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ギルウェル訓練の裏話
特 集 那須野営場での指導者訓練 会報 の 第 27 号 で「 日 本ギ ル ウ ェル コ ー ス 」の 特 集 記事 を 掲 載し ま した が 、こ の 度 、 そ れ に 関連 し て 、日 本 連 盟 元 事務 局 長 石川 嘉 唯 氏 に 貴重 な 話 を執 筆 し て い ただ き ま した 。 石 川氏 は 4 0数 年 間、 ボ ラン テ ィ ア指 導 者 を 支 え、 ス カウ ト 運 動の 発 展に 尽 く され 、 歴史 の 節 目々 々 を 知る 貴 重 な 存 在で あ り まし ょ う 。 ギルウェル訓練の裏話 石 川 嘉 唯 1. 日本連盟事務局の態勢 今 か ら 5 0 年 近 く 前 に な り ま す が 、 昭 3 5 年 ( 1960) 3 月 に 私 が ボ ー イ ス カ ウ ト 連 盟 事務 局 に就 職 し たと き 、 事 務 局は 隅 田 川を 越 え た 月 島の 東 海 汽船 大 島 航 路 発着 所 跡 の2 階 建 て木造 かす み 老 朽建 物 2 階に あ り 、 小 林 運 美 常務 理 事兼 事 務 局 長 の下 に 職 員2 0 名 ほ ど が働 い て いま した。 業務 は 、 総務 ・ 需 品 ・ 経理 ・ 奉 仕に 区 分 さ れ 、総 務 に は久 留 島 秀 三 郎理 事 長 が社 長 で あった ㈱ 同和 鉱 業 生え 抜 き の 、 老練 な 堀 江 得 一 郎 、 経 理に は 容 貌も 気 持 ち も 曲が っ た と こ ろ の ない清 ら かで 真 面 目一 方 の 明 田 京 、 需 品部 に は 大 柄 な体 で 小 器用 に 動 き 回 り、 如 才 のな い 佐 藤 先 輩た ち が おり 、奉仕 に は大 先 生 と敬 愛 さ れ た チー ヤ ン 中村 野 外技 さとる 知 と モ ー ヤン 井 上 昇 茂 、それ に 卓 越の 浦 田 太 一 郎、 事 務 能力 抜 群 の 石 川 一 郎 、 山中 野 営 場 長 を任 さ れ たば か り の 下田 雅 、等 々 、 ボー イ ス カ ウ ト精 神 に 溢れ た 生 え 抜 きの 逸 材 が 中 核 を 占 め 、事 務 局 内で は 連 日のよ う に小 林 事 務局 長 の 大 声 が鳴 り 響 く中 で 、 総 務 ・需 品 ・ 経理 ・ 奉 仕 配 属の 若 手 職員 も 、 日常的 に 奉仕 精 神 を発 揮 し て 精 励し て い まし た 。 昭和 3 5 年の 滋 賀 県 饗 庭野 で 開 催の 第 2 回 日 本ジ ャ ン ボリ ー で の 豪 雨の 中 の 大行 進 が 、全国 の ボー イ ス カウ ト 及 び 指 導者 に 大 きな 感 銘 と な り、 運 動 の拡 大 に 向 け て、 事 務 局に は 活 力が溢 れ てい た の が印 象 的 で し た。 就職 し た とき は 、 事 務 局で の 大 学新 卒 男 子 採 用が 正 式 に始 ま っ て 2 年目 で あ り、 一 年 先輩 に 1 名、 同 期 は他 に 1 名 が おり ま し た。 も っ と も 、当 時 の 日本 は 経 済 発 展前 で あ り、 女 子 の職場 が 広く 解 放 され て な か っ たこ と が 幸い し た の か 、事 務 局 には 有 名 女 子 大卒 の 才 媛が そ れ 以前か ら 毎年 何 人 も採 用 さ れ て おり 男 子 新大 卒 は 頭 脳 より も 体 力労 働 に 狩 り 出さ れ ま した 。 ボ ーイス カ ウト 経 験 も体 力 も 不 足 な“頭 で っ か ち ”に は 、それ は 厳 しい 試 練 で あり 、 “食 い 逃 げ ”の レッ テ ルを 張 ら れて も 脱 落 し たく な る 状況 が 度 々 あ りま し た 。 しか し 、 社会 的 認 知 度 が低 く 、 しか も 傲 慢 と 思え る ほ ど理 想 に 燃 え た青 少 年 運動 で は ありま 1 特 集 那須野営場での指導者訓練 し たが 、 資 金不 足 、 人 材 不足 、 総 合計 画 欠 如 、 等々 の 短 所を も の と も せず 運 動 を驀 進 さ せた小 林 常務・事 務 局 長 の 甚 大 な功 績 等 によ り 、運 動 の発 展 を 目指 す 活 力 は 目覚 ま し く 特 に 小 林 常務・ 事 務局 長 の 尽力 は ギ ル ウ ェル 訓 練 には 如 実 に 生 かさ れ ま した 。 多く の 先 人と 同 じ く 、 時代 の 流 れに 逆 ら い 引 き際 を 失 った の は 残 念 でし た が 、運 動 発 展の盤 石 な基 盤 を 築い た ギ ル ウ ェル 訓 練 は小 林 常 務 ・ 事務 局 長 に始 ま り 、 小 林常 務 ・ 事務 局 長 と共に 役 目を 終 え たと 言 っ て も 過言 で は なく 、 ま た 時 代に 活 躍 した 多 く の 人 材を 育 て た功 績 は 高く評 価 され る べ きで し ょ う 。 2. ギルウェル・ノートと年頭書簡(アニュアル・レター) ギル ウ ェ ル訓 練 は、ス カウ ト コ ース が“D C Cノ ー ト ”、ウ ル フ カ ブ コー ス が“ A K Lノ ー ト” の 翻訳 に よ り行 わ れ ま し た。これ は ギ ルウ ェ ル パ ーク の 任 命す る D C C( キ ャン プ チ ーフ 代 理) 及 びA K L (ア ケ ラ リ ー ダー ) に 対し て 限 定 的 に配 布 さ れ、 他 人 に 見 せる こ と のな い 秘 伝書と し て、 大 切 に活 用 さ れ ま した 。 日本 で は 、ウ ル フ カ ブ コー ス 第 一回 が 昭 和 3 5年 に 開 設さ れ 、 就 職 時に は 大 御所 中 村 知先生 が 大き な 虫 眼鏡 で 、 原 文 と翻 訳 文 の活 字 を 追 い なが ら 、 AK L ノ ー ト の印 刷 仕 上げ を 行 ってお ら れた の が 目に 浮 か び ま す。 ノー ト と いう 用 語 に 当 時は 特 別 の注 意 は 払 い ませ ん で した が 、 ハ ン ドブ ッ ク とい う 概 念が広 ま った 後 に 合点 が 行 き ま した よ う に、 そ の 内 容 は要 点 記 述で し た 。 正 にこ れ に より 、 ウ ッドバ ッ ジコ ー ス 入所 生 に は 、 先輩 か ら 精神 、 理 論 、 展開 、 技 能を 体 で 学 び 取る 学 習 を厳 し く 叩き込 ま れ、 そ れ が現 代 流 に 言 えば カ リ スマ 性 と な っ て、 入 所 生の み な ら ず 全国 の 指 導者 を 魅 了した と 言え ま す 。 