうのはもっと躊躇わないことを言うんだ﹂
﹁どういうこと?﹂
揃って首を傾げるソフィーと少年、そして魔王︵?︶。
1540
期待されては仕方がない。躊躇を失った人間の神髄を見せてやろ
う。
俺は魔王︵?︶さんに真っ直ぐに向き合い、頭を下げた。
﹁おっぱい触らせて下さい!﹂
﹃変態だーっ!?﹄
﹁もう、はしゃぎすぎよ、レーカ!﹂
ぷんすか怒るお姫様。
﹁なんだ、自分に頼んで欲しかったのか?﹂
﹁違うわよ!﹂
﹁まぁ、ないしな﹂
﹁こ、これからよ。成長期だもの!﹂
ソフィーの身長、初めて会った頃からあんまり伸びてるって気が
しないけど。
胸の大きさと身長は比例するものでもないだろうし、望みはある。
あるったら、ある。
﹁ガンバッ﹂
1541
﹁⋮⋮レーカ、旅に出てから性格戻ったわよね﹂
戻った?
﹁村にいた頃みたいに、毎日楽しそう﹂
咎めるような視線のソフィー。
﹁平穏な日々はまだ戻ってないのよ?﹂
気楽な様子で達振る舞う俺が気にくわないらしい。
これでも色々慎重に立ち振るまっているわけだが、彼女は気取っ
た様子はない。
もっとも、気取られないように立ち振るまっているのだけれど。
﹁あー﹂
少し気恥ずかしいが、隠して誤解のままにするよりはいいか。
﹁忘れてたんだ、大事なことを﹂
﹁大事なこと?﹂
﹁しかめっ面してても誰も笑ってくれない、って﹂
ぶきっちょなウインクをしてみると、彼女の口の端がひくついた。
似合わないってか。
しばし百面相、とはいかなくとも十面相くらいはしていたソフィ
ーだが、やがて溜め息を吐く。
1542
﹁そうね、レーカってそういう人だったわね。空気が悪くなってい
るとあえてふざけて突っ込んでいくような﹂
びびって逃げることも多々あるのは秘密だ。
﹁レーカのふざけた態度は人の為ね﹂
﹁ねーよ﹂
さすがにそれは言い過ぎ。自分が空気に耐えられないだけだ。
﹁ふぅん﹂
え、なに、その﹁ふぅん﹂。生意気。
﹁変わらないことも強さなのね﹂
﹁変わることだってすげーよ﹂
ソフィーの頭がぐりぐりと撫でる。
この子は変わった。少しずつでも、しっかりとした大人へと成長
している。
それに対して、俺はどうなのだろうか。
⋮⋮ま、考えても仕方がない。精々忘れかけてた取り柄だけでも
死守しよう。
﹁やっ、やめて、髪が乱れちゃうぅ﹂
﹁うえっへっへ、いいではないかぁ﹂
1543
そう言われると更にぐちゃぐちゃにしたくなる。
﹁もうっ、私宿屋探してくる!﹂
俺の手を振り払って立ち去るソフィー。
﹁怒らせちゃったな﹂
宿を探すということは、初対面の店員と話し、あるいは交渉する
ということだ。
人見知りのソフィーには決して出来なかったこと。人間、変わる
ものである。
彼女の小さな背中を見送り、ついでにソフィーを追うフードの人
物にも手を振る。
﹁いつもの通り、護衛よろしく﹂
黒フードは頷き、やがて雑踏に消えた。
さて、俺は予定通りギルドに行こうかね。
﹁あら、迷子?﹂
十一歳の子供が旅をしていれば色々と好奇の目で見られることも
1544
多いわけで。
﹁ここはギルドよ、子供が来る場所ではないわ﹂
割と美人のお姉さんに優しく窘められる。なまじ、善意だから否
定するのが心苦しい。
俺もソフィーも、既にギルドへの登録を済ませた一端の自由天士
だ。
天士とは魔物を狩り、未知の土地を探索し、時に雑用に駆け回る
職業。
気楽な便利屋といえばまだ聞こえはいいが、定職に就かないフリ
ーターのような存在かもしれない。
常に移動し続けて旅を住処とする天士は少数派だ。大抵は町々の
事務所に登録して自らの特性に合った仕事の依頼を自宅で待つ、派
遣社員のような生活を送っている。
職業として割り切るならそうした方がずっと効率がいい。町の中
で名が売れれば、安定した仕事も確保出来る。
ワケ
それでも旅をする天士が一定数存在し続けるのは、きっと見つけ
てしまったからだろう。
金や生活以外の、危険な旅路へと発つほどの理由ってやつを。
とかく、旅の自由天士ってやつは信用がない。旅人なのだから面
識があるはずもない、警戒するのは当然だ。例外として町を跨いで
名を馳せた者であればまた別だが、それこそ極一部だろう。
ましてや子供、となると。
依頼人に迷子かと心配されることもあれば、他の奴連れてこいと
拒否されることもある。世知辛い世の中だ。
﹁自由天士です。依頼を探しに来ました﹂
﹁まぁ﹂
1545
目を丸くする職員のお姉さん。
﹁おいおい、お前さんみたいな子供が自由天士だって?﹂
﹁そりゃ、かっちょいー俺みたいな冒険者に憧れちまうのは解るけ
どよ、無理があるぜぇ﹂
﹁ははは、お前だってウッドウィングスじゃないか﹂
この程度の茶々は日常茶飯事である。
ちなみにウッドウィングスは一番下、半人前レベルだ。
彼らのような心配半分の野次は適当に聞き流せばいいのだが、世
の中暇な奴はいるわけで。
﹁ハッ。目障りなんだよガキが。酒が不味くなる、さっさと消えろ﹂
昼間っから酔った集団から、明確な悪意を滲ませた声が飛んだ。
五人のパーティー、ちょっと凄みがある。このギルドの中にいる
連中じゃ飛び抜けているかもしれない。
子供相手にぎゃあぎゃあ言っている時点で格は知れるが。
こういうこともあるっちゃあるのだ。最初の頃は言い返したり、
つい頭に来て﹁カバティカバティカバティ!﹂と叫びながら町中追
い回したりもしたが、これを手に入れてからは対処が楽になった。
上着の内に収めていた、天使をあしらったペンダント。それを示
すと天士達はざわめく。
﹁トップウィングス? マジかよ﹂
﹁あんなガキが、嘘だろ﹂
1546
トップウィングスは一言でいえばエースの証だ。単騎で複数の敵
を危なげなく対処出来る、一流の天士である。
ベテランであれば複数の敵に追い回されても冷静に退けるが、確
実に逆転するとなると難易度は一気に増す。凡百の一兵卒とは一線
を画いた実力が必要なのだ。
この大きさの町であれば、トップウィングスはいるかいないか、
というレベル。銀翼⋮⋮シルバーウィングスほどではないが滅多に
出くわす存在じゃない。
ましてやこんな子供が、ということだ。俺としては積極的に行動
したわけでもなく、幾つか難易度の高めの依頼をこなしたらいつの
間にか手に入れていただけなのだが。
才能のある者はかえって若い段階でランクアップしてしまうので、
全体で見れば意外といるそうだけれど。
﹁というわけで、失礼します﹂
集まる視線を無視し依頼の内容が沢山貼り付けられた壁を確認す
る。
ちなみに余談だが、シルバーウィングスともなれば能力だけでは
なく実績や推薦も問われる。取得しようと思って出来るものではな
いそうだ。
﹁へっ、どうせ誰かの借りもんだろ? お前みたいなガキがトップ
とか、ギャグじゃねーか﹂
⋮⋮今日の奴はしつこいな。
顔を赤らめた巨漢が俺に寄ってくる。
わざわざ座っていたテーブルから立ち上がってまで嫌味を言いた
いとは、よっぽど暇なんだな。
1547
と、口にしそうになるも踏みとどまる。こいつと争ったって利は
ない。
﹁本当のトップウィングスっていうのは俺達みたいな凄腕をいうの
さ、ヒック﹂
﹁昼間から飲むなよ⋮⋮﹂
だが意外、男が示すのは確かにトップウィングスの証であるペン
ダントだった。
﹁ああ!? なんか言ったかクソ餓鬼ぃ!﹂
叫ぶ男、その後ろには仲間らしき四人がニヤニヤしている。
誰かがぽつりと呟いた。
﹁あいつら、﹃牙の旅団﹄だ﹂
﹁トップウィングスでもアウトローな連中が集まったっていうパー
ティーか?﹂
﹁この町にいたなんて、面倒を起こさなきゃいいが﹂
全員トップウィングスなのか、それは凄い。
﹁聞こえてっぞ雑魚共が!﹂
﹁戦場で流れ弾食らいたくなきゃ黙ってろ!﹂
怒鳴り散らすと、天士達は忌々しげに顔を歪めてギルドから出て
1548
行った。
なかなかに面倒な連中のようだ。いや、面倒な連中なのは子供に
絡んでいる時点で明らかか。
﹁へへっこのガキ、ビビってるぜ! 声も出ないか!﹂
牙の旅団らの、人を馬鹿にした笑い声。酔っ払いと紅蓮の騎士団、
さてどっちが面倒くさいかな。
﹁ソフィーと別行動で正解だったな﹂
﹁あん? 文句あんならはっきり言えや!﹂
黙らせたいのか言わせたいのか、酔っ払いだけあってあべこべだ。
どうしたものかと悩んでいると、ギルドのお姉さんが一歩前に出
た。
﹁なんだ、別嬪じゃねぇか。お前も文句あんのか、ギルドは天士同
士に口出ししないルールだろ﹂
﹁はい、勿論この喧嘩に介入するつもりはありません﹂
お姉さんは姿勢を正し、真っ直ぐに男を見据える。
﹁牙の旅団の皆様、ギルド施設内は許可された場所以外での飲食は
禁じられております。そしてここは許可された区画ではありません。
規則を守れないのなら、お引き取りを﹂
毅然と言い放つお姉さん。かっけぇ。
1549
﹁なんだと、誰のおかげでギルドに金が落ちてると思ってるんだ!﹂
﹁我々の関係はギブ&テイク、上下関係ではありません。貴方は書
類を処理出来るのですか?﹂
﹁うるせぇ!﹂
﹁きゃあ!﹂
男はお姉さんを突き飛ばす。やりやがった、この野郎。
咄嗟にヘッドスライディング、人間クッションとしてお姉さんの
下敷きになる。
﹁大丈夫ですか? 今度一緒にお食事でも!﹂
﹁え、えぇ⋮⋮え?﹂
困惑しつつも肯定、ややあって疑問符。
﹁私は既婚者よ?﹂
﹁人妻好きなのでバッチコイです﹂
さて、女性に手を出したとあってはヘラヘラしている場合ではな
い。
﹁ちょっとお前達、そこへ直れ﹂
﹁あ?﹂
1550
埃っぽくなった体を叩き、準備体操とばかりに腕を回す。
﹁いいかテメーら、人妻ってのは文化遺産なんだよ。保護対象なん
だよ! 国宝なんだよ!!﹂
﹁なんだこいつ、ヤバくねぇか?﹂
﹁目がイッてやがるぜ﹂
﹁人妻より新妻だろやっぱ﹂
おののく牙の旅団の面々に、俺は中指と人差し指を立てクイクイ
と挑発する。
﹁来いや、三下ども﹂
魔法で空気中から剣を精製すると、一部の者達がざわめいた。
﹁何だ今の、召喚魔法か?﹂
﹁違う、鋳造魔法だ。その場で作ったっぽいぞ﹂
﹁水を集めて氷剣を作るならともかく、空気中から金属だと?﹂
正確には炭素である。工業的に二酸化炭素の炭素を個体にするの
は大きなエネルギーを必要とするが、魔法なら術式とイメージ次第
でこんな芸当も可能だ。
牙の旅団で一人だけ顔色を変えた。彼らにも魔法を嗜んでいる奴
がいるようだ。
1551
﹁おい、こいつヤバいぞ︱︱︱﹂
﹁はっ、なに言ってんだびびってんじゃねぇ!﹂
激情のまま殴りかかってきた牙の旅団を流れ作業で叩きのめす。
酔っ払いの千鳥足など腕力がどれだけあろうと驚異ではない。解
析魔法を使うまでもなく投げ飛ばし、足を払い、壁に頭から突っ込
ませる。
﹁安心しろ、峰打ちだ﹂
そもそも剣を使っていない。
﹁お騒がせしました﹂
﹁いえ、困っていたのは確かよ、ありがとうねエースさん﹂
おでこにチューされた。
﹁でも危ないことしちゃ駄目。ギルドでは荒事なんて日常茶飯事な
んだから、対処法は幾らでもあるわ﹂
お姉さんがちらりと目を向けた先には筋肉隆々の巨漢。彼は俺達
の視線にニヤリと笑みを浮かべた。
ギルドが雇っている用心棒だろう。俺が本当に危ないと判断すれ
ば、助けてくれたはずだ。
つーか助けろよ。﹁別に手出しは必要なかったろ?﹂みたいな顔
すんじゃねぇよ。
﹁私の夫なの﹂
1552
﹁⋮⋮お似合いです﹂
涙を堪え、本来の目的である依頼探しを行う。
実をいうと高レベルの依頼を受ければ金に困ることはないし、帝
国から秘密裏に支援がくる場合もある。エアバイク発明に関する預
金はちょっと手が震えるレベルまで膨れ上がっている。
依頼をこなすのは、カモフラージュの意味合いが強い。
﹁そろそろ飛宙船欲しいよなぁ﹂
旅派の自由天士は多くが小型級飛宙船を保有している。全長約一
〇メートル、このサイズでは人型機や戦闘機を一機運べる。
一流のステータスでもある中型級飛宙船だって予算的には可能だ。
複数の機体を詰め込み、仲間達一人一人に個室が割り振れるのはと
ても魅力的だろう。
大型級飛宙船って人は聞いたことがない。さすがに三〇〇メート
ルの巨大空母は持て余す。
まあ、それは今は横に置いておこう。
﹁人捜しだし、人脈のありそうな人と接点が欲しいな﹂
書面から依頼人の氏名は判るも、素性はほとんど窺えない。
﹁郊外宅周辺の雪かき? これはさすがに⋮⋮ん?﹂
﹃依頼人 魔王﹄
き、気になる!
1553
﹁これは受けるしかない⋮⋮!﹂
些か衝動的に紙を剥がしお姉さんに提示すると、一言こう言われ
た。
﹁雑用依頼を受けるトップウィングスって、初めてみたわ﹂
﹁というわけで、ソフィーは留守番な﹂
﹁私も行くわ﹂
雪かきの依頼を伝えると、ソフィーはすかさず同行の意を示した。
﹁いや、やるっていっても。肉体労働だぞ﹂
しかも考えなしではないとはいえ、ノリで受けた依頼だし。
﹁特別扱いしないで。私だって自由天士なんだから﹂
﹁女の子扱いしているだけだが﹂
﹁それが特別扱いなの﹂
つーん、とそっぽを向くソフィー。だが女性に重労働をさせたら
1554
俺の矜持が傷付く。
というか、この世界の雪かきってのは基本的に人型機で一気に行
うものなのだ。現実問題ソフィーの担当である飛行機形態の出番は
ないし、機体の足元でうろちょろされても困る。
﹁とにかく、やるから﹂
﹁⋮⋮へいへい﹂
彼女としても譲れない部分なのだろう。気持ちも解らないでもな
し、許可せざるを得まい。
しろがね
白鋼人型形態、強化外装装着型にて依頼人との待ち合わせ場所へ
と向かう。
この強化外装は間接部への負担を減らすのと同時に、白鋼の特徴
的な鋭角を基調とした外見を偽装する役割も果たす。
これでも若干奇妙な見た目なのだが、自由天士の人型機は自分の
好みや寄せ集めな改造によって割と個性豊かなので不審がられるこ
とはない。
昨晩から降り積もった雪は膝まで埋まる大雪だ。しかし身長一〇
メートルの人型機にとっては足首にも届かない、新雪のようなもの
でしかない。
接地圧だけはやたら高い人型ロボットは、雪に埋もれた町を悠々
と歩く。
白鋼だけではない。未だに多くの人型機は頑張って雪をかいてい
る。
1555
﹁ああいう人間くさい仕事していると、人型機が生身の人間に見え
てくるよな﹂
﹁⋮⋮そうかしら?﹂
見えませんか、そうですか。
待ち合わせはギルドだ。ソフィーを一旦外に待たせ、中を確認す
る。あのチンピラはいなくなっていた。
転ばないようにソフィーと手を繋ぎ、ギルドに入る。
﹁でもどうしてこんな依頼をしたのかしら﹂
﹁というと?﹂
﹁郊外に住んでる人なら、大抵は個人で飛宙船を持ってるでしょう
?﹂
⋮⋮うーん、なんというか。
﹁まさに引きこもりの発想﹂
﹁な、なによぉ﹂
彼女の疑問は俺に発したものだったが、答えたのは女性の声だっ
た。
﹁冬の間は確かに暇だが、家事や春からの畑仕事の準備はある。ず
っと閉じこもっているわけにもいかないのだ﹂
1556
手を振る見覚えのある女性。
﹁かといって年に何度かの家周辺の除雪の為に、人型機を維持する
わけにもいかないのでな。その都度雇った方が安上がり、というわ
けさ﹂
そう、彼女はまさしく︱︱︱
﹁また会いましたね、まおー︵笑︶さん﹂
﹁こんにちは、魔王︵仮︶さん﹂
﹁カッコワライもカッコカリもいらないぞ⋮⋮﹂
︱︱︱スカートをおっぴろげにされた、あの時の女性だった。
というわけで、ただいま白鋼には俺だけが乗っている。
﹃まあなんだ、君達に当たって良かった﹄
ガンガン融雪する白鋼に、乾いた笑みを浮かべる魔王。
﹃変な相棒ですいません﹄
ソフィーは魔王の隣で溜め息に吐いた。
雪を処理する俺に対し、魔王とソフィーは小さな家でのんびりと
1557
お茶を飲んでいる。
ほっこりした二人の女性の顔が窓の中で並んでいた。
彼女には悪いが、ソフィーはやっぱり邪魔なので降ろしたのだ。
﹁変な相棒って俺か﹂
通信越しに聞き返す。
﹃レーカ以外に心を許した覚えはないわ﹄
﹁相棒﹂ではなく﹁変な﹂に言及したのだが、まあ、可愛いこと
を言われたので良しとしよう。
さて、今更だが白鋼がどんな状況か。なぜ除雪ではなく融雪なの
か。それを説明しよう。
この機体には四つの姿がある。
運動性に優れた前進翼形態。
安定性が高い巡航飛行形態。
直進飛行に特化した高速飛行形態。
1558
格闘戦すら可能とする人型機形態。
だが、この運用法は新たに形態の一つとして認めるべきかもしれ
ない。
しゃがみ状態でジェットエンジンを起動する。
そうすると高熱の排気によって白鋼の後ろの雪が一気に溶けるの
である。
足を小刻みに動かし、移動しつつ瞬く間に雪を溶かしていく。水
になるだけでは凍って滑り危ないので、しっかりと蒸発するまで。
﹁名付けて融雪形態﹂
う○こ座りで少しずつ前進移動する白鋼。
﹃他人のふり他人のふり﹄
呟くソフィー。まったく失礼な、ちょっと間抜けだが効率は間違
いなく良いというのに。
﹃そなたらはどういう関係なのだ?﹄
﹁あ、家族です﹂
婚約者だし、家族と似たようなものだ。
﹃失踪したお父さんを探す旅をしているんです﹄
続けてソフィー。嘘ではない、嘘では。
1559
失踪間際に時速五〇〇〇キロの親子喧嘩をしたりもしたが、別に
嘘はない。
﹃そうか⋮⋮大変だな、まだ幼いというのに﹄
魔王がソフィーの頭を撫でると、彼女はくすぐったそうに目を細
めていた。
珍しい。人見知りこそなりを潜めたが、あくまでそれはビジネス
ライクな対応に限った話だ。ああいうことをされてソフィーが抵抗
しないとは。
﹁ところで魔王さん、今更ですがなんで魔王なんですか?﹂
ロ三オ、どうして貴方は□ミオなの⋮⋮みたいな意味ではない。
﹃文字通りの意味だよ。私は魔王の末裔なのだ、五〇〇年前のな﹄
思わず彼女の顔をじろじろ見てしまった。
ガラス越しに手を振る魔王。⋮⋮魔王、ね。
﹃君達も気軽に魔王と呼んでくれ構わない。本名は不慣れなのでな﹄
本名が不慣れってなんだそれ。
﹁では、あの魔王さん﹂
﹃うむ?﹄
﹁魔物の研究をしている人がこの辺にいるって聞いたのですが、ご
存知ですか?﹂
1560
﹃︱︱︱さあ、聞いたことがないな﹄
あれ? 知らないの? 魔王となれば関わりがありそうなものだ
が。
﹃我々一族のことが、噂の課程で変化したのではないか?﹄
﹁あー、それはありそう。ま、いっか﹂
この人探しの旅はただの自己満足だ。安息の地を探すという本命
の目的とは関係ないし、これまでの旅で無駄足をするのには慣れた。
ナスチヤもいってたっけ、﹁旅なんて苦労と退屈が九割、喜びが
一割よ﹂って。
﹁そんじゃ、さっさと依頼終わらせて屁こいて寝るか﹂
﹃うむ、そうだ仕事が終わったらクッキーを分けよう。美味しいの
をもらったんだ﹄
周辺の雪を片付け終わった辺りで、そいつは現れた。
最初は大きな魔力。何事かと遠方の森に目星をつけて解析すると、
大きな獣型の魔物を発見した。
﹁ソフィー、モンスターだ。俺が仕留める、君はそこにいてくれ﹂
1561
﹃⋮⋮了解﹄
若干不満げな表情を見せるも、わざわざ乗り込む方が手間なのは
ソフィーも判っている。
それに、魔王からの依頼内容は除雪であり護衛ではないが、彼女
を無防備にするわけにはいかない。
もっとも、ソフィーが護ったところで気休めにもならないが。気
持ちの問題である。
﹃守ってくれるのは嬉しいが、君だけで大丈夫なのか?﹄
﹁なんとかなるでしょう、たぶん﹂
腰にマウントされていたミスリルブレードを正面に構え、左右に
分離する。
標的に向かって走り出す白鋼。ジェットエンジンは機体を強引に
押し進め、一歩の歩幅は五〇メートルにも達する。それは疾走では
なくもはや跳躍だ。
大きく開けた場所で二刀を構え獣を迎え撃つ。等間隔の地響きが
やがて大きくなり、山のように巨大な狼が木々を飛び越えて出現し
た。
﹁でかいな﹂
人型機より更に巨大。白鋼が人間大であれば、狼は馬ほどもある。
生身であれば絶望するしかない巨体。この世界においても、これ
ほどの脅威はそうそう出くわすもんじゃない。
﹁だが⋮⋮ガイルよりは弱い﹂
1562
白鋼に飛びかかる狼をひらりとかわし、ブレードを横凪ぎに軽く
振るう。
それだけで、自らの勢いを止められない狼は上下に分断された。
顔面から喉を切られた狼は、断末魔を上げることすら許されず崩
れ落ちる。
当然の結果だ。魔刃の魔法を付加された極薄ミスリルの切っ先、
これを止められた者はいないのだから。
﹁なんだろ、この狼﹂
機体から飛び降りて確認。初めて見る魔物である。
女性二人を連れてもう一度確認しにいくと、魔王がこの狼を知っ
ていた。
﹁デザートウルフだと? おかしいな、これは砂漠に住む魔物だぞ
?﹂
平均で体高十五メートル、全長三〇メートルにも及ぶ巨大な狼だ
そうだ。寒さが苦手であり、こんな地方にいるはずがないとのこと。
魔王さんはこの魔物に関して更に解説する。
やすり
﹁デザートウルフは全身が武器になる。砂に覆われた表皮は鎧であ
り鑢、主な攻撃手段である体当たりが直撃したならば人型機の装甲
すらごっそりと削られる。魔法は使えないので、接近戦は避けるの
が常套手段だ﹂
残念ながら白鋼に長距離砲などない。追加装備は可能な設計だが。
雑魚相手にはコストパフォーマンスの良い接近戦で対応、強敵に
は重火力強襲ユニットで一気に近付きやっぱり接近戦。それが白鋼
のコンセプトだ。
1563
﹁剣で倒したことも驚きだが、この機体の速度は凄まじいな。ビュ
ーンと加速したぞ!﹂
興奮気味の魔王。
﹁全力で走れば何キロくらいでるのだ?﹂
﹁一〇〇〇キロ⋮⋮くらい?﹂
﹁⋮⋮そこまで、か﹂
普通の人型機ならば速くて時速一〇〇キロ、その一〇倍など極め
て異常といえる。
﹁でも、魔法が使えないならさっきの魔力はなんだろう?﹂
﹁あ、あぁ。私は感じ取れなかったが⋮⋮確かに不自然だな。ああ、
この魔物討伐に関しては別途報酬を出そう﹂
﹁別にいいですよ、こいつの素材を売れば収入になりますし﹂
世の中の多くの天士は自主的に魔物を狩り、素材として売ったり
する。この死骸はそれなりのお小遣いに化けるのだ。
﹁そうはいかない。こんな近場での魔物出現は私だけではなく、町
にも被害が及ぶ可能性が充分あったからな。例はやはりせねば﹂
魔王さんはイタズラっぽい笑顔で告げる。
1564
﹁遠慮の必要はない、先程話したクッキーを全て差し上げよう﹂
魔王城。そこは多くの魔物が蔓延り、おどろおどろしい彫刻や絵
画の並ぶ一種荘厳な魔窟⋮⋮
﹁棚を漁ってくれるなよ、村の子供達にどれだけ下着を略奪された
か﹂
⋮⋮ではなく、古びたボロ家である。
﹁なんというか、風情がありますね﹂
﹁ははは、そんな遠回しな言い方をしなくても構わんよ﹂
﹁ボロボロですよね﹂
﹁⋮⋮直球過ぎるのもなんだな、泣いていいか?﹂
涙目の魔王。ソフィーは俺の脇腹を抓りつつ、笑顔で魔王に断り
を入れる。
﹁あ、その、すいません。クッキーはやはり結構です、貴重な食料
ですもんね﹂
1565
﹁そこまで飢えていないっ!﹂
俺達は彼女の部屋にお邪魔する。
﹁さあ、狭い部屋だがどうぞ﹂
﹁お邪魔します﹂
﹁あらためて、失礼します﹂
彼女の部屋は、自己申告通りこじんまりとした洋室だった。
ベッドに簡易キッチン、書斎机に化粧台。
⋮⋮魔王がワンルームに住んでいるって、どうなんだそれ。
勧められるままに椅子に座り、魔王さんはお茶を煎れる。
﹁嗜好品を楽しめるうちは平和だな、うむ﹂
﹁町の景気はどうですか? 日用品が高騰したりなどしてますか、
やっぱり?﹂
紅茶を啜りつつソフィーが探る。戦略規模の話であれば俺よりソ
フィーの方が聡い。
彼女は逐一世界情勢について情報収集している。この子の目には
世界はどんな色に見えているのだろうか。
そもそも、ナスチヤはどういうつもりでソフィーに経済学や帝王
学を施した?
もし仮に王女にするつもりだったなら、俺の婚約者にするのは不
自然だ。
ただ一応の知識として、ならいいんだけど。
1566
﹁相変わらずだ。帝国軍はじりじりと押され、国境線を引いておる
と聞く。犠牲を最小限に留めた戦いに徹している、といえば聞こえ
はいいが⋮⋮いつまでも下がっていては逃げ場を失うだろうな﹂
人型機は動かせない。戦線に投入すれば統一国家は神の宝杖を砦
に撃ち込む、そうすれば多くの人型機が失われる。
民を魔物から守る為には機体を消耗するわけにはいかないのだ。
そうなると、攻撃は航空戦力のみとなる。だが圧倒的優位の空か
らの攻撃とはいえそれだけで戦争には勝てず、綻びから溢れ出すよ
うに敵兵は侵入してくる。それが現状だ。
それに、航空戦力ってのはやたら金がかかる上に効率が悪い。帝
国軍にとって、地上戦力に頼れない戦いは大きな負担だろう。
だが国民は神の宝杖を知らない。故に⋮⋮
﹁最近ではハダカーノ王を﹃弱腰王﹄呼ばわりする者まで出てくる
始末だ。世論はそちらに明確に傾き出している﹂
この世界の民間レベルの軍事情報などいい加減だ。インターネッ
トもなく、クリスタル共振通信も非常時にしか長距離通信は行えな
い。だから、無責任な言葉が一人歩きする。
普通に考えれば、地上兵力だけが出せないのはなにかおかしいと
気付くはずなのに。
﹁あの王も共和国の二の舞にしたくないだけだろうに⋮⋮人々は批
判だけをするものだ﹂
﹁貴女は⋮⋮﹂
この人は神の宝杖について知っているのだろうか。本当に魔王の
末裔なら、知識を残していてもおかしくはない。
1567
﹁っと、すまない。つまらない話を聞かせたな﹂
﹁いえ、興味深い話でした﹂
戦略レベルで俺に出来ることなんてない。歯痒いが、今は雌伏の
時だ。
この町での人捜しも切り上げて、明日にはアジトに戻ろう。
﹁ソフィーはやり残したことってあるか?﹂
﹁いいえ、特にないわ﹂
﹁ならさっさと戻ろっか﹂
町には留まれない。せわしないことだ。
お茶を飲み干してお暇しようとした俺達を魔王は引き留める。
﹁ひとつ、依頼したいのだ﹂
そう、魔王は切り出した。
﹁なんでしょう?﹂
﹁ダンジョンをクリアしてほしい﹂
﹁いや、俺達は天士ですから。地下に潜るのは冒険者に頼んで下さ
い﹂
人型機に乗る天士は地上で活動するものだ。地下にアリの巣の如
1568
く張り巡らされたトンネル、つまりダンジョンに潜るのは小回りの
利く生身の人間の仕事である。
﹁いや、このダンジョンは人工物なのだ。この家の近くの、我が祖
先が作ったダンジョンでな﹂
魔王は遠い目となる。
﹁つまりは、正真正銘の魔王城なのだ﹂
えー⋮⋮。
ダンジョンそのものが人工物という説がある。
俺は実際見たことがあるわけではないが、地下トンネルは朽ち果
てているものの壁が残っていたり、明らかに意図的な構造をしてい
たりと自然物には到底見えないそうだ。
しかし、世界全体に広がる地下構造物など人の手によって作れる
ものではない。故にダンジョンは神・セルファークが作ったと信じ
る者も多い。
これがダンジョンの基本知識だが、中には変わり種のダンジョン
もある。空中遺跡や島そのものが魔窟と化した場所、あるいは迷宮
建築物など。
﹁五〇〇年前に建造された魔王城には、初代魔王の魂が封印されて
いる。それを解き放ってほしい﹂
1569
﹁いや、解き放っちゃダメでしょ﹂
悪役だろ魔王って。
首を横に振る魔王。
﹁蘇らせるのではない。解き放ち、成仏させてほしいのだ﹂
﹁⋮⋮二つ、疑問があります。なぜ今更、それも俺達に?﹂
﹁前者は今更というわけではない。我々一族は、ずっと初代の解放
を望んできた。これは宿願なのだ﹂
﹁それはつまり、魔王城の攻略を依頼するのも初めてではないとい
うことですか?﹂
首肯する魔王。
﹁数日前にも牙の旅団というパーティが、私の依頼に応じてやって
きた。態度が悪い上に失敗しおったがな﹂
牙の旅団、ギルドにいたチンピラ連中か? 一応トップウィング
スらしいのに、クリア失敗したのか。
﹁後者はその際の報告を理由として上げられる。魔王城は、魔物と
の戦闘ではなくトラップを主体としたダンジョンだったそうだ﹂
罠メインの謎解きアトラクション系ダンジョンか、なるほど俺達
向きかもしれない。
素早さに定評のある白鋼ならば罠も避けやすいし、魔王さんは知
らないが解析魔法の前にトラップほど無意味な物はない。
1570
﹁でも、機体が壊れたらなぁ﹂
﹁その心配はなさそうだ。トラップはミスしても出口に強制的に戻
されるだけだからな﹂
なんだ、そのRPG感は。
﹁口では上手く言えないが⋮⋮見た方が早い。自分で確認してくれ﹂
﹁うーん、面白そうな気もするけど、ソフィーはどうしたい?﹂
﹁明日だけなら、いいんじゃないかしら。でも報酬は用意出来るの
ですか?﹂
お金の管理はしっかりするソフィーである。経済学っつーか、家
計簿学。
﹁依頼料に関しては成功報酬としている。魔王が最期まで手放さな
かったという宝物をあるだけくれてやろう﹂
﹁まだ現存しているんですか?﹂
その手の物は既に空っぽであることが多い。五〇〇年も前だ、先
着がいない方がおかしい。
﹁ある、と言い伝えられているな。なにせ、最奥まで行けた者がい
ないのだ、価値を確認しようがない﹂
﹁貴女方一族にとっても使いようのない財宝ってこと?﹂
1571
﹁そういうことだ、だから全部渡しても惜しくはない﹂
胡散臭いが元より面白半分で首を突っ込んだのだ、やってみよう
か。
ソフィーにアイコンタクトで了承を取り、俺は魔王に依頼受託を
告げた。
﹁勇者レーカだ、どうぞよろしく﹂
﹁はぁ?﹂
1572
雪の町と魔王の末裔 1︵後書き︶
嫌いじゃないです。
前回の投稿にて、エイプリルフールネタだと判りにくい書き方を
してすいませんでした。
>なんだこの四月馬鹿ネタはw
楽しんでもらえてなによりです。
1573
雪の町と魔王の末裔 2
元来、飛行機は女性に例えられてきた。
過激な女もいれば従順な女もいる、だが一様にパイロットは彼女
達に魅了されたのだ。
しなやかで、激情家で、時にタフな美女。それが飛行機だ。
見覚えがあるはずだ、機体に描かれた扇状的なイラストや女性名
詞を。
彼らにはきっと、飛行機がああ見えたのだろう。油と鋼鉄の香水
を纏う絶世の美女に。
﹁︱︱︱ああ、お前は別嬪さんだよ﹂
しろがね
宿屋の窓から白鋼に語りかける。
能力だけを追求した、その時代の最先端技術。それが美しくない
はずがない。
きっと地球の半世紀以上前に生きたパイロット達も、そう思った
はずだ。
ちなみに第二次世界大戦の日本では飛行機は天皇からの借り物で
あり、落書きなど以ての外だったらしい。
あの国はロマンってものが解ってない。軍艦や陸軍戦闘機の名前
はやたらかっこいいけど。
﹁ところでお前って女?﹂
白鋼に意志があるとすれば、それはきっとシールドナイトの意志
だ。
魔物に雌雄があるかはともかく、そのクリスタルの元となった人
1574
間には⋮⋮なんてな。
﹁ふぁ⋮⋮﹂
欠伸を一つ。もう寝よう。
安宿には朝食など付かない。所謂素泊まりだ。
白鋼の整備も終えて、ベッドに飛び込んで︱︱︱
︱︱︱気付けば朝。
﹁は?﹂
窓の外は明るい。朝だ。早朝だ。
﹁時間を越えた⋮⋮だと?﹂
不可能とされた時間移動。それを無意識に成し遂げてしまうとは。
けんじゃ
﹁勇者、いや大魔導士零夏⋮⋮ククッ、悪くない﹂
﹁はい、素敵ですレーカさん﹂
﹁ふぉ!?﹂
アホなことを呟いていると、後ろからの相槌に跳ね上がる羽目に
なった。
1575
振り向けば、添い寝する端麗な顔立ちの黒髪美女。
﹁おはようございます、いい朝ですね﹂
大人びた怜悧な雰囲気に、子供のように無邪気な笑顔がミスマッ
チで可愛らしい。
可愛らしいが関係ねぇ。そっと頭を戻し、二度寝と洒落込む。
﹁殿方でも、まだちっちゃな背中です。えへっ﹂
後ろからぎゅっと抱きつかれる。女性の香りが鼻孔をくすぐった。
﹁えへっ、じゃねーよキョウコ﹂
彼女はそう、二人旅のはずなのになぜか居る三人目の仲間、キョ
ウコである。
この女性はほっといても着いてくる。呼べば現れるし、ソフィー
が単独行動する際はこっそり護衛を勤めてくれる。なかなか便利だ。
そう、昨日のフードの人物こそ何を隠そうキョウコである。
﹁えへへ、へへ、げへ、ふへへへけけけけけ﹂
笑い声がホラー映画になってきた。
彼女の手が俺の体を弄る。セクハラされる女性ってのはこんな気
分なのだろうか。
たぶん違う、今の俺は無念無想だ。
﹁隣のベッドにはソフィーがいるんだぞ﹂
﹁興奮しますね﹂
1576
駄目だこいつ、早くなんとかしないと⋮⋮
彼女の手が股間に届きそうになったのでペシッと払う。
﹁私では駄目なのですか?﹂
﹁俺は⋮⋮ソフィーを選んだんだ﹂
暫定で。
﹁二号さんはありですか?﹂
﹁な、なしで﹂
﹁嘘です。雄なんて元来、多くの雌を囲いたいものなのです﹂
断言された。
覆い被さってくるキョウコ。スケスケの黒ネグリジェがエロい。
﹁⋮⋮ひょっとして、あるいは、とずっと考えていたのですが﹂
﹁なんだ?﹂
﹁ホモ、ですね?﹂
なぜ半ば断言なのだ。
﹁違う﹂
胸元をヒラヒラされ、思わず目を逸らす。
1577
﹁欲情はしているのですか、良かった﹂
﹁してない﹂
﹁ではやはり⋮⋮﹂
朝っぱらから無限ループとか、しんどい。
﹁私が構わないと言っているのに、なぜ躊躇うのです? 初物です
から大丈夫ですよ、色々と﹂
少しは慎め。
﹁いや、だって﹂
﹁だって?﹂
﹁初めては、一番好きな人とが⋮⋮﹂
なにを口走っているのだ俺は。
﹁つまり、一番とはいかなくとも私にも恋愛感情はあるってことで
すね!?﹂
﹁え、そう解釈するの?﹂
﹁あるのですよね!﹂
﹁あ、はい﹂
1578
思わず肯定。
ちらりと隣のベッドを確認。ソフィーは未だ夢の中だ、良かった。
﹁そ、そんなに慕ってくれたら、多少は惹かれるさ﹂
嫌いな相手とデートなどするものか。
﹁ふふっ、ふふふふはっ! さあ、ヤリましょう!﹂
﹁静かにしろ、ソフィーが起きる!﹂
﹁起きてるわよ、もう﹂
ギギギ、と横を向けばソフィーが半目の冷めた視線で俺達を見て
いた。
﹁一から百までを全て足すと?﹂
﹁五〇五〇﹂
いかん、寝ぼけていない。
低血圧のソフィーは意識が覚醒するまで時間がかかる。
つまり、全部見られていた。
﹁うわきもの﹂
﹁ぐっ、狸寝入りとはやってくれる﹂
﹁でもいいのよ、私はレーカを縛りたくないし。息抜きは必要だも
1579
の﹂
風俗に行くことを許可する奥さんみたいなことを。
﹁よくないだろ、そういうのは﹂
﹁⋮⋮馬鹿ね﹂
立ち上がり、顔を洗いに退室するソフィー。
離れるのは危険なので俺も起き上がり、ふと思い出してキョウコ
に訊ねる。
﹁ところで質問いいか?﹂
﹁なんでしょう?﹂
﹁君って幾つだっけ﹂
﹁婚約届けを親の承諾なしで出せる年齢です﹂
成人以上ってことしか判んねぇよ。
不機嫌そうな顔でソフィーが戻ってきた。
﹁出て行って頂戴、キョウコ。私達は二人旅をしているの﹂
﹁⋮⋮はいはい、二号は所詮陰日向者ですよ﹂
負け惜しみ気味の捨て台詞を残し、ソフィーの脇をすれ違い退室
するキョウコ。
彼女の背中に、ソフィーは追い打ちをかけた。
1580
﹁それと、レーカが二号になってほしい女性は別にいるわ﹂
﹁知ってます﹂
知られてますか。
キョウコが退室したのを確認し、ソフィーは俺に標的を変える。
﹁レーカ﹂
﹁ん?﹂
﹁あの子と再会したら、ちゃんと気持ちを伝えてね﹂
﹃あの子﹄が誰か、判らないわけではない。しかし⋮⋮
﹁なに言ってんだ、お前は﹂
﹁レーカにとって、あの子が私と同じくらい距離の近い存在だって
解るもの﹂
﹁二股を推奨されてもな﹂
﹁私達は生まれた時からずっと、一緒に暮らしてきたのよ。好きな
人を共有するくらい、なんとも思わないわ﹂
それに、と彼女はカーテンを開く。
﹁きっと、向こうも待ってる﹂
1581
朝日の逆光の中にいるソフィーがどんな目をしているか、俺には
よく判らなかった。
魔王さんと待ち合わたギルドに予定時間より早く着く。
時間を潰す為にぼんやりと依頼用紙に目を通していると、魔王さ
んの依頼があった。
ストライカー
﹃内容 魔王城の攻略 人型機向けダンジョンです。
報酬 現地の宝物を一〇割全て差し上げます。難易度高め。
依頼人 魔王﹄
本当に募集してたよ、魔王城攻略⋮⋮
﹁ん、遅かったか?﹂
魔王さんがやってきた。
﹁時間通りですよ、俺達がフライングしたんです﹂
﹁おはようございます、魔王さん﹂
﹁ああ、おはよう。予定通りいけるか?﹂
﹁はい、問題ありません﹂
1582
挨拶も早々に、魔王さんの案内で魔王城に移動する。
エアシップ
俺とソフィーは白鋼、魔王さんは自前の飛宙船。
キョウコはいない。俺達を追って再会したばかりの頃は、四六時
中トイレの中まで着いてきたのだが⋮⋮
﹁⋮⋮あれ、船だわ﹂
﹁船、って?﹂
ソフィーは上空を指差す。
﹁飛宙船、だな﹂
移動する一行のずっと上、高度二五〇〇メートルってところか。
中型級飛宙船が浮かんでいた。プロペラは回っていない、停まっ
ているのか?
﹃着いたぞ﹄
﹁え、あれ、もう?﹂
共振通信の魔王さんの言葉に、思わず聞き返す。
1583
魔王城は町から一〇分もしない近場に存在した。
﹁これが︱︱︱魔王城﹂
そこには荘厳な城壁と巨大な門が鎮座していた。
﹁でかいっすねぇ﹂
﹃う、む。まぁな﹄
歯切れの悪い魔王さん。どした。
﹁大きいわね。帝国城より大きいんじゃないかしら﹂
﹁そうだ、な⋮⋮って、ええぇぇっ﹂
頷こうとして、解析結果に唖然とする。
﹁どうしたの?﹂
城壁の端まで移動、壁の裏側を覗く。
﹁薄っ﹂
城壁はまさしく、ただの壁だった。
﹁ハリボテかよ﹂
石造りの堅牢な造りだが、防衛上の意味があるとは思えない。ま
さに飾りだ。
1584
﹃権威を誇示する為のハッタリ⋮⋮なのではないか、と我が母は言
っておったな。ダンジョンそのものは地下空間にある。地上は全て
イミテーションだ﹄
﹁俺のイメージしてたラストダンジョンと違う﹂
もっとこう、空間が歪んでいたり、無限ループの間があったり、
おどろおどろしい悪魔の像があったり⋮⋮を期待していたのに。
﹃さて、降りるぞ﹄
ふと上をもう一度確認する。
飛宙船はゆっくりと始動していた。トラブルかなにかで一旦停止
していただけだろう、気にするほどのことでもないか。
若干期待外れだったのは否めないが、地下に続くトンネルタイプ
のダンジョンはなかなかに雰囲気がでていた。
主に謎解き中心の、魔物のいないダンジョン。長年挑み続けただ
けあって魔王さんはすいすいと試練を突破して奥へと進む。
やがて、大空洞に辿り着いた。
﹁広いな﹂
﹃天井の高さは一〇〇メートル、面積はヘクタール単位に及ぶ﹄
1585
本当に地下かよ⋮⋮
﹃ここからが問題なのだ。未だかつて、この試練を攻略したものは
いない﹄
﹃マオッ!﹄
なぜかドヤッ、って感じの鳴き方をする魔王のペット、ピア。い
たな、こんなのも。 俺達は、壁の上の方に空いた横穴からこの大
空洞に入った。
ここからは地下空間に拵えられた﹃それ﹄を一望出来る。
いや、むしろ俯瞰と言った方が正しいか。
﹁迷路?﹂
﹃うむ。この迷路の道幅は一〇メートル、壁の高さは一五メートル。
上に天井はないが障壁が張られており、壁を乗り越えることは出来
ない﹄
集積回路のように広がる迷路。じっと見ていると遠近感を失う気
がした。
﹃ゴールはあれだ﹄
魔王が示す先には、迷路を歩き回るゴーレムがいた。
﹃動き続けるゴーレムに接触すれば、最後の扉が開かれ宝物が手に
入るのだ﹄
﹁追いかけっこですか﹂
1586
ゴーレムの動きは緩慢で、生身の人間でも走れば追い付けそうだ。
﹁複数機で逃げ道を塞いで包囲してしまえば、簡単じゃないかしら
?﹂
﹃それは困難じゃ。アレのせいでな﹄
虚空より出現した鉄球が、迷路を爆走する。
球の直径は九メートル、道を完全に塞ぐ大きさだ。一本道で正面
から出くわせば、小柄な人型機であってもやり過ごすのは不可能だ
ろう。
﹁話が違うんですが。あんなのに潰されたら、機体はぺったんこで
す﹂
機体が壊れる心配はないって言うから来たのに。
﹃あれはただの幻覚魔法だ。接触すればスタート地点に戻される、
厄介な相手だがな﹄
お邪魔オブジェクトか、なるほど。
鉄球は迷路全体で二桁は転がっている。ゴールのゴーレムから鉄
球が離れたタイミングを狙う、というのは現実的ではないな。
むしろ鉄球から逃げ回るだけでも苦労しそうだ。
﹁ん、いや、そうじゃない﹂
つい流されて勘違いをするところだった。
1587
﹁あれはフェイク? あーで、こーで、⋮⋮案外簡単じゃないか、
これ﹂
﹃おお、頼もしいな。なにか解ったのか?﹄
﹁ゲームっていうか、トンチですよこれ﹂
﹃頓知?﹄
﹁ええ、理解すれば子供だって攻略出来ます﹂
早速実演しようと操縦桿を押し込み、ロックされていることに気
付いた。
﹁ソフィーさん、なにやってんの?﹂
ソフィーが勝手に操縦担当を切り替えていた。
﹁私、攻略方法、解らない﹂
﹁だから俺がこれから⋮⋮﹂
﹁私がやる﹂
ソフィーさんが燃えていらっしゃっる。
﹃せっかくなので私も挑んできましょう﹄
じゃけんひめ
キョウコの愛機、蛇剣姫がどこからともなく現れた。
1588
﹃いや、誰だ!?﹄
驚く魔王。さすがキョウコだ、俺ですら接近されるまで気付けな
かった。
﹁身内です、お気になさらず﹂
﹃家内です、だなんてそんな⋮⋮﹄
言ってない。
﹁操縦技術の問題じゃないのよね?﹂
﹁うん、やり方に気付けばソフィーでもクリア可能だ﹂
﹁降りて﹂
白鋼から追い出された。
手招きする魔王の元へ行き、腰を下ろす。
﹁しばらく見守ろうではないか。お茶を持ってきているが、いるか
?﹂
﹁戴きます﹂
無駄の多い素人の動きで歩き出す白鋼。イメージリンクを増設し
たのでソフィーも機体を動かせるのだ。動かすだけだけど。
﹃競争にしましょう、ソフィー。その方が張り合いがあります﹄
1589
﹃いいわよ。頭脳労働では負ける気がしないもの﹄
﹃⋮⋮遠回しに馬鹿にされましたか、今?﹄
﹃気のせいよ﹄
彼女達の話し合いの結果、キョウコが勝てば婚約者の公認の俺の
愛人に。ソフィーが勝てばキョウコは俺のベッドに潜り込むの禁止、
となった。
よし、ソフィー頑張れ。
﹁なんだか複雑な関係なのだな﹂
﹁当の本人が蚊帳の外、ってのがまたな⋮⋮﹂
最初のうちはドタバタとゴーレムを追い回していた二人だが、や
はり一筋縄にはいかない。
観戦してて気が付いたが、ゴーレムはランダムに移動しているの
ではなく、能動的に追っ手から逃げているようだ。
あたりをつけてそれなりに追い詰めでも、別のルートから脱出さ
れ距離を取られる。追いすがったところで鉄球に阻まれふりだしに
戻る。この繰り返しだ。
﹁ゴーレムは、自分の視界に入る前から逃走を開始してますね﹂
﹁そういえば⋮⋮確かにそうだな﹂
1590
高い壁のせいで互いの位置はほとんど把握出来ないはずだ。出会
い頭に遭遇し、追いかけっこになりそうなものだが、ゴーレムは時
折不自然に方向転換する。
﹁音で把握しているのではないか? 挑戦者も耳でゴーレムを探し
ているわけだしな﹂
﹁うーん、そもそもあのゴーレムって、自己判断しているんでしょ
うかね?﹂
﹁操作されているだけだと? まあゴーレム創造魔法とは本来そう
いうものだが﹂
あのゴーレムからは、なんとなくラジコンくささを感じる。
ラジコンなら操縦者がいるはずだ。サーキットを俯瞰出来る、高
い場所に。
迷路全体を一望出来る、ここのような場所。
﹁おや、君の相棒が戻ってきたぞ?﹂
白鋼が降着姿勢となり、ソフィーは慎重にコックピットから降り
る。
﹁諦めたのか?﹂
﹁論理的に考えるわ﹂
紙を広げ、迷路を写し始めた。
1591
﹁ゴーレムの動きにはパターンがあるのよ。選びやすい道があるし、
左右に分かれていれば左を選ぶ傾向がある。操縦者の癖ねきっと﹂
﹁マオ?﹂
興味深げに地図を見つめる魔王のペット、ピア。
﹁これ、悪戯してはいけないぞ﹂
﹁マオッ!?﹂
だが魔王に回収され、彼女の膝の上に収まる。
それでもピアは身を乗り出してソフィーを見つめる。そんなに気
になるのか?
﹃動きが止まった、今だあぁ!!﹄
キョウコの男らしい叫びに視線を向ければ、蛇剣姫がまさにゴー
レムを追い詰めてようとしていた。
﹁おお、いけるか!?﹂
﹁マオォ!?﹂
思わず喜色を浮かべ興奮する魔王。
銀翼の名に恥じぬ足踏みにてゴーレムへの肉薄を試みるキョウコ。
しかし、単純な素早さでクリア可能なら苦労しない。
1592
﹁おかえり﹂
﹃⋮⋮ただいま戻りました﹄
スタート地点に転移された蛇剣姫。
ゴーレムを追い詰めたキョウコだが、急に動きを変えた鉄球の群
に逆に包囲されたのだ。
﹁露骨に動いたよな、鉄球﹂
﹃ゴールさせる気がないとしか思えません﹄
意気消沈するキョウコを慰めつつ、迷路に視線を向ける。
﹁あれ、ソフィーは?﹂
﹃⋮⋮むぅ﹄
白鋼も転移されてきた。
﹃さっきまでとパターンが変化していたわ﹄
度重なる敗北に、遂に二人は根を上げた。
﹃もういい。レーカ、教えて﹄
﹃今日のところは諦めましょう。回答をお願いします﹄
1593
﹁あー、うん。とりあえず、昼飯にしよう?﹂
慣れずに恐る恐る降りるソフィーと対照的に、蛇剣姫から一息に
飛び降りるキョウコ、その姿はほぼ裸だ。﹁ビ、ビキニアーマー?﹂
この恰好で操縦していたのか。
﹁冒険者です﹂
赤いビキニタイプの鎧を纏うキョウコ、これで冒険者だと言い張
るつもりらしい。
﹁そんな露出度の高い防具、実際に見たのは初めてだぞ﹂
﹁昔流行りました﹂ 年寄りの昔はガチで昔だからなぁ。﹁に、二
三〇年ほど前に﹂
ソフィーはスクランブルエッグしか作れないし、キョウコは食材
を切り刻んだだけで満足してしまう。故に野宿の際に食事を作るの
はいつも俺だ。
道具もほとんどなく、手間も時間もかけられない。パンを火で炙
り、スープを簡単に仕上げる。
﹁美味いな﹂
コクコクと首肯して魔王に同意を示すソフィー。
﹁レーカさん、野宿では必ずスープも作りますよね﹂
﹁⋮⋮旅先で温かい食事が一つあれば、精神的にはとても楽になる
からな﹂
1594
昔、ある人にそう教えてもらった。
﹁ところで、キョウコ殿はやはり⋮⋮最強最古の?﹂
﹁そう呼ばれることもあります﹂
﹁おお、やはり! 伝説と呼ばれた貴女と会えるとは身に余る光栄
だ!﹂
なぜか興奮する魔王さん。
﹁どうしました?﹂
﹁いや銀翼だぞ!? っていうか君達、銀翼の天使と旅をしている
のか!? どうして!?﹂
どうして!? と訊かれても。
﹁⋮⋮便利?﹂
﹁便利って!?﹂
﹁都合のいい女?﹂
﹁遊びなのか!?﹂
﹁その通りです、レーカさんにとって私は遊びでしかないのです﹂
そっぽを向くキョウコ。いじけてしまった。
1595
彼女が半分別行動をしているのは、そもそもが俺が原因である。
ソードシップ
白鋼を追いかけて、数ヶ月後に遂に合流したキョウコ。
飛行機形態で移動する俺達に人型機でどうやって追い付いたか甚
だ疑問だが、銀翼相手に疑問符など無駄なのでそこは割愛する。
久しく出会った彼女に、俺はこう言ったのだ。
﹃しばらくは二人旅をしよう、って決めているんだ。せめて今年
中は別行動しないか?﹄
あの時のキョウコの顔を思い返すと、やっぱり若干胸が痛む。
﹁なんか、ごめんな﹂
その後ストーカー化したのは、さすがに予想外だったが。
﹁なんですか、急に?﹂
キョウコの肩に上着をかける。
﹁コスプレもいいが、体を冷やすなよ﹂
こんな季節に裸同然で歩き回るとは気が知れない。
﹁前にも似た会話があった気がします﹂
﹁はは。そうだな﹂
﹁これって、もしや夜のお誘いですか?﹂
﹁違うんじゃないかな﹂
1596
茶化さないで欲しい。
﹁⋮⋮キョウコ﹂
﹁はい﹂
ちょっと早いけど、頃合いだろう。
﹁今まで待っもらってすまない。俺達の、正式な仲間になってくれ
ないか?﹂
彼女は満面の笑顔で頷いた。
﹁はい、喜んで﹂
⋮⋮少し見惚れたのは、婚約者には知られるわけにはいかない秘
密である。
﹁レーカ、ね、レーカ、見て見て﹂
ソフィーが上着を脱いでアピールしていた。
﹁これって、もしや夜のお誘いですか?﹂
﹁違うわよっ﹂
赤面するソフィーであった。
1597
食後、いよいよ俺の出番である。
迷路の中を逃げるゴーレム。意図的に妨害してくる多くの鉄球。
本来なら鉄球を避けて進むだけでも困難な中、如何にゴーレムに
触れるか。
﹁その答えは、根本的な勘違いにある﹂
説明しつつ、俺は﹁生身で﹂迷路に降り立った。
﹁レーカ!?﹂
﹁レーカさん! 危な⋮⋮くはないでしょうが、何を?﹂
心配そうな視線を向ける彼女達に手を振り、身体強化魔法発動。
迷路の中をゴーレム目掛けて駆ける。
﹁君、前から来るぞっ!﹂
魔王の言葉通り、正面から迫る鉄球。
﹁ところで、このダンジョンが作られたのは何年前だ?﹂
﹁え? おおよそ、五〇〇年前だが⋮⋮﹂
魔王が答える。
﹁なら人型機が開発されたのは?﹂
1598
キョウコが返答。
﹁それは、約四〇〇年前⋮⋮あれ?﹂
﹁そう、根本的に矛盾している。大きめな建築サイズやら事前情報
の先入観やらに騙されてしまったが、ここはそもそも︱︱︱生身の
冒険者向けダンジョンなんだ!﹂
四角い通路を転がる鉄球の、左右斜め下に空いた隙間にスライデ
ィングで滑り込む。
人型機では到底抜けられない大きさ、だが生身、それも子供であ
れば余裕で抜けられる。
﹁そんなのアリかぁ!?﹂
﹁レーカ、ずっるい!﹂
﹁人型機は関係ない!?﹂
続けて二つ、三つと鉄球をやり過ごしゴーレムに近付く。
﹁マオッ!﹂
回避行動を始めるゴーレム、だがそのタネも判っている。
﹁キョウコ!﹂
﹁あ、はい!﹂
1599
打ち合わせ通りにキョウコは、ピアの視界を手の平で覆った。
﹁マオー!?﹂
途端に制御を失い壁にぶつかるゴーレム。
そう、ピアこそゴーレムの目。内通者なのだ。
﹁そっか、私が作戦を練って挑んでも行動パターンが変わったのは
⋮⋮﹂
﹁あの時、地図を見ていたから!﹂
ピアがソフィーに目を向けている間、ゴーレム操作が疎かとなり
キョウコに肉薄された。怪しいとは思っていたが、確信を得たのは
あの瞬間だ。
既に阻む者はない、いける!
﹁マオーッ! まだだ、まだ終らんわい!﹂
﹁ピアがしゃべった!?﹂
ふわりと飛翔するゴーレム。そんなのありかよ。
﹁どやー! わいの方が、一枚上手やったな!﹂
高度五〇メートルほどまで上昇するゴーレム。
壁を駆け上るが、天井代わりの障壁に阻まれ届かない。ゴーレム
は透過するくせに、都合のいい仕様だ。
1600
﹁わいのお宝はやらんで、成仏なんぞしてやるか︱︱︱﹂
﹃︱︱︱えいっ﹄
観戦台からジャンプした蛇剣姫が、ゴーレムに跳び蹴りをかまし
た。
﹁あ﹂
﹁あ﹂
﹁あ﹂
迷路上面の障壁に着地する蛇剣姫、吹っ飛び墜落するゴーレム。
﹁⋮⋮あれ?﹂
なにが起こったかよく解っていないっぽいピアが、こくりと首を
捻っていた。
ゴーレムに触ったことで、最後の扉が開かれる。
﹁これで私を愛人と認めますね?﹂
﹁無効よ。ゲームは終わっていたわ﹂
1601
﹁私が咄嗟に飛ばなければ、レーカさんもクリアしきれませんでし
た。功績は認めるべきです﹂
﹁そう、なら愛人になってもいい。でも潜り込んじゃダメ﹂
﹁よく考えれば、貴女は私が愛人になること自体は拒否していなか
ったではないですか。夜這い禁止ではなにも譲渡していないのでは
?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
﹁意外としたたかですね﹂
ダンジョンの最奥、玉座の間には、ぽつんと椅子が一つあるだけ
だった。
椅子の上には一枚の紙。
﹁え、財宝は?﹂
﹁そもそもお前は何者なのだ、ピア?﹂
ソフィーとキョウコが妥協点を探り合っているので、俺と魔王だ
けでピアを詰問する。
﹁なんやなんや、こーんな可愛い﹃ますこっときゃら﹄をいじめお
ってからに! マオ!﹂
中身はかなりおっさん臭いのだが。
﹁お前が初代魔王だな?﹂
1602
﹁そーや。わいが初代魔王や。まーいい、お主らがゲームをクリア
したのは事実やからな。色々教えたるわマオッ﹂
そしてピアは語る。語尾に一々自己主張を付けながら。
﹁わいはな、むかーしは学者やったんや。天才、ちゅーやつやな。
専門は魔物や。魔物は如何に生まれ、何故存在を許されんのか。最
初はそれを知りたかったんやな、不思議やろ? マオ﹂
﹁どういう意味だ?﹂
﹁神や神、セ・ル・ファー・ク。人類の味方であるはずの神が、な
んで人類を襲う魔物を許容するんや? この世界はどーも歪や マ
オマオ!﹂
それは常々感じていた。セルファークはどこか、作為的な常識が
幅を利かす世界だ。
神とはそういうもの、といえばそれまでだが。
﹁そうして調べてくとな、ごっつえらいことに気付いたんや! ⋮
⋮あ、マオッ﹂
﹁今、語尾付けるの忘れてたろ﹂
﹁して、そのとても凄いこととは?﹂
﹁よくききぃや﹂
ピアは胸を張って答えた。
1603
﹁かわゆい女の子に魔物っぽい耳があると、めっちゃラブリーや!﹂
思わず踏み潰した。
﹁ピアアァァ!?﹂
﹁なんや坊主、お前さんは解らんのか!? 猫耳美少女やキツネ耳
美女を見たら、変な気分になったりせーへんか!?﹂
﹁なるよ! なるけどさ!﹂
萌である。
これは﹁めばえ﹂と読む。間違えないように。
﹁せやから、わいは魔物や神の研究を中断して人間と動物の融合に
生涯を捧げたんや。マオ﹂
世界とか神とか、マクロな話題はなんだったんだ。
﹁見てみいや! 今や世界には獣の耳を持つ人間で溢れておる。ユ
ートピアや!﹂
そういえばあの町には獣人が多い。
当然か、獣人発祥の地なのだから。
﹁⋮⋮つまり、お前が亜人を生み出したのか?﹂
﹁ちゃうちゃう、わいが作ったのは獣人だけや。ドワーフは人間が
単純に進化したもんやし、ハイエルフは神がパシリとして生み出し
1604
た強化人間やな。どっちも昔っからあったわ﹂
﹁その獣人の創造主が、どうして現在では魔王扱いされているんだ﹂
﹁そりゃ、わいは獣人達の親やからな。当初は獣人なんてカテゴリ
はなかったから、獣人に囲まれて生活するわいは魔物を統べている
ように見えたんやろ。んで、たのしゅーなってきて、ノリでダンジ
ョンを作ったんや﹂
ごめん、ちょっと解らない。
﹁そんで、わいはダンジョンを見届ける為に自分の魂をクリスタル
化して、永久の命を確保したわけや。さっすがわい、天才やな﹂
﹁怨念ではなく、自分の意志で現世に残っていたのか。先祖代々続
いてきた宿願とはなんだったのだ⋮⋮﹂
うなだれる魔王。
﹁たぶんそりゃ、わいの妻の願いやな。わいは最初に作ったコウモ
リの獣人の娘と結婚したんや﹂
魔王さんの背中にはコウモリの羽。彼女が魔王の血族であること
自体は本当なのか。
﹁寂しかったんかな、わいだけが生きて自分はくたばってまうこと
が﹂
どこか哀愁を帯びたピアの背中に、俺は思わずこう告げた。
1605
﹁そんなことより賞品の財宝カモーン﹂
﹁台無しや、自分﹂
なにはともあれ、本来のこの町での目的にも辿り着けそうだ。
﹁財宝の在処は玉座の上の紙に書いてあるわい﹂
﹁風化して読めねぇよ﹂
五〇〇年も経っているのだ。紙は既にボロボロ、文字もなにも読
めなかった。
﹁あー、じゃあ案内したるわ。ついてきぃ﹂
﹁遠いのか、財宝の在処は?﹂
﹁そうでもない。妻は財宝を守る為に、この近くに家を建てたんや。
その地下室にお宝はあるで﹂
それって⋮⋮
﹁我が子孫の家や﹂
大切な物は意外とすぐ側に、ってうるせーよ。
1606
このまま何事もなくお開き、となれば良かったのだが⋮⋮最後の
厄介事は、悪意ある人間がもたらすものであった。
異変に気付いたのは、ダンジョンを脱出して地上に出た時。
白鋼と蛇剣姫が軽く視線を交える。
﹁囲まれてるな﹂
﹃そのようです﹄
魔王の飛宙船を中心に、二機の人型機同士が背を向け合う。
﹃どうしたのだ?﹄
﹁数十体の魔物が動いています﹂
魔物とエンカウントするのは珍しくないが、数が異常だ。緩んで
いた気を引き締め、情報収集に努める。
解析魔法は、その魔物のデータに覚えがあった。
﹁これは、昨日の砂の狼?﹂
﹃デザートウルフか? ⋮⋮まずいぞ、こんな町の近くにっ﹄
魔王の声に緊迫感が混ざる。
﹃なんだって、いや、今は理由はいい。討伐可能か?﹄
大型の魔物が町の付近に現れるというのは極めて非常事態なのだ。
1607
それこそ、小さな町ならそれだけで滅びかねないのだから。
﹁⋮⋮やれるだけやっときます、魔王さんは町に連絡を﹂
依頼料や損得勘定などを考えている場合ではない。やることをや
れば、あとでギルドから報奨は出る。
速やかに状況を把握し、対処しなければならない。これはある種
の天士に課せられた義務だ。
もしかしたら彼らは食後で町から去っているのかもしれないが、
それは考えないようにする。
﹃せっかく魔王城を攻略したのだ、死ぬなよ!﹄
飛宙船が上昇していく。これで少しは戦いやすくなる。
﹁さて﹂
切羽詰まった最中で心配してくれた魔王さんには悪いが、この程
度でどうこうなる俺達じゃない。原因究明第一で動こう。
﹁レーカ、あれ。前と同じ船だわ﹂
ソフィーの尋常ならざる視力が、空高くに浮かぶ飛宙船を捉える。
ずっと魔王城の上にいたのか? 飛宙船は機関停止したところで
風に流されるものだ、完全に移動していないならそれは意図的に留
まっているとしか考えられない。
﹁⋮⋮キョウコ、地上は頼んでいいか?﹂
﹃もとよりそれしか能がないので。貴方達が戻るまでに片付けてお
1608
きます﹄
さて、事情を知ってそうな奴を問い詰めるとするか。
﹁借りはきっちり返せよ、クソガキ﹂
人を不快にさせる、男のせせら笑い。
﹁トップウィングスとはいえ、あれだけの大群に適うわけねぇ﹂
﹁俺達をコケにした対価は命で払ってもらうぜ﹂
ダンジョン上空に滞空する中型級飛宙船。そのブリッジに五人の
男はいた。
何を隠そう、この事態は彼ら︱︱︱牙の旅団の仕業である。
﹁あれだけ多くの魔物を召喚するのはさすがに骨が折れたな﹂
﹁なあに、見返りは充分さ。ひょっとしたら銀翼への昇格もあるん
じゃねぇか?﹂
魔物の侵攻に自主的に対処するのは慣例的な義務、であるにも関
わらず彼らは事態の収集に尽力する気はない。
薄汚れた艦内にて、彼らは下界の混乱に高みの見物を決め込んで
1609
いた。
﹁ぼろい商売だぜ、別の土地から召還した魔物を殺してランクを稼
ぐなんてよ﹂
艦橋の真ん中で術式を操る男。長距離転移魔法を習得した彼は、
利害関係の一致した同業者を誘いある商売を始めたのだ。
高ランクの魔物を転移し、町の近くで討伐する。それを繰り返せ
ば、やがては凄腕の称号と名声が手に入る。
エースならば多くのことが許される。上辺だけのトップウィング
ス、それが彼らなのだ。
﹁昨日、あのガキがせっかく召還した魔物を殺しやがったからな。
借りたものは返さないとなぁ?﹂
﹁でもよ、町に被害がでたらどうするんだ? 俺達の評価に傷が付
くぜ?﹂
﹁これだけの数だ、多少討ち漏れしてもしかたねぇさ。つーか、そ
の方がマジっぽいだろ?﹂
﹁はは、ちげぇねぇ﹂
笑い合う牙の旅団メンバー。そんな彼らを、艦橋の外から盗み聞
きしている者がいた。
﹃なるほど、そういうことか﹄
クリスタル共振通信が入る。
飛宙船の艦橋に、巨大な影が刺した。
1610
﹁なっ、人型機だと!?﹂
﹁馬鹿な、ここは二五〇〇メートルの空だぞ!?﹂
﹃つまらない真似を。さっさと豚箱に送ってやる﹄
飛宙船の上に立つ人型機、白鋼は船の各所に搭載されたエンジン
を破壊し始める。
﹁お、おいやばいぞ! 機関部がやられたら動けなくなる!﹂
﹁着地しすればいいんじゃねぇか!?﹂
﹁駄目だ、この船には俺達の悪事の証拠が沢山ある! こいつを潰
す以外に道はねえ!﹂
﹁けど、機体に乗るにも時間が⋮⋮﹂
﹁さっさと格納庫に行け! 俺が時間を稼ぐ!﹂
召喚魔法陣の中心に立つ男が叫び、四人は考えるより先に自らの
機体へと駆け出した。
一人となったブリッジにて、メンバー唯一の魔法使いたる彼は呻
く。
﹁せっかくここまで来たんだ、今更捨てられるかよ⋮⋮!﹂
魔法陣を暴走させ、各地に設置した転送魔法陣から手当たり次第
に魔物を喚ぶ。
1611
術式が焼き切れて使用出来なくなっても仕方がない。今は、目の
前の敵の排除が最優先。
船の甲板や周囲に出現する魔物。雑魚から大型まで、とにかく戦
力になるならなんでも召喚した。
突然連れてこられた魔物らは混乱し、殺し合いを始める。その対
象には飛宙船や白鋼も含まれていたが、魔物といえど爆音を轟かす
エンジンや回転して危険なプロペラには近付かない。ようは白鋼の
破壊活動を止められればいいのだ。
一見上出来に思える彼の判断。その誤算は、白鋼の戦闘能力を計
り違えたことだった。
しばし時間が経過し、四人が自分の人型機や戦闘機に搭乗して甲
板へと出る。
﹁もう終わりだ、ぶっころ⋮⋮うわぁ!?﹂
﹁どうした⋮⋮なんだこれは!?﹂
彼らが見たのは、真っ赤に染まった甲板。
全ての魔物は切り刻まれ、絶命している。
その中心には純白の機体。返り血の一滴も浴びず、二刀の剣を振
りかざす。
一度飛行形態に変形したことで、強化外装装備がパージされ本来
のスマートなシルエットに戻った機体。
その特徴的なスタイルに、牙の旅団の一人は覚えがあった。
﹁白い白兵戦特化型⋮⋮まさか、こいつ白鋼か!?﹂
﹁嘘だ、レジスタンスの英雄がなんでここに!?﹂
﹁実質銀翼クラスじゃねぇか、畜生ッ!!﹂
1612
﹃降伏しろ。俺も面倒くさい﹄
億劫そうに剣を振るう白鋼。
﹁う、うるさいっ! ブリッジ聞こえるか、船を︱︱︱﹂
零夏に最後まで付き合う気などなかった。
一飛びに残ったエンジンを破壊し、最後に船体深くに一突き。
﹃エンジン全損、浮遊装置の制御装置も破壊した。迎えを寄越すか
らプカプカ漂流でもしてろ﹄
白鋼は変形し、人型から前進翼機へと変貌する。
﹃じゃあな。︱︱︱キョウコ、終わったか?﹄
﹃はい、デザートウルフは全て撃破しました﹄
﹃そっか、それじゃあギルドに急ごう。誤報扱いされても面倒だ﹄
﹃ですね。私も急ぎます﹄
飛び去る白鋼に、彼らは呆然と見ているしか出来なかった。
1613
﹁はい、これが牙の旅団とデザートウルフの討伐に関する賞金ね﹂
﹁ありがとうございます﹂
ずっしりと重い金貨の袋をお姉さんから受け取り、俺はソフィー
とキョウコ、それに魔王さんの座る椅子へと向かう。
﹁まあなんだ、無事で良かった。というかまさか君達が噂の白鋼だ
とはな﹂
﹁こっちの地方でも噂なんですか⋮⋮﹂
少しげんなりする。あまり悪目立ちしたくないのに。
﹁それで、これが地下にあった財宝だ﹂
魔王さんがドンと宝箱を机に載せる。
﹁開いてみました?﹂
﹁いいや、これはもう君達の物だ。私に開く権利はない﹂
﹁いややー! これはわいのモンやー!﹂
往生際の悪いピアを魔王さんはポイと机から投げ捨てる。
扱いがかなりひどくなった。
﹁そんじゃ、オープン!﹂
1614
箱の中身、それは︱︱︱!
﹁わいの、獣耳ヘアバンドコレクションがああぁぁぁぁ!!﹂
床に伏せ、血の涙を流すピア。
思わず踏みつけた。
﹁どういうことだ、オイ。お宝はどこだ?﹂
﹁これはわいの夢や! お前に解るか、いーや解らん! 染色体の
数すら違う生物を生態系として安定した状態で遺伝子組み替えする
のがどれだけ大変か! ま、お主みたいなアホにゃーDNAとか言
っても知らんやろーけどな!﹂
﹁知ってる﹂
﹁うそこけ!﹂
セルファーク基準なら俺も秀才クラスなんだが。
﹁日々研究研究研究研究! わいは獣耳のおんにゃの子と巡り会う
為に、そりゃあ頑張った! でも時には泣きたくなっちゃう、魔王
やもん。そんな時はこれを見て元気を出したんや!﹂
この世界で遺伝子組み替えなんて、きっとこの男は真の天才なの
だ。
そんな天才の末路。作り物の耳に元気を分けてもらい、毎日研究
する人生。
ちょっと切なくなった。
1615
﹁ソフィー、おいでおいで﹂
﹁なぁに?﹂
手招きすると素直に寄ってくるソフィー。
その頭にウサギ耳を装着した。
﹁おおっ、真っ白な兎さんだ⋮⋮!﹂
白いコートに白い素肌、白髪に白いウサ耳。
完全無欠の白兎である。目は青いけど。
﹁可愛いですね、これは﹂
キョウコも同意してくれた。
﹁﹃うさ﹄って言って﹂
﹁いやよ﹂
バンドを取ろうとするソフィーを制止する。
﹁駄目だ。駄目だよ、ソフィー﹂
ソフィーは顔を引きつらせ無言で一歩後退した。
﹁﹃うさうさ﹄って言って﹂
﹁いや﹂
1616
﹁お願いします﹂
しばし見つめ合う。
﹁お願いします﹂
﹁⋮⋮うさうさ﹂
気怠げなのが返って琴線に触れた。
﹁お前の気持ち、解った気がする﹂
﹁そやろそやろ、えーもんやろ?﹂
調子に乗った俺は更に注文することにした。
﹁﹃寂しいから、一緒に寝てほしいうさ﹄って言って﹂
﹁絶対イヤ﹂
拒絶がマジだった。くっ、まあいい。
保存食の細長いクッキーを取り出す。本当は野菜スティックが望
ましいが、これで妥協だ。
﹁食べて﹂
﹁今?﹂
﹁そう、今ここで﹂
1617
クッキーを受け取ろうとするソフィー。
ひょいと彼女の手から逃げる。
﹁俺の手ずから食べて﹂
﹁え? ⋮⋮ええ﹂
困惑しつつも俺が持つクッキーをはむはむと食すソフィー。
﹁んっ、ん⋮⋮ごくん、ふぁ、はあ⋮⋮これで、いいの?﹂
﹁ああ︱︱︱ありがとう﹂
﹁最高や、もう昇天してまうでこれは﹂
ちょっと感涙した。
俺とピアの間に友情が生まれた。
﹁レーカさん、レーカさん﹂
キョウコが猫耳を着けてウインクしていた。
アビシニアンのようにピンと尖った猫耳。冷たい美しさを秘めた
美人のキョウコにはよく似合っている。
﹁悪いがクッキーはもうないぞ﹂
﹁むしろ好都合、じゃない、ならここで我慢しましょう﹂
先程までクッキーを摘んでいた指を舐めるキョウコ。
1618
﹁ん、んあ、んんっ、んっ﹂
懸命にしゃぶり、上気した上目遣いで俺を見つめる彼女はなるほ
ど官能的だ。
﹁涎でベタベタにするな雌猫﹂
﹁お前のそれはただエロいだけや。耳関係あらへん﹂
﹁⋮⋮難しいのですね、男の煩悩とは﹂
﹁浪漫だ﹂
﹁ロマンや﹂
エロいのは、まあ、認めようではないか。
﹁ところでお前、さっき昇天するとか言ったよな﹂
﹁ピアよ、遂に成仏するのか? 寂しいな、ずっと一緒だったのに﹂
﹁いやアンタら、なにわいが死ぬ前提で話しとるんや﹂
死なないのか?
﹁成仏する前に訊きたいことがあるんだが﹂
1619
﹁あーもう、なんや!? なんでもききい!﹂
﹁魔物のクリスタルから、生前の人格を再生することは可能か?﹂
﹁は? どういうこっちゃ?﹂
俺達がこの町へと来た理由。
それは、白鋼の本心を知りたかったからだった。
﹁なぜシールドナイトは俺に自分のクリスタルを差し出したか。自
分の心臓を取り出すようなもんだろ、どうしてそんなことを?﹂
﹁考えても解らんから本人に聞こう、ってか? 無理やと思うけど
なぁ、魔物になったら意識なんてほとんど消えてしまうで? わい
は天才やから平気やけど﹂
﹁物は試しだ、その装置は目の前にあるのだし、実験してみよう﹂
﹁あっ、待てコラ!﹂
ピアの背中のチャックを開き、中のクリスタルと白鋼のクリスタ
ルを交換する。
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
反応はない。
﹁⋮⋮駄目、か﹂
1620
期待などしていなかった。今更意志疎通など出来るはずがない。
もしかしたら、なんて考えていただけ。これからの旅に影響があ
るわけでもなく、なにかに繋がる情報でもない。
﹁残念無念、こんなもんか﹂
クリスタルを元に戻す。
﹁なにすんじゃわれーッ!?﹂
爪を剥いて飛びかかってきたピアを叩き落とし、席を立つ。
﹁行くのか?﹂
﹁はい、あまり長くは滞在は出来ないので。お世話になりました魔
王さん﹂
﹁お元気で、魔王さん﹂
頭を下げつつウサ耳を取ろうとするソフィーを、魔王さんはそっ
と止める。
魔王さんもソフィーのウサ耳は素晴らしいと感じているようで何
より。
﹁何より、じゃないわよ⋮⋮この姿で外に出ろと言うの?﹂
⋮⋮それもそうか。変質者が現れても困るし。
﹁では、さようなら﹂
1621
﹁ああ。元気で︱︱︱﹂
﹁︱︱︱ああ、そやそや! おんどりゃあ世界の違和感に気付いと
るんやろ? なら一つ、とっておきの秘密教えたるわ﹂
空気読め、初代魔王。
﹁なんや最近、不自然に沢山の人が死んだりとかせんかったか?﹂
﹁不自然かどうかはわからないが、ちょっと前に五万人が死んだ事
件があったが﹂
人々の記憶にも新しい、歴史に残るであろう大事件。
共和国陥落。大勢の犠牲者が出た事件といえば、やはりあれだろ
う。
﹁事件? 人為的か? ならどうなんかな。でもやっぱりそうやろ、
うん﹂
﹁なんだよ、さっさと結論から話せ﹂
﹁神のやつ、間引きしおったで﹂
﹁間引き、だと?﹂
人間の間引き。ぞっとしない話である。
﹁この世界は一定以上に人が増えないようになってるんや。魔物の
存在が神に許容されているのも、人口増加のカウンターやからな﹂
1622
﹁そりゃあ⋮⋮愉快な話じゃないな﹂
﹁それでも増加するなら、大規模な間引きをすることがある。わい
の時もそうやった、わいは神にそそのかされて魔王になったんや!﹂
いや、お前の場合は自分の欲望に身を任せただけだろ。
﹁敵対しあう存在、人と魔物。それぞれが殺し合うことで世界は安
定を保たれるんや。神様やって無限のパワーがあるわけやない、増
え過ぎたら面倒見切れんからな。そーゆーときゃあ適当な理由を付
けて殺してしまうんや、どばっーと﹂
﹁つまり、神があの事件の黒幕だと?﹂
﹁どやろな? むしろ止めなかっただけって感じするわ。でもそれ
だけやない。もう一つの、本命の問題はどうしょもないな﹂
本命?
﹁無理や無理、世界オワタや。すまん忘れてくれな﹂
﹁言えよ。気になるだろ﹂
﹁だから伝えたやん。世界オワタなんや。セルファーク、滅ぶわこ
りゃ﹂
﹁はぁ!?﹂
さすがに聞き逃せない。なんつったコイツ。
1623
﹁どういうことだ! 世界が滅ぶって、どういうことだ!﹂
﹁魔王っぽく告げるとな⋮⋮ククク、悪あがきなど無駄だ矮小なる
猿共め。時の終わる瞬間、貴様らは空に落ちる。祈れ、それだけが
残された選択肢だ︱︱︱! みたいな?﹂
みたいな? じゃねーよ。
﹁つまりな⋮⋮あれ?﹂
﹁ん?﹂
﹁すまん、クリスタルの寿命や。成仏するな、さいなら∼﹂
ピアの力が失われた。
﹁っておい、言えよぉぉぉぉ!? 言ってから死ねよぉぉぉぉ!!﹂
重要な言葉を残しつつ、肝心なことを言いそびれたまま初代魔王
は天に還ったのだった。
﹁徒労だったな、今回の旅は﹂
﹁そうかしら。私は楽しかったわ﹂
1624
ソフィーは少し機嫌がいい。ならこの旅にも意味があったように
思える。
﹁キョウコ、飛宙船の準備は?﹂
﹁終わりました。いつでも出発出来ますよ﹂
自力で飛行する白鋼に対し、蛇剣姫は小型級飛宙船での空輸だ。
隠れアジトまで時間がかかるが、こいつで運ぶしかない。
﹁レーカ、荷物が白鋼に乗り切らないのだけれど﹂
﹁コックピット狭いからなぁ﹂
白鋼を見上げる。頭部が斜め下に向いており、なんだか目が合っ
た気がした。
﹁キョウコ、そっちの船はスペースある?﹂
﹁大丈夫です、積みますね﹂
ソフィーから荷物を受け取るキョウコ。
これで全ての準備が完了した。
﹁さて、そろそろいくか﹂
﹁ええ﹂
﹁はい﹂
1625
頷く女性二人。
ソフィーが落ちないように気を付けつつ白鋼に登り、頭部のコッ
クピットまで到達する。
﹁⋮⋮ん?﹂
白鋼の肩に立ち、コックピットモジュールを見つめる。その真っ
正面を向いている頭を見ていると、奇妙な違和感を感じた。
﹁どうしたの?﹂
﹁いや、なんでもない﹂
白鋼が動いた気がした。まるで、俺達を見ていたかのように。
﹁まさか、ね﹂
思考を振り払い、俺は機体を飛翔させた。
一路、絶海の孤島であるアジトへと。
1626
雪の町と魔王の末裔 2︵後書き︶
﹀カイウスさん
誤字報告ありがとうございます。
久々の一週間投稿。明日から入院なので、ちょっと頑張りました。
命に到底関わるような病気じゃないけど、でも手術コエー!
1627
キザ男と漂流者
着物を纏う傾国の美少女がいた。
長いまつげは儚げに震え、凛とした瞳は世界の行く末を憂い伏せ
られる。
だがそれでも尚、その美しさは損なわれることなどない。
この世の詩人文豪が募ろうと、その美貌を形容しきることなど不
可能に違いない。
﹁やっべー、マジ美少女だわ私、ホント超美女だわ﹂
端的に言えば、自画自賛であった。
﹁むむっ、やっぱり固いなぁ。でも気になる気になる気になる∼!﹂
彼女は少々ご立腹だった。この少女のマイブームはとある男性の
観察だというのに、彼はここ最近家から出てこないのだ。
﹁でも忍び込むのも無理だし。あ、そうだ!﹂
いいこと思い付いた、とばかりに喜色を浮かべる美少女。
﹁出てこないなら、覗き見しちゃおうホトトギス、なんちゃって﹂
1628
孤島での生活を初め、既に四ヶ月。
しろがね
じゃけんひめ
暇を持て余すのではと危惧していたが、蓋を開けてみれば案外仕
事は多い。
エアシップ
家事や資料室を漁る以外にも白鋼と蛇剣姫の定期整備、新兵器の
試作と実験、最近ではいつか発注しようと考えている飛宙船の設計
などなどなど。
なんだかんだで、小さな島の中を動き回る忙しい生活。外への注
意は最低限だけで構わないのが救いである。
というのも、住み着いてから知ったのだがこの島には大規模結界
が張られているらしい。ゼェーレスト村のものより露骨で強力なそ
れは、ナスチヤのドヤ顔が見えてくるようなメモ書きによると﹁精
霊や神であろうと干渉出来ないわ﹂とのこと。
物や生物は素通りする、魔法専門の防御結界のようだ。というか
物理的に防御されたら出入り出来ない。
おおよそ問題ない島生活だが、若干寂しいこともある。食堂以外
では仲間達と顔を会わせる機会が少ないのだ。
廊下ですれ違ったり雑談したり、脇腹を﹁デュクシ! デュクシ
!﹂と突っつき合ったりとコミュニケーションは交わしているのだ
が、自分を含めふらふらと島で気侭に時間を過ごすので互いの生態
拠点
は割と謎に包まれている。
旅中ではなくホームなのだし、四六時中一緒にいる方がおかしい
のだけれど。
ま、別段ストレスを抱える様子もなく伸び伸びとしている様子な
ので問題なかろう。ソフィーなんて元々ヒッキーだし。
キョウコにしても既に四〇〇回も越冬を経験しているのだ、時間
の潰し方など幾らでも心得ているのだろう。掃除洗濯などは一手に
引き受けてくれているので、俺としても文句もない。
久々のミニスカメイドも見れるし。あれはいいものだ。
1629
ただ、ソフィーは時間の使い道に少し困っているようだった。彼
女なりに本を読んだり勉強したりと有意義に時間を活用しようとし
ているのだが、やはり限度がある。
最初こそ家事の一つでも覚えようと奮闘していたが、どうも食材
を炭素結合させる才に秀でている︵簡単に言えば黒こげになる︶ら
しく備蓄がなくなる前に止めさせた。
いよいよ暇になった彼女に手伝うことはないかと訊かれたので、
俺は﹃3以上の自然数nにおいてxn+yn=znを満たす自然数
x、y、zは存在しないことを証明せよ﹄⋮⋮という問題を出して
おいた。
地球にいた頃にどこかで聞いた問題だが、なんか数式も単純で簡
単そうだし、いい暇潰しになるだろう。
﹁うーん、船の設計は専門外だしな⋮⋮欲しい機能や装備だけを設
計して、纏めるのは専門業者に任せようかな﹂
アジトの出入り口である内海の入り江の浜辺を散歩しつつ、飛宙
船のアイディアを膨らませる。
﹁主砲は欲しいよな。46センチ、じゃなかったサンチくらいの﹂
誘導装置のないセルファークにおいては主砲も現役の装備だ。
﹁変形はどうだろう、巨大人型戦艦! ⋮⋮やめよ、これこそ投射
面積が増えるだけだ﹂
小島の内海、数十メートルしかない三日月型の浜辺を行ったり来
たり。
ぴゅう、と乾いた冷たい風が吹く。
1630
﹁寒っ﹂
そろそろ体が冷えてきた。冬はまだ終わっていないのだ。
﹁晩ご飯はおでんにしよう、そうしよう﹂
世界観など知ったこっちゃない。今日はコタツで土鍋を囲む、そ
う決めた。
地球と食事に類似点の見られるこの世界、ひょっとしたらおでん
もどこかに存在しそうだけど。
そうと決まれば、すぐにでも準備を始めなければ。大根の染み具
合は時間に比例する。
﹁⋮⋮ん、なんだ?﹂
浜辺の端っこに丸い物が引っかかっていた。
ここには時折、漂流物が流れ着く。珍しいことじゃない。
しかし放置するのは景観を損ねる。片付けようと近付き、それの
正体に気付いた。
﹁⋮⋮頭!?﹂
ストライカー
人型機の頭部だった。直径約一,五メートルとはいえ人間の頭が
海辺に転がっているのは、ちょっとホラーだ。
﹁なんたって頭だけ流れ着くんだ⋮⋮ああ、そっか。コックピット
は脱出モジュールを兼ねているんだった﹂
人型機の頭部はいざという時は切り離し、中で救援を待つことが
可能な設計なのだ。
1631
魔物の真ん中で戦闘不能となってもしばし持ちこたえ、仲間が回
収してくれるのを待つ。そんな設計思想である。その為にコックピ
ットには保存食や簡易トイレまで備え付けられている。
﹁とはいえ中身は⋮⋮あれ、生きてる﹂
どれだけ漂流していたかは判らないが、命が尽きる前にここに流
れ着いたらしい。運がいいやつだ。
透視の結果、武装はしているも護身用レベル。このアジトを襲撃
する目的で、漂流者を装っている訳ではなさそうだ。
そもそも気絶状態。芝居にしては凝っている。
﹁普通に漂流者、でいいんだよな?﹂
少し迷うも、人道的に助けないわけにはいかない。ハッチを開き、
中にいた天士を引きずり出す。
まだ少年だ。俺よりは年上だが、成人までは達していない。
皆無ではないが、若い天士は珍しい。人型機だって高価なのだ。
﹁ってやばい、ここに大人はキョウコしかいないぞ。なんて誤魔化
せばいいんだ?﹂
個人所有の島と言いくるめる? いや、孤島だと悟られることも
避けたい。目隠しをした上で治療して、彼の指定した土地まで送り
届けるか。ああ面倒臭い。
帝国軍の特殊部隊に保護されたとでも説明しておこう。見ざる言
わざる聞かざるは厄介事に巻き込まれない為の世界を越えた共通認
識だ、こいつもよっぽど馬鹿でない限りは深入りしようとは思うま
い。
1632
﹁でもなんだか、こいつよっぽどの馬鹿っぽいツラだよなぁ⋮⋮あ
れ?﹂
少年の顔に見覚えがあった。
﹁こいつは、まさか︱︱︱なぜ、お前が!?﹂
整った顔立ちに軽薄そうなにやけ面。間違いない、こいつは︱︱︱
﹁キザ男!? ⋮⋮マンフレート・リヒトフォーフェン!?﹂
言い直した。
﹁なんたってお前が⋮⋮えっ? 俺視点これで終わり?﹂
さて、突然だが小説には幾つかのパターンがある。
主人公視点から物語を綴る一人称。
主人公が読者に語りかける二人称。
客観的な立場から表現する三人称。
そして三人称の亜種、神視点。
全てを︱︱︱文字通り登場人物の思考すら俯瞰し描写する視点。
それが神視点。
そんな小説の話から変わるが、今回は諸事情により神視点にてお
送りする。
1633
救出されたキザ男は、とりあえず医務室へと放り込まれた。
レーカにとって知らない仲ではないが、熱心に介抱するほどの相
手でもなかったようだ。様態が安定していることを確認するとすぐ
夕食の準備へと戻るのであった。
キザ男⋮⋮マンフレート・リヒトフォーフェンが目覚めるまで数
時間。
この間、彼は旅立つ経緯を夢に見る。
︱︱︱時は遡り半年前。
ハダカーノ王より命を受け、フュンフ城へと登城したマンフレー
ト⋮⋮長いから以下キザ男。
彼に与えられた任務はソフィアージュ姫とレーカの護衛。とはい
え、常時見張っていたわけではない。
名分の上では両名の護衛だが、なにせソフィアージュ姫は年頃の
女性。男児である彼が四六時中着いて回るわけにはいかないのだ。
故に、キザ男の主な任務は姫の婚約者であるレーカの護衛となる
わけだが⋮⋮
レッドアロウ
﹁あんまりだぁぁ、赤矢よぉぉぉぉっ!﹂
機首の三枚のブレードを奪われた愛機に、キザ男は慟哭の涙を流
した。
ソフィアージュ姫を田舎娘呼ばわりしてしまったことで脅され屈
服。赤矢は愛機のパーツを奪われたのである。
1634
悔しさのあまり拳を握り締めるキザ男。
﹁覚えていろよ平民、お前などすぐに姫に愛想を尽かされて⋮⋮代
わりに僕が、姫の側に⋮⋮﹂
ソフィーやその母親アナスタシアの白髪は、この世界において帝
国の正当なる王族にのみ発現する。今となっては継ぐ者はソフィア
ージュ姫一人である。
元来男とは高貴な女に弱いものであり、それはキザ男も例外では
なかった。
彼女の浮き世離れした美貌は、キザ男のハートをも鷲掴みしたの
だ。
﹁⋮⋮げへへ、いやぁ僕くらいになるとお手を許されるのは日常っ
ていうか? むしろ身分違いの禁断のなんて、ははは﹂
通りかかったメイドが避けて行くレベルの妄言を漏らしている時
に、それは起こった。
﹁なっ、なんだ!?﹂
帝国城を揺らす轟音。見上げれば、白煙の柱を築き垂直上昇して
いく白亜の飛行機。
ほぼ同時刻にレーカとソフィー両名はリデア姫よりガイルの所在
を聞きだし、緊急発進していた。
つまり、キザ男の護衛対象はその日に城から姿を消したのだ。
彼らが旅立つのは予定調和であった。その折にはキザ男も同行す
る手筈だったものが、完全に置いてきぼりを食らったのだ。
慌てて父に指示を仰ぐキザ男、その返答は手紙に一文のみ。
1635
﹃追え﹄
彼の愉快な⋮⋮じゃない、過酷な旅が始まった。
﹁うっ、うう⋮⋮ここは?﹂
医務室にて目覚めたキザ男。包帯や聴診器などの見覚えのある道
具から、そこが医療施設だとはすぐ解った。
しかしそれだけだ。
彼は、ここに至るまでの記憶を喪失していた。
﹁なぜ僕はここに⋮⋮とにかく誰かを捜そう﹂
廊下を壁伝いに進むキザ男。迷路は片手を着いて歩くべしの教示
である。
最初は単に窓のない部屋だと考えていたが、次第にそこが巨大施
設だと気付く。
﹁ここはどこだ? 地下施設か?﹂
おおよそ正解である。孤島のアジト、その主要施設の大半は地下
に埋没している。
長い廊下を前進し、やがて辿り着く巨大な空間。
そこに鎮座する機体にキザ男は驚愕した。
︵赤矢だと!? なぜここに運び込まれているのだ!?︶
1636
あれ、なんでここにあるの? レーカがコピーしたのだろうか。
近未来的な設備の整ったドック。アナスタシアが揃えたのであろ
う工作機械は名門航空商会の極秘開発室にも劣らない。
その更に奥には、白鋼や蛇剣姫も格納されていた。それだけでは
ない、レーカが制作したのであろう試作兵器や汎用の小型飛宙船な
ど多くの機械が鎮座している。
前後に三枚ずつのプロペラブレードを装備した直線翼機、赤矢。
その名の通り真っ赤に塗られたこの機体。
﹁美しい機体だ、葉巻型とでも呼ぼうぞ。独創的な設計を実現する
為に様々な工夫が見て取れるよな、当時の技術者達の苦労が目に浮
かぶぜ﹂
︵誰かいる、アイツは⋮⋮︶
赤矢の周りを動き回るのは、半年ぶりに見る顔。
︵姫を誑かした張本人︱︱︱レーガン!︶
レーカである。
︵おのれレーガン、なぜここに⋮⋮!︶
レーカである。
彼は赤矢に夢中なので、キザ男の視線を察せないようだ。
﹁プロペラの亜音速機からジェットの超音速機に改造される過程で、
ストレーキを追加しているんだなー。これで気流が渦を巻いて空気
が主翼から剥離しにくくなる、いい仕事だぜカストルディさんっ﹂
1637
双発串型という珍しい飛行機はレーカの恰好の玩具のようだ。
﹁キャノピーも高精度の涙滴型に変更してやがるし、後方視界も広
く改善しているんだな。ブルジョワめっ﹂
︵なにをやっているのだ、赤矢を調べているのか?︶
レーカの興味はコックピットから主翼下のエンジンに移る。
﹁大陸横断レース指定のネ20エンジンからRD−33に変更して
いるんだっけ。モジュール式で整備もしやすい、いいエンジンだ﹂
辺境の未熟な整備士であってもメンテナンスが可能なように、R
D−33は分解が容易な設計となっている。レーカにとっては知恵
の輪を解くより容易い。
﹁とりあえずエンジン取っちまえ。前に試作したエンジンを代わり
に積んで、あとは操縦系も弄らないとな﹂
あまりに簡単に外れる主翼下のエンジンポッド。レーカにとって
は分解整備であっても、端から見れば別に映ってしまう。
︵ぼ、僕の赤矢を破壊しているっ!?︶
キザ男の足りない頭脳がフル回転する。
︵まさか、僕は奴に誘拐されたのか⋮⋮!? あれも赤矢を破壊し
てここから僕を脱出不可能にしようとしているのか。なんてことだ、
奴はやはりなにかを企てている!︶
1638
戦慄を覚えたキザ男は、一時退却を決定。廊下へと戻る。
﹁僕はどうするべきなのか⋮⋮﹂
ぶつぶつと呟きつつ探検を続行するキザ男。馬鹿なので右手の法
則はもう忘れている。
﹁ソフィアージュ姫はご無事だろうか⋮⋮よし、まずは彼女を見つ
けることとしよう。むっ、これはっ﹂
根拠もなく上を目指していた彼だが、結果的に外は近付いていた。
キザ男が発見したのは巨大なはめ込みガラス。耐水ガラスの向こ
うには色とりどりの魚が泳いでいる。
﹁なんてことだ、ここは海の下だったのか﹂
キザ男の低スペックな脳味噌が懸命に回転する。
﹁ハッ!? ま、まさかこの密閉空間で姫に⋮⋮あんなことやそん
なことを!? おのれ許すまじ平民めっ!﹂
彼の脳裏に助けを求める姫のビジョンが浮かぶ。
1639
﹃真の騎士マンフレート様、どうか私をお助け下さい⋮⋮﹄
﹁たたた、大変だ! すぐさま御身の側へと参りますぞぉ!﹂
﹁何かしら⋮⋮?﹂
ソフィーが一室の扉からひょっこりと顔を覗かせた。
﹁⋮⋮⋮⋮!﹂
﹁誰かいるの?﹂
廊下から聞こえた男声による叫びを不審に思い、作業を中断して
確認にきたソフィー。
咄嗟にキザ男が黙ったのには意味などない。びっくりしただけだ。
更に言えば、ソフィーの後ろを通過し彼女がいた部屋に忍び込ん
だことにも意味などない。
﹁気のせいかしら?﹂
首を傾げつつもソフィーは部屋へと戻り、作業へと戻った。
物陰に隠れたキザ男は、拘束された様子もなく自然に振る舞うソ
フィーに疑問を抱く。
︵どういうことだ。軟禁されている姫に、憔悴している様子はない
⋮⋮まさか洗脳!︶
馬鹿は置いといて、ソフィーはといえばクリスタル共振装置の受
信機に耳を傾けていた。
閉鎖的な生活において、広域放送は唯一の情報収集手段。そして
1640
放送内容を最も正しく吟味出来るのは、英才教育を受けたソフィー
に違いない。
﹃︱︱︱派の貴族は集会を頻繁に開催し、ハダカーノ王が統一国家
に有効な反抗を行えていないことを︱︱︱﹄
放送内容から読み取れる情報をメモしていく。
鵜呑みにするのではなく、真偽を見抜き台本を書いた者の心理ま
でを想像して、その放送の意図を探りつつ。
﹁⋮⋮解ってやってる。とんだ売国奴ね﹂
頬杖をつき、半目でスピーカーの先にいるアナウンサーに溜め息
を吐くソフィーであった。
﹃︱︱︱東方諸島では投票の過半数が独立を支持しており︱︱︱﹄
﹁元々移民の地域じゃない。当時から紅蓮の構成員が紛れ込んでい
たのね、目的は海路の封鎖? 旅に戻ってもあの地域には寄らない
ようにしましょう﹂
﹃︱︱︱新たに発見された記録によれば、国境線の領土は本来は︱
︱︱﹄
﹁はいはい捏造。でも数十年単位だと、これも厄介なのよ﹂
﹃︱︱︱第一秘書は先日の発言に対し、﹁記憶にない﹂との回答を
繰り返し︱︱︱﹄
﹁あの無能が⋮⋮器じゃないんだから、さっさと退任しなさいって
1641
の⋮⋮!﹂
︵うっわぁぁぁ⋮⋮︶
ソフィーはメインヒロインにあるまじき闇を纏っていた。
キザ男どん引きである。
︵今の姫の目、やはり洗脳されている⋮⋮!︶
誤解を避ける為に訂正しておくが、ソフィーは正常である。
ただ、女の子には男には見せない裏があるのである。
本当である。賢明な男子には女の子の笑顔を盲信しないことをお
勧めする。
﹁民営放送を統一国家に抑えられているのはやっぱり痛いわね⋮⋮
リデア姫が彼らをGと称した意味、よく判るわ﹂
ぐてーっと机に突っ伏し、﹁あ゛ー﹂と呻くソフィー。
レーカが見れば、千年の恋も冷める⋮⋮とは言わずとも若干ショ
ックは受ける、そんな光景であった。
人目のない場所での女の子とはこんなもんである。
本当である。賢明な男子には女の子の笑顔を盲信しないことをお
勧めする。
民営放送局から国営放送に切り替わった。
﹃今週の天気は南西より低気圧が︱︱︱﹄
味気ない内容だが、この放送は軍部も噛んだ信頼の置けるものだ。
ソフィーは天気予報の中に紛れた軍事情報や暗号を記録していく。
高度な専門の訓練を受けた軍人でなければ解読どころか、それが暗
1642
号であることすら知らされていない。
解読機を回し、ソフィーは母に教わった通りに解析していく。素
人目には奇妙なタイプライターにしか見えないそれも、元々備え付
けられていた備品の一つ。
﹁ここと、ここと、ここも⋮⋮腐った葉は早めに切り捨てないと芯
まで毒が回るわ﹂
帝国内部に侵入している裏切り者を羅列していく。
﹁リデア姫はどうなさるおつもりかしら。無策ということはないわ
よね、利発な方ですもの。だとしたら、⋮⋮まさか、でもリデア姫
の人気なら不可能ではない⋮⋮﹂
ぶつぶつと呟くソフィーにキザ男は戦慄を覚えざるをえなかった。
小声なので単語までは拾えず、まるで呪詛を唱えているように見え
たのだ。
︵ソフィアージュ姫は、やはり洗脳されている⋮⋮!︶
﹁あっ﹂
唐突に立ち上がるソフィー。
﹁そろそろレーカがお茶を煎れる時間。行かなくちゃ﹂
手鏡で身嗜みを整え、気分を入れ替えてルンルンと食堂へと向か
うソフィー。
彼女がいなくなったことを入念に確認し、キザ男は移動を開始し
た。
1643
﹁む、さすがに僕も空腹だな⋮⋮﹂
腹の虫の鳴き声に、しばらく飲食をしていないことを思い出すキ
ザ男。
﹁よし、次の目標は厨房である! 突撃だ!﹂
食堂と厨房は近いはずと予想し、ソフィーの向かった方向からあ
る程度の目星をつける。
ソフィーが部屋に戻ったのを確認し、移動開始。厨房へとまんま
と忍び込み、魔法の冷蔵庫から食料を漁る。
食品を防腐する魔法がかかった部屋がこの島での冷蔵庫だ。冷蔵
庫は例えであり、魔法式なので冷たくもない。
﹁食えるだけ食っておかねば⋮⋮物音っ!﹂
上半身を突っ込んでいたキザ男は背後からの音に、そのまま冷蔵
庫へと転がり込むことで隠れる。
そっと戸を開けて外を観察すると、黒髪の美女が厨房へと入って
きた。
︵見覚えがある、姫の専属護衛じゃないか!︶
1644
メイド姿のキョウコである。
︵なんてけしからんスカート丈だ、みみみ、見えるではないか、下
着が! なんてはしたな⋮⋮ま、前屈み、だと!?︶
膝上三〇センチに迫るマイクロミニスカート。ほぼ見せる為のメ
イド服である。
﹁うっかりカップを洗うのを忘れていました﹂
︵もうちょっと、もうちょっとで見え、見え⋮⋮!︶
かちゃかちゃとティーカップ三つを手早く洗うキョウコ。
ものの数分で終わるも、立ち去りはせず厨房内の椅子に腰掛ける。
︵ぬぬ、居座られると出れないのだが。なにをしているのだ?︶
カップを取り出し、顔を綻ばせる。
﹁ふふっ、レーカさんの使用済みカップですっ﹂
これだけはまだ洗浄前である。
﹁んっ、ん⋮⋮れろ、はぁ﹂
カップの縁を舐める。
﹁だ、駄目ですレーカさん、そんなっ﹂
顔を赤らめ、舌を淫靡に這わせる。
1645
どう見ても欲情していた。
片手はカップを支持しているが、もう片手はテーブルの下に伸び
ており、なにをしているかよく判らない。
神視点とはいえ判らないものは判らないのである。
﹁いけません旦那様ああぁ、こんな時間からっ。あっ、ああぁっ﹂
︵ななな、なんだか理解を越えた光景だ!? だがこれだけは解る、
これはエロい!︶
熱い息を漏らすキョウコ。知識不足により赤面するしかないキザ
男。
﹁そんなレーカさんっ⋮⋮! こんな場所では、みんな見ています
っ⋮⋮!﹂
﹁どんなシチュエーションだ、アホメイド﹂
﹁はうわっ!?﹂
すぱーんとスリッパで頭を殴るレーカであった。
我に返ったキョウコが椅子から転げ落ちる。
﹁レレ、レーカさん!? いいいい、いつからそこに!?﹂
﹁今し方だが、そういうのは人目の届かないところでやってくれ。
ソフィーが見たら情緒教育上良くない﹂
﹁違うのです、これはカップが汚れていただけで、そのっ﹂
1646
あまりにも苦しい言い訳だった。
﹁あーあー、聞こえなーい。俺はなんにもミテナーイ﹂
キョウコほどでなくとも精神年齢が高いレーカにとって、女性の
乱れた姿を見ても表面上平静を保つことは難しくはないらしい。脈
拍や体温は上昇しているので間違いなく動揺はしている。
ただ、むしろ恋愛に関して初心でウブなのはキョウコの方だ。
﹁貴方に会ってから、私はおかしくなってしまいました⋮⋮体を持
て余すなど、四〇〇年生きていて初めてです﹂
恨めしげにレーカを睨むキョウコ。責任を取れ、とその目は言外
に訴えている。
﹁⋮⋮今すぐは無理だけど、ちゃんと考えているから﹂
キョウコの額に口付けするレーカ。らしくない行為にキョウコは
ポカンと惚ける。
﹁レーカ、さん?﹂
﹁あれだ、予約だ。唾を付けとく、ってやつだ﹂
さすがに頬を紅潮させるレーカ。
数瞬後、色々と得心しキョウコは彼に抱き付こうとする。
﹁いえご遠慮せず唾どころかマーキングぐらいしてって下さいな!﹂
﹁黙れ盛りのついたアホエルフめ、追いかけてくんな!﹂
1647
ドタバタとテーブルの周りを追いかけっこする二人に、キザ男は
確信する。
﹁よく解らんが、もげろ﹂
落ち着いた二人の雑談は続く。
﹁さて、もうしばらく時間を稼いでおくか﹂
﹁はい。ところで小耳に挟んだのですが﹂
﹁この缶詰め生活で、どこぞの隙間に小耳を挟むんだよ﹂
﹁広域放送のニュースで知ったのですが、最近の帝国軍では歩兵の
訓練で剣術を重視していないそうです﹂ どこかしょんぼりと落ち
込むキョウコ。
﹁ほう、そうなのか?﹂﹁はい。なんでも魔法か投擲スキルさえあ
れば基本的に充分だそうで。レーカさんはどう思いますか?﹂
﹁どうとも思わないな!﹂
キョウコ涙目。
﹁冗談だ⋮⋮ま、そうだな。接近戦をするには身体強化魔法を使う
1648
魔法資質と剣を振るうセンスが共に優れている必要があるから、一
定の成果を求められる軍隊としては不向きなのかもしれん。何かの
拍子に勝敗がひっくり返るような場面に頼りたくないのは当然だ﹂
レーカは地球における近接武器の衰退を語る。
一〇〇年以上前は主力武器であった剣や槍も、銃の発達によって
活躍の場を失った。
軍隊からナイフや銃剣が姿を消すことはいよいよなかったが、そ
れらをメインに据えての戦闘はほぼ有り得ない。
それらは敵兵に引導を渡す時に、銃弾を節約する為の装備でしか
ないのだ。
だからこそ現代の軍隊では近接武器による戦闘訓練を重視してい
ない。敵兵の心臓を突ければそれでいいのだから、馬鹿だって出来
る。
某軍事大国の陸軍では、訓練項目からすら銃剣が除外されている
ほどである。
﹁でもっ。お芝居で﹃休息していた場所の壁一枚向こうに兵士がい
た﹄って場面を見たことがあります! 突発的に接近戦をすること
はあると思います!﹂
﹁それ俺も見た。徴兵された一人の兵士を連れ帰る為に部隊員がバ
ンバン死んでいくやつだろ?﹂
﹁え、えと、たぶん違うお話かと?﹂
﹁っていうかあのシーンでも銃を使っていたし。手が届く距離での
戦闘なんて、発生した時点で戦術的失敗なんだろ﹂﹁で、ですが室
内戦では⋮⋮﹂
1649
食い下がるキョウコだが、レーカはばっさり切り捨てる。
﹁室内だと剣は使いにくい。それこそナイフか魔法だな﹂
この世界におけるナイフは地球のそれより凶悪である。身体強化
を踏まえたナイフの投擲は拳銃より早く弾丸より速いので、個人携
帯の火器が発達する余地がないのだ。
﹁では、剣はいつ使うべきだと?﹂
﹁キョウコみたいな達人以外には無用の長物だし、所謂オワコンじ
ゃない?﹂
﹁おわこん⋮⋮終わったコンテンツ⋮⋮﹂ がっくりとうなだれた
キョウコの肩を、レーカはポンポンと叩く。
﹁気にするな、時代は変わるものだ﹂
﹁ハイエルフとして生を受けた以上、時の流れに置いて行かれるの
は仕方がないことです⋮⋮﹂
﹁なに言ってんだ、お前だって変化しているんだろ? さっき自分
でそう言ったじゃないか﹂
ハッと顔を上げるキョウコ。
﹁そ、そうですね。私とて生きて変化している。新兵器が生まれた
なら、それに対応すればいいだけです﹂
答えは得た、とばかりに満足げに頷く。
1650
﹁砲弾も魔法も切り捨ててしまえばいいのです!﹂
﹁その発想は一般的じゃない﹂
﹁やれやれ、居座られたせいで一時間も出られなかった﹂
厨房を後にしたキザ男は、幾つかの施設を経て書庫へとたどり着
いた。
扉が開いてきたので気になって入ったのだが、一心不乱に紙にか
じり付くソフィーを発見しそそくさと本棚に隠れる。
︵大きな書庫だ⋮⋮我が家の書庫もここまで膨大な蔵書を抱えては
いないぞ︶
そこは既に図書館の域に達していた。
︵それに静かだ。下手に物音を立てれないな︶
﹁素数pについて数式が成り立つとき、x、y、zのどれかがpで
割り切れなきゃいけないのだから⋮⋮﹂ ペンを走らせるソフィー。
紙は一枚ではなく、どれも小さな字が埋め尽くされている。
ソフィーは優秀だが、しかしその問題はあまりに難解過ぎていた。
︵おや、誰か来たぞ?︶
1651
足音がよく響くので、来客はすぐ判る。
ソフィーは開いたままの扉に視線を向け、﹁あっ﹂と声を漏らし
た。
﹁扉が開けっ放しは駄目ですよ﹂
﹁ごめんなさい、キョウコ﹂
キョウコが後ろ手に扉を閉め、ソフィーの対面の椅子に座る。
本は光や湿度に弱い。空調によって湿度が管理されていようと、
空気の出入り口があれば意味はない。それをキョウコは指摘したの
だ。
︵⋮⋮しまった、また出られなくなったぞ︶
扉を開ければ静かな書庫内では確実にばれる。二人が去るのを待
つか、妙案を見いださなければ脱出手段はない。
読書を始めるキョウコ。彼女達は互いを気にせず目の前に集中す
る。
二人の表情は対照的だ。キョウコがリラックスしているのに対し、
ソフィーは課題の経過が芳しくないのか眉を潜めている。
やがて、ソフィーは大きく息を吐き体をほぐしだした。
﹁⋮⋮キョウコ、なにを読んでいるの?﹂
ふとソフィーがキョウコの読む本を覗き込む。
﹁どうやら紅翼とギイハルト・ハーツの物語のようですが⋮⋮なん
だか支離滅裂な内容でして﹂
1652
﹁お父さん達の本? 伝記かしら、ジャンルは⋮⋮同仁誌?﹂
﹁仁﹂とは
他者への親愛、優しさの意。儒教において最重要な﹁五常の徳﹂
のひとつ。
転じて、男性同士の行き過ぎた思いを綴った本。
∼Selfpediaより転載∼
﹁なに、これ?﹂
ぱらぱらと本を読み進むにつれて、ソフィーは怪訝そうな顔に変
化していった。
﹁倒錯的で意味不明ですね。興味深いです﹂
頼んでもいないのに朗読を開始するキョウコ。
その内容は、形容しがたいものであった。
1653
﹁どうだっ、たまらないだろう俺の二〇ミリガトリング砲は! な
あ、ギイハルト・ハーツ!﹂
﹁ガイル隊長ぉ、たいちょほぉぉぉ! お腹の中を地上掃射しちゃ
らめぇ、トップアタックらのぉ!﹂
格闘訓練を行うガイルとギイハルト。
ぶつかる体、弾ける筋肉、飛び散る汗。
二人の男は、接近戦を極めんとばかりにぶつかり合う。
﹁おらっ、毎分六〇〇〇発の弾頭がドビュドビュ発射されてるぜ!﹂
﹁そこは装甲が薄いのぉ、熱くて砲身が熱膨張しちゃうう!﹂
﹁⋮⋮なにこれ﹂
﹁格闘訓練なのに何故兵器の名を叫ぶのでしょう?﹂
﹁誰よ、こんなの書いたの⋮⋮﹂
著者名は空欄。ただ少なくとも、ガイルとギイハルト両名の知り
合いであり腐った人である。
︱︱︱と、まあ二人が薄い本に熱中している間、集中力を切らし
たキザ男は本を幾つか手に取り流し読みしていた。
1654
﹁専門書が多いのだな⋮⋮おや?﹂
本を棚に戻そうとして、本棚の奥に不審なスイッチを見つけた。
突然の余談だがアナスタシアは、大げさなカラクリを好む傾向が
ある。実用性を無視した大掛かりなギミックが好きだったのだ。
彼女が拵えたこのアジトに、それが反映されていないはずがない。
﹁なぜこんな場所にスイッチが⋮⋮ハッ!?﹂
無意識に伸ばしていた人差し指に、キザ男は我に返る。
﹁落ち着け、こんな怪しいボタンを押して禄なことになるはずが、
いやだが﹂
誰しも覚えがあるだろう。壁に赤いボタンがあれば、押したくも
なる。
結局誘惑に勝てなかったキザ男は、恐る恐るスイッチを押す。
床がぱかっと開いた。
﹁︱︱︱あああああああぁぁぁぁぁぁ⋮⋮﹂
﹁キョウコ、今断末魔が聞こえなかった?﹂
﹁ええ、確かに。見てきますね﹂
確認に本棚を探索するキョウコだが、既に床は閉じており疑問符
を浮かべるのに終始するのであった。
1655
﹁ううっ、変なスイッチを押したばかりに⋮⋮﹂ 真っ暗な通路を
半泣きで進むキザ男。落下した先は、細くどこまでも続くトンネル
だった。
さん東京ドーム
﹁三TDは歩いたか⋮⋮もう疲れた、休みたい⋮⋮なんてことは一
切合切ありえないな! まだまだ行けるともさ!﹂
なけなしのプライドを振り絞り、自身を叱咤するキザ男。
どれだけへっぽこでも、彼は帝国貴族の長男坊なのだ。
貴族とは屈しない者。権利と引き換えに退路を捨てた誇り高き血
脈︱︱︱それこそが貴族だと、キザ男は信じていた。
﹁前進あるのみっ! 倒れる時は前のめりに、それがリヒトフォー
フェン家の家訓のわぁ!?﹂
壁に衝突した。
先程までのペースでゆっくり接触すればいいものを、直前で加速
したせいで額を強打する羽目になっていた。馬鹿である。
﹁痛たたた、これは、また扉か﹂
いい加減に扉には飽き飽きしていたキザ男はぞんざいにドアノブ
を握り押す。
エロ本を読むレーカと対面した。
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
1656
とりあえず、そっとエロ本を置くレーカ。
﹁なんだね、ここは?﹂
﹁第二書庫だが﹂
そこは小さな隠れ家スペースだった。
小部屋には本が溢れている。その全てがR18な大人の書庫だ。
匠の技で描かれた写実的な裸婦画のポスター。それを見れば、キ
ザ男もそこにある本がどういう内容なのかおおよそ想像出来た。
﹁つまりなんだ、ここはお前の煩悩部屋か﹂
﹁だとしたらなんだ、ここは我々の最後の砦だぞ!﹂
強く言い返すレーカ。開き直りともいう。
﹁最後の砦?﹂
﹁その通りだ。貴様に解るものか、この島では男がどれだけ肩身が
狭いか⋮⋮!﹂
震える拳を握り締めるレーカ。
﹁お風呂は一番最後、トイレは指定された一カ所、重い荷物があれ
ばすぐ呼び出される⋮⋮いや、それはいい。なにより苦痛なのは、
不用意にエロ本も読めないことなのだ!﹂
リキ
まさにそれは力説だった。魂こもってた。力入ってた。
1657
﹁だからこそこの空間を作り上げた! こっそりと町と島を往復し
て、巧みな連携行動で女性達を誤魔化して、衣類に本を忍ばせて少
しずつ密輸した! そう、ここは女子禁制の花園だ!﹂
熱く語るレーカに、キザ男も思わず一歩引く。
キザ男には解った。それは確かに煩悩だ。だが、ピュアな煩悩な
のだ、と。
︵くっ、駄目だ屈してはならないぞマンフレート! ここで負けれ
ば悲しむのは他ならぬ姫だ!︶
びしりとレーカを指差し、叫ぶ。
﹁内心ではエ、エ、えっちナァ︵声裏返り︶こぉとを企んでいたの
だな! まるで野獣のような男だ!﹂
声がうわずって、全然サマになってなかった。
シャイなウブっ子なのである。
﹁姫を洗脳し、メイドを連れ込み⋮⋮不埒なことする気だったのだ
な!﹂
﹁洗脳!? 言いがかりにもほどがあるぞ! ここの合い言葉は﹃
イエスエロス、ノータッチ﹄だ!﹂
﹁ならばこれはなんだ! この膨大なまでの、け、けしからん本の
山は!﹂
両手を広げ部屋の中を示すキザ男。
1658
﹁これは︱︱︱﹂
レーカが反論しようとしたその時、部屋に、いや島全体にサイレ
ンの音が鳴った。
﹁来たかっ!﹂
立ち上がるレーカ、そこには大きな安堵が浮かんでいた。
﹁さあ行くぞマンフレート!﹂
﹁おっ、おいどこに行くというのだっ。話はまだ終わっていないぞ
!﹂
キザ男の腕を引き連行していくレーカだった。
﹁格納庫?﹂
レーカが連れてきた先は、機体が保管されている巨大な格納庫だ
った。
﹁マンフレート、赤矢に搭乗するのだ﹂
びしっとキザ男を指差すレーカ。
1659
﹁なぜだね﹂
﹁いいから﹂
レーカはキザ男の背を押す。
﹁なんの必要性が﹂
﹁いいから﹂
更に押す。
﹁どういうつもり﹂
﹁いいから! ああもう、人を誑かすのは苦手だというのに、面倒
な役割を押しつけやがって!﹂
﹁誑かすと言ったな今!?﹂
尻を押し出し、強引にキザ男を赤矢に乗せる。
困惑しつつも、キザ男としては愛機に乗り込むこと自体は問題で
はない。とりあえず指示通りにシートに腰を下ろす。
﹃赤矢、発進!﹄
通信越しに離陸の指示を出された。
﹁いや何故だね。まさかこのまま追い出す心算か?﹂
﹃いいから! さっさとしたまえ!﹄
1660
外部からの操作で赤矢のエンジンに火が入る。
その聞き覚えのないエンジン音に、キザ男は怒鳴った。
﹁どういうことだ、エンジンを変えたのだな!? なんのつもりだ
!﹂
﹃化学式のエンジンだ⋮⋮ああそうだ、その新型エンジンのテスト
を依頼したい! その辺を軽く飛んできてくれ!﹄
﹁とってつけたな、今!?﹂
怪しいことこの上ない指示に到底従う気のないキザ男だったが、
レーカの言葉に凍り付いた。
﹃⋮⋮いいだろう、なら考えがある。弱味など幾らでもあるんだぞ﹄
﹁言っていたまえ。僕はそんな怪しい依頼など受け︱︱︱﹂
ハッタリだ、と切り捨てるも、レーカはそれを許さない。
﹃九歳の時。湯浴みしている時、ドサクサに紛れて女中の胸に触っ
た﹄
﹁なっ!?﹂
絶句するキザ男。それは、彼が墓場まで隠し通す覚悟の秘密だっ
た。
﹃一〇歳の時。メイドの下着欲しさに部屋に忍び込み、手にしたと
1661
ころで持ち主に発見される。三〇分に及ぶ土下座にて事件の表面化
は回避﹄
﹁な、な、な⋮⋮!﹂
﹃十一歳の時。貴族の子女に一目惚れしてアピールするも、逆に嫌
われてショックのあまりお腹を壊す。貴族の女子グループ内で付け
られた渾名は﹃ゲリオとロリエット﹄﹄
﹁やめろ! もう聞きたくない、なぜ僕の秘密を知っているのだ!
?﹂
﹃知っているさ、なんでもな! こっちが惨めになる、さっさと行
け! 最愛のお姫様にばらされたくなければな!﹄
シャッターが開き、空への道が確保される。
﹁ああくっそ、行けばいいんだろ行けば!﹂ 浮遊装置を起動。スロットルを押し込むと、赤矢は静かに前進す
る。
﹁マンフレート・リヒトフォーフェン、赤矢発進する!﹂
1662
﹁︱︱︱そして回収、ってなわけねー。うんうん、おkおk﹂
海上を飛行する赤矢。その主翼に少女は腰を下ろしていた。
黒々とした髪を風にたなびかせ、満足げににんまりと頷く着物姿
の少女。
人が彼女を見れば、魅了されるか畏怖するか。常人とは別次元の
気配を纏う、違和感の塊のような存在だった。
そもそもが、ここは時速数百キロで飛行する飛行機の上。風防に
守られるわけでもなく暢気に話すなど不可能に近い。
﹁いいアイディアだったねホント。天啓ってやつだね﹂
着物の裾で口を隠し、クスクスと笑う少女。
﹁って、天啓つーか私自身が神様だっちゅーの! だっちゅーの!﹂
⋮⋮そう、彼女は神だ。
この世界﹃セルファーク﹄を支配・管理する唯一神。
世界と同じ名を持つ彼女は、義務として行う職務以外の部分では
存分に己が愛し子の様子を観察して楽しんでいた。
しかし彼女の知識には人々の運命も刻まれている。彼女には世界
の行方はある程度見えているのだ。
演劇などの創作活動に勤しんだりしてみるものの、退屈のあまり
死にそうになっていた彼女。
まやまれいか
そんな時、この世界にイレギュラーが発生した。
真山零夏。地球から来た彼ばかりは、神といえど運命が判らない。
彼女は狂喜乱舞した。運命に縛られず他者の運命をかき乱す異邦
人は、まさに待ち望んだ変化であった。
彼はどのような未来に行き着くのか。誰の運命を変えてしまうの
か。見ているだけでワクワクして、どうしようもなく楽しいのだ。
1663
だが季節が冬となり、問題が発生した。
孤島のアジトではレーカの観察が出来ない。アナスタシア謹製の
結界は神の介入すら阻み、一切の魔法による介入が不可能となった。
しばらくはブーブー文句を垂れていたが、しかし彼女は島の内部
を観察する方法を思い付く。
それが今現在、キャノピーの開いたコックピットにて沈黙してい
るマンフレートである。
マンフレートは魂が抜け殻のように脱力して微動だにしない。
いや、それには元々、魂など入っていなかった。
﹁偽のキザ男を送り込んで内部情報を回収、キザ男そのものはスタ
ンドアローンで独立して
動く生体機械だから魔法結界も関係ない。ついでにレーカの解析
魔法も通じない。カンッペキ!﹂
人型機の頭部にて漂流し、島に流れ着いたマンフレートは偽物だ
ったのだ。
肉体もそれっぽいだけ。人格は神様の能力をフル活用したシミュ
レートであり、記憶と知識を完全再生している。
神の名は伊達ではない。他者の擬似的な複製すら可能なのだ。
﹁完璧、か、さて化かされたのは、どちらかな、風が、髪型が崩れ
るっ!﹂
﹁ふぇ?﹂
声に振り返り、そして驚愕した。
﹁なな、なぜ貴方がここにっ!?﹂
1664
彼女は本気で驚いていた。その人物はここにいるはずがない、あ
まりに想定外の顔だったから。
﹁僕の偽物を用意して悪巧みとは、神というのは⋮⋮むっ!﹂
赤矢の機体にしがみつき風圧と戦うのは︱︱︱
﹁おおよく見るとなんと美しい、後でお茶でもどうでしょう!﹂
︱︱︱美人とあれば神でも口説く、我らがキザ男その人であった。
時は遡り、偽キザ男救出後。
﹁で、どうするよコイツ﹂
﹁どうすると言われてもだね⋮⋮僕自身の完璧な複製か、なぜこん
なものが﹂
﹁⋮⋮そもそも、本当はどっちが本物なのかしら﹂
﹁そ、そんなご無体な、姫様ぁ﹂
医務室にて、救出された偽キザ男を囲む四人の人物。
レーカ、ソフィー、キョウコ、そしてキザ男である。
1665
﹁おそらくこれは神の差し金でしょう﹂
﹁どういうことだキョウコ?﹂
キョウコは自分の推測を語った。ハイエルフであり神に近いキョ
ウコは、神の考えそうなことを容易にトレースする。
﹁なるほど、結界突破の為の策か⋮⋮どうする?﹂
﹁処分しましょう。人間に見えますが極めて精巧なただの機械です。
躊躇う必要はありません﹂
﹁そ、その場合は僕のいないところで頼む。自分の姿をした人形が
殺されるのは見たくない﹂
困り顔になるキザ男。
神の最大の誤算、それはキザ男が年越しの頃には既にレーカ達と
合流していたことだ。
本来であれば今年の夏頃に合流するはずだった、そういう運命で
あったキザ男だが、レーカの存在が運命を変えたのか合流時期が彼
女の想定より繰り上がっていた。
ちなみにきっかけはキザ男が島に赤矢で墜落したことである。悪
運の強さはエースなキザ男であった。
﹁いや、待て﹂
レーカがキョウコを制止する。
﹁せっかくのチャンスだ。逆に、神とやらを騙してみないか?﹂
1666
そうして計画が実行に移された。
キザ男は身を隠し、その他各自は普段通り振る舞いつつキザ男を
誘導・監視する。
そしてレーカは、ばれないように留意しつつ二つの準備を行った。
一つは赤矢の改造。魔力なしで動く化学式エンジンに交換して、
胴体内部に隠れるスペースを確保。
二つは魔法結合不可結界の準備。神にはこの結界が有効だとキョ
ウコに聞いたのだ。
メンバーで一番魔法に長けているのはレーカだ。魔法結合不可結
界を使える可能性があるのもレーカだけ。なのでお茶の時間の後は、
ずっと術式の準備をしていた。
厨房でのキョウコとレーカも無意味に時間を潰していたわけでは
ない。その間、キザ男はソフィーの手を借りて変身魔法を駆使しレ
ーカに化けていたのである。
偽レーカとなったキザ男は本物のレーカに成り代わり生活し、そ
の間にレーカは魔法結合不可結界を完成させる。
結界完成の報を受け、第二書庫の偽レーカは偽キザ男を現場へと
送り込んだ。
﹁そう、即ちこの座標へとだっ!﹂
﹁な、なんだってー!?﹂
犯人を見つけた名探偵の如く神を指差すキザ男。
瞬間、海上に巨大な魔法陣が浮かび上がった。
1667
空中待機していた複数の飛宙船を基点に、直径数キロにも達する
巨大結界を展開。
﹁うおぉお!?﹂
﹁おおっと﹂
重力が上下反転し、コックピットから抜け落ちた偽キザが空へと
落下していく。
這々の体でキザ男はコックピットに入り、一八〇度ロール。頭上
に海を見上げ機体を安定させる。
﹁なんで重力が逆になったんだ、聞いていないぞ!?﹂
﹃あー、忘れてた。魔法結合不可結界の副作用だな﹄
ノイズ混じりの通信。白鋼が赤矢上空から降りてくる。
﹃電波通信で失礼。お初にお目にかかる、神様さん﹄
﹁やっほー、話すのは初めてだねイレギュラー君﹂
こうして、レーカは神と対面した。
﹁まさか神を捕らえようなんて、むしろあっぱれだね﹂
彼女はあっぱれ扇子を開くも、風圧で吹っ飛んでいった。
﹃魔法なしでも活動出来るが、能力が制限されて転移が不可能とな
る。キョウコの言は正しかったんだな﹄
1668
神の行動すら限定する魔法結合不可結界。世界の在り方すら否定
するこの魔法は、神術級の最高難易度術式である。
﹁まあね。で、どうするの? 乱暴する気? 同仁誌みたいに!﹂
﹃しねーよ﹄
﹁赤矢のエンジンを魔力式から化学式に変えたのも、この魔法の使
えない空域で滞空する為だね﹂
セルファークで主流の魔力式エンジンは、クリスタルが動力であ
る以上この場では動かない。白鋼も水素ロケットにて飛行している。
﹁キョウコも聞いているんでしょ、どーゆーつもりなの。反逆?﹂
﹃レーカさんが聞きたいことがあるそうなので、手を貸しただけで
す﹄
キョウコは島の施設からの通信である。
﹃しかしよくできた人形だったな、キザ男と寸分の違いもない﹄
﹁そりゃ、キザ男の脳細胞の信号までエミュレートしているし﹂
独立して動いていた以上、処理は全て偽キザ本体で行っていたは
ず。
等身大の筐体でスパコン以上の処理能力なのかと、その出鱈目な
技術力にレーカは内心震撼した。
1669
﹃脳細胞のエミュレートなんて⋮⋮魂の複製や死者蘇生だって可能
じゃないか、そんな技術があれば﹄
﹁なんならアナスタシアを再生してみせよっか? あの女もしっか
り記録しているわよ﹂
﹃やめろ⋮⋮そうだ、あのテロはお前の仕業だったのか?﹄
レーカはようやく本題の質問に至った。これを訊く為に、わざわ
ざ手の込んだ作戦を仕組んだのだ。
﹁テロ? 共和国の襲撃のこと?﹂
﹃そうだ﹄
首肯するレーカに、神は﹁んー?﹂と唸った。
﹁半分そうかも。イレギュラーの貴方が運命をねじ曲げるせいで、
死ぬ運命だったアナスタシアが助かる可能性がでちゃった。だから
正しい運命に戻したってわけ﹂
白鋼の前座席にソフィーはいない。彼女を置いてきて良かった、
とレーカは自身の判断に安堵した。
﹃人間の間引きはしていない、と?﹄
﹁煽動はしてないよ﹂
﹃⋮⋮例えば、俺が人を助けたりしても、お前が修正してその人を
殺すのか?﹄
1670
﹁うーんん。どうでもいい運命なら好きにすれば? アナスタシア
って個人は世界に影響が大きいから、運命通りに死んでもらったの
よ﹂
レーカには守りたい人がいる。
マリアはただのメイドだ、世界に影響を与える可能性は少ない。
だがソフィーは? キョウコは?
あるいは、彼女の危機を救うことになっても、それが無慈悲に無
効化されてしまうのではないか。そう考えレーカはぞっとした。
﹁それこそ﹃運命﹄だよ、どっちに転んだってね﹂
﹃⋮⋮心を読むな﹄
﹁今の私には読心なんて出来ないしぃ。心外だしぃ。君が顔に出や
すいだけだしぃ﹂
ひょい、と赤矢から飛び降りる。
﹃あ、おいセルファーク!﹄
追う白鋼。落下する彼女をエイのように平らな飛行機が受け止め
る。
彼女が着地した巨大な二等辺三角形の黒い飛行機に、レーカは目
を見開いて驚いた。
﹃B−1スピリット!?﹄
﹁私のコレクションだよん、マウスやバルキリーも私が探して持ち
1671
込んだんだから﹂
兵器集めもまた、彼女の道楽の一つである。
﹁あ、そうだ﹂
遠ざかってゆくB−2。彼女から、最後に一言届く。
﹁私はセルフ。セルファークは俗称だから、正しくはセルフ・アー
クなの。これからは私のことはセルフって呼んでね﹂
騒動も終焉し、彼らは日常に戻る。
そろそろ旅立ちの時期だ。ぼちぼちと出発の準備が始まり、島が
慌ただしくなる。
﹁赤矢に積み込むのはこれだけかね?﹂
﹁ああ、私物は最低限にしろよ﹂
﹁解っているさ﹂
﹁レーカ、レーカ﹂
ソフィーが悔しそうに紙の束を持ってきた。
1672
﹁あの問題、結局解けなかった⋮⋮﹂
曰く、n=3、4、5、7でのみ証明が完了したらしい。
﹁答えを教えて﹂
﹁えっ﹂
答えを求められても、俺だって正解は知らない。
エターナルクリスタル化によって高度な演算能力を得た俺は総当
たり計算⋮⋮エレファントな証明は得意なのだが、論理的な計算⋮
⋮エレガントな証明は苦手なのだ。
とりあえず﹁驚くべき証明方法を発見したが、余白が足りないの
でまた今度な﹂と適当に誤魔化した。
﹁むー﹂
文句ありげなソフィーを窘めていると、レーカはふと思い出す。
﹁あ﹂
﹁どうしたの?﹂
しくじった、と頭を掻く。
﹁セルフに世界が本当に滅亡するのか、聞き忘れてた﹂
1673
キザ男と漂流者︵後書き︶
>崩れる事を知ってる幸せって、ただただ悲しいなって
あの展開は掲載前から決まっていたので、作者はずっと憂鬱なの
を隠しながら執筆していました。別れはいつも突然といことを表現
したかったのです。
>手術がうまくいくようお祈りしつつ次回を楽しみにしてます
ありがとうございます。成功しましたが、摘出箇所がお医者さん
の想定より複雑だったようでいまだにズキズキします⋮⋮
>おもしろかったです。
ありがとうございます。
1674
レジスタンスとメイドさん 1
﹃もっとも、貴方達に恨みはないわけですが﹄
ストライカー
じゃけんひめ
高さ一〇メートルの鋼の巨人。セルファークにおいての地上戦の
主役、人型機である。
波打った刃の巨剣をゆらりと翳して、女性型のロボット蛇剣姫は
魔物達の前に立ち塞がる。
﹃殲滅させて頂きます、仕事なので﹄
視界を埋め尽くす襟巻きトカゲに似た、体長三メートルほどの魔
物達。
ダンスリザード。威嚇の際に体を揺らす様からそう名付けられた
モンスターだ。
中型サイズの魔物である彼らは個体ではさほど脅威ではない。し
かしその数の暴力は多くの犠牲を生み出してきた、厄介な敵である。
数こそが武器である以上、この場にいるダンスリザードも途方も
ない数だ。ざっと四桁に達するだろう。
地面が見えないほどの群れに、蛇剣姫は一切臆さず跳躍した。
ダンスリザードの平原、その一画にて血飛沫が舞い上がる。
甲高い断末魔。交戦当初こそ自分達の有利を確信して襟を広げ威
嚇していた彼らも、その絶対的な剣の暴虐に恐れおののき逃走を開
始する。
蛇剣姫の剣技は、効率良く命を刈り取る作業でしかない。瞬き一
つの間に一〇を越えるトカゲが両断され地肉を撒き散らしていた。
常軌を逸した達人にとって、敵の軍勢など一〇も一〇〇も変わら
ない。弱者が群がろうと蛇剣姫に傷が刻まれることは有り得ず、そ
1675
の装甲はただ敵の鮮血に染まっていった。
しかしそれでも、数千体のダンスリザードは圧倒的な物量差であ
しんがり
った。
殿という名の時間稼ぎとなった後方集団。その間に二本足で走る
蛇剣姫
ダンスリザードの軍勢は逃走を図り大きく広がる。
次第にばらけていく群れ。突如現れた災厄に逃げ惑う彼らに、第
二の脅威が現れる。
ソードストライカー
しろがね
白い閃光。地上ギリギリを高速飛行するそれは、群れの側面へと
回り込み変形した。
鋭角的なシルエットの半人型戦闘機、白鋼である。
ブレードが左右に分離し、二刀流となって魔物を斬殺していく白
き機体。蛇剣姫ほど洗練された剣術ではないが、暴風の如く血肉を
撒き散らすそれはダンスリザードにとって死神と同意義であった。
白鋼は拡散しようとする群れを左右に高速移動することで抑え込
み、蛇剣姫は歴戦の天士が持つ威圧感を存分に発散して群れを目的
地まで追いやっていく。
やがて開けた土地へと至った時、白鋼と蛇剣姫は突如退却を開始
した。
﹁いいぞ、キザ男! 焼き払え!﹂
レッドアロウ
﹃キザ男ではないっ、マンフレート・リヒ﹁早よしろ!﹂くっ、タ
ーゲットインサイド! かかれぇ!﹄
ソードシップ
上空より急降下する赤い飛行機。キザ男の赤矢である。
高度二〇〇〇メートルより地面へと加速していく機体。降下角
は六〇度にも達する。
角度としては傾斜だが、感覚的には垂直に等しい。
四〇〇メートルで投弾し、すぐさま操縦桿を引く。
落下していく爆弾は赤矢の機体とほぼ変わらぬ大きさの円筒であ
1676
った。
これほど大きなペイロードを運搬するのは普通は困難だ。しかし
赤矢は特殊であった。
機体前後の三枚のブレード、大気清流装置を稼働させ主翼上下の
気流速度に差を付けることで揚力を増幅しているのだ。
強力な双発エンジンもまた、巨大な貨物の運搬を容易にしている。
魔物の群れの中心に叩き込まれる爆弾。
地面へと着弾直前に筒は分裂。お椀状に燃料を噴射し、一帯に気
化させる。
次の瞬間、爆炎が広がった。
大仰な装置の割に炎は小さい。しかしその神髄は熱ではなく衝撃
波にあった。
半球となって膨張する衝撃波。肉眼で視認出来るほどのそれは、
ダンスリザードの肉体を尽く破壊する。
﹃あががっ、機体が揺れるっ!﹄
﹁別に急降下する必要なかっただろ、無駄に機体を壊すな! って
いうかキョウコ、逃げ遅れるぞ!﹂
衝撃波は人型機コックピットをも貫く。半径五〇〇メートル内に
逃げ場のない、そういう爆弾であった。
﹃問題ありません﹄
飛行形態となり急速離脱する白鋼に対し、蛇剣姫は魔物から距離
を取ると衝撃波と向き合った。
剣を正眼に構え、縦に一閃。
衝撃波を切り裂き、蛇剣姫は悠々と撤退を再開する。
1677
﹁⋮⋮やると思った﹂
﹃恐縮です﹄
﹃凄い威力だね、君の作った新型爆弾は﹄
ダンスリザードはその一撃でほぼ全滅。
原型を保ったまま死滅したその光景は、極めて異常と言えた。
﹁さすが燃料気化爆弾⋮⋮対人戦じゃ使いたくないわこれ﹂
れいか
平らで風の少ない場所で殲滅するためにこの地まで誘導したのだ
が、計算通りの威力に零夏も顔をひきつらせた。
﹁生き残りがいないか探しましょう。依頼は殲滅です﹂
少しでも残っていれば一気に増殖する。故に依頼主、近くの町か
らの要求は一匹残らず殺し尽くすことであった。
﹁あ、ああ。白鋼と蛇剣姫は巣に戻って探すから、赤矢は空から探
してくれ﹂
﹁うむ、任せたまえ﹂
1678
﹃かんぱーい!﹄
ガチン、とジョッキがぶつかり合う。
﹁くーっ、仕事の後の一杯は最高だぜー!﹂
﹁君、この国では未成年の飲酒は禁止されているのだよ?﹂
大口依頼の達成後は打ち上げを開催するのが天士の嗜みである。
ソフィーと二人旅の頃は虚しいのでやらなかったが、今やパーティ
は四人。弱小航空事務所級の人員には達した。
というわけで、今俺達は酒場へ繰り出して酒と料理を楽しんでい
るのだ。
﹁そういうお前だってワイン飲んでるじゃないか﹂
﹁貴族にとってワインは水なのサ﹂
ワインは誰が飲んだってワインだろ。とはいえキザ男の言が屁理
屈というわけではない。
日本は水資源に恵まれた国だとよく評されるが、国内で住んでい
れば実感しにくい話だろう。
蛇口を捻れば飲める水が出る。これって結構変態なことなのであ
る。
セルファークの飲料に適した水が少ない地方では、代わりに長期
保存に優れるワインを飲料水として使用する。子供でも、だ。
なのでキザ男の﹁ワインは水﹂発言は別段おかしなことではない。
法律上も飲料水としての軽いアルコールは許可されている。
﹁っつーわけで、エールも水なのサ﹂
1679
﹁いや水じゃないから。というか真似しないでくれたまえ﹂
男友達っていいわホント、こういうダベるのは女の子相手じゃ出
来ない。
しかし、友達認定はちょっと気持ち悪いな。
﹁キザ男。お前を﹃男知り合い﹄と認定する!﹂
﹁いきなり酔っているな﹂
酔ってないよー、楽勝だよー。
男二人が初っぱなから騒いでいるのに対し、女二人は静かに食事
を進める。
ふと、キョウコはソフィーに問い掛けた。
﹁ソフィー、元気がないように見えますが﹂
﹃なぬっ!?﹄
俺とキザ男が同時に反応した。
﹁調子が悪いのかソフィー?﹂
額に手を当てようとして、ひょいと横に避けられた。
﹁平気よ、ちょっと考え事をしていただけだから﹂
﹁魔物の血で気分が悪くなりましたか?﹂
1680
﹁いえ、大丈夫﹂
旅立った当初は魔物を殺す度に顔を青くしていたが、最近では随
分耐性がついた。
とはいえ今日の戦果は数千体。外傷がない燃料気化爆弾による殺
害だったのがかえってショッキングだったかもしれない。
俺はショックだった。貧乏人の核兵器、って意味が解った気がす
る。
﹁本当に平気なの。ただ⋮⋮﹂
﹁ただ?﹂
﹁あの日から、そろそろ一年だな、って﹂
重い沈黙が降りた。
﹁ご、ごめんなさい。今話すことじゃなかったわ﹂
慌てふためくソフィーの頭をぽんとキョウコが押さえる。
﹁ふぇっ﹂
﹁一年ですか。なんだか長いようで短い期間でしたね﹂
ナイス空気読みだ、俺も便乗しよう。
﹁そりゃ四〇〇歳からすればな﹂
﹁レーカさん!﹂
1681
むーっ、と膨れるキョウコ。なんとかしんみりしそうな流れを回
避出来た。
だが確かに、あれから⋮⋮共和国の陥落から一年経ったんだな。
多くの死傷者を出した大規模テロ行為。どれだけの人間の明日が
狂ったか、考えただけで腸が煮えくり返る思いだ。
﹁マリアは元気かな﹂
﹁誰だいそれは?﹂
テーブルの上に身を乗り出すキザ男。女の名前に反応するな軟派
野郎。
﹁俺のメイドだ﹂
﹁⋮⋮私のメイドよ﹂
﹁ばれた﹂
さり気なく言えばスルーされるかと思ったのに。
﹁マリアは単に見習いメイドなのではないのですか?﹂
面識のあるキョウコは俺達の言葉に首を傾げる。
期間は一番短いものの、仕事の物覚えの悪さからマリアとそれな
りの時間を共有してきた。故にマリアとキョウコが意外と気が置け
ない仲だった。
﹁ナスチヤにはキャサリンさんがいたように、将来的にはソフィー
1682
の世話係をマリアが勤めるはずだったはず﹂
﹁なるほど、そうでしたか。ただ私は物覚えは悪くありません。貴
方がなんでもすぐに習得するタイプなだけです﹂
﹁それよりなんだ、美人かねそのマリぐぎゃあ!?﹂
どうした、急に飛び跳ねて。
﹁どうしたではない、足を踏みおって!﹂
﹁踏んでねーよ﹂
ソフィーがそっと視線を逸らした。お前か。
マリアに色目を使われて、イラッときたのだろう。
キョウコもそっと視線を逸らした。お前もか。
﹁それより﹂扱いされたのが不服だったのだろう。
﹁マリアはしっかり者だし心配ないさ。それより、明日の予定はど
うする?﹂
﹁次の行き先ですね? この辺の町は一通り回ってしまいましたが、
どこか別の地方に飛びますか?﹂
キョウコが料理を避けて世界地図を広げる。
﹁﹃奴ら﹄は今、この辺に集まっているわ。だから反対のこの辺が
いいんじゃないかしら﹂
﹁ふむ、教国と帝国の国境付近か。あの辺は白ワインの名産地だな﹂
1683
酒ばっかだなキザ男。
﹁もし、よろしいですか?﹂
背後からかけられた声に振り返れば、ローブで顔を隠した少女が
いた。
﹁どうやらめでたい席のご様子。一曲如何です?﹂
手に持ったクラシックギターを示す少女。小柄な彼女には不釣り
合いに大きいが、扱い慣れているのか不安定さはない。
咄嗟に解析、ギター内部に怪しい物がないことを確認。
﹁おや可愛らしい吟遊詩人だ! うむ一曲頼もうか﹂
キザ男は顔を下げてローブの中を覗き込もうとするが、少女はさ
っと手を翳して隠してしまった。
だが目元が見えなくとも、その整った顔立ちと麗しい波打った金
髪から容易に美少女と見て取れる。俺だって顔見たい。
解析魔法を使えばいい? あれは物質の配列を認識するだけで光
学的イメージを読み取るわけではないので、覗き行為には不向きな
のだ。
﹁では失礼して﹂
近くの椅子に腰掛け、静かで、どこか躍動的な曲が始まる。
それは旅の歌であった。
1684
女は旅の商人と出会う。
孤独に耐える夜も、貴方の手に引かれた時に終わりを告げた。
初めて聞く異郷の歌も、君と聞けばどこか懐かしい。
探し求めた答えがあるなら、風と共に探しに行こう。
露に濡れた朝日。
赤く燃える夕日。
爛々と照らす月。
旅の様々な景色を、貴方と見ていたい。
﹁ブラボーッ! 素晴らしい、なんて綺麗な歌声だ!﹂
大騒ぎするキザ男だが、概ね俺も同じ意見だった。
先程までの喧噪を忘れ聞き入っていたのは俺達だけではなく、酒
場の全員だ。
誰しもが食事の手を止め、ウェイターすら仕事を忘れて彼女の語
り引きに聞き入った。
そして、曲が終わるやいなや大喝采。口々に彼女を褒め称え、少
女の目の前には硬貨が積み上がった。
﹁凄いな、天才って奴なのか﹂
年若いであろう彼女がこの域に達するには、天賦の才が不可欠だ
ろう。きっとソフィーが空に愛されているように、この少女は歌に
1685
愛されているのだ。
﹁もう一曲頼めますか?﹂
キョウコの提案に、少女は肯定する。
﹁はい、喜んで。ただ︱︱︱﹂
ただ?
