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「元初まりの話」の表象論 - 天理大学情報ライブラリーOPAC

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「元初まりの話」の表象論 - 天理大学情報ライブラリーOPAC
論文 「元初まりの話」の表象論:
「元の理」文化研究の素描として
井 上 昭 洋 要旨
天理教の創造説話である「元初まりの話」には、厳密な意味でのオリジナルのテクストが存
在しない。本稿は、「元初まりの話」を所与のテクストとして解釈するのではなく、この創造説
話をテーマとした絵画、彫刻、絵本、漫画などの視覚的な表象形態について検討することで、
私達にとっての「元初まりの話」がどのようにテクストとして存在しているのかを考察する。
まず「元の理」を研究する際に教学研究が考えるべき認識論的問題について論じた後、人類
学や神話学における神話の定義に基づき「元初まりの話」の神話的性格について検討する。さ
らに『おふでさき』から「こふき本」を経て『天理教教典』の「元の理」に至るまでの創造説
話の編纂の過程を手短に確認した後、この説話を題材とする絵画や彫刻、この説話を解説する
絵本や漫画について、それらがどのように説話のテーマやディテールを表現しているのかを分
析する。
このように、文書から漫画に至るまでの様々な表象形態に見る「元の理」について、それぞ
れの作者の解釈・想像を分析することによって、「元初まりの話」を再想像し、「元の理」研究
の新たな可能性を探るのが本稿の目的である。
【キーワード】「元の理」、「元初まりの話」、神話、テクスト、表象、翻訳、教学研究
はじめに
2006 年、天理教教祖 120 年祭の催しの 1 つとして「親神様の守護」シアターでワ
イドスクリーンを使った天理教の教理を紹介する映像が上映された。その中で天理教
の創造説話である「元初まりの話」が描かれていた。天理教の未信者に見せるのであ
れば、あまりに多くの断り書きと注釈を要する映像であるというのが、鑑賞後の私の
偽らざる感想であった。というのも、スクリーンに映し出された「この世の元初まり」
はウルトラマンに出てくるどこかの星のようであったし、「くにとこたちのみこと」
と「をもたりのみこと」は怪獣キングギドラを彷彿とさせ、「うを」と「み」に至っ
ては国籍不明の宙づりのブロンズ像のようであったからだ。
一所懸命に作品の企画と制作に携わった人たちを貶める意図は私にはない。それど
ころか、この映像は詳細なテクスト分析に値する作品であると思う。聞けば「元初ま
りの話」の部分は教祖 100 年祭の時に使用したものであるという。「元初まりの話」
─1─
のビジュアルな表現はあれ以外でもあり得たのだが、あの映像表現も数ある選択肢の
うちの 1 つであったことは確かである。伝えられる「語り」があり、それを目に見え
る形に表現しなければならないのであれば、「何か」を使って表現せざるを得ない。
何も使わずに教理や説話を表現し伝えることは不可能である。これは根本的には「翻
訳」の問題である。また、それは宗教の「文化化(culturalization)」に関わる問題であり、
宗教の異文化社会における「現地化(localization)」と関連してくる問題でもある。
天理教の創造説話である「元初まりの話」については、天理教学にとどまらず他の
学問領域においても多くの研究がなされてきており、「元の理」研究とも呼ぶべき 1
つのジャンルを形成している。この研究分野におけるこれまでの主だった学問的論考
の多くは、「元初まりの話」を所与の説話テクストとして捉え、この創造説話につい
て哲学的・宗教学的考察を加えるものであった。例えば、『天理教教典』の「第三章
元の理」に編述された創造説話[資料 1]を主たる対象として、その元となった天理
教の原典の 1 つである『おふでさき』と「こふき本」と呼ばれる書物を参照しつつ、
説話を解釈するというスタンスが支配的であったのである。つまり、手元にある「元
初まりの話」が教祖の語った創造説話の全てであり、そのテクストを読み解くことか
ら研究がスタートするというのが、「元の理」研究のあり方であったと言える。
本論文は「元初まりの話」をテーマとするので、同じ研究ジャンルに属することに
なるが、所与のテクストとしての「元初まりの話」そのものを扱うものではない。神
話的テクストとしての「元初まりの話」の周りで生成する、文書から絵画、さらには
漫画に至るまでの多種多様な表象形態について検討することで、私達にとっての「元
初まりの話」がどのように間テクスト的に立ち上がってくるのかについて考察するも
のである。さらに、人々の思考の中に立ち現れるこれらの種々のテクストを分析する
ことで、オリジナルの説話を想像することを目論んでいる。本論文では、入手が容易
でない歴史的一次資料の実証的な検証によりオリジナルの創造説話を再構築するので
はなく、文書から漫画に至る種々の表象を迂回することによってこの創造説話を再想
像するきっかけを作りたいと思う。「元初まりの話」が非常に神話的な性格を有して
いることを考えれば、種々の表象形態の分析から創造説話を再想像することは全くの
的外れな作業ではないはずである。
1.「元の理」文化研究の認識論的問題
文化人類学では、文化を理解し解釈する時の異なる枠組みについての議論が時に応
じてなされてきた。実証主義と解釈主義、エティック(etic)な視点とイーミック(emic)
(1)
(2)
な視点、「経験に近い」概念と「経験に遠い」概念 といったこれらのペアの用語は、
必ずしも同じ次元や基準で二項対立化されたものではなく、それぞれが二大陣営のい
─2─
井上昭洋 「元初まりの話」の表象論
ずれかに属するという類のものではない。しかし、これらのペアの用語が提示する議
論は、文化現象の見方にはしばしば背反する枠組みが存在すること、それを良く承知
しておくことが重要であることを教えてくれる。いずれの議論も、文化の解釈におけ
る認識論的な問題を提起しており、ポストモダニズムの言い様に倣えば、解釈する者
がどのような位置から対象に対して視線を投げ掛けているのかを問題としているとも
言えるのである。
この文化解釈における認識論的問題は、例えば、ネイティブ人類学の可能性を探り
(3)
それを展開しようとする近年の文化人類学の動向とも地続きである。これまで調査さ
れる側であったネイティブが自文化について人類学をする時、彼/彼女はどのような
言葉で自らの文化を―ネイティブであることを放棄せず、かつインフォーマントの
立場に陥ることなく―語ることができるのか。ネイティブ人類学においては、同時
にネイティブであり人類学者であることの困難性を理論と実践の両面において乗り越
えようとする試みが、ネイティブの側からなされているのだ。
神学や教学もこの文化解釈における認識論的問題やネイティブ人類学が直面してい
る困難性から自由ではない。天理教学が今のところネイティブ(信仰者)が自らの属
する文化(天理教)について研究する学問であるとするならば、それは誕生の時から
ネイティブ人類学の抱える困難性と同種の困難性を内包していたはずである。そうで
あるとすれば、天理教学においても、非信仰者のエティックで経験に遠い視点と信仰
者のイーミックで経験に近い視点という相対する枠組みが操作的にでも設定され、両
者の背反性が教学理論の乗り越えるべき問題として検討されなければならないだろ
う。天理教を信仰する天理教教学者が、その困難性に気づかずに自らの文化(天理教)
について研究しているとすれば、それは「我々の文化は我々にしか分からない」と主
張するネイティブのインフォーマントと何ら変わらないことになる。
ネイティブのインフォーマントや一般の信者が、「自分たちの文化(信仰)は自分
たちにしか分からない」と主張しても、そのこと自体に何ら問題はない。彼らは、彼
らの文化(信仰)の外にいる者に対して本来的に説明責任を持たないし、実際に説明
を試みたところでその文化(信仰)の外にいる者には分かってもらえないことが多い
のである。ところが、ネイティブの人類学者や天理教を信仰する教学者が同様の発言
をすれば、それが戦略的な文化本質主義者もしくは護教論者の発言でない限り、学究
者の責任放棄と受け取られても仕方がないだろう。私的な場所でため息まじりに呟く
ことはあっても、天理教教学者が公の場で「天理教の教理や信仰は“教外”の宗教学
者には分からない」とナイーブに発言することはありそうにないのである。それでは、
教学者が教学研究において「『元の理』は単なる神話ではない」と発言することはあ
りうるのだろうか。
─3─
実のところ、「元の理」についてこのような記述を目にすることは、教学研究にお
いてそれほど珍しいことではない。通常、「単なる」とか「一般の」といった枕詞を
伴って「元の理」は「神話」でないと述べられることが多い。だが、このような記述
は「『元の理』は神話以上のものである」とか「『元の理』はありきたりの神話の範疇
に収まらない」といった解釈を言外に意味しているのであり、多分に信仰者のイーミ
ックな視点に依拠した記述であるという点で、「天理教は教外の宗教学者には分から
ない」という発言と同じ問題を抱えている。「元の理」についてのこの種の記述では、
どのような意味において「元の理」が「神話」でないのかが、すなわち「神話」の定
義が全く述べられていないことが多い。代わって言及されるのは、「元の理」は「つ
とめの理話」であり「たすけの理話」であるという「元の理」の性格についての教理
(4)
的な説明である。信者向けの教理書であれば、それは最も適切な「元の理」について