しか も 、 この ノ ー ト に 加え 、 毎 年頭 に は イ ギ リス の ギ ルウ ェ ル 所 長 から 年 頭 書簡 が 送 られて 来 まし た 。 ごく 普 通 の 通 達文 で し たが 、 こ れ を 心待 ち に して い た 日 本 の指 導 者 訓練 の 権 威者た ち は、 最 新 の知 識 技 能 を 学び 、 ギ ルウ ェ ル の 励 まし を 感 得し 、 新 た な 使命 感 に 燃え ま し た 。 2 特 集 那須野営場での指導者訓練 到着 し た 年頭 書 簡 は 、 大学 卒 の 英語 力 が あ れ ば容 易 に 翻訳 で き ま し た。 し か し日 本 連 盟事務 局 では 、 時 には 一 部 を 大 学卒 に 任 せて 翻 訳 さ せ 、中 村 先 生が 校 閲 す る こと も あ りま し た が、大 部 分は 先 生 本人 が 翻 訳 し 、D C C /A K L 会 議 に配 布 、 報告 さ れ ま し た。 勿論 、 翻 訳は 用 語 次 第 で重 み が 失わ れ 、 あ る いは 不 要 な疑 義 を か も し出 し ま すか ら 、 中村先 生 を置 い て 他に 正 統 的 な 翻訳 者 は いな か っ た の も事 実 で あり ま し た 。 3. 実技コースの開設準備 第一 回 の スカ ウ ト コ ー スは 、 昭 和3 4 年 に 山 中野 営 場 で行 わ れ 、 第 二回 以 降 は那 須 野 営場で 開 設さ れ ま した 。東北 高 速自 動 車 道が な い 昭 和 35 年 (1960)頃 に は、東 北 地方 へ の 輸送 路 の生 命 線で あ っ た国 道 4 号 線 も、 舗 装 され な い 部 分 が各 所 に あり 、 那 須 野 営場 で の コー ス 開 設準備 に 、事 務 局 から 出 張 す る 職員 は 大 変で し た 。 開 設一 週 間 ほど 前 に 東 京 から 那 須 野営 場 へ 向かう 顔 ぶれ は、浦 田 太一 郎 御 大、大 卒 一年 目 の 2人 、そ れに 需 品 部か ら 運 転 手 の4 人 編 成が 常 連 でし た。 テン ト や 炊工 具 な ど の 備品 は 野 営場 に 保 管 さ れて い ま した が 、 コ ー ス期 間 中 の食 料 は 多くを 東 京で 調 達 し運 搬 し ま し た。 な ぜ 東京 な の か は 、コ ー ス はイ ギ リ ス で 開設 通 り 忠実 に 行 うのが 鉄 則で あ り 、そ れ は コ ー ス中 の 配 給食 料 ま で 含 まれ ま し た。 パ ン 食 、 バタ ー 、 ジャ ム 、 コーン フ レー ク 、 コン ソ メ ス ー プ、 肉 の 缶詰 、 等 々 、 西洋 料 理 の定 番 で あ る 食材 は 、 西那 須 野 では入 手 でき ず 、 東京 の 森 永 製 菓食 品 部 門か ら 調 達 し まし た 。 所員 と 事 務 局 を含 め 5 0人 ほ ど の量の 多 種多 様 な 西洋 食 材 を 狭 いラ イ ト バン の 荷 台 に 積み 込 み 、浦 田 御 大 は 電車 で 行 くこ と も 度々で し たが 、 大 卒男 子 2 人 と 運転 手 は 、一 日 が か り で食 料 運 搬を 行 い ま し た 。 勿 論 、入 所 生 がコー ス 中に 記 録 を取 り 、コ ー ス終 了 後 は後 生 大 事 に 生涯 の 宝 とす る《ギ ル ウェ ル ノ ート ブ ッ ク 》も 、 運 搬資 料 の 一部 に 含 ま れ てい ま し た。 野営 場 に は、 デ ン ジ ー の愛 称 で 親し ま れ た 古 田伝 一 場 長が 待 っ て い まし た 。 第4 代 総 長三島 みちはる 通 陽 家 の別 荘 地 と別 荘 を 日 本 連盟 が 購 入し 、 松 の 大 木を 主 と した 樹 木 が 生 い茂 り 、 幾つ もの庭 園 のあ る 素 晴ら し い 敷 地 内は 四 季 折々 の 自 然 が 豊か で 、 木造 2 階 建 て 明治 ・ 大 正時 代 を 髣髴さ せ る家 屋 は、内 部が 研 修 施 設用 に リ フォ ー ム さ れ てお り、所 員 と事 務 局 職 員の 宿 泊 食事 が で き 、 フ ロー リ ン グの 大 広 間 は コ- ス 期 間中 の 雨 天 の 日や 夜 の 課業 の 入 所 生 の集 会 に 使わ れ ま した。 太平 洋 戦 争中 は 中 国 に おら れ 、 自称 “ 大 陸 浪 人” の 古 田場 長 は 枯 淡 な味 わ い ある 話 し 方や、 文 を書 く 瓢 々と し た お 人 柄で し た 。長 期 間 の コ ース 中 の 所員 や 裏 方 た ちが 、 緊 張の 中 に も和や か に業 務 を 終え た の に は 、デ ン ジ ーの 存 在 は 大 きか っ た と言 え る の で はな い か と思 い ま す 。 受入 準 備 はテ ン ト や 炊 工具 の 点 検準 備 に 始 ま り、 利 用 サイ ト の 点 検 清掃 、 集 会用 天 幕 の設営 な どが 、 浦 田御 大 の 頭 の 中に あ る 準備 計 画 に よ り進 め ら れま し た 。 所 員集 合 前 の人 手 不 足は、 地 元高 校 生 スカ ウ ト が ア ルバ イ ト で集 め ら れ 、 回数 も 重 ねる に 従 い 、 彼ら も 要 領が 分 か り大活 躍 でし た 。 口数 は 少 な い 職人 肌 の 浦田 御 大 の 厳 しさ に は 、弱 音 を 吐 く 暇も な い のが 常 で した。 3 特 集 那須野営場での指導者訓練 “大 き い こと は 良 い こ とだ ” と 信じ る 小 林 常 務・ 事 務 局長 は 、 大 テ ント 、 大 きな 炊 工 具箱が 大 好き で し た。 雨 天 用 の 隊集 会 テ ント は コ ー ス 広場 横 に 建て ら れ ま し たが 、 太 くて 重 い 棟木と 支 柱を 肩 に 担い で 運 ぶ だ けで も 体 力が 要 り 、 集 会テ ン ト の設 営 は 大 仕 事で し た 。 昭和 3 8 年(1963)夏 開催 の 、ギ リ シ ャで の 第1 1 回 世界 ジ ャ ン ボ リー ま で は、宿 泊用 班 テン ト は8 人 用 の支 柱 も 棟 木 も太 い 木 材を 使 用 し た 大型 テ ン トで あ り 、 ま た炊 事 兼 集会 班 用 テント しっか も 重い 確 り し た木 材 を 使 用 し、一 コー ス 4 個班 分 の班 サ イ トへ の リ ヤ カ ー運 搬 は 重労 働 で し た。 ギリ シ ャ の世 界 ジ ャ ン ボリ ー 派 遣の 翌 年 か ら は、 鉄 パ イプ 組 立 て 式 4人 用 ジ ャン ボ リ ーテン ト が各 班 2 張り( 組立 て 式鉄 枠 カ ット ベ ッ ド 班 人数 分 支 給貸 与)、そ れ に大 型 の 班集 会 テ ン トが 使 われ る と 、準 備 は 益 々 重労 働 に なり ま し た 。 