﹁貴方達の宿部屋にて歌わせて頂けませんか?﹂
ところで俺達は端から見ればどのように思われているだろうか。
美少年と美少女と美女。
+α。
何にせよ、天士パーティには見えないはずだ。
それは酒場でも同じであり、きっと周囲は一般人の客と認識した
はず。
﹁なのに君は、俺達が宿住まいだと断言した。どういうことなんで
すかねぇ∼?﹂
部屋に招きもう一曲聴いた後、俺は少女に指摘した。
1686
﹁そういえば⋮⋮!﹂
﹁確かに⋮⋮!﹂
﹁どういうことだ⋮⋮!﹂
今更警戒する三人。おせぇよ。
﹁おやおや、判っているのに歌わせるとはひどいお客様です﹂
﹁歌声で気付くべきだったな。何しに来たんだホント﹂
少女がフードを取る。
﹁久しいな、諸君﹂
﹃リデア姫!?﹄
中から現れたのは、現帝国王の姫君リデア・ハーティリー・マリ
ンドルフの端正な美貌であった。
﹁ひひひ、姫様っ!? なぜこのようなところに!?﹂
慌てて片膝を付くキザ男。ワンテンポ遅れ︵というか正規の速度
で︶ソフィーも膝を付く。
俺はリデアはむしろ友達と認識しているので、変わらずベッドの
上で足をブラブラ。キョウコは素早くカーテンを閉めて着席した。
﹁ああ、よいよい。楽にするのじゃ。ベッドに横になるな話を聞か
んかアホめ﹂
1687
楽にしろって言ったじゃん。
﹁久しいなソフィー。変わりないか?﹂
﹁はい、恐縮です。姫様もお元気そうで何よりですわ﹂
ソフィーお嬢様モードである。
﹁うむ。して今日お忍びで来た理由じゃが、依頼したいことがある
のじゃ﹂
﹁手紙とかで届けてくれればいいのに﹂
本人が来るなんて不用心だ。
﹁いいではないか。本人確認が面倒だし、どっちみち合流するのだ
から﹂
意図を訝しむ俺達に、リデアは自身満々に口の端を吊り上げて依
頼内容を発表した。
﹁これから、わしを連れて共和国に忍び込むのだからな!﹂
﹁お前馬鹿じゃね?﹂
1688
地面効果にて地上を滑走する巨大航空機。
地球ではエクラノプランとも呼ばれるそれは、翼にて自重を軽減
し半飛行する奇妙な船である。
セルファークの主要都市を結ぶ巨大高速船。値段はそれなりに割
高とはいえ、地上船の登場でこの世界はは随分と縮まったらしい。
﹁地上を走る車両の積載限界には設地圧が大きく関わる。﹃全重量
÷地面と接している面積﹄で求められるその数値は、つまりは﹃一
定の面積にどれだけの重量が掛かっているか﹄の目安であり、これ
が高過ぎると地面を掘るばかりで前に進めなくなるんだ。
キャタピラ
自動車のタイヤが泥や雪に埋もれて、脱出出来なくなったことは
ないか? つまりあんな状況だ。それを回避するには無限軌道によ
うに重量を分散させるか、車両の重量を軽くするしかない。
地上船の場合は後者であり、地上を走る船にも関わらず主翼を持
つことで自重を軽減して⋮⋮﹂
﹁ええい、うるさい! 延々とつまらん話を聞かせるな!﹂
怒られた。
﹁君が﹃なにか面白い話をしろ﹄って言ったんだろ﹂
﹁地上船の原理のどこが面白い話だ!?﹂
﹁地面効果翼機と聞いてウキウキしないなんて、タマキン付いてる
のか?﹂
1689
﹁付いとらんから! っていうか女の子じゃから!﹂
なんだかお姫様に下ネタ振るってゾクゾクする。
﹁静かにした方がいい。機関部が近いから音漏れは気にしなくても
いいけど、一応隠密行動中なんだし﹂
﹁わかっておる!﹂
怒りを体現するかのようにそっぽを向いてしまったリデア。
ここは地上船の貨物室、そのコンテナの一つである。
リデア姫の依頼は彼女を伴って共和国首都・ドリットにて人探し
をすることであった。
いわゆる密入国である。しかもただいま密航中である。
共和国への入国手段として、俺達は地上船に積み込むコンテナに
忍び込むことにした。窓がないのが難点だがそれなりに広いし快適
だ。
﹁お主が護衛で、本当に大丈夫か不安になってきたぞ﹂
﹁指名してきたのはそっちだろ。お抱えの騎士にでも頼めば良かっ
たんじゃないか?﹂
﹁今のドリットに乗り込むなど許可されるものか﹂
違いない。
﹁女の子を守ってコソコソ動くのは慣れているよ、キョウコがいな
いから四六時中一緒にいることになるが﹂
1690
トイレにも着いていく所存である。
﹁頼りにさせてもらうぞ。本当に、頼むぞ﹂
じっと見つめられた。
その瞳に不安が滲んでいるのは見間違いではあるまい。怖くて当
然だ、一つ年上ってだけの女の子が敵地に乗り込むのだから。
﹁お任せ下さい、姫君﹂
彼女の手を取り、その甲に口付けをする。
﹁この命に代えても、貴女をお守りします﹂
﹁似合わんぞ﹂
﹁知っているが、本心だ。目の前で知っている人間に死なれるのは
キツい﹂
否が応でも思い出すのだ、一年前、あの広場での光景を。
家族が肉塊に変わる瞬間。俺はこれから、それと向き合わなけれ
ばならない。
﹁わしも死ぬわけにはいかないが、お主だって替えの効かない人材
なのだぞ。それを忘れるな﹂
﹁それは、俺がエターナルクリスタルだからか?﹂
﹁イレギュラーだからじゃ﹂
1691
セルフやリデアが時折口にする、﹁イレギュラー﹂って単語。
なにか意味があるのだろうか。異世界から来た、という以上の理
由が。
﹁しかし、お主はパーティで一番白兵戦が強いと聞いたが⋮⋮ソフ
ィーらの安全は確保されておるのか?﹂
﹁ん、ああそれは問題ない﹂
今更だがこの場には俺とリデアの二人だけだ。機体を持ち込めな
い今回の騒動では、彼らの力は発揮しにくい。安全なアジトで待っ
てもらった方が気楽である。
﹁そういえば⋮⋮なあ、依頼内容は人探しだろ? ついでにもう一
人探していいか?﹂
﹁なに? リスクを増やす真似は許可出来んぞ﹂
﹁ソフィーから、幼なじみのメイド宛に手紙を預かっているんだ﹂
自分は行けないなら、せめて手紙で無事を伝えたい。そうソフィ
ーが申し出てきたのだ。
﹁ソフィーの幼なじみ? ⋮⋮ああ、そういうことか。だが彼女と
親しかった人間には紅蓮の監視が常に張られているはずじゃ。許可
出来ると思うか?﹂
﹁直接会いに行くわけじゃない。手紙を渡すくらいならやりようも
あるさ﹂
1692
数百メートルの距離から矢文で射てばいい。怒られそうだけど。
﹁⋮⋮良かろう。どの道同じことじゃ、ただしこちらの探し人を先
に見つけるのが条件じゃぞ﹂
﹁ありがと、雇い主様﹂
乗客はどこか固い面持ちで船のタラップから降りてゆく。
久々の大都会。空は鬱陶しいほどに晴れ晴れと青く、町並みも記
憶のままの美しさを保っている。
だというのに、一年ぶりのドリットはどこか肌に纏わりつくよう
な重い空気に包まれていた。
﹁表向き、変わったところはないな﹂
手を繋いで何気ない顔で下船する。
﹁そうでもないようじゃぞ。あれを見ろ﹂
駅のホームに兵士が目を光らせていた。
﹁どうも∼﹂
﹁余計なことを言わずに黙って歩かんか⋮⋮﹂
1693
兵士は駅を出て行く俺達に視線を向けるも、呼び止めることはし
ない。
俺達は今、魔法で顔を変えている。手を繋いでいるのも魔法を維
持する為だそうだ。
﹁他者に魔法をかけるのは面倒なのじゃよ。接触してたら幾分楽じ
ゃ﹂
﹁そういえばナスチヤもソフィーの髪の色を変えていたが顔までは
偽装していなかったな﹂
﹁いや、それは単に顔がばれていないから、というだけだと思うぞ
? わしとあの方を同一視されても困る﹂
リデアからしてもナスチヤの魔法使いとしての腕は段違いなのか。
﹁しかし⋮⋮ずっと手を繋いで歩くのか?﹂
﹁ん? なんじゃ、照れておるのか?﹂
にまにまと上目遣いで問われ、ついついチョップで誤魔化す。
﹁言ってろ。とにかく宿を探すぞ、拠点を確保してから人探しだ﹂
狭いながらも意外と清潔な小部屋。いい宿に当たったな。
1694
﹁なんじゃここ、クローゼットだってもうちょっと広いぞ﹂
﹁出たよお姫様⋮⋮﹂
彼女と再会した宿部屋は大部屋だったから、もっと広かった。
この部屋は三∼四畳ほど、ベッドが大半を占めている。確かに狭
い。
﹁首都の安宿だしな。掃除は行き届いているし値段も良心的だ、貧
乏人には丁度いい﹂
﹁ほぼダブルベッドではないか⋮⋮はっ!?﹂
愕然とした面持ちで自分の腕を抱くリデア。
﹁み、見損なったぞケダモノめ!﹂
﹁俺もオヒメサマってヤツに幻滅しそうです、はい﹂
俗っぽい姫君だ。
﹁ほれ、座れ﹂
ポンポンとベッドを叩く。椅子などないので、話し合うとすれば
ここに腰掛けるしかない。
おずおずと腰を下ろすリデア。
﹁同衾だな。既成事実成立だ﹂
1695
﹁ファイアーボルトッ!﹂
燃やされた。
﹁さて、例の探し人だが﹂
﹁それより簀巻きを解いて下さい真夏にこれは死んでしまいます﹂
布団海苔巻きにされた俺。暑い。
﹁黙れ変態め﹂
どしん、と簀巻きの上に座られる。
﹁女王様だ!﹂
﹁いや姫じゃから﹂
﹁かかとでグリグリして下さい!﹂
﹁えっ⋮⋮﹂
本気で憐れむような視線を向けられた。ゾクゾクしちゃう。
﹁それで! 例の! 探し人だが!﹂
1696
強引にでも本題に戻るらしい。
﹁レジスタンスのリーダーを見つけ出して欲しいのじゃあ!﹂
レジスタンス
﹁叫ぶな、って抵抗活動組織?﹂
レジスタンスとは、他国に占領された国家にて抵抗活動を行う民
間団体である。
第二次世界大戦当時ドイツに占領されたヨーロッパ諸国は、降伏
後も民間レベルでは抵抗をし続けた。
ナチス軍の目を逃れ、水面下で行われた歴史の表舞台にはほとん
ど登場しない戦争。
正規軍でないことを利用しての破壊活動、情報収集、そして常に
分の悪い戦闘行為。
だがそれでも、彼らの戦いには意味があった。
本来はこれら当時の反ナチス活動のみを指す言葉であったが、時
代を経て意味が転じレジスタンスは他国の弾圧に抵抗する現地組織
の総称となる。
レジスタンスの行為は場合によっては国際的に正当性すら認めら
れ、他国の支援を受けることすらあった。
つまり、レジスタンスが敵兵を殺しても殺人罪に問われない。ゲ
リラにして準軍隊ともいえる、微妙な立場の存在なのだ。
﹁まさにそれじゃ。帝国は共和国内部のレジスタンスを支持し、支
援しようと思う﹂
﹁それでお姫様が直接出向くのか?﹂
使者を出せばいい話だろうに。
1697
﹁父上には内密なのでな﹂
ちょ、おい。
﹁今、信じられない言葉を聞いたぞ﹂
﹁正しくは全面的に任されておる、じゃな﹂
﹁ああそういうことか、後で報告するんだな﹂
﹁するわけなかろう。全面的に任されているのだから﹂
それを人は独断と呼ぶ。
﹁よく考えたら、そんなのリデア自ら赴く理由になってねーじゃね
ーか﹂
﹁怒られるじゃろ、わしが自ら共和国に乗り込んだと知られれば﹂
﹁だから使者を使えばいいと何度も⋮⋮自分で来なければならない
理由だあるんだな?﹂
﹁乙女のヒミツじゃ﹂
1698
月のない、暗い夜空の城下町。
未だ紅蓮や統一国家の闇を見ていないながらも、この町の夜は奇
妙に黒色が深い。
人どころか猫一匹いない町並みを、俺は簀巻きのまま窓からロー
プで吊されて眺めていた。
﹁なにやってんだろ、俺﹂
てるてる坊主である。きっと明日はいい天気。
﹁そんなに同衾は嫌か。不潔か。変態か﹂
ちょーっとからかっただけなのに。軽口には付き合ってくれるの
だが、こういうのは駄目らしい。
そういえば、昔もこんなことがあった。
もう二年近くも前だ。初めての冒険にツヴェーに旅をした時、こ
うして簀巻きにされた。
頭に血が上って大変だった︵物理的に︶記憶があるが、それでも
俺はあの頃は守ってもらう立場であり、子供として振る舞えた。
楽しかった。もう戻らない記憶の中は、いつだって黄金に輝いて
いる。
﹁ふふっ。まあ、たまにはこういうのも悪くはない。フフッ﹂
なんとなしに楽しくなって、身を捩って左右に揺れる。
﹁ママー、上から気持ち悪い笑い声が聞こえるよー?﹂
﹁しっ! 見ちゃいけません!﹂
1699
⋮⋮さっきまで猫一歩いなかったのに、なぜ親子が出歩いている
んだよ。
﹁殺人事件か?﹂
﹁いや、性癖らしい﹂
﹁これはまた、変態だな﹂
﹁本人にとっての幸せなのだろうさ﹂
﹁やるじゃねぇか、ナイス変態﹂
ぞろぞろと人が集まりだした。死にたい。
﹁変態だな﹂
﹁こいつは変態だ﹂
﹁ああ、間違いない。変態だ﹂
﹁変態と見て間違いない﹂
﹁変態頂きました﹂
どいつもこいつも変態呼ばわりしやがって⋮⋮隠密行動なのに目
立っているとはどういうことだコラ。
闇夜のせいで互いに顔は見えていないのだが、なんとかして誤魔
化さないと。
そう考えていると、宿の中からリデアの声が耳に届いた。
1700
﹁のじゃー!﹂
﹁悲鳴!? ⋮⋮悲鳴?﹂
のじゃのじゃと喚いている以上ただ事ではない。布団を魔法で解
き室内に飛び込む。
﹁レ、レーカッ! 助けてくれ、変態じゃ!﹂
仮面を付けた男がリデアに迫っていた。
﹁貴様、何者だ!﹂
﹁むっ! 私は︱︱︱﹂
﹁黙れ変態!﹂
彼女が助けを求めてきた以上、曲者には違いない。 ベッドの上で腰を抜かして後ずさりし、壁まで追い詰められたリ
デア。
それに迫る大柄な男︵仮面︶。
どう見ても変態である。
魔法を放てばリデアまで傷付ける恐れがある。男に飛べ蹴りを放
ち、距離を確保する。
﹁ぐはっ!? くっ、撤退である!﹂
男は躊躇いなく窓から飛び降りる。
素人ではないが格闘の専門家でもなさそうだ。脱出する動作には
1701
隙があり追撃も可能だった。
今回は護衛対象がいるので自重する。ちょっとギリギリだったが、
役目は果たせたようだ。
﹁変態だ! さっきまで窓から吊されていた変態が飛び降りたぞ!﹂
窓から身を乗り出して周囲の住人に対して情報操作しておく。変
態の汚名は仮面男に背負ってもらおう。
﹁変態仮面がそっちに行ったぞ!﹂
﹁変態がうつる! こっちくんな!﹂
﹁わ、私は変態では、くそっ覚えているのだぞ!﹂
最後に捨て台詞を残し、仮面の男が夜の闇へと消えていった。
宿の部屋は三階である。この高さから飛び降りるとは、なかなか
度胸のある奴だ。
﹁大丈夫か?﹂
﹁あ、ああ。問題ないのじゃ﹂
﹁紅蓮って感じでもなかったが、明日は宿を変えるべきだな﹂
胸に手を当て深呼吸するリデア。俺が吊されている間に着替えた
らしい、可愛い寝間着である。
﹁まさか初日から場所を特定されるとは思わなんだ、ああ吃驚した﹂
1702
﹁すまん、俺も少し油断してた。次は怖い思いはさせない﹂
ベッドの上に胡座で腰を下ろす。
﹁ちゃんと見張っておくから、もう寝とけ。明日はきっと忙しいぞ﹂
﹁う⋮⋮む﹂
横になるリデア。部屋そのものが狭いので、彼女もすぐ側だ。
互いに手が届く距離だなと考えていると、彼女もそう思ったのか
俺の手を掴んできた。
﹁ん?﹂
﹁結界魔法を張る。見張りまではしなくていいぞ﹂
少し長めの詠唱の後、魔力が広がるのを感じた。
﹁名高き魔導姫の結界なら安心だな。で、なんで手を掴んでいるん
だ?﹂
﹁⋮⋮ここは、敵陣のど真ん中なのじゃ﹂
頷いて相槌をうつ。
﹁平気じゃと思っておったが、いざ襲撃されると怖かった。魔導姫
が聞いて呆れるな、わしには覚悟が足りん﹂
﹁お前考え過ぎて同じ場所をグルグル回るタイプだろ?﹂
1703
﹁な、なんじゃ失敬な。⋮⋮だが言い得て妙かもしれん。だからこ
そ、イレギュラーは希望じゃったしな﹂
﹁そのイレギュラーっての、ルビふるとしたら?﹂
乱入者
﹁イレギュラー、かの。グルグル回って悩んでいるところに、無神
経で乱入されてなんかどーでもよくなってしまう感じじゃ﹂
誉めてんのかそれ。
﹁お主だけが今宵の頼りじゃ。⋮⋮頼って、いいか?﹂
﹁美少女に頼られるとは冥利に尽きるな。頼れ頼れ﹂
﹁これは同衾ではないからな﹂
﹁寝ろっての﹂
あやすように頭を撫でると、リデアは唇を尖らせる。
﹁子供扱いしおって﹂
しばらくぶつぶつ言っていた彼女だが、やがて寝息が聞こえてき
た。
﹁子供じゃねぇか。⋮⋮いい夢を、お姫様﹂
1704
復興した共和国首都、だがここだけは空気が違った。
一晩明けて宿を後にした俺達は、最初にここに立ち寄ることにし
た。
どうしても見ておきたかったのだ。ある意味、全てが始まった場
所を。
﹁ここで、彼女が亡くなった⋮⋮殺されたのじゃな﹂
﹁ああ、そうだ﹂
今でも鮮明に覚えている。異世界に戸惑う俺を優しく迎え入れて
くれた憧れの女性が、目の前で物言わぬ物体となった瞬間を。
中央広場。ナスチヤの公開処刑が行われた、あの日を象徴する場
所。
変身魔法の維持の為、リデアと繋いだままの片手がクイと引かれ
た。
隣を見ればお祈りをするリデア。
追悼をする人物は他にも多数。
今日は事件から丁度一年。今日という日を紅蓮の支配下のまま迎
えたことに、誰もが陰鬱な思いを抱いているのは間違いない。
俺も片合掌を行う。死者への祈り方なんて手を合わせるか線香く
らいしか知らない。
﹁⋮⋮さて、朝飯にするか﹂
﹁あっさりしておるの﹂
1705
﹁いや、だって﹂
首を傾げるリデア。しかしそれ以上の言葉は出てこなかった。
﹁⋮⋮そこの屋台でいいか?﹂
﹁う、うむ﹂
片手を繋いだままお金を扱うのは難しかった。
﹁リデア、ちょっと財布持ってて﹂
﹁こ、こうか?﹂
﹁小銭を出すから、あれ小さいのしかないな﹂
﹁ととと、あまり傾けるな﹂
﹁もうちょっと右、いや俺から見て﹂
﹁なんで君達、二人三脚で財布から金を出しているんだい⋮⋮?﹂
怪訝な顔をする屋台の店主にもたついたことを詫び、ドネルケバ
ブに近い料理を片手にベンチを探す。
ドネルケバブ。肉をスライスして重ね、バームクーヘンと同じ要
領でくるくる回して火を通す。それを少しずつ削ぎ落として野菜と
共にパンなどに挟む、日本ではあまり馴染みがないが地球世界的に
は割とポピュラーな軽食である。
﹁飲み物を買わんのか?﹂
1706
﹁片手はもうドネルケバブで埋まってるし、後にするしか⋮⋮おぉ
う﹂
ドネルケバブがふわりと浮いた。魔法スゲェ。というかリデアが
制御力がスゲェ。
コーヒーを二つ購入し、手近なベンチに腰掛ける。
﹁こういう外での食事は初めてじゃ。雑な味じゃのう﹂
文句を言いつつも、笑顔なので気分は良いようだ。
﹁おお、このコーヒーはまるで泥水じゃな。苦い苦い﹂
﹁作り置きだしな﹂
俺もゼェーレストの生活で舌が肥えているはずだが、粗雑な味に
慣れてしまった感がある。
﹁お隣、いいですか?﹂
﹁あ、はいどうぞ﹂
ベンチはかなり埋まっている。座ろうと思えば相席は避けられな
い。
俺の隣に座った女性。彼女もまた朝食なのか、手作りらしきサン
ドイッチを食べ始める。
あまりじろじろ観察するのも失礼なのだが、なんだか気になって
彼女を盗み見てしまう。
マリアだった。
1707
﹁ぶふぅ!?﹂
﹁のわぁ!﹂
﹁きゃっ!﹂
コーヒーを吹いた。
﹁なんなのじゃ急に! 汚いのう!﹂
﹁す、すまない。咽せた﹂
ハンカチが隣から差し出される。
﹁どうぞ、お使い下さい﹂
くすくす笑いを堪えて刺繍の入ったハンカチを持つマリア。
その笑いが﹁気にしていません﹂というアピールの演技だってこ
とくらい、俺達の間柄なら解る。
﹁マ⋮⋮﹂
︱︱︱そうか、変身魔法を使っているんだった。
マリアは俺が零夏だと気付いていない。
﹁⋮⋮豆が深煎りだったみたいです。ほら、子供だし苦いのは苦手
で﹂
﹁は、はあ、そうなのですか?﹂
1708
困り顔になってしまった。いきなり豆の話をされれば当然だが。
ハンカチを手の平を示し遠慮し、食事に戻る。
気付かれないように、しかししっかりとマリアを観察する。
以前と変わらずポニーテールだ。朝日に明るい茶髪が輝く。
良かった、ひょこひょこと揺れる彼女の髪はお気に入りなのだ。
マリアといえばポニー、ポニーといえばマリアと言っても過言では
ない。
幼さの残っていた面持ちは、今や大人の美貌へと昇華されている。
身長も伸び、既に一七〇はあるだろうか。俺はまだ十二歳なので
追い抜く可能性も高いが。
見れば見るほど同一人物なのに、雰囲気の変わりように驚いてし
まう。
そこにいたのは、俺の知らない大人の女性であった。
︵また、えらい美人になったなぁ︶
現在は一五才か。変化が大きな年頃とはいえ、この進化は予想外
だった。
容姿もそうだが、スタイルもまた変化している。元より発育のい
い子だったが、今や誰もが羨む黄金比であろう。
美しい、という言葉を形にしたような存在が目の前にはいた。
﹁あの⋮⋮?﹂
戸惑った瞳を俺に向けるマリア。いかん、ガン見していた。
﹁えっと、すいません。あまりの美しさに見とれてました﹂
家族に何言ってんだ俺は。
1709
﹁あら、いけませんよ? 女の子をエスコートしているのでしょう
?﹂
リデアが頬を膨らませていた。彼女とそういう関係だと思われた
のか?
そりゃあ、手をがっちり握りあっていたら勘違いするのも無理は
ないか。
﹁ところでなぜこんな場所で朝食を? それ、手作りですよね?﹂
俺がマリアの手料理を見間違えるはずがない。キャサリンさんと
マリアの料理を見分けるのは困難そうだけど。
ガイルの実家に住んでいるものだと考えていたのだが、だとすれ
ば外で朝食を済ませる理由が判らない。
﹁夜勤だったので。私は航空ギルドの職員なのです﹂
マリアがギルド職員? どうしてまた?
疑問ではあるが、そこまで探れば流石に怪しまれる。真っ当な仕
事をしているなら文句はない。
﹁それに、今日はここに寄りたかったんです﹂
そう言って、彼女は空を見上げた。
丁度、あの人を殺した処刑台のあった辺りを。
﹁貴女も、祈りにきたんですね﹂
﹁貴方も、ですか?﹂
1710
﹁⋮⋮はい。大切な人を、一年前に失いました﹂
なんて白々しい。二つの意味で、だ。
彼女を騙していることと、そして⋮⋮
﹁祈ったって、あの人と話せるわけでもないのに﹂
リデアに言い渋った、死者への祈りと真摯に向き合えない理由。
つい吐露してしまうのは、相手が姉のような少女だったからか。
初対面の女性では、ある程度交友があろうとこんな弱音を吐くこ
となんて有り得ない。
﹁こんなことをしたって、死者は死者だ。祈りなど生者の自己満足
だ﹂
リアリストな自分が、祈りなど無駄だ、と耳元で囁くのだ。
﹁⋮⋮自己満足、というより︱︱︱自分の番に備えているんじゃな
いかしら﹂
マリアは少し目を見開き、しばし黙考した後に言葉遣いを崩した。
﹁自分の番?﹂
﹁死者に祈るような人であれば、その人が亡くなっても誰かが祈っ
てくれるでしょ? たまには誰かに思い出してほしい、そんな願い
がお祈りなのかもしれないわ﹂
祈りは死者を思い出す為のもの、か。
1711
﹁なんだか、そんな気もしてきた﹂
﹁ちゃんとその人を思い出してあげてね、もう記憶の中にしかいな
いんだから﹂
家族なのに他人として会話する、不思議な距離感。
どこかふわふわした気分に浸っていると、リデアに脇腹を抜き手
された。
﹁ぐへっ!?﹂
﹁のう、少し訊いていいかの?﹂
リデアは俺越しにマリアに質問をする。
﹁この国では、紅蓮の者達に対抗して活動する者はおるじゃろう?
その者達は戦ったりはするのか?﹂
直球勝負な探りだなおい。
﹁レジスタンス? 直接戦ったなんて話は聞いたことがないけれど﹂
﹁一切?﹂
﹁そうね、基本的にはコソコソと動いているみたい﹂
なんだかマリア、変に詳しくないか?
﹁今度は私が質問していいかしら?﹂
1712
﹁なんじゃ?﹂
﹁二人はどんな関係なの?﹂
繋いだ手を凝視するマリア。
﹁切っても切れない関係じゃ﹂
魔法効果的に?
﹁ふーん﹂
マリアはランチセットを仕舞い、その場から立つ。
﹁もう行くわ。またご縁があれば一緒に朝食をしましょう﹂
﹁︱︱︱ん。また、な﹂
途中から態度が変わったあたり、なにか感付かれていた気がする。
レジスタンスのリーダー探しを開始したはいいが、隠れて活動し
ているからこそのレジスタンスであり。
彼らの活動はマリアの情報から軍事行動の妨害や諜報活動、施設
1713
等の破壊活動に限定されると推測される。
民間人と軍との戦闘行為は行われていない。まあ、設立から長く
て一年では未だ雌伏の時なのが当然だ。
そもそもレジスタンスが戦おうと思えば脆弱であろうと武器や兵
器が必要だ。武器を揃えるには資金が必須であり、それこそリデア
の今回の旅の目的なのだから戦闘が現時点で起こらないのは当然。
リデアはレジスタンスの支援をどのような形で行うつもりなのか。
安価で扱いやすく優れた兵器を大量に容易しなければならないのだ
が、それが可能なら苦労しない。
閑話休題。
リデアとレジスタンスをどう探すか話し合った結果、この作戦を
採用した。
﹁俺はレジスタンスだぞー! 悪い紅蓮の兵士を倒すのだー!﹂
﹁キャー、カッコイー﹂
呆れ顔のリデアを引き連れて、路地裏にてレジスタンスごっこで
ある。
狭い裏道にはそれなりに人目があるが、皆俺達を避けて歩く。
面道事に巻き込まれたくないのだろう、当然の判断だと思う。
﹁むむっ! あそこからテロリストの邪悪な気配が! 行くぞ部下
二号﹂
﹁一号は誰じゃ﹂
遊んでいる子供のフリなわけだが、時折﹁そういうことは大まっ
ぴらに口にしてはいけないよ﹂と窘めてくる人がいる。それこそが
この作戦の目的だ。
1714
レジスタンスのリーダーを一息に探すのは難しい。ならば、先に
構成員を見つけるべき。
しかし構成員とて一般人に紛れているので簡単には見つからない。
故に誘い出しているのだ。
レジスタンスごっこをする子供に話かける大人は二パターン考え
られる。
危険分子として補導する軍人か、その危険性を憂慮し叱る一般人
か。
後者が現れ次第所持品を全力解析。武装していればレジスタンス
の可能性アリ、という寸法だ。
﹁完璧な作戦だな﹂
﹁これ以上なく穴だらけじゃ﹂
﹁代案を思い付かないならだまらっしゃい﹂
やっていることは見た目幼稚なので、幾らでも誤魔化す余地があ
る。
可能性の前者、軍人と出くわせば蹴散らす気マンマンである。俺
達は共に魔力に優れている身、手を繋いだままであろうと火力で勝
てる。
﹁見つからないなぁ﹂
﹁見つからんのぉ﹂
数時間後、リデアがちょっとぐったりしてきた。
﹁休憩せぬか?﹂
1715
﹁そうだな、休憩せぬ方針でいこう﹂
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
﹁睨むな、冗談だ﹂
裏道には店などあまりない。一度表通りに出て⋮⋮
﹁⋮⋮悲鳴﹂
﹁ん? なっ、どうしたのじゃ?﹂
困惑するリデアの手を引き、俺は聴覚の信じるままに駆け出した。
﹁だからよー、ここは俺らのテリトリーなわけよ? ルールはちゃ
ーんと守って、払うモン払ってくれないと困るなぁ﹂
﹁そんな! ただの恐喝じゃないですか!﹂
﹁ああ? なんだ、逆らうの? いけないお嬢さんだなあ、これは
教育が必要か?﹂
ヘラヘラと下卑た笑いを浮かべ女性を壁際まで追い詰める男達。
﹁お前達、何をしている!﹂
1716
﹁ナパームロンド!﹂
﹁うっわ熱ちぃ!?﹂
状況を理解したリデアは抜き打ちで男達に炎を放った。
﹁⋮⋮どうだ俺の力は!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
無言で手の平を俺へと向けるリデア。魔法怖いです。
﹁てめぇら、何しやがるっ!﹂
﹁お前達こそ何を︱︱︱な、お前ら!?﹂
男達が着ている服に、俺は驚愕した。
﹁その軍服、お前ら共和国軍人か⋮⋮!﹂
紅蓮の構成員が偉ぶっているのは解る。だが⋮⋮
﹁どうして、この国の軍人が女性を脅しているんだ!﹂
共和国の安全と治安を守っていた共和国軍人、紅蓮に国を乗っ取
られようとその在り方は普遍であると思っていた。
それがどうだ。これではまるで、いやチンピラそのものではない
か。
1717
﹁チッ、うるせーな! おい、こいつらやっちまおうぜ!﹂
怒る軍人達だが、俺はそれ以上に頭にきていた。
﹁一年で誇りもなくしたか、恥知らずめ!﹂
﹁んだと!?﹂
﹁紅蓮に生き殺しにされた挙げ句、愛玩動物に成り下がりやがって
! 今の貴様らは駄犬にすら劣る!﹂
﹁なっ、うるせぇ⋮⋮!﹂
﹁貴様らには奴隷の安泰がお似合いだ!﹂
自分でも驚くほどの激昂であった。
きっと俺は期待していた。俺が共和国を離れても、誰かが、共和
国の軍人がこの町の人々を守ってくれるって。
しかし現実には、共和国軍人とて腐ってしまった。
全てがこうではないのだろう。未だ頑張っている軍人もいるはず
だ。
だが規律なくして軍は成り立たない。個々の良心に頼っていては
治安は守れない。
そんな曖昧なものに期待して、この地でも民間人には被害が及ん
でいないと思い込んでいた俺が愚かなのだ。
⋮⋮いや、そもそも俺に彼らを責める願う資格はない。俺はこの
町を見捨てて逃げ出したのだから。
﹁︱︱︱自分の脳天気っぷりにも腹が立つが、まずはお前らだ。お
灸を据えてやる﹂
1718
﹁ウダウダ言ってんじゃ︱︱︱﹂
甲高いエンジン音が、狭い裏路地に反響した。
続いてパラリラパラリラ、というラッパの音。
﹁やべぇあいつらだ!﹂
﹁くそ、逃げるぞ!﹂
急に慌てだした共和国軍人。俺はこのプロペラの風切り音が混ざ
ったガスタービンエンジンに覚えがあった。
﹁行くぜヒャッハー!﹂
﹃ィヤッハァー!!﹄
道になだれ込んできたのは、世界最小の航空機。
﹁エアバイク!?﹂
モヒカンやトゲトゲの個性豊かな連中が、エアバイクに跨がり押
し寄せてきたのだ。
﹁野郎ども逝くぞオラァ!﹂
﹃応ッ!﹄
俺は咄嗟にリデアを守るように立つが、彼らの目的は共和国軍人
だったらしく。
1719
﹁こっちに来いや餓鬼共!﹂
﹁あ、はい﹂
むしろ、俺達と女性の三人は安全な場所まで誘導されるのであっ
た。
﹁あ、ありがとうございましたっ﹂
お礼をしつつも恐怖に引きつった顔で逃げ去る女性。恐喝してき
た軍人以上に目の前のスキンヘッドにピアスだらけの顔に怯えてい
た。
しょんぼりと傷付いた様子のスキンヘッド。純なのな。
﹁助けてくれて感謝なのじゃ﹂
﹁ありがとう﹂
揃って頭を下げる。
﹁お? おお、いいってことよ! だがああいうの、長生きできな
いぜ! 嫌いじゃねぇがな!﹂
1720
親指を立てニカッと笑うスキンヘッド。
﹁して、お主らは一体?﹂
﹁変な喋り方だな、乳臭い嬢ちゃん!﹂
﹁乳臭⋮⋮﹂
﹁俺たちゃドリット最速連合だぜ! 主にこの町の治安を守ってる
んで夜露死苦!﹂
ドリット最速連合、どこかで聞いた気がするが。
﹁ひょっとしてお主らがレジスタンスか?﹂
﹁いいえ、違いますよ?﹂
急に丁寧語になった。
﹁なあ、あれって共和国の軍人⋮⋮だよ、な?﹂
﹁そうだぜ。あんの恥知らずどもぁ、タガが外れて好き勝手やって
やがる! まあやらせねーけど! ねーけど!﹂
はっきりと肯定されて、改めてショックだった。
﹁国を守るはずの軍人が、あんなザマなんて﹂
﹁まともなのも沢山いるんだぜ? けど一年どっぷり腐った環境で
暮らしてりゃ、なにが正しくてなにが外道なのか、よく解んなくな
1721
っちまうみたいだ﹂
それは少し解るかもしれない。
こんな話がある。とある大都市の地下鉄ではスプレーによる落書
きが絶えなかった。そこでちまちま対処するのではなく一挙に落書
きを消したところ、それ以降落書きは描かれなくなったのだ。
つまり、周りがやっているから自分もやっていい。そう考えてし
まうのが人間なのである。
﹁見ろよ、例えばあの女なんてなぁ﹂
スキンヘッドは少し遠くの男女を指差す。
男の方は⋮⋮あの軍服は、紅蓮なのか。
紅蓮の赤い制服を見ると、やはり怒りが沸き起こる。紅蓮の騎士
団にだって色々いるんだろうけど、これは仕方がないと思う。
紅蓮の男に腕を絡めて歩く女性。一目で彼らが親密な関係だと判
る。
その女性の顔を見て、俺は驚きのあまり呼吸が止まった。
﹁あの別嬪さん、一年前のテロで家族を殺されたって噂だぜ。それ
が今じゃ紅蓮の男に愛想を振り撒いてやがる、プライドねーのかよ
ってな!﹂
スキンヘッドのうるさい声も聞こえず、俺は女性を見続けていた。
冷めたい汗が流れる。嘘だ、そんなはずがない。
﹁む、あの女性は⋮⋮おい、どうしたレーカ? 顔色が悪いぞ?﹂
背中をさすってくれるリデア。だが俺は彼女に礼をする余裕もな
く、ただ弱々しく呟くことしか出来ない。
1722
﹁⋮⋮嘘だ、なんで﹂
﹁おい、レーカ!﹂
俺はそのポニーテールに髪を纏めた女性を睨み、唸るように言い
放つ。
﹁どうして、どうしてだ、マリア⋮⋮?﹂
1723
レジスタンスとメイドさん 1︵後書き︶
>おもしろかったです。
ありがとうございます。
>B−1スピリットとありましたが、形状からしたらB−2スピリ
ットじゃないでしょうか。B−1はランサーですし。
あと、冷蔵庫一時間は相当きついんじゃ⋮
ご指摘ありがとうございます。型番を間違えるなんて恥ずかしい
⋮⋮
冷蔵庫は例えで、防腐魔法がかかっているだけで冷たくないので中
でも平気という設定です。
∼♪︵どうしよう、深く考えてないなんて言え
Q最初の戦闘のダンスリザード、魔物って生殖で増えないんじゃ
なかったの?
A︵; ̄з ̄︶
ない⋮⋮︶
リデアが歌っていたのは私が好きなアニメOPを改変したもの。
イメージでなんとなーくばれるかも。
1724
レジスタンスとメイドさん 2︵前書き︶
執筆に使用しているスマホや機器を更新したので、表示が変だった
りするかも。
というか打ちにくい⋮⋮
1725
レジスタンスとメイドさん 2
sideマリア
一年ぶりに再開したレーカ。
実を言えば、以前から私は彼のことを弟分として見てなどいなか
った。
最も身近な同年代の男性、それだけでも意識するには充分だ。
それに、彼はいつだって真摯で格好いい。都会で生活するように
なって、彼のような大人な男性がどれだけ貴重な存在かがよく解っ
た。
そう、私は既に彼にどうしようもなく恋慕していたのだ。
そして現在、再会したレーカはとっても素敵な殿方になっていた。
気配りの出来る、私の王子様!
﹁おや、どうしたんだいマリア?﹂
ほら、こうして今も私の些細な変化に気付いてくれる。
﹁な、なんでもないわっ︵ポッ︶﹂
やだ、恥ずかしくて顔が見れない//////
1726
﹁なーんちゃって、えへへ、げへへへ﹂
﹁おーい、帰ってこーい﹂
﹁頭がイッちまってやがる﹂
放心して譫言を繰り返す俺を、リデアとスキンヘッドは駄目なも
のを見る目で観察していた。
﹁おかしーなぁ、マリアは俺の嫁なのに﹂
﹁色々と残念な男じゃ﹂
﹁思春期にはありがちな勘違いだぜ﹂
やれやれと首を振る二名。
1727
﹁はっ!? 俺は一体何を?﹂
﹁好意を向けていた女子に対して当人の意思を無視した婚約を結び
それを他者に流布して⋮⋮﹂
﹁やめて包み隠さず説明しないで﹂
ちょっと意識が迷子でした。
﹁紅蓮の騎士と女が動きましたぜ!﹂
﹁どこに行く気だ⋮⋮? 追うぞ!﹂
﹁いやレジスタンス捜しはどうするのじゃ﹂
﹁後回しだ!﹂
親しげに腕を絡める二人をこそこそと三人で追いかける。
﹁ところでなんで着いてくるんだ、スキンヘッドよ﹂
﹁いいじゃねーかアニキ!﹂
誰が兄貴だ。
﹁あれは、船の停留所か﹂
エアシップ
人々の重要な交通の便、小型級の飛宙船によるバス停だ。
エアバイクが普及してきたとはいえ、街中では公共機関を利用す
1728
る方がなにかと楽なことも多く、今でも多くの乗客が巡航飛宙船を
利用している。
着陸した空飛ぶバスに紅蓮の騎士とマリアは乗り込む。俺達もこ
っそりと乗船し、後ろの方の席に着席する。
﹁むむむ、べったりしやがって⋮⋮!﹂
ギギギギ、悔しいのう悔しいのう。
﹁見苦しい、歯軋りが聞こえてきそうじゃ﹂
﹁この船は⋮⋮げっ、ゼクスト行きじゃねーか! クレイジーだぜ
!﹂
スキンヘッドがヘッド・バイキングをしはじめた。お前がクレイ
ジーだ。
﹁ゼクストってのはどんな場所なんだ?﹂
﹁やべー町だ!﹂
もっと具体的に。
﹁首都から船で数時間の、工業の町だぜ! けど今じゃ職人が馬車
馬みてえに働かされて、紅蓮が使う兵器を作らされているってウワ
サだな!﹂
﹁⋮⋮そうか、なぜマリアがそんな場所に⋮⋮﹂
﹁ゼクストは元々大工房が集まって出来た町だ! 砂っぽいところ
1729
でよ、お肌がカサカサになっちまう!﹂
お前のスキンケアに関しては管轄外だ。
﹁元々住んでた連中も災難なんだけどよ、外から連れてこられた奴
ってのもいるそうだぜ﹂
﹁どんな人達だ?﹂
﹁見てくれアニキ!﹂
飛宙船の窓越しにスキンヘッドが指さす方向には、廃墟と化した
屋敷が存在した。
年月による風化ではない。小さな穴が沢山穿たれ、建物は大きく
抉れている。
ストライカー
﹁空からガトリングで反撃を封じて、人形機による制圧ってところ
か。⋮⋮実行犯は共和国軍だな﹂
﹁なんだ、知っていたのかよアニキ?﹂
メインソードシップ
そうではない、壁の銃創が20ミリガトリングの威力と密度だと
判断したまでだ。紅蓮の主力戦闘機である初音21式は機関砲が数
門︵タイプによって数が違う︶だから、あそこまで銃弾が綺麗に密
集しない。
﹁ここは裁判官のおっさんが住んでたっつーか?﹂
﹁裁判官? なぜ司法の人間が粛正対象に?﹂
1730
﹁反発したからだ、紅蓮は逆らわねーヤツには優しいぜ﹂
無頓着ともいうがな! とゲラゲラ笑うスキンヘッド。
﹁あやつらの、ラスプーチンの演説を覚えておるか?﹂
リデアが会話に割り込んでくる。
﹁戦闘中だったから聞き流していたよ﹂
﹁わしはそらんじられるぞ﹂
彼女は朗々と、聞き覚えのある演説を暗読する。
見えない境線を払い取り世界をあるべき姿に戻
そう絶対的な管理の元に思いのままに殺し合う、そん
﹁我々は誓おう、
すことを。
農夫が農夫として、奴隷が奴隷として
そのような倫理観は、人と
存分に腕を振るえる社会を。
な理想の世界を。権利も収入も義務も平等とし、騎士が騎士として、
力なき者をなぜ守らねばならない? そして切り開け。
貴様等が愚鈍なのが、その惨めさの理由だ。
いう種に後付けした拘束具でしかない。背負え、
甘えるな弱者共が。
世界は弱肉強食。それを覆そうとするからこそ、歪みが生じ謂われ
るだろう﹂
我々はそれを肯定しよう。不条理を認められる人間などい
なき罰を受ける者がいるのだ。気に食わないのなら、欲するのなら
奪え。
ない。だが、平等の元に死ぬのならば、誰もが納得出来
三行で頼む。
﹁一行で充分じゃ。﹃秩序ある混沌﹄、この社会には司法は確かに
不要じゃな。正義を決めるのは善悪ではなく腕っ節の強さなのじゃ
1731
から﹂
﹁そんな無茶苦茶な。司法なし国家ってどうなるんだ﹂
﹁法なき太古の時代は決闘こそが裁判だった。弱者にとっては地獄
のような時代じゃが、騎士にとっては最高の時代なのじゃろう。騎
士の誇りなど結局は強者の理論なのじゃ﹂
勝てば官軍、勝てば法、勝てば正義。誰も異を唱える者などいな
い、発言を許されるのは勝者だけなのだから。
﹁治安悪化の度合いは場所によるとしか言いようがない。ドリット
は落ち着いた場所じゃからそうそう一気に荒れはせんじゃろう﹂
﹁だといいが﹂
共和国の横暴を見てしまった後では、その言葉にも簡単には安心
出来ない。
﹁ハッハー! 最高にハイって奴だぜぇー!﹂
目の前で荒れているハゲが一人いるしな。
﹁だが間違えてはならんのは、社会形式に正解などないということ
じゃ。紅蓮の思想は資本主義を突き詰めた究極の格差社会とも言え
る﹂
﹁競争原理が働いてこその資本主義だろ﹂
ここまで極端だと相手を叩き潰してしまい、大商会が貴族以上の
1732
権力を有してしまう。
独占状態となった市場では競争など起こりにくい。結局末路は停
滞だ。
﹁ようはバランスじゃよ。なんだって極端はよくない﹂
空を仰ぐリデア。真上を真新しい大型級飛宙船が通過して、バス
船の中を闇に落とす。
﹁下があるなら上も当然ある、ここ一年で成り上がった勝者も確か
にいるのじゃ﹂
⋮⋮監視されている。
乗客の数人がこちらを意識しているのだ。
それだけではない、時折遠くの建物の窓が光るのは、双眼鏡でこ
ちらを見ているからだ。
明らかに包囲された状況、しかし俺は困惑していた。
なぜなら、視線から割り出した監視対象はどうやら俺やリデアで
はなく︱︱︱
﹁⋮⋮ん?﹂
船は停止した。
1733
﹁なんじゃ? 町に入らんのか?﹂
﹁リデ⋮⋮リンちゃん、俺の側にいて﹂
﹁リデリン?﹂
数体の人型機が船の進路を塞いでいた。
軍じゃない、機体のセッティングがバラバラだ。
ならば必然的に、彼らはレジスタ︱︱︱
﹃久々の大獲物だ、気ぃ引き締めろてめぇら!﹄
﹃むはは、獲物だ獲物だ!﹄
﹃ぎゃはははは! ぶっコロガセー!﹄
︱︱︱あれ、レジスタンスかと思ったが、賊?
﹁アニキ、レジスタンスっすよ!﹂
﹁あ、よかったレジスタンスで正解だったか﹂
スキンヘッドは両手をパンと合わせ頭を下げる。どうした。
﹁隠していてすまねぇ! 実は俺もレジスタンスなんだ!﹂
知ってた。
エアバイクがあちこちから出現し、船を取り囲む。
﹁この船に紅蓮の騎士が乗っているのはバレバレだ!大人しくツラ
1734
貸せや!﹂
武装したヒャッハー達が船に乗り込んできた。武器は剣や杖か。
セルファークでは素人の銃より訓練した剣の方が強い。訓練によ
る身体能力向上の上限が高いので、戦闘機が存在するようになって
も地上では剣や弓といった原始的な武器が現役なのだ。
﹁ひぃぃ!﹂
﹁おっ、お助けを!﹂
﹁カタギにゃあ手は出さねえ、とっとと紅蓮でてこいや!?﹂
自演乙。
真っ先に悲鳴を上げたのはこちらを監視していた乗客だった。﹁
皆さんを傷付けませんよ﹂アピールの芝居だろう。
﹁オラ!? ⋮⋮お立ち下さい﹂
﹁おうよ﹂
なに今の応答。
レジスタンスの隊長らしきヒャッハーは紅蓮の騎士に凄んだ後に
手を差し伸べ、騎士は偉そうに頷き︵意外と高い声だった︶立ち上
がった。
﹁てめぇもだメス犬が! どうぞ、こちらへ﹂
﹁ええ﹂
1735
マリアも連れて行くのか?
﹁段差があるぜ、背中と足元には気を付けな!﹂
﹁ありがとう﹂
⋮⋮レジスタンスって意外と紳士なんだな。
紅蓮の騎士とマリアの行方を追いかけがてら、俺達はスキンヘッ
ドの案内でゼクスト郊外の小屋へと辿り着いた。
﹁ここにレジスタンスのリーダーがいるのか﹂
﹁いや、リーダー代理しかいねぇはずだ。あね、リーダーは超多忙
だからな!﹂
スキンヘッドにレジスタンスとの接触を頼んだら、まさかのリー
ダーとの面識がある、との回答。スキンヘッド意外と偉かった。
しかし小屋といっても、飛行機や人型機を格納する為のカマボコ
みたいな形の格納庫だ。それなりに大きい。
中には作業用と思しき鉄兄貴。本当にどこでもあるなコイツは、
さすがベストセラー。
﹁こっちだ!﹂
1736
スキンヘッドが鍵のかかった木箱を開くと、その中は地下への階
段となっていた。
﹁そりゃ、これくらいはやるよな﹂
﹁防空壕を兼ねておるのじゃろ﹂
リデアが俺の手をぎゅっと握る。
変身魔法の維持の為ではなく、不安なのだろう、手が少し震えて
いる。
スキンヘッド、俺、リデアの順で階段を降りていくと、そこは小
さな部屋だった。
室内は土が剥き出しの壁であり、机と地図程度しかない。
そんな狭い場所にいたのは五人のみ。俺達が加わっても八人だ。
﹁チュリース!﹂
﹃チュリース!!﹄
トランプタワーを作っていたモヒカンやリーゼントがスキンヘッ
ドと挨拶を交わす。
﹁レジスタンス内で使用されている挨拶じゃろうか?﹂
﹁違うと思うよ﹂
真顔で推測するリデアにつっこんでいると、最奥の男が立ち上が
った。
1737
﹁おや、貴女自らここへ乗り込んで来るとは⋮⋮もう少しご自愛し
ていただきたいですな、姫様?﹂
﹁ヒメ⋮⋮?﹂
スキンヘッドがリデアをジロジロと見る。慌ててリデアを部屋の
隅へと連行し、秘密会議を開催。
︵おい、正体ばれているぞ!?︶
︵当然じゃ、あの男はわしが送り込んだのだからな︶
ああ、そういうことか。なら知られてて当然だな。
︵⋮⋮ちょっと待てや。どういうことだ、それ︶
リデアの手配した男がレジスタンスのリーダー代理を勤めるとな
ると、むしろきな臭くてびっくりだ。
まさかレジスタンスそのものがリデアの傀儡となるべく集められ
た組織ではないか、そうとすら思える。
︵支援じゃよ、支援。組織作りや戦闘のノウハウがある軍人を送り
込んでおきレジスタンスをそれなりの形にしておきたかったのじゃ︶
︵あの人は帝国軍人なのか︶
︵はて? お主は会ったことがあるじゃろう?︶
そう言われると、なんだか見覚えがあるような。
リーダー代理は精悍な顔付きの、壮年の男性だ。軍人然とした硬
1738
さには溢れているが、誰だったかまではちょっと思い出せそうにな
い。
﹁どうかなさいましたか?﹂
﹁い、いえ﹂
今回は色々と裏がありそうで胡散臭い案件だが、とりあえず腹を
くくってみよう。
﹁初め⋮⋮まして? 俺はレーカ、主に帝国で自由天士をやってる。
白鋼といえば判るかね?﹂
﹁なーにが﹃かね﹄じゃ⋮⋮﹂
嘗められないように強気に出ただけだ。他の連中は彼が帝国軍人
だと知らないだろうし、表向きはこれがファーストコンタクトなの
だから。
リデアも負けじと一歩前に出る。
﹁そしてわしが、何を隠そう帝国の美姫リデ︱︱︱﹂
﹁うおー、マジモンの白鋼だぜ!﹂
﹁サインくれ、いえ下さい!﹂
﹁アニキと呼ばせてくれー!﹂
レジスタンス達は彼女の自己紹介など知ったことかとばかりに俺
に詰め寄ってきた。
1739
﹁な、なんだお前ら、暑苦しい密集するな!﹂
胸を張ったまま固まったリデア。無視されたことがショックだっ
たらしい。
﹁はっはっは、白鋼といえば紅蓮の騎士団にレジスタンスにとって
の憧れですからね﹂
現状を解説するリーダー代理。知名度が上がるということは周囲
偶像
に注目されるということ、味方の多い帝国では安全となり、敵の多
い共和国では危険となっていく。
狙い通りといえばその通りなのだが、なんにせよアイドルは真っ
平御免だ。
﹁姫なんッスか?﹂
﹁う、うむ﹂
﹁姫なんッスね?﹂
﹁いや、もうほっといてくれ⋮⋮﹂
消沈するリデアに妙に興味を示すスキンヘッド。
なんだお前、姫フェチか。
﹁初めまして、ということで。私は藪医者と呼ばれています。本名
は姫様に聞いて下さいね﹂
医者? 軍医なのだろうか。
1740
﹁あー、藪医者殿?﹂
﹁はい。我々に接触したご用件ですが⋮⋮﹂
リデア
﹁それは彼女が復活してからにしよう、それより聞きたいことがあ
るんだが﹂
視線で続きを促すリーダー代理。俺は頷いて問う。
﹁紅蓮と元共和国軍の衝突が少な過ぎないかね?﹂
﹁その不自然な口調やめてもらえませんか?﹂
サーセン、そうします。自分も疲れてきた。
﹁祖国を奪われた軍人が、紅蓮の指揮下に素直に入るとは思えない。
そういうことですね?﹂
﹁はい﹂
一年前のラウンドベースとの戦い、敗北が決した後に逃げ落ちる
共和国天士達の悔しさは無線を通してひしひしと伝わってきた。
そんな彼らが完全に押さえ込まれているのが、どこか不自然に思
えたのだ。
﹁実際に紅蓮の考え方を思想として支持している人はほとんどいま
せんよ﹂
そりゃそうだ。
1741
﹁でも多重の相互監視体制と事実上の人質のせいで疑心暗鬼になっ
てしまい、横の繋がり、反乱分子同士の連携がとれないのです﹂
だからこそレジスタンスのまとめ役を、帝国側から指名する必要
があったのか。
﹁貴方ではなく、本来のレジスタンスのリーダーさんは? 各地の
レジスタンスを纏められていないのですか?﹂
﹁ああ、彼女はなんというか⋮⋮象徴のようなものなので﹂
象徴?
﹁レジスタンスの構成員達は妙に彼女を慕っているのです。カリス
マと言い換えてもいいのかもしれません﹂
﹁つまり、人気はあれど組織の運営には疎い人?﹂
﹁そういうことです﹂
こういうのって簡単にばらしちゃっていいのだろうか。カリスマ
あるリーダーが無能だと知れば、離反する者もいそうだけど。
﹁いえいえ、彼女が戦闘向きでないことは服装を見れば一目瞭然で
すよ。その上で皆あの方を慕っているようですね﹂
凄まじいカリスマの持ち主のようだ。ところでレジスタンスのリ
ーダーって女性なのか。
1742
﹁うむ、リーダーが戻るのはいつ頃じゃ?﹂
あ、復活おめでとうリデア。 ﹁リーダーが戻るのは現在進行中の作戦終了後ですね﹂
リデアを部屋の隅へと連行して、秘密の会議再び。
︵あの人は帝国の軍人なんだろ? 顔見知り同士、サクッと話済ま
せればいいだろ︶
本物リーダーがお飾りなら、実質あの人が運営しているだろうし。
︵そうもいくまい、せめて挨拶はせねば。無理にとは言わんがな︶
面倒くさいな。
﹁あの、よろしいですか?﹂
﹁うむ、しかし作戦じゃと?﹂
リデアがぎろりと藪医者を睨んだ。
﹁どんな作戦じゃ?﹂
﹁二重作戦です。片方は話せますが、もう片方は現時点では機密で
す﹂ ﹁話せ﹂
1743
完全に部下扱いになっているぞリデアよ。
﹁紅蓮の新型人型機がロールアウトする寸前まできており、その阻
止が当作戦の目標です﹂
﹁しっ、新型じゃと!? 聞いておらんぞそんなことは!?﹂
﹁ど、どうした急に?﹂
新型とは俺も驚きだが、リデアのそれは大仰過ぎた。
まるで、予定外のことが起こったといわんばかりの慌てよう。
﹁なぜじゃ!? 新型人型機など、いつどのように製造された!﹂
﹁白鋼の影響ですな﹂
俺の?
﹁人型機の脆弱性の問題についてはご存知ですか?﹂
﹁なんじゃ、それは﹂
﹁火砲の技術発展による、装甲の無意味化の問題のことですか?﹂
藪医者は首肯する。
近年、人型機は攻撃力が抜きん出て発達している。
最前線の地上兵器は敵の主砲を防げなければならない。それが戦
術の前提条件だ。
だが、最近の砲は強力過ぎて敵の主砲を止められないことが多々
あるのだ。
1744
﹁ですがそれは致命的な物ではありません。複合装甲を採用した盾
であれば敵砲も防げますし、そもそも戦術的な戦闘を可能にするの
が人型機の長所なので。人型機のコンセプトはあくまで従来のトー
タルバランスに優れた兵器という枠組から外れることはなかったの
です﹂
﹁もっと簡潔に頼む。兵器には疎いのじゃ﹂
つまりこういうことだ。
﹁最近砲撃強力だし、人型機の装甲じゃ防げるか微妙じゃね?﹂
﹁いっそ無装甲にして、当たらなければどうということはない、
ってやっちゃえば?﹂
﹁いや、でも盾とか使えば防げるし。無装甲とか怖いだろ﹂
﹁だな。人型機のコンセプトは今まで通り、攻防速の両立でいい
な﹂
﹁さんせーい﹂
﹁ですが、白鋼の存在がその定説を覆してしまった。極めて運動性
能の高い機体は、敵機を圧倒出来ると証明されたのです﹂
1745
自分でいうのもなんだけど、あれは例外だろ。動くだけで自壊す
る兵器だし。
﹁装甲度外視の高機動型人型機、か。使えるのかの?﹂
﹁実用性の如何はともかく、やってみる価値はあると判断されたの
でしょう。怨敵たる白鋼を打倒する策とも考えられます﹂
俺対策か∼。
﹁白鋼あってこその新型か、うむ、なら知らないのも道理じゃ﹂
﹁今日、新型の試験があるのです。その結果が良好であればそのま
ま各地の製造現場に図面が送られる。新型配備阻止の、実質最後の
チャンスなのですよ﹂
国中に散ってしまえば回収も破壊も困難だろう。しかし、ゼクス
トを出る前に消滅してしまえば紅蓮涙目ってわけだ。
﹁紅蓮幹部も多数視察するらしく、その者達を叩ければ組織の弱体
化にも繋がります。まあ最重要目標はあくまで新型機の図面であり、
多くを欲張るのは危険なのですが﹂
﹁新型か、見てみたいな﹂
どこからかこっそりと覗いてしまおうか。
﹁でしたら、作戦に参加なさってみたらどうでしょう?﹂
なぬ?
1746
図面の強奪或いは破棄、その計画はこのような手順だ。
先行量産型の試験は元々ゼクストの町にあった闘技場で行われる。
人型機用の闘技場はツヴェーのそれと似た作りであり、町にほど近
い高原にぽっかりと開いた縦穴の底に作られている。
会場を出入りするには町から直通のトンネルを通るか、あるいは
空から航空機で出入りするかのニ択。
つまりトンネルの出入り口を封鎖してしまえば、上から攻撃し放
題なわけだ。
しかし彼等の情報収集によると闘技場の上には会場を警護する帝
国の最新鋭機・舞鶴が数十機もスタンバイすると予想される。幹部
の護衛としても些か多過ぎるのが気になるが、これらを排除しなけ
れば上空制圧は出来ない。
空を封じるのが作戦の要だ。
てっきり俺はこの航空戦力排除を頼まれると予想していたが、意
外にもトンネル出入り口の封鎖に回された。
客人に危険な役回りはさせられないのと、どうやら航空戦力排除
に用意した天士がかなりの凄腕だそうだ。
﹁かつてガイルとも渡り合った男じゃ、最新鋭がどれだけ群がろう
と敵ではない﹂
﹁銀翼の天使か﹂
1747
エースパイロットと銀翼の間には大きな差があるが、銀翼と銀翼
の天使にはもう一段階格差が存在する。
最早感覚的な話だが、同じ単機にて戦略を覆す存在であっても﹁
頑張れば戦略を覆す﹂か﹁呼吸するかのように戦略を掻き回す﹂か
の違い。
ガイルは後者であり、それと渡り合える天士ならばその者も銀翼
の天使なのだろう。
依然手を繋いだままのリデアと、その凄腕について話しつつ民家
の一つへと向かう。
﹁つーか、そいつもお宅の回し者?﹂
﹁うむ、ウチの取って置きじゃ﹂
レジスタンスの用意した天士を切り札として運用するのは、ちょ
っと悪いが不安。裏切り的な意味で。
﹁ま、俺としては空に回されても困るんだけどな﹂
白鋼は飛行機としての印象が強いので、もしそちらに回されたら
辞退せねばならなかった。飛行機操縦の腕前は所詮人並みだ。
教えられた民家へと到着、玄関をノックする。
﹃紅蓮に今日を生きる資格は﹄
﹁ない!﹂
﹃よし、通りな﹄
なぜ採用されたのか不思議な合い言葉を突破し、民家に上がる。
1748
変身魔法がちゃんと機能しているか窓ガラスを鏡に確認し、呼吸
を整え一室の前に立つ。
ノックすると、中から声が返ってきた。
﹁︱︱︱どうぞ﹂
呼吸を整え、﹃廊下側﹄に付いた施錠を解除。
室内に入ると、そこにいたのはポニーテールの少女だった。
﹁貴方は︱︱︱﹂
﹁⋮⋮こんにちは﹂
マリアとの、二度目の他人としての会話だった。
服装は拉致時と変わらず洋服だ。別段乱暴に扱われた様子もなく、
一安心する。
そう考えて、縛られた手首の縄に息を飲んだ。
﹁痛くはないか?﹂
﹁えっ?﹂
﹁手﹂
﹁これ? 緩いから平気よ﹂
そう言って、縄輪から手首をの中で手首を抜いたり入れたりして
みせる。なるほどゆるゆるのようだ、って待てやコラ。
﹁貴方はレジスタンスに加わったの?﹂
1749
﹁拉致された先の隠れ家で出くわしたんだ、答えは解りきっている
だろう?﹂
今の彼女にどのように接すればいいか判らず、咄嗟にミステイク
を誘うような返答をしてしまった。
俺がレーカだと、気付かれたくはなかった。
はぁ、と溜め息を吐くマリア。
﹁こんなことになるなら、民間レベルとはいえ情報を渡さない方が
良かったかしら﹂
俺の有無と君の拉致は無関係だろうに。
﹁君は⋮⋮本当に、紅蓮の関係者なのか?﹂
彼女が紅蓮の騎士と親しくしていた理由、それを問うために俺は
薮医者と取引をした。
マリアとの会話の機会を設けることを報酬に、自身を戦力として
売り込んだのだ。
その提案を受け入れた薮医者は、﹁ぶっちゃけ、戦力不足なので﹂
と正直な内部事情を暴露した。
対価として取り付けた報酬内容はマリアに手荒な真似をしないこ
とと、マリアと会話の機会を設けること。
マリアと会いたいと提案した時に薮医者が焦っているように見え
たので少し心配していたのだが、彼女本人を見る限り手荒な真似は
本当にされてはいないのだろう。
﹁知らないの? 私、紅蓮の騎士の人のついでに拉致されたのよ?﹂
1750
そういう煙に巻く反応ではなく、マリア自身の意思を確認した
なにを今更、とばかりに首を傾げるマリア。
いんだ⋮⋮と考えて、ふと気付いた。
決定的な確証があるわけではないが、この勘が当たっていれば
︵まさか、マリアも俺と同じようにミステイクを狙った?︶
⋮⋮それはつまり、マリアにしてみれば紅蓮の騎士と親密な関係で
ある、とレジスタンス達に思われていた方が都合がいいということ
だ。
ふーむ、元気そうなのは確認したし、紅蓮との関係は一旦脇に置
いといてもっと別のことを訊いた方がいいだろうか。
﹁えっと、ご趣味は?﹂
あはは、俺って馬鹿だな。
﹁しゅ、趣味?﹂
﹁待て、そうじゃなくて⋮⋮普段はなにをしているんだ?﹂
﹁職業はギルドの受付嬢よ、言わなかったかしら﹂
言いました。聞きました。
そうじゃなくて!世間話レベルの何気ない情報を聞きたいんだ、
いいソフィーへの土産話になるだろうし。
しかし、受付嬢のマリアか⋮⋮制服姿の彼女はちょっと見てみた
い。
﹁見る?﹂
1751
上目使いでちょっと照れつつ、鞄から出した上着を羽織るマリア
であった。
﹁それ、ギルドの制服だったのか﹂
この世界にはクールビズなんて文化はなく、上着を脱いだギルド
員は初見だ。
なんだかドキドキするな、屋敷の頃のメイド服の方がよほどコス
プレっぽいのに⋮⋮まさか俺って、メイド慣れしてしまっているの
だろうか。
それは問題だ、メイド服にときめけないなんて。大問題だ。
﹁ねえ、こんな話をする為に会いに来たの?﹂
頬を膨らませ抗議の意を示すマリア。
﹁目的は最低限果たした、あとは余分な世間話だ﹂
どうも彼女の行動には裏があるとしか思えない。その裏を聞き出
せそうにない以上、彼女の安全を確認出来ただけでも上出来としよ
う。
﹁はぁ、方針変更。ここには私達以外にはいないし、世間話なら私
から話してもいい?﹂
﹁あ、ああ。どうぞ?﹂
﹁貴方には、大切な人っている?私にはいるわ﹂
1752
あ、ちょっと聞きたくない。
ここで男の名前が出てきた時には、三ヶ月くらい孤島のアジトに
ひきこもる自身がある。
﹁私には妹がいる。血の繋がりはないけれど、家族同然に暮らして
きた子が﹂
なんだ、大切な人ってソフィーのことか。驚かせやがって。
﹁私達は喧嘩もしたことがなかったわ。互いに互いを知り尽くして
いるから、認識に齟齬が生じることもなかったの。その関係が崩れ
たのは、歳の近い男の子が家に住み着いてから﹂
﹁えっ﹂
間抜けな声が漏れる。
俺のせいで二人が険悪になった、なんてことはなかったはずだけ
ど。
﹁私達は互いさえ見ていれば良かった、けれど第三者が加わったせ
いで私達の矢印は、必ずしも互いを指すわけではなくなった﹂
抽象的ではあったが、言わんとするところはなんとなく理解でき
た。
それはつまり⋮⋮
﹁⋮⋮嫉妬?﹂
﹁単刀直入に言えば、そうかもね。彼が現れてから、目に入れても
痛くない可愛い可愛い妹に頼られる機会がぐんと減ってしまったわ。
1753
でも﹂
語りつつ、マリアは手を拘束するロープを捨てる。
﹁心の矢印は私からその子に対するものとは限定されない﹂
﹁あの、ロープを落としましたよ?﹂
さらっと違和感しかないことしないでくれ。
﹁あの子はとのすれ違いは一種心地いいものですらあったけれど、
妹は妹であると同時に敵になってしまった﹂
﹁敵とは、穏やかじゃないな﹂
不敵な笑みを浮かべる彼女は、俺へと臆すこともなく歩み寄る。
﹁マ、マリア⋮⋮?﹂
﹁つまり、なにが言いたいかというと﹂
マリアは俺の手を握り、意外と強い力でベッドへと放る。
ボフンと背中からベッドに落ちる俺。
﹁へっ?﹂
リデアと手が離れ、変身魔法が解けてしまう。
豹変した彼女に困惑する俺は、体を硬直させることしかできない。
ズシリ、と彼女は俺に馬乗りで股がる。
スカート越しに伝わる彼女の体温が、とても熱い。
1754
﹁︱︱︱ずるいじゃない、あの子ばっかり一緒にいられて﹂
﹁マリ、んっ﹂
名を呼ぶことすら許されず、唇を重ねられた。
それだけではなく、なんと口内に彼女の舌が侵入してくる。
訳もわからず、ひたすら目を白黒させるに終始するしか出来ない。
こんな経験初めてな俺は、狼に補食されるのを待つ羊だ。
粘膜と唾液が絡み合い、舌同士がおっかなびっくりに、しかし大
胆に求め会う。
ああ、キスって気持ちいいものなのだな、と俺はぼんやりと考え
る。
そっと顔が離れると、唾液が糸となって引いた。
蠱惑的な潤んだ瞳に、頭は完全に参っていた。
﹁いつから、俺だって気付いて⋮⋮﹂
﹁初めから。あの広場であんなひねくれたことを言うのはレーカく
らいよ﹂
俺の根性のひんまがりっぷりは識別に使えるレベルなのかよ。
﹁いいのか。ここでばらしてしまって﹂
﹁さて、私が紅蓮の女だと見せ付ける芝居の観客は、一体誰だと思
う?﹂
﹁少なくともわしではないのじゃろうな、なんのつもりじゃ淫乱メ
イド﹂
1755
﹁あ﹂
存在をうっかり失念していた。
﹁あら?いたのリデア姫様?﹂
﹁はっ、従者の無礼は主人の恥じゃぞ。それでソフィーの専属メイ
ドとはな﹂
﹁レーカ、明日の作戦に参加するよね?﹂
﹁無視するな!﹂
憤慨するリデア。作戦のことを知っているとなると、やはりマリ
アはレジスタンス側?
もう一度唇が重なる。今度は触れるだけの、啄むような接吻。
﹁勝利のおまじないよ﹂
その言葉に、ふとデジャブを覚えた。
﹁大陸横断レースの予選でも、そんなことを言っていたな﹂
﹁ずっと思っていた。あんなことになったのは、レース本選の時に
おまじないをしなかったからじゃないか、って﹂
そんなことがあるものか。迷信だ。
﹁そうね、でも帰りを待つ女にはこれくらいしか出来ないのよ﹂
1756
﹁マリア﹂
﹁それと、プレゼントがあるの。元は貴方のものだけれど﹂
プレゼント?なんだろ、まさか﹁プレゼントはわ・た・し︵はぁ
と︶﹂とか!?
﹁もう用意してあるわ、場所は⋮⋮﹂
﹁くらえっ、人道的魔法マジカルリリカルスタンガン!﹂
マリアが何かを言おうとした瞬間、リデアの電撃魔法が俺を襲っ
た。
﹁うぎゃー!?﹂
ビリビリと感電する。マリアは驚いているだけなので、効果範囲
は一人のみに限定されるようだ。
﹁な、なに、を⋮⋮﹂
﹁うっさい!目の前で乳くりあうな、軟弱者が!﹂
真っ赤になって怒鳴るリデア。だからといってここまでしなくて
も、と思いつつ俺の意識は沈んでいた。
1757
目が覚めたら夜になっていた。
﹁空気読めよ、まったく﹂
﹁お主に言われたくはない!﹂
ここは⋮⋮薮医者と会ったレジスタンスの隠れ家に戻ってきたの
か。
﹁ゼクストの宿は、まあ危ないよな﹂
どこに紅蓮の目があるか判らない、宿屋など絶好の監視対象だ。
﹁危ないのではなく不可能じゃ。この町の宿はほとんどこの一年で
閉店してしまったらしい﹂
﹁そりゃまた、災難なことだ﹂
反乱者の強制収容所となっている町に好き好んで来る奴なんてい
ない、宿に閑古鳥が鳴くのは当然だ。
﹁レジスタンスの人達は?﹂
﹁明日に向けて準備している。そのうち戻ってくるがの﹂
﹁気を失った後、マリアとなんか話したの?﹂
1758
﹁まさか。気まずいから適当なことを言って戦略的撤退したわい﹂
相性悪いのだろうか、マリアとリデアって。
それ以前の問題、か。
不意に蘇った口内の艶かしい感触に、興奮より先に困惑が沸き起
こる。
﹁なんで、マリアはあんなことを﹂
﹁発情しただけじゃろ﹂
﹁犬猫かよ﹂
ソフィーが犬でマリアが猫かな、イメージとしては。
︵今度、付け耳を自作してみよう⋮⋮︶
心の中で、そう静かに決意するのであった。
﹁何を難しい顔しておるんじゃ?﹂
︵だが最初の標的は貴様だリデア︶
沸いたイタズラ心のままに怪訝そうに眉を潜めるリデアに狙いを
定め、魔法を使って後ろ手に耳を作り上げる。
﹁なんじゃ、今怪しい魔力を感じたのじゃが﹂
流石に鋭い、だがこの距離なら俺の間合いだ!
1759
﹁くらえ、必殺︱︱︱!﹂
﹁な、しまっ︱︱︱!﹂
一息に跳躍し、リデアの頭に狐耳を装着した。
﹁⋮⋮なんじゃ、これ﹂
﹁獣耳。色々裏で企んでいるリデアには、狐かタヌキが似合うって
思ってたんだ﹂
﹁どういう意味じゃ⋮⋮﹂
﹁タヌキの方が良かったか?﹂
﹁いやまあ狐の方がマシ、って取れんぞこれ!?﹂
形状記憶合金だからな、空気中から錬金術するのは難しかったぜ。
﹁無駄に器用なことを。獣の耳なら獣人の天然物を愛でろ﹂
﹁あれって天然物なのか?﹂
魔王謹製の、遺伝子組み換えの産物だぜ?
⋮⋮魔王といえば、リデアに伝えておきたいことがあったのだっ
た。
忘れないうちに話しておこう。
﹁魔王が世界が滅ぶって言っていたんだが、大丈夫?﹂
1760
むせた。
﹁ぐふっ、がは、むうっ、誰に聞いたのじゃ!?﹂
﹁あれ、知ってたの?﹂
一国の姫ともなればその手の情報は常に収集しているか、だがこ
れは朗報ではない。
あの畜生魔王の妄言がマジである可能性が高まったのだ。
﹁どこまで知っている?﹂
﹁何にも。あの変態魔王、滅ぶってことだけを伝えて成仏しやがっ
た﹂
いい迷惑だ、問題が漠然とし過ぎて調べようもない。
﹁そうか、ならその件に関しては他言無用じゃ﹂
﹁なんとかなるのか?﹂
﹁なんとかするのはお主じゃ、レーカ﹂
俺かよ。
﹁その案件は﹃この﹄わしが受け継いだ使命。わしはわしで最善を
尽くす、じゃが手が足りないと思えば遠慮なくこき使ってやる。だ
から、これに関してはわしに一任しろ﹂
﹁そりゃ俺は君を信じると決めているから、いいけど﹂
1761
﹁というかこの旅も、その計画の一部じゃぞ﹂
レジスタンスの支援が?
﹁この話は終いじゃ。明日の作戦は楽なものではない、英気を養っ
ておいた方がいいと思うが?﹂
ドタドタと足音が近付いてくる。解析魔法にてそれがレジスタンス
達であると確認し、俺は大きく欠伸をした。
﹁⋮⋮眠くないけどな﹂
さっきまで気絶していたし。
﹁アニキ、お目覚めっすか!?﹂
﹁チュリーッス!﹂
﹁御届け物だぜサインくれやオラァ!﹂
どたばたと大きな棺桶のような箱を運び込んできたヒャッハー達。
﹁俺に御届け物?﹂
﹁ウッス!﹂
箱を開くと、中に収まっていたのは懐かしい武器だった。
﹁こいつは⋮⋮まさか!﹂
1762
彫刻の彫られたマスケット銃のグリップ、分厚いブレードとその
内部に隠されたショットガンの砲身とポンプアクション式の弾装。
武骨な外見と裏腹に複雑な内部構造は、だが今の俺が見れば色々と
稚拙な部分に気付いてしまう。
﹁あの女が指定した場所に取りに行かせていたのじゃ﹂
﹁ガンブレード、マリアが確保していたのか﹂
俺が初めて作った工芸品、初めての武器だ。
手に取って可動させてみる。
ブレードが上下に分離し、内部からドリルが突出。カードリッジ
も入っている、整備すればすぐ使えそうだ。
﹁な、なんじゃ、その物々しい武器は﹂
﹁自作の剣だ。明日の作戦にも一応持っていくか﹂
旅に出る以前も少しずつ手を加えていたが、ここ一年で培った技
術・アイディアを盛り込んでおきたい。
﹁運んでくれてありがとな、俺は整備をしているよ﹂
面々に一声かけて、早速分解作業に移る。
やがて俺の意識は、目の前のガンブレードへと埋没していったの
であった。
1763
雑魚寝である。
女性はリデア一人だが、まあ雑魚寝ってやつである。
小屋の地下隠れ家にて、むさ苦しい男達に混ざり眠るリデア。こ
の町で最も安全な場所とは言え、少女をこんな場所で寝かせるのは
抵抗がある。
これならマリアと一緒にいた方が余程快適そうだ。
﹁勇者よ、その宝箱の装備を身に付け、魔王を倒すのだ⋮⋮﹂
むにゃむにゃと寝言を漏らすリデア。あれ、案外大丈夫っぽい。
﹁図太いお姫様だ﹂
呆れていると、レジスタンスの一人がこそこそと動いていること
に気が付く。
ふわあ、と欠伸を一つ。ガンブレードの改造もそこそこに俺も寝
るか。
起きているっぽい彼はやがて立ち上がり、出口へと向かった。
﹁スキンヘッド、どうした?﹂
﹁ア、アニキッ!?﹂
﹁静かにしろ、皆寝ているんだぞ﹂
動いていたのはスキンヘッドであった。
1764
﹁ちょ、ちょっとお花を摘みに行くぜ﹂
﹁トイレか、俺もしてから寝るわ。一緒に行こうぜ﹂
﹁えっ﹂
なんだよ、嫌なのかよ。
﹁い、いや、連れションは義兄弟の証だからな!﹂
そんな風習はない。
﹁ん、なんだその紙﹂
スキンヘッドは手に持っていた紙を後ろに隠した。
﹁ケツ拭く紙だぜ﹂
﹁大かよ⋮⋮なんで隠す?﹂
﹁香り付きだから、恥ずかしいんだ﹂
乙女趣味だな、スキンヘッド。
立とうとして、服をリデアが掴んでいることに気付いた。放せ。
引っ張り取ると手が掴む物を求めて宙をさ迷ったので、ガンブレ
ードを握らせた。これでよし。
﹁薮医者さん、リデアをよろしく﹂
1765
﹁はい、解りました﹂
間髪入れず薮医者は立ち上がる。彼の意識はしっかりと覚醒して
いた。
﹁あんたも起きていたのかよ﹂
驚いた様子のスキンヘッドだが、自国の要人がいる場で軍人が油
断するはずがない。
俺達が便所に行く、ということもしっかり聞いていたのだろう。
﹁手はちゃんと洗って戻ってくるのですよ﹂
﹁不潔な男は嫌われるぜアニキ﹂
解っとるわい。
町から少し離れたここには、灯りなど一つもない。
かといって町の外でライトの魔法を使えば、ゼクストのにいる軍
人に見つかるかもしれない。
結果、俺達はおててを仲良く繋いで闇の中を歩いていた。
﹁も、もうちょっとゆっくり頼むぜアニキッ﹂
﹁あー美少女と手ぇ繋ぎてぇ﹂
1766
辺りは草原。別にどこで用を足そうと構わないわけだが、一応森
へと入っておく。
﹁アニキ、覗かんでくれよ!﹂
﹁覗かねーよ!﹂
ズボンを下ろそうとベルトのバックルに手をかけた時、森の奥から
声が聞こえた。
︵誰かいるのか!?︶
解析魔法を使用すると、木々の奥で大柄な男が屈んでいるのを感
知。だが間接的な解析なので顔までは識別出来ない。
物音を発てないように、そっと覗き込む。
﹁ふん、ふん、ふーん、ふっふっふーん﹂
仮面変態が、金だらいで洗濯をしていた。
ごしごしと洗濯板でレースのパンティーを洗う変態仮面。なんで
こいつがここに⋮⋮
﹁ふむ、やはりパンティーは白に限るな!﹂
パン、と両手でパンツを張って誇らしげに頷く変態。
俺は、そのパンティーに見覚えがあった。
﹁それは、リデアが今日一日穿いていたパンツじゃないか!﹂
﹁む、何奴!?﹂
1767
対峙する俺と変態仮面。
俺は既に確信していた。こいつは俺達の敵ではない、女の敵だ!
護衛としては悔しいが、こいつには充分リデアを害するチャンス
が一応あったはずだ。
にも関わらず最初はリデアをクンカクンカするだけ、今回は親切
にも使用済みの下着を洗ってあげているだけ。
ここから導き出される結論は一つ、こいつは変態︱︱︱!
﹁その下着を置いていけ!洗濯前のやつは俺に下さい!﹂
﹁これはわしの物だ!何人たりとも渡すものか!﹂
ぎゃあぎゃあと口喧嘩していると、俺の体に鈍痛が走った。
﹁うっ!?﹂
具体的には、俺の下腹部に。
﹁お、おしっこしたい⋮⋮﹂
よろよろと茂みに入り︱︱︱
︱︱︱ふう。
なんだ、もっとしっかりと描写してほしかったのか。
すっきりした心地で元の場所に戻る。だが当然ながら、変態仮面
1768
はもういなくなっていた。
﹁逃げられたか、畜生﹂
﹁どうしたんだアニキ?﹂
スキンヘッドが戻ってきた。
﹁済ませてきたぜ﹂
﹁報告しなくていい。もう戻るか、なんだったんだあの変態は⋮⋮﹂
踵を返したスキンヘッドを追う。
ふと見れば、彼の手にはもう紙はなかった。
まあ、当然だけど。
1769
レジスタンスとメイドさん 2︵後書き︶
﹀とりあえず小数点を全部直そう
これからはルールに気をつけるので、今から全部直すのは勘弁し
てください。
1770
レジスタンスとメイドさん 3︵前書き︶
環境が変わってルビがうまく付けられなかったり、数字や記号が半
角全角で混ざっていたり⋮⋮お見苦しいですが、ご了承ください。
更新が遅くなりましたが、難産だったというより単純に量が多いの
です。普段の3倍はあります。ご注意を。
1771
レジスタンスとメイドさん 3
作戦当日の朝、にわかに騒がしくなってきたゼクストの町を零夏
は建物の屋根に登って一望していた。
新型機の試験は昼頃だが、早朝には大型級飛宙船が幾隻も入港し
た。試験を視察する要人達も件の新型機も、そして設計図も出揃っ
ている。
もっとも警備が厳重なタイミングだが、同時に新型機と設計図が
どこに隠されているか、それがもっとも明確な瞬間でもある。
困難なことは避けられないが、今までレジスタンスが観察してき
た中で唯一可能性がある瞬間。
﹁くそっ、落ち着かないな﹂
零夏の真上を舞鶴が轟音を残し飛び抜けていく。ちゃっかりコピ
ー量産されている帝国軍最新鋭機は、この作戦における大きな障害
に違いない。
彼は胸のざわめきを覚える。この作戦は順調にはいきそうにない、
そんな予感があった。
闘技場へと続く、左右を建物で挟まれた区画。共和国軍の駐屯地
から闘技場までは必ずここを通過する。
作戦の時間が近付き、零夏は屋根の影に隠れた。
周囲の建築物には零夏と同じく作戦決行を待つレジスタンス達。
﹁アニキーッ﹂
﹁静かにしろ、スキンヘッド﹂
1772
屋根の上を走ってきた彼を零夏はたしなめる。
﹁す、すまねぇ。リーダーから伝令だぜ﹂
﹁なんだ、俺だけにか?﹂
﹁アニキだけにだ、予定通り機体を奪取したら12番ゲートから侵
入してほしいってよ﹂
﹁12番だと?あそこは⋮⋮﹂
零夏はレジスタンスの入手した地図と自身の解析魔法を照らし合
わせ、この場にいる誰よりも作戦領域を詳細に把握している。
勿論、解析結果を薮医者に報告してはいるが。
﹁極秘任務らしい。他のメンバーにはばれないように、こっそりと
移動してくれ﹂
﹁⋮⋮判った、善処しよう。だが危なくなれば引き返すぞ﹂
零夏もいい加減、この案件の裏事情に感付いていた。
その上で、この状況での指示の拒否は不自然と判断した。
﹁ところでアニキ、あの姫はどーしたんだ?﹂
﹁アジトで待機しているが﹂
﹁大丈夫かよ、人手が足りなくて護衛も録にいねぇだろ﹂
1773
その通り、現在薮医者すら出撃中であり不在。今はリデアのみが
アジトに潜んでいる。
﹁そうだな。彼女は見た目通り腕っぷしも弱いし、﹃魔法も苦手﹄
だしな。まあ情報が漏れてもいない限り、こんなジャストタイミン
グでアジトに突入してくるってこともないだろ﹂
作戦後は俺が守るから、彼女が無防備になる時間は最低限で済む
と断っておく。
﹁じゃあよ、じゃあよ!﹂
﹁伝令は判ったから、持ち場に戻れ﹂
スキンヘッドを追い返し、零夏は遠方を見通す。
﹁来るぞ、目標﹂
えいぶらい
解析魔法は、獲物である共和国正式採用人型機・英無頼を既に認
識していた。
任された警備の担当場所へ向かう為に、町を一列となって前進す
る英無頼。
クリスタル共振通信にノイズが混じり、隊長は眉を潜めた。
﹃どうした、トラブルか?﹄
1774
今日という重要な日に無線が不調を来す。装置の故障より何らか
の妨害工作と考えた方が得心出来た。
だがしかし、時計塔からの返答は肯定だった。
﹃︱︱︱こちら通信し⋮⋮機材がいかれた、すぐに直︱︱︱﹄
そのまま断絶する無線。時計塔の大型共振装置はノイズを撒き散
らし、さながら町を包むジャミングと化してしまった。
﹃ふん、きな臭いな。まあいい、お前達、現場へ急ぐぞ﹄
﹃了解⋮⋮す﹄
随伴機との通信にもノイズが混ざり、隊長は舌打ちした。
構わず前進する英無頼。
零夏達が潜む区画に進入した時、彼らの上空で金属がひしゃげる
音が轟いた。
﹃なんだ?⋮⋮うおっ!﹄
前方に落下してきた小型級の飛宙船。建物の間に墜落した船は、
見事に道を塞いでしまった。
﹃なんだ、民間船か?﹄
﹃隊長、船員を救助しましょう!﹄
﹃⋮⋮いや、回り込んで警備場所へ急ぐぞ﹄
1775
﹃そんなっ!﹄
一年前であれば、事前に下された命令を守る為とはいえ目の前の
事故を放置などすれば糾弾されることは避けられなかった。しかし
紅蓮の支配する今の共和国⋮⋮統一国家では違う。
命令を達成出来ないのは懲罰へと繋がる。自身の命を擲ってでも
他者の命を救えるほど、彼は勇敢ではなかった。
﹃最後尾、後退し︱︱︱﹄
再び響く金属音。
﹃隊長、後ろにも船が墜落しました!こちらもすぐには通れません
!﹄
﹃空中衝突事故だったか、ならば相手がいるのは当然だな﹄
前後を塞がれ閉じ込められた人型機部隊。
遅れるわけにはいかない、隊長はすぐさま決断した。
﹃前方の船を押し退けるぞ!副隊長、手を貸せ!﹄
この狭い区画で人型機がすれ違うのは容易ではない。故に先頭の
二機が押す役割を勤めることにした。
英無頼のマニュピュレーターが船に添えられた時、彼らの足元で
人影が動く。
﹁待て!貴様ら、止めるのだ!﹂
船から脱出した人物、その制服を見て隊長は顔色を変える。
1776
﹃ぐ、紅蓮の騎士殿!?﹄
細身の紅蓮の騎士。伺い見ていた零夏はその人物がマリアと腕を
組んでいた、バス船で拉致された騎士と同一人物だとすぐ理解した。
︵あの騎士がレジスタンスの作戦に参加しているってことは、やっ
ぱりあれば全て茶番か︶
口には出さないものの、零夏は茶番の本当の意図をほぼ正確に推
測している。
﹁この船には騎士団幹部の御子息が乗っておられる!貴様ら、救助
を行え!﹂
紅蓮の騎士が共和国軍人に対して叫ぶ。
幹部の息子に何かあれば、命令無視どころの話ではない。
隊長は行動の優先順位を入れ換えた。
﹃ま、まずは船を横にしましょう﹄
墜落の際に、飛宙船は縦になってしまっている。これでは作業に
支障を来すと隊長は進言する。
だが騎士はそれを許可しない。
﹁馬鹿者、これ以上衝撃を与えてどうする!横に直した表紙に御子
息が致命傷を負ったら、貴様は責任を取れるのか!?﹂
﹃ではせめて、救援を呼びましょう。我々には医療に精通した者が
いません﹄
1777
﹁無線がいかれて前後も塞がれているのだ、ここにいる者で対処す
るしかなかろう!うだうだするな、物理的に首が飛ぶぞ!﹂
近距離の僚機とならばともかく、指令室とはノイズがひどくてと
ても連絡が取れない。少々苦しい理由ではあったが、懲罰を恐れた
隊長は騎士の言葉に従った。
駐機姿勢となり英無頼から天士達が飛び降りる。
そこに、屋根に潜んでいた零夏達がジャンプして機体に乗り込ん
だ。
﹁なっ、誰だ機体を動かしているのは!?﹂
奪った英無頼の一機が紅蓮の騎士に扮した仲間を拾い上げ、安全
な建物の屋根に移動させる。
﹃ゲハハハハ!ここがテメェ等の墓場だ!﹄
訓練された軍人とはいえ人型機に敵うはずがない。天士達が降伏
し身動きを封じられた後、レジスタンスは御子息も何も乗ってなど
いない飛宙船を押し倒した。
その音を合図に、時計塔を制圧していたレジスタンスは通信を不
完全な状態で復活させる。
﹃こちら時計塔、もう大丈夫だ!クリスタル共振装置は直った!﹄
﹃こちら護衛部隊、通信の音質がおかしいようだが﹄
﹃応急処置だから仕方がない、今日はこれで我慢してくれ﹄
1778
意志疎通には問題ないながらも、音が変質してしまっている。こ
れも作戦の内だ。
機体を奪ったことを、声質の変化を悟られないようにする為の処
置である。
﹃先程船の衝突事故があったようだが、なにか情報はないか?﹄
﹃一般人だ、無視すべきだ﹄
﹃⋮⋮了解﹄
頷き合い、レジスタンス達が搭乗した英無頼は目的地へと進む。
﹁英無頼⋮⋮共和国の正式採用機か﹂
いくさみこ
零夏は英無頼に乗ったことがない。型遅れの戦巫女は民間機とし
て多くの自由天士に愛用されているので搭乗経験があるが、現役で
使用されている機体は機密という観点からまず自由天士の手に渡る
ことはない。
初飛行を済ませたばかりの雀蜂を愛機としているエカテリーナの
ような例外天士もいるが。
共和国軍人に成り済まし、零夏は一人12番トンネルに入る。
闘技場は地下に多くのトンネルを備えている。一般人出入口や人
型機搬入口、非常口などその様子はまるで蟻の巣だ。
1779
だだっ広い闘技場で敵機を空爆出来れば紅蓮に対して極めて有効
なダメージを与えられることは間違いない。しかし、それを実現す
るには上空制圧する舞鶴を迅速に排除し、地下の人型機戦力を闘技
場へと追い込む二面同時作戦を必要とする。どちらも困難な目標で
ある。
故に、奇襲。練度と数に劣るレジスタンスが紅蓮の部隊に立ち向
かうには元より他に選択肢などない。
それほど周到な準備を行ったところで、作戦の成功基準は敵機の
無効化ではなく新型機設計書類の破壊という辺りがむしろ泣けてく
る。
更に言えば、これは厳密には問題でもなんでもないのだが、零夏
は共和国軍人を殺すことを躊躇っていた。
憎い紅蓮の騎士であれば葛藤もほどほどで済んだだろう、しかし
この新型機性能試験の警備には元共和国軍人も駆り出されている。
紅蓮だから、共和国軍だからと一括りにしてしまうのは乱暴な考
えだと判っている。だが零夏は紅蓮と戦う覚悟こそ散々したものの、
共和国軍と戦う覚悟などしていなかった。
︵いや、これこそ今更な話だ。俺はもう共和国軍人に損害を与えて
いる︶
奪い取ったこの機体の天士は罰を受けるのだろうか。このシート
に座っていた天士がいなくなった時、路頭に迷う一家があるのでは
ないか。そんな答えなどない思考が零夏の中で渦巻いていた。
﹁だいぶ進んだな﹂
トンネルを歩き早数分、零夏の操る英無頼は闘技場の中央地下ま
で到達していた。
ここはどの出口に繋がるにも中途半端な、横道的なトンネルだ。
1780
おかげでここまで敵機にも出くわさなかったが、それは同時に防衛
上要点ではないことを指し示している。
作戦の変更を訝しんだのはこれが理由だった。ここに侵入したと
ころで戦術的意味などない。
もっとも、これが二重作戦であることは零夏も覚えている。裏に
何らかの意図があるのは明白であり、それを知らされていない以上
出たとこ勝負するしかない。
溜め息を吐いたとき、零夏の耳元で誰かが呟いた。
﹃上から来るぞ、きおつけろー♪﹄
次の瞬間、零夏の乗る英無頼は吹き飛んだ。
格納庫の地下、レジスタンスの隠れ家にてリデアは暇をもて余し
ていた。
﹁あー、いつまでこうしてればいいんじゃ﹂
リデアの性格からして大人しく帰りを待つなど性に合わない。
彼女がここにいるのは、レジスタンス側からの指示だった。
この指示に零夏が賛同したこともあり、リデアは他所の家から勝
手に居座った猫の如く傲慢不遜にゴロゴロしている。
﹁む、誰か戻ってきた?﹂
1781
なんとなく零夏ではないと察し、愛用の杖を握る。
階段を降りてきたのはスキンヘッドであった。
﹁スキンヘッド?お主は仕事がないのか?﹂
﹁ちゃんと工作はしてきたさ。俺はレジスタンスとして職務を果た
した上で幸運にも帰還。それでいいだろう?﹂
﹁ほう、﹃幸運にも﹄とな﹂
﹁そうだ、なんせ作戦に参加して数少ない生存者だからな﹂
剣呑な光を帯びた目のスキンヘッドに、自然と身構えるリデア。
疑惑は彼の手に握られたナイフで確信へと変わった。
﹁裏切りか﹂
﹁違うな、俺はレジスタンスに入る前から紅蓮の一員だったんだよ﹂
スキンヘッドは腕を振り上げる。ナイフの鋭い切っ先にリデアは
目を細めた。
﹁と、なると今回の作戦も駄々漏れか。困ったのぉ﹂
そう言って肩を竦めるリデア。
﹁だがそれじゃあ足りないんだ。紅蓮は実力主義、実績の分だけ出
世する﹂
1782
レジスタンスに紛れ込んだスパイであるスキンヘッドだが、上層
部に評価される材料を常に探していた。
﹁そんなところに現れたのがあんたらだよ。紅蓮内部で追い掛けて
るガキ共が転がり込んできたんだ、これ以上のチャンスはないと確
信したさ﹂
紅蓮の宿敵とされる白鋼の天士と、彼が守る姫君。
それを始末すれば出世は間違いない、スキンヘッドはそう考えた
のだ。
﹁﹃ソフィー様﹄、恨みはないが死んでくれや﹂
﹁なるほど、そういうことか⋮⋮いや殺したら駄目じゃろ﹂
二人のことは機密事項な為に、伝言ゲームの要領で間違った伝わ
り方をしていた。
﹁ソフィーは生け捕りにする手筈のはずじゃぞ、っと﹂
迫るナイフを、リデアは無詠唱障壁魔法で防ぐ。
﹁なっ!?魔法は使えないんじゃないのかよ!﹂
驚愕するスキンヘッド。
﹁誰がそう言ったのじゃ?﹂
1783
﹁お前の王子様だよ、くそっ話が違う!﹂
何度もナイフを突き立てるも、障壁は決して破られない。
冒険者の魔法使いが張る障壁であればいつかは破壊出来るかもし
れない。しかし、相手は魔導姫。無詠唱の弱体化した障壁であって
も下手な装甲板より堅かった。
﹁レーカの奴、わしが餌にされておると気付いておったな⋮⋮﹂
一体何時から、とリデアは自身の記憶を洗い直してみた。
リデアの覚えている限り、零夏が彼女をレジスタンスの前で名前
呼びしたことはない。
︵割と最初っから、かい⋮⋮︶
普段は惚けているが、零夏は勘がいい男である。
最初に不審を抱いたのは、飛宙船でのこと。零夏とリデアを監視
していると思われたレジスタンスの視線は、だがスキンヘッドの方
に集中していたのだ。
奇妙な点に一度気付いてしまえば、違和感は様々な場面で見受け
られた。
リデアが姫であることを執拗に確認していたことや、夜間に一人
で出歩いていたこと。
零夏は解析魔法にて紙に書かれた内容が中間報告でしかないこと
は確認したので泳がせていたが、とうの昔にスキンヘッドの命運は
詰んでいたのだ。
﹁そういうことよ。残念ね、とても﹂
地下室に、第三者の声が生まれた。
1784
茶髪のポニーテール、実用的なエプロンドレスの少女。
﹁なっ、リーダー!?なぜここに!﹂
﹁勿論、貴方を捕まえる為﹂
マリアはスキンヘッドを、悲しそうに見据えるのであった。
﹁さて、お初に⋮⋮ではないがの。レジスタンスのリーダー殿、わ
しは帝国の姫のリデアじゃ。今回はレジスタンスへの支援について
を話し合いにきた﹂
﹁お初にお目にかかりますわ、リデア姫。私はマリア、しがないレ
ジスタンスのリーダーに御座います﹂
スカートの端を摘まみ上げ、ポーズだけの礼をするマリア。母の
教育により、マリアが本心から敬うのはソフィーだけである。
﹁リデア、リデア姫だって?畜生、そういうことかっ!﹂
スキンヘッドは理解した、自身が勘違いをしていたことを。
零夏の側にいる姫君=ソフィーと思い込み、検討違いの人物を狙
っていたのだ。
﹁メイドがレジスタンスとはな、盲点過ぎるわい﹂
﹁あくまで臨時。杜撰な人ばかりだから面倒を見ているだけ﹂
大陸横断レース中にきっかけこそあったものの、基本的にはなし
崩しであった。
1785
守っているつもりで町中で暴れているドリット最速連合を叱って
いるうちに慕われてしまい、いつの間にかリーダーに祭り上げられ
たのだ。
﹁細かな打ち合せは後で。今問いたいのは今回の件じゃ﹂
リデアはマリアを軽く睨む。対してマリアは涼しい顔だ。
﹁今回の作戦は二重作戦と言ったな。一つは紅蓮の新型機量産阻止、
そしてもう一つは⋮⋮﹂
﹁スパイと疑わしいメンバーを炙り出すことよ﹂
マリアが紅蓮の騎士と親密にして、定期船に乗ったのは三重の意
味があった。
表向きはレジスタンスによる紅蓮隊員の拉致事件。
裏の事情は零夏をゼクストに誘い出し、作戦の戦力を補強するこ
と。
そして更に裏では、戦力補強作戦の背後でリデアを餌にしたスパ
イの炙り出し作戦。
広場で隣に座ったのが零夏だと気付いたマリアは、自分自身を餌
にこの作戦を強行した。一重に、成功の可能性が低いこの作戦を成
功させる為に。
家族を利用することに良心の呵責がないわけではなかったが、戦
力がどうしても足りなかったのだ。
紅蓮の女になったフリをして俺をこの町へ誘導。ついでにスパイ
疑惑のあったスキンヘッドを零夏達にあてがうころで揺さぶりをか
ける、一石二鳥の計画。
曲芸的な下策ではあったが、とにかくそれは成功した。
1786
﹁はっ、流石はリーダー様だぜ﹂
﹁私としては杞憂であってほしかったけれど、ね﹂
﹁おいおい、組織のリーダーがそんなのじゃ駄目だろうに﹂
﹁メイドに何を求めているのよ﹂
違いねぇ、と笑うスキンヘッド。
その暑苦しい笑みは他の部下達と何ら変わらず、それがマリアは
悲しかった。
﹁思えば、アニキは定期船に乗った時点で感付いていたんだろうな﹂
﹁なぜじゃ?﹂
﹁定期船に乗る前はいちゃつくリーダーと紅蓮の騎士に嫉妬で憤死
しそうだったのに、船に乗った後はあっさりテンションが下がった
だろ。どっかで芝居だと確信したんだぜ、きっと﹂
﹁相手が男装じゃ、嫉妬するはずもないわね﹂
芝居と割り切ろうと、マリアも知らない男と密着などしたくはな
い。
故に作戦に駆り出されたのは、男のフリをしたマリアの母親、キ
ャサリンだった。
男の割には声が高いので、もしやと思い解析。男装の麗人である
ことはあっさりばれたのだ。
﹁私としては、もうちょっと妬いたレーカ見ていたかったわ﹂
1787
この一言は、リデアは無意識に聞こえなかったことにした。
拘束魔法にてスキンヘッドを固めると、マリアがすかさず彼を縛
り上げる。
﹁慣れておるな﹂
﹁人を縛ることに慣れているわけじゃないわ、ロープワークはメイ
ドの基本よ﹂
初耳だったが、本職のメイドがそう言うならそうなのだろうとリ
デアは納得した。
後日実家に戻った後、専属メイドに話して否定されるのは余談で
ある。
﹁じゃが、意図的に泳がせていたとはいえ作戦が漏れているのは事
実。対策はしておるのか?﹂
﹁当然よ。どうやらレーカを闘技場に誘い込んで袋叩きにするつも
りみたいだから、その裏をかくように通達してあるわ﹂
﹁それはつまり⋮⋮﹂
﹁レーカには、餌兼囮になってもらう﹂
流石にリデアも零夏が不憫になった。
﹁鬼じゃ、ここに鬼がいる﹂
﹁私が好き好んでレーカを危険に晒しているような言い方をしない
1788
で。どうやったって分が悪い戦いなのよ、大丈夫、おまじないはし
ておいたから﹂
それが気休めにすらならないことはマリアとて重々承知している。
だからといって、マリアは部下より家族を優先することはしなか
った。
その責務が代理であったとしても。彼らの闘いを見てきたマリア
には、零夏を利用する以外に選択肢はなかったのだ。
﹁大丈夫。だって、レーカはいつだって帰ってきた。どんな戦いで
も。今日だってきっと戻ってくるわ﹂
﹁さて、どうだかな﹂
スキンヘッドがその懇願という楽観に、冷めた疑念を投げ掛けた。
﹁どういう意味じゃ?﹂
﹁今回の視察、あのお方が来ているぜ﹂
﹁﹃あのお方﹄?﹂
首を傾げるマリアに、ニヤリと口角を吊り上げるスキンヘッド。
﹁最強の精霊使い様だ﹂
精霊使い。使い手自体が少なく、ましてや最強ともなればリデア
にはすぐ察しが付いた。
﹁︱︱︱っ、まずい!﹂
1789
顔色を変えて立ち上がるリデア。
﹁どうしたの、誰、最強の精霊使いって﹂
戸惑うマリア。慌てて戦闘準備を行うリデアは、青ざめた顔で告
げる。
﹁大戦前、怪僧と呼ばれた男がいた。魔法で穿れようと死なず、予
言にて帝国を裏から操り、一人の天才⋮⋮魔導姫の師となりその才
能を限界以上まで引き上げた叡知の化身。そして、自身も精霊魔法
を操る最強クラスの魔法使い︱︱︱﹂
リデアとてアナスタシアから魔導姫の呼び名を継いだ才女。だが、
その怪物に直接対峙して無事でいられる自信などない。
想定外の事態に震える声を噛み締め、絞り出すように断言する。
﹁︱︱︱ラスプーチン。レーカといえど、あやつには勝てない⋮⋮
!﹂
﹁ラス、プーチンって⋮⋮なんでそんなのが来るのよ!?﹂
マリアだって当然知っている。複数の派閥からなる紅蓮の騎士団
においてほぼ全権を掌握している、実質的な最高権力者。
普段からどこにいるかも判らない謎に満ちた人物だが、魔法至上
主義者とされている為に新型機の試験視察にはこないと思われてい
た。
﹁いや、逆かもしれんな。こちらが行動したからこそ、奴はこの町
に来たのかもしれない﹂
1790
﹁どういうこと?﹂
﹁ラスプーチンは謎が多いが、判明していることもある。レーカを
目の敵にしていることとか、な﹂
一年前の戦闘でラウンドベースに大損害を与えられ、ラスプーチ
ンは白鋼、そして零夏に恨みを持っている。これは関係者であれば
周知の事実だ。
﹁情報がこやつから漏れていたのじゃろ?﹂
﹁いだっ﹂
リデアがスキンヘッドの頭を軽く蹴る。
﹁レーカが首都から近い場所に現れる、ラスプーチンが来る理由と
してはあり得そうじゃ﹂
﹁そんな、レーカを誘き寄せたのは間違いだった⋮⋮?﹂
愕然とするマリア。家族を危険に晒したのに、それが更なる危機
を呼ぶなど想像していなかった。
﹁何にせよ高見の見物とはいかなくなったな、レーカはわしの希望
なのじゃ。そうそう簡単に殺されて堪るものか﹂
てきぱきとローブに着替え戦装束となるリデア。装備が多いので
時間がかかる。
なので、着替えの間に最後にもう一つ質問をしてみることにした。
1791
﹁せっかくだから聞いておきたいんだが﹂
﹁何よ、こんな時に﹂
﹁昨日のお主の恥態はなんだったんじゃ?﹂
うぐっ、とマリアは言葉に詰まった。
﹁なーにが﹃ずるいじゃない﹄じゃ。あまりに女々しくて中断させ
てしまったぞ﹂
軟弱者と罵り電撃魔法で気絶させたリデアだが、あれが欲求不満
を拗らせた結果ではないことくらい一目で見抜いていた。
﹁今回の件、誰も彼も嘘を吐き過ぎじゃ﹂
﹁︱︱︱貴女だって人のことを言えるの?﹂
負けじと見返すマリア。
﹁ほう、なぜじゃ?﹂
﹁勘よ。貴女の動言だって大概チグハグだったもの﹂
リデアは﹁ふん﹂と鼻を鳴らし、戦闘準備の仕上げに杖を手にす
る。
多少華美なきらいがあるも、黒ローブに装飾杖はまさしく魔女の
出で立ち。
1792
﹁わしのことはいいじゃろ。で、どうしてレーカを押し倒したのじ
ゃ?﹂
先に突っかかったことを棚に上げ、意趣返しに先程の質問を繰り
返す。
﹁解っているなら訊かないで。昨日のことは気の迷いよ﹂
﹁そうか、てっきり男を縛って喜ぶ性癖でもあるのかと﹂
﹁訊かないでって言っているでしょ!﹂
スキンヘッドを杖で突っつくリデアにマリアは怒鳴る。﹃縛る﹄
というあたり、マリアがなにを思ってレーカを押し倒したかリデア
はちゃんと理解していた。
ようは、既成事実を作ってレーカを拘束したかったのである。
側にリデアがいたあの状況で事に至る可能性など微塵もないが、
マリアは内心焦って冷静ではなかったのだ。ここで逃せば、また零
夏はどこかへ行ってしまうのではないかと。
一度置いてきぼりをくらっているマリアにとって、それは大きな
不安だった。
﹁さて急がねば、メイドと無駄話している猶予はないのぉ﹂
惚けた態度で足早に出ていくリデア。その背中を睨み、マリアは
何度目になるか判らない確信をした。
あのお姫様とは、馬が合わないと。
1793
直径300メートルの円形闘技場、その中心地が大爆発した。
大爆発、と称するに相応しいほどの破壊。塵となった岩盤が降り
注ぎ、衝撃波は闘技場外周を大きく揺さぶる。石造りの観戦スタン
ドが防波堤として受け止めていなければ、ゼクストの町も少なから
ず損害を受けていただろう。
吹き飛び宙を舞う英無頼。トンネルを通過していた零夏は、何ら
かの攻撃を受けて地上に強制排出される。
真下からの攻撃の反動で、岩盤を貫き吹き飛んだのだ。
︵このワケわかんねぇ攻撃、まさか神の宝杖か!?︶
座標さえ指定すれば全てを貫き敵を撃ち抜く超兵器。零夏も全景
を把握しきれないトンデモ兵器だが、その威力は折り紙つきだ。
紅蓮の騎士団にとって零夏は確実に消したい相手だった。故に、
万全を期して紅蓮の保有する最強の攻撃手段を行使した。
たまたま照準を共和国首都ドリットに合わせていたからこそ、ス
キンヘッドからの情報が伝わってから丸一日でゼクストの闘技場ま
で狙いを移せたのだ。
ただ一撃で城をも消し去る神の宝杖、本来が戦略兵器なので過剰
威力極まりないが、出力をセーブしてターゲットを事前に設定した
座標へと誘導出来れば確実に相手を仕留められる。
そう、一般論では。
﹁どういうことだ?﹂
﹁形が残り過ぎている⋮⋮威力を抑えたとはいえ、おかしい﹂
1794
零夏の搭乗した英無頼が僅かに原型を留めていることに、紅蓮の
騎士達は眉を潜める。
神の宝杖の威力ならば、人型機などネジ一本も残らず蒸発するは
ずだ。
にも拘らず、零夏は生きていた。
唯一ダメージが通らなかった英無頼の頭部モジュール、そのハッ
チから平然と飛び降りてみせる。
その手にはガンブレード。護身用として一応機内に持ち込んだが、
まさか使うことになるとは零夏も思ってもみなかった。
なぜ零夏が生きているか。それは、上から来るぞ、という忠告を
無視したからだ。
その声の主の性格からして、上から来ると言った以上は下から来
ると確信していた。
足元の地中を錬金魔法にて爆薬に作り替え、自爆覚悟で起爆させ
たのだ。
ほとんど自滅な行為ではあったが、これには2つの意図がある。
一つは英無頼を吹き飛ばして地上に緊急離脱する為。
そしてもう一つは、撃ち込まれた鉄杭のメタルジェットの浸透を
逸らす為。
ようは爆発反応装甲の要領だが、それはあまりに無茶な賭けだっ
た。結果助かったのは奇跡だ。
﹁個人に対して戦略兵器使うんじゃねーよ、想定外過ぎるわ﹂
零夏に対してトラップの類はほぼ通用しない。壁の中だろうと地
中であろうと見通す零夏の目を欺くのは極めて困難だ。
そんな零夏すら反応しきれないほど急速接近する攻撃など、神の
宝杖くらいしか存在しない。そういう意味では紅蓮の判断は正解だ。
1795
﹁だがそれでも貴様は生き延びた。切り札を切っても尚、我々は貴
様を過小評価していたというわけだ﹂
観戦スタンドから飛び降りた男は、零夏を睨んだままに白々しく
拍手する。
躊躇いもせず近付いてくる髭面の巨漢に、零夏は本能から警戒と
殺意を覚えた。
︵やばい敵だってのはひしひしと感じる⋮⋮だが、この感情はなん
だ?︶
彼を見た時から胸を渦巻きだした苛立ちに戸惑ってしまう零夏。
その違和感は、男の名を知った瞬間に解氷した。
﹁初めましてだレーカ君。私はラスプーチン、しがない僧侶だ﹂
考えるより先に、零夏はガンブレードを構えていた。
﹁ご丁寧にどうも、死ねや﹂
身体強化魔法を行使し、ブレードに内蔵されたショットガンにて
スラッグ弾をラスプーチンにぶっぱなす。
ポンプアクションを何度も繰り返し、機械的に弾丸を撃ち込む零
夏。
マガジンチューブ内に装填された弾丸を全て消費し、舌打ちした。
ラスプーチンの肉体は防御の必要もなくスラッグ弾を全て弾き返
したのだ。
︵火器は基本的に通用しない、か。ソフィー曰く、イリアとの闘い
でも20ミリガトリングをノーガードで耐えたらしいし望み薄だっ
1796
たが⋮⋮︶
魔法すら使用せずにどうやって、とラスプーチンの肉体の解析を
試みる。
そして、絶句した。
﹁ロボット、だと!?﹂
ラスプーチンの体は機械で出来ていた。
ほぼ人型機と同じ構造、だが脳だけは生身。ラスプーチンの戦闘
スタイルが魔法使いタイプなので無機収縮帯は少なめであり、表面
装甲は厚い。
背中に格納されていた翼が展開する。
小型のターボファンエンジン二発が埋め込まれた翼は、イリアの
それよりずっとメカニカルで禍々しい。
︵だがおかしい、魔力が足りないはずだ︶
零夏は経験から、その体の設計が体積の小ささを魔力で補うもの
であると直感的に見抜いた。
全身が魔力強化さえている為に、人間の魔力では到底足りないは
ずなのだ。
にも関わらず、ラスプーチンからは湯水の如く魔力が溢れている。
まるで魔力など無尽蔵に汲み上げられると言わんばかりに。
︵⋮⋮違う、本当に汲み上げているんだ!︶
膨大な魔力を無限に供給出来る存在、それに零夏は心当たりがあ
る。
1797
﹁エターナルクリスタル⋮⋮なのか?﹂
零夏が異世界へ来た際に魔力を得るために、何者かが施した処置
︱︱︱エターナルクリスタル化。
﹁違うな、私はエターナルクリスタルなどという不完全な存在では
ない﹂
ラスプーチンは零夏の言葉を否定する。
﹁私は天師だ。エターナルクリスタルなど、人体の天師化研究の副
産物でしかない﹂
﹁天師⋮⋮?﹂
﹁魔法至上主義者。魔法こそが最強の力であり、人型機や戦闘機な
ど偽りの能力でしかないと考える者達だ﹂
長らく剣と魔法の世界であったセルファークにおいて、個人で強
大な戦闘能力を発揮する魔法使いは何よりも尊まれる存在だった。
しかし大型兵器の発達により、パワーバランスは生まれもった才
能ではなく兵器を製造する技術力、もっといえば経済力が左右する
ようになった。
かつては王であろうと、最強の魔法使いには手出しが出来なかっ
た。しかし経済力を注ぎ込んだだけ強化される兵器は、孤独な最強
の個人をも飲み込むことすら可能となったのだ。
だがそれで栄光が失われることを納得出来る魔法使い達ではない。
プライドだけを醜く肥大化された彼らは、人体実験を繰り返し肉体
を強化することを研究し続けた。
その成果こそエターナルクリスタルであり、天師であったのだ。
1798
﹁おかしなことを、その体にはどう見ても人型機のノウハウが使用
されているぞ。魔法至上主義者には受け入れがたいものではないの
か、そういうのは﹂
﹁目的と手段が入れ替わることはよくあることだ。彼らにとってプ
ライドを満たすことではなく、最強の人間を造り上げることが命題
となってしまったのだろう﹂
浮遊装置を起動させて、ふわりと浮上するラスプーチン。その姿
は禍々しくもどこか神々しい。羽のジェットエンジンや可動部を繋
ぐケーブルさえなければ。
﹁貴様の疑念には答えたぞ、私の質問に答えろ。どうやって神の宝
杖を直前で察知した﹂
﹁はっ、女神様に耳元で愛を囁かれたんだよ﹂
ラスプーチンは片目を閉じて﹁ふむ?﹂と呟く。
﹁唯一神セルファークが依怙贔屓とは、興味深い。殺すのはやめて
サンプルにしてしまおうか﹂
﹁言っちゃなんだがよ、下品だぜお前﹂
﹁ふっ、冗談だ。予定通りここを貴様の墓場にしよう﹂
﹁は、そりゃあ楽しい冗談だな﹂
零夏はニヤリと笑って見せる。自身を奮い立たせ、怯えを封殺し
1799
て。
﹁俺が死ぬ?ボケ老人の戯れ言はほどほどにしとけ。現状はお前を
殺す千載一遇のチャンス以外の何物でもねぇよ﹂
今まで得体が知れず手出し出来なかった宿敵。ナスチヤを殺し、
ソフィーに不自由な思いをさせ、ガイルを狂わせた張本人。
実を言えばガイルについては統一国家の騒動だけが原因ではない
のだが、要因の一つなのは事実だ。
帝国での逃亡生活を続けたところで、事態が良くなる確信はない。
誰かに任せたままで望みを掴めると思うほど零夏は無責任ではなか
った。
あの日の誓いを、ソフィーと交わした約束を彼は忘れてなどいな
い。
︵取り戻すんだ、俺達の故郷を︱︱︱帰る場所を!︶
今こそ命をチップに賭ける時。闘技場の外周に50機の英無頼、
上空には舞鶴30機。飛行隊を丸ごと連れてきたんだろうかという
馬鹿げた戦力︱︱︱ただ、それだけ。
ガンブレードを横に構え、腰を下げ。
呼吸が止まった刹那、矢の如く彼は跳躍した。
数歩でトップスピードに達し、ラスプーチンに一息に接近。数メ
ートル上空に滞空する敵に肉薄する。
目の前にまで迫ったラスプーチンに、渾身の斬撃を放つ。
腕でぞんざいに防御されるも、その程度は想定内。
右足をラスプーチンの股の間に突き刺し、相手の片足に足首をか
けることで動きを封じる。
﹁︱︱︱むっ﹂
1800
肘を顎に打ち、ラスプーチンを後ろへ吹き飛ばす。体勢を崩した
のを見計らい、脇腹に左足の膝を打ち込む。
身体強化された零夏の蹴りは、容易くラスプーチンを宙に踊らせ
る。
バランスを保てない敵の身に零夏は何度も斬りかかる。
なす術もなく零夏の攻撃に甘んじるラスプーチンに、彼は確信し
た。
︵こいつ、接近戦は素人だ︶
息を吐く間もない猛攻。袈裟に斬り、横に凪ぎ、下に降り下ろし。
攻防は一方的。ラスプーチンには防御など出来ない。零夏の速度
に完全に思考が追い付いていないのだ。
双方共に身体能力は普通の冒険者を超越した域に達しているが、
それでも身体強化魔法の強度はラスプーチンが上だ。魔力でのみ強
化している零夏に対してラスプーチンは魔力+人体改造による贅力、
即ち無機収縮帯の出力。人間の筋力より遥かに強力なそれは、素の
状態であっても強化状態の零夏に匹敵する。
つまりは彼我のパワー差はおおよそ2倍。大人と子供の喧嘩に等
しい。
それでも零夏が優勢なのは、単に武術の知識と経験の違い。ラス
プーチンの肉体設計が防御重視なことから、接近戦が不得手である
と零夏は正しく看破しているのだ。
︵一発二発で通じなくたって、何十発も打ち込めば!︶
零夏の猛攻は三桁に達する勢いだ。だがそれでも、ラスプーチン
は顔色一つ変えない。
一撃一撃が中型モンスターを昏倒させられる威力の攻撃なのに、
1801
一切通じないのだ。
﹁堅、過ぎるだろ⋮⋮!﹂
歯ぎしりする零夏をラスプーチンは嘲笑う。
﹁くく、この程度でなにを﹂
ラスプーチンの魔力が更に増大する。
﹁ようやく体が温まってきたところだ、本気を出すとしよう﹂
正拳突き。
素人染みた大雑把な動きの拳は、零夏の腹にめり込んだ。
﹁ガッ︱︱︱!?﹂
拳は容易くライフル弾の速度をも越え、空気中の水分を水へと変
えるほどの衝撃波と共に零夏を貫いた。
真横に吹き飛ぶ零夏。落下などほとんどせず、音速で闘技場の外
壁に衝突する。
瓦礫の底、混乱する零夏はすぐには立ち上がれなかった。
頭蓋を反響する耳鳴りと全身の激痛。これほどの痛みを味わうの
は異世界にきて初めて。
︵なにをされた!?︶
今まで掠りもしなかったラスプーチンの攻撃がなぜクリーンヒッ
トしたか。
理由は簡単。単純に、﹃早かった﹄。
1802
ラスプーチンの腕力が飛躍的に上昇したのだ。
その理由までは零夏には判らない。ともかくここで追撃されれば
終わりなので、急いで瓦礫からの脱出を試みる。
﹁くそ、体が録に動かないッ﹂
右手の感覚がない。左手はガンブレードを握っていており、石を
一つ一つ除去するのは困難。そもそもそんな悠長な暇はない。
障壁を張った上で、まとめて爆破して吹き飛ばす。
明るい日の下に出て、零夏は呼吸を忘れた。
﹁腕が︱︱︱俺の腕が、ない﹂
右腕は根本から千切れ、両足は骨が剥き出しとなっている。片足
首はどこかで迷子だ。
ガンブレードが盾になったからこそ片側上半身は軽傷で済んだ。
ラスプーチンの拳はただ一つで零夏を殺すのに充分過ぎる力が込め
られており、助かったのはただの幸運。
見えてさえいなければ無視出来た怪我も、一度認識してしまえば
痛みとなって零夏の思考を阻害した。
﹁あ、あああっ﹂
血の気が引き、足が縺れる。
倒れまいとするもそもそもが踏ん張る足がなく、体重をかけよう
ものなら脳髄まで掻き乱すような激痛に教われる。
びちゃりと血を撒き散らして倒れる零夏。
明確な死のビジョンが脳裏に浮かび、それを振り払うことが出来
ない。
1803
﹁死ぬのか、俺は﹂
﹁そうだ。死ぬのだ、貴様は﹂
いつの間にか側まで接近していたラスプーチンは、零夏の髪を掴
み上空へと持ち上げる。
髪の毛を引っ張られる痛みは、だが足に体重をかけるよりはマシ
だった。
﹁勝てると思っていたか?バカもここまでくると哀れだな﹂
︵パワーで劣っているのは判っていた。︱︱︱だからって、なんで
ここまで差があるんだ︶
再び拳を振り上げるラスプーチン。零夏に有効な反撃手段などな
く、それをじっと見つめるしか選択肢はない。
今度の狙いは零夏の頭部。防御など不可能、零夏には奇跡を祈る
以外にない。
解析魔法を終えるまでの、僅かな猶予が稼がれるという奇跡を。
かくして、ラスプーチンの拳が動く直前︱︱︱直径2メートルは
ある高出力レーザーが、彼を飲み込んだ。
﹁やったか!?⋮⋮いや﹂
町の上空に浮かぶ箒、その上に立ち光の弓を構えるリデア。
1804
彼女が闘技場より直線距離にして2000メートル離れた場所か
ら放ったそれは、アナスタシアやリデアが得意としてきた長距離砲
撃魔法アーリア・レイ。
最上級魔法に分類され、人型機の複合装甲盾をも正面から貫ける
リデアの切り札だ。
常人に扱える魔法としては間違いなく最強、だがリデアには強敵
を討ち取ったという手応えがなかった。
︵通じるはずがあるまい⋮⋮やつの精霊魔法とは、そういうものな
のだから︶
予想通り、収まった凝集光から現れたのは無傷のラスプーチン。
2キロも離れていては互いの声は届かない。リデアは遠見の魔法
でラスプーチンがなにかを呟き舌打ちしたことだけを視認した。
闘技場をドーム状に覆う光の壁。
﹁結界魔法か﹂
初めは薄い膜だったそれも、徐々にはっきりとした色となり内部
の様子が見えにくくなっていく。
これはまずいと急いで魔法を組み立てる。
﹁アーリア・レイ!﹂
再度光の矢を放つも、結界を破ることは叶わなかった。
レーザーは半球状の結界にぶつかると乱反射し、威力を減退させ
る。
一瞬結界の色が薄くなったように見えたが、それもすぐに元に戻
った。
1805
﹁さすがじゃラスプーチン、広範囲の結界をこの密度で展開すると
は⋮⋮怪僧の名は伊達ではないな﹂
流石に二度も空からレーザーが放たれれば、紅蓮の軍人も気付く。
いつの間にか彼女の回りを多くの戦闘機が旋回していた。
上空から堂々と狙撃を行う幼子に怪訝そうな顔をしつつも、舞鶴
は冷酷にリデアを狙う。
﹁通信の一つでもあると思っていたが、無警告か。まあいいがの﹂
搭載された30ミリ機関砲に晒されれば生身の人間など血の霧と
化す。
﹁まったく、それは帝国の最新鋭じゃぞ。勝手に使いおって﹂
だというのにリデアは慌てる様子もなく、空を仰いだ。
﹁時間じゃ。駆逐しろ、悪魔よ﹂
瞬間、舞鶴に大穴が空いた。
弾痕なんて生ぬるいものではない。美しい流線の機体は抉られ無
惨に空中分解する。
リデアのすぐ近くを垂直降下する飛行機が掠めた。
白い直線翼機︱︱︱雷神。3門の30ミリガトリングを備えた双
発ジェット機は地面スレスレで引き起こし、次の獲物を探す。
突然の乱入者だがそれで浮き足立つ天士達ではなかった。一度は
舞鶴の後ろを取った雷神だが、エンジン出力を活かし舞鶴は上昇し
て逃げる。重火力重装甲の雷神にはとても追い付けない。
容易に背後を奪われた雷神、絶体絶命かと思われたその時雷神上
部の宝塔が180度回転した。
1806
105ミリライフリング砲から放たれる鉄鋼弾に舞鶴は粉砕され
た。
砲を装備した飛行機など世界広しと言えど数えるほどしかいない。
紅蓮に与する者達は、ようやく自身の敵対する悪魔の名に行き着き
恐慌した。
﹁薮医者︱︱︱ガーデルマンも乗っておるな。無事合流したか﹂
そう、レジスタンスの用意した銀翼の天使とは帝国軍人のルーデ
ルだ。薮医者の正体はルーデルの相棒ガーデルマン。
帝国軍最強であり、リデアの腹心のコンビ。レジスタンス支援は
最初から始まっていたのである。
闘技場へと雷神がアプローチしていることに気付き、慌てて通信
魔法を繋いだ。
﹁わしじゃ。聞こえるか?﹂
﹃おお、姫様。どうしましたかな﹄
﹁雷神の武装では闘技場の結界は破れん。あれは神術級に達してお
る﹂
神術級魔法。最上級魔法より上位に位置するそれは、個人の限界
を越えた力。
魔導姫すらもて余し、発動には入念な儀式が必要となる文字通り
神の域に達した攻撃。
仮に科学技術で神術級の威力を発生させようと思えば、それこそ
核爆発以外にないだろう。
﹁お主等は上空制圧に専念するのじゃ﹂
1807
﹃了解ですぞ﹄
﹁うむ。じゃが、とはいえ︱︱︱﹂
鈍重な雷神は既に敵機を5機は落としている。問題はルーデルの
身の危険ではなく、雷神の弾切れだ。
雷神のガトリングはその気になれば一分とかからず打ち尽くして
しまう。そして現状、補給の方法はない。
﹁雑魚ばかりとはいえ、雷神一機で上空制圧出来ればいいのだが⋮
⋮﹂
リデアは頭を振って思考を切り替える。弾切れになれば離脱すれ
ばいいルーデルと違い、零夏は早急に支援する必要があった。
﹁ラスプーチン、やはり別格じゃ。じゃが同時に紅蓮も中に手出し
を出来ない、レーカが凌いでいるうちに次の手を考えなくては﹂
彼女の視線の先では、零夏がラスプーチンからの離脱を果たして
いた。
﹁祈ってみるもんだな、奇跡とやらも﹂
1808
緩んだ手を払い除け、零夏は﹃両足﹄でしかと地面に着地する。
右手を開閉し具合を確認、満足げに頷く。
﹁お転婆姫の狙撃のおかげで、四肢を作り直す時間が得られた﹂
肉体が見た目復元された零夏。だがこれは治癒ではない。零夏は
そんな小器用な魔法は使えない。
零夏は、ラスプーチンの肉体を解析し複製したのだ。足りないも
のは代用し、複雑な部分は簡略化し、実用に耐えうるものを形作っ
た。
他にも無事だった部分は残しておき、足りない部分だけを機械化
する。
半天師ともいうべきか。付け焼き刃だが、完成はしていた。
﹁バカな﹂
ラスプーチンは愕然とした。
﹁一つの世界といっても過言ではないほど精巧な我が肉体を、今こ
の場でコピーだと⋮⋮!?﹂
自身の体だからこそ、その緻密さは熟知している。
彼もまた解析魔法を扱えるが、その情報を完全に読み込むことは
不可能。生身で残されている脳細胞が、処理に追い付かないのだ。
そう、それがラスプーチンの知る人間の限界。越えられないはず
の最後のライン。
だというのに。なのに、目の前の餓鬼はそれを瀕死の間際に越え
て見せてた。
﹁なめんな、俺はずっとメカニックだったんだぞ﹂
1809
一般人が異世界へ渡り大きな魔力を手に入れれば、普通は魔法使
いを志す。
だが零夏は違った。ひたすら、何度も延々と機械工作をしてきた。
ラスプーチンが精霊魔法の怪物であれば、零夏は工作魔法の化身。
こと、製造技術でいえば零夏はまさしく最強であった。
︵さて、そんでこの光の膜が⋮⋮︶
零夏は思考回路を走らせる。
魔法は専門外の彼だが、人並み以上の知識はある。故に精霊魔法
が何なのかも知っていた。
︵自立判断が可能な﹃打ちっぱなし﹄の魔法⋮⋮消費魔力の割に効
果は小さいが、独立しているので術者への負担がないんだっけ︶
零夏はついミサイルをイメージしてしまうのだが、精霊魔法は通
常の魔法と変わらないバリエーション豊かな技術系統だ。
地雷のように設置することも、敵地を偵察させることも可能。燃
費の悪さや制御の困難さから使い手は少なくマイナーなものの、上
手く利用すれば不利な戦況を逆転させることも可能な高等技術だ。
もっとも、ラスプーチンはそのような運用を行わない。
エターナルクリスタルという無限の魔力にものを言わせた力業と
物量。それこそラスプーチンの精霊魔法である。
闘技場を囲む結界も、互いに干渉しエラーを起こす寸前まで重ね
がけされた精霊魔法だ。
︵しかも、さっき外からの攻撃を受けてもあっさり修復して元の密
度に戻りやがった。魔法が自分でコピペして細胞みたいに増殖して
いるんだ︶
1810
つまりは、結界を破る手段はただ一つ。
︵大火力による一撃破壊。結界が一枚でも残ればやり直しなんて、
とんだ不条理だ︶
どうすればいいか思案する零夏、それを見るラスプーチンもまた
戦いている。
彼はようやく、零夏を警戒すべき敵として認識した。
﹁︱︱︱だが、それでも火力はこちらが上だ﹂
眼前の敵、その周囲に現れる数百の光点に、零夏は身震いした。
﹁は、それしか能がないのか?芸がないな﹂
﹁物量以上の戦術など、ない﹂
なるほど、と零夏は一人ごちた。
ラスプーチンの異常な腕力も、身体強化魔法の重ねがけだと理解
する。
無機収縮帯+身体強化×身体強化。とんだインチキだと零夏は思
う。
放たれる炎の魔法。一つ一つは中級だが、それでも生身では十分
殺傷する威力がある。
︵土壁を築き防御するか?いや、初撃は防げてもそこで積む︱︱︱
!︶
零夏に選べる手段などただ一つ、全弾回避のみ。
1811
﹁やれることはやっておくかっ﹂
魔法が自身に到達する僅かな猶予の間に、等身大のマネキンを地
面から作る。内部に燃料とモーターを仕込んだ手の込んだ品である。
迫る炎弾をギリギリまで引き寄せ、ガンブレードを展開する。
上部の砲身が後ろへ大きくスライドし、カードリッジ内の酸素と
水素が注入される。
分厚いブレードが割れるとブレード内部から螺旋状の突起︱︱︱
ドリルが飛び出す。
銃身がロケットの燃焼室となり、ショットガンとしての機能を喪
失。もうショットガンとして使う状況はないと割り切っている。
ガンブレードがライフルではなくショットガンとして製造された
のは、本来零夏が銃火器の扱いに不馴れであった為だ。大雑把な狙
いで敵を撃破する、そういう設計思想である。
しかし現在の零夏は解析魔法を利用した精密狙撃まで可能なので、
ショットガンよりライフル銃の方が適切である。
それでもなぜガンブレードにライフリングが刻まれていないかと
いえば、弾丸の多様性に優れているから。
だがどのような特殊弾頭であってもラスプーチンには効かない。
躊躇う理由はなかった。
水素ロケットを点火、零夏は側面に急加速する。
﹁うぐ、ぉおっ!﹂
零夏を引っ張り飛翔するガンブレード。燃焼時間は10秒、ラス
プーチンに辿り着くには十分な時間。
︵どうだ、マネキンに向かったか!?︶
1812
フレア
精霊魔法がミサイルならば、疑似餌も有効はなはず。そう考えて
熱と魔力と脈拍を有するマネキンを作ったのだが、残念ながら引っ
掛かる間抜けな魔法は一発もなかった。
愚直に己を追う精霊魔法に、零夏は思わず愚痴る。
﹁いい精度だなくそぉ!お前らみたいなやつ︵ミサイル︶がいるせ
いで、ドッグファイトが廃れたんだ!﹂
弾幕の側面へと回り込み、足も着かぬままカードリッジを宙で取
り替える。
﹁ストオオオオ、カチューシャアアアァァァァ!!﹂
剣先のドリルが回転、付加された魔刃の魔法が周囲の大気すら切
り裂く。
螺旋に迫る傷痕、それをラスプーチンはつまらなそうに笑った。
﹁届くと思ったか﹂
﹁思ってねぇよ畜生、ばーかばーかっ﹂
障壁をガリガリと削り、制止した。
︵あーくそ、エラーギリギリまで重ねがけしているならラスプーチ
ンを守る障壁と闘技場を包む結界は同じ強度のはず、一思いに本体
狙った方がお得か⋮⋮なんて急くんじゃなかったかな︶
瞬く間に復元する障壁に、零夏は歯噛みする。
﹁141枚破られたか。驚愕に値する、最上級魔法をも越える域だ﹂
1813
﹁そりゃどーも﹂
﹁あと一息頑張りたまえ、残りたった525枚だぞ﹂
合計666枚。思わず目眩を覚えるほどの防御。
これを貫くには神術級の威力をお膳立てするしかない。
︵勝てるのかよ、これ⋮⋮負けイベントじゃね?︶
矢継ぎ早にカードリッジを交換してストーカチューシャを連射す
るも、ダメージより復元の方が早い。
零夏の無駄な足掻きをラスプーチンはせせら笑う。
﹁くくく、しかしストーカチューシャ、か﹂
﹁ウケる要素なんてねーぞ﹂
﹁名付けたのはナスチヤだな、カチューシャはあの娘が好きな歌だ
った﹂
今でもあの歌声ははっきり覚えている、とラスプーチンはしみし
みと頷く。
それがなまじ挑発ではなく本心から懐かしんでいるように見えた
からこそ、零夏は苛立ちを増した。
﹁そりゃあ是非とも聞きたかったな、なんで殺したんだよクソが﹂
﹁世界に対する見せしめ、そして欲しかったからだ﹂
1814
﹁︱︱︱欲しかった、だと?﹂
一旦距離を取り、ラスプーチンの周りを駆ける。
﹁お前はほしいと思わなかったか?あの美貌、あの肉体、女神であ
ろうとあれほどの輝きを秘めてはいなかろう﹂
﹁同意見だクソ坊主。だが美女は舐め回すように視姦するのがたし
なみだろうが。イエス人妻ノータッチ、ゴッド イズ ア チンチ
クリーンだろーが﹂
どこからか﹃誰がチンチクリンじゃー﹄という神託が聞こえたが、
零夏に気にしない。
最後のカードリッジを装填、ロケットにてラスプーチンに肉薄。
と見せかけて、彼の横を通り過ぎる。
﹁逃がすかっ﹂
﹁逃げねぇよ﹂
零夏は闇雲にストーカチューシャの無駄撃ちをしていたわけでは
なかった。宙に浮かぶラスプーチン、その真下に細工をしていたの
だ。
﹁ふわふわ浮いてて足元がお留守だぞ﹂
直径約5メートルほどの、擂り鉢状に抉れている地面。鋳造魔法
で作り上げた、金属製の蟻地獄。
﹁いつの間に?だがなんの意味がある、落ちるほど間抜けではない
1815
ぞ!﹂
﹁これは弾頭さ﹂
擂り鉢内にて高性能爆薬を起爆する。
同質量の爆薬による単純な爆風、熱であればラスプーチンには通
じない。だがそれが擂り鉢の内部で起こると、異質な現象が起こる。
吹き上げる炎の柱、それにラスプーチンは飲み込まれた。
﹁ぐおおぉぉぉおおお!!?﹂
第三者からすれば業火に包まれているかのような光景。実際には
周囲の空気が揺らいでいるだけに過ぎない。
その本質はメタルジェット、化学反応などより恐ろしいものだ。
﹁モンロー効果って言ってな。擂り鉢状の金属と爆薬を用意すれば、
本来球状に広がる燃焼エネルギーを一点に集中力させることが出来
る。兵器屋にとっては常識だ﹂
ようは成形炸薬弾である。即興の不出来な模倣だが。
無論、通常の成形炸薬弾を込めた戦車砲弾や人型機兵装ではラス
プーチンの障壁は貫けない。だが文字通り桁の違う、直径5メート
ルの擂り鉢。吹き上がるエネルギーは戦艦とてぶち抜けるほど。
﹁極太メタルジェットの直撃だ、これでダメージなしなら泣くぞ﹂
﹁︱︱︱ああ、驚いた。大した威力だ﹂
憮然と立ち込める水蒸気の中から現れるラスプーチン。
零夏は本気で泣きたくなってきた。
1816
﹁誇れ、我が障壁を550枚も削ったのだ。これほど大きな威力の
攻撃を受けた経験は片手ほどしかない﹂
浮遊高度を上げるラスプーチン。それだけで、モンロー効果を利
用した一転集中攻撃は封じられた。
﹁誇りを抱いて、死に絶えろ﹂
手を翳すラスプーチン。
零夏は思い至る。ストーカチューシャが141枚、モンロー効果
のメタルジェット攻撃が550枚。ならば同時に放てば、障壁を破
れるのではないか、と。
︵いや駄目だ、そもそも666枚の障壁を破るエネルギー量を捻出
すること自体は簡単なんだ︶
単にそれに匹敵するだけの爆薬を調達すればいい。それで殺せる
のならば、ラスプーチンはとうの昔に殺害されている。
︵問題は、それを一点集中させることだ。障壁の術式が破綻するほ
どに、一層も残さず貫かなくてはならない︶
時間が停止したかの如く、刹那の間に思考を走らせ続ける。
︵メタルジェットの中にストーカチューシャをぶちこんだって、モ
ンロー効果の熱でガンブレードが壊れるだけ。そもそもストーカチ
ューシャをぶっぱなす為のカードリッジがもうない、新しく鋳造す
る隙もくれないだろう︶
1817
同じ手が何度も通じるはずがない。生半可な小細工はかえってリ
スクを増やすだけ。
︵参ったな、もう何も有効打が思い付かないぞ⋮⋮ん?︶
ラスプーチンの背後、2000メートル先にてリデアが奇妙な動
作をしていた。
︵こんな時になにやってんだアイツ︶
箒に乗った彼女は、両手の人差し指を突き合わせ何度もツンツン
と合わせていた。
魔法の儀式だろうか、と考え、その意図を唐突に理解する。
﹁はぁ!?﹂
その無茶な発案に、零夏は思わず声を上げてしまった。
﹁どうした、もう奇策などさせんぞ﹂
突然の奇声に警戒するラスプーチン。地中の細工を警戒し常に飛
行し続け、周囲を常に解析している彼には隙などない。
﹁あ、いえお気になさらず﹂
︵隙がなかろうと、もう一度、ちょっとだけでも時間を稼がなくて
は︶
撃破でも脱出でもなく、時間稼ぎ。ならば零夏には選ぶ道が残さ
れている。
1818
結界内の物を次々と解析して、調達可能な物資を選定。
﹁窒素酸素水蒸気、アルミニウムにカルシウム、石灰石英⋮⋮レア
メタルが足りないが、まあ、なんとかなるだろ﹂
脳裏にて図面を引き、地面と大気からそれを作り上げる。
最初に浮かび上がるフレーム、空圧シリンダーが張り巡らされ、
装甲がそれを包む。
それは腕だった。あまりに巨大で、成長過程である零夏の等身に
は見会わない鉄腕。
零夏の右腕に備わった、5メートルほどの腕はまさしく人型機の
ものだった。
﹁︱︱︱圧縮機始動、神経接続、同調開始﹂
不自然に巨大な腕が降り注ぐ魔法の火球を弾き飛ばし、握り潰す。
その容易さに、零夏は後悔する。
﹁うわ便利、さっさとやっとけば良かった﹂
ラスプーチンの顔が盛大にひきつった。
﹁だよなー、素手で人型機の真似事するなんて馬鹿げているんだな。
それなら体を人型機に改造した方がよほどお手軽ってことか﹂
﹁簡単に言ってくれる、貴様、何者だ!?なぜそんなことが出来る
!﹂
﹁なぜって言われても、慣れたし﹂
1819
ラスプーチンの模倣による擬肢を操っているうちに、零夏は物足
りなくなってきたのだ。
魔法使い向けの防御重視の設計。堅実で精巧だが面白味に欠ける
構造。
こうなっては、改善案を出してしまうのは零夏の性である。
﹁けど神経接続か、面白い技術だなこれ﹂
応用。単純なコピーと違い、それは技術を完全に理解していなけ
ればならない。
だからこそラスプーチンは戦慄していた。
﹁ばかな、賢者達が数百年かけて成熟させた技術だぞ、それを数分
で掌握だと⋮⋮!?﹂
ありえない。彼の脳裏に過るのはその一文だけ。
﹁それを、こともあろうか﹃慣れた﹄だと⋮⋮!?この、化け物め
⋮⋮!!﹂
﹁お前が言うな﹂
零夏の鉄拳とラスプーチンの魔法が激突する。
依然としてラスプーチンのパワーは零夏を圧倒しているが、その
差は肉体の人型機化によってかなり縮まった。零夏の格闘戦技術に
よって埋められるほどに。
ラスプーチンの何重にも魔力強化され超音速で迫る拳を、零夏の
セラミック複合装甲化した腕が逸らし止める。
零夏の死角から鋭く貫く正拳突きを、ラスプーチンの障壁はこと
もなげに受け止める。
1820
両者の視線には、じわりと焦りが浮かんでいた。
互いに決め手もなく、時間ばかりが消費されていく状況。このま
までは不毛な根比べとなることは明白。
︵俺がラスプーチンの攻撃を捌ききれなくなるのが先か、ラスプー
チンの集中が途切れて障壁維持をミスるのが先か⋮⋮あれ、やっぱ
不利じゃねーか︶
零夏は隙を探す。
︵なんでもいい、さっきの一撃をもう一度撃てる隙はないか!?︶
常に広く視線を走らせるラスプーチン。零夏だけではなく、周囲
にも警戒し手当たり次第に解析しているのだ。
︵⋮⋮?︶
違和感を感じる。
一ヶ所だけ、解析が疎かになっている場所があったのだ。
︵⋮⋮ああそうか、そうだよな。お前だって同じ癖があったってお
かしくない︶
僅かな希望を見出だした零夏は、再び体内を改変する。
﹁どうした、またなにか企んでいるのか!﹂
攻撃を行わず回避に専念し始めた零夏に、ラスプーチンは警戒を
強める。
零夏の攻撃はラスプーチンの想定外のものばかりであった。一年
1821
前のラウンドベース破壊もそう、発想の角度が斜め過ぎて対策が間
に合わない。
戦力で勝っていようと、戦況が優勢であろうと油断が出来ない。
一言で言えば、ラスプーチンは零夏にトラウマを持っている。中
からなにが出てくるか予想も付かないビックリ箱に思えてならない
のだ。
︵今度はなんだ、蛇が出るか?猫の死体でも入っているのか?それ
とも箱に化けた魔物なのか!?︶
零夏を認めず、零夏を誰より恐れている男。
それを半ば自覚しているが故に、ラスプーチンはとにかく零夏を
殺したかった。
﹁させん!手など打たせるか、隙などくれてやるか!死ね、今すぐ
だ!﹂
地面にも空にも細工はない。ラスプーチンはそう確信し︱︱︱
﹁はは、死角はやっぱりあるようだな﹂
︱︱︱呼吸を忘れた。
﹁⋮⋮死角など、ない﹂
その呟きに、一瞬前の自信が変わらずあると誰が言えようか。
零夏の挙動一つに過剰に警戒し、視界が狭くなっていくラスプー
チン。
刹那、零夏はラスプーチン側面へと回り込み、魔力刃のドリルを
叩き込んだ。
1822
﹁ストー、カチューシャ⋮⋮!な、に?それは弾切れのはず﹂
障壁を破れないながらも、最上級魔法レベルに至っているストー
カチューシャ。ラスプーチンはそれが使用不可能なのを確かに確認
していた。
﹁だよなぁ、体内の解析はやだよなぁ、俺だって嫌さ﹂
零夏は自身の体内に手を突っ込み、次のカードリッジを抜き出す。
体液にまみれたそれに、ラスプーチンの顔は唖然とする。
﹁まさか、体の中で新たなカードリッジを製作したのか⋮⋮!?﹂
﹁そういうこった、解析魔法の使い手は体内を解析したがらないク
セがあるってことだ!﹂
動物を解析した場合、グロテスクな臓物を視ることとなる。故に
零夏は進んで肉体解析を行おうとはしなかった。
ラスプーチンはテロリストであり殺戮者だが、殺人快楽者ではな
い。
僅かな希望的観測と、ラスプーチンが零夏をあまり注視していな
いという事実。これらから零夏は自分の体内が唯一の死角であると
考えたのだ。
﹁だが、だがっ!そんな玩具では我が障壁は破れんぞ!﹂
﹁けど、隙は出来るだろ?﹂
再度地面を錬金し、擂り鉢を形作る。
1823
ラスプーチンと地上が離れているが為に、メタルジェットは届か
ない。しかし擂り鉢は上空ではなく闘技場の外側へと向いている。
﹁今度はこっちだ、ぶち抜け結界いいぃぃ!﹂
点火、熱の柱が闘技場を包む結界へと放射された。
﹁くだらん、それでも火力が足りんわ!我が障壁と結界はほぼ同等
の強度だぞ!﹂
ストーカチューシャの連射によってラスプーチンを足止めしてい
るものの、それは同時にストーカチューシャを結界破りに回せない
ということでもある。
そもそもメタルジェットの中にストーカチューシャを打ち込めば、
熱でガンブレードが溶けて終わり。ラスプーチンの妨害があろうと
なかろうと零夏一人で内部からの結界破りは不可能だった。
零夏一人では。
﹁今だ、ぶち破れえええぇぇ!﹂
壁に放射されるメタルジェット、その反対側。外から極太レーザ
ーが結界に打ち込まれた。
﹁む、ううぅぅっ!﹂
﹁ラスプーチン、お前の言を信じるのであれば結界は666枚!メ
タルジェット攻撃で破れるのが約550枚、残りの116枚はあの
お転婆狸娘に任せる!﹂
内と外から高威力の魔法でぶち破られ、数を減らしていく障壁。
1824
500枚、300枚、100枚︱︱︱!次々と障壁は消失し、色
を薄くしていく。
裏表から最上級の攻撃は、合計すれば神術級にすら達していた。
﹁やめろ、クソッ、クソがぁ!﹂
怒鳴るラスプーチンだが、無慈悲にも零夏のストーカチューシャ
による足止めは継続しており。
闘技場にいる人々の耳に、パリン、と音が聞こえた気がした。
一瞬の間、次の時には空が青く染まる。
吹き抜ける風に、誰もが理解する。ラスプーチンの最強の結界が、
今この瞬間破られたのだと。
﹁やった、やっ︱︱︱おおぉぉ!?﹂
人型機が喜ぶ零夏に向かって突っ込んできた。
闘技場に墜落する人型機は、片膝を着きスライディングしつつ停
止する。
﹁なっ、なんだ、誰だ!?下手くそな操縦!﹂
﹃わしじゃわし、愛らしい狐姫じゃ。はよ乗り込め﹄
﹁なんだよこのへんちくりんな人型機は!?﹂
ロボット大好きな零夏をもってして、その人型機は奇妙な機体と
しか思えなかった。
油圧アシストのない無機収縮帯のみの細い手足。空力を意識して
いるのであろう流線型のアルミニウム装甲。これだけであれば、運
動性能に特化させたピーキーな機体と納得も出来る。
1825
異様なのは両肩と両脇に設置された計8発のエンジンだった。
肩にそれぞれ2発の可動式ターボファンエンジン。脇にも左右2
発ずつカードリッジ式の固定ロケットエンジンを抱え込んでいる。
普通は頭部に収まっているコックピットも胸部へと移されており、
サスペンションによる衝撃の緩和を図られている。ならば首の上に
はなにがあるかと言えば、大型の投射機とツノのように左右に生え
たペリスコープ。
ひたすらに機動性を追求した設計思想、零夏はこのようなコンセ
プトの機体を一つしか知らない。
﹁まるで、白鋼だな﹂
白鋼の能力をなんとか量産機に落とし込もうとした、そんな風に
思えた。
ハッチのある人型機の背中に回り込み、腕が巨大過ぎて乗り込め
ないことに気付く。
鉄腕を破棄しハッチに入ると、内部で待っていたリデアが先程の
独り言に返事を返した。
﹁ある意味その通りなのじゃろう、これが紅蓮の開発した新型じゃ﹂
その時、闘技場を囲む結界が再び展開された。
ギリギリの作戦の末に得た成果は、この新型とリデアを結界内に
招いたことだけ。この変化で何が変化するか、それは三者の誰も予
想が付かない。
﹁って、腕がないぞ!?﹂
﹁取れた﹂
1826
﹁取れたって、痛くないのか?﹂
﹁アドレナリンってスゲーよな、先までチョコたっぷりだもん﹂
あんぐりと口を開けっ放しにするリデアを零夏は冷たい視線で見
やる。
﹁なんで君が乗り込んできたんだ、護衛対象殿﹂
﹁酷い言い様じゃ、心配して駆け付けたのに﹂
姫が戦場に乗り込んでくるなと主張するも、リデアとしては零夏
は最重要人物。簡単に喪失するわけにはいかない。
呆れている零夏、その時ラスプーチンの魔力の変化を察知した。
﹁っ、俺に代われ!﹂
リデアを押し退け生き残っていた左腕で操縦幹のトリガーを押す。
脇のロケットエンジンが点火し、ラスプーチンの放った氷の槍を
飛び退くことで回避した。
﹁うおっ!?﹂
あまりの瞬間出力に浮き上がる機体、慌ててバランスをとって着
地する。
﹁なんだこれ、機体重量の割に軽過ぎる。普通に戦うだけでポンポ
ン浮いてしまうぞっ﹂
﹁白鋼だってポンポン飛んで戦っておるではないか。説明があった
1827
ろう、新型は機動性重視だって﹂
それだけではない、機体形状からして加速すれば揚力が発生する
ように設計されている。まるで、人の形をした飛行機として設計し
たかのように。
﹁︱︱︱そうか、これはソードストライカーなのか﹂
ソードストライカーの定義は人型機と戦闘機を変形することでは
ない。半人型戦闘機の名の通り、空力特性に優れて飛行能力を持ち
つつ、人型機として運用可能なことだ。
﹁戦闘機としての形態を切り捨てることで構造を簡略化し、たった
一年でソードストライカーを完成させたのか﹂
﹁帝国での半人型戦闘機の開発は難航しているというのに⋮⋮お主、
今度手伝いに来ておくれ。なんでも機体強度で行き詰まっておるら
しい﹂
﹁そのうちな、そのうち!﹂
零夏は新型を全力で解析して掌握に努める。
人型な以上は空気抵抗が大きくてトップスピードは期待出来ない
が、そもそも戦闘機が超音速を出すことなどそうそうない。思いき
ったコンセプトだが、それなりに上手く仕上がっているのが驚愕だ
った。
操縦幹を乱暴に掴み、ラスプーチンの魔法を回避しようと思い切
り押し倒す。
操縦幹が取れた。
1828
﹁初期不良!?どこぞの超魔改造F−16じゃないんだぞ!﹂
抜き手にて操縦系統のケーブルを引き抜き、右腕の神経を直結さ
せる。
﹁お主、それは神経接続!?天師の技術じゃと︱︱︱!?﹂
﹁あーこの狸姫、やっぱ天師とか色々知ってやがった!﹂
﹁ってあれ、狸になっとる、狐じゃったのに!﹂
﹁いいから身体強化しとけ、素じゃGで内蔵破裂とかするぞ!﹂
コックピット後部にもう一つ座席を急造する。そのまま、零夏は
新型機の﹃仕上げ﹄に移った。
荒削りな部分を洗練させ、不要な部分を撤去し、零夏の好みに合
わせカスタマイズしていく。
﹁脚部負担平均化、バランサー再調節、センサー死角補完、ドライ
ブシャフト異常振動相殺、エンジンコントロールマクロ構築、マイ
ナスG時カードリッジジャム改善、フラッター発生箇所強きゃ、舌
噛んだ⋮⋮﹂
それは、紅蓮の技術者からすればさぞや屈辱的な行為であろう。
その場で手直しされていく新型機、この段階まで未解決だった、
発覚していなかった問題が消化されていく。
動きを止めた機体、今のうちに撃破しようとラスプーチンの魔法
が紡がれる。
ラスプーチン周囲に整列する10本の雷槍。バチバチと周囲に放
電し破壊を撒き散らしつつ、射出合図を待つ。
1829
﹃殺す。確実だ。確かにここで死ねぇ!!﹄
憤怒のあまりに狂った号令と共に、雷槍が加速する。
﹁︱︱︱システム再起動!﹂
電力が機体の隅々に行き渡り、魔導術式が原始的な演算を開始す
る。計4発のコンプレッサー内にて爆薬が起爆、強引にシャフトを
回転させターボファンエンジンを始動。
ターボファンエンジンは立ち上がりが遅い。迫る魔法を回避する
には到底間に合わない。
零夏は迷わずこの機体特有の装備を使用した。
レスポンスの早い両脇のロケットエンジンが点火し、機体を発進
させる。
高い推力による、急激な加速。
だが、それでも。
﹁駄目じゃ、間に合わないぞ!﹂
﹁そういう時はな!﹂
機体を倒れこませて重量を使い速度を確保、更に地面を蹴って加
速させる。
地面スレスレを飛行する機体は雷槍を潜り抜け、安全な空域へと
離脱した。
ようやく安定してきたジェットエンジンにてホバリング。ラスプ
ーチンより上に浮いているのは空戦理論以上に零夏の気分の問題で
ある。
1830
﹁高低差を使って速度を得る、飛行機の基本だ﹂
さんけつか
﹃おのれ、散赤花を強奪するとは⋮⋮小癪な!﹄
﹁この新型機のペットネームか?嫌な名前だな、紅蓮らしい﹂
散赤花。散る赤い花。まさに文字通りの名だと零夏は思う。
精巧で複雑になりがちなソードストライカー、しかし散赤花は人
型に限定することで簡単な機構と高い整備性を有している。比較的
複雑なエンジンですらも修理=交換という思想なのだ。
人命軽視な薄い装甲、単純構造で比較的安い機体。質に数で立ち
向かう機体としか考えられない。
もっとも、ゼロ戦しかり、この手の機体はパイロットの実力に戦
果を左右されやすい。一般的な軍人が乗れば高価な棺桶となる算段
が高いも、零夏ならば強力な剣となりうるのだ。
﹁武器は⋮⋮30ミリ機関砲とレイピアだけか﹂
零夏自身からも魔力を供給してオーバーヒート覚悟でエンジンを
回し、機体を振り回す。
一度に数百発向かってくるラスプーチンの精霊魔法も零夏のトリ
ッキーな操縦には追い付けない。その三次元的な軌道はソードスト
ライカーの真骨頂といえるものであった。
﹁いい機体だ、回避が随分楽になった。あとは防御を破る方法だが
︱︱︱﹂
﹁き、ぼちわるい⋮⋮﹂
目を回すリデア、アイドル姫形無しである。
1831
﹃くだらん、貴様の力は借り物ばかりだな!莫大な魔力も我々の研
究の成果、その機体も我々の物だ!﹄
﹁ああそうだ、自分の力だと思い込んでいた大半は借り物だ﹂
偽ロリ神のお膳立てした能力、既存技術の組み合わせ。
天賦の才能を持つ者達には敵わない。そんなことは、異世界に来
てすぐ知った。
ソフィーという、本物の天才が飛宙挺を自在に操るのを見た時か
ら。
﹁それでもま、人間取り柄の一つくらいあるもんでな﹂
迫り来る魔法を見据え、にやりと笑ってみせる。
レイピアを抜き、次々と魔弾を切り捨てていく零夏。
﹃な、なに﹄
﹁人型機の操縦精度はナスチヤにも誉めてもらえてるんだ﹂
イメージリンクの補正抜きで人型機を操りきるセンス、それこそ
零夏の生まれ持った能力。
神経接続を会得した今となっては、その精度は更に向上している。
今の零夏は、それこそ人型機のマニュピュレータで米粒に名前を
書けるのだ。
戦場を透視する彼にとって、ラスプーチンの放つ音速の魔法など
静止しているに等しい。
魔法を完封し、余裕をもって時折ラスプーチン本人にも剣撃を放
つ。
1832
嫌がらせでしかない、だが嫌がらせとしては上々。
ラスプーチンはいつの間にか劣勢となっていた戦況に血管が千切
れるほど苛立っていた。
﹁あ!そうだ、セルフ!聞いているんだろう!﹂
先程の警告が彼女の仕業であるならば、見ているはず。
﹁神の宝杖ぶっぱなしてくれ、今丁度ラスプーチンが闘技場の真ん
中辺りにいる!﹂
﹃ムリムリ、あれ管轄外ッス。神でもなんでもないッス、ただの異
文化の工芸品ッス﹄
ふざけたセルフの返事は、完全無欠の否定。
﹁だよなぁ、どうみてもアメリカのあれだし。その割に下から来た
のが気になるが﹂
闘技場を貫いた攻撃は確かに地中から零夏を貫いた。
︵この世界の地下には、アメリカの軍事兵器が埋まっているんだろ
うか⋮⋮︶
﹁ってか手伝えよアホ神!﹂
﹃むりー。戦争や争いだって立派な人間の営み、神は介入しないの﹄
﹁さっき声かけてくれたろ!モロ介入したろ!﹂
1833
﹃それは⋮⋮あれ、なんでだろ。バクった?﹄
︵神ってバグるのかよ⋮⋮︶
意外な事実だった。
﹁なんにせよ、自分であの障壁をなんとかするしかないってコトか﹂
︵そもそも基本的に、兵器ってのは範囲や規模を大きくするのは容
易いが、一点集中の威力を上げるのは難しいもんなんだ。威力を制
限なくガンガン上げられる兵器なんて、それこそ⋮⋮︶
﹁⋮⋮そうだ。リデア、雷の魔法は使えるか!?﹂
﹁む、そりゃ使えるが﹂
零夏は作戦を説明する。
﹁そんな無茶な、そもそも魔力が足りんし、わしにはその兵器の知
識がないぞ﹂
﹁魔法でなんとか出来ないか?俺の考えを読み取る魔法とか、ほら
イメージリンクとかあるだ、ろ⋮⋮﹂
言ってから零夏は思い出した。イメージリンク魔法を人同士で行
うには、粘膜の接触⋮⋮所謂ちゅーが必要となるのだ。
﹁た、確かに契約を接続してしまえば、魔力の融通もイメージの伝
達も可能じゃが⋮⋮﹂
1834
非常時であろうと男との接吻に躊躇うリデアに、零夏はその辺か
ら引っこ抜いた魔力伝達ケーブルを差し出す。
﹁誰かに聞いたが、ケーブル越しでもイメージリンクは出来るんだ
よな﹂
ケーブルの端っこをくわえれば魔力は通じる。マウストゥーマウ
スが嫌な時によくやる方法である。
﹁ほれ、噛め﹂
﹁そんな間抜けな様を晒すなら、口でいいわい﹂
女扱いされていないと断言されたようで、イラッときたリデアは
強引に零夏に唇を重ねた。
︵いいか、お主の体はわしの弟の物なのじゃ。家族じゃからノーカ
ンじゃ!︶
︵中身は他人だけどな︶
︵そこは黙って肯定せんかあほー!︶
イメージリンク魔法での最初のやり取りは、そんな会話であった。
ラスプーチンは零夏の猛攻に、魔法を放ちつつ後退することしか
1835
出来ない。
それは彼にとって最大級の屈辱であった。
︵私が引いた、逃げただと?︶
障壁を破れない以上は逃げる必要などない。だが、巧みな戦術と
連続攻撃はラスプーチンの行動選択肢をガリガリと狭めている。
何時だって戦場を支配してきた怪物は、今やただ翻弄される無様
な老獪であった。
︵馬鹿な、ありえん︶
奥歯が幾つか砕け、握り締めた掌は爪が食い込んでいる。
︵馬鹿な、馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬
鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な︶
﹁ありえない、ありえないありえない!!﹂
錯乱したラスプーチンは、零夏の攻撃は障壁を破れないと確信し
ているが故に、注意散漫となり気付けなかった。
正面に向かい合う散赤花、その30ミリ機関砲が自身に向いてい
ることに。
いや、正しくは見えていた。見えた上で、あんなものは脅威にな
どならないと頭から考えを締め出してしまったのだ。
﹁︱︱︱︱︱︱︱︱︱ありえないのだああああ!!!﹂
ラスプーチンの叫びと、30ミリ機関砲の砲火は同時。
極超音速に加速された砲弾は、プラズマの尾を引いてラスプーチ
1836
ンへと降り注ぐ。
その威力は絶大だった。
初弾にて障壁を全て貫かれ、次弾にて肉体が消し飛ぶ。
土が溶け灰となり、着弾の衝撃は地震となって町を揺らした。
神術級魔法並のエネルギーを内包した弾丸、それを毎分1800
発と撃ち込んだのだ。闘技場は余波で倒壊し、周囲の結界も破断、
何もかもが破壊されていく。
多くの紅蓮の騎士が巻き込まれ、ただ一度の攻撃で闘技場の紅蓮
勢力は壊滅した。
︵侮っていたというのか⋮⋮︶
吹き飛んだラスプーチンの頭部は、残りの酸素を消費し最後の思
考をする。
︵は、私など所詮はこの程度⋮⋮︶
ラスプーチンもまた、自分の限界を理解した者であった。
初めて会ったのは彼女が幼い頃。美しい銀髪の少女の、神がかっ
た魔導の才能にラスプーチンは心底戦慄した。
あの時から、ラスプーチンはずっと求めてきた。ナスチヤという、
セルファークに生まれた奇跡の個体を。
︵忘れるな︶
視界が暗く薄くなっていく。
1837
ラスプーチンは最後の悪足掻きに魔法を構築しつつ、零夏に届き
もしない警告︵負け惜しみ︶を送る。
︵紅蓮とは個ではなく、組織だということを︶
自身の殺害が達成されようと、レジスタンスの敗北は決定的だと
ラスプーチンは確信していた。
﹁ぷはぁ﹂
闘技場上空に滞空飛行する散赤花、コックピットにて俺とリデア
の口付けはようやく終わった。
﹁機関砲をレールガンとして使用するなど、無茶にも程がある﹂
顔を赤らめつつ口を拭うリデア。
﹁成功したんだからいいだろ﹂
俺が考え付いた方法、それはレールガンだ。電力の分だけ威力が
増大するこの兵器は、大きな発展の余地を有している割にデメリッ
トが多過ぎて実用化が難しい。
俺の魔力とレールガンの知識を元に、30ミリ機関砲の砲口から
ラスプーチンの間に電力のレールを作り空中でローレンツ力によっ
て加速させ続けたのである。
デメリットの解決などしていない。30ミリ機関砲の砲身は歪ん
1838
でご臨終だし、撃ち出された砲弾も高温によって液化どころかプラ
ズマ化している。彼我の距離が50メートル以内でなければ有効打
にはなり得なかった。どれだけ威力が高かろうと射程距離50メー
トルの武器など誰も使いたくはない。
﹁成功したんだよ、な?﹂
﹁⋮⋮ああ、ラスプーチンは死んだ。そう考えていいじゃろう﹂
実感などなかった。宿敵であるラスプーチンが死んだというのに、
喜びも沸き上がりはしない。
﹁そうだよな、そりゃそうだ。俺は墓参りなんて無駄だ、なんて考
えるひねくれ者だ。復讐に意味を見出だしていたはずがない﹂
これで逃亡生活が終わればいいのだが、程度の考えしかない。﹁
復讐はなにも生まない﹂なんて聖人は宣うが、俺の戦いは復讐です
らない。ただの眼前の障害の排除だった。
﹁本当にこいつが、最大の敵だったのか?﹂
﹁まさか。これから始まる動乱にとっては、ラスプーチンなど前座、
一脇役なのじゃろう。世界の歪みにも気付かず夢想していた小物じ
ゃ﹂
﹁小物、小物なんかにナスチヤを殺されて、今までの生活を奪われ
たんだな。あ、やっぱムカついてきた﹂
オシャカとなった30ミリ機関砲をラスプーチンがいた場所に投
げ付ける。ちょっとだけ清々した。
1839
なんにせよ、一区切りついたことは事実なのだ。ラスプーチンの
ような強敵がほいほいと現れるとは思えないし、安心して、いいの
だろう。
⋮⋮ちょっとくらいは。
﹁帰ろう。彼女の待つ場所に﹂
﹁いや終わるな!まだ終わっとらん、レジスタンスのピンチは継続
中じゃぞ!﹂
あ、そうだった。
気を取り直して散赤花は闘技場跡地を飛び出す。
﹁目標、中央第三広場!これよりヒャッハー達の救援に向かう!﹂
﹁なあリーダー、俺はどうなるんだ?﹂
﹁レジスタンスの規律は知っているでしょ。内通者には死を、よ﹂
地下室にて、マリアはスキンヘッドへと冷徹に死刑宣告を行った。
情報漏洩が命取りな脆弱なレジスタンスにとって、裏切り者を放
置する選択肢はない。
スキンヘッドの死は天秤にかける余地すらない、決定事項であっ
た。
1840
﹁ねえ、なんでレジスタンスを裏切ったの?﹂
﹁裏切ってねえっての、初めから紅蓮の騎士だったんだってーの﹂
﹁なぜ紅蓮に?理由があったとか?﹂
﹁金だ金。ああ、別に妹の手術代欲しさに、とかじゃねーからな。
俺は独り身だ﹂
俺が死んでも誰も困らないから気にするな、と言外に伝える。思
想でも理想でもなく、ただの私欲。自分で選んだ結果なのだ。
スキンヘッドは、マリアのことが嫌いではなかった。
﹁あっさりしてるのね﹂
﹁違いない、俺も意外だ。つーかリーダーは動かなくていいのか?﹂
﹁私がどこで何の役に立つのよ﹂
自嘲して、改めて彼女は認識させられた。
﹁そうよ、私には何も出来ない﹂
﹁リーダー?﹂
﹁女々しいですって?ふざけないで﹂
マリアは壁に背を預け、ずるずると落下してしゃがみこんで地下
室の天井を見上げる。
1841
﹁わがまま同士のケンカがそんなに偉いの?﹂
マリアには戦争の意味なんて判らない。我と我がぶつかっている、
そんな風にしか見えない。
﹁同じよ。みーんな同じ。レーカもレジスタンスの皆も、力で世界
を変えようとしている人は全員ラスプーチンの演説を否定出来ない。
⋮⋮きっと、私も﹂
彼女の細い指先はスキンヘッドを示す。
﹁ばーん﹂と口で銃声を再現するマリア。彼女の中では拳銃ではな
く魔法のイメージだが、それは明らかにスキンヘッドの殺害を示唆
していた。
実際に手を下すのはレジスタンスの誰かだろう。だが、執行の号
令を行うのはマリアだ。
それは、マリアにとって初めての殺人となるだろう。
ふとスキンヘッドは顔を上げ、マリアの体をじろじろと眺める。
﹁な、なによ﹂
思わず両腕で体を隠す。
﹁ずっと思ってたんだがよ、やっぱリーダーにはメイド服が最高に
似合ってるぜ﹂
いきなりなにを言い出すんだ、とスキンヘッドに胡乱な視線を向
けるマリア。
ガリッ、と何かが砕ける音がした。
1842
﹁メイドはおとなしく、誰かの帰りを待ってな﹂
マリアは言い返そうとして口を開き、声を失った。
駆け寄り手首から脈を確認する。
絶命していた。
﹁︱︱︱ばかね﹂
彼女は察した。先の音は、口の中に仕込んだ毒薬を噛み潰したも
のだったのだ。
﹁カッコいいことを言って死ぬのは男の特権?﹂
開きっぱなしの瞼を下ろし、すっくと立ち上がり踵を返す。
﹁そういうの、だいっきらい﹂
掃き捨てて、マリアは出口の階段を登っていく。
護衛役のリデアも不在、捕虜の監視すら不要であれば、もうバレ
ているであろうこのアジトに隠れている意味はない。エアバイクで
町の外に出たほうがまだ安全だ。
退室し、後ろ手に地下への扉を閉める。
結局彼女は振り返ることはなかった。
1843
今更だが、昨晩のミーティングにて説明されたレジスタンスの作
戦概要はこのようなものだ。
町の中を移動中の共和国軍から人型機を奪い、なに食わぬ顔で闘
技場に接近。
人型機が通過可能な大きな出入り口を封鎖し奇襲することで、敵
戦力を闘技場中心のステージまで追い込む。
追い込まれた敵からすれば脱出する手段はなく、外部からの増援
の当てはある。上空には現状世界最強の戦闘機、舞鶴が30機も飛
んでいる。これらの前提を踏まえれば攻撃を凌ぐのは難しくはない。
少なくとも自分ならそう判断する、作戦発案者の薮医者はそう考
えた。
その油断をルーデルの雷神が突く。
戦闘機ではなく攻撃機だが、ルーデルならば舞鶴を楽に全滅させ
られる。航空支援さえ片付ければあとは煮るなり焼くなり好き放題
だ。
だが作戦が漏れており、闘技場の護衛警備が強化されていた場合
は?