の解説となるだろう。しかし、教学研究において、イーミックな視点に基づいた経験
に近い概念やネイティブ(信仰者)の言葉でしか「元の理」を語ることができないと
すれば、しかもそのことに気がついていないとすれば、それは学究者の研究ではなく
「単なる一般の」信仰者の教理研鑽でしかないだろう。
天理教の教理、信仰、文化を研究する際、研究者は自分の用いる分析概念が果たし
てネイティブ(信仰者)のものであるか否かについて留意すべきであり、信仰者(天
理教を信仰する教学者)の視点と非信仰者(例えば天理教を信仰しない宗教学者)の
視点を少なくとも操作的にでも対峙させて検討するべきである。この両者の相対する
枠組みの間で問われるのは、
「宗教を理解することと信仰することは両立するのか(互
いに適合性があるのか)」という「合理性論争」で論じられてきた古くて新しい問い
でもある[Wilson 1970]。「元の理」の文化研究において、この問題を意識しておく
ことは重要であり、意識して経験に遠いエティックな観点に立ち、ネイティブ(信仰
者)の言葉や概念の使用に禁欲的に「元の理」を読み込む作業は、特に天理教を信仰
する研究者にとって不可欠であろう。
断っておくが、ここで私は「元の理」を解釈するのに信仰者の視点が不要であると
言っているのではない。曲がりなりにも「元の理」を“研究”するのであれば、研究
者は誰の言葉を用いて「元の理」にアプローチしているのかということについて自覚
的であるべきだと主張しているのである。信仰者と非信仰者との視点を対峙させ、信
仰者の言葉の使用に禁欲的に「元の理」を読み込んだ後に、信仰者の視点から「元の
理」について考えてみても遅くはないはずである。以上の問題を十分に認識していれ
ば、ポスト解釈主義人類学の実験的民族誌が試みたように、実験的に信仰者の言葉を
用いて「元の理」を語る研究があっても良いと考える。ネイティブ宗教学としての教
学研究が抱える認識論的問題については稿を改めて論じなければならないだろう。そ
─4─
井上昭洋 「元初まりの話」の表象論
れでは次に、「元初まりの話」または「元の理」とは何かについて論を進めよう。
2.「元初まりの話」の神話的性格
『天理教事典』(天理教道友社)は、「元初まりの話」について、以下のように述べ
(5)
ている。
教祖(おやさま)が、人間救済の目的で、元初まりの真実、すなわち、
「元の理」
を示すために明かされた、人間世界創造の説話である。「元初まりの話」には、
天理教の根本教義が集約されているので、このお話を、一般の神話としてではな
く、人間救済のために人間世界創造の元を明らかにされた真実の話として、受け
止めることが大事である。
すなわち、「元初まりの話」とは、まず第一に、創造説話であり、第二に、根源的
な真理を説明するものである。広義の「元の理」はこの根源的な真理のことを意味す
るので、「元初まりの話」は広義の「元の理」を説明する創造説話ということになる。
一方、「元の理」は『天理教教典』の第三章の表題でもあり、同章において「元初ま
りの話」が編述されていることから、狭義には「元初まりの話」を指すことが多い。
本論文では、天理教の創造説話の具体的なテクストを意味する時には「元初まりの話」
という用語を、天理教の創造説話の要約されたアウトライン(または、創造説話のテ
クスト群全体)を意味する時に「元の理」という用語を使うようにしたい。ただし、
過度に厳密な定義づけは言葉の持つ力を枯渇させ論理の展開を鈍らせるものであり、
両者の間の厳格な線引きに拘るものではない。
先にも指摘したように、
「元の理」は、一部の教学者を含む天理教の信仰者の間では、
さしたる根拠もなく「単なる神話ではない」とされる傾向がある。しかし、「元の理」
が神話であるのか否かを考えるには、まずは神話とは何かについて検討しなければな
らないだろう。ここでは、文化人類学における神話の研究を概観することで神話とは
何かについて考えてみたい。
文化人類学における神話研究のアプローチは、神話の類型化や伝播論的研究に始ま
り、神話を社会的行為や制度の「憲章(charter)」と見なす機能主義的な研究、神話
を文化についての情報を包含するもの、すなわち文化特性を反映するものとして分析
する研究、神話を無意識の表象と考える精神分析学的研究、神話を世界を秩序づける
論理モデルと見なす構造主義的研究など、その理論により様々である。一方、神話の
大まかな定義は、世界の起源や人間存在の根拠などについての口承伝承ということに
なる。しかし、伝説や民話といった他の口承伝承と神話との明確な区別は困難であり、
全く同じ伝承が、ある社会では神聖な神話と見なされ他の社会では単なる民話と見な
されることもある。
─5─
もう少し詳細な神話の定義の一例として『文化人類学事典』(弘文堂)による解説を
(6)
紹介しよう。同事典によると、神話とは「特定の社会において、人々によって真実と
受けとめられている話」であり、「神話の中に語られている出来事によって、現実の
さまざまな事象の存在の根拠が示され、基礎づけられる」。また、神話は「現実の諸
事象に意味と統一を与える機能」を持ち、「現実の秩序を認知し、解釈し受け入れる
ための思考と表現の形式」である。また、神話の本来の形式は「口承」であり、「神
話の出来事が起こったときは、単なる過去の一点ではなく、今日ある事物や秩序を基
礎づける『始原』あるいは『原古』の時であり、歴史的時間を超えて実在する時であ
る」。さらに、神話は、多くの場合、「世界観・価値観の言明によって儀礼の根拠を提
供し、儀礼の行為によって神話の内容に安定性が保証される」。
同事典の神話についての解説を要約すると次のようになる。神話とは、世界のあり
方の根拠を示し、身の回りで起こる出来事に意味を与え、それらに基づき生きていく
モデルを提供する話である。そして、その本来の形式は口承であり、その中では歴史
的時間を超えて実在する「始原」の時が語られ、その内容は儀礼の根拠を提供し、ま
た儀礼によってその内容に安定性がもたらされる。
この神話の定義と「元初まりの話」の特性がほぼ重なり合うことは明らかであろう。
すなわち、「元初まりの話」とは、世界のあり方の根拠(「元の理」)を示し、人間の
生きていくモデル(「陽気ぐらし」に向けての生き方)を提供する話であり、その形
(7)
式は口承(「こふき:口記」)であり、その中では歴史的時間を超えて実在する「始原」
(8)
の時(「元初まり」)が語られ、その内容(「元の理」)と儀礼(「かぐらづとめ」)との
間には相互に補完し合う関係がある。このように神話の定義に倣って「元初まりの話」
を極めて適切に定義し直すことができるのである。付言すれば、
「たすけの理話」とは、
世界の中で意味付けを行い生きていくモデルを提供する話であるという「元の理」の
性格を意味する教理用語であり、「つとめの理話」とは、神話としての「元の理」の、
儀礼としての「かぐらづとめ」に対する関係性を意味する教理用語に他ならない。
ところで、文化人類学における神話研究には幾つかの理論的パラダイムがあるが、
中でも最も影響力があるのが、レヴィ=ストロースの構造主義である。構造主義的な
方法論は、神話を社会行為を規定する憲章や文化情報の貯蔵庫、または無意識の表象
と見なすのではなく、経験や世界を秩序づける文化コードもしくは論理モデルと見な
す。構造主義の神話学において分析対象となるのは、神話の持つ普遍的な「構造」で
あり、神話の内容やメッセージは副次的なものとして扱われる。また、伝播論的研究
のように多くの派生的な神話を生み出すオリジナルの神話というものを想定せず、分
析単位は個々の神話ではなく複数の類似する神話の集合体(「神話群」)となる。次に、
レヴィ=ストロースの神話学において神話がどのように定義づけられているか紹介し
─6─
井上昭洋 「元初まりの話」の表象論
よう。
レヴィ=ストロース[1979]によれば、神話とは「動物と人間とがまだ互いに切り
離されておらず、それぞれが宇宙に占める領域がまだはっきり区別されていなかった、
非常に古い時代におこったことの物語」であり、「この太古の出来事は、いろいろの
事物がどのようにしてできたか、現在どうなっているか、将来どのような形で残るか
を説明」する。よって、神話の第 1 の性格は「過去によって現在を説明し、現在によ
って未来を説明して、ある秩序が現れるとそれが永久に続くことを確認」する『時間
的統合機能』である。ところで、神話は「神話の全体が要約されるような一つの筋を
用い、ただ一つの説明によって、宇宙のさまざまな次元において事物がなぜ現在の姿
であるかを述べ」ると同時に、「異なる種類、異なる型の次元の間に奥深い秘かな類
似が存在し、ある次元が他の次元と照応するのはなぜかをも説明する」。これが『複
数コードまたは多重コードの使用』と呼ばれる神話の第 2 の性格である。神話は、現
在の私達なら天文学・生物学・気象学・社会学など異なる学問に属する全く異なる原
理で説明しようとするような諸事象を、1 つの大きな「論理の型」に入れてしまうの
である。
神がある目的のために各々の役割を担った生き物を集めて人間を創造し、その人間
が成長していく様子を語った「元初まりの話」は、過去から現在、そして未来に至る
時間性をひとまとめにして世界の秩序と原理(「元の理」)を説明しており、それは確
かに『時間的統合機能』を備えていると言える。また、自然、人体、人間社会といっ
た異なる次元の間になぜ「奥深い秘かな類似」が存在するのかについても、例えば「十
(9)
全の守護」という 1 つの原理が説明を与えており、「元初まりの話」には『複数コー
ドまたは多重コードの使用』という性格があるのは明らかだ。ところで、神話は「事
物のあらゆる対立を並べて、一つの意味体系を構築」し、「いくつかの項目を対立さ
