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第5日 ・・・・・サンフランシスコ

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第5日 ・・・・・サンフランシスコ
第5日
今日の起床は3時40分。集合は4時15分。ラスベガス6時発の航空機でサンフラン
シスコに向かうためだ。今回のツァーのスケジュールは、かなりの強行軍ではある。いろ
いろ盛りだくさんに見せてくれるのはありがたいことなのだが・・・・・。
熱いラスベガスからサンフランシスコ国際空港に降り立ったとたん感じたのは寒いと言
うこと。冷房のせいかと思ったのだが、ターミナルビルの外に出てもやはり寒い。10度
∼15度ちがうのではないか。砂漠にあるラスベガスは別として、緯度でいうとロスアン
ゼルスが高知で、サンフランシスコは仙台といったところである。また、海流や地形によ
り、サンフランシスコはどうやら寒いところらしい。
最初に向かったのはツイン・ピークス(Twin Peaks)というサンフランシスコの南側に
ある小高い丘である。ここからはほぼ、360°の展望が開け、サンフランシスコの町全
体が見渡せる。ややもやっているが、ダウンタウンの背の高いビル群やゴールデン・ブリ
ッジやベイ・ブリッジが見渡せる。海にはアル・カポネが収監されたというアルカトラズ
写真43.ツイン・ピークスからサンフランシスコの展望
島( Alcatraz Island)が浮かんでいる。
やや、もやっているが、朝早く、ここについて展望が開けるのは幸運だという 。
「霧の
サンフランシスコ」といわれるほど、この街は霧がかかることが多く、特に午前中は台地
には霧がかかっていることが多いという。ここから見る限りでは、街は平坦に見えるが、
実はサンフランシスコは坂の多い街だとの説明がある。
ここからダウンタウンに向かう。坂道を折り始めるとガイドのOさんが同性愛者の話を
始める。サンフランシスコの観光が始まったばかりなのに、何でこのような話をするのか
と思ったが、ただごとでないことに気が付く。バスが走るカストロ地区は同性愛者が住む
街となっており 、家賃も同性愛者でないと高くなるとか 。窓辺には七色旗(Rainbow Flag)
が飾られている。この旗が同性愛者を表す旗なのだ。さらに通りを通る人達を見て、ガイ
ドのOさんは「あの人もこの人」も同性愛者だという。どの街路灯にも七色旗が垂れ下が
っている。サンフランシスコは「人種のるつぼ」と言われているが、同性愛者の人口は4
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万人∼5万人とも言われ、毎年20
00人ほど増加しているという。
「サンフランシスコ市は、ゲイの市
長がいたらくらいですから、同性愛
者の結婚を認めています。ただ、ど
っちが妻で 、どっちか夫なのか・・・・ 」
(永六輔「夫と妻」岩波新書)
しかし、同性愛者の文化程度は意外
に高く、特に福祉・医療については
先進的であるという。Aidsの特
効薬も彼らによって開発されたとい
写真44.七色旗
うのはOさんの話。もちろん必要に迫られたからということはいうまでもないが。
さらに通りを進むと街中に巨大な七色旗が・・・・・。これではまるで国家ではない
か?
次に向かったのは市庁舎である。シビックセンター地区の中心にどっしりと構える市庁
舎はルネッサンス様式で屋根は青銅色のドームとなっている。1989年の大地震で大き
な被害を受けたというが、今は修復もほとんど終っているようだ。この建物はワシントン
の議事堂まねて建造した物であるが、高さはこちらの方が高いとか。周辺の芝生などたい
へんに手入れが行き届いている。外壁は花崗岩で造られ、内部は一面大理石である。中に
入ると、ワシントンとリンカーンの
銅像が左右にある。アメリカの議会
制民主主義を西部でも伝承している
と言うことらしい。最も近年は西部
出身の大統領が何人も出ているの
で、その意義も薄れてきているかも
知れない。さらに進むと吹き抜けに
なっていて正面に階段がある。この
となりの部屋は「ゲーム」という映
画の撮影が行われているという。ツ
ァーの仲間の何人かの人はこの映画
を見ており、しきりに、そのこと
写真45.サンフランシスコ市庁舎
を話題にしていたが、私は見ていない。
木曜日の午前中というのに市庁舎は何故か閑散としている。この中で事務を執っている
というのだが、どうも、忙しい仕事は別のところでやっているらしい。
そのあと、ゴールデン・ゲート・ブリッジに向かう。ゴールデン・ゲート・ブリッジは
