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散歩の達人 - きぼうのいえ
きぼうのいえが月 IJ経営する 介譲ステ ンヨンハモニ ーのベテランスヲッフ。慢 しく言葉をかけ主がらのお 世話は、実に手際よし、。 テ山て給人本い になに 失有前うザのた すのいマるの称支後 ン本治のはのると過い入山つ料にー l あ。そる波仕暮こ舞ドえのこ トさ療対、法人は酷ホ院谷た老開心テる創こ独が事らの台ヤる穣こう へんが象救律をいな 1 すの余人設でレ山設に居押のし町とに日災はと 戻たーに急で えムるド命ホ j サ本者プ肖し増」でも性雇者あっ らち段な:車 l圭~臼困圃由自国園田薗圃畠曲ι!1- A 齢寄減と長なむいの{>山 不自由。東京空ワーの置物 で漕媛の火にやられて目が と 緒に買い物も、楽しみ のひとつ。数人の入居者に 住み心地を聞くと、照れく と皆からのお守りが宝物だ。 さそうに f まあまあだ主 J。 つよ労収意谷 1・たう働容味に った部屋に案内してくれた。 遠洋マグロ漁船に乗るなど 盤より心の平安重視だ。 栂当数の聡業経験者だ。 5 階建て、全 たよ j と、先祖の位牌を祭 きほうのいえのコンセプトは「できるだけゴー 「自分の墓も戒名も周意し る。月に 11賓礼1手をするが、 僧侶のス合 y フが仏教式に 施餓鬼供養もする。宗教の ジャスに」。これには驚いた。鉄筋 テレビ付きの 室個室で介護ベッドにエアコン、洗面台、冷蔵庫、 屋上には小さ主礼拝堂があ だ。終戦直 4 ・期を縁の下で し出す、何ともいえない温かな空気が流れている。 と山本さん。そして館内にはスタッフたちの麟 と感じてほしい、その思いを空間に込めたのです」 「終のすみ家だからこそ、生きることはいいなあ 山谷には、違和感を覚えるほどの天国だ。 に浴室。そして屋上には小さな礼拝堂。扉の外の 5 畳弱。もちろん食事付き。娯楽室 の簡易旅館・通 には数々の闘争 「山谷育ち」「ヤ チンコ店が点在す の好・不景気は日雇 響し、現在は高齢化 すや、生活保識を受給 「懇くないです。何やら周りの人が良い誤解をし 地元の反応はいかがですか、と尋ねると、 てくれていますね」と山本さんは笑う。町の住民 にとっては「道端に転がっている人を収容してく 聖職者を目指したこと 「行き倒れた人を救うマ してや亡くなられでも:::」。そして山谷の男た れる」。ドヤも「寝たきりの人の世話は大変、ま 世話になる場所」という安心感をもたらす。 ちには「自分たちの先輩が入り、やがて自分もお もっとも山本さんは最初、山谷に建てる気は毛 「身寄りがなく、行き場を 人たちのための家」だ。 「ホl ムレスを看取る」ための家など貸してくれ るわけがない。ならば土地を購入して、と思いき 頭なかった。当初はよそで賃貸物件を探したが、 や、住民運動が起こって断念した。たまたま不動 齢者は大抵、最後は病院 l シ l 卜のテントでさら 産屋の紹介で、売れ残っていた山谷のど真ん中の こそが入居者の第二の故郷、一番しっくり来る。 土地を購入、現在に至ったわけだ。思えばこの町 、行き倒れる人もいた。 H そしてここは余生を過ごすための家庭。まだ体調 「お酒や食事制限や煙草も、病院のようには制限 が悪くない人には自炊可能な個室の別棟もある。 と美恵さん。家族ならそんなもんだ。 しません。少しは楽しんでもいいかなって(笑こ 医療行為は、医師による往診や毎日のように通 山谷には「訪問看護ステーションコスモス」と ってくれる訪問看護師に委ねられている。 いう、心強いご近所さんがいるのだ。ここは看護 7 年前に閑い ィアをするならこの地で生業を、と の az 『会ぼうのいえ』へ来る。 の晃込みのない人がここ、 。話からまず病院へ。そし 禄れた時点で生活保護受 T りもなくて行き倒れた ザ〉匂」わけではない。 