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平成 25 年 10 月 27 日(日) 磐田市教育委員会文化財課
©磐田市 平成 25 年 10 月 27 日(日) 磐田市教育委員会文化財課 今回は、磐田市の南西部に位置する旧竜洋町の掛塚・川袋・ 豊岡地区の文化財を訪ねます。地元でしか聞けないこぼれ話、 掛塚湊と天竜川に沿って発展した掛塚の町並み、石造りの蔵 などを見て、聞いて、感じてめぐるウォークです。 さあ出発! ~掛塚の始まり~ 天竜川は、昔より大きな洪水を何回となくもたらし、本流と東派川に挟まれた村は、激し い天竜川の流れとの戦いの歴史でした。天竜川河口に位置する掛塚は、江戸時代から天竜川 による物資の集積地、または交易の場として古くから栄えました。また、掛塚港から江戸や いかだし 大坂へ木材や諸物資を回漕し、多くの商人や船頭、筏師が集まり、回漕業が盛んになり、製 のこぎりかじ 材(木挽)、造船所、鋸鍛冶などの産業が発展しました。明治10~30年ごろは、通り沿いに 多くの商店が営まれ、賑わいをみせていました。 掛塚の町は、北から本町、砂町、中町、田町、大当町、新町、蟹町と並び、田町と中町の 東側に横町が隣接しています。 きぶね 1 貴船神社 たかおかみのかみ 祭神: 高 龗 神 (水の神)。天竜川河口掛塚港の鎮守 として廻船問屋の崇敬が厚いお社です。創立年代不 明、室町以前の創立ともいわれています。神官(明 治20年ごろの談)の祖先が、海岸で光輝くものを認 め、近づいてみると1枚の神符が残されていたと伝 えられています。これこそこの地を守護する神であ ろうと思い奉持して帰り、社殿を築き奉祀したのが 起源であるといわれています。 明治16年の火災で境内が全焼し、本殿は明治20年に、拝殿・幣殿は明治30年に再建。 当日見れる! 2 西洋型帆船模型 ・・・市指定有形民俗文化財 明治30年の大祭時に水夫共同組合から奉納されたものも ので、全長 3.8m のブリガンチン型(2本マストの洋式中型帆 船)の西洋型の船の模型です。10分の1に造られていること から、40m ほどの船の模型であったと思われます。 他にも市指定文化財があります(当日は見られません)。 みこし 貴船神社神輿 ・・・市指定有形民俗文化財 現在の神輿は、明治14年(1881)に鈴木勇次郎(8に説明があり は ふ ます)が棟梁となり造られたものです。長方形で破風造であるとこ ろに特徴があります。四方に御鏡が飾られているこの鏡は江戸時 代の元禄10年(1697)8月に製作されたものです。 フタナリ船 ・・・市指定有形民俗文化財 貴船神社の神輿の中に祀られています。地元有志が、海上交通 の安全を祈って貴船神社に奉納したものです。模型は、船体の長 さ2.5m、高さ2mのヒノキ造りで、2本マストに14枚の帆を付 け、船室 2 つを備えています。 1 3 赤煉瓦の屋台蔵 各町の屋台は神社境内で組み立てるため、近くに 屋台蔵が必要で、昔は土蔵を使用していました。火 事で消滅したため明治39年に赤煉瓦を使用して 3 ヶ町分を一棟に収納すべく建造されたもので、 3ヶ所の出入口が設けてあります。煉瓦は長手積が 基本となっており強度を増すため、内もたれで強化 されていて、現在お祭りの後解体された中町と砂町 の屋台が格納されています。間口18m、奥行 3.7 m、高さ 2.7m。 長手積⇒ 4 掛塚橋木橋跡 横須賀街道が天竜川を渡る地点に明治39年に架設されました。これにより、掛塚から天 竜川右岸まで1本の橋で渡ることができるようになりました。それまでは、中州の十郎島を 挟んで、十郎島東橋(掛塚~十郎島)と栄橋 最初に架けられた掛塚橋(明治39年) (十郎島~浜松)の2つの橋を渡らなけれ ばなりませんでした。 川袋渡船(橋) 十郎島 栄橋 駒形渡船 掛塚橋 東橋 十郎島居村渡船 掛塚 共栄橋(中町渡船) 大当町橋(渡船) 5 長さ 864m、巾 2.7m、車よけ9ヶ所を設け、工 費は 13,600 円を要しました。 