サンフランシスコのシンボルであり 、
「世界一美しい橋」と言われている。世界には美し
い橋が数々あるけれど、ゴールデン・ゲート・ブリッジほど、その芸術的な美しさで著名
な橋はないであろう。橋の全長は2,798m、支柱間が1,280mの吊り橋である。
色はレンガ色であるが公式には Internatinal Orange である。ペンキはオレンジと黒の混合
塗料を使っているという。
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バスは橋のそばの公園に駐車する。そこからちょつと歩くと海峡で、ゴールデン・ゲー
ト・ブリッジが架かっている。この日は快晴で風もほとんどなく穏やかな気候であった。
私は子供の頃に、この橋の写真を見てから、あこがれのようなものをずっと抱き続けてき
た。その橋が眼前にあると思うと感慨が深い。
この場所に橋を架けることは 、
強い風、早い潮流、霧の多い気
候 、両岸の地形の複雑さのため 、
「建設不可能 」
(Unbildable Brigde )
と言われていた。この橋の設計
をしたのは、ジョセフ・パーマ
ン・ストラウスで世界中に40
0以上の大鉄橋を設計してきた
エンジニアである。彼の夢の総
決算だったという。1933年
に建設が始まり、4年の歳月と
3,500万$と11人の貴い
写真46.ゴールデン・ゲート・ブリッジ
命をかけて完成した。
1937年の5月の開通第1日は歩行者のみに開放された。その数はなんと20万人。
飛行隊が飛び 、軍艦が集まり 、ベルやサイレンや霧笛が鳴らされて 、街中が開通を祝福し 、
ホワイトハウスからはルーズベルト大統領の祝電が届いたという。
この橋は1930年にサンフランシスコと周辺6
つの郡で住民投票により建設が決定しているが、建
設費用は当時は大恐慌のさなかであったため、公債
を引き受ける銀行がなく、最終的にバンク・オブ・
アメリカの創始者アマディオ・ピーター・ジュリー
ニが決断し公債を引き受けたという。返済金は国か
らも、州からでもなく、ほとんどが通行料から賄わ
れたのでサンフランシスコ湾岸の人々、住民や利用
者の愛着は今でもとても強い。元利とも返済出来た
のは開通から34年後の1
971年だったという。
橋のそばの公園には、ジ
ョセフ・パーマン・ストラ
ウ ス の 銅 像 が あ る 。「不可
写真47.パーマン・ストラウスの銅像
能を可能にした男」ジョセ
フ・パーマン・ストラウスは完成1年後 、
「技術報告書」にサイ
ンした直後、静かにその生涯を閉じたという。まさに架橋に燃
え尽きた一生であったのだろう。その偉大なエンジニアを前に
写真を一枚撮ることにした。
その脇には吊り橋の主ケーブルの切断面が飾られている。 写 真 4 8 . メ イ ン ケ ー ブ ル の 切 断 面
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おびただしい数の「縒り線 」から成っているのが分かる 。こうした材料もさることながら 、
コンピューターのない時代、計算だけでも多くの人手を必要としたであろう。当時のアメ
リカの架橋技術の高さに驚嘆せずにはいられなかった。
その後、向かったのが、フィッシャマンズ・ワーフ(Fisherman's
Wharf)、ここは、そ
の昔、イタリア人漁師の船着き場であったという。ここが現在は、サンフランシスコ人気
ナンバー・ワンの観光スポットになっている。われわれは行かなかったが、ピア39とシ
ョッピング・モールが特に有名だという。バスを降りて昼食のためレストランに入る。レ
ストランは二階にあり、海が見え、手前には蟹
やシーフードの食べられる屋台が並んでいるの
が見える。ツァーでなければ、屋台で食べたい
ところだ。レストランでの食事はシーフードの
スープ、パン、そして蟹、フルーツ、コーヒー
といったコースである。パンはすぐ近くにある
ボーディンというパン屋の酸っぱいパンが有名
であるということである。このパンが蟹に合う
のだそうだ。そういえばそうかなという気はす
る。蟹はちょうど半分に切った物が出される。
何という種類の蟹かは分からなかったが割合と
大きい。茹でてあるが冷たくなっている。何で
茹でたてを出さないのかと思っていたら、冷え
ていた方が食べやすく味が出ておいしいので、
正しい食べ方なのだという。金属製の食器が出
てきて、それで殻を割り身を出して食べるのた
写真49.フッシャマンズ・ワーフの看板
が、ちょっと慣れないとうまくできない。それ
でも美味しくは食べられた。
食事が終わって、少し自由時間がある。息子は食べ足りない様子なので、外に出ること