せた後で、それを集め結び合わせて外面の矛盾を乗り越える」方法を提示するのだが、
レヴィ=ストロースの指摘するこの「二項対立」と「媒介」という神話の方法も「元
初まりの話」で語られる創造神に呼び寄せられた生き物の特性と役割(「十全の守護」)
に顕著に認められるものだろう。また、「元の理」における「裏守護」(神道見立て・
仏教見立て)や、一説には伝承されなかったと考えられている「天上」と「地上」を
舞台とした説話[深谷 1958]の存在を考えると、神話のもう 1 つの重要な方法であ
る「変換」も「元の理」に見いだすことができるかもしれない。
先に紹介した文化人類学における神話の一般的な定義に加え、このレヴィ=ストロ
ースの神話の定義に則して捉え直してみると、「元初まりの話」は典型的な神話以外
の何ものでもないと言って良いかもしれない。確かに、信仰者にとって一般の神話以
上の創造説話であるはずの「元初まりの話」は、神話学の定義に照らし合わせてみれ
─7─
ば典型的な神話のサンプルに過ぎないように思われる。だが、結論から言えば、「元
初まりの話」はある 1 つの特性のために神話でないと言い切ることができるのである。
その特性とは「元初まりの話」には教祖という特定の「作者」が存在するという点で
ある。神話には作者はいない。神話とは、いつどこで誰が何の目的で話したのか同定
することができない話でなければならない。そうであればこそ、神話は、社会の「憲
章」として、文化情報の「貯蔵庫」として、また無意識の「表象」として、さらには
世界を秩序づける「論理モデル」として、文化人類学や神話学の研究対象となってき
たのである。ある意図を持って語る作者が存在するテクストは、文化人類学よりもむ
しろ文学が(それが宗教的テクストであれば、宗教学が)検討すべき対象なのである。
「元初まりの話」とは、特定の作者(教祖)がある目的(人間救済)のために語った
創造説話である。ことごとく神話の定義に当てはまるこの創造説話は、作者が存在す
るというただ 1 つの特性により、「神話」ではないと言うことができる。そこには作
者のメッセージが込められており、読者はそのメッセージを読み解かねばならない。
ただし、この創造説話を「テクスト論」に従って自律的な「テクスト」として扱い分
析するのであれば、そこに作者の存在は必要ではなく、その説話を 1 つの神話的テク
ストとして分析することは可能である[バルト 1979]。例えば、神話としての「元初
まりの話」を構造分析する研究が考えられるが、それは本論文の目的ではない。ここ
では、「元初まりの話」は、作者が存在するという点を除けば、極めて神話的な創造
説話であると結論づけておこう。
3.「元初まりの話」の誕生
「元初まりの話」には教祖という作者が存在するが、完全なオリジナルのテクスト
が存在しない(この点でもこの創造説話は極めて神話的な性格を有すると言える)。
最も良く知られた「元初まりの話」は『天理教教典』の「第三章 元の理」に編述さ
れた説話である。これは『おふでさき』と「こふき本」を参照して編集されたもので
ある。『おふでさき』は教祖が自ら筆を取り書き記した和歌体の歌 1,711 首、全 17 冊
からなり、そのうちの主に第 6 号に「元初まりの話」に関する歌が含まれている。そ
れらの歌が作者(教祖)による唯一のオリジナルのテクストと言えるが、
『天理教教典』
の第三章に編述されている「元初まりの話」の全てを網羅しているわけではない。
一方、「こふき本」と呼ばれる書物は、明治 14 年頃から明治 20 年頃にかけて教祖
の語った神の話を人々がまとめて手書きしたものである。その内容から「泥海古記」
とも呼び伝えられてきた書物であり、数十種現存していると言われる。教祖に代わっ
て神の話を伝える人(「取次人」)を養成すべく、教祖が側近の人々に「こふきを作れ」
と指示して、神の話を繰り返し話して聞かせ、彼らにまとめさせたものが「こふき本」
─8─
井上昭洋 「元初まりの話」の表象論
(10)
であり[中山 1957]、その内容は、現在の天理教の信者が「さづけの理」を拝戴する
前に月に 1 回ずつ 9 回聞く「別席」の話に引き継がれている。
ところで、この天理教の創造説話の構成は大きく 3 つの段落に分けることができる。
まず、人間創造を思いついた神が「雛型」と「道具」となる生き物を引き寄せる段階(「『雛
型』と『道具』の引き寄せ」)、続いて、人間が神の体内に宿り、生まれ出て少し成長
する度に「出直す」段階(「三度の宿し込みと出直し」)、最後に、八千八度の生まれ
変わりを経た後に残っためざる一匹から人間が生まれ、天地の生成と共に成長してい
く段階(「めざる一匹以降の人間の成長」)である。ここで留意しなければならないの
は、「元初まりの話」の唯一のオリジナルのテクストである『おふでさき』では、こ
の創造説話の最後の段階である八千八度の生まれ変わり以降の人間の成長について触
れられていない点である。オリジナルのテクストである『おふでさき』は、
「こふき本」
で語られる「始原」の時から現在に至るまでの連綿と続く人間の物語の最後の部分を
カバーしていないのである。また、
『おふでさき』には、人間創造の際に「雛型」や「種」
となった生き物の名前は出てくるが、「道具」となった生き物の名前が出てこない。
「こふき本」が天理教の創造説話のアウトラインを提供しているのだが、この本の
成り立ちについてもう少し詳しく検討してみよう。ここで重要となってくるのが、高
井猶吉の以下の追懐談である[中山 1946:61-2]。
十四五年頃だつたと思ふ。教祖様は、良助さんと佐右衞門さんと自分と三人に、
こふき話を書いて出せといはれた。良助さんは教祖様のお話の如く和歌態にして
出された。仲田さんは話態に出された。が何れも教祖様の思召には添はなかつた。
その差出した書き物を下げて頂いたか否かは覚えてない。又教祖様の親しく筆
とつてお書きになつたどろうみこふきはあらへん、第六號や其他に断片的に出て
あるやろ。教祖様は、どろうみこふきのお話を、ずつとつゞけてされたのやない。
時々仰言つたのを取次の者がまとめたのや。
この追懐談から伺い知れるのは、「こふき話」の伝承形態が口述(orality)から文書
(literacy)へと移行する時の様子であり、どの「こふき本」も「こふき話」の作者(教
祖)から是認されなかったという事実である。さらに重要なことは、「どろうみこふ
き(元初まりの話)」は説話の始まりから終わりまでを通して語られたのではなく、
その「時々」に語られた話を側近の者が「まとめた」という点である。
「こふき本」は、明治 14 年に書かれた和歌体本 1 種と明治 14 年から明治 20 年にか
けて書かれた数多くの説話体本が現存している。年代と共にその内容に多少の違いが
出てくるが、これらの「こふき本」の内容は、「元初まりの話」、「十全の守護」、「い
(11)
んねん」、「ほこり」、「をびや」
、教祖についての話など、天理教の教理全般をカバー
するものである。先述したように、「こふき本」の内容と『おふでさき』に基づいて
─9─
編集されたのが、
『天理教教典』の「第三章 元の理」に記されている「元初まりの話」
である。しかし、『天理教教典』で編述されているテクストは天理教の創造説話の要
旨であって、編集の過程で「こふき本」の「元初まりの話」に関する記述内容の取捨
選択がなされている。例えば、「頭一つ尾一條の大龍」と「頭十二、三條の尾に剣の
ある大蛇」といった創造神(「くにとこたちのみこと」と「をもたりのみこと」)の泥
海の中での姿、人間の顔をして鱗のない「うを(魚)」と人間のような肌をした白い「み
(巳)」といった「雛型」となる生き物の描写、創造神が人間を産み下ろした場所、神
道見立て・仏教見立てによる解説など、必ずしも軽んずることのできない内容が削り
落とされている。誤解を恐れずに言えば、オリジナルの創造説話の持つ 19 世紀後半
の日本の農民文化の想像力を想起させるディテールがサニタイズ(無菌化)されたも
のが『天理教教典』の「元の理(元初まりの話)」なのである。
「元初まりの話」は、まず教祖により『おふでさき』において部分的に記され、続
いて教祖によって語られたものが「こふき本」の原本や写本として残され、教団の公
式のテクストとして『天理教教典』の中で編述された。「元の理」または「元初まり
の話」と聞けば、信者の多くは『天理教教典』の第三章に述べられた創造説話を思い
起こし、教理研鑽に勤しむ者であれば、その編述された説話の元となった『おふでさ
き』と「こふき本」に思いを巡らすだろう。しかしながら、これらのテクストの向こ
うにあったはずの完全なオリジナルのテクストは存在しない。教祖の語たることがで
きたであろう「元初まりの話」の全体像は想像するしかないのである。厳密に言えば、
『天理教教典』、「こふき本」、『おふでさき』といったテクストの向こう側にオリジナ
ルのテクストがあると仮定するしかないのであって、手元にある様々なテクストの間
に立ち上がってくる物語が私達にとっての「元初まりの話」と言って良いだろう。「元
初まりの話」は、例えば「親神様の守護」シアターで上映された映像がそうであった
ように、常に生成されており、誕生の途中であるとも言えるのである。それでは次に、
「元初まりの話」がどのように表象されているのか、具体的な事例を紹介したい。
4.絵画と彫刻:「元の理」の共時的表象
4- 1.絵画
天理教の教祖によって語られた「元初まりの話」は、人々によってどのように解釈
され、表現されてきたのだろうか。まず、視覚に訴える表象形態として、絵画、彫刻、
絵本、漫画、映像などが考えられる。「かぐらづとめ」に用いられる「かぐら面」が
最も直接的に「元初まりの話」を表象する作品とも言えるが、教祖に命じられて調製