で実際に「路上に倒れて -くて生活保護を受給でき 、高額な利用料が必要な いたような施設を」とい えるための施設が現れ 様変わりしつつある。 ピ 妻の美恵さんと共に4年 日ス 師である山下真実子さんが、山谷地区のボランテ 者を、ホ ティアの方の尽力で巡 d この施設は、入居 なの荻~圃園圃圃圃圃圃圃圃圃圃圃圃圃圃圃圃圃圃圃圃圃圃圃圃・凶~4ナといく たちの努力の末に寄 97 東京:;,ワーを造ったという 85肢の入居者は、元とび職 近所の食料品店にスヲ y フ 札4草堂の扉を開けると、正 面の祭纏や棚に 11 人分の 骨 ft。毎年 11 月のキリスト 敏の『諸聖人と死者の月 J にまとめて埋葬するそうだ。 医療チ 1 ムに参加す一 た。スタッフの看護師 の強者揃いだ。 可の難民支援の おじさん自身、こんなひとときが人生のどこか が浮かんだ。「野生動物は腹を見せて眠らない」。 も、ドヤを一軒 に違いない。ここは「心から安心していられる場 に待ち受けていることなど、想像だにしなかった 彼女たちはきぼう 狭く不潔な部屋 赤いエプロン姿のケアワ l ヵ l だ。明るくていつ 身も心も肝っ玉母さんそのものの治子さんは、 おじさんたちの次の場面がそこにあった。 ?臼い布で包まれた骨壷が並んでいた。 何げなく礼拝堂の扉を開けた。自の前の台上に真 館内をプラプラするうち、私は屋上に上がって、 所」なのだろうと、その姿を見て思った。 一軒訪ねては看護 ホ・レス相手の医療相 院やきぼうのいえ を紹介すること ス‘開いている。 で悲惨な状態の病 談や、様々なデ 来‘のは山谷の方は半分。 ば事りゃんなの。年を取る 「でもデイサ 半分は地元の み r ね」と山下さんは笑う。 と立場なんて るように」白衣ではなくジ も笑顔で、唇一食後は皆の部屋を回って話し相手を し、お天気がよければ入居者を散歩に連れ出す。 私たちをいろいろ案内してくれた後、治子さん 近くにいるだけで思わず婚しくなる人だ。 は例の礼拝堂に入り、サングラスを載せて「おれ、 では朝からあっちこっち ますよ」と山本さんの言 一無尽に行き交っている。 「どん主場面でも対応でき ベッドの 打つ音に おり、 「いろんな 、 2 でたくさん ケンゾウ」と脅かれた名札が貼られた骨壷を見せ てくれた。「もう可愛かったのよ。楽しい性格で 厨房担当、掃除担当、訪 て入居者・・・・・・。 アマネージャー、ボラン 介護担当 問医師、訪 に毎回付き添っていたから、備が移ってね」と、 彼女は骨査を愛おしそうに撫ぜた。 l 人だった。怪我による失血。 ケンゾウさんの最後に居合わせたのは、たまた 「もう顔から血の気が引いているのに死ねない ま治子さん に場』されているのよ」 の。ペースメーカーが埋め込んであったから、心 年 A 言われたんだけど、もう 麗を出るとふと舷いた。 しめを手早く取り替える 一について仕事ぶりを見せ ねえ、みーんなの人気者。人工透析のための通院 私たちも ティァ、ぉ ていただい lカ 「この方も、 ケアワ 2 年以上軍コ 臓が止まらないのよ」と治子さん。医師はベ 1ス 「l 暑 l本だけね」と優しく 」いサ糖尿病患者の貿い物に メーカー停止の決断を、彼女に委ねたのだった。 10 年目だから慣れてる j 。絵 を錨くのが好きなおじさん。 日 2 圏、自分で腹にインシ バナナを回 さがそこにある。買い物か 一人じゃなかったことを 2 時から、ボランティアスタッフに 実感して旅立ってほしい 翌日は午後 よるティ l タイムのサービスが聞かれた。 カラオケ上手なおじさんは、ボランティアの女性 と銀座の恋の物語をデュエットで散ってご満悦。 動問官舎療に勧れた内科医の 堀先生はドヤへも出掛ける。 ュリン注射する。「もう 付き添うスタ 諭す。