にする。歩いてすぐの交差点にフッシャマンズ・ワーフのシンボルである船の舵を形取っ
た蟹の看板がある。ここがフッシャマンズ・ワーフの中心だ。
屋台は交差点を渡ったところに並ん
でいる 。蟹がメインだが 、海老や魚類 、
貝などシーフードが並んでいる。シー
フードを挟んだ、サンドイッチなども
とても美味しそうに並んでいる。そこ
で息子ともども、サンドイッチとイカ
のフライを食べる。
蟹はこちらでは茹でたてのものを売
っている。しかも、蟹の甲羅を円柱の
形をした石で叩いて割ってくれる。そ
の割り方のパーフォーマンスがとても
面白い。バトン・ガールの仕草をまね
写真50.屋台のサンドイッチと蟹
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ているようである。おまけに歌を歌っているのだが、その歌が坂本九の「上を向いて歩こ
う」なのだからサービス満点だ。見ている人が日本人よりアメリカ人の方が多いのに。
食事が終わってからは、ホテルに戻ることになる。ダウンタウンの中心地ユニオン・ス
クエア近くにある「マリオット」という名前のホテルである。部屋に着いたら3時を過ぎ
ていた。今日は強行軍だったから、この位の時間で解放されてちょうど良い。
少し休んでから、私は一人、サンフラン
シスコ名物のケーブルカーの写真を撮りに
行くことにした。このケーブルカーの歴史
は一世紀にも渡るという。ケーブル・カー
は南北に走っていて急坂が多い。そこを鈴
なりになって走っていく様は風情がある。
その様子をうまく撮ろうと思っていろいろ
とアングルを考えたが、執念がなかったた
めか中途半端な写真しか取れれなかった。
また、その時はケーブル・カーに乗ろう
とは全く思わなかった。後で、ツァーの人
達の多くはケーブル・カーに乗った話をし
ていたので、乗れば良かったと思ったが時
すでに遅かった。ただ、帰りはフィッシャ
マンズ・ワーフ近くにある始発駅で、30
分近くも待たねばならなかったとか。ケー
写真51.ケーブルカー
ブル・カーはずいぶんと人気があるようだ。
時間があったので、スーパー風の酒屋でワインを買うことにする。カルフォルニア・ワ
インは1976年、フランスのブライアンド・ティステングで勝ち、世界のブランドとし
て知られることになった。その後、ワインの
品質を管理する法律も誕生している。カリフ
ォルニアでワインの醸造が盛んなのはカリフ
ォルニア海流によって発生する霧が夏涼しく、
冬暖かい気候を生み、良質の葡萄を栽培する
のに適しているからだ。カリフォルニア・ワ
インの有名な産地はナパ・バァレイとソノマ
で、ナパ・バァレイは赤、ソノマは白が美味
しいということである。家へのおみやげにナ
パ・バァレイの赤は30$、ソノマの白を2
写真52.ナパ・バァレイの赤とソノマの白
0$で買うことにした 。レジに持っていったら 、女性の店員が「とてもいい買い物ですよ 」
と言ってくれた。 家で飲んだら、赤は辛口で、こくがあり、白の方はすっきりして飲み
やすかった。
夕食をホテルで取って、夜景を見にトレジャー・アイランドに向かう。この島はベイ・
ブリッジの中間にある島である。ベイブリッジはゴールデン・ゲートブリッジの完成より
一年前に完成した巨大な橋である。島を堺にダウンタウン寄りが吊り橋、その先がトラス
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橋となっている。規模の方はベイブリッジの方が上である。何しろ、二段になっていて上
下とも5車線であるというから驚く。現在の日本にも10車線もある橋はない。その橋が
1930年代にすでに建設されていたというのだから、さらに驚く。その島から見るダウ
ンタウンの夜景が美しいというので、わざわざ訪ねてきたのである。サンフランシスコの
夜はさすがにちょっと寒い。添乗員のさんが「この夜景は、たばこのパーラメント
( PALIAMENT)の広告に使われているので、みなさん、なくとなく見覚えがあるでしょ
う」という。そうだったかなと思う。しかし、帰国してから地下鉄でここの夜景が、パー
ラメントの広告に使われ
ているのを確認したので
話は本当だった。
準備不足で、私のデジ
タルカメラでは、ここの
夜景がうまく取れなかっ
たので、ちょっとよそ様
のものを使わせてもらう
写真53.トレジャー・アイランドからサンフランシスコの夜景
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ことにした。
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