された「かぐら面」が最初のものであり、それ以降の面は天理教の原典の 1 つである
『おさしづ』により最初のものを雛型とするようにと指示されて製作されている。時
─ 10 ─
井上昭洋 「元初まりの話」の表象論
に応じて新調された異なる「かぐら面」の趣きは、その時代の「元の理」解釈を反映
しているように見受けられ、興味を引く。しかし、教祖が自ら書き記した『おふでさ
き』と同様、「かぐら面」にも創造説話の作者である教祖の意図が込められていると
考えられるので、ここでは「かぐら面」を検討の対象とはしない。
ところで、
「元初まりの話」を題材とした最も古い絵画の 1 つに、永尾楢次郎の「古
記巻物」(明治 16 年)に描かれた創造神と「雛型」・「道具」・「種」となった生き物の
墨画がある[図 1]。創造神の泥海の中での姿である「頭一つ尾一條の大龍」と「頭
十二、三條の尾に剣のある大蛇」が天と地にそれぞれ大きく描かれ、その左下に「雛
型」となる「うを」と「道具」となる「しゃちほこ」が、同じく「み(しろぐつな)」
と「かめ」が並んで描かれ、その下に、その他の「道具」となる「くろぐつな」、「う
なぎ」、「かれい」、「ふぐ」が描かれている。「大蛇」の下には人間の「種」となる
「九億九万九千九百九十九」匹の「どじょう」が描かれている。泥海の中の創造神は
日本の神話的生物である龍や八岐大蛇の系統を汲む造形で大胆かつ詳細に描き込まれ
ているのに対し、「うを」や「しゃちほこ」といった空想上の生き物、また「かれい」
や「ふぐ」などの馴染みの薄かったと思われる魚は、描くのに苦心しているように見
受けられる。しかし、この墨画は「こふき本」作成期の人々が「元初まりの話」をど
のように思い描いていたかを知る上で貴重な史料であり、それ以降の「元の理」の視
覚化・表象化に少なからぬ影響を与えていると考えられる。
一方、天理教内の「元の理」芸術において最も良く知られたものが、小松原義則に
よる一連の絵画作品であろう。彼の初期の作品では、泥海の中、天に大龍、地に大蛇
図1 永尾楢次郎「古記巻物」より
図2 小松原義則「人間創造の元の理」
─ 11 ─
を配し、「雛型」や「道具」になる生き物が人間創造の地点である「ぢば」に引き寄
せられる様子が描かれている。作を重ねるに従って、このモチーフは様式化されてい
き、六角柱の「かんろだい」が据えられた「ぢば」を中心に配し、創造神が鎮まるそ
の地点に「雛型」となる「うを」と「み」、
「雛型」である「いざなぎのみこと」と「い
ざなみのみこと」が描かれ、「道具」となる生き物がそれぞれの方角に配置された天
理教の「曼荼羅」とも呼べるような極彩色の作品となっていく[図 2]。注意を要す
るのは、様式化の過程で、天空を駆ける「大龍」と地を這う「大蛇」の垂直関係とそ
れぞれの方位から引き寄せられる 6 種の生き物の水平関係が、同一面上に描かれるこ
とになった点である。さらに、「雛型」となる「うを」と「み」と、それぞれに「し
ゃちほこ」と「かめ」が仕込まれた結果誕生する「男雛型」の「いざなぎのみこと」
と「女雛型」の「いざなみのみこと」が、時間の経過を無視して同一面上に描かれて
いる点にも注目したい。この「元の理『曼荼羅』」の構図は、空間と時間を濃縮して
いるのである。また、小松原の一連の作品では「大蛇」は、八岐大蛇の造形ではなく、
あくまで 12 の頭を持つ大ヘビとして描かれている点が特徴的である。
この「曼荼羅」様式は、「元の理」絵画の 1 つのトレンドとなっており、深谷忠夫、
神崎温順、清水國治らも作品を残している[図 3]。いずれも六角形に象徴される「ぢ
ば・かんろだい」を中心として、そこに「うを」と「み」もしくは「いざなぎのみこと」
と「いざなみのみこと」が描かれ、創造神が上下(南北)に、その他の「道具」とな
る生き物がそれぞれの方角に配され、神崎や清水の作品ではそれぞれの「雛型」や「道
具」が司る役割や関係性が記号化されて描き込まれている。これらの作品を批評する
ためには、「元の理」と「十全の守護」についての教理的な解説が必要とされるので、
ここでは作品の詳細な解説は行わない。ただし、「うを」と「み」と、「いざなぎのみ
こと」と「いざなみのみこと」を同じ面に描いている小松原や深谷の作品[図 2、図
3a]は「始原」の時における時間の経過(もしくは「いざなぎのみこと」と「いざな
みのみこと」についての説明)を描き込んでいるのに対し、おそらく「うを」と「み」
を描いた神崎の作品[図 3b]は男女の「雛型」の誕生前(もしくは誕生の途中)を、
「いざなぎのみこと」と「いざなみのみこと」が描かれている清水の作品[図 3c]は
男女の「雛型」の誕生後を描いていると考えられる。いずれにせよ、これらの絵画に
おける創造神と「道具」となる 6 種の生き物の配置は「かぐらづとめ」の「つとめ人
衆」の配置と同じであり、「かぐらづとめ」の意義を説明し、「かぐらづとめ」によっ
て明示される「元の理」をまさに絵画によって表現したものであると言える。
4- 2.彫刻
次に、絵画と並ぶ視覚に訴える表象形態である彫刻作品について紹介したい。教祖
─ 12 ─
井上昭洋 「元初まりの話」の表象論
120 年祭記念「元の理」展に出展された島久幸の「『うを』と『み』と」と同じく阿
部光住と大串明美の共同製作による「いざなぎの命・いざなみの命」である。島の作
品[図 4]は、捩じれた 2 本の柱が互いに絡み合う野外展示作品である。見る角度に
よって、柱が絡み合う様は異なって見え、鑑賞者が移動しながら眺めると「うを」と
「み」を象徴する 2 本の柱がダイナミックに絡みあう動きを感じることができる。そ
こに不在の「かんろだい」を想起させる六角柱は、もう一方の柱よりも捩じれ具合と
図3b 神崎温順「元初りの話」
(松本滋氏蔵)
図3a 深谷忠夫
「古い九億九萬六千年間のこと」
図3c 清水國治「元の理」
─ 13 ─
絡み具合が急であり、「み」の柔軟性を表現しているようである(六角形は「み」に
仕込まれる「かめ」の象徴でもある)。魚体を思わせるもう一方の柱は、あたかも「み」
に絡み付かれた「うを」のようだ。絡み合う 2 本の捩じれた柱は、小松原の初期の絵
画作品の「うを」とそれに絡み付く「み」のイメージとも重なり、また DNA の二重
螺旋構造を連想させる。この作品は幾何学的な形状に「うを」と「み」の記号を埋め
込んだ抽象的な作品と言って良いだろう。
ところで、「こふき本」では、「うを」は人間の顔をした鱗のない、人魚・岐魚とも
呼ばれる魚とされ、
「み」は人間の肌をした白い蛇とされている。「み」については、
「こ
ふき本」の 1 つである「喜多本」では鱗がある白蛇とされており、また『おふでさき』
に基づき「うを」同様に人間の顔をしていると記した解説書や教理書もある。いずれ
にせよ、「こふき本」における「うを」と「み」の描写から想起されるのは、世界各
地の神話や民間伝承に登場する獣頭人身、人頭獣身、上半身が人間で下半身が獣の生
き物などの「半人半獣」の神や怪物の姿であろう。この「こふき本」の「うを」と「み」
の描写により直接的に着想を得ているのが、次に紹介する阿部・大串の作品[図 5]
である。人魚の男性と蛇が身体に絡み付いた女性が、互いに手をかざしながら何かを
相談し合っているように見える。女性に絡み付く蛇がそのイメージを強化するのだが、
一見するとこの 2 人はアダムとイブのようにも見える。逆に言えば、アダムとイブを
連想させることで原初のカップルであることを表現しているとも考えられる。
図5 阿倍光住・大串明美
「いざなぎの命・いざなみの命」
図4 島久幸「『うを』と『み』と」
─ 14 ─
井上昭洋 「元初まりの話」の表象論
阿部・大串の作品は極めて写実的な作品と言えるが、この具象性はややもすれば、
具体的なイメージの固定化という危険を冒すことになる。すなわち、同じテーマにつ
いて全く異なる具体的なイメージを持っている者に違和感を感じさせてしまう可能性
があるのだ。しかし、そのような危険を冒さなければ、このように鮮烈な印象を与え
る作品を生み出すことができないのである。一方、先に紹介した島の作品は、「うを」
と「み」の抽象的イメージに訴えることで、イメージの固定化という危険を回避しつ
つ、鑑賞者の「うを」と「み」に対して持っているイメージを引き出し膨らませる作
風であると言えるかもしれない。
5.絵本と漫画:「元の理」の通時的表象
5- 1.絵本
「元初まりの話」の表象形態で最も突出して重要なものは、言葉によるものである。
種々の「こふき本」と『天理教教典』第三章に編述された「元初まりの話」が代表的
なものであるが、「元の理」を信仰者が自らの信仰に基づき解釈して文章化したもの
が数多く存在している。例えば、芹澤茂[1978]による『元初まりのお話』は、天理
教内においておそらく異論なく受容される「元初まりの話」のテクストであろうし、
天理教二代真柱である中山正善による『此世始まりのお話』の中で述べられている「ど
ろうみこふき」の解説の部分も説話として語られたものではないが、「元初まりの話」
の 1 つのバージョンとして読むことができる[中山 1946:68-87]。また、著者の「元
の理」についての解釈を表現しているという意味で、「元の理」についての教理書や
研究論文の中にもこのジャンルに含めて良いものがあるかもしれない。
先に紹介した絵画や彫刻は、その性格上、「元初まりの話」の最初から最後までを
全てカバーすることができない。創造説話の中の一場面を切り取って描くか、ある部
分のエッセンスまたはテーマを描くというのがほとんどであろう。共時的な表象形態
とも言える 1 枚の絵画や 1 体の彫刻は、それが連作であるか絵巻物のような構造を持