行いし 白書拷ベッドにもたれてイ -ち Mが工事現場を と冊目を輝かせた。 リ打ってるな。ほら、 腹絶突き立てながら、 ら帰るとおじ ンシユリン注射 「ん?どこか ゴォ l って音がし 山谷の町を歩く 、職場なのだ。 が咲く様子を見 3時からは禁煙解除なので入居者や、以前ここに かける。彼らに最も 日差しの中、 ぐるりと取り聞み、 昼下がりの娯楽室 l 人のボランテ 住んだ経験のある女性らが集って、賑やかなミニ ティ 1 パーティとなった。そこに 陛するおじ 』んな言葉 立派な革張りソファに さんがいた。失礼ながら ンズにラガーシャツ姿。 1 糖尿病を患う丸角さんは 98 毎週木曜日の午後は、螺楽室でティーヲイム。ボランティ 7 の女性たちがコーヒーと紅茶、それにお菓子をふるまう。部屋への出前もする。カラオケを楽しむ人も。 ィア女性がカラオケの歌詞ブックを取りに来た。 「寺川さんね、私が美雫ひばりを唱うと、一緒に ド情| 唇を動かすの。好きなのよね、歌が」 寺川さんはだいぶ容態が惑いのだと、昨日訪問 ここではその間際まで、誰かがずっとそばにい 調掃 回目先一 て3・ E元三二『 り石浜小 得、富@ o 3∞m t ) は , 自 橋 交 看護師がスタッフに申し送りをした入居者だった。 2 日前には公闘で梅の花 弘 kibounoie.info 差 点 の 近 く に あ る 。 る。看取りの瞬間に必ずしも居合わせることはで き・なくても、一人で生きてきたのではないことを 実感して旅立ってほしいと願っているからだ。 実を申せば、私自身、病院に生死を依存するこ H 頃から 見送った。いや看取ったなんて偉そうなものでは とに抵抗を感じて子どもは家で産み、実父を家で ない。糖尿病で入退院を繰り返す父に、 たら、退院して凶日後に本当に昼寝から目覚めな 「家で死になよ」と言って介護の覚悟を決めてい り病人扱いだったのに、 かったというあっけない体験だ。病院では寝たき 見をし、間際まで自分で風呂に入り、トイレに行 でも残された者たちには言いしれぬ充足感があ き、昼食も母と摂ったばかりであった。 った。家族はなぜかまるで大旅行に出掛ける父の の中にあったことを覚えている。きぼうのいえに、 準備を手伝うかのような、並々ならぬ明るい輿哲 このホスピスの入居者は、必ずしも山谷育ちの それと似た独特の高揚感を感じた。 男ばかりではない。 3割強はそれまで普通に街で アパート住まいなどをしていた独居尚齢者。高齢 入院を機にアパートを引き払ってしまったり。つ を理由に賃貸契約の回新をしてもらえなかったり、 一でも、こういった笹闘の施設は、おそらく日本 まり私たちの近未来に直結した人たちなのである。 ではまだ他にないのです」と山本さんは言った。 一層の高齢化社会を迎える日本。新しい施設の 在り方を模索する、行政の視察も多いという。 道で行き倒れた人を救いたいという一心で創り 上げたこの家は、図らずもこの図で暮らす多くの 人の「きぼうのいえ」となるのかもしれない。 99 を指す。『きぼうのいえ』 (台東区清川2-29-12 宮03 ・ 山谷旭区. 君主玉姫公 易旅館(ドヤ)の多い地織 三ノ鎗駅 h t t p : / / w w w 事瞬間再 ~'.IIO .D~""" 明治.ilt)~| 、 〆 大 施 段 を 実 現 し て 運 営 し て 4 しまうのには脱帽だ。雅基 さんは今年春、『東京のド ヤ街・山谷でホスピス始め ました。一「きぼうのいえ J の無謀主賦み J (実業之日 本社)という本も出した。 3875 ・ 7523 ご雌曹~;.貨物駅 。 ボ ラ ン テ ィ ア (48) さ ん 山谷という住所はない。南 千住と浅草に快まれた、簡 精 神 だ け じ ゃ 右 〈 、 こ ん な 'I ff 岡田川 口 南千住1'l 鵬却噂 3) と 美 恵 山 本 雅 基 さ ん は