スキンヘッドを泳がせていた以上は、当然薮医者やマリアはそれ
も想定済みだった。
来るのが判っている奇襲など、むしろ与し易い獲物でしかない。
作戦が漏れていることが確認された時点で速やかに次のフェイズへ
と移行する手筈を、レジスタンスは秘密裏に整えていた。
奇襲が失敗し無様に逃げるふりをして、追撃してきた敵を中央第
三広場へと誘導。紅蓮は馬鹿正直に人型機を差し向ける必要などな
く、舞鶴か亡霊を差し向けるはずだ。
人型機vs戦闘機、本来なら後者が圧倒的に有利な戦いだが、こ
の状況を予想出来ているならば対抗策も用意出来る。
中央第三広場に隠された大量の人型機対空兵器。機動性を犠牲に
して弾数を用意すれば、相性の差を覆せる。
1844
︱︱︱ここまでがレジスタンスの想定だが、予想外だったのはラ
スプーチンの存在だった。
要人警護の為に、そして紅蓮からすれば憎き零夏を仕留めんが為
に闘技場にはある程度の戦力を残しておくと予想されていた。
だがその要人とは警護の必要などない怪僧ラスプーチン。零夏と
ラスプーチンの戦いが始まった以上は他者には手出しも出来ず、多
くの戦力がレジスタンスを追い闘技場から追撃に出たのだ。
地上か空、どちらかであればレジスタンスも対処可能だった。だ
が同時に攻撃されては堪ったものではない。
ルーデルの爆弾や機関砲も無限ではない、この補給もままならな
い状況では尚更。
敵勢力の半減は成し遂げているが、既に弾切れとなり町の外へ避
難している。
レジスタンスは戦線離脱も叶わず、数の暴力に耐えていた。
﹃くそっ、いつまでもこの広場には籠城できねーぞ!﹄
﹃取り囲むはずが、囲まれてフルボッコたぁ⋮⋮笑えねーぜ﹄
﹃俺、ここを生き残ったらリーダーに告白するんだ﹄
﹃やめとけ、あれは惚れた男がいる目だ﹄
飛宙船や建物をバリケードに防衛戦に徹するも、爆装した亡霊に
吹き飛ばされ劣勢を強いられる。その勢いは周囲一帯を更地にせん
とするほど。
敗北は時間の問題。救世主が現れたのは、彼らの焦燥が限界に達
しそうになった時だった。
戦場の上空に突如乱入した細身の人型機、それは敵の進路を予想
して剣を振るい、舞鶴を容易く撃墜した。
1845
混乱する紅蓮側の天士。
﹃な、なんだこいつは!?﹄
﹃人型機が飛んでいる、こっちに来るな!﹄
地上を攻撃する為に亜音速で飛行していた舞鶴は、零夏の駆る散
赤花にとって標的としかなり得ない。
分断された舞鶴を踏み台に次の敵へ跳躍、切断。それを繰り返し
上空戦力を減らしていく。
30ミリ機関砲は投棄したので散赤花の武装は細剣のみ。
これで充分だった。
﹃くそっ、やられたばかりでいられるか!﹄
一度距離を置いて仕切り直し、舞鶴は散赤花を狙う。
散赤花は迫る舞鶴を容易に回避した。
﹃こいつ、小回りが利き過ぎだ!直線的な飛行しか行えない舞鶴で
はどうやっても⋮⋮ぐわぁ!﹄
︵⋮⋮﹃容易い﹄︶
零夏は実感していた、﹁戦闘機では半人型戦闘機には勝てない﹂
と。
地球の戦闘機の発達は第二次世界対戦後まではひたすらな運動性
の向上を目的としていた。
マシンマキシマム構想と呼ばれる機械の限界を追い求める設計コ
ンセプト。どれだけ機械の性能を追求しても人体の限界がまだ先に
あった時代は、パイロットへの負担を二の次にとにかくドッグファ
1846
イトに強い戦闘機を作れば良かったのだ。
だがエンジンの発達により戦闘機が音速を越えるようになると、
戦闘機がパイロットを殺す時代が訪れた。
対Gスーツなどパイロットの負担軽減を目的とした技術も生まれ
たが、それでも人が乗っている以上は限界がある。戦闘機が運動性
能の限界へと達したのだ。
地球ではその後はミサイルやレーダーなど運動性とは無関係な部
分が発展したが、セルファークにはミサイルもステルス技術もない。
そこで次世代航空技術として開発されていたのが、赤矢などに試
験的に搭載された大気整流装置だ。
本来であれば大気整流装置採用機こそが次世代戦闘機としての地
位を獲得するはずだった。⋮⋮はずだった、のだ。
零夏は今まで何度も感じてきたことだが、量産型の粗製半人型戦
闘機と最強の戦闘機・舞鶴でもこのような結果がでるとなれば、認
めるしかなかった。
自分は、戦闘機の新たな世代を切り開いてしまったのだと。
統一国家も帝国も半人型戦闘機の開発を急いでいる。大気清流装
置も発展を続けるのだろうが、飛行可能な人型機という発想はそれ
よりずっと大きな変化をもたらすはずだ。
︵願わくば、俺というファクターによって戦争の犠牲が減りますよ
うに︶
なんの根拠もない願望、だがそれでも願わずにはいられなかった。
︵俺が開発した新兵器で死者が増えるなんて、ゴメンだ︶
﹁リデア、帝国の半人型戦闘機の開発は難航しているって言ってた
よな。今度手伝いに行くわ!﹂
1847
﹁い、いいから目の前に専念せんか、あともう少し安全運転で頼む
⋮⋮﹂
ぐったりと顔を青くするリデア。色々ピンチであった。
﹁安全運転したら安全じゃなくなるぞ﹂
散赤花の撃墜数は舞鶴と亡霊を合わせて50機に達していた。ま
ごうことなき銀翼クラスである。
﹃変な人型機が戦闘機を落としているぜ⋮⋮﹄
﹃誰だ、あいつは!?﹄
﹃味方なんだろ!⋮⋮たぶん﹄
レジスタンスは零夏が戦場をかき回している間に体勢を立て直す。
僅かな希望が見えた、そう思い始めた時にその通信は受信された。
﹃こちら郊外の待機組、とんでもねえ大戦力がゼクストに向かって
いるぞ!空母1隻、戦艦3隻に揚陸艇5隻、爆撃艦⋮⋮10!?レ
ジスタンス相手の戦力じゃない!﹄
見れば郊外にまで迫った艦隊。乱入者のもたらした希望など瞬時
に失せる。
﹃ば、ばか野郎、なんでこの距離まで気付かなかった!?﹄
﹃直前までは本当にいなかった、どこかに隠れてやがったんだ⋮⋮
大砲が動いているぞ!﹄
1848
戦艦主砲が数十メートルの爆炎を吹き、腹に轟く爆音が町の全て
を震わせる。艦砲射撃が開始されたのだ。
ゼクストの町の一角が消し飛ぶ。
40キロもある戦艦砲の射程からすれば、このような近距離から
艦砲射撃をする理由はない。戦艦は爆撃艦の護衛という意味合いが
強く、主砲を使用しているのはついでだった。
絶えず火を吐き出し続ける砲は町を蹂躙する。やがて爆撃艦も随
時爆弾の投下を開始。
飛行母艦より離陸する戦闘機・亡霊。四方に散開する亡霊は手当
たり次第に地上の飛宙船を攻撃する。
﹁足を潰してやがる⋮⋮知ってるぞ、この戦術は知っているぞ﹂
町の外から内へと追い込む絨毯爆撃は、零夏を不快にさせるには
充分だった。
彼の後ろに座るリデアは小さく嘆息する。
﹁終わったのう。チェック、王手じゃ﹂
この戦いをもっとも大きな範囲で見ていた彼女には、この勝負の
結末が見えた。
︵こうなるのは判っておった⋮⋮歯痒いの︶
上から見ていた零夏とリデアはすぐ察したが、地上のレジスタン
スは状況把握は若干遅れる。
﹃こいつら、どこ狙ってるんだ!?﹄
1849
検討違いの場所に落ちる砲弾、やがて誰かが気付いた。
﹃紅蓮の連中、機密保持の為に町ごと滅ぼすつもりか?﹄
誰もが愕然とした。確かにこの町にいるのは政治犯や職人、僅な
民間人とレジスタンスだけであり、紅蓮の構成員は退去している。
とはいえ、このような乱暴な手段に出るとは思っていなかった。
人一人でも生き残れば、散赤花の機密が漏れる恐れがある。そう
考えた紅蓮上層部のあまりに粗雑な判断だ。
もっとも、実際は零夏が解析してしまっている以上、今更な対処
だが。
﹃この町は新型を作る為だけに飼われていたんだ、あれが完成すれ
ば用済みってことか!﹄
﹃信じられねぇ、確かにここにいるのは紅蓮にとって不要な奴ばか
りだけどよ!﹄
﹃そういう連中だ、判ってたことだろ!まずはどうするか考えろ!﹄
瞬く間に焦土と化していくゼクスト、時間経過と比例して死者が
増えていくのは必然。
リデアとしては零夏さえ無事ならレジスタンスなど﹃どうでもい
い﹄。勿論人道的観点からは助かってほしいが、戦略的には意味の
薄い、替えの効く勢力だ。
︵すぐに見捨てる気はないが、引き際は見極めねば。レーカにその
判断が出来るとも思えん︶
レジスタンス達はない知恵を絞り作戦を考える。
1850
﹃俺達より堅気を守った方がいいんじゃねぇか!?﹄
﹃よ、よし地下に一般人を避難させるぞ!﹄
﹃アホ、直撃すれば生き埋めになる!﹄
﹃ほっときゃ各々船で脱出するだろ!?﹄
﹃さっきから戦闘機が飛宙船を破壊して回っているじゃねえか、民
間人はもう地獄の釜の中だ!﹄
零夏も戦闘機を仕留めようとしているのだが、速く飛ぶことは散
血花には不向きなのだ。逃げに徹せられては旧型の亡霊にすら追い
付けない。
きっと通常の戦闘機と併用して、ハイローミックスで運用する設
計思想なのだろう。そう予想しつつ零夏は空を飛ぶ船団へと向かう。
散赤花を狙う弾幕、それはまさしく火の玉のカーテン。
︵けど、ラスプーチンのよりは避けやすい!︶
ロケットブーストを駆使した鋭角な機動で射線を回避し、懐に入
る散赤花。
中央の戦艦の甲板に乗ると、左右の戦艦から集中攻撃を浴びせら
れる。
﹁友軍ごと撃つか。味方なんてどうでもいいのか、この戦艦の装甲
によほど自信があるのか、あるいは戦艦一隻犠牲にしてでも俺を落
としたいのか⋮⋮﹂
1851
戦艦の装甲であれば対空砲は耐えられる。やっていることはとも
かく、いい判断だと零夏は思った。
主砲の砲身を切ろうとして、鋼鉄製の細剣であることを思い出す。
魔刃の魔法がかかっているとはいえ、白鋼のミスリルブレードと
は違い金属をバターのように切り裂くことなど出来ない。
﹁いっそ艦橋を落とすか?いや⋮⋮﹂
真下は既に人の住まう区域に達している。船を落とせば犠牲が出
るし、そもそも戦艦を落とすというのは簡単ではない。
いつか白鋼は海賊船を両断してみせたが、あれは超音速飛行の上
で高精度操縦を可能に調節された機体で、ミスリルの剣を使用した
結果。試作機で工作精度こそ高めだが、量産型の散赤花では同じこ
とは行えない。
装甲の厚さも違う。燃費をよくする為に薄い装甲を持つ海賊船に
対し、燃費度外視の重装甲の戦艦。その上、軍用飛宙船のダメージ
コントロールは全体に分散されており、エンジンを幾つ破壊しよう
とそれぞれが独立しているので航行可能、浮遊装置や動力源のクリ
スタルも何ヵ所かに設置され極めて堅牢ときている。
そして艦橋をもがれようと、首なしマイクの如く墜落しないのだ。
﹁せめて爆撃艦だけでも、あれは格納庫の爆弾に引火すれば自爆す
るだろうし⋮⋮あ、機関砲捨てたんだった﹂
至近距離で起爆すれば巻き込まれる。一度地上に戻れば人型機用
火器の調達も可能だが⋮⋮。
﹁そもそもなんでこいつら、ラスプーチンが死んだのに動揺してい
ないんだよ。単にまだ伝わっていないのか?﹂
1852
物は試しと零夏は弾幕を避けつつ艦隊に通信を試みる。
﹃聞け、紅蓮のアホ共!お前達の親玉のラスプーチンは死んだ、俺
が殺した!﹄
﹃⋮⋮うおースゲー!﹄
﹃アニキ最高だぜー!﹄
歓声を上げるレジスタンス。
﹃ちょっと黙ってろ⋮⋮。あんな奴に義理立てする意味もないはず
だ、ここは退け!﹄
﹃⋮⋮そうか、同志ラスプーチンが死んだか﹄
静かな返答に、脈ありかと期待をする零夏だが。
﹃︱︱︱それは朗報、これで少しはやり易くなる!﹄
﹃っ、自分の意思でこの虐殺を続けるっていうのか!﹄
﹃君は紅蓮というものを解っていないな。我々は個々の欲望の上に
成り立つ組織だ、上司の死は出世のチャンスなのだよ!﹄
﹃⋮⋮見たところ、この船は元共和国軍所属のようだが。中の人間
は、お前は違うのか?﹄
﹃ふむ?私も一年前までは共和国軍士官だったが?﹄
1853
零夏の脳裏に昨日の記憶が甦る。
チンピラそのものの行為を行っていた元共和国軍人、彼らと通信
相手の士官は同じだ。
零夏の中で何かが切れた。
﹁欲に誇りを売り飛ばした奴なんて、この国にはいらない。この船
ごと葬ってやる﹂
いっそ皆殺しにしたい、という衝動に駆られる零夏をリデアが小
突いた。
﹁やむなしなら文句は言わぬ。じゃが、あの船の船員が軍人だと忘
れるなよ﹂
﹁私欲の為に行動する奴は軍人じゃない﹂
﹁そうじゃ、だからこそ不条理な命令に愚直に従っている下っ端だ
っているじゃろう﹂
﹁む﹂
零夏は思い直す。皆殺しにするにしても、それは決して正義感で
遂行されてはならないのだ。
船員を手っ取り早く全滅させる手段はある。
﹁燃料気化爆弾を船内に打ち込まば、船内は無酸素のストーブにな
る⋮⋮まず誰も助からない﹂
密閉空間には弱い燃料気化爆弾だが、密閉空間内で起爆すればこ
れほど恐ろしい兵器もない。船は形を保ちつつも内部の人間は全滅
1854
している、そんな奇妙な惨劇が生まれるのだ。
技術的には簡単だが、零夏は躊躇した。
対人相手、それも元共和国軍。
﹁今後の為に﹂。そんな安い名分で、善悪無関係に大量殺人を実行
するのか。
零夏は戦闘経験こそあれど、戦争経験はない。大義に殺人の責任
を転嫁する術など持ち合わせてはいなかった。
﹃あしべっ!﹄
﹃畜生、モヒカンがやられた!﹄
﹃耐えろ!アニキも頑張っているんだ!﹄
共振通信から伝わる、中央第三広場の悲惨な現状。
︵また一人やられた︱︱︱やるしかない︶
覚悟なんて出来てはいない。面倒なことは後で考えればいい。
零夏は見ず知らずの者達より、レジスタンスを選んだ。
船内の一室を燃料で満たす。
﹃最後通達だ、当方にはお前達を殲滅する準備がある!﹄
あるのは準備ではなく手段と覚悟だけだが、手の内を隠すブラフ
である。
﹃死にたくなければ戦闘を中止しろ!﹄
1855
﹃⋮⋮ふん、くだらんハッタリはよせ﹄
返信には僅かな迷いが垣間見えた。もっとも、零夏の目的は脅迫
ではなく殺害に移行してしまっている。
言葉でハッタリではないと理解させる必要はもうない。
﹃そうか、じゃあ死ね︱︱︱﹄
﹃や、やめておけ!この船が戻らねば、この町はより一層蹂躙され
るのだぞ!﹄
﹃⋮⋮もとより全滅させる気だったのだろ?﹄
﹃我々には、切り札がある!貴様も知っているのだろう、世界を射
抜く神の杖を!﹄
神の宝杖。この作戦に使用されたのだから、この男が知っていて
も不思議ではない。
﹃なぜこの町に杖先が定まっているか、考えてみるがいい!﹄
﹃それは︱︱︱﹄
実のところは零夏を抹殺する為。艦隊が危機に晒されるなど想定
していなかった。
だが事実、神の宝杖さえあればゼクスト程度の町は次の瞬間にも
滅ぼせるのだ。
町の終わりは避けようがない。対処のしようがあるだけ、艦隊の
方がマシとすら言える。
1856
︵どうする、艦隊を叩くか、神の宝杖を防ぐ手段はない、どうすれ
ばいい?︶
零夏が敵対しているのは、眼前の戦力ではなく統一国家という一
大勢力。
ゼクストを守ることなど、物量差からどうやっても不可能なのだ。
﹁どうすりゃいいんだ、もとよりこの作戦は無謀だったのかよ﹂
レジスタンス
﹁抵抗勢力の悲しいところじゃな、敵に本気を出されては勝ち目が
ない﹂
﹁こういう時、あんたならどうする?﹂
﹁戦わぬ﹂
きっぱりと言い切るリデア。
﹁それでも戦わねばならないのなら、極秘裏に切り札を用意させる。
幾ら資産を注ぎ込んでもな﹂
﹁切り札か﹂
零夏の研究には一発逆転を狙ったものもあった。だがそれは禁じ
られた技術、零夏だからこそ使用を躊躇う兵器であった。
︵あれは使えない︱︱︱戦術じゃない、戦略兵器だ。それに、不安
定過ぎる︶
1857
﹁零夏、離脱じゃ。逃げるぞ﹂
リデアは言い切った。
﹁レジスタンスや住人を見捨てて、か?﹂
﹁この機体で戦場と外とを往復して、一人一人逃がすの可能じゃが
な。町の住人を探す余裕はない、運べるのは精々、レジスタンス十
数人といったところじゃろ﹂
なにか切り札と成りうる物はないか。一国家すら震え上がる、強
大な切り札は。
﹁そうだ、レールガン!﹂
機関砲の代わりを用意すれば再びレールガンは使用出来る。だが
リデアはにべもなく却下した。
﹁一点に集中する火力としては大したものじゃが、戦略兵器かとい
えば範囲が狭過ぎる。それに、この場で必要なのは兵器ではなく抑
止力じゃぞ﹂
﹁抑止力⋮⋮﹂
﹁そうじゃ。わしとお主が揃わねば使えない攻撃方法など、抑止力
足り得ない。理想は量産可能で子供でも扱える兵器じゃな﹂
零夏は某軍事大国のことを思い出した。彼の国では大統領の護衛
が常に核ミサイルの発射ボタンを持ち歩いているそうだ。
いつだってそのカードを切れるのだぞ、という意思表示。それこ
1858
そ抑止力に求められる能力なのだ。
未練を振り払い、零夏は頷いた。
﹁⋮⋮その作戦を採用する。ここはもう、負け戦だ﹂
勝ち目がなくとも最後まで努力する、そんな精神論が通用するの
はスポーツだけだ。
勝ち目がないなら逃げよ。戦場で生き残る秘訣などこれしかない。
機体を反転させ、町へと降下する。
随分久々の敗北に、思わず負け惜しみを口にする。
﹁覚えてろよ、畜生﹂
﹃それは小悪党の台詞だよ、レーカ﹄
聞き馴れた声の相槌に、零夏は一瞬誰かが逆に判らなかった。
赤い閃光。音より早くゼクストに迫る深紅の直線翼機。
プロペラ型の大気整流装置は、メカニックである零夏泣かせのデ
リケートっ子。
レッドアロウ
﹁赤矢︱︱︱!?﹂
﹃ふははは、困っているところに駆け付けるのがヒーローというも
のグハァ!?﹄
対空砲火に撃墜された。
﹁⋮⋮まあいいか﹂
﹁いや、心配せんか﹂
1859
﹁あいつ、悪運強いし﹂
キザ男は及第点な程度には操縦も上手いのだが、カッコつけしい
であるが故に無茶をやって飛行機を壊すことが多々あるのだ。
何度墜ちても死なないので、やがて誰も生死を気にしなくなった。
﹁じゃなくて、どうして赤矢がここに︱︱︱﹂
﹃私もいますよ、レーカさん﹄
続いて聞こえたのはキョウコの声。しかし姿は見えない。
﹁あれじゃ、あっちの方向!﹂
リデアが身を乗り出して指差す。
﹁あっちこっちじゃなくて、何時方向とか言ってくれ﹂
11時方向、やや正面左の地平に巨大な物体が浮かんでいた。
﹁大型級飛宙船︱︱︱あれは、なんでここに!?﹂
その船に、零夏は見覚えがあった。
正確に言えば、そのシルエットを図面越しに知っていた。
外見は鉄の箱。赤い錆止めの色をそのままに、未完成戦艦は戦場
へと参戦する。
300メートルの船体は未完成な部分も多く、銃座は幾つも空席
のまま。使用可能なのはメインエンジンと主砲、そして格納庫だけ
という有り様だ。
1860
それは、零夏がパーティの母艦として設計した飛宙船であった。
納品はまだ先であり、実際未完成にもほどがあるのだが、見間違え
ようがない。
ツヴェーの造船所に鎮座しているはずのそれが、なぜここにいる
か。零夏には皆目検討が付かない。
﹃レーカ、きちゃった﹄
婚約者の言葉に脱力する。
ソフィー、キョウコ、バカと零夏の仲間が勢揃いだ。
﹃誰が船を動かしてるんだ。つーかどうしてここにいる﹄
﹃やっほーレーカくーん!助っ人マキちゃん登場!﹄
﹃⋮⋮マキさん?﹄
ツヴェーに拠を構えるフィアット工房の一人娘、マキが通信に割
り込んできた。
﹃どうして貴女が?﹄
﹃実は、あ、ちょちょちょい、ソフィーちゃんあんまり怖い顔しち
ゃだめだって﹄
焦るマキさんの声。ソフィーがどんな形相をしているのか、考え
ないことにする零夏。
﹃今はこの状況を片付けるわよ。レーカ、今必要な物って何か解る
?﹄
1861
﹃戦略を覆す切り札﹄
﹃え、嘘っ。誰の入れ知恵?﹄
彼女には後でギリギリアウトなセクハラしよう、と零夏は決意し
た。
﹃レーカの設計した大砲、使うわ﹄
﹃⋮⋮待て、あれは調節すらしていないんだぞ﹄
﹃ならいつ使うの?﹄
﹃今でしょ。⋮⋮じゃなくって﹄
戦艦は悠然と戦闘空域に浸入する。巨大さ故に判りにくいが、そ
の船体は時速100キロで飛行している。これは飛宙船の理論限界
速度上限に等しい。
だからこそ、彼らはその船が速度重視だと思い込んだ。
﹃高速船だ、装甲は薄い!集中砲火を浴びせろ!﹄
攻撃の全てが所属不明戦艦を狙う。
金属が叩く音が掻き鳴らす。狂暴な雨音は、だがダメージが通っ
ていない証拠でもあった。
動揺する紅蓮艦隊の指令室。高射砲ならばともかく、40センチ
戦艦砲が通じないのは尋常ではなかった。
﹃なんだあれは、とんでもない重装甲だ!﹄
1862
﹃あんな鉄の塊が、なんであんな速度で飛べるんだ!?﹄
﹃エンジンだ、普通じゃない機関を積んでやがる!﹄
船首が左右にスライドして開く。内部から覗くのは、直径1メー
トル以上の大口径砲口。
普通はありえない、船に完全固定された主砲。それは戦術ではな
く戦略を左右する兵器である故に砲塔が必要がなかったこと、そし
て砲身が船体の全て︱︱︱船首から船尾まで貫くほど長大であるこ
とが理由だ。
砲身の横に無数に備えられた薬室。弾頭が通過次第爆薬を起爆さ
せ加速させ続けるこの方式は、多薬室砲に分類される。俗にはムカ
デ砲とも。
髪の毛を掻きヤケクソ気味に指示する零夏。
﹃チャンパー内の燃料は規定の3分の2にしておけ、どうせ試射な
んてしてないんだろ。着弾時は強い閃光が生じる可能性がある、物
影に隠れておけ。北北東仰角40度、地上ではなく月面に撃ち込め。
スペック上は被害が誰にも及ばないはずだ。それに機能に不備があ
っても、星と大気が光線を減退するはず﹄
薬室に燃料が注入され、自動装填装置がドラム缶より大きな弾頭
を砲身に送り込む。
船体が大仰角を取り、船首を空へ向ける。
5000メートル上空の月面を見据える戦艦。
刹那、誰もが呼吸を忘れ、悪寒を覚えた。
﹃えっと、もう撃っていいのよね?お願いします﹄
1863
﹃はいよっと、ぽちっとな﹄
呑気なソフィーとマキの会話を切っ掛けに、砲身が唸りを上げる。
地獄より這い上がる悪鬼の如き咆哮、その割に遅い初速で弾頭は
発射された。
﹁なんか、大掛かりなくせにしょぼいぞ﹂
あんまりなリデアの感想。
彼女の視界を掌で塞ぐ。
﹁直接見るなっていったろ﹂
この大砲が多薬室砲なのは初速を稼ぐ為ではない。弾頭が精密機
器なので、ダメージを与えぬように徐々に加速させる為の工夫だ。
そうと知らない人々は若干拍子抜けし︱︱︱
轟雷が、世界を揺らした。
月面に落ちた弾頭は爆発、月の蔦を吹き飛ばし、重力境界の岩を
砕く。
球状に広がった衝撃波は地上まで到達し、建物を破壊しガラスを
割る。
ゼクストの町をも蹂躙する威力。着弾地点よりかなりの距離があ
ったにも関わらず、多くの破壊を撒き散らし被害が発生した。
﹁⋮⋮なんじゃ、この攻撃範囲は。町を飲み込んだぞ﹂
﹁そういう兵器だからな⋮⋮これでもだいぶ殺傷力を抑えている﹂
衝撃波特化核弾頭。有害な光線は全て魔法でシールドし、使い勝
手をよくした核爆弾だ。
1864
もっとも純粋核融合爆弾なので放射線は元よりさほど心配ない。
熱線も封じているのは効果範囲を限定する為。
一定範囲内の物体を衝撃波で凪ぎ払う、そう調節されているのだ。
核としての問題を魔法でクリアした都合のいい爆弾だが、それで
もやはり零夏は躊躇わざるを得ない。
祖国の歴史云々以前に、大量破壊兵器を平気で運用出来る図太い
神経など持ち合わせていなかった。
﹁そうじゃ、あれじゃ!﹂
我に返ったリデアはそれを早速利用することにした。
﹃紅蓮の騎士よ、わしはスピリットオブアナスタシア号の艦長、リ
デアじゃ!﹄
﹁なにいってんのこの人!?﹂
新造艦の名前も艦長も未定だったが、勝手に決められていいもの
でもない。
興奮した様子のリデアは説明する。
﹁この威力、神の宝杖に対する抑止力となる!これで戦争を止めら
れるぞ!﹂
そして、この演説をするのはリデアでなくてはならない。ソフィ
ーは知名度が低く影響力も小さい、対してリデアは知名度も人気も
充分だ。
むしろ、彼女はこんな時の為に人々の支持を集めていたのだから。
﹃我々帝国は神術級兵器を開発したのじゃ!我が腹心である白鋼の
1865
天士によってラスプーチンも死に、統一国家の命運は尽きたと言っ
て差し支えはない!﹄
︵俺がいつお前の腹心になった⋮⋮︶
口から出任せに呆れ果てる零夏だが、意外にも艦隊は攻撃を中止
し、撤退を開始したのであった。
﹁あっさりしているな﹂
呆気ない終結に違和感すら覚える零夏。
﹁あちらの指令もバカではなかった、ということじゃ。これで帝国
は統一国家と対等に外交出来る﹂
﹁抑止力には量産可能で誰だって使える必要があるんだろ?俺はこ
の技術を帝国に渡す気も量産させる気もないぞ﹂
﹁問題はやるかやらないかではないのじゃよ﹂
狸顔で人差し指を左右に揺らすリデア。
﹁それが可能だとは証明された。一戦艦という個人ではなく組織に
て運用され、こうして実績を成した。抑止力のハッタリなどそれで
充分なのじゃよ﹂
互いに一撃必殺の兵器を用意した、ナイフの上の停戦案。
︵なんだこれ、冷戦かよ⋮⋮︶
1866
敵艦隊指令もその意味を理解している。
神の宝杖をという傘を失った彼らには、既に完全な優位はない。
よく解っていないながらも、とりあえず勝鬨を上げるレジスタン
ス。
新型機を発端に始まった戦いは、こうして終結したのだった。
﹁⋮⋮ところで、ちょっと問題が﹂
﹁なんじゃ?﹂
﹁体が痛い、さっきまで忘れてたのに﹂
アドレナリン頑張れ。
目覚めた時、そこは病室だった。
どこだろうここ、と視線を室内に走らせると、丁度ドアが開く。
﹁ああ、目を醒ましましたか?﹂
﹁そこは可愛い女の子がよかったぜ﹂
白衣を羽織った薮医者︱︱︱ガーデルマンだった。
﹁ここはどこ?﹂
1867
﹁スピリットオブアナスタシア号の医務室ですよ、急拵えですが﹂
個室に最低限の設備を持ち込んだだけ。ベッドも俺が寝ていた一
つだけだ。
﹁俺だけ?他の負傷者は?﹂
﹁船の外に野戦病棟があります。重要人物の貴方を鍵もない場所で
寝かせるわけにはいきませんから﹂
起き上がり体の具合を確認する。痛みはないが、右腕は失われた
ままだった。
﹁足首も急造した義足のままか⋮⋮﹂
﹁治療はしておきました。腕のいい治療術者ならば再生出来ますが、
紹介しましょうか?﹂
﹁いや、いい、です。お久しぶりです、ガーデルマンさん﹂
﹁おや、思い出して頂けましたか。一年ぶりですね﹂
人型機の操縦は神経接続で、より高精度にて行える。無理に生身
に戻す必要性は感じなかった。
﹁なんで俺、寝ているんですか?﹂
﹁地上に戻った時に痛みに耐えかねて気を失ったそうです。ついで
にご報告させて頂きますが、私と相方のルーデルはこの船に配属さ
1868
れることとなりました﹂
好き勝手し過ぎだろ、リデア。
﹁私は船医として、ルーデルは操舵士としてです。雷神は積み込み
ますがね﹂
﹁銀翼を操舵士に?﹂
ルーデルをただの舵取りに当てるなど、それでは宝の持ち腐れだ。
﹁この船は重い船体を強力な主機で動かす思想です。ルーデルの得
意分野ですよ﹂
﹁はぁ、もういいです⋮⋮リデアは今どこに?﹂
﹁すいません、ずっと怪我人の治療をしていたので把握していませ
ん﹂
﹁そうですか﹂と返事をしつつベッドより立ち上がり、痛みがない
ことを再度確認する。
片腕がなくバランスが悪いが、歩けないこともない。
﹁出歩いても?﹂
出掛ける準備をしているので、事後承諾である。
﹁結構です。私も怪我人の場所に戻るので、失礼します﹂
1869
ソフィーやマリアもまだ忙しいのだろうか。レジスタンスのリー
ダーであったマリアはともかく、ソフィーがなにをしているかはい
まいち検討が付かないが。
廊下に出て、ここが船のどこかを推測する。
見覚えのあるような、ないような奇妙な感覚を覚えつつ、俺はと
にかく下へ降りていった。
攻撃を受けた町は、相応の死傷者が出ていた。
一ヶ所に集められた死体。思ったりより数が少ないのが救いか。
﹁元々が犯罪に関わる仕事をしていた大人ばっかの町ッスから。常
に通信傍受を交代で行って、有事に備えていたそうっす﹂
右往左往していた所に気付いてくれ、案内してくれているレジス
タンスの若者の説明に耳を傾ける。
﹁隙あらば決起しようと虎視眈々としてた連中っすから。町が爆撃
された程度じゃ混乱もなく冷静に避難したそうっす﹂
﹁一般人ぱねぇ﹂
そんな連中だからこそ、紅蓮も彼らを危険視して収容していたの
だろうが。
1870
﹁あ、ここです﹂
無事だった大きめの建物では、レジスタンス達が死屍累々として
いる。
﹁ハッハァ!俺はまだまだイケルぜぇ!?﹂
﹁酒だ、エチルアルコール持ってこいや!﹂
﹁トラトラトラァァァァ!﹂
⋮⋮死屍累々、という割とには元気そうだが。
大怪我を負っている者も多いが、タフな連中である。
﹁なあ、リーダーを知らないか?﹂
レジスタンスの一人に問う。目的はリデアだったが、彼らの大半
は顔を知らないだろう。
﹁げへへへへ!アニキ、オッスオッス!﹂
﹁あの大砲、超クレイジーだったぜ!﹂
﹁いかれてやがる!いっちまいそうだ!﹂
﹁質問に答えてくれ﹂
一人が手を上げた。
﹁やあ、無事だったのだなレーカ﹂
1871
﹁キザ男か。リデア知らないか?﹂
﹁姫ならば船の艦橋にいるはずだが﹂
船にいたのか、遠回りしてしまった。
﹁それじゃあ失礼する﹂
﹁ちょ、おい、僕の出番これで終わりか!?﹂
意味もなく飛行機壊す奴と話すことなんてない。
艦橋は他の場所より更に作りかけの様相を呈していた。
操作卓は計器が収まるのであろう穴だらけで、ケーブルや配管は
剥き出し。床すら貼られていない。
そんな艦橋の中央、艦長席に座るリデアは男と話をしていた。
知らない男だ。壮年の窶れた彼は、だが目の光を失ってはいない。
﹁それでは、失礼します﹂
﹁うむ﹂
男は俺の脇を抜けて艦橋から出ていく。
1872
﹁おお、起きたのかレーカ。調子はどうじゃ?﹂
しゅた、と呑気に片手を挙げるリデア。
﹁当然のようにそこに座るな、体の方は問題ない。それより今のは
誰だ?﹂
﹁片腕なくして問題ないということはないじゃろ﹂
場所を移すぞ、と彼女は立ち上がりブリッジの後方へと向かう。
やってきたのは船内としては広めの個室だった。
﹁この部屋は?﹂
﹁艦長室じゃ、お主が設計した船なのだろう?﹂
﹁俺が作ったのは主要箇所だけだ﹂
船のノウハウのない俺は設計の大半を造船所に丸投げしている。
多くの人間が住まう船は一つの町だ、必要とする設備の数は半端で
はないのだ。
﹁まあ座れ﹂
﹁いやだから⋮⋮まあいい﹂
床に固定された椅子に腰を下ろす。
﹁さっきの男は住人の代表じゃ。今後について打ち合わせをな﹂
1873
﹁それってレジスタンスのリーダーの役割じゃね?﹂
﹁マリアは器ではない、解っておろう﹂
まあ、一般人だしな。専門的なことは薮医者が請け負っていたそ
うだし。
﹁あの男は人を裁く立場だったらしい、連行され強制労働させられ
ても志を折ってはいないようじゃ﹂
﹁なにか言われたのか?﹂
﹁﹃私はいつか、レジスタンスを裁くかもしれません﹄だそうじゃ﹂
くつくつと笑うリデア。
融通の効かない奴だ。で、なんて言い返したんだ?
﹁法で許されるからと、軍人まで腐ってしまった。ならば我々は自
分の正義を信じるしかない⋮⋮みたいなことを言ったかの。適当に﹂
﹁適当かよ﹂
悪法もまた法、しかしその根本はより多くの人が幸福に生きられ
る社会を目指すという理念。
強者が自身を守る為に作ったのが法か、弱者を守る為に作られた
のが法か。
どちらも正解であり、正解など用意されていない。
どれだけ理論武装しようと、根底にあるのは当人の意思なのだ。
1874
﹁これからどうするんだ?﹂
﹁わしか?一度帝国に戻らんといけないからの、艦長の座は一時返
上する﹂
﹁一時、って戻ってくるの?﹂
﹁ルーデルとガーデルマンは置いていこう。操舵士と船医は必要じ
ゃろう﹂
ピンときた。
﹁この船を私兵として使う気か﹂
﹁うむ﹂
あっさり肯定しやがった。
﹁別にこき使うつもりはない。必要な時に手伝ってくれればそれで
いい﹂
﹁⋮⋮条件がある﹂
ふむ?と首を傾げるリデア。
﹁船員が足りない、工面してくれ﹂
﹁なるほど、信用出来る者を選定しておこう﹂
﹁給料はそっち持ちな﹂
1875
﹁せこい!﹂
スポンサーくらいやってくれ。
﹁一応確認しておくが、変態仮面はやっぱり⋮⋮﹂
﹁うむ、ルーデルじゃ﹂
扉が勢いよく開いた。
﹁変態とは心外な、ちょっぴりクンカクンカしただけですぞ!?﹂
飛び込んできたルーデルを勢いのまま窓から放り投げる。黙れ変
態。
断末魔を残し落下していくルーデル、その声もリデアが窓を閉め
たことで途切れる。
あれがガイルの最大のライバルであった銀翼の天使とは。世の中
ちょっとおかしい。
﹁⋮⋮ツヴェー渓谷より志願してきたメカニックがおるが、彼らに
関してはどうするつもりじゃ?﹂
﹁強引に話を変えたな。それってもしかしてマキさん達か?﹂
そんな名前だったの、と頷く。
﹁なんでもツヴェー渓谷を利用して越境する天士が激減して、仕事
が足りないらしい。つまりは出稼ぎじゃな﹂
1876
﹁俺に雇ってもらおうと建造中だった船に無理に乗り込んだのか﹂
そもそもなんでこの新型船が駆け付けてきたんだ。
﹁わしが報せた﹂
﹁お前の差し金か﹂
﹁だがまさか乗り込んでくるとはの、はっはっは﹂
重装甲高速艦、撃沈されないことを前提とした船だからこそ何も
かもを強行突破したのだろうが⋮⋮心臓に悪いからやめてほしい。
﹁職人達は雇うよ、整備員として優秀なのは間違いない﹂
同僚だった俺が保証する。
﹁言ったな、お主が決定したな?じゃあ彼らの給料はお主持ちじゃ﹂
﹁せこい!﹂
やり返された。
﹁細々したことは後で話そう。とりあえず彼女達と話したいんだが、
確認し忘れたことはあるか?﹂
﹁いや、な︱︱︱﹂
硬直したリデアは自分の唇に触れる。
そういえば、キスしたんだった。
1877
﹁いいか、あの時も言ったが、あれはノーカンじゃ﹂
﹁お、おう﹂
﹁お主の体はわしの弟の物なのだからな、家族でキスくらい普通じ
ゃ﹂
言い聞かせるように淡々と繰り返すリデア。
﹁そうだよな、深い意味なんてないよな﹂
﹁うむ﹂
﹁ならもう一度、んー﹂
ひっぱたかれた。
頬の紅葉を擦っていると、リデアは真剣な目で俺を見据えた。
﹁マリアと腹を割って話し合う機会があった﹂
﹁あっそ﹂
﹁だから、お主も腹を割れ﹂
なんで俺が女の世界に付き合わなきゃいけないんだ。
﹁お主はマリアをどう思っておるのだ、ソフィーが本命ではないの
か?﹂
1878
﹁両方本命だぞ﹂
愕然とした表情のリデア。
﹁ど、堂々と二股宣言するな!﹂
﹁別に隠してなんていなかったが﹂
仕方がないだろ、選べないんだから。
それなりに葛藤もあった、けどソフィーが認めてくれるのでマリ
アにも気持ちを抱き続けているのだ。
﹁よく考えたら一夫一妻制なんてただの先入観だよな、ここ日本じ
ゃないんだし﹂
﹁セルファークでもほとんどの国が夫も妻も一人が普通じゃ。ハー
レムでも築くつもりか?﹂
自分を守るように身を捩るリデア。自意識過剰ではないだろうか。
﹁いや、俺にそんな甲斐性はないよ。本命が二人だってだけだ﹂
﹁そうか、ならいいのだが﹂
安堵した様子の彼女に頭を下げる。
﹁だから、ごめん﹂
﹁なにがじゃ﹂
1879
﹁俺に気があるんなら、答えられない﹂
﹁バカかお主?﹂
ぐっ、想定はしていたがキツイ返答を。
﹁わしは姫じゃぞ、欲しいものは力ずくで手に入れるわ﹂
意味深なことを言う。
﹁そういえば、リデア姫の名前を通信で出してしまって良かったの
か?﹂
隠密行動だったはずなのに、紅蓮の艦隊にはっきりと名乗ってい
た。あれはまずいのではないだろうか。
﹁うむ、想定内じゃ﹂
自信満々なあたり、見苦しい言い訳でもないようだ。
﹁わしの目的は﹃リデア姫とレジスタンスは関係をもった﹄という
ことを世間に知らしめることだったのじゃ﹂
﹁なんでまた﹂
﹁ふっ。ひ、み、つ﹂
うぜぇ。可愛うぜぇ。美少女うぜぇ。
だが、納得もできる。レジスタンスのリーダーを探すといいつつ、
いざレジスタンスの構成員と接触した後は積極的にリーダーとの対
1880
面や会談の場を持とうとはしなかった。
レジスタンスと会い、そしてそれを紅蓮にスキャンダルされるこ
とが真の目的だったのだ。
﹁更に言えば、お前、レジスタンスのリーダーがマリアだって知っ
てたろ﹂
﹁⋮⋮なぜそう思う?レジスタンスに忍ばせていたルーデルとガー
デルマンとは、連絡など取っておらんかったぞ﹂
﹁マリアを探していいか、って訊いた時に﹃どの道同じこと﹄って
言ったろ。そりゃあどっちを探そうが同一人物なんだから同じこと
だよな﹂
﹁くく、はははっ。これがバレるとは想定外じゃ、やるのうお主!﹂
バカ笑いするリデア。やっぱこいつキツネじゃない、タヌキだ。
そして、いよいよ本命。
それぞれ別の場所で働いていたらしく、無理を言って彼女達は呼
び出させてもらった。
俺から会いに行くべきなのかもしれないが、どちらかを優先した
くなかったのだ。
戦艦の船首、展望台となっている場所で風を眺めつつ待つ。
1881
﹁レーカ﹂
来た、か。
見れば怒りの籠った涙目のソフィーと、神妙な表情のマリア。
﹁再会おめでとう、二人とも﹂
﹁レーカ、無茶したの?﹂
空っぽとなってスカスカの服の腕を掴まれる。
﹁許さないんだから、居なくなったらレーカのことを許さない﹂
ここまで怒ったソフィーも珍しい。
﹁心配かけた﹂
﹁解ってない。レーカが死んだら、私も自殺するから﹂
﹁⋮⋮そういうのは、関心しないぞ﹂
後追い自殺なんてやめてほしい。そう訴えるも、彼女は首を横に
降る。
﹁レーカが無茶しないように、私の命を使うって言っているのよ。
私に自殺されたくなければ一人の時も無茶しないで﹂
計画上は無茶というほど無謀はしたつもりはないのだが、実際片
腕を失っているのだから反論しようがない。
1882
﹁解ったよ、ソフィーに死なれたくはないからな﹂
やれやれ、完全に尻に敷かれている気分だ。
腕にしがみつくソフィーをそのままに、マリアと向き合う。
﹁改めて、久しぶり﹂
﹁ええ、そうね﹂
気まずい沈黙の後、マリアは頭を下げた。
﹁ごめんなさい、想定が甘かったわ﹂
きっと、ラスプーチンがこの町にいたことを言っているのだろう。
﹁⋮⋮それだけ?﹂
﹁⋮⋮ええ、それだけよ﹂
﹁ならいいよ、気にしてない﹂
俺を利用すべきではなかった、なんて言い出したら流石に怒らな
きゃいけなかった。
マリアはレジスタンスのリーダーとして作戦を成功させるために
俺を利用した、それは決して間違った判断ではない。
俺無しでは、ラスプーチンが居なくても全滅していただろう。銀
翼クラスの人材が目の前にいれば利用すべきだ。
それに、レジスタンス達に申し訳が立たないし。
1883
﹁マリア!こっからは嘘や駆け引きは無しだ!﹂
ソフィーが身を捩る。
﹁やっ、レーカどこ触っているのよっ﹂
うるさい黙ってセクハラされてろ。
﹁俺はソフィーが好きだが、マリアも同じくらい好きだ!一緒に来
てくれ!﹂
今までマリアを放置していたのには幾つか理由がある。
彼女は俺達と親密な仲だったとはいえ、あくまで一般人でありせ
いぜい人質にするくらいしか利用価値がない。下手に接点を持ち続
けるよりは無視した方がマリアやキャサリンさんに被害が及ばない
と判断した。
それにマリア母娘はイソロクの保護下にあることが予想された。
依然として大きな影響力を持つ彼の保護下にあれば、紅蓮も簡単に
は手出しが出来ない。
連れ出した後も問題だ。戦闘員ではないマリアには移動手段も自
衛手段もなく、移動の多い旅ではむしろ足手纏いになる。現在でも
ソフィーは常に誰かと一緒に行動するように心掛けているくらいだ、
そこにマリアまで増えてはやっていけなくなる。
強行軍なこれまでの旅では、どうやっても非戦闘員のマリアを連
れ回すのは難しかったのだ。
だがそれも目処が付いた、新型艦が不完全ながらも使えるならマ
リアを連れていける。
ならば、俺はもう目の前にいる少女の手を離したくはなかった。
﹁私とソフィー、どっちが本妻?﹂
1884
それを聞くか、マリア。
﹁⋮⋮一夫多妻制的にいえば、第一婦人はソフィーかと﹂
﹁ふぅーん﹂
じっと見つめられ、汗が流れる。
二番目ポジションとか舐めとんのか、とか言われるのだろうか。
しばしの間の後、マリアはやれやれと溜め息を吐いた。
﹁仕方がないわね、世話のかかる妹弟だもの。一緒にいってあげ、
ひゃあっ?﹂
思わず彼女の柔らかい体を抱き締めてしまった。
﹁マリア、君に渡したい物がある﹂
﹁な、なに?﹂
赤面するマリアに封筒を渡す。
﹁はい、ソフィーからの手紙﹂
﹁それはもういいからーっ!?﹂
慌てたソフィーが手紙を奪い取り、ビリビリに破いてしまった。
﹁でも、いいのか?二人とも、なんて優柔不断な選択で﹂
1885
﹁曰く、男女間で友情は成立しないそうよ﹂
ごめんマリア、もっと解りやすく頼む。
﹁親愛が男女の愛に変化するのは、そんなに珍しい?﹂
﹁そうは言わないが﹂
﹁貴方と一緒にいると、世界が少しだけ大きくなるの。理由なんて、
その程度なのよ﹂
綺麗な笑顔を浮かべる彼女は、﹁でも﹂と頬を膨らませる。
﹁三人目は許さないから﹂
﹁私達だけで満足しなさい﹂
﹁あ、はい﹂
彼女達の間柄だからこそ、ここまでは許容してくれるらしい。
拗ねたような、どこか照れ気味の赤面が可愛らしく、思わず彼女
達の頬にキスしてしまう。
﹁二人とも﹂
じっと目を合わせ、俺は告げた。
﹁後で俺の部屋に来い﹂
﹃ちょーしに乗るな﹄
1886
頬の紅葉が増えた。
レジスタンスの仕事の引き継ぎがあるからと去ってしまったマリ
ア。
ソフィーと肩を並べ、夕日の中、風で涼む。
﹁あの広場を見てきたよ﹂
﹁そう、なんだ﹂
﹁なあソフィー、なんで人は死者に祈るんだろうな?﹂
彼女の意見を知りたく、訊ねてみる。
﹁忘れたくないから、じゃないかしら﹂
そう返す彼女の視線は、ドリットの方角へと向いていた。
﹁どんなに大切な人でも、いつかはいないんだって思い知るから。
それが普通になっちゃうから。だから、たまには死者に対して﹃こ
んにちは﹄っていうの﹂
1887
結局、俺もマリアもソフィーも死者の為、なんて言わなかった。
実に自分本意な連中である。
﹁まだだ、まだっ、まだ終わるものか⋮⋮!﹂
1888
暗い室内を、小さな物体が蠢いていた。
触手を伸ばし地面を這うのは、ラスプーチンの頭部。
体を失い脳だけとなった彼は、それでも生きていた。
﹁これさえあれば、なに、計画内だ﹂
ラスプーチンが大きなガラスの試験管へと近付く。
2メートルほどもある、巨大なガラス管。その中には人が浮かん
でいた。
﹃彼女﹄は生命活動が停止した後に紅蓮に回収され、脳以外の全て
を再生され培養液の中で眠っていた。
そう、いつでも目を醒ますのではないか、そう思えるほどに彼女
は生前のままだった。
﹁ああ、美しい﹂
彷徨とした表情で見上げるラスプーチン。
﹁最強の魔力、最強の魔法演算力、最強の加護⋮⋮かつて、これほ
どまでに魔導に愛された人間はいない。そうだろう︱︱︱ナスチヤ﹂
広場にて殺害されたアナスタシアは、ずっとここで保管されてい
たのだ。
﹁お前が欲しい、お前の血肉を得れば、私は最強の天師となる⋮⋮
!﹂
スイッチを操作すると、試験管が開き亡骸が外気に晒される。
ラスプーチンの首から生えた触手が彼女に伸びてゆき︱︱︱
1889
﹁俺の女に触れるな、気色悪い﹂
彼の頭部を、男は踏み潰した。
﹁︱︱︱︱︱︱。﹂
悲鳴も上げず息絶えるラスプーチン。
彼を殺したのは、冷たい目をした男性。
ソフィーの父でありアナスタシアの夫、ガイルであった。
﹁こんな場所にいたとはな。ずっと待たせてすまなかった﹂
妻の亡骸を持ち上げ、彼は小さく微笑む。
﹁さあ帰ろう、あの村へ︱︱︱﹂
1890
レジスタンスとメイドさん 3︵後書き︶
﹀タイトル横の︵new︶は要らないかと思います。
最近は描いてませんけれど、作者の落書きコーナーがある場合にや
やこしいことになるんですよね。
最新話を更新する時、落書きコーナーが既にあると、最新話が改訂
扱いになってしまうのです。なので内容を更新したのはどれなのか
一目で判るように、newを付けていました。
逆にややこしい、邪魔だ、という声があればやめますが⋮⋮有って
も無くてもいい、ならば続けようかと。
﹀なぜマリアを救出しなかったのか
本編でも語られていますが、
1 親密な仲だったとはいえ、マリアはあくまで一般人であり、せ
いぜい人質にするくらいしか利用価値がない。下手に接点を持ち続
けるよりは無視した方が彼女達に被害が及ばないと判断した。
2 マリア母娘はイソロクの保護下にあるので、紅蓮も簡単には手
出しが出来ない。
3 戦闘員ではないマリアには移動手段も自衛手段もなく、移動の
多い旅ではむしろ足手まといになる。︵現在でもソフィーは常に誰
かと一緒に行動するように心掛けている︶
というわけで、救出しようとも思ってはいませんでしたが、忘れて
いたわけでもありません。
﹀なにがなんだか
コンセプトが執筆中に何度も変わり迷走したのが理由です。精進し
ます。
1891
妹キャラと温泉旅行 ∼ポロリもあるよ∼
聞き覚えがあるのによく判らない音、というものはないだろうか。
例えば港でよく聞くギュイギュイギュイーン、という音。
例えば拳銃を構えた時のチャキ、という音。
壊れてないかその銃。
例えば温泉や銭湯で鳴るカポーン、という音。
割とどうでもいい、だが気になると夜も眠れない。そんな音だ。
そんな俺は、ただいま湿気の籠った狭いトンネルを匍匐前進して
いた。
﹁気になると確かめねば気がすまないタチでな﹂
我ながら生真面目な男である。
換気扇の中に忍び込んだ俺は、その音を待ちわびる。
やがて、小さな個室に人影が入ってきた。
湯煙の中、細く白いシルエットは体を洗っているようだ。
﹁いやあ気になりますなぁ、カポーンの神秘ですなぁ﹂
白い髪⋮⋮あれはソフィーか。なら後ろで彼女の髪を洗ってあげ
ているのはマリアだな。
﹁マリア、立派に育ちおって﹂
輪郭だけでも判る、ぼっきゅっぼんのシルエット。メイド服って
着痩せするんだよな、色々着込んで分厚いし。
キョウコとかは着込もうが薄着であろうがぺったんこだが。
1892
﹁みえ、みえ、くそっ、なんでこんなに湯煙が多いんだよ﹂
俺が換気扇を塞ぐ蓋となっているからである。
﹁こうなったら⋮⋮!﹂
換気扇の隙間から見るから見にくいのだ、枠を外して直視してや
る。
換気扇の柵をパンチで浴室に落とす。柵の落下音に驚いて、俺に
気付くマリアとソフィー。
﹁レーカッ!?﹂
﹁あれー?配電の修理してたら迷い混んじゃったぁ、テヘペロっ﹂
迫真の演技をしつつ風呂場に飛び降りる。
そうか、ここが俺達が目指していた場所なんだね、ソフィー⋮⋮
﹁なにしてんのよっ!﹂
マリアに桶で殴られた。
カポーン!と音が響いた。
今日の結論。銭湯のカポーン音は、配電修理の音。
1893
ゼクストの戦いより早5ヶ月。雪も降り始め、仕事もしにくくな
ってきた。
半年近くも経てば様々な変化がある。大きいことも、小さいこと
も。
一番の変化はやはり、統一国家と帝国との戦争が一時休戦となっ
たことだろう。
衝撃波特化核弾頭。神の宝杖に匹敵する秘密兵器を得た帝国は、
ハッタリを交えた巧みな外交︵リデア談︶を経て戦線を食い止める
ことに成功したのだ。
その知らせは瞬く間に世界中に広がり、人々はやっと平穏が訪れ
たと胸を撫で下ろした。
それが一時的なものだと割り切る者もいれば、永久平和だと言わ
んばかりに楽観する者もいる。
この世界の人間は、冷戦というものをおおよそ理解していない。
﹁この静かな時間は、後どれくらい続くんだろうな⋮⋮﹂
簀巻きにされて船首に宙吊りとなった俺は、自身で設計した最新
鋭艦スピリットオブアナスタシア号を見上げていた。
全長300メートル以上、最大船速時速100キロメートル。航
1894
空事務所ホワイトスティール保有の大型級飛宙船である。
艦長はリデアだが、事務所の代表、パーティリーダーは俺だ。
正直面倒臭いのでソフィーを推薦したのだが、なぜか俺とキザ男
以外の全員が俺を指名したのだ。
ソフィーには﹁こんな時だけ王女扱いしないで﹂とピシャリと言
われてしまった。ごもっとも。
俺
よって俺達の指揮系統はこのようになっている。
最高責任者
エルンスト・ガーデルマン
ハンス・ウルリッヒ・ルーデル
リデア・ハーティリー・マリンドルフ︵割と不在︶
名誉顧問 社長ちゃん
艦長
操舵士
船医
マキ・フィアット
ソフィアージュ・ファレット・マリンドルフ
機関長
戦闘機天士
キョウコ ガチターン
マリア
キザ男
人型機天士
メイド長︵仮免︶
斬り込み隊長︵威力偵察人員 あるいは捨て駒︶
その他船員やメカニック、帝国から派遣されたメイドさんが多数。
注釈 社長ちゃんとは、マキさんとガチターンの娘さんであ
る。
船員達にちやほやマスコット扱いされているので、社長と呼ばれ
るようになった。
将来は折り畳み式のグレネードランチャーをぶっぱなす、立派な
天士となるに違いない。
ちなみに一度、ギルドマスターとの会談で﹁当航空事務所の社長
です﹂と出してみた。
小一時間怒られた。
1895
ちなみにキザ男もソフィーに一票投じたらしい。てっきり自分に
いれているかと。
﹁でも俺がリーダーなんて、器じゃないよなぁ﹂
俺はガキの頃は、仕事で出世するというのは色々と楽になってい
くものだと思っていた。
部下をこき使って、美人の秘書でも侍らせて偉そうに腕でも組ん
でいればいいのだ。
しかし実際は逆。偉い奴ほど忙しいのが現実らしい。
部下に気を使って、ギルドとも交渉して、右行って左行って。そ
の癖、政治や大局に関わることは﹁どうせ判らないでしょ?﹂と言
わんばかりにソフィーやリデアが勝手に処理していたりする。
ひょっとして俺はお飾りか、あるいは責任取る係?
まあ、美人3人を侍らせてはいるんだけど。
愛らしい婚約者と、公私ともに支えてくれるメイドさん。そして、
隙あらば色仕掛けをしてくる黒髪エルフ。
ずばりキョウコである。
﹁今日は暑いですねぇ﹂と言って胸元をちらつかせようと頑張る
彼女は、ちょっとした悩みの種だ。
冬なのに暑いってことはないだろうとか、胸元を指先で引っ張っ
ても谷間なんて元々ないだろうとか、色々言いたいことはあるのだ
が。
﹁どうしたものか⋮⋮﹂
ちょっと思い込みは激しいが大切な仲間だし、女性として意識し
ていないと言えば嘘になる。一見冷たい印象を与えるが、彼女も絶
世の美女なのだ。
1896
﹁マリアは3人目は許さない、って言ってたけれど⋮⋮どう扱えば
いいんだよ﹂
公私ともに手助けしてくれる彼女達がいるからこそ、事務仕事も
ほどほどに俺も現場に出られるし、こっそり格納庫の隅で新兵器の
開発も行える。その存在のありがたみが解らないわけがない。
趣味じゃねぇか、仕事しろよ、と言うことなかれ。常に技術の向
上を目指すのは大切な仕事なのだ。
まあ結論なんて決まっている。突っぱねてしまえばいい、﹁俺の
ことは諦めてくれ﹂と。それが筋だ。
だが俺はソフィーとマリアを選べなかった前科があり、2人も3
人も同じだろと言われれば困ってしまう。
⋮⋮いや、俺が本当に恐れているのは彼女がいなくなってしまう
ことだ。
彼女を拒否すれば人間関係は必ず変化する。あるいは、俺達の元
を去ってしまうかもしれない。
それは、戦力ダウンとか以前に、悲しいし寂しい。俺は彼女もま
た、家族だと思っているのだから。
それを回避する起死回生の選択肢、それこそ三股。びばはーれむ。
﹁あー、駄目男だな俺﹂
欲張りすぎなんだろうか。でもいいだろ、減るものでもなし。
﹁本当にね﹂
﹁んっ?﹂
見上げれば、メイド服の少女が船首から覗きこんでいた。
1897
﹁マリア?﹂
﹁ごめんなさい、ちょっと忘れてたわ﹂
そう言って作業用クレーンを操作するマリア。恋人を吊るした挙
げ句忘れないでほしい。
﹁体を冷やしていない?﹂
﹁寒いから人肌で暖めてくれ、べはっ﹂
変な声は甲板に着地した際のものである。
さあカモン、と両腕を広げて受け入れ体勢。
﹁解ったわ、洗濯前の衣類を貴方の部屋に運び込んでおくわね﹂
﹁使用済みのマリアのメイド服を!?﹂
素晴らしいご褒美だ。
﹁職人達の作業着を﹂
﹁やめて﹂
なにが悲しくて男どもの体温の残り香でぬくぬくしなくちゃなら
ん。
甲板に引き上げられた俺は、固くなって痛む体を解す。
﹁それで、どの最低に関して自己嫌悪していたの?﹂
1898
﹁俺の最低な部分が多数あるような言い方はやめてください﹂
えっ?と首を傾げるマリア。おい。
﹁マリアは、キョウコのことを⋮⋮いや、なんでもない﹂
露骨に顔をしかめたマリアに、話を終わらせる。
だが彼女は強引に路線修正した。
﹁別に、なんとも思っていないわ﹂
嘘つけ。そんな不満そうな顔してなんとも思っていないはずがあ
るまい。
﹁お屋敷からの付き合いだもの、彼女の好意は私達なんかよりずっ
と明確で、最初からブレなかったわ﹂
マリアの俺の扱いは昔は違ったよな、少なくとも異性ではなかっ
た。
﹁彼女からすれば、むしろ私達が泥棒猫じゃないかしら﹂
﹁そんなことは思ってないだろ﹂
﹁そうね、だからこそ私はちょっと、いらっとする﹂
なにそれ。よくわかんねぇ。
﹁レーカとしては、キョウコを手放したくないのね。私の言葉を忘
れたのかしら?﹂
1899
﹁覚えているから悩んでいるんだろ﹂
あそこで頷くんじゃなかった。いや頷く以外になかったけど。
﹁別にキョウコのことは、私やソフィーも嫌いじゃないのよ。屋敷
からの連れだものね﹂
﹁じゃあ三股を許可すると?﹂
﹁それはいや﹂
なんだそれ。
﹁ソフィーとはレーカを共有出来るけれど、キョウコはやっぱり他
人なの。部外者なのよ﹂
小娘と大人、そりゃ距離感はある。
﹁ソフィーとマリアの共有してきた時間に比べれは、俺とキョウコ
なんてどっちもつい最近現れた余所者だろうに﹂
﹁そうね、だからこれは論理的な命題じゃなくて、感情的な問題よ﹂
﹁男と女の問題を論理で解決したなんて話、聞いたことねぇよ﹂
﹁っていうか、私達を並べる時はいっつもソフィーが先よね、レー
カって﹂
え、そこ?
1900
じとっとした半目で俺を睨むマリア。ご機嫌斜めっすか。
﹁ああ寒い、風邪をひきそうだ。この話は終わりにして部屋に戻ろ
うぜ﹂
白々しく言って、マリアと手を繋ぐ。
﹁なによ、全然冷たくないじゃない﹂
﹁そりゃ、手を繋ぐ為の口実だからな﹂
﹁⋮⋮離してよ﹂
﹁離さない﹂
彼女の手を引き甲板から船内に入る。
﹁案外時間も取れないしな。⋮⋮恋人だっていうのに、どこにも連
れてってあげれてないし﹂
改めて恋人と言葉にすると、気恥ずかしいものだ。
廊下を二人で歩く。
﹁デートだよデート、部屋まではこうしていよう。マリアも自室に
戻るんだろ?﹂
就寝時間は定められていないが、もう船員はほとんどが自室にい
る時間帯だ。
故に、俺達は廊下を二人っきりだった。
1901
﹁え、ええ。真っ直ぐ戻るわ﹂
頷き、軽く手を握り返される。
小さなデートの承諾に、思わず抱き締めてしまった俺は悪くない。
﹁は、離しなさいっ﹂
﹁そんなに力はいれていないけど﹂
﹁ひゃあぁ、捲らないでー!?﹂
﹁うーむ、いい布地だ。よく判らないけど﹂
メイド服はデザインも凝っているが、やはり仕事着。丈夫な布を
使っている。
スカートの触り心地を確認する間、マリアは赤面しつつもじっと
耐えていた。セクハラがセクハラとして扱われない距離感って、な
んかいい。
﹁でも、結構補修した跡もあるな﹂
﹁見えないからいいのよっ。そもそも仕事着は消耗品でしょ﹂
﹁はは、違いない﹂
彼女解放すると、慌てて距離を取られた。
と思いきや戻ってきた。そっと手を伸ばされたので、もう一度手
を繋ぐ。
肩を並べて歩きつつ提案する。
1902
﹁そうだ、ケブラー繊維に似た鎖状の分子構造を持つ布を開発した
んだけど、メイド服に使ってみるか?﹂
﹁なにそれ?﹂
﹁軽くて鉄より丈夫な布だ、水や光に弱いんだけどな﹂
﹁洗えないじゃない﹂
だがこの世界には化学変化を抑制する便利な魔法が存在する。ケ
ブラーモドキの活用の幅は広そうだ。
﹁いっそ化学変化に弱いままで作って、ある日突然メイド服がバラ
けるのもまた⋮⋮﹂
﹁ばか﹂
大砲はともかく銃弾なら防ぐぜ、まさに冥土服。
﹁それじゃあ、おやすみなさい﹂
﹁ああ、おやすみ﹂
部屋の前でマリアと別れ、ドアを開ける。
1903
﹁おかえりなさい﹂
﹁⋮⋮ただいま﹂
ソフィーがベッドの上で待っていた。
彼女がベッドに乗っているのに深い意味はない。俺の部屋がガラ
クタで埋め尽くされているだけである。
思い付いた物を自室で作っているうちに、こんな有り様になった。
マリアは格納庫でやれと注意してくるのだが、大規模な物であれば
そりゃあ計画立てて計画的にやるさ。
思い付きの小規模で、その場で形にしてしまいたいからこそ、こ
こでやるのである。
というわけで、部屋はガラクタだらけで座れる場所はベッドの上
くらいなのだ。
﹁寝ている時に船が横転したら死ぬわよ﹂
﹁ソフィーだってたまに資料室で寝ているじゃないか﹂
ガラクタで圧死するのと、本で圧死するのはどちらが尊厳のない
死に様だろう。
﹁どうしたんだ?子供は寝る時間だぞ﹂
﹁そうよね、マリアと比べたらお子様よね。直接確認出来て満足?﹂
胸元を両腕で隠す仕草をする。
﹁おう、大満足だ﹂
1904
あの理想郷の光景を、俺は生涯忘れはしないだろう。
﹁開き直ったわね、せめて誤魔化しなさいっ﹂
﹁怒っています﹂と言わんばかりにツーンを顔を反らすソフィー。
﹁配電の修理だ﹂
﹁嘘吐きなレーカは嫌い﹂
ご要望通り誤魔化したのに、理不尽だ。
﹁そ、そういうのに興味を持つのは結婚してから、ってお母さんも
言ってたわ!﹂
ナスチヤがソフィーを孕んだのは結婚前だけどな。
﹁それじゃあ結婚するか﹂
﹁ふえっ!?﹂
奇声を上げるソフィー。
﹁この世界って何歳から結婚出来るんだ?﹂
﹁年齢制限はないけれど⋮⋮そこまでして見たいの?﹂
ソフィーの起伏の乏しい体をじっと観察する。
彼女の肩にぽんと手を置いて微笑みかける。
1905
﹁成人の16歳になるまで待とっか?﹂
﹁⋮⋮あのね、レーカ﹂
熟れた果実のように顔を真っ赤に染め、﹁そこに座りなさい﹂と
床を指差すソフィー。
大人しく指示通りに正座する。
﹁男の人がそういうことにとても興味があるのは、お母さんに習っ
て知っているわ﹂
さすがナスチヤ、そつがない。
﹁でも、女の子には色々と準備があるの。ああいう不意打ちは駄目
なのよ!﹂
﹁準備って⋮⋮心の?﹂
﹁心も体も!﹂
茹で上がっているのではないかと危惧するほど彼女の顔は赤い。
﹁だから、ああいうことは私達の許可を得てからやってほしいの!﹂
﹁そう言われても﹂
お風呂覗きに行っていいですか?
いいですよ。
⋮⋮なんて展開は有り得ないだろ。
1906
﹁いや、逆説的に考えろ。わざわざそんなことを言うってことは、
申請すれば風呂場も許可してくれるってことですか?混浴オーケー
ですか!?﹂
﹁駄目よ!っていうかなんで丁寧!?﹂
﹁じゃあどうすれば覗かせてくれるんだよ!?﹂
﹁覗くなーっ!﹂
涙目となるソフィーである。
﹁不潔!ばかっ!そんなにいやらしいことばっかり企んで!﹂
遂にソフィーがキレた。
﹁そんなに見たいなら見ればいいでしょ!﹂
パジャマのボタンを外しだした彼女を慌てて止める。
﹁待て、ソフィー!お前は少し勘違いをしている!﹂
﹁なにがよ、変態っ!﹂
変態戴きました、ありがとうございます。
﹁いいか、よく聞いてくれ﹂
ソフィーと視線を合わせ、真摯に訴える。
1907
i
nozok
﹁おっぴろげなんてロマンがない。ポロリ、チラリ、ピーピングト
ムこそ至高﹂
だから、体を安売りするような真似はよしてくれ。そう告げて、
パジャマのボタンを戻していく。
ソフィーはなぜか、終始泣きそうな顔だった。
﹁どうしよう、男の人って本当に解らないよ、お母さん⋮⋮﹂
﹁頑張れ﹂
男心は懐中電灯の回路図より複雑なのだ。
少々弄りすぎた彼女を落ち着かせ、本題に戻す。
﹁⋮⋮それで?どうしてソフィーが俺の部屋にいたんだ?﹂
﹁あ、えっとね。お願いがあるの﹂
ほう、ソフィーが頼み事とは珍しい。
少々わざとっぽく上目遣いで手の平を合わせ、ウインクしつつ小
首を傾げる。あざとい。
﹁温泉旅行に行きたいの﹂
﹁なんだかんだ言って、誘っているわけじゃないよな?﹂
その後安全上の観点から一悶着あったものの、妙に熱心なソフィ
ーに押され俺は社員旅行を承諾したのであった。
1908
世界の端、帝国と統一国家に挟まれる形でその国は存在する。
国土面積で比べれば両大国に続き第三位。両国に文字通り板挟み
となったこの国は、通称﹃教国﹄と呼ばれている。
スピリットオブアナスタシア号は現在教国の領内に入国し、目的
地である町ズィーベンへと向かっていた。
ブリッジの中央後方、艦長席より更に後ろの椅子にて俺はぼんや
りと進路を眺める。
ちょっとばかし豪華な作りのこの椅子は俺の特等席だ。一見豪華
な外見とは裏腹に、リサイクルショップで買って自分で取り付けた
悲しい過去を秘めている。
この席は見晴らしがいいのは当然として、特殊な機能を追加して
いる。俺一人でのワンマン運用能力だ。
取っ手を握れば義手の右腕から神経接続され、船の状況を掌握し
制御可能なのである。
かといってしかし、戦艦は各部でスタッフが働いてくれて初めて
全力で戦える兵器。俺だけでは移動程度しか出来ないので、あんま
り意味のある機能ではない。
むしろ、同時に装備した水筒ホルダーの方がよっぽど役立ってい
る。
艦長とはマイ水筒を席に常備させておくものなのだ。たしなみで
ある。
マリアとしてはメイドらしく給仕したいそうだが、彼女にもメイ
ド長としての仕事がある。なにより俺が落ち着かない。
そもそもマリアはソフィーのメイドだ。それも専属メイド、なに
があろうとソフィーと共にある立場である。
1909
そのご主人様と俺とを同列に扱っていいのだろうか。
後で﹁俺とソフィー、どっちが大切なのよ!﹂と女声で訊いてみ
るか。さぞや氷点下な視線を寄越すに違いない。
ともかく、マリアにはメイドとしての矜持とか誇りとか枯渇とか
があるらしい。
なんでも俺達と別行動をしていた一年間、彼女は一人前のメイド
となるために日々鍛練していたそうだ。おかげで今やメイドギルド
のメイド検定一級を所得。
メイドギルドってなんだよ。メイド検定ってなんだよ。三級から
一級まであるそうだが、それは凄いのか。
水筒の蓋を開く。
﹁あれ、もうほとんど入ってない﹂
飲み干すも物足りない。追加を調達しようと腰を浮かせた瞬間、
目の前に筒を差し出された。
マリアであった。
﹁はい、替えの水筒。そろそろなくなる頃だと思って﹂
﹁⋮⋮ありがとう﹂
メイド一級すげぇ。
﹁ところで、共和国も帝国も統一国家も教国も、通称であり正式名
称ではないのですよ﹂
﹁マジで!?﹂
ブレザー制服を身に纏ったキョウコが衝撃の事実を暴露した。
1910
﹁ほとんどの人が忘れ去っていますが、カタガナが並んだ長い固有
名詞があるのです﹂
﹁⋮⋮して、その名は?﹂
﹁ほとんどの人が忘れ去った、と言ったではありませんか﹂
キョウコ自身覚えていないらしい。
﹁リデア、帝国の正式名称ってなんだ?﹂
すぐ目の前の艦長席に座る金髪少女、帝国の姫君リデアのつむじ
を突っつく。
慌てて頭を両腕で守るリデア。
﹁や、やめんか!腹を下すツボを押すな!﹂
﹁すまんすまん、それで正式名称は?﹂
﹁知るかー!﹂
知らないのかよ。
﹁つか、なんで君ここにいるの?﹂
昨日まで船にいなかったじゃないか。
﹁いや、昨晩は船に泊まったぞ﹂
1911
気付きすらしなかった。
﹁ようやく私物を粗方運び終えたのでな、本格的にこちらに移ろう
と思う﹂
完全に居座る気である。
﹁姫って案外暇なのか?﹂
﹁な訳あるか。なんというか、城には居にくくなっての﹂
﹁親子喧嘩でもしたのか?﹂
冗談半分で言えば、まさかの首肯。
﹁そういう設定じゃ﹂
設定ばらしちゃだめだろ。
﹁お主を騙す為の設定ではなく、対外的な設定なのじゃが⋮⋮まあ、
色々はっきりしてから教えてやる﹂
謎のサムズアップをするリデア。また何か裏でやっているらしい。
﹁私も久々の教国です。気合いを入れなければなりませんね﹂
蝶ネクタイを微調節するキョウコ。慰安旅行に気合いを入れる要
素があるのか?
﹁そうではありません。我々ハイエルフは、神に近しい種族ですか
1912
ら﹂
﹁ああそうか、教国って宗教の国なんだっけ﹂
俺としては威厳も畏怖もへったくれもないのだが、この世界の住
人はセルフ・アークを有り難がっている。神があんなアンポンタン
のチンチクリンだと知れば、人々は世界が生まれて滅ぶまで寝込む
だろう。
﹁ハイエルフは教国では聖人として扱われるからのう﹂
マジか。聖女キョウコとかギャグだろ。
﹁気合いを入れた結果としてお洒落をしてみたのですが、なにかお
かしいところはありませんか?﹂
くるりとターンするキョウコ。チェック柄のミニスカートがふわ
りと浮き上がる。
おかしいといえば何もかもがおかしいが、あえて指摘するとすれ
ば。
﹁そのスカートはこの季節にはどうなんだ﹂
船内は冷暖房完備だが、外は寒いぞ。
﹁ご心配なく、学園指定のロングコートも用意していますから﹂
学園指定?
﹁そのブレザー制服、教国立魔法学園のじゃろ?﹂
1913
﹁あー、あったなそんな設定﹂
いつだったかキョウコとデートした時に、学園について聞いた気
もする。
﹁なんじゃ、今更入学したくなったのか?﹂
﹁いえ、趣味です﹂
﹁⋮⋮趣味か﹂
﹁はい、趣味です﹂
きっぱりとリデアに向き合い断言するキョウコ、その横顔には凛
々しさすら感じる。
俺は静かに数歩下がって、彼女を後ろから見た。
黒髪の彼女が制服を着ると、なんとも郷愁をそそられる。あくま
で後ろ姿だけだが。
正面から見れば尖った耳に西洋人の顔立ち、日本人とは雰囲気が
全く異なるのだ。
﹁⋮⋮レーカさん?どうかしましたか?﹂
﹁ストップ!﹂
﹁え、あ、はい﹂
振り返ろうとした彼女を止める。
1914
﹁キョウコは俺に背中を向けて立っていてくれ﹂
﹁どんな罰ゲームですかそれ﹂
﹁面舵いっぱーい!﹂
船が大きく進路を変え、俺はたたらを踏んだ。
﹁ズィーベンが見えてきましたぞ、艦長﹂
﹁うむ、総員下船の準備を整えるのじゃ!﹂
見れば、前方には多数の煙を上げる町。
多くの船が出入りする港に、船は着地した。
神頼みをする者はいつだっている。祈ったところであるかも解ら
ない、むしろないと神自身が断言していようと、それでも人は願わ
ずにはいられない。
ロリ神を信仰する人々は総本山たる教国へと集まり、そうすると
近場に宿泊施設や娯楽施設が発展する。
そうして教国近郊の温泉が湧く土地に生まれたのが、温泉街ズィ
ーベンなのだ。
﹁つまりはお座敷ってやつだな、しおりは持ったか皆の集﹂
1915
﹃おーっ!﹄
手作りの冊子を片手に先頭にゾロゾロとタラップを降りて下船す
る。
機密技術の多いこの船には、地球を参考にした様々なセキュリテ
ィが張り巡らされている。外部の人間は当然として、内部の人間で
すら無関係な部署には簡単に入れない。というか、メイドさんあた
りはリデアの息がかかっているに違いないし。
旅行中はガチターンと社長ちゃんが船に残ってくれると申し出て
くれた。子供が小さいから旅行も難しいとのこと。
﹁マキさんは出るんですか﹂
おしゃれした猫耳人妻はちゃっかり一行に混ざっていた。
﹁むぅ、ガチターンが﹃行ってこい﹄って言ってくれたんだもん。
それに夜は戻るよ﹂
いや責めているわけじゃないヨ?
﹁ともかく、まずは宿だ。予約した場所に行って荷物を置いて、自
由時間の後に飯だからなー!﹂
1916
船員を引率して宿にチェックインを済ませ、仮初めの自室に荷物
を置く。
しばらくは自由時間。まだまだ体力も有り余っている、どうせな
ら外に出よう。
マリアとの会話で再確認したが、俺達は恋人の関係にも関わらず
プライベートな時間があまりない。この機会を逃す理由はないだろ
う。
ソフィーとマリアの相部屋を訪ねると、なぜか黒髪の女性がいた。
﹁おっ、キョウコ?なんでソフィーとマリアの部屋にいるんだ?﹂
﹁呼び出されたのです。まあ、ちょっとした用事があって﹂
変に目配せする女性4人。なんだこの連帯感、男は不要か。
﹁よく見ればリデアもいるし﹂
﹁最初っから居たわい﹂
失礼な奴じゃ、とそっぽを向くリデア。
﹁というか、ソフィーとリデアの格好はなんだ?﹂
二人は控え目ながらも美しいドレスを纏っていた。男性を魅了す
る為の道具、というよりは民族衣装のような歴史を感じさせる意匠
のドレスだ。
﹁そういえば、マリアもメイド服に戻っているし﹂
さっきまで私服だったのに。
1917
﹁ちょっと教国に挨拶してくるわ﹂
コンビニ行ってくる、という風に気軽に告げるソフィー。
﹁教国に立ち寄っといて顔も出さないのは非礼なのじゃ。面倒じゃ
が、すぐに終わらせて戻ってくる﹂
﹁んー、俺も行こうか?﹂
一応チームの責任者だし。
﹁いらない。レーカがいるとややこしくなる﹂
﹁さいですか⋮⋮﹂
そりゃあお偉いさん同士のマナーなんて判らないけどさ。
﹁そういうことだから、さっきのこと、よろしくねキョウコ﹂
﹁はい、承りました﹂
なんのこっちゃとキョウコを見るも、教える気はないらしい。
﹁つまり、ソフィーとリデア、その付き添いのマリアはお出掛けす
るのな﹂
﹁ええ、なにか用事でもあった?﹂
﹁デートにでも誘おうかとな。まあいいや、キョウコ。どっかブラ
1918
ブラしようぜ﹂
﹁は、はいっ!ラブラブしましょう!﹂
キョウコを除く全員にジト目で見られた。
﹁うわきものー﹂
ひどい言い様である。
﹁まあまあ、若いお二人にはまだまだ時間はありますよ﹂
キョウコがフォローするも、マリアはじっと彼女を睨む。
﹁余裕のつもり?⋮⋮老いていく私達と違って、貴女は延々に若い
姿だものね﹂
﹁⋮⋮いえ、私にだって余裕も時間なんてありませんよ﹂
その色々な感情を抑え込んだ表情に、俺達はなにも言えなくなっ
てしまった。
丁度﹃父を訪ねて三千里﹄が公演していたので、キョウコと共に
鑑賞して時間を潰した。
1919
相も変わらずカオスな内容に憔悴しつつ、どこか休める店を探し
て大通りをゆく。
﹁最近、レーカさんに避けられているのではないかと心配でした﹂
キョウコは不意に、内心を吐露した。
﹁実際避けていたし﹂
﹁えっ﹂
固まってしまった彼女の手を強引に引っ張る。立ち止まるな。
行き交う人々は洋服と浴衣が半々といったところ。あちらこちら
には逆さクラゲが掲げられ、火照った体を冷ましている。
﹁ここって異世界だよな、ここだけ日本にワープしているとかない
よな?﹂
木造の建物が並ぶ雪化粧の町並み。セルファーク人はなぜか日本
語を使っているので﹁湯﹂の字も見受けられる。異世界風情もへっ
たくれもない。
異世界語を脳内変換しているのだ、絶対そうだ。異世界トリップ
のお決まり、翻訳魔法があるからって設定や世界観が調子に乗って
いるに違いない。
昔に読んだ小説の情景は、きっとこんな感じだと思う。駒子かわ
いいよ駒子。
⋮⋮ごめん嘘。あの女はちょっと面倒臭い。
﹁あ、はい、ここは地球の文化が色濃いのでしょうね。教国は記録
を残すことに懸命ですから﹂
1920
﹁そういえばキョウコは地球のこと知っているんだよな。いいかげ
んその伏線回収しろよ﹂
ところで逆さクラゲという単語は卑猥な隠語である場合もある。
口頭では無難に温泉マークと呼ぼう。
クラゲの一種としての逆さクラゲも実在する。マジで上下逆転し
たクラゲである。
すげーどうでもいい脱線。
﹁そ、それより私を避けているというのは、どういう意味なのです
か⋮⋮?﹂
不安げに俺の顔色を覗き込むキョウコ。若干顔色が悪い気すらする。
﹁なぜ、ふえぇっ﹂
﹁な、泣くなよ﹂
﹁誇り高いハイエルフは泣きませんっ﹂
現に泣きかけだが。
﹁急過ぎるだろ、その、ごめん?辛いのか?﹂
辛くなければ人は泣かない。けれど彼女が精神的に不安定なことに、
俺は気付けなかった。
﹁使命に突き動かされ400年、初めて人を好きになったのに、嫌
われちゃった﹂
1921
遂にはわんわんと涙を溢す。
今までの生活を思い返し、彼女の日常を反芻する。
すると、キョウコの些細な行動発言に隠されたサインがある気が
した。
︵⋮⋮こいつなりに必死だったのかもしれない︶
大人びた雰囲気と口調で忘れがちだが、キョウコの内面は存外初
心だ。
積極的なセクシャルアピールは、それ以外に異性の気を引く術を
知らなかったから?
凄い罪悪感が沸き上がってきた。これでは邪険に扱えない。
︵最低だ、勝手なイメージを押し付けて、彼女のことを見れていな
かったなんて︶
最近心配事が減ったと思いきや、別の場所にしわ寄せがきていた
か。
﹁やだ奥さん見てあれ、聖女様を泣かせていますわよぉ﹂
﹁あらホント、これは当局に報告ねぇ﹂
オバサン達がこそこそと噂を始める。当局って教国政府?
なんにせよ、往来の真ん中で女性を泣かせるのはまずい。キョウ
コとの絆の保全は保留可能だが、社会的地位の落下は待ったなしだ。
﹁泣くな、ほれほれよーしよし﹂
1922
彼女の両脇を持ち上げくるくるとターン。
﹁⋮⋮子供扱いしないで下さい﹂
﹁身長は追い越したぞ﹂
﹁ぐすっ、人間は成長が本当に早いですね、そもそも私もさほど大
きくないですけど﹂
体の起伏に乏しいキョウコは身長も控えめだ。ずっと見上げてい
た彼女と視線の高さが変わらなくなったのは、はたしていつ頃だっ
たか。
﹁ほれ、鼻かめ。鼻水ぶぁーっとしているぞ﹂
美女の彼女に対して具体的な表現技法は避けることとする。ぶぁ
ーっ、である。
﹁ぶへーっ﹂
﹁ほれ、ちーん﹂
﹁ふへちぇっ﹂
﹁ああほら、ぶぁぶぁーっとなっちまった﹂
﹁ふぁ﹂
なんとも脳みそが溶け腐りそうな会話の応酬だ。
1923
﹁とにかく人目のないところに移動しよう﹂
そう提案すると、キョウコは両手を俺に伸ばす。
﹁抱っこー﹂
﹁幼児退行するな、400歳﹂
﹁抱っこー!﹂
見れば彼女の瞳は落ち着きを取り戻している。この機会に乗じて
甘え倒す心算のようだ。
キョウコを背負うと、不思議と懐かしい気がした。
﹁私の背中で泣いても構いませんが?﹂
声がドヤッとしていた。
﹁泣くかっ﹂
黒歴史である。
人の多いズィーベンには女を泣かせた野郎の居場所などない。
解析魔法と身体強化を駆使しキョウコを背負った俺は疾走する。
1924
﹁移動速度が仕事モードなのですが﹂
﹁生きるか死ぬかのミッションだからな﹂
そう、いかにキョウコを連れ込む場所を見つけるかは俺にとって、
俺の社会的地位にとって死活問題。
宿は駄目だ。仲間に見られたら面倒必須。
数分走った俺は、ようやくいい案配の店を見つけた。
﹁個室のある茶屋か、ちょうどいい﹂
﹁⋮⋮体が目的ですか!?﹂
﹁は?﹂
キョウコ曰く、茶屋とは和風の喫茶店という意味以外にも、ラブ
ホ的な役割がある場合があるそうな。
お座敷。逆さクラゲ。茶屋。温泉街にはエロが溢れている。
茶屋の一室を借りて、キョウコと正座で向かい合う。
﹁優しく⋮⋮いえ、いっそ乱暴に⋮⋮!﹂
﹁落ち着け、話をしよう﹂
取り乱したキョウコに拳骨を落とす。
﹁すいません、少し欲情しました﹂
どうしよう、キョウコのこれってハイエルフ特有の習性だったり
1925
するんだろうか。
そういえばエルフのエカテリーナもよく欲情していたではないか。
これはやはり、エルフの特性?
だとすれば、否定するのは失礼にあたるかもしれない。生まれ持
ったものを拒絶されれば誰だって嫌だろう。
まあ、違うんだろうけど。
﹁キョウコ!!﹂
﹁はいっ!?﹂
勢い余って名前を叫んでしまった。呼ぶだけのつもりだったのに。
名を呼ばれ赤面して目を白黒させる彼女。なにを言われるのかと、
若干の怯えを孕み潤む瞳。
改めて向き合えば、そこにいるのはただの一人の女性なのだ。
熟練の自由天士として頼もしく思っていた背中は、今や華奢で儚
い。
キョウコの両肩を掴む。
俺も緊張していたのか、そのまま畳に彼女を押し倒す。
﹁レ、レーカさん⋮⋮離して下さい﹂
言葉では拒絶しつつも、抵抗しないキョウコ。ええい、ままよ!
﹁ごめん。俺、お前を強い奴だと思ってた。弱さなんて自己解決出
来る大人だと思ってた﹂
失望などではない。こう言ってはなんだが、安心した。
400年生きていようと、辛ければ泣くんだって。
1926
﹁キョウコ。お前を年上だと認識するのは、年上だからって甘える
のは止めにする。キョウコは対等な仲間で、俺の部下だ﹂
﹁今までも作戦中はレーカさんの指示に従っていましたが﹂
﹁それでも、な。作戦上、先輩の銀翼ってことで別枠扱いしていた
ことは否定出来ない﹂
色々と気を使ったりしていたのだ、これでも。
﹁戦闘能力も手段を尽くせば上回れる、と思う。天士としての経験
だってぼちぼち積んだ。なによりーーー﹂
口から漏れだす言葉と衝動のままに、キョウコを抱き締める。
﹁ひゃっ﹂
﹁こんなに、弱くて儚い女性だ﹂
﹁あっ⋮⋮﹂
身を固くしたキョウコだが、すぐに体を委ねてくる。
﹁そう、ですね。上司命令なら仕方がありません。よろしくお願い
します﹂
人に聞かれたらパワハラの現場だと思われそうだ。
﹁ああ。これからもよろしくな、キョウコ﹂
1927
﹁はい﹂
俺は決心していた。キョウコは手放さない。仲間としても、女性
としても。
︵⋮⋮どうやって彼女達に許しを貰おう⋮⋮︶
なにより、ぎゅっと目を閉じて覚悟を決めた表情で俺の行動を待
っている彼女を、どうしたものか。
注文したぜんざい、はよこーい。
ぜんざいが来ない。
﹁ちょっと待たせ過ぎだろ、すいませーん?﹂
﹁ああレーカさん、そんな何分も焦らすなんていやんばかん﹂
廊下に頭を出して店員さんを探す。
﹁うまうま、あまうま﹂
小さな女の子がぜんざいを貪り食っていた。
﹁⋮⋮君、それ誰の?﹂
1928
﹁店員から預かったのよネ!はい、お兄ちゃん!﹂
空になった器を渡される。
﹁ゴチなのヨ!﹂
﹁キョウコ、ちょっと騎士を呼んできてくれ。窃盗の現行犯だ﹂
﹁了解です﹂
慌てふためく少女。
﹁ななな、子供相手に冗談が通じないとか鬼、鬼がいるゾナ!?﹂
﹁いちいち変な語尾を付ける奴だな、子供だからって無銭飲食すん
じゃねーよ﹂
ポカリと痛くない程度に頭を叩く。変な子供だが、妙に憎めない。
﹁レーカさん、この子供を信用しない方がいい。こういう子供は愛
想を振り撒く術に長けている﹂
年の功からか、キョウコは少女を警戒する。
﹁判ってるっての。結果がプラスにしか働かない天然ボケは養殖モ
ノだ﹂
その上で憎めない気にさせされるのが、なんとも腹立たしい。
﹁親はどこだ、近くにいるのか?﹂
1929
歳は俺やソフィーと同じくらいか、少し下といったところ。なかな
か可愛らしい少女だ。
﹁その辺にお姉ちゃんがいるはずなの、シラナイ?﹂
﹁しらねーよ。その辺って、どのレベルでこの辺だ?﹂
﹁んー、この街にいるのは確実ネ!﹂
ざっくりしているなぁおい、つまり迷子かよ。
﹁この街の騎士に預けますか?﹂
﹁そうだな、観光地だし迷子探しも慣れているだろうが、とりあえ
ず近くを見て回るくらいはしておこう﹂
ぜんざいは残念だが、子供を放置するわけにもいかない。
﹁ええと、お姉ちゃんがいるって言ってたな﹂
﹁肯定なの﹂
﹁美人か?﹂
﹁それ大事なことですか、レーカさん﹂
モチベーション的にとても大事です。
﹁お姉さんのことを教えてくれ。歳とか胸のサイズとか服装とか髪
1930
の色とか、外見のヒントを﹂
容姿がある程度判らないことには探しようがない。
﹁んーそうね、髪は白で⋮⋮﹂
﹁白?銀髪か?﹂
セルファークにおいて銀髪は特別な意味を持つ。
帝国の正統なる血筋にのみ顕現する、王家の象徴。帝国王朝の一
族は先の大戦前に根絶やしにされて、唯一の生き残りであったナス
チヤも亡くなった今となってはソフィーが正真正銘最後の継承者だ。
とはいえ、実は他にも表舞台に現れていない生き残りがいるかも
しれない。結論を出すには早いだろう。
﹁帝国と共和国の王族の血を引いているとびーっきりのお姫様で⋮
⋮﹂
﹁帝国と共和国?﹂
共和国の前身であった王国の血脈、それを継いでいるのはガイル
だ。お姉ちゃんとはガイルの娘である可能性が高い。
とはいえ、ガイルの父、イソロクに隠し子がいる可能性だってゼ
ロではない。結論は早計だ。
﹁そして貧乳なの﹂
﹁はっ、まさかソフィーか!?﹂
最後に決定的な絞り混みがきたな、彼女のいうお姉ちゃんとはソ
1931
フィーに違いない。
しかし、この少女は秘密を知り過ぎている。
﹁お前、何者だ?﹂
﹁私はファルネよ、お兄ちゃんとは始めましてかしら?﹂
⋮⋮ああ、思い出した。
﹁フィオ・マグダネルの娘、そしてソフィーの⋮⋮﹂
﹁腹違いの妹ですの!﹂
キャピ、とファルネはウインクとピースサインをした。
ファルネ・マグダネル。ガイルに恋慕していたフィオが変身魔法
にてナスチヤに化けて夜這いを敢行し、結果産まれた子供だ。
認知こそされていないが︵そもそもナスチヤが記憶を消したので、
ガイルはファルネを認識すらしていなかった︶、つまりはソフィー
の異母姉妹である。
この子と最後に会ったのはガイルとの決闘時。あの場は録に会話
もしていないので、顔を会わせ話をしたとなれば更に国境の町フィ
ーアでの偶然の邂逅まで記憶を遡らねばならない。
それでも、二、三話しただけ。一年以上前なので記憶そのものも
1932
曖昧だが、少し気になることがある。
﹁ん?お兄ちゃん、どうしたかしラ?﹂
こんな愉快な性格だっけ、この子って。
﹁お母さんは一緒じゃないのか?﹂
フィオ・マグダネルはガイルと行動を共にしているはず。旅に出
て初めてのガイルの手がかりだ、情報は仕入れたい。
しかし打算で質問をした報いか、俺はどうやら地雷のアホ毛に触
れてしまったらしい。
﹁ふん、あんな女のことはどうでもいいデショ﹂
﹁あ、あれ?﹂
つーんとそっぽを向くファルネ、随分とお怒りである。以前は身
を呈してでも母親を守ろうとするほど彼女を慕っていたのに。
﹁あ、もしや反抗期か?﹂
﹁そういうのは何百年も前に済ましたワ﹂
﹁ロリババア乙﹂
キョウコが落ち込んだ。エルフはロリじゃないだろ。
﹁ババアであることは否定しないんですか⋮⋮﹂
1933
﹁体が若ければ問題ない﹂
﹁今のが一番の問題発言なのネ!﹂
人を好きになるのに、外見は関係ない。⋮⋮なんて言える奴は、
実際そうそういない。
俺だって例に漏れず、美人が大好きである。悪いか。
﹁お兄ちゃんはお姉ちゃんの婚約者と聞いているけれど、浮気する
気ナノ?﹂
﹁そこなんだよ、キョウコを愛人にするか捨てちまうのか、今まさ
に困っていてな﹂
﹁私を捨てるかどうかの相談を、目の前で平然としないで下さい⋮
⋮﹂
冗談だよ、キョウコ。
彼女を抱き寄せ頬にキスする。決めたんだ、キョウコを手放さな
いって。
﹁えっ⋮⋮﹂
小さな呟き声。
見れば、廊下の先にはソフィーがいた。
客としてきていたらしい。
﹁えー﹂
﹁えー﹂
1934
﹁えー﹂
三者三様に奇妙な声を漏らす。文面では同じだが発音のニュアン
スが違うのだ。
とりあえず、俺は突発的に逃走を図ったソフィーを捕まえた。
﹁レーカ、相談があるの﹂
﹁ははは、なんだいソフィー?﹂
﹁婚約者が他の人にキスしているのを目撃した場合、どうしたらい
いかしら?﹂
﹁勘違いだ。人工呼吸だよ﹂
﹁頬っぺたに?﹂
茶屋の一室にて尋問される俺。後ろではリデアとファルネが睨み
合っている。
﹁こっち向きなさい﹂
﹁むにぅ﹂
頬を引っ張られる。
1935
﹁ばかレーカ。私達は大変だったのに、呑気にデートしていたなん
て。ばかばかばかっ﹂
ぽかぽかと叩かれる。
﹁大変だったって、何かあったのか?﹂
﹁教えないっ﹂
まあまあ、そう言わずに。
﹁知らない女の子が増えているし⋮⋮新しい恋人候補?﹂
﹁偶然会ったんだよ、迷子⋮⋮なのか?﹂
ソフィーを探していたなら、その理由とは一体。
そもそもなぜ、ソフィーがズィーベンにいると知っていたのだ?
︵ーーー俺達の中に内通者がいる?︶
少人数で旅をしていた頃と違い、船員を全て把握しているわけで
はない。リデアの派遣したメイドや船員に調査漏れがいるかもしれ
ないし、フィアット工房の職人達も一メカニックに化けて生活して
いた紅蓮の構成員である可能性だってある。ここまで疑ってはきり
がないのも事実だが。
ふとこちらを向くファルネ。俺の疑問の回答ではあるまいが、今
日ここにいる理由を提示する。
1936
﹁悪の組織にだって休日はあるワ﹂
﹁悪の組織?﹂
首を傾げるソフィー。
﹁悪の組織に休日とか労災保証ってあるの?﹂
﹁気になるのはそこかよ﹂
﹁おねーちゃーん!﹂
ソフィーにタックル、もとい抱擁するファルネ。
紅蓮ならばともかくガイル陣営の彼女にはソフィーを害する意図
はないだろうし、好きにさせる。
﹁きゃあぁっ﹂
ソフィーの筋力ではなすがままである。というか、自分より小さ
な子よりか弱いのか。
﹁お姉ちゃん可愛い!丸くなった!﹂
﹁なってないわよ!﹂
涙目で否定するソフィー。彼女はむしろやせっぽち呼ばわりされ
ても不思議ではないレベルだ。
﹁幾ら食べたって縦にも横にも大きくならないのよ、この体は!﹂
1937
本人も涙ぐましい努力はしているらしい。不要な部分が横に大き
くなったら目も当てられないので、腹八分目にしなさい。
﹁そうじゃなくて、性格が丸くなったカシラ!﹂
﹁⋮⋮何時と対比して、よ﹂
ソフィーの性格は引っ込み思案が改善したくらいで、本質的には
変わっていないと思うが。
﹁うーん、前世?﹂
﹁人違いよ﹂
実はソフィーも転生キャラ説浮上。
﹁そもそもなぜ、私がお姉ちゃんなの?﹂
﹁お姉ちゃんはお姉ちゃんなの!凛々しくて、ポニーテールで、野
蛮な男天士達にも毅然と対峙するような勇気溢れる騎士姫なのヨ!﹂
共通点が一つもない。
﹁お姉ちゃんはお姫様でいられたのね、守ってくれる騎士様に感謝
しなサイ﹂
ちらりと俺を見るファルネ。ソフィーは警戒するように目を細め
る。
﹁⋮⋮そうね。レーカが守ってくれなければ、私は強く変わらなけ
1938
ればならなかったかもしれない。私自身もそう思うわ﹂
一歩引き下がる。
﹁でもそれは私の内面の事情、私だってレーカにも悟られたくない
部分はあるわ。それを推測することが出来るのはマリアくらいよ、
貴女、誰?﹂
﹁ファルネ・マグダネルともうしますワ﹂
﹁マグダネル、お父さんの部下の⋮⋮﹂
﹁娘デス﹂
ニコリと首肯するファルネ。
﹁お兄ちゃん、目の前にスイッチがあったら押したくナラナイ?﹂
﹁そりゃあ⋮⋮なるかもな﹂
﹁それと同じで、男っていうのは穴があったら入れたくなるケダモ
ノなの﹂
話は戻り、ソフィーの俺浮気疑惑の追及は加速する。
だがしかし、俺に説教するのはファルネであった。
1939
﹁わかるデショ?スイッチがあれば押したくなる。水溜まりがあれ
ば飛び越えたくなる。ベルが鳴れば涎が垂れる﹂
﹁うん。⋮⋮うん?﹂
条件反射?
﹁そして、女がいればズッコンバッコンしたくなるの﹂
﹁いや、その理屈はおかしい﹂
﹁でもその結果出来ちゃった子供はこう思うわけヨ﹂
ニコニコ笑っていたファルネは、電源が切れるように無表情とな
る。
﹁死ねよ﹂
﹁⋮⋮なんかごめんなさい﹂
二股三股を目論んでいる身としては、耳に痛い話であった。
﹁ねえファルネちゃん、お母さんの場所、知らない?﹂
作り笑顔で問うソフィーに、ファルネは﹁教えない!﹂と断言す
る。
﹁情報を引き出そうとする手口がお兄ちゃんと同レベルだよ、お姉
ちゃん!﹂
1940
﹁レーカと同レベル⋮⋮﹂
なぜショックな顔をする。
﹁似た者夫婦だネ!﹂
﹁ふへっ!?﹂
ボンッ、赤くなるソフィー。
湯で上がる我が婚約者、フリーズしている間にファルネに耳打ち
で訊く。
﹁なあ、自分の出生については明かさないのか?﹂
﹁明かして意味ある?﹂
いや、お姉ちゃん呼ばわりするくらいだし、姉が欲しいのかなっ
て。
﹁ガイル陣営からこっちに鞍替えするか?﹂
﹁おおう、食指の動く提案カシラ!﹂
動くんだ、食指。
ピョコピョコと跳ねる鬱陶しい人差し指を握り締め、ファルネは
立ち上がる。
﹁さて、揃ったことだし遊びに行こウ!﹂
﹁マジで俺らと馴れ合う気かよ!?﹂
1941
﹁私は一人旅行で来たのヨ!宿はどこ?﹂
﹁ちょ、おま、一人旅行って﹂
ファルネはソフィーより極僅かに歳下だったはず。つーことは1
2歳か13歳か。
﹁センチメンタルジャーニーしていい歳じゃないだろ﹂
﹁お兄ちゃん、女性一人の旅は全部感傷旅行とか思ってナイ?﹂
似たようなもんだろ。いや実際。
なんだ諸君、その残念なものを見る目は。
本当に図々しくも押し掛けやがったファルネは、俺達一行の追加
一員として集団割引に与るというセコい真似を披露した挙げ句、俺
の膝の上で俺の懐石料理を頬張っている。
﹁ファルネ、なんでここにいるの﹂
﹁追加分の料金は払ったワ﹂
﹁そうじゃなくて、左右前後から包囲されているんだが﹂
1942
右にソフィー、左にマリア、後ろにキョウコで前にファルネ。
まさに四面楚歌!
社員旅行では大広間で宴会をやるのが定番だが、この宿は温泉が
狭くはないが広くもないので時間をずらして交代で入浴することと
なった。俺達の順番はまだ先なので、先に飯である。
故に、ここは個室でありメンバーも身内だけなのだ。
﹁懐石料理の語源は、文字通り温めた石を抱いて寒さを凌いだこと
からだッテ。なら女の子を抱いているお兄ちゃんは?﹂
﹁⋮⋮懐妹料理?﹂
なにそれやらしい。
﹁というわけで、このゼリーをチョーダイ﹂
﹁あ、温存していたのに!?﹂
豆の入った透明な寒天の菓子を強奪される。
﹁なら天ぷら寄越せ、抹茶塩も﹂
﹁あっ﹂
ファルネは小さく声を上げて、上目遣いで見返り、頬を朱に染め
た。
﹁お兄ちゃん⋮⋮お尻に固いものが、当たってるワ﹂
1943
﹁当たってねぇよ、とんだ風評被害だよ﹂
なにを言い出すのかこいつは。まさか暗殺︵社会的︶?
﹁レーカ、はい、あーん﹂
ソフィーがスプーンを差し出す。
﹁では私も﹂
﹁私だって﹂
キョウコとマリアも同じように、それを乗せたスプーンを俺に示
す。
﹃あーん﹄
にこやかに向けられる三本のスプーン、乗っているのは水色の固
形燃料であった。
一人鍋の下にあるアレである。もちろん着火済みである。
﹁皆さん、熱いです。近付けないで下さい﹂
三者共に俺の前髪を燃やさんという勢いだ。
﹁でも、本当になにかお尻に当たってるヨ?﹂
﹁嘘だ、だってちゃんと股で挟んでるし!確認したし!﹂
潰されては堪らないと、ファルネが座ってくる直前に咄嗟に下に
1944
押し込んだのだ。
﹁あ、あれって挟める物なの?﹂
﹁本で固いって書いてあったわ﹂
﹁は、入ってくるんだもの!きっとミミズみたいに動くのよ!﹂
﹁やだ、気持ち悪い!﹂
動かねぇよ。動かねぇよ。
﹁三次元ベクタードノズル搭載ね﹂
そんな変態機動出来ねぇよ。
﹁せいぜいF−104レベルだ﹂
﹁そんな飛行機あったっけ?﹂
﹁俺の世界の迎撃機だよ﹂
ぴゅーっと駆け昇って敵機を迎え撃つ戦闘機である。
どちらも上に向かうことは得意です、ってか。絶対口に出来ない
ギャグだな。
﹁上に向かうのは得意だぜ﹂
言うけど。
1945
﹁⋮⋮⋮⋮?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮?﹂
﹁お兄ちゃん、それどうなの⋮⋮﹂
ファルネだけに通じた。この世界ってエロ本とかもないし、見た
ことないんだろうな。
﹁⋮⋮なんでファルネは知ってんだ﹂
﹁私は子供じゃないのカシラ﹂
えっ。
﹁この体は新品カシラ!⋮⋮あ、コレ﹂
もぞもぞとファルネが取り出したのは、小さな機械だった。
﹁ゴメンナサイ、固い感触はこの携帯だったワ﹂
﹁ガラパゴス!?﹂
折り畳み式携帯電話。ファンタジー世界にあっちゃいけない物ベ
スト10に入るだろう。
上位に食い込むのはきっと、戦闘機や巨大ロボットとか⋮⋮あれ、
あるんだけど。
と、その時携帯が鳴った。どうやらこの世界には複数ガラゲーが
1946
あるようだ。
﹁はいモシモシ、ファルネですが。⋮⋮お母さん?﹂
電話の相手はフィオか。ここで携帯を奪い取れば、ガイルの居場
所を知れるのだろうか。
ソフィーが頭を横に振る。そうだな、そういうのはナシだ。
﹁機体の整備?いつもと同じでいいわ。C整備?まだそんなに乗っ
てない、ああもういいわ。帰ったらオネガイ﹂
ファルネは自分専用機を持っているようだ。
俺としては気になった時にはマニュアルを無視して、しっかり整
備したい気持ちも解る。
フィオもやはりメカニックなのだな。
﹁うん、うん、弁えているわよ、いい加減にシテッ!﹂
怒鳴り、乱暴に通話を切ってしまう。
﹁喧嘩?﹂
﹁違う、喧嘩は普段仲のいい間柄でするものヨ﹂
﹁普段から仲悪いのか、なんでまた﹂
﹁あれはいつまでも女でい続けているのヨ。私なんて好きな男に抱
かれた証明書としか思ってないワ﹂
1947
微妙な空気となってしまった食事を終え、遂にメインイベントが
やってきた。
﹁風呂だー!﹂
﹁温泉だー!﹂
﹁よく考えたら風呂でなんではしゃいでんだ俺らー!﹂
脱衣場を目指す一行。他の連中とは僅かに時間をずらしているか
ら、一行とは身内メンバーとファルネだけである。船生活でこうい
うのは慣れた。
﹁効能とかはあるのかのう?ほれ、ミネラルとかタウリンとかのア
レじゃ﹂
﹁さっき、看板には解毒効果があるって書いてあったわ﹂
﹁美肌効果があれば良かったのですが﹂
﹁エルフは肌が衰えないじゃない。こっちは水仕事が多くして注意
が必要なのに。ねたま、羨ましい﹂
﹁風呂だー!﹂
1948
和気藹々と話す女性達。最後の叫びはマキさんだ。
﹁うむ﹂
全員美人である。
﹁うむ﹂
しかも一人は人妻である。
﹁何をさっきから頷いているんだね、君は﹂
キザ男が俺に呆れた視線を向ける。
﹁うーむ?﹂
後の作戦において仲間として引き込もうかと考えるも、こいつは意
外と堅物なところがある。計画は一人で遂行しよう。
カポーン。
﹁どこだっ、どこから鳴った!?﹂
﹁なにを興奮しているんだね君は﹂
温泉は見事な露天風呂だった。というか予約する時に確認して、
1949
この宿に選んだのだ。
教国は世界の端に位置するが故に、最果て山脈が割と近く、見事
な原風景が広がっている。それを借景とした露天風呂は解放感抜群
だ。
﹁寒いな、さっさと入ろうではないか﹂
﹁先に体を洗えっ﹂
ごしごしと片腕で体を洗う。錆びるので義手は脱衣場だ。
﹁あー洗いにくいっ﹂
もういい加減慣れているが、片腕での入浴は大変だ。実は足も両
方義足だが、こちらは完全防水である。
なぜ義手は防水じゃないかって?色々多機能でギミックが多いと、
防水もやりにくいじゃん。
具体的にどんな仕組みがあるかはヒミツだ。明かしたら秘密兵器
じゃなくなってしまう。
﹁はい終わりっと!﹂
急いで準備を済ませ、お湯に浸かる。
﹁ふぅ⋮⋮﹂
﹁ははは、君は温泉が好きだったのだな﹂
朗らかに笑うキザ男。やっぱ邪魔だ。
俺は目の前の壁を睨む。木造の塀、向こうにも似た作りの温泉が
1950
あるはず。
違うのは設備ではなく、使用する染色体46本中2本が異なる人
々である。
ぶっちゃけると女湯である。
﹁⋮⋮やるか﹂
おもむろに立ち上がる。
いくら女性の風呂が長いからといって、浴槽に浸かってしまって
は手遅れだ。一番のタイミングは体を洗っている時間。
アクションも大きく、お湯で隠れることもない。それでいて泡や
湯気、謎のレーザーによって大事なところは見えない、それがむし
ろイイ!
急がねば最大のアタックチャンスを失う。
ひたひたと塀に近付くと、キザ男が俺の肩を掴んで止めた。
﹁待ちたまえ。なにをする気だ﹂
チッ、やはり勘付いていたか。
﹁止めるな、俺は、俺はやらなくてはならないんだ﹂
俺の前に回り込むキザ男。
﹁姫の裸体を貴様などに見せるものか!﹂
﹁俺は婚約者だ!文句あるか!﹂
﹁あーもう、色々最低だな君は!﹂
1951
温泉に投げ込もうとキザ男の腕を握る。
つるん。
﹁なぬっ!?﹂
再度掴もうとするも、キザ男の四肢は俺の拘束から抜け出してし
まう。
﹁ふはは、こんなこともあろうかと全身に石鹸を塗っておいたのさ
!﹂
﹁おま、それで温泉入ったのか!?﹂
源泉掛け流しだからそのうち排泄されるだろうが、迷惑な客だ。
﹁いや覗きをしようとする客の方がよほど迷惑だろう!っていうか
犯罪だぞ!﹂
﹁ふん、嘗めるなっ!そんなこと計算済みだ!﹂
この温泉宿は現在、ほぼ俺達一行で貸し切り状態。残った数部屋
に個人客が何人かいる程度だ。
俺達の仲間にもメイドさんなど女性はそれなりにいるが、現在ロ
ーテーションで入浴しているのは先程の5人だけ。頑張って割り振
った。
﹁つまり、女湯にいるのは彼女達だけだ!たぶん!﹂
﹁それがなんの解決になっているのかすら解らないが、というかな
ぜ僕をわざわざ同時間帯に指定した!?﹂
1952
﹁うろちょろされても困る!拘束させてもらうぞ!﹂
タオルで縛ってしまえばいいと気楽に考えていたが、まさか石鹸
で対抗してくるとは。
﹁このっ、いい加減捕まってしまえ!﹂
つるん。
ぷりん。
にゅるん。
ふにゃん。
﹁き、気持ち悪いっ⋮⋮!﹂
﹁まったくだ、いい加減諦めたまえ⋮⋮!﹂
なんで男ともつれあわなければならないのだ。
﹁うほっ!?﹂
石鹸のヌルヌルで足が滑る。
咄嗟に俺は目の前の、キザ男の腰のタオルを掴む。
ーーーぽろり。
︵ここでタイトル回収、だと⋮⋮!︶
絡まったまま転倒した俺達。
ぺしっ、と顔になにかが当たった。
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1953
※画像はイメージです
﹁あ、死にたい﹂
転んだ拍子にキザ男は失神してしまった。打ち所が悪かったらし
い。
﹁ほう、なかなか立派ではないか。まずはシャワーだ!﹂
﹁そうですね、こういう場所は久々です﹂
ルーデルとガーデルマンが入ってきた。ナイスタイミング。
﹁ガーデルマンさん、こっちこっち﹂
﹁おや、どうしましたか?﹂
﹁こいつが石鹸で転んでさ﹂
船医を兼ねたガーデルマンはこういう時頼りになる。てきぱきと
診察を終え、キザ男の身に危険性はないと判断した。
﹁彼を運び出しますよ、ルーデル﹂
﹁うむ﹂
1954
乱雑にキザ男を持ち会えるルーデルとガーデルマン。帝国貴族と
して立場が一番下なキザ男は、彼らには逆らえないポジションなの
だ。
﹁こういう時、船医がいると頼もしいです﹂
﹁まあ、私は獣医ですけれどね﹂
えっ。
﹁冗談です。心臓外科医ですよ﹂
﹁そ、そうですよね。あー、心臓止まるかと思った﹂
﹁その時は動かしてあげます﹂
そりゃどーも。
キザ男を放り投げに二人が一旦出ていき、風呂場の人口は一気に
減る。
よし、今がチャンス!
﹁ふっ、ふぬぅ、届け、あとちょっとっ!﹂
見知らぬ少年が境界の塀によじ登っていた。
﹁⋮⋮⋮⋮犯罪者だー!?﹂
1955
﹁妹の成長を見守るのは兄の役割。そうだろう、君﹂
﹁そうだな、婚約者の健康管理は俺の役目。あとメイドとハイエル
フ、ついでに人妻も﹂
意気投合した彼はアルーネと名乗った。超美形だがどこか残念な
タイプだ。
歳の頃は俺と同じくらいか、中々筋肉質だな⋮⋮ん?
︵手に操縦幹のタコがある。全身の筋肉は強力なGに耐えきる為の
ものじゃない。激しい振動の中で自由に動く用途の筋肉だ。こいつ、
人型機天士か︶
まあ、若い自由天士だっていないわけではない。俺達だって人の
ことは言えないし。
それよりも、だ。
﹁このベルリンの壁、どうやって越えようか﹂
身体強化魔法を使えば容易く飛び越えられる高さ、だが政治的理
由︵というか法律的理由︶によって越えられない。まさにベルリン
の壁。
﹁マジノ線だったら楽に越えられるんだけどな﹂
﹁なんだそれは?﹂
﹁とある国が国境に構築した、長大な要塞だ﹂
1956
ぶっちゃけフランスである。
時は第二次世界大戦前。ナチスドイツに侵攻される危険に晒され
たフランスは、莫大な予算を注ぎ込み地下要塞マジノ線を建築した。
その守りは過剰と呼ぶに相応しいもので、ドイツ軍の陸軍は容易に
これを突発出来なかったそうだ。
航空機の発達で空から侵攻されたけど!台無しだよ!
⋮⋮こうして、根拠のない確信が破られることを現代でもマジノ
線に例えるようになったのだ。
﹁まあ、本当はもっと複雑な話なんだけどな﹂
﹁それより、あれを見ろ!﹂
アルーネが指差す先にあったのは、扉と看板。
﹃混浴﹄
その二文字に、俺達は歓喜した。
﹁おおおおっっ、つまりあそこにいれば!﹂
﹁その通りだ、合法的に妹と温泉に入れる!﹂
いざ逝かん、俺達のラストフロンティア!
蹴破るように扉を潜る。
混浴ゾーンの中は先程までの露天風呂とほぼ同じ構成だった。た
だ、なぜか人はおらず俺達だけだ。
無人の浴槽に飛び込む。
あとは女性達が来るのを待つだけ、ぐへへ、辛抱堪らんぜぇぇ。
1957
50分後。
﹁⋮⋮こないなぁ⋮⋮おかしいなぁ⋮⋮﹂
﹁⋮⋮エイノ⋮⋮どうしたというのだ⋮⋮﹂
妹さんの名前はエイノちゃんというのか、この美形の妹となれば、
実に楽しみだ。
暑い。もうのぼせきっているので、俺達の顔は真っ赤だ。
﹁なぁ、ひょっとして﹂
﹁なんだ、アルーネ?﹂
﹁若い女性は、混浴には来ないんじゃないか?﹂
⋮⋮!
盲点、だったーーー!
親しい仲ならばともかく、初対面の人の前で裸になれる女性はそ
ういない。
見知らぬ男に見られる危険性があるのに混浴にのこのことやって
くる女はいない。
﹁こうなったら俺達の方から女湯に飛び込むぞ!﹂
1958
﹁承知した、兄弟!﹂
⋮⋮俺﹃達﹄?
互いに顔を見合わせる。
頷き合い、俺とアルーネは拳を握りしめた。
﹁貴様にソフィーの裸を見せるかぁぁぁっ!﹂
﹁君にエイノの柔肌は十年早いいぃぃぃっ!﹂
こうして、俺達の暑い戦い︵誤字にあらず︶は始まった。
﹁ワレワレハ、チキュウジンダー﹂
風魔法の魔導術式を組み込んだ扇風機の前で涼む。
﹁おおっ、我が妹エイノよ!﹂
迷わず扇風機の前に飛び込んでいった俺。一緒に脱衣所から出て
きたアルーネは妹に駆け寄る。
﹁あっ、お兄様!﹂
喜色を浮かべ椅子から立ち上がる少女。彼女がアルーネの妹か、
1959
兄が絶賛するだけあって本当に可愛い。
丹念に手入れされているのであろう髪の毛は美しく、整った目筋
と活発そうな瞳はとても愛らしい。
あまり着飾らないソフィーや猫被りで実はオッサン臭いリデアな
んかより、よっぽど貴族のお嬢様だ。
﹁エイノーッ!﹂
﹁お兄様ーッ!﹂
感動の再会を果たす二人は、互いに腕を伸ばしーーー
﹁なに女湯覗こうとしてたのよアホお兄様ァァ!!﹂
﹁うごはぁ!?﹂
ーーーからのぉ、ラリアーットッ!
脱衣場前の共有スペースに出て、俺達は魔法の自動販売機の前に
設置された椅子に集まって談笑していた。
リデアだけはちょっと離れた場所で魔法のマッサージチェアにて
﹁あ゛ー﹂とオッサン臭い声を出していた。
﹁魔法の﹂という一言がつけばなんでも許される。まさに魔法。
﹁お兄様、あまり慎みのない行動は控えて下さいね﹂
1960
ゴスロリ風の浴衣を持参してきた彼女は、アルーネの妹のエイノ
と名乗った。
ゴスロリにしたって浴衣にしたって、日本特有のファッションだ
ろうに。どんだけ邪道の真ん中突き進んでいるんだ。可愛いけど!
ルーデルは牛乳を飲んで、体操をして、﹁汗をかいた﹂と言い脱
衣室に戻っていった。なんで風呂の後に運動するんかね。
﹁ほれ、飲みたまえ﹂
キザ男が瓶フルーツ牛乳を俺とアルーネに差し出す。
﹁お、気が利くな﹂
﹁ありがとう、リヒトホーフェン殿﹂
誰だそれ。⋮⋮ああ、キザ男の本名か。
なんにせよ、瓶牛乳である。温泉と言えばこれ、これと言えば温
泉。
アルーネと並んで腰に手を当て、一気飲み。
﹁くぅーっ!やっぱこれだねー!﹂
﹁火照った体に染みたわたるな!﹂
﹁⋮⋮もうっ﹂
エイノ嬢はアルーネに近付く。
﹁頬にフルーツ牛乳が付いていますわよ﹂
1961
ハンカチで兄の頬を拭うエイノ。その手がふと止まり、じっと兄
の瞳を見つめる。
アルーネもまた、妹の瞳を見つめる。至近距離で視線を交差させ
る美形兄妹。
﹁⋮⋮美しい﹂
﹁ええ、そうね⋮⋮﹂
まさか、これは。禁断の兄妹愛ーーー
﹁とても僕に似て、美しい顔だ⋮⋮﹂
﹁そうね⋮⋮とても私に似た、美しい顔だわ﹂
駄目だこの双子、かなり駄目だ。
﹁ああっ、世界で二番目に美しいよエイノ!一番は僕だが!﹂
﹁誰よりも美しいわお兄様、私の次に世界で二番目に!﹂
二人の間で火花が散った。
﹁私が一番美しいわ!﹂
﹁いいや、僕だね!﹂
喧嘩が始まった。この調子では日常茶飯事なのだろうが、ちょっ
と聞き逃せないことがあった。
1962
﹁あいや、待たれよ!﹂
思わず割り込む。
﹁いいか、世界で一番の美少女は⋮⋮えっと⋮⋮﹂
ソフィー? マリア? キョウコ?
駄目だ、俺には彼女達に順番を付けることなど出来ない!
握り拳で親指にて自身を示し、俺は叫んだ。
﹁世界一の美少女は、俺だ!﹂
﹃えー!?﹄
なんだお前ら、文句あんのか。
﹁おい、あれって確か銀翼の⋮⋮﹂
ん? 他の客がこちらを指差している。
﹁史上最年少で銀翼になったガキどもじゃないか﹂
﹁まじか、サイン貰っとく?﹂
﹁畏れ多いって、やめとこうぜ﹂
1963
やれやれ、気付かれてしまったか。
そう、俺とソフィーはラスプーチンの撃破を評価され、このたび
銀翼となったのである。
史上最年少とは始めて聞いたが、いやはや有名になってしまった
なぁ。
﹁厄災の双子・ユーティライネン兄妹だぜ﹂
﹁え?﹂
アルーネとエイノが自慢げな顔をしていた。
﹁やれやれ、気付かれてしまったか﹂
﹁その通り、私達はユーティライネン兄妹。銀翼の天使よ﹂
銀翼を証明する天使を象ったペンダント。それが二対並ぶ。
どやどや顔をする二人には申し訳ないが⋮⋮
﹁俺も持ってる﹂
﹁その、知っているみたいだけれど、私も﹂
﹁それなら私もですね﹂
﹃えっ﹄
俺、ソフィー、キョウコのペンダントが並ぶ。
銀翼が5人集まる珍事が発生した。
1964
﹁こうなったら、誰が一番美しいか決闘しようじゃないか﹂
アルーネの提案は唐突で意味不明だったが、本気ではないような
ので乗っておく。
﹁いいだろう、天士らしく腕っぷしで決めようってことだな!﹂
﹁銀翼との決闘なんて始めてだわ、くすくすくす﹂
﹁駄目よ、町中での天士同士の決闘は禁じられているわ﹂
法律に詳しいソフィーが制止する。決闘罪ってやつだな。
物騒な世界だからか血の気の多い奴が多いのか、腕力で物事をは
っきりさせようとする馬鹿はよく見かける。そんな時、﹁仲良く喧
嘩しな﹂というのが決闘法なのだ。
﹁ならば罪にならない形で決闘しよう!﹂
﹁それならアレしかないな﹂
﹁ああ、アレだな!﹂
﹁はい、アレですね﹂
一同が頷き会う。
﹁カバティ!﹂
﹁ピンポン!﹂
1965
﹁テーブルテニス!﹂
﹁卓球!﹂
仲間外れが一つありました、誰でしょー。
﹁俺です﹂
俺です⋮⋮
﹁世界一決定戦と聞いて、戻って来たよー﹂
﹁出たな駄女神﹂
セルフがどこからともなく湧いて出た。戻って、ってさっきまで
ここらにいたのか?