町営有料橋として架設されましたが、洪水などで 橋の一部が流失するなど、町で維持するのが困難と なり、大正14年、県に献納し、無賃橋となりました。 じゅうろうじま 十 郎 島渡船場跡 江戸時代には、主に渡船によって川を渡っており、10 ヶ所の渡 船場がありました。明治7年に十郎島に橋梁を設けると、あいつい で橋梁が架けられるようになりました。これらは、現在見られるよ うな橋ではなく、船橋や、瀬から瀬へ渡る簡単な橋であったと思わ れます。 十郎島渡船場跡 2 ~本町通り~ 掛塚は江戸時代から、廻船業が栄える町としての特 色がありました。明治10~30年ごろは、通り沿いに 多くの商店が営まれ、賑わいをみせていました。事業 を起こす(掛塚で一旗あげる)ために、掛塚には多く の人が越してきたと言われています。 6 秋葉山常夜灯<本町> 本町の常夜灯は鞘 のない石灯篭形式。 昭和39年建造。 昔は竜灯(お堂)が あったが老朽化の ため建て替えられ ました。 本町の秋葉山常夜灯 7 廻船問屋《鈴木家》) (今は取り壊されて見ることはできません) ~秋葉信仰~ 浜松市天竜区春野町にある秋葉山を信仰するも ので、火防の神として広く信仰されてきました。秋 葉山常夜灯には、秋葉山参詣の旅人が道に迷わない ための道しるべと、町内が火災にあわないようにと いう2つの目的があるようです。秋葉信仰は江戸時 代から全国の村々へ広がり、磐田市内にも多くの秋 葉灯籠が残っています。 うしごろう 鈴木丑五郎翁寿碑 天保11年(1840)、遠江国豊田郡掛塚村に生まれ、家業は荷車製造 および醤油醸造業。少年時代から研究心が旺盛で、修理のため工場に運 び込まれる荷車のほとんどが車軸の磨滅と腐敗によるものであること から、その防止の研究に没頭し、車軸の改良に成功。そのほか、もぐら 捕獲機、酒粕蒸留器などを考案しました。 村会議員、掛塚農会長、葉煙草収納組合長など多くの公職に就いて活 躍しました。 鈴木丑五郎翁寿碑 8 鈴木勇次郎顕彰碑 文政12年(1829)遠江国豊田郡掛塚村に生まれ、実業の大工職を継 ぎ優れた技術を身につけ多くの弟子を輩出したといわれています。各地 から彼の技を慕い、門下生は百数十人を数えたといわれています。掛塚 屋台のほか、貴船神社・浜松銀行・浜松製紙・浜松製帽などの建築を一 手に受け、技術力を結集し顧客の要望に応えました。 時間があったら行ってみて 鈴木勇次郎顕彰碑 こうしゅうじ ~香集寺~ (宗派:臨済宗方広寺派、山号:望海山) 本尊は、知恵と福徳が天空のように無限で無尽蔵にあるという満願虚 空菩薩。永禄11年(1568)創建され、往古は 200m西の海を臨む地にあ ったが、天竜川の流路の変化や改修で現地に移転したものと思われます。 かにまち 境内に半僧坊を祀り航海の安全と大漁を祈願したことから、蟹町の住民 の多くが檀家になったといわれています。 (石仏・・・如意輪観音2体、地蔵菩薩、延命地蔵、地持地蔵、六地蔵) 地持地蔵 3 9 かわぶくろ 秋葉山常夜灯<川 袋 > 石灯篭形式。昭和33年建造。 川袋の秋葉山常夜灯 しょうりんじ 10 松林寺 (宗派:臨済集方広寺派、山号:富景山) 本尊は十一面観世音菩薩、創建は天文14年(1545)。 寺伝によると、長谷川越前守輝貞所領の遠江国豊田郡川 匂庄河袋村にお堂を建てて松隣庵と名づけたが、輝貞の 法名が松林寺殿といわれたことから後年、松林寺と寺号 うじざね を改めたといわれています。今川氏真(義元の子)の時代に は河匂庄平間、高木、川袋の3ヶ村の21ヶ寺の事務を担 当したといわれています。 11 きゃ ら だ せ ん じ ぞ う だ い ぼ さ つ 佉羅陀山地蔵大菩薩 丸彫坐像、高さ48cm、幅30㎝。願をかけると耳の病が治る といわれています。地蔵には珍しい半迦思惟のポーズをとりま す。 