たない限り、通時的な説話全体を表現するのには適していないとも言える。一方、説
話に極めて親和性の高い表象形態、すなわち時系列に沿って展開する物語を表現する
のに適した視覚に訴える表現方法が、絵本や漫画である。ただし、そのいずれもが、
基本的には言葉や文章を必要としている。
絵に言葉を添えて物語を読ませるのが絵本である。絵本は、絵と言葉が互いに補完
し合いながら物語を展開させていく。言葉・文章のみの書籍と比べれば、絵本で喚起
されるイメージはより具体的かつ限定的なものとなる。説話の中でただ「泥海」と述
べられる世界の始まりも、絵で表現するのであれば、青黒や赤茶などの色を塗らねば
ならず、海のように波を描くにせよ、田植え前の水田のような泥水を描くにせよ、生
─ 15 ─
命の息吹を感じさせる泡を描き込むにせよ、いずれにしても具体的な「泥海」を描か
ねばならない。ここでは絵本に用いられる言葉についての分析は行わず、あくまで視
覚的表象である絵に焦点を絞って考察しよう。
「元初まりの話」をテーマとした絵本としては、本多正昭[1994]による『はじめ
はじめの物語』がある。本多によれば、この絵本は「『天理教教典』の「第三章 元の理」
をベースに作者の悟りとイマジネーションで絵本にしたもの」である。図 6 は、この
絵本で描かれている「うを」と「み」の絵である。「うろこのないさかなのようなもの」
と説明される「うを」と「しろいへびのようなもの」と説明される「み」が、多くの
「どじょう」が泳ぐ泥の中で話し合っている。「うを」は頭から爪先にかけて流線型で
あり、2 本の足のような尾びれを持っている。「み」の下半身は蛇のそれである。「う
を」も「み」も上半身は人間のようであり、それぞれの右手を触れ合わせながら、
「う
を」は左手を上げて話しかけている素振りであり、左手を頭に置いてる「み」は何か
考え事をしているかのようである。この絵は、先に紹介した彫刻作品[図 5]と同じ
モチーフを描写していると言って良いだろう。ただし、この「うを」と「み」が話し
合っているということに加えて、彼らの話し合っている内容までも知ることができる
のは、この絵に言葉が添えられているからである。神話や伝説などを扱った絵本にお
いて、説話という言語情報を解釈するための補助として絵が用いられている側面があ
る。だが、開かれた個々のページにおいては、逆に言葉がそれに対応する絵に補助的
な情報を加えるという逆転した関係性も見出せる。
図6 本多正昭「はじめはじめの物語」より
─ 16 ─
井上昭洋 「元初まりの話」の表象論
ここで、もう 1 つの作品を紹介したい。これは、絵本ではないが、絵と言葉で物語
を読ませるという点では、ほぼ絵本と同じ性格をもつ作品である。インターネット上
で公開されている『縁日草子:神仏与太話・神仏萌え日記』というブログの『泥海』
(12)
である。アナログ形態の絵本においては、ページを捲るという所作により物語の展開
を追っていくが、デジタル形態のメディアの場合、クリックまたはスクロールするこ
とで物語の展開を追っていくことになる。図 7 に示す 3 つの絵は、泥海の中での創造
神[図 7a]、「うを」と「み」と「どじょう」[図 7b]、創造神と「雛型」・「道具」と
なる生き物[図 7c]である。
図 7a の構図は、おそらく永尾の墨画[図 1]を参考にしたものであろう。墨画と
比べると、創造神の大龍と大蛇にそれぞれの重要な特性である「月」と「水」、「日」
図7b 「縁日草子」より
図7a 「縁日草子」より
図7c 「縁日草子」より
─ 17 ─
と「火」といった記号が色彩を伴って描き込まれている点が特徴的だ。一方、図 7b
で描かれている「うを」と「み」の造形に、「こふき本」の内容にできる限り忠実に
描こうとする作者の姿勢が見て取れる。先に紹介した彫刻作品[図 5]や絵本の絵[図 6]
では、「うを」や「み」(もしくは、「いざなぎのみこと」と「いざなみのみこと」)は
上半身が人間で下半身が獣の半人半獣として描かれていたが、ここでは、「うを」は
鱗のない古代魚のシーラカンスを思わせる体形の所謂「人面魚」として描かれ、「み」
は文字通り白ヘビとして描かれている。続く図 7c は、「ぢば・かんろだい」を中心に
配した「曼荼羅」様式の絵である。
「こふき本」であれ、『天理教教典』に編述された「元の理」であれ、言葉のみによ
る表象形態では、言語情報で意味を伝えるので、言語によって指示されていない物事
の具体的なイメージは読者の想像力に委ねられる。「こふき本」で「人間の顔をした
鱗のない人魚とも呼ばれる魚」と説明される「うを」について、上半身が人間で下半
身が魚の「人魚」を想像する者もいれば、「人面魚」を想像する者もいるし、人の顔
をしているように見えなくもないただの魚を想像する者もいるのである。一方、視覚
的な表象によって意味を伝える絵画や彫刻は、抽象的な作品を除けば、言語情報が指
示せずにすませた具体的なイメージを描写することになり、例えば「人魚」や「人面
魚」やただの魚など、何かを描かざるを得ない。その結果、作品の表現の正当性が問
われかねないという、具象性の持つ危険性に直面することになる。これは絵本にも同
様に当てはまるが、情報伝達において絵の重要度が増す漫画はさらにこの危険を侵さ
ざるを得ない表象形態であると言える。それでは、次に「元初まりの話」を扱った漫
画について考察してみよう。
5- 2.漫画
昭和 30 年代から 40 年代にかけて、仏教の教えを解説したり各宗派の開祖の伝記を
描いた漫画本が、主に寺院や参道の土産物屋で売られるようになった。青山書院が
「幸せを育てる教育まんが」シリーズを、大道社が「教育まんが」シリーズを発行し、
現在もその幾つかの改訂版を書店で購入することができる。この 2 つの出版社は、天
理教の教祖 70 年祭(昭和 31 年)と教祖 80 年祭(昭和 41 年)に合わせて、天理教の
教えや教祖の伝記を描いた漫画本も出版した。主なものとして、青山書院の『おやさ
ま―天理教教祖さまとその教え―』、『おやさま』、『お道の根本教義 元の理の話』や、
大道社の『教祖さまのおしえ <1> おやさま』、
『おやさまのおしえ (2) 本席さま』、
『教
(13)
祖さまのおしえ <3> ひながた』などがある。ここでは、教祖 70 年祭に向けて出版さ
れた青山書院の『おやさま―天理教教祖さまとその教え―』について紹介しよう。
(14)
昭和 30 年 8 月 1 日初版発行の 112 ページのこの本は、大須賀貞夫 が指導監修を、
─ 18 ─
井上昭洋 「元初まりの話」の表象論
数多くの仏教漫画を手がけた中村ひろしが画を担当している[図 8]。この漫画は、
病気の父とその息子が、教祖の教えを知り、信仰的に成長していく様子を描いている。
父子に教祖を紹介した老人の語りの中で教祖についての説明がなされ、天理教の教義
については教祖から父子に直接に教えを説く形を取って解説している。物語はテーマ
に応じて 9 つの章に分けられ、「お道のさかえ」と題された最後の章では天理教の現
在についての一般的な解説が施される。最後のページで場面が現在に変わり、父親が
子供達に教祖の教えについて分かったかどうかを確認して教祖七十年祭の帰参に誘う
ところで、物語全体が実はこの父親の子供達への語りであったことが初めて分かるよ
うになっている。また、裏表紙には宗教学者の岸本英夫の推薦のことばが記されてい
る。
「元はじまり」と題した章では、教祖の父子に対する「元初まりの話」の説教の中
で、「元の理」を解説している。9 ページがこの創造説話の描写に割かれており、『天
理教教典』の第三章に編述されている「元の理」を忠実に漫画で表現している[図 9]。
既に紹介した絵画、彫刻、絵本などと比べると、この漫画の最大の特徴は、泥海の中
での創造神の姿が大龍と大蛇ではなく神道系の男神・女神として描写されている点で
ある。また、「雛型」や「道具」として呼び寄せられた生き物達も、それぞれの神名
を与えられるとやはり同様に神道系の神の容姿に変身する。この古墳時代風の装束を
纏った創造神のモチーフは、青山書院と大道社のその他の漫画本にも共通する特徴で
あり、戦前に流通していたと思われる「天理教祖及十柱神之図」で描かれる神々の容
(15)
姿と同系統のものである。
漫画は、絵本と比べると、絵の簡略化がな
される傾向がある。しかし、絵本と異なり、
通常は 1 ページに複数のコマを割り付けて物
語を進行させていく。構造的には各々のコマ
が絵本の 1 ページに載せられた絵に相当する
ので、より物語の流れに密着して情報を伝達
する表象形態であると言える(絵本のページ
を捲る動作やブログのクリックに相当する動
作が、漫画ではコマを追う視点の移動に相当
する)。そのため、同じ通時的表象形態であ
る絵本と比べても、具体的な描写が格段に多
くなり、イメージの固定化はさらに増すこと
になる。漫画は、確信犯的に具象性の持つ危
険を冒さなければ、神話や伝説などの説話を
─ 19 ─
図8 「おやさま」昭和 30 年版
図9a「おやさま」pp.42-3
図9b「おやさま」pp.44-5
─ 20 ─
井上昭洋 「元初まりの話」の表象論
表現できないとさえ言えるかもしれない。これらの漫画本で描かれる「元初まりの話」
についての詳細な考察は、
『教育まんが』という漫画のジャンルについての分析も含め、
稿を改めて行う必要があるだろう。
6.翻訳としての「元の理」表象
「元の理」をテーマとする絵画、彫刻、絵本、漫画について紹介してきたが、「元初
まりの話」に登場する創造神と「雛型」・「道具」となる生き物がどのように描かれて
いるか、まとめてみよう。まず、創造神である「くにとこたちのみこと」と「をもた
りのみこと」は「こふき本」の描写に倣って「大龍」と「大蛇」として描かれる傾向