部屋の隅に連行し、小声で会話。
﹁お前、なんかちょくちょく出てくるよな。もうちょっと威厳とか
ないのかよ﹂
﹁暇なんだもの。いいじゃんいいじゃん、迷惑かけてないんだし﹂
﹁馴れ合うんなら知っていること全て吐けよ。どうせガイルの所在
も知っているんだろ﹂
﹁ネタバレなんて面白くないし。私、あの王子様のスポンサーだし﹂
ふぅん、つまりセルフはガイルになにか期待しているのか。
1966
﹁まあそれはいい。それより自分が神だってばれるなよ。教国でば
れたら面倒だからな﹂
キョウコだけでもいつ聖女扱いされるのかとハラハラしているの
に。
﹁もうバレているけど?ちょっと用事あったんだし﹂
﹁まじか﹂
﹁どうしたのかね兄弟?﹂
﹁なんでもないぜブラザー。さあ、さっそく始めようか﹂
俺達は緑色のテーブルを囲んでラケットを構えた。
結論から述べれば、銀翼は卓球をしてはいけないようだ。
世界に50人程度しかいない銀翼、その誰もが超人と呼んで差し
支えない。
そんな超人達がラケットを握ると、卓球の普遍的なルールが通用
しなくなるのだ。
ユーティライネン兄妹の能力は未来予知⋮⋮級の先読み能力セン
スらしい。球のコースが完全に予測された、すげー。
だが俺だって様々な修羅場を潜ってきたのだ、対処法はすぐに思
い付いた。
1967
どんなに予想されたって、物理的に対処不可能な球を打ち込めば
いいのだ。
俺は渾身の義手パワーでサーブし︵球が割れてレットになった︶、
ソフィーは航空力学を駆使した意味不明なドライブしまくり︵その
割に不器用なので検討違いの方向に飛んでいく︶、キョウコは剣の
達人らしくラケットで球を切り捨てて満足げだし︵ルール上想定さ
れていないので失点にはならない︶、キザ男は⋮⋮まあ、普通だし。
そもそもキザ男は銀翼ちゃうし。
﹁もういいや、みんな同着一位ってことにしよう﹂
﹁⋮⋮そう、だな。エイノもそれでいいかい?﹂
﹁どうでもいいですわお兄様、もう一度お風呂に入ってくるわ﹂
小学校運動会の100メートル徒競走にてゴール前に並び、手を
繋いでゴールするくらい中途半端な結論へと落ち着くのであった。
﹁ほう、これが、こうなっているのか﹂
お土産屋を冷やかしてから自室に戻った俺は、心地よい体の疲労
感に誘われるままに布団に飛び込んだ。
ついでに部屋の棚で偶然見つけた小さなそれを、左右から引っ張
ったりして遊ぶ。
1968
﹁ふむ、実に興味深い﹂
﹁レーカしゃーん!﹂
﹁うおっ!?﹂
部屋には自分一人だと思い込んでいたので、突然の呼び声に跳ね
上がってしまった。
﹁レーカしゃん、ご機嫌いかがー?﹂
にへらにへらと笑うキョウコが、いつの間にか俺の側にしゃがん
で顔を近付けていた。
浴衣のスリッドから覗く白い足に、思わず唾を飲む。
﹁なんでしゅか、それ?﹂
﹁酒くさっ、飲んでるのか?﹂
話題を逸らしつつ手の中のそれを布団の中に隠す。
腕を捕まれて布団から引っこ抜かれ、強奪された。
﹁なにこれー水風船ですかー?﹂
﹁あ、ああそうだ。水風船だ﹂
使用前である。前の宿泊客の忘れ物だろうか。
﹁どうして水風船がありゅんですかーもー﹂
1969
﹁⋮⋮夜に遊ぶ為じゃないかな﹂
僕判んない、13歳だもん。
﹁くらくらーするーへへえー﹂
だいぶ酔い潰れているようだ。支離滅裂である。
よく見ると膝や掌が汚れている、この部屋まで来るのにも苦労し
たらしい。
タオルを濡らして拭いてやると、きゃっきゃと喜ぶ。可愛いけど
面倒臭い。可愛倒臭い。
﹁部屋まで送るよ﹂
﹁いーですよー、ここで待つから、酔いが覚めたら帰るからー!﹂
本当に面倒臭い。
﹁レーカしゃん、私と一緒にいらいんですかー?﹂
﹁はいはい、一緒にいたいから今晩はこの部屋に泊まれ。布団使っ
ていいから﹂
キョウコを布団に押し込む。
﹁ぬるいー﹂
﹁温めておきました﹂
1970
﹁レーカしゃん、私と別れるのはしゃびしいですか?﹂
別れるって、付き合ってすらいないだろ。
﹁ちゃあいます、もっとおっきな別れですぅ。もう二度と会えない、
ってなったら悲しい?﹂
﹁そりゃあな。当然だろ﹂
﹁そうですかー⋮⋮﹂
それっきり、キョウコは黙って寝息を発て始めた。
巡航飛行していた白鋼だが、その計器ランプは大半が赤く染まっ
ていた。
コックピットに鳴り響く警報。スピーカーを殴り黙らせるも解決
にはならない。
﹁レーカ、舵が動かない!﹂
涙目で叫ぶソフィー。彼女が握る操縦幹はその入力を動翼に伝達
していなかった。
﹁油圧が死んでる、1番2番、3番ももう駄目だ!﹂
1971
手動に切り替えるも思うように飛行が安定しない。
﹁主翼で操れ、無機収縮帯は別系統だ!﹂
﹁う、うん!﹂
主翼を機敏に反応させる為の無機収縮帯だが、反応速度と引き換
えにパワーに劣る。過負荷のかかった無機収縮帯は軋み、徐々に出
力が弱っていく。
バス、と音が機体に伝わった。
バス、バス、と間欠的に鳴る音。嫌な予感を感じつつ見れば、そ
れは主翼のリベットが次々と弾け外装が剥がれていく光景。
﹁ソフィー⋮⋮!﹂
﹁ダメ、失速する!﹂
主翼から気流が剥離し、揚力が失われる。
きりもみ状態に陥る白鋼。エンジン出力を上げて復帰を試みるも、
それをきっかけに警報ランプが更に赤くなる。
﹁エンジンの熱が機体に伝播している、構造体が!?﹂
様々な材質を使用した戦闘機、中には熱に弱い部分も多い。機体
全体が急激に崩壊し、大きな振動がコックピットを揺さぶった。
﹁っ、ソフィー、脱出するぞ!﹂
﹁レー⋮⋮﹂
1972
振り向き様に、悲しげな顔を見せるソフィー。
瞬間、白鋼は空中分解した。
﹁⋮⋮悪夢だ﹂
白鋼が墜落する夢を見るとは。なにかの暗示じゃないだろうな。
時計を見ればまだ深夜。部屋にキョウコはいない、帰ったのか。
夢での機体分解は部品の劣化が原因だった。つまりは整備不良で
ある。
﹁俺も白鋼のC整備をしようかな、最近白鋼に乗ってないし﹂
タイトな設計の白鋼は高性能だが、脆く壊れやすい。なので困難
な作戦でなければ統一国家から盗んだ散血花を使用することも多い
のだ。
国家機密?知るか、なぜ俺が統一国家の都合を配慮せにゃならん。
散血花は大量生産前提の精度が悪く遊びが多い設計なので、ちゃ
んと整備してやれば結構タフなのだ。壊したって統一国家から盗め
ばいいし。
﹁いや、でも白鋼はちゃんと整備はしていたはずだ﹂
と、なんとなくピンと来た。
1973
﹁⋮⋮ひょっとして白鋼が拗ねているのか?﹂
なんとなく納得出来た。きっとそうだ。
俺は手早く支度して、船へと向かうのであった。
真っ白な翼。単発エンジンの細いシルエットに、小柄な機体はと
ても高性能な機体には見えない。奇抜な前進翼もあって、スポーツ
機だと紹介されたら初見なら納得してしまうだろう。
機関砲もなく外見はシンプルだが、内部はどんな戦闘機よりも複
雑。人型変形機構や特殊な操縦システムなど精巧な技術をこれでも
かと詰め込まれた戦闘機、それが白鋼だ。
﹁今日はこいつの下で寝るか﹂
格納庫は寒い。毛布を持ってこようと居住区に登ると、更に上の
方から魔力を感じた。
﹁誰かいるんだっけ?あ、ガチターンか﹂
スピリットオブアナスタシア号は上から順に⋮⋮
観測室
ブリッジ・士官居住区
1974
格納庫・機関室・居住区
⋮⋮となっている。これは大型級飛宙船としては基本的で堅実な
設計であり、ありふれたレイアウトだ。
ガチターンが船番をしているのは聞いているが、寂しがっている
かもしれないし顔くらい見せておくか。差し入れとして名物料理く
らい買っておけばよかった。
あるいは泥棒かもしれないし。確認はしておこう。
﹁ガチターンー? 寝てるー?﹂
観測室のドアを押しつつ小声で呼ぶ。ここはブリッジより高い場
所なので、見張らしが船で一番いい。見張りにはもってこいだろう。
﹁おっ、おおおっ!? どうしたんだ坊主!?﹂
﹁きゃわわっ!?﹂
﹁あれ、マキさんいたの?﹂
観測室にはガチターンとマキさんがいた。なんか慌てている。
そういえばマキさん、夜は船に戻るって言ってたっけ。
﹁どうしたんだ、こんな時間に!﹂
﹁白鋼が寂しがっている気がしてな、見に来た﹂
﹁そ、そうか、あるよなそういうこと!﹂
大声で頷くガチターン。
1975
﹁ところでなんで半裸なの、二人とも﹂
﹁暑くてな、ははは﹂
そう彼は笑って誤魔化す。
﹁ところでなんで臭いの、この部屋﹂
﹁熱くてね、ははは﹂
マキさんもあくまで笑って誤魔化す。
﹁なんか、ごめん。頑張って!﹂
俺はガッツポーズをして部屋を出た。
ゆさゆさと体が揺れている。
﹁起きて。こんなところで寝たら風邪をひくよ﹂
マリアの声が聞こえる。
一定のリズムで体を揺すられると、かえって眠くなってしまう。
1976
﹁うーん、後5秒⋮⋮﹂
﹁5秒でいいの?﹂
﹁スタートって言ってから5秒⋮⋮﹂
﹁永遠の5秒ね﹂
毛布を剥がされる。寒い。
﹁部屋に行ってみたらいないし。なんで皆、ここで寝ているの?﹂
﹁みんなー?﹂
目を擦りつつ起き上がる。
﹁ぐわーっ﹂
﹁すぴーっ﹂
﹁あばばばば﹂
職人達が格納庫で寝ていた。
﹁あ、マリア。おはよ﹂
﹁今更ね⋮⋮おはよ。早く戻らないと宿の朝食の時間、終わっちゃ
うわよ﹂
ブラウスにスカート姿、昨日も私服だったが多少は着飾っており、
1977
ここまでラフな格好は珍しい。
ぎゅーっとマリアを抱き締める。
﹁な、なに?﹂
﹁メイド服ほど厚手じゃないから、温かい﹂
﹁寒いの?こんなところで寝るから﹂
﹁あと柔らかくてえっちい﹂
﹁離れなさい﹂
顔を押し退けられた。
﹁それで、なんでここで寝ていたの?﹂
﹁⋮⋮白鋼が寂しがってた。こいつらは知らん﹂
﹁なにそれ﹂
意味不明だ、と言わんばかりに眉を潜めるマリア。
﹁なんだよ、恋人だけじゃなく飛行機まで束縛するのか?やれやれ、
嫉妬深い女だぜ﹂
﹁飛行機と女性は違うでしょ﹂
﹁飛行機はどれも女だよ﹂
1978
﹁⋮⋮頭、打った?﹂
ひどい言い様だ。
﹁んだよ、うるせぇな⋮⋮﹂
俺達の物音で職人達も目を醒まし始めた。
﹁皆はどうしてここで寝ているんだ?﹂
﹁柔らかい布団なんざ落ち着かねぇ。油の臭いがしねぇとな﹂
油の臭いがする布団がいいと申すか。工場で消耗品として使用さ
れる清掃用布切れ、ウエスでも被っているといい。
﹁まあいいや。皆、質問。人型機や戦闘機に性的興奮を覚える人ー
?﹂
﹁はーい﹂
﹁はーい﹂
﹁はーい﹂
﹁ほら、な?﹂
それ見たことか、とマリアを見やる。いつの時代だって、飛行機
は極上の女なのだ。
マリアはどこか思い詰めた表情で、俺に提案した。
1979
﹁レーカ⋮⋮私達、少し距離をおくべきじゃないかって思うんだ⋮
⋮﹂
いきなり修羅場った。
﹁ちょうど皆集まっているし、ちょっと付き合ってくれ﹂
﹁なんだ、お姫様とメイド囲むのも飽きたか?﹂
﹁しょうがねぇ、俺達の肉体美に酔いしれな﹂
冗談でもこっちに近付くな、ガチムチども。
﹁蛇剣姫を強化したい件だが、追加装備を造りたくてな﹂
﹁キョウコさんの機体か?だがあの人は無改造の人型機にこだわっ
てんだろ?﹂
﹁そうそう。体術や歩法を再現する為に、400年前の骨董品に乗
っているって聞いたぞ?下手に改造したら扱いにくくなるってレー
カも前に言っていたじゃねぇか﹂
その通り。この船に所属する機体は思い付きで改造されることも
多いが、蛇剣姫だけは俺達メカニックも手を出せないでいた。
1980
﹁だからこその追加装備だ。内部を性能アップさせられないならば、
外部を高性能化すればいい!﹂
中身もこっそり弄っているけどな!
﹁具体的にはどうするんだ?﹂
﹁キョウコは確かに地上最強だ。だがこれからの戦いは、地上最強
ってだけで勝ち残れるほど単純じゃない﹂
視線を向ける先には、統一国家による世界初の量産型ソードスト
ライカー、散血花。
﹁⋮⋮なるほど、蛇剣姫に飛行能力を付加しようっていうのか﹂
﹁そういうこと。人型機としての接近戦能力を損なわないままに、
飛行用装備を追加するんだ﹂
﹁難しいんじゃねぇか?何十トンもある機体を持ち上げるには、相
応の巨大ユニットが必要だぜ。戦闘に耐えうるほどの運動性となれ
ば尚更だ﹂
さすが一流メカニック集団、必要な物が阿吽の呼吸で伝わる。
﹁だからこそ、さ﹂
誰かが聞いているわけでもないのに小声になる。自然と集まる面
々。
1981
﹁私、宿に戻るわね⋮⋮﹂
これ以上相手にしていられない、とマリアは呆れ顔で格納庫を出
ていってしまった。
﹁なんで旅行中に新兵器作っているんだ、俺ら?﹂
昼頃、ふと我に返った。
続いて職人の一人が問う。
﹁これって給料出るのか?﹂
﹁⋮⋮ソフィーに訊いてくれ﹂
お金の一括管理をしているのは彼女だ。財布を握られている、と
も。
金銭に関してはしっかりしているソフィーなら、きっと時間外の
サービス残業として処理するだろう。まじブラック。
まあ実際勝手にやってたんだけどさ。あと金は幾らでもあるんだ
けどさ。
仕事と趣味の境界は俺自身には判らない。その辺はマネジメント
している本人に客観的に判断してもらえばいい。
﹁これ、そもそも急ぎの仕事なのかよ?﹂
1982
﹁全然。冬の間は秘密のアジトに隠れているし、製作も調整もゆっ
くり出来るけど?﹂
﹁じゃあ旅行させろや﹂
﹁宿を夜中に抜け出して、格納庫で寝ている連中がなに言っんてん
だ﹂
お上品な観光地より油臭い格納庫が好きなんだろ、ん?
﹁とはいえ、飯くらいは旅行先っぽい物を食おうぜ。二日目の昼食
はもんじゃ焼きの予定だ﹂
若干げんなりとした表情となる面々。もんじゃは工業系の作業を
連想させる為、その筋の人は苦手意識があるのだ。
﹁⋮⋮レーカさん?﹂
格納庫にふらりとキョウコがやってきた。
﹁どこにもいないと思ったら、船にいたのですか﹂
﹁おはー﹂
﹁いえ、もう昼ですが﹂
﹁こんにちー﹂
﹁﹃は﹄まで言ってください﹂
1983
キョウコは普段着ではなく、しっかりと装備を整えた旅装束だ。
﹁どこか出掛けるのか?﹂
﹁ええ、一狩りしようかと﹂
肉食系女子である。
﹁なにやら作業中のようですが、蛇剣姫を出しても?﹂
﹁んー、いいよ﹂
蛇剣姫に︵あまり︶手を加えず、追加装備だけで強化するのが今
回のコンセプトだ。製作はこっちだけで出来る。
﹁それでは、失礼します﹂
踵を返し蛇剣姫に歩むキョウコ。その背中に声をかける。
﹁いってらっしゃい﹂
﹁⋮⋮はい、それでは﹂
キョウコは振り返りもせず、そう返答した。
﹁⋮⋮⋮⋮?﹂
なんだ、今の変な感じ?
1984
蒸気カタパルトからドシンドシンと自力発進する蛇剣姫を見送り、
俺は首を傾げた。
俺がことを理解したのはそれから数時間後。
昼食を終え、次の観光場所へと向かおうとした俺達はキョウコの
不在に気付く。
置いてきぼりも可哀想だと船に戻り、蛇剣姫の未帰還を確認。
どうしたものかと思案していた時、彼女の言葉を思い出す。
﹃⋮⋮はい、それでは﹄
嫌な予感。アナスタシア号の居住区まで走りキョウコの部屋に飛
び込む。
部屋は一切の物がない、もぬけの殻だった。
鈍感な俺もようやく理解する。
キョウコは、俺達とは袂を分かったのだ。
1985
妹キャラと温泉旅行 ∼ポロリもあるよ∼︵後書き︶
>資産の元手はエアバイク?
その通りです。船を作るためにほぼすべて使用しました。
>技術力のインフレ気味ですが、やっぱり人間やめないと駄目なの
かな・・・
ソフィーやガイルは初期から対G能力が人間やめていますね。ガイ
ルがひたすら最強なので、まだまだパワーアップが必要です。
>ムカデ砲、そのうちマスドライバーみたいに白鋼を打ち出したり
しそうで怖いです。
ぎくっ。
>読者の数や批評は気にせず、小説を書き続けてくださると嬉しい
です。
ありがとうございます。マイペースに続けていけたらと思います。
1986
妹キャラと温泉旅行 2
彼女の母の名を与えられた船、その廊下を進むソフィーは小さく
溜め息を吐いた。
レーカに風呂を覗かれ、静かに激昂したマリアは︵少なくとも幼
馴染みのソフィーにはそう見えた︶レーカを引き摺りどこかへ行っ
てしまった。いつものようにレーカをどこかに吊るすつもりだろう
と彼女は推測している。
裸体を見られた気恥ずかしさに悶えつつ、表向き平静を保ち一人
自室へと戻る。
﹁お、こんなところにおったのじゃな﹂
﹁リデア、どうしたの?﹂
曲がり角でリデアに出会す。
﹁お主こそどうしたのじゃ、顔が真っ赤じゃぞ?﹂
﹁な、んでもない、わ﹂
ソフィーの挙動不審な様を訝しむリデアだが、深く追求すること
はしなかった。
﹁用件はこれじゃ﹂
リデアが懐から取り出すのは、一枚の封筒。
1987
﹁︱︱︱なにそれ?手紙?﹂
彼女達は友人だが、厳密には別陣営に属しており、共闘は有りう
るが馴れ合いはあり得ない。
手紙を見た瞬間政治に関わる話だと察し、ソフィーは無知な少女
を演じた。
生まれた時から人の上に立つことを前提に教育された彼女達だか
らこそ、可能な芸当である。
﹁惚けるではない、ソフィーにも届いておるのじゃろう、招待状じ
ゃ﹂
駆け引きをする理由もなかったリデアは単刀直入に本題へと切り
込む。
秘密裏に届けられた蝋で封じられた封筒。それは、統一国家から
の円卓会談の招待であった。
﹁⋮⋮ええ、届いているわ﹂
溜め息を一つ吐き、ソフィーは芝居をやめた。
﹁豪胆よね、統一国家の新総統も﹂
﹁まったくじゃ。わしはともかく、ソフィーまで呼ぼうとはな﹂
大国の姫であるリデアを打ち合わせもなしに呼び出す自体が大概
無礼な行為だが、表舞台に出ていないソフィーまで招集するなど異
例が過ぎる。
ソフィーの潜在的な世界への影響力はリデアの比ではない。それ
を正しく理解している者はほとんどいないが。
1988
新総統は少なくとも理解している。力任せで大雑把な作戦の多い
ラスプーチンより、よほど厄介な相手だと彼女達は感じていた。
﹁それで、どうする?﹂
﹁退く理由はないわ﹂
﹁お、珍しく好戦的じゃの﹂
その理由を理解しつつも茶化すリデア。
﹁非公式とはいえ、教国の大神殿を使った首脳会談⋮⋮慣例に乗っ
取った正規の申し出よ。私達に手を出せば多くを敵に回すわ、それ
をよしとする新党首じゃない、はず﹂
新総統の性格に関しては憶測なので、若干自信のなさげな言い様
になる。
それでも危険は少ないと判断したのは、ひとえに教国という中立
国家を介しているから。
国土面積こそ大国に劣るが、世界中の信仰の中心地・教国。敵に
回すにはあまりにも厄介だ。
だからこそ、古来より首脳会談の地として利用されてきたのだ。
もっとも、彼女達も油断などしていない。神の宝杖で共和国を乗
っ取るような組織だ、なにをするかなど予想も出来ない。
その神の宝杖の制御装置とて、教国から奪取されたのだ。統一国
家の人員がどれだけ忍び込んでいるか、判ったものではない。
﹁じゃが危険が薄い以上は相手の顔を拝んでやらねば勿体無い、そ
ういうことじゃな﹂
1989
首肯するソフィー。
﹁ここは、踏み込む時よ﹂
﹁同意件じゃ。逃げ回っていては事態は好転なぞしない、殴り込み
じゃ﹂
統一国家の誘いに乗ることに同意し、彼女達は頷き合った。
﹁さて、じゃが懸案事項はまだあるぞ﹂
﹁レーカ?﹂
﹁うむ、あれは戦術的に考える人間じゃからのう。戦闘には勝つが
戦争には勝てないタイプじゃ、この件は噛ませない方がいいかもし
れん﹂
﹁⋮⋮そうね、余計なことをしそうだし、事後報告でいいかしら﹂
除け者にされるリーダーであった。
﹁それに、戦術で戦略を覆す可能性も捨てきれんしなアレは﹂
﹁⋮⋮うん、やっぱり事後報告でいいわ。でもどうやって教国まで
移動する?私達だけじゃ、レーカも許可しないわ﹂
﹁大神殿の近くには温泉街のズィーベンがあったじゃろ、ソフィー
が﹃温泉に行きたい﹄とおねだりすれば、レーカも落ちる、ではな
く頷くはず﹂
1990
レーカだってそこまで能天気ではないはず、と内心思いつつも、
同時にまあ何とかなるだろうと説得に関しては楽観するソフィーで
あった。
実際言いくるめた。ちょろい。
﹁合流場所はここで宜しいのですか?﹂
﹁⋮⋮マリア、その話し方やめて﹂
﹁滅相もございません。私めに、お嬢様に不敬を働けと?﹂
慇懃無礼とは今のマリアのことを呼ぶのだろう、とソフィーは辟
易した。
首脳会談ともなれば、正装である以外にも様々な暗黙のルールが
ある。その一つが専属メイドを連れていくことだ。
国外での、それも今回のような非公開な会談で暗殺毒殺などされ
れば堪ったものではない。だからこそ、その辺を監視するメイドが
求められた。その名残、慣例的な見栄である。
リデアは船にいる息のかかったメイドを連れ出したが、ソフィー
には気の置けないメイドはマリアしかいない。いい顔はされないだ
ろうと予想しつつもズィーベンに降りる前に声をかけ、案の定ぐち
ぐちと小言を言われているのであった。
﹁やはり、レーカには伝えておくべきでは?﹂
1991
もう何度目か判らないマリアの進言。
﹁何かがあってからでは遅いのです。責任者には話を通しておくべ
きでしょう﹂
﹁大丈夫よ、私達が戻ってこなければキョウコが伝えるように頼ん
であるのだし﹂
ドレスに着替える際にキョウコを呼び出して非常時の伝言を依頼
したのだ。まさか部屋に零夏が訪ねてくるなど想定外だったが。
﹁それに、レーカに教えたらどうなると思う?﹂
問われ、マリアはレーカの行動パターンを予想する。
﹁⋮⋮遠距離から護衛するのでしょうか﹂
でしょうね、とソフィーは頷く。解析魔法を持つ零夏は視認さえ
していれば詳細に状況を把握出来る。対峙する相手が暗器を持って
たなら一発で露見可能だ。
﹁問題はそれが統一国家側に、そして世間に露見した時よ。今の世
界の均衡は極めて不安定な天秤の上に乗っかっている、レーカのよ
うにシーソーの上でコサックダンスを踊るような人は遠ざけておき
たいの。戦争再開のリスクを犯してまで私達を守る必要はないわ﹂
身内にまでイレギュラー扱いされるレーカである。
﹁⋮⋮では、貴女の身が危険に晒されたら?﹂
1992
さりげなくリデアのことは省くマリアであった。
﹁教国もその辺は弁えているわ。レーカなしでも護衛は付くでしょ
う、それも腕利きの﹂
﹁その通りです、可愛らしい姫君達﹂
突然割り込んできたのは、美しいブロンドの青年だった。
﹁なんと美しい。可憐な花を雨風から守る任、必ずしや成し遂げて
みせましょう﹂
﹁突然現れてなんじゃお主は﹂
﹁失礼しました。この度護衛を勤めさせていただきます、アルーネ・
ユーティライネンです﹂
優雅に最敬礼をするアルーネ。その後ろにはアルーネとよく似た
少女が隠れている。
﹁ほら、お前も挨拶しなさい﹂
﹁エイノ・ユーティライネンよ。数時間の付き合いだもの、覚えな
くていいわ﹂
﹁こら、エイノ!﹂
﹁だってお兄様っ﹂
1993
護衛として現れた兄妹に、若干の不安を覚える面々。
﹁⋮⋮ソフィー、やっぱりレーカに連絡する?﹂
﹁い、いらないわ。教国が用意した護衛だもの、きっと腕はいいの
よ﹂
二人は彼らを知らなかったが、リデアは違う。
﹁ユーティライネン兄妹か、自由天士のシルバーウイングスじゃな。
護衛としては妥当じゃろう﹂
ユーティライネン兄妹は国家団体に属さないフリーランスの天士
だ。教国のお抱えではなく金で雇われただけの関係だが、依頼した
教国は、そしてリデアは彼らが契約書は守る実績ある天士であると
知っていた。
﹁銀翼、この若さで?﹂
﹁ふふん、優秀なのよ﹂
驚くソフィーに自慢げな顔をするエイノ。生憎彼女はソフィーも
また銀翼だと知らず、またソフィーも特に理由もないので明かす気
もなかった。
﹁どうぞこちらに、大神殿までは船で移動します﹂
アルーネの案内で連れてこられた場所にはグラスシップと呼ばれ
る小型級高速飛宙船が用意されていた。飛宙船の速度限界を維持し
つつ、豪華な客室を備えた船だ。
1994
乗り込み離陸すると、飛宙船と戦闘機が随伴する。飛宙船の荷台
には人型機が固定されておりアルーネが、戦闘機にはエイノが乗り
込んでいる。
﹁人型機と戦闘機のコンビ、古典的な組み合わせね﹂
最低限でも地上と空に戦力があれば戦術が大きく広がることから、
この組み合わせでエレメントを組む天士は多い。
しかしソフィーは違和感を覚えた。エイノの愛機も大概奇妙なデ
ザインであったが、それ以上に操縦技術についてである。
﹁⋮⋮普通﹂
飛行機の操縦に精通した彼女だからこそ、一目で見抜ける。エイ
ノ・ユーティライネンはパイロットとして飛びきり優れているわけ
ではない。
ならば彼らを銀翼たらしめているのは何なのだろう。そう思って
いると、アルーネからクリスタル共振通信が入った。
﹃ところで、あの重戦艦は貴女方の母艦なのですよね﹄
真下では丁度、スピリットオブアナスタシア号が停泊していた。
﹃外見に見会わぬ高速船と聞いていますが、どんな秘密があるので
すか?﹄
﹁知らないわ。設計した人に聞いて﹂
一通りの説明こそ受けたが、ソフィーには技術的なことなど判ら
ない。
1995
スピリットオブアナスタシア号は真っ白な船体に大量の対空砲、
そして後部には潜水艦のように大きなプロペラが二重反転で取り付
けられたレイアウトだ。
普通の中型、大型級飛宙船は全体にレシプロエンジンが分散して
装着されている。これは動力源であるクリスタル一つにつき魔力式
ジェットエンジン一つという構造上の制限から大型化が難しいこと、
レシプロによる制御のしやすさ、複数のエンジンを備えることでの
故障時の保守のしやすさ等々が理由だ。
対して、アナスタシア号には大型のタービンを船内に一つ内蔵し
ている。原理としてはターボプロップ、ジェットエンジンの回転軸
をプロペラに機械的に接続しているのだ。
問題は何を燃焼させているか。化石燃料の調達も難しいセルファ
ークでは化学式エンジンの実用は困難だ。かといって、魔力式ジェ
ットエンジンの大型化は不可能。
零夏はこともあろうか核融合炉の安定稼働を成功させ、空気を熱
膨張させタービンを回す術を開発したのだ。
一般常識なので核分裂と核融合の違いが判らない人はいないと思
うが、一応説明。
mc2である。原子に気合いを注入すると、質量がエネルギー
端的に言えば、アインシュタインの思い付いた有名な公式、E
=
に変化する。質量保存の法則に喧嘩を売った数式だ。
ウランやプロトニウムを分裂させてエネルギーを得るのが核分裂。
重水素などを融合させてエネルギーを得るのが核融合。
やっていることは似ているが、核分裂は極めて不安定なのに対し
て核融合は極めて安定性が高い。
むしろ、安定性が高過ぎて成立しない。なかなか恒常的に核融合
していかないのだ。
これこそ核融合発電が現在地球においても実用化されない理由で
ある。地球に魔法があればサクッと色々難点をクリア出来るのだが、
その恩恵に与れているのは現状零夏だけだ。
1996
﹃あの船は特注で、その金額は船と同重量の黄金に匹敵する⋮⋮巷
ではそう噂されていますが﹄
﹁さすがにそれは間違い﹂
否定しつつも、ソフィーは金額に関しては明言を避けた。彼女に
とって船の調達費は頭の痛い話なのだ。
なにせ、ソフィーが﹁経済バランスが崩れる﹂とまで称したエア
バイクの利益をほとんど注ぎ込んだのだ。お嬢様の癖に貧乏臭い彼
女にとってはとんでもない暴挙であった。
そもそもなぜこれだけ特殊な船を用意したか、それは対ガイル戦
を想定したものだ。
零夏の最終目的はガイルをぶん殴ること。そうなると彼らの母艦、
バルキリーをどうしても意識せざるを得ない。
超音速で飛べるバルキリーと渡り合える母艦を作るのは不可能、
零夏はそう判断する。母艦として運用可能な大きさの航空機を音速
飛行させるには多くの実験と時間が必要なのだ。
そこで、零夏はあえて重装甲の母艦を作ることにした。スピード
で敵わないなら別方面で対抗すればいい、という発想から360度
が複合装甲並みという鉄の塊のような船となったのだ。
だが重ければ当然鈍重な船が出来上がる。浮遊装置の出力は大き
く、浮上こそ可能だが通常のエンジンでは進めない事態が発生する
のだ。
しかし零夏としては、最低でも飛宙船としての最大船速を実現し
たかった。兵は神速を尊ぶ、有利なポジションに母艦をいち早く配
置するのは極めて大きなアドバンテージとなる。
故に、冬季の間に無理をしてまで大出力エンジンとして核融合炉
を搭載するに至ったのだ。
放射能のシールドには魔力も用いて複合的に行っているので漏れ
1997
る心配はない、そもそも核融合は放射線をほとんど出さない。
こうして出来上がったのが、重装甲にハリネズミのような対空砲、
戦闘機や人型機を飲み込む格納庫に発進用蒸気カタパルト、おまけ
に船を前後に貫く固定式多薬室砲⋮⋮ムカデ砲・衝撃波特化核弾頭
まで搭載した、単独で生き残り勝利することを目指した船なのだ。
勿論戦闘のみを考慮した船でもない。根無し草な零夏達は家が必
要であり、居住性も気を遣っている。真水の大浴場があるのもその
一環であり、戦艦としてはかなり珍しい設備だ。海上や空では、真
水は貴重な物資だから。
もっとも、設備を詰め込み過ぎたからこそ計画段階では中型級だ
った船が大型級になったりもしている。
零夏の要望や必要な器材を詰め込んだ結果、300メートルの大
型級飛宙船として完成した同艦。しかし大型級飛宙船とは本来、旅
客機や輸送機としてガンガン回転率を上げてようやく利益を得られ
る船種なのである。
母艦としては大き過ぎて、自由天士の所有艦には不向き。故に天
士の保有する母艦は100メートルほどの中型級飛宙船が普通であ
る。それで充分だ。
よって、アナスタシア号の維持には高ランクの依頼を受け続けな
ければならない。それでも自転車操業なのが、最近のソフィーの悩
みである。
結果論として、難易度の高い依頼を優秀な天士達が次々と成功さ
せる彼らは大きな名声を得ている。アルーネがスピリットオブアナ
スタシア号を知っていたのも世間に流れる風評からだった。
余談だが、地球の大型原子力潜水艦には一艦種にだけプールが存
在する船がある。前代未聞だ。
﹁レーカの住んでいたチキュウって世界では、カクユウゴウの船が
沢山浮いているのよね﹂
1998
﹁かもしれんのー﹂
※浮いていません。
忘れ去られた制式名称はさておいて、教国は通称通りこの世界の
唯一神セルファークを崇拝する者達の国家だ。
度々会話する機会のある零夏やキョウコは神に対して幻想など抱
いていないのだが、一般人からすればあくまで真っ当な神様。それ
を崇める教国もまた国土面積の割に世界への影響力は大きく、大戦
時の混乱や近年の動乱にも関わらず一切の戦火を被らなかった。
国家間の調停や同盟などもこの地で結ばれる、古来より中立であ
り続けた土地なのだ。
﹁つまりは世の中言ったもの勝ち、ということじゃな﹂
﹁口を慎みなさい、リデア﹂
教国の総本山たる大神殿の門を潜りつつ、リデアの暴論にソフィ
ーは眉を潜め注意する。
﹃だってこいつら、神と関係ないんじゃぞ?遠い先祖が名乗ってい
るだけじゃぞ?﹄
︵この人、脳に直接⋮⋮︶
1999
リデアの無駄に洗練された無駄のない無駄な魔法に、ソフィーは
返事をする気にもなれない。
﹃セルフ・アークの真の使徒たるのはハイエルフだけじゃ。教国な
ど勝手に神を崇める人間達が上下関係を決めて組織化しただけの存
在じゃからな﹄
虚無の上であろうと、巨大な思想組織は成立する。宗教など、妄
想に隠し味の思想誘導を溶かし込んだ不出来なスープだ。
﹁信じる者は救われる、じゃ﹂
﹁都合のいい言葉よね﹂
﹁先程から、一体何のお話をされているのですか⋮⋮?﹂
断片的な会話をする二人に、怪訝そうな顔をするマリア。
﹁でも、ハイエルフって実際はどんな存在なの?﹂
神殿内の廊下を歩きつつ、周囲に人影がないのをいいことにソフ
ィーは訊ねる。
﹁キョウコは普段気楽に生活しているようにしか見えないわ﹂
﹁あの能天気っぷりは確かに見習いたいのう﹂
聖女を扱き下ろす二人、神官がいないのをいいことに好き勝手だ。
2000
﹁あの、こういう場所で滅多なことは言わない方がよろしいのでは
⋮⋮?﹂
護衛で随伴と案内をするアルーネも苦笑いである。
﹁あれで苦悩しておると思うぞ、こんな土壇場で人間に恋してしま
ったのじゃからな﹂
﹁土壇場?そういえば⋮⋮﹂
ソフィーはキョウコの言葉を思い出す。
﹃⋮⋮いえ、私にだって余裕も時間なんてありませんよ﹄
それは、ハイエルフたる彼女には似合わない言葉であった。
﹁キョウコにとって近々なにか変化があるっていう意味?﹂
﹁ハイエルフは神の半身であり、目と耳じゃ。神といえど全知全能
ではない、自我を持った部下が必要じゃったんだろうな﹂
﹁話を変えたわ﹂
廊下の先から見えてきた大きな扉に、自然と気を引き締める。
﹁話はこれくらいにしようか﹂
﹁なら、最後に貴女の意見を訊いていい?﹂
振り返り後ろ歩きをしつつソフィーは問う。
2001
﹁キョウコは、信用出来ると思う?﹂
それは即ち、有事の際に彼女は零夏とセルフどちらを取るか、と
いうこと。
﹁さての、それはそれこそキョウコの覚悟次第じゃろ。ほれ、前を
向け﹂
扉の前に立ち、着衣を整え頷き会う。
アルーネとエイノが扉を押すと、その先の部屋には大きな円卓が
あった。
数々の王達が座り、多くの歴史が代わった円卓。その最奥、上座
にその男はいた。
男は笑みを浮かべ彼女達を招き入れる。
﹁よく来たな、姫達よ﹂
男の顔を確認し、ソフィーは目を細める。
﹁⋮⋮貴方だと思ったわ﹂
﹁ほう?なぜだね?﹂
﹁ラスプーチン死後の混乱、その最中でトップの座を掠めとるなん
てよほど立ち回りが上手い人でなければ不可能だもの﹂
歩み、堂々と少女達は男と対峙する。
﹁統一国家新総統︱︱︱ヨーゼフ﹂
2002
﹁久しぶりだ、ソフィー嬢﹂
ここに、ゼェーレスト村より始まった因縁は再び交わった。
神の涙。世界最大の巨大クリスタルが飾られた大きな部屋にて、
ヨーゼフは来客を歓迎する。
﹁さて、あと二人招待しているのだが⋮⋮彼らが来る保証もないの
でな、始めさせてもらおう﹂
﹁まずはお招きいただき感謝する。しとらんがな、よっこらせっと﹂
断りもなく着席するリデアとソフィーに、ヨーゼフは眉を潜める。
王達の円卓会談には多くのしきたりがある。着席一つでも動作や
応酬は決まっており、ソフィーとリデアの両名がそれを知らないは
ずがない。
ようは、﹁お前など王として扱う存在ではない﹂と言外に主張し
ているのだ。それをヨーゼフも理解しているし、そんなことが堪え
る男ではないとも彼女達は理解している。
ヨーゼフとしてはせっかく今日の為に覚えた礼儀作法が無駄にな
った、という程度にしか思っていない。
﹁ここに円卓会談を開会する。各々方、杖を取って頂きたい﹂
﹁そういうのはいらないわ﹂
2003
開会の儀を行おうとしたヨーゼフをソフィーは切り捨てる。
﹁早くズィーベンに戻って、町を観光したいの。話があるならさっ
さと終わらせて﹂
﹁⋮⋮ほう、芯の強さを得たな。結構だ﹂
以前は怯え零夏の影に隠れるだけだったソフィーの変化に、喜色
を浮かべるヨーゼフ。
﹁貴女は、やはり王女に相応しい。以前より、ずっと﹂
﹁⋮⋮まだ私を王女に据えるつもりなの?その算段は破綻している
と、いい加減気付いて欲しいものね﹂
髪を弄りつつ冷淡に断じる。
﹁生まれ持った私の権限は私の意思でなければ執行出来ないわ、統
一国家といえどお母様から受け継いだ人脈や各方面への交渉材料は
把握していないでしょう?﹂
世界最高峰のお姫様とはいえ、血を受け継いだだけの娘にはその
能力は完全には発揮出来ない。
ソフィーの立ち位置を完全に利用するには、アナスタシアに教わ
った様々な予備知識が必要なのだ。
﹁私を捕らえてお飾りしたところで、私自身の協力の意思がなけれ
ばデメリットの方が多いわ﹂
2004
﹁心を奪う魔法など、何百年前に発明されたものだろうな﹂
力ずくで従わせる方法などいくらでもある。そう主張するヨーゼ
フだが、ソフィーはそれすら否定した。
﹁それでも尚、よ。損得勘定の出来る人間でしょ、貴方は。それこ
そそう、貴方自身がトップに立てばいいじゃない﹂
ソフィーからすればその方がよほど効率的だった。だがヨーゼフ
の見解は異なる。
﹁確かに、権限という視点からだけであれば問題点の方が多い。だ
が、はたして民衆とは政治力だけで王を決めるものかな?﹂
﹁⋮⋮人が信じるのは衣食住を満足させてくれる指導者よ。血で選
ぶなんて時代錯誤だわ﹂
思想は時に飢えを忘れさせ、飢えは時に思想を忘れさせる。
どちらが間違っているわけでもない。どちらも正解なのだ。
﹁普段はなりを潜めていようと、人々は求めているのだよ。王の血
を、そのカリスマを﹂
﹁貴方︱︱︱貴方の目的は、何?﹂
ヨーゼフの最終目標は思想の定着などではない。そう看破したソ
フィーは、思わずそう問うた。
﹁統一国家はただの手段、その先に何を求めているの?﹂
2005
﹁愚問だな﹂
解りきっていることを訊くな、とヨーゼフは真っ直ぐソフィーを
睨む。
﹁人類の幸福︱︱︱正しき世界の解放を﹂
﹁世界︱︱︱解放?﹂
怪訝そうな彼女に、おや、と思うヨーゼフ。
﹁間に合わなければ多くの人民が死ぬ。来るべき世界の寿命に対し、
人はあまりに無力だ﹂
だがならば教えてやるのも一興。全てはそこに集約する、ソフィ
ーはどの道運命から逃れられないのだから。
﹁最早痛みのない選択肢などないところまで来てしまった。私には
自信がある、誰よりも正しい形で世界を解放することが出来ると﹂
ソフィーはといえば、一年前に出会った魔王の言葉を思い出して
いた。世界が滅ぶと予言し、無責任に消え失せた小動物を。
﹁どういうことなの、世界の解放とは何?﹂
﹁貴女の父は娘に教えてはいなかったのだな﹂
﹁お父さん?﹂
意外な名前が出てきたことで、ソフィーは更に混乱する。
2006
﹁ガイルもまた、世界の寿命に挑む者だ。この世界を管理する唯一
神セルフ・アークは⋮⋮﹂
﹁はいたんまー、それ以上は言っちゃめーだし﹂
能天気な幼子の声が部屋に響く。
﹁誰だっ!?﹂
周囲を警戒するアルーネとエイノ、静かに攻撃呪文を唱えるリデ
ア、口角を吊り上げるヨーゼフと呆れ顔のソフィー。
彼女だけは声に覚えがあった。
﹁他に呼んでいた客人って、まさか⋮⋮﹂
この能天気で掴み所のない言葉遣いは、間違いない。
﹁どこにいるの、曲者!﹂
叫ぶエイノ。
﹁ここだぜぃ、ここ、ゴッ!?﹂
ガタンと円卓が揺れた。
﹁あー、頭ぶつけたー⋮⋮たんこぶになったら統一国家に慰謝料払
ってもらうんだからっ﹂
もぞもぞと円卓のテーブルクロスの中から現れたのは、着物の黒
2007
髪少女。
少女はいけぞんざいな態度で空席であった椅子に座る。これで空
席はあと一つとなった。
﹁来ていただけるとは、光栄です。セルフ・アーク様﹂
その場にいるソフィーとヨーゼフ以外の全員が絶句した。
﹁セルファーク、え、本物?神様?﹂
﹁ものほんだし。初めましての人はこんにちは!私はセルフ・アー
ク、この世界を統べる神様的な存在よ﹂
クルリと回って優雅に礼。
﹁ちなみにサインは断ることにしているの。ごめんね﹂
﹁世界の寿命ってどういうこと?死ぬの、貴女?御愁傷様、さよう
なら﹂
﹁あ、あれ?ソフィーちゃんが冷たい?おこなの?ソフィーちゃん
おこなの?﹂
﹁⋮⋮知っているのよ、貴女がお母さんを見殺しにしたこと﹂
未だかつてないほど鋭い眼光にてセルフを睨むソフィー。
﹁ちょっと、あれは仕方がなかったの。アナスタシアが死ななけれ
ばガイルは狂わない、狂わなければガイルは世界解放の為に動かな
い。家族さえ守っていれば満足なパパで終わってた﹂
2008
﹁それが、それがいけないことなの!?﹂
﹁なら、ソフィーならどうしていたの?一つの家庭を崩壊させるこ
とで世界に希望が生まれるなら、その結果がどうであれ︱︱︱﹂
やれやれ、セルフは肩を竦める。
﹁︱︱︱とりあえず、やっとくでしょ?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮!﹂
声にならない叫び。ソフィーの小さな体は今にも円卓を乗り越え
セルフに殴りかからんとしかねないレベルで怒りに震えていた。
﹁待て!﹂
リデアは咄嗟にソフィーの手首を掴み制止するが、予想に反しソ
フィーはすぐに力なく項垂れた。
﹁ソフィー⋮⋮?﹂
﹁⋮⋮そうね、私でもそうする﹂
自身の手を拘束するリデアの指を、そっとほどく。
﹁すべての可能性を考慮して手を打っておくのが指導者の役割なら、
貴女のやったことは間違いじゃない。でも、それを正当化しないで﹂
﹁してないよ、だって、仕方がないでしょ﹂
2009
﹁⋮⋮いいわ、もう。この件はお預けよ﹂
忘れるのではなくお預けなだけ。ソフィーはこの恨みを忘れるつ
もりはなかった。
﹁それよりどういうこと。世界は今、なにがおころうとしているの
?﹂
﹁その問題に挑むことはそうそう許可出来ないの。だからハイエル
フ達、キョウコにも口止めして情報を封鎖しているんだから﹂
実をいえば、秘密に至った者は今まで多くいる。国家レベルで知
れ渡ったこともあった。
その結果は録なものではなかった。絶望する人々、解決の為に狂
気に走る者達、それでも避け得ぬ滅亡。
だからこそ、セルフはいつしかルールを決めていた。世界がこの
ような状況であるならば、むしろ現状の問題は秘匿した方がいい。
その方が、解決の為に動く者達は行動しやすい。
﹁ならどうすれば許可が?それはヨーゼフにも降りているの?﹂
﹁ん、この世界の秘密に自力で気付いて。この世界がどうやって生
まれたか、レーカならきっと気付く。それくらいじゃなきゃ、関わ
らないで﹂
ちらりとソフィーがヨーゼフを見やれば、彼は両手の平を上に肩
を竦めた。
﹁貴方は知っているのね、世界の秘密とやらを﹂
2010
﹁どうやら教えるわけにはいかないようだがな。そもそも、自力で
気付くとはどのような定義だ?私は部下に調査させた結果気付いた
ぞ、個人ではない﹂
﹁それは、えーと、知るかー!﹂
逆ギレである。
﹁適当よ適当、そんなのなんとなくでいいの!大体アンタなに、私
を呼び出すなんていい度胸ね!﹂
﹁申し訳ございません、セルフ・アーク様﹂
﹁ふんっ﹂
鼻を鳴らすも、セルフはヨーゼフを高く評価している。神の本名
を知っている者は多くはいない。
﹁ですが私なら、より完璧に世界の解放を成し遂げてみせましょう﹂
﹁ラスプーチンみたいな小物とは違うってわけ﹂
逆に、ラスプーチンの評価は低い。利用価値はあるものとして放
置していたものの、人間は殺すし世界の秘密にも気付かず自らの王
国を築くことに夢中であるし、まさしく論外であった。
﹁でも、こんな早い段階でのラスプーチンの脱落は予想外だったね。
貴方にとってもそうであったろうし、ガイルにとっても、私にすら﹂
2011
﹁まったくです。仮にも前時代、世界を裏から操った男を正面から
打ち破るとは﹂
唐突に発生したゼクストでの戦闘、その結末は誰にとっても予想
外だった。零夏は死亡こそ回避すると践んでいたものの、ラスプー
チンから逃走する以上は不可能と予測していたのである。
﹁貴方に期待する気にはなれないわ。本命ガイル、対抗レーカ。単
穴リデアで、ヨーゼフはせーぜー大穴﹂
﹁未だ秘密に達していない彼に大きな期待をしているのですな﹂
﹁マイブームなの﹂
﹁奇遇ですね、私もです。彼は何時だって予想を覆す﹂
くつくつと嫌らしく笑う二人を⋮⋮否、ヨーゼフをリデアは畏怖
の目で見た。
ソフィーはそんな彼女にちらりと視線を向ける。
﹁面白くないわ﹂
﹁む、なんのことかさっぱりじゃ﹂
リデアも世界の秘密とやらを知っている。ソフィーとしては、実
に面白くなかった。
﹁貴女は貴女で何を企んでいるの?﹂
﹁企むなど人聞きの悪い。わしはか弱い乙女なのでな、ガイルのよ
2012
うな化け物に対抗する力がない。慎重な行動は必須なのじゃ﹂
﹁本当に?﹂
虚言など許さない、ソフィーの目はそう言っていた。
思わず息を飲むリデア。目の前にいるのは常日頃の内向的な少女
ではなく、歴代帝国を統べてきた正当な王家の血筋の女王だった。
︵⋮⋮やはり、わしのようなお飾りとは違うということか︶
リデアは分家の血筋、真の王家が断絶したが故に玉座に収まった
に過ぎない。
そのことに思うところなどない、自身や父は王族として及第点だ
と自己評価している。だがそれでも、白き髪の一族にはどうも逆ら
い難いものを感じるのだ。
﹁どうだ、リデア姫?貴女は今本能で理解したはずだ、彼女こそ王
に相応しいと﹂
﹁⋮⋮うるさいわい。ソフィーや、レーカはわしを信じて一任して
くれると確約したぞ。いざという時はわしの指示に従うことを含め
てな﹂
ゼクストでの滞在中、レジスタンスのアジトにてその件は確認済
み。零夏も納得している話なのだ。
﹁私はレーカほど能天気でもお人好しでもないの。そんな約束をし
た覚えもないし、する気もない﹂
臆病者ほど案外他者に積極的なのかもしれない、リデアはそう思
2013
えた。
﹁この件は後じゃ。少なくとも、ヨーゼフに聞かせる話ではあるま
い?﹂
﹁逃げないでね﹂
﹁逃げ場などないわい﹂
﹁っていうか、さ﹂
セルフが口を挟んだ。
﹁なんだか話が脇道に逸れて爆走しているけど、そもそも何の集会
なの?﹂
視線が円卓会談主催のヨーゼフに集まる。
﹁世界解放に触れない案件となれば、あとは国家間のことについて
です﹂
﹁なにそれ、キョーミナイ﹂
セルフは躊躇いなくぶったぎった。
﹁私、先にあがりまーす﹂
足元に魔法陣が浮かび、大神殿の断絶結界を容易に突破しセルフ
は消える。侵入も同様の手口だったのだろう。
2014
﹁やれやれ、自由なお方だ。とはいえセルフ様は世界の全てを見渡
す能力がある、この場も引き続き傍聴しているのだろうな﹂
全てを見渡す能力を持ちつつセルフがハイエルフという目と耳を
必要とするのは矛盾に聞こえるが、そうではない。
セルフの意識は一つだけ。人間より広い感覚を持つも、全てを認
識・処理出来るわけではない。
いわばモニタールームに複数人で詰めるようなもの、より広く世
界を観察する為に多くの人員を必要としたのである。
﹁つまらん世間話は付き合わないぞ。帝国に何の用じゃ、休戦では
なく終戦する気になったのか?﹂
﹁終戦?その内再開するつもりなのだ、ここは休戦に留めておうで
はないか﹂
﹁っ、いけしゃあしゃあと⋮⋮﹂
流石に面食らうリデアだが、すぐに持ち直す。
﹁させると思うのか?こちらは既にカクダントウの量産を開始して
いる、神の宝杖など時代遅れの戦略兵器はもう通じんぞ﹂
ハッタリである。零夏は核弾頭の技術を帝国に提供していない。
零夏は結局、核技術を他者に渡さないことにした。知識を与えた
結果綺麗な原爆︵純粋核融合爆弾︶ではなく汚い原爆︵核分裂爆弾︶
が製造、使用されては堪ったものではない。
﹁ふむ。確かにあれは凄まじい。だが実を言えば、私はそもそも正
面切っての戦いは不得手でな﹂
2015
﹁何が実を言えば、じゃ﹂
ヨーゼフに代替わりしたことで図られた統一国家の態度の柔和化
は、必ずしも帝国の利とはならなかった。
狂気の思想を抱く解りやすすぎる悪役は、表向きただの侵略者と
なった。
その上大義名分は﹁大国同士を一つの姿に戻し、恒久的な平和を
実現する﹂という、10年前に大戦を経験したこの世界の住人にと
っては夢にも見た未来。
勿論、だからといって侵略されることを是とする者は帝国におい
ても極少数派だが、徹底抗戦を望む者達もまた帝国王に苛立ってい
る。
散々侵攻され、幾つも国境を破られ砦を奪われ、その上での休戦。
帝国からすれば奪われた物は多く、得たものは一切存在しない。だ
というのに、ハダカーノ王はダンマリである。
カクダントウと神の宝杖、戦略兵器を互いに向け合った冷戦下で
は迂闊な軍事行動は行えず慎重な行動を求められる。そんな帝国軍
は、一般人には弱腰にしか見えないのだ。
結果、帝国の世論は右も左も現国王ハダカーノを糾弾するように
なった。
王政国家といえど国民の支持なしに国は成り立ちはしない。帝国
内は徐々にきな臭くなり、遂にはハダカーノは玉座を退くべき、と
いう声まで出る始末であった。
何を隠そう、世間をそう誘導したのはヨーゼフなのである。
﹁故に、もう少し臆病にやらせてもらう﹂
武力による統一から搦め手による統一。これ程までの大きな方針
変更を行えたのは、ヨーゼフが権限を掌握してすぐにあることを行
2016
ったからだ
︱︱︱大粛清。ラスプーチン派の騎士団員を、殺して殺して殺し
尽くした。
ヨーゼフの意思力、目的意識は半端ではない。これなら狂人のほ
うがまだ御しやすいだろう、それはソフィーとリデアの共通認識で
ある。
﹁少し時期が開いたが、この件はやはりうやむやにすべきではない
と思ってな﹂
ヨーゼフが指を鳴らすと、一人のメイドがリデアに歩み寄り盆を
差し出す。
銀のお盆の上には封書。それを引ったくり開封するリデア。
開いた紙によって、ヨーゼフからは彼女の顔は判らない。ただ、
その紙を持つ手は震えていた。
﹁ご覧の通り、我々統一国家は帝国に抗議させて頂く。我が国に巣
くう﹃不穏分子﹄に助力した件、どう落とし前を付けるのだ?﹂
正義は人それぞれに存在する。そう言えばそれらしいものの、統
一国家、ヨーゼフは自身を正義などと思っているはずがない。彼の
立場からしてもレジスタンスを不穏分子呼ばわりするのは割と言い
掛かりだ。
だが、他国が地下組織をバックアップするのはあまりに非常識で
あった。それでも水面下で行うか統一国家に勝利するかならばとも
かく、結果は痛み分け、新型機の配備妨害に成功したのみ。
帝国からすれば、この介入は割に合わない行為であった。
こんな結末が解りきっているならば最初からやらない。ヨーゼフ
であればそう判断するし、この件は彼のリデアに対する評価を下げ
る一因にすらなっていた。
2017
外部からの情報工作とハダカーノ王の煮えたぎらない態度に混迷
する帝国。
ヨーゼフという優秀な指導者を得て力を増す統一国家。
帝国の落日は、誰の目から見ても明らかだった。
﹁く、くっ﹂
だからこそ、リデアが抗議文の下で壮絶に笑っていたのは彼にと
って予想外であった。
﹁抗議したな?出してしまったな?そちらから、統一国家から﹂
﹁何を?﹂
﹁ならば以下の内容を以て帝国の謝罪としよう﹂
あまりに早い返答。ヨーゼフは、自分の工作が誘導されたものだ
と察する。
リデアにとってはこの抗議、いやレジスタンスとの繋がりが露見
することまでもが全て計算内だったのだ。
そして、彼女の言葉はヨーゼフを更に驚愕させる。
﹁わしは、王女としての身分を返上する﹂
﹁なっ!王族の名を捨てるというのか⋮⋮!?それにどのような意
味が、まさかっ!﹂
ヨーゼフの中でバラバラだったピースが合わさり、その意図に気
付く。
2018
﹁そういうことか。レジスタンスを援助し、白鋼すら配下として従
わせる⋮⋮身分を捨てて巨悪と戦うことを選んだ姫君。民衆受けし
そうな偶像、いやアイドルだな﹂
﹁まぁ、歌姫なのでな。人気を集めるのは得意なのじゃ﹂
全ては世界全てを味方に抱き込む為の采配。巨悪に挑む可憐な姫
を、彼女は自らプロデュースしたのだ。
﹁だがそれだけでは足りない、支持は集まるが権力を引き換えに失
うこととなる。⋮⋮いや、それも違う﹂
ヨーゼフは、ハダカーノ王とリデアが親子だということを今更な
がら思い出した。
これが予定調和であれば、リデアはなにも失っていない。王と民
間運動家という両面にそれぞれを配置するだけであり、表向き決別
し裏で繋がりを保てばいいのだ。
﹁とんだ娘を持ったな、ハダカーノ王は。帝国政府へのバッシング
を全て父親に受け持たせる気か﹂
﹁なにを言っておるのじゃ?わしはただのリデア、父親などおらん。
だが我が名を呼びたいのならば、こう呼ぶとよい﹂
してやったり、とこの場の勝利を確信した者特有の自信をたぎら
せ、リデアはヨーゼフに名乗りを上げる。
﹁︱︱︱革命家リデア、と!﹂
2019
出家することで責任回避と行動範囲の向上を同時に成し遂げたリ
デア。国家に所属していてはしがらみに捕らわれ行いにくいことで
あっても、個人だと言い張れば言い逃れが出来る。そしてその為の
拠点と兵力︵零夏達︶すら手にしている彼女は、ヨーゼフにとって
間違いなく厄介であった。
﹁⋮⋮判らない﹂
ヨーゼフは唸る。
﹁貴女の目的はどこにあるのだ、リデア姫﹂
﹁もう姫ではないと言っておろう﹂
目的を問われ、数瞬逡巡したリデアは答える。
﹁国を守ること、そしてそれ以上に︱︱︱この世界のくだらない延
命を終えること、かの﹂
﹁なるほど﹂
﹁もっとも、わしは理想的な形であろうとなかろうと大差ないがの。
例え最悪の結末であろうと、世界の解放を成し遂げる。この生きて
いるのだか死んでいるのだかはっきりしないぬるま湯は健全とは言
えぬ﹂
2020
﹁世の中、健全なだけでは動かなかろう﹂
﹁ならば言い換えるか?今の状態は﹃気色悪い﹄と﹂
あまりに自分本意な感想に苦笑しつつも、同じ感情を抱いてもい
たヨーゼフは頷く。
﹁狙いは結局、ガイルということか。だが術式は我々の物だ、君の
やり方では﹃足りない﹄﹂
ヨーゼフの目的は、自身とはまた異なる。リデアはそれを察した。
﹁ならば、その時が来るまで当面の目的ははっきりしておる﹂
じっと見つめ合う両名は、同時に口にした。
﹃︱︱︱戦争だ﹄
喧嘩別れの形でお開きの流れとなった円卓会談、立ち去ろうとし
たソフィーにヨーゼフは最後の用件を伝えた。
﹁ああそうだ、忘れていた。姫にならないかね、ソフィー嬢﹂
﹁⋮⋮駄目元で誘うにしてもお粗末じゃないかしら?﹂
2021
﹁しらばっくれる必要はないぞ、聡明な君なら気付いているだろう。
自身の運命に﹂
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
﹁二つ国があればいつかは争う、大国となれば大戦となる。当然の
ことだ﹂
﹁関係、ない。私は︱︱︱﹂
﹁君は必ず、いつか姫となる。そういう星の下に生まれたのだ﹂
言いたいことを言い満足げなヨーゼフに対し、ソフィーの顔色は
優れない。
彼女がいつの頃からか気付いてしまった、それをヨーゼフは看破
してしまったのだ。
それはソフィーにとって不愉快なものであった。彼女の望みは家
族と共にあることだけ、それは望みとは反するもの。
だが、その望みを託したのも︱︱︱
﹁⋮⋮リデア﹂
﹁ん?﹂
帰りの船内。頬杖をつくソフィーは窓の外を眺めるままにリデア
に問う。
﹁つまりは、私達になにをさせたいのよ﹂
2022
﹁︱︱︱強くなれ。ガイルを倒さねば、何も始まらん﹂
﹁嫌な人ね﹂
零夏に対する﹁嫌な人ね﹂はあまり意地悪しないで、といじらし
い甘えたニュアンスを含むが、リデアに対する﹁嫌な人ね﹂は文面
通りのマジである。
ズィーベンに入港し、アルーネのエスコートを受け地面に降り立
つ。
﹁我々の任務はここまでです。ご要望とあらば宿までお送りします
が、如何しますか?﹂
﹁いらないわ、ここまで来れば危険は少ないし﹂
﹁では、失礼します﹂
アルーネが一礼すると、エイノも戦闘機のコックピットから降り
る。
﹁報酬は後で教国から振り込まれる手筈よね、せっかくだし温泉に
行きましょうお兄様﹂
﹁そうだね、今日はもう休もうか﹂
5人は同じ方向へ歩く。
﹁⋮⋮護衛はいらない、と言ったはずよ?﹂
﹁いえ、私達兄妹のとった宿もこちらなので﹂
2023
同じ宿であった。若干脱力する面々。
そこに、人々の間を駆け抜ける少女が現れた。
﹁あーっ、遅刻遅刻ーっ!﹂
何を急いでいるのだろうか、と彼らは少し気になったものの、そ
のまま足を進め︱︱︱
﹁急がないと、円卓会談に遅れちゃうのダワー!﹂
︱︱︱揃って、ずっこけた。
﹁どうしてこうなったのじゃ﹂
﹁私に訊かないで﹂
ぐったりとしたソフィーとリデア、彼女らは現在茶屋にいる。
慌ててドレスから私服に着替えて走ってきたというのに、待ち合
わせしていたはずの少女は不在。脱力するというものである。
円卓会談に遅刻すると慌てていた少女。そもそも遅刻どころか無
断欠席完遂済なのだが、それはいいとして。
﹁貴女、何者?﹂
2024
警戒しつつ誰何するソフィーに、少女はこう返す。
﹁お姉ちゃん、お腹すいた!﹂
﹁えっ﹂
予想外であった。
﹁お主まさか⋮⋮﹂
﹁リデア、お腹すいた!﹂
﹁えっ﹂
いきなり呼び捨てであった。
﹁⋮⋮場所を移して話さないかしら?﹂
﹁お腹すいた!ぜんざい食べたい!﹂
﹁⋮⋮そこの茶屋で待ってなさい、私達は着替えてくるから﹂
要約だが、だいたいこんな展開である。
しかも時間がなく、護衛を用意出来ていない。ユーティライネン
兄妹にその場で依頼したものの、白兵戦能力に乏しいことを理由に
断られた。
護衛なしでのぶっつけ会食など、完全に下策。
彼女達にとって、実に敗北感溢れる相手のペースに流されるがま
まの交渉であった。
2025
﹁で、肝心のあの子がいないし﹂
先に茶屋に向かったはずなのに、どこにも少女の姿はない。
﹁そういえば、マリアはどうしたのじゃ?﹂
﹁宿に置いてきたわよ﹂
戦闘能力のないメイドを連れてきても危険が増すだけと判断、宿
で解散したのだ。
それに難色を示すマリアではない。自分が戦力外だとは理解して
いる。
二人が茶屋に向かうこと自体は盛大に反対したが。せめてレーカ
を見付けてから、と進言するもいないものはいないのだ。
﹁時間がなかったとはいえ、戦力がリデアだけなんて﹂
﹁あの小娘、無邪気なようでペースを掴むタイプじゃ。さすがに厄
介じゃぞ﹂
﹁今って監視の目は?﹂
﹁⋮⋮ないのう﹂
解析魔法なしでも、リデアならば周囲空間に潜む密偵のチェック
は出来る。中級魔法だ。
﹁なら今のうちにお話しましょう。貴女の企みについて﹂
2026
﹃貴女は貴女で何を企んでいるの?﹄というソフィーの質問に、リ
デアは﹃ガイルのような化け物に対抗する力がない。慎重な行動は
必須なのじゃ﹄と茶を濁す返答をした。
ソフィーはそんな取って付けた理由では納得出来ない。せめて、
言わないなら言わない理由を教えてほしいのだ。
﹁む、いや⋮⋮やはり、明かす気にはなれんな﹂
﹁何故?﹂
﹁⋮⋮最初はレーカのことを信用出来なかったから、じゃ﹂
躊躇いつつも、はっきりと告白する。
それはソフィーにも覚えがあった。帝国の城で初めて会った頃、
リデアはレーカに強い警戒心を抱いていたのだ。
しかしそれも、時間の経過と共に緩和されていった。ソフィーの
見ていた限り、零夏とリデアはそれなりに良好な友人関係だ。
零夏の裏を持てない性格にほだされた、ともいう。
﹁最近は、レーカが恐ろしくなった﹂
﹁恐ろしく⋮⋮?﹂
ソフィーには、零夏のことが恐ろしい、という感覚が解らない。
彼は彼女にとって絶対的な味方であり、それが覆ることはありえな
い。
仮に零夏が統一国家に与することを選択するなら、ソフィーもそ
れに倣う。軽く依存に達した信頼関係なのだ。
2027
﹁この会談に連れてこなかった理由と同じじゃよ、あの男はなにを
しでかすか判らん﹂
﹁あー﹂
それでも、つい共感してしまうソフィーである。
﹁それをはっきりと理解したのが、あのカクダントウという兵器じ
ゃ。必要じゃった、実に都合が良かった。じゃがなんだあの威力は、
まともに着弾すれば首都が滅ぶだと?馬鹿げているッ!﹂
戦略兵器、魔法なら神術級の威力を持つ攻撃など人間が容易く生
み出せる物ではない。だからこそ神の宝杖は古より世界を左右した
兵器であったのだし、勿論多くの学者がそれを再現しようとして失
敗してきたのだ。
それを、たった一冬。地球の知識があったとはいえ、零夏は極短
期間で世界の常識を超越してしまったのだ。
﹁勘弁してくれ。わしだって恐ろしいのじゃ。この命は一つしかな
い、それをチップにして笑っていられるほどわしは強くはない﹂
だからこそ、リデアにとってヨーゼフは脅威であり恐怖だった。
その危うさを知りつつも零夏の存在を面白がることの出来る彼を。
﹁レーカはたぶん、わしにとっての希望じゃ。じゃがわしはそこま
でレーカを信じることが出来ん。レーカが世界の秘密を知って何を
思い何をするのか、その変化が恐ろしいのじゃ﹂
それが、リデアの偽らざる本音だった。
ソフィーも一応の納得を示す。
2028
﹁理解はしたわ。でも、黙っていたせいで知らない間に世界の解放
とやらが終わっちゃうような事態は勘弁してね﹂
﹁解っているさ。なに、レーカは遅かれ早かれ気付く。明日かもし
れんし、十年後かもしれんがな﹂
もっとも、リデアは世界があと10年も保てないと予想している
が。
﹁それに、仮にそうだったとしても。レーカがわしの希望であった
としても、﹃どうやって﹄という疑問が残る﹂
﹁どういう意味?﹂
﹁⋮⋮駄目元で訊いておくが、お主の母が残した魔法を知らんか?﹂
﹁魔法って?﹂
キョトンとした顔に、やはりかと落胆するリデア。
﹁この世界のどこかに、アナスタシアが残した巨大な魔法陣がある
はずなのじゃ。わしはそれを探している﹂
﹁⋮⋮ごめんなさい、心当たりはないわ﹂
﹁そうじゃろうな、判っておる。この件は忘れよう。ずっと探して
いるのに見つからないのだ、よほど巧妙に隠されているに違いない﹂
話を切り上げ、リデアは立ち上がる。
2029
﹁リデア?﹂
ソフィーが不思議そうに名を呼べば、彼女は真摯な眼差しで一言。
﹁︱︱︱トイレ行ってくる﹂
﹁⋮⋮お花を摘みに、って言いなさい。そんなのだからオッサンく
さいって言われるのよ﹂
﹁落ち着いたらなんだか尿意がのう、って、そんな無礼なことを言
うのはレーカくらいじゃ﹂
﹁私も行くわ﹂
連れションは世界を越えた女子の文化である。
たまたま廊下に近かったソフィーが襖を引く。
零夏がキョウコの頬にキスしていた。
﹁えっ⋮⋮﹂
ソフィーの呟きに、零夏が気付き目が合う。
﹁えー﹂
﹁えー﹂
﹁えー﹂
とりあえず混乱し逃走を図ったソフィーだが、瞬発力で零夏に敵
2030
うはずもなくあっという間に捕まった。
本来は謎の少女︱︱︱ファルネに探りを入れるために用意された
場であったが、ソフィーと零夏が修羅場になってしまったが為にリ
デアだけで挑むこととなった。
実を言えば、リデアはファルネの正体を知っている。
﹁ファルネ・マグダネル︱︱︱相も変わらずミーハーだの、面白そ
うなイベントに食い付いたか?﹂
﹁久しぶりだわネ、リデア。元気だっタ?﹂
痴話喧嘩をする二人を尻目に、彼女達は睨み合う。
﹁文通はまだ続けているの?頑張るねーホント﹂
﹁そろそろやめにしたいのだがな。お主からガイルに伝えてくれん
か?﹃いい加減にしろ﹄っての﹂
﹁ムリムリ、あれはもう狂っているノ。人の話なんて聞かないカシ
ラ﹂
笑って手を横に振るファルネ。
﹁で?統一国家の新総統が開催した円卓会談、何を話したの?って
かあんな男いたんダネ﹂
2031
﹁自分で確認しろ、遅刻したのはお主の自己責任じゃ。むざむざ敵
対組織の人間に情報を与えるものか﹂
﹁そもそも、私達に招待状送り付けられるって時点でドウナッテン
ノ?自力でカリバーン見付けたってこと?﹂
﹁知るか﹂
有能な男が紅蓮のような巨大組織を得ればどうなるか、その一例
だとリデアは考える。なまじガイルのように予備知識がないからこ
そ、次の行動が予想出来ず厄介なのだ。
﹁ま、それで私を寄越すあたり、ガイルもやる気ないっぽいケドネ
ー﹂
﹁やれやれ、なんでわしの代でこんなことに﹂
﹁貴女は甘いんじゃないカシラ?﹂
ふと、ファルネの目に軽蔑の色が混ざった。
﹁一国の姫程度の影響力では世界は変わらない、迫るこの世の終わ
りに大して有効な対処法もない。そもそもあなたはひたすら情報を
収集するだけ。やる気ないんじゃない?﹂
﹁わしは人間やめる気はないのじゃ。人として世界を変えてみせる﹂
﹁どんな顔をしているのかしらね?世界の最期の瞬間に、貴女は﹂
つい、とファルネはリデアに迫る。
2032
﹁恐いんでしょう、孤独が。だから次の代に丸投げする。無責任じ
ゃナイ?﹂
﹁生憎、わしは孤独ではない。どこぞの餓鬼とは違ってな﹂
リデアの切り返しは、ファルネに間違いなく苛立ちを覚えさせた。
﹁元よりお主らのやり方は破綻しておる。諦めろ、いい加減﹂
﹁私に言わないでチョウダイ。なんなら取り次ぎするワ、ガイルを
説得する自信アル?﹂
﹁⋮⋮ない、の﹂
そもそも今まで、言葉での説得を試みたことが皆無ないわけでは
ないのだ。その結果が現状である。
﹁私もいい加減、変化を望んでいるのよネ。イレギュラーは興味深
イワ﹂
﹁⋮⋮ふん、いいじゃろう。監視したければするがよい﹂
投げやりな返事だが、零夏に興味を持っているという点では共通
認識であった。少なくとも現状この二人が敵対する必要はない。
ふと見れば、零夏がファルネを見ていた。
警戒されていると察したファルネは、とりあえず自身がここにい
る理由をはっきりとさせておく。
﹁悪の組織にだって休日はあるワ﹂
2033
会談をすっぽかした以上、これ以上はあくまで余暇。温泉に入り
たいだけだ。
﹁悪の組織?﹂
首を傾げるソフィー。
﹁悪の組織に休日とか労災保証ってあるの?﹂
ずれたソフィーの言葉に、リデアは思わず脱力した。
﹁のう、レーカよ﹂
﹁ん?﹂
夕食を終え温泉へ向かう一同。和気藹々と進む女性陣から離れて、
リデアは零夏に話し掛ける。
﹁⋮⋮統一国家も、実のところは感付いておる。帝国にカクダント
ウとやらがないことをな﹂
リデアはじっと零夏を見る。
2034
﹁なあ、本当にあの核という兵器の技術を我々に渡す気はないのか
?正直言って、たった一人が技術を独占しているというのもまった
くもって健全とは言い難い状況じゃぞ﹂
﹁駄目だ。絶対だ﹂
この世界にはアインシュタイン博士はおらず、質量をエネルギー
に変換する公式もない。
いつかは気付くかもしれない。だがしかし、現状この世界の人々
が自力で核技術に行き着く様子はない。
衝撃波特化型核弾頭はただの強力な爆弾だが、ウランから手軽に
核爆弾を作ろうと思えばそれだけではすまない。それをリデアは知
らない。
故に、到底技術提供する気にはなれなかった。
﹁互いに一撃必殺を持っているのに、それでも戦おうとする勢力が
いるのはやっぱり⋮⋮実体験として知らないからなんだろうな﹂
神の宝杖は古来より存在を隠され、核弾頭も公にはされていない。
この世界の住人は知らない。この世には世界を殺す猛毒の塗られ
たナイフが存在することを。
リデアは溜め息を吐く。
﹁胃が痛いのー、せっかくの温泉なのに﹂
﹁すまない﹂
﹁いや、いい。温泉に入ればマシになるじゃろ。⋮⋮効能とかはあ
るのかのう?﹂
2035
離れていったリデアに、申し訳なさを覚える零夏であった。
﹁せめて美しい女性を見て目の保養でもするか﹂
他の少女逹にひけをとらない幼い容姿のマキさんだが、人妻はや
はり一味違うと頷く零夏。
﹁うむ、これはいいものだ﹂
﹁何をさっきから頷いているんだね、君は﹂
カポーン。
﹁そういえば、レーカに報告しとらんかったのー﹂
﹁そうねー﹂
﹁まー、明日でもいいかのー﹂
﹁そうねー﹂
間延びした声で会話しているのは、女湯に浸かり絶妙な湯加減に
蕩けているソフィーとリデアである。
まさかまさかの展開。零夏とファルネが馴れ合い出してしまい、
彼女達は色々とどうでもよくなってしまった。
どうせファルネはガイルの現在位置について口を割らず、リデア
2036
もソフィーに教える気はない。それに彼女も納得している以上は、
この話は終いである。
面倒事は全て過去、後は日頃の疲れを癒すだけ。
そもそも移動生活から船旅生活に変化したことで、旅は随分と楽
になっているのだが。
﹁疲れたー﹂
﹁じゃのー﹂
度重なるイベントに、垂れぎみの二人であった。
﹁温泉のせいじゃー。温泉のせいでやる気が出んのじゃー﹂
﹁そうね、温泉が悪いのよー﹂
ぱしっ、ぱしっ、と水面を叩くソフィー。眠たげな彼女達は少し
沈んでいる。
﹁溺れるわよ。蕩けるのはいいけれど、温泉に溶け出す勢いだわ﹂
呆れるマリアが忠告するも、声が届いている様子はない。
﹁解毒されていきますねぇ﹂
しみじみと訳の判らない台詞を口にするキョウコ。温泉、ないし
硫黄には解毒効果があるという説があるものの迷信の域は脱してい
ない。毒に侵された場合は素直に解毒剤を飲もう。
﹁見てください、お肌もつるつるです﹂
2037
﹁気のせいよ﹂
キョウコの喜びをぶった切るマリア。
﹁そう簡単に体質に影響があるわけないじゃない﹂
﹁それはそうなのですが、ほら、プラシーボ効果って言葉もありま
すし﹂
プラシーボ効果とは一言で説明すれば、思い込みによる治癒効果
のことだ。案外馬鹿に出来ないほどの効力を秘めており、人間の体
が如何にいい加減かを表している。
﹁そもそも貴女は歳をとらないじゃない。400年前からツルツル
だったんでしょ﹂
﹁ちょ、触らないでっ﹂
同性とはいえ体をぺたぺたを触らては堪ったものではない。広く
もない浴槽を二人は追いかけっこする。
﹁やっぱり貴女、余裕綽々じゃない!﹂
﹁何の話ですか!?﹂
﹁私やソフィーが歳をとっても、貴女だけはレーカを誘惑するチャ
ンスが何十年もあるわ!ずるい!﹂
﹁十代前半から焦ることではないでしょう!﹂
2038
キザ男とは違い四肢に石鹸コーティングをしていなかったマリア
は、あっさりキョウコに手首を掴まれ押さえ付けられる。
﹁くっ、マリアの肌だって艶々ではないですか。若いって素晴らし
い﹂
手の平に感じる、水を弾く決め細やかな肌。キョウコとて劣って
いるわけではないが、生命力が違うように彼女には思えた。
﹁⋮⋮気に食わないのよ。その﹃私には幾らでも時間がある﹄って
余裕は﹂
﹁だったら私だって気に食わないことがあります。私の前でレーカ
といちゃいちゃしないで下さい﹂
﹁キョウコだって、平気でレーカに甘えているじゃない﹂
﹁それでも、私は﹃恋人﹄ではありません﹂
キョウコは目の前の自分より豊満な肉体を恨ましげに睨む。
﹁15歳、産まれてたった15歳でこれ、ううっ⋮⋮﹂
﹁な、なんで泣くのよ!?話、露骨に替わったわよ!?﹂
キョウコとしては子供の駄々に付き合っていただけ。むしろ、眼
前に晒された肉体があまりに目に毒だった。
﹁成長の可能性がある人間はだまらっしゃい!﹂
2039
惨めな嫉妬である。ハイエルフのキョウコに、これ以上の変化は
望めない。
﹁レーカさんはかつて仰いました。﹃大きな胸には夢が詰まってい
る。小さな胸には未来への希望と明日が詰まっている﹄と﹂
この発言の場にはマリアもいたが、くだらな過ぎて覚えていなか
った。
ですが、とキョウコは自分の胸に触れる。
﹁未来なんて詰まってねーよ、ちくしょー﹂
やさぐれキョウコであった。
ポロポロと溢れる涙。零夏に見せた脆く儚い涙ではなく、バカ丸
出しの悔し涙だ。
﹁老いることも変化なのですよ、羨ましい!私は、このまま死ぬん
です!どうですか、それでも羨ましいですかっ﹂
支離滅裂なキョウコの主張、だがマリアは彼女が不憫だと感じて
しまった。
キョウコにとっては、誰かと共に老いることは権利なのだ。どう
足掻いても手に入らない、得難い夢。
﹁⋮⋮悪かったわよ﹂
﹁いえ、こちらこそ﹂
﹁ちょっと、暴れないでよね。貸し切りではないのよ﹂
2040
エイノがやってきて、マリアとキョウコは頭を下げた。
﹁あら、さっきのメイドじゃない。それにお姫様達も、案外無防備
なのね﹂
﹁意外と警戒しているみたいよ、これで﹂
気の抜けきった様子で半分沈んでいるソフィーとリデアは、とて
も周囲に気を払っているようには見えない。
エイノは祈るように両手の指を組み、握ることで水を飛ばしリデ
アに放った。
着弾直前、空中で弾かれる水鉄砲。
﹁常時展開障壁魔法?魔導姫といえど、24時間使い続けるのは無
理なはず﹂
﹁常時展開しているのは探知魔法だけじゃ、感知してからピンポイ
ントで展開しているに過ぎん⋮⋮ぶはっ、ちょっとお湯飲んでしも
うたわっ﹂
いよいよ本格的に水没していたリデアは、ほぼ寝言で返事をして
結果噎せた。
﹁詳しいのね、私達に﹂
﹁天士だもの、情報収集は基本。それに航空事務所ホワイトスティ
ールは有名よ﹂
統一国家に真っ向から喧嘩を売る天士集団。そしてそれを成し得
2041
るだけの実力。高性能な機体と銀翼の天士を幾人も抱え、奇妙な高
性能戦艦を駈り世界中を縦横無尽に巡る。それが零夏達の一般人に
よる見解だ。
やろうと思えば統一国家をいつでも殲滅出来るのでは、とすら噂
されている。だからこそ統一国家も容易に手出し出来ないのでは、
と。
案外間違っていない。犠牲を考慮せず短期決戦に持ち込めば、事
実彼らは一つの国を滅ぼせる。
﹁もっとも、あっちの子は知らないけどね﹂
エイノがちらりと見やる先には、会話に混ざろうかどうかとチラ
チラ窺う少女がいた。
﹁⋮⋮お、おっす、カシラ﹂
ファルネである。ソフィーと話す機会を窺い、温泉にて待機して
いたのだ。
だがそのソフィーは完全にOFFモード。なんとも話しかけにく
かった。
そのソフィーもまた、ファルネの視線に気付く。
﹁なーに?﹂
﹁え、えーと、初めまして?﹂
﹁⋮⋮いまさら?﹂
小首を傾げるソフィー。
2042
﹁こんな時じゃないと、ゆっくり話す機会はないと思うノ﹂
敵対組織である以上は簡単には会えない。故に、ファルネは一同
に接触したのだ。
﹁何を話すの?﹂
それなりに話術の心得もあるソフィーだが、面倒くさいので流れ
はファルネに丸投げ。思考回路はお豆腐状態である。
の意である。正しくはエトセトラと読む。
﹁色々あるジャナイ、好きなもの、嫌いなもの、えとくえとく⋮⋮﹂
etc.
﹁会得?﹂
,
﹁さあドウゾッ!﹂
﹁好きなものはヒミツ。嫌いなものはムカデ。以上﹂
適当だった。
﹁お姉ちゃんつれない!じゃあ、じゃあ、シリトリ!﹂
﹁燐﹂
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
原子番号15番。原子記号はP。何気に人体の中で二番目に多い
元素である。
2043
﹁私、そろそろ上が⋮⋮﹂
﹁じゃじゃじゃーん、次の質問、どーン!﹂
ソフィーは逃げ出した。しかし回り込まれてしまった。
﹁えーと、えーと、昔のガイルってどんなの?﹂
これが本命だったのだな、とソフィーのノンレム睡眠に片足突っ
込んだ頭でも理解した。
﹁お父さん⋮⋮どんな人だったかな﹂
﹁覚えてないノ?﹂
﹁覚えているわ。はっきりと﹂
ソフィーはファルネに向き直る。
﹁私がどんな人か、訊かれて答えられる?﹂
﹁好きなものはお兄ちゃん、嫌いなものはムカデな女のコ﹂
好き嫌いが若干補完修正されていた。あながち質問された際に思
い浮かんだ回答と差がなかった為、ソフィーはスルーを選ぶ。
﹁よく見知っている人でも、よく知っている人だからこそ、お父さ
んやお母さんをこんな性格だと区分しカテゴライズしたことはない
わ﹂
2044
﹁⋮⋮ソッカー。でもね、それじゃ解らないから実演してみせてヨ﹂
﹁実演?﹂
ファルネは両手を挙げて受け入れ体勢に。
﹁私をい、い、妹として扱ってミテ!﹂
﹁よーしよーし、あっちで遊んでなさーい﹂
﹁確かに妹をあしらう姉っぽいケド!そうじゃなくて!﹂
お姉ちゃんお兄ちゃんに似てきたのネ!と喚くファルネ。
二人の頭上より大量のお湯が降ってきた。
﹁焦れったいわね!なにがしたいのよ!﹂
エイノが桶でお湯をぶちまけたのだ。
﹁そこのちびっこ、言いたいことははっきり主張する!お姫様、貴
女も適当にあしらわない!﹂
それだけ叫び、満足げに定位置に戻るエイノ。
ポカーンと目を見開き放心するソフィーとファルネ。
﹁う、うるさいカシラ、私だって色々曖昧な立場で世知辛いノヨー
!﹂
﹁⋮⋮はぁ﹂
2045
溜め息を一つ。おおよそエイノの要望を把握したソフィーは提案
する。
﹁船に部屋を持ってみる?﹂
﹁エッ?﹂
﹁裏切れなんて簡単には言えないけれど、それくらいなら﹂
スピリットオブアナスタシア号には空部屋など幾らでもある。敵
の一人を住まわせるなど事情が拗れるばかりだが、現状でも充分拗
れているのでガイル陣営へのアクセスが確保出来るという利点の方
が大きいと判断した。
﹁レーカは私が納得させておくわ﹂
説得ではなく納得なのは、どんな条件であっても説得出来る自信
があるからだ。
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
﹁ファルネ、さん?﹂
﹁⋮⋮お姉ちゃん、大好きー!﹂
﹁ふぎゅっ﹂
ソフィーに飛び掛かるファルネ、二人は盛大な水柱を上げ水中に
沈む。
2046
﹁騒がしいわねぇ﹂
﹁こんなソフィーさんは珍しいです﹂
﹁あー、流されるのじゃー﹂
﹁近所迷惑だわ﹂
迷惑そうに、どこか微笑ましげに目を細める仲間達。
なんてことはない、零夏には否定しつつもファルネはソフィーと
の繋がりが欲しかっただけである。
顔を真っ赤に茹で上げた零夏とアルーネが男湯から出てきたのは、
女性陣より随分と後だった。
エイノが兄に突撃したり、零夏が自分こそ世界一の美少女だと主
張したり、突然のピンポン対決が幕を開けたりなど若干の騒ぎがあ
ったものの旅行一日目は終わる。
そして翌日、昼食後に事件は起こった。
キョウコの失踪である。
2047
﹁どういうことじゃ、レーカ、心当たりはないか?﹂
﹁⋮⋮さてな﹂
仲間達が集まったアナスタシア号のブリッジ。なぜかユーティラ
イネン兄妹もいる。
零夏は昨日のキョウコについて明言を避けた。プライベートな部
分が多く、口にするのが躊躇われたのだ。
ことの始まりは零夏の﹁キョウコを避けていた﹂という言葉。唐
突に泣き出したキョウコをレーカはなんとか宥めすかし、事なきを
得たように見えた。
キョウコを特別扱いせず、対等な部下として扱うという誓い。そ
して、キョウコを手放さないという決意。
しかしそれで終わりではないことは、零夏も感付いていた。キョ
ウコとの夜中の会話である。
彼女は酒の力を借りてか、こう訊いていた。
﹁二度と会えなくなるのは寂しいか﹂、と。
﹁当然だ。逃がさないぞ、キョウコ﹂
大きく腕を横に回し、一同に命じる。
﹁まだ数時間、蛇剣姫の巡航速度ではさほど距離は開いていない!
航空機戦力は全機出撃、適齢期から遅れに遅れた反抗期娘を確保す
る!﹂
﹁地上船に乗っていたらどうするのだ?あれは時速数百キロで他の
町へ走るぞ﹂
2048
線路を走る航空機と呼ぶべき地上船は、人型機の最速輸送手段だ。
利用されていては追い付くのは難しい。
﹁俺達だけでは、な﹂
﹁人手を借りるのか、誰に?﹂
﹁教国にだ。聞いた話、ハイエルフは聖女扱いなんだろ?聖騎士に
でも囁いてこい、﹃友達の聖女様がいないんです﹄って﹂
﹁それは、まあ捜索隊を組むだろうが⋮⋮わしが行くのか?﹂
割と民衆に顔の知られているリデアにはこの役割はやりにくい。
そう主張すると、零夏は彼女の肩に手を置き真っ直ぐに見つめ返し
た。
﹁俺はお前を信じている⋮⋮口ばかりが上手い、お前の三枚舌をな﹂
リデアは零夏の頭を思いきり叩いた。
﹃こちらB52地区、森林部につき地上を視認出来ません。焼き払
う許可を﹄
2049
﹃アホか!下に聖女様がいたらどうする、降下部隊を派遣する!﹄
﹃こちらAC130地区、岩場で死角が多く捜索は困難。105ミ
リ砲の使用を進言する﹄
﹃お前、左に回ってスタンバイしているだろ!やめろ、捜索で攻撃
は一切禁じる!﹄
大事となってしまった事態に、どうやって収めようかと戦々恐々
としつつも白鋼は飛行する。
クリスタル共振通信に周波数などない。よって会話は多いに入り
乱れている。
その喧騒の大きさから、どれだけの戦闘機が捜索に参加している
のかが窺えた。
﹁捜索費用、請求されたりしないかしら?﹂
﹁考えるな﹂
教国周囲の人海戦術的捜索だけではなく、戦闘機にて音速を越え
ての地上船に対する先回りも平行して行われている。騒動は周囲の
町にまで広がっているのだ。
﹁これだけの大規模捜索、見つからないはずは︱︱︱﹂
﹃いたぞっ!こちらA10地区、蛇剣姫と⋮⋮なんだ、浮遊する人
型機を発見!﹄
浮遊する人型機。その珍しい報告に、零夏も耳を傾ける。
2050
﹃あれは、羽の生えた人型機︱︱︱うわぁ!?﹄
クリアだった音声が雑音に変わる。天士生活で聞き慣れてしまっ
た、発信源が破壊された音だ。
﹁っ、急ぐぞソフィー!﹂
﹁ん﹂
頷きスロットルを踏み込むソフィー。白鋼は猛然と加速した。
教国の麓に広がる大森林。捜索を困難にしていた広大な土地を覆
う緑の合間に、静かに歩く人型機が一体存在した。
油圧アシストが存在しないが故の、静かな駆動音。流れるような
動きで地面を伝う根を飛び越えるのは、まさしく蛇剣姫である。
﹁これでいいのです、どうせ叶わぬ思いなら忘れた方がいい﹂
一人、思い詰めた瞳で操縦幹を握るキョウコ。言葉とは裏腹に迷
っているのは明白だった。
﹁ホントにいいの?﹂
振り返れば、そこにセルフがいた。
2051
いつ乗り込んだか、など意味のないことなど訊かない。ハイエル
フのキョウコは四六時中セルファークに監視されているようなもの
なのだ。プライベートを求める方が間違っている。
だが、それでも。
﹁セルフ、私を解放してください﹂
言わずにはいられなかった。
﹁今更私一人失ったところで、影響は少ないでしょう。私は、彼と
生きたい﹂
厄介な相手であれど、気心の知れた相手だからこその本心の吐露。
﹁無理だよ﹂
即答であった。
﹁いじわるじゃない、って解っているよね?ハイエルフという種族
は神と半分溶け合った生物、簡単に鋏で切り離せるものじゃないっ
て﹂
﹁⋮⋮はい﹂
理解している、だからこそキョウコは零夏の元を去ったのだ。
﹁ごめんね﹂
﹁なんですか、急に気持ち悪い﹂
2052
セルファークはキョウコの頭を撫でる。
﹁気持ち悪いとは失礼な、私にだって親心みたいなものはあるよ﹂
﹁そんなこと、言わないで下さい。怨みにくくなってしまいます﹂
﹁うん、でもいいよ。怨みでもなんでも、私を認識してくれるなら﹂
セルフがハイエルフを作った理由。世界の監視の手が足りないの
も問題だったが、なにより彼女が孤独だったのだ。
彼女の﹃父﹄が眠りについて幾星霜。ずっと孤独であったセルフ
ァークが他者を求めたのは、ある意味当然の流れであった。
故にセルフにとってキョウコは娘。反抗期もあろうというもので
ある。
﹁ごめんね、私の運命に付き合わせて﹂
﹁︱︱︱すいません、半端者で﹂
俯くキョウコ。
しかし、彼女の自責に反応したのはセルフではなかった。
﹃そうヨネ、それはちょっと無責任なんじゃナイ?﹄
視線を上げれば、目の前には巨体の人型機。
背中には折り重なった羽。下半身は鋼鉄のスカートで覆われた、
見るからに重量級の人型機だ。
﹃お兄ちゃんは貴女を欲しているノ、いいから船に戻って股開きな
サイ﹄
2053
幼い声に不釣り合いな下品な言葉。その声に、キョウコは聞き覚
えがある。
﹁そこを退きなさい、ファルネ。幼い貴女に止められるほど、銀翼
の名は軽くはない﹂
﹃キャハハ、︱︱︱勘違いもここまで来ると不愉快ネ﹄
上昇するファルネの愛機、堕天使。
﹃私を、銀翼程度がどうにか出来るとは思わないコトよ﹄
白鋼が到着した時、そこは惨劇が広がっていた。
否、惨劇は正しくない。なにせそこに死者は一人もいないのだか
ら。
存在するのは多くの戦闘機、人型機の骸。
完全な形を保っているのは、白鋼と堕天使のみだ。
﹁ファルネ、か?﹂
﹃はいはーい、お兄ちゃん!キョウコを捕まえておいたヨー!﹄
空中に静止する人型機。白鋼も人型に変形し空中浮遊する。
2054
点在するスクラップのコックピットを解析すれば、天士達が気絶
しているのが零夏にも判る。
﹁全員、生命反応はある、が⋮⋮派手に暴れたな﹂
﹃ふふん、私の堕天使は最強カシラ!﹄
それなりの距離を置いて対峙する両者。零夏はあまり近付く気に
はなれなかった。
草木は焼き払われ、大樹は抉れ、多くの残骸︱︱︱ファルネが撃
墜したのであろう機体が散乱しているのだから当然だ。
﹃私をキョウコを害する賊と勘違いして襲ってきたの。正当防衛だ
からネ、これ﹄
﹁勘違いもなにもあるか、実際キョウコをぼこぼこにしているだろ﹂
堕天使の真下には中破した蛇剣姫。誰が見たってファルネの仕業
であり、それは事実だ。
そしてそれを成した張本人はといえば。
﹁浮遊装置なしで浮かぶ人型機なんて、そうそういるもんじゃない
んだがな﹂
数十機の機械を周囲に待機させ、空中停止する堕天使。
そう、ファルネの機体は多くの﹃子機﹄を従えていた。
子機は数種類存在するが、どれもが翼を備えた円柱形の飛行体だ。
均等な距離を保ち堕天使を守る子機。独立浮遊しているのが全て
ではなく、半数は未だ堕天使の背中にマウントされている。
折り重なった円柱。通信にて教国の聖騎士が翼と称したのは、こ
2055
れのことだった。
堕天使は浮遊装置ではなく、背中にマウントされている子機のエ
ンジンにて浮遊している。見るからに重装甲な堕天使を持ち上げて
いることを考えれば、よほど高性能なエンジンだ。
﹁実に興味深い機体だ、だが今は置いといて︱︱︱キョウコ、生き
ているか?﹂
﹃⋮⋮死にたいです。子供に負けました﹄
声が聞けて、とりあえず安心する零夏。
﹃これで、私を置いておく理由が一つ消えました。弱い天士など無
駄飯食らいです﹄
﹁いじけんな、面倒くさい奴だ﹂
﹃所詮私は時代遅れな天士なのです。中距離長距離攻撃も出来ない、
空も飛べない、剣を振るうことしか出来ない駄目天士です。銀翼な
んてお笑いです﹄
﹁おいファルネ、お前がやったんだからなんとかしろ﹂
﹃知らないワヨ﹄
知らないなんてことはあるか、とガリガリと頭を掻く。
﹁やり過ぎだ。もうちょっとやり方はあるだろう﹂
﹃ふーんだ、いじけ虫はキライっ﹄
2056
白鋼は森に着地し、零夏が地面に飛び降りる。
﹁それはそれ、これはこれ、だ。⋮⋮くそっ、上手く壊しやがって。
修理しやすいぞコラ﹂
堕天使の子機に備え付けられた火器は機関砲だ。それを数十門、
見事にコントロールして重要箇所を避け撃ち抜いている。
ファルネが後々修理することを考慮して撃ったのと、キョウコが
押されながらも急所を避ける努力をした結果だ。
﹃便利な言葉ね、それそれこれこれ、って﹄
﹁違いない﹂
ベルトを外し、コックピットから上半身を乗り出してソフィーは
地上の零夏に問う。
﹁レーカ、やらないの?﹂
つまり、ファルネと敵対しないのか、という意味だ。
﹁いや、俺達は手を出さない。やり方はともかくキョウコを足止め
してくれたんだしな﹂
﹁でもこれ、感謝すべき状況かしら?﹂
﹁うーん⋮⋮教国にまで被害出しているのがなぁ、面倒だぞ﹂
零夏のファルネに対する怒りは薄い。やり方は無茶苦茶だが、銀
2057
翼などそんなものなのだ。
むしろ、彼が気に食わないのはキョウコだった。
﹁キョウコ、こんなガキに惨敗したままでいのか?﹂
蛇剣姫の装甲板を軽く叩く。
﹁︱︱︱なぁ、最強最古﹂
コックピットにて項垂れていたキョウコの指が、ピクリと動いた。
﹁お前は矜持を持った奴だ、こんなものであるはずがない﹂
﹃⋮⋮⋮⋮。﹄
﹁初めてツヴェー渓谷の闘技場で出会った時、俺は絶対お前に勝て
ないと思った﹂
零夏の戦歴において、あれほど感覚が研ぎ澄まされたことは多く
ない。それこそヨーゼフのマウスやラスプーチンと死闘を繰り広げ
た時程度だ。
解析魔法の暴走。未来予知と同意義の物理演算予測。他者の思考
すらトレースして先手を打つ、その領域。
それでも尚、零夏はキョウコに勝てなかった。
﹁それがなんだ。その様は、お前の400年はこんなものか﹂
︱︱︱憧れたんだ、責任取れ。
零夏の目は、そう訴えていた。
2058
﹃⋮⋮坊やが、好き勝手言ってくれます﹄
四肢を軋ませ、蛇剣姫は立ち上がる。
応急処置の修理をされたとはいえ、フレームは歪み、装甲は歪だ。
ベアリングのボールが幾つか転がり落ち、機体内でカラカラと鳴る。
さすがに零夏といえど、即興でベアリングの修復は不可能だった。
︵戦闘中、間接が耐えきれるだろうか?︶
﹃でもいいです、好きですから﹄
零夏の心配を余所に、蛇剣姫は駆け出した。
﹃さあ、第二ラウンドです!﹄
﹃お兄ちゃんの裏切り者ー!﹄
再び戦闘を開始する蛇剣姫と堕天使。
﹃もー怒った!コックピット以外バラバラにしてヤル!﹄
子機︱︱︱空中砲台が堕天使を囲む。
それらは一斉に火を吹くわけではない。必要な瞬間に、必要なだ
け撃つだけだ。機関砲の弾は有限なのだから。
だがそれで充分。的確に放たれる弾丸は、キョウコにとって対処
しにくい角度から襲い掛かる。
時に挟み込むように、また時に追い詰めるように。
その戦術に、キョウコは覚えがあった。
︵やはり、あれは単純な円陣ではない︱︱︱星型要塞だ︶
2059
星型要塞。地上戦に限定されていた場合における防衛戦の効率を
求め死角を埋めた結果、星の形となった要塞のことだ。
最も外側に浮かぶ空中砲台は、さながら突出した稜堡。迂闊に入
り込めばすれば挟撃されるのがオチだ。
﹁二次元の戦場でこそ真価を発揮する戦術、航空機の発達で廃れて
しまったと思っていました﹂
上下の概念あってこそ、移動の出来ない要塞だからこそ有用な建
築方式だ。
空での戦いは戦闘機の出現によって高速化・立体化した。大戦以
前は見かける機会もあった星型要塞も、今や複雑で建造を困難にす
るだけの無駄が多い旧式となったのである。
それを空中にて三次元的に再現するなど誰が考えようか。ファル
ネの戦闘法は単純に数で押し切るのではなく、複雑な計算と先読み
によって成り立っているのである。
﹃妙なところに後継者がいたものです﹄
歩法にて距離感を狂わせ、跳躍した蛇剣姫は一番近くに浮かんで
いた砲台に飛び乗る。
砲台から砲台に飛び移り、堕天使に迫る。一歩間違えれば落下死
する状況、際どいバランスであろうとキョウコの操縦は僅かにもブ
レない。
天に駆け登る蛇剣姫だが、その後の展開は何度も経験していた。
﹃届かないワ﹄
﹃でしょう、ね﹄
2060
砲台の幾つかが堕天使の背中に戻り、炎を吹いた。
加速する堕天使。機体は時速数百キロで飛行し、彼我の距離は一
気に開いた。
﹃決して近付けさせず、近付こうと離脱する。それが堕天使の戦い
ヨ﹄
空中砲台は浮遊装置ではなくエンジンで飛行している、小型とは
いえ自重を支えきるほどのエンジンだ。集まれば、鈍重な堕天使を
も急加速させられるのだ。
足場を失った蛇剣姫はそのまま自由落下。200メートルを落ち
てゆく。
﹁キョウコ!﹂
﹃ご心配なく﹄
衝突と同時に転がり衝撃を逃す︱︱︱五点接地にて軟着地する蛇
剣姫。これほどの高さから落下して無傷でいられる天士など彼女く
らいだ。
そもそも、零夏が訪れる以前にもこの流れは何度もあったのだ。
接近しては逃げられ落下する。いい加減、キョウコも認ざるを得
なかった。
真っ向から一息の距離まで近付くのは不可能だと。
無謀な戦いだと理解しつつも蛇剣の由来であるフランベルジェは
構える。雨の如く降り注ぐ弾丸を切ってきた為に、剣も歯こぼれば
かりである。
複数の方向から狙われた結果、無茶な角度で弾を防いだ結果だ。
真芯を捉えた太刀ならば何千発と耐える蛇剣も、側面からのダメー
2061
ジには弱い。
﹃そもそも、相性が悪過ぎるッ!﹄
近付いて斬る、それが全ての蛇剣姫。
敵の接近を許さず、囲み全方位から機銃で蜂の巣にする堕天使。
全く対照的なコンセプトの双方。本来であればそれでも蛇剣姫は
接近し切り捨ててみせるのだが、相手はフィオの製作したオーバー
スペック機なのだ。
心神の技術をフィードバックした堕天使は、単純に、骨董品の蛇
剣姫よりはるかに強かった。
機銃のスコールから逃げるキョウコに、零夏の通信が入る。
﹁キョウコ、時間を稼げ﹂
﹃稼いだら事態が好転するのですか?﹄
﹁かもな﹂
曖昧な物言いに不安しか覚えないキョウコであったが、どうせ対
抗策など考え付かない。故に彼女は彼の提案を採用することにした。
その刹那であった。森の地中より生えてきた巨大な腕が、堕天使
を掴んだのは。
﹃なっ、ナンナノ、コレ!?﹄
空中砲台が腕に弾き飛ばされ墜落する。生き延びた砲台が腕を攻
撃するも、鉄塊と大差ない豪腕は機関砲弾など相手にしない。
人型機が体長10メートルならば、﹃腕﹄はその五倍、50メー
トルはあろう。大量の無機収縮体を繋ぎ合わせ
2062
﹃お兄ちゃんのシワザ!?﹄
﹃尋常に勝負しているのです、手を出さないで下さい!﹄
﹁ちげぇよ、第三勢力だ!﹂
第三者の介入。そう判断した零夏は白鋼を発進させる。
﹁ソフィー、離陸するぞ!﹂
﹁うんっ!﹂
地中に埋まっている﹃何か﹄は地面を持ち上げ、地響きとともに
姿を現す。
土をぱらぱらと落とし浮上したそれは︱︱︱
﹁飛宙船?﹂
︱︱︱全長100メートルクラス、中型級飛宙船であった。
しかし船体の上には巨大な建造物が据えられている。どう見ても
﹃上半身﹄でしかない物が。
ビルティングのように巨大な上半身、堕天使を捕獲したのはその
右腕であった。
﹁なんだこいつは、誰だこんな馬鹿げたモノを拵えたのは!﹂
﹃我々だよ、レーカ君﹄
割り込んだ通信。その声の正体を零夏はすぐには思い出せなかっ
2063
た。
﹁ヨーゼフ⋮⋮﹂
故に気付いたのは、昨日ヨーゼフと会っていたソフィーだ。はっ
と零夏も納得し、巨大人型機を睨む。
クリスタル共振通信は秘匿回線も暗号化もない、秘密の話をする
ならば物理的に近付いて出力を下げた上で通信する必要がある。
ヨーゼフは近くにいる、零夏はそう考えたのだ。
ならば一番怪しいのは目の前の巨大人型機であろう。なにせ、ヨ
ーゼフは超重戦車マウスに上半身を拵えて乗り込むような男なのだ
から。
﹁なぜここにいる、ヨーゼフ!﹂
﹃おや、ソフィー嬢に聞いていないのか?彼女は昨日、私と会った
のだが﹄
﹁なんだと?﹂
しまったと言わんばかりに、びくりとソフィーは小さく跳ねた。
﹁ソフィーさーん、どういうことですかー﹂
後ろからソフィーの頬を突っつくと、彼女は舌をペロッと出して
見せる。
﹁言い忘れてた☆﹂
﹁お仕置き決定﹂
2064
﹁⋮⋮教国も教国だわ、あんな巨大兵器をむざむざと持ち込まれる
なんて!﹂
﹁誤魔化すな。まあいい、お仕置きの内容は後で考えよう﹂
お仕置き執行自体は決定事項であった、
﹃教国には地下空間、俗にダンジョンと呼ばれる場所が多いのだよ。
いや、厳密には世界のどこにも地下空間はあり、教国は発掘が進ん
でいるというだけだがね﹄
未だ全体の数パーセントも解明されていない地下空間は、町や土
地ごとに個別に存在すると思われているが実は全てが繋がった蟻の
巣のような構造だ。
﹃そも、統一国家の最新鋭人形機を我が物顔で運用する輩とどっち
がマシなのだろうな?﹄
無論、散赤花のことである。
﹁うぐ、あれは鹵獲品よ。所有権はこちらにあるわ﹂
ちなみに、ソフィーは散赤花のことがあまり好きではない。彼女
の美的感覚からして﹃美しくない﹄上に、座席が一つしかない︱︱
︱単座なのだ。
つまり、作戦行動中ソフィーはアナスタシア号に置いてきぼりを
食らうのである。
しかしコストパフォーマンスが白鋼より優れているのもまた事実。
事務所の財布を預かる彼女としては、なんとも悩ましい存在なのだ。
2065
﹁ヨーゼフ、ファルネをどうする気だ﹂
﹃なに、お茶会に来ていただけなかったのでね。迷子にでもなって
いるのではないかと探しにきたのだ﹄
﹁さては貴様、ロリコンだな?ソフィーといいファルネといい子供
ばかり狙いやがって﹂
﹃真性の君に言われたくはないな﹄
﹁俺は青田買いしているだけだ!﹂
挑発したつもりが逆に怒鳴る羽目になる零夏。少し図星な気がし
たのが余計苛立たしかった。
﹃くっ、レディー扱いを知らないヨウネ!﹄
一通りもがき足掻いたファルネだが、本体だけでは逃れられない
と判断し子機の機銃で巨碗を撃つ。
むなしく弾かれる弾丸。判りきった結果であった、20ミリ機関
砲といえど建築物の鉄骨に等しい巨腕の骨格に歪みすら与えられる
はずがない。
そもそもが空中砲台の機銃は軽量であることを優先され威力は二
の次なので、通常の戦闘用人型機の装甲すら場所によっては貫けな
いのだ。
装甲の薄い背面に砲台を回り込ませればいいので、普段はさして
問題にはならないのだが︱︱︱巨大人型機に対しては、大問題であ
った。
2066
﹃機銃だけではなく、大口径の火器も備えるべきだったな、ファル
ネ嬢﹄
﹃あるわよ、飛びっきりのが!ばかにしないデ!﹄
零夏はそれらしいものがないか堕天使を探るも、奇妙な機構があ
るだけで大口径の大砲は見付からなかった。
﹃さあ、お嬢さんを連れてこい﹄
﹃了解です﹄
応答したのは今度こそ本当に知らない声。巨大人型機の天士であ
る。
︵あのデカブツにヨーゼフが乗っているわけではないのか︶
﹃お、お兄ちゃん!助けて!﹄
﹁大口径砲とやらは使わないのか?見てみたいんだが﹂
﹃堕天使ごと消し飛びかねないワヨ!っていうかこんな体勢じゃム
リー!﹄
あの重装甲人型機が消し飛ぶ攻撃法などそう多くは思い浮かばな
かったが、なにせガイルの仲間の機体である。白鋼の半分を吹き飛
ばした心神のレールガンのようなトンデモ兵器を搭載していたって
不思議ではない。
﹁⋮⋮いや、助けない﹂
2067
﹃お、お兄ちゃん!?﹄
さすがにショックを受けるファルネ。僅か一泊二日の関係だが、
彼女なりに零夏達に親近感を抱いていたからこそ反動は存外大きか
った。
﹁やっと好転したな、流れが﹂
森を這うように飛行する何かが、巨大人型機へと突撃していく。
それは巨大人型機の上半身を掠め、行き過ぎて大きく旋回。
ただ通過しただけに見える、その一瞬に結果は存在した。
脆く落ちる左腕。生憎堕天使を掴む方の腕ではなかったが、﹃そ
れ﹄は擦れ違いの刹那にて鉄骨の腕を切断していた。
﹃レーカさん、これ扱いにくいです!﹄
﹁頑張れー!﹂
飛行するのはまさしく蛇剣姫。地上専用の機体は、今や空にいた。
時間は僅かに遡る。
堕天使に視線が集まる中、高速で戦場に乱入した存在があった。
知らぬ者が見れば、その異常に目を疑うであろう。その飛行機は、
色々な物が欠落していた。
尾翼も、胴体も。ただ主翼にエンジンとコックピットだけが据え
2068
られた飛行機。
全翼機。空飛ぶエイとも思える機体は、エイノ・ユーティライネ
ンの愛機・彫天である。
﹃こんにちは、お届け物よ﹄
﹁わっ、あわわっ﹂
エイノは蛇剣姫の上空で機体下部のペイロードを躊躇いなく落と
す。銀翼のキョウコであれば時速800キロで投下してもキャッチ
出来ると踏んでいたのであり、本人曰く、さっさと帰りたかったと
いう理由などでは決してない。
﹁急に落とさないで下さい!なんですか、これは﹂
﹃ホワイトスティールからの依頼よ、追加武装だって。受け取りの
サインはいらないからお届け完了ってことで、じゃあね﹄
アナスタシア号の格納庫にて開発されていた新装備。至急これを
届けるべきと考えたリデアは、エイノに緊急依頼をしたのである。
船に搭載した飛行機は白鋼と赤矢のみ、そして赤矢も捜索に出て
いる以上は外部に依頼するしかなかったのだ。
彫天は大戦中に開発された機体だが、エンジンを強化された結果、
戦闘機という登録ながら小型機としては大きな積載量を誇る優秀な
地上攻撃機となった。空力的にも全翼機は無駄がなく、緊急輸送に
は都合のいい機体なのである。全翼機としての特性上、音速は出な
いのだが。
キョウコは蛇剣姫を操作し、器用に受け取った﹃布﹄を広げてみ
る。
2069
﹁外套?﹂
それは所謂マントであった。幾らか機械がくっついているが、お
およそ柔らかな布である。
﹁そして剣、って直剣ではないですか﹂
蛇剣がナマクラとなった現状ではありがたい支援だが、これでは
蛇剣姫ではなく直剣姫だと溢すキョウコ。
﹁剣はともかく、外套なんてどうしろと⋮⋮とりあえず羽織ってみ
ますか﹂
蛇剣姫の首もとに回すと、外套の機械が蛇剣姫にロックされる。
﹃外部パーツの接続を認識しました。自己診断開始⋮⋮異常はあり
ません。フライトユニット制御システム起動します﹄
﹁⋮⋮なんですかこれは﹂
突如表れた表示に続き、コックピット内に幾つかのスイッチやレ
バーがせり出てくる。
機体を動かす為の最低限の操縦幹とペダルしかなかったシンプル
な操縦系は、瞬く間に複雑なシステムとなる。
400年の付き合いであるキョウコの愛機は、いつの間にやら好
き勝手改造されていた。
﹁フライトユニット?飛行用の装備だというのですか、どうやって
?﹂
2070
あてずっぽでスイッチを押してみる。残念ながらそれは当たりの
スイッチであり、新装備は説明書もなく起動してしまう。
外套が分離。折り畳まれていた骨組みが外套の内部を走り、薄く、
広く展開していく。
瞬く間に長さ20メートルほどの、巨大な楕円形の板となった。
一見は巨大なサーフボードだ。しかしただの帆ではなく、フラッ
プや翼端スリット、果てはエンジン排気を翼に噴射し気流の剥離を
防ぐ境界層制御システムまで組み込んでいる。重い人型機を浮かび
上がらせる為の技術を惜し気もなく採用した、外見より遥かに複雑
な装置だ。
﹁エンジン付きのボード、まさかこれで飛べと!?﹂
それでも、普通の布であれば翼面荷重が重過ぎて破断してしまう。
これを可能にしたのは、零夏が開発したケブラーモドキがあってこ
そ。
特殊な分子構造を持つ、魔法技術を取り入れた布。下手な紙より
薄いそれは、だが鋼鉄より堅い。
そして推進力を生み出すのは、白鋼と同型のハイブリッドターボ
ファンエンジン。
水素ロケットとラムジェットエンジンを重ね合わせたハイブリッ
ドエンジンは、サーフボードの揚力もあり遂には蛇剣姫を空へと持
ち上げる。
炎の柱を残し、浮上する蛇剣姫。慌ててキョウコはボードに立ち
上がる。
﹁ちょ、ちょ、浮いたあああぁぁぁ!?﹂
初めての感覚に戸惑うも、銀翼の名に恥じない操作勘でボードの
上での姿勢を保つ。
2071
加速する蛇剣姫。重量も空気抵抗も凄まじいので最高速度は乏し
いが間違いなくそれは飛行であった。
碌に制御出来ていないフライトユニットは、蛇剣姫を一直線に巨
大人型機へと向かわせる。
﹃こな、くそっ!﹄
直剣を横に構え、過る巨碗を切断する。
しかし初めての操縦、機体と巨腕は離れていた。
﹃駄目だ、届かな︱︱︱は?﹄
キョウコは目を疑った。剣が伸びたのだ。
フィクションにおいては剣が伸びる技術は多々存在する。物理的
に可変してカッターナイフのように延長される物や、架空の粒子を
放出して刃を形作る物もある。
前者はともかく後者は技術的に困難だった。しかしたかだか刀身
が二倍になった程度では空中戦闘ではリーチ不足。
無難かつ堅牢な構造で直剣を長く伸ばす必要に迫られた零夏と職
人逹は、ある意味暴挙とも言える解決法を編み出した。
チェーンソーである。
刀身に仕込まれたワイヤーカッター。輪となったそれを、剣が振
るわれ遠心力がかかった瞬間に剣先から発射するのだ。
内部機構により高速回転する輪は、それ自体の遠心力で楕円を保
ったまま100メートル単位で伸びる。そして剣先方向への遠心力
2072
が弱まったのを察知すれば掃除機のコードが如く短縮し収納される
のだ。
高速で走るワイヤーは刃物となんら変わりない。結果切り落とさ
れる巨大人型機の腕。
更に、その先の森まで何百メートルも切り裂かれたのを見て流石
のキョウコも肝を冷やした。
﹃レーカさん、これ扱いにくいです!﹄
﹁頑張れー!﹂
︵気軽に言ってくれます、でも好き︶
﹁剣の柄にトリガーがあるだろ、それで伸びる距離を制御しろ!﹂
﹁ところで直剣では蛇を名乗れないのですが!﹂
﹁なに言ってんだ!びよーんって伸びるんだ、見紛いようもなく蛇
だろ!蛇剣姫・改とでも名乗っとけ!﹂
体勢を建て直し蛇剣姫は巨大人型機の正面へと回り込む。
巨大人型機の全身に備え付けられた対空砲が蛇剣姫を狙うも、そ
こにはフライトユニットの姿しかない。
跳躍した蛇剣姫。一回転し、上下逆さまの状態で真芯に一閃降り
下ろす。
ただ一撃。ワイヤーカッターとキョウコの剣技が融合した一撃は、
全長100メートルの船体と巨大な上半身を左右に二分した。
墜落してゆく巨大人型機を足場に再びジャンプ、蛇剣姫はフライ
トユニットへと戻る。
2073
﹁ふん、これがキョウコの力だ﹂
﹁なんでレーカが勝ち誇っているの⋮⋮﹂
呆れるソフィーであった。
轟音を掻き鳴らし巨大人型機は森へと沈む。拘束が緩んだことで
堕天使もぎりぎり脱出出来た。
﹃ふむ、未完成だったとはいえ、やはりそれぞれの動きが同調して
いるとは言えんな﹄
巨大人型機の動きは終始ぎこちなかった。
零夏はその理由も見抜いている。人型機は普通一機につき一つの
クリスタルで稼働している。全身を同調させ連動させるにはそれが
最適なのだ。
故に、複数のクリスタルを搭載した巨大人型機を作ろうなどとは
誰も考えたことがなかった。そもそも無理があるのだから。
巨大人型機は魔力を捻出するために、クリスタルを大量に内蔵し
ていた。それでは機敏な動きは成し得ないのだ。
﹃やはり必要だな。ただ一つで新型を動かせるような、強力なクリ
スタルが︱︱︱しかれば、もう少し巨大化するか﹄
﹁しかればの意味がちょっと解らない﹂
ヨーゼフは自機に大鑑巨砲を求める主義であった。
﹃ではまた会おう、レーカ君﹄
﹁くたばれ、どっかで一人くたばれ!﹂
2074
﹃ははは、失礼する﹄
以降、途絶える通信。どこかへ潜んでしまったのだ。
フライトユニットを外套に戻し羽織った蛇剣姫が、堕天使と対峙
する。
﹃⋮⋮続き、ヤル?﹄
﹃いえ、弱いもの苛めは趣味ではないので﹄
ボロボロの堕天使と強化装備を得た蛇剣姫、例え双方万全な状態
であっても今度はどうなるか如何は判らない。
﹃ハッ﹄
散々翻弄された腹いせに、キョウコは思い切り鼻で笑った。
﹃キー!これが私の本気だとは思わないことよ!﹄
﹃でしょうね。私が倒すまで、死んだら許しません﹄
﹃言ってナサーイ!またあしらってアゲルワ!﹄
生き延びた翼を全て背中に戻し、堕天使は再び浮上する。
幾つもエンジンを失っているにも関わらず、堕天使は並の天士で
はGに耐えきれないほどの加速を披露し空域を離脱した。
零夏がぽつりと呟く。
﹁丸くおさまったのか、な﹂
2075
﹁教国の騎士団になんて説明するの?元を正せば痴話喧嘩でした、
なんていえば大目玉よ﹂
﹁大丈夫、いい考えがある﹂
彼らの視線の先には墜落した巨大人型機。
﹁だいたいあいつのせい﹂
﹁責任を統一国家に擦り付けた⋮⋮彼らの責任ゼロとは言わないけ
れど﹂
こうして、彼らの慰安旅行における騒動は終わりを告げた。
まーなんだ、派手な戦闘の後には帳尻合わせがあるわけで。
﹁どうして逃げ出したのか、掃除機に白状しろ﹂
﹁では掃除機と二人っきりにして下さい﹂
﹁かみかみた、正直に白状しろ﹂
蛇剣姫のクリスタルを外して逃走防止を図った上で、俺はキョウ
2076
コと向き合っていた。
﹁それじゃあ、私はアナスタシア号に戻っているわねー⋮⋮﹂
﹁ソフィーも待ってなさい、後で昨日の話とやらを聞かせてもらお
うか﹂
﹁うぐ、覚えてた﹂
忘れねぇよ。
最早誰が切り落としたか判らない丸太に座って家族会議。
﹁なんでいなくなろうとしたんだ。⋮⋮不満でもあったのか﹂
﹁私は、もう長くありません﹂
その告白は、最初全く頭に入ってこなかった。
﹁⋮⋮なんだと?﹂
﹁どういうことなの、キョウコ?﹂
﹁私はもう、長く生きられないのです﹂
どうやら、聞き間違いではないようだった。
﹁病気、なのか?﹂
﹁違います﹂
2077
首を横に振る。
﹁私、ハイエルフは世界と共にある存在。私の一部はセルファーク
なのです。世界が解放されれば役割を終えた私は死ぬ。その時は、
きっと遠くない﹂
世界の解放、ってなんだそれ。
ソフィーはなにやら知っている顔だ、後でじっくり聞き出してや
る。
﹁レーカさんを悲しませたくないのです﹂
﹁そういうのは大抵嘘だ、自分が悲しみたくないだけだ﹂
問題は、それはそれで問題ってことだが。
キョウコが悲しむのも俺にとっては大問題である。
﹁何がなんやらさっぱりだが、俺はお前といたい﹂
﹁私の意見は無視ですか﹂
﹁お前みたいな受動的なタイプは、ちょっと強引にリードしてやら
ないと無意味にどんどん落ち込んでいくだろ。俺と別れてなんてみ
ろ、残りの人生とやらは真っ暗だぞ﹂
﹁⋮⋮レーカさんは平気なんですね、死にゆく私を看取っても﹂
﹁アホか﹂
キョウコの手首を握る。キョウコは自身の手首を握る俺の手を、
2078
もう片方の手の平で包んだ。
﹁震えています﹂
﹁びびってるからな、お前がいなくなるなんて辛いからな。どーよ、
この平気っぷり﹂
そりゃ悲しい。悲しいのはいやだ。家族がいなくなるのは、本当
にキツい。
そんなの、一年半前の夏に思い知っている。
﹁でも嫌だ。この手を離したらもっと後悔する﹂
一緒にいれば問題が解決する未来もある。一緒にいないと、解決
するものも解決しない。
それで全て済めば、世界は今頃楽園だけどな。
﹁後悔も悲しみも一緒に背負ってやる。俺の側にいろ﹂
俺の言葉の終わらないうちに、キョウコはぽろぽろと泣いていた。
﹁う、わああぁぁぁ、レーカさああああぁぁぁぁぁ⋮⋮﹂
キョウコが俺の胸に飛び込んでくるキョウコを、しっかりと受け
止める。
﹁本当に泣き虫な最強最古だな、お前は﹂
﹁レーカさああぁぁん、げっこんじて下さいいいいぃぃ﹂
2079
﹁本妻が怖いから、それは無理﹂
﹁愛人にじてくだざいいいぃぃ﹂
服を涙を鼻水で汚す彼女を、よしよしと宥める。
後ろで見ていたソフィーが、優しい声で一人ごちた。
﹁もうっ、これじゃあ認めないわけにもいかないじゃない。私がマ
リアを説得するとしますか﹂
こうして俺逹は旅の日常へと戻る。
冬の間は船員逹を故郷に帰しアジトに隠れ住むわけだが、俺とソ
フィー、マリア、そしてキョウコ︱︱︱みんな揃って年越しである。
﹁これこれ、今年からはわしもいるぞ?﹂
﹁そうだったな、リデア﹂
加え、家名を捨てたリデアも含め無人島での5人での生活である。
無人島に住むという言葉の矛盾については脇に置いておく。
﹁あれ、誰か忘れているような?﹂
どこからともなく聞こえてくる﹁ここにいるぞ!﹂という男の声
2080
はどうでもいいが、最近の出来事といえばやっぱり一つだ。
﹁お兄ちゃーん!お年玉チョーダイ!﹂
﹁神が遊びにきたよー!金寄越せー!﹂
なぜか、ロリ二人が時折遊びにくるようになったのだ。
﹁お前ら、餅焼くけど食うかー?﹂
2081
妹キャラと温泉旅行 2︵後書き︶
誤字報告ありがとうございます
>ヨーソロー
私は飛行機と戦車に知識が片寄っているので、こんな初歩的なミス
をしました。
>セルフのお株が上がりつつある今日この頃
そして今回下がるのですね、解ります。
ファルネの機体の装備については昔から決まっていました。名前そ
のものが伏線ですね。
次回はいよいよあの人が再登場。時間が一気に飛びます。
2082
必然の夢と母の決意 1︵前書き︶
時間が一気に飛びます。平穏な冒険者編は次で終わりとなる予定。
2083
必然の夢と母の決意 1
ことの始まりは、スピリットオブアナスタシア号の食堂での出来
事だった。
﹁はぁ⋮⋮﹂
物憂げに溜め息を吐くリデア。金砂の髪がさらりと零れ、くっき
りとした顔立ちには大人の色香すら覚える。
︵食べているのが干物定食じゃなければ絵になるんだけどな︶
出会ってからもう4年、成人となった彼女は見事な美女へと成長
した。
味噌汁を物憂げに啜る金髪美女。シュールである。
俺ももう16歳。法律上成人扱いだ。
身長は随分と伸び、ソフィーとの身長差は40センチもある。
俺が極端に長身というわけではない。ソフィーがちっこいのだ。
﹁ソフィー、今年で幾つだっけ?﹂
マリアの調理した鯖味噌定食をテーブルの対面でパクつくソフィ
ーに訊く。
白い髪に蒼い瞳。一度は短く切ってしまった髪も長く伸び、誰も
が息を飲む美少女へと成長した。
顔立ちはナスチヤより心なしか幼い。髪に留められた瞳の色と合
わせているのであろう青いリボンが、余計に子供っぽく見せている。
2084
﹁同い年でしょ、レーカと﹂
そんな彼女は、どうせ小さいもんといじけてしまった。
﹁俺は期待していたんだ。ナスチヤみたいなボッキュッボンを、な﹂
神の黄金比を体現した肉体、あの出るとこ出て引っ込むとこしっ
かり引っ込んだ体は実に素晴らしかった。
﹁お母さんをそういう目で見ないで﹂
﹁見てない﹂
あの人をえっちぃ目ではどうも見れない。どこまでいってもナス
チヤは母親なのだ。
﹁はぁ⋮⋮!﹂
﹁親子は似るもんだ、そんなのメンデルさんが法則を発見するより
昔から常識だった。それがなんだ、ぺったんこじゃないか﹂
容姿はナスチヤそっくりなのに、体脂肪率低すぎである。ガイル
の遺伝子ちょっと出てけ。
﹁そ、そんなこと言って、レーカだって私にちゃんと欲情している
じゃない﹂
﹁おー、自信満々だな﹂
﹁貴方が今まで何度私にハレンチな真似をしたか覚えている?﹂
2085
ハレンチとは死語である。
﹁お風呂を覗かれたのは88回、着替えを覗かれたのは105回、
露骨なボディータッチは460回よ﹂
一線を越えていないのは快挙だろう。
﹁ソフィーとえっちなことしたいなぁ!﹂
﹁ひゃー!?﹂
こういうのは開き直るのがコツである。
﹁何を、もうっばか!﹂
赤面するソフィー。周りの船員も何事かと視線を集める。
﹁そもそもさー!結婚するまでお預けとか時代錯誤じゃないかなー
!俺だってそういう気分の時もあるんだしー!﹂
﹁叫ぶのをやめなさい!それだけはだめ!お母さんとの約束なの!﹂
悪寒に耐えるかのように腕を抱いて身をよじるソフィー。
﹁ナスチヤとの約束か、それじゃしょうがないな﹂
﹁一瞬で納得した!?﹂
あー、ソフィーを弄るのは楽しいなー。
2086
﹁マリアともえっちなことしたいなぁー!﹂
調子に乗ってもう一人の恋人にも叫ぶ。
﹁あべっ!?﹂
キッチンカウンターの方からタライが飛んできた。
﹁食事中、騒ぐのはやめなさい﹂
厨房からやってきたマリアはソフィーの頭をこつんと叩き注意す
る。
扱いが違う。そりゃ俺が主犯だし当然だけど。
﹃ごめんなさい﹄
ソフィーと共に謝りつつも、視線はマリアの胸元に向いてしまう。
でかい。
彼女は元々年齢の割にスタイルのいい少女だったが、この3年で
更なる肉体的成長を遂げてナスチヤに迫る起伏を手に入れていた。
メイドエプロンを押し上げる双丘、腰紐できゅっと強調された腰
のくびれ、メイドの仕事で引き締まった臀部。正統派メイド服なの
に、色気がエプロン程度では抑えきれていない。
最近会ってないけれど、マリアの母親のキャサリンさんも中々の
ものをお持ちだったっけ。
﹁⋮⋮目を見て話しなさい、そこは顔じゃないわ﹂
﹁うぐっ、ごめん﹂
2087
不躾で下品な視線を向けたのだからこれは俺が全く悪い。
﹁いいわ、レーカなら恥ずかしいけど不快じゃないし﹂
セクシャリティな魅力を振り撒く彼女ともなれば、用事で船を降
りた時などはセクハラされそうになることも多いらしい。
﹁有名航空事務所所長の女って肩書きはこんな時ばかりは便利だわ。
からかってきた相手もレーカの名を出せば真っ青になるもの﹂
﹁別にいいけど、あまり乱用するなよ?﹂
﹁しないわよ。それとも、私が男逹にそういう目でジロジロ見られ
ていてもいい?﹂
﹁駄目﹂
俺は欲張りで独占欲が強いのだ。
﹁えっちぃ目で見てもいいのに、えっちぃ行為は駄目ですか﹂
﹁ソフィーの手前、ね。二番目だもの﹂
マリアは妹分の頭をぽんぽんと撫でる。
﹁この子も興味がないわけじゃないはずよ?年頃だし﹂
﹁私はそんなえっちな子じゃないわ﹂
2088
そっぽを向く彼女の耳は真っ赤っかだ。
﹁でも、ソフィーだって嫌がってないだろ?風呂で背中を流し合っ
たことだってあるんだし﹂
いつもの通り女湯を覗いたら、なぜかそんな流れになったのだ。
無論、目は決して開けなかった。俺は紳士なのだ、紳士は露骨に
女性の裸体を見たりしない。
﹁あれは、マリアも一緒だったじゃない!﹂
食堂にざわめきが広がる。
﹁男女三人で裸の付き合い、だと⋮⋮﹂
﹁レベル高けぇ、レベル高けぇよ、兄貴⋮⋮﹂
﹁大人の階段、駆け登ってやがる⋮⋮﹂
好き勝手言いやがって、というかソフィーは3人だったら恥ずか
しくないのか?
﹁はああああああぁぁぁぁ!!﹂
﹁うるせぇぇぇぇ!﹂
リデアの溜め息は既に騒音レベルであった。
﹁なんだよ、さっきから!﹂
2089
もうそれ、溜め息じゃないだろ。
﹁見付からないのじゃ、探し物が﹂
愚痴りたいらしい。
﹁何か失せ物か?﹂
首を横に振るリデア。
﹁そういえばお主には話したことがなかったか?わしはこの世界の
どこかに隠された魔法陣を探しているのじゃ﹂
彼女の説明によると、推測される魔法陣のサイズはなんと50メ
ートル。それほどの大きさでありながら見付からないことから、よ
ほど巧妙に隠蔽されていると思われる。
﹁術者はナスチヤだから、コネで広い空間を確保しやすい帝国内に
あると思っているのじゃが⋮⋮﹂
そこまで聞けば、もう判った。
﹁それ、ゼェーレスト村の屋敷の地下にあるぞ?﹂
﹁は?﹂
愕然と口を開けっぱなしにするリデア。
﹁だから、見たことあるって。屋敷の地下に、ばかでかい魔法陣﹂
﹁はああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁ
2090
ぁぁぁ!!!???﹂
その踏み込みはまさに武人。唇が触れ合いそうな距離に顔を寄せ
﹁言えよ﹂﹁教えろよ﹂と喚くリデア。
知るか、聞いてこない方が悪い。
休戦協定が結ばれて2年半。統一国家総統のヨーゼフはいつか戦
争を再開する算段のようだが、少なくとも今はまだ協定は有効なま
まだ。
故に、アナスタシア号は統一国家の領地にも堂々と入ることが出
来る。勿論ゼェーレスト村へも。
﹁変わらないな、少なくとも空から見る限りは﹂
しろがね
村の上空。音もなく滑空する白鋼からゼェーレストを観察する。
機体重量が軽い白鋼はある程度エンジンを停止しての飛行が出来
る。というか、ソフィーならば風に乗って延々と滞空可能だ。
てつあにき
﹁あ、鉄兄貴﹂
ストライカー
ソフィーが指さす方向にはシンプルな人型機が寝そべっていた。
俺が初めて弄った懐かしの機体だ。
﹁屋敷を見るのも久々だな、空からじゃよく解らないけど﹂
2091
中庭を持つちょっとしたお城。その隣の物置兼自室や白鋼を制作
する為の木造格納庫も記憶のままだ。
﹁あら、自由天士かしら?﹂
ソフィーが村の一画を指で示す。
確かに人型機二機が鎮座している。
正規軍じゃない、少なくとも見た限りは。
﹁やっぱり慎重に動く必要があるな。打ち合わせ通りだ、手早く村
を制圧するぞ﹂
主翼を振って合図すると、村から死角となって見えない丘の向こ
うで待機していたスピリットオブアナスタシア号が移動を開始した。
極低空で地面を這うように滑るアナスタシア号。船体後部の巨大
な二重反転固定ピッチプロペラの風切り音は相応に騒音を撒き散ら
している、やがて村人達が気付いて慌てふためいて外に出てきた。
村の上空に覆い被さるアナスタシア号。
﹁な、なんだありゃあ!?共和国の船か!?﹂
﹁でけぇ⋮⋮あんなでかい船があるのか﹂
﹁呆けてる場合じゃねぇ、避難するぞ!﹂
﹁ど、どこにだよ!森に入れば魔物のテリトリーだぜ!?﹂
﹁屋敷だ、ガイルさん家の屋敷なら頑丈そうだ!⋮⋮たぶん﹂
2092
拙い読唇術で読み解く限り、たぶんこんな会話をしている。共和
国とは統一国家、という意図だろう。
村人からすれば強襲以外の何者でもない。後でしっかり謝らなけ
れば。
とその時、自由天士とおぼしき人型機が起動しアナスタシア号に
砲口を向けた。
﹁ソフィー、急降下!﹂
﹁がってん!﹂
エンジンを始動した白鋼が反転降下、隕石の如く垂直に落ちてゆ
く。
機種によって大きく異なるが、急降下の定義は傾斜角45度から
90度とされている。が、ソフィーの急降下はそんな生易しいもの
ではない。
高度1000メートルから即座に音速を超え、地面に突き刺さら
んとばかりにフルスロットルで落ちるのだ。
急降下での引き起こし高度は最低でも500メートルであること
から、どれほど危険な飛行かはお分かりだろう。
﹁ユーハブコントロール!﹂
﹁アイハブコントロール!﹂
白鋼の機体を支える竜骨を兼ねたミスリルブレードが、胴体下部
から離脱する。
固定を失った機体の各所は機構を稼働させ、人型へと変形させて
ゆく。
エンジンユニットが胴体より分離、隠されていた﹃背骨﹄が稼働
2093
領域を得てしなる。
機種より頭部と腕が展開し、主翼が可変し脚部に。
各部を人型で固定して変形を終え、俺に操縦が移行する。
取っ手を握れば、義手にコネクターが突き刺さった。
取っ手はただの棒であり、操縦幹ではない。そもそも白鋼の後部
座席には操縦幹などない。
義手にケーブルを接続し、神経から直接制御するのだ。
この狭いコックピット、すくすく成長するこの体には小さ過ぎる
ことから、思い切って後部座席の操縦装置を全部取っ払ってしまっ
たのである。
機械的タイムロスが減ったので、俺的には改善である。職人達に
はキチガイ扱いされたが。
きっと機械的リンゲージ操縦システム︵従来の機械的構造で舵を
動かすシステム︶からフライ・バイ・ワイヤ︵電子制御による電線
のみで舵を伝達するシステム︶に移行するような不安感を覚えたの
だと思われる。なにしろ操縦の根本に関わる部分だ、堅実性を求め
られる箇所に新技術はあまり受け入れられない。
平行して落下していた二本のミスリルブレードを空中で掴み、地
上の機体に投げ付ける。
矢となって突き刺さったブレードはそれぞれのふくらはぎとふと
ももを貫き、移動能力を奪った。
﹁後で直すのよね?﹂
﹁自由天士だったらな、世界の為とはいえこれは俺達が悪い﹂
脚には内部骨格と無機収縮帯、そして幾らかのケーブルしか収ま
っていない。修復は比較的楽だ。
膝など関節部を貫いたなら大事だが、そんなヘマはしない。
上下逆さまとなっていた白鋼の姿勢を安定させる。逆転した天地
2094
を正し、エンジンを命一杯回して落下モーメントを吸収。
2機前に着陸し、共振通信を入れる。
﹁手荒な真似をしてすまない。すまないついでに武装解除を求めた
いのだが﹂
﹃⋮⋮どうも任意には聞こえないが﹄
不服そうな返答であった。
彼らの機体は見覚えのない人型機であった。似たシルエットを持
つ機体だが、大きさが一回り異なる。別の機体をエクステリアだけ
お揃いにしたのだろうか。
いや、外見から見ても共通の装甲板が見てとれる。内部部品も幾
らか共通だ、整備性を向上させる為の工夫か?
妙な機体達だ。機体規模が違うのに、パーツが共通化されている
なんて。
柄まで地面に刺さったミスリルブレードを、軽くホバリングして
引き抜く。思ったよりしっかりと埋まっていた為、アフターバーナ
ーまで使用する必要があった。
﹃うおおっ!?﹄
﹃ちょ、やめなさい!﹄
小型ながら白鋼のハイブリッドエンジンはF−22ラプターのF
119エンジンより強力だ。そんなエンジン排気を地面に当てれば、
周囲の人型機にも数トンの風圧を受けることとなる。片足となった
彼らは、当然バランスを崩し転倒した。
﹃あんた、白鋼⋮⋮よね?﹄
2095
自由天士の女性は俺を知っているようだ。
﹃なにしているのよレーカ。どうしてゼェーレストを強襲するの?﹄
﹁ん︱︱︱誰だ、お前?﹂
ソードシップ
ミスリルブレードを突き付けて牽制しつつ問う。
この飛行機の名が知られているのは珍しくないが、まるで俺本人
を知っているような口ぶりだ。
﹃教えないよっ、勝てたら教えたげる!﹄
右腕の機銃を構える未知の人型機。それを切り捨てスクラップに
する。
﹁あまり抵抗するな、修繕費が増える﹂
﹃あたしにも矜持があるんだよ!マイケル!﹄
﹃応ッ!﹄
刃渡り3メートルほどの汎用短剣を投げるマイケル氏の機体。コ
ックピットモジュールの頭部狙いだったので、首を傾げて回避する。
その目的が隙を作ることなのは明らかだったが、この状態からど
うやって反撃するのか興味深い。
﹁レーカ、作戦行動中よ。それも時間勝負の﹂
若干楽しくなってきた俺を咎めるソフィー。
2096
﹁解ってる、だが一番危険なのはやっぱここだ。戦闘用人型機を抑
えるのは俺達の役割だろ?﹂
襲撃の目的はアナスタシア号の襲来を外部に漏らさないこと。外
部へのアクセス手段は時計台の長距離通信設備と物理的に脱出する
ことだけだ。包囲を突破される可能性が高いのはやはり目の前の自
由天士だろう。
ただし、敵が新規に通信設備を持ち込んでいる可能性もある。迅
速な制圧はやはり必要だ。
短剣を投げて稼いだ一瞬に何をするかと期待したが、次の行動は
予想外だった。
俺が突き付けていたミスリルブレードを、短刀を投げた大型機は
鷲掴みにしたのだ。
﹁うおっ、やられた﹂
﹁レーカ、油断﹂
﹁面目無い﹂
目の前の武器を握る為に短剣を捨てたのだ、普通だったらそんな
ことはせずそのまま掴む。
こちらの技量を把握して出し惜しみをしていない。これは厄介か
も。
大きい方の人型機はミスリルブレードを引っ張り白鋼から奪取す
る。マニュピュレータが切り裂かれ指の部品がこぼれ落ちるも気に
した様子はない。
﹁なんであっさり奪われているの!?﹂
2097
﹁仕方がないだろ、油圧アシストがない分こっちの方がパワーは小
さいんだから﹂
速度で勝ろうと力勝負に持ち込まれたら負けるのだ。悲しいがそ
れが現実。
人型機は奪ったミスリルブレードで横凪ぎに大きく切り払う。
﹁当たるかよ﹂
地面を蹴って後ろに機体を傾け、ロケットを点火し後方へジャン
プする。ミスリルブレードは10メートル近い長剣なので、その回
避の為に結果として50メートルは離れてしまった。
﹃離れた!﹄
﹃今だよ、エドウィン!﹄
︱︱︱伏兵か!
彼等の指示を待たず飛来したのは、銃撃の嵐だった。
意図的に分散させつつもよく狙いの定まった弾幕。当たったとこ
ろでダメージは通らないが、被弾するのも癪な俺は更に後退するこ
とを誘導される。
﹁3機目を森に隠していたか﹂
こちらの襲撃を察知していたわけでもないだろうに、慎重な奴等
だ。
彼我の距離は2000メートル。動く獲物を狙うのはかなり難し
い距離。
2098
﹁いい砲撃手だ﹂
帝国軍人の顔が火傷で半分崩れたオッサンには及ばないが。
﹁褒めてないで、どっちから封じるの?﹂
﹁森の方﹂
俺達としては目の前の人型機か砲撃手、どちちが先でもなんとで
もなるが︱︱︱ホワイトスティール側の別動隊を狙われたらまずい。
彼等は非戦闘員なのだ。
降りかかる弾頭のスコールを凌ぎ、素早く飛行機形態へと戻る。
隆起した草原を高度5メートル以下で這うように飛行。白鋼は航
空機だが、この動きと戦術はむしろ敵の射線に入らないように稜線
を避けて走行する陸上兵器の動きだ。
それを戦闘機で再現するあたり、ソフィーは完全に変態である。
数十秒で森に接近、敵を視認する。砲撃特化型の重量機だ。こい
つもまた、他の二機と同じ設計思想を感じる武骨なデザインだった。
長距離からの攻撃を成功させることからも、スナイプタイプと窺
える。ガトリングに狙撃もなにもないが。
90度機体を捻り、ミスリルで強化された主翼にてすれ違い様に
重量機を袈裟斬りに両断。大破させる。
即座に機首を跳ね上げ垂直上昇に移る。推力偏向ノズルによるア
クティブな姿勢制御は鋭角な軌道すら描く力任せなものだ。
ソフィーの好む風を活かした操縦ではないが、森に突っ込むわけ
にはいかないので仕方がない。
そのまま緩やかにループして進行方向を逆に向ける。推力偏向ノ
ズルさえあればその座標で一回転して反転することも可能なのだが、
慣性を殺して一端停止から再加速するよりも勢いを殺さずループし
2099
てしまった方が短時間で切り返しが行えるのだ。
﹃げ、もう戻ってきたぞ!﹄
﹃早いわバカ!﹄
若干上がった高度から緩やかに滑り降りつつ再び人型に変形。時
速数百キロでホバリングしつつ人型機に肉薄する。
目標はこちらを仁王立ちで待ち構える小さい方の人型機。
︵両足で立っている?双方共に片足を潰したはずなのに、どうやっ
て︱︱︱ああ、そういうことか︶
二個一
もう一機の機体は片足が失われている。そして付近に転がるもげ
た片足。
無事な足を組み合わせ、一機を修理したのだ。ニコイチである。
プラモデルでもあるまいし同型機であろうと簡単にはパーツの交
換など出来ないはずだが、それ専用の改造を施しているのか。
正眼に構えたミスリルブレードで斬りかかる。敵もまた、俺から
奪ったミスリルブレードを手にしている。
これも正解だ。魔刃の魔法がかかっているとはいえ、鋼鉄の剣で
はミスリルブレードに両断されるのがオチだから。
衝突する切っ先。白鋼の速度の乗ったブレードは、敵機の握るブ
レードに僅かに食い込む。
﹁ミ、ミスリルブレードがー!?﹂
﹁真面目にやりなさい!﹂
怒られた。
2100
﹁だってミスリルだぞ、修理大変なんだぞ!﹂
ミスリルの精製は俺でも微々たる量しか行えない。とても貴重な
物質だ。
なるほど、あちらのミスリルブレードは魔力が供給されておらず
魔刃の魔法が発動していない。白鋼と敵機体とでは魔力供給形式が
別なのだ。
速度を落とし、敵機と何度も切り結ぶ。強い、こいつはエース︵
トップウィングス級︶だ。
銀翼で勝てない相手ではない。後は特記することもなく、再び人
型機を戦闘不能に追い込んだのは切り結んでから一分ほど経過して
からであった。
⋮⋮意外と粘られた。悔しい。
﹁なんだお前等か﹂
﹁あたし等で悪かったね﹂
憮然と唇を尖らせるのは謎の人型機で俺と打ち合ってみせた天士、
ニールであった。
﹁くっそー、また負けた!﹂
地団駄を踏むニール。別れてから何も変わっていない。
2101
﹁よう、久々だな﹂
憮然とした様子のマイケルと、
﹁修繕費はそっち持ちだよね、レーカ﹂
しっかりと費用を請求するエドウィン。
ゼェーレスト村を旅立って4年。それ以来顔を合わせていなかっ
た彼等は、見違えて大人になっていた。
ニールは髪を後ろに纏め、軽く化粧をして子供っぽさが抜けてい
る。
元より脳筋のきらいがあったマイケルは、精悍な顔付きとなり三
人組で最も歳上に見える。見た目だけは。
そしてエドウィンはといえば眼鏡の似合う青年となっている。さ
りげなく暴走気味の二人のブレーキ役に回るあたり、相も変わらず
苦労性のようだ。
草原にて機体を降りて顔を合わせた俺達。しかし今は作戦行動中。
何を優先すべきか少し考え、結論を出す。
﹁⋮⋮とりあえず場所を移そう。ソフィー、リデアと連絡取れるか
?﹂
頭上のコックピットにいるソフィーに叫ぶ。
﹁向こうから来たわ。ひゃっはー部隊が目標は達成したって、後は
引き継いでもらう?﹂
﹁頼む﹂
﹁ん、了解﹂
2102
顔を引っ込める彼女に、三人は首を傾げた。
﹁あれ、ソフィー?﹂
﹁よく喋るようになったな﹂
﹁美人さんになったね﹂
再びソフィーが顔を出す。
﹁伝えたわ。伝言よ、﹃お主も後で村に来い﹄って﹂
﹁解ってる。コイツ等と話そうぜ、マリアを呼んだら降りてこい﹂
マリアは三人組ともそれなりに交流があった、会っておきたいは
ずだ。
﹁あ、えっと、私も?﹂
ソフィーは頬を赤らめ目元までコックピットに隠れる。
﹁私、三人とはあまり関わりはあんまりなかったし、お留守番でも
⋮⋮﹂
﹁いいから降りてきなさい﹂
昔の自分を知る人とは会いにくいってか。
﹁じゃあ、とりあえず屋敷に入るぞ。中には誰もいないことは確認
2103
済みだ﹂
屋敷を見上げる。心なしか、記憶のそれより小さい気がした。
実に、4年ぶりの帰宅だ。
正面玄関は鍵が破壊されていた。
大陸横断レースに参加する為の戸締まりだ、厳重ではなかったに
しても隙はなかった。力付くぶち破られたのだ。
共和国が制圧された後、この屋敷は紅蓮の騎士団によって探索さ
れたはず。それは予想していたこと。
﹁予想していたことだ、が、やっぱりムカつくな﹂
﹁そうね、お客様ならもう少し礼儀を弁えてほしいわ﹂
船から降りて合流したマリアが同意する。
﹁⋮⋮貴方達もね﹂
ドアを蹴破ろうとしていたニールとマイケルがおそるおそる振り
返っていた。
﹁ほ、ほら、釘で完全に固定されているみたいでさ﹂
侵入者は律儀に出入り口を再び封印したのだ。しかし、開かない
からっていきなり蹴るなよ。
2104
﹁こっちに使用人用の小さな扉があるわ﹂
小さいといっても普通のサイズだ。正面玄関と比べれば相対的に
小さいに過ぎない。
中に入ると、埃っぽさに思わず咳き込む。
﹁こりゃ大掃除が必要だな﹂
﹁そうね、メイドの腕が鳴るわ﹂
片腕を振り回すマリアにマイケルは思わず呟きを漏らす。
﹁マリア、メイドになったんだなぁ﹂
﹁元からメイドよ。見習いだったけれど﹂
﹁マイケルはマリアのことが気になってたんだよね﹂
﹁なっ!?テキトーなこと言うなエドウィン!﹂
なんだと、聞き捨てならん。
﹁ごめんなさいね、私は売約済みよ﹂
そういって、俺と腕を絡ませるマリア。
﹁むっ﹂
対抗心を燃やしてか、もう片腕もソフィーに捉えられる。
2105
両手に花。ただし片方のみ柔らか。
﹁うわー、この三角関係どうやって落ち着くのかと思ってたけど⋮
⋮まさかそのまま大人になるとは﹂
呆れた声を上げるエドウィン。ここにはいないが更に黒髪ハイエ
ルフまで加わるのは黙っておこう。
しばし記憶を辿って廊下を進む。
﹁小さくなったわね、色々と﹂
﹁そうだな、廊下ってこんなに狭かったっけ﹂
﹁別に変わって見えないわ﹂
︵⋮⋮ソフィー、小さいままだから⋮⋮︶
口には出さないが顔に出ていたのか、腕を締め付けられた。痛く
ない。
﹁あ、あ、当ててるのよ﹂
声を震わせ真っ赤になりお約束の台詞を口にするソフィー。
当たっていない。
当たっていない。
当たっていない。
当たっていない。
当たっていない。
2106
﹁どこも埃っぽいことには変わりないし、とりあえずここで休みま
しましょう?﹂
そう提案しマリアが開いた扉は、使用人用休憩室だった。
マリアとキャサリンさんにとっての居間だ。俺もよくここでお茶
を飲んだ。
4年も留守していれば、綺麗好きな親子の部屋もさすがに埃まみ
れとなっている。
﹁とりあえず埃だけでも追い出すわ。レーカ、手伝って﹂
﹁解った。とりあえずお前等は廊下出てろ﹂
俺とマリア以外が退室したことを確認して、俺は叫んだ。
﹁当たって、ねえええぇぇぇぇよおおぉぉぉぉぉ!!!﹂
ガン、と扉を外から殴る音がした。
窓を二ヶ所開け、俺が人間コンプレッサーとなってに埃が外に放
り出される。なんてことはない、ただの風魔法だ。
はたきでパタパタとしていたマリアは、やがて満足したのかハン
カチで作った即興防塵マスクを外す。
﹁終わったのか?外の4人を呼ぶぞ﹂
2107
﹁ちょっと待ってて﹂
おもむろにメイド服を脱ぎ始めたマリア。
﹁な、なにやってるんすか!?﹂
慌てふためく俺を無視し、マリアはメイド服を脱ぎ捨てる。
メイド服の下は、なんとメイド服だった。
﹁⋮⋮マトリョーシカかよ﹂
﹁埃を被ることは想定済み。これは夏服よ﹂
肩を露出したミニスカメイド。可愛い、可愛いが⋮⋮
﹁そんな媚びたメイド服など邪道だ﹂
﹁ちらっ﹂
﹁アリだと思います﹂
マリアは廊下にいた4人を招き入れ、粛々とお茶を淹れる。
ソフィーはといえば、廊下で質問攻めに遭っていたのか若干ぐっ
たりしていた。
音も発てずに机に置かれるティーカップ。俺とソフィーは慣れた
様子で飲むが、三人組はなぜかぎこちなかった。
﹁どうしたんだ?﹂
﹁いや、友達に恭しく紅茶を出されるなんて初めてでさ﹂
2108
﹁メイドって実在するのね、こりゃ緊張するわ﹂
﹁な、なんか頼んでいいか!?﹂
挙手するマイケルに、マリアは見事な作り笑顔で頷く。
﹁はい、私めに出来ることでしたら﹂
﹁しゃぶれよ﹂
無言でニールとエドウィンにボコボコにされるマイケルであった。
トドメのマリアによるお盆ボンバー。ばしーんと頭を叩いただけ
で、火薬の類は使用していない。
﹁だってよぉ、メイドさんがいたら言ってみたいだろ!?どうせレ
ーカだって言ったことあるんだろ!?﹂
﹁⋮⋮ないわ、ボケェ!﹂
﹁間があったわよ﹂
﹁間があったね﹂
﹁言われたことあるわ﹂
はいはーい、この話題しゅーりょー!