しゅみせん 佉羅陀山[須弥山(古代インドの世界観が仏教に取り入れられたも ので、世界の中心にそびえるという高山)を囲む七金山(七重に取り巻 く山)のひとつで、地蔵菩薩が住む浄土といわれています]への信仰に よるものと思われます。 12 三界万霊塔 この塔は、18世紀初頭に川袋村の六斎念仏講中(念仏踊りの一種。 全戸あるいは講念仏講員が死者の霊を弔い、怨霊の魂鎮めなどの供 養を行う団体の有志)が造塔したものです。 万霊塔とは、この世に生命のあるものの霊をこれに宿らせ、回向 することによって万霊を供養することを目的としたもの。三界とは、 しゅじょう 欲界、色界、無色界の3つの総称で、一切 衆 生 が、生まれ、また 死んで往来する世界をいいます。 13 松林寺の三界万霊塔 手洗鉢 側面に「明治 38 年掛塚港鈴■丸海上安全船長 大手■九郎」とあり、船長が航海の安全を祈願し、 寺院に奉納したものです。 (■は削れていて読めない文字) 手洗鉢 4 一 壹万人 四國材木出衆事 蜂須賀阿波守とのへ 一 五千五百人 生駒雅楽頭とのへ 一 二 福嶋左右衛門大夫とのへ 二 取應 人数 令 割符 一 四千五百人 戸田民部少輔とのへ 一 五千人 レ 合貮万五千人 一 右材木寺澤越中守 二 無 油断 海際迄可 出之者也。 羽柴土佐侍従とのへ 天正十七年正月十八日○ 秀(吉朱印 ) 福嶋左右衛門大夫とのへ 見ることはできませんが・・・ 一 手前之材木出事 14 豊臣秀吉朱印状 天正17年(1589) 、秀吉が京都方広寺の大仏殿造営に使用する木材の運搬人足を徴用す るために出した朱印状。松林寺で所蔵 しています。 一 豊臣秀吉朱印状(松林寺所蔵) 15 は せ が わ さ だ お 長谷川貞雄頌徳碑 弘化 2 年(1845)、浜名郡雄踏町の名門中村家に生まれ、川袋 ひ ら た あつたね の長谷川家の人となりました。成人して平田篤胤(江戸時代後期 の国学者・神道家・思想家・医者)の門人となり、明治維新時に は遠州報国隊の幹部として、討幕の命を受けた西郷隆盛等に合 流して江戸に入りました。箱館戦争にも参加して功を立てた後、 海軍省に転じて海軍主計総監になりました。退役後は貴族院議 員に選ばれ、明治の新しい政治に貢献しました。晩年は浜松に 居住して、西遠地方の公共事業に尽力しました。 彼にまつわる話として、明治22年に開通した東海道本線の当 長谷川貞雄頌徳碑 初の政府案のルートは、中泉~掛塚~浜松であり、彼は郷土の 発展に期待して、その実現を目指しました。しかし町民は隆盛期 にあった掛塚港への影響を恐れて反対したので、現在の天竜川駅経由になったのだと語り伝 えられています。 16 川袋学校跡 (現在の竜洋西小学校) 明治 6 年川袋村外10ヶ村連合で、長谷川八郎宅地内所有の長屋 を校舎とし、川袋小学校(下等小学校)が開校されました。当時は、 下等小学校、上等小学校に分かれ、4ヶ年をもって卒業する制度に なっていました。当時の敷地は94坪、校舎50坪。運動場は、宅地 の空地で60余坪という狭いものでした。 川袋学校跡 7 やぐも 17 八雲神社 祭神:建速須佐之男命(スサノオノミコト)、櫛名毘売命(クシ ナダヒメノミコト)の夫婦の神、他4柱。 明治までは牛頭天王社と称したが、明治初年(1868) 八雲神社と改称しました。享保年間今川義元の家臣山下 八右衛正範がこの地に来て住み、社殿を造営したという 伝承があります。 18 八雲神社狛犬 拝殿前の狛犬は、その原型ともいわれる ライオン像にも似ているため(原型とも言 たてがみ われて)、立派な 鬣 を持っています。また、 本殿前にも狛犬が置かれ、こちらは伊豆石 で造られています。 拝殿前の狛犬 本殿前の狛犬 ~伊豆石の利用~ 伊豆石には安山岩という硬い石(伊豆硬石)と、凝灰岩などの柔らかい石(伊豆軟石) があり、硬石は古くより江戸城の石垣などに利用されてきました。また、明治時代になる と加工がしやすく火に強い伊豆軟石が近代建築の材料として脚光を浴び、東京などでも盛 んに使われたと言われています。 こうした石材は下田、河津、松崎などの港から船で運ばれました。