がある。ただし、天上においては「くにとこたちのみこと」は「月様」、「をもたりの
みこと」は「日様」と称されることから、「月」と「太陽」を描くもの[図 3b]や、
それぞれの神名が司る「水」と「火」を象徴的に描くもの[図 3c]もある。「こふき本」
の描写や教理的解釈に基づくこれらの表象と好対照をなすのが、『教育まんが』で描
かれる古墳時代風の衣装を纏った神道系の男神と女神の容姿である。同様に絵と言葉
から構成される絵本と比べても、漫画という表象形態では創造神は擬人化されて描か
れやすいと言える。
「こふき本」において、人間の顔をして鱗のない「うを(魚)」と人間のような肌を
した白い「み(巳)」とされる生き物は、様々な表象形態において魚と蛇、人面魚と蛇、
半人半魚(人魚)と半人半蛇などに描かれる。あるジャンルに特有な「うを」と「み」
の造形というものはない。例えば、同じ『教育まんが』でも、「うを」と「み」が魚
と蛇として描かれているものもあれば、半人半魚と半人半蛇として描かれているもの
もある[図 10]。人面魚の「うを」[図 7b]と半人半魚の「うを」[図 6]では、その
造形はかなり異なってくる。前者は「人間の顔をした魚」という「こふき本」の記述
に厳密に基づいた表象であり、後者は「うを」が人魚とも呼ばれるという説明に着想
を得た表象であろう。作者の想像による「うを」と「み」の造形は種々様々であり、
この表象の多様性は興味深い。
しかし、ここで留意したいのは、絵画や彫刻の作品の場合、「うを・み」と「いざ
なぎのみこと・いざなみのみこと」の区別が必ずしも明確になされていないという点
である。例えば、「道具」となる「かめ」を「み」に仕込んで誕生した「女雛型」に
与えられた神名が「いざなみのみこと」であるが、「いざなみのみこと」の姿につい
ての描写は『おふでさき』にも「こふき本」にもない。創造神であれば大龍や大蛇の
姿を、「み」であれば人間のような肌をした白蛇という姿を想像することができるが、
「いざなみのみこと」の容姿については手がかりがないのである。阿部・大串の作品[図
5]のテーマが、一見したところ「いざなぎのみこと・いざなみのみこと」なのか「うを・
─ 21 ─
図 10 a 「おやさま」昭和 30 年版より
図 10 b 「元の理の話」より
み」なのか判別しにくいのは、このためである。いずれにせよ、「いざなみのみこと」
の表象については、「み」(白蛇や半人半蛇)を描くか、神道系の女神を描くか、原初
の女性を描くか、という 3 つのオプションがあるように思われる。
口述であれ文書であれ、語られた説話(および説話のディテールやテーマ)を視覚
的表象に変換する際に多様な造形表現を生むことを見てきたが、この「翻訳」作業は
文書から文書への書き換えの際にも見られるものである。例えば、「こふき本」にお
いて「しやちほこ」(山澤本)、「シヤチホコ」(喜多本)、「しちほこ」(桝井本)と記
される「道具」となる生き物は、
『天理教教典』では「しやち」と表記されている。「し
ゃちほこ(鯱)」とは、想像上の魚に似た海獣であり、その漢字の旁からも分かるよ
うに頭は虎に似ており、尾は反って天に向いている。この想像上の生き物よりも、城
の天守閣の屋根の両端に据えられている飾り物の方が、現在の私達には馴染み深いか
もしれない。その「しゃちほこ」が、教典編纂の過程で「しやち(しゃち)」と表記
されることになったのである。空想上の生き物である「しゃちほこ」から現実に存在
するイルカ科の哺乳類である「しゃち」への翻訳は、非常に大きな変換であったと言
える。というのも、「しやち」という表記に現在の読者が想像するのは、天守閣の屋
根に飾られた「しゃちほこ」よりも「シャチ(killer whale; orca)」であるからだ。
人は未知のもの(アンファミリアなもの)に接する時、それを既知のもの(ファミ
リアなもの)に変換して解釈し、既知のもの(ファミリアなもの)によって表象する。
これは一種の「翻訳」作業である。ある説話(もしくは説話の一場面)を絵画で表象
するのなら、その絵画というテクストの作者と読者の間にこの既知性(ファミリアリ
ティ)の共有がなされていなければ、作者の解釈や伝えたいこと(説話の内容やテー
マ)は読者に伝わりにくい。「うを」と「み」が半人半獣として表象される傾向があ
─ 22 ─
井上昭洋 「元初まりの話」の表象論
るのは、この半人半獣の造形(人魚や蛇女)やその意味合い(非人間的・神的存在)が、
既にファミリアなものとして人々の間で共有されているからに他ならない。言い換え
れば、創造説話を表象する絵画から漫画に至る種々のテクストは、そのテクストの作
者と読者が同じ「文化」に属していて、初めて説話の内容を伝えることができるので
ある。現代の私達は、「元の理」または「元初まりの話」と題する絵画にオルカが描
かれていれば、それが「月よみのみこと」を意味していると“正しく”解釈し、ジュ
ゴンやマナティが描かれていれば、それがおそらく「うを」もしくは「いざなぎのみ
こと」を意味していると“正しく”推測することができる。また、絵本や漫画で描か
れる最後に残った「めざる」一匹は、ニホンザルであることが多いのであって、それ
がチンパンジーやオランウータンであれば、読者はそこに作者の特別な意図を読み取
ろうとするのである。
ある宗教が生まれる時、その教理や儀礼のあり方はその宗教が生まれた文化に依存
する(「文化化」)。また、ある文化圏で生まれた宗教が異文化圏に移植される時には、
その宗教は現地の文化に則した形で受容されることになる(「現地化」)。どちらのプ
ロセスも、先述したアンファミリアなもの(今まで聞いたことのない教えや異文化の
宗教)からファミリアなもの(私達の教えや宗教)への変換であり、「翻訳」作業で
ある。ただし、ここで留意しなければならないのは、異なる文化は同じ時代の異なる
地域にあるだけでなく、同じ地域の異なる時代にもあるということだ。「現在」にと
っての「過去」は異文化なのである。現代の私達は過去の宗教を現代の文化に則して
受容しており、その作業は、先の用語に倣えば、「“現代”化」と呼ぶことができるか
もしれない。
いずれにせよ、明治 10 年代の大和地方の農村社会と現代の私達の間でファミリア
リティの共有は部分的にはなされていない。そのため、例えば、教祖の周りに寄り集
った人々がオルカやジュゴンの絵を見て「しゃちほこ」や「うを」を想像することは
できないだろうし、ピアノ線で吊るされ青銅色に塗られたブロンズ像のような半人半
魚の映像を見て「いざなぎのみこと」を想像することはまずないはずだ。だが、現代
の私達は、戦前に流通した古墳時代の衣装を纏った神道風の神々の表象に、当時どの
ようなファミリアリティが共有されていたのか、すなわち「元初まりの話」という創
造説話についてどのような文化的翻訳がなされていたのかを考えることはできるので
ある。
おわりに:「元初まりの話」の再想像
「元の理」が、「『雛型』と『道具』の引き寄せ」、「三度の宿し込みと出直し」、「め
ざる一匹以降の人間の成長」という 3 つの段落から構成されていることは、既に述べ
─ 23 ─
た。最後に、絵画や彫刻が「元の理」のどの部分をテーマとしているのか、絵本や漫
画が「元の理」をどのように描いているのかについて述べてみたい。まず、絵画と彫
刻においては、
「雛型・道具の引き寄せ」が主なテーマとなっていることは明白である。
「曼荼羅」様式の「元の理」絵画であれ、「うを・み」や「いざなぎのみこと・いざな
みのみこと」を題材とした彫刻であれ、これらの共時的表象形態において扱われるテ
ーマは、「元の理」の中の第 1 段落に関わるものが圧倒的に多い。取り上げられるテ
ーマの偏りは、現時点で「三度の宿し込みと出直し」、「めざる一匹」、「めざる一匹以
降の人間の成長」をテーマとした作品をあげることができないほどである。それほど
までに、「元の理」の中の「雛型・道具の引き寄せ」の部分は、画家や彫刻家を引き
つける濃密な語りであると言える。
一方、時系列に沿って展開する物語を表象するのに適した絵本や漫画は、「元の理」
の最初から最後までをカバーしている。しかし、このジャンルにおいても、創造説話
の第 1 段落である「雛型・道具の引き寄せ」の描写に力点が置かれているのは明らか
だ。例えば、青山書院の『お道の根本教義 元の理の話』は、「元の理」の 3 段落をそ
れぞれ「どろの海」、
「造りだされた人げん」、
「にんげんの世界」と章立てて描いており、
割かれたページ数は、それぞれ 12 ページ、13 ページ、6 ページとなっている。しかし、
「どろの海」で描かれる濃密な語りに比べると、「造りだされた人げん」と「にんげん
の世界」は、創作されたマンガ的なエピソードを盛り込んでおり、何とか分量的に全
体のバランスが取れるように水増ししている感は拭えない。ページ当りの情報量は第
1 段落と第 2・第 3 段落とでは比べようもなく、「造りだされた人げん」以降の描写は、
描くことがないのに無駄にページを費やしているような印象さえ与える。
原典の『おふでさき』において、「元の理」に関する歌のほとんどが「雛型・道具
の引き寄せ」に関するものであり、「三度の宿し込みと出直し」に関する歌はほんの
数首であり、「めざる一匹以降の人間の成長」についての歌は見当たらない。また、
上述したように、絵画から漫画に至る種々の表象形態において、そのほとんどが「雛
型・道具の引き寄せ」を主なテーマとして描いており、「元の理」の中でこの段落が
人々の注意を引きつける、最も濃密な部分である。更に、神話としての「元初まりの
話」と儀礼としての「かぐらづとめ」を対照すると、「元の理」の中で「十全の守護」