手を振って本題に強引に移る。しばし生暖かい目で俺を見ていた
三人も、諦めたのか話題を変えた。
2109
﹁で、なんでアンタ等はゼェーレストを襲撃してんのよ﹂
﹁俺達の事情、知っているか?﹂
首を傾げるニールとマイケル、頷くエドウィン。
どうせ情報収集はエドウィンに任せきりなのだろう。
﹁噂で知れる程度なら。リデア様の部下となり正義の騎士として統
一国家と日々死闘を繰り広げているんだよね﹂
﹁⋮⋮まあ、その解釈でいいや、もう﹂
色々と美化されている。リデアの騎士じゃないし、統一国家とし
ょっちゅう戦ってなどいない。
リデアの指示で行動することも多々あるし、統一国家に対して嫌
がらせをすることもある。だがその程度だ。
世界情勢が一応の安定を見せる今、そうおいそれと手は出せない。
下手をすればこちらが正当性を失い追われる身となるのだ。
正義の定義を定めるのは、結局多数側の組織ってことだ。
﹁この村はほぼ間違いなくマークされている。だから今まで帰郷出
来なかったが、ちょっと野暮用が出来ちまってな﹂
﹁野暮用って何?﹂
さて、なんて誤魔化そうか。
﹁⋮⋮野暮用は野暮用さ﹂
思い付かなかった。
2110
というか地下の魔法陣を確保することが目的だが、アレがなんな
のかまだ俺も聞いていないのだ。
﹁この村に居座るのに際し、統一国家の攻撃から耐える為の設備を
用意する必要がある。船に色々用意して積んできたが、準備したと
はいえ一週間は時間が欲しい、そう試算した﹂
﹁なるほどね。つまり、なにがなんでも一週間はあの船の存在を統
一国家に知られたくなかったわけか﹂
エドウィンの推理を首肯する。
通信設備のある時計台を制圧し、村を囲むように人員を配置して
出入りを禁じる。万が一包囲を突破する可能性のある人型機や戦闘
機を封じ込める。
陸の孤島となったゼェーレスト村を、エアバイクヒャッハー部隊
がじっくりと調べ紅蓮の騎士がいないかチェックする。それがこの
作戦の全景だ。
﹁お前達三人組が統一国家に与した、あるいは脅され俺達を探りに
来た可能性も考慮はしたが⋮⋮却下した﹂
﹁ふむ、なぜだい?﹂
面白そうに問うエドウィンには悪いが、そんなに面白いロジカル
な理由じゃない。
﹁お前とニールはともかく、マイケルはスパイ活動なんて器用な真
似は無理だろ﹂
安心と信頼のバカキャラである。
2111
﹁マイケルにだけは知らせていないのかもよ?﹂
﹁その場合、俺だったらマイケルと離別して行動する。三人組にこ
だわる理由がない﹂
﹁はは、その通りだ。カモフラージュとしてもマイケルは好き勝手
動き過ぎる、悪さをするには邪魔だね﹂
﹁お前等なに目の前で俺のことをバカにしているんだよ﹂
半目のマイケル。
﹁お前みたいな真っ直ぐな奴といれば、悪さは出来ないって意味だ﹂
﹁そ、そうか?ははは、そーかそーか!﹂
機嫌を直した。簡単な奴だ。
﹁⋮⋮いや、待ってくれ。この屋敷なら隠れる場所はいくらでもあ
るだろう?﹂
慌てた様子で周囲を警戒する三人組。
﹁大丈夫だ、屋敷は事前にチェックしてある。踏み荒らされた形跡
はあったが人も通信装置もない﹂
屋敷の中が隠れんぼに最適なことくらい、最初から判っている。
だからこそ専門家を雇ってまで事前調査させたのだ。
その調査報告も併せ、先程から解析魔法を使用してのチェックに
2112
もなにも引っ掛からないことから屋敷は本当に無人と考えていいだ
ろう。
﹁厄介なのはあくまで村だよ、分散している上に脱出ルートの想定
も多かったからな﹂
﹁だからって、って気もするけど﹂
ニールの咎める言葉に﹃降参だ﹄とばかりに両手を上げる。乱暴
なのは解っているさ。
﹁俺達の目的はこれくらいだ。今度はそっちのことも聞かせろよ、
自由天士になったのか?﹂
子供の頃から天士となる為に訓練︵?︶をしてきた彼等だが、正
直そう簡単には人型機天士になれないと思っていた。
若者が自由天士を志すにあたり、最初にして最大の困難は愛機を
手に入れることだ。工学技術の結晶である人型機は中古でも一般人
には到底手が届かないほど高価なのだ。
下手をすれば、人型機を購入する金で一生暮らせる。そんな高価
な品を、見たことのない型とはいえしっかりと一人一機ずつとは。
﹁見ての通りだ!これでもそれなりに名の知れたパーティーなんだ
ぜ!﹂
﹁世界規模で有名な人達を前に自慢するのも虚しいけど、ね﹂
﹁あんた等が村からいなくなって一年後だよ、私達が旅立ったのは﹂
なんと彼等は、その身一つで家出同然にゼェーレスト村を飛び出
2113
したそうだ。
その後一年ほど大手の航空事務所で下働きを勤め経験を積み、ひ
ょんなことから帝国の試作機を譲り受けたそうだ。
地道に購入資金を蓄えての購入ではないが、それはそれ。きっと
縁があったのだろう。
あの試作機達を使いこなしていることは明白だ、俺としてはそれ
で充分である。
﹁そして今回はたまたま里帰りしていた、ってわけか﹂
﹁特別追われる身でもないからね、たまには帰ってきていたよ﹂
っていうか、俺達よりよほど真っ当な冒険をしている。
﹁実は、手に入れた人型機は5機あるんだ﹂
﹁変わり種とはいえタダで5機か、売れば本当に一生遊んで暮らせ
るな﹂
エアシップ
﹁でもさ、僕達は飛宙船は持ってない。だから2機はわざわざお金
を払って倉庫に預けているんだよ﹂
﹁なるほど、そりゃあ勿体無いな﹂
エドウィンがなにを言いたいか解ってきた。
三人は﹁せーの﹂でタイミングを合わせ、口調を揃えて言った。
﹃俺達をホワイトスティール航空事務所で雇ってくれ!﹄
﹁無理﹂
2114
即答させてもらった。
﹁な、なんで!?私達、結構強いわよ!?﹂
結構、じゃ駄目なんだよニール。
﹁俺達は危険な作戦や単独行動も多い、故に戦闘員はほぼ銀翼クラ
スか一芸に秀でた者ばかりだ﹂
じゃけんひめ
レッドアロウ
白鋼や邪険姫は勿論、生存能力が高く偵察任務で極めて優秀なキ
ザ男の赤矢や圧倒的な火力で防御力で近接防衛火器として頼りにな
るガチターン機などスピリットオブアナスタシア号のメンバーは死
亡する確率が低い化け物が割と揃っている。
俺は部下を死地に向かわせる度胸なんてない。だからこそ、天士
には生き残る能力を求めたいのである。
司令としては失格なのだろう。未帰還をも一つの情報として割り
切って天士を消耗品と認識するのが正しい指揮官の在り方だ。
やっぱり、俺は責任者など向いていない。
そう説明するも、ニールは引くどころかにやりと笑った。
﹁でも人手は欲しいんじゃない?﹂
まーね。いつだって人手不足だよ。
﹁僕達は銀翼級に達していないことは重々承知しているよ。でも、
弱くもないつもりだ。3人揃っているなら、銀翼の天使であろうと
一分間は抑え込んでみせる﹂
どうせ一分間抑え込えこまれたよーだ。
2115
﹁いいから雇えよ、損はさせねぇぜ!﹂
﹁なんでそんなに売り込むんだよ。確かに大型級飛宙船があれば3
機だろうが5機だろうが人型機を収容出来る、けどそれだけが理由
じゃないだろ﹂
5機ならば中型級でも載せられる。彼等なら地道に働けば遅かれ
早かれ買えるだろう。
﹁そんなの決まっているじゃない!﹂
勢いよく立ち上がるニール。
﹁目の前で時代が動いているのよ!傍観なんて、勿体無いわ!﹂
野次馬乙。まあ、こいつらは昔からそうだったな。
大義も欲望もない。ただ、当事者となりたいのだ。
ある意味どこまでも純粋な冒険者。きっと、それだけ。
﹁⋮⋮はあ、二軍でいいなら船に置いてやってもいいぞ﹂
﹁いいの?﹂と目で問うソフィー。仕方がないだろ、人員不足は事
実なのだ。
見張りなど誰でも出来る仕事だってあるにも関わらず、そこに銀
翼を割り振っている有り様である。戦闘員は有事に備えて休めてお
きたいのに。
﹁二軍といえば聞こえはいいが、ようは使いっぱしりだ。それでも
2116
いいなら、こきつかってやる﹂
﹁それでもいい!オッケーだ!やったー!﹂
はしゃいで跳び跳ねる三人組。コイツ等も成人したんだろうに、
子供っぽい連中だ。
掃除しそこなった埃が入るのも嫌なので、俺は一気に紅茶を飲み
干した。
村の様子を見に行ったニール達と別れ、ソフィーとマリアを連れ
て軽く屋敷の探索を行う。
使用人休憩室はさして荒らされていなかった。当然だ、俺ならも
っと別の場所を家捜しする。
ナスチヤの書斎。普段は鍵がかかっていた、俺も呼ばれた時にし
か入らなかった部屋。
﹁まあ、事前調査の報告通りだな﹂
扉は不自然に綺麗なままであった。ドアノブを握るも開く様子は
ない。
﹁侵入者が入った様子はない、というか入れない⋮⋮リデア曰く結
界の一種、だったか﹂
2117
紅蓮の騎士もここには入室出来なかったのだ。ここは魔法に詳し
いリデアの調査を待つことにしよう。
﹁なんとなくほっとしたわ﹂
﹁そうだな﹂
マリアの言葉に同意する。故人の私物が荒らされているのはいい
気がしない。
報告があったとはいえ、ちょっとだけ覚悟していた。
﹁⋮⋮そういえば衣類は?﹂
﹁クローゼットはこっちだけれど、どうして?﹂
部屋に入ってみると、そこは藻抜けの殻だった。
服を仕舞うのに一室使っているのは流石に豪邸だが、旅行に持っ
ていかなかった残りの服はどこにいったのか。
﹁古着として売り飛ばしたのかしら。それなりの金額にはなるはず
だし﹂
完全に賊だな、紅蓮の騎士団。末端まで規律が行き届いていない
のは知ってたけど。
﹁下着はあるか?﹂
﹁⋮⋮ない﹂
タンスを開けたソフィーが愕然とした声を漏らした。
2118
当然下着は古着として買い取り不可。ならなぜ持っていったのか、
俺達は考えないことにした。
微妙な気分で廊下に戻り何気なく外を見る。
﹁あっ!﹂
ソフィーが窓に駆け寄る。そして、何かを確認した後にどこかへ
走っていってしまった。
﹁なんだ、何か見付けたのか?﹂
﹁とにかく追いましょう!﹂
ソフィーがやってきたのは中庭だった。
美しい花が咲き乱れていた花壇も、今や雑草だらけ。朽ちた彫刻
やレンガが4年という月日の長さを痛感させる。
せきよく
麻布に覆われた大きな物体を日の下に露にする。
それは、所々に錆が浮いた紅翼だった。
﹁⋮⋮あとで、診てやるか﹂
今の俺にとっては玩具みたいな飛行機だ、整備は大した手間では
ない。
紅翼のことは一旦忘れ、ソフィーを追って中庭の中心に進む。
﹁これは︱︱︱﹂
2119
静かに涙を流すソフィー。
マリアもこれが何か気付き、息を飲む。
盛り上がった土に、簡素な石板。表面には一切なにも記されてい
ない。
だが、名が刻まれていなかろうと判る。
﹁ナスチヤの⋮⋮墓だ﹂
雑草に侵略された花壇だが、元々植えられていた花やどこからか
迷い混んだ草花はそれでも逞しく咲き誇っている。
風化した中庭に生命力溢れる花々のコントラストは美しく、少し
申し訳なかったものの俺は幾らかの花を摘んで束にした。
そっと墓に花束を置く。その隣には、少し痩せた花が献花されて
いた。
墓が作られたのは何年も前のことだろう。だが花は今年中、それ
も極最近のものだ。
﹁︱︱︱ここに来たのか、ガイル?﹂
俺は一人村へと降りた。
予期せず母親の墓と対面してしまい涙するソフィーは心配だった
が、俺も責任ある立場だ。屋敷の捜索と三人組が敵対する存在とな
っていないかの確認を行ったので、さっさと村に向かい挨拶及び謝
2120
罪をしなければならない。
なんだ、三人組と世間話する為に作戦を放置していたとでも思っ
たか。単に優先順位がこっちの方が上だったってだけだ。
というか、俺に仕事を優先するように促したのはソフィー本人だ。
ナスチヤを思い出して彼女が泣いてしまうのは、時々ある。
﹁おらレーカ、こっちの船が調子わりーんだよ!﹂
﹁あいあいさー!﹂
﹁レーカくーん、お風呂のボイラーから変な音するのー!﹂
﹁よろこんでー!﹂
﹁きゃあっ!レーカくん、お鍋の底が抜けちゃったー!﹂
﹁はいお待ちー!﹂
﹁レーカ坊主ー、俺のカアチャンの顔を修理してくれー!﹂
﹁大破認定ー!﹂
そして俺は、村を騒がせた罰として村中の壊れた道具を一人で修
理している。
一人で、だ。船の職人達は俺が壊した三人組の人型機を修理する
のに忙しい。
俺達が村にいた頃はナスチヤが機械類の修理をしていたのだが、
今は誰も機械に詳しい人がいないそうだ。故に村の機械や道具はど
れも簡単な手入れしかされておらず、多かれ少なかれ不調を抱えて
いた。
2121
そんなわけで、こきつかわれている訳である。
﹁ま、みんな元気そうでなによりだ﹂
一段落して時計台のレオナルドさん家でお茶を戴く。やっと落ち
着いたぜ。
﹁それじゃ、増えた村人は新しく産まれた子供だけですか﹂
﹁うむ。一時期は柄の悪い連中が居座っておったが、3年ほど前だ
ったか撤退していったぞ﹂
柔和な雰囲気を纏うお髭の老人、通称レオさん。ゼェーレスト村
のまとめ役、村長ポジションの人だ。
レオさんは住人の増減や旅人の出入りをしっかりと記録していた。
冊子を捲り一人呟く。
﹁これがあるなら強襲しなくて良かったかも﹂
相手に連絡する隙を与えない速度での村人の名簿との照らし合わ
せ。人口100人程度の村、しかもたった4年。顔ぶれがそうそう
変化しているはずがない。
記憶を元に似顔絵付きの名簿を制作し、それを照らし合わせて不
振人物を探し出し⋮⋮我ながらよく全員の顔と名前を思い出せたも
のである。
アナスタシア号の強行着陸と同時に戦闘の心得があるヒャッハー
部隊が村へエアバイクで走り、失礼を承知でチェックしていく。
それほどに大規模な計画を立てておいて何だが、ぶっちゃけ無駄
だったかも。
いや結果論だけどさ。レオさん以下ゼェーレスト村の住人はナス
2122
チヤがここに定住していることを知っていたのだし、確実に紅蓮の
騎士団はまぎれこんでいなかった。故にこのリストも信頼出来る。
﹁横暴な騎士じゃったが、休戦あたりでいなくなったな﹂
ヨーゼフが引かせたのかな。なにを考えているんだか。
﹁そんじゃ、俺はそろそろ失礼します﹂
﹁おう、また来なさい﹂
レオさんの小さな気遣いを嬉しく思いつつ、俺は時計台を後にし
た。
騒動が落ち着いたことを見計らい、俺は村を今一度見て回ること
にしたのだが。
﹁あれ?﹂
村に子供がいないことに気付く。昼過ぎは広場で遊んでいるのが
いつもの光景だったのに。
とばいえ心配することでもないだろう。子供の遊び場の流行りな
んてコロコロ変わる。
ぐるりと周囲を見渡すと、草原の一画に人が集まっているのが見
2123
えた。子供達だ。
何をやっているのだろうと目を凝らし、懐かしさに鼻の奥がツン
とする。
﹁そうか。今日は週末だった﹂
講師役がいなくなったのに、まだ続いていたんだな。
﹁青空教室か、誰が教えているんだろ﹂
どれ、覗いてみるか。
﹁このXにπを代入すれば、こちらのYが⋮⋮﹂
﹁リデアさまー、よく聞こえませんでしたー﹂
﹁む、そうか?ならもう一度、このXにπを⋮⋮﹂
﹁また聞こえなかったー﹂
﹁このXにπを⋮⋮﹂
﹁えっくすに何を?﹂
﹁ぱ、πを⋮⋮﹂
2124
﹁もーいっかい!もーいっかい!﹂
﹁ぱ、ぱ⋮⋮何言わせるんじゃー!﹂
何やってんだアイドル姫。
黒板の前で子供達にセクハラされているのは、我等がヒロインリ
デアちゃんだった。
生徒の後ろに腰を下ろす。座って黒板を眺める感覚、すごく懐か
しい。
思い出すのはこちらの青空教室ではなく、地球での学生だった頃
の記憶。クラスメイトで仲の良かった連中は元気だろうか。
﹁む、レーカか。挨拶回りは終わったか?﹂
﹁おう、ちょっと暇が出来たんでブラブラしてる。ところで先生、
円周率を表す記号ってなんでしたっけ﹂
﹁そうか。わしはちょっと子供達の面倒を見ておったのだ、辺境の
村の学舎というのが珍しくてな﹂
セクハラはスルーされた。
﹁聞けばあの夫婦が始めたらしいな、この青空教室というのは﹂
﹁ああ。でも、続いてるとは思わなかったよ﹂
﹁有志が教師役を買って出ていたらしい。知識ではなく、勉学その
ものを継続的に行う重要性を理解しているとは教養豊かな村じゃな、
さすがはあの夫婦だ﹂
2125
﹁ははは、ガイルがそんな小難しいことを考えられるわけないだろ
?ナスチヤの功績だよ﹂
﹁伝説の英雄をナチュラルにバカにするのう﹂
黒板に問題を幾つか書き、リデアは俺の隣に座る。
﹁この村の子供逹はある程度の読み書き計算が出来るのだな。驚い
たぞ﹂
﹁義務教育レベルだけどな。飛行機の設計には心許ない﹂
﹁いや、なんで飛行機設計者が基準なのだ﹂
リデア的には数学に詳しい職業といえば商人や学者を指すらしい。
変わった規準感覚だ。
﹁どこもこれくらい知識があればいいのだが﹂
どこか遠い目でリデアはぼやく。
﹁この世界の識字率は五割ほど。都会はともかく辺境では文盲も多
い。この分では、全てが片付いたとしてもしばらくは絶対君主制で
なくてはならん﹂
﹁王族を辞めたいのか?﹂
﹁や、もう辞めておるがな﹂
そうだった。頻繁にハダカーノ王と連絡をとっているので、リデ
2126
アが姓を捨てていることをちょっと忘れてた。
﹁暴君でもない限りは、王など面倒なだけの仕事じゃ。玉座を降り
たいと思わぬ王などいないぞ﹂
﹁あー、責任ある立場って大変だよなー﹂
俺とリデアじゃ全然、責任の重さが違うけど。
﹁共和国みたいに民主主義に出来ないのか?﹂
﹁はは、お主は故郷のニホン、だったか。そこが民主主義だったせ
いで、選挙制度を盲信しているようじゃな﹂
正しくは間接民主制である。
﹁絶対君主制にも利点はあるぞ﹂
﹁ほう、どんな?﹂
王様ってのはなぜかいいイメージがない。前時代的というか、原
始的な政治形体に思えるのだ。
その王政の利点とは?
﹁まず第一に、決断が早い。権力が集中していると誰も逆らわんか
らの﹂
それ、利点かよ。
﹁でもその決断がミスだったら?﹂
2127
﹁それが絶対君主制の危うさじゃな。判断ミスが少ない、というの
ならば民主主義が圧倒的に有利じゃ。じゃが、民主主義が必ずしも
正解に辿り着けるとも限らん﹂
未知の事態には皆が皆、揃って間違えるかもしれないしな。
﹁それもあるが。国の為ではなく、自分の為に敢えて不利益な判断
をする可能性もあるということじゃ。そんな輩が過半数を占めてし
まった場合、民主主義でも誤った道を進む可能性がある﹂
﹁あー﹂
日本の政治家もアレが結構いるらしいが。善悪の是非はよく判ら
ないけど、あいつらも決断はやたら遅いよな。
﹁共和国がああも簡単に乗っ取られてしまったのは、国民が育つ前
に民主化してしまったせいでもある﹂
﹁そうなのか?﹂
﹁そういう見方も出来る、ということじゃ。絶対君王政はその点、
真っ当な志を持ち有能な王であれば、素早く正しい対処が行える。
これは戦争や災害の時には大きなメリットじゃ﹂
判らなくなってきた。結局どっちが優れているんだ?
﹁だから、どっちが正しい正しくないの話ではないのじゃ。とはい
え国民が平均的に高い教養を持ち国が富んでいるのであれば、民主
主義の方が色々と安心じゃな。選挙で無能な議員を選ばなければそ
2128
いつは議席を降ろされるのだから﹂
数人の子供達が問題を解き終え、答え合わせを求める。リデアは
﹁しばし待て﹂と言い、まだ終わっていない他の子を手伝うように
促した。
﹁必要なのは、その判断が出来る国民の知識教養。だからこそ識字
率と民主主義は密接に関わっておるのだ﹂
ピンと来ないな、文字の読み書きと政治がそんなに関わっている
と言われても。
﹁ところで、お主の教養はわしも認めておるが、ニホンの識字率は
どの程度なのだ?﹂
﹁100﹂
﹁は?﹂
﹁100%読み書き出来る﹂
﹁い、いや、それはないじゃろ﹂
なぜキョドる。
﹁まあ、そうだな。子供以外は皆読み書き計算出来る、と訂正しよ
う﹂
﹁いや、識字率は大人だけじゃから。子供は統計に入れんから﹂
2129
そうなのか。
﹁ならやっぱ100。極めてそれに近い﹂
﹁なにそれこわい﹂
﹁地球じゃ珍しくないんだがな、90%以上って﹂
﹁なにそれもこわい﹂
識字率を上げるのってそんなに難しいんだろうか。
﹁学校作ればいいんじゃないか?﹂
﹁気軽に知識を向上させてみろ、革命を起こされるぞ﹂
﹁え、なんで?﹂
思いもよらぬ返答に驚く。
﹁悪政を行う王に反逆するのであればいいのだがな、まあ国を売り
飛ばす為となるじゃろう。他の国民を扇動し、口先だけで権力者と
なってしまえば国を他国に切り売りするのも自由じゃ﹂
売国奴、ってやつか。
﹁そうなれば、国が破綻する。絶対君主制において国民とは、バカ
でなくてはならないのだ。⋮⋮嫌な話だがの﹂
忌々しげに自嘲するリデア。
2130
そんな彼女はやっぱり偉い。陳腐な感想を抱きつつ、思わずにや
にやしてしまう。
﹁き、気持ち悪いぞ?﹂
心配げな顔で言われた。
書類仕事を片付ける為にアナスタシア号に戻ると、格納庫では三
人組の人型機が急ピッチで修復されていた。
﹁無機収縮帯持ってこい、先に腕を付けるぞ!﹂
﹁モンキー誰か貸してくれ、暗くてサイズが判らん!﹂
﹁梯子通るぞ、頭ぁ気を付けろ!﹂
怒号が響く職人達の戦場。それを眺める人影があった。
木箱に腰掛けたニールである。
彼女は俺に気付き、手を挙げた。
﹁マジメだね、この人達。急ぎじゃないって言ってんのに、ガンガ
ン修理していくよ﹂
﹁仕事に関しては手を抜かない連中だ。それに急ぎだぞ、明日から
2131
は皆忙しいからな﹂
今日一日は調査で費やすが、明日からは本格的な工事である。
﹁ところでこの人型機はなんなんだ?見たことがない、全部で5機
あるんだっけ?﹂
シンプルで武骨なデザインの人型機。この場にあるのは3機だけ
だが、どれも似たシルエットを持っている。
直線を多用した、製造のしやすさを重視したと思われるデザイン。
かといって元が同じ機体の派生ってわけでもなさそうだ、基礎フレ
ームからして別物だ。
﹁これはEシリーズだよ﹂
﹁Eシリーズ?﹂
聞き覚えがあるような、ないような。
﹁帝国の技術者って凝り性でしょ?そのせいで、あっちの機体って
製造時期によって細かな改良が加えられていて、やたらとバリエー
ションがあるの﹂
﹁あるある、すっげー解る﹂
これはあくまでイメージだが、共和国製は最初にきっちりと設計
図を練り上げてしまうきらいがある。改良したい場合に備えて遊び
が多く確保されており、別の機体でもパーツの互換性がある程度あ
ったりするのだ。
帝国製は⋮⋮なんというか、こだわってる。技術者が気に入らな
2132
ければ基礎であろうと手を加えるのだ、おかげでジャンクパーツ同
士の擦り合わせが大変で大変で。
﹁特に大戦末期の帝国機は酷い。新型が製造されれば逐次投入、試
験運転も実践テストも碌にしなかったせいで初期不良だらけ。更に
それを無計画に改善・改良していった結果、同じ機種でも大量のバ
リエーション機が生まれることとなったんだ﹂
もうちょっと計画的に作れよ⋮⋮終わりの見えない戦争で、色々
と混乱していたのだろうけど。
﹁そうそう、それよ﹂
どれよ。急に肯定されても困る。
﹁そこで当時の帝国は、現場の混乱を纏めて解決する為に人型機を
5種類に絞り混んでしおうって計画を立てたんだって﹂
﹁それって、それまで使っていた人型機を全部更新してしまうって
意味か?﹂
随分と思い切った計画だ。
﹁それがEシリーズ。部品をとにかく共通化させて、互換性を持た
せようとしたの。間接部も特殊なベアリングパーツを採用すること
で、最前線での換装すら可能だわ﹂
﹁なるほど、それでか﹂
マイケルがニールに機体の片足を譲渡出来たのは、そういうカラ
2133
クリらしい。ああいう運用は予想外だった。
﹁もっとも、﹃余計混乱するだけだ﹄って判断されて試作5機だけ
で計画中止したらしいけど﹂
﹁だろうな。惜しいが、これは戦争が始まる前にやるべき仕事だっ
た﹂
実用性は要検証だが、面白いシステムだ。配備されていたら共和
国にとって大きな驚異となったろう。
﹁あ、思い出した。ポルシェ博士の愚痴に出てきたな、E計画とか
なんとかって話が﹂
通りで聞き覚えがあると思ったら。
﹁誰さ、それ﹂
﹁帝国のマッドサエンティスト﹂
ポルシェ博士。博士と言いつつ、博士号は持っていない叩き上げ
の技術者である。
﹁面白い技術を開発しているからちょっと交遊があるんだが、その
時にE計画とやらの名前が出た気がする﹂
なんでも、大戦時に趣味全開で最強の新型を作ろうとした所、堅
実な設計を基本とするE計画をダシに妨害されポシャったらしい。
あの大変な時期に趣味で兵器作る方が悪い。
2134
﹁類は友を呼ぶ、だね﹂
﹁俺はあそこまで偏屈じゃない。もう行くぞ、明日からは土木仕事
だ。しっかり休んどけよ﹂
﹁あいよー﹂という声を背に、俺は格納庫を後にした。
日も落ち、静寂に包まれている村を尻目にリデアとソフィーを伴
って草原を歩く。アナスタシア号から屋敷への道程だ。
昼間はメイド長のマリア︵﹁仮﹂は取れた︶を筆頭としたメイド
お掃除隊に蹂躙されて騒がしかった屋敷だが、今は窓に光なく沈黙
している。
﹁今日は星が綺麗だな﹂
田舎だからだろうか。夜空を見上げ、そんな感想を抱いた。
﹁なんじゃ、愛の告白か?﹂
﹁月じゃねえよ﹂
﹁月がどうしたの?﹂
セルファークには月がない。厳密にいえば月面があるが、空に大
2135
きな星が浮かんでいるわけではない。
そも、星にしたって重力境界の岩石が反射して煌めいているだけ
だ。
﹁すまんな、こんな時間に。この時間が一番集中出来るのだ﹂
謝ってくるリデア。魔法にもバイオリズムみたいなものがあるら
しい。
﹁別にいいさ、晩飯後の予定は特になかったからな﹂
夕食をとっている時、俺はリデアに屋敷への案内を頼まれた。そ
う、この村に戻ってきた本命の理由、ナスチヤの巨大魔法陣の調査
である。
﹁でもソフィーはどうして着いてきたんだ?魔法のことなんて解ら
ないだろ﹂
技師魔法以外は俺も解らないので、地下に案内したらすぐ船に戻
るつもりだ。リデアを一人にするのは若干心配だが、仮にも魔導姫。
生身勝負なら相当強い。
﹁⋮⋮大人になって、お母さんのことをそれまでと違う視点で見る
ようになったの﹂
﹁違う視点?﹂
﹁お母さんは⋮⋮うんん、なんでもない﹂
なんだよ気持ち悪い。
2136
﹁とにかく見ておきたいの。お母さんが残した物なら、必ず意味が
あるから﹂
屋敷に入ると、暗くて判らないも心無しか昼より埃の煙たさがな
い気がした。
記憶を辿り廊下を探す。
﹁ここら辺だけど、カモフラージュされてて見えないんだよな。ち
ょっと待ってて﹂
解析魔法を発動、壁の中を視る。しかし︱︱︱
﹁︱︱︱あれ、ない?﹂
そこには、カラクリなど存在しなかった。
ただの壁。どういうことだ、場所を間違えたか?
僅かな焦りを抱きつつ壁を叩いてみる。
﹁っ、違う!ここには何がある!﹂
魔法には反応しなかろうと、打診の感覚は確かに壁の中の不自然
さを捉えていた。
機械を叩いて音で内部を診断するのは、整備士にとっては基本に
して奥義。どれほど高度な兵器であっても職人的な五感を駆使した
判断は現在進行形で使用されているのだ。
解析とて今まで俺を助けてくれた重要な魔法。だが、俺は努力で
耳に刻んだ打診の技能をそれと同じくらい信頼している。
天士の命が掛かっている仕事だ。一度もいい加減な判断をしたこ
とはない、故の確信。
2137
階段は、ここに確かにある!
﹁解析魔法対策もされとるじゃろう。それで見つかるならガイルが
発見しているはずじゃ﹂
ナスチヤはエターナルクリスタルを知っていた?なら、俺がそう
であることも気付いていたのだろうか。
﹁まあ、先代魔導姫だしな﹂
実を言えば、ソフィーの言わんとすることも解る。
ナスチヤには秘密が多い。それも、きっと核心的なものが。
﹁︱︱︱あった﹂
手探りで探し、なんとか突起を発見。
押し込んでみれば、壁が持ち上がり地下への通路が現れた。
﹁⋮⋮ホントにあった﹂
自分の家の秘密に驚くソフィー。
リデアがライトの魔法を唱え、一番に階段へ足を踏み入れた。
﹁お、おい。俺が先行するぞ﹂
﹁やめておけ、術式の密度が半端ではない。ここは一種の異界じゃ、
魔法のトラップがあってもお主では気付けん﹂
なんで実家にトラップが、と思うも秘密の部屋がある時点で異常
なので黙っておく。
2138
というか、そんな場所にかつて入ったのか俺は。
やがて到着したのは、ひたすらだだっ広い空間だった。
壁には蝋燭の炎が揺らいでおり、少し心許ないものの灯りは確保
されている。
この炎は最初から燃えていた。魔力がどこからか供給された、魔
力の炎なのだ。
床には魔法陣。微かに光を放つそれは、蟻のように小さく、目を
凝らさなければ読めないほど細かな魔導術式。
それが、直径50メートルの円陣に隙間なく埋め尽くされている。
﹁すごい、前見た時よりすごい気がする。どうやって書いたんだこ
れ﹂
﹁手作業ではなかろう、イメージした文字を書く魔法もある。⋮⋮
これだけの術式をイメージ出来ることがそもそも凄まじいがな﹂
早速地面に這い、魔法陣を調べ始めるリデア。
﹁もういいぞ、後はわし一人でやる﹂
﹁ん⋮⋮手伝いは、まあ出来ないだろうけど。護衛もいらないか?
⋮⋮いらないな﹂
﹁自己完結するな、わしとてか弱い美少女じゃぞ﹂
自分で言うな、生身で人型機と戦える魔法使いの癖に。
﹁ソフィー、もういいか?﹂
﹁⋮⋮うん、帰るわ﹂
2139
ソフィーの手を引き階段へ歩く。
﹁何で手を繋ぐの?﹂
﹁この階段、薄暗いし石造りだから転んだら危ない﹂
﹁レーカが転んで落ちてきたら?﹂
﹁後ろから受け止めて支えてくれ﹂
﹁潰されるわよ﹂
他愛もない会話をしつつ、船に戻ったら途中だった機械弄りをし
つつさっさと寝てしまおうとぼんやり考える。明日も忙しい。
手を引かれ立ち止まる。振り返ってみれば魔法陣を見つめるソフ
ィー。
﹁お母さんは、何を考えていたのかしら﹂
それは、何度目の疑問あろうか。
﹁お母さんの行動はおかしい部分がある。今更、確認しようのない
ことなのかもしれないけれど﹂
迷いを振り払うかのように頭を振り、彼女はポツリと呟いた。
﹁時を越えて、もういない人に会いに行ける魔法があればいいのに﹂
彼女の後ろの魔法陣が、強く輝いた気がした。
2140
微睡みの中、睡魔を振り払い瞼を持ち上げる。
﹁ん、んんっ⋮⋮ここは、どこだ?﹂
ぼうっとした頭で起き上がり、周囲を確認。
廊下だ。屋敷の廊下。
地下室から出てきたところで転んで頭でも打ったか?
﹁ソフィー?どこいった、ソフィー?﹂
なぜか足が上手く動かない。ふらふらと歩き廊下を進むも、道程
が妙に長く感じる。
︵⋮⋮あれ、こんなに綺麗だったっけ︶
廊下が先程より清潔になっている気がする。メイド隊が清掃した
とはいえ、もう少し煤けていたような記憶があるが。
2141
足の違和感に慣れて屋敷を進む。やがて、一室から物音が聞こえ
てきた。
﹁調理室だな、マリアか?﹂
扉を押して中を覗く。
﹁マリア、どうして屋敷の調理室に⋮⋮え?﹂
そこで作業していたのは、なんとマリアではなく彼女の母親のキ
ャサリンさんだった。
﹁ん、どうしたんだい。マリアならここにはいないよ﹂
自然に返事をするキャサリンさん。
最後に会ったのはいつだったか。最近はマリアも実に色っぽくな
ったと思っていたが、やはり対面してみるとキャサリンさんの方が
エロい。
﹁っていや、あ、あれ?なんでここにキャサリンさんが?﹂
﹁なんでって、見ての通り明日の仕込みだよ。ほら、用事がないな
ら出ていきな!﹂
しっしっ、と廊下に追い出される。
どういうことだ、彼女はドリットの雑貨屋にてガイルの父・イソ
ロク氏の世話をして生活しているはずだ。
人手が足りないとマリアかリデアが呼んだのだろうか?
加速する違和感。早くソフィーを見付けようと、縺れる足を叱咤
し急ぐ。
2142
﹁くそっ、なんだよこの変な感覚はっ、とおわっ!?﹂
遂に転倒してしまった。情けない。
﹁あら。大丈夫、レーカ君?﹂
誰かが駆け寄ってきた。
﹁どうしたの?足を引き摺っているみたいだけれど﹂
心配そうな声。顔を上げその人物を認識し、俺は目を見開いた。
﹁あ、なんで、なんでっ﹂
﹁レーカ君?本当に大丈夫?顔が真っ青よ?﹂
そうだろう。俺はきっと、ひどい顔をしている。
ありえない。なんで、貴女がいるのか。
立ち上がるも尻餅をつき、壁まで後ずさる。
白い肌。銀色の髪。蒼い瞳。
しっかりと娘に受け継がれた身体的特徴を持つ美女。
きょとんと俺を見る彼女の名を、俺はひきつった声で呼んだ。
﹁な、ナスチヤ⋮⋮!?﹂
アナスタシア・ニコラエヴナ・マリンドルフ。4年前に亡くなっ
たはずの女性が、目の前にいた。
2143
必然の夢と母の決意 1︵後書き︶
さすがにこの再登場を予想できた人はいないはず。
2144
必然の夢と母の決意 2︵前書き︶
一年半前から内容は決めていたので、一週間更新出来ました。
キリのいい所で分けたので、6章ラストは次回に繰り越します。
2145
必然の夢と母の決意 2
もう死んだ、いないはずの人間との再会。
﹁な、ナスチヤ⋮⋮!?﹂
思わず呼んだ名前に、アナスタシア様は﹁うーん﹂と少しだけ唸
り、俺を窘めた。
﹁レーカ君、その呼び方は許した覚えはないわよ?私の故郷では愛
称は大切なものだから、許可なしで呼んじゃ駄目﹂
﹁は、いえ、貴女がそう呼んでくれってあの夜に提案したんじゃ⋮
⋮﹂
ナスチヤと呼ぶように言われたのは大陸横断レース未成年の部の
決勝前夜。ホテルのバルコニーで語り合った時だ。
そしてその次の日、彼女は︱︱︱
﹁︱︱︱っ!﹂
無数の魔法に貫かれ骸となるナスチヤを思い出し、胃の中身を吐
き出しそうになる。
﹁う、ううっ﹂
﹁レーカ君、私の部屋に行くわよ﹂
2146
有無を言わさない口調で抱き上げられる。無詠唱身体強化魔法を
使っているのか。
﹁ポーションの在庫は幾つだったかしら。私、治癒魔法は苦手なの
よね﹂
﹁⋮⋮魔導姫にも、苦手な魔法があるんですか﹂
魔導姫の苦手分野なんて不得手のうちに入らない。俺はナスチヤ
に怪我を治してもらった記憶がある。
﹁それ、誰に聞いたの?恥ずかしいからあの人にも口止めしている
のに﹂
あの人⋮⋮ガイルか?
なんだろう、この状況は。なんで俺はナスチヤの温かさを感じて
いるんだ。
﹁っ!離れろ!﹂
腕を振りほどき、飛び降りる。
﹁誰だお前は、紅蓮の手の者か!?﹂
ナスチヤは死んだ。それは事実だ。
受け入れたはずの事実と目の前の現実の解離。それに耐えきれず、
俺は適当な理由をこじつけて眼前のナスチヤを否定する。
突然の拒絶に目を見開くナスチヤだが、俺の口にした名前に目を
細める。
2147
﹁レーカ君、紅蓮の騎士ことをどこで知ったの?﹂
﹁その呼び方をするなっ、やめろ!﹂
視界が揺らぐ。気付けば、俺は目に涙を浮かべていた。
﹁夢か?そうだ、これは夢だ。ナスチヤは、ナスチヤはもう︱︱︱﹂
ぎゅっ、と抱き締められる。
仄かな香水の香り。柔らかく温かな体。
﹁落ち着きなさい。だいじょうぶ、だいじょうぶよ﹂
﹁⋮⋮本物、なんですね﹂
認めるしかなかった。感覚の全てが、これが現実だと示唆してい
た。
﹁ごめんなさい、怒鳴ったりして﹂
﹁いいの、いいのよ﹂
ここでようやく、俺は自分の体が縮んでいることに気付いた。
現状に対する解答で、理屈の通るものが一つ浮上する。
⋮⋮ばかばかしい、でもそれ以外は考えられない。
﹁ここは、過去の、世界?﹂
﹁あらあら。レーカ君はいつの時代から来たの?﹂
2148
嗚咽を堪えて、一言絞り出す。
﹁生きて、下さい。ソフィーが泣いちゃいます﹂
﹁それは⋮⋮よくないわねぇ﹂
脈絡のない言葉に眉を潜めるも、彼女は提案する。
﹁取り敢えず場所を移しましょう、誰かに見られたら面倒だわ﹂
手を繋ぎナスチヤに手を引かれる。
﹁アナスタシア様、って呼んだ方がいいですか?﹂
﹁うんん、未来の私が許可したんでしょう?ナスチヤって呼んで﹂
﹁はい﹂
首肯し、ナスチヤの書斎へと向かう。
そこには先客がいた。
﹁あ⋮⋮﹂
書斎の扉の前で呆然と座り込むソフィーは、俺達を見て、逃げよ
うとする。
﹁ソフィー、待って!﹂
咄嗟に追いかけ、手首を掴んでしまう。
2149
﹁痛っ﹂
﹁ご、ごめん﹂
少し強く握ってしまった。
﹁どうしたの、ソフィー?私に用事?﹂
しゃがんで娘に問うナスチヤ。
﹁な、なんでもないで、す。おやすみなさい﹂
﹁ソフィー?﹂
ぎこちない反応。内容もおかしい、この時期のソフィーは両親と
共に寝起きしていたはずだ。
故に、簡単に思い至る。
﹁ソフィー、今、幾つだ?﹂
﹁へっ?えと、レーカが家にいるから、たぶん10歳?﹂
俺が屋敷に住んでいたのは10歳から11歳の一年だけ、そこか
ら推理したのだろう。
﹁ソフィーだな?俺と旅をして、統一国家と戦って、世界中を回っ
た⋮⋮16歳の﹂
﹁レーカ?レーカなの?レーカ!﹂
2150
抱き付かれ、泣き出してしまった彼女の頭を撫でる。
ナスチヤの墓を見てしまい、なんだかんだで情緒不安定だったの
だろう。それがこんな状況となり決壊したのだ。
﹁まあ、俺もさっきナスチヤに抱き締められて落ち着いたから、あ
んまり偉そうに出来ないけどな﹂
﹁⋮⋮ずるい﹂
おずおずと俺から離れたソフィーは、何かを期待する目でナスチ
ヤを見る。
意図を正確に汲んだ彼女は、思い切り娘を抱き締めた。
﹁おかあさん⋮⋮おかあさん、おかあさん!﹂
号泣するソフィー。人前で泣くことも減った彼女だが、夢の中で
は誰も見ていまい。
そもそも、これが夢か現実かは判らないが。
書斎に入った俺達は、取り敢えずソファーに座る。
﹁紅茶を煎れるわ、少し待ってね﹂
﹁あ、俺が煎れます﹂
﹁私が、私がやるわ!﹂
2151
なぜか強く立候補したソフィー。
﹁ソフィー?お茶、煎れられるの?﹂
意外そうに目を丸くするナスチヤ。
﹁自分の部屋ではやっている、から平気﹂
﹁⋮⋮そう、ならお願いしようかしら﹂
ソフィーの奴、母親への口調が安定していないな。
昔のように無条件で甘えられないのだ、きっと。お茶汲みを買っ
て出たのは母親にいいところを見せたかったのか。
どこかぎこちなくお茶の用意をするソフィーを、ナスチヤは優し
く見守る。
ふと、カーテンの隙間から外を見る。
この角度からは草原に着地したスピリットオブアナスタシア号が
見えるはず。だが、そんなものは影も形もない。
あれほど巨大な船ともなれば、始動にもかなりの時間を必要とす
る。船員達がドッキリを仕掛けている、なんてわけでもなさそうだ。
いや、判ってたけどさ。それでも時間を越えたと考えるよりは現
実的だ。
﹁未来から来たのは二人だけ?﹂
﹁えっと、たぶん。なんでここに来たのか判らないんですけど﹂
心当たりがあるとすれば⋮⋮やはり、あの魔法陣だろうか。
2152
﹁貴女が残した魔法陣を調査していたんです﹂
あの場にいたリデアも一緒に来ているかもしれないが、俺とソフ
ィーがかつての自分の体に乗り移っていることを考えれば、仮にそ
うであったとしても今彼女は帝国城で一人慌てふためいているだけ
だ。
﹁私が?﹂
﹁ええ、地下室の巨大魔法陣ですよ。⋮⋮ないんですか、まだ?﹂
頷くナスチヤ。
﹁どんな魔法陣か判る?﹂
﹁とにかくでかいとしか。実際に調査していたのはリデアなので、
俺達は詳しくは理解していないのです﹂
﹁リデア、リデア姫?お転婆姫とお友だちになったの?﹂
﹁ええ、お転婆っていうよりタヌキ姫ですが﹂
とんだ猫被り女である。
﹁駄目よ、そんなこと言っちゃ﹂
﹁なはは、まあ軽口言えるくらいの間柄ってことです。でも、魔法
で時間を越えるなんて可能なんですか?﹂
﹁一応理論的には可能なはず、よ﹂
2153
要は転移魔法と同じらしい。ただし、座標演算が比べ物にならな
いほど複雑とのこと。
﹁それにやりとり出来るのは情報だけ。肉体の時間移動は不可能よ﹂
情報だけ、リデアもそんなことを言っていた。
﹁きっとその魔法陣によって、レーカ君とソフィーは魂だけが過去
の自分に憑依してしまったのよ﹂
﹁それって、過去の自分が消えてしまった、ってこと⋮⋮?﹂
ソフィーが恐る恐る問いかける。
﹁いいえ、たぶん今回の転移は一時的なもの。時間が経てば二人は
元の時代に戻されるわ。この時代の二人の魂は、単に眠っているだ
け﹂
胸を撫で下ろす。過去の自分を殺すなんて、とんだパラドックス
だ。
ほっとしている俺とは違い、ソフィーは落胆の色を浮かべていた。
ソフィーがお茶を3つ用意し終わるのを待ち、ナスチヤは問いか
けた。
﹁⋮⋮ソフィー、変えたい過去があるの?﹂
重い沈黙が落ちた。
﹁ナスチヤは察しているんじゃないですか、貴女は勘のいい女性で
2154
す﹂
﹁まあ、ね。ソフィーがいくら泣き虫でも、過去の私に出会って号
泣するなんて尋常ではないわ﹂
彼女は俺達を真っ直ぐ見据え、確認する。
﹁死んだのね、私﹂
頷く。そもそも俺は、さっき﹁生きてください﹂と口走ってしま
った、誤魔化しようがない。
﹁⋮⋮貴女の死を切っ掛けに、全てが狂いました始めた﹂
ソフィーに話させるのは酷だろう。全て俺が語ってしまえ。
﹁貴女は、大陸横断レースの最中に大規模テロを起こした紅蓮の騎
士団によって、殺害されました。神の宝杖によって共和国の政治機
能は麻痺し、その隙に大国が一つ丸ごと乗っ取られて⋮⋮俺達はゼ
ェーレストに戻ることも出来ず、自由天士として旅をして生活して
います﹂
﹁あの人⋮⋮ガイルは?﹂
﹁ガイルはあれ以来おかしくなってしまって、現在行方不明です﹂
﹁なにをやっているのよ、あの人は⋮⋮﹂
頭に手を当てて眉間に皺を寄せるナスチヤ。
2155
﹁そっか、うーん、とはいえ本来は大戦で無くした命だしね。悔い
はないかしら﹂
﹁なっ、なんでそんなことを言うの!?﹂
激昂するソフィー。当然だ、大切な人が消えることを受け入れら
れるはずがない。
﹁いやよ!ずっと一緒にいて、お母さんもお父さんも、皆でこの家
で暮らせばいいでしょ!?﹂
ただ、俺はナスチヤの口調に芝居染みたものを感じ取っていた。
死ぬことを受け入れられる人間などいるはずがない。ソフィーを
納得させる為の方便で、ただ単に死を回避する方法がない、あるい
は回避するわけにはいかないのではないか。
﹁落ち着きなさい、ソフィー﹂
﹁落ち着かないわよ⋮⋮!﹂
﹁貴女達、もう成人したのよね?﹂
揃って頷く。
﹁ひょっとして、特別な関係?﹂
にまにまと笑い訊ねてくるナスチヤ、こんな状況でも娘の事情は
親にとって楽しいネタらしい。
﹁えっと、恋人やってます。⋮⋮三股してますけど﹂
2156
﹁⋮⋮ふーん﹂
いかん、ナスチヤの視線が一気に冷たくなった。
そこに割って入るソフィー。
﹁お母さんがファルネのことでそういうことに敏感なのは知ってい
るけれど、これは皆納得していることなの。だから、レーカを責め
ないで﹂
いや、責められるべきことだろ、親としちゃあ責めたくもなるさ。
その上で全員を選んだのだ、俺は。というか⋮⋮
﹁ソフィー、フィオのこと知っていたのか?﹂
俺は一度もファルネが異母姉妹だと話していない。ナスチヤも嫌
な名前を聞いた、と顔をしかめていた。
﹁私だって子供じゃないわ、気付くわよ﹂
﹁そうか、黙っていてすまない﹂
﹁それは置いといて、二人は結婚していないの?婚約はした?﹂
ナスチヤさん、そっちの方向に興味津々っすね。
﹁って、貴女が俺達を婚約者にしたんじゃないですか﹂
﹁そうなの?なるほど、この場でそれを聞いた私は貴方達を婚約者
にするのね﹂
2157
なんだそれ、ややこしい。
﹁ね、もっともっと聞かせて頂戴。貴方達の、旅のお話を﹂
身を乗り出すナスチヤ。谷間が実にけしからん。
﹁いや、そんなことよりもっと大事な話が⋮⋮﹂
せっかく過去に戻ってきたんだ、未来を都合よく変えられるかも
しれない。
だがナスチヤは聞く耳を持たず、結局押し切られて俺達はこの4
年のことを断片的に語る流れとなったのであった。
帝国城を成り行きで飛び出した旅立ちは、俺とソフィーの二人っ
きりだった。
初めての旅生活に四苦八苦しつつも、航空ギルドの依頼を受け各
地を文字通り飛び回り。
やがて、冬ので村でキョウコが合流する。それ以前からうろちょ
ろしていたけど。
魔王の残したダンジョンに挑んだな、そういえば。人型機用のダ
ンジョンに見せ掛けて生身向けとか、ただの詐欺だと思う。
冬季はナスチヤが確保していた孤島のアジトにてのんびりとした
生活を送る。神ですら簡単には侵入出来ない
2158
ことが証明されたので、かなり無防備にだらけれた。
忘れてた、初めての越冬でキザ男が島に流れ着いたんだ。でもこ
の話は割愛しよ、キザ男だし。
夏となり、リデアから舞い込んだ突然の依頼。
統一国家主首都に乗り込んでのレジスタンスとの接触などという
無理難題を提示され、成し遂げたものの彼等の作戦に参加すること
となりピンチに陥る。
ラスプーチンとの死闘。万全とは言い難いコンディションでの戦
いは厳しく、リデアとの咄嗟の連携でなんとか撃破出来た。
その後、核弾頭による戦略的抑え込みで戦争は一時休戦。代替わ
りした統一国家が態度を軟化させたことで、表向きは平穏が訪れた。
その後の3年間は、実を言えば色々と楽しかった。いつ終わると
も知れない安全を享受し、帝国以外にも色々な国へと渡った。
ソフィーとリデアのお姫様コンビが裏で暗躍した温泉旅行。あれ
以来、ファルネがよく船に現れるばかりか作戦に参加することさえ
ある。昨日今日はいなかったが。
トレインジャックされた地上船に乗り込んでの室内戦。ゼロ高度
背面で船と並走する白鋼から飛び移ったのは若気の至りである。
帝国の半人型戦闘機開発を手伝ったりもした。主翼の構造が複雑
で重いことがネックらしかったので、斜め翼を提案したところめで
たく変態呼ばわりされた。
面白事件といえば白鋼の偽物が現れたことがあったな。人型機と
戦闘機がかわるがわる登場して人々を騙していたのだ、ちょっと関
心した。
そういえば白鋼が盗まれたこともあったな。ただし操縦出来ずに、
あっさり犯人を捕まえられた。可愛い女の子なので見逃した。
﹁最後の事件、私知らない⋮⋮﹂
﹁そんなこんなで、大冒険でした!﹂
2159
いかん、色仕掛けされて怪盗を逃したことはソフィーには秘密だ
った。
ソフィー、マリア、キョウコの3人の恋人。
キザ男、リデア、ルーデルとガーデルマンに加えてガチターンと
マキさん夫婦、そして今や5歳になった社長ちゃん。
交友を持ち続け、時には依頼されたりしたりのエカテリーナさん
やユーティライネン兄妹。どちらの所属かよく判らないファルネ。
ツヴェー渓谷のフィアット工房より出稼ぎにきた若い衆の職人・
整備士達。
エアバイクに乗りドリットの治安を守り、レジスタンスとしても
戦ったヒャッハー達。
元はリデアが用意した人員であったが、マリアに調教されすっか
り寝返ったメイド達。
⋮⋮たぶん彼女達はリデアの命令よりメイド長のマリアの命令を
優先する気がするのだ、なんとなく。
ああそうだ、今日仲間になったばかりのニール・マイケル・エド
ウィン三人組もいた。なんだかんだで結構期待している、彼等には。
総勢100人以上。規模は大手航空事務所と呼んでもなんら差し
支えがない、一大組織と化していた。
﹁ほんと、柄じゃないですよ。銀翼を何人も抱える事務所のリーダ
ーが俺だなんて﹂
﹁人徳よ、きっと。⋮⋮でも本当に凄い面子ね、帝国の悪魔まで部
下にするなんて﹂
ルーデルのことである。確か大戦にて唯一ガイルと渡り合った銀
翼の天使なんだっけ。
操舵士の席に収まっているルーデルだが、ちゃんと彼の雷神も船
2160
に積み込まれている。秘密兵器というか危険物扱いである。
﹁ふふっ、ふふふ。素敵な旅だったのね﹂
﹁﹃旅なんて苦労と退屈が九割、喜びが一割。でも、その一割が代
え難いものだからこそ冒険者は生まれた﹄って感じです﹂
昔のことを事細かに覚えているわけではないが、この言葉ははっ
きりと思い出せる。
まさしくそうだった。苦労した思い出も多い、辛いこともあった。
それでも、それ以外の一割は確かにあったのだ。
﹁そうよね、旅ってそういうものよね。私もだから旅は好きよ﹂
﹁あれ?この言葉、ナスチヤに聞いたんですよ?﹂
そうなの?と首を傾げるナスチヤに頷く。
﹁確か初めて俺がツヴェーに行く時の野宿で﹂
﹁あ、それは明日の予定ね﹂
あれ、ツヴェーにまだ行っていない頃なんだ。
ゼェーレスト在住中も何度もツヴェー渓谷には行ったし、それよ
り前ってことはほとんどセルファークに来たばかりではないか。
﹁⋮⋮うん、そうね。やっぱり私は死ぬことにするわ﹂
﹁お母さん、話聞いてた?﹂
2161
先程よりは落ち着いたソフィーは、ジト目で母を見据える。それ
をくすくすと受け流すナスチヤ。
﹁聞いたからこそ、よ。今の⋮⋮二人からすれば昔のソフィーなら、
私が強く言えば引き下がったわ﹂
そうだな、納得しないだろうけどそれ以上は言えなかったかもし
れない。
﹁大きくなったのね、ソフィー。もしかして身長は越されちゃった
?﹂
﹁私だってさほど長身でもないわけだし、あっという間よね﹂と背
が伸びた娘を想像してにこにこするナスチヤ。
言えない、ちんまいままだなんて言えない。
﹁歴史を変えることは可能よ、世界の修正力が働いたり、なんてこ
とはない。でも、そうした場合︱︱︱二人の、そして二人と同じ時
間を過ごした世界中の人々の4年間は、一切なかったことになるわ﹂
それは、つまり︱︱︱俺達は消えてしまう、ということか?
﹁娘と将来の息子の頑張りを否定なんて出来ないわ。お母さんだも
の﹂
﹁死ぬのは、貴女ですよ?﹂
﹁それでもよ﹂
2162
ナスチヤの瞳はもう揺らいでなどいない。
本当に、受け入れる気だ。一年後の自分の死を。
﹁⋮⋮無責任じゃないですか﹂
それでも、俺は引き下がれない。
隣に座る顔面蒼白な彼女は、否が応にも思い起こさせるのだ。
ナスチヤが死んで、帝国に逃げ延びる頃の⋮⋮壊れる一歩手前で
あったソフィーを。
この肉体の持ち主である過去のソフィーは、一年後にそれを経験
する。そうと解っているのに、対策を打てないなど残酷過ぎる。
﹁親なら娘の幸せを願って下さい、他のなにを犠牲にしてでも。そ
うでなければ、誰がソフィーを救えるんですか!﹂
﹁ずっと一緒にいた男の子なら、きっと大丈夫﹂
﹁大丈夫じゃないから言ってんだ、この⋮⋮おっぱい星人!﹂
馬鹿親、とか口走りそうになるも、さすがに無理だったので変更
した。
俺のセクハラ発言に目を丸くするナスチヤ。そういえばこの人に
は告白したり口説いたりもしたが、セクシャルなハラスメントをす
ることはなかったな。
﹁もうっ。一番興味のある年頃なのかもしれないけれど、ソフィー
ので我慢しなさいな﹂
ナスチヤ⋮⋮それは鬼の所業だ。
さっきからソフィーが妙なところでダメージを受けている。やめ
2163
たげて。
﹁確かに、無心に子の幸せを願うなら今から出来ることもあるかも
しれないわ。でも、君の言い分には間違いがある﹂
﹁そりゃ、他人を犠牲にしてもいいって言っているんだから穴だら
けでしょうけど。でも︱︱︱﹂
﹁私の目の前に今いる16歳のソフィーもレーカ君も、私の子供な
のよ﹂
⋮⋮他人じゃなかった。
﹁私には出来ないわ、歴史を改竄して貴方達を消してしまうなんて。
絶対いや﹂
﹁お母さんの、お母さんのばかっ!﹂
ナスチヤはソフィーの隣に座り、そっと抱き締める。
﹁生きてよ、何度も願ったのよ。あの日が夢で、目を醒ませばお母
さんがいるって。それが出来るのよ、今。奇跡なのか魔法なのかな
んてどうでもいい、これが現実なら、生きる為に努力してよ!﹂
﹁⋮⋮嫌よ。絶対に嫌。ソフィーのお願いでも、こればかりは聞か
ない﹂
これが正しい判断かなんて解らない。
けれど、ナスチヤの意思は覆らない。それは理解してしまった。
たぶん、ソフィーも。
2164
﹁お母さんの、馬鹿っ!﹂
涙を堪え、といえどほぼ決壊していたが、とかくソフィーは母を
突き飛ばして部屋を飛び出していってしまった。
﹁ソフィーがナスチヤに暴力振るったぞ、信じられん﹂
﹁本当に。初めて親子喧嘩しちゃったわ﹂
﹁初めてですか、一度もしたことなかったんですね﹂
⋮⋮あれ、デジャブを感じた。
以前にも似た会話をしたはずだ。しかし⋮⋮
﹁あの、前に一度だけ喧嘩したって言ってませんでしたっけ?﹂
そうだ、ナスチヤが死ぬ前日のホテルで親子喧嘩の有無について
訊ねた。
そしてナスチヤは確かに、一度だけ喧嘩したことがあると答えた
のだ。
﹁それが今でしょう?親子喧嘩﹂
﹁これってカウントするんですか﹂
この場での会話は、確かに俺達の歴史へと影響を及ぼしていたの
だな。
現在と過去は地続きなのだ。それが、ナスチヤの意志が覆らない
証のような気がして嫌だった。
2165
﹁都合よく二人だけになれたわね﹂
﹁都合よく、って。ソフィーにとっては最初で最後かもしれない会
話の機会ですよ、そんなぞんざいな扱いをしなくてもいいでしょう﹂
ソフィーには聞かせたくない話、いったい何だと言うのか。
﹁実を言えば、単に余計なリスクを負いたくないだけなの﹂
﹁リスク?﹂
ナスチヤが生きる為に行動する場合に発生する危険性?
というか、この人は俺の話を聞きつつも損得勘定をしていたのか。
どうすれば娘の利益になるかを。
﹁ソフィーを誰も守ってくれない状況に陥るリスクよ﹂
﹁それは⋮⋮ああ、俺もナスチヤも死亡する可能性、ってことです
か﹂
俺やガイルもおらず、更に紅蓮に捕まることもなくその身一つで
世間に放り出される可能性。
⋮⋮ああ、それはよくない。
﹁娘に対して言うのもなんだけれど、とっても可愛い子じゃない。
そんな子供が保護者もなくした状況で、運良く健全に生き延びられ
ることを盲信出来るほど私は世間を信じていない﹂
可能性は低い、だがあり得ないわけではない。
2166
統一国家の傀儡にされた方がマシ、そんな人生を強いられる可能
性だってある。それは絶対に認められない。
﹁私は魔法には自信があるけれど、今はただの一人の女。紅蓮の騎
士団をいつまでも撃退出来るはずもないわ﹂
ナスチヤが魔導姫であろうと、ラスプーチンよりは弱いはず。殺
害目的で狙われれば、苦しい戦いとなる。
﹁親なら、守りきるって言って下さいよ⋮⋮﹂
必死に反論するも、声に力は籠らない。
﹁レーカ君なら安心なのよ。現に、ソフィーは元気にしている﹂
俺の額に口付けするナスチヤ。
﹁小さな騎士様、ソフィーをどうかお守り下さい﹂
﹁⋮⋮なら、死んだふりをして隠れているのは?﹂
我ながら、本当に往生際が悪い。
だが、それでも引いてはいけない。かつてのソフィーの能面のよ
うに生気が失せた顔の記憶が、俺をそうさせた。
﹁例えば、そうです、4年間どこかに身を潜めていればいい。貴女
は一年後に死んだフリをして、俺達が未来に帰れば表舞台に表れる、
っていうのは﹂
これならナスチヤの生存は未知の出来事、歴史を書き換えたこと
2167
にはならない。
﹁なるわ﹂
一言で切り捨てられた。
﹁世界の反対で蝶が羽ばたけば、やがては台風となることもある。
どうやっても何かしらの影響は及ぼすわ。私が死ななければ、二人
の人生は別のものになってしまう﹂
﹁なら、なら⋮⋮魂だけ隔離して世界に影響を及ばないようにする
のは﹂
﹁うーん、レーカ君はちょっと勘違いしているわ。肉体と魂は一心
同体なの﹂
紅茶で口を湿らせつつナスチヤは俺の認識を修正する。
﹁今、レーカ君は過去の自分に乗り移っているわ。でもあくまで魂
は未来のレーカ君の体に収まっているの。未来からケーブルを伸ば
して過去の肉体に接続しているようなものなのよ。だからこそ、魔
力が途切れれば元の時間に戻るって断言したわけだしね﹂
﹁肉体と魂の都合のいい分離は出来ない、ってことですか﹂
﹁そういうこと﹂
反論は、それ以上思い付けなかった。
﹁と、ととと。ごめんなさい、なんなのかしら﹂
2168
俯いていた顔を上げると、ナスチヤは作り笑顔を浮かべつつも溢
れる涙に困っていた。
﹁いやね、もう。泣くなら貴方達が帰ってからにしようと思ってた
のに﹂
﹁あ、いえ⋮⋮﹂
俺の内心は罪悪感に覆われる。
自分が死ぬと言われたのだ、ショックを受けないはずがない。俺
はその張本人を責め立ててしまった。
謝ろうとして、無言で視線を逸らすに留める。これ以上何かを言
うのは彼女を困らせるだけだ。
﹁無理なのよ。未来が繋がっていて、二人は元気に生きていて。そ
れを目の当たりにしてしまった以上、私はそれを無効にするという
選択は出来ない﹂
促されるがままに未来を話してしまったのが、ナスチヤの決心の
材料となったのかもしれない。
﹁貴方達だってそうでしょう?例え歴史改竄による死に苦痛が伴わ
ないとしても、今までの思いを否定されるるなんて嫌なはずよ﹂
﹁︱︱︱っ、ああ、俺は馬鹿だ!なにやってんだ、くそっ﹂
そうだった。旅立ちの日に決意したはずだった!
﹁ナスチヤの死を軽んじたくはない﹂と、そう王室専用の小さな劇
2169
場ホールで誓ったはずだ。
がばっと頭を下げる。
﹁すいません!大切な思い出が一杯あるんです!﹂
幸い、顔はともかく、声は震えなかった。
﹁死んで、下さい!﹂
﹁私はもういいわ﹂
そう言って、ナスチヤは俺にソフィーを探してくるように促した。
ドア際で振り返り、ナスチヤの姿を目に焼き付ける。
これで最後だ。もう、会えない。
︱︱︱女々しいものだ。さっさと立ち去ろう。
﹁レーカ君、こんなことを言えた義理ではないけれど。娘をよろし
くお願いします﹂
﹁はい﹂
退室し後ろ手にドアを閉める。
﹁︱︱︱?﹂
2170
なんだろう、今の?
小さな違和感。だが俺は、それ以上考えることもなく部屋を後に
するのであった。
昔、夜間に出歩いたことでこっぴどく怒られたことから、ソフィ
ーは屋敷の外にいることは容易に想像可能だ。
だが屋敷は広い。ある程度目星を付けたいところ。
﹁人には会いにくいよなぁ、どんな顔をすればいいか解らん﹂
﹁またなにかしたの?﹂
﹁ひゃあっ!?﹂
ちっこいマリアに声をかけられた。
﹁ま、マリアか。⋮⋮本当に小さいな﹂
﹁君の方が小さいでしょ。さっきからコソコソしているけど、どう
したの?﹂
そんなに挙動不審だっただろうか。
しかし、ぼっきゅっぼんのマリアに見慣れてしまったからか、妙
に子供っぽく感じる。ソフィーは大きかろうと小さかろうと大差な
2171
いからな。
﹁ソフィーを見なかったか?﹂
﹁あの子、さっき私の顔見て逃げてったわよ﹂
ぷんぷんと怒るマリア。指差す方向は一階への階段。
﹁下だな、ありがとう!﹂
脇を抜けて先を急ぐ。
ちょっとだけ振り返り、過去のマリアに叫んでおいた。
﹁美人になれよ、マリアは俺の嫁!﹂
﹁はあっ!?﹂
っと、しまった、この時期のマリアはセクハラ嫌いだった。
まあいいや、お仕置きされるのは過去の俺だ。
苦労は若いうちに買ってでもしろと言うし。頑張れ俺︵他人事︶。
廊下の角から飛び出そうとして、慌てて引っ込む。
見えたのは白い髪の後ろ姿と︱︱︱まだギリギリ青年と呼べる外
見の男性。
2172
︵ガイル︱︱︱!一番顔合わせたくない奴と会っちまった!︶
しかもソフィーと対面してやがる。大丈夫だろうか。
そっと覗く。不安そうに父親を見上げるソフィーと、そんな娘を
不思議そうに見つめるガイル。
ガイルがなぜ裏切ったのか、俺達は未だに把握出来ていない。別
人に入れ替わったような気がするも、ソフィーに対する親愛の情は
確かにガイルとしか思えない。
ある日を境に﹁ズレて﹂しまった父親に、ソフィーは困惑するし
かないのだ。
﹁え、えいっ!﹂
唐突にソフィーはガイルを殴った。彼女の筋力では渾身であって
も痛くはない。
たぶんあれだ、ガイルに再会したら殴ってでも止める、という表
明を実践したのだ。
﹁⋮⋮えと、どうしたんだソフィー?﹂
一歩歩み寄るガイル、それに反応し一歩後退するソフィー。
﹁え、反抗期?嫌われた?嘘だ、これは夢だ﹂
そんな娘の様子に愕然と膝を付くガイル。相も変わらず娘馬鹿で
ある。
﹁なんだ夢か﹂
2173
納得納得、夢ならこの状況も理解可能だ。ちょっと黙ってろバカ
ガイル。
﹁お父、さん。訊いて⋮⋮いい?﹂
恐る恐る問う彼女に、ガイルは頷く。
﹁おう、お父さんに答えられることならなんでも答えるぞ﹂
﹁お父さんは、私のこと、好き?﹂
﹁大好きだ!﹂
迷い一つない即答をして、がばっとソフィーを抱き締めるガイル。
﹁世界で一番大好きだぞ!あ、お母さんと同列一位だな!二人は俺
の宝物だ!﹂
最初は困惑していたソフィーも、やがて目を閉じて父の背中に手
を回す。
﹁うん、私もお父さんのことが大好き﹂
だから、諦めない。
声には出さず、ソフィーは唇の動きだけでそう呟いた。
しばし抱き合う親子だったが、ソフィーからそっと離れる。
ガイルの頬にキスして、はにかんでソフィーはこっちに駆けてき
た。ガイルは娘の意外な行動に硬直している。
﹁あっ﹂
2174
﹁よ、よう﹂
曲がり角で俺に気付き、一旦停止。
﹁どこか、二人っきりになれる場所に避難しましょう!﹂
﹁お、ちょ、どこいくんだ?﹂
ソフィーに手を引かれ俺は走る。
手を繋ぐことは多々あれど、ソフィーに先行されるのはちょっと
珍しい出来事だった。
﹁ふぎゃ﹂
転んだ。元々どんくさいソフィーが、慣れない体に憑依している
のだから当然である。
人に会うのは面倒だ。どんな顔をすればいいか解らない。
故に俺達は、昔の俺の自室⋮⋮屋敷側の倉庫に逃げ込んだ。
﹁白鋼の格納庫、なかったな﹂
過去、この時期なら当然だ。
2175
﹁あれ、ネ20エンジンってもうあったっけ﹂
まだレストアされていない。久々に見たが、やはり年期の入った
エンジンだ。
﹁げ、中にでかいクラック入ってやがる。昔の俺では直せないだろ
うし、ちゃちゃっとやっとくか﹂
﹁ぶれないわね、こんな状況でも機械弄りするなんて﹂
呆れるソフィー。
いやだってこのひび割れは当時の技術じゃ修理出来ないし、途中
で壊れたら歴史変わっちゃうし。
﹁それにしても、こんなに広い建物だったかしら⋮⋮?﹂
首を傾げるソフィー、その感想は正しい。
毎日掃除していたとはいえ、俺の部屋は日々増えるガラクタに面
積を減らしてゆく。白鋼製作が始まってからは更に狭くなる。
﹁そのうち未来に帰還するそうだし、もうここで過ごそう﹂
工具箱を探しつつ提案する。
﹁⋮⋮そうね、レーカも動く気ないみたいだし﹂
事前に心構えをしていたならともかく、唐突に過去に飛ばされて
も困惑するだけだ。
ナスチヤには言うべきことは言った。ガイルには何を言うべきか
2176
も解らない。
⋮⋮あ、俺も殴っておけば良かった。
﹁ベッド、借りるわ﹂
﹁寝るのか?おやすみ﹂
後ろでもぞもぞと音がして、やがて静かになった。
﹁寝た?﹂
﹁寝てない。10秒も経ってないじゃない﹂
ちゃっちいエンジンだな、ばらせばらせ。
﹁さっき思い出したんだけどさ。俺達が旅に出た日のことを覚えて
るか?﹂
﹁⋮⋮私達が、親の決めた婚約者じゃなくて、自分の意思で恋人に
なった日?﹂
あったな、そんなイベント。
﹁あの時ソフィーは言ったよな、﹃私も現実の方がいい。夢は寂し
い﹄って。あの想いは今は変わってしまったか?﹂
﹁変わって、ない。夢は終わるから寂しいわ。でも、たまには夢に
溺れたい﹂
よし出来た、組み立てろ組み立てろ。
2177
﹁レーカ、今日は寒い夜ね﹂
この時期は熱帯夜だ、寒くなんてない。
けれど、一人でいるのが寂しいのは同感だった。
工具を片付けてベッドに潜り込む。ソフィーはすぐに俺の胸に顔
を埋めた。
﹁今日だけは。今晩だけは、弱い人間でいさせて⋮⋮守って﹂
﹁ん。元の時代に戻ったら、頑張ろ﹂
ソフィーは少し身動ぎして、やがて寝息を立て始めた。
おやすみ、昔のソフィー。
どんな夢を見ていたかすら覚えていない。いつもと変わらぬ朝日
に頭はゆっくりと覚醒し、俺は自分の部屋を見渡した。
﹁あれ、ソフィーは?﹂
一緒に寝たはずの少女がいない。
体も大人のそれに戻っている。しばし呆然と思考停止し、︵寝ぼ
けていただけの可能性も有︶とりあえず日課の通りに着替えて顔を
洗うことにした。
2178
﹁うぃーっす、レーカ坊﹂
﹁おはー﹂
﹁おはようございます、ご主人様﹂
﹁ういうい、今日もメイド日和だなー﹂
﹁兄貴、ちゅちゅりーっす﹂
﹁朝から立派なモヒカンだぜー﹂
シフトの変わり時だ、洗面所は人が多い。
順序を守って並びつつ、昨日のことを考える。
どうやって船の部屋に戻ってきたか覚えていない。そもそも、昨
日の出来事は現実だったのだろうか?
夢、と言われればそちらの方がよほど納得出来る。なんだよ過去
に戻るって。
これではファンタジーじゃなくてSFじゃないか。あ、ジャンル
はSFだった。
﹁とにかく、後でリデアをとっちめてやる⋮⋮ん?﹂
隣に白い人影がちらついた。
﹁あ﹂
﹁あ﹂
2179
ソフィーと目が合って、互いに硬直する。
︱︱︱ああ、この様子ではやはり、夢ではなかったようだ。
2180
必然の夢と母の決意 2︵後書き︶
>識字率
そうですよね、私も調べたのですが意外なところが高かったりする
んです。
﹁ほぼ100%は珍しくない﹂から﹁90%以上も珍しくない﹂に
変更しました。
ただ、日本の識字率99%、残りの1%はなんだろう⋮⋮
>伏線が回収されまくり
まだまだ残った伏線はありますし、早々終わりません。とはいえ回
収ラッシュなのは確かです。
いい加減、世界の秘密が何なのか明かさないといけませんしね。
>しゃぶれよ
地球軍総司令部のあるジャングルですね?この間見学に行きました。
2181
必然の夢と母の決意 3︵前書き︶
主人公は登場人物のすべての女の子と恋をせねばならない
作者が尊敬する二十一世紀の作家の言葉より
2182
必然の夢と母の決意 3
俺は過去をやり直すのではなく、ナスチヤが死んだ歴史を選んだ。
過ごした時間の比重、といえばそれまでなのかもしれない。ナス
チヤを見捨てたと責められれば反論出来ない。
だが、俺はむしろすっきりした気分だった。
俺達はやっと受け入れたのだ。ナスチヤが死んだという現実を。
朝に少し話した様子から、ソフィーもどこか晴れ晴れした表情に
見えた。きっと俺と同じ心境なのだ。
忘れるつもりはない。けれど、もう少し未来を見て生きていこう。
﹁さて、今日も頑張るか﹂
今日もセルファークは快晴だ。
朝イチで時計台を訪れ、レオナルド氏に提案した。
﹁資金はこちらで用意します。村ごと引っ越しませんか?﹂
﹁理由ぐらい説明しろ、馬鹿者﹂
ごちん、と杖で殴られた。痛い。
2183
﹁⋮⋮訳あって、この村は狙われます。俺達は帝国寄りの集まりな
ので、攻めてくるのは統一国家、或いはそれに匹敵する戦力を有す
る﹃民間組織﹄でしょう﹂
民間組織が何を指すかは、説明するまでもない。
﹁む、なにが狙いだというのだ?まさかお前達とは言うまいな﹂
厄介事を持ち込むなら出ていけ、と鋭い視線で告げるレオさん。
村には戦える人間などいない、この取捨選択は当然の結論だ。
﹁敵の狙いは教えられません。知れば危険が及びます。ただ、それ
はこの村にあるものであり俺達が持ち込んだ訳ではありません。そ
して、移動させられるようなものでもないです﹂
つまりは、危険に晒されたくなければ村を出ていくしかない。そ
う断言する。
﹁⋮⋮必要な物なのか?﹂
﹁お答え出来ません﹂
リデアの指示に従っているだけなので、俺も詳しくは知らない。
薄々予想は付いているが。
﹁なるほど、この村にあるものとはさしずめ統一国家の弁慶の泣き
所か﹂
そう考えてしまうのが自然か。間違いを正す理由もないので無言
2184
を貫く。
﹁⋮⋮後で人を集めよう﹂
しばしの沈黙の後、レオさんは承諾とも取れる返答をする。
﹁残りたいという者もいるだろうから、その者達の意思は尊重して
くれ﹂
﹁その場合は、命の保証はしかねます﹂
戦闘となった場合、村人を完全に守るのは不可能。それが、リデ
アと話し合った結論であった。
﹁皆の者、わざわざわしの為に時間を割いてくれたこと、感謝する﹂
リデアは、広場に集まった村人達の前に立ち頭を深く下げた。
﹁め、めっそうもねえ!頭を上げてくれ!﹂
﹁リデア姫、下々の俺達にそんな⋮⋮﹂
元王族の意外な行動に戦く住人達。これが王族の一般市民による
普通の反応だ。
2185
﹁よせ、わしは今は姫ではない。ただの小娘じゃ﹂
キリッと真摯な目で首を横に振るリデア。
﹁はいはいテンプレテンプレ﹂
親近感を抱かせ警戒心を解くのは彼女の常套手段だ。
それとなく俺を睨むリデア。村人に悟らせていないあたり、器用
な奴。
そんな彼女だが、わざわざ地下室から出てきたのだ。さぞや感動
的な演説を行い人々を納得させるのだろう⋮⋮と思いきや、彼女の
話術は思いもよらぬ方向へと進む。
﹁⋮⋮見て見て見て見て!この土地は完全な私有地であり、しかも
税金なし!ついでに土地がもう一個、おまけに害獣避けの柵を付け
てこのお値段!今ならなんと︱︱︱﹂
売り込み、というかテレビショッピングを始めやがった。
﹁ちょ、ちょっと待ってくれ﹂
﹁なんじゃ、今いいところなのに﹂
リデアを広場の端に連れ出して小声で問う。
﹁おい、どういうことだ。ちゃんと説明するんじゃないのか﹂
﹁しとるではないか。嘘は言っとらん﹂
2186
タヌキ全開である。
﹁危険が迫っとるから逃げろ、よりも良質な土地があるから引っ越
してみないか、の方がそそるじゃろ。しかもタダじゃ﹂
ちなみに避難場所は帝国王都フュンフの近く、新たに開拓された
土地だ。
正しくは今回の件で開拓した。公共事業扱いなので金は帝国持ち
である。
﹁さすがに胡散臭い﹂
旨い話には裏がある。それは世界共通語だ。
しかしリデアは小悪魔なしたり笑顔を浮かべ、こう主張する。
﹁そこはホレ、わしの人徳じゃ﹂
﹁ソウデスカ﹂
最早何も言うまい。
﹁では戻るぞ、これからミニライブなのでな﹂
歌うんだ、やっぱり。
旅の最中も各地で歌って踊って、信者⋮⋮ではなくファンを集め
ていた。
いざとなれば命すら投げ出す、見事なファン達である。ファンこ
えー。
﹁あの人脈がどう必要とされるのか、いまいち解らない⋮⋮﹂
2187
﹁はむっ﹂
耳たぶを噛まれた。
﹁いやんっ!?﹂
驚いて振り替えると、してやったりとにやつくファルネがいた。
﹁ファ、ファルネ!?いつからここに!﹂
想定外の事態に仰け反って驚く。
﹁驚きスギじゃない?朝到着したのヨ、ちょっと探したワ﹂
出会い、ないし再会より3年。ほぼ同い年のファルネも当然大人
となり、なかなかの美少女となった。
これで裏の顔が見え隠れしなければ、実に目の保養となったのだ
が。友人だが仲間とは成り得ない、微妙な距離感だ。
﹁見てたけどナニやってんの?人をこの村から追い出して、屋敷の
方じゃ工事の準備しているシ﹂
﹁⋮⋮見ての通りだ、俺達もそろそろ拠点が欲しくてな。ここなら
ガイルも無闇に暴れられないだろ?﹂
予め用意しておいた嘘を吐く。
ファルネには魔法陣に関して一切情報を与えない。それは、リデ
アにきつく厳命されていた。
そこでとってつけた理由が、故郷に危険が及ぶ状況ではガイルも
2188
やりにくいだろう、という少し強引な論法だった。
﹁うさんくさーい﹂
見破られた。
﹁お兄ちゃんらしくない、堅気に危険が及んででも勝ちたいだなん
てヘン。本当にソレダケ?﹂
﹁それだけだって、まあ強いて上げるならここはレーダーが使いや
すそうだし﹂
﹁レーダー作ったの?君も大概チートだネェ﹂
これはばらしたって構わない。どの道隠し通せることではないし、
出力と精度は到底ガイル達の使用するレーダーには及ばない。先手
を取られるのは確定だ。
﹁それに、ガイルが昔住んでいた場所だからって気にするカナー?﹂
﹁えっ、まじで?﹂
素で反応してしまう。
ガイルの心には、この村に対する郷愁もないのか?そんなことは
ない、と思いたい。
﹁まあ、ガイルはともかく。ファルネは何をしていたんだ、しばら
く見かけなかったが﹂
誤魔化し半分に話題を逸らす。彼女の姿が見えず気になっていた
2189
のは本当だが。
﹁お母さんを探ってた﹂
フィオさんを?
﹁最近、お母さんが変なことをしているの。なにか作戦の準備かも﹂
﹁仮にも敵対組織にばらすなよ﹂
﹁それがねー、ガイルの指示じゃないミタイ。独断でやっているノ﹂
フィオさんとガイル、不仲なのだろうか?
昔はフィオさんはガイルに恋慕していたそうだが、気が変わった?
﹁怪しいワ。あれはなにか企んでいる顔よ、間違いナイ﹂
﹁ふーん﹂
彼らの関係は、よく判らない。
リデアのコンサートが終わり住人達の如何を聞いたところ、結局
半数が残ることを選んだ。
勿論村にも地下シェルターや高速船といった安全対策は用意する
計画と準備はあるが、それでも統一国家が人質として彼らを捕らえ
る可能性も残されている。
2190
﹁こいつの命が惜しければ抵抗するな﹂と言われようが、こちらが
引く選択肢は存在しない。
やはり、多少強引でも強制移住させるべきだったのではないか⋮
⋮そんなしこりを残しつつ、俺は防衛設備建造の指揮へと移った。
屋敷を中心にコンパスで弧を描くように、何重にも塹壕が掘られ
てゆく。
対空砲が各所に設置され、発電所等の設備が屋敷内部に急造され
る。
トーチカの建設には少々時間がかかりそうだが、地上兵器の侵攻
阻害には不可欠な施設だ。早めに用意しなければ。
﹁とりあえず、現状問題はないか﹂
屋敷の要塞化作業。初日は測量で潰れてしまったが、今日からは
いよいよ作業開始である。
近代の防衛戦においては堅牢な防壁は重視されない。勿論塹壕は
look,First
sho
掘られるし建築物は爆撃に耐えられるものが好ましいが、敵を迎え
First
エアシップ
kill。つまりは敵より先に発見し、敵より先
撃つにしても基本は
t,First
にぶっぱなし、敵より先にぶっ殺せ、だ。
その対策として、早期警戒機代わりの小型飛宙船を十数隻用意し
2191
た。
﹁どんな具合だ?﹂
﹁おう、厄介だぜもいつらはよ﹂
草原にて最終調節が行われている小型級飛宙船の整備士に様子を
確認する。数も多いので大変そうだ。
﹁無人で半永久的に浮かべておくのは出来そうだ、ロープで地上に
繋いどきゃいいんだからな。管制とのデータリンクも問題なくいけ
るぜ﹂
やぐら
﹁まあ、ただの櫓だしな﹂
自由に移動出来てこその早期警戒機だが、これは最重要防衛拠点
を守ることに特化した固定式の目。
固定するのなら地上に施設として固定したレーダーサイト⋮⋮山
の上にある球体の建造物、といえば判るだろうか⋮⋮の方が安上が
りだが、あえて俺は船にレーダー装置を載せることを選んだ。
理由は、戦術の上でレーダーが把握することを求められる範囲で
ある。
強襲された場合、もっとも対処が難しいのはガイル陣営の母艦バ
ルキリーだ。マッハ3で飛行する巨大航空機であるバルキリーは、
5分間で300キロメートルも前進出来る。
5分間とは、戦闘機が緊急発進する限界の時間。つまりは魔法陣
を守る為には300キロ彼方の敵を察知しなければならない。
半径300キロメートルの範囲、北海道よりも広大な面積だ。そ
れをカバーするには、どうしてもレーダーを分割する必要がある。
更にいえば、俺の自作したレーダーは残念ながら性能が低い。元
2192
より質を数で補う必要があったし、地上に固定したレーダーでは死
角がどうしても生まれてしまう。その上、感知した機体の規模と距
離はだいたい判るのだが、方向は曖昧なのだ。
そこで、装置を船に積み込み村を囲むように配置することにした
のだ。これならどの船が反応したかで方位が判る。
村を囲むように、といえど半径300キロメートル。他の村や町
を幾つも含んでいるし、行き交う船や飛行機も多い。
なので、レーダーはあくまで察知用。怪しい機体を発見次第偵察
機を向かわせる必要がある。
飛宙船はそれでいいだろうが、バルキリーだった場合は四の五の
言わず全力戦闘準備だ。偵察する余裕なんてない。
なんとも危うい綱渡りだが、これがゼェーレスト防衛のドクトリ
ンである。
こんな玩具のようなレーダーだが、それでも最新装備なのだ。
通信妨害に備え遠隔操作の通信手段も暗号化された魔力共振と電
波式、光学的レーザー通信まで装備。これだけ用心しとけば、統一
国家の技術では確実に出し抜ける。
ガイル陣営のフィオ相手にはちょっと不安だが。
なにせファルネの堕天使を構成する技術はこの世界では完全なオ
ーバーテクノロジーだ。さすがに詳細な調査はさせてもらえていな
いが、無数の浮遊砲台を混線せずにどうやって制御しているのかと
思いきや、なんとクリスタル共振通信でデータリンクしてやがった。
早期警戒機とアナスタシア号を繋ぐ原始的なものではなく、ほぼ
リアルタイムでやりとりする高性能なものだ。
セルファークの技術レベルを完全に超越している。俺も帝国の巨
塔にて地球の航空機技術を度々盗んでいるが、それでもフィオの技
術水準は異常だ。
心神の技術を得ているのだろうか。メカニックとしては敬意を抱
くのに、性格がアレなのが残念過ぎる。
2193
﹁問題らしい問題は、ソフィーとマリアが悲しそうなことだよな﹂
気持ちはよく解る。屋敷は勿論、それを囲む草原という額縁は実
に美しかった。
それを自らの指示で掘り返しているのだ。気落ちもするというも
のである。
だが、なんにせよ︱︱︱
﹁旅の全ては、やはりここに収束するということか﹂
⋮⋮当然だ、俺達はずっとこの地を目指して旅していたのだから。
一週間。それだけあれば村を、屋敷を守る準備が出来る。
﹁守るのは屋敷だけ、なんだよな﹂
﹁そうじゃ﹂
リデアは肯定する。
一通り指示を終えて屋敷の地下室に降りてみれば、相も変わらず
魔法陣に目を凝らす彼女がいた。
食事や最低限の用事以外ではずっと地下だ。カビが生えていない
か心配である。
2194
﹁狙われるのは屋敷、厳密に言えばこの魔法陣じゃ。それ以外を守
る必要もないし、狙われる理由もない﹂
﹁直接的には、な﹂
先に述べたように、彼等を人質にされる可能性もある。ヨーゼフ
は妙に自身の美学を重視する奴だからそんなことはしない⋮⋮と、
思うが。
更にいえば、守る範囲は狭い方が楽だ。村全体を防衛するのは相
応の人員が必要となる。
﹁ダンジョン内に線路を敷設して、速やかに住人を避難させる設備
も用意している。計画通りに作戦遂行すれば、犠牲は出ないはずだ﹂
計画通り。いい響きだ、なまじ簡単に成功しないが故に。
﹁いかんな、目がしょぼしょぼしてきた﹂
目頭を揉むリデア。おっさん臭い。
﹁ちょっと外に出てくる。そろそろ休憩させてもらう﹂
﹁ご自由に、別に急いでくれとは言ってねぇよ﹂
俺一人でここにいたって仕方がない。一緒に地下室から出る。
廊下は埃一つなく清掃されきっている。メイド達に餌食となった
結果だ。
﹁ふわぁ、船に戻るのも面倒じゃー﹂
2195
のどちんこが見えそうなほど大きな欠伸をするリデア。残念過ぎ
る。
﹁屋敷で寝られる場所はないかの﹂
﹁寝室は幾つかあるけどさ、あ、そうだ﹂
ナスチヤの書斎に案内する。
﹁この部屋って開けられるか?﹂
屋敷で唯一、結界で封じられた部屋。開けてみたかったのだが、
リデアの手が空かず忘れ去っていた。
﹁せめて別のタイミングでたのみくりー﹂
日本語が睡魔で狂っている。俺達が普段話しているのはセルファ
ーク語だと推測しているが。
﹁ん、これは⋮⋮キーワードで開くようじゃな。なにか聞いておら
んか?﹂
キーワード
﹁合言葉?うーん、開けゴマ?﹂
﹁なんじゃそれ、胡麻?﹂
違うかやっぱり。
﹁レーカ君愛してる﹂
2196
﹁アホか﹂
﹁ソフィーかわいいよソフィー﹂
﹁違うようじゃ﹂
﹁ガイルもげろ﹂
﹁いや、夫じゃぞ?﹂
﹁リデアちゃんマジたぬき﹂
﹁たぬたぬ﹂
どうしよう、まったく思い付かない。
なにかヒントはないかと周囲を見渡してみれば、窓に違和感を感
じた。
﹁⋮⋮あれ、この植木鉢って造花?﹂
窓枠に飾られていた植木鉢はなぜか枯れていなかった。不自然だ。
何気なく持ち上げ、裏を見る。
そして、息を飲んだ。
﹁どうしたんじゃ?﹂
﹁これ、は⋮⋮﹂
たった一行、鉢の裏に書かれた字を読み上げる。
2197
﹃おかえりなさい﹄
ガチャン。
扉から金属が動く音が聞こえる。もしやとドアノブに手を掛けれ
ば、扉は簡単に開いた。
﹁これがキーワードだったのじゃな﹂
﹁あ、ああ。いくぞっ﹂
軋みも漏らさずドアは開かれる。
扉の向こうに広がる、4年前となんら変わらない景色に目頭が熱
くなった。
﹁植木鉢の裏なんてベタ過ぎて無用心ですよ、ナスチヤ⋮⋮﹂
4年越しの言葉は、確かに届いたのだ。
︱︱︱ただいま。
過去に戻ったのは昨日なので、室内の様子は鮮明な記憶として残
っている。
この部屋は個人レベルの応接間としての役割もあるらしく、対面
の大きなソファーがあった。
﹁おー、状態維持の魔法がかかっておったな。綺麗なソファーじゃ﹂
2198
そう言って、リデアはソファーに飛び込むように倒れた。
すぐに目を閉じて動かなくなる。無防備なお姫様だ。
他の寝室は準備中だろうし、屋敷で寝れる場所はここだけだろう。
とはいえリデアをここに放置していくのもよろしくないか、これで
も女の子だし。
﹁俺もここで休憩するか﹂
ソフィーが昨日、ないし4年前に使っていたティーセットを準備
する。
﹁紅茶って賞味期限あるのかな﹂
缶を開けると紅茶の香りがする。大丈夫だろ、たぶん。
魔法で水を用意してお茶を煎れる。一口飲んで、眉をしかめた。
﹁まずい。やっぱ4年前の茶葉は駄目だったか﹂
﹁そんなことはなかろう⋮⋮茶葉の劣化は主に香りじゃ、それがあ
るならまだ飲めよう﹂
﹁リデア?寝ていなかったのか?﹂
いつの間にか起き上がっていたリデアは、俺のカップを一口飲ん
で溜め息を吐く。
﹁単に煎れるのが下手なだけだ、ポットを貸せ﹂
﹁間接チューだったのは気にしないのな﹂
2199
﹁喉が乾いた、一杯飲んでから寝る﹂
二人して好き勝手ことを言い合っているだけ、まさに会話のドッ
ジボールである。
﹁︱︱︱ん、いかん。寝てたか?﹂
気付けば俺もソファーに横になっていた。
﹁リデア?⋮⋮どこに行った?﹂
バルコニーへの硝子扉が半開きになっていた。
外へ出ると、一面真っ赤に染まったゼェーレスト村。
﹁夕方じゃないか、寝過ぎた⋮⋮﹂
さぼっていたと怒られる、いや多少はさぼってもいい身分なんだ
けど。
﹁ん、起きたのか?熟睡しておったな﹂
﹁俺も疲れてたのかもな﹂
夕日を背負い俺の方を向くリデア。波打った金砂の髪が揺れる様
は、まさに女神。
2200
﹁ん?なんじゃ、わしの美貌に見惚れたか?﹂
﹁まあな﹂
おかしげにくすくす笑う彼女だが、まあ間違ってはいない。
﹁は?﹂
がびーん、と口を馬鹿みたいに開けるリデア。
﹁口説かれているのか、今わしは﹂
﹁違うと思うよ?﹂
﹁なんじゃ、初めてのナンパ経験かと思ったのに﹂
落胆した様子のリデア。がっかりするようなことなのだろうか。
﹁リデアに言い寄る奴っていないよな、そういえば﹂
えらい美人なのに。
﹁言い寄られても困るがな、かといって婚期を逃すのも癪じゃ﹂
腕を組んで数瞬考えた彼女は、やがて結論を出す。
﹁よし、お主の友となってやろう﹂
もう友人関係だと認識していたが、これって裏切りじゃね?じゃ
ね?
2201
﹁そしてお主の妻等と共に、この屋敷で暮らすのじゃ﹂
﹁その心は?﹂
﹁昔、ある女がいた﹂
あれ、長くなりそう。
﹁ある男に恋慕していた女は、自らの親友を男に宛がったそうじゃ﹂
﹁なんでまた﹂
﹁嫉妬する為じゃよ。男女の機微による心の揺さぶられが愛だとい
うのなら、結婚するより嫉妬する方がよほど長く愛を味わえる﹂
よほど偏屈な奴の昔話だな。
﹁口説かれているのか、今俺は﹂
﹁違うと思うよ?﹂
ミステリアスというか、意味不明な女性だよなリデアって。
﹁よほど暇になればそうしよう。もっとも、わしはきっとその頃は
帝国の玉座に座っているだろうが﹂
革命する気はあるんだな、3年間行動を起こさなかったのでうや
むやにすると思っていた。
2202
﹁⋮⋮全てが終わった後のことを、考える時が来ようとはな﹂
﹁ん?﹂
﹁やっと見付けたのだ、と思ったら感慨深いものだ﹂
遠い目でそう言って、手すりに腰掛け足をふらふらさせる。
﹁危ないぞ﹂
﹁わしは魔法で飛べるが﹂
そりゃそうだけど。
﹁見付けた、ってアレのことか?﹂
地面を指差して魔法陣のことかと訊く。
﹁うむ、アレのことじゃ﹂
彼女もまた下を指差す。二人揃って地面に指を向けているのは、
きっと端から見れば滑稽だ。
﹁これで我々が一手有利じゃ。小さな一手じゃがな﹂
﹁勝てるのか?﹂
﹁この屋敷、あの魔法陣を守り抜けば我らの勝ちじゃ﹂
﹁誰から守るんだ?﹂
2203
﹁全てから、じゃ﹂
100人規模の航空事務所vs世界か、実に優勢になったものだ。
爆笑レベルである。
﹁これから戦いは変化する、魔法陣を奪い合うものになるだろう﹂
﹁やれやれ、平穏な時期は終わりそうだな﹂
せいぜいこの拠点がばれるのが遅れてくれれば有り難い。
﹁のう、お主はこの世界に来て良かったか?﹂
どこか遠慮がちに、上目遣いで問うてくるリデア。
セルファークに来て良かったか、か。
地球にいた頃には考えられないほど殺伐とした日々。痛いことや
死にかけたことだって多々ある。
かといえど、嫌なことばかりではない。旅は楽しいし、恋人達は
可愛いし。
﹁大切な繋がりが沢山出来た。良かったよ、こっちに来て﹂
戦うということは選ぶこと。それをいつか後悔するかもしれない。
けれど、それでビビるのはあれだ、カッコ悪い。
﹁そうか、良かったか。ならいいのだ﹂
﹁ああ。だから、しっかりと俺を召喚してくれよ﹂
2204
驚いた表情となるリデア。
﹁き、気付いていたのか?﹂
﹁まぁな、そりゃ気付くさ﹂
俺を異世界へと導いたロリ神、その声はリデアと同じ響きだった。
技術的にも魔導姫なら、セルファークと地球と繋ぐことは可能っ
ぽい。その方法はリデアと出会って割とすぐに提示されていた。
しかし奇妙だったのは、彼女には俺に関する心当たりがなかった
こと。召喚した当人なら俺は既知のはず、だがそれらしい素振りを
見せるどころか不審者扱いされた挙げ句散々警戒されたものだ。
だがその疑問も昨日遂に解氷した。
﹁あれは時間移動の魔法陣なんだろ?﹂
﹁そうじゃ、あの魔法陣は時間制御魔法。わしはきっと、これから
過去に戻ってお主を召喚する﹂
﹁っていうか昨日、間違えて飛ばした上に脱け殻の肉体を部屋に放
り込んで放置しやがったな﹂
﹁す、すまん⋮⋮不意の誤作動での、とりあえずなかったことにし
た﹂
するなよ。
﹁いつの時代に飛ばされた?﹂
﹁ナスチヤと会ってきたよ﹂
2205
それを尋ねるということは、リデアは時間移動に巻き込まれなか
ったのか。
﹁む、アナスタシアと?よりにもよってその時代に、いや待てなら
ば︱︱︱﹂
考え込んだリデアは、やがて唸り出す。
﹁アナスタシアが時間制御魔法を開発した理由は今まで不明だった
が、今回の件で想像は付いた⋮⋮今日のお主達と会いたいが為に、
あの神代の魔法を作り上げたのだろう﹂
それだけの為に、あれだけのものを作り上げたというのか。
ナスチヤにとってはそれほど価値のあるものだったのだ、あの僅
かな時間は。
﹁それはいい。じゃが、これでは矛盾じゃ。魔法陣は以前から存在
していたはず⋮⋮いや違う、次元を越えて遍在していたのか。セル
ファークとて魔法陣に干渉・複製は出来ぬはずだからな﹂
﹁どういうことだ?遍在?﹂
﹁どうせセルファークに止められる、今は話せん。いや、だがしか
し⋮⋮くくく﹂
目を手の平で覆い、バカ笑いを始めたリデア。
﹁くくく、はーっはっは!馬鹿げている、なんて滑稽なのじゃ!﹂
2206
﹁リデア、頭が⋮⋮﹂
﹁決まっていたのじゃ、お主がセルファークに渡ることは最初から
!何がイレギュラーだ、お主がいたからこそ時間制御魔法は作られ
た、時間制御魔法が存在するからこそお主はチキュウから召喚され
た!お主がいなければ、世界が運命の輪に閉じ込められることもな
かった!イレギュラーではない、お主はセルファークに来るべくし
て来たのだ!﹂
興奮した様子で喚く。しかし内容はややこしくて半分も理解出来
ない。
﹁なんだ、まあとにかく。ガイルも統一国家も、魔法陣を狙ってい
るんだろ?時間を制御出来るなんて最高のインチキだからな、そり
ゃ奪い合いになるわな﹂
﹁くはは、はは⋮⋮いや、そう簡単な話ではないのだがな﹂
やっと笑いが収まったリデアは、目尻に浮かんだ涙を拭いて俺の
見解を否定した。
﹁んんっ?よく考えれば、昨日の魔法暴走は不自然ではないか?ナ
スチヤがお主等に反応するトラップを仕掛けていた、と考える方が
自然じゃ﹂
リデアが時間移動しなかったのを鑑みると、確かに納得がいく。
﹁そうかもしれないな、君のミスじゃなかったか。すまん﹂
﹁よい。なんにせよ、いよいよ覚悟を決めんといかんの。どの道お
2207
主をわしが召喚するのは確定じゃ﹂
﹁おう。どーんとやってくれ﹂
両手を広げスタンバイする。
﹁いやお主の体は借りんが。しかし、お主はそもそも信じるに値す
るのかの?﹂
イタズラっぽい流し目をしてみせるリデア。
﹁4年の付き合いなのに、未だに信用されてないのかよ⋮⋮﹂
﹁ここはポイントオブノーリターンじゃ、召喚してしまえば後戻り
は出来ぬ。お主が世界に不幸を招かない、という保証はないのじゃ﹂
そんなことやるかよ。
﹁カクダントウを製作したくせに何言っとるんじゃ。レーカはとん
だ劇薬だ、特効薬ならばいいが猛毒の可能性も捨てきれん﹂
だから、と彼女は俺を真っ直ぐ見据える。
﹁お主を信頼したい。なんとかせよ﹂
﹁すごい無茶振りだな⋮⋮﹂
なんとかせよ、って、どうしろと。
﹁お主を寄越せ。代わりにわしをやる﹂
2208
そう言い、リデアは俺にひょいと間合いを詰め︱︱︱
﹁︱︱︱!?﹂
飛んで後ずさる。
﹁な、なにすんだ!?﹂
﹁ははは。これはなんだか、生々しいものじゃな﹂
赤面するリデアは人差し指を唇に当て、ウインクする。
﹁お主とは二度目じゃな、最初はラスプーチンとの戦いの時じゃ﹂
あれは魔力譲渡の手段であって、今回は魔力のやりとりなどして
いない。
﹁言ったろう、嫉妬こそ最高の愛だと﹂
﹁ほ、ほ、本気⋮⋮なのか?﹂
﹁嘘じゃ﹂
どっちだよ。
﹁忘れたか?わしはたぬき娘なのでの、まともに相手にするだけ無
駄じゃぞ?﹂
解らない、こいつのことは未だに解らない。
2209
﹁さて、対価は頂いたしの。善は急げじゃ、さっそく地下室に行こ
うぞ!﹂
﹁今からか?﹂
手を掴まれ、リデアに手を引かれて屋敷に戻る。
﹁ちょ、跳び跳ねるな﹂
﹁うるさいっ﹂
にこにこ笑顔のままスキップしつつ廊下を駆ける。なんだこのテ
ンションは。
﹁なあ、さっきのどういう意味だ、困るぞホント﹂
﹁困るって何が?わしとお主はオトモダチ、じゃ﹂
気にするな、と解釈していいのだろうか。
﹁ああ、わしも人並みに可愛いお母さんになりたいという夢がある
のでな。その時はよろしく﹂
﹁なにをよろしくしろというんだ⋮⋮﹂
記憶を消すような配慮はしてくれなさそうである。
﹁これも嘘じゃ﹂
2210
だからどっちだよ。
魔法陣の中心に立ったリデアは、大きく深呼吸をして儀式を準備
する。
﹁具体的にはどうやるんだ?﹂
﹁根本的には時間移動は空間転移と同じ原理じゃ。この魔法陣を利
用すれば、チキュウへと門を開くこともそう難しくはない﹂
まやまれいか
﹁どうやって真山零夏って個人を探し出すんだ?あっちは世界人口
60億人越えているぞ?﹂
﹁多過ぎじゃろそれ。お主をピンポイントで召喚する方法じゃが⋮
⋮まあ適当じゃ、ランダムでいい﹂
えっ。
﹁その結果お主が召喚されたという事実は確定しておるのだ、60
億分の1の可能性は約束されておる﹂
﹁そういうものか﹂
﹁そういうものだ。とはいえ一気にやるのは難しいからの、一旦過
去の自身へと憑依し、そこから召喚するとしよう。時間帯は昼過ぎ
がいいな、11歳の頃ならば昼飯の後は部屋で勉強の時間じゃった
2211
し﹂
﹁ん?俺が召喚されたのってリデアの部屋だったのか?﹂
光に満ちた真っ白な部屋だったけど。
﹁それは幻覚魔法じゃろ、お主はわしの部屋に入ったことがあるか
らの。召喚時に部屋の景色を見てしまえば矛盾が起こる﹂
﹁部屋に入ったことってあったっけ?﹂
﹁お主にパンツ奪われた時じゃ!﹂
あー、あったっけそんなこと。
惜しいことをした。帝国の巨塔に置いてきちゃったんだよな。
﹁魂を召喚したところで入れる肉体、器がないの。まあそれは一時
的に魔力で編んでしまえばいいか。魂の情報から外見を製作すれば、
チキュウでのお主の顔が拝めるのう﹂
なんかそれ、恥ずかしい。
そんな極端な不細工ではなかったはずだ。たぶん。
﹁事情説明をして、エターナルクリスタル化して、飛宙船の墜落事
故に遭ったわしの弟の肉体に魂をぶちこむ、と。フュンフとゼェー
レスト近郊を繋ぐのは難易度の高い長距離転移じゃが、部屋にある
落とし穴の底の魔導術式を使えばなんとでもなるかの﹂
﹁あったな、落とし穴。本来は地下の牢獄に繋がってるんだっけ﹂
2212
﹁うむ。座標を変更すればどこでもいけるから、なかなか便利に飛
び込んでいたのう﹂
旅の扉かよ。確かに飛び込むものだけど。
城に旅の扉があるのは基本かなにかなのだろうか。
﹁⋮⋮さて、準備が終わったぞ。始めたいのだが、いいか?﹂
﹁ああ、頼む﹂
リデアは無言で頷き、瞼を閉じて魔力を集中させていく。
吹き荒れる魔力の奔流。その最中、不意に思い出した。
﹁そうだ。一応伝えとこう﹂
﹁ん、なんじゃ?﹂
片目だけ開き首を傾げるリデア。
﹁ロリ神に出会った時の最初の一言だ。あの時、お前は︱︱︱﹂
﹁おお、部屋が大きい。声もなんだか違うぞ﹂
地下に戻ったリデアは、幼い頃の体の調子を確認しつつ準備を行
2213
う。
部屋を幻覚で包み、自身の姿も光のシルエットで包み、落とし穴
の魔導術式の座標を変更。
ベッドの上に立ち、深呼吸を一つ。
﹁︱︱︱お主は希望じゃ。ああそうだ、わしもお主に会いたいのだ。
だから、応じてくれ﹂
未来の魔法陣を遠隔操作し、強力な時空超越魔法を展開。
瞬きの間もない。その瞬間、零夏はセルファークへと出現した。
目の前に現れた男性にリデアは少し笑ってしまう。見慣れない黒
髪の顔が残念だったのではなく、そのきょとんとした間抜けな顔が
おかしかったのだ。
見慣れない服装、だが機械が描かれた本がそれが零夏であること
を示している。この本は零夏のイメージだ、服装と同じく所持品と
して再現されているに過ぎない。
︵と、いつまでも待たせてはならんな。説明で時間稼ぎをしつつ、
こやつをエターナルクリスタル化させる処理をせねば︶
リデアは零夏と向き合い、隠した魔法を展開。魂への干渉を開始
する。
そして彼自身に教えてもらった最初の一言、テンプレという名の
設定を告げた。
﹁お主は死んだのじゃ﹂
2214
1章、或いは7章に続く
2215
必然の夢と母の決意 3︵後書き︶
妙なタイミングで7章に移行する流れなのは、仲間が集まる編にて
最後にやってきた仲間は主人公自身だった、がやりたかったからで
す。
﹀点字が読めるのはカウントされるんでしょうかね?
アレを読めるのは凄いですよね。
点字は法則が簡単なので、目で読むことは簡単ですね。指で読むの
は到底不可能ですが。
2216
作者の落書き 6
<i89426|9762>
時速5000キロの決闘 挿し絵
随分と前に描いたものですが、机の奥から発見しました。
白鋼と心神はこれだけサイズに差があります。作者の小型単発機好
きは、間違いなくエリア88の影響。
<i89408|9762>
散赤花
統一国家の独自開発したソードストライカー。白鋼とは違い変形機
能はない。
4発のエンジンと両脇のロケットブースター、その燃料が納められ
たカードリッジ︵背後の棒状の物︶。コックピットは胸部に収まり、
頭はぺリスコープとライトのみ。
様々な新技術を導入した機体だが、レーカは案外気に入っており、
カートリッジロケットブースターは白鋼にもフィードバック実装さ
れている。
亜音速機であり燃費も悪い。故障も多いが、それは製造が粗っぽい
から。各部を個々で見れば枯れた技術の水平思考が大半であり、信
頼性も高い。
第二次世界対
驚異の一年という開発期間で完成した機体だが、直後に休戦条約が
結ばれ結果微妙な性能限界に甘んじるという第一次
戦期のあるあるネタのような存在。
しかもそのくせ、スペック重視で扱いにくい未亡人製造機。
2217
<i89428|9762>
大人となったソフィー。髪を下ろした以外に大差はありません。
たまにゃあ人物画も、と思い立ち描いてみた。ブランク長いとこん
なもんです。
通称ゼロ戦
<i90854|9762>
零高度戦闘機
銀翼の天使達が終わった後に次回作として書こうかな、と考えてい
る小説に登場する兵器。
第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけ、列強の国々と対抗する
為に日本が開発した航空機。
とある技術を導入したことで、地上スレスレを最高時速500キロ
以上で移動することが可能。また、足の爪で建築物を駆け登ったり、
速度を落とさないままに鋭角な方向転換などが行える。
試験戦闘においては従来の地上兵器を単独で壊滅させ、大戦の切り
札として密かに量産される。
そして実戦に投入されるも、予想外の事態が発生。そもそも大戦自
体が終了してしまった。
その後、現代に至るまでゼロ戦はスポーツ用の道具として定着する。
各国が開発したことで、メッサーシュミット、スピットファイア、
マスタング、など様々なゼロ戦が存在している。だが戦争がおこら
ず戦闘機開発が行われなかったことでジェット機世代のゼロ戦は存
在しない。
つまり現代において第二次世界大戦の戦闘機が、スポーツとして殴
り愛をしている世界観。
2218
白い塔と赤い塔 1
なぜか自身の頭を撫で付けつつ、俺の召喚より帰還したリデア。
﹁そうだ、忘れていた。これを渡しておくぞ﹂
そう言って、リデアが懐から取り出し投げた封筒をキャッチする。
﹁これは?﹂
﹁巨塔の月面探索参加許可書じゃ﹂
ああ、そんな予定もあったな。
4年前、俺は巨塔司書のお姉さん⋮⋮じゃなかった、お兄さんと
出会った。
世界の秘密を全て教えてほしい、と要求した俺に、彼は4年後の
月面探索に参加するように促したのだ。
﹁そろそろ時は満ちた。世界の真実を見に行くぞ﹂
﹁あいよ、了解だお姫様﹂
2219
セルファークは地上と月、上下逆さまとなった二つの世界が向か
い合って成り立っている。
ソードシップ
地上から月面までの距離は6000メートル。その丁度中間層に
は重力境界が存在し、風に流された岩石や朽ちた飛行機が無数に漂
っている。
空は僅か6000メートルしかないのに、この世界は端から端ま
で最も長い場所で3000キロメートルもある。直径3000キロ
メートルの円盤が二枚重なったような、とても薄っぺらい世界だ。
3000キロメートルといわれてもピンとこないのが普通だろう
が、アメリカ大陸より小さいくらい、ヨーロッパ諸国がだいたい収
まるくらいの大きさといえば判るかもしれない。
そんな地上と月面が向かい合うこの世界、だが月面は法律によっ
て侵入を厳しく禁じられている。
その理由は色々だ。浮遊装置が作動しない月面では遭難の危険性
が高い、そもそも障害物が多い重力境界を飛行機で飛ぶこと自体が
自殺行為、などなど。
ストライカー
しかし、最大の理由は月面人⋮⋮月の先住民だ。
世界中で使用されている人型機には無機収縮帯が使用されている。
そして、無機収縮帯は月面人から採取されるのだ。なかなかにショ
ッキングな話である。
この事実は世間には公表されていない。人々が知れば、欲望のま
まに刈り取った挙げ句、いつか枯渇してしまう。無機収縮帯とは限
りある資源なのだから。
月面人の刈り取りが許されるのは5年に一度だけ。この原則は統
一国家すら崩してはいない。
そして、今年こそその5年ぶりのチャンス。月面に合法的に昇れ
る機会なのだ。
﹁てーかさ、5年に一度しか取らないのになんで無機収縮帯が足り
なくならないの?あれって結構取り替えたりするだろさ﹂
2220
帝国の城中を駆けつつ会話する。上記の疑問を発したのはマイケ
ルだ。
﹁無機収縮帯には治癒能力があるだろ、魔力を与えておけば勝手に
直っていくんだよ。だからいよいよ焼き切れて破棄するってことは
ほとんどないんだ﹂
へー、へー、と感嘆の声をあげる冒険者三人組。お前等人型機天
士なのにそんなことも知らなかったのかよ。
﹁レーカ、その割には、購入予算が大きいのだけれど⋮⋮!﹂
走って息も絶え絶えだというのに、ソフィーがそれでも訊ねてく
る。経理のことに関しては実に厳しい女だ。
しろがね
﹁白鋼は少量の無機収縮帯を高い魔力圧で強引に高出力化している
からな、よく焼き切れるのは知っているだろ?﹂
﹁改良の努力を、要求、するわ!﹂
さんけつか
﹁してるぞ、間接強化アタッチメントやら効率のいい収縮帯の配置
を模索したりだとか。白鋼を出す必要のない時は散赤花に乗って、
飛行時間の節約に努めているじゃないか﹂
まるで老朽化したF4ファントムを必死に維持しつつ運用する某
国のようだ。⋮⋮頑張れファントムじいちゃん。もうちょっとで若
い子が入るから。
﹁お主等、お喋りはそろそろ終わりじゃ!そろそろ着くぞ、総員準
2221
備せよ!﹂
リデアの掛け声に、共に走っていた俺とソフィー、ニールマイケ
ルエドウィンの三人組の計6人は食パンを口にくわえた。
先程帝国城の厨房からくすねた食パンは芳醇な香りにいっそ食べ
てしまいたい欲求に駈られるが、それは駄目なのだ。くわえている
ことに意味があるのだから。
﹁ふぁふぁうあふぁうあ、ふぁうぞ!﹂
何言っているのか解らないリデアの声と同時に、俺達はその部屋
へと飛び込む。
騎士達が作戦前に使用する、ブリーフィングルームに。
﹃いっけなーい、遅刻しちゃったぁ!﹄
精一杯可愛い声を出してテヘペロとウインクする一同。呆然とす
る室内にいた騎士達。
﹁でもチャイムが鳴り終わっていない、セーフなのじゃ!﹂
よく解らない理屈を持ち出し遅刻ではないと主張するリデア。
遅刻が確定している場合、間に合わなくとも最後の100メート
ルは全力疾走しろ。ぜぇぜぇいってる姿を見れば、教師や上司も怒
りにくいから。俺もよく使っている手である。
そう、食パンもまた﹁とても急いで来ました﹂アピール。作戦の
些細な演出にも手を抜かない、リデアはそんな敏腕美女なのだ。
そんな彼女を黒板の前にいた隊長らしき男は宣告する。
﹁遅刻です﹂
2222
無情であった。
﹁セーフじゃ!﹂
﹁遅刻です﹂
﹁⋮⋮セーフじゃもん﹂
﹁遅刻です﹂
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
﹁遅刻です﹂
﹁まったく、何をしているのだお前達は。せっかく特例で月面探索
部隊に加えてやったというのに﹂
﹁そういうアンタはこんなところで何やってんだ、ハダカーノ王﹂
月面探索任務の打ち合わせを行うブリーフィングルーム、長椅子
とテーブルの並ぶ教室のような部屋の最後列に座ると、そこにいた
先客は帝国国王だった。
﹁久しぶりじゃ、お父様﹂
2223
﹁ん?おお、元気そうだな娘よ。やっほい﹂
ドレス姿のリデアとジャージ姿のハダカーノ王は気軽に挨拶する。
この二人、世間的には親子ながらも正義の為に道を違えた敵対関
係なのだが⋮⋮ハダカーノ王は、相も変わらずマイペース人間のよ
うだ。
﹁けど極秘帰省なんだから、少しは忍べよ﹂
﹁解っとる、わしのことはリゼットと呼んどくれ、父よ﹂
呼び間違えに備え、リデアの偽名は本名と似たものにした。髪の
色も魔法で変えて、どこから見てもリデア姫である。
だめじゃん。2Pカラーってだけで、ドレス着てるし本人だって
ばればれだぞこれ。
﹁しかし、想像以上にしっかりと打ち合わせるんだな﹂
騎士達は誰もが真剣な顔で作戦概要を確認している。まるで最前
線に赴く兵士のようだ。
しかも面子に見覚えがある。この部隊って、まさか。
﹁月面ってそんなに危ない場所なのか?﹂
﹁地上と違い、人間が積極的に魔物を駆除しているわけではないか
らの﹂
魔物の無法地帯ということか。それは物騒だ。
﹁雑魚はかえって淘汰されてしまうのだが、最大の天敵である人間
2224
がいないからか月面は大型の魔物が住み着きやすいのだ﹂
大半が小さく力もない個体である人間という種族が、叡知によっ
て巨大魔物最大の天敵と成り得たというのは不思議な話である。
﹁月面人達とは話が付いておるから襲われる心配はないが、のんび
りする余裕はないぞ﹂
﹁えっ!?﹂
声を上げてしまい、ぎろりと騎士達に睨まれた。
頭を下げ、リデアに耳打ちして会話を続行する。
︵月面人って会話出来るのか?︶
あれって理性とか知性がある存在なのか?
俺が見た月面人は既に死亡している個体だった。生きている月面
人は見たことがない。
︵なに言っとるんじゃ、月には月面人の集落もある。そもそも彼等
は人型機と同等のパワーを持つのだ、そんなのと敵対したまま無機
収縮帯を回収するなど出来ようはずがあるまい︶
︵だって、刈るんだろ?略奪しといてなんで敵対していないんだ?︶
︵月面人の肉体は死亡しても腐ることがない、なので彼等は死後も
永遠に残骸が残る。刈り取りとはそこら辺に転がっている死体を回
収する作業なのだ、生きた個体を殺すわけではない︶
なるほど、刈りという響きからつい物騒な作業を想像していた。
2225
必要なものとはいえ利益の為に人型の生物を傷付けるのはかなり
気が引けていたのだが、死体相手ならまだ納得出来る。
それでもちょっと嫌だけど。科学的に無機物と判断さえていよう
と、生物の一部を兵器に組み込むのは奇妙な感覚だ。
︵あ、そうか︶
ふと気付いた。
︵情報漏洩をさせない為に、こんなピリピリした空気で動いている
のか︶
︵一応戦略物資だからの、この部隊はエリート揃いじゃ︶
エリート揃い、その言葉は真実なのだろう。かつて彼等と模擬戦
闘を行ったが、全員がエース級の実力者であり多少苦戦させられた
ものだ。
ソードストライカー
︵でも、なんで半人型戦闘機なんて虎の子を持ち出すんだ?あれは
精密な機体だ、こういう作業には従来の人型機の方がいいだろうに︶
︵お主は月面に行ったことはあったか?︶
ナンノコトヤラ。
︵月面はひどく入り込んだ場所での、時々隊員が行方不明になるん
じゃよ。落下して死亡したり、似た光景の連続に現在位置を見失っ
たり︶
未帰還者が発生するのかよ、月面こえぇ。まさに魔境だな。
2226
︵そこで飛行可能なソードストライカーの出番じゃ。人型形態で探
索し、現在地が判らなくなれば最悪飛行して地上側まで戻ればいい。
それに巨塔周辺は狩り尽くしている。探索範囲が広がれば、新たな
狩り場を開拓出来るやもしれん︶
それならガチターン機みたいな浮遊装置を下半身に装備した機体
を用意すれば⋮⋮って、浮遊装置は月面では起動しないんだったな。
﹁教導官殿、私語は慎んで頂きたい!﹂
隊長に怒られた。
﹁すいません﹂
なぜ俺が教導官殿と呼ばれているかというと、それは彼等がSS
部隊だからだ。
武装親衛隊ではない。新設された、ソードストライカー︵SS︶
部隊である。
帝国製の新型|半人型戦闘機︽ソードストライカー︾が完成し、
慣熟訓練もある程度終わった段階で俺達は帝国に招待された。まっ
たく新しい兵器であるソードストライカー、その運用ノウハウや操
縦技術について指導するように依頼されたのだ。
帝国製新型半人型戦闘機は白鋼の多くの技術をフィードバックし
た、量産型白鋼ともいえる機体。よって、重力を無視した動きや人
型状態での重心移動飛行など同等のテクニックや技術が使用出来る。
そこで一月ほど彼等を撃墜しまくった結果、いつしか教導官殿と
呼ばれるようになったのだ。
本来の教導隊とは訓練において敵機役を演じる、最強クラスの天
士集団のことだ。上から教えられた戦術をそのまま教えるのではな
2227
く、自分達で模索し作る側の超エリート。
到底俺のようないい加減な奴がなれるポジションではないのだが、
まああだ名である。
﹁なにか質問があるのですか?ならば今のうちに訊いておいて下さ
い!﹂
﹁あ、それじゃあ一つ﹂
せっかくなので、気になったことを訊ねておこう。
﹁なんで月面﹃探索﹄部隊なんですか、目的は収縮帯の入手なのに﹂
﹁理由は二つ!まず、探索も任務の一つだからです!月面は未調査
な場所が大半なので!﹂
安全に行き来可能なのが巨塔だけなのだ、探索など遅々として進
まないだろう。
そもそも探索する価値があるかは疑問だが。
﹁そして二つ目!﹃月面無機収縮帯回収部隊﹄では、国家機密もへ
ったくれもありません!﹂
確かに!
﹁︱︱︱さて、作戦概要はこの通りだ!集合はヒトニイマルマル時、
以上解散!﹂
以上もなにもほとんど聞いていなかったが、まあいいか。
2228
﹁さて、昼までどうする?俺は格納庫を見てくるが﹂
ぞろぞろと退室していく騎士達を尻目に、仲間達にどうしたいか
を問う。
﹁わしは父上と話してくる、ソフィーも細々した話があるからちょ
っと来てくれ﹂
﹁ええ、解ったわ﹂
リデアとソフィーは難しい話をしに行くらしい。
﹁私も格納庫にいくわっ、帝国城の格納庫なら最新鋭が沢山よ!﹂
ニールは格納庫を眺めるのが好きらしい。地球にも工場マニアと
かいたな。
﹁僕は資料室にいるよ、外部の人間が閲覧可能な範囲でもかなりの
蔵書があるだろうし﹂
エドウィンは相も変わらず勤勉だ。実に結構。
﹁寝る﹂
無気力だな、マイケル。
2229
戦闘機とは大型化していく傾向にある。帝国の機体は特にそれが
顕著だ。
格納庫に収まった20機の戦闘機。それらを見上げ、俺とニール
は思わず唸った。
﹁何度か見ているけど、一個飛行隊となると壮観だな﹂
﹁迫力が違うよ、これが最新鋭ってやつなのね﹂
それらの戦闘機は、全て人型機に変形する能力を持つ︱︱︱半人
型戦闘機だ。
飛行機形態の全長は25メートルほど。機首部分は腕に変形する
ので、人型機となれば体長20メートルほどの巨大な人型機となる。
あらだか
まいづる
主翼は独特の鋭角な三角形を描く後退翼。二枚の垂直尾翼と水平
尾翼は荒鷹や舞鶴などとも共通する無難なデザインだが、コックピ
ット横にも小さな水平翼︱︱︱カナード翼があるのが特徴だ。
エンジンは双発。機体規模が白鋼より大きいことから、必然的に
エンジンも一回り大きなものとなり、かなりの高出力化を実現した。
それを二発、重量を度外視すれば白鋼以上のパワーといってよい。
﹁綺麗な飛行機だ、帝国らしい﹂
この曲線美は、共和国や俺にはそうそう作れない。
様々な技術提供を行ったが、それらを纏め上げたのは間違いなく
帝国の設計者達だ。ここは素直に彼等の努力を称賛したい。
﹁なんて飛行機、これ?﹂
2230
ざんえん
﹁斬焉だ﹂
答えたのは、俺ではなくドワーフの男性だった。
﹁バルティーニさん。お久し振り﹂
﹁おう、久し振りだなレーカ﹂
帝国御抱えの技師、バルティーニさん。以前白鋼を強化する際に
お世話になり、その後帝国製ソードストライカーの開発主任となっ
たことから度々再会していた。
﹁ペットネーム決まったんだ﹂
ペットネームとは、型番ではない戦闘機の名称のこと。正式に軍
が決めることもあれば使っているパイロットや敵国が決めることも
ある。
例えばロシアの戦闘機、フランカーが有名だろう。この名前は西
側、つまり敵対諸国がつけた名称だが、ロシア国内でもちゃんと通
じる。
﹁おうよ、俺が一晩で考えたぜ﹂
って、あんたが考えたんかい。一晩かい。
﹁で、そっちの嬢ちゃんは誰だ?こいつらは国家機密だぜ、自由天
士連れてくるんじゃねぇよ﹂
﹁あれの持ち主だよ。月面探索に同行するんだ﹂
2231
持ち込まれたEシリーズを指すと、バルティーニさんは露骨に眉
を潜めた。
﹁あー、あれか⋮⋮おい嬢ちゃん、格納庫から出てった方がいいぜ﹂
﹁どうしてよ。いいじゃない、もうちょっと見ても﹂
﹁そうじゃねぇ、あの人型機がだいっきらいな奴がここに⋮⋮﹂
その時だった、皺がれた老人の声が格納庫に轟いたのは。
﹁誰じゃあああ!?このクッソつまらん人型機を持ち込んだのはあ
あああぁぁぁ!?﹂
あちゃー、と顔を手の平で覆うバルティーニさん。
格納庫の奥からやってきたのは、スーツ姿とちょび髭が特徴の老
紳士であった。
﹁Eシリーズ!Eシリーズではないか!無難な設計、堅実な思想、
つまらん理由で作られたつまらん人型機!﹂
三人組が持ち込んだE−10、E−25、E−50の三機を睨み
付ける老人。
﹁近代兵器とは量より質!100の凡兵より10の英雄を必要とす
るのだ!物量で戦いに勝てる時代など終わったのだ!﹂
微妙に、先見の明があったような正論を口にしているから質が悪
い。
2232
﹁ども、ポルシェ博士﹂
﹁む?レーカか、まさか貴様がこれを持ち込んだのか!?﹂
この老人とは顔見知りである。
﹁そうともいえますが⋮⋮そう睨まんで下さい。俺の愛機は今も白
鋼です﹂
白鋼も当然持ち込まれ、格納庫に鎮座している。飛行機形態なの
で一番ちっこくて可愛い。
﹁おお白鋼か、あれはいい!最強の名を具現した一つの答えといえ
るだろう!﹂
白鋼に駆け寄りはしゃぐこの老紳士はポルシェ博士。人型機開発
にて名声を得た技術者だ。
先進的な技術を多く開発し、大戦中の発明は今も様々な機体に使
用されている。人型機の発展に最も貢献した技術者の一人、とも称
される男だ。
しかし大戦後期となれば、高性能機の開発に傾倒してしまったが
為に現場から離され、マッドサイエンティスト呼ばわりされるよう
になった。というか事実マッドである。
だがしかし、大戦後の兵器は高性能高価格化の一途を辿るという
ポルシェ博士の読み通りとなったのだ。
⋮⋮もっとも、彼はそこまで本気で考えていたとは考えにくい。
あくまでこれは結果論であり、実際はただ最強の機体を作りたいだ
けのマッドと呼んで差し支えないだろう。
﹁だが白鋼は小さい!それが珠に傷だな!やはり最強の兵器は巨大
2233
でなくては!﹂
なるほど、大柄な人型機である斬焉はポルシェ博士の理想に近い
兵器なのか。
こんこんと斬焉の外装を叩いてみれば、重厚な金属の響きがする。
この機体は人型機でもある為に、それなりの重装甲を備えている。
人型機としては軽装の部類だが、飛行機としては馬鹿げたレベルの
厚さだ。
そんな重い機体を浮かべる為に、この機体の双発エンジンの設計
図は俺が引いた。整備性を良くして規模を大きくしただけで、白鋼
のエンジンとほぼ同じシロモノといっていい。
見ていて気になったのは、以前よりシャープになった機体のライ
ンだった。
﹁なんかすっきりしたよな、先行量産型ではウエスト⋮⋮エリアル
ールを絞れないって嘆いていたのに﹂
中身を色々と詰め込んだ結果、先行量産型のソードストライカー
はずんぐりとした残念メタボな外見だったはず。しかし量産型は基
本構成こそ変わらないものの、以前よりずっとすっきりとした外見
になっている。
﹁これは、無機収縮帯を減らしたのか?﹂
どのように軽量化したのかを解析魔法で調べる。
﹁20メートルもの巨体を満足に動かすには、かなりの量の収縮帯
が必要だって結論だったんじゃ?﹂
人型機は意味もなく平均10メートルサイズに落ち着いているわ
2234
けではない。使い勝手からしても技術的にも、それ前後の大きさが
最もバランスに優れているのだ。
20メートルの巨体は、油圧アシストをしていても動かすだけで
困難なのだ。
﹁性能のいいパワーアシスト技術が開発されてな。油圧より出力が
あるし反応も早い。問題は値段が高いのと必要電力が大きい、って
ことくらいか﹂
﹁ほう、新しい技術とな﹂
ぅおっほん、とわざとらしい咳払いをするポルシェ博士。
﹁その通り、私が開発したリニアモーターを採用したのだ!ジェッ
トエンジンは常に回っているのだからな、発電くらいせねばもった
いない!﹂
技巧を凝らしたハイブリットに執着した博士らしい発想である。
この場合のハイブリットとはエコカーに使用されている技術では
ない。大きなパワーを発揮するものの扱いにくい一次機関を、扱い
やすい電気駆動の二次機関に変換する技術だ。
﹁しかし、リニアモーターか。その発想はなかった﹂
回転ばかりがモーターではない。リニアモーターとは直線的な動
きをするモーターだ。
一般にリニアモーターカーと呼ばれる浮遊する列車も、同様の技
術が使用されている。車輪を回して進むのではなく、車両そのもの
をモーターで押し出してしまうのだ。
2235
﹁人型機はパワー不足を油圧アシストで補っているが、それをリニ
アモーターで代用したんだな﹂
﹁油圧は機械構造で壊れやすい上、どこかが壊れれば全体に影響を
及ぼす。その点電気は制御しやすく一部が壊れてもダメージをその
部位だけで止められる、おまけに出力も大きい!まさに次世代のシ
ステムだ!﹂
なんて、それっぽい長所ばかりを挙げているが、正直短所も多い
と思う。
バルティーニさんもいっていたが、リニアモーターは電力を半端
じゃないほど食う。ジェットエンジンという優れた発電機を搭載し
ているからこそ採用出来たのだろう、とても通常の機体は適してい
るとは思えない。
﹁いつかは無機収縮帯を使わない人型機を作るのだ!﹂
﹁おー﹂
とりあえず拍手しておく。
複雑な機械というのは、むしろ故障が多発したり維持費がかかっ
たりで採算が合わないことも多い。
機械は基本、シンプルなのが正解なのだ。
無機収縮帯はその点、実に優れた素材だ。魔力を与えれば自己治
癒する収縮帯はメンテナンスの手間すら不要なのだから。
何が言いたいかといえば、リニアモーターの人型機を作ったとこ
ろで故障が頻発する欠陥機になるのではないか、と危惧するところ
なのである。
︵まあ、成功しないだろうな︶
2236
意義のある技術だ。だがそれを上手く使いこなせていないあたり、
やっぱりポルシェ博士である。
⋮⋮なんて予想していた俺だったが。
博士が非魔力依存式人型機を開発し世界から称賛されるのは、随
分と後となってからであった。
リニアモーターの技術を解析魔法でこっそり盗みつつ、俺とバル
ティーニさん、ポルシェ博士は人型機談義に盛り上がる。
﹁だからさ、Eシリーズにはまだまだ可能性が眠っていると思うん
だよ。たとえば下半身をムカデ型に連結して進軍速度を上げるとか﹂
﹁やったら殴るよ﹂
ビースター
ムカデ型人型機、ニールはお気に召さないらしい。獣型機の一種
だろうに。
﹁おや、こちらにいましたか﹂
やんややんやと騒いでいると、燕尾服の男性が話しかけてきた。
﹁レーカ様、ニール様。昼食のお時間です﹂
おや、もうそんな時間か。
2237
﹁陛下がご一緒に、とのことなのでご案内します﹂
﹁え、めんど⋮⋮光栄でございまする﹂
ぎろりと睨まれた。この執事さん怖い。
﹁では、また﹂
昼飯が終わればすぐに出撃準備だ、次に会えるのは何時か判らな
いのでしっかりと挨拶しておく。
﹁うむ!達者でな!﹂
﹁月では気を付けろよ﹂
二人にも見送られ、俺達は執事さんの後を追い廊下を進む。
後ろ姿を眺めていて気付いたが、この執事さん軍人だ。筋肉があ
るし歩幅が一定間隔。訓練を受けた者の特徴である。
一応警戒の為に彼が身に付けている物を解析しておくと、毒の仕
込まれたナイフを隠していた。
何気ない動作で抜かれたナイフ。振り返り、ムチの如くしなやか
に回る腕。
袈裟斬りに下ろされた切っ先を、俺は義手の右手で掴んで止める。
﹁紅蓮の刺客か?唐突だな﹂
﹁ぐはっ!?﹂
身体強化魔法の上で執事を蹴り飛ばし、ナイフはしっかり奪って
おく。
2238
事態が判らないままに無言で構えるニール。困惑する前に警戒す
るのはさすがに冒険者だ。
宙を舞い壁に衝突、ずるりと床に落ちる執事。もっとも、暗殺者
なら執事でもなんでもないが。
﹁⋮⋮ふん、まあいい﹂
﹁負け惜しみも堂々とやればかっこいいな⋮⋮﹂
執事は憮然と立ち上がり、俺を睨む。
﹁凡俗な餓鬼だ。貴様は姫の相手として相応しくない﹂
ひやりと汗が流れた。思い出すはナスチアの書斎、紅く燃える夕
日の中でのリデアとの出来事。
﹁あ、いやその、どっちの姫?﹂
﹁アァ!?なんつったクソ餓鬼!?﹂
いかん、凄い剣幕で怒り出した。
つい先日、リデアが突然奇行に走った。それ以来、彼女は妙に俺
に反応するのだ。
具体的に言葉にすることはない。表面上は今まで通り、ただの友
人だ。
だが、ふと目が合えばウインクするし、一緒に歩いていれば指を
絡めてくるし、俺が本を読んでいれば﹁何の本じゃ?﹂と澄ました
顔で後ろから覗き込んで、豊かに成長した山々を押し付けてくる。
相手は身分を返上したとはいえ姫。バレたらきっと、ハダカーノ
王に殴られる。
2239
そんな心配があったからこそ、つい﹁どっちの姫か﹂なんて訊き
返してしまったのだ。
﹁餓鬼、やはり貴様などに姫を任せてはおけん⋮⋮!ここで死︱︱
︱﹂
﹁︱︱︱何をしているの、伯爵?﹂
冷ややかな声に、一同が振り返る。
どこからが現れたソフィーが、偽執事を見据えていた。
﹁ソ、ソフィアー⋮⋮ソフィー様﹂
﹁一介の自由天士に様を付けるものではありませんわ、リヒトフォ
ーフェン伯爵﹂
ソフィーの顔見知りらしい。っていうか、ソフィーの本名を知って
やがる。
﹁お言葉ですが。こやつはリデ︱︱︱﹂
﹁わー!わー!わ︱︱︱っ!﹂
慌てて大声で誤魔化す。
﹁なんなん!お前なんなん!?ソフィーさん、こいつ俺を毒ナイフ
で殺そうとしました!﹂
﹁貴様、告げ口など男らしくないぞ!﹂
2240
うるさい、誇りじゃ勝利は掴めないんだ。
﹁伯爵、﹃告げ口﹄ということは、彼の言は事実なのですか?﹂
さすがに男を睨むソフィー。言ったれ言ったれ!
﹁姫、ご自覚なさって下さい﹂
恭しく頭を下げる。
﹁お姫様は、いつまでもお姫様ではいられないのです﹂
﹁っ、⋮⋮レーカ、行きましょう。お昼御飯で皆待っているわ﹂
﹁お、おう﹂
なぜか、彼女は一瞬たじろいでいた。
ソフィーは俺とニールの手を引き足早にその場から立ち去る。
振り返れば、奴は最後まで頭を下げ続けていた。
﹁ところでレーカ、さっき言葉を遮ったのは何故?﹂
﹁気のせいだろ、ただ発声練習をしただけ﹂
﹁ニール、教えて頂戴﹂
﹁えっと。よく判らないけれど、どちらの姫⋮⋮﹂
﹁わー!わー!わ︱︱︱っ!!﹂
2241
結局、ごたごたしたせいで少し遅刻してしまった。
パンにスープ、王族という割に意外と普通な昼食。しかし昼なら
これくらいが丁度いい。
﹁うん、味も普通だな。家庭の味って意味で﹂
﹁いや、すごく美味しいと思うけど﹂
⋮⋮とはニールの評価。そりゃ不味くはないが、そこまでか?
﹁あんた等は舌が肥えているのよ、マリアの飯を食ってるから﹂
﹁なるほど﹂
確かにマリアの料理は美味しいが、王宮料理人クラスだったのか。
さすが俺の嫁。
ソフィーと目が合い、首をコテンと傾げる。
︵それで、さっきの男は何なんだ?︶
︵私の協力者の一人。正しくはお母さんとのパイプだけれど︶
︵じゃあ先程の目的は?ナスチアの意思に反するだろ︶
ソフィーと俺を婚約者にしたのはナスチアなのだ、俺を殺す理由
があるはずがない。
2242
︵彼の考えは、予想出来なくもないけれど⋮⋮確証はない︶
考えの判らない味方ほど厄介なものもない。
︵⋮⋮情報は共有しておいた方がいいのは、確かね︶
ソフィーと手話モドキで相談した結果、皆にも先程の顛末を打ち
明けてみることにした。
﹁リヒトフォーフェン伯爵か、無害な男、という評価をこちらでは
しているのだがな﹂
ハダカーノ王は食後のお茶とプリンを神妙な瞳で睨みつつ、偽執
事をそう評する。
﹁伯爵って、そんなに偉くない貴族なのか?﹂
﹁カラメルはたっぷりかけるべきか、それともプリンそのものの味
を楽しむべきか⋮⋮﹂
プリンは一旦置いとけや、ハダカーノ王。
﹁普通に偉いわい。しかもリヒトフォーフェン伯爵は帝国軍の元帥
じゃぞ﹂
﹁元帥!?ハダカーノ王、プリンにカラメル汁だくだくは邪道です
!﹂
目の前で行われる暴挙に苦言しつつ、リデアの言葉に驚く。
2243
元帥って、大将よりも上︱︱︱文字通り軍のトップじゃないか。
それほどの地位なら、ソフィーの正体について知って当然だ。し
かし⋮⋮
﹁あれは、本当に味方か?﹂
ナイフには明確な殺意を感じた。俺の実力を試すとか、そんな真
っ当な理由じゃない。
あの目は俺を敵として︱︱︱否、姫に寄る虫を見る悪い目だった。
﹁味方じゃろ?ソフィーに対してのみ、と但し書きが付くが﹂
﹁正確には正統な王家の血に忠実、そういう家系なのだ。王家が健
在であった頃はそれで良かったのだがな﹂
あくまでソフィーの血筋であって、リデアの血筋に関してはその
限りではない、ということか。
﹁なんでそんなの飼っているんだよ。元帥に据えちゃダメだろ﹂
﹁いや、ただの軍人じゃし。別に国家転覆を狙う気があるわけでは
ない、むしろ有能な男じゃ﹂
忠誠を誓う相手の婚約者を殺そうとするのが、有能ねぇ。
﹁後で私からもう一度、言い聞かせておくわ。レーカに手を出すな
って﹂
ソフィーがたしなめることを請け負い、それで納得することにす
る。
2244
﹁うむ、月面探索が終わった後にでも顔を合わせる機会を作るとし
よう﹂
﹁いえ、大丈夫ですよ﹂
ハダカーノの気遣いをソフィーはやんわりと拒否する。
﹁母の残したルートを使えば、彼とは直通連絡は取れるので﹂
ソフィアージュ姫本来の権力の一端、ということか。
帝国有数の権力者に直通指示が出来るのだ、しかもそれと同等の
パイプが帝国共和国問わず世界中に張られているときた。
まったく、途方もない影響力だ。統一国家だってそりゃ確保した
いだろうさ。
しかし、そのソフィーの指示で命令しておくのだから、これで安
心していいのだろうか。
ソフィーの指示を撤回出来るのはそれこそナスチヤだけ。彼女亡
き今、ソフィアージュ姫の命令は絶対のはず。
なのに、なんでこうも安心出来ないかねぇ。
﹁⋮⋮ところで、リヒトフォーフェンってどこかで聞いたことはな
いか?﹂
﹁お主はなにを言っておるのだ?﹂
リデア、ソフィー、果ては三人組までもが俺を残念なものを見る
目を向ける。
﹁伯爵はマンフレートのお父さんよ﹂
2245
ソフィーが溜め息しつつも答える。
﹁誰?﹂
マンフレート、そんな奴居たっけ?
﹁⋮⋮キザ男﹂
﹁あ﹂
本名忘れてた。
ところで今更だが、月面探索部隊に同行するシルバースティール
のメンバーは俺、ソフィー、リデア、そしてニールマイケルエドウ
ィンの三人組である。
俺は当然として、白鋼を動かすのでソフィーも必要。リデアは父
と打ち合わせする為の里帰りだそうだ。
そしてなぜ三人組かといえば、ぶっちゃけ人数合わせである。
同行する以上は無機収縮帯の収穫を手伝わねばならないわけだが、
俺達は忙しいことが予想される。
だがしかし、キョウコなどの銀翼級メンバーをゼェーレストから
連れ出すのは避けたかった。あまりに防衛戦力が乏しくなり過ぎる。
そこで、雑用担当として雇った三人組の出番がいきなり出番なわ
2246
けである。
地上から月面までを貫く世界の柱、巨塔の麓に移動した白鋼とE
シリーズ三機、そして20機の斬焉。
﹃すごいなぁ、あれってホントに人型機になるんだね﹄
﹃でけー!俺もあれ乗りたい!﹄
人型機となった斬焉を見上げ、目を輝かせるエドウィンとマイケ
ル。彼等も人型機の中なので、目の様子など伺えないわけだが。
人型形態となった斬焉の風貌は半人型機の例に漏れず、かなり特
殊だ。空力を考慮した飛行機の形状を基本にしているのだから、人
型機時の外見は二の次なのだ。
双発エンジンはそれぞれが両足となる。変形時に股関節から内股
に回転し、垂直尾翼と水平尾翼が爪先に、ベントラル・フィンが踵
となる。
ベントラル・フィンとは飛行機の機体下にある、小さな補助翼だ。
飛行機が思いっきり機首を上げた時、垂直尾翼に気流が当たらず制
御が失われることがある。それを防ぐ為の小さな垂直尾翼が下にも
あるのだ。
垂直尾翼と水平尾翼が全動することで爪先の動きを再現し、ジェ
ットエンジンにてそれを補佐する。複雑な制御を必要とする為、簡
単なコンピューターによる補正が途中で噛んでいる。勿論俺が技術
提供した。
上半身は白鋼の技術が大きく流用され、両腕の格納法はまさにそ
のままだ。万歳のように腕を上げて折り畳むと、機体の機首、コッ
クピットからノーズコーンまでに変形する。機首にレーダーは収ま
っていない。
異彩を放つのははやりコックピット配置だろう。飛行機形態の上
面が人型機形態における正面となるので、コックピットは内部で座
2247
席が180度回転するように出来ている。キャノピーの半球体面が
後頭部となるわけだ。
白鋼のコックピットは大人が入ることも困難な狭さに男女二人が
押し込まれる関係上、座席が動く余裕など到底存在しない。斬焉は
機体の大型化したことで、座席が稼働する上に居住性も大きく改善
している。これも斬焉の大きな特徴といえよう。
ちなみに頭部など最初から存在しない。天士は防弾ガラスのキャ
ノピー越しに前方を肉眼で直視する。これは斬焉に限った特徴では
ないが。
さて、最後に武装だが。30ミリ機関砲に加え、斬焉は近接武器
としてバルディッシュを持っている。半月型のポールウェポンの一
種であり、三日月斧などとも。
この機体全長にも匹敵する巨大な刃は、飛行機形態における主翼
だ。
フラップなどの稼働部が存在しない一枚板のミスリル製であり、
普段はポール部分が機体の前後を貫いて十字に配置されている。こ
れが機体強度を保つ役割を果たしているわけだ。
近接武器としてこのバルディッシュは高い評価を得ており、既存
の帝国軍人型機との模擬戦闘では負けなしだったとのこと。
まあ、単純にサイズが二倍だ。そうそう負けるわけはないのだが。
余談だが主翼が一枚形成となったことで低速時の揚力が足りず、
それが理由でカナード翼を追加したという経緯がある。運動性を高
める為だけではないのだ。
﹃それでは、開けますよ﹄
そういって手を振ったのは、生身で巨塔の根本に立つハイエルフ
の司書さんだ。
彼の前には巨大な観音開きの扉。巨塔への入り口であり、斬焉で
も充分入れるほど大きい。
2248
巨塔を管理するハイエルフのお兄さんが大きな鍵を穴に差し込む。
勿論数十センチほどの、あくまで人間からすれば大きな鍵、だ。
自動ドアなのか、扉は左右にスライドしていく。
﹁観音開きじゃなかったか﹂
﹃外にしても中にしても、鍵を開けた者が弾き跳ばされるじゃろ﹄
リデアにつっこまれた。わかっとるわい。
彼女は地面で徒歩にて移動している。全員が全員、人型機に搭乗
しているわけではない。それなりの人数が地上要員として用意され
ているのだ。
﹁人型機だけじゃ駄目だったのかしら?﹂
ソフィーが呟く。
﹁うん、意外と無理。生身の人間は必要なもんだよ﹂
それが面倒臭いが故にエアバイクを発明したのは、懐かしい思い
出だ。
月面が浮遊装置が起動しない領域でなければ、きっとこの探索任
務にも導入されていた。
﹁巨大な兵器はどこまでいっても歩兵の代用にはならないんだ。建
物に入れるほど小型のパワードスーツや無人兵器なら話は別だけど
な﹂
これらはアメリカの先行分野だ。もっとも、軍事においてアメリ
カが先行していない分野なんてないんだけどな!