掛塚港の船も、東京 からの帰り道に下田港などに寄港し、船の安定を保つ目的もあって多くの伊豆石を運搬し たと言われています。 掛塚や池田、またその対岸の河輪町・中野町などには、今でも伊豆石でできた蔵などが 残り、港や天竜川を利用して繁栄していたことがわかります。 うちみょう 19 内 名 墓地 足地蔵 地域では、願をかけ足の病気が治ると地蔵様に草履を奉納したと いわれています。石仏といえば石地蔵というほど、近世の石仏でも っとも多いのが地蔵です。なぜ建造されたかは明確に分かっていな いものが多くありますが、人々の苦しみを救ってくださるものとし て、村人に親しまれました。 足地蔵 20 村上会館記念碑 村上太三郎 安政4年(1857)、川袋村の生まれ。 明治元年(1868)、12 歳の時、掛塚湊から船に乗り、横 浜に出ました。丁稚奉公から身を起こして、証券業界に入り、 莫大な金を手に入れました。私財をなげうって多くの会社 (24 社以上)の設立に協力しました。時代の要求する産業の 振興に尽力し、あらゆる産業(鉄鋼・電灯・製糖・石油精製・ 製粉・木材・水道電気・製薬・運輸自動車・・・など)に先 駆者として活躍しました。 8 村上会館記念碑 21 延命地蔵 地域では、平家供養のために道端に建てられたお地蔵様と言われて います。なぜ平家供養なのかは不明です。 また、子供を怪我から守るとも伝えられています。これは、地蔵菩 薩は、この世界で弱いものから救済すると考えら れていることからだと思われます。 延命地蔵 22 川袋秋葉山常夜灯 セメント・モルタルで作った角柱形式の常夜灯。 昭和39年建造。毎年1月に、のぼりを立ててお祭 りをしています。 川袋秋葉山常夜灯 23 掛塚町役場跡 掛塚町役場は、明治12年に、現学供竜洋会館の場 所に設置されて以降、明治33年~大正5年の期間を 除いて、昭和30年までここに所在しました。 明治33年12月に火災のために焼失したため、民家 あるいは学校を間借、その後、掛塚中町の掛塚商船 組合事務所の建物などにて事務を行っていました。 そして、大正5年5月から元の所在地の掛塚本町で 事務を行っています。昭和29年12月、庁舎を改築、 掛塚町役場 この建物は昭和54年に現在の学供竜洋会館の建築工事が始まるまで商工会などが使用し ました。 掛塚町の人口は、明治22年の第1回国勢調査の時が6,857人、その後、掛塚湊の栄枯 盛衰に伴って5,000人台から7,000人台まで増減し、昭和25年の国勢調査では、たまた ま6,847人となっています。 24 掛塚乗合自動車跡 竹内家が掛塚乗合自動車を創業し、後に遠州電気鉄道株式会社他4社とともに遠州鉄道株 式会社となります。 25 遠州銀行跡 昭和30年頃の掛塚のまちなみ(現在の 遠鉄タクシー乗合所の交差点付近) 平野又十郎は、嘉永6年(1853)に掛塚の廻船問屋 林文吉家の八男に生まれました。 「一銭の金も働かせようによっては、十円にも百円にも 役に立つ」。こういって、明治初年(1868)浜松を中心 とした金融事業を起こし、これによっての産業の発展を 図りました。明治維新の時、海外の勉強をするため、神 戸の岡山義正に師事し、英語・簿記を習い、経済に明る なって郷里に帰った後、村人に盛んに貯蓄の必要を説き、 納税貯蓄組合を造りました。金融が盛んになった時代で、 9 小さな銀行らしき店が乱立していました。やがて吸収合併が進み、明治41年掛塚銀行も吸 収されました。最後に残ったのが遠州銀行で、その頭取に平野又十郎が就任しました。昭和 18年(1943)に静岡の三大銀行(伊豆・静岡・遠州)が合併し、現在の静岡銀行が誕生し、そ の初代頭取が平野繁太郎(又十郎の長男)でした。 26 旧掛塚郵便局(長谷川家住宅)局舎・蔵 ・・・国の登録有形文化財(建造物) 昭和10年に建築された木造2階建一部平屋建で、もとの郵便 局舎兼住宅です。正面の旧局舎は、モルタル塗で石造風に仕上 こて え げ、洋風の軒飾り、漆喰の鏝絵などが見られます。