の起源や意味について語っている「雛型・道具の引き寄せ」が最も「かぐらづとめ」
との相関性が強いように思われる。また、高井猶吉の追懐談に見るように、現在の「元
初まりの話」は教祖がずっと続けて語った説話ではなく、教祖によってその時々に語
られた説話を「取次」の人が纏めたものである点にも注意を払いたい。以上のことを
考えると、この創造説話を再想像する誘惑に駆られないだろうか。例えば、創造説話
として語られたのは『おふでさき』でカバーされている第 2 段落までであって、最後
─ 24 ─
井上昭洋 「元初まりの話」の表象論
の段落は創造説話の後日譚として語られたのではないか、といった問いを発すること
はできないのだろうか。
本論文では、「元の理」が絵画から漫画に至る様々なジャンルにおいてどのように
表象されているかを考察してきた。これらの表象を迂回することで、すなわち人々の
解釈し想像し表象してきた「元初まりの話」を読み込むことで、再びこの創造説話に
ついて想像し、「元の理」についての今までの研究と異なる視点を提示できないかを
試みたつもりである。上述のやや乱暴に見える「元の理」についての問いかけも、こ
れらの絵画・彫刻・絵本・漫画についての考察なしには発せられることはなかっただ
ろう。ここでの私の意図は、
「元初まりの話」についての新説を提唱することではなく、
私達にとっての「元初まりの話」が常に解釈され想像され続けること、その表象はこ
れから先も色々と形を変えて提示され続けることを指摘することにあった。再想像の
可能性のない神話は死にかけた神話である。信仰者にとっての「元の理」は「単なる」
神話以上のものであるが、再想像を押さえつけることで「元の理」を「単なる」神話
にも至らない死んだ神話にしてはならないのである。
謝辞
本論文は、天理大学おやさと研究所の平成 21 年度夏期特別講座「教学と現代Ⅵ:
教理探求の方法論」での発表に基づいている。ただし、同講座の発表内容と本論文の
論旨は必ずしも同じではない。資料の収集や同定にあたっては、おやさと研究所の井
上昭夫研究所長、金子珠理研究所員の協力を賜った。阿部光住氏、『縁日草子』作成
者の「九郎」氏、島久幸氏、清水國治氏には、作品資料や有益な情報を提供して頂い
た。以上の方々の御厚意と御協力に御礼申し上げる次第である。
註
(1)エティック・イーミックの概念は、音韻論の音声的(phonetic)と音素的(phonemic)の対立概念を
文化現象全般に当てはめたものである[Pike 1967]。エティックな視点とは、どの文化にも適用できる
概念を用いて文化を外側から分析し、異なる文化の比較を可能にする視点である。一方、イーミックな
視点とは、当該文化固有の概念を用いて内側から文化の意味体系を分析する視点である。
(2)エティックな視点は研究者のイーミックな視点に過ぎないという指摘(エティックな視点の相対化)
がなされるようになり、エティック・イーミックの概念に代わって提示されたのが、解釈人類学者のギアー
ツによる「経験に近い概念(experience-near concept)」と「経験に遠い概念(experience-distant concept)」
である[Geertz 1983]。経験に近い概念とは、例えば、病人が自分が感じたり考えたりすることを言い表
すためにごく自然に用いる概念(痛みや不安)であり、経験に遠い概念とは、専門家(医師や牧師)が
自らの目的を達成するために用いる概念(診断や悟り)である(勿論、この場合、病人の経験に近いか
遠いかが問われている)。また、別の例を上げれば、ヒンズー教徒にとって「カースト」とは経験に近い
─ 25 ─
概念であるが、「社会階層」は経験に遠い概念となる。ここで目指すべきは、どのように両概念の対立を
克服し、そのいずれにも回収されない形で文化のより良い解釈を行うことができるのかを考えることで
あった。
(3)ネイティブの人類学者が自文化を研究したとしても、無条件でネイティブ人類学が誕生する訳では
ない。自文化の解釈と翻訳において、ネイティブであり人類学者であることの困難性を認識し、それ
を乗り越える作業が、ネイティブ人類学の確立には不可欠である。また、ネイティブ人類学の直面する
問題はこの認識論的問題に留まらない。例えば、北米人類学においてネイティブ人類学と「先住民」人
類学はほぼ同義であり、ポストコロニアルな状況における文化を巡る政治学が認識論の問題にも増し
て取り組むべき重要な課題となる。オセアニアにおけるネイティブ人類学・文化研究については、The
Contemporary Pacific 13(2) の “Special Issue: Native Pacific Cultural Studies on the Edge”[2001]を、日本に
おけるネイティブ人類学の抱える問題ついては、『文化人類学』71(2) の「<特集>日本のネイティブ人
類学」[2006]および桑山[2008]を参照のこと。
(4)「元の理」は、それが「かぐらづとめ」の意義を明示していることから「つとめの理話」とも呼ばれ、
また、その内容を十分に理解することが人類救済の実現に向けて重要となってくることから「たすけの
理話」とも呼ばれる。
(5)天理大学附属おやさと研究所[1997]「元初まりの話」『改訂 天理教事典』pp.894-6、天理教道友社。
(6)田村克己[1987]「神話・神話学」『文化人類学事典』pp.392-3、弘文堂。
(7)教団内では従来から「こふき」という言葉に対して「古記」という漢字を当てていたが、「こふき」
を教祖の口授による教義の伝達手段と考えれば、「口記」と記すのがより適当ではないかという指摘が、
天理教二代真柱の中山正善[1957]によってなされている。
(8)
「かぐらづとめ」とは、天理教における最も重要な祭儀である。「ぢば・かんろだい」を囲んで、
「かぐら面」
を付けた 10 人の「つとめ人衆」が、親神天理王命の「守護」
(神の働き)をそれぞれ手振りに表して勤める。
(9)「十全の守護」とは、親神天理王命の人間と世界に対する 10 の「守護」(神の働き)のこと。それぞ
れの働きに神名を配して説明される。「元の理」は「十全の守護」の起源について説いた説話でもある。
(10)現行の「さづけ」は「あしきはらひのさづけ」とも呼ばれるもので、これを病人に取り次ぐ(定めら
れた手振りと唱和を 3 度行った後、患部を 3 度撫で、これを 3 度繰り返す)ことによって、親神天理王
命の守護が得られるとされる。「さづけの理」を拝戴し、それを取り次ぐことができるようになった信者
を「よふぼく(用木)」と呼ぶ。
(11)「をびや」または「をびや許し」とは、
「ぢば」から出される安産の許しのことである。嘉永7(1854)
年、教祖が「をびや許し」を出すようになってから、天理教の教えは急速に広まったとされる。
(12)http://en-nichi.seesaa.net/category/3369406-1.html 「様々な神仏について、絵と文章で雑談・与太話を展
開」する『縁日草子:神仏与太話・神仏萌え日記』は、そのくだけたタイトルとは裏腹に、日本の宗教
文化について CG のイラストを添えて真摯に考察するブログである。『泥海』は同ブログを構成する 20 以
上のカテゴリの 1 つであり、「特異な神話体系『泥海古記』を、絵と文章で紹介」している。
(13)当時、天理教教会本部の周辺の土産物屋や神具店などで販売されていたが、漫画本の内容と販売につ
いて教団がどのような対応を取っていたのかは不明である。しかし、大道社の『教祖さまのおしえ〈1〉
おやさま』の裏表紙には、推薦者として愛知大教会長、浅草大教会長、東京・大阪・新潟教区の主事ら
が名を連ねており、また青山書院の『お道の根本教義 元の理の話』の解説では、先に出版した『おやさ
─ 26 ─
井上昭洋 「元初まりの話」の表象論
ま』に挿入した漫画による「元の理」の解説が非常に好評であったことが記されており、当時多くの信
者に受け入れられていたと思われる。
(14)大須賀貞夫は、大道社の『教祖さまのおしえ <1> おやさま』の推薦者にも東京出張所長として名を
連ねている。彼は、青山書院の『おやさま―天理教教祖さまとその教え―』が発行される 2 年前の 1953 年、
第 3 回参議院議員選挙の全国区に緑風会から立候補したが、惜しくも落選している。
(15)この時代の「かぐら面」の造形についても、神道系の神々の容姿的特徴が見られるか否かは、検討す
べき問題であろう。ただし、過去の「かぐら面」は原則として公開されておらず、一次資料の入手の困
難性から、実際に研究することは極めて困難である。
参照文献
バルト、ロラン
1979 「作者の死」『物語の構造分析』花輪光訳、pp.79-89 みすず書房。
深谷 忠政
1958 『教理研究 元の理 改訂新版』道友社新書。
Geertz, Clifford
1983 “From the Native’s Point of View”: On the Nature of Anthropological Understanding. In Local Knowledge:
Further Essays in Interpretive Anthropology. pp.55-70. New York: Basic Books, Inc.
桑山 敬己
2008 『ネイティヴの人類学と民俗学—知の世界システムと日本』弘文堂。
レヴィ=ストロース、クロード
1979 「神話とは何か」『構造・神話・労働』大橋保夫編、pp.59-84 みすず書房。
中山正善
1946 『ひとことはなし その3』天理教道友社。
1957 『こふきの研究』天理教道友社。
Pike, Kenneth