開所 式 2 日前 集 合 の 所 員会 議 ま でに は 準 備を終 え 、所 長 ・ 所員 の 点 検 を 受け ま し たが 、 昭 和 3 5年 の 翌 年以 降 は 女 子 大卒 の 職 員は 入 っ ても、 大 卒男 子 職 員は 2 、 3 年 は入 ら ず 、3 5 年 採 用 の大 卒 3 名は 毎 回 、 野 営場 で の 労働 に 全 く疲労 困 憊し 、 準 備完 了 前 に 倒 れて 寝 込 むこ と も 度 々 でし た 。 4. 所員の集合 ギル ウ ェ ル訓 練 を 開 始 後何 年 間 も、 所 長 は 古 田誠 一 郎 DC C 、 ウ ル フカ ブ コ ース は 尾 崎忠次 A KL が 定 番で あ り、所 員は 副 所 長に 小 林 運 美、吉 川 哲雄 、ス タッ フ に中 村 知他 、 (井上 茂 モ ーヤ ン 先 生は 昭 和 3 5 年春 に 脳 梗塞 で 倒 れ 入 院) と い う組 み 合 わ せ であ り 、 全員 が 旧 三島邸 の 家屋 内 に 宿泊 し 、 隊 長 ・副 長 な どの 隊 指 導 者 は入 所 生 集合 ま で は 家 屋内 に 、 入所 生 集 合前夜 か らは 隊 長 副長 は 個 別 の テン ト で 野営 し 、 食 事 だけ は 室 内に 用 意 さ れ 自炊 は し ませ ん で した。 コー ス 開 始2 日 前 の 午 後に 、 所 長・ 所 員 と 隊 指導 者 が 集合 す る と 、 簡単 な 所 員会 議 の 後夕食 を 兼ね て 盛 大に 酒 宴 が 開 か れ ま し た。 こ の 頃 は 、所 長 及 び所 員 は 職 員 同様 に 交 通費 は 全 額日本 連 盟負 担(出 張 手 当、謝 礼な し )で し た が、隊 指導 者 は 参加 費 を 免 除 はさ れ ま した が、入 所 生 同 様 に往 復 交 通費 は 自 弁 で した 。 所員 会 議 後の 宴 会 で は 、飲 酒 に よる 酔 い が 進 むと 、 様 々な ボ ー イ ス カウ ト 談 議に 花 が 咲きま し た。中 でも 、長 く日 本 連盟 の 運 営を 牛 耳 っ た“ 矢 の 会” (ゴ ー ル デ ン アロ ー を ジャ ン ボ リ ーマ ー クに 使 っ た第 3 回 世 界 ジャ ン ボ リー に 、 佐 野 常羽 団 長 の下 に ス カ ウ トと し て 参加 し た 派遣団 員 )の “ こぼ れ 話 ” が繰 り 返 され ま し た 。 古田 誠 一 郎所 長 の 愛 称 パー ヤ ン は、 派 遣 団の パ ー サー 役 で あっ た か ら 名 付け ら れ たと か 、 一 ヶ 月近 い 航 海中 の 思 い 出 話航 海 後 ヨー ロ ッ パに到 着 した 後 の 話、 途 中 合 流 とか 別 行 動で の 帰 国 ス カウ ト と か、 話 は 尽 き ませ ん で した 。 酒 宴の善 悪 は別 に し ても 、所 員 や 隊 指導 者 と して 奉 仕 す る 者に と っ て、これ は 思 い 出深 い 前 夜祭 で あ り、 ま た普 段 接 し得 ぬ 大 指 導 者か ら の 洗礼 と も 言 え る薫 陶 を 受け る 貴 重 な 機会 と な った と 言 え ま す。 事務 局 職 員の 食 事 は 別 部屋 で あ り、 宴 会 に は 勿論 出 席 はし ま せ ん し 、日 中 の 重労 働 に よる疲 4 特 集 那須野営場での指導者訓練 労 の回 復 と 翌日 の 作 業 に 備え て 、 夕食 後 は 入 浴 し早 々 に 寝床 に 入 り 、 ひた す ら 眠り を 貪 りまし た。 翌日 、 午 前中 は 所 員 会 議が 開 か れ、 午 後 は 所 員と 隊 指 導者 は 浦 田 御 大を 連 れ て一 泊 ハ イクの コ ース ( ウ ルフ カ ブ コ ー スで は ピ クニ ッ ク ) の 下見 を 行 いま し た 。 千 本松 農 場 の先 に あ る那須 疎 水が 、 側 壁と 水 底 を コ ンク リ ー 卜で 張 ら れ る 前に は 、 両岸 は 灌 木 や 草が 生 い 茂り 、 ス カウト コ ース の 格 好の 仮 泊 野 営 地で し た 。入 所 生 は 班 単位 で 午 前中 に 野 営 場 を出 発 し 、何 か 所 ものチ ェ ック ポ イ トを 通 過 し ま した が 、 次の チ ェ ッ ク ポイ ン ト の所 在 や 途 中 作業 は 、 チェ ッ ク ポイト に 到着 し て 指令 書 の 隠 し 場所 を 探 さな け れ ば な りま せ ん でし た 。 毎回 同 じ コー ス 、 同 じ 課題 と す ると 、 入 所 生 の中 に は 前回 参 加 者 か らの 情 報 を得 て 、 野営場 到 着前 、 入 所す る 前 に 事 前調 査 す る輩 も 出 始 め 、コ ー ス 設定 に 所 員 は 苦労 し 、 工夫 を こ らした よ うで し た 。 第2 日 目 の夜 も 夕 食 後 に酒 宴 が 開か れ ま し た 。そ の 前 に、 隊 指 導 者 は宿 泊 テ ント を 立 て野営 の 準備 を 終 えま し た 。 夜 の所 員 会 議の 後 に 酒 宴 とな り ま した が 、 隊 指 導者 は 翌 日の 準 備 が終わ ら ず、 所 長 と所 員 だ け の 酒盛 り と なる こ と が 多 かっ た よ うで し た 。 5. コ ース の 実 施 入所 生 は 野営 場 に 到 着 する と 、 三島 神 社 境 内 の広 場 で 携行 品 の 点 検 を受 け 、 必要 具 以 外は本 部 預り と な り、そ の後 、入 門の 際 に 俗界 の 地 位 や 雑事 と の 別離 を 誓 約 し、開 所 式に 臨 み まし た。 こ うし て 、 電話 も か け ら れず 、 新 聞も 読 ま ず、ラ ジオ も 聞 けな い、現 実 生 活か ら 隔 絶さ れ た 8泊 9 日の 訓 練 が始 ま り ま し た。 し か も、 コ ー ス 中 は絶 対 的 な指 示 命 令 に 従い 過 ち に対 し て は全体 責 任が 間 わ れま し た 。 こ れが 生 き 地獄 で は な く 、崇 高 な スカ ウ ト 精 神 を感 得 し 、滅 私 奉 公をす る 知識 技 能 の聖 な る 道 場 であ り 、 閉所 式 で は 入 所生 全 員 が修 了 証 を 手 にし 、 言 葉で は 言 い尽く せ ない 感 激 と感 謝 を 味 わ いま し た 。 イギ リ ス では 、 同 じ 方 式で 展 開 する コ ー ス も 、個 人 の 自由 を 尊 重 し 、ユ ー モ アな ど に より緊 張 感を 解 す よう に 様 々 な 工夫 が 所 員に よ り 行 わ れて い ま した 。 