背後に建つ 蔵は、郵便局建設以前からあったもので、木造2階建てで、外 壁に伊豆石をはり、窓まわりの表現に技巧を凝らしています。 建設当時の郵便局 27 湊屋(鈴木家)の石蔵 明治3 0年頃建てられ、 『湊屋』の屋号で魚屋を営んでいました。 魚屋の西隣に石蔵(伊豆石)があり、魚屋の道具や製造した鰹節な どを入れるために造られ、商売の勢いを証明する象徴であったよ うです。 28 廻船問屋(津倉家) 津倉家は、江戸時代から材木商・両替商、次い で廻船問屋を営んで天竜川上流の木材などの運搬 に従事していました。明治18年、掛塚湊の港湾完 成当時は27 件の廻漕店があり (明治27年の統 計)、その掛塚の中でも、津倉家は3本の指に入る 規模を誇った明治時代の豪商でした。寄棟造りや 格子戸の家は、年代を感じる風格があります。 廻船問屋の屋敷を描いた銅版画 (明治中期の廻船問屋津倉家) 29 掛塚小学校跡 (現在の竜洋西小学校の前進) おおせいだされしょ 明治5年に「学事奨励に関する 被 仰 出書」が布告され、国民 皆学と教育均等が明示されたのを受け、明治6年5月に、宅地 1反4歩を校地として、後者を新築し、西光寺の南に設立され ました。掛塚小学校は、明治14年には、上下等の制度を廃止し、 初等3年・中等3年・高等2年の8年の制度になりまし た。 明治16年の火災で全焼後再建され、明治19年まで使用され ました。 10 時間があったら行ってみて ~西光寺~ (宗派:浄土宗、山号:国清寺) 本尊は阿弥陀如来。大永元年(1521)建立。徳川家の寺 領として、慶安元年(1684)朱印地として二石六斗を贈 られた由緒ある寺院です。 林家(25 に記載の平野又十郎の生家)のお墓があります。 30 三岡家煉瓦倉庫 本格的なオランダ積みの赤煉瓦蔵で、屋根下のデコレ ーションも工夫されていて、北側上部の蓋付窓や下部に 設けられた換気孔など工夫が施されています。 先々代の熊太郎氏が建造し、当時20人ほどの職人を 住まわせて建具屋を営んでいました。三河産の煉瓦を船 で運び、1年以上かけたといわれています。 イギリス積⇒ ©磐田市 いわたの歴史のことなら 磐田市埋蔵文化財センターへ!! 〒438-0086 磐田市見付 3678-1 電話 0538-32-9699 磐田市教育委員会文化財課 (中央図書館東側)8:30~17:00 休館/土・日・祝・年末年始 入館無料 竜洋郷土資料館(竜洋支所の東) ・・・無人ですが、ぜひお立ち寄りくだ さい。休館/月・祝・年末年始 入館無料 公文書・古文書など資料のことなら …歴史文書館へ!! 〒438-0204 磐田市岡 729-1 電話 0538-66-9112 磐田市教育委員会文化財課 《歴史文書館(竜洋支所内)》 8:30~17:15 休館/土・日・祝・ 年末年始 入館無料 11 ⑱八雲神社狛犬 ⑰八雲神社 ⑯川袋学校跡 ⑮長谷川貞雄頌徳碑 八雲神社 内名墓地 松林寺 掛塚高等小学校跡 ⑲足地蔵(内名墓地内) ⑭豊臣秀吉朱印状 ⑬手洗鉢 ⑫三界万霊塔 ⑪伝羅蛇山地蔵大菩薩 ⑩松林寺 ⑨秋葉山常夜灯 (川袋) ⑳村上会館記念碑 21 延命地蔵 香集寺 高根神社 地持地蔵 ⑥秋葉燈籠 (本町) ⑧鈴木勇次郎翁寿碑 ⑦鈴木丑五郎顕彰碑 潜竜寺 廻船問屋 茶田辰五郎 22 秋葉山常夜灯 (川袋) 旧白木屋跡 ⑤十郎島渡船場跡 (八幡神社境内) お地蔵様 八幡神社(十郎島) 秋葉燈籠 (十郎島) ④掛塚橋木橋跡 上鍵竹内家 廻船問屋 宝珠院 スタート・ゴール & 集合・解散場所 P 掛塚橋 23 掛塚町 役場跡 厳島神社 西光寺 30 三岡家煉瓦倉庫 栄橋跡 ①貴船神社 ②西洋帆船型模型 ③赤煉瓦の屋台蔵 24 掛塚乗合自動車跡 25 遠州銀行掛塚支店跡 29 掛塚学校跡 28 廻船問屋 (津倉家) 27 湊屋の石蔵 国道 150号 勝又屋敷遺跡 線 26 旧掛塚郵便局舎・蔵 0 白羽神社 白羽神神輿 300m 延 権現森の碑