1967 Language in Relation to a Unified Theory of the Structure of Human Behavior. The Hague: Mouton.
芹澤 茂
1978 「元初まりのお話」『天理 <2> 人間誕生―こころのまほろば―心の本』pp.113-25 天理教道友社。
Wilson, Bryan R.
1970 Rationality: Key Concepts in the Social Sciences. New York: Harper & Row.
─ 27 ─
資料1
『天理教教典』「第三章 元の理」より
この世の元初りは、どろ海であつた。月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召
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し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた。
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そこで、どろ海中を見澄されると、沢山のどぢよの中に、うをとみとが混つている。
夫婦の雛型にしようと、先ずこれを引き寄せ、その一すじ心なるを見澄ました上、最
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初に産みおろす子数の年限が経つたなら、宿し込みのいんねんある元のやしきに連れ
帰り、神として拝をさせようと約束し、承知をさせて貰い受けられた。
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続いて、乾の方からしやちを、巽の方からかめを呼び寄せ、これ又、承知をさせて
貰い受け、食べてその心味を試し、その性を見定めて、これ等を男一の道具、及び、
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骨つっぱりの道具、又、女一の道具、及び、皮つなぎの道具とし、夫々をうをとみと
に仕込み、男、女の雛型と定められた。いざなぎのみこと いざなみのみこととは、
この男雛型・種、女雛型・苗代の理に授けられた神名であり、月よみのみこと くに
さづちのみこととは、夫々、この道具の理に授けられた神名である。
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更に、東の方からうなぎを、坤の方からかれいを、西の方からくろぐつなを、艮の
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方からふぐを、次々と引き寄せ、これにもまた、承知をさせて貰い受け、食べてその
心味を試された。そして夫々、飲み食い出入り、息吹き分け、引き出し、切る道具と
定め、その理に、くもよみのみこと かしこねのみこと をふとのべのみこと たい
しよく天のみこととの神名を授けられた。
かくて、雛型と道具が定まり、いよいよここに、人間を創造されることとなつ
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た。そこで先ず、親神は、どろ海中のどぢよ を皆食べて、その心根を味い、これを
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人間のたね とされた。そして、月様は、いざなぎのみことの体内に、日様は、い
ざなみのみことの体内に入り込んで、人間創造の守護を教え、三日三夜の間に、
九億九万九千九百九十九人の子数を、いざなみのみことの胎内に宿し込まれた。それ
から、いざなみのみことは、その場所に三年三月留り、やがて、七十五日かかつて、
子数のすべてを産みおろされた。
最初に産みおろされたものは、一様に五分であつたが、五分五分と成人して、
九十九年経つて三寸になつた時、皆出直してしまい、父親なるいざなぎのみことも、
身を隠された。しかし、一度教えられた守護により、いざなみのみことは、更に元の
子数を宿し込み、十月経つて、これを産みおろされたが、このものも、五分から生れ、
九十九年経つて三寸五分まで成人して、皆出直した。そこで又、三度目の宿し込みを
なされたが、このものも、五分から生れ、九十九年経つて四寸まで成人した。その時、
母親なるいざなみのみことは、「これまでに成人すれば、いずれ五尺の人間になるで
─ 28 ─
井上昭洋 「元初まりの話」の表象論
あろう」と仰せられ、につこり笑うて身を隠された。そして、子等も、その後を慕う
て残らず出直してしもうた。
その後、人間は、虫、鳥、畜類などと、八千八度の生れ更りを経て、又もや皆出直
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し、最後に、めざるが一匹だけ残つた。この胎に、男五人女五人の十人ずつの人間が
宿り、五分から生れ、五分五分と成人して八寸になつた時、親神の守護によつて、ど
ろ海の中に高低が出来かけ、一尺八寸に成人した時、海山も天地も日月も、漸く区別
出来るように、かたまりかけてきた。そして、人間は、一尺八寸から三尺になるまで
は、一胎に男一人女一人の二人ずつ生れ、三尺に成人した時、ものを言い始め、一胎
に一人ずつ生れるようになつた。次いで、五尺になつた時、海山も天地も世界も皆出
来て、人間は陸上の生活をするようになつた。
この間、九億九万年は水中の住居、六千年は智慧の仕込み、三千九百九十九年は文
字の仕込みと仰せられる。
月日よりたんへ心つくしきり
そのゆへなるのにんけんである 六 88
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Representation of "Story of Creation":
A Sketch of Cultural Study of "Truth of Origin"
INOUE Akihiro
Tenrikyo's creation narrative, the "Story of Creation," has no original text in its strict
sense. This paper is not an attempt to interpret the Story of Creation as a given text. Rather,
it examines visual works including paintings, sculptures, picture books, and comics that
represent the creation narrative as the theme so as to assess the existence of the Story of
Creation as a text.
First, this paper discusses some epistemological problems for the theological study of
Tenrikyo with regards to the Truth of Origin. Then, it studies mythological characteristics of
the Story of Creation on the basis of anthropological and mythological definitions of a myth.
This will be followed by a brief review of the process of compiling the creation narrative
whereby the "Truth of Origin" in The Doctrine of Tenrikyo was developed from the teachings
in the Ofudesaki and the books of the Divine Record (Koki). Finally, an attempt will be made
to look at how the theme and details of the creation narrative are represented by paintings and
sculptures that treat the narrative as their motif and by pictures books and comics that describe
the narrative.
This paper is thus intended to re-imagine the Story of Creation and explore new possibilities
of the study of the Truth of Origin by analyzing interpretations and imaginations of the authors
of various representations of the Truth of Origin ranging from documents to comics.
Keywords: Truth of Origin, Story of Creation, myth, text, representation,
translation, theological study of Tenrikyo
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