こ の 英 国流 の 考 え方 の 下 に、モ ッ トー “ 備 えよ 、 常 に ” が体 得 さ れな け れ ば な らな い の に、 極 限 の 緊 張状 態 の 下に “ 備 えよ、 常 に” を 語 るの は 、 冷 静 に考 え れ ば何 と も 味 気 ない 求 道 心で あ っ た の では な い でし ょ う か。ス カ ウト な ら 誰で も 承 知 の 通り 、英 語 で は“ 備 え よ、常に ” に 比べ 、日本 語 訳 に は “常に” は “ Be Prepared” で す。英語 が 加 えら れ、文 末 にあ る た め、 「 常 に」は 強調 的 に 受け 取 ら れ ます 。 運 動に 参 加 す る 全て の ス カウ ト と 指 導 者に 、 や る気 を 起 こ さ せる 大 和 魂溢 れ る 誠に見 事 な翻 訳 で あり ま す が 、そ の一 方 、英 語で は う 行動 力 を 暗示 し て い る のに 、 翻 訳で は 入 り込 ん で しま う 。 コ ース で は “( 何 でも で き るよ う に )備え て い こう ” “ 常 に” “ 行 動 す る 人間 ” 5 とい が 強調 さ れ る た めに 行 動 より 自 己 陶酔が 作り が 講 義 の 中に 明 確 に出 さ れ てはい 特 集 那須野営場での指導者訓練 ま すが 、 極 限の 生 活 状 態 の中 で は 全て が 自 己 陶 酔の 中 に 埋没 し て し ま う恐 れ が あり ま す 。 コー ス 内 容か ら 食 事 ま で全 て に おい て 、 外 見 は英 国 と 同一 を 目 指 し まし た が 、内 容 と 実 施に は 原 語 と 翻 訳 と の 落 差 は 大 き く 、 昭 和 4 5 年 (1970)台 に 始 ま っ た ギ ル ウ ェ ル か ら 国 際 訓 練 方 針 への 転 換 には 1 0 年 以 上の 年 月 と調 整 の 歪 み が生 じ た 遠因 と な っ た と云 え な くも な い のでは な いで し ょ うか 。 班は 8 人 編成 で あ り 、 班長 ・ 次 長・ 炊 事 ・ 資 材・ 歌 な どの 役 割 が 、 日替 わ り 交替 制 で 、班員 全 員が 全 て の係 を 経 験 さ せら れ ま した 。 日 々 の 改善 、 日 々の 善 行 な ど を合 言 葉 に、 全 員 が最終 日 の最 後 の 最後 ま で 力 を 尽く し 、 朝礼 の 点 検 で 評価 を 受 けま し た 。 野営 で の 自炊 生 活 は 全 員の チ ー ムワ ー ク が 不 可欠 で あ り、 確 か に 強 い仲 間 意 識、 同 志 愛が培 わ れま し た 。班 は ボ ー イ スカ ウ ト 組織 の 要 で あ り、 目 標 は同 一 で は あ りま す が 、各 班 は 個性的 な グル ー プ とし て 躍 動 的 に活 動 し 班相 互 の 競 争 が切 瑳 琢 磨を 生 み 、 正 にそ れ は 地上 の 楽 園でも あ りま し た 。 その 楽 園 から 厳 し い 現 実社 会 へ 出て 実 力 を 試 す仕 組 み が、 最 後 の 仕 上げ と し て行 う 一 泊ハイ ク でし た 。 誰も 教 え て く れな い 、 班の 8 人 の 仲 間が 話 し 合い 、 助 け 合 って 、 実 修成 果 を 発揮し て 障害 や 困 難を 乗 り 越 え て行 く の でし た 。 野 営 場か ら 出 発す る と き に 、班 に 一 枚の 地 図 と指示 書 が渡 さ れ まし た 。 指 示 書の 前 文 には 、 班 ハ イ クの 想 定 が記 さ れ て い まし た が 、そ れ に は未 知 の 土地 を 開 拓す る ロ マ ン が込 め ら れ、 美 文 で 詠 われ 、 班 員を 励 ま し ま した 。 指 示書 に は 次の経 由 地が 示 さ れ、 そ こ に 至 るま で に スカ ウ ト 技 能 を練 磨 す る課 題 が 書 か れ、 そ れ を短 時 間 で仕上 げ て進 ま な けれ ば な り ま せん で し た。 厳 し い 徒 歩に よ る 、重 い 荷 物 を 背負 っ て の行 程 で あり、 前 回ま で の 入所 生 か ら 一 泊ハ イ ク のル ー ト 情 報 や課 題 内 容等 の 情 報 を 得て 、 事 前調 査 を 行った 大 所生 の 噂 が誠 し や か に 流れ も し まし た 。 一泊 ハ イ クか ら 帰 る と 、そ の 晩 に 入 所 生 全 員 が野 営 場 本館 講 堂 で ス キヤ キ パ ーテ ィ に 招待さ れ まし た 。 何回 目 か ら 始 まっ た の か正 確 に 記 憶 して い ま せん が 、 イ ギ リス ・ ギ ルウ ェ ル パーク で 修了 式 前 日に 野 外 パ ー ティ を 行 うの を 日 本 式 に真 似 た ので し た 。 西 洋式 の 野 外パ ー テ ィと日 本 式の お 座 敷パ ー テ ィ で は、 主 旨 が丸 で 違 う こ とか ら 誤 解さ れ る 向 き もあ り え たで し ょ うが、 「 終わ り よ けれ ば 、 す べ て良 し 」 とい う 日 本 的 な“ 苦 労 の全 て を 洗 い 流す ” の 心に 大 い に訴 え 好 評 で あっ た よ うで し た 。 6 方式 は 、 入所生 特 集 那須野営場での指導者訓練 6. コース中の準備と作業 コー ス 期 間中 、裏方 の 事務 局 職 員は 何 を し て いた の で し ょ うか 。所 員 及 び隊 指 導 者は 、コ ー ス 運営 に 当 たり 、講 義 や 担当 の 責 務遂 行 に 必 要 な準 備 は しま す が、コ ース の 日 課 に ある 各 種 活動 の 準 備 や 手配 は 事 務局 に 任 さ れ、他 に 支援 者 はい ま せ んで し た 。 所員 集 合 後は 、 コ ー ス 期間 中 の 高い 木 に ロ ー プを 結 び、 滑 り降 ろ さ せる“お か あ ちゃ ん ”始 め、幾 つ か の野 外 冒 険 ゲ ーム の 準 備が 始 ま り 、つ い で コー ス の 集大 成 であ る 一 泊 ハ イク の 障 害物 の 設 置 な どが 行 わ れま し た 。 そ の後 に は、 も 耐 え た 。 コ ッ ク 帽 、 エ プ ロ ン も ゑ 固 弓 立 ち か ま ど は 八 泊 九 日 間 使 用後 の 不 用物 の 撒 去 と 撒営 準 備 が続 き 、正 に 厳し い 強 制 労 働が 続 き まし た 。 コー ス 期 間前 か ら 行 う 食糧 配 給 準備 も 大 変 で した 。