2249
開いた扉。俺達は前進し、巨塔内部に入る。
巨塔内部は白を基調とした広々とした空間だった。室内の中央に
は、直径数百メートルはあるであろう円が描かれている。
円の中と外では段差もない、一見ただの模様だ。しかし事前説明
ではこれがエレベーターらしい。
全員が円に乗ったことを確認し、司書さんは何事かを呟いた。き
っと制御用の呪文だろう。
﹁うおっ﹂
﹁きゃっ﹂
僅かな振動も揺れもなく、エレベーターは上昇を開始する。足が
細くバランスの悪い白鋼はちょっとよろめいてしまった。
﹁⋮⋮上がっている、のよね?﹂
﹁外壁は下に流れているんだし、昇っているんだろ﹂
定則で動く無振動のエレベーターは、Gも感じないので動いてい
るのかちょっと心配になる。側面は壁どころか柵もない足場だけの
エレベーターなので、周囲を見ればエレベーター内壁が動いている
のは一目瞭然なのだが。
﹁⋮⋮まだかな?﹂
﹁月面まで6000メートルだからな、数分はかかるだろう﹂
微動だにしない騎士達はさすがに軍人だが、もう暇になり始めた
ニールとマイケルは円形足場の裏側を縁から覗き込んだりして遊ん
2250
でいる。落ちたって空中で拾って救助するのが間に合うかは微妙だ
からヤメロ。
﹁さて、生身組は、っと?﹂
暇過ぎてきょろきょろしていると、リデアが司書さんと話してい
た。
﹁内緒話が多い女だなぁああ!?﹂
最後が叫び声となる。急に重力が失われ、機体が宙に浮いたのだ。
機体達はふわふわと浮かび上がり、懸命に姿勢を保とうとする。
地上側と月面側の境界、重力境界に突入したのだ。
上から迫る円形の地面。天井が落ちてくるような錯覚を覚えつつ、
白鋼を上下逆さまにして天井に着地する。
﹁月面側に突入したんだな、びっくりした﹂
結果的には、無重力で機体を転倒させてしまったのはエドウィン
だけだった。
﹃あたた、はは、恥ずかしいなぁ。僕だけか、ころんじゃったのは﹄
起き上がるエドウィン機。
﹁仕方がないさ。半人型機戦闘機の白鋼や斬焉は、人型形態でも機
体を空中制御出来るように作られている。地上専用のEシリーズで
空中制御するのはかなり困難だ﹂
ニールとマイケルは単純に操縦センスによって機体を安定させた
2251
のだが、彼等もエースレベル。遠距離支援を得意とするエドウィン
とは毛色が違う。
やがて、今度は重力が増加したような感覚を覚える。エレベータ
ーが減速を始めたのだ。
しばし後、エレベーターは停止し月面側へと到着した。
﹃そりゃー!私が一番乗りよ!﹄
﹃あ、待てー!俺も俺もー!﹄
なぜかはしゃいでいるニールとマイケルが最初に扉を抜け、月面
へと足を踏み入れる。
﹃人類初の月面歩行の名誉は、今私のものとなったわ﹄
﹃いや全然初じゃないから﹄
エドウィンにつっこまれる彼等に続き、騎士達も月面へと降り立
つ。
俺とソフィーが搭乗する白鋼も塔から出てみると、そこには意外
な光景が広がっていた。
﹁森?﹂
緑の木々が生い茂る密林。
2252
﹁昔来た時は、蔦がいっぱい蔓延った世界だったわよね?﹂
﹁俺もそう記憶している﹂
月面。入ったのは4年と半年ぶりか。
白鋼のテスト飛行をした際に、ロリコンドラゴンに追われ月面世
界へと逃げ込んだのだ。その時俺達が見た月面は、青い蔦が縦横無
尽に成長した妙な世界であった。
﹁懐かしいわ。あのワイバーン、元気かしら?﹂
﹁そこらの少女を襲ってなければいいが﹂
﹁もうっ、彼はそんな人じゃないわよっ﹂
﹁人じゃないけどな﹂
﹃おーい、移動するぞー﹄
通信の声に目を向ければ、徒歩組を乗せた巨大担架をEシリーズ
二機が運んでいた。
﹁リ⋮⋮リスニングテストさん、どこ行くんだ?﹂
板の上に座るリデアに問う。
﹃お主、偽名忘れたろ⋮⋮この先に広場がある。そこにキャンプを
作るのじゃ﹄
ああ、そんな予定だったっけ。
2253
ホバリングしつつ、白鋼は一同を追った。
ベースキャンプを準備する騎士達を眺め、ふと疑問が浮かぶ。
﹁月面に拠点を作ったりはしないのか?エレベーターを使えばすぐ
とはいえ、遠征の度に前線基地を用意するんじゃ無駄手間だろうに﹂
基本お客さんの俺達に専門的な仕事は任されない。故に、白鋼を
降りて駄弁っているのであった。
﹁月面に施設を作るのは条約違反じゃ﹂
そう教えてくれるリデア。非公開な任務に条約もなにもあるのか。
﹁月面に国境線はないからの。というか広過ぎて全景が把握出来て
おらん。だからといって旗を立てて自国の領土を勝手に主張するわ
けにはいかんのじゃ﹂
皆で頑張って旗を立てる光景を写真に撮られでもしたら、国債キ
ャンペーンの広告に使われちゃうもんな。
﹁さて、ここからお主等は自由行動していいぞ。なんなら勝手に帰
ってもいい﹂
﹁そりゃあ、空を飛んで地上には戻れるけどさ﹂
2254
空を見上げると、まさに俺とソフィーが月面だと思い込んでいた
青い蔦の網。
﹁まさか蔦の下に、地面があるとは思わなかったわ﹂
俺達がかつて月面に迷い混んだ際、不時着した直径数センチから
数十メートルまで様々な青い蔦の蔓延った世界。あれは、月面にお
ける表層と呼ばれる部分だったのだ。
蔦を潜っていけば、やがて空に抜ける。その更に下には地上と似
た大地、最下層が存在するのだ。
最下層にも青い蔦は這っているのだが、空よりはずっと少ない。
どうやら青い蔦は主に月面側の高度1000メートルから2000
メートルほどの領域に群生しているそうだ。
﹁そういえば、さっき司書に聞いたのだがな。権力者層ではわしに
対する不満が日増しに増えているようじゃ﹂
﹁ふぅん。歌と美貌で騙されるのは民衆のみ、知識層はそうかいか
ない、ってわけか﹂
﹁民衆の嗅覚も馬鹿には出来んがな。きっと彼等は本能的にわしが
善良で清廉な心の持ち主だと感じ取っているのじゃ﹂
言ってろ。
﹁革命家を名乗りつつ、あの手この手で行動しなかったからのう﹂
リデアが革命家となった理由は、帝国内部を見かけ上で二分する
ことでありもしない対立を演出し、人々の不満を逸らすことだった。
つまりは﹁ハダカーノ王は統一国家に弱腰で納得出来ないけど、
2255
俺達の代弁としてリデア姫が愚王と戦ってくれているから我慢する
か﹂と思わせるのだ。
﹁むしろ3年時間稼ぎ出来ただけでも上出来じゃ﹂
﹁だが統一国家やガイルなんて厄介な敵が多い中で、内部分裂なん
てやっている暇はないだろ﹂
﹁うむ。だからこその家出じゃったが、もうこの手は通じん。次の
手を打つぞ﹂
次の手?
﹁帝国を革命する﹂
⋮⋮そりゃまた、大仕事だな。
ソフィーが拉致された。
何を言っているのか解らないだろうが、犯行は一瞬だった。
ふと顔を上げ、とてとてと岩に登ったソフィー。
どうしたんだろうと首を傾げていると、急降下してくるドラゴン。
ドラゴンはソフィーをくわえ、宙に放り投げ、背中に乗せると瞬
く間に飛んで行った。
2256
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
あっという間の出来事に、ぽかーんと放心する一同。
ドラゴンがちらりとこちらを振り返る。どこか見た覚えのある、
変質者特有のイヤらしい目︵偏見︶。
﹁って、ロリゴンだー!?﹂
白鋼に飛び乗り、急いでエンジンを起動する。
解析魔法で各チェックを済ませ、即座に垂直離陸。職人達に怒鳴
られかねない行為だが、ソフィーを追う為には致し方がない。
﹁くそっ、安定しない!﹂
飛行機形態となった白鋼。主翼を限界まで後退させ矢のような形
となる高速飛行形態に可変するものの、どうしても挙動が不安定に
なる。俺ではこのじゃじゃ馬は扱えない。
しかし相手は最速の魔物、ソニックワイバーン。超音速飛行でな
ければ追い縋れる敵ではない。
﹁︱︱︱あれ、音速飛行していない?﹂
意外にも、ワイバーンにすぐ追い付いた。時速200キロ程度し
か出していないようだ。
﹁ああ、そうか。ソフィーは生身だからな、奴も音速は出せないん
2257
だ﹂
巡航飛行形態、翼を斜め後ろに伸ばす空力的に安定した形態にな
る。この程度の速度であればむしろ高速飛行形態では失速しかねな
い。
ロリゴンと平行飛行し、キャノピーを開けて怒鳴る。
﹁お姫様拐うとか古典的なことしてんじゃねーよ、このロリコンド
ラゴンが!﹂
﹁フガガッ﹂
こいつ、鼻で笑いやがった。
ロリゴンの翼が白鋼の翼端と接触する。バランスを崩す白鋼。
﹁にゃろ、イギリス軍みたいなことしやがって!﹂
高度が低いが故に、僅かなミスが大事故に繋がる。素早く、かつ
慎重に姿勢を戻してロリゴンを追う。
﹁どこに向かっているんだ⋮⋮ソフィーは呑気に手なんて振ってる
し!﹂
30分は飛んでいただろうか。森の上を飛行していたはずの白鋼
は、やがて妙に規則的な岩場の平地に出た。
灰色の箱が並ぶ岩場。どこを見ても風化した様子であり、ところ
どころに高く聳える物体が存在する。
それらは横一列に穴が開いており、しかしそこにあったであろう
ガラスはどれもが朽ち果てていた。
2258
﹁⋮⋮⋮⋮なんだ、これ﹂
そう、それは所謂ビルと呼ばれる物体。
まさか、こんな近代的なビルティングはセルファークには存在し
ない。
﹁きっと自然の産物だ。いや、ダンジョンとか巨塔と同じ、超常の
作り上げた建築物だ﹂
地上には大量の月面人が転がっている。どれも寝そべって微動だ
にしないことから、きっと死んでいるのだろう。
﹁うお、おおおっ?﹂
視界が急に覆われ、コックピットに影が射す。
ロリゴンが白鋼の上方で背面飛行、つまりバックトゥバックを強
行したのだ。
キャノピーを開くと、落ちてきたソフィーをお姫様抱っこでキャ
ッチ。
﹁どうしたんだ?﹂
﹁頼んだの、白鋼に移りたいって﹂
頼んで頷くなら、なんで拉致したんだよ。
するりとコックピットに潜り込むソフィー。
﹁ここ、なんだか怖いわ﹂
﹁コックピット?﹂
2259
﹁月面﹂
それは同意だ、ここはうすら寒い。
﹁遺跡、よね。古代文明の町なのかしら﹂
﹁悪い冗談だ﹂
俺の硬い声色に、ソフィー戸惑った視線を向ける。
﹁気を悪くした?ごめんなさい﹂
﹁お前が謝ることじゃない﹂
頭をぽんぽんと撫でる。
﹁彼、見せたいものがあるんだって﹂
ワイバーンが大きく嘶く。
彼の進路の先を見れば、何か細長い物が見えた。
﹁ソフィー、見えるか?﹂
﹁塔だわ。赤くて尖った塔と、白くて細い塔。白い塔は赤い塔の倍
くらいの高さがある﹂
やがて、俺の視力でもそれらが確認出来る距離となる。
﹁︱︱︱きゃあああっ!?﹂
2260
ソフィーの悲鳴は、俺が断りもなく操縦を奪ったが故。
﹁ちょっと、レーカッ!⋮⋮レーカ?﹂
珍しく怒気を浮かべるも、すぐに声は不思議そうなものに変化す
る。
残念ながら俺にソフィーを気遣う余裕はなかった。人型機形態へ
と変形して急減速、ホバリングしつつ降下する。
﹁ばかな、ありえない。あの鉄塔が、ここにあるはずがない﹂
ビル群の合間に降り、そこら中に転がっている箱を一つ持ち上げ
る。
﹁小型級飛宙船?﹂
人が乗り込むという共通点を見いだし、ソフィーが自身の知識と
もっとも近い物を連想する。
﹁いや、これは︱︱︱﹂
裏返してみる。
そこには、空気の抜けた4つのゴムタイヤがあった。
﹁︱︱︱自動車、だ﹂
おそるおそる、来た進路を振り返る。
空を覆う蔦によってほとんど見えないものの、その方向には円錐
型の山がうっすらと窺えた。
2261
﹁⋮⋮さっきのは、樹海?﹂
二本の塔を目指し飛行する。
﹁操縦代わる?﹂
﹁いい﹂
多少の距離があるからかソフィーが飛行機で一息に飛ぶことを提
案してきたが、俺は短く断った。
心の準備の時間が欲しかったから︱︱︱否、この仮説が事実だと
確定するのが恐ろしくて、あえて時間のかかる人型形態での飛行を
選んだ。
それでもこの速度ではすぐ到着してしまうだろう。白鋼のエンジ
ン出力を恨みつつ、それぞれの塔を見上げた。
白い塔は捻れのある円柱形、赤い塔は鉄骨を剥き出しに先端にな
るにつれ加速度的に鋭角になっていく四角すい。
無意識に赤い塔に向かったのは、俺の中でこの土地といえば未だ
にこちらだというイメージがあるからだろう。
﹁⋮⋮違う。馬鹿なことを考えるな、くだらないっ﹂
﹃仮説﹄を振り払う為に頭を振る。
﹁レーカ、下!﹂
﹁え⋮⋮うわっ!﹂
いたるところに乱立している灰色の柱に張られたケーブルに、白
2262
鋼の足を引っ掛けてしまう。
完全に注意散漫だった。
機体が転倒し、勢いのまま部品を撒き散らしてがらがらと転がる。
百メートルほど地面を滑り、白鋼はやっと停止する。
うつ伏せで数秒動かなかったのは、中の俺達が一時的に気絶して
いたから。
﹁⋮⋮レーカ!﹂
﹁ごめん﹂
怒られてしまった。不注意で機体を壊したのだから、当然だ。
両手を地面に着き、白鋼の上半身を持ち上げる。
頭部のコックピットを上げ、目の前の壁を見て目を見開く。
﹁あ、ああっ、くそ!なんでだよ!﹂
悲しくもないのに目尻に涙が浮かぶ。
白鋼の前にあったのは、赤い塔の下にある建物。
その外壁には、見たくなかった文字が大きく描かれていた。
﹁⋮⋮ははは、そうだよな。そうだった﹂
﹁レーカ?﹂
﹁セルファークは円形の世界で、直径は3000キロメートル︱︱
︱勘違いしていた﹂
この世界の生活形式は基本的に西洋風。だからこそ、つい俺はセ
ルファークをおおよそヨーロッパと同じ大きさだと認識していた。
2263
﹁そうじゃない、直径3000キロメートルですっぽり収まる国が
あるじゃないか﹂
TOWER︵東京タワー︶﹄
白鋼から飛び降り、建物の文字を読む。
﹃TOKYO
ここは︱︱︱セルファークは、異世界なんかじゃなかった。
﹁ここは⋮⋮日本だ﹂
2264
白い塔と赤い塔 1︵後書き︶
感想ありがとうございます。
﹀紅蓮は植木鉢を確認しなかったのか
そんな入念な調査をする連中ではなかった、ということで。深く考
えていません。
﹀異世界転生ではなく異世界転移
そもそも異世界ですらありませんでした。
勿論リデアは地球=セルファークだと知っていました。キョウコも、
セルフも。
﹀完結が近いようですが
いえ、そんなに近くありません。まだまだです。
感覚的には3分の2、といったところでしょうか。
2265
白い塔と赤い塔 2
﹃同志クズネツォフ、探索隊のベースキャンプを確認した﹄
月面を這って数百キロを遙々飛行した彼等は、旅路の末に巨塔付
近まで接近していた。
﹃帝国製のソードストライカーもいる。かなりでかい、格闘戦はや
はり避けるべきだろう﹄
﹃了解だ同志ジューコフ。まだ手は出すな、巨塔から充分離れたタ
イミングを狙うぞ﹄
﹃承知している﹄
森に潜む大量の人型機。細い手足に両肩のジェットエンジン、脇
下のロケットモーター。
その飾り気のない武骨なデザインは、既に多くの人々が知るとこ
さんけつか
ろである。
散赤花。統一国家唯一のSSだ。
緻密に連携を取りつつ移動する彼等は、間違いなく精鋭。存在が
露見しないようにと通信出力は抑えているが、高度な訓練を受けた
彼等は最低限のハンドサインで意思疏通しての軍行が行える。決し
てそれは素人の動きではなかった。
﹃上空制圧は任せるぞ、新型﹄
はるか上空を飛行する飛行機を見上げる、散赤花の天士。
2266
通信出力を抑えているが故に声は届かないが、友軍機の一体が空
を見上げていることには気付いた。
戦闘機天士は翼を翻し急降下。フライバイの刹那に通信を繋ぎ、
返答した。
﹃フ、こいつは帝国の半端者とは違う︱︱︱空の王者たる故を教え
てやろう﹄
月面に東京、否︱︱︱日本が存在する。
その意味が判らず、俺は混乱するばかりだった。
﹁だって、おかしいだろ。この世界に来て5年だぞ、ずっと、ずっ
とか?﹂
︱︱︱ずっと、俺の故郷は頭上にあり続けたというのか?
首都圏とおぼしきコンクリートのジャングルは、どこを見ても過
ぎた年月によって風化しきっている。建物や高架線も各所で倒壊し
ており、どれだけ放置されていたのか到底想像出来なかった。
そして、町のどこに目を向けても転がっている体長10メートル
ほどの死体。
月面人。つるつるとした金属なのかゴムなのかも判らない皮膚を
持ち、のっぺりした顔に眼球と鼻だけを備える巨人。
道路で死んでいる個体もあれば、建物に半分埋もれている月面人
もいる。
2267
なんとなく、どの顔も苦悶を浮かべているように思えた。
﹁これが、世界の真実だっていうのかよ﹂
リデアは知っていたのだろう、月面に俺の故郷があることを。
﹁ギャオ、ギャギャガァ﹂
﹁⋮⋮ん?﹂
ロリゴンが俺の肩を鼻先でつつく。
﹁なんだ触れるなロリコンが感染る﹂
気が立っているので、返事に棘が混ざるのは勘弁してほしい。
大きな翼をばっさばっさと羽ばたき、飛翔するロリゴン。
﹁着いてこいって言っているけど、どうする?﹂
﹁⋮⋮行こう、これがどういうことかは後で知ってそうな奴を問い
質せばいい﹂
リデアの他にも、セルフ、キョウコ、ファルネあたりが知ってそ
うだ。
皆、秘密が多過ぎだろう。この世界の謎に対し、俺は未だに部外
者な気分だ。
リデア曰く俺はセルファークに来る運命であったらしい。むしろ、
運命はいつだって蔑ろにされるものなのかもしれない。
﹁レーカ、どうしたの?﹂
2268
ホバリングして垂直上昇していくロリゴンを追う為、白鋼に急い
で乗り込む。
﹁差し支えなければ、教えてほしいのだけれど。ここに来て、レー
カは何に驚いているの?﹂
﹁あ、ああ。ここは、俺の世界⋮⋮俺の国の首都なんだ﹂
﹁⋮⋮どういう意味?﹂
眉を潜めるソフィー。実に正しい反応だと思う。
﹁そのままの意味。俺だって混乱している。なんで俺の故郷が空の
上に、しかも朽ち果てた状態であるんだか﹂
魔法でコンプレッサーを再現し、エンジン始動を試みる。
ガラガラと音が背後から聞こえて、エンジン点火は失敗した。
﹁⋮⋮さっきの転倒で、壊れた?﹂
解析してみれば、白鋼のエンジンは外部からの衝撃で中破してい
た。
﹁飛べないの?﹂
﹁これは⋮⋮ちょっと応急処置でどうこうなるトラブルじゃないな。
船に戻って修理しないと﹂
人型機形態であれば歩けるだろうが、それだけだ。エンジンによ
2269
る高機動が出来ないならば戦闘は勿論、長距離移動なども到底無理。
ずどーん、とロリゴンが地上に戻ってくる。やれやれと肩を竦め
つつ、彼は短く鳴いた。
﹁飛べないなら背中に乘れ、って﹂
なんだか癪だったが、勧められた通りに彼の背中に飛び移る。
垂直上昇して移動した先は東京タワー大展望台、その屋根の上だ
った。丁度タワーの中ほど、高さは150メートル程度だったと記
憶している。
展望台の上には、色々とガラクタが転がっていた。更には丸太が
何十本も絡まっており、それは皿に似た形を形成している。
﹁巣?鳥の巣か?﹂
﹁彼の家だって﹂
ロリゴンは東京タワーに住んでいたのか。あるいは、この町に気
付くのに5年もかからない可能性もあったのかもしれない。
この世界に訪れて半年ほどでロリゴンと邂逅した。その時、こい
つが巣まで逃げ込み白鋼がここまで追っていたら?
そんなもしもの歴史を想像しつつ、背中から展望台に降り立った
俺は彼の指し示す筒を調べる。
﹁なんだこれ、大砲?﹂
一本二本ではない。東京タワーのいたる鉄骨に筒は固定されてい
る。
﹁彼は以前、それが暴発して頭に直撃したせいで痛い思いをしたそ
2270
うよ。だからレーカに撤去を依頼したいみたい﹂
﹁ああ、これ花火の筒か﹂
東京タワーでイベントを行う準備が行われていたらしい。
内部を解析すれば、火薬は湿気り金属も酸化している。むしろよ
く暴発したものだ、火薬としての性能を完全に喪失している。
﹁これらを撤去、か。だが見た限り数百本以上ある、今は無理だ﹂
安全に外すなら職人達を呼びたいところだ。危険で構わないなら
一人でやる方法もあるけれど。
﹁それに、タダでやってもいい仕事ってレベルでもない。危険物を
扱うんだ、それなりの料金になるぞ?﹂
魔物に金を支払う手段などないと理解しつつも訊ねる。依頼を断
るにも筋を通したい。
﹁フガガ﹂
﹁支払いは出来る、って﹂
﹁マジか﹂
しかし意外にも、ロリゴンは金を払う算段があるらしい。
巣の一部をくわえ上げ、上下に揺する。
カラカラと軽い金属音を鳴らし落ちてくる、手の平ほどの薄い板。
﹁お前の鱗か、なるほどな﹂
2271
冒険者が魔物を狩るのは素材を得る為だ。その素材から様々な道
具や薬を人は作る。別に無機収縮帯だけが魔物由来な部品なわけで
はない。
聞き覚えがある。速度に優れたソニックワイバーンの鱗は、特殊
な軽い金属で出来ていると。
解析してみれば、やはりミスリルほどではないにしても高値で取
引きされる金属だ。巣の中にはまだまだ剥がれた鱗があるのだろう、
報酬としては充分釣り合う。
﹁解った、この依頼は引き受ける。だがまた今度にしてくれ、今は
そんな気分じゃない﹂
月面に職人達を連れてくることは難しい。それどころか、再びこ
の地にやってくるとすればほぼ確実に不法侵入となるだろう。
俺一人で行うとすれば危険な方法でやるっきゃない。今度だ今度、
そのうちな。
その返答に一応の理解を示すロリゴン。直撃したところで命に別
状ないのだ、さほど差し迫った案件でもないのだろう。
帰りまでこいつの世話になる気にもなれなかったので、ソフィー
を抱き上げて展望台から飛び降りる。
近くで見ると意外とオレンジ色っぽい鉄骨を靴の踵を削りつつ滑
り降りる。身体強化をしていればこの程度は容易い。
地面まで降りて、白鋼に乗り込む。探索隊本隊と合流しなければ。
﹁あ、どうやって帰ろう⋮⋮エンジンなしじゃ飛べない﹂
﹁飛べなくもないけれど、時間がかかるから現実的じゃないわ﹂
そうだった、ソフィーはエンジンカット状態でも風に乘って滑空
2272
するという意味不明な特技があるんだった。
﹁まったく変態女め﹂
﹁ふぇえ﹂
変な声を漏らすな。
﹁救援を呼んで斬焉に来てもらおう、曳航してもらえば巨塔まで飛
べる﹂
飛行機同士の曳航、あまり聞かないが不可能ではない。ようはグ
ライダーだ、ドイツは第二次世界大戦の頃から大型機でやってた。
飛行機の普及したセルファークでは、地球よりずっと頻繁に見か
ける光景だ。
﹃おや、珍しいですね﹄
唐突に、共振通信に声が入った。
﹃上の人がここまで来るなんて。もう収穫の時期ですか?﹄
﹁誰だ、ここは一般人立ち入り禁止だぞ﹂
背後に気配を感じ、相手を刺激しないようにゆっくり振り返る。
この気配は人型機だ、おおかた不法侵入したのだろう。話しかけ
てくるということは敵意はない︱︱︱そう予想しつつ、通信の相手
を視界に納める。
そして絶句した。
2273
﹁月、面人?﹂
のっぺりした顔が俺を見つめる。それは、人型機と同じサイズの
巨人であった。
﹃貴方達はそう呼んでいますね。初めまして、佐藤といいます﹄
その日本人以外にありえない名前に、俺は白鋼の操縦が困難なほ
ど動揺した。
﹁佐藤って、なんだよそれ﹂
崩れ落ちた白鋼が、膝を着いて踏み留まる。ソフィーが咄嗟に操
縦したのだ。
﹃大丈夫ですか?﹄
﹁大丈夫じゃない、たぶん﹂
目眩がして視界が暗くなる。気が動転してしまっている、だがそ
れを落ち着ける余裕すらない。
﹁佐藤ってなんだよ、じゃあ鈴木とか高橋とか田中とかもいるのか
よ﹂
﹃え︱︱︱えと、たぶん集落を探せばいるかもしれませんが。我々
に詳しいですね?﹄
詳しくなんかない。なにも、全然解らない。
2274
﹁お前は、月面人は⋮⋮日本人なのか?﹂
﹃はい、そうですけれど何か?﹄
あまりに簡単に、あっさりと肯定された。
﹁何があったんだ。教えてくれ、日本がなんでセルファークにある
んだ﹂
﹃君は︱︱︱何者です?﹄
何者か、などと問われてもこう答えるしかない。
﹁真山零夏だ、日本に住んでいた日本人だ。魔法で召喚されて、セ
ルファークに来た。教えてくれ、この世界はどうなってるんだ﹂
初対面の相手に失礼な物言いだが、気遣う余裕はない。ただ乱暴
に佐藤と名乗る巨人に問いかける。
﹃うーん⋮⋮君は、西暦何年に生きていたんだい?﹄
﹁2013年、西暦2013年﹂
﹃なるほど。僕等より過去の住人だね﹄
過去という単語に頭を過るのは、ナスチアが製作した時間制御魔
法。
﹃結論からいえばね。この世界は、君の時代から1100年後の地
球だよ﹄
2275
一番聞きたくなかった答えは、だが呆気なく肯定されてしまった。
﹃君にとってそうであるように、僕にとっても100年前の生活な
んてピンと来ないけれど。男女の在り方はどんな時代でも変わらな
いだろうね﹄
佐藤さんの案内に従い、荒廃した東京を歩く。
多少は植物に侵食されているが、コンクリートは未だに灰色を晒
している。植生から隔絶されたこの町には、彼らとはいえ簡単に入
り込めないようだ。
﹃僕はその瞬間、東京タワーを見上げていたんだ。恋人の女性と一
緒に﹄
佐藤さんの背中は、ただ黙々と当時を語る。
﹃何年だったかな。2130年頃だったはずだ、世界が滅んだのは﹄
﹁世界⋮⋮滅亡ですか﹂
あまりに陳腐で、バカらしい響きの言葉。多くの予言に存在する
にも関わらず、人類数千年の歴史においてそれを直視した者はいな
かった。
2276
少なくとも、俺の時代には。
﹃うん。たった数時間で、何もかもが終わった﹄
佐藤さんは足を止め、空を見上げる。
﹃あの日はクリスマスでね。東京タワーでは花火ショーが行われる
予定だった﹄
﹁⋮⋮え、スカイツリーは?100年後なら、あの二つのタワー以
上に凄い建築物とかありそうですが﹂
いつまでランドマークであり続けるんだ、あのエッフェル塔モド
キは。
﹃勿論あっちでも催し物はあった。むしろ世間の流行りは宇宙コロ
ニーだったね、東京タワーとスカイツリーは穴場扱いだよ﹄
﹁宇宙コロニー!?﹂
現在の技術力からして、たった100年で宇宙に人間が定住出来
るとは思えない。ましてやクリスマスデートにちょろっと宇宙に昇
るなんて。
﹃沢山あったよ、宇宙施設は。最初は研究コロニーや高級ホテルと
かが多かったらしいけれど、僕等の生きた時代ではちょっとお金を
出せば宇宙に行けるようになっていた。クリスマスを恋人と宇宙で、
って広告は珍しくなかった﹄
ガンガン開拓してたんだな、たった100年で宇宙世紀がこよう
2277
とは。
﹁ロケット以外に手軽に大気圏を脱出する技術が開発されたとか?﹂
﹃さあ、僕は詳しくないからね。どうせそういうのも縁がない貧乏
人だし﹄
スカイツリーと東京タワーは庶民向けデートスポットか。
﹃なんでもとびっきりの天才が宇宙船を作ったらしい。彼が技術力
を大きく発展させたんだ。覚えているのはこれくらいだけれどね﹄
むしろ1000年前の出来事、よく覚えている方なのだろうか。
﹃だから多くの人が空を見ていたし、それを目撃した人も多かった﹄
﹁それ?﹂
﹃隕石、だよ﹄
夜空を走る小さな光。
流れ星というには長く輝き、彗星と呼ぶにはあまりに近く。
それは、東京タワーの向こうに音もなく落下したそうだ。
﹃最初は珍しい光景を見た、と思っただけだった。けれどすぐに他
人事ではないと悟った。隕石とそれにどのような因果関係があるか
は判らなかったけれど、厄災が降りてきたことだけは誰もが理解し
た﹄
佐藤さんは青い蔦を指差す。
2278
﹃あの蔦が世界を包んだんだ。宇宙から飛来した隕石はただの石な
どではなかった。あの隕石は、種だったんだ﹄
﹁種子、宇宙植物?﹂
SFではよくある単語だ。宇宙からやってくるのは人型の宇宙生
物ばかりではない。
そもそも植物と動物の違いなど、知れば知るほど曖昧なものだが。
﹃地球の生物分類に当て嵌めるのは難しいよ。僕等もこの体になっ
た後で調査した限りであって、アレがなんなのかよく判っていない
しね。けれど、ただアレが周囲の物理法則をねじ曲げて変質させる
能力があることは判明した﹄
﹁あの蔦が、その結果?﹂
﹃あれは隕石の触手でしかない。変質したのは、蔦の付近にいた動
物達だ﹄
付近っつったって⋮⋮空を蔦が覆い被さって、細かく枝分かれし
た細い蔦は地面にも這っているんだ。安全地帯なんてあったのか?
﹃なかったよ。地球表面は元より、宇宙コロニーにまで延びた蔦は
人間という人間を全て変質させてしまった。体長10メートルほど
の異形の巨人へと、ね﹄
宇宙コロニーまでもが無事では済まなかったのか。まさに人類滅
亡じゃないか。
2279
﹁その、変質した人間が⋮⋮月面人ですか﹂
﹃そういうこと。もっとも、全ての人間が変質に耐えきれたわけじ
ゃない。数時間に渡って変質し続けた肉体に、巨人となる途中で息
絶えた人も多い。むしろ大半がそうだったはずだ﹄
一面に広がる月面人の死体、全てが変質に耐えきれなかった日本
人だというのか。
無造作に転がっている無機質な残骸が、一瞬生身の人間の亡骸に
見えて寒気を覚える。
﹃僕の恋人も、耐えきれなかった。苦痛と恐怖に満ちた様子で息絶
えたよ、同じく苦しむ僕もそれだけは鮮明に覚えている﹄
恋人︱︱︱ソフィーが人間ではない姿となり息絶えたとしたら。
俺はそんな光景、とても直視出来ない。
﹃けれどそれは幸せだったかもしれない﹄
心無しか、駆け足となる佐藤さん。
丘を越えると、そこからは真新しい建物が遥か果てまで一望出来
た。
﹃生き延びた僕等は寿命で死ぬことも望めない体となり、永遠の時
間を生き続けなければならなかった﹄
﹁不老不死、ですか﹂
古代の王達は、その多くが不老長寿の方法を探し求めたと聞く。
俺はその感情がとても理解出来ない。死にたいなどと思ったこと
2280
はないが、永遠の寿命など死より恐ろしい。
そんな呪いを、1000年前に多くの人々が背負ったのだ。
﹁あれが、月面人の集落?﹂
﹃うん﹄
集落と聞いて村のようなこじんまりとしたものを想像していたが、
どうやら間違いだったようだ。
大都市だ。どこまでもひしめき合う巨人達の町が、目の前には広
がっていた。
佐藤さんは大きく両手を広げる。
﹃ようこそ。ここが、生き延びた者達の集落︱︱︱アハテンスだ﹄
﹃おっ、地上の人間かい?ここまで来るなんて珍しいな﹄
﹃帝国軍?もう5年経ったか、時間が流れるのは早いもんだ﹄
﹃上の奴らのロボットだ。やっぱあれだな、モビル⋮⋮ガンダ⋮⋮
なんだっけ?﹄
月面人達は気さくに声をかけてくる。実声ではなく、共振通信の
無線だが。
彼等は声帯がなく、その代わりに装置なしでのクリスタル共振通
信を行えるそうだ。
2281
というか魔力を持つ生物は基本的に共振通信を使える。それは人
類だって例外ではない、人間の場合は声帯をしっかり備えているの
で横着して退化気味なだけだ。
﹁⋮⋮普通の町、よね﹂
﹁サイズが人間の町の5、6倍ってこと以外はな﹂
行き交う月面人達には皆、その瞳に理性を感じる。
むしろ、ゆるい。人間の町にはきびきびとした活気があるが、こ
いつら動きがまったりとゆるい。
﹃時間に追われてないからかな。各々が好き勝手に目的を見付けて、
それを求めている﹄
絵を描いている月面人もいれば、躍りを踊る月面人もいる。地面
に必死になにかを描いている月面人は何をしているのだろうか。
とかく、彼等の日常は創作活動に多くが割かれるようだ。それが
長年積み重なった末に、町はカオスな景観となっていた。
目に飛び込んでくる情報量が凄いのだ。壁には彫刻が彫られ、地
面にはどこまでもモザイクが敷かれる。どれだけ根気があれば成し
遂げられる芸術だろうか。
﹁時間感覚がないんだな、この町は﹂
﹃皆無ではないよ。ほら、スポーツとかは時間を計らないといけな
いし﹄
彼が指先で示す場所では、月面人達がサッカーをしていた。
ドシンドシンと付近では地震が絶えない。よく見れば、ボールは
2282
人型機の頭部だった。どっから手に入れたそれ。
﹁なんか、俺の知っているサッカーじゃない﹂
﹃時が経てばルールも変わるよ﹄
町中を利用して、フィールドに限定されずボールは飛び交う。
むしろ退化して、フットボールと化していないか?
更に歩くと、町の広場に入る。回りを囲むのは立派な美しい花壇
だ。もっとも季節柄か、花は無く瑞々しい緑が生い茂るだけである。
と、思いきや木だった。木の花壇って。
﹁なんですか、この碑石?﹂
広場の中心にはモノリスが幾つも聳えていた。その表面には﹃正﹄
の字で埋め尽くされている。
﹃カレンダーだよ。毎日ずっと、世界滅亡から何日後かを数えてい
た人がいるんだ。これがなければ、僕等はあの日から1000年経
っていることにも気付けなかった﹄
﹁毎日、1000年間ですか﹂
単純計算で365000日。35万日、ずっと続けていたのか。
﹁死なない、ってどんな気分なんですか?﹂
つい口から漏れて、失敗したと自覚した。もうちょっと慎重には
発言しろ、俺。
しかし佐藤さんや周囲の月面人達は気にした様子もない。
2283
﹃いやぁ、その問いはこの体になって100年間くらいは禁句だっ
たね。それ以降はみんな受け入れたよ、きっと何度も自問自答した。
その答えとして個人の考えを言わせてもらえば︱︱︱死ぬのはやめ
ておこう、と決めている﹄
実にあっさりした様子だった。
﹁死ぬのは、とは?そもそも死ねないのでしょう?﹂
﹃死ねるよ。寿命はないし病気にもならないけれど、肉体が復元す
る限界以上に損傷すれば機能を停止する。それで死んだ人は沢山い
る﹄
無機収縮帯。あれも確かに、限界以上に損傷すれば焼き切れる。
月面人の肉体は全身がその特性を持っているのだろう。
﹃自殺は、人間である権利を捨てる行為だ。唯一自殺という選択肢
を持つ人間がそれを否定するのはおかしな話かもしれない。けれど、
僕は心まで無機物にはなりたくはない﹄
佐藤さんは遠方を見つめる。
小さな丘。不自然に盛られたそれは、人工的に積み上げられたの
は明らかだった。
﹃だから、足掻くんだ。この体が崩壊するほどの外的要因が現れる
その瞬間まで、僕は僕であり続ける。そうして初めて、僕は彼女の
元へと逝ける﹄
彼女、それが共に東京タワーを見上げた恋人であることくらいは
2284
察せた。
﹁あの山は︱︱︱﹂
﹃お墓だよ。月面人の肉体は腐らないからね、弔うには埋めるしか
ないんだ﹄
あの丘の下には沢山の月面人が犇めいているのか。地上の人間か
らすれば宝山だな。
﹃墓に眠っているのはこの町で機能停止した月面人と、あとはここ
の住人の家族や知り合いだね。外見が変わり果ててしまったけれど、
死んだ居場所で誰なのか特定出来た人もいるから﹄
地球の医学では、魂などというものは存在しないものとされる。
脳など所詮は神経細胞とグリア細胞からなる三次元集積回路に過ぎ
ない、俺もそう考えていた。
けれど、セルファークの住人は魂を存在するものとして扱ってい
る。宗教的な迷信ではなく、魔導技術の一環として実際に干渉すら
行える。
魂があるなら。そんなものが実在してしまうなら、実に不都合だ。
﹁人が死ねば、その魂は生まれ変わって別の人間になれるのか?﹂
﹁それこそ迷信よ﹂
ソフィーは端的に切り捨てる。
﹁世界人口は長い目で見れば増え続けているもの。輪廻転生は世界
人口が一定で推移してこそ成り立つ仮説よ﹂
2285
意外と論理的な反論だった。
﹃では、我々月面人はどうお考えですか?﹄
好奇心がくすぐられたのか、会話に加わる佐藤さん。
﹃我々の脳は有機細胞で動いていません。死体を解剖したところ外
見は人間の脳と相違なかったそうですが、サイズは5倍、神経細胞
ではなく電気信号による演算を行う半導体の塊です﹄
厳密にいえば、それはもう︱︱︱
﹃我々は、本当に日本人なのでしょうか?﹄
⋮⋮医学の発展は、言葉の定義をあやふやにしてしまった。
かつては心臓が止まれば必然的に脳も死亡した。故に、心停止は
死と扱われた。
しかし人工心肺や心臓移植の発達により、心臓が止まろうと死亡
とは考えられなくなった。現在の死の定義は脳の活動停止だ。
だが更に一歩踏み出して、活動停止した脳を再起動する医術が開
発されたら?
それは死者の蘇生なのか?それともただの治療なのか?あるいは、
オリジナルとは別の人格なのか?
人類は、それを真剣に考えなくてはいけない段階まで達している
のだ。
考えようによっては佐藤さんはもう死亡している。目の前にいる
のは、佐藤さんの記憶と感情をコピーした機械。そう考えるのも、
また間違えではない。
けれど、だけど。
2286
﹁︱︱︱これは昔聞いた雑学ですが﹂
だけど、ただの機械がそんなことで悩んだりするものか。
﹁人体というのは新陳代謝によって6年も経てば全て入れ替わって
しまうそうですよ﹂
ほへ?と間抜け顔で俺の顔を見るソフィー。
﹁それって、レーカと会ったばかりの頃の私と、今の私はほとんど
別人っていうこと?﹂
﹁ソフィーはそうでなくても引っ込み思案が治って別人っぽくなっ
たけどな。つまりはそういうことだ﹂
これは脳も例外ではない。脳細胞は変化しないが、それを構成す
る分子は入れ替わる。
﹁俺達だって、6年前と比べりゃデータを移し替えたハードディス
クと変わりませんって﹂
﹃はは、その発想はなかったよ﹄
楽しげに笑う佐藤さん見る限り、彼にとっていい回答だったよう
だ。
﹃ありがとう、僕が日本人だって胸を張れそうな気がしてきた﹄
﹁なによりです﹂
2287
︱︱︱だが、その理屈でいえば。
リデアの弟の肉体にとりついている俺は、果たしてここに本当に
いるんだろうか?
町を進んでいる内に、人間の町との差異に気付く。
﹁大通りなのに、店がない﹂
ある程度の規模の町を歩けば、屋台や市場が所狭しと見かけるも
のだ。
しかし、この町には生活感がない。それどころか、経済活動すら
行われていない。
それは住宅地とも違う、奇妙な空気感だった。
空虚だ、と思ってしまった。
﹁あの、佐藤さ︱︱︱うわ、びっくりした﹂
いつの間にか、月面人が後ろにぞろぞろと着いて来ていた。
﹃ん?﹄
﹃何事?﹄
﹃迷子?﹄
2288
﹃散歩?﹄
﹃略奪者?﹄
﹃宇宙人?﹄
﹃お客さん?﹄
﹃なんでやねん?﹄
う、うるせぇ⋮⋮
クリスタル共振通信の特性上、圏内であれば距離の有無に関わら
ずスピーカーに音声は出力される。数十人に疑問符を投げ掛けられ
ていれば、それが普通の声量であったとしてもやがましい。
﹃誰もが暇だからね。変化が大好きなんだ﹄
佐藤さんを先頭に、大名行列の如く続く一行。なんだこれ。
﹃いいではないかいいではないかー!﹄
﹃そっち持てー!﹄
﹃持ち上げるぞよいしょー!﹄
﹁うわぁ!?﹂
白鋼が胴上げされた。そのまま月面人の手から手にリレーで運ば
れる。
2289
﹁ど、どうする気だっ!?どこ行くんだ!?﹂
ひょっとしてこちらに危害を加えるのではないかと疑うも、彼等
に敵意は感じられない。
﹃あははははっ、ごめんねー﹄
﹁図ったな、佐藤さん!﹂
胴上げ移動する白鋼の横を佐藤さんが並走する。
﹃この町の住人は創作活動で時間を紛らわせ生きている。けれど住
人はほとんどが顔見知り、作品を見せ付けても芳しい反応は得られ
ないんだ。故に 外部の人間は貴重ってわけだね﹄
大きな空き地に運ばれた白鋼。佐藤さんは両手を広げ、大仰にア
ピールして叫んだ。
﹃皆、彼は久々の客人である真山君だ!僕等の晴れ舞台を鑑賞する
為に来てくれた!﹄
﹃おおーっ!﹄
﹃きたーっ!﹄
﹃もえーっ!﹄
歓声をあげる月面人達。鑑賞しに来たわけじゃねぇよ。
つーか、名字で呼ばれるってなんだか新鮮だ。
2290
﹁⋮⋮佐藤さん、それが目的でしたね?﹂
親切に集落に案内してくれたと思ったら。
﹃さあ一人目は大道芸の達人、高橋さんっ!さあどうぞっ!﹄
聞いちゃいねぇ。
文句を言おうと振り返ると、佐藤さんが腰ノミを装着していた。
ブルータス、あんたもか。
ソフィーがポツリと呟く。
﹁前門の大道芸、後門の腰ノミね﹂
どうやら逃げ場はないらしい。
30分後、ようやく見世物ショーは終了した。
どれも無駄にクオリティーが高く素晴らしかったが、まったくも
って誉め讃える気分ではない。疲れた。
﹃また来いよ真山ァ!﹄
﹃お、も、て、な、し、するぜ!﹄
﹃ズッ友だょ!﹄
なぜか友情を感じているっぽい月面人達に後ろ手に手を振り、佐
2291
藤さんの本来の目的地を目指す。
﹃今向かっているのは資料館だ。写真や映像もあるから、過去を知
りたいなら丁度いいと思って﹄
なるほど、それは興味深い。
﹃ほら、あれだね﹄
その指先には、巨大な建築物が鎮座していた。
﹁闘技場?﹂
ソフィーが呟く。人型機同士の賭け試合を開催する闘技場は世界
各地にあり、目の前の資料館はまさに闘技場といった風情の平たい
円柱形建築物だった。
﹃あの中が資料館になっているんだ。世界滅亡の前からある建物で、
えー、なんて名前だっけ﹄
﹁たぶん⋮⋮東京ドーム、かと﹂
1000年の間に改修を繰り返したのだろう、だいぶ外見が変わ
っているが面影が残っている。
屋根に関しては萎み、中から支え棒で空間を維持しているようだ。
東京ドームって風船のように膨らませて形を維持しているんだよな。
﹃そうそう、東京ドームだよ。地下にも何か施設があるらしいけど、
この体では入れないから主にドーム内の空間を利用しているね﹄
2292
﹁ねえ、レーカ。﹃東京ドーム﹄って、単位よね?﹂
何を言い出すんだソフィー。
﹁いや建物の名称だけど﹂
そんな単位は、今も昔も存在しない。
そういえば、孤島のアジトに初めて迷い混んだ時、ソフィーに東
京ドームという単位が通用して驚いたことがあったっけ。
﹃お気付きですか?空の大地に住まう人々が使う日本語は、日本人
が使うものであると﹄
変な言い回しだが、まあ解る。
航空機が発達している世界なのに、フィートやインチ、ノットな
どの単位が一切使用されていない。採用されているのはメートルや
センチ、Km/hだ。
それに対し、東京ドーム何個分、なんて絶対に日本人しか使わな
いような日本語はちゃんと通じる。
つまり、それは。
佐藤さんは頷き、俺の推測を肯定する。
﹃上の大地に生きる住人、彼等は日本人の生き残りの末裔です﹄
東京ドーム、ないし資料館の入り口を潜る。
人間用の出入り口を強引に広げたのだろう、無駄に凝ったギミッ
2293
クで開く扉は、有り余った時間にかまけて製作されたものと推測さ
れる。
﹃皆さんはここで待っていて下さいね﹄
佐藤さんはさっさと扉を閉めて、未だに着いてきていた月面人を
締め出す。
﹃ずりーぞ佐藤ー﹄
﹃詳細報告よろー﹄
﹃まあ声は共振して外まで聞こえるんだがなー﹄
通信妨害
﹁⋮⋮ジャミングしていいですか?﹂
﹃あれ、うるさいからやめてほしいなぁ﹄
共振波を大声でかき消すようなもんだからな。
ごく短い通路を抜けると、そこは豪華絢爛でありながら実に悪趣
味な部屋だった。
﹁なに、これ﹂
僅かな間の後、短く呆れてみせるソフィー。
腕が沢山ある銅像、象と人間の中間的な生き物の絵、マヤ文明っ
ぽい祭壇。
ここに来るまで以上に見事な意匠の数々。しかしながら、そのカ
オスっぷりは加速していた。
2294
﹃ここは神の住まう場所だよ。レプリカだけどね﹄
東京ドームの中心には天蓋付きのベッドが備えられ、そこには少
女が眠っていた。
﹃うぅーん、騒がしいぃー﹄
のそりと起き上がり、腕を上げて伸びをする少女。
はだけた浴衣から白い素肌が覗いており、ソフィーに肘鉄砲を食
らう。
見たところ10歳程度、あんな子供に欲情するか︱︱︱と言い返
した場合、それはそれで怒りそうなので黙っておく。
﹁⋮⋮なんで、お前がここにいるんだ?﹂
﹃ふぇ?だーれ、このイケメン君?﹄
浴衣を整えつつ、寝ぼけた瞳で俺を見やる黒髪少女。
まごうことなきセルファークであった。
﹁セルフ、だよな﹂
﹃違うよー。私はトライアル・ライブラリー。皆は略してラブリー
って呼んでる。まさに名は体を表す、だよね﹄
トライアル⋮⋮和訳は裁判図書館、だろうか。
﹃いえ、トライアルは試作品の意です﹄
佐藤さんが補足する。
2295
試作品の図書館、何にせよ奇妙な名前だ。
﹁てっきり資料館と聞いて、本が沢山ある場所を想像していたんで
すが﹂
現実は宗教的なインチキグッズがひしめく神殿⋮⋮神殿かこれ?
﹃我々世界滅亡後、それまで培われた技術や知識を保管しようとし
ました。いつか必要となった時、100億の人類が築き上げた叡知
を甦らせる為に﹄
いつか古代文明のオーバーテクノロジーとして発掘されそうで怖
いな。
﹃しかし莫大な情報を紙書類で残すことは不可能。故に記憶媒体に
よる保管を考えたのですが、この手足では既存のコンピューターは
使えません。そこで日本の研究所で開発されていた人工知能の試作
品を持ち出し、彼女に情報の管理をしてもらうことにしたのです﹄
﹁それが⋮⋮ラブリーさん?﹂
﹃そゆこと。もーびっくりしたよー、いきなり司書をやってくれな
んて。本来のミッションがあるのに、困っちゃうよねぇー﹄
ひらひらと手を振るラブリーさん。
﹁だがその姿は、セルファークの唯一神セルフと瓜二つに見えるの
ですが﹂
﹃それより少年に言いたいことと、訊きたいことがあるんだけど﹄
2296
ベッドから降り立ち、人目を気にせず着替え出すラブリー。
﹃話をするなら下に降りてきてよ。それと貴方はだぁれ?﹄
自己紹介もしてなかったか、そりゃ失礼。
﹁私はセルフ・アークの試作品よん﹂
﹁君は人工知能なんでしょう?神の試作品っていうのは、どういう
ことですか?﹂
﹁セルファークは人工知能、ってこと﹂
割と衝撃の事実は、軽く明かされた。
白い丸テーブルを囲む俺とソフィー、そしてラブリー。
後ろには佐藤さん。でかい。
突如始まったお茶会。しかし、知らぬ間に喉が渇いていたのかあ
りがたく既に飲み干してしまった。
ラブリーさんは俺の話を聞きつつ、俺にお茶のお代わりを用意し
てくれる。セルフの姿で親切なことをされると違和感が炸裂してい
る。
﹁地球の時代から時間移動ねぇ、魔法ってそんなことも出来るんだ﹂
﹁知らなかったのですか?﹂
2297
訊ねるソフィー。セルフに近い存在なのに、魔法に詳しくないの
は確かに意外だ。
﹁まず断っておくけど、私は魔法のことなんてさっぱりなの。いわ
ばセルファークはインターネットに繋がったスーパーコンピュータ
ー、私はオフライン限定のパソコン。スペックも権限も小さくて、
知る情報もこの町の住人が持ち込んだものだけ。1000年も経っ
ていれば相応の情報が揃っているけれど、未確認の事柄や間違いも
あるはずだから、それは了承してね﹂
﹁解りました﹂
っていうか協力的だな、セルフは全然教えてくれないのに。
﹁情報検索が私の存在意義だし。人類種の保護が目的なセルファー
クとは対応が違うのはとーぜんだし﹂
この場もセルフは覗いているのだろうか。だとしたら、ラブリー
が知る以上の情報は俺には知る必要がないと判断しているのかもし
れない。
﹁で、どこまで知っているの?﹂
﹁隕石が落ちてきて、人間が巨人になったってとこ﹂
﹁なるほど、なら生き延びた宇宙コロニーの話をするね﹂
生き延びた宇宙コロニー?
2298
﹁青い蔦は宇宙空間まで伸びて、宇宙に定住する人間も飲み込んだ
のでは?﹂
﹁ラグランジュポイント、って知ってる?﹂
﹁ラング・ド・シャポイント?﹂
ラング・ド・シャはクッキーの種類だろ、ソフィーや。
﹁地球と月の付近で重力が釣り合う座標のこと、だろ?﹂
某ロボットアニメで見た。っていうかあれって、アニメ内のみで
使用されている造語じゃないんだな。
﹁正確には天体とその衛星での間で、ね﹂
﹁あの、いいですか?﹂
小さく遠慮がちに挙手するソフィー。
﹁専門用語が多くて理解が追い付かないのですが⋮⋮ウチュウ、っ
て何ですか?﹂
﹁あ、そっか﹂
ソフィーを始め、この世界の人間は天文学の初歩すら理解してい
ないんだ。
﹁アホの子ソフィー、新鮮だ﹂
2299
﹁あ、あほじゃないもん。普通知らないもん﹂
涙目で拗ねるな、かわいいなぁもう。
﹁映像で説明するよ、プロジェクター起動﹂
ラブリーが指をぱちんと鳴らす。
ドーム内に乱雑に散った数々のガラクタ、インテリアが沈下する
ように消滅した。
﹁な、なに!?﹂
﹁おーすげー﹂
慌てるソフィーと感動する俺。
薄暗くなった室内に無数の光点が浮かび、俺達を覆い包んだのだ。
﹁プラネタリウムか、しかも立体映像?百年後となればやっぱ違う
な﹂
﹁幻覚っ!?幻覚魔法!きゃっ、飛んできた!﹂
狼狽して彗星を避けるソフィー。
﹁落ち着け。こっち来いこっち、うげっ﹂
呼び寄せたら即座に飛び込んできた。体当たりである。
太陽系がテーブルの上に浮かび、更に外周には多くの光星が満ち
ている。
眩しいほどの星の海。ドーム内に浮かぶ星は数千はくだらない。
2300
この星一つ一つが世界。だというのに、人間が住まう星はただ一
つだけ。
﹁こんな点に等しい星で、何千年も殺し合ってきたんだ。ばからし
いな﹂
﹁世界、この粒が?﹂
﹁太陽系を拡大するね﹂
東京ドーム全体に太陽系が広がる。8つの色とりどりの惑星が、
俺達の回りを結構な速さで巡る。
﹁あれ、なんか少なくないっすか﹂
﹁冥王星とかは惑星と認められないよ。そもそも太陽を囲む天体な
んて、大から小までピンキリ過ぎて区切ることなんて出来ないんだ
から﹂
﹁ってか、それぞれ近いですね。惑星がでかいというか﹂
太陽は直径3メートル、地球などでも1メートルほどで再現され
ている。模擬的な映像だ。
﹁緊密配置ってゆーんだよ。さっきの宇宙だって光星間の距離はか
なり短縮されていたし。ドーム中心に置いた米粒が太陽だとしても、
ドーム芝生内に他の天体はないよ﹂
すっからかんだな、宇宙。
2301
﹁ソフィー、あの青い星が地球だ。真ん中で燃えているでかいこれ
が太陽。この炎の回りを多くの巨大な球体が回っていて、そのうち
一つに俺達人類は住んでいる﹂
更に拡大、中心に浮かぶ5メートルの地球と周囲を周回する1メ
ートルほどの月。
﹁⋮⋮この玉に、どうやって人が住んでいるの?﹂
万有引力から説明しなきゃダメなんだろうか。
四苦八苦しつつ、ソフィーにこの球体の上に人間が立って生活し
ていると理解させる。
﹁変わった世界なのね、チキュウって⋮⋮﹂
﹁煎餅が二枚重なった世界よりは普通だ﹂
なんだよ、上下で逆方向に重力が発生しているって。
﹁もっと拡大するよ、ぎゅぎゅぎゅーん﹂
妙な擬音を添付しつつ、更に映像は拡大する。
北半球の島国。列島国家があるはずの位置には、白い陶器の平皿
が裏返ったような物体が覆い被さっていた。
﹁なんですか、これ﹂
﹁セルファークだよ?この世界は、平皿が裏返しに被さった日本列
島なの﹂
2302
イメージは出来る。理解しがたいが。
﹁正しくは、皿の部分だけがセルフ・アークという宇宙コロニーな
わけ。セルフ・アークについてはどこまで?﹂
﹁神、でしょう?神よね?﹂
自らの常識が根本から覆るような事実に、すがる思いで問うソフ
ィー。
﹁神ってのがどういう定義かは解らないけど。セルフ・アークは本
来、日本初の民間用宇宙コロニーだったの﹂
﹁日本初?﹂
世界からは出遅れているのか、日本は今も昔も変わらないな。
﹁ワンテンポ遅れる変わりにクオリティは他国より上、日本製って
そんなのばっかりだよね﹂
前世代最強の称号は日本のものだぜ。
﹁日本製宇宙コロニーであるセルフ・アークも、その例に漏れず他
にはない特徴があった。それが、自己管理型人工知能を装備してい
ること﹂
﹁イプシロンみたいだな﹂
日本が最近成功させたイプシロンロケットもまた、自立点検機能
を有している。完全な無人で発射出来るわけではないが、準備後は
2303
回線一本で打ち上げ可能だ。すげぇ。
日本列島に被さる皿が失せ、変わりに月と地球の間に円柱の建築
物が浮かぶ。
﹁これがセルフ・アークの本来の姿﹂
いわゆるシリンダー型の宇宙コロニーだ。遠心力で重力を作り出
す、古典的な設計だ。
﹁このコロニーは運用が無人で行われているの。アメリカやヨーロ
ッパのコロニーは沢山の技術者が整備して管理しているけれど、セ
ルフ・アークはロボットによって勝手に環境が維持される。酸素は
しっかり供給されるし、太陽は再現されているし、宇宙ゴミが衝突
しても自分で修理する。中の人間は地上と同じように生きていれば
いい﹂
人件費節約とヒューマンエラーの防止が目的か。ちょっとのミス
で人工の大地が崩壊しては堪らないからな。
﹁そして、それを制御しているのがセルファーク。正しくは宇宙コ
ロニーと同じ名前を付けられた、セルフ・アークという人工知能﹂
それが、セルフの正体。
人工知能がなんで神として崇められているんだ、ほとんど神に等
しい権限と力を持っているのかもしれないにしても。
﹁世界滅亡の日、蔦は宇宙まで伸びて宇宙コロニーをも飲み込んだ。
宇宙コロニーは移動なんてほとんど出来ないから、一部を除いて人
々に逃げ場などなかった﹂
2304
地球から青い糸が育ち、宙に浮かぶ円柱に絡み付く。
それは、さながらハエを捕らえる食虫植物のような不気味さだっ
た。
﹁一部、って?﹂
﹁セルフ・アークは脱出したの。他にも小型の宇宙船で逃げた人も
いるけれど、たぶんすぐに全滅した﹂
﹁脱出って、どうやって?﹂
日本製のコロニーは移動可能だったのだろうか。
﹁ほとんど移動出来ないのは同じ。ただ、単に地球圏からの離脱を
決意するのが早かったんだと推測してる﹂
徐々に動き出す立体映像のセルフ・アークは、蔦に捕まるすんで
のところで地球から離れて引き離す。
﹁人工知能のセルフ・アークは人間という生物の保護を優先し、即
座に地球を見捨てた。その判断のおかげでこの宇宙コロニーの住人
は、世界最後の人類となった﹂
なるほど、そしてその後セルフ・アークは⋮⋮
﹁⋮⋮その後、なんで宇宙コロニーが平皿になって日本に被さった
んですか?﹂
﹁さー?﹂
2305
両手の平を上に、こてんと首を傾けるラブリー。
か、肝心なところがすっぽ抜けてやがる!
﹁仕方がないじゃん!知らないこともあるって言ったじゃん!東京
から見上げて収集したデータだけじゃ、宇宙での出来事なんて判ら
ないって!﹂
﹁所詮はオフラインのサポート切れPCか⋮⋮﹂
﹁さ、サポート切れ言うなー!﹂
大丈夫大丈夫、データ管理のような事務仕事には充分だから。
﹁急に落ちてきたのよ!裏返しの皿が!﹂
﹁そして調査してみれば、裏返しの皿の上では日本人の末裔が生活
していた、と?﹂
﹁そのとーり!﹂
無茶苦茶である。
﹁なんで宇宙に出るほど発展した人類なのに、今じゃ中世のような
生活レベルなんですか?﹂
﹁だってコロニーの中に技術者はほとんどいなかったもん!コロニ
ーの整備に人の手は必要ないし!そりゃ衰退するよ!﹂
近代の職業って細分化、専門化しているからなぁ。町一つが突然
孤立したりすれば、文明技術を維持出来なくなるのは当然だ。
2306
製品を作るのに十の行程があるならば、十人の専門の技術者が必
要なのだ。誰か一人でも欠ければ製品は完成しない。
﹁なんで現在の人間は、月面の蔦に接触しても月面人にならないん
ですか?﹂
﹁耐性でもあるんじゃない!?﹂
じゃない?といわれても。
﹁なぜ裏返しで落ちてこないんです?﹂
﹁科学だよ!磁石パワーだよ!﹂
コロニー内で科学は衰退したって、さっき推測してたやん。
少なくとも磁石ではない。地球技術の延長で重力制御なんて可能
とも思えないけど。
﹁日本人の癖にたった千年程度で容姿が多種多様になっているのは
なぜです?﹂
﹁それは調べた!ニュータ⋮⋮宇宙に適応する為とかいって遺伝子
操作したっぽい!﹂
ドワーフや獣人はいわば強化人間なのか。
いや、獣人はただの変態が遺伝子操作した結果だったっけ。
﹁そんなロースペックPCのラブリーさんなのに、なぜ立体映像な
んて超技術プロジェクターが搭載されているの?﹂
2307
﹁バカにしてる!この人バカにしてる!試作機とはいえ私だって京
以上のスペックなのに!﹂
京、ってなんだっけ。数字の単位?
﹁この立体プロジェクターは世界中で使用されていた技術だし!2
2世紀舐めんなー!﹂
ほー、裸眼全方位3Dが普及してたのか。
﹁映画館用の設備とか?﹂
﹁家庭用!﹂
未来すげー!?
ちょんちょんとソフィーに裾を引かれる。
﹁レーカの知りたいこと、判った?﹂
﹁まあ、おおよそ﹂
聞きたいことは聞けたはず。聞き忘れがあればまた来ればいい。
この期を逃せば合法的に月面に入るチャンスは5年後だが、そも
そも4年間探索を待っていたのは月面に対しそれほど興味がなかっ
たからだ。
今は違う。非合法であろうが入るつもりだ。
﹁じゃあラブリーさん、見せて欲しいものがあるのですが﹂
ソフィーがラブリーに閲覧を申し込む。
2308
﹁んー、なになに?﹂
﹁レーカの世界の、日常の景色ってありますか?﹂
﹁塔がいっぱい、これがレーカの世界の町⋮⋮!﹂
摩天楼を見上げ瞳を輝かせるソフィー。
宇宙のような非現実的な情景を投影されても﹁綺麗だ﹂としか感
じないが、ビルなど身近な建物を映されてはそのリアリティに驚か
される。都会の真ん中に立っているとしか思えない。
エアシップ
﹁車輪の箱が沢山走っているのね。でも、飛宙船は?﹂
﹁うーん、それっぽいものがないわけでもないんだけれど。ラブリ
ーさん、飛行船の映像か画像はあります?﹂
﹁あるけど、ちょっと古いよ﹂
町が消え、目の前に映像のウィンドウが開く。
﹁有名な飛行船、ヒルデンブルグ号だね﹂
なんでよりにもよってこれを再生した。
﹁これは⋮⋮ひょっとして、風船?人が乗っているのは下の部分だ
2309
け?﹂
﹁ああ、地球での飛行船は積載量も小さくその癖デカイ。だから、
空の主流は飛行機だな﹂
とはいえ、サイズの問題は空なので些細なことだ。問題は速度と
地上での扱いにくさにある。
速度は言わずもかな。
地上での扱いにくさとは、どこでも降りられるのが利点なのに風
の影響を受けてしまい制御が難しく、狙った場所に降りられないの
だ。
更に降りた後も当然風に流される。ヘリウムガスを抜くにしても
巨大な施設が必要となる。ヘリウムを抜かないで固定すれば紐付き
の風船だ、数十メートルの風船など危なくて仕方がない。
﹁ひょっとして、異世界の航空機って遅れている?﹂
失礼な。
﹁浮遊装置なんてインチキなしで頑張っているんだこっちは。ラブ
リーさん、飛行機の映像見せて下さい。一番すっごいやつ﹂
﹁すごい飛行機?うーん、これかな?﹂
ラブリーが宙をフリックすれば、次に現れた立体映像は戦闘機の
映像だった。
菱形の主翼と斜めに設置された二枚のみの尾翼。
思わず息を飲む。俺達は、これを知っている。
﹁これ、お父さんの飛行機︱︱︱!﹂
2310
しんしん
﹁第八世代戦闘機︱︱︱心神!﹂
青い海洋迷彩が施されているが、間違いない。こいつはガイルの
操る超高性能戦闘機と同じものだ。
それが四機、編隊を組んで飛行している。
﹁ああ、そういえばコイツも量産機だったな﹂
ワンオフの戦闘機など試作機以外ではありえない。心神は間違い
なく、日本の空を守った実機なのだ。
再生する映像の心神はやたら高い空︱︱︱成層圏を飛んでいる。
背景の地球が丸い、宇宙に片足突っ込んでいる高さだ。
﹁この戦闘機は宇宙国防部隊に配備されたものだね﹂
﹁宇宙戦闘機、か⋮⋮大気圏内でも飛行可能なマルチロールってか
?﹂
﹁レーカ、ウチュウってどんな場所なの?﹂
ソフィーに先程の説明は正しく伝わっていなかったようだ。
﹁えーと、なんと言えばいいのか︱︱︱空気のない空﹂
﹁え?それ、飛べないでしょ?﹂
空気がなければ主翼が揚力を発生させない。主翼が効かない飛行
機は、当然飛べない。
2311
﹁だからこそのロケットエンジンだな﹂
心神のエンジンはジェットエンジンではなくロケットエンジンだ。
それも、水素を核機関で噴射するというトンデモエンジンである。
熱核エンジン︱︱︱空気を原子炉で加熱して噴出するエンジンは、
冷戦時代から米露両国にて研究されていた。放射性物質を全力で撒
き散らす欠陥品であったが、心神に搭載された原子炉は核融合炉な
のでその問題をほぼ完全に解決している。
﹁吸気なしで運用上差し支えないほどの航続距離と出力を両立する
とは。頑張り過ぎだろ、未来人﹂
いまいち理解していない様子のソフィー。元より彼女は純粋なパ
イロット、技術面はさっぱりだ。
﹁うーん、他に地球っぽい映像ないんですか?日本の名所とか﹂
気を取り直して俺はラブリーさんに訊ねてみる。
﹁勿論あるよ。札幌のがっかり時計台とか、長さより幅の方が大き
いはりまや橋とか、全然銀色じゃない銀閣寺とか、三代目金閣寺と
か﹂
﹁そうそう、そういうのをお願いします﹂
﹁なんで?地球出身なら、見慣れているんじゃない?﹂
なんで、ってそりゃあ⋮⋮
﹁ソフィーに見ておいてほしいから、かな﹂
2312
﹁私に?﹂
﹁ほら、相手に自分のことを知ってほしいというか、両親に紹介す
るわけにもいかないし﹂
なんだか言っていて気恥ずかしくなってきた。
﹁⋮⋮うん、レーカのこと知りたい。見せて貰えますか?﹂
﹁よろこんでー!﹂
映像が切り替わる。黄金の寺と手前の水面、金閣寺だ。
三階建て全ての階層が金色であることに違和感を感じつつも、久
々の京都の観光名所に懐かしく胸が熱くなる。
﹁セルファークとは随分違うのね、これがレーカの国の文化なんだ
ね﹂
異国文化の立体映像を興味深げに見渡すソフィー。もし、いつか
世界移動︱︱︱ではなく時間移動が実現したら、恋人達を連れて日
本を案内したいものだ。
喜ぶソフィーを微笑ましく見守っていると、ふと気付いた。
﹁︱︱︱って、三代目?また燃えたのか?﹂
﹁記録映像もあるよっ﹂
金閣寺が炎上した。なんてこった。
2313
﹁個人的に、これほど燃える光景が美しい寺もないな﹂
﹁一発屋な建築物なのね﹂
﹁次いくけどいい?いいよね?れっつごっ!﹂
着物、お城の天守閣、ゲイシャ、フジヤマなど次々と映像や写真
が切り替わる。
なかでもソフィーが興味を示したのは、和食の映像だった。
﹁食文化はさほど変わらないのね。どれも知っているわ﹂
﹁日本人の食べ物に対する執念は異常だからね。1000年経とう
が面影が残るってもんだよ﹂
﹁ほっとけ﹂
食べ物を見ていると、ぐぅとお腹が鳴った。
﹁腹減ったな﹂
﹁え、私は別に﹂
﹁ラブリーさん、そろそろお暇します﹂
﹁レーカそんなに空腹なの?﹂
ちげぇよ、腹ペコで帰るわけじゃねーよ。
﹁行っておきたい場所が出来たので﹂
2314
﹁行きたいとこ?どこ?﹂
俺はその場所について話す。納得した様子のラブリーさん。
﹁⋮⋮そっか、そりゃ気になるよね。人間には大切な人がいるんだ
もん﹂
﹁君には?﹂
﹁私の大切な人?お父様とお姉様、かな﹂
お姉様はセルフとして、お父様?誰のことだ?
﹁私達の開発者。でもお父様は長い眠りについてしまった﹂`
世界滅亡を乗り越えられなかったのか。大半の人類はそうだった
んだよな。
﹁お姉様は︱︱︱セルファークは、私のことなんてどうでもいいん
だよ。なんせ、1000年間ほったらかしだもん﹂
﹃またいつか遊びにきてくれると、皆喜ぶ﹄
2315
ラブリーとは資料館でお別れだが、佐藤さんは見送りをしてくれ
るそうだ。
﹁ああ、いつかまた。これっきりってことはないでしょうし﹂
俺達は再会を約束する。とはいえ、この地に再び訪れる具体的な
予定があるわけではない。
ただ、きっと俺はまたここに戻る。そんな確信があった。
この町は俺の故郷ではない。けれど、それでも日本人の暮らす場
所だ。
あの世界との縁は、切れてはいない。
﹁落ち着いたみたいね、レーカ﹂
﹁ああ、カッコ悪いところ見せたな﹂
どんな内容であろうと、知らないよりは知ってしまった方が気が
楽だ。俺は好奇心が強い男なのである。
﹁いいわ。レーカは最高にかっこいいけど、カッコ悪い部分も結構
あるし﹂
どういう意味だコラ。
﹁とにかく出発しよう、ちょっとゆっくりし過ぎた﹂
東京ドーム球場内から外までの廊下。人型機サイズの巨人であっ
ても通行可能なほどに拡張されたトンネルを歩きつつ、ふとした疑
問を尋ねる。
2316
﹁佐藤さん、月面って大型魔物の巣窟ですけど。この町って襲撃さ
れることはないんですか?﹂
﹃ないよ﹄
ないのか。
え、なんで?
﹃ここを襲って、魔物に旨味があるかい?ここには動物どころか食
料すらないのに﹄
﹁食料が、ない?﹂
ソフィーが目を見開いて佐藤さんの顔を確認する。
そこには、目と鼻はあれど口の穴がない能面のような顔があった。
﹃僕等は、人間の根本的な欲求を失っているからね。睡眠欲と性欲、
そして食欲も﹄
﹁⋮⋮それって﹂
生きていると言えるのか、という言葉を飲み込む。
﹁それじゃあ、この町って犯罪とかはあるんですか?﹂
﹃聞いたことはない。犯罪は欲求を満たす為に行われるものだ、そ
れがない僕等には他者を傷付ける理由がない﹄
人間から欲望を無くせば、世界は平和になるのか。そんな思考実
験は誰もがしたことがあるが、この様子を見る限り、おおよそは達
2317
成されるらしい。
絶望郷
︵でも、なんだか嫌だな、それ︶
理想郷
ユートピアとディストピアの違いなど俺には解らない。そもそも
が、これらの言葉には明確な定義などない。
中世の時代、人類は完全管理社会を理想だと夢見ていた。王や貴
族のお粗末な政治に反発し、神の如く平等で超越的な指導者を求め
たのだ。
しかし、現在では社会主義・全体主義は廃れて自由主義こそが真
の理想だとされている。
時代によって異なる価値観。まして、1000年も経てば尚更だ。
自分勝手なもんだ、人の価値観なんて。
偶発的に生まれた、欲望が存在しない町。そこで、かつて日本人
と呼ばれた者達はそれでも生きている。
﹃僕等は愛という本能も、失ったんだよ﹄
佐藤さんの言葉は、妙に心に反響し続けた。
佐藤さんと共に白鋼はドーム球場を出る。暗いトンネルにいたせ
いで、外はやたら眩しく目が眩んだ。
﹃自分のことなんてどうでもいい、かぁ。そんなことないのだけ
れどねぇ﹄
2318
不意に白鋼側面のマイクが少女の声を拾った。
﹁うわ、びっくりした﹂
見れば、着物の少女が資料館の外壁に背を預けている。
﹃ラブリー様?あれ、先回り?珍しいですね、外に出てくるなんて﹄
佐藤さんが屈んで尋ねるが、そうではない。この少女はラブリー
と瓜二つだが別人だ。
﹁セルフ、だよな?どうしてここに﹂
﹃ええっ!か、神様ですか!?﹄
セルファーク
仰天する佐藤さん。1000年生きていても神と出くわすのは初
めてのようだ。
手を合わせてナムナムする佐藤さん。それ、仏教どころか本物の
神様でもないらしいですが。
﹃とりあえずレーカに報告があって。それはともかく世界のヒミツ、
到達オメデトウ﹄
ありがとう。
﹃いやぁ、生き別れの姉妹とか会いにくいじゃん?会ったこともな
いのに遊びにいくってのもなんだし、解るかなーこの微妙な機微?﹄
﹁知らん。つーかお前、人工知能なんだって?﹂
2319
﹃神様相手に凄いフランクに話すんだね⋮⋮﹄
助けられたこともあるが、面倒事を持ち込まれたことはそれ以上
に多い。敬う気にはなれん。
セルフは転移して白鋼のコックピットに入り込む。狭いからやめ
ろ、馬乗りになるな。
セルフ・アーク
﹁そだよ。とある天才科学者の最高傑作、﹃自立意思を持つ方舟﹄。
私は世界を飲み込む大津波を乗り越えて、新たな世界に辿り着く為
のノアの方舟。人類種を保護する為ならなんでもやるの。なんでも、
ね﹂
﹁ラブリーの把握していない部分、どうやって重力を制御している
のか、だとかは教えてくれるのか?﹂
﹁どっしよっかなー﹂
焦らすな、そういうのが許されるのは大人の女性だけだ。
﹁世界の秘密に到達したといっても二つの秘密のうち片方、それも
不完全だからなぁ﹂
この世界の秘密とやらは、なかなか奥深いらしい。
﹁しょうがない、奮発して合格としましょう!魔法がなんなのか教
えたげる。ただし、後でね﹂
﹁今は駄目なのか?﹂
2320
あらだか
ざんえん
﹁報告しまーす。探索隊に敵対勢力が迫っているよ﹂
なん、だと?
さんけつか
﹁統一国家の散赤花100機と荒鷹20機。斬焉20機には荷が重
くないかな?﹂
6倍の戦力差、斬焉が最新鋭といえど危険な状況だ。
﹁どうしよう、レーカ。今の白鋼は飛べない!﹂
エンジンが中破している以上は戦闘不可能。走って乗り込んだと
ころでいい的だ。
﹁セルフ!﹂
﹁きゃっ﹂
﹁はわわっ﹂
白鋼を膝立ちさせキャノピーを開き、ソフィーとセルフを両脇に
抱えて飛び降りる。
﹁ソフィーを預かってくれ、俺一人で行く!﹂
﹁え、私が守るの?﹂
﹁レーカ!生身で乗り込んでどうするのよ!機動兵器相手にレーカ
といえど多勢に無勢よ!﹂
2321
﹃多勢に無勢って、少数だったら機動兵器にも勝てるのですか⋮⋮﹄
ソフィーは統一国家の重要目標、危険に晒すわけにはいかない。
そもそも飛べない以上は足手纏いだ。
﹁預かるのはやぶさかじゃないけれど、私を信用するの?散々貴方
を利用している私を﹂
﹁ダチを裏切るような奴じゃないだろ!﹂
知っているぞ、悪者を買って出てでも、お前が何かを成し遂げよ
うとしていることくらい!
面倒事を持ち込まれたことも多いが、助けられたことがないわけ
ではないのだ。セルフは基本優しい奴である。
﹁ま、まあいいけど。頼まれるよ﹂
セルフは赤らんだ頬を指先で掻きつつ、ソフィーの手首をしっか
りホールドした。腕力の差が歴然としている、ソフィーにセルフを
振り払う術はない。
白鋼の脱出装置として格納されていたエアバイクをコックピット
の後ろから引っ張り出す。5メートルほどの高さから発信したエア
バイクはジェットエンジンにより空中で加速、東京ドーム外壁を走
り地面に軟着陸する。
﹁ここでは浮遊装置が作動しないのは知っているでしょ?荒れ果て
た月面ではバイクといえど満足に走れないよ﹂
﹁俺専用のエアバイク、ケッテンクラートを舐めるなよ﹂
2322
後輪をキャタピラに改造した俺のエアバイクは、通常のエアバイ
クと比較にならないほどの走破性を発揮する。月面であろうとどこ
であろうと阻めるものはない。
﹁行ってきます!﹂
ハンドルから魔力を注ぐとターボジェットエンジンの出力が上昇
し、その回転が減速機を経て無限軌道が駆動する。
金属の擦れ合う悲鳴のような騒音を撒き散らしつつ、エアバイク
は猛然と加速する。
﹁新型はともかく、リデアが死ぬのはまずいから。あの子だけでも
守ってねー﹂
﹁天罰でも受けてろ!アホ神!﹂
町中を走り抜けるエアバイク。月面人の間を抜け、股下をくぐり、
一気に集落を出る。
荒廃した東京を疾走する。道なき道を踏破して、俺は東京タワー
を目指す。
俺が到着したところでなにが出来るかなど解らない。それでも︱
︱︱
﹁持ちこたえてくれ、皆︱︱︱!﹂
2323
白い塔と赤い塔 2︵後書き︶
ジャンル・SF↑伏線
この小説にマジカルな要素などこれっぽっちもないのです。
2324
白い塔と赤い塔 3
れいか
時は遡り、零夏が月面人と邂逅した直後の東京上空。
三角形を描く3機の戦闘機、それが6編成。幾何学的に整列して
飛行する18機の戦闘機は、空にV字を描き巡行していた。
ざんえん
帝国最新鋭機、
斬焉。異例の大型兵器はその質量とは裏腹に、低速域でも安定し
て飛行を行える。巨大な後退翼は亜音速でも充分に揚力を生み出し
機体を支えられるのだ。
それを見上げ、感嘆の声を上げるニール。
﹃綺麗だ、さすが精鋭部隊ね﹄
﹃当たり前だけど追い付けねー!﹄
﹃マイケルはマシでしょ、僕なんて重装甲だからもう限界だよ!﹄
えっちらおっちらと月面を駆ける3機の人型機。これらはEシリ
ーズと呼ばれる機体であり、天士も当然いつもの冒険者三人組であ
る。
帝国首都近郊の巨塔、その月面における麓。ベースキャンプにて
零夏の救援要請を受けていた月面探索部隊の隊長は、リデアと相談
しろがね
した結果総員にて合流地点を目指すことにした。
ソードストライカー
零夏は白鋼を曳航してもらいたかっただけなので二、三機で充分
だったのだが、元々半人型戦闘機を作戦導入した時点で遠隔地での
無機収縮帯の収穫は計画されていたのだ。
数百年の間、何度も月面に赴き無機収縮帯を回収してきたのだ。
巨塔周辺の狩り場は既に枯れているのである。
2325
敵と遭遇したわけでもないのに何をやっているのか、と零夏のト
ラブルに頭を抱える隊長とリデアだったが、どうせ未開の領域であ
り資源貯蔵量は未知数。せっかくならと合流地点付近を目的地とし
たのだ。
﹃なあエドウィンー!﹄
﹃なーにー、マイケル!﹄
﹃なんで飛行機ってあんな風に並んで飛ぶんだ?カッコいいからか
?﹄
﹃説明してもいいけど、長いし難しいよ!﹄
﹃ならいい!﹄
編隊飛行。写真などではよく見る光景だが、これらは意外と高等
技術だ。
渡り鳥はV字に編隊飛行することがある。雁行と呼ばれるそれは、
気流の渦を発生させることで後に続く鳥達の翼の揚力を稼ぐことが
出来、結果体力の消耗を抑えられるのだ。
二重三角形の翼を持つ戦闘機ドラケンにも似た理屈が採用されて
いる。主翼の鋭角な部分、ストレーキが気流の渦を発生させること
で主翼の揚力を稼ぐように計算されている。
飛行機が発達していなかったプロペラ時代には鳥のみならず飛行
機にも雁行の恩恵は適応された。三角形を描いて飛行することで燃
費を抑えられたのである。
更に周囲を監視する目が増えることや、迷子となって離れ離れに
なりにくいなど、編隊飛行にはメリットが多々あった。そんな飛行
技術だが、ジェット機時代となると密集することのデメリットが目
2326
立つようになる。
性能の均等化により誰がどう操縦しても燃費が一定となり、レー
ダーや航行装置の発達により遭難することも敵機を目視で発見する
機会も激減したからである。
むしろ、飛行機が高速化したことにより接触事故の危険性が一気
に増した。僅かな操縦幹の動きで機体は遥か彼方に飛んでいってし
まうのだから。
エースパイロッ
故に、現代においては編隊飛行はパフォーマンスの意味合いも強
い。それか或いは⋮⋮
ト
﹃この程度のテク、暇潰しにもならん。それでこそトップウイング
スなのじゃからな﹄
巨大な担架の上に乗ったリデアが会話に割り込んだ。
20機のうち18機での編隊飛行をしているのなら、残り2機は
何をしているのかというと⋮⋮人型形態にて担架の前後を保持しつ
つ匍匐飛行をしているのだ。
人型形態でも斬焉は空を飛べる。燃費は悪いものの、搭載された
強力な新型エンジンは亜音速で飛行して編隊飛行に追従することが
可能なのだ。
リデアや地上作業員は2機が運搬する担架型の板の上。これは人
員輸送の他にも、回収した無機収縮帯の運搬にも使用される。
よって、地面を走るのは冒険者三人組のみ。当然距離は開いてゆ
き、やがて完全に見失った。
ソードシップ
﹃ちくしょー、止めだ止めだ!どうやって飛行機に追い付けってい
うんだよ!﹄
いよいよ追走を諦めて停止する三人。
2327
﹃別に追い付けとは言っておらん。のんびり走ってこい、先に行っ
とるぞ﹄
﹃私達、なんの為に月面まで駆り出されたのよ﹄
﹃人数合わせかの?﹄
ぷんすかと怒るニールとマイケルだったが、非情にも通信は圏外
となり途絶し、彼等は孤立することとなった。
﹁これが合流ポイントの赤い鉄塔じゃな、時計台と同じ役割を果た
すらしい﹂
東京タワーに到着した探索隊だが、巨塔に見慣れている彼等にと
って鉄塔そのものは驚嘆に値するほどのものではない。彼等はむし
ろ、周辺に広がる光景に圧倒されていた。
﹃凄いな、月面人が一面に広がってるぞ﹄
﹃古代文明の町か、技術が発達した人々だったんだな﹄
﹃最近じゃ死体探しも難航してたってのに、まだまだあるんじゃね
えか﹄
探索隊といえど、これほど深部にまで進行したことない。現在の
人類にとっても、日本の町は未知のものだった。
2328
﹃安全を確認した後、班に別れ作業開始!﹄
﹃了解!﹄
隊長の号令の元、斬焉達は月面人の回収を始める。
﹃うへぇ、気持ちわりー﹄
﹃何言ってんだ。こいつらは無機物だ、人間とは違う﹄
﹃けどよぉ、やっぱ人型の物をばらすのは気色悪いわー﹄
無駄口を叩きつつも作業に迷いはなく、月面人の四肢は解体され
無機収縮帯が担架に納められてゆく。
その光景を見つめ、リデアは溜め息を吐いた。
ストライカー
︵言えぬよな、これが人間だったなど。人類には人型機が必要じゃ、
それが人間を材料にしているなど口が避けても言えぬ︶
例えそれが亡骸であったとしても、兵器に人間の一部を組み込む
など正気の沙汰ではない。
﹁割り切るしかないのじゃ、レーカ。我々はこの戦略物資を捨てる
わけにはいかぬのだ﹂
彼に責められるかもしれない、と想像すれば胸が妙に痛んだが、
納得してもらうしかなかった。
﹁⋮⋮で、そのレーカはどこにいるんじゃまったく﹂
2329
憮然と頬を膨らませるリデア。
﹁救援要請に応えて来たというのに、本人はおらんしドラゴンはお
るし!なんじゃあのトカゲは!﹂
ソニックワイバーンの存在は無線で聞いていたものの、ドラゴン
に自ら近付くなど誰でも恐ろしい。
用心して慎重に東京タワーへと接近したところ、ロリゴンはリデ
アを凝視。そして、溜め息を吐いて飛び去っていった。
リデアは直感的に理解していた。奴は胸を見て嘆息した、と。
﹁わしだってそれなりに大きいぞ、マリアほどではないが﹂
僅差でマリアの勝利である。
﹁ドラゴンのくせに大きいのが好きとか、どういうことじゃ﹂
逆である。
着々と回収作業を進める隊員達をぼんやり見つめるリデア。
﹁ふぁあああぁっ﹂
大きな欠伸を隠しもせず、のどちんこを晒す。そんな元姫君に呆
れつつ、通信兵は声をかけた。
﹁リデア様、増援部隊より通信です﹂
﹁ん?三人組か?﹂
2330
差し出された受話器を手に取り、頭を振って髪を浮かせ受話器を
耳に当てる。
ちらりと見えた白いうなじにドキドキしてしまう通信兵。リデア
は半ば本能的に、男の気を引く方法を心得ているタイプの女性だっ
た。
﹁どうしたのじゃ?そろそろこっちに追い付くか?﹂
﹃おっ、お姫様か?ちょっとまずったわ﹄
無線に出たのはマイケルだった。普段は軽々しくいい加減な男だ
が、リデアはその声色にいつもとは違う響きを感じとり目を細める。
﹁人違いじゃ。それで、マイク殿は如何様なご用件じゃ?﹂
﹃あー。わりぃ、暗号の使い方覚えてねーわ﹄
月面での通信は距離的に地上からでも傍受出来る。だからこそ作
戦前に偽名と暗号を入念に準備しておいたのだが、マイケルはそん
なものを覚えてなどいなかった。
﹁通信はエドガーが受け持つ予定じゃったはずじゃなかったか?﹂
エドガーはエドウィンに割り振られた偽名である。
﹃やられたよ、ニールもエドウィンも。実をいうと俺もピンチでさ﹄
﹁なに?おい、どうした︱︱︱﹂
そこで通信が途絶した。
2331
リデアの頬に冷たい汗が流れる。気を奮い立たせ、立ち上がり隊
長機を見上げた。
﹃リゼット様、今の通信はっ﹄
﹁総員、戦闘準備じゃ!敵が月面にいるぞっ!﹂
東京を走るエアバイク。
月面人の死体を飛び越え、路地裏を走り、壁を登り。
レーカの駆るバイクは場所を選ばず疾走する。
︵ノイズが酷すぎる、まだ透視しきれない︱︱︱︶
一見万能の解析魔法だが、制約は多い。遠距離の解析は難しく、
東京タワーで何が起きているかは窺いようがなかった。
だが次第に変化は始まる。ジェットエンジンの轟音、鋼の巨人の
あらだか
地鳴り。肌を震わせる気配はまさしく戦場のそれ。
﹁っ、っと!﹂
急旋回して裏路地に入る。
上空を横切る巨大なデルタ翼機。荒鷹だ。
敵機の通過を確認し、再度発進。
﹁かつての試作機も今や最新鋭か、早いな﹂
2332
戦争は技術発展を加速させる。それが戦火を交えない冷戦であっ
ても、法則は揺るぎない。
通常10年20年という開発時間が珍しくない戦闘機が、僅か数
年でロールアウトする。民衆が忘れていようと、国を動かす者達は
牙を研ぐことをやめていないのだ。
バイクがウイリーしつつ壁に激突。風魔法を使用し風圧で車体を
壁に押し付け、壁を駆け登る。
ビル頂上まで到着した零夏は、戦場の全景をようやく把握した。
﹁防衛戦?いや、籠城戦か﹂
東京タワーに固まり陣営を構える探索部隊の斬焉。タワーを掠め
さんけつか
るようにヒット&アウェーを繰り返す
散赤花と荒鷹。
これら三機種は全て速度に秀でた機体だ。だが速度を活かす散赤
花や荒鷹に対し、斬焉は不向きな防衛戦に徹している。
なぜ斬焉が得意な空で戦わないのか、零夏はそれをすぐに看破す
る。
ソードストライカー
﹁離陸が封じられている、半人型戦闘機であろうと離着陸は弱点っ
てことか﹂
古来より、飛行機の離着陸は無防備だ。速度が遅い離着陸中は揚
力に余裕がなく、姿勢を下手に崩せないので真っ直ぐにしか飛べな
い。
低速かつ直進にしか飛行出来ない標的ほど狙いやすいものはない。
﹁リデアは無事か?見たところやられた味方はいないようだが﹂
通信を試みようとして、零夏はそれを止めた。作戦中は、混戦や
2333
対魔物戦でもない限りは通信出力を抑え敵に傍受されないよう注意
を払いつつ交信するのが鉄則。それを思い出したのだ。
﹁直接乗り込んで話すしかない、か!﹂
散赤花や荒鷹を撃墜する術がない以上、とにもかくにも乗り込む
しかない。零夏は覚悟を決め、スロットルを捻った。
嵐の如く吹き荒れる弾丸。航空機と比べあまりに乏しいエアバイ
クの運動性をフルに活用し、機銃の射線を回避する。
一つ向こうの通り、ビルの合間を亜音速で飛び抜ける散赤花。極
めて軽量の人型機である散赤花は地上を高速で飛行出来るのだ。
︵遭遇すれば、向こうがこっちを発見していなくたって衝撃波で吹
き飛ばされるぞ!︶
生身で機動兵器の戦場へと乗り込もうというのだ、どうしてもど
こかで運頼りとなる。﹁こっちに来ませんように、絶対来んなよチ
クショー﹂とぶつぶつ呟きつつ零夏は東京タワーを目指す。
だがしかし、そう簡単にいくはずがない。
零夏はなるべく入り組んだ、開けていない場所を選んで走ってい
た。だがそういう場所は敵部隊にとっても遮蔽物が多い為に突入ル
ートとして通過したいポイントだったのだ。
東京タワーまで目と鼻の先。零夏は右の多目的運動場と左の中学
校のグラウンドに挟まれた道路を通過しなくてはならなかった。
遭遇する散赤花と零夏のエアバイク。月面にいるはずのない小さ
な乗り物に、散赤花に搭乗する天士の思考は一瞬だが停止する。
﹁ははは、ハロー。さいならっ﹂
その隙に距離を稼ぐ零夏。
2334
﹃ま、待て!月面にエアバイクが走っているぞ!﹄
﹃バカなことを言うな同志よ!シベリア送りにされたいか!﹄
﹃本当だ!奴等の連絡員かもしれん!﹄
﹃いいから任務に集中しろ!木を数える仕事に送られるぞ!?﹄
報告する天士だが、応答した者は相手にもせず目の前の任務に集
中するように指摘する。
もっとも、応答したのは適当なことを口走る零夏であった。敵味
方に入り乱れる通信を咄嗟に逆手に取ったのだ。
﹁セルファークにシベリアがあるかよバーカバーカ!﹂
釈然としないままにヒット&アウェーに戻る敵天士、その散赤花
を尻目にエアバイクは加速する。
稼いだ時間は僅か、だがそれで充分だった。東京タワーに到達し
た零夏は急造の防壁を飛び越え、タワーの真下へ侵入。そのまま下
部の建物に突っ込んだ。
年月経過により半ば失せていたガラスを吹き飛ばし、ドリフトし
つつ停止。ぽかーんと自身を見やるリデアに零夏は片手を挙げる。
﹁よっ﹂
﹁お、おう﹂
2335
無茶な零夏の参戦に物申したいリデアであったが、そんなことを
している場合ではないことは彼女も承知している。情報の共有は迅
速に行われた。
﹁三人組がやられた﹂
リデアの言葉は、戦闘の爆音の最中にあってもよく聞き取れた。
昔馴染みの敗北に動揺するも、零夏はそれを飲み込みリデアに問
いかける。
﹁順番に、説明してくれ﹂
﹁うむ。︱︱︱お主の救援要請は数機の斬焉を寄越せというものだ
ったが、どうせ探索するならとほぼ全機を引き連れて大移動をして
のう。敵強襲部隊にとっては好都合な展開じゃったのだろうな﹂
﹁使用機体からして、どう見ても敵は統一国家の特殊部隊だな。停
戦協定を破って月面をヒソヒソ飛んできたんだ、そこまでする目的
は⋮⋮﹂
零夏とリデアが頷き合う。冷戦下において国家が重視することの
一つ、それはスパイ活動。
﹁最新鋭の半人型戦闘機、斬焉の情報収集か﹂
﹁我等が都合よく本拠地から離脱したから、欲を出してあわよくば
サンプルを手に入れようという算段を踏んだんじゃな﹂
2336
敵の戦闘機サンプルを入手する為だけに、大部隊を編成しての作
戦を行うほど価値があるのか。そう疑問に思う者もいるかもしれな
い。
だがしかし、敵の新型機は国家にとって最重要案件だ。機械技術
の参考にするのは勿論、敵機体の限界と弱点を把握すれば有効な戦
術を編み出し有利に戦闘を行える。
ゼロ戦とは一対一でドッグファイトを行うな。一撃離脱に徹しろ
︱︱︱大平洋戦争初期は最強とされたゼロ戦が、たったこれだけの
戦術により無効下されたことはあまりに有名だろう。敵機体の詳細
な情報とは、戦略すら覆しかねない重要情報なのだ。
﹁この鉄塔への移動中、どうしてもEシリーズの三機は速度が遅く
孤立するのでな。そこを狙われた﹂
﹁そうか﹂
冒険者三人組を作戦に加えたのは間違いだった。そんな後悔が首
をもたげるが、零夏はそれを振り払う。
﹁マイケルが通信途絶の寸前に伝えてきた情報で、我々は辛うじて
この鉄塔の下に逃げ込むことが出来た。それしか出来なかった、と
も言えるがな﹂
﹁荒鷹に上を取られたからか﹂
上空制圧された場所から飛行機を飛ばすのは極めて困難だ。まし
てや統一国家の有する最強の戦闘機である荒鷹となれば、尚更。
優美な外見から舞鶴の方が先進的で高性能な機体だと勘違いされ
がちだが、荒鷹はフィオ・マグダネル技師の設計。飾り気こそない
ものの、性能は舞鶴より上なのだ。
2337
﹁厄介だな﹂
﹁お主はなぜ飛び込んで来たのじゃ、作戦の一つでもないのか﹂
﹁ないわけじゃ、ないがな﹂
何にせよ厄介な敵だった。離陸中の斬焉など荒鷹どころか散赤花
ですら容易に撃破出来る。
﹁一か八か、20機が一斉に飛び出すというのはどうじゃ?﹂
﹁離陸中に一気に数を減らされた後に、生き延びた奴も各個撃破さ
れるのがオチだ。そもそもこっちは一機でもやられたら戦略的には
負けなんだ、残骸から情報を奪われる﹂
逆に言えば、一度空へと昇ることが出来れば斬焉の性能は侮れな
いものだと敵も理解していると考えられる。
﹁優秀な敵は無能な味方の次に嫌いだぜ﹂
﹁お主はエアバイクで地面を走ってきた、地上経由で逃げ出すこと
は?﹂
﹁障害物の多いビル群の合間だ、散赤花の方が有利だよ﹂
これが開けた土地ならば可能性もあったかもしれない。だが、狭
く動きの制限される戦場では斬焉の巨体は不利にしかならなかった。
︵白鋼さえ無事なら状況打開も充分出来たっていうのに、くそっ!︶
2338
月面に日本があることに動揺してしまい、愛機を破壊してしまっ
たことを悔やむ零夏。だがこれは零夏一人のミスではない。
この戦闘は双方にとって不完全な遭遇戦であった。強襲した者達
はまさか白鋼とその天士である零夏がいるとは予想だにしていなか
ったし、零夏も白鋼の中破がそこまで深刻な事態に繋がるとは考え
ていなかった。
ようは、互いに迂闊だったのである。
﹁とにかく、戦場を変えなければ。空に上がらなくてはじり貧だ﹂
その頃、敵も焦れていた。
﹃くそっ、なぜ攻めきれない!?﹄
ソードストライカー
﹃あれは本当に半人型戦闘機なのか、重装甲過ぎる!﹄
繰り返し行われる強襲と離脱。だが、円陣を組み東京タワーに構
える斬焉は一機たりとも撃破されていなかった。
地形を利用した防衛陣営を構えているとはいえ、これだけ長時間
砲火に晒されても尚一機も撃墜されていないのは敵部隊にとって計
算外だった。
︵違う、重装甲というほど分厚い装甲ではない。我々の機銃が弱過
ぎるのだ!︶
2339
散赤花の天士は、これまでの戦闘によって斬焉の装甲厚をほぼ把
握していた。
人型機としては軽装の部類である斬焉の装甲。しかし、散赤花の
機銃や荒鷹のガトリング砲は対航空機用の小口径のものだ。
強力なエンジンを装備し、それに見合う装甲を得た斬焉に対して
はあまりに火力不足だった。
﹃このっ、調子に乗るな!﹄
﹃おい、やめろ!﹄
焦れた一機の散赤花が、剣による接近戦を斬焉に仕掛ける。既存
の人型機とは次元の違う、ビルの合間を時速1000キロで飛翔し
ての踏み込みだ。
小型軽量の散赤花だが、充分な速度に乗って振るわれた剣撃は人
型機であろうと容易く引き裂ける。
それが、旧型の機体でれば。
斬焉は三日月の刃を持つ槍、バルディッシュを振るう。巨体に似
合わぬ俊敏な動きは散赤花の胸部を捉え、ただ一撃で上半身と下半
身は泣き別れることとなった。
胸部にコックピットを持つ散赤花、天士は間違いなく即死だった。
機体は勢いのまま数十メートル転がり、鉄屑となって沈黙する。
撃破された友軍機にショックを受ける襲撃部隊の面々。
それを敏感に察知し、探索部隊員は通信機の出力を上げた。
﹃ほら、どうした。このままじゃ弾が切れるぜ?イチかバチかやっ
てみたらどうだ?﹄
﹃︱︱︱ッ!﹄
2340
歯軋りをする散赤花天士。斬焉の天士は接近戦ならば散赤花に勝
てると確信し、あえて挑発したのだ。
﹃さっきからチマチマと、数で勝る連中なのにタマ無しかよ。ああ、
そろそろ機銃もタマ無しになるだろうからな。いいんじゃねぇか?
愛機とお揃いのオンナノコ同士でな!﹄
﹃言わせておけば、貴様!﹄
憤る友軍を、荒鷹の天士が制止する。
﹃よせ、同志よ!挑発に乗るな!﹄
﹃判っているさ!﹄
被弾どころか、操縦ミスの転倒ですら致命傷となりかねない散赤
花の搭乗員としては斬焉の重装甲は羨望の対象だった。平均的に見
れば頼りないそれも、無装甲と比べれば天と地の差だ。
﹃羨ましいことだ!その新型、必ず貰い受ける!﹄
脳裏で作戦をシミュレートしていた零夏は、ある魔法を思い出し
た。
﹁そうだ、リデア。あの魔法はこの場で使えるか?﹂
2341
﹁﹃あの﹄じゃ判らん。どの魔法じゃ﹂
幾らかの打ち合わせの後、零夏は作戦が実行可能と確信する。
﹁⋮⋮正気か?博打に思えるがのう﹂
﹁敵は危険な任務を託されるような精鋭、ブラフに引っ掛かるよう
な連中じゃない﹂
だが同時に、零夏は敵を評価する。
﹁事実を目の当たりにすれば、すぐに判断が出来る連中だ。だから
こそ、賭けられる﹂
東京タワーに水蒸気が纏う。
不自然に生じたそれは、徐々に拡大し周囲の視界を奪っていった。
﹃なんだこれは、目眩ましか?﹄
﹃まさか今のうちに離陸しようと?﹄
﹃いや、この広さであれば︱︱︱むしろ奴等こそ離陸は困難なはず
だ﹄
突如現れた霧は東京タワーを中心に、半径数キロメートルを覆っ
ている。ほぼ視界ゼロの中を離陸するなど正気の沙汰ではない。
2342
とある目的から零夏が依頼しリデアが創作した、大規模霧魔法。
本来の目的は別だが、ある程度の目眩ましとしても使用可能な汎用
性を持っている。
電子デバイスによる補助技術のないセルファークにおいて、コッ
クっピットからの視界は地球の航空機より遥かに重要だ。襲撃部隊
とて、並の天士集団であったなら霧の範囲内から離脱しているとこ
ろだろう。
だが彼等は並ではない。
﹃計器飛行には違いない、やってみせるさ﹄
視界に頼らない、計算のみでの飛行。荒鷹の天士は技量と度胸を
以て霧の内部に留まってみせた。
﹃大方、この霧で我々が離脱するだろうと画策していたのだろうが
⋮⋮無駄な足掻きを﹄
散赤花もまた、一時着地してしまえば事故の可能性はない。月面
探索部隊の魔法使いは無駄な魔力を消費しただけで終わった、そう
彼等は考えた。
次のクリスタル共振通信を耳にするまでは。
﹃帝国月面基地、支援砲火を開始する!ド派手に祭りを始めるぞぉ
!﹄
瞬間︱︱︱タワーの方向より、火の玉が飛来した。
一つ二つではない。明らかに大規模な設備を用いた、圧倒的な弾
幕。霧の内部は明るく照らされ、轟音が戦場を揺さぶった。
﹃な、なんだこれは!?﹄
2343
荒鷹の近くを砲弾が通過し、それが空中にて炸裂する。
空中にて爆発したそれは子爆弾をばらまき、空に巨大な球を描い
た。
﹃どうだ襲撃者ども、地対空クラスター弾だ!制御管制システムを
起動するのに手間取ったが︱︱︱もうお前達に逃げ場はない!﹄
零夏の熱演は、むしろ胡散臭いほどであったともいえる。しかし、
現実に目の前には圧倒的な火力の弾幕。
片方なら疑っただろう。だがこれら二つの要素から、襲撃部隊は
﹃帝国月面基地﹄の存在をつい信じ認めてしまった。
﹃月面に軍事基地だと、条約違反ではないか!総員、霧から脱出し
ろ!敵の火力は大き過ぎる!﹄
﹃了解!﹄
﹃くっ、南無三!﹄
東京タワーから距離を取ることは敵の思惑通り。そう理解しつつ
も、隊長は躊躇わず指示した。彼等に軍事基地を攻め落とすほどの
装備はなく、大火力に晒され続けることは自殺行為だったのだ。
ほうほうのていで霧より離脱する荒鷹と散赤花、そして︱︱︱斬
焉。
﹃な︱︱︱に?﹄
飛行機形態となった斬焉は、霧の内部にて充分な加速を行い急上
昇する。それも20機全てだ。
2344
それを呆然と見上げるしかない強襲部隊。
﹃馬鹿な、味方の支援砲火の中を飛んだというのか?無謀だ、あり
えない!﹄
﹃ふふふ、ははは!まんまと引っ掛かったな!﹄
零夏の笑い声が通信に響く。
リデアが魔法を解除し、霧が風で消し飛ぶ。
そして露となったのは、火の玉をひたすら放ち続ける東京タワー
に設置された筒だった。
火の玉は一定の時間で炸裂し、空に色鮮やかな火の花を描く。
﹃花火、だと!?そんな子供騙しにっ!?﹄
歯軋りする荒鷹の天士。聡明な彼は理解した、霧が発生した目的
は直接の目眩ましではない。花火が対空砲火に見えるようにする為
の、ちょっとした小細工であると。
零夏は打ち合わせの後、エアバイクで東京タワーの大展望に駆け
登り花火の修復を行ったのだ。
花火に使用される黒色火薬は水分によって簡単に湿気ってしまう。
逆に言えば、水分を抜けば長期保存も可能な科学的に安定した火薬
なのだ。
錬金魔法にて成分を調節し、着火用の配線を修理した零夏はそれ
を霧の中へ放った。クリスマスを祝うはずだった数千発の花火は、
1000年の時を越えて遂に使用されたのだ。
花火には当然攻撃としての能力はない。装甲を持つ斬焉ならば花
火の吹き荒れる中であろうと飛行に支障はなく、全機無事に離陸し
た。
2345
﹃くだらん真似を︱︱︱!﹄
﹃参る!﹄
急降下し荒鷹に襲いかかる斬焉。
軍人同士にそれ以上の言葉は必要ない。本来の戦場を取り戻した
斬焉は最新鋭の名に恥じぬ猛攻を振るい、敵機を蹂躙した。
﹃速い!ヒット&アウェーが成立しないぞ!?﹄
﹃うわあああぁぁ!!﹄
﹃纏めて襲いかかれ!小細工など通じない、物量で潰せ!﹄
﹃だ、駄目だ!攻撃が通じない!﹄
﹃敵は20機だぞ!?こっちは100機以上いるのに、どうして止
められないんだ!?﹄
徐々に数を減らす散赤花と荒鷹。明らかな性能差は、明確に結果
として現れていた。
異国の月面における空は、彼等の死地であった。
﹃⋮⋮っ、同志アールトネン!貴様は離脱しろ!﹄
隊長は遂に、荒鷹の天士に撤退を指示する。
﹃我々はここで散る!貴様はこの新型の性能を祖国へ伝えるのだ!﹄
﹃し、しかし!ここは隊長が生き延びるべきです!﹄
2346
﹃五月蝿い黙れ!お前は結婚したばかりだろう、軍人にこれ以上を
言わせるなッ!﹄
﹃っ︱︱︱了解!﹄
アフターバーナー全開で戦線離脱する荒鷹。統一国家最強のエン
ジンを二基搭載した荒鷹は、過去の戦闘機とは一線を画す加速性能
を披露する。
やがて音速を越え、マッハ2、6へと達する荒鷹。
﹃どうだ、この速度に追い付けは︱︱︱なんだと!?﹄
若いその天士は後ろに振り返り、荒鷹にしっかりと追走する斬焉
に驚愕する。
直線に近い主翼を持ち、重装甲と可変機構を持つことで見るから
に重い機体を持つ戦闘機、斬焉。
その外見は亜音速の運動性に優れていようと、超音速飛行は不得
手だと予想してしまっても仕方がない。
しかしそれはまやかしだ。
﹃なんだその翼は、狂ってる!なんでそれで飛べるんだよ!?﹄
斜めに傾いた主翼︱︱︱斜め翼。翼面積を減らし空気抵抗や無駄
な衝撃波の発生を軽減することで、高速飛行時の無駄なエネルギー
損失を減らす技術。
前例のない可変翼の姿に、荒鷹の天士は困惑するしかない。
﹃やめてくれ、俺には︱︱︱﹄
2347
その声は斬焉の天士にも確かに届いていた。彼は無言で職務を全
うし、引き金を引く。
テニスコートに例えられた荒鷹の巨大な主翼を、30ミリ機関砲
が貫いていく。
重要な部分を破壊しなかったのか数秒は飛行し続けた荒鷹だが、
すぐに超音速特有の機体表面熱が銃痕から内部に侵入。内部から機
体を破壊する。
超音速で分解する機体。連鎖的に崩壊していく荒鷹に、斬焉の天
士は敬礼でだけ弔い機体を反転させた。
敵襲撃部隊全滅。月面探索部隊の損失ゼロ。圧倒的な勝利は、だ
がどこか後味の悪いものだった。
﹁ナイス判断じゃったな、正規戦闘であったなら勲章くらい貰える
ぞ、レーカ﹂
﹁イラネ﹂
戦闘終了後、後始末をする部隊員達を尻目に俺はソフィーと白鋼
を回収してきた。
なんとか丸く収まったものの、久々の際どい戦いだった。小さな
戦闘ということなかれ、大国同士のパワーバランスを左右しかねな
2348
い重要な戦いだったのだ。気疲れもするというものである。
﹁レーカ、無茶しなかった?﹂
﹁ウン、モチロン﹂
ソフィーの心配そうな視線から逃げつつ返事をする。
バシバシと俺の背中を叩くリデア。痛い。
﹁うむ、それでこそレーカだ!わしが見込んだだけはあるの!﹂
なぜか嬉しそうなリデア、そんな様子を見て訝しげに目を細める
ソフィー。
﹁絆が深まったみたいね﹂
﹁ウン﹂
﹁いいことだわ﹂
﹁ソウダネ﹂
ソフィーの声が、心なしか普段より1オクターブ低い。
﹁だが、喜んでばかりじゃいられない。冒険者三人組の安否を確認
しないと︱︱︱﹂
﹃︱︱︱おーい!﹄
通信が入った。
2349
﹃増援を呼んできたぞ、もう安心だ!﹄
﹃暗号を使わなきゃ駄目だよマイク!えっと、ちょっと待って﹄
﹃めんどくさいなもう、こちらニールよ!もう少し耐えなさい!﹄
冒険者三人組の声だった。
ソフィーやリデアと顔を見合わせ、展望台に登って遠方を見る。
小さな砂塵、その戦闘に立つのはE−100か。三人組が乗って
いるのだろう。
そしてその背後には人型機の大部隊。旧式だが、かなり大きな戦
力だ。
﹁⋮⋮どういうことだ?﹂
あいつらは機体をやられたはずだ、生き延びたとしてもどうやっ
て救援を呼んだ?
﹃前と同じだ、俺達の3機を組み合わせて修理したんだよ!それで
増援を呼んできたんだ、マジ大活躍だな俺!﹄
俺は脱力した。
﹁つまり、こちらから仕掛けなくても増援が来てどうにかなった、
って可能性もあるわけか⋮⋮﹂
いや、帝国の人型機は旧式が多いから増援でもどうしようもなか
ったかもしれないが、戦術は間違いなく広がるわけで。
トリッキーで博打な作戦を実行したのは、ちょっと性急だったか
2350
もしれない。
巨塔のエレベーターを使用して帝国城に戻り、白鋼の修理をする。
﹁船に戻ってから直すのではなかったのか?﹂
首を傾げるリデア。
﹁ちょっと行きたいところがあってな。ソフィー、準備は出来たか
?﹂
﹁うん﹂
ソフィーが白鋼に登るのを手助けし、俺もコックピットに入る。
﹁数時間後にはアナスタシア号に戻るのじゃ、すぐに戻ってくるの
じゃぞ﹂
﹁オカンかお前は。離陸するぞ、コンプレッサーに吸い込まれるか
ら離れろ﹂
﹁誰がオカンじゃ!﹂
リデアやドワーフ達が退避し、格納庫から出た白鋼は短距離離陸
2351
する。
そのまま垂直上昇、月面領域へと突っ込んだ。
﹁⋮⋮いや、あやつ、どこ行ったのじゃ!?﹂
目の前で堂々と法律違反するなと、後でリデアに怒られた。
月面のとある場所、住宅地の上空を飛行する白鋼。
﹁ここら辺だ、ソフィー降りてくれ﹂
﹁うん﹂
人型形態に可変し、白鋼は静かに着地する。
﹁地形からしてこのあたりなんだよな⋮⋮百年も経っていると建物
も変わるもんだ﹂
ラブリーから話を聞き、俺はある場所を確認しておきたかった。
﹁レーカの実家、だよね﹂
﹁ああ。別に何が残っているってわけじゃないんだけどな⋮⋮﹂
2352
俺は自分の住んでいた家を見たかったのだ。
仮にその場に月面人の亡骸があったところで、それは100年後
の住人のもの。血縁かもしれないが顔見知りではないのはほぼ確実
だ。
しばし見覚えのある土地をさ迷っていた白鋼。
そして、遂に俺達は実家の場所を探し出した。
探し出した、のだが。
﹁⋮⋮なんだこれ﹂
﹁箱?魔物の絵かしら?﹂
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俺の家があったはずの場所には、謎の鉄箱が存在した。
﹁なんだこれ﹂
もう一度呟く。
あれか、核燃料処理施設では文明が滅んだ後も危険な場所だと判
るように恐ろしいイラストで看板が設置されているらしいが、その
類か。
﹁まあ、誰からか知らんが俺宛なのだろうな﹂
﹁どうしてそう思うの?﹂
﹁東京ドームと同じだよ、俺にしか判らない方法でメッセージを送
ったんだ﹂
2353
セルファークの人間にはこの顔文字は理解不能だろう。それを使
うことで過去の地球からの届け物だと判るようにしたのだ。
解析魔法にて内部を調べるも、なぜか解析不能。もっとも屋敷の
地下がそうであったように、そういう技術があることは知っている
ので慌てはしない。
白鋼のミスリルブレードで切ってみるか?だが内部に収納された
物まで破壊してしまっては、二度と取り返しがつかない可能性だっ
て充分にある。
﹁⋮⋮今は保留にしておくか﹂
1000年間誰も手を出さなかったのだ、放置したところで破壊
される恐れはあるまい。
必要になった時にまた来ればいい。それに︱︱︱
﹁ひょっとしたら、これから地球と連絡が取れる機会が訪れるのか
もしれないな﹂
恋人達との日本デート、案外本当に実現するかもしれない。
2354
白い塔と赤い塔 3︵後書き︶
私は誘導して騙すことはありますが、明確な嘘は書かないタイプで
す。
二人は冒険の果てに、超古代文明の遺跡に辿り着いたのです。
﹀最初の頃はよくあるつまらない異世界チート転生の幼少期なノリ
初期はわざと小説家になろうではありふれた展開に見せかけました。
物理的にありえない世界観も、すべて未来の地球だと見破られない
ようにする為です。
地球とは別の世界だと強調しつつ、実は未来世界だという伏線も平
行してこっそりばらまいたつもりです。驚いてもらえたなら何より。
2355
惜別とこれから 1
﹁大敗だな﹂
ただ一言、紙面に目を通したヨーゼフは報告書をそう評した。
旧共和国首都にして現統一国家の中心、ドリット城。その一室で
の光景。
華美な装飾とは無縁な、実用性を求めた個室。客人にみすぼらし
い印象を与えない為の僅かな調度品があるだけで、それ以外には雑
多な書類ばかりが重なっている。
知らねば誰が信じようか、こここそ統一国家の最高権力者、総統
ヨーゼフ・プリラーの事務室であるなど。
仏頂面にて報告書を読むヨーゼフ、彼にそれを届けた騎士の面持
ちは強張る。
現状ではバランス感覚に優れ善政を敷く彼に、統一国家の一般人
には純粋な支持者すら現れている。
しかし紅蓮の騎士団内部では数年前の記憶が未だ鮮明に残ってい
た。反逆する者、逆らう可能性が僅かでも残る者を野菜を捌くかの
ように殺し回った、絶対的な恐怖が。
狂人ではない。盲信者でもない。ただ、ヨーゼフは損得勘定で不
要な部下を虐殺出来る男だった。
﹁⋮⋮む?﹂
目の前で直立する騎士員が、ガタガタと歯を震わせ鳴らしている
ことに気付くヨーゼフ。
彼は小さく笑い、騎士に声をかけた。
2356
﹁そう怯えるな、八つ当たりなどせんよ﹂
﹁い、いえ、そんなことは﹂
﹁この程度の犠牲は誤差だ。それに﹃彼﹄も現場にいたそうじゃな
いか、有象無象が募ろうと敵うはずがない﹂
﹁︱︱︱は、い﹂
精鋭の搭乗した最新鋭120機を有象無象・雑魚呼ばわりする眼
前の男に、いよいよ騎士の顔色は真っ青になる。
そんな比較的若い騎士を面白そうに見てから、ヨーゼフはよくや
く彼に退室するように促した。
﹁失礼します﹂
﹁うむ﹂
節度を保ちつつも逃げるように機敏に出ていった騎士を見送り、
ヨーゼフはいよいよ笑いを抑えきれなくなる。
﹁くくく、はははっ!また君に邪魔されたな、レーカ君!つくづく
君は厄介だ!﹂
ひとしきり笑ったヨーゼフに、どこからともなく声がかけられる。
﹁楽しそうね﹂
妖艶な艶を含んだ、妙齢の女性の声。ヨーゼフが振り替えれば、
闇の切り取られた窓を背に女が立っていた。
2357
﹁いつからいた?﹂
﹁ついさっきよ﹂
女性は細いフレームの眼鏡をクイ、と上げる。
﹁まあいい、これを読め。120機が20機に全滅させられたぞ。
実に予想外だ﹂
﹁悔しがるとでも思った?﹂
彼女は不敵に鼻を鳴らす。
﹁帝国の新型はあのガキの作品よ、これくらいのスペックは予想は
出来ていたわ。あんな戦闘機では勝てないことくらい判りきってい
る﹂
﹁あんな、とはな。荒鷹の性能は間違いなく世界最強だというのに
︱︱︱﹂
女性の統一国家新型に対する酷評に、思わず苦笑するヨーゼフ。
椅子をくるりと回し、両手の指を組み彼は女性を見据える。
﹁︱︱︱なあ、フィオ・マグダネル﹂
ヨーゼフと対面する女性は、荒鷹の設計者にしてファルネの母親
︱︱︱フィオであった。
ガイルの部下であるフィオと統一国家総統のヨーゼフは、本来は
敵対する関係。しかし彼等の間には共通の認識があった。
2358
﹁荒鷹なんて、遥か昔に設計した玩具よ﹂
﹁ふむ。まあ、私が予想外と称したのは彼があの場にいることなの
だがな﹂
茶化すようなヨーゼフの物言いにフィオは苛立ちを隠さず、棚の
中からブランデーの瓶を取り出す。
魔法で栓を抜き、直接口を付けて一気に飲み干す。呆れるヨーゼ
フ。
﹁それはお気に入りなのだが﹂
﹁貰うわよ﹂
﹁まったく、図々しい女だ﹂
ヨーゼフは立ち上がり、カップにポットの紅茶を煎れる。
﹁リデア姫は覚悟したようだな。ならば、あるいは見付けたのかも
しれない﹂
﹁⋮⋮時間制御魔法陣?﹂
微かに目を剥くフィオに、珍しいものを見たとヨーゼフはひっそ
りと笑う。
﹁まさか。私達がどれだけ探索したと思ってるの?そう簡単に見付
かれば苦労しないわ﹂
2359
﹁だがそれ以外に、彼女が勝負に出る理由があるか?あの姫の信条
は嫌いではないが、その性質上どうしても後手に回るのだ、確信な
しに動きはせんぞ﹂
ぐっ、と言葉に詰まるフィオ。
﹁さて、君はどうする?愛しの男にそれを伝えるかね?﹂
﹁いい加減にしなさい、ヨーゼフ坊や。歳上の女性をからかうもの
じゃないわよ﹂
ヨーゼフは小さく鼻で笑う。
︵哀れな女だ。永遠を男に捧げたというのに、精々が欲求の捌け口、
都合のいい技術者として使われた挙げ句に狂うとは︶
そして、馬鹿な女だと内心嘲笑う。フィオという人間にはもう何
も残っていない、亡霊以下の厄介事だ。
男
﹁我々は互いに利用し、される関係よ。最強の銀翼が手に入るなら
それでいいわ﹂
その娘
﹁ふむ?君が追い求めて久しいのは、さて。紅翼の天使か?それと
も純白の天使か?﹂
ぎろりと睨むフィオ。
﹁おお怖い﹂
そのまま退室する彼女に、ヨーゼフは肩を竦める。
2360
乱暴に閉めされた扉に向かって、ぽつりと呟いた。
﹁⋮⋮存外、君はガイル以上にアナスタシアという女性に縛られて
いるのかもな﹂
ヨーゼフの事務室、窓の外側に人影が張り付いていた。
地上数十メートルの足場もない城壁に潜む女性。彼女の背中には
天使を彷彿させる白翼が存在した。
何を隠そう、その翼にて浮力を生み出すことで彼女は重力に逆ら
っているのだ。
そんな常人離れした曲芸を行う彼女だが、今は冷や汗を流してい
た。
﹁び、びっくりしたワ⋮⋮お母さん、窓に近付いて来ないデよ﹂
監視任務をこなしていたファルネ。フィオが窓に接近したことで、
監視が露見したかと焦ったのだ。
﹁けれど、マサカ。お母さんが統一国家と接触していたナンテ﹂
以前から独断で動くことの多かったフィオ、そんな母親の動きを
ファルネは探っていた。そして今夜、遂に尻尾を掴んだのだ。
﹁確信は得たワ、これ以上の深入りは危険ネ﹂
翼をはためかせ城壁から離れ、夜空に昇っていくファルネ。
2361
ガイル陣営の人間は、基本的に人体を天師化︱︱︱つまりは生体
機械化している。
ファルネの肌は常人と変わらず温かく柔らかだ。成長だってする
し新陳代謝も行われる。
だがその肉体の多くは血肉ではなく、対G機能に特化した機械だ。
自ら望んだ体ではないがファルネは特に不満はなかった。
ふと下を見れば、地上の営みが星の瞬きと変わらぬほどに小さい。
1000メートルまで上昇したファルネは宙に﹃腰掛ける﹄。
お尻の下にある何かをコンコンと叩くと、空中にホバリングして
いた何かが闇から現れる。
それは、戦闘機だった。
その機体を目視すれば多くの者が既視感を覚えたであろう。その
姿は荒鷹とよく似ていた。
白を基調とし、赤と青のラインでカラーリングされたトリコロー
ル。コックピット後方、吸気口の側面にはカナード翼が装備されて
いる。
更に本来の双発エンジンに一基エンジンを背負い追加することで、
戦闘用ユニット追加型。かつてそう呼ばれ
高い運動性能と推力を両立。量産型とは次元違いの格闘戦能力を有
高機動試作機
している。
あらだか
荒鷹
ていた戦闘機である。
シルバーウイングスを有するギイハルト・ハーツの愛機であり、
今はガイル陣営の配下として運用されている機体だ。
ガイルの元で活動する以上は共和国の基準より更に強化されてお
り、それは既に近代改修を越えて魔改造の域に達している。
最たる改造内容は、左右に並んだエンジンが可動して機体の真下
に向けられること。
これはソードストライカーとして改修しようとした結果だ。エン
ジンを自在に可動可能にしたことで足として使用出来るようになっ
たはいいが、それ以上の改造︱︱︱上半身の変形をギイハルトは拒
2362
んだのだ。
結果、上半身は戦闘機であり下半身が足という、鳥のようなフォ
ルムとなった。
﹁︱︱︱意外だな、彼女が裏切るなんて﹂
ソードストライカー
半人型戦闘機となった荒鷹を操縦するのは、当然ギイハルト本人
だ。
彼は機体を巧みにホバリングさせつつ、キャノピーを開いて双眼
鏡を覗く。
レンズが見つめるのはヨーゼフの事務室。先程までのやり取りは、
ギイハルトとファルネには筒抜けだった。
﹁ま、お兄ちゃんの船に入り浸っている私が言うことじゃないケド﹂
後部座席に着席するファルネ。高機動型荒鷹は元より複座機だ。
ギイハルトとファルネは実働部隊としてコンビを組むことが多い。
というより、ガイルが出不精でありフィオは技術者なので、この二
人しか動く人間がいない。
﹁ヨーゼフが漏らしていたワ、リデアが魔法陣を見付けたんじゃな
いかって﹂
話しつつも、リデアもまた母と同じく信じられない気分だった。
世界の命運を左右する時間制御魔法。その所在を、アナスタシア
はそれほど巧妙に隠していたのだ。
﹁それよりどうする?君の母の裏切り、報告するか?﹂
﹁どっちに?﹂
2363
﹁⋮⋮どっち、とは?﹂
考え込んでいたファルネははたと我に返り、慌てて弁明した。
﹁ち、違うノ。ちょっと別のことを考えていたワ﹂
失言を誤魔化しつつもファルネは困惑する。報告すべき相手とし
て、彼女はガイルではない人物を咄嗟に思い浮かべてしまったのだ。
︵何を考えているのよワタシ、私はガイル陣営なの。彼等と馴れ合
おうと敵味方の一線は引いている、そうでショ?︶
そう自分を騙しつつも、ファルネは自覚していた。零夏の母艦で
あるアナスタシア号は、ガイルの母艦バルキリーよりずっと居心地
が良かったのだ。
それは設備や広さの話ではなく、そこにいる人々。更に言えば︱
︱︱
﹁やっぱり、親子なのカシラ?﹂
ファルネは自分達母娘の共通項を見出だし、あまりに滑稽で情け
ない気分となった。
フィオはアナスタシアという恋人のいるガイルに横恋慕した。
ファルネはソフィーという婚約者のいるレーカに⋮⋮
﹁⋮⋮ねえギイ、私達の行為をどう思ウ?私達は世間的には﹃悪﹄
なのカシラ?﹂
﹁俺は軍人だ。作戦の是非は問わないことにしている﹂
2364
﹁アッソ﹂
幼き頃は少年兵として、成人後も軍人であり続けたギイハルトは
自己の意思を容易く蔑ろにする。
裏社会で生きてきたファルネからすれば、軍人という存在は今一
理解し難いものだった。
荒鷹はエンジンを水平に戻し、巡航飛行へと移行する。目的地は
彼等の潜伏地だ。
︽不明なプログラムが実行中です︾
︽テレポーターへの干渉を確認。深刻なエラーに繋がる可能性があ
ります︾
︽ただちに使用を中止し、再起動して下さい︾
﹁きゃうー!?﹂
素っ頓狂な声で俺の意識は微睡みより覚醒した。
2365
︵なんだよ、朝っぱらから⋮⋮︶
ぼんやりとした視界の中、動く肌色の物体。
アナスタシア号の自室で目を醒ました俺は、ベッドから上体を起
こして室内で騒ぐ何者かを注視する。
目の焦点が次第に定まる。それは、透き通るほど白く華奢な裸体
だった。
艶やかな黒髪は小さなお尻の下まで伸びており、ぴんと尖った耳
は刺激に耐えるようにピクピクと動いている。
胸は小ぶりだが均整が取れており、彼女の美を否定する者はセル
ファークにはいないだろう。
﹁あっ、あう、ああっん、うぁ、あ⋮⋮﹂
黒髪の美女︱︱︱キョウコは部屋の中心に立ち、微かな声を漏ら
す。
声を漏らし、彼女は裸のまま︱︱︱
﹁あうっ、ひゃう、いひぃっ、あうあうっ﹂
片足でピョンピョンとジャンプを繰り返していた。
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
爽やかな早朝に見たのは、喘ぎ声を漏らしながら片足でピョンピ
ョンする美女。
俺は無言で部屋の窓を開く。
未だ夏場とはいえ外気は少し寒い。指先を呼気で温め、俺は窓枠
に足を掛けた。
2366
そしてそのまま、部屋の外に身を踊らせる。地面までだいたい3
0メートル。
俺はこの瞬間、鳥となっていた。
﹁風が︱︱︱立ってきた!﹂
CAN
FLY!なんですか﹂
﹁なんで裸の片足ピョンピョンなんだ﹂
﹁なんで寝起きにI
興奮の後に訪れるのは平静。
俺とキョウコは、鏡面の如く静かな心で向かい合っていた。
﹁考えてもみろ。朝起きたら、知り合いが裸で片足ピョンピョンだ
ぞ。わけわかんねぇよ﹂
﹁それがなぜ飛び降りに繋がったのです?﹂
普通は死ぬが、ギャグ補正で俺は無傷だった。
﹁わけが解らな過ぎて、夢だと思った。夢なら飛べるだろ。⋮⋮な
?﹂
﹁な?と同意を求められても困りますけど﹂
ちなみにキョウコはナース服、俺はパジャマのままだ。
2367
﹁それより、キョウコこそなんで俺の部屋で片足ピョンピョンなん
だ﹂
﹁なにせ、ミニスカナースですからね﹂
マイクロミニである。互いに座っていると中身がhelloして
いる。
﹁長年の交渉の末、遂に帝都大学病院のナース服を入手しました。
正規品です﹂
キョウコの趣味はコスプレだ。昔は古風なハイエルフの民俗衣装
しか持っていなかったようだが、俺とのデートを切っ掛けにお洒落
に目覚めてしまったらしい。明後日の方向に。
つか、今思うとキョウコの民族衣装って和風だよな。セルフやラ
ブリーも着物だし、日本文化の残滓なのだろう。
﹁けれど、ミニスカートに改造してるじゃないか。どうせ手を加え
るなら偽物でいいだろ﹂
﹁正規品を白濁で汚すのが、劣情をそそるんじゃないですか﹂
駄目だこのハイエルフ、早くなんとかしてももう手遅れだ。
﹁それにスカートの丈を弄るのは改造ではありません。誰だってや
ってます﹂
女子高生のセーラー服じゃねーんだぞ。
2368
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
﹁で、なんで裸ピョンピョン?﹂
﹁あ﹂
こいつ、何の話をしていたか忘れてただろ。
﹁ナース服といえば入院ですよね﹂
﹁その連想は穿ち過ぎじゃないか?﹂
﹁入院といえば性的なサービスですよね﹂
﹁脳みそ腐ってんのか?﹂
﹁朝起きたら下半身に違和感が⋮⋮という展開の春画がありまして﹂
よくあるシチュエーションだ。
﹁夜這いならぬ朝這いしてみました﹂
それで朝、俺の部屋に忍び込んで裸になったわけか。
﹁ですが服を脱いで﹁いざ﹂という時、足に激痛が。見れば小さな
歯車が落ちているではありませんか﹂
俺の部屋はガラクタで足の踏み場もない。尖った物も多く、ぶっ
2369
ちゃけ危ない。
それを踏んでしまい、朝這いどころじゃなくなったわけか。
﹁掃除をすることを提案します。しましょう、危ないです本当に。
おちおち夜這いも出来ません﹂
むしろ地雷原としてこのままでいいんじゃないか、と少し思った。
﹁工房の現場では整理整頓を心掛けるように指示しているんだがな
⋮⋮自分の部屋となると、まあいいかって思っちゃってさ﹂
医者の不養生⋮⋮ではないが、職人達に示しがつかないので確か
によろしくない。
﹁解ったよ、後で掃除する。とりあえず着替えて来なさい﹂
コートをキョウコの肩に掛け、自室に戻るように促す。
﹁これは?﹂
﹁このナース服、階段とかだと見えるだろ。下から﹂
キョウコも俺の恋人だ。他の野郎には見せたくない。
﹁ふふっ、なるほど。ずばり独占欲ですね﹂
﹁ああ、そうだ﹂
﹁きゃっ!?﹂
2370
可愛い尻を一撫ですると、キョウコは赤面して飛び上がる。
﹁襲おうとした割にウブな反応だな﹂
﹁や、やっぱり⋮⋮﹂
潤んだ上目使いで俺に問い確認するキョウコ。
﹁⋮⋮一発、やっときます?﹂
﹁やらない﹂
そういうのは無計画に行わない主義なのだ。
﹁でも、なんでせっかく用意したナース服を脱いだんだ?﹂
その点だけが理解出来ない。
﹁え?秘め事をするのですから、服は脱ぐものでは?﹂
﹁解ってないな。何のためのコスプレだ、着衣状態のままエ⋮⋮あ﹂
扉の隙間から、ソフィーがゴミを見る目で俺を見ていた。
2371
ソフィーは食堂に現れない俺をを不思議に思い、様子を見に来た
そうだ。
﹁ハハッ。笑えるわね﹂
﹁ソフィー、性格変わってる﹂
やさぐれてやがる。
﹁大丈夫ですよソフィー﹂
キョウコはソフィーに穏やかな声色で語り掛ける。
﹁貴女と私、そしてマリアの三人で纏めて襲えばいいのです。シェ
アリングというやつです﹂
人を勝手に共同利用するな。
﹁だがいい考えかもしれない﹂
﹁えっ?﹂
﹁えっ?﹂
驚きを浮かべるソフィーとキョウコ。
﹁レ、レーカ、それでいいの?私はちょっと、恥ずかしいというか
⋮⋮﹂
﹁何を言っているのですソフィー!英雄色をナントヤラと昔からい
2372
うではないですか!ここはやはり三人で負担を分散すべき、それが
﹃効率的﹄だと思いませんか!?﹂
﹁え、ええ、そうかも?﹂
怒濤の勢いでソフィーを説得するキョウコ。几帳面なソフィーは
効率的という単語に弱いのだ。
﹁そうです!そうと決まればマリアにも伝えて、今晩は入念に身を
清めましょう!あ、大丈夫です道具やハウツー本は私が持っている
ので!﹂
なんだよハウツー本って。
﹁勘違いするな、そういうことじゃない﹂
薄々感じてはいたのだ。キョウコは最近、俺との接触に飢えてい
る。
こんな生活を送っていれば、すれ違う時はとことんすれ違う。作
戦行動でどちらかが船を何日も離れることだってあるし、同じ船の
中にいるはずなのに一度も顔を合わせない日もあるのだ。
大型級飛宙船は全長300メートル、一つの町とすら称される巨
体。むしろ、積極的に連絡を取らなければ尋ね人と落ち合うことす
ら難しい。
そんな行き違いばかりの帳尻を合わせるのも、男子の甲斐性とい
う奴だ。
﹁この後、デートしよう。俺とソフィーとキョウコとマリアで﹂
三人の女性を纏めてエスコートするのは、なかなか重労働だが︱
2373
︱︱今こそ二股三股の義務を果たし、ついでに権利としていちゃい
ちゃすべき時なのだ。
﹁デート⋮⋮どこに?﹂
もっぱらなソフィーの疑問。ここ、ゼェーレスト村に見て回るよ
うな物など一切ない。
﹁どこでもいい。一緒にいればデートだ﹂
﹁あ、うんっ。いいと思うわ﹂
笑顔になるソフィーに、俺は誘って正解だったと確信した。
マリアにもデートの約束を付け、俺は出掛ける前に業務をこなし
ておく。
﹁ホントは世界のヒミツとやらを聞きたいんだがな、セルフはまた
どっか消えちゃったし﹂
近くにいるとは思うが、船は本当に広いのだ。そのうち出くわす
時を待つしかない。
﹁もっとも、別にセルフでなくてはならないってワケじゃないんだ
よな﹂
2374
世界の秘密を知っていそうなのはリデアとキョウコ、あとはファ
ルネだろうか。
デートを終えてから、じっくり聞き出すとしよう。
考え事をしつつ歩いているうちに格納庫に到着する。
﹁皆、おはよー﹂
﹃ウィース﹄
若干名だけいたドワーフが返事をしてくれた。
現状職人達に課せられた仕事はない。待機人員もいるが、停泊中
は彼等の貴重な休日だ。
彼等の仕事は船が動いてからだ。船のあらゆる機械が稼働してい
る間、メカニック達は睡眠時間すら分単位で管理して仕事に満身す
ることとなる。休める時に休むのは当然の権利であり、義務なのだ。
閑散とした格納庫、その奥に黒い飛行機はあった。
数人の職人が緻密に戦闘機を調べ、理解しようと悩んでいる。
﹁こんにちは。﹃コイツ﹄、どうですか?﹂
﹁おう、リーダーか。こいつは大した化け物だぜ、帝国もとんでも
ない戦闘機を試作してやがったな﹂
そう、この黒い戦闘機は帝国から供与された物だ。
正しくは息子用にと、リヒトホーフェン伯爵が押し付けてきたの
だ。
﹁あの坊主には勿体無いぜ、どうせすぐ壊すんだしよ﹂
﹁つーか、なんでこれ採用されなかったんだ?﹂
2375
﹁そりゃあよ、第五世代戦闘機がレーカのせいで変な方向に進化し
たからだろ?﹂
まいづる
セルファークの軍事事情において、第五世代戦闘機︱︱︱共和国
と帝国が模索していた荒鷹や舞鶴の更に発展型は、大気整流装置に
よる能動的空力制御技術だった。
白鋼や赤矢が採用している回転式大気整流装置。それを機体全面
の外装に刻み高性能化させたのが、ガイルの心神に採用されいてる
完成型大気整流装置だ。
目の前に鎮座しているのは、その完全な形となった大気整流装置
の戦闘機。
﹁本来、こういうのが第五世代になるはずだったんだよな﹂
﹁けどレーカ坊主が半人型戦闘機を実用化したことで、第五世代の
主流がそっちに奪われちまった、ってわけだ﹂
つまり、そんなわけである。
﹁坊主よ、これ使うのか?あっちで渋っている奴がいるんだけどよ﹂
渋っている奴?
少し離れた場所に視線を向ければ、赤矢に頬擦りする男がいた。
ちょっと癖のある金髪に、無駄にキザな動言。華美な洋服が実に
ケバい。
レッドアロウ
﹁ああっ!お前が一番だよ、お前が最強だ!なあ赤矢!可愛いよ赤
矢可愛いよ!﹂
2376
﹁キザ男じゃないか、なにやっているんだ?﹂
﹁おおレーカ!君なら解るだろう、この赤矢の美しさが!﹂
どうやらこの﹃新型﹄に機種更新するのが嫌らしい。
﹁せっかく親父さんがお前の為に、って融通してくれたんだぞ?間
違いなく最強クラスの戦闘機だ、性能面でも赤矢を圧倒している。
使うに越したことはないが﹂
﹁君までそんなことをっ!﹂
とはいえ慣熟訓練だってしなければならないのだ、決断は早い方
がいい。
﹁じゃあなんだ、こいつはスペアだ。赤矢が飛べない時に乗れ。そ
れならいいだろう?﹂
﹁まあ、そうだね﹂
不服そうながらも肯定するキザ男。
﹁ならさっさと慣れておけ、飛行許可は出しとくから﹂
﹁むむむ﹂
それでもこいつは眉を寄せ、唸る。しつこい奴だ。
﹁戦力が大きい方が、ソフィーの身を守るのは都合がいいだろう﹂
2377
﹁確かにその通りだ!姫の騎士として、僕は彼女の盾となり剣とな
らねばならない!﹂
おだてるかソフィーの名前を出せば頷くこいつは、案外扱いやす
い。
とかく、これで黒い新型機については決着だろう。
22メートルを越える巨体と薄暗い格納庫のせいで、俺の立つ場
所からはその全景は窺えない。
しかし、この機体の高い潜在能力の鼓動に、俺は肌がざわめくの
を確かに感じた。
﹁ところで俺、これからデートなんだ﹂
﹁うむ?誰とだね?﹂
﹁全員﹂
はあ、と溜め息を吐かれた。
﹁君なあ、そのうち刺されるぞ?﹂
﹁だからこそだ。ちゃんとバランス考えて、平等に愛している﹂
﹁なるほど﹂
キザ男は神妙に頷き、こう続けた。
2378
﹁帝国にはこんなことわざがある﹂
﹁⋮⋮伺おう﹂
﹁二兎追うもの、死ね﹂
願望かよ。
﹁こんなことわざもある﹂
﹁⋮⋮伺おう﹂
﹁レーカ、死ね﹂
名指しかよ。
﹁姫様とのデートを報告して、どうしようというんだい?まさか僕
の同行を許可するのか?﹂
自重してくれ。
﹁そうじゃなくて、この村で女性を楽しませるにはどうしたらいい
か、って相談しようと思ったんだが⋮⋮﹂
思い返してみると、こいつは軟派な性格をしているが女性と一緒
にいるところを見たことがない。
﹁ひょっとして、お前モテないのか?﹂
2379
﹁僕の心に住まうのは姫様一人だけなのだよ﹂
﹁可愛そうに、一生独身を受け入れているのか﹂
見上げた覚悟だ。是非その覚悟を貫き通してほしい。
﹁僕くらいとなるとね。耳元で永遠の愛を囁けば万事解決なのさ﹂
﹁具体的にはどんな言葉を?﹂
﹁﹃ああっ!君への愛は永遠だソフィアージュ姫!﹄とか﹂
語録なさそうだな、こいつ。
それと人の嫁を勝手に出演させるな。
﹁キザ男は結婚する気あるのか?﹂
﹁そ、そういう君はどうなのだ!三人も囲って、将来設計はあるの
か?﹂
﹁誤魔化したな﹂
しかし将来設計か。無いわけではないけれど。
﹁全てが終わったら、この村の屋敷に皆で住もうかなって考えてい
る﹂
子供をばんばん作って、今度こそ皆で幸せな家族を作るのだ。
﹁それは何年後のことだね?10年後?100年後?﹂
2380
﹁さすがに世紀単位で戦いが続くとは思えないが﹂
﹁続くさ。戦いは突然始まるわけではない。その下地はいつだって、
遥か過去にある。世界は戦いの連続だ、キリのいいタイミングなん
てどこにもない﹂
珍しく真面目な眼差しを向けるキザ男。
﹁軍人を志すにあたって、父上に繰り返し言われていたことがある﹂
﹁⋮⋮伺おう﹂
﹁﹃やりたいことを後回しにするな、戦士は明日の命に保証はない﹄
。思うに、君は少し悠長過ぎだ。つい先日にも月面で死にかけたん
だろう?﹂
明日の命の保証はない、か。
少し耳が痛い。旅を始めた頃は、もっと色々なものに怯えていた
はずだ。
ラスプーチンの放つ刺客、不安定な情勢、魔物だって未知の敵で
あり恐怖の対象だった。
かつてと比べ、敵は強くなったがあからさまな敵意に晒されるこ
とは少なくなった。統一国家は表向きとはいえ停戦状態だし、魔物
との戦闘も経験を積んで危なげがない。
﹁その通りだ。ちょっと油断していた、ありがとう﹂
﹁君はシルバーウイングス、銀翼だ。英雄は油断するのが特権なの
だから、それは仕方がない﹂
2381
﹁そういうものか?﹂
﹁そういうものだよ﹂
彼女達の仲を急ぐ理由は他にもある。キョウコだ。
かつて教国での戦いで、キョウコは自身の命に限りがあることを
俺に明かした。
その意味するところは判らない。きっと彼女が望んでいるのは日
常であると考え、特別扱いだってしていない。
けれど、全てが終わった時︱︱︱彼女が側にいる保証も、どこに
もない。
﹁⋮⋮決めた﹂
思い立ったが吉日、日本にだってそんなことわざがあるじゃない
か。
﹁俺、彼女達にプロポーズする。今すぐじゃないけど、真剣に考え
るよ﹂
﹁い、いや急ぐことはないぞ?﹂
なぜか慌てるキザ男。知り合いが結婚を決めた時の焦りは察する
が、急かしたのお前だろ。
2382
﹁マイハニー達、そこのこじゃれた椅子で休まないかい?﹂
﹁昔からある、ボロボロのベンチじゃない⋮⋮﹂
いざデート本番、村の広場まで三人を連れてやってきたわけだが。
﹁本当に何もないな、この村﹂
﹁意気込んで着飾って来ても、村はいつも通りよね﹂
仕事で村に降りることの多いマリアは、特に見飽きているだろう
しな。
﹁女性陣の華やかさが、むしろ浮いている﹂
ソフィーとマリアは若い女性らしく、人並みにお洒落な洋服を持
っている。
思うに、彼女達の服の趣味は仕事着の逆なのだろう。
普段は狭いコックピットに入る為、薄く軽い衣類を好むソフィー。
現在の彼女は白を基調としたジャケットとプリーツの入ったスカ
ートで、深窓のお嬢様といった風情だ。
マリアは肩を露出した、落ち着いた色のロングワンピース。女性
的なラインを強調し、健康的なエロさがあって愛らしい。いつもの
ポニーテールとは印象の異なる、ハーフアップの髪もチャームポイ
ントだろう。
普段の重装甲なメイド服の固さがなく、本人も着やすそうである。
﹁はいはいっ、私も着飾ってますよっ﹂
2383
手を振って自己アピールするキョウコ。
﹁今日はメイドコスプレか?﹂
水色のワンピースドレスに白い腰エプロン。ふわふわフリルがア
クセント。
﹁いえ、これはアリスです﹂
﹁どちら様ですかそれは﹂
﹁不思議の国です﹂
それか。もう世界観を無視しているな。
あれってコスプレの1ジャンルなのか。
﹁か、可愛いですか?﹂
キョウコの容姿は可愛い系ではなく綺麗系なので、正直少女のコ
スプレはどうかと思ったが⋮⋮身長はそれほど大きくもないので、
意外とサマになっている。
﹁可愛いよ、アリス﹂
﹁キョウコです﹂
ととと、しまった。可憐な女性達で目の保養に耽ってしまった。
みんなどこか退屈そうにしている。
早急に、デートプランを再構築しなければ︱︱︱あ、そうだ!
2384
﹁あそこに行こう、あそこ!﹂
﹁どこじゃ?﹂
﹁ほら、昔みんなで森の湖に紅葉狩りに出掛けたろ?あそこに行か
ないか?﹂
﹁ほう?風流じゃな﹂
﹁紅葉には少し早いが、一番暑い時期も過ぎているし調度いい⋮⋮
リデア?﹂
いつの間にか、リデアが会話に加わっていた。
﹁どうしてここに﹂
﹁青空教室の帰りじゃ。昼からは暇だし、紅葉狩りに同行してもい
いか?﹂
﹁デートだから駄目﹂
ちなみにリデアのコーディネートも解説しておこう。白いワイシ
ャツとタイトなスカート、シンプルな組み合わせだ。だが白い柄入
りのタイツが脚の曲線美を強調しており安っぽさはなく、頭に着け
た花の髪飾りがいいアクセントとなっている。
リデアは数瞬黙考し、大仰に両手を広げた。
﹁それは違うの。わしが同行したところで、お主は困らん﹂
2385
﹁なに丸め込もうとしているんだお前は﹂
﹁考えても見よ。同行するのがわしではなくマンフレートだったら、
どう思う?﹂
マンフレート⋮⋮ああ、キザ男か。
﹁邪魔だな﹂
即答した。
視界に美少女しかいないのがいいのだ。野郎、それも無駄に美形
な馬鹿など不要。
﹁ならば、美人が一人増える分にはどうじゃ?﹂
﹁そりゃあ嬉しいが⋮⋮ハッ﹂
女性陣から冷たい眼差しが突き刺さった。
﹁いや待て、それとこれとは︱︱︱﹂
﹁イエスかノーのどちらかで答えよ。わしは、美人か?﹂
なんつー質問だ。それが自意識過剰とは言い難いレベルの容姿な
のが、タチが悪い。
﹁⋮⋮イエス﹂
ノーなんて言えるわけがない。
2386
﹁うむ、美女が増える分には嬉しいのか。レーカの見解としては、
わしの同行には問題ないそうじゃ﹂
では行こうぞ、と歩き出したリデアの手を掴む人物が。
﹁ちょっと、リデア。どういうつもり?﹂
食ってかかったのはソフィーだった。
﹁お呼びじゃないことは解っているでしょう?それとも、レーカに
思うところがあるの?﹂
思い返すは、夕焼けの中での一幕。
﹃お主を寄越せ。代わりにわしをやる﹄
思わず赤面してしまった俺は、情けなくもヘルプのアイコンタク
トをリデアに向ける。
﹁まさか。ちょっと息抜きしたいだけじゃ。レーカなど、なんとも
思っとらんわい。はっはっは﹂
あっけからんと笑うリデア。あれ、あの時のリデアは夢だったの
かな?
﹁本当でしょうね?﹂
﹁考えてもみるがよい。レーカの肉体はわしの弟のものじゃぞ、弟
に恋慕などありえんじゃろ﹂
2387
血の繋がった姉なんて、いるわけないじゃないか。
﹁お主等も一夫多妻状態で、色々と妥協しておるのじゃ。レーカが
わしに欲情してやらしい目で見たとしても、それくらい半笑いでス
ルーするのが妻の甲斐性というものじゃぞ。この場合の問題点はレ
ーカの節操のなさと変態性であり、わしはそういう品性に欠ける視
線を殿方に抜けられるのは慣れておるからの﹂
俺、ボロクソ言われ過ぎじゃないかな。
﹁それもそうね。レーカはスケベだし﹂
不能じゃない限り男ってそんなもんだぞ、ソフィー。
﹁リデア様に限らず、美女は目で追っているわよね﹂
さが
男の性だ、マリア
﹁解ってます、解ってますから。レーカさんはそのままでいいので
す﹂
その得心はなぜか納得出来ないのだが、キョウコ。
つーか、三人はそれでいいのか。
﹁いいわ﹂
﹁うん﹂
﹁構いません﹂
2388
いいのか、そうか、よくわからん。
湖に到着した一行。湖というか泉というか、今見ると意外と小さ
い。
﹁子供の頃でも、足が底に届いたからな﹂
清廉な水面はきらきらと木漏れ日を反射し、見ているだけでも涼
しげな気分になってくる。
﹁さて、それじゃあ皆︱︱︱﹂
﹁カバティはやらないわよ?﹂
先手を打って釘を刺された。
﹁⋮⋮水遊びでもするか﹂
靴を脱いで、湖に足を入れる。
﹁子供ですね、レーカさん﹂
﹁はぁー。やっぱり空冷より水冷だな。冷たい﹂
2389
﹁ソフィー、シートを敷くのを手伝って﹂
﹁はーい﹂
後ろを見上げれば、ソフィーとマリアが敷物を敷いていた。
﹁もうお昼御飯?﹂
﹁今すぐじゃなくてもいいわよ。私はここで座ってるわ﹂
マリアの側には三段重ねの重箱。
﹁ごめんな、急にピクニックの準備をさせてしまって﹂
﹁本当に。せめて前日には頼んで欲しかったわ。出発一時間前にお
弁当の注文なんて﹂
マリア自身の身支度もあるから、料理にほとんど時間を取れなか
っただろう。
﹁見ていい?﹂
﹁どうぞ﹂
蓋を開くと、重箱にはオードブルが詰まっていた。洋食の前菜で
はなく、パーティー料理の方。
中段の箱にはおにぎりがぎっしりと収まっている。具がちょこん
と天辺に乗っかっているので中身が一目瞭然で、どれも華やかさで
美味そう。
一番下の箱にはサンドイッチ。ハムサンドに玉子サンド、分厚い
2390
カツサンドも。男の子には嬉しい品だ。
﹁凄い豪勢だけど、メイド達に手伝わせたのか?﹂
﹁全部私が作ったわよ﹂
マリアを思わずじろじろと見てしまった。
薄くだが化粧をしているし、身嗜みだってばっちり整えている。
この腰まで届く長髪、髪型を変えるのも一苦労だろう。
時間内で到底収まりそうにないが、それを成し遂げてこそのメイ
ドさんなのだろう。
﹁レーカさん、レーカさん!﹂
挙手して自己アピールするキョウコ。
﹁実は私もおにぎり、手伝ったのですよ。どれだと思いますか?﹂
﹁これ﹂
一区画だけ、不自然に不格好だった。
﹁よく判りましたね。私の込めた愛が伝わったようです!﹂
﹁おにぎりに込めるのは愛じゃなくて具にしてくれ﹂
愛ってやっぱり甘酸っぱいのだろうか。少なくともおにぎりの具
には合わなさそうだ。
﹁はい、あーん﹂
2391
キョウコにおにぎりを差し出されたので、据え膳食わねば恥。あ
りがたく頂戴する。
﹁あーん﹂
ひとかじりすると、おにぎりは自重で崩れてしまった。
﹁あっ、ああっ。ごめんなさい、しっかり握れていませんでした﹂
慌てて両手で支え、地面への落下を阻止する。しかしおにぎりは
キョウコの手の中で完全に形を失ってしまった。
﹁後は私が食べます。レーカさんは、マリアの握ったおにぎりを召
し上がって下さい⋮⋮﹂
落ち込んだ様子のキョウコ。おにぎり一つちゃんと作れないのは、
確かに情けなくなるかもしれない。
﹁何を言っているんだ、それは俺のおにぎりだぞ﹂
悪戯心が芽生えてしまい、キョウコの手を引っ張る。
﹁え?何を︱︱︱はわっ﹂
キョウコの指に舌を這わせ、米粒を一つ一つ舐めとる。
﹁美味しいよ、凄く美味しい﹂
﹁いけませんっ、ダメです︱︱︱ひゃっ、あっそこはっ﹂
2392
指先のこそばゆい感触に赤面し悶えるキョウコ。そんな彼女を見
るのは楽しく、もう米粒がなくなったにも関わらず色々と舐めてし
まう。
﹁あっ⋮⋮あうっ、らめっ⋮⋮﹂
キョウコはぼうっと茹で上がった瞳で、頬を朱に染め恍惚とした
表情をする。
﹁いい加減にしなさい﹂
﹁痛っ﹂
マリアに拳骨を落とされた。
﹁端から見ると変態でしかないわ﹂
失礼な、女の子の指をしゃぶっていただけではないか。
﹁自分自身でも変態でしかないな﹂
数秒前の俺は、ちょっとおかしかった。
﹁しょうがない、水遊びでもするか﹂
ばしゃばしゃと水中でばた足する。
﹁そうだ、マリア。ちょっと重箱の蓋閉めて﹂
2393
﹁え?ええ、はい。閉めたわよ﹂
俺はマリアに水をかけた。
﹁きゃあっ!?何するのよ!﹂
﹁かけ返して﹂
﹁えっ?﹂
﹁かけ返して﹂
怪訝そうにしつつも手の平で水をすくい、俺にかけるマリア。
﹁あははっ、やったなぁー﹂
俺も再びマリアに水をかける。
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
水をかけられちょっとご立腹のマリア。
﹁ごめんなさい﹂
﹁どうしてこんなことをしたの?﹂
﹁恋人同士が浜辺で笑って水をかけあうのは常識だと考えていまし
た﹂
思ったより楽しくなかった。
2394
﹁ここ、湖よね?海じゃないわよね?﹂
﹁はい、湖です﹂
憮然としたマリアは靴を脱いだ。
何をするのかと見ていれば、ワンピースの裾を結んで丈を短くし
てから湖に足を突っ込んだ。
そして思いっきり俺に水をかけた。
ぽかーんと間抜け面をする俺に、マリアは笑いかける。
﹁あははっ、ちょっと楽しいかも﹂
笑顔で何度も俺に水をかけるマリア。どうやらこれで帳消しにし
てくれるらしい。
﹁これが罰というなら、甘んじて受け入れよう︱︱︱!﹂
マリアを真っ正面から凝視する。
﹁レ、レーカ?なんだか変じゃない?﹂
﹁そんなことはない。さあ、もっと水を!﹂
﹁そう言われても﹂
困惑し水面に目を向けるマリア。
そして遂に自分のワンピースが水で透けていることに気付いてし
まい、悲鳴をあげてビンタされた。
2395
﹁何が足りないんだ。水をかけあいきゃっきゃうふふをするのに、
一体何が足りないというのだ﹂
﹁まだ懲りてないの?﹂
マリアの服は俺の魔法で水を飛ばした。もう透けていない。がっ
てむ。
︵︱︱︱!︶
天恵の如く、そのひらめきは舞い降りた。
︵かけっこする水が、どろどろねばねばだったら楽しいんじゃね⋮
⋮?︶
天才じゃね俺?鬼才じゃね?