西那 須 野 の肉 屋・八 百 屋・パ ン 屋・米 屋・ 牛 乳屋 へ 足 を運 び 、 献 立 表に 従 っ て注 文 を 行 い 、一 括 配 給品 は コ ー ス 開始 日 に 配達 物 を 班別に 小 分け し 、 鮮度 が 必 要 な 牛乳 や 生 鮮食 品 な ど は 、毎 朝 夕 配給 2 時 間 前 に配 達 さ せて 班 別 に小分 け をし ま し た。 食糧 配 給 役の ご 下 命 が 2年 目 に 来ま し た 。 1 年目 に 多 少の 配 給 手 伝 いを 仰 せ つか り ま したの で 、要 領 は 分か っ て い ま した が 、 業者 と の 交 渉 や駆 け 引 きに は 全 く 無 知で し た 。注 文 し 、時間 通 りに 注 文 品が 配 達 さ れ 、種 分 け と各 班 配 給 係 に渡 し 終 えれ ば 、 文 句 は言 わ れ ない と 思 ったの で した が 、落 と し 穴が 最 後に 来 ま した 。夜の 宴 会分 を 含 め、総 額が 1 0万 円 を 大き く 越 え、 『1 0 万ま で 業 者に ま け さ せ ろ』 と い う事 務 局 長 命 令が 下 さ れま し た 。 支 払日 に は 、業 者 を 室内に 招 き入 れ 、 値引 き の 交 渉 を行 い ま した 。 何 割 の 値引 き 額 を提 示 し た の か記 億 に あり ま せ んが、 米 屋の 主 人 から『 値引 き はし ま す が、領 収書 は その ま ま の金 額 で お 願 いし ま す 』と 言 われ 、 『賄 賂 じゃ な い よ』と 念を 押 すと 、 『 公 定 価格 の 米 は、値 引 きで き な いん で す。米 代を ま け ろと 言 う 人 は、 貴 方 が初 め て で す よ 』 と 言 われ 、 大 恥 を かい た の は忘 れ ら れ ま せん 。 米 屋は 、 結 局 公定 価 格以 下 の 支払 い を 承 諾 し、 世 知 に疎 い 若 者 の 顔を 立 て てく れ ま し た 。 所長 と 所 員、隊 指導 者、職 員 の食 事 は、事 務 局 から 出 張 させ ら れ た 若 手の 女 子 職員 が 調 理 し、 配 膳し 、 後 片付 け を し ま した 。 事 務局 の 奉 仕 ・ 総務 を 中 心に 女 子 職 員 は選 ば れ 、通 常 は 3人編 成 であ り 、大 卒 1 年目 の 女子 や 、高 校 卒 の総 務・経 理・需 品 担当 職 員 が 順番 制 で 出張 し ま し た 。 外 国業 務 等 の主 要 ポ ス ト にあ る 女 子大 卒 2 ~ 3 年の 実 務 経験 者 は 好 ま なか っ た よう で し たが、 新 入大 卒 女 子や 高 卒 女 子 はそ れ な りに 楽 し ん で いる よ う に見 え ま し た。所 員や 職 員 の調 理 で は、 コ ース の 配 給と 同 じ 献 立 を主 に 、 女子 職 員 の 創 意工 夫 で 多少 の 変 化 は 許さ れ ま した 。 毎晩 沸 か され る 風 呂 は 大風 呂 で あり 、 掃 除 も 風呂 焚 き も女 子 職 員 の 担当 で し たが 、 風 呂焚き 7 特 集 那須野営場での指導者訓練 は デン ジ ー が引 き 受 け る 日も 多 か った よ う で し た。 食 事 の部 屋 は 、 所 長を 含 め 所員 用 と 職員用 と に別 れ 、 職員 は 台 所 横 のテ ー ブ ルを 使 い ま し た。 大学 卒 一 年目 の 給 料 は 1万 1 千 円で し た が 宿 泊食 事 付 き一 日 5 百 円 の出 張 手 当は 1 5 日で月 給 の7 割 程 度に な り 、 奉 仕々 々 の 掛け 声 高 い 運 動に あ っ ては 、 こ れ が 激労 の 癒 しと 思 え もしま し た。 7. コ ース の 後 始末 感激 の 閉 所式 で 修 了 証 が手 渡 さ れ、 入 所 生 は 別人 と な った よ う な 清 新な 気 持 ちで 野 営 場を去 っ て行 き ま した 。 そ の 光 景は 感 動 的で も あ り ま した 。 閉 所式 前 の 撤 営 では 、“ Leave Nothing but thank-you”( 感 謝 の み を 残 す )精 神 が 遺 憾 な く 発 揮 さ れ、 野 営 地 は 芥 一 つ 見 当た ら な い ほ ど完 全 に 清掃 さ れ 、 班 用具 類 は ビカ ピ カ に 磨 き上 げ ら れて 返 納 さ れ まし た 。 しか し 、 これ は 理 想 で あり 、 努 力目 標 で も あ りま し た 。最 終 日 が 荒 れ模 様 の 天候 の 場 合もあ り 、こ の よ うな 天 候 で は 限ら れ た 時間 内 の 撤 営 であ り ま すか ら 、 不 十 分な 点 も 多々 目 に 付 くこ と もあ り ま した 。 ま た 、 班に 属 さ ない 隊 集 会 用 大型 テ ン トや 建 設 物 ( 冒険 活 動 の足 場 や ロープ な ど) は 、 事務 局 職 員 が 撤去 し ま した 。 入 所 生 や所 員 た ちが 帰 っ た 後 の整 理 と 整頓 は 、 やはり 浦 田御 大 の 指揮 下 で 、 二 人の 大 学 卒男 子 職 員 が 行わ ざ る を得 ま せ ん で した 。 準 備段 階 で 集めら れ た地 元 シ ニア ー の ア ル バイ ト た ちは 撤 収 後 の 作業 に は 来ま せ ん で し た。 通 常 は3 日 間 に渡っ て 作業 が 行 われ ま し た 。 閉所 式 の 翌朝 に は 所 員 たち も 全 員が 野 営 場 を 去り 、 閑 散と し た 野営場 で 班員 が 梱 包し て 返 納 し たテ ン ト を広 げ て 日 干 しに し 、 炊具 は 水 場 で 洗い 直 し 、乾 燥 さ せて収 納 箱へ 入 れ 、工 具 は 泥 落 しを 点 検 して 油 を 塗 る ので し た 。夕 方 、 太 陽 の沈 む 前 にテ ン ト を正し く 折り 畳 み 、収 納 袋 に 納 め、 担 い で倉 庫 に 入 れ まし た 。 浦田 御 大 は 作 業の 指 揮 官で あ り 、細々 と した 作 業 や重 労 働 は 二 人の 大 卒 職員 に 任 さ れ まし た 。 野営 場 で の撤 営 後 の 後 片付 け が 終わ る と 、 需 品部 か ら の運 転 手 が 出 張し た り 、同 期 の 大卒男 子 職員 が 運 転し て ラ イ ト バン で 東 京に 向 か い ま した 。 長 旅に は 変 わ り あり ま せ んで し た が、積 ん でい る 荷 物も 少 な く、緊 張感 か ら 解放 さ れ た ド ライ ブ で した 。国 道 5 号 線で 浅 草 に近 付 く と、 夜 に入 る 時 刻で あ り 、 都 会の 明 る い光 が ま ば ゆ く美 し く 見え た の が 思 い出 さ れ ます 。 採用 か ら 3~ 4 年 後 に 男子 大 学 卒業 生 な い し 高卒 職 員 が何 人 か 加 わ り、 こ の 重労 働 か ら解放 さ れま し た が、 ギ ル ウ ェ ル訓 練 へ の出 張 は 厳 し い体 験 で あり 、 ま た 神 秘的 な 世 界を 知 る 貴重な 機 会で も あ りま し た 。 これ と ほ ぼ同 じ 形 式 で 、地 方 実 修所 と い う 地 方で の 指 導者 訓 練 は 行 われ 、 ボ ラン テ ィ アの指 導 者た ち が 裏方 を 務 め て いま し た が、 野 営 場 の 規模 や 用 具の レ ベ ル な どか ら 、 ギル ウ ェ ル実修 所 の厳 し さ とは 雲 泥 の 差 があ っ た と言 え ま す 。 遠い 日 の 思い 出 、 過 ぎ 去っ た 過 去な ど 、 様々に 8 特 集 那須野営場での指導者訓練 当 時を 思 い 出す と き、ギ ル ウェ ル 訓 練の 亡 霊 た ち が、 “バック ツウ ギ ルウ ェ ル”を 合言 葉 に、 さ ま よ 歌 いさ ざ め きな が ら 楽 園 を求 め て 彷 徨 う姿 や 気 持 ち に共 感 で きも し ま す が 、安 易 に は同 調 しか ね る感 情 が 、そ れ を 押 し 留め る こ とが し ば し ば あり ま し た。 8. 第三教程(実修)の成果報告と 授与式 第一 教 程 と第 二 教 程 を 履修 す る と 、6 ヶ 月 間 の 原隊 に おけ る 第 三教 程( 実 修 )が 行 わ れ実 修 成 果 の 報告 は 所 属県 連 盟 の県 コ ミ ッ シ ョナ ー の 確認 を 経 て 、日 本連 盟 事務 局 に 年度 末 ま で に 提出 さ れ まし た 。 事務 局 で は中 村 知 先 生が 閲 読 し 、合 否 が 決 定 され た 上で 、事 務 局長 の 決 裁 を 経て イ ギ リス の ギ ル ウ ェル パークヘ報告し、英文修了証の発行とウッドバッジ ( ツー ビ ー ズ) の 交 付 申 請手 続 き が進 め ら れ ま した 。 た だし 、 期 日ま で に 当 年 度第 三 教 程修 了 予 定 者 全員 か ら の報 告 書 提 出 は困 難 な 例が 多 く 、通常 は 新年 早 々 に中 村 先 生 の 指示 で 事 務局 長 名 で ギ ルウ ェ ル ヘ第 二 教 程 全 修了 者 名 を通 報 し 、年度 末 の3 月 に はギ ル ウ ェ ル から 全 員 分の 修 了 証 と ウッ ド バ ッジ が 事 務 局 に到 着 し てい ま し た。ネ ッ カチ ー フ は需 品 部 扱 い でし た の で、 ギ ル ウ ェ ルに 注 文 して 入 手 し て あっ た 保 存分 か 使 われま し た。 修 了証 と ウ ッド バ ッ ジ ビ ーズ と ネ ッカ チ ー フ の 3点 セ ッ トの 伝 達 は 、 毎年 の 全 国総 会 閉 式後に 行 われ ま し た。 就 職 翌 年 の全 国 総 会 は 山 形 県 で 開催 さ れ 、5 月 の 荒 れ 模様 の 天 気に も 係 わらず 蔵 王山 麓 の 高台 で 行 わ れ た記 憶 が あり ま す 。 氷 雨の 降 る 中で あ り 、 英 文修 了 証 が濡 れ な いよう に 大切 に 保 管し た 記 億 は 痛ま し い もの で し た 。 第三 教 程 修了 者 は、事 務局 の 授 与式 出 席 案 内 を郵 送 で 受け る と、全 国 から 集 ま りま し た。古 田 誠 一郎 D C Cや 尾 崎 忠 次 AK L か ら、 ギ ル ウ ェ ルよ り 郵 送さ れ た 英 文 表記 の 名 前が 入 っ た修了 証 が一 人 ず つ渡 さ れ 、 4 つビ ー ズ を首 に 掛 け た DC C ま たは A K L は 、さ ら に 首に 幾 つ も吊し た 2つ ビ ー ズの ウ ッ ド バ ッジ の 一 つを 首 か ら 外 し、 ギ ル ウェ ル ネ ッ カ チー フ ( 実費 負 担 )と一 緒 に修 了 者 の首 に 巻 く と 修了 者 は 感激 に 身 を 震 わせ ま し た。 授 与 式 に 出席 で き ない 修 了 者は、 別 の機 会 ( 県連 総 会 や 県 コミ ッ シ ョナ ー 研 究 集 会な ど ) まで 預 り の 扱 いを 受 け まし た 。 9. 一つの時代の終焉 イギ リ ス では 、昭和 3 5年 (1960)以 降 、総 長 諮問 委 員 会の 提 案 に 基 づき 、大き な 変 革が 進 め ら れ始 め 、昭 和 3 9年 (1964)に は ジョ ン・サ ー マン 所 長 が退 任 し、ギ ルウ ェ ル 訓練 は ウ ッ ドバ ッ ジ訓 練 の 名前 の 下 に 新 しい 姿 に なり ま し た 。 年頭 書 簡 も到 着 し な く なり 、 ギ ルウ ェ ル ノート 9 特 集 那須野営場での指導者訓練 の 改定 も な くな り ま し た が、 そ れ でも 日 本 連 盟 は変 わ る こと な く 伝 統 的な ギ ル ウェ ル 訓 練を続 け 、イ ギ リ スで の 変 革 を 加盟 員 に は知 ら せ ず に 修了 承 認 やビ ー ズ と ネ ッカ チ ー フの 授 与 が粛々 と 行わ れ ま した 。 就職 後 5 年目 に 、 メ キ シコ で 世 界会 議 が 開 催 され 、 代 表団 の 内 の 今 田 忠 兵 衛 、小 林 運 美 、根 岸 真太 郎 の 三氏 に 同 行 し て、 2 年 後に ア メ リ カ 合衆 国 で 開催 の 第 1 2 回世 界 ジ ャン ボ リ ー会場 の 視察 な ど を行 い ま し た が、 こ の 時に は す で に 日本 連 盟 では 小 林 運 美 常務 兼 事 務局 長 の 追い出 し 作戦 と し て、 職 員 就 業 規則 の 制 定作 業 が 理 事 会に よ り 進め ら れ 、 年 度末 ま で に小 林 運 美氏は 常 務理 事 職 を剥 奪 さ れ、定 年に 達 し た新 年 直 後 に 退職 事 務 局職 員 と し て 事務 局 を 追わ れ ま し た。 メキ シ コ での 世 界 会 議 では 、 世 界訓 練 方 針 の 頭出 し が 表明 さ れ ま し たが 、 日 本代 表 団 は世界 的 な動 き を 放置 し 、 4 年 以上 に 亘 る人 事 の 混 乱 の間 、 世 界訓 練 方 針 へ の切 り 替 えが で き ずに、 相 変わ ら ず 伝統 的 な ギ ル ウェ ル 訓 練が 継 続 さ れ 、修 了 者 はギ ル ウ ェ ル 訓練 の 真 髄に 触 れ た悦び に 浸り 続 け られ ま し た 。 