︵水のねばねば度数とは︱︱︱硬水?軟水?︶
違う。水の硬度はミネラルの含有度合いだ、水の粘度には関係な
い。
液体の粘性とはつまり、周囲の流体との移動速度が均一になろう
とする性質のことだ。
水の粘性はぎりぎりイメージできる気もするが、勿論空気にもね
ばねばはある。
ただし、液体ヘリウムにはねばねばがない。バカにしているんだ
2396
ろうか。
︵ねばねばだ。水に何かを入れて、ねばねばにしなければならない。
何かないか、ねばねばは︱︱︱︶
そうだ!お弁当のおにぎりがあった!
おにぎり、つまり米はデンプン。デンプンは加熱すれば水に溶け
る。
﹁いい感じにどろどろした、白く濁った液体になると思うんだ。マ
リアにかけていい?﹂
﹁食べ物を無駄にしたら、本当に怒るけれどいい?﹂
笑顔で首を傾げるマリア。やばい、目が笑ってない。
﹁うまー﹂
なんやかんやで昼食を平らげ、のんびりと横になる。
腹が膨れれば眠たくなる。いっそこのまま昼寝したい。
﹁ほほぅ、わしの膝枕を選ぶとはいい趣味じゃ﹂
﹁ん?﹂
見上げると、リデアの整った容姿がすぐ側にあった。
2397
﹁リデア、なんでそこにいるの?﹂
﹁お主がわしの膝に頭を乗せているからじゃ﹂
適当に頭を放り出したつもりだったが、リデアの太股に着地して
しまったようだ。
リデアは正座ではなく、足を投げ出した格好でシートに座ってい
る。これでも膝枕って呼んでいいのかな。
﹁どうでもいいけど、これって膝じゃなくて太股だよな。太股枕﹂
﹁何を言っておる。膝とは太股の前面を指す単語じゃ。間違いなく
ここは膝じゃぞ﹂
なにそれ、知らなかった。
﹁まあいいや﹂
﹁いいのか?わしは構わんが、マリアやキョウコが面白くなさそう
にしておるぞ﹂
眠くて動きたくない。
﹁違います、マリア。逆転の発想です﹂
﹁どういう意味よ、キョウコ?﹂
﹁レーカさんの足が空いています﹂
2398
﹁もしかして、男女逆で?﹂
﹁私は右に﹂
﹁なら私は左ね﹂
二人の頭が俺の太股に乗る。
両手でそれぞれの頭を撫でてやる。可愛い子達だ、よしよし。
﹁つーかさ、革命はどうした。なんで暇そうなんだよお前﹂
﹁そのうちな、そのうち革命する﹂
ダイエット出来ない駄目人間かよ。
﹁リヒトホーフェン元帥に協力してもらい、根回しを行っている﹂
﹁アレ信用出来るのかよー﹂
﹁するしかあるまい、帝国軍のほぼ全権を掌握しているのは間違い
なく彼じゃ。彼の協力なしに革命など不可能なのだ﹂
なんとも他力本願な革命だな。
﹁個人の限界というやつじゃ。少なくとも、凡人のわしにはそんな
芸当は行えん。果報は寝て待て、だぞ﹂
リデアは言葉通り、上半身を横たえ寝そべる。
﹁まあ仕事の話は抜きじゃ、美女4人に囲まれておるんじゃから喜
2399
べ﹂
喜べ、と言われても。
視界の端で、ソフィーがぼんやりと湖を見つめていた。
﹁ソフィー、湖に落ちるなよ﹂
﹁水中に牙の生えたカエルの化け物がいるかもしれないものね﹂
む、昔のことを。
﹁ねぇ、レーカ﹂
物憂げにソフィーは問う。
﹁こんなことをしていて、本当にいいのかしら﹂
何を言い出すかと思えば。
こんなこと、とはピクニックやらデートのことだろう。確かに見
ようによっては実に呑気かもしれない。
﹁いいに決まっているだろう。有事でもないのに、生き急ぐ必要は
ない﹂
だが、それでも今は平穏なのだ。僅かな時間であっても、僅かな
ら尚のこと有意義に過ごすべきだ。
俺に﹁悠長過ぎる﹂と忠告したキザ男だが︱︱︱あいつも積極的
に戦いに行け、と促しているわけではない。やれることはやってお
け、ってことだろう。
今やれることとして、このデートは間違えていない。
2400
﹁私には、まだ出来ることがある気がするの。⋮⋮そんな気がする
だけ、だけど﹂
続けて加えた憶測であるという補足。これこそが彼女の願望であ
るとも気付かず、俺は断言する。
﹁それは傲慢だ。ソフィー一人になにが出来る、世界はそんなに簡
単に変化しない﹂
﹁本当に?﹂
﹁︱︱︱ああ、なにせ﹂
ソフィーは小さな女の子なんだから。
﹁うん、ありがとう﹂
結局、ソフィーの返事は上の空だった。
2401
惜別とこれから 1︵後書き︶
>>ラブリーの方が試作型なのに妹なんですね
スペックや稼働時間からすればセルフの方が格上⋮⋮というのは後
付けで、イメージで適当に決めました。
>>唯一神まで誑かしやがるのかこいつは。
実はセルフがレーカに抱いているのは恋愛感情ではありません。
彼女が自分の感情が何なのかを理解するのはエンディング直前。
2402
惜別とこれから 2
美少女4人と過ごす時間は、穏やかに、時折笑い声を交えなから
流れてゆく。
かしましくお菓子をぱくつく少女達。森の妖精のお茶会、と解説
されれば信じてしまうだろう。
﹁あ、このクッキー美味しいわ﹂
﹁うむ。王宮料理人のパティシエ顔負けじゃな、マリアは﹂
﹁このまろやかさ、そして素朴な甘さ︱︱︱豆が使われているノネ
!﹂
﹁正解。しっとり感の秘訣は、煮豆を潰して混ぜてあるの﹂
﹁なんと。豆をお菓子に使うとは、意外な組み合わせです﹂
ってあれ、一人増えてる。
﹁ファルネ、いつからいた?﹂
﹁お菓子あるところに私アリよ﹂
2403
甘いものにつられるあたり、蟻だな。
﹁ちょっと疲れちゃったワ。お兄ちゃん、帰りはおんぶシテー﹂
﹁しょうがないな。荷物で片手が塞がっているから足を掴んで引き
摺ることになるが、いいか?﹂
﹁それじゃあスカートの中がマルミエじゃなイ!﹂
もっと他に問題提起する部分があるんじゃないか。
﹁ずるいワ。ワタシに秘密でピクニックなんテ!﹂
﹁ピクニックじゃなくてデートだからな。もしくは家族サービス﹂
大黒柱は大変なのだ。
﹁家族。カゾク⋮⋮ソッか、血が繋がってなくても家族なんダ﹂
﹁ファルネ?﹂
﹁私は結局、テンガイコドクなのヨ﹂
いじけてる。
﹁また喧嘩でもしたのか、しょうがない奴だ﹂
ファルネとフィオは不仲だ。そのくせ、ファルネはフィオに固執
している。本人は認めないだろうけど。
2404
﹁あんなの親でも子でもナイわ﹂
﹁はいはい﹂
頭をぽんぽんと叩き、クッキーを差し出す。
それを直接口で食べるファルネ。不貞腐れて頬を膨らませている
姿はリスっぽい。
﹁そうだ、ファルネもいることだしそろそろ聞きたいんだけど﹂
﹁スリーサイズ?﹂
﹁いや体重﹂
﹁それは特定機密なのヨ﹂
﹁そんなこと言うなよ70キロ﹂
﹁人の体を解析しちゃダメー!﹂
彼女が背格好の割に重いのは、体内を色々と機械化しているから。
ファルネが太っているわけではない。
長年行動を共にしていれば、嫌が応にも気付くというものだ。
俺だってラスプーチンとの戦いをきっかけに体を半機械化してい
るが、ファルネが天師となっているのは少し複雑な気分だったりす
る。
﹁そうじゃなくて、この世界の成り立ちだ。なぜ地球がセルファー
クになった?魔法とは何だ?﹂
2405
リデア、キョウコ、ファルネ⋮⋮一物ありそうな面子が揃ってい
る。今訊かずしていつ訊く。
﹁レーカ、それはデート中に訊くことではなかろう?﹂
なぜか避難がましい目をするリデア。
﹁後じゃ後。帰るまでがデートじゃ﹂
立ち上がりスカートを叩くリデア。つられて他の面々も腰を上げ
る。
﹁お兄ちゃんのミギテもーらいっ﹂
ファルネに右手を握られた。
﹁荷物が持てないんだが﹂
﹁左手があるデショ﹂
﹁やれやれ。皆、忘れ物はないな?﹂
空の重箱を包んだ風呂敷を左手に持つ。
と思ったら、マリアに奪われた。
﹁私が持つわ﹂
﹁俺が持つって﹂
﹁私に持たせてよ﹂
2406
﹁俺が持つの!﹂
﹁じゃあ私が⋮⋮﹂
どうぞどうぞどうぞ!ってわけにはいかないだろ。
﹁それじゃあ、転ばないように手を繋いでくれる?﹂
彼女は自身と俺の指先を絡める。
﹁これが目的じゃったなマリア⋮⋮恐ろしい子っ﹂
劇画調でおののいているリデアはともかく、これで俺は両手をそ
れぞれ繋いでいる状態となった。
﹁ずるいです、私もレーカさんと手を繋ぎたいです﹂
﹁ならばこうせんか?わしは右足を握る、キョウコは左足を握れ﹂
両手両足を持たれる。お神輿の如く、仰向けで横になる俺。
﹁おい、これ前にもあったぞ﹂
出遅れてしまったソフィーが、所在なさげにしているし。
﹁仕方がありません。ソフィー、三本目の足は貴女に譲ります﹂
﹁下ネタはやめなさいヘッポコハイエルフ﹂
2407
﹁わ、私は一人で帰るから⋮⋮﹂
﹁レーカの上に腰を下ろせばいいじゃろう﹂
余計な提案するな、タヌキ姫。
﹁⋮⋮お邪魔します?﹂
ソフィーが腹の上に座ってきた。うげっ。
﹁最近、お母さんがヨーゼフと接触しているノ﹂
﹁ほう、サンマが大漁なのか。せっかくだし食べておこうかな﹂
﹁ねえ、私イマ大事な話しているんダヨ?﹂
デートの帰りにとんでもない重要をタレコミされても困る。
丘の上の屋敷への道中。青々とした草を踏み締め、俺達は帰路を
進む。
﹁この意味がワカル?お母さんは、ガイルを裏切っているノよ﹂
﹁ガイルのボッチが加速するな﹂
﹁もう、ワカラナイ。私は何を信じていいのカ﹂
2408
なるほど、ファルネも参っているらしい。
だが、フィオさんとヨーゼフが結託?悪い冗談だ、技術屋と政治
屋が結託するなんて。
﹁なぜ俺に教えてくれたんだ?﹂
﹁独り言ヨ。疲れちゃったから、船で休んでいくワ﹂
﹁ご自由に﹂
﹁マリア、夕食はお肉な気分カシラ﹂
﹁知らないわよ﹂
食堂の食事は前日から仕込んでいるから、そもそも当日の変更は
難しい。
﹁皆、後でミーティングルームに集合だからな。リデアとキョウコ
を締め上げて世界の秘密とやらを聞くぞ﹂
﹁締め上げられるより締め付けたいです﹂
﹁以前解体した豚をこれからベーコンにするから、その時存分に紐
で締め付けなさい﹂
仕事の合間に呼び出してごめん、マリア。
﹁来る﹂
ソフィーが後ろに振り返る。
2409
﹁どうしたんだ?﹂
彼女の前には村を一望する景色が広がっているだけで、変なもの
などない。
ソフィーは自身のスカートを抑える。
瞬間︱︱︱突風で女性達のスカートが捲れ上がった。
﹁地形性上昇気流︱︱︱だと﹂
風が熱の上昇や坂道を駆け登ったことによって、上昇気流となっ
たのだ。
かなり強力な突風、対策していたソフィー以外のスカートは大き
く持ち上がる。
﹃きゃああああっ!﹄
重なる黄色い悲鳴。
﹁よしっ﹂
﹁何が﹃よし﹄なのかしら、レーカ?﹂
普段のメイドスカートでは重くてここまで持ち上がらなかっただ
ろう。
﹁メイド服の夏服として、ワンピース採用を提案する!﹂
﹁却下﹂
2410
俺の発案は無下に切り捨てられた。ソフィーに。
﹁予算の無駄よ﹂
﹁船内は温度調節されているから、必要性は感じないわね﹂
くそっ!核動力による無尽蔵な電力供給が確保されているからと
いって、全室エアコン完備にするんじゃなかった!
いや今からでも遅くない。レールガンを船に搭載しよう。あれは
莫大な電力を消費するから、それを理由にエアコンを廃止する!
﹁もういっそ、換気の出口を廊下の地面に埋め込んだらどうです?﹂
﹁天才か、キョウコ﹂
これを﹃新モンロー効果﹄と名付けたい。
﹁でもソフィー、風に気付いていたなら教えてほしかったワ﹂
ぶうたれるファルネ。確かにソフィー一人が難を逃れていた。
﹁⋮⋮?ファルネ、気付かなかったの?﹂
﹁私はガイルやアナタみたいに、風を読むことは出来ないシ﹂
﹁王国の血を引いているのに?﹂
ガイルの娘であるソフィーとファルネは、共和国の前身であった
王国、その王家の血を引いている。
2411
﹁王家の者は風の祝福を持っているから、多かれ少なかれ風が読め
るはずなのだけれど﹂
﹁なにその設定﹂
初めて聞いた。
﹁聞かれなかったもの﹂
裏設定にも程がある。
﹁昔は使えたノ。デモ昔、大怪我をして以来使えなくなったワ﹂
﹁大怪我?﹂
﹁なんで生きているのかスッゴく不思議なくらいの大怪我だったか
ら、風読みが出来なくなったことくらいは﹃まあそんなモノかな?﹄
って納得したケド﹂
﹁ふぅん⋮⋮そんなこともあるのかしら?﹂
ソフィーは首を傾げる。
﹁リデア、風の祝福というのは魔法的にはどういう解釈なんだ?﹂
﹁あれは魔法とは一線を画した、純粋な当人達の才能じゃ。科学で
は説明不可能じゃよ﹂
この魔導姫、魔法を科学と称したぞ。
2412
﹁じゃが、だからこそ不可解じゃな。その手の才能は天師化では失
われぬ、基本的にはな﹂
﹁何がいいたいノ?﹂
﹁いやいや、事故の際にどんな蘇生術を駆使したんじゃろうな、と
思ってのー﹂
作り笑顔でファルネの顔を下から覗き混むリデア。そんなタヌキ
姫をペシリと叩き、ファルネの手を引っ張ったのはソフィーだった。
﹁いじめはみっともないわ﹂
いやはや、5年前のソフィーからは考えられない台詞だ。
﹁ただのスキンシップじゃよ﹂
﹁えへへ﹂
にへらにへらと笑い出すファルネ。ソフィーもさすがに訝しげに
眉を寄せる。
﹁どうしたのよ﹂
﹁並んで立ってみると、私の方が大きいのネ﹂
﹁何が?﹂
﹁イロイロ⋮⋮痛てて、手首捻っちゃダメっ﹂
2413
先を歩くソフィーとファルネ。二人を背後から見ると姉妹に見え
る⋮⋮なんて口にしたら、ソフィーにどつかれるので黙っておこう。
﹁ったく﹂
やれやれ、とどこか優しげな目で苦笑するソフィー。繋がった手
をファルネは縄跳びのようにぶんぶN振るう。
﹁初めてお姉ちゃんから手を繋いでくれた気がするワ﹂
﹁そうだったかしら?﹂
﹁苦節数百年ネ﹂
﹁いやお前何歳だよ﹂
思わず背後からつっこんでしまった。
脈絡もなくファルネはソフィーの手を振りほどき、少しだけ駆け
て振り返る。
﹁私、用事があるから。サヨナラ!﹂
﹁あ、おい⋮⋮行っちゃった﹂
あっという間に遠くまで走っていったファルネ。なんなんだ、急
に。
﹁さよならなんて言うほど、ファルネって律儀だったか?﹂
最後の太陽のような笑顔が、妙に脳裏に残った。
2414
そしていよいよ、世界の秘密について明かされる時がきた。
真剣な面持ちで黒板の前に立つキョウコ。船の主要メンバー、そ
の中でも好奇心の強い面々がブリーフィングルームには集まってい
た。
ニール、マイケル、エドウィン、そしてガチターン、ついでにマ
リア⋮⋮このあたりは主要メンバーかは微妙だが、知りたいという
ならやぶさかではない。
﹁キョウコ、初めてくれ﹂
﹁はい。ではお話しさせて頂きます、かつて世界で何があったのか
を﹂
いよいよ世界の全景が明らかになる。そう思うと、鳥肌が立つ思
いだ。
キョウコはチョークを手に取り、黒板に先端を当てる。
︱︱︱爆音が船を揺さぶった。
ソードシップ
バリバリと船の装甲を震わせる振動。かなりの近距離を
飛行機がフライバイしたのだ。
﹁ジェットエンジン?うちの船の飛行機じゃないぞ!﹂
このやたらやがましい轟音は⋮⋮YJIOIエンジン?
2415
﹁このエンジンが搭載された戦闘機といったら⋮⋮ああ﹂
窓に張り付いて船上空の飛行機を観察する。直線に近い後退翼、
二枚の斜めに装着された垂直尾翼。
エンジンは双発。なにより、機体下部の巨大な鉄塊がその正体を
露にしていた。
﹁︱︱︱微熱の蜜蜂、エカテリーナ?﹂
すずめばち
ストライカー
見間違いようがない。あの戦闘機、雀蜂を扱うのは世界で彼女だ
けなのだ。
エカテリーナ・ブダノワ。戦闘機に人型機用の超近接武器パイル
バンカーを装備し戦う、狂気の天士だ。
当たり前過ぎることだが、飛行機は本来近接戦闘などしない。機
銃やロケットのみが武器だ。
だがエカテリーナは違う。重く大きい鉄塊とでも呼ぶべき釘付ち
機を戦闘機の腹部に追加し、全ての敵を一撃の元に葬る。低速での
運動性と揚力に優れた雀蜂といえど、まったくもって非論理的なタ
イプの天士である。
銀翼にはこういう特化型が多々いる。地上攻撃に優れたルーデル
の雷神改もそうだし、超長距離砲狙撃を得意とするシモヘイヘも同
類だろう。
むしろ、ガイルやギイハルトのように万能型な銀翼こそ少数派だ。
部屋の壁に備え付けられている受話器を取って電話番号を押す。
船内電話なので三桁だけ。
トゥ、ガチャ。
早っ。
呼び出し音が一度も鳴りきらなかった。
2416
﹃お待たせしましたご主人様!元気系メイドのミミでーす!みみり
ゃんって呼んでねっ!﹄
この船のブリッジクルーはなぜかメイドさんである。艦橋内はメ
イドヘヴンである。
﹁俺だ﹂
﹃はわわ、ご主人様ー?どうなすったですか?﹄
﹁外に戦闘機が飛んでいるが、誰だ﹂
本当はエカテリーナだと確信しているが。
﹃﹃微熱﹄様から先程共振無線を頂きました!なんでも義妹様のこ
とで何やらご相談があるとかっ!﹄
にこやかに事後報告を行うみみりゃん。
﹁着艦要請があったのか?﹂
﹃ご主人様がシュチニクリンってる間に連絡が来たのですっ。エカ
テリーナ様には着艦許可も降りていましたので、後程報告する予定
でしたっ。きゃーん、ご主人様のえっちー!﹂
﹁いや、それならいいんだ﹂
エカテリーナが来ていることは外を見れば判る。問題は、小型機
の飛来にこの船のレーダーとスタッフが反応出来ていたかどうかだ。
把握してあったなら問題なんてない。この距離まで接近を許した
2417
のかと焦っただけ。
﹁っていうか、俺はメイド達にどう思われてるんだ⋮⋮いっとくが、
酒池肉林してねーよ﹂
﹃はっ﹄
鼻で笑われた。
一部、浮遊装置を装備しない航空機が出現してきたとはいえ⋮⋮
セルファークの飛行機は基本、垂直離着陸が出来る。
よって航空母艦には加速用に蒸気カタパルトこそ設置されている
が、着艦用のフックは存在しない。甲板に直接降りるのだ。
﹃そっとよ、そっと⋮⋮あぁんっ﹄
ゆっくりと雀蜂が垂直降下する。
ベア・トラップ
焦らすような、しかし迷いのない降下。機体の表面を保護するハ
ードポイントのソリが甲板に接地し、その瞬間、急速拘束装置が飛
行機を固定した。
﹃あっ⋮⋮そんなとこ、摘まんじゃだめぇ﹄
急速拘束装置とは航空機を揺れる甲板に固定する為の機械だ。見
2418
た目はガラスのない金属の窓枠、だろうか?
ここにソリを入れると、内側のシリンダーが脚を挟んでガッチリ
とホールドしてしまうのである。
更に、急速拘束装置は甲板を走り飛行機を牽引する。巨大な航空
機を安全に格納庫へと運ぶことが可能なのだ。
﹃引っ張っちゃだめ、そこは敏感なのぉ、ああっあ﹄
エンジンをストップし、甲板を自動で移動する雀蜂。
そして無線から聞こえる嬌声。
うるさい。毎度のことだが、彼女との共振通信はうるさい。
格納庫に入るとエンジンの甲高い風切り音が反響する。惰性で回
るコンプレッサーはまだまだ止まらないだろうが、魔力を燃やして
いないので会話すら出来ないわけではない。
雀蜂、その側面に立ちコックピットを見上げる。キャノピーが開
き、金髪の女性が降りてきた。
飛行機の外装はとても薄く柔らかい。下手に体重をかければ凹み
修理モノなので、乗り降りで足を置く場所、手をかける場所まで厳
密に決まっているのだ。
飛行機の乗り降りを見れば、その天士の慣熟度合いが判る。当然
彼女の降り方は鮮やかだった。
﹁お邪魔するわ、レーカ君﹂
頬を︵なぜか︶紅潮させつつ、スカートの端を摘まみ頭を下げる
美女。
﹁ようこそエカテリーナ。当艦は貴女を歓迎します﹂
今日の彼女の服装は胸元の大きく開いた紫のドレスだ。実にえろ
2419
い。そしてパイロットスーツとして相応しくない。
﹁別に歓迎しなくてもいいわよ﹂
﹁は?どういうことです?︱︱︱ああ、持ってってくれ﹂
ケッテンクラート
ドワーフの職人がエアバイクで雀蜂を牽引し、所定の場所へと移
す。
このエアバイクは接地圧を下げる為のキャタピラ仕様だ。ゴム履
帯なので格納庫の床を傷付けないし、レシプロエンジンで静音性に
も気を使った逸品。フィアット工房で絶賛発売中。
﹁お邪魔させてほしいの。匿ってくれない?﹂
何やったんだこの人。
﹁誰から匿えと?﹂
統一国家だろうか。それともどこかの小国?
﹁きょ・う・こ・く﹂
ウインクしつつ人指し指を揺らすエカテリーナ。
﹁教国?﹂
﹁ええ、そうなの﹂
⋮⋮追い出そうかな、この人?
2420
結局ミーティングルームに戻ってきた。今度はエカテリーナも加
わっているが。
世界の秘密に関しては一旦脇に置き、俺達はエカテリーナの話を
聞くことにする。
﹁ご存じの通り、私はギイの行方を探しているわ。まあ、場所自体
は判っているのだけれどね﹂
そう、ガイルの本拠地は判っている。リデアに以前教えられたの
だ。
﹃ノイン﹄。とある場所にある、小さな国だ。
ノインは入国出来ない国として知られる。一切の外交を途絶し、
強行侵入してきた船や飛行機を無差別に撃墜しているのだ。
しかし内部で独裁政治が行われえいるのかといえば、案外そうで
もない。日本の鎖国時代のように諸外国から引きこもってるだけで、
内部では普通に人々が生活しているらしい。
そんな奇妙な国がノインだ。
俺達がガイルの本拠地を知っていることは、ファルネには知らせ
ていない。というより話題に上がらない、というべきか。
リデア曰く、ファルネやガイル達も俺達が本拠地の場所を知って
いることは把握しているそうだ。
あくまで、その上で手を出せない。その理由があるのである。
2421
﹁⋮⋮まあ、単純にガイルの操る心神に勝つ見込みが薄いって理由
もあるんだけどな﹂
4年前に戦った時も、全ての手を尽くして辛うじて渡り合った。
今度は勝てる、なんて自信はない。
﹁そうよねぇ、﹃アレ﹄さえなければ乗り込むんだけれど﹂
﹁﹃アレ﹄ですよねぇ﹂
リデアに指示されてノイン防衛用超兵器の対策は用意しているが、
積極的に使いたいとは思えない。
﹁それより匿ってほしいって話よ。ギイを追っているうちに、奇妙
なことに気付いたの﹂
﹁というと?﹂
﹁ギイの妹のイリアちゃん⋮⋮あの子、何者?﹂
俺に訊かれても。
﹁ギイの過去はある程度追えたのよ。けれど、イリアちゃんの過去
は存在しなかった。あの子、どこからともなく沸いて現れたの﹂
虫じゃあるまいし。
﹁詳しくは知りませんけど、ギイハルトだって戦争孤児でしょう?
イリアもそうなんじゃないですか?﹂
2422
ギイハルトとイリアは血は繋がっていなかったはずだ。似てない
し。
﹁戦争孤児だからって、戦後も戸籍を用意しないのはおかしいわ﹂
﹁戸籍って、共和国の?﹂
確かにそれは妙な話だ。
﹁ギイハルトはテストパイロットだったんですし、身辺調査は行わ
れているはずですよ?﹂
国家機密を扱うテストパイロットという職業は、守るべき秘密が
多い。近親者に不審人物がいないかは当然調査されるし、その上で
仕事内容を家族に話すことだって出来ない。
戸籍を持たない怪しい人物を妹に持つ男が、テストパイロットに
なれるはずがないのだ。
﹁共和国の重鎮が関わっているんでしょう。イソロク様とか﹂
﹁元王子のガイルが関わっているとすれば、それくらいのごり押し
は可能か﹂
イリアは何者か?天師であることは又聞きしているが、それ以上
の情報はない。
﹁気になっちゃうでしょ?それで調べてたわけよ。そして行き着い
た先が教国、ってわけ﹂
2423
﹁それでどうして追われる身に?﹂
﹁教国近郊の巨塔に忍び込んでみたの。教国は歴史だけは古いから、
資料もものすっごい量だったわ﹂
国家の機密に忍び込んだら、そりゃ追われるわな。エルフって教
国じゃ敬われるはずなのに。
﹁その隙を突いたのよ﹂
﹁ひどい﹂
﹁そして、宝物庫でこれを見付けたの﹂
エカテリーナは丸めて筒にしてあった紙を広げる。
﹁これは︱︱︱!﹂
俺は目を見開きその文面を読んだ。
﹃︵ ^ω^︶私とギイの将来設計︵●´ω`●︶
エカテリーナ・ハーツ
私。可愛い奥さん︵*ノω<*︶
2424
近所でも評判の美人人妻。でも私はギイのものだから、恋しちゃ
ダメだぞっ︵゜∇^*︶ノ͡☆
︶︶キャ
ギイハルト・ハーツ
旦那様φ︵〃∇〃
とっても素敵でかっこいい王子さま︵ ・`ω・´︶
でも守るのは、国ではなくたった一人のお姫様なの︵^з^︶︵
^ε^︶
子供
o︵・ω・´o︶
私としては二人くらいほしいかな︵;・・︶ゞ
でもギイが望むなら、何人でも作っちゃう
あと、子供達にも飛行機の操縦を教えて一緒に変態飛行︱︱︱﹄
﹁間違えたわ﹂
﹁待てなんだ今の﹂
﹁見てほしいのはこっちの絵画よ﹂
﹁いやそれよりなんだ今の﹂
2425
別の紙が広げられる。
その絵は、女性の全体像を描いた絵画だった。
幾重にも折り重なった着物のような面影を残す、純白のドレス。
その人物の顔は見覚えがある。
﹁イリア、か?﹂
﹁私にはそう見えるわ﹂
絵画の下部に書かれた文字には、こう書かれている。
﹁﹃初代法王画﹄?﹂
それってつまり、教国最初の王様の絵、ってことだよな。
﹁どういうことですか?﹂
﹁さぁ?これしか持ち出せなかったし。キョウコ様、何かご存じじ
ゃありません?﹂
キョウコは目を細める。
﹁ほう?それは私が教国以前から生きている年寄りである、と言い
たいのか?﹂
﹁あ、いえ、そんなわけでは﹂
﹁エカテリーナさんを威嚇するな﹂
なんたってキョウコはエカテリーナを目の敵にしているのだろう。
2426
主な理由は胸だろうけど。
﹁それで、どうなんだキョウコ?﹂
せきよく
﹁そうですね。イリアに関しては不可侵なのが基本なのですが⋮⋮
そもそも紅翼がイリアを確保している時点で不文律は破られている
ようなもの。明かしてしまった方がいいおかもしれません﹂
そこまで重要な扱いなのか、あの表情に乏しい小柄な少女が。
﹁イリアは︱︱︱﹂
︱︱︱前触れなど、なかった。
突き上げるような衝撃。轟音と大地震の如き振動が、船を大きく
揺さぶった。
あまりに突然のことに、誰もが立っていることすらままならない。
ガンガンと船の装甲板に何かが衝突する音が響き、床はゆっくりと
傾斜してゆく。
﹃第一種警戒態勢発令。繰り返します、第一種警戒態勢発令。総員、
戦闘位置に着いて下さい﹄
非常事態を知らせる艦内アナウンス。
リデアが先程の電話機に飛び付き、ブリッジに連絡する。
﹁状況報告じゃ!﹂
﹃船の被害は軽微、ですがこの揺れは二次的なものです!屋敷が攻
撃を受けました!﹄
2427
みみにゃんの切羽詰まった声色。さすがリデアの御付きメイド、
突発的状況でこそ優秀だ。
船のチェックは艦長のリデアに任せるとして、俺が把握すべきは
船外の被害。
﹁マリア!屋敷にいる人間は!?﹂
﹁えっ、えっと。今は誰も誰もいないわ。シフトの上では﹂
ならば被害はない、か。
﹁リデア、村への被害確認と救援、避難誘導を手配しておいて!俺
はブリッジに登る、皆は自分の機体に!﹂
俺とソフィー、そしてリデアは外を一望出来る艦橋に辿り着き、
俺達は被害現場を直視する。
﹁屋敷が︱︱︱ない﹂
顔を真っ青にするソフィー。屋敷が攻撃されたとは聞いたが、消
し飛んでいるとは。
屋敷の構造は堅牢の一言だ。特別な魔術的強化こそされていない
が、基本構造は小規模な城。要塞として利用可能なほどの固さとい
っていい。
2428
普通の攻撃ではない。何か、特殊な類の攻撃だ。
多くの時間を過ごし、沢山の思い出を作った屋敷。その消滅に心
が痛むも、考えることを止めるわけにはいかない。
﹁︱︱︱っ、魔法陣は!﹂
時間制御魔法陣、あれは戦いの要だ。屋敷のついでに破壊されて
いいものではない。
﹁あれはそう簡単には壊せん、魔法陣自体が不変な上に障壁で守ら
れておる﹂
﹁屋敷の瓦礫は数百トンに達するはずだ、耐えきれるのか?﹂
﹁そこらの魔法使いならばともかく、アナスタシアの設置型障壁じ
ゃ。心配はない。仮に魔法陣を覆う障壁が割れても、あの魔法陣は
浮世とは﹃ずれた﹄場所に存在する。物理的な破壊はあり得ない﹂
重ねて否定するリデア。
﹁ならいいが﹂
そこまで頑丈なのか。
﹁船体ダメージは?﹂
﹃問題ありません!衝撃波で傾きましたが、立て直しました、ご主
人様!﹄
戦闘指揮所
スピーカー越しにはきはきと答えるCIC担当のメイド。
2429
﹁村への被害は﹂
﹁状況不明!エアバイク部隊の連絡待ちです、ご主人様!﹂
俺とリデアで状況を把握すべく指示を飛ばす。
﹁レーダーに反応はないんだな?﹂
あればその時点で連絡が届くはずだ。
﹃はい、不審な影はありませんでした﹄
つまり、半径300キロメートル以内に攻撃を行った存在はいな
い。
﹁神の宝杖か?﹂
世界全てを射程に納める超兵器・神の宝杖。現在の所有権は統一
国家にあり、首都にいながらにしてゼェーレストを狙うことも充分
可能だ。
しかし様子がおかしい。神の宝杖は地下から上空に撃ち上げる兵
器だ、着弾の噴煙は独特の吹き上げ方がある。
﹁ならば工作員による内部からの爆破︱︱︱いや﹂
周囲を見渡せば、森の一画が円柱形に抉れている。あれ、何かが
﹃かすった﹄痕か?
﹁ほぼ水平方向からの砲撃?まさか!﹂
2430
300キロメートル以上の距離を狙撃する兵器、一つだけ覚えが
あった。
﹁超大型レールガン﹃カリバーン﹄⋮⋮ガイルの奴、どうしてこん
なことを﹂
﹃な、なによカリバーンって?﹄
有線通信越しに待機室のニールに訊ねられる。新参の三人組には
教えていなかったか。
こんな時に通信してまで訊いてくるなと思うも、状況把握に不備
のあるまま作戦行動をする危険性を鑑みて教えることにする。
周囲を睨みつつ、すぐに事態が動くことはないと判断。
﹁ざっと説明するぞ。ノインって国は知っているよな?﹂
﹃出入り出来ない小さな国だろ?噂じゃ国土の中心にデカイ大砲が
あるって話だぜ﹄
珍しく正しい知識を披露するマイケル。明日はパンツが降ってく
るな。
﹁その通りだ。ノインの中心には、全長6キロのレールガンが配備
されている﹂
﹃え?ごめん、もう一回お願い﹄
聞き間違いじゃないぞエドウィン。全長6000メートル、だ。
2431
﹁一次産業の盛んなノインは、外国からの干渉を封じることで脅威
から身を守ることを選んだそうだ﹂
そして軍費の大半を注ぎ込んで製造されたのが、超大型レールガ
ン﹃カリバーン﹄。小国を守る唯一にして最強の剣。
﹁とはいえ、そんな無茶な兵器だ。一度は失敗して頓挫したらしい
が︱︱︱﹃とある集団﹄が自分達を匿うことを引き換えに完成の為
の技術提供をしたそうだ﹂
﹃ガイルさん達?﹄
﹁そういうこと﹂
図体こそ馬鹿げたデカさだが、威力は神の宝杖や衝撃波特化核弾
頭と並ぶ神術級。
数少ない﹃戦略兵器﹄。その傘の下に、ガイル達の本拠地は構え
られている。
﹃ノインってどれくらいの大きさだ?﹄
﹁歪だがほぼ円形の国土で、中心のカリバーンから国境までは平均
100キロメートル。レールガンの弾速は極めて速く、更に散弾だ
から視認からの回避は極めて困難﹂
概略だがこんな感じだ。
﹃そんなデカブツ、小回り効かなそうだし⋮⋮撃たれる前に接近す
ればいいじゃない﹄
2432
﹁まあ、ニールの言う通り、そう思うよな﹂
そんな簡単にもいかないんだ、これが。
﹁誰も試さなかったわけじゃないさ。その結果、失敗した﹂
帝国の調査によれば、領空侵犯から発射までの時間は約1分。観
測、指揮、蓄電、砲塔回転、照準、発射までのシークエンスがどの
ようなシステムで行われているかは正直謎が多いが︱︱︱
﹁速度でごり押しは、ほぼ不可能と断じていい﹂
一言でいえば、あまりに早過ぎた。
﹃何それ、正面突破は不可能じゃない﹄
﹁だな、困った困った。世界ほぼ全域が射程範囲内だからなぁ﹂
﹃なんでそんなに冷静なのよ﹄
指揮官が焦るわけにもいくまいて。
﹁キューバ危機みたいなもんだ﹂
﹃何処それ﹄
﹁アメリカの下﹂
冷戦の頃、アメリカと目と鼻の先にある島国キューバにロシアの
ミサイルが持ち込まれた。結果、大国間に大きな緊張が走った出来
2433
事である。
世界終末時計なる悪趣味な滅亡への指数が、世界はあと二分と称
したほどの未曾有の危機。この砲撃は更に悪質かもしれない、実際
に撃たれたのだから。
﹁パフォーマンス⋮⋮核実験みたいなもんだろうな。実家吹き飛ば
して試すなっつーの﹂
ガイルはソフィーを狙わない。少なくとも、あまり狙いたくはな
いはず。
奴は屋敷が無人なのを確認してからカリバーンにて間接射撃した
と考えられる。
間接射撃。友軍が観測班として現場の位置や状況を報告すること
で、砲兵から見えない位置関係の目標を狙う技術だ。
︵となれば、誰が観測班だ︱︱︱なんて、考えるまでもないか︶
つい先程別れた少女。あの子が着弾地点を確認しているはず。
﹃ちょっと、急に黙らないでよ﹄
﹁⋮⋮そうだ、これは冷戦だ、戦争はずっと終わってない﹂
俺もキザ男に指摘されるまでちょっと忘れてたけどな。
﹃レーセン?﹄
﹁この世界は、互いに詠唱を終えた魔法の杖を突き付け合っている
ってことさ﹂
2434
︱︱︱いた。
﹁観測班だ﹂
空中に浮かぶ重装甲の人型機。その機体は空に在ることを常とす
る為、下半身はスカートを模した装甲のみで歩行機能はない。
背中には複雑に折り重なった鋼鉄の翼。一枚一枚が本機の子機で
あり、暗号化された粒子テレポーテーションによるハッキング不可
能な通信を行っていることが解ったのはつい最近だ。
数十の子機、そのエンジンで高度100メートルほどでホバリン
グする、かの機体。
﹁堕天使︱︱︱ファルネの搭乗機だな﹂
改修前とはいえキョウコの蛇剣姫を圧倒した、オーバースペック
機だ。
﹁だが多勢に無勢。一気にかかれば無力化も出来る﹂
あの娘を空から引きずり下ろすか?
カリバーンを撃たれておいて何だが、ファルネを拘束することは
ガイルに対する宣戦布告になるかもしれない。慎重に行動する必要
がある。
﹁⋮⋮ねぇ、レーカ。あそこ、光っていない?﹂
光?
屋敷跡地、そろそろ止んできた埃や煙が晴れて瓦礫が日下に露と
なる。
確かに光っていた︱︱︱ぼんやりとした障壁と、その内部の魔法
2435
陣が。
ようやく理解する。
﹁違う、砲撃はパフォーマンスが目的じゃない!﹂
空で静止する堕天使が見詰めるのは、見紛いようもなくその魔法
陣であった。
﹁魔法陣を隠す物全てを、力付くで撤去しやがったんだ!﹂
だからって、自分の家を吹き飛ばすことはないだろう、ガイル⋮
⋮!
﹁いかん⋮⋮あれをファルネに見られた﹂
呆然と床に崩れ落ちかけるリデアを、操舵席にいたルーデルが咄
嗟に支える。
リデアの顔は真っ青だ。あれほどガイル達に魔法陣の存在が露呈
することを警戒していたのに、こんなふざけた方法で確認するなん
て!
目的を果たしたのだろう、翼を後方に向け加速する堕天使。
﹁緊急離陸︱︱︱は間に合わないか﹂
ファルネを捕らえればガイルが魔法陣の所在を確定することを、
少しだけ遅らせられるかもしれない。
堕天使の飛行速度は亜音速。この船に積載した多数の超音速機な
ら、充分に追い付ける。
だが、どれだけ急いでも離陸まで5分、接触に更に5分といった
ところか。
2436
10分もあれば、何処かに隠れられる。ファルネが作戦にあたっ
て逃走経路を準備していないはずがない。
﹁﹃れーだー﹄を使って追跡するのは?﹂
ソフィーが提案する。
﹁あれは大まかなことしか判らない。この世界に亜音速で飛ぶ小型
機がどれだけある、見分けなんてつくはずがない﹂
俺の特等席にどっかりと腰を降ろし、クリスタル共振通信機を起
動させる。
﹁⋮⋮おい、ファルネ﹂
﹃⋮⋮ウン﹄
通信に応える気はあるのか。
﹁元々俺達はこういう関係なんだ、抗議するのもおかしいよな﹂
﹃ウン﹄
はっきりとした、でもどことなく生気のない返答。
ファルネは平静な声色のまま、俺に別れを告げた。
﹃サヨナラ、お兄ちゃん﹄
﹁またな﹂
2437
﹃っ、バカッ!﹄
通信はそれっきり切れてしまう。
ファルネは惜別であろうと縁を切る心積もりだったのだろうが、
生憎俺はこれからもファルネと付き合っていくつもりだ。
溜め息を吐き、手の平で額を押さえる。
﹁ま、意趣返し出来たから良しとするか﹂
﹁⋮⋮小さな勝利じゃ﹂
椅子から立ち上がり、手を叩いて視線を集める。
﹁マイクの音声を船全体に流してくれ﹂
﹁承知しました、ご主人様!﹂
ブリッジクルーメイドや天師達がこちらを向いたことを確かめ、
単語に迷いつつも言葉にする。
﹁⋮⋮俺だ、レーカだ。総員にありがたーいお知らせを行う。戦い
が、遂に始まっちまうらしい﹂
大したことではないように、出来るだけ気軽に報告する。
﹁俺達は、スピリットオブアナスタシア号はこの戦いの為の船だ。
高度な装備も優秀な天士もそれらを支えるスタッフも、全ては最強
の銀翼の天使︱︱︱紅翼を打倒する為の準備だ﹂
この船一つで統一国家と戦えるはずがない。経済規模で争う必要
2438
がある国家という敵に対峙するのは帝国であり、この船はあくまで
ガイル陣営との戦いを想定している。
﹁元を正せば、実に個人的な戦いだ。だがこれはもうただの親子喧
嘩じゃない、自分の意思を示す為の戦いだ。荒れ狂い絡み合う世界
情勢の中、ぼんやりと空戦の空を見上げているだけなんて俺はゴメ
ンだ﹂
ガイルやヨーゼフの企みは未だに不明だ。だが、一つ断言出来る
ことがある。
﹁あいつら、俺等の都合なんて考えちゃいねぇ。自分の進む道は自
分で決める、その為に真実を見に行くぞ﹂
︱︱︱戦闘開始だ、世界を巡る戦いに殴り込んでやる。
2439
ゼェーレスト攻防戦 1︵前書き︶
悲報 アメリカ防長官、A10とU2の削減及び退役を表明。
2440
ゼェーレスト攻防戦 1
エアシップ
﹁いやはや静かだな、小型級飛宙船はうるさいものばかりだと思っ
ていたよ﹂
﹁左右のエンジンを共鳴させることで、騒音を打ち消す設計なんだ﹂
お寺の鐘と同じ原理だ、内側に入ると意外と音がしない。
エンジンも後ろ側面に離して設置したレイアウトだし、プロペラ
の推力をメインで進むターボプロップだし。根本的に静音設計なの
だ。
﹁つーか余裕あるな、お前﹂
少し手狭だがファーストクラスのようにゆったりとした座席を据
え付けられた船内。
優雅にワイングラスを傾けるキザ男は、これから作戦だというの
に気負った様子もない。
﹁ハハハ、リヒトフォーフェン家たる者、常に冷静たれ、だよ。⋮
⋮ちょっとトイレ行ってくる﹂
﹁さっきも行ったばかりじゃねーか﹂
見ればワインボトルは二本目。あんまり冷静じゃなかった。
﹁ふう、揺れる船内ではトイレもしにくいね﹂
2441
﹁あんまり飲むなよ。つーか飲むなよ﹂
﹁問題ない、ノンアルコールだから﹂
それほとんどジュースじゃね?
﹁それより、君はさっきから何をしているのかね?﹂
﹁いや、ちょっと金属加工を少々﹂
﹁こんな合間にも仕事かい?﹂
﹁貧乏暇なしだ。それにこれはプライベートな物だよ、仕事の資料
も持ってきているけど﹂
インゴットを持ち込んで、鋳造魔法でコネコネと形を変えていく。
精密機械の部品ならば、こんな片手間な形成は精度が低くて使い
物にならない。だが今作っているのは装飾品なので、肉眼で歪みが
判らなければオーケーである。
﹁指輪?﹂
﹁みーるーな、っての﹂
すぐそこにソフィーがいるんだ、バレる。
﹁指輪?レーカが?﹂
あーバレた。あほキザめ。
2442
﹁違うぞ。これはワッシャーだ﹂
ワッシャーとは穴の開いた金属の円盤だ。CDを小さくしたよう
なもの、とイメージすればほぼ形状に間違いはない。
ボルトとナットの間に挟んで使う部品で、緩みの防止や磨り減り
を軽減出来る。なくてもボルトを締めることは可能だが、面倒だか
らと省略せずにちゃんと入れることが大切だ。
﹁随分と複雑な形なのね﹂
﹁⋮⋮まあ指輪だからな﹂
誤魔化しきれるはずがなかった。
﹁プレゼント用?﹂
そう訊いてくるのは、俺が指輪など一切身に付けないことを知っ
ているからだろう。
仕事場で指輪やネックレスは厳禁だ。引っ掻けたら危ないし。
他の工房では黙認されていることもあるようだが、フィアット工
房やアナスタシア号の格納庫では年配の職人に怒鳴られる。
﹁ソフィーおいで﹂
手招きすると、彼女は不思議そうにしつつも側に立つ。
俺も立ち上がり、彼女の手の平に指輪を握らせた。
﹁結婚しよう﹂
2443
﹁えっと、冗談かしら?﹂
﹁いや、本気﹂
﹁もっとロマンチックには出来なかったの?﹂
﹁だってこいつがバラしたし﹂
﹁僕のせいかね!?﹂
元々気取ったプロポーズの方法など、欠片も思い付かなかったの
だ。
よって、キザ男のせいにしつつさらりと告げてみた。
風を象った、流線形を多用した意匠のシルバーリング。俺にとっ
ては加工や調達よりデザインの方が遥かに難題だった。
﹁⋮⋮結婚、する?﹂
﹁俺と結婚しろ﹂
﹁貴方、強引なタイプの殿方だった?﹂
﹁躊躇ってるだろ、ソフィー﹂
動揺を隠しきれずに視線を揺らすソフィー。やはりか。
﹁お前がどんな不安を抱いているかは知らない。けど、不安を払拭
されるのを待っていてはいつまでたっても結婚なんて出来ない。だ
から、その不安は︱︱︱俺の腕の中で考えろ﹂
2444
お行儀よく順序正しく解決していく、そんなのはきっと無理なのだ。
俺の考えを察したのか、ソフィーに拒絶の色はない。
﹁⋮⋮私のこと、幸せにしてくれる?﹂
﹁確証なんて出来るか﹂
残念な人を見る目を俺に向けるソフィーとキザ男。
﹁そこは嘘でも幸せにする、って断言してほしかったわ﹂
﹁正直者でな。現状俺達は最もか弱い勢力だ、行く末が破滅ではな
いなんて言い切れない﹂
でもそんなこと、知ったこっちゃない。
﹁その時は俺と一緒に破滅してくれ﹂
﹁⋮⋮仕方がないわね。いいわ、貴方の腕の中で死んであげる﹂
困り顔ながらも笑みを浮かべる我が婚約者。
プロポーズが成功したと確信した俺は、とりあえず彼女をそっと
抱き締めた。
﹁ソフィー⋮⋮﹂
﹁レーカ⋮⋮﹂
見つめ合う二人。ソフィーの蒼い瞳はまるで宇宙のように深く、
吸い込まれそうな錯覚すら覚える。
2445
作戦前なのに香水の香りがほのかに感じられるのは、やはり女の
子ということか。
どちらからか、自然に近付く唇と唇。
﹁ところで軍人の間では有名なジンクスなのだが。作戦前に結婚の
約束をする男は、大抵の場合生きて帰れないそうだぞ﹂
﹁ちょっと黙ってろキザ男﹂
このタイミングでプロポーズする羽目になったのは、三割くらい
お前のせいだろうが。
時計の針は頂点を越え、現在時刻はおおよそ朝の3時。交代で仮
眠を取り警戒し続ける彼等だが、さすがにはりつめた空気はとうの
昔に霧散していた。
軽食のサンドイッチを食べつつ、リデアは独り言を口にする。
﹁ずっと根詰めて気疲れするよりはマシじゃろうが、さすがに暇じ
ゃのう﹂
夜通しの警戒も馴れたもので、船員達は適度にリラックスしつつ
も気を緩めてはいない。
独り言、だったはずの言葉に相槌が打たれる。
2446
﹃ところで姫様。最近、妙に色気付いてはおりませんか?﹄
それは正確には相槌ではない。丁度電話が入っただけで、電話線
の向こうにいる相手は独り言など知らないのだから。
﹁何を言い出すんじゃ、こんな時に﹂
ゼェーレスト村上空に浮かぶ大型級空母艦、スピリットオブアナ
スタシア号。その艦橋の中心、艦長席に腰掛けるリデアは受話器越
しにルーデルに唐突に問いかけられた。
﹃姫様が幼少特有の魅力を失われて久しいですな。昔は実に可愛ら
しかったのに、今では可愛いというより美しい女性になってしまわ
れた﹄
﹁黙れロリコン。用がないなら通信を切るぞ﹂
艦長のリデアは艦橋に詰めているが、ルーデルやガーデルマン、
そして今回僚機を勤めるキョウコは格納庫横の待機室にいる。
普段は操舵士に徹して出撃しないルーデルだが、次の戦いは総力
戦と予想された。故に、現在船にいない白鋼を除けば最高戦力であ
るルーデルの雷神改とキョウコの蛇剣姫改をも躊躇いなく投入する
算段なのだ。
ちなみにセルファークでの戦いは有視界内戦闘が基本なので、艦
長及び重要な士官は艦橋にいる。CICはあくまで補助設備だ。
﹃いえいえ、貴女は何時だって大半の男児にとって魅力的であった
でしょう。ですが、あれですな。恋は女を綺麗にする、とはよく言
ったものですな﹄
2447
﹁しつこいのう。わしが男に興味を持つと思うのか?強いて言えば、
わしは世界中のファンの嫁じゃ﹂
双眼鏡で眼下の村をチェックしつつ返事をする。村に人気がない
のは深夜だからではなく、既に避難を終えて無人と化しているから。
﹃しかし、私達が出てしまって船の守りは本当に大丈夫でしょうか
?﹄
会話に割り込んだキョウコはリデアに作戦上の不安を口にする。
﹁不安を挙げればきりがあるまい。準備はしてきた、必要なことな
のじゃ﹂
﹃あまり心配するのもよくないぞ、﹃最強最古﹄よ。それに乳デカ
エルフもいるのだろう﹄
﹃﹃帝国の悪魔﹄さんは大きいお乳は嫌いかしらぁ?﹄
妖艶でありつつも挑発的な甘い声が会話に加わる。
エカテリーナはシルバースティールの所属ではないが、戦力とし
ての参加を了承している。これで銀翼は四人、一つの航空事務所が
抱えるにはあまりに大きな戦力だ。
﹃牛乳は好きだが巨乳は嫌いだ。なあ、ガーデルマン?﹄
﹃私に同意を求めないで下さい﹄
歴戦の天士は滅多なことで動揺しない。リデアはそんな彼等に呆
れつつも頼もしさを覚える。
2448
﹁暇なら各々の確認でもするかの﹂
﹃そうですな。こちらはハンス・ウルリッヒ・ルーデル及びエルン
スト・ガーデルマン、共に何時でも出撃出来ますぞ﹄
﹃キョウコです。蛇剣姫も襲撃準備を終えて、指示さえあれば何時
でも﹄
﹃エカテリーナ・ブダノワよ。雀蜂も出られるわ﹄
﹃ガチターンだ、俺もいるぜ。忘れてねぇよな?﹄
格納庫横の待機室にいる5人は確認を速やかに済ます。
﹁地上班はどうじゃ?﹂
﹃予定通り、森に隠れているわよ﹄
﹃暇だー、もう水っ腹だぜ﹄
﹃迎え撃つ準備も完了しています。やれることはやりました﹄
ゼェーレスト村の最寄り⋮⋮零夏とソフィー、そしてマリアが初
めて出会った森。
人型機ほどの巨人すら越える巨木の乱立する森林、その夜闇の合
間に隠れていたニール・マイケル・エドウィンがそれぞれ受け答え
る。
﹃マイケル、戦闘の前にそんなにドリンク飲んだら吐くよ?﹄
2449
﹃その前に出しゃいいだろ、ばかだなぁエドウィンは﹄
金属音の後、ジョジョジョと水の音がスピーカーから流れる。
最初はハッチを開く音、後は排泄の音であると誰もが察した。
女性の割合が多い艦橋に、白けた空気が漂う。
﹁⋮⋮公共の通信に変な音を流すな﹂
﹃おっ、わりぃ繋いだままだったわ。通信終わりっ﹄
通信が切れる。
しばしの沈黙、気を取り直したリデアは大きく伸びをする。
﹁うーんっ、よし皆支障はないの、苦しゅうないぞ。ふぁあぁ﹂
各自目の前のコンソールを注視しているので、遠慮なく大欠伸す
るリデア。
﹁話は戻るが、待つだけというのも暇じゃのう﹂
﹃はっはっは、欠伸がでるのは落ち着いている証ですな。しかしそ
ろそろ気を引き締めて下され。来ますぞ﹄
﹁来る、だと?﹂
﹃はい、私も胸がざわざわします。大きいのが来ます﹄
ルーデルに同調するキョウコ。次の瞬間、CICから報告が入っ
た。
2450
﹃レーダーに感あり、大きい、巨大な反応があります!﹄
﹁艦隊か!?﹂
粗悪なレーダーでは大まかな規模しか判らず、それが敵かどうか
キザ男
レッドアロウ
判断するには偵察機を出す必要がある。この役割を果たすのは計画
ではマンフレートだ。殺しても死なない悪運の強さと赤矢のトップ
レッドアロウ
スピードは偵察機として最適といえる。
しかし現在、マンフレートと赤矢は別作戦にて不在。だが、今回
に限れば偵察を出す必要などなかった。
﹃いえ、影は一つのみ!ですが尋常な大きさではありません、推定
幅10000メートル!﹄
﹁︱︱︱ラウンドベースか!﹂
直径10キロメートルにも及ぶ円盤形の超巨大空中要塞。あまり
に巨大なそれは、低性能なレーダーでも明らかに判別出来る。
﹁ガイルではなく統一国家が先に来たか。フィオ経由で情報が流れ
ているとのことじゃったから、予想していなかったわけではないが﹂
超音速機バルキリーを母艦とするガイル陣営の方が動くのは早い、
その予想は覆された。魔法陣露呈より数日、ラウンドベースどころ
か軍艦一つとて動かせるスケジュールではない。
ならば、事前に準備していたのだと考えるのが自然だ。ヨーゼフ
は魔法陣を確保する為にガイルより先手を打つ用意をしていたわけ
だ。
2451
﹁油断ならない男じゃ。まさか世界に8つしかない決戦兵器を持ち
出すとは﹂
紅蓮の騎士団が大戦時に破壊された物を修復したことで、世界に
現存するラウンドベース級は統一国家に5つ、帝国に3つだ。元々
共和国が4つも運用・維持出来ていたのはその経済力があってこそ
だろう。
だが国家内に5つラウンドベース級があろうと、容易く動かせる
ものではない。下手に動かせば経済が傾く兵器、それを投入するこ
とからどれだけ魔法陣確保に熱心なのかが窺える。
﹃でもよ、ラウンドベースは足が遅いんだろ?まだまだ到着は先だ、
色々と対策は出来るんじゃないのか?﹄
ガチターンの楽観。しかしリデアはそうではないことを知ってい
る。
﹁確かにラウンドベースの移動速度は最速でも30キロ、300キ
ロを移動してくるには10時間かかる。じゃが、今まで誰もその欠
点を克服しようと努力しなかったわけではないのじゃ﹂
ヨーゼフが巨大な的を間抜けにも出撃させるわけがない。そう確
信しているリデアは、ある道具の存在を懸念していた。
﹁第一種戦闘配備、さあ皆の者働くぞ!﹂
2452
ラウンドベース級飛宙船。現人類が作り上げた最大の巨大建築物
は、悠然と空を支配している。
町を覆うほどの円盤。それは正しく町としての機能すら飲み込ん
だ怪物だ。
数千の対空砲と数百の艦砲。数十の軍艦ドッグと航空機用カタパ
ソードシップ
ストライカー
ルトデッキ。それは要塞というよりは一つの軍事国家に等しい戦闘
能力。
多くの戦闘機と人型機を積載するラウンドベース級二番艦﹃キャ
サリン﹄。それが、ゼェーレスト村へと進行する巨大船の正体だ。
キャサリンのCICにて、司令官はにやつく口元を必死に隠しつ
つ作戦の進行状況を把握に努める。
﹁くくく⋮⋮私がラウンドベース級の主に任命されるとは。普段か
らの献身的な活動が認められたのだな﹂
紅蓮の騎士団からの古株である彼は、それなり程度に有能でこそ
あったが出世欲も人一倍であった。それ故に今まで程々の地位に甘
んじていたが、その雌伏も無駄ではなかったと一人唸る。
﹁しかも最初の任務は﹃白き姫君をお迎えする﹄という名誉あるも
の。姫を軟禁する戦力がいるそうだが、大型級飛宙船一つなどこの
キャサリンの前にはあまりに儚いものだろう﹂
﹁報告、ゼェーレスト村より半径300キロメートル圏内に到達し
ました!﹂
﹁ん?ああ、敵の存在を察知する﹃れーだー﹄なるものを持ってい
るのだったな、奴等は。面白い道具だが、所詮は貧乏組織の浅知恵
2453
でしかない﹂
彼にとってすれば、レーダーなど組織的な連絡網を用意出来ない
弱小組織の苦肉の策でしかなかった。多くの人員と予算を持つ統一
国家にしてみれば、半径300キロメートル内を肉眼で上空監視す
ることも絶対に不可能、というわけではないのだ。
現実的ではない、と理解出来ない程度には無能な男だった。
﹁総統もなぜわざわざ﹃あれ﹄をキャサリンに装備したのか⋮⋮数
に限りのある貴重な異文化の工芸品だというのに、無駄な浪費は避
けるべきではないのか﹂
だが不服だからと使用しないわけにはいかない。彼はただ一言、
追加装備準備を命じた。
﹁﹃神威﹄、点火シークエンス開始だ﹂
指示を受けたCICの士官達は各自、受け持ちの作業を開始した。
ラウンドベース後方。多くのレシプロエンジンとプロペラが回る
区画に、奇妙な筒が追加されていた。
メインフレームに直付けされた筒の長さは25メートルほど。ラ
ウンドベースの進行方向とは逆に向かって水平に伸びて固定されて
おり、その尾はペン先のように細く尖っている。
直径10キロメートルの船体からすればあまりに小さなそれは、
誰も作動原理を知らない未知のエンジンであった。
いつしか発見され、異文化の工芸品の一つとして扱われるように
なった鉄柱。その使用方法に気付いた時、当時の技術者達は戦慄し
た。
セルファークの技術を超越した圧倒的大出力。既存の測定法では
片鱗すら理解出来ないほどのエネルギーは、正しく大地をも浮かび
2454
上がらせるほど。
飛行機が発明されておらず空には船しかなかった時代。内燃機関
が発達していなかったかつては、神威こそラウンドベース級唯一の
移動手段であった。
扱いにくさと危険性故に大戦ですら使用されなかった最強のエン
ジン、しかしラウンドベースには未だに神威搭載能力が実装されて
いた。
﹃これより当艦はゼェーレスト村に対し急速接敵を行う﹄
艦内放送を聞いた乗員達は所定の座席に座り、またある者は担当
の機械に貼り付く。
﹃クラッチ解放。推進機関アイドリング状態に移行﹄
轟音を発していたエンジンが、急激に音を潜めていく。プロペラ
は空転し、風車のように自然の風で回転した。
﹃スポイラー展開﹄
ラウンドベース各所からパラシュートが吊り下げられる。これら
は一時的なエアブレーキだ。
制動しなければ自らのエネルギーで崩壊しかねない、これから使
用されるのはそういう物だった。
﹃バラスト調節。A3区画、注水開始﹄
チャンスは一度きり。ラウンドベースにとっては上下3000メ
ートルの空はあまりに狭く、姿勢制御を誤れば地面か重力境界の岩
々に衝突し容易く大破する。それは正しく、針の穴に糸を通すよう
2455
な作業。
﹃メインフレームに余剰魔力を供給。強化魔術起動﹄
エンジンに流れていた魔力をフレームに流し込む。普段は使用さ
れていないフレームを強化する魔導術式が発光し、かつてない負担
へと身構える。
重要区画
﹃展開中の武装を格納終了。バイタルパート封鎖﹄
船の各所で分厚い防火壁が降り、区画事の行き来を封じる。
﹃神威起動回路解放。最終セーフティー、手動解除﹄
神威の周囲に増設されたキャットウォークを走り回り、安全ピン
を抜いていく。
﹃電力供給。荷電粒子発生確認﹄
静かに、地の底から沸き上がるような脈動。内部の燃料が反応を
始め、臨海温度へと迫る。
﹃方位最終チェック。誤差、コンママルニー以内に維持﹄
ブラスターを吹かし、目分量では判らないほどの修正をする。
﹃総員、対ショック準備﹄
全シークエンスを終了し、誰かが息を飲んだ。
2456
﹃カウント開始。5、4、3、2、1︱︱︱﹄
﹁︱︱︱イグニッション﹂
瞬間、船が大きく軋んだ。
何百メートルにも及ぶ火柱が空を燃やし、ラウンドベースは質量
を無視した急加速を開始する。
蒼い炎を纏う神威。噴射口もないロケットは、しかしどんな機関
よりも激しく炎の柱を吹き出す。
空気を押し退け、衝撃波を撒き散らし、これ以上とない力ずくで
速度を増し続ける。
時速900キロ︱︱︱ゼェーレスト村まで、おおよそ20分。
﹃ラウンドベース、急加速しました!亜音速に達しています、あり
えない!﹄
悲鳴のようなレーダー担当メイドの報告。それは、この世界の常
識ではありえない出来事であった。
浮遊装置を積んだ航空機は、重量がかさむことから時速100キ
ロ以上を出せない。それ以上は急激に抵抗が増すのだ。
それを振り切って、900キロもの速度を出すなど非常識にもほ
どがある。
﹁やはり、共和国なら在庫があったか﹂
しかしリデアは知っていた。ラウンドベースをも移動させるほど
2457
の、強力無比なロケットエンジンの存在を。
﹁神威︱︱︱大気圏離脱用ロケットを使いおったな﹂
﹃大気圏離脱に際する既存のロケットとは異なる何らかのブレイク
スルー技術﹄。予想外に早く訪れた宇宙開拓時代に、零夏はかつて
その存在を予見していた。
宇宙空間では、コップの水一杯ですら30万円から40万円の価
値があるとされている。それほどまでに物体を宇宙に送り届けるの
は予算を要する仕事なのだ。
しかし、滅亡間際の人類は気軽に旅行が出来るほど容易に宇宙へ
と進出していた。
その理由こそ、神威と呼ばれるロケットエンジンであった。
宇宙コロニーのメインブロックを完成形の状態で打ち上げること
を可能とした、推力7500トンのロケットエンジン。この技術の
完成により、人類は宇宙へとフロンティアを進めたのだ。
﹁このペースではアナスタシア号との衝突は20分後じゃ。ルーデ
ル、ガーデルマン、キョウコ、準備はいいな?﹂
﹃はっ。もう乗り込んでおります、40秒で離陸致しますぞ﹄
﹃とはいえこちらも亜音速機、ラウンドベースとすれ違うのは13
分後です。更に残りの7分でラウンドベース落とさねばならないの
ですか﹄
﹁出来るな?﹂
﹃﹃さぁ?﹄﹄
2458
ルーデルとキョウコは正直者だった。
﹁⋮⋮そこは嘘でも肯定せんか﹂
﹃まあ、なんとかしましょう﹄
﹃ですな、がっはっは﹄
アナスタシア号にとって最も確実なラウンドベース級の撃破方法
は、主砲の衝撃波特化核弾頭を撃ち込むことだ。しかし、リデアは
核弾頭なしで目の前のラウンドベースを凌ぎたかった。
政治的問題ではなく、至極物理的な問題からして。
アナスタシア号の甲板、その正面に向かって伸びている100メ
ートルほどの溝。
内部格納庫よりエレベーターで昇ってきた雷神改は誘導員の腕を
左右に開閉する合図に従い、浮遊装置によるホバリングで溝の手前
端へと移動する。
その長い直線翼には計4発のロケット弾が吊り下げられていた。
下手な小型飛行機ほどもあるそれは、堅牢であるはずの雷神の構造
体を歪ませるほどに重々しい。
蒸気を溢すスリッドの端にはカタパルトシャトル。後方では防火
壁が立ち上がり、雷神改の機首近くにあるランチバーがシャトルに
接続される。
誘導員の合図を見たルーデルは機体の可動箇所を一通り動かして
チェックし、エンジンを最大出力まで引き上げる。
そして、ニヤリと笑いカタパルトオフィサーを務めるマキ・フィ
アットに敬礼した。
キャピ、と横ピースにウインクで返礼するマキ。そのまま間を置
かず発進ボタンを押す。
2459
カタパルトシャトルは猛然と加速。蒸気の圧力と雷神自体のエン
ジンにより瞬く間に200キロに達し、機体は宙を舞った。
機体を船に拘束していたホールドバックバーが断絶し、そこから
供給されていた魔力が絶たれたことで雷神は自身のクリスタルが有
する魔力だけでの運用へと移行する。しかし大きく燃料を消費する
離陸を外部からサポートしたので、作戦行動時間は僅かだが増えて
いた。
戦いとはこの僅かな差で勝敗が決する。故に、垂直離陸が可能な
セルファークの航空機も設備がある限りはカタパルトによる離陸を
行うのだ。
ましてや巨大な新装備を満載した雷神改は積載限界を大きく越え
ている。通常の自力離陸など、毛頭不可能だった。
続いて離艦する蛇剣姫と雀蜂。
﹃武運を期待する、三人とも﹄
﹃うむ、行ってきますぞ﹄
﹃どうも。エカテリーナ、貴女も上空待機、油断しないように﹄
﹃はい、お任せ下さいキョウコ様﹄
雷神と蛇剣姫は共に亜音速機だ。ペイロードを増設した雷神はエ
ンジンを強化したとはいえ、最高速度は300キロ程度に留まって
いる。︵零夏はエンジン強化によって速度不足を解消したかったの
だが、ルーデルは強化した分積める爆弾を増やせと主張した︶
人型機を強引に飛ばしている蛇剣姫改にいたっては、カイトのよ
うに変形したマント⋮⋮フライトユニットにうつ伏せで寝そべり空
気抵抗を減らし、ラムジェットブースターによる加速を行っている
にも関わらず500キロ程度しか出せていない。
2460
雷神はハードポイントの一つからワイヤーを垂らし、蛇剣姫はそ
れを握ることで僚機である雷神を牽引している。手っ取り早く速度
を合わせる工夫であり、ワイヤーには更にもう一つ役割があった。
﹃目を回すなよ、ラウンドベースとの相対速度は1400キロ、目
標がバカでかくともすれ違うのは一瞬であるぞ﹄
﹃言われずとも解っています﹄
両者のコックピットから見えるのは高速で流れる大地と風だけ。
しかし、地平線の彼方に異様なプレッシャーを感じていた。
じっと、ルーデルとキョウコは先を見つめる。
ガーデルマンが腕時計に視線を落とし、秒針を注視する。
﹃カウント開始します。エンゲージまで3、2、1︱︱︱﹄
刹那。
無より壁が現れる︱︱︱動体視力に優れる彼等すら、そう錯覚し
かけた。
キャノピーの外を埋め尽くす鉄塊。二機は巨大母艦船の下へと潜
り込む。
ラウンドベースから地面に向かって伸びる鉄塔を紙一重で回避し、
更に下面に乱立する艦砲や建造体の合間を抜ける。
﹃水先案内お願いします!﹄
﹃承った!﹄
雷神がロールし半回転。背面飛行にてラウンドベースの底を這い、
30ミリガトリングを掃射する。
2461
ラウンドベース表面の建造物を破壊粉砕する鉄鋼弾。全てを無に
帰す為に作られた兵器にとって、超兵器ラウンドベースの設備であ
ろうと例外はない。
被弾し捲れ上がった空間装甲の外装、それを足掛かりに蛇剣姫が
強行着地を敢行した。
﹃︱︱︱やあああっっ!﹄
フライトユニットを外套に戻し上下逆さまの状態で着艦した蛇剣
姫は、踵の耐磨耗性樹脂を削りつつ減速する。
しかしあまりに彼我の速度差があり過ぎた。両足だけのブレーキ
では制動しきれず、キョウコ自慢の蛇剣を船体に突き付ける。
それでも1400キロという相対速度は殺しきれない。進路上の
障害物はルーデルが悉く破壊しているとはいえ、機体には傷が増え
てゆく。
﹃止まれ止まれ止まれっ︱︱︱って正面、大きい砲塔があるのです
が!﹄
迫る戦艦砲塔。蛇剣姫よりも巨大なそれは、ガトリングをもって
しても破壊しきれなかった。
﹃むぅ、ガーデルマン!﹄
﹃了解!﹄
雷神の後部座席から伸びる105ミリライフリング砲が火を吹く。
機体を明らかに減速させるほど強力な反動、螺旋回転し砲塔に直
撃した砲弾は砲塔の装甲を貫き、内部をジャンクにし尽くした。
だが尚も砲塔は破壊しきれていない。おおよそ大破したものの、
2462
原型が判る程度には残ってしまった。
﹃こうなっては、あれを踏み台にします!﹄
せめてもの足掻きに、蛇剣姫は機体を外套で包む。瞬間、機体は
砲塔へと突っ込んだ。
僅かな沈黙、その後に瓦礫を蹴り飛ばし蛇剣姫は砲塔の残骸から
頭を出す。
﹃着艦成功、なのでしょうか﹄
それはほとんどただの衝突事故であった。
瓦礫が重力に引かれ、頭上の地面に落ちていく。しかしそれも時
速900キロという風圧に吹き飛ばされ、あっという間に流れてい
った。
キョウコも思わず唾を飲みそうになり、それを後回しにして次の
作業へと移る。
手に握ったワイヤーを鋼の両手で握り締め、しっかりと足を構え
る。
蛇剣姫を中心に、遅れて飛来した雷神が180度旋回した。
﹃ぬぐぐう、さすがにGがキツいな︱︱︱!﹄
﹃20倍の重力中で声を出せるだけ異常ですよ﹄
﹃そういうっお主はっ汗一つかいていないなっ!﹄
やはり眉一つ動かさないガーデルマンに、やはりこいつは機械な
のではないかと疑うルーデル。
帆船の時代では、錨を降ろして急旋回する技術があった。彼等は
2463
それを航空機で行ったのだ。
想定外の荷重に悲鳴を上げる機体。強固な装甲を持つ雷神だが、
飛行機である以上は限界がある。
ましてや対弾性能ではなく機体そのものへの負荷、耐えきれるは
ずがない。
メインフレームに深刻なダメージを受けた雷神。だがこれくらい
の無茶を通さねば、ラウンドベースは落とせない。
回頭を終えラウンドベースと平行飛行に移る。しかし巨大ロケッ
ト弾を抱えた雷神は現在最高速度300キロ程度、ラウンドベース
に追い縋るには600キロ足りない。
﹃ラムジェットブースター点火!﹄
徐々に遅れる雷神だったが、胴体下部の筒が炎を吐くことで猛然
と加速。悠々とラウンドベース以上の速度に達する。
﹃時速1000キロ、生涯で最も速く飛んでいるなっ!﹄
過剰兵装と超過速度によって暴れる操縦幹を押さえ込み、溢れ出
そうになる笑みを噛み殺しつつか彼は愛機を御する。
空戦の主役が小型飛宙船であった時代から、ルーデルは空を飛び
続けている。常に攻撃機を愛機としてきた彼は、実は音速すら越え
た経験がなかった。
﹃やれやれ、予定通りとはいえ私たち二機だけでラウンドベースを
落とせだなんて﹄
﹃仕方があるまい、若いのには荷が重かろうっ!﹄
﹃悠長にしないで下さい。ブースターの液体燃料は数分しかもたな
2464
いのです、さっさとやりますよ﹄
雷神の翼下の4つの積み荷。それがロケットの類であることは明
白だったが、問題はそのサイズだ。
長さ7,7メートル、重量実に11トン。積載量を増した雷神改
であろうと、空輸は4つが限界であるという馬鹿げた貨物だ。
﹃目標のこちらの受け持ちは4つ、地中貫通ロケット弾︱︱︱﹃グ
ランドスラム﹄も4本のみ。一発勝負です、慎重に挑んで下さい﹄
﹃うむ、ぽちっとな﹄
﹃話聞けよロリコン﹄
雷神より発射された巨大ロケットはロケットモーターにて飛翔。
ラウンドベースへと突き刺さった。
ロケット先端のドリルが回転。ダイアモンド加工された切っ先が
鋼鉄の装甲板を削り穿つ。
﹃はは、これはいい!次のクリスタルルームにいくぞ!﹄
﹃調子に乗って撃墜されないで下さいね、上は天敵の対空砲だらけ
なんですから﹄
ゆっくりと、しかし確実に浸食するグランドスラム。遂に爆弾側
面のキャタピラまでもが装甲を削り、着実に侵攻していく。
一度装甲を貫通してしまえば、後はロケットを阻む物は無かった。
船内は耐火性の高い鉄がほとんどだ。重量を軽減する為に壁は薄
く、11トンの自重を前進させるほどの推力は鉄壁を紙の如く破き
裂いて突き進む。
2465
﹁な、なんだこいつはっ!?﹂
﹁ロケットだ!ロケットが食い破って来やがった!﹂
﹁穴を塞ぐぞ、木材を持ってこい!﹂
﹁CICに連絡を、ぎゃああああっ!﹂
神威による高速接敵中のラウンドベース、揺れに揺れる船内では
船員の行動は禁じられ体を何かしらに拘束している。故にグランド
スラムに気付いた船員も身動きが取れず、運悪く進路上にいた者は
憐れ訳も解らないままミンチとなった。
最も強力な魔力元をセンサーで捉え目指し続け、グランドスラム
は数百メートルを潜る。そして遂には分厚い鉄板にまで到着した。
重要箇所を守る内部装甲。それすらも掘削し、グランドスラムは
目的地へと到達する。
大小様々な、数えきれないほどのクリスタルを納めた部屋。壁に
整列したそれらからは魔力導線が繋がれており、全てが発光してい
ることから魔力を発していることが判る。
零夏曰く、﹁まるでニュートリノ検出装置だ﹂と評される室内。
このクリスタルルームは飛宙船に必ずある設備であり、浮遊装置を
起動させ続けるには絶対に守らねばならない場所だ。
その地面から、ひょっこりとグランドスラムの弾頭が顔を出した。
後は記すまでもないだろう。クリスタルルームは失われ、ラウン
ドベースは8分の1の魔力を喪失する。
2466
﹁な、なにがあった!報告しろ!﹂
CICの座席にシートベルトを締めて腰掛ける司令官は、大きく
揺れだしたラウンドベースに困惑する。
﹁第三区画のクリスタルルームが爆発、船体が傾きそうです!﹂
﹁死んでも水平を維持しろ、傾けば地面か空に突っ込むぞ!﹂
﹁これは⋮⋮事故ではありません!敵の攻撃です!﹂
﹁バカを言うな!外部からの攻撃など、クリスタルルームは400
ミリの外装甲と650ミリの内部装甲によって守られたバイタルエ
リア内にあるのだぞ!﹂
﹁敵の新型ロケット弾です!﹂
機能を制限された船内で、尚も懸命に情報収集に努める士官達。
そこに報告は続く。
﹁緊急入電、第三区画の下に雷神が飛行しています!機体形状から
して帝国の悪魔であるとのこと!﹂
﹁ハンス・ウルリッヒ・ルーデルだと!?﹂
軍人として声を漏らす物はいなかったが、誰もが例外なく顔を青
く染めた。
ガイルと並び最強の天士と称された、敵対すれば死を受け入れる
しかない存在。
2467
彼等は知っていた、ルーデルという男は敵が大きければ大きいほ
ど落としたくなるのだと。
ラウンドベースなど、格好の獲物だ。
﹁ち、違う!悪魔といえどラウンドベースの装甲を貫けるはずがあ
るまい!﹂
﹁たった今貫かれたではないですか!﹂
﹁そうだ!あれが唯一の一発だ、そんな特殊爆弾を幾つも搭載出来
るものか!﹂
所詮は仮説。だが、それにすがりクルー達は戦意を取り戻す。
﹁入電です、雷神⋮⋮巨大ロケットをあと3発保持していることを
確認﹂
そして、今度こそ蒼白となった。
﹁な、な、なに、つまり奴には4つの破壊が限界ということだ!﹂
ラウンドベースは浮遊装置が幾つか停止しても飛行可能なように
設計されている。この高速飛行中に、半数が失われて浮いていられ
るかはかなり怪しいが、少なくともカタログ上は可能だった。
﹁か、格納庫に人型機が侵入!?どうやって!?﹂
あまり褒められた報告ではなかったが、それを責める者はいなか
った。
2468
﹁時速900キロだぞ⋮⋮そうか、ソードストライカーか!?﹂
半人型戦闘機ならば神威によって加速したラウンドベースにも乗
り移ることが出来る。だが船内に侵入したのはそんな新型ではない。
﹁蛇剣姫⋮⋮突入してきた天士は最強最古です!﹂
﹁400年前の骨董品ではないか!クソッ、何がどうなっている!
?﹂
錯乱気味に頭を振り回す司令官。
彼は敵の情報を正しく把握していなかった。銀翼を多数有してい
ることも、幾つかの切り札の存在すらも。
蛇剣姫に飛行能力が付加されていることも知らなかったのは、そ
ういった事情と彼自身の情報収集不足である。
なぜラウンドベースを動かしたのか、それを深く考えない彼は結
局無能だった。
﹁銀翼が2機?聞いていない、敵組織がそこまで強力な戦力を備え
ているなど⋮⋮そうではない!﹂
想定外の事態に悪態をつく司令官。彼の脳裏にいつかの上官が口
にした言葉がよぎる。
﹁誰だ、﹃銀翼が一騎当千など幻想だ、人間であり同じ兵器の使い
手である以上限界はある﹄などと語ったのは!数千機の戦闘機を備
えたラウンドベースが、まるで赤子のように翻弄されているではな
いかぁ!﹂
血走った目で喚く彼は、そして堪えるように拳を握り締める。
2469
﹁くそっ、ここまでとは⋮⋮やらねばなるまい、手が遅れれば遅れ
るほど奴等は艦内を破壊する﹂
大仰に腕を振りかざし、彼は部下に命じる。
﹁艦内に人型機部隊を発進、対空砲を起動させろ!悪魔と最強最古
を狩るのだ!﹂
無謀な指示に、士官の一人がさすがに反論した。
﹁不可能です!立っているだけで危険な高速飛行中ですよ!?マニ
ュアルにも神威使用中の行動は危険だと書かれています!﹂
﹁蛇剣姫は動いているではないか!﹂
﹁銀翼を人間と考えないで下さい!﹂
﹁ええい、うるさい!そいつをここから追い出せ!﹂
士官は顔色を変えた。この揺れの中、廊下に放り出されれば無事
では済まない。
助けを求める視線を周囲に向けるも、とばっちりを食らいたくな
い他の船員達は目を逸らす。
﹁早くしろ、ノロマめ!﹂
司令官の手に魔力が集まるの感じ取り、誰もがぎょっと驚く。こ
の状況で魔法を使用すれば、怪我どころか船の機器まで破壊される。
正気の沙汰ではなかった。
2470
﹁しっ、失礼しますっ﹂
この男の側は危険だ。そう理解した士官は、自ら這って廊下へと
出ていった。安全な場所まで辿り着けることを祈りつつ。
﹁ラウンドベースは私の物だ、銀翼を落とせば名が上がるぞ!﹂
この期に及んでつまらないことに拘る彼に士官達は恨めしく睨み
つつも、その指示に従い人型機を出撃するよう通達した。
﹁この振動は︱︱︱﹂
砲塔のターレットリングを登る蛇剣姫、そのコックピット内でキ
ョウコは不自然な揺れを感じた。
﹁グランドスラムですか。ルーデルは仕事が早いですね﹂
そこは本来人型機が通る通路ではない。邪魔な物を切り捨て穴を
強引に広げ、やっとの思いで広い空間へと出た。
登った先は格納庫の一つであった。突然現れた人型機に悲鳴を上
げる整備員を余所に、キョウコは蛇剣姫に不具合がないか全身を動
かして一通りチェックする。
2471
﹁本体に問題はありませんね。ですが、フライトユニットはもう使
えませんか﹂
砲塔に衝突する際に身を包んだ外套は、幾らか破れ変形機構も故
障してしまっている。
とはいえちょっとした防弾と空間装甲としては未だに有効だ。そ
れに魔導術式を刻んだケブラー繊維とハイブリッドエンジンは機密
事項技術、投棄するわけにもいかない。
首襟に外套状態のフライトユニットを接続し直し、蛇剣という名
の直剣を抜く。
﹁内部侵入に成功。さあ、働くとしましょうか﹂
事前に頭に叩き込んでおいた地図を思い返し、操縦幹を押し込ん
で機体を前進させる。
﹁子供達の為にホールケーキを切り分けましょう﹂
ラウンドベースは中心のメインブロックより、放射状に分離する
構造の円盤要塞だ。一つ一つが独立した飛宙船であり、撃沈やダメ
ージ伝播のリスクを減らす工夫をされている。
中心に1つ、周囲を取り囲むケーキが8つ。計9箇所のクリスタ
ルルームを破壊すればラウンドベースは完全に沈む。
尤も、中心区画は司令塔としての機能しかない。故にキョウコと
ルーデルの破壊目標は周囲の8部屋のみ。
神威ロケットの破壊は狙わない。推進装置を潰したところで、そ
の時点でゼェーレストは目と鼻の先だ。
やるならば、ラウンドベース自体を沈黙させなければならない。
零夏とリデアの作戦会議では、そう結論付けられていた。
2472
﹁私の受け持ちも4つ︱︱︱急ぎましょう﹂
一度内部に入ってしまえば、定速で飛行する船内では人型機の動
きを阻むものはない。卓越したバランス感覚を持つキョウコは操縦
幹を繊細に操り、蛇剣姫は跳躍するように走り抜けた。
アナスタシア号のブリッジ下、CICにて。
PPI指示機のブラウン管を睨んでいた一人のメイドは、僅かに
目を見開き受話器を取った。
悲鳴のような声で、彼女は目の前の表示内容を報告する。
﹁リデア様、レーダーに反応あり!﹂
﹃ほう、その規模は?﹄
﹁幅10000メートル、速度900キロ︱︱︱二隻目のラウンド
ベース級です!﹂
2473
ゼェーレスト攻防戦 1︵後書き︶
>キョウコはどこにいた?
キョウコもキザ男もずっと船にいました。ただ登場させる理由もな
かったので、顔見せくらいならいっそガン無視しようかな、と
>カリバーンがエクスキャリバーっぽい
正確には6のシャンデリアをイメージしていますね。むしろ戦闘シ
ーンはvsスピリットオブマザーウィルみたいになるかも。なんに
せよACです。
2474
ゼェーレスト攻防戦 2
﹁ソフィーっ﹂
﹁レーカっ﹂
エアシップ
巡航する小型級飛宙船、その船内にて。
バスのように等間隔に
並んだ座席に座る俺、その腰の上に跨がり迎え合わせに密着するソ
フィー。
大きく股を開いているのでスカートが腰近くまで上がり、ニーソ
ックスの鉄壁防御を上回って太股が際どい場所まで覗いている。
思わず白い太股に手が伸びてしまった。
﹁んっ﹂
少しだけ驚いた様子のソフィーだが、抵抗する様子はない。
触れた手をゆっくりと這わせ、スカートの下に指先を入れる。
顔を赤くするも、抵抗する気はなさそうだ。
意を決して手を更に奥へ。骨盤の突起を越えて、紐状のものに指
が触れる。
﹁んっ、んあっ⋮⋮﹂
呼吸が荒くなってきた。上気した顔が色っぽい。
﹁興奮、してるの?﹂
﹁ばかっ。レーカだって﹂
2475
もじもじと腰を動かさないでくれ。
いい匂いのする彼女の髪を撫でる。
﹁ソフィーっ﹂
﹁レーカっ﹂
﹁いい加減にしたまえ、君達﹂
呆れた顔でキザ男に注意された。顔がちょっと赤いぞ。
﹁もう少し気を引き締めたらどうかね?これから作戦だぞ﹂
﹁気負うよりマシさ、命がけなのはこっちも同じだ﹂
ゼェーレスト防衛作戦と同時に行われる強襲作戦。死亡率は、正
直こちらの方が高い。
﹁俺の見立てでは33パーセントは助からないはずだ﹂
﹁3人に一人、酷い生還率だことだ。ところでその内約は?﹂
しろがね
﹁お前が落ちるに決まってるだろ。なんで白鋼が落ちなくてはなら
ないんだ﹂
ソフィーに腕をつねられた。
﹁はいはい、死ぬなよキザ男。⋮⋮この作戦での失敗はイコール死
だ、ほんとに無理するなよ﹂
2476
﹁ふ、ふんっ!僕を誰だと思っている!﹂
﹁自称撃墜王だったか?そんなことより、一つ学んだことがある﹂
﹁何かね﹂
﹁女の子のパンツって、けっこう伸びるんだな﹂
指先に掛けて引っ張り、ぱしっと弾くと﹁ひゃんっ﹂とソフィー
は鳴いた。
﹁し、知らん!姫、こいつから降りて下さい!﹂
強い口調で促され、しぶしぶ俺の腰から降りようとするソフィー。
その両太股を押さえ、立ち上がるのを阻止する。
﹁待て﹂
﹁レーカ?﹂
﹁ちょっと待って。あ、動かないで﹂
﹁⋮⋮あれ?﹂
﹁液体燃料ロケットはスケジュール管理が難しいが、固形燃料ロケ
ットは完成形で保管出来るから倉庫から出したり引っ込めたりが楽
なんだ﹂
我ながら文学的な比喩であった。
2477
﹁打ち上げ中止?﹂
﹁傾きを自己診断AIが感知した﹂
ソフィーが自分の席に戻る。俺の身体におかしな部分などこれっ
ぽっちもない。
﹁そういえば、共和国はカムイとかいうロケットを持っているかも、
って話だったな?﹂
﹁ええ、その前提で作戦も立てたはずよね﹂
﹁脈略がありそうで全くない話の展開なのだよ﹂
ラウンドベースを最後に見たのは、帝国軍の基地でだったか。
その巨体は平時に見てもあまりに大きく、到底まともな方法で動
きそうにない。
それを亜音速まで加速させるほどの推力を持つロケットなんて、
いったい地球では何があったんだか。
足元のトランクを少し開き、一枚の紙を取り出す。
複雑な式。それは数字ではなくアルファベットが多数を占める、
化学式であった。
﹁あるいは、これを完成させれば⋮⋮まあ、こんなのオカルトだし﹂
シミュレート上は存在するはずの物質、というやつだ。
量産されている物としては最強の火薬であるヘキサニトロヘキサ
アザイソウルチタン︵誰だこんな名前を付けた奴︶もコンピュータ
ーによって存在を確認してから生産された爆薬であり、世の中には
2478
存在を予測されていた原子分子は意外と多い。
﹁オカルトって?﹂
﹁魔法とか、魔術とか、幽霊の総称かな﹂
本当は﹁正当派ではない﹂という意味であり科学に則ったこの化
学式はオカルトでもなんでもないのだが、今回の用例はいわば﹁高
度に発達した科学は魔法と見分けがつかない﹂の意味で使ったので
誤用ではない。
﹁なるほど、魔力の関わる事象のことね﹂
セルファークではオカルトがオカルトたりえないな。
﹁それで、なに、これ?﹂
﹁新型エンジンに使う重金属の粒子だ。だがどうもうまくいかなく
て、な﹂
しろがね
﹁白鋼のエンジンを変えるの?﹂
機体の改造は事後報告であることも多いしソフィーもさして興味
を示さないのだが、エンジン換装についてはさすがの彼女とて敏感
になる。空戦においてエンジンパワーが必要なのは理解していれど、
やはり風に乗ってゆったり飛ぶのが好きなのだ。
﹁いや、このエンジンは特殊だからな。成功すれば新しく機体を作
った方がいい﹂
2479
ちょっとショックを受けているソフィー。
﹁し、白鋼を乗り換えるの?﹂
﹁まあ、そういうことだ﹂
首肯する。
﹁元々白鋼は遊びの少ない機体だ。試してみたくても出来なかった
アイディアも沢山ある。いい機会だろう﹂
窓の外、並走する飛宙船の荷台には前進翼をはみ出した愛機が鎮
座している。
それを見つめ、改めて確認した。
﹁元々はただのレーサーマシンだ。戦闘機として過激な運用をして
きて、よく今までもったよ﹂
白鋼に修理・改修をしていない部分などもうない。頭から爪先ま
で徹底的に手を加え尽くし、ほとんど見た目が同じなだけの別機体
と考えた方が正しい。
﹁メインフレームの金属疲労も限界だ。いや、とうに限界なんて越
えていたのかもな﹂
﹁つまり⋮⋮寿命?﹂
﹁ああ、遅かれ早かれ引退だ﹂
無人標的機
そんなに暗い顔をするな、ターゲットドローンとかにはしないか
2480
ら。
﹁ソフィーだって、今の白鋼に満足しているわけじゃないだろ?﹂
﹁う、うん。ちょっと操縦しにくい、かも﹂
軽さが売りだったはずの白鋼も、度重なる装備の追加で今や全重
量10トン近い。強力なフラップとエンジンで誤魔化しているが、
ソフィーのドストライク好みである軽快な操縦性ではないはずだ。
﹁ま、それもこいつが完成してからだけど﹂
手に持つ紙をピラピラと揺らす。
﹁ちゃんと完成させることが出来れば、エンジンと防御を両立する
便利粉なんだが⋮⋮ま、この調子じゃ冷却に使えればいいとこだろ
う﹂
地球のフィクションに影響されて始めた研究だが、あまりに理想
が高過ぎた。今の俺にはこの理論にのみ存在する粒子は調合不可能
なのだ。
それでも研究を継続しているのは、その役割の一つでもこなせる
なら大幅なパワーアップを果たす見込みがあるからに他ならない。
﹁新しい機体は設計をほぼ終えているが、エンジンはこれまでと同
じ物を使うつもりだ﹂
しんしん
勿論強化は試みるが、既存のエンジンで心神と戦えるのかは不安
が残る。
装甲が更に減る見込みなので、粒子を防御に回せないことも不安
2481
要素だ。クリスタル自身が持つ魔力障壁だけで大丈夫だろうか。
﹁この素材で作ったエンジンって、どんなものなの?﹂
﹁うーん、委細は省くとして︱︱︱見た目は炎を纏った筒、かな﹂
大気を押し退け、直径10キロの空中要塞はゼェーレスト村へと
進行する。
亜音速で浮遊する巨大鉄塊︱︱︱統一国家所属のラウンドベース
級三番艦アイリーンは、先に現れたラウンドベース級二番艦キャサ
リンと同じく神威ロケットによる亜音速強襲を敢行していた。
それをレーダーによって知ったリデアは迷うことなく指示を出す。
﹁180度回頭、正面のラウンドベースは囮じゃ!砲雷長、主砲発
射準備!﹂
操舵士メイドが操縦幹を倒すと、アナスタシア号がゆっくりと船
首をスライドし始める。
セルファークでは未だに大きな操舵輪を回す原始的な舵も多いが、
大型船となれば当然機械式だ。
アナスタシア号では更に一歩進み、入力した操縦を一度信号に変
換し船全体に指示を発する、という形式となっている。その為操舵
には複雑な手順を必要とせず、素人でも全ての操作を直感的に行う
ことが可能なのだ。
2482
尤も、上手く操れるかは別問題だが。
コンプレッサーが圧縮した空気を、サイドスラスターが獰猛な大
型動物の叫び声のような音を発しつつ噴射させる。そのスピードは
機敏という言葉からは程遠い。
限界近い重装甲と時速100キロのトップスピードを両立させた
スピリットオブアナスタシア号だが、旋回に関してはこと鈍重とし
か評しようがない。元より戦略兵器と割り切った設計思想なのだ。
あまりに重い船体は、後ろを向くだけでも多大な時間を必要とす
る。
﹃多薬室砲、スタンバイ開始します﹄
無論、船員達もただ旋回を終えるのを待ち続けるわけではない。
アナスタシア号の最大にして最強の戦略兵器が、静かに開眼した。
船首の砲口が左右に開く。直径1メートル以上の砲身は船体を前
後に貫いた、300メートル以上の長身砲。
職人達が蔦のように絡み合ったパイプ、そのハンドルを回し、燃
焼室に燃料を満たしてゆく。
自動装填装置が送り込むのは、更に改良を加え指向性を持たせた
衝撃波特化核弾頭。
安全装置を外し、指差し確認を済ませ責任者がオーケーサインを
出した。
﹃準備完了、いつでも撃てます﹄
船が旋回している間、主砲の発射準備は僅か一分程度で完了。船
はほとんど旋回していない。
どのような大砲も連射性能は求められる。機械化の進んだアナス
タシア号の多薬室砲は規模の割に装填時間が短い。
2483
﹁問題はこの旋回の遅さじゃな、焦れったい﹂
旋回に要する時間は風は勿論、大気圧などにも影響される。リデ
アとしては一秒でも早く振り向き発射したいところだが、そんな都
合を天は考慮してなどくれない。
核
﹁主砲を撃っていれば、レーダーの感知が遅れて確実に間に合わな
かった。まさか切り札の神術級兵器とレーダーとの相性が悪いとは
の﹂
核爆発の電磁パルスはレーダーへの悪影響を及ぼす可能性がある。
零夏は事前に、その可能性についてリデアに話していた。ラウンド
ベース・キャサリン⋮⋮最初に出現した敵に対し、核を使用しなか
った理由がこの一点だ。
地球での近年の兵器は電磁パルスの影響を考慮し、対策がなされ
ている。しかし零夏が苦心の末に完成させたレーダーは、性能が低
いだけではなく外部からの影響を受けやすいのだ。
レーダーが使用不可能となれば第二波攻撃の探知が著しく遅れて
しまう。後手に回って止められるような相手ではない、だからこそ
無茶を承知で第一波攻撃を銀翼二機のみで迎撃させたのだった。
船首回頭より長い10分の後。旋回の経過はおよそ半分、90度
回ったところ。
﹁焦れるなよ、まだじゃ、まだ﹂
手の平に汗が滲む。リデアの呟きは自身に言い聞かせるものであ
った。
レーダー察知時で彼我の距離は300キロ、敵の速度は900キ
ロ。接触まで20分、単純に考えれば回頭完了と同時に衝突する。
しかしサイドキックの加速を考慮すれば猶予はあるし、風の具合に
2484
よっては更に時間を稼げるかもしれない。
あるいは、最後の微調節に時間をとられる可能性もある。つまる
ところ、後は祈るしかなかった。
空の向こうにプレッシャーを感じる船員達。
﹁もうちょっと。あとちょっと﹂
全員の喉はカラカラとなり、手に嫌な汗が滲む。
重力の少ない重力境界間際を飛翔させることで、弾速によっては
極めて長距離の弾道攻撃を行う技術がこの世界には存在する。主砲
の射程は状況により変化するも、およそ40キロは確保されていた。
的は確かに大きい。しかし、無駄弾を打つ余裕などない。
故にじっと、アナスタシア号は敵との邂逅を待つ。
︱︱︱空の果てに、黒い影が滲んだ。
﹃有効射程、入りました!﹄
﹃方位、仰角合っています!﹄
﹁撃ち方、始めええぇーーっ!!﹂
リデアは思わず叫んでいた。
﹃発音が違います﹄
自分の台詞を奪わないでほしいと思いつつも、砲雷長はトリガー
を引く。
電子式の信管が計算に則り連続的に着火。一定の割合で、最初は
低速であった弾頭が膨張ガスに押され加速していく。
船の底から沸き上がるような、ぞっとしない揺れ。それは数秒後
2485
には大地震の如く艦内を揺さぶる。
閃光と業火を砲口より吹き出し、巨大弾頭は艦首より射出された。
反動が船を少しだけ後退させ、衝撃波が森を揺らす。ゼェーレス
ト村の幾つかの木造建築は耐えきれず倒壊することとなった。
重力の合間を縫って飛翔する弾頭は、30秒後にラウンドベース
と接触。装甲に食い込み、食い破っていく。
完全に埋没した時点で、時限を最大にセッティングした遅延信管
は核融合爆弾を点火した。
ラウンドベースの内部、広範囲を蹂躙する衝撃波。防壁も距離も
超越し広範囲に破壊と殺戮をばらまく。熱線と電磁波が人を焼き機
器を狂わせ、熱量により膨張したガスと破片は艦内の設備をこれで
もかと言わんばかりに破壊した。
犠牲者はどれほどか。だが、それでも︱︱︱
﹃ラウンドベース、止まりません!﹄
︱︱︱その損害は、ラウンドベース級の一部でしかなかった。
﹁次弾、わしの許可はいらん!装填され次第撃て!﹂
リデアに出来ることはない。彼女はただ、敵を見据える。
四十秒後、二発目が発射される。想定されたスペックより早かっ
たのは一重にドワーフ達の鬼気迫る努力の結果だ。
二発目の核爆発。さきほどより近い分、アナスタシア号で感じら
れる衝撃と轟音も一際大きい。
﹁ダメ、これでも止まりません!﹂
双眼鏡を覗いたメイドは、核を二回受けても止まらないラウンド
ベースに愕然とした。
2486
構造物は多くが溶け、いたるところから黒煙を漏らしている。ま
さしく死に体の巨大母艦は、それでも愚直に前進し続ける。
否、彼の乗組員には既に制御する術がないのだ。神威ロケットの
コントロールは失われ、脱出しようにも身動きがとれない。アイリ
ーンは既にそのような状況まで追い詰められている。
それでも、超大型級飛宙船に体当たりなどされればアナスタシア
号は間違いなく全壊する。驚異であることは何ら変わりなかった。
﹁次!﹂
リデアの指示は、もうただそれだけだった。
ブリッジクルーメイドが忠告する。
﹁これ以上近くで着弾すれば、この船もダメージを受けます!﹂
﹃こちら砲術長、砲身が熱で歪んでいます!次に撃てば深刻なダメ
ージが!﹄
﹃マキ機関長だよ。滅多に使わないことが裏目に出たね、設計が甘
かったぽい﹄
﹁じゃがやるしかあるまい!﹂
そして彼女は、ふてぶてしく口の端を吊り上げる。
﹁どの道後一発ぶちこめれば時間切れじゃ!やれ!﹂
﹃了解、︱︱︱ってぇえぇ!﹄
進言しつつも準備を進めていた砲術長。仕様の限界を越えて運用
2487
された多薬室砲は廃熱が追い付かず、亀裂が走り崩壊しつつも役割
を全うする。
着弾、三発目の核爆発。しかし、ラウンドベースは止まらない。
﹁駄目、なのか!?くっ、総員対ショック体勢!﹂
使用された砲弾は対ラウンドベースを想定して用意された物だが、
それでラウンドベースが容易く沈む保証などどこにもなかった。リ
デアとてそれを承知していなかったわけではないが、こうも見せつ
けられると受け入れがたいものがあった。
杖を構え、迫るラウンドベースを睨む。
リデアはブリッジから駆け出し、艦橋から飛び降りて甲板に魔法
で軟着陸する。
﹁精々防いでやる。わしとて魔導姫、素通り出来るなど思うなよ!﹂
視界を鉄塊が埋め尽くす。それはただの壁に等しい。
何百もの魔法陣障壁を多重構成したリデアは、それで船全体を覆
った。
所詮気休め、人間に再現可能な攻撃ならほぼ防ぎきれるリデアの
多重障壁も、ラウンドベースという大質量には耐えきれない。ラウ
ンドベースは単純な物量による戦略兵器なのだ。
﹁いかん、手紙をまだ書いておらんな⋮⋮いや、もう手遅れだった
か。とはいえ逃げるわけにもいくまい﹂
時間制御魔法陣を確保された時点でリデアの戦いは敗北が決する。
ポイントオブノーリターンは当の昔に通り過ぎていた。
﹁お主は格納庫に入っておれ、ガチターン!﹂
2488
﹃間に合わねぇよ、上手く盾にしてくれな﹄
甲板で待機していたガチターン機がリデアの前に滑るように移動
する。
﹁エカテリーナ、お主は逃げるのじゃ﹂
﹃そうさせてもらうわ、雀蜂じゃどうしようもないもの﹄
悠々と離脱する雀蜂。迷いのない逃げっぷりに呆れるも、ピーキ
その時、ラウンドベースが浮
ーな機体を操るのに必要な割り切りなのだろうとリデアにも想像出
来た。
﹁っ、くるっ!﹂
杖を握り締め、半身で身構える。
き上がった。
﹁む?﹂
円盤の前部が上昇し、重力境界に突入する。勢いのまま浮遊する
岩石群が分厚い装甲に打ち付けられ、その衝撃はメインフレームに
まで影響を及ぼした。
徐々にラウンドベースは区画の境目から折れ曲がる。それこそ、
放射状に切り分けられたピザを半月状に左右に分けるように。
そして破断。空中分解したラウンドベースは上下左右に四散し、
数十万の流星となって散らばっていく。
﹁なんとっ、これは!﹂
2489
慌てたリデアは船体をまんべんなく覆っていた障壁魔法陣を制御、
比較的大きい瓦礫を迎撃するように移動させる。
瞬間、鋼の雨が降り注いだ。
アナスタシア号に衝突するだけでも破片の数は数百以上。破片と
いえば聞こえはいいが、どれも自動車ほどの鉄塊だ。
リデアは目を細め、その中でも特に大きい破片を魔法陣で受け止
める。
﹁ぐうっ!重⋮⋮ッ﹂
ストライカー
大きな破片ともなれば人型機以上のものも多々存在する。数メー
歯を食い縛り、自身に﹃割り振ら
トルの瓦礫ならばアナスタシア号の装甲がかろうじて防げるが、そ
れ以上は迎撃なしではまずい。
れた﹄限界の魔力を供給して障壁を維持する。
幾つか障壁が破られ甲板に瓦礫が転がる。しかし減速には成功し
ていた故に、衝撃は内部まで通らない。
ラウンドベースの一角が横倒しになって森の上を跳ねながら転が
り、高度2000メートルほどまで飛び上がって宙で瓦解する。
多薬室砲と核弾頭は、確か
その他の形をある程度保った数百メートル級の残骸も、アナスタ
シア号を逸れて後方へと流れていく。
﹁⋮⋮やったか﹂
実感もないままリデアは理解する。
にアイリーンを撃破していた。
2490
艦橋に戻り、リデアはドカリと艦長席に腰を落とす。
当面の驚異が去ったことで喜んでいい場面であったが、リデアは
そんな気分にはなれなかった。
︵これで10万︶
ラウンドベース級に乗る人員の数は、おおよそ10万人と定義さ
れている。
人によっては多いと思うかもしれないが、規模から考えればかな
り少ない。船内設備は多くがメンテナンスフリーであり、そのよう
に作らなければ乗り込む人間が多すぎて使い物にならなくなる。
︵わしの指揮で、10万人死んだのか︶
厳密にいえば生存者がいないわけではないが、これだけの惨事︱
︱︱多くもないことは誰にでも見当がつく。
リデアは胃の奥から酸っぱいものが込み上げるのを感じ、平静を
装ったままそれを飲み込む。
︵これでわしも、ラスプーチンやガイル、ヨーゼフと同類じゃな︶
目的の為に手段を選ばないこと。指導者には必要な考えだが、リ
デアはそれを結局受け入れきれていない。
︵いや、今更か。わしの判断の結果で人が死んだのは、今回が始め
てでは決してない︶
彼女は自分の手の平を見詰める。
白魚のような、と誰もが褒め称えるであろう華奢な手。しかしリ
デアはそれを直視出来ず視線を逸らした。
2491
︵わしの手はとうに汚れておる、今日は特別多かったというだけじ
ゃ︶
近くに備え付けられていた水筒からお茶を注ぐ。よく見れば零夏
の名前が書かれていたが、気にせず一気に煽る。
﹁⋮⋮ってあちっ、あちゃちゃ!?﹂
零夏が自作したそれは電子ケトルであり、紅茶は煎れたてのよう
に熱かった。
ひぃひぃと舌を冷まして、妙なアクシデントにほんの少しだけ気
が晴れたことに気付く。
根本的な解決ではないが、今はそれでいい。リデアはそう割りき
った。
﹁⋮⋮ふん。乙女を傷物︵舌を軽度の火傷︶にしたんじゃ、レーカ
が帰ってきたらこき使ってやる﹂
そう言いつつこっそりと甘えるんだろうな、とブリッジメイド達
は割と察していた。
自身に向けられるブリッジクルー達の半目の微笑みに、リデアは
狼狽する。
﹁な、なんじゃその生温い目は!状況を、状況を報告せんか!﹂
がー、っとライオンのように唸るリデア。
﹃船体のダメージ軽微。艦長に防いで頂いたお陰です﹄
﹁ゼェーレスト村の建築物はほぼ倒壊しています。防衛設備も多数
2492
大破、ですがシステムは無事です﹂
﹃ちょっとチェックしてみたけど、多薬室砲は使えないかなー。無
茶すれば多少はなんとかなるかもだけど﹄
﹃雀蜂、無傷よん﹄
﹃俺だ俺、こっちも大したことないぜ﹄
﹃レーダーが機能不全を起こしています。これでは有視界で目視し
た方が早いでしょうね﹄
じゃけんひめ
それは想定内であった。
らいしん
﹁雷神と蛇剣姫の受け持ったラウンドベースも出現しない、上手く
やったようだ︱︱︱﹂
﹁6時方向、ラウンドベースです!﹂
﹁︱︱︱などと上手く、いくはずもないか。銀翼二機でも落としき
れなかったとは﹂
背後より迫るラウンドベース。リデアとて覚悟はしていたが、そ
れでもうんざりしてしまう。
作戦は順調に進んでいるのだろう、ラウンドベースは大きく傾き
各所から煙と炎を上げている。先行したにも関わらず後に到着した
のもそれが理由であろう。
﹁臆するな、相手は死に体じゃ!通常の砲撃でも︱︱︱﹂
2493
リデアも双眼鏡で
﹁︱︱︱3時方向⋮⋮ラウンドベース、三隻目です!﹂
﹁なに⋮⋮!?﹂
船の右舷より先の彼方、空に浮かぶ黒い影。
覗くと、新たに出現したラウンドベースは外にまで人型機を固定し
積載限界量の重兵装をしていた。
さながらタンクデサント、かつてソ連で多く行われた戦車の上に
大勢を乗せ移動する禁断の兵士輸送方法。
しかしそれも、ごく限られた状況においては有効な戦術となる。
﹁電磁波の嵐を隠れ蓑にしたじゃと⋮⋮やられた、三隻目が本命か
!﹂
二手先まで読んでいたリデアであったが、ヨーゼフは三手先を見
据えていたのだ。
この状況はフィオが統一国家に与していることを考えれば、予測
されてしかるべきであった。リデアはフィオの技術力の片鱗を知っ
ていたのだ、核の影響について知識があることも予測可能だったは
ずだから。
後方と右方より迫るラウンドベース。もう被害は免れぬ状況。
リデアは覚悟を決めて叫んだ。
﹁通常戦力で迎え撃つ、兵器使用自由!安全装置解除!一番落とし
た奴にはマリアからキスのプレゼントじゃ!﹂
2494
﹃﹃﹃﹃ヒャッハー!﹄﹄﹄﹄
﹁しないわよ!﹂
線香花火の如く、アナスタシア号全ての高射砲より鉛弾の花弁が
開花した。
2495
ゼェーレスト攻防戦 2︵後書き︶
﹀蛇剣姫のラウンドベース着地シーンが若干わかりづらいというか、
描写不足を感じました
修正しました⋮⋮が、あまり変わってない︵汗
これでとりあえずご容赦を。
﹀A−10パイロットには他の機体のパイロットには無い落ち着き
というか、威厳、老獪とも呼べるような雰囲気があって好きでした
のに。
U2にしてもそうですが、一点特化型の飛行機はどんどん減ってま
すね。マルチロール機が嫌いなわけでもないのですが。
以下、A10コピペ︵ry
2496
ゼェーレスト攻防戦 3
エアシップ
目的地を目指す飛宙船にて、ソフィーにプロポーズした俺。
多少の迷いはあったものの、ソフィーは俺のプロポーズを受け入
れ指輪を受け取った。
頬を朱に染め婚約指輪を眺めるソフィーに、俺は一つのお願いす
る。
﹁あなた、って呼んで﹂
﹁え?﹂
﹁さあカモン﹂
真摯に彼女を見据え、たった三文字の単語を頼み込む。
﹁どんな意味があるの?﹂
﹁人生なんて意味のないことばかりだよ。必要性ばかりを求めたら
人はきっと全裸で生活するだろうさ﹂
さすがにそれは極端だ。
﹁りぴーと、あふたー、みー。A、NA、TA﹂
﹁よく解らないわ⋮⋮呼べばいいのね﹂
呆れつつも了解するソフィー。
2497
﹁あ、あ、あな⋮⋮﹂
しかしこの三文字の破壊力を次第に理解したのか、顔はますます
紅潮し、視線は泳ぎ。
そして、ぎゅーっと目を閉じて叫ぶように言った。
﹁あなたっ﹂
﹁がはっ﹂
吐血した。
吐いてないが、悶えた。
しばし水を浴びたハリガネムシのように床でのたうち回り、息を
切らせて立ち上がる。
﹁くっ、ここまでダメージが大きいとはな﹂
﹁これからは、ずっとあ⋮⋮あなた、って呼べばいいの?﹂
なんて恐ろしい提案をするのだ、この子は。
﹁いや、俺が死んでしまう。やめておこう﹂
﹁でもお母さんはお父さんのことをあなたって呼んでいたわ﹂
一般的な新婚夫婦はいつ名前呼びからあなたに切り替わるのだろ
う。
﹁あっ、そうだわ。あなた以外の呼び方ならどうかしら?﹂
2498
それなら聞きなれない単語だから恥ずかしくない、と提案するソ
フィー。
﹁妻が夫に対して使う、あなた以外の呼び方って?﹂
ピンと来なかったので、率直に訊いてみる。
ソフィーは頬に手を当て、小首を傾げて呼んだ。
﹁お父さん?﹂
それは子供が出来てからだろ。
﹁こ、子供は籍を入れてからにしたまえっ!﹂
叫ぶキザ男。いたのか。
3人揃って赤面した。
﹃ガッ、あばっ﹄
﹃無理だ!無理に決﹄
﹃助け、ギャッ﹄
ストライカー
宙を舞う人型機と、スピーカーから絶え間無く響く悲鳴。
目の前に転がり跳ね回る敵機体に、キョウコは眉をひそめざるを
2499
えなかった。
﹁上司に恵まれませんでしたね。この状況で出撃命令など﹂
がらがらと転がり迫る人型機を飛び越え、蛇剣姫はラウンドベー
ス内を疾走する。
ラウンドベース内部で暴れに暴れるキョウコを止める為に出撃し
た人型機部隊だが、現状その役割は全く果たされていなかった。
激しく揺れる船内では人型機の操縦などままならない。故に彼ら
はキョウコのことなど目もくれず、ほうほうのていで地面や壁にし
じゃけんひめ
がみつき、安全な場所へ退避しようとする。
蛇剣姫は攻撃する必要すらなかった。避けるだけで自滅してゆく
のだから。
唯一、重力を無視した機動で走り抜ける蛇剣姫だけが自在に動き
目的地を目指す。
れいか
元よりキョウコは、特殊な装置や魔法もなしに平気で壁や水面を
走るような天士だ。その操縦精度とセンスは零夏を越え、対等な条
件で接近戦に限定すれば今尚世界最強と呼んでいい。
世界がバラバラになりそうな揺れの最中にあっても、行動には一
切の支障はなかった。
﹁しかし広いですね、これが船の中だとは﹂
既に彼女の乗り込んだ最初の区画のクリスタルルームは破壊済み
であり、キョウコが向かうは隣の区画である。
﹁おや、弾薬庫ですか﹂
砲台の剣山である以上、ラウンドベース級の弾薬庫はバイタルパ
ート外に分散している。
2500
弾薬庫といえば説明の必要もないほどの戦艦の弱点だが、キョウ
コにはそれを爆破処理する時間の余裕などない。
﹁先を急ぎましょう、ラウンドベース自体を落としてしまえば同じ
ことです。っと﹂
通路の進行方向より転がってきた敵人型機から37,5口径75
ミリ拳銃を奪い、後ろも見ぬまま射撃。
タイムロスにならない範囲で行った適当な攻撃だが、砲弾は壁を
破り弾薬を誘爆した。
﹁や、やってみるものです﹂
意外な結果に驚くキョウコ。
背後で弾薬庫が爆発する熱と轟音を感じつつ、蛇剣姫は銃を捨て
て更に走る。
そして到着したのは、人型機からしても大きな隔壁扉であった。
銀行の金庫扉を彷彿させる、分厚い鋼鉄の扉。
隣の区画とを繋ぐ厳重な接続部分、普段は開放されているここも
高速強襲中の今は固く閉ざされている。
﹁とはいえ区画間の通路はここだけ、となれば﹂
こんな場合、キョウコが試す方法など一つしかない。
直剣の柄に付いたトリガーを引くと、刀身が変形する。ワイヤー
チェーンソーの内部機構が刀身内に格納され、ミスリルの切っ先が
マウントされる。これで直剣には完全にただの剣としての機能しか
なくなったわけだ。
肩に背負うように構え、気付けぬほど自然に一歩踏み出す。
上から下に、斜めに振るう。
2501
力など不要。剣の自重と慣性に任せて、軽く握って落とすだけ。
分子レベルまで研がれたミスリルブレードは鋼鉄を豆腐の如く切
り裂き、深く扉を裂く。
しかしそれだけ。切り目を覗き込んでも向こうの光は見えない。
﹁刃は確かに斬り込んでいる⋮⋮やはり単純に、肉厚過ぎますか﹂
蛇剣姫標準装備の直剣は長さおおよそ10メートル。それ以上の
厚さを持つ隔壁は、キョウコをもってしても切り捨てられない。
ここまで来ると迂回路を探すか、別の方法を探すのが模範解答で
あろう。しかし︱︱︱
﹁生憎、切り進むしか能がないので﹂
先程の精度を維持したまま、今度は剣に機体重量を乗せて振るう。
更に一閃。それを終える前にもう一閃。
次々と放たれる連撃は鋼鉄を抉り、擂り鉢状に掘削してゆく。
宙を舞う破片と火花、それはさながら花火が地上で炸裂している
かのような光景。
だが、それでも。何メートルも掘削されつつも、隔壁は彼女に道
を譲る様子はない。
やがて、痺れを切らしたキョウコは﹃技﹄を使用することを決め
た。
﹁ふっ﹂
息を吐き、身を捩りその場で一回転。
全身の無機収縮帯が生み出した運動エネルギーを、ただ切っ先に
集中する。
放つ全ての斬撃を必殺とするキョウコの操縦技術、しかしその一
2502
閃は機体の限界すら越えた一撃へと昇華する。
﹁︱︱︱秘剣、斬月﹂
世界が切れた。
隔壁は元より、その左右の装甲も何もかもが断絶する。
接続ボルトやジョイントすら切られた結果、ラウンドベース区画
同士の結合が千切れる。隙間からごうごうと風が吹き込み、斜めに
分断された隔壁扉が区画の合間に落下する。
巨大円盤であるラウンドベースのピザの一片、キョウコのいる区
画が重力に引かれるままにずれて落ちていく。浮遊装置への魔力供
給途絶と接続部の破壊は区画を繋ぎ止めておく設備の限界を越えて
いた。
﹁切り過ぎましたか﹂
落下する区画から跳躍、隔壁扉だった場所に飛び移る。
背後で大地に沈んでいく巨大な施設。それにも目もくれず、キョ
ウコは再び走り出す。
﹁若い頃の技を使うことになるとは、私もまだまだです﹂
キョウコにとって必殺技など自分の限界を一時的に得る術でしか
ない。
彼女が追い求めたのは、全ての太刀を限界以上で放つ剣技。それ
を目指す上では、付け焼き刃の力は邪魔でしかなかった。
今後の課題であると自戒しつつ、キョウコは操縦幹を握り直す。
﹁時間を浪費してしまいました、急がねば﹂
2503
らいしん
チタンのバスタブ内に反響する警報。
雷神のコックピットはほとんどのランプが赤く染まり、それはル
ーデルとガーデルマンが差し当たって危機的な状況であることを示
していた。
﹁やがましいっ!﹂
ついにキレたルーデルは計器板を殴り、スピーカーを黙らせる。
﹁ロケットブースターの燃料が尽きるより先に、機体強度に限界が
来そうですね﹂
別段慌ててもいない様子で呟くのは、後部座席に座るガーデルマ
ン。職業は心臓外科医である。
﹁なに、空中分解したら飛び降りればいい!﹂
ロケットブースターによって限界以上の亜音速飛行、その上多く
の対空砲火に晒され三百発の弾丸を受けた雷神は既に中破の域を越
えていた。
機体全体に銃創を穿たれ、無事な部位など存在しない。エンジン
は片方が脱落し、垂直尾翼も一枚欠落し、操縦系もメインの油圧系
統と機械式系統が停止している。
それでも飛行し続けられるのが、この破壊神が破壊神である所以
2504
である。
﹁ですがそろそろ限界でしょうね。せめて速度を落とせれば﹂
時速900キロで飛行するラウンドベースと並走する為、雷神は
かなり不自由な制御を求められている。追うのに精一杯で、充分な
回避運動を行えないのだ。
﹁爆弾はあと三発もあるのだ、泣き言は言ってられん﹂
﹁解ってます﹂
﹁ガーデルマン、ところでふと思ったんだが﹂
﹁なんです?﹂
こういう場合、ルーデルは間違いなくろくでもない提案をする。
ガーデルマンは経験則からそう推測した。
﹁中に入れば、風ないんじゃないか﹂
やはりろくでもなかった。
﹁ラウンドベースの中に入ろうと?どうやって﹂
雷神は大型機だ。この巨体が入る場所など飛宙船や航空機が離着
艦するカタパルトデッキくらいだろう。
しかし現在のカタパルトは分厚い扉を閉められ、通常兵器ではこ
じ開けられそうもない。
30ミリガトリングは勿論、105ミリライフリング砲であって
2505
も、だ。
しかしルーデルには考えがあるらしい。頬杖をついて半目でルー
デルの背中を見るガーデルマン。
﹁こうやって、だ!﹂
手元のダイヤルを最小に合わせ、ルーデルは引き金を引いた。
射出される大型ロケット・グランドスラム。
狙い違わずカタパルトデッキに着弾したロケット弾は、少しだけ
内部にめり込んだ後に起爆した。
粉々に粉砕する扉。
﹁こいつ、グランドスラムを一発無駄にしやがった!﹂
ガーデルマンは頭を抱えた。
雷神受け持ちの破壊対象であるクリスタルルームは四ヶ所、大型
ロケット地中貫通弾グランドスラムも四本。
余分な予備などないというのに、ルーデルは思い付きで切り札の
一つを浪費したのだ。頭も抱えるというものである。
﹁では、いくぞっ﹂
思いきりよくデッキに飛び込む雷神。
決して広いとはいえないトンネルを抜け、格納庫に侵入する。
﹁ははは、やはり風はないな!﹂
予想通りだと笑うルーデル。
グランドスラムが二発のみとなったことで身軽になった雷神は、
ラムジェットロケットブースターを投棄し浮遊装置を起動して半ホ
2506
バリング飛行に移行、艦内を進む。
重い爆弾を抱え動きが鈍っているものの、それを気にせずトンネ
ルを爆走する。ある程度速度がないと揚力が足りない為に浮遊装置
の出力を上げねばならず、燃費が悪くなるからだ。
﹁内部に入ってしまえば、ガトリングでも充分であろう﹂
﹁はぁ、まったく。そこを右に曲がって下さい﹂
﹁さすがだガーデルマン、ラウンドベースの構造図を暗記しておっ
たか﹂
﹁帝国製ですが、まあ構造はほぼ同じです。つーかアンタ、どうや
ってクリスタルルームまで行くつもりだったんだ﹂
リデアが入手しておいたラウンドベースの構造図、本来はキョウ
コの為の資料であったがガーデルマンに抜かりはない。
この作戦は元より、零夏等の作戦に関する資料まで全て目を通し
ているのがガーデルマンという男だ。むしろこれくらいでなければ、
破天荒なルーデルの女房役は勤まらなかった。
﹃ら、雷神が船内を飛んでいるぞ!?﹄
﹁ばれたか﹂
﹁ばれましたね﹂
﹃正気じゃねぇ、馬鹿だ!変態だ!﹄
﹁ははは、変態呼ばわりされているぞガーデルマン﹂
2507
﹁お前だよ﹂
雷神は広い空間に出る。大型級飛宙船を納める巨大ドックだ。
鈍い灰色の壁にキャットウォーク、フックを垂らした天井クレー
ンなど船の整備に必要な設備が揃った空間。
次はどこへ向かおうかとホバリングに移り、ルーデルは違和感に
気が付いた。
﹁⋮⋮おかしい、なぜ船を詰めていない?﹂
﹁どういうことですか?﹂
﹁地上目標であるゼェーレストを攻め落とすのだ、強襲揚陸艦を用
意するのが当然だろうに﹂
﹁ケチッたのかもしれませんよ。独裁国家は貧乏なものですし﹂
ラウンドベース級の大型ドックは一つや二つではない。ここ以外
のドックには揚陸艦が収まっている可能性とて充分ある。
しかしルーデルはその説には否定的であった。
﹁魔法陣は最重要捕獲対象なのだ、統一国家とて手を抜くまい。と
なれば、これは陽動か﹂
ルーデルのそれは、戦術眼というよりただの勘。しかし勘の良さ
で生き延びた彼にとって、それはただの確定事項。
﹁ですが、この船を放置して帰投するわけにはいかないですよ﹂
2508
﹁無論だ。間に合うか微妙だが、やれるだけやっておくぞ﹂
前進する雷神は広大なドックの中心に到達する。
その時、クリスタル共振通信装置に音声が入った。
﹃殊勝な奴だ。自ら口内に飛び込むとは﹄
ドックの出入り口や遮蔽物の影から現れる、丸みを帯びた太く力
ほしずずさんしき
強いシルエットの人型機。
星鈴参式。大戦末期に帝国で開発された、当時最強の人型機の一
つだ。
122ミリ砲という当時としては規格外な、現代でもかなり大口
径といえる大砲を腕にマウントした重人型機。避弾経始を意識した
流麗なデザインと大口径砲に、かつて共和国天士を恐怖に陥れた機
体である。
もっとも、その時代の帝国製品は品質が悪く、星鈴参式も例外で
はない。更に高性能を伺わせる外見は無茶な内部構造の上に成り立
っており、実情は大戦末期にありがちな性能を求め実用性を犠牲に
した機体であった。
それでも、動けば間違いなく大きな驚異。それが10機、最新鋭
の機体であろうと充分過ぎるほどの脅威である。
雷神を中心に円に取り囲む星鈴参式、その半径はおよそ100メ
ートル。
それら全てが同時に122ミリ砲を構える。
﹃後は、噛み砕くだけだ﹄
5,5メートルの砲身が一斉に咆哮を上げる。
ひょい、と雷神は機体をよじり、鉄鋼弾を回避した。
2509
﹃⋮⋮ば、馬鹿な!?﹄
非常識な挙動に驚愕する敵天士。
砲撃されたにも関わらず容易に避けてみせるルーデルに人型機部
隊の面々は戦慄する。
﹁なぜ近付いてこないのだ?囲んでしまえば包囲を狭めればいいも
のを﹂
航空機である雷神に白兵戦の手段などない。接近してしまえば楽
に倒せるはずなのに、といぶかしむルーデル。
とりあえず高度を落とし地面スレスレに飛行する。星鈴参式は雷
神を見上げるように攻撃していた、同じ高さに降りてしまえば味方
の流れ弾を恐れて撃てないと考えたのだ。
しかし、雷神は床に弾かれ跳ね上がる。
﹁ぬおっ!?ここまで揺れているとはっ﹂
﹁なるほど、彼らは動けないんですね、きっと。雷神はホバリング
しているので揺れが伝わりませんが、ラウンドベースはかなり振動
しているようですし﹂
ガーデルマンの推理は正しい。雷神の侵入を聞き罠を用意した彼
らだが、待ち伏せの為にドックの壁に掴まって移動したはいいもの
の、そこから離れることは叶わなかった。
いくら重量機であろうと、戦闘態勢を維持したまま揺れる地面を
歩くことはかなわない。
﹃撃て!撃ちまくれ!﹄
2510
﹃毎分4発、きっちりありったけくれてやる!﹄
幾度となく放たれるカノン砲、しかし砲弾は決して雷神に着弾す
ることはない。
最小限の動きで雷神は攻撃を避け続ける。その光景はもはや冗談
染みていた。
﹁ルーデル、さっさと片付けてしまいましょう﹂
﹁だな、後ろを頼むぞ﹂
機首の30ミリガトリングと機体上部の105ミリライフリング
砲が火を吹く。
﹃ぎゃあっ!﹄
﹃あばっ!﹄
正面では壁ごと無数の穴が穿たれ蜂の巣となり、後方では胸部に
砲弾が着弾し機体が爆散する。
前後で同時に撃破される星鈴参式。隊長は攻撃手段の切り替えを
指示する。
﹃カノン砲は当たらん、機関砲だ!弾幕で空間を埋め尽くすんだ!﹄
確かに機関砲はルーデルであろうと避けきれない、しかし。
﹁星鈴参式標準装備の機関銃は12,7ミリ、雷神の装甲には力不
足のはずですが﹂
2511
﹁いや、あれは⋮⋮対空砲だな﹂
右マニュピュレータに固定された、妙に大きな二連砲にルーデル
は目を細める。
改修された星鈴参式は23ミリ対空砲を装備していた。
﹃雷神といえどコックピット以外に23ミリ鉄鋼弾を防ぐ防弾能力
はない!﹄
十字砲火︱︱︱否、米字砲火とでも呼ぶべきか。全方向より交差
する弾丸が雷神を襲う。
毎分400発、それが十ヶ所より降り注ぐのだ。一兵卒ならば祈
ることすら無意味な窮地。
﹁甘い、甘いぞこわっぱども!﹂
時に翼端でガリガリと床を削り、時に着弾の反動すら利用し雷神
はガトリングによる致命傷を回避する。
被弾は免れない。一秒間で60発以上突き刺さる弾丸は、雷神の
主翼を、機体を貫通しスクラップへと変えていく。
あっという間に見るも無惨な姿へと変貌していく雷神。しかし、
それでも機体が墜落することはない。
﹃なぜだ、なぜ墜ちない!﹄
﹃悪魔が味方しているんだ!﹄
﹃違う!アイツ自身が悪魔なんだ!﹄
どれだけ被弾しても墜ちない敵。あまりのおぞましい光景に、発
2512
狂しそうになる敵性天士。今のルーデルは敵にとって正しく悪魔に
見えた。
前後左右に挟まれているにも関わらず、雷神は欠片も怯んでなど
いない。そこにいたのはまさしく強者。
雷神は時計回りにゆっくりと回転。低重音のガトリングと間欠的
な砲音が鳴り続け、1機また1機撃破されていく星鈴参式。
互いに撃ち合っているというのに、撃破されるのは片方のみ。
理屈など無視した不条理な現実が、そこに横たわっていた。
﹃化け物、悪魔、が⋮⋮﹄
そして訪れたのは静寂。どちらが勝者かなど言うまでもあるまい。
撃つまで撃たれ、撃った後は撃たれない。
戦場において彼と敵対し無事でいられるはずがそもそもなかった
のだ。
﹁3隻目のラウンドベース︱︱︱そこまでするか、ヨーゼフ!﹂
双眼鏡を手に取るのももどかしく、視力強化魔法を行使しリデア
は三度出現した超大型級飛宙母艦を注視する。
先の2隻以上に、積載限界を越えた兵器を満載したラウンドベー
ス。その固有名詞は﹃四番艦リサ﹄。
奇しくもそれは共和国首都ドリットを襲撃した、因縁の船であっ
た。
2513
﹁国が傾こうとお構い無しか!﹂
リデアはラウンドベースの投入も2隻までと予想していた。直径
10キロという巨大兵器、同時に動かせる数は経済的な体力で左右
される。
かつての共和国が帝国以上の経済力を有していたとはいえ、ラウ
ンドベースを同時に3隻動かすのは無茶を通り越して不可能である。
そう考えていたリデアであり、それは間違いない。
軍艦とは国家の有するうちの三分の一しか動かせないのが原則だ。
これは作戦任務、整備補給、そして整備中に休暇をとっていた乗員
達の再訓練⋮⋮この3つを繰返しローテーションするからであり、
大抵の兵器に適応される法則である。
統一国家が5つ有するうちの半数以上を動かすなど、無茶に無茶
を重ねて、その上で幾つもの大きな賭けを犯さねば達成出来ない。
﹁奴も不退転の覚悟というわけか、少しは驕ってくれればいいもの
を﹂
鬼気迫るほどのヨーゼフの覚悟を感じるも、リデアは怯むことは
ない。退かぬ覚悟は彼女とて同じだった。
﹁浮遊装置緊急停止!墜ちて回避するのじゃ!﹂
それは古来より存在する飛宙船の特殊マニューバ、鈍重な空飛ぶ
船が唯一高速移動する手段。
しかし移動方向が下に限定される上、重要な運動エネルギーであ
る﹃高度﹄を失う諸刃の剣。
だからこそ、緊急事態にしか使用されない非常操作であった。
高度2500メートルから真っ逆さまに落下を開始するアナスタ
2514
シア号。ふわりと浮かび上がる感覚を覚えるクルー達。
船が落下したことで、船内が擬似的な無重力となる。ブリッジク
ルーはシートベルトをしているからいいものの、格納庫など人や道
具が固定されていない場所では大惨事請け合いだ。
真上を見上げれば急接近していたラウンドベース、キャサリンと
アイリーンが衝突する。
﹁︱︱︱。﹂
リデアを始めとしたクルー達は、声も出なかった。
空を隠すほどの鉄塊が、頭上で衝突する様。それは世界の崩壊を
連想させる絵面であった。
強固な装甲と鋼鉄の塊であるはずのラウンドベースが、紙模型の
ようにぐしゃりと潰れ千切れていく。
﹁︱︱︱っ、いかん、浮遊装置再起動!﹂
﹁ハ、ハイッ!﹂
我に返ったリデアが指示し、船は再び浮上しようと力が発生する。
しかし指示が遅れたことで、重い船の落下速度が相殺されきらず
地面が迫る。
船内でも平時以上の重力が発生し、リデアも艦長席から飛び降り
つつマイクに向かって叫んだ。
﹁そ、総員対ショック体勢!地面に叩きつけられるぞ、床に転がれ
ぇ!﹂
次の瞬間、アナスタシア号は屋敷跡地に墜ちた。
幸いというべきか。屋敷地下の巨大魔法陣を守る障壁は船の落下
2515
衝撃でも砕けることなく、何層か破られただけで船の慣性は相殺さ
れる。
それどころか、跳ね返って船は僅かに高度を上げた。トランポリ
ンのように弾む巨大な船は客観的に見ればかなりシュールであろう。
﹁⋮⋮生きておるか、皆の者﹂
﹁死にそうです﹂
﹁死にます﹂
﹁死んだ﹂
ぐたりと床に転がるメイドクルー達だが、すぐに気を持ち直し各
々の役割に戻る。
そして空を見上げ、唖然と口を開いた。
﹁空が⋮⋮落ちてくる﹂
誰かが呟く。
頭上で衝突したラウンドベースは3時方向と6時方向、即ち90
度の角度で激突した。故に船体の重心は互いに跳ね返り、それぞれ
別の方向へと逸れて落下してゆく。
最も大きな残骸が自ずと逸れていったとはいえ、大小様々な瓦礫
は降り注ぐ。否、降り注ぐのは瓦礫だけではなかった。
空を埋め尽くすほどの機動兵器。それが、パラシュートや急降下
にて降りてきたのだ。
﹃目標、巨大魔法陣を視認!﹄
2516
﹃母なる蒼月の祈りよ。娘たるセルファークの意志よ。せめて俺だ
けはお守り下さい﹄
﹃へへっ、降下さえしちまえば楽な仕事だ!﹄
負けじと叫ぶアナスタシア号の銃座手達。
﹃獲物だぜテメェ等ー!﹄
﹃七面鳥撃ちだゴラァ!﹄
﹃鶏肉多過ぎて野菜が欠乏しちまうぞハッハー!﹄
アナスタシア号の対空砲が天の敵機に襲い掛かる。
﹁うちの砲手達は怯まんのう、しかしなんて数じゃ﹂
船の各所に設置された銃座、そこに配置されたヒャッハー達の威
勢に呆れ関心しつつもリデアは空を睨む。
﹁観測員、敵の数はいかほどじゃ﹂
﹃大型級揚陸艦500、中型級揚陸艦200!戦闘機及び人型機の
合計積載数、推定30000機以上!﹄
おおよその数を目分量にて判断する観測メイド。
﹁対するは大型級戦艦1隻、か。なんじゃこのイジメは﹂
とんでもない戦力差であった。
2517
迫る敵機と瓦礫、それらを目指し空に昇っていく高射砲の曳光弾
の軌跡を見つめリデアは目を細める。
﹁嫌でも共和国陥落の時を思い出すな。いや、状況はより酷い﹂
以前と違い敵は寄せ集めではない正規軍人、それなりに数を削い
でいるとはいえラウンドベース3隻分の機体と軍艦。
対して、アナスタシア号の戦力は100人程度のスタッフと10
にも満たない機動兵器︱︱︱無茶苦茶であった。
﹁じゃが、負けぬ﹂
﹃ヒャッハー!最高にハイってやつだぜー!﹄
﹃バカヤロー、それを言うならハッピーだろ!﹄
﹃トリガーがハッピーなのヨォ!﹄
﹃グッドラックとダンスっちまいそうだー!﹄
﹁⋮⋮お主ら少し静かに撃てんのか﹂
そもそもなぜ銃座手が皆通信装置をオープンにしているのか。理
由などない。あるわけがない。
使い手に少々問題があれど、対空砲火は間違いなく凶悪な兵器。
自身に迫る火の玉に、パラシュート降下する人型機や自力飛行する
敵戦闘機の天士達も怯む。
﹃対空砲、なんて数だっ﹄
2518
﹃慌てるな、あんなものそうそう当たりは﹄
﹃真っ直ぐに落ちるな、機体を左右に揺さ﹄
﹃お、おい!応答し﹄
次々と途切れる通信。煙にまかれた羽虫のように、強襲部隊は次
々と空から脱落していく。
﹃なんだあの命中精度は!﹄
﹃揚陸艦に着艦しろ、盾にするんだ!﹄
﹃俺はどうすれば、うわあぁ!﹄
戦闘機は直接降下を諦め、降下する船の上に移動し高射砲から難
を逃れる。自然、飛行出来ず落下するしかない落下傘部隊の人型機
に攻撃は集中した。
熟練砲手でも成し得ぬほどの、見事な偏差射撃。アナスタシア号
の数十の銃座はそれぞれが別のターゲットを狙い、極限的に効率良
く上空の敵を撃ち抜いていく。
﹁わしとレーカの共同作品じゃ!データリンクした人工精霊にサポ
ートされた対空砲、鈍重な空中目標はまず外さんぞ!﹂
敵味方の識別を行えないことから有人方式であったり、弾薬数や
製造整備の問題からガトリングではなく機関砲であったりなど、近
接防御火気システムとしては地球製のものより性能が低いものの︱
︱︱大量に群がる敵機を駆逐するには充分な性能であった。
リデアの創造した人工精霊が敵の動きを予測し、発射した弾丸の
2519
弾道から更に補整を続けて敵を確実に貫く。
重機関砲を振り回しているのは零夏が設計した砲台。人工精霊の
信号を受け取りモーターにて機敏に稼働することで敵を睨み続ける。
このレスポンスは魔法技術だけでは実現しなかったものだ。
高度なシステムによって支えられた砲火は、野蛮で粗雑な愚連達
が扱おうと無駄弾一つなく動く。それも当然、この防衛機構はイー
ジス艦の設計思想を模倣したものなのだから。
﹃このままじゃ先行のパラシュート機は全滅だ!嫌だ、こんな死に
方ゴメンだ!﹄
﹃地上まであと何秒だよ!?あとどれだけ的になってればいいんだ
俺達は!﹄
﹃ブリーフィングで聞いたろ!降下時間は3分間だ、まだ1分も経
ってねぇ!﹄
﹃こっ、降参だ!降伏するから撃たないでくれ!﹄
1機が空中でジタバタと手足を振るい、それに続いて他の機体も
我先にと降伏を申し込んでくる。
軍人がこれほど簡単に降伏することなどほとんどない。消耗を前
提に先陣を切る人員が必要なこともある、一兵卒とて﹁死ね﹂とい
う命令を受け入れる覚悟はしているものだ。
しかし統一国家、ひいてはヨーゼフに忠誠を誓う者は多くはない。
体制が変わったことによる軍の陳腐化こそ彼等の裏切りの原因であ
った。
﹁撃ち方止め!降伏する者は撃つな!﹂
2520
叫ぶリデア。対空砲に座るモヒカンヘッドが進言する。
﹃ワナじゃねぇとは限らないぜ!近付く為の時間稼ぎかもしれねぇ
ぞ!﹄
﹁国際法じゃ、捕虜は撃ってはいかん!相手が無法者であろうと、
こちらが法を犯していい道理はない!﹂
﹃若いな、でもその若さ、嫌いじゃないぜ!﹄
対空砲が停止する。安堵の息を吐く統一国家天士。
彼らを上空の艦隊が備えた76ミリ速射砲が貫いた。
﹁なっ、味方を撃った、じゃと﹂
﹃敗北主義者など同志ではない。我々の銃は敵に向ける為のもので
はなく、恐怖に囚われた味方を鼓舞する為にあるのだ﹄
繰り返される味方の粛清。流れ弾や破壊された人型機が船に落下
してくるが、この程度でダメージが通る船ではない。
﹁ああ知っていたさ、紅蓮とはそういう組織だったのう!﹂
激昂するリデア。
﹁悪い子にはお仕置きじゃ!﹃対艦みさいる﹄、32番まで発射!﹂
アナスタシア号上部のミサイルセル、8ごとにセットとなったそ
れらが4セット起動し蓋が開いていく。
次々と発射する対艦ミサイル。垂直に上昇した後、身震いするほ
2521
うに微かに揺らぎロケットモーターを点火。敵揚陸艦を目指し急上
昇していく。
﹁イメージリンク開始︱︱︱﹂
リデアの足元に魔法陣が浮かび、余分な情報をカットし集中する
為に目を閉じる。
今彼女の脳裏に浮かぶのは32のイメージ。それらに別個の指示
を与え、誘導し船へと向かわせる。
それはさながら、両手両足の指で20の単語を同時に書くような
ものだ。純粋な魔法のみで32の精霊を制御出来るのは、ラスプー
チン亡き今となっては世界で彼女だけである。
これでもまだ彼女の限界ではない。アナスタシアの名声と技量の
影に隠れがちな彼女だが、ただの秀才では魔導姫を名乗れなどしな
いのだ。
ミサイルが加速。ラムジェットエンジンに切り替わり、更に速度
は上がる。
﹃速い!対空砲、早くあれを落︱︱︱﹄
回り込んだミサイルは敵船の後部に刺さった。
爆発。ミサイル32本全てが仕事を全うし、作戦行動能力を奪う。
対艦ミサイルに船を沈める能力など必要ない。全体で機能するシ
ステムである軍艦は、一部を破壊されてしまえば行動不能に陥るの
だ。
リデアの制御は完璧だった。クリスタルルームを破壊された敵揚
陸艦は浮かぶこともできず、空から零れていく。
﹃船の真上も安全じゃないのかよ!?﹄
2522
﹃ハリネズミめ!﹄
﹃隠れる場所がなくなる!どうすりゃ、どうすりゃいいんだ!?﹄
圧倒的であった。ラウンドベース3隻を凌ぎ、瞬く間に32の軍
艦を撃沈し、数百の機動兵器を撃墜する。到底1つの船が達成する
戦果ではない。
当然である。アナスタシア号は元より単独で一国と戦うことを目
的に、採算度外視で設計製造された戦艦なのだから。
﹃村1つ占拠するだけの、楽な仕事だって聞いてたのに!﹄
﹃詐欺だ、家に返らせろやぁ!﹄
敵は慄き嘆く。しかし、リデアもまた﹁まずい﹂小さく呟いた。
︵やはり多過ぎる。ラウンドベースも機動兵器も、想定していた数
を越えている︱︱︱このままでは、押し切られる!︶
﹁核を使いましょう!上から投下すれば、こちらの被害も抑えられ
るはずです!﹂
補佐官メイドが提案する。
﹃あそーれ!あそーれ!太くて熱いのぶちこむわよぉっ!﹄
﹃なんだコイツ、飛行機に釘打ち機だと!?﹄
﹃変態だ、恥女がいるぞ!﹄
2523
嬉々と揚陸艦をパイルバンカーで落とし続けるエカテリーナの雀
蜂ならば、重い核爆弾を抱えたまま敵を掻い潜って上空に回り込む
ことも可能だろう。
しかしリデアはその提案を却下した。
﹁あんなもの気軽に使えるか!重力境界より上で起爆させれば衝撃
波は浮遊岩石で分散される!下で起爆させれば、完全にアナスタシ
ア号は被害範囲の中じゃ!﹂
核ですべて解決すれば元より苦労しない。光線の類をカットする
ことで衝撃波のみに限定し効果範囲を限定しているとはいえ、神術
クラスの攻撃力は使い勝手が悪すぎた。
その上戦略的にもリスクが高い。リデアは魔法陣を守るアナスタ
シア謹製の障壁の強度を確認している。しかしヨーゼフはそうでは
ないのだ。
無論、重要な戦局である為に出し惜しみは出来ない。出来ないが、
あまりに村の近くで核を多用しては、アナスタシアの障壁がかなり
の強度を持つと看破されアナスタシア号へ神の宝杖を使用されかね
ないのだ。
﹁ですがこのままでは⋮⋮弾薬がそもそも足りません!﹂
それもまた道理。リデアは、周辺環境への影響から出来れば使用
したくはなかった兵器の使用を決断した。
﹁敵天士に告ぐ、降伏の意思が本物であるなら搭乗機を捨てて飛び
降りるのじゃ!﹂
人型機の武装解除だけでは不安が残る上、上空から砲撃される可
能性が残る。
2524
﹃裸で飛び降りろっていうのか!?﹄
﹃いや、服は着ろよ!﹄
﹃俺は行くぜ!男に後ろから貫かれるよりは、リデア姫に虐められ
てくたばった方がマシだ!﹄
リデアはぽろぽろと落ちてくる敵パイロットを魔法で甲板に軟着
艦させ、即座に電撃魔法で気絶させる。
﹁捕虜は独房にでも放り込んでおけ!﹂
﹁独房なんてありません、この船は軍艦ではないので!﹂
﹁ならばコンテナにでも放り込んでおけ!﹂
依然として天士が乗り込んだまま降下してくる人型機は多い。降
伏しないことを選んだ者達だ。
捕虜としての扱いを危惧したというよりは、むしろ後ろから撃た
れることを恐れた彼等。しかしそれを救うほどの余裕はリデアにも
ない。
﹁セーフティ解除!対空弾幕を更に厚くしろ!﹂
今までは無駄弾を撃たせない為に人工精霊が射撃が不要なタイミ
ングで給弾を停止させていたのだが、それの機能をカットしたこと
でタガが外れ手加減がなくなった。
それは無駄な弾の消費を増やす愚策。しかし、彼女が狙ったのは
心理的効果。
2525
﹁上からの強襲は無意味だと思わせるのじゃ!側面に誘導しろ!﹂
﹃ヒャッハー!大盤振る舞いだぜー!﹄
空へと昇る対空砲の射線が、数倍に増加する。
それによって撃破効率が上がるわけではない。相も変わらず撃墜
される数は一定のペースを崩さない。
だが、敵の船は進路を露骨に改めアナスタシア号より離れていっ
た。
リデアは広域無線をオンにしたまま叫ぶ。
﹁撃ち方止め!逃げるものは追うな!﹂
敵が逃げたと認識した、そう勘違いさせる為の小細工。
揚陸艦はひたすら全速で村上空から離脱し︱︱︱3キロほど先に
着地した。
彼等が地上からの侵攻を試みようとしている、それは大地に揚陸
艦を降ろしている時点で明白。
リデアは残念そうな、悲しそうな表情で指示した。
﹁核地雷、起爆﹂
ゼェーレスト村周囲の大地が抉れ、木々や岩々が吹き飛んだ。
設置しておいた核は12。村を囲むようにドーナッツ型の雲が浮
かび上がり、アナスタシア号をも衝撃波が襲う。
﹁︱︱︱っ、これで大型船はほぼ行動不能に陥ったはずじゃ﹂
崩れ落ちる揚陸艦。その亀裂より、人型機が這い出てくる。
2526
機動兵器を全滅させられないことはリデアの予想通りだ。核での
攻撃とはいえ直撃であればともかく、簡単な壁であろうと衝撃波を
受け止める存在があれば小型兵器も損害を受けにくい。
それでもかなり数を削ったのだろう、確認出来る限り村へと向か
ってくる人型機の数は数千機にまで減少し、空中の戦闘機に至って
はほぼ壊滅していた。
﹁むしろなんで向かってくるのじゃ、もう逃げる兵を撃つ上官など
戦死した可能性も大きいじゃろうに﹂
それぞれ天士が相互監視している環境下において、兵士を縛るの
は上官の存在ではなく己の恐怖心であった。
上官が見ているかもしれない。誰かが自分の逃亡を告げ口するか
もしれない。そんな恐怖に駆られ、客観的な判断が出来なくなって
いるのだ。
﹁ここまでくればもうわしらの仕事はない、の﹂
眉間を揉み、息を大きく吐くリデア。
﹁あとは任せたぞ、自称凡人よ﹂
﹁さーて、残飯処理の時間だぜ﹂
2527
﹁そういう言い方は不謹慎だよ﹂
﹁お喋り禁止よ。配置に移って﹂
密林を歩く3機の人型機。
﹁手負いの獣が数千匹。虎ばさみ、足りるのかしら﹂
呟くニールの瞳に、気負いなど欠片もない。
2528
ゼェーレスト攻防戦 3︵後書き︶
エイプリルフールのネタを考えるのは何気に楽しみです。来年のエ
イプネタが銀翼の天使達であるかは未定ですが。
というか、来年までに完結するとは思えない、この作品⋮
﹀読めない、フォントが実装されていない、エイプリルフールは終
了しましたよ
感想ありがとうございます。
私の心の中は一年中エイプリルフールなのです。勿論私にはこのフ
ォントは読めています︵真顔︶
﹀久しぶりに零夏とソフィーの二人っきりのイチャイチャが見られ
てニヤニヤしました
感想ありがとうございます。
最新話ではちょっとだけイチャイチャしていますね。二人っきりで