イギ リ ス 連盟 が 指 導 者 訓練 の 国 際セ ン タ ー と して の ギ ルウ ェ ル の 機 能を 放 棄 した 後 も 、ジョ ン ・サ ー マ ン所 長 在 任 中 は、 日 本 連盟 が 第 三 教 程修 了 者 への 修 了 証 申 請を ギ ル ウェ ル パ ークに 送 ると 、 従 来通 り ギ ル ウ ェル パ ー クは 修 了 証 を 送っ て き まし た が 、 サ ーマ ン 所 長退 任 後 は、修 了 証の 用 紙 だけ が 送 ら れ てき て 日 本で 英 文 の 名 前を 打 ち 込み 、 D C C やA K L が署 名 を 行いま し た。 ギ ルウ ェ ル 訓練 を 心 か ら 信奉 す る “矢 の 会 ” に とっ て 、 ギル ウ ェ ル ヘ の決 別 は 佐野 常 羽 翁の薫 陶 への 離 別 であ り 、 ス カ ウト 運 動 への 信 念 を 揺 るが し 、 茫然 自 失 と な る暴 挙 で あり ま し た 。 日本 連 盟 事務 局 の 中 村 先生 は 、 体力 が 極 端 に 衰え て い まし た が 、 ギ ルウ ェ ル 訓練 の 世 界的な 変 革に 気 が つい て お ら れ ない よ う に仕 事 を 続 け 、ま た 誰 も正 面 切 っ て 時代 の 流 れに 反 す る仕事 を 、止 め さ せる 冷 徹 さ を 持ち 合 わ せる 人 は い ま せん で し た。 た だ 一 人 、中 村 先 生が 隊 長 を務め た 時代 の 愛 弟子 、 村 田 正 雄氏 に し ても 、 ス カ ウ ト運 動 の 国際 化 の 流 れ を理 解 し なが ら 、 大きな 変 革の 舵 取 りの 手 を 緩 め てい ま し た。 昭 和 4 4 年 (1969)の フ ィ ン ラ ン ド に お け る 世 界 会 議 で 世 界 訓 練 方 針 が 決 議 さ れ た 後 、 ス カ ウ ティ ン グ 誌に 翻 訳 を 掲 載す る と 、村 田 正 雄 理 事か ら 強 いお 咎 め の 言 葉が 降 っ てき ま し た 。 そ の 後 2 年 間 、 日 本 連 盟 は 昭 和 4 6 年 (1971)開 催 の 世 界 ジ ャ ン ボ リ ー と 世 界 会 議 の 開 催 準 備 に忙 殺 さ れて 、 指 導 者 訓練 の 国 際化 な ど は 表 面化 す る こと は な く 放 置さ れ ま した 。 世 界 ジャ ン ボリ ー と 世界 会 議 の 準 備に 追 わ れな が ら 、 ス イス の ジ ュネ ー ブ に 移 転し た 世 界事 務 局 から、 6 9年 ヘ ル シン キ の 世 界 会議 決 議 を受 け て 世 界 訓練 ハ ン ドブ ッ ク が 発 行さ れ 、 それ に 目 を留め 日 本語 版 翻 訳に 着 手 し ま した 。 こ の 蔭 に は 昭 和 4 5 年 (1970)の 大 阪 万 博 利 益 金 で 財 団 法 人 大 阪 万 博 記 念 協 会 が 設 立 さ れ 、 広 く様 々 な 社会 事 業 に 資 金援 助 が 行わ れ 、 世 界 スカ ウ ト 事務 局 の 世 界 訓練 ハ ン ドブ ッ ク 英語・ 10 特 集 那須野営場での指導者訓練 フ ラン ス 語 ・ス ペ イ ン 語 版発 行 印 刷の 援 助 を し なが ら 、 日本 語 の な い 悔し さ が あり ま し た。大 阪 万博 記 念 協会 補 助 金 申 請に 来 日 した 世 界 事 務 局資 金 部 長に こ の 点 を ただ す と 『世 界 の スカウ ト 運動 の 公 用語 は 英 仏 西 の3 語 で あり 、 日 本 が 日本 語 版 を独 自 に 作 成 する の は 自由 で あ る』と 言 われ 、 資 金の 目 途 が 立 たな い の で、 翻 訳 外 注 を諦 め た 事情 も あ り ま した 。 そこ で 日 常業 務 後 の 時 間に 、 事 務所 や 自 宅 で 翻訳 を 続 け、 3 ヶ 月 ほ どで 翻 訳 を終 え た 時に指 導 者養 成 委 員会 や ト レ ー ニン グ チ ーム の 中 心 に いた 役 員 に配 っ て 意 見 を聞 き ま した 。そ の 問 に、 ギ ルウ ェ ル 訓練 信 奉 者 の 廣瀬 文 一 中央 審 議 会 議 長か ら 訳 文の 問 題 が あ るの で は ない か と の指摘 が あり ま し た。 世界 訓 練 方針 は 、 ギ ル ウェ ル 訓 練か ら 完 全 に 離脱 し た 行き 方 で あ り 、こ の よ うな 動 き を理解 せ ずに 、恐 ら く 廣瀬 議 長 は 翻訳 に 疑 義を 懐 い た の であ ろ う と思 わ れ ま す。原 文と 訳 文 を渡 す と、 ノ ルウ ェ ー 大使 で あ り 、 すで に 退 官し て い た 親 友の 山 中 俊夫 氏 の 閲 読 を仰 い だ よう で す 。 山中 氏 か らは 反 論 と な る指 摘 は あり ま せ ん で した が 、 胃潰 瘍 へ と 繋 がる 体 調 不良 と 戦 いなが ら の翻 訳 で あっ た だ け に 、誤 訳 へ の疑 い は 精 神 的に 大 き なシ ョ ッ ク で した 。 世 界 訓 練 ハ ン ド ブ ッ ク 翻 訳 の 発 行 は 大 き な 障 碍 が 予 想 さ れ ま し た が 、 昭 和 4 8 年 ( 1973) 頃 から ト レ ーニ ン グ チ ー ム・ ハ ン ドブ ッ ク 発 行 が山 田 利 雄デ ィ レ ク タ ーの 下 で 進め ら れ 始めま し たの で 、 ハン ド ブ ッ ク の作 成 を 佐藤 俊 夫 副 デ ィレ ク タ ーと 共 に 取 り 組み 、 世 界訓 練 ハ ンドブ ッ ク翻 訳 は トレ ー ニ ン グ ハン ド ブ ック の 別 冊 と して 位 置 づけ 発 行 が で きま し た 。勿 論 、 トレ ー ニ ング チ ー ム・ ハ ン ド ブ ック は 世 界訓 練 方 針 に 基づ き 編 纂さ れ ま し た 。こ の 発 行に よ り 、ギル ウ ェル 訓 練 との 決 別 は 明 確と な り 、世 界 訓 練 方 針に よ る 指導 者 訓 練 は 、日 本 全 国に 広 が ったの で す。 11 特 集 那須野営場での指導者訓練 10. われはふくろう、楽しきふくろう 日本 連 盟 には 、 美 し い 言葉 の 歌 が沢 山 あ り 、 その 多 く が外 国 の ス カ ウト ソ ン グの 替 え 歌でし た 。中 で も 「バ ッ ク ツウ ギ ル エル ( ギ ル ウ ェル に 帰 ろう )」 は 、“ われ は ふ くろ う ” でのタ イ トル で 詩 情豊 か な 替 え 歌で す 。 〔原 語〕 [原 語 直訳 ] l used to be a cuckoo, a jolly cuckoo, too. 私 は一 羽 の カッ コ ウ で し た Bu t n ow l‘ v e finished cuckooing, それも 楽し い カ ッ コ ウで し た l don't k n o w what to d o . で も今 は カ ッコ ウ と し て 飛び 廻 れ ませ ん I'm growing old and feeble, ど う した ら よ い の でし ょ う l c an cuckoo n o more, 私 に は わ か りま せ ん so I‘m going to g e t my ticket, if I can 私 は年 寄 り にな り Back to gilwell,Happy Land そう 体 が 弱っ て い ます 私 は でき れ ば I‘m going to g e t m y ticket, if I can 除 隊 を す る よう に 進 もう ギ ルウ ェ ル の楽 園 へ 戻 ろ う で きる な ら ば 私 は 除 隊 へ向 け て 進も う [吉川 哲 雄 先生 が 作 られ た 替え 歌 ] わ れは ふ く ろう 務 め 果 たし 今 宵う れ し 心さやか 星明かりに わ が 古 巣へ ああ 楽 し き ふく ろ う 富 士 の麓 帰らなん 山 中 の 森蔭 に 原語 は 楽 しか っ た 若 い 時代 を 終 えた 老 人 が ス カウ ト 活 動を 離 れ て 、 楽園 で あ るギ ル ウ ェルヘ 帰 りた い と いう 、 切 な る 思い を 歌 って い ま す が 、替 え 歌 は仕 事 を 終 え た元 気 な 若者 が 明 るい気 持 ちで 家 路 につ く 姿 が 感 じら れ ま す ギル ウ ェ ル訓 練 へ の 夢 を追 う 点 では 同 じ で あ って も 、 原語 に は 自 分 の時 代 を 終え た 認 識の下 に 、隠 退 を する 計 画 性 を 感じ ら れ ます が 、 替 え 歌は 引 退 など 何 処 吹 く 風と い っ た生 涯 現 役であ ろ うと す る 、陽 気 な 自 己 陶酔 が 強 く 滲 み 出 て い ます 。 日 本語 の 歌 詞 は 、日 本 の スカ ウ ト 指導者 の 姿を 表 わ して い る の で はな い で しょ う か 。 もう 一 つ、“ 永遠 の ス カ ウト ” があ り ま す 「 一度 、 ス カウ ト に ち か いを 立 て てな り し 身 は、 い つも い つ もス カ ウ ト だ 。こ の 世 でス カ ウ ト に 命捧 げ 仕 えな ば 、 死 し て後 も ス カウ ト だ 」とい 12 特 集 那須野営場での指導者訓練 う 歌は 、 亡 くな ら れ た ス カウ ト や スカ ウ ト 指 導 者の 告 別 式で 歌 わ れ 、 感銘 深 く 死者 に 別 れを告 げ るこ と が でき ま す 。 これ は “Once A Scout, Alwa ys A scou t”( 一 旦、ス カ ウ トに な れ ば、いつ も ス カ ウ トで い た いの で す ) に 触発 さ れ て日 本 で 作 ら れた 歌 で あり 、 イ ギ リ スで も 外 国の ど の 国でも 歌 われ て い ませ ん 。 英 文 は、 少 年 時代 に ス カ ウ トで あ っ たキ ッ チ ナ ー 元帥 が 、 ボー イ ス カウト 連 盟か ら 何 かの 事 業 へ 支 援を 依 頼 され た と き に 喋っ た と 、ス カ ウ ト 運 動史 を 翻 訳し た 時 に読ん だ よう に 記 億し て い ま す 。 「 ス カ ウト で し たか ら、い つ でも ス カ ウト の お役 に 立 ちた い の で す よ」 (こ の 形 の英 文 は 、慣 習 的に l wish が 省 略 さ れて い る と理 解 さ れ ま す) と 言 った 返 事 が、“ 永遠 の ス カウ ト ” とし て 一人 歩 き し始 め た と 言 えま し ょ う。 い ろ い ろ な事 情 か らス カ ウ ト 運 動を 離 れ た人 た ち は、本 当 は運 動 を 離れ て も 、 ス カウ ト 運 動を 忘 れ ず に 温か い 支 援者 と し て 認 め ら れ る 余地 が 残 されて い るの に、 “ 永 遠の ス カ ウ ト” の歌 に よ って 、彼 ら は 生涯 忘 れ られ な い罪 悪 感 を背 負 い、己 を 恥 じる 気 持 ちに 苛 ま れ ま す。 日本 の ス カウ テ ィ ン グ は、 日 本 の個 性 と 特 色 があ っ て こそ 日 本 の ス カウ テ ィ ング で す 。翻訳 に 囚わ れ る こと な く 、 独 自の 道 を 突き 進 ん で こ そ価 値 が あり ま す 。 同 時に 、 外 国と の 違 いがど の よう に し て起 こ っ た の かを 知 る こと も 大 切 で はな い で しょ う か 。 こ のこ と は ギル ウ ェ ル訓練 に つい て も 言え る と 思 い ます 。 また 今 、 日本 の ス カ ウ ティ ン グ は加 盟 員 の 減 少な ど 多 くの 問 題 を 抱 えて い る よう で す 。これ ま で歩 ん で きた 日 本 ス カ ウテ ィ ン グの 歴 史 を 表 面的 な 事 実記 述 だ け に とど め ず に、プロ グ ラ ム、 指 導者 養 成 、国 際 関 係 、 書籍 や 資 料発 行 、 組 織 とサ ー ビ スな ど の 項 目 から 、 発 展と 衰 退 の流れ を 書き 残 す べき で は な い でし ょ う か。 そ れ を 読 み、 そ の 上に 共 通 の 理 解を 築 い てこ そ 、 新しい 変 化に 応 じ た進 展 が 期 待 でき る の では な い で し ょう か 。 そん な 議 論 が 起こ る こ とを 願 っ ており ま す。 一 了- ( 日本 連 盟 元事 務 局 長 ) 13 特 集 那須野営場での指導者訓練 那須野営場でのウッドバッジ訓練及びトレーナー、コミッショナーコースのサインボード 場 長 作 の ト ー テ ム ポ ー ル が 完 成 し た 。 ス カ ウ ト コ ー ス 第 三 期 。 こ の と き 古 田 伝 一 昭 和 三 十 四 年 、 歴 史 に 残 る 日 本 ギ ル ウ ェ ル へ の 奉 仕 す べ て を 拒 ん だ 。 最 初 の ト レ ー ナ ー コ ー ス 。 昭 和 四 十 六 年 、 日 本 連 盟 と し て 訓 練 は 軌 道 に 乗 っ た 。 14 こ の 頃 か ら コ ミ ッ シ ョ ナ ー 所 長 ‐ 松 原 喜 一 氏 ( 富 山 ) シ ョ ナ ー 特 修 所 第 三 期 。 は 、 翌 昭 和 五 十 年 開 設 の 三 十 四 期 の 所 長 を 昭 和 五 十 八 年 開 設 の コ ミ ッ B S コ ー ス 三 十 二 期 の 鹿 野 重 所 長 新 潟 ) 参 加 者 は 当 時 の 指 導 者 訓 練 を 務 め た 後 、 国 際 訓 練 の ハ ン ド ブ ッ ク の ( 担 う 人 達 だ っ た 。 採 用 に 賛 成 せ ず 、 以 後 の 訓 練 コ ー ス