はありませんが。
2529
ゼェーレスト攻防戦 4
﹃ようこそ﹁温情で生かされている町﹂へ。ツェーン帝国軍基地は
皆さんを歓迎します﹄
﹁感謝します、ご主人様﹂
﹃はい?﹄
エアシップ
真顔で応答する操縦士メイドと、困惑する管制官。
帝国軍基地にゆっくりとアプローチする4隻の小型船。等間隔に
並び垂直降下していくそのコックピットにて、俺こと零夏は眼下の
町を見渡した。
国境の山間。流通の便がいいわけでもなさそうだし、この土地で
ある理由は軍事的な意味合いが強いのだろう。
﹁順番が逆なパターンか﹂
﹁どういう意味?﹂
﹁基地が出来たことで、その周囲に人が集まったということだよ﹂
ソフィーの疑問符にキザ男が答える。
まあ、珍しいことでもない。生活圏に作るなと非難された末に片
田舎に軍事基地を建設したというのに、人々はその需要にあやかろ
うと基地周辺に集まってくるのだ。そして軍事基地の存在を非難す
るのである。じゃあ最初から移住してくるな。
2530
﹁ねぇ、あの傷跡って⋮⋮﹂
﹁管制官は生かされている、って言ってたな﹂
町の周囲には何本も地面が大きく抉れた傷跡が刻まれている。
渓谷ではない。その溝はハーフチューブかつ直線であり、内部に
草木が芽生え始めている溝もあれば生々しい土を日下に晒している
場所もある。
つい最近、ゼェーレスト村で同じ物を見た。超大型レールガン﹃
カリバーン﹄の弾痕だ。
﹁向こうからすれば何時でも消せる軍事基地ってわけだな﹂
ガイル達が本拠地としている小国ノインより150キロメートル。
レッドアロウ
俺達は、最も巨大レールガンから近い帝国軍基地であるツェーンに
降り立とうとしていた。
﹁飛行機のこと、任せたぞ﹂
﹁承知しました、旦那様﹂
しろが
基地の敷地内に着地した飛宙船から降り立ち、白鋼と赤矢のこと
を連れてきたメイドに任せる。
というか俺の扱いが旦那様になった。プロポーズしたからなのか。
﹁ようこそ、レーカ殿﹂
2531
﹁ひっ﹂
基地から現れた小柄な男性軍人に、ソフィーが小さく悲鳴を上げ
て俺の後ろに隠れる。
﹁こら失礼だろ。すいません、お久しぶりです﹂
俺はにこやかに笑顔で挨拶する。外見は恐ろしいが、中身は結構
いい人なのだ。
﹁ご、ごめんなさい⋮⋮﹂
おずおずと頭を下げるソフィー。しかし彼の顔は見ようとしない。
﹁⋮⋮お気になさらず。女子供に泣かれるのはしょっちゅうです﹂
そういう彼の顔は、その半分をグロテスクなケロイド、つまり火
傷の治った痕で覆われていた。
﹁この作戦は、私が主導させて頂きます。愛機が中破したままで、
どの道ここから動けないので﹂
﹁了解です、ヘイヘさん﹂
シモ・ヘイヘ。世界最強の狙撃手とされる、帝国の切り札。
この世で唯一、超兵器カリバーンと真っ向から砲撃戦を行える個
人である。
﹁にしても、参加機体は2機だったはずでは?﹂
2532
俺達が乗っていた貨客用の小型級船以外に、基地に降り立ったの
は積み荷を荷台に載せた3隻の船。3機持ってきたと勘違いされて
も仕方がない。
﹁1つは白鋼の追加兵装です。参加するのは俺とソフィー、そして
⋮⋮あれ、どこいった﹂
キザ男がいない。
﹁ひぃぃ、火傷がぁ、うぅ⋮⋮﹂
キザ男までびびって俺の後ろにいた。
基地の応接間に通された俺達は、シモ・ヘイヘと対面のソファー
に座る。
﹁今日は手土産があるんですよ﹂
コトリ、と﹃それ﹄をテーブルの上に転がす。
﹁これは?﹂
﹁なんだと思います?﹂
﹁ただの、何の変哲もない石にか見えないが⋮⋮﹂
2533
歪な形状の、砂が集まったような黒い石。
﹁ご名答︱︱︱﹂
俺は口角を吊り上げる。
﹁︱︱︱さっき、建物の前で拾ったただの石ころです﹂
﹁⋮⋮⋮⋮。﹂
沈黙が室内に満ちた。
いかん、寡黙な軍人にツッコミを求めるのは間違いだった。
﹁今回のオペレーションプランを打ち合わせしましょう﹂
﹁はい﹂
ヘイヘは大きな地図をテーブルに広げる。
﹁このツェーン軍事基地とカリバーンの距離は150キロメートル。
カリバーンは半径100キロメートル内、即ち国境を超えない限り
は撃ってきません。スペック上は世界ほぼ全てを射程に納めている
ようですが、それが彼等のルールなのでしょう﹂
ゼェーレスト村を直接砲撃したことからも、半径100キロとい
う安全圏指数がどれだけ当てにならないか判る。
﹁そして、国境侵入より砲撃までの時間は1分間﹂
2534
ツェーンからノインへ、地図に真っ直ぐと引かれた150キロメ
ートル分の直線。図面上で見ても尚、この距離はあまりに長い。
﹁しかしカリバーン撃破には接近は不可欠。だからこそ、貴殿方の
提示した作戦は有効であると我々も判断します﹂
ヘイヘさんの指先が直線の上を滑り、帝国基地から国境までを進
む。
﹁当基地から国境までの50キロを加速に費やし、一気に加速﹂
指は更に前進し、カリバーンまで到達する。
﹁補助ロケットブースターにて更に超加速し、100キロメートル
先の目標を60秒以内に強襲する。貴殿も、大胆な作戦を立てるも
のです﹂
﹁それほどでも﹂
﹁あまり誉めてませんが﹂
レールガンの回避も防御も難しいのなら、撃たせる間もなく懐に
入ればいい。それが難攻不落の小国ノインに強行入国する、俺の秘
策だった。
2535
所は変わって、ゼェーレスト近隣の森にて。
ストライカー
﹃人型機部隊、前進開始だ。注意を怠るな﹄
上空から見れば一面緑色の森林。しかしそれも、一歩足を踏み入
れてみると色々な顔を持っているものだ。
隆起した場所や、苔の生えた岩場。草木で気付きにくく、子供が
よく落ちる小川など。
常人が森を抜けて目的地を目指すとすれば、ルートは無数に存在
するだろう。
ある者は愚直に前進。ある者は簡易測量を駆使して最短距離で。
またある者は進みやすい獣道を。
岩場に登って周囲を確認したり、小川に沿って歩く者もいるだろ
う。しかし、訓練された軍人であれば地形によってルートは極めて
限定される。
敵の視線から逃れ、常に友軍と隙をカバーしあい、油断の欠片も
なく前進する。穴を埋め合うことで不利な状況を作らず、常に優位
な状況に自らを置く。
核
揚陸艦より這い出た人型機部隊は、そうやってゼェーレスト村周
辺の森を侵攻していた。
爆弾
彼等は皆優秀な軍人であり、隙もない。そもそもが気軽に神術級
えいぶらい
兵器を乱発してくるような敵に対し、油断などしようもなかった。
ハンドサインで意思疎通し、戦線を進む英無頼。若干旧式ながら
も共和国主力人型機として高い性能を誇る、現役機である。
﹃待ち伏せはいないのか?﹄
英無頼は訝しげに鋭角的な機体を超接地旋回させ、周囲を確認す
る。
2536
クリスタル共振通信に傍受を不可能とする技術などない。故に彼
等は機械の出力を最小にまで下げ、近距離にしか通話が届かないよ
うに調節した上で会話をしている。
﹃不気味だな、こうもゲリラ戦に適した密林だというのに﹄
大型兵器は持ち込めない鬱蒼とした森林。航空支援も期待出来な
い現状は、守りの兵にとっては好都合。
だというのに、彼等が森に侵入してから一切の攻撃は受けていな
かった。
﹃物資も兵も足りてないのかもな﹄
﹃油断はするなよ。ファイア・アンド・ムーブメントを心がけろ﹄
移動班と機動班に別れ、片方が移動している間に片方は援護射撃
を行う。それがファイア・アンド・ムーブメントだ。
﹃俺、帰ったら結婚するんだ﹄
﹃お前彼女いないだろ﹄
﹃私語は慎め⋮⋮ん?﹄
一機の英無頼が立ち止まり、足元を見つめる。
﹃どうした?﹄
﹃柔らかな物を踏みつけた﹄
2537
﹃森の中では柔らかい足場なんて珍しくもないだろ﹄
この森は草木がクッションとなっており、50トン級の重い人型
機である英無頼にとっては動きにくい土地だった。
﹃軽量機寄越せっての﹄
﹃それはそれで装甲がアルミだしゴメンだぜ﹄
軽口を交えつつ前進すると、やがて景色が変化した。
﹃これは⋮⋮﹄
﹃露骨だな﹄
左右を岩に挟まれた切り通し。人型機が一機ギリギリ通れる程度
の幅のそれは、彼等の目からすればあまりに胡散臭い。
﹃罠か﹄
﹃素人の仕事だ﹄
こういった細かな対処にこそ、正規軍人と自由天士の差が現れる。
生まれ持った才能やセンスで名を馳せた自由天士は多く存在する。
しかし、そういう者達ほどトラップや単純な戦術にかかりやすい。
実戦に勝る訓練はない、という言葉の通り実地訓練で得られるも
のは多い。
だが、専門家の元での座学でこそ習得出来る知識も確かにあるの
だ。
切り通しを注視すれば、視認するのが困難なほど細いワイヤーが
2538
張られている。
﹃迂回するか?﹄
﹃いや、どこを通ろうとリスクは残る。トラップを解除するぞ﹄
ワイヤーに紐を結び、近くの大岩の裏に人型機達は待避する。
﹃いち、にぃ、さんっ﹄
先頭の一機が紐を引く。
ワイヤーが伸び、直結した爆薬の信管が作動した。︱︱︱彼等が
隠れていた岩に埋め込まれていた信管が。
﹃なっ!?うわああぁぁ!﹄
岩が崩れ、数機が押し潰され大破する。断末魔を残し、以降通信
は入らなかった。
﹃おい!応答しろっ!くっ、ダメか!﹄
﹃トラップ解除を読まれていた!﹄
﹃やってくれる!他にもトラップがあるかもしれない、確認しろ!﹄
再確認の結果、切り通しの足元付近、暗く草に紛れ見えにくい場
所に数本のワイヤーが設置されていた。
﹃二重トラップだ。一発目でドカン、それで安心して通ろうとした
ところでもう一度爆発するようになっている﹄
2539
ワイヤーを辿れば切り通しの崖の上に木箱が置かれている。引っ
掛かれば爆発したのだろうと想像する統一国家の天士達。
﹃よし、行くぞ﹄
﹃待てよ、まだトラップがあるかも﹄
﹃この通路を爆破する罠が仕掛けられていたんだ、3つ目のトラッ
プは無駄になる。大丈夫さ﹄
あまり慎重になり過ぎても翻弄されるだけだと、英無頼は足を進
める。
人型機が慎重に切り通しを通過し、向こうに到着。仲間達に手を
振った。
﹃ほら、な。トラップはない﹄
言いつつも安堵する天士。彼とて、本気で安心していたわけでは
ないのだ。
﹃こっちにこい﹄
ぞろぞろと切り通しを歩く人型機達。
その先頭機が谷を抜けようとした時、再度罠は発動した。
1機目では反応せず、2機目で始めて爆発するように爆薬は設置
されていたのだ。
先程以上の規模で崩壊する切り通し。左右から落ちてくる岩石に
人型機達は対処する暇もなく圧壊する。
後続の英無頼は全て巻き込まれ、最初の1機以外は全滅した。
2540
﹃な、嘘だろ、3重のトラップだったのか⋮⋮?﹄
呆然と呟く、先陣を切った英無頼の天士。
彼の目の前に転がる木箱。落下してきた衝撃か、蓋が開いている。
崖の上に設置されていたそれは、中に何も入っていない空箱だっ
た。
﹃⋮⋮くそっ!元々2重トラップだったんだ、まんまと嵌められた
!早く他の部隊と合流を︱︱︱﹄
生き延びた最後の機体、その頭部側面に120ミリ砲弾が直撃す
る。
正面ならいざ知らず、側面の薄い装甲では防ぎきれずはずもなく。
頭部モジュールは爆散し、天士は即死した。
﹃上手くかかったね。分隊を実質120ミリ一発で全滅させられた
のは幸先がいいや﹄
森のどこかでエドウィンがほくそ笑んだ。
﹁杓子定規な動きね。だからこそ、罠を張りやすいけど﹂
匍匐姿勢に駐機したEシリーズ中最小のE10の傍ら、双眼鏡を
覗くニール。
2541
E10は武器を装備しておらず、その代わり大きな箱を背負って
いた。
﹁数千の敵をトラップだけで全部排除するのは無理。深追いせず、
数を減らすことに集中しなきゃ﹂
冒険者三人組の役割はあくまで、アナスタシア号やキョウコ・ル
ーデルが体勢を立て直す為の時間稼ぎ。
その作戦における統一国家の軍人は、ニール達にとって最も与し
易い標的だった。
最善の道を選び、危険を察知出来るが故に読みやすい。むしろ彼
等にとっては予想外の動きをする自由天士の方が難敵だった。
森の各所から響く爆発音。それらから木々に隠れた戦況を脳裏に
描き、一つ一つ吟味していく。
機体に入り、電波式の通信機を起動。
﹁敵の通信は筒抜けなのに私達は傍受されないなんて、もう反則ね﹂
れいか
零夏が苦心して開発した電波通信。まだまだ大きく送信機は人型
機で背負わねばならないほど嵩張るが、それでも戦術的には大きな
アドバンテージだった。
﹁こちらニール、マイケル聞こえる?一部罠を突破されたわ、2−
19に移動して作戦通りに待ち伏せよ﹂
マイケル機は送信出来ないので応答はない。しかし、彼女は森の
中で動き出す友軍機を確認し頷いた。
2542
ある部隊が見付けたのは壊れた人型機であった。
上下に胴体から分解した見慣れない人型機。統一国家天士達は警
戒する。
﹃真新しいな﹄
﹃触るなよ、ブービートラップかもしれん﹄
戦場に妙な物を見掛けても触れてはならない。兵士が戦利品とし
て万年筆などを拾ったら爆発した、なんて話は枚挙にいとまはない
のだ。
﹃なるべく避けて歩くぞ﹄
﹃ああ﹄
人型機達は木々を迂回する。その足元が連鎖的に爆発した。
対人地雷。ほぼ全ての英無頼が脚部を中破し、バランスを崩し転
倒する。
﹃っ⋮⋮あの残骸はフェイクか﹄
﹃さっきからなんなんだよ!この森、トラップだらけじゃねぇか!﹄
﹃落ち着け、足をやられただけだ。迅速に安全圏まで引くぞ﹄
地雷は広範囲に埋没していたが、どれも威力は弱い対人用であっ
た。
2543
﹃人型機用の地雷を数を揃えられなかったのかもな﹄
﹃足が不調なまま戦闘なんてごめんだ、さっさと行こう︱︱︱ぜ?﹄
ずるりと傾く視界に、天士は疑問符を浮かべる。
﹃そういうなよ、遊んでけって﹄
﹃なっ!?﹄
英無頼を切り捨てたのは、気付かぬ間に英無頼達の懐に入ってい
た軽量人型機であった。
謎の人型機︱︱︱E25にて剣を振るうマイケルは、英無頼が体
勢を建て直すより早く次々と敵を切り捨てていく。
﹃いつの間に︱︱︱﹄
重装甲であるが故に森の中では運動能力を発揮出来ない英無頼に
対し、軽量機のE25は軽快な挙動で剣を振るう。
﹃︱︱︱遅いっ!﹄
瞬く間に、一方的に英無頼を戦闘不能に追い込む。零夏の魔改造
を受けたEシリーズ、その上軽量機に有利な森の中、更に不意打ち
という好条件。とはいえ、正規兵相手に一方的に立ち振る舞えるの
はマイケルの技量あってこそだろう。
﹃ど、どうして。どこから現れた、お前⋮⋮?﹄
2544
﹃お前等の目の前に︱︱︱なんでもねぇや。じゃあな﹄
パーツを分解しスクラップに擬態していた人型機こそ、マイケル
のE25であった。
古典的な死んだフリである。
森の各所で上がる炎と煙、そして悲鳴。
一機また一機とやられる友軍機に、遂に誰かが無線出力を最大に
し提案した。
﹃森を焼き払うぞ!手当たり次第に全部焼いちまえ!﹄
森がなくなってしまえば罠も意味を成さない。生命維持装置の搭
載されている英無頼は、火災に巻かれようと天士は影響が及ばない。
対ゲリラ戦において森自体を焼き払うことは珍しくない。補給を
潤滑に行える状況ではない為に躊躇っていたが、そんな悠長な場合
ではないと彼等も理解していた。
乱暴だが、選択肢の一つとして合理的な判断。英無頼の右腕の装
甲が一部開き、内部より標準装備されている魔導術式が展開する。
クリスタルより魔力が供給され、火炎魔法が発動する。魔力にて
編まれた燃焼に特化した架空物質を噴射する軍用火炎放射器は、そ
の射程も100メートルにも達する。
利便性は高いが、魔力の消費も激しく機動兵器には火力不足。む
しろ最前線での工作用を前提とした装置だった。
英無頼の火炎放射器は形式が新しいだけあって優秀だが、生木と
はとても燃えにくい。
2545
﹃ちっ、煙ばっかり上がるぜ﹄
﹃燃料が付着したらすぐ別の場所を燃やすぞ。架空物質はしばらく
燃えるからな﹄
森は広い。一時間はかかると見込まれた作業は、だが10分程度
で終了した。
木々の合間を走る炎。燃えにくいものばかりの森において、意図
的に可燃性の物が存在していた。
﹃あいつら、森に油を撒いてやがった!﹄
﹃おうおう、ガンガン燃えてやがるぜ。英無頼には効かねぇがな﹄
人型機が炎程度で止まっては、兵器として落第である。敵はそん
なことも知らないのかと首を傾げる天士達。
﹃でもなんで自分で火を着けなかったんだ?﹄
﹃森をなくした村が生活していけるかよ。できれば燃やしたくなか
ったんだろ、それかタイミングを計っていたかだな﹄
油は森の外側へと伸びており、導火線となったそれは遂に最後の
大仕掛けに達した。
燃え落ちる森。森を囲むように、人型機用の堀が現れる。
人型機が侵入する際には気付かぬように、丸太の橋を拵えた手の
込んだ罠だった。
﹃ま、まさか閉じ込められたのか!?﹄
2546
﹃あっちの方はまだ橋が残って、うわぁ!﹄
全焼していなくとも丸太には火が回っており、脆くなった橋は崩
れ英無頼は落ちていった。
﹃そうか、あの時の足元が軋んだ感じは⋮⋮!﹄
天士は森に入った時の違和感を思い出す。
50トン以上ある人型機が渡る橋は鉄製であることが求められる。
しかし、数台が一時的に渡る程度であれば丸太とて辛うじて耐えき
れるのだ。
燃え尽きた森で呆然と立ち尽くす約千機の人型機。
この森の罠自体が、森へと誘い込み大仕掛けへの注意を逸らす罠
だったのだ。
﹃くそっ!こうなったら、勝つまで前進するしかねぇ!﹄
魔法陣へと走り出す英無頼。彼等の前に一体の人型機が空より降
り立つ。
﹃だ、誰だ!﹄
﹃最強最古の可愛いお嫁さんです﹄
じゃけんひめ
アナスタシア号での整備を終え、戦場に舞い戻った蛇剣姫だった。
﹃殺生は控えるように指示されているので﹄
蛇剣姫は直剣を横凪ぎに振るう。
2547
剣先より伸びたワイヤーカッターが、数十機の英無頼の足を切断
した。
支えを失い地に落下する英無頼。味方の一画が一撃で削られたこ
とに動揺する敵天士。
﹃び、びびんなよ、お前等!こっちはまだ数百機はいるんだ、纏め
てかかれば⋮⋮﹄
﹃宜しい。天士たるもの、それくらい吠えられなければなりません﹄
蛇剣姫は剣を肩に担ぎ、ゆっくりと歩いていく。
﹃一騎当千、なんて銀翼の天使にとっては陳腐な言葉ですが。完遂
すればナデナデしてもらえるかもしれませんし、頑張るとしましょ
う﹄
そこから先は記すべきこともない。統一国家はキョウコが戦線復
帰する前に、迅速に決着を付けなければいけなかったのだ。
﹃やれやれ、さすが最強最古だ。これじゃあ俺達の出番はねぇな﹄
アナスタシア号より地上に降下し、魔法陣の前にて敵を待ち構え
ていたガチターンは拍子抜けした声を漏らした。
屋敷跡地のここは小高い丘となっており、戦場の焼け野原を一望
出来る。それは同時に敵から狙撃されやすい場所ともいえるが、英
無頼は暴れ回るキョウコから逃げ惑うばかりでガチターン他三名を
2548
狙う余裕などない。
そんな理由で手持ち無沙汰になっていたガチターンだが、他の面
子は違う意見であった。
﹃何言ってんだよオッサン﹄
﹃仕上げで手を抜いたらろくなことにならないわ﹄
﹃彼等が柵に閉じ込められた憐れな羊なら、僕等は牧羊犬ですよ﹄
上からマイケル、ニール、エドウィン。3人は事前に隠しておい
たボルトアクション式105ミリライフルを構え、英無頼の群れか
らはぐれた機体を作業的に狙撃していく。
﹃きっちり殲滅しておかないと、ね﹄
﹃ほら、ガチターンのオッサンも手伝ってくれよー﹄
﹃お、おう。⋮⋮最近のガキは物騒だなオイ﹄
冷や汗を流すガチターンであった。
﹁さ、最近の自由天士は物騒じゃな﹂
アナスタシア号のブリッジにて、リデアも冷や汗を流していた。
2549
﹁すごいですね﹂
﹁うむ。なまじ、ガイルやレーカ、ソフィーといった天才が身近に
いたからじゃろうな﹂
冒険者三人組の泥臭い戦い方は、エースが身近にいたリデアにと
っては馴染みのないもの。特別な才能などなくとも結果を出せる、
しかし万人に扱える技ではない。そんな技術はリデアにとって初め
てだった。
﹁あやつらには満身がなく、勝つ為には全てを考慮出来る。単純な
戦闘能力は精々メタルウイングス︵ベテラン︶級じゃからな、三人
組の戦歴を調査して驚いたぞ﹂
彼等は今まで、三人では明らかに持て余すような困難な状況を打
破した経歴があるのだ。
﹁凸凹な奴等じゃ、それが上手くカバーしてあっているのじゃろう﹂
﹁これもまた、エースの形ということでしょうか﹂
﹁とかく、統一国家の攻撃は凌げたと考えていいじゃろうな﹂
船から見下ろす限り、地上はラウンドベースの瓦礫で相応の被害
を受けている。これら文字通り山のような瓦礫を完全に撤去するの
は現実的ではないものの、伝染病の危険性から敵兵士死体を後片付
けしたりなどはしなけれならない。
その手間を想像し、リデアはげんなりとした。⋮⋮彼女が行うの
は主に書類仕事であろうが。
2550
﹁表向き敵対している以上、本国の支援を望むのも難しいが⋮⋮ん、
あれは?﹂
瓦礫の中に筒状の物体を見付け、リデアは身を乗り出した。
﹁カムイロケットか。使い捨てとされる工芸品じゃが、レーカなら
使い道を見付けるかもしれん﹂
カムイロケットに使用されている謎の金属粒子⋮⋮未だ解析され
ていないこれは学術的希少価値は高い。
﹁オリハルコンと呼ばれておったな、確か﹂
オリハルコン。錬金術によって万物に姿を変える、世界で最も強
固な金属。
その発祥は伝説上の架空の存在であったが、異文化の工芸品であ
るカムイロケットの残骸より採取されたサンプルは特定条件によっ
て性質を変化させるという奇妙な特性を持っていた。
水のように流れ、ダイヤモンドのように傷付かない。学者達が金
属粒子をオリハルコンと名付けたのも当然だろう。
﹁伝説上の金属と超科学の産物がイコールで結ばれるとは、奇妙な
ものじゃ﹂
異文化の工芸品がれっきとした科学技術である、という知識のな
い者にとっては両者は同じような物。理解を越えた科学など魔法と
大差ないのだ。
﹁地球の技術には違いないのじゃ、レーカに見せれば何か判るかも
しれんな﹂
2551
カムイロケットを回収しておこうと考えるリデア。その瞬間、ア
ナスタシア号の後部が吹き飛んだ。
﹁︱︱︱は、なんと?﹂
船後部の巨大なプロペラが消し飛び、行き場を失った魔力が暴発
し小爆発を繰り返す。重量バランスを喪失したことで大きく傾く船
体。
﹁し、姿勢制御じゃ!﹂
﹃5番浮遊装置停止!前部バラスト緊急解放!船がひっくり返るぞ
!﹄
後部構造体、特に重いタービンエンジンを失ったことで船の後部
が浮き上がり、アナスタシア号は逆立ちしそうになっている。
整備用や生活水として使用されるタンクが放水し、船の後部浮力
を停止することで船のバランスを保とうと試みる技師達。更に報告
は続く。
﹃浮力重量比計0,8、落下が加速しています!﹄
﹁2番から4番浮遊装置をオーバーロードさせよ!焼き切れても構
わん!﹂
﹁了っ解!﹂
担当者が操作卓に並んだレバーを、纏めて力一杯押し上げる。
安全装置のストッパーを破壊しての入力により、過剰魔力を注が
2552
れた浮遊装置。魔導術式を刻んだ薄い金属板を重ねたそれは、キャ
パシティ以上の魔力を流せるほど融通のきく装置などではない。
行き場を失った魔力は熱となり、金属板表面を歪ませギシギシと
嫌な音を響かせる。
だがその甲斐あって、船の落下速度が遅くなる。元よりそれほど
高く飛んでいたわけでもなく、およそ軟着陸といっていいほどには
穏やかに草原に接地した。
﹁︱︱︱状況報告!﹂
すかさずリデアは叫ぶ。事態は何も解決していない。
﹃機関室の辺りをごっそり抉られたよ!魔法じゃない、たぶん運動
エネルギー弾!﹄
マキの報告は憶測混じりであったが、長年の経験から導かれた勘
は情報として扱って構わない精度ともいえる。
﹁運動エネルギーじゃと、カリバーンで狙撃されたのか⋮⋮?﹂
﹃違う、もっと小さい感じ!角度も下から撃ってた!﹄
低空から放たれた運動エネルギー弾。リデアは敵の正体に思い至
り、思わず唸った。
あまりの急展開。空の果てより貫くプレッシャーが、全ての船員
を震え上がらせる。
﹁︱︱︱来たのか、このタイミングで﹂
マイクを取り、共振通信に声を乗せる。
2553
﹃いるのじゃろう、ガイル。姿を現さんか﹄
体感的には、僅かな間の後。
空が滲み、空虚より戦闘機が現れる。
しんしん
炎のように真っ赤な戦闘機︱︱︱第八世代機・心神。ガイルの愛
機が船とさほど離れていない場所に現れた。
菱形の主翼と2枚の斜め尾翼というシンプルな形状から、機体全
長より長い直線的な主翼と左右にそれぞれ2発のエンジンを内蔵し
たカナード翼を備えた形状、ファイターモードへと変形する。
主翼半ばから後方に伸びたレーザー砲身。機体の上部に固定され
るのは、アナスタシア号を貫いたのであろう小型レールガン。
まさに異形。ステルス性と速度を犠牲にすることでドッグファイ
ト性能だけを追求した姿に変貌した心神は、正しく敵を駆逐するだ
けに特化した化身であった。
﹁完全なレベルに達した光学迷彩か⋮⋮こうもぬるりと懐に入ると
は、恐ろしい戦闘機じゃ﹂
﹃⋮⋮そうでもない。俺はただ、電磁パルスに隠れて接近したに過
ぎん﹄
勘違いされることも多いが、ステルス機とはレーダーにまったく
映らない飛行機を指す言葉ではない。あくまで﹃映りにくい﹄だけ
だ。
機体表面や内部構造を一定の角度で設計することで、特定の方向
にのみレーダー波を反射するのがステルス技術。しかし機体表面は
ともかく、内部機械を全てステルスとして設計することなど不可能
なのだ。
それは心神とて例外ではない。だからこそ、レーダーによる早期
2554
警戒が有効だと判断されていたのだ。
それも、核爆発の影響で使い物にならないとなっては無意味であ
ったわけだが。
﹃あれが⋮⋮あれがあいつの残した魔法陣か﹄
心神は更に変形し、不格好な人型形態となってホバリングする。
腕が奇妙に長く、足が異常に太い。既存の戦闘機を強引に人型機
に回収した弊害であるが、地球製戦闘機であり浮遊装置を搭載して
いない心神はこの改修によってヘリコプターのように空中静止した
状態での戦闘が可能となった。
レールガンを船に向かって構えるガイル。その砲口をリデアは睨
む。
︵せめて時間を稼がねば。だが、この船にはもう戦闘能力は︱︱︱︶
せきよく
﹃くかか、久しいな紅翼!﹄
リデアにとって身近な声が、スピーカー越しに聞こえた。
﹁はて誰だったか﹂と刹那思案し、すぐに思い至る。
﹁ルーデルか!?無事じゃったんだな!いきなりじゃがガイルを足
止めせよ!﹂
﹃承知しましたぞ﹄
あまりに唐突な命令。しかしルーデルは快諾する。
﹃足止めなど器用な結果が出せるかは判りませんが、まあ墜として
2555
も結果は同じでしょう?﹄
らいしん
ラウンドベースの崩壊の最中、ルーデルとガーデルマンを乗せた
雷神が脱出を果たしたのは奇跡に近かった。
キョウコの蛇剣姫は壁を切り進んで脱出したが、雷神にそのよう
な芸当は不可能。
ならばどうしたか。無論、どうもしない。
ひしゃげ崩壊する船内から、空間という空間を潜り抜けて亀裂よ
り外に出たのだ。
それはおおよそ容易なことではなかった。巨大な雷神の機体が通
過可能な隙間などそうそう発生するはずもなく、時には翼端を千切
り、時には炎にまかれながらの飛行。
その結果が、現在の雷神である。
主翼は片方が根元から脱落し、もう片方も原型などほとんど残っ
ていない。外装のアルミ合金は至るところが火を上げ焼失しており、
機体後部は骨組みすら大きく抉れている。
尾翼など垂直尾翼2枚は完全に落ち、水平尾翼の面影があるだけ。
例え地上で目撃しようと修復を諦めるレベルの大破だが、尚も雷神
は空に浮かんでいた。
﹃さすがは雷神だな!﹄
﹃いやこれ、飛行とは言いませんから﹄
というより、飛ぶように落ちていた。
むしろ、ただ単に落下していた。
2556
主翼も浮遊装置もないのだ、浮かびようがない。
﹃いきなりじゃがガイルを足止めせよ!﹄
﹁承知しましたぞ﹂
リデアの命令は雷神の現状を知らぬが故だが、ルーデルとしては
断る理由などない。彼にとっては家に着くまでが遠足、墜落するま
でが戦闘、心臓が止まるまでが戦線復帰可能なのだから。
﹁足止めなど器用な結果が出せるかは判りませんが、まあ墜として
も結果は同じでしょう?﹂
かつてライバルとして幾度となく接戦を繰り広げた両名だが、ル
ーデルとガイルの機体性能は歴然としている。殺す気で挑むくらい
で丁度いい、ルーデルはそう考えた。
操縦幹を翻し、首を傾げる。機体が操縦に反応しなかったのだ。
﹁ルーデル、いい知らせと悪い知らせかあります﹂
後部座席より報告するガーデルマン。
﹁悪い方からだ!﹂
﹁油圧が死にました。操縦系、全てロストです﹂
﹁最悪だな!それで良い知らせは!﹂
﹁機械式操縦系を直しました﹂
2557
﹁最高だな!さすがはターミネーターだ!﹂
﹁人間です﹂
操縦システムを油圧から非常時用の機械式に切り替える。完全人
力で舵を動かす機械式は使い勝手が悪く、戦闘などまともに行えな
どしない。
しかしルーデルにとってそんなことは些事。むしろ、彼はまとも
な状態な飛行機を扱う機会の方が少ないのだ。
﹁心臓の血管を縫い合わせるのと比べれば、機内のワイヤーを結び
直すなど簡単です﹂
﹁おお、バリスタというやつだな!﹂
﹁それは攻城孥砲です﹂
あるいはコーヒーの専門家。
﹁ただし動くのは片方のエルロンとエレベーターだけなので、あし
からず﹂
それ以外は翼自体を喪失しているので、さすがのガーデルマンと
て直しようがないのだ。
﹁上等!さあ紅翼よ、久々に殺し合おうではないか!﹂
高度3000メートル、重力境界よりダイブする雷神。ほぼ地上
スレスレに浮遊する心神めがけて、エアブレーキなしで急降下する。
無言で腕に接続されたレールガンを上空へと構えるガイル。風の
2558
影響を考慮しての狙撃は、ガイルが得意とするところ。
雷神の機内は重力が相殺され、ミキサーの内部のように撹乱され
る。
常人には耐え難いG。しかしルーデルにとっては揺りかごより生
温い。
激戦の中で奇跡的に生き延びていたエンジンがアフターバーナー
を全開に吹かし、雷神は地上へ向かって更に加速する。
﹁どうするつもりです?聞いた限り、心神の運動性能は規格外です。
まともに突っ込んでも回避されますよ﹂
﹁残弾は幾つだ、ガーデルマン!﹂
﹁105ミリ1発、30ミリ20発です﹂
﹁充分!﹂
ガイルは無言でレールガンの引き金を引いた。
少量の爆薬にてレールに送られた弾頭は、左右より流される電流
にローレンツ力を発生させる。
甲高いホイッスルのような音を響かせ、レールガンは発射された。
衝撃波が世界を揺さぶり、反動が機体を一気に後退させる。﹁雷
神のガトリングは強力過ぎるが故に機体が減速する﹂などという逸
話があるが、心神のレールガンは誇張なしに機体を押し戻してしま
うのだ。
極超音速、即ちマッハ5以上に加速した小さな鉄片。この速度こ
そ、アナスタシア号を一撃で墜とした攻撃の正体。
イージスシステムに対抗する為に設計されたこの兵器は、単純に
速すぎるが故に回避が不可能。
ルーデルの目を以てしても見えない。否、例え見えていたとして
2559
も結果は変わらない。
故にルーデルは予め引き金を引いておく。一瞬だけ響く重低音。
30ミリガトリングがなけなしの20発を放つ。銃身の束が回転
するガトリング砲は射線が安定せず、適度にばらけてレールガン弾
とすれ違う。
1発の鉄鋼弾が、レールガンの弾と接触した。
レールガンの弾頭はマッハ5という超高速で弾道飛行する為に、
極めて繊細な設計が成されている。溢れんばかりの運動エネルギー
は僅かな障害物との接触により暴発、破壊力が霧散し砕け散った。
﹃︱︱︱ふん﹄
ふてぶてしくガイルは鼻を鳴らす。つまるところ負け惜しみだっ
た。
心神のレールガンは蓄電の為のインターバルがあり、連射は出来
ない。彼等の攻防に、レールガンは使用不能となったのだ。
﹁そう拗ねるな、紅翼﹂
﹃黙れ帝国の悪魔め、貴様には安物の骨董品がお似合いだ﹄
﹁お前のそれこそ古代兵器ではないか。オーバーテクノロジーがそ
んなに偉いか﹂
口論しつつも急接近する2機。悠然とホバリングする心神と、崩
壊寸前の雷神。
手負いの地上を粉砕する老いた猪は、天すら貫く若き鳳凰に挑み
かかる。
バンと破裂音が空に轟く。雷神が重力に引かれるままに、遂に音
速突破したのだ。
2560
自身の発生させる衝撃波により、雷神の崩壊が更に加速する。次
の瞬間に空中分解したところで不思議と思う者などいまい。
﹁今だガーデルマン!奴の﹃ケツ﹄に鉄鋼弾を撃ち込んでやれ!﹂
﹁了解です﹂
僅かにずれた雷神と心神の射線、そして心神の背後に見える魔法
陣。それだけでガーデルマンはルーデルの意図を理解した。
撃たれる105ミリ鉄鋼弾。
﹃遅いぞ、ガーデルマン﹄
心神は重量を無視しているかのように横に瞬間移動する。水素ロ
ケットバーニア加速は、発射後に動き出したにも関わらず完全に砲
弾を完全に避けきってみせる。
脇を抜けて地面に着弾する鉄鋼弾。ほぼ垂直に突き刺さったそれ
は、魔法陣の障壁に弾かれ跳ね上がった。
﹃︱︱︱跳弾、だと?﹄
鉄に食い込んで抉ることを目的とした砲弾は、装甲に弾かれ跳ね
返るということはない。しかし魔法障壁ならば別だ。
運動エネルギーを受け止めるのではなく受け流すことに主観を置
いたアナスタシアの障壁魔法、それは見事完全に105ミリ砲弾を
弾いてみせた。
ガーデルマンの砲撃技術は正確だった。違わず心神へと向かって
上昇する砲弾。
﹃狙ったか、ルーデル﹄
2561
さすがに一筋縄ではいかないとガイルも笑う。
︵避けられない、俺では︱︱︱︶
ガイルとて人間。操縦にはタイムロスが発生し、知覚出来ていよ
うと物理的に反応しきれない状況は起こり得る。
今がその時。ルーデルとガーデルマンの奇策は、ガイルの隙を付
いてみせたのだ。
﹃俺だけ、ではな!﹄
しかしガイルの愛機、地球の技術は異世界の英雄に比類する怪物
であった。
全周囲オフボアサイト攻撃能力の発展型ともいえる、心神のイー
ジスシステム。
オフボアサイト攻撃とは戦闘機の真正面以外への攻撃、即ちレー
ダーやカメラを通してのパイロットの死角に対しての攻撃能力だ。
地球の最新鋭機であるF−35にも全周囲オフボアサイト攻撃能
力が備えられている。機体の後ろや裏側といった見えない場所もロ
ック可能となり、パイロットに求められるのはミサイルの発射を決
定するボタンを押す動作だけ、というわけだ。
心神のイージスシステムはその発展型だけあって、更なる改良が
加えられている。敵機だけではなくミサイルや砲弾といった高速飛
翔体のロックオンを可能とし、危険性が高いとコンピューターが判
断した場合にはパイロットの指示を待たず迎撃する。
雷神の跳弾攻撃はまさにこのパターンであった。ガイルの反応が
間に合わない後方からの攻撃、しかしコンピューターは独自の判断
によってそれを迎撃する。
レーザー砲身が精密に動き、光線を投射。鉄鋼弾は一瞬で溶解し、
2562
塵となった。
﹃心神の力を見誤ったな、ルーデル︱︱︱!?﹄
﹁そのようだ、だがッ!﹂
迫る雷神に刮目するガイル。
﹁私の方が、一つ上だァァ!﹂
音速で心神へと突撃する雷神。
﹃体当たり、死ぬ気か!?﹄
﹁いやいやこの人が激突くらいじゃ死にませんって﹂
全力での回避を試みる心神。しかし、あまりに離脱開始が遅過ぎ
た。
﹃く、ううぉぉぉっ!﹄
心神は近代の戦闘機の例に漏れず、薄い外装しか持っていない。
崩壊した雷神の破片などが心神を切り裂き、全身に大きなダメージ
を与える。
地上に突き刺さり、爆散する雷神。
﹃この俺が被弾した⋮⋮この俺がか﹄
ガイルは愕然と呟く。
2563
﹃さすがは悪魔、といったところか。だがルーデルとガーデルマン
も、⋮⋮﹄
死んだ、と続けようとして、眉を潜める。
﹃ルーデル生きておるか!﹄
﹃無論です!ガーデルマン共々ピンピンしております﹄
リデアとルーデルの間の抜けたやり取り。激突直前にコックピッ
トより飛び降りていたルーデルとガーデルマンは、パラシュートも
なしに地面に激突していた。
﹃受け身を取ったので無傷ですぞ!﹄
﹃いや受け身って﹄
頭痛のする彼等の会話を尻目にガイルは自機をチェックする。
﹃申し訳ございません、姫様。足止めの任、達成出来ませんでした﹄
﹃よい。超音速飛行能力は奪ったじゃろうからな﹄
ガイルは舌打ちした。リデアの読み通り、今の心神は超音速飛行
が不可能となっていたからだ。
エンジンを始めとする内部機構にほとんど損傷はない。ダメージ
は外装のみだ。
しかしそれこそ、超音速飛行において致命的な問題であった。高
速飛行する物体の表面は空気が圧縮され、音速越えともなれば温度
が数百度から千度以上に達する。その熱が機内に入れば、機体が内
2564
側から破壊されてしまうのだ。
大気整流装置を起動すればそれも防げるが、そもそも表面の魔導
術式が破壊されている為に起動不可。
︵超音速どころか亜音速程度でもかなり危うい。ルーデルめ、やっ
てくれる︶
ガイルは白鋼を高く評価している。速度制限された心神では苦戦
するかもしれないと身構えて、そして疑問を抱いた。
︵あの餓鬼と我が愛娘は、なぜ出てこない?︶
﹃︱︱︱イレギュラーはどこだ﹄
アナスタシア号のブリッジに受信した、ガイルの問い。
作戦の為の時間を得たリデアは、若干の精神的余裕を取り戻して
いた。
零夏を未だにイレギュラー呼ばわりするガイルに反感を覚え、ふ
てぶてしく返答する。
﹁はて、そんなのいたかのぅ﹂
愛らしく小首を傾げるリデア。ガイルの視力ならばブリッジにい
る彼女の睫毛まで数えられるので、挑発として充分機能する。
2565
予定調和
﹁あれはレギュラーじゃよ、お主に言ってもせんなきことじゃが﹂
﹃馬鹿な、なにを⋮⋮﹄
前触れもなく、ミサイルがアナスタシア号横っ腹に突き刺さった。
大きく傾く戦艦。轟音と振動が船員を襲う。攻撃は分厚い装甲板
を突き破ることこそ叶わなかったものの、船内で人が吹き飛び怪我
人が多数出ていた。
﹁な、なんじゃ!?﹂
マッハ1,5で衝突した4本のミサイル。ガイルの攻撃かと疑う
が、方向が明らかに違う。
﹃頑丈な船だ、対艦ミサイルが貫通しないなんて﹄
︵敵︱︱︱新手、どこじゃ?︶
気配は空に存在するも、その姿はどこにもない。
エンジン音だけが響く戦場。間違いなく、この戦場にガイル以外
の敵性航空戦力がいる。
﹁エカテリーナ、そちらからは見えるか?﹂
上空からは何か判るかもしれないと、エカテリーナに尋ねる。
﹃見えないわよ、でも感じるわ﹄
﹁感じる?何をじゃ?﹂
2566
﹃愛よ!﹄
﹁愛?﹂
﹃そうよ!この無言の攻撃は私へのルゥァアブッ、クゥォォルッ!
ギイハルト、会いに来てくれたのね!﹄
﹃⋮⋮別に君に会いに来たわけではない﹄
はたとリデアも気付く。そうだ、この声。
﹁ギイハルト・ハーツか、来るとは思っていたが、遅かったではな
いか﹂
﹃ミサイルを運んでいたからね。本来のスペックでは2本までなの
に、4本も抱えるなんて無茶をさせる﹄
荒鷹は本来、対艦ミサイルを2本までしか積載出来ない。4本載
せられたのはフィオの改修の結果だ。
﹃それも無駄な努力となったわけだが。これなら通常兵装をもっと
積んでおけば良かったよ﹄
﹃ギイ、会いたかったわ!あ、今ドレスを脱ぐわねっ﹄
全体がバイタルパートの如き重装甲のアナスタシア号だからこそ、
4本のミサイルが直撃しても尚ダメージらしいダメージはなかった。
これは驚異的なことである。
2567
﹁︱︱︱そうか、お主の機体は確か﹂
リデアは手紙から知ったガイル陣営の機体情報を思い出す。
よだか
﹁夜鷹、不可視のまま戦闘可能な戦闘機だったな﹂
あらだか
ストライクイーグル
基礎設計の優れた荒鷹という戦闘機は、共和国でプロトタイプ製
アクティブイーグル
造された段階から多くの改修案が存在した。
カナードとエンジンの追加による高機動型。
サイレントイーグル
機体規模の拡張によって積載量を増加させた地上攻撃型。
そして魔術的光学迷彩を付加した隠密行動型。
ギイハルトの搭乗機は、それらの性能を全て兼ね備えた超高性能
機である。
機体の改修とは本来、どこかが伸びればどこかに皺寄せが来るも
のだ。兵器の積載量を増やせば運動性が落ちるし、隠密性を重視す
れば積載量が少なくなる。
それを全てにおいて性能向上させているのは、一重にフィオの技
術力の代物。まさしく﹃魔改造﹄なのである。
︵もっとも、あれを魔術的な光学迷彩だとはどうも信じられんがな︶
模型
リデアの知識は、それが魔法ではなく科学であるとなんとなく見
抜いていた。そもそもが隠密行動型の荒鷹は、モックアップが完成
しただけで結局具体的な見通しが立たなかった機体なのだ。
︵おそらくは、心神の光学迷彩技術を流用したのじゃろう︶
地上攻撃型のペイロードと隠密行動型の不可視性は、攻撃される
側としては厄介極まりない。重装甲が幸いし致命傷を受けることは
ないものの、一方的に攻撃されるアナスタシア号。
2568
爆弾の出現する位置からおおよその場所は判る。だがそれだけ。
リデア達にはギイハルトの夜鷹を撃墜する手段は存在しなかった。
﹁ふん、毛ほども痛くないわ。ガイル、腹でも痛いのか?お主も攻
撃すれば良かろうに﹂
リデアとてガイルが白鋼を警戒して沈黙していることくらい理解
している。一度レールガンがアナスタシア号に向けば、今度こそ再
起不能となるのだ。
リデアの頬には冷や汗が流れていた。命をチップにした時間稼ぎ
は、あまりに心を磨耗する。
しかし、いい加減ガイルも察している。
ソフィーは風が読める。零夏も解析魔法にて場所を察知出来る。
白鋼にとって、陳腐な光学迷彩など丸裸同然なのだ。
白鋼が荒鷹を放置する理由はない。ならば、この戦場にはそもそ
もいないと考えるのが自然。
ガイルはリデアの様子を注意深く観察する。
﹃︱︱︱随分と時間を気にしているようだが﹄
ちらちらと時計に目を向けるリデアは、露骨に視線を逸らした。
ガイルはいよいよ確信する。彼等の狙いは︱︱︱
﹃っ、ギイハルト!カリバーンに戻るぞ!先行しろ!﹄
﹃了解﹄
唐突なそれも、命令とあらば如何はない。ギイハルトは即座に武
装投棄し旋回、カリバーンに急行する。
2569
﹃やってくれたな、お転婆姫め﹄
心神はレールガンを艦橋へと向ける。
文字通りの意味で、リデアの生殺与奪の権利は今、ガイルが握っ
ているのだ。
負けじと睨み返すリデア。だが、脳裏にはどこか諦感があった。
︵アナスタシア号を撃たぬ理由はない︱︱︱ガイルにとってもセル
ファークにとっても、この船一つの犠牲くらい許容範囲のはずじゃ︶
リデアが死亡すれば多くの努力が無駄となる。論理的には、リデ
アはすぐさまガイルに気付かれぬように船を脱出すべきだ。
しかしリデアの矜持はそれを許さなかった。仲間を見捨てて自分
だけ生き残る、リデアはそれができない王族なのだ。
﹁︱︱︱︱︱︱。﹂
視線を交差させるリデアとガイル。
如何なる理由か。ガイルはレールガンを降ろし、機体をサイレン
トモードへと変形させ戦線離脱していった。
﹁⋮⋮撃たぬのか﹂
﹃妻の名を貫く気にはなれん﹄
確かにスピリットオブアナスタシア号の船体には、その名が大き
く刻まれている。
しかし、リデアはガイルがそのようなことを気にするほど女々し
い男とも思えなかった。
2570
﹁⋮⋮非情になるなら徹すればいいものを。やりにくい﹂
﹃最初から、お前達の目的はイリアの確保だったのだな﹄
ガイルはこの戦いを、魔法陣の争奪戦であると錯覚していた。
しかし零夏達はガイルや統一国家との戦いに付き合う気など、元
より無かったのだ。
単純に実力からして、ガイルに勝てる見込みは薄い。
統一国家すら、波状攻撃をかけられてはいつかは防衛戦も崩壊す
る。
受け身では敗北は確定している。だからこそ、リデアは先手を打
ちガイルにとって最大の弱点を狙うことにした。
﹁イリアという少女は存在しない。そうじゃろう?﹂
ガイルの沈黙は、即ち肯定。
﹁少女の姿をしたあれは、かつてこの星に落ちてきた隕石﹃そのも
の﹄。世界の要を人に擬態させるとは、﹃何百年も﹄騙され続けた
わ﹂
﹃気付いていたとは、な﹄
なぜガイルはカリバーンを完成させ、ノインという国を陸の孤島
にしたか。
本拠地が必要だから、というのも理由一つ。だが最大の理由はイ
リアの防衛だった。
彼女の身に何かあれば、世界の命運すら左右する事態になりかね
ない。だからこそ、些細な危険にすら晒すわけにはいかなかったの
だ。
2571
これはガイルとギイハルト、そしてアナスタシア︱︱︱大戦の頃
に共に戦ったごく少数の部隊員の中で取り決められた、秘密中の秘
密。イリアという少女を発見した彼等は、その身を守る為に彼女の
身分を偽装した。それが、ギイハルトの妹というポジションだった
のだ。
イリアを確保したところで、リデア達には使い道などない。しか
し彼女がガイルにとっての弁慶の泣き所であることは事実。
そこで立案されたのがレールガン・カリバーン突破作戦。ノイン
の深くへと強襲をかけ、少女一人を拐うという大仰な計画。
熾烈を極めたゼェーレスト防衛戦すら、その為にガイルを足止め
するただの時間稼ぎだった。
﹃だが、ならばあれが世界の柱だと知らないわけではあるまい﹄
﹁ふん、こちとら元より目的は世界の柱を叩きおることじゃ﹂
﹃力を失った人類が、生きていけると思っているのか。大黒柱を失
ったが最後、人は餓死するぞ﹄
﹁は、くだらん。餓死もへったくれもなく、何度も人間を消滅させ
るよりは人道的じゃろうて﹂
﹃おかしなことを、安楽死より拷問死の方が人道的というか。やは
り君は痛みを知らない戦後生まれだよ﹄
結局のところ、彼等は相成れない。リデアはガイルとの会話を切
り上げ、ギイハルトに声をかけた。
﹁ギイハルト・ハーツ、聞こえておるな?まともに話すのは始めま
して、でよろしいか?﹂
2572
リデアとギイハルトに面識はない。しかし、リデアはギイハルト
を情報としては知っている。
だからこそ、リデアは言っておきたかった。
﹁わしはお主が嫌いじゃ。未来くらい自分で決めんか﹂
返答はない。
﹁お主の描きたい未来は何じゃ?ガイルのそれに、本気で共感した
のか?﹂
﹃⋮⋮俺に未来なんてない。全て、大戦で失った﹄
﹃なら私と作りましょう、未来を!そして子供を!﹄
通信に雑音が増す。カイルより先を行く夜鷹は、アナスタシア号
の通信圏外距離の限界に達しつつあった。
﹃エカテリーナ。君には敬意を抱くよ﹄
﹃本当!?結婚しましょう!﹄
﹁いや皮肉じゃろ﹂
﹃本心だ。君は美しい﹄
そして途切れる通信。夜鷹は、完全に通信不能となった。
﹃ギイ、待って頂戴!﹄
2573
エカテリーナの雀蜂もなぜか追いかけていった。
ゼェーレスト攻防戦はこれにて落着し、戦場はノインに移る。
﹁⋮⋮遅くなったが、被害報告を。レーカ達が戻ってくるまでに、
少しでも立て直しておくぞ﹂
最も、彼等に休息が訪れるのはまだまだ先であったが。
2574
ゼェーレスト攻防戦 4︵後書き︶
次回からカリバーン突破戦です。戦闘パートが思いの外、長い。
﹀この破壊神と常識人コンビの会話が楽しいです。
この二人の会話は書いている方も楽しいです。ガーデルマンは常識
人の範疇に入るのでしょうか⋮?
﹀ところであの狙撃手の再登場はないのでしょうか?
さっそく登場です。実は空白期間にレーカ達と会っていたので、レ
ーカとは初対面ではありません。
2575
カリバーン突破戦 1
難攻不落。この言葉を関する国や砦は歴史上数あれど、ここほど
如実に体現した例はない。
ノイン王国。農業中心とした産業を持つ国家である。
人口は勿論のこと、経済規模も相応に小さく、大戦中も共和国の
被保護下にあり続けた。
終戦の際に紆余曲折の末、独立国家として再成立。王族は戦前か
ら続く土地に即した血筋であった為、住人としては前後で大差はな
かったらしい。
そんな特記すべきこともないノインだが、いつの頃からか王都に
巨大な建築物が建造されるようになった。
超大型レールガン・カリバーン。砲身の長さが6キロメートルに
も及ぶ、空前絶後の巨大大砲である。
大戦を教訓に自衛の為の備えを、という名目によって始まった計
画。国家予算の範疇で少しずつ建造された為に国民の反感も少なか
ったものの、そもそも前例のない大型兵器に対する疑問の声は尽き
ることがなかった。
整備士や天士、後方を支える技術者達。多岐に渡る出費が必要と
なる通常の軍隊を用意するよりは、確かに安上がりに済む。しかし
戦力を一ヶ所単一に限定するというのは、対策が発見されたり破壊
された時点で国防が丸裸となることを意味する。
戦術的な問題ばかりではない。大国でも製造しなかった新兵器を
小国が形に出来るのか、という不安もあった。
そして、案の定の問題発生。大型兵器は正しく稼働せず、民衆は
巨大なだけのオブジェと化したそれに激怒した。
王は頭を抱えた。なんとかしてカリバーンに意義を見出ださねば、
莫大な工事費が全て徒労となる。それだけは避けねばならなかった。
2576
しかし、技術的問題より頓挫していた計画はほどなく再開する。
いままでの停滞が嘘だったかのように、瞬く間に完成した巨大砲
台。人々は急展開の不自然さに首を傾げるも、その完成を喜んだ。
ノインが諸外国に武力行使を伴う鎖国を宣言したのは、それから
少し経ってからのことである。
どこから狂ったのか、とノイン国王のアラサアは深々と溜め息を
吐いた。
大戦で戦死した前王に代わり、若くして玉座に着いたアラサア王。
年齢はまだ30を少し過ぎた程度だが、外見はそれ以上に年老いて
見える。
先代が立案し、自身が承認した円卓計画。ほぼ円形の国土を円卓
に喩え、ただ一振りの剣︱︱︱レールガン・カリバーンにて国土を
網羅し防衛する。この計画にアラサアが込めた願いは、ただ国を守
りたい、の一心のみ。
ソードシップ
当然のように現れた技術的問題、その解決をふらりと現れた者達
に頼った。見たこともないほど巨大で美しい飛行機にてやってきた
彼等⋮⋮否、フィオと名乗る眼鏡をした女性は、まるで﹃どうすれ
ばいいか知っていた﹄かのように設計図を修正しカリバーンを完成
させた。
そこまでは良かった。だが、問題はその後だ。
彼等の要求した技術提供の対価は、自分達を施設維持の責任者と
して雇うこと。
整備運用ノウハウを自国で賄えないのは長期的に見て問題だが、
それ以上にレールガンの存在は経済的に魅力だった。
最終的にアラサアは折れ、ガイル達にカリバーンの運用を任せる。
2577
しかし彼等は突如凶行に走った。
国境内に侵入した航空機への無差別攻撃。彼等はそれを外国から
の攻撃であると主張し、もっともらしい証拠を幾つも提示する。
﹃ノインの外では愚かしくも、人は再び戦争を始めた。しかし安心
してほしい、このカリバーンがある限りノインが戦火にさらされる
ことはない﹄
クリスタル共振通信が大規模ジャミングされている現在︵ガイル
は外国からの攻撃だと主張しているも、アラサアは自作自演と考え
ている。ただし証拠はない︶、外国と連絡を取り合い確認する術は
ない。陸の孤島と化したノイン、だが人々はそれを良しとした。
食糧は自給自足にて事足りる。外の戦火が国に振りかかるくらい
なら、縁を切っていた方がいい。世論はそう考えたのだ。
民衆がカリバーンを必要とする流れは、王すらどうしようもない
レベルに達していた。アラサアはガイル達の欺瞞を暴こうとするも、
外国には行けず連絡が取れない以上証拠も提示出来ない。
﹁そもそも、一つの兵器に国防を集中させたのが間違いだったのか
⋮⋮﹂
執務室にて苦悶するアラサア。簡素な城の窓外には、巨大な砲台
が悠然と鎮座していた。
忌々しげにカリバーンを睨むアラサアは、だが次の瞬間の変化を
直視する。
﹁︱︱︱なんだ、何が起こっている︱︱︱!?﹂
最強過ぎる故に普段は注意すら払わない神術級兵器。
その伝説が、今日崩壊する。
2578
レッドアロウ
﹁作戦空域に到着。ソフィー、キザ男、そろそろだ﹂
﹁了解﹂
﹃う、うむっ﹄
しろがね
編隊飛行にてノインを目指す白鋼と赤矢。既に速度はマッハ2,6
に達し、航空機としての一つの限界に迫っている。
現在彼等はツェーン軍事基地上空をスイングバイし、ノイン国境に
向け飛行していた。
国境線まで50キロ。後1分弱で国境通過である。
ノインの国境を越えてから加速しては意味がない。国境を超える前
に加速しては燃料がもたない。
だからこそ、国境線を越えた瞬間に最大速度となるように加速を開
始しなければならない。やり直しなど効かないただ一度のタイミン
グの判断を零夏は任されていた。
︵ロケットブースターを使った加速は短時間で機体を最速までもっ
ていく、およそ30秒ってところか︶
単純計算で53秒後に国境線に侵入することとなる。既に超音速で
飛行しているにも関わらず、加速までの残りの23秒が零夏にはと
ても長く思えた。
2579
複座式となった白鋼のコックピット、その前席に収まったソフィー
はただ目の前を静かに見据える。
彼女の集中力は今、極限に近い域まで達していた。彼女にとって操
縦ミスなど可能性の考慮に値せず、ただ障害は不足の事態のみなの
だ。
対しマンフレートはといえば、意外だがこちらも中々に腹を据えて
いた。以前の彼ならばプレッシャーで﹃へたれて﹄いただろうが、
曲がりなりにも自由天士として多くの経験を積んだ成果が現れてい
るのだ。
﹁レーカ?﹂
﹁どした﹂
振り向き名を呼ぶソフィーに、素っ気なく答える零夏。
ソフィーは固定ベルトを外すと機内で立ち上がり、零夏に唇を重ね
た。
﹁⋮⋮え、と?﹂
﹁おまじない﹂
マリアは作戦前に必ず﹃おまじない﹄を行うが、ソフィーが自ら求
めるのは珍しい。だからこそ、零夏は意図を図り損ね困惑する。
﹁レーカ、固くなってたわ﹂
﹁そうか?⋮⋮まあ、驚いた拍子に落ち着けたかもしれないないな﹂
零夏自身把握出来ていなかったが、作戦の現場指揮を担う以上は相
2580
応に緊張していた。それをソフィーは敏感に察知したのだ。
﹁でも俺のことなんて気を使わなくていいぞ、自分の仕事に集中し
ていい﹂
﹁⋮⋮うん﹂
後部座席の零夏には、その時のソフィーの表情は伺い知ることは不
可能だった。
﹃いちゃくつな男の敵め!そろそろ時間ではなかったのかね!?﹄
﹁お、おー?﹂
存外気負っていないマンフレートに零夏は変な声を漏らす。
この様子では心配ないと考えるも、一応彼のフォローもすることに
する。
﹁言っとくが、お前は本当に無茶するなよ﹂
﹃ははは、僕が悪運が強いというのはいっつも君が言っていること
じゃないか﹄
﹁そうなんだが⋮⋮﹂
﹃レールガンの性能は帝国軍がずっと調査してきたんだ、スペック
は全て判明している。大丈夫、今回も乗り切れるさ﹄
軽薄で薄い言動から勘違いされがちだが、マンフレートは並の天士
を越える実力を持っている。対等な条件でドッグファイトを行えば
2581
ほぼ勝てる、という程度には。
︵これまで、自由天士としての任務も及第点で達成してきたんだ︱
︱︱あまり心配するのは逆に失礼か︶
﹃ふふはは⋮⋮ここでガツンと任務をこなしてみれば、ソフィーも
きっと僕にグフフ⋮⋮﹄
﹁おい気色悪い声が漏れてるぞ﹂
いまいち不安な零夏であった。
﹁⋮⋮ってあれ、ちょ、本当にもう時間がない!構えろ二人共!﹂
ソフィーとマンフレートは追加されたスイッチに指をかける。
白鋼は通常の細い形状ではなく、重火力強襲ユニットを追加した重
厚な姿だ。
かつてガイルに接近戦を挑む為に製造された重火力強襲ユニット。
固形燃料ロケットブースターを4本抱え、絶大な火力を抱えたまま
敵の空域まで侵入する追加装備だ。
ストライカー
本来は白鋼を飛行機としてのみ運用する状況での追加装備、つまり
人型機形態への変形能力を切り捨てて空戦に特化させる為のユニッ
トである。このような装備が設計された背後には、完成当時の白鋼
ソードストライカー
は人型機としては脆弱であり、戦闘機としては重過ぎるという問題
があった。
改修に次ぐ改修を重ね半人型戦闘機として完成度を増し、それぞれ
での形態での運用にも過不足がなくなった。故に重火力強襲ユニッ
トは文字通りの強襲装備として量産、準備されたいたのだ。
武骨なデルタ翼機ともとれる、20メートルの巨体となった白鋼。
機体の大半に爆薬と燃料を詰め込んだ、火薬庫のような状態だ。
2582
対し並走する赤矢は、翼下に目一杯のロケットブースターをこれで
もかと吊り下げている。帝国軍にて正規採用されている量産品であ
り、大きさも長さ1メートルほどと白鋼の固形ロケットブースター
より随分と小振りだ。
赤矢は前後に大気整流装置を備えた機体である。前部のみの白鋼と
違い、完全に機体周囲の空力を制御しきる赤矢は白鋼より空気抵抗
が少ない為に小さなロケットブースターで充分なのである。
零夏は入念に計算した瞬間を二人に伝える。腕時計を睨み、一言ず
つ確かに。
﹁5、4、3、2、1、︱︱︱﹂
﹁﹃補助ロケットブースター点火!﹄﹂
白鋼と赤矢に後付けされた筒が、爆炎を吹き上げた。
身体がシートに押し付けられるほどの超加速。濃厚な大気の壁に機
体機首が突き刺さり、各所が悲鳴を上げる。
上下左右にシェイクされるコックピット、三人はそれを歯を食い縛
り堪える。速度計がイカれたかのように回転し、マッハは3に達し
ようとしていた。
十数秒間での時速500キロの加速。その衝撃は重圧というより、
事故で車両に吹き飛ばされるそれに近い。
表面温度計がレッドゾーンに突入。飛行機のこれ以上の加速は、金
属すら溶かす高温によって阻まれる。
文字通り潰れそうになる肺から空気を吐き出し、零夏は叫ぶ。
﹁大気、整流装置、展開ッ!﹂
白鋼の機首に畳まれた3枚のブレードが、プロペラのように開きゆ
っくりと回転を始める。赤矢も同等に、前後の常時展開しているブ
2583
レードが始動した。
ブレード表面の魔導術式が微かに光り、機体に不可視の半球状シー
ルドを形成する。有害な気流を﹃受け流す﹄このシールドは、空気
抵抗や断熱圧縮を防ぎつつ揚力やエンジンの稼働に必要な気流はシ
ールド内に通過させるという、見た目以上に複雑な装置だ。
音の壁に続く航空機の難題、熱の壁を破ったことで速度制限から解
放された2機は更なる加速を開始する。
一歩しくじれば空中分解するであろう速度、安易に操縦幹を動かす
ことも許されはしない。数ミリの動きで機体は大きく逸れ、そして
天士には莫大な負担が押し掛かるのだ。
速度はマッハ4以上、時速5000キロに到達する。
﹁ソフィー、ブースターの燃焼反応を70パーセントに!キザ男、
ロケットブースター投棄!﹂
計画以上の速度を出す必要もない。速いほど減速が困難になる上、
どのような不具合が現れるか判らないからだ。
久々の時速5000キロの世界に武者震いする零夏。ソフィーが叫
ぶ。
﹁レーカ、前から何か来る!﹂
即座に目を凝らし解析魔法を発動。遥か彼方にこちらを向いたレー
ルガンの砲身を確認する。
﹁何が発射まで1分だ、早えぇじゃねぇか⋮⋮!﹂
国境侵入より、30秒後の出来事であった。
2584
外敵のノインへの侵入を関知しているのは、ガイルの母艦である
ヴァルキリーだ。
地球で製造された超音速爆撃機であるヴァルキリーは、1000
年の時を越えフィオによって大きく改造されている。
その一つが強力なレーダー装置だ。近くで浴びれば人体に悪影響
を及ぼすほどの電磁波によって、半径1000キロメートルもの目
標を探知可能なレーダーは目視以外での索敵方法がなかったセルフ
ァークにおいてはまさしく神の目に等しい。
﹁あのガキどもね、空き巣とはいい度胸じゃない﹂
だからこそ、ヴァルキリーのコックピットに座るフィオも外部よ
り迫る異常のことを事前に察知していた。
PPI指示機を兼ねたタッチパネルディスプレイに映る、国境の
全方位より迫る100以上の光点。その全てが有機的に動き機動し
ている。
﹃フィオ様!レーダーに大量の機影が、これは敵の大規模侵攻です
!﹄
ヴァルキリーとデータリンクした管制制御室の責任者が慌ててフ
ィオに報告する。人間じみた動きから、彼はそれが全て有人の高速
機であると判断したのだ。
2585
﹁落ち着きなさい、これはほとんどがデコイ︵無人機︶よ﹂
しかしそれに引っ掛かるフィオではない。迫る敵機の動きからパ
ターンを読み取り、簡素な人工知能で制御された無人機であるとと
うに見抜いている。
故に彼女はそれが零夏達の攻撃であると理解していた。帝国や統
一国家の技術力では単純な機械式コンピューターが精々であり、こ
こまでの出来の無人機を設計出来ないと知っていたのだ。
﹁仮に本物の有人機だとしても、全て落とせばいいわ。カリバーン
にはその能力がある﹂
非情に命じるフィオ。彼女にとって、世界の大多数の存在はどう
でもいい人間だ。
﹁ただし、カリバーンに何らかの対処をするような機影があればそ
れが敵の本命よ。他は放っておいて全力で潰しなさい﹂
﹃か、カリバーンが対処される、ですか?﹄
今までの経験からそれが想像出来なかった責任者は思わず訊き返
す。
﹁モタモタしていていいのかしら?ノインを戦火に巻き込みたくな
ければ頑張りなさい﹂
﹃は!了解しました!﹄
レールガンの運用責任者に指示を与えた彼女は、両手の指を組ん
で静かに笑う。
2586
﹁さて、レールガンと戦闘機のチキンレースなんて見物だわ﹂
時折自由天士や他国による無謀な突破挑戦があり、それを迎撃す
るのは彼等にとっていつものことだ。
だからこそカリバーンは常時スタンバイ状態であり、全方位より
迫る目標に対しても即座に反応した。
全長6キロ、総重量2000000トン以上のカリバーンは旋回
にも巨体に比例した時間を要する。ゆっくりと回転しつつ100以
上の目標を砲撃するならば、零夏達の理想としては最も時間を稼げ
る360度回転した時点で狙われるのが好ましい。
しかし、零夏にそれを狙う術はなかった。100キロ先の砲台が
どちらを向いているかなど、調べようもない。こればかりは運頼り
だった。
﹃フライホイールとモーターを直結させろ!﹄
蓄電装置とモーターが通電し、砲塔がゆっくりと回転し始める。
地下のフライホイール施設に蓄えられている電力は、本来レール
ガンを発射する為のもの。その電圧は並の発電所を凌駕しており、
射出体の射出の他に砲塔の稼動にも使用されている。
カリバーンの全長6キロの巨体は、サイズに見合わぬ機敏な回転
を披露する。砲の先端となる砲口と閉鎖機部分が音速近くまで達し、
回転の負担にターレットのテーパーベアリングが軋み悲鳴を上げる
2587
ものの、それでも問題なく稼動した。
﹃照準合わせ!測距規は使うな、速過ぎて意味がない!﹄
﹃データ来ました!計算します!﹄
レーダーと望遠鏡での方位に加え、コリオリの力と弾道計算によ
る修正を加え最終的な数値を出す。
﹃方位打ち込み!﹄
﹃撃ちいぃ方、始めえぇっっ!!﹄
バシュウ、と圧縮空気にて弾頭が砲身に送られる。
瞬間、一瞬の爆発音が一帯に轟いた。
周囲に物理的なダメージすら伴う、広範囲に広がる衝撃波が国中
に轟く。
砲身が冷却の水蒸気を吹き上げ、カンカンと音を鳴らす。
﹁あれ、カリバーンが撃たれたっぽいな?﹂
﹁ははは、まだノインに挑むチャレンジャーがいるのか﹂
﹁物騒だねぇ、戦いたいなら勝手にやればいいのに﹂
遠くに住む国民は一連の出来事をいつものことと受け流し、笑っ
て受け流す。
発射された弾頭など肉眼で見えるはずもない。目視されることも
なく、極超音速の弾頭は白鋼と赤矢へと突進していく。
2588
彼等には不幸なことに、カリバーンが最初に狙った目標こそ白鋼
と赤矢であった。
到達など一瞬。事前に回避運動を行っていたにも関わらず、白鋼
と赤矢⋮⋮零夏、ソフィー、マンフレートの悪寒は止むことはない。
﹃きっ、機体がバラバラになるっ!﹄
﹁直撃すればバラバラでは済まないぞ!﹂
マッハ4での軌道修正など自殺行為。平均15Gの世界で、3人
は意識を必死に繋ぎ止める。
あまりの高速故に、空中でプラズマ化しあたかもレーザー砲の軌
跡のように輝くレールガンの弾道。散弾であるそれは回避不可能な
速度と範囲で広がり、2機を飲み込む。
﹃ダメだ、うわあああぁぁっ!﹄
﹁キザうっさい!﹂
﹃︱︱︱操縦幹を動かすな﹄
2589
シモ・ヘイヘがツェーン基地に配属となったことと、カリバーン
の存在は無関係であるはずがない。
大戦時代に名を上げた天士は多くあれど、彼ほど短期間に成果を
残し銀翼の名を賜った兵士は珍しいだろう。元々平穏な村の猟師で
きょゆうへい
あった彼は、徴兵にて僅かな軍事訓練を受けた後に旧式の人型機へ
と乗せられた。巨勇兵。大戦初期の、当時としても旧式の機体を無
理に改修した人型機だ。
いくさみこ
戦争は技術力を大きく進歩させる。かつての大戦はそれが特に顕
著だった。
だからこそ、型落ちし当時の共和国⋮⋮王国主力人型機・戦巫女
との戦闘に耐えきれない人型機が帝国には溢れていた。そこで軍部
は現場の﹁火力不足なので強力な火器が欲しい﹂という意見も参考
にし、旧式機に重装甲と大口径砲を追加することにする。
移動能力を大きく削がれながらも、戦巫女と対等以上に渡り合え
る装備を手に入れた人型機。新たに巨勇兵の名を与えられたその機
体は、それでも付け焼き刃の兵器として扱われるはずだった。
モンスター
そのコンセプトとシモ・ヘイヘとの相性の良さが、想定外の戦果
を発揮する。
何百、何千という獲物を魔法やナイフで仕留めてきたシモ・ヘイ
ヘは、自身も気付かぬうちに狙撃の名手となっていた。重装甲故に
安定した重心、強力な火器。彼は敵を近付けることもなく、視界に
映る全てを撃ち抜き殲滅していったのだ。
彼の抜きん出たスコアに、帝国軍部は試作80センチ砲を配備す
ることを決定する。
固定砲として製造された全長50メートル近いライフリング砲。
人型の身長の5倍もの巨砲は、比率的に考えて人型機に扱えるはず
2590
のない兵器であった。
元より致命的であった機動力は絶望的に低下し、巨勇兵の間接や
無機収縮帯は稼働の度に悲鳴を上げる。機体の脆弱さは戦後ポルシ
エアシップ
ェ博士によって改善されたが、運用上の無謀さはなんら変わりなか
った。
長距離移動には専門の中型級飛宙船を必要とする欠陥兵器。ただ
一人の操縦によって制御される超兵器は、だが運用コスト以上の結
果を出すこととなる。
一撃で都市区画ごと粉砕し、直径10メートルのクレーターを形
成する80センチ砲。最初は巨砲主義の狂った産物であったはずが、
最強の狙撃兵が持つことで神術級兵器の一つと数えられるようにな
ったのだ。
80センチ砲を手にしたシモ・ヘイヘはまさに戦場の支配者であ
った。半径30キロ圏内はヘッドショットの射程範囲内であり、撃
たれた後に回避出来る超人的な反射神経を持つ一部の敵、即ち銀翼
以外は逃れる術などなく気付いた時には死亡していた。
そんなシモ・ヘイヘだが、彼は終戦を待たす大戦の戦場より退く
こととなる。
戦争末期、ラスプーチンに政治を乗っ取られ追放されたアナスタ
シア姫。彼女を保護したガイル王子は極少数の精鋭部隊にて帝国領
土へと深く進行する。
彼等は各地の帝国貴族を地道に説得し、味方にしていく。アナス
タシアの交渉能力と生まれ持った地位をもってすれば、暴君より彼
女を選ぶ者が多いの必然であった。
帝国内部は次第に内戦の呈を成し、戦線は混線状態へと陥る。
誰も、どこからが味方でどこからが敵かなど判らなかった。それ
を判断する材料は人型機や航空機に描かれたシンボルだけであり、
迂闊に敵を奇襲も出来ない混沌とした状況となったのだ。
無論、反乱軍など正規兵に比べれば少数だ。しかし帝国は王国と
戦争中、国境より多くの兵は動かせない。故に、ラスプーチンは彼
2591
等を排除しきることが出来なかった。
そして決戦の舞台は帝都フュンフへ。ラスプーチン指揮下の近衛
兵に加え、命令のままにガイル達を排除しようとフュンフへと兵力
を向ける帝国軍。対するはガイルや共和国の騎士に加え、アナスタ
シアが味方に引き入れた元帝国兵。
帝都の内と外より迫る軍勢、その最中にて機体のシンボルをどん
な長距離でも識別し、敵機を駆逐していく存在がいた。無論シモ・
ヘイヘである。
広範囲に渡って帝国軍機を抑え込み、ガイル達がラスプーチンを
討つべくフュンフで激戦を繰り広げる中、彼等が憂いなく戦えるよ
うに雑魚を牽制する。その重要な役割を果たしたのである。
シモ・ヘイヘは軍人であったが、その根底にあるのは忠誠心では
なく祖国への愛であった。
だが彼とて人間、不敗を約束された軍神ではない。帝国軍天士が
死ぬもの狂いで放った一発の砲弾が、彼の巨勇兵の頭部コックピッ
トモジュールに直撃したのだ。
薄い側面装甲を貫いた砲弾は巨勇兵のコックピットを半分抉り、
座席に収まっていたシモ・ヘイヘをも襲う。顔の半分を失い意識を
手放した彼は生死の境をさ迷い、一週間後にようやく目を醒ました。
その時には、既に大戦は終結していた。英雄たるガイルとアナス
タシアは人知れず姿を消し、大きな傷跡と焼け落ちた国土、そして
コックピットを半分失った愛機と顔半分を覆う大火傷だけが残った
のだ。
元々は猟師であったシモ・ヘイヘだが、消耗した祖国を前に軍人
として生きることに決めた。半分となった機体頭部に戒めとして粗
雑な修復だけ行い、半面の巨勇兵を駈り帝国に仇なす者を撃ち抜く
死神としての人生を送ることを選んだのだ。
終戦より12年。帝国と国境を接する小国ノインが、超大型レー
ルガン・カリバーンを配備する。
世界のほぼ全てを攻撃可能な超兵器。民間機が多数撃墜されたこ
2592
とから帝国はノインへの調査、という名目の侵攻を決定する。ハダ
カーノ王にノイン程度の小国に対する野心などないが、民間船の撃
破とは開戦に充分な理由であり、軍事国家としての帝国の威信を保
つ為には﹃多目に見る﹄という選択肢はなかった。
多数のアプローチからのノインへの侵攻作戦。しかしそれは尽く
失敗し、遂に帝国は切り札を切ることを決定した。
それがシモ・ヘイヘ、超兵器と渡り合えるであろう唯一の超人。
彼としてはカリバーンを完成させたのがガイルやギイハルト、フ
ィオといったかつての戦友であることなどどうでも良かった。帝国
国土を脅かす存在は全て敵であり、以上でも以下でもない。
そしてカリバーンとシモ・ヘイヘは遂に直接対決の時を迎える。
しかし、それは一方的なものであった。
シモ・ヘイヘの80センチ砲とて、100キロ先の敵を撃破する
性能は有していなかったのだ。
彼は自身に迫るレールガンの弾道を、尋常ならざる視力と﹃勘﹄
によって全て迎撃していく。だが80センチ砲も弾切れとなり、シ
モ・ヘイヘは撤退を余儀無くされた。
その際に巨勇兵は脚部を撃ち抜かれ、中破認定を受ける。零夏達
がツェーン軍事基地を訪れたのは、それよりしばらくのこと。
﹁零夏殿、奴は私とて攻めきれなかった怪物︱︱︱しくじるなよ﹂
国境の森にて静かに80センチ砲を構える巨勇兵。移動は出来ず
とも、狙撃するだけなら問題ない。
しかし位置を特定されれば、カリバーンより逃れる術はない。作
戦の失敗はシモ・ヘイヘにとっても死を意味するのだ。
遥か彼方より届く小さな閃光。超音速飛行する2機に迫るレール
ガンを認識したシモ・ヘイヘは、引き金を引きつつただ一言だけ忠
告した。
2593
﹁︱︱︱操縦幹を動かすな﹂
弾頭と飛行機の間に割り込む飛翔体。
火薬を満載した全長3,6メートル直径80センチの弾頭は、レ
ールガンの散弾を飲み込み起爆。700キロの炸薬は空中に僅かな
安全領域を作り出す。
その隙間を抜けてレールガンの軌跡より離脱する白鋼と赤矢。彼
等は何が起こったのかと困惑し、理解した。
﹁ヘイヘさん!?﹂
﹃⋮⋮長距離スナイプの記録更新です。公式記録には残せませんが﹄
国境より48キロ。前人未到の長距離狙撃は、レールガンの軌跡
と2機の戦闘機の合間を完全に射貫いたのだ。
﹃あ、ありがとうっ!ありがとうございますぅっ!﹄
﹃どういたしまして、リヒトフォーフェン君。だがこれ以上の支援
は出来ない﹄
単純に、48キロの狙撃とはシモ・ヘイヘが駈る巨勇兵の主力兵
器・80センチ砲のスペック理論限界なのだ。
2594
﹃そんな、30秒で一発撃ってきたってことは、更にもう何発かあ
るってことでは!?﹄
﹃その通りだ、頑張りたまえ﹄
逃げ出したい、そんな臆病な衝動に駆られるマンフレート。だが
彼はすぐに思い出す。
自分がなぜ、ここにいるのかを。
︵僕の役割はソフィアージュ姫を守ること、いざという時は僕が︱
︱︱︶
白鋼の一部、ロケットの一本が爆発する。
﹁3番ロケット出力低下!?レールガンがかすっていたか!?﹂
零夏は即座に一1番と4番のロケット出力を上昇させる。
重火力強襲ユニットは姿勢制御の一部をロケット出力の上下に任
せている。飛行中でも固形燃料の燃焼速度を変化させ、機体を操る
ことが可能なのだ。
ロケットが火を吹いたことで一時は崩れかけたバランスも、零夏
の補正により即座に持ち直し直進飛行へと戻る。胸を撫で下ろした
零夏だが、ソフィーは目の前に迫る更なる危機を知らせた。
﹁カリバーン次弾来るわ!﹂
30キロ先で発射の兆候を見せたカリバーンを、ソフィーは肉眼
で確認した。
レーダー上では直撃したはずのカリバーンを乗り切ったことで、
管制制御室のオペレーターは初弾の目標こそ敵機の本命であると気
2595
付いたのだ。
﹁大丈夫、この距離なら砲身角度から回避方向が解る⋮⋮マンフレ
ート、白鋼に着いてきて!﹂
﹃どこまでも着いていきますとも!﹄
操縦幹を引くソフィー、しかし白鋼は動かない。
﹁レーカ!?﹂
﹁ロケットが死んだ影響だ、レスポンスが悪い!上以外に回避しろ
!﹂
﹁無理よ、上以外はレールガンの弾道に含まれているわ!﹂
真っ正面より高まるプレッシャー、どうすべきか思考する零夏だ
が答えはでない。
﹁避けきれ、ない⋮⋮!﹂
︵せめてソフィーだけでも脱出を︱︱︱駄目だ、生身で超音速の世
界に放り出されて生きれるはずがない︶
あらゆる手段を却下し、苦渋を浮かべる零夏。
そこに、少し上ずった声が届く。
﹃僕が︱︱︱僕にお任せ下さい、ソフィアージュ姫!﹄
2596
彼にキザ男と渾名を付けたのは零夏だが、無論マンフレート・リ
ヒトフォーフェンというれっきとした本名がある。
リヒトフォーフェン家に生まれた三男である彼は、実を言えば政
治的にはあまり意味のある存在ではなかった。
二人の兄は既に士官学校を卒業し、軍人として活躍中。貴族の家
としての面目は彼等が充分保っている為に、三男のマンフレートに
対する期待は小さかったのだ。
立場はあれど未来の指針はない。軍人家系の慣例的に士官学校へ
の入学は決定していたものの、真っ当な仕事でさえあれば世間も家
族も文句は言わない。
なまじ将来が限定されていないが為に、人知れずそれはマンフレ
ートにとってプレッシャーとなっていた。
そんな少年が好奇心を向けたのは、飛行機と異性。生まれもって
の操縦センス、そして調子のいい口調。幸いにして、彼はそれらの
才能をほどほどに有していた。
セルファークは各地で航空機の大会が開かれている。優秀な整備
士と良質な機体を用意したマンフレートは各地で連戦連勝を重ね、
瞳を輝かせる異性に愛を語っては逃げられていた。
そして大陸横断レース幼少の部への出場を決意。かねてより目を
付けていた大戦の試作機をレストアし、共和国首都ドリットへと挑
む。
マンフレートはそして、ソフィアージュと出会った。
他の少女達とは別格の輝きを宿す美少女。内気な性格はどのよう
な砦よりガードが堅くマンフレートを以てしても苦戦させられたが、
多少の会話を成し遂げた。
2597
だがレース当日。決勝にて、マンフレートはテロリストに撃墜さ
れる。どのように生還し、占拠された首都より脱出したかは割愛し
たところで問題なかろう。
一連の出来事の後帰国した彼は、父よりソフィーの正体を聞かさ
れる。共和国と帝国の合の子であり、世界で最も尊い姫であること
を。そして自身の家系こそ、彼の姫を代々守る騎士の血筋であるこ
とを。
彼は父からソフィーの護衛を命じられる。貴族としてのエリート
街道から外れ、宛のない旅に同行するのは過酷な生活が予想された
ものの、彼にとってそんなことは些事であった。
マンフレートは天恵を得た心持ちであった。それまでの漠然とし
た与えられた将来ではなく、始めて自分から成し遂げたいと思えた
目標であった。
それよりマンフレートの行動原理はソフィーが中心となる。それ
が親愛か敬愛か恋愛感情かなど、彼自身にすら解らない。
しかし、その在り方は、あるいは騎士と呼べるのかもしれない。
覚悟など、ずっと前から決めていた。
﹃︱︱︱はは、見せ場には事欠かないなあぁ!﹄
赤矢が白鋼の下に潜り込む。亜音速では可能な機動も、極超音速
では強烈なGによって自殺行為になりかねない。
無茶なシザー運動はマンフレートの血を脳より奪い、意識を刈り
2598
取りとらんとする。
︵まだだっ!あと数秒でいい、堪えろ!︶
想定以上の重圧に機体が歪み、マンフレートの指先が内出血で紫
色になる。眼球の毛細血管から血が抜け視界が暗くなるものの、彼
は自身の唇を噛み千切らんとするほどに噛み締め意識を繋ぎ止める。
天士は元より、機体にとってすらその機動は無茶であった。
﹃キザ!?何を!﹄
﹁マンフレートだ、アホレーカ⋮⋮!﹂
大気整流装置を出力全開に解放し、白鋼を上に押し上げる。地面
効果⋮⋮真下に物体があることで翼の生む揚力が増加し、白鋼は赤
矢と接触することなく上に押し退けられた。
﹁どうだ、やったぞ︱︱︱﹂
﹃減速しろキザ男!大気整流装置が!﹄
零夏には赤矢がどうなるか、マンフレート以上に明確に予想出来
た。オーバーロードした大気整流装置の術式は焼け付き、性能を失
う。
装置の3枚のブレードが、機首が、主翼のエッジが。断熱圧縮に
よって熱を帯び、塗装が剥げアルミ合金が溶け始める。
﹃マンフレート⋮⋮!﹄
﹁おお、名前を呼んでくださるのは貴女だけです、我が愛する君よ
2599
!﹂
﹃お前、俺達だけ助けて死ぬ気か!?﹄
﹁うっさい!誰が男の為に死ぬものか、それになレーカ!﹂
マンフレートは獰猛ににやりと笑う。
﹁僕は不死身だ、悪運の強さが取り柄だと、君とて散々そう言って
︱︱︱﹂
その瞬間。
カリバーンの散弾は、プラズマの帯となって白鋼の真下を通過し
た。
それは墜落でも爆発でもない。
見間違いようのない、﹃消滅﹄。消え失せるように、刹那の間に
赤矢は塵と化したのだ。
小さく声を漏らしたソフィーに、零夏は叫ぶ。
﹁ッ!ソフィー揺らぐな、揺らいじゃダメだ!接敵まで、後2秒ぉ
!﹂
零夏とソフィーの目の端に光るものがあったが、拭う余裕すら彼
2600
等にはない。
﹁3発目!﹂
ソフィーは最後の砲撃の予兆に気付く。
彼我の距離は後1キロ、回避するほど急旋回は出来ない。
零夏は本来の予定であったカリバーン側面に回り込んでの破壊を
却下し、更に危険な手段を決断する。
﹁加速だソフィー!砲身に入れ!﹂
撃つ前に砲身へと飛び込み、内部より破壊してしまえばいい。
限界を迎えた重火力強襲ユニットのロケットが3本ほぼ同時に火
を吹く。巨大なユニットを付けたままではカリバーンの砲身には飛
び込めず、ソフィーはユニットをパージする。
弾け、バラける重火力強襲ユニット。その内部より細くスマート
な、白鋼の本体が現れる。
後方でロケットが爆発するも、その爆風も音も白鋼には追い付け
ない。
マッハ4,5で砲口に突入した白鋼。周囲の砲身内壁はこれから
通過するであろう弾丸の為に電気を帯びはじめ、異物の白鋼との間
にも火花が散る。
﹁逆噴射︱︱︱﹂
アイハブコントロール
﹁それじゃ間に合わない、操縦幹借りるぞ!﹂
ソフィーより強引に制御を奪い、白鋼は零夏の操縦にて人型に変
形する。
白鋼は接近戦に特化した全身ミスリルブレードの凶器。四方八方
2601
に切っ先を突き立て、制動を試みる。
﹁止まれ止まれ止まれ︱︱︱!﹂
高電圧を抵抗もなく流しきる超伝導体の砲身も、ミスリル製のブ
レードには敵うはずもない。白鋼が進むごとに砲身は傘のように放
射状に裂け、無惨な姿へと化してゆく。
バチバチと高圧電流が白鋼を襲う。しかし、それがコックピット
に届くことはない。
ミスリルとは炭素の四次元立体構造体である。炭素は一般に電気
を通すとされているが、炭素同士が共有結合しているミスリルは優
秀な絶縁体であり二人を電圧から守っていた。
ブワリ、とソフィーは機外に風を感じる。
弾頭が圧縮空気にてレールに押し込まれる、その空気の流れを過
敏に感じ取ったのだ。
零夏も解析魔法にてそれを知る。
﹁弾頭に電力が通ったら終わりだ、ローレンツ力で白鋼ごと吹き飛
ばされる!﹂
砲身内部の直径は人型機が直立出来る程度。逃げ場などなく、音
速すら越える慣性が残っている以上は砲口まで引き返しての脱出も
しようもない。
進行可能な方向は正面のみ。故に、零夏は覚悟を決める。
﹁進むしかないのなら、進めええぇぇ!!!﹂
エンジン全開、両手にミスリルブレードを構え加速。左右の電源
供給ケーブルを一瞬で見極め、同時に剣を突き立てる。
瞬間、白鋼は砲弾に弾かれ、砲身内を押し戻された。
2602
﹁う、ぐあぁっ!﹂
白鋼のクリスタルが発生させる魔法障壁がダメージを防ぎきるも、
大質量の砲弾を軽量機の白鋼が止められるはずがない。
結果、大きく後退したものの、砲身途中で静止する白鋼。それは
砲弾が電圧にて加速をしなかったことを意味していた。
﹁間に合った⋮⋮のか﹂
大きく肩で息をする零夏とソフィー。レールに高圧電流が流れて
いれば、弾頭が砲身内にて加速し続け白鋼ごと撃ち出されていた。
零夏は賭けに勝ち、電流供給ケーブルの切断に成功したのだ。
切り刻まれた砲身は裂けて、複数本に別れて地上に落下してゆく。
隙間より脱出しホバリングする白鋼からは、それが嫌にゆっくりと
落ちていくように見えた。
続いて、砲身が崩壊したことでバランスを崩したカリバーンの機
関部が台座より傾き倒壊していく。
2000000トンの鉄塊は大地に沈み、無惨な姿を国民に晒す。
国を守っていたはずの超兵器の最期に呆然と立ち尽くす人々は、そ
の残骸の頂点に佇む白亜の人型機を目撃した。
僅かな間、静止する白鋼。
﹁キザ男︱︱︱﹂
一瞬の黙祷。
﹁︱︱︱ソフィー、やるぞ!﹂
零夏は刮目し、作戦目標の捜索に移行した。
2603
カリバーン突破戦 1︵後書き︶
﹀三人組の戦い方がどうやってもベトナムでのゲリラ戦
確かにあの戦争をモデルにしました。戦場は地獄だぜ!
﹀これサンダーボルトⅡとか乗ったらマジで焦土になりそう
ルーデルとガーデルマンの搭乗機である雷神はA10がモデルです
よ。色々と魔改造されていますが。
改造箇所
・30ミリガトリング︵いわゆるアヴェンジャー︶を三門に増設。
・主翼を延長し積載量を増加。浮遊装置を追加し積載量を更に増加。
設定上の積載量は30トン︵だったと思う︶。
・エンジンを強化。劣悪な運動性をサポートする為に、推力偏向装
置も付加。
フィクションとはいえあまりに無茶な改造ですが、ルーデルは存在
自体がギャグ枠なのであまり気にせず強化しまくりました。
2604
カリバーン突破戦 2
しろがね
超大型レールガン・カリバーンの破懐に成功した白鋼だが、そこ
に僚機の姿はない。
、そんな楽観の末の喪失だった。
それも覚悟していたこと、元より無謀な突破作戦。
彼は撃墜されても死にはしない
﹁⋮⋮ここは敵の本拠地だ、さっさとイリアを確保するぞ﹂
零夏は感情を抑え込み、目的へと移行する。
イリアは世界の鍵であり、﹃ほぼ﹄純粋な保護目的によって隔離
されている。よって物理的に安全であることと露見されないことを
最優先とした場所に隠されいる、と零達は推測した。
﹁頼りになるのはリデア謹製のコンパスだけ、か﹂
零夏の手の平には、針ではなく光を伸ばすコンパス。動作原理な
ど解らないものの、手渡された時点からずっと同じ地点を指し示し
ている。
﹁魔法の道具で探せる人間、って何なのかしら﹂
﹁解らん﹂
リデアから軽い説明は受けているものの、人間と隕石がイコール
で結ばれることに首を傾げる二人。
﹁詳しくは作戦後に聞く約束だ、操縦任せるぞ﹂
2605
﹁うん﹂
カリバーン周辺の大地が開き、多数の垂直発射ミサイルサイロが
露出する。
すかさず解析魔法を使用、地球における最も近い兵器を判断。
﹁SAM!﹂
﹁さむ?﹂
﹁地対空誘導ロケットだ、だけど!﹂
崩壊したカリバーンの残骸上に立つ白鋼に、数十本のミサイルが
迫る。だが零夏は人型形態のまま空中に身を踊らせ、同じ場所に浮
遊したまま無視しきった。
次々と着弾し爆発するミサイル、爆炎に飲まれる白鋼。
風で煙が流れた時、そこにいたのは無傷の機体であった。
﹁防げるのは確信していたが、怖いな!﹂
ソフィーは人型形態のままホバリングを続け、カリバーン周辺を
ソードシップ
ぐるりと周回する。人の形をしていようと宙にいる間は白鋼の設計
思想は飛行機であり、ソフィーの能力の範疇だ。
零夏は現在位置とコンパスを照らし合わせ、測量を行って尋ね人
を探す。その間にもミサイルが絶え間なく突き刺さるが、彼等は気
になどしない。
﹁あっち、か﹂
2606
そして位置を確信した零夏。視線の先には、簡素な城があるだけ。
﹁⋮⋮女の子を城に幽閉するとは、お約束だな﹂
ミサイルの隙を突いて戦闘機に変形し、一息に城上空へと接近。
﹁本当にここでいいの?﹂
﹁構わない、降ろしてくれ!﹂
白鋼のキャノピーが開き、ガンブレードを握った零夏が飛び降り
る。
離脱する白鋼を見送り、零夏は侵入可能な入り口を探す。
たった一人の城攻めが始まった。
尖塔の窓を破壊し城に飛び込んだ零夏は、割れたガラスを服から
払いコンパスを確認する。
﹁コンパスが指してるのは城の標高より更に下の方、人間が頑張っ
て掘った穴にしちゃあ深すぎる。こりゃダンジョンを利用している
な﹂
世界中に蟻の巣のように広がる地下構造、通称ダンジョン。古代
文明の遺跡などと呼ばれているが、ようは宇宙コロニーであるセル
2607
フ・アークの外壁内施設である。
地上と月面が向かい合わせとなったセルファークという世界、人
類が大地だと思い込んでいるのは宇宙コロニーの外壁内側の成れの
果て。一見木々や山々が広がる地球と同じ大地だが、少し掘れば金
属の内壁に達する。それが偶発的に地上に露出したり人間の開発に
よって発見された場合、内部侵入する為の出入り口を人々が﹃ダン
ジョン﹄と称するのである。
建築物は木造や石積みも多いセルファーク、そのほとんどは中世
時代程度の建築技術だ。
近代に造られたそれらと比べて、高度な素材技術で建築された宇
宙コロニーは並の城壁より遥かに強固であり堅牢といえる。
﹁ダンジョン内の魔物をある程度一掃して、城の一部として使って
いるんだろうな。あ、メイドさん﹂
﹁ひぃぃっ!﹂
突如窓より侵入してきた不信人物、つまり零夏に怯えるメイド。
とりあえず手を振って無害をアピールする。
駆け付けた騎士達が腰を抜かし壁に背を預けるメイドと、彼女に
手を向ける零夏を見て眉を吊り上げる。
﹁侵入者だ!﹂
﹁侍女に手を出そうとしているぞ!﹂
﹁不埒な奴め!﹂
︵してねぇよ⋮⋮︶
2608
零夏は泣きたくなった。
﹁おのれ不届き者め、ノイン一番の剣士である我ガッ!?﹂
﹁はいはいちょっと急いでるんでな!﹂
騎士達をガンブレードの側面で凪ぎ払いつつ、零夏は道を急ぐ。
﹁我こそノイン最高の槍使い、その名もギャッ!﹂
﹁ガハハ、俺はノイン最強の武道家でノブハッ!﹂
﹁他とは一味違うぞ、ノイン屈指の魔法使ハレアッ!﹂
次々と敵を吹き飛ばす零夏。彼とて剣技においても世界屈指の使
い手だが、そもそも基礎魔力量の桁が違う。強行突破するだけなら
ば、身体強化魔法による力業が一番楽だった。
﹁加減は出来んぞ、というか騎士多すぎだろ!﹂
ノイン王国の王城なのだから、別に不自然なことではない。もっ
とも、敵が長らくいなかったことから実力は大きく低下しているが。
騎士を一通り蹴散らし、零夏は先を急ぐ。
﹁おい、待て!﹂
﹁待たん!﹂
階段を駆け降りる零夏を呼び止める声、彼はにべもなく無視する。
2609
﹁いや待て、待って下さい!﹂
﹁なんだよもう、手早く頼む!﹂
零夏が目を向ければ、王冠を被った男性が彼を睨んでいた。
﹁何のつもりだ、誰だお前は!カリバーンがなければこの国の防衛
は⋮⋮!﹂
﹁ごめん急いでるからもう行くわ!﹂
あまり興味をそそる内容ではなかったので、零夏はスルーするこ
とにした。
﹁お、お前はどこの者だ!せめてそれだけ教えろ!﹂
﹁通りすがりのイケメンだ!イケメンキック!﹂
﹁ガバッ!?﹂
零夏はアラサアを蹴り飛ばし、更に地下へと進む。
顔を蹴られ悶絶するアラサアは鼻血もそのままに騎士に叫んだ。
﹁スクランブルだ、戦闘機を出せ!﹂
﹁もう上がっております!﹂
﹁全てだ、動かせる機体を全て発進させろ!﹂
2610
﹁す、全てですか!?﹂
アラート・ハンガーに詰めた戦闘機は4機のみ。国土の中心に位
ストライカー
置するここには、戦力こそあれど緊急時への備えは戦略上薄い。
ソードシップ
﹁そうだ!戦闘機も人型機も、空を撃てる奴は全て動かせ!﹂
﹁はっ!﹂
正規の手順を踏まずにエンジンを回せば、飛行中に問題が発生す
る可能性すらある。しかしアラサアは、敵の排除を優先した。
﹁あの前後逆の飛行機を生きて帰すな!﹂
外界から隔離された彼は、今や世界的に有名な白鋼の名も知らな
い。統一国家を散々虚仮にしてきた英雄も、彼にはただの外敵と大
差なかった。
﹁スクランブルだ!まわせーっ!﹂
﹁誰の機体でもいい、乗り込め!エンジンが動いた奴から離陸しろ
!﹂
﹁コンタクト、コンプレッサー早く!﹂
2611
カリバーンに依存し軍事規模を縮小していたとはいえ、国内に一
切の機動兵器が存在しないわけではない。
城の格納庫より人型機が屋外に牽引してきたのは、帝国のベスト
セラー戦闘機である初音21式。葉巻型の胴体に綺麗な三角形の主
翼と単発エンジンを備えた、良好な運動性と最高速度、そしてなに
より極めて優れた整備性を備えた戦闘機だ。
もっとも、あくまで開発当時の基準からしての﹃良好﹄。現在使
用されている機体と比べればあらゆるスペックが劣っており、まし
て白鋼と敵対出来る戦闘機ではない。
ファイアフライ
浮遊装置にて垂直離陸していく初音21式の傍ら、人型機部隊が
いくさみこ
動き出し対空砲を構える。
大戦の傑作人型機・戦巫女を独自改修した蛍巫女。火力拡張と火
器管制を重点的に強化されており、整備性の良さから配備から外れ
ない歴戦の機体である。
軍事力の何割かを割いての一斉出撃。カリバーンがありながらも
それだけの練度を維持していた天士に関しては、一応優秀と称して
もいいのかもしれない。
城を降りていく零夏。やがて壁は石造りから、滑らかな金属へと
変化した。
﹁ダンジョンの階層に突入したか﹂
2612
ひんやりとした空気に気を引き締める零夏。ダンジョンは|古代
のトラップ︽宇宙コロニーの警備装置︾が生きていることもあり、
危険が多いのだ。
幾らかの鉄壁を魔法で吹き飛ばし、その最奥に到達する。
﹁ここが最下層?いや、コンパスは更に下を示しているな﹂
床に手の平を突き、解析魔法を発動。
﹁岩盤、いや金属板か。厚さは3メートルってところだな﹂
板と呼んでいるものの、それはほとんど鉄塊だ。完全密封された
鋼の箱は単純だが故に強固であり、零夏はこの中に彼女がいると確
信する。
地面にガンブレードを向け、トリガーを引く。
機械的なデザインの銃剣が変形を開始した。
銃身が銃底より後ろまで後退。ブレードが上下に割れ、ドリルが
飛び出す。
カードリッジを銃身に押し込む。かつては費用的な問題から水素
ロケットだったが、今では瞬間的な推力がより強力な固形燃料に改
良されている。
魔刃の魔法を刻まれたドリルがガス圧によって高速回転。甲高い
回転音が鳴り響き、狭い地下空間の壁や地面に深い裂傷を刻みつつ
唸りを上げる。
100管のオルガン
﹁久々の出番だ、派手に決めろーーーストーカチューシャ﹂
化学物質が炎柱を吹き燃え上がり、ドリルが金属板へと食い込ん
だ。
火花を散らし掘削するドリル、地下空間を狭しと暴れまわる炎。
2613
﹁熱いいぃぃぃ!?﹂
﹃100管のオルガン﹄の名は、10メートルもの炎柱を10秒間
吹き続けることに由来する。
それほどの熱量を室内で解放すれば、こうなるのは必然であった。
げほげほと咳き込みつつ、魔法で火を消し飛ばす。
﹁えらい目に遭った⋮⋮﹂
目の前にはドリルで穿った大穴。奥は暗くて見えない。
解析魔法にて罠がないことを確認し、下に降りる。
穴の底は完全な闇だった。魔法の明かりを灯し、周囲を照らす。
﹁埃が舞っててほとんど見えないな﹂
地下空間はガンブレードで破砕した瓦礫が多く積もっており、他
は棺が一つあるだけだ。
﹁⋮⋮間違えて霊安室の壁をぶち抜いたか?﹂
棺がガタガタと音を立てる。
続いてガン、と一度だけ大きな衝突音。
﹁ぅぅぅぅぅっーーー﹂
木枠の中から聞こえる呻き声。
﹁頭、打った。それに暗い﹂
2614
少女の声であった。
零夏が慌てて付近に落ちていたバールのような物で棺をこじ開け
ると、小さく華奢な人影が土煙の中より現れる。
眠たそうに半目のまま零夏を見詰めるアメジストの瞳。
絹のように滑らかに光沢を湛える薄紫の髪の毛。
同系色のワンピースドレスに身を包み、ゆっくりと立ち上がる美
少女に零夏は思わず息を飲む。
﹁⋮⋮えっと、ああ、久しぶりだ﹂
小首を傾げるイリア。
﹁だ、れ?﹂
彼女の背中には白い翼。人工の天使⋮⋮否、天師の証である飛行
装置。
﹁覚えてないか。俺はレーカ、突然だけれどイリアには俺と一緒に
来てほしいんだ﹂
﹁イリ⋮⋮ア?﹂
何度か瞬きするイリア。
﹁それは、私の名前?﹂
﹁なに?﹂
埃のせいか、くちゅんとクシャミをする少女。
2615
イリアーーーギイハルト・ハーツの妹とされる少女と、零夏はこ
うして再会した。
城の上空を大きく旋回する白鋼。緊急離陸してきた初音21式が
白鋼を必死に追い、通話もなしに30ミリ機関砲を発射する。
﹁これだけ乱暴に国境を越えれば、無警戒も当然ね﹂
キャノピー横を追い抜いていく曳光弾を、ちらりと横目で確認し
ただけで無視するソフィー。
白鋼に殺到する多くの戦闘機だが、彼女の巧みな操縦は射撃を紙
一重で回避していた。
﹁意外と多いわね。避けるのも面倒だけれど、下手に反撃すると落
としちゃうかも⋮⋮﹂
剣の扱いはどうやっても零夏が上、ソフィーが初音21式を攻撃
すれば機体を両断し天士を殺してしまう。彼女としてはそれは避け
たかった。
﹁うーん、どうしようかしら﹂
人型機形態となり、障壁を展開した状態で膝を抱えてホバリング
する白鋼。
2616
それはあたかも胎児が母体の中で眠るようであり、兵器が行って
いることを鑑みればかなり奇妙であった。
しかしノインの天士達にとっては奇妙、で済ませられる話ではな
い。
ソードストライカー
﹃ソ、半人型戦闘機だと!?﹄
﹃外の世界では実用化していたのか!﹄
﹃光の膜が張られてる!攻撃が通らないぞ!﹄
実現不可能とされた架空の兵器が目の前に存在し、その上攻撃が
一切通用しない。なぜか敵意がないことに困惑しつつも、戸惑うば
かりの天士達であった。
最初は驚きつつも果敢に攻撃を試みたが、30ミリ機関砲や40
ミリ対空砲では白鋼の障壁は貫けない。かつて150ミリ鉄鋼弾す
ら防いだ光の壁は、レーザーやレールガンといったSFに片足を突
っ込んだ兵器で初めて突破出来るのだ。
やがて諦め、白鋼の回りを周回することに終始する初音21式。
通用しなかろうと、監視は行わなければならない。
そうしているうちに国王の命に従い、国中から戦闘機が集まり増
えていく。小国といえど一国家軍隊、やがて敵機の総数は100は
越えていた。
﹃女の子じゃないか、この天士﹄
﹃あれ、なんか可愛くね?﹄
﹃美少女だ!アンノウンは美少女、繰り返す美少女!﹄
2617
何度もフライパスすれば、パイロットの顔まで見えてしまう。
かぁ、と顔が赤くなるソフィー。
根が引っ込み思案なソフィーは思わず頭を引っ込める。
﹃あっ、美少女が隠れちまったぞ!﹄
﹃お前が近付き過ぎるからだ!﹄
﹃うっせぇ、お前が息くさだからだろ!﹄
リデアならば開き直って、キャノピーを開けて歌って踊るくらい
はするだろう。しかし彼のアイドル姫ほど図太くないソフィーは、
到底そんなことは出来ない。
命のやりとりさえなければ空に国境は見えないのか、カリバーン
の是非はともかくとしてどこか緩んだ空気の流れる戦場。
風の変化を真っ先に察知したのは、当然ソフィーであった。
﹁⋮⋮⋮⋮?﹂
ソフィーは天空を見上げる。
無数の岩が浮かぶ重力境界、その先の蒼い月面世界。
どこかに何かいた、気がした。
﹁⋮⋮来る﹂
それは天士生活で鍛えられた第六感か、あるいは王国の血に宿る
能力の一端か。
ずっと封鎖していた無線をオープンチャンネルにし、ソフィーは
叫んだ。
2618
﹁皆、高度を下げて!﹂
白鋼は飛行機に戻り、一直線に急降下する。
敵からの指示に対する反応は様々だった。
突然の行動に呆気にとられ、旋回を続行してしまった者。
ソフィーの言葉に鬼気迫るものを感じ、白鋼と共に急降下した者。
命運は、高度約千メートルから分かたれた。
真上より迫る不可視の攻撃。世界が震え、逃げ遅れた数十機の戦
闘機が崩壊する。
﹃なんだ、被弾したのか!?﹄
﹃食らった、見えない何かがぶつかった!﹄
﹃耳が痛い、誰か応答してくれ!﹄
突如飛行していた戦闘機の半数が撃墜され、混乱状態に陥るノイ
ンの騎士達。
﹁うっく、うぅぅ﹂
なまじ目がいいソフィーには、コックピット内で喀血した天士や
空中に投げ出された天士が見えていた。嘔吐きつつもソフィーは冷
静に謎の攻撃を分析する。
︵飛行機を壊すほどの衝撃波ーーーまさか、核?︶
かつて零夏が実用化した衝撃波特化核弾頭。その性質に近い攻撃
が無差別に行われたのだと、そこまではソフィーもすぐに推測出来
た。
2619
天士達の受難は終わらない。空より小さく細い筒が、無数に落下
してくる。
赤外線探知式ミサイルのロケットモーターが点火。加速したミサ
イルは、ふらふらと蛇のように戦闘機を追い、自爆していった。
﹁脱出しなさい!初音21式では的になるだけよ!﹂
フレアを撒きつつヨーイングを行い、ミサイルを回避する白鋼。
周辺では次々と初音21式が撃墜されていく。
僅か数十秒で、空に無事残っているのは白鋼のみとなった。
﹁⋮⋮誰﹂
キッ、とソフィーは空を睨む。
﹁そこにいるのは、誰﹂
誰何の返答ではなかろうが、姿なき敵より通信が入った。
﹃ちょっと、アンタ等まさかアレを奪う気なの?頭おかしいんじゃ
ない?﹄
突然の罵倒は、当然フィオである。
城に侵入した零夏をカメラ越しに目撃し、フィオは焦りを隠くこ
ともなく抗議した。
﹃その声は、フィオ様ですか!?どうして我々まで、敵は一機のみ
⋮⋮﹄
初音21式より脱出に成功した天士が、落下傘にて降下しつつ問
2620
う。
﹃うるさい雑魚がっ、少し黙ってろ!﹄
﹃フィ、フィオ様⋮⋮!?﹄
困惑する天士達。彼等にとってガイルを初めとする一行は救国の
英雄であり、一種尊敬の対象。国に居座る為に普段は猫を被ってい
たこともあり、本性を表したフィオそれなりの衝撃であった。
﹃あんた等なんてどうでもいいのよ、量産品どもが!どうせ死んで
も生き返るんでしょうが!﹄
生き返る、という言葉に疑問符を浮かべ眉をひそめるソフィー。
死者の蘇生は魔法理論的には可能だが、それは時間移動の応用に
よって成し遂げる高度かつ複雑な作業だ。教会に棺桶を引き摺って
いけば誰でも募金次第で生き返らせてくれる、というわけではない。
﹃そ、そんな、なにを!?フィオ様、ご乱心御乱心なさったのです
か!?﹄
﹃アレが死んだら世界が終わるのよ!?勝ちも負けもなく、全てぺ
っちゃんこなのよ!﹄
﹁知らないわ、なら私達に危害を加えず素直に返してくれない?﹂
図々しく返信するソフィー。零夏がいないので、素の性格の意外
と図太い部分が顔を出している。
﹁そもそも貴女は、なぜ私達が遥々ノインまで乗り込んできたと思
2621
ったの?﹂
﹃なぜ、ですって?私はあの人の弱点よ、普通は私を狙うわ!﹄
﹁ぷっ。⋮⋮いえ、すいません﹂
すぐ取り繕ったものの、ソフィーの吹き出した声は通信機越しに
フィオにも聞こえていた。
フィオの額に青筋が浮かぶ。
﹃⋮⋮何よ、異論があるかしら?あの人が戦うのには私が必要なの
よ、私がいないと心神は性能を維持出来ない。つまり私とガイルは
支え合っているの﹄
母艦ヴァルキリーと専属メカニックであるフィオ、この双方が失
われた場合ガイルは大きく戦闘能力を喪失する。それは事実であり、
カリバーン突破の目的がフィオの命だとしても不自然ではない。
﹁前から思ってたけれど、貴女ってほんと惨めよね﹂
ぽろりと溢れた毒舌は、挑発ではなくソフィーの本音だ。
両親の深い愛情を知る彼女は、フィオの言葉が妄言でしかないこ
となどあまりに容易く看破している。ガイルが豹変してしまった今
とて、他の女性に目移りなどしていないと確信していた。
﹃ああっ!ああああっ!これだから、ガキは嫌いなのよ!いいわ、
合流する前に落としてしまえばご破算よ!﹄
白鋼が落ちてしまえば零夏はノインより脱出する術を失う。ガイ
ルの目がないことをいいことに、フィオは外敵を力付くで排除する
2622
ことに決めた。
もっとも、前提としてフィオは技術者である。戦士でも軍師でも
ない彼女は、戦いなど知らない。
駆け引きも出来ず戦術も知らず、ただ引き金を引くことしか出来
ない女。
だが、それは戦場における弱者であることを示しているわけでは
ない。
﹃もういいわ、問答なんて不要だわ。死になさい、雌犬﹄
天空より、超高速の飛翔体が幾本も白鋼に猛進する。
高度3000メートル以上、重力境界の浮遊岩石の隙間より落ち
てきたミサイルは空中にて点火。白鋼を包囲すべく、全方位より襲
い掛かった。
﹁これは⋮⋮確か、フェニックス?﹂
先程の簡素で小さなミサイルとは違う、ソフィーは炎を噴射し空
を駆ける大型ミサイルに見覚えがあった。かつてガイルと戦闘した
際に大型航空機より発射された、﹃速くてしつこいみさいる﹄だ。
避けても避けても再度アプローチしてくる、高度な誘導装置を備
えたフェニックスミサイル改。回避は不可能ではないが根本的解決
とはならず、最速でマッハ4を越える速度は白鋼の障壁といえど防
げる保証はない。
かつては零夏がミスリルブレードにて切り捨てることで対処した
が、ソフィーにそれほどの人型機操縦技量はない。
﹁でも、それは対策済みっ﹂
加速の為にか大きく旋回しながら白鋼を目指すフェニックスミサ
2623
イル。
︵マッハ4とはいわずとも、あれだけスピードが乗っていれば小回
りは効かないはず!︶
白鋼に接触するまでは多少の猶予があるものと判断し、おまじな
い程度にミサイルを騙す為のフレアとチャフを放出しつつ機体を垂
直上昇させる。
ミサイルは撒き餌に食いつくこともなく、愚直に白鋼を追い上昇
する。ソフィーもさほど期待はしていなかった。
背後より迫り来る無機質な殺意に、内心生きた心地のしないソフ
ィー。いつの間にか呼吸を止めているが、彼女自身気付いてもいな
い。
白鋼がどれだけ高性能なエンジンを積んでいようと、無人かつ短
時間燃焼すればいいミサイルの加速には敵うはずもなく。
︵まだ、もうちょっと⋮⋮︶
後ろを振り返る余裕もなく、バックミラー越しに彼我の距離を測
る。
﹁ーーー今!﹂
ラダー横のペダルを蹴っ飛ばす。
白鋼内部でカードリッジがチャンパー内に装填され、固形燃料が
爆発。横軸に瞬間的な加速をする。
さんけつか
パクった
搭乗者の負担すら度外視した攻撃回避用の高出力バーニア。統一
国家の半人型戦闘機・散赤花よりフィードバックしたこの技術は、
幾度もの実戦において零夏も有用性を認めるところであり、機体は
一瞬で50メートルほど横に吹き飛んだ。
2624
一瞬前に白鋼がいた、空いた空間をミサイルが追い抜いていく。
最も接近した時点で近接信管が作動、ミサイルの第一波は全て爆
発した。
対空ミサイルのフェニックスは航空機に接近し、ある程度の距離
まで近付いた時点で爆発し破片を撒き散らす。航空機の外装は極め
て薄い為に、離れた場所から突き刺さる金属片でも損傷し墜落して
しまうのだ。
ソフィーが狙ったのは信管が作動し、爆発するまでの僅かなタイ
ミング。早すぎては爆発せず、遅ければ白鋼が損傷する。絶妙な瞬
間を彼女は見事射抜いていた。
ミサイルの爆発にも怯まず、高度3000メートルに広がる重力
境界に突入する白鋼。直前に暗記した障害物の位置関係を脳裏で確
認し、操縦幹を素早くかつ正確に操作する。
大小様々な岩が浮かぶ重力境界は、通常は飛行機で飛ぶこと自体
が無謀とされる場所だ。躊躇いなく突入出来るのは銀翼レベルの天
士だけであり、ソフィーはその一人であった。
第二波のミサイルが白鋼を追い、重力境界に侵入する。しかしど
れだけ高度な誘導装置を備えていようと障害物を避けるだけの機能
はなく、無数の浮遊岩石に衝突し全て爆発。
彼女の超人的な視力と反射神経は機体を最小限だけ揺らし、速度
を保ったまま岩を回避してみせる。重力境界はソフィーとて心の休
まることがない空だが、ミサイルをやり過ごすのにはこれ以上とな
く適していた。
﹁っ、あれは!﹂
無数の浮遊岩石に紛れ、白亜の巨大デルタ翼機を発見する。
すれ違いざまに一瞬見えただけですぐ見失ったものの、ソフィー
は見間違いではないと確信する。
2625
﹁ヴァルキリー、発射機だけではなく、本体が重力境界に潜んでい
たの?﹂
意外そうに目をぱちくりと瞬くソフィー。地上に設置されていた
ことからも判る通り、ミサイルの隠し場所はフィオを探す指針には
ならない。てっきりフィオは地上のどこかに隠れていると思い込ん
でいたのだ。
ヴァルキリーが重力境界にいたのには幾つか理由がある。無重力
という特性が機体の保管に適していたというのもあるが、それ以上
にレーダーで地上側の空と月面側の空を同時に監視するにはここが
もっとも効率的だったのだ。
とはいえ全長56メートルもあるヴァルキリーにとって、岩の浮
かぶ重力境界は動きやすい場所とは言い難い。ここは独特な気流が
存在し、油断していると巨大な岩に押し潰されてしまうのだ。
あんな巨体をどうやって潜めているのかとソフィーは疑問を抱き、
すぐに不自然な風に気付く。
﹁風魔法を機体に刻んで、岩や石を弾き跳ばしているのね﹂
地上で岩を跳ばすにはとんでもない強風が必要となるが、無重力
のここでは指先一つでも巨大な岩を動かせる。⋮⋮加速に時間はか
かるし、空気抵抗でやがて停止するが。
これはソフィーにとって有利な事情であった。風の流れが読める
彼女ならば、不自然な風を辿っていけばヴァルキリーの位置が判る
のだから。
﹁1キロくらい向こうにいる⋮⋮ここなら攻撃はしてこない、のか
しら?﹂
エンジンを停止させ静止する白鋼。念の為、大きな岩の影に隠れ
2626
ている。
無数の浮遊岩石で互いの姿は見えず、レーダーも使えない環境な
のでフィオは白鋼を完全に見失っていた。
ソフィーは零夏の合図が来るまでここで留まっていようか、と考
える。割り切ることは覚えたものの、彼女は今だ人を傷付けること
に慣れてはいないし、慣れる予定もない。
そこに、轟音が聞こえた。
低く重く、同時に馬の嘶きのように甲高い。なぜか聞き覚えのあ
る独特な音は、だが絶え間なく鳴り続ける。
小さな石がどこからともなく飛んでくる。その量は増えていき、
﹃音﹄が撒き散らす破壊の凄まじさを表している。
ソフィーはやっと、音の正体を思い出した。
﹁心神のレールガン?でも、まさかっ﹂
慌てて岩から距離を取る白鋼。
先程まで隠れていた大岩が爆散した。
﹃みぃーつけた!﹄
﹁冗談、でしょ⋮⋮﹂
ヴァルキリーの機首下から現れた兵器。それはやはり、レールガ
ンだった。
ただし、6門の銃身が束となって回転、連射するーーーガトリン
グ型のレールガンであったが。
アトミックパワー
﹃冗談?現実よ、サイコーだわ原子の力は!魔力みたいに使用制限
されないし、火薬のように質量に依存しない!ジェネレーターさえ
回っていれば撃ち放題よ!﹄
2627
手動操作なのであろう、出鱈目に暴れる射線は進路上のあらゆる
岩石を粉砕し、塵と化してゆく。
ガトリング周囲には陽炎が揺れ、発熱の凄まじさが判る。銃身表
面のペルチェ素子が強制的にレールガンの熱を放出し、高速での発
射を可能としているのだ。
たった一つの兵器としては尋常ではない消費電力量だが、核エン
ジンに交換し電力に余裕のあるヴァルキリーにとっては負担ではな
い。
﹃さあどこかしらどこかしら!隠れる場所なんて全部壊しちゃうわ
よ!﹄
﹁くっ﹂
白鋼は死角を潜り抜けガトリングレールガンから逃れる、しかし
いつまでも逃げ続けられる状況でもなかった。
﹁⋮⋮そっか、外側に撃てるってことは、あの大砲には風の守りが
ないはず﹂
白鋼が機首より腕だけを展開し、手頃な岩を抱える。
一旦離脱、ヴァルキリーに向かって加速し手を放す。
重力境界では一度加速した物体は空気抵抗で減速こそすれ、なか
なか停止しない。
ヴァルキリーに向かっていった岩は、ガトリングレールガンの砲
塔側面に激突。それを使用不可能に追い込む。
﹁⋮⋮当たったわ﹂
2628
こんな単純な手が通用したことに驚愕するソフィー。
﹃やってくれたわね雌犬!でもまだまだよ!﹄
ヴァルキリーの胴体上面が開き、多数の砲塔がせり上がる。極端
に砲身が短く砲口直径が巨大な、所謂臼砲だ。
60センチ臼砲。加速に必要な砲身が短いことで初速が遅く、弾
頭が極めて重いので威力も高い。命中精度が低いものの威力が大き
いことから優秀な﹃攻城兵器﹄として知られる大砲だ。
砲口から炎を吹き上げ、2,5メートルのコンクリートをも貫通
する重べトン弾が白鋼の横を素通りする。
間違っても、飛行機に当てられるような兵器ではなかった。
﹁火薬は嫌いなのではなかったの?﹂
﹃まだ、まだ!﹄
ヴァルキリーの様々な場所の蓋が次々と開き、鉄パイプを束にし
て纏めたような鉄箱が迫り上がり展開する。100を越えるほどあ
るそれは、全てロケット発射台だ。
ミサイルのように誘導能力はないが、面制圧には未だに有効なロ
ケット兵器。原始的であるが故に安く、正しく数の暴力を体現する。
﹃まだまだまだまだ!!﹄
主翼先端の三角形部分、可変翼が複雑に分解し変形する。内部に
格納されていたパラボラアンテナのような装置は外側に向けて固定
されているものの、アンテナとは違い湾曲の中心には受信機ではな
く穴が開いていた。
サーモバリック爆薬が穴より放出され、瞬間的に気化する。コン
2629
マ数秒で起爆した気体燃料は衝撃波としてヴァルキリーを360度
包み込み、付近の脆い岩石を粉砕した。
﹁さっきの、見えない攻撃はこれ?﹂
それは砲口であった。放つのが空砲であり、極めて広範囲を攻撃
対象とする対空砲だ。
衝撃波砲と名付けられた文字通り大規模な衝撃波にて敵の接近を
寄せ付けない、機体表面で爆発を起こし航空戦力を無効化する狂気
の兵器。
効果範囲は狭いものの、ソードストライカーを取り付かせないと
いう目的は充分果たせる。接近戦に特化した白鋼にとっては厄介な
装備だった。
﹁あんなに凸凹になって、空を飛べるの⋮⋮?﹂
既にヴァルキリーは本来の姿を失っていた。全身に高度かつ有用
性に疑問符の残る兵器を満載した姿は、まさに技術者の道楽に等し
い。
重べトン弾とロケットが白鋼に殺到する。どちらも本来は地上攻
撃用の装備であり、ソフィーは危なげなく回避していく。
ヴァルキリーより一際大きなロケットが出現する。白鋼の機体よ
り大きなそれは、折り畳まれた主翼と安定翼を展開すると緩慢な初
動で離艦した。
﹁まだあるの?﹂
﹃ははん、これは避けきれないわよぉ!﹄
︵言わなきゃいいのに⋮⋮︶
2630
巨大ロケットは空中にて爆発、散弾が四方に飛び散る。
航空機には致命的な威力の金属ボール。しかしソフィーは事前に
人型機へと変形し障壁を展開することで、なんなくやり過ごした。
﹃死ねよ盛り犬がっ!﹄
﹁貴女よりは綺麗な体よ﹂
﹃しつこいのよ、落ちろやクソガキィィ!﹄
繰り返し絶え間なく白鋼を狙い撃ち続けるフィオ。彼女の基本戦
術は﹃数打てば当たる﹄であり、雑兵相手には強くともエース相手
は不得手だった。
それでも、フィオは諦めない。衝撃波砲がある限り接近はされず、
火器が尽きるまで撃ち続ければいいのだから。
﹃ヴァルキリーを、フィオを狙え!あれは敵だ!﹄
高射砲の光が、ヴァルキリーに突き刺さる。
装甲を備えたヴァルキリーには30ミリや40ミリ程度の砲弾は
通じない。しかし煩わしそうにフィオは問う。
﹃何のつもりかしら、ノインの皆さん?侵入者は小さい方よ?﹄
﹃いけしゃあしゃあと、貴様の撃った弾がこちらに落ちてくるのだ
!先の問答からも貴様が味方ではないのは明らか、敵だ!﹄
言われソフィーも気付く。地上の人型機や施設は、流れ弾を受け
て大きく被害を受けていた。
2631
﹃うーん。不可抗力、っていうのはどう?﹄
フィオは﹁あら﹂と声を漏らした後に、そう提案した。
国に大きな被害が出ている状況での、呑気な言葉に天士達は憤る。
﹃状況が判らなくとも、貴様が信用ならない女豹であることくらい
解るわっ!﹄
﹃やはり外部の人間に国防を任せるべきではなかった!﹄
﹃化粧濃すぎるんだよ、若作り女!﹄
﹃同僚がさっき死んだ!お前の撃った弾でな!﹄
溜め息を吐くフィオ。
﹃最低限の義理は果たしたわ、カリバーンがあることで軍事費がど
れだけ浮いたかご存じ?﹄
﹃それも破壊されたではないか!﹄
﹃新兵器はいつか破られる宿命よ、その後をどう繋ぐかは当人の責
任じゃないかしら?﹄
尚も感情的に通信を繋ぎ続ける天士達に、冷めた目で告げる。
﹃そもそも、国なんて自分で守ってこそ意味があるのよ﹄
この言葉に限定すれば、ソフィーも同意であった。
2632
﹃私は貴方達のママじゃないの。いつまでも甘えないで独り立ちな
さい﹄
フィオの見立てでは、ノインはどこまでも二流国家であった。仮
に鎖国状態を解除し国際社会に羽ばたいたとしても、大国や企業の
利益に食い散らかされるだけだ、と。
﹃年増!﹄
﹃眼鏡!﹄
﹃水虫!﹄
端で聞いているソフィーまで眉をひそめるほどの罵倒に紛れ、聞
き慣れた声が割り込む。
﹃ソフ、じゃなくてマイハニー、聞こえるか!﹄
零夏である。ソフィーの名前を出すのを咄嗟に避けたものの、色
々手遅れなのであまり意味はない。
﹃イリアを説得したぞ、1分後くらいに地上に出るから拾ってくれ
!﹄
﹃チッ、部屋に侵入出来たか⋮⋮ん?あ、そっか。つまりはそうよ
ね﹄
イリア
フィオはた、と気付いてしまう。手を出してはならない対象は未
だ地下の最奥部であり、地上を焼き払うのに躊躇う理由などないの
2633
だと。
口角を吊り上げ、ソフィーに問う。
﹃ところでねえ、どうしてこの飛行機がこんなにも真っ白なのか判
る?﹄
﹁えっ⋮⋮?﹂
﹃ヴァルキリーの本来の任務、見せてあげる﹄
ヴァルキリー胴体格納庫のウエポンベイが開き、一発の大型爆弾
が投下される。
最初こそゆっくりと進んでいた爆弾も地上の重力に絡め取られ、
一気に加速し落ちていく。
﹃これが世界の果てまで単独飛行する、女神の雷よ﹄
︵ヴァルキリー本来の任務、って確か⋮⋮いけない!︶
零夏から同機の由来について聞いていたソフィーは、顔をさっと
青くした。
ボリュームを最大に上げ、全てのラジオに叫ぶ。同時に白鋼を操
り、岩影に機体を避難させる。
﹃皆っ、軍人も一般人も!今すぐ物陰に隠れなさい、空の見えない
場所にーーー﹄
瞬間、世界を核の光が焼いた。
2634
﹁⋮⋮ひどい﹂
ソフィーは蒼白な顔で地上を見下ろした。
木々や城、あらゆる物が焼け落ち、名残は地形しか残っていない。
アラサアを始めとした爆心地にいたはずの多くの人々は、数万度
に達する熱量に文字通り﹃蒸発﹄した。
熱しられた空気と燃えカスの塵が重力境界まで上昇し、白鋼とヴ
ァルキリーを揺らす。大きな気流の乱れは白鋼を岩に叩き付けよう
と流れ、ソフィーは慌ててコントロールを取り戻した。
﹃ひどい?まだまだ温いわ、核爆弾のおぞましさはこの程度じゃな
い﹄
フィオはソフィーの言葉を否定する。
﹃核ってのはね、あのガキが調節したような破壊に特化した、使い
勝手のいい爆弾じゃないの。全てを吹き飛ばし、全てを燃やし、全
てを汚染する業の塊みたいな兵器よ﹄
半径500メートルにいるほぼ全ての生物が即死し、人的被害は
数万に達する。今後更に増えることは確実だ。
零夏が実行を決めたこのゼェーレスト防衛・カリバーン突破同時
作戦とて、ラウンドベースに乗り込む数十万人を殺している。しか
しフィオの爆撃による犠牲者の大半は非戦闘員だ。
それは、戦闘行為などではなく正しく虐殺。どちらがより悪に近
しいのかなど、ソフィーには判らない。
2635
﹃あはは、静かになったわ﹄
﹁汚染、ですって?どういう意味かしら﹂
返答次第ではソフィーはフィオを許さないであろう。とはいえ、
彼女も勝算はあった。
﹃無学な貴女に解るようにいえば、核爆弾ってのは毒の光と灰を撒
き散らすのよ。でも神様が色々とうるさくてね、そういうのをしっ
かりシールドした純粋水爆しか積み込んでいないわ﹄
敵でも味方でもないセルフだが、人類の疲弊は嫌う傾向にある。
故に、事前にガイル陣営には汚染対策を指示しているのだ。
﹃さあ、これで邪魔者はいなくなったわ﹄
じゅるり、と舌舐めずりをするフィオ。
﹃虐めてあげる﹄
彼女の瞳は、憎悪とそれを晴らす機会に恵まれた歓喜にうち震え
ていた。
﹃あんたの顔が、存在が気に食わないのよ!﹄
フィオの形相は、整った顔立ちが台無しなほど歪んでいた。
2636
憤怒の瞳に映るのは底知れぬ女の嫉妬。恋い焦がれた男が唯一愛
した女、その面影を色濃く継ぐソフィーは憎悪の対象でしかない。
ヴァルキリーに搭載された兵器という兵器が火を吹き、敵を落と
すべく飛翔する。
その悉くを避ける白鋼。
﹃死ね!死ね!死ね!あの雌豚と同じ顔しやがって、娼婦がぁああ
!﹄
﹁ねえ、貴女。ちょっと惨め過ぎない?﹂
ソフィーとて聖人ではなく、嫌味の一つも言いたくなる。
しかしフィオはソフィーの言など聞いてすらいない。続けざまに
罵倒を浴びせ、本来隠すべき情報に片足を入れる。
﹃あんたなんて誰も愛しちゃいなかったのよ!まさか、自分が意味
もなく産まれたとでもーーー﹄
禁句であった。
幼馴染みのメイドにも婚約者の少年にも明かさぬ、彼女の小さな
不満とすれ違い。
そして今は亡き者達のことすら疑心暗鬼に囚われる、答えのない
命題。フィオの激昂は、意図せずソフィーの逆鱗に触れた。
急加速する白鋼。雨の如く降り注ぐロケットや砲弾が自ずと避け、
白鋼は一直線にヴァルキリーへと向かっていく。
﹃なっ、くそ落ちなさい!﹄
ソフィーの選んだ進路は完璧であった。空間に存在した全ての飛
翔体を認識し、軌道予測し最適解を見付け、操縦幹を1ミリも動か
2637
すこともなく加速し続ける。
フィオは衝撃波砲のトリガーを引く。爆発した燃料がヴァルキリ
ー全体を包む衝撃波を生み、白鋼をも襲った。
ソフィーは無言で大気整流装置を最大出力で起動。レールガンの
衝撃波を防いだ経験から同装置が衝撃波に有効であることを理解し
ていた彼女は、術式が燃え尽きることを理解した上で空気の膜張っ
た。
刹那の激震、しかし白鋼は無傷。大気整流装置が焼き切れたもの
の本体にダメージはない。
目を剥くフィオが対処するより早く、白鋼の主翼は左右の衝撃波
砲と機体後部に並んだ6発のエンジンを横に一閃し、全てを破壊し
た。
白鋼の主翼前縁はミスリルであり、切っ先はカミソリより薄い。
整備の際は保護カバーを取り付けるほどの刃なのだ。
﹁ジェネレーターさえ回っていれば撃ち放題、だったかしら?﹂
﹃な、んですってええぇぇ!!??﹄
鉄壁であるはずの防空を容易く突破されたことに絶叫するフィオ。
核エンジンが破壊されたことで電力供給が停止し、ヴァルキリー
の攻撃が停止する。バッテリーの電力を回せばもう少しは攻撃し続
けられるものの、自動車と同じだ、バッテリーが上がれば身動きす
ら取れなくなる。
フィオとてそれくらいは避けたかった。
言い知れぬしこりが残ったものの、一応は落ち着いてみせるソフ
ィー。
﹁私がもっと早く、あのヴァルキリーに挑んでいれば⋮⋮﹂
2638
核を落とす前に無力化してさえいれば、ノインの人々はこんな凄
惨な姿とはならなかった。ソフィーの脳裏にそんなイフが首をもた
げる。
﹁この場でヴァルキリーを修復不可能なほど破壊してしまった方が
いい、わよね。⋮⋮レーカ?﹂
ふと眼下を見れば地上に戻った零夏と、銀紫の髪の女性が周囲の
惨劇に呆然としていた。
白鋼は地上へと急降下、コブラ機動を行い減速しつつ城跡地に降
り立つ。
キャノピーを開けると、すかさず零夏はソフィーに詰め寄る。
﹁ソフィー、何があった?﹂
﹁あのおばさんが核を使ったわ。純粋水爆とか言ってたけれど﹂
﹁⋮⋮まあフィオが作れないはずもないよな。純粋なら被爆は大丈
夫、たぶん﹂
話しつつも二人は乗り込む。
﹁イリア、手を﹂
﹁ん﹂
元より二人乗りとしても矮小な白鋼のコックピット。3人乗れば、
身動きも取れなくなる。
﹁ソフィーそっちにイリア詰めて!﹂
2639
﹁おじゃま、します?﹂
﹁うぷ、これじゃあ操縦出来ないわ!﹂
﹁イリアがいる以上は下手に攻撃されないさ、おおう絶景なり﹂
﹁足をこっちに向けて下さい!レーカにそういうの見せちゃダメ!﹂
どたばたとコックピットで暴れていた3人だが、どうにか落ち着
きノロノロと離陸する。
その鈍重さといえばそれこそ初音21式ですら落とせそうな現状
だが、予想通りフィオの攻撃はなかった。
﹃何が、﹃ここで破壊してしまった方がいい﹄、よ。そんな度胸も
ない癖に﹄
代わりに突き刺さるのは言葉の棘。
﹃いっつも男に頼りっきり。自分は手を汚さず、仲間を犠牲にした
作戦でも尚躊躇った﹄
フィオは憎々しげに白鋼を、ソフィーを睨む。
ソフィーからはフィオの姿は見えようがない。
だが彼女は感じていた。皮膚を焼くような、猛烈な敵意を。
﹃そういうところが、あの女を思い出してムカツクのよっ!﹄
﹁ソフィー、聞く必要はないぞ﹂
2640
零夏が安心しろとばかりにはっきりと告げるも、それはソフィー
の望む内容ではなく。
﹃無理よ﹄
フィオはただ、ソフィーの心を切り刻む。
﹃何も選らばないアンタには、何も守れないわ﹄
﹁遺言は簡潔に纏めとけ、そんで弁護士に預けとけ。ソフィー、れ
っつらごーだ﹂
零夏はヴァルキリーの撃墜を即決する。無力化ではなく、撃墜を。
白鋼は再び上昇する。死の天使を討ち取らんと、天に駆け昇る。
ソフィーは零夏の言葉で切り替わることが出来た。迷いを捨てら
れた。
﹁今は貴女を討つ、それでいいーーー!﹂
﹃デモね、お姉ちゃん﹄
白鋼に20ミリ機関砲弾が、四方八方より何閃も襲う。
︵高射砲!?いいえ、違う!︶
咄嗟に回避するソフィーだが、避けた先にも射線が待ち受けてい
る。
︵囲まれてる、機関砲で包囲網を!?︶
2641
白鋼を囲い込む弾幕に、ソフィーは上昇を断念して離脱する。
しかしそれは判断ミスであった。速度を緩めた瞬間に白鋼が小さ
な飛行物体に包囲され、銃口を向けられる。
粒子テレポーテーション通信によって遠隔操縦された、数十機の
黒い羽。
宙を舞う鴉の羽は、しかしロケット噴射にて浮遊し、機関砲を内
蔵した機械だ。
﹁これはっ⋮⋮!﹂
人型に変形し、ホバリングへと移行す白鋼。
空中に縦横無尽に布陣する空中砲台を、零夏とソフィーは見たこ
とがあった。
﹃何かを成そうと思うのなら、ネ﹄
白鋼の目の前に、ゆっくりと降下する黒い人型機。
重厚な装甲を纏った、空中砲台の母機。
﹃何かを、捨てるしかないノヨ﹄
﹁ファルネ⋮⋮﹂
人型機・堕天使。多数の超技術を投入した機体は、遂に彼等の前
に降り立った。
2642
カリバーン突破戦 2︵後書き︶
新作書きたい衝動が最近強いです。同時執筆なんて器用な真似はで
きないので、今は我慢です。
俺、銀翼が終わったら新作小説を書くんだ⋮
﹀発射時の反作用と衝撃波で国家は壊滅します
﹀砲台の旋回速度に依っては砲身先端が、超音速になり、砲台周辺
を同じく衝撃波で吹き飛ばす
確かに城からカリバーンが見える距離、と設定したのは不自然でし
たね、無意味に近すぎます。
全長7キロの物体が高速で振り返れば先端が音速を越える、という
のも確かです。超巨大兵器の設定練り込みが甘かったと言わざるを
得ません。
そもそもレールガンを80ミリ砲弾で迎撃する、というのも書いて
ておかしいとは思っていました。カリバーンの威力なら飲み込まれ
るはずですし。
この小説は高度3000メートル以下で音速飛行しているような世
界観です。本来低空では気圧が高すぎることや衝撃波の周囲への被
害を無視出来ないなど不自然な点が多々ありますが、作者もファン
タジーとして割りきってます。
砲塔の回転に関しては砲身の長さを変更した上で事前に接近を関知
していた、ということにします。若干零夏の戦術も変えました。
白鋼が衝撃波に晒されても無事だったのは⋮⋮都合のいい設定です
が大気整流装置が衝撃波を防いだ、ということで。く、苦しい⋮⋮
自分では考察しきれなかったカリバーンについての現実的解釈、参
2643
考になりました。ありがとうございます。
2644
カリバーン突破戦 3︵前書き︶
前々から核の扱いが適当でしたが、今回は特に出鱈目です。演出と
して深く考えないで頂ければ幸いです。
2645
カリバーン突破戦 3
まやまれいか
俺こと真山零夏は、ただいま城の地下にて女の子をナンパの真っ
最中だった。
目の前にはぼう、っと俺を焦点の合わない瞳で見つめる薄紫の髪
の少女。ギイハルトの妹であり、当作戦のターゲットであるイリア
だ。
くぁあ、とイリアが小さく欠伸をする。視線が虚ろなのも意識が
はっきりしていないのも、ただ寝起きだからというだけのようだ。
どうにかして、イリアをここから連れ出さなければならない。牢
屋に閉じ込められている、とかならば容易く脱出に同意してもらえ
そうなものだが、生憎彼女は苦痛を伴った監禁をされていたわけで
はないようだ。
いや、いいことだけどさ。
出来れば紳士的に同行して頂きたい。前提として、誘拐紛いは避
けるべきだろう。
﹁えっと、俺のこと覚えてないんだよな?5年前に大陸横断レース
で会ったきりだけど﹂
ふるふる、と頭を横に振るイリア。
﹁知らない﹂
﹁覚えていない﹂ではなく﹁知らない﹂、どちらにしたって同じリ
アクションだからそれは問題ではないのだが。
2646
﹁しかも自分のことも、覚えてないと?﹂
こくん、とイリアは首肯する。
幾らか問答を繰り返して判ったことは、どうやら今のイリアはま
っさらな状態だということだ。生まれたばかりの赤ん坊とは言わず
とも、記憶喪失に近い状態らしい。
こうなっては説得しようがない。正攻法、すなわち率直に誘おう。
﹁ズバリ、俺と一緒に来てくれないか?﹂
﹁わかった﹂
﹁そうだよな、見ず知らずの男に着いてこいとか言われても⋮⋮い
いの?﹂
首肯するイリア。
﹁でもほら、ギイハルトとかはいいのか?イリアはそれなりに兄さ
んのことが大好きっぽい感じだったじゃないか﹂
﹁誰、それ﹂
⋮⋮ああ、そういえば記憶喪失だった。
﹁むしろインプリンティングみたいなものなのか?とりあえず初め
て会った人に着いていくとか、お兄さん心配です﹂
そういえば、イリアは当時と背格好が変わらない。
体を機械化した天師とて肉体の成長や変化はある。俺もかつての
2647
戦いで四肢の一部を機械化しているからこそ、時々調節が必要なの
はよく知っている。
それが見られないことこそ、彼女が普通ではない証明なのかもし
れない。
﹁プリン?﹂
﹁そこに反応しなくても﹂
しかし気になることはある。監禁されていたとしても、本当に人
と一切合わないなど有り得るのだろうか。
﹁ここではガイルと会わなかったのか?﹂
﹁ずっと寝てたから﹂
寝てた?
言われ、鉄箱の周囲を見渡す。
ここは密封だ。家具やトイレがあるわけでもなく、それどころか
密室だというのに換気扇や酸素を発生させる装置すらない。
あるいは、冬眠⋮⋮いや、仮死に近い状態だったのか?いや、そ
んな人間の理屈が通じるのだろうか?
﹁と、とにかく。一緒に来てくれるというなら話は早い、来てくれ
!﹂
﹁あっ﹂
イリアの手を握り、城の階段を駆け上がる。
そして、俺達は焼け滅んだ地上を見た。
2648
時はしばし流れ、彼等とソフィーが合流しファルネと対峙した後
しろがね
だてんし
まで経過する。
白鋼と堕天使の戦闘。それは、意外にも一方的なものであった。
﹁っこ、のぉ、ちまちまと削ってきやがって﹂
﹁ごめんなさい、私が上手く動かせないから﹂
﹁キモチワルイ﹂
各部が損傷し、満身創痍の白鋼。
ただ静かに浮遊する堕天使は、未だ傷一つない。
︵弱いなんて思ってはいなかったが⋮⋮ここまで強いとは︶
彼女がどのような経緯を経てガイルの仲間となったのか、零夏は
詳しく知らない。
しかし一騎当千の戦闘集団として戦える以上は、弱者であるはず
がなかった。
ストライカー
よく船に遊びに来ていたファルネを、零夏とソフィーは鮮明に思
い出せる。
身近な少女が目の前の重厚な黒い翼を持つ人型機に乗って自分達
を追い詰めていることに、非現実感を覚えるほどであった。
2649
﹃もうオワリ?まだ動けるハズよ、お兄ちゃん﹄
その通り、白鋼は未だ健在だ。消耗しているのは主に操縦者なの
だから。
﹃最初の威勢の良さはどこに行ったのカシラ?﹄
﹁っるっせぇーよ、ふんじばってお尻ナデナデペンペンしたる﹂
﹁レーカ、それセクハラよ﹂
戦闘が始まる前、零夏はここまで苦戦するなど予測していなかっ
た。それは慢心ではなく当然と言える。
ファルネの技能の問題ではない。そもそも、堕天使の浮遊砲台に
は20ミリ機関砲しか装備されていないのだ。
彼女がアナスタシア号に遊びに来ていた時に、零夏は堕天使のこ
とをおおよそ調査している。その結果は﹃用途不明な機械があるも、
武装は20ミリ機関砲のみ﹄というものだ。
20ミリ機関砲ではどうやっても、白鋼の障壁を貫通出来ない。
故に堕天使は白鋼には勝てない、そのはずだった。
しかし、結果は現状の通り。ファルネは常に浮遊砲台を死角に滑
り込ませ、極めて分厚い防衛布陣を空中に描き白鋼を翻弄し続ける。
確かに堕天使の攻撃が一切通らないのならば、敵の牽制など無視
してしまえばいい。
だが、極一部とはいえ、機関砲が通用する場所が白鋼にはあった
のだ。
︵空気の出入りがあるエンジン吸気口と排気口、ここには障壁がな
い!︶
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恐るべきはファルネの観察眼か。見えもしない無装甲部分を、フ
ァルネは見逃すことなく撃ち抜こうとする。
初撃でファルネの意図に気付いた零夏は辛うじて回避したものの、
それに専念せざるを得なくなってしまった。
﹁動きを理解しているのはお互い様ってことか、探るつもりが逆に
探られていたかな﹂
戦術を最大の武器とするファルネだからこそ、観察力を過小評価
すべきではなかったのだ。
﹁飛行機になって振り切るのはどう?﹂
浮遊砲台の速度は遅い、亜音速での飛行しか出来ないことからソ
フィーは一応提案する。
﹁戦闘機形態では障壁が失せる、低速でモタモタしている時に飽和
攻
Fly UP